ソードアート・オンライン・クロニクル もう一人の黒の剣士の物語 (場流丹星児)
しおりを挟む

第一部 アインクラッド篇
第一話 オフ会


 本日貸切

 

 東京台東区某所に有るその店の扉には、そう書かれたプレートが下げられていた。

 

 店の名前は『ダイシーカフェ』という。浅黒い巨漢が取り仕切るその店の中は、只今祝賀パーティーの真っ最中である。パーティーの参加者は多様な年齢構成で、下は中学生と思しき少女から上は三十代程度の大人までと、雑多な年齢構成となっていた。

 男女比は圧倒的に男が多く、一見すると共通点が見いだせないこの集まりだが、実は彼等には大きな共通点が存在した。

 

 SAOサバイバー

 

 かつて世界を震撼させた、VRMMOゲームによる集団精神拉致監禁及び致死事件、通称『SAO事件』、彼等はその生存者であった。

 

 このパーティーは、言わば彼等のオフ会であり、一人の少年の慰労会である。

 少年の名前は桐ヶ谷 和人、一般社会においては無名の一学生ではある。しかし、SAOサバイバーの間で、特に攻略組と呼ばれるトッププレイヤーや、生産職を極めた者達の間では、知らぬ者無き有名人である。

 

 ゲーム開始時にはビーターと蔑まされたソロプレイヤー、そして終盤では黒の剣士と畏怖された孤高の攻略組トッププレイヤーだ。

 

 黒の剣士『英雄キリト』

 

 彼はSAOから虜囚となったプレイヤーを解き放った事に留まらず、その余韻が収まらぬ内、人知れず進行していたALO事件を白日の下に暴き出し、解決に導いた立役者でもある。

 

 キリトは激闘の末に、最愛のパートナーであるアスナを取り戻し、忌まわしい事件に終止符を打ったのだ。今この店に集う者達は、そんなキリトを中心に、SAOで友誼を結んだ者達だった。

 彼等はキリトの労をねぎらい、改めて自らのデスゲームからの生還を喜んでいた。

 

「マスター、バーボン、ロックで。」

 

 女性陣の思わせ振りな恋の鞘当てと、あからさまな冷やかしにタジタジとなったキリトは、堪らずカウンター席に退避した。そして削り取られた心のHPを回復するポーションを注文する。

 

「……」

 

 彼の心を癒すべく、口をつけた甘露は当然の如く本物のバーボンの訳がない。タンブラーの中の烏龍茶に、してやったりのエギルを見上げ、この野郎と軽く睨むキリトだった。そこへ「俺には本物をくれ」と痩身の男、クラインがやって来る。二三の軽口を挟んだ後、シンカーを交えて今後のVRMMOの行く末についての話が始まった。

 

 そんな兄の姿を、他の女性陣に姦しましく囲まれながらも、半ば心ここにあらずといった面持ちで直葉『リーファ』は見つめていた。彼女はSAOに囚われた兄との心の距離を埋める為、自らもVRMMOの世界、『ALO』に飛び込んだのだった。そうして同じ冒険を経て、やっと兄との心の距離が縮まったと感じていたのだが、この光景を見せつけられると、やはり兄はまだまだ遠い存在なんだと思い知らされる。

 

「私、本当にここにいて良いのかしら……? 」

 

 店の片隅でグラスを握り、直葉はそんな事をとりとめもなく考えていた。

 

 やがて盛り上がっていた宴も徐々に熱が醒め、皆の心は二次会へと移り始め、その算段が始まりだした。二次会会場は勿論ALOである、遠くから来ている者は、そろそろ腰をあげなければ、待ち合わせの時間に遅れてしまう。

 そんな訳でお開きムードが高まった店内で、カウンター席に座るクラインが、にわかに所在なさげに店の玄関口をチラ見し始めた。

 

「おいクライン、何を急にそわそわしてる、お前もそろそろ残業しに会社に戻った方が良いんじゃないか? 」

「あ、ああ、そりゃそうなんだけどよ、ちょっとな。」

「会社に戻るのが遅れて、残業片付かなくて二次会遅刻、なんて事は勘弁しろよ。」

「わーってらい! そんな事!! 」

 

 微妙な態度のクラインに、キリトとエギルは互いに『?』を頭上に乗せて顔を見合せた。

 

「ははーん、分かったわよ、クライン。」

 

 リズベットが意味深な含み笑いを浮かべ、クラインをズビシィと指差す。

 

「ズバリ、女ね!! 」

「「女!? 」」

 

 リズベットの指摘にポカンとするクラインだったが、キリトとエギルは驚愕の表情でクラインの肩を掴んで激しく揺さぶる。

 

「それは本当か、クライン!? 」

「お前に女がいたなんて、それもSAOの中で既にいたなんて!? 」

「いいか、絶対に手放すんじゃないぞ! 」

「そうだぞ、クライン、もしその人と喧嘩になったらお前が全部悪い!!」

「土下座してもすがり付いても別れるんじゃねえぞ!! 」

「ああ、その人を逃したら、この先お前に一生女なんて……」

「だぁっ! 喧しい!! 」

 

  突然降って湧いた女性疑惑に、ワイドショーの記者よろしく揉みくちゃにして迫るキリトとエギルを振りほどき、疑惑を打ち消すべくクラインは吠える。

 

「違げーよ!! さっきあっちで相手を見つけておけばって言ったばかりだろ! おい、リズ、お前ぇいい加減なデマを流すんじゃねえ! 」

「へっへっへ~、べぇー。」

「こんのぉ~、リズ、てめぇ!! 」

 

 猛るクラインに、あかんべーをするリズベットを、シリカが「リズさんリズさん」と制止する。そんな光景を優しく微笑んで見つめるアスナ。

 

「で、誰なんだ、お前さんの待ってる奴は? 」

「勿体つけないで教えろよ、クライン。」

 

 エギルとキリトが改めて聞くと、クラインはあっさりと白状し始めた。

 

「わーったよ。折角サプライズにしようと思ったのによ……。お前等ノブとシゲは知ってるよな? 」

「……ああ、確か……」

「風林火山の見習い……、だった……、っけ? 」

 

 クラインの言葉に、エギルとキリトは記憶の糸を手繰り寄せる。クラインが口にしたこの二人は、知らずに高レベルパーティーがレベリングに使う狩場に迷い込み、モンスターの群れに囲まれている所を、偶然通りがかったクラインと風林火山のメンバーに救い出され、その縁で見習いメンバーに加わった経緯を持つ。小肥りノブにひょろ長いシゲのデコボココンビは、レベルこそそこそこ高かったが、要領の悪さが足を引っ張り、クラインは最後まで攻略組に加える事は無かった。二人の要領の悪さは折り紙付きで、アインクラッド崩壊後、須郷の手によりALOのラボに捕らわれ、アスナ同様つい一ヶ月程前にナーブギアから解放されていた。そんな二人の顔と名前が辛うじてキリトとエギルの脳内で一致をした頃合いに、クラインは小さく咳払いをしてから話を再開する。

 

「でよ、そのノブとシゲに頼んでよ、ヒョウとおツウさんを此処に呼んであるんだよ。」

「なんだって! それは本当か! クライン!! 」

「ああ、大手柄だぞ、クライン! 俺達リアルのアドレス交換出来なかったからなぁ。」

 

 ヒョウとツウ、その名前がクラインの口から出た瞬間、参加メンバーの更に一部、攻略組プレイヤーの顔に喜色が溢れ、歓声が上がった。

 

「あんたもやれば出来るじゃない、グッジョブよ、クライン。」

「私も早く会いたいです、クラインさん。」

「へっへへぇ~、だろう。」

 

 再び盛り上がるSAOサバイバー達に大きな隔たりを感じつつも、その名前を聞いてキリトがこうまで喜色を表すその二人に興味を持った直葉が恐る恐るアスナに問いかける。

 

「あの、どんな人なんですか? その、ヒョウさんとおツウさんって……」

 

 直葉の問いに、アスナも喜色満面で答える。

 

「ヒョウ君はとっても強い剣士だったの、キリト君みたいにソロだったんだけど、中盤まで攻略組の中核戦力だったのよ。キリト君みたいに黒ずくめで。」

「ああ、でもアイツは侍みたいな格好だったろ。」

 

 アスナの後を受け、キリトが二人の会話に加わる、するとエギルとクラインもその輪に加わった。

 

「確か、最初にカタナスキルを手に入れたのもヒョウだったな。」

「おう、でもって俺様に教えてくれたのがヒョウの字よ。」

「十三層だったかしら、キリト君の連続ラストアタックボーナス記録を止めたのは。あの時のキリト君の顔……」

「確かに悔しかったけど、そんなに顔に出てたか? 」

「物凄い表情だったわ。」

 

 楽しそうにツッコミをいれるアスナに、眉を寄せたキリトだったが、すぐにある事を閃いて反撃をする。

 

「物凄い表情なら、アスナもしていたじゃないか。」

「え〜、私が〜、いつ、いつよ? キリト君。」

「六十層解放慰安パーティーの時だよ、忘れたのか? 」

「六十層解放慰安パーティー……、何だったかしら。」

 

 小首を傾げるアスナに、キリトが意味あり気な笑顔で話す。

 

「料理スキル、おツウさんに先にカンストされていたって、悔しがっていたじゃないか。」

「えーっ、私悔しがってないよ。凄いなぁーって思ってただけだからね。」

「本当かぁ? それにしちゃあ、随分と眉間にシワが寄ってた様な気がするが。」

「もう、キリト君の意地悪!! もうあっちでお料理作ってあげない! 」

「わわっ、アスナ、そりゃ勘弁!! 」

 

 慌てるキリトに、リズベットが茶々を入れる。

 

「ちょっと~、だらしないわよ~キリト~。まぁ、アスナが相手じゃ無理無いか。」

「違いない!! 」

 

 リズベットの茶々にクラインが合いの手を入れると、店内が爆笑に包まれる。同じ様に笑顔を浮かべながら、やや遠巻きに皆を眺める直葉の心の中に、また一つ疎外感が募っていく。直葉が天井のサーキュレーターを見上げ、心の中で大きなため息をついた時、店の扉のカウベルが来客の到来を知らせた。

 

「おっ、来たな。」

 

 クラインの言葉が呼び水となり、皆が一斉に開いた扉に目を向けると、そこには気の弱そうな小肥りの男と痩身の男が、気まずそうな目付きで立っていた。

 

「おう、遅かったな、そんな所に突っ立ってねえで、早く中に入ってこいよ。」

 

 クラインに急き立てられ、二人は足取りも重く店内に入ると、クラインの前に行き深々と頭を下げた。

 

「大将、お久し振りです。」

「今日は、ありがとうございます。」

「おう、良いってことよ、俺達風林火山の絆は血よりも濃いんだ、見習いだからって、それは変わり無いんだぜ。」

 

 頭を下げる二人の肩を叩くクラインの笑顔は、紛れもなく部下の命を預かったリーダーの顔だった。

 

「で、アイツ等は何処だ、一緒じゃなかったのか? 」

 

 単刀直入に本題を切り出したクラインの言葉に、二人は頭を下げたまま固まり小刻みに震えはじめた。そうとは気付かないクラインは渋面を浮かべ、頭を掻きながら独りごちはじめる。

 

「てぇと、まだ駅かなぁ、此処は分かりにくいからなぁ……」

「大将! すんません! 」

 

 クラインの独りごちを遮り、小肥りの男ノブが顔を上げ叫ぶ様に詫びの言葉を言った。痩身のシゲが涙目で続ける。

 

「ヒョウは来ません、来れません、ヒョウは……、ヒョウは……」

「ヒョウがどうした!? 」

 

 二人のただならぬ雰囲気に、表情を改めてクラインが短く問う。

 

「ヒョウは……、死にました……」

 

 店内にグラスの割れる音が鳴り響く、衝撃の言葉にシリカがショックを受け、手にしていたグラスを落としてしまったのだ。

 

「シリカ! 」

「シリカ! 大丈夫!? 」

 

 気を失いかけたシリカを、慌ててキリトとリズベットが支える。大丈夫です、ごめんなさいと言うシリカを椅子に座らせたキリトは、ノブとシゲに向き直り静かに問い質す。

 

「ヒョウが死んだって? 」

 

 兄の殺気を目の当たりにした直葉は思わず息を飲む、ここまで怒りを露にした兄の姿を見るのは初めての経験だった。

 

「何かの間違いだろ!? アイツが! ヒョウが死ぬなんて有り得ないだろう!! 」

「キリト君。」

 

 掴みかからん勢いでノブとシゲに迫るキリトを押し止め、アスナは優しくキリトを抱き締める。キリトの剣幕に腰を抜かしたノブとシゲは、土下座に近い姿勢で、ヒョウの死の顛末を話はじめた。

 

 ヒョウはパートナーのツウと二人で四層の島で保育園兼孤児院を営んでいた、島の規模もそこそこ大きくゴンドラ船さえ有れば交通の便も良いそこは、シンカーの抑えの効かなくなった軍の一派が自らの宿営地とする為に度々立ち退きを求めてちょっかいを出していた。彼等から島を守る為、ヒョウは次第に最前線から遠ざかり、中盤以降はボス攻略にも姿を見せなくなっていった。しかし、彼の伝説的な強さは、ここ一番の節目の攻略には欠かせない物が有り、助っ人参戦を請われる事も暫し有った。そんな時にヒョウが安心して島を空けられる様に、付き合いの有ったクラインは気を利かせ、見習いのノブとシゲを派遣していた。見習いとはいえノブとシゲも高レベルプレイヤーだ、船着き場を抑えていれば数を頼みに低層で屯するだけの軍の連中に遅れを取る事は無い、それにヒョウを熱心にスカウトしていたヒースクリフ直々の指示で、血盟騎士団からも護衛が派遣されており、ヒョウは後顧の憂い無く助っ人参戦する事が出来た。しかし、遅々として進まない攻略に彼等は二年余りアインクラッドという鳥籠の中に閉じ込められ、一部のトッププレイヤー以外は否応なしに生業を持つ事を強いられていた。当然大所帯の所帯主たるヒョウも例外に漏れず、採集から高難度クエストやレベリング等をサポートする『萬護衛請負業』をエギルとアルゴを窓口に営んでいた、因みにシリカとリズベットは彼のお得意様である。それに加え、ヒョウ自身のレベリングも有り、島を長期離れる事を余儀なくされた彼の原状を鑑み、クラインはノブとシゲを正式に留守居役の剣術見習いとしてヒョウの下に派遣していた。

 そんなある日の事である、シンカーを罠にかけて遁走したキバオウ率いる『はぐれ軍』の連中が、ヒョウ不在の隙を突き、自らの常駐地とする為に島を奪わんとやって来た。彼等は奸計を用い院の子供達を数名拐って人質とし、ヒョウ達の立ち退きを迫るつもりであった。しかしアルゴからの緊急情報で知ったヒョウはそれを阻止すべく、単身で子供達を守る為にはぐれ軍に戦いを挑んだ。アルゴからの知らせを受け、おっ取り刀で駆け付けたノブとシゲ、そしてツウのが見たものは、ラフィンコフィンの残党を名乗るはぐれ軍の一員と、子供を庇って刺し違えたヒョウのアバターが輝くポリゴン片にはぜる瞬間であった、あるアナウンスを聞きながら……

 

 はぐれ軍、その言葉を聞いて崩れ落ちる様に椅子に座り込むシンカー、そして彼の背中を抱くユリエール。

 一瞬にして深い悲しみに包まれる店内に、不意に乾いた打撃音が響き渡る。

 

「ラフィンコフィン!! ラフィンコフィン!! 」

 

 直葉が目を向けると、怒りと悔しさを拳に込めてテーブルを打ちつけるキリトの姿が有った。そして堪えきれずにすすり泣くシリカの嗚咽が、店内の全ての者の心情を代弁する。

 

「……そんな……、酷い、十一月七日なんて……、十四時五十五分だなんて、そんなの酷すぎます……、どうして……どうして……」

 

 泣き崩れるシリカを宥める様に抱き締めるリズベット。

 

「で? 」

 

 皆が悲しみに暮れる中、むっつりとした表情と口調でクラインがノブとシゲに次の言葉を促す。しかし、何を促されているのか分からない二人が答えあぐねていると、クラインは焦れったそうに声を荒らげた。

 

「だからよ! アイツは、ヒョウはどんな顔で逝ったんだよ!? 」

 

 その問いに顔を見合わせた二人は、遂に号泣して床に伏せた。

 

「ヒョウは、笑っていました。」

「ごめんって言いながら、笑って、笑って……」

「すんません、大将、すんません……」

「俺達、俺達、ヒョウを守れませんでした……」

 

 号泣する二人の話を聞き終えたクラインは、静かに口を開いた。

 

「おいエギル、もう一杯くれ。」

「クライン。」

「いいから!! 」

 

 一度は制止したエギルだったが、やれやれといった表情でグラスにバーボンを注ぎ、カウンターを滑らせる。

 

「そうか、アイツは笑って逝っちまったのか……」

 

 目の前に滑って来たグラスをキャッチしたクラインは、一口舐めて口を湿らせると、店の雰囲気を吹き飛ばす様に陽気な口調で言葉を続ける。

 

「笑って逝ったのか、カッコいいじゃねえか! ごめんって言いながらか。へへっ、笑って逝くなんてよ、アイツらしじゃねぇか。 」

 

 皆がクラインに注目をする、クラインは皆に人好きのする笑顔を浮かべ、グラスを掲げて言葉を続ける。

 

「なぁ、みんな、アイツが笑って逝ったってぇなら、俺達も笑って送ってやろうぜ! 」

 

 クラインはグラスを片手にキリトに歩み寄り、背中をバシバシと叩く。

 

「ほらキリト、そんな辛気臭い顔してたらヒョウの字にドヤされるぜ。ほら、笑えよ! 」

 

 キリトに明るく話しかけるクラインの顔を見て、直葉は驚き顔色を失った。

 

「うるせぇ、だったら何でテメェは泣いている!? 」

「俺は泣いてなんていねぇ、泣くわけねぇだろ! 馬鹿野郎……、俺が……、泣くわけ……」

 

 クラインの強がりもそこまでだった、グラスを一気にあおったクラインは、人目もはばからずに号泣し始めた。

 

「馬鹿野郎! 畜生! 子供を守ってだって! アイツだって子供じゃねえか! 糞っ! こんちくしょう!!」

「……クラインさん……」

 

 慟哭するクラインに直葉がそっと声をかけると、クラインは涙を隠すためか直葉に背を向けてこう言った。

 

「すまねえ、リーファっち。二次会までにはちゃんと立ち直るからよ、今、今だけはこのままでいさせてくれや。」

「……」

 

 直葉の肩に優しく手がかけられた、振り返るとそこには兄の顔があった。目を閉じて首を左右に振る彼の双眸からも、とめどなく涙が流れていた。彼の胸に顔を埋めて、アスナが肩を震わせていた。

 

 SAOサバイバー

 

 彼等の深い絆を目の当たりにした直葉は、この時はっきりと自覚した。

 

 彼等の世界は私には遠過ぎる、私にはそこまで行けない

 

 と。

 




次回 剣の芸術家(ソードアーティスト)



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二話 剣の芸術家(ソードアーティスト)

 ダメだな、コレは

 

 第一層、トールバーナの噴水広場で行われている集会に参加していた少年、ヒョウは壇上に乱入したサボテン頭のダミ声演説にそう結論を出した。

 

 今回のボス攻略は確実に失敗する。あのサボテン男は兵法を全く理解していない、ボスの能力が不明な以上、参加者全員が力を合わせなければならない時に、徒に対立を煽っている、これでは攻略など覚束無い。一般購入プレイヤーだのベータテスターだの言っている場合ではないのだ。

 それに、サボテンは亡くなったプレイヤーを持ち出して自分の発言を正当化してはいるが、つまるところベータテスターが妬ましいだけなのだ。察するにサボの奴はベータ版の抽選から外れたのだろう、その恨みを晴らそうとしているだけなのだ。よくいる自分が欲しい恩恵を他人にせがむ為に、みんなのためと称して誤魔化し正当化する小物、そうヒョウは切り捨てた。馬鹿過ぎる、誰か悪い奴をでっち上げ、断罪すればこのゲームはクリア出来るのか? お前さんは無料配布のガイドブックを見た事が無いのか?

 だいたいベータテスターが皆、そんなに要領よく立ち回っているなら、二千人も死ぬ前に攻略が進んでいるだろう。ベータテスターだろうと一般購入者だろうと、一刻も早くログアウトしたいのだから。

 サボテン男の発想は、引きこもりニートの発想だ。それに、ベータテスターの中にだって、どうしようもなくゲーム下手の人間だっているんだから。

 ヒョウは始まりの街で、自分を待ち侘びる一つ年上の幼馴染の少女の顔を思い浮かべる。彼女は今サボテン男が槍玉にあげているベータテスターというヤツだ。幸か不幸かベータテスターとなった彼女は、初めてのフルダイブ体験とSAO世界の素晴らしさを説いて、一緒にやろうよと無邪気に僕を誘った。ベータテスター時、対モンスター戦において全戦全敗のワースト記録を樹立した彼女。このゲームが実はログアウト出来ないデスゲームだったという現実を知ると、大泣きしながら何度も何度も「ごめんなさい、ごめんなさい」と謝り続けた彼女。自分がこのフロアボス攻略に参加したのは、塞ぎがちになった彼女を、第一層のフロアボスを倒す事で、今自分達が放り込まれた状況は、非常識だが大した問題では無い事を証明し、元気づける事が目的なのだ。決しておバカなレイドに参加して、命を散らすリスクを取りに来たのではない。ヒョウはそう考えて、腰を上げようとした。今ここで席を立ったら、ベータテスターと勘違いされる事受け合いだ、あのサボテン男の短絡思考ならば、きっとそう決めつけて僕を糾弾するだろう、もしかしたら露骨な嫌がらせをするかも知れない。だが、それが何だというのか、自分はそれでも構わない、その時はその時だ、充分にレベルを上げて対抗すればいい。知り合った情報屋の言葉が正しければ、限られたリソースを奪い合うこの世界では、プレイヤーレベルが何よりも雄弁に物を言う。それに、一つでもレベルが高ければ、その分だけでもツウ『コヅ姉』をゲームクリアまで守り抜ける確率が増える。あの桂小五郎も、逃げの小五郎を貫いて維新を成し遂げたんだ、ここはその故事に倣うとしよう。それに、生きて帰らなければ、隣の婆ちゃんの弟子は名乗れない。僕、祝屋 猛(はふりや たけし)は、ヒョウとしてこのSAOを生き抜いて、ツウことコヅ姉 大祝 小鶴(おおほうり こづる)を現実世界に必ず連れて帰るんだ!

 

 少年は覚悟を決めた。

 

 

 瀬戸内海のとある神社に、紺糸裾素懸威胴丸(こんいとすそすがけおどしどうまる)という胴丸が奉納されている。この胴丸は室町時代より伝わる大変歴史的価値の高い胴丸で、国の文化財にも指定されている逸品である。この胴丸はただ単に古いから価値が有る、という訳では無い。では何故価値が有るのかと言うと、その形が現存する他の同時代の胴丸とは、些か違う特徴を持っているからである。通常の胴丸と比べ、小ぶりな大きさで、ウェスト部分がくびれており、そして胸部が大きく膨らみを持っているのである。以上の特徴からこの胴丸は現存する唯一の『女性用の胴丸』と呼ばれている、確かにそれを否定する説も有るが、この物語では女性用胴丸説を元に話を進めて行きたい。

 

 紺糸裾素懸威胴丸の所有者は誰だったのか?

 

 伝承では地元の女水軍大将、大祝 鶴(おおほうり つる)が所有したとされている。

 

 大祝家とは神職を務める傍ら、一度有事が起こると水軍部隊を派遣してこれに当たる家であった。戦国時代に生を受けた大祝 鶴は、娘にしては大柄で幼い頃より武芸を良くし兵法にも理解を示していた、これに気を良くした父親が彼女に武芸と兵法を仕込み、立派な姫武者に育て上げた。鶴こと鶴姫の初陣は十六歳の時であった、戦死した兄の代わりに水軍大将として出陣し、侵略して来た敵水軍を撃退したと伝えられる。彼女はその後も出陣を重ね、幾度と無く侵略軍を撃退する、彼女の最後の戦いでは、苦戦に苦戦を重ねるも、最後には彼女の機略と武者働きで鮮やかな逆転勝利を修め、侵略軍を撃退した。しかし、この戦いで鶴姫は最愛の恋人を喪い、人の世に虚しさを覚え、凱旋して祭神に戦勝の報告を済ませた夜、沖合いに人知れず小舟を漕ぎ、そこで愛しい恋人に会いに行くために入水したのだった。

 

 我が恋は 三島の浦のうつせ貝 むなしくなりて 名をぞわづらう

 

 という辞世の句を残し、大祝 鶴は十八歳の生涯を終えた。

 

 この伝承に胸をときめかせたのが、大祝家の末裔である大祝 巴である。彼女は父親が宮司を務める神社に奉納されている紺糸裾素懸威胴丸と鶴姫の伝承に夢中になり、そして自分の中に憧れの鶴姫の血が流れている事を誇りに思っていた。私こそ、現代の大祝 鶴とならん! そう誓った巴は幼少より剣道を始め、それには飽き足らず薙刀、柔術を習い、その伝で古武術を修める道を歩み始めた。彼女はいつしか地元の有名人となり、美しい容貌と相まって『大祝さん家の巫女武者』と呼ばれるようになっていった。しかしながら、彼女の思いとは裏腹に、巴という名前がいけなかったのか、彼女は鶴姫ではなく『巴御前』に喩えられたのは御愛嬌である。

 そんな彼女に転機が訪れたのは、奇しくも鶴姫の晩年の年と同じ十八歳の冬である。神職を継ぐ事を決めていた巴は、特に都会に憧れる事も無く、地元の女子大に早々に推薦入学を決めていた。進路が決まった巴は朝から晩まで古武術の研鑽に明け暮れていたが、年の瀬を目の前にすると遊んでもいられなくなる。初詣の準備に大わらわの中、猫の手も借りたい父親に命じられ、ブー垂れながら祭祀に使う道具を探しに入った蔵で、巴は運命的な出会いを果たす事となる。何処に有るのよと探している途中、誤ってぶつかって棚から落とした古書の雪崩れの下敷きになった彼女は、手伝いを命じた父親に悪態をつきながら

 

「どうすんのよ、これ。」

 

 と、何気無く取った古書の表紙を見て目を見開く。

 

 祝心眼流伝書(はふりしんがんりゅうでんしょ)

 

 そう記されていた古書のページを開いた彼女は、表題から家伝の武芸、兵法書と直感する。

 

「家は鶴姫様に連なる家系、この手の本が遺っていても不思議ではない。それを私が見つけたということは、きっと鶴姫様のお導き、そうよ絶対そうに違いない!! 今私がそう決めた!!!

 」

 

 と、実に自分に都合の良い解釈した彼女は、強固な意思の力で父の手伝いを自らの手で忘却の彼方に放り投げると、文字通り時が経つのも忘れて貪り読んだのだっだ。

 

 巴は年明け早々に、弟子入りしている古武術の師匠の元にこの古書を持ち込み、祝心眼流の復元の協力を依頼する。そして彼女の大学四年間は、祝心眼流古武術の復活に費やされる事となった。そして時は経ち巴は神職を継ぎ、神社の一角に念願の『祝心眼流古武術道場』を開き、門弟を取り始めたのだが、この時も喩えられたのは鶴姫ではなく、江戸の女道場主『佐々木 留伊』であった。

 更に時は移ろい巴が老境にさしかかった頃、胸の奥に漫然とした焦りが有るのに気がついた。焦りの正体は、自分が一代で復元した『祝心眼流』を、どうしても後世に残したいという願望だった。悶々とする巴に、初孫が産まれた時の喜び様は凄まじい物があった。産院の控え室で産声が聞こえると、矢のように分娩室に飛び込むや、看護師から孫を奪い取ると、自ら産湯に浸けるはしゃぎぶりだった。

 初孫は女の子だった。この子は鶴姫の生まれ変わりである、そう信じて疑わない巴は、孫娘に『小鶴』と勝手に命名し、代理と偽って役所に出生手続きをするというはっちゃけぶりを示し、息子夫婦を呆れさせた。

 巴は小鶴を目の中に入れても痛くない程に可愛がり、当然の如く小鶴もお婆ちゃん子に育っていった。そうして小鶴六歳の誕生日に、小鶴が大好きな日曜日朝に放送しているアニメの変身セットをプレゼントしながら、巴は含みを隠した笑顔でこう言ったのだった。

 

「小鶴ちゃん、プリキュアになりたくないかい? 」

 

 大好きなお婆ちゃんの問いかけに、小鶴は何の疑いも持たずに

 

「うん、なりたい! 」

 

 と答えた。その答えに、細工は粒々とほくそ笑む巴の腹案はこうだった、孫娘が真剣に見ているアニメは、元は弱い女の子が、古武術の妖精に出会い、毎週苦しい修行を積んで悪者を倒すという内容である、これを使わない手は無い、自分が剣道を始めたのも六歳だった、決して早い訳ではない。誕生日が来たら大好きな『ミラクル★古武術♡プリキュア』の中でも一番贔屓にしている、『キュア抜刀』の変身セットをプレゼントして丸め込めばイチコロだ、この子は鶴姫様の生まれ変わりだ、きっと名のある武道家に育つだろう、ふっふっふ……

 

 ふっふっふ……、と、捕らぬ狸の皮算用を決め込んだ巴の目算は、小鶴の道場デビュー当日に脆くも、そして木っ端微塵に砕け散る結果と相成った。

 

「うわぁあああん、お婆ちゃん、怖いよぉ~」

 

 初めて目の当たりにした、道場での祖母の厳しい姿に怯えた小鶴は、あっという間に道場から逃げ出し、その日から巴に寄り付かなくなってしまったのだ。頭を抱えた巴は絶望的となった小鶴との関係修復を計る一方、次なるターゲットの選定を開始する。そして白羽の矢が立てられたのは、隣家の三男坊の『祝屋 猛(はふりや たけし)』であった。

 祝屋家は大祝家から室町時代に分家した遠い親戚であり、大祝水軍を経済的に支えた古い商家である、現在はその伝統に則り、地域経済を支える商事会社を経営していた。神社の境内の一角で、ままごと遊びに興じる二人の幼児を見守りながら、またしても巴は狸の皮の試算を始めていた。

 

 おや、今日も二人は仲良しで結構結構。幸い猛は三男だけに家業を継ぐ義務も無い、この子に祝心眼流を教え込み、将来は小鶴の婿に迎えればOKだ。猛は小鶴よりも一つ年下だけど、姉さん女房は金のわらじを履いて探せというし、こんなに仲良しなんだから文句は無かろう。これで祝心眼流は安泰だ、神社の跡取りも出来て一石二鳥、私って天才じゃ無いかしら? 問題は猛をどうやってその気にさせるかよね。そうそう、猛は日曜日は小鶴と一緒に仮面ライダーを見ていたわね、私も見てみましょう。あらあら、近頃の仮面ライダーは武器も使うのね、何々……『仮面ライダー古武道』!! 良いわ、良いわよこれ!!

 

 こうして懲りない巴は、腰にたんたんと手を当てて、猛の六歳の誕生日を待つのだった。そうしてやって来た猛六歳の誕生日、懲りない巴は性懲りもなく猛に贔屓の『仮面ライダー野武士』の変身セットをプレゼントし、含みを隠した笑顔でこう言ったのだった。

 

「猛君、仮面ライダーになりたくないかい? 」

 

 トラウマを刺激されてひきつる小鶴の目の前で、何も知らない猛は屈託の無い笑顔で

 

「うん、なりたい! 」

 

 と答えた。一年前から虎視眈々と狙っていた獲物を捕らえた巴は、小鶴の経験を生かし、今回は逃がすまじと慎重に教えるつもりだったが、それは杞憂であった。結論から言うと、猛は天才だった。道場デビューから僅か四年で剣術については教える事が全く無くなったのだ、高学年になって教え始めた柔術も天禀を示している、これで祝心眼流は後世に残る、巴は毎日が充実していた。

 猛は剣術を良くし、特に抜刀術を得意とした。抜刀術は巴はまだ早いと教えていなかったのだが、猛が巴が蔵の中で見つけた古書を読み、独学で抜刀術を身に付けてメキメキと腕を上げていったのだ。猛に欲しいとねだられた時、読めないにしろ、絵本代わりになれば良いかと与えたのだが、どうやら本当に読めているらしい、理解出来なければ長柄の抜刀術など絶対に身に付く筈が無いのだ。

 こうして幼い頃から古武術漬けに育った猛の身辺が慌ただしく変化していくのは、十一歳の夏、小学五年生の夏休みであった、それは彼の全く預かり知らない所から始まった。

 きっかけはごくありふれた町の書店での出来事であった、ジョギング愛好家の女子大生が、お目当てのジョギング雑誌を買う為に、行きつけの書店に行った時の事である。自動ドアをくぐってスポーツ雑誌コーナーに行った彼女が、目当てのジョギング雑誌を探して書架を見回すと、一冊の雑誌の表紙に吸い寄せられるように目を止めた。普段なら絶対に手に取ることの無いだろうその雑誌に手を伸ばし、ペラペラとめくった彼女はまるで何かにとり憑かれた表情でレジで会計を済ませて、足早に自宅に戻り貪るようにその雑誌を読み耽るのだった。そんな事が日本全国の書店で起こる、その雑誌の購入者は、先の女子大生の他に、サイクリング愛好家の女子高生や、ヨガ愛好家の主婦にフィットネス愛好家のOLと多岐に渡る。年齢層の幅は広いが、共通する点は何らかのスポーツを愛好する女性である。彼女達が購入したその雑誌は、数有るスポーツ雑誌の中で最もマイナーな古武術の雑誌だった。その古武術誌の特集は、その年の古武術の祭典であった、天才少年現る! と熱く記されたその号の表紙を飾ったのは、その祭典で彗星の如く現れた超新星の姿である。あどけない少年が凛々しく真剣を八艘に構えるその姿は、世の女性の心を鷲掴みにしたのだった。彼女達は雑誌の中に記された、無料動画配信サイトにアクセスすると、心の中は彼一色となる。そこに映し出されていたのは、変声前のやや甲高くも、充分に迫力の有る気合いの掛け声と共に、一心不乱に真剣を振るう祝屋 猛の姿だった。中でも彼女達を魅了したのは二本の動画である、まず一つは抜刀三連『紅』と題された動画で、正座した猛が気合いと共に立ち上がりながら抜刀して上段受けからの斬り下ろし、納刀して一歩踏み出し抜刀、気合いを込めての袈裟斬り、納刀した後に振り返り、大きく踏み出して抜刀しつつの光速の横凪ぎの一閃を放ち納刀、正座して終わる祝心眼流抜刀術の基本形である。もう一つは抜刀絶技『快刀乱麻』と題された動画で、目の前に扇状に固定された人間の胴体程の太さの十基の巻き藁を、一度の抜刀で猛が全て叩き斬って終わる、という内容の動画だった。無拍子という古武術独特の動作で行われた抜刀は、見た者全てが認識出来ず、『いつ刀を抜いたのか見えなかった。』という書き込みに、閲覧数に匹敵するイイねが付けられていた。

 年端もいかない少年が見せた妙技絶技に、世の中は騒然となる。猛を紹介した古武術雑誌は創刊以来初の完売となり、異例の重版が発行され、無料配信動画は世界中を駆け巡った。猛の動画は直ぐにテレビでも紹介され、道場に取材の申し込みが世界中から殺到した。この光景に小鶴は驚きながらも、弟みたいに可愛がっている隣のタケちゃんが注目されるのを誇らしく思い、その事を本人に告げると、猛は照れくさそうに笑うだけだった。そのはにかんだ笑顔を見る度に、タケちゃんの剣技を世界中の人は知っているが、この可愛らしい笑顔を知っているのは私だけなのだと優越感に浸るのだった。にわかに渦中の人となった猛の名声を不動にする大事件が、その年のクリスマスに起こった。動画とテレビを見たヨーロッパ剣道連盟が、猛に演武をお願いしたいと依頼してきたのである。巴は猛の意思を確かめた後、冬休みの間ならばとその依頼を受けたのだった。

 ヨーロッパでの第一公演地、ロンドンでの演武を終え、フランスに向かう為、ヒースロー国際空港で荷物を預けている時に事件は起こった。ゴルフバッグを担いだ二人組の男が空港の女性職員と揉めたいた。

 

「急いでいるんだ、先に済ませてくれないか!? 」

「はい、お客様。しかしながら他の皆様も急がれております、どうか列に並んで順番をお待ち下さい。」

「だから急いでいると言っているだろう! 」

「左様でございますか。しかしお客様、どんなに急がれておいででも、飛行機の離陸時間までは、まだまだ充分余裕がございます。どうか列にお並び下さい。」

 

 真摯に対応する女性職員を、まるで汚い物を見る様な目つきで睨んだ二人組は、悪態を吐きながらゴルフバッグのファスナーを乱暴に開けはじた。

 

「これだからキリスト教の女は!! 」

「アラーの元で悔い改めろ!! 」

 

 空港職員は青ざめた、二人組がゴルフバッグから取り出した物は、ゴルフクラブではなく、二丁のAK-47だった。それを認識した空港職員は恐怖に悲鳴をあげ……なかった。職務に誇りを持つ彼女は、利用客に忠実な空港職員たらんとし、悲鳴の代わりにこう叫んだのだ。

 

「皆さん! 伏せて下さい! テロです!! 」

 

 その叫びを遮る様に、テロリストの一人が職員を突き飛ばす。もう一人のテロリストが大股で歩きながら、威嚇の為に天井に向けて引き金を引いた。

 

 突然の凶事に遭遇した利用客は恐れおののき悲鳴を上げた、そんな利用客に向かって職員は倒れ込みながらも、必死に声を張り上げる。

 

「皆様、落ち着いて! 床に伏せて下さい!! 」

 

 気丈にも冷静に振る舞う職員を忌々しそうに睨みつけ、足蹴にしたテロリストはAK-47の凶口を職員に向けた。

 

 テロ事件の一報が入り、空港に詰めていたロンドン警視庁テロ対策指令部に所属するクルーゾー警部は、部下のチャールズにSASに協力を要請する様に指示を出し、実働部隊に出動命令を下した。自らの装備を確認しながら、部下達の統制の取れた練度の高い動きに満足する。俺の所にテロりに来た事を、心の底から後悔させてやる。出動準備が整ったのは通報より僅か五分弱、さあ出動だと号令をかけようとした時、第二報が詰所にもたらされた。

 

「待って下さい、警部。」

「馬鹿野郎、待ってなんていられるか! 今すぐ行くから安心しろと伝えろ。話はそっちで聞く。」

 

 怪訝な顔でそう吐き捨てるクルーゾー警部に、第二報を受け取ったチャールズは済まなそうな、罰の悪そうな複雑な表情を浮かべて報告を続ける。

 

「いえ、警部、テロは既に鎮圧されたそうです。そして、テロリスト二人の身柄を確保しているので、引き取りに来て欲しいそうです。」

「なんだって!? どうやってテロを鎮圧したんだ? デルタフォースでも居合わせたのか? 」

「いえ、デルタフォースも、ついでながらSASも……」

「じゃあ、誰が鎮圧したんだ、プロレスラーの団体でも居合わせたのか? 」

「いえ、プロレスラーでもありません。日本人の……子供だそうです。」

「日本人の……、子供だとぉ!? 」

 

 何を馬鹿なと目を剥くクルーゾー警部に、チャールズは早口で説明する。

 

「現場では、日本人の子供が、バットージュツという技でテロリストを無力化したと言っています。」

「バットージュツ……、何だそれは? 」

「さぁ? 自分には分かりません。」

「兎に角、行けば分かるだろう。おい、行くぞ。」

「分かりました。」

 

 鎮圧されたといっても、俄に信じられないクルーゾー警部は部下のチャールズを急き立て、完全武装の実働部隊を率いて現場に向かった。バットージュツ、何だそれは? クリケットはアメリカでベースボールになったが、日本には武術になったのか? 現場に向かう道すがら、クルーゾー警部はそんな事を考えていた。

 

 

 

「おお、神よ……」

 

 AK-47の凶口を力無く見つめた職員は、全てを諦めて目を閉じた。一瞬後、彼女が受けたのは、全てを終わらせる衝撃では無く、細長い重量物が、自分の胸の上に落ちてきた感覚だった。そして驚いて目を開いた彼女は、神の子の姿を見る。

 

 テロリストの凶行に遭遇した猛は、預ける予定のケースの蓋を開いて中の刀を取り出し、空港職員に銃を向けているテロリストに迷わず飛び込んだ。

 

「えええーいっ!! 」

 

 猛が気合い一閃白刃を振るうとテロリストのAK-47は、バナナ型弾倉とトリガーの間で真っ二つとなり、弾倉から先には火を吹く事なく女性職員の胸の上に落ちる。

 

「えええーいっ!! 」

 

 再びの気合いと共に峰打ちで斬り上げた刀は、テロリストの顎を打ち上げ昏倒させた。倒れたテロリストの頭を蹴り、気を失っている事を確認した猛は、もう一人のテロリストを見据える、約十メートルだろうか? ぱっと見の目測で得た間合いを、伏せている人達の身体のサイズを加味して修正を入れる。

 

 行ける! そう判断した猛は鋭い気合いと共に、二人目のテロリストを倒す為に踏み出した。いきなり現れて、仲間を打ち倒した『悪魔の子』に肝を潰したテロリストは、奇声をあげて目の前に迫る子供に向かい、AK-47のトリガーを絞った。

 セミオートで放たれた凶弾の一発目は、慌てたテロリストがマズルジャンプを抑えられずに明後日の方向に飛び、二発目は弾道を見切った猛の刀に斬り落とされる。そして三発目が放たれると同時に猛はテロリストの構えるAK‐47の下に潜り込み、逆袈裟に刀を切り上げた。AK‐47を真っ二つにした刀はテロリストの鼻先をかすめ、猛の気合いと共に峰打ちで斬り下ろされる。横目でその軌跡を視認したテロリストは、自分の首が斬り落とされたと錯覚をしながら意識を手離した。その場にいた誰もが、この一瞬に起こった事を理解する事が出来なかった。

 

 カチーン

 

 猛の納刀の鍔鳴りの音が鳴り響くと、ようやく人々は自分が助かったと自覚して床を踏み鳴らし喝采をあげた、しかし……

 

「アッラーフ・アクバル!! 」

 

 最初に倒したテロリストが意識を取り戻し、上着を脱いで立ち上がった。その姿を見て再び息を飲む職員と利用客。テロリストはプラスチック爆弾をくくりつけたベストを着ていた、そして勝ち誇った瞳で右手を掲げる。その手には、レバー式のスイッチのついた四角い小箱が握られていた、小箱から電線が伸び、プラスチック爆弾へと続いていた。テロリストの親指がレバーにかかり、今度こそおしまいだと誰もがそう思った時、再び少年が奇跡を起こした。猛は縮地という超人的な運足法で一瞬のうちにテロリストとの間を詰めると、動画を見た誰もが見えないと称した無拍子の動きで抜刀し、正確にスイッチレバーを根元から斬り飛ばした。下手に電線を斬ると、それが起爆に繋がっていたかも知れない。しかし、レバーを根元から斬り飛ばされれば、スイッチを入れる事が困難になる、猛はその隙を突いて、今度こそはと念入りに峰打ちで昏倒させた。最初にテロリストが発砲してからここまで僅か四分弱、居合わせた者達にとって、永遠にも思える一瞬であった。

 この様子を監視カメラの録画映像で確認したクルーゾー警部は、ぬうと唸ると隣室へと繋がるドアノブを乱暴に回して、ソファーに座る少年に声をかけた。

 

「おい、小僧!? 」

 

 その余りにも乱暴な物言いに、通訳はおろか全ての者が非難の視線を警部に浴びせる。その視線にたじろいだ警部は、咳払いをしてから、自分なりに柔らかい口調で猛に声をかけ直した。

 

「なぁ坊主、おじさんにちょっと聞かせてくれないか? 」

「はい、なんですか? 」

 

 通訳を介さずとも、猛の丁寧な返事と分かる対応を受け、警部は面食らって内心恥じ入った。

 

「坊主は今幾つだ? 」

「はい、十一歳です。」

 

 俺のガキより年下だよ、よっぽどしっかりしてるじゃねえか。

 

「坊主はすげぇ勇気の持ち主だな、おじさん驚いちまったぜ。でもよ、アイツら、銃を持ってたんだぜ、怖くなかったのか? 」

「はい、怖かったけど、この距離じゃあ槍みたいな物です、落ち着いて捌けば大丈夫だと思いました。」

「はぁ、槍ね、槍か……、分かった、ありがとよ、坊主、じゃあな。」

 

 初速七百三十メートル毎秒の弾丸を槍呼ばわりするなんて……。感心すべきか呆れるべきか判断に苦しんだ警部は部下達に向かって一言、強く念を押した。

 

「いいか、お前等、あの小僧の言った事に、絶対感化されんじゃねえぞ。命が幾つ有っても足りねえかんな。」

 

 このニュースは世界中を席巻し、監視カメラの映像が公開されると、猛は一躍時の人となる。その後の日程も大盛況に終わり、猛の剣技を目の当たりにした外国人記者はこう評した。

 

 彼は自らの醸し出す荘厳な空気の中に、技という作品を描いて人の心に感動を呼び起こす『剣の芸術家(ソードアーティスト)』である。

 

 それ以来、猛は学校に、稽古に、そして国内外から招聘される演武活動に大忙しとなる。この騒動にも天狗にならず、いつもの可愛いタケちゃんで居続ける猛に、小鶴はきっと無理をしているんだと案じ、何か良い息抜きは無いものかと思案に暮れる様になった。そうこうしているうちに猛は中学生となり、演武活動の管理も道場だけではこなせなくなった巴は、大手男性アイドルマネジメント会社、ジャッキー事務所からの申し出を渡りに船とばかりに受ける事にする。そのおかげで周りからアイドル扱いまでされるようになり、ますます息抜きする間も無くなった猛を案じた小鶴が、巴を横目で睨みながら巡りあったツールが、ナーブギアとソードアートオンラインである。商店街の福引きで、ベータテスター応募券付きのナーブギアを引き当てた小鶴は、その強運の余勢を駆って見事にベータ版を手中に修めた。そうして小鶴は初めて体験するフルダイブバーチャルリアリティーの世界に魅了される、この世界ならば、アバターを使えばタケちゃんだとバレる事は無い、きっと息抜きになるに違いない!!

 

「アバター名どうしようか?」

「コヅ姉がツウなら、俺はヨヒョウにしようかな。」

「ダメよ、もっとカッコいい名前にしようよ。」

「良いよ、どうでも。」

「そうだ、ドイツの新聞に載ってたわ、タケちゃんの事。優しい猫が、刀を抜くと獰猛な豹に変身するって。ねえ、ヒョウにしましょうよ。」

「コヅ姉、ドイツの新聞なんてよく手に入ったね。」

「ふふん、凄いでしょう、じゃあヒョウで決まりね。」

 

 二人はナーブギアを被ってマットの上に寝転がる、そしてしっかり手を繋いで見つめ合う。

 

「じゃあ一緒ダイブしよう、せーので行くわよ。せーの「リンク・スタート!」」

 

 良かれと信じて誘ったのがこんな事態になるとは、小鶴は夢にも思ってはいなかった。

 

「ごめんね、タケちゃん、私のせいで、ごめんね……」

 

 泣き崩れて詫び続ける小鶴を抱きしめ、猛は耳元で囁いた。

 

「俺、一緒に来て良かったよ。じゃないと、コヅ姉を守れなかったから。ナーブギアを被って眠っているコヅ姉を見てるだけなんて、何も出来ないなんて、俺、気が狂っちゃうよ。」

 

 涙目で見上げる小鶴に、猛は優しく笑顔を向けた。そして二人はヒョウとして、ツウとして、このアインクラッドで生き抜いて、現実世界に二人で帰ると覚悟を決めた。

 

 コヅ姉のため、俺は生きなければならない、このレイドには縁がなかった。ヒョウが立ち上がり、踵を返そうとした時、バリトンの良い声が響き渡った。

 

「ちょっと良いか? 」

 

 浅黒い巨漢の言葉に、ヒョウは我が意を得たりと膝を叩く。何だ、このレイドも満更捨てた物でも無いな。

 そう思い直したヒョウは、腰を落ち着け直し、ボス攻略に参加する事を決めた。が、一人でノコノコやって来たヒョウには、パーティを組む相手がいなかった。

 さてどこかに入れてもらう。二人組のパーティーが有るな……、いや、あそこは最後の手段にしよう、俺はそんなに野暮じゃない。その前にあのエギルと名乗った巨漢を当たってみよう。

 

 思惑通り、エギルのパーティーに入れて貰ったヒョウは、タンクチームにいながらも、要所要所で効果的なソードスキルを放ち、ボスを仰け反らせて地味だが堅実な働きを見せ、曲刀使いのヒョウの名前をエギルの記憶に植え付ける事に成功した。しかし、なんと言っても今回のボス攻略は、あの二人のものだろう。パーティメンバーが二名と少なく、半ば味噌っ粕扱いだったのだが、前評判を見事に覆す仕事ぶりだった。圧巻だったのは後半、ボスのHPゲージが最後の一本になった時だ、攻略が目前となり、逸るレイドメンバーの中、冷静にボスのウェポンチェンジからの攻撃パターン変化を予測し、警告を発して全員の注意を喚起した事。発起人ディアベル喪失で浮き足立つレイドメンバーを潰走崩壊から救った、目の覚めるような連携攻撃、この姿に勇気づけられてレイドは息を吹き返し、今回のボス攻略は最小限の犠牲で成功したと言えよう。

 しかし……、またしてもそれはあのサボテン頭にぶち壊されてしまった。

 

「何でや!? 知っとったんなら、何でディアベルはんを見殺しにしたんや? 」

 

 あいつは何を言っている、あの状況で何が出来ると言うのだ、咄嗟の警告だって普通は出せるものではない。それをやってのけただけでも、称賛される事はあれ非難されるいわれはない。仮に奴が元ベータテスターだったとしても、システムを凌駕する不公平な力が与えられている訳ではない。元ベータテスターは何でも出来るスーパーマンではない、少し先行した知識を持っているだけの、ただのプレイヤーなんだ。少なくとも俺の知っている元ベータテスターは、ここに居る誰よりも弱いプレイヤーだろう。

 

「ちょっと待てよ! 」

 

 そうヒョウが言おうとした時、非難の槍玉に上げられた少年が、取り囲む無責任な糾弾者達に冷笑を浴びせかける。

 

「元ベータテスターだって、俺をあんな素人連中と一緒にしないで貰いたいな。」

 

 彼が衝撃的なカミングアウトをすると、冷や水をかけられた様に、糾弾者達は狼狽える。それは絶対強者への恐れ、嫉妬、逆恨み、正面切って勝負を挑めない者達の、負け犬の遠吠えにも似た醜いざわめき。そして、振り上げた拳の落とし所を失った者達は、自らを納得させる為に、彼を『汚い元ベータテスター』の象徴に貶める事で、精神の平衡を保とうとした。

 誰からともなく、チート、チーター、ベータテスターのチーター、ビーターと声があがっていく。彼等の発したビーターという蔑称を、ふてぶてしく少年は、ラスを取って得たと思われる漆黒のコートを羽織りながら苛烈に宣言をした。

 

「ビーター、いい響きだな、それ。そうだ、俺はビーターだ、これからは元テスター如きと一緒にしないでくれ。」

 

 静まり返ったレイドメンバーを後に、少年は第二層をアクティベートするために去って行った。

 

 あいつの本心を理解した人間は、ここに何人いるだろうか?

 

 ヒョウは彼の後ろ姿を見送りながら考えていた、パートナーの女性プレイヤーとエギルさん、その他にいるだろうか? あの冷笑を浴びせる前の葛藤の表情、寂しそうな目を見た人間が何人いるだろうか?

 

 今はっきり分かった。アインクラッドには、モンスター以外にもコヅ姉の敵となる存在が居る。その悪意の戈から彼女を守る為に、あいつには済まないが、その決意を利用させて貰おう。

 

 ヒョウはエギルにだけ挨拶を済ませると、人知れずそっとその場を後にした。守るべき、愛しい人の待つ場所に。

 

 




註釈
大祝 鶴の生家の末裔という方は、別の名字で実在されます。神社も別の名前で存在します。ですが、本作は二次のフィクションなので、敢えて大祝 鶴ゆかりの地域からぼかして書いています。ご了承下さいませ。

次回 レベリング


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三話 レベリング

voice image ヒョウ(タケちゃん):間島淳司(ver相川歩)
voice image ツウ(コヅ姉):雨宮天(verアクア)


 アインクラッド全体が、第一層フロアボス撃破の朗報に沸き立つ中、勢いに乗る攻略組を自認するプレイヤー達は、次なるフロアボス攻略に向けての活動に余念が無かった。無論それは自らをビーターと名乗り、ベータテスターと一般購入プレイヤーの軋轢を、己が一身に背負う覚悟を決めた少年キリトとて同様だった。彼は今、行きが掛り上パーティを組んだアスナと共に迷宮区を目指しながら、自らを強化するレベリング、強力なアイテムを得るためのイベ、クエ探しにフィールドへと分け入っていた。

 

「こんな所に、本当にクエストが有るの? 」

「ああ、難易度の割には実入りが少なくて、ベータテストでも敬遠するプレイヤーが多かったんだけど、実は美味しい……、と言うかゲームがこうなった以上、絶対に外せないクエストなんだ。」

「どうして? 」

「クエストクリア迄に得られる経験値が半端無いんだ。」

 

『怒りのドナドナスタンピート』と題されたこのクエストの内容は、輸送中の食材モンスターを載せた馬車のコンボイの内の一台の車軸が壊れ、その修理中に荷台のモンスターが暴れ出し、馬車が全壊してモンスターが脱走。騒ぎはコンボイ全体に広がり、モンスター達が次々と馬車を破壊、興奮したモンスターがスタンピートと化して近くの街を襲おうとするのを、たまたま通りかかったプレイヤーが防ぐというものである。得られるコルやアイテムが少ない割に、生半可な腕で挑めば余裕で返り討ちにされるこのクエストは、ベータテスト時に何人もの死に戻りプレイヤーを量産し、最低のMPKクエストと呼ばれて忌避されていた。

 しかし、ある程度の腕と装備を持ったプレイヤーならば、モンスターの勢いに飲まれてパニックに陥る事無く、最後まで落ち着いて対処さえ出来ればクリア可能なクエストでもある。そして得られるのは、莫大な経験値による大幅なレベルアップだ。キリトが狙ったのはそれだ、何もコルやアイテムだけが、自身を強化するファクターでは無い、まずは自分自身のレベルアップが何より重要なのだ。レベリングの為に当てど無くフィールドを彷徨うより、このクエストならば短期間で自分を鍛える事が出来る、その後アイテム目的のクエストを始めても、上がったレベルの分だけ楽に早く進める事が出来、結果先行者を出し抜いて攻略を進める事が可能になる。確かに強力な装備品が有れば、その後の攻略を楽に進める事が可能になる。しかしそれを得るためのイベ、クエには相応の難易度が存在する、クリア迄に必要レベルに達すれば良いのだが、大抵はクリア目前でレベル不足に涙を流し、足踏みを強いられるのが相場である。そうして焦れったさから判断が粗くなり、ミスを誘発したしまうのだ。そのミスの程度によっては、取り返しのつかない事になるのが今現在のSAOだ。キリトが第二層の攻略に、最初にこのクエストを選んだ理由がそれである、目先のアイテムより、確実なレベルアップという事だ。このクエストを選ぶ事も、充分過ぎる程に命の危険と隣り合わせなのだが、自分とアスナならば問題無かろうと考えていた。何回かこのクエストを繰り返し、最終的には一人でクリア出来る様になれば、レベル的にかなりのアドバンテージを得る事が出来る。

 

 さてそろそろ慌てふためいたNPCに出会う頃なのだが……、そうキリトが思った時である。

 

「嫌ぁぁぁぁあああ! 」

 

 若い娘の悲鳴が、探索を続けるキリトとアスナの耳朶を打った。二人の間に緊張が走る。

 

「キリト君! これって!? 」

「ベータテストじゃこんな悲鳴は無かった、という事は……」

 

 安易にイベントを開始した誰かが、モンスターの勢いとリポップの速度に対応出来ずにパニックに陥っている。

 二人の頭の中に、最悪の情景が浮かび上がった。

 

「キリト君、急いで! 」

「ああ、アスナ! 」

 

 悲鳴に向かって全速力で駆け向かった二人が、目的地で見たものは、二人の予想を遥かに越えて斜め上をいった光景だった。

 

「きゃあああああああっ! 怖いいいいいぃっ! 」

「もう大丈夫だから、ほら、グサッと刺す。」

 

 キリトとアスナが目にした光景は、四肢損壊と表示され、虫の息で横たわるおびただしいモンスターの群れと、それらに止めを刺して廻る二人組のペアパーティである。黒い陣羽織の様なロングコートを着た、落ち着いた雰囲気の曲刀使いの少年と、白を基調とした清楚な感じのする初期装備の短剣使いの少女。黒い曲刀使いの少年に対し、短剣使いの少女は、モンスタ-に恐れをなして、完全にパニック状態となっている。少年は腰を抜かしているであろう少女を無理矢理引き摺り回し、モンスターに止めを刺させていた。引き摺り回すと言うよりは、恐怖に縮こまる少女を少年が抱え上げて。止めを刺させると言うよりは、短剣を持つ少女の腕に添えた手を動かして、少年が止めを刺している、という絵面である。

 

「ねえキリト君」

「何だ、アスナ」

「何をしているのかしら……、あの二人。」

「分からん、俺に聞くな。」

 

 一瞬呆気に取られた二人だったが、再びの少女の悲鳴で我に返ったアスナがレイピアを引き抜いて二人に向かう。

 

「君、止めなさい! 」

 

 アスナは自分に気がついて、振り返った少年に向かい、警告のリニアーを放つ。キリトを今なお魅了して止まないアスナのリニアーは、ソードスキルの軌跡を煌めかせ、少年の頬を掠めて背後で蠢くモンスターに命中した。一瞬でモンスターをポリゴン片へと変化させ、消し去ったレイピアが少年の眉間に狙いを定める。

 

「今のは警告よ、次は外さない。君、一体何をやっているの!? 」

 

 柳眉を吊り上げて少年に詰問をするアスナ、その剣先を多少の驚愕を含んでいるが、基本的に涼しい顔で眺める黒い少年。その少年の姿に言い知れぬ恐怖を感じたキリトは、矢も盾もなく飛び出した。

 キリトの目は一部始終を捉えていた、あの黒い少年は、アスナのリニアーの軌跡を目で追っていた、あのアスナの放った戦慄のリニアーを余裕で! それが意味する事は一つ、アスナのリニアーは完全に見切られている。頭の中に盛大に鳴り響く警鐘に従い、キリトはダッシュで二人の間に割って入る。

 

「ちょっと待った! ストップ、アスナ、ストーップ! 」

「彼女、嫌がっているじゃない! 早く下ろして解放しなさい……って、何よ、キリト君」

「ちょっと待て、落ち着けアスナ、二人を良く見ろ! 」

「見るって、何を? 」

 

 怪訝に聞き返すアスナに、キリトは一言で答える。

 

「ハラスメントコード」

「あっ! 」

 

 キリトの答えを聞いたアスナは一瞬でその意図を理解する、SAOの倫理基準では、片方が不快に感じる接触は固く禁じられており、特に異性間の接触ではハラスメントコードが発動する仕組みになっている。ゲーム内結婚をする事で、このハラスメントコードを抑える事が可能だが、それでも過度な強制を防ぐ為、不快ストレスを感知すると発動する事となる。つまりこの二人は、ハラスメントコードを抑える関係であり、なおかつ彼女は悲鳴をあげてはいるが、この状況を受け入れている事となる。

 

「あっ……」

 

 もしかして、自分の働きは余計なお世話だったのでは? ようやく理解が追いついたアスナを中心に、気まずい空気が立ちこめる。

 

「いっ……、嫌ぁぁぁぁあああ! 」

 

 この気まずい空気から皆を救ったのは、黒い少年の腕の中に抱かれた少女の悲鳴だった。今になって自分達が剣を突きつけられている事実を理解した少女は、その恐怖におののき悲鳴をあげる。

 

「きゃあああああああっ、殺されるぅううう! タケちゃん、助けてぇえええ! 」

「あ、ちょっと、コヅ姉、大丈夫だって。ほら、落ち着いて。」

「どうして、私達何も悪い事してないのに、どうしてこんな目に遭うの!? 」

「だから落ち着いて、コヅ姉、この人達は、コヅ姉の悲鳴を聞きつけて、助けに来てくれたんだよ。」

「本当に? 」

「本当だって。ほら、アンタも早くそれをしまって。」

 

 黒い少年に促され、慌ててレイピアを鞘に納めたアスナが、顔に笑顔を貼り付けて取り繕う。

 

「本当よ、あなたの悲鳴が聞こえたから飛んできたんだけど、この状況でしょう、それで私早とちりしちゃったみたい、ゴメンなさいね。」

「ほら、言ったとおりだろう。じゃあコヅ姉、レベリング続けるよ。」

「えええ、またぁ! 」

「コヅ姉の言い出しっぺじゃあないか。」

「ぶううううう」

 

 むずかる少女を促す少年の背後で、一体のモンスターから異常表示が消えた、四肢損壊から回復したモンスターが、興奮状態に任せて二人に襲いかかった。

 

「!! 」

 

 キリトが背中の片手剣の柄に手をかける間も無く、目の前の少年は腰に穿いた曲刀を抜き放ち、振り返る事無く背後のモンスターに白刃を振るう。モンスターは再び四肢損壊状態となり、地面に横たわった。

 

 抜く手が見えなかった!

 

 少年の使った居合抜きの様な剣さばきに、キリトは戦慄した。ソードスキルでは無いこの動きに、言い知れぬ恐怖を抱いたキリトを他所に、二人はレベリングの為のクエストを再開する。

 

「ほらコヅ姉、相手はもう動けないんだから。」

「でも怖いよぉ、タケちゃん。」

「大丈夫だから、勇気を出して短剣を構える。」

「はぁい。」

 

 少年の指示に従い、渋々と少女は短剣を何とも締まらないへっぴり腰で構えた。その姿に満足して頷く少年は、次の瞬間少女の予想外の行動に愕然とする。

 

「よしよし、コヅ姉その調子……、って! 後ずさらない、下がってどうするの!? 」

「だって、怖いんだもん! ねえ、タケちゃん背中抱っこしててくれる。」

「分かった。」

 

 モンスターに向かうどころか、じりじりと後ずさる少女の哀願に、少年はため息をつきながら応じる。

 

「怖くないように、ギュッとしててね。」

「はいはい。」

「震えない様に、手握ってね。」

「はいはい。」

「目、つぶってて良い? 」

「それはダメ。」

「タケちゃんの意地悪! 」

「意地悪で結構、早く刺す。」

 

 有無を言わさず、短剣を持った少女の手に添えた自分の手を動かし、止めを刺す少年。彼の行動に目を剥いて抗議する少女。

 

「あっ、ダメ! もう、タケちゃん、刺す時は一言言って! 」

「言っただろう、早く刺すって。」

「それじゃぁ言った事にならない! あっ、何かドロップしてる。」

「何がゲット出来たんだ? 」

「えーっとねぇ、『ドナドナ水牛の霜降り肉』だって。A級食材よ! 」

「へぇ、凄いじゃん。」

「ねえ、偉い? タケちゃん、私偉い? 」

「うん、偉い偉い、じゃあ偉いついでに、次はソードスキルに挑戦しよう。」

 

 頭を撫でられ御満悦の少女は、少年の思わぬ一言に引き攣り抗議するが、少年は取り合わない。

 

「えっ、私そんなの聞いてないよ。」

「うん、俺も今言った。」

「ちょっと待って、ちょっと待って、心の準備が!! 」

「はいはい構えて、ためて、そ〜れ、飛んでけぇ、ラピッド・バイト」

 

 少年は少女の懇願を無視し、昔のコミカルな香港カンフー映画に出てくる、ヘタレ主人公にカンフーを仕込むとぼけた師匠の様な動きで、少女の身体を無理矢理ソードスキルの構えに持って行き、発動させる。

 

「きゃあああああああっ、誰か止めてぇ! 」

 

 少女は悲鳴をあげながら、誰が見ても惚れ惚れする精度のラピッド・バイトを、少し離れた場所に転がるドナドナ猪豚に炸裂させた。ドナドナ猪豚は断末魔の嘶きを上げると、輝くポリゴン片に弾けて消えていった。涙目で振り返り、ぷるぷる震えながら抗議の眼差しを向ける少女に、少年は可笑しそうに笑いながら賞賛の言葉をかける。

 

「お見事! 何かドロップした? 」

 

 少年の言葉に、いそいそとドロップ品を確認する少女。

 

「『ドナドナ猪豚のロース肉』、これはB級食材ね。あっ、もう一つ有る、『ドナドナ猪豚のヒレ肉』だって! 」

「やったね、コヅ姉! 」

「へっへっへー、どんなもんだい。」

 

 少年に褒められ、さっきまでの泣きっ面を輝く笑顔に変化させ、得意気に胸を反らせる少女。

 

 二人のキャッキャウフフなレベリングを目の当たりにして、毒気を抜かれ尽くして立ち尽くすキリトとアスナ。

 

「ねえキリト君。」

「何だい、アスナ。」

「あの二人は、一体何をしているのかしら? 」

「ええっと、多分レベリングクエスト……かなぁ……」

「変ねえ、私には仲の良い恋人同士が、アトラクションゲームをしている様にしか見えないんだけど……」

 

 呆然と立ち尽くすキリトとアスナの前に、クエストを終えた二人組が歩み寄り、声をかける。

 

「お待たせ、こっちはもう終わったから、次どうぞ。」

「何か、ツレが色々勘違いして悪かった、それに、急かしたみたいですまない。」

「いや、良いんだ。次のパーティが来るまでって決めてたから。」

「そうか、助かる。」

「気をつけてな。」「頑張ってね。」

「ああ、サンキュ。」「ありがとう。」

 

 手を振り、会釈をしながら二組のパーティは別れて行った。

 

「いっぱいレベル上がったねえ。」

「流石コヅ姉、こんな穴場が有るなんて知らなかったよ。」

「でしょでしょ。それでねぇ、タケちゃん……」

「何だい、コヅ姉。」

「私、欲しい物が有るの……、買って良い? 」

「うん、コルもまだまだ余裕があるし、そんなに高い物じゃなきゃ、良いよ、買っても。」

「わーい、タケちゃんありがとう。」

「で、何を買うの? コヅ姉。」

「内緒。」

「内緒? 」

「買ってからのお楽しみ。」

 

 少年と少女は、そんな会話を交わしながら遠ざかって行った。

 

「何か……、凄い二人組だったわね、キリト君。」

「ああ、そうだな。」

 

 確かに異質な二人だった、特にあの黒い陣羽織の少年。歳は自分と同じ位だろうか? 年齢に似合わない落ち着いた雰囲気、それにアスナのリニアーを余裕で見切った目、抜く手の見えないソードスキルでは無い剣技、あの少年は只者では無い。

 

「さて、そろそろ気持ちを切り替えて、気合い入れて行くぞ! アスナ。」

「ええ、了解よ、キリト君。」

 

 二人を見送ったキリトとアスナの背後には、慌てふためいて駆け寄るNPCの姿が有った。

 

「なんなのよ、これェ! 」

「だから言っただろう、難易度高いって! 」

「それは聞いたけど、それでも釈然としないわ! 」

 

 予想を遥かに上回る難易度に、抗議の声を荒らげるアスナがレイピアを振りかざし、何体目かわからない荒ぶるモンスターを屠り倒す。彼女はさっきの二人組の戦いぶりを見て、知らず知らずのうちに難易度の高さ予想を下方修正していたのだ。アスナを叱咤しながら、キリトは同時に無理も無いと思っていた、実際にベータテストでこのクエストを体験していなければ、きっと自分もアスナと同じ感想を抱いていただろう。それだけあの二人、特に黒い陣羽織の少年が異質な存在だったのだ。ほうほうの体でクエストを終えたキリトとアスナは、息も絶え絶えに地面にへたり込む、そしてアスナはもう一つ釈然としない事実を発見した。

 

「ねえキリト君、生きてる? 」

「生きてる。アスナは? 」

「ええ、辛うじて。ねえキリト君。」

「何だ? 」

「何かドロップした? 」

「何にも、そっちは? 」

「右に同じよ……、ねぇ、何でさっきのあの子には、食材アイテムがポンポンドロップしてたのに、私達には何にも出ないの、不公平よ!! 」

「不公平って言ったって、実際ドロップしていないんだから、仕方無いだろう。」

「いいえ、仕方なくなんて無いわ! 」

 

 ギョッとしてキリトはアスナに目を向ける、アスナの目は名状し難い怒りに燃えていた。

 

「私は釈然としない、絶対納得がいかないわ!! 」

 

 この時アスナの中で、本人にも気づかない『何か』のスイッチが入ったのだった。




次回、ビーター


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四話 ビーター

 

 

 あの二人にもう一度会って、色々と話をしてみたい。キリトはあの黒い陣羽織の少年の剣技に興味を持ち、アスナは食材アイテムドロップの秘密を探るべく、彼の連れの少女との再開を強く願った。目的の一致した二人は翌日、例の二人組との再開を期して、再びあのクエストの為のフィールドへと足を運ぶのだった。しかし、この日は例の二人組に会う事は叶わず、代わりに三人組のパーティと出くわす事となった。

 

「ちくしょう! こんなクエストやってられるか!! 」

「あの野郎! 出鱈目コキやがって!! 」

「帰ったら絶対ヤキ入れてやる! 」

 

 三人は口々に誰かを罵りながら、フィールド出口に向かって一目散に走って行く。その後ろから追いかけているのは、例のクエストのドナドナスタンピートである。

 

「仕方無い、やるか、アスナ。」

「了解よ、キリト君。」

 

 キリトとアスナは、剣を抜いてなすりつけられたスタンピートの前に立ちはだかった。二人はその後もこのクエストを三巡ほどこなし、レベリングがてら昨日出会った二人組を待ったが、西の空に赤味が射し、今日はもう来る気配が無いと、諦めて家路についたのだった。帰り道、キリトは二人組の情報を求め、出来れば会いたい旨を伝えて欲しいとアルゴにメールを送った。それが功を奏したのか、二人の願いは思いもよらぬ所で叶う事となった。フィールドから転移して、一層トールバーナの転移門前広場に到着した時、二人は思いもよらぬ言葉を聞いた。

 

「おい、ビーター! 」

 

 キリトは思わず周りを確認したが、誰も彼を非難し呼び止めた者はいなかった。しかし、その代わりに二組のパーティーが揉めているのを目撃する、一組は昼間にすれ違った三人組のパーティー、そしてもう一組は昨日出会った二人組だった。

 

「おい、ビーター、よくもガセを掴ませてくれたな! 」

 

 三人組の連中も、よく見ると自分と同世代の様で、真ん中の男がリーダーらしく、黒い陣羽織の少年に掴みかからんばかりに悪態をついている。一方の黒い陣羽織の少年は、明らかにげんなりとした顔をしている、彼が口を開く前にパートナーの少女が三人組に食ってかかる。

 

「馬鹿な事言わないで! タケちゃんはビーターなんかじゃないわよ! 」

「うるせぇ! ブスは引っ込んでろ! 」

「言ったわねぇ! この僻み屋!」

 

 エキサイトするパートナーを宥め、黒い陣羽織の少年は涼やかに対応する。

 

「いいからコヅ姉、落ち着いて。さて、何の事だ、お前達が何を言っているのか俺にはよく分からん。もう少し丁寧に説明してくれないか? 」

「とぼけやがって、お前が言っていたレベリングクエストの事だよ。」

「ああ、行ってきたんだ、じゃあレベルもかなり上がっただろう。次のボス攻略は参加出来るといいな。」

「馬鹿野郎、俺達は危うく死ぬ所だったんだぞ! 」

「死ぬ? 何で? 」

 

 きょとんとして答える黒い少年に、三人組は激昂する。

 

「あんな馬鹿なクエスト、出来る訳ねえだろ! 何考えてるんだ、テメェ! 」

「こいつきっと俺達をハメやがったんだぜ、絶対ェ許さねぇ! 」

「全く、汚ぇビーターはこれだからダメだわ。おい、落とし前つけて貰おうじゃねぇか! 」

 

 三人組が口汚く少年を罵る、パートナーの少女が三人組に反撃しようとするのを黒い陣羽織の少年は巧みに妨害しながら、三人組の暴言を話半分に聞き流し、誰かとメール交信をしていた。

 

「おい、話を聞けよ! ビーター!! 」

 

 更に声を荒らげる三人組のリーダーに、メール交信を終えた陣羽織の少年が不思議な物を見る様な目で問いかける。

 

「お前ら、何で三人だけで行ったの? 」

 

 陣羽織の少年の言葉に、三人組は明らかに怯んで狼狽えた。

 

「俺は言ったよな? お前ら三人だけじゃ絶対無理だから、必ずレベル上の助っ人を最低三人は用意して行けよって。」

 

 諭す様に話す陣羽織の少年に対し、明らかに旗色の悪くなった三人組は、言葉を失い唇を噛み締め、忌々し気に睨みつける。

 

「俺はシンカーさんに助っ人を斡旋して貰ったから、行く時は必ず声をかけてから行けよって言ったのに、何で黙って三人だけで行っちゃうの? 命要らないの? 」

 

 陣羽織の少年が噛んで含める様に三人組の過ちを糾して行動を改める様に促す途中、三人組は遂にキレた。

 

「まぁ、これからは言われた事はその通りに行動……」

「うるせぇ! そんなの俺達の勝手だろう! いちいち偉そうに指図するな! 」

「そうだそうだ! それに俺達は俺達でちゃんと助っ人を用意したんだ! 」

 

 旗色の悪くなった三人組の一人が咄嗟に嘘をつく、すると他の二人もそれに乗っかり、勢いを取り戻して陣羽織の少年を糾弾する。

 

「男と女の二人組だ、俺達を逃がす為に殿を務めてくれたんだ! アイツらからまだ連絡が来ねえ……」

「きっと死んだんだ! 可哀想に、おい! 責任取れよ! ビーター! 」

 

 三人組は逃げる途中にすれ違った男女のパーティーを思い出し、嘘に信憑性を増す為に利用した。どうもこの三人組は、常日頃から他人に言い掛かりをつける事に慣れているらしい、お互いの嘘を巧みにフォローし合い話を膨らませていくが、この時はそれが命取りになった。

 言い争う二組のパーティーを取り囲む人だかりをかき分け、二人組のパーティーがこの言い争いに割って入った。黒いロングコートの少年が陣羽織の少年の脇に立ち、三人組の嘘を暴くべく証言する。

 

「こいつ等、三人だけだったぜ。」

 

 思わぬ闖入者に、三人組のリーダーは目を剥いた。

 

「誰だ! テメェ!? 」

 

 その問に、頭に被ったフードを下ろしながら、栗色の髪の少女が答える。

 

「あら、御挨拶ね、あなた達を逃がす為に殿を務めた、現地調達の助っ人よ、忘れちゃったの? そうそう、あんな状況だったから、連絡先の交換が出来なかったわ。生存連絡出来なくてごめんなさいね、心配かけちゃったかしら? 」

 

 彼女の答えに三人組は渋面を浮かべる、その一方でパートナーの少年は感に絶えない表情で彼女の間違いを正した。

 

「上手い事言うなぁ、アスナ。あれは普通はなすりつけられられたと言うんだ。」

「へぇ、そう言うんだ。私まだVRMMOに慣れていなくて、御教授感謝します、キリト先生。」

「どういたしまして。」

 

 テヘペロ的なコケティッシュな表情を浮かべ、キリトに謝辞を述べたアスナは、軽口はもうこれまでと表情を改め、三人組に向き直る。

 

「さっきから聞いていたら、自分勝手な言い掛かりばかりつけて、見苦しいったらないわ! あなた達、それでも男なの! 」

 

 アスナの啖呵に三人組は目に見えて怯む。

 

「うるせぇ! 関係無ェ奴は引っ込んでろ! 他人の喧嘩に口出しするな。」

 

 三人組のリーダーが虚勢を張り、呻く様にそう言ったが、キリトは涼しい顔で受け流す。

 

「関係無くはないさ、俺達はお前達にスタンピートを押し付けられたんだ。お前達流に言うところの『落とし前』をつけて貰わなくちゃな。」

「何だと、テメェ! 」

 

 歯軋りする三人組のリーダーにアスナが追い討ちをかける。

 

「へぇ、君達抗議じゃあなくて、喧嘩を売っていたんだ。なら四の五の言ってないで、手っ取り早くデュエルで決着をつければ良いじゃない。」

「何……だと……」

 

 三人組のリーダーの目元が痙攣する、よく出来たアバターだなと感心しながらアスナは言葉を続ける。

 

「正々堂々デュエルを申し込んで白黒つけましょうよ。で、勝った方の言い分を、負けた方が飲む、そうしましょう。」

 

 アスナの提言に、周りの野次馬達が盛り上がる。デュエルだデュエルだと、あっという間に黒山の人だかりが三組のパーティーを取り囲んだ。思わぬ展開に三人組は小さくなって身を寄せる。

 

「ねぇ、君達はそれで良い? 」

 

 アスナの問に、陣羽織の少年は手を上げて了解する。それを見て微笑んだアスナは三人組のリーダーに目を向けた。

 

「くだらねぇ! こんな事やってられるか! おい、帰るぞ! 」

 

 三人組のリーダーは、仲間にそう言って踵を返した。

 

「あら、逃げるの? ふぅーん。」

 

 アスナの嘲笑に、三人組のリーダーは最後の虚勢を張る。

 

「うるせぇ、逃げるんじゃねぇ! やってらんねぇからやってらんねぇって言ってんだ。」

「それを逃げるって言うんだけど……、モンスターから逃げてデュエルから逃げて、そんなヘタレだから言い掛かりしかつけられないのね、情けない。」

「弱い犬ほどよく吠える、と言うしな。」

 

 追い討ちの嘲笑をかけるアスナとキリトに、三人組のリーダーは血走った視線を向ける。

 

「テメェ等、全員顔を覚えたからな! おい、行くぞ! 」

 

 そう捨て台詞を吐き捨てて、三人組は「オラッ、どけ! 」「見せモンじゃねえぞ! 」と野次馬達を威嚇しながらかき分け立ち去ろうとした。しかしこの三人組は人波を乗り越えた所で、レベル制MMOの理不尽さを骨の髄まで思い知らされる事となる。

 

「おい、お前達。」

 

 人波をかき分け乗り越えた所で、目の前に立ちはだかり声をかけてきたのは、人波の中心にいるはずの黒いロングコートの少年キリトだった。キリトは三人組とのレベル差から来る、隔絶したアジリティ能力を駆使して、労なく先回りしていたのだ。そんな事とは思いもよらぬ三人組は、顔色を失い息を飲む。

 

「お前達はもう一つ間違いを犯している。」

 

 凄味の効いたキリトの目に、三人組は後ずさる事も出来ずに立ち尽くす。蛇に睨まれた蛙状態の三人組に、キリトは一言一句はっきりとした口調で畳み掛ける様にこう言った。

 

「ビーターというのはアイツじゃ無い、この俺だ! よく覚えておけ!! 」

 

 キリトの切った啖呵に肝を潰した三人組は、言葉にならない悲鳴をあげて夕闇の中に消えていった、それでもリーダーの少年は他の少年に対する見栄からか、回らない口で覚えてろよと言ったのは流石リーダーと言った所か。

 

 三人組がこの場から逃げ、騒ぎの収まった転移門前広場は、三々五々に人の流れが戻り、元の姿に戻って行った。そんな中、キリトは人の良い笑顔を浮かべ、陣羽織の少年に歩み寄って行った。

 

「災難だったな。」

「いや、いつもの事さ。でもありがとう、助かったよ。」

「どういたしまして。」

「いつもの事って……、あの人達、何者なの? 」

 

 表情を曇らせて問うアスナに、苦笑いを浮かべて陣羽織の少年が答える。

 

「あっち側で、オナ中同クラって奴。」

「ふうん、そうなんだ……。」

「あの子達、あっち側でもああだったの。いっつもタケちゃんに言い掛かりつけて嫌がらせばかりして、感じ悪い。」

 

 むくれるパートナーの少女の後頭部を、宥める様に撫でながら陣羽織の少年は窘める。

 

「コヅ姉、お礼が先。」

「あっ、そうだ! 二人共、さっきはありがとう、助かったわ。」

「よく出来ました。」

「えへへ。」

 

 四人の間に和やかな空気が流れる、この雰囲気のまま二人を誘って色々話を聞こうと、キリトは画策する。

 

「まぁ立ち話も何だ、良かったら何処かで腰を落ち着けて話でもしないか? 」

「賛成、実は私達、あなた達に聞きたい事があるの、時間は取らせないから、少し付き合って欲しいな。」

 

 アスナも笑顔を浮かべ、阿吽の呼吸でキリトの言葉に合わせて二人を誘う。

 

「ああ、断る理由も無いし、さっきのお礼もちゃんとしたいし、コヅ姉も良いね? 」

「うん、タケちゃんの思うままにどうぞ。」

 

 陣羽織の少年は、パートナーの少女の合意を得ると、爽やかな笑みをたたえ、キリトとアスナに答える。

 

「喜んで御一緒するよ。」

 

 この答えにキリトとアスナは表情を明るくした。

 

「よし、決まりだ。さてどの店に入ろうか……」

 

 キリトがNPC経営の飲食店を見回すと、彼の視線の中に心中の平静を些かに波立たせる光景が紛れ込んできた。それは遠巻きに彼を嫌悪と非難の表情で眺め、何やらヒソヒソと噂話をしている人影だった。彼等はキリトと視線が合うと、慌てて目を背け、嫌悪の視線でチラ見する。さっき、三人組にビーターは俺だと切った啖呵を、耳敏い何名かが聞いていたらしい、転移門前広場はキリトにとって、急速に居心地の悪い場所になっていった。

 

「良かったら、家に来ないか? すぐ近くなんだ。」

 

 空気を読んだ陣羽織の少年が提案した。

 

 

 

 




次回、料理スキル


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五話 料理スキル

 陣羽織の少年の言葉通り、トールバーナーの転移門前広場からほど近い郊外に、彼等の借りている家が有った。そこは意外にも、キリトとアスナが利用している農家の隣であった。もっとも隣と言っても、広大な農地を挟んだ隣なので、今まで面識が無かったのも不思議では無いが、この事実はキリトとアスナを拍子抜けさせた。キリトとアスナは第二層のアクティベートを済ませた後、一度引き払っていたのだが、まだまだ第二層の攻略序盤でもあり、ここからでも利便性に不利は無いと戻って来ていた。更に厳密な理由を挙げると、キリトは毎日の新鮮なミルクであり、アスナはゆったりとした風呂場である。

 四人は何だ隣だったんだ、偶然ねと言いながら、同じ作りの農家の二階に上る、途中アスナはロッキングチェアーで船を漕ぐお婆さんの頭上に、クエスト開始合図の『!』が無い事に気がついたが、スルーして後に続いた。

 部屋に入ると、黒い陣羽織の少年がキリトとアスナに、ようこそ、寛いでくれと言いながらメインメニューを操作して、装備を部屋着に替えて椅子に座った。ああ、ありがとうそうさせて貰うと、キリトとアスナも武器防具装備品解除をした。二人に椅子を勧めながら、少年はある事をはたと思い出す。

 

「そうだ、自己紹介がまだだったね。はじめまして、俺はヒョウ、よろしく。」

 

 続いてパートナーの少女も自己紹介をする。

 

「はじめまして、私はツウよ、よろしくお願いします。」

 

 二人の自己紹介を聞いて、アスナが面食らって聞き直す。

 

「ええっ! じゃあタケちゃん、コヅ姉って……」

 

 アスナの言葉にヒョウが罰の悪そうな顔で答える。

 

「あっち側で、お互いそう呼んでいるんだ。なかなか抜けなくて。」

 

 ヒョウの言葉に相槌を打つ様にツウが微笑む、なあんだ、そうだったのと笑顔を返すアスナ。

 

「じゃあ今度はこっちの番だな、俺は……」

 

 とキリトが自己紹介を始めると、ヒョウはそれを意味有り気な笑みを浮かべて遮った。

 

「知ってるよ、キリトにアスナだろ。」

 

 してやったりと微笑むヒョウに、驚きを隠せない二人が聞き返す。

 

「どうして、それを!? 」

「いや、実は俺も第一層のボス攻略に参加していたんだ。」

「タケちゃん、ボス攻略から帰って来るなり、凄い二人が居るって、あなた達の事をベタ褒めしてたのよ! 」

 

 えっ、という表情を浮かべるキリトとアスナに、今度はツウがそう話すと、ようやく二人は警戒値を下げた。

 

「何だ、そうだったのか。」

「ごめんなさい、全然覚えてなかったわ。」

「無理ないよ、俺はあの時はその他大勢だったし、装備も全部変えたから。さて、お腹空いたな……、二人はどう? 」

 

 ヒョウが話題を変えてそう聞くと、二人は微妙な表情を浮かべて顔を見合わせる。

 

「そうだな、時間も時間だし……」

「要件だけ手短に済ませて、今日はそろそろ……」

 

 二人が済まなそうに立ち上がろうとするのを、ヒョウは慌てて引き留める。

 

「いや、そうじゃなくって、もし腹が減っていたら、ここで食っていったらどうかな。」

 

 意外な申し出に、キリトとアスナが『えっ』と固まる、そんな事はお構い無しにヒョウは傍らのツウに確認を取る。

 

「良いだろ、コヅ姉。」

 

 ヒョウの言葉を首肯したツウは得意気に頷くと、キリトにアスナにVサインを送って高らかに宣言した。

 

「任せなさい! 」

 

 バーンと効果音が聞こえそうなツウの反応を、満足気に微笑んで見上げるヒョウ。その姿をキリトとアスナは呆気に取られて見つめていた。

 

 

「さあアスナさん、手伝って貰うわよ。」

 

 二階の部屋を出て、アスナを伴い一階の厨房にやって来たツウは、メインメニューを操作してある道具を実体化させる。

 

「あの、ツウさん……、これは……何なのかしら。」

 

 いまいち事態が飲み込めないアスナに、ツウは笑顔で説明をする。

 

「ジャジャーン、調理器具でーす。」

「調理器具!? 」

 

 オウム返しに聞き返すアスナに、ツウは更に詳しく説明をする。

 

「こっちが昨日タケちゃんにおねだりして買ったフライヤーで、こっちが今日のクエストで手に入れた羽釜! 」

 

 目を皿にしてフライヤーと羽釜を見つめるアスナに、ツウはパンパンと手を叩いて意識を自分に向けさせた。

 

「さぁ、腹っぺらしが皿を叩いて待ってるわ、愛しい旦那様の為に、我々愛妻軍団で美味しい御馳走を作りましょう! 」

「えっ、愛しい旦那様って……、ちょっとツウさん、私とキリト君はそんな関係じゃ……」

 

 慌てて否定するアスナの言葉もなんのその、ツウは食材アイテムの米を羽釜に入れながらアスナに指示を出す。

 

「さぁて、御飯はこれで良し、お米を研がなくて良いのは楽ね。アスナさん、そこの卵をボールに割って、溶いてちょうだい。」

「あっ、はい。」

 

 ツウの指示に従い、アスナは卵をボールに割り入れて、目についた菜箸でグルグルと溶き始めた。その様子をツウは目を丸くして見つめ、アスナを賞賛する。

 

「アスナさん凄い! 私、そこまで出来る様になるまで、卵幾つダメにしたかわかんないわ。」

「そんなに凄い事なの、これ。」

 

 ツウの賞賛を、半信半疑で聞き返すアスナ。

 

「凄いも何も、料理スキル無しで、食材アイテムをダメにしないで扱えるなんて、この世界では有り得ないのよ。」

「料理スキルって、何!? 」

 

『料理スキル』という言葉に激しく反応したアスナは、自身の放つリニアーもかくや、という勢いでツウに迫る。ツウはそんなアスナをゆるふわっと包む様に、料理スキルについて説明する。

 

「料理スキルっていうのは、その名の通りドロップしたり買ったりして手に入れた食材アイテムを、美味しく料理する為のスキルよ。ゲームがこうなった以上、ある意味今のSAOで最も重要なスキルだと私は思うの。」

「今のSAOで最も重要なスキル……」

「ええ、ゲームをクリアして現実に帰るには、戦闘スキルを上げるのが確かに早道なんだけど、私はそれだけじゃダメだと思うの。」

 

 今日までの自分を思い返し、ハッとするアスナ。ツウはアスナの目の鱗をまとめて大量に落としている自覚を持たず、ベータ版から感じていた持論を開陳していく。

 

「どんなに心の強い人でも、いつか必ず挫折を経験すると思うの。強い人ほど、その時味わうショックは大きいんだと私は思う。だから、心に余裕を持つ事が何より大事じゃないかなって思うの。SAOがこんなデスゲームになった今、ただボス攻略にだけ血道をあげて、そのためだけにレベルを上げて、殺伐とした空気の中で生きていたら、いつかきっと心が壊れてしまう。そうならない様に、私はタケちゃんの為に、心の余裕を作ってあげたいの。毎日の終わりには、笑って美味しいご飯を食べられたら、それだけで幸せじゃない? だからこの料理スキルを取ったのよ、タケちゃんの心が壊れないように。」

 

 ツウの話を聞いて、アスナはトールバーナーに来るまでの自分を思い返す。絶望感に押し潰されてはじまりの街の宿屋の一室で震えてたあの日、その反動から自暴自棄になり、無茶苦茶なレベリングを行い、倒れるまでダンジョンに籠ったあの日。

 モンスターに負けて命を失っても、このゲームにだけは負けたくない、そう意気込んでいた自分は、実は今までこのゲームに負けていたのだ。アスナはツウの言葉で、改めてそれを思い知らされる。

 

「料理スキルか……」

 

 しみじみと呟いたアスナがツウに目をやると、彼女は新たな食材アイテムを実体化して包丁で切り分けていた。

 

「それは……ひょっとして……」

「昨日ドロップしたドナドナ猪豚のロース肉よ、今切り分けるから、アスナさんは塩コショウをして溶き卵に漬けて、パン粉をまぶして並べてちょうだい、フライヤーから先はスキル持ってないと失敗するから。」

「分かったわ、先ずは塩コショウね……、ってそうだ、昨日あなた達が沢山ドロップアイテムを出したのに、私達は全然だったの。この違いって何だったのかしら? 」

 

 ドナドナ猪豚のロース肉を切り分ける手を止める事なく、ツウはニコニコと笑いながらアスナの疑問を解消する。

 

「怒りのドナドナスタンピートには裏技が有って、料理スキルを持つプレイヤーが挑戦すると、レベルによって最低十五パーセント以上の割合で、食材アイテムを拾う事が出来るの。」

「ああ、そうだったんだ……」

 

 この人一家に一人欲しい。アスナはツウの博識に感心すると同時に、内心で目下パーティーを組んでいる宿六に「キリト君の戦闘バカ! 同じクエストでも、アプローチの仕方でこんなに違いが有るじゃない! おかげで食材アイテムを丸々大損よ! 」と拳を握って毒づいた。

 

「アスナさん。」

 

 暫し脳内トリップをして、キリトを正座させて説教していたアスナは、ツウの呼びかけで我に返る。そして自分がパン粉にまぶしたロース肉を、まるで首を絞める様に握り締めている事に気がづいた。

 

「あら、私ったら! ごめんなさい! あは、あはははは……」

「うふっ」

 

 顔を真っ赤にして誤魔化し笑いをするアスナに、ツウは優しく微笑みながら次の指示を出す。

 

「それは後は私がフライヤーに入れておくわ。アスナさんはフライパンを使って、付け合せの目玉焼きを焼いて。」

「分かったわ、目玉焼き目玉焼きっと。」

 

 知らず知らずのうちに、ツウのペースにハマってしまい、はからずも家庭的な空気に首までどっぷりと浸かってしまうアスナ。その心地よさにウキウキしながら、確かにこれは大事な事だと痛感する。そしてその気分は、最初の目玉焼きを、目玉炭にしてしまった事で霧散してしまった。ウルウルと涙目でフライパンを見つめるアスナの肩を、ツウは優しく抱き締める。

 

「良いのよ、さあ、次いってみよう! 」

「でも……」

 

 折角の食材アイテムを無駄にしたと、アスナは済まなそうな視線を向けるが、ツウは気にしない気にしないと次の挑戦を促す。

 

「良いのよ、卵なんて幾らでもあるんだから。」

「だって……」

「アスナさん達の所はミルクでしょう? それが私達の所は卵なのよ。とっても美味しいんだけど、外に出したら五分でパーになるんだから、気にしないでジャンジャン使っちゃおう! 」

 

 その言葉に心を持ち直すアスナ、頬をピシャピシャと叩き、気持ちを切り替えてフライパンを火にかける。

 

「私達がいの一番にこの農家を押さえたのは、それが理由なの。ここはふんだんに卵を使えるから、料理スキルをゲットして上げるのにはもってこいの場所なの。」

 

 フライパン相手に奮闘中のアスナに、ツウは借りている農家についての説明を始めた。

 

「因みにアスナさん達の所はバリスタスキルがゲット出来るわ、お茶やらコーヒーは一階の厨房に有るのを勝手に使って大丈夫だから、遠慮なく使えばいいわ。一階のお婆さんのクエストはもう解いた? 」

「いいえ、レベリング優先だったから無視してる。」

「そうなんだ、勿体ない。私達は今日解いたの、在りし日の思い出の指輪ってクエストなんだけど、お婆さんが春先に種まきしている最中に、亡くなったお爺さんの形見の婚約指輪を農場で落としてしまうのよ。」

「あら、それは可哀想ね……」

「塞ぎ込んだお婆さんを元気づける為に、収穫を手伝いながら指輪を探すというクエストなんだ。」

「へぇ、良いクエストね。」

「で、挑戦するだけでも収穫したお米と麦と野菜を貰えるんだけど、指輪を見つけたら貰える量が二倍になって、炊飯用の羽釜を貰えるの。そして見つけるには……」

 

 感の良いアスナが先回りして答える。

 

「料理スキルが必要! 」

「御名答! 」

「「あはははは」」

「因みにそっちは、お婆さんが趣味でやっている茶畑とコーヒー園という設定よ、貰えるのはティー&コーヒーセット一式。」

 

 ひとしきり笑い合った後、アスナがフライパンを見て喜びにまた顔がほころんだ。

 

「見て、ツウさん、出来たわ! 」

「やったわね、お見事! 」

 

 上手に焼き上がった目玉焼きを見つめるアスナ、彼女はSAOに来て初めての感動を味わっていた。

 

「ねえ、アスナさん。」

 

 感動に浸るアスナに、ツウが嬉しそうに声をかける。

 

「顔はそのまま、動かさないで、目だけ動かして右下を見て。」

「え、こう? 」

 

 言われるままに、アスナは視線を右下に持っていく。

 

「何か、点滅していない? 」

「本当だ、点滅してる! 何? 何なの、これ? 」

 

 ツウの言葉通り、小さく点滅している点を発見したアスナは、興奮気味にツウに質問した。

 

「有った? やっぱり! じゃあ、メニューウインドウを開いてみて。そしたらスキルメニューを開いて、新規獲得スキル欄をオープン。」

 

 言われるままにメニューウインドウを操作するアスナが、最後に開いたメニューに見たものは

 

 料理スキルを獲得しました

 セットしますか?

 yes<

 no

 

 という表示だった。

 

 アスナは迷わずyesをクリックする、そして目の前の恩人に抱きついた。

 

「やったーっ! ツウさん、私、料理スキルをゲット出来た! 」

「おめでとう、アスナさん。じゃあ早いとこ終わらせて」

「ええ、腹っ減らしの所に持って行こう。」

 

 二人は楽しく笑いながら、再び料理に取り掛かるのだった。この日はアスナに取って、忘れられない一日となった。

 

 

「おおーっ、これはまた……」

「コヅ姉、今日は御馳走だねぇ。」

 

 キリトとヒョウが、テーブルにところ狭しと並べられた御馳走を前に、目を丸くして感嘆の声をあげる。

 

「ジャーン、今日はドナドナ水牛の霜降りステーキと、ドナドナ猪豚のロースカツとヒレカツの盛り合わせでーす。その心は、テキに勝つ! 力を合わせて、アインクラッドと茅場晶彦に勝つぞー、おー! 」

「コヅ姉、ベタ過ぎ。」

「ベータテスターだけに? 」

 

 拳を突き上げるツウに、ヒョウが苦笑いしてツッコミを入れると、ツウは更に悪ノリして見せる。

 

「それから、付け合せの目玉焼きは、なんとアスナさんご謹製でーす。パチパチパチ」

「いやだ、ツウさん、恥ずかしい。」

「へぇー、アスナって料理出来たんだ!? 意外…… 」

 

 驚きの声をあげて、料理とアスナを交互に見やるキリト。

 

「ちょっとキリト君、それどういう意味よ、 もう! キリト君には食べさせてあげない! 」

「いや、悪い意味じゃなくて、良い意味で裏切られたというか……、アスナって、今まで攻略にばかり目が行ってる感じで、こんな余裕があるなんて、やっぱり流石は女の子だなと……」

 

 誤解を解こうとしどろもどろに説明するキリトに、アスナは満足してお許しを与える。

 

「そう、ならば食べてよーし。」

「ははっ、心していただきます。」

「うふっ」

 

 大袈裟に手を合わせて感謝の意を表すキリトに、クスリと微笑むアスナ。暫し見つめ合った二人は、不意に漂って来た懐かしい香りに一瞬目を丸くすると、クンクンと鼻をヒクヒクさせてその香りが何なのか確かめようとする。

 

「はい、どーぞ。お代わりも有るから、ジャンジャン食べてね。」

 

 ツウが笑顔で茶碗によそって目の前に置いた、白く光り輝くそれを見て、キリトは長期海外留学を終えて帰国した日本人学生の心境を知った。一緒に料理の手伝いをして、知っていたとはいえアスナもそれは同様である。

 

 

「おい、これはまさか! 」

「ご飯、白いご飯よ! キリト君! 」

 

 二人は血走った目でヒョウに迫り、その肩を激しくゆさぶる。

 

「おい、ヒョウ! お前は毎日こんな物を食っているのか!? 」

「うん。」

「これは不公平よ! ヒョウ君、ツウさんを私に頂戴! 」

「それはちょっと……」

「ヒョウ! 」

「ヒョウ君! 」

 

 SAOに囚われて以来、初めて見るツヤツヤの白いホカホカご飯に我を忘れ、欠食児童と化したキリトとアスナにタジタジとなったヒョウに、ツウが助け船を流した。ツウは日本の呑気な母さんよろしく、二人の欠食児童に一言こう告げる。

 

「早く食べないと冷めちゃうわよ。食べないんなら、下げちゃうけど。」

 

 その一言に、欠食児童二人は、自らのアジリティ能力の限りを尽くしてテーブルに着く。

 

「「いただきます! 」」

 

 マッハの勢いで着席した二人を見て、微笑みながら自分達もテーブルに着くヒョウとツウ。テーブルの面々は、家の主人たるヒョウの一言を待つ。

 

「じゃあ食べようか、いただき……」

 

 と言いかけた時、無粋な来客を告げるノックが鳴り響いた。激しく落胆するキリトとアスナ。慌てて来客対応をしようと腰を浮かせかけたツウを制し、ヒョウは扉に向かい対応する。

 

「よう、邪魔するヨ、ヒー君、ツー子。」

「アルゴさん、こんばんは。いらっしゃい。」

 

 来客はアルゴだった、気安い態度で接する所から、ヒョウとツウのカップルは、アルゴとかなり近しい仲である事が察せられる。

 

「ハイ、こんばんは、ヒー君。実は二人に会いたいって奴がいるんダ。悪い奴ジャ無いから、是非会ってやって……おおっ!? 」

 

 部屋に入りながら話すアルゴは、意外な先客に驚いて目を見張る。

 

「キー坊にアーちゃん……、何でここに居るンダ!? 」

「アルゴさん!? 」

「何っ、アルゴ!? 」

 

 アスナとキリトも、まさかアルゴとここで会うとは思わず、驚きの声をあげた。目をぱちくりさせて彼等を交互に見やるヒョウ。

 

「知り合いだったんだ。」

「知り合いも何も、二人に会いたいって言ってたノガこの二人サ。まさかここに居るとは思わなかったゼ。にしても、いい匂いじゃないカ。」

「アルゴさんもどうですか? 」

「えっ、良いのカイ? 悪いナァ、ヒー君。」

 

 そうは言いつつ、御承晩に預かるつもり満々のアルゴは、ニンマリと笑顔を浮かべてテーブルに着く。

 

「白いご飯とは泣かせるじゃナイカ。お姉さん感激ダゼ。」

「お代わりしてくださいね。」

「コイツを前にして遠慮したら、日本人の名が廃るってモンよ! ガッツリいただくゼ! 」

 

 白いご飯を前に、腕まくりをして箸を握り締めるアルゴに、キリトとアスナは一瞬前の自分を見た気がして苦笑いを浮かべる。

 

「それじゃぁ改めて、いただきます。」

「「「「いただきます! 」」」」

 

 ヒョウのいただきますの挨拶を合図に、楽しい夕餉の時間が始まった。五人はアインクラッドに囚われて以来、忘れかけていた団欒の雰囲気を思い切り堪能する。

 

「いや、しかし、キー坊とアーちゃんがここに居るなんて、俺っちも意外だったゼ。」

「ああ、俺達だって正直こうなるなんて予想外だったさ。」

「ええ、でも転移門前広場で偶然あの騒ぎを見かけて……」

 

 アルゴの疑問に、キリトとアスナがトールバーナーの転移門前広場での出来事を詳らかに説明する。

 

「ツー子、お代わり。ふーん、そうだったノカ。災難だったナ、ヒー君。」

「実際二人には感謝だよ、ありがとう。」

 

 ヒョウの改めての礼の言葉に、キリトとアスナは「いや、もう気にしないでくれ! 」「そんな、当然の事よ! 」と、叫ぶ様に言った。

 

「そんな事があったノカ。あの三人、どこへ行っても評判が悪いゼ。まともに対応してるのは、MTDのシンカーとヒー君だけダゼ。」

 

 アルゴの話によると、あの三人組は口先だけは一人前だが行動が伴わず、それが元でトラブルが絶えないらしい。そのくせ自分達の落ち度が明白な場合でも、強引な責任転嫁と無理な自己正当化で居直り、誰にも相手にされなくなっているらしい。

 

「そういえばあの三人、ヒョウ君の事をビーターって呼んでたわね。」

「ああ、そうだった。ヒョウ、お前何で否定しなかったんだ? 」

「あの子達、あっちの世界でもああだったのよ! タケちゃんにいつも突っかかって、困らせてばかり! 今日のアレだって、ああ言えばきっとタケちゃんが困るだろうって事だけで、軽い気持ちで言ってるの! 」

「多分、ビーターの意味すら知らないんだろうな……、否定しても傘にかかって連呼するだろうし、するだけ無駄なんだ。」

 

 アスナとキリトの疑問に、ツウは憤慨しヒョウがため息混じりに答えた。

 

「今の所知れてるビーターの特徴は、すこぶる付きの美人の女を連れた、黒いロングコートを着た男、って事だからナ。ヒー君にもそれに該当するワケだ。あの三人は多分それでヒー君をビーター呼ばわりしたんだナ。」

 

 大皿からヒレカツを一枚つまみ上げ、鼠の様に咀嚼しながらアルゴが呟くと、それを受けてキリトが強い口調でヒョウに提言する。

 

「なぁ、ヒョウ、その格好、どうにかならないか? 」

「どうにかって? 」

 

 首を傾げるヒョウに、キリトの意を汲んだアスナも考えを伝える。

 

「あの陣羽織、見方によってはロングコートに見えなくもないわ。色を変えるとか出来ないの? 」

「ああ、何も好きこのんで誤解を受ける格好をしなくても良いだろう。」

 

 キリトとアスナの意見を目を閉じて頷きながら耳を傾けるヒョウ、その姿に思いが伝わったと二人は感じたが、ヒョウは静かに首を左右に振った。

 

「だからこそ、なんだ。」

「えっ!? 」

「どういう事だ!? 」

 

 意外な発言に驚く二人は、ヒョウの真意を問いただす。ヒョウは莞爾とした微笑みを浮かべ、ツウの後ろに立つと、愛げにその肩に手を置いた。

 

「もうお察しの通り、コヅ姉……いや、ツウは元ベータテスターなんだ。」

「ああ、俺っちもその時からのつき合いだからナ。」

 

 ロースカツを口に放り込んだアルゴが、二ィッと笑ってツウにウィンクをする。

 

「アルゴさん、じゃあベータテスト中の、ツウの通り名は知っているよね。」

「おうよ、人呼んで『死に戻りのツウ』、色々情報を集めて来る割にはモンスター戦闘がカラッ下手で、気持ちいいまでの殺られっぷりは、ある種の清々しさが有ったヨナ。」

 

 アルゴの説明に、えへへと罰の悪そうな笑顔を浮かべ、ヒョウを見上げるツウ。

 

「だからなんだ、ソードアートオンラインというゲームがこうなった以上、保身の為のスケープゴートとして、コヅ……ツウの情報をリークする元ベータテスターが出てくるかも知れない。そしたら……」

「そうか! 魔女狩りが起こるかも知れない、という事か。」

「ご名答。」

「そんな、まさか! 」

「イイヤ、充分有りうるだろうナ。軋轢を背負ったキー坊は、どうこう出来る相手ジャ無いから、手っ取り早い八つ当たりに、死に戻りを的にしようという馬鹿が出てこないとも限らないシナ。」

 

 アルゴがそう結論すると、楽しかった団欒は、急に重苦しい空気に満たされる。

 こんなに美味しい料理を作れるツウさんが、私に大切な事を惜しみなく教えてくれたツウさんが、そんな危険な立場にいるなんて。アスナの心はSAOという理不尽な『檻』に対し、明確な怒りの感情を抱くのだった。

 そういえばキリト君が言っていた、元ベータテスターのほとんどを、レベリングもまともに出来ない初心者だったと。今はキリト君が自らビーターを名乗り、一般購入者の憎しみを肩代わりしているが、とてもではないが、闇討ちをしても彼に敵う存在がいるとは思えないし、今後も現れるとは思えない。それを誰もが実感した時、溜まった鬱憤を晴らす為、手近な『低レベル』の元ベータテスターを的にかける者が出てくる日が、本当に来るのかも知れない。その時迫害を受けるのは、ツウさんの様に戦闘を苦手とするプレイヤーだろう。こんな素敵な人が『元ベータテスター』だったという事だけで、スケープゴートとなり迫害されるなんて、絶対に許せない!

 アスナが唇を噛み締めた時、ゆっくりとヒョウが済まなそうに真意を語り始めた。

 

「だから、キリトには悪いが、その決意を利用させて貰った。俺がキリトの振りをして、黒いロングコートを着ていれば、あの三人組の様に勝手に俺をビーターだと勘違いする奴が出てくるはずだ。そうなればツウを元ベータテスターだと勘ぐる奴はいなくなる、なにせビーターの連れの『すこぶる』美人は、一般購入プレイヤーだからな。」

 

 すこぶる美人と言われ、頬を赤く染めながら、アスナはヒョウに自らの考える危惧を告げる。

 

「でも、それでもツウさんの危険は消えないわ。ビーターの連れは『女』なんだから、与し易いと侮る者も出てくるはずよ。私なら返り討ちにしちゃうけど、ツウさんは……」

「だから俺は強くなる! 」

 

 アスナの言葉を遮り、ヒョウはキッパリとそう断言する。

 

「俺はその時コヅ姉を守れる様に、誰よりも強くなる! どんな相手からも、どんな手段からも、最後までコヅ姉を守る為に強く。」

 

 静かに、穏やかにそう言い切ったヒョウの目に、三人は微かな狂気を感じ取った。その静かな迫力に三人は気圧され、押し黙ってしまった。

 

 暫しの沈黙の後、意を決したアルゴが、場の空気を強制換気すべく、務めて明るい口調で口を開いた。

 

「ヒー君の決意はワカった! そうならない様祈っているガ、お姉さんが尽力シテ、情報を操作しておいてやるヨ! この旨い飯に免じてナ。それにしても本当に旨い飯だよナ、ツー子はいい嫁さんになるゼ、きっと。」

 

 場の空気を変えるには、些かわざとらしく、無理の有る発言だったが、結果としてその目的は成功した。ただしアルゴの言葉を受けて返された、ツウの言葉により、その空気が変えられた方向は、三人の望んだよりも遥か斜め上の方向であった。

 

「お嫁さんになれるって、何言ってるのアルゴさん。私、もうお嫁さんなのよ! 」

「「「えっ!!! 」」」

 

 驚いて目を見張る三人は、ツウの肩の上に優しく乗せられたヒョウの左手と、頼もし気に添えられたツウの左手のそれぞれの薬指に、堅い誓いの証が輝いてるのを確認したのだった。

 

 食事の後片付けの為、再び一階の厨房へとやって来たツウとアスナは並んで流しに立ち、大量の洗い物と格闘していた。二人はまるで真逆の態度で作業を進めている、鼻歌まじりでルンルンと作業を進めるツウに対し、一方のアスナはどんな態度を示して良いのか分からずに、ぎゅっと口を閉じて黙々と作業を進めていた。

 

「あの、今さらこう言うのもなんだけど……、二人、仲良いのね……」

「うん、小さい時から、ずっと仲良しよ。」

 

 屈託の無い表情でそう話すツウの顔を、アスナは眩し気に見つめる。

 

「私、歳の近い兄弟がいなくて、そういうの憧れちゃうな……」

「そう? でも、私はいつもタケちゃんに助けられてばかり、こっちでも、あっちの世界でも。タケちゃんね、中二なんだけど、訳ありで今忙しい生活をしているの。」

 

 ツウが不意に遠い目をして、あっち側の世界での思い出を話し始めた。

 

「それは私が小さい時に逃げ出した事のせいなんだけど、タケちゃんは何も不満を言わないで、毎日一生懸命で……」

 

 アスナは優しい目を向けて、ツウの思い出話に耳を傾ける。

 

「私、今のままじゃ、タケちゃんが壊れちゃうんじゃないかって心配で、何か上手に息抜き出来る事はないかしらって、色々探して、見つけ出したのがナーブギアとソードアートオンライン……」

 

 皿がツウの手から床に滑り落ち、乾いた音と派手なライトエフェクトを発してポリゴンの欠片を散らして消えていく。膝をついて、激しく震える肩に、アスナはツウの深い悔恨の念を感じ取った。

 

「それが……、こんな事になるなんて、私……、私……」

 

 慟哭するツウの肩を、アスナは後ろから優しく抱きしめる。

 

「それでも、タケちゃんは私を励ましてくれて、私の方が年上なのに、お姉さんなのに……。あっち側でも、こっち側でも、私はいつもタケちゃんに守られてばかりで、私、お姉さん失格よね……」

「いいえ! そんな事無い! そんな事無いわ! ヒョウ君、いえ、タケちゃんだってそんな事思ってない! 」

「本当……」

「ええ、きっと、きっとそうよ! そうに決まってる! 」

 

 アスナは泣き崩れるツウを正面から抱きしめる。

 

「だから、あなたは何にも後悔しなくていいの! 後悔しなくていいのよ! 」

 

 アスナは胸の中で、何度も頷くツウの姿に、みんな自分と同じ不安を抱えていた事を、文字通り肌で感じ取った。悲しみ。痛み。その全てを。

 

「ごめんなさいね、アスナさん。こんなみっともない姿を見せちゃって……」

「いいえ、大丈夫よ、ツウさんはみっともなくないわ、全然! 」

 

 アスナは首を左右に振ってから、涙に濡れるツウの目を正面から覗き込む。

 

「今まで辛かったよね、痛かったよね、分かるわ、私も一緒よ。ねえ、泣こう、私達には泣く権利が有るわ! だから一緒に泣いて、後悔も、弱い自分も全部涙で流し尽くしましょう、ソードアートオンラインと戦う為に。」

 

 抱き合って慟哭する二人を、暖炉の前でロッキングチェアーに揺られ座るお婆さんのNPCが、孫娘を見守る様な慈悲深い表情で、微笑みながら見つめていた。

 

 

 

 




次回 ナンバ


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六話 ナンバ

 ひとしきり抱き合って泣いた二人は、いつしか「馬鹿ね、私達って。」と言い合いながら笑っていた。今まで溜まっていた負の感情の全てを涙で流しきったアスナとツウは、力強くアインクラッドの大地を踏みしめて立ち上がった。ソードアートオンラインと戦う決意を新たに固めた二人は、その手始めとして中断していた後片付けを再開する。その間楽しくガールズトークをしていた二人は、同い年だという事を知って、さらに急速に仲を深めて行った。後片付けも終わりが見えた頃、アスナは思い切ってある事を聞こうと口を開いた。

 

「ねえ、ツウさん。」

「何かしら? 」

 

 アスナの真剣な表情に、ツウも居住まいを正して向き直る。

 

「あなたは、ヒョウ君とゲーム内結婚をしているのよね? 」

「ええ、そうよ。」

「あなたは……、彼を愛しているの? 」

「ええ、大好きよ。」

 

 真っ直ぐな視線を返し、はっきりと答えたツウに、アスナはもう一度確かめる様に念を押す。

 

「それは、ツウとしてヒョウをではなく、コヅ姉としてタケちゃんを、一人の女として、一人の男を愛している、そう理解していいのね。」

 

 アスナのその問いに、ツウはきっぱりと迷う事無くこう答えた。

 

「ええ、愛しているわ。私の全ては、みんなタケちゃんの物よ! 」

 

 一片の曇りも無く答えたツウに、アスナは満足気に頷いた。

 

「分かったわ、私はもう何も言わない。貴方達の結婚を、心から祝福して応援するわ! 」

「……ありがとう」

 

 少し違和感の有る力強い祝福に若干引いたツウは、戸惑いながらそう答えた。ツウが感じた違和感、それはアスナがこの件に関して重大な勘違いをしている事に起因していた。

 

「よし、じゃあ今日から私達は中三同盟ね。私は最前線で攻略を目指す、ツウさん……いえツウは、ヒョウ君を支えて攻略のアシストをする、やり方は違うけど、一緒にこのソードアートオンラインと戦いましょう! 」

「分かったわ、一緒に頑張りましょう! アスナさん。」

「ア・ス・ナ」

「うん、アスナ! 」

 

 二人は手を取り誓い合った。

 

「でも、さし当たって何をしようか? 百層クリアなんて遠すぎて分からないわね。」

「まずは足元を固めましょう、焦りは禁物。」

「じゃあ、急いでバリスタスキルを取って、料理スキルと一緒にレベルアップをしなきゃ。心の余裕の為に。」

「私はミルクプリンを作りたいな、タケちゃん……じゃない、ヒョウの大好物なの。」

「具体的ね、ミルクプリンか。」

「私、ベータテスト中に試した事があるの、そっちとこっちを両方同時に押さえて、そっちのミルクをこっちに持って来て、ミルクプリンが出来ないかどうか……」

「でも、あれって外に出したら五分しか持たないんじゃ!? 」

「だから五分以内に持って来て、こっちの卵を一緒に使って作れば良いのよ。」

「で、どうだったの!? 」

「私のアジリティ能力じゃ、五分以内なんて無理だった……」

「そうか……、残念。あ〜あ、無理って分かったら、無性に食べたくなったわね、ミルクプリン。」

「そうねぇ、ミルクプリン……」

「ミルクプリン……」

「……」

「!! 」

 

 アスナの頭の中に、突如閃く物が有った。

 

「出来るわ! 」

「えっ!? 」

 

 ツウは驚いてアスナを見る。アスナはツウの手を強く握り締め、真剣な眼差しで断言する。

 

「出来るわ、ミルクプリン! 行くわよ、ツウ! 」

「ちょっと、アスナ! アスナ!! 」

 

 アスナはツウの手を握り、二階へと駆け出した。

 

 その頃二階では、ヒョウとキリトとアルゴの三人で情報交換が行われていた。

 

「スマンな、ヒー君、お望みの情報は無しダ。刀のカの字も出てこないヨ。」

「うーん、日本人が開発した剣を使うRPGで、刀が無いなんて有り得ない。やっぱり階層かレベルか何らかの習熟度か……」

「こだわるな、ヒョウ。」

 

 カタナスキルの情報が空振りだった事に落胆して、未練を見せるヒョウにキリトが半ば呆れた様に感心する。

 

「一番得意な武器だからね。」

「一番得意ナ」

「武器だって!? 」

 

 その言葉を間に受ければ、ヒョウは平和な向こう側の世界で、数種類の武器を扱えるスキルを身につけている事になる。ヒョウの剣呑な発言に、思わず声をあげる二人に、彼は補足説明を開始した。

 

「俺、あっち側で、古武術をやってたんだ。」

「古武術? 」

「ああ、お隣さんに、古武術研究家のお婆ちゃんが住んでいて、その人に誘われて、小さい時からやっているんだ。」

「へぇ……」

「因みにツウはそこのお孫さん、物心がつく前から姉弟同然に過ごしてきた幼馴染みなんだ。まぁそれは置いといて、この世界に来てから、気づいた事があってね。」

「気づいた事? 」

「それは何ダ? 」

 

 身を乗り出す二人に、ヒョウが頷いて話しを続ける。

 

「二人は『ナンバ』って言葉を知っているかな? 」

「ああ、古武術独特の動きで、強さの秘密とか、秘伝になっているとか……」

「俺っちが知ってるのは、歩く時に同じ側の手と足が同時に動く、って事位カナ。」

 

 思わず顔を見合わせるキリトとアルゴに、ヒョウは簡単にナンバの理屈についてのレクチャーを始めた。

 

「人間は直立歩行する事で、広い視界を確保すると同時に、重心が高くなった事と体幹の向きを重力に対して横ではなく縦にしてしまった事で、運動をすると体幹がブレ易い、つまりバランスが崩れ易いという弱点を背負った。」

「おっ、難しくなって来たな。」

 

 口ではそう言っているが、明らかに興が乗ってきたキリト。

 

「体幹のブレを抑えて、身体にかかる負担を減らし、長時間の行軍を可能にする為、近代陸軍が西洋で発足すると同時に、行進法が考えられてあの歩行法が定着したんだ。考え方は、上半身と下半身の動きを敢えて逆にする事で、体幹のブレを打ち消してバランスを保つという事だ。」

 

 ヒョウは実際に部屋の隅から隅へと歩いて見せて説明する。

 

「これは、身体能力が違う者を集めた時、その能力を平均化して運用する上では合理的なやり方なんだけど、個人の能力を十全に発揮する上では、枷になるやり方でもある。」

「と、言うと? 」

「体幹をブラす事なく、上半身と下半身の動きを同じにすれば、推進力は倍加する。」

 

 ヒョウはそう言いながら、相撲のすり足の動きをして見せる。

 

「倍加した推進力でパワー、もしくはスピードアップを図る、それがナンバの考え方なんだ。でもこれは別に特別な考え方では無い、洋の東西を問わず、普通に定着している事なんだ。」

 

 ヒョウはそう言って、相撲のすり足の動きからボクシングやレスリングの動きに変えて見せる。キリトもアルゴも共に「ほう!」と頷いて、更に身を乗り出した。

 

「全身の力を総動員する時、人間は自然にナンバの動きを取るんだ。その傾向は、道具を持った時に、より顕著に現れる。特に剣はその最たる物で、そうしないと自分の脚を斬る危険も有る事から、ナンバの動きが必須になる。分かり易いのは……これかな? 」

 

 メニューを操作して、ヒョウは片手剣盾持ちで武装を装備すると、ゆっくりとした大きなモーションで、受ける、斬る、の基本動作を数回行って見せる。左手の盾で大攻撃を受けるべく、左脚を前に半身で構え、腰を落として踏ん張り、凌いだ後に右脚を前に出しながら、右手の剣を振り下ろすヒョウの動きに、キリトとアルゴは大いに納得した表情を浮かべ、軽く頷く。二人の様子に満足したヒョウは、武装を解除して椅子に座り、テーブルの上の茶を一口啜って口を湿らせてから、再び話を進めだした。

 

「俺はこの世界に来て、初めてソードスキルを使った時に確信したよ、ああ、これはナンバだなと。ソードスキルの準備動作なんだけど、これは確実にナンバの動きをさせる為の準備なんだと思う。実際、ナンバを意識してソードスキルを放ったら、準備動作中の待ち時間も技後硬直の硬直時間も大幅に短縮出来たからね。」

「マジか!? 」

 

 驚きを隠せないキリトが、椅子から腰を浮かせた。

 

「ああ、それも破壊力増大というオマケがついてだ。」

「!! 」

 

 顔色を失い絶句するキリト。

 

「それで、戦闘に必要だと考えられる動作の全てにナンバを取り入れてみた、そしたら。」

「そしたら?」

 

 ゴクリと唾を飲み込むキリト。

 

「いや、散々だったよ、最初のうちは遅い鈍いで頭を抱えたよ、だけど……」

「ダケド?」

 

 拳を握り、身を乗り出すアルゴ。

 

「その手のスキルがガンガン取れる上に、習熟度の上昇が半端無いんだ。裏を取る為にツウにもやらせて見たんだけど、結果は同じ。ただ、最初に俺が感じた遅い鈍いは、彼女には感じなかったらしい。」

「それは、どうして? 」

「考えられるのは、俺の脳がナンバに親しみ過ぎていて、実際の身体の感覚に、このアバターのスペックが追い付いていなかった、という事かな。ドナドナクエストでレベルとスキル熟練度が上がって、ようやく元の感覚に追い付いて来た、っていう所だ。」

「という事は、ヒー君以外のプレイヤーなら、違和感無しでマスター出来るって事カ? 」

「理屈の上では。」

「魂消たな……」

 

 唖然とするキリトとアルゴに、ヒョウは淡々と言葉を締めくくる。

 

「これだけナンバを意識したゲームで、最もナンバを活かし切る剣、刀が無いなんて考えにくい。だから俺はカタナスキルは必ず有ると思うんだ。」

「なあ、一つ聞いていいか? 」

 

 話し終えて、茶を飲み干しているヒョウに、キリトが探る様に声をかける。

 

「昨日、アスナのリニアーを見切ったのも、 曲刀スキルには無い、居合いの様な抜刀も、ナンバなのか? 」

「見切りは交差法、抜刀は無拍子という技術を使っている、まぁ、どっちもナンバを前提にした技術だから、キリトの推測は間違ってないね。」

「そうか……」

 

 元ベータテスター、誰も到達できなかった階層、フィールドに到達した知識、そんな物は本当の意味での自己強化には何ら寄与しない。薄々は分かっていた事だが、こうしてその事実を突きつけられると、正直やりきれなくなる。八層以降、自分の知識が及ばない階層までに攻略が進んだ時、他の一般購入プレイヤーにすら取り残される、無様な己の姿を想像し、キリトその不安から叫びだしたい衝動に駆られた。

 

「キリトもアルゴさんも、ちょっとやってみないか? 」

「良いのか? 」

 

 何の打算も無く、ただの好意からこんな申し出をする筈が無い、そうキリトは警戒する。しかしヒョウはその警戒を見越した様に、自分の打算を明らかにした。

 

「その代わり、片手剣からカタナスキルが派生したら教えてくれ。俺はサイズから考えて、カタナスキルが派生するなら曲刀か片手剣だと推測している。一人で検証するより、片手剣に精通した人間に協力して貰った方が効率が良いからね。」

「そういう事なら、有難く教えてもらう! 」

 

 思わぬ福音に二人は、特にキリトが目を輝かせた。強さに飢え、貪欲な程に自己強化への道を欲する彼は、十層以降の漫然とした不安を振り払う為、ヒョウの差し伸べた手を掴んだ。

 

 こうしてヒョウがキリトとアルゴに、ナンバの動作を伝授する為、祝心眼流剣術の基本形を教え、大体様になってきた時、勢い良く扉が開かれた。

 

「ちょっと、キリト君!! 」

 

 扉を開けた勢いのまま、飛び込んで来たアスナは、キリトに突進して襟を掴む。

 

「キリト君! ミルクプリン、食べたくない!? 」

「はい? 」

「た・べ・た・い・わ・よ・ね!! 」

「ぐっ……ぐるじい……」

 

 キリトの襟を締め上げるアスナ、そこに追いついたツウに、ヒョウが目を丸くして何事か聞く。

 

「何事? コヅ姉。」

「あのね、タケちゃん、実はね……」

 

 ツウは厨房での、ミルクプリンに関する話を、掻い摘んで説明する。

 

「キリト君のアジリティ能力が有れば、あそこからここまで五分以内に持って来れるはずよ! お願いだから取って来て! 」

 

 ツウの話が終わるや否や、アスナはキリトの襟首を絞り上げ、激しく揺さぶって、お願いするとは言い難い手段で懇願する。

 

「分かった! 分かった! 分かったから落ち着け! 手を離せ! アスナ!! 」

「取って来てくれるの!? 」

「取って来る! 取って来るから……」

 

 キリトの返事を聞いて、飛び上がって喜び、ニコニコ笑顔でツウの手を握るアスナ。

 

「やったわ! これでミルクプリンを作れるわね、ツウ。じゃあキリト君、お願いね! 」

「はいはい分かりましたよ〜。まぁ、早速試したい事が有るし、好都合っちゃ好都合だ。」

 

 キリトは、倒しがいの有るモンスターを前にした時の様な笑みを浮かべ、ヒョウに確認する。

 

「体幹のブレに注意して、腰を入れる様に上半身と下半身を連動させる、だな。」

 

 キリトの言葉に、ヒョウが無言で頷くと、アスナは不思議そうな顔をして二人の顔を交互に見つめる。

 

「そういう事なら、俺っちも試運転がてらに付き合うカ。アーちゃん、ツー子、ミルクは多い方が良いんダロ。」

「ええ、有るにこした事はないんだけど、何? どうしちゃったの? 二人共。」

 

 不敵な笑みを浮かべ、軽く準備運動のストレッチをし、ドアに向かいながら二人はアスナに振り返る。

 

「別に何でもないさ。ただ、強いて言うなら、新しい俺の姿を見せてやる、って事だ。」

「まぁ、そんなところカナ。」

 

 不敵に笑う二人は、口元にキラリと光る輝きを残像に残して、夕闇の中に消えていった。

 

「何よ……、馬鹿みたい……」

 

 今ひとつ二人の言動を理解できないアスナは、きょとんとした顔で見送ってそう呟いた。軽くため息をついて扉を閉めると、アスナは真剣な眼差しでヒョウを見つめる。

 

「さっき、下で二人の関係をツウから聞いたわ。」

「えっ? 」

 

 ヒョウはアスナの言葉に、思わず傍らのツウを見下ろすと、彼女は相変わらずの癒し系の笑顔でヒョウを見上げていた。

 

「私、それでどうしてもヒョウ君に聞きたい事が有るの。」

「はあ? 」

 

 一体これは何事かと、ヒョウはアスナに顔を向ける。

 

「ヒョウ君、あなた、本当にツウを愛しているの? 」

「えっ!? 」

 

 思わず聞き直したヒョウに、焦れたアスナはもう一度、畳み掛ける様に問い質す。

 

「もう! あなたは本当にツウを愛しているかどうか聞いているの! ねえ! ヒョウ君、どうなの! 愛しているの、いないの、どっち!? 」

「そりゃ、愛しているさ、決まっている! 」

 

 ヒョウはツウの肩をしっかりと抱いてそう答える、するとアスナは、なお一層真剣な面持ちで更に問い質す。

 

「それは、タケちゃんとして、コヅ姉を、男として一人の女を愛していると理解して良いのね? 」

「ああ、勿論、俺はコヅ姉を愛している。」

 

 アスナのただならぬ態度に、これはきちんと答えねばならないと察したヒョウは、ツウを後ろから優しく抱いてきっぱりとそう答えた。

 優しく、守る様にツウを抱き締めるヒョウと、安心しきった笑顔で身を委ねるツウの姿を、暫し眩し気にアスナは見つめる。

 

「ごめんなさいね、いきなり不躾な質問をして、気を悪くしたでしょう。」

「いや、別に……、びっくりはしたけど……」

 

 アスナは曖昧に答えるヒョウの言葉を無視して、どこか陶酔した様子で話を続ける。

 

「私、貴方達の愛を、結婚を応援する! 誰がなんて言っても、世界中が敵に回っても、覚えていて、私だけは貴方達の味方よ! 」

 

 そう言ってアスナは、ツウとヒョウを優しく抱き締めた。

 

「おう、今帰ったゼ!」

 

 アルゴが蹴破る様な勢いでドアを開け、転がり込む様に入って来る。その後に続いて、キリトが部屋に駆け込んで来た。慌ててツウとヒョウから離れるアスナ。

 

「チクショー! 負けた! 」

「へっへー、この勝負、お姉さんの勝ちダ!」

 

 何やら勝負をしていた様子の二人は、明暗くっきりとした表情を浮かべ、床に座り込んだ。

 

「早かったわねぇ、三分かかってないじゃない。」

 

 驚いて声をかけるアスナに、アルゴとキリトは胸を張って答える。

 

「あったぼうヨ! 」

「秘密特訓の成果だぜ! 」

 

 キリトとアルゴがヒョウと笑顔でサムズアップを交換する、その様をアスナは頭上に『?』を浮かべて見回した。

 

「なんですって、私が居ないうちに二人だけって、ヒョウ君それ何!? 酷くない!! 」

 

 ミルクプリンをかっ込んだアスナは、開口一番にヒョウを非難した。彼女は自分だけがナンバのレクチャーを受けていない事、それをおくびにも出さなかったヒョウに、激しく不満を覚えていた。

 

 因みにミルクプリンはと言うと、とりあえず調理に成功した。しかし味は極上だが、消費期限が三十秒という非常にタイトな結末に終わっており、全員味わう暇なくかっこむ事と相成った。

 

「だって言う暇無かったし、それにアスナは大丈夫だよ。」

 

 空になった皿に手を合わせながらヒョウがそう答えると、それでも納得がいかないとアスナが問い詰める。

 

「私は大丈夫って、どういう事よ!? ちゃんと説明して! 」

「説明も何も、アスナはちゃんと出来てたじゃないか。」

「出来てた……」

「うん、昨日のリニアー見て、そう判断したんだけど……」

 

 合点がいかない様子のアスナに、ヒョウは重ねて説明をする。

 

「あの舞う様なソードスキルの準備動作、日舞か何かを習っていただろ? 」

「ええ、六つの時からずっと。」

「やっぱり、日本舞踊もナンバの塊だからね。下手に俺が古武術としてレクチャーしたら、折角出来ている物を壊しかねないし舞は武に通ずとも言うから、日舞を意識して活動すれば大丈夫だってアドバイスした方が有効かなって。」

「日舞かぁ〜、何が幸いするか分からないわね……」

 

 ようやく納得のいったアスナは、神妙な顔つきでレイピアを装備すると、即興で日舞を舞い始めた。しなやかに舞うアスナに合わせ、短剣を装備したツウが神楽を舞う。二人は、即興ながら、実に息の合った動きで、美しく艶やかに舞い続けた。

 アインクラッドに舞い降りた二人の天女が、窓から差し込む星明かりに照らされ、天上の舞いを披露する。その姿にヒョウとキリトは心を奪われ、それぞれの誓いを胸に新たに刻むのだった。

 

 夜も更け、お互いにフレンド登録を済ませた後、キリトとアスナ、そしてアルゴは「ご馳走様」「お粗末様」「また今度」「ええ必ず」と名残りを惜しみ、ヒョウとツウの部屋を後にした。

 

「存在自体がシステム外スキルだと思ってたけど、あんな隠しネタを持っているとは思わなかったゼ。」

 

 星明かりに照らされた道を歩きながら、アルゴはしみじみとそう言って振り返り、二人の部屋を見上げる。

 

「だけど、これで分かった。やっぱりヒー君はあいつだったんダナ……、道理で刀を欲しがる訳ダ。」

 

 一人納得するアルゴに、キリトとアスナは首を傾げて見つめ合う。

 

「どうしたんだ、アルゴ。」

 

 アルゴはその問いに、質問するという形で答える。

 

「なぁキー坊、アーちゃんも、三年前のヒースローの事件は覚えているかイ? 」

「えっ、ヒースローの事件……」

 

 記憶を手繰り寄せるキリトとは対照的に、アスナは少し首を傾げただけで、答えにたどり着く。

 

「爆弾を持った二人組のテロを、日本人の子供が鎮圧した、あの事件かしら! 」

「そうだ! その事件なら俺も知ってる! 刀で立ち向かって、銃弾を斬り落とす映像には、正直唖然としたよ。」

「名前は何だったかしら? 確か、変わった名字だったわね……」

「えーと、何だったかな……」

「祝屋 猛、ソードアーティストと呼ばれた男サ。」

 

 この手の時事に疎い二人が、頭を捻っていると、アルゴが二人の記憶を補完した。

 

「そう! 祝屋猛! 私はあまり興味が無かったけど、クラスの子達が夢中になっていたわ。」

「家も剣道やってる妹が、茶の間のテレビで祝屋猛の動画を再生して、真剣に見ていた記憶があるぞ。あんまり何回も繰り返すもんで、いい加減にしなさいって母さんに怒られていたな。で、その祝屋猛がどうしたんだ? 」

 

 改めて聞くキリトの目をアルゴは真っ直ぐに見て答える。

 

「ヒー君は、その祝屋猛なンダヨ。」

「えっ、本当に。」

 

 目を見張るアスナに、アルゴが頷く。

 

「裏は取れないカラ断言は出来ないガ、九分九厘間違い無いダロウ。」

「……ヒョウ君が、祝屋猛……」

「……」

 

 思わぬアルゴの推測に、二人の部屋の方角を振り返るアスナと、顎に手を当てて考え込むキリト。

 

「分かっているとは思うガ、口外はしないでくれヨ、二人共。」

「分かっているさ、そんな事。」

「ええ、勿論。」

 

 二人の答えに満足したアルゴは、真剣な面持ちで諭す様に言葉を紡ぐ。

 

「ヒー君は恐らく、現時点で最強の対人戦闘能力を持っているだろウ。デュエルをやらせたら無敵だろうナ。二人を疑うつもりは無いガ、いいか、絶対にヒー君を敵に回すんじゃ無いゾ。」

「そんなの当然じゃないか! 」

「ええ、当たり前よ! 」

 

 アルゴの発言に、思わず歩を止めるキリトとアスナ。

 

「二人も大概に存在がシステム外スキルだケド、それはゲーマーとしてだ、でもヒー君は違う、剣士としてシステム外スキルなんだ。」

 

 ゲーマーとして、という文言に激しく抵抗を感じたアスナを目で制し、アルゴが言葉を結ぶ。

 

「この手のゲームをプレイするプレイヤーは、強い相手を知ると、戦わずにはいられない、という救い難い本能が有るからナ、でも二人がそう言うなら、きっと大丈夫ダロウ。今のはお姉さんの老婆心ダ、忘れてクレ。」

 

 それから三人は暫く無言で歩き続けたが、程なくして、俺っちはこっちだから、じゃーな、とアルゴが闇に消えて行く。

 残されたキリトとアスナは、満天の星空の下、家路を急ぐでもなく歩いていた。星のシャワーが、少し前の苦い思いを洗い流す。

 

「今日は有意義だったね、キリト君。」

「ああ、そうだな、まさかあんな手が有るなんて、思いもしなかった。」

 

 キリトはそう言って、歩きながらナンバの動きを確認する。その姿を微笑んで見ながら、アスナは踊る様な足取りでその後を歩いてついて行く。

 

「結婚かぁ〜、素敵ねぇ〜」

「なんだ、興味有るのか? 結婚。」

「そりゃ有るわよ、私だって女の子だもん。」

 

 むくれるアスナを宥め、キリトはSAOの結婚について説明する。

 

「悪い悪い。ゲーム内結婚は簡単に出来るけど、後がめんどくさいぞ。最後まで上手く行けばいいが、性格が合わないとか何とか、離婚する事になったら一大事だからな。結婚したら、お互いの財産が共有になるんだけど、離婚になったら申し込んだ方が財産を放棄する事になってだな……」

 

 前を歩くキリトの背中に向かい、アスナは柳眉を顰めて口を開く。

 

「ロマンが無いなぁ、キリト君は! 」

「ロマンって……」

「もう、あの二人の事よ! 」

 

 キリトの前に回り込み、アスナは後ろ向きに歩きながら、熱く語り始める。

 

「いい、キリト君。現実世界では絶対に許されない真実の愛を、あの二人は貫いて結ばれたのよ! 現実世界でどんなに深く愛し合っていても、あの二人はここでしか結婚出来ないの、それがどんな事か分かる!? キリト君! 」

「ああ、中学生同士だもんな、愛し合っていてもそりゃ認められんだろ。」

 

 噛み合わない話に、アスナが苛立つ。

 

「違う! そんな話じゃ無いの! 二人の関係の話をしているの。いい、二人は姉弟なのにお互いを男女として深く……」

 

 アスナの苛立ちの原因が理解できないキリトは、アスナの言葉に被せて疑問を口にする。

 

「二人の関係って、お隣り同士で物心つく前から、姉弟同然に育って来た幼なじみだろ? 」

「えっ!? 」

 

 キリトの言葉で、アスナは自分が大いなる早とちりをしていた事に気がついた。その事実に硬直して足を止めるアスナ、彼女の顔は『サーッ』と音がする様に、色を失っていった。その脇を無神経にスタスタ歩き過ぎるキリト。硬直した姿勢のまま、ギギギと首を動かしてキリトを目で追うアスナ。

 

「……嘘、幼なじみ……」

「ああ、ヒョウからそう聞いたぞ。」

「……そう、幼なじみ……」

 

 アスナの頭が急速回転する。

 

 確かに幼なじみの場合、年下が年上を兄さん姉さんと呼ぶ事が往々にして有るわ、それは私も知ってる。ヒョウ君とツウの関係が実の姉弟ではなくそれに当てはまるのであれば、私が二人にしつこく確認して宣言した事は、えーとえーと、とても恥ずかしい事だったのではないのかしら? ちょっと待って、今さらそんな殺生な、穴が有った入りたいわ、どこかにないかしら手頃な穴は、一生入って暮らしてあげる!! お願い誰か私を助けてー!!!

 

 硬直したまま、真っ赤になって身悶えるアスナに、そんな事とは露知らず、足を止めたキリトが振り返って無神経に声をかける。

 

「おい、アスナ、いつまで突っ立ってるんだ。置いてくぞ。」

 

 あまりに無神経で呑気な暫定パートナーの態度に、羞恥心の反動からアスナは切れた。

 

「キリト君の、バカァー!!」

「おわっ! 何だ!? 」

 

 夜空に響くアスナの叫び声と、パシリという乾いた打撃音。しかし満天の夜空に輝く星達は、そっと微笑んで二人を見守っていた。それは脳内に映し出されるデーターの画像とは思えぬ位、優しく温かい煌めきだった。

 

 




次回 黒い情念


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七話 黒い情念

「畜生、余計な邪魔をしやがって。」

「何がデュエルだ、ふざけやがって! 」

「なぁ、今晩どうするんだ、サーキー……」

 

 ヒョウ達に絡んでいた三人組は、トールバーナの中心から外れた、寂れた裏道へ身を隠し、ほとぼりが冷めるのを待っていた。

 

「おい、お前ら、今コルいくら持ってる!? 」

 

 三人組の中で一番小柄ではあるが、不機嫌そうに歪めた口元と、鋭い目つきが印象的な、リーダー格のサーキーと呼ばれた少年が、仲間の二人にやや苛立った口調で聞いた。

 

「俺は……これだけ……」

 

 角刈りで、肥満気味ではあるが、がっちりとした身体で、等身比はやや頭部比率が高い、ドングリ眼と下膨れ気味な輪郭が特徴な少年、エビチャンがメニューを開いて見せる。

 

「ふん、これしか無いんか!? お前は!?」

 

 サーキーはもう一人の仲間で、彫りの浅い丸刈り頭の中肉中背の少年、クマにぶっきらぼうに尋ねる。

 

「俺も、似たようなもん。」

 

 クマの示したメニュー画面を見て、サーキーの口元は更に歪む。

 

「チッ、こんなんじゃ、マトモに宿も取れねえ! 」

 

 不機嫌な態度を隠そうともせず、苛立ちに任せて袋小路の壁を蹴って吐き捨てるサーキー。壁の一部でも崩れたら、彼の溜飲も少しは下がったのかも知れないが、虚しく浮き上がる『イモータルオブジェクト』の文字が、心のささくれを倍加する。

 

「畜生! 邪魔さえ入らなければ、祝屋の野郎から幾らかせしめられたかも知れねえのによ! 」

 

 苛立ち荒れるサーキーを宥めるように、エビチャンが恐る恐る声をかける。

 

「本当そうだよな、そしたら今頃、美味いもん食って宿で寝てたかも知れねえのに、で、これからどうする? 稼ぎに狩りでもするか? 」

 

 サーキーはエビチャンの提案に目を剥いて、口調を荒らげる。

 

「今からそんなかったるい事やってられるか! 」

 

 彼等のレベルは今サーキーが九、エビチャンとクマがそれぞれ七で伸び悩んでおり、夜間帯にトールバーナ周辺に出没するモンスターを狩るには心許ない数値だった。それでも単体のモンスターなら、上手に連携をすれば相手になるはずだが、彼等には無理で有った。何故なら彼等は口を動かす事に比べ、手を動かす事ではお世辞にも良い連携が取れるとは言い難いからだ。その理由はサーキーのプレイスタイルに有る、彼は初撃を自分で買って出るのは良いが、すぐにスイッチで後ろに下がり、モンスターが虫の息になった所で強引に割り込み、ラスを奪っていくのだ。この美味しい所だけ持って行くプレイスタイルで、サーキーは仲間の二人よりもレベルが上がったが、潜在的ヘイト値『不満』を同時に貯めてしまい、効率的な連携が取れなくなってしまったのだ。

 本来ならば、いつ崩壊しても不思議ではない三人組の関係が保っているのは、現実世界からの腐れ縁である。現実世界でもつるんで弱そうな者に言いがかりをつけ、無理を通して楽しくやってきた因縁が、今もこの三人組を結びつけていた。しかしアインクラッドでは、それも通用しなくなりつつある。そんな事は当然である、そもそもここは学校では無いのだ、学校では通用するクラスカーストも、不良の屁理屈も通用する筈が無いのだ。強引に無理を通せば、自分の居場所がなくなっていく現実で、それでも彼等を結びつけていたのは、共通の敵がこのアインクラッドに存在する事実である。ヒョウこと『祝屋 猛』存在が、この崩壊寸前の三人組を尚強固に結びつける原因だった。

 

「じゃあ、はじまりの街に戻るか? あそこならコルが無くても眠れる場所が有るから……」

「馬鹿野郎! そんなダせぇ事出来っかよ!! 」

 

 サーキーはクマの発言に激しく噛み付いた、それもそのはず、彼等は籍を置いていた『MTD』と喧嘩別れしてはじまりの街を飛び出して来たのだ。

 

 MTDとは、現実世界でMMO雑誌の編集をしていた、シンカーという男の提唱で発足した組織である。ソードアートオンラインという、完全フルダイブ環境の『VRMMO』という未曾有のRPGは、廃ゲーマーと呼ばれる重度のプレイヤーだけでは無く、それまでゲームという物に全く興味の無かった者までも虜にする魅力を持っていた。

 従って、このゲームがデスゲームである事を告知された後、何をして良いか、どう動くべきか分からないゲーム素人達は、あっという間にコルを使い果たし、路頭に迷う事となった。そんなゲーム素人達を救済して、MMORPGの世界で生きていく術を伝授する事を目的として、シンカーが立ち上げたのが、このMTDである。

 そんなシンカーの博愛精神に感動した茅場晶彦が、毎日の運営費を支給して援助をしたという事実は寡聞にして聞かない。MTDの運営は参加した者からの上納によって賄われていた。

 例の三人組は、重度のプレイヤーとは言い難いが、それでもゲーム素人とは程遠いプレイヤーなのだが、かえってそれが災いとなる。三人組は、はじまりの街周辺の雑魚モンスターを数体倒した事で天狗となり、ソードアートオンラインというゲームを完全に舐めてしまった。

 

「俺達なら、このゲームをクリア出来るんじゃね。したら俺達ヒーローじゃん! 」

 

 気宇壮大とは程遠い、無謀な思い込みを抱いた彼等は、泣け無しの初期支給のコルで一ランク上の装備を整え、ポーションを買い漁り、ヒーローとなるべくはじまりの街を出発した。途中出会った雑魚モンスターを、こんな奴は俺達が戦う相手じゃねえと、手近にいたプレイヤーになすりつけ、フィールド奥に進み、初めてお目にかかる蜂型のモンスターに挑み、散々に負けたのだ。経験不足の彼等は、蜂型モンスターのトリッキーな空中攻撃に対応出来ず、翻弄された挙句、毒状態となり、命からがらはじまりの街に逃げ込んだのだ。無論逃げる間にポーションを使い尽くし、見事なまでに無一文となった三人組は、揃ってMTDの門を叩く事となった。しばらく大人しくしていた三人組だったが、慣れてくるとだんだんと本性が頭をもたげ、馬脚を現す事となる。彼等は支給される事を喜んでも、上納する事は御免だった。MTDでは、狩りに出る実力を持たないプレイヤーは、ソードスキルを自然に出せるまで練習させ、ある程度の実力を身につけた者は護衛を伴い狩りに出て、最終的には独り立ちをさせるという流れで援助を行っていた。無収入の練習期には、一日分の食費を支給する代わりに、狩りを始めたら、得られたコルの内、食費を引いた分の残りから三十パーセントを上納する、というシステムを取っている。元々我欲が肥大気味で、抑制する事が出来ない三人組は、やれ支給額が少ない、上納が多過ぎると騒ぎ出した。 そんな三人組に、根気よくシンカーは、彼等が門を叩いた時に説明した、MTDの理念と、それに基づくシステムを何度も説明する。しかし、三人組にシンカーの誠意は伝わらない、三人組にはシンカーの誠意を受け取るつもりなど全く無く、会員の待遇改善と嘯き、自分達の特別扱いを求め、相手をすればする程声高に主張し始めた。

 これは三人組があちら側の世界の中学校で、教師やクラスメイトを相手に無理を通す時に使っていた手段、ゴネ得を狙った反対する為の反対である。交渉相手が辟易となり、折れて首を縦に振るまで続けられる、議論とは言い難い一方的な難癖であった。要する、母親にデパートやスーパーに連れられた幼児が、玩具売場やお菓子売場で、おもちゃ買ってお菓子買ってと、床に寝転がって両手両足をバタバタ動かすあの行為と根底は同じである。

 しかし、ここはアインクラッドである、現実世界の中学校ではない、そしてシンカーは授業の進行を気にする教師でも、彼等を恐れるクラスメイトでもない。ましてや世間体を気にする母親でも無い。

 MTDの維持と、より多くの者の現実世界への帰還を期するシンカーは、ガキンチョの駄々に屈する事無く、また見捨てる事無く懇切丁寧に諭し続けた。そのシンカーの誠意ある態度が、現実世界の融通の効かない先生の姿とダブり、ますます不満を堆積させていく。そんな三人組に、やがて我慢ならない事件が起きる。MTDの協力者だという男が、シンカーの元にふらりとやって来て、秘書のユリエールを交えて三人でなにやら話し込んでいた。その男を遠巻きに目にした三人組は一瞬目を疑った、そしてその心中に激しい敵意が燃え上がった。その男は現実世界の中学校で、自分達と対極の存在として比較され続けてきた不倶戴天の敵、祝屋猛ことヒョウであった。この時彼等はヒョウもこのアインクラッドに囚われていた事実を初めて知ると、ヒョウもMTDの世話になりに来たのだと勘違いし、早速難癖をつけに来た。

 

 おい、祝屋、あっちの世界では世話になったな、こっちの世界ではでかいツラはさせねえぞ。どうせ真面目人間のお前には、ゲームなんか満足に出来ないだろう、俺達が面倒見てやるから出すモン出しな!

 

 話の腰を折って乱入した三人組を一瞥し、何だお前らも居たのか、そりゃ御愁傷様とあしらって、シンカーと話を続けるヒョウに苛立ち、喚き散らす三人組を、ユリエールが「君達、いい加減にしなさい! 」とつまみ出した。

 そして三人組はユリエールから、ヒョウは効率的なレベリングの為の狩り場情報やマッピングデータ等を無償で提供してくれる、MTDの貴重な協力者である事を聞かされた。

 

「それにヒョウ君は、第一層ボス攻略戦に参加した猛者なのよ。恐らくレベルは十の後半は行っているでしょう、君達程度が束になっても、敵う相手じゃ無いの! 」

 

 今日は貴重な第二層の狩り場情報とクエスト情報を伝えに来てくれたの、邪魔をしないでちょうだい! ユリエールはそう言葉を締めくくった。

 屈辱感に歯軋りをする三人組の元へ、シンカーとの話を終えたヒョウがやって来ると、オナ中のよしみと言って、あのドナドナクエストの情報を伝えて帰って行った。

 シンカーから三人組の問題行動を溜息交じりに聞かされたヒョウは、身の程を知れという意味でクエスト情報を教えたのだが、敵対心対抗心に燃える三人組に、そんな事を理解出来る道理は無かった。アイツに出来る事なら、俺達に出来ない訳が無い、直ぐに追い越して吠え面かかせてやる! と、その夜勝手にMTDを脱会して現在に至る。

 

「今さらあんな所に帰れるか! おい、行くぞ! 」

 

 サーキーは連れの二人を追い立てる様に路地裏から出ると、人通りの少なくなった目抜き通りの安い宿屋に、コルを出し合って一夜の寝床を確保した。とはいえ、三人合わせて借りられたのは、ベッドが一つ有るだけの一人部屋だった。

 部屋に入るなり、サーキーは倒れ込む様にベッドを独占した。その様子を溜息交じりに確認したエビチャンとクマは、疲れ以外のエッセンスを含む、何とも言えない表情を浮べ、沈み込む様に椅子に身体を預けた。

 

「何だ! お前ら文句有るのか!? 」

 

 二人の行動に、反抗的な感情を鋭く察知したサーキーが問い質すと、二人は軽く目を合わせ、別に、何もと言葉を濁して目を閉じた。

 

「良いか! 俺達をこんな目に合わせたのは、あの祝屋なんだ! 恨むんなら、奴を恨め!!」

 

 そう吐き捨てると、サーキーはカバっと毛布を被って目を閉じた。サーキーの言葉を、目を閉じたまま聞いていたエビチャンとクマは、そうだったと納得する。俺達が今こんな惨めな思いをしているのは、ガセを掴ませたアイツのせいだ! 今に見ていろ、いつかきっとギャフンと言わせて這いつくばらせてやる! そう思い直す事で、現状の不満を押し流し、無理矢理眠りに就いたのだった。

 危うい均衡を保ったまま、三人組が崩壊しない原因がここにあった、何はともあれサーキーにはリーダーの資質が有り、他の二人にはそれが無いという事だ。誰かに道を示して貰わないと、やって行けないエビチャンとクマは、今はサーキーについて行くしかないと本能的にそう判断していたのである。




次回 幕間喜劇


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八話 幕間喜劇

 第十三層のボス攻略は、攻略会議が始まった時点で、既に崩壊が確定していた。攻略メンバー達が、なす術なく魔女の大釜の中で煮られている様な現在の状況は、あくまでもその追認でしか無い。それを頑なに認めない者も一部存在するが、それを糾弾して認めさせた所で、何ら状況の改善には繋がらないので、ひとまず脇に置いておく。というか、そんな暇があるのならば、ここのフロアボスの攻撃を避けるなりガードするなりする方が、余程有益な行動であるというのが、大多数の見解だった。

 ただ一つはっきり言える事は、現状のまま戦況が推移すると、レイドが確実に全滅するという、誠に楽しからざる未来が確定している事である。しかし、人間という生き物は、この期に及んでなお愚かな生き物であった。《アインクラッド解放隊》リーダーのキバオウ、そして《ドラゴンナイツ》リーダーのリンド、共に撤退しか無いと理解しているにもかかわらず、出発前の経緯が有ってか、この期に及んでなお意地とメンツを張り合っている。相手が撤退を提案すれば、それに乗ってやるが、自分からは口が裂けても言い出せないと、お互いに「早く言えよ」と目で牽制し合っていた。

 

 その様子を遠目で確認したエギルは、口いっぱいの苦虫をまとめて噛み潰す。

 

 馬鹿野郎共が、お前さん達の意地とメンツに付き合わされて、全員が生命の危機に晒されているんだぞ! お前達が出発前に、余計な荷物を捩じ込んだせいでこのザマだ! あの三人をトコロテン扱いしたせいで、レイドはフロアボスに蹂躙され続けている。あの三人は並のトコロテンでは無いんだ、一人一人が不利な戦況をもひっくり返す火力を誇る最強のダメージディーラーなんだ。少なくとも、そこで震えて何の役にも立たない三人を突き棒にして、押し出していいトコロテンでは無い。

 

「なぁ、エギルさんよ、これってひょっとして、相当ヤバいんじゃねえの!? 」

 

 今回初参加の野武士顔の男、クラインが尋ねてきた。

 

「まぁな、いつもの事だ。」

 

 答えながら、エギルはクラインの動きを観察する、目が忙しなく動いて状況確認を密にしている、しっかり手も足も状況に応じて的確に動かしている、その上話す言葉に余裕があるのが良い、ウン、コイツは拾い物だ、キバオウが連れてきた三人組とは雲泥の差がある。

 

「へぇー、マジかよ。これがいつもの事ってぇと、それでいて苦戦してるのは、いつもの事では無い何かが有るってこったな? 」

「ああ、あの三人が居ない。」

「あの三人つうと、キリト達の事か? 」

「御名答。」

「へぇー、あのキリトがね……、ふぅーん……」

「気持ち悪いな、どうしたんだ。」

 

 戦いに集中しながらも、器用に物思いに耽るクラインに、手を動かしながらエギルが怪訝な表情を向けた。

 

「あっ、ひでぇ言い方! いやな、俺はキリトの奴と、ちょっとした関わりがあってな。でよ、なんちゅうか、あのキリトがボス攻略を左右する、すげー奴になってるなんてよ、そいで頼りにしてくれる奴がいるなんて、ちょっと嬉しくなってな。そうか……あのキリトがね……。ぐぇへへへへ………」

 

 顔を締まらなくニヤつかせて語るクラインを見て、エギルは腹を決めた。コイツは気持ち悪いけどいい奴だ、後々攻略組に必要な男になるだろう、こんな所で死なせる訳にはいかない。それにもうとっくに潮時は過ぎている。

 

「おい、いつまで意地を張っているんだ! 」

 

 エギルの良く響くバリトンが、ボス部屋に木霊した。

 

「なんやて! ワイのどこが意地張ってるって言うねん! 意地張ってんのは、リンドはんの方や! 」

「キバオウさんはともかく、私は意地なんて! 」

 

 お互いに同時に言って、ふんと顔を背ける。その様子を目の当たりにし、エギルはやれやれと顔を顰める。

 

「あんた達のどちらからも言い出せないのなら、俺が言ってやる! これ以上戦うのは無意味だ、撤退を提案する。」

 

 エギルの提案に、攻略組二大巨頭は二者二様の態度を取った。

 

「撤退か、やむを得ないか……」

「何言うてんねん! こっからや! こっから! 」

 

 船頭多くして船山に登るか。

 

 この二人の態度に、エギルは呆れるのを通り越して悲しくなった。リンドの態度は、進言を受け容れて苦渋の決断をしたという形を取り、撤退は自身の怯懦によるものではない事、自分はギルド以外の人物の言にも耳を傾ける器の大きな人間である事、その二つをアピールしている。キバオウの態度は論外である、徹底抗戦を主張する事で、己の勇を示し、敗北責任を回避するのが目的だ。

 エギルは心の中で天を仰ぐ、今までが出来すぎだったのだ、この十三層までのボス攻略で、出た犠牲者は第一層でのディアベルだけだ。それ以降は大きなピンチも有るには有ったが、奇跡の逆転で犠牲者ゼロでここまで来ている。エギルはそのせいでこの二人は慢心しているのだと、そう理解していた。前人未到の八層攻略も、慎重に進めたとはいえ、一層に費やした二ヶ月という時間に比べれば、露にも等しい。そして八層から先は、元ベータテスターの知識の及ばない場所である。彼等は今まで誰が奇跡を起こす契機を作っていたのかを忘却の彼方へ押しやり、これからは自分達の出番だとはしゃいでいた。そして、以降の攻略のイニシャチブを握る争いを激化させている。それは水面下だけではなく、攻略会議や実際の攻略中にも公然と行われている、そのせいで要らないピンチを何度招いた事か。

 この二大体制は行き詰りつつある、元ベータテスターへの敵愾心で成り立つ二大ギルドは、八層攻略と共にその役割を終えたのだ。

 エギルは苦い思いを頭の片隅に追いやり、この場の全員の生命を救う為に、石頭二人に一喝する。

 

「まだ犠牲者が出てない事自体が奇跡なんだ! 死人が出てからじゃ遅いんだゾ! それとも何か!? ディアベルがこんな事を望んでいるとでも言うのか! おい! 」

「「!! 」」

 

 ディアベル、その名前に二人は激しく反応する。

 

「ディアベル……」

「ディアベルはん……」

 

 唇を噛み締めた二人の指導者は、異句同意の指示を出す。

 

「撤退だ! ボスに背中を見せずに警戒をしながら、ゆっくり戦線を下げろ! 」

「撤収や! 仲間見捨てんやないで! ジブンだけさっさと逃げ出す奴は、後であんじょうシバイたるから覚悟しぃ! 互いのフォロー忘れんな!」

 

 二人の撤退指示で、浮き足立っていたレイドは徐々に落ち着きを取り戻し、粛々と撤退戦を開始した。そうして誰一人欠ける事無くボス部屋から脱出する事に成功した。

 

 《ザ・デンジャラス・アームド・キャタピラー》

 

 脱出間際に見たこの部屋の主が、嘲り笑っている様に見えたのは、気の所為だろうか?

 

 こうして第十三層ボス攻略は失敗に終わった、その中で犠牲者が一人も出なかった事は不幸中の幸いである。

 

 攻略に失敗した一行が、危険な迷宮区を抜けて主街区にたどり着くと、キバオウとリンドが盛大に罵り合いを開始した。

 

「だから私は反対だったのだ! そんな実力も知れない連中をレイドに入れるのは! 」

「何やて! あの三人ハブるちゅー事で、乗り気やったのは、そっちやったやないけ! 」

「ハブるのでは無い。あの三人に頼らずとも、ボス攻略を進められる戦術を構築する必要があると、そう言っているんだ! 」

「それをハブる言うんじゃ! 」

「攻略組メンバー全員のレベルの底上げの必要性を、そんな汚い表現で貶めるとは、どこまでも腐り果てた奴だな! 」

「何やて!」

「何を!!」

 

 この二人はもう駄目だ、元々器では無かったのだ、エギルは今後の攻略に憂いを覚え、今ここには居ない、器足りうる三人に思いを馳せた。

 

 さて、時間を今から四十八時間程巻き戻す、このように無様な幕間喜劇が起きた顛末は、その時行われた攻略会議に起因する。

 

 えーっと……、あんの野郎、何処に居るのかな……

 

 野武士顔で赤バンダナが目立つ痩身の男が、所在無さげにキョロキョロと辺りを見渡す。

 

「おう! キリト! 」

 

 探していた人物を見つけ出したバンダナ男は、人懐っこい笑みを浮かべて声をかけた。すると、対象の人物の他に、数名の人物が眉間に皺を寄せて、盗み見る様にこちらをうかがっている。

 

「クライン! お前生きてたんだ!! 」

 

 クラインと呼ばれた男は、不快な視線を無視し、ブラックな挨拶をしてきた友人に歩み寄った。

 

「へへへ、あったりめぇよ! この俺様がくたばるかってえの!! 」

「同感だ、お前は殺されたって死なないよな! 」

 

 二人は肩を抱き合い、互いに拳をグリグリ押し付け合うという、手荒な挨拶を交わして再会を喜ぶ。ひとしきり笑い合った後、急に真剣な眼差しでクラインはキリトを見据えた。

 

「待たせたな、やっと追いついたぜ、キリト。お前のお陰だ。」

 

 キリトも表情を改めて応える。

 

「いや、俺は何もしていない。ここに追いついて来れたのは、お前の力だ、クライン。」

 

 二人は拳を合わせ、改めて再会を喜び合った。

 

「それよりオメェ、このトゲトゲした視線は一体何なんだ、おい。」

 

 声をひそめて問い質すクラインに、諦めの笑顔を浮べ、キリトが答える。

 

「まぁ、いつもの事だよ。分裂と合体を繰り返す悪のビーター軍団に、またしても新メンバーが加入か!? ってとこかな。」

「何だそりゃ!? プロレスか!? 」

 

 クラインの反応が少しツボにハマったキリトは、軽く笑って話題を変える。

 

「まぁ、似たようなもんだ。紹介する、こっちがビーター軍団二号のアスナ、そしてこっちは同じく三号のヒョウだ。アスナ、ヒョウ、コイツはビーター軍団見習い候補の補欠、クラインだ。仲良くしてくれ。」

 

 キリトのブラックな紹介に柳眉を吊り上げながら、アスナがクラインに自己紹介をする。

 

「もう、キリト君、変な紹介しないで! 初めまして、クラインさん、アスナです、よろしく。」

「こちらこそ、よろしくお願いします〜、お嬢さん。」

 

 アスナが笑顔で会釈をすると、途端に鼻の下をだらしなく伸ばすクライン。

 

「ヒョウです、どうぞ、よろしく。」

「おう、よろしくな! で、おい! 」

 

 クラインはキリトとヒョウの肩に手を回し、意味ありげな含み笑いを浮かべて聞いた。

 

「どっちが付き合っているんだ、なぁ。」

「そんなのじゃありません! 」

 

 明らかに面白がっているクラインに、真っ赤な顔で即座に否定するアスナ。

 

「なんだ! お前等! 奥手にも程があるぞ! こんな可愛い女の子を前に口説かないなんて、アスナさんに失礼だろう!? 」

 

 周囲で密かに聞き耳を立てていた男性陣が、心の中でガッツポーズを取っているとは知る由もないアスナが、更に大声で取り繕う。

 

「キリト君はともかく、ヒョウ君はとっても素敵な人とゲーム内結婚をしているんです、付き合うとか、変な事言わないで下さい! 」

「結婚!? 」

 

 アスナの言葉に目を剥いたクラインは、素っ頓狂な声をあげてヒョウを見つめるる、そしてあちゃーと片手で頭を抱えるヒョウにズンズンと詰め寄り詰問する。

 

「そりゃ本当か!? 相手は、相手は……その……、どんな奴なんだ! お兄さん、怒らないから、ほれ、言ってみろ。」

「スーパー美少女! 」

 

 どう答えるべきか、困惑するヒョウに代わり、キリトが間髪置かずに答える。クラインは涙目でキリトを見やり、続いて確認の為にアスナを見ると、彼女は得意気にウンウンと頷き、Vサインで畳み掛ける。

 

「スーパー美少女!! 」

「ぬぁにぃ〜! スーパー美少女だとぉ! 」

 

 ここに居る野郎全員の、ヒョウに対するヘイト値が上がる。アスナ程の女の子が自信を持って『スーパー美少女』と称する娘は、果たしていかほどの美少女だろうか? 男達が想像力を膨らませている最中、キリトを中心とする四人に向けて、バリトンの美声がかけられる。

 

「よう、今回も頼りにしてるぜ、御三方! 」

 

 四人が声の主に目を向けると、そこには愛嬌のある笑顔を浮かべる、浅黒い巨漢が立っていた。

 

「出たな! 悪のマネージャー! 」

「悪のマネージャー? 何だ、そりゃ? 」

 

 何のジョークだとおどけて見せるエギルを、キリトがクラインに紹介する。

 

「聞いて驚け、クライン。コイツが悪のビーター軍団を影から操る恐怖のマネージャー、その名もエギルだ。」

「おいおい、なんて紹介してくれるんだ、キリト、誤解されたらどうする。」

 

 茶目っ気たっぷりの口調で紹介するキリトに、一応ツッコミを入れながら、エギルは陽気な態度でクラインに右手を差し出す。

 

「よう、只今紹介に預かったエギルだ。マネージャーの部分は間に受けないでくれよ。クラインだったな、これからよろしく頼むぜ! 」

「うす、クラインっす、よろしくお願いするっす。」

 

 エギルとは対照的に、意気消沈して、差し出された右手を握るクライン。

 

「どうしたんだ、おい? 」

「さあ? 」

 

 覇気の無いクラインの自己紹介に、エギルは頭を捻ったが、キリトはとぼけてそっぽを向いた。そんなキリトを咎める様に睨んで、クラインは心からの願いを叫んだ。

 

「キリトよう! ゴツい男なんかいいから、可愛い女の子を紹介してくれよ! 頼むよぉ!! 」

 

 口笛を吹いて、無視を決め込むキリト。笑いを噛み殺すのに必死なアスナ。慰める様にクラインの背中をポンポンと叩くヒョウ。要らないゴツい男呼ばわりされ、目を剥いたエギル。四者四様の態度を見せた所で、会議場の円形劇場風の広場は俄にざわつき始め、皆が舞台上を注目した。キリト達五人も壇上を注目すると、威を放つ様に辺りを睥睨しながらキバオウが、内に秘めた闘志を滲み出す様に真っ直ぐ前を見据えながらリンドが、それぞれ真逆の態度で姿を現した。

 

「今回もぎょうさんワイの呼びかけに集もうてくれて感謝するで、おおきにな! 」

 

 キバオウが右腕を突き上げて、吠える様に攻略会議に集まった面々に言うと、緑色の装具を身に着けた一団が応と答えて盛り上がる。しかし、大半の参加者はそれには同調せず、また始まったよと、白けた目で彼等を眺めていた。

 

「何や! 元気が無いのぉ! ほんなんじゃボスは倒せへんでぇ! 」

 

 壇上で苦笑いするキバオウに、参加者の誰もが心の中でツッコミを入れる。

 

「リンドと持ち回りでやってる癖に、よく言うよ。」

 

 攻略会議の呼びかけは、二層攻略時より、ドラゴンナイトとアインクラッド解放隊が交互に行う事が定例化している。これは現在の攻略組の勢力が、ドラゴンナイトとアインクラッド解放隊で過半数を占め、彼等に匹敵する第三勢力が存在しない事に起因する。ドラゴンナイトとアインクラッド解放隊は、互いに勢力拡大に邁進し、競い合い敵対しあっていたが、この手の既得権益を守る事では協力し合い、それが理由で他の攻略組メンバーから白眼視されていた。他にもマッピングデータの供出の強要、レベリング狩場の独占、他パーティーの狩りに乱入し、強引にラスを奪うという横暴が頻繁に行われ、八層攻略後辺りから急速に求心力を失っていった。こうして二大ギルドの勢力拡大は頭打ちとなり、ある時は互いに足を引っ張り合い、ある時は新興勢力の台頭を共闘して潰すという、程度の低い予定調和の馴れ合いを続けていた。

 

 二大ギルドに属さない少数派が密かに期待していたのが、キリト、アスナ、そしてヒョウの三人である。実はキリトは自分が思っている程、攻略組の中では嫌われてはいない。逆にその実力とあいまって、ダーティーヒーロー的な隠れ人気を誇っていた。アスナは出会った時のキリトが直感した通り、攻略組メンバーの希望の光となりつつある。そしてヒョウはと言えば、派手さは無いものの、黙々と自分の役割を的確にこなす姿に共感を得ており、要所で垣間見せる、ソードスキルに頼らない卓越した剣技でボス攻略を巧みにリードしていく姿に魅せられる者は少なくなかった。

 

 率直に言うと、彼等は口と実績が余り一致しないリンド、キバオウよりも、若くとも能力的にも実績的にも、攻略組で頭一つ以上抜きん出る三人の方が信用できると肌で感じていたのだ。もっと口かさなく表現すると、自分達をより確実にボス攻略から生還させてくれる人間はどちらか? その答えが明白になった、と言う事だ。

 

 三人に攻略ギルドを結成する気は無いのか!?

 

 少数派の面々の目下の関心事はそれであった。もし三人が立てば、喜んで馳せ参ずる覚悟を決めてはいるものの、肝心の三人に一向にその気配は無い。

 ある少数派の命知らずが、無謀にも三人にその気が無いのか確認した、その時キリトとヒョウは片眉を釣り上げて質問者の顔を一瞥し、次にお互い深刻な顔で首を傾げた。二人は意外な質問に驚き、どう答えるべきかと思案したのだが、質問者が虎の尾を踏んだと勘違いをして、すんませんでした、ごめんなさいと言って逃げ帰ろうとしたまさにその時、女神アスナが降臨した。

 

「ごめんなさい、私達、皆さん達よりもずっと年下で、目上の人達を差し置いて上に立つなんて、今は考えられないんです。そんな訳で、今すぐ攻略ギルドを結成する事はありません。」

 

 この神託を受けて帰った質問者は、少数派の仲間に女神の言葉を預言すると、彼等が次に期待したのが三人と親しい大人のエギルである。

 彼等は二大ギルドの頭にも堂々と直言できる、あの禿頭の巨人ならば、三人の後見人としてこれ以上の人物は居ない、彼がギルドを立ち上げればと相談を持ちかけた。しかし彼の返事も芳しい物ではなかった。

 

「何だって!? それが出来ればとっくにやってるさ。でもなぁ、当の三人がギルドに全く興味が無い様なんだ。仮に俺が攻略ギルドを立ち上げても、おめでとうの一言だけで、参加なんてしないだろうよ。」

 

 そんな訳で、現在彼等はぼぞを噛みながら、今は雌伏の時と、二大ギルドの横暴に耐え忍ぶ日々を送っていた。当然その動きは、二大ギルドも掴んでおり、警戒もしていた。そして二大ギルドは今回の第十三層攻略会議において、その動きを看過出来ぬ物として予防攻撃を仕掛けてきた。

 偵察戦で明らかになったボスの特徴、戦術、それに対する攻略組の布陣、戦術が討論、検討され、話がレイドに参加するメンバーのパーティー分けの段階になった時、壇上のキバオウとリンドから、会議を揺るがす特大の爆弾が投下された。

 

「ほいから、今回のボス攻略は、キリトはん、アスナはん、ヒョウはんの三名には、外れてもらお思うとる。」

「別に三人に含む所は無いんだ、今までの三人の働きには我々も大いに感謝している。しかし、いつまでも三人に頼りきってボス攻略を続けていくと、いつか必ず破綻する。そう我々は危惧しているんだ。」

「そんな訳で、今回のボス攻略は外れてもろて、ワイらだけでどんだけ出来るか、どう戦術を組み立てたらええか、その検証をしようっちゅう事や! 」

「そういう事で、理解して頂けると有難い。」

 

 この二人の発言に、少数派攻略組メンバーの間に動揺とどよめきが走る。コイツらはここまでして手柄を独占したいのかと、呆れるのを通り越して哀しくなった。含む所は無いと言う発言が、含む所アリアリである事の裏付けではないか。

 

「ちょっと待ってくれ! 」

 

 堪らずエギルが口を挟む。

 

「そういう事なら、偵察戦で充分検証出来る筈だ! この三人を外す理由にはならないだろう! 」

「偵察戦は所詮偵察戦や! 本チャンの緊張感に欠けるさけ、検証にはならんのや。」

「肝心の本チャンで、火力不足に悩まされ、生命の危機に晒されるのは御免被りたい! 再考すべきだ! 」

 

 語気を荒らげて詰め寄るエギルに背を向けて、取り合うつもりは無いとばかりに、キバオウは小指でハナクソをほじりながら答える。

 

「何を怖気付いとるんでっか、エギルはん。ワイらかてあんじょう強なってるはずでっせ、ちびっと火力が減った所で、その分時間がかかるだけの事やおまへんか、心配する事あらしませんて。」

「そんな無責任な! 」

 

 掴みかからん勢いで、エギルがキバオウに向かうと、リンドが間に入ってエギルの相手をする。

 

「この件については、我々で充分話し合った結果なんです。御理解頂きたい。」

「では問うが、何故その話し合いに我々は呼ばれなかったのだ、我々はボス攻略の同士であり、あんたらの配下では無い、充分に参加資格はある筈だ。何時からボス攻略は、二大ギルドの支配下になったんだ! 」

 

 エギルの主張に、少数派攻略組メンバーが大いに頷き、壇上のキバオウとリンドにブーイングを飛ばす。

 

「そないに文句が有るなら、あんさんが攻略会議を呼びかけたらよろしいんやないか、エギルはん。まぁ、それで人が集まればの話やけど。」

「何だと! 」

 

 キバオウの暴言に目を剥くエギル、多数派の余裕に勝ち誇った目でほくそ笑むキバオウ。

 

「しゃーないな、ほんじゃコレも偵察戦のつもりでやりゃあーええやろ! それで納得しいや、のう、エギルはん。」

 

 余りにも無責任なキバオウの発言に、少数派攻略組メンバーは口々に「やめたやめた! 」「やってられるか! 馬鹿野郎。」と席を立って行った。

 多数派の横暴に愛想を尽かし、去って行く彼等を見送り、エギルは感情を抑えキバオウ、リンドを見据える。

 

「今回は俺も降ろさせて貰う、自分の生命をベットしてる以上、勝ち目の無い勝負は出来ないからな。」

 

 三人を伴い、会議場を後にしようとしたエギルに、壇上の二人は更なる煮え湯を飲ませる。

 

「いや、待って頂きたい、エギルさん。」

「話し合う事など、もう無い筈だが。」

 

 眼光鋭く、エギルがそう言うと、今までとは打って変わって、わざとらしい人の良い笑みを浮かべたキバオウが、宥める様な口調で話しかける。

 

「そう言いなはんな、エギルはん。実は、エギルはんを見込んで、頼みが有るんや。」

「頼みだと。ほう、この期に及んで頼み事とは恐れ入る、分かった、聞くだけ聞いてやろう。」

「流石エギルはん、話が早い。」

「但し、聞くだけだがな! 」

 

 エギルの不遜とも取れる毅然とした態度に、キバオウは不快感を誘発する粘着質の笑みで答えた。

 

「実はな、エギルはん、今回は戦術云々もそうなんやが、ワイら攻略組メンバーの層も厚うせなならん時期に来てる思うとるんや。」

「それがどうした! そんなものは、お前達が既得権益をでっち上げ、ボス攻略を私物化しなければ、おのずとして厚くなる! 」

 

 エギルの鋭舌に一瞬鼻白んだキバオウだが、ふてぶてしくニヤリと笑って聞き流す。

 

「何や聞き捨てならん事言いよったけど、ワイは心が広いさかい、捨て置いてやるわ。まぁこっから本題なんやけどエギルはん、今回はコイツらの面倒見てやって貰えへんやろうか? 」

 

 キバオウが目配せすると、アインクラッド解放隊の一団の中から、三人の少年が歩み出て彼等の所にやって来た。その姿を見て片眉を上げるヒョウ。

 

「キバオウさん、何か用っスか? 」

 

 その声を聞いて、キリトとアスナが絶句した。やって来た三人は、かつてヒョウとの知己を得るきっかけとなった三人であった。

 

「おう、よう来たな。エギルはん、コイツらはサーキー、エビチャン、クマって言ってな、ワイが目ぇか掛けとる三人なんや。ええ面構えでっしゃろ。今回はそこの三人やのうて、コイツら面倒見てやって欲しいんや。」

「断る! 」

 

 即座にきっぱりと断ったエギルに、キバオウは一見媚びる様な口調、その実獲物を嬲る様な口調と目つきで依頼の形を取った強要をする。

 

「そんないけずを言いなはんな、エギルはん。余り分からん事言っとると、この先のボス攻略戦、参加できひん様になりまっせ。」

「何!! 」

 

 エギル、キリト、アスナ、そしてヒョウの顔色が変わる。

 

「あんさん等も見たばかりやろ、反対する言うても、席を立つ事位しかできひんのやで。その気になれば、ワイら二大ギルドでレイドは成立するんのや。それが何を意味するか、分からんエギルはんじゃ無いやろう。」

「なんて卑怯な!! 」

「ああ、エギル! こんな奴の言いなりになる必要は無い、帰ろう! 」

 

 エギルが答える前に、キバオウの権能ずくめの横暴に憤ったアスナとキリトが結論を出した、だが。

 

「エギルさん、俺からも頼みます、コイツらの面倒、見てやって下さい。」

「何だって!? 」

 

 意外な事に、ヒョウがエギルに三人の面倒を見る様に頭を下げたのだ。キリトとアスナはヒョウの腕を掴んで、翻意を強く求める。

 

「おい、ヒョウ、お前自分が何を言っているのか分かっているのか!? 」

「そうよ、あの三人はあなたを平気で貶める様な人達なのよ! 気にする事なんて無いわ! 」

 

 キリトとアスナの言葉に、ヒョウは目を閉じて首を左右に振った。そしてゆっくりと目を開けると、莞爾とした微笑みを浮かべながら、エギルの目を見据える。

 

「そんな奴らでも、あいつらは同じ学校のクラスメートなんです。今回だけで良いんです、無理にとは言いませんが、どうかお願いします、エギルさん。」

「お前なぁ、お人好しにも程があるぜ、ヒョウ。一個貸しだからな。」

 

 頭を下げるヒョウを、やれやれと言った表情を浮かべ、ため息混じりに了承するエギル。済まなそうに微笑んだヒョウは、続いてクラインに目を向けた。

 

「クラインさんはどうしますか? もしボス攻略に参加するなら……」

「分かった分かった! 皆まで言うな、ヒョウ! 俺に任せとけって、確かにあいつらはいけ好かねえけどよ、俺ぁ、お前えがいい奴だって分かって嬉しいよ! なんにも言うな! なぁ。」

 

 クラインはヒョウの肩を乱暴に抱くと、頭をワシワシと撫で回して了解した。

 

「話は決まった様やな、ほな集合は明後日や、遅刻は認めんさけ、注意したってや。」

 

 勝ち誇った目でほくそ笑んで、キバオウが踵を返した。

 

「おい、祝屋! 」

 

 サーキーが唇を歪めてヒョウを呼び止める、アバター名ではなく本名で呼んだ非礼にキリト達が目を剥いた。ヒョウはキリト達を制し、静かに答える。

 

「何だ、榊。」

 

 この返事にサーキー達の顔色が変わる、先刻までのニヤニヤ笑いが消え、歯軋りしてヒョウを睨みつける。

 

「マナー違反はそっちが先よ、ヒョウ君があなた達に非難されるいわれは無いわ! 」

 

 何かを言おうとしたサーキーの機先を制し、アスナがピシャリとそう言うと、一瞬悔しそうな表情を浮かべたサーキーだったが、彼はすぐに下卑た笑みを浮かべてヒョウを嘲る。

 

「全く、直ぐ女の背中に隠れやがって、情けない野郎だ。」

 

 エビチャンとクマが追従笑いを浮かべ、腰抜けとか弱虫とか罵っている。しかしヒョウは憤るアスナを制し、穏やかに三人に話しかけた。

 

「お前等、そんな事より明後日は気をつけろよ。」

「何!? 」

 

 挑発を受け流し、諭す様なヒョウの口調が癇に障ったサーキーは、精一杯ドスを利かせた口調で睨め上げる。しかし、暖簾に腕押し糠に釘、ヒョウはそれを意にも介さず話を続ける。

 

「フロアボスとフィールドモンスターは根本的に違うからな、クエストボスなんかと一緒に考えてたら痛い目見るぞ。」

 

 ヒョウの説明を、唇を歪め、目尻を痙攣させながら聞く三人組。

 

「お前らは周りを見下す癖があるからな、その調子だとマジで痛い目見るから程々にしとけよ。それからお前らの事は、ちゃんとエギルさんに頼んでおいたから、きちんと言う事聞けよ。それから……」

「うるせぇ……」

「はん?」

「うるせえってんだよ!」

 

 どれだけ挑発しても一向に乗らず、自分達の悪意に善意を返すヒョウの姿勢に、サーキー達の苛立ちはピークを迎えた。

 

「貴様が小偉そうに講釈垂れられんのもこれまでだ、明後日からはテメェは只の役立たずになるんだ! 」

 

 敵意を露わに睨みつけるサーキー達三人に、ヒョウはやりきれない目をして微笑んだ。

 

「そうか……。だと、楽でいいな。」

 

 ヒョウはそう言ってキリト達の元に歩み寄る。

 

「悪い、俺のせいで嫌な思いをさせて。そうだキリト、アスナ、久しぶりに俺んとこ寄って行かないか? ツウが会いたがっていてさ……」

 

 ヒョウは仲間達を宥めながら家路についた、そして会議場を後にする前に、一度振り返って呟いた。

 

「死ぬなよ、お前ら……」

 

 それから四十八時間経過して、十三層攻略レイドはボス部屋にたどり着き、その扉を開けた。

 

「イヤッホー!! 」

「出て来い! 糞ボス!! 」

「一番攻撃頂きィ! 」

 

 本来ならば入室後に一度パーティー毎に隊列を組み、警戒しながらゆっくりと中に歩を進めるのだが、血気に逸る例の三人組が、作戦を無視して歓声と共に部屋の中に駆け出した。

 

「あの馬鹿!! 」

 

 エギルが三人の軽挙に失意の臍を噛みながら、ダッシュで後を追う。

 

「あ……ああ……」

「嘘だろ……、嘘だよな……」

「なんだよ……、こんなの聞いてねえぞ……」

 

 三人組が見たのは体長十五メートル程の、金属質の外骨格に身を包んだ巨大な芋虫である、その頭部に当たる場所には、ケンタウロスの様な五メートル程の人型の上半身が乗っている異様な姿。

 追いついたエギルが見た物は、この部屋の主人《ザ・デンジャラス・アームド・キャタピラー》に見据えられ、その威容に立ったまま腰を抜かし、竦み上がって放心する三人組の姿だった。

 

 フィールドモンスターとフロアボスは、根本的に全く違う。

 

 自らの生命の危険を目前にして、ヒョウの言葉の意味する事を、三人組は漸く理解した。

 

 ボスはサーキー達三人組のHPを刈り取るべく、手にした巨大なデスサイズで単発式のソードスキルを発動した。その姿をまるで他人事の様に、呆然と眺める三人組。

 ボス部屋の中に、不快な金属音が鳴り響き、ソードスキルのライトエフェクトがほとばしる。

 

「馬鹿野郎! 死にたいのか! お前達!! 」

 

 怒号と共に、ボスのソードスキルを相殺すべく、両手斧ソードスキルを発動させ、エギルが間に割って入った。三人組に一喝するエギルに続いてやって来たタンク部隊が、シールドバッシュで竦んだ三人組とボスの間に距離を開けた。

 

「お前ら! 一体何のつもりだ! 事前の打ち合わせを無視……、ん? 」

 

 三人組の、作戦を無視したスタンドプレーに、エギルが怒声を発するが、彼等の様子を確認すると、呆れ果てて吐き捨てる。

 

「お前ら、ここに来る迄に散々吐き散らかした、あれは一体何だったんだ? ええ、おい。」

 

 彼等三人は、出発から到着まで、エギルに対して大言壮語の極みを尽くしていたのだ。大した内容ではなく、要約すると「しっかりフォロー頼むぜ、オッサン。まぁ、出る幕なんて無いけどな。」に集約され、後は何が可笑しいのかバカ笑いをするだけであった。ヒョウに頼まれていなければ、道中何度捨てて行こうかと思ったか知れない。

 

「もういいから、お前達は入り口の側でしゃがんで見ていろ! 」

 

 キバオウさんよ、頭数だけ揃えてもダメなんだよ。

 

 胸糞悪い思いを吐き捨てる様に唾を吐くと、メッキの剥がれた三人組を後にして、エギルは戦列へと戻って行った。

 

 以上がボス攻略失敗の顛末である、早い話が虚栄心と嫉妬心の挙句、焦って暴走して身の丈以上の物を望み、壮絶に自滅したという訳だ。そしてそんな浅知恵のツケで、空中分解の危機に陥っている。

 

 エギルは作戦失敗の反省をするでなく、ただただ責任のなすり合いを続ける二大ギルドのリーダーに歩み寄り、一喝する。

 

「喧しい! そんな事より今大事なのは、これからどうするかだろう! 違うか!? 」

 

 エギルの剣幕に驚いた二人は、完全に飲まれてしまい、言葉を失う。主導権を握ったエギルは、素に戻ってポカンとするキバオウ、リンドを力の抜けた目で一瞥すると、内心に湧き上がるやってられない気持ちを、ため息と共に力づくで抑え込む。

 

「で、これからどうするんだ、お二人さん。」

「これからどないするって言うてもなぁ……」

「もう一度作戦会議を呼びかけて、仕切り直すとしか……」

 

 その能天気な答えに、エギルは他人事ながら、この二人の下についているギルドメンバーに深く同情した。

 

「あのなぁ、あんな事の後で、他の攻略メンバーが集まると、本気で思っているのか? 」

 

 エギルの言葉の意味が理解出来ずに、顔を見合わせるキバオウとリンド。ここでクラインが口を挟んだ。

 

「他の二人はどうか知らんが、キリトの奴は来ねえだろうな。俺がキリトならそうするぜ。」

 

 クラインのその言葉に、キバオウとリンドは青ざめる。

 

「他の二人、アスナとヒョウも来ないだろうな、あの三人が来ないとなれば、少数派の有力所も鼻で笑うだけだろう。」

 

 エギルもクラインに同意を示すと、漸くキバオウとリンドは事の重大さに気がついた。

 

「なぁ、エギルはん……」

「何だ? 」

「一肌脱いでは頂けないだろうか? 」

「一肌!? 」

「あの三人、呼んで来てくれないやろか……」

 

 この二人は四十八時間前、どういう態度で接していたのか覚えていないのか? メモリーにバグが出ているのではないかと本気で疑いながら、エギルは眉を顰める。

 

「別に俺は構わないがお前達、それ本気で言っているのか? 」

 

 二人に代わり、自分がそれをすると、二大ギルドの権威は地に落ちて、取り返しのつかない事になる。エギルは失敗のショックで脳の機能障害を起こしている二人に、その旨を懇切丁寧に説明した。そして最後に攻略組の中の風通しを良くする為には、その方がいいのかも知れないな、と言葉を結ぶと、キバオウとリンドは血相を変えて三人の許へと、三顧の礼をしに向かったのだった。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九話 天上の目

 第十三層攻略に大失敗し、仕切り直しを余儀なくされた攻略組は、再度の挑戦に向け、攻略会議からやり直す事となった。しかし、この会議は失敗した日から、一週間程の間を置いて開催される。理由はキリト、アスナ、そしてヒョウが捕まらなかった事に起因する。

 前回攻略会議における失礼を詫び、今回は是非とも御参加いただく為、キバオウとリンドは恥も外聞もこの際関係ないと、赤絨毯を敷いて案内する勢いで彼等の許に向かったのだが、彼等の姿は借りていたNPCシェアハウスにも、宿にも無かった。焦ったキバオウとリンドは、配下のギルドメンバーを総動員して、十三層から下のフロアを、文字通り『逆さに振る』勢いで捜索した。

 そしてやっと掴んだ情報によると、三人はそれぞれ別行動を取り、クエストに挑戦しているとの事。クエストは変哲も無い狩りクエストなのだが、身柄を確保出来なかった理由は、クエストがインスタンスマップに移行するクエストで、追跡困難である事と、フリーダム過ぎる彼等の行動にあった。

 三人がそれぞれ別のクエストに挑戦していると言う事は、当然終わるのは別々である。そんな訳で、一人が帰って来ても、待ってる間退屈だからと言って、別のクエストに挑戦しに行く始末。結局三人が揃うまで、一週間という時間を費やしてしまったのだ。

 この事実に腸が煮えくり返る思いをしたキバオウとリンドではあるが、三人の火力がボス攻略に必要不可欠である事が明白となった以上、堪えるしか方法が無かった。

 そうして開催された攻略会議は、少数派攻略組メンバーによる不満や恨み辛みの発表会の様相を呈していたが、三人が発言するとその空気はピタリと収まった。三人が何を言ったのかと言うと、簡単に説明するとこうなる。

 

 煩い、黙れ、そんな事は別の機会に言え、今はボス攻略の話をする時だ。これ以上ボス攻略に関係ない話で、会議を紛糾させるなら俺達は帰るぞ!

 

 以上の内容をアスナが柔らかく翻訳して伝えると、少数派攻略組メンバーは、それを

 

 前回ハブられた事を歯牙にもかけない漢気

 

 と勝手に解釈して感じ入り、どうにか前向きに会議が進行する事となった。とはいえ、会議の内容はボスの特徴の再確認と、それに伴う戦術と布陣の再確認と、何時もの会議と変わり映えしない内容であり、全員は「先週同じ事をやったろ! 」という思いを抱いていた。この会議が二度手間にならなかった理由は、三人が強硬に主張して、譲らなかった二点にある。

 まず一つ、ボス攻略リーダーをキバオウ、リンドの両名から選出するのでは無く、今回はエギルをリーダーとする事。

 もう一つ、これはヒョウ一人が主張した事だが、あの三人組もレイドメンバーとしてもう一度同行させる。という内容だった。

 

 一つ目の主張は紛糾する事無く、あっさりと承認されたが、二つ目についてはそうは行かなかった。大反対の声、それは意外な事にアインクラッド解放隊のメンバーから最も多く発せられた、これは身内を庇っているのではなく、純粋に約立たずは要らない、足で纏いは邪魔という健全な思考の元による、に押されたが、俺が責任を持ってあの三人分働く、というヒョウの言葉を、リーダーのエギルが了解して採用した。

 こうして第二次十三層ボス攻略レイドが編成され、出発の日を迎えた。レイドメンバーは集合場所、攻略会議を行った円形劇場風の広場に集まり、点呼を取って欠員がいない事を確認すると、ボス攻略に向かって出発した。

 一行が主街区の迷宮区側出口に差し掛かると、ちょっとした事件が起こる。

 

「すみませーん、待って下さーい。待ってー。」

 

 遠くから、レイドを呼び止める声が聞こえた。これに気づいた一人が、誰かが呼んでる、ちょっと待てとレイドに停止を呼び掛けた。レイドメンバーが、誰だ何処だと、その声の発信源と思われる方向に目を向ける。そして彼等が見たのは、レイドに向かって手を振って駆け寄る少女の姿であった。その姿にレイドメンバーは息を呑む。

 

 しなやかな肢体を包む、白い巫女服風の上衣に、ミニスカート風の赤い袴。腰まで伸ばした髪の毛は、女性プレイヤーでは圧倒的少数派の黒髪であるが、只の黒髪では無かった。まさに鴉の濡れ羽色と形容するのがぴったりの、艶やか過ぎる光沢を輝きを放ち、翻している。身長は約百五十センチ程度、色白の小顔の中に、何時も微笑んでいるかのような黒くつぶらな瞳、スッと通った鼻筋に、その瞳同様に微笑んでいる様な桜色の唇。アスナとは違ったカテゴリーの、男ならば絶対守ってあげたくなる様な、癒し系スーパー美少女の姿に、レイドメンバーのほぼ全てが魂を抜かれ、地面に落とす勢いで鼻の下を伸ばしていた。

 

「お嬢さん、何か御用ですか? 」

 

 キリリと音がする様な感じで顔を引き締めたリンドが、美少女の前に進み出るが、彼女は困った様な愛想笑いを浮かべて軽い会釈をしてスルー。

 あえなく撃沈されたリンドの後を受け、精一杯ダンディーさを演出したキバオウが少女の前に立つ。

 

「お困りでっか、お嬢はん。ワイで良かったら話を……」

 

 と声をかけるも、彼女はそれもスルーしてレイドメンバーの中へと分け入って行く。石になったキバオウを後に、探し人を見つけた少女は、嬉しそうな眩しい笑顔を浮かべて小走りに駆け出す。

 

「やはり、僕に御用でしたか。僕の名前はクライン……」

 

 と、自己装飾演出過剰な態度で歩み出たクラインの脇をスルリとすり抜け、彼女は見つけた探し人の名前を叫ぶ。

 

「タケちゃーん! 」

 

 呼ばれた男が振り返る。

 

「コヅ姉……」

「こんにちは、ツウさん。」

「あら、ツウじゃない、どうしたの、こんな所に。」

 

 木っ端微塵に砕け散ったクラインに気を留める事無く、ヒョウ、キリト、アスナが美少女を迎え入れ、談笑を始めた。

 

「こんにちはキリト君、アスナ。」

「ツウ、またタケちゃんって呼んでる。」

 

 アスナの指摘で、あっと気づいた二人は、バツの悪い表情を一瞬浮かべ、仕切り直しをする。

 

「いきなり呼び止めてごめんなさい、ヒョウ。」

「構わないよ、ツウ。で、何の用? 」

 

 うんうん、それで良しと頷くアスナ。彼女はツウに、ちゃんとヒョウをアバター名で呼ぶ様に注意していたのだ。因みにヒョウにはそれは行っていない、理由は彼女が『死に戻り』である事がバレない様に、である。

 ヒョウの言葉に、ツウはいそいそとメニューウインドウを操作して、アイテムを実体化させる。

 

「これ、さっき出来たの。そしたらメールで知らせるんじゃなくて、どうでも直に手で渡したくなって来ちゃったの。迷惑だった? 」

「そんな事ないよ、ありがとう、ツウ。」

 

 ツウがヒョウに差し出したアイテムは、桃太郎がしている様な、白い細身の鉄鉢だった。

 

「着けてあげるね。」

 

 ツウはそう言うと、ヒョウの後ろに周り、彼の手首を持ってメニューウインドウの操作をする。鉄鉢をインストールして装備品一覧を確認、そして装備品選択ウインドウを開いて、頭部装備欄に『幸運の白い鉄鉢』をクリック。

 

「おお、似合うじゃないか! 」

「カッコイイわよ、良かったね、ヒョウ君。」

 

 レイドメンバーの怨嗟の声をBGMに、キリトとアスナが口々に褒めると、ツウは嬉しそうに笑顔を浮かべる。

 

「気に入ったよ、ありがとう、ツウ。」

 

 ヒョウの言葉に、弾ける笑顔を輝かせるツウ。その背後で滝の様な涙を流し、リア充爆発しろと呪いの呪文を唱えるレイドメンバー。そんな彼等の怨嗟の視線などどこ吹く風と、ヒョウとツウは二人だけの甘い異空間を作り出した。

 

「あのね、ヒョウ、今日はいつ帰って来るの?」

 

 上目遣いの甘え声で聞くツウに、ヒョウは困った様に優しく答える。

 

「ボス次第だな、ごめん、何時って約束は出来ない。」

「早く帰って来てね。」

「うん、なるべく早く帰るよ。」

「本当? 」

「本当さ、終わったら、アクティベートは誰かに任せて、直ぐに帰るよ。」

「本当に本当? 」

「絶対だよ、終わったらメールするから、待ってて。」

「うん、待ってる! でね、今日は何が食べたい? 」

「なんでも良いよ、ツウが作る料理は、何でも御馳走だから。」

「じゃあ、腕によりを掛けて準備するね。」

「何を作ってくれるの? 」

「へへーん、内緒。」

「内緒? 良いじゃん、教えてよ。」

「ダメ、帰ってからのお楽しみ。」

「ちょっとだけ、こっそり教えて。」

「えー、どうしようかなー、やっぱり内緒! 」

「チェっ、ケチんぼ。」

「あーっ、そんな意地悪言うヒョウには、もう絶対に教えてあげない! 」

「ごめん、ごめんってばツウ。」

 

 拗ねて背を向けたツウの両肩を抱いて、耳元に優しく謝罪の言葉を囁くヒョウ。一瞬くすぐったそうな表情を浮かべたツウは、不意に思い詰めた表情を浮かべて振り返ると、ヒョウの首に両腕を回す。

 

「ねぇヒョウ、危ない事しちゃダメだよ。」

「いや、そう言われても、ボス戦なんだし……」

「ダメ! 危ない事しないって約束して! 」

「分かった、約束するよ。」

「絶対だよ、嘘ついたら、晩ごはん抜きだからね! 」

「それは困ったな、うん、絶対守るよ。」

「よーし。」

 

 ヒョウの答えに満足したツウは、再び甘えモードに移行する。

 

「ねぇ、ヒョウ、チューして。」

 

 目を閉じて唇を突き出し、顔を上げるツウと、少し困った顔で見下ろすヒョウ。

 

「えーゴホンゴホン。」

 

 二人の世界に深く入り込み、延々とイチャラブを続けるヒョウとツウのバカップルの耳に、キリトの咳払いが聞こえてきた。現実世界、とはいえアインクラッドだが、に帰還した二人がアスナを見ると、彼女は無言で指を差す。アスナの指の先を見ると、そこには世界中のヘイトを募らせた、レイドメンバーというやもめ軍団が睨んでいた。

 その姿に目を丸くしたツウの頬に、ヒョウは優しくキスをした。驚いて見上げるツウにヒョウはウインクした。

 

「みんなが見てるから、今はこれで我慢して。」

 

 そうツウに言った後、ヒョウは怒りに震えるレイドメンバーに顔を向けた。

 

「ごめん、待たせた。じゃあ、行こうか。」

 

 涼しい顔でそう言ったヒョウに、レイドメンバーが口を揃えてこう言った。

 

 畜生! 悔しくなんて、ないやい!!

 

 彼等に背を向けて、舌を出すヒョウに、もう一つのアイテムを実体化して差し出すツウ。

 

「これ、お弁当。アスナとキリト君の分も有るから。ヒョウが危ない事しないか、ちゃんと見ててね。」

「ありがとう、約束するわ。」

「やった! ヒョウ、覚悟しとけよ。 」

 

 苦笑いを浮かべて受け取るヒョウに、キバオウからの怒鳴り声が聞こえる。

 

「いつまでイチャついてんねん! さっさと来んかい! 」

 

 その声を聞いて、ツウはヒョウから一瞬顔を背け、悲しそうな表情を浮かべる。そして、その表情を振り切り、極上の笑顔を浮かべる。

 

「行ってらっしゃい、貴方。」

「ああ、行ってきます、お前。」

 

 二人は見つめ合い、唇を重ねた。

 

 その光景を認め、心の底から木っ端微塵に爆砕されたレイドメンバーが魂の叫び声を上げる。

 

 畜生! 絶対に、絶対に悔しくなんてねーからな!!

 

 屍累々の彼等にヒョウが声をかける。

 

「みんなの分のオニギリ預かったんだけど、いる? 」

 

 レイドメンバーがヒョウに襲いかかる様に群がった。

 

「さっさと寄越せー! 」

 

 ツウは一行が見えなくなるまで、手を振って見送っていた。さて、出発前にそんな出来事が有ったからか、異様に殺気立ったレイドメンバーは、道中出会ったフィールドモンスターを手当り次第虐殺して迷宮区を抜け、ボス部屋の前にたどり着いた。

 

「よし、作戦を再確認するぞ、ボスがポップしたら、遊撃の三人が先手を取ってソードスキルの三連撃、いいな! 」

 

 エギルの言葉に力強く頷くヒョウ、キリト、アスナ。三人にウインクをして、エギルは作戦の続きを説明する。

 

「タンク隊がそれに続き、シールドバッシュで三人の技後硬直を援護、長物部隊はタンクの後ろから、ボスのソードスキルの発動を妨害。」

 

 エギルが一旦ここで言葉を区切ると、タンク隊と長物部隊の面々が、拳を上げて「おう」と答える。

 

「攻撃部隊はその隙を突いて部隊ごとに攻撃、連携を切らすなよ。」

「今度はやってやるからな、ボス公。風林火山此処に有りだぜ!」

 

 クラインが不敵に微笑む。

 

 全員の気合いが充実したのを確認したエギルは、ボス部屋の扉に手をかけた。

 

「今回は勝ちに行くぜ! みんな!! 」

 

 エギルの檄に、一部を除ほぼ全員が「おう! 」と力強く答えた。

 

 古い錆び付いた金属が軋む音が響き、巨大な扉が開かれた。慎重にボス部屋へと入って行くレイドメンバーは、パーティー毎に隊列を組み、エギルの号令を固唾を呑んで待っている。その合間に、ヒョウはあの三人組に、囁く様に声をかけた。

 

「お前達は此処で、攻略組の戦いを見ているんだ、ボスモンスターはフィールドモンスターとは違う様に、攻略組もまた、一般プレイヤーとは違うんだ、その違いをちゃんと見ていろ。」

「……」

「あと、出来たらボスに異変が有ったら声をかけてくれ、そこまで出来たら御の字だ。」

「……」

 

 口惜しげではあるが、憎まれ口すら叩く事が出来ない三人組に、ヒョウはもう一言付け加えた。

 

「危なくなったら逃げて良いぞ、メンツより命が大事だからな。」

 

 ヒョウはそう言い残し、キリト、アスナと共にレイドの先頭に立つ。

 

「どこまで人が良いんだか。」

「本当、国宝級のお人好しだわ。」

 

 キリトとアスナが剣を抜きながら、ヒョウに茶々を入れる。ヒョウは罰の悪そうな笑みを返事代わりに浮かべて、腰に穿いた曲刀を抜き放つ。

 

「さて……」

 

 三人はボス部屋の中央を見据え、一歩踏み出す。

 

「そろそろお出ましの時間かな。」

「そうね、そろそろかしら。」

 

 慎重に、かつ大胆に歩を進める三人を導く様に、ボス部屋のトーチが灯っていく。そして、最後のトーチに火が灯った瞬間、ボス部屋中央に怪しい異形の姿が浮かび上がった。

 

「グロ……」

「本当、悪趣味ね。」

「参ったな、コヅ姉芋虫とか毛虫とか大っ嫌いなんだ。」

 

 ため息混じりにつぶやくヒョウに、キリトとアスナは思わず吹き出した。

 

「だったら、さっさと退治しますか。」

「そうね、ツウがを怖がらせる訳にはいかないものね! 」

「俺、危ない事するなって言われたけど、これじゃぁ仕方無いな。」

 

 三人は軽口を叩きながら、ボスモンスター《ザ・デンジャラス・アームド・キャタピラー》に突進して行く。そのやや後方を、レイドメンバーが雄叫びをあげながら吶喊して行く。

 

「アイツら……頭おかしいんじゃねえの……」

「く、狂ってやがる……」

 

 攻略組主力メンバーが、巨大で異様なボスモンスターに、臆する事無く突撃する姿を見て、畏怖を含んだ呆れ声でそう呟いた。

 

「……」

 

 しかし、サーキーは口惜しげに唇を歪め、先頭を駆けるヒョウの姿を睨みつけていた。

 

 

「うおおおおおおおお!! 」

 

 単発ソードスキルを見切り、かいくぐったヒョウがボスに肉迫し、四連撃ソードスキル、ファラント・フルムーンを炸裂させた。

 

「アスナ! スイッチ!! 」

「グッジョブ、ヒョウ君! はぁあああああ!! 」

 

 ヒョウの攻撃でスタンしたボスめがけ、アスナが細剣ソードスキル、オーバーラジェーションの十連撃で畳み掛ける。

 

「キリト君、スイッチお願い!! 」

「よっしゃあ! うぉおおおおおお!! 」

 

 アスナの攻撃をモロに喰らい、仰け反るボスにキリトのスターQプロミネンスが鮮やかに決まる。

 

「オラァ! 続けぇ!! ボスに立ち直る暇を与えるな!! 」

「おおおおお!! 」

 

 エギルの怒号にタンク隊が答え、シールドバッシュでボスの動きを封じ、その後ろから長物部隊がボスの肩を狙い、技の立ち上げを妨害する。

 

「オラァ、糞! コンニャロウ!! 」

 

 クライン等攻撃部隊は、ヒョウ達三人が稼いだヘイト値とタンク隊長物部隊の作り出した隙に乗じて、めいめいにソードスキルをボスの側面に炸裂させる。

 

「キィシェアアアアア!! 」

 

 煩そう身体をくねらせると、ボスモンスターは恐慌状態を誘発する咆哮をレイドに向かって叫び放った。

 

「させるか!! 」

 

 そうはさせじと、技後硬直から解放されたヒョウが、ボスのヘイトをとるべく、レイジング・チョッパー、ダンシング・ヘルレイザー、ミリー・スラッシュの大技三連撃を叩き込む。

 

「キリト! スイッチ!! 」

「あいよ! こっちだ!! 」

 

 キリトが黒い流星となって、技後硬直で動けないヒョウを狙うボスモンスターの横合いからスターQプロミネンスで突っ込み、バーチカル・スクェアを畳み掛ける。

 

「アスナ、スイッチだ! 」

「了解よ、キリト君!! 」

 

 目標を失って、戸惑う様に身を揺するボスモンスターに、アスナは閃光となってリップ・ラヴィーネを叩き込んで気を引くと、ガラ空きとなった眉間にアクセル・スタブを叩き込む。

 

「ンギャオオオオウウウ!! 」

 

 仰け反るボスモンスターに、再びタンク隊がシールドバッシュをかまし、長物部隊が嫌がらせ攻撃を加え、出来た隙に攻撃部隊が殺到する。

 

「これなら、今回は上手く行きそうだな! なぁ、お二人さん。」

「ぐぬぬぬぬ」

「くっ」

 

 前回とは打って変わって、有利にボス戦をリードしているエギルは、キバオウ、リンドにあの三人を外す愚かしさを言外に伝えると、二人は口惜しげに唇を噛み締めた。

 

 ここまでの戦闘で、同じダメージディーラーで有りながら、ヒョウ、キリト、アスナには明確な戦闘スタイルの違いが見て取れる。

 ヒョウはボスの攻撃を見切って躱した後に、カウンターで重厚な剣技を放ち、ボスに大ダメージを与える。一発の攻撃力ならば、恐らく此処に居る全員の中でも最大の攻撃力を持っているだろう。

 アスナは針の穴をも通す正確な剣技を、閃光の速さで以てボスモンスターをその場に縫い付ける。スピードと正確さの高次元の融合は、誰の追随も許さないだろう。

 キリトは常識を超えた反応速度である、大火力の連撃を次々に繰り出して、圧倒的な手数でボスモンスターの攻撃を封じ込める。その戦いは、余人には真似が出来ないであろう。

 そんな個性の全く違う三人が連携すると、恐るべき破壊力を生み出し、ボスモンスターを圧倒して行く。その姿に誰もが、百層クリアは夢ではないと勇気づけられるのだった。

 

「ほほう、これは面白い。」

 

 第十三層ボス攻略戦を、興味深く観察する目が有った。それはこのレイドの中ではない、正に天上の目というべく、別空間からの高みの見物であった。

 赤地に白のナイトガウンを羽織った男が、ラグソファーに身体を預け、秀でた額に知的ながらも怜悧さを醸し出す瞳を光らせて、空中に浮かび上がった無数のモニターの中から、この攻略戦の模様をピックアップして見つめている。

 

「最大の破壊力、針の穴を通す正確さ、最速の反応速度か……」

 

 男は笑みを浮かべ、モニターを拡大すると、手元にキーボードを呼び出して操作する。

 

「さて君たち、私を楽しませてくれたまえ。」

 

 

 ボス攻略戦も折り返しを過ぎ、残りHPバーが二本余りとなった時に異変が起きた。三人のソードスキルの後、仰け反るボスにタンク隊が、その後から長物部隊と攻撃部隊が続く攻撃パターンで押し切れるかに見えた、しかし……

 

「駄目だ! みんな下がれ!! 」

 

 何度目かの攻撃で、違和感を感じたヒョウが叫ぶ。ヒョウの目は、三人の連携の最後の攻撃を受けたボスモンスターが、仰け反ったのでは無く、自ら引いた様に見えたのだ。しかしヒョウの警告も虚しく、勢い付いたレイドは止まらなかった。

 

「!? 」

 

 仰け反ったのでは無く、実は竿立ちになったボスモンスターは、芋虫部分の前一節の左右の歩足から巨大な曲刀を出して、挟み込む様にソードスキルを放った。

 

「うわぁあああっ! 」

「ぎゃあああ! 」

 

 あちこちから悲鳴が上がり、倒れ込むレイドメンバー。全員のHPバーが緑から赤にその色を変えている、それはキリトもアスナも同様だった。

 

「畜生! ここまで押し込んでこれかよ! 十三という数字は伊達じゃないってか! 」

 

 撤退するか、しかし全員のHPが……

 

 逡巡するエギルに、静かに声をかける男がいた。

 

「エギルさん、俺が保たせます。全員を下がらせて、ポーションを飲ませて下さい。」

 

 驚いて見上げるエギルの視線の先には、唯一HPバーが健在な男、ヒョウの姿が有った。

 

「おい! 」

 

 ヒョウは床に向けてソードスキル、デス・クリープを放つ。

 

「HPバーが八割以上戻ったメンバーが、十二人以上になるまでは、誰にもその線を越えさせないで下さい。」

 

 ヒョウはデス・クリープで床に穿った線を曲刀で指してそう言うと、一人静かにボスに向かって歩み出した。

 

「馬鹿野郎! ヒョウ! てめぇ何考えてる!? 」

「ヒョウ! 無茶だ! やめろ!! 」

「ヒョウ君! 戻って!! 危ない事したって、ツウに言いつけるわよ! 」

 

 クラインが、キリトが、そしてアスナがヒョウの背中に向けて、悲痛な叫び声を浴びせる。しかしヒョウはそれには答えず、力強く右手でサムズアップを送っただけだった。小さく振り向いた横顔が、笑っているように見えたのは気のせいだろうか。いや、確実にヒョウは笑っていた、その笑顔に人外の禍々しさを感じたキリトは、背中に薄ら寒い何かが走るのを感じていた。

 

 歩足を持ち上げ、後ろのイボ足で立ち上がるボスモンスターは、体高十メートル程に達するだろうか? 人型の上半身が持つデスサイズに加え、左右一対の歩足から出す双曲刀が、今までとは一ランク以上上の迫力と威圧感を発散している。

 ヒョウはその凶悪な姿の前に進み出ると、ボスの顔を見上げて声をかけた。

 

「よう、仲間達が世話になったな、礼をするぜ! 」

 

「シギャァアアアアアア!! 」

 

 日本語に訳すと、やれるものならやってみろ、とでも言ったのだろうか? ボスモンスターはヒョウの言葉を聞くやいなや、凶悪な叫び声と共にデスサイズを振り下ろす。

 

「!! 」

 

 ヒョウは僅かに身体を捻り、ボスモンスターの斬撃を躱すと、曲刀を一閃させてカウンターの一撃を見舞う。

 

「キィエアァアアアアア!! 」

 

 悲鳴の様な叫び声をあげたボスモンスターは、眼前の小さな敵に向けて、ありったけのヘイトを乗せて波状攻撃を開始した。デスサイズと左右の曲刀による、上下からの立体攻撃を躱し、避け、くぐり抜け、曲刀でいなし、ボスモンスターから隙を誘発して攻撃を繰り出すヒョウ。この戦いをレイドメンバー一同は、視界の片隅でじりじりとしか回復しないHPバーを、苛立たしげに眺めながら、ただ見守る事しか出来なかった。

 

 早く! 早く! 早く! 早く回復しろ!

 

 レイドメンバー達が、戻りの遅いHPバーを横目で睨み、ヒョウの戦いを見守る最中、ヒョウが感じ、考えていた事は、彼等の思いとはかけ離れたものだった。

 

 楽しい! 楽しい! もっとだ! もっと俺を楽しませろ!

 

 愉悦に歪むヒョウの顔は、いつもの穏やかで涼やかな表情からは想像出来ないものだった。彼がボスモンスターに向かう最中、頭の中をよぎったのは、三年前のヒースロー空港での出来事である。

 

 ポットを飲んで、HPバーが全回復するまでおよそ五分、今回の五分とあの時の五分、どっちが楽しいんだろう?

 

 そう、ヒョウはその穏やかな人格の下に、嵐の様な渇望を煮えたぎらせていた。それは、今まで修めた祝心眼流古武術を、思う存分遣ってみたい。自分がどれだけ戦えるのか、その限界を見極めたい。という欲求だった。他の武道や競技スポーツならば、試合や競技会でその想いを満たす事が出来ただろう。だが生憎、古武術は違う。彼がその想い(歪み)に気づかされたのは、三年前のヒースロー空港の事件だった。テロリストとの死闘で、肌がひりつくような恐怖と共にあったのは、今まで感じたことのない歓喜だった。以来彼は、心の奥底では、命懸けの戦いを欲していたのである。ツウが現実世界で危惧した通り、ヒョウは心の深い部分で既に壊れていたのである。そんなヒョウにとってソードアートオンラインは、理想の世界であった。彼は『ソードアーティスト』だったからだ。ヒョウは今、ボスモンスターというキャンバスに、曲刀という絵筆を取り、命という絵具で技という絵画を描いている。

 

 

「ふむ、なかなかやるな。」

 

 能力をワンランクアップさせたボスモンスターと、たった一人で互角に戦う少年に、更なる興味を持った天上の目は、指先をフリックして興味対象の個人情報を呼び出した。

 

「アバター名はヒョウというのか。おや、これは……」

 

 天上の目は、ヒョウの個人情報のウィンドウを二三呼び出し、内容をつぶさに確認する。

 

「ほう、そうだったのか……。面白い、彼は知らないだろうが、私は彼に返すべき恩義が有るのだ。」

 

 ニヤリと笑った天上の目は、素早くキーボードを操作する。

 

「これはそのお礼だ、受け取ってくれたまえ、祝屋猛君。」

 

 エンターキーを押しながら、天上の目は意味深な笑みを浮かべ、十三層の戦いに目を戻した。

 

 ヒョウが単身、ボスモンスターとの戦に望んで一分が経過した。これまではヒョウがボスの攻撃を紙一重で見切り、カウンター攻撃を放ち、僅かずつではあるがHPを削っている。薄氷の上の攻勢状態に、此処で変化が訪れた。

 

「よお、キリト。」

「なんだ、クライン。」

 

 ハラハラしながら見守るレイドメンバーのうち、数名の者がボスの異変に気づく。

 

「なんかよぉ、早くなってねぇか、ボスの動き。」

「ああ、一分過ぎた辺りから、キレも良くなっている。」

「大丈夫なんだろうな、ヒョウの奴。」

「分からない、今はヒョウを信じるしか無い……」

 

 口惜しげに拳を握りしめるキリト、その隣でアスナが祈る様に手を組み、じっとヒョウの戦いを見つめていた。組んだ手は、生身の身体ならば、血が出る程に固く結ばれ、胸の前で震えていた。

 

「キェエエエエエエ! 」

 

 不意にボスモンスターが耳障りな雄叫びをあげた、その次の瞬間、レイドメンバー達が息を飲んだ。

 

「くっ!! 」

 

 突然ボスモンスターの第二節の歩足から、ランスが突き出され、ヒョウを襲う。右の一撃はなんとか見切って躱したが、左の一撃への反応が僅かに遅れ、ヒョウは咄嗟に曲刀でその軌道を逸らせる。辛うじて受け流す事に成功した曲刀と、ボスモンスターのランスが擦れ合い、火花が飛び散り、不快な金属音がボス部屋を満たした。

 

「!! 」

 

 レイドメンバーが顔色を失い、声にならない悲鳴をあげた。ヒョウの曲刀は耐久値を失い、ポリゴン片となって飛び散り消えた。レイドメンバー達に、絶望の色が浮かぶ。

 

「ヒョウ!!」

 

 思わず叫ぶキリトに答える様に、ヒョウは拳を突き上げると、そのまま人差し指をフリックして、メニューウィンドウを呼び出し、操作する。戦隊モノなどのヒーロードラマやアニメならば、悪役はヒーローの準備が整うまで待ってくれるのがお約束だが、生憎このボスモンスターには、そんな様式美なんぞインプットされてはいなかった。

 

「キィ、キィ、キィ」

 

 ヒョウが装備変更をしている最中も、お構い無しにデスサイズで、曲刀で、ランスで猛攻撃を加えていった。息付く暇も無い激しい攻撃を紙一重で躱しながら、横目でウィンドウを確認して操作するヒョウ。

 

「畜生! 畜生! 畜生! オラァ行くぜ! 待ってろ! ヒョウ! 今行くからな! 」

 

 飛び出して加勢しようとするクラインの首根っこを掴み、エギルが一喝する。

 

「馬鹿野郎! ヒョウが何て言ったのか忘れたのか! 貴様のHPバーは、まだ半分も戻ってないじゃないか! 」

「でもよぉ! だけどよぉ! 」

 

 食い下がるクラインは、振り返ってエギルを見上げる。エギルの顔は、無力な自分自身に対する怒りと悔しさで満たされていた。クラインはキリトに向かって叫ぶ。

 

「キリト! キリトよう! なんとかならないのか! キリト!! 」

 

 クラインの叫びに、断腸の思いでキリトが答える。

 

「今の俺達のHPでは、出て行ってもヒョウの足で纏いになるだけだ。」

 

 キリトの言葉に、クラインは崩れ落ち、床を拳で殴りつける。

 

「畜生! なんにも出来ねえのか! 畜生! 畜生! 畜生! 」

 

 悲痛な思いに包まれるレイドメンバーの耳に、囁く様なアスナの声が小さく、力強く入り込んだ。

 

「……ばって……」

 

 皆が吸い込まれる様に、アスナに注目する。

 

「頑張って! 頑張って! ヒョウ君、あと二分半よ! もし殺られちゃったら、ツウに言いつけてやるんだから! だから、頑張って! 」

 

 涙を流しながら、アスナはヒョウに必死のエールを送り始めた。その姿に、最初は呆気に取られていたレイドメンバーだったが、次第に皆ヒョウにエールを送り出す。そんな中、クラインも涙を拭いて立ち上がり、一際大きな声でヒョウに声援を送った。

 

「頑張れ! ヒョウ! てめぇ負けたら承知しねぇからな! おツウさん、頂いちまうから覚悟しろ!! 」

 

 レイドメンバー達の声援を受け、ヒョウは不敵に笑いながらボスの攻撃を避け、ウィンドウを操作した。苛立たしげな声をあげながら、ボスモンスターは激しい攻撃をヒョウに加える、しかし未だヒョウのHPを削る事は出来なかった。

 

 この光景を天上の目が驚きの瞳で見つめている。

 

「まだ対応出来るのか、これは驚いた。レベル的にはそろそろ対応不可能になるはずなのだが、流石は祝屋猛といった所か。」

 

 そう言った天上の目は、視線をヒョウから声援を送るレイドメンバーに移す。

 

「しかし、大した結束力だ、恐れ入る。しかし、こうすればどうかな。」

 

 天上の目は、微笑みながらキーボードを操作した。

 

 ヒョウにエールを送るレイドメンバー、その中でもパーティーを組むキリトとアスナが、更なる異変に気づいたのは、HP回復まで後一分になった時である。突然ボスモンスターがヒョウの周りを高速で回り始め、もうもうと濃い土煙を巻き上げた。

 

「何だって!? 」

「そんな!? 」

 

 驚くキリトと、蒼白になったアスナに、エギルが声をかける。

 

「どうしたんだ、お前達!? 」

 

 キリトとアスナは戸惑う瞳をエギルに向けた。

 

「あの土煙に隠れた途端、ヒョウのHPバーが……」

「ヒョウのHPバーがどうした!? 」

 

 エギルの顔色がサッと変わる。

 

「視覚情報から見えなくなった、動きがあるから、まだ無事だと思う。」

 

 首を左右に振って俯くキリト、彼の腕をギュッと握り締め、肩に顔を埋めるアスナ。

 

 ヒョウの安否確認が出来なくなったレイドメンバー達は、砂を噛む思いで土煙を見つめていた。

 

 土煙の向こう側で、更に動きにキレを増したボスモンスターの攻撃を捌きながら、ヒョウは装備スロットを横目で確認する。

 

 装備武器、ヨシ。

 装備スキル、ヨシ。

 

 よし、OKボタンをクリック。さて、ここからは俺のターンだ!

 

 新たに装備した腰の武器に手をかけた瞬間、ボスモンスターのデスサイズ、曲刀、ランスのソードスキルが乱舞した。

 

「なっ!! 」

 

 この階層レベルではボスとはいえ有り得ない奥義技の波状攻撃に、ヒョウはそれを躱しきれず、遂に切り上げの一太刀を浴びてしまう。勝ち誇った様に動きを止めるボスモンスターを背景に、視界の片隅でHPバーが急速に短くなり、緑から赤に色を変えていくのが見て取れた。しかしヒョウの心は、そんな事より、出発前にツウから貰った鉄鉢が失われた事を惜しんでいた。

 

 

「さーて、タケちゃん何が食べたいのかな〜。食材のストックは良しと。そうだ、新開発のカレーライスなんかどうかしら? タケちゃん大好きだから、きっと喜ぶわ、そうと決まったら……」

 

 NPCシェアハウスでヒョウの帰りを待つツウは、彼の為のご馳走を作る準備に追われていた。そんな時、突然居間から大きな音が響いてきた。

 

「何かしら? こんな時に。」

 

 ツウが居間に行くと、製作スキルを上げる為に作った人形、ヒョウの形を模した人形が床に落ち、縦に真っ二つに割れているのを見つけた。ツウは慌てて人形に駆け寄り、拾い上げる。

 

「タケちゃん……」

 

 壊れた人形を抱き締め、ツウは不安の涙を流していた。

 

 

 一際大きな衝撃音と共に、土煙の向こう側からキリトとアスナの足元に、何か小さな物体が飛んできた。

 

「!? 」

 

 二人が目にした物は、忘れもしない、出発前にツウがヒョウに渡した鉄鉢だった。鉄鉢は額を守る鉄部分が真っ二つにされている、思わず拾い上げたアスナの手の中で、鉄鉢はポリゴンの欠片となり消えて行った。

 

「そんな……、そんな……、ヒョウ君、ヒョウ君……」

「う、う、う、うおおおおおおおおおお!! 」

 

 泣き崩れるアスナと、何も出来なかった自分に対する怒りで咆号するキリト。

 

 二人が剣を手に駆け出そうとした瞬間、ざわめくレイドメンバーの声が耳に滑り込んで来た。

 

「おい、あれを見ろ! 」

「やったんだ! アイツやったんだ! 」

 

 驚愕と喜びの混じった声が静かに沸き起こる、土煙が晴れたその先にレイドメンバー達が見た者は、巨大なボスモンスターの前に、一歩も引かず立ち塞がるヒョウの背中だった。しかし、HPバーは僅か数ドットを残すのみ、致命的な危機状況だった。

 

「ヒョウ! 」

「ヒョウ君! 」

 

 絶望からの喜びに浸るキリトとアスナを背後に、ヒョウは腰に穿いた新たな武器に手をかけた。

 

 あの鉄鉢のお陰で、首の皮一枚繋がったよ。コヅ姉、ありがとう。

 

「うおおおおおおおおおお! 」

 

 気合い一閃、ヒョウは剣を抜き放つと同時に、ソードスキルをぶちかます。ヒョウの渾身のソードスキルを喰らい、壁まで弾き飛ばされるボスモンスター。その破壊力は凄まじく、一撃でボスのHPバー一本を削り取った。その迫力に呑まれ、動きを失うレイドメンバー。振り返ったヒョウが、肩に担いでいる剣に、皆の視線が集中する。その剣は、美しい波紋の有る、細身で緩やかな反りの入った曲刀であった。いや、ただの曲刀ではない、何故なら柄部分がどう見ても両手で握る構造をしているのだ。

 

「なぁ、あれって、もしかして……」

「ああ、あれだよな……」

 

 ざわめくレイドメンバーをかき分け、クラインがヒョウの元にやって来る。

 

「おい、ヒョウ、おめぇそれって……」

 

 恐る恐る聞くクラインの前に剣を差し出し、ヒョウはサラッと答える。

 

「ああ、刀だよ、カタナスキル獲得クエストで貰える、鬼斬虎徹真打。」

 

 ヒョウが放ったソードスキルは、辻風というカタナソードスキルだった。

 

「カタナスキル獲得クエストだって!? 」

 

 ヒョウの言葉に驚くレイドメンバー、彼等を代表してクラインが詳細な情報を得ようと重ねて聞く。

 

「なぁ、ヒョウ、そいつぁ、どうやったら受けられるんだ? 」

「知りたい? 」

「おお、すんげー。」

 

 ヒョウは思わせぶりな笑みを浮かべると、頷いて答える。

 

「ボス攻略戦が終わってからね。てか、その前に、ポットローテ、良い? 」

 

 ヒョウの言葉に、レイドメンバーは皆我に返った。ヒョウのHPバーは僅か数ドット、そして残りHPバー一本とはいえ、まだボスは健在。

 

「馬鹿野郎! お前頑張りすぎだ!! ヒョウ! 」

「後はゆっくり休んでて! 」

 

 現実に戻ったキリトとアスナが、ボスモンスターに向かって走り出す。その後を追い、大わらわで駆け出すレイドメンバー。彼等を見送りながら、HP回復ポーションを飲み干すヒョウ。

 

「MVPは取られたが、ラスは譲れないぜ、ヒョウ!」

 

 キリトはそう言うと、立ち直りつつあるボスに、バーチカル・スクエアを叩き込み、その意図を挫く。

 

「いいえキリト君、今回こそラスは頂くわ。せええええい! 」

 

 間髪入れず、アクセル・スタブで再びボスを壁に縫い付けるアスナ。

 

 彼等の総攻撃を眺め、ポーションを飲み終えたヒョウは、サーキー、エビチャン、クマの元に歩み寄る。

 

「アイツら、馬鹿だろ。あんな怖い思いをしても、めげずにまた立ち向かって行くんだ、生命が懸かってるのかも知れないのに。」

 

 三人は無言でヒョウを見上げる。

 

「みんなどっか壊れてるんだよ、そんな奴らじゃないと、ボス攻略戦なんか出来ないんだ。」

 

 話の内容とマッチしない、屈託の無い笑顔を浮かべ、ヒョウはボスモンスターに向かい、歩いて行った。先程自分が床に刻んだ線を越えた所でヒョウは振り返り、三人組にもう一度声をかける。

 

「この領域に来るなら協力するぞ、ボスを退治するまでに決めておけ〜。」

 

 クラスメイトに対する気安さでそう言い残し、再びボスモンスターに挑むヒョウの背中を、三人組は苛立たしげに見つめていた。

 

「あと半分! 気を抜くな! 」

 

 陣頭指揮を執るエギルの檄が、ボス部屋に木霊する。ボスのHPは、ラスト一本の半分を切り、大勢は決まりつつあった。

 

「ダウンしたぞ! 総攻撃、かかれ!! 」

 

 エギルの号令で、レイドメンバー全員が雄叫びをあげてボスに群がる。

 

「おっ、まだ俺の分残っているな、よーし。」

 

 食事会やパーティーに、遅れてやって来た大食らいの様な口調でそう言うと、ヒョウは白刃を煌めかせて、ボスモンスターに斬りかかる。

 

「もう良いのか? 」

「回復、早くない?」

 

 ヒョウの回復の早さに驚き、キリトとアスナがヒョウのHPバーを確認する。

 

「大丈夫大丈夫、それよりサクッと片付けようぜ。」

「ああ、そうだな。」

「私も同感よ、行きましょう! 」

 

 ヒョウのHPバーが満タンなのを確認したキリトとアスナは、剣の柄を握り締め、ボスに止めを刺すべく仕切り直したその時。

 

「グギャアアアアアアアア!!! 」

 

 瀕死のボスモンスターが、最期の気力を振り絞る様に、疣足で立ち上がり咆号する。その威容にレイドメンバー達は一瞬気圧され隙を作ってしまった。その隙を突いて、ボスは三種五本の剣を操り、全方位に重攻撃範囲技を繰り出そうとする。

 

「させるか!! 」

 

 再び訪れたレイドの危機に、臆する事無く最強の三人がボスに挑みかかる。三人の織り成すソードスキルの共演に、レイドメンバーは自分の危機をも忘れて目を奪われた。

 

「はぁああああああああ! 」

「うおおおおおおおおお! 」

「せりゃあああああああ! 」

 

 三者三様のかけ声をあげ、渾身のソードスキルをボスモンスターに叩き込む。

 

「ミギャアアアアアアアアア!!」

 

 キリト、アスナ、そしてヒョウがほぼ同時に繰り出したソードスキルを受け、この部屋の主《ザ・デンジャラス・アームド・キャタピラー》は、断末魔の叫びを上げると、竿立ちになって一瞬痙攣すると、そのまま爆散してポリゴンの欠片を盛大に撒き散らし、消えて行った。そして空中に浮かぶ『Congratulations』の文字と、それを取り囲み祝福の花火が打ち上げられ、ファンファーレが高らかに鳴り響く。

 

「いよっしゃあぁあああああああ! 」

 

 クラインが勝利の雄叫びを上げると、レイドメンバー達は、近くの者と握手をしたり、肩を抱き合って勝利を喜び合う。そして全員の視線が殊勲の三人に注がれる、三人の姿は明暗くっきりと分かれたものだった。悔しそうな表情で、床に大の字に転がるキリト。がっくりと項垂れ、膝を着くアスナ。その真ん中で、してやったりの表情を浮かべ、抜き身の段平を肩に担ぎ、メインメニューを操作するヒョウ。

 ヒョウがメニューのOKボタンをクリックすると、彼のコスチュームが手製の黒い陣羽織から、威を放つ漆黒の陣羽織《黒き焔》へとチェンジされた。

 その姿を見て全てを悟ったレイドメンバー達は、今回のボス攻略戦の最高殊勲者に、祝福の歓声を送った。

 

「今回は、アイツに全部持って行かれたな。」

 

 寝転がるキリトに、エギルが声をかける。

 

「まーな、長い道のり、こんな事も有るさ。」

 

 上体を起こしたキリトは、シニカルな笑顔を浮かべ、エギルを見上げる。

 

「あーら、さっきの顔は何だったのかしら? 」

 

 ぺたんと床に座り込み、アスナが茶化す様に口を開く。

 

「何だよ、アスナ。」

「さぁ、あんな悔しそうな表情の後で、こんな悟った事を言っても、説得力無いわよ。」

 

 悪戯っぽく笑うアスナの顔を見て、エギルはふとある事に気づいた。

 

「そうか、今回ラスを取ったのがヒョウという事は……」

「そう、キリト君の連続ラストアタックボーナスゲット記録は、十二でストップという事です。」

 

 アスナが耀く笑顔でそう言うと、キリトは仏頂面を浮かべて顔を背ける。

 

「うっせい、次からまた俺が頂いてやるさ。」

「いいえ、次こそは私が頂くわ。負けないんだから。」

 

 アスナの宣戦布告に、キリトもヤル気の笑顔で答える。

 

「こっちこそ、負けるもんか。」

「負けないわよ、でも……」

 

 拳の合わせてエールを交換した二人は、レイドメンバー達に胴上げされている本日の最高殊勲剣士に目を向ける。

 

「今は彼を祝福してあげましょう。」

「ああ、そうだな。」

 

 アスナとキリトは頼りになるライバル、ヒョウが宙に舞う姿を、眩しそうに見上げるのだった。

 

 

 喜び合うレイドメンバー達の姿を、遥かな高みから見下ろす天上の目は、含み笑いを浮かべて拍手をする。

 

「お見事、よくやってくれたね、君達。」

 

 天上の目はキーボードを操作しながら、喜びの笑顔を浮かべるヒョウの顔を拡大する。

 

「見事私の試練を乗り越えた君には褒美をあげよう、受け取ってくれたまえ、祝屋猛君、おっと、ヒョウ君。」

 

 それから彼は、キリト、アスナの顔を拡大し、ヒョウの画像と並べて、満足そうに微笑む。

 

「システムを凌駕する反応速度、針の穴をも通す最精緻な精度、そして問答無用の最大級の破壊力……」

 

 天上の目は、三人の画像を交互に眺め、怜悧な笑みを浮かべて思案する。

 

「この三人が、きっと私の前に立つのだろう。では……」

 

 天上の目は人差し指をフリックして、メインメニューを操作する。

 

「そろそろ私も腰を上げるとしよう。この三人の勇者を更なる高みに導き、そして地獄に落とす為に。」

 

 赤地に白の、十字をあしらったデザインのコスチュームに身を包み、天上の目は無機質な部屋から出ていった。

 

 




注釈 ソードスキルはPS4ゲーム、Reホロウ・フラグメントに準拠しています。


次回 オレンジプレイヤー


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十話 オレンジプレイヤー

 畜生! 畜生! 畜生!

 

 何でいつもいつもアイツだけ!!

 

 畜生! 畜生! 畜生!

 

 何で俺ばかり割りを食う!?

 

 答えの出ない自問自答を繰り返し、サーキーはフィールドダンジョンの森の中で息を殺し、身を隠す。時折聞こえる「何処に行った!? 」「必ず見つけ出せ! 」という言葉に、彼は身を強張らせ、声のする方向に意識を集中する。サーキーは血走った目で辺りを伺い、全身を耳にして気配を探り、身を潜め、息を殺し、やり過ごし、聞こえてくる声や足音から慎重に遠ざかって行く。

 彼が今、他のプレイヤー達から逃げている理由は、自分の頭上のカーソルに有った。

 

 サーキーの頭上のカーソルは、オレンジ色だった。

 

 糞っ! ここも潮時か……、なら。

 

 必死で逃げ回るうちに、異常なまでに上がったハイドスキルで、サーキーは逆に追跡者の一人の背後に回り込む。

 

「!! 」

 

 音も無く忍び寄ったサーキーは、緑の装具に身を包んだプレイヤーの口を塞ぎ、引き倒して薮の中へ引きずり込んで組み敷いて馬乗りになった。

 

「良いモン持ってんじゃねえか、ええ。」

 

 凶相を歪め、サーキーはプレイヤーの腰から片手剣を引き抜くと、値踏みする様に眺める。

 

「おい、サーキー! 貴様、何をする! 」

「何って? 何だろうねぇ? 何されると思う? 」

 

 暴れるプレイヤーを嗜虐の目で見おろすサーキーは、奪い取った片手剣の刀身を舐めながら、嫐る様に質問を返す。

 

「貴様! 何をしてるのか分かっているのか!? アインクラッド解放隊の面汚しめ! 」

「知らねぇよ! ンなモン! ウザってぇ、俺に説教すんな! ボケ! 」

 

 激昂したサーキーは、片手剣の柄で何度も組み敷いたプレイヤーの顔面を殴りつける。

 

「ヒャハハハハ! 痛いか!? 痛いか!? ヒャハハハハ、アハハハハハ! 」

 

 嬌声をあげながら、何度も何度も殴りつけるサーキーの目には、狂気以上の炎を宿していた。

 

「アイツのせいだ! アイツのせいでテメェはこんな目にあっているんだぜ! 」

 

 組み敷いたプレイヤーがくぐもった悲鳴を上げる度に、サーキーは嗜虐の快感に囚われ、喜悦の表情を浮かべていった。

 

 あれはいつからだったろう、俺があの男

 

 祝屋 猛

 

 を意識したのは……

 

 

 

 

 榊 賢斗は、いつからか毎日鬱屈した日々を送っていた。

 地元では名の知れた中堅土建業、榊工建の三代目として生を受けた彼は、幼い頃から何不自由の無い人生を歩んで来た。小学校卒業までは、家の仕事に誇りを持ち、大勢の社員を纏め、先導する父親の姿、それを支える母親の姿を眩しげに見て育っていた。

 そんな賢斗少年が鬱屈していった原因が、とある会合である親子にコメツキバッタの様に這いつくばる勢いで、頭を下げる両親の姿であった。

 

 僕のお父さんは、沢山の社員を率いる社長なのに、どうしてあんなに頭を下げているのだろう? もっと威張っていい筈なのに……

 

 疑問に思う賢斗少年を彼の両親が手招きして呼び寄せる、そして相手の親子の前に出す。若干敵意のこもった目で見上げる賢斗少年に、両親が客相手でもしない、愛想の良い口調で相手の親子を紹介した。

 

 お父さん達が、いつもお世話になっている『祝屋商事』の社長さんと息子さんだ、賢斗、お前も挨拶をしなさい。

 

 促す両親の言葉に従い、上目遣いで頭を下げた賢斗少年の頭を、両親が押さえつける。

 

 コラッ! そんな失礼な挨拶があるか! どうもすみません、不肖の息子で。

 いえ、利発そうなお子さんで羨ましい、 これで榊工建も安泰ですね。

 いえいえ、利発だなんて滅相も無い、とんだバカ息子でお恥ずかしい限りです。

 そんな事ありませんよ、いい眼をしているじゃないですか。

 いやぁ、全くお恥ずかしい、コイツなんかもう我が儘で、お宅の坊ちゃんの足下にも及びませんよ。

 ウチの方こそ剣術馬鹿で、他に取得も無いんです。

 いや、素晴らしいじゃないですか! 見ましたよ、ヒースロー空港のニュース、立派なんてものじゃありません、猛君は地元の英雄ですよ!

 いえいえそんな、こちらこそお恥ずかしい限りです

 

 といった、大人達の社交辞令の応報を頭上に頂きながら、賢斗少年は目の前にいる同世代の子供、祝屋猛に目を向けた。すると

 

「やあ、初めまして。祝屋猛です、宜しくね、賢斗君。」

 

 そう言って目の前の少年が右手を差し出した、その挙措に賢斗少年は圧倒される。彼の心の中に、敗北感に似た感覚と同時に、漠然とした憧れの様な複雑な気持ちが湧き上がり、打ちのめされた。

 

 その日から、彼の日常は色褪せたものとなった。

 世界一だと思っていた両親と会社が、実は大した存在では無いと分かった事

 地元企業のほぼ全ては、祝屋商事が無ければ成り立たず、そこの社長に媚びを売り、卑屈に頭を下げ続ける両親の姿に幻滅した事。

 それよりも、祝屋猛に圧倒された自分自身が、なにより卑しい存在に思えた事。

 

 その全てが、賢斗少年に見える景色を一変させた。

 

 これは人生によく有る『通過儀礼』であり、その対象からある程度距離を置き、徐々に自分の身の程を理解していけば消化出来る類いの出来事であるのだが、不幸な事に賢斗少年は祝屋猛から距離を置く事が出来なかった。

 

 何故なら、彼の両親が、事有る事に賢斗少年と祝屋猛を比較する様になったからである。

 

 猛君を見習いなさい。

 猛君は立派な良い子なのに、どうして賢斗は。

 猛君はそんな事しないだろう。

 猛君は

 猛君は

 猛君は

 

 これは両親が、息子に発破をかけるつもりの、軽い気持ちで発した言葉だったが、賢斗少年はそう受け取らなかった。彼にとってこれらの言葉は、自分の存在を全否定する、いわば呪いの言葉であった。賢斗少年の鬱屈した感情は行き場を失っていき、そのルサンチマンを爆発させてしまう。情けない卑屈な両親、ちっぽけな会社、その跡取りとしての人生しか無い、矮小な自分、その全てを憎み、恨み、賢斗少年は反抗し、遂にはこれみよがしに非行に走る様になってしまった。そんな賢斗少年になす術の無い両親は、少しでも彼を諭そうと、盛んに猛君はを繰り返した、正に悪循環である。

 

 両親に向いていた敵意が、直接祝屋猛に向けられる様になったのは、中学校進学後、二年生に進級した時である。賢斗少年は、この時のクラス変えで、初めて祝屋猛と同じクラスになったのだ。始めは出会いの時に感じた、憧れに似た感情から、ある程度良い関係を築けていたのだが、二人が同じクラスになったのを過剰に喜んだ両親が、猛君猛君と連呼する。これだけならまだしも、一つ年下の妹が祝屋猛に心酔し、「私、猛様のお嫁さんになる。頼りにならないお兄ちゃんより、猛様にウチの跡を継いで貰いましょう。」と言い出したのだ。それに両親も、それは良いアイデアだと乗り気を見せた、これも息子へ奮起を促す為の発破だったが、賢斗少年の鬱屈の炎に油を注ぐ結果になった。

 

 こんな所には居られない、腐った家、腐った田舎、そして祝屋猛の傍から出来るだけ遠くに離れたい。

 

 そんな気持ちに心を満たされた賢斗少年に、一つの福音がもたらされた。それは、日本はもとよりアジア圏では知らぬ者のいない、男性アイドル専門の巨大芸能プロダクション、ジャッキー事務所が、全国規模のスカウトキャラバンを行うと発表した事である。

 年端の行かない子供である賢斗少年が、これだと思うのも無理の無い事だった。あの年頃の子供に見られがちな、自己肯定感情と顕示欲から、自分のルックスに過度の自信を持っていた賢斗少年は、迷う事なくこのキャラバンに応募した。

 

 有名なアイドルになって、俺を馬鹿にした家族を見返してやる!

 

 そんな野望を胸に、選考結果を待ち侘びる彼の元に、第一次審査突破の知らせがもたらされた。天にも登る心地の賢斗少年は、学校で、家で、その事実を吹聴して自慢する。しかし、その喜びは間も無く木っ端微塵に打ち砕かれる事になった、彼の元に二次審査不合格の通知が送られて来たのだ。これには絡繰があった、最大手の事務所であるが故、些細な事で敵を作りたくない事務所サイドは、応募者全員を無条件で第一次審査突破させていたのだ。そうして全員に良い思い出という黒歴史を与え、真の第一次審査である第二次審査を行っていたのである。そんな大人の事情など知る由もない賢斗少年は激しく落ち込む事となった。落ち込む賢斗少年に、更に追い討ちをかける事件が起きた、それは不合格通知を受け取った翌日、一学期期末試験のやや前の事である。

 

「ネットで見たわよ! 祝屋君!! 」

 

 ジャッキー好きのある女生徒が、登校してクラスに入って来た祝屋猛にまとわりつく様に突撃して、衝撃の発表をした。

 

「祝屋君、ジャッキー事務所と契約したんだって!? 」

 

 叫ぶ様なその言葉に、クラスのほぼ全員が猛を取り囲む。マジかよ! スゲェ! と男子が言い、流石祝屋君と女子がうっとりと猛を見つめる。ぶっちゃけ猛は学校での、というか地元での人気は高い。理由は地元を支える優良企業、祝屋商事の三男であり、繋がりを持てたら将来安泰であるという打算と、ヒースロー空港の英雄としての名声にあやかりたいという事である。祝屋猛の友達という事実は、地元学生のステイタスなのだ。特に女子の間ではその傾向が強く、将来の玉の輿を夢見、階段でさりげなく下着を見せたり、機会を見ては胸を彼の身体の一部に触れさせたりとアピール合戦を繰り広げていた。ある朝の全校朝礼にて、貧血で倒れた女生徒を受け止めた時、猛が不可抗力で彼女の胸を鷲掴みにしてしまう事件が起きた。その事を平謝りに謝罪する猛の前で、貧血で気を失っていた事を心底悔やんでいる女生徒と、「いーないーな」と羨み周りで囃し立てる他の女子が奸計を企てる。その後の全校朝礼から、猛の隣には毎回別の女子が立ち、毎回毎回貧血を起こし、猛の方に倒れる事となった。彼女達の目論見は、貧血で倒れた振りをして、猛に胸を触らせて自分をアピールする事である。しかし猛も伊達に古武術を学んでいたわけではない、上手く胸を触らずに対応する術を編み出して女子達を落胆させていた。彼女達をここまで過激な行動に走らせていたのは、知り合った後に知った、猛の人柄である。いい所の坊ちゃんである事を鼻にかけず、ヒースロー空港の英雄である事を驕らず、目の前に居る『祝屋 猛』はどこにでも居る様な気さくで優しい少年という事実が、男女問わず仲間の心をしっかりと掴んでいた。

 

「いや、別に契約したと言ってもアイドルとしてではなく、演武活動のスケジュール調整を道場が委託しただけだから、騒ぐ様な事じゃ無いよ。」

「そんな事無いわ! それでも充分凄い事よ! そうだ、これをきっかけにアイドルになったら!? 祝屋君なら、きっと伝説のアイドルになれるわよ! そしたら私は伝説のアイドルのお嫁さん……」

「あ〜っ、ズルい! 祝屋君のお嫁さんは、私がなるんだからね! 」

「何言ってるの! 私よ、わ・た・し! 」

「この際だから、私は愛人でも良いわ! 」

 

 周りで盛り上がるクラスメイトを、照れくさそうに頭をかいて笑って見ている猛に、賢斗は粘っこい視線を絡ませる。

 

 畜生! 俺が必死で掴もうとした切符を、アイツはあっさりとかすめ取って行きやがった!

 許せねぇ! アイツは俺から何もかも奪って行きやがる! 畜生! 畜生! 畜生!

 一番許せねぇのは、アイツが俺の事なんか眼中に入れていない事だ! 許せねぇ、ぜってー許せねぇ! 目にものを見せてやる!

 

 賢斗の意識が明確な敵意となって猛に向いた、この日から賢斗は子分格の戎屋慎司、高久正雄と三人でつるんで、猛に敵対する事となった。戎屋慎司と高久正雄が賢斗の誘いに乗ったのは、彼等も家で両親に事有る事に猛と比べられ、賢斗と同じ悩みを抱えていたからだった。

 彼等は猛が演武活動で忙しい事を知りながら、学校行事等での重要な役割、係を悪意のある推薦で強要したり、その役割上で猛が行った伝達事項をワザと忘れ、それを猛の伝達の仕方が悪いからだと居直り文句を言ったりと、あれやこれやといびり抜いた。他にも猛の上靴をゴミ箱に隠したり、提出物を隠したりして嫌がらせを行っていた。提出物の宿題ノートを盗み出し、ゴミと一緒に焼却炉に入れ、そのせいで猛が補習を受けるハメに陥った時、三人組は嘲り笑い、手を叩いて喜んで侮蔑の言葉を囃し立てていた。しかし、三人組の目論見が成功する事はめったに無く、大概は仲間(主に女子生徒)の助けで切り抜けていた。自分に対するアンチを、笑ってやり過ごす猛に苛立つ三人組は、その行為を日増しにエスカレートさせていき、遂には猛に近しい者への攻撃を開始する。特にターゲットにされたのは、一年先輩の三年生女子、大祝 小鶴である。何故彼女がターゲットとしてつけ狙われたのかと言うと、彼女が猛に一番近しい存在であり、地元のマドンナ的存在だったからだ。美しい娘に成長した小鶴の舞う奉納神楽舞は、盆暮れ正月、季節の祭りに欠かせない存在になっている。それは大祝神社のみならず、季節の変わり目を告げる、地元の風物詩として定着していた。そんな彼女に、同世代の若人は皆憧れていた、彼女の下駄箱にラブレターが入っていなかった日は、中学校入学以来一日も無い。三人組もご多分に漏れずその口であったが、彼女の心は憎き祝屋猛が独占しており、その事実が彼女を憎悪の対象として変化せしめた理由である。三人組は、どんなに嫌がらせをしても、暖簾に腕押しの猛の感情を自分達に向け、どうにかして波風を立てようと考えた。そして本人が駄目なら彼が大切に思っている者を巻き込もうと画策し、思慕から憎悪の対象へと変化した小鶴をそのターゲットとして狙いをつけた。

 三人組は夜の校舎に忍び込み、小鶴が手入れをしている学校花壇を荒らしたり、ウサギ小屋に悪戯したりと、やりたい放題の陰湿な嫌がらせをして楽しんでいた。行為はエスカレートしていき、ウサギ小屋で一番小鶴が愛情を注いでいる、パンダの様な斑を持つ子兎を殺め、荒らした花壇に晒した段階で、遂に猛の逆鱗に触れた。子兎の骸を、すすり泣きながら墓を作って手厚く葬る小鶴の後ろ姿に、猛は意を決した。

 

「おい、お前達。」

 

 日が暮れて、闇に包まれる校舎に忍び込む三人組を、静かに呼び止める声があった。

 

「!! 」

 

 思わずドキッとした三人組が振り返ると、悲しそうな目をして立っている猛の姿が有った。安堵した三人組は猛を取り囲む。

 

「誰かと思ったら、お坊っちゃんじゃねえか!? 」

「おいおい、脅かすなよ、一瞬お巡りかと思ったぜ。」

「いい子ちゃんぶったてめえが、こんな夜遅く出歩いてて良いのか? 」

「早く帰ってママに甘えてろ! 」

「いや、こいつは大祝のブスとおままごとでもするんだろ。」

「違え無え! 」

 

 三人組の嘲笑のバカ笑いが響く、しかし猛はそれを無視して静かに口を開いた。

 

「お前達、あんな事をして楽しいのか? 」

 

 猛の質問に一瞬鼻白んだ三人組だったが、直ぐに子兎の事と当たりを付け、恫喝する様に賢斗が答える。

 

「ああ、楽しいね! お前に吠え面かかせられる事なら、何をやっても楽しくて仕方ないぜ!! 」

「そうか、分かった……」

 

 ため息をついて見下ろす猛の目に、悲しみの色以外のものを見た賢斗の心に怒りが込み上げる。

 

 その目だ、てめえのその目が気に食わねぇ!!

 

 敵意溢れる目で睨み、見上げる賢斗の目を、憐れみの眼差しで見下ろす猛が静かに言葉を続けた。

 

「お前達、俺と喧嘩がしたいんだな? 」

 

 猛の言葉に一瞬ポカンとした三人組だったが、下卑た笑みを浮かべて口元を歪めた。三人組の顔を眺め回し、猛は言葉を締めくくる。

 

「なら、あんな回りくどい事をするな。良いだろう、ついてこい。」

 

 猛が三人組を連れて行ったのは、学校から程近くにある多目的公園だった。そこは元々児童公園だったが、ジャングルジムから子供が落下する事故が有り、以来全ての遊具が危険遊具と糾弾され、砂場と馬跳びタイヤのみを残して撤去され多目的公園になった場所である。防犯用に設置された、ソーラー蓄電式のLED外灯の下で、猛は三人組に向かって、感情を押し殺した淡々とした口調で言った。

 

「ここなら邪魔は来ない、思い切り来い。」

 

 三人組はその言葉を聞くや、三方向に散り猛を取り囲む。彼等の顔には、暴力の快感に酔った笑みが浮かんでいた。

 

 三人組は猛の指摘通り、猛との喧嘩を望んでいた。勉強でも勝てない、スポーツでも勝てない、人望でも何をやっても勝てない彼等が、猛君猛君と連呼する親を見返す為の手段は、喧嘩しか無かったのだ。喧嘩して、痛めつけて、這いつくばらせ、許しを請わせ、その情けない姿を満天に示す事でしか、親の過ちを見返し自分の存在を認めさせる事が出来ないのだと、強く信じ込んでいたのだ。三人組は猛の修める古武術については、棒切れを持たなければ役に立たない無用の長物であると決めつけていた。ヒースロー空港の出来事も、たまたまツイていただけで、相手のテロリストが間抜けだっただけだと信じ込んでいた。不良仲間と連るみ、少なからず喧嘩の場数を積んでいた三人組は、素手ならば、喧嘩ならば絶対に負けないと信じていた。そう強く信じ込む事で、唯一猛に対抗できる心の拠り所を持つ事が出来たのだ。

 しかし、そんな根拠の無い拠り所は、通用する筈がなかった。

 彼等は知らない、真剣を正確に扱う為に必要な膂力を、青竹の芯の入った十基の巻き藁を一気に叩き斬る技術と力を、突撃銃の弾丸を見切る動体視力の凄まじさを、弾丸を斬り落とす体幹の力を、銃と爆弾で武装したテロリストに向かう胆力も。そして、それらを身につけるに至った、猛の凄まじい修行の歴史も、猛が笑いながら楽しんでそれを行っていた事実も、彼等は想像すらしていなかった。浅はかな思い込み、願望は、あっという間に叩き壊され、跡形も無く粉砕された。

 三方向から襲いかかってきた三人組の動きなど、テロリストの放った銃弾に比べれば、猛にとって止まっているのも同然だった。一瞬だけゾッとする笑みを浮かべた猛は、祝心眼流抜刀術基本三連撃『紅』の型を無手で行った。右手拳で放たれた猛の光速の拳鎚は、カウンターで襲いかかる三人組の顎の先端を正確に捉え、脳を激しく揺さぶった。

 

「!! 」

 

 漫画ならば、ここで「馬鹿な」とでも言って倒れるのだろうが、生憎そうはならなかった。三人組は何が起こったのかも、何でこうなったのかも分からず、倒された事も自覚出来ずに昏倒したのだった。

 猛は倒れた三人組を足下に見ながらスマートフォンを取り出すと、自ら警察に電話を入れて通報し、三人組の保護を求めた。

 警察で猛は、自分が望んで喧嘩した、とだけ言うと後は黙りを決め込み、警察の質問に頑なに口をつぐんでいた。

 しかし、日頃の猛の行いと評判で、三人組を庇う為に黙秘していると好意的に解釈され、形ばかりのお灸を据えられた後に、引き取りに駆けつけた両親の元に返された。

 この日以来、屈辱にまみれた三人組は、半ば引きこもりの様な生活を送るようになる。

 喧嘩ならばと常々思っていた最後の自信は崩れ去り、両親には「どうせお前が悪いんだろう、これを機に心を入れ替えなさい。」と説教をされ、学校にも家にも身の置き場を失った彼等が、現実逃避の為のツールとして選んだのがナーブギアだった。初のフルダイブ機能を備えたこのマシンは、思い通りにならない現実世界から逃れ、本当の自分になれる、唯一の世界へのドアだった。そこに行けば、本当の自由が手に入ると信じ、学校をサボってまで手に入れたソードアートオンライン、それはデスゲームだったと明かされてもどうでも良かった。いや、あの忌々しい現実世界に戻る事を考えたら、むしろ好都合だった。ここでなら、本当の自分として生きていける、その上で俺がゲームをクリアすれば、一万人の被害者を解放した英雄として崇められる、家族に俺を認めさせる事が出来る。賢斗少年はそう目論んだ、しかし……

 

 ここにはあの憎い仇が存在していた、それも、絶対に太刀打ちできない、雲の上の存在として!

 

 初めてそれを知ったのは、第一層だった。真面目人間のアイツが、ゲームなんか初めてだろうと思い、チョッカイを出したら、逆にトッププレイヤーだという事を知らされた。しかし、ゲームはまだ序盤だと思い直し、差を縮め逆転する為にレベルアップを続け、攻略トップギルドの目に止まった。ギルド『アインクラッド解放隊』の一員として、さぁこれからと思っていた時、またアイツに居場所を奪われた!! 忘れもしない、あの屈辱の第十三層ボス攻略戦、あの時俺はまたしてもアイツに全てを奪われた!!

 

 

 胴上げから解放されたヒョウは、三人組の元に歩み寄った。

 

「で、これからどうするんだ? 」

 

 ヒョウがそう聞くと、三人組は顔を見合わせた。

 

「おいおい、さっき言ったろう、ボス戦が終わるまでに決めておけよって。」

「俺達は……」

 

 エビチャンとクマが顔を見合わせる、それを見たサーキーは血相を変えてヒョウに吠えかかった。

 

「うるせぇ! そんな事は俺達の勝手だ!! いちいちてめえに指図される筋合いはねえ!! 」

「でもよぉ……」

「サーキー、俺達はもう……」

 

 あくまでもヒョウに対し、対抗姿勢を崩さないサーキーに対し、エビチャンとクマにはもうその気は無い様子で、曖昧な態度でサーキーに気持ちを伝えた。その二人の態度にサーキーは激昂する。

 

「てめえ等! 今さら何言ってやがる! 」

「俺達、ボス戦なんて無理だよ……」

「サーキーだって、動けなかっただろう、止めようぜ、なぁ。」

 

 気弱な態度で自分を説得する二人に、サーキーは苛立ち、やり場の無い怒りに見舞われた。

 

「じゃあ決まりだな、エビとクマは攻略から降りて、サーキーだけが残るって事だな。」

 

 ヒョウがそう言うと、サーキーのやり場の無い怒りの矛先が見つかった。彼は怒りと屈辱にまみれた目で、ヒョウを激しく睨み付ける。

 

「てめえは……、てめえは……、いつもいつもそうやってスカした目で俺を見下して……」

「何だ? どうした、サーキー?」

 

 ぶつぶつと恨み言を呟くサーキーに、不思議そうにヒョウが声をかけた。すると、サーキーの感情は爆発し、今まで溜まったヒョウに対する不満、恨み、怒りの全てをぶちまけた。その全てをヒョウは目を閉じ、頷きながら聞いている。

 

「てめえのせいで、俺は、俺は。」

 

 彼等を囲み、話を聞いていた攻略組プレイヤーのうち、クラインが代表して感想を述べる。

 

「気持ちは分からなくもないがよ、それって、親や学校に対する不満を逆恨みして、ヒョウにぶつけてるだけじゃねえの? 」

 

 それを聞いて、うんその通りだよなと頷く攻略組プレイヤー達。そんな彼等をアスナは一睨みして黙らせる、大人達にとっては下らない逆恨みであっても、多感なこの年頃の自分達には、それすら重要な事なのだ。

 サーキーの言葉を一言一句聞き漏らすまいと耳を傾けていたヒョウは、サーキーの言葉が尽きたと判断すると、ゆっくりと口を開いた。その第一声は、三人組にとどまらず、ここにいる全員にとって意外な言葉だった。

 

「そんな事、俺が知るかよ。」

 

 感情の全てを吐き出し、ぶちまけたサーキーに対し、実にあっけらかんとヒョウは答えた。そのヒョウの態度に一同は虚を突かれ、ポカンとした表情で発言主を見つめたが、続く言葉でなるほどなと得心する。

 

「だってお前達、今までそんな事一言も言わなかったじゃないか? 超能力者じゃ無いぞ、俺は。」

 

 ヒョウの言葉に目を剥く三人組だったが、それを制する様にヒョウは言葉を続ける。

 

「じゃあお前達は、俺の何を知っている? 」

 

 その言葉に、三人組は口をつぐんだ。

 

「いい子ちゃんぶった優等生か? じゃあ俺はお前達の事を、身の丈知らずに悪ぶった、おバカな劣等生って決めつけて良いんだな? 」

 

 悔しそうに目を剥く三人組に、ヒョウは頷く。

 

「違うだろう、分かってるよ。ただ、言わなきゃ分からないだろう。もし、もっと早い段階で言ってくれたら、俺だって力になれたかも知れない。そしたら、お前達だって、あんな残酷な事をしなくて良かったかも知れないだろう。」

 

 ヒョウが子兎の話に言及すると、エビチャンとクマは顔を曇らせた。

 

「それに、お前達は自分達の親の事で不満が有るみたいだけど、俺にそれが無いとでも思うのか? 」

 

 エビチャンとクマの二人は、ヒョウの発言に驚いて目を見開いた。

 

「まぁ、俺の場合、親もそうなんだけど、隣の妖怪ババァがなぁ。俺が一寸でも気に入らない事をすると、地獄の説教としごきが始まるんだぜ、正直たまんねえよ。あの後だってなあ……」

 

 そこまで言って一旦言葉を区切ると、ヒョウは思い出すのも嫌という感じで顔をしかめて、喧嘩の後日談を話し始めた。

 

「反省しろこの馬鹿弟子めって言って、後ろ手で縛り上げられて、道場の鴨居からぶら下げられたんだぞ、金曜の夜から飯抜きで日曜迄。それだけじゃねぇ、毎晩コヅ姉がやって来て、俺を見上げて泣くんだぜ、それがどれだけ堪えるのか、お前達想像してみぃ?」

 

 猛のこの言葉に三人組は納得する、サーキーは不承不承の納得だったが、エビチャンとクマは深く納得していた。

 

「それに、仮に俺のメンタルが弱かったと仮定して、お前達のイジメに耐えかねて転校とかしたとしよう、それでどうなったと思う? 」

 

 ヒョウは三人組に思考実験を提示する、しかしながら、三人組は首を捻るだけだった。

 

「最初のウチは、胸がスッとしたかも知れんが、結局元の木阿弥だ。考えても見ろ、お前達の親は、お前達の躾の為に俺を引き合いに出したんだぜ。俺を追い出した所で、お前達自身が成長しなければ、代わりに別の誰かを持って来るだけだぞ。なぁ、キバオウさんにリンドさん、二人はどう思う? 」

 

 唐突に振られたキバオウとリンドは、面食らって顔を見合わせる。

 

「アイツ……、意外とえげつないな……」

 

 ヒョウの真意を察したエギルは、顎に手を当てニヤリと笑った。

 

「どういう事だ、そりゃ? 」

 

 ヒョウがただ大人の考えを引き出そうとしたと、軽く思っていたクラインが、思わせぶりな笑顔を浮かべるエギルに説明を求めた。するとエギルに代わって、キリトとアスナがヒョウの真意について、思う所を説明する。

 

「要するに、妬んで僻んで憎い奴を追い出すだけじゃ、本当の意味で自分にメリットが全く無いって事かな。」

「ヒョウ君の言葉、あの三人とキバオウさんリンドさんを置き換えると、そのまま前回の攻略失敗に当てはまっちゃうのよ。」

「なるほどね。」

 

 得心の行ったクラインが、ヒョウに「へぇ、大したもんだ」と、驚きの眼差しを向けた。そして、そうとは気付かず、訳知り顔で講釈を始めるキバオウとリンドに、心からの同情の目を向ける。

 

「僻むな、妬むな、自分を磨け、それしか無いんだぜ。キリトだって、アスナだって、最前線で生き残る為に、極限まで自分を磨いてるんだ。その事実を無視し策を弄してハブった所で、実力差が消えてなくなる訳が無いんだ。ベータテスター? ビーター? そんな事に囚われている暇が有ったら、自分を磨いてその先へ行け! 」

 

 ヒョウがそう言った所で、ようやく真意に気づいたキバオウとリンドの顔が、みるみる紫色に変化して行った。しかし、ヒョウの言葉は正論であり、なにより実践している者の重みがあった。その裏付けを皆、数分前に目の当たりにしているのだ。その重みの前に、二人は一言も反論する事が出来なかった。それは三人組も同様である、エビチャンとクマは、自分自身の浅はかさを自覚して、憑き物が落ちた様な顔をしていた、しかしサーキーだけは違った。

 

 だから何だってんだよ、いつもいつもスカして見下して、畜生! 畜生! 畜生!!

 

「祝屋ァー!! 」

 

 俺はずっと、ずっとお前のせいで、惨めな思いをしてきたんだ! 今さらハイそうですかなんて言える訳ねえだろう!

 

 祝屋猛に対する敵対姿勢を崩す事は、自分の存在意義が崩壊する事。それは自分の本当の気持ちを知ろうとせず、無責任に祝屋猛と比較し続けた親への反抗が無意味だったと認める事。榊賢斗にとって、それだけは絶対に出来ない事だった。その想いがサーキーを凶行に走らせる。

 

「!! 」

 

 ヒョウの右肩に、背後から力任せに斬り付けられた、サーキーのツーハンドソードの刀身がめり込んだ。攻略組メンバー達は、驚愕の出来事に戦慄した。

 

「ヒョウ!? 」

「ヒョウ君! 大丈夫!? 」

 

 キリトとアスナがいち早く反応して、ヒョウに安否を確認しながらサーキーに向かって剣を抜いた。それに続いて攻略組メンバーは、武器を構えてサーキーを半包囲する、それを片手で制し、ヒョウはサーキーへ向き直る。ヒョウが見たサーキーのカーソルは、鮮やかなオレンジ色に変色していた。

 

「気が済んだか、榊。」

 

 慈しむ様な目で自分を見るヒョウに、サーキーは錯乱した。パニック状態になったサーキーは、滅茶苦茶にツーハンドソードを振り回し、ヒョウに斬り付ける。

 

「畜生! 畜生! 何で、何で死なねえ!? 」

 

 めったやたらに斬り付けるツーハンドソードは、ソードスキルも含まれているのに、目の前の仇敵(ヒョウ)には、目に見えたダメージを与えられないでいた。

 サーキーの疑問は、他の攻略組プレイヤーにも共通する疑問だった。

 

「へぇ、このスキルは、こういうスキルだったのか。」

 

 無抵抗で斬られながらも、平然とした態度でメニューを操作し、ヒョウは自分のスキルを確認して、皆にその詳細を説明する。

 

「ボス戦終わって、新しいスキルが二つ増えたんだ。一つは戦闘回復(バトルヒーリング)スキル、戦闘中に負ったダメージが、一定時間で一定量回復するスキルだって。回復時間と回復量は習熟度に比例するそうだ、獲得条件はボス戦で瀕死のダメージを負った後に、効果的な反撃をする事、だってさ。もう一つは……、何だ!? このぶっ壊れスキルは!! 」

 

 メニュー画面を見て驚いたヒョウは、思わず素っ頓狂な声をあげた。

 

「もう一つが戦闘増幅(バトルブースト)スキル、戦闘中にスキル所持者の能力値を、無条件でブーストアップするスキルだって、ブースト量は最低二十五パーセントから始まって、習熟度に比例して伸びていく……、こんなスキル有ったんだ。」

 

 自分の事ながらも驚いて言葉を失うヒョウに、堪らずエギルが声をかける。

 

「で、そいつはどうしたら手に入るんだ!? 」

「ああ、ゴメンゴメン。ボス戦で、ボスを相手にサシで五分以上無傷で互角以上の戦いをする事、だって。どっちのスキルも修得したら、自動設定で常時展開だそうだ。キバオウさん、リンドさん、次のボス戦でチャレンジしてみる? 」

 

 ヒョウが屈託の無い笑顔で二人に提案すると、キバオウもリンドも青ざめて首を勢いよく横に振った。

 

「なんだ、俺はこれでパラメーターの数値的には、レベル十ぐらい上のモンスターと余裕で戦える様になったのに……、勿体ない。誰かチャレンジする人がいたら協力するけど……」

 

 ヒョウが攻略組メンバーの顔を見渡すと、皆消極的な迷いの表情を浮かべていた、キリトとアスナを除いては。やっぱりな、そう思いながら、ヒョウはサーキーに向き直る。サーキーはヒョウの新スキルの話を聞いてもなお、狂った様に呻き声をあげながらツーハンドソードをふるっていた。

 

「榊、悪いけど、今のお前は俺に傷一つつけられない。」

「化け物め! 畜生! 畜生! 」

 

 泣きが入りながらサーキーが振り回すツーハンドソードの柄を握り、ヒョウはサーキーを引き寄せる。

 

「そうなんだ、レベルの高さ、所持したスキルでプレイヤーは化け物にでもなんにでもなれるんだ、この世界では。」

 

 眼前のヒョウの目に静かな狂気を見たサーキーは、握っていたツーハンドソードから手を離して弾かれるように後ろに飛び退くと、言葉にならない悲鳴をあげて腰を抜かした。

 

「誰か悪者をでっち上げて排斥しても、口を動かし策を弄しても、自分のレベルが望んだ地位に見合っていなければ淘汰されてしまうんだ。あの茅場も言っていただろう、これはゲームであっても遊びではないと。」

 

 しゃがみこんで、サーキーの目を見据え、ヒョウは静かに説得する。

 

「人なんか気にするな、自分と比較するな、自分を磨く事だけ考えろ。まずはそこからだ、なぁ。」

 

 ヒョウはそう言って、ツーハンドソードを仰け反り後ずさるサーキーの上に置いた。静かなる怪物に、すっかり肝を潰したサーキーは錯乱し、訳の分からない悲鳴と叫び声を発し、ツーハンドソードを振り回しながら逃げ出した。

 

「立ち直ってくれると良いんだがな……」

 

 ヒョウはそう言うと、寂しそうに逃げ去るサーキーの後ろ姿を見送っていた。

 

 

 

 俺はあの時、全てを失った! アイツに全部奪われた! 許せねぇ! 見ていろ、必ず落とし前をつけてやる! いつかこの俺が、奴から全てを奪い取ってやる!

 

 サーキーは湧き上がるドス黒い想いを乗せて、組み敷いたアインクラッド解放隊のメンバーを、哄笑しながら殴り続いた。

 

「んー、誰かこっちに来るなぁー。折角人が楽しんでいる所を邪魔しやがって、空気の読めない奴等だ。」

 

 サーキーは逃げ回るうちに修得した索敵スキルで、近づくプレイヤーの気配を感じると、ため息まじりの白けた口調でそう吐き捨てる。

 

「よかったなぁ、お仲間が来てくれたぜ。んじゃあ、俺も引き上げるとするか。」

 

 片手剣を肩に担ぎ、サーキーは立ち上がり、這いずって逃げようとするアインクラッド解放隊のプレイヤーの背中を嗜虐の目つきで睨めつける。

 

「コイツは頂いて行くぜ、あばよ! 」

 

 そう言うと、サーキーは片手剣を一閃させた。

 

「ぎゃあああーっ! 」

 

 悲鳴をあげた解放隊プレイヤーは、赤く染まる視界の中に、自分が置かれた異常状態を知り、確認の為に両手をあげて見た。彼の視線の先では、ある筈の両腕が、肘から先が消えて無くなっていた。

 

 両腕欠損

 

 それがサーキーに与えられた、彼の異常状態である。サーキーは奪った片手剣を取り戻されるのを防ぐ為、メニュー操作が出来ない様に両腕欠損の状態を作り上げたのだ。圏外、それもフィールドダンジョンでそうなると、武器を取り返せない以上の問題点がある。

 

 ポップしたモンスターに、全く対応が出来なくなるのだ。

 

 それはすなわち、死に直結する大問題である、パニックに陥った解放隊プレイヤーは泣き叫び、声の限りに助けを呼んだ。

 

 叫び声を背にサーキーは、ほくそ笑みながらハイドスキルを全開にして、足早にその場を立ち去った。

 

 絶対、必ずアイツにも、あの悲鳴をあげさせて、這いつくばらせてやる!

 

 サーキーはその未来を想像し、狂った笑みを浮かべるのだった。

 

 




次回 カタナスキル


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十一話 カタナスキル

 朝焼け残る空の下、緑萌える芝生の上、一人の少年が目を閉じて正座している。

 のどかな朝の陽射しが、アインクラッドを照らす中、少年の居る空間だけが違う空気を醸し出していた。

 

 荘厳

 

 一言で表現すると、その言葉が最も適当であろう、しかし並みの少年、いや、大人ですら不可能であろうその空気を、正座の少年はポリゴンの情報体で発散していた。

 

 少年は静かに腹式呼吸を行い、丹田に気を込める。静かに、静かにその動作を繰り返し、丹田に気を送り込み、練り上げていく。気の充実を確認した少年が、カッと目を見開いた、同時に空気が爆発した。

 

「ええーいっ!! 」

 

 気合い一閃立ち上がり、腰に穿いた刀が抜刀され煌めき翻る、そして残身、納刀。

 

「ええーいっ!! 」

 

 一歩踏み出し抜刀、電光石火の袈裟斬り、納刀。

 

「ええーいっ!! 」

 

 振り返りつつ抜刀、大きく踏み出しながら横凪ぎの一閃、納刀して正座。

 

 

 

 

「Un……belivable……」

 

 この光景を窓の外に見た浅黒い巨人は、目を見開いてそう一言呟くと、絶句してしまった。彼の目には、少年の刀の動きが全く見えなかった、かろうじて残身で抜いてそこに振り下ろしたと認識できただけで、実際はいつ抜刀したのか、どう刀を振り下ろしたのか、全く捉える事ができなかった。

 

 

 

 

 無拍子という動作で行われた抜刀術は、時に高位の熟練者さえ、虚を衝かれ切り伏せられる事がある。心得の無いエギルに、ヒョウの太刀筋が見えるはずも無かった。そしてその事実がエギルを戦慄させた

 あの動きを以てすれば、デュエルでは敵無しだろう、下手なソードスキルなど、発動前に切り伏せられてしまう。そしてヒョウの一撃の破壊力なら、初撃決着モードでも全てのHPを刈り取られてしまいかねない。何しろヒョウは、ユニークスキル戦闘増幅(バトルブースト)スキルを持っている、レベルが十以上高い相手と互角に戦えるのだ。そしてこのアインクラッドの中には、ヒョウより十以上レベルの高い者は、モンスター以外に存在しない。

 

「……エギルさん、エギルさん」

 

 窓の外のヒョウの稽古に、暫し心を奪われていたエギルは、咎める様に自分を呼ぶ声に我に返った。

 

「お……、おう、すまんすまん」

「駄目ですよ、余所見しちゃあ」

 

 眉間に軽く皺を寄せ頬を膨らませて見上げる、着物姿のツウの美しさに不意を撃たれ、ドキリとしたエギルは、それを打ち消す様に大きな声で謝罪する。

 

「いや、すまん、ちょっとぼおっとしてた。本当にすまん」

 

 彼にしては珍しく、締まらない愛想笑いを浮かべるエギルを胡乱げに見上げ、ツウは口を尖らせて咎めた。

 

「もう、ちゃんと気を入れてやらないと、身に付きませんよ。じゃあ、もう一回最初から、はい」

 

 そう言ってツウは日本舞踊を舞い始めた、エギルはチラリと窓の外を見る、その視線の先ではヒョウが先程の剣技を、その動作を確かめる様にゆっくりと行っている。相手を想定して型を繰り返すヒョウの動作は、エギルの目にも何を意味する動きなのか、何を目的とした動きなのか、手に取るようにはっきりと理解できた。人を斬る為に突き詰められたシンプルな動き、人を殺す為だけに特化した合理的な動き、それがかくも美しいものなのか……

 

「エギルさん! 」

 

 またしてもヒョウの剣技に心を奪われていたエギルに、ツウの厳しい叱責の声が飛ぶ。その声にエギルは慌ててツウの後について舞をを舞い始めた。どうしてこうなった? 胸に込み上げる理不尽な思いを噛み締めて。

 

 十三層攻略後、ヒョウの言葉は攻略組を大きく二つの思想に分派した。一つは純粋に強さを求め、極限まで自分を磨こうとする者達。もう一つは現状維持、攻略の為のレベルアップは必要だが、無理して上げるより組織力を重視しようという者達。前者はキリト、アスナ、クライン、エギル、そして少数派の面々が主だった顔ぶれで、後者はキバオウやリンド達二大ギルドのメンバーが主な顔ぶれだった。

 強さを求める者達には、共通の疑問が有った、ヒョウ、キリト、アスナの三人が、何故他の攻略組メンバーとは一線を画する強さを保持しているのか? いくらビーターのキリトが居ても、十層を過ぎアドバンテージは薄れた今、そろそろ背中は見えずとも、足跡くらいは見えて来そうな頃合いだが、一向に追い付ける気配が無い。それどころか、十三層のボス戦を見る限り、差は更に広がっているとしか思えない。三人に比べれば、確かに甘いのかも知れないが、それでも自分達も命を懸けるリスクを冒してレベリングをしているのだ、それなのにこの差は一体何故生まれるのか? その秘密を知りたがった。

 

「ナンバだよ」

 

 キリトとアスナが顔を見合わせる中、ヒョウは意外なほどにあっさりとその秘密を明かした。驚くキリトとアスナを尻目に、ヒョウはたんたんとナンバの秘密を開示していく。

 

「教えてモノになる保証はしないけど、それでも構わないなら教えるよ」

 

 その言葉に、狂喜した少数派攻略組メンバーは、足しげくヒョウの元に日参し、ナンバの技術を学んで行った。ヒョウの言葉通り、モノになるならないはいかんともし難く、約三分の一程がモノに出来なかった。これはヒョウにとって意外な事で、彼は一握り程度がモノに出来れば御の字だと考えていた。それを覆したのは、これまた意外な事にクラインの存在だった。クラインは風林火山のメンバーを引き連れ、ヒョウの元にやって来て、自ら土下座する勢いで、皆を鍛えてやってくれと頼み込んだ。そして年齢差もかなぐり捨て、真摯な態度で研鑽を重ね、驚くほどの速さでナンバの動きをモノにしていった。ヒョウが驚いたのは、ここからである。クラインは自分が学びとったナンバの動きを、実に分かりやすくギルドメンバーに解説していったのだ。確かにヒョウは祝心眼流古武術を深く修めていたが、だからといって指導者としても優れているとは言えなかった。丁寧に教えてはいるのだが、全くの素人に教えるにはヒョウは指導者としてレベルが高すぎたのだ。小学生に大学教育をするが如くのヒョウの指導をフォローして、クラインは見事にその乖離を埋めていったのだ。クラインの凄さはそれだけではない、風林火山のメンバーだけではなく、誰彼構わず、一緒に学ぶ者全てにそれを行っていた。流石にこれにはヒョウも恐れ入った、いつもちゃらけたクラインだが、やはり彼も一つのギルドの長なのだ、そしてそれにとどまらない器の大きさは『クライン』の名に恥じぬものだと、ヒョウは内心で彼に対する敬意を新たにしたのだった。

 そんなクラインとは正反対に、エギルはナンバの習得に苦労をしていた。彼はリアルでも膂力に優れるため、どうしても動きが力任せになりがちで、結果雑になりナンバとはかけ離れてしまうのだ。流石のクラインも匙を投げかけたのだが、ヒョウがエギルの話を聞くと、頭では理解している事が確認できた。長年培ってきた動きの癖は、おいそれと抜けないらしい。ならばとヒョウは思案する、余計な力を抜く方向で、ナンバの動きを植え付ければ良い、その為の方法は……

 ヒョウの結論は、武術としてのナンバではなく、別の形でナンバの動きを教える事だった。そんな訳でエギルは今、ツウの手解きを受け、日本舞踊を学んでいた。ツウは神楽舞のエキスパートなのに、何故神楽舞ではなく日本舞踊なのか? それはエギルの使う武器である。両手斧を使う彼に少しでも違和感を感じさせず、戦闘に通じるナンバの動きを覚えさせるには、両手にそれぞれ鈴や扇や小剣を持って舞う神楽舞よりは、演目によっては長物を持つ事の有る日本舞踊の方が適している、そうヒョウが判断したのだ。それに日本舞踊ならアスナも通じている、手分けして教える事が可能だ、攻略と商人スキルの二足のわらじを履き、時間に制約の有るエギルには、その方が都合がいいだろう。

 その提案に一も二もなく飛び付いたエギルは、その稽古においてとんでもない地獄を味わう羽目に陥るとは、夢にも思っていなかった。ツウとアスナが相談して、教える事に決めた演目はなんと娘踊りの『藤娘』だった、目を剥いて理由を問い質したエギルに、二人は

 

「だって私達」

「娘踊りしか知らないもん」

「「ね~」」

 

 と、あっけらかんとした笑顔で答えるのだった。頭を抱えたエギルの受難はこれに止まらない、よりにもよってツウはエギルの稽古用に、娘用の着物を製作したのだ。それも浴衣の様な簡単な物ではない、舞台に上げても恥ずかしくない程の絢爛豪華な着物である、ツウ入魂の力作だった。そんな事とは露知らず、受け取ったデーターをインストールして装備したエギルは全てを知って愕然とする。口角泡を飛ばして、激しく抗議するエギルに、涼しい顔でツウは答える。

 

「日本舞踊は、足さばきが大切です。普段着で稽古して変な癖がついたら、正しいナンバの動きは身に付きません」

 

 取り付く島の無いツウに、それでも良いんですか~? と笑顔でがぶり寄られ、敢えなくエギルは無条件降伏。釈然としない気持ちに打ち震える己の艶姿を見て、坂東エギ三郎と笑い転げるキリトに向かい

 

「テメエ、キリト! 後で覚えてろよ!! 」

 

 と、メンチを切って現在に至る。娘用の艶やかな着物と、それに似合わない巨大な両手斧を藤の枝替わりに肩に担ぎ、エギルは「ナンバの動きを身につけるまでの辛抱だ、雑念を捨てろ、無だ! 無の境地だ!! 」と自分に強く言い聞かせ、人目を忍び早朝の稽古に励むのだった。

 

 エギルが理不尽な想いに支配され、どうしてこうなったと嘆いて舞い踊るその時、クラインもまた似たり寄ったりの状況に嘆く羽目に陥っていた。

 

「っくしょう! 厳しいクエストってのは聞いてたけどよ……、こいつはちっと反則じゃねえの……」

 

 勢いよく斧を振り下ろし、何本目かの薪を割ったクラインは、両手を蝕む痛みに顔をしかめていた。斧から手を離し、息を吹き掛けるその手は、酷いあかぎれで血が滲んでいた。

 

 

 ナンバの動きを身につけたクラインは、ある程度の人数の面倒を見終わった後、ヒョウからもたらされた情報でカタナスキル獲得イベントに挑戦していた。

 イベント名は『落日の名門道場』といい、曲刀熟練度が五百を越えるとクエストフラグが発生する。フィールドダンジョン探索中に、江戸時代の峠道の様なインスタンスマップに迷い込むと、クエストの始りである。いかにも江戸時代な峠の茶店に腰を下ろして、団子を注文する。出された団子を食べ終えた頃、共に頭上に『? 』を乗せて曲刀使いの一群と一人の侍が、激しく斬り合いながらプレイヤーの前に現れる。プレイヤーがここで仲裁に入ると頭上の『? 』は『! 』に変化し、曲刀使いの一群のリーダーと侍が、それぞれの立場のプレイヤーに告げる。曲刀一派の言い分は、借金のカタに道場を頂く約束なのに、それを果たさないので談判に行ったら斬りかかられた、この様な無法は許せない、というものである。で、もう一方の侍の言い分は、その借金は、そもそも別の者からしたもので、道場の敷地を欲した曲刀一派が法外な高値で証文を買い上げ、元々の期日を大幅に繰り上げ、証文の買取り料金を上乗せして立ち退きを迫って来た、この様な無法は許せないというものだ。そして双方がご意見無用と言って斬り合いを始めるのだが、ここでプレイヤーがどちらかに加勢をするのかで、クエストの分岐先が決まる。曲刀一派に味方すると、侍に勝った時点でクエスト終了、褒美として魔剣『バルザイの偃月刀』が貰えるのだが、この場合侍は鬼強いので要注意である。そして、侍に味方すると、カタナスキル獲得イベントが始まる。

 

 曲刀一派を退けた後、侍はプレイヤーに礼をしたいと言って、自分の道場に案内するのだ、そしてそこで道場の窮乏を愚痴り、我が流派も自分で終わりとは情けないと自嘲する。そこでプレイヤーの選択肢、再興に役立てて欲しいとコルを渡す、もしくは一緒に頑張って再興しようと弟子入りする、最後に大変ですね頑張ってと言って立ち去る、の三つが現れる。三つ目の立ち去るは、家宝の掛け軸を貰っておしまいだが、これは論外である。一つ目のコルを渡すは、曲刀スキルをフルコンプリートした時に、カタナスキルが派生するのだが、これだとスキルが手に入ったとしても、ゲームの半ば過ぎとなり、現実的ではない。そこで選択肢は当然二つ目の弟子入りになるのだが、修行が厳しい上に四段階の評価が有る。一番低いのが『切り紙』で、次に低いのが『目録』だ、この二つで終わると終了してもすぐにカタナスキルは手に入らない。切り紙だと曲刀習熟度が八百、目録だと曲刀習熟度が七百でカタナスキルが派生する事になる。だから狙うのは三つ目の『皆伝』と、一番上の『奥伝』である。皆伝でクリアすると、カタナスキルと無銘刀が獲得できる。そして奥伝では、カタナスキルと鬼斬り虎徹が獲得できる。ヒョウの場合一番乗り満点クリアだったので、エクストラボーナスとして鬼斬り虎徹真打ちを手に入れる事が出来たのだ。

 肝心の修行の内容だが、ただ単に道場で剣術の稽古をするだけでは無い、早朝の薪割りに始まり、自主練の素振り、朝食の仕度と片付け、道場での形稽古、昼食の仕度と片付け、道場でぶつかり稽古、本日の稽古の総ざらいとしてモンスター退治、夕食の仕度と片付け、風呂の準備、道場の掃除、師匠へのマッサージ、就寝と一日の生活の全てを注ぎ込んで行われるのだ。厳しいのが道場の掃除と薪割り、師匠へのマッサージである。まずは掃除でプレイヤーの心は削られる。クエストは師走の時期と設定されており朝晩冷え込みが厳しく、かじかむ手のひらに息を吹きかけながら井戸で水を汲み、広大な道場を雑巾がけの作業である。これにより初日で『あかぎれ』が切れてしまい、手にダメージを負うのだ。このあかぎれの痛みに対し、ペインアブソーバーはキャンセルされてる、そして日々の薪割り、素振りに水仕事であかぎれは進行していき、痛みは日を追う毎に深刻化していく。

 

 稽古はもとより、そういった作業をクエスト最終日まで真面目に消化して行くと、最後の総仕上げの奥義伝授という道場主《ラスボス》との一騎打ちでは、当然の如く手は木剣を握るのも困難になる程にあかぎれは深刻化していく。そのあかぎれの痛みを捩じ伏せて、道場主と対峙せねばならないのだが、実はあかぎれを最小限に留める裏技がある、それは掃除等の水仕事を、できうる限り手抜きすれば良いのだ。但しこれには大きな落とし穴がある、実はこのあかぎれの痛みこそ、このクエスト攻略度のバロメーターなのだ。あかぎれの進行度により、ラスボスの道場主の強さが決定され、進行度マックスの場合で辛うじて勝てる程度、進行度最低の場合は全く太刀打ちできないレベルへと変化するのだ。つまりこのあかぎれ度が、四段階評価の最も重要なポイントとなるのだ。サボった者は切り紙か目録で終了、真面目にこなした者は勝てずとも皆伝クリア、勝てば文句なく奥伝終了となる。ヒョウからその事を事前に聞かされていたクラインは、サボる事なく全てに取り組んでいた。道場の裏庭で、ようやく早朝の薪割りを終えたクラインは、首にかけた手拭いで汗を拭くと、傍らの庭木に立て掛けていた木剣を握る。冷えた木剣の柄が、クラインのあかぎれに染みる。

 

「つっくぅ~! 」

 

 誰も見てないし、今日はもういいか。

 

 刺し込む様な痛みに顔をしかめたクラインの頭に、不埒で甘美な誘惑が舞い降りる。

 

 いやいやいやいや、駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ!! ヒョウだってちゃんと耐え抜いたんだ、年上の俺が負けてられるか!!

 

 クラインはブンブンと頭を振って、誘惑を追い払うと、気合いを入れ直す為に顔を自らの拳で、ガシガシと殴りつける。

 

「いょっしゃあ~~~! 俺は負けねぇからなぁ~、ヒョウ~! 素振り千回~、とりゃあ~!! 」

 

 今日もクラインは朝日に向かってそう吠えると、一心不乱に素振りを始めるのだった。

 

 

 

 

 クラインが元気に吠えている頃、朝稽古を終え、朝食を済ませたヒョウ達は、キリト、アスナと合流し、レベリングを兼ねた攻略を行っていた。主目的はエギルのナンバ習熟確認と、ツウのレベリングである。ヒョウはここに自身のカタナソードスキルの確認も加え、狩りの目的としていた。ヒョウは口にこそ出していなかったが、カタナスキルを得てからずっと感じている違和感が有ったのだ。

 

「ヒョウ! 行ったぞ!! 」

 

 勢子を務めたキリトが、カマキリ型のモンスターを追い立てる。

 

「オーライ、エギルさん、どうぞ! 」

 

 ヒョウはモンスターの鎌の一撃をいなし、蹈鞴を踏ませたところに狙い澄ましてソードスキル『浮舟』を放った。モンスターは抵抗出来ずに浮き上がらされ、無防備な背面を晒し、エギルの前に飛ばされる。

 

「テンツク、テレツク、ツクツク、テン! 」

 

 待ってましたとばかりに、エギルは学んだ日本舞踊の要領でソードスキルのプレモーションを行い、両手斧ソードスキル『スマッシュ』を放つ。吸い込まれる様に決まった『スマッシュ』は、見事にモンスターの細い腰部に炸裂し、HPの大部分を削り取って弾き飛ばす。今までにない会心の一撃に、エギルは驚いて目を見開いた。すると

 

「いやぁあああ! 来ないでぇ〜!! 」

 

 まさか自分の方にモンスターが飛ばされて来るとは露ほども思っていなかったツウが、恐怖にひきつって悲鳴をあげる。彼女はしっかりと両目をつぶって顔を背けると、無我夢中でモンスターに向かって思い切り短剣を突き出した。

 

「キィエエエエエー」

 

 モンスターの腹部に、パニクるツウがデタラメに突き出した短剣が深々と飲み込まれる。その一撃が止めとなり、モンスターは断末魔の叫び声をあげ、ポリゴンの欠片に爆ぜて虚空に消えていった。

 

「エギルさん、感じはどうですか? 」

 

 ヒョウがナンバの動きの感じが掴めたのか、エギルに確かめる。

 

「いや、これ程の効果が有るとは……、ミラクルだぜ! Thank You ヒョウ」

 

 愛嬌たっぷりのウインクをしながら、感謝のサムズアップを贈るエギルを突飛ばし、ツウが泣きながらヒョウにしがみつく。

 

「エーン、タケちゃ~ん、怖かったよぉ~! 」

「よしよし、コヅ姉偉い偉い」

 

 頭を優しく撫でるヒョウに、ツウは涙目で訴える。

 

「虫嫌い! だいっ嫌い! 虫嫌! 絶対に嫌ァ!! 」

 

 ゲシュタルト崩壊寸前のツウに、ヒョウは優しくあやす様に問いかける。

 

「じゃあ、次はどんなモンスターを狩ろうか? 」

「あのね、うんとね、ボアとかバッファローとか、コカトリス系が良いな、あとオオトカゲ。同じ怖い思いをするなら、食材ドロップする奴がいい」

 

 上目遣いで答えるツウに、ヒョウはうーんと唸ってしまう。

 

「このフィールド、直立歩行のモンスターが多いからなぁ……」

 

 ヒョウが辺りを見渡して、適当なモンスターを見繕う。ヒョウの視線の先、距離にして十メートル程離れた所に、こちらに無防備な背面を晒すミノタウロスの姿が有った。

 

「よし、とりあえずあれで良いか。コヅ姉、行くよ! 」

 

 ヒョウはそう言うと、ツウの背後に周り、彼女の両手首を握ると、短剣ソードスキルのプレモーションを始めた。これに驚いたツウは、声を限りにその中止を訴える。

 

「ちょっと! タケちゃん! 何してるの!? 止めて! 止めて! 私まだ心の準備が!! 」

 

 涙目で猛抗議するツウの頬に、ヒョウは涼やかな笑顔を浮かべ、背後から頬を寄せる。

 

「背後を取ってるから大丈夫、コヅ姉、落ち着いて。」

「でもね、タケちゃん! 私ね……」

「そーれ、インフィニット! 」

 

 なおも言い募るツウを無視し、ヒョウは無慈悲にもプレモーションを終え、手を離す。

 

「嫌ァあああああ! 誰か止めて! お願いだから、誰か止めてぇ~!! 」

 

 自分の意思など全くお構い無しに無理矢理流星にされたツウは、けたたましい悲鳴と共にミノタウロスの背中に向かい飛んでいく。

 

「嫌ァあああああ! タケちゃんの馬鹿! 意地悪ゥ~!! 」

 

 見事にミノタウロスの背中に着弾したツウは、締まらない叫び声とは裏腹に、惚れ惚れする程見事な五連撃ソードスキル、インフィニットを全弾炸裂させた。

 

「フゴォオッ!! 」

 

 先手、不意討ち、背後攻撃等の攻撃力増加要素を加えたツウの重攻撃ソードスキルは、ミノタウロスのHPを全て刈り取り、見事ポリゴンの欠片にして虚空に散らした。

 

「コヅ姉お見事、流石! 」

「流石じゃ無いよ、酷いよ、タケちゃん」

 

 地面にへたりこみ、ウルウルと涙目で見上げるツウの傍らにしゃがみ、笑顔を浮かべるヒョウ。

 

「今のでレベルアップだね、おめでとう、コヅ姉。で、ドロップアイテムは出た? 」

「うん、ありがとう、タケちゃん。ミノタウロスのサーロインだって、A級食材よ! 」

 

 それまでの泣き顔から打って変わって、満面の笑顔でドヤ顔を決めるツウの頭を撫でヒョウは微笑み、二人はそのままキャッキャウフフのラブコメモードに突入する。

 そんなヒョウとツウを、やや離れた場所から半ば呆れ顔で眺めるエギルは、信じられないといった口調で口を開く。

 

「おいおい、熱々の割には、随分と乱暴なレベリングだなぁ」

 

 誰に言うでもなく、そうこぼすエギルに、細剣を鞘に納めながら歩み寄るアスナが答える。

 

「私達も、初めてあれを見た時はびっくりしたわ。でも、あれがあの二人のやり方なのよね」

「でも、何か有ったら……」

 

 納得が行かないエギルがに、今度はキリトがその疑念を払拭する。

 

「大丈夫さ、ヒョウもいるし。それにあんなんだけどツウさん、レベルとスペック的には、ヒョウとどっこいだって言ってたし」

「それ私も聞いたわ。モンスター恐怖症、戦闘恐怖症さえなければ、一緒にボス攻略が出来たかも知れないのに、残念」

「そうだな、ツウさんが攻略メンバーに入ってくれたら、俺達随分と楽になるだろうな」

 

 キリトとアスナの話しを、そんなまさかと一笑に付そうとしたエギルだったが、ついさっきの出来事を思い出し、ハッとする。いくら攻撃力増加要素が有ったとしても、ミノタウロスのHPはカマキリよりも多い、それをツウはソードスキルの一撃で倒しきってしまった。それに引き換え、自分は攻撃力に勝る両手斧を以てしても、一撃でカマキリのHPを刈り取る事が出来なかった……

 

「いやはやなんとも、恐れ入ったぜ……」

 

 エギルはニヤリと不敵な笑みを浮かべる。タバコが欲しいな、そう思ったエギルの心に負けじ魂に火がついた。

 

 面白ぇ、面白ぇぜ、ソードアートオンライン。見てろよ、こんな小僧共に負けてたまるかよ!

 

 それから四人はレベリングの狩りを続け、それぞれの目標数値のレベルアップを遂げたのだった。食材アイテムを大量ゲットしてホクホク顔のツウとアスナ。陽が西に傾き、誰ともなく今日はもう帰ろうという空気になった時、キリトに一通のメールが届いた。メールの差出人はクラインである、その内容はサクラサク、カタナスキルゲットの符丁だった。

 

「やったな! あいつめ」

「今日はお祝いにしましょう、パーティーよ! 」

「おう、良いアイデアだな、賛成だ」

「そうと決まったら、早く帰って準備しなくちゃ。腕が鳴るわ、急ぎましょう」

 

 皆が浮かれた空気に包まれたその時である。

 

「ブモォオオオオ!! 」

 

 いきなりオークタイプのモンスターが三体ポップして、棍棒を高々と振り上げて襲いかかってきた。オークの内の一体は、他の二体に比べて巨体を誇る中ボスクラスのキングタイプだ。不意を突いてオークが放ったハウルに、キリト達の初動が一瞬遅れた。

 

「くっ!! 」

 

 オーク達の奇襲は完璧に成功したかに見えた、しかし

 

「はぁああっ!! 」

 

 掛け声と共に、ヒョウの腰から白刃が煌めき、オークキングの振り下ろす棍棒を斬り上げ弾く、そして目にも留まらぬ速さで袈裟斬りを浴びせた。よろめくオークキングに、ヒョウの追撃のソードスキル、鷲羽が炸裂する。

 

「!! 」

 

 鷲羽を放ちながら、ヒョウはカタナスキルに感じていた違和感についての確信を得る。そしてオークキングは悲鳴をあげる暇も無く、ガラスの割れる様な音を響かせてポリゴンの欠片に弾ぜて消えた。

 

「せぇいっ! 」

「ふん! 」

 

 二体のオークのタゲがヒョウに移った一瞬の隙を突き、キリトとエギルがソードスキル、バーチカル・スクエアとアルティメット・ブレイカーを叩き込んで仕止めた。

 

「助かったぜ、ヒョウ」

「ああ、命拾いしたぜ。グッジョブ、ヒョウ」

「ごめんなさい、ヒョウ君。油断してたわ」

「ありがとう、タケちゃん大好き」

 

 心からの感謝の言葉を口にする四人に、ヒョウは笑顔で納刀しながら軽口を叩く。

 

「狩りは、帰って玄関に入るまでが狩り。さぁ、帰ろうぜ」

 

 家路の途中、全周警戒をしながら、ヒョウはカタナスキルを得てから感じている違和感について、一つの結論を出していた。

 

 カタナのソードスキルにヒョウが感じていた違和感、それは、これ以上無く『しっくり』馴染んでいる事であった、まるで物心ついた頃から修練を重ね研鑽してきたかのように……。

 ソードスキルとは、他のMMORPGの魔法や必殺技に当たる物であり、このソードアートオンラインというゲームの肝である。フルダイブ仮想空間を十全に体感するために、発動コマンドはプレモーションという動作を正しく行う仕様になっており、発動すると勝手にアバターが動いてくれるのだ。ナーブギアがリアルの身体の感覚を遮断し、アバターを身体として脳に認識させるので、ソードスキル発動中は誰もが技に体が引っ張られる様な感覚を味わう事になる。ソードスキルの能力向上の裏技として有名なものに、ただ引っ張られるのではなく、自らも動きをトレースして動く、というのが有るが、これが言う程簡単な物では無い。タイミングや動きが少しでもズレてしまうと、ソードスキルはキャンセルされてしまい、技後硬直状態となり大ピンチに陥ってしまうからだ。ヒョウもこの事を熟知しており、曲刀をメインに使っていた時は、細心の注意をしていたのだが、カタナスキルを得てからは状況が一変した。カタナを使ったソードスキルを発動させた時、ヒョウはそれまでの引っ張られる感覚では無く、後押しされる感覚を感じたのだ。あれ? と思ったヒョウは、確認の為にもう一度曲刀を装備してソードスキルを放ってみると、やはり引っ張られる感覚を感じた。もしかしてカタナスキルは……?

 ヒョウは頭の中で、先程放った鷲羽の動きを反芻する。

 鷲羽、祝心眼流では『有明』という名前のその技は、ヒョウが修行を開始して、初めてぶち当たった壁である。技の動き自体の修得はさほど困難では無かったのだが、その動作の意味が今一つ理解出来なかったのだ。もやもやとした気持ちのまま、次の段階に進む事をよしとしないヒョウは、克服の為に師匠の巴から伝書を譲り受け貪り読んだ。初めはちんぷんかんぷんだったが、読書百篇意味自ずから通ずの言葉通り、音読黙読を重ねるうちに次第に理解出来る様になっていった。そして伝書で得た内容を確認する為、目を閉じて相手を想定し、何度も何度も型を繰り返す、その後また伝書を読み耽り、型の意味を頭の中に刻み込む。それを繰り返すうちに、いつしか有明=鷲羽はヒョウの最も得意とする技になった。先程のピンチで、無意識のうちに鷲羽を発動したヒョウは確信する。

 

 ソードアートオンラインのカタナによるソードスキル、そのモーションの原形になっているのは俺の動きだ!

 

 ヒョウはリアルで演武活動の一環として、動画ソフトへの出演も何度かした経験がある。それから解析したのか、あるいは……

 

 記憶の糸を紐解くヒョウは、最も現実性の高い記憶を呼び覚ます。それはジャッキー事務所と提携して最初の仕事、運動生理学がなんとか、という実験に協力して欲しいという内容の、とある大学からの仕事依頼だった。ある種の胡散臭さを感じた事務所サイドは、演武とはいえ公演ではないから断っても良い旨と共に伝えてきたが、最初にミソをつけるのは縁起が悪いと判断したヒョウは、快諾して指定された大学に向かった。大学では神代某という女性の研究者が待っており、一通りの剣技をモーションキャプチャーで記録、解析させて欲しいと言ってきた。暫し黙考した後、今の時代に剣術の秘技も何も無いか、と判断して公演で披露している剣技の全てを提供した出来事がある、あれか……。

 

 ならば、とヒョウは思考を進める、あの時俺が披露した剣技は、各武装が持つソードスキルの倍は有る。カタナだけに多彩なソードスキルを偏在させるのは、他の武装に対してバランスが悪い、ならば考えられる可能性は二つ。

 一つは、編集して切り捨てられた、そしてもう一つは……

 

 技を二つの系統に分類して、再編した。

 

 もし、そうであれば!?

 

 ヒョウは新たなスキルの存在を予感し、帰りの道すがらその獲得の方法について思案を始めたのだった。

 




次回 二十五層事件

……改め……


次回 強さの限界

……改め……


次回、強さの責任


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十二話 強さの責任

「ううーん、今日もいい天気ね、ヒョウ」

 

 歩きながら大きく伸びをした後、爽やかな朝日も恥じ入る様な笑顔を輝かせ、ツウはヒョウを振り返り見上げる。

 

「うん、今日も最高の攻略日和だ」

 

 ヒョウは優しく笑みを返し、振り返りながら後ろ向きに歩くツウに肩を並べた。するとツウは上機嫌のニコニコ笑顔でヒョウの左腕に両手を絡ませ、ちょうどいい高さに有るヒョウの肩に頭を預けて歩き出す。そのままいちゃラブデートの様に暫く歩くと、二人の眼前に、眩い程の水面の光が輝きが見えてきた。他愛の無い話を交わしつつ、二人が歩を進めると、やがて視界に舳先にCraneと標された一艘のゴンドラ船が入ってきた。こじんまりとした船着き場には、他にゴンドラ船の姿は無かった。ツウはてきぱきと結(もやい)を解いて出航準備を行うヒョウの姿を、嬉しそうに眺めていた。

 

 前線近くに移動しようか悩んだけど、やっぱり此処にベースを構えて良かったわ。タケちゃん、イキイキしてる。

 

 攻略が進み、第一層のNPCシェアハウスでは何かと不便になった二人は、この際だから貯まったコルで家を買おうという事となり。そこでエギルに渡りをつけ、物件情報を睨んでいた二人だったが、前線近くの良物件は、軒並みギルドハウスとして抑えられており、残っていたのは誰も手が出せなかった超高額物件か、もしくは一人が住むのがやっとのワンルームマンションだけだった。

 ヒョウの心のケアを重要視するツウにとって、ワンルームマンションは論外である、出して出せない事は無いが、超高額物件の購入には二の足を踏む。ううーんと唸るツウに、エギルが取っておきの情報と言って提供したのが、二人が購入した物件だった。

 

「四層の小島が丸ごと買えるんだが、どうする? 」

 

 コイツはとあるトレジャーハンターを自称するプレイヤーが、四層の外れの街で探り当てたクエストで手に入れた島なんだが……、と切り出したエギルの話は、ざっとこんな内容だった。

 きっと島には宝が隠されているに違いない。そうそのトレジャーハンターは確信して、艱難辛苦の末にクエストを攻略したのは良いが、手に入れた島に勇躍上陸してくまなく調べたがお宝は存在せず、失意の上でもて余したあげく、せめて徒労感を癒す金額で売りに出した物件なのだそうだ。初めはクエストを解くのにかかった費用に、やや色をつけた価格で売られていたが、家も何も無い『ただの島』には誰も買い手がつかず、今ではタダ同然の値段で投げ売りされている……

 その情報にツウは飛び付いた。

 ヒョウを伴いエギルの案内で島の下見をしたツウは、二つ返事で購入を決め、ベータテスト時に発見した『憧れのスイートホーム』というクエスト、結婚したカップルプレイヤーで一定水準のレベルとコルを持っていなければ発生しない秘蔵のクエストを解き、島に家を建てて現在に至る。家が建つ過程で目覚めたヒョウが、DIYを重ねるうちに、日曜大工スキルを経て建築スキルをゲットしたのはツウにとって嬉しい誤算だった。風光明媚なこの場所で、戦闘スキル以外のスキルを得たのはヒョウにとって良い気分転換になる、この島を買って本当に良かったとツウは心の底からそう思っていた。

 

「さあ、ツウ、乗って。」

 

 出航準備が調い、ツウの手を引くヒョウの手は大きな抵抗を受け、ゴンドラ船への歩みを阻まれる。

 

「どうしたの、ツウ? 」

 

 足を進めようとしないツウに、ヒョウは振り返って聞くと、彼女は上目遣いにはにかみながらこう答えた。

 

「……抱っこ。」

 

 

 

 

 二人がSAO世界に囚われ四ヶ月余りが過ぎた今、攻略も順調に進み、二十層攻略へと手が掛かっていた。目に見えて攻略の加速がついたのは十三層以降である。ヒョウがナンバの秘密を開示し、こぞって攻略組のメンバー(主に少数派)が教えを受け、実践したのが理由である。ナンバの効果を体感した彼等は、劇的なその効果の為に秘匿すべきだ、いや、開示すべきだと軽い論争になり、攻略会議の議題になり紛糾する。しかし、そんな彼等の思惑を嘲笑うかの様にカタナスキル獲得の情報と、ナンバの情報がネズミ印のガイドブックに列記されてしまった。アインクラッドに激震が走る、特に中堅上位の攻略組を目指すプレイヤーの目の色が変わった。

 

 ナンバとは何ぞや!? それはどうすれば身に付けられる!? 大勢のプレイヤーがアルゴの許に迫り、その情報を求めたが、アルゴはその問いに対して

 

「サムライプレイヤーに声をかけてみナ」

 

 と答え、ニイッと笑って煙に巻く。押しても引いてもコルをどれだけ積んでも、それ以上はダンマリのアルゴに業を煮やしたプレイヤー達は、それからというものサムライプレイヤーの捜索に明け暮れた。

 

 サムライプレイヤーとは一体誰だ?

 

 カタナスキルを持つプレイヤーがまだ少ないこの頃、中堅プレイヤー達は情報は無くともその『サムライプレイヤー』の発見は容易であると思っていたが、これが意外な程に難航する。彼等は最前線の主街区に日参し、それらしい人物に声をかけるが、誰もが首を左右に振り「人違いだ」と言って立ち去った。この現状にナンバ修得を望む中堅プレイヤー達は、サムライプレイヤーはNPCである、いやいや、最前線の攻略フィールドの安全地帯にキャンプを張りながら日夜攻略に励んでいるのだと噂しあい、最前線は無理だから望み薄でも下の層に行ってそれらしいNPCを探そうと、肩を落とすのだった。

 

 彼等がヒョウに目を向けなかったのは、ヒョウがまだ年端のいかない少年だった事、そしてベースにしているのが、最前線に対して余りに低層だった事である。さらにヒョウ自ら演出した黒ずくめのスタイルで『ビーター疑惑』を醸し出していた事も加味し、声をかけるのが憚られたという事も有るが、最も大きな理由は中堅プレイヤー達が勝手に抱いた先入観だった。アルゴからサムライプレイヤーと聞いた彼等は、剣豪の様なゴツい男を連想し、結果として一見優男のヒョウは無視されたのだ。因みにクラインが同様に無視されたのはその容貌である、彼等はクラインを見るなり

 

 コイツはサムライプレイヤーではない、野武士だ

 

 と判断したのだ。

 

 お陰でヒョウは血眼で自分を探す中堅プレイヤーの目を逃れ、日々の平穏を享受しているのだった。そんなヒョウの日常は、生産職を極めようと邁進するツウの為に希少材料採集クエストに挑戦する事と、キリト達と攻略クエストに参加する事が大部分であった。そしてもう一つ、彼が一層攻略後から今日に至る迄、地道に続けている活動が、シンカー率いるMTDへの支援である。

 ヒョウがこれまで行って来た支援は、主だったもので狩場情報の提供、低レベルプレイヤーのレベリング護衛、資金援助と多岐に渡る。そして最も大きな貢献は、ギルド結成クエストに協力し、MTDを正式なギルドとして成立させた事だった。それまで参加者の自己申告を元に行っていた維持費の徴収が、正式ギルドとなった事で参加者から自動徴収される事となり、より安定した運営が可能になっていた。これらの多大な貢献に報いる為、シンカーとユリエールは、MTD幹部として自分達以上の待遇で招き入れようとしたが、ヒョウは首を左右に振ってそれを謝絶した。シンカー達の側近は、ヒョウのその態度に不遜だと陰で糾弾したが、それはお門違いというものだった。

 ヒョウが彼等を支援した目的は、ギルド内での栄達ではなく、ソードアートオンラインの早期攻略であった。一秒でも早くクリアされれば、それだけツウの意識がリアルに帰還できる。ただしそれは自分一人の力では成し得ない、多くの攻略プレイヤーの力が必要となる。故にヒョウは惜しげもなく、ナンバの秘密を開示して、彼等の実力の底上げを図ったのだった。MTDに協力するのも同じ理由で、ボトムプレイヤーの実力向上が、攻略プレイヤーの層を厚くし、それが切磋琢磨に繋がって実力を上げるという相乗効果を狙っての事だった。その結果が早期攻略につながり、このアインクラッドという名の強制収容所の扉を打ち破る事が可能である、そうヒョウは目論んでいたのだ。事実ヒョウの思惑通り、攻略は日を追う毎に加速度を増している。もっと正直にヒョウの内心を明かすと、本当の所彼は自身がボス戦に参加する事すらも、意味を見出だしていなかったのだ。攻略すら自分の手で行うのも忌避していた。彼は片時も離れずツウの側に立ち、彼女を守る事を望んでいたのだ。しかしながら現状はそれが不可能であり、仕方なく攻略を進めている、というのが本音であった。如何に厚待遇を約束されても、ギルドの規約に縛られ、ツウを守る事が出来なくなっては意味が無い、参加など以ての外なのだ。

 

「どうしょうもない利己主義だな……」

 

 櫂をこぎながらヒョウは、舳先に座り時折振り返り笑顔で見上げるツウの細いうなじを見つめながら、自嘲的に心の中でそう呟いた。主街区の船着き場にゴンドラ船をつけ、四層転移門前広場から転移門をくぐり抜け、二人の向った先は第一層のMTD本部だった。

 

「こんちわ」

「こんにちは」

 

 軽い挨拶をしながら扉をくぐると、二人はあっという間に子供のプレイヤーに囲まれる。

 

「あっ、ヒョウ兄ちゃんだ! 」

「わーい、ツウ姉ちゃんもいる! 」

 

 子供達は先を争って二人を取り囲むと、手を引いたり後ろから押したりして中に招き入れた。その様子を微笑みながら見つめ、シンカーとユリエールが二人を出迎える。

 

「やあ、待ってたよ、ヒョウ君、ツウさん 」

「二人ともモテモテね、羨ましいわ」

 

 子供達にもみくちゃにされる二人に、もう一人の男が声をかけた。

 

「取り込み中すまんが、私の方は準備が出来ている。早く出発したいのだが、構わないだろうか? 」

 

 赤地に白の装備が特徴的なその男は、年の頃は二十代後半から三十代前半といった所か。後ろで束ねたオールバックの長髪を、秀でた額に前髪を一房垂らし、知的な輝きを瞳にたたえた学者然とした男がヒョウに声をかけた。すると子供達はサッと隠れる様に、ヒョウとツウの後ろにまわった。

 

「やれやれ、どうにも私は嫌われている様だ」

 

 苦笑しながら歩み寄る男に、ヒョウは曖昧な笑顔を浮かべて答える。

 

「気にするなんて、柄じゃないだろ、ヒース」

「私だって傷つくんだが」

「そうかい? じゃあ行こうか」

「ああ、じゃあ今日も宜しく頼むよ」

 

 ヒョウがヒースと呼んだ男、ヒースクリフと連れ立って扉に向かうヒョウの腰に、子供達が抱きついて引き止めた。

 

「ヒョウ兄ちゃん、行かないでよ」

「今日は遊んでくれるんでしょう」

 

 見上げる子供達の肩に手を置き、ユリエールとツウが慰める。

 

「みんな、良い子だから聞き分けて」

「代わりにお姉ちゃんが、いっぱい遊んであげるから」

 

 ツウとユリエールを見上げる子供達の後ろ頭の上に、ヒョウが優しく手をのせて話しかける。

 

「ゴメンな、また今度」

「本当だね」

「約束だよ」

「ああ、約束だ」

 

 口々にせがむ子供達に、ヒョウは笑顔で答えた。ヒョウのその答えに、子供達の顔はみるみる明るくなる。ヒョウはそれを確認すると、優しい瞳でツウの瞳を見つめた。

 

「じゃあ、行ってくる」

「ええ、行ってらっしゃい。さあ、みんなもヒョウ兄ちゃんに行ってらっしゃいって」

「ヒョウ兄ちゃん、行ってらっしゃい」

「行ってらっしゃい」

 

 ツウに促され、元気に送り出す子供達に「行ってきます」と答え、軽く手を振り建物の外に出るヒョウの後に続き、ヒースクリフが外に出る間際に子供達に振り返る。

 

「すまんね、みんな」

 

 そう言って出て行くヒースクリフの背中に、子供達の罵声が浴びせられる。

 

「イィーだ」

「あっかんべー」

「こら、あなた達」

「ダメよ、そんな事言っちゃ」

 

 子供達をたしなめ、宥めるユリエールとツウの姿を暫く微笑みの眼差しを向けたシンカーは、ユリエールに声をかける。

 

「じゃあ、我々も出発しようか」

「ええ、そうね。ツウさん、子供達をお願いね」

「はい、任せてください」

 

 ツウの返事を合図にしたかのように奥のドアが開き、二十数名のプレイヤーが装備に身を固めて現れる。彼等は皆、程度の差こそあれ一様に緊張の面持ちを浮かべている。彼等はフルダイブ環境に魅せられて、ナーヴギアとSAOを購入した、MMORPGとは今まで縁遠い生活を送ってきた人達である。彼等の様なプレイヤーを一人でも多く救うのが、シンカーとユリエールの望みであり、それを体現するために立ち上げたのがMTDであった。

 

「では皆さん、今から出発します。今日向かう五層の狩場は、今までより難易度が高い狩場ですが、昨日までの積み重ねを思い出し、落ち着いて対応すれば充分に攻略可能な狩場です。」

「パーティーの確認は大丈夫ですか? くどい様ですが、決してパニックに陥らない様に、些細な事でも声をかけ合い連携を密に、これが攻略の基本です、では行きましょう」

 

 シンカーとユリエールは、彼等素人プレイヤーに、しつこい程同じ注意を叩き込んでいた。何故ならこのSAOは、普通一般に出回っているMMORPGではないからだ。HPゲージが尽きた瞬間に脳を焼かれ、ゲーム世界のみならず現世からの退場を余儀なくされるデスゲームだからだ。二人の真摯な思いが、全員に伝わり一人一人の胸にしっかりと刻まれる。

 シンカー、ユリエールに続いて、彼等がギルド本部の外に出ようとすると、子供達が口々に彼等に叫ぶ様に声をかけた。

 

「お父さん、行ってらっしゃい! 」

「お母さん、頑張ってね、行ってらっしゃい!」

 

 そう、彼等は現実世界でも、本当の親子なのであった。メディアで公開されたフルダイブ環境に限り無い未来と魅力を感じた彼等は、親子揃ってナーヴギアを被りSAOへとログインしたのだった。ある者は子供の情操教育のため、ある者は安全な子供の遊び場を求め、またある者は純粋にIT実体教育と様々である。しかし、それはデスゲームへの片道切符だった、一般的なゲーム知識しか持たない彼等は、生き延びて子供を守り育てるためにMTDの門を叩いたのだ。そして今日は初心者レベルから卒業しつつある彼等の、初歩的応用の訓練のための、大規模な狩りが企画されていた。今日二人がMTD本部にやって来た理由は、ヒョウはヒースクリフのレベリング護衛、そしてツウは留守番の子供達の守役であった。見えなくなるまで親の背中を見送る子供達を、ツウは優しく見守るのであった。

 

 

「よし、ヒース、そっちに行ったぞ! 止め、任せた! 」

「任された、ヒョウ君! 」

 

 ヒョウとヒースクリフが選んだ狩場は、十五層迷宮区のダンジョンである。勢子を勤めたヒョウの合図で、ヒースクリフはスケルトンが苦し紛れに振り回す剣を、流れに逆らわずに盾でいなして体勢を崩し、身体が泳いでガラ空きになった腰骨に片手剣を撫でる様に振り下ろす。

 

 大したもんだ

 

 ヒョウはヒースクリフの卓越した戦闘センスに内心で舌を巻いた。

 

「是非、会って欲しい人がいる」

 

 そうシンカーからメールを受け取ったのが約一ヶ月前、時にして十三層攻略後間もない頃である。これまでMTDを絡めた仲介をする事があっても、個人的な紹介をした事が無いシンカーが是非にという相手、興味を持ったヒョウがMTDに行って会ったのがヒースクリフである。

 シンカーによると、子供プレイヤーのレベリングのため、自ら引率して三層の迷宮区で狩りを行っていた時、モンスターに襲われ満身創痍の所を発見し、保護したらしい。

 何故あんな所にいたのか? どうして無抵抗で襲われていたのか? 色々質問をしてみても、男は首を左右に振って、リアルの事を含めて分からないを繰り返すだけだった。辛うじてヒースクリフという名前が分かり、MTDで保護する事を決めたシンカーは、他の会員同様のカリキュラムを組み訓練を行った所、驚くべき事に一週間程で、全てのMTD員の実力を凌駕してしまった。

 目を見張る戦闘能力とVRMMOの知識の欠落というギャップ、そして記憶喪失症の疑いからシンカーはユリエールと協議し、自分達はヒースクリフにVRMMOの行動知識のみを教えるに止め、戦闘技術はヒョウに教授を求めた。シンカーはヒースクリフの戦闘センスに、ヒョウに対して抱いたのと同様の、ゲームクリアへの光を見出していたのだ。

 

 

 シンカーの、並々ならぬ紹介で、ヒョウはヒースクリフにマンツーマンで技術指導を行うと、彼は異常進化と言って差し支えない程の長足の進歩を遂げる事となる。ナンバの技術はもとより、祝心眼流古武術の入門体術で、船上での乱戦での立ち回りを目的とした小太刀格闘術の基本技術まで直ぐにマスターしたヒースクリフに、ヒョウは彼がもし大祝の家に生まれていたら、自分もコヅ姉もSAOに囚われる事など無かったろうなと、とりとめもなく考えていた。 それ程までの逸材ヒースクリフだが、ヒョウはヒースクリフを手放しで信用する気にはならなかった、ある種の違和感、胡散臭さに似た物を感じていたのである。それは何かと言うと……

 

「おおっと! 何だこれは!? 」

 

 スケルトンを倒したヒースクリフの足下が突然崩落し、ヒョウもろともに巻き込まれて落下する。崩落は大した高さではなく、せいぜい二メートル程度であり、ヒョウの能力であれば難なく着地出来る高さであった。

 

「痛たたた、面目無い」

 

 ヒョウには難なくでも、ヒースクリフにはパラメータ的に少し無理があった様で、受け身を少々しくじったらしい。

 

「大丈夫か、ヒース」

「ああ、大丈夫だ。まだまだヒョウ君の様にはいかんな、私も」

 

 差し伸べた手を謝辞しながら、立ち上がったヒースクリフの瞳の変化にヒョウは気づいた。ヒースクリフの表情は、まるで予期せぬ場所で長年探し求めていた古代遺跡を発見した考古学者の様なものだった。その表情と視線につられ、振り返って背後を見たヒョウは古びた、そして重厚な趣きのある石扉を視界に収め、こう思った。

 

 またか!?

 

 これで何度目だろう? ヒョウはヒースクリフとレベリングを行なうと、必ずと言っていいほど、この手のハプニングに遭遇していた。それは重要なスキル、アイテム取得の為の、未発見、未確認のクエストを、まるで何かに導かれる様に偶然遭遇してしまう事だ。そしてその偶然がヒースクリフの異常進化のもう一つの原因でもある。彼はこの偶然でエクストラスキル、統率力を始めとする様々なエクストラスキルと、現在存在するギルドを立ち上げた者達が等しく苦しんで取得したギルド結成イベントを行う事無く、ギルドを結成する権利を手に入れていた。偶然もここまで来ると、たとえ自分もその恩恵に預かっていても、ヒースクリフにある種の胡散臭さを感じてしまうのはヒョウとして当然であった。

 

「何の扉だろう、これは……」

 

 探究心旺盛な学者の様なヒースクリフだったが、何故かヒョウには白々しく感じられた。

 

 何か避けられない厄介事に誘導され、コヅ姉を守る事が出来なくなるのは御免だぜ……

 

 

 そう思ったヒョウは、とりあえずこの事は一端保留にして、他に誰か助っ人を呼んで準備を整えてから調査しよう、そうヒースクリフに提案しようとしたが、後の祭りだった。

 

「ちょっと待てヒース、準備を整えて出直した方が……」

「すまない、もう開けてしまったんだが……」

 

 ヒョウはその言葉に頭を抱える、あの理知的で思慮深いヒースクリフが、こういった事に遭遇すると、途端に天然な間抜けになってしまうのだ。言い方を変えると、繊細にして大胆とも言えるかも知れないが、毎度付き合うヒョウにしては、知っててやっているんじゃないかとつい疑ってしまう。

 

「で、今回はどんなクエストが始まったんだ? 」

「それが、特に始まった気配が無いんだが……、フェイクなのかな? 」

「そんな事は無いだろう……、なっ!? 」

 

 半信半疑で石扉にヒョウが触れると、クエスト開始のファンファーレが鳴り響いた。予想外の展開に目を剥くヒョウを、この事に関して以前から彼に突っ込まれていたのか、ヒースクリフがジト目で見る。

 

「今回は、私では無いからね」

「わーってらい! で、どんなクエストだ……」

 

 開かれた石扉の向こうに鎮座する石碑に刻まれた碑文によると、今回二人が遭遇したクエストは『選ばれし者達の試練』というクエストで、内容は次の通りになる。

 このダンジョンには圧政解放の為に立ち上がるも、志半ばで倒れた二人の勇者が、次代の勇者の為に託した聖なる武器が隠されている。チャレンジャーは次代の勇者たる資格がある事を示す為、ダンジョン内を徘徊するモンスターを倒しながら進み、最深部の奉納の間を守る二体のボスを倒さなければならない。見事、次代の勇者たる資質を示す事が叶えば、聖なる武器と新たなる力が与えられる、という内容だった。

 

「ほう、だから私一人では、クエストが開始されなかったのか。うむ、実に興味深い」

 

 文脈から察するに、クリアすればレア武器とレアスキルがゲット出来るクエストの様だが、またしてもヒースクリフと一緒の時である、これはもう偶然と片付けるには出来すぎている、彼には豪運というエクストラスキルでも持っているのだろうか?

 

「ヒョウ君、私はチャレンジしてみたいのだが」

 

 一度そこら辺の所を、正座させて問い詰めてやりたい衝動に駆られたヒョウであったが、偶然であろうと胡散臭さかろうと、自己強化のクエストである、やらない理由が無い。

 

「ま、それはそれこれはこれか。ああ、良いぜ」

 

 そうして開始したクエストだったが、十五層という階層のクエストにしては、ヒョウにとって噛みごたえの有るクエストだった。

 

「二十五層もこのレベルじゃねえな、三十層レベルか!? 」

 

 刀を振るい、看破スキルで徘徊するモンスターのレベルに目算をつけたヒョウの片頬が釣りあがる。彼は確かにツウを守る為に片時も彼女の側を離れたくはないという想いを最優先させてはいるが、しかしその一方、自身が修めた祝心眼流を縦横に振るい、自分自身の強さを確認したい、命懸けの闘いに身を委ねたいという狂おしいまでの願望があった。

 

 ヒョウの顔が喜悦に歪み、モンスターがポリゴンの欠片に爆ぜ、消えていく。

 

「せええええぃ! 」

 

 気合い一閃、奉納の間のボスを一体屠ったヒョウは、未だ手こずるヒースクリフを叱咤する。

 

「ヒース、盾は受け止めるものじゃ無い、受け流すものだ! 」

「いや、分かってはいるんだがね、実際この大きさの相手を前にすると、どうしても……」

「その大きさだから、ストリングスが全然違うんだ、盾の上からでも削られるぞ! 」

「承知した。受け流す受け流す」

 

 口を出すなら加勢しろ、そう言いたい所だが、このクエストのボスモンスターは、最初に剣をつけた相手のみがダメージを与えられる様に設定されている様で、ヒョウが斬りつけても全くダメージを与える事が出来なかった。ヒースクリフはヒョウのアドバイスを反芻しながら、ボスモンスターの攻撃を盾で受け流し、何度かの撃ち合いの中で上手く受け流す事に成功した。

 

「ほほう、こうすれば良いんだな、成程、理にかなっている。」

 

 ヒースクリフはそう言ってソードスキルを放つと、態勢を崩したボスモンスターはエフェクトの光を輝かせる片手剣の刃に吸い込まれる様に身体を泳がせ、ポリゴンの欠片に爆ぜて消えていった。

 

「やったよ、ヒョウ君。私も中々のものだろう」

 

 クエストクリアのファンファーレをバックに、ヒースクリフは得意気な笑みを浮かべながら、剣を鞘に納めた。

 

 

 クエストを終え、安全地帯でツウ特製の弁当を頬張りながら、二人は獲得したアイテムとスキルを確認していた。

 

「うん、流石にツウさんの弁当は格別だ。これを食べると、しばらく他の食べ物では物足りなくなるよ」

 

 感動の舌鼓を打ちながら、弁当を食べるヒースクリフが得た物で、主だった物は片手剣の納まった十字架状の盾『神聖剣』と、同名のエクストラスキル神聖剣である。片手剣と盾による攻防一体の剣技で、盾を防御だけでは無く、攻撃武器としても用いるのが特徴と言える。

 

「そうなのか? 俺はツウの手料理しか食った事が無いから、そういうのは分からないや」

 

 わかりやすい惚気で返すヒョウが得たのは『長柄黒耀騒速(ながつかこくようそはや)』『小刀白耀雷光(しょうとうびゃくようらいこう)』の大小一対の刀と、エクストラスキル『抜刀術』だ。

 二人が手に入れた剣は、どちらも今のアインクラッドでは魔剣と言って差し支えない程の業物であるが、剣の持つ破壊力以外にも特筆する能力があった。アインクラッド内に存在する全ての武器には、メンテの他にキャラクターの好みに応じて能力アップ出来る要素がある。能力は使用者のお好みに応じて、筋力要素や速度重視などのカスタマイズが出来る様になっている。能力アップした剣は、たとえばアニールブレードなら、一段階向上させるとアニールブレード+、二段階ならアニールブレード2+という風に表示される。二人の剣もご多分にもれず能力アップ出来る仕様になっているが、他の剣と大きく異なるのは、能力アップに回数という概念が無く、所有プレイヤーのレベルに応じて回数を解放するという、反則に近い仕様になっていた。さらにアップグレードをしてもプラス表示の追加も無いという、デュアルをすれば計り知れないアドバンテージがついていた。

 

「全く、羨ましい限りだね。君はその力も然ることながら、ツウさんといい、今回手に入れた刀とスキルといい、アインクラッドの幸せを独り占めしているんじゃないかと疑ってしまうよ」

 

 おいおい、どの口で言うんだ!? 目を剥いたヒョウに、ヒースクリフは大真面目の顔を向け、言葉を続ける。

 

「君はこのアインクラッドでは、おそらくは最強の力を持っている。その力をもっと役に立てたいとは思わないかね? 」

「最強ねぇ……。最強ならキリトもアスナもいるし、幸せ独り占めならヒース、お前さんだって……」

 

 茶化す様に話を混ぜっかえすヒョウに、ヒースクリフは莞爾とした笑を浮かべる。

 

「ああ、だから私は私の持つ力にふさわしい責任を背負う覚悟を決めたよ」

 

 ヒースクリフは立ち上がり、神聖剣を装備して引き抜くと、空に向かって掲げた。

 

「この神聖剣に誓おう、私は攻略ギルドを立ち上げ、全ての囚われのプレイヤー達を解放する事を」

 

 そこまで一気に言ってのけると、ヒースクリフは剣先をヒョウに向ける。

 

「そのギルドの名前は血盟騎士団という、君と私の血盟によって成るギルドだ」

 

 反論は許さない、という気を瞳と剣先に込め、ヒョウを見据えるヒースクリフだった。しかし肝心のヒョウは何の感動も示す事無く、向けられた剣先を箸でつまんで除ける。

 

「一人で盛り上がるなよ、俺はギルドに興味が無いんだ。悪いが参加も血盟も遠慮させて頂くよ」

 

 弁当を食べ終わったヒョウは、身体を伸ばして大きな欠伸を一つすると、そのままゴロリと寝転んで空を見上げた。

 

「何故君はギルドを忌避するのかね? 」

 

 剣を収めながら、怪訝な顔でヒースクリフが聞くがヒョウはそれには答えず、流れる雲を目で追いながら草笛を吹き始めた。

 

「やれやれ、まぁいいさ。でもヒョウ君、私は諦めないからね」

 

 ヒースクリフが呆れ顔でそう言った時、不意に視界に新着メール到着の点滅が始まった、それも緊急を知らせる赤い点滅である。

 

「何だ、こんな時に……」

 

 操作ウインドウを開き、差出人を確認すると、それはユリエールからの物だった。

 

 五層の狩場で、初心者プレイヤー達が場違いな高レベルのモンスターの群れに襲われ、大きな被害を被っている、至急救援を頼むという内容だった。

 

「なんだって!? 」

 

 同時にツウからの緊急メールを受け取ったヒョウが、うめき声を漏らす。

 

「君も五層の連絡かな? 」

「ああ、ヤバいらしい」

「みたいだね、急ごう」

 

 二人は窮地に陥った初心者プレイヤー達の救援に向かう為、最近出回り始めた貴重品『転移結晶』を頭上に掲げた。

 




次回、うそつき


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十三話 うそつき

 ヒョウとヒースクリフを見送った後、子連れというハンデを抱えるが為に低レベル、貧困を強いられてきたプレイヤー達を引率し、シンカーとユリエールをはじめとするMTDのメンバーが第五層の狩場にやって来た。シンカーが狩場に選んだフィールドは、主街区を出て次の街に行く途中にある沼沢地だった。ここをレベリングに選んだ理由はフィールド内に小さいながらも安全地帯が設けられている事、それと沼沢地だという点にあった。これまで平原地帯で基本的な狩りを学んできた彼等に、足場の悪い場所でのモンスターとの戦闘を経験させる事で、次のステップに繋げようとの考えだった。それともう一つ、この沼沢地には低レベルの毒沼が存在し、毒状態になった場合の対処方法も経験できるメリットがあった。いつもと違う初めてづくしの狩場で、レクチャーを受ける子連れプレイヤー達も緊張から消耗も早く激しくなると思われるが、規模が小さい故に圏外であっても、モンスターの侵入出来ない安全地帯がそれを最小限に留めてくれる。初歩を抜け出し独り立ちする為の狩場としては、まさにうってつけの場所であった。

 

 シンカーは到着後、出発前にセッティングした子連れプレイヤーのパーティーを再確認し、そこにMTDのインストラクターを二人づつ配して一レイドとするグループを四つ作り、訓練を開始した。

 訓練は概ね順調に進み、不慣れな狩場故の偶発的なトラブルも数度起こったが、子連れプレイヤー達はそれをも知識という、数値化できない経験値として確実に積み重ねていった。唯一シンカーが心配していた事は、初心者プレイヤーが陥りがちな、引き際の見切りである。特に彼等は子連れであり、ここがアインクラッドとはいえ育児に時間が取られる事から、こういった纏まった稼ぎを得られる機会に恵まれなかった為に

 

「もう少し、もう少し! 」

 

 と、引き際を見失う傾向にあった。それは自分を過信したMMO慣れしたプレイヤーにも見られる事で、アインクラッドでの死因のナンバーワンでもあった。

 この様に誰でも陥る陥穽ではあるが、子連れプレイヤーは子供にひもじい思いをさせたくないと、フィールドに出るとより顕著に見られる傾向にあった。シンカーはそれを熟知しており、MTDの門を叩いた子連れプレイヤー達に「自分の命を持ち帰る、それこそが子供への一番の土産なのです」しつこい程にそう繰り返してきた。どうやらその成果が現れている様子で、今回引率して来た皆は声掛けを密にし、お互いの連携、フォローを大事に行動し、決して無理な深追いは行わず、確実にモンスターを倒していた。

 

「この分なら、今日は大成功だね」

「ええ、きっと子供達に良いお土産が出来るわ」

「違いない。さぁ、私達も気を抜かずに、しっかりフォローしよう」

 

 射撃前の後方確認、勝って兜の緒を締めよ

 

 それこそが、このアインクラッドで必須の心得である。日頃から公言しているシンカーは、成功しつつ進行する状況だからこそ、いま一度気を引き締めた。そんなシンカーの元に、インストラクターを務める一人のMTD員が、血相を変えてやって来た。

 

「おおい、シンカー、大変だ!! 」

「どうした、血相を変えて」

 

 駆け込んだMTD員は、息を切らしがらもシンカーの両肩を万力の様な力で握り締め、叫ぶ様に緊急事態発生の報告をする。

 

「スッ、スライムが!! 」

「スライムがどうした!? 」

 

 泡を食うMTD員をなだめ、シンカーは次の言葉を促す。

 

「訳の分からないスライムが大量発生して、レイドが危機的状況に!! 」

「なんだって!? 」

 

 スライムは、MMORPGにおいては、雑魚キャラの代名詞である。たまに例外のプレミアムモンスターの場合も有るが、大概はどの階層でもレベルの肥やしにすらならない、まさに刀のサビと言って差し支えないモンスターである、そんなモンスターに初心者といえど蹂躙されるなど、シンカーにはすぐに信じられなかった。例外が現れたのか!? いや、この階層でスライムの発見報告は無い、アルゴのガイドブックにも記載されていなかった。

 

「ユリエール! 」

「ええ、シンカー、急ぎましょう! 」

 

 二人は危機に直面したレイドに向かって、一目散に駆け出した。

 

 

 

 そのスライムは、初心者レイドの前に突然現れた。ポップしたのではなく、とあるプレイヤーと共に、光の玉の中から現れたのだ。その光景を呆気に取られて見つめる初心者プレイヤー達を前に、スライムと共に現れたプレイヤーはニィッと凶悪な笑みを浮かべると、古びた片手剣で傍らのスライムを斬りつけた。

 

「!? 」

 

 初心者プレイヤー達はその後の出来事に驚愕した、斬りつけられたスライムが、二体に分裂したのである。スライムの傍らに立つプレイヤーは、スライムの背中を蹴りつけて初心者プレイヤー達にけしかけると、凶相に下卑た含み笑いを浮かべ、光の玉に包まれて消えていった。

 予期せぬ出来事に初心者プレイヤー達は一瞬怯むが、たかがスライムと思い直した引率のMTD員が、隊列を組み直して迎撃する様に指示を出した。

 

 たかがスライム

 

 MMORPGの常識が、命を分ける痛恨のミスを誘発してしまった。スライムのバイタリティはこの階層では有り得ない程高く、どれだけ斬ってもHPバーが減る事は無かった、そして……

 

「おい、コイツ、増えるぞ! 」

 

 斬ればその斬り口から分裂して増殖するスライムに、初心者プレイヤー達はパニックになる。

 

「どうしたらいいんだ!? わぁっ!!」

 

 スライムの異常さはバイタリティだけではなかった、スライムの突き出した触手に突き飛ばされたプレイヤーのHPバーが、一撃で危険域まで削り取られた。

 

 異様な強さを誇るスライムの登場に、インストラクターを務めるMTD員が初心者プレイヤー達を押し退け、最前列に立つ。

 

「皆は下がって、俺達で支えるぞ! 」

 

 MTD員達は急造のタンク隊となり、戦線を支えようと試みたが、彼等のレベルではこのスライムに僅かに敵しえず、さらに多勢に無勢とあってあっという間に初心者レイドは窮地に陥った。危機的状況をシンカーに伝えるべく、その場の指揮官となったMTD員は、防御力が減るのも顧みず部下の一人を伝令に立て、シンカーの元へと走らせたのだ。

 

「皆、無事ですか!? 」

 

 押取り刀で駆けつけたシンカーは、全員のポジションを基準にレイドを再編し、増殖したスライム軍団に対抗する。

 

「ユリエール! 至急ヒョウ君とヒースクリフに救援を! 」

「分かったわ」

 

 ユリエールはシンカーの指示に従い、急ぎ緊急メールを飛ばすが、ここで後に痛恨事となる過ちを犯してしまう。ユリエールは結婚しているツウに配慮して、ヒョウとは連絡先の交換をしていなかったのだ。そのためユリエールは、ツウを経由してヒョウにメールを送ってしまった。

 

「あら、ユリエールさん、何かしら? 定時連絡はさっき来たばかりなのに……」

 

 ツウがこのメールを受け取った場所は、MTDの厨房だった。子供達のためにお昼の準備をしている時、ふいに視界の中に点滅したメール受信の光は、緊急連絡を示す赤い点滅だった、胸騒ぎにツウの眉間に浅くしわが寄る。

 

「ツウお姉ちゃん、どうしたの?」

「ううん、なんでもないの」

 

 手伝いをしていた女の子が異変に気付き、心配そうな目で見上げると、ツウは取ってつけた様な笑顔を貼り付け、彼女から死角になる様にウィンドウを操作してメールを開く。

 

「!! 」

 

 余りの内容に絶句したツウの背中に、大質量の衝撃を受ける。

 

「ツウ姉ちゃん、お昼まだ!? えっ!? 」

 

 待ちきれなくなった男の子が一人、勢いよくツウの背中に飛びついた拍子に、メールの内容を目にしてしまう。子供とはいえ使用年齢制限があるナーヴギアである、皆リアルでは小学校四年生以上の生徒であり、ある程度の漢字は理解でき、メールの内容を理解してしまった。

 

「おおい、みんな、大変だ! 」

 

 男の子は脱兎のごとく厨房から駆け出して、事態はここにいる子供達全員の間に知れ渡ってしまった。親の危機を知った子供達は、皆不安そうな顔をして厨房に駆け込み、あっという間にツウを取り囲む。どの子の顔も、親の安否を心配して、縋るような瞳でツウを見上げていた。気の弱い子は既にベソをかいている。

 

「ツウお姉ちゃん……」

 

 ベソをかいて見上げる女の子を抱き締めて、ツウはあやす様に、それでいて力強く宣言をした。

 

「大丈夫よ、今ヒョウお兄ちゃんに、助けてってお願いしたから」

「ほんとう? 」

「ええ、本当よ。みんな知っているでしょう、ヒョウお兄ちゃんはアインクラッドで一番強いの。きっとすぐに駆けつけて、みんなのお父さんお母さんを助けてくれるわ、だから安心して。大丈夫、絶対大丈夫……」

 

 ツウは自分に言い聞かせる様に、子供達に向かって大丈夫と言い続けた。

 

 

 

 ツウとヒースクリフにメールを送ったユリエールは、剣を抜いて戦線に加わりスライムに一太刀浴びせて青ざめる。

 

「何なの! これ!! 」

「分からない! 下手に攻撃すると分裂する、ヒョウ君達が来るまで、防御に徹しながら、安全地帯まで撤退するしかない」

 

 シンカーの言葉に、ユリエールは頷いた。

 

「分かったわ。みんな、今聞いた通りよ! 陣形を組んで連携しながら安全地帯に向かいます。MTD員は先導と護衛をお願い」

「今、頼れる救援がこちらに向かっています、彼等が来れば安心です、それまで我々が持ちこたえますから、落ち着いて行動して下さい」

 

 自ら殿軍を務めるユリエールとシンカーの激励に、やや落ち着きを取り戻した初心者プレイヤー達は、不安を押し殺して先導するMTD員の後について撤退を始めた。

 

「頑張れ、門が見えてきたぞ! あと一息だ! 」

 

 安全地帯の門を視認した先導役のMTD員が励ますと、初心者プレイヤー達の顔が明るくなる。そして数名の初心者プレイヤーが、我先にと安全地帯の門に駆け向かった、だが……

 

「!! 」

 

 走る速度を早めた初心者プレイヤーを阻む様に、先程スライムが現れた時と同じ光の玉が現れた。

 

「ひっ! 」

 

 光の玉の中から現れた黒い塊に衝突した初心者プレイヤーが、弾き飛ばされて尻餅をつく。そしてぶつかった物を見上げ、それが何であるかを理解すると彼の顔が恐怖に歪み、悲鳴をあげる間もなくポリゴンの欠片となって消えていった。

 

「いかん! みんなを守るんだ! 」

 

 駆け出して初心者プレイヤーとの間に割って入ったMTD員も、成す術もなくポリゴン片に爆ぜていった。怯える初心者プレイヤーを威嚇する様に、黒い塊が咆号するとレイド全体が恐慌状態となりパニックに陥る。

 

「サイクロプス! こんな低層にどうして!? 」

 

 己にかけられたデバフに必死に抗い、責任を果たそうとするシンカーが見たものは、五層にいるはずのない巨大なサイクロプスだった。

 

「よう、久しぶりだな、シンカーさん」

「君は! 」

 

 サイクロプスの影からゆらりと現れた人物に、シンカーは驚きの色を隠せなかった。見間違えるはずがない、その男はギルドになる前のMTDに席を置いていた人物だった。

 

「君の仕業か、サーキー」

 

 恐慌状態に震える声に、なんとか力を込めて問い詰めるシンカーに、サーキーはおどけて馬鹿にした口調ではぐらかす。

 

「さ~て、ボクちゃん何の事だか分かんなぁ〜い。ボクちゃん、ただ親切な人から無理矢理貰った転移結晶で遊んでただけだも~ん」

「ふざけないで! こんな事をして、何の意味が有るの!? 」

 

 ユリエールはサーキーの頭上に禍々しく輝くオレンジ色のカーソルを睨み詰問する、しかしサーキーは意にも介さずふざけた態度を取り続ける。

 

「だからボクちゃん知らないって、コイツらはボクちゃんが転移結晶で遊んでたら、勝手について来ただけだよ~ん」

「どうやって……」

 

 呻く様に疑問を口にするシンカーに、サーキーはふざけた態度のまま自慢気にタネ明かしを始めた。

 

「いやぁ、実はボクちゃん、カーソルがオレンジになったら急に人気者になってさァ、追っかけの連中から逃げてたら、ハイドスキルがバカみたく上がってさァ。今じゃフィールドモンスターも敵対しなけりゃ、視界に入らない限り気が付かないんだ」

 

 異常に高まったハイドスキルでモンスターに近づき、その身体や着衣に触れて転移結晶を使い低層に移動する、それがサーキーの使った手だった。自慢気に手口をほのめかしたサーキーは、ここで今気づいた風をわざとらしく装い、目を丸くして辺りを見回す。

 

「おや、そういえばさっきから皆さんお困りの様子で、ボクちゃんも前にはMTDにお世話いただいた身、もし良かったら、お助けして差し上げましょうか? 今なら格安でお引き受けしますよ」

「くっ」

 

 マッチポンプを隠そうともせず、レベル差という弱味につけこんでコルを要求するサーキーに、シンカーは怒りと屈辱で唇を噛む。

 

「断る、そこを通してくれ」

「悪いですねぇ、ここは通行止めなんですよ。どうしても通りたいなら、通行税として……一人頭百万で手を打とうかな? 」

「何を馬鹿な」

 

 凶悪な瞳で睥睨しながら、舌舐めずりをして無茶な要求をするサーキーに、思わずシンカーが声を荒らげる。しかしサーキーは柳に風で、ニヤつきながら初心者プレイヤー達を脅しにかかる。

 

「あっそう、モンスターに囲まれて、命懸かってるのはそっちだし。いつまでも強気でいたら死んじゃうよ」

 

 薄ら笑いを浮かべてそう言うサーキーに、初心者プレイヤー達は激しく動揺する。

 

「つべこべ言ってねぇで、死にたくなかったらコル出せや! ボケ! 頭悪いんか! タコ! 」

 

 さっきまでのニヤついた態度を一変させ、凶相を歪めて恫喝するサーキーと、取り囲むモンスターの恐怖に負けた初心者プレイヤーの女性がサーキーに縋りつく。

 

「お願いします、助けて下さい! お金ならあげます、だから……」

「いけない! 」

 

 シンカーの制止の声も虚しく、サーキーはトレードウインドウを開いた女性プレイヤーの手を切り落とし、彼女を人質に取って、首筋に短剣を突きつける。

 

「何だ、コレっぽっちしか持ってねえのか、シケてんなぁ」

 

 サーキーは女性プレイヤーの手首を握り、彼女の人差し指代わりに自分の人差し指でメニューウインドウを操作すると、嫐る様な口調で囁きながら装備品を奪い、自分のストレージに入れていく。女性プレイヤーは抵抗する事も出来ず、メニューウインドウに赤く点滅するハラスメントコード作動のスイッチを、絶望の瞳で見つめる事しか出来なかった。首筋に突きつけられた短剣がゆっくりと、そして確実にHPバーを削っていく。

 

「ああ、やめて、お願い、助けて」

「ほら、この女を助けたけりゃ、さっさとコル出せや、ええ」

 

 女性プレイヤーの哀願の声がサーキーの嗜虐の快楽を助長する、その快楽に酔ったサーキーは、凶相を歪めながらシンカーに詰め寄ったその時。

 

「!? 」

 

 シンカー達のやや後方、ひしめき合うスライム達が爆発した様に飛び散り、数匹がポリゴンの破片を撒き散らして消えていった。

 舞い上がる土煙が晴れ、ポリゴン片のシャワーの向こうにシンカー達が見た者は、その到着を待ちわびた救世主二人だった。

 

「ヒョウ君、このスライムは何だね? 」

「十八層の迷宮区の入り口付近にたむろしている、ジャッジメントスライムさ」

「ジャッジメント? 何を審判するんだね? 」

「プレイヤーの強さ。一撃で倒せないと、この先苦労するよ、って」

「なるほど、で、一撃で倒せなかったらどうなるのかね? 」

「目の前に有る通りだよ、無限に分裂して増殖する」

「それはまた……。で、何故十八層のモンスターが五層にいるのかね? 」

「こっちが知りたいよ。シンカーさん、大丈夫ですか? 」

 

 自分達が手も足も出なかったスライムを一太刀で斬り倒しながら、まるで無人の野を歩くが如くやって来たヒョウとヒースクリフに、シンカー達は安堵の表情を浮かべる。そしてシンカーとは対照的に、予期せず闖入した天敵の姿に頬を痙攣させるサーキー。

 

「ヒョウ君、実は……」

「いえ、大体分かりました……」

 

 状況の説明をしようとするシンカーを制して、ヒョウは凶相を憎悪に歪めて自分を睨み付けるサーキーを見据えた。

 

「祝屋ァ」

「……榊」

 

 対峙する二人の間に緊張が走る。憎しみのこもった目で、サーキーはヒョウの装備品を値踏みをした。そして今の自分が合法的には絶対に手にする事が出来ない、ヒョウの身をつつむレアクラス以上のアイテムの数々に目尻が痙攣する。

 

 俺はこんなにも惨めな思いをしているのに、何でアイツだけが! 許せねェ……

 

 サーキーは身を焦がす憎しみで身体を震わせ、奥歯を噛み締める。だが、ふと頭に胸をすく妙案が浮かび、破顔した。

 

「くっくっく、ふふふふ、あはははは、ぎゃーっはっはっは」

 

 サーキーは突然狂った様に笑い出した。逆恨みに濁った目が、舐めるようにヒョウを見回す。

 

 このいけ好かねぇスカした野郎に、これから目にものを見せてやる! そうだ、今度は俺がコイツを這いつくばらせ、あの高そうな装備もコルも全部奪い取って、吠え面かかせてやる!

 

「いよう、会いたかったゼェ、祝屋ァ。久しぶりだなァ、えぇ」

「ああ、十三層ぶりだな。で、お前は今何をやってる、榊」

 

 天敵である祝屋猛を前に、感情の赴くまま外道の地金を剥き出しに挑発するサーキーと、それを憐れみを秘めた無感動な態度で受け止めるヒョウ、二人の立ち位置はどこまでも交わらない平行線だった。

 

「何やってるって? 見てわっかんねえかなぁ? 弱っちい癖に、身の程知らずに強いモンスターに立ち向かって崩壊寸前のパーティーを助けている所さ」

「とてもそうは見えんがな」

「俺が折角助けてやるって言ってんのによ、そこの頭の固いバカが謝礼金を渋るもんでよ、世の中の厳しさってヤツを教育してるんだよ。分かるだろう、えぇ」

 

 身勝手なサーキーの言い分に、苦虫を噛み潰しながら静かな口調でヒョウは問う。

 

「このジャッジメントスライムもそのサイクロプスもお前の仕業か? 榊」

「あーん、知らねぇよ、ンな事。俺はただ転移結晶で遊んでただけだぜ、そしたらコイツらが勝手について来ただけさ。言いががりつけてんじゃねえよ」

「つまり君は、転移結晶を使い、上層のモンスターをここに連れてきて、シンカー氏達にけしかけて、助けて欲しくばコルを払えとこういう訳だ。それは脅迫ではないのかね? 」

 

 ヒースクリフが淡々と状況確認をすると、サーキーは狂った様に噛みついた。

 

「うるせぇ! 俺は祝屋と話してるんだ! 関係無ぇ奴は引っ込んでろよ! ウザってぇ! 」

「この状況ではもう関係無いとは言えないんだが……」

「うるせぇって言ってんだよ! アタマ付いてねぇんか、テメェ! 」

 

 狂犬の様に吠えかかるサーキーに、これは話にならない相手だという事を悟ったヒースクリフは、軽いため息をつくとヤレヤレといった面持ちで口をつぐんだ。

 

 

「それよりさぁ、お前からもこのバカに言ってやってくれよ」

「何を? 」

「強情はってねえでコル払えや、ってよォ。友達だろォ。なんならお前が肩代わりしても良いんだぜ、なんせ俺はお前のせいで安全な圏内に入れなくなったんだからよォ、責任取ってくれよォ」

 

 厚顔無恥にさも当然の権利と言わんばかりに恐喝をするサーキーに、思わずヒョウは刀に手をかけ鯉口を切る。

 

「おーっと待ったァ、こっちにゃ人質がいるんだぜ、ヒースロー空港の英雄さん」

 

 サーキーはニヤつきながら、抱きすくめて人質に取る女性プレイヤーの首筋に短剣を突きつける。グリグリと突き立てられた首筋から、ポリゴンの欠片が光る砂の様にこぼれ落ちる。

 

「言っとくけど、俺はあんな間抜けなテロリストとは違うからな、妙な気起こしたらこの女をブスリだぜ」

「そこまで堕ちたか、榊……」

 

 ようやく怒りを露わにしたヒョウを、サーキーは楽しそうに眺めていた。

 

「良いツラだぜ、祝屋ァ。俺はお前のそのツラが見たかったんだ、胸がすぅっとするぜ。で、どうするんだよ、肩代わりすんのか、しねえんか!? 」

 

 唇を噛み締め、肩を震わせるヒョウに、サーキーは新たな怒りを注ぐ。

 

「ヒッ」

 

 女性プレイヤーの短い悲鳴がヒョウの耳朶を打つ、それは死への恐怖に新たな恐怖が加わった悲鳴だった。サーキーは抱きすくめる手の方で、女性プレイヤーの胸を揉みしだき辱め始めたのだ。

 

「ええ、祝屋ァ、どっちなんだよ」

「やめて……助けて……、子供がいるの……、お願い……」

 

 身を縮めて捩りながら、女性プレイヤーは涙を流し哀願するが、それは絶頂感に酔うサーキーにさらなる快楽のうねりを生み出して彼女を襲う。

 

「子供がいるんか!? その割には良い乳してんじゃねえか。なぁ、俺と結婚しねぇか、毎晩いい思いさせてやるぜぇ」

「嫌ぁ! やめて! お願い! 離して! 」

 

 下卑た笑みを浮かべながら、サーキーは女性プレイヤーのメニューウインドウを強制的に操作し始めると、彼女は大声で泣き叫び抵抗を始めた。サーキーは腕の中で抵抗する女性プレイヤーの感触を楽しみながら、彼女の耳元に死刑宣告にも等しい言葉を囁く。

 

「さてと、これでyesをクリックしたら、結婚成立だ。全部アイツが悪いんだぜ、さっさと返事をしないアイツがよォ」

 

 くつくつと笑うサーキーの肩をかすめ、ヒョウの刀が振り下ろされる。怒りに任せて振り下ろされた刀の破壊力は、女性プレイヤーを辱める事に夢中になっていたサーキーに、音もなく忍び寄っていたジャッジメントスライムをポリゴン片に爆発させた後、炸裂音を響かせて大地に大きな亀裂を刻んでいた。

 

「いくら欲しい」

 

 刀を鞘に納めながら、絞り出すように応えたヒョウに、一瞬恐怖に身をすくめたサーキーは歓喜の笑みを浮かべた。

 

「んなモン有るだけ全部に決まってるだろ! それから良い刀持ってんじゃねえか、そいつも寄越しな! 」

「……分かった」

 

 ヒョウの背後で状況の推移を見守っていたヒースクリフは、それが自分にとって好ましからざる方向に転がって行くのを快く思ってはいなかった。

 

 ネットコミニュケーションの世界では、往々にして自ら進んで悪人を演じる者がいるのは知っている。或いは閉鎖空間のストレスでこうなってしまったのか、観察対象としてこのサーキーというプレイヤーは興味深いものがある。しかし、それよりも私はヒョウ君がこのアインクラッドの中で、その強大な力をどの様に振るうのか、そっちの方により関心がある。ここは今までの付き合いに免じて、彼のために一肌脱ぐとするか……

 

 ヒョウとサーキーがトレードウインドウを操作して、後はyesをクリックするだけとなった時、突然アインクラッド上空から鐘の音が鳴り響いた。

 

 

 ソードアート・オンライン運営部から、全プレイヤーにお知らせします。サーバーに異常な負荷の発生が認められたため、只今より調査、復旧の為の緊急のメンテナンスを実施致します。なお、緊急メンテナンスに伴い、只今から二十四時間の間、プレイヤー間におけるコル、アイテムのトレード、フレンド申請、受諾、結婚等、一切の交渉が行えなくなります、予めご了承ください。繰り返します、ソードアート・オンライン運営部から、全プレイヤーにお知らせします……

 

「チッ!! 」

 

 この放送を耳にして、サーキーは顔を歪めて舌打ちを打つ。

 

「で、どうするんだ、榊」

 

 サーキーは忌々しげにヒョウを睨め上げ、次善の策を練り上げる。

 

 こうなったら、刀だけでも頂いてやる。

 

「下に置け」

「何? 」

 

 何故そうさせるのか分からずに聞き返したヒョウに、サーキーは苛立たし気な表情で喚き散らす。

 

「刀を下に置けって言ってんだよ! 置けったら置け!! 」

「ああ、分かった」

 

 最悪のタイミングで発生したメンテナンスに、激しく怒りを燃やすサーキーをこれ以上刺激せぬ様に、ヒョウはゆっくりとした動作で刀を鞘ごと帯から抜いて地面に置いた。

 

 サーキーが狙ったのは、人為的に『武器奪われ状態』を作り出す事だった。武器奪われ状態になると、三千六百秒経過するか、或いは次の武器が同じ手に装備されると装備者情報がクリアされ、そこから三百秒経過して奪った者のストレージに入ると所有権が移動する。新たに何も装備せず『所有アイテム完全オブジェクト化』という操作を行えば回避できるが、それは安全な部屋の中で行うべき事で、危険な圏外のフィールドで行う事ではない。そして安全な部屋は圏内、つまり主街区をはじめとする街にしか存在しない。一番近い街でも徒歩で一時間程かかる場所にあり、ここはヒョウにとって低層とはいえ危険なフィールドであり、自分が連れてきたジャッジメントスライムとサイクロプスというハイレベルのモンスターに囲まれている、丸腰では絶対に歩けない場所になっていた。最悪でも一時間、上手くいけば五分でこのすげえ刀は俺のモノになる。そこまで皮算用を終えたサーキーは、一つだけ一時間以内に『所有アイテム完全オブジェクト化』を行える可能性が有る事に気づき、声を荒らげた。

 

「転移結晶だ! 転移結晶も置いていけ! 全部だぞ! 全部!! 」

 

 祝屋がシンカー達を危険なモンスターの中に置いて、自分だけ転移結晶を使いそれをするとは思えないが、念には念を入れるべきだろう。そう結論を出したサーキーは、ヒョウに持っている転移結晶を全て地面に置く事を命じた。

 

「全部置いたぞ、榊」

 

 ヒョウがサーキーの言葉に従い、刀と転移結晶を地面に置くと、サーキーは勝ち誇った瞳でニヤリと笑い、次の指示を出す。

 

「よし、下がれ、俺が良いと言うまでゆっくり下がれ、良いな!ゆっくりだぞ! 少しでも変な動きをしたら、女を殺すからな! 」

 

 ヒョウはその指示に従い、ゆっくりと後ろに下がって行った、全能感に酔い痴れるサーキーは必ずボロを出すだろう、その時がチャンスだと、自分に言い聞かせて。

 

 恐らく榊は絶対に良いとは言わないだろう、転移結晶を使う余裕ができるまで下がらせて、黙って転移して逃げるだろう。きっとその時、一緒に転移すれば後々足でまといになる人質の女性プレイヤーを離すに違いない、その瞬間にバックハンドブローを叩き込む!

 

 そう考えたヒョウは、サーキーが起こすであろうその予兆を見逃すまいと、彼の動きを凝視する。サーキーはヒョウが下がって行くのに合わせ、女性プレイヤーを盾にしながらゆっくりと地面に置かれた刀と転移結晶に近づいて行った。シンカーもユリエールも、焦燥感と無力感に苛まされながら、その様子を見ている事しか出来なかった。やがて、サーキーが刀の場所にたどり着くと、ヒョウはそれに合わせて後退を止める。

 

「何勝手に止まってるんだ! クソ野郎! もっと下がれ! 下がれバカ野郎!! 」

 

 動きを止めたヒョウに向け、サーキーは罵声を浴びせ後退を命じると、ヒョウは汚い物を見る様な目でサーキーを一瞥し、後退を始める。そのヒョウの姿を見たサーキーの心は歓喜に震える、現実世界でどんな嫌がらせをしても、ヒョウはいつも柳に風か憐れみを向けてくるだけだった、十三層でもそうだった。しかし、今この瞬間、ヒョウは自分に向けて明確な敵意を向けている、あの祝屋猛がこの俺に! 初対面の時に抱き、時が経つにつれて歪んでいった憧れに似た感情で、手の届かない相手と頭で理解しても、心がそれを拒絶し、対抗し続けた相手が、ようやく振り向いてくれた瞬間であった。それは恋愛にも似た感情、自分にとって高嶺の花を振り向かせようと手を尽くすが、相手にはそれが全く通じず、いつしか想いは歪んでしまい、その他大勢で終わり忘れ去られる位なら、明確な敵としてでも特別な存在になって永遠に相手の記憶に残りたい、そんな願望が成就した瞬間であった。

 

「下がれ下がれ、そうだ、もっと下がれ……、イィーッヒッヒッヒィー、アーッハッハッハ」

 

 身悶えするほどの快感が脳天の貫き、哄笑の高笑いを続けるサーキーが不意に覚めた冷酷な目に代わり、高笑いを止める。

 

「じゃぁな、アバヨ」

 

 十分に距離を置いたと判断したサーキーは、女性プレイヤーから手を話し、刀と転移結晶を拾おうと身をかがめた。それを確認したヒョウの五感がスパークする。さぁ、ペイバックタイムの始まりだ!

 

 ヒョウはサーキーが女性プレイヤーを手放す時、自分の縮地による突進を妨害するため、彼女を自分に向けて突き飛ばして来るだろうと予測していた。それに対して彼はサーキーに向かって真っ直ぐに踏み込むのではなく、一度小さく斜めに移動して女性プレイヤーを躱し、サーキーの視界の僅か外に移動して動揺を誘い、三角飛びの要領で距離を詰めて捕縛する作戦を立てていた。しかし、サーキーの悪知恵はヒョウの予測を上回っていた。

 

「何っ!? 」

 

 サーキーはヒョウの思惑を大きく外し、女性プレイヤーをあらぬ方向へと突き飛ばした。彼女の顔が恐怖に歪み悲鳴すらあげることが出来なかった。彼女の瞳が捉えたものは、急速に迫るサイクロプスとその手に握られ振り抜かれようとする大槌だった。

 

「くっ! 」

 

 ヒョウは軌道修正して女性プレイヤーに向かって飛び込み、必死の思いで腕を伸ばす。しかしその思いも虚しく、思惑が外れ一瞬動揺した事で僅かに縮地の発動が遅れた事と、最初の作戦よりもはるかに距離が離れていた事で、ヒョウの伸ばした手は僅かに女性プレイヤーに届かなかった。

 

「茉莉子……」

 

 サイクロプスが振り下ろす大槌に、吸い込まれる様に撃ち抜かれ、急速にHPバーを消耗した女性プレイヤーが、ポリゴンの欠片になって消えゆく直前、彼女の子供であろう名前を呼ぶ声耳にして、ヒョウの怒髪が天を突いた。

 

「うぉおおおおお! 榊ィ!! 」

 

 ヒョウはクイックチェンジで武装変更を行うと、腰に大小二本の刀が実体化して装備された。

 

「海燕! 」

 

 ヒョウが小刀に手をかけると、切った鯉口からソードスキルのエフェクト光が迸る。

 

「!! 」

 

 見る者全てが言葉を失い、息を呑む中ヒョウの手により投擲された小刀は、狙いを寸分も違わずにサイクロプスの一つ目を貫いて、一撃でHPを刈り取った。

 サーキーの奸智がヒョウの上を行ったのと同様に、ヒョウの能力もまたサーキーの遥かに上を行っていた。サーキーはサーキーで、もしもヒョウが下がった距離が足りなかった時の保険として女性プレイヤーをサイクロプスに向けて突き飛ばし、ヒョウが彼女を救っている時間に乗じて刀を奪い、転移して逃げる手はずを弄していた。当然その為の武器は、目の前にある刀よりも数段劣る物であり、充分に時間が稼げるはずだった。しかしそんな思いとは裏腹に、ヒョウが装備したのは、目の前に置かれた刀が『オモチャ』に見える程の業物だった。

 

「くっ……何っ!? 」

 

 それでも無いよりはマシと、刀を拾おうと手をかけた瞬間、サーキーを第二の誤算が襲う。ヒョウが地面に置いた刀、鬼切虎徹真打ちは、彼の好みに合わせて極限まで強化されていた、それは正確さと速度、そして強度だった。強度を高めると筋力要求が高くなる。つまり……

 

「重っ!! 」

 

 さっきまでヒョウが軽々と振るっていたたその刀は、サーキーの視覚判断をあっさりと裏切る重量を持っていた。そのために持ち上げる時にバランスを崩して片膝の着き、転移結晶を拾うのが遅れてしまう。その間にあっさりとサイクロプスを倒したヒョウは咆号しながら急速に距離を詰めて来た。大刀の鯉口を切るヒョウの姿を認めてなお、それでもサーキーには逃げ切る自信が有った、何故なら……

 

「バカめ、間合いが遠いぜ! 」

 

 サーキーは今まで追っ手から逃げたり、プレイヤーを襲って装備やコルを奪う事で対人戦闘の経験を積み、敵の装備武器の間合いを瞬時に見極める眼力を得ていた。それは抜き身を見てから判断するのではなく、鞘に納まった状態でも、鞘の丈から大まかに見切る事が出来た。その眼力でヒョウの大刀の鞘を見て、大丈夫逃げ切れると判断したのだが、ここでもヒョウの能力がサーキーの眼力を上回る。

 

 ヒョウが今装備しているのは、ついさっきクエストをクリアして手に入れたレア武器の『長柄黒耀騒速』『小刀白耀雷光』である。この刀、特に大刀の長柄黒耀騒速には、抜刀術に即した大きな特徴を持っていた。

 

 ここで抜刀術について、ひとつ説明をしておきたいと思う。剣豪小説やアニメで抜刀術に対して、何か普通の剣術とは違うワンランク上のメチャすげえ剣術、そう幻想を抱いている方々、申し訳無いが、筆者の右手がその幻想を打ち砕きます。何故ならヒョウが作中で使う『抜刀術』はエクストラソードスキルではありますが、その根底にあり普段使いしている抜刀術は、現実の抜刀術と全く同じ思想で使う技術だからである。

 話は少々本筋からそれるが、長い物語の中でも大切なファクターとなるので、お付き合い願います。

 さて、抜刀術の起こりとはなんぞや? これは家や招かれた屋敷の中で、座った状態でいる時に、賊に後から斬りかかられた時にどう対応するか? どのようにして死地から脱して生を得るか? その答えを得るために発生した剣術の中の一つの技術であり、古流各流派にも習得すべく技術として存在する。

 ざっくりと簡単に、そして格好良く抜刀術を一言で言い表すと、究極の後の先を取る技術、という事になる。

 この抜刀術に革命を起こしたのが戦国時代に生を受けた剣豪、田宮流抜刀術の開祖、田宮平兵衛重正成政である。

 彼は神明無想東流を学んだ後、林崎甚助重信に居合い抜刀を学び、田宮流を創始した。彼が起こした革命とは、長柄の教えである。江戸時代中期の書物「本朝武芸小伝」は、彼をこの様に記している。

 

 長柄刀さしはじめ田宮平兵衛成政といふ者是を伝ふる、成政長柄刀をさし諸国兵法修行し、柄に八寸の徳、身腰にさんぢうの利、其外神妙秘伝を伝へしより以後、長柄刀を皆人さし給へり、然に成政が兵法第一の神妙奥義と云は、手に叶ひばいかほども長きを用ひべし、勝事一寸ましと伝たり

 

 諸説解釈色々な、難解な言葉だが、筆者はこう解釈する。

 

 間合いを制する者が、斬り合いにおいて勝利を掴む、その為の長柄なのだと

 

 前述の通り、抜刀術とは不利を覆す技術である。様々な剣豪小説、映画、アニメ等で語られる、納刀状態で刀の間合いを測らせず、有利な間合いに引き込んでから抜刀して斬る、なんてのはこの際だからはっきり言っておく、あれは嘘、嘘っぱちの嘘八百である。何故なら刀でもって人を斬ろう、それも確実に斬り殺してやろうと狙う人間が日常的に存在する中で、抜刀状態でなければ相手の間合いを測れないなんて間抜けな奴がいたら、真っ先に斬り殺されているからである。鞘を見て判断出来ない奴は、田畑耕して暮らすのがお似合いなのだ。

 納刀状態で座り、後から斬られるという事は、武器を使えず間合いも押さえられた上の襲撃であり、絶体絶命の死地にいる状態にあるのだ。それを覆す為の技術が抜刀術であり、技術を生かす為の長柄である。柄が長い事は、握る部分が長いという事である。つまり、咄嗟に手をかけた時、手にかかる部分が長ければ、それだけ早く刀を抜く事ができ、素早い反撃が可能な事と、抜いた後も柄の握り方一つで間合いを変化させ、襲撃者の思惑を外す事が可能になると云うことだ。しかし長柄刀は誰にでも使えるものではない、手に合えば使うべきで、それでもちょっとましな程度なのだ。ヒョウが作中で使う抜刀術とは、それを理解した上での抜刀術である。

 では話を本筋に戻そう。

 

 逃げ切れるとそう判断したサーキーは、一瞬後にそれが甘かった事を思い知る。ヒョウの抜いた刀は予測を越えて長く伸び、刀を拾ったサーキーの左手を手首から斬り落とした。ヒョウの新しい刀、長柄黒耀騒速は、その銘にある通り、通常の刀に比べて柄の部分が三寸程度長く、柄を握る位置を変えれば、間合いは千変万化して相手を幻惑する事ができ、ヒョウはその技術を持っていた。ヒョウは斬り下ろした剣先を水平に薙ぎ払うが、それよりも一瞬早くサーキーが転移結晶を掲げる。

 

「転移!! 」

 

 サーキーは光の玉に包まれると、片足を残し消えていった。目尻の痙攣させ、ヒョウはサーキーの残していった片足を、爆ぜて消えるまで見つめていた。そしてサイクロプスを倒すのに使った小刀白耀雷光を拾って鞘に納めた後、大小二本をストレージにしまい、取り返した鬼切虎徹真打ちを腰に差す。胸の中いっぱいに広がる苦味と痛みを、ヒョウは現実に対処する事で無理矢理押し流した。

 

「シンカーさん、スライムは俺が抑えるから、早く避難して」

「済まない、ヒョウ君」

 

 それからMTD員達が、残りの初心者プレイヤー達を無事に安全地帯に誘導するまで、ヒョウは機械の様に淡々と刀を振るい、ジャッジメントスライムを全滅させた。

 

 出発前はあんなに明るく、希望に満ち溢れていたパーティーが、引き揚げる時はどの顔も暗く、落ち込んでいた。被害者三名、内二名はMTDを頼りその門を叩いた初心者プレイヤー、そして子連れである。

 シンカーは自分が思い描いていた理想が、サーキーの奸計で脆くも破壊されてしまった事に、大きなショックを受けていた。帰りの道中、ユリエールはこの現実を、どう子供たちに伝えるべきか、その事に胸を痛めていた。

 

 ヒョウとヒースクリフを加えた、シンカー率いる初心者プレイヤーのパーティーが、一層のMTD本部にたどり着いたのは、西の空が赤くなるやや前、まだまだ予定では到着する時間では無かった。シンカーが重い足取りで扉を開けると、中には心配そうな顔で見上げる子供たちの姿が有った。シンカーの後についで、初心者プレイヤー達が中に入って行くと、子供たちは口々にお父さん、お母さんと叫びながら、自分の親を見つけると飛びついて抱き締めた、親達も胸に飛び込んできた我が子を抱き締め、生の喜びを噛み締めていた。

 

「どうしてみんな知っているの……? 」

 

 この光景に、狼狽えた様に疑問を口にしたユリエールに、ツウはメールを覗かれ知られてしまった事を伝え、迂闊でしたと頭を下げた。ツウのその言葉に、ユリエールも己の迂闊さを呪った、子供たちに好かれ、囲まれているツウを思えば、ヒョウへの連絡はヒースクリフに出したメールに「ヒョウ君にも伝えて」と、一文書き添えれば良かったのだ。後悔に奥歯を噛み締めるユリエールとツウの元に、親子の抱擁からあぶれた二人の子供がやって来た。

 

「ねぇ、お父さんどこ……」

「私のお母さん……、いないの……」

 

 目に涙を溜めて問いかける二人の子供を、ユリエールは思い切り抱き締めて、謝罪の言葉を叫ぶように口にする。

 

「ごめんなさい、あなた達のお父さん、お母さんはもう帰って来ないの! ごめんなさい、ごめんなさい」

 

 嗚咽するユリエールの後を継ぎ、シンカーが悲しみをこらえ、一言一言ゆっくりと事の顛末を話して聞かせ、最後に「申し訳なかった、済まない」と言って、深々と頭を下げた。

 二人の子供の子供のうち、男の子の方は、リアルでは小学校の六年生であり、子供とはいえ精神的成長もあってか、シンカーの言葉をしっかりと受け止め、理解出来たようだが、もう一人の女の子の方は違った。

 

「嘘……、どうして、どうしてお母さん帰って来ないの」

 

 彼女はまだリアルでは小学校四年生の早生まれの子供であり、まだまだ幼い部分を心に残しており、残酷すぎる現実を受け止められずにいた。

 

「だってツウお姉ちゃん言ってたもん、ヒョウお兄ちゃんが必ず助けてくれるって。ねぇ、ヒョウお兄ちゃんはアインクラッドで一番強いんだよね? お母さんを助けてくれたんだよね? 」

 

 女の子の発する一言一言が、この場の大人達の胸をえぐる。ヒョウは縋り付いて見上げる女の子の前に膝を着いて、震える声で謝罪の言葉を口にする。

 

「ごめんね、お兄ちゃん、茉莉子ちゃんのお母さん……、助けられなかった……」

 

 やっとの思いで絞り出したヒョウの言葉を聞いて、ようやく現実を理解した女の子は大声で泣き始めた。泣きながら叫ぶ女の子の一言がツウの胸を刺し貫いた。

 

「うぇーん、絶対助けてくれるって言ったのに、ツウお姉ちゃんのうそつき! 」

 

 ツウお姉ちゃんのうそつき、女の子の言葉に、ツウは身体じゅうの感覚を喪失し、崩れ落ちる。

 

「ごめんなさい……、ごめんなさい……」

 

 泣き崩れて、血を吐くように謝罪の言葉を吐き出すツウの姿に、ヒョウは己の無力さを感じずにはいられなかった。悔しさに天を仰ぎ唇を噛み締めるヒョウと、泣き崩れ謝罪を続けるツウに、シンカーは慰めの言葉を発する。

 

「二人は悪くない、悪いのは……」

 

 そう言ったきり、シンカーは口を閉ざし、目をつぶって俯き肩を震わせた。ユリエールが女の子を落ち着かせ、同時に傷ついたツウから引き離そうと、別室へといざなって出ていった。

 

「コヅ姉、帰ろう……」

 

 沈痛な長い沈黙を静かに打ち消し、ヒョウは泣き崩れるツウの耳にそっと囁くと、ツウは涙でくしゃくしゃになった顔をあげ、コクリと頷いた。

 よろけるツウを支えて、外へ出ようとドアノブに手をかけたヒョウの背中に、ヒースクリフが声をかけた。

 

「ヒョウ君、これが個人の強さの限界だ。こんな悲劇を繰り返さないために、我々は一刻も早くこのデスゲームをクリアしなくてはならない。君は私とギルドを……」

「うるせぇ……」

 

 ヒョウは振り返る事無く、ヒースクリフの言葉を最後まで聞くこともなく、力なく一言そう呟いてMTD本部を後にした。

 

 

 

 




注釈
長柄刀 ながつかとう と読みます。本文にもある通り、居合刀の一種ですが、ややこしい事に同じ長柄刀と書いて『ながえとう』という薙刀に似た武器も存在します。
両方知っている方には言うに及びませんが、片一方しか知らない方、特に『ながえとう』しか知らない方、そういう事ですので、ご理解頂けると幸いです。



次回、第十四話 黒猫達


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十四話 黒猫達

 サーキーによる、忌まわしいMPK事件が過ぎた後も、ヒョウとツウの想いとは関係なしにアインクラッドの日常は過ぎて行く。如何に二人があの出来事を、目覚めたら消える悪い夢であって欲しいと望んでも、目覚めて見回す窓の外の光景の変化に、やるせない現実を受け入れる他は無かった。

 ヒョウにとって幸いだったのは、ツウが子供達の中の一人から「うそつき! 」と言って泣かれた事の精神的ダメージが、表面上は無かった事である。そう言われた時、崩れ落ちる様に膝を着き、ごめんなさいと泣きながらその子を抱き締めるツウの姿を目の当たりにしたヒョウは、己の無力さに唇を噛みながらもツウの心があの時に、茅場晶彦によりSAOがデスゲームと知らされたあの時に戻るのではと危惧していた。

 自分は狩りやボス戦で暴れるだけ暴れ、うさを晴らす事が出来るが、戦闘恐怖症のツウにはそれが出来ない。ツウが心に立ち直れない程のダメージを負った場合、どうやって彼女を守れば良いのかヒョウには見当がつかなかった。

 答えを見出す事の出来ないヒョウの心は、自分の無力さに荒れ狂う。その結果ヒョウは二十層ボス戦にて、キリトやアスナを含むレイドメンバー達から、思い切り引かれる程の『殺気』を放ち、作戦無視の大立ち回りを演じる事となる。ヒョウは仲間たちの制止の声にも耳を貸さず、ツウの心を守れなかった自分の不甲斐なさに、憤怒の感情を刀に込めて、ボスに向かって奮っていた。その姿はソードアーティストとは程遠い、黒い羅刹と言って良い程の姿だった。

 MVPもラストアタックボーナスも虚しいだけだった。当然である、そんな行いは本当の意味での解決には繋がらない。自分のレベル、パラメータの数値が如何に他と隔絶した数値を誇っていても、肝心のツウを守れなければ意味が無い。それが分かっていてなお、ヒョウはやるせない怒りの想いを刃に乗せて戦うしか術を持たなかった。

 荒れるヒョウの心を救ったのは、自分が危惧していたはずのツウだった。ツウは眠れないヒョウのベッドに忍び込むと、自らの身体を与え、今まで私の為に頑張ってくれてありがとうと言い、ささくれ立ったヒョウの心を癒しを与え救ったのだ。

 

「私は大丈夫だよ、タケちゃんがいるから。だから、タケちゃんも私を頼って良いのよ。私もタケちゃんを支えたい、守りたいの。だから苦しい時は、沢山私に甘えて」

 

 その夜、二人はお互いを求め合い、甘え合い、与え合って深い眠りについたのだった。

 

「ねえ、タケちゃん、私、保育園を始めたいの。それから、今回の件で親を失った子供達の面倒を見てあげたいの」

 

 翌朝自分の胸に顔を埋め、囁く様にそう言ったツウの瞳の中に、並々ならぬ決意を感じたヒョウは、二つ返事でそれに賛成する。救われたヒョウの心は、コヅ姉を守るからコヅ姉の想いを、守りたい物を守るに変化していた。

 ツウの想いを実現するため、ヒョウは決意を新たにアインクラッドへの戦いを始める。まずは手始めに、ツウの望む保育園兼孤児院の開設に向けての、自宅改築工事を始めた。

 憑き物が落ちた表情で、上機嫌の鼻歌を歌いながら鋸を引き、ハンマーを振るうヒョウの姿に、先日のボス戦での異変を心配して訪ねてきたキリト達は安堵のため息をつくのであった。

 

「なになに、レストランでも始めるの? 」

 

 大規模な増改築工事の様子を見て、キラキラと瞳を輝かせるアスナに、ツウはここ数日で起こった出来事と、それによって生まれた自分の想いについて語り始めた。

 

 子連れプレイヤーがアインクラッドでの生活に対応する為の弱点は、まさに子連れである事の一点に尽きる。彼等は子供を危険な圏外に連れて出歩く事が出来ず、そのためレベリングもコル稼ぎもままならず、他の初心者プレイヤー達にも遅れを取る事になっているのが現状だ。そうして子連れプレイヤー達は生活苦に晒され、MTDとしても早くそれを解消するために短期集中の無理の有るコル稼ぎとーレベリングを強いられる事になった。今回のMPKは、そこを装備やコルを奪うのが目的のオレンジプレイヤー、サーキーに狙われてしまったが為に起きた悲劇である。だから毎日安心して子供達を預ける事の出来る保育園の様な施設が有れば、子連れプレイヤー達も他のプレイヤー同様にコルを稼ぎレベリングが可能となり、安定した生活を維持出来るに違いない。

 

「だから私達がそれをするの」

 

 そう言って真っ直ぐに自分を見つめるツウの瞳に、アスナは胸を打たれ深く共感した。彼女はツウ以上の情熱でエギルとアルゴを巻き込んで宣伝を打ち、ヒョウとキリトとクラインの三人に発破をかけ、通いの園児達の送迎船として必要な大型ゴンドラ船製作の為のクエストに挑戦させたのだった。

 そうして設備が整い、開園したのはいいが、予想を越える応募者に二人は嬉しい悲鳴をあげる。そしてそれは資金難という現実をツウとヒョウに突きつけるのだった。二人が保育園を始めた理由は、前述の通りVRMMO初心者の子連れプレイヤー達の為の支援である。よって保育費はリーズナブルな価格に設定しており、不足分はヒョウの戦闘による稼ぎで賄う予定が根本から崩れてしまった。

 さて、どうしようと悩むヒョウとツウを、エギルとアルゴが顔を見合わせ、やれやれと呆れ顔を二人に向けた。

 

「おまーらなー、それ本気で言ってんのカ?」

「自分達の事を知らんにも程が有るぞ」

 

 狐につままれた顔で見返すヒョウとツウに、アルゴとエギルが懇切丁寧に解決策の説明を始めた。

 

「アーちゃんが言ってたレストランは、子供達の面倒が有るから無理だケド……」

 

 と、始めたアルゴの説明を掻い摘んで説明すると、以下の様になる。

 現時点で料理スキルをぶっちぎりで極めているツウの料理は、レストランでなくとも弁当にして売れば、かなりの儲けが見込めるし、同様に極めた服飾スキルも稼ぎになる。高いデザイン性と込められたエンチャントで、市場に出せば注目を集め、高い評価を得て話題になる事受け合いである。特に女性プレイヤーに向けて下着を作って売り出せば、NPCメイドの野暮ったく着心地もいまいちな下着を駆逐して、市場の独占も夢では無い。仮に要クエストの稀少な材料が必要になったとしても、そのためのクエストには、それこそ無敵のヒョウがいる。二人に集められない素材は、アインクラッド内には皆無と言って良いだろう。そしてヒョウの力を以てすれば、たとえ誰とパーティーを組んでもモンスターに負ける事などはまず有り得ない。ヒョウのエクストラスキル、バトルブーストとバトルヒーリングの効果は習熟度が進んだ今、レベル的に15は上のモンスターを余裕を持って相手にする事が出来る。現時点で攻略組トップクラスのレベルを誇るヒョウをどうこう出来るフィールドモンスターは、攻略された階層には存在しないのだ。加えて卓越した剣技が生み出す異常状態『四肢損壊』は、ラスを譲れば譲られた側のレベルのジャンプアップが可能である。実際パートナーのツウのレベルが攻略組に勝るのも、戦闘職ではないアルゴが、自分の足で最前線の情報を安全に集める事が可能なレベルにあるのも、そして商人としての活動をしながらも、エギルが攻略組でい続けられるのも、ヒョウと行うレベリングが理由なのだ。低レベルプレイヤーのレベリング護衛、職人商人プレイヤーの素材収集クエスト護衛を行えば、引く手あまたである。それを副業にすれば、運転資金の足しには充分なるだろう。

 口角泡を飛ばす勢いでアドバイスする二人の勢いに飲まれる格好で、ツウは服飾アクセサリーブランド『senbaori(千羽織)』を立ち上げ、エギルと専売契約を結び、後に一大プレイヤーブランドへと成長する。そしてヒョウもエギルとアルゴを窓口に、萬護衛請け負い業を始めたのだった、そうして記念すべき第一番目のクライアントが目の前にいる。

 

 五人編成のそのクライアントは、ギルド結成クエストをクリアしたてのパーティーだった。ギルドの名は月夜の黒猫団といい、同じ高校のパソコン研究会のメンバーとの事である。ギルマスはリアルでもパソ研会長のケイタという男で、人の良い笑顔で自己紹介をし右手を差し出した。出された彼の手を握ったヒョウは、僅か三日で埋め難い溝が出来、喧嘩別れに近い状態で契約破棄の憂き目に会うとはこの時想像も出来なかった。

 最前線の攻略組メンバーから直接指導を受ける事で、自分達は何が足りないのか、飛躍するには何が必要なのかそれを知りたい。ケイタはそう言って一週間の契約を希望してきた。単純なパワーレベリングを嫌うヒョウは、ならばと思いまず五人全員にナンバの技術を教える事にした。この頃になると、ヒョウはクラインの教え方を盗み、指導方法も以前より旨くなっていたのだが、今回については弟子の方が悪過ぎた。

 

「おい、みんな、もっと真面目にやれ! 」

 

 ケイタの叱責がメンバーに飛ぶが、単純な反復練習に早くも飽きた短剣使いのダッカーが不機嫌そうにケイタに耳打ちする。

 

「なぁケイタ、本当にこんな事でレベル上がんのかよ」

「ナンバについては、攻略本にも載ってたろう」

「でもよぅ、アイツ、何か胡散臭くないか」

「胡散臭いって、何が? 」

 

 自分の肩越しに、ヒョウに疑惑の目を向けるダッカーに、ケイタは軽い詰問口調で促すと一言吐き捨てる様に発した。

 

「ビーター」

 

 その言葉にケイタはハッとした表情を浮かべると、ダッカーは不満気な態度を上乗せして畳み掛ける様に吐き捨てる。

 

「黒ずくめで、いい女を連れた若い片手剣使い」

 

 腐るダッカーに、ケイタは目を剥いた。

 

「まさか、そんな筈は無い! 情報屋だって、彼は信用できる人物だって言ってただろう! 」

「その情報屋だって、あまり良い噂は聞かないぜ」

 

 ヒョウの耳に入らない様に、静かに声を荒らげて迫るケイタに、ダッカーがさらに吐き捨てる様にそう言うと、メイス使いのテツオもその後に続けて疑念を口にする。

 

「そう言えば、あのエギルって男も、ビーターの後見人だって噂を聞いた事があるぞ……」

「ほら見ろ! 騙されてるんだよ! ケイタは」

 

 返答に窮したケイタの背中にヒョウの叱責の言葉が飛ぶ。

 

「そこ、何をやってる! 」

 

 武術家の鋭い叱責に射抜かれたケイタは、反射的に反り返る様に背筋を伸ばした。

 

「は、はいっ! お前達、この話は後だ、真面目にやるぞ! 」

 

 ケイタは二人に目配せすると、何も無かった様にヒョウから教わった型を反復し始めた。

 

 初日にみっちりナンバの稽古を施したヒョウは、その翌日のカリキュラムにレベリングを兼ねてナンバの効果を体感させようと考えていた。そんな彼が五人を連れてやって来たのは十三層の迷宮区である、彼等のレベル的にはやや難しい所だが、深入りしなければ大丈夫だろうと判断しての事だった。

 ヒョウは徘徊しているモンスターの中に無造作に歩み入り、体術スキルで小突いて回り、五匹のモンスターのタゲを取る。余りにも無謀なヒョウの行動に目を剥いた五人だったが、次の瞬間彼等は息を飲んだ。

 

「ふん! 」

 

 軽く気合いを入れたヒョウはいつの間にか装備していた刀を、抜く手も見せぬ早業で抜き放ち、五人には視認出来ない速さで五匹のモンスターを四肢損壊状態に斬り倒した。

 

「!! 」

 

 刀を鞘に納める鍔鳴りの音で我に帰った五人に向かい、ヒョウは涼しい顔で声をかける。

 

「じゃあ、昨日練習したナンバの動きを意識して、ソードスキルを出して見ようか」

 

 度肝を抜かれた五人に向かい、パンパンと手を叩いて促すと、それぞれ驚愕覚めやらぬ表情を浮かべながら、ギクシャクした動きでソードスキルのプレモーションを開始した。

 

「……嘘、信じられない…… 」

 

 槍使いのサチという少女が、自分の両手を見て震えている。彼女はソードスキルの起動の速さ、破壊力の増大、技後硬直時間の短縮、その全てが今までとは段違いというナンバの効果を劇的に体感し、腰を抜かしてへたり込んでいた。

 

「ゲッ! サチに先を越されるなんて~」

「うっわぁ~、マジかよ~」

 

 ヒョウからすれば、一番真面目に取り組んでいたサチがその効果を最も体感出来たのは別に不思議な事では無かったが、この黒猫団の仲間内では意外な事だったらしい。口を尖らせて顔を顰めるダッカーとテツオに軽い嫌悪感を抱いたヒョウの手がいきなりサチに取られた。

 

「ありがとうございます、ありがとうございます、私、ドンくさくて、不器用で……、それなのにこんな凄い技が使える様になるなんて……、本当にありがとうございます」

「いや、一番素直に聞いて、一番真面目に取り組んでいたんだ、この結果は当然だよ」

 

 サチにそう言って、ヒョウは他の四人に向き直る。

 

「彼女が証明した通り、ナンバを身につけるだけで、同じレベルでもかなりのアドバンテージを得る事が出来る。兎に角俺は教えたから、後は自分達次第だ」

 

 淡々とそう語ったヒョウに、ケイタとサチは真剣な表情で頷いたが、不真面目だった自分に含む所有りと深読みしたダッカーは不服そうに反駁した。

 

「あ~、俺パスパス。俺はあんなちまちましたヤツは無理。それよかさぁ、さっきのスパーンて手足ぶっ飛ばすの教えてくれよ! 」

「俺も、あの素早い攻撃、あれエフェクトかかってないから、ソードスキルじゃ無いんだろう? メイスと刀の違いは有るけど、同じゲームの中なんだし、通じる物は有るよね? 」

 

 テツオがそう続くと、黒猫団の瞳がそれにつられるように、期待に輝く。その瞳にヒョウは内心げんなりし始めた。

 

「あれ? 」

「「「「「あれ! 」」」」」

 

 ヒョウが聞き返すと、五人は身を乗り出して頷いた。ヒョウは内心のがっかり感を出さぬ様に注意して首を左右に振った。

 

「さっきのあれは、古武術の無拍子って言う動きなんだ。あの動きの元になっているのはナンバだから、地道にちまちま努力するしかないよ」

「ゲッ! マジかよ」

「残念でした、ズルはできませ~ん」

「ちぇ~っ」

 

 ヒョウが答えると、ダッカーが口を尖らせるが、そこにサチが絶妙なタイミングと口調で、嗜めとも茶々とも取れる言葉を口にすると、黒猫団メンバーはどっと笑い出す。その光景を見てヒョウの心も少し和む。ヒョウは最初にサチの自信なさげな態度と、メンバー全員にいじられ、振り回されている様子を見て、リアルの縁が元で嫌々付き合わされているのではと危惧していたが、この様子ではその心配は無いのかも知れない。

 

「所でヒョウさん、俺達の編成って……、どう思います? 」

「どうって? 」

 

 ケイタの唐突な質問に、ヒョウは理解が出来ず、真意を聞き返す。

 

「いえ、ウチのギルド、前衛を出来るのがメイスのテツオだけで、戦術を組み立てるのに苦労していて……」

 

 ケイタによると、月夜の黒猫団のパーティー編成は盾持ちメイスが一人、短剣使いが一人、槍使いが二人にロッドが一人でタンク役が不在、前衛役も一人で長期戦に不向きであるとの事。一度不利な状況に陥ると、挽回するのが難しく、お陰でギルド結成クエストでは大苦戦を強いられたとの事だ。

 

「別に、どうって事は無いと思うけど……」

 

 ヒョウは個人がそれぞれの武器の特性を理解し、習熟度を上げていけば大した問題では無いと考えていたのでその通りに答えた。しかしケイタは納得が行かない様子で、難しい顔をしてさらに自分の構想を打ち明ける。

 

「はっきり言って、槍使いは二人要らないと思うんですよ。で、習熟度があまり進んでいないサチに、今のうちに盾持ち片手剣に転向させようと思っているんです」

 

 その言葉に驚いたサチとヒョウが同時に声をあげた。

 

「えーっ! 私そんなの聞いてないよ! 」

「無茶だ!馬鹿げている! 」

 

 ソードアート・オンラインに閉じ込められ、よーいドンで同じ冒険を始めて、武器の習熟度に差が出るのは全体としては仕方ないが、同じグループの中で差が生じるのはまず有り得ない。もしそれが有ると言うならば、そのプレイヤーは戦闘に消極的、もしくは戦闘に不向きである事になる。そんなプレイヤーに別の武器を押し付けた所で無意味であるし、戦闘に不向きな者に前衛役を押し付けるのはナンセンスを通り越して無謀だ、ヒョウははケイタの思考回路を疑った。

 

「何故、馬鹿げていると言えるんです!? 」

 

 頭からヒョウに否定されたケイタは、語気を強めて反駁し、黒猫団の目標を訴える。

 

「今は弱小ギルドだけど、俺達もいずれはトップギルドの仲間入りをして、ボスの攻略に参加したいんです! 」

 

 ケイタの言葉に、テツオをはじめとする男子メンバーは顔を紅潮させて頷いた、誰もが皆夢見がちな瞳で拳を握りしめている。

 

「俺達とトップギルドの違いは何か、俺達なりに考えて見たんです、そして出た結論は意思の力、その違いなんだという事になりました! 」

 

 熱弁をふるうケイタに、ヒョウはこりゃまた大きな勘違いをしたもんだと内心で頭を抱えた。

 

「アインクラッドに囚われた皆を救いたい、その気持ちは俺達にだってあります! だからいつまでも守られているだけじゃダメなんだ、変わらなくちゃいけないんだと考えて、貴方の門を叩いたんです! 」

「それが、君達の意思の力だと? 」

 

 なんとケイタに言ってやれば良いのか、ヒョウは頭を悩ませた。ケイタの熱弁は続く。

 

「サチの転向もそうです、前衛役が二枚になれば、戦術の幅もぐんと広がって、レベリングも楽に進められます。これは俺達月夜の黒猫団がトップギルドになる為の意思なんです! 」

 

 そう熱弁を締めくくったケイタの背後で、野望に燃えるケイタの瞳とは対照的な、諦めとも絶望とも取れる暗い瞳を浮かべるサチを見逃すヒョウではなかった。

 さて、この夢見がちで地に足が着いていないわからんちんには、正面切って正論を吐いたとしても、意固地になるだけで耳を貸さないだろう……

 

「まぁ、意気込みは理解した。でも、サチさんを盾持ち片手剣に転向する事は無いと思うぜ」

 

 身を乗り出して、更に言い募ろうとするケイタを制し、ヒョウはフィールドを見回した。

 

「アレで良いか」

 

 そう言うと、懐から小柄を取り出し投擲する。投げた小柄は狙いを外さず、離れた場所に徘徊する棍棒持ちの獣人モンスターに命中してそのタゲを取る。

 

「借りるよ」

 

 ヒョウはサチから槍を借り受けると、突進して来る獣人モンスターの進路に悠然と立ち塞がった。

 

「槍はリーチが長いから、遠間でチクチク嫌がらせ攻撃をして、敵のソードスキルを未然に防ぐだけの後衛支援武器、君達の認識はそれで間違い無いね?」

 

 突進して来た獣人モンスターに言った通りの攻撃を行いながら、ヒョウはケイタの目を見て確認を取る。ケイタは自分達では手こずる事請け合いの獣人モンスターを余裕であしらい話しかけるヒョウの技術に驚愕し、ゴクリと唾を飲み込んで頷いた。

 

「そう見えて槍っていうのは、実に便利な武器なんだ、例えば」

 

 ヒョウは遠間に釘付けにしていた獣人モンスターに誘いの隙を見せ、懐に入れた。するとモンスターはこれ幸いとヒョウの胴回り程の太さの有る兇悪巨大な棍棒を高々と振り上げる。ヒョウはそんな獣人モンスターに背を向け、青ざめる黒猫団メンバーに莞爾とした笑を浮かべて言葉を続ける。

 

「たとえこうして懐に入られても」

 

 ヒョウは槍を持ち替え、頭上にかかげると、そこに獣人モンスター渾身の棍棒の一撃がヒットする。

 

「こうすれば、盾替わりに攻撃を受け止める事が出来るし」

 

 渾身の一撃を受け止められ怒り心頭の獣人モンスターは、目にも止まらぬ速さで上下左右から棍棒の波状攻撃でヒョウに襲いかかる、しかし

 

「こうしていなし、捌く事で相手の隙を作れば、ほら」

 

 ヒョウは槍の柄の部分を器用に使い、獣人モンスターの棍棒攻撃を柳に風と受け流す、そして隙の出来た足元を掬い、転倒させた。その動きの無駄の無さに、黒猫団メンバーは息をするのも忘れ、食い入るように見入っていた。

 

「ほら立て、もう一本だ。今みたいに倒して、後は全員でタコ殴りにするも良し、又はこんな風に! 」

 

 猛る獣人モンスターの棍棒の一撃を槍の柄の中央部で受け流すと、バランスを崩して下がった下顎に、ヒョウは狙い澄ました様に石突き部分で強烈なかち上げをカウンターで喰らわす。

 

「劣勢から逃れる時は、このまま距離をとって仕切り直しても良いし、攻勢ならこうして畳み掛けるのも良し」

 

 そう言ってヒョウは槍の柄の中央部を起点にして、穂先部分と石突き部分で交互に攻撃を繰り出し、HPを削っていき、最後はド派手なソードスキルを決めて、獣人モンスターをポリゴン片に変えて爆ぜさせた。

 

「ありがとう」

 

 ヒョウはサチに礼を言って槍を返すと、サチは「これ本当に私の槍?」と言いながら、受け取った槍を丹念に確認する。

 

「槍は実に便利な武器で、後衛で支援攻撃だけじゃなく、タンク役もこなせダメージディーラーとしても優秀な、立派な前衛武器でもあるんだ。俺も曲刀スキルから刀スキルが派生しなけりゃ、槍を主武装にするつもりだったんだ」

 

 サチを中心に、惚けた瞳を向ける黒猫団メンバーに、ヒョウは締める。

 

「前衛役は武器じゃ無い、要は度胸なんだ、だからサチさんを無理に転向させる必要は無い。今まで見てて気づいたんだけど、彼女は怖がりなんだろう? 」

 

 恥じ入るように俯くサチに、ヒョウは静かに言葉続ける。

 

「怖がりという事は恥じゃあ無いんだ、ウチの連れのツウも怖がりで、戦闘なんてからっきし駄目なんだ。だから役割分担で戦闘は俺が引き受けている」

 

 救われた表情を浮かべるサチに微笑んでから、ヒョウは他の黒猫団メンバーに眼差しを向ける。

 

「どうしても前衛役がもう一人いるのなら、同じ槍使いのササマル君か、ダッカー君がやればいい。自分達が向かないと言うならばケイタ君」

 

 ヒョウは言葉を一旦区切り、ケイタを見据える。

 

「新たにギルドメンバーを募集した方が良いと思う。そうして陣容を固め、ゆくゆくはサチさんを攻略から外した方が良い」

 

 ヒョウはそう言って話しを締めくくると、ダッカーがヒョウの言を自分に都合良く曲解し、二人の話しに割って入る。

 

「分かった、つまりアンタは俺達月夜の黒猫団の一員になりたい! そう言う訳だな! 」

 

 いったい何処をどう解釈すると、そういう結論に至るのか?

 

 ヒョウはあまりにも能天気なダッカーに一瞬呆気に取られたが、何故か黒猫団のメンバーは全員その言葉に同調して盛り上がる。

 

「いやいや、皆まで言うなっての、サチに気があるんだろ。分かるぜぇ、ツウさんだっけ、彼女は綺麗過ぎるもんなぁ、いつも一緒だと息が詰まるのも頷けるってもんよ。で、外にいる間だけのギルド妻ってのが欲しくなったんだなぁ。お目が高いぜぇ、旦那ァ、確かにサチはあの人程の美人じゃあねえけど、息抜きするには丁度いい相手……あ痛てぇ! 」

 

 調子に乗って囃し立てるダッカーの頭上に拳骨を落とし、赤面気味のサチがヒョウに頭を下げ、上目遣いに見上げながらモジモジと歓迎の意を表す。

 

「バカ! なに失礼な事を言ってるの!? ごめんなさい、ヒョウさん。でも、ヒョウさんみたいに頼れる人が傍にいてくれると嬉しいな、歓迎します! 」

「ああ、そうだな! 大歓迎ですよ、ヒョウさん!」

 

 キラキラのした瞳を輝かせ、歓迎の意を表す黒猫団を代表し、ケイタが右手を差し出した。

 

「いや、ちょっと待ってくれ」

 

 困惑した瞳で差し出された右手を見ながら、ヒョウは半歩下がって頭を振る。

 

「俺はギルドに興味は無いんだ、入るつもりも作るつもりも無い。これからもずっと……最後までソロでやっていくつもりなんだ」

 

 ヒョウのソロ発言に、信じられないと目を剥く黒猫団メンバー。

 

「……いくら何でも、それは無茶だ 」

 

 呻く様にそう一言絞り出したケイタに、ヒョウは莞爾として微笑む。

 

「無茶でも、そう決めたんだ」

 

 逡巡するケイタを押しのけ、またダッカーが口を挟む。

 

「いくら強いっても、そいつァちょっと自惚れすぎじゃあねえか! レベルが幾つあるか知らねぇけどよ!」

「40だ」

「せっかく俺達が誘って……よ、40!?」

「……私達の……、倍以上……」

「それからエクストラスキルのバトルヒーリングとバトルブーストの恩恵で、更にレベル15程度の上乗せが有る」

「実質……レベル55……」

「ちょっと待て、こないだ更新された攻略本じゃ、今現在確認されているモンスターの最高レベルは、二十一層のエクストラクエストのボスモンスターの、レベル48が最高だって事だろ」

 

 これ以上この話で時間を費やすつもりの無いヒョウは、ギルドへ誘う気が失せたであろう一同に向かい、ダメを押す様に次のレッスンカリキュラムを告げる。

 

「はい、もうこの話は終わり。じゃあ十四層にいい狩場が有るから、そこに移ってレベリングをしよう。ナンバの動きを意識して狩れば、今日中に最低でもレベル5は上げられる」

 

 そう言って主街区へ歩を進めようとしたヒョウに、ダッカーが擦り寄る様に近づいて、おもねる様な口調で自らの希望を口にする。

 

「ちょっと待ってくれよ、旦那ァ。旦那の腕があれば最前線もソロで大丈夫なんだろう、だったらさぁ、十四層なんてケチな事を言わずに、最前線でパーっと俺達のレベルを上げてくんねえかな」

 

 ダッカーのパワーレベリング要求に眉間に皺を寄せたヒョウは、それは全員の本意かどうか確かめる為、ケイタを始め黒猫団メンバーの顔を見回す。ダッカーの失礼な物言いに、明らかに眉をひそめるサチ。ナイスアイデアと乗り気のテツオと、どっちつかずでケイタの顔色を伺うササマル。彼等を前に逡巡するケイタに、ヒョウは早くもこのパーティーに見切りをつけた。彼等は何も分かっていない、もう高校の仲良しグループのままでは、生きていけないという事を。

 

「パワーレベリングは勧められない、いや、絶対に忌避すべきだ」

 

 ヒョウがそう口を開くと、ダッカーが目を剥いて食ってかかる。

 

「なんでだよ! プレイヤー全体のレベルが高くなれば、それだけ早くクリア出来て全員を解放出来るだろう! そんなに手柄を独り占めしたいのかよ! このビーター野郎! 」

「おい、止めないか」

「なんでだよケイタ! 俺達クライアントだぜ! なんでクライアントが下手にでなくちゃなんねえんだよ! 客の言う事を聞いて従うのが契約だろう!」

 

 ケイタがダッカーを宥めて制止しようとするが、かえって火に油を注ぐ結果となり、その矛先はケイタにも向った。どうにも収拾がつかないなと判断したヒョウは、やれやれといった態度でため息をついた。

 

「二人共、いい加減になさい! 」

 

 サチがたまらず二人叱りつけると、不承不承ダッカーは「ふん」と鼻を鳴らして引き下がった。ダッカーがかろうじて収まったのを見て、ヒョウはため息をついた後再び口を開いた。

 

「君達は階層を上がる度に何か感じた事、気づいた事は無かったのか? 」

 

 ヒョウの問いかけに、温度差が有るも黒猫団メンバーは頭を捻る。

 

「フィールドモンスターが徐々に強くなる事以外、私には余裕が無くてわからなかった……、ごめんなさい」

 

 サチがそう答えて頭を下げようとすると、ヒョウはそれを制して他のメンバーに振って確認する。

 

「それならそれで仕方ない事だから、別に謝らなくて大丈夫。他の皆は? 」

「んな事いちいち気にするかっての」

「いや、特に……、サチじゃないけど、俺達もレベル上げやれら生活を維持する事に追われ、気にする余裕が無かった。何か有るんですか? 」

 

 悪態をつく様に答えるダッカーをひと睨みして、ケイタはそう答えると、ヒョウは頷いて正解を示す。

 

「実は階層毎に特殊効果に傾向があって、それを熟知する事が攻略、もしくはアインクラッドの安全な歩き方を学ぶ事につながるんだ。各階層毎にモンスターが手強くなるのは、ただレベルが上がっているからだけじゃない。デバフやトラップ、フィールド特性による様々なバッドステータス、その他にも色々な特殊状況がモンスターを強化して攻略、レベリングを難しいものにしている。だけど、逆に言えば、それらに対するセンサーを磨いておけば、突発的な事態にも落ち着いて対応出来るし、対処方法を学ぶ事が出来る。その場やその後の対応を容易にできるかできないかは、自分次第なんだ。そしてこれらの特殊効果の発生傾向は細かく細分すると五層で一回転、大まかに分けると……、二十五層で一段落するんじゃないかと俺達は予測している。だから強い仲間が出来たからと言って、安易に階層を飛ばしてパワーレベリングをすると、飛ばした階層の特殊効果の対処方法を知る事が出来ずに、上の階層に行って似たような効果に出くわした時に輪をかけて苦しむ結果になる。それが原因で攻略組から外れていった者もいるし、最悪命を落とした者もいるんだ。悪いことは言わない、先を急ぐならばこそ、地道な攻略とレベリングをすべきだと俺は思う」

 

 自らの経験を語って聞かせたヒョウの言葉の重みと、一般プレイヤー達とは全く違う攻略プレイヤー達の着眼点に、ケイタは思わず後ずさり呻く。

 

「そんな見方が有ったなんて……、どうして攻略組の人達は……」

 

 教えてくれないのか? そう言おうとしたケイタに先回りしてヒョウが答える。

 

「その程度の事くらい、自分で気が付けよ、って事さ」

「な……」

 

 絶句するケイタに、ヒョウは現実を伝える。

 

「そのくらい自分で気付けない奴に、攻略組に来て欲しくないって事だな」

「……そ、そんな……。じゃあヒョウさんも」

「ああ、悪いが俺も同意見だ、攻略組だからね。俺達攻略組は排他的なんだ、どうしてだか分かるかい? 」

「……」

 

 絶句して首を左右に振るケイタに、ヒョウは攻略組の現実を語る。

 

「この程度の事を気付けない人間に、甘い考えでノコノコやって来られるのは迷惑なんだ、命が懸かっているからね」

 

 ヒョウは一層と十三層での出来事を思い出し、顔を顰めた。十三層の茶番はさておき、彼はキバオウやリンド達、多くの攻略組プレイヤーが英雄視するディアベルをそれほど高く評価してはいなかった。確かに一番乗りで迷宮区を突破してボス部屋を発見した手腕、ボス攻略戦をリードしてレイドをまとめ上げ、指揮した能力には目を見張るものが有る。しかし、ただそれだけなのだ。彼は最後で詰めを誤った、ボスの動きを最後まで見極める事をせずに、無謀なラストアタックを敢行した。迷いの全く無いその動きは、まるでもう大丈夫なのだと知っているかの様な動きだった。恐らくディアベルは元ベータテスターだったのだろう。だが、彼の確信は見事外れ、その結果自分の命を落とす事となった。彼の死は自分自身だけの問題にとどまらず、レイドを崩壊の危機に晒してしまったのだ。その罪は万死に値する。あの時あの場所にキリトとアスナがいなければ確実にレイドは崩壊し、攻略もここまで進んではいなかっただろう。ボス攻略は、一つ間違えると、取り返しのつかない大惨事となる。フィールド攻略で命が失われるのも痛ましい出来事だが、ボス攻略が失敗し、あまつさえ命が失われる結果は、一般プレイヤー達に与える負の影響は計り知れないものがある。ヒョウの目にはケイタがディアベルの劣化再生産版見えて仕方なかった。この際口が悪くとも、命が失われるよりはましである。

 

「君達はビーターを蔑んだよね、俺にはその感覚が分からない」

 

 この言葉で、サチを除く黒猫団メンバーが目を剥いた、しかしヒョウはそんな事は意に介さず言葉を続ける。

 

「SAOがデスゲームと知れて、まず一番に大事な事は自分自身、もしくは自分と仲間の生存だろう? 彼はそれを忠実に行っただけだ、誰に非難される筋合いは無い」

「でも噂じゃビーター野郎はボス戦で、知ってる情報を黙っていて、レイドリーダーを見殺しにしたって言うじゃねーか!」

 

 納得のいかないダッカーが叫ぶ、しかしヒョウは彼の言葉を鼻で嗤う。

 

「誰に聞いたのか知らないけど、そんな戯言(たわごと)を真に受けてるのか? 」

「戯言だって!? 」

 

 気色ばんで詰め寄るダッカーに、ヒョウはもう後戻り出来ない、どうせ嫌われるならとことん嫌われてやれと腹を括る。

 

「俺もあの場所にいたんだよ! お前の言うビーター野郎はレイドじゃ味噌っ滓扱いで、ボスの取り巻きの小物の相手しかさせて貰えなかったんだ! そんな扱いでも奴は腐らずに自分の役目を果たし、他の奴等が自分の事で手一杯の中、ボスのHPがラスト一本になったのを見て無謀に突っ込んで行ったディアベルに、奴はボスの武器変更とモーションチェンジから危険を察知して警告を飛ばしたんだ。それだけでも大したもんだ! だがソードスキルの入りっぱなに、ボスのソードスキルの連撃を食らってディアベルは死んだ、誰のせいでもない、ディアベル自身の自業自得だ。ディアベルの死はディアベル個人の問題じゃあ無い、そのせいで士気が崩壊してレイドは全滅しかかったんだ、迷惑な話さ。そしてその全滅しかかったレイドを救ったのもお前の蔑むビーター野郎さ」

 

 ヒョウは一旦言葉を区切り、威圧的な視線でダッカーの目を射抜く。ヒョウの視線に射竦められた様に、ダッカーはよろよろと後ずさる。

 

「お前の言うビーター野郎は、あの時あの場所で自分にしか出来ない事を出来る限りやったんだ! だから俺は今こうして生きている、ビーター野郎がいなければ、攻略はここまで進んではいないだろう! アイツはSAOがクリア出来るんだと、俺達に希望をもたらしてくれたんだ! 自分の思い通りにならなきゃ、不平不満を漏らして喚き散らす何処かのバカ者とは、覚悟が違うんだよ! 覚悟が! それなのにベータテストに漏れたやっかみと、活躍してヒーローになるつもりのアテの外れた馬鹿野郎が、妬んで貶めやがった! 」

 

 ヒョウは一層ボス攻略後のキバオウの振る舞いと、それに便乗した無責任なプレイヤー達の言動が脳裏をよぎり、唇を歪め奥歯を噛み締める。幽鬼の様なその姿に、ダッカーは黒猫団メンバーの中央で尻餅をついてしまった。

 

「あの連中はまだいい、曲がりなりにもあの場所にいたんだから。やっかみや妬み、俺にしたって聖人君子じゃ無い、人間なんだからそんな感情だって理解できなくもないさ、でもな」

 

 ヒョウはそういうとダッカーに向かい、刀の鯉口を切る。

 

「でもな、何も知らない奴が、愚にもつかない与太話を確かめもせず、頭から信じて決めつけて、アイツを貶めるのだけは許さねぇ!」

 

 蒼白となる黒猫団メンバーには目もくれず、ヒョウはダッカーに向かって抜き打ちの一閃を放つ。

 

「ひぃええぃ」

 

 頭を抱え、間抜けな悲鳴を上げてうずくまるダッカーの頭上を、ヒョウの剣閃が煌めく

 

「ブモォオオオオオ。」

 

 鞘走り放たれた刃は、黒猫団メンバーの背後で狙っていたサラマンダー系のモンスターを瞬時に斬り裂いた。納刀の鍔鳴りの音と共に我に帰ったダッカーは、さっきまでモンスターだったポリゴン片のシャワーの中を這いずって、ケイタの足元に縋り付く。

 

「その様子じゃ、今日はもうレベリングは無理だな。今日はこれでお開きにする、明日はもう少しナンバの動きを突き詰めて見ようか。それじゃ、気をつけて」

 

 そう言い残すとヒョウは踵を返し、ツウの待つ四層の家へと向かうのだった。

 

 明日彼等は来るだろうか?

 

 そんな想いを胸に秘めて。

 

 翌日待ち合わせ場所にやって来たのは、ケイタとサチの二人だけだった。ケイタは慇懃ではあるが、やや影を含んだ感で、そしてサチは心から済まなそうに三人の欠席を詫びた。そんな二人に、まあ、良いさと片手を上げ、ヒョウはフィールドではなく、四層の自宅の島へ二人を連れて来た。

 昨日の今日で、二人も身が入らないだろう。今日はケイタが言っていた、攻略組プレイヤーから見て黒猫団には何が足りないのか、飛躍する為には何をすべきか、について感じた事をじっくりと話そう。そう言って彼は自宅の居間ではなく、保育園に設えた子供達の遊び場へと二人を誘った。

 

「あっ!ヒョウ兄ちゃんだ! 」

 

 入室してきた三人に気づいた一人の子供が声をあげると、子供達は一斉に笑顔を向けて駆け寄った。

 

「ヒョウ兄ちゃん、今日はお仕事無いの? 」

「本当! じゃあ一緒に遊ぼうよ! サッカーやろう! 」

「えー、ドッジボールにしようぜ! 」

「男の子ばっかり狡ーい、ねえヒョウ兄ちゃん、私達とゴム飛びしましょう。」

「おおい、みんな待ってくれ、いっぺんには無理だよ」

 

 子供達に取り囲まれ、もみくちゃにされるヒョウの許に、救いの女神が降臨する。

 

「ほらほらみんな、お客さんの前でお行儀が悪いぞ。お行儀の悪い子は、今日のおやつは抜きにしちゃうぞ~」

 

 ツウが悪戯っぽくたしなめると、子供達は口々にケイタとサチに「いらっしゃい」と来客への挨拶を始めた。その様子を目を細めて見守るヒョウとツウ。

 

「ようこそ、夕鶴保育園へ、歓迎するわ。ゆっくりして行って下さいね」

 

 ツウがケイタとサチに歓迎の挨拶をすると、二人は「いえ、どうも」「お邪魔します」と恐縮して頭を下げた。

 

「お兄ちゃん、お客さんと大事なお仕事のお話しをするんだ、終わったら遊んであげるから、今はツウ姉ちゃんの言う事を聞いて、いい子で遊んでいてくれよ」

「みんな、良かったわね、ヒョウ兄ちゃん、後で遊んでくれるって。それまで我慢してみんなで遊んでね」

 

 ヒョウとツウが子供達に向かってそう声をかけると、子供達は口々に「はーい」「絶対だよ」と言ってから、蜘蛛の子を散らすように駆け出した、しかし

 

「どうしたの? 」

 

 一人の女の子がサチの手を握って見上げ、動こうとしない。サチは笑顔でしゃがみこみ、女の子の目を覗き込む。

 

「お姉ちゃん、誰? 」

「私? 私はね、サチっていうんだよ、あなたはだあれ? 」

「あたし茉莉子……じゃなかった、ジャスミンよ」

 

 思わず本当の名前を口に出し、慌ててプレイヤーネームに言い直した女の子に、サチの胸の内にSAOに囚われて以来、忘れていた感情がこみ上げる。

 サチはジャスミンに、慈愛のこもった笑顔を向ける。

 

「はじめまして、ジャスミン。よかったら、お姉ちゃんと一緒に遊ぼうか? みんなの仲間に入れてくれる? 」

「うん、いいよ」

「良かったね、ジャスミン。ありがとうサチさん、助かるわ」

 

 暖かい

 

 自分に嬉しそうな笑顔を向けるジャスミンとツウに、サチの胸は潰れそうなくらい、暖かい気持ちに満たされていく。どうしようもなく矛盾した気持ちに涙が溢れそうになったサチは、涙を堪えるために殊更明るい口調で振り返らずにケイタに告げた。

 

「私、行ってくるね。いいでしょう、ケイタ」

「ああ、それがいい」

 

 ケイタは快諾し、ヒョウと二人でその背中を見送る。

 

「あの子達は……? 」

 

 ケイタは何故沢山の子供達がヒョウの自宅にいるのか、その疑問を口にする。

 

「親と一緒にSAOにログインした子供達さ」

 

 ヒョウがその疑問に答えるが、ケイタにとって満足のいく回答では無かったのか、それとも新たに湧いた疑問なのか、更に疑念を口にする。

 

「どうして」

 

 ヒョウはケイタの疑問に敢えて直接答えず、はぐらかす様に遠回りに答えを伸ばす。

 

「いくら何でも子連れでフィールドに出る訳にはいかないだろう」

 

 ケイタは子供達の遊ぶ姿を、自分達には向けてくれなかった優しい表情で見守るヒョウの横顔を見た。

 

「フィールドに出ないとコルも稼げないし、レベルも上がらない、でも子連れじゃそれもままならない。子連れプレイヤー達はそんな矛盾を抱えたまま、解決策が無く貧困に喘いでいたんだ」

「そんな……」

 

 ヒョウの惚ける様な回答に、些か焦れていたケイタだったが、その内容が予想を越えてハードな内容であったために絶句する。

 

「でもこれが現実なんだ、彼等はそんな現実を打破する為に、MTDと協力して定期的にコル稼ぎとレベリングをしているんだけど、効果は思わしくないらしい、先日はそれで犠牲者が出た、ジャスミンの母親もその一人さ」

 

 ヒョウは現実という言葉を殊更強調して答えると、ケイタは実にやりきれないといった表情で俯いて首を振る

 

「そんな……酷い」

「ああ、酷い話さ。でもそれがこのSAOの現実なんだ。だからツウはその現実に戦いを挑んだのさ」

「戦いを? 」

「ああ、ツウは言ったんだ。きっと茅場晶彦は、全プレイヤーが血眼になって攻略に挑むに違いない、そう思っているのよ。だから私はこのアインクラッドの中で、現実世界とおんなじ日常を作ってやるんだ! って」

 

 そう言って、ヒョウは軽く思い出し笑いを浮かべた。ヒョウの真意を掴めずに、ケイタは首を傾げながら話の続きを聞く。

 

「そうして、このアインクラッドの中で、のほほんと暮らせる環境を作ってやるんだ! 全プレイヤーが攻略なんてそっちのけで、現実世界と変わらない日常を送りながら、外からの救出を待つ様になれば、茅場のアテが外れて私達の勝ちよ。その手始めに、子連れプレイヤー達が安心してフィールドに通勤出来るよう、保育園を作るんだ! そう宣言して始めたのがここ。ジャスミンの様に、親を喪った子供達も引き取って育てているんだけど、孤児院としないのは暗くなるから。現実世界に帰還した時、万に一つでも親御さんの生存を願っての事なんだ」

「立派な考えだと思います」

 

 ヒョウは感動した面持ちでそう口にしたケイタに椅子を勧め、自分も深く腰掛けた。ヒョウはこれから話すべき事の核心へとケイタを誘導出来たと手応えを感じ、彼の目を真っ直ぐに見つめる。

 

「立派かどうかはさて置いて、最前線でボスと戦うだけが、SAOでの戦いじゃ無いって事さ」

「それは……どういう」

 

 ヒョウの真意に気づいたケイタは、抗議の視線をヒョウに返す。ヒョウその視線にこもった抗議に対し、ゆっくりとした口調で丁寧に答えていく。

 

「それぞれが、その実力と覚悟の中で、地に足をつけて生き抜く事が戦いなんだ。そうして生きてナーヴギアを自分の手で外す事が、このゲームをクリアして勝つ事なのさ」

「つまり、それは、僕達には前線で戦う実力も覚悟も無い、そういう事ですか! 」

 

 思わず声を荒らげて立ち上がったケイタに、子供達の怯えた視線が集中する。その視線に気づいたケイタは、バツの悪そうな表情を浮かべ、腰掛け直す。

 

「確かに僕達は、今は弱小ギルドだけど、これからレベルを上げていけば……」

「ボス攻略はレベルだけがファクターじゃ無いんだ。フロアボスは、フィールドモンスターとは根本的に違う」

 

 早口でまくし立てる様に抗議するケイタの言葉を遮るヒョウの一言は、経験した者にしか語れない重みが有った。その重みを感じたケイタは、屈する様に頭を抱え、椅子に沈み込む。

 

「そんな、僕達だって、いつかは守られる側から、守る側になるんだって、そう思ってやってきたのに」

「その守る守られるという考えは捨てた方がいい、だいたい攻略組には守っているという感覚が無い」

「何が……僕達には何が足りないんですか」

 

 絞り出す様にそう呻くケイタに、ヒョウは前日までの二日で感じた事を全て話す。一見考えている様で、実は安直過ぎるサチの武装転向計画。我儘を言い散らかすだけで、建設的な意見を持たないダッカー達。月夜の黒猫団は、仲良しグループとしては理想的ではあっても、攻略ギルドとしては最悪の環境である事。何故なら他のメンバー達は、今後の明確なビジョンを持てないからケイタの考えに乗っているだけであり、ケイタにしてもリーダーが出来ているのは、優れたリーダーシップが有るからでは無く、他の誰もがその地位を望んでいない事と、彼等にとってケイタがただ我儘を言い易い人間だからである。

 全否定と言えるヒョウの言葉を、ケイタは肩を震わせながら聞いていた。そんなケイタに、ヒョウはそれでも攻略組に参加したいのならと、ある提案をした。

 

「陣容を増やしたいと考えている中堅の攻略ギルドと合流する事だ。勿論ケイタはギルマスのままとはいかないし、全員が最前線に立てる筈は無いけど、攻略の現実を知るにはむしろその方がいい」

「!! 」

 

 ヒョウのその提案に、ケイタは頭をハンマーで殴られた様な衝撃を受けた。

 

「俺のツテでいい所が有る、風林火山というギルドで、攻略組の中では今一番勢いの有るギルドだ。リーダーはクラインといって一見気のいいあんちゃんだけど、面倒見の良いしっかりした大人だ。そういう大人の下で、地に足を着けて……」

「もういい!! 」

 

 ケイタは両手を目の前のテーブルに叩きつけ、ヒョウの言葉を遮った。ケイタはヒョウとツウ、そして子供達の驚きの視線に構う事無く立ち上がると、戸惑うサチに大股で歩み寄り、彼女の手首を乱暴に掴む。

 

「帰るぞ、サチ! 俺達はここに来るべきでは無かった」

「えっ!? ちょっと待って、ケイタ!」

 

 サチの抗議の声に耳を貸す事無く、ケイタは彼女を引きずる様に引っ張って出口へと向かう。

 

「ヒョウさん、あなたの言葉は今まで最前線で戦ってきた人間の重みが有る、恐らくそれで正しいんでしょう。でも! 」

 

 ケイタは出口のドアノブを握ると、怒りに耐える口調でそこまで言うと、一旦言葉を区切ってヒョウに挑む様な視線を向ける。

 

「でも、俺達にも意地が有るんです。あなたの言葉を、はいそうですかと聞き入れる訳にはいかない」

 

 そう言い残し、ケイタはサチを連れてヒョウの目の前から去って行った。道すがらケイタの心は、ヒョウ一人に出来た事が俺達に出来ない筈が無い、そう敵愾心に燃えていた。

 

 ケイタも分かっていたのである、自分の言葉が青臭い理想論である事を。であるが故に、彼が欲しかったのは、たった一つでもいいから、賛同と共感で有った。しかしそれを求めるには、ヒョウは攻略慣れし過ぎており、リアリストであった。そして、若かった。若いが故の全否定であり、それをした根底にあるものは、先日のサーキーによるMPK事件である。ヒョウはこの先誰にも死んで欲しくない、残された者の悲しみを誰にも味あわせたくないとの思いからの全否定だった。不幸なタイミングで出会った二人は、実に不幸な形で別れる結果になってしまった。

 

 後味の悪い一夜が明け、それでもヒョウは眩しい朝日で強引に気分転換をすると、子供達を迎えにゴンドラを漕ぐ。そして着いた船着き場で、信じられない人間に声をかけられた。

 

「ヒョウさん」

 

 驚いて目を見張るヒョウに、えへへと笑ってその人物はゴンドラに乗り込んで来た。

 

「来ちゃった」

「サチさん……」

「他のギルドの友達と出かけるって、ケイタ達にウソついて来たの。見つかったらマズいから、早く出してね」

「あ、ああ……」

 

 悪戯っぽく舌を出してサチがそう言うと、ヒョウは我に帰ってゴンドラを漕ぎ出した。保育園への水路、サチは昨日のケイタの態度と、契約は一週間だったのにたった三日で破棄してしまった事について謝罪した。ヒョウは自分達の今後の事を思って、厳しい意見をしてくれたのに、みんなの心は未だに部室でパソコンのディスプレイの前にいた時のままなのだと、サチは愚痴る様にこぼした。

 

「でも、本当はみんな悪い人間じゃないの、だから許してやって下さい。契約破棄の穴埋めにはならないかも知れないけど、せめてもの罪滅ぼしに後四日、私に保育園の手伝いをさせて下さい」

 

 そんなサチの言葉を最後まで聞いたヒョウは、契約破棄の旨は、締結時にちゃんと破棄する場合の条件を考え、提示していなかった自分も甘いので不問にする事と、保育園の手伝いは大歓迎するとサチに伝えた。

 サチはヒョウの気遣いに感謝の笑顔を向け、その後一瞬だけ寂しげな瞳を水面に向けた。

 

「あら、サチさん、来てくれたの、嬉しいわ」

 

 ゴンドラ船が島に到着し、子供達に続いて一番最後に降りたサチを見つけ、ツウは笑顔で歓迎する。そして

 

「サチお姉ちゃん」

 

 ジャスミンが大きな声でサチを呼び、駆け寄って来た。

 

「ジャスミン」

「サチお姉ちゃん、どうして昨日は途中で帰ったの? 今日は途中で帰っちゃ嫌だよ」

「ごめんなさい、ええ、最後まで一緒にいるわ。だから、また一緒に遊んでくれる?」

「うん」

 

 そうしてサチは約束通り四日間毎日保育園にやって来て、ツウの手伝いをして子供達の世話をした。彼女はこの四日間で、料理スキルを始めとする、生活スキルを多数ゲットしていき、ツウや子供達と喜びを分かち合っていた。この四日間はサチにとってSAOに囚われて以来、初めて訪れた心から安らげる日々であった。しかし、楽しい日々にも、別れを告げる時がやって来た。四日目の夕方、寂しそうな笑顔で別れを告げるサチに、ヒョウとツウが声をかける。

 

「彼等の事は気にせずに、ずっと居てくれると有難いんだが……」

「ありがとう、またいつでも来てね」

 

 サチはヒョウの言葉には首を左右に振り、ツウの申し出には笑顔で頷いた。

 

「本当にありがとう、機会があったら是非また」

 

 サチはそう言って頭を下げると、チャーターしたNPCのゴンドラ船に乗り込んで去って行った。

 

「いい人だったわね」

「ああ、無事にゲームクリアして欲しいな」

 

 ゴンドラ船を見送りながら、しみじみとそう語るヒョウの脇腹を、ツウが肘で小突く。

 

「それはタケちゃん次第よ、想いを背負ったんだから、頑張って攻略してね」

「分かってるって、コヅ姉……、あれ? 」

 

 ヒョウはツウの脇腹攻撃を避けながら身をよじると同時に、新規スキルゲットを知らせる点滅が視界に発生した。

 

 何のスキルだろう?

 

 メニューウインドウを開いたヒョウは、意外なそのスキル名に素っ頓狂な声をあげる。

 

「なんだこりゃ!? 保父スキルだって!? 」

「あら、タケちゃんもゲットしたんだ。私も有るのよ、保母スキル」

「なんか……、別の意味で侮れないな……、ソードアート・オンライン」

「さて、晩御飯の仕度しなくちゃ、今日はカレーよ」

「カレーか、やった! 」

 

 腕を絡め合い、手を繋ぐ二人が自宅へと向かい、踊るようなステップで足を進めた時、ゴンドラ船上ではサチが寂しそうな笑顔でメニューウインドウを見つめていた。彼女はここ四日間の出来事を、一つ一つ胸の内で反芻していた。彼女は保育園に来る度に、ヒョウとツウから四日間とは言わず、ずっといてほしいと誘われていたのだ。それは二人からだけではない、子供達からもサチはもう保育園の一員なんだと認識され、それが無言の誘いとなってサチの心を激しく揺さぶっていた、しかし……

 

「でも、私の居場所は……、あそこだから……」

 

 ヒョウさん、ツウさん、ジャスミン、みんなから貰った温かさ、私は絶対に忘れない……

 

 ありがとう。

 

 ごめんなさい。

 

 サチは涙を浮かべ、メニューウインドウを操作した。

 

 

 保母スキルをGETしました

 装備しますか?

 yes

 no <

 




次回、第十五話 二十五層事件


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十五話 二十五層事件①

 物事には節目という物が有る。

 

 学校ならば学期、暦ならば元旦、季節という様に、一つの大きな塊を細分し、細分した物をある大きさに一括りして統括する。そうしてその一括り毎に目標を立て、その時節事にやる事を変える、そういう文化を我々人間社会は持っている。

 日本ではこの節の分かれ目には、子供の成長や新年を祝い、お節料理を食べながら前節の疲れを癒し、新しい節に向かって新たな目標を立て英気を養い、心機一転する風習が有る。

 とはいえこうして楽しい一時を過ごす前には、必ず大きな厄介事がイベントとして用意されているのも諸行無常浮世の常である。それは軽いものは年末大掃除、厳しい物になると学生さんお馴染みの期末テストや、会社になると決算という物を退治しなければ、ゆるゆるダラダラ節の分かれ目を過ごす事はできない。つまり人によって違いは有るが、節を分ける直前には、必ずと言って良いほど頭の痛い問題が待ち受けているものだ。

 

 さて、ここアインクラッドでも、現在その大きな節目と呼べる時期に差し掛かっていた。百層から成るアインクラッドは、大まかに分けると十層単位で分ける事が出来るが、もう一つ二十五という単位で四つに分ける事も可能である。そんな訳で二十五層の攻略には相当の困難が予想されていた。

 その困難に立ち向かう、攻略組と呼ばれる様になりつつあるトッププレイヤー達の間では、激震と言って差し支えない、寝耳に水の再編劇が起こっていた。

 

 アインクラッド解放隊と、ドラゴンナイツの合併である。

 

 時には犬猿の仲、時には利害一致で馴れ合う微妙な距離感にあるこの二つのギルドは、同じ父親から生まれ双子の兄弟と言える存在である。

 

 父親の名前はディアベル。

 

 彼等はその爽やかな容姿と弁舌で、記念すべき第一層のボス攻略戦をリードし、殉じたディアベルを英雄視し、我こそはその遺志を継がんと立ち上がった組織である。さらに彼等はボス攻略戦終盤で、英雄ディアベルを見殺しにしたキリトに対し(実際は違うのだが)反ビーターという態度を貫いていた。

 

 そんなに発足理由と思想的な立ち位置が同じなら、何で別組織として成立してしまったのかというと、それはそれぞれのリーダーの人間性であろう。

 

 ドラゴンナイツのリーダーリンドは、古くからディアベルのパーティー仲間であり、盟友であった。そんな彼を中心に、ディアベルの旧仲間達が彼の遺志を継ぎ、正統継承者としてギルドを旗揚げするのは自然な流れであろう。

 そしてもう一方のアインクラッド解放隊は、キバオウを中心に旗揚げされたギルドである。彼等は第一層ボス攻略会議にてディアベルの人柄に触れ、彼の同志としてアインクラッド解放を誓った者達であった。特にボス攻略戦前夜の壮行会において、キバオウは義兄弟の契りを交わしたと自覚しており、自分自身がディアベルの継承者として相応しい、リンドごときの下につけるか! と、鼻息荒く残りの第一層攻略メンバーを糾合して結成された経緯を持つ。

 そんな訳で、結成以来この二つのギルドは、攻略の主導権を巡り、分かりやすい近親憎悪の暗闘を繰り広げ、勢力拡大に勤しんでいたのだが、ギルドの規模に反し、輝かしい戦果という物をついぞあげた事が無かった。流石に人海戦術で迷宮区を突破し、ボス部屋に至る道程を発見する率はダントツなのだが、肝心のボス攻略での戦果はキバオウ、リンド共に歯軋りする結果となっていた。ボス戦MVP、ラストアタック、共に二大ギルド構成者からは、一人として獲得者はいなかった。まずMVPはヒョウ、キリト、アスナの三人がほぼ独占しており、ラストアタックに至っては、キリトとヒョウ以外のプレイヤーが取った事は一度も無かった。

 この結果に業を煮やしたキバオウとリンドは、大ギルドのメンツにかけて、今回は必ずMVPもしくはラストアタックを取る様にと、ボス戦前には毎回ギルドメンバーに発破をかけていた。しかしそんなキバオウとリンドを嘲笑うかの様に、あの憎き三人組がMVPもラストアタックも掠めとって行った。

 臍を噛む二人に、二十層を過ぎた辺りから、更に看過出来ない事態が発生する。小規模ギルドと侮っていた、クライン率いる風林火山が迷宮区を突破し、初めてボス攻略会議の音頭を取ったのである。加えて二十一層からボス攻略レイドに参加し始めた新人、ヒースクリフが三人組に迫る活躍を見せ、三人以外では初となるMVPを獲得したのだ。キバオウとリンドは目の色を変え、この新人を自分のギルドに引き込むための工作を開始するも

 

「残念だが僕はもうギルドを作る準備をしているんだ、済まないね」

 

 と、けんもほろろに袖にされ、挙句次の二十二層でヒースクリフはギルド『血盟騎士団』を率い迷宮区を突破、ボス攻略レイドをリードして二大ギルドの存在感は益々薄いものとなっていった。

 

 事ここに及び、後の無くなった二大ギルドのリーダーは、今後の攻略の主導権を維持する為に、過去の恩讐を乗り越えて手を握る事を決めたのであった。

 こうして最大ギルド『アインクラッド解放軍』が結成されたのだが、だからと言って、はいそうですかと全てが丸く収まる筈など、あの二人の間で有り得る話ではなかった。

 合流交渉において、ギルド名をどうするかで揉めに揉め、名は体を表すとキバオウが『アインクラッド解放軍』を押し切り、吸収合併では無いと内外に表明する為に初代ギルドマスターはリンドとなり表面上は一枚岩の様相を呈していたが、そこはそれこの二人である。

 水面下での主導権の争いが激烈を極め、ギルド合流前から既にキバオウ派リンド派で争い合う始末。空中分解必至のスタートに、内心忸怩たる想いに憤懣やるかたないメンバーも存在していた。彼等は共にディアベルを知らない世代で、必死にレベリングを進めてトップランナーとなり、トップギルドたる二大ギルドの門をくぐった者達である。ゲームをクリアする為に必死で研鑽を重ね、念願のトップギルド加入を果たしたものの、外から見るのと内から見るのは大違いだという事を彼等は直ぐに思い知る。憧れを持って見ていたトップギルド、その幹部構成員及びギルドマスターが、あまりにも『俗物』だったのだ。彼等はトップギルドとして攻略の先頭に立っている事で高慢になり、権威主義に陥っていたのだ。一般プレイヤー達を見下し、末端構成員を奴隷の様に顎でこき使い、時には手柄を奪い取ってさえ行く。それを恥じるどころか当然であるとする彼等の行動は、新規構成員を失望させるに充分過ぎる物であった。

 そんな彼等を更なる失望の淵に追いやったのが、この野合とも言える合併劇である。彼等は内部闘争に明け暮れるキバオウ派リンド派の目を盗み、分離独立の機を伺っていた。彼等が盟主に担ぎ上げたのは、結成の理念を忘れ、権威化していく仲間達に失望した古参の平構成員だった。彼は堕落していく仲間を諌めるうちに疎とんぜられ、幹部連から外され冷や飯食いを強いられていた男である。

 男は自分を担ぎ上げた面々に対し、自分は同志になるのは吝かではないが、盟主の器では無いので辞退する、そう宣言して代わりに他の人物を推したのだった。

 彼が推した人物は外部の人間で、現在アインクラッドで最強の呼び声高い三人の内の一人、そのうちのビーター色の最も薄いヒョウであった……

 

 

「だからさぁ、俺はギルドは入るつもりも、作るつもりも無いんだけどさぁ、何回言ったら分かってくれるのかなぁ」

 

 二十層を過ぎ、またぞろ加熱化したギルド加入要請に辟易として、ヒョウは投げ遣りな口調でそっぽを向く。彼はこの日、血盟騎士団、風林火山を始めとする多数の攻略ギルドからの熱烈な勧誘を受け、締めにアインクラッド解放軍内部分裂派の内密かつ水面下勧誘交渉団を相手にしていた。前述の二つのギルドは「来ない? 」「ゴメン」「気が向いたら来てね、いつでも歓迎するよ」「悪いね、無駄足踏ませて」「こっちこそ、時間取らせて悪かったね。じゃあ次のボス戦で」「うん、次のボス戦で」と、乗ってくれたら儲けものというスタンスで、と言うか本音はツウのメシが主目的といった感じの訪問だったが、内部分裂派は違った。

 彼等は如何にも『密会』という感じで酒場の一室にヒョウを呼び出し、ギルドマスターの座を用意して交渉に臨んでいたが、巨大ギルドのリーダーの座などヒョウにとって傍迷惑なだけであり、全く魅力的な条件では無かった。

 

「ギルド内の地位なんて興味ないから、何を積まれようと誠意を見せれられようと嫌。無理なものは無理、ダメなものはダメ。これ以上の交渉はお互いに時間の無駄、はい、お開き! 」

 

 執拗に食い下がり、粘る内部分裂派にヒョウはそう言って強引に話を終わらせ、逃げる様に立ち去っていった。その背中を、内部分裂派の一同は憎々しげな瞳で見送るのだった。

 

「ガキの分際で、我等が下手に出ているのをいい事に生意気な! 」

「ああ、あんな小僧、こっちから願い下げだ! 」

 

 ヒョウの都合もお構い無しに、押し掛け連れ出し三顧の礼を断られ、解放軍内部分裂派は筋違いに憤る

 

「まぁ、あの三人が生意気なのは今に始まった事じゃない」

 

 提示した条件をことごとく跳ね除けられ、目尻を痙攣させながら、一人の男が自らを落ち着かせる様に静かに言った。

 

「だが、このままでは俺たちのメンツが」

「だから、ここで何を言っても始まらない」

「と、言うと?」

「次のボス攻略、目に物見せてやる」

 

 含み笑いをしながら、意趣返しをする事を決意していた。

 

 

 各人それぞれ水面下に隠した思惑はどうあれ、節目のクオーターラウンド、第二十五層の攻略は各陣営気合いを入れ、時には協力し時には出し抜き、ヒースクリフ率いる血盟騎士団が迷宮区を突破し、ボス部屋へと至った。その原動力となったのが……

 

 二十五層ボス攻略会議に選ばれた場所は、迷宮区に面した街の大規模な教会だった。この回の攻略会議は、迷宮区を突破した血盟騎士団の主導で行われ、登壇したヒースクリフ率いる血盟騎士団幹部のメンバーを見た攻略組メンバーは、度肝を抜かれた。ある者は腰を抜かし、ある者は嘆き悲しみ、悲哀こもごもの表情を浮かべ、その幹部の凛とした顔を見つめていた。

 

「御来場の皆さん、今回は我が血盟騎士団の呼びかけに応え、お集まりいただいた事に深く感謝します。では、これより第二十五層攻略会議を開催致します。アスナ君」

「はい、団長。では、ここから先は私、血盟騎士団副団長、アスナが務めさせて頂きます……」

 

 そう言って壇上から会議を仕切り始めたアスナを、キリト、クライン、エギルの三人は、ポカンと口を開けて見つめていた。そしてその隣では、予めこの事を知っていたヒョウが、知らん顔の半兵衛を決め込んで口笛を吹いていた。

 

 

 

 

 

「ちょっとヒョウ君、ツウ、聞いてよ! キリト君ったらひどいのよ!! 」

 

 そう言ってアスナが二人の元に駆け込んで来るのは、この四人が知り合った時から少なくとも週に一度のお約束イベントだった。攻略やクエストの戦闘にかけては無類の強さを誇り、安心して背中を任せられる程に頼り甲斐のあるキリトだったが、ことそれ以外の事に関してはマイペースが度が過ぎ、アスナの逆鱗に触れる事がしばしあった。

 ヒョウとツウが保育園を経営し始めてから、その頻度は右肩上がりに伸びている。とはいえアスナにしても、本当にキリトに愛想をつかせ始めているのではない。殺伐とした攻略のストレスをキリトほど上手に解消できない彼女は、保育園の子供達とヒョウとツウの家庭的な雰囲気に無意識のうちに癒しを求め、訪問する理由を体良くでっち上げていたのである。そうして心ゆくまで子供達と遊び、ツウ一緒に、時にはアルゴも交えてガールズトークや主街区でショッピングや食べ歩きを堪能し、溜まったストレスを発散して帰って行くのがパターンだった。そんなアスナがヒースクリフと直接の知己を得たのは、二十二層を突破して二十三層をアクティベートした時である。

 ヒョウ、キリト、アスナ、そしてヒースクリフで二十三層のアクティベートに向かったのだが、このアクティベート自体が罠という手の込んだ……、とう言うか悪趣味な、アスナ曰く製作者の神経を疑う仕様となっていた。なんとか切り抜けてアクティベートを済ました後、ヒースクリフがキリトとアスナを絶賛したのが交流を持つ事になったきっかけである。

 

 始めはヒョウの知己の『近寄り難い人』というのが、アスナのヒースクリフ評だった。しかしその後ヒョウを交えて何度かクエストや攻略を繰り返すうち、近寄り難い人というイメージは消えていった。アスナはヒースクリフの持つ天然の『可笑しみ』を発見し、彼の内面に現実世界の兄の面影を感じたのである。

 テストで満点を取っても、発表会で金賞を得ても、それが当然当たり前、この程度満足する様では先が見えていると取り付く島もない母親から陰日向にアスナを守り、凄い凄いと褒めてくれた兄。成績優秀で完璧超人に見える一方、どこかしら大きく抜けた所があり、放っておけないお茶目な兄。本来ならば、自分ではなくナーヴギアを被っていたであろう兄。いつしかアスナは、現実世界の兄に重ねてヒースクリフを見る様になっていた。

 しかしながら、それはそれこれはこれで、アスナも新しい知己ができたとはいえ、決して古くからの付き合いを疎かにする事なく、これまで通り基本キリトのパートナーとして活動していた。

 そんな相関関係にズレが生じたのは二十三層のボス攻略直面の出来事である。迷宮区の踏破を目指し活動するキリトとアスナのペアは、ボス情報に関わる重大クエストを発見し、安全マージン確保の為にヒョウを助っ人に呼び寄せた。クエストはつつがなく終了し、ボス情報を得た上に、レベルも上昇した三人は、そのままヒョウの家に直行し、晩餐を開く事となった。

 ツウとアスナは暗黙の内に『料理スキル対決ダービー』を始め、気合いの入った料理の数々に舌鼓を打った後、食後のお茶と語らいの中で、ヒョウとツウの間でちょっとした事から口論が始まった。内容は他愛の無い、第三者の目には「ご馳走様」的なじゃれ合いの様な物だったが、次第にツウはエスカレートしていく。笑いながらツウを宥めるアスナとキリトを尻目に、プンスカむくれたツウはヒョウに可愛い捨て台詞を残して寝室にこもってしまった。この時発したツウの捨て台詞は、キリトとアスナの心に核爆弾級の衝撃をもたらした。その内容は……

 

「もう! タケちゃんなんて大嫌い! もう御飯も作ってあげない!エッチな事もしてあげない! させてあげない! 」

 

 この言葉を聞いて、思春期真っ盛りのキリトとアスナは激しく動揺する。

 

「ちょっとツウの様子を見てくるわね! 」

 

 林檎の様に顔を赤らめて、アスナが逃げる様にツウの後を追う、居間に取り残され、気まずい雰囲気の中、キリトがヒョウに探る様に聞く。

 

「お前ら……、やっぱり……、その……? 」

「まぁ、人並みには……」

「……人並みね、はは……、人並みか……」

「……で、そっちは? 」

「……そっちって……? ええっ!! 」

「あれ? 結婚するんじゃないの? 」

「けっ……結婚!! 」

 

 寝室にツウを追って入ったアスナも、ドギマギしながらもツウに質問すると、始めは気恥しさでおずおずと、次第に嬉し恥ずかしで異様なハイテンションとなり、ルンルンキャッキャで答えるツウ。

 

「……でね、でね、タケちゃんったら、可愛いのよ!! 夕べもね……。ちょっと、アスナ、聞いてる!? 」

「はいはい、聞いてます……」

 

 つい先程の不機嫌顔もどこ吹く風で惚気けまくるツウの話半分に

 

 そういえば二人はこのベッドを使ってるのよね……

 

 ふとそう思って再び赤面するアスナに、ツウが屈託の無い瞳で聞く。

 

「……で、そっちはどうなの? もう結婚するんでしょう!? 」

「はいいぃぃぃぃ!? 」

 

 こうして図らずも自分達が周りからどのような目で見られているか知ったキリトとアスナは、急速にお互いを異性として過剰に意識し始め、ギクシャクしていく。この事は攻略においても悪影響を及ぼす事となる。阿吽の呼吸で紡がれたコンビネーションがすっかり影を潜め、初心者レベルの連係も取れなくなっていったのだ。そうしてお互いがお互いに気を遣い、次第に疎遠になってしまい、自然消滅の様にコンビを解消してしまった。

 ただ、決してお互いを嫌いになった訳ではなく、ツウ、ヒョウを通じて互いの安否を気遣い合い、ボス攻略の席でも普通に挨拶を交わし合う(少なくとも本人達はそう思っている)関係を保っていた。しかし、ヒョウとツウを介在する事が互いを異性として過剰な意識を持つ事を加速させていく、それを自覚した二人は次第にヒョウ達とも疎遠になっていく事になる。結果すれ違う二人の心は溝こそ出来なかったが、間に性別という大きな壁が立ちはだかる事になってしまった。

 かくしてキリトはソロプレイヤーに戻り、ヒョウも保育園経営資金の為の護衛業に忙しくなり、三人は攻略会議の席でしか顔を合わせなくなっていった。三人の中で一番孤独感に苛まされていたのはアスナである、彼女をSAOの絶望から救ったのはキリトである事は紛れもない事実だった。アスナは無意識のうちに戦闘スキルの取捨選択を、キリトがどう動くかを念頭において構築しており、離れて更めて思い知ったのだ、キリトは紛れもなく自分の半身に等しい存在だったのだと。

 キリトと出会い、ヒョウやツウと知り合って後、百層クリアするまでこんな日常が続くと漫然とこれまで思っていたアスナは、耐え難い喪失感を深く味わっていた。

 そんな孤独感を紛らわす為、アスナが求めたのは、現実世界の兄を思わせるヒースクリフだった。どうしようもない不安に襲われた彼女が、父性に近いものを求めるのは無理からぬ事だった。ヒースクリフと攻略を続けるうち、彼の思想に傾倒していくのも仕方ない事である。

 

「誰か信用できる人を見つけたら、ギルドに入るのが君の為だ」

 

 キリトからそう聞かされていたアスナが、血盟騎士団に加入するのは当然の流れであった。

 

 ギルド加入の前に、ひょっこり保育園にやって来たアスナから、その報告を聞いたツウは彼女の門出を祝う為、腕によりをかけてアスナの為の制服を縫ってプレゼントしていた。彼女は今その制服に身を包み、凛とした表情で壇上に立っている、その姿をキリトは眩しげに見上げていた。

 

「そう、君はそれで良いんだ……」

 

 心の中でそう呟いたキリトの横顔は、どこか寂しそうでもあった。

 

 キリトの心情を置き去りにして攻略会議は進んでいく、決定したレイドの陣形はいつもの通りの特火点を中央にした鶴翼陣である。

 

 特火点を形成するのは、ヒョウ、キリト、アスナに加え、ヒースクリフとクラインの五名である。ただしアスナとヒースクリフのペアと、ヒョウ、キリト、クラインのトリオに内分けされており、状況に応じて有機的に連携する事となっている。その背後で特火点の支援をするエギル率いるタンクチームが配備される、彼等は特火点チームが技後硬直等の不利な状況に陥った場合、速やかに前進してボスの攻撃を受け止め、守る事が役目である。右翼にはキバオウ率いる、左翼にはリンド率いるそれぞれ遊撃隊が、ヘイトが特火点チームに集中しない様に遊撃戦闘を展開する手はずになっていた。

 陣容決定の後に、偵察戦とボス情報クエストで明らかになったボスの特性から戦術の検討が行われると、ここでキバオウとリンドが一歩進み出て口を開いた。

 

 特火点チームの内容を、ヒョウのワントップとして、アスナとヒースクリフのペアとキリトとクラインのペアでサポートしてはどうか? 層を上がる度に神がかっていくヒョウの剣技と破壊力を十全に生かすには、彼をソロにしてフリーハンドを与え、自由に戦って貰った方が良いのではないか? と、若干の歯切れの悪さを伴いながら提案してきたのだ。

 

「却下します! あなた達、ヒョウ君に死ねと言うのですか!? 」

 

 アスナは柳眉を吊り上げてその提案を退けた、確かに攻撃だけならそれも有りかもしれないと彼女も思う。何故ならレベル的にはアスナもキリトもヒョウに比肩する力を持っているが、ヒョウとの決定的な違いが有るからだ。それはヒョウがリアルでは『祝心眼流剣術』という古武術を深く修めている事である。そのためソードスキル以外の剣技において、ヒョウは他とは比べ物にならない抽斗を持っていた。実際ヒョウの剣技に頭がついていかないアスナとキリトは、ソードスキルのスイッチ以外で連係を切らせてしまう事は何度も有り、戦闘後のレクチャーで目からウロコという事は日常茶飯事だった。そんなヒョウをして、一撃で屠る事が叶わないのがボスモンスターである。フィールドモンスターに比べ、反則と言える程のスペックとAIのアルゴリズムを持つボスモンスター相手では、いかなヒョウとはいえ、いや、ヒョウだからこそレイド内といってもソロ戦闘は危険であった。現時点で最強と言えるヒョウの全開戦闘に追随できるプレイヤーなど、このアインクラッドには存在しない。それはつまりヒョウが攻撃最終点を迎えた時に、ボスモンスターの反撃から彼を守れるプレイヤーも存在しないという事を意味する。アスナにとって、彼等の提案は論外以前の問題だった。

 

「……せ、せやな……、ワシもそう思ってたんや」

「や、やっぱり……、そうだよな……、ハハ」

 

 頭を掻きながら席に戻るキバオウとリンドは、一部のメンバーと何やら小声で揉めているようだ。

 提案した時の歯切れの悪さ、締まらない引き下がり方、いつものこの二人とは違う態度に違和感を覚えながら、全ての議題をクリアしたと断じたアスナは小さく咳払いをして揉めている解放軍メンバーを黙らせ、攻略会議を締めくくる。

 

「ではこれにて攻略会議を終了します。団長」

 

 アスナに振られたヒースクリフは小さく頷くと、壇上中央に進み出て参加メンバーを見回した。

 

「では諸君、出発は明後日朝八時、それまでに攻略に備え各自装備のチェックを怠らぬ様に……、いや、これは攻略の先輩方である諸君には余計な一言であったな、失礼。では諸君、攻略に備えて充分に英気を養ってくれ給え。解散! 」

 

 ヒースクリフの号令で解散した攻略メンバーはそれぞれ一旦帰路につき、集合時間に遅れる事無く集合場所に集まっていた。

 

「何だ、あいつら何揉めてんだ? 」

「さあ? 何だろうな」

 

 一緒に集合場所にやって来たクラインとキリトの視線の先には、ヒースクリフ、アスナと揉めるアインクラッド解放軍の姿があった。

 

「これは攻略会議で決定した事です、今更覆す事は出来ません」

「そないな事分かってまんがな、せやけどそこをなんとか」

「無理な事は充分承知している、しかし……」

「それはあなた達のギルドの問題です、攻略とはなんの関係もありません。どうしてあなた達は会議前に、しっかりとギルドの意見調整をしなかったのですか!? それに直前になって言うなんて、良識を弁えているのですか!? 」

「おい、どうしたんだ? 」

 

 ざわつく攻略メンバーをかき分け、キリトとクラインが傍らにやって来ると、三人は地獄に仏といった表情で同時に訴える。

 

「いい所に来たわ、キリト君からも何か言ってやって」

「キリトさん、無理を承知でお願いする、君からもせめて検討する様にアスナさんを説得してくれないか」

「キリトはん、頼んますわ、彼氏なんやろ」

「彼氏じゃありません! 」

「おいおい、待ってくれ! 今来たばかりで何の話かわからないんだ! 説明くらいしてくれ」

 

 左右から三人に詰め寄られ訴えられたキリトは、思わず声を荒らげると、やれやれといった面持ちでヒースクリフが事情を説明した。

 

「いや、解放軍の面々がね、今になってヒョウ君を攻略メンバーから外してくれと言ってきたんだ」

「何だって! そんなの無理に決まってんだろ! 」

 

 ヒースクリフの言葉にクラインが目を剥くと、キバオウが苛立たしげに反駁する。

 

「ンな事分かっとるわい! せやかてなぁ」

「ヒョウ君が参加するなら、ウチのメンバーの大半が出ないと急に言い出して……」

 

 呆気に取られる二人に、ヒースクリフが補足説明をつける。

 

「どうにも、能力が突出しすぎる彼は、かえって連携の邪魔で攻略の妨げになるという事らしい」

「何だァ!? そんな言い掛かりが通るかよ! 馬鹿か!? てめぇ等! 」

 

 ヒースクリフの話を聞いたクラインが、キバオウとリンドに詰め寄る。

 

「ヒョウっち一人でお前ら何人分の働きをしてる! そもそもお前ら、ボス戦でヒョウっちに命を助けられたヤツが何人居る!? 十三層を忘れたとは言わさねぇぞ! 」

 

 クラインの言葉で、何人かの解放軍メンバーが俯き、視線をそらす。

 

「やめろよ、クライン」

「でもよォ、キリト……」

 

 今にも拳骨を喰らわす勢いのクラインをキリトが制止し、キバオウとリンドに向き直る。

 

「出ないと言ってる奴はどいつだ」

 

 静かに言葉を発したキリトだったが、その静かな迫力に気圧され、キバオウとリンドが後ずさる。

 

「出たくなければ出なければ良い、俺達は構わない。その代わり……」

 

 キリトはここでいったん言葉を区切り、ヒョウに顔を向けると、彼は投げやりな表情で首をすくめ、両手を広げて小さく左右に首を振るだけだった。キリトはその動きに何か察した様子で、ふぅと息を吐き出した、そして……

 

「今後二度とボス攻略に出る事を俺達は認めない、実力が伴わないクセに大ギルドという事だけで傍若無人に振る舞う身勝手な連中に預ける背中を、俺は持っていないからな」

「おう、俺もそうだかんな! 覚えてろ、畜生め! 」

 

 キリトが静かに切った啖呵にクラインが続く。すると解放軍メンバーは後ろめたい表情を浮かべて彼等の前から下がり、隊列に戻って行った。彼等の中に、明らかに屈辱に近い不満の表情を浮かべている者が少数ながらいる事を、キリトは見逃さなかった。

 

「それではこれよりボス部屋に向かって出発します。皆さん、行きましょう!」

 

 解放軍の直前の横車が治まり、アスナの号令の下、攻略レイドは迷宮区の奥、ボス部屋に向かって行軍を始めるのだった。波乱を含んだ第二十五層攻略の幕は、こうして切って落とされた。

 

 




長くなるので、いったん切ります。


次回、二十五層事件②


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十六話 二十五層事件②

 ヒョウ達攻略部隊が、不協和音を内包しながらボス部屋に向かい出発したのと時を同じくして、十八層の転移門前広場に一人のプレイヤーが転移して現れた。そのプレイヤーはミニスカート風のアレンジを施した緋袴をはいた巫女装束の女性で、アインクラッドに居る女性プレイヤーには珍しい黒髪の少女である。

 周りを和ませるゆるふわな空気を纏う、癒し系の美少女の登場に、辺りは騒然となった。

 

「おい、誰だ、彼女……」

「知らない、見ない顔だな。お前、知ってるか? 」

「いや、俺も知らない」

 

 ざわつく転移門前広場を、ニコニコ笑顔で鼻歌を歌いながら、スキップを踏んで通る女性プレイヤーは、明らかにこの場の雰囲気から浮いていた。それもそのはず、現在この十八層は、攻略プレイヤーを目指す中堅上位のプレイヤーのレベリング場所になっていた。アバターの見かけでプレイヤーの強弱が一概に判断出来ないとはいえ、ゆるふわな空気を醸し出す彼女が来るには余りにも場違いであり、周りのプレイヤー達もそう感じていた。であるが故に、彼女は一層周りのプレイヤー達の目を引く事となる。

 

「お前、声をかけてみろよ」

「いや、お前がかけろよ」

 

 癒し系ではあるが、余りに美少女過ぎるその女性プレイヤーに、遠巻きに眺めるプレイヤー達が声をかけたいのだが気遅れして譲り合うさなか、一人の勇者が現れた。

 

「ねぇ君、ちょっといいかな? 」

 

 やや痩身で背の高い、盾持ち片手剣のプレイヤーが女性プレイヤーに声をかけた。だが彼は女性プレイヤーの後ろから声をかけた為、彼女はそれに気がつかず、上機嫌のスキップで彼を置き去りにずんずん進んで行く。

 

「ちょっと待って、君、ちょっと……」

 

 盾持ち片手剣のプレイヤーは慌てて彼女の前に回り込み、正面から再び声をかけ、改めて彼女の美しさに驚き息を呑む。

 

「え、私……ですか? 」

 

 きょとんとして見上げる女性プレイヤーが聞き返すが、固まった盾持ち片手剣は彼女に見とれて言葉を失っていた。

 

「あの、何か御用ですか? 」

 

 少し声を強めてもう一度聞き直した女性プレイヤーに、ハッと我に返った盾持ち片手剣は軽く咳払いをして誤魔化すと、まず謝罪の言葉を発してから自己紹介をする。

 

「ああ、いきなり声をかけてすまない、僕はリュートってんだ。よろしく」

「はぁ……、リュートさんですか……」

 

 盾持ち片手剣プレイヤー、リュートは女性プレイヤーに警戒感を抱かせぬ様に自己紹介したのだが、彼女には逆効果だった様だ。女性プレイヤーは首を傾げて訝る様な眼差しでリュートを見上げる。確かに訝しげではあるが、吸い込まれる様なその眼差しにドキリとしたリュートは、照れた様な早口で用件をまくし立てた。

 

「い、いや、見たところ君はソロみたいだし、ここでソロはキツいんじゃないかと思ってね」

 

 にこやかにそう言ったリュートだったが、目の前の女性プレイヤーは不思議な物を見る様に見上げてきた。

 

「はぁ? そうなんですか? 」

「ええ、なんと言っても十八層ですから。ほら、みんなパーティーを組んでいるじゃないですか」

 

 リュートが周りを指し示すと、女性プレイヤーは少し釈然としない表情で見回した。

 

「ここではソロは危険です、もし良かったら……」

 

 僕達とパーティーを組みませんか? そう言葉を繋げようとしたが、その望みは叶わなかった。なぜなら彼女はその言葉に被せニッコリ笑いながら、周囲のプレイヤー達の度肝を抜く言葉をサラリと口にしたからだ。

 

「ああ、でも十八層ですし。私、狩りに来たんじゃなくて、採集に来ただけですから、大丈夫ですよ」

 

 でも十八層ですし

 

 その言葉にリュートは動揺する。

 

「ええ、十八層ですから……」

「はい、十八層ですから」

 

 女性プレイヤーとリュートを始め周囲のプレイヤー達の間では、十八層という階層の持つ意味合いが、どうにも全く違うようだった。前述の通り、彼等にとって十八層とは中堅突破の壁であり、己を鍛え上げる修練場であり、命の危険を身近に感じる危険な階層である。ボリュームゾーンを構成するプレイヤー達には、それこそ主街区観光以外の目的で足を踏み入れるのは憚られる、そんな階層だった。

 その十八層を「でも」呼ばわりするこの女性プレイヤーは、もしかしたら自分の予想に反し、トッププレイヤーに近い存在なのかもしれない、あるいは……

 

 そう思案したリュートは、判断材料を求めて女性プレイヤーに質問をした。

 

「十八層で採集って言ってたけど、何を採集しに来たんですか? 良かったら力になりますよ」

 

 すると女性プレイヤーは屈託の無い笑顔でこう答えた。

 

「ロックバードの卵と、ビネガルの実を幾つか……」

「ロックバードの卵だって!? 」

 

 女性プレイヤーの言葉に、リュートを含めた周囲の者が絶句した。ロックバードとは十八層迷宮区の奥地、瓦礫の荒野にポップする最強クラスのモンスターである。

 

 この階層でレベリングする者の目標は三つ有る。

 一つは迷宮区入口付近にたむろする、ジャッジメントスライムを『一撃』で倒しきる事。

 次にロックバードを単独で倒す事。

 最後に卵を奪った上で、ロックバードを単独で倒す事である。

 

 卵を奪ったロックバードは通常のそれより格段に強化され、それを一人で倒す事ができればボス戦でも充分に活躍できると、個人の実力を示す目安となっていた。

 単独で倒すのが目標であっても、ソロで立ち向かうと不測の事態に対応出来ない、戦うのが一人でもパーティーを組んでそれに備えるのは当たり前の常識である。そして当然未だに十八層をレベリングの地に選んでいる者は、リュートを含めそれを成し遂げていない者が圧倒的に多い。そんな彼等の常識に則ると、この女性プレイヤーの発言は論外である。何故ならばそれを成し遂げたプレイヤーは、今のところ百人に満たないのだ。

 

「知っていますか? ビネガルの実から搾った汁と、ロックバードの卵で、マヨネーズが出来るんですよ! そこからタルタルソースも出来るんです! ウチの人の今日の御褒美に、どうしても作ってあげたくて……」

 

 嬉々として話し続ける女性プレイヤーに、リュートは結論を下した。

 

 この人は、このアインクラッドに未だに少数存在する、自分の実力を顧ない、夢見がちなプレイヤーに違いない。

 

「駄目だ! 危険過ぎる!」

 

 最悪ハラスメントコードが発動する事も覚悟して、力ずくでもこの無謀な行動を諫めようと、女性プレイヤーの腕を掴もうと手を伸ばしたリュートが再び絶句した。何故なら彼が伸ばした手は決意も虚しく空を切ってしまったからだ。女性プレイヤーはリュートのアジリティ能力を軽く振り切り、何事も無かった様に居たはずの場所から二メートル程離れた場所で、彼に笑顔で会釈をしていた。

 

「お気遣いありがとうございます。では、ごきげんよう」

 

 あと一息で、目標を全てクリア出来る、そうなれば自分も晴れて攻略組だ。そう自負していたリュートは、自信の全てを打ち砕かれる思いで、女性プレイヤーの背中を見送っていた。

 

 

 そのリュートの自信を、自分が木っ端微塵にした自覚など、露ほども思わない女性プレイヤー、ツウはその酬いを受けたのか、迷宮区の手前でモンスターの集団に追いかけ回されていた。

 

「嫌ぁああああ! 来ないでぇ~! 」

 

 彼女のハイドスキルと、装備品のエンチャント効果を以てすれば、十八層辺りのモンスターの目など余裕で誤魔化す事が出来るはずなのだが、それに失敗したのは主街区でのリュートとのやり取りの中に有った。

 

「いや~ん、知らない人にタケちゃんの事、ウチの人って言っちゃった、恥ずかしい~」

 

 浮かれて照れ隠しに立木と思って叩いたのが、トレントタイプのモンスターだったのだ。こうしてツウはその意に反し、逃げ惑う間に多数のモンスターのタゲを取ってしまい、十八層の攻略フィールドを走り回るハメになっていた。

 

 どうしてこうなった!? ツウがフィールドを逃げ回っている時、どうした偶然か同じ思いに苛まされるプレイヤーが存在した。そのプレイヤーはソバカスがチャームポイントの赤毛の少女である。彼女は迷宮区入口付近で、ジャッジメントスライムに渾身のソードスキルを叩きつける。メイス使いという事で、筋力数値を上げている彼女は、辛うじてジャッジメントスライムを一撃で粉砕した。

 

「このままじゃジリ貧ね、アイツら、帰って来るかしら」

 

 少女は唇を噛み締め、周りを取り囲むジャッジメントスライムを睨み、メイスを握り直した。この赤毛の少女プレイヤーが十八層にやって来たのは、鍛冶師スキルを極める為の素材集めである。一応生産職仲間でギルドに参加しているが、めぼしい戦闘職プレイヤーとは縁遠かった彼女は、十八層主街区で協力者を募っていたのだが、ここでババを引いてしまった。彼女の募集に手を上げたのは、彼女の募集基準に満たない二人の男性プレイヤーだった。彼等はやや幼い顔立ちの美少女の知己を得ようと、実力が及ばないにも関わらず、応募したのだった。

 

「俺達にかかれば楽勝よ」

 

 そう言って臨時パーティーを組んでフィールドに分け入ったのだが、メッキはやがて剥がれる事となる。彼等は言葉巧みに赤毛の少女を楽しませて攻略を切り上げさせ、主街区でデートを洒落込むつもりでいた。しかし赤毛の少女はそれには応じず、二人の思惑は外れジャッジメントスライムと相対する事となる。

 

「せぇーいっ! 」

 

 気合い一閃、ジャッジメントスライムを一撃で粉砕した赤毛の少女が二人に鋭く指示を出す。

 

「何ぼやっとしてるの!? 楽勝なんでしょ! 」

 

 ここで謝れば被害が少なくて済んだのだが、見栄っ張りのお調子者は、往々にして引き際を見誤り、取り返しのつかない事態を招く傾向にある。

 

 小柄な幼い赤毛の少女に出来たんだから、俺達にも出来んじゃね?

 

 止せばいいのに武器を振り下ろしたのが運の尽きだった。一撃で倒しきれなければ、武器を振るった回数分に分裂するジャッジメントスライム、二人は「あれ、おかしいな」「いつもはこうじゃないんだけど」と言いながら、ジャッジメントスライムを分裂、量産していった。

 

「今日は調子が悪い」

 

 と、ぬけぬけと言ってのけた二人をどやしつけ、赤毛の少女は救援を呼びに走らせたのだ。

 

 いくら現地募集のリスクを覚悟していたとはいえ、流石にこれは無いだろう。なんとか隙を見つけ、離脱しないと……

 

 そう勘案していた赤毛の少女の耳朶を、けたたましい悲鳴が貫いた。

 

「嫌ぁああああ! どいてどいてどいてぇえええええ!!! 」

 

 思わず悲鳴に振り向いた赤毛の少女の目が点になり、表情が消える。彼女の視線の先には、大量のモンスターを引き連れて逃げ惑う、巫女装束の女性プレイヤーが一目散に駆け向かって来る姿があった。

 

「何なのよ? あれ……」

 

 突発的に理解の処理能力を超えた危機に直面すると、人は一瞬痴呆状態になると言うが、正に今の赤毛の少女はその状態に陥っていた。決して望んでいたわけではないが、一瞬の呆我状態の中なし崩し的に巫女少女と合流してしまった赤毛の少女が我に返ったのは、巫女少女がその手に短剣を装備した時である。彼女の短剣がジャッジメントスライムに向かって伸びた時、赤毛の少女の脳内に特大のアラームが鳴り響いた。

 

「ちょっと! そいつを攻撃しちゃダメ! 」

 

 思わず叫んだ赤毛の少女は、次の瞬間信じられない光景を目にしたのだった。

 

「来ないでって言ったでしょう! 来ないでって言ったでしょう! 」

 

 そう叫びながら、巫女少女が出鱈目に短剣を振り回すと、その刃に触れたモンスター達は皆一撃でポリゴン片となって爆ぜ消えていく。もちろんあのジャッジメントスライムもである。全てのモンスターが爆ぜ消えたのは、まさに一瞬の出来事だった。赤毛の少女が再び我に返ったのは、涙目を潤ませながら、巫女少女がしがみついて来た時である。

 

「うぇ~ん、怖かったよぉ~! 」

「あんたの方が怖いわ!! 」

 

 しがみつく巫女少女を引き剥がし、ポカリと拳骨を食らわす赤毛の少女。

 

「ごめんなさぁい」

 

 女の子座りで涙目で見上げる巫女少女の姿に毒気を抜かれた赤毛の少女は、やや苦笑のエッセンスを含んだ笑顔で右手を差し出した。

 

「まぁ、良いわ、二人共無事だったんだし。私、リズベット。リズって呼んで」

「ありがとう、私はツウよ。よろしくね、リズ」

 

 差し出した右手を握り返し、自己紹介を返した巫女少女の名前を聞いたリズベットは、彼女から三度目の正直として三度目の衝撃を受けた。

 

「!! ツウですって!? あなた、本物!? 」

「え? 」

 

 その疑問に理解の追いつかないツウが聞き返すと、リズは血走った目でツウの両肩をがっしり掴み、勢いよく揺さぶった。

 

「あんた、本当にsenbaoriのツウなの!? ねぇ!? ねぇ!? 」

「あうあうあう、確かにsenbaoriは私が、あうあうあう、作って卸してます、あうあうあう……」

 

 激しく揺さぶられ、答えと一緒に魂を口から吐き出すツウに、リズベットは感極まった面持ちでしがみつく。

 

「やったぁ! 本物のツウだぁ、本人だぁ! 見て見て! ほら」

 

 突然の出来事に理解の追いついていないツウに、リズベットは自分の右手の中指に嵌っているリングを見せた。

 

「あら、これ私が作ったリング……」

「そう、筋力増加のエンチャントが入ったリング。これしてなかったら、私さっきはヤバい所だったわ! ありがとう!! 」

 

 そう言って再び抱きついてくるリズベットに、今度はツウが苦笑混じりの笑みを浮かべる番となる。

 ツウにその自覚は無いのだが、クォリティーが半端なく高い彼女のプレイヤーブランド senbaori は、今現在生産職を目指す全てのプレイヤーの憧れであり目標であった。リズベットも目指す職の違いはあれど、当然の如くツウの作品に深い感銘と影響を受けている。自らがリスペクトする人物に図らずも出会えたリズベットは、その喜びに興奮してはしゃいでいた。二人はお互いフレンド登録をしてパーティーを組み、一緒に迷宮区へと足を進める。初対面ではあるが、方やリスペクトする人物、方や同じ生産職を志す仲間とくれば、気安い同世代の女の子同士という事もあり、二人は急速に仲を深めていった。

 

「全く、災難だったわ、あんな男達に引っかかるなんて。ツウの方がよっぽど頼りになるわ。ダメね、男って」

 

 リズベットがジャッジメントスライムに囲まれるハメになった経緯を道すがら話すと、ツウはコロコロと笑いながら相槌を打つ。

 

「そうねぇ、でも、人それぞれだから」

「確かにそうなんだけど、男運悪過ぎ。あ~あ、ここじゃ男なんてよりどりみどりだと思ったんだけど、いい男って居ないわね」

「そ、そうかなぁ〜」

「そうよ、アンタ可愛いんだから、言い寄る男も多いでしょう。気をつけなきゃダメよ」

「私は大丈夫、結婚してるから」

 

 ツウの結婚発言に、リズベットは目を剥いた。

 

「け、結婚!? 」

「うん、ほら」

 

 はにかみながらツウが左手を見せると、その薬指には結婚指輪が輝いていた。その指輪をしげしげと眺めるリズベットは、重大な事に気が付きツウを問い質す。

 

「ちょっとツウ! 結婚してるんだったら、何でこんな危険な場所に一人で来たの!? 旦那はどこにいるの!? まさかアンタ、悪い男に騙されてるんじゃないでしょうね!? 」

「えーっ、そんな事無いよ。だってタケちゃんだもん」

「いーや騙されてる! そいつはきっと、ツウにばっかり働かせて、遊んで暮らす腹積もりなんだわ! 」

 

 昭和の貧乏長屋の呑んだくれオヤジに足蹴にされながら、内職に勤しむツウの姿を想像したリズベットが声を荒らげる、そんな彼女にツウは口を尖らせて反駁した。

 

「酷ーい、タケちゃんそんな悪い人じゃないもん! 」

「じゃあ今何処に居るのよ? そのタケちゃんとやらは」

「二十五層のボス部屋に向かってる」

「それ見なさい、ろくな奴じゃないのよ、そんな奴……ってちょっと!? あんたの旦那って、攻略組なの!? 」

 

 雲の上の存在と思っていた攻略組、その知己を得るには自分も強くなるか鍛冶師(スミス)としての腕を上げるかのどちらかしか無い。そう思っていたリズベットは、意外なコネが出来た事に驚きつつも内心ほくそ笑む。鍛冶師の腕を上げるには、数多くの武器を打ったりメンテするのは当然だが、良い武器を見て鑑定眼を磨く事も重要なファクターになる。最先端を行く攻略組の装備武器を見る、その事で得られるメリットに計り知れない魅力を感じたリズベットは、ツウとの出会いというチャンスを絶対にモノにしようと決意した。




次回、第十七話、二十五層事件③


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十七話 二十五層事件③

 ひょんなことから十八層迷宮区で出会った二人、ツウとリズベットは互いの利害が一致したのはもとより、意気投合した事で即席のパーティーを組み、フィールドの奥へと足を進めた。二人は中堅突破を目論み、眦吊り上げて攻略するプレイヤー達の中で、明らかに目立つ存在として、本人達の意図に関わらず注目を浴びていた。

 

「そっち行ったわよ、ツウ!! 」

「いやぁ~! 来ないでぇ~!! 」

 

 ロックバードの卵を抱え、全速力で走るリズベットは、ツウに警告を入れてから鋭角に方向転換する。すると、勢い付いたロックバードは曲がりきれず、リズベットを見失い、代わりにツウを視界に入れる。ロックバードは視界に入ったツウを卵泥棒と認識し直し、嘴を振りかざして襲いかかる。見ている他のプレイヤー達は、もうダメだと顔を背けた。ガラスが弾け、砕け散る様な音が響いた後、恐る恐る目を向け直すと、信じられない光景を目の当たりにし、あんぐりと口を開けるのだった。

 

「やったわね、さっすがぁ~」

 

 目をしっかりと瞑り、へっぴり腰で出鱈目に短剣を振り回すツウに、リズベットがそう声をかけると、ツウは自分の振り回す腕の動きでバランスを崩し、きゃぁと小さく悲鳴を上げて尻餅をついた。

 

「酷いよぉ~、リズぅ~」

 

 泣きべそをかきながら見上げるツウの手を握り、リズベットは満面の笑みを浮かべてツウの苦情をスルーする。

 

「泣かない泣かない、これも愛するタケちゃんの為よ、マヨネーズ作って驚かせるんでしょう? 」

「……うん」

「なら頑張らないと、タケちゃんとマヨネーズの為に」

「……タケちゃんの為」

「そう、愛する旦那様、タケちゃんの為」

「イヤだぁ、リズったらぁ~、恥ずかしいじゃない」

 

 この二人がパーティーを組んでロックバードを狩っているのは、互いの利害が一致していたからである。ツウはヒョウの食生活の充実の為に、マヨネーズを作る材料にロックバードの卵を必要としていた事。二十三層でのヒョウとの口論の原因は、実はアスナに先にマヨネーズを開発されていた事であった。そのリベンジを果たす為に現状で最も最上級の原料、ロックバードの卵の黄身で、もっと美味しいマヨネーズを作ろうと、ツウは目論んでいた。そしてリズベットは武器の強化素材としてロックバードの卵の殻を必要としていたのだ。その結果怒り狂ったロックバードを撃退する必要に迫られていた二人であるが、ちゃっかり者のリズベットは、上手い具合にツウを手のひらの上で転がしていた。とはいえリズベットは別に狡猾に立ち回った訳ではない、彼女のレベルでは到底ロックバードに敵し得なく、必然的にレベル的にロックバードなど問題にしないツウが相手をせざるを得ないのだ。釈然としないツウだったが、彼女にも全くメリットが無い訳でもなかった。

 

「ロックバードの胸肉、やった、A級食材ゲット! 」

「また拾ったの!? 」

「うふふ、今夜は鶏肉三昧ね、蒸し鶏、唐揚げ、南蛮、油淋鶏、タケちゃん鶏肉好きだから、きっと喜ぶわ」

「ハイハイご馳走さま。さて、素材も結構貯まった事だし、休憩がてらに安全地帯へ移動しない?」

「そうね、そうしましょう」

 

  驚くやら呆れるやら、しかしその中に畏怖の念を抱いた表情で自分達、特にツウを見つめる周りのプレイヤー達の視線をあえて無視し、ツウとリズベットの二人はホクホク顔で迷宮区奥に有る安全地帯へと歩いていった。

 

「変ねぇ、此処ってこうだったかしら……?」

 

 安全地帯に入ったリズベットが怪訝な表情で首をかしげる。

 

「前に来たときはもっとこう、賑やかだったのに、どうしちゃったのかしら?」

 

 十八層の迷宮区奥に位置するこの安全地帯は、レベル上げの狩りを終えたプレイヤー達が休憩と回復をするのにもってこいの場所だった。強敵を倒しレベルを上げた喜びと、SAOで生き延びる力を得た事の安堵感、プレイヤー達の様々な感情から来る高揚感で溢れる場所だった。さらにここでは、そんなレベル上げプレイヤーを相手に、生産職や商人職を目指すプレイヤー達が簡易露天の店舗を開き、武器のメンテナンスや道具の販売を行っていて、ちょっとしたバザールの様な活気に溢れた場所だったのだ。リズベットもよくここで露店を開き、小遣い稼ぎ兼名前の売り込みを行っている。そんなリズベットの目には、閑散としたこの安全地帯の風景がとても奇異に見えていた。

 

「どうしたの? リズ」

 

 リズベットは眉間に軽く皺を寄せ、警戒する様に辺りを伺いながらツウの問いかけに答える。

 

「何か雰囲気がおかしいのよ、前に来たときに比べて殺伐としている……。違うわね、柄が悪くなっている……? 隠れて!!」

 

 警戒するリズベットは何かに気付き、急いでツウを物陰に押し込むと、自分も近くの植え込みの影に隠れる。

 

「いきなりどうしたのよ、酷いじゃない、リズ」

 

 手荒く押し込まれたツウは思わず抗議の声を上げるが、リズベットは睨む様な鋭い視線でツウを一瞥して黙らせる。

 

「静かに! 声を出さないで!」

 

 小声で鋭く一言そう言って、リズベットは隠れている植え込みから慎重に頭を出し、前方の一点を注視した。

 

「見て、あのカーソル、オレンジよ」

「本当だ……」

 

 リズベットの視線の先を探り見ると、ツウもオレンジプレイヤーの姿を確認した。サーキーの凶行を思いだし、ツウは思わず身震いする。

 

「何をしてるのかしら……?」

 

 リズベットが見つけたオレンジプレイヤーは、オレンジ二人とグリーン二人の四人パーティーだった。その構成に疑問を持ったツウは静かにそう呟くと、慎重にその様子を伺った。

 

「パーティーにしちゃ、何か変ね……」

 

 リズベットの言う通り、四人の様子は明らかに変であった。柄の悪い男二人のオレンジプレイヤーに対し、グリーンの二人は男女のペアである。遠目にもこの四人は仲の良いパーティーには見えなかった、むしろ険悪と言って良いだろう。怯えながらも何かしらオレンジ二人に訴えかけるグリーンの女性、オレンジの男はそんな女性をあしらい、時折脅す様な動きが見てとれる。グリーンの男はオレンジから女性を守る様に間に入っている、どう見ても円満なパーティーとは思えなかった。

 

「ふぅ~ん、どうやら噂は本当みたいダナ」

 

 いきなり間に湧いた人物に、ツウとリズベットは思わずギョッとして仰け反り目を剥いた。

 

「イョウ、お二人さん。珍しい組み合わせダナ」

「何だ、アルゴさんかぁ。もう、びっくりさせないで、心臓に悪い」

「そいつァ悪かったナ」

 

 二人を見上げ、ニィッと笑うアルゴだったが、その目は笑っていなかった。アルゴはすぐに表情を引き締めて、オレンジプレイヤーのパーティーに目を向ける。

 

「ツー子、どこまで知ってるンダ?」

「知ってるって、何を?」

 

 アルゴの問いに、頭上に『?』を浮かべ、ツウはきょとんとした表情で聞き返す。

 

「あたし達も、いきなり見かけたんで、用心に隠れて伺っていたんです」

「え~と、確かリズベットだったナ、じゃあ二人共何にも知らないんだナ」

「何か事件でも起こっているんですか?」

「ああ、とびきりのナ」

 

 そうしてアルゴの口から語られたのは、ボス攻略とは全く違う意味でアインクラッドを震撼させる一大事だった。SAOに囚われてから数ヶ月が経ち、それぞれのプレイヤー達もSAO内での生活基盤が成立してきたこの時期であるが、やはりどう足掻いても適応出来ない者が一定数存在している。いや、もっと正確に言うと、自ら望んで適応しないプレイヤーと言うべきだろうか? 彼等はMMORPGやネット世界に一定数必ず存在する、自ら悪人を演じロールプレイを楽しむゲーマーである。そして彼等に共通する特徴として、ネット情報を頭から信じない傾向が多かれ少なかれ有るという事だ。彼等は自分がリアルでは絶対に有り得ない『悪人』を演じている為、ネットやMMORPGの世界はある程度欺瞞の世界、フェイクが含まれていると知っていた。だからこそ際限無く悪人を演じられる訳であり、そんな彼等は茅場晶彦のチュートリアルでの言葉「HPゲージがゼロになった時点で、そのプレイヤーは脳を焼かれ、現実世界からも退場する事になる」を懐疑的に捉えていた。そんなのは嘘に決まっている、それが本当なら大量殺人者として死刑じゃないか、そんな馬鹿な事をする奴なんかいるはずが無い。茅場の言葉はハッタリである。そう決めつけた彼等はダーティーヒーローを気取り、進んでオレンジプレイヤーとなり、傍若無人な行いに酔いしれていた。この世界で無理を押し通すには、他の一般プレイヤーよりも力、より高いレベルが必要である、その為彼らオレンジプレイヤー達はレベリングに余念がなかった。よってここ十八層は彼等にとっても重要なレベリングスポットとなる。そして主街区には入る事が出来ない彼等にとって、迷宮区に存在するこの『安全地帯』は、格好のキャンプ地になってしまったのだ。始めは少数のオレンジプレイヤーが隠れ住んでいたが、力を着けた仲間が集まるにつれ勢力を拡大し、遂には根城として利用するに至ってしまう。数が増える事で、隠れて行っていた犯罪行為もおおっぴらとなり、次第に一般プレイヤー達は足を向けなくなる。こうしてスラム化に拍車がかかり、今では人の寄り付かない犯罪の温床になっていた。毎日レベリングに来ているプレイヤーならともかく、たまにアイテム採集に来るツウとリズベットにとって、この事実は初耳であった。

 拠点を築いたオレンジプレイヤー達は、装備を充実させる為、敢えてオレンジにならなかった仲間と連絡を取り合い、更に大がかりな犯罪に手を染めていく。臨時パーティーを組んだ相手を、仲間のオレンジプレイヤーに襲わせる追い剥ぎ行為が後を絶たない。プレイヤー達がその事に用心するよう呼び掛け合い対策をすると、彼等の犯罪行為はより進化して悪質化していく。狙われたのは、子連れプレイヤーである。親がフィールドに出て狩りをしている時、言葉巧みに留守番している子供に声をかけ、冒険心を巧みに煽り、パーティーを組んで誘拐し、身代金と最新の装備品を要求する事件が起こり始めていた。

 この事件は、MTDのシンカーの頭を大いに悩ませる、被害者となるのはMTDの門を叩いた子連れプレイヤーが主である。会員に留まらず、全てのプレイヤーの安全を憂慮したシンカーは、事件の全容を知るべくアルゴに調査を依頼していたのだ。

 

 アルゴの話を聞いて、リズベットは憤る。

 

「何よ! それ! そんな奴本当にいるの!? あたし、絶対に許せないわ!!」

 

 顔を真っ赤にして怒りを露にするリズベットの隣で、ツウは怒りの他にもう一つの腑に落ちない疑問を口にする。

 

「そんな事になっているなら、どうしてシンカーさんもユリエールさんも、家に知らせてくれなかったのかしら? 私もタケちゃんも喜んで協力するのに……」

「大人なんダヨ、シンカーは。それに……」

 

 アルゴの言うとおり、シンカーは今のSAO内で、数少ない『大人』と呼べる人間である。これはゲームであっても遊びではない、茅場晶彦の言葉通り、SAOはプレイヤーの命が懸かっており、遊びではない。しかし、SAOは紛れもなくゲームなのだ。ゲームは人を童心に還す、プレイヤーの中で、大人と呼べる年齢に達した者は、全体の七割弱を占める。彼等はリアルではきちんと大人として振る舞っているが、現実世界を離れSAO世界に囚われた今、大人としてのメンタリティーを保ち続けている者は僅かだった。そんなプレイヤー達の中で、常に大人であろうと己を律しているシンカーにとって、幾らレベルが自分よりも遥かに上であっても、子供のツウとヒョウにこの件を相談する事は有り得ない事だった。ましてや五層でオレンジプレイヤー、サーキーの引き起こしたMPK事件に巻き込んでしまった後悔もある、同じオレンジプレイヤーの絡むこの事件で二人を頼るのは論外だった。

 アルゴの説明に不承不承納得したツウは、確認の為に答えの決まっているであろう質問をアルゴにぶつける。

 

「じゃあ、あの人達は?」

「ツー子の察した通りだろうナ、弱みを握られて呼び出された、って所カ」

「許せないわね、全く! あっ、あっちにいくわ!!」

 

 答えを聞いて憤るリズベットが、件のパーティーが安全地帯の奥へと移動していくのを認めた。頷き合って後を追跡するツウとリズベットを見やり、呆れ顔で首を左右に振るアルゴだった。

 

 

 三人がこっそりと尾行して行くと、件のパーティーは山小屋風の建物の前に到着した。

 

「かしらァ~、連れて来やしたぜェ~」

 

 オレンジプレイヤーの一人が建物に向かい声をかけると、それに呼応して扉が開き、中から一人のオレンジプレイヤーが出て来た。

 

「遅かったなぁ、ええ。待ちくたびれたぜ」

 

 そのプレイヤーの姿を物陰に隠れて窺い見てツウは息を飲んだ。

 

「で、約束のモンは持って来たんだろうな」

「ああ、持って来た!」

「子供に、子供に会わせて!!」

 

 恐らくは夫婦と思われる二人のプレイヤーが懇願すると、オレンジプレイヤーはニヤついた顔で顎をしゃくる。その先を夫婦が目を向けると、オレンジはもとより少数のグリーンカーソルを含む複数のプレイヤーの人壁の向こうで、助けを求める子供のプレイヤーの姿が有った。

 

「お父さん、お母さん、助けて!」

「ああ、どうしてこんな」

「待ってろ、今助けるからな」

 

 親子のやり取りを嘲る様な目付きで眺め、オレンジプレイヤーが凶相を歪める。

 

「よぉ、小僧、いい両親を持ったな、羨ましいぜ」

 

 ニヤけ顔のオレンジプレイヤーに、歯ぎしりをしてツウが遂に切れた。ツウは物陰から立ち上がると、唖然として見上げるアルゴとリズベットに気を止める事なく、拳を握りしめてニヤついたオレンジプレイヤーにつかつかと歩み寄って行った。

 

「!?」

 

 突然現れたツウの姿に、呆気に取られてポカンと見つめるプレイヤー達の間を通り抜け、ツウはニヤけ顔のオレンジプレイヤーの顔面を、グーで思い切り殴りつける。

 

「何をしているの! 榊君! いい加減にしなさい!」

 

 

 カシラと呼ばれたオレンジプレイヤーは、リアルでもツウとヒョウと因縁を持つサーキーだった。ツウがヒョウに強制的に身に付けさせられたスキル、体術のためサーキーのHPバーは約半分持っていかれ、自身のカーソル同様オレンジに変色していく。この光景を目の当たりにして、目を剥くアルゴと頭を抱えるリズベット。そんな二人の気も知らず、ツウは殴られて床を転がるオレンジプレイヤー、サーキーを叱りつけると人壁になっているオレンジプレイヤーを払いのけ、人質になっていた子供を助け出す。

 

「もう大丈夫よ、怖かったでしょう」

「お姉ちゃん、ありがとう」

 

 片膝を着いて子供を抱き締めると、ツウは手を引いて小屋から出ようとするが、仲間に助け起こされながらサーキーは指示を出す。

 

「何やってるテメエ等! 囲め! 逃がすんじゃねえぞ!」

 

 すると、物陰に潜んでいたオレンジプレイヤー達がゾロゾロと姿を現し、威嚇するようにヘラヘラと笑いながら小屋に近づいていく。それを見たリズベットは反射的に立ち上がる。

 

「いけない! ツウ!」

「おい、待て! 全く、しゃーねーナ」

 

 我を忘れてツウの元に駆け出すリズベットを追い、一言愚痴をこぼすとアルゴもそれに続いて駆け出した。二人はツウとサーキーの間に割って入ると、それぞれメイスと短剣を構えオレンジプレイヤー達を威嚇し、建物の一室に立て籠る。

 

「ちょっとツウ! 何考えてんのよ、無謀にも程があるわ!」

「だってぇ」

「だってじゃない! まぁ、でも嬉しかったわ、senbaoriのツウがそんな人で」

「えへへ」

 

 笑顔を浮かべて顔を見合わせる二人に、アルゴの叱責が飛ぶ。

 

「オイ、二人共ほっこりしてる場合ジャ無いゾ! そこの二人もダ!」

 

 ツウとリズベット、そしてサーキー達の隙を突いて引っ張り込んだ夫婦のプレイヤーに鋭く一喝したアルゴは、顔を向ける暇さえ惜しみ、部屋中に有る物を利用してドアの前にバリケードを築いている。その姿にハッとして、四人はアルゴに習いバリケードを築いていった。

 

 

 

「オラァ~! テメエ等囲まれてんだからヨォ~! 無駄な抵抗は止めて出て来いやぁ!!」

「今ならコルと装備品全部置いていったら許してやるぜ! 勿論、服も下着も全部なぁ~」

「ぎゃーっはっはっは、ソイツはいいぜ! 可哀想になぁ、可愛い姉ちゃん達、素っ裸でフィールドに出たら、あっという間にモンスターに殺られて御陀仏だ!!」

「その前に楽しませてくれよ、なんなら結婚してやるぜ、なぁ、黒髪の子!」

「俺は赤毛の方が良いな」

 

 ドアの向こうから聞こえる、オレンジプレイヤー達の下卑た恫喝を、眉間に皺を寄せながら聞いていたリズベットが怒鳴り返す。

 

「うるさいわねぇ! あんた達こそどっか行きなさいよ! この変態!!」

 

 リズベットの怒りの口撃は、オレンジプレイヤー達を怯ませるどころか、更なる嗜虐心をそそるだけだった。彼らは更なる嘲笑と供に、卑猥な欲望を口にして威嚇する。

 

「強がっちゃって、可愛いねぇ。どっちの子だぁ? 赤毛ちゃんかぁ?」

「俺達、そういうの嫌いじゃ無いぜ。毎晩可愛がってやるからよ、出ておいでぇ~」

「順繰りでなぁ~、ぎゃっはっはっは」

「ひっ!!」

 

 剥き出しの下卑た欲望を自分に向けられたリズベットは、思わず小さな悲鳴をあげてドアの前から飛びすさる。気丈に振る舞っていても、彼女はリアルでは中学三年生の子供である。そしてSAOでも生産職を選び、戦いの修羅場を知らない彼女の神経は、気丈な態度とは裏腹に、急速に消耗しつつあった。

 

「おい、リズベット、まともに構うナ、時間の無駄ダ」

 

 アルゴがそう声をかけると、リズベットは車座に座る彼女達の輪に飛び込む様に入っていった。

 

「サテ、問題はどう切り抜けるカ、ダナ」

 

 思案を始めるアルゴに向かい、夫婦のプレイヤーが頭を床に擦り付ける。

 

「どうも申し訳ありません、うちの子のせいでこんな危険に巻き込んでしまって……」

「それは後にしてクレ、今はどうやってこの窮地を切り抜けるかが先決ダ」

「アルゴさん……」

 

 ベソをかく子供の頭を撫でながら、ツウがその展望を聞こうと声をかける。

 

「今シンカーにメールを送ッタ」

 

 アルゴがそうボソリと言うと、リズベットが身を乗り出す。

 

「で!?」

「助けに来るとは言っていタガ、直ぐには無理だナ」

「どうして!?」

 

 首を左右に振るアルゴの両肩に手をかけ、リズベットは問い質す。

 

「所詮MTDは互助会みたいな物ダ、攻略ギルドでも自警団でもない。連中の中にこの十八層の奥まで来れる奴なんて居やしない、まぁ伝を頼ると言っていたガ、直ぐには当てには出来なイナ」

「そんな!?」

 

 アルゴに手を払いのけられたリズベットは、次にツウの顔を覗き込む。

 

「ねぇ、ツウ! あんたのダンナは攻略組なんでしょう!? 強いんでしょう!? 助けに来てって呼べないの!?」

「ごめんなさい、タケちゃん、今、ボス攻略だから、迷惑、かけられない……」

 

 すまなそうに視線を逸らすツウに、リズベットはがっくりと肩を落とす。そんな二人にアルゴが声をかける。

 

「悪い、ツー子」

 

 ツウが顔を上げると、アルゴは真剣な眼差しで言葉を続ける。

 

「ヒー君にメールを出させてもらっタ」

「どうして!?」

 

 抗議の目を向けるツウに、アルゴはニィッと笑って答える。

 

「ヒー君に、恨まれたくないカラナ」

 

 ツウは攻略に向かったヒョウに、要らぬ心配をかけて他のレイドメンバーに迷惑をかけまいと、助けを呼ぶメールを出すことはしないだろう。そうアルゴは読んでいた。しかし、アルゴはヒョウの想いを目の当たりにしている、ヒョウはツウを守る事を第一にしている、この場面でもしツウの身に何か有ればただでは済まされないだろう。ここはボス攻略だろうがなんだろうが、ヒョウに窮地を知らせるメールをすべきである、そうアルゴは判断したのだ。しかし予断は許されない、既にボス攻略が始まっていたならば、幾ら無敵のヒョウとはいえ、直ぐに駆けつけるのは無理だろう。安堵する空気が広がるなか、ここからが正念場だと気を引き締めた。

 

 

 

「済まない、ちょっと待ってくれ」

 

 ボス部屋の前で、作戦の最終チェックを主導するアスナを、ヒョウが手をあげて制止する。

 

「何かしら、ヒョウ君?」

「アルゴさんから緊急メールだ、攻略に関係有るかもしれない」

 

 すわボスの新情報かと期待する攻略メンバーの前でメールを開き、確認するヒョウの顔がみるみる険しいものになる。

 

「何かあったのか? おい」

 

 心配そうに声をかけるクラインを押し退けると、ヒョウは鬼のような形相でアスナを見据える。ヒョウのただならぬ変貌に、周囲のプレイヤー達が後ずさる中、アスナはその真相を確かめるため、臆する事なく声をかけた。

 

「どうしたの、ヒョウ君?」

「悪い、アスナ、俺は今回は抜ける」

 

 ヒョウの言葉に、主要な攻略メンバーは目を剥いた、彼らの心を代弁するかのように、キリトが口を開く。

 

「おい、ヒョウ、一体何が有った!? 今のメールに、何が書いてあった!?」

 

 ヒョウはそれに対し、一言で答えた。

 

「コヅ姉が、危ない」

 

 その言葉にキリト、アスナ、エギル、クラインの間に動揺が走る。

 

「ヤベェのか?」

「十八層の奥で、オレンジプレイヤーに囲まれているらしい、今回は俺抜きでやってくれ」

 

 エギルの問いに答えながら、転移結晶を出そうとするヒョウに、ヒースクリフが毅然として声をかける。

 

「そんな我儘、通用すると思っているのかい、ヒョウ君……」

 

 その言葉が言い終わらないうちに、ヒースクリフは慄然として冷や汗を流す。ヒースクリフの首筋には、いつ抜いたか解らない無拍子の動作で抜かれた、ヒョウの刀が突きつけられていた。

 

「殺すぞ、ヒース」

 

 ヒョウの冷たい眼差しに、ヒースクリフは両手をあげて一歩下がる。

 

「やれやれ、仕方ない、今回だけは認めよう」

 

 苦笑してヒースクリフが身を引くと、キリトがヒョウに歩み寄る。

 

「俺も行く、ヒョウ」

「良いのか? キリト」

「ああ、ツウさんには、俺も世話になってるからな」

「恩に着る」

 

 二人が転移結晶を掲げると、クラインがそれに遅れまいと転移結晶を片手に声をかける。

 

「待てよ、手は多い方が良いだろう、俺も行くぜ」

 

 クラインの申し出に、キリトとヒョウが首を左右に振った。

 

「いや、お前はダメだ、クライン」

「何でぇキリト、お前ェ……」

「俺達はソロだけど、クラインさんはギルドを背負っている、軽々しい行動はギルドの信用を傷つけます。だから、エギルさんも」

「……ああ、分かった……」

 

 ヒョウに機先を制されて、エギルは苦い表情を浮かべて転移結晶をしまい込む。しかし……

 

「待って、なら私も行くわ!」

「アスナ」

「私はツウの親友だもん。団長、お願いします」

 

 ヒースクリフに向かい、深々と頭を下げるアスナに対し、かけられた言葉は非情だった。

 

「駄目だ、君が行く事は許されない、アスナ君」

「どうしてですか!? 団長!」

 

 信じられないと聞き返すアスナに、ヒースクリフは淡々と理由を説明する。

 

「アスナ君、今回の攻略リーダーは他の誰でもない、君だ、その責任を投げ出すのかね?」

「なら団長、延期を……」

「延期も駄目だ、戦いには機というものがある。冷たい様だがこんな事は、この先何度も起こりうる事だ、だからその数を少しでも減らすため、我々攻略組は一刻も早く百層攻略しなくてはならない。ツウさんの救出は二人に任せ、君は君の役目を果たすんだ、アスナ君」

「分かりました、団長……」

 

 アスナは断腸の思いで唇を噛みしめ、ヒースクリフの言葉に従った。

 

 

「何だ、あれは」

「はっ、速え」

 

 十八層のフィールドに、二筋の黒い流星が地を駆ける。ヒョウとキリトがツウの元に急ぐ姿は、その場にいたプレイヤー達の目にはそう見えていた。ヒョウは眼前にロックバードを狩り損ね、逃げ惑うパーティーの姿を認めた、しかし走る速度を落とす事なく、小刀白耀雷光を腰背に回す。

 

「変移抜刀!!」

 

 ヒョウがそう叫ぶと、小刀白耀雷光の鞘が、うっすらとソードスキルの輝きを放つ。

 

「!?」

 

 真後ろでヒョウを追うキリトは、ヒョウの放つソードスキルに息を飲んだ。ヒョウは走る勢いを落とさずにサイドステップを織り交ぜ、あたかも分身しているかのように見えていた。そうして逃げ惑うプレイヤー達の間をすり抜けロックバードに肉薄し、すれ違い様に抜刀して斬り倒す。仕損じた場合を想定し、キリトは剣を抜いて速度を落としていたが、それは杞憂だった。ヒョウのソードスキルはロックバードのHPを全て刈り取り、ポリゴン片にして爆ぜ散らした。何が起こったのか理解できず、取り残されたプレイヤーは、頭を守る様に抱えてポツリと呟く。

 

「……俺、攻略組目指すの……、辞めた……」

「……ああ、俺も……」

 

 フィールドモンスターだけに止まらず、この光景を目にしたプレイヤー達のモチベーションも纏めて粉砕して進むヒョウにキリトが並びかける。

 

「ヒョウ、今のは?」

「ああ、抜刀術」

「それって、もしかして……」

「そう、ユニークスキルだ」

「ユニークスキルか……、フッ」

「どうした、キリト?」

「いや、何でも。急ごうぜ! ヒョウ」

「あ、ああ」

 

 キリトがヒョウのユニークスキルをその目で見て、真っ先に感じたのはやっかみでも劣等感でもなかった。「ようし、俺だって!」という、探求心と向上心だった。ツウの事を思えば不謹慎ではあるが、キリトはこの時、SAO世界に広がる無限の可能性に心が躍っていた。

 

 

「キバオウさん、建て直しが遅い」

「わーってるわい、そないな事!」

 

 リンドの苦情にキバオウが怒号を返す、ヒョウとキリトの抜けた穴は地味な所からその姿を顕在化した。

 最初に立てられた作戦の布陣、アスナ、ヒースクリフのコンビとヒョウ、キリト、クラインのトリオという二つの特火点から、アスナ、ヒースクリフ、クラインのトリオに変更されたそれは、派手さは無くとも慎重に確実にボスのHPを削っていった。しかし、目に見えない小さな皺が、レイド全体に広がっていた。それは、合流前からキバオウ、リンドに有った考え方の違いによる物だった。キバオウは戦力の平均化を計り装備品を分配していたが、リンドはレベル上位のプレイヤーに優先して良い装備品を分配していた。これは面を重視するか、点を重視するかでどちらも正解、不正解と言い難い物なのだが、今回の攻略でその明暗がくっきりと別れていた。リンドのチームに比べ、キバオウのチームが身に付けている装備品はランク下の物であり、戦闘力防御力において、僅かではあるが見劣りする物だった。この僅かの差が命取りになるのがボス戦である。遊撃部隊の足並みが揃わず、皮肉な事に良い装備品に身を固めているリンドチームが負担を背負い、劣勢に陥る結果になっていた。いつものボス戦では、そこの所のフォローをキリトやヒョウが行って、顕在化を防いでいたのだが、今日はその二人が居ない。

 

「あんじょう気張れや!」

 

 キバオウが声を張り上げ鼓舞しても、二人の穴は塞がる事なく、寄った皴は拡大していく。この事態にリンドチームのプレイヤー達の間で疑念が生じていくこととなる。キバオウは手を抜いているのでは? と。

 リンドチームのプレイヤーに、不満の色が浮かんでいくのを確認したヒースクリフは人知れずほくそ笑む。

 

 さぁ、伝説の始まりだ!!

 

 HPバーが半分を切ったボスモンスターが、怖気をふるわす雄叫びをあげた。

 

 

「ヒョウ、あそこだ!」

 

 キリトが指差す先に、何人かのオレンジプレイヤーが見張りに立つ山小屋が建っていた。ヒョウは無言で頷くと、オレンジプレイヤー達を蹴散らして山小屋の中に突入する。

 

「祝屋ァ」

「またお前か、榊」

 

 目尻を痙攣させて睨め上げるサーキー達オレンジプレイヤーと、彼らが取り囲む一室の扉の間に割って入るヒョウ。

 

「相手は一人だ! お前達、やっちまえ!!」

 

 襲いかかるオレンジプレイヤー達をいなして、ヒョウは彼らを小屋の外へと誘導していく。

 

「馬鹿が! 自分から不利な場所に出てくるか!? 普通。おい、囲んでやっちまえ!!」

「ソイツはどうかな?」

 

 小屋の入り口で、口角泡を飛ばして指示を出すサーキーの背後に、いつの間にかキリトが立っていた。キリトが不気味に呟くと、サーキーを小屋の外へと蹴り出した。

 

「ヒィッ」

 

 無様なうめき声をあげて、地面に転がるサーキーが見たものは、四方八方から無抵抗にめったやたらと斬りつけられるヒョウの姿だった。一瞬その光景に喜色を浮かべたサーキーであったが、ヒョウには全くダメージを与えていない事に気がつき、愕然とする。

 

「バトルヒーリングにバトルブーストか……。お前達とは格が違うんだよ、ヒョウは!」

「畜生! 舐めやがって!」

 

 起き上がり様にキリトにソードスキルで斬りかかるサーキー、意地になってヒョウに斬りつけるオレンジプレイヤー達、しかし……

 

「はぁああああああ」

「せぇえええええぃ」

 

 キリトとヒョウの、迎撃のソードスキルの共演が、サーキー達の凶刃を迎え撃つ。キリトはサーキーのソードスキルに合わせ、単発の切り上げソードスキル、ソニックリープで受けると、手入れの行き届いていないサーキーの片手剣は木っ端微塵に砕け散った。ヒョウはオレンジプレイヤー達が武器を握り振り下ろす手首に狙いをつけて、ソードスキル『快刀乱麻』を炸裂させた。すると、かつて動画で見せた十基の巻き藁の如く、オレンジプレイヤー達の手首が斬り落とされ、武器が地面に落下する。

 

「さぁ、どうする」

「まだやるか」

 

 キリトとヒョウが静かにそう言うと、一瞬の出来事で自分達がどうなったのか気づかなかった彼らは、事態を把握して、斬られていない方の手で武器を拾い上げ、蜘蛛の子を散らす様に逃げて行った。サーキーを除いては。

 

「祝屋ァー!」

 

 いつの間にか装備した短剣を両手で握りしめ、腰だめに構えたサーキーは、身体ごとヒョウへとぶつかっていく。しかしそんなサーキーの悪足掻きも虚しく、ヒョウはバックステップでかわすと、バランスを崩してたたらを踏むサーキーに刀を一閃する。

 

「!?」

 

 サーキーは一瞬のうちに四肢を斬り落とされ、地面に転がった。

 

「祝屋ァ! 祝屋ァー!!」

「榊……」

「テメエ殺す! 絶対ぇ殺す! 覚えてろ! 絶対ぇ殺してやる!!」

「お前も次は無いと思え、榊。今度コヅ姉に手を出したら……、殺す」

 

 地面に転がり喚き散らすサーキーに、納刀の鍔鳴りの音を残し、ヒョウとキリトは山小屋へと再び足を向け行った。

 

 

「ぐわぁあああっ」

「リンドさん!!」

「リンド!」

「リンド!」

 

 ボスモンスターが雄叫びをあげ、広範囲ソードスキルを放つと、大部分の攻略プレイヤーが巻き込まれ、弾き飛ばされて行く。中には直撃を受けてHPバー全てを失い、ポリゴンの欠片となり消えていった者もいた。その中でも、最も影響力が大きかったのは、アインクラッド解放軍のギルドマスター、リンドの死であった。

 

「狼狽えるな! 私が持たせる。皆下がって回復を」

 

 鋭く指示を出してヒースクリフは、単身ボスモンスターに挑みかかる。

 

 これで今から私の伝説が生まれる、これで血盟騎士団は最強ギルドとして誰もが認める様になる。私の武、そしてアスナ君のカリスマが攻略組の全てを導く事になる。そして百層では……

 本当はこの場にキリト君、そしてヒョウ君にも居て欲しかったのだが。傷ついたヒョウ君の前で私達が活躍すれば、ヒョウ君の十三層の伝説を超えられたかもしれないのに……。いや、やはり彼は居なくて正解だったのだ、彼の太刀筋は、システムに守られている筈の私でさえ、全く反応出来なかったのだ。もし彼がここにいれば、私の思惑を超えて全く違う結果になっていた可能性が高い。贅沢は禁物だ、せめてHPバーの残量で、彼に差をつけるとしよう。些か不本意ではあるが……

 

「アスナ君、スイッチだ!!」

「はい、団長。せぇえええええぃ」

 

 アスナの放った渾身のソードスキルが、ボスモンスターの眉間を穿つ。ボスモンスターは一瞬痙攣すると、断末魔の咆哮をあげ、急速にHPバーを消失していき、最期にポリゴンの欠片となり虚空に消えていった。

 

 

 

 ガツン! ガツン!!

 

 急に外が静かになったと思ったら、今度はいきなりドアを蹴破ろうとする衝撃音が鳴り響く。その衝撃でバリケードは揺れ、掛金状の鍵の耐久値が落ちていく。その光景を、五人は部屋の片隅で、震える手で武器を構え、見つめていた。そして!

 

「このヤロー!!」

 

 蹴破られたドアから見えた男の姿めがけ、意を決したリズベットがメイスを振り下ろす。しかしリズベットの一撃は、悲壮な決意も虚しく男に交わされ空を切る。奇襲に失敗したリズベットは、女としての危険と生命の危険を自覚して、恐怖のあまり腰を抜かしてへたり込んでしまった。殺気だった鋭い男の目が室内を見回す、逃げなきゃと考えるが、全身の力が抜けて動けないリズベット。一瞬の出来事が、恐怖で永遠の長さに感じているリズベットの耳に、男の声が飛び込んできた。

 

「コヅ姉! 無事か!?」

 

 コヅ姉? コヅ姉って誰よ? ははは、参っちゃうな、怖すぎて私、変になっちゃったみたい……

 

 そうとりとめもなく考えていたリズベットの視界の片隅に、男に向かってツウが駆け出すのが見えた。

 

 ダメよツウ、逃げて、逃げなさい……

 

 朧気な意識の中、ツウを案じるリズベットの耳に、ツウの声が飛び込んできた。

 

「あーん、タケちゃん、タケちゃん、怖かったよぉ~!」

 

 なーんだ、アイツがタケちゃんか……、アイツが……タケ……ちゃん……

 

 安心して緊張の糸がプツリと切れたリズベットは、安堵感に抱かれて意識を失った。

 

 

 

 

 ボス攻略を終えた攻略プレイヤー達は、皆一様に虚無感を抱えていた。第一層以来の攻略プレイヤーの死亡、それも複数のプレイヤーの死亡は、攻略以来初めての出来事だった。その虚無感から目を逸らす為か最大勢力、アインクラッド解放軍のメンバーが、真っ二つに別れて論争を繰り広げている。

 

「どうして、どうしてリンドさんを見殺しにしたんだ!?」

 

 この糾弾をキバオウは一身に受けている。攻略中のキバオウチームの動きの鈍さが、リンドチームの目には手抜きに見えていたのだ。無論キバオウ達は手抜きなどしていなかった、恐らくリンドチームの人間も、数名はその事を理解しているのだろうが、彼らは悲しみと怒りの捌け口を必要としていた。

 そんな心理を知ってか知らずか、これを奇貨としてキバオウ一派を追放してギルドの主導権を握ろうと画策したのが、かつてヒョウに盟主として参加を要請し、けんもほろろに断られた分離派の面々である。リンドがリタイアした今、残る邪魔者はキバオウである、彼が失脚すれば、リンド派を吸収して最大派閥として攻略をリードできる状態で、ギルドを支配する事ができる。彼らはそのために、声を荒らげてキバオウを糾弾していた。皮肉にも、それは第一層でキバオウが攻略の主導権を握る為、英雄視されつつあったキリトを蹴落とす為に使った手法である。まさに因果応報と言える状況であった。この後アインクラッド解放軍はキバオウ一派を除く大多数のメンバーが脱退、新たにギルド『青龍連合』を結成し、攻略の影響力を失ったキバオウは、再起を期して第一層へと落ち延びる事となる。

 

 彼らの身勝手かつ不毛な言い争いをBGMに、アスナは自分の装備スロットを、忸怩たる想いを抱きながら操作していた。装備品をスクロールすると、初めて見る文字が並んでいる、それを目にしたアスナの胸が締め付けられる。

『ヴァイサーコメート』白い彗星という意味を持つ細剣は、今回アスナがラストアタックボーナスとして得たアイテムだった。アスナは今回初めてラストアタックボーナスを得たのだが、全く喜びを感じてはいなかった。むしろ、後悔に近い、苦い想いしか感じていなかった。それは、親友の窮地に駆けつける事が出来なかった後悔。こんな想いをするなら、ソロのままでいた方が良かった、ギルドになんか参加しなければ良かったという想いが、アスナの胸に込み上げる。攻略終了後、ヒョウからツウを無事救出したとのメールが届き、アスナの心は後ろめたさに支配されてしまった。ギルドを脱退しようか? アスナの頭に、そんな思いが浮かんだが、首を左右に振ってその考えを頭の中から追い出した。そうだ、私は親友を裏切ったのだ、そんな事をしても償いにはならない。そんな事をしても、私はツウにまみえる事は出来ない。

 

 だったら

 

 私は裏切り者の汚名を胸に、この道を進もう。昨日までの甘ったれた自分に決別して、この道を歩もう。

 

 アスナの右手に、純白の光輝く細剣が装備された。

 

 私は、攻略の鬼になる!!

 

 アスナは剣を高く掲げ、その想いを胸に刻み込む。その姿はその場にいる者全てを圧倒し、その瞬間、アスナはキリトが予測した通り名実ともに、攻略を導く光となった。




次回 第十八話 PK


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十八話 PK

 この日のアインクラッドの天気は最悪だった。厚く垂れ込めた雲と頻繁に鳴り響く雷の音、吹き荒れる風に土砂降りの雨、こんな日は一日攻略を休み、ゆっくりと骨休めするべきである。

 大多数のプレイヤーが、雨風を避け、建物の中で臨時の余暇を持て余している時、三十二層の攻略フィールドの河川敷で、目を開けるのも困難な横殴りの豪雨と強風の中、泰然自若としてモンスターと対峙しているソロプレイヤーがいた。黒い羽織に脚絆を巻いた黒い袴、帯に二本差しのスタイルは、防具に身を固め、出来うる限り防御力を上げて攻略に臨む一般的なプレイヤーとは対極の装備である。防御力など度外視した、紙装甲といって差し支えないこの装備では、例えフルパーティーを組んでいても、最前線に近いこのフィールドでは自殺行為なのだが、このソロプレイヤー、ヒョウは違っていた。

 

「!!」

 

 宙に浮く巨大な目玉型のモンスターの発した光線を見切り紙一重でかわすと、ヒョウは腰の刀に手をかける。勝利を確信したのかその口元に不敵な笑みが浮かんでいた。目玉モンスターは三十層を越えたあたりから出始めた、デバフを多用するモンスターだ。巨大な目玉から発せられる光線は、破壊力こそ微々たる物だが、麻痺や毒などの厄介な状態異常を引き起こし、これに当たる時はパーティーを組み、異常解除のポーションを多めに持っていくようにと、ネズミ印の攻略本に赤線引きで記されていた。そんな厄介なモンスターを相手取り、黒い武芸者風の装備に身を包んだヒョウは、ソロにも関わらず有利に戦いをリードしていた。デバフの光線を交わされたモンスターは、懐に飛び込もうと踏み込むヒョウに対し、そうはさせじと触手による連続攻撃を繰り出した。

 触手による攻撃は、槍、棍棒、鞭の複合型の武器と言ってよく、プレイヤーにはないモンスター固有の武器スキルで、捌くのが難しい攻撃なのだが、ヒョウはことごとくそれを交わしてモンスターの懐へと肉薄していく。もしこの光景を見る者がいれば、あの装備でよくそんな立ち回りが出来る、と彼の剛胆さに舌を巻くだろう。彼にそれが可能なのは、見切り、後の先というエクストラスキルによるものだ。この二つのスキルは、カタナスキル所有者に発現するスキルで、彼の他にもちらほらと取得した者が居るのだが、これほどまでに高いレベルで使いこなすプレイヤーはまず存在しないだろう。

 

「水車!」

 

 モンスターの触手攻撃を交わしきり、懐に飛び込んだヒョウは、ソードスキルを発動する。このソードスキルはカタナスキルではない、ヒョウの持つ唯一無二のユニークスキル、抜刀術のソードスキルだ。目にも止まらぬ突進力をそのままに、一回転しながら抜刀し、遠心力を加えて放たれた刃は眩いエフェクト光を迸らせ、モンスターの巨大な目玉を一刀両断に斬り裂いた。そのまますれ違い、ヒョウは刀を鞘に納める。彼の納刀から一拍遅れたタイミングでモンスターは振り返り、彼の背中に狙いをつけて触手を振り上げた。攻勢転じて絶体絶命のピンチに陥ったヒョウは、そんな危険に気づかない様子で、一仕事終えた様に首をコキコキと鳴らし、右肩をぐるぐると前後に回している。充分過ぎる殺意を乗せて、触手を振り下ろしたモンスターだったが、その目的を果たす事は出来なかった、何故なら……

 

「グギャアァアアア!!」

 

 モンスターの触手がヒョウに炸裂する一瞬前、モンスターは断末魔の叫びを轟かせ、ポリゴンの欠片に爆ぜ、豪雨の中に散っていった。

 

 豪雨でずぶ濡れになった顔を袂で拭うと、ヒョウはフリックしてメニューを開き、覗き込む。

 

「おっしゃ、ユニークスキルゲット!」

 

 彼の倒したモンスターの名前は、オクールステンプリスターティス。小人妖精の願い事というクエストのラスボスである。内容はモンスターの起こす暴風雨で、毎年住処を破壊され、困り果てた小人妖精が、森で出会った勇敢な冒険者にモンスターの退治を要請する、というものだ。報酬はレアアイテムと、モンスターからドロップするユニークスキルである。

 このクエストの困難さは、ボスがフィールドでは現在最強クラスのモンスターである事もさることながら、そのボスがアインクラッドで一番の暴風雨の日にしか出現しないという点に有った。故にヒョウは暴風雨の日なると、他のプレイヤー達が攻略を休む中、今日か今日かとフィールドに出掛けていたのである。

 

 本当はこんな日位、自分もツウの元で休んでいたいのに……

 

 限りあるリソースの一つを得る事は、このアインクラッドで生き抜く為には計り知れない恩恵をプレイヤーにもたらす、自己強化の情報を知ったからには手を抜く事は心情に反する。ヒョウはそう自分を鼓舞して、荒天の中クエストに臨んでいたが、流石の彼もクリアしてみると喜びよりも疲労感が勝っていた。

 

 さっさと妖精の所に行って終了報告しよう、そして今日はコヅ姉の膝枕でゆるゆるだらだら過ごすんだ。

 

 ヒョウはそんな事を思いながら、豪雨のフィールドを駆け足で進んでいった。

 

 

 

「親方ァ~、お使い終わりましたぁ~」

「ぷふぁ~、キツかったぁ~」

 

 二人のプレイヤーが、宿屋の一室に転がり込む、どうやらこの暴風雨の中で外出していた酔狂な者は、ヒョウ一人ではなかった様だ。

 

「おう、お前ら、ご苦労だったな、今日はもう休んでいいぞ」

 

 ソファーにくつろぐ浅黒い禿頭の巨人、エギルが、二人のプレイヤーに愛嬌のある笑顔を向けた。

 

「親方、こんな雨の日に配達だなんて……」

「いくらなんでも殺生ですよ……」

 

 弱音を吐く二人に、エギルは正論で以て答えるが、些か意地の悪い笑顔を浮かべて言った為に、いくら正論でもその言葉は甚だ説得力に欠けるものだった。

 

「おいおい、若いモンがだらしないぞ、全く。商人は信用第一だって言ってるだろう。こんな酷い天気の日でも、注文通りに品物を納める事が、商人としての信用に繋がるんだ」

「そりゃ、そうですけど……、なぁ」

「延期のメールを飛ばして、了解を得るって手も……」

 

 探るような目で見上げ、恐る恐る反論をする二人に、エギルは拳骨を食らわせ外の暴風雨に負けない位の雷を落とす。

 

「バカヤロー! そんな甘ったれた根性で、商人スキルを身に付け……、いや、このデスゲームを乗りきれると思うな! 全く、折角今日の駄賃は色をつけようと思っていたのに、止めだ止めだ!!」

 

 このエギルの叱責の言葉に、二人は顔を見合わせた。

 

「そんな、親方ぁ~」

「勘弁して下さいよぉ~」

 

 懇願する二人のプレイヤーを無視する様に、エギルは目を閉じてコーヒーを啜る。そんなエギルに翻意を願う二人のプレイヤーの名前はエビチャンとクマという。

 二人は十三層の攻略で身の程を知り、リアルから続けていたヒョウに対するアンチも、自分の幼稚さだった事を思い知る。そしてオレンジプレイヤーに堕ちたサーキーとは袂を分かち、アインクラッド解放隊を辞めてMTDに戻り、シンカーに頭を下げて筋を通してしばらくは彼の元で手伝いをして、アインクラッドでの処世術を学んでいた。今はそのシンカーとヒョウの口添えでエギルに弟子入りし、丁稚奉公宜しくコキ使われている。

 

 まぁ、些かに依存心は残してはいるが、駄々をこねて他人に働きかけるよりも、自分で腰をあげ手を伸ばした方が早く、理想に近いものが手に入る事に気づいたのは、この二人も成長したと言って良いだろう。それよりも……

 

 前言撤回を求めるエビチャンとクマをあしらいながら、エギルは他の親しい二人に思いを馳せる。

 

「あの二人……、一体全体どうしちまったんだ、本当に……」

 

 あの二人、今はヒョウの所にも顔を出していないそうだし、本当に何が有ったんだ?

 

 エギルの言うあの二人というのは、キリトとアスナの事である。

 キリトとアスナのコンビが、アスナの血盟騎士団加入で解消するという事件は、攻略組の間でちょっとしたゴシップになっていた。当初はキリトも血盟騎士団入りして、コンビは続くと思われていたが、その予想は裏切られ、彼はソロプレイヤーを貫いている。

 アスナは二十五層の攻略から、まるで人が変わった様に攻略に厳しく取り組む様になっていた。それは若くして副団長に任命され、攻略部隊のリーダーを任されている事からくる重圧だけが理由とは思えない冷徹さが有った。

 一方のキリトもいつからか様子がおかしくなっている、明るさが無くなり、あからさまに人を避ける態度に、口かさの無い攻略プレイヤーは、アスナに捨てられたショックと陰口を叩いているが、あのキリトにそれは無いだろう。そんな程度でへこむタマなら、ここのところの攻略での活躍は説明出来ない。

 しかし気になるのは、プレイスタイルの変化である。表面的には変わらない風に見えている、より尖鋭化していると受け止められるが、普段の生気を失った目と戦闘時の鬼気迫る目の違いに、エギルは危うさを感じていた。

 

 コイツ、まさか死に場所を探しているんじゃあるまいな?

 

 そう危惧したエギルは、二人に事の真相を質そうとしたが、アスナは血盟騎士団のメンバーに守られ近寄る事も出来ず、かと言ってキリトの幽鬼の様な目を見ると気後れしてしまい、それを聞く事は憚られていた。

 最後の手段として、二人と仲の良かったヒョウに事情を聞いてみたが、彼の回答も芳しいものではなかった。二十五層攻略から、週一で来訪していたアスナの足がぷっつりと途絶えた事、気づけばフレンド登録も解消されていた事実。キリトの情緒的変化が始まったのは、二十八層攻略後辺りである。キリトの足が遠退いたのもその辺りであり、アスナとの関係が原因とは考えにくい。それがヒョウの回答であった。

 

 

 マジで一体何が有ったんだ?

 

 渋面を浮かべるエギルの胸の中は、これから先の攻略を考えると、窓越しに見上げる荒天の様な不安が渦巻いていた。

 

 

 

「ただいま~」

「お帰り、ヒョウ兄ちゃん」

「ヒョウお兄ちゃん、お帰りなさい」

 

 ヒョウが帰宅すると、大勢の子供達に取り囲まれ、もみくちゃにされる。

 

「ヒョウ兄ちゃん、お土産無いの?」

「ヒョウお兄ちゃん見て見て、これ私作ったの」

「おっ、凄いなぁ、どれどれ」

「えへへ」

「あーっ、ずるい、僕のも見て」

「私のも」

 

 嫌な顔一つせず子供達に答えるヒョウを微笑んで出迎え、ツウはタオルを渡す。

 

「お帰りなさい、タケちゃん。どうだった?」

「上々。スキルもアイテムも無事ゲット」

 

 受け取ったタオルで顔を拭いながら、ヒョウはツウと子供達と連れだって、食堂に入っていった。

 

「ほーんと、毎日熱々ねぇ。羨ましすぎて胃にもたれるわ」

 

 食堂で煎餅をつまみながら、ヒョウ達を待ち受けていたのは、十八層奥でツウと共にオレンジプレイヤーから救い出したリズベットだった。

 

「ああ、来てたんだ、リズベット」

「リズで良いって言ってるでしょ。人をお邪魔虫みたいな目で見ないでよ」

「そんな目してないだろ。いらっしゃい、リズ」

 

 リズベットはキリトやアスナと入れ替わる様なタイミングで、二人の許を足しげく訪れる様になっていた。理由は本人曰く

 

 ジャンルは違えど、生産職を目指す者として、リスペクトするsenbaoriのツウから学べる物を吸収して、自分の成長に繋げたい。

 

 との事である。なんだかんだ言って、本音はアインクラッドに幽閉されて以来遠ざかって、忘れかけていた『家庭的な雰囲気』を求めてである。

 ほぼ毎日、手を替え品を替えして理由を作りやって来るリズベットの言い訳が尽きた頃、ヒョウは島の一角に鍛治師用の簡易訓練工房を建設し、ツウを守ってくれた事の礼を示し、歓迎していた。

 簡易の訓練工房とはいえ、リズベットがこれまで使っていた道具に比べ、格段に上の設備が整った施設となっていて、彼女を狂喜乱舞させて現在に至る。リズベットはヒョウとツウに、この施設を自分の鍛治師仲間にも使わせて欲しいと頼み込み、以来リズベットを始めとする鍛治職人が長足の成長を遂げ、攻略組を支える事となる。そして、それはヒョウの思惑通りの事だった。ヒョウはこのデスゲームから一刻も早くツウを救うため、攻略の戦力を上げる為に『ナンバ』の動きを開示して、希望者に伝授していた。今回のリズベットの申し出も、生産職の技術向上も攻略に欠かせないファクターであると考えていたヒョウにとって、実は渡りに舟だった。ヒョウはリズベット以外のプレイヤーからは、使用料を取る事を条件として、これを認め解放する。使用料を取った理由は、意欲の確認と保育園の維持費獲得のためである。これが後に、ヒョウにとって痛恨の出来事を生む結果になるとは、誰にも予測出来なかった……

 

「刀、見せてよ」

「ああ、頼む」

 

 ヒョウは腰に差した二本の刀をリズベットに渡す、刀を受け取ったリズベットは静かに鞘から抜くと、刀身に歪みが無いかを丹念に調べると、呆れ顔でヒョウを見る。

 

「長柄黒耀騒速、いつ見ても信じられないわね、これ本当に十五層で見つけたの?」

「ああ」

「ああって……」

 

 きょとんとして答えるヒョウに、リズベットは肩を落として盛大なため息をつく。

 

「魔剣とか妖刀とか言う言葉が陳腐になるくらいぶっ飛んでるわよ、この刀。もうオーパーツよ、オーパーツ。こんな凄い刀がそんな低層でドロップするなんて信じられないわ」

 

 ヒョウはサーキーのMPK事件後、落ち着いてからキリトとアスナに例のクエスト、選ばれし者達の試練、を教えたのだが、二人にはクエストは起こらなかった。二人用のクエストだから大丈夫だと思い、情報を教えたヒョウはその事実に驚いたが、キリトは淡々としたものだった。

 

「恐らく早い者勝ちの、エクストラクエストだったんだろう。この手のゲームにはよくある事さ」

 

 信じられないというリズベットの言葉に、苦笑いしながらレクチャーしてくれたキリトの言葉を思い出したヒョウは、やはりヒースクリフには何かあるのだろうかとの思いを新たにする。

 

「刀もそうだけどヒョウ、あんたの腕も大したもんよ。全っ然歪みが無いじゃない、本当に使っているの? この刀」

「使わなきゃ、モンスターを倒せないだろう」

 

 ヒョウの軽口を聞き流すと、リズベットは刀身を和紙で拭い、打ち粉を打ちながら言葉を続ける。

 

「前に紹介してくれた刀使い、クラインだっけ? あの人の刀なんて酷い物よ。メンテに来る度にガッタガタに歪んでるんだもん」

「へぇ」

 

 相槌を入れるヒョウ。

 

「初めはどんなに下手くそなのよと思ってたんだけど、私が刀のメンテが出来るのが知れてからお客も増えて、他の客の刀をメンテをしたらびっくりよ」

「何で?」

「みんなクラインより酷いんだもん。ヒョウと比べるのが間違ってるって、その時気づいたわ。はい、出来たわ」

 

 長柄黒耀騒速を鞘に納め、ヒョウに渡すとリズベットは、小刀白耀雷光のメンテを始める。

 

「だけど、ヒョウが刀使いで本当にラッキーだったわ。あんたと知り合ってなかったら、私、刀のメンテなんてまだ出来なかったわ」

 

 刀のメンテは他の武器とは手順が違い、そしてそれを知る者が少なく、刀使いがボチボチ増えてきた今、それは彼等にとって頭の痛い問題だった。そんな中、ヒョウの刀を診る事で、先んじてそれを知ったリズベットは、刀使いの間では貴重な存在となっている。そしてそのお陰で鍛治スキルの中のエクストラスキル、刀匠を獲得し、マスターメイサーへの大きな第一歩を踏み出していた。

 

「でも、本当に自信無くすわね、こんな刀を見てると。とてもじゃないけど、今の私になんか打てやしないわ、こんな業物……」

「諦めるのかい?」

 

 ため息をつくリズベットにそうヒョウが聞くと、彼女はキッと挑戦的な眼差しをヒョウに向ける。

 

「ちょっとヒョウ、あんた何聞いてんの、私が無くしたのは自信、ヤル気じゃないわ」

 

 その言葉を聞いて、ほう、という目を向けるヒョウに、リズベットは高らかに宣言する。

 

「山や壁は、高くて厚い方が燃えるのよ! 見てらっしゃい、いつかきっと、その刀を超える刀を打ってやるんだから!」

 

 胸を叩くリズベットの姿を見て、ヒョウとツウは頼もしげに頷いていた。

 

 

 

 こうして攻略階層が進むにつれ、一人一人の目的、レベルに応じて人間関係が変化していくのは、一般社会もアインクラッドも変わりはない。それは直接攻略をする攻略組、生き残る事を目的とするボリュームゾーン以下のプレイヤーに関わる事なく起きる事で、当然の如く第一層始まりの街を拠点とするグループにも、大きな人間関係の変化が見られていた。

 

「せやから甘いっちゅーねん、シンカーはんは、いくら高い目標掲げても先立つもんがあらへんと、所詮は絵に書いた餅なんや、意味はあらへん」

「それには同意するがキバオウさん、だからといってギルドの構成員以外から、徴税と称してコルを巻き上げるなんて無法な事は断じて認められない」

 

 旧MTD本部で激しく議論を戦わせているのは、ギルマスのシンカーとキバオウである。旧MTD本部としたのは、MTDにも大きな人間関係の変化があり、その結果陣容も大きく変わり、名称の変更も余儀なくされていたからだ。人間関係の変化とは、MTDとアインクラッド解放軍の合流である。この二つの組織が合併した理由はどちらの組織にも、今後このSAOを乗り切る為に、背に腹を変えられない切実な理由が有ったからだ。その理由とは、MTDはオレンジプレイヤーの暗躍で、会員やプレイヤー達の安全を守る必要性が生じてきた事である。十八層奥で起きた事件は、その事実を否応なくシンカーに突きつけていた。しかし彼等にそれを早期解決する手立てがなかった、何故ならMTDの成立理念は、MMORPG初心者のプレイヤー達に、この世界での基本的な立ち回り方法を伝授する事と、それでも始まりの街から出られないプレイヤー達の支援を行う事である。当然彼等の行動範囲は低層に限られており、であるが故にレベルもある程度の所で頭打ちとなっている。それが原因となり、シンカーは十八層奥でのツウ達の危機に対応が出来なかったのだ。これはMTDの存在意義を揺るがす由々しき問題である。しかし、だからといってシンカー達が急に高レベルプレイヤーに自己強化を出来る筈もなく、緊急案件にも関わらず早期解決が出来ないという深刻なジレンマに陥っていた。

 もう一方のアインクラッド解放軍の理由は、より打算的な問題だった。二十五層攻略後、大量離脱者が発生したアインクラッド解放軍は、深刻な財政難に陥ってしまう。そのため、それまで利用していたギルドホームの維持が不可能となり、断腸の思いで手放す事になってしまった。後にそのギルドホームが、自分を裏切って発足した青龍連合の物になった事を知り、怒り心頭のキバオウだったが、現時点で取り戻す手立てもない。それよりも、自分を慕ってついてきてくれた連中の為に、一刻も早くホームを探さなくてはならない。キバオウは青龍連合に対し、いつか目に物見せてやると復讐を誓いつつ、ホーム探しに奔走した。しかしキバオウの意気込みを嘲笑う様に、彼の必要とする施設は見つからなかった。キバオウはこれまでの経緯を思いだし、遂に適当な施設のある場所にあたりをつけた。それは第一層の始まりの街である。このゲームのスタート地点である始まりの街は、持ちコルの少ないプレイヤーも無理なく生活出来るよう、宿泊施設の価格設定は格安になっており、さらに教会等の大きな建物は無料で宿泊に利用できる物もある。それに気づいたキバオウは、勇躍始まりの街へとやって来たが、ここで自分自身の誤算に直面する事となる。その誤算は簡単な事である、彼が目論んでいた無料利用施設は、全て他の団体に押さえられており、ゲームが始まって数ヶ月経った現在、今さらノコノコやって来た所でめぼしい物件が残っている筈もなかった。ギルドメンバーの手前、引っ込みのつかなくなったキバオウは、「全てのプレイヤーを、アインクラッドという牢獄から解き放つ為に戦うアインクラッド解放軍の為に施設を明け渡すのは、一般プレイヤーの義務である」と宣言し、先住団体に立ち退きを要求し始めた。

 

 キバオウの強引かつ勝手な主張に、先住者達は辟易となり、始まりの街の顔役的な立場に収まっていたシンカーに相談し、解決を求めた。ここでシンカーとキバオウは出会う事となる。二人が折衝する過程で、お互いがそれぞれ求めている物を持っている事に気がついた。シンカーの求めている『力』と、キバオウの求めている『本拠地』、それぞれ可及的速やかに必要としている物が相手の手の中にあるのだ。ならば、となるのは時間の問題だった。しかし、この合併交渉は、善人のシンカーにとって、攻略のイニシアティブを握る為、海千山千の交渉をこなしてきたキバオウが相手では荷が重かった。キバオウは下手に出る様な素振りで交渉を開始すると、赤子の手を捻るようにシンカーから交渉の主導権を奪い取る。そうして思いのままに新ギルドの形を決めていった。ギルド名はMTDからアインクラッド解放軍に変わった、攻略が四分の一以上進んだ今、MTDも積極的に攻略を目指して活動すべきだと、キバオウは強く主張してシンカーに認めさせた。陣容を攻略、治安維持、民政の三つの実動部隊と、その上に立ち統括する総務の四部門に分けギルドを運営し、ギルドマスターが監督する事が決められた。攻略部門のリーダーをキバオウ、ギルドマスターにシンカーが就任してギルドは新しい一歩を踏み出した。

 

 シンカーがキバオウの奸計に気がついたのは、合併後第一回目の定例会議の席であった。この会議を終始キバオウはリードして、存在感を示したのに対し、シンカーは全くといっていいほど、存在感を示す事が出来なかった。理由は交渉時に決めた、ギルドマスターの権限の制限であった。ギルドマスターはギルド全体の方針を示し、監督する権限を持つが、定例会議の決定に従わなければならない、という条文をキバオウは捩じ込んでいた。これは一見民主的な制度ではある、しかし制度というものは、所詮人間が使う物である。運用する者に、利己的な思いが有れば、いかようにも穴を開ける事が出来る。キバオウは攻略、治安維持、総務の三つの部門のリーダーを、攻略ギルドとして経験豊富という理由で、旧解放軍メンバーをリーダーに捩じ込んだ、これに対して旧MTDからは民政部門のリーダーを輩出するに留まった、それもキバオウの「それについては、経験が無いさけ」と言う言葉に譲られた形で、さらにキバオウの推薦でというオマケ迄ついての就任である。こうして開催された第一回定例会議で、シンカーは方針を示すも、キバオウは表面上それに沿った内容で、あからさまに面従腹背の利己的な内容の決議を次々とシンカーに飲ませていった、それはこの会議において、ギルドの実質的支配者は自分である、と宣言したに等しい。

 散々に煮え湯を飲まされてシンカーは、キバオウの真意を理解するも、後の祭りだった。今さらギルドを割る事は出来ず、根気よくキバオウを説得し、ギルドがおかしな方向に行かない様に、注意するしか無いと自分に言い聞かせるしか術を持たなかった。

 こうしてギルド規約を換骨奪胎し、責任の軽い立場でギルド全体を掌握する事に成功したキバオウは、その力を思うがままに振るう様になり、遂に第一層住民全員に対し、人頭税を徴収する暴挙に出ようとしていた。

 

「だからさっきから説明してるやんけ、ワイらが治安を守っとるさけ、他のプレイヤー達も安全に生活できるんや。みんなの安全を守るには、こ狡いオレンジの連中に遅れを取るわけにはいかんのや。せやけど軍の収入だけで揃う装備なんて、たかが知れてますやろ」

「しかし」

「それともなんや、シンカーはん、あんさんワイらに死ね言うんですかい」

「そんな事は……」

「わかってまんがな、シンカーはんは優しい人やからな。ではこうしまひょ、軍に参加したら、税は免除する言うて、先に宣伝しまひょ。したらギルドもでかなって、攻略やら治安維持やら隅々まで手が届く様になりますやろ。ギルメンからの上納も増えるさけ、一石二鳥やおまへんか。そうしましょうそうしましょう」

「……」

 

 人頭税の制定だけは、なんとしても阻止しなければならない。そう決意して数少ないギルドマスターの権限、方針を示し監督するを最大限利用してキバオウに面談し、翻意を促していたが、奸知に長けたキバオウが利用する正論の前に、シンカーは黙らざるを得なかった。

 

 こうして我が世の春を謳歌するキバオウは、攻略最前線復帰を目指し、次の段階にステップを進めようと悪知恵を働かせる。事有るごとに、監督と称する戯言を吐きに来るシンカーを疎ましく思い始めたキバオウは、始まりの街以外の全線基地を欲していた。

 キバオウが目をつけたのは、第四層に有る個人所有の島である。なんとしてもそこを徴発しなければならない。キバオウの目算は、その島を攻略部門の宿営地にすれば、一層から四層の支配権を軍が確立する事となり、人頭税を徴収すれば、収入も単純に四倍になる事。その上攻略部門リーダーの責任として自分が宿営すれば、小うるさい負け犬のお小言を聞かずに済む事、その二点に有った。

 自分勝手な胸算用を抱きほくそ笑むキバオウは今、攻略組にいた時には味わう事の出来なかった全能感に酔いしれていた。全てを思い通りに出来る立場に立つ、これこそがキバオウが攻略組の中で欲していた事である。

 

 これからや、これからみんな、ワイの思い通りに進んでいくんや。ワイをコケにした攻略組の奴らめ、今に見ていろ、必ず吠え面かかせてやるさけな

 

 暗い情念を燃やすキバオウだったが、彼はまだ気づいていない、自分が堕落し始めている事を。キバオウは座り心地の良い椅子に座ってしまったが為に、その椅子を守る為に攻略よりも自己保身を優先し、権威的な姿勢を取る様になっていく。そして軍内部での権力闘争に腐心する彼は、この時以降攻略の最前線『ボス戦』に参加する事は無くなった。

 

 

 

 人間関係の変化がもたらす物は、当事者同士の環境の変化にのみとどまる物ではない。時には全く無関係と思われる人物に、大きすぎる影響を与え、翻弄する事があり得る。ある一人のプレイヤーの人間関係の変化が、かつて袂を分かった二人のプレイヤーの人生を、今大きく翻弄しようとしていた。

 

「本当にここで良いのかな……?」

「メールに書いて有ったし、良いんじゃないか?」

 

 最前線近くのとある階層の主街区、それも一等地に立つ高級酒場の前で、二人のプレイヤーが俊巡していた。彼等が尻込みするのも当然である、まずこの二人は最前線近くをテリトリーにするほどのプレイヤーではなく、当然収入的にもこの酒場は場違いの店である事が一つ。もう一つはリアルではまだ中学生である彼等に、いくらNPCとはいえホステスが客に同席して接待するこの店は、精神的にかなり敷居が高かった事。そして最後にメールの差出人が、圏内に立ち入る事が不可能な事、これらの理由で二人は店の入り口前で二の足を踏んでいた。

 二人は届いたメールが気になって、ここまで来はしたものの、どちらも同様にそのプレイヤーと手を切った事に対する後ろめたさがあり、やはりこのまま帰ろうと踵を返した瞬間、店の扉が開いて聞き覚えのある声に呼び止められた。

 

「よう、久しぶり。早く入って来いよ、エビチャン、クマ」

 

 人懐っこくかけられた声に、信じられないと思わず振り返った二人が呻く様に、そのプレイヤーの名前を口にする。

 

「「サ……、サーキー……」」

 

 二人が驚きの目で見つめる視線の先には、憑き物の落ちた様な爽やかな笑顔で自分達を見るサーキーの姿が有った。

 

 足取りの重いエビチャンとクマを、半ば強引に店内に連れ込んだサーキーは、チャージしていた店の奥の、角のボックス席に二人を座らせると、上機嫌で酒を勧める。二人は戸惑いながらも一口つけると、目下のところの最大の疑問を口にした。

 

「なぁサーキー、お前どうやって……」

 

 主街区に入れたんだ? それが二人の疑問だった、通常ならオレンジプレイヤーは安全な圏内には入れない、それがSAOで犯罪を犯した者に対する懲罰なのだ。もし入ろうとすると、捕吏NPCに捕らえられ、黒鉄宮の監獄エリアに連行され、ゲームが終了するまで収監の身となるのだ。十三層で別れた時、サーキーはヒョウに斬りかかり、自らのカーソルをオレンジに変えたのだが、今、目の前にいるサーキーのカーソルはグリーンだった。どうして……

 

「カルマ解消クエストだよ。それよかさ、俺、ギルドに入ったんだ。すっげーいいギルドだからさ、お前達にも声かけようって思ってさ……」

 

 サーキー曰く、オレンジプレイヤーになって、最初は自暴自棄になって、憂さ晴らしに好き放題やったけど、どうしようも無くなって途方にくれていた時、親切な三人パーティーのプレイヤーと出会い、諭されたとのこと。そのプレイヤー達はオレンジプレイヤーに堕ちた自分の為に、一緒にカルマ解消クエストを受けてくれるほど親切な人達で、その縁で今は彼等の経営するギルドに参加させてもらっているとのこと。それらの事を、上機嫌で一気に話すと、グラスをあおる。

 

「ぷはーっ、うめぇー。流石高級店だな、いい酒揃えてるぜ。ほら、お前達も飲めよ、再会を祝して乾杯しようぜ。俺の奢りだからよ、遠慮するなって」

「う……、うん」

「ああ……」

 

 サーキーに勧められるまま、ぎこちなくグラスを手に取りエビチャンとクマは口をつけたが、二人には味が分かる余裕がなかった。二人はサーキーの態度に言い知れぬ不安を感じていた、何故なら二人はリアルからの付き合いがある。二人は同じ中学でつるんでいた時から、サーキーは敵対者に容赦が無いことを知っていた。敵対者に対し、時には二人が引くくらいのえげつない嫌がらせやいじめを平気で行うサーキーが、十三層で見捨てた俺達を許すはずがないとエビチャンとクマは思っていた。しかし、目の前のサーキーは二人の疑念とは裏腹に、終始上機嫌で接してくる。この態度に言い知れぬ不気味さを感じたエビチャンとクマは、早めにこの場を立ち去るべく、あたふたと言い訳を口にする。

 

「そうか、サーキーも苦労したんだな。実は俺達もさ……」

「あの後エギルさんの世話になって、商人の修行中なんだ」

「今日もこれから仕入れの狩りに行く予定なんだ、悪いけど俺達はこれで」

「またメールくれよ、じゃあな」

 

 そそくさと席を立った二人だったが、サーキーは二人の背後に回り、肩を組む様に両腕をかける。

 

「そっか、よし、じゃあ俺も手伝うよ。何層なんだ?」

 

 人の良い笑顔でそう告げるサーキーにとって、二人の手伝いをするのはもう確定事項の様だ、エビチャンとクマは心の中で渋面を浮かべ、顔を見合わせた。

 

 そうして三人が連れ立ってやって来たのは、十五層の攻略フィールドにある果樹林だった。そこで蜂型のモンスターを大量に狩っていた、目的は二つあり、いずれもドロップアイテム狙いである。一つは細剣の強化アイテムになる蜂の針で、もう一つは食材アイテムの蜂蜜だ。どちらも納入先は四層の島にある保育園兼孤児院経営者のツウである。ツウは二人の更正を喜び、エギルを通じて日常の消耗品を発注していたのだ。二人も元々はリアルで憧れを抱いた相手である、確かにリアルでしでかした事の負い目も有ったが、頼られて悪い気はしない。リアルでの事をおくびにも出さないツウの気遣いにほだされ、二人は人に頼られる喜びを知り、いつしかひねくれていた心と決別するまでになっていた。夢中で狩りをするうちに、エビチャンとクマはサーキーに対する警戒心を徐々にといていく。

 

「ほらエビチャン、スイッチだ、ラス頼む」

「サンキュー、サーキー。やぁっ!」

 

 以前一緒に行動していた時は、初撃とラストアタックにこだわり、面倒な中間戦闘を忌避して二人に押し付けていたサーキーが、積極的に中間戦闘を買って出て、ラストアタックを二人に譲る姿に、エビチャンとクマはすっかり気を許していた。

 

「よし、次はクマな、スイッチ」

「よぉし、そりゃあ!」

 

 モンスターを次々と倒していくエビチャンとクマは、サーキーの立ち回りに内心舌を巻いていた。サーキーはモンスターとの相性に応じ、実に器用に武器を使い分け、有利に戦闘を進めている。これは十三層以後、何度かパーティーを組んだヒョウと同等の安心感のある戦闘だった。ヒョウとパーティーを組んだ時は、ヒョウの圧倒的強さに、驚くだけだったが、今目の前にいるサーキーは、自分達の強さを引き出してくれる、そんな立ち回りだった。

 この違いはヒョウとサーキーが、SAOで今まで過ごしてきた環境の違いによるものだ。ヒョウはリアルで身につけた祝心眼流剣術を十全に活かす為に、武器を選びパラメーターを上げてきたが、途中オレンジプレイヤーになったサーキーは違った。彼はオレンジプレイヤーになったが為に、武器を選ぶ事は出来なかった。他のプレイヤーから奪い、モンスタードロップを拾いして、様々な武器を手にするうちに、全ての武器を高いレベルで使いこなせる様になっていた。そして、使う武器を絞れなかった事で、アジリティにやや重点を置くも、全てのパラメーターをまんべんなく上げたオールラウンダーとして成長させていた。

 そんなサーキーの能力は、攻略組と比べると器用貧乏なレベルだが、ボリュームゾーンのプレイヤーからすれば、脅威の能力である。何よりヒョウほど隔絶したレベル差の無いサーキーは、手を伸ばせば届きそうな身近さで、親しみの持てるリーダー格の強さだった。三人の時はは狩りを進めるうちに、SAOに囚われる以前の、リアルの中学校での、バカをやって楽しんでいる楽しかったあの時間に戻っていた。

 

「なぁ、どうよ、さっきのギルドの話。ヘッドにはもう話つけてるからよ、入ろうぜ、絶対損しねえから、また三人で……」

 

 果樹林の奥へ分け入って、獲物を探しながらサーキーは、酒場で二人に誘ったギルドの話を蒸し返す。しかし……

 

「折角誘ってくれて嬉しいんだけど、サーキー……」

「俺達、もうエギルさんの商業ギルドに入ってて、悪い……」

 

 すまなそうにそう切り出した二人に、サーキーは唇を歪める。

 

「それよかさ、サーキー、ヒョウに謝った方が良いよ」

「俺達、話通しておくからさ、謝ろうぜ、な」

 

 エビチャンもクマも、十三層でもう夢見る頃を過ぎていた。二人はこのデスゲームを乗り切る為に、もう地に足を着けていた。今どれだけ楽しい時を共有したとしても、二人はもう現実から目を逸らす事はなかった。

 

「そうか、二人とも、俺がこんなに誘ってもダメなんか?」

 

 凶相を歪ませるサーキーに、エビチャンもクマも必死で頭を下げて、理解を得ようとした。

 

「頼むよ、サーキー、わかってくれよ」

「そうか、なら、仕方ないな。無理に誘って悪かった」

 

 意外にも、明るい返答をしたサーキーに、二人はホッとして顔を上げると、信じられない光景を目にして息を飲む。二人が目にしたものは、口調とは裏腹に、凶悪な笑みを浮かべ、片手剣を手にしたサーキーだった。そしてその片手剣は、エビチャンの胸に深々と突き刺さっていた。

 

「!?」

 

 視界が真っ赤に変化して、急速に失われる自分のHPバーを見ながら、エビチャンはサーキーに力無く手を伸ばした。

 

「サ、サーキー……」

 

 目の前でポリゴンの欠片と消えたエビチャンを見て、クマは肝を潰して腰を抜かした。そしてエビチャンを殺めた片手剣を一舐めし、狂気の炎を灯して見下ろすサーキーの瞳を見て、震えながら後ずさる。怯えるクマを、サーキーはくつくつと笑いながら、なぶる様な口調で話しながらゆっくりと追い詰めていく。

 

「あ~あ、折角誘ってやったのによ、バカな奴」

「や、止めろ、止めてくれ!」

 

 怯えきったクマの瞳を見ながら、サーキーは十八層奥での屈辱と、その後の出会いの事を思い出していた。

 

 へへっ、力が湧き上がってくるぜ、ヘッドの言う事は本当だった。

 

 

 

 サーキーが運命の出会いを果たしたのは、あの十八層奥での事件の直ぐ後だった。

 

「……殺す、殺してやる、祝屋……」

 

 四肢を斬り飛ばされ、十八層奥の安全地帯を芋虫の様に這いずるサーキーを、たまたま見止めた三人組がいた。三人は皆同じようなボロボロのポンチョを身に纏い、目深に被ったフードの下に、仮面を着けた顔を隠していた。

 

「ヘッドォ~、こんな所に芋虫がいるぜぇ~」

 

 一人がそう言って、這いずるサーキーを面白そうに足でいたぶる。

 

「ねぇヘッド、俺、実験したいんだけど良いかなぁ~」

「どんな実験だ?」

 

 メンヘラ口調でサーキーをいたぶる男に、ヘッドと呼ばれた男が落ち着いた口調で答える。すると、メンヘラ男はゲラゲラ笑いながらこう答えた。

 

「この芋虫さぁ、どこまで刻んだらくたばるかなぁ~? ひょっとして、首だけになっても生きてたりして」

 

 この言葉にヘッドと呼ばれた男も、もう一人の男も顔をしかめる。ねぇ~、いいだろうとせがむメンヘラ男が、足でなぶるサーキーの目を見たヘッドと呼ばれた男は興味深い物を感じ、懐から異常状態解除のポーションを取り出した。

 

「もうその位にしておけ、こいつは俺が預かる」

 

 え~、こんな奴殺しちゃおうぜ~、ヘッドォ~。と、食い下がるメンヘラ男を無視して、ヘッドと呼ばれた男はサーキーにポーションを咥えさせる。

 

「おい、そんなにその男が憎いか? なら良い事を教えてやる」

 

 ヘッドはサーキーの耳に口を寄せ、囁く様にそう言った。そして続けられた言葉は、サーキーにとって天啓の様な言葉だった。

 

「お前はソイツよりもずっと強くなれる、お前をこんな目に合わせた奴は確かに強いかも知れないがヘタレだ。何故ならお前を殺せたのに、殺してないじゃないか、何故だ?」

「!?」

 

 サーキーは食い入る様にヘッドの目を覗き込む、ヘッドはそのサーキーの目を「良い目だ」と褒めると、言葉を続ける。

 

「人を殺すのが怖いのさ、でもお前は違うだろう。お前をこんな目に合わせた奴を本気で殺そうと思っている。殺しても構わないと思っている、ならお前はソイツよりも強くなれる」

「祝屋よりも……、強く……」

 

 呻く様にそう言ったサーキーに、ヘッドは大きく頷く。

 

「そうだ、お前は殺せるからだ、殺せばお前はソイツよりも強くなれる」

「人を……、殺せば……」

「そうだ、ソイツは人を殺せないヘタレだ、お前は殺せる漢だ。殺せ、殺せ、お前を馬鹿にした奴を殺せ、お前を裏切った奴を殺せ、殺して、殺して、殺すんだ」

「殺す……、殺せば良いのか?」

「そうだ、殺せば殺す程お前は強くなる、そして最後に、ソイツを……」

「祝屋を……殺す。俺が……祝屋を……殺す」

 

 含み笑いを浮かべるヘッドの言葉に、サーキーの精神は、ほの暗い闇に沈んで行った。どこまでも、どこまでも……

 

 

 

「ぎゃはははは、ぎゃーっはっはっは」

 

 狂気の高笑いをしながら、自らの手でクマをポリゴンの欠片にして逝かせたサーキーは、人の命を左右できる全能感と絶対強者になった満足感に酔いしれる。そして憎い男の顔を思い浮かべると、目尻を痙攣させながら凶相を歪ませた。

 

 これで俺は強くなった、もっともっと強くなってやる、そして最後に……

 

「殺してやるぜぇ、祝屋ァ」

 

 

 人気の無い果樹林に、狂気の高笑いが木霊した。




次回、第十九話 サムライプレイヤー


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十九話 サムライプレイヤー

 第三十二層攻略会議は大荒れに荒れていた。

 

 三十二層では、二十五層以来初めて血盟騎士団以外の攻略ギルドが最初に迷宮区を突破し、ボス部屋を発見していた。そのギルドはこれまでのボス戦での慣例に従い、攻略会議のホストとなり攻略レイドのリーダーを務める事となる。そして彼等は主導する攻略会議において、他のギルドのプレイヤーが耳を疑う様な発言を、開口一番極めて大真面目に述べていた。これが攻略会議が大荒れになった理由である、その内容とは……

 

「今回の攻略では、ヒョウの参加を認めない」

 

 というものだった。発言の主は青龍連合である。彼等は二十五層攻略でのヒョウの行動、ボス部屋前でのドタキャンを問題化して、信用出来ない者を参加させる訳にはいかないと強硬に主張していた。青龍連合以外の攻略メンバーは、ざわつくも、全員がそれに反対する。意外にもこの時最も激しくそれに反対したのは、その時二十五層ボス部屋前で、ヒョウに首筋に刀を突き付けられた血盟騎士団団長、ヒースクリフその人だった。彼は二十五層において、ヒョウが欠けたからこそあの被害だった、彼がいればあそこまでの被害は出なかっただろうと主張してヒョウを擁護する。

 ならば、あの時のボス戦で、我等の精神的主導者、リンドが死んだのはヒョウの責任であるとし、リンドの仇などとは尚更レイドを組めないと論点をすり替え、居直りだした。それに対してヒースクリフは、それは彼がいなくとも攻略は可能と、中止しなかった我々血盟騎士団にも落ち度がある、ならば今回以降は青龍連合がボス戦を主導する時は、我々血盟騎士団も参加を自粛しよう、と、発言。会議は荒れに荒れた。

 

「ボス部屋前のドタキャンを問題にするなら、何で俺はOKなんだ……?」

 

 紛糾する攻略会議で、キリトはそうボソリと呟くというには些か大きすぎる声で発言した。その目には生気が無く、投げ遣りな口調だったが、根底には何かに対する大きな怒りが感じられ、その場の全ての人間を黙らせた。

 

「俺もドタキャンしたんだぜ、リンドが死んだ責任は俺にだってあるだろう……、何でヒョウだけが責任を追及されるんだ?」

 

 キリトの言葉に、青龍連合はこう答えた、キリトの行動は義憤によるもので、いわば巻き込まれただけだ、責任は無い、と。

 

「ふん」

 

 青龍連合はキリトの実力をよく知っている、ヒョウを弾劾する以上、ボス戦を少しでも安全に戦いたいならば、キリトの力は欠かせない。そして血盟騎士団にアスナを取られた今、青龍連合はなんとしてもキリトを取り込んで、戦力の均衡化を図ろうともしていた。そのキリトにそう言われ、彼等は苦しすぎる言い訳をするが、キリトは鼻で嗤うだけだった。

 

 話が意図した方向とは別の方に向かいつつ有るのを感じ、青龍連合のメンバー、特に幹部連の中に動揺が走る。

 

 彼等の本音は二十五層の攻略にかこつけて、かつてヒョウに袖にされた事に対する意趣返しをする、これに尽きた。同様にヒースクリフも、ヒョウ抜きの二十五層伝説では物足りなさを感じており、同じ土俵で彼との差を万人に見せつけ、ギルドを越えた指導者の立場を確立しようと考えていた。全くをもって、不毛かつ不健全な議論であった。

 

 そんな勝手な思惑を、キリトが思いもよらない力業で叩き潰す。

 

「良いよ、お前達全員そこで見ていろよ、今回のボス戦は俺達二人でやるから」

 

 キリトはキリトで月夜の黒猫団を、サチを死なせてしまった事で、自分自身に対する怒りを持て余し、やり場の無い鬱憤を向けただけで、決して褒められた精神からの発言では無いが、この言葉にその場の全員が凍りついた。

 

「行こうぜ、ヒョウ」

「ああ、そうするか」

 

 腰を上げて、会議場から立ち去ろうとする二人を、鋭く呼び止める声が有った。

 

「駄目よ、二人共待ちなさい」

 

 二人が振り返った先には、腰に両手を当てて、柳眉を吊り上げるアスナがいた。二人がこの時見たアスナは、血盟騎士団の攻略の鬼、氷の副団長アスナではなく、パーティーを組んでいた時、暴走気味の二人を制止する、お小言アスナその人だった。その姿に、ヒョウは心の中で苦笑する。

 

「あの時の攻略リーダーは私です。ならば、二人のドタキャンを認めた私にも責任が、いえ、最も責任があります」

「アスナ……」

 

 意を決してアスナが次の言葉を続けようとした時、これ以上議論を続けると、この場の空気だけではなく、今後の攻略に大きな影を落とす、そう判断した男が口を挟む。

 

「ちょっと発言いいか?」

 

 会議場にバリトンの美声を響かせ、挙手をしたのは禿頭の巨人エギルだった。

 

「ごちゃごちゃ話してても平行線なんだ、なら」

 

 エギルは愛嬌のある目付きでギョロりと全員を見回すと、茶目っ気たっぷりの笑顔で提案する。

 

「四の五の言ってねぇで、デュエルで決着つけねえか?」

 

 この発言に、少数派攻略メンバーは歓声を上げる。特に同じような危惧をしていた野武士顔の男、クラインは口笛を吹いて賛成した。

 

「そうだそうだ、やれやれ! デュエルだデュエルだ!」

 

 突然降って湧いた喧騒に、この場の険悪なムードが、お祭り騒ぎに書き換えられる。

 

「ようし、そうと決まればチャッチャとやっちまおうぜ。こっちはヒョウっちで良いんだな」

「当事者だからな」

「よーし、よーし。おーい、青龍連合さんよ、そっちは誰がやるんだ?」

「俺がやる」

 

 取り仕切るクラインに応じたのは、がっちりした体格の長身の両手剣使いだった。何でもリアルでは有名な空手家だったらしい。空手には手刀という技が有り、また、武器を使う流派も有る、彼はそれがアドバンテージとなり、ドラゴンナイツ時代から、ギルドの指南役に就いていた男である。

 彼は日頃からキリト、アスナ、ヒョウの三大ダメージディーラー何するものぞと公言しており、事実今までの攻略では三人に次ぐ功績をあげていた。この人選からも、この時の青龍連合は、いかにヒョウに対して悪感情を抱いていたか理解ができる。

 

「良いな、デュエルは初撃決着モード、どっちが勝っても恨みっこなしで、この話はこれでおしまい、文句無いな」

「ああ」

「当然だ」

 

 最終確認するクラインに、ヒョウと指南役は頷いた。闘志を露に見下ろす指南役に、ヒョウは先日のクエスト『小人妖精の願い』で得たユニークスキルを試してみようと考えた。

 

 二人が距離を取って向かい合うと、カウントダウンのエフェクトが点滅を始める。向かい合う二人の姿勢は対照的だった、指南役はすぐにソードスキルを発動出来る様に剣を構えるが、ヒョウは刀を腰に差したまま、悠然と立っている。この姿に攻略プレイヤーがざわめき出す、特に刀使いのプレイヤーがなにやらヒソヒソと話を始めた。刀以外の武器を使うプレイヤーには、このヒョウの態度は傲岸不遜、又は今までの実績から頼もし気に捉えていたが、刀使い達は違った。刀使い達はヒョウの戦う様を見て、自分達の戦い方とは違う何かを感じていたのだ。彼等はヒョウが時折繰り出す、自分達の知らないソードスキルに疑問を持ち始めていた。始めはカタナスキルの習熟度によるものと考えていたが、ヒョウに次ぐ習熟度を持つと思われるクラインが、同じソードスキルを使う気配が無い。勿論ヒョウもユニークスキル『抜刀術』はツウとキリト以外には秘密にしており、何も知らない彼等は、カタナスキルには派生スキルが有るのではと疑い始めていた。このデュエルからヒョウの秘密を暴こうと、刀使い達が目を皿にして見守る中、カウントダウンが終了する。

 

 DUEL!!の文字がGo!!に切り替わり弾けて消える。その刹那、ソードスキルを放とうとした指南役だったが、ヒョウと目が合うと、一瞬身体が硬直してしまった。その一瞬のうちにヒョウは縮地で距離を詰め懐に飛び込むと、目にも止まらぬ抜き打ちで指南役の両手首を斬り落とす。茫然自失の指南役が呻く様にリザインと一言発して、デュエルの決着は着いた。

 

 初撃決着モードだからといって、初撃で決着がつく事は稀である。普通はその初撃を入れるのに何合か打ち合い、その後相手のHPの過半を奪わなければ決着はつかない。技の組み立て、タクティカルに勝る者は、時に下剋上を果たす事もあるこのモードで、呆気なく勝ったヒョウの力量に全員舌を巻いていた。そしてこのデュエルでソードスキルを一切使わなかったヒョウに対し、攻略メンバーは畏怖の念を新たにするのだった。

 

 ヒョウがこの時人知れず使ったユニークスキルは、『心の一方』という。これは目玉モンスターがよく使う、バインド系の異常状態をプレイヤースキルにしたもので、前述の通り『小人妖精の願い』でこのスキルを得ていたのだ。そのスキルがこのデュエルで高レベルプレイヤーに通用したことで自信を深めたヒョウは、翌日のボス戦では要所でこのスキルを効果的に使い、レイドは誰一人欠ける事無く、安全にクリアしたのだった。

 

 

 

「ただいま、コヅ姉」

「タケちゃん、おかえりなさい」

 

 三十三層のアクティベーションを人に任せ、攻略戦が終わるとすぐにヒョウは自宅へと帰って来た。ボス戦の時は、いつも気が気ではないツウは、ヒョウがゴンドラ船から降りると、彼の温もりを確かめる様に抱きしめ、胸に顔を埋める。顔を上げたツウにキスをすると、ヒョウは彼女と手を繋いで母屋へと向かって行った。

 

「留守中、変わった事は?」

「うーん」

 

 ヒョウが留守中の安否を確認すると、ツウは俯いて顔を曇らせる。ツウのその表情を見て、ヒョウはやっぱりなと思いながら母屋の扉を開けると、そこには子供達の世話をしながら、軽くこちらを睨むリズベットがいた。

 

「もう、子供の教育に悪いわよ、二人共」

「何言ってんだ、夫婦仲良く家庭円満、子供達の情操教育にこれ以上の物はないだろう、リズ」

「ハイハイ御馳走様」

 

 したり顔で答えるヒョウに悔しそうに一言返したリズベットは、視線を逸らすと「付け入る隙も無いんだから」と、誰にも聞き取れない様な小声で呟いた。ため息と一緒に小さな嫉妬を追い出すと、リズベットは表情を改めて向き直る。

 

「それよりヒョウ、アイツ等また来たわよ」

「やっぱりな、キバオウの奴にも困ったもんだ」

 

 メニュー操作をして装備を解除し、ラフな着流しスタイルに変えて、椅子に腰を落ち着けたヒョウは、げんなりとした表情を浮かべた。キバオウは二十五層攻略の後、始まりの街に落ち延びてから間もなく、この島を譲れと話を持ち掛け、ヒョウとツウを困らせている。

 

「アイツ等、アンタがボス戦に出てる時を見計らって押し掛けて来るのよ、女子供しか居ない時を狙って来るなんて、卑怯にも程があるわ」

 

 憤慨するリズベットを横目に、そろそろ何とかしなければと考えるヒョウだが、先日のデュエルの様な効果的な手立てを思い付けずにいた。渋面を浮かべるヒョウにお茶を出し、ツウはことさら明るい顔と口調で声をかける。

 

「大丈夫よ、タケちゃん、私がしっかり留守を守るから、タケちゃんは安心して攻略に行ってきて」

「うーん……」

 

 長年の付き合いで、それが作り笑顔である事を見抜いているヒョウは、笑顔を返した後、出されたお茶を一口啜ると、一言唸って黙り込む。

 

 これはもう、俺が乗り込んで直談判するしか無いな。でもキバオウ相手に、どこまで理屈が通じる事やら……

 

 それでもツウの笑顔を守るため、何とかするしか無いと覚悟を決め、ヒョウはツウの淹れた甘露で、苦々しい思いを嚥下するのであった。

 

 

 後日キバオウの指定した日、始まりの街の転移門を抜けたヒョウは、すっかり寂れてしまった街並みに気が重くなり、ため息をついてしまう。道行く人はパッと見二種類に大別される、軍支給の制服を着ている者が圧倒的に多く、それ以外の服装の者は道路の隅や路地裏で暗い表情を浮かべるか、肩身の狭い思いで俯き歩いている。

 日に日に酷くなっていく有り様に、ヒョウはこれから行うキバオウとの談判に不安を抱き始めていた。

 

 シンカーさんに夕べ、繋ぎのメール入れておいて良かったな、俺が一人ならキバオウの奴、後で幾らでもひっくり返しかねない。

 

 そんな事を思いながら、旧MTD本部、現アインクラッド解放軍総司令部へと一歩踏み出したヒョウだったが、軍のメンバーに取り囲まれて、足を止める事を余儀なくされた。始めはシンカーからの迎えの使いかと思ったヒョウだが、取り囲んだメンバーの顔を見てその考えを改める。気の弱い者が見たら、ある種の恐怖感を惹起するであろう、親愛感の欠片も感じない笑顔を浮かべ、威圧するように肩を揺すりながら取り囲む軍のメンバーを見て、ヒョウは心の中で盛大なため息をついた。

 

「おい、見ねぇ顔だな」

「だろうな、俺もアンタは初めて見るよ。そんな事よりどいてくれないか、通れないじゃないか」

 

 ヒョウを知らない軍のメンバーは、二十五層攻略以降に入団した新規メンバーなのだろう。彼等は年端もいかない少年のヒョウを完全に侮っていた、少し脅せば怯えて言いなりになると考えて絡んだのだが、意外にも反抗的な態度を取ったので、些か鼻白んだ。そして仲間内で顔を見合わせると、ゲラゲラと笑いだし、まるで面白い物を見る様な目でヒョウの顔をじろじろと舐め回す様に覗き込む。

 

「俺様達を知らねぇって、とんだ……」

「知ってるよ、解放軍の連中だろう。いいからとっととどいてくれないか」

 

 もったいつけた口調で話し始めた軍のメンバーの言葉を遮り、ヒョウは少し苛立った口調でそう言うと、相手は激昂してヒョウの肩を掴んだ。

 

「てめぇ、このガキ、俺達を軍のメンバーと知って舐めた口叩くとは、良い度胸じゃあねえか」

「大人しくしていれば怖い目に合わずに済んだのに、バカな奴だ。キサマは罰として、割り増し徴税だ!」

 

 軍のメンバーの言葉に目を剥くヒョウ。

 

「徴税だと? 何の?」

「そんなのは決まっている、転移門使用税だ」

 

 驚くヒョウに、軍のメンバーは勝ち誇った顔でそう言った。

 

「そんなバカな話があるか! シンカーさんがそんな事を認める筈は無いだろう!」

 

 ヒョウが一人の軍メンバーの胸ぐらを掴んで問い質す。すると、他の仲間が背後からヒョウを羽交い締めにして引き剥がす。

 

「シンカーだと、あんな名目リーダーなんか関係ねーよ」

「俺達はキバオウさん直属の徴税部隊さ、俺達を舐めるのはキバオウさんを舐めたってー事だからな」

「徴税だと!? 何でキバオウがそんな事をする!? そもそも誰がお前達の統治権を認めた!?」

「生意気なんだよ!!」

 

 声を荒らげ振りほどこうともがくヒョウの鳩尾に、胸ぐらを捕まれていた軍メンバーが拳をめり込ませた。

 

「認めるも認めないもねえんだよ! ここでは力が正義なんだ」

「そうそう、てめえ知らねーだろう。俺達の尊敬するキバオウさんはな、攻略の最前線で命をはるスゲーお人なんだぜ」

 

 軍メンバー達はそう言ってヒョウの頭を小突き回した。

 

「そうか、力が正義なのか……、なら文句は無いな!」

 

 くつくつと笑いながら軍メンバーの言質を取ったヒョウは、羽交い締めにする軍メンバーを投げ飛ばし、地面に叩きつけた。

 

「てめえっ! 何をする!」

 

 血相を変えた軍メンバーが、ヒョウに向かってそう声を荒らげたつもりだったが、肝心のヒョウは彼等の視線の先には居なかった。

 

「何っ!? アイツ何処へ行った!?」

「糞! 逃げ足の速い奴め!」

 

 血走った目で辺りを見回す軍メンバー、その中の一人が不意にトントンと肩を叩かれ、反射的に振り向くが頬に棒状の物が当たり、その動きは中断させられる。

 

「ここに居るよ」

 

 その声に虚を突かれた軍メンバーが慌てて振り返ると、一人の軍メンバーの肩の上に手をおいて、人差し指を伸ばしているヒョウの姿を発見した。

 

「キサマ! ふざけやがって!! もう許さねぇ!!」

 

 ヒョウに頬を突かれた軍メンバーが、そう叫んで大型の両手剣を構える。怒りに顔を歪める軍メンバーに向かって、ヒョウは刀の鯉口に手をかけるながら、からかう様な口調で受け答える。

 

「どう許さないんだ? デュエルか?」

 

 相手になってやる。そう言葉を繋げようとしたヒョウだったが、軍メンバーの続く言葉に思わず拍子抜けしてしまった。

 

「そんな面倒臭ェ事するかよ、ちっとばかり稽古に付き合って貰うだけさ」

 

 下卑た表情でニヤつくと、他のメンバーに目配せする。すると、全員が待ってましたとばかりに、各々の手に武器を装備する。

 

「久しぶりにやるか? 教育的指導」

「圏内戦闘の恐ろしさを、骨の髄まで叩き込んでやる」

「泣いて謝るまで何分持つかな」

 

 ヘラヘラ笑いながら、武器を構える軍メンバーに、ヒョウは心の中でため息をつきながらそっと同情した。コイツら、今の出来事でアジリティ、レベルの違いが理解出来ないのか? 心の中でシュミレートして、彼等の首を斬り落とした回数を数えながら、ヒョウはある事に考えが至る。

 

 そうか、コイツらこうして始まりの街に引きこもるプレイヤーを脅して、徴税という名目の恐喝をしていたのか? なら……

 

 虎の威を借る狐、いや、狐の威を借るドブネズミたるコイツらを徹底的に教育するのは、むしろシンカーさんの意に沿う行動だろう。こりゃ遠慮も手加減も要らないな。

 

 ヒョウは一瞬俯いて、自分の顔に浮かび上がった狂暴な笑みを隠すと、顔を上げて挑発的な視線で軍メンバーを睥睨し、その視線に劣らない挑発的な口調で問い質す。

 

「だから、どうやって俺を教育するんだい」

「こうするんだよ! みんな、かかれ!!」

「おう!」

 

 ヒョウの挑発に乗った軍メンバー達は、一斉にソードスキルで斬りかかる。しかし……

 

「!?」

 

 彼等全員の放った、渾身のソードスキルはヒョウの身体に触れる事無く、虚しく空を切って地面に叩きつけられた。

 

「何がしたいんだ? お前達。餅つきか?」

 

 軍メンバー達のソードスキルを見切ったヒョウは、余裕綽々の動きで一歩下がってそれを交わし、侮蔑の言葉を吐きつける。その人を食った態度に軍メンバー達はなお一層に腹を立て、頭に血を昇らせて手にした得物を振り回す。だが、彼等がどんなにムキになって武器を振り回し、ソードスキルをブッ放そうと、その刃はヒョウを捉える事は無かった。

 

「スロー過ぎて欠伸が出るぜ」

「くるくるくるくるとまぁ、扇風機か? お前ら」

 

 軍メンバー達の攻撃を大あくびをしながら最小限の動きで交わし、ヒョウは様々な悪態をついて挑発する。軍メンバー達はその態度にいきり立ち、通りかかる他の軍メンバーに声をかけて応援を要請した。声をかけられた者達は次々と加勢してヒョウを攻撃するが、何人増えても結果は同じである。散々ヒョウにあしらわれ、ついには疲れはてて攻撃の手を止めてしまった。

 

「なぁ、真面目にやってんの?」

 

 ヒョウの茶化す様な言葉に、攻め疲れて息の上がった軍メンバー達はぐうの音も出せず、悔しげに睨め上げるだけだった。やれやれといった面持ちでヒョウは首を左右に振って、独りごちる。

 

「お前達、鍛え方が足りねぇぞ。キバオウの奴、やる気有るのかな?」

 

 ため息をついて一人一人軍メンバー達の顔を見回すヒョウの瞳に、次第に嗜虐の色が浮かんでいく。そうしてくつくつと笑いながらヒョウは、腰の刀の鯉口に手をかけた。

 

「まぁいいや。さて諸君、そろそろペイバックタイムにしたいのだが、覚悟は良いかな?」

 

 くつくつと笑いながらそう言うと、ヒョウは刀の鯉口を切り右足を斜め前に半歩踏み出す、そして力をためる様に低い体勢で左腰を後ろに身体を捻り、いつでも刀を抜ける様に右手を柄にかける。すると、鯉口を切った刀の鞘から、ソードスキルのエフェクト光が迸り、辺りを照らした。

 

「快刀乱麻!!」

 

 目にも止まらぬ横凪ぎの一閃が、軍メンバー達を襲う。彼等は何が起こったのかもわからずに、息を詰まらせ身体をくの字に折って膝をつき崩れ落ちる。ソードスキル『快刀乱麻』は、リアルでヒョウこと祝屋猛を世に知らしめ、女性アスリートの心をギュッと掴んだ、あの動画の中で紹介された技である。一対一、多対一、攻撃、迎撃と使い勝手の良いこのソードスキルは、リアル同様にSAOの中でも得意としていた。動画の中で、一撃で十基の太巻き藁を同時に斬り倒した破壊力は、SAOの中でも忠実に再現されており、単発の範囲技の中では両手斧のソードスキルをも軽く凌駕する最強のソードスキルで、ボス戦で攻略組に畏怖される技だ。圏内戦闘は基本的にプレイヤーにダメージを負わせ、HPゲージを削る事はない。しかし、それでも強力な攻撃、ソードスキルを食らうと、軽いノックバックを起こしたり、スタンをしたりする。それを良い事に、ヒョウが全力全開で快刀乱麻をぶちかましたのだ、やられた方は堪ったものではない。

 

「なぁ、お前、俺を教育するんじゃ無かったのか?」

 

 抜き身を肩に担ぎ、ヒョウは最初に言い掛かりをつけてきた軍メンバーにゆっくりと歩み寄る。ヒョウと彼の間にいた他の軍メンバーは、ヒョウの瞳に宿る光を見て怖じ気づき、左右に後退り道を開けた。一歩一歩ゆっくりと確実に近づいてくるヒョウに、その男は恐慌し、言葉にならない悲鳴を上げて逃げ出そうとしたが、そうは問屋が卸さない。

 

「させるかよ」

 

 ぼそりと一言吐き出すと、ヒョウはカッと目を見開き、ユニークスキル心の一方を発動する。ヒョウに射すくめられた軍メンバーは、最初の威勢は何処へやら、恐怖に顔をひきつらせ、震える事すら出来ずに目を白黒させていた。そんな男の姿を見下ろして、ヒョウは刀を横凪ぎに一閃させる。

 

「良かったな、ここが圏外なら、お前の首は飛んでいるぞ」

「おっ、お助け……」

 

 許しを乞う男の言葉を無視し、ヒョウはソードスキル浮舟で彼の身体を高く浮かせると、落下地点に先回りしてソードスキル辻風を発動、着地前に斬りつけ地に叩きつける。

 

「ひ、ひいっ!!」

 

 頭を抱えて首をすくめてうずくまる男の襟首をムンズと掴み、無理矢理立たせてヒョウは迫る。

 

「さぁ、早く教育してくれよ」

 

 

 圏内戦闘はプレイヤーにダメージを与えない。どんなに攻撃をしても、受けた側のHPバーは一ドットも削られる事はない。その為、レベルの近い者同士、戦闘訓練によく利用されるが、レベルが隔絶しているとそうはいかない。絶対に敵わない相手の放つ刃の軌跡は、一閃一閃が恐怖となって蓄積し、確実に心を削り、折っていく。軍メンバー達はこうして第一層に引きこもるプレイヤー達の心を折り、徴税と称する恐喝を堂々と悪びれる事無く行っていたのだ。少なからず言葉を交わし、それを知ったヒョウは、感情の赴くままに男に刀を奮っていた。充分過ぎるほどの殺意をのせ、自分を斬り刻むヒョウの刀に、軍の男は完全に心を粉砕されていた。しかし、ヒョウの怒りの刃は男が倒れるのを許さず、勢いを増して振るわれている。それを周りの軍メンバー達は、恐怖に震えて見つめる事しか出来なかった。

 

「君達、何を騒いでいる!? 今すぐ止めなさい!」

 

 永遠とも思われる恐怖の時間から、軍メンバー達を救う声が転移門前広場に響き渡った。軍メンバー達は一斉に、自分達を救う声の方に歓喜の目をむけると、顔を強ばらせて絶句した。彼等の救い主は、日頃から侮蔑の念を隠そうともせずに、お飾りのギルドマスターと馬鹿にしてきたシンカーだったからだ。

 

「やぁ、シンカーさん」

「ヒョウ君、これは一体どうした事だい?」

 

 刀を鞘に納めると、ヒョウはいつもの穏やかな表情に改め、今までの経緯を話す。

 

「なんて事を……。君達、徴税については正式な決定事項ではないから、早まった行動は慎む様にと通達しただろう」

 

 忌々しげに俯いて、シンカーの言葉を聞いている軍メンバー達に、ヒョウは逆境にあってもぶれない彼の態度に安堵し、敬意を新たにする。

 

「しかしまぁ、アインクラッド最強のサムライプレイヤーに喧嘩を売るなんて……。一人位顔を知っている人間は居なかったのかな、コーバッツ大尉? でなくとも君は止める立場の人間だろう」

 

 悔しそうにこめかみをひくつかせ、コーバッツ大尉と呼ばれた男はシンカーから視線を反らす。その様子を見てシンカーは、ため息をついてヒョウに向き直る。

 

「済まなかったね、ヒョウ君。まあ、彼らには良い薬だったよ」

「いえ、いいんです。それよりシンカーさん、キバオウは?」

 

 小さく首を左右に振ると、ヒョウは今日の目的について切り出すと、シンカーは表情を曇らせ、心の底から済まなそうに口を開いた。

 

「済まない、ヒョウ君。今、彼はここにはいない……」

「なっ、どうして!?」

 

 今日を指定したのはキバオウじゃないか!?

 

「今朝がた早く、狩場の偵察に出掛けた攻略部隊から救援要請が有って、予備部隊を率いて出撃したよ」

「はぁああああ」

 

 何処まで本当やら……

 

 苦い表情で天を仰いだヒョウは、ここ数回の攻略会議を思い出す。二十五層以降も数回は、一定数の人数を率いて参加していたキバオウだったが、規模は増えても攻略ギルドとしては実質的に弱体化した解放軍の実力では、どう足掻いてもかつての様に会議をリードする事は叶う筈も無く、終始不機嫌面を浮かべていた。それが原因かは本人にしか分からないが、ここ数回は連絡員と称する人間を一人寄越すだけで、本人が足を運ぶ事は無くなっている。

 よくも悪くも攻略をリードしていたキバオウの心は、既に折れてしまったのだと、ヒョウはこの時理解した。

 

「分かりました、シンカーさん」

 

 寂しそうな瞳で踵を返し、ヒョウは転移門へと歩き出した。その背中にシンカーがすがる様に声をかける。

 

「ヒョウ君、島の件は私が何とかする……」

 

 シンカーの言葉に、ヒョウは無理だなと即断する。二十五層迄とはいえ、キバオウは攻略の主導権を握る為、丁々発止の腹の探り合いをしてきたのだ、善人過ぎるシンカーではキバオウは荷が重すぎる。いたずらにキバオウと内部抗争をさせ、シンカーの立場を危うくさせるよりは、立場を守って軍内部の良心を維持させる方が賢明だろう。

 

「いえ、その件はもう大丈夫です」

 

 そうだ、戦う事を諦めたキバオウに、俺達の島を奪う事は絶対に出来ない、何故ならコヅ姉は戦っているからだ。確かにコヅ姉は戦闘は苦手だ、でも戦う方法はそれだけではないのだ、彼女は茅場晶彦の思惑に対して真っ向勝負で戦っているのだ。そんなコヅ姉を相手に心の折れたキバオウなど敵う筈がない、そして俺がそのコヅ姉を守っているのだから。

 

「キバオウに伝言をお願いします、腑抜けたお前に俺達の家は奪えないと」

「!?」

 

 絶句するシンカー。

 

 ヒョウは転移門の前で振り返ると、いまだに腰を抜かしたままの軍メンバー達を、まるで汚物を見るような目で睥睨する。

 

「こんなヘタレの猿山の大将で満足しているお前なんかに、俺達が屈する訳が無いと、そうお伝え下さい。じゃあ、これで」

 

 そう言い残すと、ヒョウは転移門をくぐって消えて行った。この時ヒョウは解放軍のキバオウ派から明確に敵として認知され、その空気を感じ取ったシンカーは、無力感に胸を焦がしながら、いつまでもヒョウの去った転移門を見つめていた。

 

 この日からヒョウは、ボス戦への参加を控える事となる。憎きサムライプレイヤーから島を徴発する為、姑息な手段で戦いを挑むキバオウ一派の奸計から、愛する者の全てを守る為に……




次回 第二十話 赤鼻の馴鹿


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十話 赤鼻の馴鹿

 二千二十三年十二月二十日 アインクラッド 第四層 希望の小島 夕鶴保育園

 

 

 ♪真っ赤なお鼻の トナカイさんは

  いつもみんなの 笑い者

  だけどその年の クリスマスの日

  サンタのおじさんは 言いました……

 

 ツウとヒョウの経営する保育園では、只今クリスマスに向けての準備に余念が無い。クリスマスソングを歌いながら、子供達と一緒にツリーの飾り付けをするツウを、ゴンドラ船に電飾を施しながらヒョウは微笑んで見つめていた。

 

「必ず守るからね、コヅ姉」

 

 ヒョウはそう一言呟くと、メニューウィンドウを操作して、フレンドリスト開く。そしてスクロールをすると、他のフレンド達とは異なり、文字の表示がグレーで表記されている人物名が有った。

 

 Sachi

 

 ヒョウはその文字を苦い思いで、暫し見つめていた。

 

「タケちゃーん」

 

 笑顔で手を振るツウの声に現実に戻ったヒョウは、手早くメニューウィンドウを仕舞うと、表情を笑顔に改めて手を振り返す。

 

「タケちゃーん、お昼にしましょーう」

 

 手をメガホンにして叫ぶツウの姿に、ヒョウは誓いを新たにする。

 

 コヅ姉だけは絶対に守り抜く、俺はもうこれ以上、コヅ姉を傷つけたり悲しませたりはしない……

 

 

 

 

 二千二十二年十一月六日に、このSAO世界に一万名の人間が囚われてから一年余りが過ぎ、もうすぐ二度目のクリスマスがやって来る。

 

 一度目のクリスマスは、この仮想世界に囚われてから間もない時期で、プレイヤー達はとても浮かれ気分でこの日を過ごす事は出来なかった。しかし、人間というものは逞しい生き物で、生存中のプレイヤーの殆どがこの仮想世界という現実を受け入れ、一年余りでそこでの日常を謳歌するまでになっていた。

 彼等の中には、決してリアルでは体験出来なかった冒険を、心行くまで楽しんでいる豪の者さえいる。彼等はリアルではモニター越しのゲームプレイに隔下掻痒の思いを抱いていた、所謂ネットゲーム廃人という人物である。

 しかし、ナーヴギアのもたらす仮想空間に魅せられた者は、彼等廃人ゲーマーだけではない、そこに無限の可能性を見いだし、虜になったユーザーも多数存在する。彼等の人種構成はまさしく雑多であり、生活の中で普通にゲーム機に接触し、話題作の販売時にのみ休日徹夜をする程度の、そこそこハマった人間から、コンピューターゲームには全く興味の無い人間までピンからキリまで存在する、人工比率からも分母の大きい彼等の方が、むしろ廃人プレイヤーよりも多いのは自明の理であろう。

 

 そんな廃人ゲーマー以外の人達が、このSAO世界でリアルと変わらない日常を送れるまでに精神の余裕を取り戻した要素は、時間以外にも三つの要素が有る。

 

 一つは攻略の進行だ。ゲーム開始当時は、第一層を突破するのに一ヶ月という時間を費やし、二千人の命を必要とした、その事実にプレイヤーのほぼ全員は希望よりも先に戦慄を抱いてしまった。このペースで攻略が進むのならば百層クリア迄に百ヶ月、つまり八年以上の時間と二十万人の命が必要となる、とてもではないが不可能だ、と。一層クリアという華やかな希望の裏に、実はそういった絶望も存在していたが、それを払拭したのはその十日後の事である。

 

 二層攻略成功

 

 そのニュースはアインクラッド全体に大きな福音となって駆け抜けた、そして三層攻略に費やした時間は一週間。これ以降のフロアボス攻略に要する時間は最短で一週間以内、最長でも二十日未満と、第一層攻略に費やした時間から大幅に短縮化して安定していった。プレイから一年過ぎた今、攻略の折り返し地点の五十層目前の四十九層に到達している。

 

 このままのペースで攻略が進めば、あと一年余りでゲームはクリアされ、現実世界への帰還は成る

 

 攻略組と呼ばれるトッププレイヤーの、文字通り命を張った攻略は、そのままボリュームゾーンプレイヤーの希望となっていた。

 

 もう一つは、シンカーの様な識者が、MMORPGに馴染みの浅いプレイヤー達を導き、このアインクラッドでの生活基盤を築く基礎知識を伝授したのも大きな要因である。シンカーは戸惑うプレイヤー達に手を差しのべ、自らの知識を惜しげもなく公開し、MMORPGでの立ち回り方を伝授していった。彼の伝えた概念で、SAOで初めてMMORPGに触れる初心者プレイヤー達に大きな福音となったのは、生産職、商業職といった概念である。

 MMORPG初心者の多くは、従来の家庭用ゲーム機に数多く存在するRPGを連想し、プレイヤーは皆危険を冒してモンスターと戦わなければならないと悲観していたが、シンカーのもたらした職業という概念でそれはある程度払拭された。モンスターとの戦闘は、無理せず身の丈に合った相手と戦えば良い、危険を冒す必要は無いのだという概念は、アインクラッドに囚われた大多数の一般人プレイヤー達の心を救っていたのだ。これは地味ではあるが、大金星と讃えられて良い功績である。

 

 そしてもう一つ、プレイ開始当初のアインクラッドには、フィールドに出て稼いだり経験値を上げたくとも、それが出来ないプレイヤーが存在し、彼等を安心してフィールドに送り出す環境をツウが作り出した事だ。フィールドに出てモンスターを倒し、経験値もコルも稼ぐ事が出来ないプレイヤー、それは家族でSAOのプレイを開始した子連れのプレイヤーである。両親が揃ってプレイしている者はともかく、片親と供にプレイを始めた親子の生活は悲惨を極めた。何故なら親達は子供を連れて危険なフィールドに出る訳にもいかず、さりとて託児所などこのアインクラッドの中に有る筈も無い。そんな理由で片親の子連れプレイヤー達は、ゲーム開始当初は極貧生活を強いられていた。そんな彼等は数少ないフィールドで稼ぐチャンスを手にすると、子供の為に無理な狩りをして命を落とし、アインクラッドの中に孤児を生み出す原因となっていた。その現実に直に触れたツウは彼等子連れプレイヤー達が安心してフィールドに通勤し、リアルと同様の日常生活を送る為の施設、保育園を開園して彼等の支援を開始した。

 茅場晶彦はきっと、アインクラッドに閉じ込められた全プレイヤーは皆、命懸けで眦吊り上げて攻略に勤しむと考えているのだろう。そう判断したツウは、全プレイヤーが攻略を放り投げ、外部からの救出を待ちながらリアル同様の日常生活を送るようになれば、我々の勝ちであると、筋が通っているようないない様な理屈で保育園兼孤児院を開設。この彼女の行動も、間違い無くプレイヤー達の心の安定に繋がっていった。

 

 こうした事実の積み重ねが、アインクラッドに住むプレイヤー達の心の余裕を取り戻し、今年のクリスマスを楽しむ迄に精神状態を回復していた。

 

 ボリュームゾーンのプレイヤー達が、クリスマスムードに浮かれるアインクラッドに、攻略組のトッププレイヤー達には激震と言っても良い程の衝撃的な情報が駆け抜けていた。それはとある噂話に端を発するものだった、しかし発信源と内容が、それを他愛ない噂と切り捨てる事を拒んでいた。

 内容はクリスマスイヴの二十四時、とある樅の巨木の下に、背教者ニコラスが現れる、彼を倒せば背負った袋の中に有る大量のアイテムを手に入れられる、というものだ。そしてその噂を伝えたのはNPCである、NPCは様々なクエストフラグにもなっている、その彼等が一斉に各層で口にし始めたのだ、これ以上の信憑性は無い。

 噂の流れ始めた頃は、ヒョウはこのクエストには余り関心が無かった。クエストの内容から、中規模以上の攻略ギルド向けのクエストだろうと判断していたからだ。ソロの自分には関係が無い。それならば、折角のクリスマスである、愛するツウと子供達と一緒に過ごす方が、よっぽど有意義である。そう判断しての行動だったが、NPCの口からアイテムの内訳の一部が知らされてから、ヒョウの考えは百八十度の転換を見せた。

 

 何でもそのアイテムの中には、死んだプレイヤーを一人だけ、蘇生するアイテムも有るらしい……

 

 その情報を手に入れたヒョウの心は色めき立つ。

 

 ヒョウには一人、出来うる事なら是が非でも蘇生したいプレイヤーがいる。その人物の名前はサチである、彼女は自分が萬護衛請負業を開始した時の最初の客の一人であり、そして短い間ではあったが、保育園の業務をサポートしてくれた恩人でもある。あの一週間を過ぎた後も、時々ツウはサチに連絡を取っており、スケジュールが合えば保育園の助っ人に来てもらったりと交流をしていたのだが、それは長くは続かなかった。ある日の宵の口、メールを出そうとフレンドリストを開いたツウが絶句してしまった、力無く座り込み小刻みに震えるツウに駆け寄り、介抱しようと肩を抱いたヒョウは同じように絶句して膝をついた。その時ヒョウの目の中にに入ったのは、グレーの文字でSachiと記されたツウのメニューウィンドウだった。

 

 あの時もっと強く引き留めておけば良かった。もっと強引にでも、保母としてここに残るよう勧誘するべきだった……

 

 そんな後悔を胸に、その夜ヒョウは泣き濡れるツウをずっと抱き締めていた。翌朝、気丈に気持ちを切り替え、いつもと変わらない笑顔で子供達と接するツウの姿に、ヒョウはやりきれない思いを抱くのだった。

 

 アインクラッドに囚われて以降、サチの死はヒョウにとって直接の責任では無いが、大き過ぎる痛恨の出来事である。時折悲しそうな表情を浮かべるツウを見ると、ヒョウはいたたまれない気持ちに支配されていた。しかし……

 

 この蘇生アイテムがあれば、あるいは!?

 

 しかし、焦る心とは裏腹に、ヒョウはこのクエストの情報集めに苦戦していた。蘇生アイテムは、どのギルドにとっても垂涎のアイテムであり、この情報集めは大規模ギルドが先行するのはやむを得ない事だった。さらにこの頃のヒョウは、軍キバオウ派から島を守る為、ボス戦に参加する事やフィールドでレベリングする事を控えていた。彼の目的はツウを守り抜いて現実世界に帰る事である、その為には、どんな事が有っても、そしてどんな相手からも負けないレベルを維持する必要が有る。ボス戦はともかく、自分自身のレベリングが出来ない事は、ヒョウ本来の目的からすると大きなジレンマである、加えて今回の蘇生アイテムの情報、それを得る為の行動が縛られる現実がヒョウのジレンマを拡大していた。そのヒョウをジレンマから解放したのが、ツウが見つけて来たクエストである。

 

『トナカイ解放戦線との和平交渉』

 

 という、仰々しい題名のクエストの内容はこうだ。サンタクロースのせいで毎年のクリスマスを家族団欒で過ごせない、元中東反政府ゲリラ傭兵部隊のトナカイ達が、今年こそはと反乱を決起。トナカイ達は自らを『トナカイ解放戦線』と名乗り、俺達にも家族と一緒のクリスマスを過ごす権利が有るとの声明を発し、サンタクロースに反旗を翻すと、一層に有る秘密のダンジョンに立て籠った。プレイヤーは彼等に対し、サンタクロースの橇を引かせるべく説得をする、というものだった。

 

 一瞬「なんじゃこりゃ?」と眉をひそめたヒョウだったが、重要なのは内容よりも、そのクエストの報酬である。それはサンタクロースからお礼に大量のコルとアイテムをプレゼントされ、そのプレゼントの中にはトナカイ達を唆した、背教者ニコラスが現れる樅の木の手がかりが含まれているらしい。その上自分が一層を闊歩する事は、キバオウ一派への牽制にもなる、そう考えてヒョウはクエストに挑むが、進捗は意気込みに比べ、芳しくなかった。

 

 一層のダンジョンと言えば、一つしか無い。攻略組を始め、始まりの街を飛び出したプレイヤー達が、一度はお世話になったあのダンジョンだ。

 

 そう考えたヒョウは、その日からダンジョンに通い、見落としや新たな隠し部屋を探したが一向に見つからない。行き詰まったヒョウを救ったのは、またしてもパートナーのツウである。彼女はそもそもクエストの文言が「秘密のダンジョン」となっている事に着目し、ヒョウのダンジョンの中に出来た異変場所説を否定すると、ベータ版で体験した疑問点の一つを口にした。

 

「そういえば……、黒鉄宮の中に、鍵のかかった扉が有ったわね……。秘密のダンジョンって、多分あそこじゃないかしら?」

 

 ツウはご存知の通り、ベータテストの時には『死に戻り』の二つ名を戴く程のプレイヤーである。誰よりも多く死に戻った彼女は、当然誰よりも多く黒鉄宮から戻った訳であり、それすなわち誰よりも黒鉄宮の内部に詳しいという事である。そのツウが言う事である、大いに有り得るとヒョウは黒鉄宮に入ると、彼女の示した場所に、目立たない扉を発見した。

 

「コヅ姉が言っていたのはここだな……」

 

 ゴクリと唾を飲んで、ヒョウはその扉をくぐり抜け中へと足を進めて行くと、ツウの予想通り、そこは新たなダンジョンだった。それも難易度的に一層ではあり得ない程高い、ハイレベルのダンジョンである。何しろ普通にポップして徘徊しているのが、第一層ボス戦に出て来た『ルインコボルト・センチネル』なのだから、このダンジョンの難易度が推して知れるというものだ。

 

 恐らくは上層攻略に応じて解放されるダンジョンなのだろう、だからこそこの難易度なのだ。

 

 そう当たりを着けたヒョウは片頬を上げる。

 

 このダンジョンはキバオウ一派を牽制しつつ、島を守りながら短時間でレベリングが可能な立地条件と難易度を持っている。今ヒョウが抱えるジレンマを一気に解消できる、理想の狩場の出現にヒョウの刀捌きは軽やかに冴え渡るのだった。そうしてヒョウが件のトナカイ達が立て籠るバリケードを発見したのは、十二月二十四日二十三時十五分である。殺気立つトナカイ達に、家族団欒で過ごしたい奴らが、何でこんな所に立て籠っているんだ? と心の中でツッコミを入れると、さて始めるかとヒョウは説得を開始した。説得といっても、そこはそれクエストである、当然言葉ではなく物理による説得であり、ソロで挑んだヒョウはトナカイ達が快く説得を受け入れる迄に、四十五分程の時間を費やした。間に合うか!? と急ぎ獲得アイテムをチェックするヒョウの目に、背教者ニコラスに至る転移結晶というアイテム名が飛び込む。即座にそれを実体化したヒョウは高く掲げ、オーブの中に消えて行った。

 

「……クッ」

 

 転移した先でヒョウが見た物は、半分程HPバーを削られた背教者ニコラスと、その足下で剣を取り落とし膝をついたキリトの姿だった。

 

「どうした! キリト! だらしないぞ!!」

 

 ニコラスがキリトの首めがけて振り下ろした斧を刀で受け止め、一喝するヒョウを生気の無い目で見上げたキリトは、剣を拾うとよろよろと緩慢な動きで立ち上げる。

 

「余計な事を……」

 

 力無くそう呟いたキリトは、幽鬼のようなその表情とは裏腹の、鬼気迫る勢いの攻撃を開始したのだった。

 

 

 

 ヒョウとキリトのHPバーがレッドゾーンに入ったのは、十三層ぶりの出来事だった。しかし二人はそんな事もお構い無しに、メニューウィンドウを開いて獲得アイテムをチェックしていた。

 

「チッ」

 

 ヒョウは目的のアイテムを見つけるも、説明文を読んで舌打ちすした。そしてそのアイテムを実体化すると、彼の目的もそれだろうとキリトに向かって投げ渡す。受け取ったキリトは、そのアイテムをクリックしてウィンドウを呼び出し、そこに書かれた内容に目を通すとガックリと膝を着いた。

 

「蘇生させたかったな……、サチさん……」

「!?」

 

 そうこぼしたヒョウの言葉を、キリトは聞き逃さなかった。雪の積もる地面に目を向けたまま、キリトはヒョウに抑揚の無い口調で問い質す。

 

「どうして……、お前がサチを知っている……」

 

 やや震える口調でそう聞いてきたキリトに、ヒョウは月夜の黒猫団との経緯を話し始めた。話しが進むうちに、キリトの肩がワナワナと震えていく。

 もっと強引にでも、サチさんを引き留めておけば良かったと、言葉を結んだ時、ヒョウは左の頬に衝撃を受けた。

 

「キサマが……、キサマがサチを! サチを!!」

 

 怒りに顔を歪め、キリトはヒョウを殴り倒すと、馬乗りになって拳を振るう。

 

「ヒョウ! キサマがサチを止めていたら、サチはあんなトラップで死んだりしなかったんだ! キサマが! キサマが!」

 

 ヒョウはキリトの拳を受けながら、サチとキリトの関係と彼女の最期に何があったのか、おおよその察しを着けた。

 

「そう言うキリトだって、側に居て守りきれなかったんだろう!? サチさんを!!」

 

 ヒョウは体を入れ替え、キリトに拳を振り下ろす。そして二人は激しく罵り合いながら、互いに激しく殴り合う。二人はサチの事を危惧しながらも、彼女を守れなかった自分自身を、今までずっと許せなかった。鬱屈するその想いが爆発し、相手の拳に自分自身の怒りを託し、自分自身に対して罰を与えていた。激しく、激しく……

 

 やがて朦朧となった二人の拳は的を外し、腕を絡める様に交差させると、縺れ合って倒れ込んだ。疲労困憊で大きく肩で息をしながら、大の字になって雪を降らせる空を見上げる。

 やがて先に息の整ったヒョウが立ち上がる。サチが、ジャスミンの母親が、守りたい救いたいと思った者は、喪われると二度とは還って来ないのだとの認識を改めて胸に刻み付けると、今最も守りたい者達の待つ場所へと意識を向けた。

 

 そうだ、明日は保育園でクリスマスイベントを開くんだ、コヅ姉も張り切っていたし、早く帰らなきゃ。こんな時、アバターは有り難いな、コヅ姉に喧嘩した事がバレない……

 

「待てよ、まだ終わってねぇよ」

 

 立ち去ろうとするヒョウの背中に向け、苦しげに上体を起こしたキリトが呻く、しかし……

 

「勝手な想いだけどさぁ、キリト」

 

 さっき迄罵り合い、激しく殴り合っていたとは思えない、いつもの気の置けない気安い友達口調でヒョウは言葉を返す。

 

「第一層の攻略から、ビーターを名乗った時から、俺はキリトをこう想っていたんだ、キリトは赤鼻のトナカイみたいだって」

「トナカイ……だと」

「ああ、サンタクロースだけじゃなく、アインクラッドに囚われた全プレイヤーの行く道を、そのピカピカの鼻で照らして導く赤鼻のトナカイさ」

 

 邪気の無い真っ直ぐな、憧れの視線をヒョウに向けられたキリトは、いたたまれない気持ちになり視線を反らす。

 

「勝手に言いやがって……、俺はそんな」

 

 人間じゃ無い。そう言おうとしたキリトの言葉をヒョウが遮る。

 

「サチさんだってきっとそうさ」

 

 その言葉に、キリトの頭に短い間だったが、濃密に刻み込まれた儚げなサチの面影がフラッシュバックする。困った顔、むくれた顔、不安げな顔、そして笑顔、その全てがキリトに対する全幅の信頼、希望に満たされていた。その面影が罪悪感を貫き、両手で顔を覆って膝を着くキリト。そんな彼にヒョウは追い討ちをするかの様な一言を投げかけた。

 

「なのにキリト、お前は何をやっている?」

 

 その一言を聞いたキリトは、拳を地面に打ち付けて咆哮する。

 

「うあああ……あああああああ!!」

 

 獣の様な叫び声をあげるキリトに背を向け、ヒョウは四層の島、ツウの待つ自宅へと足を進めて行った。

 

 

 翌日、何をどうしたら察知できるのか、ツウによって昨夜の出来事を感づかれ、洗いざらいを白状させられた上に大目玉を喰らったヒョウは、少し釈然としない思いを抱きながら、通いの子供達を迎えに主街区の船着き場にゴンドラを漕いでやって来た。

 船着き場には、既に何組かの親子連れがヒョウを待っていて、気持ちを切り替えたヒョウは笑顔で子供達を引き取り、親達にお気をつけてと会話を交わしていた。すると、一人の男の子が街路樹に向かって指を指して叫ぶ。

 

「あっ! キリト兄ちゃんだ!!」

 

 驚いてヒョウはその方向に目をやると、罰の悪そうな表情で佇むキリトの姿を認める。一緒にキリトの姿を認めた子供達は、我先にと駆け出してキリトを取り囲むと、口々に「キリト兄ちゃんも、一緒に遊ぼうよ」と言いながら、手を引き腰を押ししてヒョウのいる場所へと連れてきた。

 

「……よ、よう」

 

 罰の悪さに加えて気恥ずかしさの混じった複雑な表情を隠そうと、わざとらしくソッポを向きながらもキリトは横目で窺いながら、ヒョウに何とも言えない挨拶をする。

 

「ああ、おはよう」

 

 クスリと笑って挨拶を返すヒョウは、キリトのはにかんだ、そして憑き物の落ちた様な瞳に確信した。

 

「良い天気だな」

「絶好のクリスマス日和だね」

 

 キリトは帰って来たんだと。前よりも、もっともっと強くなって。

 

「で、だな、手伝って欲しいクエストが有るんだけど……」

「ああ、良いぜ。でも、見返りはたんまり貰うからな」

 

 探る様に聞いてきたキリトに、ヒョウは二つ返事で答える。

 

「ウッ……。せ、精神的なもので良いかな……」

「却下、キッチリ戴くぜ」

「イッ! なぁヒョウ、頼むよ……」

 

 うろたえるキリトに提示された見返りは、彼にとって願ったり叶ったりの内容だった。

 

「今日は一日園のクリスマスイベントの手伝いをする事、それからコヅ姉の手料理をちゃんと食べて帰る事、それでチャラ」

「なんだ、脅かすなよヒョウ。そう言うことなら御安い御用だ! よし、行こうぜ、ヒョウ!」

「ああ、頼りにしてるよ、キリト」

 

 ヒョウは腕をまくる仕草をしながらゴンドラ船に乗り込むキリトの背中に、心の中で声をかけた。

 

 

 

 

 お帰り、キリト




次回 第二十一話 包丁スキル


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十一話 包丁スキル

「お集まりの皆様、遂に我々はここまでたどり着きました」

 

 野戦指揮所といった趣のテントの中で、凛とした声を響かせているのは、第五十層攻略会議を主導する血盟騎士団副団長、攻略の鬼アスナである。集まった攻略組の面々は、ギルドの違いが有れど、皆一様に感慨深い表情で彼女の言葉に頷いている。ベータ版での攻略実績から半ば絶望感からの出発となった攻略も、ようやく半分の折り返し地点にたどり着いたのだ。ここまで長かった、あるいは短かった、個人個人に思いの差は有れど、それでもここまでやって来たのだという達成感は共通していた。壇上から参加者のその様子を確かめたアスナは、再び言葉を続ける。

 

「しかし、これで満足してはいけません。今後の攻略を磐石とする為にも、今回の攻略は今まで以上に万全を期す必要があります」

 

 アスナが言葉を切って見回すと、会議に参加する攻略組メンバーは、皆一様に緊張感を滾らせて彼女を見返す。

 

「その為に今回は、強力な助っ人に来てもらいました」

 

 そう言ってアスナは配下の団員に目配せすると、彼は頷いてテントの外に出ると、一人の黒ずくめのプレイヤーを先導して戻って来た。アスナは団員に一言「ご苦労様、下がって」と声をかけた、そして黒ずくめのプレイヤーに一瞬柔らかい表情を向けるが、直ぐにそれを改める。

 

「ヒョウ君、お願いね」

 

 ヒョウはその言葉に、ただ笑顔で答えるのみだった。

 

 そして翌日のボス戦、ヒョウはアスナの期待に応える様に、レイドの先頭を雄叫びをあげて駆け抜けて行った。

 

 

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽

 

 

 

「経緯は大体分かったわ。で、その上でもう一回聞きたいんだけど、アタシにこれで何を打てと?」

 

 眉間に皺を寄せて、リズベットは一端言葉を区切った。

 

 ここは四層の個人所有の島の保育園に併設された、鍛治職人専用の訓練工房である。

 リズベットは四十八層主街区に見つけた店舗物件を手に入れる為、ここしばらく大車輪でハンマーを奮っていた。昼間は主だった狩場の有る階層の主街区で露店を開き、狩りを終えたプレイヤーの武器メンテナンスに励み、夜は受注を受けた武器を製作する為に訓練工房に籠る毎日が続いている。受注を仕上げる為に、泊まり込みが続くのも半ば常態化しており、夜遅く迄ハンマーを奮っていたリズベットが、仮眠明けで露店営業に出掛けようとした所を、この島の名目上の持ち主に呼び止められ、人目を憚る様に回れ右をさせられて訓練工房に連れ込まれていた。真剣な眼差しの彼に、心浮きかけたリズベットだったが、開口一番発せられた男の言葉に、その心は木っ端微塵に爆砕された上に、名状し難い不快感を伴う疑問を抱かされて今に至る。

 

「だから、包丁なんだけど」

 

 何か不味いことでも言ったかなと、首を傾げながら答える男の天然ぶりに、ここ暫くの激務にやや気の立っていたリズベットの、精神の安全弁が吹き飛んだ。

 

「ちょっとアンタ! 今、自分が何言ってんのか分かっているの!? 言うに事欠いて武器屋のアタシに包丁を打てって、いくら材料持ち込みって言ってもそんなの無いでしょう!? それもその材料が、五十層ボス戦のラストアタックボーナスで出たヒヒイロカネですって!? それを言うに事欠いて包丁!? 打つんなら普通刀でしょう! カ・タ・ナ! ヒョウ! アンタ何考えてるの!? アタシを馬鹿にしてるの!? 返事によってはタダじゃおかないわよ!!」

「シッ! 声がデカいって、リズ」

 

 武具鍛治師としての誇りを傷つけられて憤慨するリズベットをなだめ、横目で外を窺うヒョウの視線の先には、保育園運動場にて、孤児達と一緒にラジオ体操に励むこの島の実質的な持ち主、ツウの姿が有った。

 

「もうすぐコヅ姉の誕生日なんだ、そのプレゼントに包丁を贈ろうと思って。俺の知る限り、リズ以上の鍛治職人は居ないんだ。頼むよ、この通り」

 

 平身低頭で手を合わせるヒョウに、毒気を抜かれたリズベットの怒気は雲散霧消し、代わりにただ甘いだけの、出来の悪いケーキを無理矢理大量に食べさせられた様な胃のもたれを感じた。

 

「あーあーハイハイ御馳走様ー。分かった分かった分かりましたー、誠心誠意打たせて頂きますー」

 

 死んだ魚の目をしたリズベットが、抑揚の無い投げ遣りな口調で快諾すると、ヒョウは喜色満面のガッツポーズで喜びを表す。

 

「やった! 有り難う、リズ! これでコヅ姉に最高のバースデープレゼントが贈れる」

 

 ヒョウの喜ぶ様を見て、リズベットはこの二人には付け入る隙が無いことを、しみじみと再確認した。

 

 あーあ、やっぱりダメね、お邪魔虫はもうおしまい。それにしてもツウって早生れなんだ、学年は私と一緒でも、年は私の方が上なんだ。よーし、決めた、これからはお姉さんとして、二人の仲を見守りましょう、うん、そうね、それが良いわ……

 

 そんな決心を固めたリズベットだったが、自分の内心を察そうとしないヒョウの一言で悪魔の顔が頭をもたげる。

 

「リズ、コヅ姉には内緒にして欲しいんだ、びっくりさせたいから」

「ええ、良いわよ。ただし、高くつくけどね」

「え"~っ」

 

 意趣返しが成功したリズベットは、この日を境に一層仕事に打ち込み、驚異的なスピードで目標金額の三百万コルをかき集める事に成功する。その内訳の中には、無期限無利子の、ヒョウによる融資が含まれているのは、言うまでもない。

 

 

 そんなこんなでツウの誕生日がやって来て、園を挙げての盛大な誕生日パーティーが開催される。そのフィナーレにヒョウからの誕生日プレゼントとしてSレアアイテムの包丁『若奥様の相棒』を贈られたツウは、天にも上る様な想いでそれを受け取った。

 

「アインクラッドに来てから、一番嬉しい贈り物。タケちゃん、有り難う」

 

 と言ってツウは、その次の日から包丁を眺めてはニヘラっと締まりの無い笑顔を浮かべていた。そして上機嫌でキッチンに立つツウの料理スキルの上昇速度は、後半に来て鈍る筈なのだが更に研きがかかる事となる。その恩恵はヒョウ及び園の子供達のみに留まらず、子供達の親達、ヒョウの顧客にまで及び、園の知名度を上げヒョウの顧客にもリピーター客が増えていく。更にはその口コミでヒョウの万護衛請け負い業には、ツウの夕食付きコースが設定され、一ヶ月以上の予約待ちが出る人気コースに成長する。これにより保育園開園時に危ぶまれていた資金面の懸念も、完全に払拭される事となった。

 

 ツウに胃袋を掴まれたのは彼等だけではない、攻略を離れているにも関わらず、その強さに些かの陰りも見えないヒョウに対し、友好的な関係を維持しておこうと考える攻略ギルドの面々も含まれていた。個人的な友人である、クライン率いる風林火山のメンバーは言うに及ばず、未だヒョウの加入を望むヒースクリフ率いる血盟騎士団のメンバーにも、じわじわとツウに胃袋を征された人間が増えつつある。

 

 

「おおっ、流石はツウさん、料理は絶品ですなぁ! わははははは」

「あら、ゴドフリーさんったら。皆さんも沢山召し上がって下さいね」

「「はい!」」

 

 ゴドフリーは初め、ヒースクリフがヒョウの入団に執着するのに反対していた。リアルでは無名中学校の弱小軟式野球部の監督を勤めていたゴドフリーは、五十層攻略時ヒョウに助っ人の依頼をするのにも、それよりは若手団員にチャンスを与えるべきだと主張して、最後の最後まで反対していたのだ。そして若手がヒョウに弾かれてチャンスを失うよりはと言って自らがボス戦から外れていた。

 ヒョウはボス戦参加の条件に、キバオウ一派からの島の護衛を依頼しており、その役目も「部下が嫌な思いをするなら」と、ゴドフリー自ら赴いてその任についていたが、そこで彼は宗旨替えをする事となる。

 園の子供達とふれあい、ヒョウとツウの想いに直に触れたゴドフリーは、己れの不明を恥じて悔い改める。そしてヒョウとツウが、リアルに残して来た自分の子供や生徒と同年代と知ると、その想いはさらに強化されて行く。

 

 護衛のお礼に授与された子供達手製の勲章と、料理スキルカンスト間近のツウの手料理に胃袋を鷲掴みにされて、ゴドフリーは陥落した。

 

 ゴドフリーは二人に対して血盟騎士団は全面的に協力する事を約束し、自ら連絡員として足しげく保育園に通い今に至る。血盟騎士団の重鎮たるゴドフリーは、その立場上、公務で単独行動をする事は許されない。必ず護衛の従者を連れて行動しなければならない決まりが血盟騎士団には有った。と、言うことは、ゴドフリーが園を訪れる時は、必ず従者も一緒に訪れると言うことであり、それ即ち彼等もツウの振る舞う食事を口にするという事である。結果として必然的に、従者達もツウに胃袋を捕まれる事となる。ゴドフリーの従者は平団員の人気職となっていた。そして島の護衛はボス戦参加よりも倍率の高い、隠れた人気任務となる。

 

 

「いやぁ、どうもどうも、しかしツウさん、一段と腕を上げた様ですなぁ」

「いやーん、分かります? 実はですねぇ、私の誕生日に、ウチの人が包丁を贈ってくれたんですよ」

「ほう、それならば納得ですなぁ」

「えへへへへへ」

「わははははは」

 

 こうしてゴドフリー始めとする血盟騎士団のメンバー達に、ツウが必殺のストマッククローを決めて華麗にギブアップを奪った事で、ヒョウはある程度安心して行動の自由を得ることができた。そのお陰でレベリングは元より、萬護衛請け負い業も滞りなくこなせる様になっていった。

 

「では、明日は我々に任せて、充分楽しんで来て下さい」

「はい、有り難うございます」

 

 胸を叩くゴドフリーに、ツウは頭を下げると、一緒に昼食をとっている子供達に声をかける。

 

「ほら、みんなもちゃんとお礼を言うのよ」

「はーい。ゴドフリーのおじさん、どうも有り難う」

 

 ツウに促された子供達は、声を揃えてゴドフリーにお礼を言う。ゴドフリーは子供達の満面の笑顔を受け、発端はどうあれ、この縁を結べた事に感謝し、最強ギルドに参加する意味と覚悟を再確認していた。そんなゴドフリーの宗旨替えがもたらした恩恵は、ヒョウの行動の自由の確保のみにとどまらない、無論ゴドフリーの好意に甘える事となるが、園を留守に出来る下地が完成した事でツウはかねてより望んでいた行動を実行に移す。

 

「遠足ですか、懐かしいですなぁ」

「はい」

 

 微笑んで見渡す二人の前には、翌日の遠足を楽しみにはしゃぐ子供達の姿が有った。翌日、約束通り早朝に部下と一緒に島にやって来て、ツウ達保育園の一行が遠足に出かけるのを見送ったゴドフリーに、訓練工房を利用する為に島に訪れたリズベットが聞く。

 

「あれ、ツウ達どこに行ったんです?」

「子供達を遠足に連れて行くそうですよ」

「遠足? 今日だっけ?」

「ええ、なんでも二十二層だそうで」

「キーッ、アタシも今こんなんじゃなかったら、一緒に行ってバカンス出来たのに、悔しー!!」

「仕方ありませんな、わははははは」

 

 ヒョウの漕ぐゴンドラ船を見送るゴドフリーとリズベットの背後で、不気味な笑みを浮かべて工房へ消えていく職人見習いの存在に気が付いた者は、誰一人いなかった。

 

 

 

「いよう、ヒョウっち」

 

 二十二層で子供達を引率するヒョウとツウを待っていたのは、クライン率いる風林火山のメンバーである。彼等もヒョウの手伝いをする様に、ツウの依頼を受けていた。子供達の護衛及び希望者のレベリング支援をするのが、彼等の目的だ。クライン始め風林火山のメンバーは、この依頼を快く引き受けていた、これはツウ手製の弁当にありつける事が理由の一つではあるが、純粋に子供達とふれあいをしたかったのも本音である。彼等も殺伐とした攻略を忘れる癒しを求めていたのだ。

 

「今日はどうもです、クライン」

「良いって事よ、ヒョウ。俺達の仲じゃねえか、なぁ、みんな」

 

 会釈をするヒョウに肩を組み、手荒く頭を撫でながらクラインがそう言うと、気の良い笑顔で風林火山のメンバーは頷く。

 

「もう、目上の人を呼び捨てにするなんて。失礼よ、タケちゃん」

 

 攻略組の信頼できるバディとして気安い口調でヒョウと言葉を交わすクライン、そして風林火山のメンバーが、背後からの咎める声に振り返り、その声の主を目にして息を飲んだ。

 ここ二十二層は通称『保養層』と言い、三つのリゾートから成り立っている。その構成は後にキリトとアスナが家を構えた湖畔と森林の別荘地を中心に、ウエスタンエリアという牧畜リゾートと、ビーチエリアというマリンスポーツリゾートが存在する。

 ツウが遠足に選んだのは、この内のビーチエリアであり、ヒョウは言うに及ばずクライン達風林火山のメンバーも、皆海パン一丁の出で立ちだ。と言うことは当然ツウも水着であり、それも白地に赤の縁取りのトップスと、可愛らしい赤のフリルのアンダーのビキニである。アインクラッドに囚われて、一年あまり禁欲生活を余儀なくされたクライン達に、彼女の姿は些かと言うには余りある程に刺激的過ぎた。

 

「今日は本当にありがとうございますクラインさん、風林火山の皆さん」

「い、いえっ、こここここちらこそ、今日はごっ、ごっ、ごっ、御招待いただきまして、まこっ、まこっ、誠に……」

「クライン、まずは落ち着く」

 

 大勢の園の子供達を引き連れてやって来たツウの艶姿に度肝を抜かれ、しどろもどろの噛み噛みで挨拶を返すクラインに、呆れた表情でツッコミを入れるヒョウに、ツウは再び眉をひそめる。

 

「タケちゃん!」

「ああ、いえ、怒らんで下さい、おツウさん」

 

 語気の強まったツウに、慌ててクラインは口を挟む。

 

「これは俺がヒョウに頼んでそうして貰ってるんです、気にせんで下さい」

「本当ですか?」

 

 なおも疑わしげに、ツウは風林火山のメンバー達を見回して確認をすると、彼等は大きく何度も頷いて肯定する。少しわざとらしく感じる程に大袈裟な挙動に半信半疑では有るが納得したツウは表情を柔らかく改め、クライン達に向かい深く頭を下げた。

 

「園の遠足に協力して頂き、本当に有り難うございます。美味しいお弁当も用意してきました、今日は一日、どうぞよろしくお願いします」

「ああっ、そんな、頭を上げて下さい、おツウさん。こんな事で良かったら、何時でも遠慮無く声をかけて下さい」

 

 鼻の下を思い切り伸ばし、締まらない笑顔で応えるクラインを指差し、一人の男の子が冷やかす様に声を上げる。

 

「あーっ、クラインのおじさん、エッチな顔してる」

 

 それを合図にしたように、子供達はクラインに向かって「エッチ! エッチ!」と囃し立てる、そんな子供達に向かい、ツウは「コラーっ、失礼な事言うんじゃありませーん」と制止するが、子供達は尚も声を高らかに囃し立てた。

 

「ぐぬぬぬぬ……」

 

 子供達のエッチコールに拳を握り締め、顔を真っ赤にして肩を震わせるクラインが一喝する。

 

「お前らぁ、俺はおじさんじゃねえ!」

「わぁっ、逃げろぉ~」

 

 蜘蛛の子を散らす様に逃げ出した子供達を追いかけ、クラインが手近にいた男の子二人を軽々と肩に担ぎ上げた。すると、それを見て羨んだ子供達がクラインに群がり、僕も私もとせがみ始める。我慢出来なくなった子供達は次々とクラインに飛び付きしがみつき、よじ登る、そして……

 

「おい、待てチビ共、いっぺんには無理だって、おわっ!」

 

 バランスを崩してよろけたクラインは、砂浜に仰向けに倒れてしまう。

 

「こら、みんな、いい加減にしなさい」

 

 慌てて駆け寄り子供達を嗜めるツウに、上体を起こしてクラインは茶目っ気たっぷりの、楽しそうな笑顔を向ける。

 

「良いって事よ、おツウさん、こんな所に閉じ込められちまったんだ、たまにはチビ達にも羽目を外させてやらないと」

「クラインさん……、有り難うございます」

「頭を上げて下さい、おツウさん。礼ならこっちが言いたいくらいだ。今日は声をかけてくれて、本当に有り難う」

 

 一瞬だけ真面目な瞳でツウに頭を下げたクラインは、子供達に向き直ると相好を崩す。

 

「おう、チビ共、今日は一日思いっきり遊ぶぞ! 覚悟は良いか!?」

「おー!!」

 

 クラインの掛け声に、元気よく応える子供達。

 

「腕白共はオイラに任せて、おツウさんも楽しんで下さい。じゃあ」

 

 そう言い残すとクラインは、子供達の中に入り遊び始めた。その姿を眩しそうに見つめたツウは、残った子供達に笑顔を向ける。

 

「じゃあみんなは何して遊ぼうか?」

「砂遊び」

「貝殻集め」

「よぉし、じゃあお城を作って、貝殻で飾り付けましょう。お姉ちゃん、頑張っちゃうぞー」

 

 こうして楽しい遠足が始まった、子供達も引率する大人も、それぞれが思い思いの方法で、心行くまで羽根を伸ばしてリゾートを満喫していた。そして時は中天を過ぎ、お楽しみのお弁当に舌鼓を打った後である、あるグループは砂遊びに興じ、あるグループは風林火山メンバーのサポートを受け、低レベルの水棲モンスターを相手にれべリングをしたりして、帰るまでの一時を名残を惜しむ様に楽しんでいた。そんな中、ヒョウとクラインはビーチパラソルの下で、子供達が遠足を楽しむ姿を眺めている。二十二層はリゾート地とはいえ、別荘地を除いては行楽地も基本的にモンスターのポップする圏外の為、ヒョウは引率責任者として最初から遊ぶのを抑えて、周囲の安全に気を配っていた。そんなヒョウにも遠足を楽しませようと、クラインは交代するつもりで隣に腰を下ろしたのだが、半分は子供達の底抜けのエネルギーにたじたじとなり、ギブアップして逃げ込んだというのも本音である。

 

「なぁ、ヒョウっち」

 

 ストレージからエールを取り出し、一口つけてからしみじみとした口調でクラインはヒョウに話しかけた。

 

「本当に良い眺めじゃねえか、これがデスゲームじゃなけりゃあよ」

 

 輝く太陽に照らされてキラキラと輝く水面は、VRのデータとは思えない程にリアルで、心地よい海風に運ばれて鼻腔をくすぐる潮風は、その場に居る者全てに安らぎを与えている。浜辺で子供達と戯れるツウの姿を眺めてヒョウは、故郷の海を思い出していた。

 

「ええ、そうですね」

「こぉら、ヒョウ、敬語は禁止だっつったろ。本当に固いんだからよ、オメエは」

 

 相槌を打つヒョウに、クラインは軽く眉を吊り上げるが、直ぐにため息まじりの笑顔でエールに口をつける。

 

「まぁ、それがオメエの良いところでもあるんだけどよ」

 

 もう一口エールを口に含み、ぐびりと飲み干したあとで、クラインは誰に話すでもなく独白を始める。

 

「本当に良い眺めだ、それなのに、何で茅場の野郎はこれで満足しなかったんだ? これで充分じゃねえか、これで……」

 

 クラインの言葉に同感のヒョウが、同意の言葉を口にしようとした時に異変が起こった。ツウと子供達が輪になって、ビーチボールのラリーをして遊んでいたが、何回目かにラリーされたボールが大きく輪をそれて、ビーチに落ちて転がって行く。転々と砂上を転がるビーチボールを追って、走り出すジャスミン。ビーチボールはやがて勢いを殺し、それを見てジャスミンの顔が明るくなる。もう少しとビーチボールに飛びついたジャスミンは、頭に衝撃を受け尻餅をついてしまう。彼女の目の前にには、武骨なロングブーツを履いた六本の足が有った。ボールを追うのに夢中になって、ジャスミンは人の存在に気がついていなかったのだ。ごめんなさいと一言謝ろうと、顔を上げたジャスミンは思わず息を飲んだ。ジャスミンの目に映ったのは、フードを目深に被ったボロボロのポンチョに身を包んだ、不気味な三人組の姿である。真ん中の男の目がフードの奥で怪しく光り、一歩踏み出そうとした。その光景を見たヒョウは、三人組のカーソルを見て目を見開く!!

 

「すまない、連れが迷惑かけた様だ、許してくれ」

 

 真ん中の男の足が踏みとどまる。フードの奥から覗く男の目の前にいたのは、ジャスミンを庇う様に間に入った完全武装のヒョウだった。暫し睨み合うヒョウとポンチョの男。

 

「おい、ヒョウ! 大丈夫か!!」

 

 押っ取り刀で駆けつけたクラインがタイミングになったのか、ポンチョの男が不敵な笑みをニヤリと浮かべる。

 

「そう尖るなよ、別に害意が有った訳じゃねえ。助け起こそうとしただけだよ」

「そうか、すまない、誤解していた様だ」

 

 緊張を解かないヒョウを、値踏みする様な目付きで一瞥して、ポンチョの男が踵を返す。

 

「じゃあ俺達はおいとまするぜ、せいぜい遠足を楽しむんだな、祝屋猛」

「サーキーが宜しく言ってたぜ、アーバヨ」

「何っ!?」

 

 三人組の捨て台詞の様な言葉に身を乗り出しかけたヒョウだが、次の瞬間背後から子供達の悲鳴が聞こえた。思わず振り返るヒョウとクラインが見たものは、ハイレベルの水棲モンスターに襲われる子供達の姿だった。

 

「っく!」

「チィッ!」

 

 二人は風林火山のメンバーと共に、瞬く間にモンスターを倒していく。しかし……

 

「きゃぁあああーっ」

 

 絹を裂く様な悲鳴にヒョウが目を向けると、そこには怯えて悲鳴をあげて震える女の子達を庇う様に、気丈に身構えるツウの姿が有った。

 

「コヅ姉!!」

 

 ヒョウが視界の片隅に捉えたモンスターは、鋭い銛の様な鼻先を持つ魚型のモンスター、ニードルシジャーが十数匹である。それが物凄い勢いで、空中を飛んで向かっていた。レベル的にはツウのHPを刈り取る事は出来ないが、この数では後ろの子供達が危ない。

 

 間に合え!!

 

 ヒョウは刀を伸ばして飛び込むが、数匹落とした程度でニードルシジャーの群れは依然ツウと子供達に向かっている。

 

 

 

 怖い怖い怖い怖い怖い!!

 

 ツウは自分達に向かって飛んでくる、ニードルシジャーの群れを恐怖の目で見つめていた。怖い、逃げたい、でも子供達が!! 怖くても、私が盾になって守らなきゃ!!

 

 そう覚悟を決めたツウだったが、迫り来るニードルシジャーの数が尋常ではない、とても自分一人で受け止めきれる数ではない。どうしよう? どうしよう!?

 子供達を守ろうと、必死に考えるツウの頭が土壇場で閃いた。

 

 あれはお魚! あれはお魚! モンスターじゃない! たかがお魚、たかがお魚。そうだ!! タケちゃんこのごろお肉に偏っているから、お魚もちゃんと食べさせなきゃ! 焼き魚煮付け天ぷらフライ、フリッターにムニエル、何が良いかしら? 獲れたてはやっぱり新鮮なお刺身!! これはお料理、戦闘じゃなーい!!

 

 無装備で身構えていたツウの右手に武器が装備された。が、それはヒョウの地獄のレベリングで無理矢理カンスト迄に鍛え上げられた短剣ではない。つい先日、誕生日のプレゼントに贈られた包丁、若奥様の相棒だった。目を疑ったヒョウだが、彼の疑念とは裏腹に、ツウが手にした包丁から、ソードスキルの輝きが煌めく。

 

「えーい! 三枚おろーし!!」

 

 掛け声と共に包丁を振るうツウの周りで、次々とポリゴンの欠片に爆ぜ消えていくニードルシジャー。やがて全て倒し尽くし、気が抜けてビーチにへたり込むツウに、子供達がしがみつく。

 

「あわあわあわ……」

「コヅ姉!」

「お姉ちゃん!」

「おツウさん!」

 

 目を回しているツウに、ヒョウや他の子供達、そして風林火山のメンバーが駆け寄った。

 

「コヅ姉、大丈夫!?」

「タケちゃーん、腰が抜けちゃったー」

「よしよし、もう大丈夫、もう大丈夫」

 

 ヒョウはしっかり抱き締めてツウを落ち着かせると、程なくして彼女は自分を取り戻す。

 

「あっ、そうだ!?」

 

 ヒョウの胸の中で、はっと気が付いたツウは、急いでメニューウインドウをいてドロップ品を確認する。

 

「やったぁ! タケちゃん見て見て、今日はお魚よ!」

「お魚?」

 

 突然屈託の無い笑顔を向けてツウはヒョウにメニューウインドウを示すと、そこには大漁と言って良い程のA級食材アイテム、ニードルシジャーの切り身が並んでいた。それを見たヒョウは、さっきのツウの戦闘を思い出し、彼女の両肩を掴んで揺さぶると、語気を強めて詰問する。

 

「コヅ姉、どうして包丁なんか装備したんだ!? 今はたまたま大丈夫だったけど、ちゃんと短剣を装備して戦わないと危険じゃないか!」

「だあってぇ~、私も今知ったんだも~ん」

 

 がくがくとゆさぶられながら、ツウはスキルメニューを開いて指し示す。そこにはヒョウが無理矢理覚えさせた戦闘スキルにまじって、見覚えの無いスキル名が明記されていた。

 

「包丁……スキル?」

 

 何だ? このスキルは? と、解説を読み進めたヒョウは、この人をおちょくった様なスキルの内容に、今までツウを心配して生きた心地のしなかった自分が馬鹿らしくなり、思いっきり脱力して溶ける様にビーチに身を横たえた。その様子を見たクラインは、ちょっと失礼とツウのスキルメニューを覗き込む。

 

「何々、包丁スキル。このスキルは全プレイヤーの中で一番先に短剣スキルを極め、なおかつ料理スキルも併せて一番先に極めたプレイヤーが、武器として包丁を装備した時に発現するスキルである。ソードスキルは三枚おろしと解体の二種類しか無いが、食材をドロップするモンスターに対してプレイヤーレベルにより最低十五パーセント以上の破壊力とアイテムドロップ率の補正が掛かるスキルである……。ぶわっはっは、こりゃ良いや。おツウさんの為に有る様なスキルじゃねえか! こいつぁ傑作だ! なぁ、ヒョウ」

「まぁ、そうだな」

 

 不承不承認めるヒョウを、罰の悪そうな瞳で見つめるツウを、子供達と風林火山のメンバーの笑い話が包み込む。やがてその笑い声につられて笑い出すヒョウとツウ。そんな彼等を茜色の空が家路へ促す。

 

「さぁ、もう帰りましょう。いい、みんな、お家に帰る迄が遠足よ」

「はーい!」

 

 ツウの号令に、子供達が元気良く応え、保育園一行はヒョウと風林火山の護衛の下、帰路についていた。子供達が今日出来た楽しい思い出の余韻に浸り、興奮気味に話す会話の響きを心地よく耳にしながら、ヒョウはビーチで遭遇した不気味な三人組について考えていた。

 

 奴ら、俺のリアルの名前を知っていた、そして榊のアバター名を口にしていた。敵はキバオウ達だけじゃない、榊も忘れてはいけない、榊個人ならいくらでも対応出来るが、奴に強力な仲間が出来たなら話は別だ。特にあの真ん中の奴、アイツは要注意だ!

 

 ヒョウは新たな、そして未知の敵の顕在化に、気を引き締めていた。

 




次回 第二十二話 フェザーリドラ

改め

第二十二話 迷子の少女


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十ニ話 迷子の少女

 第五十層主街区アルゲード

 

 アインクラッド最大規模のその街は、他の階層の主街区と同じく、一見すると中世ヨーロッパの田舎街の様な雰囲気を持った街である。しかし、最大規模を持つという事は、その分多彩な面を持っているという事だ。その多彩さが、他の階層の主街区と一線を画する所だろう。無計画に拡張された様な街並み、それに相応しい迷路の様にいりくんだ裏道、メインストリートを除けば、雑多で猥雑、混沌とした街だった。この街の地図を作るより、迷宮区のマッピングをする方が楽である、あのネズミの情報屋さえ、この街の全てを把握してはいないだろうとまで言われている。

 決して一見さんお断りではないのだが、初めてここへ来る者にとって、すんなりと目的地にたどり着くのは至難の技である。アクティベートした直後の街開きで、冗談抜きで隘路に迷い込み、遭難者が続出したこの街の一角を、地図を片手に途方に暮れているプレイヤーがいた。年の頃は十三才から十四才といった所か、赤いコスチュームの可愛らしい短剣使いの少女、シリカである。

 

「えーっと、どうやって行けば良いのかな? ここはさっき通ったから……、うーん」

 

 シリカがアルゲードに来るのは、これが初めてである。彼女のホームタウンは八層であり、普段レベリングをしているのも、三十五層を中心とする中層域である。一度だけ四十七層に来た事もあるが、それは遥かレベル上の人間に連れてきてもらった訳で、自力踏破ではないのでノーカンといった所で、攻略組の多くがホームタウンに使っているこの街は、彼女にとっては正に雲の上の別天地であった。そんな中堅プレイヤーのシリカが、何故こんな場違いの所に居るのかと言うと、それはある男との出会いが原因だった。

 

 強くなりたい、あの人の様になれなくても、あの人に並び立つ事が叶わなくとも、それでもあの人の背中を追って強くなりたい。

 

 その想いが、シリカをアルゲードへと誘っていたのだ。しかしその想いとは裏腹に、彼女の足は一向に目的地にたどり着く気配が無い、次第に不安な気持ちが込み上げてくる。

 

 クルルッ、キュア?

 

「大丈夫だよ、ピナ。きっともう少しで着くからね」

 

 心配そうに問いかける、かけがえの無い相棒に作り笑顔で返事をしたシリカに、不意に声がかけられる。

 

「おい、嬢ちゃん、一体どうしたんだ、迷子か?」

 

 アルゲードで迷子になる者は珍しくない、そんな者に出会ったら声をかけるのがこの街の暗黙のルールである。しかし初めて来たシリカにはそんな事は知るはずもない。振り返り仰ぎ見た、大戦斧を担いだ褐色の巨人にシリカは肝を潰してしまう、そして……

 

「いっ、いえ、何でもありません、失礼しまーす」

 

 彼女は脱兎のごとく、走り去って行った。

 

「何でぇ、ありゃあ? ま、良いか。おっ、いけねぇ、もうすぐ約束の時間だ、俺も急いで帰らねぇと」

 

 面食らった褐色の巨人は、少女の背中を暫し見送った後、足早にその場を立ち去るのであった。一方の逃げ出したシリカである。彼女はと言うと、目くら滅法に走ったが為に、完全に迷子になってしまった。こんな時は一度転移門前に戻り、道を探し直すのが定石だが、完全に自分の位置を見失い、途方に暮れてしまった。

 

「ああ、もう全然わからないよ、何処かしら? ここ? きゃん!!」

 

 いっそのこと、転移結晶を使おうかとも考えたが、こんな事で貴重な転移結晶を使うのは勿体ないと思い直すが、それでも焦るシリカは地図を片手にキョロキョロと、前方注意を散漫に歩いていたため、前を歩く二人連れにぶつかってしまい、バランスを崩して転んでしまった。

 

「大丈夫?」

「あ痛たた、ごめんなさい、大丈夫で……す……」

 

 気遣いの言葉を発しながら、手を差し伸べる女性プレイヤーを見たシリカは思わず目を見開いた。

 

 なんて……、綺麗な人なんだろう……

 

「君、大丈夫?」

 

 女性プレイヤーの背後から、もう一人、彼女の連れとおぼしきプレイヤーが声をかけてきた。ぼんやりとその方に目を向ると、シリカの目に黒装束の男性プレイヤーの姿が有った。

 

 キリトさん!? 違う……

 

「すみません、大丈夫です。ご迷惑をおかけしました」

 

 立ち上がったシリカは、少し暗い表情で二人に頭を下げて踵を返した。シリカは軽い自己嫌悪に陥っていた、それは道に迷い注意散漫に歩いて人とぶつかった事もあるが、同じ黒装束だからといって全くの別人をキリトと間違えた事が大きな原因である。

 

 帰ろう。

 

 とぼとぼと歩きだしたシリカの前に、女性プレイヤーが回り込む。

 

「どうしたの? 何か困っているなら聞かせて、力になれるかも知れないわ」

「いえ、もういいんです」

「そんな事言わないで、聞かせて頂戴、ね」

 

 一度は断ったシリカだったが、女性プレイヤーの醸し出すゆるふわなな空気と、包み込む様な癒し系の笑顔に導かれ、迷子になって途方に暮れている事を話す。すると女性プレイヤーは、にぱっと明るい笑顔をシリカに見せると、連れの男性プレイヤーに振り返る。

 

「連れていってあげようよ、タケちゃん。もう大丈夫よ、安心して」

「いいんですか? 本当にご迷惑じゃ……」

 

 シリカがアワアワと顔を上げると、黒装束のプレイヤーが女性プレイヤーの隣に立ち、莞爾として微笑む。

 

「ああ、大丈夫。実を言うと彼女も迷子になって、俺を呼び出したんだから。ねぇ、コヅ姉」

「お願いタケちゃん、それは言わないで」

「で、何処に行きたいんだい?」

 

 バッテン目でポカポカと胸を叩いてくるツウの頭を撫でながら、ヒョウはシリカに目的地を聞く。

 

「ここです」

 

 シリカが地図を差し出すと、ヒョウはそれを眺めて破顔する。

 

「なんだ、エギルさんの店か。なら俺達と同じだ」

「あら、偶然。良かったわね、じゃあ一緒に行きましょう。レッツゴー」

 

 ツウはそう言うと、先導する様に胸を張り、スキップを踏んで進み出す、しかし……

 

「コヅ姉」

「なあに、タケちゃん」

 

 数歩進んだ所でツウはヒョウに呼び止められて、振り返る。

 

「そっち反対方向」

「失礼しましたー」

 

 ベタな夫婦漫才に、シリカの顔に笑顔が戻った。

 

「こんにちは、エギルさん」

「よう、ツウさん毎度!」

 

 ヒョウの案内の下、一行はエギルの店に到着する、扉を開けると禿頭の巨人は人懐っこい笑顔を向けて歓迎した。

 

「ごめんください、失礼します」

「おう、ヒョウも一緒か」

「道案内」

「そうか、また迷ったか」

「えへへ」

 

 ツウはプレイヤーブランド『Senbaori』の商品を卸しにエギルの店を訪れたのだが、エギルがここに店を構えてから毎回道に迷ってしまい、ヒョウを呼び出しては道案内をさせていたのだ。エギルはペロッと舌を出して、誤魔化し笑いをするツウの背後に、所在なさげに店内を見回すシリカに気がつくと、ギョロりと目を見開いた。

 

「あれ、嬢ちゃんはさっきの……」

「あっ、あなたはさっきの……」

「「ん?」」

 

 予期せぬ再会に驚くエギルとシリカに、状況を知らないヒョウとツウは、同時に頭上に『?』を浮かべるのだった。

 

 

「あっはっはっは」

「ひーっ、ひーっ、お……可笑しい……可笑しい……」

「酷ぇな、そんなに笑う事ァ無ェだろう、二人とも」

「いっ、いや、悪い……、で、でも……なぁ、コヅ姉」

「ごっ、ごめんなさい、エギルさん。でも……ねぇ、タケちゃん」

「あっはっはっは」

「うふふふふふふ」

「けっ!」

 

 シリカから怖さから逃げ出した経緯を聞いたヒョウとツウは、むくれるエギルを前に一頻り笑い転げると、シリカに向かってエギルを紹介する。

 

「えーと、シリカちゃんだっけ? この人は気は優しくて力持ち、攻略組を支えるスーパータンクのエギルさん」

「見た目は厳ついけど、本当に良い人だから怖がらなくても大丈夫」

「……はい、ごめんなさい」

「おう、これから宜しくな。じゃ、話は先にこっちの商談済ませてからってことで、ちっとばかり待っててくれな」

 

 エギルはシリカにウィンクをすると、ツウと一緒に隣室へと消えて行った。残されたヒョウは、勝手知ったる何とやらで店の奥の戸棚を開け、紅茶を二つ淹れると一つをシリカに勧める。

 

「良いんですか?」

「遠慮しない遠慮しない。あっ、ジュースの方が良かったかな?」

「いえ、いただきます」

 

 シリカはヒョウから紅茶を受け取ると、一口つけてようやく人心地つけた。

 

「美味しい」

「そう? 良かった」

 

 笑顔で見上げるシリカに、ヒョウは笑顔を返す。

 

 ヒョウさんって、どんな人なんだろう? さっきキリトさんと見間違えたのは、同じ黒装束だからじゃあ無くて、きっと同じように優しい人だからかな? 出会ってすぐだけど、それは判る、だってピナが、道案内してくれてる時から、ずっとヒョウさんの肩の上に停まっているんだもん。エギルさんとも親しいみたいだし、攻略組だって知っているって事は、ヒョウさんもツウさんも攻略組なのかな? だったら、キリトさんの事も知っているのかな? もしかしたらまた、キリトさんに会えるかも?

 

 シリカがそんな事をとりとめもなく考えていると、隣室の扉がガチャリと開き、商談を終えたエギルとツウがホクホク顔でやって来た。

 

「さすがツウさんだ、どれも逸品ばかりだぜ。良い商売させてもらった」

「こちらこそ、いつも良い値段をつけてくれて、有り難うございます」

「良いってことよ、気にしなさんな。よう、嬢ちゃん、待たせたな。で? お嬢ちゃんの用は、何なんだ?」

 

 ツウとの商談を終えたエギルが、シリカに向かって人懐っこい笑みを浮かべると、シリカは勢い良く立ち上がる。

 

「ハイッ」

 

 今度は失礼の無い様にと、カチンコチンになって歩いて来るシリカの後ろで、帰る素振りも見せずにピナと遊んでいるヒョウとツウに、エギルが声をかける。

 

「帰らねぇのか? お二人さん」

 

 いつもは園で留守番をする子供達の為に、用事が済むと直ぐに帰る二人に、あれっと思ったエギルが尋ねると、ピナに夢中のツウを横目にヒョウがこたえる。

 

「腕利きの留守居役が居るから大丈夫。それに……」

 

 ヒョウは一端言葉を区切ると、シリカを指差し言葉を続けた。

 

「帰りの道案内、必要だろう? シリカちゃん」

「はい、有り難うございます、ヒョウさん、ツウさん」

 

 ヒョウとツウの気遣いに勇気付けられたシリカの表情が明るくなる、二人に頭を下げるとシリカはエギルに振り返り、ネズミ印の攻略本を背表紙を表に勢い良く差し出した。

 

「今日は、これを申し込みに来ました」

「ほう……、これね。よし、分かった」

 

 エギルはシリカの出した背表紙の広告をしげしげと眺めると、ウンと頷いて快諾する。そしてシリカの手から攻略本を受け取ると、背表紙を向けてヒョウに声をかける。

 

「おーい、ヒョウ。依頼人だ」

「えーっ!?」

 

 エギルの意外な言葉に、驚いて振り返ると、莞爾として微笑みサムズアップするヒョウの姿が有った。シリカの差し出した攻略本の背表紙の広告にはこう書かれていた。

 

 レベリングからクエストまで、萬護衛請け負います。申し込みはアルゲード、エギルの店にて受け付けます。

 

 

「良かったら、明日からやろう」

 

 一週間の予定で申し込みたいとのシリカの依頼を聞くと、ヒョウは間髪入れずにそう答えた。キョトンとして見上げるシリカに、ヒョウは言葉を繋げる。

 

「急かも知れないけど、今丁度キャンセルが出て空いてるんだ、その次となると、三ヶ月先まで空いてない。もし予定が無ければ、どうだろう?」

「はい、お願いします」

 

 頭を下げるシリカに、ピナを抱いたツウが声をかける。

 

「じゃあ詳しい打ち合わせは家でやりましょう。ねっ、タケちゃん」

「ああ、そうだね、コヅ姉」

 

 エギルの店を辞した三人は、そのまま打ち合わせの為に、四層の保育園へと向かう。その道すがらヒョウとツウは、フェザーリドラをどうやって手に入れたのかをシリカに聞き、シリカも二人の関係をおずおずと質問する。二人はゲーム内結婚をしている夫婦だと答えると、シリカはそんな二人の家に行って、邪魔ではないかと遠慮したが、ツウのゆるふわオーラに丸め込まれてゴンドラ船の上にいた。シリカは夫婦二人で使うには、余りにも大きなゴンドラ船に違和感を覚えつつも、櫓を漕ぐヒョウと彼を頼もしげに見上げるツウの姿に引き込まれ、思わず憧れの瞳で見つめてしまう。

 

 良いなぁ、ヒョウさんとツウさん、お互いに信頼し合っていて、とても素敵なカップルだなぁ。私もいつか、キリトさんとあんな風に……

 

「……カちゃん、シリカちゃん」

「ひ、ひゃい!?」

 

 いつしか二人の姿をキリトと自分の姿に置き換えて、ニマニマと妄想するシリカに、不意に声がかけられる。驚いたシリカが噛みながら返事をすると、ツウが目的地への到着を告げる。

 

「着いたわよ、シリカちゃん」

「シリカちゃん、お疲れ様」

「あっ、はい、今行きます」

 

 噛んだことと、妄想の内容に赤面しながら、二人の後を追ってゴンドラ船を降りると、シリカの目に直立不動の姿勢で立つ、赤い甲冑を身に付けた二人の男の姿が映った。小太りとノッポの二人の姿に、よくパーティーに誘ってくる知り合いの二人組を連想したシリカは、次の瞬間心の中で目の前の二人に土下座する。

 

「お帰りなさい! ヒョウさん、ツウさん」

「留守中、異常ありません!」

 

 叫ぶ様に気合いの入った言葉で出迎える二人の精悍さは、あの二人組とは全く違うものだった。なんて私は失礼な事をと自分を責めるシリカの横で、ヒョウとツウが二人を労いの言葉をかける。

 

「ただいま、ノブさん、シゲさん」

「留守番有り難うございます、私達の方が年下なんですから、もっと気楽に接して下さいね」

「いえ、滅相もありません」

「そんな事したら、ウチの大将にどやされます」

 

 頭を振ってそう答える二人にツウは苦笑いしながら言葉を続ける。

 

「もう、クラインさんったら。ノブさん、シゲさん、直ぐにご飯の用意をしますね」

「押忍!」

「ごっっあんです!」

 

 うふふと笑うツウの背中にヒョウが話しかける。

 

「コヅ姉、俺は船を片すから、シリカちゃんを案内して」

「分かったわ、タケちゃん。さぁシリカちゃん、こっちよ」

 

 慌ててヒョウの手伝いをするノブとシゲの声を背後に聞きながら、ツウはシリカを保育園へと案内する。

 

「あの、今の人達は……?」

「あの人達? 攻略ギルドの見習いさんで、家に住み込みで留守居役兼剣術見習いに来ているノブさんとシゲさんよ」

「攻略ギルドの人ですか?」

 

 歩きながら話題を作る為に、先程の二人の事をツウに尋ねたシリカは、意外な答えに驚いた。剣術見習いという事は、あの二人はヒョウさんの弟子みたいなものなのか? 見習いとはいえ攻略ギルドのメンバーを弟子にするなんて、キリトさん程ではないにしろ、ヒョウさんもとても強い人なんだ。でもそんなに強い人のホームが四層なんて意外だなぁ。そんな事を考えながらついていくシリカに、ツウはさらに意外な言葉を続ける。

 

「他にも血盟騎士団の人なんかも、タケちゃんに教わりに来るのよ」

「血盟騎士団!? トップギルドの人が!?」

「ええ、タケちゃんはね、アインクラッドで一番強いのよ。だから明日からのレベリングも、大船に乗ったつもりでいてね」

 

 そう言って扉を開けたツウに、これは場違いな所に来たのかも知れない……、と少し尻込みを始めたシリカの心は、扉の中を見るなり更なる疑問に上書きされた。

 

「ツウお姉ちゃん、お帰りなさい」

 

 大勢の子供達が、口々にお帰りなさいと言って、ツウを出迎える。子供達に揉まれながらツウは、目を丸くするシリカを中に招き入れた。

 

「みんなただいま。お客さんのシリカちゃんよ、ご挨拶して」

「シリカお姉ちゃん、いらっしゃい」

「いらっしゃい、シリカお姉ちゃん」

「アハハ、お邪魔します……」

 

 ツウに促され、口々に挨拶する子供達に気後れしながらシリカは挨拶を返す、すると、一人の目ざとい子供が、ピナの存在に気がついた。

 

「シリカお姉ちゃん、それ、なーに?」

「この子はピナよ、私のお友達」

「凄い、お姉ちゃんビーストテイマーなんだ。ねぇ、触って良い?」

「僕も触りたい」

「私も私も」

 

 あっという間に子供達が、シリカとピナを取り囲む。そんな子供達の勢いに呑まれたピナは、怯えてしまったのか天井近くの梁に飛び上がって隠れてしまった。両手を上げてピナの隠れた梁を見上げ、ワイワイ騒いでいる子供達に、ツウはやや語気を強めてたしなめる。

 

「みんな、いきなり騒いで取り囲むから、ピナちゃんびっくりして隠れちゃったでしょう。みんなだって、知らない所で知らない大きな大人の人に、騒いで囲まれたら怖いでしょう? ピナちゃんもおんなじよ」

 

 ツウの叱責にシュンとなる子供達に、シリカが戸惑いながらもフォローを入れる。

 

「だ、大丈夫よ、みんな、ピナがびっくりしないように、優しく相手をしてね。ピナ、もう大丈夫だから、おいで」

 

 シリカがピナに呼び掛けると、ピナは梁から顔を出し、大丈夫? と言うように一鳴きしてからシリカの元に舞い降りた。そして

 

「みんな、私のお友達のピナよ、仲良くしてあげてね」

 

 シリカが腕に抱いたピナを、子供達の前に差し出すと、子供達の顔がパッと輝いた。ツウに叱責された為か、恐る恐る手を出してピナに触れ、ゆっくりと撫でると、ピナは気持ち良さそうな鳴き声を上げて子供達を見上げた。子供達はなお一層表情を輝かせ、口々に可愛いねと言いながら、優しくピナを撫で始める。ピナも子供達に慣れた様で、保育園の中を飛び回り、子供達を相手に遊び出した。その様子を見て、シリカは子供達についてツウに尋ねると、ツウはシリカにこの保育園の設立理由をかいつまんで説明した。SAOで孤児になった子供達の話しを聞いたシリカは、やるせなさそうに表情を曇らせる。

 

「だから、もし良かったらシリカちゃん、今回の件が終わった後も、気が向いたらでいいから、遊びに来てね」

「はい、私なんかで良かったら、喜んで」

「有り難う、シリカちゃん」

 

 一つ自分に出来ることを見出だしたシリカが、真っ直ぐな瞳をツウに向けた時、保育園の扉が開いてヒョウが入って来た。

 

「ただいま、みんな」

 

 ヒョウの声を耳にした子供達は、一斉に扉に駆け寄ってヒョウを取り囲む。

 

「おかえりなさい、ヒョウ兄ちゃん」

 

 もみくちゃにされるヒョウの頭の上にピナが停まって鳴き声をあげると、そこにいた皆は一斉に笑い声をあげた。そんなほっこりとした暖かい空気の中、ツウがパンパンと手を叩いて注目を集める。

 

「さぁみんな、ヒョウお兄ちゃんが帰って来たから、晩御飯にしましょうね」

 

 そうしてはからずも晩餐にお呼ばれする事になったシリカは、遠慮がちにツウの手料理を口に入れて目を見開く。そして勢いよくパクパクと口に入れ、感嘆の声をあげた。

 

「私、SAOでこんな美味しい物を食べたの、初めてです」

「そう、良かった。おかわり有るから、遠慮無く食べてね」

「はい」

 

 アインクラッドに囚われて以来、楽しい事、嬉しい事、そして悲しい事もリアルと同様に沢山経験してきたシリカだったが、家庭的な空気に触れたのは初めてである。それは一も二もなくヒョウとツウに出会った事が原因である、シリカはベッドの中で、その喜びを満喫していた。今シリカが潜り込んでいる布団は、ホームタウンの宿屋の布団ではない。夕食後、明日からのレベリングスケジュールの打ち合わせをして、少し遅くなったため、どうせ明日も早いんだからとツウが寄り切り、保育園に泊まる事になったのだ。そのベッドの中で、シリカは今日の出来事を反芻していた。一見ゆるふわで、年下の自分でさえ支え守りたいと思うツウさんは、孤児になった子供達を守り、必死にSAOと戦っている。そのパートナーのヒョウさんは、攻略の傍ら、自分達の様なボリュームゾーンプレイヤーに手をさしのべ、少しでも生存率が上がる様にと、レベリングのレクチャーと護衛をしてくれてる。キリトさんだって今頃、最前線できっと! それに引き換え私は……。いや、私にも何か出来るはず、今は分からないけど、いつかきっと! そのためには、キリトさん程では無いにしろ、隣で胸を張れるくらいに強くならなきゃ。よーし、明日からのレベリング、頑張ろうね、ピナ……

 

 夜も更けゆき、いつしか微睡み、そしてシリカは深い眠りへと落ちていった。

 

「お帰りなさい、あなた」

 

 新妻のシリカは、攻略から帰って来たキリトを出迎える。

 

「ああ、ただいま、シリカ」

 

 愛する妻シリカに、優しく帰宅の挨拶をするキリト。甘酸っぱい空気に気恥ずかしくなり、どうしようと戸惑うシリカを助ける様なタイミングで、ピナが腕の中に飛んでくる。シリカはピナをキリトに差し出して、照れ隠しの言葉をかける。

 

「ほら、ピナもお帰りなさいって」

「クルルッ、キュウ」

「おおっ、ピナ、ただいま」

 

 ピナを撫でていたキリトの手が、優しくシリカを抱き寄せる、そして目と目が合い、引き寄せられる様に唇と唇が……

 

 

 

「……はっ!?」

 

 ガバッと飛び起きてシリカが左右を確認すると、そこは夕べ泊めてもらった保育園のベッドの上だった。心配そうに見上げるピナを膝の上に載せ、撫でながらシリカは自分の心を落ち着かせる。

 

 ……わ、私はなんて嬉しい、じゃない、恥ずかしい夢を見ちゃったの!? いくら夢の中でも、私がキリトさんの奥さんで、キリトさんが私のだっ、だっ、だっ、旦那様!? それだけじゃない、後少しで、キリトさんとキ、キ、キスするところだったわ、どうしてあんな夢を!?

 

 トマトの様に真っ赤な顔で悶絶するシリカにとって、救いになったのは泊めてもらった部屋が個室で、この恥ずかしい姿を誰にも見られなかった事だろう。そのおかげでシリカは少し心の平静を取り戻した所で、ふと有ることに気が付き、ピナを撫でる手が止まった。

 

 後少しでキリトさんとキス出来たのに、目が覚めるなんて大損だわ!! この先、こんな事が起きるなんて有り得ないのに、何で私は起きちゃったの!? 勿体ない! バカ、バカバカ、私のバカ!! 早く寝直して夢の続きを見なきゃ!

 ……眠れない、寝ようと思ったら、逆に目が冴えて眠れない! えーと、こんな時は確か羊の数を数えれば良いんだっけ? 羊が一匹、羊が二匹、羊が三匹、早く眠ってキリトさんの夢を見なきゃ。キリトさんが四人、キリトさんが五人、キリトさんが六人……!? ちーがーうー!!

 

 眠ろうとすればするほど、さっき見た夢の情景が頭の中に蘇り、益々目が冴える悪循環に陥り、一人悶絶するシリカ。

 

 もう、どうしよう、眠れないよぅ、ねーむーれーなーいー、キリトさん、助けてー

 

 こうして、アインクラッドの夜は、今日も更けていくのだった。

 

 

 




次回 第二十三話 フェザーリドラ②

改め

第二十三話 タイムクエスト


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十三話 タイムクエスト

「はーい、じゃあもう一回、始めからおさらいしますよ。はい、いち、にい、さん、し、いち、にい、さん、し……」

 

 ツウの掛け声と、お手本動作に倣って、女の子達が短剣を片手に神楽舞を舞っている。この神楽舞は、ヒョウとツウがSAOで考案した、短剣ソードスキルの準備動作を取り入れた神楽舞で、武術としてのナンバの動きを体感的に理解できない人間が、効果的にナンバの動きを習得するためのメソッドだった。そしてその女の子達に混じって、シリカも一心不乱に神楽を舞っている。

 

 夕食後の打ち合わせで、ナンバについてヒョウから聞かされるも、正直なところ半信半疑なシリカだったが、すぐにそれは払拭される事となる。早朝目を覚ましたシリカは、窓の外に信じられない物を見て、我が目を疑った。

 

「はい、ちんとんしゃん、ちんとんしゃん……」

 

 ツウの手本について、大斧を肩に担ぎ、藤娘を踊る禿頭の巨人、エギルの姿を目撃したシリカは、思わず目を擦って見直し、確認する。

 

「はい、テレツクテン、テレツクテン……」

 

 違和感丸出しではあるが、繊細かつ堂に入ったエギルの舞い姿は、相当の稽古を積んだのだと容易に理解できる、シリカは朝食を呼ばれた時、同席したエギルにその事を聞いてみた。

 

「なぁんだ、見られていたか、内緒だぜ、嬢ちゃん」

 

 恥ずかしそうに頭を掻いて、エギルはシリカの疑問に答える。

 

「俺ぁよ、商人もやってるから、効率良くやってるつもりでも、どうにも攻略クエストの方がな……。特に今回は大口の取引がかさんじまって、なおさらなんだ。だから今回のボス戦に備えて、毎朝ツウさんに見てもらって、ナンバの動きをおさらいしてるのさ」

「どうして、日本舞踊なんですか?」

「うーん、どうにも俺は、何でもかんでも力任せになるもんで、動きが雑になってなぁ。力の抜き加減を学ぶのに丁度良いらしい」

「雑に……、ですか」

 

 遠くをみる様に述懐するエギルを、シリカはまじまじと見上げた。その視線に気がついたエギルは、慌てて笑顔を張り付けて、話しを続ける。

 

「まぁ、嬢ちゃんも、騙されたと思って、真面目にやってみると良い、直ぐに効果を体感できるぜ」

「……はい」

 

 この時のシリカはまだ、そんなものなのかな? という思いであったが、朝食後にレッスンが始まってその疑いは霧散する。

 

「じゃあシリカちゃん、始めようか」

「はい」

 

 保育園のグランドで、ヒョウのレクチャーが始まった。

 

「夕べナンバについては話したよね、多分、本音は半信半疑だと思う」

 

 その言葉に、シリカは首をすくめて顔を赤らめる。そんなシリカの内心をおもんばかる様にヒョウは言葉を続けた。

 

「いや、気にしなくて良いんだ。実際素直に受け入れたのは、キリトや攻略組の一部なんだから、無理もない」

 

 キリトという言葉に、ハッとして顔を上げるシリカ。

 

「だから、実際に身に付けた人と一緒に、同じソードスキルを放ってみて、その違いを体感すると良い。ジャスミン」

 

 ヒョウはジャスミンを呼んで、シリカの隣に立たせた。

 

「ジャスミン、今からシリカお姉ちゃんと一緒に、あの的に向かってラピッド・バイトをやって欲しいんだ。いいかな?」

「うん、いいよ」

「ありがとう、ジャスミン」

 

 ヒョウはジャスミンの頭を撫でると、シリカに向き直る。

 

「じゃあやってみようか。僕の合図で一緒にラピッド・バイトを発動するんだ」

 

 シリカとジャスミンが頷いたのを確認して、ヒョウは右手を高く上げ、スタートの号令をかけた。

 

「レディー、ゴー!」

 

 ヒョウの右手が振り下ろされると、二人は同時に準備動作に入った。そしてシリカはジャスミンの動きに驚愕する。

 

「!?」

 

 同時に準備動作に入った筈なのに、ジャスミンの発動はシリカのそれに比べて一呼吸速かった、そして発動後の技後硬直からの復帰も一呼吸以上の速さを持っていた。ソードスキルの完成度は、フィールドで生死を分ける事に繋がり、特に発動及び硬直復帰のスピードで一呼吸の違いは、段違いのアドバンテージが有ると言っても過言ではない。年齢もレベルも習熟度も自分より下のジャスミンが、ナンバの技術を用いて自分以上のソードスキルを放った、それもヒョウからキリトの名前を聞かされた直後である。その事実を前にして、シリカの心には最早、疑心暗鬼も半信半疑も存在しなかった。

 

 最初ヒョウは祝心眼流小太刀の型を伝授しようとしたのだが、キリトの名前に気負い過ぎたシリカにとって、それは逆効果だった。そこでヒョウは、シリカをツウに預けて、神楽舞を通じてナンバの動きを身に付けさせる事に決めたのだ。

 

「いち、にい、さん、しぃ、いち、にい、さん、しぃ……」

 

 キリトさんも身に付けた技術、その事実がシリカのヤル気に火をつけ、ヒョウも驚く程にめきめきと上達していき、ピナとのコンビネーションも相まって、五十層迷宮区をソロで踏破できる実力をつけるに至っていた。

 

 ヒョウとのレベリングを開始してから三日を出ずして、シリカは準攻略組と言って良いレベルに到達し、四日目からは、シーフとして必須スキルを身に付ける為のクエストにチャレンジしていた。もしも今後、キリトさんとパーティーを組むチャンスが有ったら、その時は必ずキリトさんの役に立ちたい、その一念でシリカは貪欲に、鋭意を持ってクエストに挑戦する。そんなシリカの姿にヒョウも指導の熱が入り、五日目のカリキュラムに入れたクエストで、つい勇み足をしてしまった。

 

「これはしくじったかな……」

 

 クエストフラグを立てたものの、内容を失念していたヒョウは、それに気づいて頭を掻いた。

 

 七つの守護鍵というそのクエストは、五十層迷宮区の隠しダンジョンの扉を開く所から始まる。

 ダンジョン内には七つの中ボス部屋が有り、中ボスが守る宝箱の中にある鍵を七つ集めると大ボス部屋が出現し、大ボスを倒して終了というクエストである。一見すると、なんの変哲もないレベリングクエストであり、事実五十層を攻略する時に、攻略組メンバーがこぞって利用したクエストだった。しかし、それはこのクエストにとって、表向きの一面に過ぎない。普通こういったクエストでは、ボスを倒して宝箱を開け、鍵を得るのが一般的であり、攻略組メンバーもそうして鍵を得ていた。しかし、或るパーティーが、何を思ったのか、中ボスを倒す前に宝箱を開ける事にチャレンジする。彼等が宝箱に触れた瞬間、隠し扉が開きガードモンスターが現れ苦戦するも、なんとかクエストを終了させる事に成功した。その時そのパーティーのシーフ役を務めていたプレイヤーに、ユニークスキル『トラップ看破』『マスターシーフ』が与えられ、話題となって現在に至る。攻略を確実に進めるには、地味ながらも優秀なシーフは必要不可欠だ。攻略組メンバーは改めてクエストに挑戦するも、軒並み失敗してしまう。正確に言うと、クエスト自体は成功しているのだが、スキルの獲得に失敗していたのだ。ワンオフスキルか? と誰もが頭を抱えた時、ヒョウ、キリト、アルゴの三人が挑戦し、それを確認した。結果は見事にクリア、アルゴが『トラップ看破』『マスターシーフ』のスキル獲得に成功する。これにより、このクエストはワンオフではなく、初回挑戦限定クエストである事が判明した。以降攻略組各ギルドは、このクエストをレベリングとシーフ育成に有効活用している。

 ヒョウはシリカの頑張りを見て、ユニークスキルを授けるべく、このクエストをチョイスしたのだが、クエストクリアに必須なメンバー、宝箱を開けるシーフ、中ボスを引き受ける遊撃役、シーフを守るタンク役、この三役の内、シーフ以外の一枚が欠けていた事にフラグを立てた後に気がついた。無理すればツウとクリアした時の様に、二人でクリアする事も可能ではあるが、シリカは大事な顧客なのでより安全を期したい。そう考えたヒョウは伝を頼り、助っ人依頼のメールを出したのだが、芳しい返事は得られなかった。ゴドフリー、エギル、クライン達は、誰もが示し合わせた様に「明後日なら……」と返事を返して来て、これがダメなら明後日だなと、ダメ元で最後の伝にメールを出すと、これが嬉しい誤算となる。

 

「ああ、良いぜ、丁度暇だったんだ、付き合うぜ。その代わり、ツウさん新開発のラーメンよろしく!」

 

 と、メールを返して来たのが……

 

 

「キリトさん! 宝箱、開きました」

 

 背中を守るキリトにシリカが報告すると、キリトは首だけ振り返りそれに応える。

 

「ようし、偉いぞ、シリカ! ハァアアアアッ!」

「私だって! ヤァアアアアアッ!」

「クルッ! キュアアアアアア!」

 

 キリトが守勢から攻勢に転じて片手剣を振るうと、シリカとピナもそれに続いて攻撃する。キリトのサプライズ加入にテンションマックスとなったシリカは、驚くほど呆気なくクエストをクリアし、見事ユニークスキルをゲットしたのだった。二人が知り合いだった事に驚くヒョウに、キリトは残りの二日間も「乗りかかった船」だと言って付き合う事を提案する。そうしてシリカにとって夢の様なレッスン六日目が終わり、保育園にてキリトと共にツウの夕食に舌鼓を打っていた時である。

 

「ヒョウ! 居る!?」

 

 血相を変えて転がり込んできた人物に、保育園に居た全員が箸を止めた。

 

「どうしたの、リズ? はい、落ち着いて」

 

 ツウが差し出したコップを奪い取る様に受け取り、一気に飲み干すと「プハァ~」と些か品の無い息を漏らし、リズベットは室内を見回す。

 

「あーっ! キリト! キリトも良いトコに!! お願い、二人共手伝ってぇ~」

 

 ヒョウとキリトの手を取ると、涙目で哀願するリズベットの話しの内容はこうだ。明日マスターメイサー限定のタイムクエストが有り、それにどうしても欲しいアイテムがドロップするらしく、何が何でもクリアしたいとの事。ヒョウはキリトと顔を見合わせた後、シリカのレベリング護衛を請け負っているから、悪いけど今回は……、と口にする。その言葉を聞いて、この世の終わりが来た様な顔をして崩れ落ちるリズベット。魂を口から吐き出した様に放心してへたり込むリズベットに、見かねたシリカが思いきって提案した。

 

「あの、リズベットさん。そのクエスト、私も参加して良いですか?」

 

 思わず顔を上げるリズベットの手を取りながら、シリカは言葉を続ける。

 

「そうすれば、私のレベリングを請け負いながら、リズベットさんのクエスト護衛も出来るじゃないですか? ねぇ、ヒョウさん?」

「まぁ、シリカちゃんがそれで良いなら……」

「ありがとう! 恩に着るわ!!」

 

 ヒョウの言葉が終わらないうちに、リズベットはシリカの手を取って叫ぶ様に礼を言う。その姿に苦笑しあいながらも、ヒョウとキリトは手伝う事を決めるのだった。

 

「で、そのクエストの場所は何処なんだ、リズ?」

 

 クエストの概要を聞こうと質問したキリトだったが、リズベットがあっけらかんと答えた回答に、ヒョウ共々目を見開いた。

 

「六十七層の迷宮区よ」

「何だって!?」

「最前線じゃないか!!」

 

 驚愕するヒョウとキリトに、リズベットは笑いながら楽観論を口にする。

 

「大丈夫よ、二人共強いんだし。それに、アスナも呼んだから」

「馬鹿! 焼け石に水だ!!」

 

 ヒョウやキリト、そしてアスナの力が有れば、ソロで最前線を歩く事は可能である。この三人が揃えば、最前線の迷宮区の踏破も容易いだろう。しかし、同程度ならば兎も角、レベル的に数段以上劣る者を庇いながらとなると、話は別になってくる。特に、数の暴力を前に弱者を守りながらの戦闘となった場合、いくら一人だけ突出して強くとも、それは無意味である。キリトはかつて、それを購いきれない代償を支払って経験していた。

 ヒョウとキリトはアイコンタクトをすると、同時に伝にメールを送り、クエストを無事成功させる為に助っ人を依頼した。幸いにも前日ヒョウが確認していたため、エギル、クライン及び風林火山のメンバー等が、二つ返事で参加を快諾してくれた。しかし、中には一悶着有った末に、参加を決めた者も居る

 

「では団長、行って参ります」

「ああ、今日はヒョウ君の案件だったな。彼を我がギルドに引き入れる為の重要な任務だ、よろしく頼むよ、ゴドフリー君」

「心得ています、団長。お任せ下さい」

 

 そう言ってゴドフリーはヒースクリフに敬礼をすると、足取り軽やかに小言で「ラーメン、ラーメン」と、歌うように呟きながら退出しようとした。

 

「待ちたまえ、ゴドフリー君」

「何ですか? 団長」

 

 その呟きを耳にしたヒースクリフは、眼光鋭くゴドフリーを呼び止める。何を隠そうヒースクリフは重度のラーメンフリークである、そのために耳聡くゴドフリーの呟きに反応したのだ。ヒースクリフの態度とは対照的な、ゴドフリーはのほほんとした返事で振り返る。

 

「今、ラーメンと言った様に聞こえたのだが、間違い無いかね、ゴドフリー君」

「ええ、そうですが団長、何か問題でも?」

 

 のほほんと答えるゴドフリーを前に、ヒースクリフは瞼を閉じて、首を左右に振りながら諭す様に声をかける。

 

「噂で聞いたのだろうが、悪い事は言わない、あそこは止めたまえ、ゴドフリー君」

「は?」

 

 きょとんとした表情で見返すゴドフリーに、ヒースクリフは思い出すのも御免だと、うんざりとした表情で言葉を続ける。

 

「アルゲートの店に寄るのだろう、私も一度行ったのだが、あれはラーメンに対する冒涜だ、行かない方が良い」

「アルゲートの店……? いえ、違いますよ団長」

「違う? では、何処だね?」

 

 軽く驚いた表情で目を見開き、興味を示すヒースクリフに、ゴドフリーは屈託の無い笑顔でこう答えた。

 

「ヒョウ君の所ですよ。今日の依頼が完了したら、そのお礼にツウさんお手製のラーメンをご馳走してくれる事になってまして。しかし羨ましいですな、美人な上に料理スキルカンストだなんて、ヒョウ君も良いお嫁さんを……」

 

 ツウさんお手製のラーメンだと!? ヒースクリフの目の色が変わり、眉間に深い皺が刻まれた。

 

「ゴドフリー君」

 

 ヒースクリフはゴドフリーの話しをやや鋭い口調で遮ると、執務机に両手を着いてゆっくりと椅子から立ち上がる、そして呆気にとられるゴドフリーに歩み寄り、彼の肩に手を置くと、異存を許さない口調で言葉を続ける。

 

「君はこの頃働き過ぎの様だ、今日はもう帰って休みたまえ。なに、ヒョウ君からの依頼は私が代わりに受けておく、心配は無用だ」

 

 その言葉にゴドフリーは、何を馬鹿なと目を剥いた、何を隠そう彼もヒースクリフに負けず劣らずラーメンフリークなのだ。こうして良い大人が二人、血盟騎士団団長執務室において、絶対に譲る事の出来ない『実にしょうもない』問答を繰り広げる事となった。

 

「何を言いますか団長、私が受けた以上、責任を持って私が」

「いやいや、私が行くから安心したまえ」

 

 問答は次第にエスカレートしていき、互いに相手を執務室に押し止め、自分だけ出て行こうと揉み合いになった所で、二人の耳の中に咳払いの響きが落とし込まれた。我に帰った二人が、揉み合った姿勢のまま、咳払いのした方向に顔を向けると、そこには呆れ顔で柳眉をしかめるアスナの姿が有った。

 

「一体何をしているんですか? 二人共」

 

 訝しげに尋ねるアスナに、二人は決してラーメンが原因ではない事を強調しながら、今までの経緯を説明した。するとアスナは脱力してため息をつくと、二人に救いの言葉を投げ掛ける。

 

「そんなの、二人で行けば良いでしょう、私としても、信頼できる手が増えるのは歓迎です。良い大人がみっともない」

 

 アスナの言葉を聞いて二人は、憑き物の落ちた表情で顔を見合わせると、その手が有ったと肩を叩き合い、破顏して執務室を出ていった。

 

「何よ、アレ……」

 

 アスナは二人が今のノリでツウに迷惑をかけないか不安になりながらも、その背中を追って歩いていくのだった。

 

 こうしてヒョウの自宅兼保育園に、クエストメンバーが集まり、目的地に向かって出発して行った。

 

 

 

 訓練工房の窓から、含み笑いを浮かべながら、粘っこい視線に見送られた事を、彼等は知らない……

 

 




ヒースクリフがラーメンフリークである事の根拠は、原作8巻の圏内事件による物です。ゴドフリーについては、話しを盛り上げる為の独自解釈です。

次回 第二十四話 フェザーリドラ③

改め

第二十四話 最強の五人


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十四話 最強の五人

 マスターメイサー専用のタイムクエストが有るという事で、六十七層迷宮区は何時にも増してごった返していた。その熱気に、初めて攻略の最前線に足を踏み入れたシリカは、圧倒されて言葉を失っていた。

 

「さぁ、行くぞ、シリカ」

「はぐれない様に、気をつけてね、シリカちゃん」

 

 左右からキリトとヒョウに声をかけられ、シリカの緊張は更に高まる。気遣う二人の口調の中に、シリカは今までに無い警戒感を聞き取っていた。

 

「さぁ、張りきって行くわよ!」

「あひゃっ」

 

 テンション高く掛け声を上げたリズベットに背中をピシャリと叩かれ、シリカは締まりの無い悲鳴と共に一歩を踏み出す。すると、リズベットとシリカを囲む輪形陣を組んで、パーティーは迷宮区の中のクエストポイントに向かって出発していった。

 

 

「えっへっへ、何か気持ちいいわね、こういうの。そう思わない、シリカ?」

 

 最前線という、自分とは場違いな空気に気圧され、不安げに身を縮めて歩くシリカに、彼女とは対照的に胸を反らせて歩くリズベットが、上機嫌に話しかける。

 

「そ、そうですか? リズベットさん」

「だからぁ~、リズで良いって言ってるでしょう、もう友達なんだから。夕べから何回目よ、これ」

「すみません、でも……」

 

 夕べの提案でシリカの事を気に入ったリズベットは、元来の人懐っこい性格もあり、十年来の友達の様な感覚で接し始めたのだが、当のシリカは年下という事もあり、一歩引いた対応をしていた。それが歯痒いリズベットは、とりあえず愛称のリズと呼ぶようにと、シリカに諭して今に至る。しかし、リズベットは今何故シリカに話しかけたのか、その目的を思い出し、呼び方云々は脇に寄せ、元の砕けた口調に改めて話題を戻した。

 

「まぁ良いわ、ゆっくりで。それよりシリカ、見てごらん、すれ違う人達の顔」

 

 リズベットにそう言われ、シリカは顔を上げて周りを見渡すと、道行くプレイヤー達は皆、驚愕の眼差しを自分達に向けている事に気がついた。すれ違うプレイヤー達に至っては、皆、畏怖の眼差しで道を譲ってさえいる。驚いてシリカはリズベットに目を向け直すと、彼女はしてやったりの笑顔で、その理由を話し始めた。

 

「凄いでしょう? 先頭を歩いているのは、血盟騎士団の団長で、二十五層の伝説、『神聖剣』ヒースクリフさん、その後ろ、あたし達の前で二人並んでいるのが黒の剣士、『ビーター』のキリトと、黒のサムライ、『無敵』のヒョウ」

 

 そこへ、リズベットの隣を警戒して歩いているクラインが口を挟む。

 

「よぉリズ、俺は何て呼ばれてるんだ?」

 

 締まりの無い顔で、ニヤニヤ笑いながら聞いてくるクラインをジト目で睨み、リズベットは言葉の肘鉄を食らわせた。

 

「あんた? 別にあんたに二つ名なんて聞かないわ。スケベな目付きの野武士面、以外わね」

「てっ、てめえ! コンニャロ! リズ!!」

 

 拳を振り上げるクラインと、あかんべーをして対抗するリズベット。そんな二人の仲裁をする様に、シリカの隣を歩く女性プレイヤーが口を挟む。

 

「ちょっと、はしゃぎ過ぎよ、リズ」

「ゴメーン、アスナ」

 

 柳眉をひそめる栗色の髪の女性プレイヤーに笑いながら謝罪すると、リズベットは「その通りだ、もっと言ってやってくれ」と訴えるクラインに舌を出した後、シリカにその女性プレイヤーを紹介した。

 

「でね、その子が攻略戦希望の星、『閃光』のアスナよ」

 

 その名前にシリカは目を見開く、攻略プレイヤーに縁の無い者も、閃光のアスナの名前を知らぬ人間は、恐らく一層に引きこもり続けるプレイヤー以外には居ないだろう。憧れと畏怖と驚きの混ざった表情で自分を見るシリカに、アスナ照れくさそうな笑顔を浮かべ、リズベットに訂正を求める。

 

「もうリズ、そんな紹介しないでよ! 恥ずかしいじゃない、私そんなのじゃないからね!」

「良いじゃない、本当の事なんだし」

 

 からかい口調ではあるが、憎めない笑顔で決めつけるリズベットに、かなわないと苦笑するアスナ。

 

「もう、リズったら……。えーと、これからよろしくね、シリカちゃん。リズに振り回されて困った時は、遠慮なく私に言ってね。いつでも怒ってあげるから」

「はい、よろしくお願いします、アスナさん」

 

 実は凄い人達と冒険しているんだと驚きを隠せないシリカだったが、リズベットの明るさとアスナの笑顔に少しずつ緊張もほぐれていった。そんなシリカの様子を見て、リズベットはシリカの不安を払拭するべく畳み掛ける。

 

「ここにはアインクラッド最強と呼ばれる五人の内、四人が揃っているんだから大丈夫、どんなモンスターが出て来てもイチコロよ。このメンバーが揃うなんて、普通じゃ有り得ないんだから、もうクエストの成功は約束された様なものよ。大船に乗ったつもりで行こう、シリカ」

 

 得意顔でパンパンと背中を叩くリズベットに、彼女の心遣いを感じ取ったシリカは、会話をふくらまそうと何気ない疑問を口にした。

 

「そうなんですか、攻略組の人達って、みんな怖い人ってイメージが有ったんですけど、とっても素敵な人達なんですね? 私、安心しました。今ここにいない五人目の強い人も、きっと素敵な人なんでしょうね?」

 

 屈託の無い笑顔でそう言ったシリカの周りが一瞬凍りつく、その豹変ぶりに驚いてアワアワするシリカに、リズベットは慌てて取り繕う様に言葉を被せる。

 

「ああ、ソイツは変わり者だから、気にしなくて良いわ、ねぇみんな」

 

 リズベットの言葉に、我に帰った一同は、シリカを怯えさせまいと表情を取り繕う。笑顔の戻った皆の顔を見て、シリカは五人目の人の話題は、このメンバーの中ではタブーなのだと察し、これ以上その事について口にする事を控え、当たり障りの無い話題に切り替えた。

 

 五人目の人、それはここにいる者達以外にも、中堅以上のレベルを持つ、上層をテリトリーにしている全プレイヤーにとってもタブーであった。その男の名前はPoHという、殺人ギルド『ラフィン・コフィン』の首魁である。

 オレンジプレイヤーの数が増え、オレンジギルドが乱立すると、ラフィン・コフィンは彼等の上に君臨する様になり、無視出来ない勢力になっていた。未だ本格抗争にはなっていないが、攻略組とはちょくちょく小競り合いを起こしており、看過出来ないものになりつつある。六十層を越えた後、攻略組が解放出来なかった層が二つ有る、攻略組がボス攻略会議を開いている最中、それを当てつける様に他勢力に解放されていたのだ。誰が解放したのはいわずもがなで、それは『俺達を舐めるなよ』という、オレンジプレイヤー達から攻略組に対する無言のメッセージだった。

 ロザリアの件が有った以上、シリカにもこうした現実を知らしめる必要がある、しかし現実世界の妹に準えて彼女を見ていたキリトには、なるべくそういう世界には踏み込んで欲しくない、知らないでいて欲しい、という願望が有った。しかしそれは身勝手な想いである、シリカに強くなりたいという意志が有る限り、何時かは向き合わねばならない事である。キリトの心は、深いジレンマに陥っていた。しかし、そんなキリトの心を嘲笑う様に、人知れず事件は起きていた。

 

 

「おう、草の情報通りだ、奴らが来たぞ」

「よし、みんな位置に着け、奴らに悟られないように囲むんだ」

 

 ヒースクリフを先頭に歩くヒョウ達を遠目に確認した、多数のプレイヤー達がハイドスキルを全開にして、慎重に包囲網を敷いていく。

 

「黒い奴は居るか?」

「二人居る、どっちだ?」

「片手剣を背中に担いだガキだ、居るか?」

「ああ、居る」

「ようし、絶対逃がすなよ、ロザリアさんの仇だ」

 

 小言とハンドサインで連絡を取り合う彼等のカーソルは、鮮やかなオレンジ色である。その中でも一際濃い、血の色の様なカーソルを持つ男が、傍らに控えるオレンジプレイヤーに、凶相を歪め吐き捨てる様に横柄な口調で質問する。

 

「おい、奴は居るのか」

「はい、黒装束の刀使い、確かに居ます」

 

 その答えに、男は凶相を更に歪め、クツクツとくぐもった笑い声を漏らす。

 

「そうか……、居るのか……、会いたかったぜぇ、祝屋ァ」

 

 サーキーはその目に狂気を宿しながらも、配下の者に指示を出して包囲陣形を完成させていく。

 

「奴らがインスタンスマップに移行したら、出口を囲んで待機だ、いつ出てくるか分からん、気を抜くなよ」

 

 息を殺して身を潜め、遠目に窺い見るサーキー達の視線の先で、ヒョウ達一行はインスタンスマップへと消えて行った。その直後、スックと立ち上がったサーキーの口から、激しい口調で仕上げの指示が飛ばされた。

 

「おう、今だ! 出口を囲め! 蟻一匹通す隙間も作るな!」

「おおっ!!」

 

 掛け声をかけて走り出すオレンジプレイヤー達の背中を睥睨し、サーキーは満足そうにその凶相を歪ませる。

 

「殺してやる、今度こそテメェを這いつくばらせて、なぶり殺してやる、祝屋ァ!!」

 

 




次回 第二十五話 フェザーリドラ④

改め

第二十五話 ヒョウ、無双

改め

第二十五話 オレンジクエスト


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十五話 オレンジクエスト

コロコロと
変わる章題
忸怩たる
想いの内に
また変えにけり

……


「やったわ! 天目一箇神(あめのまひとつのかみ)の金槌と金床、ゲットよー」

 

 無事クエストを終了し、念願のユニークアイテムをゲットしたリズベットは、シリカの手を取り踊りだす。基本的にギリシャ、ローマ神話や北欧神話がアイテムベースとなっているこのSAOで、日本神話が由来するこのアイテムは、相当に珍しい物と推測される。リズベットの喜びはひとしおであった。

 目を白黒させるシリカを振り回して踊るリズベットに、アスナが呆れ顔でたしなめる。

 

「リズ、嬉しいのは分かったから、いつまでもシリカちゃんを振り回して踊らないの」

「帰るぞ、リズ。シリカもお疲れ」

「分かったわよ、二人共。本当にありがとうね、シリカ。さぁ、帰りましょう、ツウのご馳走が待ってるわ」

「エヘヘヘへ……」

 

 達成感とともに、シリカは胸の奥に、チクッと棘が刺さった様な痛みを感じていた。それはこのクエストの為、集まった四層の島から感じていた、時折見せる二人の仕草、モンスター戦での、まるでお互いがそれぞれの半身であるかの様な、一心同体の連携……。

 

 寄り添う様に立つキリトとアスナの姿に、シリカは否応もなく、自分の初恋の終焉を噛み締めていた。

 

「クルルッ、キュア」

「大丈夫だよ、ピナ。私は大丈夫」

 

 慰める様に鳴くピナを胸に抱き、シリカは頬擦りしながら自分に言い聞かせる様に呟く。そう、それを知ってなおキリトとアスナはシリカにとって、かけがえのない『憧れ』なのだ、二人の様に強くなりたい、この冒険を通してシリカの想いは強まっていった。

 

 そんな幼く淡い乙女心の隣では、良い大人による些かしょーもない会話が、ヒョウを中心に交わされていた。

 

「所でヒョウ君」

「何だ? ヒース」

 

 人目を憚る様に声をかけられ、ヒョウが目を向けると、所在なさげな表情でヒースクリフが言葉を続ける。

 

「聞いた話しによると……、ツウさんがラーメンの開発に成功したらしいね」

「ああ、子供達も大喜びさ」

「ほう!」

 

 瞠目して声を上げたヒースクリフは、小さく咳払いをして表情を取り繕う。そして更に声をひそめて質問を続けた。

 

「で、何が出来るのだね?」

「何って?」

「味だよ、何味が出来るんだ? 醤油かね、味噌かね?」

「ああ、醤油、味噌、塩、豚骨、醤油豚骨塩豚骨、一通り全部。後、変わり味に、柚子塩と、イタリアンなトマトスープが有ったな」

 

 食い入る様に答えを急かすヒースクリフに、淡々とヒョウが答える。するとヒースクリフは両手を強く握りしめ、感動の面持ちで何度も頷いていた。これから口にするであろうラーメンに想いを寄せるヒースクリフに、エギルとクラインがそっと耳打ちする。

 

「ちなみに、味は絶品だぜ」

「おうよ、リアルの名店なんか目じゃねえぜ」

 

 その言葉に一人の世界から引き戻されたヒースクリフは、なんともいえない顔で目を剥き、漆黒の巨人とバンダナの野武士面を交互に凝視した。先に食べられた敗北感がありありと浮かぶヒースクリフの瞳には、先に食べた勝利の優越感をありありと浮かべるエギルとクラインの勝ち誇った顔が映っていた。

 謹厳実直で知られるヒースクリフがこんな顔をするのを目の当たりにし、一同は呆気にとられて見つめていると、それに気づいたヒースクリフは誤魔化す様に咳払いをする。

 

「オホン、それでは諸君、帰るとしよう」

 

 何事も無かった様に、取り澄ました顔で出口に向かうヒースクリフ、その後を失笑を噛み殺してついて行く一同。彼等を覆っていた、クエスト終了後の和やかな空気は、インスタンスマップを出て、通常マップに移行した瞬間に雲散霧消してしまった。

 

「おいおい、何だよ、コイツら……」

 

 通常マップに出た途端、突然立ち止まったヒースクリフの後頭部に鼻をぶつけたクラインが顔を上げると、入った時とは違う光景に愕然とした。それは続いて出て来たエギルも同様だった。

 

「どうしたんだ、クライン、いきなり立ち止まったら危ねぇだろう……。って……おい……」

 

 彼等が目にした光景は、自分達を厳重に取り囲む、レイド程の規模を持つオレンジプレイヤーの群れである。三人が後続するヒョウ達に注意を喚起する間もなく、クリアパーティーの退出を感知したアルゴリズムが、インスタンスマップを解除して、パーティー全員を通常マップへと復帰させた。オレンジプレイヤー達は武器を手にしながら、見る者全てが警戒心を抱くであろう、ある種の笑みを浮かべ取り囲んでいる。パーティーはシリカとリズベットを庇う様に輪形陣を取り、武器を構えた。

 

「さて、諸君らは一体、何を目的に我々を取り囲んでいるのかね」

 

 ヒースクリフが誰何するが、オレンジプレイヤー達は不気味に嗤うだけで、誰も答えようとはしなかった。業を煮やしたクラインが、吼える。

 

「そんなお上品に聞いたって、コイツら答えやしねぇぜ、ヒースクリフの旦那。おうおうテメェ等、一体全体何のつもりだぁ!? 答えによっちゃあ、タダじゃ置かねぇぞ! トンチキめぇ!!」

 

 しかし、オレンジプレイヤー達は何も答えない。砂を噛む様な思いの中、オレンジプレイヤー達の中を、一人のプレイヤーが進んで来るのを視認する。そのオレンジプレイヤーは、この中で最有力者の様だ、オレンジプレイヤー達は、壁を割る様に道を開けていた。そのプレイヤーを認めたヒョウは、一瞬奥歯を噛み締めると、吸い寄せられる様に歩み寄る。

 

「何のつもりだ、榊」

「ああん? テメェにゃ用はねえよ、祝屋」

 

 ヘラヘラと答えるサーキーが、凶相をヒクつかせてヒョウを睨め上げ、嫌悪感を含むヒョウの視線との間に見えない火花がほとばしる。

 

「なら通して貰うぞ、道を開けさせろ」

「行きたいなら勝手に行けや、一人でな。俺達に用があるのは、そこのチビガキと赤毛の女だからよ」

「何だと」

 

 なめ回す様なサーキーの視線に、シリカは思わず竦み上がる。キリトとアスナはシリカを庇って、前に立つ。

 

「どういう事だ! サーキー」

「どういう事だァ? クエストに決まってんだろ」

 

 以下はサーキーにより語られたエストの概要だ。

 オレンジプレイヤーは安全な圏内に入る事が出来ない、入る為にはカルマ解消クエストをクリアする必要がある。しかし、カルマ解消クエストは過酷なクエストであり、失敗すると黒鉄宮の牢獄エリアに一直線というリスクが有った。自業自得とは言うが、望んでオレンジプレイヤーになった者など一人も居らず、全員にカルマ解消クエストを課するのは酷という物である。そこで、カルマ解消クエスト以外のオレンジプレイヤー救済クエスト、通称オレンジクエストが存在し、現在までに幾つか行われてきた。そして今回のクエストの内容と言うのが……

 

「フェザーリドラの羽毛を、特殊鍛治アイテムで加工したアクセサリーを手に入れれば、俺達は安全な圏内に入れるのさ。しかし、生憎の事、テイムされたせいで、フェザーリドラは特殊個体になって、めったにお目にかからなくなった、そこのチビガキのフェザーリドラ以外はな。そして、そこの赤毛はたった今タイムクエストを終了して、特殊アイテムを手に入れた。つまり、俺達のクエスト条件が今整ったという事だ」

「嘘だな」

 

 サーキーの言葉を、ヒョウがその一言で斬って捨てる。それはヒョウ達のパーティーメンバー全てが、サーキーの説明を聞いて直感した事であり、全員が頷いていた。特にヒョウとヒースクリフは、今のサーキーの言葉は嘘であると確信している。ヒョウはリアルでサーキー達がこうしてイジメの対象者に同調圧力をかけ、利益を奪い取るのを知っている、そしてヒースクリフはこのゲームの開発者として、その様な仕様は存在などしない事を知悉していた。だがヒースクリフはそれを言えない、もし言ったとしたら……

 

 

「テメェ祝屋! 嘘ってどういう事だ! ゴルァア!! グリーンのテメェが、オレンジの事どんだけ知ってんだよ! 言ってみろや! アアン!!」

 

 また始まった、ヒョウは嘆息する。リアルでも止めに入ると、こうして声を荒らげて恫喝する。その対象は自分ではない、背後のイジメ対象者を恫喝しているのだ。後で見てろよ、居ない所でキッチリと落とし前を着けてやるからな、と。

 

「確かに俺はオレンジの事は知らない、だがな……」

「だったらスッ込んでろ、ボケ! 人を貶めるのもいい加減にしろや! カス!!」

 

 ヒョウの言葉を強引に遮ると、サーキーはシリカに向き直る。そしてなぶる様な目付きと、口調だけ改めた下卑た態度で、依頼という形の強要、強奪を開始した。

 

「そこのチビガキ……、ああ、いや、そこのおチビ様、どうか憐れな俺達に、フェザーリドラの羽毛を譲っては頂けないでしょうかね?」

 

 ニイッと浮かべるサーキーの笑みに、生理的な嫌悪感を感じ、シリカは一歩後ずさる。怯えるシリカの両肩を、しっかり掴む様に抱き抱え、リズベットが「気持ちで負けたらダメよ、シリカ」と、耳元で囁いた。リズベットから力を貰ったシリカは勇気を奮い起こし、ピナを抱き締める両手と、踏みとどまる両足に力を込め、睨む様にサーキーの目を見据える。濁っている、アバターという情報体なのに、このサーキーというプレイヤー、いや、人間の目は濁りきっている、感覚的にそう理解したシリカが口を開いた。

 

「どれだけ……羽毛はどれだけ必要なんですか」

 

 シリカの言葉に、サーキーの凶相は更に笑み崩れる。

 

「流石、話しの分かる奴は良いねぇ、最高だぜ。テメェも見習えや、アアン、祝屋」

「どれだけ必要なんですか!!」

 

 勝ち誇ってヒョウに因縁をつけるサーキーに、シリカが語気を強めて叩きつける様に再度確認する。

 

「どれだけ……か?」

 

 シリカに向き直り、試案する様に首をかしげたサーキーは、嗜虐に満ちた目で答えを出した。

 

「じゃあおチビ様、そのフェザーリドラを、そこの赤毛に渡すんだ」

「私に渡してどうすんのよ!」

 

 いきなり振られたリズベットが声を荒らげる。サーキーは下卑た含み笑いを浮かべた。

 

「そのまんま、鍛治アイテムでぶっ叩くんだよ!」

 

 サーキーの答えに、シリカとリズベットは絶句する。

 

「どうせこれだけの人数だ、羽毛毟っているうちにHPは尽きるだろうよ、だったらチマチマ毟るより、ぶっ叩いた方が手っ取り早いだろう。いやぁ、いくらオレンジプレイヤーとはいえ、人間様の方がバケモンよりは大事だからなぁ、お二人は分かってらっしゃる」

「バカじゃないの! アンタ!! このアタシがそんな事する訳無いでしょう!! 舐めないでよね!!」

「そんな事……、ピナにそんな事出来ません!!」

 

 饒舌にまくし立てるサーキーに、リズベットとシリカが同時に拒絶の意志を叩きつけた。本来の目的を達成する為のお膳立てを全て整えたサーキーは、喜色満面で仲間のオレンジプレイヤー達に声をかける。

 

「おい、聞いたか、みんな! コイツら人間様より、バケモンの方が大事なんだとよ! どう考えたって、人間様の方が大事だよなぁ!」

「おおっ!!」

 

 サーキーの問いかけに、オレンジプレイヤー達が応え、足を踏み鳴らす。

 

「このバカ共に教育してやろうぜ! 人間様の方が大事だってなぁ! 殺れ! 殺っちまえ!!」

「おおっ!!」

 

 オレンジプレイヤー達が津波の様に押し寄せる、ヒョウはメンバー達に手短に指示を出す。

 

「切り抜ける、みんなは俺の後に続いてくれ、無理に戦わなくて良い、身を守る事だけ考えてくれ」

 

 全員が一斉に頷くと、ヒョウは続ける。

 

「抜けたら俺が殿に回る、先頭はヒース、行き先は任せる。やり過ごせる場所を探してくれ」

「任された」

「よし、行くぞ!!」

 

 ヒョウの掛け声の下、パーティーは一丸になって駆け出した。囲みの薄い部分を狙い、鋭い錐の様に穿ち、進んで行く。進んで行く先は、まだまだマッピングの進んでいない、迷宮区の奥だった。本来なら出口に向かうべきなのだが、当然の如くそこの囲みは厚かった。シリカとリズベットの負担を考えると、些か無謀に見えても、ヒョウとしては囲みの薄い奥へと向かうしか選択肢は無かった。それに、それでもヒョウには勝算が有った。

 

「囲みを抜けた、ヒース!!」

「承った!!」

 

 ヒョウが殿へと進む途中、シリカとアイコンタクトをする。「頼む、シリカちゃん」「分かりました、ヒョウさん」そう確認し合い、二人はすれ違う。

 

 この戦いにおいて、ヒョウが戦闘の矢面に立ち続けたのには理由が有る、なぜなら近いレベルのオレンジプレイヤーとグリーンプレイヤーが圏外で戦った場合、いかなトッププレイヤーとはいえ、グリーンプレイヤーが確実に負けるからだ。いくら相手がオレンジプレイヤーだからといって、殺人に強い忌避感を持つグリーンプレイヤーが、箍の外れたオレンジプレイヤーに勝てる道理が無い。唯一と言って良い例外がヒョウである。彼はツウのレベリングで安全を確保する為、常にモンスターに四肢損壊という異常状態を引き起こすべく、刀を振るっていた。その結果、今では狙って四肢損壊を出せる程になっており、システム外ユニークスキルと言って差し支えない腕前に達していた。加えてリアルで深く修めた『祝心眼流古武術』がある、人の形をしている存在に負ける筈も無く、オレンジプレイヤーを殺さずに制圧できるのは、アインクラッドに彼一人しか居ないのだ。とはいえヒョウとて超人ではない、ポーションを使って次々と回復する追手に手を焼いていたのは事実である、その為に打った布石が、迷宮区奥に進むに連れて発揮していった。

 

「ヒースクリフさん、そっちに罠が有ります! 右へ!!」

「承知した」

「前方に落とし穴、誘導して敵の数を減らします、私のタイミングで飛んで下さい。いち、にい、さん、今!!」

 

 前日のクエストで、マスターシーフ、罠看破という二つのユニークスキルを身につけたシリカは、水を得た魚の様に活躍する、やがて……

 

「あそこにダンジョンの入り口のような物が有る、いったんあそこで立て直そう」

「ダメ、待って下さ……」

 

 漠然とした違和感を感じたシリカが咄嗟に口にするが、勢いのついたヒースクリフが見つけた洞窟の中に駆け込んで行く、続いて他のメンバー達も次々と洞窟内に入って行った。最後に走る勢いを殺したシリカを抱え、ヒョウが洞窟内に転げ込む。

 

「みんな、無事か?」

 

 ヒョウの問いかけと同時に、入り口左右から隠されていた石扉が現れ、大音響をあげ勢い良くぶつかり合って閉じてしまった。閉じ込められたヒョウ達の周りの壁に、次々とトーチが灯されていく。

 

「おいおい、こりゃぁ……」

「まさかだろう、おい……」

 

 灯っていくトーチを目で追い、クラインとエギルが呻く、この光景は二人にとって見慣れた景色である。それはヒースクリフ、ゴドフリーは言うに及ばず、ヒョウ、キリト、アスナの三人も同様だった。

 

「ねぇアスナ、キリト……、ちょっとどうしちゃったのよ、みんな」

 

 先程のオレンジプレイヤーからの逃避行の時とはまた違う、見たこともない緊張感と殺気を放つ七人に言い知れぬ不安を抱いたリズベットが問いかけるが、皆それぞれの武器をかまえつつ、トーチの灯りが未だ届かず、ほの暗い部屋の奥を凝視していた。誰かがゴクリと唾を飲む音が、リズベットの耳朶を打つ、彼女の脳裏に、言い知れぬ不安がよぎる。リズベットと同様にシリカも不安と緊張に揉まれていた、彼女は自らの持つ看破スキルで、ここが何なのかおおよその見当がついていた。

 

 やがて部屋の中のトーチが全て灯り、内部の全容を明らかにする。部屋中央の空間が揺らぎ、モンスターがポップする前兆が始まった。

 

「リズ、シリカちゃん、落ち着いて聞いてくれ」

 

 静かに語るヒョウの言葉が、心に突き刺さる様に二人の耳に入って来る。リズベットとシリカは顔を見合せ頷き合うと、深く深呼吸をしてからヒョウに向き直り、次の言葉を待った。ヒョウは真剣な面持ちの二人の目をしっかりと見据えると、認めたくない現実を淡々とした口調で告げるのだった。

 

「ここは……、ボス部屋だ」

 

 ヒョウの言葉が終わるや否や、ポップを終えたモンスターの咆哮が、部屋の空気を激しく震わせた。

 

 

 




第二十六話 ヒョウ、無双

…………今度こそ


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十六話 ヒョウ、無双

令和初投稿。読み応え充分、力作です……長めですがf(^_^)


「リズ、シリカちゃん、落ち着いて聞いてくれ。ここは……ボス部屋だ」

 

 ヒョウの言葉に息を飲む二人、狼の集団から逃げおおせたと思ったら、そこは虎の巣だったという状況に、リズベットはパニックを起こしかけた。

 その反応は当然である、なぜならボス戦はフルレイド揃っていても、一つ間違えば全滅の危険が常に有るのだという事を、リズベットはアスナに聞かされた事があるからだ。お気楽に、もうボス戦なんて楽勝でしょうと尋ねた時、そんな事ないわよと答えたアスナのやるせない表情に、リズベットは軽率な質問をしたと後悔した経験があった。

 勝算は有るのか? 自分達はどうなるのか? 不安に駆られたリズベットが詰問しようと口を開きかけた時である。

 

「私のせいです、すみません、ヒョウさん」

 

 そう言って深く頭を下げるシリカの姿に、リズベットの心はギリギリ平常ライン内に踏みとどまる。

 

「シリカ……」

「私がもっと上手にマスターシーフのスキルを使えればこんな事には……」

 

 こんな年下の小さな女の子だって、自分の役割に責任を感じている、そもそも大元の原因は皆をタイムクエストに巻き込んだ自分に有るのだ、シリカに責任を負わせる事は出来ない。ならば私も自分の役割を果たさなくてはならない、私の役割とは何だろう、リズベットは自問自答する。

 

「バッカねぇ、誰もアンタのせいなんて思ってないわよ、シリカ」

「リズベット……さん」

 

 明るく笑い飛ばすリズベットに、シリカは思わず顔を上げた。ウインクするリズベットが出した答え、それはムードメーカーである。自分はムードメーカーに徹し、皆を盛り上げるのが役目である、それがリズベットの出した回答だった。

 

「だぁ~かぁ~らぁ~『リズ』って呼びなさいよ、『リ・ズ』。それよりシリカ、昨日の今日でスキルが使いこなせる訳無いでしょう、ましてやユニークスキルなんだから、ねぇ、ヒョウ」

「ああ、リズの言うとおり、シリカちゃんが謝る理由は無い、気にしないで」

「ほら、言ったでしょう。で、私達はどうすれば良いの?」

「ゴドフリーさんを護衛に付ける、俺達が悪足掻きしてる間に、二人はこの石扉を開ける方法を見つけて欲しい」

 

 真剣な眼差しを向けるリズベットに、ヒョウはそう答えた。その言葉を受け、「頼みます、ゴドフリー」とアスナが指示を出し、ゴドフリーが「任せて下さい、副団長」と、胸を叩いてそれを受けた。ここで、ある危惧を抱いていたキリトが「ちょっと待ってくれ、ヒョウ」と声をかける。振り向いた一同に、キリトは言葉を続ける。

 

「恐らく、このボス部屋は『初見殺し』だ、ボスを倒さない限り、扉は開かないだろう」

 

 MMORPG熟練者であるキリトはそう直感していた、初見殺しとは、初めてそこに入った者を叩き潰す、RPGゲームによく有るトラップである。今までに無いパターンの扉から、キリトはそう断定していた。初見殺しはいわば出オチの様な物で、何度か経験してそのパターンさえ覚えてしまえば楽勝なのだが、SAOではそれが出来ない。SAOは一度HPを全損してしまえば、二度と復活の叶わないデスゲームなのだ、扉がこの状態ならば二度目のチャレンジは有り得ない。顔色を変える一同に、キリトは更に言葉を続けた。

 

「だから二人は、ボスの動きをしっかり見ていてくれ、どんな些細な事でも、気が付いた事が有ったら知らせてくれ、頼んだよ、シリカ、リズ」

「はい、分かりました、キリトさん」

「アンタも頑張んなさいよ、キリト。負けたら承知しないんだから」

「二人共良い返事だ。じゃ、行こうぜ、ヒョウ」

「ああ」

 

 ボスに向かって歩いていく三人の背中を、シリカとリズベットは頼もしげに見送っていた。

 

 ヒョウ、キリト、アスナ、ヒースクリフ、クライン、エギルが対峙したのは、『コロニー・ゴブリン・ワンマンアーミー・キングダム』という、ゴブリンと言うには余りにも巨大なモンスターだった。咆哮を上げるボスモンスターに対し、六人の戦士が武器を構える。自身を恐れない闖入者を、まるで虫けらを叩き潰す様に手にした棍棒を振り下ろし、地面に叩きつけるボスモンスター。その動作を合図に、六人は戦闘行動に入る。

 

「快刀乱麻!!」

 

 極限までに鍛え上げた見切りスキルで、ボスの棍棒を紙一重の動きでかわすと、そのまま懐に飛び込んだヒョウは、ユニークスキル『抜刀術』で最大破壊力を誇るソードスキル、快刀乱麻を炸裂させた。それを攻撃開始の合図とする様に、キリトとアスナが左右から挟み込む様に、ソードスキルを叩き込む。同時に見えて、僅かにタイムラグを入れてボスの体勢を崩して隙を作り、破壊力増大効果を生み出すのは、流石キリト&アスナのコンビネーションである。

 

「「ヒョウ『君』、スイッチ!!」」

「せぇえええええいっ!!」

 

 キリト&アスナからのスイッチを受け、ヒョウはカタナソードスキルの『鷲羽』を放ち、畳み掛けた後、追撃の『浮舟』でボスモンスターの体勢を崩してキリトにスイッチをする。キリトとアスナのソードスキルを受けきったボスモンスターは、小癪な小人に怒りの棍棒を振り下ろす。棍棒の先に居るのは、最もヘイト値が高く、技後硬直で動けないヒョウだった。しかしヒョウは慌てない、何故なら

 

「ウォラアアアッ!!」

 

 ボスモンスターの棍棒の一撃を、エギルの大斧が受け止め、相殺する。そして

 

「オラオラオラオラ! コンニャロウ!!」

「三人は今のうちに体勢を整えたまえ」

 

 背後に回ったクラインとヒースクリフが、三人に溜まったヘイトを拡散する為の遊撃を開始する。人数規模がどうあれ、対ボス戦闘を何度となくこなしている彼等は、自分の役割というものを熟知している。初めてボス戦闘を目の当たりにしたシリカとリズベットは、固唾を飲んでこの光景を見つめていた。

 

 少人数でのボス戦闘ではあるが、流石トッププレイヤーの最上位と目される六人である。通常のボス戦に比べると倍程度の時間をかけてはいるが、確実にダメージを与え、HPバーの一本目を削り取る事に成功した。その時、ボスモンスターに異変が起こる。

 

「!?」

 

 突然咆哮を上げ、発光するボスモンスターに、すわ大威力範囲攻撃かと距離を取り、防御体勢で身構える。眩い光を放ち、ボスモンスターはバラバラと崩れていく。

 

「だからコロニーで、ゴブリンで、ワンマンで、アーミーで、キングダムなのね」

「どういう事だ?」

 

 崩れたボスモンスターのピースを見て、アスナがげんなりとした口調で呟いた。その言葉にキリトが素直な疑問を口にする。

 

「コロニーって、スペースコロニーみたいに、居留地とか植民地って意味の他に、群体って意味が有るの」

「群体……?」

「ええ、詳しい説明は省くけど、ざっくり言うと、同種の個体が多数くっついて、一つの個体の様な状態になっている生物の事を指して言うの、サンゴなんかがそうよ」

 

 アスナは襲いかかるボスモンスターのピース、自分の腰位の身長の無数の青い小鬼達を捌きながら、説明を続ける。

 

「ここのボスはこのゴブリンの群体で、状況に応じてバラけて軍隊になるのよ」

「軍隊という事は、指揮官がいるって事か。でもそれならキングダムは余計じゃないか?」

 

 同じく小鬼達を捌きながら、キリトがそう疑問を呟くと、ヒョウがその解答を推察した。

 

「国民皆兵なんだろう、見たとこ生産職はいないみたいだし」

「私もそう思う」

 

 アスナが賛意を示すと、三人は無数の小鬼達の中央にいる、他の小鬼よりも首一つ分背の高く、そして身体の色が赤い個体を見据える。

 

「という事は」

「アイツを倒せば弱体化する」

「多分」

 

 頷き合う三人の話しを聞いたクラインが、猛烈な勢いで刀を振り回し、赤い個体へと突進する。

 

「よっしゃあああああああ! 俺に任せろぉおおおお!!」

 

 青い小鬼達を蹴散らしたクラインが、勢いに任せて赤い小鬼に一太刀つけると、青い小鬼達が一斉に発光して変化していく。

 

「おいおい、何だってんだ、コイツぁ!?」

 

 発光が収まると、小鬼達の姿が片手剣剣士の姿に変わっていた。その片手剣剣士が一斉に剣を振るうと、クラインを始め、キリト達の顔色が変わる。

 

「これって……、まさか……」

「キ……、キリトの動きじゃねえか……」

 

 小鬼達はキリトそのものといった動きで、狼狽え虚を突かれた一同を後退させると、再び合体して巨大な細剣使いの女性の姿を取る。

 

「おいおいおいおい、今度はアスナか!?」

 

 巨大な細剣の精緻な攻撃を掻い潜りながら、クラインが悲鳴を上げる。次にバラけた時はヒョウ、合体した時はヒースクリフと変化して攻撃してきた。この事から皆、クラインの攻撃が引き金となり、ボスモンスターは今までのボス戦でMVPかラストアタックボーナスを得たプレイヤーをコピーして攻撃をしているのだろうと、推測している。そしてボスモンスターはバラけた時のダメージに応じて、再合体した身体のサイズは小さくなるものの、動きはその分シャープになっていくのを体感していた。

 

 この状況の中、内心で嗤っている人物が二人いた。一人はヒースクリフである。彼は今、血盟騎士団団長ヒースクリフとしてではなく、SAOゲームマスター茅場晶彦として嗤っていた。

 

 結論から言うと、このボス戦はクリア出来るのだ。しかし、大苦戦をした後、犠牲者を出しての苦渋の勝利となる。三大特火点が満身創痍になり、あわやという所まで追い詰められ、血盟騎士団団長ヒースクリフの獅子奮迅の活躍でボスモンスターが倒され、このボス戦は終了する。そんな青図を茅場晶彦は描いていた。

 茅場晶彦がこの計画を立てたのは、このタイムクエストへの往路である。彼はいまだに十三層のヒョウ伝説を信奉する者が、攻略組の中に一定数存在する状況を看過する事が出来なかった。何故なら茅場晶彦はヒースクリフとして攻略を導き、ラスボスとして絶望を与える事を望んでいるからだ、それがヒョウを信奉する者達の存在で完全に導いているとは言えない状況が続いている。故にこのタイムクエストを奇貨として、ボス攻略戦に雪崩れ込み、ヒョウの最強伝説に終止符を打って、ヒースクリフが名実ともに攻略を導く者として君臨する事を画策したのだ。途中サーキーに絡まれたのは、茅場晶彦/ヒースクリフにとって実に好都合のハプニングであった。

 

 さて、誰に犠牲者になって貰おうか? それが今のヒースクリフにとって問題である。

 

 このタイムクエストに同行する二人の少女は語り部になって、一般プレイヤー達への意識誘導をして貰うから除外する。ツウさんからラーメンをご馳走になる為には、ヒョウ君の生存は不可欠。悲劇性を強調するならアスナ君が効果的だが、彼女は自分の右腕でもありツウさんの親友でもある、彼女に与える影響を考えるとこれも除外するしかない。キリト君はどうもアスナ君に大層好かれている様子だ、彼が死ぬとアスナ君がその後使い物にならなくなる公算が大だ。クライン氏、エギル氏もツウさんと昵懇の様だし、ゴドフリー君も同様だ、下手に犠牲者にすると、ツウさんのラーメンが……。クラディール辺りを連れて来るべきだったな……

 

 そうヒースクリフが逡巡している時、内心で嗤っていたもう一人の者、ヒョウが猛威を振るっていた。ボスモンスターがキリト→アスナ→ヒョウ→ヒースクリフの順番を繰り返し、他の者達が手こずっているにも関わらず、順調にボスモンスターにダメージを与えていた。

 

 楽しい! 楽しい! 楽しい!

 

 キリト達が悲壮感にまみれて戦っているのに対し、ヒョウは人知れずこのボス戦を始めから楽しんでいた。それは彼の心の奥底に有る救いがたい願望、自分が今までに身につけた祝心眼流古武術を、思う存分振るってみたい、という願望による物だ。ボスモンスターの第一形態の時は、それなりに皆と同様の悲壮感も共に抱いていたが、第二形態以降は純粋に楽しんでいた。対人戦闘、それも高次元での剣技のせめぎ合い、それがヒョウの求める物であり、それがモンスターのコピーであれ、キリト、アスナ、ヒースクリフ、そして自分自身との戦いは、ヒョウの心を喜悦に満たすに充分過ぎる物だった。歓喜に震えるヒョウの刀は、次第に鋭さを増し、ボスモンスターを蹴散らしていく。そう、人の形、人の動きをする者が相手なら、ヒョウに負ける道理は全く無いのだから。

 

 そうして何度か苦労して、指揮官と目算する赤い小鬼にダメージを与えていく、一定のダメージを負う毎に、全体の攻撃力が上がっていくが、これもRPGゲームのセオリーである。あと一息、この赤い小鬼さえ倒しきれば、指揮官が居なくなり後は楽になる。その思いで歯を食い縛り戦い続けてきた彼等に終焉が見えてきた、強力化していくとはいえ、青い小鬼が数を減らすに連れて、赤い小鬼の防御は薄くなっていく。あと一撃で倒しきる、渾身の力で刀を振り下ろしたヒョウに、突然閃いたシリカが叫ぶ。

 

「ダメです! ヒョウさん!! 罠です! それを倒したら大変な事に!!」

 

 シリカの声を聞いたヒョウは、咄嗟にソードスキルを中断する。技後硬直で動けなくなり、無防備状態になったヒョウを担ぎ上げ、エギルが安全地帯へと飛び下がる。パーティーメンバーが一斉にシリカに注目した。

 

「赤い小鬼は一番最後に倒して下さい。先に倒すと、強力化したまま、今までのダメージはリセットされて、始めからやり直しになります!」

 

 あからさまに周りとは違う特殊個体を用意し、指揮官という弱点を見せて攻撃させる、ダメージを与えれば周りが強力化していき、特殊個体を守ろうとする。その行動を見てプレイヤー達は、それが弱点で正しいのだと思考誘導されていく、そんな上級者向け攻略法をちらつかせ罠にかける。流石のキリトも、不利な状況でのボス戦に視野狭窄になっていて、そのパターンを見落としていた。そんな初見殺しのトラップをシリカが見破れたのは、戦闘が始まる前のキリトの言葉である。

 

「どんな些細な事でも、気付いた事が有ったら知らせてくれ」

 

 その言葉に忠実に従っていたシリカは、一つも見逃すまいと、目を皿にして戦いを見つめていたのだ。その行いが奇跡を呼ぶ。武術、武道の世界には、見とり稽古という言葉がある。上位者の動きを見とる事で、自身の実力向上に繋げるものである、今のシリカも同じ事をしていたのだ。上位者の戦闘を見極め様とする事で、マスターシーフ、罠看破スキルが急速に磨かれていき、看破するに至ったのだ。

 

「ようしみんな、聞いた通りだ」

 

 キリトが声を上げると、パーティーメンバーは一斉に頷く。

 

「分かったわ、赤い小鬼は後回しね、キリト君」

「ドジって倒すなよ、クライン」

「ひっでえなぁ、そんな事しねぇって、エギルの旦那」

 

 全員の顔に笑顔が戻る、気持ちがリフレッシュされて、悲壮感から来る固さも取れ、心身共にベストな状態を取り戻した。

 

 やっぱり君は、赤鼻のトナカイだね、キリト

 

 ヒョウも気持ちを入れ替えて、刀を存分に振るうのだった、そして……

 

 最後の一体になった赤い小鬼がガラス片の様に弾け散り、攻略成功の花火とファンファーレが鳴り響く、達成感よりも安堵が先に来たパーティーメンバーは、歓声を上げるよりも先に、力尽きて腰を床に着けていた、たった一人を除いては。

 

「あの……、あの……、私……、私……」

 

 アワアワと立ち尽くすシリカに、立ち上がったキリトが歩み寄り、頭を撫でて労をねぎらう。

 

「お疲れ、シリカ。大殊勲だったな」

「本当に助かったわ、シリカちゃん。おめでとう」

 

 続いて肩に手を置き、ねぎらいの言葉をかけるアスナ。上気して二人を見上げるシリカに、リズベットが飛びついてもみくちゃにする。

 

「シーリーカー! アンタすっごいじゃないの! コノコノコノ」

「いやぁ、リズさん、きゃん」

 

 リズベットの手荒い祝福にたじたじとなり、逃げ腰になったシリカにヒョウが歩み寄る。

 

「有り難うシリカちゃん、君は命の恩人だよ、本当に有り難う」

「そんな! ヒョウさんの指導を受けていなければ、私なんて全然ダメダメで……」

 

 最後の一体となった赤い小鬼は、メンバーを凌駕する程の動きを見せて、圧倒していた。皆が防戦一方となる中、辛うじて対応できていたヒョウが、なんとかダメージを蓄積させていく、HPバーがイエローゾーンに削られたヒョウに、赤い小鬼は光速の三連撃で勝負を決めに来た。それをソードスキル、抜刀三連撃『紅』で相殺した後、快刀乱麻で追撃した。ヒョウの攻撃で赤い小鬼は首を斬り飛ばされ、誰もが勝利を確信した、しかし……

 

「!?」

 

 技後硬直で動けないヒョウの目に、そして全員の目に信じられない光景が映し出されていた。それは僅かに数ドット残したHPバーの首なし小鬼が、ヒョウに向かい剣を振り上げている姿である。小鬼の手にした剣には、ソードスキルの輝きが不気味に煌めいていた。

 

 ここまで来て!!

 

 技後硬直で動けない身体を必死に動かそうと、誰もが唇を噛んでいた時

 

「やぁああああああっ!!」

「キュアアアアアアア!!」

 

 無我夢中でシリカが放ったソードスキル、ラピッド・バイトが首なし小鬼に炸裂し、ポリゴン片に粉砕してヒョウの窮地を救ったのだった。

 

「あそこで動けたのは、君が本当に強い証拠だよ、シリカちゃん」

「……そんな……、えへへ」

 

 照れ笑いをしながらキリト、アスナ、ヒョウの顔を見上げるシリカの顔には、彼等に少し近づけた達成感に、控え目ながらも誇らしげな表情が浮かんでいた。

 

「じゃあみんなはアクティベートを頼む」

 

 一息つきながらポーションを口にして、HPバーが全快したのを確認したヒョウは、上層への階段に背を向け、入り口へと向かって足を進める。

 

「ヒョウ、お前どうするつもりだ」

「榊に……、ケジメをつけに行く」

「ヒョウ君……」

 

 キリトの問いかけに、ヒョウは一言そう答えた。アスナはヒョウの背中に何か言おうとしたが、キリトに止められて口をつぐむ。ヒョウとサーキー、祝屋猛と榊賢斗、この二人のリアルから続く因縁の決着に、他人が口を挟む余地は無かった。

 

 ヒョウが手をかけると、あんなに固かった石扉は、呆気なく開いた。その向こうに居たのは、サーキー率いるオレンジプレイヤー達である。

 

「榊……、サーキーはどこだ?」

 

 静かに問いかけるヒョウに、一瞬虚を突かれたオレンジプレイヤー達は一歩後ずさる。その一歩に合わせて前に出たヒョウはもう一度、今度はやや殺気を込めて問い質す。

 

「サーキーはどこだ!?」

「舐めんなぁ! ガキぃ!!」

 

 気圧された自分の心を鼓舞するため、悪態を叫びながら大剣を振り下ろすオレンジプレイヤー、しかし……

 

「!? ヒェエエエエッ!!」

 

 抜く手を見せない動きで、ヒョウはそのオレンジプレイヤーの両足を付け根から斬り飛ばす。訳のわからないうちに、致命的なダメージと状態異常に陥ったオレンジプレイヤーが悲鳴を上げて、芋虫のように身体をくねらせる。それが合図となった様に、ヒョウはオレンジプレイヤーの群れに斬り込んで行った。ヒョウの一刀一刀は分厚い壁の様なオレンジプレイヤー達を斬り崩して行く、ヒョウの通った跡には、HPバーをレッドゾーン迄に削られた上に、四肢のうちのどれかを損壊させられたオレンジプレイヤーの山が残った。

 

 鬼神の表情で刀を奮うヒョウの姿に、大分部のオレンジプレイヤーは戦意を喪失して、我先にと壊走して行く。その壊走するオレンジプレイヤーの中に、ヒョウは遂に因縁の相手を見つけ出す。

 

「榊ィ!!」

「祝屋ァ!!」

 

 因縁の二人が刃を交わし、斬り結ぶ。サーキーもレイド規模のオレンジプレイヤーを従えるだけの実力を身につけていたが、無敵のヒョウの敵ではなかった。コヅ姉の大事な人を傷つけようと画策し、蠢動するサーキーに、ヒョウは以前宣言した通り、殺意を持って刀を奮う。鬼神と化したヒョウに押され、サーキーは追い詰められて行く。

 

「ヒィッ!!」

 

 サーキーは遂にヒョウの刃を受け、右腕を斬り飛ばされて毒沼に転がされる。自らが毒状態になる事も厭わずに、ヒョウはサーキーのHPバーを刈り尽くすべく、追撃の刃を振り下ろす。しかし……

 

 鈍い金属音が響き渡り、 ヒョウの刀は遮られる。馬に乗って駆け込み、間に入ったPoHのミートチョッパーに阻まれたからだ。

 

「悪いな、コイツはまだ殺させねぇ」

 

 PoHがヒョウの刀を弾いた隙に、二頭の馬が更に割って入り、馬上の男がサーキーを引き上げると、三頭の馬はそのまま駆け抜けて行った。

 

「チィッ!!」

 

 みるみる遠ざかり、小さくなっていく馬上の背中を、ヒョウは無念の舌打ちをして見送るしか術は無かった。

 

 




次回 第二十七話 毒手


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十七話 毒手

今回は短いです、でも濃い内容になって……いると…………思います、ハイ


 とある階層のダンジョンで、ソロプレイヤーがモンスターの群れに囲まれていた。

 みすぼらしい装具に身を包み、手には武器を持たず、レスリングの様な構えでモンスターの群れと対峙するソロプレイヤー。彼の右腕は、なぜかボロボロの包帯が幾重にも巻かれていた。

 低層ではない、最前線近くの高層、それも迷宮区に位置するダンジョンだ、攻略が七十層を越えた今、ソロで潜るのは限られたトッププレイヤーでも難しいだろう。疲労困憊のソロプレイヤーは、肩で大きく息をしながら、取り囲むモンスター達を注意深く窺い、摺り足で好位を得ようとジリジリと移動して行く。

 ギラついた目の下には濃い隈が浮かんでいる、ソロプレイヤーは極度の疲労状態の中でモンスターに気を取られる余り、沼が有るのを気付かずに片足を踏み入れてしまう。

 

「!?」

 

 毒沼である、毒状態となったソロプレイヤーは足下に気を取られ、一瞬モンスター達から目を逸らしてしまった。モンスター達は、その一瞬を見逃すはずも無く、一斉に襲いかかる。ソロプレイヤーはスウェーバックでかわしながら、左から飛びかかって来たモンスターの首根っこを引っ掴み、即席の盾にして正面と右側から加えられた攻撃を受け流す。その流れを利用して、正面のモンスターに、遠心力と体重を充分乗せた裏拳を叩き込み、もう一度モンスター盾で右側のモンスターの攻撃を受け止め、貫手を叩き込む。この階層まで来ると、もはや体術は通用しない、本命の武器攻撃に繋ぐ為のフェイントにしか使えない。実際ソロプレイヤーの攻撃が与えたダメージは微々たるものだった。二頭のモンスターは『それがどうした』という嘶きをした後、ソロプレイヤーに向かって武器を振りかざす。絶体絶命のピンチにも関わらず、ソロプレイヤーはモンスターに対し、嘲るような笑みを浮かべていた。モンスター達は武器を振り下ろす、しかしその刃はソロプレイヤーに触れる事がかなわなかった。何故ならモンスター達はさっきの体術攻撃で、状態異常を与えられていたからだ。武器を振り下ろす迄の間、状態異常に蝕まれ、モンスター達のHPバーは全て刈り尽くされてしまった。目の前で二体のモンスターが爆ぜて消えていくのを確認したソロプレイヤーは、くつくつと凶相を歪ませると、左手で首根っこを押さえたモンスターの顔面に、右手でアイアンクローを極めながら、ゲラゲラと狂った様に笑いだす。脱出しようともがき、暴れるモンスターはソロプレイヤーの手で、文字通り状態異常と化し、そのまま二体のモンスターの後を追って行った。

 

 三体のモンスターが、このソロプレイヤーによって与えられた状態異常は、毒状態だった。そしてこのダンジョンは、毒状態トラップに特化したダンジョンで、当然ポップするモンスターも毒モンスターばかりである。そんな耐性を持つはずのモンスターを、HPバーを刈り尽くす程の強毒状態にするこのソロプレイヤーの秘密は一体何なのだろうか……

 

 

 

「ふーっ、流石に疲れたぜ……」

 

 ソロプレイヤーは周りの安全を確かめると、疲労困憊の身体をドサリと地面に横たえた。

 

「フンッ!」

 

 ソロプレイヤーが気合いを入れると、全身の毒が右手に集まり、毒々しい光の玉となる。ソロプレイヤーはその光の玉を握り潰すと、毒々しい光は彼の右手に吸収される様に消えていった。

 

「へへっ」

 

 ソロプレイヤーは開いた右手を見つめると、満足そうに笑い、それからフリックしてスキルメニューを呼び出し、内容を確認する。書かれた内容に満足すると、ソロプレイヤーはメニューを閉じてそのまま大の字となり、目を閉じた。

 

 生暖かく、粘っこい風が、ソロプレイヤーの身体を舐める様に吹き抜けていく。何日間もこのダンジョンにこもり、神経を磨り減らしてレベリングと、スキルを鍛え抜いたソロプレイヤーにとっては、こんな不快な風すら心地よく感じていた。そのまま彼は微睡みの世界に身を委ねてしまった。

 

 

「グァアアアアアアアアア!! 痛え! 痛え!!」

 

 六十七層の迷宮区から救い出されたサーキーは、ラフィン・コフィンのアジトで、斬り飛ばされた右腕の付け根を押さえ、苦しみ悶えていた。ここに戻る道中、馬上で状態回復のポーションを飲んでいたが、切り落とされた右腕も、毒状態も一向に元に戻る気配すら無かった。

 

「畜生! 祝屋! 祝屋ァ!! 殺す! 殺す! 殺してやる!!」

 

 この痛みを与えた憎い仇を呪詛する事で、苦痛を耐え抜いたサーキーが、状態異常から回復したのは三日後の朝だった。しかし朦朧とした意識で確認すると、とてもではないが元通りに回復したとは言えなかった。生えてきた右腕には鈍痛が残り、そして紫色に変色していたのだ。虚ろな目でメニューを開き、サーキーは自分の身に起こった事を確認する。何回かフリックを繰り返すと、新規に獲得したスキルが有ることに気がついた。

 

「?」

 

 スキルクエストをした覚えは無い。心当たりは無いが、後半戦に差し掛かった今になって新しいスキルを覚えても、どれだけ物に出来るやら、だったらヤツを殺せるレアアイテムでもドロップしろよ。

 

 そう心の中で悪態をつきながら、スキル説明を読み進めるサーキーの目に光が戻る。

 

「これだ! これでヤツを殺せる!!」

 

 歓喜に打ち震えるサーキーは、メニュー画面を閉じると、新たに得たスキルを極めるべく、人知れず姿を消したのだった。サーキーが真剣に物事に打ち込んだのは、リアルを含めてこれが初めてである。それが逆恨みである事も気付かずにサーキー、いや、榊賢斗は恨み骨髄に染みる、不倶戴天の敵である祝屋猛を殺すため 、暗い情念を燃やし、不眠不休でスキルの研鑽に努めていた。途中、攻略組によるラフィン・コフィン討伐の噂を聞いても、サーキーにはどうでも良い事だった。そんな事よりも、一刻も早くこのスキルを物にして、祝屋猛に一泡ふかせ屈辱にまみれさせ、死を与える事こそが彼にとって最優先事項であった。スキルの習熟が深まるにつれ、右腕の鈍痛は激しくなっていくが、サーキーはその痛みすら悦びだった、何故ならその鈍痛こそが憎い祝屋を殺せる事の証なのだから。

 

 今度こそ、今度こそ祝屋猛を殺してやる

 

 その一念のみで、サーキーは無謀なレベリングをやり遂げ、驚異的な速さでスキルレベルをカンストさせるに至った。後は、このスキルがプレイヤー相手に、どれだけ使えるかを試すだけだ。

 

 サーキーはゆっくりと身体を舐めて行く風のリズムに合わせ、奸計を巡らせていった。そこへ、二人連れのパーティーがやって来た。彼等は二十五層以降に攻略組の仲間入りを果たすも、一軍半といったポジションに名前を連ねるプレイヤーである。レギュラーメンバー入りを目指して、このダンジョンへとレベリングにやって来たのだ。彼等二人にとって最大の不幸は、サーキーの顔を知らなかった事である。二人はダンジョンの危険地帯にプレイヤーが倒れているのを確認すると、慌てて駆け寄り声をかけた。

 

「おい、大丈夫か!?」

「こんな所でどうしたんだ? 何が有った!?」

 

 二人がしゃがみこみ、肩に手を置いた時、倒れているのは、オレンジプレイヤーだと気がついた。

 

「おい、こいつオレンジだぜ」

 

 一人はしくじったと苦い表情で立ち上がったが、もう一人は違った。

 

「こんな所で倒れているんだ、オレンジだって放っとけねえよ」

 

 なおも気をつかせようと揺さぶると、倒れている男、サーキーが突然パチリと目を開けた。

 

「良かった、気がついたか……!?」

 

 サーキーは介抱してくれたプレイヤーの左手首を、右手で思い切り握りしめ、不気味な笑みを浮かべる。

 

「人が気持ちよく寝ていたのに……、要らんことするんじゃねえよ」

「おい、何をする!? 止めろ……、止めてくれ!!」

 

 手首を握られたプレイヤーの視覚情報が真っ赤に染まる、毒状態のアラームが点灯したと思ったら、急速にHPバーが削られて行く、そして……

 

「止めろ!! 止めろ!!」

 

 プレイヤーの哀願を無視し、サーキーはヘラヘラ嗤いながら、プレイヤーの手首を握り続けると、やがてプレイヤーはポリゴン片となって散っていった。その一部始終を目の当たりにした相方プレイヤーが、肝を潰して逃げ出すと、飛び起きたサーキーはその背中を追い、右手の爪で軽く引っ掻いた、すると彼は一瞬で毒状態に陥り、HPバーが急速に減っていく。プレイヤーは慌ててストレージから解毒結晶を取り出すと、走りながら頭上に掲げる。

 

「解毒! 解毒! 何で!? 何で効かねぇ!! 解毒!!」

 

 解毒結晶の効果よりも、サーキーによって与えられた毒状態の進行が勝り、もう一人のプレイヤーもポリゴンの欠片となり、消えていった。

 

 

 フフフフフ、ハハハハハ

 

 誰も居なくなったダンジョンの一角で、サーキーの禍々しい高笑いが響いた。サーキーの得たスキルは、『毒手』というユニークスキルである。低レベルでは、触れた物を毒状態にするアシストスキルだが、カンストすると致死毒状態を与える恐ろしいスキルだった。このスキルがモンスターのみならず、対人戦闘でも有効な事を確認したサーキーは、これであの祝屋猛を殺す事が出来ると確信して、ダンジョンの奥へと消えていった。

 

 ツウの手伝いで子供達の世話に勤しむヒョウは、自分に対する大きな脅威が今発生した事を、知る由もなかった……

 




次回 第二十八話 アインクラッド 二千二十四年 十一月七日 十四時五十五分


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十八話 アインクラッド 二千二十四年 十一月七日

 六十七層のオレンジプレイヤー襲撃事件以降、首謀者サーキーを取り逃がしたものの、ヒョウの身辺はとてものどかな状況であった。確かに例の事件の結果、オレンジプレイヤー及び殺人ギルド『ラフィン・コフィン』の危険性を看過できない物と認識した攻略組が、一斉討伐に踏み切った経緯も有ったが、それはヒョウにとって些末な事である。待ち伏せによる不意討ちを乗り切った後は、ヒョウの独壇場であった。双方レイド級の戦力同士の衝突で、お互いに壊滅的な損害を出す事無くラフィン・コフィンメンバーを屈服させ、監獄エリアに送り込めたのは、全てヒョウの功績である。対人戦闘最強と噂されるヒョウを討ち取り、名前を上げようと群がる者達を、片っ端から四肢損壊にした上、HPバーを危険領域に削り飛ばし、戦意を崩壊させた上で監獄エリアに放り込んでいった。あっという間に戦力を減らしたラフィン・コフィン達は、幹部メンバーが強硬に抵抗するも囲まれて投降し、監獄エリアの住人になる道を選ぶに至る。

 この戦いでサーキーとPoHの不在を訝しく思っていたヒョウではあるが、その後もたらされた日常の平和による喧騒で、その思いは徐々に頭の隅へと追いやられていった。だがしかし、これはサーキーが諦めたからではなく、彼が新たに身につけたユニークスキル『毒手』の習熟に勤しんでいたためである。むしろ習熟作業の辛さを克服するため、このスキルでどうやって苦しめてやろう、どうやって殺してやろうと考え、計画を練り上げていたのだ。基本的に善人で武人であるヒョウには、サーキーのそうした性質は理解の埓外であり、決して油断しているわけでは無いが、警戒のしようもなかったのである。

 

 サーキーの奸計は、ヒョウの思わぬ所でゆっくりと、そして確実に地下茎を伸ばし、彼を引きずり倒そうと狙っていた。

 

 とある階層のダンジョンの中、あてどもなく何かから逃げる様に、走る男がいる。男の名前はキバオウ、序盤の攻略をリードした彼も、失敗続きで解放軍の中で立場を失っていた。起死回生にシンカーを罠にかけ、第一層黒鉄宮にあるエクストラダンジョンに置き去りにして、不在の間に復権を謀ろうとするも、ユリエールによってその行動を暴露されると、キバオウは取った手段の悪辣さに完全に人心を失い、復権どころか逃亡を余儀なくされていた。

 

「なぁキバオウさんよ、アンタもう後戻りできねぇんだ、解ってるんだろ」

「ヒィッ……」

 

 息が上がり足を止めると、物陰から声が囁く。その声に怯えたように、また走り出すと、囁く声はどこまでも着いてきて、キバオウの心を掻き乱す。

 

「邪魔モンのシンカーをハメたんだ、そうだろう、なぁ」

「ちゃう、ハメたんちゃう! あれは天誅や、ワイに反対して、邪魔ばかりしよるシンカーはんが悪いんや! ワイは悪う無い、悪無いでぇ!!」

「そう、あれは天誅だ。でも、周りの連中は冷たいよなぁ、攻略序盤はあんなに持ち上げていたのに、ちょっと調子が悪くなると、手のひらを返してコキ下ろす」

 

 シンカー置き去り事件は、元はと言えばサーキーからキバオウにもたらされた策だった。

 

 コーバッツ大隊の攻略失敗が原因で八方塞がりになり、追い詰められたキバオウの精神状態は遂に破綻してしまう。解放軍メンバーの大部分はそんなキバオウを見限って離れていき、完全に孤立してしまった。旧知の者も櫛の歯が欠ける様に離反する中、昔の事は水に流し、今度こそ力になりたいと近づいて来たサーキーに、キバオウが飛びつくのは無理もない事である。

 しかしそれは更なる苦難の入り口だったとキバオウは直ぐに思い知る事となる、サーキーの策に乗ってシンカーを置き去りにしたキバオウは、事件解決後にその行動をアルゴを始めとする情報屋達によりアインクラッド全体に晒されて、卑怯な卑劣漢として誰からも相手にされなくなってしまった。時を置かずしてかつての仲間達は全て離反し、その代わりに周りを固めたのは、ラフィン・コフィンの遺志を継ぐオレンジプレイヤーである。そこに至ってキバオウは己の浅はかさに気がついた。このままではいけないと逃げ出したキバオウだったが、それを見逃すサーキーではなかった。

 

「……そうや! あんなに目ェかけてやったんに、どいつもこいつも離れて行きよった……」

「薄情だよなぁ……、どいつもこいつも。これで良いんかい、キバオウさん? アンタはこれで終わる器じゃ無い。見返してやろうぜ、なぁ」

 

 キバオウの足の動きが鈍る。そうや、ワイはまだまだ終わらへん、終わってたまるかいな!! 

 

「まずは四層の島、あの小生意気なヤツが居座る島を徴発して足掛かりにすれば、まだまだ挽回は可能だぜ、キバオウさん」

「せやな、力を貸して貰えるか? サーキー」

「当然だぜ、キバオウさん」

 

 毒を喰らわば皿までよ、せやったらトコトンやったろうやないけ。最後にワイがこのクソゲーをクリアして、見下したモン裏切ったモンに目にもの見したるわ! 

 

 キバオウの顕示欲の残り火が、勢いを盛り返して行くのを見届け、サーキーはほくそ笑む。これからだぜ祝屋、今までの怨み、まとめて返してやる。

 

 

 十一月七日は朝から晴れ渡り、見事な攻略日和だった。

 

 今日は攻略組は、ボス攻略戦か……。キリト達、無事成功すると良いな。

 

 ヒョウは自宅兼保育園の有る、自己所有している四層の島に居る。今日の攻略は、最後のクォーターラウンドという事で、参加を打診されていたヒョウだったが、園児達の実戦狩り実習の後詰めとバックアップをする予定を先に立てていた為、そちらを優先させて今回は不参加を決めていた。ヒョウは確かにトッププレイヤーの一人だが、他の攻略組メンバーとはその地位を維持する理由が違っている。彼がトッププレイヤーの立場を維持し続けるのは、ツウを守り抜いて、一緒に現実世界へ帰ることが理由である。どんな悪意や困難からも、ツウのアバターと心を守り抜く事こそが、SAOでのヒョウの存在意義なのだ。ゲームが後半に差し掛かった今、それはツウの大事に思うもの、大切に守りたいと思うもの全てを守り抜く、という心境に進化していた。

 そんな訳で、どちらがヒョウにとって優先するのかは自明の理なのだが、今回は園の行事を優先した事を心の底から安堵した。先ほどヒョウがキリト達の身を案じたのは、本心からであるのは間違いないが、多分に不愉快事からの現実逃避も含んでいる。そしてその不愉快事の元凶は、保育園応接室で、ヒョウの前にカエルの様に這いつくばり、石亀の様に微動だにせず固まっていた。

 

「なぁキバオウさん、いい加減頭を上げてくれないかな」

 

 ため息混じりにヒョウは声をかけるが、不愉快事の元凶たるキバオウは、その姿勢のまま首を左右に振って拒絶する。

 

「イヤや、ヒョウはんが首を縦に振る迄は、ワイは死んでもここを動かへん」

「って言われてもなぁ……」

 

 これはコヅ姉一人では手に余る。頭を掻くヒョウに、キバオウはなおも食い下がる

 

「何でや!? ワイがこがいに頭ぁ下げてんのに、何でや!? ワイが再起する為には、この島が必要なんや! 後生や、ヒョウはん、頼んます!!」

「俺達が使うから、お前ら出てけって言われて、ハイそうですかと言う訳にはいかないでしょう? キバオウさん」

「やったらワイと手ぇ組まへんか!? 最高幹部や、最高級の待遇で」

「そういう問題じゃ無いんだよ、キバオウさん! ここはもう子供達の家なんだ、その子供達を追い出す様な事、俺達夫婦が受け入れると思うか!?」

 

 どこまでも話は平行線である。そしてヒョウには譲れない理由がもう一つ有った。

 

 実はヒョウとツウは、攻略戦に出発する前に訪れたキリトとアスナに、ギルドを結成しないかと、提案されていたのである。数日間の新婚生活の中で、何か思う事が有ったらしい。二人はただ攻略を目指すだけのギルドではなく、もっと多くのSAO孤児を引き取り、子供達がリアル同様の日常を過ごせ、一日の終わりに皆で美味しい夕食を食べ、笑顔で終われる様な、そんな家庭的なギルドをヒョウとツウの保育園を母体にして作らないか? そう申し出てきたのだ。

 ヒョウとツウにとって、特にツウにとってその申し出は願ったり叶ったりである、異存などある筈もなく、二つ返事でオーケーしていた。キリトとアスナが攻略戦に向かった直後、アルゴとリズベットとシリカの三人から参加したいと打診するメールが届き、更にクラインとエギルからも、合流を視野に入れた支援協力を申し出るメールも届いていた。元々論外なキバオウの要求ではあるが、こうした経緯やシンカーの一件もあってヒョウは断固拒絶を貫いていた。

 早く子供達の所に行かなきゃならないのに。ヒョウの苛立ちがピークに達した時である。

 

「ヒー君、大変ダ!!」

 

 膠着した空気を打ち破る様に、血相を変えて飛び込んで来たアルゴは、這いつくばるキバオウを見て更に顔色を変えた。

 

「キバオウ! テメェ!!」

 

 アルゴはずかずかと大股でキバオウに近づくと、胸ぐらを掴んで引き起こす。情報屋としてアジリティをメインにパラメーターを上げているアルゴに、ストレングスで抗えない程にレベル差が開いてしまったキバオウに、これが前半戦で攻略をリードした者の現状かと、ヒョウは少しだけ悲しくなった。

 

「なんや! なにするんや、ワレ!?」

「惚けるな! キバオウ! テメェ、サーキーと手を組んだロウ! ヒー君をここに足止めするノガ、テメェの役割カ!?」

「榊と手を……? それは本当か!? キバオウさん」

「今度はどんな汚い手で、ヒー君を嵌めようってんダ!! テメェ」

 

 驚きの事実を知らされたヒョウは、アルゴと一緒にキバオウへと詰め寄る。

 

「なんや!? ワイは何にも知らんで!! ワイはただ、ヒョウはんに誠心誠意……」

「嘘をツケ! ここの子供が一人、十八層でサーキーの手下に拐われたんダゾ! サーキーに言われるまま、シンカーを置き去りにしたキサマが、知らない筈が無いダロウ! さぁ言え! 何を企んでイル!?」

 

 子供が一人拐われた、お茶を用意して入室したツウは、それを聞いて顔色を失い、持っていたお盆を落としてしまった。力無くよろめいて膝を着くツウに駆け寄るヒョウ。

 

「知らん! ホンマにワイは何にも知らん! ワイはただ、ヒョウはんは困ってるモンには、必ず手ェ貸してくれるから、誠心誠意頼み込めばなんとかなるやろってサーキーに言われたから……、せやから……せやから……」

 

 ヒョウとアルゴの冷たい視線にたじろいだキバオウは、後退りながら言い訳をまくし立てる。そこにまた、血相を変えたノブとシゲが乱暴に扉を開けて転がり込む。

 

「ヒョウさん、こんな手紙が」

「手紙?」

「ゴンドラ舟から投げ込まれて」

「誰からだ……?」

「アイツです、ヒョウさん」

「ここの訓練工房に長く出入りしている、鍛冶職人の女です」

 

 リズベットの他で、ここに出入りしている鍛冶職人の女は限られている、長くとなれば一人しかいない。その人物にあたりをつけたヒョウは、眉をひそめて手紙を読み進めるうちに、徐々に怒りの表情を浮かべていく。読み終わった手紙を握りしめ、ヒョウは奥歯を噛みしめた。

 

「榊の奴……」

「ヒー君」

 

 憤るヒョウに、アルゴが内容を促すと、ヒョウは手紙をアルゴに手渡す。それを読んだアルゴの顔色も変わる。

 

「ガキを一人預かった。テメェの島を、新生ラフィン・コフィンの本拠地として徴発する。一人で十三層のボス部屋まで来い、来なかったらガキの命は無いと思え……」

「!!」

 

 余りの内容に両手で顔を覆うツウ、ヒョウは怒りを抑えて全員に指示を出す。

 

「コヅ姉、コヅ姉は血盟騎士団の本部に行って、他の子達が逃げ込んでいないか確認して」

「……ウン」

 

 ヒョウは、涙を拭いて立ち上がり頷くツウを抱きしめる。

 

「ノブさん、シゲさん、コヅ……ツウの護衛をお願いします」

「はい」

「了解です、ヒョウさん」

「アルゴさん、留守番お願いします」

「アイヨ、もうすぐオレっちの家になるんだからナ! 任セロ」

 

 アルゴはニィッと笑ってサムズアップで答える、最早キバオウに注意を払う者は誰も居なかった。

 

「ワイは知らん! 何も知らん! ワイは悪う無い、悪う無い……」

 

 キバオウはそう口にしながら、ヒョウ達の前から逃亡していた、完全に心の折れたキバオウには、もうアインクラッドでの居場所は完全に失われたのだ。ヒョウ達はそれを理解して、敢えて追う事をしなかった。

 

 メニューを呼び出し、装備を完全武装状態に整えたヒョウは、じゃあ行って来ると言って玄関に向かって行く。その背中に言い様の無い不安を感じたツウは、ヒョウを呼び止めて駆け寄った。

 

「タケちゃん」

「なんだい、コヅ姉」

「無理しないでね」

「うん、わかった」

 

 短く言葉を交わした後、二人はいつもより長めに唇を合わせた。

 

 

 ▽▲▽▲▽▲

 

 

 十一月六日はSAOプレイヤーにとって、特別な日である。それは忘れもしない二年前のSAOサービス開始初日、つまりこのデスゲームに囚われた初日の日付なのだ。初回ロットの一万人がログインした瞬間始まったチュートリアルで、取り返しのつかない事をしてしまったと泣きながら謝り続ける幼なじみを宥め、ヒョウがこのSAOに戦いを挑んだ ー剣を手に取り冒険を始めたー のは、翌日の十一月七日である。二年前のその日、ヒョウは中学二年の十四歳だった。それから二年経った今、園で保護しているSAO孤児の中に、当時のヒョウの年齢に達する者が数名いる、彼らもそろそろ独り立ちの頃合いになってきた。これはヒョウ達が突き放した訳ではなく、子供達の自発的な意志である。そういう経緯で十一月七日は、彼らだけで十八層以上のフィールドに出られるかの認定を兼ねた、狩り実習が予定されていた。ヒョウが引率する予定だったが、出掛けにキバオウの訪問があり、中止にしようかと考えた。しかし数日前からこの日を楽しみにしていた子供達の事を考えると、中止にするのも忍び無く、子供達に先行してもらい、キバオウを帰してからヒョウが後を追い、合流する手はずにした。

 

 子供達を先行させるに当たり、ヒョウは三つの戒めをする。一つはヒョウが合流するまでは、絶対に迷宮区に入ってはいけない。次に絶対に無理をしない事、回復のためのポーションや結晶はケチらない事。最後にもし何かが有った時、必ず転移結晶で避難する事、避難場所はこの島か、もしそれが無理な場合は血盟騎士団のギルドハウスに保護を求める事。その三つだった。子供達はヒョウの言い付けをよく守り、順調に狩りを行っていたが、ハプニングが起きる。

 

「おおい、君たち」

「?」

 

 子供達が狩りをしている所に、一人の女が駆け込んで来た。女は子供達が見知った人物で、保育園に併設されている訓練工房に長く出入りしている、鍛冶職人の女だった。女はあえぎながら、子供達に話しかける。

 

「君たち、大変だ、みんなの島が、キバオウ軍に襲われている」

「何だって!?」

 

 驚く子供達に、女は言葉を続ける。

 

「私はヒョウさんに頼まれて、君たちを保護しに来たの。ここにもキバオウ軍の連中が来るかも知れない。ヒョウさんから、秘密の隠れ場所を教えてもらったから、そこへ早く」

「お姉さん、それ、本当なの」

 

 年長の男の子が、鍛冶職人の言葉を遮った。真っ直ぐに疑問の目を向ける男の子に、鍛冶職人は一瞬たじろいだが、取り繕う様に言葉を続ける。

 

「ええ、本当よ。キバオウ軍が」

「そうじゃない、秘密の隠れ場所の事さ」

「?」

 

 軍が攻めて来た事を確認していると思った鍛冶職人は、虚を突かれて言葉を失う。男の子は泳ぐ鍛冶職人の女の目を見据え、口を開いた。

 

「僕達、ヒョウ兄ちゃんから、島に逃げられない時は、血盟騎士団に行けって言われてるんだ。秘密の隠れ場所なんて言われてない」

「それは……」

 

 狼狽える鍛冶職人を無視し、男の子は他の子供達を見回すと、子供達は転移結晶を手に、一斉に頷く。

 

「転移、グランザム」

 

 子供達は一斉に転移して行ったが、一瞬行動が遅れた子が一人いた。ジャスミンである。ジャスミンはこの鍛冶職人の女を少なからず慕っていた。サーキーのせいで母親を喪った彼女は、保育園で暮らす日々の中で悲しみは薄れていったが、寂しさだけは拭えなかった。もちろんツウも精一杯愛情を注いで接していたのだが、彼女もリアルではまだまだ子供である、ジャスミンが求める母性愛を満たす事を求めるのは酷であろう。そんなジャスミンの前に現れたのが、この鍛冶職人の女である。ツウよりも大人で、求める母性に近いものを持つこの女に、ジャスミンがなつくのは無理の無い事だった。そんなジャスミンを、この鍛冶職人の女はずっと可愛がっていたのだ。しかし……

 

「チッ! 仕方ないわね。アンタだけでヨシとするか。来な!」

 

 鍛冶職人の女は一瞬悔しそうに顔を歪めるが、ジャスミンの首根っこを乱暴に掴むと、一緒に転移して消えて行った。そう、この女は、サーキーがヒョウの動向を探る為に潜入させた『草』である。ジャスミンを可愛がっていたのも、ヒョウとツウの信用を得る為の芝居であった。本性を現した女は、ヒョウを誘き出す人質にするため、ジャスミンを誘拐してサーキーの下へと向かったのだった。

 

 鍛冶職人の女が向かったのは、十三層のボス部屋である。そこにはやや小柄で、拗ねた目を持つ凶相の少年が立っていた。少年は転移して来た二人の人物を確認すると、凶相をヒクつかせて独り言を呟く。

 

「さぁ、お楽しみはこれからだぜ、祝屋。イッツ、ショウタイム」

 

 

 

 

 




次回 SAO篇最終回 第二十九話 あなた……


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十九話 あなた……

 十三層ボス部屋

 

 そこはヒョウとサーキー、祝屋猛と榊賢斗の対立が決定的になった場所である。

 

 ボス戦終了後、ヒョウの差し伸べた手を、リアルからの経緯で意固地になっていたサーキーが振り払い、代わりにツーハンドソードの刃を叩きつけ、SAO初のオレンジプレイヤーとなった因縁の場所だった。サーキーはこの場所こそが、憎い祝屋猛を葬り去るのに相応しい場所と定めて、待ち構えている。いつもならうざったく感じる子供のしゃくりあげる泣き声も、今この時はサーキーにとって、心を高揚させるBGMになっていた。やがてそのBGMはソロからデュオへとその演奏形態を変化させた。加わったのは足音、一定のリズムを刻む足音が、サーキーの魂を絶頂へと導いた。

 

「来たぞ、榊」

「待ちくたびれたぜぇ、祝屋ァ」

 

 水と油、陰と陽、そして善と悪、全てにおいて対極に位置する二人が、ボス部屋の中で対峙する。二人の間には、かつてヒョウがボス戦で刻み付けた溝が、二人の立場を別つ様に穿たれていた。真っ直ぐに射る様なヒョウの視線と、世の中の全てを僻む様に歪んだサーキーの視線が交錯し、見えない火花を激しく散らす。

 

「ジャスミンを返して貰うぞ、榊」

「ああ、良いぜ。但し俺に勝てたらな、祝屋」

 

 静かだが、斬りつける様な口調のヒョウの言葉に、ヘラついた、はぐらかす様な口調で答えるサーキー。

 

「ヒョウお兄ちゃん……、グズッ、怖い、助けて……、ヒッ、エグッ……」

「大丈夫、お兄ちゃんはアインクラッドで一番強いんだ、こんな奴には負けないよ。もうすぐ助けるから、待っててね」

「……ヒグッ、グスッ……、ウン……、エッ……、エッ……」

 

 恐怖にすくみ、嗚咽の声を漏らすジャスミンに優しく声をかけると、ヒョウはゆっくりと刀を抜いて構えを取る。やや前のめりの前傾姿勢、左手の握りを左腰部に寄せ、刀身をやや寝かせる平正眼の構え、鋭い眼光と白刃の煌めきが卑劣な敵手を捕捉した。

 

「一番強いだぁ!? 大きく出たなぁ祝屋。生憎だがソイツは昨日までだぜ、テメェは今、俺様に殺されるんだからヨォ!」

 

 サーキーは右手の包帯を外し、掴みかかる様な構えで威嚇する。サーキーの紫色の手の異様さに気づいたヒョウは、手の内の見えない不気味さを警戒し、技後硬直のあるソードスキルは控えて戦う戦術を立てた。ジリジリと歩を進め、互いに相手を自分の間合いに引き込もうと移動する両雄、互いの隙を鋭く窺う眼光がスパークする。

 

「ええーいっ!!」

「シャアーッ!!」

 

 裂帛の気合いがボス部屋に響き渡り、二人の戦いは静から動へと転じ、激しい斬り合いが始まった。ヒョウが突き、薙ぎ、斬り下ろし、かち上げる。サーキーはそれをかわし、くぐり、避け、飛び退き、カウンター狙いの毒手を繰り出す。するとヒョウもその毒手の動きを見切り、鋭い剣技を返して行く。戦いは膠着している様に見えるが、やはりリアルで祝心眼流を深く修めるヒョウの方が圧倒的に戦いの引き出しが多かった。

 

「ふんっ!!」

「チィッ! 祝屋ァ!!」

 

 フェイントを織り交ぜ、幻惑したヒョウの刀が袈裟懸けにサーキーの肩口を浅く捉える。舌打ちをして飛び退くサーキーを、ヒョウの追撃の刃が猛然と襲いかかった。サーキーはなんとか芯を外し、ダメージを最小限に収めようと試みるが、あっという間にHPバーは削られ、イエローゾーンにまで減らされる。バランスを崩したサーキーに、ヒョウの必殺の刃が迫る。

 

 ゴメン、コヅ姉。俺、人を殺してしまった……

 

 そのヒョウの思いが剣閃を鈍らせ、サーキーに乾坤一擲のチャンスを与えてしまった。

 

「甘いぜ、祝屋!!」

 

 サーキーの凶相がニヤリと歪んだ瞬間、ボス部屋全体に絹を引き裂く様な悲鳴と泣き声が響き渡る。

 

「何っ!?」

 

 サーキーはジャスミンの首根っこを左手で握り盾にして、迫り来るヒョウの刃の前に差し出したのだ。慌てて刀を止めるヒョウ、刃はジャスミンの眉間に触れる寸前であった。恐怖に震えて泣き叫ぶジャスミンには、メニューを操作してハラスメントコードを入力する余裕などなかった。サーキーの汚い戦術に歯ぎしりするヒョウ。

 

「榊、貴様ァ!!」

「へへへ、ザマァ、祝屋!!」

 

 再び激しい斬り合いが始まるも、今度はヒョウが防戦一方となる。

 

「オラァ、どうしたァ、祝屋ァ、斬ってみろよぉ。一番強いんだろう、ああん」

「ウワーン、お兄ちゃん、ヒョウお兄ちゃーん、ウワーン」

「チィッ、榊ィ!」

「いいツラだぜ! 祝屋ァ。ヒャーッハッハッハ」

 

 ヒョウは何度も隙を見いだし、逆転の刃を振るおうとするも、その都度サーキーはジャスミンを盾にしてヒョウの刀を封じ込めた、そして毒手を繰り出して行く。ヒョウの動きを止め、カウンターで毒手を繰り出すも、ジャスミンを抱えた分、サーキーの動きは明らかに前よりも鈍い。ヒョウとサーキー、互いに決め手を欠き、千日手の様相を呈してきた時である。ヒョウは上段からフェイントを入れ、脇構えに移行してサーキーの腕を斬り上げ、ジャスミンを救い出そうと試みた、しかし……

 

「ジャスミン!!」

「お兄……ちゃん」

 

 ジャスミンの腹部を貫いて、サーキーの毒手がヒョウの頬を掠める。致死毒状態になったジャスミンは、あっという間にHPバーの全てを失い、悲しそうな表情を浮かべた後、ポリゴンの欠片になって虚空に消えて行った。

 

「へへへっ、殺した! 祝屋ァ、テメェを殺してやったぞ」

 

 歓喜の笑みで勝ち誇るサーキー。怒髪天を突いたヒョウの視界が朱に染まる。

 

「さぁかぁきぃいいい! キィサァマァアアア!!」

 

 脇構えから繰り出されたヒョウの一閃は、サーキーの首を宙にはね飛ばした。

 

「やった! 殺した! 俺が祝屋を殺し……」

 

 歓喜にうち震え、絶頂感に満たされながら、サーキーのアバターは高笑いしながらポリゴンの欠片になって四散していった。

 

「待ってろ、ジャスミン、今助けるからな!」

 

 ヒョウはサーキーの最期を見届ける事無く、メニューを開くとストレージを呼び出しスクロールする。そして自分の毒状態が進むのもお構い無しに、あるアイテムを実体化した。そのアイテムは『還魂の聖晶石』、背教者ニコラスからドロップした蘇生アイテムである。このアイテムはヒョウからキリトに渡された後、クラインの手に渡ったのだが

 

「コイツは、お前さん達夫婦が持ってるべきだ」

 

 とクラインから再びヒョウの手に戻って来ていたのだ。ヒョウは躊躇いもなくこう叫んだ。

 

「蘇生、ジャスミン!!」

 

 塵のように消えようとした光の粒が寄り集まり、人型を形成する、そして一瞬眩い光が煌めくと、弾けて消えたはずのジャスミンのアバターが蘇った。驚いて目をぱちくりさせるジャスミンに、ヒョウは優しく声をかける。

 

「ゴメンね、怖かったろう? もう大丈夫だよ、ジャスミン」

「ヒョウお兄ちゃん!!」

「大丈夫、もう大丈夫……」

 

 胸に飛び込んで、安堵の涙を流すジャスミンを抱き締めると、ヒョウは頭を撫でながらあやす様な口調で言い続けた。ヒョウは目の中に映る情報を確認する、視界は真っ赤に染まり、毒による状態異常を示している。HPバーも通常の毒状態に比べ、早い速度で削られて行く、ヒョウはもう間に合わないと直感した。この限られた時間の中で、ジャスミンを助ける事が出来て、本当に良かった、もし助けられなかったら、コヅ姉は……

 

 ツウ『コヅ姉』を悲しませなくて、本当に良かった。そう安堵するヒョウの胸がチクッと痛む。会いたいな……、コヅ姉……

 

「タケちゃーん、タケちゃーん!!」

 

 自分を呼ぶ声に気がついたヒョウは、立ち上がって振り返る。すると今最も会いたいと願った、愛しい妻が駆け寄る姿を認めた。ああ、駄目だよ、コヅ姉、泣かないで……

 

 愛しい夫の姿を見つけたツウは、夫の名前を大粒の涙を流しながら叫び、護衛のノブとシゲを置き去りにする勢いで、両足に力を込めて加速する。早く! 早く! じゃないと、タケちゃんが!! 

 

 ツウは四肢がポリゴンの欠片へと崩壊していくヒョウの胸に飛び込み、きつくきつく抱き締める、その時二人はあるアナウンスを同時に耳にした。そのアナウンスを聞いた二人の想いは、全く逆のものだった。ヒョウは『終わったんだ』と安堵して、ツウは『終わったのに』と絶望する。

 

 

 ソードアートオンライン運営より、プレイヤーの皆さんにお知らせします。十一月七日、十四時五十五分、ゲームはクリアされました。ゲームはクリアされました……

 

「ゴメン、コヅ姉……」

「嫌ァ! タケちゃん! タケちゃーん!!」

 

 崩壊の始まったアインクラッドの中で、ヒョウは最上級の笑顔を残し、ツウの胸の中でポリゴンの欠片に爆ぜ、消えて行った。ツウはそのポリゴンの欠片の一つ一つを胸の中にかき集めようと必死に両腕を動かしながら、ログアウトのオーブに包まれ消えて行った、悲しみの絶叫をアインクラッドに残して……

 

「嫌だぁ! 嫌だぁ! タケちゃーん!!」

 

 

 

 ▽▲▽▲▽▲

 

 

 ふと気がつくと、大祝小鶴の耳に規則正しい電子音が聞こえてきた。そして鼻腔には消毒液と、電子機械の発する独特の電子臭……

 

 ここは……、どこかしら……

 

 目を開けると、目を焼く様な眩しい光に、思わず目をつぶる。もう一度ゆっくり目を開けると、アイボリーホワイトの見知らぬ天井、天井には見知らぬ白い管が取り付けられ、光を放っている。

 

 あれは……、確か……、蛍光……灯? 

 

 まだ少し混濁する意識を整理しながら左側に目をやると、そこには大きな窓と、レースのカーテン……。アインクラッドにこんな所有ったかしら……? 

 

 アインクラッド!? そうだ、私はタケちゃんと一緒に!! 

 

 繋いだ右手を確かめると、幼なじみの手を握っていたはずの手には、中指にクリップの様なものがはめられ、手首には電極の様な物を仕込んだマジックテープが巻かれている。上体を起こしてナーヴギアを外して涙を拭う。あれ? 私、泣いてるの? どうして? 

 

 意識が覚醒した小鶴の頭に、アインクラッドでの二年間の記憶が奔流の様に甦る。嬉しかった事、楽しかった事、辛かった事、そして悲しかった事が、次々と走馬灯の様に頭の中に浮かんで行った。

 

 私、行かなきゃ! 

 

 小鶴は上手く動かない身体を必死に動かし、ベッドから立ち上がる。そして点滴スタンドを杖にして、病室の外へと出ていった。小鶴の頭の中には、アインクラッドで共に暮らした、隣家の幼なじみの姿が浮かんでいた。共に喜び、共に笑い、辛い時悲しい時は傍にいて支えてくれた、頼もしい夫、彼がいなければ私は現実世界への帰還はならなかった。私はタケちゃんのおかげで、生きてナーヴギアを外す事が出来た。そう、タケちゃんが、アインクラッドで一番強いタケちゃんが、傍で支えてくれたから……

 

 小鶴は猛の姿を求め、病院の廊下を歩き出す。

 

 タケちゃんは、私のタケちゃんはアインクラッドで一番強いんだ、だから、きっと、きっと、あんな事で死んだりしない! タケちゃんは絶対に生きている!! 

 

 そう確信した小鶴は、急いで猛の傍に行こうと焦るあまり、足をもつれさせ倒れ込む。点滴スタンドの倒れる音が病棟の廊下に響き渡り、その音に気がついた看護師が、小鶴の元に駆け寄った。

 

「まぁ、あなた大丈夫? 無理しちゃ駄目よ」

 

 離して、私はタケちゃんの所に行かなきゃ、離して

 

 呂律の回らない口で、何かを伝えようとする小鶴の顔に気がついた看護師は、驚愕の声をあげる。

 

「あなた、大祝小鶴さん!? 誰か、誰か来て下さい、大祝小鶴さんが、大祝小鶴さんが目を覚ましました!!」

 

 看護師の叫び声に反応した他の看護師が集まり、小鶴は担架式のベッドに寝かされ、彼女の意に反して病室へと運ばれてしまう。小鶴は大粒の涙を流し、心の中で叫び続ける。

 

 

 タケちゃん! 

 

 タケちゃん! 

 

 猛さん! 

 

 

 あなた! 

 

 

 

 

 

 




次回 ALO篇 第一話 戦う妖精

予告
絶剣亡き後、鮮烈な彼女の生きざまに恥じぬ様に、妖精達は戦い続ける。そんなALO内にある噂が流れる、ガンゲイル・オンラインのイベント『第三回BoB』優勝者は、実はALOからのコンバートプレイヤーだったらしい。その噂は遂に運営を動かし、最強の妖精を決めるイベントが企画された。キリト達も気合いの入る中、クラインはその準備の為に、カグヅチ獲得イベントの協力を申し出ていた。後一息で手に入るという所で、カグヅチを狙うもう一つのグループと、イベント主導権を巡っての戦いとなる。そのグループのリーダーは、サラマンダー最強と言われるユージーン将軍だった。彼はカグヅチを確実に手に入れる為に、キリト対策として、三レイドを率いて戦いを仕掛ける。スキルコネクトを駆使して戦うキリト達も、二レイド潰した所で追い詰められてしまう。絶体絶命のキリト達の前に現れ、加勢を申し出た男女二人組は、キリト達SAOサバイバーがよく知る馴染みであった。そして、男の方は、死んだと思われたあの男だった……


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二部 ALO編
第一話 戦う妖精


 やぁ、はじめまして

 

 ふぅーん、次はキミがこれを使うんだんね? 

 

 えーっ、そうなんだ!? じゃあ、キミも闘うんだね!! よし、わかった! ボク、応援するよ! 

 

 あっ? ゴメンゴメン、自己紹介がまだだったね、ボクはこの○○○○○○○○のナビゲーションピクシー、●●●っていうんだ。これからヨロシクね!! 

 

 

 ▽▲▽▲▽▲

 

 

「ねぇお兄ちゃん、聞いた?」

 

 妖精の国の上空に浮かぶ鉄の城、新生アインクラッドの二十二層にあるプレイヤーホームで、シルフの少女がスプリガンの少年に向かい、無邪気に尋ねる。

 

「何をだ、スグ?」

「あれよ、四層の森の、謎の剣豪」

 

 興味津々の表情で覗き込んでくるリーファの瞳は、雄弁に「行ってみようよ」と語っていた。

 

「謎の剣豪?」

 

 眉毛をハの字にしたキリトが曖昧な表情でそう言うと、傍らに座るウンディーネの少女、アスナに視線を向ける。アスナが首をかしげて視線を返すと、水色の髪のケットシーの少女が口を開く。

 

「ああ、一刀両断のインプの事ね、聞いたことあるわ……」

「しののん、何か知ってるの?」

「チラッと小耳に挟んだ程度なんだけど……」

 

 謎の剣豪、一刀両断のインプ、そう呼ばれるプレイヤーの噂が立ち始めたのは、ここ一週間の事である。

 噂の発端は、とあるサラマンダーのパーティーが、クエストの途中で四層の森で二人連れのパーティーを見かけた所から始まる。彼等が見かけたのは、インプとケットシーのパーティーだった。ケットシーはつい先日のアップデートで追加されたレアアバターで、三毛柄と二本の尻尾が特徴の、通称『ネコマタ』と呼ばれる物である。対してインプのアバターは、変哲の無い普通のアバターだが、装備に特徴が有り、着流しに大小の刀を腰に二本差す侍の様な格好である。

 

「新参者が、生意気に」

 

 サラマンダー達が彼等を新参者と判断した理由は、異種族でパーティーを組んでいる事、そしてインプの格好だった。ALOでは普通、両手装備となれば盾持ち片手剣もしくはメイスが一般的で、両手に武器を装備する事はない。例外としてスプリガンのブラッキーがいるが、あれは例外中の例外である。二本差しなどするだけ無駄であり、二本買って腰に差す位なら、一本だけにして防具を買うのが常識だ。ただの着流しで防具を装備していないのは、おそらく初回特典の支度金で二本の刀を買った為に、防具を買う予算がつかなかったのだろう。彼等はそう判断した。

 

 トーシロめ

 

 レアアバターのケットシーも生意気だが、侍を気取り使えもしない二本差しでイキったインプも勘に障る。ここは古参の俺達が、PK推奨のMMORPGの厳しさを教えてやる。そう意気込んで、チョッカイを出したのが、彼等の運の尽きだった。剣を片手に威嚇するサラマンダー達の前に進み出たインプは、一瞬ゾッとする笑みを浮かべると、そのまま連れのケットシーと一緒に歩き去って行った。サラマンダー達がその後を追おうとした時、自分達がリメインライトになっているのに気がついたそうだ。斬られた事さえ気付かない抜き打ちの速さと、一撃で葬り去る破壊力の凄まじさに、斬られたサラマンダー達が再ログインするなり噂を広め、現在に至る。その後、誰もその二人連れを見た者がいない事で、クエストを失敗した事を誤魔化す為に、このサラマンダー達が嘘をついていると疑われた。しかし彼等の内の何人かがこの時レアアイテムをロストしており、そこまでして嘘をつくだろうかと疑惑は立ち消えになっていた。

 

 ALO全体を通して見ると、インプはマイナーな種族である。しかし先日逝った絶剣もインプ、今回現れた謎の剣豪もインプ、運営は種族間の均衡を図る為に、インプに種族的優遇をしているのではないかと噂も立ち、この一週間でサブアバターにインプを選び育てる者や、メインアバターをインプに変更する者まで居るとの事だ。

 

 まるでアイツみたいだな……

 

 リーファとシノンの話しを聞いて、キリトとアスナはある人物を思い出した。自分達二人と肩を並べ、攻略の最前線に立ったトッププレイヤー。キリトやアスナを差し置いて、対人戦闘最強と噂された彼は、システムで守られているヒースクリフさえも、最後までデュエルを避けたと言われている。

 

 黒のサムライ、無敵のヒョウ

 

 風林火山見習いのノブとシゲから彼の死を知らされて、余りの衝撃に言葉を失ってしまい、嘘だと疑ってしまったが、彼の最期に至る経緯を聞くと、彼らしいと逆に納得してしまった。残されたツウはどうしているのだろう? それだけがキリトとアスナにとっての気がかりである。

 

「ねぇ、どうしちゃったの? 二人とも急に暗い顔しちゃって」

 

 リーファの指摘をキリトとアスナは曖昧な笑顔で誤魔化して、話題を変える。

 

「そんな事無いよ、スグ。それよりスグはどうするんだ?」

「どうするって、何を?」

「絶剣杯だよ、出場するのか?」

 

 キリトの質問に、呆れた様な口調でリーファは答える。

 

「何を聞くかと思ったらお兄ちゃん、そんなの当たり前じゃない!!」

 

 トップオブアルブズ、通称絶剣杯の告知がされたのも、丁度一週間前である。MMORPGを代表とするネットゲームでは、ゲームを活性化させる為に、様々なイベントを打ち、ユーザーを刺激的に楽しませるのが一般的な運営方法である。それにより、ユーザーのモチベーション向上を図り、定着化を促し、また、未体験者の興味を惹いて、新規ユーザーを開拓するのが目的だ。イベント内容は、ゲームの内容によって様々な形態が有り、中にはゲームの垣根を越えて注目されるイベントも存在する。特に有名なのが、ガンゲイル・オンラインの『バレット・オブ・バレッツ』、略称『BoB』だろう。最強のガンマンを決めるそのイベント内容は至ってシンプルで、数名の参加者をバトルフィールドに転送し、何でも有りの銃撃戦を行い、最後の一人となった者が優勝者となる。そのBoBについて、VRMMO界隈ではとある噂が流れ、賑わしていた。

 

 どうも日本版第三回大会で、同時優勝した二人の内の一人、フォトンソードの使い手はALOからのコンバートプレイヤーで、SAOサバイバーらしい……

 

 この噂が発端となり、ALO運営スタッフはある事を思い出す。

 

 そう言えば、今までALOで開催してきた最強決定イベントは、プレイヤー達の間で自主的に行われていた決定戦であり、ALO全体としてのオフィシャルな最強決定イベントは開催していなかった……

 

 もしかしたらそのBoB優勝者は、そんな刺激が足りなくて、ガンゲイル・オンラインに去って行ったのかも知れない。強いプレイヤーは『MMOトゥデイ』でも話題のプレイヤーとして取り上げられ、ゲームの広告塔として重要な役割を担う。ここは一つ、そのプレイヤーを呼び戻す為にも、最強の妖精を決めるイベントを、内外に向かって宣伝し大々的に打ち上げようではないか。

 

 そうした意図で企画されたのが『トップオブアルブズ』である。

 

 アルブヘイム・オンラインにおいて、各妖精の心の中では、最強の妖精はもう『永久欠番』として既に決まっている。絶剣のユウキである、彼女以外に最強を語る資格無しというのが、妖精達の言い分だった。しかし、だからといって妖精達がこのイベントに否定的だったという事は無い、むしろ天国の絶剣に捧げるべく、大きな盛り上がりを見せている。このイベントが、妖精達の間で誰が言うともなく、絶剣杯と称されているのを、運営が黙認している事実がその証左であろう。

 

 イベントが開催されるのは、運営の準備が整うまでの時間を見込んで、二ヶ月後を予定させている。基本的に全員参加のイベントとなっていて、特にエントリーをしなくても参加に漏れる事はないが、不参加希望者はこの二ヶ月の間に申請しなければならない決まりがあった。参加申請ではなく、不参加申請をしなくてはならないのが、このイベントのユニークな点であるが、もう一つユニークな点がある。予選が存在しない事だ。剣と魔法を駆使し、大空を自由に駆け巡るファンタジーVRMMORPG、それがキャッチコピーのALOだが、システムはSAOと同一のカーディナルを使用しており、SAOに魔法と飛行を追加したゲームと言って良い。古参ユーザーのほとんどは、SAOを買い損ねた者であり、新参ユーザーの大半をSAOサバイバーが占めるこのゲームでは、プレイヤーは基本的に自らを剣士であると自認していた。

 

 正々堂々一対一の真剣勝負こそが剣士の本懐であり、それを示すデュエルはALOの華である。

 

 以上の事柄を鑑みて、運営は対決方法を、無作為に選んだ二名による強制デュエルに決定した。一対一なら予選は必要無いという事で廃されたが、その代わりに約半年間というロングランイベントとして成立する。その事を全プレイヤーは言うに及ばず、VRMMORPG世界に発信、宣伝していた。更に運営はユーザーを刺激するために、現在の準備期間中の二ヶ月間をイベント前自己強化期間として、数多くのレアアイテム獲得クエストフラグをフィールドのあちこちに忍ばせている。妖精達の盛り上がりは、かつて無いものを見せていた。無論それはキリト達も同様である。

 

「お兄ちゃんにだって負けないんだから、私と当たる時は覚悟してよね」

「お手柔らかに頼むよ、スグ」

 

 リーファに当てられた意気込みを、やんわりとかわすキリト。

 

「あーっ、お兄ちゃん今馬鹿にしたでしょう!」

「してないよ、スグ」

「嘘、絶対馬鹿にしてる」

「してないって」

「ぶーっ」

 

 キリトとアスナのプレイヤーホームに、いつもの笑い声が響いたその一週間後、彼等はとあるイベントに誘われ、参加していた。

 呼び掛けたのはクライン、カグヅチ獲得イベントである。参加メンバーはキリト、アスナ、リーファ、エギル、リズベット、シリカ、シノンのいつもの面子に、シウネーとサクヤ、アリシャ・ルーを加え、そしてノブ、シゲを含む風林火山のメンバーだ。

 人数的に二パーティー分の面子を揃えたのには訳がある。カグヅチ獲得イベントは、争奪戦の側面を持ったイベントで、戦力の過多がものを言うからだ。

 

 この面子なら、取りこぼす事はまず有り得ない。

 

 そう考えてイベントに臨んだクラインだったが、最後の最後で想定の斜め上を行く事態の発生に、頭を抱える事となる。絶体絶命のピンチに陥ったクラインが悪態をつく。

 

「てやんでぇ、畜生めぇ! 卑怯だぞ、ユージーン将軍」

「なんとでも言え、生憎こちらもカグヅチは譲れないんでな」

「にしたって、三レイドで来るこたァねぇだろう」

「それが戦略というものだ、そもそも卑怯なのは貴様だろう、クライン」

「てやんでぃ、俺様が卑怯たぁどういう事だぁ!」

 

 クラインが悪態をついた相手は、サラマンダー部族の最高幹部の一人、ユージーン将軍である。須郷によるALO事件が発覚し、グランドクエスト不正が明らかになった後、種族対立は薄れ、他種族とフレンド登録をしたりパーティーを組んだりするのが一般的になりつつあり、ユージーン自身もそうしていた。だがユージーンには族長の側近という立場もあり、大がかりなクエストでパーティーを率いるとなると、サラマンダーを中心に編成せざるを得なかった。

 ユージーン将軍がクラインを卑怯と言い返したのは、まさにそれが理由である。

 

「ブラッキーにバーサクヒーラー、鉄壁の巨人に撲殺鍛治師、魔弓のスナイパー……。こんなバケモノ連中を揃えやがって、正攻法で勝てる訳無かろう!」

「へっへーん、残念だったな。それが俺様の人徳ってモンよ、恐れ入ったか、トンチキめ!」

 

 木で鼻をくくった様に、胸を反らしてうそぶくクラインに、ユージーン将軍が冷や水をかける。

 

「ようし、わかった。壺井主任、来週の業務は毎日残業だ」

「あーっ! リアル持ち出すなんて、マナー違反だぞ、課長」

「何の事かな? それより自慢の人徳で、溜まった残務をきっちり片付けてくれよ、壺井主任」

「課長~、俺達が勝ったら、残業撤回させるからなぁ~」

「遠慮をするな、手当ては弾むぞ」

 

 世の中とは広い様で以外と狭いもので、実はこの二人、リアルでは同じ輸入会社の上司と部下だったりする。因みにサラマンダー領主モーティマーもこの会社の部長である、兄弟揃って若くして役職についているのは、創業者一族に名前を連ねているからだ。リアルでもそんな上司に可愛がられているクラインの人徳は、存外に侮れないものがあった。

 

「ぐぬぬぬぬ……」

「どうする、クライン?」

 

 ユージーン将軍に向かい、目を剥いて歯ぎしりするクラインに、キリトが意志を確認する。

 

「一度決めたら、後には引けねぇ、それが男の生きる道!」

「オーケー。みんな、聞いた通り、俺達のクライアントは作戦続行がご希望だ」

 

 キリトは言葉を切って振り返り、全員を見回す。皆はこの戦力差に臆する事無く、不敵な笑みを浮かべ、頷いている。

 

「よーし、じゃあ一発派手に暴れようぜ、準備はいいか!?」

 

 キリトの問いかけに、全員が声を合わせて「応!」と答えた。その答えを聞いたキリトは、不敵でありながらも爽やかな笑みを浮かべ、クラインに視線を送る。

 

「行こうか、クライン」

「俺は良いダチを持って嬉しいぜ、キリの字、みんなぁ~! よーし、いっくぜぇー!!」

 

 クラインの号令で戦闘が始まった。最前線を駆けるダメージディーラーにキリトとクライン、その直下でタンクとしてサポートするのがエギル、その後ろで遊撃戦闘を担当するのがリズベット、シリカ、アリシャ・ルーの三人、後衛にはスナイパーとして敵指揮官を狙撃するシノン、回復魔法を担当するシウネーに、魔法戦闘を行うリーファとサクヤ、そして基本回復魔法を担当し、後半戦での切り札として戦力温存をするアスナがいる、その後衛戦力をガードするのが、風林火山のメンバーというフォーメーションである。彼等の戦闘力は凄まじく、旧グランドクエストをクリアする為に鍛え抜いた、サラマンダー部隊を圧倒していく。しかしキリト達の人数は二パーティー程度であるのに対し、ユージーン率いるサラマンダー部隊はキリト、アスナ対策として三レイドである。人数的なハンデはいかんともし難く、サラマンダー部隊のうち、二レイド分を壊滅させた段階で、キリト達は攻勢限界点を迎えた。長引いた戦闘に、前衛後衛共にポーションでは補い切れないMP枯渇が深刻化した為である。

 

「へへへっ、楽しくなってきたなぁ、そう思わねぇかキリの字よ」

「全くだ、楽しくって仕方ねえぜ」

「やれやれ、お前達、バトルジャンキーにも程があるぜ」

 

 絶望的な状況で軽口を叩き合うクラインとキリトに、顔をしかめるエギル。

 

「何だ、エギル、お前楽しくないのか?」

「まさか、そんな事ないだろう、エギル?」

 

 逆に二人に呆れられ、目を剥いたエギルだったが、一瞬後に凶悪不敵な笑みを浮かべる。

 

「楽しいに決まっているだろう。俺は大人として常識論を言ったまでだ」

「常識論だとさ」

「まーた大人ぶって」

 

 嬉々として大戦斧を振り回すエギルの背中を横目で見やり、なおも軽口を叩くキリトとクライン。そんな三人を後方から見つめるアスナは、意を決して装備を杖から細剣に変える。

 

「シウネー、任せても良いかしら? リーファちゃん、シウネーのフォローお願い!」

 

 二人の返事を待たずに、飛び出そうと身構えたアスナは、耳ではなく直接頭の中に声が響いた様な気がした。

 

「大丈夫だよ、アスナ」

 

 声の主は、まだ記憶に新しいユウキである、思わず動きを止めたアスナの耳に、今度ははっきりとした悲鳴が飛び込んできた。

 

「きゃあああああああああああああああ~! どいてぇえええええええええええええ~!」

 

 悲鳴の方向に振り返り見上げると、コントロールを失って墜落してくるケットシーの少女の姿があった。ひきつるアスナの目の前に、あっという間に落下して迫り来るケットシーの少女、二人は壮烈な落下音に包まれ、もつれ合って地面を転がり倒れこむ。突然の出来事に敵味方の双方は、共に呆気に取られて戦いの手を止めた。

 

「あいたたたた……。あなた、大丈夫?」

「えーん、ゴメンなさ~い」

 

 いち早く精神の立ち直りを果たしたアスナが、自分の胸の上で目を回すケットシーの少女に声をかける。未だ前後不覚の状態だが、謝罪の言葉を口にするケットシーの少女の声に、アスナは激しく反応した。アスナは飛び跳ねる様に座り直し、目を回すケットシーの少女を膝枕にして、その顔を確かめた。

 

「あなた! もしかしてツウなの!? ねぇ! ねぇ!」

「あうあうあうあうあう……」

 

 激しく肩を揺さぶるアスナに、ケットシーの少女は更に目を回し、うめき声をあげるだけだった。そんなケットシーの代わりに答える様に、いつの間にか傍らに飛んできたナビゲーションピクシーが言葉を発した。その後の二人のやり取りに、アスナは絶句して目を見開く。ケットシーの少女は間違いなく、SAOクリア後、音信不通となっていたツウだと確信した。そしてナビゲーションピクシーの姿は、絶剣のユウキをそのまま小さくした姿だった。信じられない出来事に、アスナの瞳は涙でにじむ。

 

「大丈夫? ツウ」

「何とか……」

「ホントにもう、飛ぶのが下手なんだから、ツウは」

「だって仕方ないじゃないユウキ、リアルじゃ飛べないんだから」

「だったら彼はどうなるのさ」

「比べないでよ、ぶー」

 

 一言二言、じゃれ合う様な言い争いをした二人は、驚愕の目で自分達を見つめるアスナの視線に気がついた。一瞬罰の悪い表情で誤魔化し笑いを浮かべた後、ケットシーの少女がアスナの手を取り、ブンブンと上下に振り言葉をまくし立てる。

 

「アスナ! アスナよね! 私、ツウよ、久しぶり! 元気だった!? ゴメンなさいね、ピンチみたいだから全速力で飛んできたら、墜落しちゃって……」

 

 恥ずかしそうに俯いて、一瞬言葉を濁したが、直ぐに顔を上げて力強い笑みを浮かべた。

 

「もう大丈夫よ、安心してアスナ」

 

 そう言ってケットシーの少女、ツウは振り返りアスナから視線を反らし、強い眼差しで戦場を見つめる。つられてアスナもその先に視線を向けると、溢れる涙で視界が塞がれてしまった。二人の視線の先は、対峙する両陣営の真ん中辺り、そこにゆっくりと舞い降りる着流し姿のインプの姿があった。

 

 その背中を見たキリト達SAOサバイバーは息を飲む、皆一様に驚愕の瞳でその背中を見つめていた。

 

「お、お前は……」

 

 こみ上げる涙を抑え、キリトが呻く様に問いかけると、インプの少年は小さく振り返り微笑みかけてきた。その横顔を認めたSAOサバイバー達は戦いを忘れ、滂沱の涙を流し始めた、シリカはリズベットの胸に顔を埋めて号泣している。この異変にリーファやシノン達が動揺する。

 

「ちょっとアスナ、一体どうしたの」

「ねぇアスナさん、しっかりして、誰なんですか、あの人」

 

 混乱するクラインのパーティーを見て、好機と判断したユージーン将軍が総攻撃の号令を発しようとしたその時、その機先を制する様にインプの少年が静かに口を開いた。

 

「仲間が世話になったようだな、礼をするぜ」

 

 そのインプの背中に向かって、ケットシーの少女とナビゲーションピクシーが声を揃えてこう叫んだ。

 

「「やっちゃえ、タケちゃん「ヒョウ」!!」」

 




次回 第二話 メディキュボイド


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二話 メディキュボイド

「「やっちゃえ!! タケちゃん「ヒョウ」!!」」

 

 その声援に背中を押されたインプの少年は、気負いの無い足取りで一歩前に踏み出した。すると、それに呼応する様に、ユージーン将軍の傍らに控えていた、両手大剣使いのサラマンダーが、遮る様に歩み出て来た。

 

「この人数を相手に、どう礼をするつもりだ!?」

 

 立ち塞がったサラマンダーは、嘲りを含んだ口調でそう言うと、巨大なザンバーを構えて言葉を続ける。

 

「まぁ、その度胸だけは認めてやる……」

 

「来い!」と、サラマンダーは続けるつもりだったが、それは叶わなかった。

 

「フッ」

 

 インプの少年が爽やかではあるが、ゾッとする笑みを浮かべた瞬間、サラマンダーは手首と首を斬り飛ばされ、リメインライトへと変えられていたからだ。周りに居た者は、納刀の鍔鳴りの音とザンバーの落下音で、辛うじて何が起きたのかを理解した。

 

「何っ!?」

 

 抜く手が全く見えない技の冴えと破壊力に、目を剥くユージーン将軍に、数人のサラマンダーが駆け寄り報告する。

 

「ユージーン将軍、俺達を殺ったのは、あのインプです」

「すると、奴が一刀両断のインプか、うぬぬ……」

 

 ユージーン将軍は、リアルでは五段の段位を持つ、現役バリバリの剣道家でもある。その彼をして、このインプの太刀筋を見極める事が出来なかった。肌が粟立つ想いのユージーン将軍は、己の動揺を敵味方に悟られぬ様に渋面を浮かべ、小癪な闖入者を見据えていた。

 

 突如現れたインプに驚いていたのは、ユージーン将軍率いるサラマンダー軍団だけではない。クライン率いるパーティーメンバーの内、非SAOサバイバー達も、このインプの剣技に言葉を失っていた。

 

「ねぇねぇサクヤちゃん、今の見た? 今の見た?」

 

 いち早く我に返ったアリシャ・ルーが、未だに亡我中のサクヤの脇腹をつつきながら問いかける。彼女の瞳は、興味津々のワクテカの光をたたえ、インプの少年に釘付けになっていた。

 

「不覚、全く見えなかった……。実に天晴れな抜刀術、見事」

「にゃーっ、剣道三段のサクヤちゃんでも? 今のソードスキルじゃ無かったよね?」

「うむ、エフェクト光が無かったからな、凄まじい抜刀術だ……」

 

 サクヤとアリシャ・ルーは、リアルではリーファが卒業した中学校の同僚教師である。アリシャ・ルーは保健室の養護教師、サクヤは体育教師で女子剣道部の顧問、ついでに補足すると、二人は親友だった。

 

「あの剣、私、知ってる……」

 

 インプの少年の太刀筋を、リーファは辛うじてではあるが見取る事が出来た、それはリーファが彼の剣技に見覚えが有ったからだ。過去に母親に叱られるまで再生して見続けた動画、それが脳裏にしっかりと焼き付いていたからである。

 

「凄い……」

 

 MMORPGにおいて、プレイヤーのリアルを詮索する事はマナー違反ではあるが、リーファはこのインプの少年の正体を確信していた。かつて衝撃を受け、今に至るまでリスペクトし続ける剣士の出現にリーファの心は、他とは違う反応を示していた。それは初めてスプリガンの『キリト君』に出会った、あの時と同じ心だった。

 

 

 周囲の驚愕をお構い無しに、インプの少年は軽い足取りでサラマンダー軍団の中へと歩を進める。

 

「で、次は誰だ」

 

 口調にも歩調にも、殺気も気負いも無く、穏やかに向かって来るインプの少年に、サラマンダー達は気圧され後ずさる。困惑と恐れの入り交じったサラマンダー達の顔を見回すと、インプの少年は軽く失望の色を瞳に浮かべた後、腰の大刀を鞘からスラリと引き抜いた。

 

「なら、こちらから行くぜ」

 

 そう言った瞬間、インプの少年はサラマンダー達の視界から消えた、彼等が再びインプの少年を視界に納めたのは、数名のサラマンダーの悲鳴の後である。インプの足下には数個のリメインライトが燃えていた。インプの少年は無人の野を行く様に、サラマンダーの大軍の中を歩み進む、彼の行く先には焦燥感を隠して仁王立ちするユージーン将軍がいた、そして後ろにはおびただしい数のリメインライト。インプの少年の意図に気づいたサラマンダーの中級指揮官達が「奴をユージーン将軍に近づけるな!」「なんとしても討ち取れ!」という怒号をを飛ばす。しかしサラマンダー達は明らかに浮き足立っていて、士気が崩壊しつつある。効果的な迎撃はもはや不可能になっていた。

 

「狼狽えるな! 相手は一人だぞ!」

 

 ユージーン将軍の怒号が、壊走寸前のサラマンダー軍団の士気を立て直す。

 

「一対一になるな! 盾隊、奴を取り囲め! 槍隊は盾の隙間から攻撃!」

 

 ユージーン将軍の指揮に従い、陣形を整えてサラマンダー達が反撃を開始する。五月雨の様に突き出される槍の穂先を交わしながら、インプの少年の口許がニィッと吊り上がった。一斉に突き出される槍を掻い潜り、インプの少年は納刀し、低い体勢で身構える。

 槍が引かれた瞬間、ユージーン将軍の更なる指示が飛ぶ。

 

「今だ、軽装兵、飛び込んで圧し包め!!」

 

 号令に従い、盾部隊を飛び越えて、片手剣やメイスで武装したサラマンダーが、四方八方から襲いかかる、しかし……

 

「フッ」

 

 インプの少年の目が、獲物を狙う猫型大型獣『豹』の様に鋭く輝く、と、同時に鯉口を切った刀から、ソードスキルのエフェクト光が迸る。

 

「快刀乱麻!!」

 

 それはSAOサバイバー、それも攻略組のメンバーなら見知ったソードスキル。

 

 それは攻撃、迎撃、一対一、一対多、全てに対応する、SAO世界で最大破壊力を誇った単発周囲技。

 

 ボス戦闘での窮地を何度も救ったソードスキルに、周囲を囲んだサラマンダー達は、強制的にリメインライトへと変えられた。しかしユージーン将軍もALOでは海千山千の名将である、的確な指揮を下してサラマンダー達を鼓舞し、逆転を狙う。

 

「臆するな! あれだけのソードスキルの後だ、技後硬直は長いぞ! 圧し包んで畳み掛けろ!!」

 

 ユージーン将軍の檄に反応し、歴戦のサラマンダー達が、荒れ狂う奔流の様にインプの少年に殺到する。しかし、ユージーン将軍の狙いは、三人のプレイヤーによって阻まれた。キリト、エギル、クラインはインプの少年の盾となってサラマンダーの攻撃を防ぐ。

 

「お前、本当にヒョウなんだな!?」

 

 二年余り、命懸けで背中を預け合ったキリト、エギル、クラインは、このソードスキルが放たれた後にどう動くべきか、骨の髄まで染み付いている。三人は群がるサラマンダーの攻撃を抑え、確認するが、その答えはインプの少年からではなく、連れのケットシーの少女の怒りの叫びとしてSAOサバイバー達に伝えられた。

 

「タケちゃんに何て事するのよ!!」

 

 そうケットシーの少女が叫ぶと、クライン達のパーティーに二人を確かめる余裕が出来た、何故なら叫んだ後に、ケットシーの少女が放った魔法が、四人に殺到するサラマンダー達に炸裂したからだ。魔法を受けたサラマンダー達は、上空から見えない万力に挟まれた様に、地面に倒れ伏して身動きが取れなくなってしまった。

 

「じ……、重力魔法だと……」

 

 呻き声をあげるユージーン将軍を尻目に、インプの少年が三人に向かって口を開く。

 

「みんな、久しぶり」

 

 少しはにかんだ笑みを浮かべるヒョウの肩に、少し乱暴にクラインが腕を掛ける。

 

「おい、ヒョウ、てめえ! 何で今まで連絡寄越さなかったんだ!? 俺は……、俺は……、オメェが死んだって聞かされて……」

「リハビリが長引いて、連絡したくても出来なかったんだ、ゴメン」

 

 再び目を潤ませるクラインに、済まなそうにそう答えたヒョウは、キリトに視線を向けて言葉を続けた。

 

「所で、パーティーリーダーはキリトでいいの?」

「いや、今回はクラインだ」

「そうなんだ、じゃあクライン、これお願い」

 

 少し意外そうな表情を浮かべたヒョウがメニュー操作をすると、クラインの目の前にヒョウとツウのパーティー加入申請のウィンドウが浮かび上がる。クラインは躊躇う事なくOKした。するとパーティーメンバーの耳に、荘厳な鈴の音が鳴り響く、皆が音の鳴る方に目をやると、ツウが神楽舞いを舞っている。一瞬見とれていたパーティーメンバーは、またしても驚愕の表情を浮かべた。

 

「にゃーっ、これって上級スキル、白拍子じゃないか!? さっきの広範囲重力魔法といい、二人は一体何者なんだ?」

 

 ツウの神楽舞いの特殊効果で、パーティーメンバーのHP/MPは完全回復し、各パラメーターには、バフ効果が上乗せされていた。アリシャ・ルーの驚愕の叫び声をBGMに、ヒョウとキリトは横目でアイコンタクトを取ると、重力魔法から解放されたサラマンダー達に向かって剣を振るう。

 

「態勢を立て直すぞ! メイジ隊、攻撃魔法で援護しろ! 魔法の弾幕を張れ!!」

 

 ユージーン将軍の指揮に従って、サラマンダーメイジ隊の火炎魔法の濃密な弾幕が、キリトとヒョウを襲う。

 

「フン!」

 

 しかし、サラマンダー達の奮戦を嘲笑う様に、キリトは次々と魔法弾を斬り落としていく。

 

「ブラッキーに攻撃魔法は通じない! インプを狙え!」

 

 サラマンダー達は、魔法弾幕の標的をヒョウに集中した。

 

「だとさ、ヒョウ」

「そいつは災難」

 

 キリトと軽口を叩きながら、ヒョウは魔法弾幕を次々と斬り落とす。

 

「AK―47の弾丸の方が、やっぱり速いな……」

 

 ヒョウは誰にも聞こえない様に小声で呟くと、キリトと共に魔法弾幕を斬り落としながら、サラマンダー本隊へと歩き出す。二人が一歩踏み出せば、サラマンダー達は二歩下がる。浮き足だった様に見せて、これはサラマンダーの策であった。いかに突出した強さを持った二人でも、たかが二人である。後退を装い、徐々にクラインパーティー本隊から引き離し、孤立させればこの人数差だ、逆転のチャンスはまだまだ有る、その策略は成功しつつあった。物影に身を隠しながら、メイジ隊の一部が突出したヒョウとキリトの背後に回り込む、そして頃合いや良しと、大火力複合魔法を二人に向けて放つ。

 

「キリトさん! ヒョウさん!」

「危ない!」

 

 それに気づいたシリカとリズベットが危険を知らせるが、それは二人の杞憂に終わった。何故なら

 

「はああああああああっ!!」

 

 気合いと共に、白い流星が飛んできて、魔法弾を打ち砕き、二人の許に着地する。

 

「あら、やってみればできるものね……」

「やってみればって……」

「あのなぁ……」

 

 いささか拍子抜けといったアスナの言葉に、ヒョウとキリトは自分の事を棚に上げてツッコミを入れる。

 

「なによう、二人共。あなた達だって普通にやってたじゃない、何で私だけそんな化物みたいな目で見られなきゃならないの。心外だわ」

「いや、だって待ち構えてと、追いかけてじゃ、難易度が全然違うだろう」

「それをあっけらかんと……」

 

 ツンとソッポを向くアスナに、キリトとヒョウは肩をすくめ合う。二人の仕草に、自分が無意識にやった事の非常識さを察したアスナは、それを誤魔化すべく話題を変える。

 

「まぁ、良いわ。それよりも、積もる話も有る事だし、さっさとコレ、終わらせちゃわない?」

「そうだな、それについちゃ、全面的に賛成するよ、アスナ」

 

 アスナがそう言って、サラマンダー軍団を見回すと、キリトも同意して彼女の隣に並び立つ。「ひどーい、それじゃあやっぱり私は化物って事?」「良いじゃないか、バーサクヒーラーに、新たなる伝説が出来たと言う事で」と、痴話喧嘩めいた軽口を交わす二人を見て、懐かしそうな笑みを浮かべたヒョウは、それに割り込む様に踏み出して二人に並び立った。

 

「それじゃあ、さくっと倒しに行きますか」

「そうね、そうしましょう」

「ああ、行こうぜ、ヒョウ」

 

 こうしてSAO最強のダメージディーラートリオが、ALOの地に再び揃い踏みを果たした。相手をするユージーン将軍率いるサラマンダー軍団は、誠に御愁傷様でしたと言う以外に言葉は無い。

 追い詰められたユージーン将軍は、起死回生の一騎打ちをヒョウに申し込む、だが彼の思惑もヒョウの剣技の前では意味をなさなかった。

 魔剣グラムを以てしても、ユージーン将軍はヒョウを止める事叶わず、防戦一方となっていった。

 

 

 軽い! 

 

 刀を振るいながら、人知れずヒョウの心は踊っていた。

 

 この身体は羽根の様に軽い! リアルの身体とは大違いだ! 

 

 ヒョウはバーチャル世界の戦場を縦横無尽に駆けながら、自在に動く己の身体を堪能していた。何故なら彼のリアルの身体は、SAOの後遺症で全身不随の状態になっていたからだ。

 

 ヒョウこと祝屋猛が目覚めたのは、ツウこと大祝小鶴がログアウトした三日後の事だった。ゲーム終了間際、アバターのHPを全て喪った彼は、それまでにそうなったプレイヤー同様に、ナーヴギアからマイクロウェーブの照射が行われていた、しかし直後のゲームクリアにより照射は中断。脳にある程度損傷を与えるも、命を奪うには至らなかった。

 

 脳にダメージを負った彼は、ログアウトと同時に集中治療室に運ばれ、医師達による懸命の治療を受ける事となる。こうして猛は九死に一生を得たのだが、照射されたマイクロウェーブは、彼の脳の運動神経ネットワークを寸断し、全身不随という深刻な爪痕を残していた。

 

 脳波計により、猛の意識がしっかり有る事が確認されたが、小鶴にとって、それは慰めにはならなかった。

 

 よかれと思って誘ったSAO、それがこんな結果になるなんて……

 

 彼女は自責の念に囚われ、ログアウトから四日目の夜に衝動的に自殺を図るが、それを予期していた祖母の巴に止められていた。パニックを起こし、死んでタケちゃんに謝る、お願い死なせてと泣き叫ぶ小鶴の頬を張り、巴は一喝した。

 

「黙らっしゃい! お主が生きて戻って来れたのは、猛のおかげじゃろう! あんな身体になってまで守り抜いたお主の命を、一時の気の迷いで投げ捨てると言うのか! それじゃあ猛は犬死にも同然じゃ、報われん。あんまりだとは思わんのか?」

「……お婆ちゃん」

「辛いじゃろう、死ぬ程辛いお主の気持ちを全部わかるとは、わしには言えん。じゃが死ぬのは猛に対する裏切りじゃ、猛の頑張りに応えるんじゃ、小鶴」

「タケちゃんの頑張りに……、私が……、応える……」

「そうじゃ、それがお主に出来る、唯一の償いじゃ。あの世界ではずっと、猛はお主に寄り添い、守り支えてくれたんじゃろう」

 

 頷く小鶴に、巴は言葉を続ける。

 

「だったら今度はお主の番じゃ、お主が猛に寄り添い、守り支えるのじゃ。嫌か?」

 

 嫌かと聞いたのは、それが一生を縛る事になりかねないからだ。巴は小鶴の覚悟を問いかけたのだ。その問いかけに、小鶴は大きく頭を振って答えた。

 

「ううん、嫌じゃない! 私の全てはタケちゃんの物だもん!」

 

 涙を拭いて立ち上がる小鶴に、巴は大きく頷いた、そして確信する。

 

 猛のあの目は、まだ諦めてはおらん目だ。猛は過酷なリハビリに立ち向かい、この苦境を克服する腹積もりじゃ。長年指導してきたわしには解る。しかし、一人で立ち向かうには、余りにも辛過ぎる。必ず小鶴の支えが必要になる。この二人ならば、きっと手を携えて克服するだろう、それがどんな形になったとしても……

 

 

 巴のその考え通り、猛は全く諦めてはいなかった。むしろ、こんな身体になってしまった事を、小鶴に対して申し訳なく思っており、一刻も早くリハビリをして克服したいと考えていた。猛の健康状態を見ながら、慎重かつ過酷なリハビリが開始されると、小鶴も自分のリハビリと並行し、猛のリハビリの介助を行った。

 

 そんなリハビリ生活が始まってから一か月後、二人の許に朗報を持って現れた男がいた。男の名前は菊岡誠二郎。彼は自分は総務省職員で、SAO事件を担当していると名乗り、SAO事件被害者のケアの一環として、猛君に提案を持って来たと説明する。

 

 菊岡の提案はこうである。猛のリハビリに適した医療器具があり、その使用の目処がついた。もし希望すれば、最優先で利用できるように便宜を図る。但しそれは現在の利用者が利用を終えた後になる。利用開始の時期は明確にいつからとは断言できない事を理解して欲しい、でもそう遠くないうちに利用できるはずだ。

 

 未だ全身不随状態の続く猛に同席する小鶴が、その医療器具の概念を菊岡に尋ねる。それに応じて菊岡は説明を開始する。

 

 その医療器具の名前はメディキュボイド、フルダイブ型のVR機能を持つ、世界に一つしかない最新の医療器具で、現在は終末医療の臨床に使われている。その臨床で、かなり微弱な脳波も拾える事が判明し、脳梗塞などの脳障害による後遺症のリハビリに、劇的な効果が期待できると予測が立てられた。是非とも猛君にはリハビリを兼ねて、その臨床試験に協力して欲しい。

 

 菊岡の説明に小鶴は激昂する。

 

「冗談じゃないわ! タケちゃんをこんな目に合わせたVRマシンなんて、まっぴらよ! もう懲り懲りだわ!」

 

 荒れる小鶴を制したのは、猛だった。

 

「あうううううぅう~!」

 

 何らかの意識のこもった唸り声を発し、猛は目で必死に何かを訴える。猛の主治医が、猛の眼球が動いているのを確認する。猛は意識が戻って以来、動かない身体に腐る事なくリハビリに励んでいた。そんな猛の支えになっていたのが小鶴であり、猛は小鶴が同席している時は、いつでも彼女を視界に納めていたいと願っていた。その願いが通じたのか、猛の運動機能で、いち早く回復の兆しを見せたのは、眼球運動だった。少しでも体感する変化が現れるのは、嬉しい事である。猛は自分の身体は、これをきっかけに、必ず以前のように自由を取り戻すと確信し、人知れず眼球運動リハビリを繰り返していたのだ。

 

「猛君、私の指を目で追ってみてくれ」

 

 主治医の言葉に従い、猛は必死に指の動きを目で追いかける。その結果猛が自分の意志で目を動かしていると確信した主治医は、看護師に命じてあるものを取りに行かせた。程なくして看護師がその手に持って来たのは、視線入力機能を持ったノートパソコンだった。これは重度身体障害者と意志の疎通をするために開発されたパソコンである。

 

「猛君、どうしたいんだい?」

 

 アプリを立ち上げ、意志を確認する主治医の言葉に対し、猛がパソコンの画面に示した答えはこうだった。

 

 

 やる! 俺、やる! 

 

 

 猛のその意志に小鶴は涙ながらに従うと、アミュスフィアを購入し、その日に備えて最新VR世界のリサーチを始めたのだった。

 

 

 このような経緯で猛がメディキュボイドの住人になったのは、この戦いの二週間前である。納刀の鍔鳴りが一騎打ちの終わりを告げると、こみ上げる喜びに抑えられなくなったシリカが、大泣きしながらヒョウの胸に飛び込んだ。

 

「うわーん、ヒョウさーん」

「おっと……」

 

 抱き止めたヒョウを見上げ、シリカはしゃくり上げながら喜びを伝える。

 

「私……、私……、ヒョウさんが死んだって聞いて……、でも……、でも……、生きていたんですね。良かった……、本当に良かった……」

「心配かけたみたいだね、ゴメン、シリカちゃん」

「うわーん、あーん」

 

 胸の中で大泣きし始めたシリカに困惑気味のヒョウの後頭部に、軽い衝撃が与えられる。

 

「てい!」

 

 振り返るヒョウの目に、チョップの残心を決めるリズベットの姿が映った。

 

「本当にみんなショックだったんだかんね、何か一言無いの?」

「ああ、ゴメン、本当ゴメン、リズ……、あはははは」

「本当に悪いと思ってんの」

「もちろん」

 

 誤魔化し笑いを浮かべるヒョウを、リズベットは剣呑な目で見上げた。その目付きに気圧されて、棒を飲んだ様な姿勢で答えるヒョウ。

 

「余りいじめちゃダメよ、リズ」

「そうだぞ、リハビリが長引いてたんだ、リズも聞こえていただろう」

「わかってるわよ……、アタシにもちゃんと聞こえてたわよ……」

 

 たしなめながら歩み寄るアスナとキリト、リズベットは小刻みに肩を震わせながら悪態をつく。

 

「でも……、でも……、こんな風に言わないと、アタシだって泣いちゃうでしょう」

 

 リズベットが強がるのもそこまでだった、彼女もシリカ同様に、ヒョウの背中に抱きついて号泣し始めた。そこにツウが飛んで来て、二人に優しく声をかける。

 

「ごめんなさいね、シリカちゃん、リズ。私達も大変だったの、許して」

 

 ツウの言葉に、少し落ち着きを取り戻したシリカとリズベットは、頷きながら泣き笑いの笑顔を浮かべた。そこに三々五々と集まってきた非SAOサバイバーを代表して、シノンがキリトとアスナに声をかける。

 

「お取り込みの所悪いんだけど」

「ん? なあに、しののん」

「この人達……、誰?」

 

 シノンの背後では、リーファ、サクヤ、アリシャ・ルー、シウネーが、ウンウンと首を縦に振っていた。その姿に紹介するのを失念していた事に、今さらながら気がついたアスナが、あっと声をあげる。

 

「あーっ、そうだった、私、紹介するのをすっかり忘れていた。二人はねぇ、前のゲームで仲間だった、ヒョウ君とツウさん」

「頼れる、良いヤツだから、みんなも仲良くしてやってくれ」

「ヒョウです、宜しく」

「ツウです」

 

 アスナとキリトの紹介を受け、ヒョウとツウが自己紹介を始めると、すっとんきょうな声がそれを遮った。

 

「にゃーっ、そのアバターは!?」

 

 声の主はアリシャ・ルーだった、彼女はツウのアバター『二本尻尾』を見るや、興奮気味な目で迫り、息を荒くして話しかける。

 

「ねぇねぇ君君、このアバターって、EXレアの『ネコマタ』だよねぇ? 何回ガチャを回したの?」

「コンバートのキャラクターメイクの一回だけですが……」

 

 ツウの答えに、アリシャ・ルーはガックリと膝を着いて項垂れる。

 

「何で……、アタイなんてボーナス全部注ぎ込んでもダメだったのに……」

「ルー子、お前そんな事にボーナス全部使ったのか」

「だってサクヤちゃん、闇魔法属性最強の特典が有るんだよ」

「全く……」

 

 落ち込むアリシャ・ルーに、サクヤが追い討ちをかける。どんよりとした空気を改善すべく、アスナがツウに他愛の無い質問を投げ掛ける。

 

「でも意外ね、ヒョウ君がインプなら、ツウはどうしてケットシーなの?」

「それもそうね、ツウの事だから、私もタケちゃんと一緒が良い、ってなるんじゃないの?」

 

 リズベットもアスナの疑問に同意して、ツウに聞く。二人の質問にツウは顔を赤らめ、一本の尻尾をヒョウの腕に絡みつけ、もう一本の尻尾を掴み、自分の指にネジネジと絡めながら、くねくねとはにかんで答える。

 

「だってタケちゃん……、猫が好きだから……」

 

 そのツウの仕草と答えに、SAOサバイバーはもとより、パーティーメンバー全員が、甘ったるい空気に胃がもたれる思いに苛まされた。すかさずキリトが機転を利かせ、ヒョウに話を振る。

 

「なぁヒョウ、運営がインプを優遇しているって噂が有るんだが、インプを選んだって事はもしかして?」

「いや、そんな事は無いと思うぞ。俺がインプを選んだのは、迷ったからユウキのオススメに従っただけだし……」

「「ユウキ!?」」

 

 アスナとシウネーがヒョウの答えに激しく反応した。食い入るような視線を向けるアスナに、ヒョウは少し驚きながらも話を続ける。

 

「ああ、俺のナビゲーションピクシーだけど。おーい、ユウキ、出てこいよ」

「なあに、ヒョウ」

 

 ツウの巫女服の袖口から、ナビゲーションピクシーがひょこっと顔を出すと、そのまま飛び出してヒョウの肩に腰かける。

 

「この子がユウキ。ほら、ユウキ、みんなに挨拶して」

「はじめまして、ボクはヒョウのナビゲーションピクシーのユウキ、宜しくね」

 

 挨拶をするユウキの姿に、キリト達は絶句する。それもそのはず、先ほどアスナが感じた通り、このユウキの姿は、あのユウキを相似形に小さくした姿だったからだ。

 

「……ねぇ、あなた……、本当にユウキなの……?」

 

 震える声で尋ねるアスナに、ナビゲーションピクシーのユウキは不思議そうに首をかしげた。

 

「うん、ボク、ユウキだよ。お姉さん……、誰?」

 

 その言葉に、アスナはショックの色を隠せなかった、その様子を見てユウキは何か傷つけてしまったと察し、アスナの眼前まで飛んで行って頭を下げる。

 

「ゴメンね、お姉さん。ボク、二週間前に生まれたばかりで、何も知らないんだ。もしボクが何かお姉さんを悲しませていたら謝るよ、ごめんなさい」

「う、ううん、違うの。キミが私の知り合いによく似ていて、それでビックリしちゃったの。こっちこそゴメンね、これから宜しく、ユウキ」

 

 ショックを取り繕ってはいるが、アスナはユウキに笑顔でそう答えた。ユウキはそれに安心したのか、満面の笑みで挨拶を返す。

 

「うん、宜しくね! え、えーと……」

「アスナよ」

「宜しくね、アスナ」

「よぉーし、カグヅチも手に入ったし、ヒョウの無事も確認出来たし、これで万事めでたし! って訳だ。なぁ、みんな! じゃあこれから、祝勝会としゃれこもうぜ!!」

 

 二人の顔に笑顔が戻ったのを確認したクラインが、調子良い口調でそう締めると、パーティーメンバー達もそうだ、それが良いと口々に賛同する、しかし……

 

「あーっ、ダメだよ! ヒョウ」

 

 ユウキが何かに気づいた様に声をあげる、一同がユウキに注目するが、彼女はそれに構う事なく、ヒョウの髪を引っ張って制止した。

 

「どうした、ユウキ?」

「どうした? じゃないよ、戻らないと。もうすぐリハビリの時間だよ!」

 

 ユウキの指摘に、ヒョウとツウは顔を見合せる。

 

「えっ? もうそんな時間か?」

「いっけなーい、本当だ」

「もう、キミがしっかりしないとダメじゃないか、ツウ」

「あうう、返す言葉が一つも無いわ」

「ったくぅ~」

 

 呆れ顔でたしなめるユウキを背後に、ヒョウとツウはキリト達にフレンド登録の申請を出しながら、これからログアウトする旨を伝えた。

 

「ゴメン、そういう訳で、今日はもうログアウトしないとダメなんだ」

「また今度、日を改めて、ね」

「そうか、残念だけど、仕方ないな」

「ええ、近いうちに、きっと」

 

 そうキリト達と言葉をかわすと、ヒョウはゲームをログアウトして戻って行った。メディキュボイドに横たわる、自由に動く事の叶わない、自分の身体へ……

 

 




お読み頂き、有り難うございます。前回から今回にかけて、オリジナル解釈、設定があるので説明致します。

クラインとユージーンがリアルでは上司部下の間柄
ユージーン将軍が、リアルでは剣道の有段者
サクヤとアリシャ・ルーが、リアルではリーファの卒業した中学校の教師で同僚
サクヤがリアルでは、女子剣道部顧問で、剣道の有段者

以上は、筆者のオリジナル解釈による、オリジナル設定です。


次回 第三話 転校生


感想とかいただけると、嬉しいなぁ……(/ω・\)チラッ

八月九日、全身麻痺→全身不随に表現変更しました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第三話 転校生

 月曜日の朝の表情は、雑多で混沌としている。

 道行く人の足取りは、皆足早。但し、だからといって、全ての足取りが軽やかとは言い難い。大多数の人間が、月曜日を週の起点としている現実世界では、月曜日の朝とは、生活基盤維持活動の始まりであり、であるからこそ道行く者の内心は千差万別である。

 ある者は気を引き締めて力強く、ある者は前日の遊び疲れを残してどこか覚束なく。

 充実した一週間にするために背筋を伸ばす者、激務の一週間の始まりに肩を落として歩く者。明るい表情の者、暗い表情の者、全てを達観し、無表情の仮面の下に、全ての感情を包み隠してしまう者。

 ある意味人生の酸いと甘いが凝縮しているこの時間帯、皆の足取りが早いのは、この日の遅刻が週の在り方を左右してしまう可能性が高いからだ。平穏無事な一週間を過ごす為、皆足早に職場へ、学校へと足を早める。

 

 

「アスナ、ニュースよ! 大ニュース!」

 

 ホームルーム開始五分前、教室へと駆け込んで来たリズベットこと篠崎里香が、既に着席して読書をしながらホームルーム前の暇潰しをしているアスナ、結城明日奈に血相を変えて報告をする。

 

「どうしたの、リズ。そんなに慌てて」

 

 ここはSAOサバイバーを対象に開設された臨時学校だ。この学校は被害当時、就学年齢だった子供達のケアと教育を目的に開設されている。生徒には二年間のブランクが有るため、一般的な中学、高校に比べると年齢層はやや高いが、この学校を卒業すれば同年代の者から遅れても、留年や浪人生ではなく『現役』として高校卒業資格が与えられる事となっている。生徒達それぞれの元々の学力に差があった為、学校のレベルは中の下クラスの普通高校といった評価だが、内情は些か違っている。卒業資格だけで良いと言う者には、それに応じた教育が施されるが、一流難関大学進学を目指す者にも、それに相応しい教育が与えられ、一般的なアホ学校とは一線を画する学校だった。アスナは母親にそれを証明して、SAOで得た掛け替えの無い友達との生活を守っている。

 

「これが慌てずにいられますか! 転校生よ、て・ん・こ・う・せ・い」

「転校生?」

 

 柳眉をしかめ、軽く思案する明日奈に、たった今仕入れた最新情報に、軽い優越感と喜び、早く情報共有して喜びを分かち合いたい気持ちが溢れ、里香は目を輝かせる。

 

「そう、転校生。さっき廊下を走ってたら、職員室から転校生がどーたらとか聞こえてきて、気になって扉の隙間から覗いたら、チラッとその転校生らしき背中が見えて」

「ふんふん」

「で、その子の前にいたのが、ウチのクラスの担任」

 

 里香の話を聞くうちに、その中身を理解した明日奈の瞳が輝いていく。

 

「それって、もしかして?」

「きっとそーよ、他に考えられないでしょう!」

 

 前述の通り、この学校はSAOサバイバーのケアを目的に設立した学校である、従って転校生に一般学生を受け入れるとは考えられない。そして、二人は先日、その対象となりうる二人のSAOサバイバーに、ALOの中で再会を果たしていた。明日奈と里香がハイタッチをして喜びを分かち合ったタイミングで予鈴が鳴る。里香は急いで自分の席に着席し、明日奈と共にワクワクしながらその時を待った。

 

 

「起立、礼、着席」

「皆さん、おはようございます」

 

 担任の先生が入室すると、日直の号令でルーティーンの朝の挨拶が始まる。挨拶を終えた所で、今朝の挨拶はルーティーンとは少し違う事に気づいた生徒達がざわつき始めた、いつもなら担任は入室する際に必ず閉める引き戸が、今朝は開いたままだった。

 

「皆さん、お静かに。今日は皆さんに新しい仲間を紹介します。君、さぁ入って」

 

 担任教師はざわめく生徒達をやんわりとたしなめると、開いたままの引き戸に目を向け、その向こうで控えている転校生に声をかける。「はい」と応えて入室した転校生の姿に、教室の中はどよめいた。

 

「今日から皆さんと一緒に、この教室で学ばせていただく事になりました、大祝小鶴です。どうかよろしくお願いいたします」

 

 小柄な癒し系美少女にクラスが騒然となる中、明日奈と里香が嬉しそうに小さく手を振って笑いかける。すると、それに気づいた小鶴は、花が咲いた様な笑顔を二人に返した。

 

 午前の授業を終えて三人は、購買前でシリカこと綾野珪子と合流する。珪子は小鶴の姿を認めるや、飛び付く様に手を取って自己紹介を始めた。

 

「ツウさん! 会いたかったです。私、シリカです、綾野珪子といいます、はじめまして!」

「はじめまして、シリカちゃん。私は大祝小鶴です、よろしくね」

「だからコヅ姉なんですね、こちらこそよろしくお願いします」

 

 お互いに手を取り合って、ピョンピョン飛び跳ねてリアルでの対面を喜ぶ二人。それから四人は、購買で適当に飲み物や、弁当持参でない者はパン等を買って中庭へと向かった。

 

「さ~て、愛しのタケちゃんはどこかなぁ~」

 

 四人の視界に中庭のベンチが入ると、里香は悪戯っぽい含み笑いを浮かべて小鶴の顔を一瞥して、ベンチのある一角へと駆け出した。

 

「ちょっと、こらぁ~、リズぅ~」

「へっへ~ん、一番乗りぃ~」

 

 明日奈の制止を振り切って、一番先に猛の顔を見ようと、里香はベンチへとダッシュする。キョロキョロとベンチを見渡す里香は、見知った顔を見つけて、声をかけながら歩み寄って行った。

 

「あっ、キリト」

「よう、リズ、どうしたんだ?」

「どうしたんだって、決まっているじゃない。ねぇ、ヒョウはどこ? 一緒じゃないの?」

「ヒョウ?」

 

 キョロキョロと辺りを見回す里香を、怪訝な表情で見上げた和人は、彼女の背後に三人の女子の姿を確認する。

 

「キリト君、紹介するわ」

「アスナ……」

 

 にこにこと上機嫌な笑顔で、明日奈は真新しい制服に身を包んだ、小柄な女子生徒を和人に引き会わせた。和人は一瞬考える表情を浮かべたが、すぐに合点のいった目でその女子生徒を見てベンチから立ち上がる。

 

「ツウさん、ツウさんか?」

「はい、大祝小鶴です、よろしくお願いします」

 

 ぺこりと頭を下げる小鶴に、和人も自己紹介を始めた。

 

「桐ヶ谷和人です、こちらこそよろしく」

 

 二人の自己紹介が終わる間もなく、猛の姿が見当たらない事に痺れを切らした里香が口を挟む。

 

「ねぇツウ、ヒョウはどこ?」

 

 好奇心を隠そうとしない里香の瞳から目を反らし、小鶴は少し表情を曇らせてうつむいた。

 

「ごめんなさい、タケちゃん、まだ入院中なの……。だから、転校は私だけ……」

 

 小鶴のその言葉に、四人は唖然として目を剥いた。

 

 

 

「許せないわね、サーキーのヤツ!!」

 

 昼食を摂りながら、小鶴が十一月七日に起こった出来事を一部始終話すと、里香は憤慨して飲み終えたイチゴ牛乳のパックを握り潰す。

 

「だからタケちゃん、一瞬だけマイクロウェーブの照射を受けて……、そのせいで少し回復が遅れてるの」

 

 そう言い結んだ小鶴の言葉に、四人は押し黙ってしまった。その重苦しい空気を追い払う様に、小鶴は殊更明るい口調で話始める。

 

「ああっ、でもちゃんと回復してきてるのよ! ALOで会ったでしょう、ちょっとリハビリが長引いてるだけなの」

「そうよね、なんたって『無敵のヒョウ』だもんね。ウン、状況は理解したわ、学校に来るの楽しみにしてるから、リハビリ頑張ってって伝えといて」

「ええ、わかったわ」

 

 小鶴の言葉に里香は納得したが、和人と明日奈は違った。特にSAOにログインする前迄は女子校に通い、心理戦のエキスパートを自認する明日奈は、小鶴が無理して明るく振る舞っていると見抜いていた。

 

「でも、無理しない様に伝えてね。それからツウも。困った事が有ったら遠慮なく言ってね、私達に出来る事なら、必ず力になるから。ねぇ、キリト君」

「ああ、勿論だ。ヒョウにも遠慮しないよう、念を押しておいて。アイツ他人の事なら何でも頼んでくるクセに、自分の事になると全然だからな」

「えへへへへ」

 

 明日奈は小鶴の言葉から感じた違和感に、何か有る事を察したが、それを確かめては逆に傷つけるのではと思いやり、そう言うにとどめた。そんな明日奈と彼女の言葉に頷く和人の言葉に、小鶴は心に痛みを覚える。

 

 小鶴はみんなに嘘をついていた、猛は今全身不随の身体をメディキュボイドに横たえ、本当に成功するかどうか分からないリハビリに挑戦しているのだ。

 

「みんなには、この事は内緒にしていて欲しい」猛は転校をする小鶴にそう望んでいた。皆に余計な心配をかけて、負担になりたくは無いというのがその理由だが、これは建前である。本音はメディキュボイドに横たわる、無様な姿を晒したくない、自分の足でちゃんと立って会いに行きたい、という極めて少年らしいエゴイズムからだった。

 猛がそう考えたのには理由が有る、彼が目覚めたという一報は、元クラスメートをはじめとする友人関係の全てに朗報として駆け巡る。

 その知らせを聞いた友人達は、彼の面会謝絶が明けると直ぐに、大挙して見舞いに訪れ、全身不随という現実を目の当たりにすると、絶望に涙して帰って行った。なまじ意識と覇気が有るだけに、この事は猛を深く傷つけた。大丈夫だから泣かないでと声をかけたいが、手を伸ばしたいが、自由に動かない身体に、伝えられない自分の身体に、猛は苛立ちを覚えていた。それだけではない、猛に深く想いを寄せていた数名の女生徒達が、「猛君がこんな身体になってしまったのは、あなたのせいよ!」と、彼の目の前で小鶴を糾弾した事も、その理由の一つである。

 また、小鶴にも秘密にしたい理由が有った、ログイン前は地元優良企業祝屋商事三男にして、ヒースロー空港の英雄と持て囃した友人の大多数が、猛の現状を見てから距離を置き、去って行った事である。自分に対する糾弾は堪えられるが、これは小鶴には堪える事ができなかった。まさかとは思うが、和人達の中にも、そういう人が現れるかもしれない、もしもそうなったら、タケちゃんは深く傷つき悲しむだろう、小鶴はそう危惧していたのだ。

 

 しかし、そうした事を差し置いても、二年余り命を預け合った盟友達を疑い、嘘をつく事は小鶴の心にとって大きな負担である事も事実である。

 

 大祝小鶴はこうして、前途に大きな不安を抱え、新たなる生活の第一歩を踏み出した。

 

 

 

 ▲▽▲▽▲▽▲▽

 

 

 

「お兄ちゃん、お帰り」

 

 放課後、帰宅してリビングに足を踏み入れた和人を、直葉は感情のこもらない言葉だけで迎えた。

 

「ただいま、スグ。早いな、部活は?」

「テスト期間中」

 

 抑揚の無い口調でそう答えた直葉に和人は驚いて目を向けると、彼女は全身を目にする様な勢いで、食い入る様にリビングの大画面テレビを見つめていた。

 

「おいおい、勉強は大丈夫なのか?」

「今さらじたばたしたところで、大した変わんない」

「あのなぁ……」

 

 テレビの画面に集中する余り、相変わらずの口調で気の無い言葉を返す直葉に苦笑しながら、和人はキッチンに入ってコーヒーを淹れる。和人は淹れたコーヒーを二つのマグカップに注ぐと、両手でそれを持ってリビングへと向かう。

 

「コーヒー淹れたぞ、随分熱心だな、何見てるんだ?」

「あんがと……、うわぁっ!!」

 

 和人に礼を言った直葉は、画面から目を離さずに、手探りでマグカップを取ろうとしたために、ものの見事にそれをひっくり返してしまった。

 

「おい、大丈夫か、スグ」

「ごめんなさい、お兄ちゃん。直ぐに片付ける」

 

 事がそれに及んで、ようやく精神がテレビ画面から現実世界に帰還した直葉は、飯台布巾と雑巾を取りにリビングから駆け出した。

 

「せっかく淹れてくれたのに、ごめんなさい、お兄ちゃん」

 

 数分後、後片付けを終えた直葉は、軽い自己嫌悪にしょんぼりした口調で和人に謝罪する。

 

「怪我とかしなくて何よりだ。それよりスグ、これを見てたのか?」

「うん、スロー再生しても、抜刀のタイミングが全然掴めなくて……」

 

 直葉が見ていたのは、テレビの番組ではなかった。画面に映るのは、十代前半の少年が真剣を振るう姿、祝屋猛がSAOに囚われる前に発表した動画である。

 

「無拍子っていう動きなんだけど……」

「予備動作の無い、古武術とかにある動きか?」

 

 和人はSAOでのヒョウの受け売り知識を口にすると、直葉は目をぱちくりさせて兄の顔を見る。

 

「よく知ってるわね、お兄ちゃん」

「まぁな。で、その無拍子がどうしたんだ?」

「うん、この画像の人、その無拍子極めている上に、動画ごとに抜刀する呼吸が違うの」

 

 和人は自分の目を見上げ、熱っぽく動画の剣技について語る直葉の剣幕に、内心たじろいでいた。その動画の人物が、先日ALOで加勢してくれたヒョウだと知ったら、スグの奴どんな顔をするだろうか、と思いながら相槌を打つ。

 

「へぇ、そうなのか?」

「へぇ、そうなのかじゃないよ、お兄ちゃん」

 

 和人の軽い相槌が気にさわったのか、直葉は腰に手を当てて語気を強める。

 

「もし次が有っても、あれを上回る工夫をしなくちゃ対応出来ないんだよ!」

「ほう、そりゃ凄いな」

 

 直葉の剣幕たじろいだ和人は、思わず軽いホールドアップの姿勢で、仰け反りながら一歩後ずさる。

 

「そう、凄いのよ! 私達とそう変わらない年で、そんな奥義みたいな事が出来るなんて、メチャクチャ凄い事なのよ!」

 

 そう言うと直葉は再び、テレビに映る動画に目を戻した。そんな妹の背中を苦笑しながらも、暖かい瞳で見守る和人。

 

「じゃあ俺は部屋に行くから、また後でな、スグ」

「わかった。ああそうだ、お兄ちゃん」

 

 リビングから私室に移動する和人を、直葉は呼び止める。

 

「日曜日の歓迎会、私も行くから」

「何で知ってるんだ、スグ?」

 

 夕飯時にでも確認しようと思っていた和人は、意表を突かれて聞き返す。

 

「珪子ちゃんからメールもらったの。私もあの時のお礼を言いたいし、良いでしょう、お兄ちゃん」

「ああ、勿論だ」

「やった」

 

 リハビリ入院でヒョウさんは来れないそうだけど、ツウさんと繋がりができれば接点はできる。そう考えた直葉は、喜色満面の瞳で動画に目を戻す、彼女の目には画面の祝屋猛が、あの時のヒョウと重なって見えていた。

 

 

 




かなり古い説明になりますが、SAO編第二十一話 包丁スキル にて描かれているゴドフリー氏のリアルでの設定。無名中学校の弱小野球部顧問というのも、筆者独自解釈の、オリジナル設定です。説明不足申し訳ありませんでしたm(__)m

次回 第四話 歓迎会


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第四話 歓迎会

 小鶴の転校からはや一週間が過ぎ、彼女の歓迎会の前夜、風呂上がりに和人がパソコンを立ち上げると、そのタイミングで幼女の声が和人を呼ぶ。

 

「パパ、ママ、わかりました」

 

 声の主はユイである。ユイは和人と明日奈が共に自室に居るタイミングで、二人から依頼され収集していた情報を報告するために、通信を開いた。

 

「おっ、さすがに早いな、ユイ」

「ユイちゃん、有り難う、お疲れ様。で、どうだった?」

「はい、どういたしまして、パパ、ママ。ではお話しますね」

 

 大好きなパパとママに褒められて、ユイは嬉しそうな口調で報告を始める。

 

「先日のクエストで現れた、ヒョウさんのナビゲーションピクシーのユウキさんですが、とてもユニークな存在のようです」

「ユニークな存在?」

「それはどういう事なの、ユイちゃん?」

 

 ユイが和人と明日奈に報告したのは、ヒョウのナビゲーションピクシーのユウキについてだった。彼女の姿が、余りにも絶剣のユウキに酷似していた為、何かしらの繋がりを感じた二人はユイに調査を依頼していたのだ。

 

「はい、まずあのユウキさんですが、彼女はオリジナルのカーディナルシステムが、私と同じメンタルカウンセリングプログラムとして設計したAIの様です」

「メンタルカウンセリングプログラム……」

「でも、SAOならともかく、ALOでそんな存在が必要なのかしら?」

 

 首を傾げる二人に、ユイは直近の出来事を提示して、理解を促す。

 

「はい、今現在フルダイブVRMMOは只の娯楽ではなく、色々な用途で利用されています。パパとママにも覚えが有るはずです、絶剣のユウキさんの事を」

「ユウキの事……」

「そうか! 終末医療か!」

「はい、そうです。フルダイブVRMMOが終末医療の分野に進出してから、SAOとは別の意味で、死の恐怖に怯えるプレイヤーが現れる様になりました」

「そうか、そのプレイヤーの心のケアをする必要性を、カーディナルが判断したんだな」

 

 得心の行った和人の言葉をユイは肯定し、話を進める。

 

「はい、その通りです、パパ。そしてそのAIの第一号として設計され、産み出される事無く凍結されたAIが、あのナビゲーションピクシーのユウキさんです」

「産み出される事無く凍結されたって、それはどういう事なの、ユイちゃん」

「ママ、そこがあのユウキさんのユニークな所なのです。予定ではストレアタイプの妖精として、絶剣のユウキさんの許に行く筈でした。ですが、絶剣さんはママと出会った事でメンタルが安定し、ケアの必要が無くなって凍結されました」

「……ユウキ」

 

 ユイの言葉に、親友を喪った悲しみと、最期までその親友の支えになれた達成感で、明日奈の頬に一滴の涙がつたう。

 

「それが解凍されて、ヒョウの許に赴いた。こういう訳だな、ユイ」

 

 音声通信のみで、明日奈の内心までを理解し得なかった和人が、ユイに続きを促す。

 

「はい、その通りなのですがパパ、とても不思議な事が起こっているのです」

「不思議な事、それは一体どういう事なんだ、ユイ」

「はい、まず一つはストレアタイプから設計変更されていない筈なのに、容姿、性格共に全く異なるパーソナリティーとして完成している事です」

「何だって、それは本当か?」

「はい、外部から手が加えられた形跡は全くありません。そしてもう一つ、カーディナルが彼女を解凍した形跡も無いんです。私にはあのユウキさんはヒョウさんの所に行くために、自分の意志で自力解凍したとしか考えられません」

「そんな事があり得るのか……」

「いいえ、本来ならば絶対にあり得ない事です。ですが、あり得ない事が実際に起きているのです。私には理解出来ません、本当に不思議としか言い様が無いんです」

 

 思わず呻く和人に、ユイはきっぱりとそう告げた。だが、和人と明日奈はその理由を情緒的に理解する。ユウキの残した心が、リハビリに挑むヒョウを励ます為に、AIとして顕在化したのだと。やはりあのユウキはユウキなのだ、そう得心した二人の頭の中にある疑問が浮上した。

 

 なぜ、ユウキはヒョウの許に現れたのだろう。

 

 その回答が、ユイによって最後のユニークな点として語られる。

 

「最後にもう一点ですが、あのユウキさんはヒョウさんのナビゲーションピクシーとして活動していますが、どうもそれには条件が有るみたいです」

「条件?」

「それは何なの? ユイちゃん」

「あるVRMMOマシンの使用者以外には、彼女はナビゲーションピクシーとして現れないのです。ヒョウさんは今、そのマシンを使ってALOにアクセスしていますから、彼女は彼のナビゲーションピクシーになったのです」

 

 ユイの言葉に、和人と明日奈は嫌な予感に囚われる。まさか、あのマシンではないだろうな、そう思った二人はそれを否定して欲しい一心で、ユイに確認した。

 

「あるマシンって……」

「まさか、違うわよね、ユイちゃん」

「はい、パパとママが察した通り、そのマシンとはメディキュボイドの事です。ごめんなさい、パパ、ママ」

 

 ユイの口から語られた、メディキュボイドという名称に二人の顔面は蒼白となる。それはかつて紺野木綿季が、過酷な運命と戦ったマシン。担当医の説明では、その使用目的は終末医療における患者の苦痛と恐怖の軽減。そのマシンの現在の使用者がヒョウである、それを知った和人と明日奈は、とても固い鈍器で頭を思い切り殴られた様な衝撃に襲われた。よろよろとベッドに腰を下ろし、頭を抱える和人と、膝から崩れ落ちる様に床に伏せる明日奈。

 

「嘘だろう……、そんな事有る訳ねぇよ……」

「どうしよう……、ねぇ、キリト君……、私達、どうしたらいいの……」

 

 転校当日、学校でツウから感じた違和感は、これだったのかと二人は確信する。

 

「分からない……、とにかく歓迎会で、ツウさんに話を聞いてからだ……」

「うん……、そうだね……」

 

 何かの間違いであって欲しい、そう願いながら二人はまんじりとしない一夜を過ごしたのだった。

 

 

 

 翌日、歓迎会へと出かけた和人と直葉の足取りは、対照的なものであった。あの動画の祝屋猛との知己が得られるかもしれない、その可能性に直葉の心は浮き立ち、油断すると笑みがこぼれ、鼻歌混じりにスキップを踏んでしまいそうな足取りである。しかし、和人はそうはいかなかった。本来ならばSAOの戦友とのリアルでの再会を祝う会、そのホスト的な役割を負う和人ではあるが、夕べユイからヒョウとユウキの事を聞かされた身としては、どの様に小鶴と接するべきか悩み、どうしても足は重くなってしまう。

 

「お兄ちゃん、早く早く、歓迎会に遅刻しちゃうわよ」

「ああ、悪い悪い。しかしスグ、今日はご機嫌だな」

 

 怪訝な表情で叱責する妹に内心を悟られまいと、努めて明るい口調で和人は言葉を返す。すると直葉は気恥ずかしくなったのか、口を尖らせ横を向いて否定した。

 

「べ、別にそんな事無いわよ、普通よ、普通。それよりお兄ちゃんの方が変だよ」

「変って、俺のどこが」

「上手く言えないけど……、何か行きたくないみたい」

 

 直葉のその一言が、和人の心をグサリと刺す。

 

「そんな事無いさ、急ごうぜ、スグ。ぼやぼやしてると、置いて行くぞ」

「あっ、待ってよ~、お兄ちゃ~ん」

 

 和人は直葉の指摘を誤魔化す為に、逃げる様に走り出した。

 

 

 歓迎会の会場となったダイシーカフェに向かう足取りが重いのは、何も和人だけではなかった。彼と一緒にユイから話を聞いた明日奈も同様であるが、他にも気が進まない、重い足取りを踏んでいる者がいた。それは誰あろう、今日の集まりに主賓として参加する、大祝小鶴その人である。

 

「ふう……」

 

 時折スマートフォンの地図アプリを開き、道筋を確かめながら進む小鶴は、出発してから何度ついたかわかないため息をついて、天を見上げた。

 

「是非ともお願いするよ。いやぁ、折角都会に出て来たってのに、コヅ姉ったら何処にも行かずに学校病院アパートを往復するだけなんだ」

 

 全身不随の猛を差し置いて、自分だけが楽しむ事に気が引けた小鶴は、当日までに何らかの理由をでっち上げて欠席するつもりで、歓迎会の事は猛には内緒にしていた。しかしそんな小鶴の思案を知らない里香によって、猛に隠していた歓迎会の事がALOの中でバレてしまう。あたふたと取り繕おうとする小鶴を尻目に、「良いでしょう、ヒョウ」という里香の言葉に対する猛の答えが先の言葉である。そして今日は「さぁ、今日はもう良いから、歓迎会に行っておいで。土産話楽しみにしてるよ」と表示された、猛の意思疎通用パソコンのディスプレイに病室から追い出されていた。進まない心で重い足取りを引きずる様に前に進め、とうとうダイシーカフェの前に到着した小鶴は、貸切の札が下げられた扉を、ドアベルが鳴らぬ様に少しだけそーっと開く。

 

「!?」

 

 カウンターで談笑しながらパーティーの準備を進めるアンドリュー『エギル』が、ふと視線を感じて顔を上げると、小さく開けられたドアの隙間から、不安気に中を覗く少女の顔が有った。一瞬誰かと思って怪訝な表情を浮かべたアンドリューだったが、直ぐにその少女が今日の主賓だと気づいて相好を崩す。彼の表情の変化でカウンター席に座っていた二人の少女、里香と珪子がドアへと振り返り、笑顔をほころばせて迎えに走り出した。

 

「遅かったじゃない、何してたのよ、小鶴」

「さぁ、入って下さい、みんな待ちくたびれてますよ、小鶴さん」

 

 里香と珪子に店内に引っ張り込まれ、歓迎会参加メンバーの前に出された小鶴は、たじろぎながらも一礼して自己紹介を始める。

 

「皆さん、初めまして、SAOではタケちゃん共々お世話になりました。大祝小鶴、ツウです、どうぞよろしくお願いします」

 

 そう言って頭を上げた小鶴を待っていたのは、歓迎を表す笑顔と歓声、口笛とクラッカーの嵐だった。面食らった表情の小鶴に、里香はオレンジジュースの入ったグラスを持たせて空いた腕を彼女の肩に回すと、片手に持ったグラスを高く掲げる。

 

「では皆さん、大祝小鶴さんとのリアルでの再会を祝し、ヒョウ君の一刻も早い快復を願って、乾杯!!」

「乾杯!!」

 

 里香の音頭で乾杯が済むと、真っ先に小鶴の許にやって来たのは、シンカーとユリエールの夫婦だった。二人は小鶴に向かい、深々と頭を下げる。

 

「本当に済まなかった、ヒョウ君がまだ入院しているのは、キバオウを止められなかった私達の責任だ」

「困った事が有ったら何でも言ってちょうだいね、必ず力になるわ」

「そんな、頭を上げて下さい。お二人のせいなんかじゃありません、どうかご自分を責めないで下さい」

 

 小鶴がそう声をかけると、二人は幾分か精神的に楽になった様子で顔を見合せた。小鶴がこの一年余り懸念していた、SAO孤児について二人に話を聞くと、意外な話になり、安堵すると共に目を丸くして驚いた。

 SAO孤児達のほぼ全員は、リアルに片親が存在しており、ログアウト後は無事に家庭に戻っていった。しかし、ジャスミンについては、元々母子家庭で祖父母も要介護であり、引き取り手がいなかったらしい。その話を聞き付けたシンカーとユリエールが養子として迎え入れ、今は幸せに暮らしているそうだ。しかし、ログアウト直後は、サーキーの卑劣な戦闘の影響で、重度のPTSDに悩まされいたそうで、この頃ようやく落ち着いてきたとの事である。その話を聞いて、特にジャスミンについて気にかけていた小鶴は、ようやく肩の荷を下ろした気分になったのだった。

 

 シンカーとユリエールとの話が一段落ついた後も、小鶴の許には何人ものSAOサバイバーが、引きも切らずに訪れて旧交を温めていた。その姿を遠目に直葉は無聊をかこつ思いで眺めていた。SAOサバイバーの絆の深さを改めて認識した直葉だったが、それとは別に彼女自身にも小鶴を前にして二の足を踏む問題が有ったのだ。その問題を一言に集約すると、この一言に尽きるだろう。

 

「なんて話を切り出したら良いのだろう?」

 

 直葉は小鶴と共にALOに現れたヒョウを、動画の祝屋猛と直感している。剣道を嗜む者として、彼の操る剣術に純粋な憧れを抱いていた。そしてその憧れは、カグヅチイベント以降にキリト達を交えて行った数度の冒険で触れたヒョウの人柄から、剣術だけではなくヒョウその人に対して抱く様になっていた。しかし直葉は兄の和人からの事前情報で、小鶴とヒョウはSAOでゲーム内結婚をしており、リアルからも深い愛情で結ばれている事を聞かされている。その小鶴に対して、ALOで一~二回会っただけの自分が、ヒョウの何をどう聞こうか? それが目下の直葉の悩みだった。

 

「ちょっと直葉、何そんな所で縮こまっているのよ、あんたもこっちに来なさいよ」

 

 直葉が顔を上げると、屈託の無い笑顔で、いつの間にか眼前に立っていた里香の姿が有った。

 

「ほら、紹介してあげるから、一緒においで」

「うわぁ、ちょっと、里香さん」

 

 里香に二の腕をむんずと掴まれ、小鶴の前に連れて来られた直葉は、改めて息を呑んだ。

 

 なんて綺麗な人なんだろう……、それに、小さくて……可愛くて、癒される……

 

 圧倒される直葉を小鶴の前に差し出し、里香は悪戯っぽい笑みを浮かべて紹介を始めた。

 

「小鶴、紹介するわ、この子が妖精剣士のリーファ。で、本名が、聞いて驚け、桐ヶ谷直葉っていうの」

「えっ? 桐ヶ谷って、じゃあ」

 

 里香の口から出た『桐ヶ谷』の名字に、小鶴は一瞬驚きの眼差しを直葉に向ける。するとしてやったりの会心の笑顔で里香は、紹介を続ける。

 

「そう、キリトの妹よ」

「まぁ、桐ヶ谷君の妹さん! 私は大祝小鶴です、これから宜しくね」

「こちらこそ、宜しくお願いします、小鶴さん、桐ヶ谷直葉です。SAOでは兄がお世話になりまして、本当にありがとうございました」

 

 人懐っこい笑顔で自己紹介する小鶴に、慌てて自己紹介を返す直葉。直葉の自己紹介を笑顔で受けていた小鶴は、はたと何かに気づいた様に目の色を変える。

 

「えっ? 桐ヶ谷直葉って、あの桐ヶ谷直葉さん!?」

 

 そう問い質す小鶴に、直葉と里香が目を丸くした。

 

「えっ? 何? 知ってるの、小鶴?」

「えっと、あの、どういう事でしょう?」

 

 驚いて異句同意に聞き返す二人に、小鶴は直葉の手を取って説明する。

 

「女子学生剣道の桐ヶ谷直葉さんでしょう? いつも家のお婆ちゃんが褒めているのよ、綺麗な太刀筋をした良い剣士だって。あっ、そうそう、タケちゃんもリーファちゃんの剣は素晴らしいって褒めてたわ」

「いえ、私なんてまだまだです。それよりタケちゃんさん……、じゃない、ヒョウさんの剣の方が凄い剣です。あれって古流の剣術ですよね、あんな凄い太刀筋の剣、動画でしか見た事がありません! 実はヒョウさんって……」

 

 小鶴の祖母巴は、古武道協会の理事を務める傍ら、剣道連盟の役員をしている。そのため全国レベルの腕前を持つ直葉は、巴の目に留まっていたのだ。図らずも話のきっかけを掴んだ直葉は、これ幸いとヒョウについて質問するが、背後から和人の拳骨が頭に落ちて中断させられる。

 

「痛いっ! 何するの? 酷いよお兄ちゃん」

「リアルの詮索はマナー違反だぞ、スグ」

「だってぇ……」

「だってじゃない。いくら小鶴さんがリアルでヒョウの関係者でも、それとこれは別問題だ」

「はぁい。ごめんなさい、小鶴さん」

「ううん、良いのよ、気にしないで、直葉ちゃん」

 

 直葉の謝罪を笑顔で受け入れた小鶴の許に、明日奈が眼鏡の少女を連れて来て紹介を始める。

 

「この人は朝田詩乃さん、通称しののんよ、ALOきっての凄腕スナイパー、シノンはこの子なの、仲良くしてね、小鶴」

「初めまして、ケットシー同士仲良くしましょう、小鶴さん」

「こちらこそ、会えて嬉しいわ、宜しくね、詩乃さん」

 

 握手を交わす二人に、満足気な笑顔を浮かべる明日奈、一通りの紹介を終え、宴はたけなわになっていく。SAOサバイバーが中心のこの歓迎会では、どうしても話題の中心はSAOでの想い出話になってしまうのは、仕方のない事である。彼等にとってSAOは、苦い想い出であると共に、こうして得難い仲間を得た、かけがえの無い想い出でもあるのだ。キリトとアスナがヒョウとツウと出会った二層のクエスト、ツウとリズベットが出会った十八層の出来事、迷子のシリカがツウとヒョウに助けられた五十層のエピソードが、ヒョウの超人的な剣技と共に語られ、笑いを誘っていた。中でもとりわけ大爆笑の話題となったのが、エギルのナンバ修得時のエピソードである。

 力任せのエギルの動きを、日本舞踊を稽古して矯正する事となったのだが、日舞を知るツウとアスナは娘踊りしか知らなかったのと、エギルが長物の武器を使用していたのが理由で、藤娘を習うハメになった事。その稽古に着用するのに、舞台に上げても恥ずかしくない程、絢爛豪華な着物をツウが拵え、エギルは不本意ながら稽古の時だけ女形を演じなければならなかったエピソードが語られた時は、全員涙を流して笑い転げるのだった。

 

 こうして楽しい時が過ぎていき、宴が終焉して皆が名残を惜しんで帰り支度を始まった頃合いに、和人と明日奈は目を合わせると、意を決して頷き合う。そして、極めて自然を装い、小鶴に声をかけた。

 

「今日は楽しかったわ、来てくれて有り難う、小鶴」

「駅まで送るよ、小鶴さん」

「ふ、ふぁい!?」

 

 今まで皆の楽しい空気を壊さない様に、気を使っていた小鶴だったが、本心は一刻も早く猛の許に帰りたい一心だった。お開きになって、早くタケちゃんの所に帰らなきゃと、気もそぞろになっていた所に、虚を突かれた小鶴は思わず間抜けな声を出して、二人の申し出を受けてしまった。

 

 肩を並べて駅方面へと足を進めて行く途中である、真剣な表情で明日奈が小鶴に声をかけた。

 

「小鶴、大事な話が有るんだけど、もうちょっとだけ付き合ってくれないかな?」

 

 深刻な表情で自分を見据える明日奈と和人に、ただならぬ思いを感じた小鶴は、少しならばと考え頷いたのだった。




SAO編での、ツウとアスナがエギルに日舞を教える描写が有りました。この二人が日舞ができるというのは、独自解釈によるオリジナル設定です。良家、旧家のお嬢様は、躾の一環でこうした習い事をするものだ、という筆者のある種の偏見によるものです。

次回 第五話 猛の戦い、小鶴の戦い


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第五話 猛の戦い、小鶴の戦い

「お待たせ」

 

 駅近くの多目的公園のベンチに腰掛ける小鶴と明日奈に足早に駆け寄り、和人は屋台で買ってきたタコ焼きを差し出した。

 

「わぁ、美味しそう。いただきます、キリト君。小鶴もほら、遠慮しないで」

「このタコ焼き、旨いんだぜ。アッ、アチチチチ」

「慌てないの、キリト君」

 

 出来立ての熱さに悲鳴をあげて、目を白黒させながらタコ焼きを冷まそうと、ハフハフと口内に空気を取り込む和人と、半ば呆れた笑顔でたしなめる明日奈。その姿にSAOでの二人の姿を思い出し、小鶴はクスリと笑顔を浮かべる。

 

「じゃあ一ついただきます、桐ヶ谷君」

 

 ベンチでタコ焼きを食べ終わると、明日奈と和人は改めて姿勢と表情を正し、小鶴に向き直った。

 

「でね、話っていうのは、ヒョウ君の事なの」

「タケちゃんの事? 何かしら?」

 

 明日奈の言葉に、小鶴は平静を装って首を傾げるが、明日奈と和人は僅かだが不自然に上ずった声と、小さくもピクッと反応した肩の動きを見逃さなかった。小鶴の動揺を見抜いた和人と明日奈は「明日奈」「ええ、キリト君」とアイコンタクトを取る、そして和人はベンチから立ち上がると、小鶴の正面に移動する。

 

「すまない、小鶴さん」

 

 深々と頭を下げる和人に、目を白黒させて動揺する小鶴。

 

「どうしたの、桐ヶ谷君、いきなり……」

 

 小鶴は明日奈に救いを求める視線を投げかけた、すると明日奈は真剣な眼差しで見つめ返す。

 

「ごめんなさい、小鶴。私達、どうしても気になる事が有って、調べさせてもらったの」

「深く詮索するつもりはなかったんだ、それだけは信じて欲しい」

 

 二人の誠意ある、そしてただならぬ態度に圧倒された小鶴は背筋を伸ばすと、やや狼狽えた表情で頷いた。

 

「実はね、私達ヒョウ君のナビゲーションピクシーのユウキの事がどうしても気になって、悪いとは思ったんだけど勝手に調べさせてもらったの」

「ユウキの事が?」

「ええ、ユウキが私達の大切な友達と同じ名前で、姿もよく似ていて……」

 

 首をかしげる小鶴に、明日奈は絶剣のユウキとの想い出を話し始めた。彼女との出会いから別れに至る全てを話し終え、明日奈が目を伏せると、和人が明日奈に継いで話し始める。

 

「で、俺達はヒョウのユウキと絶剣のユウキには、何かしらの関係が有るんじゃないかって、調べてみたんだ……」

 

 和人はユイからの報告を小鶴に説明し、最後にこう結んだ。

 

「俺達は、ヒョウが今、メディキュボイドに居る事を知ってしまったんだ……」

 

 和人は歯を食い縛り、拳を握りしめる。

 

「ねぇっ! 教えて小鶴! ヒョウ君、死んじゃうの!? 教えて!!」

「死ぬって……」

 

 明日奈は小鶴の手を握り、目に涙をためて食い入る様に詰問した。明日奈の「死んじゃうの」という言葉に驚く小鶴に、和人がフォローを入れる。

 

「俺達が知っているメディキュボイドの利用目的は、終末期医療の患者の苦痛軽減なんだ……」

 

 悲痛な眼差しで自分を見つめる二人の視線から伏し目がちに顔を反らして小鶴は逡巡する、猛には黙っていて欲しいと頼まれていたこと、それと何よりも、この二人が、そしてSAOで友誼を築いた仲間達も故郷の友人の様に猛から去って行く事を恐れ、全てを口にするのが憚れた。

 

「小鶴! 私達、たとえどんな結末になっても、最期まであなた達の力になりたいの!! だから教えて、小鶴!!」

 

 ためらう小鶴の両肩を掴み、明日奈は涙まじりの決意のこもった視線で訴えかける。その視線に小鶴の心の中の、頑なな思いが溶けていった。

 

「二人共、タケちゃんの現実の姿を知った後でも、これまで通り普通に接してくれる?」

「えっ?」

 

 聞き返す二人に、小鶴は震える声で話しを続ける。

 

「私、タケちゃんに頼まれているの、内緒にして欲しいって。だから、二人を直接タケちゃんに会わせる事は出来ない。でも、タケちゃん、ALOの中でみんなに会えるのを、毎日すごく楽しみにしているの。私、タケちゃんを傷つけたくない。だから……」

「わかったわ、約束する」

「ああ、この事はヒョウには絶対言わない、これまで通りに付き合うと約束する」

 

 現実の猛を見ても、これまで通りの付き合いが出来なければ、いくら二人でも猛に会わせる事は出来ない。絞り出す様にそう口にした小鶴に、明日奈と和人はそう誓約した。

 

 

 翌月曜日の放課後、和人と明日奈が人目を憚る様に下校して、小鶴の案内でやって来たのは、あの思い出深い横浜港北総合病院だった。

 

「先生、ただいま戻りました、タケちゃんは?」

 

 面会手続きを終え、病室へと向かう廊下で、小鶴は主治医とおぼしき医師の後ろ姿を見かけると、小走りで駆け寄り声をかけた。

 

「ああ、お帰りなさい、小鶴君。猛君なら今、バーチャルホスピタルのリハビリプログラムに励んでいる所だよ……。あれ、君たちは……」

 

 主治医が振り返り小鶴の問いかけに答えながら、視界に入った見覚えの有る二人の姿を認めると、軽く目を見開いた。

 

「お久しぶりです、倉橋先生」

「その節は、お世話になりました」

 

 猛の主治医は、かつて紺野木綿季の主治医を勤めていた倉橋だった。軽く頭を下げて会釈をする二人に、倉橋医師は相好を崩す。

 

「これは……、明日奈さんに和人君。本当に久しぶりだね、二人が小鶴君と知り合いだったとは……」

「はい、実は以前同じゲームで……」

 

 言葉を濁してそう答える和人に、倉橋医師は全てを察した。

 

「と、いう事は、当然猛君とも……」

「はい、ヒョウ君……いえ、猛君がここにいると聞いて、小鶴に無理を言って連れてきてもらったんです」

 

 明日奈のその言葉を聞いて、倉橋医師は意外そうな、そして興味深げな瞳で小鶴を見ると、彼女は半ば後悔している様な暗い表情で視線を反らしてうつむいた。一瞬考え込む倉橋医師に、明日奈は思い詰めた表情と口調で胸中にわだかまる疑念をぶつける。

 

「先生、私は以前先生から、メデキュボイドはターミナルケアの分野に光を当てたと聞きました。 ヒョウ君がメデキュボイドにいるという事は、ヒョウ君もそうだと受け取って良いのでしょうか?」

 

 食い入る様に見上げる明日奈と和人の視線をしっかりと受け止め、倉橋医師は頷いた。

 

「そうか、君達は小鶴君からは、何も聞いて無いんだね? まぁ、立ち話もなんだ、二人ともこちらに来たまえ」

 

 

 そう言って倉橋医師が招いたのは、猛の病室の前室である。ここは、かつて明日奈が、病に臥せるユウキと初めて対面した部屋である。そして今、ガラス窓の向こう側では、メディキュボイドにフルダイブ状態で横たわる祝屋猛のリアルの姿が有った。その姿にユウキとのリアルでの初対面をデジャブした明日奈は、思わずガラス窓に駆け寄り、食い入る様に猛の姿を見つめるのだった。

 

「二人をここに連れて来たという事は、僕から言える事は全て話して構わない、そう解釈して良いのかな? 小鶴君」

「あの……、タケちゃんには……、二人が来た事は内緒に……」

「窓はマジックミラーモードに、モニターも双方向通信から視聴モードに、これで猛君には二人が来た事を隠せるでしょう」

 

 消え入りそうな声で、条件付きで頷く小鶴に倉橋医師は微笑んで頷いた。そして机の上の端末機を操作する、するとモニターが起動して映像を映し出す。

 

「これは!?」

「!?」

「……」

 

 モニターの映像を見て和人は呻き、明日奈は絶句し、小鶴は悲しそうに目を背ける。映像はバーチャル空間で、必死に椅子から立ち上がろうとする猛の姿だった。その姿は和人や明日奈にとって、SAO、ALOで見ていたヒョウの姿からは、全く想像できない姿だった。

 

 介添え補助の手摺を掴む両手に力をこめて、歯を食い縛り腰を浮かせようと頑張る猛に目を奪われた和人と明日奈の肩に、倉橋医師はそっと手を乗せる。我に帰って見上げる二人に向かい、倉橋医師は口を開く。

 

「まず一つ、結論から言うと、猛君は重度の障害を背負ってはいますが、そのせいで死ぬ事はありません」

 

 その言葉に安堵する和人と明日奈、だが小鶴の表情は暗く沈んだままだった。倉橋医師の話しは続く。

 

「SAOクリア直前、アバターのHPの全てを失った猛君は、ナーヴギアからマイクロウェーブの照射を受けるも、直後のゲームクリアでそれが中断されて一命をとりとめました。カルテを見た所、まさにそれは九死に一生のタイミングでした。後僅かでもクリアが遅かったら、猛君は脳死状態になっていたかも知れない、それまでにクリアできたのは、奇跡と言って良いでしょう。しかし、命が助かったのと、無事にクリアできたのとでは、大きな隔たりが有ります。脳を焼かれた猛君は、それが原因で脳の運動神経ネットワークに大きな損傷を受け、現在も全身不随状態が続いています」

「……全身……不随……」

「そんな……」

「ええ、今確認されている猛君の状態は、眼球運動以外、全ての運動機能を喪失しています」

 

 その言葉に息を飲み、モニターの映像からメディキュボイドに横たわる猛に目を戻す和人と明日奈。明日奈の頬には、涙が伝っていた。肩を震わす二人の背中に、ふうと嘆息を漏らした倉橋医師は、自嘲気味に目を閉じると、首を左右に振ってから話しを再開する。

 

「申し訳ない、どうも話しが重くなってしまった。少し話題を変えましょう、これは昔アメリカで起きた、銃による事件の話なのですが……」

 

 突然猛とは全く違う話題に転換した倉橋医師に、軽い抗議の視線を向ける和人と明日奈。しかし倉橋医師は、包み込む様な笑みを浮かべた眼差しで二人の視線を制して話を続ける。

 

 

「昔、アメリカのとある都市の街中で、突然ギャング同士による銃撃戦が始まって、駆け付けた警官隊に制圧されるまでに、多くの関係ない人達が巻き込まれて犠牲になった事件が有りました。その被害者の中に、頭、つまり脳だね、脳を半分吹き飛ばされた、五歳の黒人の男の子がいたんです」

「……酷い」

「その男の子は、その後どうなったと思いますか?」

 

 思わず顔をしかめる明日奈に、倉橋医師が問いかけると、目を見開いて絶句する明日奈に代わり、和人が答える。

 

「えっ、それって死んだんじゃ!?」

 

 和人の答えに倉橋医師は首を左右に振って、続きを話し始めた。

 

「大脳は右脳と左脳の二つの脳を、脳梁という太い神経で繋いで情報交換をして機能をしています。男の子は、片方の脳を吹き飛ばされ、脳梁にも損傷を受けましたが、もう片方の脳は無傷という状態でした。息が有った彼は救急車で病院に搬送され、奇跡的に命が助かりました」

 

 その言葉に明日奈は安堵した表情を浮かべるが、和人はさらに疑念を口にする。

 

「でも、脳が半分吹き飛ばされたんじゃ、その後も酷い後遺症に悩まされて、最悪寝たきりなんじゃないでしょうか?」

「そう思うでしょう? ところが」

 

 そう続ける倉橋医師に、明日奈と和人は目を見開く。

 

「彼は手術後、僅か数日のリハビリを経て、後遺症も無く元気に退院しました。そうして事件後もスクスクと成長し、大学を卒業して無事に社会人になりました」

「まさか!? 脳は右脳と左脳では、運動や思考といった機能が分離して備わっているから、片方を失ったら……」

「機能は永久に失われる、そう思ったでしょう? 所が脳には我々がまだ知り得ない、神秘の能力が備わっていたのです」

「神秘の……能力……?」

 

 驚く和人と明日奈に、菩薩の様な笑みを浮かべ、倉橋医師が頷く。

 

「ええ、神秘の能力です。その子の失った脳が持つ機能が、残った脳細胞の中で再構築されたのです」

「!! ……と、いう事は!?」

「ヒョウ君……、猛君も」

 

 話しがここに至り、倉橋医師の言わんとするところを理解した和人と明日奈の心に、一筋の光明が射した。倉橋医師は大いに頷く。

 

「はい、リハビリを続けていけば、いずれ脳内に運動神経ネットワークが再構築され、運動機能を取り戻す可能性が充分に有るのです。そこで、このメディキュボイドの出番という訳です」

「メディキュボイドの出番?」

「ええ、木綿季君が最期までダイブしていたお陰で、メディキュボイドはかなり微弱な脳波をも拾い、被験者をダイブさせる事が可能である事が判明しました。それに現在市販されている、バーチャルスポーツの成果を加味すると、メディキュボイドはターミナルケアだけではなく、脳梗塞等の後遺症、そのリハビリにとって、一つの可能性と成りうる事を示したのです。木綿季君の頑張りが起こした、奇跡の一つと言っても過言ではないでしょう」

「ユウキの起こした奇跡……」

「木綿季君が旅立った後、彼女の残した臨床データを元に、猛君のリハビリに使う為、メディキュボイドは整備と並行して仕様変更が行われました。主な変更点は、拡張スロットにEMSマシンを増設した事です。フルダイブ中はALOでは自由自在に身体を動かす事で、バーチャルホスピタルでは身体を動かそうとする意志を持つ事で脳細胞を刺激し、ダイブしていない時はEMSマシンで筋肉から脳細胞を刺激する。これにより猛君はバーチャル、リアルの双方向から、脳細胞ネットワーク再構築を促すリハビリ治療を施されています」

 

 倉橋医師の言葉に、安堵と希望の光を浮かべ、和人と明日奈がモニターの映像に目を戻すと、先程とはアングルが変わって猛の姿ともう一つ、妖精の姿を映していた。

 

「うぐ、ぐぬぬぬぬ」

「頑張って、猛、あともうちょっと! もう一踏ん張りだよ!!」

 

 立ち上がろうと歯を食い縛る猛に、一生懸命激を飛ばす妖精の姿に、明日奈は目を見開き涙を流す。

 

「ユウキ」

 

 明日奈の漏らした一言に、倉橋医師はほうと驚きの眼差しを向ける。

 

「明日奈さんも、あの妖精をご存知でしたか」

「はい、ALOで……、初めて会った時は、本当にびっくりしました」

「僕も驚きました、あの木綿季君そっくりなんだから。きっとあの妖精は、木綿季君が残していった心なんでしょうね。次にこのメディキュボイドを使う人を励ます為に……。僕にはそう思えてならないんだよ」

「先生も……ですか?」

 

 驚いて聞き返す明日奈に、倉橋医師は頭を掻く。

 

「科学の最先端にいる者が、と、意外に思うでしょう。しかし長く医療に従事していると、時としてこうした想いに至る場面に出くわす事が有るんですよ」

「先生……」

 

 二人がモニターに目を戻すと、その前に拳を握りしめる和人の姿が有った。三人が見つめるモニターの中で、一瞬猛の腰が浮いた。

 

「猛!」

「猛君!」

 

 二人が、やった、という表情を浮かべたのも束の間、モニターの中の猛はバランスを崩して、前のめりに倒れてしまった。

 

「あっ!」

「ひっ!」

 

 息を飲む和人と明日奈だったが、モニターの中のユウキは違った。

 

「やったよ! 猛! 今、立ち上がったよ! 凄いよ!」

 

 喜色満面で誉めちぎるユウキの声に、照れ臭そうな猛の声が答える。

 

「でも、転んじまった。情けねぇ~」

「そんな事無いよ、メディキュボイドに入ってから、初めて立ち上がったんだよ! 凄いよ!」

「ありがとう、ユウキ。コヅ姉、見ててくれたかなぁ」

「もう、小鶴ったら、こんな肝心な時に居ないんだから……。でも大丈夫、映像記録、ちゃんと撮っておいたから」

「サンキュー、ユウキ。あれ、でもこれって……」

 

 そう言ってゴロンと寝返りをうち、仰向けになった猛が眉をひそめる。

 

「なんか俺、初めて立ち上がった赤ちゃんみたいだなぁ……」

「あっはっは、本当にそうだねぇ~。タケチちゃ~ん、タッチは上手でちたよ~」

「こら! ユウキ! ふっ、あはははははは」

「あはははは……。疲れたろう、猛。今日はもうログアウトして休みなよ」

「ああ、そうする。じゃあ、またな、ユウキ」

「うん、お休み、猛」

 

 猛とユウキの会話を聞いて、和人と明日奈の胸の中に、暖かい希望が湧き上がっていった。こんな世界を、俺は創りたい。猛の姿に、和人は自分が創造したいと願うヴァーチャルワールドの姿を、おぼろげに見つけていた。しかし……

 

「でも……、でもタケちゃん……、動けないの……。私……、私のせいでタケちゃん……、タケちゃん……」

 

 突然膝をついて泣き崩れる小鶴、明日奈はそんな小鶴に駆け寄り、肩を抱いて声をかける。

 

「小鶴、小鶴、しっかりして。大丈夫よ、猛君、きっと良くなるわ。倉橋先生も言っていたでしょう」

「でも……、でも……」

 

 泣き崩れる小鶴を抱き締め、あやす様に背中を叩く明日奈。二人の姿をみて、倉橋医師は思わず目を閉じ、うつむいた。

 

「黒人の男の子は脳が成長中だったから、数日のリハビリで済んだけど、脳が完成しつつある猛君にはすぐに効果が現れる物ではない。そう小鶴君には言っているのだが……」

 

 倉橋医師はそう言って表情を曇らせた。

 

 SAOからログアウトしてから、小鶴は今日まで献身的に猛のリハビリと生活の介助をしている。メディキュボイドに入るまでの約一年は、先の見えないリハビリに挫ける事なく、必死の介助を行っていた。それは大小の下の世話から入浴介助にとどまらない。精通の有った猛が、若い女性の看護師にその後処理をされた事を恥じると、小鶴は事前に精通の介助も行っていた。

 猛にだけ恥ずかしい思いをさせたくないと、自らも猛に裸体を晒し、愛を囁きながら……

 そんな、文字通り以上に体当たりの献身を捧げて来た小鶴だったが、それ故にメディキュボイドへの期待値が高かった。しかし、メディキュボイドによるリハビリが始まって約一ヶ月、猛には目に見える快復の兆しが見えない。そしてフルダイブして久しぶりに会話を交わした猛は、SAOの時とまるで変わらない、優しいタケちゃんだった。フルダイブした猛が、初めに小鶴にかけた言葉は、日々の介助に対する感謝の言葉である、次の言葉はこんな身体になった事の詫びの言葉。

 

 そんな猛の態度が、小鶴はとても辛かった。

 

 自分のせいなのに、タケちゃんは何一つ恨み言をこぼさない、タケちゃんに優しい言葉をかけてもらう資格なんか、自分には無いのに。

 

 自分を責め続け、小鶴の心は限界に達しようとしていた。

 

 

「先生、あれは何です?」

 

 いたたまれなくなった和人が視線を反らした先は、偶然にもメディキュボイドに横たわる猛の姿だった。そして和人は、猛の両手が握る様にボール状の物に乗せられているのに気がついた。

 

「ソフトテニスのボール」

 

 和人の疑問に答えたのは、倉橋医師ではなく小鶴だった。小鶴は嗚咽しながら、答えを続ける。

 

「タケちゃん、この頃握力が戻ったみたいだから、リハビリ用に買って来てって……。タケちゃん、私を安心させようとして……」

 

 和人は嗚咽する小鶴から倉橋医師に視線を向けた、すると倉橋医師は額を揉みながら言葉を濁す。

 

「実のところ……、本当に猛君に握力が戻って来ているかは不明なんです。小鶴君を安心させる為に嘘を言っているのか、それとも本当に握力が戻って来ているか、だとしてもそれは握力計に示されるほどの力ではない以上、計測して確かめる事は出来ません。真実の全ては、猛君の心の中なんです」

 

 倉橋医師の話しを聞きながら、猛の手を凝視する和人の頭に閃く物が有った。

 

「いえ、猛は本当に握力が戻っているのかも知れません」

「キリト君?」

 

 和人の言葉に、前室の中の全員が驚き、注目する。

 

「いや、猛がそう言うなら、絶対に握力は快復しています」

「そうね、私もそう思うわ、キリト君」

 

 断言する和人と頷く明日奈に、倉橋医師は若干の希望を含む驚きの視線で二人を見つめる。

 

「なぜ、そう言い切れるのですか?」

「SAOの最強剣士、黒のサムライ無敵のヒョウは、戦いにおいて嘘をついた事は一度も無かった。今メディキュボイドで、また立ち上がる為に必死で戦うヒョウが、猛が、いくら小鶴さんのためとはいえ、自分自身の戦いで嘘をつくことは絶対に有り得ない」

 

 その言葉にショックを受けた小鶴は、衝撃の眼差しを和人に向けた。和人は小鶴に頷いてみせた後、倉橋医師に向き直り、ある提案を持ちかける。

 

「もしかしたら、猛の握力を計測できるかも知れません、協力してくれますか? 倉橋先生」

 

 もしも和人の言う様に、猛に握力が戻っており、それを計測する事が出来ればメディキュボイドの成果を証明する事となり、不安に押し潰されそうな小鶴の心を救う事ができる。そして、視覚化された数値は猛の励みとなり、今後のリハビリの弾みとなるだろう。倉橋医師は力強く頷いた。

 

「ああ、勿論です。協力させて下さい、和人君」

 




メディキュボイドのリハビリ転用は、筆者による独自解釈によるオリジナル設定です。
銃撃戦に巻き込まれた黒人の男の子の話しは、奇跡体験アンビリバボーで紹介された実話を元にして書いています。


次回 第六話 剣聖 改め…… 第六話 レコンの憂鬱


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第六話 レコンの憂鬱

「ううっ……、うぬぬぬぬぬぬぬぬぅ……」

 

 テストの採点、返却から一ヶ月程の間を置いて、久しぶりにALOにログインしたレコンは、ずっと楽しみにしていたリーファとの冒険で、見知らぬ二人のメンバー、黒い着流しのインプとネコマタアバターのケットシーの存在に、出発からずっと歯噛みをしていた。

 

「それでですねタケちゃんさん……、じゃない、ヒョウさん、聞いて下さい!」

「やっぱりそう思いますか? コヅ姉さん……、じゃなくてツウさん! やっぱりそうですよねぇ~」

 

 先頭を歩くリーファは、久しぶりのレコンを気にする素振りも皆無の状態で、隣を歩く男女二人に夢中で話しかけている。それもリアルでもALOでもレコンが見た事の無い笑顔で……

 

 レコンがテストの後、一ヶ月もALOにログイン出来なかったのには訳がある。

 

 リーファこと桐ヶ谷直葉とレコンこと長田慎一は、同じ高校に入学したが、入学以来、二人は学校では余り顔を会わせる機会が無かった。その理由は、直葉が避けていた事も少し有るのだが、それは微々たる物であり、大部分は二人の入試形態の違いに有る。直葉は剣道によるスポーツ推薦入試であったのに対し、慎一は学力による特進科推薦入試だった。

 二人の通う高校は、公立ながらも文武両道を謳う学校であり、県下の高校では東大進学率ナンバーワンのエリート高校である。スポーツ推薦枠も狭き門だが、学力推薦は更に輪をかけて狭き門だったりする。

 

 スポーツ特待生クラスと特進科クラスは、教室どころか校舎も別々に分けられ、接点が全くと言って良い程に無い。

 

 で、あるからこそ、直葉に想いを寄せる慎一にとって、ALOは唯一無二の彼女との接点であり、心のオアシスである。そんな慎一にとって、前回のテストで彼の生涯初めて学年トップの座から陥落する、という大事件が起こったのだ。

 

 慎一の成績は六位だった。

 

 偏差値七十超が当たり前、六十九なら劣等生と言われる特進科、その中でトップテンに入る事は客観的に見て、実に大した成績である。しかし慎一は、この結果に満足せず、流石に高校の勉強は違う、と気を引き締めていた。だが、話はここからである。彼の両親、特に母親はこの成績に慎一以上のショックを受けており、テスト結果を報告した慎一を正座させると、トップファイブにすら入れないとは何事か! と、優に二時間に渡る説教をした後、ALOへのログインを禁止。解除条件は次のテストで学年トップに返り咲くか、それに値する学力証明をする事、である。

 

 その翌日から慎一は母親によって、家庭教師付きっきりの勉強地獄にみっちりと落とされていた。とても次のテストなどと悠長な事は物心両面で耐え難い慎一は、手っ取り早く値する学力証明をする道を選ぶ。そうして勉強地獄開始から一ヶ月後の先日、前回テストより遥かに難易度の高い家庭教師御謹製のテストで、全教科満点を叩き出して学力証明をして母親を納得させる事に成功する。それもこれも、全てリーファ、直葉に会いたいが為の、慎一の執念の賜物だった。

 

 だが、しかし……

 

 晴れて母親の許しを得て、慎一がALOに勇躍ログインしてみると、久しぶりの冒険だというのに、見知らぬ二人連れが親しげに、愛しのリーファを独占していたのだ。

 

 しかも由々しき事に、そのうちの一名は男である。

 更に由々しき事に、どう見てもリーファはその男の方に夢中である。

 更に更に由々しき事に、たった今仕入れた情報によると、見知らぬ二人組は、ゲーム内とはいえ結婚している夫婦なのである。

 

 レコンの心中は、巨大台風の如くに荒れ狂い、巨大地震の様に揺れていた。

 

「ねぇお兄さん!」

「ん? どうした、レコン」

「一体誰なんですか! あの二人は!?」

「だから、出発前に紹介しただろう。着流しのインプがヒョウで、ネコマタケットシーがツウさん」

 

 眉間に皺を寄せながら、道中何度も同じ質問をするレコンに辟易としたキリトが投げやりな口調でそう答えるが、レコンはなおもキリトに激しく噛みついた。

 

「そんな事を聞いてるんじゃ無いですよ! お兄さん! 僕はあの二人、特にインプの方の素性を聞いて……。あ、ああっ!!」

 

 レコンが指差しながら、キリトからインプに視線を移す。レコンの視界には、両腕をしっかりインプの腕に絡みつけて歩くリーファの姿が映っていた。インプの二の腕は、さながら深山幽谷の桃源郷とも言える、リーファの豊かすぎる胸の谷間にしっかりと挟まっている。しかもリーファがそれを気にしている様子が全く無い。狂おしい程に羨ましくも憎たらしい光景に、思わず悲鳴をあげたレコンがキリトに食い下がる。

 

「良いんですか!? お兄さん!! あれ! あれ!!」

 

 震える指先のレコンの隣で、キリトは拳に顎を乗せて、暫し目を閉じて考え込む。そして、レコンの言葉も尤もだと判断したキリトは、すたすたとリーファの背後に歩み寄り、彼女の頭に拳骨を落とした。

 

「いっ、痛い! いきなり何をするの!? 酷いよ! お兄ちゃん!!」

 

 涙目で抗議するリーファに、キリトは眉をひそめてたしなめる。

 

「酷いじゃない、スグ。お前何回二人の事を呼び間違えたら気が済むんだ。この二人がコヅ姉タケちゃんと呼びあってるのは、俺がお前をスグと呼ぶのと同じで、リアルからの関係があるからだ! それをお前は何度も何度も……」

 

 リーファを叱るキリトの姿に、レコンは「問題の方向性が全然違います、お兄さん」、と地団駄を踏む。しかし、そんなレコンを無視してリーファはキリトに反駁を試みた。

 

「だってぇ、二人に釣られちゃうんだもん。分かってよ、お兄ちゃん」

「あのなぁ、スグ……」

 

 甘えるリーファにお冠のキリトが、なおも何かを言おうとした所、見かねたツウがリーファに助け船を流す。

 

「良いのよ、キリト君」

「でも、ツウさん」

 

 ゆるふわな笑顔のツウに、キリトは済まなそうな瞳を向ける。ツウはリーファの手を取って、にっこり微笑んでこう言った。

 

「良いのよ、リーファちゃん。私達の事、コヅ姉、タケちゃんって呼んでも。良いよね、タケちゃん」

 

 頷くヒョウとツウの顔を、交互に見ながらリーファの顔が、みるみる明るくなっていく。リーファは思わず二人に抱きついた。

 

「ありがとうございます、コヅ姉さん、タケちゃんさん。私の事は、これからスグって呼んで下さい」

「済まない、二人共」

 

 リーファの豊かすぎる胸が、潰れる程にヒョウと密着した所で、遂にレコンは切れてしまう。

 

「違います! そうじゃなくてお兄さん!!」

 

 大声でそう叫ぶレコンに、パーティーの視線が集まった。その視線の中で、最も怪訝かつ不機嫌なリーファの視線に気づいたレコンの腰が砕ける。

 

「んー!? 何がそうじゃないのよ、レコン!?」

「あぁ……、ああ、いや……、その、ALOなのに、何でみんな飛ばないのかな~と……」

 

 リーファに気圧され、レコンは後退りながら、咄嗟に言い訳する。それに対するリーファの言葉が、レコンの心に致命傷を与えた。

 

「そんなのタケちゃんさんが歩いてるからに決まってるじゃない! バカなの、レコン?」

 

 ヒョウはALOでの移動は、基本的に徒歩が主な手段である。理由はログインする目的がリハビリである為に、なるべくリアルと同じ動きを心掛けているからだ。これを知るのはパートナーのツウ、そしてキリトとアスナしかいない。リーファは勿論その事実を知らない、だが彼女は憧れの祝屋猛とおぼしきヒョウの行動は、基本的に全肯定なのだ。

 リーファの言葉で石になったレコンを、パーティーメンバー達は何とも言えない愛想笑いで、生暖かい視線を向けていた。その中で唯一、ツウが済まなそうな笑みで、レコンに軽く頭を下げる。そのツウの笑顔にドキンとして、思わず赤面したレコンは会釈を返すふりをして、顔を伏せた。そのレコンの赤面を、リーファは見逃さなかった。

 

「なーに鼻の下伸ばしているのよ、レコン! 生憎コヅ姉さんは、タケちゃんさんとゲーム内結婚してるのよ、リアルでもラブラブなんだから、レコンの割り込む余地なんか無いわよ。さぁ、行きましょう、タケちゃんさん、コヅ姉さん」

「飛ぼうか? スグちゃん」

 

 腕を引っ張るリーファに、ヒョウがそう言うと、リーファの瞳が輝いた。

 

「はい! じゃあ、どっちが早いか、競争しましょう」

 

 競う様に飛び立つヒョウとリーファ、二人の行動にツウは目を白黒させて追いすがる。

 

「えっ、飛ぶの!? ちょっと待って、タケちゃん、スグちゃん」

 

 慌てて飛び立ったツウは、悲鳴をあげながら先行する二人の間を、物凄い勢いで突っ切って行く。

 

「嫌ぁあああああああ! 誰か止めてぇえええええ!」

「大丈夫ですか!? コヅ姉さん!!」

 

 あっという間にコントロールを失い、大空を迷走するツウを見て、リーファは目を剥いて追いかける。

 

 

「たぁすけてぇええええええええ!!!」

「あ~あ、ありゃあダメだねぇ、ヒョウ」

 

 ヒョウの懐から顔を出し、ユウキが半ば面白がる様な瞳でツウを目で追う。

 

「コヅ姉……、スペックだけならALO最速なんだけどなぁ……」

 

 自らの最大速度で、コントロールを失い墜落していくツウを追いかけるヒョウ。そんな二人の姿を見て、キリトとアスナは微笑み合う。一時期は自責の念で精神的に追い詰められていたツウは、このところ学校でも目に見えて明るくなっていた。それが意味する事は一つしか無い。

 

「私達も行きましょう、キリト君」

「ああ、そうだな、アスナ」

 

 キリトとアスナは、肩を並べて三人の後を追って飛翔した。

 

 

 

 小鶴に無理を頼み込み、猛には内緒で彼の病室を訪れた和人が、猛と小鶴のために用意したのは、一双のVRグローブだった。

 VRグローブとは、バーチャルリアリティ開発の黎明期に産み出された、体感VR拡張器具の一つである。ナーヴギア以前のフルダイブ技術が未開発の時代は、バーチャルリアリティの世界を如何に実在空間の中で自然に体感できるか? という研究にその主眼が置かれていた。

 まず開発されたのが、バーチャル空間を映し出すスコープ型の3D映写機で、次いでコントローラの一つとして開発されたのが、VRグローブである。

 

 グローブを通じて仮想空間の中の物に触れる。

 

 フルダイブが主流となった今、骨董技術と言って差し支えないその技術に和人が着目したのは、VRグローブは体感ツールであるという点に有った。モーションキャプチャーによって、装着者の動きを感知し、仮想空間の中にその動きをトレースし、かつ仮想空間内の触覚情報を装着者に伝えるこの機能を応用すれば、猛の手の動きを感知して数値化する事が出来るのではないか? 和人はそう考えたのだ。和人はVRグローブを入手すると、突貫作業でそれに適したプログラムを組み上げ、二週間程で握力測定器を作り上げた。そうして充分な変装を凝らした和人は、レクトの技術者と身分を偽って猛の病室に入り込むと、新機能追加と称してメデキュボイドの拡張スロットに改造したVRグローブとプログラムを組み込んだ。そして……

 

「では祝屋さん、握ってみて下さい」

 

 普段よりも低い声色で、和人がそう猛に声をかけた。その声に答える様に猛の瞳が輝く、そして小鶴の歓喜の歓声が病室に響き渡る。

 

「タケちゃん! タケちゃあん!!」

 

 和人が設定した機材の動作を示す数値と波形が、モニター画面上に映し出されたのだ。それは、今まで全身不随だった猛が、僅かながらにも握力を取り戻していた事の証明だった。その事実に小鶴は、歓喜の涙で猛の胸に顔をうずめていた。

 

 こうして数値化されると、俄然として猛のモチベーションが上がるのは当然の事である。実のところ、猛も本音では気のせいではないかと、半信半疑だったのだ。自分は順調に快復している事を明確に自覚すると、リハビリの効果も加速度的に向上していく。それが小鶴の喜びになり、彼女も日に日に本来の明るさを取り戻していく。そしてその小鶴の姿は、猛の喜びとなり、励みになっていく。

 こうして猛は、それまでの一年間が嘘の様にリハビリが進み、快復していった。その効果は小鶴の私生活にも表れている、学校で、ALOで、明日奈や和人が感じ取った、僅かに取り繕う様な明るさが消えていき、本来の自然な明るさを取り戻してる。

 

 

 

「ほら、コヅ姉!」

「タケちゃ~ん!!」

 

 コントロール不能で落下するツウに追いついたヒョウが手を伸ばす。その手をツウが夢中で掴み、辛くも落下ダメージによるHP全損のデスペナルティーを免れる。バランスを取り戻し、ツウはヒョウと手を繋いで飛翔し、大空を満喫する。

 

 繋いだ手と手の温もり、それはALOの中だけではなく、現実世界でも取り戻していた。

 

 

 

 




次回こそ 第七話 剣聖


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第七話 剣聖

 イラつくレコンを引き連れて、ヒョウとツウを加えたキリト達のパーティーが目的地に下り立った。ヒョウとツウが手を繋いで、真っ先に着地してから少し遅れ、リーファが着地して不平をもらす。

 

「タケちゃんさんもコヅ姉さんもズルい~! 二人で力を合わせて飛ぶなんて、絶対敵わないよ~」

 

 むくれるリーファを囲む様に、キリト達も続々と着地して来る。

 

「どうしたんだ、スグ?」

 

 さっきまで上々だったリーファの機嫌が、やや斜めになっているのに気づいたキリトが声をかける。

 

「あのねお兄ちゃん、タケちゃんさんもコヅ姉さんもズルいんだよ……」

 

 墜落から救われたツウが、飛行のコントロールをヒョウに任せて自分はエンジンに徹すると、二人はまるで双発の高速戦闘機の様な加速でリーファを引き離して行った。飛行速度に自信の有ったリーファは、意地で追いかけたが、目的地に至る迄追い付く事は叶わなかった。その事をリーファはキリトに報告する。

 

「なんだ、そんな事か」

「そんな事って、お兄ちゃん!」

「なら、スグも誰かと一緒に飛べば良いだろう?」

 

 なおもむくれるリーファに、キリトがそう提案すると、リーファはその手が有ったと手を叩いた。

 

「そうか、その手が有ったか! でもなぁ……」

 

 確かに良いアイデアだと思ったリーファだったが、すぐに眉をひそめる。ペアになる相手が居ないのだ。キリトにはアスナが居る。クラインに頼もうにも、最近の彼はシウネーに御執心の様子で、邪魔したら悪い。かといって、エギルは明らかにスピードタイプではない。

 

「レコン君なんかどうだい?」

 

 物色中のリーファに、ヒョウがそう声をかけると、リーファとレコンは同時に目を剥いてヒョウを見上げた。ただし同じ目を剥くと言っても、リーファは嫌悪感で、レコンは期待感でと、その方向性は真逆で有ったのだが……

 

「同じシルフなんだし、合わせ易いんじゃないかな?」

 

 なんだ、良い人じゃないか……

 

 レコンは今まで嫌悪していたヒョウを見直すと、真っ赤な顔でリーファに歩み寄る。

 

「リ、リーファちゃん……、ぜ、是非、僕と……」

「却下!」

 

 顔を紅潮させ、噛み噛みで申し込むレコンの言葉を最後まで聞かず、リーファはにべもなく断った。

 

「何で……? どうして? リーファちゃん」

「だってレコン遅いんだもん!」

「リッ、リーファちゃん」

「てか、いまだに補助コントローラで飛んでるなんてどういう事? 私と一緒に飛びたいなら、せめて随意飛行が出来る様になってから言って! ALOを始めてどれだけ経つのよ、全く!」

 

 諦めきれず、呻く様に哀願するレコンだったが、厳しく現実を指摘するリーファの言葉が追い討ちとなる。キリト達パーティーメンバーの目には、蒼白となったレコンの背後に『ガーン』というオノマトペが幻視されていた。

 古参プレイヤーにも関わらず、レコンが飛ぶのが不得手なのは、勉強時間の合間という限られた時間でしかログイン出来ない為に、他の古参プレイヤーに比べて圧倒的にログイン時間が短いからだという事を、彼の名誉の為に付け加えておく。

 

「そうだ、帰りは三人で飛びませんか? ね、良いでしょう、タケちゃんさん、コヅ姉さん」

 

 いつの間にか機嫌を直したリーファは、ヒョウとツウの間に割り込むと、そう提案しながら二人の腕を取り、歩き出した。

 

「あ、ああ……」

「えっ……、ええ、良いわよ……」

 

 上機嫌のリーファに引っ張られながらヒョウとツウは曖昧な返事をすると同時に、レコンに済まなそうに顔を向けるのだった。

 

「リ……、リーファちゃーん」

 

 パーティーを先導してズンズン歩いて遠ざかるリーファの背に、レコンは力なく手を伸ばす、そして……

 

「アイツめぇ~、妻子が有るくせにリーファちゃんを誑かして……、許さぁ~ん」

 

 済まなそうに、悪いという意味合いで浮かべたヒョウとツウの愛想笑い、特にヒョウのそれは嫉妬に燃えるレコンの瞳には、勝者の余裕の笑みに見えていた。

 

 

 若干の不協和音をはらみつつも、リーファを先頭にクエスト候補地へと進んで行く。今回のクエストはリーファが絶剣杯に向けて、装備強化の為に招集したクエストである。リーファが求めたのは、天羽羽斬という日本神話に由来する、両手持ちも可能な片手剣だ。

 

 リアルでは剣道競技者である直葉/リーファが、何故ALOでは刀ではなくその様な剣を求めるのか? 

 

 それは剣道の竹刀と刀では使い方が全く違うからだ。刀は斬る、突く、打つ、薙ぐ、払うという、刃を持つ武器の凡そ全ての特性を兼ね備えているが、竹刀はこの内の打つ、突く、払うに特化している。両手持ち可能な片手剣は、竹刀に最も近い特性を持っているのが、理由の一つだ。それに加え剣道の試合が、他の武道や格闘技の試合と比べると、大きく性格が異なる事も理由に挙げられるだろう。

 

 異なる性格とは、勝敗を決する一本の判定方法である。

 

 他の競技では、当たる、投げる、等の技が決まれば一本やポイントを取ってくれるが、剣道だとそうは行かない。充分な気合い、正しい型と残身(残心)が決まっていなければ、たとえ竹刀が小手、面、胴を捉えても、一本を取って貰えないのだ。そして、逆に充分な気合いと正しい型と残身(残心)が決まっていて、明らかに優勢である場合は、竹刀が小手、面、胴に僅かに届かなくても、一本をくれる場合もある。

 

 リーファはALOのプレイを通じて変な癖がつき、リアルでの剣道の試合に悪影響が出る事を恐れ、竹刀に最も近い特性を持つ剣、両手持ち可能な片手剣を両手持ちで使っているのだ。

 

 そんな訳でクエスト現場にやって来たリーファ達だったが、流石にトップオブアルブスの為の自己強化プレイベントである。彼女達が到着した時は、既に競合する別パーティーに攻略された直後だった様だ……

 

「あーん、残念。ま、仕方ないわね」

「よくある事さ、ドンマイ、スグ」

「また協力するわ、次頑張ろ、リーファちゃん」

「エヘヘ、その時はお願いします、アスナさん」

 

 残念と言う割には、リーファは余り落ち込んでも悔しがってもいない様子だった。それもその筈で、実のところリーファは、取れれば儲けもの、という感覚で攻略していたからだ。競合者が多いという事は、それだけ簡単に情報が得られるという事で、それすなわち得られるアイテムのレア度もその程度という事なのだ。

 リーファが攻略を呼び掛けた理由は、実はクラインとシウネーを誘い出す口実だった。本命の理由はこのクエスト現場のロケーションに有り、この近場に有る風光明媚な湖こそがそれである。

 モンスターのポップしない安全地帯になっているそこは、絶好のリゾートスポットであり、シウネーになかなかアプローチ出来ないクラインに焦れたキリト達が、リーファのクエストと偽って雰囲気作りの為に湖水浴の場を用意したのだった。

 

 

「じゃあ残念会に、レッツゴー!」

 

 満面の笑みでリーファが音頭を取ると、レコンを除くパーティーメンバー達も笑顔で「おー!」と答えた。アイツがもたもた歩いていたからリーファちゃんのクエストが失敗したんだと、内心臍を噛んでヒョウを睨んでいたレコンを置いて、リーファ達は軽やかな足取りで移動を始める。

 

「え? え?」

 

 そうとは知らず、あたふたと周りを見回すレコンの肩に、そっと手が置かれた。

 

「ほらレコン君、置いて行かれるよ」

 

 はっとして振り向くと、そこには穏やかな表情でそう語りかけるヒョウがいた。久しぶりのログインでリーファに会えて舞い上がり、押し掛け飛び入りでパーティーに参加するも、空回りをして相手にされない悔しさから、クエストが失敗したのはヒョウが最初ゆっくり歩いて移動していたからだと決めつけていたレコンは、反省の色も見せない彼の態度にカチンと来た。そして、今度こそガツンと言ってやると意を決し、目に力を入れてキッとヒョウの目を見据えた。

 

「あのですねぇ!」

 

 そう言ったきり、レコンは言葉を失った。レコンが苦言を言おうとした瞬間、ヒョウの表情が厳しい物に変化する。穏やかだった物腰は、アバターとは思えない程に、抜き身の刀の様な殺気を放っていた。

 その落差に決した意は雲散霧消し、リアルでも感じた事の無い恐怖をバーチャル空間の中で初めて感じ、レコンは立ったまま腰を抜かしていた。

 

 殺される

 

 そうレコンが感じた時、やや離れた所から、キリトが二人に呼び掛ける。

 

「おーい、どうしたんだ、レコン、ヒョウ。早く来いよ~!」

 

 キリトの呼び掛けは、レコンにとって窮地を救う助け船になる。ヒョウの殺気にすくんだレコンの気は逸らされ、尻餅をついてキリトに向かい後ずさった。

 

「済まない、キリト。ちょっと行ってくる」

 

 ヒョウはそう言い残すと、レコンの脇を抜けて歩を進めた。豹変したヒョウの行方には、一足先にクエストをクリアし、天羽羽斬を手に入れたパーティーがいた。

 

 

 片手剣を腰に差した小肥りのノームの少年が、喜びに上気した笑顔で天羽羽斬を掲げ持つ。

 

「ほう、良い剣じゃあねえか、俺にもちょっと見せろよ」

「え……、う、うん。良いよ」

 

 そのノームの少年と相似形に一回り大きな、背中に両手大斧を背負ったでっぷりと太ったノームが、ドロップした天羽羽斬を見せる様に要求する。すると一回り小さい方のノームは、一瞬嫌そうに躊躇したが、仕方なさそうに目の前に差し出して見せた。大きなノームはニヤリと意地の悪い笑みを浮かべると、ひったくる様に剣を手にする。

 

「へー、大した剣だな、お前には勿体ないぜ」

「あげないよ、僕のだからね」

 

 背伸びをして剣を取り返そうと慌てるノームの少年に、嘲る様な口調で大きなノームは理不尽を口にする。

 

「でもよぉ、このまま五分経ったら、問答無用で俺の物になるんだぜ」

 

 大きなノームはヘラついた笑顔で、小さなノームに対し、これ見よがしにメニューウインドウを開くと、右手に天羽羽斬を装備した。大きなノームの目論見は、武器強奪による、所有権の移動だった。小さなノームの表情が変わる。

 

「ドロップしたら、したヤツの物だって言うから手伝ったのに、嘘つき! 返せ! 返してよ!」

「騙される方が悪いんだよ、バーカ」

 

 小さなノームが取り返そうと、必死に手を伸ばすが、体格に勝る大きなノームが頭上に掲げる天羽羽斬には届かない。流石に見かねた周りのパーティーメンバーも、返してやれよと口にするが、大きなノームは「へん、良いんだよ、こんなヤツ、良い気味だぜ」と嘯いて取り合わない。諦めない小さなノームに、大きなノームはやがてイラつき、「うるせえぞ! いい加減諦めろ」と斬りかかった。

 

「!?」

 

 斬り倒された小さなノームは、信じられないと絶句して、大きなノームを見上げると、大きなノームは満足そうに剣を見てから、小さなノームを俾倪する。

 

「へー、切れ味も最高じゃねえか、やっぱりこの剣はお前には勿体無い、俺様が頂いてやるから感謝しな」

「そんな、そんな事って」

「ああん、文句あんのか!? この野郎!! 弟の物は兄貴の物なんだよ! いい加減分かれや!」

 

 そう言い放った大きなノームは、小さなノームに嗜虐の瞳でクツクツと笑いながら見下ろして、言葉を続ける。

 

「そういやお前、次にデスペナ喰らったら、能力半減なんだってなぁ」

 

 メニューを操作してパーティー解除を行って、大きなノームは更に言葉を続ける。

 

「弟の分際で兄貴に逆らった罰だ、思い知れ!」

 

 思い切り剣を振り下ろした大きなノームだったが、彼の思いは遂げられること能わなかった。そして、身を丸めて頭を抱え、目をつぶっていた小さなノームにも、斬撃とそれに続くゲームオーバー、You are dead の文字が視界に表れる事も無かった。その代わりに何か重量物が地面に落ちた音がした。小さなノームが目を開けると、そこには兄の大きなノームに奪われた剣、天羽羽斬が有った。小さなノームはそれを拾って大事そうに胸に抱えると、メニュー操作してストレージにしまい、ホッと一息をつく。そして見上げると、兄と自分の間に黒い着物を着た、腰に二本の刀を差す見知らぬインプの後ろ姿が有った。

 

「何しやがる、テメェ……」

 

 振り下ろす剣を、いきなり闖入するなり、一瞬の早業で叩き落とした黒い着流しのインプに虚を突かれた大きなノームだったが、自分の身体にダメージ一つ負っていない事を確認すると、いきり立ってインプに迫る。しかし、インプは臆する事なく、大きなノームに言葉を返す。

 

「お前、弟を虐めて楽しいのか?」

 

 インプは同じパーティーのシルフの少年を恐怖に陥れた表情のまま淡々とそう聞き返すと、シルフの少年と同じ様に恐怖に囚われた内心を誤魔化す為に、大きなノームは殊更声を荒らげて反駁する。

 

「ウルセェ! ひとんちの問題に、他人が偉そうに口を挟むな!」

 

 大きなノームの言葉に黒い着流しのインプ、ヒョウの心がキリリと痛む。

 

 そういえばサーキーも、リアルでは妹さんをよく虐めていたんだよな…………。

 

 もしも自分が、もっとサーキーの事を気にかけていれば、あんな終わり方にならずに済んだのではないのだろうか? ヒョウの瞳には、顔を歪めて罵る大きなノームに、サーキーのアバターが重なって見えていた。最後の戦いで彼の首をはねた感触が手に蘇り、ヒョウは思わず拳を握り締める。

 

 罵りながら、大きなノームは背中の大戦斧を装備して、ヒョウに向かって斬り下ろす。しかし、ヒョウはその場を動く事なく、斧の軌跡を見据えていた。

 

「!? …………、ギャ──ッ!!」

 

 一瞬の間を置いて、両腕ごと斧を失った大きなノームが絶叫して膝を着く。彼の喉元には、いつ抜かれたのかも分からない、ヒョウの刀の切っ先が突きつけられていた。その光景を目の当たりにした、居合わせるプレイヤー達がざわつき始める。

 

 

 

 おい、あのインプって……、もしかしたら……

 ああ、黒い着流しに二本差し……、それにプライベートピクシー、間違いない

 一刀両断のインプか!? あのユージーンが子供扱いされたって言う

 一刀両断って言ったら、じゃあ、あの噂の『剣聖』か? 

 そうだ、剣聖だ

 まさか!? 剣聖ってNPCじゃなかったのか? 

 アイツが剣聖か

 剣聖だ……

 剣聖だ……

 剣聖よ……

 

 

 周りのプレイヤー達が、ヒョウの剣技を見て俄にざわつき始め、口々に剣聖と囁き合う。ヒョウは脳細胞のネットワークを再構築するリハビリの為に、理学療法による外的リハビリの時間を除いては、小鶴とのふれあう時間と寝る時間以外は、常にALOにログインしている。

 キリト達仲間がログインしていない時もソロプレイで活動していたヒョウは、この手の独善的なプレイヤーの横暴を見かけると、ついつい助太刀の手を差し伸べていた。そしてこの頃は仲間内に息抜きと称して、GGOプレイヤー達がシノンとキリ子を探し出し、なんとか復帰させようと目論んで数名押し寄せて来ていた。ALOでも彼等はGGOばりの略奪PKをしており、それを見かけて助けるヒョウは、ちょっとした噂になっていた。

 

 実際にヒョウのその姿を見たプレイヤーは、彼の強さはあの今は亡き絶剣に比肩すると口を揃えて断言する。

 

 絶剣との違いは、彼女は圧倒的な手数で相手を封じ込めて倒すのに対し、ヒョウはただ一刀のみを以て技量の差を理解させて相手の戦意をへし折る所に有った。申し込まれたデュエルも、一手で力量の違いを示し、リザインさせて決着させる事が多かった。そんなプレイスタイルと日頃の善行から、いつしかヒョウは一部のプレイヤーから『剣聖』と称され、その噂も広がっていき、ALOで今最もホットな話題の人物になりつつあった。

 

 

「弟を虐めて楽しいのか?」

 

 青ざめた表情で見上げる大きなノームに、ヒョウはもう一度聞くが、蛇に睨まれた蛙の状態の彼には、その問いに答えられる心の余裕はなかった。答えを得られないと悟ったヒョウは、冷徹な瞳のまま刀を八艘に構え直す。ヒョウが大きなノームを斬らんとしたその瞬間、弟である事を理由に理不尽に虐められていたノームの少年が、二人の間に割って入った。

 

「止めろぉ! 兄ちゃんを斬るなぁ!!」

 

 ノームの少年は、ゲットした天羽羽斬を装備すると、無我夢中でヒョウに斬りかかった。

 

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 恐怖にひきつった表情で斬りかかるノームの少年の一撃を、ヒョウはいなして弾き返す。ノームの少年は、兄の大きなノームの隣に弾き飛ばされ、転がった。

 

「バカ、何やってるんだ! 逃げろ!」

「に、兄ちゃんを置いて逃げられないよ!」

「そんな事言ってる場合か!? 早く逃げろ!」

「でも……」

 

 激しく言い合いを始めたノームの兄弟に、ヒョウはゆっくり歩み寄る。ヒョウが目前に迫った時、もうおしまいだとノームの兄弟はお互いを庇う様に抱き合って、恐怖の眼差しでヒョウを見上げた。しかし……

 

「兄弟、仲良くな」

 

 ヒョウは先ほどまでの冷徹な瞳から、打って変わって穏やかな瞳でそう言うと、刀を鞘に納め踵を返して去って行った。兄弟はポカンとして、その背中を見送っていた。

 

 

 

「ゴメン、待たせた」

 

 ヒョウがキリト達の元に戻り、そう謝罪するとクラインがガシッと肩を組んで来た。

 

「全く、オメェは変わってねえなぁ!」

 

 嬉しそうに破顔して、脇腹に手荒く拳をグリグリと押し付けるクラインにエギルが続く。

 

「ああ、でもそのお人好しな所、俺は嫌いじゃ無いぜ、なあ」

 

 バリトンボイスでパーティーメンバーを見回すと、皆も笑顔でヒョウを迎えていた、たった一人を除いては。実は一人だけ、ヒョウの行動を忌々しく思い、この瞬間小さく舌打ちをしていた者がいた。その舌打ちは、幸運な事に皆に知られる事は無かった、何故なら……

 

「あのぉ~、盛り上がっているところスミマセン、皆さん……」

 

 レコンがおずおずと口を開いて手を上げる、なんだどうしたという視線に包まれたまま、レコンはモジモジしながら言葉を続ける。

 

「実は急用が有りまして……、ボクは今日はここでログアウトします……、さようなら」

 

 そう言ってレコンはそそくさとメニューを操作して、ログアウトして行った。このレコンの行動が、その舌打ちから皆の意識を逸らしていたのだ。

 

 レコンを見送った一同は、真の目的の湖水浴に向けて、ワイワイと騒がしく話しながら足を進めていた。その最後方から暗く濁った目が、先を歩くヒョウの背中を人知れず睨む。

 

 

 どうして!? どうしてあなたは、あの時私の所に来てくれなかったの!? 

 

 

 人知れずヒョウを恨む者が、唇を噛んでいたとき、ログアウトしたレコンこと長田慎一も、悔しさに唇を噛んでいた。

 

「畜生、どうしてボクがこんな目に……」

 

 慎一はALOで出会った新たな仲間、ヒョウの超絶した剣技には絶対に敵わないと一目で悟り、あの時怒りに任せて文句を言わなくて良かったと胸を撫で下ろす一方で、新たな怒りに包まれていた。あの時、自分に向けられた訳ではないが、ヒョウの放った殺気に当てられたレコンは、その恐怖がリアルの身体に深刻な影響を及ぼしていた。慎一は失禁していたのだ、失禁して汚れた布団を処理しながら、慎一は心に誓う。

 

 

 畜生! 絶対、絶対毒殺してやるからなぁ~~~~!! 

 

 




レコンがガリ勉秀才である
クラインがシウネーに気がある

共に、筆者の独自解釈によるオリジナル設定です。

リーファが両手持ち可能片手剣を使う理由は、Wikipediaに有った設定に、剣道経験者としての筆者の経験と、見解を加えた独自解釈です。

次回 第八話 消せない記憶

皆さん、良いお年を(^ー^)ノ


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第八話 消せない記憶

明けましておめでとうございます。

本年も本作を宜しくお願いいたします。


 クエストを偽って召集した、クライン シウネー、ラブラブ作戦は、クラインが想像以上のヘタレっぷりを発揮して、物の見事に失敗に終わった。気を利かせて二人きりにした途端、シウネーを前にカチンコチンとなり、吃りながら時候の挨拶を繰り返すクライン。物陰から見物していた一同は、何をやってるんだ、馬鹿野郎とフラストレーションをためていた。やがて、今日はもう失礼しますと、シウネーがログアウトした後にクラインは

 

「馬鹿野郎、何をやってるんだテメエ」

 

 とエギルからラリアットを食らい、その直後

 

「男なら堂々とアタックしなさいよ、全くもう」

 

 と、リズベットから延髄斬りを食らって轟沈する。よろよろと上体を起こし

 

「キリトよう……、キリト……、何とか言ってくれよぉ……」

 

 と、慰めの言葉を要求するも

 

「……、まぁ。自業自得だな」

 

 と、切り捨てられた。

 

「畜生! 俺って奴は! 俺って奴は!」

 

 と、号泣するクラインをオチにして、この日の冒険は終了となり、皆ログアウトして行くのだった。

 

 普段は美女NPCなんかにだらしなくアピールをするクラインだったが、本命視した女性にはどうも上手に想いを伝える事が出来ない様だ。クラインの本質は存外に、女性に対してシャイで誠実なのかもしれない。

 

 

 涙のクラインを後にしてログアウトし、小鶴がアミュスフィアを外した場所は、猛の病室の隣の小部屋だった。

 

「さて、今日はタケちゃん、何点取れるかな?」

 

 和人が猛の為に用意したVRグローブは、猛の快復に伴い、数度のバージョンアップをしており、ただの握力検査機ではなくなっていた。より楽しくリハビリが出来る様に、リズムアクションゲーム的な要素を追加したリハビリマシンになっている。

 負けず嫌いな性格の猛は、出来ない悔しさと出来た達成感の繰り返しが良い方向に作用して、今では腕力も甦り、軽い物を掴んで持ち上げ、腕を動かせる所まで快復している。また、人の介助を受ければ、上体を起こし姿勢をキープする事も出来る様になっていた。僅かながらも咀嚼筋も動かす事も出来る様になり、点滴と流動食による栄養補給と並行し、お粥等の食事からの栄養摂取も始められている。

 

「その前にお粥ね、今日はタケちゃんの大好きな……」

 

 と言いながら、いそいそと髪を弄り、身仕度を整える小鶴の耳に、猛の病室からいきなり大きな物音が飛び込んで来た。

 

「タケちゃん!?」

 

 慌てて病室に飛び込んだ小鶴が見た物は、倒れた点滴スタンドの下でもがく猛の姿だった。

 

「タケちゃん! どうしたの!? 大丈夫!?」

 

 小鶴は血相を変えて猛の元に駆け寄り、点滴スタンドを立て直し、猛の上体を抱え起こした。

 

「今日は一人で起きれると思ったのになぁ。折角コヅ姉を驚かせてやろうと思ったのに、残念」

 

 猛のパソコンから聞こえる電子音声に、小鶴は眉をひそめてたしなめる。

 

「ダメよタケちゃん、無理しないで。私、びっくりして心臓が止まるかと思ったのよ。今度やったら、もうお粥食べさせてあげないからね!」

 

 そう猛を叱った小鶴は、次の瞬間に我が目と耳を疑った。

 

「ご……め……んね……、コヅ……ね……ぇ……。い……づも……、あり……が……ど……」

 

 

 ごめんね、コヅ姉。いつもありがとう

 

 

 猛は動かない舌を必死に動かし、回らない呂律ながらも、確かにそう言葉にしたのだ。それは今まで感情を表す為に唸る事しか出来なかった猛が、ナーヴギアを外してから初めて発した言葉だった。

 

「え?」

 

 あまりの出来事に、呆けた表情で小鶴が見た猛の顔は、麻痺した顔面筋肉を総動員して微笑む、優しい笑顔だった。

 

「タケちゃん! タケちゃあん!!」

 

 感涙にむせび、自分の胸に顔を埋める小鶴を優しく抱きしめ、頭を撫でる猛は小鶴を喜ばせた満足感の中に、チクリと胸に突き刺さる痛みを感じてもいた。それは今日の冒険で出会ったノームの兄弟に呼び覚まされた、決して消してはいけない記憶、後悔。SAOで自分が犯した償いきれない罪。小鶴の為だけではなく、その罪ときっちり向き合う為に、自分は早くリハビリを終えなければならない。猛はそう決意を新たにするのだった。

 

 

 

 

「……最低」

 

 小鶴がログアウトして感涙にむせび泣いていたちょうどその時、彼女とは真逆の感情に自己嫌悪しながらログアウトした女の子がいた。彼女は今日の冒険で、古い記憶を呼び覚ます、忌々しい出来事に遭遇していた。

 

「私……、嫌な女の子だ……」

 

 部屋の明かりを着け、ため息をついた彼女は、自己嫌悪を洗い流すべくバスルームに向かう。Tシャツと下着を脱いで洗濯機の中に放り込み、洗い場に移動してシャワーの栓を開き、勢い良く噴き出した熱い雫に身を委ねる。だが今日は熱いシャワーの湯は物理的に身体を清めただけで、精神のリフレッシュには至らなかった。むしろ、身体的清浄感が増した分、精神的な鬱屈感が際立ち、自己嫌悪はますます深まっていた。

 バスタオルで濡れた身体を拭きながら、鏡の中の自分の顔を一瞥する。

 

「酷い顔……」

 

 暗い表情でそう吐き捨てると、洗い替えのショーツを履き、バスタオルを肩にかけてバスルームを出た。机の上のノートパソコンを起動し、立ち上がる迄の間、彼女は少しでも気分を変えようと冷蔵庫から良く冷えた炭酸飲料を取り出し、口をつける。しかし、口の中に広がる炭酸の清涼感も、心の中に滓の様に堆積していく嫌悪感を流してはくれなかった。いつもより炭酸の刺激が喉に痛みを感じさせるのは、この最低な心の有り様だからなのだろうか? そう考えているうちに、ノートパソコンは起動を終える。その画面を確認した朝田詩乃は、炭酸飲料の缶を机の上に置くと、片手でまだ濡れた髪を肩にかけたバスタオルで拭きながら、指紋認証でパスをクリアし、マウスを操作してネットを開いた。もう一口、缶に口をつけて詩乃が検索したのは、無料動画配信サイトである。彼女はマウスとキーボードを操作して、目当ての動画を探し出した。

 

「これだ」

 

 そう言って詩乃が再生した動画は、かつて驚愕と共に世界中を席巻した動画、祝屋猛がヒースロー空港でテロリストを鎮圧した動画だった。それから次々と、猛がSAOに囚われるまでに発表した動画を再生していく。

 

 

 祝屋猛、かつて小学生ながら、超新星として彗星の如く古武術界に現れた天才剣術家。幼いながらも『剣の芸術家(ソードアーティスト)』と称される程に卓越した剣技と整った風貌は、彼を古武術の世界だけに留め置く事はなかった。彼を紹介した動画は瞬く間に世界に広がり、一躍時の人として耳目を集める事となる。

 しかし……、その動画配信は、ある日を境に発表されなくなっている。配信停止日は、二千二十二年十一月六日、ソードアートオンライン開始日の前日、それ以来二度と配信されていない……

 

「やっぱり……」

 

 繰り返し祝屋猛の動画を見て、詩乃は確信する。つい最近知り合ったキリトやアスナの昔馴染みのSAOサバイバー、そのうちのインプの方は恐らく……

 

「間違いない、彼は、ヒョウはきっと……、祝屋猛」

 

 ならば、最後の配信日がその日なのも辻褄が合う。詩乃の頭の中で動画の祝屋猛の剣技と、出会ってから目にしたヒョウの剣技が重なる。詩乃に剣術の素養は無いが、彼女の持つスナイパーとしての眼力、そして観察力がそう看破させた。祝屋猛は、最後の動画配信の翌日、ソードアートオンラインに囚われたのだ。

 

 詩乃は最後にもう一度、ヒースロー空港の動画を再生した後、パソコンをシャットダウンしてベッドに身を投げ出す。そのとたん、過去の拭いがたい記憶が甦り、詩乃を襲った。

 

「人殺し」

 

 頭の中に甦る、忌まわしい言葉に、詩乃は肩にかけたバスタオルで顔を包み、耳を塞ぐ。

 

「人殺し」

「人殺し」

「人殺し」

 

 しかし、容赦なく詩乃の頭の中を、その言葉は駆け巡る。それは、小学校時代に始まった、凄惨な虐めの記憶。

 

「違う、違う」

 

 あれは不可抗力だ、拳銃を向けられた母を救おうと、無我夢中で強盗の腕に飛びついて、気がついたらあんな事になってしまった……

 

 詩乃がどれだけ弁解しても、クラスメートを始めとする、周りの子供達は納得してはくれなかった。なぜなら

 

「祝屋猛は、二人のテロリストを殺さずに倒したじゃないか!」

 

 祝屋猛がヒースロー空港でテロリストを鎮圧した。このニュースが同時期に世間を賑わせた事が、詩乃にとって最大の不幸だった。

 

 祝屋猛は控えめに言っても、剣術の天才である、彼に出来たからといって、同じ事がそこらの子供に出来る訳がないのだ。素手の詩乃が他に被害者を出さず、拳銃を奪い取り犯人だけを射殺して、事件を収めたのは奇跡にも等しい。あの時、あの状況で動ける勇気が有った事は、本来ならば賞賛に値する事なのだ。しかし、子供というのは無知であり、そのため独善的で残酷な一面を持っている。

 

 

 祝屋猛は銃を持った二人のテロリストを殺さずにやっつけたじゃないか、それなのにお前は相手が一人なのに殺しただろう! 

 

 

 そんな暴論を当たり前と言わんばかりに、事件のショックの抜けきらない詩乃に叩きつけたのだ。この時の詩乃の絶望は、察してあまりある物がある。

 

 

 人殺し

 人殺し

 人殺し

 

 

 この言いがかりにも等しい、心無い中傷の言葉から、詩乃に耐える力を与えていたのは、皮肉な事と言って良いのだろうか? 自分と比較対象になっている、祝屋猛であった。

 聡明な詩乃は、あの時自分がもし、刀を持っていたとしても、彼の様に振る舞える筈も無い事を充分理解していた。だから、純粋にその『強さ』に憧れていた。

 

 

 幼い詩乃は夢想した。もし、あの時、祝屋猛がいたならば、颯爽と刀を振るって私を助けてくれたに違いない、と……

 

 

 詩乃はクラスメートから「人殺し」と罵倒される度に、事件の記憶がフラッシュバックする度に、強くそう思って耐えていたのだ。しかし、それも長くは続かなかった。どれだけ強く思い込んでも、祝屋猛は助けには来てくれない。そうしているうちに、クラスメートの虐めはエスカレートしていき、母親の精神も日に日に壊れていく。母親の心がとうとう壊れ、養育能力を失ってしまい、詩乃が祖父母に引き取られる頃には、彼女の祝屋猛に対する認識は、百八十度変質していた。

 

 どうして!? どうしてあなたは、私の所に来てくれなかったの!? 外国のヒースロー空港なんかじゃなく、どうして私達の訪れた、あの日の郵便局ではなかったの!? もし、あなたが私の所に来ていてくれたなら、きっと……。そうしたら、私は、私は……こんな……

 

 憧れに憎悪が加わり、詩乃の想いは複雑に鬱屈した物となる。そして祝屋猛の動画配信が途絶えた所で、その想いは次第に封印されていき、今に至る。しかし、今、その強く憧れると同時に激しく憎悪する祝屋猛とおぼしき人物が、バーチャルとはいえ自分の目の前に現れたのだ。詩乃の心は激しく揺れ動く。時が経ち精神的にも成長し、更にキリト達の協力で事件の一面を克服した詩乃にとって、自分のこの想いは、あの時のクラスメートの心無い中傷と同じく、ただの言いがかりだという事を知悉している。

 

 それでもなお、ALOで善行を重ねるヒョウを前にして、その想いは湧き出してしまうのだ。あなたはどうしてあの時、私を助けに来てはくれなかったの、そうヒョウに問い詰めたくなる自分に、詩乃は激しい自己嫌悪に陥るのだった。

 

 

 

「私って、本当に弱い……、最低だ……」

 

 

 そう呟いて、灯りを消した詩乃は、頭から毛布を被ると、頭の中をぐるぐると巡る、自分を責める想いと言葉から身を守る様に両腕で胸を抱えて、海老のように身を丸め、強く目をつぶった。

 

 誰か……、助けて……

 

 そう思った瞬間、詩乃の指が自分の胸の敏感な部分に触れてしまう。それは無意識だったのか、意図的だったのか、詩乃自身にも分からない。ただ、その瞬間、詩乃の心と身体に電気が迸り、頭の中に強く憧れると同時に激しく憎む少年の笑顔が浮かぶ。

 

「……あっ、……あっ、猛さん、猛さん」

 

 気がつくと、詩乃はくぐもった声をあげて、両手で自分の胸をまさぐっていた。その行為は、かつてクラスメートの虐めと周囲の目から自分の心を守る為、行ってしまった背徳の逃避行為……

 

「猛さん、猛さん。……猛、ああ、猛」

 

 二次性徴期を迎えた女の子は、ふとした弾みでこの様な行為に目覚め、耽ってしまう事がある。きっかけは色々なパターンが有るが、詩乃の場合は事件後のストレスからの逃避だった。無理もない、正当防衛とはいえ、拳銃で人を殺してしまったのだ。大人でさえ耐えられない様なトラウマを、子供の身で抱えてしまった詩乃がその行為に逃避し、耽溺するのを誰が責められるだろうか? 引き取られた時、それに気づいた祖母に上手に誘導され、今まで治まっていたのだが、胸の突起に触れたはずみで、快感がぶり返してしまった。久しぶりの行為は、身体の成長が進んだ分得られた快感が余りにも大きく、詩乃には自分の中の燃え上がる火の様な衝動を止める事が出来なかった。欲しかった現実を求め、詩乃は夢中で、自分の胸を揉みしだく。

 

「ああ、はぁ、はぁ、はぁ……、猛……、猛……、んっ、ああっ」

 

 くぐもった声はやがて嬌声に変わり、それに伴い指の動きは激しくなっていき、そして詩乃の手はショーツの中へと入って行く。

 

「!!」

 

 自分の指が、自分自身の最も敏感な部分に達した時、詩乃の脳にアドレナリンとドーパミンが溢れ出した。

 

「ああっ、いっ、良いっ、猛、良いっ」

 

 詩乃の頭の中で、祝屋猛が刀を振るい、心無い言葉もマイナス感情も何もかも斬り倒して行く。その快感に高ぶり、詩乃の息は荒くなり、身をよじる。

 

「ああっ、もっと、もっとよ、猛、ああ~」

 

 猛の刀が振るわれる度に、詩乃の指の動きは激しさを増して行く。絡み付くショーツを、邪魔だと言わんばかりに片足から引き抜くと、詩乃の指先の動きは激しさと繊細さを増して行く。詩乃の指の動きが激しくなるにつれて猛の刀は冴え渡る、そしてすべてを斬り倒した時……

 

「もう大丈夫だよ、詩乃ちゃん」

 

 詩乃の頭の中で、祝屋猛が微笑んだ。詩乃の心は歓喜に震える。

 

「あっ、あっ、あっ、猛ィイイイイッ、猛ィイイイイイイ~~~」

 

 詩乃は心と身体を貫いて行く快楽と大きな絶頂感に身を委ね、一際甲高い嬌声をあげながら足をピンと伸ばし、大きく仰け反って果てて行った。そして背徳の伴う心地よい落下感の中で幸せな眠りに落ちて行く、しかし……

 

 

 人殺し

 人殺し

 人殺し

 

 

 再びの悪夢が詩乃を揺り起こす。

 

 あの時と同じだ、こんなに強く強く想いこがれても、祝屋猛は私を助けに来てくれない……

 

「はぁ……」

 

 その現実は、詩乃の心の中に、また一つ滓を堆積させていく。

 

「祝屋猛……」

 

 机の上の炭酸飲料の缶に口をつけた詩乃は、その気の抜けた苦くて甘ったるい口触りに顔をしかめる。嚥下する不快な甘味と苦味は、祝屋猛に対する詩乃の心情そのものだった。




少々ヤヴァイ内容でしたが、詩乃の中の葛藤を描く為には、やむを得ない物でした。
警告が来たら不本意なれど、この話はR18に移動して、マイルドに書き直します。

次回 第九話 妹


えー、後半部分もそうなんですが……、筆者として登場人物の心情描写がしっかりと描ききれず、いささかフラストレーションが溜まっている状態です。さりとてきっちり描ききるには、全年齢対応では不可能。
と、いう訳で、警告きてませんが、第八話は後日R18にて、三話に分けて完全版をアップするので、宜しくお願いいたします。

三話に分けて完全版、と、上記告知しましたが、二話に変更致します。残りの一話は、次話 妹 の前半部分とした方が、内容的にしっくり来るので、御理解下さいませ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第九話 妹 前編

 ALOからログアウトした直葉は、心ここにあらずといった表情で、しばらくぼーっとしながら天井を見上げていた。ゆっくりと上半身を起こして、アミュスフィアを外す。

 

「どどどどど、どうしよう!?」

 

 今日のALOでの出来事を反芻して、直葉の顔がトマトの様に真っ赤に染まる。

 

「何であんな事しちゃったのよ! 私のバカ! 私のバカ! バカ! バカバカバカ!!」

 

 直葉は枕を抱えて、再びベッドに倒れ込むと、コロコロと寝返りを打ったり、足をバタバタさせたりと、落ち着かない様子である。

 

「タケちゃんさん、変に思わなかったかな? 私の事」

 

 そう一言呟くと、真っ赤になってうずくまり、ポスポスと枕を叩いて、またベッドの上でコロコロと寝返りを打つ。

 

 今日のALOでの冒険は、クラインの勝負だけではなく、直葉にとっても大勝負を賭けた大冒険だった。出会ってから気さくに相手をしてくれて、剣道に通じる剣術、剣裁きを指南してくれるヒョウだったが、彼は常に自分の事を

 

 キリトの妹

 

 と認識している様で、少し直葉は不満だった。キリトの妹としてではなく、一人のリーファとして、ゆくゆくは直葉として認識して欲しい。そう思って、今日の冒険では何とか距離を詰めようと、一大決心をして臨んだのだが……

 

「も~ッ、何であんな事しちゃったんだろう」

 

 さりげなく、自然にアプローチをして、気がつけば親密に……

 

 そう目論んでいた直葉/リーファだったが、最初の最初でプレイヤーネームを呼び間違えるという失態を犯し、あとはしどろもどろのグダグダになってしまった。兄の和人/キリトには注意を受けたが、幸いヒョウとツウには受け入れられ、自分の事もスグと呼んで貰える様になったのは、直葉/リーファにとって不幸中の幸いだった。

 気を取り直した直葉/リーファは、自然に二人の間に入って、ごく自然に手を繋ごうとしたのだが、久しぶりのレコンに気が散ったのが仇になった。リーファとしては、ヒョウと手を繋いで、ツウと腕を組む予定だったのだが、それが逆になってしまい、ヒョウと腕を組み、ツウと手を繋ぐ結果になってしまった。その時ヒョウの腕を自分の胸の谷間に挟んでしまい、それ以降は最初の計画も何処へやら? ひたすらグダグダ街道まっしぐらになってしまった。

 レコンを邪険に扱ったのは、そのせいである。だが、思えば言い過ぎだったかも知れない……。「ヒョウさんに意地悪な女の子だと思われたかも!?」と落ち込んでみたりと、ログアウト後になって赤くなったり青くなったりで、忙しい直葉 だった。

 

「いけないいけない……」

 

 思考が負のスパイラルになって、直葉はぴしゃぴやと両手で頬を叩き、気持ちを切り替え様と今日のALOでの冒険を思い出す。そして、ヒョウがノームの少年の片手剣を、意地悪な兄ノームから取り戻した場面を思い出す。

 

「あ~~、あの時のタケちゃんさん、カッコ良かったなぁ~~」

 

 にへらっ、と締まらない弛んだ笑顔で呟く。

 

「タケちゃんさん、私の事……、どう思っているんだろう?」

 

 直葉は自分の呟きにハッとして、直ぐにそれを否定する。

 

「だっ、駄目よ、私ったら何を考えているの!? タケちゃんさんにはコヅ姉さん、小鶴さんがいるのに!」

 

 そう考えた直葉の胸の奥がチクりと傷んだ。

 

「熱い……」

 

 直葉はALOで、誤ってヒョウの二の腕を挟んでしまった自分の胸の谷間に、熱い火照りを感じてしまう。

 

「タケちゃんさん……」

 

 直葉は熱い胸の谷間に、確かめる様に手を当てる。胸の鼓動が高まる程に、体温以上の熱さを感じていた。

 

「タケちゃんさん……」

「お前、何やってるんだ? スグ……」

「……お、お兄ちゃん……」

 

 両手を胸に当てて、ため息をついた直葉がふと顔を上げると、そこには驚いた表情で自分を見る和人が居た。絶句して暫し見つめ合う直葉と和人……、二人はゴクリと唾を飲み込んだ。

 

 

 和人はログアウトしてから、やはりプレイヤーネームについてちゃんと釘を刺しておこうと考えて、直葉の部屋を訪ねて来ていたのだ。

 

「ちょっと良いか、スグ」

 

 そう声をかけてノックしたのだが、中からの反応が無い。訝しく思いながらも数度ノックした後

 

「おーい、どうしたんだ、入るぞ、スグ」

 

 と、声をかけ、和人がドアを開けると、直葉がベッドの上で顔を赤らめながら、両手で自分の胸を掴んでいた、これが和人側からの顛末である。しかし、ヒョウの事で、心が一杯一杯の直葉には、和人のノックに気がつく余裕は無く、和人がいきなり部屋に入って来たと勘違いしてしまった。一瞬呆けた後に我に返り、自分が自分の胸を揉んでいる事に気付いた直葉は悲鳴をあげる。思考力の止まった直葉は更に勘違いを重ねた。

 

 ノックもせずにいきなり入って来て、恥ずかしい姿を見られたと勘違いした直葉は、顔を完熟した唐辛子の様に真っ赤にして、手元の枕を両手で持って和人に向かって叩きつける。

 

「入る時はノックしてって言ってるのに、黙って入って来るなんて! お兄ちゃん最低!」

「いや、何回もノックしたけど返事が無いから心配になって……」

「うるさいうるさいうるさ~~い! お兄ちゃんのヘンタイ! 出てって! 出てってよ!!」

「わかった、悪かった、スグ。今出ていくから、もう落ち着け! な?」

「うるさ~~い! お兄ちゃんのバカ! 早く出ていけ~~ッ!!」

 

 何度もボスボスと叩きつけ、最後に直葉は枕を思い切り投げつける。枕はタジタジになって、部屋から逃げ出した和人の閉めたドアに当たり、跳ね返って床に落ちた。暫く怒りの表情でそのドアを見つめていた直葉だったが、兄の気配がドアの向こうから足音と共に消えていくと、ため息をついて枕を拾い上げ、両手で胸に抱えるとベッドにコロリと転がった。直葉は自己嫌悪で歪む自分の顔を、枕で隠す様に覆ってから、コロンと寝返りを打つ。

 

「私……、ヘンタイなのかな……?」

 

 そう一言呟いて、直葉はもう一度、熱さの残る胸の谷間に手を添える。この熱さを胸一杯に……、いや、身体中を一杯に満たしたい……。そう考えてしまった直葉は、小鶴とヒョウの事を想い涙ぐむ。

 

「タケちゃんさん……」

 

 

 △▼△▼△▼

 

「リリー、諦めてはいかんぞ」

「はい、御前様」

 

 二人のケットシーが声を掛け合い、足早にフィールドを駆けている。御前様と呼ばれたケットシーは、凄味の効いた大年増で、妖艶な美熟女といった趣の武者巫女である。彼女は大薙刀を縦横無尽に振り回し、射かけられた矢を切り落としている。それに対してリリーと呼ばれたケットシーは、新入の高校生といった感じの美少女で、姫武者装束に小太刀風の短剣を素早く振り回し、矢を防いでいた。御前様は余裕綽々といった感じで矢を切り落としいるのに対し、リリーの方は蒼白な表情で、矢傷を負っている。

 二人はたった今ALOを始めた初心者プレイヤーだった。ALOをプレイしている知り合いを探し、訪ねる為にログインし、ケットシー領首都からアルンを目指している途中、PKプレイヤーに見つかり襲われていた。

 

 弓矢を用い、巻き狩りの様にチームでPKを行うのは、GGOから流れて来たプレイヤー独特のスタイルである。

 

「森の中に逃げ込まれたらおしまいだよ! 上手く囲んで足止めしな!!」

 

 両頬にタトゥーを入れた、キツい感じのサラマンダーの女性プレイヤーが、どうやらこのPKチームのリーダーの様だ。彼女の指示で、チームは無駄の無い連携でケットシーの二人を追い詰めていく。

 

「あの女、忌々しいが大したもんじゃ……」

 

 森へ逃げ込むルートを潰されたケットシーの御前は、苦虫を噛み潰した表情で呟いた。

 

「一か八か、飛んで逃げるかのぉ……」

 

 御前はふとそう考えたが、直ぐにそれを否定する。

 

「いいや……、儂らは今日初めてこのALOをプレイしたのじゃ、飛ぶのが初めての儂らは、格好のカモじゃ……」

 

 はてさて……きゃつらの囲みの薄そうな所は何処じゃ? そう思案しながら走る、御前の後ろで小さな悲鳴が上がった。

 

「キャッ」

 

 その悲鳴に気がついて、御前が振り返ると、脚を弓で射抜かれて、片足損壊の状態異常となり、倒れ込むリリーの姿があった。

 

「大丈夫か、リリー」

「はい、申し訳ありません、御前様」

 

 駆け寄り肩を貸す御前に、リリーは悲痛な表情で応える。これ以上は無理か……、そう思った御前だが、襲い来るPKチームの動きの中に、活路を見いだした。

 

「ようし、レンちゃん良い仕事したじゃないか!」

 

 PKチームのリーダーが、長身のシルフに向かい、ニヤリと笑う。長身のシルフは、リーダーにはにかんだ笑顔を向け、弓に矢をつがえる。

 

「ようし、みんな! レンちゃんの弓が合図だ! 接近戦に移行するよ、気合い入れな!」

 

 指示を出すリーダーに、巨漢のサラマンダーが意見をする。

 

「ピト、もう一人の方は健在だ、あれの脚を止めてからでも……」

「良いんだよ! 相手はたった二人なんだ! 時間かけて苦しめちゃ可哀想だろう。それに、折角剣と魔法の世界に来たんだ、剣の方も楽しまなきゃ。レンちゃん」

 

 リーダーは巨漢の諫言を遮って、長身のシルフに合図を送る。シルフは頷いて矢をケットシーに向けて放つと、武装をコンポジット・ボウから盾持ち片手剣にチェンジした。

 

「ヒャッハー、全員突撃! 遅れるんじゃないよ!」

 

 身長よりも長いタルワールに武装を替えたリーダーは、嗜虐的な目付きで刀身を一舐めしてから高く掲げ、号令を発した。PKチームが一斉にケットシーに向かい、歓声をあげて突貫する。

 

「ようし、今じゃ!」

 

 PKチームの武装転換を見て、ケットシー、御前はほくそ笑む、脚をやられて歩けないリリーを背負うと、大薙刀を構えてPKチームに向かって駆け出した。

 

「甘いわ! それそれそれーい」

 

 御前が大薙刀を振るい、数名のPKプレイヤーをリメインライトに変えていく。

 

「それい!」

「なんだって!」

 

 すれ違いざま、御前は大薙刀の柄を使い、PKチームのリーダーを地面に転がした。

 

「だから言っただろう、ピト」

「フッフーン、やるじゃん。良いねぇ良いねぇ、ゾクゾクするねぇ」

 

 巨漢のサラマンダーの叱咤を無視し、PKリーダーは素早く立ち上がると、走り去る御前の背中を見て舌舐めずりをした。

 

 

 GGOを本拠にするプレイヤーが、ALOに来た時の戦闘スタイルは主に二つある。

 

 一つはシノンの様に、剛弓を用いてスナイパーに徹する者。そして前述した通り、このチームの様な巻き狩りスタイルのチームである。

 

 スナイパースタイルの者は、GGOでは生粋のスナイパーか、ラン&ガンでメイン武装の有効距離を維持してプレイする者が多い、傾向としてはBoB的な戦いを好む者達だ。一方の巻き狩りスタイルの者は、何でもありの乱戦を好み、メイン武装に拘る事無く状況によって使い分けて戦闘する者が多い、こちらの傾向はSJ的な戦いを好む者達である。

 

 後者はその傾向からチーム、スコードロン戦に長けており、役割分担が明確化されているのが大きな特徴だ。彼等の戦闘スタイルは、ALOの古参プレイヤー達にも強い影響を与え、ギルドやチームの多種族化に拍車をかけている。そしてもう一つの特徴が、状況に応じての大胆な武装転換だった。これにより、武装や魔法の相性による得手不得手、得意距離といった三竦み的な状況を打破する事が可能になり、デュエル以外の対人戦でのジャイアントキリングが見られる様になっていた。

 

 御前はこの武装転換中の隙を突いて、中央突破を計っていた。彼女の見立てでは、どうやらこのPKチームには、ALOに不慣れな者も多く参加している様に思われた。御前の思惑はまんまと的中し、目論見通り中央突破に成功する。そして根元に虚の空いている巨木を背中に大薙刀を構えた。

 

「さぁリリー、この中に入るんじゃ」

「はい、ごめんなさい、御前様」

 

 泣きそうな顔で見上げるリリーを巨木の虚に匿い、御前は優しく微笑むと振り返り表情を改め、追って来るPKチームに向かって大薙刀を隆々としごく。

 

「姐さん、手練れだねぇ」

 

 小悪魔的雰囲気を持つ、小柄なインプの少女が御前の前に進み出た。

 

「因みに、どん位ログインしてるんだい?」

「どの位も何も、儂ゃ今日が初めてだよ」

 

 御前の言葉に、小悪魔インプは驚いて目を見張る。

 

「ウッソォ~! それであの強さかい? バカ言っちゃあいけねえぜ」

「嘘も何も、アミュ何とかを被ったのも、今日が初めて……さ!」

 

 御前は小悪魔インプを警戒しながら、振り返らずに大薙刀の石突きを、斜め後方に付き出した。

 

「ぐふっ……」

 

 大薙刀の石突きは、巨木の幹を回って斜め後方から忍び寄った、長身のシルフの鳩尾に吸い込まれる様に命中した。

 

「レンッ!!」

「大丈夫、フカ。この人……、ホント強いわ」

 

 長身のシルフは立ち上がると、小悪魔インプの後方に飛び下がる。御前の隙の無さに、小悪魔インプは再び目を見張る。

 

「全く……絶剣じゃあ無いんだからさぁ~、どんだけ強いんだよ、姐さん……」

 

 御前の眉が動いた、眼光鋭い含み笑いで小悪魔インプに問い質す。

 

「ほう、その絶剣とは何奴じゃ?」

「えっ!? 絶剣を知らないの? 姐さんホントに初心者かよ~、へこむなぁ……。良いかい、絶剣っていうのは……」

 

 と、小悪魔インプはため息をついて、絶剣について説明すると、今度は御前の方がため息をつく。

 

「なんじゃ、小娘か……、それじゃあ猛ではないのぅ……」

「探し人かい? 奇遇だねぇ。実はあたしらも、人を探しているのさ」

「ならば引いてはくれぬか? 無用の争いはしたくない。そちらの探している人を見つけたら……」

「あたしもそうしたいのは山々だけど……」

 

 御前の提案に、小悪魔インプは首を左右に振る。彼女は自分はALOの最古参プレイヤーの一人である事、最近別のMMORPGにコンバートした事、そこでのプライドで、とあるALOプレイヤーを二人探している事、その二人に無理を通す為に力を見せつける必要がある事、その為に無差別PKを行っている事、そんな自分の姿をALOの古参仲間に見られたくないと、本来の超美人シルフアバターを封印し、最近作ったサブアバターのインプで参加している事、インプは運営に優遇されていると噂されている事をつらつらと話した後、武器を装備して構えを取った。彼女が装備したのは、ユニーク武器のチャクラムだった。

 

「まぁ、浮き世の義理ってヤツも有るけれど、あたし的にも舐められっぱなしってのは、最古参のプライドが許さないのさ」

 

 小悪魔インプのヘラヘラした表情が引き締まり、踊る様に両手のチャクラムで攻撃を始めた。変幻自在、上下左右からの波状攻撃を受け流すも、御前の表情から余裕が消える。

 

「姐さん相当強いね、あたしが戦った相手じゃ、絶剣の次に強い」

「お主もな、儂の弟子に欲しい位じゃ」

 

 弟子という言葉に小悪魔インプは、二三合打ち合っただけで、自分の攻撃に対応して見せる御前の強さに合点がいった。

 

「リアルじゃ何かしらの武道を嗜んでいらっしゃる? 道理で、初心者離れした強さな訳だ」

 

 御前の大薙刀のカウンター攻撃を、小悪魔インプはバク転からひねりを加えたバク宙という、アクロバティックな動きで避けて距離を取る。

 

「ふむ、ゲームと言えど、この程度か? どうやら現実世界で鍛えた技には及ばんようじゃ。お主に勝ち目は無いぞ、降参するか?」

「チッチッチー、姐さんバカ言っちゃあいけねぇぜ!」

「ほう、まだ何か引出しが有るのか?」

 

 御前の降伏勧告を、小悪魔インプは柳に風と受け流す、面白いと目が笑う御前に、小悪魔インプは言葉を続ける。

 

「確かにこのALOは、レベル制VRMMOと違って、リアルでの地力も大きなファクターになっている。当然さ、そうしなけりゃ、いつまで経っても新人は古参に蹂躙されて、寄り付かなくなるからね」

 

 そう言いながら、小悪魔インプは独特の動きで構えを取り始める。小悪魔インプの言葉は続く。

 

「だからといって、リアルの地力を優先させると、リアルで武道格闘技経験の無い奴が割りを食って寄り付かなくなる。だからこのALOには魔法があり、武器にも熟練度って物差しが有るのさ」

 

 警戒度を深め、構え直す御前を、小悪魔インプは絶対的強者が弱者を見下ろす様な目で、狙いを定める様に見据えた。

 

「その物差しが、或る一定のレベルを越えると、こんな事が出来る様になるのさ」

「むう……、これは……」

 

 小悪魔インプの両手に握られたチャクラムが、ソードスキルの輝きを放つ。その不気味な輝きに、御前は武道家の本能で避けきれない事を悟った。

 

「すまんなリリー、どうやらこれまでのようじゃ」

 

 御前がリリーにそう声をかけたのと、小悪魔インプがソードスキルを発動したのは同時だった。ソードスキルの炸裂する衝撃に、リリーは思わず目を瞑ってしまった。そして、その後に訪れるであろう斬撃の衝撃に耐える為に身を強張らせる。しかし、覚悟した衝撃がリリーを襲う事はなかった。

 

「御前……様……?」

 

 恐る恐る目を開けたリリーの目の前には、見知らぬウンディーネが膝をついて微笑んでいる。

 

「大丈夫? もう安心よ」

 

 ウンディーネがそう言うと、杖を構えて魔法の詠唱を始めた。みるみるHPが回復し、状態異常も解消していくリリーは、自分の身体を見回した後、顔を上げてもう一度ウンディーネの顔を見る。そしてその向こうに、御前様を守る様に立ち塞がる黒装束の二人の背中を認めた。一人は大きな片手剣を背負ったスプリガン、そしてもう一人は腰に大小二本の刀を差したインプだった。リリーの安堵の表情を確認したウンディーネは、黒装束の二人に声をかける。

 

「こっちはもう大丈夫よ、二人共、思い切りやっちゃって!」

 

 小さく振り返った黒装束の二人、そのうちの二本差しのインプの横顔に探し人の面影を見いだして、リリーは目に涙を浮かべていた。




御前様と小悪魔インプの戦闘描写に興が乗り(更にこの後片手剣を背負ったスプリガンvs小悪魔インプ、二本差しインプvs顔タトゥーサラマンダーの戦闘が有るので)、かなり長くなってしまうので、前後編に分ける事にしました。後編も近日中に発表する予定です。
前回後書き告知したR18第三話は、後編発表と同時かやや後を予定しています。こちらもご期待下さいませ。

次回 第十話 妹 後編


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十話 妹 中編

前回予告で、今回は後編としましたが、またまた長くなってしましたので、三編編成の中編とさせていただきます。
m(__)m


 ヒョウ率いるパーティーが、今日ここを通りがかったのは全くの偶然である。

 

 数日前、ヒョウとツウは、SAOからの馴染みである、シンカーとユリエールからの連絡を受けていた。内容はカウンセリング療法が進み、PTSDも大分治まってきたジャスミンが、どうしてもALOでヒョウに直接会って、あの時のお礼をしたいと言っているので、時間を都合してはくれないだろうか? というものである。無論その後のジャスミンを気にかけていたヒョウとツウに異存があろう筈が無い。二つ返事でOKすると、その噂を聞きつけたキリト達SAOサバイバー達も、懐かしいな、俺たちも交ぜろ、となって人数が嵩み、当初の予定のNPC経営の店でこじんまりとした会合から、二十二層のキリトのプレイヤーホームの庭での野外パーティーへと変更を余儀なくされていた。

 そんな訳で料理等を自前で準備する事となった彼等は、料理総指揮官のツウの指示の下に、食材アイテムの収集に手分けして出かけていたのだった。その途中でPK集団に襲われている二人組のケットシーを見かけ、見かねて加勢に入ったのだ。

 

「大人数で、たった二人を囲んでPKだなんて」

「どんな理由があるにせよ、やり過ぎなんじゃないか?」

 

 ヒョウとキリトが眉をひそめると、意外な事にソードスキルをはじき返された小悪魔インプの目が歓喜に輝く。

 

「ブラッキー」

 

 再びチャクラムを構えようとする小悪魔インプの前に、顔タトゥーのサラマンダーが割って入る。

 

「ちょっとちょっとアンタ達、随分と無粋な真似してくれるじゃあないか。もしかして、正義の味方でも気取ってるのかい、ええ?」

「ちょっと待て、ピト。どうやらビンゴだ」

 

 嬲る様な口調と挑発的な瞳で睨めあげる顔タトゥーのサラマンダーに、巨漢のサラマンダーがそう耳打ちをした。すると顔タトゥーのサラマンダーは、話しの腰を折った巨漢サラマンダーに怪訝な瞳を向ける。

 

「なんだいエム、あんたはなんだってそういちいち口を挟むんだい、ええ? 理由によっちゃあ……」

「だからビンゴだと言っている」

 

 ビンゴという言葉に虚を突かれ、きょとんとする顔タトゥーサラマンダーに、巨漢サラマンダーがキリトを指差しながら、念を押す様な口調で言葉を続ける。

 

「おそらく、こいつが俺達の探している、目当ての人物『キリト』だ」

 

 巨漢サラマンダーの言葉が余程意外だったのか、顔タトゥーサラマンダーは目を見開き、キリトを頭から爪先迄まじまじと眺め回す。キリトとヒョウが困惑した表情で顔を見合せ、互いに首をかしげていると、顔タトゥーサラマンダーが急に大笑いを始めた。そして巨漢サラマンダーに確認する。

 

「ちょっとエムぅ、この冴えない黒スプリガンが、あの『キリト』だってぇのかい? だいたいこいつ、男じゃないか、冗談も大概にしなよ、エム」

 

 ゲラゲラ大笑いしている顔タトゥーサラマンダーに答えたのは、巨漢サラマンダーではなく小悪魔インプだった。

 

「そうだよピトさん、エムさんの言うとおり、この黒スプリガンがキリトさ、間違い無い」

「本当かい?」

「ああ、ALOでキリトといえば、二刀使いの悪魔、スプリガンのブラッキーしかいない」

「でも、あのアバターは女の子じゃ」

 

 小悪魔インプの答えに納得がいかないと、顔タトゥーサラマンダーが尚も言いつのる。しかし、巨漢サラマンダーが小悪魔インプの言葉を肯定した。

 

「特殊アバターだったんだろう。ピト、さっさと用件を伝えて帰るぞ」

「へぇええ、GGOのアイドル『キリトちゃん』は、実は男の娘だったんだぁ、ふーん」

 

 一人納得する顔タトゥーサラマンダーを、奇怪な物を見る様な目でキリトとヒョウが見ながら囁き合う。

 

「何の話しだ?」

「……、こないだ、ちょっとな……」

 

 ヒョウの問いかけに、キリトが言葉を濁すと、その背後でアスナが吹き出していた。アスナの反応にキリトは笑いながら軽く睨む、謎が深まり首をかしげるヒョウ、顔タトゥーサラマンダーが二人の肩越しにアスナに向かって手を振った。

 

「こいつがキリトって事は、あんたがシノンだね。ヤッホー、シノン、久しぶり。印象変わったねぇ」

 

 親しげに声をかけてくる顔タトゥーサラマンダーに、アスナは否定の意を込めて首を左右にふるふると動かす。

 

「なんだ、違うのかい? って事は……」

 

 顔タトゥーサラマンダーは怪訝な瞳を恐る恐るヒョウに向けた、そして何かを合点するとヒョウの両肩をガシッと掴み、瞳から大粒の涙をポロポロと溢しながら前後に激しく揺さぶってこう言った。

 

「シィノォン~~……、こんな変わり果てた姿になって」

 

 その瞬間、顔タトゥーサラマンダーの頬を後ろから、極太の弓矢ソードスキルのエフェクト光が掠めて飛んでいき、地面にズドォオオオオンと炸裂する。あ~あと頭を掻くヒョウに抱きついて、ギギギと蒼白な表情で振り返った顔タトゥーサラマンダーが見たものは、極大ソードスキル後の硬直を残心に、ワナワナと怒りに震えるシノンの姿だった。

 

「何の用よ、ピトフーイ」

 

 憤怒の表情で詰問するシノンに、ピトフーイは喜びと恐怖の入り交じった複雑な笑顔を浮かべて取り繕う。

 

「なあんだぁ~、そんな所に居たんだぁ~。久しぶりねぇ、シノン。いやぁ、キリトがGGOじゃ『男の娘』になったのなら、シノンはALOじゃ『女の息子』になったのかと……、ねぇ、あんたもそう思うでしょう?」

 

 シノンの剣幕に押され、四肢でガッチリとしがみつき、ピトフーイはヒョウに合意を求める。そしてその行為が更に、シノンの逆鱗に触れた。

 

「離れなさい」

「へっ?」

「離れなさいって言ってるでしょう!」

 

 底冷えのする口調でシノンが言うと、何の事かいまいち理解出来ないピトフーイが問い返す。するとシノンはピトフーイの首根っこをムンズと掴み、ヒョウから引き剥がして正座させる。そしてヒョウに向かって冷たい視線で悪態をつく。

 

「ふん、デレデレしちゃって」

 

 おいおいと目を丸くするヒョウに背中を向けて、シノンはピシャリと言い放つ。

 

「ツウに言いつけるわよ」

 

 顔だけ振り向いて肩越しに放つ冷たい視線に、ヒョウはやれやれと肩を落とす。

 

「で、アンタは一体キリトに何の用が有るのよ、ピトフーイ」

 

 ピトフーイに向き直り、問い質すシノンにキリトが声をかける。

 

「なぁシノン、この人知り合いなのか?」

「まぁね」

「だったら紹介してくれないか? 話しを進めるには、その方が良いと思うんだ」

 

 キリトの言葉にシノンは「はぁっ」とため息をついた後、実に嫌そうにピトフーイの紹介を始める。

 

「私が知ってるのはコイツだけ。ピトフーイ。通称気狂いピト、鏖殺のピトフーイ……、良く言えばGGOの個性派プレイヤーだけど、腫れ物プレイヤーと言った方が正しいわね」

「紹介アリガト、シノン」

 

 ピトフーイの屈託の無い笑顔に、毒気を抜かれるもシノンは詰問を続けた。

 

「で、さっきから聞いてるけど、アンタがキリトに何の用よ」

「ああ、それ? 実はキリトちゃんだけじゃなくて、シノンもセットでお願いが有るのよ」

 

 ウインクして手を合わせるピトフーイの話しは次の様になる。

 

 第三回BoB決勝戦がきっかけで、SJが始まったのは二人も知ってると思う。何回か数を重ねてそれなりに盛況なんだけど、GGO全体の流れではBoBに対して日陰の扱いになっている。優勝チームもBoB優勝者に比べると、扱いに大きく差が有り敬意を払われる事は無い。あくまでもGGOの華はBoBであり、SJは一部の酔狂者の流行りに過ぎない、というのがほとんどのGGOプレイヤーの認識である。

 その大きな理由の一つに、キリト&シノンのペアが参加していない事があげられる。歴代SJ優勝者も、キリト&シノンがもし出場していたら、きっと歯が立たなかっただろう、何しろ二人はBoB優勝者なのだから。と云うのが、大多数のGGOプレイヤーの見解だった。

 

 キリト&シノンがエントリーしなかった理由についても、きっと二人はSJをBoBよりも下に見ており、参加する価値を認めていないのだろう、と、大多数のGGOプレイヤーは邪推していたのだ。

 

 SJ優勝チームはもとより、SJ参加チームのメンバーにとって、その考えは到底受け入れられる物ではなかった。BoBよりも下に見られる事は或る意味仕方がない事ではあるが、だからといってコケにされるのは我慢が出来なかった。ならばSJが、SJ優勝チームが、皆の言うとおり軽い物かどうか、キリト&シノンを引きずり出して、白黒決着をつけようじゃないか!

 

 という訳で、ALOにキリトとシノンを求めてカチコミをかけに来たのだとの事だ。

 

「だったら人間狩りみたいなPKなんかせずに、共通掲示板にでも書き込めば良いじゃないか?」

 

 というキリトの意見に対して、ピトフーイの答えはと云うと以下の物である。

 

「遺恨が有った方が燃えるからに決まっているでしょう、外野も含めて」

 

 ピトフーイの計略は、ALOにカチコんで戦果を大々的にアピールして挑発し、GGOvsALOの構図に持ち込んででも、キリト&シノンをSJの戦場に引きずり出す、という物だった。

 

「こういうヤツなのよ」

 

 呆れるキリトに対し、ため息混じりにシノンが顔をしかめて吐き捨てる。

 

「別に興味がなかった訳では無いけど……」

 

 ただ単に、自分のホームゲームはALOであり、その中でのイベントや付き合いを優先した結果で、GGOプレイヤー達が邪推した様な意図は無い。だから、そっちはそっちで気にせず楽しんでくれ。こっちはトップオブアルブスを控えてそれどころじゃないと、キリトがピトフーイ率いるPKチームにやんわりと当分のSJ参加予定は無い事を告げる。

 

「言いたい事は分かった、邪魔をして悪かった。帰るぞ、ピト」

 

 キリトの言葉に、巨漢サラマンダーのエムがそう答え、ピトフーイを連れ帰ろうとした。

 

「えー、そんなのつまんなーい。最初の計画通り、殺っちゃおうよ」

 

 しかし、ピトフーイはエムの言葉を良しとせず、瞳に狂気の炎を燃やして剣を抜く。その様子を見てキリト達の間に緊張が走った。

 

「ニックネームは伊達じゃない、って所か?」

「さっき言っただろう、遺恨が有る方が、何かと燃えるだろう」

 

 やれやれと苦笑するキリトに、ニヤニヤ笑いながらピトフーイが答える。対峙するキリトとピトフーイの間に、小悪魔インプが割って入った。

 

「待ってました、ピトさん、ブラッキーは私が相手するよ!」

「えーっ、それは無いんじゃないの、フカ次郎」

「私は前々から、二刀使いの黒い悪魔とは戦ってみたかったんだ、悪いけどこればっかりはピトさんでも譲れないなぁ」

 

 両手に装備したチャクラムを構え、小悪魔インプ、フカ次郎がキリトを見据える。

 

「やる気満々じゃん、フカ次郎、なら仕方ない、今回は譲るわ。アタシは誰にしようかね」

 

 ピトフーイが舐め回す様に見回し、シノンの所で目を止めた。ニィッと嗜虐の瞳でシノンを見据えながら、タルワールを構える。

 

「シノンちゃーん、あーそーびーま……ん?」

 

 ピトフーイが挑発するシノンの前に、二本差しの着流し黒インプが歩み出る。

 

「ヒョウ」

 

 右腕を懐手にした黒インプ、ヒョウはウインクしながら左手で、困惑顔のシノンを制すると、そのまま左手を刀の柄に載せ、涼やかではあるが意味ありげな笑みを浮かべ、ピトフーイを見据える。

 

「へぇー、アンタがやるってぇの? ふーん」

 

 ピトフーイが品定めをする様に、視線でヒョウを舐め回す。

 

「しゃしゃり出てくるのは良いんだけどさぁ、それだけの実力、アンタに有るの?」

 

 ヒョウはそれに答えず、ただ笑みをたたえるだけだったが、ピトフーイの背後でエムの顔色が変わった。

 

「ダメだピト、フカももう帰るぞ、用件はもう果たした!」

 

 静かではあるが、叩きつける様な口調でそう言ったエムに、ピトフーイは心底嫌そうな視線を向ける。

 

「何でアンタは盛り上がっている時に、水を差す様な事を……」

「分が悪すぎる、今は撤退した方が良い」

「はぁあー? 今囲んでんのはアタシ等だよ? 分が悪いってどういう事さ!?」

 

 言葉を遮られ、ますます不快感を募らせるピトフーイに、エムは首を左右に振ってこう答えた。

 

「黒い着流しの二本差し、そのインプは『剣聖』だ。キリトに剣聖、人数なんて関係ない、ALOに不慣れな俺達は全滅させられるぞ」

 

 しかし、その言葉はピトフーイにとって、ブレーキにはなり得なかった。むしろアクセルとなって、彼女の暴走を後押しする。

 

「へぇえー、コイツが噂の剣聖様かぁ……」

 

 ピトフーイの顔が不気味に歪み、口角をニィッと悪魔の様に吊り上げる。

 

「じゃぁ、コイツを倒したら、アタシが『剣聖』って事だぁ」

「ピト……」

「エムぅ、アタシ等がサシでヤってる間、アンタは皆を率いて他を皆殺しにしな。レンちゃんも抜かるんじゃないよ!」

「やれやれ、どうなっても知らんぞ」

「あいよ、ピトさん」

 

 対照的な反応を示すエムとレンだったが、共にやる事はしっかりやる。二人はサングラスとマスクで顔を隠した、十数名のサラマンダー達の指揮を取り、逃げていた二人のケットシー、アスナ、シノンを押しつつんで殲滅しようと襲いかかる。しかし……

 

「そうはいくもんですかい!」

「あなた達の考えなんか、みんなお見通しです!」

 

 サングラス軍団の後方から、伏せていたリズベットとシリカが不意討ちをかけた。そして、サングラス軍団を蹴散らしながら、リーファが駆け抜ける。

 

「お兄ちゃん! タケちゃんさん! ザコは私達に任せて!」

 

 サングラス軍団を抜けたリーファがレンに斬りかかると、慌ててレンも応戦した。

 

「私はザコかい!?」

「ゴメーン、気を悪くした? ってか、デカっ!」

「デカいって言うなぁ!!」

 

 コンプレックスを刺激され、ムキになってレンはリーファに剣を振るう。最初は身長差に戸惑っていたリーファだったが、数合撃ち合う間に修正していく。

 

「このッ! このッ!」

「お姉さん、隙だらけだよ、せいっ!」

 

 レンはGGOで築き上げた、人間離れした身体速度を持っているが、如何せんここはALOである。サイズの違うALOアバターを持て余し、リーファに懐に入られる事を易々と許してしまい、あっさりとリメインライトにされてしまった。

 

「次行くよ! 覚悟してね、おじさん」

「お、おじさん……」

 

 レンを倒したリーファは、返す刀でエムに向かって斬りかかる。エムはそれを予測していたが、リーファにおじさん呼ばわりされた事で動揺し、僅かに対応が遅れ防戦一方となり、食い下がるもサングラス軍団に効果的な指揮を執る事が不可能になっていた。その隙にリズベットとシリカが、次々とサングラス軍団を倒していく。

 

「じゃあ、俺たちも」

「ああ、そうするか」

 

 三人の活躍を満足気に確認すると、キリトとヒョウは頷き合う、そしてそれぞれの敵手、フカ次郎、ピトフーイの前に、悠然と一歩を踏み出した。

 




因みに筆者のGGO知識はアニメのみです、GGO登場人物等の設定やALOに乗り込んで来た理由は、アニメを基にした筆者の独特解釈ですので、ご了承下さいませ。

次回 第十一話 妹 後編 今度こそ……


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十一話 妹 後編

 黒サングラス軍団が蹴散らされる中、フカ次郎もピトフーイもどちらも動揺する事無く、逆境と言うのに不敵な表情を崩さない。何故ならALO最古参のフカ次郎は、本来のアバターであるシルフとして、グランドクエスト攻略に参加しており、その時直にキリトの強さを目の当たりにしていたからだ。キリトの盟友たるリーファの強さも直接知っている彼女にとって、この程度は当たり前と織り込み済みだった。ピトフーイはピトフーイで、この位やってくれなきゃ面白くないし、潰し甲斐が無いという、救いがたい理由からである。

 

「流石、名にし負うチームブラッキー、付け焼き刃じゃ歯が立たないか? なぁ、後学までに教えてくれよ? あんな化け物連中、どうやって集めたんだい?」

 

 サバイバーなんだろう? と言外に匂わせ、フカ次郎がキリトに質問する。

 

「人徳……という事で納得してくれるか?」

「納得いかねぇな!」

 

 フカ次郎のチャクラムがキリトを襲う、トリッキーな攻撃をキリトは落ち着いて捌く。フカ次郎は、御前との戦いでも、手加減せずに本気で戦っていたが、キリトが相手となると入る気合いが違う様だ。

 

「あんまり舐めるなよ、二刀使えよ! 二刀!」

 

 フカ次郎の動きが変わる、低い構えをとり、独特のリズムで腕を大きく振るように交互に前後に回す、それに合わせて足も大きく振るようにステップを踏む。右手が前に出ると右足が後ろ、左手が前に出ると左足が後ろ、SAOでヒョウに教わったナンバの動きとは真逆の動きにキリトは戸惑う。キリトの顔色が変わったのを見るや、フカ次郎はしてやったりと、凶悪な笑みを浮かべた。

 

「それっ!」

 

 低い構えから身体を捻り、全身のバネを利かせた伸びやかでダイナミックなフカ次郎の回転蹴りがキリトを襲う。

 

「なっ!?」

「キリト君!」

 

 ギリギリかわした筈のキリトの頬を、フカ次郎は置き土産とばかりにチャクラムで切り傷を与える。

 

「ほらほら、女泣かせるんじゃないよ! 色男」

 

 思わず悲鳴をあげたアスナを一瞥し、フカ次郎は立体的な波状攻撃でキリトを襲う。独特のリズムで踊る様に攻撃するフカ次郎に、キリトは逆襲の糸口を掴みあぐねていた。

 

「あれはカポエラじゃな……」

 

 フカ次郎の動きを見て、御前が忌々しそうにそう呟いた。御前はフカ次郎が自分にはカポエラを使わなかった事が、どうにも気に入らない様子である。

 

「カポエラ……? カポエラって何、ユイちゃん?」

「はい、ママ、カポエラとは、ブラジルの伝統格闘技です。踊りの様なステップから繰り出す、アクロバットの様な蹴り技が特徴の足技主体の打撃系格闘技です」

「足技主体?」

「はい、カポエラの技は、ほぼ蹴り技だけと言える位に、蹴りに偏重した格闘技です。でも、今ではほとんど踊りになっていて、格闘技として使える人は、僅かだといいます」

「ふーん。因みに、使える人は、どのくらい強いか分かる? ユイちゃん」

「そうですねぇ……、メジャーな立ち技系総合格闘技の、世界チャンピオンになった人がいるようです」

「世界チャンピオン……」

 

 上と思えば下、下と思えば上、変幻自在のフカ次郎の攻撃に、キリトの口角が愉悦に歪む。相手が強ければ強い程、キリトの心は喜びに沸き立ち、目の色が変わっていく、そしてフカ次郎もその笑みにつられる様に、満足気な笑みを浮かべていた。

 

「ようやく本気かい? 遅いぜ、ブラッキー」

 

 そう言うや、フカ次郎はチャクラムの斬撃、投擲に、独特なリズムのカポエラによる蹴りを織りまぜた、波状攻撃を再開する。迎え撃つキリトの両手には、それぞれ一本の片手剣が握られていた。

 

 

 ▼△▼△▼△

 

 

「ほらほら、避けてるだけじゃアタシは倒せないよ、その二本の段ビラは竹光かい」

 

 ピトフーイの風車の様な連続攻撃を、ヒョウは右手を懐手、左手を刀の柄に置いた寛いだ姿勢のまま、ギリギリの紙一重でかわし続ける。

 

「一回……、二回……、三回……」

 

 ピトフーイの挑発の言葉を涼やかな笑みのまま聞き流し、斬撃が襲う度に数を数えていた。

 

「なんだいそりゃ? 空振りした数を数えて、アタシを悔しがらせて隙でも作ろうってのかい? そんな手に乗る程、アタシは甘くないよ」

 

「六回……、七回……、八回……。フッ、そんな数、数える価値も無い。九回……、別の数だよ」

 

 ピトフーイはALOでは弱い訳ではない。実は率いて来たメンバーの中では、フカ次郎に並んでALO最古参のプレイヤーでもある。

 SAOをプレイ出来なかった彼女は、アミュスフィアが販売されると直ぐに購入し、様々なフルダイブゲームにログインしていた。ALOはその内の一つで、SAOと同一のエンジンを使用しているとの噂を聞きつけ、いの一番にプレイしたゲームである。

 SAOにログイン出来なかった鬱憤を晴らす為に、狂った様にのめり込むが、今一つ気持ちが晴れない。SAOのニュースがメディアで紹介され、漏れ伝えられる内部情報に触れる度、彼女の心は荒れ狂っていく。荒んだ心はプレイにも反映される、グランドクエストお構い無し、同族異種族無差別虐殺PKの限りを尽くしていた。そんなピトフーイに手を焼いたサラマンダー族長モーティマーは、他種族の族長の突き上げを食らい、サラマンダー精鋭部隊を選抜して、彼女の討伐を行った上、レネゲート処分を下したのだった。因みに全種族を通じて、一番最初にレネゲートプレイヤーになったのは、ピトフーイである。その後もレネゲート上等とオラオラプレイを繰り返すピトフーイに、度々討伐隊が向けられたり、名前を揚げたいプレイヤーの挑戦者が現れたりしたが、彼女は次第に白けていき、別のゲームへと流れて行った。その後はアスカエンパイアで運営から出入り禁止を食らったりし、流れ流れてGGOにたどり着いて今に至る。

 ピトフーイのアバターは、GGOからのコンバートアバターではなく、元々ALOでプレイしていた時のアバターである、彼女がALOから離れた当時は、まだザ・シードは存在せず、ゲーム間でのプレイヤーコンバートは出来なかった。離れると同時に、今まで塩漬けにされていた彼女のアバターは、未だにALO最強クラスを誇っており、だからこそピトフーイは荒事を起こしてキリト&シノンを探していたのだ。

 

 ぬるい妖精ゴッコ、そんな今のALOに、そうそうこのアタシが遅れを取る訳が無い

 

 そう意気込み乗り込んできたのだが、まさかキリト&シノン以外の『そうそう』に出くわすとは思っていなかった。焦れた内心を斬り払う様に、大上段から振り下ろされたタルワールは、並みの上級者ならば、真っ二つにされていただろう。しかし、ヒョウに荒れた剣が当たる筈もない、すり抜ける様にかわした刃は地面を穿つ。ピトフーイは再びタルワールを振り上げ、間合いを取ろうとしたが、意に反してタルワールは上がらない。

 そんなにめり込む程、力を込めたのかと視線をタルワールに落としたピトフーイは愕然とした。タルワールが動かなかった理由は、地面にめり込ませたからではない、振り下ろされる動きに合わせて、ヒョウが峰を踏みつけていたからだった。ピトフーイの背筋に冷たい物が走る。

 

「これで十回目」

 

 その声に我に帰ったピトフーイは硬直した、いつの間にか袖を通して伸ばされたヒョウの右腕、その人差し指が喉元に突きつけられていた。その人差し指でヒョウは、ピトフーイの首を右から左にゆっくりと薙ぐ様になぞる。

 

「アハハハハハ! アンタ最高だよ、剣聖!」

 

 ヒョウが数えていたのは、空振りした数ではなく、自分の首を斬り落としていた回数だと悟ったピトフーイは、歓喜の高笑いをあげて、タルワールから手を離し飛びす去る。

 

「良いねぇ、アンタ、最高の拾い物だよ!」

 

 新たな獲物を見つけた喜びに、ピトフーイの心が震えた。彼女はタルワールから、ナイフの様な短剣に装備を変える。

 

「いつもはこれで戦意を喪失するか、激昂するかのどちらかだったんだけど……、喜んだのはお姉さんが初めてだよ」

 

 そう言いながら、ヒョウはゆっくりと腰の大刀を抜いて構えた。

 

「そうかい、おあいにく様だったねぇ」

 

 土蜘蛛の様に低く構え、ピトフーイはニタリと嗤った。

 

 

 ▼△▼△▼△

 

 

 キリトVsフカ次郎、ヒョウVsピトフーイの戦いは、第二ラウンドに突入した。

 

 相変わらずキリトとフカ次郎の戦いは、トリッキーなフカ次郎の動きで、激しい戦いになっているが、第一ラウンドと違うのは、二刀を持ったキリトがフカ次郎を押している。キリトの持ち味である素早い反応速度は、二刀を持つ事で冴え渡る。蹴りをかわし、置き土産のチャクラムを受けながら、着地点に剣を伸ばす。着地する手を庇い、伸びて来た剣をチャクラムで払い、フカ次郎はバク転バク宙で距離を取ると、片手逆立ちでピョンピョンと跳ねながらリズムを取るカポエラ独特の動きをしながら、再びキリトの隙を伺う。

 

「流石」

「そっちもな」

「でも、勝つのは私だよ」

「こっちも、譲るつもりは無いぜ!」

 

 キリトとフカ次郎の戦いは、正々堂々とした技と技のぶつかり合う激しい戦いであるのに対し、ヒョウとピトフーイの戦いは、お互いの腹の探り合いの重苦しい静かな戦いになっていた。

 

「ふふーん」

「……」

 

 ピトフーイが、蜘蛛の様に低い構えから、不敵な笑みを浮かべて隙を伺い、円を描く様にヒョウの周りを回っている。ピトフーイが狙っているのは、コマンドの白兵戦の様な戦いだった。ヒョウの一瞬の隙を突いてタックルを決めて押し倒し、組み付いてナイフを急所に突き刺す、その為に何とか懐に入ろうと盛んにフェイントを入れながら、右へ左へと回り込もうとしていた。一方のヒョウも、それを察知している。いつもの平正眼の構えに似ているが、剣先の狙いをピトフーイの眉間にピタリと定め、付け入る隙を与えない。

 

 片や動、片や静、趣は違うが、手に汗握る二つの戦いに、シノンもアスナも言葉を失っていた。そんな中、御前は眉間に皺を寄せて「むぅ」と呻き声を発し腕を組む。御前は主にヒョウとピトフーイの戦いを見ており、ヒョウの太刀筋に何かを感じ取った様子だ、彼女は傍らのアスナにそれを確かめるために声をかけた。

 

「そこな娘、少し良いか?」

 

 時代がかった言葉に少し面食らいながら、アスナは御前に答える。

 

「はい? ええ、良いですよ。私、アスナといいます」

「アスナさんか、儂は御前という。そういえば、礼がまだじゃったな、失礼した。助太刀感謝する」

「いえ、良いんですよ、お気になさらずに」

 

 アスナは御前を見た感じ、自分の母親と同じ位の年齢の人と思っていたが、御前の話し言葉からもう少し上方修正すべきか、内心悩み始めていた。そんなアスナの内心を知る由の無い御前は、ヒョウの太刀筋を目で追いながら話しを進める。

 

「実は儂らは人を探しておってな、ヒョウとツウという二人連れを知らぬか?」

 

 その問いに、アスナは目をぱちくりさせるが、直ぐに明るい笑顔で答えた。

 

「知っているも何も、二人とも私のフレンドですから。ほら、今、あそこで戦っているのがヒョウ君ですよ。ツウは今お留守番というか……、私達のプレイヤーホームで、この後予定しているパーティーの準備をしています」

「ほほう……成る程成る程……」

 

 アスナを背に、戦いに向き直った御前の顔は、思わせ振りな笑みを浮かべながら、鋭い眼光を光らせていた。

 

 二つの戦いに変化が訪れる、二刀を持ったキリトの動きに対応する為、フカ次郎は奥の手を出した。

 

「まさか……、絶剣にリベンジする為に編み出したこの技を、他のヤツに使うとは思わなかったぜ!」

 

 フカ次郎は両足にもチャクラムを装備した。カポエラの技をベースにフカ次郎は、両手両足に装備した四つのチャクラムを巧みに操り、キリトを激しく攻め立てる。そして四つのチャクラムがソードスキルの輝きを放ち、フカ次郎は勝利を確信した。

 

「コイツで終わりだ! ブラッキー!!」

「何の! まだまだ!」

 

 キリトはフカ次郎のソードスキルを、スキルコネクトの四連撃で受け止める。技後硬直の刹那、二人は額を付き合わせ「楽しいなぁ」と、目で会話した。その直後、どちらの硬直が早く解けるかが勝負と思っていたフカ次郎は、信じられない物を見て、驚愕に目を見開く。

 

「ジ」

 

 キリトの二刀がソードスキルの輝きを放つ。キリトはまだ硬直状態ではなかったのだ、スキルコネクトはまだ続いており、硬直と思ったのは大火力のスキルに繋げる為の〝溜め〟だったのだ。キリトは普通のソードスキルを繋げても、フカ次郎は倒しきれないと考え、今現在自分の持つ最強クラスのソードスキルをここで繋げたのだった。

 

「イクリプス!!」

 

 必殺のニ十七連撃が、フカ次郎のアバターを切り刻む。

 

「化け物めぇ~!」

 

 フカ次郎をリメインライトに変えた『ジ・イクリプス』は、SAOにおいて、恐らくは最大破壊力を誇るソードスキルの一つであり、二刀流のキリトにしか使えない唯一無二のソードスキルだ。永らく再現出来なかったのだが、今回のトップオブアルヴスで、ヒョウ対策として破壊力を含めて再現していた。本来ならば隠しておきたかったのだが、フカ次郎の強さがそれを許さなかったのだ。

 

「キリト君」

 

 剣を納めたキリトにアスナが駆け寄る、二人の視線はもう一つの戦いに向けられた。そしてその戦いも終焉に向かっていた。

 

「どうしたんだい、えーっ、さっさと踏み込んで斬ってきなよ、剣聖サマ」

 

 ヒョウを毒づくピトフーイは、口調こそ威勢の良い物だったが、外見が伴っていなかった。何度もタックルを仕掛けるが、ぴったりと眉間に向けられた剣先が邪魔をして、彼女はヒョウの芯を崩す角度から飛び込む事ができなかった。タックルはその都度かわされ、潰され、その度に柄尻による殴打でダメージを食らい、ボロボロの状態だった。それでもピトフーイの瞳は輝きを失わない、獲物を狙う様に爛々と輝きを増していく。

 

「来ないのかい? んじゃ、またアタシから行くよ!」

 

 ピトフーイはヒョウの剣先を掻い潜る様に、これまで何回潰されたかわからないスピアータックルのモーションに入った、それに合わせて今度は仕留めようと、ヒョウも大きく右足を踏み出す、しかし……

 

「かかったね、剣聖!」

 

 ピトフーイのスピアータックルはフェイントだった、彼女の短剣から刃が打ち出され、ヒョウの刀の刃渡りをなぞる様に彼の眉間へと吸い込まれていく。

 

「クッ!」

 

 ヒョウは咄嗟に踏みとどまると、刀を返して短剣の刃を弾き飛ばす、その隙にピトフーイはタックルを決めた。ヒョウは腰を落としながら、柄尻をピトフーイの背中に叩きつけ、テイクダウンを防ぐ。ピトフーイも組み付きざまに、ヒョウの腰に短剣の刃を深々と突き入れた。再び距離を取り、睨み合う二人。ピトフーイの短剣には、打ち出した筈の刃がしっかりと着いていた。この短剣はピトフーイがかつてALOを常時プレイしていた時に手に入れた、アンフィニ・スペツナズナイフというレアアイテムである。旧ソ連の特殊部隊、スペツナズが標準装備していたスペツナズナイフを、カーディナルがアイテム化した物で、本家スペツナズナイフが強力なスプリングで刀身を飛ばすのに対し、こちらは魔法の力で刀身を飛ばす仕組みである。このため本家は一回こっきりであるが、こちらはMPが有る限り何度も使える優れ物だ。

 

「形勢逆てーん」

 

 勝ち誇るピトフーイに、ヒョウはまだまだ余裕の笑みを崩さない。

 

「まだまだ」

 

 ヒョウは納刀すると、柔術の構えを取ってピトフーイに対峙した。

 

「何のつもりさ、往生際の悪い」

 

 ピトフーイは吐き捨てると、再びスピアータックルを基本とする攻撃を再開する、ヒョウはそれに対して柔術の投げや当て身で対応する。

 

「チッ、しぶといねぇ……」

 

 ピトフーイが唾を吐き捨てた、その隙を突いてヒョウの攻勢が始まった。

 

「海燕!」

 

 ヒョウは電光石火の抜刀で小刀を抜き、そのままのモーションでピトフーイの眉間に投げつける。ソードスキルのエフェクト光を放ち、飛んで来る小刀をピトフーイは咄嗟に両手をクロスさせて、ナイフで受け止める。その一瞬の死角を突いて、ヒョウは縮地でピトフーイの懐に飛び込んだ、低い姿勢で身体を極限まで捻り、大刀の鯉口を切る。切った鯉口から、ソードスキルのエフェクト光が迸る。

 

「快刀乱麻!」

 

 ヒョウが放った最大破壊力のソードスキルに、本来ならばピトフーイは真っ二つにされる筈だった、しかし……

 

「アハハハハハ、無駄無駄ァ」

 

 ソードスキルの衝撃で、ピトフーイの上衣が弾け飛ぶ、その下に着用していた鈍色の甲冑が露になった。

 

「知ってるかい? 前回の一斉アップデートで、提携ゲームにコンバートする時は、任意の素材アイテムを持って行ける事になったって」

「!?」

 

 眉をひそめるヒョウに、勝ち誇るピトフーイが言葉を続ける。

 

「だからアタシらは持って来たのさ、宇宙戦艦の装甲板をねぇ」

 

 ピトフーイの言葉に、リズベットが目を見開く。

 

「GGOの宇宙戦艦の装甲板ですって!? それって全MMORPGの中で、最高硬度を誇るアイテムじゃない、まさかその甲冑?」

「そうさ、宇宙戦艦の装甲板を素材に作った、最高硬度の甲冑さ! 惜しかったねぇ、剣聖!」

 

 勝ちを確信したピトフーイが、ナイフを振り下ろす。

 

「甘いな」

 

 そう言って見上げるヒョウの目に、ピトフーイは自分以上の狂気を感じ、一瞬にして総毛立つ。ヒョウの大刀は再び鯉口を切った状態で鞘に納まっていた、鯉口から不気味にソードスキルのエフェクトが溢れる。

 

「回転! ニ連!!」

 

 そして再びソードスキル、快刀乱麻がピトフーイを襲う。

 

「三連! 四連! 五連!」

 

 単発範囲技だった筈の快刀乱麻が、独楽の様に回るヒョウから連発される。快刀乱麻は回転する毎に威力を増し、ピトフーイの甲冑に亀裂を入れてゆく。このソードスキルは、ヒョウがキリトのスキルコネクトを応用して開発した、トップオブアルヴスでの対キリト用のスキルだった。

 

「アハハハハハ、やっぱアンタ最高だよ、剣聖! アンタもキリト達と一緒にGGOに来な! そこでもアタシに勝ったら、このアタシをアンタにくれてやるよ、リアルも含めて好きにして良いよ、滅茶苦茶に犯したって構わない! だから絶対GGOに……」

「六連!!」

 

 ピトフーイの言葉が終わらぬうちに、ヒョウのソードスキルは宇宙戦艦の甲冑を斬り砕き、彼女のHPの全てを刈り取った。技後硬直の最中、ヒョウはピトフーイだったリメインライトにそっと囁く。

 

「悪い、嫁さん居るんだ……」

 

 ピトフーイが倒されたのを見て、激昂したエムが、リーファを突飛ばしてヒョウに駆け向かう。

 

「貴様! よくもピトを」

 

 硬直中のヒョウに、エムは感情を剥き出しにして、大上段に構えた両手剣を振り下ろす。デュエルではないにしろ、一騎打ちの後にこの行為はALOでは決して誉められた行いではない。にも関わらず、エムがそれを行ったのは、彼にとってピトフーイとはそれだけの存在だったのだろう。だが、禁忌を犯してまで行ったその行為は、成就する事はなかった。エムの両手剣がギリギリ当たる瞬間、フッと笑みを漏らした硬直中のヒョウは、自ら地面に転がる様に倒れ込む。そしてエムの両手剣は、ヒョウのアバターの有った場所を虚しく空振りした、そして……

 

「何っ!?」

 

 エムはそう思う間も無く、アバターの頭部を失い、リメインライトへと変化させられた。それをしたのはシノンである、エムの行動に気づいた彼女は、弓矢のソードスキルでヘッドショットを決めたのだった。命拾いをしたヒョウだったが、シノンのこの行動を責める者もいた。

 

「ちょっとシノン! 今のソードスキルは無いんじゃないの!」

「リズさん、抑えて抑えて」

 

 シノンに向かって憤慨するリズベットを、シリカが宥めている。リズベットが憤慨している理由は、シノンがヒョウの真後ろから、何の合図も無しにソードスキルを放った事に有った。

 

「あんた、自分が何をやったか分かっているの!? 一つ間違えたら、ヒョウを巻き込んでいたかも知れないのよ!」

「あのくらいヒョウなら必ず避ける、だから撃ったのよ。実際避けたでしょう、何回同じ事言わせるの」

 

 眦吊り上げるリズベットと、不快感を露にするシノン。険悪化していく二人の間で、シリカは泣きそうになっていた。そんな三人の問題を、まとめて解決したのはヒョウだった。

 

「シノン、サンキュー、助かった」

 

 ヒョウの言葉に、驚き目を見開くリズベット、そして彼女とは対照的に、パッと花が咲いた様に喜色を表すシノン。

 

 ヒョウ曰く、硬直中に生き残りに狙われるだろうけど、あの甲冑を仕留めるにはやむを得なかった。案の定サラマンダーがやって来たが、位置的にアスナかシノンがフォローしてくれると信じていた。アスナがキリトのフォローに向かったから、こちらはシノンだろう、だったら狙撃をアシストしようと思い、ギリギリまで粘ってシノンの姿を背後に隠し、必中のタイミングで転んで矢の軌道を開けたのだ。

 

 それを聞いて、呆れるやら驚くやらで、口をあんぐりと開けるリズベットだった。

 

「ほらね、言った通りでしょう」

 

 ヒョウに誉められたシノンは、今までの不快感を露にした表情から、打って変わってご機嫌な笑顔をリズベットに向ける。それはそれで何か怪しい、そう直感したリズベットは、怪訝な瞳を向けた、すると……

 

「べ、別にアンタの為にやったんじゃないからね!」

 

 そう言ってヒョウを睨み、ツンと横を向くシノン。その様子をニヤニヤと笑って眺めるリズベット、何はともあれ険悪な雰囲気が無くなって、胸を撫で下ろすシリカ。そんな戦い後の安堵感に浸る中を、御前が進み出てヒョウと対峙する。

 

「御助力感謝する、剣聖とやら」

 

 御前の目がギロリと輝き、さらに言葉を続ける。

 

「ものは相談だが剣聖とやら、儂と立ち会っては貰えぬかの?」

 

 そう言って御前は武器を構える、御前の手にした武器は先程使っていた薙刀ではなく、ヒョウと同じ刀だった。アバターとは思えない程の殺気を放つ御前に、一同は息を飲む。

 

「御前さん、どうして?」

「確かめたい事が有るんじゃ、アスナさん。恩知らずと思うやも知れぬが、それはそれ、これはこれじゃ、許してたもれ」

 

 そう言って口を閉ざした御前の前で、ヒョウは刀を抜く。暫し睨み合った後、激しい剣撃が二人の間で交わされた。息を飲むキリト達を前に、十数合撃ち合った後、二人は間合いを取り、刀を構えて仕切り直す様に再び対峙する。そして御前がニィッと片頬を吊り上げた。

 

「精進しとるようじゃの、猛」

「よ、妖怪ババァ……」

「誰が妖怪ババァじゃ!」

 

 御前の拳骨がヒョウの頭に炸裂した、呆気ない幕切れに拍子抜けする一同に、ヒョウが御前を紹介する。

 

「この人、リアルでの俺の古武術の師匠で、ツウの実のお婆ちゃんなんだ」

「お婆ちゃん!?」

 

 その言葉に驚く一堂。アミュスフィアがナーヴギアから進化した点で、顔再現度の強化が有る。ツウの祖母という事は、どんなに若く見積もっても、御前は六十代という事になる。にもかかわらず彼女のアバターはどう見ても三十代後半から四十代前半の若々しいものだったからだ。ざわつくキリト達を横目に、御前はヒョウと二三言い争う様に言葉を交わした後、姫武者ケットシーに声をかけて招く。

 

「なんでまた師匠がALOに?」

「そんなもの、お主と小鶴に用が有るからに決まっておろう」

「用って……、病院で良いだろう」

「何を言うか、家から横浜まで幾らかかると思っとる。儂だけならともかく、連れもおるでのう。ほれ、リリーや、猛じゃぞ」

 

 御前の言葉を聞いたリリーは、バネ仕掛けの様に立ち上がり、ヒョウの胸に飛び込んだ。

 

「猛様、百合華です、お会いしとうございました」

「えっ、百合華ちゃん? 百合華ちゃんか!?」

「はい、猛様」

 

 胸の中でご満悦の表情でスリゴロするリリーに、笑みをこぼして頭を撫でるヒョウの背後に、二人の人影が迫る。

 

「ちょっとヒョウ」

「タケちゃんさん」

 

 底冷えする口調と表情で詰め寄るその二人は、シノンとリーファだった。二人は般若の様な表情で、ヒョウを詰問する。

 

「「一体誰なのよ(なんですか)、この女」」

 

 二人が怒る理由を知らないヒョウは、二人の冷たい目付きにたじろぎながら、リアルでの関係を話す。

 

「ああ、この子は同じ中学でクラスメートだった人の妹さんで、俺にとっても妹みたいな存在なんだ」

「妹みたいなんて嫌です、大人になったらお嫁さんにして下さい、猛様」

「「お嫁さんー!?」」

 

 目を剥くシノンとリーファに、困った愛想笑いをしつつ、ヒョウはむくれるリリーにプレイヤーネームを聞く。

 

「ああ、ここじゃ俺はヒョウって云うんだ、百合華ちゃんは?」

「はい、リリーです、皆さん宜しくお願いします」

 

 ヒョウがプレイヤーネームを聞いた訳を察したリリーは、皆に自己紹介をして頭を下げた。

 

「あら、可愛い子ね、私はリズベット、リズって呼んでね」

「私はシリカです、この子はピナ、宜しくね」

 

 リリーに自己紹介をしたリズベットは、肘でヒョウを小突きながら冷やかしの声をかける。

 

「このこの、アンタも隅に置けないわね、ヒョウ」

「そんなんじゃないから、リズ」

「ふーん、クラスメートの妹さんかぁ~、まさかアイツの妹……、んな訳無いか。あの底意地の悪い悪党に、こんな可愛い妹なんて居るわけ無いか」

 

 リズベットはSAOでヒョウと敵対していたサーキーが、彼と同じ中学の同級生だった事を思い出して、冗談半分でそう口にした。しかしそれに対し、ヒョウはやや暗い表情と口調でその冗談を肯定する。

 

「ああ、リズの言った通り……、この子はサーキーの妹なんだ……」

 

 ヒョウのその言葉に、キリト達元SAOプレイヤーは絶句してしまった。

 




長くなってしまいました。今回の前中後編の反省点、キリト対フカ次郎、ヒョウ対ピトフーイの戦いが、予定以上に長くなってしまった事。二人とも、アクが強いキャラなので、勝手に独り歩きしてしまったのですよ……

だが、後悔は無い!

フカ次郎のカポエラ及びチャクラム、ピトフーイのALOプレイの記述は、筆者の独自解釈の、オリジナル設定です。
提携ゲーム間のアイテム持ち込みについても、物語を盛り上げる為の、筆者のオリジナル設定です。

次回 第十二話 サーキー


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十二話 サーキー 前編

体調が優れないので、病院に行って検査したら……

脂肪肝

と、診断されてしまいました orz


「えぐっ、えぐっ……、ひっ、ひっ……、えっ、えっ……」

 

 その日は夏休みのお楽しみ、複数地域の子供会がより集まり、合同の行事として行われる、子供夏祭りの待ちに待った開催日である。子供会に参加している子供には、平等にお楽しみチケットが配られ、それと引き換えにお菓子やジュース、タコ焼き、焼きそばが食べられ、景品ゲームが楽しめる一大イベントだ。そんな楽しい日であるにも関わらず、会場の大祝神社の鳥居の下で、女の子が一人で泣いている。綺麗な浴衣の襟元が乱れているのをそのままに、女の子は我慢しても溢れる涙を袂で拭い、立ち尽くしていた。

 

「どうしたの? 君」

「大丈夫? 泣かないで。何があったの、私達に話して」

「ほら、元気を出して、力になるよ」

 

 かけられた声の方に顔を上げると、優しそうなお兄さんとお姉さんの顔があった。お兄さんは優しく微笑み、お姉さんは心配そうに自分を見つめている。その顔に安心した女の子は、一気に涙腺が弛み、大声をあげて泣き出してしまった。

 

「券……、全部盗られちゃったの……、折角……、楽しみにしてたのに……」

 

 女の子が泣きながら、途切れ途切れに理由を話すと、お姉さんは同情して顔を曇らせる。

 

「まぁ、酷い……。誰に盗られたの?」

「……お兄ちゃん」

「「お兄ちゃん!?」」

 

 女の子の答えに、お兄さんとお姉さんは顔を見合わせた。女の子の浴衣の襟元が乱れていたのは、懐に大切に仕舞っていたお楽しみチケットを、彼女の兄に無理矢理乱暴に奪われたからだ。お姉さんが浴衣の襟元を直している間、お兄さんが女の子に質問する。

 

「誰が君のお兄ちゃんなの? 僕が取り返してあげる」

 

 お兄さんの質問に、女の子は激しく首を左右に振って、答える事を拒んだ。

 

「ダメ、教えたら、お家に帰ってから叩かれる、ダメ」

 

 叩かれる情景が思い浮かんだのか、庇う様に頭を抱え、女の子は激しく泣き出した。察するに女の子は、日常的に兄に虐められているのだろう、お兄さんとお姉さんは表情を曇らせて顔を見合わせる。

 

「うん、分かった。もう聞かないよ、安心して」

「ごめんなさいね、怖かったね、無理に聞かないから、安心して泣き止んで」

 

 お兄さんとお姉さんが宥めると、女の子がおずおずと顔を上げて、探る様に二人の顔を交互に見た。すると、お兄さんがポケットから、自分のお楽しみチケットを取り出した。

 

「はい、僕のを半分あげる」

 

 お兄さんがそう言ってチケットを半分差し出すと、慌ててお姉さんもそれに続く。

 

「あーっ、タケちゃんズルい。私も半分、はい」

 

 女の子は驚いて目をぱちくりさせたが、勢い良くかぶりを振って拒絶する。

 

「ダメ! 知らない人に物を貰ったら、お母さんに怒られる」

 

 涙を浮かべる女の子を前に、お兄さんとお姉さんが困った様に、また顔を見合わせる。それから、そうだ、と何かを閃いたお兄さんが、女の子の頭を撫でながら自己紹介を始めた。

 

「僕は祝屋猛、五年生なんだ、よろしくね」

 

 お兄さん、祝屋猛の意図を察したお姉さんも、後に続いて自己紹介を始める。

 

「私は大祝小鶴、六年生よ、あなたは?」

「榊……、榊百合華、四年生です……」

 

 女の子、榊百合華がそう答えると、お姉さん、大祝小鶴が抱きしめて頬ずりする。

 

「百合華ちゃんね、よろしく。いい、百合華ちゃん、これでもう、私達は友達よ」

「もう知らない人じゃないよね。だから、はい、これ」

 

 そう言って、猛と小鶴はもう一度チケットを百合華に差し出した。百合華は眩しそうに二人を見上げ、涙を拭い笑顔を輝かせる。

 

「ありがとう、猛お兄ちゃん、小鶴お姉ちゃん」

 

 榊百合華にとって、その日は一生忘れられない思い出の一日になった……

 

 

 △▼△▼△▼

 

 

「……猛様」

 

 ピトフーイ率いるPKパーティーとの戦闘を終え、目的のアイテムも無事ゲットしたヒョウ達一行は、意気揚々とキリトのプレイヤーホームへと向かっていた。その道中、リリーはヒョウとの出会いの思い出にひたっていた。

 うっとりと上気した表情で、ヒョウの隣を歩いているリリーの背中を眺め、リズベットは誰にも聞かれない様に小声でアスナに囁く。

 

「ちょっとアスナ」

「何? どうしたの、リズ?」

「どうしたのじゃないわよ、アスナは心配じゃないの!?」

「心配って?」

 

 剣呑な表情のリズベットは、呑気なアスナに少し苛立ち、眉間の皺を深くする。

 

「だから、あの子の事よ! サーキーの妹なんでしょう!?」

「ああ、その事? うーん、成るようにしか成らない、としか言い様が無いわね……」

 

 眉を八の字にしてアスナがそう言うと、今一つ真剣さの足りない彼女の態度に、リズベットは思わず声を荒らげた。

 

「アスナ! あんたねぇ!」

 

 いきなり大声をあげたリズベットに一行の耳目が集まり、その事が彼女の頭を一気に冷やした。愛想笑いで誤魔化すリズベットに、アスナが囁く。

 

「私にもリズの言いたい事は分かるわ。でもね、あの最後の日、ヒョウ君とサーキーの間に何が有ったのか、それをリリーちゃんに伝えるかどうかは、ヒョウ君とツウが決める事だし、私達が気を揉んでも仕方ないでしょう?」

「でもアスナ……」

「あの二人がどんな回答を出したとしても、私は尊重するつもりだし、仮に全てを話したとしてもきっと大丈夫よ」

「そうですね、私もそう思います」

 

 アスナの言葉にも、今一つスッキリしないリズベットに、シリカが口を挟みアスナに同意する。

 

「シリカ?」

「ごめんなさい、盗み聞きするつもりはなかったんですが、聞こえちゃって……」

「キュエア」

 

 ペロッと舌を出して、軽く頭を下げたシリカは、相槌を打つ様に鳴いたピナの鳴き声に続けて言葉を紡ぐ。

 

「確かにサーキーさんは酷い人でしたけど、だからといって家族全員が酷い人間なんて事は無いと思います。それに……」

 

 シリカがリズベットに目配せする。シリカの目配せした先には、誰が見ても心からヒョウを慕っていると分かる、リリーの姿が有った。

 

「あんな風にヒョウさんを慕っているリリーさんが、お兄さんのサーキーさんの様に酷い人だとは、私には思えないんです」

「まぁ、言われてみれば、確かにそうなんだけどさぁ、でもねぇ……」

 

 なおも眉間に皺を寄せて、目を凝らしてリリーの背中を疑わしげに凝視するリズベットに、シリカは屈託の無い笑顔で楽観論を続ける。

 

「だから、仮にヒョウさんがあの日の出来事をリリーさんに包み隠さず話しても、きっと大丈夫だと思います」

「うん、そっか……、うん、きっとそうね」

 

 シリカは何の確信も無くリリーを信頼した訳ではない。シリカの確信はリリーの目に有った。

 

 かつて対峙した時に見たサーキーの目はひねくれて濁りきっていたが、リリーの目は澄んでいる。

 

 アバターという情報体ではあるが、シリカにはそれがはっきりと見て取れたのだ。それはリズベットも同じく感じていた事だったが、かつて自分がSAOで犯した失態、四層の島の訓練工房に、そうとは見抜けずサーキーの草を潜入させてしまった過去が有るだけに、彼女は慎重になっていた。そんな彼女もシリカの言葉で、ようやく納得する。

 

「それよりも私が気になるのは……」

 

 ワクテカの瞳で視線を僅かにずらすシリカに、何事かとリズベットが視線を向けた。

 

「ん? どしたの、シリカ?」

「シノンさんとリーファさんです! 怪しいと思いませんか?」

「ほほう、シリカ、あんたも気づいた?」

「はい、リーファさんはすぐに分かりましたが、まさかシノンさんまでとは思いませんでした」

 

 恋バナアンテナをピコーンと立てて、シリカとリズベットはヒョウのやや後ろを、あからさまにやきもきした態度で歩くシノンとリーファの後ろ姿を、ニヤニヤ笑いながら美味しそうに見るのであった。そんな二人を半ば呆れ顔で眺めつつも、アスナは意外な情報に少し驚いていた。

 

 

 へぇえええ、リーファちゃんは剣道剣術繋がりで、ヒョウ君の事を憧れから恋慕に変わりつつあるのは、相談もされて知っていたけど……、しののん……やっぱりそうなのかな……。普段はヒョウ君に対して距離を置いて、ちょっとよそよそしい態度を取っているから目立たないけど、時々熱い視線を向けていたり、デレッとした態度を取ったり……。それに今日の戦闘もそうだけど、ヒョウ君を信じきって戦いを組み立てているのよね、しののん。うーん、どういう経緯でそうなったんだろう? まさか、ヒョウ君が忘れているだけで、実は古くからの知り合いとか? ちょっと興味深いものがあるわね……

 

 

 かつてSAOで、ヒョウとツウの結婚を、世界中が認めなくても自分だけは応援する、そう力強く宣言したアスナであった。しかし、それは二人が実の姉弟だと勘違いしていたからで、本当の関係を知った今は無効である。そう心の中で納得した彼女は、キラキラと瞳を輝かせ、リズベットとシリカの話に加わるのだった。

 

 自分の恋バナは恥ずかしいが、他人の憶測恋バナは蜜の味とばかりに興じる三人娘のオカズになっているとは露知らず、リリーは一歩進む度に不安感も大きくなって行った。理由はツウこと小鶴と再会するのが怖かったのだ。

 リリーこと百合華はSAO事件解決後、一度小鶴と会っていた。会っていたといっても、兄賢斗の情報を聞きに訪れた両親の背後で会釈をした程度だったのだが、その時の小鶴の態度に、百合華は大きなショックを受けていた。

 

「知りません! 榊君の事なんて知りません! 帰って下さい! 帰って!!」

 

 小鶴はサーキー、榊賢斗の両親を見るや、目を剥いて震えだし、二人が賢斗について尋ねると、まるで狂った様に取り乱したのだ。そうして頭を抱えてうずくまる小鶴を庇う様に、彼女の両親と祖母が引き取る様に求めると、自分の両親はすまなそうに頭を下げて、その場を立ち去ったのだった。

 

 あの穏やかな小鶴姉様が、あんな風に取り乱すなんて……

 

 三人の出会いから数年が経ち、成長した百合華は猛を優しいお兄さんから恋愛対象へと昇華させていた。それに伴い小鶴との関係も、恋の鞘当てをする相手へと変化してはいるが、基本的には優しい理想のお姉さんである事に変わりは無い。

 どんな時にもゆるふわで、おっとりと包み込む様な優しさがにじみ出す小鶴姉様が、あんな風に取り乱す程に、兄賢斗は酷い事をSAOでしでかしたのではないのだろうか? ひょっとしたら、猛様の現状がああなっている事に、兄は深い関わりを持っているのではないか? だとしたら、この再会の後、自分と二人の関係も壊れてしまうのではないか? そんな不安が心の中で鎌首を持ち上げていた、しかし、だからこそこの再会を自分は望んでいたのだと、リリー/百合華は強く思い直す。その為に御前様に無理を言ってお願いしたのだ、もしも予測通りに猛様があんな身体になった事に、兄が関わっていたならば、その時は自分が兄に替わって謝罪しなければならない。どんな事をしても償わなくてはならない、リリー/百合華は拳を握り締め、人知れず覚悟を決め直すのだった。




お読みいただき、有り難うございます。またまた長くなるので、前後編に分ける事にしました。

次回 第十三話 サーキー 後編



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十三話 サーキー 中編

志村けんさんのご冥福を、心よりお祈り致します。合掌


 新生アインクラッド二十二層、キリトとアスナのプレイヤーホームの庭で、野外パーティーの準備に余念の無いツウは、遠くに帰って来るキリト達パーティーを発見した。そのメンバーの中にヒョウの姿を認めると、傍らで手伝いをしていた小柄なケットシーの少女に何やらゴニョゴニョと耳打ちをする。すると、その小柄なケットシーの少女の顔が、パッと花が咲いた様に輝いた。

 

「ヒョウお兄ちゃん!」

 

 ケットシーの少女は矢も盾もたまらず駆け出して、ヒョウの胸に飛び込んだ。

 

「ジャスミン!? ジャスミンか!?」

 

 ケットシーの少女を抱き止めると、ヒョウは目を丸めて少女の顔を覗き込む。そして、その面差しがSAOでの記憶の中のジャスミンと一致すると、ヒョウは破顔して高く抱き上げ、喜びの余りクルクルと回り出した。

 

「ジャスミン! ジャスミン! 無事で良かった! 良かった!!」

 

 ヒョウはSAO最後の瞬間、サーキーによってHPを全損させられたジャスミンを、蘇生アイテム『還魂の聖晶石』で復活させていたが、タイミングがタイミングなだけに、今一つ実感が湧かなかったのである。SAOに残した胸のつかえを下ろす思いで、ヒョウはジャスミンとの再会を心の底から安堵し喜んだ。そんな二人をキリト達SAOが、喜びを分かち合う為に取り囲む。

 

「久しぶり、ジャスミン。私達の事、覚えてる?」

 

 アスナの問いかけに、ジャスミンは首をかしげて、取り囲むサバイバー達の顔を見回した、そして目を見開くとまずはアスナを指差して、嬉しそうに彼女の名前を叫ぶ。

 

「アスナお姉ちゃん!」

「そうよ、覚えててくれてありがとう」

 

 嬉しそうに微笑むアスナに、誇らしげな笑顔を返したジャスミンは、次々と指を差して言い当てていく。

 

「キリトお兄ちゃん!」

「久しぶり、ジャスミン」

「あっ、ピナだ! シリカお姉ちゃん!」

「キュェア」

「そうよ、ジャスミンちゃん。ピナも覚えててくれてありがとうって」

「ジャスミン、私はだーれだ?」

「うんとねぇ……、リズお姉ちゃん!」

「ピンポーン! 正解よ!」

「エギルのおじさん!」

「サンクス! また会えて嬉しいぜ、ジャスミン」

 

 と、エギルまで言い当てたジャスミンだったが、クラインを指差した所で詰まってしまう。困った様に眉間に皺を寄せ、何とか思い出そうとするジャスミンに、クラインは膝をついて視線を合わせ、自分の名前が出てくるのを今か今かと待ち受ける。

 

「えーと……、えーと……」

「ほれ、ジャスミン、ほれ」

 

 締まりの無い笑顔を浮かべ、促すクラインにジャスミンは、その笑顔にはたと遠足での出来事を思い出し、満面の笑顔を浮かべ、こう言った。

 

「エッチなおじさん!」

「うぐっ……、そりゃ無いぜ、ジャスミ~ン。せめてお兄さんと……」

 

 お約束の落ちに盛大にずっこけたクラインが涙目で訴えると、サバイバー達の間に暖かい笑い声があがった。その笑い声に包まれてジャスミンは嬉しそうな笑顔を浮かべるが、すぐに表情を曇らせる。

 

「ヒョウお兄ちゃん、ごめんなさい、私の……、私のせいで……、ずっと死んじゃったと思って……、ごめんなさい、ごめんなさい」

 

 瞳から流れ落ちる、大粒の涙を拭いながら、ジャスミンはSAO最後の日に自分のせいでヒョウのHPが全損してしまった事を謝り続けた。シンカーとユリエールの情報では、ジャスミンのPTSDはヒョウのアバターが目の前で全損した事がトラウマとなり、発症したとの事だ。

 ログアウト後、同じようにアバターを全損した母親が、脳を焼かれて死んでいた事を知ったジャスミンは、ヒョウは自分を救う為に死んでしまったと思い込み、幼い心に大きなショックを受けてしまった。それと、いつか酷い事を言ってしまったのに、無償の愛情を注いでくれたツウの嘆き悲しむ最後の姿が拍車となり、ジャスミンはログアウト後、自分の心が壊れる寸前まで責め続けていたのだ。

 

「うん、うん、辛かったね、ジャスミン。俺は生きているよ、君のせいじゃない。俺の方こそ、あの時ちゃんと助けてあげられなくてゴメンね」

 

 その言葉に大きく頭を振るジャスミン。

 

「ううん、ヒョウお兄ちゃんは一生懸命戦ってくれた、私を生き返らせてくれた……、そのせいで、そのせいで」

 

 再び大粒の涙を流すジャスミンの背中を、ツウがそっと抱き締める。

 

「誰のせいでもないの、自分を責めないで、ジャスミン。言ったでしょう、ヒョウお兄ちゃんは、アインクラッドで一番強いのよ。だから、あんな事には負けないの」

 

 ツウの言葉を継いで、ユリエールとシンカーがジャスミンに言葉をかける。

 

「ほら、私達も言った通り、ヒョウ君は生きていたでしょう。無敵のヒョウは園の子供達のヒーローなんだから当然よ、だから笑って、笑って再会を祝いましょう」

「ああ、そうだよジャスミン。ジャスミンの笑顔が、何より一番のヒョウ君へのお礼なんだよ」

 

 その言葉を聞いたジャスミンが見上げると、優しく微笑んで見つめる養父母の姿が有った。ジャスミンは涙を拭い、もう一度ヒョウの顔を見上げる。優しく笑って大きく頷くヒョウに、ジャスミンはようやく泣き止むと、今後こそしっかりと喜びを噛み締め、ヒョウの胸の中に飛び込んだ。

 

「ヒョウお兄ちゃん!」

 

 感動の再会を見守っていた御前が、一段落ついたと判断し、シンカーとユリエールに背後から声をかけた。

 

「もし、失礼ながら尋ねるが、その方らとこやつの関係を聞かせては貰えぬか?」

 

 突然声をかけられたシンカーとユリエールは戸惑い、警戒の色を浮かべる。そして当たり障りの無い言葉を選び、回答した。

 

「ちょっと、以前同じVRゲームで……」

「ええ、そうなんですよ、同じVRの……」

「ほう、つまりはお主らも゛サバイバー゛という事じゃな?」

 

 曖昧な答えに、御前がピシャリと斬り込むと、シンカーとユリエールの表情が強張った。その様子を見て、御前は目を閉じて、首を左右に振りながら穏やかな口調で言葉を続ける。

 

「いやいや、誤解させてしまった様じゃの、あいすまぬ。儂は一言、礼を言いたかったのじゃ」

「お礼……ですか?」

 

 SAOサバイバーは、VRMMOゲームプレイヤーの中で、微妙な立ち位置にいる。良い意味でも悪い意味でも腫れ物の様に扱われ、中にはデスゲーム生還者だから等しくPKをしてきたのだろうという偏見を持ち、人殺しと心無い非難をする者もおり、サバイバーである事を表だって明かす者はいない。そんな背景も有っての警戒だったが、そうでは無いと言い切った御前に、二人は驚きの顔を向けた。

 

「うむ、お二人にはどうやら孫娘達が世話になったようじゃ、孫達が生きてログアウトできたのはお二人や、他の方々のお陰じゃ、心より有り難く思う、かたじけない」

「いえ、そんな……」

「あの、お孫さんというのは?」

「ツウという娘が儂の孫娘じゃ」

 

 御前がシンカーとユリエール、それからキリト達SAOサバイバーに深く頭を下げると、恐縮する皆の横で驚いたツウがすっとんきょうな声をあげた

 

「えっ!? お婆ちゃん!? 何でこんな所にいるのよ!?」

「今頃気づいたか、この馬鹿孫め」

 

 睚吊り上げる御前の傍らで、所在なさげにこちらを見るケットシーの少女をツウは認めた。

 

「じゃあ……、この子は……、まさか……」

「百合華ちゃんだよ」

「お久しぶりです、小鶴姉様」

 

 御前の連れのケットシーが、サーキーの妹の百合華である事を聞かされ、一瞬絶句するツウにヒョウは目を閉じて首を左右に振った。その仕草に落ち着きを取り戻し、ツウは御前に向き直る。

 

「百合華ちゃんまで連れて、一体どういうつもり、お婆ちゃん!」

「どういうつもりも何も、お主等の様子を見に来たに決まっておろう」

「様子って、毎日メールで連絡してるでしょう」

「あんな物連絡のうちに入るかい」

 

 俄に言い争いを始めたツウと御前の間に、キリトとアスナが入って仲裁する。

 

「まぁまぁ二人とも、落ち着いて」

「積もる話も有るでしょうけど、パーティーの準備、ささっとやっちゃいましょう、ね、ツウ」

 

 アスナに背中を押され、そのまま一緒にツウはプレイヤーホームの中へと消えて行った。その姿を少し呆れ顔で見送った御前は、傍らに控えるリリーに声をかける。

 

「リリーや、お主も皆に聞きたい事があるのじゃろう。良い機会じゃ、この人達に尋ねると良かろう」

「はい、御前様」

 

 御前に頭を下げてから、リリーはシンカー達に向き直ると、皆に一礼してから口を開いた。

 

「実は……、私の兄について、もし、何か知って……」

 

 リリーの言葉に、彼女の正体を知っているSAOサバイバー、特にヒョウの頭の中に特大のアラームが鳴り響いた。ジャスミンのPTSDの主原因がサーキーに有るだけに、彼女の前でサーキーの話題は御法度である。ヒョウは慌ててストップをかけた。

 

「ちょっと待ってくれ、リリー、その話は後にしよう」

 

 話を中断され、きょとんとして首を傾げるリリーを後に、ヒョウは御前とシンカーとユリエールを離れた場所に連れて行き、小声で懸念を三人に話す。

 

「師匠、あの子の前で、アイツの話は不味い」

「なぜじゃ? 猛」

「ヒョウ君、彼女は生還できなかったプレイヤーの妹なのだろう?」

「私達が知ってる情報が有れば、教える位は……」

「そのプレイヤーは……榊、いや、サーキーなんだ……」

「なんだって!」

 

 その事実に衝撃を受けたシンカーとユリエールは、動揺を隠しきれない眼差しで、ヒョウの肩越しにリリーを見つめる。やや離れた場所で、一人になって不安げなジャスミンと、彼女と友達になろうとするリリーの姿が有った。リリーは共通の話題になるであろうヒョウの話を持ちかけ、ジャスミンの不安を和らげようとしているのが、ヒョウ達四人の耳に入って来る。

 リリーのその姿に、シンカーとユリエールは、彼女がサーキーの様な悪人ではない事を理解して、ヒョウの面持ちに、ジャスミンにとって榊/サーキーはタブーである事を御前は覚った。

 

 三人はそれぞれ覚悟を持ってヒョウに頷くと、何とかSAOでのヒョウの武勇伝をジャスミンから聞き出し、キラキラと瞳を輝かせて食い入るリリーの元へと戻って行った。

 しかし、戻ったは良いが、どうやって誤魔化して話題を反らそうかと思い悩んでしまった。思わず顔を見合わせた彼らに、絶好のタイミングで生け贄が現れる。

 

「やぁ諸君! 今日は良い天気であるな!!」

「絶好の宴会日和だねぇ、お土産持って来たから私達もまぜてぇ~」

「何を隠そう私達はリアルでも、炊事洗濯裁縫と家事スキルは全滅だからな」

「サクヤちゃんサクヤちゃん、それ自慢して言う事じゃ無いにゃ~」

「事実だから仕方有るまい」

「それもそうだにゃ」

 

 リーファからの情報なのか、耳聡く今日の宴会情報を聞きつけたサクヤとアリシャ・ルーが、肩を組んで現れた。二人はアスナとツウの料理スキルについても熟知しており、二人の作るご馳走を堪能できると上機嫌でやって来た領主コンビは、キリト達の耳目を一身に集めた。それはリリーとジャスミンも例外ではなく、特にリリーは兄サーキーの情報を聞くという目的を一瞬忘れてしまう。土産の一升瓶を高々と掲げ、参加者一同をにこやかに愛想笑いで見回しながら、ずんずんと庭の中へと入って来る二人は、キリト達の中に見慣れぬケットシーが二人居るのに気がついた。そして見慣れぬケットシーの一人、御前の姿を認めると、一瞬目を剥いて硬直した後、反射的に近くの庭木の裏に隠れて身を縮める。

 

「どどどどどどどうしよう、サクヤちゃん? あれ、絶対巴師範だよね」

「おおおおおお落ち着けルー子、まだ巴師範と決まった訳ではあるまい!」

 

 顔いっぱいに冷や汗を流し、震えるアリシャ・ルーを叱咤するサクヤも、隠し様も無い位に声が上ずり、膝がガクガクと震えていた。

 この二人、親友なのは前述の通りで、小中高と同じ学校に通い、中学高校では共に剣道部員として、一緒に汗を流した仲でもある。

 同じ青春を過ごした二人は、共通の想い出が数多く有り、同時に共通の忘れてしまいたい記憶も少なからず存在し、その共有する忘れてしまいたい記憶の中に、夏休み中の剣道部遠征合宿があった。剣道部顧問は巴の剣道の教え子であり、その伝手と好意で合宿先は大祝神社が恒例であったのだ。一年時に期待の新人と巴に紹介されてから、その後中学高校と六年間みっちりとしごき抜かれた記憶が甦り、植え付けられたトラウマが二人の心を刺激する。

 庭木の後ろから、そっと覗き込む様に御前の姿を確認した瞬間、アバターであっても変わらぬ眼光の鋭さに、二人は御前が大祝巴である事を確信し、蛇に睨まれた蛙の様に硬直した。

 

「そこな二人、何をしておる?」

 

 この口調、やっぱり巴師範だ……

 

 観念したサクヤとアリシャ・ルーは、ダッシュで巴の元へと向かうと、土下座する様な勢いで、九十度の礼をする。

 

「お久しぶりであります! 巴師範!」

「ご無沙汰して申し訳ありません! 巴師範!」

 

 九十度のまま硬直しているサクヤとアリシャ・ルーの後頭部をしげしげと見つめながら、御前はウムと頷いた。

 

「うむ、二人とも久しぶりじゃの、元気しておったか?」

「はい、お陰様を持ちまして、息災であります!」

「巴師範もお元気そうで何よりです!」

「そう畏まらずとも良い。それから儂は、ここでは御前という、これからよしなにな」

「「はっ! こちらこそ、ご教示ご鞭撻の程、よろしくお願い致します!!」」

「うむ。家主に挨拶はまだであろう、粗相が有ってはならぬからの、もう行くがよい」

「「はっ! それでは失礼致します! 御前様!」」

 

 九十度から更に深く礼をしたサクヤとアリシャ・ルーは、回れ右をすると、同じ側の手と足を同時に動かし、ギクシャクとしてはいるが、脱兎の如くその場から立ち去って言った。その後ろ姿を見送りながら、御前は誰に言うでもなくこう言ったのだった。

 

「さて、あの二人……、誰であったのかのう……」

 

 今まで数多くの女性剣士を育ててきた巴にとって、サクヤやアリシャ・ルーの様な境遇の者は大勢いる上、初めてログインしたALOである、アバターから人物を特定する事は困難であった……

 

 サクヤとアリシャ・ルーの無意識のファインプレーで空気が変わり、リリーのサーキーについての質問がうやむやとなった所で、楽しいパーティーへと突入していった。

 

 宴もたけなわになった頃合い、パーティーを楽しむ面々を眺め回し、リーファは眉間に皺を寄せていた。

 

「うむむむむ……」

「どうしたの? リーファ」

 

 渋面を浮かべて唸るリーファに、何事かとシノンが尋ねる。

 

「いえ、なんかケットシー率が上がったなぁ~、と思って」

「ああ、その事? ツウ以降はみんなケットシーだもんね」

「ヒョウさん、猫が好きだからだそうですよ」

 

 話に加わるシリカに、シノンとリーファが振り返る。シリカの見た所、二人の表情は明暗くっきりと別れていた。

 

「私も……、サブアバ作ろうかなぁ」

 

 離れた場所で猫三匹に囲まれたヒョウを見て、敗北感にうちひしがれてリーファがしみじみと呟いた。

 

「ツウさんだけじゃなく、ジャスミンちゃんやリリーさんにもあんなに慕われて……。ヒョウさん、リアルでもバーチャルでも、変わり無く素敵な人なんですね」

 

 同じ光景を見て、そう語ったシリカの背筋に、何故か冷たい物が走る。

 

「ねぇシリカ、まさかとは思うけど……、あなたも同じ理由でケットシーを選んだの?」

 

 底冷えのする口調にシリカが振り向くと、口調と同様の目付きで自分を見るシノンがいた。

 

「ままままま、まさか~。嫌だなぁシノンさん、私の方が先なんですよ、ALOを始めたの」

 

 思わず取り繕う様な口調で答えるシリカ。そんな彼女の瞳の奥を、シノンが鋭い眼光で覗き込む。シリカにとって、永遠とも思える一瞬後、シノンはほうっと息を吐いて目を閉じた。

 

「それもそうね、考え過ぎだったわ。ごめんなさい、今のは忘れて……」

 

 空になった自分のグラスを下げる為、その場を離れるシノンの背中を見つめ、シリカは「そうは問屋が卸しませんよ、シノンさん」と、美味しい恋バナネタを仕入れた事にほくそ笑むのだった。




次回 第十四話 サーキー 後編

今後こそ、後編!



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十四話 サーキー 後編

お待たせしました、難産の末の脱稿です、お楽しみ頂けたら幸いです。


「そんなの……、ウソです……」

 

 頭を深々と下げるヒョウに、その言葉の内容が理解できないと言わんばかりに、リリーは震える声を絞り出した。私は本当は今、ALOにログインなどしていない、これは高まる気持ちと不安が見せる、ログイン前夜の夢なのだと思い込もうとするリリーに、ヒョウは静かに自分の前言を繰り返す。

 

「嘘じゃない、僕が君のお兄さんを殺したんだ」

「そんな……」

 

 ヒョウの真摯な態度に、リリーはそれが事実である事を納得せざるをなかった。

 

「猛様が、無意味にそんな事をするとは思えません。どうか、理由を聞かせては貰えませんか?」

 

 物心ついた時から、兄というただそれだけの理由で、理不尽にいびり抜かれていたとはいえ、肉親が知人、それも心から慕う者の手にかかった事実に大きなショックを受けたリリーだった。しかし、ヒョウの真摯な態度は、リリーをそのショックから踏みとどまらせる。リリーはリアルからの親交で、そうするに至る真相が必ず有ると確信し、それを聞き出そうと膝をつき、ヒョウの顔を覗き込んで懇願した。

 

「……」

「……どうして、どうして話してはくれないのですか? 教えて下さい、猛様!」

 

 頭を下げ、目を閉じたまま黙して語らぬヒョウの肩を揺さぶり、リリーは語気を強めて答えを求めた。しかしヒョウは固く口を閉ざしたまま、何も語ろうとはしなかった。彼は自分が口を開くと、死者に鞭を打つ事になる、そしてサーキーも死した今、死人に口無しで弁明する事すら出来ないのに、手にかけた自分がこの件に関して発言する事は、とても卑怯な行いであると感じていたのだ。故にヒョウはいかなる理由が有れど、サーキーを殺めてしまった罪と向き合い、償う覚悟を決めて頑なに黙していた。

 

「あんのバカ……」

 

 このヒョウの、行き過ぎた潔さに歯痒さを感じていたのは、同室で向き合うリリーの他にも存在した。

 

「確かにヒョウ君の美点だけど……、これは無いわ……」

「ああ、アイツ個人の問題なら話しは別だけど、ジャスミンや助けた他の人達の問題でもあるんだ!」

「ええ、それにリリーちゃんだって真相を知りたがっているのに、これじゃあ誰も報われないわ」

 

 宴会がお開きとなり、サーキーの最期についてリリーに話すべく、ヒョウはキリトからプレイヤーホームの一室を借りていた。余人を交えずと言われたが、ヒョウの人格から彼が話すであろう内容を予測し、危惧したキリトとアスナは、悪いとは思いながらも所有者権限で室内の様子を伺っていたのだ。二人にとって、案の定の行動を取ったヒョウを諌めるべく、蹴破る様な勢いで扉を開けた。

 

「おい、ヒョウ! テメェ一体何を考えている!!」

「ヒョウ君! あなたの矜持は理解できるけど、全てをちゃんと話さないとダメよ!」

「キリト……、アスナ……」

 

 突然乱入してきた二人に、ヒョウは驚き目を剥いたが、その剣幕から逃げる様に背を向けて俯いた。そんなヒョウの肩を掴み、キリトは強引に顔を上げさせる。

 

「おい、ヒョウ! もっと話す事が有るだろう! 何でだんまりなんだ!」

「いいんだよ、俺が榊を殺したのは紛れもない事実だ。それ以上でもそれ以下でも無い」

 

 そのヒョウの言葉に、最後方で聞くに及んだシノンとリーファが衝撃を受け、思わずうめき声をもらす。

 

「えっ?」

「そんな……」

 

 だが、キリト達はそれを気にとめる余裕は無かった。いつもとは違う、影を射したヒョウの態度に、驚きを禁じ得なかったからだ。

 

「キサマ!!」

 

 自嘲気味に口を開き、顔を背けるヒョウに、キリトは肩を掴む手に力を入れる。

 

「それより盗み聞きしてたなんて、酷いなぁ、二人共」

 

 ヒョウには似合わない、シニカルな口調と態度に激昂し、殴りかかろうとするキリトを遮る様にアスナが割り込む。

 

「その事については謝るわ、ごめんなさい。でもねヒョウ君、聞いて欲しいの、確かにサーキーを殺したのはヒョウ君、あなたよ。それはあなたの言うとおり。だけど、それはヒョウ君とサーキー二人だけの問題じゃないのよ」

 

 諭す様に語りかけるアスナの言葉に、ヒョウはピクリと反応する。

 

「おい、キリの字、一体全体どうなってるんだ、おい?」

「どうもこうも、コイツ、リリーさんにどうしてだって聞かれているのに、自分が殺したの一言でだんまりなんだ!」

「何だって!?」

「おいおい、ヒョウ、お前何を考えている!」

 

 眉をひそめて質問したクラインに、キリトが語気を荒らげて答えると、クラインとエギルが目を剥いてヒョウに詰め寄った。しかしヒョウは二人に背を向け、だんまりを決め込んだ。顔色を変えてリズベットがツウに迫る。

 

「ちょっとツウ! あんたも何か言いなさいよ! 潔く黙っているのはヒョウの勝手だけど、あんなヤツの為にヒョウがただの人殺しと思われるのは、私我慢出来ない! 私はヒョウに命を助けられた者として、それだけは絶対に容認できない! あなたはどうなの!?」

「リズ! コヅ姉は関係無い! これは俺だけの責任なんだ!」

「それは違うわよ、ヒョウ君」

 

 リズベットの言葉に、シリカも頷いて賛同する。思わず声を荒らげたヒョウだったが、アスナの反駁にハッとして顔を上げた。アスナはヒョウの目を見据え、優しく諭す様に言葉を紡ぐ。

 

「ここにいる皆、ここにいない人達、SAOからログアウト出来た人達は皆、何かしらの形で『無敵のヒョウ』に命を救われているの。サーキーを止め続けていた事で、救われた人だっているのよ。あなたが黙っていたら、あなたに救われた人達は報われない、リリーさんの受け取り次第で、皆の生存は後ろめたい物にもなるのよ。だから皆の為にも、あなたがサーキーを殺した時、どんな想いで刀を奮ったのか思い出して。それをリリーさんに話してあげて」

「……」

 

 奥歯を噛み締めるヒョウに、キリトが畳み掛ける。

 

「お前! ツウさんの生存を、汚い物にするつもりか!!」

 

 クライン、エギル、リズベット、シリカがキリトの言葉に頷き、真剣な眼差しでヒョウを見つめる。しかし、それでもヒョウは、固く口を閉ざしたままだった。

 

「タケちゃん……」

「……ゴメン、コヅ姉……」

 

 悔しげに絞り出したヒョウの一言に、ツウは全てを理解した。

 

 ああ、タケちゃんは、そんな非難すら全て背負って償うつもりなんだ、どんなに苦しくても……

 

「ううん、良いの、私は全部わかっているから」

 

 肩を震わすヒョウの背中を後ろから抱きしめて、ツウはそう囁くとヒョウはツウの手を握りしめた。そんな二人の姿に、キリトとアスナは困った様に目を見合わせる。万策尽きた二人に、思わぬ所から助け船が流されて来た。

 

「皆さん、教えてください、猛様と兄、サーキーの間に何が有ったのかを。兄はリアルでも猛様を僻み、酷い嫌がらせをしていた、どうしようもない人間です。だからどれだけ悪く言われるのかは、おおよそ見当がついています。ですから遠慮は要りません、どんなに酷く罵られても甘んじて受ける覚悟が私には出来ています、SAOで一体何が有ったのかを教えてください」

 

 リリーはそう言って、キリト達に頭を下げて頼み込んだ。リリーの言葉に、一番に反応したのはリズベットだった。

 

「私がサーキー、あなたのお兄さんに初めて出会ったのは、十八層の迷宮区の奥に有る安全地帯だった。ツウと一緒に休憩がてら、ドロップアイテムの整理をしに安全地帯に入ったら、……」

 

 リズベットは家族でログインしたプレイヤー一家に目を付け、両親がフィールドでモンスターを倒し、コルと経験値を稼いでいる時、主街区で留守番している子供を言葉巧みに騙して誘い出し、人質にしてコルを奪うサーキー率いるオレンジプレイヤーに遭遇した事件を話し始めた。その悪辣な手口を躊躇いもせず、楽しんで行っていたサーキーに、自分たちは命と貞操の危機に陥るも、ヒョウに救われて事なきを得たと、事細かに話してきかせる。

 一言一句聞き逃すまいと、食い入る様に聞いていたリリーは、兄の悪行に悲しそうに顔をしかめた。

 

「俺っちがサーキーを初めて見たのは、十三層の攻略会議だったな……」

「ああ、俺もそうだ。十三層の攻略は、アイツらのせいで、一度はレイド全滅の危機に陥ってなぁ……」

 

 クラインとエギルが、思い出すのも嫌そうに話した内容は、嫉妬を拗らせたキバオウとリンドが、ヒョウ、キリト、アスナの三人をレイドから外し、代わりにサーキー、クマ、エビチャンの三人を捩じ込んだ事件についてだった。二度目の挑戦の後、リアルから続く確執も、会話が少なかった事から来る誤解であり、歩み寄りの態度を見せたヒョウに対し、意固地になったサーキーがツーハンドソードで斬り付け、SAO初のオレンジプレイヤーに堕ちた経緯をリリーに聞かせた。

 クラインとエギルの話しを聞き終えたリリーは、兄の幼稚な言動に苦虫を噛み潰し、有り得ないと首を左右に振っていた。

 

「私は六十七層の迷宮区です、キリトさん、アスナさん、リズさん、クラインさん、エギルさん、そしてヒョウさんも一緒でした……」

 

 身を乗り出して話し始めたシリカの口から、六十七層のタイムクエスト終了後、サーキー率いるオレンジプレイヤーからの逃避行について、つまびらかに語られると、リリーは目を閉じて首を左右にふる。彼女の脳裡には、学校で弱いものいじめに興じる、兄の姿がありありと浮かんできて、情けなくなっていた。

 

 顔を見合せ、頷きあってシンカーとユリエールが進み出る。

 

「私達は、第一層でMTDという互助会を主宰して、MMORPG初心者がSAOでより安全にプレイできる様に、保護、指導していたんだが」

「その活動の中で、あなたのお兄さん、サーキーが保護を求めて来たの」

「彼も始めは大人しかったんだが、生活が落ち着いてくると、やれ支給が少ない、上納が多いと文句を言い始めてね」

「システムは始めにちゃんと説明して、納得して保護下に入ったのに、文句ばかりで他の会員に迷惑かけてばかり」

「私も根気よく説得していたのだが、それが気に入らなかったらしい」

「勝手に脱会して、脱走の様に出て行ったの」

 

 兄のわがままぶりにため息をつくリリーに、シンカーとユリエールの話しは続く。

 

「風の噂で攻略ギルドに入ったと聞いて、心を入れ替えたのだろうと安心したのも束の間、彼はオレンジプレイヤーとして、私達の前に現れた」

「転移結晶を悪用して、上層の強力なモンスターを引き連れ、レベリングを始めたばかりの初心者プレイヤーにけしかけ、コルや装備品を奪おうとしたわ。そんな所に駆けつけてくれたのがヒョウ君」

 

 ユリエールは言葉を切って、ヒョウを見つめる。リリーもそれにつられて、眩しそうにヒョウを見つめた。

 

「でも……、それでもサーキーの奸知が勝り、ジャスミンのお母さんが……、MPKの餌食に……」

 

 シンカーとユリエールは、ジャスミンを中心に抱き合って嗚咽をもらす。リリーは見開いた目に、大粒の涙を浮かべ、悼ましそうにジャスミンを見つめた。

 

「大将! ヒョウさん! 俺達にも言わせてくれ!」

 

 ノブとシゲが飛び出して、リリーとジャスミンの間に転がり込むと、泣きながら訴えかけた。

 

「さっ、最後の日、ジャスミンを拐ったサーキーが、ヒョウさんを呼び出して……」

「どんな罠が有るのか分からないのに、サーキーからジャスミンを取り戻そうと、ヒョウさんが一人で向かって……」

「俺達が駆けつけた時は、ジャスミンを殺したサーキーの首をはねたヒョウさんが……」

「強毒状態で自分がヤバいってのに、お構い無しで」

「ストレージから蘇生アイテムを出して、ジャスミンを蘇生させて……」

「そのままツウさんの腕の中で、ゴメンって言って、笑いながら……笑いながら……」

「そんなヒョウさんに、何の罪が有るってんだ! 何を償えってんだ! 悪いのは、悪いのは……」

 

 叫ぶ様にまくし立てたノブとシゲは、そう言ったきり抱き合って号泣する。もしもキリトが同時刻に、ヒースクリフを倒して、ゲームを終わらせていなければ、ヒョウの生還は無かったのである。ヒョウのアバターがポリゴンの欠片に散って行く姿を目の当たりに見届けたノブとシゲの話しは生々しい臨場感を持って、リリーの心を刺し貫いた。

 

「私達が初めてサーキーに会ったのは、二層の狩場よ。ろくな準備もしないで、自分を過信して無謀なクエストに挑戦して、失敗して逃げている所をすれ違ったの」

 

 余りのショックにふらついたリリーを背後から支え、アスナが話し始めた。思わず振り向いて見上げるリリーに、アスナの後を継いでキリトが続ける。

 

「押し付けられたモンスタートレインを捌いた後、一層のホームに帰る途中、ヒョウとツウさんに因縁をつけているサーキー達を見たのさ。自業自得でクエストに失敗したくせに、それをヒョウのせいにしてコルをせびって……。見かねて口を挟んだのが、俺達が出会うきっかけにはなったけどな」

「その後何度も剣を交える事になったけど、サーキーから感じたのは僻みや妬みしか無かったわ」

 

 申し訳なさそうにアスナが言葉を結ぶと、キリトが頷いて同意する。皆の話しを聞いて、やるせない表情でリリーはヒョウの背中を見つめていた。どんな言葉をかけるべきか、悩むリリーの前にジャスミンが歩み出る。ジャスミンはヒョウを庇う様に両手を広げ、リリーの前に立つ。

 

「ヒョウお兄ちゃん、皆を助けてくれたの。ツウお姉ちゃんも、皆の面倒を見てくれたの。おかげで孤児院の皆、助かったのよ! お姉ちゃん、二人をいじめるの?」

 

 怯えを含んだ震える声だったが、今度は自分がヒョウお兄ちゃんとツウお姉ちゃんを守るのだという、覚悟がありありと聞いて取れる口調と表情で、ジャスミンはリリーに問い詰めた。そのいじらしさに気圧され、リリーは一歩後ずさるが、そのいじらしさが心を打ち、リリーは両足に力を込めて一歩踏み出す。そしてゆっくりとジャスミンに歩み寄り、その顔を愛しそうに見つめてから、ギュッと彼女を抱きしめた。

 

「有り難うございます、猛様。兄を、兄を止めてくれて、本当に有り難うございます。こんな……、こんないたいけな子を手にかけたなんて……」

 

 とめどなく溢れる涙に、リリーは言葉を詰まらせ、ただただジャスミンを抱きしめ、頬擦りをしていた。ジャスミンを頬擦りしながら、リリーの頭に兄賢斗との、原初の記憶が甦る。それはまだひねくれる前の、優しかった幼い兄の思い出……

 

「お兄ちゃんの馬鹿……、馬鹿ァ……、うわぁあああああ……」

 

 こみ上げる悲しみに号泣して崩れるリリーに、思わず貰い泣きをするシリカが背中をさすり、なだめると、落ち着いたリリーが顔を上げてヒョウを見上げる。

 

「猛様、改めてお礼をします。兄を、榊賢斗を止めてくれて、本当に有り難うございます。もしも猛様が止めてくれなかったら、兄は、兄は……」

 

 しゃくり上げて言葉を詰まらせるリリーを前に、キリトがヒョウの肩を叩く。

 

「ヒョウ、お前一人で背負い込もうとするな、俺達、仲間だろう」

「ヒョウ君、あなたが罪に思うなら、私達も一緒に背負うわ」

 

 キリトとアスナの言葉に、その場に居るSAOサバイバー達が頷き、決意のこもった目でヒョウを見つめる。しかし……

 

「でも……、それでも榊を殺したのは、俺なんだ……」

 

 血を吐く様にその言葉を絞り出すヒョウに、シノンとリーファはとてつもない強さを感じて身震いしていた。その理由は同じ強さから、真逆の事を感じ取ったからだ。

 

 なんて強さなの、と、畏怖にも似た憧れをシノンは抱き、強すぎる鋼は脆いという危うさを、リーファは感じていた。そんな二人の想いを、そして全員の心を、今まで黙って聞いていた御前の言葉が打ち砕いた。

 

「だからどうしたというのじゃ、猛! お主だって、未だに全身不随で寝たきりじゃろうに!!」

 

 その場にいる皆の驚愕の視線が、ヒョウの全身に突き刺さった。




御読了頂き、有り難うございます。

感想頂けたら、幸いです。

次回 第十五話 GGOへ


最後の台詞ですか、読み返して今後の展開を考えるに、意固地になっているヒョウを叱るのは、師匠の御前の方が相応しいと考え、変えさせて頂きました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十五話 GGOへ

 赤茶けた荒野を二台のハンヴィーが疾走していく、一台のルーフには警戒用の全周スコープが備えてあったが、もう一台はノーマルのルーフだった。そしてノーマルのルーフの上に、銃剣を備え付けたスプリングフィールドM14を抱えた少年が、全周警戒をしながら胡座をかいて座っていた。土煙を上げながら並走するハンヴィーを運転するのは、一台は赤いバンダナを頭に巻いた、野武士顔の青年である、そしてもう一台のハンヴィーを運転しているのは……

 

「うん、了解、わかったわ。伝えるから大丈夫、有り難う」

 

 咽喉マイクで通信したドライバーは、ルーフを見上げて上に座っている少年に、大声で声をかける。

 

「タケちゃん、そろそろ危険地帯だから、中に入って」

「わかった、今入る」

 

 ドライバーのツウの呼び掛けに応えた瞬間、ヒョウの眉間に赤い光線が、彼方から伸びて捉える。そしてその一瞬後、光線をなぞる様に、狙撃銃から放たれた弾丸が秒速七百キロメートルを超えるスピードで迫り来る。

 

「フッ」

 

 笑みを浮かべたヒョウは、僅かに首を傾げると、弾丸は空を斬って頭が有った所を通過して行った。狙撃された方角に目を向けると、スコープの反射とおぼしき煌めきを確認する。ヒョウはその煌めきにゾッとする笑みを見せてから、車内へと飛び降りた。

 

「ヒィッ!!」

 

 スコープ越しにその笑顔を見たプレイヤーが、思わず悲鳴を上げて仰け反り、後ずさる。

 

「おい、どうした?」

 

 周りにいたスコードロンのメンバーが、その様子に驚いて尋ねると、狙撃手の男は震える声で答えた。

 

「てっ……、撤収するぞ、急げ!!」

「おいおい、どうしたんだ?」

「急に怖じ気づきやがって、バッカじゃねえの?」

 

 呆れる仲間達に構わず、狙撃手の男は震える手で二脚を折り畳み、狙撃銃を背負う。

 

「スコープ越しに目が合ったんだ、奴は化け物だ!」

「この距離でか? んなバカな」

「勘違いじゃねえの?」

「勘違いなんかじゃない!」

 

 俄に恐慌をきたし、怯懦な態度を取る姿を馬鹿にして、仲間達は狙撃手の男に口々に罵声や嘲りの言葉を投げかけた。そんな罵声を狙撃手の男が怒鳴る様に遮ると、スコードロンの仲間達はその剣幕に驚き、口をつぐむ。狙撃手の男は青ざめた顔で仲間の顔を見回すと、震える声でこう言った。

 

「狙撃のタイミングはドンピシャだったのに、奴はまるで分かってたみたいに避けやがった。それからこっちを向いて、俺と目を合わせて嗤ったんだ……。あんなヤバい奴は見たことがねぇ、デスペナ食らう前にズラかるぞ、急げ!!」

「お……、おう……」

 

 まくし立てる狙撃手の剣幕に飲まれ、仲間達は半信半疑ながらも撤収作業を始めたのだった。

 

 

 ▼△▼△▼△

 

 

 猛、そして小鶴、お主らはSAOに縛られ過ぎておる。呪われていると言っても良いじゃろう。そんなお主らには、アインクラッドが上空に浮遊しているALOでは、身体も心もリハビリには逆効果じゃ。暫く別の環境に身を置くべきじゃろうな。

 

 パーティーの後、リリーにサーキーとの最後の顛末を話した為、皆と険悪になっていったヒョウとツウに、御前はそう断言した。そんな御前にツウは反駁する。

 

「違う環境って言ったって、そんなの何処に有るのよ」

 

 ツウはSAOの残滓があるとはいえ、ファンタジー要素の強いALOは癒しになると考えて選んだのだ。この時点で御前の言った通り、ツウもヒョウもSAOの呪いに囚われていると断じて良いだろう、本当にSAOにログインした事を後悔しているのならば、アインクラッドの浮いているALOは忌避して然るべしなのだから。そう得心した御前は、先ほど体験したPKの危機を思いだし、ニヤリと笑みを浮かべてヒョウに自分の考えを披露する。

 

「さっきの女、ピトフーイと言ったかの? あやつのホームグラウンドに行ってはどうじゃ?」

「GGO……」

 

 キリトが呟く様にそう言うと、御前は大きく頷いた。

 

「おう、それよそれ。自分自身の欲望に忠実なあの女を間近に見れば、お主の考えも少しは柔らかくなるやも知れん。それに……」

 

 そこで一端言葉を区切り、御前はいやらしさを含んだ含み笑いを浮かべてヒョウの背後に忍び寄り、ツウに聞こえる様に耳打ちをする。

 

「勝てばリアルでもやり放題じゃぞ? 男の本懐遂げてこい」

「バ、バカ言ってんじゃねえ、妖怪ババァ!」

 

 御前の囁きに、目を剥いて怒鳴り返すヒョウの声に、僅かな動揺と赤みをさした表情に、女の勘で不穏当なものを察知したツウが、声を荒らげて話しに割り込む。

 

「何よ!? お婆ちゃん、やり放題って!? タケちゃん、ピトフーイって誰!?」

 

 ツウの剣幕にたじろぐヒョウと、涼しい顔で「さての?」と、惚ける御前。ラチが開かないと判断したツウは、拳を握りしめ宣言する。

 

「タケちゃんを色仕掛けで誘惑するなんて、絶対に許せない! 行ってガツンと言ってやる!」

 

 ツウのその姿を呆気に取られて見つめるヒョウの肩に、そっと手が乗せられる。

 

「決まりだなヒョウ、行こうぜ、GGO」

 

 完爾として微笑むキリトの背後で、プライベートピクシーのユウキも、ウンウンと頷いて合意する。

 

「ボクもその方が良いと思うな、だってヒョウ、この頃心に余裕が無いんだもん」

 

 二人の言葉に、ヒョウは遂に心を緩め、ほうっとため息をついて脱力する。

 

「仕方ない、わかったよ。でも、良いのか、キリト?」

「何が?」

「トップオブアルブス、準備が有るだろう?」

「そんなの、一ヶ月以上先の事じゃんか。気にするなよ」

「……その、……悪い」

 

 陥落したヒョウの姿に、キリトとアスナは微笑んで顔を見合せた。

 

「じゃあ私が案内するわ。ヒョウ、GGOは初めてなんでしょう? いつが良い?」

 

 案内役を買って出たシノンの口調に、僅かに上ずったものを感じたリズベットが、ニヘラッと笑い茶々を入れる。

 

「おやぁ、いつになく積極的ですなぁ、シノンさん」

「バカッ! そんなのじゃないわよ! 私はただ……、これ以上アイツにうろちょろされたくないだけよ!」

 

 シノンの弁解の中に言質を取ったリズベットは、悪戯っぽく笑いながらイジリ続ける。

 

「おやぁ? そんなの、って、なぁにかなぁ」

「な、なんだっていいでしょう!」

 

 言葉に詰まったシノンは、キッとヒョウを見上げて睨み付ける。

 

「あ、アンタの為じゃ無いんだからね!」

 

 そう言って、ぷいっと顔を背けるシノンに、ヒョウとツウは互いに顔を見合せ、頭上に『?』を浮かべるのだった。

 

 

 そうしてコンバートの日時が決まり、待ち合わせのグロッケンのマーケットにヒョウとツウがログインした瞬間、二人は自らの意思とは関係無く、古参のGGOプレイヤー達の注目を集めていた。

 

「おい、誰だ、アイツ……。知ってるか?」

「いや、見ねぇ顔だな」

 

 初期装備のシャツとズボンを身につけたヒョウとツウの二人連れが、マーケットの入り口付近に立っているのを認めたGGOプレイヤー達が、小声でそう囁き合っていた。普段ならば、待ち合わせ中の初心者プレイヤーなどは見慣れた光景で、気に止める事もなかったのだが、この二人連れは違った。肩まで伸びた長髪の優男と、小柄な美少女の組み合わせは、鉄臭いGGOは不似合いに思われた。無論二人の外見はアバターであり、初回ランダムとは分かっているが、場違いなものに見えていた。

 

「ゲーム間違えてんじゃねえのか、全く」

「あの野郎はフィールドで見かけたら、必ず蜂の巣にしてやる」

 

 優男 ヒョウを一目見たGGOプレイヤー達は、皆そう心に誓っていた、何故なら連れの小柄少女は、F1200番代の超絶美少女アバターだったからだ。必ずしもアバターとリアルの姿は一致しないのだが、GGOプレイヤーの中には、生活のほとんどをログインして費やすプロゲーマーも多く、リアルよりもこちらの生活がメインになっている者も多数存在していた。そして、そんな彼等にとっては、その違いなど些末な問題であった。アバターこそが真の姿と認識する廃人達から、F1200番代の美少女を侍らせるニューピーの優男は、ヘイトを集めて当然だった。

 

「お待たせ~」

「遅くなりました」

 

 二人に待ち合わせの相手とおぼしき人物が二人合流した所で、ヒョウに対するヘイトは更に深くなる。

 

「リズ、シリカちゃん、今日はありがとう」

「いーえー、どういたしまして」

「はい、ヒョウさんとツウさんのためなら、なんだって協力しちゃいます」

「キュエアッ」

 

 合流した二人の美少女と親しげに談笑し始めたヒョウに、いわれのない殺意を深めるGGOプレイヤーだったが、すぐにその殺意は深化していく。

 

「ヒョウ君、ツウ、ヤッホー」

「タケちゃんさん、コヅ姉さん、待たせちゃってゴメンなさい」

「ヤッホー、アスナ。良いのよ、スグちゃん、気にしないで」

「ありがとうございます、コヅ姉さん。あーっ! コヅ姉さん、そのアバター、F1200番代じゃないですか、いーなー」

「エヘヘヘ」

 

 またかよ、野郎許さねぇと眉間に皺を寄せる間も無く、次の瞬間GGOプレイヤーのヒョウに対するヘイトは頂点へと達する、何故なら……

 

「は~ぁ~い、二人共、待ったぁ~?」

「ちょっと止めなさいよ、その口調。ゴメン、待たせたかしら? ヒョウ、ツウ」

「えっ? シノンと……、キリトか?」

 

 久しぶりに登場したシノンとキリトに、GGOプレイヤー達は騒然となり、ざわめきだした。

 

 あの野郎、大勢美少女を侍らせているくせに、この上キリトとシノンとまで! この優男、ニューピーの分際で太ぇ野郎だ、こんちくしょうめ! 

 

「俺ぁもう我慢できねぇぜ」

 

 フィールドに出るまでもなく、この場で蜂の巣にしてやると意気込み、難癖をつけてやろうと数名のプレイヤーが優男に向かい、威嚇しながら近づいて行ったが、その思いは成就する事は無かった。何故なら……

 

「やぁっと来たわね、待ってたんだよ、剣聖」

 

 顔にタトゥーメイクを入れた、キツめの美人がヒョウに声をかけて、馴れ馴れしく腕を絡めてしなだれかかる。その光景を見た古参プレイヤー達の意気込みは雲散霧消し、目を反らせて遠ざかって行った。

 

 あの女の関係者に難癖なんぞつけたら、GGOにログインできなくなる、くわばらくわばら、間一髪だったぜ。

 

 という古参プレイヤー達の動きが有ったとは露知らず、シノンは無意識の恩人に対して眉をひそめる。

 

「ちょっと、離れなさいよ、ピトフーイ」

「あら、居たんだ、シノン。久しぶり、じゃあね、バイバ~イ、行こっか、剣聖」

「行くって、何処へ?」

 

 絡めた腕を引っ張り、そのまま連れ去ろうとするピトフーイに抗いヒョウが聞くと、ピトフーイは意味ありげな誘う様な目付きで見上げ、艶っぽい声でこう答えた。

 

「そんなの、そこのホテルに決まってるじゃないのさ。良い部屋取ってあるからさ、二人っきりの歓迎会を開きましょう。倫理コードを外して」

「あのなぁ……」

 

 ピトフーイの際どい台詞に、ヒョウは大きなため息をつき、キリト達は目を剥いた。シリカとリーファは顔を真っ赤にしてフリーズしている。皆の度肝を抜いて抵抗力を奪い、その隙に連れ去ろうと試みるピトフーイだったが、そうは問屋が卸さなかった。ヒョウに絡めた腕の手首を誰かが掴む感触がしたピトフーイは、おやという表情で足を止め、その感触を与えた人物の顔をしげしげと見つめる。

 

「誰だい、このちんちくりんは?」

 

 不思議な生き物を見つけた様な瞳で尋ねると、呆れた表情でヒョウは答える。

 

「嫁さんが居るって言っただろう」

「コイツが? へぇ~」

 

 嘲る様に見下ろすピトフーイの手首に、ヒョウの腕に絡めた腕を外そうと更なる力が込められていく。ピトフーイは面白そうな、そして凶悪な瞳でツウを見下ろし、その手を振りほどこうと腕に力を込めた。

 アバターとはいえ、小さく可愛らしい姿のツウを侮り、少し力を入れれば簡単に振りほどく事が出来るだろうと、高を括っていたピトフーイだったが、意外にもそれを阻まれ驚いた。そして侮っていた表情を改め、凶悪な笑みを浮かべて腕に更なる力を込める。ツウも眉間に皺を寄せ、怒りの笑みで対抗し、ピトフーイの腕をヒョウの腕から引き離そうと力を入れる。

 

「初めまして、夫がお世話になったみたいで、どうもありがとうございます。私、タケちゃんの妻の大祝小鶴と申します。以後、宜しくお願いします」

「!? ご丁寧な挨拶痛み入ります。アタシは神崎エルザって言うんだ、こちらこそ宜しくね」

 

 期せずして始まった力比べに、辺りは緊張感に息をのみ、静まり返った。始めは拮抗していると思われた力比べは、徐々にツウが押していき、最後にはヒョウの腕に絡んだピトフーイの腕を引き剥がす事に成功する。

 遠巻きに見ていたGGOプレイヤー達は、この結末に内心で舌を巻いて驚いていたが、キリトやアスナ達にとっては当然の結末で、何ら驚く事は無かった。何故ならツウのアバターのスペックは、SAOのデータを引き継いだものである。SAOで生存率を上げるため、ヒョウに施された強制レベリングにより、ツウのパラメーターは攻略組と呼ばれたトッププレイヤーの中に入れても、勝りこそすれ劣るものではないのだ。

 

「へぇ、やるじゃん、アタシを負かせた女の子は、レンちゃん以外初めてだ」

 

 瞠目してピトフーイはツウを頭の天辺から爪先までをしげしげと眺め回す。驚きはしたが、それはそれとピトフーイはツウを挑発する様に、ヒョウに粉をかける。

 

「それはそうと、姉さん女房も良いもんだよ、金の草鞋をはいて探せって言うだろう」

「おあいにく様、そちらの条件も既に整っているので、ご心配には及びません。では、ごきげんよう」

 

 すかさず間に入って、ヒョウが口を開く前にツウがそう言って一礼する。

 

「本当かい!?」

 

 第一印象で、ツウはヒョウよりも年下だろうと踏んでいたピトフーイは驚いて目を見張る、顔を上げたツウは勝ち誇った表情で不敵な視線を向けるのだった。

 

「じゃ、行きましょう、タケちゃん」

「あ、ああ。じゃあな、ピトフーイ」

 

 去って行くツウの背中を見ながら、ピトフーイは呟く。

 

「何モンだい、あのちんちくりん……」

 

 リアル、ヴァーチャルを通じて、ここまで自分と正面から対峙して上を行った、それも斜め上を行った者は居ない。

 

「まっ、今日の所は退いておいてやるさ。でも、フィールドで会ったら、タダじゃ置かないよ、大祝小鶴」

 

 ALOからやって来た、剣聖に並ぶもう一人の拾い物に、ピトフーイは舌舐めずりをして、その場を後にした。

 

 

 

 さて、ピトフーイを撃退し、一行はヒョウとツウの装備品を整えるため、店内を見て歩いていた。銃についての知識に乏しいヒョウは、シノンから事前にレクチャーを受け、二つの戦闘スタイルを模索していた。一つは、まぁ無難な線ねと評価されたが、もう一つは「馬鹿なの、アンタ」と呆れられていた。

 

 無難、と言われた装備品は銃剣装備の突撃銃で、オーソドックスなスプリングフィールドM14を選び、こちらは常識的な価格であり、誰も驚きはしなかった。しかしシノンに馬鹿と酷評されたもう一つの装備品は、彼女の言葉に違わず馬鹿げた性能と価格をしており、キリト達は展示ブースの前で、絶句して立ち尽くしていた。

 

「アンタ、本当にこれ買うつもり?」

「やっぱり高いなぁ、直ぐには無理か……」

「確かに売っているから、持っている奴もいるけれど、コレクションとして持っているだけで、使える奴なんか居ないのよ」

 

 眉間に皺を寄せ、言外に止めておきなさいと忠告するシノンに、やはり銃の知識に乏しいシリカとリーファが質問する。

 

「これって、そんなに凄い銃なんですか?」

「確かに大きい拳銃ですけど……」

 

 

 二人の質問の答えとして、シノンはその拳銃の品書きを指差した。クリックして情報を呼び出したリーファとシリカの顔が青ざめる。

 

 

 Pfeifer Zeliska Revolver

 

 全長 550mm

 全高 210mm

 最大幅 69mm

 重量 6.0kg

 銃身長 335mm

 サイト長 440mm

 弾丸 .600 N.E.458 Win.Mag.

 

「軽く象の頭蓋骨を撃ち抜く事が出来るわ。第二次大戦中の装甲車なら、一撃で破壊可能よ。反動の凄まじさで、まともに撃てた物じゃないけど」

「うわぁあああ……」

 

 リーファとシリカはドン引きするが、流石に男の子という事なのか、キリトはロマン兵器に興味を示す。

 

「へぇ、面白そうな拳銃だな。うぉっ、たっけぇ~」

「まぁ、地道に稼ぐさ」

 

 目を丸くするキリトにヒョウがそう答える。そんなヒョウに、キリトは名案が有ると、とあるゲームを指差した。

 

「ものは試しで、アレやってみないか?」

 

 キリトが指差したのは、自分が以前装備品を揃える軍資金を稼いだゲームだった。クリア後に、予測線を予測するゲームと評し、周りのプレイヤー達を驚かせるも、クリア出来る事が証明された事で、一攫千金を狙うプレイヤーが続出し、現在のプール金額は百万ゴールドを越えていた。目当てのプファイファー・ツェリスカ・リボルバーの二百万ゴールドには届かないが、それでも半額分は賄えるのは大きい。キリトがクリアしたせいで、難易度が見直されたとはいえ、失敗しても千ゴールドである。ダメ元でヒョウは挑戦してみる事にした。

 

 ヒョウがゲームブースにやって来ると、否が応でも注目を浴びた。それもそのはず、多数の美少女とキリト、シノンを侍らせたニューピーで、ピトフーイと何らかの関係を持つ謎の存在である。上がったどよめきはブーイングが九割のヤジだった。

 

「キリト、アスナ、それ貸して」

 

 ヒョウは髪を束ねながら、キリトとアスナにフォトンソードを貸してくれる様に頼むと、二人は快く手渡した。

 

「こんな物、何に使うんだ?」

「いやぁ、なんとなく、腰が寂しくて」

「あ、それ、なんとなく分かる」

 

 髪を束ね終え、二人から受け取ったフォトンソードを腰に差し、ヒョウはスタートラインに着く、その時、一人の古株GGOプレイヤーが、あっと声を上げた。

 

「おい、何だいきなり」

「いや、すまねぇ、気のせいだ」

「気のせい?」

 

 怪訝な仲間の目に愛想笑いを返し、声を上げた古株プレイヤーは、言葉を続ける。

 

「まさか……、あの剣聖が、こんな所にいる訳ないよな……」

「何? 何だ、その剣聖ってのは……」

 

 古株プレイヤーが、前にキリトとシノンを探すため、ALOに遠征しに行った時の事を話し始めた。

 

「ファンタジーゲームなんてGGOに比べりゃヌルいモンよと、虐殺PKを楽しんでいたら、剣聖とかいうヤツが現れてな、仲間を全員叩き斬ったと思ったら、俺の前に来やがって……、お前がリーダーかって聞きやがった」

「おう、それで」

「だから俺は、ALOだってPK推奨だろう、何が悪いって言い返しながら、斬りつけてやったのさ」

「で?」

「コンバートのくせに、まっ更の初心者虐めて楽しんでんじゃねえよって言って、背中を向けたモンでよ、その背中に向かってもう一太刀浴びせてやろうとしたら……」

「やろうとしたら?」

「いつの間にか俺はリメインライトにされててよ、全くいつ斬り倒されたか、さっぱり分からねぇ……」

「ダッセェ……」

「うるせぇ! それだけ剣聖ってヤツがつええんだよ!」

「ま、そういう事にしてやるか。で、その剣聖とあの優男が、どうして繋がるんだ?」

 

 そう聞かれた古株プレイヤーは、ヒョウの腰に差された二本のフォトンソードを指差して答える。

 

「ALOで会った剣聖も、今のアイツみたいに、腰に二本、刀を差していたんだ……、雰囲気もよく似てるし……」

「何だそりゃ、ファンタジーに侍かよ」

「ヴァーチャルに雰囲気って、そりゃねーぜ!」

 

 彼等の噂話が一区切りついたお約束のタイミングで、ヒョウのゲームがスタートした。

 

「はっ、疾ええ……」

 

 ヒョウが目標のガンマンに突っ込む速度の速さに、見物するGGOプレイヤー達が度肝を抜かれる。しかし、このゲームをやり込んでいるプレイヤーの一人が、冷ややかに分析する。

 

「速さだけじゃ抜けねぇぜ、ニューピー……って、おい!?」

 

 またしてもGGOプレイヤー達は、ヒョウの動きに度肝を抜かれる、予測線がヒョウの眉間を捉えた瞬間、超高速のサイドステップで、ギリギリのタイミングまで弾丸を引き付け、交わしたのだ。その余りのスピードに、見物するGGOプレイヤー達には、弾丸がヒョウの眉間をすり抜けて行った様に見えていた。ギリギリまで引っ張ったおかげで、ヒョウに若干の余裕が生まれる、二撃三撃を難なく交わし、八メートルラインを越えて行く。銃撃は厳しさを増すが、AIの処理がヒョウの動きを捉えあぐねていた。ヒョウはサイドステップする時、足幅一つ分の余裕を常に開けており、ランダムでもうワンステップガードレール側に踏み込み、AIの計算を狂わせていた。しかし、AIの計算はヒョウの動きを捉え、予測線がヒョウの着地する地点に集中した。

 

「Hey you loser fackin'shit!」

 

 ポリゴンガンマンが狙う足元から膝の予測線に、ヒョウの足は降りなかった。それを予測したヒョウはヒラリと飛び上がり、ガードレールの上に片足を乗せてそのまま蹴る。

 

「うおぉおおおおお」

「すげぇえええええ」

「アイツは忍者か何かか!?」

 

 驚愕する見物人の前で、ヒョウは右のガードレールを蹴ると、空中横転しながら予測線を避けて左側のガードレールを蹴り、コースへと着地した。

 

「Goddamn」

 

 ポリゴンガンマンが実弾銃から光線銃に切り替え、ヒョウに狙いを着ける。以前キリトはこれをスライディングで交わし、タッチしてゲームクリアだったが、ヒョウは前のめりになって加速した。

 

「変移抜刀!」

 

 超高速の、分身術の様なサイドステップで距離を詰めながら、ヒョウはポリゴンガンマンのAIを翻弄しつつ、キリトとアスナから借り受けたフォトンソードを逆手に握る。

 

 フォトンソードがソードスキルの輝きを放つ。

 

 ヒョウはポリゴンガンマンがトリガーを引くよりも速く、光線銃の下に潜り込んだ。

 

「十文字」

 

 伸び上がり、ジャンプしながらガンマンの両手首を斬り飛ばすと、空中で横に一回転ひねりを入れながらバク宙を決める、その最中、もう一本のフォトンソードがひねった動きに合わせ、横凪の軌跡を見せ、ポリゴンガンマンの首を薙ぐ。

 

「霞斬り!!」

 

「キャァアアア、タケちゃんカッコいい!!」

 

 黄色い歓声を上げるツウの周りで、信じられない物を見た見物人は、皆あんぐりと口を開けて、言葉を失っていた。

 

「unbelievable you are miracle guy」

 

 着地したヒョウの後ろに転がった、ポリゴンガンマンの首が呟くとファンファーレが鳴り響き、花火が上がる。そして、後ろの建物から洪水の様に賞金が溢れだし、見物していたGGOプレイヤー達は、このゲームの更なる仕様を知った。

 

 

 ×3 target destruction bonus

 

 

 ハイタッチでゲームのクリアを喜び、讃えるヒョウとキリトの横を、GGOプレイヤー達は我先にフォトンソードを買いに、商品ブースへと駆け込んで行った。

 

「知ってたのか?」

「いや、身体が勝手に動いただけ。しまったと思ったんだけど、結果オーライで良かった」

「私も今度やってみようかしら?」

「とりあえず、欲しい銃が手に入って何よりだな」

「ああ」

 

 ヒョウとキリトとアスナが談笑する中、フォトンソードに群がるGGOプレイヤーを尻目に、ツウは一人トコトコと、人気の薄いブースへと足を進めていた。

 

「カッコ良く決めたタケちゃんの為に、私も何かしなくちゃ」

 

 キョロキョロと見回すツウの視線の先には、数台のスロットマシーンが設置されていた。

 

「どれにしよう……」

「止めなさい! ツウ!!」

 

 スロットマシーンを物色するツウを見かけたシノンは、血相を変えてツウを強い口調で呼び止める。

 

「えっ? どうしたの、シノン」

 

 キョトンとして振り返ったツウを見て、シノンは頭を抱えて膝をついた。シノンが制止する前に、ツウはスロットマシーンレバーを回していたのだ。何だどうしたと周りに集まって来たリズベットにリーファ達。

 顔を覗き込むツウに、思わずシノンは声を荒らげる。

 

「どうしたのって、ツウ! あなた今自分が何をしたのか分かっているの!?」

 

 ツウが回したのは、このショップで悪名高い、当たらずのスロットと呼ばれる台だったのだ。

 

 ツウとヒョウは夫婦である、つまり二人の財布は一緒であり、ツウがベットしたゴールドは、たった今ヒョウがゲットした三百万ゴールドである。一瞬でそれをスッた訳だから、他人事とはいえ仲間であり、密かに恋慕するヒョウの事となれば、シノンが怒るのも当然であろう。

 

 シノンがその事を説明しようとした時、ツウの背後のスロットマシーンに異変が起きた。順回転で回っていたスロットのリールが、いきなりけたたましいサイレンを鳴らして逆回転で回りだす。それを目にしたシノンは、思わず言葉を飲んでしまった。

 

「ウソ……、プレミア演出……」

 

 瞠目するシノンの目には煽り音楽を鳴らし、不規則に順回転と逆回転を繰り返して回るスロットのリールが有った。皆がつられてスロットを見つめると、リール画面がフリーズして消灯した。

 

「壊れちゃったのかなぁ……? 店員さーん」

 

 呑気に店員を呼ぶツウの背後では、激しいドラムの音と共に、スロットマシーンの九分割のリール画面に一つづつ7の数字が点灯していく、そして九つの7が揃い、盛大なファンファーレが鳴り響いた。

 

「やったぁ! タケちゃん見て見て、沢山出ちゃった!」

 

 無邪気に喜び、ヒョウに報告するツウの背中を見つめ、全身の力が抜けるシノン。

 

「さ……、三十億ゴールド……」

 

 シノンは知らない、ツウはALOにデータを引き継いだ時、エクストラレアアバターのネコマタケットシーを、GGOにコンバートする際にも、F9000番台のレアアバターを一発で引き当てただけではなく、商店街の福引きで、SAOベータテスター応募券付きナーヴギアを引き当て、ベータテスターにも当選した豪運の持ち主である事を。そしてツウも知らない、GGOのゴールドは、リアルマネーに変換できる事実を……

 

「ちょっとツウ……、そのゴールド、どう使うの?」

 

 力なく震える声で聞いたシノンに、ツウは屈託なく笑うと、ヒョウに向き直り可愛らしくおねだりを始めた。

 

「ねぇタケちゃん、私ね、ど~しても欲しい物が有るんだ。買ってもいい?」

 

 何が欲しいのだろう? アクセサリーだろうか? 素敵な洋服だろうか? チクリと心が痛むシノンの予想に反し、ツウが欲した物は遥かに斜め下の物だった。どこから仕入れた情報なのか、ツウが一同を引き連れてやって来たのは、アウトロー感丸出しの地下マーケットだった。その中のジャンク品にまみれ、一際巨大なアイテムを指差してツウはヒョウに向かっておねだりをする。

 

「タケちゃんこれこれ、私、これが欲しい」

「おおおおおお」

「これはまた、随分な物を御所望で……」

 

 感嘆の声を上げるリーファとリズベットを背後に、ツウは凶悪な笑みを浮かべ、欲しい理由を口にする。

 

「これであの神崎エルザだか野生のエルザだかいう女をギッタンギッタンにしてやるのよ! うふ、うふふふふふ……」

 

 という経緯でツウの望みが叶い、三十億ゴールドのほぼ全てを使いきり、そのアイテムを購入する事となる。余ったゴールドでプファイファー・ツェリスカ・リボルバーを始めとするヒョウとツウの装備品と、ハンヴィー二台を買い揃えた。その後リアルでの仕事を終えて合流したエギルとクラインを伴い、一行はヒョウの望む装備品の素材を得る為のクエストへと出掛けたのだった。

 

 

「やったぁ、タケちゃん、一番乗りね」

「やったな、ヒョウ」

 

 途中、モンスター狩り特化型スコードロンと勘違いし、襲ってきた対人戦闘特化型スコードロンを一睨みでビビらせ、やって来たダンジョンは、墜落した宇宙戦艦の弾薬庫という、つい最近解禁されたダンジョンだった。そこでヒョウは目当ての素材を、丸々一人占め状態で手に入れる事に成功した。

 

「ああ、コヅ姉の情報通りだ、ありがとう」

「へっへーん、どういたしまして」

「じゃあこれで、この世界でもヒョウ君は刀を使えるのね」

「うん。リズ、頼む」

「あいよ、ドーンと任せなさい!」

 

 ここもなかなか面白い世界じゃないか。

 

 自分の為に集まってくれた仲間の笑顔を見て、ヒョウはそう思った。

 

 感謝するよ、ピトフーイ

 

 心の中で、人知れずヒョウはピトフーイに礼を言うのであった。

 




次回 第十六話 サムライ・ガンマン


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十六話 サムライガンマン

 戦場跡の廃墟ステージで、プレSJのエキシビション戦が行われていた。SJの参加促進を促すこの一戦は、二つのスコードロンの戦いで、モニターでVRMMO世界に公開されていた。

 

 

 

 ターゲットを視認した数名の男達が、雄叫びを上げてトリガーを引く。彼等は遮蔽物に身を隠すどころか、全身をさらけ出して腰溜めに構えた機関銃を撃ちまくっていた。

 

「速射連射掃射高射乱射!」

 

「弾ある限り撃ちまくる!」

 

「それが我ら全日本マシンガンラバーズの生き様よっ!」

 

 彼等は足下にうず高く空マガジンを積み上げ、左右からジグザグに走りながら迫り来るターゲットに、濃密な弾幕を張って迎え撃っている。

 

 ターゲットは二人、右から来るのは黒装束で長髪が特徴的な小柄なアバター、左から来るのは、白を基調としたコスチュームの、栗色の髪のアバター。二人は全日本マシンガンラバーズの弾幕の中を、一発も弾丸を撃ち返さずに駆け向かっていた。それもそのはず、二人はGGOだというのに、中長距離用の銃を装備してはおらず、反撃して頭を抑えて弾幕を和らげる事はできなかった。その代わり……

 

 ブン

 

 扇状の光の軌跡が二人の前方に描かれると、捉えた筈の弾丸が弾き落とされ、弾幕が破られる。その光景を目の当たりにした全日本マシンガンラバーズの面々は、一瞬驚愕の表情を浮かべたが、すぐにそれは歓喜の表情へと変化した。

 

「イヤッホー! 流石キリトちゃん!!」

「良いもん拝ませてもらったぜー!!」

「栗毛の彼女もなかなかだなぁ! 惚れたぜ! チクショウ!!」

 

 全日本マシンガンラバーズが相手にしていたのは、キリト率いるスコードロンだった。彼等に迫るのは、キリトとアスナである。二人は巧みなサイドステップと、フォトンソードで濃密な弾幕を捌いて彼等に向かっていた。

 

 第三回BoBでスクリーン越しに見た、キリトのフォトンソードの妙技を直に見て、全日本マシンガンラバーズ達は、意気消沈するどころか、益々気合いを入れてトリガーを引く。

 

「俺達の熱い想いを弾に込め、キリトちゃん達に届けようぜ! なぁ、みんな!!」

「おう!!」

 

 飛んでくる弾丸を斬り落とす、キリトとアスナの絶技を目の当たりにしても、全日本マシンガンラバーズ達は怯むどころか、さらに気合いを入れ直してトリガーを引く。

 

「速射連射掃射高射乱射!!」

 

「愛ある限り撃ちまくる!!」

 

「我らマシンガンラバーズの生きざまを、キリトちゃん達に撃ち込んでやろうぜー!!」

 

「ヒャッハー!!」

 

 さらに濃密さを増す弾幕に、キリトとアスナは手近に有った瓦礫を遮蔽物に身を隠した。

 

「モテモテね、キリト君」

「まーな」

 

 二人は遮蔽物の裏で、軽口を叩き合いながら、そっと顔を出して様子を伺う。

 

「うわっ!!」

「きゃん!!」

 

 顔を出した途端、濃密なマシンガンの銃撃に合い、キリトとアスナは慌てて首を竦めて遮蔽物の裏に引っ込める。

 

「モテ過ぎよ、もう」

 

 柳眉を軽く吊り上げ、キリトに抗議するアスナだったが、名案を思い付いたのか、ニヘラッとからかう様な笑顔を浮かべ、言葉を続けた。

 

「そうだ! 試しに、やめて~ってお願いしてみたら? キ・リ・ト・ちゃん」

「バカ言うなよ、アスナ。そんなんであの銃撃が止む訳ないだろう」

 

 あんまりな提案に、キリトはげんなりとした表情でそう答えると、アスナは本気かジョークか判別のつかない、コケティッシュな笑顔でなおも言葉を続ける。

 

「わからないわよ、案外いけるかも」

「あのなぁ」

 

 キリトとアスナの隠れる遮蔽物から、全日本マシンガンラバーズの陣取る場所まで、およそ五十メートルほどであろうか。完全に機関銃の制圧距離内である。前進を止められ、進退極まっているにも関わらず、キリトとアスナが余裕で軽口を叩き合えるのは、自分たちから三キロメートル後方に、頼れるバディの存在が有るからだ。

 

「そろそろね、キリト君」

「ああ、そうだな、アスナ」

 

 二人が頷き合った時、全日本マシンガンラバーズのメンバーの一人、シノハラの足元が爆ぜた。

 

「うぉっ!!」

 

 キリトとアスナに集中していたシノハラは狙撃の衝撃と驚きで尻もちをつき、顔色を変えて遮蔽物に身を隠す。そんなシノハラの様子を見た他のメンバー達も、慌てて手近な遮蔽物に身を隠した。

 

 

 彼等はこれがアンチマテリアルからの狙撃だと直感していた。

 

 

「この銃撃は……?」

 

 一瞬の緊張と絶句の後、歓喜の歓声が全日本マシンガンラバーズの間から上がる。

 

「シノンちゃーん!!」

 

 第三回BoBからのGGO二大アイドルと対峙して、歓喜に盛り上がる全日本マシンガンラバーズ達。そんな彼等を三キロメートル以上離れた廃ビルの屋上から、冷静な四つの目が淡々と捉えていた。

 

「初弾、目標足元に命中。予定通りキリトさんアスナさんへの注意を反らせました。三キロ以上離れているのに……、流石です、シノンさん」

 

 スポッター役のシリカが、狙撃手シノンに状況を報告する。シリカの言葉通り、シノンはキリト達から全日本マシンガンラバーズの注意を逸らすため、わざと外して狙撃をしたのだ。射撃予測線を覚らせない様に、シノハラのアバターを狙わずに、その足下数ミリの地点に寸分違わず狙撃してのけたのは、シノンの狙撃能力の高さもあるが、それだけではなかった。

 第三回BoBで喪われたへカートⅡに代わる、新たなる相棒がそれを可能にしていたのだ。

 

 マクミラン TAC-50

 

 狙撃成功距離三千五百四十メートルという世界記録を持つこの狙撃銃の能力も、大きくそれに関与していた。新しい相棒の能力に充分な手応えを感じ、不敵な笑みを浮かべるシノンは、次弾を装填するとスコープを覗き込む。すると、不意に全日本マシンガンラバーズの陣地がスモークに覆われた。シノンの狙撃に頭を抑えられた彼等に、匍匐前進で忍び寄っていたリズベットとリーファが、スモークグレネードを撃ち込んだのだ。

 

 

「シノンさん、予定通りスモークが撃ち込まれました。擾乱射撃お願いします」

 

 シリカの報告に頷くと、ランダムにタイミングと狙いを散らし、シノンは12.7ミリNATO弾を、スモークの中に撃ち込んだ。

 

 

「テメェッ! 出てこいこの野郎!」

 

 スモークを撃ち込まれ、視界を遮られた中で狙撃を受けた全日本マシンガンラバーズ達は、目くら滅法にマシンガンを乱射する。そんな中、シノハラだけは辛うじて冷静さを保っており、マシンガンを乱射する他のメンバー達に、語気強く警告を発した。

 

「おい、おめぇら、撃つのを止めろ! キリトちゃんシノンちゃんに、醜態を見せるんじゃねぇ!! そんなんじゃ、マシンガンが泣いちまうぜ!!」

「お、おう」

 

 シノハラの言葉に、浮き足たっていた他のメンバー達も落ち着きを取り戻し、手近にいたメンバーと背中を合わせて全周警戒を始めた。全日本マシンガンラバーズのメンバーの誰かが、ゴクリと生唾を呑み込んだ。息を殺しながら、彼等はスモークが晴れるのを身動ぎ一つせずに待っていた。

 

 

 シノンの目は、遠くにスモークが晴れていくのを認めていた。

 

「さぁ、露払いは終わったわよ。後は……」

 

 シノンの視線の先に有るのは、全日本マシンガンラバーズ達に加え、もう一人増えた人影。

 

「あなた次第よ、ヒョウ」

 

 消え行くスモークの中に、見知らぬ人影を認めた全日本マシンガンラバーズの一人が、アッと声をあげる前に音も無くHPを全損させられ、アバターを残してゲームから退場していった。SJルールでは、HPが全損しても、すぐにアバターは消滅しない。一定時間、イモータルオブジェクトとしてステージに『死体』として残るのだ。その両サイドに居たプレイヤーは、力が無くなってもたれ掛かる死体の重さで異変に気がつき、見えない敵手を求めてマシンガンの銃口を左右に向けるも、先にゲームから退場した者に続いて退場させられていった。

 

「……てっ、てめえは!?」

 

 音も無く三人のメンバーが殺られ、シノハラはようやく事の全てを知った。彼の目の前に居たのは、GGO二大アイドルを筆頭に、多くの美少女を侍らせ、全GGO男やもめを敵に回した憎きニューピー。咄嗟にマシンガンを構えようとしたが、シノハラは対峙する男の手に持った得物を見て、三人の仲間が音も無く殺られた理由を知る。

 

 それは銃剣作成スキルによって作られたであろう、刃渡り四十センチメートルほどの小太刀であった。

 

「!?」

 

 一瞬にして視界から消えた小太刀に、シノハラは頭を守る様にマシンガンを頭上に差し上げた。

 

 下がるよりも踏み出す方が良い。

 

 そう咄嗟に判断したシノハラは、それが幸いしてニューピーの身体に密着する様な距離で、小太刀の柄部分をマシンガンで受け止める事に成功した。もしも受け止めたのが、小太刀の刃の部分なら、マシンガンごと両断されていただろう。

 

 距離を取ろうとするニューピーに、シノハラは鍔競り合いの様な形で密着し、仲間達に指示を飛ばした。

 

「おい、おめぇら! 今がチャンスだ! 俺ごと撃て!!」

 

 凄まじい覚悟の指示に、仲間達が一瞬気圧されて目を見合わせるが、ニューピーに押されるシノハラの姿に意を決してマシンガンを構えた。その姿を確認したニューピーの顔に、禍々しい笑みが浮かんだ。ニューピーは鍔競り合いの小太刀から右手を放して腰背に回した。

 

「舐めんなよ、てめえ!」

 

 渾身の柄競り合いを片手で、それも左手で相手しようとするニューピーに、シノハラは激昂したが、それは一瞬だった。腰背に回したニューピーの右手が、黒光りするトンファーを引き抜いて突きつけてきた。

 

「!?」

 

 一瞬トンファーと見間違えた、その右手に握られた物体、それはあまりにも巨大な『拳銃』だった。その威容にシノハラは思わず絶句してしまった。そんなシノハラに構う事なく、ニューピーは巨大な拳銃の撃鉄を起こす。

 

 ガチャリ

 

 発射準備完了した音を聞いて、シノハラは我に返り、仲間に警告を飛ばそうと試みる。それと同時にニューピーは無慈悲にも、巨大な拳銃の引き金を引いた。

 

「おい、みんな伏せろ!」

 

 そのシノハラの警告の叫びをかき消す、甲高い炸裂音が響き渡ると、シノハラと後ろの二人の上半身が消し飛んだ。

 

 ニューピーが使った拳銃は、プファイファー・ツェリスカという、人によっては拳銃ではなく、ハンドキャノンに分類される代物だった。

 

 上半身を失い、力を失ったシノハラ達だった下半身アバターがドサドサと倒れるのを認め、ニューピーは緊張した呼吸を整える様に、ゆっくりと一回丹田で呼吸をしてから巨大な拳銃を腰背のホルスターにしまい、小太刀を鞘に納めた。

 

 

 全日本マシンガンラバーズが全滅するのを、モニター越しに観ていたGGOプレイヤー達が、戦慄の瞳でニューピーの姿を見つめていた。

 

 スモークで手の内を隠し、あっという間に三人を屠った剣技。コレクションするだけで、誰も使う事のなかった最強拳銃、プファイファー・ツェリスカを使いこなすアバターのスペック。そして、バージョンアップされた賞金ゲームを易々とクリアした身のこなし……

 

 キリトもそうだが、今までのGGOプレイヤーとは余りにも異なる戦闘スタイルに、古参のGGOプレイヤー達がうめき声を漏らす中、モニターの向こう側のニューピーに称賛の拍手を送る者がいた。驚いた古参プレイヤー達が、その拍手の音のする方に目を向けると、そこにはタトゥーメイクを施した、キツめの美女が不敵な笑みを浮かべていた。

 

「剣聖の二つ名は伊達じゃないって事かい。流石はアタシのダーリン、やってくれるじゃないのさ」

 

 周囲のプレイヤー達の目が集まるのを意に介さず、モニターを見つめるピトフーイの瞳には殺意の炎が燃え盛っている。嗜虐の笑みを浮かべる彼女のアバターは強烈な殺気を発散しており、見た者全てが言葉と態度のギャップに一歩引いて愕然としていた。

 

「ダーリン、アンタを一番先に倒すのは、このアタシさ。そして……」

 

 必ずアタシのモノにしてやる。

 

 そう決意してピトフーイは、右手を拳銃の様にしてモニター越しにニューピー、ヒョウを指差した。

 

「バン!」

 

 




シノンの新銃として、マクミラン TAC-50を用意したのは、筆者の独自解釈です。

第三回BoBで破壊されたのは、スコープのみで銃本体は無事だったのですが、この物語では第三回BoBで大きく精神的成長を遂げたシノンが、それを支えたへカートⅡのスコープを新調する事をよしとせず、そのままの形でストレージの中に封印した、という設定です。

マクミラン TAC-50 は、最長有効狙撃距離が三千メートルを超える化け物みたいなアンチマテリアルで(因みにへカートⅡは二千メートル)、本文中の通りの記録を持つ他、長距離狙撃において、成功距離上位五位まで独占する名銃です。第三回BoBで成長し、狙撃手として完全に覚醒したシノンが持つに相応しいと解釈し、採用しました。

賛否両論有るとは思いますが、御理解頂けると幸いです。

次回 第十七話 リハビリ


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十七話 リハビリ

 やっちゃった……

 

 新渡戸咲はそう思った。

 

 

 彼女の所属する新体操部は、インターハイで更なる高みを目指すため、猛特訓中である。

 

 彼女はキャプテンとして部を引っ張る為、そしてインターハイで好成績を残す為に、高難易度の技の特訓をしていたのだが、先日の部活動中、床に落ちた汗で滑って転倒してしまったのだ。

 

「エヘヘ、転んじゃった」

「大丈夫、キャプテン」

「汗で滑っちゃった」

「変な風に転んだよ? 痛い所、有る?」

「へーきへーき、ちょっと捻っただけだから。さぁ、練習再開よ、インターハイに向かって、ファイト!」

「おー!!」

 

 足に痛みを感じるも、今は大事な時と気合いを入れ、練習を続けようとしたのだがコーチはそれを許してはくれなかった。病院で診察検査を受ける様に厳命され、不承不承病院に行った咲は、ふくらはぎに軽い肉離れと第五中足骨の亀裂骨折と診断されてしまう。そして、その診断書を確認したコーチによって、咲は完治するまで部活動禁止を言い渡されてしまった。

 

 それでも部長として出来る事をしようとしたのだが、部長がそうだと部員達も怪我をした時に無理をしてしまうから絶対に駄目と、事もあろうに部室&体育館の出入り禁止まで言い渡されてしまった。

 

 そんな訳で放課後は治療のため、下校途中に病院に寄るのと、帰宅してからアミュスフィアを被り、治療中のブランク対策にバーチャルスポーツで個人練習をするのが、咲の日課となり現在に至る。

 

 

 という訳で、彼女はGGOにログインするのは皆よりも遅くなり、後から合流という日々が続いている。

 

 こうして咲は、灰色の鬱屈した毎日を送っていたのだが、それはある日を境に薔薇色に変わる事になる。そう、彼女は白馬の王子様と、運命の出会いを果たしてしまったのだ……

 

 その日は土曜日だった。午後、授業が終わってから、部活のみんなはインターハイに向けて猛特訓をしている。それを横目で見ながら、松葉杖を突き、咲は忸怩たる思いを抱きながら帰路についていた。

 

「ふぅ……」

 

 帰宅して、部屋に入った咲は、机の上に鞄を置くと、深いため息をついてベッドに腰かける。

 

「……」

 

 そうしてしばらく包帯でぐるぐる巻きになった、自分の右足をじっと見つめていた。

 

 あの時、もっと気をつけていれば……

 

 後悔と自責の念に囚われかけた時、リビングから母の呼ぶ声が、彼女の耳に入ってきた。

 

 

「咲ちゃん、こないだネット通販で注文した、スイーツセットが届いたわよ。一緒に食べない?」

 

 

 

 スイーツセット!! 

 

 

 どんな時も甘い物は正義だ。母親の呼ぶ声が、ネガティブ思考に沈んでいく咲の心を急浮上させる。

 

「食べる!! 私、フルーツロール!」

 

 届いたスイーツに舌鼓を打った事で、上手に気分転換ができた咲は、部屋に戻って制服から部屋着のスエット上下に着替え、アミュスフィアを被る。そして、もう一度右足をじっと見た。

 

 どんなに悔やんでも、これが現実なんだ。だったらくよくよせずに、今やれる事をやろう。

 

 そう決意して、彼女はベッドに寝そべって目を閉じた。

 

「リンクスタート!」

 

 

 咲が意気込んでログインしたのは、バーチャルスポーツの、新体操部で作ったトレーニングルームだ。リアルで練習出来ない分、ここで練習を積んで、怪我が治った時、感覚が鈍らない様にするのだ。新技の練習もしておけば、練習の遅れを最小限に留める事が出来る。いや、ここで内緒でマスターして、復帰後にみんなを驚かせてやろう! 

 

 そう思った咲だったが、意気込みばかりが先立つのと、効果的なアドバイスをくれるコーチもいないここでは、意気込み程の成果が得る事が出来ない。空回りする心に苛立ちを覚え、トレーニングルームを後にした彼女の目の中に、参加自由のフリールームが飛び込んできた。

 

「……スポーツチャンバラ……、何かしら?」

 

 日常のストレス解消、鬱憤ばらしにいかがですか? 老若男女、どなたでも参加自由です。

 

 そんな看板に吸い寄せられる様に、咲はそのフリールームの中に入って行った、そして……

 

「スキあり!!」

 

 そんな叫び声を耳にした瞬間、彼女は後頭部を思い切り棒状の物で叩かれていた。

 

「いきなり何を……」

 

 するの!! と言う間もなく、咲は数人の男の子に取り囲まれ、めったやたらに打ち据えられていた。

 

「ちょっと、ちょっと何!? きゃーっ! ちょっと止めて、ストップ! ストーップ!!」

 

 彼女は悲鳴をあげて逃げ回るが、男の子達はお構い無しに刀や槍等の武器を片手に、歓声をあげて咲を追いかけ回して打ち据える。

 

「やれやれー!」

「やっつけろー!」

 

 そんな子供達の歓声に、遂に咲の堪忍袋の緒が切れた。

 

「ちょっと待ってって……」

 

 彼女は両手に新体操のクラブを実体化させると、群がる男の子達を一喝する。

 

「言ってるでしょう!」

 

 そうして咲は、新体操の動きを応用して男の子達の攻撃をかわしながら、クラブで反撃を開始する。

 

「うわっ、この女、強いぞ!」

 

 一番年かさに見える、小学校高学年か新入の中学生に見える男の子が、咲の反撃に面食らってそう叫ぶ。その様子に若干の余裕が出来た咲は、頭上に高く両手を伸ばし、クラブの基本型の風車で威嚇する。

 

「当たり前じゃない、高校生をなめないでよね」

 

 余裕の笑みを浮かべる咲だったが、彼女の思いとは裏腹に、男の子達は怯むどころか、嘲りを含んだ笑い声をあげて指差してきた。

 

「うっそだぁ―」

「そんなチビの高校生がいるもんか!」

 

 男の子達のその態度と言葉に、咲は思わず歯軋りをした。

 

「何ですって!? よくも私が一番気にしている事を!! ぐぬぬぬぬ」

 

「やーいやーい、チービチービ」

 

 囃し立てる男の子達に、咲の頭は沸点に達した。

 

「あんた達~」

「?」

 

 顔を覗き込んできた男の子達に、彼女は思い切り怒鳴り声をあげた。

 

「ギッタンギッタンにしてやるから、覚悟しなさい!!」

「わぁっ、逃げろー!」

 

 男の子達は楽しそうな歓声をあげて、蜘蛛の子を散らす様に逃げ出した。そんな彼らを咲は華麗な新体操の動きで追い詰め、近くの男の子はクラブで打ち据え、離れた男の子はリボンで絡めとり、遠くの男の子にはフープやボールを投げつけて倒していく。

 

 あら、新体操でも随分戦えるじゃないの? ひょっとして私、天才かしら? ふっふーん、我、今ここに開眼せり! これならきっとALOでも、アスカエンパイアでも通用するわ。どうだ、参ったか!?

 

 内心でそう思いつつ、咲は屍るいるいとなった男の子達に声をかける。

 

「どう? 降参してごめんなさいするなら許してやるわよ」

「畜生! こんなヤツ、ヒョウ兄ちゃんが居ればやっつけてくれるのに!」

 

 勝ち誇って降伏勧告をする咲に、一人の男の子が悔しそうにそう言うと、他の男の子達も「そうだそうだ」と、口を揃える。

 

「ヒョウ兄ちゃん? 誰よ、それは?」

 

 男の子達に慕われているらしいその人物に興味を持った咲が聞くと、一見してお調子者と知れる一人の男の子が、誇らしげに捲し立てる。

 

「このスポーツチャンバラの部屋を作った人さ。お姉ちゃんも強かったけど、ヒョウ兄ちゃんの方がもっと強いぞ! なんたってヒョウ兄ちゃんは、アインクラッ……」

「バカっ! 何言ってるの、アンタ!!」

 

 自慢気に話す男の子だったが、それまで遠巻きに見ていた真面目そうな女の子が途中でその言葉を血相を変えて遮った。

 

 そう、このスポーツチャンバラの部屋は、元々ヒョウとツウがSAOで経営していた保育園兼孤児院の子供達に対して、交流とメンタルヘルスの為に開設したものだった。当然それ以外の参加者には、アインクラッドの事は秘密である。

 

 男の子は女の子の言葉にハッとして、しまったという表情で両手で口を塞ぐ。男の子はそれまでの強気な態度を引っ込めると、背中を丸めて咲に対して後ろを向いた。その態度の豹変ぶりに訝しさを感じた彼女は、子供達に問いかける。

 

「誰なのよ、そのヒョウ兄ちゃんって? 何、アイン何とかって?」

 

 子供達を見回すと、彼らは視線を泳がせ反らし、そっぽを向いて誤魔化そうとしている。業を煮やした咲は、両手のクラブを素早い小回しで威嚇して

 

「ちゃんと教えてくれないと、またやっつけちゃうわよ!」

 

 と、語気を強めて答えを促した、すると……

 

「アイーン」

「アイーン」

 

 男の子達は一斉に、昨晩テレビで放映した伝記映画の主人公、昭和から平成にかけて一時代を築いた、今は亡き国民的コメディアンのギャグを真似し始めた。

 

「ちょっとあんた達、誤魔化さないの!」

 

 咲は語気を強め改めて聞くも、男の子達は悪乗りして「アイーン」「アイーン」と繰り返すばかり。ならばと思った彼女は、男の子の言葉を遮った女の子に向かって、眦を吊り上げて答えを促す。すると……

 

「あ、あ、あ……、アイーン……」

 

 しばらく目を泳がせた女の子は、顔を真っ赤にして男の子達が繰り返すギャグをして見せた。

 

 ダメだこりゃ……

 

 そう思った咲の背後に、新たにログインしてきたとおぼしきプレイヤーの声がした。

 

「みんなお待たせ」

 

 その声に、子供達の表情がパッと輝いた。

 

「あっ、ヒョウ兄ちゃんだ!」

「ヒョウ兄ちゃん!」

「ヒョウ兄ちゃん!」

 

 皆は次々に咲の横をすり抜け、ログインした男を取り囲む。こいつがヒョウ兄ちゃんとやらか、ずいぶん慕われている様だけど子供達、特に男の子達の躾がなっていないわ! ガツンと言ってやらないと! 咲はそう思いつつ咳払いをして皆の注意をひき、ヒョウに声をかけた。

 

「ちょっとアンタ……」

「? ああ、新しい人? 初めまして、僕はヒョウ。ここの管理人です。ようこそ、スポーツチャンバラへ」

 

 涼やかな出で立ちの長身の男の、物腰柔らかい優しげな自己紹介に、咲は心の中で拳を振り上げていた事を忘れて、思わずドキリとして息を飲む。そんな咲を指差して、男の子達が口々にヒョウに訴えかける。

 

「ヒョウ兄ちゃん、こいつ、新入りの癖に生意気なんだ!」

「やっつけてくれよ! ヒョウ兄ちゃん!!」

「何があったんだい?」

 

 男の子達の訴えを真に受けず、ヒョウは女の子に目を向けた。すると女の子が咲が入ってからのいきさつを話し始めた、話しを聞いてヒョウは顔を曇らせて、男の子達を見回す。

 

「こら、ダメじゃないか、そんな事をしたら」

 

 ヒョウは男の子達をたしなめると、咲に向き直り頭を下げて謝罪する。

 

「どうもすみません、この子達が失礼をしたようで……。ほら、みんなもちゃんと謝る」

「ごめんなさ~い」

「よし、許してもらえるかな? えーと……」

 

 素直に謝った男の子達に頷いてから、優しげな笑みを向けてきたヒョウに、咲は思わず見とれてしまう。

 

「さ、咲よ! 良いわ、貴方に免じて、特別に許してあげる。いい、特別なんだからね!」

 

 女子高故に、同世代の男子に耐性不充分の咲は、反応が遅れた上に言葉を噛んでしまい、赤面してしまう。すると頭を下げていたはずの男の子の内の一人が、そんな咲の顔色を目敏く見つけて声を上げる。

 

「あっ、お姉ちゃん顔が真っ赤!」

 

 その言葉に、男の子達は次々に頭を上げ、意地の悪い笑みを浮かべ、謝罪させれた意趣返しに咲をからかい始めた。

 

「お姉ちゃん、どうしてそんなに顔、赤いの?」

「さては、ヒョウお兄ちゃんに一目惚れしたな?」

「やーいやーい、一目惚れ、一目惚れ!!」

 

 咲を囃し立てる男の子達に、ヒョウは顔をしかめて再び注意するが、さらに顔を赤らめる咲を見て、一層声高に騒ぎ立てる。

 

「ぐぬぬぬぬ」

 

 騒ぎ立てる男の子達に、咲は俯いて拳を握りしめる。二次性徴期に突入した男の子特有の生意気さに、咲の胸の中に怒りがふつふつとこみ上げて来る。なまじ図星が含まれる為に、咲の怒りは半端ではなかった。彼女は再び両手にクラブを実体化させ、振りかぶった。

 

「コラーっ!!」

「あっかんべーだ!」

 

 男の子達は、笑いながら悪態をついて、ヒョウの後ろに逃げ込んだ。ヒョウは男の子達の行動に困惑し、咲に向かって愛想笑いを浮かべ、謝意を込めて会釈をする。その姿に咲の怒りは氷解しかけるが、そうするとまた男の子達になめられかねないと踏みとどまり、キッとヒョウを睨み付けた。

 

「ちょっとアンタ! 管理人ならちゃんと子供達の躾をしなさい!」

「申し訳ない……」

 

 頭を掻いて穏やかに微笑むヒョウは、男の子達が言っていた様に強いとは咲には思えなかった。だが、その優しげな姿に惹かれていく自分を自覚して、咲はさらに苛立っていく。初対面の男に惹かれていく気恥ずかしさと、その事を男の子達に冷やかされている事で、やり場の無い怒りの矛先を咲はヒョウに向けた。

 

「何よ! そんな事だから子供達になめられるのよ! 私と勝負しなさい! 私がアンタの性根を叩き直してあげる!!」

 

 クラブを突き付けて勝負を挑んできた咲に、ヒョウは目を丸くして見返した。

 

 なによ……、今はこんなアバターだけど、GGOにログインすれば私は泣く子も黙るシンクのエヴァなんだからね……、ちょっとくらい良い男だからって、いい気にならないでよね。あんまりなめていると、ギャフンと言わせてやるんだから!! 

 

 咲は新体操の優雅な動きで前転しながらヒョウに近づくと、足を薙ぎ払う様にクラブを振った。そのトリッキーな攻撃に、ヒョウは「おっ!?」と表情を変え、一歩飛び下がりニヤリと笑う。ヒョウの顔から余裕を消した咲は、してやったりとクラブを回して挑発する。

 

「ふーん、ガキンチョ達が強いって言ってたのは、まんざら嘘では無さそうね。これはどうかしら!?」

 

 咲はヒョウの周りを優雅に舞う様に回転しながら、クラブの波状攻撃を開始した。その攻撃を紙一重でかわしながら、ヒョウは咲の動きに辺りをつける。初めは中国武術の武当派の双剣術かと思ったが、ヒョウは微妙な違和感を感じていた。優雅な体捌きの中に隠れた鋭さに比べ、クラブによる攻撃に殺気が無いのだ。打つ、斬るというよりは、ただ回している様に見える動きに、これは武道、武術ではないなと看破したが、だからといってなめる訳にはいかなかった。

 咲のトリッキーな動きは、一対一だけではなく、一対多でも充分対応できるだろうと推測できたし、何よりもその体捌きが、ヒョウをして油断できぬ物となっていた。それもその筈、咲が新体操を始めたのは、ヒョウが祝心眼流古武術を始めたのと同じ六歳である。一芸に秀でる者は、万芸に秀でる、その喩え通り、十年以上研鑽を積んだ咲の動きは、ヒョウをして瞠目するに値する物だった。

 

「どうしたの? 避けてるだけじゃ、相手にならないわよ!」

 

 と、口では挑発する咲だったが、内心ヒョウの動きに冷や汗をかいていた。

 

 何よ、コイツ、今のは当たったと思ったのに……、チョコマカでもない、のらりくらりでもない、風や水が自然に流れる様な身のこなし、只者じゃないわね……

 

 強いと言っても、所詮はガキンチョの戯言。カテゴリーは違えど、GGOで真剣勝負を重ねてきた私の敵ではない。そう考えて勝負を挑んだ咲だったが、ヒョウの見切りと身のこなしに、かなりの高位の実力者であると、最初に予測したヒョウの実力を上方修正して構え直す。

 

 コイツを倒すには、あの動きが必要! 

 

 咲はチャレンジしていた新技の動きで、ヒョウに挑みかかって行った。

 

「!?」

 

 ヒョウは咲の攻撃に、一瞬虚を突かれるも、高度な身体制御が必要な割に、今までとは違う荒削りさを見て取り、何かの練習中の新技かと察しをつける。

 

「やっぱり、完成してない技は通用しないか……、でも良いわ! 当たるまで何度でもやってやるんだから!」

 

 ヒョウとの戦いに、咲の心は浮き立った。GGOでも自覚していたが、自分は負けず嫌いのバトルジャンキーだという事を、この戦いで再認識した咲は満面の笑みを浮かべながらも、ヒョウの目を鋭く見据える。その目を涼やかに受け止め、ヒョウは装備を刀から左手に小太刀、右手にトンファーへと持ち替えた。トンファーの持ち方は、型通りの持ち方ではなく、拳銃を持つ様な持ち方である。

 

「じゃあ、とことん付き合わせて貰うよ」

「上等! ギャフンと言わせてやるんだから!」

 

 二人は目まぐるしく攻守を入れ替え、戦いを繰り広げる。咲は新体操の技を駆使しながら、試行錯誤を繰り返して新技の完成度を高めていく。一方のヒョウも試行錯誤を重ねていた、左手の小太刀は祝心眼流小太刀の型である、それにどう右手のトンファーを合わせていくかを課題にしていた。

 右手のトンファーは、GGOで使うプファイファー・ツェリスカ・リボルバーを擬した物である。彼はGGOで、左手に小太刀右手に拳銃という、変型のガン=カタを模索しているのだ。二人は時間が経つのも忘れて、戦いを通じて研鑽を重ねて高め合っていく。この日から、咲のバーチャルスポーツでの訓練は、薔薇色の日々となった。

 

 

 

「新渡戸さん、新渡戸咲さん」

 

 咲の薔薇色はバーチャル空間だけではなく、リアルにも影響を及ぼしていた。バーチャルスポーツでの動きを反芻し、イメージトレーニングをする咲は、その流れでヒョウとの戦いも思い出す様になっている。初めはどうすればクラブを当てる事が出来るか? と、イメージしていたのだが、日を追うにつれ、それも変化していった。

 バーチャル空間でのヒョウとの戦いが重なるにつれ、咲はある日、ふと戦いを通じて会話している感覚を覚えたのだ。

 

 私達、心が通じ合っているんじゃ?

 

 それをヒョウに確認する事は、年頃の乙女である咲には恥ずかしくて出来なかったが、その分妄想が加速して所構わず暴走する様になっていた。授業中の今でさえ……

 

 先生の呼び掛けにも上の空で、にへらっと締まりの無い笑みを浮かべ、妄想の空間に遊ぶ咲を見かねた幼なじみで後ろの席の藤澤カナが背中をつつくが気づかない。それならばとカナは大胆な行動に出る。

 

「うひゃっ!!」

 

 いきなりブラジャーのホックを外され、驚いて声にならない悲鳴を上げた咲は、振り返ってカナを睨み付けた。しかしカナは悪びれるでもなく、眉間に皺を寄せて前を指差している。

 

「…………」

「ゲッ!!」

 

 カナの差した指の先には両手を腰に当て、こめかみに青筋を浮かべながら、世にも恐ろしい笑みを浮かべる先生の姿が有った。

 

 そんな日々が続いたある日、ヒョウとの戦いの中で、咲はチャレンジしていた新技を会得し、ヒョウに一太刀浴びせる事に成功する。その喜びの余り、咲は戦いを中断してヒョウの手を握りしめる。

 

「やった! やった、完成したわ!! 見て見て!」

 

 咲は興奮気味に話し続ける。

 

「私ね、リアルで新体操をやっているの。インターハイに向けて新技に挑戦してたんだけど、なかなか出来なくて。焦っているうちに怪我はするし、バーチャルスポーツで自主連しても、全然上手くいかなくて。でも、貴方と戦う様になってから、ほら!」

 

 新体操の演技を披露する咲に、ヒョウは拍手を贈る。

 

「へぇ、新体操の動きだったんだ、全然分からなかったよ。今の最後の技、凄かったね」

「でしょう! 貴方のおかげよ、ありがとう!」

 

 全身で喜びを表し、飛び付く様に抱きついてきた咲を、ヒョウは受け止め損ない仰向けに倒れてしまう。しかしそんな事もお構い無しに、咲はヒョウの上に馬乗りになって、手を握って喜びはしゃいでいた。やがて感情の高ぶりが収まり、落ち着きを取り戻した咲は、慌ててヒョウの上から飛び下がり、もじもじと顔を赤らめる。

 

「ゴメンね、ヒョウ。私、嬉しくて、つい……。あっ、ごめんなさい、や、約束の時間だ! 私、帰らなきゃ! また今度ね!」

 

 逃げる様にログアウトした咲は、翌日からため息ばかりつく様になっていた。ため息の理由は二つ、一つは喜びの余り取ってしまった行動で、ヒョウにはしたない女の子と思われたのではという危惧と、もう一つは折角完成した新技が、怪我がまだ完治していない事で、リアルで再現、披露できない事だった。

 

 そんな訳で、気まずくなった咲は、その後スポーツチャンバラの部屋を訪れる事なく、バーチャルトレーニングルームで、一人鬱々と膝を抱える日々が数日続いた。そんな咲に、またしても大きな転機が訪れる。それは怪我の治療の為に、病院に行った時の事だった。治療後、早く完治させてリハビリしなきゃ、という心が、咲をいつもの帰る通路から外させ、リハビリ室へと足を向けさせた。そこで彼女は、壮絶なリハビリ風景を目にして絶句してしまう。

 

 それは、動かない全身に力を込め、必死に立ち上がろうとする少年の姿。少年は、介助の少女の手を借りて、手すりにつかまり立ち、必死に両足を動かし、歩こうともがいている。その姿に、咲はハンマーで思い切り頭を殴られた様な衝撃を受けて、拳を握りしめた。

 

「負けられない……」

 

 咲の通う病院は、横浜港北総合病院である。そして、偶然見てしまったリハビリに励む少年は、あのアバターと瓜二つだった。何が有ったのかは知らない、でも、リアルでもバーチャルでも、腐る事なく研鑽を続けるあの姿勢、あの過酷さに比べれば、自分の怪我なんて。咲はこみ上げる涙を拭いて、その場を後にした。

 

 そうして帰宅した咲は、アミュスフィアを被り、ベッドに横たわる。

 

「リンクスタート!」

 

 ログインした咲の目の前には、近未来的ではあるが、鉄臭い雰囲気の空間が広がっていた。GGO、グロッケンの酒場である、その中に、見知った厳つい女の背中を見つけた咲/エヴァは歩み寄り、声をかける。

 

「どうだい、噂のニューピーは?」

「あ、ボス」

 

 厳つい女達が、エヴァに注目する。

 

「今始まった所さ、流石チームキリト、全日本マシンガンラヴァーズ程度じゃ、相手にならないね」

「アタシらなら、返り討ちに出来たのに」

「ふーん」

 

 ソフィーとトーマの言葉を聞き流し、エヴァはモニターを見つめる。そして戦いのクライマックスで、見知ったアバターが、見知った変型のガン=カタで勝負を決める姿を見て、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。

 

「負けないよ……、負けるもんか」

 

 




難産でした。まさか、新体操には、体操の様な技名が無いとは、全く知りませんでした。咲のチャレンジしていた技をどう表現するか、悩んで悩んだ挙げ句、こんな形になってしまいました。

次回 第十八話 SJ


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十八話 SJ ①

長らくお待たせ致しましたm(__)m


「俺達こそが最強だと、精鋭スコードロンが戦いの園に結集だ! 今回の面子もBoB何するものぞと気合い充分! スクワット・ジャム特別大会、間もなく開始です!!」

 

 女性アナウンサーの興奮気味の言葉に、ギャラリー達は熱を帯びた目でモニターに身を乗り出す。

 

「各スコードロン、今回はいつもに増して気合いの入り具合も一味違う! それもそのはず、今回の特別大会にはSJの真祖にして元祖、あの二人がスコードロンを率いて参戦だ!」

 

 女性アナウンサーが言葉を区切ると、モニターにキリトとシノンの顔がクローズアップされる。

 

「第三回BoBで息の合った共闘を繰り広げ、並みいる強豪プレイヤーを薙ぎ倒し、見事同時チャンピオンの栄光を射止めたキリト&シノンのペアが、満を持してSJの舞台に登場だ!!」

 

 アナウンサーの煽りに、中継モニターを観る者達は目を見開いて身を乗り出す。大写しにされたキリト達に、グロッケンの酒場で観戦するGGOプレイヤー達が、待ってましたと歓声を上げる。

 

「イヨッ! 待ってました! キリトちゃん!!」

「クールな狙撃、期待してるぜ! シノン!!」

 

 モニターは、キリトのチームを紹介する様にメンバー一人一人を大映しにしていく。ギャラリー達はアスナ、リーファ、そしてツウのGGOには似つかない可憐な美少女ぶりに目を見張り、指笛を吹き歓声をあげる。

 

「お、俺は全財産キリトちゃんのスコードロンに賭けるぞ!」

「おっ、俺もだ!」

 

 可哀想な事に、GGOプレイヤーのほとんどが、キリトが男である事実を知らない。盛り上がるギャラリーに、不快感を露に鼻を鳴らす者がいた、SHINCのエヴァである。

 

「フン」

「中身がどうだか分からないのに、馬鹿な連中だね、ホント」

 

 隣に並び立ち、ソフィーが吐き捨てるように揶揄すると、エヴァは不敵な笑みを浮かべる。

 

「まぁ良いさ、ただ……」

「ただ?」

「アタシらが奴らを倒した時、連中の悔しがる顔を直接見れないのが残念だね」

「アハハハハ、全くだ!」

 

 腹の底から楽しそうに笑うソフィーの笑い声をかき消すように、酒場全体からブーイングがあがる。

 

「でもアイツだけは許せねぇ!」

「ああ、同感だ! あんチクショウめ!」

「お前だけは死んじまえ!!」

「そうだそうだ!!」

 

 彼らはモニターに映しされたキリトのスコードロンの唯一の外見男性アバター、ヒョウに嫉妬から来る罵詈雑言を浴びせていた。エヴァはモニターのヒョウの姿を目にすると、いつかのスポーツチャンバラの部屋での戦いを思いだし、弛緩した精神を引き締め直す。

 

「気合い入れて行くよ! みんな!!」

「オウッ!」

 

 モニターに大映しされたヒョウに、闘志を込めた眼差しを向けていたのは、エヴァだけではなかった。

 

「バァン」

 

 ピトフーイが嗜虐と茶目を絶妙なブレンドで混ぜた表情で、モニターに映るヒョウに拳銃を撃つ真似をする。

 

「待ってなよ、剣聖、アタシがその首、カッ斬りに行くまで。アッハッハッハ」

 

 高らかにあげるピトフーイの哄笑を書き消すように、アナウンサーがスクワットジャムの開催を告げる。

 

 

「今回は一体どれだけの弾丸が消費されるのか!? さあ、準備は良いか、野郎共!! スクワットジャム、スタートだ!!」

 

 レンが、エムが、フカ次郎が、そしてピトフーイが闘志を胸に、キリトとヒョウを見つめながらバトルフィールドへと転送されて行く。そんな事を知らず、ヒョウは装備を整えながら、御前/巴の言葉を思い出していた。

 

「自分自身の欲望に忠実なあの女を間近に見れば、お主の考えも少しは柔らかくなるやも知れん」

 

 ここで俺は何が変わるのだろう? 腰に差した小太刀の柄を無意識に握るヒョウの肩に、不意に手が置かれる。

 

「さぁ、行こうぜ、ヒョウ」

 

 ヒョウが振り返ると、気の置けない仲間達が、いつもの笑顔でこちらを見ていた。その笑顔にヒョウの迷いは断ち切られた、そうだ、考えても仕方ない、やってみなければ分からないのだ。悔しいが、今まで師匠の言葉に間違いはなかった、剣だけではなく人の在り方も……

 

「ああ、行こう」

 

 

 

 ヒョウ達が転送されたのは、バトルフィールドのほぼ中央である。眼前には廃墟と化した飛行場があり、数台の高機動車が打ち捨てられていた。

 

 高機動車を見つめ、ツウがヒョウの袖を引っ張る。

 

「ねえタケちゃん、私、あれ欲しい……」

「うん、そうだね。みんな、良いかな?」

 

 ヒョウは仲間達を見回す。

 

「そうね、有ると便利なのは間違い無いし、良いんじゃない」

「ツウがメインウエポンを装備出来ないのも問題だし、私も賛成よ」

「コヅ姉さんのドラテク、楽しみだなぁ。リアルでも運転免許持ってるんですよね?」

「ドライブピクニックじゃないんだぞ、スグ。決まりだなヒョウ、取りに行こうぜ」

 

 三人娘が合意すると、キリトも妹のリーファをたしなめながら合意する。全員の合意を得られたヒョウが力強く頷くと、その姿をツウは頼もしげに見上げる。

 

「ありがとう、みんな。となると……」

「アイツらが邪魔だな……」

「ああ、そうだな……」

 

 ヒョウが空港廃墟に向かって駆け出すと、キリトはチームメンバー達に目で合図を送る。すると、全員が頷きあい、迅速に行動を開始した。シノンは高台に駆け登り、狙撃銃を展開し、リーファはスポッター兼護衛として、シノンの傍らで警戒しながら標的を探る。ツウはキリトとアスナの護衛の下、周囲に気付かれないように警戒し、ゆっくりと高機動車に近づいて行く。

 

 

「おいっ、あれを見ろ!」

「舐めやがって、アンニャロウ!!」

 

 空港廃墟に陣取るスコードロン、IRAPLOのメンバーは、一見無策の無防備で駆け向かって来るヒョウを見つけると、手にした銃を向け制圧射撃を開始した。

 

「イケ好かない色男め、蜂の巣にしてやる!」

「ファンタジーに帰れ! 女男!!」

 

 IRAPLOメンバーの射撃が始めると同時に、ヒョウが腰背に差した小太刀の鞘がソードスキルのエフェクト光を発した。

 

「変移抜刀!!」

 

 巧みなサイドステップを入れた突進に、分身したと幻惑されたIRAPLOの隙を突く様に、はるか遠方から、やや間を開けた三連続の乾いた銃声が鳴り響く。

 

「霞斬り!!」

 

 ヒョウが敵陣たる空港廃墟に足を踏み入れると同時に、ヘッドショットを決められ即死判定されたアバターと、首を斬り飛ばされてHPの全てを喪い倒されたアバター、合計四つのアバターが彼の足下に転がる事となった。

 

「しっかし二人とも、一体どんな連携なんですか、これ」

 

 間近で一部始終を見届けたリーファが、驚愕を通り越した呆れ顔で声を荒げる。

 

「背後にバレットラインを隠して、ギリギリまで引き付けるなんて普通出来ませんよ、一体どれだけ超人なんですか、タケちゃんさん。シノンさんもシノンさんです、あの不規則な変移抜刀に、良く合わせて狙撃なんて出来ますね!?」

 

 ALOの冒険でも、弓矢ソードスキルをギリギリまで背後に隠すヒョウとシノンの連携を見ていたリーファだったが、それをGGOで見せつけられるとはリーファは思っていなかった、リーファをしてそれだから、ヒョウを知らないGGOプレイヤー達は度胆を抜かれたどころではない衝撃を受けた。

 

「おいおいおい見たか今の……」

「ただの数合わせじゃなかったのかよ……」

 

 大多数のGGOプレイヤー達は、キリトとシノン以外は、数合わせに連れて来ただけの、有り体に言えばいるだけで良い『弾除けメンバー』と高を括っていた。

 

「へーんだ、俺は分かっていたぜ! 流石この俺様を斬った男だぜ!」

「お前、それ自慢になってねえぞ」

「うるせぇ、バカヤロー!!」

 

 ヒョウの賞金ゲームを見ていたプレイヤー達が、自慢気に声を上げたその時、バトルフィールドでこの戦いを偵察観戦していたプレイヤー達も一様に感嘆のうめき声をあげていた。

 

「流石だね。アイツなんだろう、ボスの想い人は」

「バカっ! そんなんじゃないって、何回も言ってるだろう!!」

 

 ソフィーがエヴァをからかうようにそう言うと、エヴァが真っ赤になって否定し、メンバー達が爆笑する。かつて咲が授業中にうわの空となり、先生に注意を受けた後の昼休み、洗いざらいを白状させられてから、ヒョウは彼女の片想いの相手と新体操部のメンバーに認識されていた。どんな人だろうと、件のスポーツチャンバラに押し掛けて見ようと計画した矢先、GGOにその人物とおぼしき者が現れたのだ、女子高故にリアルでも浮いた話に乏しい彼女達にとって、このゴシップは格好の恋バナネタになっているのだ。

 

「全くどいつもこいつも……。気ィ抜くんじゃないよ! 今はスクワットジャムの真っ最中なんだよ!」

「ヘーイ」

 

 シンクのメンバー達は、エヴァが本当に怒り出す前に話を切り上げ、ニヤニヤ笑いながら双眼鏡を覗き込む、そして……

 

「信じられない……、タケシ・ハフリヤ……。ヒースロー空港の奇跡……」

 

 青ざめた表情で、トーマが辛うじてそう呟くのみで、シンクのメンバー全員が絶句した。

 

 

 シノンとの連携で、あっという間にIRAPLOの六人の内、四人を打ち倒す事に成功したヒョウは、空港廃墟に踏み込み残った二人を見据えると、彼は軽いデジャヴを覚えていた。狼狽える一人に縮地で踏み込むと、気合い一閃カラシニコフを弾倉とトリガーの間で斬り落とし、峰打ちで顎を打ち上げ叩きのめす。そしてもう一人に向かって縮地で踏み込んだ。

 

「う、うわぁ! くっ、来るな! 化け物!!」

 

 もう一人の敵は、ヒョウに向かってカラシニコフを乱射するも、一発目はマズルジャンプを抑えられずに明後日の方向に飛んで行き、二発目は弾道を見切ったヒョウの刀に斬り落とされる。

 

「ヒッ、ヒィイイイ」

 

 三発目を発射した時には既に、ヒョウは銃口の下に潜り込み、逆袈裟でカラシニコフを真っ二つにすると、返す刀で敵の首を斬り飛ばし、納刀した。

 

「やっと予選を勝ち抜いて来たってのによ!」

 

 振り返ったヒョウの目の前には、さっき叩きのめしたもう一人の敵が、体勢を建て直して立ち上がっていた。着ていたジャケットを八つ当たりの様に叩きつけて脱ぎ捨てると、プラスチック爆弾を括り着けたベストが露になる。

 

「畜生! 死なばもろともだ!!」

 

 叫ぶ敵が、起爆装置のレバー式のスイッチに掛かる親指に力を込めようとした刹那、ヒョウは無拍子で抜刀すると、スイッチの根元から斬り飛ばし爆弾を無力化し、またしても返す刀で素っ首を撥ね飛ばした。奇しくもかつて、ヒースロー空港でテロリストを退治したその動きで、残った敵を全滅させた。かかった時間は約五分弱とほぼ同じ、違ったのはヒースロー空港では峰打ちだったが、今回はきっちり首を斬り落とした事だ。

 

「タケちゃ~ん、車確保したよ~」

「コヅ姉、今行く~」

 

 ヒョウがそこに駆け寄ると、ツウはキリトとアスナの護衛の下で、ストレージから実体化した高機動車と同等の大きさを持つ、車輪付きの箱状の物体を牽引装置に繋ぎ終えていた。

 

「これでヨシ」

 

 三人は車に乗り込むと、シノンとリーファに合流すべくツウはアクセルを踏み込む。その排気音を聴きながら、この戦いを偵察していた中のもう一つのチーム、そのメンバーが不敵な笑みを浮かべながら、アミュスフィィアのストレージから、一冊の本を実体化してページをめくった。

 

「抜く手を見せずに並みいる敵を一刀両断、対モンスターだけではなく、対人戦闘最強と噂された『無敵』のサムライプレイヤー……。へぇぇええ~」

 

 ピトフーイが実体化し、音読したのはSAO事件全記録集である。開いたページの見出しには、こう書かれていた。

 

 

 黒のサムライ

 

「サバイバーだったんだ、ダーリン。……と、言うことは……」

 

 本を閉じ、ストレージに戻したピトフーイの目は、レンに倒されて以来失っていた狂気の光が再び灯っていた。

 




次回 SJ ②


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第十九話 SJ ②

「ミラナ! ミラナ! ちょっと来なさい!!」

 

 

 リビングからけたたましい父親の呼び声で、微睡みから覚めたミラナ・シドロワは、あくびと共に大きく伸びをすると、ロッキングチェアから立ち上がり、自室を出てリビングへと向かった。久しぶりに日本からモスクワの父親の元に戻った彼女は、時差ボケの抜けない頭で考える。きつい口調だが、怒っている口調ではない。何事だろうと目を擦りながら、ミラナはリビングに入って行った。

 

「どうしたの? パパ」

「ああ、ミラナ、休んでいるところ済まない、兎に角パパと一緒にテレビを見てくれ」

 

 興奮に上ずった口調で話す父親の視線が、釘付けになっているテレビの画面を見るや、ミラナの意識は時差ボケを吹き飛ばし、一気に覚醒する。

 

「もう一度見てみましょう、今度はスローモーションで再生します。ここです! 皆さん、見えましたか!?」

「いや……、気がついたらもう刀を抜いていて……、お恥ずかしい、全く見えませんでした。いやぁ信じられない、スローモーションなのに抜く手が見えないなんて」

「本当に信じられません、私にも全然見えませんでした。アマチュアレスリングで金メダルを取った、トップアスリートのヒョルドーさんに見えないんですから、当然と言えば当然です。この日本の少年、タケシ・ハフリヤは……」

 

 ミラナは自分よりやや年上と思える少年が、真剣を巧みに遣い、二人のテロリストを撃退するニュース番組を観て、言葉を失い立ち尽くした。

 

「ミラナ、君はこの子を知っているかい? 友達だったりしないよね!?」

 

 突拍子もない父親の言葉に、ミラナは視線をテレビ画面から逸らす事無く、首をふるふると左右に振って否定する。

 

「本当かい? 日本は狭いから、もしかしたらと思って」

「パパはモスクワ中の人をみんな知っているの? 日本はロシアよりも狭いけど、モスクワよりは広いのよ!!」

 

 

 普段暮らしている、大好きな日本を誤解され、子供らしくカチンと来たミラナが、ややきつい口調で応えると、父親はやや恥じ入った口調で言葉を返す。

 

「ああ、そうだったね、済まん済まん、確かにパパもモスクワ中の人は知らないな。それにしても凄い少年だ、日本には、まだサムライが居るんだね、驚いたよ……」

 

 日本の企業を相手に貿易をしているにもかかわらず、微妙に勘違いしている父親の言葉を聞き流し、ミラナはテレビに映る少年の剣技に心を奪われていた。

 

 数日後、自室でパソコンの動画サイトを食い入るように見つめるミラナに、興奮気味に呼ぶ父親の声が聞こえた。

 

「ミラナ! ミラナ! ちょっと来なさい!!」

「もう、どうしたの、パパ」

 

 テレビのニュース番組の後、パソコンで検索して探し当てた祝屋猛の動画鑑賞を邪魔されて、一瞬で不機嫌になったミラナは、それを隠そうともせずにリビングに突撃した。そして抗議する前に語られた父親の言葉に、ミラナの機嫌は一瞬で修復される事となる。

 

「ミラナ、例のタケシ・ハフリヤだけどね、何と実はパパの会社の取引先の息子さんだったんだ!!」

「えっ!?」

「日本の取引先に、祝屋商事という会社が有って、まさかと思って聞いてみたら、そこの三男なんだそうだ。いやぁ、世界はモスクワよりも狭いとは思わなかったよ! ハッハッハ」

 

 愉快そうに笑う父親を呆然と見上げるミラナに、信じられないサプライズがもたらされる。

 

「実はヨーロッパ剣道連盟が主催する、タケシ・ハフリヤの演武公演が来週モスクワで開かれるんだが、私のコネで花束贈呈のプレゼンターを、ミラナに決めてきたよ。どうだい、嬉しいだろう?」

「!?」

 

 茶目っ気溢れるウインクをする父親をリビングに残し、ミラナは赤らめる頬に手を当てて自室へと駆け込んだ。

 

 そうして公演の日、つつがなくスケジュールが進み、全ての演武を終えた祝屋猛に、花束を贈呈する時がやって来た。とても二歳年上の小学生とは思えない、祝屋猛の剣技を目の当たりにし、驚きのあまりミラナの頭からは、全ての段取りが飛んでしまい、カチコチになって花束を差し出す。

 

「ど、どうぞ……」

 

 本当はロシア語で、『ロシアへようこそ。とても素晴らしい演武を、ありがとうございます』と言うはずだった、しかし、緊張のあまりミラナは、慣れている日本語で、一言そう言うのがやっとだった。

 

「スパシーバ……って、あれ? 日本語?」

「えっと、あの……、ごめんなさい!!」

 

 花束を受け取った祝屋猛のその言葉に、我に返り失態した事に気づいたミラナは、恥ずかしさに逃げ出そうとした。しかし……

 

「ありがとう、久しぶりに日本語が聞けて嬉しいよ。実は少しホームシックだったんだ」

「えっ?」

 

 屈託無い笑顔で握手する祝屋猛、その笑顔と剣ダコで硬くなっているにもかかわらず、優しく暖かい手の感触に、ミラナの心は撃ち抜かれた。以来、二人の交流は、二千二十二年まで続いていた。

 

 

 ▲▽▲▽▲▽

 

 

「でね、刀を握っている時と、そうじゃない時のギャップが凄いの、優しくて可愛くて……。ああもう! あのニューピーが本当に猛さんだったらどうしよう!? ねえ、どうしたら良いと思う!?」

「聞いたアタシがバカだったよ……」

「おーい、トーマが壊れたぞー、誰か直してやってくれー」

 

 IRAPLOを一瞬で壊滅させたヒョウを、祝屋猛と呟いたトーマに、エヴァは何か情報が有るのかと話を振ると、彼女から帰って来たのは、初恋の惚気話だった。自分の思い出にのめり込み、ウキウキと話し続けるトーマに、エヴァとソフィーは頭を抱えて話を打ち切る。

 

「ああ、私も思いだした、確かに居たね、そんなヤツ」

「でもさ、何でそんな凄いヤツが、二千二十二年以来、今まで情報が無かったんだ?」

「さぁて……、何でだろうねぇ……」

 

 首を傾げるソフィーに、意味ありげな笑みを浮かべ、惚けて見せるエヴァ。その仕草にソフィーはある事に思いつき、ハッとして声をあげる。

 

「まさか、サバ……」

「詮索は無粋だよ、ソフィー」

「だってエヴァ……」

「わかってる、でも今一番大事なのは、アイツをどうやって倒すかだ。他の事は後回しにしょう」

 

 自身もそう思っているが、証拠も無く決めつけて下手に先入観を持つ事で、以降の戦術の幅を狭めるのを嫌ったエヴァは、強引に話を切り上げる。その意に気づいたソフィーは頷いて思案を巡らせながら呟いた。

 

「厄介なのは、あのすれ違いざまに繰り出す『分身斬り』だね」

「ああ、あれが攻撃の起点になっている、さらに厄介な事に、予測線を隠してシノンさんの狙撃をアシストしている」

「まさか、そんな事が!?」

「そのまさかをやっいてる、そう考えるべきだろう。トーマ」

 

 エヴァは再びトーマに話を振る。

 

「あの分身斬りを、デグレチャフで狙撃できるかい?」

「変移抜刀!!」

 

 眦吊り上げて、斜め上の回答を寄越したトーマに、エヴァは眉をひそめてまじまじと彼女の顔を見る。そんなエヴァにお構い無しに、訂正を求めて語気を強めてまくし立てるトーマ。

 

「変移抜刀霞斬り!!」

「……あ、ああ……、で、それをデグレチャフで狙撃できるかい……?」

 

 異様な迫力で二度訂正をするトーマに呆れながらも、話が別方向に拗れていく事を危惧するエヴァだった。そんな彼女にトーマは胸を反らして、誇らしげにこう答える。

 

「そんなの無理に決まっているでしょ! 相手はヒースロー空港の奇跡、私の祝屋猛なのよ!」

 

 遂に『私の』を付けたトーマに頭を掻きながら、エヴァは大型のサバイバルナイフを逆手に持ち、暫し考え込む。

 

「うーん……」

 

 思案顔でナイフのホルスターに収め、ベルトの腰背部分に差す。

 

「ちょっと良いか?」

 

 エヴァはソフィーに声をかけると、彼女を的に動きを確かめる様にサイドステップをしながら、すれ違い様にナイフを抜いて斬る動作を繰り返す。その動きを見ていたローザが、あっと声を上げる。

 

「どんなに動きがトリッキーでも、あのニューピーは右利きなんだから」

「そうか、すれ違う時は必ず左側を駆け抜ける」

 

 ローザの言わんとする事に気づいたアンナが続けると、我が意を得たりとローザが頷く。

 

「だから、動きに惑わされず、すれ違いを押さえれば!?」

「そうね、防げるかもしれない。でも、どうやって?」

 

 頭を捻るアンナ。

 

「使っていないドラグノフが有ったろう、あれを盾代わりにしてアタシが抑える、その隙に銃撃を加えれば……」

「いーや、そうもいかないみたいだよ」

 

 ローザの作戦に全員が頷きかけた時、偵察観戦を続けていたターニャが水を差す様に呟いた。彼女の呟きに、エヴァ達は再び双眼鏡を覗いて頭を抱えた。

 

「GGOの戦術が、まるで通用しないか……、こりゃ、お手上げだねぇ」

 

 その言葉とは裏腹に、不敵な笑みを浮かべるエヴァの心は、あのスポーツチャンバラの部屋に戻っていた。




次回 SJ ③


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第二十話 SJ③

 ターニャに促され、シンクのメンバーが再び双眼鏡を覗いた先では、ヒョウ達が手近なスコードロンに狙いを着け、蹂躙している最中であった。不規則なハンドル捌きで敵スコードロンの狙いを外しながら、ツウの操る高機動車が疾走する。まるで横殴りの豪雨のようなアサルトライフルの弾幕の中、ツウは高機動車を急停止させ、スモークグレネードを二発、敵スコードロンに撃ち込む。敵スコードロンはツーマンセルの三班構成で、班はやや離れたでそれぞれが別の班を掩護、連携出来る様に陣取っていた。彼らは半包囲する形で高機動車に射撃を行っていたが、ツウの放ったスモークグレネードにより連携は分断されてしまう。

 

「出るぞ、アスナ!」

「ええ、キリト君!」

 

 左右の後部座席ドアを開け、キリトとアスナが飛び出し分断された左右の班めがけ、フォトンソードを煌めかせ走り出す。その姿を見届けたツウは、再び高機動車を発進させた。

 

「お、落ち着け! ただの撹乱だ! 慌てたら奴らの思う壺だぞ!」

「あ、ああ、わかってる。奴らの長距離武器は、シノンのマクミランだけだ、いけすかねえニューピー野郎の分身斬りさえしのげば、俺達にも勝機はある! 

 

 フォトンソードで弾丸を切り落とし、左右から迫るキリトとアスナ、そして長距離から効果的に擾乱射撃で掩護するシノンによって、敵スコードロンの三班の連携は崩される。その隙をツウの駆る高機動車が、勇ましいエンジン音を高らかに上げながら突き進む。

 

「ヒィイイイイイ、怖いよぅ、タケちゃあああああん!」

「あとちょっと! もう少し我慢してコヅ姉」

「エーン、怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い…………」

 

 薄くなったとはいえ、降り注ぐ弾丸の雨に恐怖にひきつるツウを励まし、無理矢理アクセルをベタ踏みさせながら、ヒョウはリヤゲートを開き牽引する箱の上に飛び移る。そして体勢を整え敵スコードロンとの位置関係を確認した。

 

「コヅ姉! 今!!」

「ヒィイイイイイ」

 

 ヒョウの合図を受け、ツウは恐怖に悲鳴を上げながらも、巧みなシフト操作とアクセルワーク、そしてハンドル捌きで高機動車を豪快にアクセルターンさせた。その遠心力を利用してヒョウは飛び降り、猛烈な勢いで敵スコードロン中央に向かって走り出す。

 

 

「ヤツだ! ヤツが来るぞ! 準備しろ!!」

「合点承知!」

 

 二人の視線の先で、憎っくきニューピーの身体が不規則に揺らぐ。

 

「変移抜刀」

 

 まるで分身している様なその姿を前にしながらも、彼らは不敵な笑みを浮かべる。

 

「俺達だって、伊達に古株じゃねえんだ!」

「いつまでもやられっぱなしでいられるかよ!」

 

 一人はアサルトライフルから二丁の軽機関銃に装備変更をして両手に構え、迫りくるヒョウに向かいホースで水を蒔く様な濃密な射撃を開始した。彼とペアを組む相棒も、彼の背後に隠れてアサルトライフルから別の物に装備変更を完了させる。

 

「ヤツの分身斬りがどれだけ凄くても、凌いだ後はこっちの物だ!」

「ヤツは右手で刀を抜く、だから斬るには向って左、相手の右側を駆け抜けるしか無い!」

「来る場所が決まっているんだ! タイミングさえ見極めれば!!」

「初見殺しに、何度も何度も殺られるかよ!」

 

 タイミングを見計らい、ヒョウの斬撃を止めるべく、パートナーの背後から飛び出した男が、勢いよく突き出したのは、ポリカーボネート製の防盾だった。実弾銃の衝撃にもある程度耐えうるそれは、ニューピーの分身斬りを充分に防ぎきるはずだった。しかし……

 

「霞斬り」

 

 分身斬りを止めるべく、全身に力を込め体当たりする勢いで飛び出したが、覚悟していた衝撃を受けることなく、スカされた感じでたたらを踏んだ足元に転がっていたのは、パートナーの上半身だった。驚いて目を見開いた視線の先には、小太刀を構えて不敵に佇むニューピーの姿が有った。そのニューピーの姿に違和感を感じた瞬間、彼の眼前は朱に染まり、You are dead の文字がデカデカと表示される。

 

「うぉおおおお」

 

 この戦いを、酒場のディスプレイで眺めていたGGOプレイヤー達が、感嘆と驚愕のうめき声をあげながら瞬殺されたプレイヤーの感じた違和感を口にしていた。

 

「まさか……、左手……」

「おいおいおいおい、右手で抜くんじゃなかったのかよ」

 

 右手で抜刀して斬ると思われたヒョウは、今回は二人の敵の動きに合わせ、左手で抜刀して斬ったのだ。岡目八目とは言った物で、観戦プレイヤー達の何人かがヒョウの繰り出す変移抜刀霞斬りに同様の対策を思いつき、酒場で自慢気に講釈していたが、あっさりそれを覆されて言葉と面子を失ってしまう。

 

「だから言っただろ、ヤツはALOでこの俺様を斬った男だぜ! そんな付け焼き刃が通用するかよ!」

「お前が言うな!」

 

 グロッケンでヒョウのゲームを観戦していたプレイヤーが自慢気に語るのを、仲間のプレイヤーがツッコミを入れるのと同時に、キリトとアスナが残敵殲滅し、ヒョウと合流して勝利のハイタッチをかわす。そしてやって来たツウの操る高機動車に乗り込んだ。

 

「みんなお疲れ様、タケちゃんカッコ良かったよ」

 

 三人を乗せ、ツウはシノンとリーファを回収すべく、高機動車を発車する。その姿を離れた場所から双眼鏡で眺めていたシンクのメンバーは、二人を除いて残念そうに顔を歪めていた。特に悔しがっていたのは、同様の作戦を思いついていた、ローザとアンナである。しゃがんで双眼鏡を覗き、ヒョウ対策があっさり破られるのを目の当たりにした二人は、地面に大の字になって寝転ぶ。

 

「クッソー、駄目かぁ~!」

「イケると思ったんだけどなぁ~」

 

 悔しがる二人とは対称的に、嬉々として喜びはしゃぐトーマ。

 

「流石私の猛様、『剣の芸術家(ソードアーティスト)』の異名は伊達じゃないのよ。あ~カッコ良かった~」

「おいおい、アタシ等これからアイツと戦うんだぜ、わかってるのかトーマ? で、どうするんだい、リーダー」

 

 呆れながらトーマにツッコミを入れたソフィーから声をかけられ、エヴァはスポーツチャンバラでの思い出から引き戻される。

 

「右手にトンファー、左手に小太刀か……」

「ん、何か言ったか、リーダー」

 

 小声でつぶやいたエヴァに、ソフィーは聞き返すが、エヴァは答えず目を閉じてもう一度スポーツチャンバラでの戦いを反芻する。そして、最後の最後でできなかった新体操の技をモノにし、それがヒョウに通用した事を思い出し、強くイメージする。

 

「いや、何でもない。聞いてくれ、みんな!」

 

 ソフィーの問いかけをあしらい、エヴァはシンクのメンバー全員に向き直る。

 

「アイツはまだまだ底を見せちゃいない、格下のニューピーと侮ってかかるとどうなるか、肝に銘じたね!?」」

 

 エヴァの言葉に、メンバー全員の表情が引き締まった。その顔を一人一人確かめる様に見回し、エヴァは続ける。

 

「アタシ達の全てをぶつけて、アイツを倒しに行くよ! 気合いを入れな!」

「おう!!」

 

 エヴァの檄に、メンバー全員が力強く答えると、シンクはヒョウ達の乗った高機動車の後を追う様に移動を開始した。

 

 

 

「ギャハハハハハハ、バッカじゃないの、アイツら、腕が二本有るのを知らないのかい、マヌケだねぇ~。アンタもそう思うだろ、エム」

 

 大岩の上で胡座をかきながら双眼鏡を覗くピトフーイは、エムの頬をピシャピシャ叩きながら大爆笑していた。

 

「うぐっ……、しかし、利き腕という概念がある以上、やむを得ない……」

 

 理不尽な暴力に耐えながら、エムは一般論を口にすも、ピトフーイはその言葉を最後まで話させず、双眼鏡から目を離すと侮蔑を込めた視線で睨みつけ、語気を荒らげて遮った。

 

「アンタもそんな事言うのかい、現にダーリンは左手で斬って見せただろう!」

「それは結果論であって、事前にそれを……」

「結果論だってなんだって良いんだよ! ダーリンは常にこっちの想像を越えて来る奴なんだ! 都合のいいこっちの思惑なんざ、嘲笑って踏み越えて来るんだ! サバイバーの、それも攻略組なんだからね!」

「つまり、死線を越えた数が違うという事か……」

「そーゆーとこ。それもアタシ達がここで経験した死線とは違う、本当の死線というヤツをね。全く本当にゾクゾクするよ、ダーリン」

 

 相手を殺す事、相手に殺される事、その両方を想像し、恍惚に耽るピトフーイ。その脳を溶かす程に痺れる想像は、フカ次郎のあげた、素っ頓狂な叫び声に打ち消される。

 

「あ~っ、アイツってもしかして!?」

「何、どうしたのフカ?」

 

 驚いてレンが聞くと、フカ次郎は眉間に皺を寄せ、しきりに何か思い出そうと目を閉じ腕を組んで首を傾げていた。

 

「いや、あのニューピー、アタシの脳内イケメンリストに載ってる気がして、それも相当深い所……」

「何じゃ、そりゃ?」

「ちょっと待ってて、今思い出す。アイツは、アイツは……」

 

 ピトフーイ、エム、レンがフカ次郎を取り囲み、顔を覗き込む。数秒経って突然フカ次郎の目が見開かれ、リスト上に載っていた名前を叫ぶ。

 

「アイツは、アイツだ! 祝屋猛!!」

 

 フカ次郎が得意気に叫んだその名前に、皆は一瞬呆けて顔を見合わせる。誰、それ、と目で語りかける三人に、フカ次郎はじれったさそうに、先回りして答えを出す。

 

「みんな覚えて無いの、ヒースロー空港の英雄!!」

 

 フカ次郎の言葉に、レンの記憶が蘇る。

 

「刀でテロリストやっつけた、TVに出てたあの子!? フカが夢中になってた!?」

 

 その言葉に、エムもピトフーイも、かつて見たニュース映像を思い出す。

 

「という事は、アイツはゲームだけじゃなく、現実世界でも死線を踏み越えているのか!」

 

 戦慄するエムの横で、ピトフーイは力無く二三歩よろよろとよろめくと、恍惚の表情でわななきつぶやいた。

 

「濡れる!!」

 

 

 




次回 第二十一話 SJ④


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。