魔法先生ネギま!-Fate/Crossover servant- (魔黒丼)
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Prologue

 ――魔法。通常の人間ではなしえない神秘的で不思議な事象、現象を引き起こし、行う術。よくメルヘンやおとぎ話などで登場し、超常的であり得ない力を使うときに、度々用いられる摩訶不思議な存在…つまりフィクションでしか存在しないモノ。

 

 そんな魔法に対する認識が彼女の中で今、少しずつだが揺らぎ始めている。

 空想上でしか存在しないと思っていたモノを、現実的に認識し始めているのだ。

 

 事の始まりは春休みが始まる前の期末テスト。さらにその前日にまで遡る。

 彼女たちは期末テストで最下位脱出を目指すため、読むだけで頭が良くなるという『魔法の本』を求めて、図書館島の地下へと赴いた。

 

 結果を言えば、『魔法の本』らしきモノは見つけたものの、手に入れるには至らず、最終的に徹夜でのテスト勉強でなんとか最下位脱出を果たしめでたしめでたし、と言うのがその時の顛末だった。

 

 だがその後、彼女はふと思った。

 

 ―『魔法の本』があったのなら、それに比肩する珍しい書物が他にもあるのではないだろうか?

 

 そう思った後の彼女の行動は早かった。

 終了式の次の日、クラスの皆が春休み突入ではしゃぐ中、彼女の姿はそこには無く、再び図書館島へと赴いていた。

 

 必要な物は全て揃え、貴重な春休みを全て犠牲にする覚悟で彼女は単身、図書館島の地下深部へと足を進めていった。

 …が、しかし、これと言った成果があげられないまま気が付けば春休み最終日になってしまっていた。

 

 それまでの休みを全て費やして見つけたモノと言えば、世界的に有名な文豪が書き上げたおとぎ話の原本や、悲劇を愛した劇作家の原稿だったり、壁画のような文字のような禍々しい模様が彫られた石版などなどと、珍しいが価値があるのか無いのか分からないものばかりで、あの時見つけた『魔法の本』に匹敵するような分かりやすい神秘の書物は発見出来なかった。

 

「戦果としては上々な気もしますが…ウーム…」

 

 発見した品々を眺めながら、納得のいかない彼女は本棚の上で独り言ちる。

 これらを持ち帰って同じ図書館探検部の友人や先輩方に見せればきっと舌を巻くだろう。

 だが彼女としてはいまだ目的を達成できず連休最終日を迎えたこの現状に、焦りを感じずにはいられなかった。

 

 -ここで立ち止まっていても仕方がない、と彼女は再び立ち上がり地下深くへと足を進める

 

 本棚の山を越え、本棚の谷を越え、本棚の崖を降り、本棚から出る罠や障害物を潜り抜け、深く、更に深くへと地下に潜って行く。

 

 …どれだけ深くまで降りたのか分からなくなった頃、彼女はおもむろに携帯を取り出した。

 既に電波が届かなくなって久しく、圏外のマークが点きっぱなしの画面は、17:05と時間を明確に表示していた。

 

(これ以上居ると今日中に帰れませんね…無念ですが…)

 

 -仕方ないと、彼女は地下を目指すことを諦めた。

 成果を挙げられずタイムリミットが来たからには、これ以上留まっている訳にはいかない。

 

 そうしてやりきれない感情を抱いたまま、彼女は上を目指した。

 来た道を忘れるようなヘマはすまい、と彼女は本棚の崖へと手を掛けた。

 

 次の瞬間、“カチリ”と何かが作動したような音がした。

 

 ―しまった。罠か。

 

 そう思った次の瞬間に、彼女の身体は突然現れた回転扉の奥へと吸い込まれていった。

 

………

……

 

 彼女が次に目を覚ましたのは、冷たい石畳の上だった。

 一体どれだけそうしていたのかは分からないが、気が付いた時には真っ暗な空間で彼女は横たわっていた。

 

 すぐさま身を起こし、彼女は真っ先に携帯を確認した。

 相変わらず圏外のままだったが、時間はそれほど経過してはいなかった。

 

 そのことに安堵しつつ、彼女はいつの間にか消えていたヘッドライトの明かりを灯す。

 最初に照らし出されたのは自身の足と灰色の石畳。 

 顔を上げるとそこには床と同じ石で出来た灰色の壁だった。

 

 ―ここは何処なのだろう?落ちたのか、それとも同じ階層か。

 それすらも分からずただ周囲を見渡す。見上げれば、ライトの明かりでさえ照らしきれないほどの深い闇。

 登るには根気が要りそうだなどと思いながら、ふと視線を横に向け、思わず目を見開いた。

 

 そこにあったのは、地面に描かれた怪しげな魔法陣らしき紋様。そして、その奥に鎮座する石台の上に置かれた一冊の古びた本と、朽ちかけた一片の布きれであった。

 

 以前訪れた魔法の本の安置室に比べれば遥かに貧相ではあるが、その空間に漂う不気味さは遥かに上回っていた。

 

「まさかトラップの奥にこんな部屋があったとは…」

 

 予想外の出来事に戸惑いながら、彼女は恐る恐る石台へと歩みを進める。

 一歩、一歩と踏み出す度に緊張感が増した。

 古びた本など図書館島(ここ)では何百冊と見てきた筈なのに、目の前の古書からは今まで感じた事の無かった不可思議な妖しさを感じられた。

 

 そしてようやく石台の傍まで来た彼女は、ゆっくりとその書を手に取る。

 すると、本の隙間から何かがひらりと床に落ちた。

 拾い上げると、それは一枚のメモだった。

 文字はほとんど掠れて読めない程だったが、メモにはこう書き残されていた。

 

 〔A Grail ■■s fin■■■■d melting ■■■eady.

S■■ll ■■ I wi■■ for a servant, ■ call, but ■■■ ■■■■.   

Kischur Zelretch Schweinorg〕

 

(…どちらにしても英語では読めそうもありませんでしたね)

 

 あっさりとメモの解読を諦めて制服のポケットへと入れると、彼女は本命の本を開いた。

 古びた本の最初のページは何が書いてあるか分からず、続けてページをめくった。

 怪しげな絵や紋様、文字が羅列している。

 再びページをめくる。

 そこでようやく読める文字が書かれたページへとたどり着いた。

 ところどころ掠れたり滲んだりしているものの、何とか読める。

 

 彼女は食い入るようにそのページを読み始める。

 

「素に…銀と鉄…」

 

 ―何かの素材だろうか?

 気付かぬうちに声に出して読んでいた。

 

「礎に…石と契約の大公…祖には我が大師…シュバインオーグ…」

 

 -どこかで見た名前だ。

 などと思いつつ、彼女は文字を追っていく。

 

「降り立つ風には壁を… 四方の門は閉じ…王冠より出で、王国に至る三叉路は…循環せよ」

 

 彼女は集中していた。

 そう。周囲の変化に気付かぬほどに、彼女は詠唱(読むの)に没頭していた。

 

閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)…繰り返すつどに五度…ただ、満たされる刻を破却する」

 

 風が舞う。沸き立つように彼女の意識(魔力)が高まる。

 その流れに乗るように、大気中の魔素(マナ)が集う。

 集った魔力で魔法陣が輝く。

 

「――――告げる…汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に…聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」

 

 そこで彼女はようやく気付いた(理解した)

 これは呪文なのだと。自身の想像も及ばぬ何かを呼ぶ詠唱なのだと。

 

「…誓いを此処に…我は常世総ての善と成る者、我は常世総ての悪を敷く者」

 

 それでも止まりはしなかった。止められはしなかった。

 無意識の音読(詠唱)は知らぬうちに彼女から選択を奪っていた。

 周囲の変化に気付かぬまま、彼女は最後の一節を唱える。

 

「汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――!」

 

 そう呪禱の結びをつけた直後、彼女の背後で巻き起こった逆巻く魔力の突風と閃光。

 その鮮烈な輝きで彼女はようやく我に返った。

 

「―――っな!?」

 

 状況が理解できぬまま振り返り、眩い輝きに思わず目を細める。

 

***

 

 同刻、麻帆良学園学園長室。

 

 この日の仕事を終え、最後に一息着こうとお茶を呑もうとしていた近衛近右衛門は、何かを感じたように眉を顰めた。

 尋常では無い勢いの魔力の流れが、学園都市のある場所から感じ取れた。

 

「…やれやれ。明日から新学期じゃと言うのにのう…」

 

 いつもの好々爺たる雰囲気は消え、神妙な顔つきで近右衛門は窓の外にある、夕日に照らされた図書館島を見つめた。

 

***

 

 時を同じくして、麻帆良学園学生寮の一室。

 

「…っ!」

 

 驚いたようにネギ・スプリングフィールドは立ち上がり、咄嗟に杖を掴んだ。

 

「きゃ!ど…どないしたん?ネギくん…」

 

 突然立ち上がったネギに驚いた木乃香の声もまるで聞こえていないかのような様子でネギは遠くを見つめる。

 

「今確かに…巨大な魔力の奔流が…」

 

 気のせいでは無いと確信を抱きながら、ネギの胸には何とも言えぬ焦燥感が渦巻く。

 

「すいません!ちょっと行ってきます!」

 

「あ!ちょっとネギくーん!明日菜もうじき帰って来るえ!」

 

 堪らず部屋を飛び出し、同居人の制止を振り切ってネギは学生寮から飛び立った。

 

***

 

 ここも時を同じくして、学園都市にあるとある邸宅。

 桜ヶ丘にあるこの家の住人も、今起こりつつあるこの異変を察知していた。

 

 扉をノックして、機械仕掛けの一人の少女が、この家の主の部屋に入っていった。

 

「マスター。図書館島の方向に巨大な魔力の反応が…」

 

 機械仕掛け(ロボット)の少女―絡繰茶々丸は自身の主に報告する。

 

「ああ…」

 

 彼女の主であるエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルは既に分かっていたかのように返事を返し、優雅に紅茶を啜った。

 

「…フン、誰かは知らんが…なかなか面白そうな事をしているようだな」

 

 そう漏らす彼女の口元は妖しく歪んでいた。

 

***

 

 思考が、判断が、頭の中の何もかもが追いつかない状態の彼女の前にそれは現れた。

 

 埃で白く煙る魔方陣の真ん中にそれは君臨していた。

 

「―問おう」

 

 いまだ茫然と立ち尽くす彼女の耳に野太い声が響く。

 

 声の主は眼前のそれ。魔方陣の中心で仁王立ちしている筋骨隆々の巨漢からだった。

 赤いマントを翻し、古風な鎧を身に纏い、煌々と輝く双眸で彼女を見下ろすその大男は、最初の問いを投げかけた。

 

「―貴様が、余を招きしマスターか?」

 

 掛けられた問いに、彼女は答えようとはしない。

 否、理解が及ばず答えることが出来なかった。

 

「…ま…マスター?」

 

 問い返すように言葉を反芻する。

 

「うむ。この陣と、詠唱を以って余をこの世に現界させたのは…貴様で相違無いな?」

 

 再び男は問い返す。

 確かに呪文を唱えていたのは彼女だった。しかし無意識の行動だった故に、その質問は彼女をさらに混乱させた。

 

 さまざまな思いが渦巻き、答えることが出来なかった彼女は、再び男に問いを返す。

 

「えと…あ、あなたは…一体?」

 

 何者なのか、と。その問いかけに男は毅然として、それでいて尊大な態度で彼女に応えた。

 

「余は―――征服王イスカンダル。此度はライダーのクラスを以って現界した」

 

 雄大な声が薄暗い地下に響き渡る。

 その時彼女は察した。

 目の前の立ちはだかる巨漢の圧倒的な存在感から、魔法やオカルトを抜きにして彼は本当に大きな男(・・・・)なのだと言うことを認識した。

 

「…して、娘よ」

 

 唖然としていた意識が、その声で呼び戻された。

 

「余も名乗りをあげたのだ。貴様も名乗りを返すのが礼儀ではないか?」

 

 そう言われ彼女は慌てて姿勢を正し、被っていたヘルメットを脱いでその顔を晒した。

 長い探検で埃にまみれた顔を上げ、彼女は見上げる形で彼に答える。

 

「麻帆良学園2年A組4番、図書館探検部所属の…綾瀬夕映です」

 

 図書館島の地下深く。この日、少女…綾瀬夕映は、運命と出会った。

 




………
……

…続く?


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第1話

 ―黄昏時。日もほとんど沈んだ頃、学園都市の上空を杖に跨り疾駆するネギの姿があった。

 その顔には焦燥の色が滲み出、得体の知れない不安が彼の胸を締め付けていた。

 

(さっきの濁流みたいな魔力の流れは一体…僕の知らないところで何かが起きている!)

 

 焦る気持ちが高まる一方、ネギは先ほど巨大な魔力を察知した場所、図書館へとたどり着いた。

 すると、すでにその場にはタカミチ・T・高畑を筆頭とした魔法教師が数名集まっていた。

 

「タカミチ!」

 

 最も見知った友人にネギは反射的に声を掛ける。

 それに気づいたタカミチも空から降りて来るネギに手を振って応じた。

 

「やあネギ君。君も気付いたんだね?」

 

「うん!あんなに強い魔力の流れ、魔法使いじゃなくても魔力に対する感性の強い人ならすぐに気付くよ!」

 

 話しながらネギは彼に駆け寄る。

 見慣れた顔を見て安心したのか、ネギの表情から少しだけ強張りが薄れる。

 それを見てタカミチも優しい笑みを浮かべながら現状をネギに教えた。

 

 巨大な魔力の奔流が起こったのは今から約十分以内。

 場所はここ、図書館島の内部。もしくは地下階層との事だった。

 

「学園長からは既に指示が出ていてね、『魔法先生は速やかに原因を調査し、必要とあれば対処せよ』、とのことだよ」

 

 ―ならば自分も一緒に、とネギが言おうとした瞬間、それを遮るようにタカミチは続けて言った。

 

「そこで…ネギ君には、ここで見張りをお願いしようかな」

 

「え」

 

 予想外の指示にネギは一瞬固まると、すぐさまタカミチに食って掛かった。

 

「なんでさ!僕も先生なんだから一緒に…」

 

「もし今、一般の生徒たちがここに来たら色々とマズいからね。ネギ君には万が一ここに一般人が来た時の対処をお願いしたいんだ」

 

「で、でもそれは人払いや認識阻害の結界を使えばなんとか…」

 

「いまだに状況が分からない状態で無闇に魔法を使うのは得策とはいえない。それに、これも一般生徒を考慮した立派な魔法先生としての仕事だよ、ネギ君?」

 

 食い下がるも、根が真面目なネギは仕事と言われると反論することが出来ず、しかし納得のいかない表情で俯く彼の頭をタカミチは優しく撫でた。

 見上げたそこには、心配しなくていいと語り掛けているような温かい微笑みがあった。

 そうしてなかば言いくるめる形でネギを待機させたタカミチは、他の魔法教員たちと一緒に図書館島の中へと入っていった。

 

「さてと…鬼が出るか蛇が出るか…」

 

 変わらぬ表情でそう呟くタカミチだったが、その目には歴戦の(つわもの)を思わせる鋭い輝きがあった。

 

***

 所変わって、図書館島の地下深部。

 石壁で囲われた空間の一角、魔法陣の上で正座する夕映と、向かい合う形で彼女の正面に胡坐をかいて鎮座するライダーことイスカンダルの姿があった。

 

 古の王を名乗る男との予期せぬ会合を果たした夕映は、互いに状況を整理し、相互理解をするためにこれまでの経緯(いきさつ)を彼に説明していた。

 

「……なるほど。仔細、あい判った」

 

 彼女の説明を全て聞いたライダーは憮然とした様相で頷き、こう言った。

 

「つまり貴様は…魔術に対する単なる興味関心に身を委ね、その末に意味も分からず儀式を行使し、何ら深い意図も思惑も無く、この征服王(イスカンダル)を世に現界させた、と…こう言う訳だな?」

 

 どことなく不安にさせるような抑揚のない口調で、ライダーは夕映に問いかけた。

 

「いえ、その…結果的には、そうなります。はい」

 

 しどろもどろになりかけるも、最終的にはっきりと彼女は肯定した。

 それを聞いたライダーはがくんと項垂れると、何かを堪えるように肩を震わせ始めた。

 

 ―何か癪に障ったか。それともいまだ掴みどころの見えないこの男の逆鱗に触れたか。

 さまざまな不安が過ったのも束の間。俯いた顔を覗き込もうとしたその瞬間、

 

「――うわっはっはっはっはっは!!」

 

 顔を上げると同時に、まるで弾けたように豪快に笑い始めたライダーに、度胆を抜かれた夕映はすくみ上がった。

 

「痛快!かつては世界の覇権を握らんと地上に君臨し、今や英霊にまで成り果てた余が、無垢な小娘の好奇心でサーヴァントとして現界するとは!未踏の地など無い時代とはいえ…いまだに世は未知なる奇異や摩訶不思議で溢れておると見える!」

 

 何が嬉しいのか分からないが、持ち前の巨躯に相応しい雄大な笑い声を響かせるライダーに、夕映はただただ圧倒されていた。

 一頻り笑い飛ばして満足したのか、ライダーは笑顔のまま彼女に向き直る。

 

「うむ!そうと分かれば小娘よ!さっさとこんな狭苦しい場所とはおさらばして、余を地上まで案内せい」

 

 そう言って立ち上がると、ライダーは早足でその場から立ち去ろうと歩き出し、

 

「…って、ちょっと!待って下さい!」

 

 夕映は慌ててライダーのマントを掴んで彼を呼び止めた。

 何事かと思いつつも至って落ち着いた様子で振り返るライダーとは対照的に、引き留めた夕映の表情には明らかな困惑と懐疑的な色が浮かび上がっていた。

 

「さ、サーヴァントとかマスターとか突然言われても何が何だか…それにイスカンダルと言うと、世にも有名なアレキサンダー大王の事ではないですか!?そんな歴史上の“超”が付くほどの有名人がこんな風にして現れるなんて…いくら魔法とは言っても信じられません!」

 

「…信じられんと言われてもなぁ…イスカンダルたる余は、世に知れ渡る征服王に他ならぬのだが…」

 

 まくし立てる彼女に対し、ライダーは困ったように指先で頬を掻く。

 

「第一、召喚したのは貴様であろう?」

 

 そう混ぜ返すと、夕映は思わず言葉に詰まった。

 

「うっ…た、確かにそうですが…まさか本当に…というより半分事故のような感じが…」

 

 と、もじもじと言い淀む夕映に対し、

 

「まぁ良いではないか。何であれ余はこうして貴様のサーヴァントとして現界したのだ。貴様は余のマスターとして、ドンと構えておれば良い」

 

 屈託のない笑みでそう答えるライダー。その顔を見て、まるで動揺している自分が馬鹿のようだと思い、夕映は思わず深いため息を吐いた。

 するとライダーは、何かを思いついたかのように切り出した。

 

「そう言えば小娘、ここは書庫だと言っていたな?」

 

「え?あ、ハイ…このすぐ上が小島を丸ごと使った巨大図書館になっていますが…」

 

「ふむ。では小娘よ、さっそくだがこの世界の地図と、ある書物を探したいのだが頼めるか?」

 

「ハァ…構いませんが、その前にひとついいですか?」

 

「むん?」

 

 先ほどとは打って変わったような弛みない顔つきで夕映は目の前の巨漢に向かって告げた。

 

「“小娘”はやめて下さい。先ほども言いましたが、私の名前は綾瀬夕映です」

 

 先ほどまでとは一変し、毅然とした態度でそう言い放った彼女の言葉が意外だったのか、一瞬呆気に取られたライダーだったが、

 

「…うむ!ならばこれからよろしく頼むぞ夕映よ!」

 

 と、何処か嬉しそうな笑顔で彼女の要望に応えた。

 そんな彼に対し夕映は「アナタの事は何と呼べばいいですか」と訊ねる。

 ライダーは小さく唸りながら顎に手をあてて答えた。

 

「うーむ…そうさな、王と呼び称えるも良し、気軽にイスカンダルと呼ぶも良し、クラスに則ってライダーと呼ぶも良し、好きに呼ぶが良い」

 

 呼び方に拘りは無いらしく、好きなようにと答えたライダーの返答だった。が、ここで先ほどから抱いていた疑問が再び彼女の胸に返り咲いた。

 

「あの…もう一ついいですか?」

 

「む?」

 

 目の前のそれを何とかして理解しようと、夕映は立て続けに質問をぶつけた。

 

「サーヴァントとマスターもそうなんですが…ライダーとかクラスとか…それは一体?」 

 

「ふむ…そう言えば何も知らずに呼び出したのだったな。ならばその疑問も当然だな」

 

 一人納得したように頷くと、ライダーは深く息を吸ってから口を開いた。

 

「そもそもサーヴァントとは、英霊を用いた最高ランクの使い魔であり、英霊とは生前の行いや人々の信仰によってその魂を昇華させた最高位の精霊のようなものだ。つまりマスターである貴様は、このイスカンダルをサーヴァントとして召喚したのだ。胸を張って誇るが良い」

 

「は、はぁ…」

 

 なぜか得意げになって鼻を鳴らすサーヴァントの説明に、いまいち現実味を感じることが出来ない、いや、聞いても理解し切れない内容に、夕映は気の抜けたような空返事を返す事しか出来なかった。

 そんな彼女の内心などお構いなく、ライダーは説明を続けた。

 

「…で、そのサーヴァントにも七つのクラスがあってだな、生前の逸話や、その者の生まれ持った特性などによってそれぞれのクラスに振り分けられるのだ」

 

「つまり、ライダーと言うのは…」

 

「その名の通り、騎兵やそれにまつわる逸話などによって与えられるクラスでな、余がライダーの座に据えられたのも、おそらく余の宝具の評判のせいであろう」 

 

「宝…具?」

 

 はたまた飛び出してきた不可解な言葉に夕映は首を傾げる。

 

「宝具とはな…まあいずれ見せる機会もあろう。その時に説明してやる」

 

 煩わしそうに締めくくるとライダーは再び彼女に背を向けて、闇に包まれた天井を見上げる。

 

「ともかく、いい加減こんなシケきった場所から出るとしようではないか。いつまでもじっとしているのは性に合わんのでな」

 

 辛抱堪らんと言った様子でライダーは腰に差していた宝剣を抜いた。

 

「な!な、何をする気ですか!?」

 

 突如剣を抜いたライダーに夕映は思わず声を荒げるが、彼は気にした風も無く一歩前に出る。

 

「思いのほか、地上までは距離がありそうなのでな。駆け上がるための“(あし)”を用意するのよ」

 

 背を向けたままライダーは剣を頭上に掲げ、

 

「出でよ、我が愛馬!」

 

 そう高らかに呼びかけると、何もない虚空に向かって剣を振り下ろした。

 その瞬間、雷のような閃光と共に目の前の空間が切り裂け、迸る光の中から一頭の駿馬が嘶きを上げながら飛び出してきた。

 

 その光景に再び度胆を抜かれた夕映は、小さく悲鳴を漏らしながら尻餅を着いた。

 

 そんな少女のことなど気にも留めず、現れた巨馬はゆっくりと主の下へと歩み寄る。

 ―ブケファラス…それが駿馬(彼女)の名であった。

 かつて彼の王を背に戴き、共に世界を蹂躙した伝説の蹄の持ち主が今、王の呼びかけに応じてはぜ参じた。

 

「本当は戦車(チャリオッツ)を用意したかったのだが…まあ場所が場所なんでな。些か乗り心地は荒っぽいやも知れんが、我慢してくれ」

 

 そう言いながらライダーは愛馬の上に跨ると、いまだに腰を抜かしている夕映に向かって手を差し伸べた。

 

「ほれ、案内は任せると言ったであろう?さっさと乗るが良い、夕映よ」

 

 悪戯っぽい笑みを浮かべながら彼は夕映の細い腕を掴んで馬上へと引き上げる。

 岩のような剛腕に掴みあげられながら彼女は悟った。

 ライダーと言うクラスの意味と、サーヴァントと言う存在の大きさを。そして目の前の男が嘗てこの世界に君臨した本物の英雄()だと言うことを。

 

***

図書館島の地下三階部。

 

「一階から三階は異常無し…か」

 

 小さく呟きながら、タカミチは煙草に火を灯す。

 

「図書館内は禁煙ですよ?タカミチ先生」

 

 彼の隣を歩く同僚のガンドルフィーニは、色の無い声で彼に注意した。

 生来の生真面目な彼は同僚の些細な規律違反でさえ見逃そうとはしなかった。

 そんな彼から注意を受けたタカミチは肩を竦めながら渋々煙草を携帯灰皿に押し込むと、ポケットに手を入れた弛んだ姿勢のまま周囲の警戒を続ける。

 

「…下に行くほど魔素(マナ)が濃くなっていってますね」

 

 暗闇に包まれた地下深部を見下ろしながら、ガンドルフィーニは言った。

 ええ、とだけ返し、タカミチも同じように暗闇を見下ろす。

 館内に入ってからと言うもの、賊や魔物と言った外敵にこそ遭遇しなかったものの、いまだ漂う不可思議な魔力の流れに彼らは首を捻っていた。

 

「一体この下で何が行われたのか…」

 

 眉を顰めるガンドルフィーニは緊張を隠しきれずにいた。

 爆発したかのような、それでいて凝縮されたかのような魔力の奔流。今なお見えぬその正体に彼はある種の懸念をつのらせる。

 

「呪術協会か…もしくは魔法によるテロ?」

 

「それは飛躍しすぎじゃないかな…まあ、降りてみれば分かるでしょう」

 

 体を強張らせるガンドルフィーニに対し、落ち着き払った様子のタカミチは更に下層に降りるための階段に足を掛ける。

 次の瞬間、飛んで来た罠の矢を彼は音速の拳で弾き落とした。

 

「ともあれ…こんな罠だらけの場所でわざわざ悪事を行うとも考えにくいですからね…案外、作為的な思惑は無かったりして」

 

 冗談めいた口調で言うタカミチの言葉に、ガンドルフィーニは、まさかと返す。

 明らかに人為的でなければ説明がつかないような現象ではあるが、いまだに正体が見えない以上、要らぬ憶測はかえって不安を募らせるだけ。

 それを悟ったガンドルフィーニは余計な事を考えるのを止め、再び職務に専念した。

 

 そんな時、前を歩いていたタカミチの足が不意に止まった。

 

「…どうかしましたか?」

 

 そう訊ねるガンドルフィーニの方を見向きもせず、タカミチは足元に広がる闇を見つめた。

 

「…何か…聞こえません?」

 

 訊きながらタカミチは階段の淵から下を覗き込む。

 釣られたガンドルフィーニも覗き込みつつ耳を澄ませた。

 

 聞こえてくるのは本棚の隙間を吹き抜ける風の音…だけでは無かった。

 

「これは…蹄の音?」

 

 風に交じって聞こえてくるのは、まるで大地を蹴って疾走する馬の蹄の足音。

 ―そんな馬鹿な。あり得ない、とさらに前のめりになって覗き込んだ直後だった。

 

「―…AAAALaLaLaLaLaLaie(アアアアラララララライッ)!!」

 

「―…きゃぁあああああああ!?」

 

 蹄の音と共に野太い咆哮と絹を裂くような少女の悲鳴が、目にも留まらぬ猛スピードで二人の前を駆け上がっていった(・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・)

 

「―――なっ」

 

「い、今のは?」

 

 驚きのあまりに見送ってしまった二人だったが、我に返るとすぐさま他の教員たちも招集し、駆け抜けていった声の主を追いかけて行った。




………
……

…続くかな?


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第2話

 図書館内の一角にある扉が、まるで指ではじかれたピンポン玉のように弾け飛ぶ。

 直後、扉を失った出入り口の奥から勢いよく飛び出してきたのはライダーと夕映だった。

 

 自慢の愛馬で地下階層から一気に駆け上がって来たライダーは、窓から見える夕空を見てようやく地上に上がった事を察した。

 

 「うむ。どうやら地底は抜けたようだな…」

 

 満足げに頷きながら、ライダーは視界を埋め尽くすほどの本棚の群れを見渡す。すると、すぐ目の前にあった本棚の一つに近づくと、そこに収納されていた一冊の本を手に取った。

 

 「探すまでも無くいきなり見つけるとはついてる。やはり余のLUC(ラック)は伊達では無いのう」

 

 嬉しそうに微笑む彼が手に取ったのは、古代ギリシアに名高い詩人ホメロスの詩集だった。

 分厚いハードカバーに包まれたその一冊を大事そうに握りながら、ライダーは自身の真下に向かって話しかける。

 

 「では夕映よ、この世界の地図はどこに―――うん?」

 

 そこで彼はようやくマスターの異変に気が付いた。

 ライダーと一緒になって騎乗して来た夕映は、まるでフルマラソンでも走り終えたかのような、いや、もっと鬼気迫る絶叫マシンに何時間も乗り続けてきたかのような憔悴しきった様子で、彼の名馬の背中に向かってぐったりと寄りかかっていた。

 

「し、死ぬかと…思いました…」

 

 息も絶え絶えに彼女は声を絞り出した。

 それを見たライダーは呆れたように嘆息を漏らした。

 

「やれやれ、この程度で()ててどうする。余もブケファラス(こいつ)も、まだ全力の半分も出していないというのに」

 

 その言葉に彼女は背筋が凍るのを感じた。

 

 今の疾走でさえ、ゆうに時速100キロ前後の速度は出ていたというのに、まだ本気で無いと言う事実は悪い冗談に聞こえた。

 そんな夕映の思いなど、どこ吹く風と言った調子でライダーは彼女を急かした。

 

「そんな事より地図だ、地図。書物庫であるならば世界版図の一つや二つくらいあるだろう?」

 

 恨めしそうにライダーを一瞥くれてやったものの、まるで気にしていないライダーを見て夕映は諦めたように案内を始めた。

 

 本棚を幾つか通り抜け、通路を少し行ったその片隅にライダーのお目当ての地図はあった。

 

「おお!これだこれだ!」

 

 目を輝かせて彼が手に取ったのは、学校で使うようなカラー刷りの薄い地図帳だった。

 他にももっと上等な地図は幾つもある中、何故か一番安っぽい地図帳を手に取ったライダーに夕映は疑問を抱くも、子供のように目を輝かせてペラペラとページを捲る彼を見た途端そんな懸念はどうでもよくなった。

 

「なんでも世界は既に地の果てまで暴かれていて、おまけに球の形に閉じているそうだな…なるほど、丸い大地を紙に描き写すと、こうなるわけか…」

 

 グード図法で描かれた世界地図を見て、ふむふむと納得の意を見せるライダー。

 だが、気のせいかと思えるほど些末な程度ではあるものの、夕映の目にはその表情がどこか寂しげに見えた。

 

「…で夕映よ。マケドニアとペルシアはどこだ?」

 

 不意に声を掛けられ、夕映は一瞬反応が遅れた。

 

「え?」

 

「何を呆けておる?余の顔に何かついておるのか?」

 

 気付かぬうちに、髭だらけの彼の顔に見とれていたらしく、その事に気が付いた夕映は少し気恥ずかしげに目を逸らした。

 

「な、何でもありません…」

 

「ふむ、ならば良いが。それより、かつての余の領土はどこか、と聞いておる」

 

 そう促され、夕映はあまり詳しくない自身の知識に不安を抱きつつも、自信なげに地図の一角を指さした。

 途端、

 

「―はっはっはっはっは!!」

 

 再び先ほどと同じように豪快にライダーは笑い始めた。

 流石に慣れたのか、夕映はそこまで驚きはしなかったものの、突然間近で響いた大きな笑い声に思わず耳をふさいだ。

 

「ははは!小さい!あれだけ駆け回った大地がこの程度か!良い良い!(むね)が高鳴る!」

 

 先ほどの懸念が嘘のように、ライダーは愉快そうに笑う。

 満足げな笑顔を浮かべる彼を見て、夕映は一先ず目的を達成できた事に安堵した。

 

 しかし、問題は山積みだった。

 不安げな表情で彼女は手元にある”あの本”を見つめる。

 ライダーが馬で駆け上がる直前に、先ほどの儀式場らしき場所から咄嗟に持ってきた呪文の書かれた古文書らしき書物。

 

 この本が、厳密にはこれに描かれている呪文が、今彼女の真後ろで地図を眺める征服王(イスカンダル)を名乗る男を現界(召喚)させた原因である事は間違いないと夕映は確信していた。

 その事はまだ良い。過去の偉人を現代に喚ぶ事が出来る本なら、以前に発見した持ってるだけで頭が良くなる『魔法の本』よりもよっぽど魔法の本らしく、本来の目的も達成できたと言っても良い。

 

 ―問題はその後だ。

 半ば偶発的とは言え、自身の不用意な行動によって召喚してしまったこの古の大王をどうすればいいのか。

 犬や猫ではあるまいし、こっそり匿うことなど出来る訳も無い。ましてやこの巨漢を隠すことなど出来る筈も無い。

 かと言って元の場所に返そうにも、どうやってすればいいのか分からない。送り返す呪文があるのか、根気よく懇願すれば自ら帰ってくれるのか。

 ―というか、そもそも送り返せるのかも疑問だ。

 

 さて、どうしたものか――――――と彼女が首を捻らせていた時だった。

 

「…ところで夕映よ」

 

 先ほどの上機嫌な声とは打って変わって、ライダーは低く感情の無い声で彼女に話しかけた。

 夕映が顔を上げると、地図から視線を外し、神妙な表情で周囲に目を配るライダーの顔があった。

 

 何事かと不安が芽生える彼女に向かってライダーは言葉を続けた。

 

「―――こやつらは貴様の知り合いか?」

 

「え?」

 

 その言葉に疑問の声を上げながら夕映は周囲に目を向けた。

 するとそこには、各々の得物を携えた魔法教師たちが二人を取り囲む形で陣取っていた。

 

「動かないで貰おうか。君達は既に包囲されている」

 

 ナイフと拳銃を構えたガンドルフィーニが、騎乗したまま本棚に向かう二人に警告を飛ばす。

 

 思いがけない事態に夕映は驚きを隠せず、「何故ここに先生たちが?」と吃驚(きっきょう)のあまり思った事をそのまま口にした。

 

「それはこちらのセリフだよ?夕映くん」

 

 愕然とする夕映の前にタカミチがゆっくりと現れた。

 その立ち振る舞いはいつもと変わらぬ穏やかな雰囲気ではあったが、その優しい眼つきの奥には明らかな警戒の色があった。

 

「た、高畑先生…」

 

「さっき図書館島(この場所)から巨大な魔力の反応があってね。何事かと思って来てみたら…君が居たわけなんだけど。一体どうしてここに居るんだい?それと、君と一緒に馬に乗ってるそちらの人は誰なんだい?」

 

 やんわりとした口調、だが普段とは明らかに違う(まと)わりつくような威圧感を放ちながらタカミチは夕映に問いかける。

 立て続けに巻き起こる予想外の出来事に困惑し、さらに普段とは違い過ぎる恩師の別の顔に混乱し、夕映は言葉を返すことが出来なかった。

 

 片や警戒、片や困惑と恐怖。

 相対する双方の間に沈黙が流れ、張りつめた空気が場を包み込んだ。

 

 だが、そんな空気をものともせず、野太い声が静寂を打ち破った。

 

「これこれ、そう無粋な気をぶつけるでない、それでは此奴も怯えて話せるものも話せんではないか」

 

 周りの緊張感など気にも留めず、手綱を引いて教員たちに向き直りながら、不遜な口調でライダーはタカミチを窘めた。

 

「タカハタ…とか言ったな?今の会話から察するに貴様は、この者の教師か?」

 

「“元”担任ですけどね…そう言うアナタは?」

 

 口調や態度は変えず、だが更なる警戒の色を乗せてタカミチは眼前の巨漢に訊ねた。

 するとライダーは困惑顔の夕映の肩にポンと手を置いて、声高らかに答えた。

 

「我が名は征服王イスカンダル!此度はライダーのクラスをもって、この娘のサーヴァントとして現界した!」

 

 館内全体に響くような豪快にして雄大な声で、大王は教員たちに宣言した。

 

「今宵この場所に召喚され、今この書庫にてそなたらと相巡り合わせたのは全くの偶然ではあるが…まずは武器を収めよ。我らにそなたらと相争う意志は無い」

 

 傲岸不遜。まさにそんな言葉が当てはまるような態度で彼の王は教師たちに命じた。

 そんな彼の言動に一瞬呆気に取られた教員たちではあったが、すぐさま我に返ると突拍子もないライダーの言葉に驚きを通り越してもはや呆れ返った。

 

 ―征服王?イスカンダル?何を言っているのだこの男は?なるほど、上からものを言うその態度はまさに王様だ。だがそんな事誰が信じる?

 

 その場にいた夕映以外の全員がそう思い、懐疑的な嘆息が周囲から漏れるなか、タカミチは変わらぬ口調で言葉を返す。

 

「悪いけど、アナタたちの身柄を確保するまでそれは出来ない。アナタが馬上(そこ)から降りて、夕映くんを解放し、武器を引き渡して大人しく捕まってくれれば…話は別だけど」

 

「ふむ。それは…余に降伏しろと申しているのか?生憎だが、それこそ無理と言うものだ。余は征服王、後にも先にも、戦わずして(くだ)るなどあり得はせぬ」

 

 憮然とした態度でライダーは言った。

 微妙にかみ合わず、交渉の余地が見いだせない状況にタカミチは思わずため息を吐いた。

 

「弱ったなぁ…それじゃあ、力ずくで拘束するしかなくなってしまうのだけれど…それでもやるかい?」

 

 瞬間、タカミチから殺気が溢れ出す。

 魔力と気を纏った確かな戦意が、(くら)の上で悠然と佇むライダーにぶつけられた。

 

「うーむ…こちらは(はな)から争う気は無いと言うておるのだが…そちらがその気ならば、是非も無い」

 

 そう言ってライダーも、戦意に応じるように剣を抜く。

 先ほどの警告とは比べものにならない程の緊張感が辺りを包む。

 

 同時に、ライダーから漏れだす桁外れの魔力に教師たち全員が目を剥いた。

 先ほどまで酔狂とも取れるような言動で周囲を呆れさせていた男とは思えぬその雰囲気に戸惑いつつも、先ほどの魔力の奔流の正体――その正体が目の前の男のものだと言うことを教師たち全員が確信した。

 

 懐疑と警戒が強まり、教員たちの闘気がさらに強まった。

 一触即発。

 まさにその言葉が相応しいような重苦しい空気に、夕映は呼吸を忘れそうになった。

 

 ―止めなければ。先ほどの言動を察するに、先生たちは自分が人質か何かにされてるものと勘違いしているに違いない。ならば誤解を解かなければ。

 

 そう思うも、恐怖のあまり震えが止まらず、歯の根も合わない。締め付けられるような緊張感に、声を出すのも厳しかった。

 何も出来ず、心の中で夕映は自身の無力さに歯噛みをした。

 そんな時だった。

 

 「ディク・ディル・ディリック・ヴォルホール」

 

 宣言とフィンガースナップの音と同時に聞こえた直後、見えない衝撃をライダーは剣で弾いた。

 何が起きたか分からず狼狽している夕映の目に入ったのは、手を前にしてフィンガースナップの状態で指を構える神多羅木の姿だった。

 

 再びパチンと言う軽快な音が響くと、見えない風の刃がライダーを襲った。

 ライダーはそれを難なく弾く。が直後、頭上から振り下ろされた白い刃が彼の脳天を捉えようとしていた。

 

「―――危ない!!」

 

「狼狽えるでない!!」

 

 咄嗟に声を上げた夕映を制して、ライダーは真上の刃を受け止める。

 

「――くっ!」

 

 完全な不意打ちを受け止められ、葛葉刀子は内心で舌打つ。

 防御したライダーは、そのまま力任せに彼女を吹き飛ばそうとした。

 

 しかし、それさえ邪魔するように彼に迫ったのはタカミチだった。

 一瞬で間合いに入ったタカミチは、自身の得意とする『居合い拳』を、連続で彼に打ち込む。

 

「むう!!」

 

 煩わしそうにしながらライダーは体を張ってそれを受け止める。

 その際に、攻撃の余波が及ばぬようにと、その剛腕でマスター(夕映)を守る事も忘れなかった。

 

 一瞬、動きが止まりかけたその瞬間、再び神多羅木と刀子の連撃がライダーを襲おうとするが、その刃と衝撃がライダーを捉える事は叶わなかった。

 

 タカミチの拳を受けながらライダーは馬の腹を蹴る。

 すると主の意思に呼応するように巨馬(彼女)はくるりと身を返して駆け出した。隙の無い連携攻撃を抜け出さんと二人を乗せ、猛スピードで駆けるその先に居たのは攻撃の機を窺っていたガンドルフィーニだった。

 

「―っな!?」

 

 思わぬ突進に虚を衝かれた彼だったが、正面から迫る巨大な蹄を咄嗟に横に飛んで何とか躱し、碌に受け身もとらぬままお返しと言うように二発の銃弾をライダーの背中目がけて放った。

 

 対魔法使いとの戦闘用に用意された特殊な銃弾だったが、その威力が発揮されること無く、甲高い二つの金属音と共に銃弾はライダーの剣の一振りで斬り払われた。

 

 教師たちの包囲から脱出したライダーは手綱を引いてブケファラスの脚を止めさせると、再び彼らの方へと向きなおさせた。

 

 一方の魔法教師たちも陣形と体勢を立て直しながらライダーに向き直った。しかし、完成した包囲の輪から魔法も奇策も無く、力尽くで抜け出されたことに対し戦慄を覚えざるを得なかった。

 

「ふむ…見事だな」

 

 二度目の膠着状態のなか、先に口を開いたのはライダーだった。

 

「卓越したその技と連携…余の時代にも戦に出る魔術師は居ったが、貴様らのように白兵戦までこなす者は居らんかった!」

 

 それはライダーの心からの称賛だった。自身の懐に居るマスター(夕映)を守ると言うハンデを負っているとは言え、サーヴァントであるこの身にここまで迫って来る目の前の戦士を称えたいと思う大王の裏も表も無い本心からの言葉であった。

 

「…お褒めに与り光栄です…と言いたい所だけど、力尽くでこうもあっさりと突破された後で言われても皮肉にしか聞こえないよ」

 

 自嘲気な微笑を浮かべながらタカミチは肩を竦めた。

 その称賛が例え本心から出たものだったとしても、いまだ底の見えないライダーの力に教師たちが警戒を薄れさせる事などあり得なかった。

 

 そんな彼らの心など知らぬとでも言うように、ライダーは威厳だけはそのままに軽い口調で教師たちに言い放った。

 

「まぁそう謙遜するでない。とは言え…このまま戦うと言うのなら無論、余も遠慮をする気は無い。更なる武を以て蹂躙することも吝かでは無いのだが…再び刃を交える前に余から一つ提案があるのだが、どうだ?」

 

「…提案?」

 

 唐突に上げられた言葉にタカミチの顔から笑みが消え、訝しむように眉を顰めた。

 それは他の教師たちも同じで、先ほど身柄の拘束を断ったばかりのこの男が言わんとする提案が如何なるものか。

 例えそれが停戦にせよ平和的協定にせよ慎重な心理的探り合いが予想される。

 当人を除く全員がそう思っていた。

 

 しかし、続く大王の言葉に、再び魔法教師全員が唖然とした。

 

「ここは一つ…うぬら全員、我が軍門に降る気は無いか?」

 

「…………………は?」

 

 間の抜けた誰かの声が、広い大図書館の一角に木霊した。




………
……

…続ける?









これにてストックは無くなりました。
今後はかなり不定期な更新になると思いますが、気長にお待ちください。



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第3話

 ―夕闇に染まった空の上に浮遊する二つの人影があった。

 一つは機械仕掛けの少女(従者)こと絡繰 茶々丸。そのすぐ隣には彼女の主、エヴァンジェリン・A・K・マクダウェルが、静粛とした図書館島を訝しむような視線で見下ろしていた。

 

「…気付いているな、茶々丸?」

 

 主人の問いかけに従者は、「はい」と無機質な返答を返した。

 

「防音、認識阻害、人払いなどの隠蔽用の結界が幾重にも張られていますが、館内では間違いなく戦闘が行われています」

 

「そうだ…ここの連中(教師)を相手取るとは、少しは出来るようだな」

 

「では…加勢なさるのですか?」

 

 そう訊ねると彼女の主人は鼻で嗤った。

 

「フン…そんな義理は無い。これでどちらが倒れようと私にはどうでもいい話だ…いや、あの鬱陶しい教師共がヘマを踏んでくれた方が都合が良いと言えば良いのだがな」

 

「では一先ずは静観、と」

 

「ああ、それに…」

 

 と、言葉の途中でエヴァンジェリンは何かに気付いたように視線をずらした。

 その先には、館内の出入り口にある石段に腰かけて項垂れるネギの姿があった。

 

 その様子は傍目から見ても明らかに落ち込んでおり、離れた上空から見下ろしている二人にまでその鬱鬱とした空気が伝わって来ていた。

 

「…あんなところで何をやっているんだあのボーヤは?」

 

「恐らくは見張りなのでしょうが、どう見てもそれどころでは無いように見えます」

 

 呆れ返るエヴァの言葉に茶々丸が律儀に返答を返す。

 

「フン…おおかたタカミチにいいように言い包められたのだろう。“これも仕事だ”などと言われて館内から追い出されたのだろうな」

 

 嘆息を漏らしながら言ったエヴァだったが、その言葉が当たっていると分かれば更に呆れただろう。

 いずれにせよ二人の眼下で座り込んでいるネギの姿はあまりにも隙だらけで、仕事に順ずる魔法教師にはとても見えず、どう見ても途方に暮れたただのお子様にしか映らなかった。

 

「マスター、今でしたら“例の計画”を待たなくとも先生の血を吸う事が出来そうですが…」

 

「フッ、確かにな…だが焦るな。仕掛けるにはまだ早い…もう少し血も集めねばならん。それに…」

 

 エヴァは視線をネギから外し、図書館島の向こうの学園へと目を向ける。

 

「今ボーヤを襲ったところで余計な邪魔が入るだけだろうからな…この場は高みの見物とさせて貰おうじゃないか」

 

 にやりと笑みを浮かべ、娯楽を楽しむかのような眼差しで彼女は夜の闇に染まりつつある図書館島を眺めていた。

 

 その真下、出入り口の石段で座り込んでいるネギはと言うと、

 

「ハァァァ…」

 

 エヴァの予想通りに盛大に落ち込んでいた。深いため息は周囲にネカティブなオーラをまき散らし、すっかり暗くなった図書館前の出入り口を更に暗い雰囲気に仕立て上げていた。

 

 何故そこまで落ち込んでいるのかと言うと、これまたエヴァの予想通り、タカミチに外での待機を命じられたからであった。

 教師の仕事と言われ渋々ではあるが納得の意を示したものの、今の彼の胸中には独りぼっちと言う孤独感、仲間外れと言う疎外感でいっぱいだった。

 

 ―自分も魔法教師なのに。

 ―やはり自分がまだ子供だから?

 ―子供だから一人前とは認めて貰えないのか?

 

 その幼さ故という根本的な事実は彼の中に劣等感と卑屈さを与え、それが彼の持つ気弱な部分と合わさり、現状(いま)のような状態を作り出していた。

 

「ハァ…今ごろタカミチや他の先生たちは何をやってるのかなぁ?きっと正義の魔法使いらしく事件を解決させてるんだろうなぁ…それ比べて僕は…ハァァァ…」

 

 もう何度目になるか分からない盛大なため息を吐くネギ。

 もはや周囲の状況など目に入っていないらしく、そんな精神状態故か徐々に近づいて来る足音にすら気付かないでいた。

 

***

 

「………えっと…それは何の冗談かな?」

 

 普段の余裕のある笑みとは違う頬をひくつかせたぎこちない笑みでタカミチは眼前で馬上に佇むライダーに訊ねた。

 

「うん?いや、冗談でも何でも無いが」

 

 あっけらかんと返す大王の目にタカミチは今度こそ呆気に取られた。彼の瞳には微塵の諧謔的な色も無ければ相手を嘲るような侮蔑も無く、ましてや挑発的な鋭さも無かった。

 そんな真っ直ぐな彼の目を見てタカミチは悟った。

 

 ―眼前の男の言葉に腹の探り合いと言った余計な意図は無く、一戦交えた相手に対し、彼は本当に王として勧告しただけなのだと(・・・・・・・・・・・・・・)

 

 あまりに馬鹿馬鹿しく荒唐無稽なその言葉。

 その筈なのに、何故か呆れや嘲りと言った反応は示せなかった。

 

「………高畑先生?」

 

 背後からガンドルフィーニに呼ばれタカミチはそこで我に返った。

 姿勢こそ変わらずポケットに手を入れたままだが、その表情からは笑みが完全に消えていた。

 

「…残念だけど、その誘いは受けられないな。例えアナタがどこの誰であろうと、僕は学園(ここ)の教師としての責務を放り出してアナタの(しもべ)になるつもりは無い」

 

 再び笑みを浮かべてかぶりを振るタカミチだったが、その目は笑っていなかった。

 

「その通りです。そもそも、この状況で貴方に仕えると本気で思っているのですか?ふざけるのも大概にして下さい」

 

 タカミチに続いて拒絶の意を示す刀子は、刃物のような威嚇的な眼差しで大王の双眸を睨み据えていた。

 無論、二人と共に並び立つ他の教師たちもそれは同じで、睨みつける視線に明確な敵意を乗せてライダーの睥睨と真っ向から火花を散らしていた。

 

 確固たる意志を以って回答を示した彼らに対し、ライダーは突きつけられる敵意に微動だにせず、「ふむ」と頷きながら彼らを見据える。

 

「…交渉決裂か…それがそなたらの答えであるならば、致し方あるまい」

 

 そう囁くように告げた直後、巻きあがったのは魔力の旋風。

 先ほどとは比べものにならない量の魔力がライダーの巨躯から溢れ出すそ。

 

「これより先は互いの武を以て示そうではないか!なに、力尽くでと言うのには慣れているのでな!余が“征服王”たる所以をとくと見せてやろう!!」

 

 猛禽のような鋭い眼光に獰猛な笑みを浮かべてライダーは手綱を握りしめ、剣を構えた。

 あの包囲を突破した巨馬による疾走が再び来ると思い、挙動を窺いつつ教師たち全員が身構える。

 

 再び戦いの火蓋が斬って落とされんとしていた時だった。

 

「――――そこまでじゃ」

 

 突如響き渡った年老いた声に、両者の戦意が霧散する。すると外に通ずる扉が軋みを上げながらゆっくりと開かれ、声の主―――近衛近右衛門が背後にネギを侍らせて館内で相対する両者の戦いに待ったを掛けた。

 

「が、学園長!?」

 

 思いがけない人物の乱入に教師たちの誰かが声を上げた。

 予想外の事態にライダー以外の全員が目を見開いて呆気に取られるなか、近右衛門は緊迫した空気のなか飄々とした佇まいで館内を見渡した。

 

「おやおや、これはまた…随分と派手に壊したもんじゃのう…」

 

 壊れた本棚や散らかった本やその残骸を流し見しつつ近右衛門はゆっくりとした歩みでライダーと教師たちの間に割って入った。

 

「が、学園長…なぜこちらに?」

 

 あまりに場違いな弛緩した雰囲気を醸し出して現れた彼に対し、困惑顔のガンドルフィーニは堪らず問いかけた。

 すると近右衛門は、口元に蓄えた白鬚を撫でながら緩やかな口調で答えた。

 

「いやのぉ…使い魔越しにここの様子を見ておったんじゃが…お主らがあまりに辺り構わず暴れるもんじゃから見てられんくなってのう…思わず出張ってきてしもうたんじゃ」

 

 そう言って「フォッフォッフォ」と好々爺たる笑いを上げながら周囲を指す近右衛門だったが、先ほどの攻防によって出来た惨状はとても笑えるようなものでは無く、図書館の一角は竜巻でも過ぎたかのような悲惨な状態になっていた。

 

 これには他の教師たちも思わずたじろぎ、緊急事態とは言え先に仕掛けた挙句、貴重な書簡庫でもある図書館の一角をここまで荒らしてしまった事実に対し後ろめたさを感じずにはいられなかった。

 

 周囲を見渡しながら堪らず気まずそうに顔を顰める魔法教師たち。そんな彼らの反応に満足したのか、近右衛門はもう一度小さく笑うと、今度は反対側でその様子を眺めているライダーに目を向けた。

 

 暫し放置されたライダーからは既に闘気は感じられず、茶番じみたやり取りをしている彼らの邪魔もしないで、ただ様子を窺うように彼らを観察していた。

 

「さて…お初にお目にかかる、古きマケドニアの大王殿。わしはこの地の学園の長を務めておる近衛近右衛門と申す者じゃ」

 

 先ほどの気さくな好々爺たる雰囲気から一変し、礼儀正しい姿勢で挨拶をする近右衛門。恭しく頭を垂らしながらも、その佇まいは学園の教師たちを統べる長らしい威厳に満ちていた。

 その様を無言のまま泰然たる態度で眺めるライダーに対し、近右衛門は面を上げながら言葉を続ける。

 

「まずは詫びよう…争う意志の無いそなたらに対し、わしの部下が無礼を働いたようじゃのぉ」

 

「なに、気にする事はないぞ御老。そやつらはいきなり現れた余に対し務めを果たさんと動いたに過ぎん。些か…短絡的ではあったがのう」

 

 そう言いながらニヤリと意地の悪い笑みを教師らに向けるライダー。

 対する教師らは何か言い返したそうに顔を顰める者も居れば、タカミチのように肩を竦めたり、何の感情も現さず無言でその言葉を受け止めたりと、その反応は様々だった。

 

「フォッフォッフォ、そう言ってもらえると助かるの。ではまずは互いに矛を収めて休戦といかぬか?これ以上この場を荒らすのはわしらも望まぬし…何よりその子も限界のようじゃしのぉ」

 

「―――む?」

 

 飄々と言い放った近右衛門の言葉でようやくライダーはマスター(夕映)の異変に気が付いた。

 先ほどから慣れぬ戦いの空気に()てられて緊張のあまりに押し黙っているのかと思いきや、もはや緊張や恐怖を通り越した挙句、さらに包囲を突破する際に発せられたライダーの気迫が強烈過ぎたようで、夕映はライダーの胸板にもたれ掛ったまま目を回して気絶していた。

 

「ふむ…どうやらこの小娘には戦場の空気は些か刺激が強すぎたようだな」

 

「ゆ、夕映さん!」

 

 嘆息して彼女を馬上から落ちぬよう支えるライダーを尻目に、先ほどから困り顔で近右衛門の傍に控えていたネギが夕映の異変に気付いて堪らず駆け出した。

 心配そうな面持ちで彼女に駆け寄るネギを見てライダーは訊ねた。

 

「…なあ近右衛門とやら、この小姓は夕映の知己か?」

 

「ネギ君のことかの?彼は小姓などでは無く、彼女の担任の先生じゃよ」

 

「なんと!お主の背後にずっと控えておったからつい小姓かと思ったが、まさかこんな小僧が教師とは」

 

 近右衛門の言葉に大仰に眉を上げて驚くライダー。すると何を思ったのか、ライダーは気絶している夕映をひょいと片手で持ちあげてネギに渡した。

 

「え―――っわわ!?」

 

 突然のことに驚きながらもネギは気を失った彼女を落とさないようしっかりと受け止めた。

 そんな彼に対しライダーは気さくな笑みを浮かべながらも王としての威厳をそのままに告げた。

 

「安心するが良い、少し目を回しておるだけだ」

 

「あ、えっと…アナタは一体…?」

 

「余は征服王イスカンダル。此度はその娘のサーヴァントとして現界した」

 

「え?イスカンダ…え?」

 

 唐突に告げられたビッグネームに当惑するネギの反応を敢えて無視して、ライダーは言葉を続けた。

 

「ネギと言ったな…その娘、夕映は余のマスターだ。疾く丁重に介抱してやるが良い」

 

「あ、ハイ!わかりました!…けどマスターって…」

 

「そら、兵は神速を貴ぶと言うだろう。貴様がそやつの教師であるならば、さっさと連れて介抱してやらんか」

 

 困惑が拭えず動きが鈍るネギにライダーが煩わしそうに檄を飛ばすと、慌ててネギは魔法で強化した身体で夕映を抱え、馬車馬のようなスピードで図書館を後にした。

 その矮躯からは想像出来ない速さで立ち去る彼の後ろ姿を見送りながらライダーは感嘆の声を漏らした。

 

「ほう…あのような小童が教師と聞いて珍妙に思ったが…成る程、あの者も魔術師であったか」

 

「フォッフォッフォ、ああ見えて優秀じゃよネギ君は。しかし良かったのかの?お主のマスターの身柄をこうも簡単に引き渡してしもうて」

 

 横目で馬上のライダーを見上げながら近右衛門は問いかける。

 

「ああ構わぬ。これでも人を見る目はあるつもりでな。あの坊主なら問題なかろう…しかし教師を務めるにしては些か幼すぎやせんか?」

 

 腕組みをしてライダーが問い返すと、近右衛門は小さく笑って答えた。

 

「確かにネギ君はまだまだ子供ではあるが、ああ見えて芯の強い子じゃ。それに、生徒と共に成長する教師もありじゃと思わぬかの?」

 

「成る程…師は弟子を育て、弟子は師を育てる…と言う奴か」

 

 愉快げに笑みを浮かべながらライダーと近右衛門は互いに視線を合わせた。

 やがて一拍間を置いてから、近右衛門は再び口火を切った。

 

「さて大王殿、改めて言わせて貰うが、わしらもこれ以上争う意志は無い。ゆえに一先ずは話し合いの場を設けたいと思うのじゃが如何かな?」

 

「うむ、良かろう。余としてもこの時代に関して聞きたいことが山ほどあるのでな」

 

 告げられた提案にライダーは一も二もなく快諾した。

 

 ―何を考えているのかは今一つ掴みきれないが満足げな笑みを浮かべて提案を呑んだこの大王は一先ずは敵対する意志はなさそうだ。

 そう判断した近右衛門は一安心したように髭を撫でた。

 

「では、とりあえずは学園長室(わしの部屋)まで案内するかのう。茶菓子でも出すので、ゆっくりと話でもしようじゃないか」

 

「ほう!この時代の菓子とな!こうしちゃおれん、さっさと行こうではないか」

 

 茶菓子と聞いて子供のようにはしゃぎつつも威厳が消えないのだからこれはこれで稀有な存在とも言えよう。

 そんな場違いな感想を抱きながら近右衛門はにこやかな笑みを浮かべて、騎乗したままのライダーを連れて図書館を後にした。

 

 騎乗したライダーの巨躯が通れる背の高い出入り口を潜って月明かりが照らす夜の麻帆良へと消えていく二人。

 不意に訪れた静寂の中、取り残された教師たちは一言も発せぬまま、結局その背中を見送ることしか出来なかった。

 




………
……

…続くのか?


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第4話

「……館内の魔力反応消失。先生方も引き払われたようです」

 

「フン、幕切れは興醒めだったな」

 

 図書館島の上空に居座ったまま、茶々丸の無機質な報告にエヴァは心底つまらなそうに鼻を鳴らした。

 千里眼の魔法を通じて中の様子を窺っていた彼女は事の顛末を既に知っていた。

 

 ―イスカンダル。アレキサンダー、アレクサンドロス等の名でも知られるマケドニアの覇者であり、ヘレニズム文化として知られる一時代を築いた文字通りの大王である。

齢二十歳にして王位を継いだ後、古代ギリシアを統率してペルシアへの侵攻に踏み切り、以後エジプト、西インドといった広域の地を征服し、『東方遠征』の偉業を、10年も満たずに成し遂げた。その偉業こそが征服王たる所以である。

 

 そんな古の大英雄とも言える存在が、何の因果か一人の小娘の使い魔(サーヴァント)として現界した事にも驚いたが、それが学園の魔法教師たちと大立ち回りを演じているのだ。さて如何な結末を迎えるのかと期待していたエヴァだったが、それは突如現れた近右衛門の仲介によって呆気なく幕を引かれる結末となった。

 

 あまりに拍子抜けな結末に口を尖らせるエヴァの背後からそれは現れた。  

 

「ケケケケ、随分ト不満ソウジャネーカ、御主人」

 

 カタカタと体を揺らして笑う小さな人形が、その手に“例の本”を持って浮かんでいた。

 

「チャチャゼロか…随分と遅かったな?」

 

「文句言ワネーデクレヨ、鼠ミタイニコソコソ隠レナガラ何トカ拾ッテキテヤッタンダカラ」

 

 エヴァの問いにぶっきらぼうな返事をしながらチャチャゼロは持っていた本を彼女に投げ渡した。

 チャチャゼロが回収してきた本、それはまさに夕映が地下深部から回収してきた例の古文書だった。

 

 先ほどの戦闘の最中に気を失ってしまった夕映は、せっかく発見し、拾ってきた古文書を落としてしまっていた。

 しかもそれは戦闘で散乱してしまった本の中に紛れてしまい、夕映の手から零れ落ちた本の存在に中に居た誰もが気づかなかった。しかし、魔法を通して中の様子を俯瞰で窺っていたエヴァだけが目敏く気付いた。

 

 そして戦闘が終わり、ライダーと近右衛門たちが去った後、暇を持て余していたチャチャゼロを呼びつけたエヴァは、戦闘痕の隠蔽に勤しむ教師たちの目を盗んで本の回収を命じていたのだった。

 

 受け取った本のペラペラとページを捲りながらエヴァは面白そうに口角を上げる。

 

「ほう?…(ほつ)れかかっているが、かなり強力な認識阻害と秘匿の呪いが掛けられているな。一般人から見れば字の潰れかかった古臭い本にしか見えんはずだ」

 

 好奇心に目を光らせ、先ほどとは打って変わって嬉々とした笑みを浮かべながら彼女は本を閉じた。

 

「ククク…面白い拾い物をしたものだ。茶々丸、帰ったら早速この本に掛けられた呪いの解呪と解読に取り掛かるぞ」

 

「かしこまりました、マスター」

 

「オイオイ、労イノ言葉ハネーノカヨ?」

 

 変わらぬ表情で不満の声を上げるチャチャゼロを尻目にエヴァは二体の従者を率いて夜の闇へと消えていった。

 その目に野心めいた妖しい輝きを灯して。

 

***

 

「わぁ!夕映ってば凄いね、こんなに沢山見つけたんだね」

 

 探検の成果を見た親友の宮崎のどかが感嘆の声を上げる。

 

「やるじゃない夕映!」

 

 同じく友人の早乙女ハルナが、

 

「スゴイです綾瀬さん!!」

 

 年下で担任のネギが、

 

「よぉ見つけたなぁ。うちはマネ出来へんわぁ」

 

 同じ部活の近衛木乃香が、

 

「凄いですわ綾瀬さん!」

「ねーねー!これ何の本ー?」

「夕映っちスゴーイ!」

「アイヤー英語は分かんないけど凄いアル」

「流石でござるな」

 

 クラスの皆が自身の成果を見て褒めたたえ(一部そうでもないが)、彼女に賛辞を送り続ける。

 表情豊かでは無い彼女だったが、この絶賛の嵐には思わず頬を染めて喜びを露わにした。

 

 ―正直言って照れくさいが、こうも持ち上げられると悪い気はしない。だからと言ってあまり調子に乗るのも柄では無い。ここは一つここまで自分を褒めてくれるクラスメイトたちにお返しに謝辞でも返さねば――――と口を開こうとした時だった。

 

「これだけの成果があれば大王様(・・・)もきっと夕映を褒めてくれるよね」

 

 ―――親友の口から出たのは、現代の日本に生きる学生らしからぬ言葉だった。

 「え?」と夕映が困惑の声を上げる間にも皆が揃って口を開く。

 

「そうそう!これだけの成果だもん、きっと王様も喜んでくれるよね!」

 

 ―え?

 

「ハイ!もしかすると臣として取り立ててくれるかもしれません!」

 

 ―えぇ?

 

「ひょっとしたら側女(そばめ)かも知れんえ?」

 

 -えええ?

 

「まぁ!それは素晴らしいですわ!」

「ソバメって何ー?」

「おっと!これはスクープだね!」

「おお!先に大人の階段を登るアルか!」

「いやはや目出度いでござるな」

 

 いつもの調子で勝手に盛り上がるクラスメイト達だったが今回の内容はあまりにおかしい。気が付けば皆の服装も普段の学生服では無く、古代のローマやらギリシャやらの住民が着ていそうなヘレニズム文化風の古めかしい服装に代わっていた。

 違和感しかないこの状況に混乱し、最早声も出ない夕映だったが、そこへ追い打ちを掛けるようにその声は轟いた。

 

「うむ!流石は余の臣下だ!余としても鼻が高いぞ夕映よ!」

 

 傲岸にして不遜な声が背後から響き思わず肩をビクつかせる。

 

「あ!イスカンダル様だ!」

 

「大王さまだー!」

 

 誰かがそんな声を上げるや否や、不意に夕映の身体が宙に浮いた。

 それが背後の男の剛腕で持ち上げられたのだとすぐに察した。

 

 振り返ったそこにあったのは、髪と同じ赤色の顎髭を生やした厳つい大男が、ヘレニズム時代の甲冑を身に纏い、巨獣と見まごう黒馬に跨り満面の笑みで彼女の襟元を猫のように掴み上げていた。

 

「うむ!その冒険心溢れる貴様の働きに免じ、此度の遠征に同行する栄誉を与える!」

 

 混乱しっぱなしの夕映の精神など気にも留めず、眼前の大王は声高らかに宣言する。

 するとそれを聞いたクラスメイト達は更に盛り上がる。

 

「いいなー夕映ぇー」

 

「征服王の遠征に同伴出来るなんて羨ましいなー」

 

「頑張って下さい夕映さーん!」

 

「「ゆーえ!ゆーえ!ゆーえ!」」

「「イスカンダル!イスカンダル!イスカンダル!」」

 

 いつの間にか羨望の声は二人を称える大合唱に変わり、クラスメイトどころか学園中の皆がその名を叫んだ。

 その熱は冷める事を知らず、日が沈むまでこの祭りのような盛り上がりは消えることは―――――――

 

………

……

 

「―――――っ!?」

 

 声にならない叫びを上げて夕映は飛び起きた。

 何もしていない筈なのに息は上がり、混乱し切った頭を抱えながら彼女は今まで見ていたのが夢だと言う事をようやく理解した。

 

 ―夢で良かった、と心底安堵しつつも、まだ覚めやらぬ意識のまま夕映は辺りを見渡した。

 ベッドで寝かされていた彼女を取り囲むように仕切られた見覚えのある白いカーテンと、部屋いっぱいに漂う消毒液の匂いから、ここが学園の保健室だと言うことはすぐに理解した。

 

 しかし、ここに至るまでの経緯がまったく思いだせない。

 少しずつ覚醒してきた意識の中、彼女は必死で記憶を手繰り寄せる。

 

 するとその時、カーテンの向こうから聞こえる扉の開く音と足音で誰かが入って来たのに気が付いた。

 夕映は一旦思考を止めて目を向けると同時にカーテンが開かれた。

 

「あ!綾瀬さん!目が覚めたんですね」

 

「っ!ネギ先生…」

 

 入って来たのは手さげのビニール袋を持った担任の子供教師のネギ―――――

 

「おぉ!目が覚めたか!」

 

 ―――だけでは無かった。

 ネギの遥か頭上からぬっと顔を出したのは、彼女の夢の中で混乱を巻き起こした張本人でもあり彼女のサーヴァントとなった大王、イスカンダルその人だった。

 

「…と、ライダー…さん?」

 

 覚醒しきらぬあやふやな意識のなかで現れた予想外の二人の登場に夕映は思考の整理が追いつかず、ぼんやりとした表情でベッドに歩み寄って来る二人を見つめた。

 

「なんだ?まだ寝惚けておるのか?もうじき昼になると言うのに」

 

「仕方ありませんよ。初めて魔力を使ったうえに昨日の一件ですから…」

 

 きょとんと間の抜けた表情の彼女に対し肩を竦めて嘆息するライダーにネギは苦笑しつつも彼女をフォローしながら持っていたコンビニのロゴが描かれたビニール袋を差し出した。

 

「良かったらどうぞ、昨日から何も食べてないと思って」

 

 そう笑顔で差し出された袋の中には市販のサンドイッチとジュースが入っていた。

 

「あ、ありがとうござ…い…ま…」

 

 差し出された袋を受け取りながら御礼の言葉を紡ごうとして、そこで彼女は途端に思いだした。

 

「……っああぁあぁぁあああああああああああ!!」

 

 最初に出たのは叫び声。

 昨夜の召喚、図書館内での教師たちとの会遇、そして戦闘と結末がわからぬまま途切れた意識と記憶。

 そこまで思いだして夕映は、盛大にパニくった(・・・・・)

 

 ―あれからどうなったのか?先生たちは何者なのか?なぜ武器を持って自分たちを捕まえようとしたのか?そもそもあの現実離れした戦いは何だったのか?

 滝のように溢れ出る疑問を自分の中で処理し切れず、声を上げるしか出来ない夕映だったが、その絶叫は眉間にペチンと炸裂した何かによって強制的に止められた。

 

「落ち着かんか馬鹿者」

 

 さも呆れた声で彼女の声を止めたのはライダーのデコピンだった。眉間に突如走った衝撃は強烈な痛みと引き換えに夕映の混濁した思考を取り払った。

 

「まったく目覚めていきなり叫び出すとははしたないぞ。見ろ、貴様の大声のせいで坊主が目を回しておるではないか」

 

 肩を竦めながらライダーが指さした先には、間近で夕映の絶叫を浴びたためクラクラと目を回しているネギの姿があったが、唐突に走った痛みで悶絶する彼女にそれを気にする余裕など無かった。

 目覚めるなり動転し続けるマスターの様子を見てライダーは深々とため息を吐いた。

 

「とにかく落ち着け夕映よ、そう慌てふためかずとも昨日の事ならしっかり説明してやる」

 

「ぁぅ…も、申し訳ありません。つい取り乱してしまいました」

 

 赤く腫れた眉間をさすりながらも顔を上げた夕映は、目の前で落ち着き払ったライダーを見て先ほどの狼狽ぶりが恥かしくなったのか肩をすぼめながらベッドの上で大人しく正座をした。

 やがて目を回していたネギもようやく落ち着きを取り戻してライダーは本題を切り出した。

 

「さて、昨夜の一件に関してだがな、まずは安心せい。貴様が心配しているような事にはなっておらん」

 

「本当…ですか?誰も怪我などは…」

 

「大丈夫ですよ綾瀬さん。図書館が少し壊れただけで誰も怪我はしていません」

 

 不安げな夕映を安心させるようにネギが答えると、それを聞いて彼女はホッと胸を撫で下ろした。

 ようやく安堵の表情を見せた彼女の様子を見てネギも一安心と言うように微笑んだ。しかし、これで話が終わった訳は無く、ここからが本題だとネギは意識を切り替え、弛んだ頬をきゅっと引き締めた。

 

「その…綾瀬さん」

 

「…ネギ先生?」

 

 先ほどの穏やかな雰囲気は鳴りを潜め、ネギは真剣な表情で彼女に語りかける。

 一変した彼の様相に不穏な何かを感じたのか夕映の表情が再び曇り始めるが、ネギはそれを敢えて無視して言葉を続けた。

 

「落ち着いて聞いて下さい…僕を含めて、昨日のタカミチや先生たちは皆…魔法使いなんです!」

 

 静かに、それでいて語気を強めてネギは言い放った。

 ―これから説明する事柄に対してこの事実は大前提として必要なものだった。だがつい先日まで一般人だった彼女にとってこのような話は荒唐無稽なお伽話のようなもの。信じて貰えなくて当然。なら得心してもらうまで説明するのが今この場での自らの役目だと、ネギは確固たる決意を以って彼女に告白した。

 

 直後、保健室は静寂に包まれた。

 表情を変えぬままネギと夕映は互いに視線を交わしたまま動かず、その傍らで佇むライダーは憮然としたままその様子を窺っていた。

 

 室内は窓から吹き込む風の音だけで、しばし静まり返った。

 そこでネギはようやく何の反応も無い事に違和感を憶えた。先ほどの叫声ではないにせよ、吃驚であれ反芻であれ何かしらの反応が来るだろうと備えていたが、ここにきて無反応と来るとは思わず、真剣さを帯びて張りつめていたネギの表情が逆に困惑顔に変わってきた。

 

「……アレ?」

 

 漂う微妙な空気に途惑い、堪らずネギは小首を傾げる。

 何かを間違えたのかと逆に不安になってきたところで夕映が小さく手を上げた。

 

「あの…ネギ先生」

 

 何とも申し訳なさそうな表情で夕映は切り返した。

 

「その……何となくと言うか…ほぼ分かっていました」

 

「……えぇぇえええええええええええ!?」

 

 先ほどに続いて、今度はネギの絶叫が木霊した。




………
……

…続きますか?


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第5話

 ―ネギと夕映とライダーたちが保健室で一悶着起こしている一方で、場所は変わってここはネギが受け持つクラスでもある3年A組の教室。

 この日は進級して最初の始業式と言うこともあり授業は昼までで打ち切られ、午前中最後のチャイムが鳴ると生徒たちは足早に帰り支度を済ませ部活やバイトに向かったり、友人同士で出かける計画を立てたり、はたまた教室に残ったままクラスメイトと駄弁ったりと自由な時間を好きに漫喫していた。

 

 宮崎のどかも例外では無く、彼女は最近愛読している本を丁寧に鞄に仕舞うとそのまま教室の出入り口へと真っ直ぐ向かった。

 

「ちょっと待って、のどか。夕映の所へ行くんでしょ?私も一緒に行くよ」

 

 教室から一歩出た所で呼び止められたのどかは、そのまま早乙女ハルナと同行して保健室に居るであろう友人の下へ向かった。

 

「いやービックリしたよねー、夕映が倒れてたって聞いた時は」

 

「うん、でも少し疲労が溜まってるだけって先生も言ってたから」

 

 間延びした声で言うハルナと、その言葉に笑顔で答えるのどかの二人の顔には既に心配や不安の色は無かった。

 二人を含め、ネギはクラスメイトたち全員に夕映の欠席の理由を説明していた。

 それは虚々実々を織り交ぜたカバーストーリーではあるが、内容を大まかに言えば図書館島に単身で探検に出かけた夕映はその帰る途中でに蓄積された疲労と空腹によって地下から脱出した所で力尽きて倒れていた所を巡回中のタカミチに発見され保護された、との話だった。

 

「…にしても、帰り際にお腹減って力尽きるとか夕映らしく無いよね」

 

「うん、夕映って夢中になると周りが見えなくなる事もあるけど…いつも冷静だし、この春休みの探検だって凄く綿密に計画を立ててたみたいだったから…」

 

 互いに腑に落ちない点を照らし合わせながら、二人はネギの説明を怪しがっていた。

 基本的に夕映とよく行動を共にする事の多いのどかとハルナは、今回の夕映の図書館島探検に関しても事前に本人から聞かされていた。

 特に同じ寮の部屋で暮らすのどかに関していえば、探検の目的からその計画内容に至るまで本人から詳細な説明まで受けていた。その上で彼女自身から心配要らないと念押しまでされていたのだから、今朝倒れていたと聞かされたときは心底驚いていた。

 

「うーん…これは事件の予感がするわね」

 

 さも面白そうにほのめかすハルナだったが、それはどちらかと言えば彼女の願望であり、その事を友人としての勘で悟っていたのどかは特に驚きもせず、ただ困ったように笑っていた。

 

「もーパルってばまた…」

 

「いやでも、夕映ならあり得ると思うんだけどなー。こないだのネギ先生&バカレンジャーで行った時だってスゴイ大冒険をしたみたいだったし、あり得ると思うんだけどなー」

 

「そ、そうかな?うーん…」

 

 つい先日起きたばかりの前例があってか、ハルナの予感(願望)に妙な現実味を感じたのどかは思わず逡巡した。

 

「まー本人に聞けば分かるし、あれこれ悩んでも仕方ないって」

 

 事件の予感とは何だったのか、能天気に締めくくるハルナにのどかが苦笑していた時だった。

 

「-おや?」

 

「あ!」

 

「高畑先生!」

 

 二人は階段を下りた所でバッタリとタカミチに出くわした。

 

「宮崎くんに早乙女くんか…もしかして綾瀬くんのお見舞いかい?」

 

「は、はい…」

 

「そうかい。ちょうど僕もコレを届ける為に行くところでね」

 

 そう言ってタカミチは持っていたリュックサックを見せる。

 中身は夕映が地下深部で拾い集めてきた戦利品がぎっしりと詰まっていた。

 

「おぉ…これ全部夕映が?」

 

「わぁ…あ、この人の本小さい頃に読んだことある」

 

 感嘆の声を漏らして見せられた中身を物色し始める二人にタカミチは苦笑する。

 

「おいおい、友達とは言え、一応他人(ヒト)のモノなんだから勝手に漁らない方が良いと思うけど?」

 

 優しい口調で窘めると、のどかは恥じらうように手を引っ込め、対するハルナは少し不満げに口を尖らせた。

 

「はわわ!す、すみません!つい…」

 

「えー?怒らないと思うけどなー夕映は」

 

 異なる反応を見せる二人に肩を竦めてリュックの口を閉めると、タカミチは保健室に向かう彼女らと足並みを揃えた。

 道中、何気ない世間話に花を咲かせながらハルナはふと思い出した噂を口にした。

 

「あ、そう言えば高畑先生は知ってる?最近流れてるあのウワサ」

 

「ウワサ?」

 

「ぱ、パル…それってもしかして…」

 

「そう、満月の夜になると現れる…『桜通りの吸血鬼』」

 

 吸血鬼と聞いた瞬間タカミチの表情が一瞬だけ引き攣ったが、のどかもハルナも全く気付かずに話を続ける。

 

「真っ黒なボロ布に包まれた吸血鬼が満月の夜になると桜並木に現れて…そして少女たちを一人、また一人とその牙で餌食にしてゆく…っていうウワサ」

 

「ひっ…」

 

 あからさまに怯えさせるようなおどろおどろしい口調で語るハルナの話にのどかは、彼女の期待通りに震えあがっていた。

 対して傍らで聞いていたタカミチは変わらぬ穏やかな表情で彼女の話を冷静に分析していた。

 

「…うーん、そんな噂は初めて聞いたなぁ。その噂はいつ頃から流れていたんだい?」

 

「えーっと…つい最近だったような…」

 

「ここ1、2ヶ月です…」

 

「……因みに、被害者が出たとかそう言う噂は?」

 

 自身も気付かぬうちに神妙な口調で問い掛けるタカミチだったが、聞かれたハルナは「さー?」とあっけらかんと答え、のどかも首を傾げて不明の意を示していた。

 するとタカミチは空を見上げて思案するような所作を見せると、不意に足を止めた。

 

「…高畑先生?」

 

 不思議に思ったのどかが思わず彼の方へと向き直る。

 

「…あぁ、宮崎くん。すまないんだけど、急用を思いだしてね。悪いんだけど、代わりに綾瀬くんに荷物を渡しておいてくれるかい?」

 

「え?あ…は、はい…」

 

 再び口を開いたかと思うと、一方的にのどかにリュックを押し付けてタカミチは踵を返して来た道を戻って行った。

 取り残された二人は呆気に取られて、ただその背中を見送るしか出来なかった。

 

「…どうしたんだろう高畑先生?」

 

「…さぁ?」

 

 突拍子もなく去って行ったタカミチの様子に尾を引かれつつも、二人は再び夕映の居る保健室に向かって歩き始めた。

 

***

 

「魔法使いとしての修行に…ですか?」

 

 夕映はネギから受けた言葉を反芻した。

 あれから何とか落ち着いたネギは世間に隠れて存在する魔法使いの存在、そして麻帆良学園との関係、そして自身がこの学園に来た理由を彼女に説明していた。

 

「はい、『立派な魔法使い(マギステル・マギ)』になる為に僕は教師として麻帆良学園に来たんです」

 

「……」

 

 全てを聞いた夕映は目を丸くしていた。

 “魔法の本”を目指していた時から薄々は感じ始めていた魔法使いの存在。だがネギから聞いたその全貌は彼女の予想を大きく上回っていた。

 世界中に存在する魔法使いの社会、そして学園に多く存在する魔法教師たちの存在、そこへ新たに飛び込んできたネギ・スプリングフィールドと言う子供先生。まるでどこかのマンガのような話が現実に存在する。

 唖然としていた夕映はベッドに腰かけたまま暫し動こうとしなかった。

 

 そんな彼女の様子を見つめながらライダーは口を閉ざしていた。

 昨夜、近右衛門と共に図書館島を後にしたライダーはこれらの事情を既に聞いていた。

 自身の生きた時代とは違う現代の仕組みを聞き、征服し甲斐があると心を躍らせていた彼だったが、それを聞いたマスターがどのような反応を示すのかが気がかりだった。

 受け入れるのか、もしくは拒絶か。マスターが次に放つであろう言葉をライダーは憮然とした面持ちで待ち構えていた。

 

「…夕映さん」

 

 気遣うような柔らかい口調でネギは語りかけた。

 

「本来であれば…一般人であるあなたが魔法使い(こちら側)の世界に触れる事はありませんでした…ですが、どのような形であれ、あなたはこちら側の世界に触れてしまいました。ですが、今ならまだ間に合います。危険なこちらの世界に完全に浸る前に引きかえ…す…夕映さん?」

 

 優しく真摯に語っていたネギだったが、途中で夕映の異変に気が付いた。

 俯いた表情からは表情が窺えず、しかし何かを堪えるように肩を小さく震わせていた。

 

「……ふふっ…ふふふふふ」

 

 次に聞こえてきたのは不気味な笑い声だった。唖然としていた彼女の急変ぶりにネギは心配することすら忘れそうになって彼女に目を奪われていた。

 

「“魔法の本”を見た時から薄々は感じていましたが…まさか魔法(ファンタジー) の世界がこんなに身近にあったとは…」

 

 確かめるように呟くその言葉は歓喜の表れだった。

 ふつふつと湧き出るように喜びを露わにする夕映に困惑したようにネギが「あのー…夕映さん?」と声を掛けようと手を伸ばす。

 すると夕映はその手をガシッと掴んだ。

 

「ネギ先生!もはや迷いはありません!私も魔法使いになります!」

 

「えぇえーー!?」

 

 高らかな夕映の宣言にネギは本日二度目の絶叫をした。

 危険な世界である魔法使いの世界から遠ざけようと彼女を諭そうとしていた彼だったが、まさか自分から飛び込んで来ようとは思いもよらなかった。

 予想外の事態に狼狽するネギを余所に夕映は興奮気味に話を続けた。

 

「このような話を聞かされてじっとしている訳にはいきません!私の知的好き…ではなくて、私にも先生が『立派な魔法使い(マギステル・マギ)』になれるようお手伝いをさせて下さい!」

 

「いや…ですから…その…」

 

 熱弁する夕映の迫力に圧倒されネギはあわあわとまごついていた。

 すると今度は、

 

「うわっはっはっはっはっは!!」

 

 と今まで黙っていたライダーの大笑が響いた。

 

「未だ見ぬ世界に対して畏怖や恐れでは無く好奇が勝るとは!うむ、それでこそ我がマスター!」

 

 椅子に腰かけ磊落な笑みを浮かべたままライダーは「だが…」と続けた。

 

「それより先は貴様の知らぬ世界。ネギ(その坊主)も言っておったが危険は元より、昨夜のような闘争もこの先待ち受けているやも知れぬ。斯様な世界に足を踏み入れる覚悟が…貴様にあるのか?」

 

 口元には不遜な笑みを浮かべてはいるが、鷹のような双眸はしっかりと夕映を見据えていた。

 その眼差しで沸き立っていた熱が冷めていくのを夕映は感じていた。

 

 覚悟――――青春を謳歌する十四歳の少女(ティーンエージャー)に問い掛けるにはあまりに重いものだった。

 つい先日までただの中学生だった自分が何の因果か常識では測れない世界に足を踏み入れようとしている。そしてその恐怖の一端を昨夜味わっている。

 それを思いだして思わず身震いしそうになるのを夕映はぐっと堪えた。

 意識はせずとも、彼女の中で覚悟は既にできていた。

 

「それでも私は…魔法使いを目指します!」

 

 視線を逸らさず真っ直ぐに見つめて夕映は力強く答えた。揺るごうとしない彼女の瞳こそ決意の固さを表していた。

 それを見たライダーはニンマリと満足げに破顔した。

 

「フフン、ならばこれ以上問うのは無粋と言うものよ…なあ坊主?」

 

「うぅ…」

 

 視線を向けられネギは思わずたじろいでしまう。

 年上とは言え、教え子が危険な世界へ飛び込もうとしているのは止めたかったが、ここまで確固たる決意を見せられてはこれ以上余計な問いを掛ける方が野暮と言うもの。

 何より人生経験においてこの中で誰よりも足りていないネギの中では、これ以上の止める手段と言うものが思いつかなかった。

 

「まあそう悲観するでない。余がサーヴァントでいる限りマスターの身はしっかりと守ってやるわい」

 

 そう言ってライダーはその大きく厳つい手の平で表情が晴れないネギの頭をぐりぐりと撫でまわした。

 まるで父子のような微笑ましい光景だが、撫でられる力が強すぎるのか、頭を掴み撫でられているネギはあわあわと目を回しそうになっていた。

 

 話もようやく落ち着いてひと段落し、場は和やかな雰囲気になっていた。

 

「……ところで先ほどから気になっていたのですが…」

 

「うん?」

 

 弛緩した空気の中、夕映は怪訝な表情でライダーに訊ねた。

 

「その格好はなんですか?」

 

 そう言って目を据わらせる彼女の視線は、ライダーの服装に注がれていた。

 

 現在の彼の服装は昨夜のような古代ヘレニズム文化漂う甲冑姿などでは無く、紺のジーンズにTシャツと現代風の非常にラフな格好で、しかもTシャツの胸の部分には世界地図を(かたど)ったゲームのロゴがプリントされた俗世っぽいものとなっていた。

 

 世間一般から想像される王の装いとはあまりにかけ離れた服装に若干困惑顔の夕映だったが、当のライダー自身はさも嬉しそうに口を開いた。

 

「おお、これか。余の今後の身の振りについて昨夜あの御老と話合ってな。しばらくはこの学園に身を置くことになったのだが、この時代であの戦装束のままでは少々具合が悪いとなってなぁ…代わりの服を幾つか見繕わせたのだが、中でもこの柄が特に気に入ってな!見よ!」

 

 そう言って胸を張ってポーズをとるライダー。すると分厚い胸板の上に描かれたタイトルロゴがはち切れそうなくらい誇張された。

 

「ふははは、どうだ!この胸板に世界の全図を載せるとは、うむ!実に小気味良い!これこそ覇者の装束に相応しいと言うものよ!」

 

 楽しそうにTシャツを披露するライダーだったが、価格約3000円弱のゲームのコラボTシャツで小躍りする程はしゃぐ古の大王の姿にネギと夕映は揃って当惑した表情で見つめるしか出来なかった。

 

 昨夜の威風はどこへやらと、眩暈すら覚える感覚のずれっぷりに夕映は頭を抱えそうになった。

 

「…一先ず服の事は置きましょう…学園に身を置くと言っていましたが、具体的にはどのような形なのですか?」

 

 どうにか話題を切り替えようと夕映が質問を投げかける。

 現代の装いをしっかり堪能したライダーは上機嫌な笑顔で振り返った。

 

「ああ、一先ず余は…ム?その前に夕映、どうやら客のようだぞ」

 

 と言ってライダーが視線を向けるとほぼ同時にノックも無く出入り口の扉がガラッと開いた。

 

「あー夕映起きてるじゃない!」

 

「ぱ、パル。保健室で大きな声は…」

 

 入って来たのは見舞いにやって来たハルナとのどかの二人だった。

 

「のどか…パル…」

 

 予期せぬ親友二人の来訪に驚いた夕映は、呆けたようにぽかんと口を開けて吃驚した。

 

「おぉー思ってたより元気そうね」

 

「大丈夫だった夕映?」

 

心配が杞憂に終わった事に安堵したハルナとのどかは、そのままベッドに座る夕映の下へ駆け寄っていった。

 一方の夕映自身は親友との再会に安心と同時に心配を掛けたことに対する申し訳なさも湧いて、晴れやかな表情とは言えなかった。

 

「申し訳ありません二人とも…心配を掛けてしまいました」

 

「もー水臭いって夕映!無事で帰って来たことが一番のお土産って言うじゃない」

 

 律儀に謝辞を述べながらぺこりと頭を下げようとする夕映を見てハルナは苦笑してその背中を叩いた。

 他人行儀など不要と言わんばかりのこの図々しい態度が今の夕映にはありがたかった。

 

 その光景をどこか懐かしむような眼差しで見ていたライダーは、頬を緩ませながら夕映に語りかけた。

 

「ウム、良き友を持ったな夕映よ。友とは何ものにも勝る永遠の宝だ。無碍にするで無いぞ」

 

 その声でハルナとのどかはようやくライダーの存在に気が付いた。

 

「うわデカ!?誰このオジサン!?」

 

 第一声からいきなり失礼なハルナの一言に普段なら軽く注意している夕映だったが、今回に限ってはそれよりも先にライダーの存在が気がかりになった。

 

 馬鹿正直に過去から来た有名なアレキサンダー大王です、などと言える訳も無く、どう説明したものかと堪らず言葉に詰まった。

 だが夕映が頭を悩ませるよりも先に口を開いたのはまたしてもライダーだった。

 

「―――自分はアレクセイ(・・・・・)と言うものでな、今日からこの学園で用務員兼、馬術部の臨時顧問として働くことになった」

 

 あまりに流暢な対応、そして自分の知らぬ事実を聞いて夕映は目を丸くした。

 

「臨時顧問?」

 

「あーなんでも元々居った馬術部の教師が産休に入ったらしくてな。急遽自分が代役を務める事となった」

 

 首を傾げるハルナに対してまるで本当にそうであるかのようにライダーはさらりと言い放った。

 

「あのー…夕映とはどういう関係なんですか?」

 

 立て続けにのどかが訊ねる。

 

「ああ、夕映とは遠縁の親戚のようなものでな。もともとはこやつに学園を案内してもらう予定だったのだ」

 

 臆面もなくさらさらと言葉を並べるライダーを見て夕映はようやく察した。

 

 ―――そうか、そう言う設定なのか、と。

 ライダーが演じようとしている『アレクセイ』なる人物像を理解しつつ、夕映は表情にこそ出さないが眼前の大男が自分の親友たちに対して妙な事を口走らないか心配そうに見つめながら会話に耳を傾けていた。

 

「へー夕映に外国の親戚が居たんだー。ちなみに出身はどこなんですか?」

 

「うむ、マケドニアだ」

 

「…どこだっけ?」

 

 聞いたは良いが返ってきた答えが分からずハルナは巨漢の隣に立つネギに助け舟を求めた。

 

「そうですね…現マケドニア共和国はギリシャの隣と言えば分かりやすいかと…」

 

「おおギリシャ!ヘラクレスだとかアキレウスだとかの、あのギリシャ!」

 

 知っている国が出た途端なぜかテンションが上がるハルナだったが、彼の英雄の名が挙がった途端この(英霊)も盛り上がった。

 

「おお!娘よ、彼の大英雄を知っておるのか!?」

 

「トーゼン!ゲームや漫画にもよく出てくるくらいの超有名人だし、『ギリシャ神話といえばこの人!』くらいの英雄だから!」

 

「そうか!やはり真の英雄たる者、時を越えて尚その名は色褪せぬと言うことか!」

 

「その感じだとオジサンも好きなの?ギリシャ神話」

 

「無論だ!彼の大英雄について(したた)められた『イリアス』は肌身離さず持ち歩いておるくらいぞ!」

 

「いりあす?」

 

「む?何だ知らぬのか?良かろうならば教えてやろう、イリアスとは…」

 

 若干方向性(ベクトル)は異なるものの、共通した話題で盛り上がるハルナ(女子中学生)ライダー(大王)は周囲を置いてきぼりにして会話に花を咲かせた。

 

 その光景をどんな顔で見れば良いのか、呆れるべきか一先ずは安心すべきか、複雑な表情で夕映は肩を竦めた。

 

「変わった人だね…夕映のおじさん」

 

「ええ、変わったと言うか何と言うか…え?」

 

 のどかに話しかけられふと視線を向けた夕映は、彼女の腕に抱かれた自身のリュックサックに気が付いた。

 

「のどか、そのリュックは…」

 

「え?あ、これね。さっき高畑先生に頼まれて…夕映の荷物なんだよね?」

 

「あ、ありがとうございます…」

 

 思わぬ形で帰って来た荷物に驚きつつも夕映は自身の成果が返ってきたことに心底安堵した。

 すると夕映は、さっそくベッドの上で中身を確認する。

 文豪の原稿、怪しげな石板などなど、一つ一つ丁寧に取り出してベッドの上に広げていくその光景に隣で見ていたのどかや、興味津々で寄って来たネギは「うわぁ」と感嘆の声を出していた。

 

 しかし、夕映は気付いてしまった。

 その中に本命のモノが無い事に(・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・)

 

「わぁ…凄いね夕映。こんなに沢山―――」

 

「―――せん」

 

「…え?」

 

「魔法の本が…ありません…!」

 

 




………
……

…続いちゃうの?


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第6話

  ―時刻は昼を過ぎ、授業を終えた生徒たちは各々の時間を過ごしていた。

 学び舎のすぐ外では部活に勤しむ者や友人同士で談笑したり戯れたりと、眩しいくらいの青春を謳歌する生徒たちの姿があった。

 

 そんな若者たちの姿を近右衛門は学園長室の窓から眺めていた。その顔は穏やかだが、脳裏には昨夜の出来事がずっとチラついていた。

 昨夜の一件、図書館島にて起こったライダーと教師たちの衝突は彼が仲裁に入ることで事なきを得た。

 その後、ライダーを学園長室(この部屋)に招待した近右衛門は、事の成り行きを彼から聞いていたのだった。

 

「ふむ…サーヴァントとマスターのぅ…」

 

 ふと思いだすのはライダーのマスターだと言う夕映の姿。 

 立場上、生徒と直接接する事の少ない近右衛門であったが、孫である近衛木乃香とその周囲を取り巻く友人たちに関してはある程度把握していた。

 特に孫の居るクラス(3-A)は、その担任が子供教師(ネギ)だと言うこともあり、贔屓と言う訳では無いがそれでも他のクラスよりかは目を掛けている節もあった。

 

 そんな近右衛門にとって綾瀬夕映とは、好奇心旺盛な普通の少女だった。

 担任がネギであるが為に、普通の生徒とは違って魔法に直接触れる事もあるかも知れないが、それでも普通の女子生徒の一人に過ぎなかった。

 

 それだけならばまだ良かった。期末テスト直前にあった地底図書室での一件のように、取り巻く環境によっては遅かれ早かれ魔法に触れていたかもしれない。ならばその時、周囲の人間が道を誤らぬよう導いてやれば良いだけなのだから。

 

 しかし、行き着く問題はやはりライダー(あの男)だった。

 一般人に過ぎなかった彼女にサーヴァントと言う存在はあまりにも過剰戦力だった。たった一騎で学園が誇る腕利きの魔法教師たちと一戦交え、あわや圧倒しかけていたその力は未だに底が見えず、それを危惧した魔法教師たちの中には、『彼女(夕映)の身を拘束し、彼の使い魔(ライダー)を封印するべきだ』などと持ち掛けてくる者さえ居る始末だった。

 

 そんな彼らを説得するため近右衛門は朝から奔走し、太陽が真上に昇ったあたりでようやく落ち着いた時だった。

 学園長室に一枚の手紙が届いた。

 

「…些か、タイミングが良すぎるのぅ…」

 

 窓の外から視線を外し、近右衛門は机の上にある手紙に目を向けた。

 封は既に切られ、中身が広げられた一枚の手紙が机の上で一際存在感を放っていた。

 

「やれやれ…どうしたものかのぅ…」

 

 すでに中身を検めていた近右衛門は深々と溜息を吐き、どこか疲れたような表情で椅子に座りこんだ。

 すると不意に、学園長室にノックの音が飛び込んだ。

 

「失礼しますよ」

 

 ノックの後に入って来たのはタカミチだった。

 

「おぉ高畑君、荷物は届けてくれたかの?」

 

「ハイ、まぁ…と言っても途中で会った宮崎クンに代わりにお願いしたんですけどね。彼女ならキチンと届けてくれる筈です。それよりも学園長…」

 

「ム?」

 

 突如神妙な口調で話しを切り替えたタカミチに、近右衛門は眉を上げる。

 

「気になる噂を聞いたんですが…」

 

「フム…『桜通りの吸血鬼』かの?」

 

 先に答えを口にされ、タカミチは虚を衝かれたように目を見開いた。

 

「なんだ…すでにご存じだったとは…」

 

 頭を掻きながらどこか気恥ずかしげに苦笑するタカミチを見て、近右衛門も穏やかな笑みを見せた。

 

「ほっほっほ、たまたま耳に入っての。タイミングからしてそうではないかと思っただけじゃよ」

 

「…まったく、敵わないなぁ」

 

 ばつが悪そうに肩を竦めタカミチは言葉を続けた。

 

「まあ噂の元はわかるとして…どうしましょうか?一応彼女(・ ・)に注意だけはしておきますか?」

 

 そのタカミチの言葉に近右衛門は顎に手をあて、少し考える素振りを見せた後に答えた。

 

「…いや、まだ良いじゃろう。暫く経っても噂が絶えぬようであれば、ワシの方から声を掛けるとするわい」

 

「そうですか…まあ彼女も大人ですから、そこら辺の事は分かっている筈ですし」

 

 それだけ言うとタカミチは小さくため息をつく。一瞬、悪態をつきながら満月の夜を我が物顔で飛び回る金髪の少女が頭を過ったが、いやはや流石にと内心で笑って誤魔化した。 

 

 しかしこの時、何か適当に理由を付けてでも渦中の少女の様子を見に行くべきだったと後で後悔することを、この時の二人にはまだ知る由も無かった。

 

「それじゃあ、自分はこれで…」

 

 用が済んだタカミチは学園長室を後にしようと背を向け、

 

「すまんが高畑君、少し待ってくれんか?」

 

 すぐに引き止められ、タカミチは再び振り向いた。

 

「ハイ?」

 

「…高畑君、すまんがワシの出張に付き合ってくれんかの?」

 

 思わぬ辞令にタカミチは再び目を丸くした。

 

「それは構いませんけど…また急ですね?何かあったんですか?」

 

 そんな当然の問いかけに近右衛門は敢えて口を開かず、代わりに机上に置かれていた手紙を差し出した。

 理由がその手紙にあると察し、タカミチはそれを黙って受け取り、そして差出人の名を見て息を呑んだ。

 

「…ロード…エルメロイⅡ世…!」

 

 その名を呟いた直後、持っていた手紙に刻まれた魔法式が起動する。魔法により映し出される立体映像によって現れたのは一人の長髪の男だった。

 赤いコートの上に黄色い肩帯を垂らし、眉間に刻まれた深い皺は整った顔立ちを不機嫌そうに歪ませていた。

 

『―――私はロード・エルメロイⅡ世、このような形での連絡は無礼だと承知の上だが用件だけを簡潔に述べさせて貰う』

 

 手紙の男はぶっきらぼうにそう告げると一方的に話を続けた。

 

『Mr.コノエモン。さる人物が大至急貴殿に会いたいと言っている。本来であればこちらから出向くのが礼儀だが、その人物は事情により無闇に出歩くことが出来ない。…更に言えば、その人物が誰なのかもこの手紙では言うことが出来ない…こちらの都合ばかりで余りに身勝手なのは重々弁えているつもりだ。だが事は急を要する。急ぎ魔法協会本部まで参上してくれ。なお、付き人は一名まで同行を可とする――――。』

 

 そこまで言って映像は途切れた。するとタカミチは間髪入れずに顔を上げる。

 視線の先に居た近右衛門は真剣な眼差しで彼の目を見据えていた。

 

 一方的な要求ではあるが、その要求を無碍に出来ぬ程手紙の差出人の名は大きかった。

 やがて近右衛門はゆっくりと立ち上がり、手紙を握りしめるタカミチに言った。

 

「早速じゃが今夜にでも発つぞい…やれやれ年寄りには少々きついのぅ」

 

 腰を叩いてややげんなりした様子で呟きながら、近右衛門はタカミチを引き連れて学園長室を後にした。

 後ろに続くタカミチは普段とは違う硬い表情でこれから向かう目的地に思考を巡らせる。

 

 二人がこれから向かうのはロンドン。魔法協会総本部、通称――――『時計塔』である。

 

***

 

 ―同じ頃、桜ヶ丘にあるエヴァの邸宅。

 この家の家主は、昨夜手に入れたばかりの研究材料(・ ・ ・ ・)に夢中だった。

 

 わざわざ仮病を使って学校を休み、昨夜から部屋に籠り、彼女は一睡もせず本に掛けられた呪いの解呪に取り組んでいた。

 掛けられていた呪い事態は一つではなく何十種類にも及んだが、その全てが単純なものだった為に解呪方法はすぐに解明できた。その上、掛けられた呪いの一部は長らく放置されていたせいか綻びが生じていた為、制限(・ ・)された彼女の力でも容易く解くことが出来た。

 

 しかし、解呪できたのはほんの一部に過ぎなかった。

 綻びが生じていないページの呪いに関しては強力過ぎて、制限された彼女の力では解くことが出来なかった。

 

 例えて挙げるならば、ジャムの容器を想像してほしい。

 ジャムの容器はビンと蓋にある螺旋状の山が噛みあい、蓋を回すことで開け閉めする事が出来る。

 その時、緩く蓋を閉めれば開ける際の力もさして必要は無い。しかし、非常に強い力で閉められれば蓋は固く閉ざされて女性や子供の力では容易に開けることが出来なくなり、大の男でさえ蓋を開けるのに苦戦を強いられることもよくある話である。

 

 この場合で言う蓋とは呪いの事であり、ビンとは本である。

 つまり何が言いたいかと言うと、本に掛けられた呪いの魔力は非常に強く、制限されたエヴァの魔力では解呪することは難しかった。

 

「むぅ…忌々しい…」

 

 認識阻害の呪いにより未だ読めぬページの多い本をペラペラと捲りながら、エヴァは不満げに眉を顰めた。

 

 そんな彼女の居る部屋には魔法道具らしきものが幾つも散乱していた。一晩掛けて如何に呪いの解呪を試みたか、その奮闘の痕跡が部屋中に表れていた。

 

 そこまでしても呪いの解呪が出来ぬことに苛立ちを抑えられず、それでも本を眺める彼女の部屋に扉を叩く音が響いた。

 

「マスター、ただいま戻りました」

 

 ノックの後、扉の向こうから聞こえたのは彼女の従者の声だった。

 

「ン…戻ったか茶々丸」

 

「失礼します。マスター、ご要望のモノをハカセから貰ってきました」

 

 そう言って部屋に入った茶々丸は手に持っていた袋をエヴァに渡した。

 受け取ったエヴァは「ご苦労」と簡潔に労うと、彼女に道具が散乱した部屋の掃除を命じ、彼女も言われるままに承諾した。

 

「―――ところでマスター。解呪の方は…」

 

 散乱した魔道具の片付けに取り掛かりながら茶々丸が訊ねると、エヴァは無言で首を横に振った。

 

「お前が朝出てから進展なしだ。忌々しいことに…肝心な部分ほど呪いの力が強くなっている。少なくとも、魔力が封じられた私ではどうにもならん」

 

 よほど悔しいのかエヴァは小さく舌打ちをすると、少しでも気を落ち着かせようと既に冷めたコーヒーを啜って言葉を区切った。

 

 話を聞きながらも淡々と片付けをこなす茶々丸にエヴァは再び口を開いた。

 

「…現時点で解読出来ているのは紹介の方法…そしてサーヴァントとそのクラスに関してのみだ」

 

サーヴァント(従者)のクラス…ですか?」

 

 不意に茶々丸は掃除の手を止め、エヴァの方へ顔を向けた。

 

「あぁ…あの小娘(夕映)のサーヴァントである征服王は自分の事を『ライダー(騎兵)』と言っていただろう?あれは召喚されたサーヴァントの持つ逸話や伝承に応じて与えられる役割(クラス)のようなものらしい…あれの他にも、『セイバー』、『ランサー』『アーチャー』『キャスター』『バーサーカー』『アサシン』の六つのクラスがあるそうだ」

 

「では召喚された英霊は生前の逸話や伝説などによって、それら七つのいずれかのクラスに割り振られる…と言う訳ですか?」

 

「そう言うことだ…フン、まるで出来の悪いゲームのようだな」

 

 悪態をついてエヴァは残ったコーヒーを飲み干し、空になったカップを茶々丸に渡し言葉を続ける。

 

「…問題はだ。なぜ召喚した使い魔をそんなクラスなどと言うものに振り分ける必要があったのか、だ」

 

 僅かに眉間に皺を寄せ、怪訝な表情でエヴァは言った。

 

「…と言いますと?」

 

「フン…考えてみろ茶々丸。過去の英雄、それも英霊に成り果てるまで信仰された存在を召喚し、使い魔に出来るとなればそれは強力なことこの上ないだろうな…だがそれに対してクラスなどと言う役割でわざわざ振り分ける必要があるか?」

 

 その問いかけに対して茶々丸は答えを持ち合わせておらず、変わらぬ表情で口を噤む。

 

「…確かに、生前持っていた逸話の中に弱点を持つ者が召喚されれば正体を隠すための呼び名が必要だっただろうな…だがその為だけにクラスなどと言うものが用意さらる必要があるのか?偽名が必要ならば召喚した後で考えれば良いし、何よりも逸話の中に弱点を持たない英雄を召喚すれば済む話だ…なのに何故…役割など与えられる必要がある…」

 

 エヴァの語るそれは正論だった。召喚と同時に与えられるクラス、それは明らかに余分だった。

 にも関わらずサーヴァント(使い魔)として召喚された上に与えられるクラス(役割)。それはまるで―――

 

「―――その役割でしか動けぬようにする為…でしょうか?」

 

「……ほう?」

 

 茶々丸の発した一言に、エヴァは僅かに口角を上げる。

 

「役割を制限するか…クックックッ、面白い推測だ…茶々丸」

 

「ハイ」

 

「とりあえず私は眠るが…夜になったら起こせ。今夜から再び血を集めるぞ…私の呪いもそうだが…この本に掛けられた呪い、俄然解きたくなってきたぞ…」

 

 くつくつと愉快気に笑いながら、エヴァは本を片手に席を立つ。

 

(クラスなどと言う制約をしてまで英霊をサーヴァントにするこの召喚儀式…そのカラクリ…何としても暴いてやろうじゃないか…)

 

 新たな興味の対象を見つけエヴァは嬉しそうにベッドに横たわる。

 いまだ日は高く昇っているが、じきに訪れる夜を待って、吸血鬼の少女はひとまず微睡みを愉しんだ。

 その手にある本を求めて、今まさに元の持ち主である少女が学園内を奔走しているが、知った所で彼女は気にも留めなかっただろう。

 

 




………
……

…続くってか?




お気に入り200件突破感謝!
言葉を綴るのが苦手な私ですが今後とも気長にお付き合い下さい。


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第7話

―佐々木まき絵にとって、この日は進級して最初の始業式だったという以外は何ら変わりない一日だった。

 午前中で授業が終わると、午後からは部活である新体操の練習に専念していた。幼い頃から新体操を習っていた彼女は中学3年になった現在もその情熱を捧げており、今日も夕暮れまでその練習に明け暮れていた。

 そう、いつもと同じように、練習を終えてシャワーで汗を流した後に寮へと帰る――――筈だった。

 

 日もとっぷりと沈み、月明かりが照らすなか彼女は桜通りを歩いていた。

 しかし、毎日のように通っている桜並木の通りが、この日はいつもと違って見えた。

 この日は少し蒸し暑かった筈なのに、背筋にぞくりと悪寒が走る。夜道を照らす街灯も、空に輝く月もどこか不気味にすら見える。

 

 ―――何か気持ち悪い。早く帰ろう。

 

 拭えぬ違和感に不安を覚え、小走りで通りを駆けていく。

 風の音以外には自身の足音だけが桜通りに響いていた。

 自分の足音以外には何も聞こえない。その筈なのに、気配だけははっきりと分かった。自身の背後に何かが居る(・・・・・・・・・・・)とはっきり分かってしまった。

 

 

 痛いくらいに鼓動が高まり、肌が泡立つ。湧き上がる何かを抑えるように胸を抑えた。

 呼吸も早まり、気付けば全力で駆け出していた。

 背後から迫る何かも分からぬまま、彼女は夜の桜通りを全速力で駆け抜ける。

 通い慣れた道がやけに長く感じる。しかし、それでも通い慣れた道だ。やがて桜並木の途切れる桜通りの突き当り、この道の終わりが見えた。

 

 ―――やっと抜けられる。この道を抜ければ何かからきっと逃げられる。

 

 縋る思いで彼女は得体の知れぬ恐怖から逃げる為、必死に足を動かし、やがて通りの突き当りにたどり着いた。

 

 

「やった―――――――」

 

 歓喜の声を上げながら突き当りを曲がった途端、ぶつかった何かにその声は遮られた。

 どしん、と壁にぶつかったような衝撃で思わず尻餅を着いた。

 

「きゃっ!?あいたたた…」

 

 痛むお尻をさすりながらまき絵は思う。

 ―――この道に壁など無かったはずなのに、と腰を落としたまま彼女は眼前の何かを見上げた。そこには2メートル程の赤い毛で覆われた何かが、獣のような眼光で自身をぬうっと見下ろしていた。

 

「――――――っ!!??」

 

 声にならない悲鳴を上げて、彼女は意識を手放した。

 

………

……

 

「……なんだこやつは?」

 

 いきなりぶつかって来て派手に転び、目を合わせたと思ったら気を失ったまき絵を見て面食らったライダーは困惑顔で顎の下をぼりぼりと掻いた。

 するとその後ろから追従していた夕映が彼の腰のあたりからひょっこりと顔を出した。

 

「どうしたのですかライ……アレクセイさん?」

 

 不意に言いかけた言葉を呑み込み、決められた名前で呼びなおす彼女の更に後ろには親友ののどかとハルナ、そして担任のネギの姿があった。

あれから保健室を後にした一行は、紛失した魔法の本を探して各所を奔走していたものの、結局発見することは出来ず、結局日が暮れる時間にまでなってしまったのだった。

 

「ム、いや…この娘がだな。いきなり余にぶつかったと思ったら目を剥いて気を失いおったのだ」

 

 そうライダーが指さす先には仰向けに倒れるまき絵の姿。

 

「え?ま、まき絵さん!?」

 

 ネギは大仰に驚いて彼女に駆け寄り肩を揺さぶるが、まき絵は目を回して呻ったまま目覚めようとはしなかった。

 

「あらー完全に気絶してるよねコレ」

 

「あわわ…だ、大丈夫かな」

 

「まー大丈夫じゃない?多分。アスナやいいんちょ程じゃないけどまき絵だってそれほど(やわ)じゃ無いし」

 

 心配そうに覗き込むのどかとは対照的に無責任に笑うハルナ。するとネギは気絶した彼女をその小さな背中で背負おうとしていた。

 

「と、とにかく…こんなところで寝かせる訳にはいきませんし…彼女を寮まで連れて帰らないと…」

 

「ですけどネギ先生。先生が彼女を背負うのは少し無理が…」

 

 そう忠告する夕映の言葉通り、魔法で強化していないネギの筋力では自身よりも一回りは大きいまき絵の身体を背負うのは無理があり、何とか持ちあげたもののその足は生まれたての小鹿のようにプルプルと震えていた。

 

「うぅ…ボクは先生なんです…生徒を守る使命が…」

 

「せんせー無理しない方がいいよー?」

 

 教師の意地か使命感か、ハルナの忠告を尻目にネギは今にも崩れそうな足取りで一歩一歩進んで行く。

 その後ろ姿を見ながら夕映は昼間のネギの話を思いだしていた。

 

 『―――魔法使いは本来、影ながら世界を支えるのが仕事です。ですので一般社会からその存在をばれないように隠して生きるのが原則なんです。しかもボクの場合は仮免期間のようなものなのでバレたら大変なことに…』

 

 そう顔を蒼くして語っていたのを思い返して、夕映はネギの現状を察した。

 

(流石にパルやのどか達の前で魔法を使う訳にはいきませんからね…)

 

 ならば今この場にうってつけの巨漢が居るのを思いだして夕映はライダーの方へ振り返った。

 

「すみませんがアレクセイ…さん?」

 

 呼びかけながら振り向いて、夕映はライダーの様子に違和感を感じた。

 先ほどまでの困惑顔とは打って変わって、ライダーは怪訝な表情で何もない筈の空を見上げていた。

 

「……」

 

「…あの、ライダー…さん?」

 

 妙に真剣さを帯びた様子に不安を感じつつも呼びかける夕映の声にようやく気付いたように、ライダーは眼下のマスターに向き直った。

 

「むぉ?どうかしたのか夕映よ?」

 

「いえ…何かあったのですか?」

 

「フム…いや、なに…気を払う程の事でも無かろうさ」

 

「?…はぁ」

 

「ともかく、今はあの坊主に手を貸してやらねばな。あの様子だと、あと十歩も保たぬだろう」

 

 そう何ごとも無かったかのように言ってライダーは、もはや倒れる数秒前の状態のネギのもとへと歩み寄って行った。

 その背を見送りながら夕映は、ライダーの様子に感じた違和感を拭いきれず、同じように彼が見上げていた夜空を見上げていた。しかし、あるのは少し欠けた月が輝く夜空だけだった。

 

………

……

 

「…気付かれていたのでしょうか?」

 

 ジェット噴射で夜空に浮遊しながら茶々丸は、肩に乗せた自らの主(エヴァ)に訊ねた。

 

「完全にでは無いだろうが…おそらくな」

 

 不機嫌そうに頬杖をついて、彼女は和気あいあいと帰路を歩むネギやライダーたちを見下ろした。

 現在、彼女たちの姿は彼女たち自身意外からは視認できないよう認識阻害の結界が張られていた。無論、それなりの実力を持つ魔法使いから見れば酷くおざなりなものでしか無いが、それでも経験が乏しいネギや、そもそも魔法使いでは無いライダーたちからすれば彼女たちを目視することは困難であった。

 

 それでも気配を察してか、または直感か、彼女たちの存在を感じたライダーの獣じみた嗅覚にエヴァも茶々丸もある種の戦慄を覚えた。

 

 そもそもエヴァ達二人がここに居るのは、彼女の魔力源たる血を求めての事であり、先ほどまで偶然通り掛かった佐々木まき絵を襲おうと背後から付け狙っていた。

 しかし、それはすんでのところで意図せず阻止された。更に偶然通り掛かったネギやライダーたちと言うイレギュラーによって、彼女は狩りを中止せざるをえなかった。

 

 今の彼女たちに取ってネギもその取り巻きもさしたる脅威では無かった。いくら天才で強力な魔力を扱えようと、経験不足で根っからの気弱で臆病な少年など彼女に取ってみればただの子供同然だった。

 

 しかし、ライダーは別だった。如何に魔法に関しては素人だったとしても、当人が強大な魔力で形成された使い魔であり、その戦闘能力も先日の夜に見せつけられた通り、歴戦の魔法教師数人をまとめて相手取ったとしても決して引けを取らぬどころか、更なる余力すら隠し持っている様でもあった。

 

 とは言え、エヴァ自身も遅れをとっているつもりなど微塵も無かった。

 

 エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル―――その正体は数百年もの歳月を生きる真祖の吸血鬼であり、「闇の福音(ダークエヴァンジェル)」の二つ名で知られる強力な魔法使いでもあった。

 現在はとある事情でその実力の半分も発揮できない状態ではあるが、それでもその実力はこの学園で彼女を知る者であれば決して油断ならない程のものでもあった。

 

 しかしながら、そんな彼女でも正面切って彼の使い魔(サーヴァント)と闘うことは些か厳しいものがあった。

 全快時ならいざ知らず、満月でないと満足に魔法も使えない今の彼女では例え茶々丸のサポートがあったとしても到底敵うものでは無かった。

 

 その事実を分かった上で彼女は忌々し気に口元を歪めた。

 

「フン…とにもかくにも今は血だ。待っているが良いボーヤ…」

 

そう吐き捨ててエヴァは膝元の従者に帰宅を命じた。

 機械仕掛けの少女に担がれながらエヴァは冷静に目的達成の算段を思案していた。

 

(…とは言え、あの綾瀬夕映の使い魔は邪魔だ。恐らくあの小娘がボーヤと行動を行動を共にする時間は今後増えるだろう…なら必然的にあの使い魔も付いて来る筈だ…これは対策が必要だな…)

 

………

……

 

 英国、倫敦(ロンドン)某所。

 ―――時計塔。それは、通常ならばロンドンの観光名所として受け取られる単語だろう。 だが、魔法使い(・・・・)たちの間ではまったく違う意味合いを持つ単語となる。

 

 そこは数多くの魔法使いを統括する『魔法協会』の心臓部であり、同時に、まだ若き魔法使いたちを育てるための最高学府であり、まさに魔法使いの総本山とも言える由緒ある歴史を持つ、由緒ある場所なのである。

 

「――――フ●ック」

 

 そんな時計塔が誇る『最高学府』の校舎の一室に似つかわしくない言葉(スラング)が響き渡った。

 

「そう言わずに…会わせてくれたって良いじゃないですか」

 

「黙れ。第一誰が来ているのか分かって言っているのか?」

 

「もちろん、知りません!」

 

 支離滅裂。まんま子供の駄々を聞かされているような鬱屈としたため息を、長髪の男はこれ見よがしに吐き出した。

 

 現在、この部屋には二人の魔法使いが居た。

 一人は先ほどから椅子に腰かけ不機嫌そうに眉を顰める長髪の男。彼こそが、この時計塔における魔法講師の一人、ロード・エルメロイ二世。

 そしてもう一人。先ほどから机を挟んで彼に向かって駄々をこねる青年。フラット・エスカルドスは身を乗り出して自らの教師に喰らいついた。

 

「でも教授たちが昨日から大騒ぎしてるって事はとんでもない人が来てるんですよね?どんな人が来てるんですか!?有名な人とか!?もしかして『千の呪文の(サウザンド・マス)――――」

 

「ええい顔が近い!鬱陶しい!そして少し黙れアホ!」

 

「――ぎゃん!!」

 

 振り下ろされた拳骨によって卓上に沈んだフラットを一瞥し、エルメロイ二世はこめかみを指で抑えながら口を開いた。

 

「お前がどうやって嗅ぎつけ、どこまで知ったのかはこの際いい。だがお前が会いたがっている人物(・・)は非常にややこしい立場にある。一介の生徒に過ぎないお前が簡単に会える相手じゃない」

 

「まあまあ、そこは『グレートビッグベン☆ロンドンスター』である教授の――――いだだだだだ!!」

 

「二度とその名を口にするなと言ったはずだが?」

 

 蔑称よりも腹立たしい二つ名を呼ばれ額に青筋を浮かべる教授のアイアンクローを頭蓋に受けながら、尚もフラットは食い下がった。

 

「じ、じゃあ教授にピッタリな新しい二つ名を考えてあげますから代わりに…」

 

「要らん、不要だ。第一、誰かも分からんのに会ってどうする?その人物が君が想像するほどの大物であったとしても相手にされなかったら?何よりも、会って君は何をするつもりなんだ?」

 

「えっと…そりゃあインタビューとかお喋りとか、あわよくば秘術とか見せて貰えればなーなんて…あいだだだだ!?」

 

「阿保か!?いや阿保だなおまえは!どこの世界に自らの手の内を赤の他人に晒す魔法使いがいる!!」

 

 余りにも軽薄な言葉に思わず鷲掴みにしていた手に力を篭める。

 

「で、でもやっぱり気になるじゃないですか!要塞のような時計塔の結界内(・・・・・・・・・・・・・)あっさり転移して来れるような人(・・・・・・・・・・・・・・・)なんて!」

 

「―――!」

 

 彼の言葉に面食らったエルメロイ二世は、思わず握りしめていた頭を解放した。

 彼が口にした誰か。その正体不明の来訪者の存在は、時計塔の生徒たちの間でも密かに噂になっていたため彼が知っていても不思議ではない。

 問題は、その侵入経路を彼が知っていることだった。

 

「…いつから気が付いていた?」

 

 荒々しさの消えた抑揚のない声で彼は訊ねた。

 

「えーと…おとといの朝ぐらいですよね?ちょうどその前の日の晩くらいにここ結界の強度や仕組みが知りたくてハッキングを仕掛けてたんですが…あ、勿論誰にも気づかれないように!で、ついでに時計塔内の魔力の流れをモニター出来ないかなって試してみたら…」

 

「もういい、だいたい分かった」

 

 フラットの説明を遮って、エルメロイ二世は天を仰いだ。

 先ほど彼自身が述べた通り、この時計塔は何重にも張られた魔法結界によって護られており、その防衛機能の厳重さはまさに要塞のようだと言っても過言ではない。

 その厳重に厳重さを重ねた魔法プロテクトを、この弟子は事も無げにハッキングしたと言ったのだ。

 

 ―――その恐るべき才能を持ちながら、なぜこのような幼稚な思考回路を持つように育ってしまったのか。

 

「…才能あるバカというのは始末に負えんな」

 

 聞こえないほど小さく呟いたエルメロイ二世は、再びその始末に負えない馬鹿弟子に目を向ける。

 

「えーっと…あの教授?」

 

 もはや怒りを通り越して冷静になった彼の様子に戸惑うフラットに向かってエルメロイ二世は告げた。

 

「今のは聞かなかったことにしておく。だからこれ以上、この件に首を突っ込むな」

 

「そんなぁ!そこを何とかお願いします教授!いえ、絶対領域マジシャン先生!!」

 

「死ね!テムズ川に沈んで死ね!!」

 

 再び拳骨によって机に突伏したフラットの首根っこを掴んでエルメロイ二世は彼を部屋の外へと放り出した。

 

 弟子の奇行に辟易としつつも彼は有り余るフラットの才能にわなないていた。

 本来なら既にこの時計塔から卒業してもおかしくない実力と才能を有していたフラットだったが、いかんせん魔法の才能はともかく、その性格の緩さゆえに魔法使いとして世に出すことが憚られた彼は、二十歳を間近に控えた今なお、時計塔の問題児の一人として生徒の身分に据えられていた。

 

 ―――あれが卒業するのが先か私の胃が死ぬのが先か。

 空恐ろしい想像が頭を過ったが、今の彼に弟子の行動に慄いている暇など無かった。

 

 すぐさま気持ちを切り替えると彼は部屋の奥、さらにその奥にある一室へと赴いた。

 

 そこは至って簡素な部屋だった。幾つかの本棚に囲われたその部屋の中央、そこに置かれた椅子の上に一人の老人が彼に背を向けた状態で腰かけていた。

 振り返ることもせず、ただひっそりと座りこんだ老人の背に向かって、エルメロイ二世は言葉を掛けた。

 

「間もなく極東から呼び寄せた彼の魔法使いが着くはずです。これで宜しかったのですね?宝石翁(・・・)




………
……

…エタらないよね?





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第8話

 ―――ここは麻帆良学園3年A組の教室。

 この日は朝から身体測定という事もあり、教室内では賑やかにそれぞれの成長具合を測っていた。

 

 身長が伸びて喜ぶ者や体重の増減に声を上げる者などで教室内は姦しい騒ぎに包まれていた。

 

「あーい、ゆえっちは…138センチねー」

 

「む…」

 

 理想よりもあまり背丈が伸びていない事に憮然と口を曲げつつも、夕映は突きつけられた現実を受け止めるしか無かった。

 

「おいーっす夕映ー、どうだったー?」

 

 軽い口調でハルナが声を掛けて来た。

 

「ン…パルですか」

 

「いやーアタシちょっと太っちゃっててさー。参っちゃうよねー?アタシも夕映と一緒に図書館島に潜ったほうが良かったかもー」

 

 ナハハハーと陽気に笑って夕映の頬を突く彼女だったが、それを聞いた夕映は突きながら揺れるハルナの胸をジトッと睨みつけた。

 

 その太った原因たる栄養は何処へ行ったのか小一時間ほど問い詰めたい衝動に駆られた夕映だったが、立て続けにハルナは口を開いた。

 

「そう言えば夕映のオジサンのアレクセイさんって筋肉ムキムキだよね。なんか良い感じのダイエットとか知らないのかなー?」

 

 何気なく発したハルナの一言に耳聡いクラスメイトたちが喰いついた。

 

「なになに!夕映の親戚に外人さんが居るの!?」

 

「え、あ―」

 

「どんな人!金髪!?イケメン!?」

 

「ムキムキって聞こえたけどどのくらい?ス●ローン?それともシュ●ルツェネッガー?」

 

「どこの国の人?」

 

「ヨーロッパ?ハリウッド?」

「お姉ちゃん、それ国じゃないよ…」

 

 途端に質問攻めにされ圧倒される夕映は何故かどんどんと追い詰められていく。

 矢継ぎ早に投げかけられる問いに右往左往していると見かねた明日菜が彼女らの間に割って入った。

 

「ちょっとみんな落ち着きなさいって、綾瀬さん困ってるでしょ。アホなことやってないで、まだ測定は残ってるんだから早く並びなさいよ」

 

「えー?アスナだって気にならない?」

 

「そーだよー?外人のオジサマだよー?」

 

 “オジサマ”と言う単語に一瞬だけピクリと反応した明日菜だったが、そこは何とか堪えて浮き足立つ彼女らを抑え込む。

 

「ハイハイ、良いからさっさと残りの項目も測っちゃいなさい」

 

「むむむ…」

 

「ブーブー」

 

「アスナのケチー」

 

 やや力づくではあるが何とか騒ぎは収束し、夕映はホッと胸を撫で下ろす。

 

「ふぅ…ありがとうございますアスナさん」

 

「いいのいいの、こうでも言わないとみんな引き下がらないでしょ?困った時はお互いさまってね」

 

 そう気さくに答える明日菜。

 ―思い返せば図書館島での魔法の本の探索でも彼女には助けられてきた。子供であるネギの世話からピンチの時のリーダー役など、同じバカレンジャーとしてだけでない彼女の活躍を心の中で夕映は再評価していた。

 

「―ところで…」

 

「はい?」

 

 気まずそうに目を逸らしながら、明日菜は小声で夕映に尋ねた。

 

「綾瀬さんの…そのオジサマって…どんな感じの人なのかしら?」

 

「……」

 

 心の中で抱いていた感謝とある種の尊敬の念が砂の城のように崩れていくのを感じた。

 明日菜の僅かに朱に染まったその顔から見え隠れする期待感が夕映を余計に呆れ返させた。

 

「……あえて例えるならば熊かと」

 

「くま!?」

 

「はい。身長は約2メートル程あり筋骨隆々とした山のような肉体。加えて毛深くてごつごつとした顔立ちを動物に例えるならばクマかと」

 

「へ、へー…そうなの…」

 

 ぎこちない笑顔を浮かべながらも明らかに落胆する明日菜の表情を見て、夕映は少しだけ溜飲が下がった気がした。

 そしてふと、話題の渦中になっていたライダーの事を考えた。

 

 ―大昔に多くの国を征服した王で現在は自身の使い魔らしきもの。明確なものと言えばそれくらいで人柄や人間性についても多分悪い人間では無いだろう程度の認識しかなく、思っていたよりも彼の事を知らなかったことに夕映は今さらながら気が付いた。

 これからは魔法の世界に足を踏み入れる以上、使い魔である彼との付き合いも長いものになると思い、互いの事を知るためにも今日にでも、今一度彼と話し合おうと夕映は密かに決意した。

 

「そう言えばさ、最近 寮で流行ってる…あのウワサどう思う?」

 

 唐突にそんな声が聞こえてきた。

 振り向けばクラスメイトの一人の柿崎美砂がみんなに聞こえるように話しかけていた。

 

「え…なによソレ?」

 

「あぁ…あの『桜通りの吸血鬼』ね」

 

 困惑する明日菜に誰かが答えた。

 すると噂の内容を知らないクラスメイトたちが柿崎に突撃し、彼女は噂の内容を語り始めた。

 

 曰く、真っ黒なボロ布を身に纏い血に塗れた吸血鬼が満月の夜、寮の近くの桜並木に現れる。

 そんな一見どこにでもありそうな怪談を柿崎はおどろおどろしく皆に語り聞かせた。

 

 それを聞いたクラスの一部からは恐怖に駆られた悲鳴が上がったが、他の生徒たちは軽く聞き流すか、幼稚で出鱈目な作り話と冷めた表情で呆れていた。

 だが夕映はその話を単なる作り話と聞き流せなかった。

 魔法の存在を知ってしまい、なおかつおとぎ話のような存在と契約を交わしてしまっていた彼女からすれば、吸血鬼と言う存在自体がもはや空想上の存在ではないのではないだろうかと、小さくない疑念として胸の奥に根付いていた。

 

 そして同じ思いをすぐ隣にいる明日菜が抱いてはいたが、この時、互いの事情を知らない二人がそれを察することは出来なかった。

 

…………

………

……

 

「―――と言う噂があるのですが、ライダーさんの時代には吸血鬼などはいたのでしょうか?」

 

 時は流れて放課後。

 学園都市にある麻帆良学園馬術部用の牧場。その一角にある(うまや)の外のベンチに夕映とライダーは居た。

 結局、夕映が彼に対する呼び名はライダーに固定された。これはシンプルに呼びやすさに拘ったためで、決して真名や敬称などに固執した為では無かった。

 

「フム…吸血鬼か…」

 

 顎に手を当てながらライダーは嘗ての記憶に思いを馳せる。

 

「余の生きた時代にもそう言った怪異が無い訳では無かった。魑魅魍魎や魔獣の類を見たことはある」

 

 ―しかし、と彼は続ける。

 

「生憎と余はそう言ったことに関しては門外漢であるからなぁ…吸血鬼にも余は会ったことが無いし…スマンが力にはなってやれそうもない」

 

「いえ、謝ることは…単なる好奇心ですし…」

 

 決まり悪げに頭を掻くライダーを見て夕映も申し訳なさそうに首を振る。

 するとライダーは思い出したように切り出した。

 

「ところで夕映よ、あの坊主はどうしたのだ?あやつから魔法を学ぶのではなかったのか?」

 

「あ、ネギ先生ですか?ネギ先生は用事があるようでして…魔法の講座は明日からということになりました」

 

「そうか…うーむ余も馬術の教師としての仕事は明日からだと言われておるし…む!そうだ!」

 

 閃いたと言わんばかりに手を打ち鳴らすライダー。

 

「夕映よ!改めてあの書庫に行くぞ!」

 

「書庫…図書館島のことですか?なぜ突然そんなことを…」

 

「いやなに、再び現界したこの時代に昨日は浮き足立ってばかりいたが、余はこの時代の情勢をまるで分かっておらんのでな」

 

 ―確かに。彼の生きた時代と二千年以上の隔たりがある現代とでは常識が大きく異なるのも道理である。

 その差を埋めるためにも図書館へ赴き、現代の常識を学ぶことは夕映も大いに賛成だった。

 次に続く言葉を聞くまでは。

 

「敵を知らねば戦の準備も始められん。何せ地図があるだけでは戦略も何も立てられんからなぁ」

 

「……はい?」

 

 呆気に取られる夕映を尻目にライダーは傍らに置いてあった鞄から地図帳を取り出すと、冒頭にあるグード図法の世界地図を広げた。

 

「最初の指針はもう決めておるのだ。まずは世界を半周する。西へ、ひたすら西へ。通りがかった国は全て落としてゆく。そうやってマケドニアに凱旋(がいせん)し、故国の皆に余の復活を祝賀させる!ふっふっふ、心躍るであろう?」

 

 指先で地図を順になぞりながら旅行計画でも立てるかのように笑顔で語るライダーに、しばし唖然としてから夕映は掠れそうな声で尋ねた。

 

「あの…それは戦争をする、と言うことですか?」

 

「ん?無論だ。世界を征するのに戦争は避けられぬだろう」

 

「―――ッ」

 

 今度こそ夕映は絶句した。

 戦争をする、と。さも当然のようにこの男(ライダー)は言ってのけたのだ。 

 

「さしあたって、この国の者を臣下に加えるところから始めねばなるまいが、この学園の教師たちは気に入った!魔術師でありながらあれほどの使い手となれば逃す手はあるまい。長である近右衛門も、良き相談役となる筈だ」

 

 唖然としたままの夕映を置き去りにして、ライダーはさも楽し気に自身の計画を語り続ける。

 やがてその話が日本を征服した後、隣国のどの国を先に手に掛けようかを語り始めた所でようやく夕映は口を開いた。

 

「あなたは…何を言っているんですか?」

 

「―うん?」

 

「戦争を始めるなんて、本気で言っているんですか?まして世界を征服するなんて…正気とは思えま―」

 

「夕映よ」

 

 言い終えるよりも先に、ライダーがそれを遮った。

 

「如何に貴様が余のマスターとは言え…余の覇道を否定することは許さんぞ」

 

 唸るような低い声でライダーは言った。先ほどまで見せていた陽気さは完全に消え、隣で憮然と座る彼の纏うオーラはまさに王のそれだった。

 

「この身は今やサーヴァントとは言え、余は征服王イスカンダル。生前よりこの身、この胸の内に燻ぶり続けるこの野望(ゆめ)は、紛れもなく余が余である証だ。それを否定することは夕映よ…貴様とは言え許しはせん」

 

 抑揚のない口調で断固と言い放つライダーの装いはいつの間にか出会った当初の赤い外套を纏った鎧姿になっていた。

 初めて自身に向けられる厳しい眼差しに気圧された彼女は、いつの間にかベンチから転げ落ちていた。

 並んで座っていた筈の彼の頭はさらに高い位置にあり、尻餅をついたまま夕映はただただ圧倒された。

 そしてようやく、自身の認識の甘さを痛感した。

 

 かつて多くの国を席巻し、征服したほどの男が、なぜ今も野心を抱いていないなどと思っていたのか。

 二千年以上の時を経てなお、この男は野望(ゆめ)を諦めてなどいなかったのだ。

 時代を超え、国が変わり、世界の常識も何もかもが変わりはしたが、それは彼が野望(ゆめ)を諦める理由になどなりはしなかったのだ。

 

 それを理解した夕映の胸の内には、彼女でも理解できない感情に支配された。

 それは畏怖か憧憬か、それとも―――。

 

 しばらくそうして互いを見合い続けていた二人だったが、突如ライダーは視線を外し、ベンチから立ち上がった。

 

「? ど、どうかしたのですか?」

 

「ふむ…なあ夕映よ、さっきの話にあった桜通りだったか…それはもしや、あっちにあるのか?」

 

 そう答えるライダーの視線の方向には麻帆良学園の女子寮。そして噂の渦中にある桜通りがあった。

 

「はい…確かにそうですが…」

 

「うむ。むこうの方でな、小さいが魔力のような反応と妙な気配がするのだ。もしかしたら噂の吸血鬼かも知れんぞ?」

 

「ッ!本当ですか!?」

 

 咄嗟に立ち上がり視線が交わると、夕映は先ほどの迫力を思いだして腰が引けそうになったが、なんとか堪えてライダーの目を見つめ返した。

 

 その様子を見てライダーは満足そうに鼻を鳴らすと、不敵な笑みを浮かべて言った。

 

「どうだ?噂の吸血鬼とやら…その正体を確かめてみるか?」

 

 答えるまでもない。

 そう言うように夕映はただ力強く頷いた。

 

………

……

 

 満月も浮かび始めた夕空の下、校舎の屋根の上でネギは自身の生徒である筈の絡繰 茶々丸、そしてエヴァンジェリン・A・K・マクダウェルに拘束されていた。

 

 どうしてこうなったのか―――遡ること約10分ほど前。

 ネギがそれを見つけたのは単なる偶然だった。

 仕事を終えて帰る途中の道すがらに感じた魔法の気配を追い、駆け付けてみれば桜通りで真っ黒なボロ布を纏ったエヴァンジュリンがまさに、同じクラスメイトである宮崎のどかに襲いかかっていたところだった。

 

 考える間もなくネギは二人の間に割って入り、のどかを救出。

 何故こんな事を、と問いただしたネギだったがエヴァはまともな返答を返さないまま逃走を計った。

 途中で駆け付けてきた明日菜と木乃香にのどかを託し、ネギはエヴァを追いかけた。

 

 問い詰めたいことは山ほどあった。

 

 日もすっかり暮れた夕闇の中を追い続け、ようやく追いつめた場所がこの校舎の屋上だった。

 

 予想外に魔力の弱い(・・・・・・・・・)彼女を追い詰めたことに思わず油断したネギの前に突如現れたのが茶々丸だった。

 

 聞けば、なんと彼女はエヴァの従者(ミニステル)であるらしく、驚いたネギに立て続けに聞かされたのは魔法使いとそのパートナーである『魔法使いの従者(ミニステル・マギ)』との本来の関係性は単なるカップルや結婚相手などでは無く、戦いにおいて背を任せ合う相棒とのだった。

 

 驚きを隠せずにいたネギはそのままあっという間に拘束され、抵抗出来なくなったネギは更に驚きの事実を知らされる。

 

「―――私はお前の父、つまり『サウザンドマスター』に敗れて以来、魔力も極限にまで封じられ、も~~~15年間もあの教室でニッポンのノー天気な女子中学生たちと一緒にお勉強させられてるんだよ!!」

 

「えぇえええ!?」

 

 もたらされたのは行方不明だった父の新事実、そして彼女の積年の恨み辛みだった。

 

「そんな…僕、知らな…」

 

 何か言おうとしたが、そんなものは彼女の耳には全く届いていない。

 

「このバカげた呪いを解くには…奴の血縁たるお前の血が大量に必要なんだ」

 

 するとエヴァは鋭い牙を覗かせてネギに迫る。

 

「悪いが…死ぬまで血を吸わせてもら―――」

 

 そこまで言いかけた時だった。

 雲一つ無い筈の晴れた空に、雷のような低い音が響き始めた。

 

「―――?なんだ?」

 

 思わず吸血行為を中断して顔を上げる。

 すると傍らでネギを抑えていた茶々丸の頭部から電子音が鳴った。

 

「―――っ!マスター、膨大な魔力反応が猛スピードでこちらに向かっています」

 

「なんだと!?こんな時に―――」

 

 顔を向けると同時に雷鳴が轟いた。

 

「―――!?」

 

 三人は同時に音の方へと振り向いた。

 轟音の元は明らかだった。もつれあう紫電のスパークを撒き散らしながら、こちらを目がけて一直線に駆けてくるソレに他ならない。

 

 唖然となったネギが、その驚愕を口にする。

 

「せ、せ、戦車ぁああ!?」

 

 戦車―――とは言えその形は現代の戦車とは大きく異なる。履帯で走る車体も無ければ、ましてや大砲など詰まれてはいない、それは俗に『チャリオット』と呼ばれるものだった。

 古代ヨーロッパなどで使用されていた戦車(チャリオット)は一頭から二頭の軍馬によって牽引された軍用馬車であり、タロットなどに描かれた戦車もこの姿である。

 

 しかし、雷電を迸らせて迫りくる戦車を牽くのは軍馬などでは無かった。

 

「う、牛だと!?」

 

 エヴァが口にした通り、豪奢に飾られた戦車を牽くのは二頭の牡牛だった。

 轅に繋がれた逞しくも美しい黒毛の牡牛。

 

 しかもそれが駆けるのは大地では無く、夜空の中。

 戦車の車輪が踏み鳴らし、牡牛たちの蹄が駆り立てるのは地面ではなく稲妻だ。

 車輪と蹄が虚空を“蹴る”たびに、紫電が蜘蛛の巣状の触手を閃かし、轟々たる雷鳴で大気を揺すり上げるのである。

 

 あまりにも現実離れした光景に唖然となる三人の耳に、雷鳴すらも圧倒するような猛々しい咆哮が聞こえてきた。 

 

AAALaLaLaLaLai(アアアララララライッ)!!」

 

「なっ!?アイツは!」

 

「ライダーさん!?それに―――ゆ、夕映さん!?」

 

 眩い稲光の向こうの御者台には威風堂々たる巨漢の姿と、その(マスター)である少女の姿があった。

 

 




………
……

…続いた…だと?


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第9話

 ―2年の学年末から今に至るこの短い期間で、明日菜を取り巻く環境は激変した。

 ことの始まりは自身の担任である子供教師―ネギの赴任から始まり、図らずも魔法の世界に触れる事になった彼女は、ネギを中心に巻き起こる魔訶奇天烈なトラブルに毎日のように振り回されるつつも彼を助けることで解決する、そんな日々を送っていた。

 

 もともと子供が嫌いだった彼女は出会った当初こそネギの事も毛嫌いしていたものの、懸命に教師として、そして立派な魔法使いになる為に一生懸命になるネギの事をどこか憎みきれず、いつしか何か起こるたびに気に掛けるようになっていた。

 

 そしてこの日も、たまたま駆け付けた時には既に事は始まっていた。

 いつもの帰り道、先に別れた宮崎のどかを家まで送り届けようと、友人の木乃香と一緒に桜通りまで戻って来ると、気絶した(何故か半裸の)のどかと、彼女を抱えるネギの姿があった。

 

 予想だにしない光景に驚く間もなくネギは抱えていた彼女を明日菜たちに任せ、砂ぼこりの奥に消えた人影を猛スピードで追いかけて行った。

 

 呆気に取られたのも束の間、明日菜は気を失ったままの宮崎を木乃香に押し付けて、夕闇に消えていったネギを追いかけた。

 

「もー!アイツはまたワケわかんない事に巻き込まれて!ヤバい奴だったらどうすんのよ!」

 

 悪態吐きながらも漏れる言葉からはネギに対する憂慮が含まれるあたり、彼女の人の良さが滲み出ている。

 

 とは言え、明日菜は既にネギの背を見失い、夕闇に包まれた麻帆良を闇雲に走っていた。

 時折、遠目にだが戦っているであろう魔法の光が見えるものの、はっきりとどこに居るのかまでは追えていなかった。

 

 ―こうなったら校舎の屋根にでも登って…。

 

 そんな、やぶれかぶれな思い付きを実行しようとした時だった。

 突如、彼女の頭上に雷鳴が轟いた。

 

「―――はっ!?なに、雷っ!?」

 

 思わず見上げたそこには、桜の花びら舞う夜空には似つかわしくない巨大な蹄と無骨な車輪があった。

 

「はぁああ!?」

 

 堪らず素っ頓狂な声をあげた彼女を誰が責められようか。

 真っ黒な巨大な牛が刺々しい派手な荷台を牽き、雷電を撒き散らしながら夜空を駆けているのだ。

 戦車(チャリオット)を知らない彼女からすれば、いや、戦車(チャリオット)を知っている者から見ても、それを現実だと受け入れることは甚だ難しいだろう。

 

 唖然と見送りかけた明日菜だったが、まさにその荷車に乗る人物を見て我に返った。

 

「あ!綾瀬さん!?」

 

 驚愕する視線の先には深紅のマントを翻した巨漢の背中と、そのマントにしがみ付く夕映の姿があった。

 

 「な…なんで綾瀬さんが…それにあの大男は…だれ?」

 

 湧き上がる疑問を考える間もなく、その姿はどんどん小さくなってゆく。

 しかもよく見れば、あの奇妙な牛車(・・)もネギたちが居るであろう方向へと向かっていた。

 

「―――ああもう!いったい何が起きてんのよぉーーー!!」

 

 今日何度目かの咆哮を上げながら、明日菜は雷の轍を追って行った。

 

………

……

 

呆気に取られたままのネギとエヴァたちの上空を戦車は旋回し、徐々に速度を落としてゆく。

 

 やがて牡牛たちの歩みが一番落ち着いた具合を見計らって、御者台から夕映を小脇に抱えたライダーが屋根の上に降り立った。

 

 ちょうど三人から少し離れた尾根の端である。

 

「ネギ先生!」

 

 その太腕から解放されると同時に夕映は声を上げた。

 並び立つライダーも、豪胆な笑みを浮かべたままネギたちを睥睨する。

 

「ほぉ…誰かと思えば坊主ではないか。して…そやつらが此度の下手人か?」

 

 そう言ってネギを拘束するエヴァと茶々丸を見るライダーの瞳は冷静だった。

 対照的に夕映は動揺を隠しきれずにいた。遠目にネギを拘束する二人の姿を確認した時から彼女の気はずっと動転したままだった。

 

「エヴァンジェリンさん…それに茶々丸さんまで…これは一体どういう事なのですか?」

 

 口調こそ冷静を装ってはいたが問いを掛ける彼女の表情は困惑に歪んでいた。

 対するエヴァも、予想外のイレギュラーの乱入に内心は混乱の極みだったが、そこは数百年生きた吸血鬼の意地かソレを決して表情には出さないでいた。

 

「フ、フフ…綾瀬夕映と、その使い魔か…まさかそんなモノ(戦車)まで持っていたとはな」

 

 不敵な笑みを無理やり浮かべてエヴァは巨漢の双眸を見つめ返す。

 月夜に煌めく紅い瞳と、口元から覗かせる鋭い牙を見てライダーはエヴァの正体を察した。

 

「なるほど…貴様が(くだん)の吸血鬼だな」

 

「え!?」

 

 彼の口から発せられた事実に驚嘆する夕映だったが、そんな彼女を尻目にエヴァは冷笑を以って返した。

 

「フ…理解が早いな、征服王」

 

「ほう、余の正体を知っているとは…どうやら昨夜のぞき見していたのは、やはり貴様だったようだな。とすると…口ぶりから察するに先日の書庫での小競り合いも観ていたと見るが…」

 

「推察のとおりだ…私はオマエが図書館島に現れた時からずっと見ていた」

 

「成る程な…ところで、そこの小娘がとっ捕まえている坊主はこやつ(夕映)の教師でな。早々に開放せよ」

 

 言いながらライダーは、やおら剣を抜く。

 それを見たエヴァは、これ見よがしにネギの首元に鋭い爪を突き立てた。

 

「断る、と言ったら?」

 

 そう問い返すエヴァは余裕を振りまくように底意地悪くにやついて見せた。

 

「う…くっ…」

 

 爪の先が僅かに刺さるネギの首元から血が滲む。

 傍らで見守る夕映が不安げな表情を浮かべるなか、ライダーはおもむろに剣を振り上げた。

 

 直後、大気を揺らすほどの轟音と振動、そして目も眩む閃光が両者の間に落ちた(・・・)

 それは紛れもなく落雷である。

 雲一つない月夜の下で発生した雷電の元は疑うべくも無く、頭上の戦車からだった。

 

「―――なっ!?」

 

 浮かべていた笑みも消え去り、空を見上げて吃驚するエヴァに向かって、ライダーはその切っ先を向けた。

 

「さもなくば…ゼウスの雷霆が貴様の身を貫くことになるが…さて、どうする?」

 

「くっ…」

 

 エヴァは苦悶の表情でライダーを睨んだ。

 いまだ人質(ネギ)と言うアドバンテージがあるものの、それ以上の事が出来ない彼女は完全に手詰まりな状態に陥っていた。

 目的であるネギの血は吸えず、対抗するだけの魔力もいまだに集まっておらず、人質だけが盾にしかなりえない自らの不甲斐なさにエヴァは苦虫を噛み潰したように表情を歪めた。

 

 しかし、無闇に手を出せないのはライダーとて同じだった。

 吸血鬼と対峙するのは初めてではあったライダーだったが、眼前の少女から感じられる魔力は人外にしてはあまりにか弱く、如何な搦め手を使われようと圧勝出来る確信が彼にはあった。

 だが、それを阻むのはやはり人質(ネギ)の存在だった。

 どれだけ圧倒的な武力を誇ろうと十全に活かせなければ意味は無く、自慢の戦車も牡牛の雷撃も人質を前にしては甚だ無力であった。

 無論、人質を無視して悉く蹂躙することも可能ではあるのだが、それはマスターである夕映の望むことでは無いし、何より彼自身がそのような外道な振る舞いを許せる筈も無く、結果として彼もまた手詰まりな状態のままエヴァたちを睨みつけることしか出来ずにいた。

 

 両者は無言のまま睨みあい、この膠着した状態がどれだけ続くかと思われた、その時だった。

 

「コラーーーッ そこの変質者どもーーーっ!!」

 

 何の前触れもなく、先ほどのライダーの咆哮に負けず劣らずの怒号が響く。

 何事か――とその場に居た全員が振り返った直後、首だけを動かしたエヴァと茶々丸の頬にローファーのつま先がめり込んだ。

 

「ウチの居候(いそうろう)に何すんのよーーーっ!!」

 

 飛び蹴り一閃。

 ようやく追いついた明日菜が彼女らの姿を見つけるや否や、それが誰かも確認することもなくネギを拘束していた二人に向かって渾身の飛び回し蹴りを喰らわせた。

 

 完全なる不意打ち。それは直撃した当人らだけでなく、真っ正面で見ていたライダーたちでさえ面食らうほどの完璧な一撃だった。

 

「――はぶぅ!?」

 

 意識外からの攻撃。しかも微弱ではあるが展開していた魔力障壁すらも打ち破る一蹴に為す術なく、エヴァと茶々丸は勢いのまま屋根の斜面を転がり、転落寸前で何とか静止した。

 

「か、神楽坂明日菜っ!?」

 

 想像だにしなかった横やりの正体に驚愕するエヴァだったが、それは明日菜も同様だったらしく、頬を抑えてフラフラと立ち上がる彼女を見て目を丸くしていた。

 

「あんた達ウチのクラスの…ちょ、どーゆーことよ!?」

 

 声を荒げて問いかける明日菜に対し、想定外のダメージにふらつくエヴァには答えるだけの余裕はない。

 

「ぐ…おのれ…」

 

「どうやら、形勢逆転のようだな…」

 

 ゆっくりと剣を鞘に納めながらライダーは告げた。

 もはや勝敗は決したと告げるように睥睨するライダーを恨めし気に睨みつけるエヴァだったが、その紅眼にうっすらと溜まった涙のせいで、より少女らしい幼さが際立つだけだった。

 

「お、覚えておけよオマエたち…この借りは必ず返す!」

 

 最後にそう吐き捨てて、エヴァは茶々丸と共に背後の闇に身を投げだした。

 

「な!」

 

「あ――ちょっと!」

 

 思わず駆け寄る夕映と明日菜だったが、見下ろす屋根の下には二人の姿は無く、ただ真っ暗な夜道だけが無機質に広がっていた。

 

「ふむ…力を隠しているかと思ったが…どうやら本当に逃げたようだな」

 

 そう言って肩を竦めるライダーの表情には少なからず落胆の色があった。

 噂の吸血鬼がどれほどのモノかと期待していたものの、見えてしまった実力差に肩透かしを喰らった気分になった彼はエヴァが去ったことを確認すると、上空で待機させていた牡牛たちを早々に退去させた。

 

「は!?消えた!?」

 

 圧倒的な存在感を見せていた黒牛と戦車が、まるで霞のように消えてしまった事に目を剥く明日菜を尻目に、夕映は興味津々にライダーに尋ねた。

 

「ライダーさん、さっきの戦車のことなんですが…」

 

「おぉ、そう言えば急いで来たもんだから説明していなかったな。あれはゴルディアス王がゼウス神に捧げた供物でな、余が(ながえ)の綱を切り落として手に入れたもんだ。…余が騎兵(ライダー)(クラス)に据えられたのも、きっとあいつの評判のせいであろうな」

 

「あれが以前に話していた『宝具』と呼ばれるモノなのでしょうか?」

 

「そうだ。『宝具』と言うのは、その英雄にまつわるとりわけ有名な故事や逸話が具現化したものであって、さっきまで乗っていた『神威の車輪(ゴルディアス・ホイール)』もその一つだ」

 

「その一つ…と言う事は、宝具は他にもあると言うことですね?」

 

 夕映の質問に得意げな微笑みを浮かべてライダーは答えた。

 

「フフン、察しが良いではないか。然り、余が真に頼みとする宝具は別にある」

 

「それは一体どのような―――」

 

「ちょっと!あんた達!」

 

 夕映がさらに質問を重ねようとした時、ようやく我に返った明日菜が二人の会話に割って入る。

 

「あ、アスナさん…」

 

 すっかり明日菜の存在を忘れていた夕映は、明らかに機嫌が悪そうな彼女の様子を見て気まずそうに後ずさる。が、それを見て逃がさないとでも言うように明日菜は二人にグイッと詰め寄った。

 

「一体全体なにが起きているのか、でもってこの鎧を着た人は誰なのか…き~~っちり説明してもらうわよ、綾瀬さん」

 

 鬼気迫る様相で詰め寄って来る明日菜に、気圧されて言葉に詰まる夕映と肩を竦めて見守るライダー、と徐々に混沌としてきたその場に、不意にすすり泣く声が響いてきた。

 

「うっ…ううっ…」

 

 そしてその声は、意外と近くから聞こえていた。

 ようやく振り返った三人の視線の先には、目いっぱいに涙を溜めたネギが、もはや決壊寸前の状態で立ち尽くしていた。

 

「うぅ…アスナさん…」

 

「そうだ!ネギ!あんたまた無茶なこ――」

 

「うわーん!アスナさーーーん!!」

 

 明日菜の叱責が飛ぶより早く、ネギは明日菜に抱く着くと同時に、噴き出したように泣き声を上げた。

 

「ちょ、ちょ…危ないって、屋上なんだから…」

 

「ここ、こわ、こわかったですー!」

 

「あーはいはい、もう大丈夫だから。よしよし…何があったか、ちゃんと話して」

 

 泣きわめいて抱き付くネギと、まるで母親のようになだめかす明日菜のやり取りに、場の空気は少しずつ弛緩していった。

 

「やれやれ…やはりまだまだ子供か」

 

「はい…ですが、それでこそネギ先生なんです」

 

 そんな微笑ましい光景に嘆息するライダーと夕映だったが、ネギをあやしつつも明日菜は二人をじろりと横目で睨みつける。

 

「あとであんた達にも説明して貰うからね」

 

 そんな明日菜の宣告に夕映は脱力したように肩を落とし、そんなマスターの姿にライダーは労うようにポンと肩に手を置いた。

 

………

……

 

 一方、撤退を余儀なくされたエヴァは自らの邸宅に帰るや否や自室に閉じこもると、脳内で計画の練り直しを行っていた。

 

 もともと今回の一連の騒動は、15年前、ネギの父親である『千の呪文の男(サウザンド・マスター)』に掛けられた『登校地獄(インフェルヌス・スコラスティクス)』などと言うバカげた呪いを解くための計画に他ならなかった。

 

 ことの発端は半年前、ネギが麻帆良学園に赴任してくると聞いたのが始まりだった。

 相手は子供とは言え、呪いによって力を封じられていたエヴァは対抗策として、学園の女子生徒から血を集めて力を蓄え、やがて来るその時の為に雌伏の時を費やしていた。

 

 そして今日、ようやく忌々しい呪いから解放されると思っていた矢先に二つのイレギュラーが起こった。

 

 それがライダーたちと神楽坂明日菜の乱入である。

 

 後者に関しては茶々丸という対抗手段がある為、そこまで重要視してはいない。

 しかし前者に関しては別格だった。

 

 いかに力を失っているとは言え、かつては『闇の福音(ダーク・エヴァンジェル)』と恐れられていた彼女は平場の魔法使いなどに後れを取る気はさらさら無かったが、現状の魔力量ていどでは、膨大な魔力の塊であるライダーに対し対抗できる策など持ち合わせてはいなかった。

 

 まして相手は英霊(サーヴァント)。人類から逸脱した精霊の上位種であり、まともに当たっては例え全盛期であったとしても、ただでは済まない。無論、敗北するなど思ってはいないが、無傷では済まないだろう。

 

 それはさて置き、どれだけ“たられば”を考えた所で今の彼女は無力である事は変えようもない事実であり、それは彼女とて重々弁えていた。

 だからと言って長年待ちに待ったチャンスをふいにするなど許せる筈が無い。

 ならばどうする―――頭を掻きむしり、焦燥感に駆られる彼女の目にふと、机に置きっぱなしにしてあったあの本(・・・)が飛び込んだ。

 

「……」

 

 吸い込まれるようにその本を手に取ると、無造作にページを捲る。

 それは先日、夕映が地下図書館から回収した例の本だった。

 

 解析の途中で放り出しいてたその本をパラパラと捲ると、彼女はあるページで手を止める。

 薬箱を持った茶々丸が部屋をノックしたのは、それとほぼ同じタイミングだった。

 

「マスター、薬を用意しました。傷の手当てを…」

 

 扉を開こうとする彼女より早く、エヴァが扉を吹き飛ばす勢いで部屋から飛び出してきた。

 

「茶々丸、すぐに『別荘』の用意をしろ」

 

「マスター?」

 

「ふっふっふ、何が“征服王”だ。使い魔風情が、わたしを怒らせたことを後悔させてやる」

 

 

 背後に控える従者の制止も聞かぬままエヴァは鼻息荒くずんずんと家の奥へ向かって行く。今に見てろと言わんばかりに息巻く彼女の目はどう見ても冷静さを失っており、明らかに私怨に曇り切ってた。

 

「お待ちくださいマスター。一体なにを…」

 

「フフフ、目には目をだ茶々丸。奴が英霊(サーヴァント)であると言うならば、同じ英霊(サーヴァント)をぶつければ良いだけのこと…」

 

 そう言うとエヴァは地下室の人形部屋の更に奧にある物置部屋へとやって来た。

 部屋の中には埃を被った古い本棚や道具箱、さらにはあらゆる用途の魔道具が乱雑に捨て置かれていた。

 

「ですがマスター、そちらの本にあったように、サーヴァントの召喚には聖遺物が必要なはずでは…」

 

「そんなことは分かっている」

 

 茶々丸の方を一顧だにしないまま、エヴァは片隅にあった箪笥を漁っていた。

 彼女の解読によれば、英霊の召喚には触媒となる聖遺物の存在が必須(・・)とのことだった。

 

「あったぞ…」

 

 口元に孤を描くエヴァの手には布に包まれた何かがあった。

 

「それは…?」

 

「かなり昔に私を罠に嵌めようとしたバカがいてな…返り討ちにした際、命と引き換えに明け渡してきたモノだ」

 

 茶々丸の持つランプの明かりに照らされながらエヴァはそれを丁寧に布から取り出した。

 

 それは『(かぎ)』だった。

 だが単に鍵と呼ぶにはあまりに華美に過ぎるものだった。それは余りにも装飾過多であり、彼女の手のひらに収まりきらないほどの大きさのそれは黄金と宝石で豪華に彩られていた。

 

 見た目の金銭的価値でも計り知れないそれは、茶々丸にさらなる驚きを与える。

 

「…僅かにですが魔力の反応があります」

 

「そうだ。茶々丸、これは人類の最も古いマジックアイテムの一つ…この世の全てが詰まっていると言われる宝物庫の鍵だそうだ」

 

 無論、所詮は伝説だ―――そう付け加えてからエヴァは更に続けた。

 

「だが…この鍵の持ち主が私の予想通りなら―――私は最強の英雄を使い魔(サーヴァント)に出来る」

 

 何かを確信した笑みを深め、エヴァはようやく茶々丸に目を向けた。

 

「支度をしろ茶々丸…サーヴァント召喚の儀式を執り行う」

 

 そう告げる彼女の深紅の双眸に、茶々丸ただ恭しく従うだけだった。




………
……

…ホントに続くの?


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第10話

 ―――入念に本の内容を確認しながらエヴァは茶々丸に指示を出し、魔法陣を完成させていく。

 水銀を使用した特殊な魔術溶液を茶々丸はむらなく垂らし、紋様を刻んでゆく。

 

 奥にある簡易的な祭壇には先ほどの豪著な鍵が祀られていた。

 

 ここはエヴァが別荘と呼ぶ場所に作られた一室。白亜のような白く無機質な壁に囲われたこの部屋で彼女はサーヴァントの召喚を試みることにした。

 

 召喚のための呪文を何度も確認しつつ、かき集めた魔力を循環させる。

 

 内心、エヴァは浮き足立っていた。

 英霊とは人類の守護者、それを吸血鬼である自身の使い魔として使役できる事実に。

 しかも今自身が呼び出そうとしているのは、その中でも指折りの存在だ。それを今や人外に成り果てた自身の意のままに出来るなど何たる皮肉かと、エヴァは高笑いをしたくなる衝動を抑え込み、今は淡々と儀式の準備に集中していた。

 

 「…マスター、完成しました」

 

 水銀の入っていた容器を片付け、茶々丸は主人の傍らに侍る。

 そしてエヴァも、手に持つ本をパタンと閉じ、魔法陣に向かってゆっくりと近づいて行く。

 

 やがて描いた陣に足を踏み入れる一歩手前で立ち止まり、エヴァは魔力を高ぶらせる。

 

「…始めるぞ」

 

 そう宣言し、エヴァは魔法陣に向かって右手を翳した。

 

「――()に銀と鉄。()に石と契約の大公。降り立つ壁には風を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」

 

 敢えて本には書かれていた一節を飛ばし、エヴァは朗々と呪文を唱える。

 

閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)閉じよ(みたせ)…繰り返すつどに五度…ただ、満たされる刻を破却する」

 

 全身を巡る魔力が最大(ピーク)に達するのを感じ、同時にそれが急速に吸い取られてゆく。

 チリチリとした痛みが翳した右手の甲に走り始めるが、エヴァは構わず詠唱を紡ぐ。

 

「―――告げる。汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば答えよ」

 

 視界が暗くなる。召喚に選んだこの場所(別荘)()に比べて大気中の魔力(マナ)が充溢しているとは言え、取りこんだ魔力が湯水のように流れてゆく。

 

「誓いを此処ここに。我は常世とこよ総すべての善と成る者、我は常世総ての悪を敷しく者」

 

 もはや背後に控え、儀式を見守る茶々丸の存在も、彼女の意中にはない。

 体中に流れ込む魔力の奔流を限界まで加速させ、エヴァは呪祷の結びをつける。

 

「汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ―――天秤の守り手よ!」

 

 瞬間、逆巻く風と稲光。

 同時にエヴァは右手の甲を襲う激痛に蹲る。

 

「っ! マスター!?」

 

 主の異変に気付いた茶々丸だったが、巻き起こる風圧に近寄れず、燦燦とした魔方陣が放つ輝きに二人は堪らず目を閉じる。

 

 やがて風はおさまり、閃光はその輝きを弱めていったが、それでもいまだ魔方陣からは眩い光が滔々と溢れていた。

 

 直後、エヴァは光の奥に鎮座する圧倒的な存在感に気が付いた。

 

 いつの間にか消えていた右手の痛みも忘れて立ち上がり、エヴァは光の奥より徐々にその姿を現す黄金の影に目を奪われる。

 茶々丸も同様に、自身に内蔵されていた魔力センサーの警報も無視して、現れいでるその立ち姿に目を離せずにいた。

 

 黄金の髪、黄金の鎧。豪奢を極めた鎧の男は、深紅の双眸で泰然と彼女らを見据えていた。

 

 エヴァは自身の予想が正しかったことを確信する。

 それはかつて、人と神が共に在った時代に君臨し、人と神の袂を別った原初の王―――。

 

「…勝ったぞ茶々丸。この戦い、私たちの勝利だ…!」

 

 勝利を確信し高らかに断言する彼女ではあったが、その右手に紋様のような謎の痣が刻まれていることに気付くのは、それからもう少し後のことだった。

 

………

……

 

 午前中の授業が終わると同時に夕映は明日菜に捕まり、足早に教室から連れ出されると中庭の一角にあるテーブルに彼女と対面になるように座らされた。

 

「エヴァンジュリンのことは昨日ネギから聞いたわ…さて、今度はアナタについて聞かせて貰えるかしら?」

 

「えー…」

 

 まるで取り調べのような状況に戸惑いつつも、まずは一つ夕映には確認せねばならない事があった。

 

「その前に一つよろしいですか?」

 

「ん?」

 

 小さく挙手をして逆に質問を返す夕映に明日菜は一瞬目を丸くする。

 

「アスナさん…あなたもネギ先生と同じ側(・・・)の人ですか?それがはっきりしなければ答えるワケにはいきません」

 

「あー…」

 

 と、今度は明日菜が気まずげに目を逸らた。

 

「私の場合は最近知っちゃったって言うか…アイツに巻き込まれたって言うか…」

 

 途端にしどろもどろになる彼女の言葉を聞いて夕映は凡そを察した。

 

「なるほど。つまりアスナさんも魔法の存在を知ったのは最近だと言う事ですね」

 

「え。『も』ってことは…綾瀬さんも…もともと魔法使いじゃなかったってこと?」

 

「正確には今もまだ、私は魔法使いではありません」

 

「…?どういうこと?」

 

 そこからは互いの情報交換だった。

 明日菜はネギとの出会いから現在(いま)に至るまでを、夕映は春休みの探検から今日に至るまでを、互いにそれらを語り終える頃には昼休みも半分を過ぎていた。

 

「ふーん、昔の人物をねぇ…」

 

 どこか要領を得ないような漠然とした表情で明日菜は呟く。

 

「はい。信じられないかも知れませんが、あのライダーさんは本当に…」

 

「あぁ分かってる分かってるって!流石にあんなモノまで見せられたら信じるわよ」

 

 そう言って明日菜は一旦話を区切ると、自販機で買ったお茶を飲み干した。

 それに倣うように夕映も買ってあった紙箱容器の“トマトミルク”を一口含む。

 

「正直…魔法がここまで身近に潜んでいるとは思いもしませんでした…」

 

 そう感慨深そうに呟きながら夕映は空を仰ぐ。

 

「そーね…もう色々ありすぎて何が何だか…」

 

 対照的に明日菜はげんなりとした口調でテーブルに伏した。

 

「あんな子供(ガキ)が先生ってだけでも意味がわかんないのに、さらに魔法でしょ?挙句の果てに吸血鬼やら昔の英雄やら…もー、一気に起こりすぎて頭がパンクしそうよ」

 

「そうでしょうか?私としてはここ最近の非日常(ファンタジー)な出来事には胸躍る思いです。学校のつまらない授業より余程 充実してますよ」

 

 そう普段と変わらぬ表情(ポーカーフェイス)の中に満足げな笑みを浮かべる夕映だったが、次第に何故かその表情は曇ってゆき、やがてうつむき加減で頭を抱えながら彼女は深刻そうに言葉を続けた。

 

「ですが…心配事が無い訳ではないのですが…」

 

「なに?エヴァンジュリンのこと?」

 

 問い掛ける明日菜の言葉に夕映は力なく首を横に振る。

 

「いえ…ライダーさんの事なんですが…」

 

「? ライダーさんって…綾瀬さんの使い魔っていうヤツなんでしょ?味方なんじゃないの?」

 

「いえ、その…味方には違いないのですが…」

 

 奥歯に物が挟まるような言い方に明日菜は怪訝に眉を顰める。

 すると夕映は近くに聞き耳を立てる人間が居ないことを確認し、それでも警戒を解かない彼女は明日菜にだけ聞こえるよう小さな声で囁いた。

 

「どうやらライダーさんは…世界征服を企んでいるようなんです」

 

「―――はぁああ!?」

 

 堪らず吃驚して立ち上がる明日菜を慌てて宥め、夕映は何とか彼女を再び席に着かせる。

 

「お、落ち着いて下さい。気持ちは分かりますが…」

 

「あ、ごめんなさい…いや、でも…えぇ?」

 

 促されて何とか椅子に座る明日菜だったが溢れ出る当惑の感情だけは抑えることが出来なかった。

 

「使い魔って…魔法使いの手下みたいなモンじゃないの?それが勝手に世界征服って…」

 

「私も正確に理解しているワケではありませんが、概ね使い魔に対する認識はそれで合っていると思います。ですが、ライダーさんはただの使い魔ではありません」

 

「確か昔の偉い人なんでしょ。イスカンダル…だっけ?有名な人なの?」

 

「はい。古代ギリシャを統率し、その後はエジプトや西インドまでも席巻する偉業をわずか10年足らずで成し遂げた大帝国の王様です。アレキサンダー大王、と言う名前ならアスナさんも聞いたことがある筈です」

 

 夕映の説明を聞いた明日菜は、開いた口が塞がらなかった。

 

「えぇ…なんだってそんな“超”がつくほどの有名人が使い魔なんかに…?」

 

「確かにそれは私にも謎なんですが…ともかく、そんな『東方遠征』と言う名の偉業を成したアレキサンダー大王ですが、わずか三十弱という若さで遠征中にこの世を去ってしまいました」

 

 そこまで聞いて明日菜は押し黙った。過去の偉人と聞いていたとは言え、予想だにしなかった大物の登場に驚きよりも困惑の方が勝っていた。

 やがて大きな溜め息を吐くと、再び彼女はテーブルに突っ伏くした。

 

「なるほど…つまり、せっかく復活したんだからもう一度世界征服に乗り出してやろうって…そういうこと?」

 

「恐らくは…」

 

 憶測の域を出ないが、十中八九そうだろうと二人は判断した。

 何とも言えない重苦しい雰囲気が漂う。

 昨夜の吸血鬼の一件も、ひとまず食い止めたとは言え根本的な解決には至っていない。だと言うのにここに来て新たな懸念材料が増えた事実に、明日菜は更にテーブルに顔をめり込ませる。

 頼れる存在と思っていた味方が、実はとんでもない爆弾だった事に落胆を禁じ得なかった。

 

「…で、そのライダーさんは今どこに居るの?」

 

 せめて厄介ごとの原因が今は何処に居るのか、それを把握したくて訊ねた明日菜だったが、返ってきた答えはまたしても彼女の予想を大きく超えるものだった。

 

「はい、ライダーさんは今日から馬術部の仕事があるからと言って早朝から牧場の方へ行かれました」

 

「ば、馬術部?」

 

 さらに困惑顔の明日菜の気持ちが夕映には痛いほどよく分かった。

 かく言う彼女も、今朝方にいつものゲームロゴTシャツに大型サイズのオーバーオールを着こんで意気揚々と出て行った彼の姿は忘れようとしても忘れられなかった。

 

「冗談に聞こえるかも知れませんが、今のライダーさんはアレクセイと言う偽名を名乗り馬術部の臨時顧問と言う仮の身分で生活しています」

 

「も、もう好きにして…」

 

 馬に乗って学生たちに馬術を教えるライダーの姿を想像した明日菜は混乱も呆れも通り越してただひたすら脱力するばかりだった。

 

 ともあれ、世界征服を目論むライダーではあるが、現状に関しては早急に対策を急ぐ必要もなさそうだった。それが分かっただけでも良しとしようと、半ば投げやりになりつつも明日菜は次の議題を持ちだす。

 

「ライダーさん…に関しては一旦置いておきましょ…いま問題なのは…」

 

「エヴァンジュリンさん…ですね」

 

 確かめるように呟いた名前に二人の表情が引き締まる。

 

「ネギから聞いたんだけど、どうやらアイツ…ネギの血を狙ってるみたいなの」

 

「ネギ先生の…ですか?」

 

「そう。ネギのやつ、すっかり怯えちゃってまともに聞けなかったんだけど…なんでもこの学園(麻帆良)にずっと縛られ続ける呪いみたいなのを掛けられてるらしくて、その呪いを解くためにはネギの血が必要なんだって」

 

 

「―――その通りだ」

 

 明日菜の説明を是と認める第三者の声が割って入った。

 聞き覚えのある声色に振り返る夕映と明日菜。その視線の先には、今まさに議題に上がっていた少女の姿があった。

 

「アンタは…!」

 

「エヴァンジュリン…さん…!」

 

 気色ばんで立ち上がる夕映と明日菜に対し、エヴァは昨夜対峙した時と同様、背後に茶々丸を控えさせたまま不敵な笑みを浮かべて二人を見据えていた。

 

「まあ落ち着け。今ここでお前たちと事を構えるつもりはない」

 

「信じられるわけ無いでしょ…アンタはネギを襲ったんだから!」

 

 さらに怒気を強めて拳を構える明日菜に対し、そんな剣幕も風で受け流すような涼しげな表情でエヴァは続けた。

 

「そう粋がるな…安心しろ、神楽坂明日菜。少なくとも、次の満月まで私たちが坊やを襲ったりする事はないからな」

 

「え?」

 

「どういう事ですか?」

 

 当然の如く訝しむ二人に対し、エヴァは口角を指で引き上げて見せた。

 すると夕映は昨夜の彼女と明らかに異なる変化に気が付いた。

 

「あ!牙がありません…」

 

「そうだ。今の私では満月を過ぎると魔力がガタ落ちになる。次の満月までは私もお前たちと同じただの人間…坊やを攫っても血は吸えないと言うことさ」

 

 だが、と続けて彼女は鋭く目を尖らせる。

 

「次はああ(・・)はいかん。必ず坊やの血を全ていただく…」

 

 低く、地を這うような怨嗟の滲む声を以って、エヴァは暗に邪魔は許さないと告げていた。氷のような冷たい眼差しで睨み据える彼女の双眸を、夕映と明日菜は真っ向から睨み返す。

 

「やってみなさいよ!言っとくけどね、ネギに手を出したら許さないからね!」

 

 正面切って言い返す明日菜に対し、エヴァは更に笑みを深める。

 

「ほう?やけに坊やのことを気に掛けるじゃないか」

 

「うっ」

 

「フフフ…子供は嫌いじゃなかったのか?それとも、同じ布団で寝て情でも移ったか。ええ?」

 

「う、うるさいわね!関係ないでしょ!!」

 

 さも愉快気に問い詰めるエヴァの嘲笑に耐えきれなくなったのか明日菜は顔を真っ赤にして怒鳴り散らす。そんな彼女の姿を見て満足したのか、エヴァは不遜な笑みを浮かべたまま踵を返した。

 

「フ…まあ良いがな。仕事があるので失礼するよ」

 

 そう言い残し、立ち去ろうとしたエヴァと茶々丸。だが―――

 

「ま、待って下さい!」

 

 それを呼び止めたのは夕映だった。

 まさか引き留められるとは思わず、視線だけを寄越しながらエヴァは怪訝な表情で立ち止まる。

 

「――何かようか?綾瀬夕映」

 

「二つだけ()かせて下さい…なぜネギ先生なんですか?呪いを解く方法はネギ先生の血しか無いんですか?」

 

 投げかけられた問いに彼女はさも退屈そうに鼻を鳴らした。

 

「神楽坂明日菜から聞かなかったのか?私に呪いを掛けた魔法使いがあの坊やの父親だからさ…つまらん質問ならもう行くぞ」

 

 憮然と吐き捨てて立ち去ろうとするエヴァを夕映は慌てて引き止める。

 

「あ、あの!もう一つだけ答えて下さい!」

 

「…なんだ、さっさとしろ」

 

 だんだんと苛立ちを見せ始める彼女に向かって、夕映は会った時から抱いていた最大の疑問をぶつけた。

 

「あの…どうして昨日会った時よりも怪我が増えているんですか(・・・・・・・・・・・・)?」

 

 足早に去ろうとしていたエヴァの身体が、まるで時が止まったかのように固まった。

 

 そう、夕映の指摘のようにエヴァと茶々丸の姿は何故か昨夜、最後に別れた時よりもボロボロになっていた。

 彼女の記憶が正しければ、昨夜二人が食らった攻撃と言えば顔に直撃した明日菜の飛び蹴り一発だった筈である。にも関わらず、二人の身体にはあちこちに擦り傷や掠り傷の後が多数見られ、しかもエヴァの右手には(・・・・)痛々しく包帯まで巻かれていた。

 

「……」

 

 質問に答えず押し黙ってしまったエヴァを夕映は心配そうに見つめる。

 

「やはりあのまま屋上から…」

 

「ええい違うわ!そんな無様な真似をするか!!」

 

 的外れな心配を始めた夕映の言葉をエヴァは怒鳴り散らして否定する。

 

「ではその怪我はいったい…」

 

「う、うるさい!そんなこと、お前に答える義理はない!行くぞ茶々丸!」

 

 最後は一方的に喚きたてて立ち去ってゆく二人の後ろ姿を、夕映と明日菜は激昂の理由も分からぬまま茫然と見送った。

 そんな中、昼休みの終わりを告げる予鈴が無情にも鳴り響く。

 夕映と明日菜は、そろって次の授業に遅刻した。

 

………

……

 

 ―――彼女、雪広あやかは有頂天になっていた。

 翼があれば飛んで行きそうなほど舞い上がる彼女をここまで煽て上げたのは、彼女の意中の相手であるネギを取り巻くある噂からだった。

 

 ――曰く、ネギの正体は何処(いずこ)の国の王子様であり、教師として赴任したと言うのは仮の姿で実は生涯を共にするパートナーを探しに日本にやって来た、との事だった。

 

 一度は沈静化した噂ではあったがこの日、ネギと同居している明日菜が実際にパートナーを探していると発言してしまったが為、再びこの噂は再燃してしまった。

 それにより3年A組のほとんどの生徒は蜂の巣を突いたような騒ぎに包まれ、色めき立った少女たちは暴走した挙句に『ネギ先生を元気づける会』などと称して浴場を貸しきった水着パーティーを立案していた。

 

 ここにクラスのブレーキ役である神楽坂明日菜が居れば全力で止めに掛かっただろうが、タイミング悪く彼女はその場に立ち会っては居らず、加えて示し合わせたかのように夕映も居なかった為、この騒ぎを彼女に知らせる人間は皆無となってしまった。

 

 ブレーキ役を失った少女たちはもう止まらない。もはやお祭り騒ぎの彼女たちは和気あいあいと言った調子で各々の水着を手に大浴場へ向かってゆく。3年A組の委員長である雪広あやかも彼女たちと同様、浮き足立った様子で大浴女まで足を進めていた。

 

「あぁ…ネギ先生。そのお心を癒せるのは(わたくし)しかおりませんわ…」

 

 うっとりと酔いしれるように、それでも足取りは軽やかに夕方の麻帆良を歩いて行く彼女は今にも踊り出しそうなほど舞い上がっていた。

 普段は比較的しっかり者の彼女ではあるが、子供先生(ネギ)の事となると途端にアレ(・・)になってしまうのは、クラス全員の共通認識である。

 

「いいんちょー、抜け駆けは禁止だからねー」

 

「おだまりなさい!ネギ先生の伴侶の座は渡しませんわー!」

 

 昂揚した気分に水を差すようなクラスメイトの言葉にあやかは目を剥いて威嚇する。

 しかし、そんなやり取りに気を取られたせいで彼女は道の角から飛び出してきた小さな人影に気付かなかった。

 

「あ、いいんちょ!危ない!」

 

「え―――きゃあ!」

 

「うわっ!」

 

 静止の声も間に合わず、どしんとぶつかった二人は互いに尻餅を着きあった。

 

「イタタタ…もう、なんですの」

 

 苦悶の声を漏らしつつ、打ち据えた腰をさする彼女の耳に―――

 

「アイタタタ…うっかりしてたなー。よそ見してたとは言え、誰かにぶつかるなんて」

 

 ―――そんな鈴の音のような澄みとおった少年の声が聞こえた。

 

 ハッと顔を上げる彼女の目に最初に飛び込んできたのは絹のような艶やかな金色の髪。血のように赤いルビーのような瞳、僅かに紅潮した頬は幼い丸みを帯びつつも蠱惑的にすら感じられる色気があった。

 

 思わず瞠目する彼女の目の前には、紅顔の美少年と呼ぶに相応しい男の子が、ズボンに着いた砂を払いながらゆっくりと立ち上がっていた。

 

「大丈夫いいんちょ!」

 

「もーしっかりしてよ いいんちょー」

 

 駆け寄って来るクラスメイトたち声が全く耳に入らないほど、あやかの意識は全て眼前の少年に奪われていた。

 やがて立ち上がることも忘れていた彼女の前に、少年の小さな手が差し出された。

 

「大丈夫?お姉さん」

 

 再び耳を刺激する甘い声に胸が熱く脈打つのを感じた。

 

「え…あ、はい…」

 

 意識もはっきりしないままに彼女は少年の手を取って立ち上がる。

 

「ぶつかってしまってごめんなさい。怪我はありませんか?」

 

「は、はい…大丈夫…ですわ…」

 

「良かった。本当ならちゃんとお詫びをしたかったんですが…少し急ぎの用事があるので、これで失礼しますね」

 

「ぇ…ぁ…」

 

 立ち去ろうとする少年にあやかは無意識に手を伸ばしていたが、少年はするりとその手を躱して、溌剌(はつらつ)とした声を上げて手を振った。

 

「今度会ったら、キチンとお詫びさせて下さい。さようなら、お姉ーさん!」

 

 最後にぱぁっと花が咲いたような天真爛漫な笑顔を見せると、少年はそのまま夕日に染まった麻帆良の街並みへと消えていった。

 

「いやぁ―…スンゴイ美少年だったねぇ…」

 

 思わず唸るハルナの言葉に何人かが頷いた。

 

「ホント、ホント…ネギ君に負けず劣らずの男の子だったわね」

 

「ネギ君とはまた違ったタイプで…あれ?いいんちょ?」

 

 そこで皆があやかの異変に気が付いた。

 立ち上がってもまだ静寂を保ったままの彼女は、立ち去って行った少年の方向をみつめたままボーっと立ち尽くしていた。

 

「おーい、いいんちょー?ダイジョーブ?」

 

 そこでようやく我に返ったあやかだったが、今度はその顔がみるみるうちに夕日よりも赤く染まってゆく。

 

「ぃゃ…ちが…わた、わたく…私は…そんなふしだらな女じゃ…私は、私は―――私はネギ先生一筋ですわーーーーー!!」

 

「いいんちょ!?」

 

 突如叫び出した彼女は周囲の制止も振りきり、脇目も振らず一直線に駆け抜けて行った。

 その胸中に一体なにがあったのか。誰も理解できぬまま少女たちは、泣きながら夕陽に向かって走り去るあやかの背中を黙って見送ることしか出来なかった。

 




………
……

…続くんだよな?


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