Overlord of Overdose ~黒の聖者・白の奴隷~ (Me No)
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第一章 終わらない始まりは忘却の彼方から
忘れていた仲間の来訪


 2017/12/17 後書きを追記しました。


 DMMORPG『ユグドラシル』

 西暦二一二六年に日本のメーカーが発売した体感型MMOである。

 体感型MMOとは仮想空間の中をあたかも現実に存在しているかのように遊べるゲーム全般を指している。

 膨大なデータ量と広大なMAP。

 そして、別販売のクリエイターツールを使うことで更なる拡張性を与えることが出来るこのゲームは、爆発的な人気を呼びDMMORPG=ユグドラシルを指すと言っても良いほどの皆に愛されるゲームタイトルとなった。

 だが、発売から十二年の時が経ち、その栄光の歴史にも終止符が打たれることとなった。

 

 

 高級住宅街の中でも一際大きな邸宅――その邸宅の一室、一〇メートル四方の洋室にあるのは執務机と書棚のみ。

 机の上には幾つかのケーブルとリモコンが一つ、そして水の入ったバケツが一つ。

 部屋の主人は鼻歌まじりに水に塗らした布巾でヘルメットを拭いている。

 フルフェイスタイプのヘルメットにかぶっていた埃を綺麗にふき取ってから最後に汚れを確認する。

「………………よし」

 問題なし――数年使ったものだが、まだ綺麗なものだ。

 そのまま飛び込むように革張り椅子に座るとヘルメットをかぶり、二叉のコードを手に取る。

 腰まで伸びた髪をかきあげるとうなじの部分には人工物――ジャックがあった。

 慣れた手つきでプラグを差込むと自分の視界に新たな世界が広がった。

「………………」

 まずはメーラーの起動――大量の未読メールが凄まじい勢いで受信されていく。

 メールは差出人に応じて自動で振り分けられるように設定している。

 並び順は受信日時――降順だ。

 最も古い未読メール――今から五年ほど前になるが、差出人は様々だが、件名は統一して自分を心配するものだ。

 それが『返信求む』から、『無視ですか』になり、最後には『さようなら』と、徐々に冷たいものに変わっていくのを見て、胸が痛んだ。

 

 自分は五年間――何の応答も返さなかった。

 

 それがどうあっても応答を返せない状態だったとはいえ、この反応は当然のことだと思う。

 

 自動で仕分けられるメールボックス。

 最初は友人の項目のメール数がカウントされていたのがスパムメールのカウントに変わり、受信全てが終わった。

 

「………………あれ?」

 

 最も近日――最早、自分の反応のなさに全員が見限ったと思ったが、一通だけ懐かしい人からメールが届いていた。

 差出人はギルド長――そして、件名は……。

 

「……嘘」

 

 ユグドラシルのオンラインサービス終了の告知とギルド長からの最後のお誘いのメール。

 

 終了は本日――時刻は、まだ間に合う。

 

 自分は即座にメーラーを終了させ、ユグドラシルを起動させることにした。

 

「………………」

 ――エントリーを開始します。

 

「……早く」

 ――しばらくお待ちください。

 

「早く!」

 

 ――ユグドラシルにようこそ。

 

 そして視界が真っ白な光に包まれた。

 辺りを確認――そこは見慣れた景色、自分の所属するギルドの本拠地であるナザリック地下大墳墓だ。

 目指すはこの先、ナザリック地下大墳墓第九階層『円卓の間』

 ギルドメンバーが会議を行うのに使っていた場所であり、メールに書かれていた集合場所だ。

 

 すでに視界には重厚な扉が見えており、それは徐々に近づいている。

 

 だが、その速度は徐々に鈍っているのが分かった。

 本来ならギルドメンバーはゲームに入ると、特定条件以外では『円卓の間』に出現するようになっている。

 だが、自分はあえてそれをしなかった。

 

 怖かったのだ。

 

 今更、どの面を下げてやって来たのか。

 どうして、今まで何の連絡も寄越さなかったのか。

 一体、何があったのか。

 

 尊敬していたメンバー達に責められるのが怖い。

 慕ってくれたメンバー達に嫌われるのが怖い。

 何よりも、慕っていたメンバー達に蔑まされるのは耐えられない。

 

「………………」

 扉に手を添える。

 だが、開こうという勇気が沸かない。

 

 このまま踵を返して、帰ってしまおうかとさえ思う。

 

 しかし、今日が最後の日だというのなら――。

 皆の誤解を解く機会もこれが最後だろう。

 今、ここで踏み出さなければ何もかもが手遅れになってしまう。

 

 そんな予感を感じて、扉を開けた。

 

「――ふざけるな!」

「っ!?」

 まだ顔も見えてないはずなのに絶妙なタイミングで怒号とテーブルを叩く音が聞こえてきた。

 

「ここは皆で作り上げたナザリック地下大墳墓だろ! なんで皆そんなに簡単に棄てることが出来る!」

 

 扉が完全に開く。

 

 そこには、たった一人――残されたギルド長が、寂しげに存在していた。

 

 

「み、みかかさん?」

 ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』のギルド長、モモンガは所在無さげにぽつりと立っている人物を見て、思わず目を擦った。

「お、お久しぶりです。ギルド長!」

 丁寧に頭を下げる異形の怪物は吸血鬼の上位種である《オリジンヴァンパイア/始祖》

 そしてこの女性の声は間違いない――『アインズ・ウール・ゴウン』のギルドメンバーである『みかか』だ。

 

 プレイヤー名、みかか・りにとか・はらすもちか。

 ギルドに所属したのは現在のギルド本拠地であるここナザリック地下大墳墓の攻略戦、少し前くらいか。

 所属時は昼間は社会人をしつつ通信制の中学に通う現役女子中学生――言うまでもないがギルド最年少のプレイヤーだ。

 

「え? な、なんで?」

 自分でお誘いのメールを出しておいてアレだが、つい聞いてしまう。

 しかし、それも無理もない。

 五年前――突如として音信不通になったギルドメンバーが最終日とは言え、いきなり顔を出したのだ。

 それまで毎日かかさずログインしてたメンバーが急に来なくなったのは皆も首を傾げたし、最年少だったこともあり大いに心配したが、結局何の連絡もなく、また連絡の取りようもなかったので除籍するわけにもいかず放置されていた。

「連絡も取らず申し訳ありません! その、ええっと、実は――ちゃんと理由があるんです、けど」

「………………」

 頭を下げたままの状態で、あー、うー、と唸っている。

 彼女はひじょうに礼儀正しい人物だった。

 そして言葉を濁すようなはっきりしない人物でもない。

「いや、言いにくいなら言わなくてもいいですよ」

「で、ですが――」

「――何か理由があったってことは今のやり取りでも分かりましたし、みかかさんが何となく飽きたとか面倒だから連絡しないという人物でないのも知ってますんで」

 未だ頭を下げている彼女に対して、勤めて優しげな声を出す。

「なんにせよ、来てくれてありがとうございます。みかかさん」

「はい! ありがとうございます、ギルド長」

 実に五年ぶりに出会ったというのに、まったく変わっていない彼女を見て、モモンガは安心した。

 彼女は緊張するほど今のような素の自分に戻っていく。

 普段の彼女はユグドラシルをプレイする際は自分が作り上げた『みかか』というキャラを演じるなりきりプレイに徹していた。

 モモンガは、それを子供の遊びだとは思わない。

 ロールプレイとは役割を演じることだし、他のギルドメンバーにも中二病を患っていたりヒーロー願望のある人だって居たりするのだから彼女だけを子供だと断じるのは失礼だろう。

 ちなみに緊張が最高潮に達すると地元の方言が飛びだしてきて、それが女性陣や一部の男性陣には可愛いと評判だった。

 

(ああ、懐かしいな)

 

 そう、それも今となっては――懐かしい日々だ。

 一体何があったのかは知らない――だが、何があったとしても、それも過去の話だ。

 今日が最後の日なのだから、大抵のことは許せるというものだ。

 サービス終了日に久々に戻ってきた仲間と大喧嘩したなどという最悪なイベントを起こして終わりたくはない。

 自分一人で最後の時を過ごすのだろうと漠然と思っていた――それが覆されただけでも救われた気がする。

 

「そろそろ時間、かな」

「えっ?」

 みかかが立ち上がったモモンガを見て顔を伏せた。

「あっ、そうですか――その、お疲れ様でした」

「………………」

 どこか寂しそうなみかかの反応にモモンガは固まった。

 

(ああ、そうか)

 

 普通はそう思うだろう。

 今日がサービス終了日で、もう残り時間も少ない。

 モモンガがログアウトすると思うのも普通の反応だ。

「私は、ここで誰か来るかもしれませんし――待ってますね」

「………………」

 それはない。

 ここにはもう、きっと誰も来ない。

 胸中に浮かんだ冷たい言葉――それは自身の心も傷つけた。

「みかかさん」

「はい?」

「今日がサービス終了の日ですし、最後は第十階層の『玉座の間』で迎えませんか?」

 そう言いつつ、モモンガは自分の装備を変えた。

 装備のランクは最下級から神器級までの九段階あるが、モモンガの武装は最上級――神器級の装備のみで身を包む。

 そして円卓の間に飾ってある杖を手に取った。

 

 スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン。

 その力たるや武装のランクでは神器級を上回り、二百あるとされる超レアアイテム世界級にも匹敵する規格外の性能を持っている。

 これはギルドの象徴であり、ギルド長であるモモンガ専用の強力な武器だ。

 

「………………」

 それを手にしたモモンガを見て、みかかも悟ったのだろう。

 彼女は軽く異形の右手を上げてその指を鳴らす。

 それと同時に姿と装備が変わった。

 一部の異形種の中には複数の形態を持つ者がいる――彼女もそうだ。

 戦闘能力に優れた完全形態ではなく、能力に制限はあるが美しい外見である人間形態に変わった。

 最後を飾る姿は力よりも美を選んだらしい。

 

 先程のような恐ろしい化け物の姿ではなく、ひじょうにオーソドックスな尼僧服に身を包んだ少女がそこにいた。

 黒髪に碧眼――年の頃は十四、五といったところか。

 髪は、烏の濡れ羽色。

 黒く艷やかな髪は癖毛なのか僅かにウェーブがかかっており長さは肩に少しかかる程度、顔は幼げな……悪く言えばしまりのない笑顔を浮かべている。

 同種族であり年恰好も似ているシャルティアが美人なら、みかかは可愛いという印象を受けるだろう。

 ちなみに体型はシャルティアと良い勝負――つまり、出るところが出て、引っ込む所は引っ込んでいる。

 よく言えばグラマラス――ペロロンチーノ風に言えばロリ巨乳というやつだ。

 それはさておき、彼女の武装もモモンガと同じ神器級の装備のみで構成されていた。

 

「ご一緒させてくださいな、ギルド長」

 

 先程までの理知的な、どこか冷たい声は消えてなくなり、ギルドメンバーであるぶくぶく茶釜のたゆまぬ演技指導によって獲得した砂糖菓子のように甘い声音に変わっている。

 姿を人間形態に変えることでキャラの演技になりきったということだろう。

 ようやくかつての彼女が戻ってきたことに満足する。

 

「ああ、行こう。我が友――そして、我らがギルドの証よ」

 

 二人は『円卓の間』を後にする。

 最後の時を迎えるために。

 

 




 それでは長い物語の始まりです。
 ちなみに今回の話にはある矛盾と言いますか、話の本筋には関係ない小さな伏線を張っております。
 明かされるのは五話目です。


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そして終わらない始まりへ

 

「おおおっ」

 ナザリック地下大墳墓最奥の間である『玉座の間』に入ったモモンガは思わず感嘆の息を漏らす。

 その玉座の間の造りこみはユグドラシルでも一二を争うスケールだと思っている。

 モモンガはふと気になって後ろを見る。

『円卓の間』を出てから、みかかは黙って自分の後をついてきていた。

 その姿は彼女の後ろに続く執事のセバスや戦闘メイドの集団プレアデスのような従者の姿であり、夫の後を三歩下がってついてくる妻のようでもある。

 

(確か元ネタは三尺下がって師の影を踏まず、だっけ?)

 

 なにかの拍子にそんな話をかつてのギルドメンバーであるタブラ・スマラグディナから聞いた記憶がある。

 こんなまったく関係なさそうな事からも、かつての仲間との思い出が蘇ってくる。

 

(それももうすぐ終わりなんだけど……)

 

 自嘲気味に笑い、さらに歩を進める。

 

「………………ん?」

 玉座の傍、左手側に佇む美しいドレスの女性を見て、モモンガは思わず疑問の声をあげる。

 彼女は守護者統括アルベド――ナザリック地下大墳墓の全NPCの頂点に立つキャラクターだ。

 問題は彼女の手に持つアイテムだ。

 それはユグドラシルの至宝、二百しかないオンリーワンの性能を持つレアアイテム『世界級アイテム』だ。

 これはギルドの全員が協力して手に入れたアイテムだ。

 勝手に持ち出して良い物ではない。

 

 しかし、今日はサービス終了日だ。

 

 これを持たせたギルドメンバーの意思を汲むべきだろうと判断し、取り上げるのはやめる。

 執事長と戦闘メイド、アルベドをひれ伏させ、モモンガは玉座に腰掛ける――みかかはモモンガの右横に立った。

 

「……間に合いましたね」

「そうですね。意外に道中が長かったもんだから、途中でサーバーダウンしたら嫌だなぁって思ってました」

「はははっ」

 それは何ともしまらない最後だろう。

「でも――」

「でも、何ですか?」

「――いえ。私も、間に合ってよかった」

「………………」

 一体何があったのかを聞くべきだろうか?

 それとも聞かないほうがいいのだろうか?

 モモンガには女性との距離感の掴み方が今一つ分からない。

 

「………………」

 

 彼女も言葉を発しようとはしない。

 それが聞いて欲しいのか、自ら言おうと悩んでいるのか、はたまた全然違うことなのか。

 分からない。

 

「もうすぐですね、モモンガさん」

「ええ」

 

 23:59:00

 

「最後に一つ――私の帰る場所を、帰りたかった場所を今まで守ってくれて、本当にありがとうございました」

「………………」

 モモンガはその言葉に返事も出来ず、ただ瞳を閉じた。

 

 ああ。

 ここが帰りたい場所だと言ってくれる人物は、まだいたじゃないか。

 その言葉があれば、自分は救われる。

 

 だが、自分の手は気がつけば拳を握っていた。

 

 悔しいのだ。

 

(………………どうして?)

 

 ここで終わるんだ?

 ここで終わってしまうんだ?

 

 ここからまた始められるかもしれないのに……。

 

(……諦めろ)

 

 未練だ。

 どれだけ願っても、自分にはどうすることも出来ない。

 皆で積み上げてきた想いの結晶は、ここで消えてなくなるのが定めなのだ。

 

 そう――消えて、なくな……る?

 

「………………ん?」

「………………あれ?」

 モモンガは瞳を開ける。

 自分の横には困惑した様子のみかかが立っている。

 

 それは奇跡か、運命か?

 

 最早誰も戻ってこないと知りながらも、ただ一人墳墓を守った男の願いを天が聞き届けたのか?

 それとも家族同然に慕いながらも唐突にいなくなり、その理由も説明せぬままに去ろうとした少女への悪魔の悪戯か?

 

 時刻は00:01:00を過ぎていた。

 

(何とも……しまらない最後になっちゃったな)

 

 即座に思いつくのはサーバーダウンの延期、最終日ゆえの何らかの異常――これが妥当な線か。

 在り得ないだろうが、ここから大幅なバージョンアップしユグドラシルが生まれ変わればいいと夢想し……その異変に気付いた。

 

(……どういう、事だ?)

 

 モモンガは横に立つ少女を見て、絶句する。

 ユグドラシルにおいてプレイヤーキャラクターの顔の表情は変わらない。

 未だDMMORPGにおいてはプレイしている本人の喜怒哀楽をキャラクターに連動、投影させる技術は確立していないのだ。

 

 だが、今の彼女は違う――明らかな異変と認識できるほどに違っている。

 

 長年、感情の浮かばないキャラクターを見続けたこともあるが――人は顔に感情が宿るとここまで変わるのか、と感心してしまうほどだ。

 モモンガの一番の友人であるペロロンチーノは自分達をフィギュア――人形のようだと言っていた。

 努力しても設定された表情しか作ることしか出来ない自分たちは、まるで熱のない人形だと、だから萌えづらいと。

 

 しかし、今の彼女はどうだ。

 首を傾げ、眉を寄せ、何かを呟く彼女は人形には見えない、紛れもなく生きている人間だった。

 

「あ、在り得ない」

「ギルド長?」

 モモンガの声にみかかが反応する。

 みかかは表情に関するAIを組んでいて常に笑顔を浮かべていることが多い。

 通常時と戦闘時で笑みの種類が異なったりと割と頑張ってるほうだろう。

 しかし、今の彼女に浮かぶ表情の変化はAIなどで説明が出来るものではない。

「なんということだ……」

 モモンガは驚愕のあまり手を顔で覆う。

「もしかして、何か……分かったんですか?」

「みかかさん」

「コンソールも出ないようなんです、一体どうしたんでしょう?」と続ける彼女の言葉を無視するようにモモンガは口を挟んだ。

「は、はい」

「みかかさんって――」

「はい?」

「実は滅茶苦茶やる気なさそうな顔してるんですね」

 

 ………………。

 

 ナザリック地下大墳墓最奥の間である『玉座の間』に地獄のような沈黙が訪れた。

 

 モモンガは笑顔仮面という言葉をギルドメンバーの誰かが言っていたのを思い出し、よく言ったものだと関心していた。

 あの、しまりのない笑顔――幼さ炸裂だった彼女が今や見る影もない。

 優しく垂れ下がった目はきつい印象を与える吊り上ったものに変わり、キラキラと未来に夢と希望を馳せていた瞳はその色を失い暗く落ち込みまるでガラス球のよう。

 

 まったく、夢もキボーもありゃしない。

 

 ギルドメンバーの一人であるぶくぶく茶釜の声でそんな台詞が脳内再生されるほどの残念な顔だった。

 

「……か、顔?」

 みかかはモモンガの言葉を反芻し、それからフッと笑ってから、怒ったぞとばかりに両手を腰にあて胸を張る。

「おい、ギルド長――それは喧嘩の大安売りかな?」

 彼女の瞳に炎が宿る。

 その炎すら暗い炎なのが凄い。

 以前の彼女が笑顔仮面なら今の彼女は無気力仮面だろうか?

 瞳に力がないのに、異様な迫力があるところが凄い。

「いや、鏡を見てくださいよ! 若いのに何なんですか、その顔! 何と言うか、見たことないですけど――まるでヘロヘロさんとウルベルトさんを足して二で割ったみたいな目をしてますよ!!」

「なっ!?」

 具体的に言えば『生きることに疲れ、世の中を恨んでます』と語りかけてくるような瞳だ。

「そ、そんな――あの二人と同じだなんて……照れるじゃないですか」

(意外に高評価!?)

 頬に手をあてて、照れたように顔を逸らしたみかかにモモンガは驚いた。

 

「それにしても……よりにもよって、やる気なさそうな顔、ですか。どういう事でしょう?」

 視線を戻したときには、照れたような顔は元の気だるげな顔に戻っていた。

 鏡を見るまでもなく、自分に起きた異変を理解したようだ。

「ほんとに、訳が分かりませんね。コンソールも――確かに、使えませんね」

 モモンガは手を振り、コンソールを呼び出そうとするが反応しない。

「GMコールも強制終了も出来ません。単なる異常とは考えにくい状態ですね」

「……ふむ」

 モモンガは考える。

 まず今起きている最も変化の大きい異常――キャラクターの表情についてだ。

 先程夢想したユグドラシルの大幅なバージョンアップというのは在り得ないだろう。

 感情表現の組み込みなど現代の技術では実現不可能といっていい。

 だが、それ以外にこんな高度な技術が再現可能なのだろうか?

「う~~ん」

「謎ですよね。この異常事態……どうしたものやら」

 単なる会社員であるモモンガやみかかには如何ともしがたい現状だ。

 

「異常でございますか? どうかなされたのですか――モモンガ様、みかか様?」

 

 自分の左横から耳慣れない女性の声が聞こえてきた。

「………………」

 モモンガは凍りついたように固まるみかかに気付いた。

 みかかの視線は自分の後方――玉座の左手側を見つめている。

 

(まさか、まさか……)

 

 モモンガもおそるおそる顔を向けて、言葉を失う。

 声の主はナザリック地下大墳墓守護者統括アルベド――つまり、NPCのものだった。

 

「な、なんで……」

 みかかは絶句し、無意識にモモンガのローブの裾を掴んでいた。

 驚愕の度合いはモモンガも似たようなもの――普通なら驚いて、玉座から飛びのいていただろう。

 

(どうしたんだ、俺。随分と……落ち着いているような?)

 

「モモンガ様、みかか様――何かございましたでしょうか?」

 立ち上がろうとするアルベドを見て、みかかがモモンガのローブの裾を引っ張る。

 

(ここは男として、彼女を護らなければ)

 

 下手なホラー映画より怖い展開だというのに、異様なまでに落ち着いた思考をする自分に驚きつつ、モモンガは優しく骨だけになった手を彼女の手の甲に重ねた。

「……モモンガさん?」

 幾分冷静さを取り戻した彼女の声に安心しつつ、モモンガは無言で頷く。

 そしてこちらに向かってくるアルベドを左手で制する。

 

「アルベドよ、問題ない。少し下がっていろ」

「かしこまりました」

 アルベドは頭を下げると、ススッと床を滑るようにして後ろに下がった。

「………………」

「………………」

 二人は互いに見つめあい――それから頷く。

 理由も何が起きたかも分からない。

 しかし、これは異常事態だ。

 単なるサーバーうんぬんの話しではない。

 

「セバス、メイド達よ!」

「ハッ」

 モモンガの声に執事長と戦闘メイド達が応えて立ち上がった。

 分かったことが一つ。

 アルベドだけではない――他のNPCも動いている。

 

(全NPCがそうなのか? それとも、ここにいる連中だけ?)

 

 分かったことより、分からないことだけが膨大な勢いで増えていく。

 異常事態に際して、何よりも必要とされる物――それは。

 

「まずは状況の把握だ」

 小さく、しかし力強く冷静なモモンガの声が傍にいたみかかに聞こえた。

 そして、モモンガが安心させるために添えていた手から離れる。

 

(どうやらみかかさんも冷静になってくれたようだ)

 

 そのことに安心する反面、極上の触り心地だった手が離れたことに、少しだけ残念な思いがこみ上げてくる。

 そういう内心の葛藤を他所にモモンガは極めて冷静で冷淡な口調で、セバスに命令を下した。

 

「セバス、プレアデスの中から一人を選んで大墳墓周辺の地理を確認しろ。仮に知的生物が存在した場合は友好的に交渉し、こちらに連れて来い。行動範囲は周辺一キロに限定、戦闘は極力避けろ。他のプレアデスは第九階層の警備にあたれ」

「畏まりました、モモンガ様!」

 皆の声が綺麗に唱和し、即座に行動を開始する姿にモモンガは感動を覚える。

 猛練習を繰り返して得たような一糸乱れぬ見事な動きだった。

 

「………………うあ」

 そんなモモンガにみかかの苦い呟きが聞こえてくる。

「どうしました? みかかさん」

「モモンガさん――これは本格的に、まずいかもしれないです」

 みかかがモモンガに左手を開いて見せた。

 良く見れば親指に血が滲んでいる。

「血?」

「親指を噛んだんです――傷はすぐに治ったみたいですけど、痛覚が再現されてます」

「………………」

 その言葉にモモンガの背筋に寒気が走った。

 

 当たり前だが、DMMORPGにおいて痛覚の再現は行われていない。

 そんな物を解禁していれば、このゲームは多くの死者を出すデスゲームと化していただろう。

 やはり、異常事態――いや、異常極まる事態だ。

 

(あるのか――そんな夢物語のような可能性が?)

 

 考えたくはない――だが、この事態はまるで仮想現実が現実になったという、到底在り得ない結論が真実なのではと訴えてくる。

 

 仮にこれらが真実であるとするなら、ここが現実になったのだとしたら――さらに深刻な問題が発生してしまう。

 自分達の身の安全の確保も考えないといけなくなるわけだ。

 

「モモンガ様、みかか様?」

 心配そうにこちらを伺うアルベドが急に恐ろしい存在に見えてきた。

 ギルドメンバーであるみかかはともかく、NPC達が自分たちに襲い掛かってくる可能性だって考えられる。

 もしもナザリック地下大墳墓の全てが敵になれば、自分達は生きてここを出ることすら困難になり、追い立てられれば、遠からず捕まり死ぬことになるだろう。

 

 そう考えれば、ここにいることすら危険になる。

 早急に行動を開始しなければならない――その為にももっと多くの情報が必要だ。

 

「アルベド――各階層の守護者に連絡を取れ。そして第六階層、アンフィテアトルムまで来るように伝言を伝えよ。時間は今から一時間後――ああ、第四、六、八階層の守護者には連絡は不要だ」

「かしこまりました」

「………………」

 アルベドが頭を下げ、足早に玉座の間を出て行くのを注意深く見送る。

 いきなり手に持った世界級アイテムで攻撃でもされたら厄介なことになるからだ。

 しかし、そんなこともなく――しばらくしてから二人はふう、と安堵の息を吐いた。

 

「モモンガさんはどうして、皆を集めようと?」

「この異常事態に関して何か気付いたことがあるかもしれない。それと皆の忠誠度を探るのが目的です」

「う~~ん」

 みかかはその提案にはあまり気乗りしないようだった。

「駄目ですか?」

「いえ……集まったところで仲良く反旗を翻されて全滅、というオチでないといいんですけど。特に私は随分ここに戻ってませんから忠誠度も下がってるんじゃないかなぁって」

「………………」

 みかかの言葉にモモンガは沈黙するしかない。

「私は特にデミウルゴスが怖いです。頭がいいって設定でしたし、悪魔という種族的に絶対、楽には死なせてくれないでしょうし」

「た、確かに……」

 アルベドとセバス、戦闘メイド達は自分達に忠誠を誓ってくれているようだが他の守護者がどうかは分からない。

 それを調べるためのものだったのだが、下手を打っただろうか?

「戦闘になった時のためにありったけの課金アイテムも準備しといた方がいいですね。モモンガさんは魔法や特殊技術は使えるんですか?」

「それを今から第六階層で調べようと思っています――これの実験も兼ねてね」

 そういってモモンガはギルドの証を手にとった。

「あっ、そうか。マジックアイテムも動くか確認しないとですよね」

 それだけ言うとみかかの姿は消えた。

 今の反応は見覚えがある――転移魔法の発動パターンだ。

「みかかさん!?」

 返事の代わりに玉座の間の扉が開く音が聞こえた。

「ただいま戻りました」

 声は玉座の間の入り口から聞こえてきた。

「ちょっとそこの最終防衛の間に転移してみました。リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンは機能するみたいです」

「あー、おっかなかった」と声色は全然怯えていないが――胸を撫で下ろしつつ、こちらにやってくる。

「おっかない?」

「いえ。ほら、下手なところに転移して『石の中にいる』とかになったら怖いなぁって」

「……?」

 石の中とは、なにかの比喩表現だろうか?

 首を傾げるモモンガ。

「あーー要するに転移失敗したら怖いなあって意味だと思っていただければいいかと」

 モモンガはユグドラシル以外のゲームにはあまり興味がないことを知っているので、みかかは話しを濁す。

 アインズ・ウール・ゴウンの末っ子として扱われていた彼女は意外に気を使うタイプなのだ。

「なるほど。確かに全然違う場所に転移したりしたら怖いですよね」

「それはともかく無事に指輪も機能するみたいですし、早速第六階層に向かいましょうか?」

「いえ、その前に身の安全の確保が優先です」

「というと?」

「マジックアイテムが無事ならゴーレムたちも言うことを聞く可能性は高いと思います。レメゲトンの悪魔達を確認しましょう」

 レメゲトンの悪魔とは玉座の間の直ぐ傍、最終防衛の間にある希少魔法金属で作り出されたゴーレムだ。

 これならレベル100のパーティー二つ――十二人ほどなら崩壊させられるだけの戦力になる。

「レメゲトンの悪魔――うあ……私、馬鹿ですね」

「えっ? 急にどうしたんですか?」

「いや、もしレメゲトンの悪魔が暴走したらさっきの転移で死んでたかもしれない、ですよね?」

「……ですね」

 まぁ、みかかも歴戦のプレイヤーなのでHPが0になる前にリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンで離脱出来たとは思うが。

「ううっ、ホームなのにびしびし感じるアウェー感。なんか、おなか痛くなってきます」

「大丈夫。レメゲトンの悪魔さえ命令を聞くなら一気に気も楽になりますから……」

「おっかないですよぅ」

 二人は自分達の本拠地であるにも関わらず、こそこそと目と鼻の先にある最終防衛の間に向かうのだった。

 

 



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瑕疵なき忠誠

 

 差し迫った問題にタイトルをつけるとしたら……『五年振りに仮想現実のRPGを遊んだらログアウト出来ず、どうも異世界転生までしちゃったみたいなんだけど何か質問ある?』とかどうだろう。

 

 ナザリック地下大墳墓第六階層アンフィテアトルム。

 古代ローマ建築を模して作られた円形闘技場――私は貴賓席の椅子に座って闘技場で行われる実験を眺めていた。

 誰もこちらに注目していないので、今日何度目かになるため息をこぼす。

 すでに深夜だというのに、夕方の立食パーティでは挨拶ばかりでロクに食べてもいない私の胃が空腹を訴えてこないのは不幸か幸運か。

 こういう異常事態に際してはたとえ腹が空いていなくても何かを詰め込んでおこないといけない。

 これが終わったら何かを食べようと心に決めつつ、逃避していた意識を現実に呼び戻す。

 

 実験はおおむね良好な結果に終わってくれた。

 魔法や特殊技術、種族スキルなどの発動は可能。

 マジックアイテムの使用、アイテムボックスの使用も問題なし。

 これなら、どうにか己の身を守るくらいのことは出来そうだと確信し、つい現実逃避してしまうほどに。

 

 しかし、どこかの掲示板に立てるスレッドのように言ってみたが、現状は今も非常に深刻である。

 朝起きると自分が芋虫になっていることを発見した人の気持ちが今なら実感出来るかも知れない。

 

(私はまだ人型になれるからいいですけど……どうなんでしょう? 急に骸骨になってることを発見した人は)

 

 目の前で魔法の実験をする年上の友人――今でも友人と呼ぶことが許されるのか分からないが、その人の気持ちを考えてみる。

 ユグドラシルでもトップクラスの知名度を誇るギルド『アインズ・ウール・ゴウン』のギルド長モモンガさん。

 至高なる四十一人のまとめ役――個性豊かな異形動物園の園長さんだ。

 この人の人柄があったからこそ、あの四十人はまとまっていたのだと思う。

 

 少しばかり意外なのは、私が知る頃よりも冷静さに磨きがかかったところだろうか。

 

 この異常事態に際して、的確に、冷静に、恐怖することもなく毅然と行動するところは感心するほかない。

 この五年の間に大きく成長されたようで、私には眩しいばかり――このまま浄化されてしまいそうだ。

 

「おおっ、あれは――《サモン・プライマル・ファイヤー・エレメンタル/根源の炎精霊召喚》」

 苦労して作ったギルド武器――それに秘められた能力の一つを使用したようだ。

「おや?」

 てっきりギルド武器の使用確認だと思ったのだが、何故かこの階層の守護者である双子のダークエルフ、アウラとマーレが戦い始めた。

 

「………………むう」

 

 また一つ新たな情報が私の脳内に書き込まれた。

 これは嬉しくないニュースである。

《フレンドリィ・ファイア/同士討ち》は解禁されたらしい。

 元のゲームでは出来なかったが、ここではギルドのNPCがこちらの命を狙ってくることも出来るわけだ。

 苦い顔を浮かべた私に、何かが繋がったような奇妙な感覚が走った。

 

『みかかさん――聞こえますか?』

「は、はい。聞こえてます」

『《メッセージ/伝言》の魔法も使えるみたいですね。繋がったのはみかかさんだけですけど』

「……そうですか」

 他の仲間には繋がらない――考えられる可能性はいくつかある。

 ここにいるのは自分達だけ、魔法の発動条件が変わってしまった、相手が繋げたくない等々、どれかは分からない。

『後、セバスからの情報ですけど、ナザリックの外は草原になってるそうです』

 その情報は――知りたくなかったかもしれない。

 単純にゲームが現実になった、ならまだどうにかなったかもしれないのに、よりにもよって何処か分からない場所に本拠地は転移しているというのか。

「いよいよ異世界転生待ったなしですか。ここから見てましたけど、フレンドリィ・ファイアも解禁したみたいですね」

『その事なんですけどいざとなったら宝物殿に逃げ込みましょう。あそこなら他のNPCは来れませんから』

「そうですね」

 助けがこないかもしれない状況で篭城など愚の骨頂だが、それしか方法はないだろう。

 ナザリック全NPCが敵に回れば、逃げることすら困難を極める。

 特に第八階層にいるアレがNPC達の手に渡れば不味いどころの話しではない。

 現状、アルベドとセバスに第六階層守護者のアウラとマーレはこちらに忠誠心を持っているように見える。

 脅威となるのは表向きには後三人――この三人が味方なら、とりあえず内乱の可能性はなくなる。

 

(それでも忠誠値が下がって反乱する可能性はあるわけですけど……)

 

 胃が痛くなってくる話しばかりだ。

 

『じゃあ、そろそろ皆も集まりますので――みかかさんはそのまま監視をお願いします』

「らじゃりました」

 魔法の効果が終わり、私は再びため息を一つ。

 

(ぶくぶく茶釜さん――私は疑心暗鬼の塊です。ごめんなさい)

 

 アウラとマーレは自分が貴賓席にいることに気付いていない。

 レベル100のNPCで優秀な野伏であるアウラが存在に気付けない――それはみかかが、アウラの感知力を上回った証拠だ。

 アウラの感知力を上回ったのは万全を期して課金アイテムを用いて存在を隠匿しているというのもあるが、元々、自分がギルドメンバーの探索役だったというのも大きい。

 

 みかか・りにとか・はらすもちか。

 種族は吸血鬼の上位種《オリジンヴァンパイア/始祖》

 職業は暗殺者――幾つかの職業を取っているがほぼ全てが主たる暗殺者技能に密接に関連しているため物理攻撃役もこなせる。

 同じギルドメンバーである弐式炎雷に似ているといえば似ているのかもしれない。

 つまり、高火力、高機動、紙装甲のプレイヤーだ。

 ひじょうに限定的な条件をクリア出来れば、物理攻撃役の中でも有数のダメージディーラーにだって化けることが出来る。

 そんな自分が潜んでいるのは当然、NPCを警戒してのためである。

 

 ギルド武器と世界級アイテムを装備しているモモンガであれば、集まった階層守護者達が結託して襲い掛かっても撤退くらいは何とか出来る。

 だが、みかかの物理耐性は魔法職のモモンガとさほど変わらない。

 モモンガは魔法攻撃耐性は高いが、自分は魔法攻撃耐性も薄い。

 そういうわけで襲い掛かられると少し厳しい――特にコキュートスは自分の天敵とも言える相性なので、正面から戦えばほぼ確実に負けるだろう。

 というかナザリックにいる戦闘が出来る高レベルNPCで、自分が真正面から戦える存在などいない。

 

 そういうわけなので彼女は隠れ潜んで、問題がなければ久々に帰還した仲間として皆に紹介するという事になっていた。

 

(なのに何だろう……この、体育の授業を見学してるみたいなやるせない疎外感は)

 

 楽しそうに飛んだり跳ねたりしてるアウラを見ていると、そんな彼女を警戒してる自分の底意地の悪さに憂鬱になってしまう。

 いや、こんな異常な事態なのだから警戒するのは当然のことだ。

 だが、どうも――落ち着かないのだ。

 ギルドメンバーであるモモンガを前にしてこそこそ隠れている自分が気に入らない。

 理性で納得できても感情で納得できていない。

 

 闘技場から貴賓席の物理的な距離が、自分と皆の心の距離を表してるようで不安になる。

 

 根源の炎精霊を倒したアウラとマーレを労わるモモンガの姿。

 転移してきたシャルティアがモモンガに抱きつき、アウラに何かを言われたのか二人が言い争う姿。

 次々にモモンガの元にNPC達が集まってくる――その姿には、造物主への反乱の影など微塵もうかがえない。

「………………」

 遠く離れた位置からでも確認できる。

 一斉に守護者たちが跪き、アルベドを前に立て、その少し後ろで一列になって隊列を組みだした。

 そして一人ずつ一歩前に出て深く頭を下げ、臣下の礼を取っていく。

 

(これなら……大丈夫そうね)

 

 即座に反乱が起きる可能性はなさそうだ。

 後は彼らの忠誠心を維持出来るように心得るべきだろう。

 問題があるとすれば後は――。

 

「――私だ」

 

 たった一人残ったモモンガと急に音信不通になってひょっこり帰ってきた自分――彼らの忠誠度はどこまで異なるだろうか。

 

『みかかさん――いいですか?』

「はい」

 

 審判のときがやってきた。

 果たして、自分は階層守護者やセバス達にとってどんな存在なのだろうか?

 

 

 結論から言えば、それは完全な杞憂だった。

 

 第一、第二、第三階層守護者であるシャルティアは言う。

「私では届きえぬ位置に立つ吸血鬼――まさに我が理想たる姫君でありんす」

 

 第五階層守護者であるコキュートスが言う。

「無情ノ刃――死ヲ追求シ、ソノ技ヲ極メラレタ方カト」

 

 第六階層守護であるアウラが言う。

「慎重さと大胆さ――相反する二つの心を正確に推し量れる理性的なお方です」

 

 同じく第六階層守護であるマーレが言う。

「み、皆様に愛されている素敵なお方です」

 

 第七階層守護者であるデミウルゴスが言う。

「どのような困難な状況であろうと目的を遂げる強い意志、そしてそれを成すために必要な行動力を有するお方です」

 

 執事長であるセバスが言う。

「他の至高の御方々から多くのことを学ばれ、成長された方。その在り様で皆を癒された優しきお方です」

 

 最後を守護者統括アルベドが締めくくる。

「至高の花園にて守り育てられた一輪だけの気高き華――全身全霊をかけて愛すべき方々の一人です」

 

「ありがとう、皆」

 全員の輝く視線を受け、自分の顔が恥ずかしさから紅くなってることが分かった。

 彼らがふざけているわけではないのは分かる――だから、自分も真剣な顔で彼らの忠義に応える。

「こんな時に言うのも妙な話しだけれど――私はこれ以上にないほど幸せよ、幸せしかない。一遍の迷いも微塵の不安もないわ――ここに最高の従者がいるんだもの」

 自分の心からの言葉に皆の顔に笑顔が浮かぶ。

「皆の考えは私も友も理解した。私の仲間達が担当していた執務の一部をお前達を信頼し、委ねることにしよう。今後とも忠義に励め――私たちは円卓の間にて今度の対策を行う」

「皆、通常とは異なる状態だけど焦る必要はないわ――だけど、急いで頂戴。兵は神速を尊ぶというやつね」

 再び頭を下げ拝謁の姿勢を取るのを見ながら、二人は転移を行った。

 

 ………………。

 …………。

 ……。

 

 無事転移した二人は微動だにしない。

 しばらくの間、円卓の間を沈黙が支配した。

 そして二人は示し合わしたように大きく息を吐いた。

 

「予想の斜め上をいく展開です――忠誠心マイナスだと思った? 残念、マックスでした! って感じですね」

「いや、何? あの、在り得ない高評価」

 モモンガも肩にのしかかる精神的な重圧におかしくなってしまいそうだ。

 失礼なのは承知だが、みかかの評価を聞いていて少しだけ笑ってしまいそうになったのは内緒だ。

「まさか、ここに来てまであんなに褒められるとは思いませんでした」

「……?」

 リアルでもあんな――傍から見ると、正直引くほど褒められる人物だったのだろうか?

「しかし、みかかさんにも言ってましたけど……アルベドの発言が少し気になったんですよ」

「何でしょう?」

「いや、私にも言ってたんですけど愛しい方って言ってたときの目が怖いというか、何と言うか……」

「………………ああ」

 ギルド長は知らないのだろうか?

「モモンガさんはアルベドの設定って見たことあります?」

「いえ、ないですけど?」

「今度見ておくといいです。ちなみに、あれは真剣と書いてマジです――ライクじゃなくてラブな意味で」

「はっ?」

 

 理解出来ないという表情を浮かべるモモンガにみかかは昔、タブラ・スマラグディナから聞いた彼女のことを話すことにする。

 というか、大雑把に言えば一文で彼女は説明できるのだ。

 

『守護者統括アルベド、彼女はビッチである』

 と。

 

「え。何、それ?」

 思わずモモンガの目は点になる。

「あの方は、ギャップ萌えでしたから」

「それにしても酷いのでは? 思わずまた沈静化が起きましたよ」

 その言葉にみかかはひっかかりを覚えた。

「沈静化? 何です、それ?」

「えっ? みかかさんはアンデッドなのにないんですか? こう……感情が高ぶると急に何かに抑圧されたみたいに平坦化するんです。多分、アンデッドの種族的特長の精神無効が関係してるんだと思ったんですけど」

「いえ、ないですね……いや、あるんでしょうか?」

 少し緩んでた精神を再び締めて思い返してみる。

 一番動揺したのは――最初の転移の時だろう。

 あれは正直迂闊な行動だったと思うし、後で思い返してみると怖かった。

 怖かった――のだが、確かに何と言うか他人事のように自分の命を軽視していたようにも思う。

「推測するに……私も沈静化の影響はあると思います。ただ、モモンガさんほどじゃないのかと」

「ああ、確かにシャルティアも怒りっぽいみたいですし、沈静化が弱いのかもしれませんね」

「ゲームをしてたときにも思ってたんですけど、本当に精神無効なら血の狂乱も起きないですからね」

「なるほど、確かに」

 血の狂乱とはシャルティアとみかかが共通して持っている特徴で血を浴び続けると精神的抑制が効かなくなってしまう反面、戦闘力が跳ね上がるという特性だ。

 

 自分達は人ではない異形種だ。

 身体の変化が精神にも変化を及ぼすというのは十分に考えられる。

 前途が多難すぎて心が折れそうだが……これに似た状況をみかかはすでに経験していた。

「なんかユグドラシルをもう一回初めからやらされてる気分です」

「ですね。この訳の分からない状況、一体何をどうしたらいいのか不明な感じは」

 ある意味慣れた――しかし、現実になおすと洒落にならない状況にモモンガがため息をつく。

 みかかも正直頭を抱えたい状況だが、こうなったら開き直って動くしかない。

「まずは己を知り、次は敵を知ることでしょう――そうすれば百戦危うからず、です」

「敵か――いるんでしょうか?」

「いますよ、絶対に」

 それだけは自信を持って断言出来る。

 未知の世界で、何も分からない状態だが、それだけは確信を持って言えた。

 

 平和を欲するなら戦いに備えよ。

 

 それはみかかが昔、祖父から聞いた古い格言。

 そして彼女自身がそれは真実だと確信する言葉だった。

 

 



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守護者達の話し合い

 モモンガとみかかがアルベドの設定について談義している中、闘技場では階層守護者達が自分達の支配者であるモモンガとみかかについて談義していた。

 

「流石はモモンガ様だ。我ら守護者達にすらそのお力が効果を発揮するとは、まさしく超越者を名乗るに相応しい御方と言えるだろうね」

 スリーピース・スーツを着た悪魔、デミウルゴスが感嘆の息を漏らす。

 ここにいる各階層守護者とセバス、アルベドはモモンガやみかかと同レベルの存在だ。

 だからこそ、生半可な能力は通じない。

 しかし、モモンガはギルド武器を、みかかは課金アイテムを使用することで彼らの能力を上回る結果を見せた。

 当人達は自らの身を守るために必要なことをしただけの事だが、彼らの更なる尊敬と崇拝を得ることになったのは幸運だったと言えるだろう。

 

「さっきのモモンガ様はすっごく怖かったね。お姉ちゃん」

「うん。でも、みかか様にもびっくりしたよ! まさかこちらにいらしてたなんて思わなかったもん!」

「ホントだよねぇ、凄いよねえ」

 アウラの言葉にマーレもコクコクと頷く。

 階層守護者の中では最も優れた察知能力を持つアウラですら欺く隠匿の技。

 コキュートスも言っていたが、暗殺者として死を追求しその技を極めた御方だ。

 しかし、アウラは他の皆の顔を見て首を傾げた。

「あれ? なんか皆、反応が薄くない?」

「スマナイ、アウラ。私達ハ事前ニ守護者統括殿カラ聞イテイタ」

「えっ?!」

 アウラがアルベドに顔を向けると、アルベドは少しばかり罰が悪そうに顔を浮かべた。

「ごめんなさい、二人とも。貴方達と接触する機会がなかったから伝えることが出来なかったのよ」

「ん~~。そうなんだ。でも、聞いていたって、どういう事? みかか様が私とマーレを驚かしたかったって意味?」

「いいえ、そうではないわ」

「あ。あの、どういう事なのか、詳しく聞きたいです! そうすればもっとモモンガ様とみかか様のために働けるかもしれませんから!」

 マーレの言葉にアルベドは頷き、話しを続ける。

「勿論、二人にも説明するわ。今日は何か用があったのでしょうね。モモンガ様とみかか様はセバスとプレアデス達を連れて、玉座の間に来られたの。それも伝説の武器『スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン』を持ってね。正直、私も驚いてしまったわ」

 守護者統括たるアルベドがギルド長であるモモンガを今日より前に見かけたのは一体どれほど昔のことか分からない。

 

「最近のモモンガ様はナザリックにいらっしゃっても、特定の場所しか訪れることはなかったから……」

 ギルドメンバー達が去り、一人残ったモモンガは一人でも問題ない狩場を巡っては、それで得たナザリックの維持費となる資金を宝物庫に放り込んだり、霊廟でかつての仲間を模したアヴァターラの作成をするだけの毎日を送っていた。

 アルベドがそんなモモンガの来訪を知っているのは、単にナザリックのシモベなら誰しも持っている力のお陰だ。

 ナザリックに所属するシモベ達はナザリックに所属するシモベ達の気配を感じ取れる力がある。

 特に創造主たる至高なる四十一人が放つ支配者の気配は強大で、たとえ遠くにいてもその存在を感じ取れるほどのものだ。

「そうだね。他の至高の御方々がお隠れになられて随分と時間が経った気がするよ」

 デミウルゴスの言葉に皆が沈黙した。

『りある』という世界から戻ってこない自分達の創造主に、それぞれ複雑な思いを抱いている。

 それ故に暗くなってしまった空気を払拭すべく、アウラは明るい話題を持ち出した。

「で、でもさぁ、今日は、いつもより多くの至高の皆様が訪れて下さったよね? 第九階層で留まられたまま、そのまま帰られるばかりだったけど……みかか様も戻ってこられたし、もしかしたら皆様も戻ってこられるのかもしれないよね!」

 アウラの言葉にマーレも色めき立つ。

「そ、そうだよね! ぶくぶく茶釜様も戻ってこられるかも、みかか様がいなくなられた時は凄く心配してたもん」

「たっち・みー様も気になされてました。あの方は至高の御方々に愛されていました……その可能性は高いのではないでしょうか?」

 セバスも心なしか嬉しそうだ。

「……そうね。そうかもしれないわね」

 そんな三人を見つめながら静かに笑うアルベド。

「………………」

 その笑みに潜む否定の感情を感じ取れたのはデミウルゴスだけだ。

 その根拠を問い質したいところだが脱線しかかった話しのレールを元に戻すことにする。

 

「それでアルベド――玉座の間にモモンガ様とみかか様が来られた後、どうしたんだい?」

「ありがとう、デミウルゴス。話しを戻すわ。玉座の間に来られたお二人は、そこで今起きている異変を感じ取られたのよ」

「さすがは至高なる四十一人。私達には何が起きているのか知覚すら出来ていないというのに鋭敏に察知されるとは頭が下がるばかりだ」

「まったくデミウルゴスの言うとおりだわ。お二人は異変を察して、ここに皆を召集させるように私に命じられた。後は簡単な推理よ、みかか様の気配は消えてしまった。けど、あの御方が異変を察知したにも関わらず、それを放置して『りある』とかいう何だか分からない世界に行くことなど在り得ないわ。だとすれば……」

「みかか様の支配者の気配は感じられなくなっているが、みかか様なりのサプライズがあるかもしれない。だから注意すること、と壮大にネタ晴らしをされたというわけさ」

 デミウルゴスが困ったものだと肩をすくめた。

「マッタクダ。守護者統括殿モ性格ガ悪イ」

 フシューと冷気を漏らしながらコキュートスも苦笑する。

「あら? それは心外だわ。私は守護者統括として皆が無様な姿を晒さないように注意しただけよ? 決して、私がサプライズされないことを妬んだわけではなくてよ?」

「そういう事にしておきましょうか。しかし、支配者の気配すら感じ取れなくなるのは少し考えものかもしれませんね。御忠告申し上げた方が……いや、その必要はありませんか。モモンガ様と同じくみかか様も類稀なる洞察力を持つ御方だ」

「愚問ね。自らの力を知らないような御方ではないわ。むしろ私達が失礼のないように注意すべきでしょう。ところで皆に聞きたいのだけど……GMコールという謎の言葉について何か知らないかしら? みかか様が仰っていたのだけど私には理解出来なかったの」

 

 アルベドが一人一人に目線で問いかけるが、皆は首を振るばかり。

 そして、ある一点で止まった。

 当然、皆の視線もそこに集まる。

 先程から一言も言葉を発さずに跪いたままプルプル震えるシャルティアを。

「ドウシタ、シャルティア」

 顔をあげたシャルティアは陶磁器のように白い肌は紅く染まり、息が僅かに乱れていた。

 その妖艶な魅力は常人であれば理性を奪い去り、獣欲に駆り立てられたかもしれない。

「モモンガ様の凄い気配にゾクゾクしてたところに……みかか様のあの笑顔で、達してしまいんした」

 

 ………………。

 

 その言葉に静まり返る。

 マーレだけが意味を理解できずに首を傾げているが、他の皆はシャルティアのこれでもかと詰め込まれた歪んだ性癖を知るだけに何と声をかければいいかお互いの顔を窺いあう。

 誰が声をかけるかを互いの顔を見ながら相談し、皆の視線はアウラの元に収束した。

(私が言うの?!)

 アウラは瞳で抗議するが、皆の視線は変わらない。

 一度、満点の星空を仰いでから、アウラは観念してシャルティアの方を向く。

 そして一言。

 

「……変態」

 

 アウラが額に手を当てながら、端的な感想を述べた。

 至高の御方達の素晴らしさを語り合ってる中、そんなことを考え、よりもよって――その、なんだ……まぁ、そういう状態になった同僚に軽蔑の眼差しを向けている。

 そんなアウラに対して、むしろ誇らしい顔を浮かべながらシャルティアはゆらりと立ち上がる。

「ハッ。これだからがきんちょは嫌でありんすねぇ。主も大人になれば分かりんすよ」

「はぁ? その偽乳で大人を語られてもねぇ」

 アウラは両手を広げて肩をすくめる。

「ああん? 今、何か戯言が聞こえた気がしんすねぇ?」

 シャルティアの右手に黒い靄のようなものが現れる。

「戯言ぉ? 真実の間違いじゃないの?」

 アウラが腰に下げた鞭を手に取る。

「二人トモ、ソコマデニシテオケ」

 コキュートスが手にしたハルバートが地面を叩いた。

 彼の内心を現すように周りの地面も音を立てて凍りつき始めている。

「だってさぁ……」

「アウラとシャルティア――両者の意見は理解できるわ。でも、今は争っている場合ではないでしょう?」

 アルベドの声も少しばかり冷たい。

 その方向性はぶっ飛んでいるがシャルティアは自らの主人を賛辞しているのだ。

 それを侮蔑するのは不敬だろう。

 対するシャルティアも場の空気が読めないわけではない。

 二人はお互いに数秒の間見つめあった後、まずシャルティアが頭を下げた。

「そうでありんした。反省するわ」

「私もごめ……。ん? シャルティアの意見も理解できる? どこら辺が?」

 どういう意味だと疑問に思うアウラにアルベドは続ける。

「もちろん、全てよ」

 見れば、翼がパタパタと忙しなく動いている。

「……全て?」

 アルベドの言葉を慎重に吟味し、その意味をようやく理解する。

(つまりアルベドもシャルティアと同類ってこと?)

 うわぁ、と正直にドン引きするアウラの肩をデミウルゴスが叩いた。

「アウラ、そこら辺は二人の趣味嗜好の話だ。追求すべき問題ではないと思うよ? ただ、シャルティアの話で思い出したのだが、疑問に思っていたことが一つある」

 正直、この話は早く切り上げたいのだがデミウルゴスが話題を続けるなら付き合うべきだろう。

 そう思い、アウラは話を続けた。

「疑問って、何なの?」

「シャルティアはみかか様の笑顔にある種の癒しを得たようだが、そこに何か疑問に感じることはないのかい?」

「ドウイウ意味ダ?」

 至高なる御方に笑顔を向けられるなどある意味何よりの褒賞と言えることだ。

 そこに疑問を感じる余地などないように思えるが……。

「あ、あの……今日のみかか様は、あまり笑われないなって思いました」

 マーレの言葉にデミウルゴスとアルベドを除いた者達が気付かされ、そういえば……と考え込む。

「みかか様はどんな時でも笑顔を絶やされたことはないわ。異常事態を感じられた時から、大きく変わられてしまった。勿論今の凛々しいお顔も素敵ですけど、出来ればあの方には常に笑顔でいて頂きたいものだわ。そうでしょう?」

 皆が一様に頷く。

 至高の御方の役に立つこと。

 それこそが自分達の存在意義である。

「まさしくその通りだ。それではアルベド。そろそろ命令をくれないかね? 私達も早急に動くべきだろう?」

「ええ、そうね。では、これからの計画を立案します」

 アルベドも先程までの談笑を交えていた時とは違い、守護者統括としての顔に戻る。

 そんな彼女に皆が頭をたれ、敬意を示した。

 

 自分達の全ては創造主にして支配者である至高なる四十一人の為に。

 そして、至高の花園にて育てられた一輪の華の元に、かつての満開の笑顔を取り戻すべく彼らは行動を開始した。

 

 




シャルティア「濡りんせんほうが頭がおかしいわ」
アルベド「そうよそうよ」
アウラ「えっーー」
 原作よりビッチ成分が倍になっておりますので巻き込まれるアウラの心労も倍になります。



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リアルプレイ

 ゲームからログアウト出来なくなり、どうも異世界に転移したと思われる――そんな異常事態が起きて一日が過ぎた。

 巨大なギルド本拠地であるナザリック地下大墳墓の隠蔽工作、ナザリック内の警備の強化と連絡網の作成。

 これらの作業を元はゲーム内NPCであり、今は自らの意思を持って動いてるシモベ達に任せつつ、モモンガとみかかはナザリック地下大墳墓第九階層『円卓の間』で今後の方針について議論を交わしていた。

 

「ギルド長の発言は却下です。現在は非常事態なんですからそんな凄いNPCがいるというなら、直ぐに投入すべきです。何が嫌なんですか?」

 この異常事態に頼れる仲間はいくらいても困らない。

 みかかの期待に満ちた眼差しがモモンガには痛かった。

「あ~~いや、その――本当に、パンドラズ・アクターを出すんですか?」

 パンドラズ・アクター。

 モモンガの作り出したNPCで設定上、ナザリックでもトップクラスの頭脳と知略を持っている存在だ。

 そして、レベル80程度に落ちるがギルドメンバー全員の能力を再現できるという汎用性に優れた力を有している。

 

「出さない理由が分かりません。猫の手も借りたい状況じゃないですか?」

 みかかは両手で猫の手をつくりながら言った。

「………………」

 昔のしまりのない笑顔でその仕草をしていれば、モモンガの友人であるペロロンチーノとぶくぶく茶釜はさぞや絶賛したことだろう。

 だが、今のダウナー系の表情でそれをやられるとどう見ても罰ゲームで嫌々やっているようにしか見えない。

 罰ゲームといえばモモンガの生み出したパンドラズ・アクターを皆の前に晒すのも同様の措置と言えよう。

 モモンガは会議をする前にパンドラズ・アクターに会いに行ったのだが、予想以上に濃いキャラを目の当たりにし、何度か精神の沈静化が起きるほどのショックを受けてしまった。

 正直、あれを人前に晒すのは避けたいところだった。

 

「『アインズ・ウール・ゴウン』は多数決を重んじるギルドでした。私とモモンガさんの意見が別れた以上、本来ならコイントスやじゃんけんなど公平な方法で決めるべきでしょうけど、この状況で論理的でない行動をされるなら理由を聞かせて下さい」

「……うっ」

 正論だ。

 まさに正論である。

 彼女は年齢的には最年少ながらも委員長的気質のある少女だった。

 実際、モモンガもパンドラズ・アクターを使うことを考えていなかったわけではない。

 しかし、モモンガの作ったNPCは決して組織運営のためではない。

 パンドラズ・アクターは『アインズ・ウール・ゴウン』の形――去っていった仲間達の姿を残すために生み出したものなのだ。

 それが、非常に感情的な答えだというのは分かっている。

 モモンガが口を開こうとした時を、事前に察知したかのようにみかかが先に喋りだす。

 

「……やっぱり、やめましょう」

「えっ?」

「よく考えれば宝物殿を守る守護者も必要ですよね。私達に気付かれず宝物殿に進入できる者がいてもおかしくないんですから」

「………………」

 相変わらず空気を読むのがうまい。

 地雷を踏まない――そもそも彼女は地雷原を見たら引き返すタイプだ。

 それは逆を言えば、あまり内面には踏み込まれたくないということでもあるのだが……。

「ありがとうございます。これは一つ借りということで」

「モモンガさんがそうおっしゃるなら貸しにさせて頂きます」

「はい」

 モモンガは少し浮かれていた。

 かつての仲間と過ごすこの時間が楽しくて仕方なかったのだ。

 この事が二日後にモモンガをおおいに後悔させることになるのだが、そんな未来のことなど今の彼に分かる筈もない。

 

「では、NPCの話は終わりにして次の議題にしましょう。この異世界ですけど、外に出たセバスとお付のナーベラル、現在隠蔽工作中のマーレの体調に異常が見られないことから私達の住む世界よりかなり清浄な環境にあるのでしょう。一応、毒などの耐性がなく、呼吸を必要とするシモベも外に出してみましたけど生息が可能だった事から、私たちの星と同じような惑星だと思われます」

 思われるというのは大気に含まれる成分などを測定する方法がないからだ。

 現在、体調の管理に関しては、魔法と物理の両面から行っている。

 ちなみに物理というのは医学的な側面のことでみかかが行っている。

 彼女は主たる暗殺技能の補助職として毒・薬などの生成と医療技術を取得しているためだ。

「早いうちに何らかの知的生命体を見つけたいですね。それだけでも世界の方向性が定まります」

「世界の方向性?」

「SFなのかファンタジーなのかホラーなのかアドベンチャーなのか、みたいな物ですよ。『アーベラージ』みたいなパワードスーツを着た人達が原住民だとユグドラシルVSアーベラージみたいな話になるでしょ?」

 

 アーベラージ――ぷにっと萌えさんや弐式炎雷さんがはまっていた別ゲームのことだ。

「……そうですね」

 モモンガはみかかの意見に感心しつつ考え込む。

 確かにこの世界にそもそも人間が存在するかのすら分かっていない。

 だが、彼女がいなければ人の姿形をした生物と遭遇した時点で、モモンガは人間と思い込んでいただろう。

 しかし、姿形が似ているからと言っても、それが人間だとは限らない。

 中身がドロドロの粘体かもしれないし、虫の集合体かもしれない。

 元は人間だったが、他の星からやって来た寄生虫のようなものに支配された星かもしれない。

 その可能性を考慮するのとしないのとでは行動方針が大幅に異なってくる。

 そういう意味ではファンタジーを切実に希望したい所だが、それにしても――。

「みかかさんはよく色々考えつきますね」

「いえいえ。こんなの全部どこかで見たアニメやゲームや映画とかの受け売りですよ」

 そういえば彼女は古い映画の話しでタブラさんと盛り上がっていたことがあったような気がする。

「むしろ、モモンガさんのほうが凄いと思います。モモンガ様の時の声の変わりようは正直痺れましたね」

「い、いやぁ――なんか、照れますね」

 若い女子の手放しの賞賛――もしリアルなら少し紅潮していたかもしれない。

「その点、私は駄目ダメです――NPCの子達には笑顔仮面の印象が強いみたいで、凄く不機嫌に見えるみたいで、心配されたり怖がられたりしてるんですよね。まぁ、リアルの時もそうだったんですけど……」

「そうなんですか?」

「………………」

 聞き返したモモンガに対して、みかかは何も答えずに無表情でこちらを見つめてくる。

「………………」

「………………」

 二人はそのまましばし見つめあい……。

「……すいません。降参です」

 モモンガが空気に耐えられず両手をあげる。

 何と言うか、全体的に無気力な印象を受けるのに不思議な圧力を感じてしまう。

「やっぱり、モモンガさんにも怒ってるように見えるんですね? 別に不機嫌なわけじゃないですけど、元々口数が少ないからかもしれませんね。でも、皆の手前、笑顔の練習でもしたほうがいいのかもしれません」

「笑顔って練習するものじゃない気もしますけどね」

「まったくです。どうにかして、笑顔仮面戻ってきませんかねぇ」

 うんうんと頷きながら、みかかは重いため息をつく。

 それは非常に実感の篭ったものだった。

 

(……さあ、どういう返事を返すべきだ? 難しい話になってきたぞ)

 

 女子の機嫌を損ねないような受け答えをしなければならない。

 女性との交際経験がないモモンガにはちょっと厳しい試練だった。

 

「ええっと……」

「モモンガさん。どうかしました?」

(一体、何をどう言えば正解になるんだ?)

 むしろ話を別の方向にぶん投げるべきだろうか?

 色々考えた末、モモンガは話を変えつつ、聞きたかったことを聞くという方向に決めた。

 

「みかかさんは、元の世界に戻りたいですか?」

「えっ?」

 みかかは急に話題が変わったせいで少しばかり驚いたのか、きょとんとした顔でモモンガを見つめる。

「あっ、いや……すいません! そりゃ帰りたいですよね!? なんと言っても異世界ですから!」

 

「その、自分は骸骨なので表情が出ないから色々な面で助かっているんですけど、みかかさんはやっぱり女性ですから自分の顔が変わってしまうというのはショックなのかなと思って――」

 

「――だとしたら、一刻も早く帰りたいでしょうから、パンドラズ・アクターも出したほうがいいのかな、と」

 

「………………」

 モモンガのマシンガントークをみかかは黙って聞いている。

 

(失敗した。なんだ、このテンパった新入社員の営業みたいなトークは)

 

 自分に呆れつつ、最後に一言フォローを入れる。

 

「でも、私は――その顔も、素敵だと思います」

 そして、項垂れるように頭を下げた。

 

「………………むっ」

 

(ああっ、失敗した。やっぱりイラッとしますよね。そりゃ言葉にも出ますよね)

 

 良く考えれば、フォローになってない。

 作り物の顔を褒められて、それで嬉しがる女性はいないだろう。

 みかかは外装職人ではないのから。

 

「意外にいい所を突きますね、ギルド長」

「………………」

 やはり彼女は一刻も早く帰りたいようだ。

 モモンガはパンドラズ・アクターを宝物殿から出すことに決める。

 そうなれば幾つかのワールドアイテムも出したほうがいいかと考え始め――みかかから驚愕の事実を告げられた。

 

「昔からこういう顔です。変わってませんよ、私」

「えっ?」

 モモンガは頭を上げて、少し大人びた表情で笑うギルドメンバーを見つめる。

 

(どういう意味だ? 昔からこういう顔? 変わってない?)

 

 その言葉が脳に染み渡り、何を言っているかを理解して、モモンガは驚きの余り円卓を両手で叩いて立ち上がった。

 

「――はぁっ?!」

 

「でーすーかーらー。私のこの外装は生身のままですって。リアルプレイです」

「リアルプレイ!?」

 外装を作るのではなく現実の自分をそのまま投影するプレイ方法だ。

 電脳法では他人の姿を投影することは犯罪だが、自らの存在であれば問題ない。

 目や肌の色や髪型などを好きに変えられるので、ユグドラシルにも少なからずそういう人物はいた。

 

(だけど――え? う、嘘、だろっ?)

 

 モモンガは驚きのあまりみかかの顔を覗きこむ。

 元の世界では掛け値なしにモデルや映画女優と言っても通じるほどの美貌である。

 ひじょうに手の込んだ外装でさぞかし名のある外装職人に頼んだのだろうと思っていたが……まさか、本人だったとは。

 立ち上がったモモンガを見ておかしそうに笑うと、みかかも立ち上がると指を鳴らす。

 すると、彼女の盛り上がった胸があっと言う間になくなる。

「ま、その――胸はパッドですけど。他は天然物です」

「………………」

 それは知っている。

 あの胸パッド入りの下着はペロロンチーノ渾身の悪ふざけ装備で防御力こそ紙装甲だが、二回攻撃を無効化出来るという特殊な能力がある装備だ。

 

(なんせ、ペロロンチーノさんと一緒に素材集めに行ってたからな。まさか下着を作るとは思わなかったけど)

 

 素材集めが終わり出来上がった装備をモモンガに自慢げに見せつつ「これでみかかさんも、うちのシャルティアと良い勝負が出来ますよ」と言っていたが、あれがプロポーション的な意味だということに気付いたのは、昨日アウラとシャルティアが喧嘩した際の偽乳発言の時だ。

 

(あの時は戦闘的意味合いだと思ってたけど、ほんとにペロロンチーノさんもブレない人だよなぁ)

 

 ちなみにプレゼントした後に「セクハラか!」とぶくぶく茶釜さんに叱られることになった。

 

「それにしても、まさかリアルプレイだったなんて、あまりのショックに沈静化が起きましたよ」

 モモンガの慌てる様子が余程おかしかったのか、みかかはクスクスと笑っている。

「これがぶくぶく茶釜さんに他の人には言っちゃいけないよと言われた私的七不思議の一つです」

 ぶくぶく茶釜の言い分も分かる。

 リアルプレイだと知られたら、ギルドメンバーの彼女に対する対応も変わっていただろう。

 それはギルド崩壊の危機を招いたかもしれない。

 それにしても驚いた。

「しかし、後六つも不思議があるんですか?」

「まぁ、それはおいおいということで。あ、それとさっきの質問ですけど――別に、私は帰りたいとは思ってませんよ?」

 くるりと背を向けてみかかは続ける。

「あそこはもう、私の帰りたい場所ではありませんからね」

「………………」

 当然だが、背を向けたみかかの顔は見えない。

 見せたくないのだろう。

 これほどの美貌を持ちながら、それでも戻りたくない場所とはどんな場所なのかモモンガには分からない。

 

「ま、そういうわけですので――」

 再びくるりと反転し、丁寧に頭を下げた。

「――これからも宜しくお願いします」

「いえ、こちらこそ。宜しくお願いします」

 まるで新入社員が初めましての挨拶をするように互いに頭を下げあい、顔を上げてから笑った。

 ここが何処だか分からないが、一人ではない。

 あの輝かしい時代を共有する友がいる。

 それだけでもモモンガの肩の重荷は随分と軽くなってるのが分かる。

 

「そろそろ一時間経ちますね。では、休憩兼方針会議はおしまい――皆のところに戻りましょうか?」

「そうですね。では、引き続き色々試したりするということで」

 円卓の間は至高なる四十一人の会議に使われていたのだが、この部屋があって良かったと思う。

『この場所は至高なる四十一人のみが入室を許された聖域であり、シモベ達を入れるわけにはいかない』

 そういう体で休憩をすることが出来るからだ。

 現在のモモンガとみかかには近衛兵と身の回りの世話をするメイドが二十四時間体勢で付き添っている。

 何をするにしても視線を感じ、支配者として一瞬たりとも気が抜けない状態であるため精神的な疲労は凄い。

 その為、こうやって毎日決まった時間に円卓の間に集まって、他のNPC達の前では見せない本当の自分達を曝け出すことでガス抜きをしているのだ。

 ユグドラシルもそうだが、やはり仲間がいるのといないのでは全然違う。

 もし、こんな訳の分からない異世界に一人で来てたなら、すぐに支配者の演技に精神的に疲れきってしまう所だっただろう。

 

 その疲れから何かとんでもない間違いをしてしまうことだって十分に考えられる。

 

 未だ謎は多いが、それでも彼女がいれば自分は頑張れる。

 もしかしたら新たな気持ちでユグドラシルをプレイするように未知を楽しめるのではないか。

 そんな楽観的な想いすら、モモンガは心の何処かで抱いてさえいた。

 

 彼女の存在という蝶の羽ばたきが世界に何をもたらすのか。

 もしも、イレギュラーである彼女の存在がなければどうなっていたのかなど、この世界の正しい歴史を知る神にしか分からない。

 

 故にこそ神の目を持つ存在なら分かるだろう。

 

 超越者が過剰投与されたこの世界の歴史は早くも歪み始めていることを。

 




みかか「この姿はリアルの私だったんだよ!!」
モモンガ「な………なんだってーー!!」
ペロロンチーノ「ついでに胸も補正しようぜ」
ぶくぶく茶釜「死刑(はぁと」
 という謎の主人公補正がかかる回でした。

 おめでとう。一話の伏線はここで回収された。

 ちなみに体型はシャルティアと良い勝負――つまり、出るところが出て、引っ込む所は引っ込んでいる。
 ↑
 シャルティアと同じ体型という事はフラットフットという事だ!(つるぺたりん

 プロローグ部分である第一章は今回で終了となります。
 


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第二章 代価にはその羽を
純銀の聖騎士が残したもの


 2017/12/14 文章の誤りを修正しました。


 異世界に転生されたと仮定してから三日目。

 

 緊急時におけるナザリックの連絡網の作成。

 異世界に転移したナザリック地下大墳墓の隠蔽工作。

 第六階層でのログハウスの作成など。

 それぞれに仕事を割り当てられた守護者達はまさしく身を粉にして働いており、始まったばかりではあるが着実な成果をあげている。

 シモベ達が頑張っている以上、支配者である自分達もそれなりの結果を出しておきたい所だ。

 そういうわけでギルド長であるモモンガの部屋でモモンガとみかかはそれぞれ鏡と向き合っていた。

 

《遠隔視の鏡/ミラー・オブ・リモート・ビューイング》

 その名の通り遠隔視――遠くのものをその場に居ながら見ることが可能な鏡である。

 基本は街などの人通りの多い場所を覗いて、買い物などを手早く済ませることが出来るかを確認するために使われているものだ。

 敵地の偵察などに使えるような高性能なものではなく、簡単な魔法で阻害やカウンターマジックを受けてしまうものなのでユグドラシルでは微妙なアイテムと言えよう。

 しかし、外の風景を簡単に映し出せるというのは現状ではありがたいものかもしれない。

 ただ、そんな遠隔視の鏡の使用方法がユグドラシルと異なり分からなくなっていた。

 俯瞰する高さを調整出来れば広範囲を見渡せるのだが、果たしてどう操作すれば出来るのか?

 二人はかれこれ数時間。

 黙々と鏡の前で指や手を動かして目的の操作方法について試している状態だ。

 

 手で色々と操作方法を試しつつ、みかかはまったく別のことを考えている。

 勿論、考えるのは今回の異常事態についてだ。

 二日目の円卓の間での休憩時間にも話してはいたのだが、何故、こんな異世界に飛ばされたのだろうという謎については一向に解決していない。

 

 異世界転生――かつて流行を博した物語のジャンルである。

 理屈屋なところがあるみかかは説明が出来ないことを嫌う傾向にある。

 理解が及ばないのはいい。

 しかし、説明がいかないのは嫌いだ。

 きっと理由はある筈なのだ。

 とはいえ、今回の議題は答えを出すには難問過ぎた。

 

(たまたま飛ばされた異世界が偶然、自分達の住む星に酷似した大気環境でした。何故でしょう?)

 

 きっとそんな問題を見たら、問題作成者の正気を疑っただろう。

 科学が未だ発達し続ける世界において、未だ自分達は外宇宙生命体に出会っていない。

 それどころか移住出来る様な大気環境にある星さえ見つかってない。

 そんなご時勢にゲームで遊んでいたら、サービス最終日に違う星に飛ばされて、転送先は生命の住めそうな星でした、というのだ。

 

(さすがに荒唐無稽すぎる。それならユグドラシル運営会社と政府がグルになって五感を再現できるDMMORPGを開発――それが試作段階であるため強制的にテストプレイさせてるほうがマシか?)

 

 それだって荒唐無稽な話だが、すくなくとも異世界――惑星間転移されたと考えるよりはマシだろう。

 しかし、仮にこれが人間の仕業だとしても、NPCが人形ではなく魂を持った生命体として機能しており、五感も再現されていることを考えれば、それは一つの世界を作り出したと言ってもいいのではないだろうか?

 

 無神論者だったが、ここまで来ると神なる存在を信じてみたくもなってくる。

 自分は高次の生命体に捕らわれ、異世界という檻の中で観察される実験動物になったのではないかと考えた辺りで思考を放棄した。

 

(う~~ん、無理。現状では答えなんか出せない)

 

 ただ、それがどれだけ難問でも問うことをやめたりはしない。

 理解不能な状況でも、理解しようとすることは放棄しない。

 

(今は起こってしまったことの理由は考えない。だって泣き叫んでも、落ち込んでも現状は変わらない。やれることを最後までやる。今はそれでいい)

 

 そうすれば、命の灯が消える時と場所は選べないとしても、笑って死ねるかどうかくらいは選び取れるだろう。

 今はそれで満足すべきだろう。

 どの道、考えたところで結論が出せる問題ではない。

 

「………………」

 チラリと視線を横に流すと、黙々と作業を続けるギルド長の姿があった。

「おっ!」

 そのモモンガが驚きと喜びの入り混じった声をあげた。

「操作方法が分かりました?」

「ええ。これでバッチリかと」

 みかかが褒める前に拍手が鳴り響いた。

 部屋に居たセバスと他の近衛に一般メイド――果てはみかかの護衛達が一丸となって「おめでとうございます」と惜しみない賞賛を送る。

 やりすぎだろう、とみかかは思ったが皆の賞賛は心からのものだ。

「ありがとう、セバス。皆も付き合わせて悪かったな」

「何をおっしゃられますか、モモンガ様――」

 

(あっ、この話――長くなりそう)

 

 敏感に空気を察したみかかは二人が話し合う中、自分の鏡でモモンガと同じ動作を行ってみる。

 

(………………ふむ)

 

 どんどん俯瞰する高さが高くなり、ナザリック周辺の地理が判明する。

 そして、村のような光景が鏡に映った。

 ナザリック地下大墳墓から南西方向。

 感覚的には徒歩なら二時間から三時間くらいで着くのではないかと思う。

 近くには鬱蒼とした森があり、村の周辺に麦畑に似た何かが広がっている。

 古い映画で見るような田舎の光景だ。

 文明的なレベルはそう高くないように見える。

 

(さてと、じゃあ拡大してみましょうか)

 

 俯瞰しすぎているため、村は見つかったがそこに住んでいるのが人かどうか分からない。

 朝も早くから元気なことで家に出たり入ったり、走ったりしている。

 

(なんか騒がしいな。何してるの?)

 

 一気に俯瞰図を拡大し、みかかは事の真相を知った。

 

「………………ッ!」

 みかかは眼前に広がった光景を見て、奥歯をかみ締める。

 ここに住む村人と思われる粗末な服を着た人々を全身鎧で武装した騎士が追いかけ、その手に持った剣で殺していた。

(……厄介なものを見つけちゃったな)

 どうするかと悩んでいたところで、みかかは強い視線を感じた。

「みかか様――如何なさいましたか?」

(……鋭い)

 感情の変化を気取られたのだろう。

 セバスが声をかけてきたので、二人にも見えるように鏡の鏡面を向けた。

「これは……」

 セバスの声音に硬いものが混じる。

「……チッ」

 モモンガの気配に不快なものが混じった気がして、みかかがわずかに姿勢を移動させて見えづらくする。

 フィクションならともかく実際に人が殺されるところを見て、気分が良くなる者はいないだろうという判断だ。

 

「如何致しますか?」

 静かな声でセバスが自分とモモンガに問いかけてきた。

 答えなど決まっている。

 

「「見捨てる」」

 二人の言葉は唱和した。

 

「何故なら助けに行く理由も価値も利益もないからな」

 モモンガが自分の言葉に補足説明をつけてくれた。

 みかかは心の中で頷いた。

 むしろ――現状では決して助けに行ってはならないとさえ言えるだろう。

「――畏まりました」

「………………」

 セバスの硬い口調からは二人の受け答えにどういう想いを抱いたかは読み取れない。

 みかかはセバスから視線を逸らす。

 きっとセバスを作成した彼なら答えは違っていたのかもしれないと思って、何となく罰の悪さを感じたからだ。

 

「なっ……たっちさん」

 

 そして、モモンガの呟いた言葉に凍りついた。

 

(まずい。この流れは非常にまずい!?)

 

 視線を逸らしたまま、みかかはモモンガの様子を探る。

 超人的な能力を得たせいだろう。

 見えてすらいないのに、何かを決心したような気配を感じ取ることが出来る。

 

(駄目だ――今、モモンガさんを向かわせるのは危険すぎる)

 

「ギルド長!」

「えっ?」

「私、この村を助けに行きます」

 みかかは鏡を操作して、村全体を見渡せる程度に映像を拡大させる。

 生きている村人を探すためだ。

 それと同時にアイテムボックスからスクロールを一枚を取り出す。

「みかかさん。なら、私も――」

「いいえ。私一人で向かいます――念のためにシャルティアを完全武装で待機させておいてくれますか?」

 二人の少女が逃げる姿を視界の端に捕らえた。

「待機って、まさか一人で行く来なんですかっ?! 護衛や後詰の準備が必要でしょう!?」

 少女は追いつかれ、破れかぶれか騎士を殴り飛ばす。

 そして、妹なのか小さい少女を連れて逃げようとした。

「不要です」

「は? な。何を言って――」

 モモンガは途中で言葉を噤む。

「駄目ですよ。ここで借りを返してください」

「………………」

 そういって静かに微笑むみかかの顔がモモンガから言葉を奪い去った。

「ギルド長、私に任せてほしい。私には、わずかな勝算と確かに逃げ切れる根拠があります」

 数秒の沈黙の後、モモンガは観念したように呟いた。

「分かりました。みかかさんにおねがいします」

 もう時間がない。

「はい! どうぞ、みかかにお任せあれ!」

 ただちにスクロールを発動させる。

 

《上位転移/グレーター・テレポーテーション》

 

 みかかに転移魔法は扱えない。

 そして、スクロールは本来その魔法を扱うことが出来るクラスを保有していないと発動しない。

 しかし、一部の盗賊系クラスの特殊技術があればその限りではない。

 その一部の盗賊系の特殊技術をみかかは保有していた。

 

 本来であれば転移失敗率0%の《転移門/ゲート》を使用したいところだが、あれは一定時間行き来できる場を作ってしまう。

 もし、自分がなす術もなく殺されれば、転移門を通じてナザリックの皆が虐殺される可能性もある。

《上位転移/グレーター・テレポーテーション》なら、その心配もない。

 本来なら転移阻害やカウンターマジック用の対策を行ったうえで発動すべきだが時間がない。

 そこは賭けだ。

 

 そして、結果的にみかかは命を代価にした賭けに勝った。

 

 無事に転移は成功し、視界が変わる。

 みかかの眼前に広がる光景は、まさに命を奪われんとする絶体絶命の窮地だ。

 妹と思われる少女を守るように抱きしめつつ、決死の覚悟で騎士を睨む栗毛色の髪の姉の視線がこちらに向いたのを感じる。

 騎士はまだ数メートル後ろにいる自分に気付いていない。

 即座にみかかは己の武器を取り出した。

 

「かつて神をも殺したこの刃!」

 叫んだのはこちらに注意を引くためだ。

「なにっ?!」

 剣を振り上げた騎士の背中がびくりと跳ねて、こちらを振り向いて慌てふためく。

「その身に受けて、悔い改めよ!」

 みかかは騎士目掛けて渾身の力で手に持った武器を投げつけた。

 それはホラー映画はもちろんこと、アクションやサスペンスなどの様々な場面で、本来とは異なる目的で愛用されてきた物騒極まりない道具だ。

 一言で言えば丸型ノコギリ――円形のチェーンソーである。

 直径一メートルはある金属製の刃は、みかかの手から離れた瞬間、駆動音という名の咆哮を上げて在り得ない加速と高速回転をしつつ獲物に襲い掛かる。

 

「はっ? えっ? な、なに?」

 

 自らに迫る高速回転する致死の刃。

 そんな物を未だ見たことのない騎士は起こった事態が飲み込めず間抜けな声を出すばかり――。

 瞬間、何の手応えもなく回転鋸の刃が騎士の脳天から股下を走り、その身体を真っ二つに引き裂いた。

 

(一撃で死んだ? いや、それなら尚、良し!)

 

 予想外の手応えを前にして、思わず拳を握ってガッツポーズを取る。

 

 伝説物級武器『ティンダロスの猟犬』

 見ての通り投擲型武器であり、みかかの主力武器を補佐する副武装の一つだ。

 ユグドラシルにおいてはMPを消費する代わりにターゲットを決めて投げると一定時間ごとにAIによる自動攻撃を行うというもので、欠点は武器がある程度のダメージを受けると地面に落ちて拾われ奪われてしまうことだ。

 利点は自動で攻撃してくれるので自分は両手に武器を持って戦うことが出来る。

 みかかが本気で戦うときより二段階低いこの武器を使ったのは、当初はこれを囮にして逃げるつもりだったのだ。

 しかし、予想以上に相手が弱いことに助けられた。

 そして、この武器――遠隔視の鏡のように、ユグドラシルとは異なる性能を有しているようだ。

 高速回転するノコギリの刃と自分に繋がる線のようなものを感じる。

 理由も根拠もなく――この武器は自分の意思に従うのだと理解した。

 

「おいで、ティンダロス」

 

 思念を送ると、まるで飼い主に呼ばれた犬のようにみかかの元に戻り、はしゃぐように自らの周りを飛び回っている。

 どうやら、この世界ではAIが意思に変化したようだ。

 

(おおっ。なに、これ――可愛い!!)

 

 人の身体など簡単に両断してしまう物騒極まりない忠犬が誕生した瞬間だった。

 

「ティンダロス、ステイ。よーしよし」

 

 さらに思念を送ると、回転ノコギリの刃はピタリと回転を止めて、ゆっくりとみかかの手に収まる。

 そこには決して主を傷つけまいとする優しさすら感じられた。

 ユグドラシルの時は自動攻撃AIの作成がうまくいかず、正直イラッとするところのあった武器だったが、今は違う。

 ひじょうに便利で素直な武器になり、不思議と愛着が沸いてきた。

 

 無論、それが異常であることは理解している。

 

 自分の身を守る刃を信頼するのは当然だろう。

 しかし、この可愛い猟犬は先程、人を無残に殺した殺人機械だ。

 人を殺してもなんとも思わない自らの心の変化が少しばかり残念だと思う。

 元々、ホラーゲームも遊んだりしたし、ホラー映画も良く見る方なので残虐シーンには耐性はあるつもりだ。

 

 しかし、これは現実だ。

 

 濃厚に香り立つ血の匂いと胃液と消化物が混じった不快な匂い――解体されてそこら中に散らばった臓物のグロテスクさは作り物ではない現実さを訴えかけてくる。

 通常であれば目を背けるようなものだと思うが、今はむしろ――少しばかり気分が高揚している感じさえする。

 特に血の匂いに、堪らなくそそられる。

 地面にぶちまけられた大量の血液とその血の匂いが、まるで高級ワインに見えてきた。

 それに吸い寄せられるように一歩を踏み出したところで、正気に戻った。

 

(一体何を考えてるんだ、私は。血に酔うな、力に溺れるな)

 

 焦りは失敗の種であり、冷静な論理思考こそ常に必要なもの。

 ギルドメンバーであるぷにっと萌えの言葉を思い出して、自らを律する。

 

 物言わぬ死体に釘付けになった視線が横に逸れた。

(敵感知……こっちに来てる!)

 近くにある家の脇から新たな騎士が現れたからだ。

 大方、ティンダロスのエンジン音を聞きつけたのだろう。

 暗殺者である自分がこんな爆音を轟かす騒音武器を使う理由の一つに、その音で人をおびき寄せることがある。

 

 騎士は危険極まりない見た目の回転ノコギリを凝視した後に、転がった死体を見つけ、わずかに後退する。

 

(――弱いな、こいつ)

 

 最初の戦闘では調べる時間がなかったが、余裕のある今は違う。

 探索役であるみかかの特殊技術が相手の力量を教えてくれる。

 腕の良い魔法詠唱者が使う偽装魔法でも使ってない限り、みかかの目は欺けない。

 

「やりなさい、ティンダロス!」

 瞬時にうなり声をあげて殺戮の刃は騎士に向かい、悲鳴をあげて逃げ出そうとする騎士をバラバラに切り刻む。

 特殊技術の敵感知には反応がない。

 とりあえずこの場の安全は確保出来たようだ。

 

(それに、どうやら予測も当たったみたい。本当に良かった)

 

 村が襲われるのを見て、ここに来ることを決意するまでの短い時間でも色々な情報が知れた。

 もしかしたら、勝てるかもしれないという予感はあったのだ。

 まず第一に騎士達の身体能力だ。

 全身鎧を着ているとはいえ、村人を追いかける彼らの身体能力は劇的な差はないように見えた。

 あの程度の足の速さなら、みかかは少女達二人を抱えてでも走って逃げ切れる自信がある。

 そして、そんな身体能力で振るう剣なら大して威力はないだろうとみかかは思った。

 無論、村人の防御力が桁外れに高く、騎士の剣は異常に切れるという可能性もあったのだが、身体能力が大幅に上回っている時点で相手の攻撃を受ける可能性は低く、十分に御することは可能だと判断した。

 さすがに何の根拠もなしに助けにいかないし、逃げ切れる自信もなかったら全力でモモンガを止めていた。

 

 彼はギルド『アインズ・ウール・ゴウン』のギルド長であり、ナザリック地下大墳墓の主人なのだ。

 感情で物事を判断してはならない立場にある。

 もしもここで無残に散った時――確信を持って言えるがナザリックの全NPCは無謀な特攻を挑むだろう。

 そこに勝てる勝てないなど関係ない――彼らの忠誠は狂信の域に達している。

 そんな一心不乱の忠誠を受ける身としては自殺志願兵を作るような危険は見過ごせない。

 

 仮に勝てたとしても立場が危ういことに変わりはない。

 困ってる人を見たら助けるのは当たり前だと思うのはこちらの勝手な価値観で、困ってる人を見たら殺すのが当たり前な世界かもしれない。

 そんな狂った世界でなくとも、この虐殺には意味があるのかもしれない。

 なんにせよ、村を襲った騎士を殺した時点で何らかの組織的存在に喧嘩を売ったのは事実だ。

 

(……どこかで落としどころを見つけないと、もしくは自分で何とか出来る算段がつかないとジリ貧必至だわ)

 

 仮にここで騎士たちを全滅させれば、さらに大規模な討伐隊を用意されるかもしれない。

 最低でもこの村を調査しようとするだろう。

 そうなれば、この村の近郊にあるナザリック地下大墳墓が発見される可能性が高くなるし、その時に抗争して勝てるとは限らない。

 騎士は雑魚だったが、そのバックには自分達など単騎で滅ぼしつくせるほどの強者がいる可能性だってある。

 

 それが現時点で考え得る最悪のパターンだろう。

 どう足掻いても勝てない存在がいる集団の邪魔をし、あまつさえ喧嘩を売った自分の末路がどうなるかなど考えたくもない。

 

(ここはもう、賭けるしかない)

 

 まず第一に、自分達と変わらない価値観を抱く連中のいる世界であること。

 これが最重要だ。

 こちら側の良識を理解してくれる存在があれば、誰かは味方をしてくれる――筈だ。

 

 第二に、この騎士風の男達に敵対する勢力がいてくれること。

 これも重要だ。

 騎士のバックにナザリック陣営では勝ち得ない存在がいても、対抗する組織があるなら、その庇護下に入ることが出来る。

 

 第三――ある意味では、これも重要なことになる。

 これが駄目なら、この異世界で生きていくこと自体が困難を極めることになるだろう。

 それだけに最初に確認しておかなければならない。

 

 みかかは意を決して、歩き出す。

 向かう先は腰が抜けたようにしゃがみ込み、ガタガタと震える姉妹の元だ。

 みかかは座り込んだ姉と目線が合うようにしゃがみ込んでから言った。

 

「ねえ、貴方――私の言葉は分かる?」

 

 




みかか「なんかこのぶちまけられた血とか美味しそう」
エンリ「………………」

 次回ははじめての異世界・異文化交流の回です。


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見えない爪がつけた傷

 

 その日、カルネ村の村娘であるエンリ・エモットは人間が解体されるところを目撃した。

 

 人が死ぬところは今日だけで何度か見た。

 同じ村の住人であるモルガーさん、少しうるさいが気立てのいい彼は剣で斬られ、倒れた所にさらに剣を突き立てられて殺されてしまった。

 そう、殺されたのだ。

 だが、今目の前に転がっている騎士は違う。

 

 エンリはほんの数分前のことを思い出す。

 

 エンリに殴られ激情した騎士が剣を振り上げる。

 背中を斬られたショックで地面に尻餅をついている自分では到底剣を避けることなど出来ない。

 自らの腰にしがみつく妹もいるのだ――最早、自分が生き残る手段はない。

 だが、諦めきれない。

 決して屈しないと騎士を睨みつけて、在り得ないものが見えて眉を寄せた。

 騎士の後ろにいつの間にか若い少女が立っていた。

 本当に若い――自分と妹の間くらいの年だろう少女だ。

 

「かつて神をも殺したこの刃!」

「なにっ?!」

 いつの間にか背後を取られた騎士は慌てて振り返る。

 そして、そのまま凍りついたように動かなくなった。

 それもそうだろう。

 見た目エンリより若い少女が左手に持った物騒極まりない大型の刃を今まさに投げつけようとしているのだ。

「その身に受けて、悔い改めよ!」

 瞬間、大気がビリビリと震えた。

 そんな錯覚。

 エンリが今まで生きてきた人生の中で耳にしたことのない異様な叫び声。

 それは決して少女のものではない――大型の刃が吼えたのだ。

「はっ? えっ? な、なに?」

 武器が吼え声をあげたのだ――騎士の間の抜けた反応もおかしくない。

 エンリだけでなく腰にしがみついてた妹のネムもいつの間にか顔をあげて、その光景に魅入られていた。

 だって、御伽噺ですらそんな武器の話しを聞いたことがないのだ。

 地面すれすれを走る刃が騎士の前で大きく跳ね上がり、頭上から迫る。

 それはまるで獲物に飛び掛ろうとする狼のような動きだった。

 

(いけない?!)

 

 瞬間、エンリの第六感が働き、妹のネムを抱きしめる。

「うわっ!」

 高速回転する刃を騎士は剣で受け止めようとしたのだろう――その剣を手応えもなく切り裂き、高らかと更なる吼え声をあげて、刃は騎士を護る鎧ごと脳天から真っ二つに切り裂いた。

 回転した刃のせいだろう――エンリの頬や服の至る所にピタピタッと跳ねた血がこびりつく。

 

(えっ? えっ?)

 

 エンリの視界が灰色に染まって行くような感覚の中、ゆっくりと騎士の身体が左右に倒れていく。

 幼馴染であり、博識な友人であるンフィーレアに話せばきっとこう言って笑われるだろう。

 

「エンリ――人の身体は一つだ。左右に倒れるなんて出来やしないよ」

 

 と。

 出来るのだ。

 簡単だ――身体を真ん中から二つに引き裂いてやればいいだけのことだ。

 ドサドサッと音を立てて、二つの身体が地面に倒れて一人の人間が死んだ。

 

「ひ、ひぃ」

 あまりの恐ろしさに妹の身体を抱きしめつつ、エンリは瞳を閉じた。

 しかし、見える。

 瞳を閉じたのに見えてしまう。

 チラリと見えてしまった人体の断面図が、見たこともない人の身体の中身が、エンリの網膜に焼き付いたまま消えてくれない。

 それどころか何度も何度も――切り裂かれて倒れる所を忘れないようにと繰り返し再生してくれる。

 

 とてつもない恐怖は冬の厳しい寒さとなってエンリを身体の心から凍えさせ、歯の根が合わずガチガチと音を立てて震えさせる。

 

(し、しししし――し、失礼だわ。あ、あの、あの、あの子は、わわ、わ、私を助けようとしてくれくれ、たん、だからっ!!)

 

 ブルブルブルと震えながら、エンリは片目を開く――勿論、死体から目をそらしてだ。

 

「………………う、そ」

 

 そして、信じられないものを見た。

 見てしまった。

 会心の笑みを浮かべて拳を握る自分より幼い少女の姿を。

 

(な、なんで? そんな……人を殺してるのに、どうしてそんな嬉しそうに笑えるの?!)

 

 震えは止まり、今度はまるで蛇に睨まれた蛙のように凍りつく。

 あまりのショックに意識が真っ白になってしまって動けない。

 そんなエンリを無視して異様な光景は続いていく。

 

「おいで、ティンダロス」

 

 人を殺した刃が自分の周りを回るのを見て、どうしてあんなに嬉しそうな顔が出来るんだ!?

 

「ティンダロス、ステイ。よーしよし」

 

 左手の少し上でピタリと止まる刃――それを、どうしてあんな物に自分が妹を見るかのような視線を向けられる。

 

 まるで悪夢の世界にでも迷い込んでしまったようだった。

 

 怖い。

 死体を見つめる少女の瞳は爛々と輝いている。

 強烈な違和感を感じる。

 あの目は何だ?

 あれはひどく場違いな感情を抱いた目だ。

 そう、まるで……まるで。

 

(好きな食べ物を出された時の、妹のような?)

 

 自らの想像にエンリは吐き気すら覚えた。

 嫌だ、あの騎士なんかより少女はずっと怖い、これ以上見たくない、早く消えてなくなって欲しい。

 

 そんなエンリの胸中など気付くこともなく、少女の瞳がギラリと輝くと後ろを振り返る。

 やや遅れて、近くにある家の脇から新たな騎士が現れた。

 

 新たに現れた騎士は、少女の手の上に浮かぶ刃と死体を見て怯えたように後ろに下がった。

 

 少女は背中を向けたまま立ち止まっている。

 左手に浮かんだ刃も動こうとしない。

 顔が見えないのが恐ろしい――少女は一体、どんな表情を浮かべているのだろう?

 

「やりなさい、ティンダロス!」

 そう思った瞬間、刃が怒号をあげて回転する。

 

「い、嫌だ! た、たすけ……」

 

 背中を向けて逃げ出した騎士が三歩も歩かぬうちにバラバラに切り刻まれて落ちる。

 あまりにあっけない最後だった。

 少女は人を二人殺したというのに、動揺することもなく、なんだかつまらなそうな顔を浮かべている。

 きっと人なんか殺しなれているのだろう。

 

 この村に住む猟師や一部の男性は生きた獣や家畜達を平然とした顔で捌いてしまう。

 エンリがまだ小さい頃に、どうして平然と生き物を殺せるのかと父親に聞いたことがある。

 父親は彼らは生きるために仕方なく家畜を殺しており、決して殺したいからしているのではないとエンリに時間をかけて丁寧に教えてくれた。

 あれから成長したエンリも、今ならば何故かは分かる。

 生きるためというのもあるだろうが、慣れたのだろう。

 家畜の断末魔の悲鳴など聞き慣れてしまって何とも思わないのだ。

 少女も、きっと同じだ。

 

 そして、自分達の番がやってきた。

 自分達を見据えて、真っ直ぐにこちらにやってくる。

 凍り付いていた意識が死の恐怖から全身の震えを呼び起こした。

 抱かれたままのネムも震え上がる姉の様子を感じて、泣きながら姉の腰にしがみついていた。

 

「………………」

 魔獣の鳴き声を発する刃を連れた少女が腰が抜けて動けない自分を見下ろす。

 とんでもない美人だが、自分を見る目はあまりにも冷たい。

 礼を言わねば、いや、妹の命だけでも助けてもらえるように懇願すべきか?

 早く言葉にしなければならないのに、歯の根が合わず声も出てこない。

 

 少女はストンとしゃがみ込んで、自分の瞳をしっかり見据えて口を開いた。

 

「ねえ、貴方――私の言葉は分かる?」

 

 今が千載一遇のチャンスだ。

 これを逃せば一瞬で殺される。

 はい、と口を開こうとして大きく息を吸い込んだのが失敗だった。

 強烈な死臭が鼻腔に大量に流れ込んでくる。

 余りの生臭さに、エンリは言葉を発することも出来ず、その場で嘔吐した。

 

 

(何なの!? よりにもよって、人の顔を見てリバースしたわよ、この村娘?!)

 

 咄嗟に後ろに飛びのいて、顔を背ける。

 こういう時に大幅に強化されてしまった自分の六感が恨めしいと思う。

 耳は嘔吐する音を繊細に捕らえ、鼻腔をくすぐるすっぱい匂いに思わず服の裾で口と鼻を覆う。

 吐いた姉に釣られてしまったのか妹もリバースしたようだ。

 

(人の顔を見てリバースするとか失礼すぎるでしょうに……)

 

 最悪の展開だ。

 この世界の人間にとって自分の顔は吐き気を催すほど醜悪なのだろうか?

 そんなに二人と変わらないと思うのだが、整形しすぎて気持ち悪いレベルなのかもしれない。

 もしくは、人を助けることは忌避される行為なのか。

 

(もしくはこれが最大級の礼だったりするのかしら? だとしたら嫌過ぎるんだけど)

 

 ともかく、自分達とは価値観が大きく異なる世界なのかもしれない可能性に胃の辺りが重くなるのを感じる。

 

(はぁ……もう、どうしよう。なんか言葉も通じてるんだか微妙そうだし)

 

 普通に考えれば明らかに自分の国とは異なる容姿である少女達と言葉が通じるはずがない。

 むしろ、異世界に来て自分達の言葉が通じるなんて夢にも思っていない。

 初めての異世界人との交流開始だ。

 

「あ、あの――だ、大丈夫ですかぁ?」

 三歩ほど大きく後ろに下がりつつ聞いてみる。

 返事はない。

 こちらに背を向けてぜえぜえと荒い息をつく姉の背中には血が滲んでいた。

 

 どくんと。

 自分の胸が大きく鼓動を打つのを感じた。

 

(はっ? ん? 今の反応は何?)

 

 自らの身体の反応に思わず首を傾げてしまう。

 

(えっ? 今、私……あの村娘に対して、ちょっと不適切な想像をしなかった?)

 

 やまいこさん辺りに話せば「教育的指導」のお言葉と共に拳骨を喰らいそうな妄想だった。

 

(随分と倒錯した性的思考だったけど……やっぱり暴力に酔ってるのかしら?)

 

 どうもこちらの世界に来てから、普段の冷静さを失う機会が多い気がする。

 初めてのリアルデスゲームだから仕方ないのかもしれない。

 

(とりあえず友好的な関係を築くためにも怪我の治療をしてあげますか)

 

 自分の特殊技術では周囲に敵は感知できない。

 今ならば問題はないだろう。

 そう判断して、みかかは武器をしまうと少女に近づいて、その傷口に手で触れた。

「痛っ……」

「ん?」

 今、この村娘は自分達と同じ国の言葉を喋らなかったか?

 いや、痛むときの口調なんて万国共通、ではなかった気がするが無視して医療系の特殊技術を発動させる。

 対象の損傷回復と傷口の縫合――この程度なら低位の技術で十分治療可能だ。

「治したけど――どう、まだ痛む?」

 言葉が通じないことを考慮して、傷口辺りを手の平で軽く叩いてやる。

「………………」

 少女は信じられない物でも見たかのように目を開いて、こちらを見ている。

 それから左手で傷口を確認するように何度か触った。

「そんな……どうして?」

「んっ? ねえ、貴方。もしかして、私の言葉が分かってるんじゃない?」

「は、はい! すいません!! 分かります! ご、ごめんなさい……まさか、助けてくれるなんて思わなくて」

「………………」

 助ける以外に何をするというのか、と突っ込みたいところだが、それよりもだ。

(やっぱり言葉が通じてるのか……一体どういう世界設定なんだ、ここは?)

 ようやく会えた知的生命体に対して問い詰めてやりたい所だが、今は他に優先すべきことがある。

「その手も怪我をしてる。ちょっと見せなさい」

 少女の返事を待たずに傷ついている右手を握り、治癒能力を発動させる。

「どう? まだ痛む?」

「いえ、大丈夫です。もしかして、貴方は魔法使い様なのですか?」

「そうよ、旅の魔法使い。ええっと……知ってるなら教えて。何で貴方達は襲われてるの?」

「わ、分からないです。でも、もしかしたら帝国と戦争をしているので、そのせいかもしれません」

「……ああ、そう」

 詳しく聞きたいところだが、理解するまでに長くなってしまいそうだ。

 ならば、今は救える者を救うほうが先決だろう。

 

「私はこのまま村を助けに行く。貴方達はここで隠れてなさい。後で聞きたいことがあるからそのつもりでいて頂戴」

「村を、助けに? まさか、助けて頂けるんですか?!」

 なるほど。

 ここまで不思議そうな顔をするということは、人を助ける行為自体が相当珍しい行いなのだろう。

 そして、この嬉しそうな顔から察するに良い行いであるようだ。

「誰かが困っていたら助けるのは当たり前、よ。そうでしょう?」

 ここは恩を売るべくしたり顔で例の台詞を決めてみる。

「そ、そんな……私、なんてことを」

 どうやら選んだ答えは正しかったようだ。

 目に見えて少女の好感度が急上昇したのが分かった。

 

(最初は見捨てるつもりだったけどね。でも、良い感じに異世界交流出来てるじゃない)

 

「ただ貴方達が襲われるかもしれないから、ええっと……これをあげるわ」

 気を良くしたみかかは昔、ぶくぶく茶釜さんから「お嬢ちゃん、お小遣いをあげよう」と言って貰った大量のアイテムから一つの角笛を取り出して少女の手に握らせる。

「その笛は吹いたら貴方の命令に従うゴブリンって小鬼がなんか適当な数出てくるものよ。危なくなったら使いなさい」

「こんな物まで、あ、ありがとうございます!」

「かまわないわ。最後に一つ、もし凄く大きな音が鳴ったらその時は隠れてないで逃げなさい。私が失敗した時の合図よ」

「………………」

 みかかが話してる間にも少女の瞳にどんどん涙がたまっていく。

「心細いかもしれないけどもう少し我慢なさい。私がこうしている間にも人が殺されてるのよ?」

「……お願いします。私が自分勝手なことは、十分に承知してます。だけど、貴方様にしか頼ることが出来ません! お願いします。どうか、村の皆を……お父さんとお母さんを、助けて下さい」

「………………」

 少女の必至の願いが胸に刺さった。

 自分はこの村を見捨てる選択を選んだ――今もそれが正しいことだと思ってる。

 その事を少女は知る由もない。

 だから、見当違いの感謝を自分に向けている。

 

「了解した。私に出来る範囲のことはしてあげる」

 少女が向ける尊敬と期待の眼差しに気まずいものを感じ、みかかは背を向けて行動を開始した。

「ありがとうございます、ありがとうございます! あの、お名――」

「それは後の楽しみにとっておきなさい」

 

 思い切り土を蹴り、疾風の速度で駆ける。

 少し時間をかけすぎた。

 一体何人の村人が生き残っているだろうか。

 

 




みかか「せんせー。あそこの血塗れの村娘をリョナリョナしていい?」
やまいこ「ここはR15だから駄目だよ? 後、教育的指導!(女教師戒めの拳骨」

みかか「と、言うわけで助けに来たわ。だって、誰かが困っていたら助けるのは当たり前だから!」(どやっ!)
エンリ「どー考えてもオーバーキルだし、死体を見つめる瞳も異常だったけど、本当は優しいサイコさんなんですね、素敵!」

 という回です(ひどい
 


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神の手を持つ救世主

 

 村を助けるべく行動を開始したみかかが最初にターゲットにしたのは村の外周部を監視する騎士達だ。

 監視者は四人。

 救援を呼ばれるのを嫌ったか、それとも完璧主義者の集まりかは知らないが、村人を一人も逃がすつもりはないらしく馬上で弓を持って待機していた。

 

 自分は村を助けると約束した。

 ならば、可能な限り迅速に行動すべきだろう。

 全速力で村の周囲を駆け、気付かれる前に近づいて殺すこと四度。

 村の外周部にいた騎士達は全滅することとなった。

 

「……なるほどね」

 殺した相手の血で真っ赤に染まった自らの手を水で洗いながら、すでに事切れた騎士の死体を見つめる。

 

(遠距離からの殺人では罪悪感が薄いのかと思って自分の手で直接殺してみたけれど……何とも思わないか)

 

 一人目は《ライトニング/電撃》のスクロールで感電死させた。

 二人目は一人目から奪った剣で首を刎ねた。

 三人目は拳で相手の顔面を殴って撲殺。

 四人目は素手で鎧をぶち抜き、心臓を引き抜いて握りつぶした。

 

 どの段階で嫌悪感を抱くかと実験してみたが、これがまったく何とも思わない。

 むしろゲームで雑魚敵相手に無双したような爽快感を抱く始末。

 

「馬鹿だわ、私は。もう三日も前に人間を辞めてたんだ」

 外見が五年前のものだったから実感が薄くなってしまったのが原因だろう。

 自分は吸血鬼なのだということは分かっているつもりだが、どこか他人事のように考えていた。

 今、ここに立っているのは人間、七草水華(サエグサ ミカ)ではない。

 ユグドラシルで人を殺すことに特化させた吸血鬼の始祖、みかか・りにとか・はらすもちかなのだ。

 

(ユグドラシルの設定に肉体だけじゃなく精神も引っ張られてる。甘かった……自我さえ保てていれば肉体が化け物になっても大したことないなんて楽観視してた)

 

 朝起きると自分が芋虫になっていることを発見した、などと言う生易しい問題ではなかったのだ。

 朝起きると自分は芋虫になっており、その自我すら芋虫のものにすり変えられてしまったわけだ。

 これはその人間の人格を、魂を、勝手に書き換えたといってもいい。

 

「ああ……ここまで、ここまで頭にきたのは生まれて初めてだわ」

 何より腹が立つのが、この精神の変化に実感が沸いてこないことだ。

 むしろ、今の吸血鬼の身体こそ自分の本来の姿なのだという奇妙な充足感すらある。

 だが、記憶が残っている以上――自我や価値観が過去の自分とまったく別のものに書き換わっても、違和感は拭えない。

 どれだけ今の自分がこの姿こそ本来の自分だと思おうが、過去の記憶がその感情はまがい物だと訴えてくる。

 

「ハッ……悪趣味な真似を」

 

 なるほど、確かに自分は人間では在り得ない身体能力を得たし、現実世界なら奇跡にも等しい特殊技術を行使できるようになった。

 その代償として己の人格を弄られたくらい受け入れろと言う者もいるかもしれないし、それで納得するものもいるだろう。

 

 まったく、冗談ではない。 

 それがたとえ神の所業であろうが、選択の余地もなく己の魂の形を歪めたことを受け入れてやるつもりはない。

 

 この奇跡が底抜けの善意であろうか汚れきった悪意であろうが関係ない。

 必ず元凶を探し出して、この手でくびり殺してやる!

 

 だが、この怒りすら――本当のものか分からない。

 

 自分はこんな拳を握って激昂する人間では決してなかった。

 どちらかといえば怒ったときほど、静かに黙り込む人間だったはずだ。

 

 それが限界を超えた怒りで堪忍袋の尾が切れただけなのか、魂が変質してしまったせいなのかが判断出来ない。

 最早、判断する自我が狂わされている。

 一度狂ってしまったコンパスは何処を指してももう不信感しか感じない。

 

 その時、村の方角から角笛の音が聞こえて、みかかは頭を上げた。

 

「救援の要請か? ああ、約束したってのに……こんな所で時間を無駄にした」

 みかかは《フライ/飛行》の魔法が込められたピアスの力を発動させる。

「覚えておきなさいよ、カチコミものだわ」

 重力のくびきから解放され、みかかは村へと戻る。

 そろそろ、仕上げの時間だろう。

 

 

「くそっ! 一体、どうして――」

 どうして、こんな窮地に陥るのか。

 自分に襲った理不尽な不幸を嘆き、己の信仰する神への何度目になるか分からない罵声を浴びせる。

 神は確かに存在する――神官たちが己の信仰する神に祈り、起こす奇跡がその証拠だ。

 だからこそ、今敬虔なる信徒である自分、ロンデスを助けに来るべきだ。

 

 それとも、このような死が同じ種である人間を殺そうとした自分達に対する報いだというのか。

 

 村の中央にある広場には六十人弱の村人が集まっている。

 ロンデス達が村を四方から襲って、中央に集まるように狩り立てたのだ。

 無論、逃げられないように周囲には弓を装備した騎士が四人控えている。

 これを繰り返し、手馴れた自分達の行動に穴はない。

 当初は順調な運びに思えたのだ――隊長であるベリュースが村娘に襲い掛かろうとし、娘の父親と取っ組み合いになった所を助けたこと以外はトラブルもなかった。

 そんなベリュースもすでに物言わぬ屍だ。

 あまりに不可解な事態を前に真っ先に逃げ出そうとし、細切れにされて転がっている。

 周囲にはさらに十数人のバラバラ死体が転がっていた。

 生き残ったのはロンデスを含めて四人。

 それぞれが四方の動きに対応できるように恐怖に震え上がる互いの背中を預けあっていた。

 

(一体、何なんだ?! この化け物は!!)

 

 今まで一度も聞いたことのない暴力的な唸り声に腰が抜けそうになる。

 瞬く間に自分の仲間達を惨殺したのは、白銀の身体に血色のオーラを纏わせた薄っぺらい化け物。

 常に目にも留まらぬほどの高速で動いているらしく、どのような生物なのか肉眼では捕らえることが出来ない。

 その白銀の化け物の前には鋭利な剣も強固な全身鎧も何の意味もなさない。

 何の手応えもなく両断されてしまう。

 たとえ馬に乗っていても容易に追いつかれるだろう速度を誇る化け物は自分達の周囲を犬のように回り続け、少しでも身動きしようものなら息のかかるほどの距離まで近づいて威嚇の声をあげる。

 化け物は狡猾で信じられないほどの技量を有しているのが分かる。

 近づく際は紙一重の見切りで鎧だけを傷つけ、肉体には傷をつけない。

 この緊張感に耐え切れず死の誘惑に屈して、望んで化け物に殺された仲間も多い。

 自分以外の三人が、この恐怖にいつまで耐えられるか定かではない。

 

 ロンデスの脳裏にあるのは仲間の一人が命と引き換えに吹いた角笛によって援軍が来てくれること。

 自分達の国が誇る最先鋭のあの部隊なら、幾多の亜人たちを葬ってきた彼らならどうにか出来るという希望に縋っている。

 

 だが、往々にして窮地になったときに行う神頼みはあてにならない。

 

「……ふうん。四人も残ったのね」

 頭上からかけられた声に戦慄する。

 人の声――しかし、ロンデスの待ち望む者とは異なる結果に歯軋りしてしまう。

 予想はしていた。

 この化け物が自分達だけを敵視しているのは馬鹿でも分かる。

 そして、すぐに皆殺しに出来たはずなのに殺さないのは誰かの命を受けているからだと思った。

 ロンデスはこの化け物が噂に聞く『森の賢王』。もしくはその眷属だと思っていたのだが……まさか、人間が従えていたとは予想外だった。

 驚愕が隠し切れない――空から降り立った人物は、ロンデスが今まで見たことないほど美しく、何よりまだ年若い少女だったのだ。

 

「おいで、ティンダロス」

 その言葉と共に空から地面に降り立ったみかかの元に白銀の化け物は飛んだ。

 そして、先程と同じように懐いた犬のように周りを回っている。

 実験の結果は良好だ――そのことにみかかは満足した。

 

(自動攻撃の設定はユグドラシルに準拠してる。標的をロックしている限りは相当距離を離れても動くけど、距離に応じてMPの消費が早くなる)

 

 残った騎士と村人の視線が自分に注目するのを感じながら、みかかは騎士達を見据える。

 

「さて、騎士の皆様。村の周りにいた四人の騎士もすでに殺してるから援軍は来ないものと思って下さいな。まず、お願いがあるのだけど武装を解除して下さる?」

 四本の剣がほぼ同時に落ちた。

 鎧についた多数の傷を見るに相当、精神も削られたらしい。

 みかかの顔に嘲笑が浮かぶ――やはり、この武器はここでも強い。

 DMMORPGにおいてチェーンソーやドリルなどの武器は相手にするのに慣れが必要になる。

 真剣同士の戦いなら何の恐怖も感じない者もチェーンソーやドリルを前にすると腰が引けてしまうのはよくあることだ。

 生物とは大きな音には恐怖を感じてしまうものだ。

 それは生理的なもので克服するにはある種の慣れが必要になる。

 そういう意味で、ティンダロスは性能以上の強さを持っていると言っても良い。

 と言っても雷の音に心躍る人物も少なくなく、チェーンソーの音を聞くと逆に燃えるというプレイヤーもいるので一長一短なところはあるのだけど。

 

「次に質問――貴方達が何者で、何故村を襲ったのかを小さな子供でも分かるように説明をして頂戴。嘘だと感じたら遠慮会釈なくバラバラにするわよ。じゃあ……そこの貴方、説明しなさい」

 みかかが四人の中で最もしっかりしてそうな男を指差す。

 指名された男はみかかに怯えつつも口を開く。

「……わ、私達は、スレイン法国の人間だ」

 その言葉に村人がざわつき、その反応を見て、みかかの視線の温度が下がる。

「待て! 待ってくれ! ほ、本当なんだ!? 帝国騎士の鎧を着てるが、これは偽装だ!」

「……続けなさい」

「王国と帝国が戦争をしているのは知ってるだろ? 俺達は、その……帝国を勝利させるために村を、襲って回っている」

「………………………」

 成程、ということは……すでに幾つかの村は犠牲になった後か。

「正直な方ね。嘘は言ってないけど大事なことを隠してるのが透けて見えてるわよ? 村を襲って人を殺して回るだけで戦争の勝敗が決するなんて在り得ないわよね? だとしたら、本当の目的は何なの?」

「………………」

 それなりに重要な情報なのだろう。

 発覚すればそれなりの罰則があるほどの。

「喋る口はまだ三つあるのだけど?」

「……分かっている。目的は、周辺国家最強の戦士と名高い王国戦士長ガゼフ・ストロノーフを誘い出して暗殺することだ」

 村人達の動揺がかなり大きくなった。

 口々に何かを喋ってる。

 

(やっと有益な情報が手に入ったわ)

 

 よりにもよって周辺国家最強の戦士ときた。

 その男の力の程度が知れれば、大まかな行動方針が決められる。

 どうやらこの村は王国に属するのだろう。

 そして近隣にあるナザリック地下大墳墓も王国の領土内と見た。

 もし、そのガゼフとかいう男が自分達では手がつけられないほどの強者なら、村を救ったことを足がかりに友好的な関係を築きたいところだ。

 

(ただ、問題があるとすれば……)

 

「貴方は何を隠してるの?」

「えっ?」

「作戦がお粗末過ぎる――仮にも貴方達は国の命令で動いてるんでしょ? 貴方達はその周辺国家最強の戦士を殺せるくらいに強い騎士だというの? まさか村人を盾にすれば、その戦士長とやらを殺せるとでも?」

「いや、違う! 実行部隊は他にいる! 貴方ほど腕が立つ人物なら聞いたことくらいあるだろ? スレイン法国の六色聖典だ!」

「………………」

 

(当然、知らないけどね。そう上手く物事が流れてくれるわけがないか)

 

 六色聖典というからには六つ部隊があるんだろう。

 そして、それは強い人なら普通は知ってるほどに有名な部隊と思われる。

 国としての総合力は王国、帝国、法国のどれが高いのだろうか。

 出来れば強い国と組みたいところだ。

 だが、平気で村人を殺して回るようなこの騎士達の国は寝首をかかれる恐れがあるので避けたいとも思う。

 

(とりあえずは、その戦士長とやらの強さを知ることが最優先か)

 

 考え込んだみかかを見て、騎士は自分たちのバックにいる存在を使えば助かると思ったのだろう――少しばかり強気な様子で聞いてきた。

「どうだ? 俺達を助けてくれれば、あんたが殺されないように進言するし、あんたの存在を忘れてもいい。今から逃げればまだ間に合うぞ?」

「ん? ああ、それは無理。貴方達はきっちり全員殺すから」

 みかかは満面の笑顔を浮かべて、壮絶な台詞をぶちまけた。

「………………えっ?」

 その言葉に騎士たちは凍りつき、殺戮の予感にティンダロスが歓喜の声をあげる。

「な、何故?」

「何故って、何が? それで交渉のつもり? 貴方達が進言したところで、私の命が助かるわけないじゃない。あと、私のことを忘れるだっけ? 嘘も大概にしなさいな、何の罪もない人を殺すような連中の言葉を信じられるものですか」

「い、いや、それは……」

「言い訳は結構よ。今まで散々殺して回ったのでしょう? それが今更、殺されるのが嫌だなんて我侭が通ると思ったの? せめて選びなさいな。最後まで外道を貫いて人の形も残さず無様に殺されるか、そこで自害し、せめて人として死ぬか。……三秒あげるわ」

 命乞いする男達の必至の懇願には耳を貸さず、即座にカウントダウンを始める。

 

「さーん」

 男達は悲壮な顔で地面に投げ捨てた剣を取った。

「にー」

 これが最後の獲物であることを理解した殺人機械が身も竦むほどの咆哮を上げる。

「いーち」

 それが無謀な突貫になることは理解した上で男達は生にしがみつき――。

「ぜろ」

 そして三人がバラバラにされ、一人は己の喉を貫いて地面に倒れた。

 

(ふうん……全員向かってくると思ったけど)

 

 みかかが喉を貫いた男に向かって歩く。

 余程強い力で貫いたのだろう――わずかな距離を歩いたときには事切れていた。

 全身鎧の兜を外して、男の瞳を閉じてやる。

 

「さようなら、名前も知らない騎士様。貴方のことは忘れないでいてあげるわ」

 

 四人の誰がどの死に方を選んだのか。

 誰一人として名前も知らない以上、それを語っても意味はないだろう。

 

 

(さて……どうしたものかしらね)

 

「ティンダロス。ハウス」

 ティンダロスをアイテムボックスに仕舞いながら次の手を考える。

「まずは状況の把握だ」

 みかかの脳内でモモンガの渋い声が再生され、もっともだと胸中で頷く。

 とりあえずは、情報の確保が必要だろう。

「……さてと、これでひとまず安心よ?」

 先程の少女達の件もあったので、ある程度距離をあけた状態で話しかけることにする。

「あ、貴方様は一体?」

 今度はいきなりリバースされることもなく、村の代表と思われる男が前に出て対応してくれた。

「旅の者よ。村が襲われてるのが見えたから助けに来たの」

 その言葉に皆が「おおっ」と喜びの声をあげた。

 村人達に安堵の空気が広がっていく――だが、不安の色は消えてなくならない。

 騎士たちの言っていたように六色聖典と呼ばれる暗殺部隊が来るかもしれないからだ。

「貴方が村の代表者――村長さん?」

「はい。私が村の長です」

「そう。不躾で悪いのだけど、村の皆さんの力が借りたいのだけど宜しいかしら?」

「ど、どのような事でしょう?」

「私には傷を癒す力がある。村を散策して負傷者がいないか探して回って――ここにいるのは歩ける人だけでしょう? もしかしたら助かる人がいるかもしれないわ。急ぎなさい」

「は、はい!」

 その言葉に対する反応は早かった。

 村長が何かを言う前に動ける人間はそれぞれ散っていく。

 

(優先順位を間違えたな。兵士達の尋問は後にしたほうが良かったか。まぁ、仕方ない――私は神様じゃないんだから)

 

 今は出来ることをするだけだ。

 みかかは広場でうめき声をあげる一団の元へと向かう。

(そこにいるのが負傷者達ね)

 負傷者は女子供に青年、老人と様々で怪我の程度も異なる。

 みかかは即座に医療技術を用いた。

「《トリアージ・/識別救急》」

 一定範囲に存在する者達の治療の優先度を決定、選別してくれるスキルである。

 ユグドラシルでは敵のデータを収集することで精度が上がり、次の相手の攻撃に耐えられるかを教えてくれる便利なスキルだ。

 スキルを使用したことでみかかの視界に変化が生じる。

 負傷者達が黒、赤、黄、緑のいずれかの色をした湯気のようなものを身体から発し始めたのだ。

 ちなみに黒が自分のスキルでは治療が不可能なもので一番重い症状、緑が現状では治療の必要がないもので最も症状が軽いものになる。

 順番としては赤、黄、緑の順に治療を行っていけば良く、同じ色でも濃い色の方が優先度は高いといった感じだ。

 

「……この人が一番の重傷者みたいね」

 サッと負傷者達を一瞥し、大量の血に濡れ、意識を失っている重傷者の下に向かう。

 

(スキルで判別したから間違いないはずだけど、これ本当に治せるの?)

 

 あの少女の傷はまだ浅かったから治せたが、ここまでの重症者を治せるだろうか?

 みかかの医療技術は回復魔法とは異なる。

 ユグドラシルは膨大なデータが存在するゲームだったので単に回復職と言っても様々な回復職が存在し、それぞれにメリット・デメリットがある。

 みかかが有する医療技術の最大のデメリットは死者蘇生は使えないという点だろう。

 その代わり一定の死亡条件をクリアした状態なら短い間だがデメリットなく、その場で即座に復活させることが出来る心肺蘇生という能力を扱うことが出来る。

 条件が厳しいので心肺蘇生が使える場合など非常に稀なのだが。

 ぶっちゃけると医療は回復職の中でも戦闘にも使える能力が多いため、回復役専門としては心もとない上、色々面倒くさい縛りがある。

 他者を回復している間は基本的に怪我人と回復役が動けず、回復役がスキル発動中に一定以上のダメージを受けるとキャンセル扱いになるのが有名だろう。

 そういうわけでこの職業はあまり人気がなく、選ぶ人間は少ない。

 

(ここが患部ね) 

 

 ユグドラシルではカーソルで対象者を選べば、勝手に発動して回復させてくれる。

 しかし、ここは現実だ。

 なるべく傷に近い位置に手を触れてから、上位の損傷及びバッドステータス回復の特殊技術を用いる。

 

「うおっ!?」

 

 村長と周りの人間が驚愕の声をあげた。

 みかかも声に出さずに表情だけで驚愕した。

 みかかの両手が光り輝き、凄まじい速さで勝手に動き出したのだ。

 それは一言で言えば、超高速で行われる手術だ。

 わずか数秒――数秒の間に腹部を指された男性の腹は元の状態に戻っていた。

 青白かった顔も血色の良い健康体に見える。

 どうやら上手くいったようだ。

 

「す、素晴らしい」

 村長が信じられないものでも見るかのような顔で自分を見つめている。

「凄い」

「……神の手だ」

 怪我を負った村人の誰かが呟いた言葉に「うまいことを言う」と賛同する。

 ユグドラシルでは包帯を巻く、点滴をするなどの簡易なアクションを行うものだったが、ここではリアルな処置に変わったようだ。

 

「よし、次。安心なさい、生きてるなら治してあげる」

 

 ナザリックで人体実験をするわけにはいかないので医療技術の確認が出来なかった。

 だが、ここは良い実験場だ。

 治療代替わりに、せいぜい特殊技術を試させて貰う事にしよう。

 

 

「これで最後ね」

 治療を開始してから一時間ほど経っただろうか。

 最後に腕に軽症を負った少女の傷を治して、みかかは一仕事終えたと大きく息をつく。

 それと同時に見守っていた村人の歓声が響いた。

 存分に医療技術を試すことも出来た。

 村を捜索した結果、運良く心肺蘇生のスキルを適用可能な人物も見つかり、見事に蘇生させることも出来た。

 ユグドラシルではあまり使用できなかった心肺蘇生のスキルを確認出来たのは大きい。

 死者蘇生を試していない現状では、最も優れた蘇生スキルだからだ。

 

 多くの重症の人間を救ったみかかの好感度は一瞬で最高まで高まった。

 普通なら助からないだろう怪我をした自分の家族を救ってくれた村人などは、自分を神と崇めるほどの熱狂振りである。

 村外れに置いてきた姉妹――エモット姉妹の迎えは当然のことながら、惨殺した騎士の持ち物を集めてくれないかという普通なら断るだろう頼みさえ聞いてくれたほどだ。

 

「本当に――村を救って頂き、ありがとうございます!」

 一仕事終えた達成感から、大きく背伸びをするみかかの前に村長が立ち、大きく頭を下げた。

「ああ、まぁ……お気になさらず」

 こちらとしてはスキルの実験も兼ねていたので礼を言われるようなものでもない。

 そんなみかかの態度を高潔な無欲さと捕らえたのだろう――やり取りを見ていた一部の老人が涙を流しながら拝みだす始末だ。

「いいえ、いいえ! 貴方様が来て下さらなければ村の皆は殺されておりました、そして貴方様でなければ救えない多くの者が救われました! 本当に感謝しかございません!」

 他の村人――小さな子供達まで感謝の言葉を述べる光景に、みかかは気恥ずかしさを覚える。

 ここまで多くの感謝を受けたことなど自分にはなく、何と答えるのが適切なのか分からないのだ。

「その恩人である貴方様に今更で申し訳ないのですが……お名前は何とおっしゃられるのでしょう?」

「えっ? 私の名前、ですか?」

「はい! どうか村の救世主である貴方様のお名前をお聞かせください」

「………………」

 さて、どうするか。

 あの姉妹はエンリ・エモットとネム・エモットというらしい。

 だとすれば名前、苗字の順だろうか。

「……ミカ。ミカ・サエグサです」

 プレイヤー名ではなく本名を名乗る。

 偽名を名乗るかなどと色々考えたのだが……本名なら問題ないだろうと判断した。

 

「おおっ、サエグサ様は一体、何処から? 何故、このような場所に?」

「村長。今はそんな話しをしている場合ではありません。早急にお話ししたいことがあるのですがお時間を頂けませんか?」

「は、はい。それではこちらに――私の家にご案内させて頂きます」

「そうですね。では、お願いします」

 それなら衆人環視の中で無知を曝け出すという羽目は避けられそうだ。

 村人の尊敬の眼差しの中、みかかは村長に連れられて彼の家に向かうのだった。

 

 村長の家は広場のすぐ傍にあった。

 村の長らしく他の家よりは大きい。

 しかし、中はひじょうにみすぼらしい造りだった。

 見た目はまさしく中世の外国にある農村に相応しい家、といった感じだ。

 たてつけの悪いテーブルを挟んで二人は向かい合う。

 

「それでは早速ですが、お話を致しましょう」

「はい」

「何よりも優先されるのは貴方達の安全です。あの騎士達の話しでは村はあくまで囮、やって来た王国戦士長を殺害するために聖典と呼ばれる部隊が来るはずです」

「そうですな。しかし、どうしたらいいのでしょうか?」

 村長の顔にも焦りが色濃い。

「私が皆の傷を癒したのは有事の際に逃げられるよう、という判断だったのですが――村長としては如何でしょう?」

「サエグサ様――それは私達に村を捨てよ、と?」

「そうですね。しかし、それはあくまで一時的なものですよ? この場で迎え撃つなんて不可能でしょう?」

「は、はいっ。それはそうなのですが……城砦都市エ・ランテルまで皆で逃げるということでしょうか?」

「………………」

 じょうさいとし?

 うん、全然分からない。

「ごめんなさい。私はこの辺りの地理に詳しくないんです。地図とかありませんか?」

「ございます。少々お待ちを……」

 村長は立ち上がるとすぐ近くにある棚から羊皮紙を取り出してテーブルに広げた。

 周辺地図だろう。

 一部の地域が描かれており、紙の端まで大地が続いていた。

 世界地図はどのようになっているのだろうと考える中、村長が地図の一点を指差した。

 

「ここら辺がカルネ村でございます。そして、こちらが城砦都市エ・ランテル――大体、徒歩で二日ほどの距離になります。さらに馬で五日ほどいきますと、こちらの王都リ・エスティーゼにつきます。王国戦士長は王都からこちらまでいらっしゃる筈です。帝国はこちらにあり、法国はこちらですな」

「……ん?」

 みかかは首を傾げた。

 ここから王都までかなりの距離がある。

 

(訳が分からない――王国戦士長を暗殺するってのはブラフか?)

 

 あまりにも理屈が通らない。

 一体どういう事だろうか?

 魅了の魔眼を使うべきだっただろうか?

 吸血鬼だと発覚するのを警戒して使わなかったのだが、ミスだったかもしれない。

 

「サエグサ様、如何されましたか? 何か疑問でも?」

「随分と距離があるような気がしまして――いや、そうか。魔法があるのを忘れていました。村長、王都には街から街へ一瞬で移動する転移装置があったりします?」

 ユグドラシルではある程度の大都市間を行き来する転移装置が存在した。

 それを使えば、王都から城塞都市まで転移し、後は馬を走らせれば二日でここまで来ることも出来るはずだ。

 しかし、そんなみかかの考えは即座に否定された。

「は、はい? いえいえ、街から街へ一瞬で移動するなど……そのようなものは御伽噺の世界でございますよ」

 村長は「いきなり何を言い出すんだ」と言わんばかりの呆れた表情をしている。

「………御伽噺?」

 みかかもそんな村長の反応に眉を寄せた。

 まったく会話がかみ合わない二人を気まずい空気が包み込む。

 

「ごめんなさい――私がどうして、そんな事を思ったのかを説明させて下さい」

「はい、お願いします」

「法国の騎士達の目的は王国戦士長を暗殺するために周辺の村を襲い、戦士長を誘い込むことです」

「はい。そうでしたな」

「いや、この時点でおかしいですよね?」

「えっ? も、申し訳ありません……何がおかしいのか、さっぱり」

「村が襲われたと聞いたなら、真っ先に救援に来るのはエ・ランテルの騎士団では? 私の考えはおかしいですか?」

「あ、ああ!? 確かに!!」

 国の領土内で事件が起きれば、もっとも近くにある公的組織が出向くのが普通だろう。

 何故、わざわざ遠い王都からこんな村までやってくるのだろうか。

 

「村長。何か思い当たりませんか? 王都から戦士長が村を救いにやってくる理由について」

 みかかの疑問に村長は腕を組み、う~んと唸る。

「……分かりません。戦士長が来られるということは当然、村が襲われているという話を聞いたからなのでしょうが、近隣の村が襲われたなどという話は知りません。一体、どのようにして村が襲われていると知られたのでしょう?」

「《メッセージ/伝言》や《クリスタル・モニター/水晶の画面》、《クレアボヤンス/千里眼》などの魔法では?」

「申し訳ありません。そのような魔法が存在するのですね……なんせ、魔法など見かける機会が少ないものでして」

「……村長?」

 そしてみかかは先程の会話を思い出した。

 そうだ。

 村長はさっき、何て言った?

「は、はい。如何されました?」

「街と街をつなぐ転移装置なんてないというのは本当?」

「はい。御伽噺では数多の軍勢を一瞬で遠くの地まで運んだというのがございますが……」

 それは多分《転移門/ゲート》の魔法、もしくはそれに類する物だろう。

「ええっと……村長の見た魔法とはどのようなものなのですか?」

「はい。家畜の乳が良く出る魔法、美味しい闇鍋が作れる魔法、塩など香辛料を生み出す魔法なら見たことがございます」

「………………」

 なんだ、それは?

 そんな魔法、ユグドラシルにはない。

 いや、今聞きたいのはそういう生活観のある魔法のことではない。

「死者や悪魔、天使の軍勢を呼び出したりする魔法は?」

「御伽噺の八欲王や六大神のことですかな?」

 みかかは、わずかな興奮を抑えながら……さらに話しを突き詰める。

「死者を生き返らせる魔法とか、知ってます?」

「死者は生き返りません。あれほど見事な癒しの法をお使いになるサエグサ様の方が、その事をよくご存知なのでは?」

「………………」

 みかかは額に手をあてて瞳を閉じる。

 

(落ち着け――死者蘇生はまだ試してない。もしかしたら使用できなくなってるだけかもしれない)

 

 そんな幸運があるはずないと思ったのだけど。

 もしかしたら、自分達は絶対的強者で――何もかもが、全て上手くいくのではないか?

 そんな予感にわずかに手が震えた。

 

「サエグサ様? お水でもお持ちしましょうか?」

「いえ、大丈夫です。ごめんなさい。考え込んでしまいました」

 結論は分かったが……過程が全然分からない。

 どうして、王国戦士長がここに来るんだ?

 王国か法国か、どちらに味方するのか判断するにあたっての重要な要因だと言うのに。

「いえいえ。サエグサ様は旅のお方で関係などないというのに申し訳ありません。その、私としては王国戦士長様が何とかしてくださるのではないかと考えているのですが……」

「………………」

 その判断が正しいのか愚劣極まりない発言なのかが判断できない。

 村長にそんな思いを抱かせるほど王国戦士長は強いのかもしれない。

 なんせ周辺国家最強の戦士と呼ばれる男だ。

 ギルドメンバー最強の男、たっち・みーも反則めいた強さを持っていた。

 だが……。

「私個人としてはお勧め出来ませんね。法国は確たる勝算があるからこそ部隊を動かしたはずです。己の命運を他人の手に委ねているとどうなるか分かりませんよ?」

「………………」

 その言葉に村長は沈痛な表情を浮かべて沈黙した。

「こういうのはどうですか? 最低限の持ち物だけ持って、すぐ近くの森に入ってやり過ごすと言うのは?」

「トブの大森林にですか?! いえ、あそこは森の賢王と呼ばれる魔獣の住処――そんなところに行っては、私達は殺されてしまいます」

 とんでもないという顔をした村長にみかかは問いかけた。

「えっ? だったら、何故、そんな魔獣の住処の近くで暮らしてるのですか?」

「そ、それは……縄張りに入らない限りは安全なのです。そして森の賢王の縄張りだからこそモンスターも出現することがありませんでした。私達は、村を守るということを甘く考えすぎていたのです」

「………………」

 駄目だ。

 情報が足りなすぎて、まともな提案が出来そうにない。

「仕方ない――戦士長とやらが今、どの辺りにいるか調べるか」

 遠隔視の鏡は簡単にカウンターを受けるから使いたくないのだが……。

 

 その時、みかかの耳がこちらに向かってくる足音を捉えた。

 別段、足音を殺してるわけでも走ってるわけでもない――この家に用事でもあるのだろうか。

 程なくして、村長の家の扉がノックされ一人の男が入ってきた。

「村長――葬儀の準備が整いました」

「おお、そうか。その……サエグサ様」

「ああ、どうぞ。行って来てください――私も少し休憩したいと思ったところです。少し、その辺りを見て回りますから」

「ありがとうございます」

 村長と一緒に家を出て、彼を見送る。

 彼の背中が見えなくなったところで、みかかは特殊技術を用いて辺りの気配を探る。

 辺りに人の気配はない。

 

(この緊急事態に葬儀ね……愚かしいこと)

 こちらにも都合もいいので、かまわないが。

 

「なんにせよ……今しかない」

 スクロールを取り出して《伝言/メッセージ》の魔法を発動させる。

 勿論、繋ぐ先はモモンガだ。

 

「モモンガさん、聞こえますか?」

『みかかさん! 待ってましたよ!!』

 繋がった瞬間、モモンガの大声に耳がキーンと鳴った。

 大きい。

 声が大きい。

 だが、それだけ心配してくれていたという事なのだろう。

「ご、ごめんなさい。一応、村は救いました――ですが、帰還は出来ません」

 みかかは見えてないのに頭を下げながら言った。

『えっ? それは何故ですか?』

「どうやらここの村とナザリック地下大墳墓は王国と呼ばれる領地に属しているようです。そして現在、周辺国家である法国と帝国を交えた三カ国の権力闘争に首を突っ込む形になってます。この村は襲ったのは帝国騎士に偽装した法国の騎士でした。目的は周辺国家最強と呼ばれる王国戦士長の暗殺だとか」

『………………』

「この村を襲った騎士達は雑魚でした――第三位階魔法のスクロールでも一撃で倒せます。だけど、王国戦士長の実力はまだ不明です。これの実力が分かるまでは帰還できません」

『増援は必要ないんですか?』

「不要です。これは個人的見解ですが、王国の方が劣勢な気がします――最悪のパターンを仮定しますが、周辺国家最強の戦士が私達では太刀打ちできない存在でその人物が殺された場合、私は法国の邪魔をしたことによる報復を被る可能性が高くなります。ですから、その時は私を切り捨ててください」

『なっ?!』

 だから、増援は呼ばない。

 死ぬなら数は少ないほうがいいという単純計算だ。

 

『まさか……最初から、そのつもりだったんですか?』

「ええ、まあ。私かあなた――どちらかを切り捨てなければならないのであれば、それは私でしょう?」

『みかかさん!』

「………………」

 ここで止めないと、この人はきっとやって来る。

 そういう人だ。

 そういう人だからこそ、皆が彼をギルド長として選んだのだ。

 次に通信を行うのは全てが上手くいったときと決めている。

 

 つまり、最悪――これが最後の通信になる。

 だから、心残りがないように、思ったことは口にしておこう。

 

「モモンガさん、貴方の選んだ選択は一人の人間として決して間違ってなんかいません。それは誇っていいことです」

『………………』

 困っている人がいたら助けるのは当たり前。

 それは人として正しい。

 それを間違いだと言うほうが間違っている。

「だけど、ギルド長。あなたは間違ってる。貴方は一人の人間じゃない、ナザリック地下大墳墓の主人です。上に立つ者には相応の義務が生じます。私が言いたいことは分かってくれますよね?」

『………………』

 モモンガは救出に向かう時、みかかが浮かべた静かな微笑を思い出した。

 あれは大丈夫だと安心させるものではなく――これが今生の別れになるかもしれないと覚悟した微笑だったのか?

「あまり思いつめないで下さいな。私なりの借りの返し方ですから、これ。これが上手くいったら、急にいなくなったのも帳消しにしてくれないかな、帳消しだと思っていいかな、と勝手に自分で決めただけですから」

『そんなことは気にして――』

「――本当に?」

 みかかの声は――まるで冷たい金属のように、冷え切り、澄んだ音をしていた。

「捨てられたと、置いていかれたと、裏切られたと、あの円卓の間で思ってなかったんですか? もう一度聞きますよ? そんなこと気にしてないって、かつての仲間に誓えるんですね?」

『………………』

 モモンガは声が出せない。

 みかかは知っている。

 モモンガの慟哭を――あの時のどうしようもない心の叫びを。

 

「――ふざけるな!」

 

「ここは皆で作り上げたナザリック地下大墳墓だろ! なんで皆そんなに簡単に棄てることが出来る!」

 

 分かってる。

 捨てたのではないと、ただ皆、現実を選んだのだ。

 それでも――思わなかったのかと聞かれれば嘘になる。

 自分は、一人になった。

 もう、誰も訪れないと確信した。

 

『……みかかさん』

 

 だけど、来てくれたじゃないか。

 

「私の帰る場所を、帰りたかった場所を今まで守ってくれて、本当にありがとうございました」

 

 そう言ってくれたから、そう言ってくれただけで、自分は――っ!?

 

「だから、モモンガさん――私に最後までやらせてください。貴方の友達だと、私が何の憂いもなく胸を張って言えるように。そして、ギルド長――どうか、何があっても私を助けになど来ないで下さい。貴方の肩には、皆が残していったものがかかってるんです」

『……なら、あの言葉は――嘘、だったんですか?』

「………………」

 みかかはモモンガの消え入りそうな呟きの続きを待つ。

『私には、わずかな勝算と確かに逃げ切れる根拠がありますと――友人に、ギルド長に語った言葉は』

「いいえ」

『理解した……我が友、みかか・りにとか・はらすもちか。一人の友として君の言葉を信頼する』

「ありがとうございます」

『そして、ギルド長として命じる。どんな手を使ってでも生き残り、必ずここに帰ってこい。死ぬことは許可しない――何故なら、アインズ・ウール・ゴウンは結成以来敗北のないギルド。その名を汚すような真似は許されないと知れ』

「極めて了解。どうぞ、みかかにお任せあれ――では、これにて通信を終わります。傍受の恐れがあるため、監視もされないよう」

『ああ。必ず、必ず、また会おう!』

 そして、魔法の効果は消えて繋がった二人の糸も切れた。

 

「相変わらずギルド長はいい声してますねえ」

 俄然、やる気が出てきた。

 友人にしてギルド長が、自分を信頼してくれたのだ。

 一分の隙もなく完璧に務めは果たしてみせる。

 

 他の何を犠牲にしても、どんな手段を用いてでも――。

 




みかか「謀ったな!? 存在X!!」
モモンガ「それ違う物語ですから。これには出てこないですよ?」



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周辺国家最強の戦士

 2017/04/26 一部改行がおかしなことになっていたので訂正。


「……良し」

 ありったけの課金アイテムと第十位階魔法を封じたマジックスクロールにワンド、魔封じの水晶を即座に使用出来るようにセットする。

 ユグドラシルなら、例え攻略適正レベル100のダンジョンにいるエリアボスと対峙したとしても十分間は耐えられると確信する大赤字覚悟の装備である。

 この世界が蘇生魔法が適用されるかどうか分からない以上、ここで出し惜しみするのは愚の骨頂だろう。

 

 戦闘だけではなく、交渉に対する備えも行っている。

 毒物生成の特殊技術の中に特殊な気体を精製、散布することで様々な効果を生じさせるものがある。

 階層守護者のアウラが持つ強化・弱体化の吐息と似たようなスキルだ。

 みかかが使用しているのは交渉を有利に働かせるもので、ユグドラシルならNPC相手の商談やクエスト時の会話選択にボーナスが発生するものだった。

 医療技術と同じく、このスキルもナザリックでは試していない。

 ナザリックのシモベ達は交渉の必要がなく簡単にみかかの要求が通るためだ。

 その為、この特殊技術が役に立つかは分からない。

 

(……交渉か。上手くいくといいんだけど)

 みかかは左手で十字を切り、両手を合わせて祈りを捧げる。

 

(主よ、助けてくれとは申しません。私の邪魔をしないで下さい)

 

 どれだけ理不尽な困難や苦境に襲われようと神にだけは助けを乞わない。

 そういう者の末路は判を押したかのように悲惨な最期を迎えるものと相場は決まっている。

 拳を握り、開く……その手は緊張のせいか痺れるような不快感を伝えてきた。

 

 心を落ち着かせるべく天を仰ぎ、大きく息を吐く。

 

 すでに遠隔視の鏡でこちらに向かってきている王国戦士長と思われる騎兵の集団を見つけている。

 かなり近い――もうすぐ、この村に彼らはやってくる。

 

(王国戦士長がまともな人物であることを祈るばかりだ)

 

 カウンターマジックを受ける危険性を考慮して、かなりの高度から位置を確認しただけなので相手の力量も装備も分からない。

 王国、そして法国がどのような国か分かっていない現状では友好的な関係を築くべきだろう。

 そのためには周辺国家の状況を詳しく知る必要があるが、必要な情報を満足に得られていない。

 治療に時間を費やしたためにろくな一般常識すらおぼつかない状態だ。

 

 近くの森に逃げ込むという案が却下されたのも痛い。

 村を護る壁などがない状態だったので、近くの森には危険が少ないと予測したのだが……まさか、近くに魔獣が住んでいるが今まで襲われなかったから大丈夫だろうという楽観論だったのは驚きだった。

 

(でも、あの村娘と約束しちゃったし……可能な限り助けないとね)

 

 流れる雲をぼんやりと眺めていたみかかの元にこちらに向かって走ってくる足音が聞こえてきた。

 

「……サエグサ様!」

 村の中央にある広場で座りながら天を眺めていたみかかの元の声が聞こえてきた。

 どうやら村人もこちらにやって来る人影に気付いたようだった。

「……来ましたか」

 みかかは立ち上がって、村長のほうに身体を向ける。

「はい。如何致しましょう?」

 

(私は別に村の人間ではないのだけどね)

 

 みかかの視線の温度が下がったことも気付かず、村長はこちらを心配そうに見つめてくる。

 

「そうですね。私と村長はここで待ちましょう。他の生き残りの方は広場の後方に待機するということで」

「分かりました」

 村長が一人の男に指示をし、男は広場にあった鐘を鳴らして村人を集めて指揮を執る。

 騎兵の集団が来るまで、もう少し猶予はありそうだ。

 みかかは村長に問いかけた。

「村長。法国の騎士の遺体はどうしましたか?」

「は、はい。サエグサ様のご要望通りに遺体は一箇所に集めてあります。彼らの持ち物と軍馬はいつでもお渡し可能です」

「ありがとうございます。何分、派手に殺したので、さぞ御不快だったでしょう? 皆様の治療代ということで了承頂けると助かるのですが……」

 頭を下げたみかかに村長は慌てた。

「そんな、どうか頭をお上げください! 多くの者が命を救われたのですから、これくらい当然のことです!」

「そうですか。何にせよ御好意に感謝致します」

 現実でのドロップ品漁りは精神的にくるものがあるな、と思う。

 少なくとも自分はバラバラ死体などから持ち物を漁るのは嫌だ。

 ユグドラシルとは違い、相手の持ち物を全て奪えるのは喜ぶことなのかもしれないが。

 そんなことを考えていたみかかに村長の不安そうな声が聞こえた。

「大丈夫、でしょうか?」

 緊張した面持ちの村長にみかかは気楽な口調で話しかけた。

「大丈夫ですよ。もし襲われそうになったらどうにかしてあげますから」

 そういって広場の中央にある少し高くなった木製の台座に腰掛ける。

 まるで緊張していないみかかを見て、村長もわずかだが笑みを浮かべた。

 彼も腹をくくったのだろう。

 やがて馬に騎乗した戦士達がゆっくりとこちらにやってきた。

 

(武装に統一性がない。しかも、数が少ない――斥候部隊かな? いや……)

 

 二十名と少しの騎兵の中で一人だけ明らかに他の連中とは違う印象を持つ人物がいる。

 暴力を生業とする者の獰猛な雰囲気と言うか、全体的な印象が堅気ではないと訴えかけてくる危険な空気を纏っていた。

 現にみかかの特殊技術でも明らかに他の連中とは違う強さを持っている。

 だが――。

 

(それでも、レベル的には弱いのだけど……)

 

 一人だけ狩場に似合わない強さを持った敵、いわゆるエリアボス程度の認識だ。

 騎士達は村長とみかかの前で見事に整列し、最も強いと判断した男の乗った馬が一歩前に出てくる。

 男は村長を軽く一瞥し、台座に座ってぷらぷらと足を揺らす自分を見つめた。

 いつもの笑顔仮面――出来ているかどうか知らないが、しまりのない笑顔を浮かべて相手と視線を交える。

 

「………………」

「………………」

 

 鋭い視線だ。

 隣にいる村長はわずかに怯えている。

 どうやら眼を飛ばしているようだが、この手の視線による恫喝は稼業の絡みで慣れたものなのでニマニマと笑いながら受け流す。

 男はしばらくこちらを見つめていたが満足したのか視線を外した。

 

「――私は、リ・エスティーゼ王国、王国戦士長ガゼフ・ストロノーフ。この近隣を荒らしまわっている帝国の騎士達を退治するために王の御命を受け、村々を回っているものである」

 静かで渋い声だ――モモンガの声の方が断然好みなのだが。

 

(それにしても……本当に、王国戦士長だったか)

 

 騎士たちの装備は統一性がない。

 それぞれ多種多様な装備をしている――騎士や部隊というのは装備を統一するものだと思っていたが、この世界がユグドラシルに酷似しているなら、こちらの方が理に適っていると言えるかもしれない。

 斬撃武器に耐性を持つ敵と遭遇すれば、単純に剣を用いるだけでは苦戦は免れない。

 その点、ここにいる連中は多種多様な装備をしている為、様々な状況に幅広く対応できるだろう。

 一人一人の強さも法国の騎士より王国の騎士の方が上だ。

 

(でも――何故、こんなに人が少ないんだろ?)

 

 そんなみかかの胸中を他所にガゼフは村長に問いかける。

「この村の村長だな? 横にいるのは誰か教えてもらいたい」

「それは……」

「それには及びませんわ」

 みかかが手で村長を制して、ぴょんと台座から飛び降りる。

「はじめまして、王国戦士長様。私はミカ・サエグサ。この村が騎士に襲われておりましたので助けに来た旅の者です」

 尼僧服の裾をつまみ、腰を曲げて頭を深々と下げ、膝も深く曲がっている。

 カーテシー。

 ヨーロッパの伝統的な挨拶であり、偶然にもこの世界の貴族社会でも通じる伝統的な挨拶だった。

 

 周りの騎士達に動揺が走っている。

 まるで機械の如き正確な所作――何千、何万回と行っただろう大貴族に匹敵する作法。

 それを行う少女が辺りにまだ残っている大量の血痕を作り出した当人だと言うのだ。

 

「やはりか。それにしてもあなたのような方が……失礼」

 口上の途中でガゼフは馬から飛び降りる。

 そして、重々しく頭を下げた。

「この村を救って頂き、感謝の言葉もない」

 再び騎士達の間に動揺が走り、今度は村長も加わっていた。

「………………」

 みかかは笑顔仮面を維持することに神経を使いながらも、得られる情報を必至に分析するために頭を回転させる。

 どうやら周りの反応から察するに、騎士が頭を下げるのは相当珍しいことなのだろう。

 

(中世的価値観なのかしらね、多分)

 

 だとすれば、どの程度の地位にあるかは知らないが、普通人とは異なるガゼフが何処の誰とも知れない自分に頭を下げるのは彼の人柄が良いからなのだろう。

 

「いえいえ。ただの通りすがりですからお気になさらず」

「通りすがり? 随分とお若いようだが、その年で冒険者でもされているのだろうか?」

「冒険者? そうですね……それに近いものですわ、戦士長様」

「………………」

 ガゼフの視線がみかかの頭からつま先まで一巡した。

 そして、疑問を感じる。

 着ている尼僧服と高価そうな皮製のブーツは、まるで卸し立ての新品に見えたからだ。

 

「ふむ。かなり腕の立つ冒険者とお見受けするが……寡聞にしてサエグサ殿の名は存じ上げませぬな」

「遠方からやって来たものですし、名を売りたいとも思っていませんので当然かと」

「そうか。遠方から……その髪から察するに南方の生まれかな?」

「……あら? そういえば髪の色が同じですね。もしかして戦士長様は南方の出なのでしょうか?」

 みかかは質問には答えずに問い返す。

 南方の話を広げられても答えられないからだ。

「いや、私は王国生まれ王国育ちだ」

「そうなのですか。もしかしたら、生まれが同じかと思ったのですが残念ですわ」

 嘘ではないが真実でもない答えで煙に巻く。

 この手の話題がもうしばらく続けば、馬脚も現れただろう。

 だが、みかかにとっては幸いなことに話はすぐに本題へと向かった。

 

「ところで大変申し訳ないのだが、村を襲った不快な輩について詳しい話を聞かせて頂きたい」

「それはむしろこちらからお願いしたい位です。真実かどうか分かりませんが、相手の目的も聞き出してあります」

「ほう。もしや、何人か捕らえておられるのだろうか?」

「いいえ。村を襲った騎士は全員一人残らず殺し尽くしました」

「………………」

 わずかだが、金属鎧の擦れる音が響いた。

 音の原因はガゼフの配下である騎士たちだ。

「殺し尽くした、か。それは貴殿が行ったのかな?」

「むしろ、それ以外の答えが存在するのならどういう物なのかお聞きしたいのですけど?」

 みかかとしては単なる好奇心だったが、騎士達には挑発に聞こえたようだ。

 わずかに険のある顔を浮かべる者もいた。

「確かに仰るとおりだ。それにしても、その若さで帝国の騎士を倒す腕を持つとは余程優秀な魔法詠唱者のようですな」

「ありがとうございます」

 ガゼフの見当外れの答えにみかかは胸中で冷笑を浮かべた。

 ユグドラシルであれば、見た目の年齢など強さに何の影響もしない。

 それこそ、みかかより幼い姿の強者など吐いて捨てるほどに存在する。

 だが、ガゼフの発言から推測するに、この世界は見た目や年齢と強さが一致するようだ。

 そして単純に無手であることから魔法詠唱者と判断したなら単純すぎる。

 

(ブラフの可能性もあるけど、これなら大丈夫。少なくとも、この男より私は圧倒的な強者だ)

 

 この世界の理解が足りてない以上、未知数な部分はあるだろう。

 だが、それを考慮しても油断せずに対処すれば恐ろしい相手ではないと確信した。

 これで自らの身の安全は確保された。

 後は上手に交渉を進めるだけだ。

 

「では、椅子にでも座りながらゆっくりと聞かせてもらおうか。それと時間が時間なのでこの村で一晩休ませてもらいたいと思っているのだが……」

「まことに残念ですが、時間はあまり御座いませんよ? 村を襲ったのは帝国騎士を偽装したスレイン法国の手の者で目的は王国戦士長である貴方の暗殺。騎士はあくまで陽動の為の餌であり、六色聖典とかいう暗殺部隊が貴方を狙っているそうです」

「なんだとっ?!」

 みかかの投じた爆弾発言にガゼフと配下の騎士は驚愕を露にする。

「サエグサ殿、それは確かな情報なのか?」

「さあ? 尋問したスレイン法国の騎士はそう言っていました」

「……むぅ」

 ガゼフは唸りつつ、情報を分析する。

 村を襲った騎士が陽動だとすれば、自分達は尾行されているのではないか?

 もしも、この少女の言う事が全て事実であるなら、ここで包囲でもされると非常にまずい。

 相手は信仰系魔法詠唱者を多数有する国だ。

 直接的な暴力は不得意だが、魔法を用いた遠隔からの攻撃と範囲攻撃力は騎士の比ではない。

「戦士長! 今すぐに離脱すべきです!!」

 副長が即座にガゼフに進言した。

「離脱? まさか、襲われた直後の村を放置して逃げるのですか?」

 少女と村長の非難するような視線が自分に刺さるのは分かった上で、副長は無視して続ける。

「戦士長が離脱すれば、法国の目的は失敗に終わります。六色聖典も村を襲ったりはしないでしょう」

「それはどうでしょうね? そもそも帝国が法国の仕業だと偽装した可能性だってありますし」

「ま、待て! 君の情報は嘘かもしれないのか?」

「さあ? 自称スレイン法国の騎士がそう言っただけですから? 嘘かもしれませんし、本当かもしれませんね?」

「ちっ!」

 副長は苛立ちを隠そうともせず、みかかを睨みつける。

 そんな二人のやり取りを諌めようとしたガゼフは妙な既視感を覚えて眉を顰めた。

 副長が苛立つのも分かる。

 少女の情報が本当なのか嘘なのかで行動指針が大幅に変わるからだ。

 情報を得るならその真偽は徹底的に、拷問などを行ってでも確認する必要があるのはどの国でも常識のことだ。

 たった三つの誤情報で滅んだ国がこの世界には存在するのだから。

 そのことを知っているのか知らないのか、この非常時に笑顔を浮かべながら底抜けに能天気な態度を晒している。

 

 何故だ?

 何処かでこれに似たような場面を目撃した記憶がある。

 そうだ。この少女は、自分が今までの人生で知り合った誰かに似ているような気がする。

 

 思わず言葉を失って二人のやり取りを観察するガゼフの視線をみかかが拾う。

 

「戦士長様。私はそちらの方が言うような結果にはならないと思います」

「サエグサ殿。それはどういう意味だろうか?」

 いささか険悪なムードになった空気を払拭するため、ガゼフが二人の間に位置するように立つ。

「私が指揮官であれば、逃げられた時点で手段を嫌がらせに変更します。要するに……失敗した腹いせに、この村を滅ぼし尽くすでしょう」

「………………」

 その言葉に皆が言葉を失った。

 嫌がらせで、何の罪もない人を殺し、村を燃やすというのか?

 いや、少女が語るのはあくまで机上の空論だ。

 だが、襲われた村の長を前にして、救った村に対して、年若く美しい少女がこんな発言をするか?

 黙って立っていれば深窓の令嬢として多くの寵愛を得られるだろうに、何がこの少女をこのような化け物に変えたというのか?

 心の何処かで騎士を殺しつくしたという言葉を信じられなかった騎士たちだが、事ここに至り、その認識を改める。

 この少女ならやる――殺しつくせると確信するに至った。

 

「絶対にこの村の人間を逃がしたりしない。老若男女の区別なく、暴力と陵辱の限りを尽くしてから殺す。何故なら、周辺国家最強と呼ばれる戦士長様は、そんな哀れな村人を見捨てることが出来ないお優しい方ですもの」

 そういって少女は満開の花が咲いたような暖かな笑みを浮かべた。

「………………」

 その笑顔の何とおぞましいことか。

 咲き誇る薔薇の花のような笑顔の周りには刃物より鋭く尖った茨が近づく獲物を殺そうと潜んでいる。

「まさにサエグサ殿の言う通りだ。ここで逃げるようであれば、そもそも村を救いに来たりしない」

 邪悪極まりない発言をする少女に対して、ガゼフは臆することなく胸を張り言葉を返した。

「戦士長!?」

 副長は叫んだ。

 この少女は本当に村を救ったのか?

 いや、もしかしたら……彼女こそ、六色聖典の一人なのではないか?

 人の命をまるで遊戯の駒のように考える悪魔だからこそ、あんな顔が出来るのだろう。

 そして、そんな悪魔なら戦士長を殺すために村を襲うという手を思いついてもおかしくない。

「やめないか、副長。彼女は自分の考えを述べているに過ぎない」

「そうでしょうか? 村を救ったという恩人相手に申し訳ないが言わせてもらう。むしろ貴方こそ、村を襲った者の仲間なのではないか?」

「なんですとっ!?」

 副長の言葉に、何よりも早く反応したのは村長だ。

 しかし、その反応は副長が予測したものとはまったく異なるものだった。

 

「すまない。部下の不徳は私の責任だ――どうか、先程の無礼を許して欲しい」

「も、申し訳ありませんでした」

 上司であるガゼフが頭を下げているのに、部下の自分が頭を下げないわけにはいかない。

 突き刺すような村長の視線――自分達より目の前の少女の方が信頼を得ているのは確実だ。

「気にしていませんので頭を上げてくださいな。こうして無駄な時間を過ごして頂ければ私としては好都合、いよいよ貴方達も逃げられなくなるでしょう?」

「っ!?」

「やめろ、副長。サエグサ殿、村を救うために悪役を買って出る心意気は評するが、私は元より逃げるつもりはない。だから、彼をからかうのはこの位にしてくれないか」

「……左様で御座いますか」

 ガゼフの言葉にみかかの表情が変わる。

 今までつけていた笑顔の仮面が剥がれ、素の彼女が顔を見せたのだ。

 まだ幼さの残る少女の顔から理性的な女性の顔への変貌。

 それはガゼフ達に今までの全てが演技だったと思わせるほどの強烈な変化だった。

「こちらこそ、大変失礼致しました――どうかお許しください。ここで貴方達がいなくなれば、救った村人をもう一度地獄に叩き込むことになってしまう。そんな事は許されない――貴方達にはこの村を守る義務がある筈です」

「………………」

 その変化に度肝を抜かれた副長は困惑した。

(村を見捨てて逃げようとする私を止めるために呷っていたのか?)

 挑発に乗り、思わず感情的になってしまった自分に反省する。

 間近に迫る命の危機を前にして自分は判断を誤った。

 助けを求めたときに現れる力ある者がいることを示すため、自分達はここに来たのだ。

 

「………………」

 そんな部下の横でガゼフも相手の真意を測りかねて困惑していた。

 場を取り持つために咄嗟に出た言葉だ――だが、それは意外に的を得たようにも見える。

 ここまで演技が上手だとガゼフではその真意を読めない。

 心底村人を救うために道化を買って出たようにも見えるし、ただ単に冷静に冷酷に状況を判断しただけにも見える。

 ただ、さすがに法国の一員であるというのだけはないと思った。

 彼女は村人から確かな信頼を勝ち得ている。

 王国戦士長である自分以上の信頼を。

 

「副長――皆を連れて、周囲の警戒にあたれ。私は彼女の言葉を信じる」

「ハッ」

 さきほどのやり取りで副長も騎士達も彼女の評価を改めたようだ。

 彼女への敵意も感じない。

 周囲に散っていく部下達の顔色を確認し満足するガゼフにみかかは声をかけた。

「時間もそう多くは残っていないでしょう。戦士長様、ここからは建設的な会話を行いたいと思うのですが如何でしょう?」

「無論、異存はない」

「では、早速。スレイン法国の六色聖典という暗殺部隊が敵だと仮定して勝てますか?」

「数も把握できてない状況だが……正直、難しいな」

「周辺国家最強の戦士といわれる貴方でも?」

「ああ。貴族どもを動かし武装を剥ぎ取ってまで行った計画だ。まず勝てる見込みはない」

「お待ちを――武装を剥ぎ取ってと仰いましたか? 今の貴方は全力ではないということですか?」

「そうだ。王国の至宝たる装備に身を包んでいれば大きく結果も変わるだろうという自信がある」

 ガゼフが周辺国家最強の戦士と呼ばれるのはその技量もあるが、それだけではなく王国の至宝たる武装を装備することが許されているからだ。

 これらを装備したガゼフはまさしく周辺国家最強の戦士である。

 しかし、今はその武装がなくガゼフの力はおおいに落ち込んでいる。

 

「……その装備がどのようなものかをお聞きしても?」

「何故、そのようなことを?」

「貴方の力量を知るためです。周辺国家最強の戦士である貴方の力は至宝によるところが大きいのか、御自身の力が大きいのかで立てる戦略はまったく異なるものになると思うのですが如何でしょう?」

「確かにそうだな。別段隠しているわけでもないのでお教えしよう。疲労しなくなる小手、常時癒しを得る魔法の護符、アダマンタイトで出来た鎧、魔法で強化された鎧もバターのように切り裂く剣の四つだ」

「……そうですか」

 ガゼフの言葉に視線を外して黙り込む。

「常時癒しを得るというのがないのは大きいですね」

「ああ。勿論、どれもが至宝に相応しい性能を秘めているが癒しがないのは辛い」

「………………」

 神妙な顔を浮かべるガゼフの横で、みかかは相手の手札の大半が晒されたことに満足を覚えていた。

 

(至宝? そんな物が国の宝だというの?)

 

 疲労しなくなる小手?

 常時癒しを得る魔法の護符?

 アダマンタイトで出来た鎧だと?

 疲労しなくなる指輪を持ってるし、種族的特長でみかかは常時癒しを得ている。

 自分の服に使われた繊維はアダマンタイトよりもはるかに硬度が高い。

 剣がどれほど斬れるのか分からないので鎌をかけてみたが、剣より癒しを優先したところを見ると大したことはないのだろう。

 

(後は実際に戦ってる所を観察出来れば終わりかな。じゃあ、そろそろ仕上げだわ)

 

 大まかな行動方針は決定した。

 後は細かなルート分岐を決定するだけだ。

 つまり、この国の味方をするのか、しないのか、だ。

 

「戦士長。どうして、貴方がやって来たのですか?」

「ん? それはどういう意味だろうか?」

「王都からこの村は相当距離が離れていると聞きました。ここから二日ほど行った所に城砦都市と呼ばれる大都市もあるそうですね? なのに、どうして城砦都市の兵士が来なかったのですか? もしかして部隊を分けて一斉に探していらっしゃるのでしょうか?」

 だとすればナザリック地下大墳墓が発見される恐れがある。

「……違う。来ているのは私達だけだ」

「理解できません。貴方は王国戦士長という肩書きを持つ方なのでしょう? そのような方であれば部隊の人数ももっといてもおかしくない。わざわざ少数の人間が王都から遠く離れたこの村にやってくる理由が分かりません。何故ですか?」

「そうだな。普通に考えれば、さぞかしおかしい事に思うのは当然だろう」

 ガゼフは疲れたように息を吐いた。

「王国は政治的に二分しているような状態なのだ。王族派と貴族派でね――私は王族派にあたる」

「理解しました。政治ですか」

「……そうだ」

「そ、そんな……では、私達は政治で殺されたというのですか!?」

 二人が主に話しているが、ここには村長もいる。

 村長の憤りは最もだろう。

 

「戦士長様! 私達はきちんと税を納め、毎年行われる帝国との戦争にも命をかけて出兵しております! その私達を……守るどころか、貴方達は!!」

 戦士長の胸倉を掴もうとする村長の手をみかかの手が阻んだ。

「村長。お気持ちは分かりますが、ここは堪えてください」

「っ!? しかし、サエグサ様!?」

「非常事態です。貴方の苛立ちをぶつけている暇はありません」

「くっ……わ、分かりました」

 道理だ。

 そして、村を救ってくれた恩人に対して無礼を働くわけにもいかない。

「お話を邪魔して申し訳ありませんでした」

 貯まった熱を吐き出すように大きく息を吐いてから村長は二人から一歩退く。

 その肩も表情も大きく落ち込んでいる。

 ガゼフの表情も暗い。

 

「話を変えます。王国と帝国は戦争をなさってるのですね。でも、法国とはしていないのですか? もし戦士長が倒されれば法国は帝国に加担したということになりますが、何故そのようなことをするのでしょう? 法国と帝国は同盟国なのですか?」

「聡明に見える貴方がそのような質問をするということは、本当にかなり遠い地から来られたのだな。法国は人類の守護者と自らの国を呼称している。故に彼らは極力、人と争うような真似はしない。内乱が起き、国が荒れている王国を政治的にしっかりした帝国に併呑させるのが狙いなのだろう」

 やはり、か。

 この国は少し危ういな。

 自らの国の護り手である男を政治とは言え、失おうと画策するとは……。

 

(多分、王国の上層部の誰かが他の国と繋がってるのでしょうね。これは仕組まれた罠だわ)

 

 そしてこんなあからさまな罠に国の切り札となるような存在を、王都からこんな寒村に少数で派遣した王族派とやらもロクなものではない。

 結論は出た。

 王国に味方するのは愚策だ。

 ナザリック地下大墳墓が王国領土内にあると思われる現状、むしろ大いに混乱してくれた方が都合が良い。

 残るは他の国の情報だ。

 特に調べないといけないのは法国だろう。

 

「人類の守護者とは大きく出ましたね。法国は何から人類を守っているのですか?」

「………………」

「………………」

 その言葉にガゼフも村長も目を丸くした。

「何から、だと? サエグサ殿。貴殿は、本当に……一体何処からやってきたのだ?」

「………………」

 しまった――調子に乗って聞いたせいで何か地雷を踏んだか。

「答えてはくれぬか。法国は人間以外の種族やモンスターと戦っている。これは他のどの国でも同じことだ。我ら、人間種は劣等種だからな。それゆえに周辺国家最強の国と言われながらも表立って他の国と争うことはしないのだよ」

「頭の痛い話ですね。外に戦わなければいけない共通の敵がいるのに、貴方達は手も取り合わず争っているのですか」

「………………」

 ガゼフにとっては耳にも痛い話だった。

 

「実は戦士長様達に村人を護衛してもらいつつ、あちらにある大森林に逃げ込もうと画策していたのですが……」

 ガゼフと村長はみかかの指差すトブの大森林と呼ばれる森林地帯を見る。

「危険極まる賭けだ。あの森には確か森の賢王と呼ばれる魔獣が住み着いていたはずだ」

「どのような魔獣か知りませんか? 王国戦士長なら倒せるのでは?」

「いや、ある道場の座学で聞いたことがある程度だな。そして倒すのは――分からんな。ただ、森を縄張りにする魔獣の本拠地で事を構えるのは避けたいところだ。それにこの状況で視界の利きづらい場所でさらに敵を増やすのは愚策ではないかね?」

「さて……私には判断がつきかねますけど、戦士長様が仰られるならそうかもしれません」

「………………ふむ」

 たしかに平野を村人を連れて逃げ回るなど出来はしない。

 しかし、森に入ると言うのも同じく危険だ。

 下手をすれば法国の人間に見つかる前に全滅する可能性だってある。

「サエグサ殿。お聞きしたいのだが……」

「時間ですね」

 ガゼフの言葉を断ち切ったみかかの発言の意味はすぐに分かった。

 一人の騎兵が駆け込んできたのだ。

 息が大きく乱れており、その表情から決して良いものではないことは知れた。

「周囲に複数の影あり。村を取り囲む形で接近してきております!」

 

 




王国戦士「周囲に複数の影あり。村を取り囲む形で接近してきております!」
○○○「フフフ、怖いか?」

 次回はあの方が登場する、筈です。


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差し出された手

 

「サエグサ殿の情報通り――敵はスレイン法国の六色聖典のいずれかに間違いないようだ」

 ガゼフは見つからないよう慎重に建物の窓からこちらに向かってくる人影を確認する。

「そうですか」

 この場から視認出来る人数は三人。

 三人の人間は一定間隔を保ちながら村に近づいてきている。

 ゆっくりと村に向かって歩んでくる人影は一見すると魔法詠唱者のようだ。

 手には武器を持たず、重厚な鎧を身に着けているわけでもない。

 彼らの横には並ぶように天使が宙を漂っている。

 みかかは、あの天使に見覚えがあった。

 ユグドラシルのモンスター《炎の上位天使/アークエンジェル・フレイム》だ。

 特殊技術で強さを調べてみるがユグドラシルと同じくらいの強さのようだ。

 

(確かあの天使の召喚は第三位階魔法だったかしら? 弱すぎるから覚えてないけど)

 

 ユグドラシルで魔法詠唱者が扱う魔法は第一から第十位階魔法、これに超位魔法という強力なものを含めて十一段階が存在する。

 100レベルのプレイヤーが適正な狩場を訪れた際に使用する魔法は大抵は第八位階魔法以上のものだ。

 みかかのような高機動・紙装甲なら第七位階魔法も含まれるだろう。

 しかし、第三位階魔法という低位の魔法になると、たとえ火力極限特化型の魔法詠唱者であっても紙装甲のみかかでさえ有効なダメージを与えることは不可能だろう。

 

(それにしてもお粗末な戦略だわ)

 

 敵が御しやすいのはこちらとしては大助かりだが、あれはないだろう。

 一人のユグドラシルプレイヤーとして、非常に単純な疑問が浮かんでくる。

 

(彼らは何故、揃いも揃って同じ天使を召喚してるんだ?)

 全員が示し合わせたように――事実そうなのだろうが炎の上位天使を召喚している。

 召喚されたモンスターはプレイヤーや一部NPCとは異なり、弱点などの属性を変更することは出来ない。

 だとすればあのモンスターは一様に同じ弱点を有していることになり、簡単に対策を取られてしまう。

 ユグドラシルプレイヤーなら、余程のこだわりがない限り全員が同じ召喚魔法を使って戦いを挑む事など在り得ない。

 

(ガゼフはユグドラシルで言えばレベル30から40くらい。彼を頂点だと考慮すれば第三位階魔法の使い手はそれなりのエリートと言ってもいいのか)

 

 何故、第三位階で統一するのか分からなかったのだが、第三位階魔法までしか使えないというなら話は別だ。

 つまり、彼らは自分が使える最大級の召喚魔法を使用したということなら別段不思議なことではない。

 

(私達が使う魔法をこの世界の人も使えるのね)

 

 村長から聞いた妙に生活観のある魔法以外もちゃんと存在してるようだ。

 

(ユグドラシルプレイヤーが魔法を伝えたとか? 他のプレイヤーが来てる可能性は充分にあるわけだし)

 

 そして、それが同一時間軸とも限らないだろう。

 なんせユグドラシルは長年親しまれてきたゲームだ。

 ゲームプレイヤーがサービス開始当初から定期的、あるいは不規則にここに放り込まれているのかもしれない。

 そして自分達のようにギルド本拠地ごと転移させられたプレイヤーがいれば、必ず周辺の国と関わるはずだ。

 

(村長も御伽噺の八欲王とか六大神とか言っていた。御伽噺ということは相当昔のはず、彼らがプレイヤーなら私達はかなりの後発組になる。なら深く静かに生きないとまずいわ)

 

 そう考えると今回の件にこれ以上関わるのは控えたほうがいい。

 全盛期のアインズ・ウール・ゴウンであればまだしも、現状ではとても他のギルドと戦う気はしない。

 さて、では王国とスレイン法国にはプレイヤーは存在するのだろうか?

 

「……正直、微妙かな?」

「ん? サエグサ殿、何か気付かれたことでも?」

 いつの間にか長い間考え込んでいたようだ。

 ガゼフがこちらを注視していた。

「ああ、申し訳ありません。そうですね……何故、戦士長は相手がスレイン法国だと断定出来たのですか?」

「スレイン法国は信仰系魔法詠唱者を多く有する国で宗教色が強く、彼らの教えでは天使は彼らが信仰する神に仕えているものだと思っているらしい。彼らの明らかな天使に対するこだわり、そしてあれだけの数の天使を召喚できる信仰系魔法詠唱者を有する国はスレイン法国しかない」

「……そうなのですね」

 理解したと頷く少女をガゼフは静かに見つめていた。

 

 謎の多い少女だ。

 高度な教育を受けた育ちの良さを感じる反面、あまりにも物を知らない側面が顔を出したりする。

 そして別に隠そうともしてないのだろうが、異様なほどに鍛えられている。

 多くの貴族や王族は一般常識として歩き方などの歩法を心得ている。

 端的に言えば、魅せる歩き方だ。

 

 彼女のはそういう物とはまったく異なる。

 音を殺し気配を殺す歩法と言えばいいのか――正直なところ見ていて不気味なほどだ。

 歩くと言うよりは地面を滑っている。

 外にいる天使のように紙一重のところで地面を浮いているのではないかとさえ思うような不思議な歩き方だ。

 

 彼女ほどではないが、こういう奇怪な歩き方をする知り合いを一人知っている。

 ガゼフが嵌めている指輪をくれた老婆だ。

 よく音もなくガゼフの背後に忍び寄り、自分を驚かせては『まだまだ未熟じゃな』と無邪気に笑ったものだ。

 もし、あの老婆と同程度の実力があるなら法国の騎士を殺しつくすのも可能だろうし、至宝に代わる切り札にすら成り得る存在と言っても良い。

 

(村を救ってくれたこの御仁なら……)

 

 この絶望的な状況を変えうる希望の光。

 縋るようにガゼフは問いかけた。

 

「サエグサ殿。良ければ雇われてくれないか?」

「………………」

 返事はない。

 ただ、こちらを見つめている。

「報酬は望まれる額を約束しよう」

「……報酬?」

 きょとんとした顔でガゼフの言葉を繰り返す。

「君ほど優秀な人物であれば多額のものになるだろうが命には代えられないからね。望むだけの金貨を用意しよう」

「ああ、お金ね。そっか、お金も必要よね。今まで考えたこともなかったわ」

「………………」

 金に困ったことはなさそうだ。

 そうなると了承を得られても相当な出費になるだろう。

「どうだろう? きっと満足できる額を用意できると思う」

「……遠慮しておくわ。望まれる額を約束だなんて、この世で最も信用ならない言葉じゃないかしら?」

「む、むぅ」

 ガゼフはその返答に言葉を詰まらせた。

 確かに常識的に考えれば、おかしな発言に取られても仕方ない。

 それこそ王国にある全ての金貨をよこせと言われても払うと言ってるようなもの――信用性の欠片もない発言だ。

 しかし、貴族は自らと相手の自尊心を重んじるためにこういう言い方をすることが多い。

 相手を高く評価するからこそ金に糸目をつけないと言って自らの財力を誇り、相手も貴族ゆえに浅ましい者と思われぬように適正な額を要求する。

 そういう腹芸なのだが、まったく通じなかったようだ。

 

(失敗した。貴族、もしくはそれに酷似した人物だと思ったのだが金銭感覚はまともか。下手な小細工を弄するのは止めだ。俺はそういうことの出来る男ではない)

 

 ガゼフは反省して、再び説得を試みる。

 こういう事は苦手だが、簡単に諦めていい問題ではない。

「そうか。彼らは村を襲った不快な輩達の首魁だ。現にこの村以外も襲われている。何か思う所はないのだろうか?」

「思う所は色々あるわね。法国にも王国にも貴方にも、この村にもね」

「……この村にも?」

 面と向かっては言わないが、あまり好意的な感情は抱いていないようだ。

 しかし、法国や王国や自分はまだしも……被害者であるこの村にも何か思う所があるのだろうか。

「生憎と感情論は好きじゃないの。そういう立場でもなくなったし……で、何? そんなに手を貸して欲しいの?」

「ああ。どうか、頼む」

「………………」

 ガゼフの真摯な頼みに対して、少女は視線を逸らす。

 しばらくの間、黙考した後にガゼフに問いかけた。

 

「一つ聞かせて。この国に不思議な力を持った人とかいない?」

「不思議な力?」

「異様なほどの発言力があったり、誰も逆らえないほどの美貌を誇っていたり、凄い数の信者がいる教祖だったり――要するに、おおよそ同じ人間とは思えないほどの特別な力を持っているやつね。私が言いたいのは、あなたの国を傾けている害悪って、何か強大な力に拠るものなの? それとも自業自得なの?」

「………………」

 彼女は物を知らない――だから、ここで嘘をつくことは出来た。

 弁舌のうまい人間なら舌先三寸で騙すことも出来ただろう。

 だが、ガゼフにはそれが出来なかった。

「いや、君の言うような者はいない。自業自得、なのだろうな」

「……そう」

 つまらない演劇でも見せられたように、少女の瞳から興味が失せていくのをガゼフを感じた。

「なら、お断りさせてもらうわ」

「そうか」

 ガゼフは肩を落とした。

 誰が、こんな沈みゆく船を助けようとするのだろうか。

 それが単純な救助作業ならまだしも、他の国に喧嘩を売る行為が含まれているのだ。

 リスクに対するリターンが乏しすぎる。

 

「ならば、こんな事は言いたくないが――王国の法を用いて、強制徴集というのはどうだ?」

「………………」

 自らの口を衝いて出た言葉に反吐が出る思いだった。

 まだ年端もいかない女性に対して、意思の強制を命じる。

 一人の男として、何より王に忠誠を捧げた誇りある騎士として恥ずべき行為。

 それでもそんな言葉が出たのは、この国に住む民の安寧のため。

 

「これから女を力尽くで言う事を聞かせようとする男がそんな顔をするものではないわ。説得力に欠けるわよ?」

 そんなガゼフに向けられたのは痛ましい者を見るような哀れみの視線。

 そして母親が子供を嗜めるような優しい声でガゼフを諭した。

「……すまない」

 仮にここで彼女が断ったら自分はどうするというのだ?

 殴ってでも言う事を聞かせるのか?

 村を救ってくれた恩人に対して?

 自分はそんなことが出来る男ではない。

「……戦士長様は哀れな方ね。同情に値するわ」

 いっそ力尽くで抵抗してくれればガゼフもこれは必要なことなのだと自分を騙すことが出来たかもしれない。

 しかし、無礼を働いた自分に対して怒ることもなく、逆に心から心配する者にそんな対応が取れるはずがない。

 

「支配者の無能はどんな時代、どこの場所でも生きる民を苦しめる。それはここでも変わっていない。そうでしょう? 貴方達がちゃんと国を守ってくれさえいれば、村人が殺されることもなかったし、こんな通りすがりの怪しい魔法使いに、自分自身すら騙せていない嘘をつく必要などなかったのだから」

「……くっ」

 その言葉のナイフはガゼフの心に深く突き刺さる。

 ガゼフは罪人が自らの罪から逃れるように、あるいは母に叱られることを恐れる子供のように、優しく諭す少女から顔を背けた。

「……違う」

 それは拗ねた子供のような消え入りそうな呟き。

 そんな言葉では審問から逃れることは出来ない。

 このような状況になった原因を糾弾する声を止めることなど出来ない。

「何が違うというの? 貴方はこんなにも苦しんでいるじゃない」

 顔を背けたガゼフの視界に小さく白い手が差し出される。

「認めなさい。貴方が仕えた王は支配者にあってはならない愚王であると。そうすればその境遇に免じて貴方に力を貸してあげる」

 ガゼフは顔を上げた。

 そして自分より随分と背の低い――まだまだ少女という表現が抜けそうにない女性を見下ろす。

 

 少女は笑っていた。

 初めて目にした時のしまりのない笑顔ではなく。

 つい先程、副長達にも見せた罠が潜むものでもない。

 その笑みは何処か達観した、それでいて虚しい空の笑顔だった。

「………………」

 彼女は理解しているのだ。

 次にガゼフが発するだろう言葉を。

 

「……それは出来ない。王は決して愚王などではない――民のために、必死に頑張っておられる」

「………………そう」

 結果は伴っていないが努力はしています。

 そんな、誰の賛同も得られない空しいだけの答えを返す。

 冷たい言葉が投げかけられるだろうとガゼフは予測していた。

 異常者を見るような軽蔑の視線を向けられるだろうと確信していた。

 

 しかし、次にかけられた言葉と少女が見せた顔にガゼフは瞠目する。

 

「貴方もまた命を賭けるに値する人との縁に恵まれたのね」

 少女は、満開の花が咲き誇るような笑みを浮かべてガゼフを祝福したのだ。

 

「なら、胸を張ってお行きなさい――どうあっても変えられない結末が待つ戦場に。本望でしょう? だって、この結末は貴方が命を賭けるに値した王と、その王に仕えてきた貴方自身が選んで、積み重ねてきた選択の果てに迎えた結果でしょう?」

 

 その言葉にガゼフが口を開くことが出来ない。

 放たれた言葉の矢は、決して適当なものではない。

 事の本質をこれ以上ないくらい正確に射抜いている。

 王は王国の至宝を装備させずガゼフを出兵させることを許可し、ガゼフもまたそれを了承した。

 この道を選んだのは王、進むことを決めたのは自分だ。

 

「自らが正しいと信じるなら、生み出した業の世話もきっちり自分の手で始末をつけなさい」

 差し伸べていた自らの手を少女はゆっくりと閉じてから……ガゼフに背を向ける。

 

「残念だけど、道は違えてしまった――私が貴方を助ける理由はない」

 

 それだけ言うとガゼフを置いて、様子を窺っていた家を後にする。

 ガゼフはしばらくの間、少女が立っていた場所を何をするでもなく見つめていた。

 ややあって、自分はショックを受けたのだと気付いた。

 

「……行かねば」

 このまま棒立ちになっているわけにもいかない。

 ガゼフが家から出た時には、少女の姿はどこにも見当たらなくなっていた。

 そのことにガゼフはやはりか、と納得する。

 

(本当に、俺は交渉事には向かないな)

 

 脅迫と言う名の説得を行う前に、村の人間を助けてもらうように懇願するべきだった。

 だが、自分は焦るあまり最悪の選択肢を選んでしまった。

 その代価は、助かった村を再び窮地に追いやることを意味している。

 

 しかし、この結果に悔いなどない。

 

 多くの村が焼かれたのも、村人が殺されたのも法国のせいで、王国に否はないからだ。

 

 国王は村人を憂い、ガゼフ達を送り出してくれた。

 その過程で貴族達の横槍をくらい万全の体制を取れなかったが、それは貴族達のせいであり国王に否はないからだ。

 

 ガゼフは王に忠誠を捧げた騎士であり、その忠誠を裏切ることは出来ない。

 だから、その忠誠を代価に力を貸そうとする者の申し出を断り、部下と村人達を殺されることになったとしてもガゼフに否はない。

 

 そう思わなければ、自らの選択が間違いではないと信じなければ、彼女の言葉こそ真実だと認めることになる。

 自分が捧げた忠義が無駄だったと、王が王であってはならない人物などと認めるわけにはいかなかったのだ。

 

 

 部下を集め、村の中央にある広場に集まった村人達を前に、ガゼフは決死の囮作戦を伝える。

 

「……村長。最早猶予はない。我らが村の包囲網を崩す、その間に――皆それぞれの判断で好きに逃げられよ」

「そ、そんな……私達は、どうなるのですか?」

「出来る限り時間を稼ぐつもりだ。君達もバラバラに逃げれば、生き残る可能性もあるだろう……それぐらいしか出来ない」

 

 ふざけるな。

 そんな殺生な。

 逃げ切れるわけがない。

 俺達を守るのがあんたの仕事だろ。

 自分達だけ馬で逃げるつもりか。

 

 口々に罵声を浴びせる若者、一目散にこの場を去る姉妹、呆然と立ち尽くす老人、その姿は様々だが浮かぶ表情は絶望に染め上げられていた。

 

「お待ちください戦士長様。サエグサ殿は? あの方は何処にいらっしゃるのですか!?」

「………………」

 そんな事はガゼフが聞きたいくらいだ。

 知らないし、分からない。

 周囲を警戒していた部下は見ていないと言ってるし、まさか家の中に隠れているわけでもあるまい。

 ここで彼女は一目散に逃げたとでも言えば、少しはこの憎悪を肩代わりしてくれるかもしれない。

 しかし、そんな事はガゼフには出来ない。

 そんな事が出来るなら、ガゼフはここには来なかった。

 

「私の不徳の致す所だ。彼女の力を借りようと思ったのだが……逆に機嫌を損ねて、ここを去ったようだな」

「………………は?」

 その言葉を聞いた瞬間、周りの騎士達が戦闘態勢に移行する。

 次に起こる景色など馬鹿でも分かるからだ。

 一瞬の沈黙の後、凄まじい怒号に包まれた。

 何を言っているのか理解出来ない。

 それはまさしく狂乱の渦だ。

 石も容赦なく飛び交い、ガゼフは微動だにせずそれを受け入れる。

 誰しもがガゼフを、王を、この国を非難した。

 国王は自らの民を守る義務がある――民は国に守られるが故に王を王と認め、従うのだ。

 それを為さない国への恨みを彼らは力の限り叫んでいる。

 

(彼女風に言えば……ここで村人が死ぬのは、己の業ゆえなのだろうな)

 

 どこか達観した目で怒り狂う村人を見つめる。

 その態度が哀れみを抱いてるようにも、余裕を見せているようにも見えるのだろう――村人の狂乱は火に油を注ぐように激化していく。

 この村に対して思う所があると彼女は言った。

 ガゼフも村々を回って気付いたことがある。

 この村には外敵を阻む柵すらない。

 防衛と言う観点がごっそり抜け落ちているとしかいえないお粗末な状況だ。

 勿論、厳重にしたとしても……法国の騎士達を抑えることなど出来なかっただろうが。

 

「私を責めて気が済むのであれば責めるといい。殺してくれてもかまわない――ただ、私を殺せば君達の全滅は確定するぞ」

 これ以上の傷を受けるわけにはいかない。

 ガゼフの言葉に皆が動きを止めた。

 しかし、今にも飛び掛らんばかりの恨みの篭った視線で自分達を睨んでいる。

「もう一度言う。私達が囮となり包囲網を崩す――その後は各自の判断に任せる。逃げるも隠れるも自由にするといい。君達の命だ」

 その言葉に返事をするものはいない。

 絶望感の漂う村人に背を向ける――すでにガゼフに出来ることはないからだ。

 

「皆、行くぞ!!」

 

 自らと、村人達に渇を入れるべく大声を張り上げ、ガゼフと騎士達は馬を走らせる。

 そんな彼らを村人たちの憎悪と殺意の篭った罵声が見送ってくれた。

 

「戦士長……本当に、あの少女は一人で逃げられたのですか?」

 彼らの声が聞こえなくなってから副長は静かに問いかけてきた。

「分からん。だが、俺達に味方してくれる可能性は零になった。すまない」

 副長は落胆を隠そうともせず、吐き捨てるように言った。

「……いえ。そうですね、そうでしょうとも、そんな都合のいい存在がいるわけないんだ。危険を承知で命をかける者も、弱きを助ける強い者も、そんなのは都合のいい御伽噺でしかない」

「………………」

「なにが、貴方達にはこの村を守る義務があるだ。聞こえのいい言葉を利用して、自分が逃げるために俺達を利用しただけじゃないか」

 そんな恨みの篭った呟きにガゼフは返す言葉がない。

 ここに来る前、ガゼフは副長にそんな連中がいることを見せてやろうと言った。

 副長の瞳に燃え上がるような熱が篭ったのを見た。

 しかし、その炎は今は完全に消えている――原因は額に滲む血の跡だ。

 守ろうとした者に否定され、信じようとした者に裏切られた。

 しかし、副長や部下達の戦意は決して萎えてなどいない。

 

「行きましょう。やつらの腸を喰いちぎってやりに、命乞いするあいつらを笑いながら滅多刺しにしてやる!」

 その傷が皆の心に暗い炎を灯らせたからだ。

 そんな感情を抱かせてしまった自分に怒りの感情が浮かんでくる。

 身を切るよりも辛い痛みの感情が、ガゼフの瞳に涙さえ浮かばせた。

 

「なっ――」

「――え?」

 そして、ガゼフと副長は見た。

 

「………………」

 村の出口に近い建物の陰、死地に向かう自分達を見送るように立つ少女の姿を。

 少女はガゼフの姿を見ると、ポケットから何かを取り出して投げつけてくる。

 ガゼフは片手でそれを受け取る。

「……これは」

 それは小さな変わった彫刻だ、見た感じ特別なものには見えない。

 だが、今はそれに疑問を感じるよりも先に伝えなければいけないことがある。

 

「サエグサ殿、私は私の義務を果たす! だから、どうか、この村を、村人を頼む!!」

 

 トップスピードで駆ける馬の集団の蹄の音に大きく、ガゼフの言葉がかき消されて届いたかどうか分からない。

 しかし、彼女の横を通り過ぎる瞬間――ガゼフも副長も見た、そして確かに聞いた。

 

「了解した」

 

 そういって頷き、死地に向かう自分達を嘲ることもなく、蔑むこともなく、ただ真剣な顔で見送ってくれた。

 

「副長!」

「……はい。分かっています!!」

 返事をする副長の声に、先程までの鬼気迫るものはない。

 いた。

 確かにいたのだ。

 自分達と同じように、危険を承知で命をかけ、弱きを助ける強い者が、御伽噺が語る英雄のような存在が、ここには居たのだ。

 

「最早、後顧の憂いなし! ならば、前を向いて進むのみ!!」

 

 ガゼフは前を向き、咆哮をあげた。

 自分はここで死ぬのだろう。

 だが、今まで取り零し、救えなかった命を助け、守ってくれる者に託すことは出来た。

 

 ならば、自分はこの命を賭けて彼女に示そう。

 

「貴方もまた命を賭けるに値する人との縁に恵まれたのね」

 

 そう言って、自分の忠義を肯定してくれた彼女の言葉を。

 周辺国家最強の戦士、王国戦士長ガゼフ・ストロノーフが仕えた王は――断じて愚王などではない。

 自分が仕えるに値した王だったと言う事を。

 

「行くぞ! 奴等に王国戦士の矜持を見せ付けてやれ!!」

 

 二十人余りの集団は放たれた矢のように草原を駆ける。

 約束された結末の待つ戦場へ。

 

 その結末は――決して覆すことなど敵わない。

 




 あとがき
 ちょっと色々悩んで詰め込んだせいであの方の出演は次回になりました。
 


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ある男の結末

2017/05/05 一部文章を訂正。


「……あった!」

 エンリは綺麗に並べられた剣と鎧の中から一本の剣を手に取った。

 早鐘を打つ胸の鼓動――そして恐怖から来る冷たい汗が剣を持つ手を震えさせる。

 その原動力は先程、村の皆に王国戦士長が告げた絶望的な言葉だった。

 

「出来る限り時間を稼ぐつもりだ。君達もバラバラに逃げれば、生き残る可能性もあるだろう……それぐらいしか出来ない」

 

 その言葉を聴いた瞬間、エンリは妹のネムの手を引いてここまで走ってきた。

 王国戦士長と一緒に様子を見に行った少女の姿がなくなったことに強烈な違和感を感じたのだ。

 走り際に聞こえてきた罵声を聞くに、どうやらエンリの予測は当たったらしい。

 つまり、自分の身は自分で守るしかない。

 

「……貴方達、こんな所で何をしてるの?」

「えっ?」

「魔法使い様だ!」

 エンリの横に立っていたネムが尼僧服の少女の腰に向かって突進する。

 そのまま抱きつこうとしてきたネムをひらりとかわし、猫を捕まえるように首根っこを掴んだ。

 片手一本で持ち上げられた妹をみて、エンリがびっくりする中、みかかは視線の高さが合うところまでネムを持ち上げる。

「ミカよ。ミカ・サエグサ」

「私はネム・エモットだよ」

「知ってるわ。そっちはエンリよね。で、貴方達二人はこんな所で何してるの?」

 ネムを下ろしながら聞く。

「その、戦士長様が時間を稼ぐのでバラバラに逃げろと仰られたんです」

「……ふうん」

 確かにみかかの索敵範囲内での動きが慌しい。

「私はてっきりサエグサ様が、その……いなくなられたのではないかと思って。だからここに身を守るための武器を取りに来たんです」

「あら? それは心外だわ」

「えっ?」

「貴方と約束したはずよ。村の皆を助けるために、私に出来る範囲のことはしてあげるってね」

「あ、ありがとうございます!」

 窮地にあっても頼もしい少女の言葉にエンリとネムの瞳がキラキラと光り輝く。

 

「ところでエンリ・エモット。私はさっき戦士長たちを見送ったのだけど、彼らは怪我をしていたわ……何か知らない?」

 みかかの瞳に宿る冷たい光に気付くことなくエンリは答える。

「い、いえ! その……戦士長様がバラバラに逃げろと仰った時点で、私は妹を連れて武器を探しに来たので……」

「……そう」

 法国の騎士を殴り飛ばしたところを見たときも思ったのだが肝の据わった村娘だ。

 困難や逆境は乗り越えさえすれば、巻き込まれた者を劇的に変化させることがある。

 どうやら、この少女はそういう才覚を有していたのだろう。

 状況判断も的確――もし、村の人間全員で殺し合いでもさせれば最後の一人になるかもしれない。

 

(元々私には他人なんて歩き回る影のようなものだったけど、こうして話してみると人形程度の愛着くらいは沸いてくるわね)

 

 特に、この姉妹は気に入った。

 ゲームプレイヤーが思い出にスクリーンショットを取るように、棚に並べて飾っておきたいくらいの愛らしさはある。

 それが永遠に棚に並べ続けられる程の物なのか、それとも時がくれば廃棄される程度のものなのかは分からないが。

 

「どうかしましたか?」

「大したことではないわ。一度村の広場に戻りましょう。非常時にパニックになるのは危険だわ」

「はい!」

 エンリとネムを伴い、みかかは村の広場へ向かうのだった。

 

 

 村は混乱の極みにあった。

 その姿はまさしく危機的災害に慌てふためく住人そのもの。

 そんな中、救世主の姿を見つけた村人は吸い寄せられるようにみかかの元に集まってくる。

「サ、サエグサ様!?」

 貴重品でも入っているのか何かの皮で出来た袋を持った村長とその夫人も驚愕を露にしながら走り寄ってくる。

「村長――すぐに村人を一箇所に集めて頂戴」

「は、はい! お前、鐘を鳴らしてくれ。私はサエグサ様と話しがある」

 夫人は頷き、すぐに村にある鐘の方へ向かう。

「サエグサ様。村を離れられたのでは?」

 村長の顔には在り得ないものを見たような明確な困惑があった。

「ちょっと外の状況を確認しに行っただけよ。それよりも村長、どうしてそう思ったの?」

「そ、その……戦士長様がそう仰られたので」

 罰の悪そうな顔を浮かべた村長を見て、みかかは自分の疑問が氷解していくのを感じた。

「理解した。それが戦士長たちの怪我の原因ね」

「は、はい……その通りです。戦士長にお会いになられたのですか?」

「ええ。彼らを見送ったわ。その際に戦士長はこの村と村人を守ってくれと頼まれたわよ?」

「な、なんですと? そ、そんな……私達はなんて事を……」

 村長は落ち込んだように顔を伏せた。

 みかかの元に集まってきた村人たちの顔にも悔恨の念が窺える。

「私達は、どうすれば良かったのでしょうか?」

「………………」

 みかかは返事をせず、ただ村長が漏らした言葉に首を傾げた。

「私達は森の近くで住んでいましたが決してモンスターに襲われることはなかったのです。それを安全だと勘違いし、自衛の手段を忘れ、結果親しかった隣人を殺され、足を引っ張って……」

「Sivis pacem parabellum」

「は、はい?」

「古い格言です。意味は、汝平和を欲さば、戦への備えをせよ――ここが何処で、貴方たちが誰であっても、自らの力で勝ち取らないといけないものがある。それが出来ないというのなら、貴方達は気分次第で蹂躙されるただの臆病者よ」

「………………」

 その言葉は村の人間の胸に突き刺さる。

 そして、その胸に微かな炎を灯した。

「自らの価値は自らの手で勝ち取りなさいな。少なくとも、そこのエンリは剣を持った騎士相手に素手で殴りかかったわ」

「………………」

 みかかの慰めの言葉は皆の心に波紋を起こしたようだが、これは言葉で解決できるほど簡単な問題ではない。

 長い時間をかけてゆっくりと解決していくしかない問題だ。

 皆の顔に浮かぶ複雑な思い――それを横目で見ながら、みかかは遠隔視の鏡を取り出した。

 

(……包囲網は崩れたか。全員、戦士長を追ったな)

 

 部下にも恵まれたのだろう。

 誰一人欠けることなく、死地に向かって突進して行く姿が見えた。

 村長の位置からも遠隔視の鏡に写った内容が見えたのだろう心配そうに問いかけてくる。

 

「こ、これだけの数の敵を相手に……戦士長様は、勝てるのですか?」

「いいえ? 彼らは一人残らず死ぬでしょうね」

「なっ!?」

 当たり前のことを聞かれたかのような返答に村長と周りの者は絶句した。

「でも、時間は稼げる。村長。彼らの覚悟を無駄にしないためにも行動を開始するべきでは?」

「そ、そうですな。私達は一人でも多く生き残らなければなりません。サエグサ様、一体どうすれば?」

「私が用意できる選択肢は二つあります」

 問いかける村長にみかかは指を二本立てて見せる。

「ですが、私にはそのどちらを選べばいいか判断がつきません。ですので、ここは皆さんの決を取りましょう」

「わ、分かりました。一体、どのような?」

 

「はい。第一案は――」

 

 そして提案された二つの分岐点――その選択肢に村人達の安堵の色は消え、互いの顔色を窺いあう。

 

「残念ですが時間は有限です。それでは五秒後に決を取りましょうか?」

 そして、運命のカウントダウンは開始された。

 

 

「ここが正念場だ」

 確実な罠だと知りながら、死地に自ら飛び込んだ。

 この先に待つのは少女が予言した約束された結末――自身も回避不可能と判断する致死の顎だ。

 だが、それでもガゼフは笑う。

 自分の周囲に広がる光景――総勢四十五名の信仰系魔法詠唱者とそれに従う天使達の群れ。

 圧倒的不利な状況を見ても笑えるのは、村の包囲が解けたことによる目的の達成から来るものだ。

「サエグサ殿。後は頼んだぞ」

 手を伸ばし、結果取りこぼしていた多くの命――救えなかった命を今、ようやく救うことが出来た。

 そんな喜びを胸に抱き、ガゼフは剣を抜き、平原を疾走する。

 背後から聞こえる馬の蹄の音――撤退を命じた部下達が反転し、ガゼフに続こうと突進する音だと理解し、苦々しくも誇らしい笑みが浮かんだ。

 

「本当に……お前達は、自慢の部下達だ」

 約束された結末を変える奇跡を起こすとすれば、今この瞬間しかない。

 騎兵の突進攻撃を避けるために魔法詠唱者達は部下に向けて魔法を放つはず。

 その隙を狙って乱戦に持ち込む――それしか勝つ手は存在しない。

 狙うは勿論、敵の頭である指揮官だ。

 ガゼフの部隊に副長がいるように、指揮官を殺しても副官が戦闘を引継ぐだけで撤退するという展開にはならないと思うが、これしか選べる道がない。

 向こうもそんな苦し紛れの戦略などお見通しなのだろう。

 三十体を超える天使達がガゼフの前に立ち塞がった。

 即座にガゼフは切り札を発動させる。

 武技――戦士にとっての魔法とも言うべき技を複数発動させて肉体能力を限界以上に引き上げる。

 この瞬間、ガゼフの能力は英雄の域にまで到達する。

 そして、放つは神速の武技。

 

「六光連斬」

 

 一振りにして六つの斬撃はまさしく光の煌きの如し。

 周囲六体の天使は切り裂かれ、光の粒子を撒き散らして消滅する。

 しかし、倒されたのは六体――天使にとって同胞の消滅など何の痛痒にも値しないのだろう複数体が向かってくる。

 だが、それを許すガゼフではない。

 

「即応反射」

 

 ガゼフの身体が霞むように動き、自らを天使の群れに飛び込んだ。

 そして、一体の天使が一撃で両断された。

 

「流水加速」

 

 そのまま流れるような動きで、さらに一体を斬り飛ばす。

 圧倒的とも言える光景に部下達の間に希望に満ちた空気が流れるが、それも一瞬。

 消滅した天使は再び召喚され、魔法詠唱者たちの魔法がガゼフに集中し始める。

 

(……くそっ、不味いな)

 

 指揮官との距離は未だ遠く――立ち塞がる壁に突破できる気配はなし。

 ガゼフは奥歯を砕かんばかりにかみ締めて、ただひたすら剣を振るう。

 

 

 くだらない選択だ。

 まったくもって理解出来ない。

 スレイン法国六色聖典――陽光聖典隊長であるニグン・グリッド・ルーインは思う。

 自分達の標的である周辺国家最強の戦士、ガゼフ・ストロノーフは目の届く範囲にいる。

 しかし、彼が自分の前に立つことはないだろう。

 

 総勢四十体からなる天使の休む暇を与えない波状攻撃に加えて、陽光聖典の隊員による衝撃波による魔法攻撃の嵐に翻弄されるばかり。

 もうすぐ王国は自らの手で最強の切り札を失うことになる。

 愚かの極みと言える行為だった。

 何よりも愚かなのは目の前の男だ。

 

 正直な話――こんな分かりやすい罠に嵌り、ノコノコ現れるとは正気を失っているのではないかと思うほどだ。

 少なくともニグンなら、こんな罠に嵌ったりしないし、ここにいる隊員も同じだろう。

 己の命の価値が理解できていない。

 村人の命など幾ら失おうが、ガゼフの命の価値には及ばない。

 ここで村人を救い、ガゼフが死んでどうなるというのか?

 彼が死ねば、次の帝国との戦争で大敗し、今回失われた村人の命など比較にならないほどの王国の多くの民が死に、国は瓦解するだろう。

 

 だが、それも仕方のないことだ。

 

 人は弱い。

 人間以外の種族やモンスターが多く存在するこの世界で人は種を守るために協力し合わなければいけない。

 それを理解できず、国を二分し、権力抗争に明け暮れるだけでなく、麻薬を栽培して他国に売り歩く国など存在していい道理がない。

 その為であればガゼフのような人を守る貴重な人材も殺す。

 本来であれば守るべき弱き人の命を卑劣な罠に使ってもだ。

 人間は争うべきではなく、共に歩むべきなのだから。

 

「俺は王国戦士長! この国を愛し、守護する者! この国を汚す貴様らに負けるわけにはいくかぁあああ!」

 

 まったく恐れ入る。

 最早立ち上がれぬと思ったが、それでも立ち上がり、ここまでの気迫を見せ付けるとは。

 だからこそ、惜しい。

 

 ニグンはガゼフの背後に倒れている戦士たちにも目をやった。

 人を愛し守ろうとする男、死地と分かりながらもその男についてきた勇敢な戦士。

 そんな連中が、己が愛する国に追い詰められて、今から死ぬのだ。

「現実が理解できず、そんな夢物語を語るからこそ、お前はここで死ぬのだ。ガゼフ・ストロノーフ」

 ニグンの声は冷ややかなものだった。

「お前の行動も、王国の行動も呆れるほかない。後ろを見るがいい、ガゼフ。お前の行動は信じてついてきた者達を誰でも理解できる死地に追いやって殺したに過ぎない。そして、あの戦士達は王国に住む者達の未来の姿だ」

「………………」

 ガゼフは震える手で剣を握り締める。

 そして、ニグンを静かに睨んだ。

「同じ言葉でも、使うものが違うだけで……こうも、響かないものなのだな」

「なんだと?」

「ここがどういう場所で、どうしてこうなったかなど……来る前に嫌と言うほど教えられたさ。だがな、あの少女に言われるのは、我慢できるが……無辜の民を殺した、貴様のような外道に言われるのは、我慢ならない!!」

 ガゼフは剣の切っ先を突きつけて叫んだ。

 ニグンの顔に嘲笑が浮かんだ。

 自分の正しさを確信した者が浮かべる笑みだ。

「何を言うのかと思えば、くだらん。私達は人類の守護者という崇高なる目的のために守るべき人類を手にかけたのだ。貴様の国のように共に歩むべき者をつい最近まで奴隷として扱うばかりか、欲望のままに国を腐敗させ、他国に麻薬をばらまくような者達に外道などと言われる筋合いはないわ、この愚か者が!!」

 ガゼフは獣が獲物を追い詰めるような笑みを浮かべた。

「真に国を憂いているのなら、人類の守護者を名乗るなら、崇高なる目的があるのなら、一国家として前に出るべきだろうが! そんなお前達が取る手段が、発覚を恐れる余り他国の騎士になりすまし、女子供赤子の区別すらなく、なで斬りにすることか!? 笑わせるな!! 貴様らは外道中の外道、ただの大量殺人者だ!?」

「な、な、な、な――」

「――そんな貴様らの信仰する神など八欲王よりおぞましい邪神だろうさ!!」

 この一言が、ニグンの――いや、スレイン法国に住む者の逆鱗に触れた。

 

「き、き、貴様ぁああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」

 怒髪天を衝くとはまさにこの事。

 スレイン法国が信じる神、六大神。

 神のために働く陽光聖典の信仰心は信仰心溢れる法国の一般人と比べても厚い。

 その彼らを前に六大神を否定する発言をするなど火に油を注ぐようなもの。

 嘆く女のように甲高くヒステリックな叫びをあげ、頬の筋肉を引き攣らせながらニグンは激情のまま、その手を突き出した。

 放たれた魔法の衝撃波がガゼフの全身を直撃した。

「ぐはっ!」

 ガゼフが鮮血を吐き出しながら、地面に倒れた。

「糞が! 糞が! 糞が! 糞が! 糞が! 糞が! 糞が! 糞が! 糞が! 糞が!」

 必至に立ち上がろうとするガゼフにニグンは立て続けに衝撃波を叩き込む。

「貴様!! 腐った王国の糞虫風情が!! よりもよって――我らが信じる神を、六大神様を、あの八欲王よりおぞましいだとぉおおおお!? 死ね! 死ね! 死ね! 死ね! 死ね!」

 ただの数分で声が枯れるほど叫び、その魔力を限界まで枯渇させる。

 肩で息をしながらもニグンは舌打ちする。

「糞が!! まだ生きていやがるのかぁああああ!! ガゼフ・ストロノーフゥウウウウ!!」

 完全に虫の息だがガゼフは片手には剣を握り、もう片方の手で立ち上がろうと必至に指を動かしていた。

 何と忌まわしい汚らわしい生物――あのような者が存在すること自体が神への冒涜だ!

「貴様だけは許さん!! 天使達よ、そこの糞虫を滅多刺しにしろ!!」

 その激情に呼応するかのように大量の翼のはためき音と共に天使達が突貫する。

 それを避ける体力も気力もガゼフにはない。

 

「ぐぁあああっ!?」

 

 断末魔の叫びにニグンの顔にニヤリと笑みが浮かぶ。

 天使達はニグンの意思を読み取ったかのように、ガゼフの身体から離れた。

 

「……くっくっく、はっはっは、はあーーっはっはははは!!」

 

 壊れたようにニグンは笑った。

 自分がここまで晴れやかに笑えるとは思わなかった。

 あの蒼薔薇を血祭りにあげたとしても、ここまで笑えるかどうか。

 歓喜から浮かんでくる涙を抑えられない――神に唾を吐いた愚か者に相応しい最後を迎えさせてやった。

 

 神の敵に神罰を下してやった。

 実に清々しい気分だ。

 まるで、歌でもひとつ歌いたくなるようなイイ気分だった。

 

 滅多刺しにされたときに頚動脈を斬られたのだろう。

 首筋から「プシャアアア」と噴水のように血液が噴出しているのを見て、ニグンは興奮を抑えきれないでいた。

 これこそ、まさしく――最高に「ハイ!」という奴だろう。

 

 笑いが止まらない。

 ニグンは天井知らずに高揚する気分のままガゼフの元にゆっくりと歩んでいく。

 

「なんだぁ? どうしたぁあ? 何か話したらどうだ、ガゼフ・ストロノーフ? 周辺国家最強の戦士様? 安心するんだなぁ。今から生き残ってるあの村の村人達も殺してやるさぁ。お前がしてきたことは全部無駄だったと、どれだけ愚かな選択をしたのかを、この国の愚かな民でも理解できるようになぁ!!」

「………………」

 苦悶の表情を浮かべて絶命したガゼフの顔をニグンの軍靴が踏みにじる。

「この糞が! 村の人間はただのなで斬り程度では済まさんぞ!!」

 ガゼフの顔を蹴り飛ばし、軍靴でひたすらガゼフの身体を執拗に足蹴にする。

「思いつく限りの殺し方を試してやる! 貴様のような神も恐れぬ反逆者のいる国に慈悲など不要!? 亜人や、エルフや、異形種の糞種族と同じような残虐な方法で殺しつくしてやる!! 殺して、殺して、殺して、ころ……こ?」

 

 それを見た瞬間、ニグンの全身に怖気が走った。

 

「――なっ?!」

「………………」

 いつの間にか、目が合っていた。

 眼下に横たわるガゼフの死体と……。

 ニグンの心臓が恐怖のあまり、ドクンと大きく鼓動した音が聞こえた気がした。

 

 その瞬間――人には理解出来ない世界の攻防が始まった。

 

 ニグンの唇が形を変える。

 瞬時の状況判断――いや、生存本能でニグンは叫ぼうとしたのだ。

 そんな中、ニグンが言葉を発するより速く、ガゼフは身体を跳ね上げて立ち上がった。

 

 流水加速――神経を一時的に加速させることで人の目では捕らえきれない速度の行動を可能とする武技。

 

 死して尚、手放すことはなかった剣がニグンの両足を苦もなく切断した。

 ニグンの身体がその痛みを知覚するよりも速く、剣を振り切ったガゼフは次の武技を発動させる。

 

 即応反射――攻撃した後のバランスの崩れた身体を無理矢理に攻撃前の体勢に戻す武技。

 

 ニグンの顔がスローモーションで驚愕の表情を作り始める。

 そんな亀の歩みより遅い時間が流れる世界で、ガゼフだけが通常と変わらぬ速度で動く。

 剣を振り切る前の姿――つまり、今まさに攻撃を加えんとする体勢に戻った。

 

 そして――時は平等に動き出す。

 

「天使達よ!? ガゼフをこ――」

「六光連斬!!」

 

 強烈な衝撃にニグンの視界が真っ白に染まり、硬い物を折り、砕く音と感触が伝わってきた。

 あまりにも多くの天使を消滅させたガゼフの剣は磨耗し、ニグンの両足を斬った時点で剣の機能を失い、鈍器として機能するしかない状態だった。

 

 それでも神速の六連撃による殴打ダメージの破壊力は凄まじく、ニグンの全身の骨を微塵に砕き、散らばった骨が体中を暴れて筋肉と神経をズタズタに引き裂き、強烈な衝撃で幾つかの内臓を破裂させる。

 

「……こ、ここ……こけ?」

 

 何が起きたのかを理解出来ないままに、断末魔と呼ぶにはあまりにも情けない意味不明な言葉だけを残してニグンの身体が平原に倒れこむ。

 そして――数度、ピクピクと小刻みに痙攣した後、彼の身体はその生命活動を停止した。

 

 それは、たった数秒の間に起きた大逆転劇だった。

 

「た、隊長?!」

「ニグン隊長!!」

「そんな!」

「馬鹿な!?」

「なんで?! ガゼフ!? なんで!?」

 

 絶命したはずのガゼフが立ち、自分達の隊長が絶命している。

 数分前と立場が正反対になるという余りにも不可解な状況に百戦錬磨の陽光聖典隊員も驚愕のあまりに思考が停止した。

 

「て、撤退だ!?」

 そんな中、逸早く冷静さを取り戻した陽光聖典の副官が叫んだ。

「な、任務を放棄するのか?!」

「馬鹿! 気付いてないのか、お前は!!」

 副官の男が指差す先にいるのは己の血で全身を真っ赤に染めたガゼフがいた。

「どうやら怪我は全快した上に、放つ気配が段違いに強い!? 天使たちを殿にして、俺達は撤退するんだ!!」

「……し、しかし」

 この機を逃せば、ガゼフの暗殺は困難を極める――いや、不可能になってしまうのではないか?

 これから逃す魚の大きさに隊員達の判断も鈍った。

 信仰心の高い幾人かが神を罵倒したガゼフを倒さんが為に独自に動こうとする。

 

 そんな、陽光聖典の隊員達のうなじに死神が息を吹きかける。

 

「ひっ?!」

 余りにも不可解な事態に自分が怖気づいたかと思うが、そうではない。

 副官が辺りを見回すと、全員が攻撃でも受けたのかと首筋を確認している。

 

 その正体は『まるで何らかの攻撃を受けたような』

 そんな、物理的な錯覚すら引き起こすような殺気だ。

 

 この殺気の主がこの場にいる誰かなど論じる必要はない。

 

(くっ……まさかガゼフは追い詰められたことで、超人的な力を得てしまったのか?)

 

 英雄譚ではよくある話なのだが……まさか、実際に目にすることになろうとは。

 副官はガゼフの覚醒を促したニグンを殴りつけたい気持ちに駆られる。

 この場にいる人間で最も強い男はガゼフ・ストロノーフなのだ。

 こんな非人間的なほどに洗練された殺気を放てる人物が、他に存在するわけがない!

 国の敵を滅ぼすつもりが、まんまと敵に塩を送る羽目になってしまうとは!!

 

「撤退だ! 撤退するぞ!?」

 それは部隊としての撤退行動ではなく、単なる敗走。

 副官は皆の反応を待たずに、背中を向けて脱兎のごとく走り去って行く。

 本来なら殿に置いておくはずの天使を連れているのは、自らを守る盾として利用するためだろう。

 それを見て、隊員達も悲鳴を上げながら敗走を開始した。

 

 陽光聖典が去り、ニグンの召喚した天使だけがポツンと残された平原。

 そこにただ一人立っているガゼフは呆然と呟いた。

 

「………………勝った、のか?」

 

 いや、それ以前に――どうして、自分は生きているんだ?

 

「……まさか」

 

 ガゼフは仕舞っていた彫刻を取り出す。

 彫刻は役目を終えたのだろう――砂のようにサラサラと音を立てて崩れていく。

 それはみかかがガゼフに渡した課金アイテム『スケープドール』

 最大HPを超えるダメージを受けると自動的に発動し、ドールに蓄えられている分のHPを回復してくれるというアイテムだ。

 

「……驚いたわ」

「っ?!」

 崩れていく彫刻を眺めていたガゼフの背中にかけられた声に飛び上がりそうなほどに驚く。

「まさか、本当に一人でナシをつけるなんてね」

「サ、サエグサ殿?」

 一体、いつの間に背後を取ったのだ?

 こんな距離になっても接近に気付かなかった自分を恥じると同時に背筋に悪寒が走った。

 強いとは思っていた。

 だが、幾ら勝利を掴んだことに安堵していたとはいえ、先程まで全力で戦っていた自分が接近に気付けないとは……この少女がもし自分を殺す気だったなら、気付くことも許されずに殺されたのではないか?

 

「……邪魔ね」

 そんなガゼフの思考など知る由もなく、みかかは軽く右手を振るった。

 それだけの動作で指揮官が従えていた天使は消滅した。

 ガゼフの驚愕はさらに続く。

「少しだけ見直してあげる。外道中の外道、ただの大量殺人者だ……ね。良く吠えたものだわ」

「き、貴殿は本当に……」

 まったく、何処まで驚かせてくれるのか?

 自分と指揮官の話しを聞いていたのか?

 いつから?

 どうやって?

 遠くから魔法で?

 まさか、まさか――そんなことはありえないと思うが、自分の横で?

「だったら手伝えとか文句を言いたいのでしょうけど我慢して欲しいわね。見つからないように彼らの処理をしていたものだから」

「………………彼ら?」

 

 ガゼフはみかかの指差す先を見て――浮かんだ疑問も、驚愕も、その全てがどうでも良くなった。

 

 こちらに向かって響いてくる鎧が擦れる音が、自分の手では決して作りえなかった光景がガゼフの思考を奪いつくしたのだ。

 

「……お、お前達!」

 どれだけの数が生き残れるだろうと思った。

 ガゼフのように天性の才能を持つわけでもない、ただ厳しい訓練に耐えてきた弛まぬ努力の結晶達。

「全員、全員が無事で……」

 失うにはあまりにも惜しいと思った。

 皆が倒れ伏した光景を見て、ガゼフは己の無力さが許せなかった。

 その彼らが、誰一人欠ける事もなく……今ここにいる。

 その光景にガゼフは流れる涙を、零れる嗚咽を止められなかった。

 

 本懐を遂げたという部下達の誇らしい顔が何よりの褒章であり、それは掛け値なしの奇跡だった。

 

 自分の手では為し得ぬ結果、それを見て感動に震える男を馬鹿に出来るものなどいない。 

 皆が一列に整列し、男泣きに咽ぶガゼフを静かに見つめていた。

「さぁ、戦士長。皆に勝利を!!」

 しばらくそれを見守った後、副長がガゼフに声をかける。

「ああ、そうだな!」

 ガゼフは手の甲で感動の涙を拭うと頷き、手に持った剣を大きく掲げた。

 

「うぉおおおおおおおおおおおお!!」

 

 ガゼフの雄叫びと同時に皆も拳を突き上げて、勝利を祝う雄叫びが爆発した。

 ここに奇跡は成った。

 

 ガゼフ・ストロノーフは約束された結末を覆すことに成功したのだ。

 

 それが超越者にとっては予定調和の範囲内だったけれど、誰も予測できるはずもなく――彼らは奇跡を掴んだ幸運に歓喜するばかりだった。

 

 




ガゼフ「フッフッフッフッフッ まぬけめニグン! 課金アイテムのおかげで甦ったぞッ!」

みかか「てめーの敗因は…たったひとつだぜ…たったひとつのシンプルな答えだ」
みかか「好感度が足りなかった」
ニグン「あァァァんまりだァァアァ 」

 今回はこんな話しでした。

 デメリットなく復活させる課金アイテムを素でうろ覚えておりましたのでアイテムを捏造しております。
 


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一方その頃

2017/05/13 一部、文章表現を修正。


 ナザリック地下大墳墓第十階層、玉座の間。

 そこにはほぼ全てのNPCと各階層守護者が厳選した高レベルのシモベ達が集まっていた。

 全員が玉座に座したモモンガに対して、跪いてその忠誠を顕わにしていた。

 痛いほどの沈黙が支配する中でただ一人、モモンガがこの場にはいない友人と会話を交わしている。

 

「………………ふう」

 会話が終わり、一心地ついた後にモモンガは安堵から深いため息をついた。

「……モモンガ様?」

 モモンガの横に控えていたアルベドが心配そうな面持ちで声をかけた。

「アルベド。ナザリックの警戒レベルを通常状態に戻せ。救出部隊も解散だ」

 モモンガはそんな彼女を安心させるべく微笑みかける。

 骨の顔なので表情などないのだが、雰囲気から察したのだろうアルベドの暗い顔にほのかな光が差した。

「それでは、みかか様は……」

「何の問題もない――彼女は無事だ。必要な情報を集めた後、こちらに帰還するそうだ」

 その場にいた階層守護者並びに最精鋭のシモベ達の顔からも緊張感が抜け、大歓声が上がり万歳の連呼が玉座の間に広がった。

 正直な所、自分もその輪の中に入りたい。

 だが、モモンガは喜ぶ皆の顔を何処か遠くのものを見るかのように眺めていた。

 玉座に座り、シモベ達の前にいる自分はもう一個人ではない。

 ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』の長なのだ。

 それは自分の友人が自らの命を危険に晒し、その身を挺して教えてくれたことだ。

 

 だからこそ新たに浮かび上がった問題にも冷静に対処できる。

 モモンガの視線の先にいるのはセバスとデミウルゴスだ。

 みかかの単独行動から端を発した二人の論争があそこまで白熱することになろうとは思っても見なかった。

 

 みかかが転移でカルネ村に赴いた後のナザリックは混乱を極めた。

 モモンガだってそうだ。

 当初、撤退できなくなった場合を含めて色々な事態を想定して動こうとした。

 しかし、みかかは護衛も増援も断り、単身で危険な村に向かってしまった。

 

 彼女が何を思ってそんな行動を取ったのかが理解できなかった。

 

 モモンガは直ぐにナザリックでも一二を争う智者であるアルベドとデミウルゴスを呼びつけた。

「わずかな勝算と確かに逃げ切れる根拠がある」

 それはみかかがモモンガに言った言葉だが、あの短い間に、何故そのような判断が出来たのか分からなかったからだ。

 アルベドとデミウルゴスに事情を話した後、モモンガはわずかに後悔した。

 デミウルゴスはすぐさま全階層守護者と選りすぐりのシモベによる大規模部隊を編成し、カルネ村周辺をこの世から消してでも救出に向かうべきだと進言。

 それに対して、セバスが救出に向かった村を滅ぼすなど主人の意向を無視する行動であり許されるものではないと反論した。

 

 ナザリックに存在するシモベの多くは「人間は劣等種」という意識を持つ者が多い。

 そうでない者はセバスとメイド長のペストーニャ、プレアデスのユリ、アルベドの姉であるニグレドと指折り数えて足りるほどだ。

 

 そして自分達の創造主である至高の四十一人は神にも等しい存在である。

 

 創造主と人間、どちらを優先するかなど論じる必要もないというデミウルゴス。

 創造主を崇めるが故に、その意向を無視できないというセバス。

 

 結果、論争はどんどん白熱し、二人の仲が険悪となり、一触即発の危うい空気となった所でモモンガが一喝するという事態に陥った。

 

(まさかセバスとデミウルゴスも仲が悪かったなんて……まるで、あの二人みたいじゃないか)

 

 彼らの創造主であるたっち・みーとウルベルトも、互いに決して相容れない何かを感じさせるものがあった。

 セバスとデミウルゴスもそんな創造主の心を受け継いだかのように仲が悪い。

 まるでNPCが彼らの子供のようで嬉しい反面、これは重要な懸念事項でもある。

 

 たっち・みーとウルベルトの対立していたときよりも状況が悪化している気がするのだ。

 ユグドラシルはあくまでゲームであり決して超えられない壁が存在した。

 しかし、ここは違う。

 

 互いが殴り合える距離に存在しており、彼らの拳は拳銃よりも恐ろしい凶器である。

 

 傍から見れば僅かな差異なのかもしれない。

 だが、この違いがモモンガには恐ろしかった。

 二人の仲には十分に注意しておいたほうがいいだろう。

 下手をすればギルドが二分されることにもなりかねない。

 モモンガがギルド長にもなった経緯もたっち・みーとウルベルトの対立があった。

 

「……過去も乗り切ってきた。だからここでも大丈夫だ」

 そう自分に言い聞かせ、思考の時間を締めくくる。

 

「………………」

 そんなモモンガの様子をアルベドはじっと眺めていた。

 モモンガの心境の変化に気付けたのは、傍に控えていたアルベドだけだ。

 数時間前のモモンガとは明確に異なっている。

 その原因は言うまでもない。

 今回の事件の中心人物であり、自分がこの世界でモモンガの次に愛しているみかかなのだろう。

 

 ここ数日、アルベドは二人の態度にわずかな疑問を抱いていた。

 きっと現在起きている異変のせいなのだろうが、なんというか……失礼を承知で言うのであれば、頼りないものを感じたのだ。

 ナザリック地下大墳墓の隠蔽工作、階層守護者達の緊急時における連絡網の作成、警備レベルの引き上げ。

 どれも重要なことなのだが、感じる違和感は拭えない。

 それは異変という困難に向かい合おうとする気概よりも、どちらかといえば対処することで困難から少しでも逃げようと考えているような、そんな保身的な思惑が見えた気がした。

 

 ただ、それ自体は悪いことではない――むしろ、アルベド個人にとっては望む所ですらある。

 

 だって、自分は守護者の中で守ることに最も長けた者。

 己の身を案じるならば、必ず御二人は自分を頼ってくれる筈。

 もしも、自分に依存してくれれば己の目的を遂げることが容易くなるだろう。

 

 この地に残られた最後の至高の御方であるモモンガ様。

 そして――。

 

「最後に一つ――私の帰る場所を、帰りたかった場所を今まで守ってくれて、本当にありがとうございました」

 

 最早訪れる者が少なくなり、一人では有り余るほど広大な墳墓を守り続けた墓守に、この言葉を捧げてくれたみかか様。

 

 この二人は私だけのものだ。

 

 勿論、他の至高の御方も愛している――だが、この二人は別格だ。

 自分が言うのも本当にアレなのだが……リアルの世界を取った浮気者とナザリックを愛してくれた者では対応が異なるのは当然のことだろう。

 勿論、他の御方が私だけに溺れてくれるなら、少しばかりはその価値も上がるのかもしれないけれど二人の立つ位置だけは永遠に変わることはない。

 

 何にせよ、する事は一つ――淫魔の血にかけて必ず御二人の心を掴んでみせる。

 

 男は女には母親であり、姉であり、妹であり、恋人であり、娼婦であってほしいのだと爆撃の帝王たる至高の御方が言っていたことを思い出す。

 ならば、自分もそうあろうではないか。

 それだけではない――私は同性愛にも寛容だ。

 仮にモモンガ様がお望みであれば父親や兄、弟のように接するし、幼馴染や先輩、後輩、教師にメイドとオプションも各種取り揃えつつ、更なるご要望も承ることだって可能な出来る淫魔(オンナ)だ。

 

(淫魔の私には分かる。モモンガ様もみかか様もまだ……くふーー)

 

「アルベド。少しかまわないか?」

「く。くふふふふ……淫魔の血が騒ぐぅ」

「………………アルベド、大丈夫か?」

 この状況で何を考えてるんだと若干、引きながらモモンガはもう一度アルベドに声をかけた。

「はっ?! モ、モモンガ様! た、大変失礼致しました。何で御座いましょう?」

「い、いや……きっと、その、なんだ。お前も喜びに打ち震えていたのだろうな。すまない、邪魔をした」

 決して美人が浮かべてはいけない顔をしていたぞ、とは言わないでおく。

 

「いえ、邪魔などと謝らないで下さい。それより如何なされましたか?」

「うむ。全てはうまくいった。私は自室に戻ることにする――皆も安心して持ち場に戻るがいい」

「ハッ。直ちに作業の遅れを確認し、行動を再開することにします。ですが、モモンガ様……一つだけお聞かせ下さい」

 モモンガは頷いた。

 その態度にも自信が満ちている。

「……今回の目的は一体何だったのでしょうか?」

「………………ふむ」

 モモンガの指がカツンと一度、玉座の肘掛を弾いた。

 その乾いた音に大歓声は鳴りを潜め、弛緩した空気は一気に引き締まる。

 ここにいる皆の意識はモモンガとアルベドの会話に集中していた。

 

「さて……どこから説明したものか。ただ言えることは――全ては私の望むとおりの展開だったということだ」

「す、全てでございますか?」

「そうだ」

 モモンガは鷹揚に頷いた。

「我が友が村に向かったこと、セバスとデミウルゴスが言い争ったこと、そしてアルベド――お前が浮かべた表情も、皆私が望んだものである」

「えっ?!」

「流石はモモンガ様」

 その言葉にアルベドの脳裏に電流が走り、デミウルゴスが目を見開いて宝石のような瞳を見せた。

 

 会話とは単純なようでいて意外に難しいものだ。

 受け取る側が相手に抱く印象によって意味合いが大きく変化してしまうことが稀にある。

 

 先程のモモンガの一言にも大した意味は込められていない。

 みかかが村を助けに行き、無事に帰ってこれる。

 勝手な行動をしてしまったみかかに怒るどころか彼女を守るために喧嘩に発展しそうなほど言い争ってくれた。

 アルベドがちょっと残念な感じになるほど帰還を喜んでくれた。

 これら三つの事柄を喜んだだけのことである。

 

 だが、アルベドやデミウルゴスが「皆私が望んだものである」という言葉から読み取ったのは、まったく別の解釈だ。

 

 アルベドにとっては「お前が不敬なことを考えているのは知っているぞ」と釘を刺されたと思ったのだ。

 アルベドは己の浅慮を恥じた。

 超越者たるモモンガが此度の異変に対し、わざと情けない対応を取るという醜態を晒すことで自分がどんな反応をするのかと観察していたのだろう。

 しかし、喜ばしいこともある。

 自分がモモンガとみかか様を愛していることを理解しており、その愛をモモンガも自らが望んだものであると肯定してくれたのだ。

 

 アルベドの解釈も大概だが、デミウルゴスも本人が深読みが過ぎる傾向があるので負けじと凄いことになっていた。

 

「流石はモモンガ様? 何がだ、デミウルゴス?」

 これもモモンガには「何故、いきなり褒めるんだ?」という疑問が、デミウルゴスには「何か褒める所があったのだろうか?」と解釈された。

「ハッ。まさに端倪すべからざる、というお言葉がこれほど似合う方はおりません」

「……ん?」

「まさしく、デミウルゴスの言うとおりかと。そして申し訳ありません、モモンガ様。愛しい殿方が浮かべる表情を読み違える筈がないと確信しておりましたがそれは大きな誤りであったようです。ですが、モモンガ様のお気持ちは確かに頂戴致しました!!」

「…………んんっ??」

「なして、そこで我が愛しの君が浮かべる表情の話しになるのでありんすか? 後、お気持ちを頂いただぁ? 一体、主は何を言ってるんでありんすえ?」

 シャルティアの険のある物言いにアルベドはフッと嘲笑を浮かべた。

「あら、シャルティア。あなたには分からないのかしら? モモンガ様にとってはみかか様が単身でまだ未開の地、未知の敵と相対して無事に帰ってくることも、セバスとデミウルゴスが言い争うことも全てが想定の範囲内だったと仰っていたのよ!!」

 

 玉座の間に感嘆と動揺の声が走る。

 その声の大きさに「………………えっ?」という支配者の疑問の声は当然かき消された。

 あまりの衝撃に未だ混乱が収まらない中、疑問の表情を浮かべたセバスがアルベドに問いかけた。

 

「アルベド様――しかし、当初、村に行くことをお二人は却下されました。そして、数秒後にやはり向かうことを決意なされたのはモモンガ様のように見受けます。それをみかか様が無理を通したように記憶しているのですが」

「そう。その全てがモモンガ様の神すら及ばぬ策略だったということ」

 

「………………えっ?」

 

 再び起こった動揺の声に、モモンガの声はかき消される。

 デミウルゴスが主人の溢れんばかりの英知を感服しつつ、その素晴らしさを皆にも分かりやすいように解説し始めた。

「確かに疑問には感じていたのです。敵がナザリックでは太刀打ちできないほどの強大なものであるならば、みかか様が残る理由は砂粒ほどもありません。シモベであるドッペルゲンガーがみかか様の姿を模して影武者となればいい筈」

 

(その手があったか!?)

 

 と思わず滑りそうになってしまった口を両手で閉じるモモンガを他所にデミウルゴスの深読みスキルは止まらない。

 

「そんな危険な状況の中で至高の御方であるみかか様が残る理由など一つしかありません。みかか様はすでに敵が脅威でないことを知っていたのです」

 デミウルゴスの発言にセバスは疑問をぶつけた。

「確かに遠隔視の鏡で見た限り、村人を追い回していた騎士の身体能力は高くありませんでした。しかし、回避不可能な特殊技術や神器級の防具すら無効化する攻撃スキルを有する可能性がありますが……?」

 

(なるほど、身体能力! それがみかかさんの言っていた『わずかな勝算と確かに逃げ切れる根拠』だな。だけど、セバスの疑問も尤もな話だよな。みかかさんの装甲はかなり薄いわけだし)

 

 まるで惨敗したテストの解説を聞く熱心な学生のような気分でモモンガは話を聞き入っていた。

 生徒であるセバスの疑問に教師役のデミウルゴスが首を振る。

 

「それはない――いや、この世界にはそんな特殊技術やマジックアイテムが存在するのかもしれないが、少なくとも今回の敵は有していないとみかか様は確信されていたのさ、セバス」

「確信? しかし……どうやって情報を? あの一分にも満たない時間ではそんな事をする余裕は……」

 セバスの話を打ち切る形でデミウルゴスが一言告げた。

 

「分からないかね? 円卓の間だよ」

 

(はっ? えっ? どうして、そこで円卓の間が出てくるんだ?)

 

 いざ解答を解説してくれているのだが、レベルが高すぎてついていくことが出来ない。

 一人取り残されたような寂しい気分を味わいながらモモンガはデミウルゴスの話に真摯に耳を傾ける。

 

「みかか様とモモンガ様は定期的に円卓の間に集まっていたのは知っているね? あの時にみかか様は外の世界を探索していたのだろう。そして此度の村の一件を知られたのだと推測される」

 

(推測されないよ?! いや、デミウルゴス先生! お互いに愚痴を言い合ったりしてただけですが?!)

 

 怖い。

 天元突破したNPC達の信頼が怖い。

 

「なんと……いや、確かに、みかか様の隠密スキルとリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンがあれば可能ですね」

 セバスは合点がいったように頷き、モモンガは心の中で猛抗議する。

 

(ナザリックから抜け出すのはな!? 大体、休憩兼方針会議は一時間。しかも二回しか行っていないし、たった二時間で国家が考案した暗殺の情報を入手してくるとか、みかかさんの偵察スキルと幸運はどんだけ高いんだよ!!)

 

 きっとNPC達の間では、みかかは超一流かつリアルラックも兼ね備えた特殊部隊員のような印象なのだろう。

 いや、能力と特殊技術的にはまさしく特殊部隊「ゴースト」もびっくりのキャラなのだが……。

 

「護衛も連れずに行かれるのは守護者として看過し難いところですが、それほど重大な案件だったということなのですね、モモンガ様?」

 ニコリと笑顔を浮かべてデミウルゴスは主人に話を振ってくる。

「う? うむ。その通りだ。さすがはデミウルゴス」

 それにモモンガは反射的に頷いてしまう。

 

 むしろ、ここまで持ち上げられては頷くしかない。

 それ以外の選択肢――例えば真実を告げる、などを選べば勝手に持ち上げられた好感度は急転直下し、浮上不可能なほどの奈落に落ちることに成りかねない。

 

 もう完全に話が明後日の方向にいってしまっているのでモモンガは傍観者に徹するしかない状態だ。

 そんなモモンガを他所にアウラが「なるほどねー、だからか」と感心した。

「おかしいな、と思ったんだよね。みかか様は暗殺術の使い手だもん……万全の計画を立てて行動し、不測の事態が生じても逃げ切る準備を忘れたりしない。一人で篭城なんてナンセンスだもん。でも、それらは全てモモンガ様の手の内のことだったんですね!」

 

「………………む、無論だ」

 

 答えるのに間があった。

 これは、モモンガとしては「今なら引き返すことも出来るんじゃないのか? どうする?! どう答えればいいんだ、鈴木悟!!」という苦悩の間だった。

 しかし、当然のことだが皆には「何故、そんな当たり前のことを聞くのだろうか?」と好意的な解釈をされた。

 おおっ、と階下の者達も感嘆の息を漏らす。

 

「あーコホン。随分と話しこんでしまったな。私は部屋に戻ることにする」

 これ以上、ここにいると支配者の重責に押し潰されてしまう。

 一刻も早くここから離脱しなければなるまい。

「も、申し訳ございません。私が、余計なことを聞いたばかりに……」

「気にするな。非常に有意義な時間だった」

 言動と行動に注意を払わなければいけないことが知れたという意味で。

 モモンガは立ち上がるとそそくさと玉座の間を後にするのだった。

 

 支配者の気配が消えたことを確認し、アルベドが一度皆を見渡してから命令を下す。

 

「今日この場に居合わせることが出来た幸運に感謝なさい。モモンガ様の支配者としての器は十分に感じ取れたことでしょう。さて、みかか様の身を案じる余り、私達シモベに与えられた重大な職務を放棄してしまったわ。全ての者は持ち場に戻って遅れを取り戻しなさい。尚、各作業の責任者は作業の進行具合を把握した後、私に報告して頂戴」

 即座に返事が響き、皆も玉座の間を後にした。

 

 

「おかえりなさいませ、モモンガ様!」

 第九階層にある自室に転移したモモンガを一般メイドであるシクススが出迎える。

「シクススか。そんなに心配そうな顔をする必要はないぞ。我が友は無事だ」

「さ、左様でございますか! 良かった」

 シクススの心配そうな顔が安堵が満ちていく。

「さて、シクスス。私も寝室で休ませてもらうことにする。供も警護も不要だ――ここで待機せよ。訪問者が来たら教えてくれるか?」

「ハッ! ごゆっくりお休みになられてください」

「うむ」

 頷くとゆっくりと寝室に向かい、その扉を潜る。

 扉を閉じると大きく息を吐いた。

 

「……支配者の演技も限界だ」

 

 モモンガはベッドにダイブするとゴロゴロと転がった後、大きく大の字になって天井を見る。

 

(良かった。本当に良かった)

 

 もしも、彼女を失っていたら――とても、自分は平静でいられなかっただろう。

 そんな事になれば、かつての仲間達にも合わせる顔がない。

 ギルド長として、何より一人の年長者として……少女を死地に送り込むなどあってはならないことだ。

 

 みかかが戻ってきたらどう詫びればいいのかと思い、すぐさま首を横に振る。

 

(いいや、そうじゃないだろ? ここからは慎重に行動し、ギルド長として相応しい行動をしなければ!)

 

 失敗は誰にでもある。

 それに対し謝罪することも大事だが、何よりもその後にどう行動するかが鍵になる。

 申し訳ないという気持ちをズルズル引きずられるのは見ていて気分のいいものではないし、そんな行動に意味があるとは思えない。

 アルベドが皆に命じたように、失敗した分や遅れた分を取り戻そうと頑張ってくれたほうが嬉しいに決まっている。

 

「良し、反省は終わりだ。後は……アレだな」

 

 在り得ない高評価をされていることは分かってはいたが、その影響なのか、びっくりするほど自分に都合のいい解釈をしてくれる。

 それはある意味助かる反面――言いようのない不安が募っていく嫌なものがあった。

 イメージするなら今にも崩れそうな積み木の塔だ。

 彼らの評価を崩すような行動をした場合、失望される恐れがある以上、都合のいい解釈をしてくれるのは助かる。

 しかし、その都合のいい解釈こそ要求されるハードルをさらに高く困難なものにしてしまうという矛盾。

 

 正直、キツイ。

 考えれば考えるほど、存在しないはずの胃が締め付けられるような嫌な気分に襲われてしまう。

 NPCが望むナザリック地下大墳墓の主人、至高なる四十一人のまとめ役であるモモンガのハードルが高すぎるのだ。

 

「いや、何を弱気になってるんだ! みかかさんは危険な目にあいながらも、ギルド長として行動しないといけないと諭してくれたんだぞ。やらないと男が廃る! NPCの前では、俺は『アインズ・ウール・ゴウン』のギルド長、モモンガを演じてみせる!」

 

 その為に、今は――少しだけ休もう。

 

 モモンガは静かに瞳を閉じた。

 アンデッドなので眠りに落ちることはないが、それでも何かが癒されていくのを感じる。

 

 しかし、社会人としての性なのか、これからのナザリック地下大墳墓の運営方針や、ギルド長として相応しい態度とはどのようなものか、支配者としてどうあるべきか、などの問題が頭に浮かんできてしまう。

 

 自分が進む道は高く、険しく、困難なものだ。

 下手に踏み誤れば、己の命すら危険に晒すのではないかと思えるほどに……。

 

 だが、そんな道すら何故か歩むことを楽しみにしている自分が存在している。

 

 それが、どれほど過酷な荒野であっても……そこに友がいるのであれば、花咲き誇る優雅な旅路だ。

 

 シーツから微かに香る花の香りに包まれて、モモンガは友の帰還を心待ちにしていた。

 

 




モモンガ「ところで、なぜかベットのシーツが良い匂いしません?」
みかか「そうですね。香水でも振り掛けてるんでしょうか?」

アルベド「円卓の間で至高の御方が会議中にベットにダーイブッ! かーらーのーエンジョイ&エキサイティング!!」

 そんな回です(違います


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変革の兆し

 

 夕焼けが世界を染め上げる中、戦士たちの勝利を祝う雄叫びが響いている。

 それらを無視して、みかかは草原に倒れている指揮官の死体の脇に腰を下ろした。

 

「……運がなかったわね? 指揮官さん」

 みかかは特殊技術を発動させて正視するのが躊躇われるほどに変形してしまった顔面を修復してやる。

 死ねば仏という言葉もある。

 この人物に同情するわけではないが、死体蹴りはよくない、という道徳心くらいはみかかにもあった。

 その反面、ドロップ品を確認することはやめない辺りは微妙な道徳心なのだろうが。

 とは言え、たった一度蜘蛛を助けた程度の善行で人は天国にいけるのだから、あまり気にすることはない。

 みかかは腰に下げた皮袋を取り外して、その口を開いて……瞳を細めた。

 

(魔封じの水晶? しかもこの輝きは超位魔法以外なら封じ込められるんじゃ?)

 

 みかかは即座に十数枚のスクロールを取り出した。

 魔法による情報収集を行う際は対策を講じるのは基本中の基本。

 まずは下地となる《フェイク・カバー/虚偽情報》と《カウンター・ディテクト/探知対策》から始まり、さらに様々な対策魔法を発動、自らの特殊技術も用いて魔法の効果も強化させる。

 それらを全て発動し終えてから魔封じの水晶を調べる。

 

(水晶の起動を知らせる魔法がかかってるな。封じられたのは第七位階の天使召喚か)

 

 何とも中途半端な対策だが、この世界の強さの常識で言えば第七位階魔法は強大すぎる。

 これはおそらくガゼフの武装が万全であることを仮定した上で確実な勝利をもたらすための切り札だったのではないだろうか?

 しかし、だとすればスレイン法国にはプレイヤーが存在するのではないだろうか?

 

 まず、この世界の人間に第七位階魔法が扱えるのか?

 扱えるものがいるなら、そいつがガゼフを暗殺しに来ればいいだけのことだ。

 だから、この世界の人間に第七位階魔法が使える可能性は低い……はずだ。

 

 ただ、十位階魔法まで封じ込められる魔封じの水晶に第七位階魔法を使用するのは合理的とは言えない。

 ユグドラシルのプレイヤーなら自分の情報を隠すためだと判断するだろう。

 

(……私達と近い時期に現れたプレイヤーもしくはギルドがスレイン法国側についたとかはどうだ?)

 

 人類の守護者を名乗る国だ。

 人間種のプレイヤーであれば、この国の傘下に入りたがるだろう。

 

 ユグドラシルではキャラクターのレベルは90までは上がりやすい。

 そしてレベル90もあれば第七位階魔法で召喚されるモンスターであれば問題なく対応できるだろう。

 

(わざわざ第十位階魔法を封じ込められる水晶に第七位階魔法を封じ込めたのは何故か? この世界では強大だと思われる魔法を使用することで傘下に入った国に自らの力を誇示、他のプレイヤーに対処された際には自分の存在を匂わせつつ、プレイヤーに対しては威嚇射撃程度の魔法を使用することにより敵意は薄いのだとアピールするためだったとか?)

 

 これなら中途半端な対応も説明できるし、プレイヤーが存在するにも関わらずスレイン法国が世界を席巻していないことも説明出来る。

 

(……後はプレイヤーが残した遺産、とか? ここで使うのは勿体無い気もするけど)

 

 これは国の情勢を知らない状態では判断がつかない。

 王国がこれ以上存続することに困り果てて、貴重な遺産を使わなければならないと決意するほど腐敗していた可能性もある。

 

(何にせよ、法国は要注意。一番の問題は、だ)

 

「サエグサ殿。その水晶は?」

 みかかが水晶を調べるのを見て、こちらに向かってきたガゼフだ。

 

(王国に、コレを渡すの?)

 

 どう見ても何とかに刃物――いや、テロリストに大量殺戮兵器を譲渡するような案件になる気がして仕方ない。

 とりあえず、みかかは逆に問い返すことにする。

 

「……貴方、この水晶が何か知ってる?」

「いや、こんな物は見たことがないな」

「………………」

 嘘は言ってなさそうだ。

 この男の性格なら自分に嘘をつくことはあるまい。

 

「……そう。さらに質問。貴方の王国には魔法詠唱者はいる? いるなら、その魔法詠唱者はどのくらいの魔法が使えるの?」

「………………」

 その質問に少しばかりガゼフが躊躇したのが分かった。

 素性の知れない国家の防衛に関わる情報を開示していいものか迷ったのだろう。

 

 しかし、命の恩人であることと、みかかには王国の力となってほしいこともあり、ガゼフは話すことに決めた。

 

「勿論、存在する。かの帝国の超越者と比べると貧弱だが、それでも《ファイヤーボール/火球》の魔法を扱える者もいる」

「《ファイヤーボール/火球》ですって? それって、第三位階魔法の?」

「ああ。王国の宮廷魔法詠唱者でも優秀な者なら可能だ。王国に所属するアダマンタイト級冒険者はそれ以上の者もいるそうだが……」

「……ふうん」

 また知らない単語が出てきた。

 冒険者はともかくとして……アダマンタイト級って何だ?

 王国の至宝の鎧がアダマンタイトで出来た鎧とか言ってたから、一番強いクラスなのだろうか?

 

 何にせよ分かったことは全体的にこの世界の人間は弱い。

 それは魔法詠唱者にも当てはまり、第三位階魔法を使える者はエリートだという認識なのだろう。

 

「後、帝国の超越者? なに、帝国はオーバーロードがいるの?」

「ああ。第六位階魔法まで操れるという化け物がな」

「………………?」

 第六位階魔法を操れるオーバーロード?

 たしかに化け物だ……ネタ的な意味で。

 ダンジョンで遭遇したならスクリーンショットを撮ってギルド内で回覧して笑いの種になることだろう。

 

「おおむね理解出来たわ。戦士長様。実は、この水晶なんだけど……」

 みかかは神妙な雰囲気を作ってから右手に持った水晶を掲げて――魔法を発動させる。

 

「《タイム・ストップ/時間停止》」

 

 そして――全てが静止する。

 

「成程。当然、時間対策は出来てないわけね」

 レベルが70に到達する頃には必須の要素になってくるのだが。

 ちなみに物理戦闘職であるみかかが魔法を発動出来たのは特定魔法を一つだけ使用可能にするマジックアイテムのお陰だ。

 みかかは心の中でカウントを数えながら、まずは水晶を地面に置く。

 それから左手に持っていた皮袋を覗いた。

「他に大した物は……地図があるわね」

 パッと開いて見ると村長が持っていた物より精度も材質も良さそうに見えた。

「これは貰っておこうかしら」

 無限の背負い袋に地図を放り込んでから、再び水晶を手に取ってさっきと同じポーズを取る。

 

 そして、時は動き出す。

 

「その水晶がどうかされたのか?」

「ちょっと話しておきたいことがあるのだけど……これから貴方達はどうするのかしら? 今から王都に帰るの?」

「まず村へと戻り脅威が去ったことを報告する。それにもうすぐ夜になるから村で休ませてもらおうと思っている。サエグサ殿も戻られるのだろう?」

「……私?」

 みかかは法国の連中が去っていった方向を見つめている。

 ガゼフも同じ方向を見据えつつ、心配そうに問いかけてきた。

「まさか、今から法国の部隊を追われるつもりか? いくらサエグサ殿でも夜中に単独で追われるのは危険だと思うが?」

「危険? 具体的に何が危険なの?」

「人の身では夜目が利かない。それに夜行性のモンスターに襲撃される可能性がある」

「モンスター? そう。それは僥倖だわ」

 それなら彼らに仕込んだ罠は無駄にならずに済みそうだ。

 

「……どういう意味かね?」

 一体を何を言ってるんだという表情のガゼフにみかかは言った。

「無辜の民を殺すような連中だもの。彼らは国に逃げ帰る途中で不幸にもモンスターに襲われて全滅する可能性だってあるということでしょう?」

 彼らの首筋には毒物――ある種の集合フェロモンが付着させている。

 ユグドラシルの狩場でも良く使われるもの敵を寄せ付けて経験値やレアドロップ稼ぎをしたり、MPK――集めたモンスターを利用してプレイヤーを殺害する罠を張ったりするのに用いられる特殊技術だ。

 

「確かに……その可能性はあるな」

 彼らも百戦錬磨の兵だ。

 むざむざ全滅する可能性は低いと思うが、強者と言えど所詮は人間種。

 絶対とは言い切れないほどの危険がこの世界には存在している。

 

「ならば、祈りましょう。彼らに罰が下らんことを――用事も出来てしまったし、私も村に戻ることにするわ」

 彼らが故国に帰れるまで無事でいられるかは彼ら自身の力量と幸運に拠るだろう。

 何人か捕らえて情報収集しても良かったが……こちらは新しい世界では新参者。

 どんな情報系の能力があるかも把握してない状態では迂闊なことはしない方がいいだろう。

 

「それじゃ、英雄の凱旋といきましょうか? 生憎と私は徒歩だから村に着くのは後になるけれど」

「なら、私か部下の馬に一緒に乗られてはどうだ?」

「それは嫌。生憎と貴方達では私の王子様役には不相応だわ」

「はははっ、手厳しいな」

 彼女にはあまりにもお似合いの台詞に皆が苦笑を浮かべた。

 

「それよりも貴方達は少しでも早く戻って村の人を安心させてあげて。後、村は襲われたばかりで復興に人手が欲しいはずよ。怪我を治してあげたのだから治療代替わりに馬車馬のように働きなさい」

「了解した。直ちに取り掛かることにしよう……だが、その前にしなければならないことがある」

「……何?」

 

「全員整列!!」

 

 ガゼフの咆哮にも近い声がビリビリと空気を振るわせる。

 その声にみかかが驚く中、日頃の訓練の賜物なのか彼らは事前に申し合わせたように綺麗に整列する。

 

「我らを救った勇者サエグサ殿に感謝を!!」

 

「 あ り が と う ご ざ い ま し た ! ! 」

 

 そして、全員が丁寧に頭を下げた。

 

「………………」

 みかかはそんな彼らの礼を所在なさそうに半眼で見守った後にため息をつく。

 

「そういうのはいいから、とっとと消えなさい――私が戻ったときに休んでいたら、もう一度地面に転がることになるわよ?」

 暑苦しいことこの上ない。

 みかかは「あっちに行け」とばかりに手を振る。

「怖いな。せっかく生き残れたのに全滅してしまう」

 ガゼフの呟きに部下の者達は再び笑った。

「それでは私達は馬で先に村へ戻らせてもらう。副長、すまないがそこの指揮官を運んでくれるか?」

「ハッ! 戦士長の馬はこちらに」

「ああ」

 今更ながらに気付いたが馬も無事だ。

 これは偶然か。

 それとも彼女の手による物なのか。

 

(出来れば、我が王の力になってくれればいいのだが……)

 

 そんな事を思いつつ、ガゼフは馬に乗り、号令と共に村へと向かった。

 

 

 世界を染め上げていた夕焼けが沈んで行くのを眺めながら何もない草原をみかかは歩いていた。

 彼女の他にいるのは草原に住んでいるのだろうプレーリードッグに似た野生動物。

 そんな野生動物が傍に誰もいないにも関わらず、友人と談笑するように笑顔を浮かべ、独り言を呟いているみかかを少し観察してから去って行く。

 勿論、みかかはエア友達と談笑しているわけではない。

 《メッセージ/伝言》の魔法でモモンガと話しているのだ。

 

「……そんなわけで、あまり関わることなく問題は解決しました。無事に帰還可能です」

『良かった……本当に、良かった』

 モモンガの声には安堵しかない。

「運に助けられました。振ったサイコロの目が全てクリティカルを出したみたいです」

『そうですか』

 モモンガはTRPGは知らないが、全てクリティカルを出したという意味は理解できる。

 

「明日の夜にはナザリックに戻ろうと思ってます。問題に対処するあまり、ロクに情報が確保出来てませんので」

『一人で、ですか?』

「そうですね。ニグレドの監視の目だけ向けてくれたら、それで大丈夫かと」

『それは何故です?』

「ちょっとした釣りです。今回陰謀を企てたスレイン法国の人間が監視の目を向けるはずです。私だけならプレイヤーが一人だけと油断してくれるかもしれません。下手に護衛を連れて、あの国に対して異形種が見つかるのは避けた方がいいです。指揮官も人間至上主義、みたいな感じでした」

 確かに相手側にニグレド級の情報系のキャラがいれば厄介なことになる。

 そう考えれば一人でいる方が逆に安全なのかもしれないが……。

『いざという時の護衛部隊は編成しておきます。それにしてもスレイン法国は面倒な国になりそうですね……異形種狩りの再来とかは避けたいところです』

 まったくだと頷く。

 

「詳しい情報は戻り次第、報告しようと思います」

『分かりました。出来るだけ早い帰還を待ってますよ。こっちはこっちで大変で、みかかさんが戻ったら円卓会議しないといけない状態なんです』

「……?」

 またストレスを貯められたのだろうか?

 ここに来てから初めて供を連れずに一人で外を出歩いたので、開放感があるのは確かだ。

「モモンガさんも外に出てみては? 今も夕焼けが凄く綺麗ですし、これなら星空も綺麗だと思いますよ」

『へえぇ……そういえばまだ外を見てませんね』

「なら、出るべきだと思います。話も逸れてきたことですし、これで通信終了とします」

「了解です。では」

 そしていつもの糸が切れる感覚と共に魔法の効果が終了する。

 

「地理も言葉も良し。後はお金だな」

 ガゼフがみかかの助力を願った際に「望むだけの金貨を用意する」と言っていたが、それはユグドラシル金貨なのだろうか。

 それならば非常に助かるのだが。

 これから先、どうするか、どう動くか――そんな事を考えながら、村への道を黙々と歩く。

 

 村へと戻ったみかかが最初に見たのは入り口で心配そうに立つエモット姉妹だった。

 こちらの姿を見かけた少女達が村に声をかけると同時に大勢の村人がやってくる。

 村人総出の無数の賛辞と感謝の言葉を受けていると、ガゼフ・ストロノーフが姿を見せた。

 

「お早いお帰りだな。中々の健脚のようだ」

 見ればガゼフはすでに鎧を外し、衣服のみの身軽な姿となっていた。

「あら? 早速、戦士長様は怠けてるようね? いいわ、その軽口が叩けないようにそこの麦畑にでも転がしてあげるから前に出なさいな」

「それは勘弁してくれ。部下達は今も働いているし、私も命の恩人を出迎えたかっただけだよ」

「そういう気遣いは結構。あれは純粋に貴方自身の努力と幸運に拠る結果だわ」

 もしも、あの指揮官が激昂してガゼフの至近距離に入らなければ、ガゼフは復活した所で何も出来ずに死んでいた。

 みかかがしたのは起死回生の機会を設けただけだ――それがこの上ない結果を出したのは彼が掴み取ったものだろう。

 

「私は言った筈よ? 私が貴方を助ける理由はない。だから私に恩義に感じる必要はないわ」

「『私に恩義に感じる必要はない』か……成程、確かに。ようやく君の性格の一端が掴めたような気がする」

 冷笑するみかかにガゼフは笑った。

「あら? どういう意味かしら?」

「確かに君にはそう言われた。そんな君があの戦場がいたのは私の部下を助ける理由はあった、そういうことだろう?」

「そうよ? 嘘は言ってないと思うのだけど?」

 

(まったく、素直ではない御仁だ)

 

 嘘はつきたくないのだろう。

 だが、事実を正確に伝えようとする気もないようだ。

 ガゼフが味方をしてくれる可能性は零になったと思ったように間違った解釈を生みやすい。

 それが狙ってやっているのか生来の性格に起因するものかは分からないが。

 

「最近、友人から昔の知り合いが酷い環境でこき使われていると聞いてね。貴方の部下に少しだけ同情した。それだけの事よ」

 その意地の悪い笑顔から察するに、どうやら狙ってやっているようだ。

「まったく、貴殿は……素直に言ってくれればいらぬ誤解を招くこともなかっただろうに」

「あなたの理解が足りないのを私の性格のせいにしないで頂ける? それに敵を欺くにはまず味方から、だわ」

 要するに、捻くれ者というところか。

 服装から察するに神に仕える聖職者だと判断したが、それ自体が何らかの皮肉か、巧妙な策略のようにも思えてくる。

「以後君と話すときは気を使うことにするよ。つまり、私は君に恩義を感じるのではなく、この村の人に恩義を感じるべきなのだな?」

「どうやら村人から話は聞いているようね」

 

 ガゼフ達が村に戻るのは少しばかり不安もあった。

 それはガゼフと村人の確執だ。

 命の危機に晒されことで、これ以上ないくらいに関係は悪化してしまったのだ。

 しかし、戻ってきたガゼフ達に村人達は安堵し、それだけでなく謝罪してきた。

 困惑するガゼフ達に村長が詳しく話しをしてくれた。

 

 ガゼフが去った後、みかかは村人に問いかけた。

 

 自分には戦士長を助ける理由がないから助けにはいかない。

 だが、村人である貴方達に助ける理由はないのかと。

 

 そして彼女は二つの選択肢を用意し、多数決で村人に選択を迫った。

 ガゼフを見捨てるのか、助けるのかを。

 

「そこの村娘、エンリ・エモットに感謝なさい。助けられるかもしれない人を見捨てるのは、加害者の片棒を担ぐのに似ていると思います。私は村の人を殺したあいつらのようになりたくありません――だったかしら? まるで御伽噺に出てくる英雄のような啖呵だったわ」

「そうか。感謝する、エモット殿。君のお陰だ」

「い、いえ……そ、そんな恐れ多い」

 王国戦士長という特権階級の男に頭を下げられたエンリは顔を真っ赤にして隅っこのほうに逃げていく。

 

 この少女の顔には見覚えがあった。

 確か、ガゼフが村人に逃げることを説明してたとき、即座に妹を連れてその場から離れた少女だ。

 

 少女は気付いていないようだが、その一言は大きい。

 

 みかかの突きつけた二択は半ば強制に近い。

 一般的な良心を持っているなら「助けるか殺すかを選べ」と言われて殺すことは選びづらい。

 少女がそんな発言をしたのなら尚更だ。

 通りすがりに襲われた村を救いに来た善良な人物を前に、そんな選択を選ぶ村人は呆れて見捨てられる可能性だってある。

 だから、助けることを選ばざるを得ない。

 

(こうして考えれば……この結末は選択肢こそあるものの、約束された展開に近いな)

 

 もし、狙ってやっていたのなら大した物だ。

 策略に明るくない自分は感心するしかなかった。

 

「まぁ、ネタ晴らしはこのくらいにしておくとして。私も忙しい身だから、さっきの話の続きでもしましょうか?」

「ああ、あれの話だな。村長、すまないが何処か話せる場所を貸して頂けないだろうか?」

「それでしたら、私の家はどうでしょう? 戦士長様とお話ししていたのですが、村の者もサエグサ様には感謝しております。僅かばかりで心苦しいのですがお礼をさせて頂きたいと思っておりますので」

 みかかは少しばかり考えた後に頷いた。

「……そうね。第三者がいる方が好ましい話しでもあるから、村長の家にしましょうか?」

「ああ、分かった」

 ガゼフとみかかは村人に見送られながら村長の家に向かうことになった。

 

 

 村長の家に入るとテーブルを挟んで三人は向かい合う。

 ちなみに村長の夫人は村の復興作業中だ。

 せめて白湯でもと用意しようとする村長を制して、さっそく話を始めることにする。

 

「さてと、戦士長様。さっきの水晶を貸して頂戴」

「その、サエグサ殿――村長に話してもいいのだろうか?」

 ガゼフは魔封じの水晶を差し出しながら尋ねてきた。

「私と貴方だけではちょっとね。村長はこの事件と無関係ではないから丁度いいわ」

 ガゼフから水晶を受け取り、それをテーブルに置く。

 村長は宝石の類をあまり見かけたことがないのか、その美しさに息を呑んだ。

 

「これは魔封じの水晶といって中に魔法を閉じ込めることが出来るマジックアイテムよ。そしてこの水晶には第七位階魔法が封じ込められているわ」

「なんだとっ?!」

 ガゼフは思わず立ち上がり、ガタガタと立て付けの悪いテーブルが揺れた。

 ガゼフは戦士である為、魔法詠唱者の力を想像することが難しいが第七位階魔法がどれだけ凄いかくらいは職務上理解している。

 

「第七位階魔法?」

 対して村長にはガゼフの驚愕の意味がまったく理解出来ない。

「第三位階魔法が常人が到達しうる最高のものと思うといい。王国の宮廷魔法詠唱者もこれにあたる。冒険者の中には第四、第五位階魔法を扱える者も存在するが、我が国でも五本の指で数えて足る程度しかいない。私が知る限り、かの帝国の主席魔法使いが扱える魔法が第六位階魔法――前人未踏の領域を扱うことの出来る魔法詠唱者として周辺国家でも有名だ」

「では、その上の第七位階魔法とは……」

「まさしく御伽噺や英雄譚の世界の魔法ということだ」

 ようやく事態の深刻さを理解できたのか村長はごくりと唾を飲む。

 

「ちなみに封じられているのは第七位階の天使召喚の魔法。私の予測だけど、万全の状態の貴方でも倒せるように用意した切り札だったのでしょうね」

「王国の至宝を装備しても勝てないだと? サ、サエグサ殿。第七位階魔法というのはそこまで凄いものなのか?」

「どういう意味? まるでそこまで凄いとは思ってないような物言いだけど?」

「いや、なんと言えばいいのか……第七位階魔法が凄いと言うのは知識としては理解してるが実感がないのだ。第七位階魔法の天使が召喚されたら、具体的にどのような事態が起こるのだろうか?」

「……どのような、と言われてもね」

 ガゼフの質問にみかかは眉を寄せる。

 

「少なくとも今の貴方じゃ千人でかかろうが傷一つつけられないし、大都市の真ん中で解放して暴れさせれば街は壊滅するじゃないかしら?」

 みかかが漏らした壮絶な内容にガゼフは目を見開き、村長は青ざめた。

「な、なんと……この水晶にはそんな化け物が封じられているのですか? まるで十三英雄が退治した魔神ではないですか」

「そういう事。さて、戦士長――私が言いたいことは理解出来るわね? これは危険なものよ、私としては破壊を推奨するわ」

 

「サエグサ殿。それは出来ない――君の考えも理解できるが、その選択は間違っている」

「……どういう意味?」

 彼女の瞳には疑問の色があった。

「これは希望であり可能性だ。この水晶には私や君では為しえないほど多くの人々を救えるのではないか?」

 

 歴史を紐解けば魔神や竜王などが存在する世界だ。

 つい数十年前に竜によって滅ぼされた国家だって存在する。

 そんな世界だからこそ、この水晶は人の身では守りえない災厄すら払ってくれる奇跡となろう。

 

「この水晶に災厄と絶望を見るより先に、希望と可能性を見ることが出来るのね――貴方は正しい生き方をしてきた人なのね」

 

 掛け値なしの美少女が浮かべた純真な微笑は、村長の心を鷲づかみにし、ガゼフの瞳に哀しさを宿らせる。

 少しばかり世間に対して斜に構えた所がある少女がこんな顔を浮かべるのは珍しく――だからこそ、他人を魅了するほどに美しい。

 だが、ガゼフはその微笑に哀しみを見た。

 

「君のように思慮深くは行動してないだけさ」

 それはガゼフなりの慰めの言葉だったのだが、その言葉の前に純真な微笑みは露と消え、冷たい笑顔が顔を出した。

「それは違うわ。貴方の魂の色と知性の浅さは別個のものでしょう?」

「………………」

 どうやら気分を損ねたらしい。

 まったく――女性という生き物への返答はどう答えれば正解を得られるのか、ガゼフは誰かに教授してもらいたい気持ちになった。

 

「そう。貴方はこれを必要とするわけね?」

「ああ。確かに、このような物は個人が所有していいものではない。だが、危険があるから破棄するというのも思慮に欠ける行動と思うが?」

「あら、面白いことを言ってくれるじゃない」

 こちらの返答の方が趣味にあうらしい――まったく天邪鬼な人物だ。

 

「なら、戦士長様にお返しするわ。元々、これは戦士長様の持ち物だしね?」

「………………」

 その言葉にガゼフは渋面を作る。

「私も村長も無関係ではないから聞かせて頂きたいわね。この水晶を持ち帰った後、貴方はどうするつもりなの?」

「………………」

 当然、王に直接渡すことになるだろう。

 こんな物を手に入れたことを馬鹿正直に報告すれば、この水晶を使って帝国に戦争を仕掛けようと愚かな貴族達は言い出すに違いない。

 

 未曾有の危機から人を救う奇跡を、愚かな欲望のために使うのは想像に難くない。

 

 ガゼフは当然、王に直接渡すつもりだが……すでに老齢の王にこのような物を渡すのは躊躇われた。

 王ならガゼフの真意を理解し、人々のために使ってくれると思うが……その重要性故に、それこそ肌身離さず持ち歩き、少なくない心労をさらに募らせてしまうことになるだろう。

 

「……分からない」

「はい?」

「どうすべきか、分からない。破壊するのは駄目だ、この水晶は私や、君すら救えないほどの悲劇を覆す可能性がある。だが、王にお渡しするのも駄目だ――その力の重さに心が耐えられない。私には到底、答えを出すことが出来ない」

 苦悩するガゼフを村長は同情し、みかかは笑う。

 すでに彼は答えを見つけているではないか。

 ただ、そこに覚悟が足りないだけだ。

 

「ガゼフ・ストロノーフ。一つ聞かせなさいな」

「……何だろうか?」

「貴方は言ったわよね? 自分はこの国を愛し、守護する者だと――その言葉に嘘偽りはない?」

「ない」

 ガゼフは即答し、頷いた。

 

「国の民が平和に暮らせるなら、貴方は自分が忠誠を誓う王を裏切れる?」

 今度は沈黙する。

 

「裏切る、というのはどのような?」

「別にそんなに大層なことじゃないわ」

 少女の口元が薄く線を引くようにして笑みを作った。

 

「………………」

 ガゼフは嫌なものを見たとわずかに顔を強張らせる。

 彼女お得意の薔薇の微笑みだ。

 その華を摘もうと近づくものをズタズタに引き裂くだろう茨を潜ませた邪悪な笑み。

 きっととんでもないことを言い出すに違いない。

 

「ちょっと嘘をつくだけよ? 痛むのは貴方の心だけ――民の安寧を思えば安い代償でしょう?」

「嘘、だと? それは、まさか……」

「その力の重さに心が耐えられないなら、耐えられる人が所有すればいいだけの話でしょう? 貴方がその水晶を所有なさい」

「わ、私がこれを?」

 みかかはコクリと頷いて言った。

「私も貴方になら渡してもいい。でも、貴方の国には渡せない。貴方の国に、こんな物を渡して大丈夫だとは思えない」

「戦士長様――サエグサ様の仰る通りです。私も貴方になら託せます」

 みかかの言葉に村長も強く頷いた。

 

 村長はみかかと共に村に起きた惨劇の経緯を――この国の危うさを聞いている。

 仮にみかかが何も言わなくても王に渡すと言われれば反論するつもりだった。

 ガゼフは知らないが、この村の人間はこの少女に面と向かって非難され、国への不信と反抗心が芽生えていた。

 

 いつまでも気分次第で蹂躙されるただの臆病者に甘んじているつもりはないと、カルネ村の誰しもが思っている。

 

 村長の顔にある種の覚悟を感じたのか、ガゼフは彼を黙って見つめる。

 

 村長の顔つきにある自信はみかかの影響なのだろう。

 影響を受けたのはガゼフだって同じだった。

 自分もある決意を抱いている。

 

 王国では庶民と貴族の差は大きい。

 ガゼフは戦士長という地位にこそ就いているが、平民出身で政治的には何の力もない。

 ガゼフはそれでいいと思っていた。

 自分は王に仕える忠実なる剣であり、その敵を葬ればいいと。

 

 だが、それは誤りだった。

 

 王の傍にいながら、王が苦悩しながら守るべき者を取りこぼしていく姿を間近で見ながら、手を出すことが出来ない地位に甘んじていた。

 

 良くある話だ。

 自分で考え、率先して働けば責任が生まれる。

 それなら誰かに命令されたことをこなす方が仕事としては楽だ。

 

 その怠慢が死神となり、自分を死地へと誘った。

 

 そこで自分は経験した。

 

 静かに糾弾し、愚かな王だと断じる村を救った恩人。

 必至に頑張る王を容赦なく罵倒する村人。

 傷つき力尽きて倒れた部下を指差し、これが王国に住む者達の未来の姿だと笑った憎き男。

 

 その時に、嫌と言うほど知った――理解した。

 自分は王の剣として十全に機能していなかった。

 その言葉に憤り、反論するのであれば――ただ命じられるままに敵を斬るだけの武器であってはならなかったのだと。

 

 そんな事が、死を目前にするまで気付けなかった。

 

 そして自分は運に救われた。

 ここでその運に感謝するだけでは何も変わらない。

 

 ガゼフは王都に戻れば、その足で王に貴族位を頂けないか掛け合うつもりだった。

 

 本当の意味で王の力となるために。

 そして今度こそ、通りすがりの第三者の力を借りるのではなく、己の手で国の民を救うために。

 

「そうだな――ここで仕える王に責任を押し付けるのは、騎士らしくないな」

 覚悟は決まった。

「いつか、王に不忠の騎士と言われる時が来ようとも――この国を愛し、守護する者としてこの水晶を預かろう」

「………………」

 水晶を手に取ったガゼフを少女は複雑な瞳で見つめていた。

 

「ガゼフ・ストロノーフ。法国はそんな物まで持ち出して貴方を殺そうとした――その腐敗が温いものだなんて到底思えない。貴方が水晶を保管したところで国の現状は変わらないわよ?」

「………………」

 少女の瞳の色は井戸の底の様に深く暗いものだった。

 全てが手遅れなのかもしれない。

 だが、それでも諦めることは出来ない。

 

「……理解している。それでも、私は国の為に動きたい。そう簡単になれるものではないと理解しているが、王に貴族位を頂けないか具申するつもりだ」

「どうやら、本気のようね」

 ほの暗い視線にわずかな光が差した。

 

「そう簡単に? 王国の戦士の頂点に立ち、周辺国家でも並ぶ者のいない男が立っている場所って、そんなに簡単になれるものなの?」

「………………」

「たしか貴方の国は王族派と貴族派で二分しているんだったわね? なら、王族派はきっと貴方が貴族になるのを助けてくれるわ。そこにどういう意図があれ、ね。そして、貴方が貴族になることで国が荒れるなら、貴方はまさに立つべき人物だったという事よ。そうね……貴族になるなら、この周辺を領土を貰えないか頼むといいわ。もし、ここが貴族派閥の領土でも自らが守ることも出来なかった領土なら王族派が奪うのを手伝ってくれる。ところで、ここは誰の領土なの?」

「……王直属の領土だ」

 ガゼフの呟きに少女は笑った。

 

「決まりね。貴方が本気で国を憂いて頼むのであれば、その申し出を断ったりはしない――そういう王様でしょう? 貴方が忠誠を誓うような素晴らしい方なのだもの」

「……止してくれ、まだ貴族になれるとは限らない。横入りで邪魔されて貴族にはなれないだろうさ」

 特にあの蛇のような男がガゼフが貴族となることを許可しないはずだ。

 だが、そんなガゼフの不安をみかかは杞憂だと笑う。

 

「案外すんなりうまくいくかもしれないわよ。全ては貴方の今までの行いが試される。それが誠実な行いであったのなら正当な評価を下す人間は必ず存在するものだわ」

 そうであればいいのだが……貴族社会は複雑怪奇なものでガゼフには理解出来ない行動が多々あった。

 彼らの何人が自分に好印象を抱いてくれているか――正直、自信はない。

 

「ほんの少しだけ、貴方の行く末に興味が沸いたわ」

「……それは、どういう意味かな?

「私の爪の先程度でよければ力を貸してあげてもいいという意味よ」

 

 法国と友好的な関係を築くのは現状では難しいように思える。

 ならば、この国とのパイプは維持するべきだろう。

 勿論、言葉通り――助力と言ってもみかか個人の微力なもので済まして、法国にプレイヤーギルドが存在した時にも言い訳が立つ程度のもので収めるつもりだ。

 

(国が混乱してくれた方が暗躍もしやすいからね)

 

「サエグサ殿――手伝って頂けるというのは本当か?」

 みかかの言葉にガゼフの顔に希望の光が差した。

「貴方が本当に国に住む民を憂いているのであればね」

「では、私と共に王宮に来て頂けないだろうか? 陛下の謁見を……」

「それはお断りよ。私が力を貸すと言うのはそういう意味ではないわ」

 ならば、どういう?

 そう目で問いかけるガゼフにみかかは肩を竦めた。

 

「まずはその水晶の安全対策――それと貴方が貴族になれるようお膳立てを揃えるところから始めましょうか?」

 これからガゼフが苦難の道で歩むであろうことは想像に難くない。

 

「せいぜい足掻くことね。この腐敗した国を立て直す為の第一手よ」

 

 こうして、夜は更けていく。

 村長とガゼフとみかか――それぞれ立場は違うが、人の上に立つ者の会議が始まる。

 それは村人達が用意したささやかな祝いの宴の誘いを受けるまで続けられることになった。

 




ガゼフ(どうせ、あの蛇のような男が貴族となることを許可しないはずだ)
レエブン侯「どいつもこいつも馬鹿ばかり、馬鹿でも王国の現状を憂うような奴はいないのか! ふぃ……っくしゅんっ! か、風邪か? リーたんにうつると危険だ! 神官を呼べ!!」

 ――という場面が本編の裏であったとか、なかったとか。


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眠るときは誰かの傍で

 

 農村は眠る時間が早いらしい。

 この村に電灯など当然存在せず、灯りは松明や蝋燭、油などによるものしかないようだ。

 ただ、みかかが居た世界とは比べ物にならないほど大気汚染は少ない為、月明かりだけでもそれなりに明るい。

 

(浮かんでいるあの月のような星には生物は存在してるのかしら?)

 

 こちらの世界の文明では到底、その真相に辿り着くことは出来ないのだろうけど。

 そんな事を思いながら、エモット家の元へと向かう。

 

 先程までガゼフとその部下及びみかかの活躍を祝う宴が行われていた。

 勿論、村を救ってくれたことへの感謝の気持ちもあるが、殺された村人達の家にあった保存の利かない食料を無駄にしたくない狙いもあった。

 祝いの席でガゼフやその部下からは王国と周辺国家、村人達にはトブの大森林と呼ばれる森林地帯の情報を聞き、それなりに有効な時間を過ごすことが出来た。

 

 現在、みかかはエモット家の居間にいる。

 蝋燭の明かりがほのかに部屋を照らす中、エンリがシーツを持ってくる。

 

「サエグサ様。本当にシーツだけで宜しいんですか?」

 エモット家には客用の部屋など存在しない。

 寝るのであれば父か母のベッドしか空いてないが、この少女は居間の床でかまわないと言ってきた。

 村の救世主に無礼を働いてそれが知れたりすれば、エモット家は村で生きていけない。

 そんなエンリの不安を他所に少女は何処からともなく地図を取り出して気のない返事が返ってきた。

「ええ。後、ミカでいいわ――私も貴方をエンリと呼ぶから」

 真剣な顔で地図を眺めている。

「私は?」

 眠そうな顔でエンリのスカートの裾を掴んでいるネムの言葉に顔を上げた。

「ネムもミカでいいわよ。二人とも早く寝なさい」

「……うん。おやすみなさい」

「おやすみなさいませ、ミカ様」

「おやすみ」

 眠そうなネムと頭を下げるエンリを見送ると、みかかは再び地図に意識を集中させる。

 

「……灯りは大切にした方がいいんでしょうね」

 用意してくれた蝋燭の灯を吹き消しておく。

 鎧戸が閉められた家の中は真っ暗闇と言っていい。

 だが、吸血鬼の種族的特性でみかかは暗視能力がある。

 今の状態でもまったく視界に問題がない。

 そういうわけで抜き取った地図を広げて、宴の際にガゼフと部下から聞いた各国の情報を思い返す。

 

 まずはリ・エスティーゼ王国。

 王が全領土の三割を、大貴族が三割をそして様々な貴族が四割を握る封建国家。

 王族派と貴族派に別れて権力抗争に明け暮れる国。

 最近では麻薬を生成して隣国であるバハルス帝国にばらまいている。

 それが今回の事件の原因なのではないかとガゼフは言っていた。

 

 政治的に残念な国とみかかは判断しているがガゼフ曰く『黄金』と呼ばれるこの国の姫は素晴らしい存在であると言っていた。

 後、この国には二組の有能な冒険者チームがいるそうだ。

 特に冒険者チームの一人に、この世界では稀有な能力である蘇生魔法を扱える者がいるらしい。

 その事に村長は驚き、みかかに謝罪する場面もあった。

 

 次にバハルス帝国。

 鮮血帝と呼ばれ、歴代最高と称されるほどの政治力を持つ皇帝を長におく国である。

 なんと戦争の真っ只中、護衛を連れてガゼフをスカウトに来るという度胸のある一面持っている。

 そしてこの国は第六位階魔法まで扱える魔法詠唱者がいるとのこと。

 魔法詠唱者の腕としてはナザリックでは大して役に立たないレベルだろうが、特筆すべきは長い時を生きていると事だろう。

 知識とはそれ自体が強力な武器である。

 特にこのような未知の世界なら尚更だ。

 有能な皇帝なら手放したりしないだろうが、どこかで接触を試みるのもアリかもしれない。

 後は『武王』と呼ばれる亜人が闘技場にいるそうだ。

 

(帝国は王国より警戒すべきね)

 

 そして今回の事件の加害者であるスレイン法国。

 この国が最も警戒すべき国だろう。

 亜人・異形種の根絶を掲げる宗教国家――ナザリック地下大墳墓の天敵とも言えるような国だ。

 何より痛いのがこの国にはプレイヤーの陰がある。

 それが現在も存在するのか、過去に存在したのかは不確定だが。

 ガゼフ達から聞いた話で情報量が多かったのはこの三国だ。

 

 他には竜王国、聖王国、評議国に人が住んでおり、後は亜人達の領域である。

 亜人達の領域にも人は住んでいるが、それは食料や奴隷としてであり厳密には住んでいるとは言いづらい状態だそうだ。

 聖王国と法国との境に広がる荒野であるアベリオン丘陵には多数の亜人達が、無数の部族を作り日々紛争を繰り返しているとの事。

 

 亜人達の大国もあるようだし、そこに強大な力を持った魔王のような存在がいる可能性だってある。

 

「……世界は広大で、やることは山積みだわ」

 

 夜の沈黙が支配する中、みかかはこれからも続くだろう多忙な日々を想ってため息を吐くのだった。

 

 

(……睡眠無効って、何か妙な感じで慣れないな)

 

 ここに来て四日目になるが、みかかは一睡もしていない。

 みかかはアンデッドである為、飲食不要や毒、睡眠、麻痺、即死無効など様々な種族的特徴がある。

 飲食不要なら食べなくてもいいだけで食べれるが、睡眠無効はそもそも眠れない。

 現時点では肉体的にも精神的にも何か問題があるわけではないのだが……眠れないのはなんだか落ち着かなかった。

 

 暇つぶしに本などはないだろうかと辺りを見回してみたが、居間と思われるこの部屋には一冊も置いていない。

 実は近くにあるトブの大森林を見に行きたいと思ってるのだが、さすがにそれは単独行動が過ぎる。

 暇だからという理由で心配してるであろう友人を怒らせるような真似をするほど子供ではない。

 

(でも、暇だわ。一旦、帰ろうかしら)

 

 と、半ば本気で考えてしまう。

 今後の方針を考えるのに飽きて、所持品のチェックも終え……ゴロゴロと寝転がりながら時間を潰している状態だ。

 

「………………ん?」

 

 みかかの聴覚が人の声を捕らえた。

 ムクリと起き上がり、音のした方向に意識を集中させる。

 エモット姉妹の部屋がある方向からくぐもった泣き声がする。

 どうやら泣いているのはネムのようで、エンリが「大丈夫、怖くない」と宥める声も聞こえてきた。

 見た目は十歳くらいの少女だが、悪夢を見て泣くとは随分幼いなと思い、すぐに考えを改める。

 

(……ストレスから悪夢でも見たのかしらね)

 

 PTSDとか言ったか。

 死を意識するような体験をしてしまったことからくる心理的外傷だったような気がする。

 再び寝転がったみかかの耳に二人の足音が近づいてきた。

 

「ほら、ネム。うちにはサエグサ様がいらっしゃるわ。だから、大丈夫よ」

「………………うん」

 

(……いい暇つぶしになるかな)

 

「ミカでいいと言ったわよ?」

 ゆっくりと起き上がったみかかに二人は僅かに驚いた。

「もしかして、起こしてしまいましたか?」

「いいえ、起きてたの。どうにも寝付けなくてね」

 みかかはアイテムボックスからランタンを取り出して、明かりを灯す。

 途端に居間が昼のように明るい光に照らされた。

 二人はしばらく眩しそうにしていたが、慣れてきたのか精巧な細工が施されたランタンを珍しそうに見つめている。

 

「何これ凄い!」

「《ランタン・オブ・フォーシーズン/四季の角灯》。携帯用の明かりよ」

 四季というだけに四色の明かりを灯せるのだが、それぞれの色により四つの効果がある。

 春は青、夏は赤、秋は白、冬は黒――これは五行説に対応している。

 現在は青色、春の色だ。

 この光には一定範囲にいる者の精神系バッドステータスの沈静化を行う効果がある。

 

「ネム――こっちにいらっしゃい」

「うん!」

 瞳を輝かせてランタンを見るネムに向かって手招きする。

 ネムは嬉しそうに小走りで近寄って、みかかの右隣に座った。

「これ、触っていい?」

 ネムがキラキラした笑顔でランタンを指差す。

「眺めるだけにしておきなさい。一応明かりだから触ると火傷するかもしれないわ」

「はーい」

 ランタンを飽きもせずじっと見つめるネムの頭を撫でて手櫛で髪を梳いてやる。

 それが心地いいのかネムはぴったりとみかかに寄り添ってきた。

 

(……軽度の恐怖状態か)

 

 触れた相手のバッドステータスを診断する特殊技術を用いて、ネムの状態を把握する。

 このランタンはそれほど大したアイテムではなく精神系バッドステータスの沈静――つまり、効果を抑えるだけで治療は出来ない。

 単純な恐怖状態なのであれば、治療することは難しいものではない。

 

「……まずは、これ」

 

 そこでみかかは空間に手を突っ込み、目的のアイテムを引っ張り出してくる。

 それはみかかの故郷ではカラカラと呼ばれる陶製酒器。

 形は吸飲み――病人が寝たままでも水を飲めるようにした容器に酷似している。

 吸飲みで分からない場合は、単純に小さめの急須を想像すればいい。

 

「後、これ」

 次に出すのはお猪口である。

 

「すっごーい!」

 虚空に手を突っ込んで中からアイテムを取り出すと言う行為にネムは目を見開いた。

 興奮して声をあげるネムと驚きながら無言で見守るエンリを他所に酒器の中身をお猪口に注ぐ。

 医療と毒物生成の特殊技術を複合させて、恐怖状態の治療及び眠りの効果をもたらす薬物を精製したのだ。

 みかかはお猪口を手に取って、中身を一息で飲んだ。

 みかかは薬と毒に属するものであれば口に含むことでその効果を判別出来る。

 今回、口に含んだのは子供用に効き目をひじょうに弱く設定させたが実用に足るかどうかの判別のためだ。

 

「………………甘っ」

 

 効果に関しては問題はない。

 だが、子供用風邪薬のシロップを思い出す味だった。

 元々、こういう味なのか、子供が飲めるようにと気を使いながら精製したかは謎だ。

 

「ネム……これを飲みなさい」

「いいの?!」

 ネムは顔をキラキラさせている。

「………………」

 隣にいるエンリも羨ましそうにしてることから甘い物に飢えているのかもしれない。

「ええ。こぼさないようにね」

「はーい」

 ネムはお猪口を受け取ると、みかかのように一息で口に含んで満面の笑顔を浮かべた。

「あまーい! すっごく美味しい!」

「そう。良かったわね」

 みかかは微笑んで、ネムの手からお猪口を受け取って酒器と共にしまう。

「あっ……」

 それを見てエンリが残念そうな顔を浮かべる中、もう一度髪を撫でてネムの状態を確認した。

 

(恐怖状態は解消。薬によるアレルギー反応なし。特殊技術に問題なし)

 

 結果に満足しつつ、みかかは未だ突っ立っているエンリに顔を向ける。

「エンリも、こちらに座れば?」

 開いている左隣をぽんぽんと叩きながら言う。

「は、はい! 失礼します」

「ここはあなたの家よ? 失礼も何もないわ」

「………………はい」

「………………」

 エンリの顔に浮かんだ表情を見て、みかかは己の発言を悔やむ。

 

 二人の両親は助けることが出来なかった。

 まだ若いエンリが、この家の主となったのだ。

 あなたの家、という発言でそれを意識してしまったのだろう。

 

「………………」

「………………」

 気まずい沈黙が居間を支配する中、寝息が聞こえてくる。

 二人は音の発生源に視線を向けた。

 眠りの効果が発揮されたのか、ネムがみかかの膝を枕にして眠ってしまったようだ。

 

「……眠ったようね。エンリ、そのランタンを持って、この子のベットまで案内してくれる?」

 みかかがネムの身体を優しく抱き上げてお姫様抱っこの体勢を取って立ち上がった。

「は、はい」

 エンリはランタンを手に持ち、部屋へと案内する。

 小さな家なのですぐに目的地に辿り着く。

 寝室は二人部屋で簡易なベッドがあった。

 

「……ん?」

 シーツに乱れがあるのは片方だけで、もう片方はまるで利用されてないように見える。

 みかかの視線に気付いたエンリが説明する。

「ネムが今日は一緒に寝て欲しいと言ったので……」

「……そう」

 心理的外傷の根は少し深そうだ。

「そのままの状態でランタンを置いておきなさい。これで悪夢を見ることはないと思うし、この子は朝まで寝てると思う」

「宜しいのですか?」

「ええ。それじゃ……」

 ネムにシーツを被せて踵を返そうとしたが……エンリの何か言いたげな視線を見て止まる。

「……どうかしたの?」

「私も眠れないので、ご一緒させて頂いてもかまいませんか?」

「かまわないわよ」

 こちらとしても眠れない夜を一人で過ごすより、話し相手がいるのは大助かりだ。

 それに彼女には色々と話したいこともある。

 みかかは真っ暗闇の中、居間へと戻っていく。

 エンリも自分の家なのである程度の間取りは感覚で覚えているが、それでも彼女ほど足早に戻ることは出来ず、ひそかに救世主の少女に感心するのだった。

 

 エンリが居間に戻ると蝋燭のか細い光源が部屋に満ちていた。

「で、眠れないの?」

「……はい」

「ちょっと手を貸してくれる?」

 差し出された手をみかかが握るとビクリとエンリは震えた。

「どうかした?」

「いえ。その……あの時も思ったんですけど、凄く冷たい手だなって」

「……あの時?」

 ああ、手を治した時か。

 自分の手が冷たいのはすでに死んでいるからなのだろう。

「血の巡りが悪いみたいでね。冷たくなっているのよ」

「そうなんですね。でも、肌がとても白くて素敵だと思います」

「ありがとう」

 容姿に関する褒め言葉は小さな時から聞き飽きているので何とも思わないが、礼を言っておく。

 

「……ふむ」

 再び特殊技術を用いたみかかはその結果に驚いた。

 ユグドラシルの時とは違い――対象に触れることで得られる情報が飛躍的に増している。

 ユグドラシルの時はHP・MP及びバフ・デバフ、バッドステータスの有無が判別されるものだった。

 この中のバッドステータスの有無判定が非常に複雑かつ詳細に分かるようになっている。

 ユグドラシルはあくまでゲームであった為、再現出来なかったのだろうが一口に医療と言っても多岐にわたる。

 内科、外科、整形外科、形成外科、脳神経外科、皮膚科、眼科、耳鼻咽喉科、精神科等々。

 本来、医療従事者であればこの中から専門を選んで医者となるはずだが、ユグドラシルで医療の技術職を手に入れた者は、この全てをこなせるようだ。

 

(また一つ謎は解けて、解けたことにより謎が増えていくな)

 

 ユグドラシルでは微妙系だった医療技術がここでは有効な技術になっている。

 技術的に再現が難しかった職業は再度確認した方がいいかもしれない。

 有効な物に成り代わっている可能性がある。

 

「どうかしましたか?」

 手を握られたままの状態だったエンリが不思議そうに問いかけてくる。

「ああ、ごめんなさい。眠れないなら魔法で治せたらと思ったのだけど、あなたのは治すのが難しいみたい」

「……そ、そうなんですか?」

 握っていたエンリの手を離しながら、みかかは悩む。

 

 エンリの状態はネムとは異なる。

 これは極度のストレスからくる不眠状態だ。

 

(どうしたらいいのかしら?)

 

 恐怖状態であればその都度、魔法で治せばいずれは時間が解決してくれるだろう。

 だが、エンリの不眠の原因であるストレスは、おそらくこれからの生活に対する不安や両親を亡くしたことによる物だ。

 単純に不眠症を解消すれば解決する類の問題ではない。

 

「でも、大丈夫です。全然眠くないですし、疲れてるわけでもないみたいで」

「………………」

 完全にナチュラルハイになってる。

「そうだ。今のうちに斬られた服を繕ってもいいですか?」

「……エンリ」

 蝋燭のか細い光源で縫い物など怪我をする可能性がある。

「他にも色々としておかないといけないことがあるから、今のうちに……」

「エンリ・エモット!」

「………………」

 みかかの冷たい声にエンリは黙り込む。

 

「……まったく、もう」

 みかかはため息を一つ。

「エンリ・エモット。ちょっとそこに座りなさいな」

「……ミカ様?」

 床に座ったエンリの真正面に立って、みかかはエンリの頭を撫でた。

「……辛かったわね」

 そしてエンリを抱きしめる。

「………………えっ?」

 その言葉を聞いた瞬間、エンリの瞳から涙が落ちた。

「貴方は十分に頑張ったわ。だから今は頑張らなくていいのよ」

「………………」

 今まで張り詰めていたものが堰を切ったかのようにあふれ出して止まらない。

「姉にだって――泣きたい時くらいあるわ」

 ああ、そうだ。

 自分は妹の前だから頑張らないと、と無理をしていた。

 もう自分が頑張るしかないと、頑張らないと終わりだと自分で自分を追い詰めていた。

 

 エンリは大いに泣いた。

 子供のように――恥も外聞もなくわんわんと。

 ただ自分の行き場のない感情を爆発させた。

 

 みかかはただ泣きじゃくるエンリを抱きしめ、ずっと頭を撫でてくれていた。

 

 ………………。

 …………。

 ……。

 

 一体どれほど泣いただろうか?

 枯れることなどないと思っていた涙もとうとう枯れてしまった。

 

「ミカ様――も、申し訳ありませんでした」

 一生分の恥を人前で見せた気がする。

 泣いて、叫んで、愚痴って、甘えた。

 臆面もなく、心から。

 だからかエンリの心は少し晴れた。

「別に構わないわ。私がそうさせたのだし」

 恥ずかしがるエンリの頭を撫でながら、みかかは天使の微笑を見せる。

 だが、その微笑みはすぐに曇った。

 

「エンリ。貴方が感じている不安は正しい。この村の行く末は暗いわね」

「……はい」

 みかかの胸に抱かれたまま、エンリは頷いた。

 本来なら皆が助け合わないといけないのだが、今日の惨劇のせいで皆が自分のことで手一杯になるはずだ。

 このまま冬に突入すれば、村では餓死者が出ることも予想される。

 家族の中心であった父、それを支えた母を亡くしたエモット家の未来は特に暗い。

 

「だけど心配は不要よ。私は明日にはここを去るけれど、貴方達の面倒は見てあげるから」

「えっ?」

 エンリはみかかの服装を見て思い出した。

 そうか……彼女は修道女だ。

 身寄りを亡くし、他に誰も世話をすることが出来ない場合に神殿を頼ることは非常に多い。

「それは、私達もミカ様と同じ場所に連れていってくれるということでしょうか?」

「残念だけど、それは出来ない。うちに入るには二つほど条件があってね、貴方達ではそれをクリア出来ない」

 本当に、残念だ。

 彼女のいる場所なら安心出来ると思ったのに。

 

「だったら……」

「定期的に貴方達の様子を見に来てあげる。生きていくのに必要なものがあれば用立ててあげるから遠慮なく言いなさい」

「ど、どうしてそこまでしてくれるんですか?」

 当然とも言えるエンリの疑問にみかかは顔を逸らした。

「ん~~」

 そして困った顔を浮かべてヴェール越しに頭を掻いている。

「……そうね。貴方にだけ恥をかかせるのは公平じゃないわね」

 みかかは観念したようにため息をついた。

「私はさっき貴方が泣いたことを誰にも言うつもりはないわ。だから、貴方も今から話すことを誰にも言わないこと」

「はい。分かりました」

 こんな凄い人がただの村娘である自分に秘密を打ち明けてくれる。

 その事がわずかに誇らしい。

 

「私には貴方を助ける理由がある。私にも、妹がいたのよ」

「………………」

 いた、ということはつまり……。

「五年程前の話よ。私と妹にちょっとした事件があってね……面白い話しではないから詳細は省くけど、その時私は妹を庇ったの」

「えっ?」

「貴方と同じよ。たとえ私が命を失うことになっても妹に生きていて欲しい――だから私は犠牲になった」

 その件で自分は意識不明の植物状態になり、そして――。

「それから丸々五年間、目が覚めることなく眠っていた。それがどういう訳か、最近になって目を覚ましたのよ」

「そ、そんな事が……」

 まるで御伽噺だ。

「家の者が意識を取り戻した私に面会しに来た時、まず最初に聞いたのは妹がどうなったのかの確認よ。私がその身を犠牲にしたことで妹は助かったわ」

「………………」

「貴方ならその時の私の気持ちは想像出来るでしょう? それを聞いたとき、飛び上がって喜んだわよ。五年間眠ってしまったけれど、そんな物、大したことじゃない。五年の時間は決して安くないわ。だけど、妹の命と引き換えだと言うなら、どちらが大事かなんて、そんな物は姉なら当然、分かる筈よ」

 自分と同じ立場だった人物が歓喜する中、エンリは不安に胸を締め付けられる思いだった。

 

 だって、この話の結末は――すでに約束されている。

 

 今、彼女が話していることは、神様にすら変えられない過去の出来事だ。

 

「次に私が聞いたのは、妹はいつ来るのかよ。楽しみだったわ。五年間でどれだけ成長したのかしら? 家に篭って遊ぶことの多い子だったけど変わったのかしら、それとも変わってないのかしら? なんて勝手に妄想を膨らませたりしてね。私は楽しみで仕方なかった」

「………………」

 エンリは真っ直ぐに彼女の顔を見た。

 見ていることしか出来なかった。

 

「楽しみで……仕方なかったのにね」

 泣き崩れるでもなく、ただ静かに一筋の涙が伝わせる救世主の少女の顔を。

 

「どうやら事件の影響で妹は少しずつおかしくなったみたい。生来、内向的な性格で私以外とはロクに話しも出来ない子だったから、私がいなくなって歯止めが利かなくなってしまったのね。部屋に閉じこもり、外に出ることはなくなったそうよ。そして――私のした事は無駄になった」

 フッと自嘲気味な笑みを浮かべて、淡々と事実を述べていく。

 そこには強者の姿などなく、まるで今にも消えてしまいそうな弱々しい少女がいた。

 

「ミカ様。その――」

「――エンリ。貴方、何か勘違いしてるでしょ?」

 エンリが慰めようとしたのを察したのか、それを遮るようにして冷笑を浮かべる。

 そこにいるのはエンリを助け、王国戦士長が頼りにするような力を持つ少女だ。

 ただの村娘に心配されるような少女の姿は何処にもない。

 

 本当の彼女が遠くなった気がする。

 

 それはまるでそういう笑顔の仮面を装備しているようだ。

 妹を慕う優しい姉の姿はそこから窺い知ることは出来ない。

 

「ここで終わったなら、私も悲劇のヒロインを気取れたのかもしれない。だけど、このお話はもうちょっと続くの」

 幽鬼のようなおどろおどろしい声で、話しの続きを再開する。

「その話を聞いたときに、私は思ってしまったのよ。『ああ、そんな事になるのなら助けるんじゃなかった。私はなんて無駄なことをしてしまったんだろう』ってね」

「………………」

 その気持ちはエンリにも分かる。

 分かってしまった。

 エンリも騎士に追われた時、ネムを見捨てようかと考えた。

 

 目の前にいる救世主は……そんな見捨てようとする自らの心の声を肯定してしまった。

 その声は正しく、自らが間違っていたと認めてしまったんだと。

 

「ざまあないわ。私は絶望する余りに、自らの尊い行いにすら唾を吐き、積み上げてきた姉妹の絆を冒涜した」

 

 それは長年をかけて描き続けた絵の最後の一筆を失敗したが故に、自棄になって黒く塗りつぶしたようなもの。

 最後がどれほど受け入れられない色で塗られた絵だとしても、その他の部分には綺麗な物も尊い物も残っていただろうに。

 その結末が悪いものであったから、その過程すら悪いものだと絶望で全てを塗りつぶしてしまった。

 

「理解した? これが貴方を助ける理由よ。貴方の為じゃなく、私の為に――どうか、幸せになって頂戴」

 己が犯した過ちを、せめて繰り替えさせないように。

 命をかけてもいいと思うほど大切だった物を、自らの手で無意味な物だったと踏みにじってしまわないように。

 そんな悲しい願いだった。

 

「……はい。はい!」

 エンリは大きく三つ編みを揺らして頷いた。

 溢れてくる涙が止まらず、顔はグシャグシャになっている。

 

(……この人はもう一人の私だ)

 

 もしかしたらエンリにも訪れていたかもしれない暗い未来に住む人だ。

 ただの村娘である自分より弱く、哀れで――優しい人だった。

 彼女だって分かっているだろうに、目を瞑り、耳を塞いでしまっている。

 

 妹は姉を心底、愛していたのだろう。

 身代わりとなった姉を思い、心を病んでしまうほどに。

 姉を身代わりに助かったことは、妹にとって色々と思う所はあったのだろうと思う。

 

 だが、それでも。

 どれだけ生きることが辛かったとしても、それが望まぬ救いだったとしても、本気で自分を案じてくれた人の願いを無視し、救われた命を散らすような選択をエンリは許容出来なかった。

 

「また泣かせてしまったわね。ごめんなさい」

 みかかが尼僧服のポケットからハンカチを取り出してエンリの涙を拭う。

 そんなみかかの手を取って、エンリは問いかける。

「どうしてですか?」

「……何が?」

「ミカ様は間違ってないじゃないですか――悪いのは妹さん、だと思います」

 エンリは恩人が不快に思うことを覚悟の上で聞いた。

 だが、それでもかまわなかった。

 このままでは目の前にいる人があまりにも報われない。

 

「……それは違うわ」

「違いません」

 みかかがぼそりと呟き、エンリは大きく首を横に振る。

「エンリ。こういう問答はね、どちらが正しいとか、間違ってるとかそういう物ではないの」

「……えっ?」

 ぽかんとしたエンリの隙をついて、みかかはハンカチで彼女の顔を拭いてやる。

「ま、待って下さい!」

 彼女は無理矢理に話を終わらせようとしている。

 それは駄目だ。

 彼女が自分を責めるのは間違ってる。

 

「そんな事はありません! だって……」

「エンリ。救われた命をどう扱うのかを決めるのは当人の問題でしょう?」

「だとしても、こんな――それじゃ、ミカ様は報われないじゃないですか!?」

「そうよ」

 みかかは頷き、続けた。

 

「そう思ったから、そう思ってしまったから、私は無駄なことをしてしまったなんて、愚かな後悔をしたの」

 

「………………」

 

「今なら分かる。私はね。見返りが欲しくてあの子を助けたんじゃない。あの子はあそこで死なず、その後、確かに生きていた――それだけで、今の私には十分」

 

 世界は残酷だ。

 この世は決して等価交換で成り立っているわけではない。

 何かを失えば、それに見合う対価を得られるとは限らない。

 何もかも失っても、何一つ得られないこともある。 

 

「どちらも正しいし、どちらも間違ってる。そんな事が世の中には沢山あるの。自分の意見こそ正しいと通したがるようじゃ、まだまだ子供よ?」

「………………」

 そう言った彼女はまるで自分の母親のように大らかな声をしていた。

「でも、ありがとう。貴方は私の為に怒ってくれたのね」

 そして小さな娘の世話をするように涙を流すエンリの顔をハンカチで優しく拭いてくれる。

「私には、ミカ様の言われていることが分かりません」

「そうやって拗ねるところが特に子供ね。まぁ……私の胸も随分とお気に入りだったようだし、仕方ないかしら?」

「っ?!」

 ハンカチ越しのエンリの顔が一瞬で真っ赤に茹で上がった。

「あんなに泣きながらもグリグリと私の胸に顔を押し付けくるから困ってしまったわ」

「あ、あれ、あれは?!」

 頬に感じた柔らかい感触に甘えて、エンリは求めるように顔を押し付けた自分を思い出した。

「は、話を無理矢理に逸らさないで下さい!?」

「それはお互い様だと思うのだけど……了承するわ」

 エンリの顔を拭き終えて、ハンカチをポケットに直しながら頷く。

 

「勘違いしないで欲しいのだけど、私が悔いてるのは感情に損得を持ち出したことについてよ? あの子には何の恨みもないわ」

「………………」

 それが納得いかない。

 しかし、ここで反論するとさっきの話しを蒸し返されそうなので、エンリは決して納得なんてしてないというムスッとした顔を浮かべておく。

 命の恩人に対して申し訳ないが、正直その妹さんは全然好きになれない。

 妹だからって少し甘やかしすぎじゃないかと、どうしても腹が立ってしまう。

 

「ミカ様の仰りたいことは良くわかりました」

「全然理解してないって顔をしてるのだけど?」

 小さな子の我侭にほとほと困っている母親のような顔だ。

 エンリとて、こんな人物を困らせるのは本意じゃないが、これは理屈ではなく感情だ。

 自分ではどうすることも出来ない。

「申し出はありがたくお受けします。私と妹は弱く、貧しい村娘です。ですから、支えて下さいますか?」

 だが、彼女の願いは聞き届けよう。

「……ええ。約束するわ」

「ありがとうございます」

 

 エンリは思う。

 今は、この人に頼るばかりだけど――いつか、きっと彼女を助けることが出来るようになろう。

 そして、生きているからこそ掴める何かを手にして、絶対に幸せになってみせる。

 それはエンリがどうしても認めることの出来ない誰かには出来ない行為だ。

 

「……少し、眠くなってきました」

 安心したせいか、それとも泣き疲れた反動か、エンリの意識に靄がかかりはじめる。

「そう? なら、部屋に戻るといいわ」

「………………」

 エンリはわずかに顔が紅潮していくのを意識しながら、みかかに問いかけた。

「ここで眠っても、かまいませんか?」

 どうにも、この人に対する甘え癖がついてしまったようだ。

「……好きになさい」

「はい!」

 エンリはそのまま眠気に誘われるまま横になる。

 そして、いつの間にかエンリは眠りに落ちていた。

 

 




ニグレド「……という事になってたわよ? 私の可愛いほうの妹」
アルベド「か、か、かとう、かとうせいぶつがぁあ!」
 ――という場面が本編の裏であったとか、なかったとか。

 誤字報告の機能を今日知りました。
 報告下さった皆様、ありがとうございます。


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代価にはその羽を

 

 みかかは日も昇らぬうちからカルネ村の散策を始めた。

 今日中にナザリック地下大墳墓に戻らねばならない身だ。

 時間を無駄にするわけにはいかない。

 

 皆が寝静まっている時間のため、目視による村の観察を始める。

 井戸の周りを確認。

 水を汲み出す作業を行い、その水の透明度を見る。

 一見すると透明だが、その安全度がどの程度であるかはそこからは分からない。

 両手で掬った水を飲んでみる。

 

(……有毒性物質は無し)

 

 病気などは自分の特殊技術で治せるが……たとえば、この井戸に微量でも有毒な物質が含まれていれば早急に使うのを止めさせなければならない。

 だが、その危険性はないようだった。

 空を見て思ったが、ここは随分と清浄な世界のようだ。

 

「それは良い事なのだけど、随分と原始的な仕組みね」

 滑車とロープ、後は錘代わりの釣瓶。

 井戸と言われて、誰しもが想像するものがそこにあった。

 

 どうやら科学技術はあまり発展していないようだ。

 魔法が存在する世界だ。

 この世界では科学の理など何一つ成立しないのかもしれない。

 

(……知識ある者との接触が急務だな)

 

「……んっ?」

 みかかの索敵範囲内に気配がひっかかる。

 足音を殺しているわけではない。

 たんに喉が渇いたか何かの理由でこちらに来たのだろう。

 

「おおっ。サエグサ殿、随分早いのだな」

 現れたのはガゼフだった。

「おはよう。戦士長様」

「おはよう。しかし、見事に気配を消されているな。目を瞑れば、そこに誰かいるとは思わない程だ」

「何? こんな朝から剣を携えて、私を暗殺しようとでも思っていたのかしら?」

 みかかの言うとおり、ガゼフは鎧こそ装備していないが腰に剣を下げていた。

「朝から毒舌も健在だな。随分と寝起きは良いようだ」

 ガゼフはニヤリと笑っている。

「そういう貴方もね。何? いつもこんな時間に起きてるの?」

「いや、時間は不規則だな。何処でも寝られて、すぐに覚醒する。そうでないと兵士は務まらないよ」

「ごめんなさい、愚問だったわね」

「いやいや、気になさることではない」

 挑発するような発言をしたかと思えば、こんな他愛ない会話で真摯に謝ることもある。

 改めて複雑な御仁だなとガゼフは思った。

 

「しかし、貴殿が寝起きの良い方で安心した」

「……どういう意味?」

「昨夜の宴でも話したが私達は早朝、この村を発つことになる」

 今回の事件は無事に解決した。

 ガゼフはその事を王に報告しなければならない。

 村の復興は村人の手で行ってもらうことになる。

「もう一度だけ念のために聞いておくが、君は一切の報酬を望まない。それでいいのかね?」

「少し違うわ。この村を救ったのは勇敢な戦士長様と兵士の皆さんのお陰。私は何一つ関わっていない。それが、私が頂く報酬よ」

「………………」

 あの後、ガゼフと村長はみかかに報酬の件を切り出した。

 ガゼフは持ち合わせがない為、みかかが王都に来た際には望む物を渡すと約束し、村長は村人達から集めた銅貨三千枚を提供すると申し出た。

 

 しかし、みかかは両者の申し出に首を横に振った。

 

 村長にはただでも切迫した状況なのだから、銅貨三千枚は有事の際の資金とするように指示し、ガゼフには貴族になりたいのなら手柄は大きいほうがいいだろうと自らの手柄を譲る旨を伝えた。

 

 みかかに言わせれば、ここで僅かな路銀と傾きかけた国で名声を稼ぐより、各国にユグドラシルプレイヤーである自分の存在を隠せるメリットの方が大きいという打算によるものだ。

 

 だが、ガゼフから見れば高貴なる者の献身に見えたのだろう。

 それは彼が思い描く理想の貴族であり、未だ到達出来ない高みに存在する英雄の姿だった。

 

 そんなみかかにガゼフは尊敬の眼差しを送る。

 

「まったく貴殿の行いには感謝しかない。あの彫刻がなければ、そもそも私は助からなかった。あれは相当貴重なものだったのだろう?」

「そうね。もしかしたら、この世界のどこかにあるのかもしれないけど……そう容易く手に入るようなものではないわね」

「……そのような物を私に。では、これもそうなのだろうか?」

 ガゼフは服で隠れていた黒いネックレスを取り出した。

 一見すると黒真珠のネックレスにも見える。

 この中には魔封じの水晶が格納されている。

 身に着けている所有者以外が取り出すには破壊するしかないというマジックアイテムだ。

「まぁ、ね。一応、様々な対策が施されたものだけど破ることは可能だから気をつけなさい。状況を考えれば、貴方が水晶を持っているのは明白。これからは夜道に気をつけることね」

「……分かっている」

 ガゼフは頷く。

 スレイン法国もこのような宝をむざむざ敵の手に渡したままにはしないだろう。

 何らかの行動は起こすだろうし、あわよくば取り戻したいと思うはずだ。

 

(そこを狙い打つ。暗殺を警戒している上、魔封じの水晶を持っているガゼフをどうにかしようと思うなら、プレイヤーが出てくる可能性はある)

 

 少なくとも対処するつもりなら、この世界の人間では在り得ないほどの強さを持つ者が来るだろう。

 勿論、向こうもプレイヤーを警戒して何の行動も起こさないという可能性はある。

 それならそれで、その間にこちらは準備を整えるだけだ。

 

「私も、それを悪しき心の持ち主に渡すのだけは避けたいからね。ちなみにそれの正式名称は《プチブラックカプセル/小さな黒棺》というの」

「ほう。ん? サエグサ殿は何故、そんなに楽しそうなのだ?」

「別に? ちょっとした未来に想いを馳せただけよ」

 実はネックレスにかけられた対策はかなり甘い。

 物理職であれば七十レベル、魔法であれば第七位階魔法から探知・破壊が可能だ。

 この世界の者ならかなり強固な防御策だが、ユグドラシルプレイヤーには対策を講じていないに等しいレベルである。

 もしも破壊した場合は、ちょっとしたトラップが作動するようになっている。

 仮にユグドラシルプレイヤーに破られても、ちょっとした警告、単なる威嚇射撃のようなものだ。

 悪趣味極まりない罠だが、これがきっかけで戦争になることはあるまい。

 

 どちらにせよ、ガゼフとカルネ村は監視下に置く必要がある。

 

「……未来に想いを馳せる、か」

 そんな思惑など露知らず、ガゼフはみかかの言葉に何か触発されたのか、空を見上げながらぽつりと呟く。

「そうよ。せいぜい立派な貴族様になって、明るい未来を築くことね。その時が来たら、貴方に感謝の気持ちを支払ってもらうことにするわ」

「『代価にはその羽を』か。まったく、貴殿らしい」

「何、それ?」

 くつくつと笑うガゼフにみかかは気になって聞いた。

「知らないかね? あまり人気のない御伽噺だから無理もないか」

「なんとなく題名で想像はつくけれど聞かせなさいな。興味があるわ」

 ガゼフは頷いて話を始めた。

 

「ある所にそれは美しい天使がいた。その天使は世界を創ったとされる神にどんな願いでも一つだけ要求することの出来る指輪を探していた」

「………………」

 この世界の御伽噺は興味深いものが多い。

 というのも、ユグドラシルプレイヤーが関係してるのではないかという物が多いからだ。

 この話もそうではないだろうか?

 そして、探している指輪とは世界級アイテムでも破格の性能を持つ《ウロボロス/永劫の蛇の指輪》では?

 

「道中で願いを叶える指輪のことを知っていると言う色々な人間や亜人、異形種の頼みを聞きながら、その天使は大陸中を当ても無く彷徨い続けた」

「……ふん」

 なるほど、話のオチは読めた。

「皆が『代価にはその羽を』と言って天使を騙した。美しかった純白の天使の羽は一枚失うごとに黒い羽へと生え変わっていった」

 なるほど。

 カルマ値が下がって、堕天使になったというところか?

 

「旅の終焉――最後の一枚羽が黒く染まった時、神が天使を哀れんだのか、天使は願いを叶える指輪を手にすることが出来た」

「あら、意外ね? 私はてっきり悲劇だと思ったのだけど……」

 ガゼフはみかかの言葉にかぶりを振った。

 

「ここら辺から本によって結末は異なるが、原点とされる本では天使は指輪を手に入れたが、その願いは結局叶わなかったそうだ。その後は諸説様々だな。絶望した天使が『この世界に呪いあれ』と願って出来たのがカッツエ平原だとか、散々利用された天使は、願いを叶える代わりに法外な代価を要求する悪魔になったのだとか……」

 

「……ふうん。って、待ちなさいな! どこら辺が私らしいのか説明してくれる!?」

 

「いや、すまない。寝屋で部下達と貴殿のことが話題になってな。見た目が美しく、珍しい指輪を九つも身につけており、性根は優しいが性格が捻くれている。あまりにも御伽噺と類似したのでね……後で法外な代価を要求されるのではないかと笑い話になったんだ」

 

 ぐっ、とみかかは言葉を詰まらせる。

 みかかの指には九つの指輪が嵌っている。

 一つつけていないのは、そこにはリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを装備するためだ。

 

「知らないなら言っておこう。どこの国でもそうだが……九つの指輪を身につける者は叶えたい願いを持つ巡礼者を意味している。御伽噺の天使もそうだったらしい」

「……ふむ」

「ある地方では子供が生まれたら一つ指輪を与える風習もある。指輪をしていれば、それを代価に願いを叶えてくる天使が現れると言ってね」

「なるほどね」

 文化が違えば、考え方も異なる。

 指輪に込められた意味も異なってくるということだろう。

 

「貴殿が何者なのかを問う気はない。だが、どこか……御伽噺から出てきたような現実味の薄い気配を感じるよ」

「………………」

 そこは気をつけないといけない点だろう。

「ところで、その天使の叶えたい願いって何だったの?」

「ああ。語るのを忘れていたな。かつての歌声を取り戻したい、だそうだ。冒頭で上手く歌えないことに絶望するんだよ。物語の途中で歌を習ったりもするのだが、何をしてもかつてのように歌う事が出来なかったそうだ」

「……えっ?」

 ちょっと待て。

 もし、その御伽噺がユグドラシルプレイヤーの実体験なら他人事では済まされない。

 

『代価にはその羽を』

 

 どうせ、元の世界に帰りたいとかそういうものだろう、と内心哀れんでいたみかかも既に取り戻せない代価を支払っているのではないか?

 いや、既に失ったものは明確にある。

 だが、それだけでは済まされないのでは?

 

(……くだらない。私には関係ない)

 

 舌打ちを一つ。

 そんな自分の行動に腹が立つ。

 厳しく躾けられた淑女たる自分が、そんな無頼漢のような行動を取ったことがあっただろうか?

 

「……どうかしたのかね?」

 漏れ出した気配に鳥肌が立つものを感じながらも、ガゼフは目の前の人物を心配して声をかける。

「いいえ。面白い話をありがとう」

 みかかはガゼフに背を向けた。

 怒りを覚え、平静を保てないなど恥ずべき行為だ。

 

「私は忙しい身だから失礼するわ。見送りもしないから、そのつもりでいなさいな」

「了解した。それではサエグサ殿、お達者で。もし、王都に来られた際は私の館に寄って欲しい。歓迎させて頂きたい」

「………………」

 肩越しに振り返り、すっかり見慣れた冷笑を浮かべた。

「そういう社交辞令は結構よ。そもそも、貴方の館の場所なんて知らないし……まぁ、気が向いたときに覚えていれば行くかどうか考えてあげるわ」

「そうか。その時は宜しくお願いする。どうか忘れないで欲しい、私の屋敷の門はいつでも貴殿に対して開いていることを」

「………………」

 断りの文句にしか聞こえないみかかの発言だが、本当に来る気が無ければ彼女は行かないと一言告げるはずだ。

 だからガゼフは嬉しそうに笑っていた。

「……ふん」

 そんなガゼフに拍子抜けしたのか、わずかに不満げな顔を浮かべて彼女は去って行く。

 ガゼフはその背中が見えなくなるまで頭を下げ続けた。

 

 

「おはようございます。ミカ様」

 村をぐるりと一周した頃には朝が訪れていた。

 朝焼けを眺めていた自分の後ろから声がかかる。

「おはよう、エンリ・エモット」

 見れば大きな水瓶を抱えたエンリ・エモットがいた。

 

「それは何をしているところ?」

 みかかはエンリの元まで歩き、水瓶を指差す。

 水瓶を地面に置いてから、エンリは答えた。

「はい。今日一日使う水を汲んで持って行くところなんです」

「……ふうん」

 水瓶の中を覗きこんでから井戸に目をやる。

 井戸を使っている者は今はいないようなので疑問に思って聞いてみた。

 

「皆、こんな事をしてるの? 貴方の家だけ?」

「えっ? 皆、朝に水を汲みますよ?」

 なるほど、エモット家が特別貧しいというわけではないようだ。

「そう。手伝ってあげるわ」

 みかかは水瓶を片手で持ち上げる。

「えっ?! す、凄い!?」

 強いのは知ってるが、華奢な体付きをしているみかかが片手で軽々と水の詰まった瓶を持ち上げたことにエンリは驚く。

「早く行きましょう? 私、貴方に聞きたいことがたくさんあるんだもの」

「は、はい」

 

 向かう先は当然エモット家だ。

 玄関を潜った先が目的地になる。

 

「この水瓶に水を一杯入れるのが朝の日課なんです」

「ふうん」

 かなり大きい水瓶だ。

 それもそうか――人は生きるだけでかなりの水を消費する生き物だ。

「だから、もう何往復かしないといけなくて。ああ、でも……少しくらい少なくてもいいんですけど」

「………………」

 エンリの瞳が悲しげに伏せられる――昨日に亡くした両親を思ったのだろう。

 

「これは私がやってあげるわ――他の事をしなさい」

 中から《ピッチャー・オブ・エンドレス・ウォーター/無限の水差し》を取り出して、直接水瓶に水を注ぎ始める。

「……えっ? あ、あのミカ様?」

 水差しに入ってる水は微量だ。

 そんなもの水瓶の足しにならない。

 何をしているんだろうと声をかける。

「………………」

 だが、少女は真剣な顔で水瓶の水を見つめ続けている。

「………………あ、あれ?」

 エンリは水差しからいつまでも水が流れていることに気付く。

 明らかに水差しの容量よりも多くの水が流れ出ていた。

 そして、とうとう水瓶の水が一杯になるまで水は注がれ続けた。

 

「魔法、ですか?」

「……そのようなものね」

 注ぎ終わったのにみかかは水瓶を眺め続けている。

「どうかしましたか?」

「大したことではないわ。次は何をするの?」

 衛生状態が気になっただけだ。

 見ればここには冷蔵庫もなさそうだし、衛生管理はどうなっているのだろうか?

「ええっと、水で身体を拭きます」

「毎日してるの?」

「はい。女の子は毎日しないといけないと母から教わりました」

 確かにあんな水瓶を何往復もして水を汲めば汗もかくか。

 

「大変ね。ところで……みんな、毎日こんな大変なことをしているの? それとも、この村だけ?」

 感慨深げにいうエンリにみかかは聞いた。

「ん~~。たまに村にくる友人の話では、街はもう少し便利みたいです。生活用のマジックアイテムがあったりするそうですし……」

 

「村にくる友人? その人はどこに住んでるの?」

「城砦都市エ・ランテルにいます。その人もミカ様と同じ魔法詠唱者で薬師をされてるんですよ?」

「そうなのね」

 そんな二人の元に足音が響いた。

 

「おはよう、お姉ちゃん」

「ん、おはよう、ネム」

「あれ? ミカ様」

「おはよう。ネム、随分と早起きなのね」

 すっかり懐かれてしまったようで、ネムが小走りにこちらに近づいてくる。

「そうかなぁ?」

 えへへと笑うネムの頭を撫でる。

「で、身体を拭いたら朝食?」

「はい。朝食の準備です。ミカ様は嫌いなものとかありますか?」

「別にないわ。お気遣い無く」

「分かりました」

 そしてエモット家の一日は始まった。

 

 

 ガゼフ達を見送った後、村人は復興作業を再開する。

 本来なら村人総出で行うものだが、そこにエモット家は含まれない。

 猫の手も借りたい状態だが、村を救ってくれた恩人への対応は同じくらい重要だからだ。

 

「これがお金ね」

 先程、村を襲った騎士達の持物を村人の一人が持ってきた。

 その中には皮袋に詰まったこの世界の通貨があった。

 村人は今回の一件は全部ガゼフが片付けたものである事にするのは聞いていた。

 そうなるとみかかが倒した法国の騎士達の所持品もガゼフが預かる物となる。

 現に法国の騎士達が所持していた武器や鎧は回収されている。

 だが、騎士達が所持していた路銀と軍馬を持っていくことはしなかった。

 あのガゼフが「問題ないように王と話をつけておく」と言ったのは良い変化なのだろう。

 そういうわけでみかかはこの世界の通貨を手にすることが出来た。

 

「はい。そちらは帝国の銅貨、銀貨、金貨ですね。王国のは……こちらになります」

 エンリが家にある銅貨を持ってきて、みかかに見せた。

「王国と帝国の金貨が違うということは法国の通貨も異なるわよね?」

「……だと思います」

 まず間違いはないだろうが、村の救世主に不確かな情報を与えるわけにはいかない為、歯切れの悪い返答になってしまう。

 

「帝国では王国の金貨は使えないのかしら?」

「いいえ。それは問題ありません」

「普通はそうよね。レートはどうなってるの?」

「レ、レート?」

 知らない言葉にエンリは首を傾げた。

「ええっと……王国の金貨一枚は帝国の金貨何枚になるの?」

「ああ! 一枚です。王国金貨と帝国金貨は一対一だと友人から聞いてます」

 たまに、この村に来る友人から帝国のお金を見せてもらった時の話を思い出して答える。

「……ふむ」

 村を見回って思ったが、自分達が住んでいた世界と比べてかなり文明的に劣っているように見える。

 当然、それは一般的な教養レベルにも影響する。

 エンリから詳しい話しを聞くのは難しいかもしれない。

 

(やはり、各国、大都市を見て回る必要があるな。生活してみるのがベストなんだけど……)

 

 シモベ達にそんなことを話せば難航するのは目に見えている。

 脳内会議を妄想するだけで、胃が締め付けられるような案件だ。

 

「ところでエンリ、この金貨とか使えるのかしら?」

 みかかはユグドラシルで使われていた金貨をテーブルに置いた。

「うわ、凄い!?」

 途端、みかかとエンリの話をつまらなそうに聞いていたネムがテーブルに身を乗り出す。

「き、綺麗」

 エンリも驚きに目を見開きながら、恐る恐る金貨を手に取る。

「つ、使えると思います」

 その答えはみかかの予想外のものだった。

「使えるの? この金貨に見覚えがある?」

「い、いえ! その何枚分の金貨の価値があるか分かりませんが、使えないことはないはずです」

「……?」

 何枚分の価値があるか分からない?

「もしかして、金貨の価値って、こう……天秤とか使って計ったりしてる?」

「はい。村長の家にありますのでそれで計れば価値は分かります」

「……うわ」

 

(秤量貨幣……だったかしら? 貨幣の歴史の中でも相当古い形態のものだったと思うけど)

 

 みかかは手元にある帝国の金貨を一枚手に取った。

 硬貨の作りは雑といっていい位のもので、一見すると偽装に対する細工も施されていないように見える。

 ユグドラシル金貨の装飾と比べれば、粘土細工と美術品くらいの差がある。

 

(細工から見ても、ユグドラシル金貨は流通してないな。いよいよ、金策が必要不可欠になってきた)

 

 どうやら、ユグドラシル金貨は使えるようだが使うわけにはいかないだろう。

 こんなものを街中で使用すれば自分の存在を吹聴して歩くようなものだ。

 

「凄く綺麗な細工です。どちらの国のものなんですか?」

「……多分、二度と戻れない遠い国のものよ」

 エンリが返した金貨を受け取りながら、みかかは呟いた。

「見せて、見せて!」

「ネム。お話の邪魔だから……」

「はい。食べ物じゃないから食べちゃ駄目よ?」」

 妹を嗜めるエンリを他所にみかかは金貨をネムに渡してやる。

「すごーい! きれーー」

 ネムは嬉しそうに受け取って、しげしげと金貨を眺めて楽しんでいる。

「……ミカ様」

 わずかに責めるような視線を向けたエンリに肩をすくめて答える。

「いいじゃない? 女の子だもの、綺麗に輝くものなら手に取りたくなるものよ」

「……もう」

 エンリも女の子なので、その気持ちは分かる。

 ……分かるけど。

 

(なんとなく、そうじゃないかと思ったけど……かなり甘い人なんだな)

 

 姉妹と言っても色々なタイプがある。

 あまり仲が良くないタイプ。

 普通に仲の良いタイプ。

 ちょっと仲が良すぎないと首を傾げるタイプ。

 

 彼女は断然、三つ目のタイプなのだろう。

 

「大体、私の知りたいことは分かったわ。後は貴方達のことを話しましょうか?」

「私達の事、ですか?」

「ええ。昨日も言ったけど、貴方達の面倒を見てあげる。面倒と言っても金銭的な援助と、様子を見に来るくらいだけど」

「ありがとうございます」

 エンリは頭を下げた。

 それだけで十分にありがたい。

 

「その一環で、村の復興にも微力だけど力を貸してあげる。この事は後で村長に話をしようと思ってるけど……」

「村まで、いいんですか?」

「ええ。戦士長の件もあるからね。あの人も力を尽くしてくれるとは思うけど、王国の現状がどのような物かエンリも身に染みて分かったでしょう?」

「……はい」

 すでに彼らは去った。

 これからの村の復興は自らの手でやり遂げなければならない。

 その道はあまりにも険しい。

 

「一つ聞きたいのだけど、この村はどうやって外貨を獲得しているの? 収穫した小麦を売るの?」

「いいえ、違います。カルネ村の周囲に広がるトブの大森林は薪、食料となる果実や野菜、動物の皮や肉――いわゆる森の恵みを与えてくれますので、それを売ることになります。その中でもやはり大森林で採れる薬草が一番ですね」

「ほう……薬草」

「村で採れた薬草はエ・ランテルにいる私の友人のところに卸してますね」

「ンフィーくんって言うんだよ」

「そうなのね」

 ネムに笑顔を向けつつ、凄い名前だなと心の中で感想を述べる。

 しりとりで役に立ちそうだ。

「お婆さんがエ・ランテルでも名の知れた薬師だそうで、かなり大きな店を営んでます」

「ふむ」

 薬師――つまり、医療従事者か。

 しかも、有名だとすればそれなりの資金力があるのではないだろうか?

 

「……使えるかな」

 みかかの小さな呟きはエンリ達には聞こえていないようだ。

 

「村がこんな状態ですので、エ・ランテルに薬草を売りに行き、必要な物資の購入を行いたいと思っているのですが……」

 これはエモット家だけでなく、他の村人も同じだろう。

 騒動で駄目になった物もあるし、人手を失ったことによる損失を補う必要もある。

「それはこちらとしても好都合だわ」

「どういう意味ですか?」

 エンリは疑問に思って聞き返す。

 みかかは椅子から立ち上がって答えた。

 

「私はこれで失礼するわ。ただ、数日後に戻ってくるから、その時に私も城砦都市エ・ランテルに案内してくれない? 薬草を売りに行きましょう」

 

 みかかは名案を思いついたとばかりの自慢げな顔をしていた。

 

 




 みかか「……使える」
 ンフィーレア(何だか急に寒気が……)

 長くなりましたが、カルネ村編終了です。
 


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第三章 内なる邪悪
忘却領域の守護者


2017/06/04 シャルティアの一人称「わっち」を「私」に訂正しました。ご指摘ありがとうございます。


「……まったく、もう。時間がないったら」

 ナザリック地下大墳墓第二層の石の廊下をカツカツと忙しない足音を響かせて歩く。

 昨日、カルネ村より帰還したみかかを待っていたのは自分の想像の埒外にあるものだった。

 

『好き好きみかか様。凱旋記念パーティー』である。

 

 頭の痛くなるネーミングセンスだが、誰がつけたかは黙っておくのが華というものだ。

 

 成程、カルネ村でも帰還した自分とガゼフ達に村人が宴を開いてくれた。

 それを考えれば、ナザリック地下大墳墓のナンバー2である自分の帰還に祝杯が上がるのも無理のない話だ。

 上に立つ者には相応の義務が生じると友人に苦言を労した以上、面倒だから出席しないなどと言うわけにはいかない。

 

 だから、玉座の間にて仰々しい凱旋の儀式が行われるのも我慢するし、その後に無事を祝うパーティが行われる予定だと聞けば、喜んで参加もしよう。

 しかし、みかかはシモベ達の狂信的忠誠心を甘く見ていた。

 

「まさか、パーティ中に四十回もお色直しさせられるとは思わなかったわ」

 

 凱旋の儀式を終えた後、風呂に入って身支度を整え、いざパーティ用に適当なドレスを選ぶかと衣裳部屋に入った自分を待っていたのは瞳を輝かせた一般メイド達。

 一体誰が考案したのか……一般メイド総勢四十一人が、我こそが至高なる御身に最も似合うドレスを選べるメイドと息巻いていた。

 四十一人のメイドの誰を選ぶか、誰を選んでも角が立ちそうな状況に困った主人を救ったのは、何時まで経っても主賓が訪れないのを気にした煉獄の悪魔だった。

 彼は状況を見て「ふむ。なるほど」と全てを理解した表情を浮かべてから一言。

 

「ならば、全てを試着し皆で投票すればいいだけの話ではないかね?」

 

 その一言は正に快刀乱麻を断つかの如し。

「それってパーティじゃなくてファッションショーじゃね?」と呆然とする主賓を除いて皆の納得行く答えを出してみせた。

 結果、みかかは花の都で行われる服飾銘柄店の新作発表会を一人でやる事態に陥った。

 きっと他のギルドメンバーが見ていたら記念のスクリーンショットを撮られた挙句、大いに茶化され玩具にされたことだろう。

 

 ちなみに最初はフォーマルなドレスだったが、どこで路線を間違えたのか男装することになり、それを見てウェディングドレスを着たアルベドとシャルティア、何故かマーレが乱入した辺りで無事収拾がつかなくなったのでお開きとなった。

 

 その後、円卓の間にてカルネ村の件をモモンガに報告することになったのだが、疲労を感じないアンデッドのみかかが疲れきっているのを見て、手早く状況の説明をするだけで終わることにした。

 そして情報交換を終えた二人は今後の行動指針について一度熟考してから意見交換をすることで話はまとまり、現在に至っている。

 

 考えるべき課題は三つ。

 みかかは王都、モモンガは城砦都市でそれぞれ行動を開始する予定だが、同行するメンバーに誰を選ぶのか?

 ポーションやスクロールなどの消費系アイテムの製作に用いる素材の確保をどうするのか?

 この世界の通貨をどのような手段で確保するのか?

 

 これらが差し当たっての問題である。

 

 まず同行するメンバーについてだが、そもそもナザリック地下大墳墓に属するものは主に異形種で構成されている。

 それゆえに人間の国に潜入出来る人員も自ずと限られてくる。

 

 シャルティアとセバス、後はプレアデスだろう。

 そのプレアデスの中でもユリ、シズ、エントマは潜入には向いていない。

 結局、シャルティア、セバス、ルプスレギナ、ナーベラル、ソリュシャンの五人となってしまう。

 モモンガは自分で一人で行くのはどうかと言ったが、みかかがそれを却下した。

 さすがに慢心が過ぎるし、大体、シモベ達が納得しないだろう。

 特に強く反対するであろうアルベドとデミウルゴスを納得させる材料が必要なため、人員の選抜は頭を悩ませる所である。

 

 勿論、アルベドもデミウルゴスも命令すれば聞くだろうが、荒れることは間違いない。

 みかかがカルネ村に単身で赴いた際に、セバスとデミウルゴスが言い争ったことからも、ちゃんと説得をしないと命令を無視して護衛に来たり、モモンガとみかかが外に出ている間に仲間割れでギルドが崩壊してたということもあるかもしれない。

 そういう訳で、自分達が誰をメンバーに選ぶか、選んだメンバーで説得出来る根拠を考えるのが課題だ。

 

 次に消費系アイテムの素材確保だが、これは気長に探すしかない。

 要は素材確保のメンバーに誰を選び、何処に送るのかを考えるのが問題だ。

 

 最後は通貨の確保だが、これはみかかに一案がある。

 当座の資金さえ確保出来れば、この世界では相当な強者であるモモンガと自分なら金銭獲得の手段は幾らでも存在する筈だ。

 そしてその資金はエ・ランテルに行けば高い確率で確保出来る策があった。

 

 現在、みかかが第二階層を歩いてるのは三つの課題とは異なる目的の為だ。

 

 エモット姉妹の保護である。

 いずれカルネ村には法国と王国の調査の手がいくだろう。

 特に法国の連中を釣り上げる為に、それなりの強者――出来れば人型で隠匿能力か不可視化能力に優れた者を姉妹の護衛を兼ねて派遣したいと思っている。

 

 そして、みかかにはそれに該当するシモベに心当たりがあった。

 自らが創り出したシモベだ。

 基本的にギルドメンバーは最低一体はNPCを作成しており、みかかはニ体、合計で百レベル分のNPCを作成している。

 

 今、向かっているのはみかかの創ったNPC達が護っている忘却領域と呼ばれる隠し部屋だ。

 

「………………ん?」

 みかかの気配感知にこの場所に相応しくない者が引っ掛かり、思わず足を止める。

 それは深緑を思わせる気配――それが視線の先、角を曲がった所からこちらに向かってきている。

 程なくして、気配の持ち主が姿を現した。

 

 第六階層守護者のマーレ・ベロ・フィオーレだ。

 アルベドやシャルティアよりウェディングドレスの似合う人物だったのは、みかかの記憶に新しい。

 

「やっぱり、マーレじゃない。こんな所で何をしてるの?」

「み、みかか様?!」

 まだ互いの距離は十メートルは開いているが、ダークエルフの聴覚はみかかの声を捕らえたようだった。

 てってってと軽い擬音が似合いそうな走り方でこちらに向かって走ってくる。

 

「み、みかか様。こんな所でどうなさったんですか?」

「私? 私はちょっとこの先に用があってね。マーレは……お使いかしら?」

「い、いいえ! あ、あの、ぼくはナザリックの隠蔽作業を任されていて」

 そうだった。

 マーレは広範囲のドルイド魔法で土で外壁を覆い隠す作業を行っている。

 

「モモンガ様から休憩をちゃんと取るようにと言われてるので休憩を……」

「もしかして……歩いて第六階層まで行くつもり?」

「は、はい! 転移の罠は現在、使われてませんので」

 そう。

 現在、経費削減の為にナザリックの罠は大体のものが切られている。

 なんだかマーレがエレベーターが停止された為に階段を利用する社員に思えてしまい申し訳ないものを感じてしまう。

 しかも、まだ社員は子供なのだ。

「そうね。ちなみに休憩時間って何分くらいなの?」

「い、一時間です」

 それじゃ、行って帰るだけのマラソンと変わらないじゃないか。

 それならまだ第二階層のシャルティアの住む屋敷……は、少しマーレの情操教育には悪いかもしれない。

 

「……ふむ」

「み、みかか様。どうかなさいましたか?」

「第六階層守護者、マーレ・ベロ・フィオーレ」

「は、はい!?」

「貴方の働きは褒章を受け取るに相応しいものであると認めます。これを受け取りなさい」

 みかかが取り出したのは指輪だ。

 リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン――ナザリック地下大墳墓内での転移を可能とする指輪である。

 

「み、みかか様……取り出されたものが間違って……ま、ます!」

 意外に大きいマーレの声に思わずみかかは手元を確認してしまう。

 だが、手に持った指輪は目的の物だ。

「えっ? いや、別にまち――」

「――間違ってます! それはリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン! 至高の方々しか所持を許されない至宝の一つ! それを受け取れるはずがありません!」

「………………」

 

(……へえ、この子)

 

 正直、見直した。

 ガタガタと怯えながらも、支配者に対して誤りであると主張が出来るのか。

 確かにこの指輪はギルドメンバー専用として自作されている。

 そういう意味ではマーレの意見は至極正しい。

 

「落ち着きなさい。マーレ・ベロ・フィオーレ」

「で、でも、でも――」

 みかかの冷たい手がマーレの頭を優しく撫でた。

 慈愛の溢れるその行為にマーレの動揺は急速に静まっていく。

 

「確かに貴方の言う事は正しいわ」

「だ、だったら、どうして――」

「――どうして、貴方は第六階層ではなく第二階層にいるのかを考えてみて?」

「えっ? ……あっ」

 マーレの瞳に理解の色が浮かんだことに満足して、みかかは頭を撫でていた手を離した。

 

「今は非常事態――本来ナザリック地下大墳墓は転移による移動を抑止している。だけど、ここに来る不届き者はそれを無視して転移が可能だとしたら? 貴方は走って私を助けに来てくれるのかしら?」

 そういってマーレの手に指輪を握らせる。

「み、みかか様……も、もしかして守護者の皆に指輪を渡されるのでしょうか?」

「……そうなるでしょうけど。渡すのが私なのかモモンガなのかは分からないわね。でも、覚えておいてね。私が指輪を渡した最初の人は貴方よ? 私も忘れないでいてあげる。貴方はこれを受け取るに相応しい価値を示してくれたわ」

「はい!」

 マーレははっきりと言い切ると手にした指輪を嵌める。

 自分の手に嵌った指輪を感慨深げに数度眺めてから、みかかの顔をまっすぐ見つめた。

 その顔には少年の凛々しさがあった。

 

「み! み、みかか様、ぼ、ぼくも絶対忘れません! この宝に相応しいだけの働きをお見せしたいと思います!」

「頼むわよ、マーレ。指輪を持つ誰よりも早く、私を助けに来てね」

「はい!」

 みかかの胸は新鮮な驚きに満ちていた。

 一番頼りない守護者だと思っていたけど、ああ、ちゃんと男の子なんだなと感心させられた。

 

「休憩の邪魔をして悪かったわ。その指輪を使って、ちゃんと休んでから隠蔽工作を再開して頂戴」

「は、はい! では、みかか様。失礼します!!」

 手に嵌めた指輪をさすりながらマーレが指輪の力で転移する。

 

「……いけない。早く行かないと」

 

 待ち合わせの時間に遅れてしまう。

 指定の場所までそう遠くないが、みかかも指輪の力を用いて転移を行った。

 

 

「……ごめんなさい。遅れてしまったかしら?」

 転移した先には一人のシモベがいた。

「いいえ。そんなことはありんせん。約束の時間にはまだ余裕がございんす」

 スカート部分が大きく膨らんだ漆黒のボールガウンを着た十四歳ほどの少女が優雅に微笑む。

 二人の印象はどこか似ている――どちらも太陽より月の美しさを持つ同種の美人であろう。

 健康的な白い肌とは異なる病的とも言える白蝋じみた白さを持つ肌、長い銀色の髪は片方で結び、持ち上げてから流している。

 彼女こそ第一階層から第三階層守護者のシャルティア・ブラッドフォールンだ。

 

「ああ、私の理想の姫君!」

 真紅のルビーを思わせる瞳は情欲に塗れ、矢も盾もたまらないとばかりに、みかかの胸に飛び込む。

「……あらあら」

 実年齢と外見年齢が異なるみかかとしてはシャルティアもエンリと同じく妹的存在と言えるので、しっかりと受け止めてあげた。

 

「………………ん?」

 

 だが、ゾワリと背筋を悪寒が走る。

 恥らいつつもそこに母性的なものを求めていたエンリとは異なり、明らかに恋人の胸に欲情するシャルティアの行動にみかかは凍りついてしまう。

 思考がフリーズしてしまったみかかを他所に、ぐりぐりと遠慮なしに胸の感触を楽しんでいたシャルティアが顔を上げて疑問の表情を浮かべた。

 

「おや? この馴染みのある感触、まるでパ――」

「――ねえ、シャルティア。それ位にしておいたほうが……貴方の身の為じゃないかしら?」

「は、はい! し、失礼致しました!?」

 絶対零度の微笑を浮かべたみかかにシャルティアは身を離し、大きく頭を下げた。

「みかか様に出会えた幸運に思わず我を忘れてしまいんした」

「いいわ。許してあげる」

 みかかは場の空気を改めるべく、コホンと咳払いしてから続ける。

 

「シャルティア。今日は貴方にお願――」

「――こちらにいらっしゃいましたか。みかか様」

 背中からかけられた声に「面倒くさい子キタコレ!」と微妙な表情が浮かんでしまう。

 それはシャルティアも同じだったようで絶世と言える美女の顔がどんどん歪んでいく。

 

「守護者統括殿が一体、何をしに来たでありんすか?」

「尊くも美しい私の姫君を腐った毒牙から守るための騎士役、と言った所かしら?」

 ビシイッ、と比喩ではなく――本当に空気が音を立てた。

「それなら心配はいりんせん。守護者の中で私以上の騎士役などおりんせん。何なら、試してみるぅ?」

「………………」

 シャルティアの笑みが深くなる。

 確かに階層守護者最強のシャルティアはアルベドでは勝てない存在だ。

 

「確かに守ることにおいては守護者統括殿には及ばないわ。だけど、私はみかか様の回復役もこなせるでありんす」

 みかかはアンデッドである為、通常の回復魔法では逆にダメージを受けてしまう。

 しかし、シャルティアが取得している特殊技術の中には負のエネルギーを流し込み生者にダメージを与えるものがある。

 それをアンデッドに使うことにより回復魔法として使用することが可能なのだ。

 実際、みかかがカルネ村に向かう際に念のためにシャルティアを控えさせていたのも彼女が一番相性がいいからだ。

 シャルティアなら単騎で攻め・守り・癒し役となれる。

 

(まぁ、私とシャルティアのツーマンセルの場合、一つだけ大きな穴があるんだけどね)

 

 弱点としては血の狂乱による自滅の可能性があるということだろう。

 

「分かったら、とっとと帰りなんし。お呼びじゃないわぇ」

「……言わせておけば」

 二人の間に険悪なムードが漂いだす。 

 

「二人とも止めなさい」

 みかかの冷たい声に二人は即座に了解の意を示して、満面の笑みを向けてきた。

 みかかはその変わり身の早さに呆れてしまう。

 

(言えた義理ではないけど……女性は怖いわね)

 

 感情と表情が連動しない生き物が女と言う生物だ。

 もしくは本音と建前の使い分けが上手い生物と言ってもいい。

 

「それで結構。貴方達はそうしているほうがずっと魅力的で素敵だわ」

 みかかの露骨なリップサービスを前に、二人は頬を赤らめる。

 先程の醜いやり取りは何処へ行ったのか?

 純情可憐な乙女達がそこに立っていた。

 

(……それにしても何を考えているのかが読めないな)

 

 みかかはチラリとアルベドの顔色を窺う。

 見え見えの世辞だ――彼女であればそれくらい読めそうなものだが。

 あの笑顔は単なる仮面か……それとも本心か。

 

(ちょっとした不安要素なのよね。この子)

 

 その為にも、自分の創ったNPCを傍に置いておきたい。

 アレの能力は信頼できる。

 ある意味、自分自身よりも。

 

「さて、アルベド。貴方がやって来た目的を聞かせて頂戴」

 ゆるみきっていたアルベドの顔が即座に守護者統括の顔に戻り、その場で臣下の礼を取った。

「ハッ。シャルティアは守護者の中でも最強の剣であり、みかか様の命を守る癒しの役目もこなせます。で、あればこそ御身を守る最強の盾である私めが同行する事により磐石の構えとなると愚考致します」

「……ふうん」

 一応、筋は通っている。

 しかも挑発してきたシャルティアを批難せず、大人の態度で立てるところは自分が好む対応だ。

 

「後もう一つ、みかか様はかくれんぼがお好きなようで、護衛の者が困っております。至高なる御方を守る盾として、守護者統括として看過出来る問題ではありません」

「………………」

 そういうアルベドの視線は笑っていない。

 確かに今日は急ぐ余りにリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンと己の隠匿技術を頼りに、煩わしい護衛連中を巻いてしまった。

「私が同行する事により姉の力を頼りに大墳墓内をくまなく探すような真似をせずに済みますし、そのリソースを他に割く事も可能になるかと」

「分かった、了承。確かに私が全面的に悪い――貴方に護衛を任せます」

 みかかはお手上げとばかりに両手をあげた。

 それを見て、シャルティアは敗者の、アルベドは勝者の笑みを浮かべる。

 

「御理解頂き感謝致します。そしてどうかお任せ下さい。この守護者統括アルベド――守ることこそ本分でありますが、お望みとあらば攻めることも出来ないわけではございません。つまり、ネコにもタチにもなれます!!」

 

(……猫、太刀? 何かの用語?)

 

 みかかの頭に浮かんだのはある城を占拠したギルド、ネコさま大王国にいた猫将軍というNPCだ。

 妖精種のケット・シーという二足歩行で歩くネコが鎧甲冑に身を包み、刀を携えていたのを思い出す。

 

「みかか様! 私はどちらかと言えばタチですが……みかか様がお望みであればネコにもなりんす!」

「……ふむ」

 良く分からないが太刀が攻撃側、猫が防御側なのだろう。

「確かにアルベドは猫。シャルティアは太刀に見えるわね?」

 どうやらこの答え方は間違ってなかったようで、二人はものすごい勢いで肯定してきた。

「ち、ちなみにご参考までにお聞きしたいのですが……みかか様はどちらがお好みで?」

 おずおずと質問するアルベドと興味津々な表情のシャルティア。

 

(今更、何それと聞けない空気だわ)

 

 みかかは腕を組み、天井をしばらく見上げてから一言。

 

「………………太刀?」

 

 最早、帰る事は叶わないだろうが実家の寝室には枕元に実戦使用可能な白鞘が飾られてある。

 

「「分かります! みかか様はタチキャラです!」」

 

 どうやら解答は間違ってなかったようだ。

 

「でも、ネコもいけるわよ?」

 みかかは両手で猫の手を作りながらやる気のない声で「にゃーん」と言ってみる。

「ぶふぉ!?」

 すると謎の奇声を上げて、シャルティアとアルベドが床に崩れ落ちた。

 

 みかかのかいしんのいちげき。

 シャルティアとアルベドへのこうかはばつぐんだ!

 

「……な、なんて破壊力でありんすか。理性が消し飛んでしまうところでありんした」

「シャルティアの言うとおり、本当にやばかったわ。私も思わず守護者統括の地位を忘れて乱心するところだったもの」

「言い終わった後に、ちょっと照れてるところとか最高にキュートでありんす」

「ええ。今は耳まで真っ赤だもの……これがギャップ萌えという奴なのかしら?」

 本人に聞こえる声で冷静に分析するのは恥ずかしいのでやめてほしい。

 

「………………」

 これがうちのギルドの最強の剣と最強の盾かぁ。

 

(駄目だわ、この子達――早く何とかしないと)

 

「ええっと、二人とも? 猫とか太刀とかの話は今度またの機会にすることにして行きたい場所があるからついてきてくれる?」

「「ハッ!!」」

 年頃の女性のように浮かれていた二人の顔が瞬時に引き締まったものに変わる。

「みかか様。一体どちらに行かれるのですか?」

 

「ナザリック地下大墳墓第二階層、忘却領域よ」

 

 みかかの言葉に二人は驚愕の表情を浮かべるのだった。

 

 

「……忘却領域。元々は至高なる御方々の実験場であり失敗したものの廃棄場だと聞いております」

「所謂、隠し部屋でありんすね。しかし、まさか第二階層にあったとは知りんせんでした」

 みかかは後ろを歩く二人――シャルティアの方に顔を向ける。

「シャルティア。あなた、忘却領域の場所を知らないの?」

「は、はい! 申し訳ありません!!」

 それを叱責と捕らえたのだろうシャルティアが直立不動で答える。

「責めてるわけではないから気にしないでいいわよ? アルベド、貴方はどう?」

「管理上、忘却領域の存在とそこに存在する領域守護者及びシモベに関しては把握しております。しかし詳しい場所については知らされておりません」

 ギルドメンバーはリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンの力で簡単に行き来が可能だが、通常の手段で行くのは困難な場所だ。

 そう考えると知らなくても無理は無い。

 

「そうなのね。忘却領域なんて名前をつけたせいかしら?」

 ちなみに名付け親はみかかだ。

 当初はアルベドの言う通り、ただの実験場であり廃棄場だった。

 ギミックやAI、創ったマジックアイテムの作動実験を行ったり、使わなくなったゴーレムや資材の倉庫となっていた。

 混沌極まるゴミ捨て場と化した場所を憂い、整理・管理して、一つの領域に作り変えたのがみかかだ。

 そしてユグドラシルの設定上では自分が創ったNPCにその管理を任している事になっている。

 

「みかか様はその忘却領域にある守護者にお会いに行かれるのでありんすね?」

「その通りよ」

 アルベドはシャルティアに説明するように話し出す。

「忘却領域守護者『マインドクラッシャー』のフラジール。フラジールの名が示すとおり守護者としては最弱であると聞いております」

「アルベド。フラジールというのはどういう意味でありんすか?」

「脆性。ええっと、儚いものだと思えばいいわ。彼はその名が示す通り守護者としては最弱、十二レベルなの」

「随分と貧弱でありんすねぇ。何か特殊な力でも持ってるのかしら? ちなみに、その領域守護者を御創りになられたのは……」

 シャルティアの視線を受けて、みかかは頷いた。

 

「私よ。今から、その子を迎えに行くところというわけ」

「異常事態ゆえの措置ということでしょうか?」

「……それもあるのだけど、あそこは私直属の管理領域でもあるの。長らく留守にしてたから、どうなってるか確認しておきたいのもある」

 アルベドは何かを納得したように頷いた。

 

「忘却領域が第二階層にある以上、階層守護者であるシャルティアに知識がないのは困る。そして私自身も詳しく知るわけではないので説明が必要。みかか様が護衛の目を騙せば、私が捜索し、見つければ護衛の任を買って出るのは自明の理です。流石はみかか様――今この場に私とシャルティアがいるのも全ては不甲斐ない私達に御教授頂く為の御身の計画だったのですね?」

「あら? その質問に答える必要があって?」

 いつもの冷笑を作って肯定も否定もせず流すことにする。

 嘘はよくない。

 これなら、少なくとも嘘をついたことにはならない。

 

(モモンガさんも言ってたけど、びっくりするほど都合のいい解釈ね)

 

 勿論、そんな訳はなく単なる偶然だが、アルベド達にかかれば釈迦の手の平に変わるわけだ。

 

「このアルベド、自らの浅慮を恥じ入るばかりでございます。みかか様の身を案じ、選りすぐりの護衛を選抜致しましたが、それが逆に不快に思われてしまったのかではないかと胸が張り裂けそうな思いでした」

「………………」

 罪悪感が半端ない。

「デミウルゴスが言う通り、まさに端倪すべからざる御方でありんすねえ」

「……単なる偶然よ」

 みかかの足が止まる。

 後ろをついてきていたアルベドとシャルティアの足も自ずと止まり、わずかに顔を青くした。

 

「それじゃ、この先に進むけど覚悟はいい?」

「お、お待ち下さい!」

 アルベドの声は悲鳴に近い。

「み、みかか様? 進むのですか、この先に? 本当に?」

「そうだけど?」

「みかか様。勿論ご存知でありんすと思いんすけど、この先は、その……」

 

《ブラックカプセル/黒棺》と呼ばれるナザリック地下大墳墓でも有数の凶悪なエリアである。

 

「忘却領域――そこは黒棺の床にある隠し扉を通って、その先に待ち受ける三つの試練を乗り越えた先にある秘境なの」

「「はいっ?!」」

 二人の声が唱和する。

 あの広い部屋。

 一区画とも呼べるだけの広さ……そしてゴキブリのプールと言えるほどの深さのある場所を、よりにもよって潜って行かなければならないというのか?

 

「ちなみに忘却領域の扉を開けるには黒棺にあるゴキブリのエンブレムとシルバーゴーレムコックローチの腹の中にあるスターシルバーの鍵を入手してから前室に入り、そこにあるゴキブリの模型の場所を動かした後、飾られているゴキブリの絵を若い順に並べて忘却領域への扉を開けないといけないわ」

 

「………………きゅう」

 

 シャルティアの体がぐらりと大きく揺らぐ。

 

「シャルティア、しっかり!! 私を一人にしないでくれる?!」

 仲が決して良いとは言えないアルベドが慌てて受け止めるほどだ。

「ご、ゴキブリ……ゴキブリ尽くし。そ、そんなの……むりぃ」

 シャルティアは何かぶつぶつとと呟きつつ、視線が空中を彷徨っている。

 

「み、みかか様!? このアルベドめに名案がございます! まず、黒棺周辺の一部区画を解放し、そこに黒棺の中にいる者共を移設――その後、シモベによる徹底的洗浄を行った上で忘却領域に向かうことに致しましょう!」

「………………」

 アルベドの目の端に涙が浮かんでいるのを、みかかは目ざとく見つける。

「ええ、是非に!! それがいいでありんすえ!?」

「………………」

 シャルティアとアルベドは互いの両手を握りながら、みかかに懇願する。

 

「………………ふうん」

 みかかの唇が線を引くように冷たい笑みを形作る。

 

「あっ、そう」

 

「「………………っ?!」」

 二人が知るみかかは柔らかい笑みを浮かべる人だったので、見たことのない笑顔に思わず全身がブルッと震えた

 主人が浮かべる冷たい笑みにあるのは獲物を弄る嗜虐的なもの。

 

「嫌よ。だって時間がないもの」

 

 機嫌を損ねたようにプイッとそっぽを向いて、二人の乙女の嘆願を却下する。

 

「で、であれば! 中を殲滅」

「なんて酷い事を言うの? 何の罪も無い同胞を狩るなんて……私、悲しくて泣いてしまいそう」

 みかかは尼僧服の裾で顔を覆い隠した。

「あう……あうあう」

 シクシクと肩を震わせて嘘泣きをするみかかにアルベドは翻弄されるばかりだ。

「勿論。二人は護衛として、私についてきてくれるわよねぇ?」

 チラリと覆った裾の隙間から瞳を覗かせて尋ねる。

 

「………………あ、えっ?」

「………………は、そ、それは~~」

 病的に白い肌を更に青ざめさせるシャルティアと大量の冷や汗をかくアルベド。

 

「……なんてね?」

 

「………………えっ?」

「……み、みかか様?」

 みかかが覆っていた手の平を退ける。

 そこには悪戯に成功したことを笑う悪童の顔があった。

 

「安心なさい……さすがに冗談よ」

 

 流石に超越者たる力を手にしたとはいえ、みかかもゴキブリのプールを潜る度胸はない。

 ここまで来たのは、悪戯ついでにちょっと忠誠心のテストをしたかっただけだ。

 シャルティアの容姿から推測するにゴキブリのプールに飛び込む勇気はあるまい。

 では、主人が命令したらどうなるのか、それが知りたかったのだ。

 

 答えは予想通りのものだった。

 一般メイドもそうだったが、階層守護者達も自分達に逆らうという発想はないようだ。

 

「み、みかか様――冗談は程ほどにしておくんなまし」

「ま、まったくです! 寿命が縮まる思いでしたわ!!」

「ごめんなさい。少しやり過ぎてしまったわ」

 二人に詰め寄られたみかかは素直に謝罪の言葉を口にする。

 

「悪い癖ね。どうも気に入った子は手の平で転がしたくなってしまうの」

「そ、それなら仕方ないでありんすね!」

「ま、まったくです! むしろ、コロコロ転がして下さい!」

 その言葉に二人はまんざらでもない様子だ。

 どうやら二人の機嫌は直ったようで、みかかは安心した。

 友人であり、ギルドでは一番仲が良かったぶくぶく茶釜に「みかかちゃんは調子に乗ると悪ノリが過ぎる傾向がある」と言われたことがあった。

 

「じゃあ、これを使って手っ取り早く行きましょう。二人にこれを貸してあげるわ」

 

 驚かせたお詫びにとシャルティアとアルベド両名の手を取って、左手の薬指にリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを嵌めてやる。

 思わぬサプライズに二人が黄色い歓声をあげる。

 

 ――きっと、ぶくぶく茶釜が見ていたら大いに叱られたことだろう。

 

 

「ここは……」

 三人が転移した先はまさに和洋折衷入り混じった空間だった。

 元が実験及び廃棄施設を兼ねていたこともあり、有効利用した建物も各国の様式と歴史が入り混じっており統一感がない。

 唯一、統一されているのはナザリック地下大墳墓では余り見かけられないジャパニーズモンスター、所謂妖怪と呼ばれるものが多いことだろう。

 存在するモンスターをじっくりと観察すれば動物系が多いことにも気付いたかもしれない。

 辺りには低レベルから高レベルまでゲーム内通貨や課金を用いて配置した再出現しないモンスターが多数存在している。

 これらはみかかが私財を投じて配置したものだ。

 

 そんな忘却領域を進んでいくと中心地に花園があった。

 そこはまさに天国と言ってもいい神聖な気配に包まれていた。

 咲き誇る白百合の花園――地下第二階層にあるというのに、天上からまばゆいばかりの陽光が差している。

 

 純白の空間。

 

 そうとしか表現できない。

 花園はまるでそこが聖域であるかの如く、多種多様な姿形をしているシモベ達も近づかない。

 そこに件の人物がいることは明らかだった。

 

「ややっ!? これはみかか様。ようこそ、忘却領域に。歓迎致します」

 

 みかか達の接近に気付いたのか花園からこちらに向かってくる人物が一人。

 現れたのは青白い肌をした老人だ。

 セバスと同じ執事服に身を包んでいるが、彼のように鍛え上げられた肉体ではなく痩せすぎていると言ってもいい。

 その肌の色も相まって健康的とは言えない風体だが、その鋭い目つきと声には生気が漲っていた。

 見た目は人間だが、真の姿は異なるだろう。

 たった一人の例外を除き、このナザリック地下大墳墓に人間種は存在しない。

 

「おんしが忘却領域の守護者でありんすか?」

「いかにも。お初にお目にかかります――忘却領域守護者、フラジールと申します」

 アルベドとシャルティアに対して片膝をついて頭を垂れる。

 

「私は第一、第二、第三階層守護者のシャルティア・ブラッドフォールン。そんなに畏まらなくてもいいでありんすえ。同じ至高の御方々に仕える身でありんすから地位の差などありんせん」

「守護者統括アルベドよ。シャルティアの言う通りだわ。どうか楽にして頂戴」

「ありがとうございます。ところで、このような場所に今日はどのような御用で? この地で眠られるシコク様に華を手向けに来られたのでしょうか?」

 フラジールは立ち上がると改めて老齢の顔に疑問の色を浮かべた。

 

「……シコク、様?」

 シャルティアが聞いたことのない名前に首を傾げた。

「みかか様が御創りになられたシモベは二体。一人がフラジール。もう一人がここにいるのよ」

「それならそうと先に言って欲しいでありんす。眠っているとはどういう意味?」

「みかか様。シャルティアに説明しても宜しいでしょうか?」

 アルベドがみかかに視線を向け、みかかは頷く。

 

「では、説明するわ。八十八レベル『オーバードーズ』のシコク。種族は亡霊系上位種族のスペクター。役職は忘却領域に入り込んだ不届き者を退治するための処刑人ね」

「八十八レベル? それなら……ああ、これ以上は言わぬが花でありんすねえ」

 それを聞いたシャルティアが微妙な表情でフラジールを見た。

 そいつの方が領域守護者に相応しいのではないかという疑問だ。

 

「いや、まったく。シャルティア様の思われた通りでございます。このフラジール、昔は皆様みたいな守護者だったのですが膝に矢を受けてしまいましてな」

 ハッハッハと守護者としては貧弱なその身を笑う。

 

「それで弱くなったというの? まさか世界級アイテムの攻撃なのかしら?」

「昔のことですので記憶にございませんなぁ、ハッハッハ」

 ちなみに、フラジールが話しているのはあくまで彼の設定上の話であり能力が下がったとかいう実態はない。

 

「ちなみにシコクはみかか様の補佐も仕事に含まれているそうだけど実態はないわね」

「深き封印の眠りについておられますので仕方ありませんな」

「それも今日までよ。アレの封印を解きに来た」

「……なんと」

 好々爺の老人の顔が一瞬にして鋭い物へと変わる。

 

「現在、ナザリック地下大墳墓は原因不明の事態に巻き込まれている。貴方は、ここで何かを感じたりしなかった?」

「いいえ。しかし、シコク様が長きに渡る封印から解かれるのですね。それは喜ばしいことでございます。忘却領域はその名の通り忘れられた者達の領域でございますから」

 フラジールは感慨深げな声で長年見守っていた同僚が解放されるのを喜んだ。

 

「それは違うわ」

「と、言いますと?」

「忘却領域は忘れられた者達の領域という意味ではない。封印されたことを忘れられるような領域であれとつけた名よ。貴方がそんな風に思っているのなら我が身の不徳の致す所ね――許して頂戴」

 

 その言葉にフラジールは笑みを浮かべた。

 この地の創造主たる至高なる御方の配慮には、ただただ深き感謝しか浮かばなかったからだ。

 

「では、どうぞこちらへ。案内させて頂きます」

 執事に連れられて三人は花園に足を踏み入れた。

 

 忘却領域の中央――白百合の花園の中心でその者は静かに眠りについていた。

 

 棺の中で眠る守護者を覗きこみ、みかかは笑った。

 

「……そうか。貴方も愛されていたのね」

 死者の棺に備えられたのは花だけではない。

 様々なアイテム――武器から防具、マジックアイテムに衣装まで様々だ。

 それらを備えてくれたのはかつてのギルドメンバー達だろう。

 

 特に見逃せないのが……ある指輪だ。

 何の飾りも無い銀の指輪には一つの流れ星が刻み込まれていた。

 

 この指輪を持つ者はモモンガを除けばあの人しかいない。

 

「みかか様――それでは封印解放のお言葉を」

 フラジールが恭しく告げ、みかかの思考は妨げられた。

「何か御座いましたか?」

「いいえ。何でもないわ」

 アルベドが異変を察知したのか、わずかに身構えようとしたのを手で制する。

 一度深呼吸をしてから、みかかは口を開いた。

 

「遅く、しかし静かな足取りで罰の女神は訪れる」

 

 みかかが告げると同時にバチンと何かが弾ける音が聞こえた。

 沈黙は数秒――棺の中に眠っていた守護者が目を開き、そして元気良く飛び上がった。

 

「お久しぶりでございます。我が創造主――そして初めてお目にかかります、アルベド様。シャルティア様」

 

 ほう、とアルベドは思わず口に出してしまう。

 その姿もさることながら、その心地良い美声は聞き惚れるほどだ。

 

 まだ幼い……四、五歳くらいの少女だ。

 みかかと同じ黒髪で前髪は眉の辺りで真っ直ぐに切り揃えられており、市松人形を思わせる後髪はかなり長く、足首に届くかという所まで伸びている。

 真っ白な着物と三角頭巾――古式ゆかしい死装束に身を包んだ幼女は中空に浮いたまま頭を下げた。

 

「初めまして。随分と愛らしいシモベでありんすねぇ」

 見目麗しいアンデッドの幼女であることが幸いしたのか、シャルティアの反応は上々だ。

「初めまして、シコク。よく私とシャルティアが分かったわね? みかか様から聞いていたのかしら?」

 アルベドは冷静に一目で自分とシャルティアを判別した彼女に疑問を投じる。

「いいえ。そうあれとみかか様に創られました」

「へえ?」

 アルベドは説明を求めて、みかかを見る。

 

「何と説明したらいいのか迷うけど、一言で言えばアルベドやデミウルゴスの対極に位置する天才とでも呼べばいいのかしらね? この子は超感覚的知覚の持ち主なの。確たる理由もなく、明確な根拠もなく、事の真実だけを貫く。私が最も苦手とするタイプの写し身のような存在ね」

 

 ユグドラシルというゲームはその性質上、何でも出来るキャラというのは作れなかった。

 メリットがあれば必ずそれに反するデメリットが存在する。

 そういうルールで作られたゲームだった。

 

 だから、みかかは己の作るNPCにもそのルールを課した。

 

 過程の一切を捨てるというデメリットを強いることで事の真実に誰よりも近づけるというメリットを取ったのがシコクだ。

 

 そう聞けば、そっちの方こそチートのように思えるかもしれない。

 だが、物事には結果より過程が重要なことは山ほど存在する。

 例えば、推理小説――登場人物が全員出てきた段階で彼女は犯人を言い当てることが出来る。

 

 だが、その発言には意味がない。

 彼女には動機もトリックの説明も出来やしないのだ。

 そんな狂人の戯言に過ぎない主張は推理小説ならまだしも現実世界で通用しない場面に遭遇することが多々あるだろう。

 

 カルネ村の村長から聞いたプレイヤーと思われる『口だけの賢者』など最たる例だ。

 

 仕組みが分からなければ、製法を知らなければ、どんな最先端技術もただの妄想と大差がない。

 

「……使い所に工夫が必要ですが、確かに恐ろしい存在ですね」

 アルベドは湧き上がる動揺を抑えつつ言った。

「………………フフッ」

 そんなアルベドをチラリと一瞥したシコクは口元に笑みが浮かべる。

 

(一体、何処まで読めるのかしら? まさか考えてることは全て筒抜け? いや、それはみかか様の仰られた考えと矛盾する筈。もう、さすがはみかか様――本当に、厄介なシモベを御創りになられたわね)

 

 そして、何と羨ましく、妬ましい事か。

 愛する御方はきっとあの小娘を御創りになられる際に深く思い悩んだに違いない。

 そして当人も断言してるが最も苦手なタイプとは味方になればこれほど心強いものはない。

 

(自らがそうあれと眠りにつかせていた者を起こしてしまうほどね。つまり、頼りにしているのよ!!)

 

 我が身の至らなさと嫉妬のあまりに舌を噛んでしまいたいくらいだ。

 自分では足りない物をあの小娘に求めている。

 

(いけない。同じナザリックに属する者だと言うのに、嫉妬の炎が収まらないわ。今、ここにこれ以上いるのは危険だわ。敵意を持たれる恐れがあるわ)

 

「みかか様。申し訳ありません」

「用事が出来たのかしら?」

「ハッ。すぐに別の者を警護の任に着かせます」

「だったら、私の部屋にプレアデスの誰かがいるからその子に指輪を渡しておいて頂戴。私もすぐに自室に戻るわ」

「了解致しました。シモベ達にはシコクとフラジールの顔合わせを行うように伝えておきます」

「ありがとう」

 主人の微笑みに癒されつつ、アルベドは即座に転移を開始する。

 

「……ふむ。何やら随分と焦っておられましたな」

 

「そうでありんすか? 私にはいつものアルベドのように見えんしたけど?」

「空気の読めないシコク様の代わりと言っては何ですが、私は他者の詮索が趣味でしてな。心の機微には敏感なのですよ」

「心の機微に敏感……それは便利でありんすねぇ。フラジールは恋愛相談にはもってこいかもありんせん」

 フラジールが人の良い老人特有の笑みを浮かべた。

「ハハハ、お褒めに預かり恐悦至極に存じますぞ。どうか、気軽にフラ爺とでもお呼び下さいませ。しかし、シャルティア様は裏表のない素直な方のようですな」

「私を褒めても何も出ないでありんすよ? どうやらアンデッドではないようでありんすし?」

「ハッハー。単なる本心で御座います」

 意気投合する二人を他所にみかかはシコクに話しかけた。

 

「シコク。長きに渡る封印の日々――さぞ退屈だったでしょう? これからはその力を余すことなく振るって頂戴」

「みかか様の仰せのままに」

 幼女は空中に浮かんだ状態で臣下の礼を取る。

「……ねぇ、シコク?」

「ハッ」

「まず何よりも先に聞いておかねばならないことがある。貴方は、私を恨んでいる?」

「いいえ。私もフラ爺もここにいる事を恨んでなどおりません」

 即答したシコクの顔を見る。

 それが嘘なのか本当なのか、みかかには判別が出来ない。

「そう。貴方の言葉を信じるわ」

「ありがとうございます――我が創造主たる御方に偽りを述べるなどありえません」

 少し声が固いように感じる。

 シコクが不快に感じたのか、それとも自分に負い目があるせいかは分からない。

「それに――」

「それに、何だ?」

 シコクは先程まで自らが眠っていた棺に目を向ける。

 

「私は至高なる御方々にこんなにも愛されておりました。私のことを想ってくださった御心には感謝しております」

 

「そう。そこにある物は、一見するだけでも稀少なアイテムよ。大事にしてね?」

「ハッ」

 自らの造物主に頭を下げる。

 

 頭を下げた彼女は――ただ静かに、透明な笑みを浮かべていた。

 

 




アルベド「あら? マーレじゃない。その指輪は?」
マーレ「みかか様から頂きました!」
アルベド「なんですって?!」

 出来上がった話を一から書き直した為に更新が空きました。
 ここから第三章開始となります。


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その名の価値は

 みかかが忘却領域からシコクとフラジールを連れ出していた頃、モモンガはナザリック地下大墳墓の外に出ていた。

 

「……確かにみかかさんの言う通りだな」

 この世界に来て初めて、モモンガは外に出ていた。

 ここは何百メートルの高さになるだろうか。

 マジックアイテムの力で空を飛んだモモンガは世界を眺める。

 月と星の輝きが大地を照らしていた。

 ナザリック地下大墳墓の周辺にある草原が風に揺れる様は、まるで波を思わせた。

 天空を見上げれば無数の星と月を思わせる大きな惑星が浮かんでいた。

 

(ブルー・プラネットさんならこの光景を見てなんて言うだろうか)

 

 自分達の世界とは比べ物にならないほど、清浄なこの世界を目にしたら大いに感動することだろう。

 彼は自然を愛していた。

 環境汚染によってそのほとんどが失われたモモンガ達が元住んでいた世界――そんな現実には無い光景を見るためにユグドラシルというゲームに参加した男。

 彼は自然を語るときは熱かった。いや、熱すぎるほどだった。

 モモンガは何とはなしに自分の横に視線をやった。

 そこにいるのはブルー・プラネットではなく、デミウルゴスだった。

 現在の彼は半悪魔形態の外見――背中から大きな黒翼を生やし、蛙じみた顔に変化していた。

 そこにいるのが友人でないことに少しばかり寂しさを覚える。

 そして、モモンガは再び天空に輝く星を見つめる。

 

「……惜しいことをした。どうせならみかかさんを誘って、この宝石のような美しい世界を眺めるべきだったな」

 彼女がいればブルー・プラネットの話で盛り上がっただろうに。

 最高のシチュエーションを一人で体験してしまったことに無念を覚える。

 感動の場面を共有し、語り合える機会を逃してしまった。

「きっと、みかか様もそう思われていることだと思います」

「………………」

 デミウルゴスのお世辞とも取れる言動に気分を害する自分がいた。

 モモンガにとってギルドメンバーの思い出は何にも代え難い宝である。

 例え友人が創ったシモベとはいえ、友人そのものには及ばない――それゆえの苛立ちだ。

「この美しい世界は御二方を喜ばすために存在する世界。きっとその身に飾るための美しい宝石を宿しているに違いありません」

 だが、その後に続いた芝居がかった台詞にモモンガは静かに笑った。

 どうやらデミウルゴスも雰囲気に酔ってしまったらしい。

「……確かにこの世界なら多くの美しい宝石を宿してそうだな」

 これだけの自然を有する星だ。

 天然自然の作り出した美しさの結晶たる宝石も自分達の世界より多くがまだ埋もれたままに違いない。

 

「みかかさんにその宝石を捧げれば喜んでくれるだろうな」

 

 甘い物と宝石は女性を魅了して止まない物だ。

 それは彼女も一緒で、モモンガは『運命の石』と呼ばれる十個の宝石集めを手伝ったことを思い出した。

 シリーズアイテムと呼ばれるもので全てを揃えることでより強大な力を引き出すことが出来るが集めるのに苦労したものだ。

 

「お望みと在らば、ナザリック地下大墳墓の総力をもって全ての宝石を手に入れてまいります」

「どうやら私達は弱者ではないようだが、未だこの世界にはどのような強者が潜むか分からない状態だぞ? 愚かな発言だ」

「だが、そうだな――男なら一度くらい、女性に宝石を捧げるべきかもな。それがこの世界の全ての宝石なら、最高だ」

 

 モモンガにはプロポーズの経験もなければ、女性にアクセサリーをプレゼントした経験も無い。

 だから、もしそんな機会が出来たなら彼女に贈るのは悪くないと思えた。

 

(彼女は俺の――いや、皆で作り上げたナザリック地下大墳墓の為に命を張ってくれたんだ。その感謝の気持ちとしてな)

 

 今まで生きてきて一度も体験したことのないリアルの光景。

 その雰囲気を前にして酔い、再会した友人が無事に戻ってきてくれた感動からうっかり口を滑らせた。

 その程度の失言だ。

 

(うわ、恥ずかしい)

 

 だが、数秒後にはモモンガは自分の顔を手で隠した。

 それ故にモモンガはデミウルゴスが浮かべている驚愕の表情に気付けない。

 

「デミウルゴス。先の発言は忘れてくれ」

 デミウルゴスが吹聴するとは思えないが、念のために命じておく。

 何かの間違いで伝言ゲームにでも発展しようものなら大惨事である。

「ハッ! モモンガ様のご命令とあれば!!」

「うむ。今の発言はその、あれだ。失言だった」

 

(……まさか、この世界をその手に収め、みかか様にプロポーズを?!)

 

 例の如く深読みスキルを発動させていたデミウルゴスに上手く釘を刺しておく結果になった。

 これがなければ間違いなくモモンガの思い描く大惨事となっていただろう。

 

(しかし、この世界が知れればモモンガ様のお心も変わるかもしれない。ならば、シモベとして何をすべきは明白、ですね)

 

 この世界の生きとし生ける者に対しては最悪と言ってもいい悪魔の顔に笑みが浮かぶ。

 モモンガの一言は世界を震わせることになる。

 

 

「――と、言うわけでみかかさんがいなくなった後、大変で大変で」

「あらまあ」

「ちょっとした会話のボールが雪だるま式に大きくなりました。守護者達に伝言ゲームは不向きですね」

「気をつけないといけませんね。何とはなしに言った言葉がとんでもない解釈をされそうです」

「まったくです。十分に気をつけたほうがいいですよ、みかかさん」

 まさか円卓会議の裏側で階層守護者達が昨夜の発言についての会議をしてるとはモモンガ達は夢にも思っていなかった。

 

「昨日は色々あって言えませんでしたけど――みかかさん。本当にお疲れ様でした」

 モモンガは姿勢を正してから深々と頭を下げた。

「いえ、そんな……」

「いいえ、これはちゃんとしなければいけないことです。これでお互いに貸し借りはなし、ここからは運命共同体ですよ」

「……はい。私もそのつもりです」

 二人は互いに笑みを浮かべた。

 久しぶりに再会し、どこか他人行儀だった二人だが、今はかつてのように打ち解け合っていた。

 

「では、早速ですけど昨夜の課題についての意見交換をしましょうか?」

「その前に、一つだけいいですか? 私から提案があるんです」

「なんでしょう?」

 みかかは意を決した様子のモモンガを見て緊張しながら尋ねる。

「みかかさんが言ってくれたように、私はこれからギルド長として行動しようと思います。それを踏まえて、名前をアインズ・ウール・ゴウンに変えようと思うんです」

「名前をギルド名にするんですか? それはどうしてですか?」

 みかかは不思議そうに尋ねる。

「その名を広め、この世界の全てに知れるようにする。そうすれば、ここにいるかもしれない他の仲間達が来てくれるかもしれないでしょう?」

「……他の方を集めるために、ですか」

 みかかはモモンガから視線を逸らして黙考する。

「う~~ん」

 しばらく考え込んだ後、みかかは眉を寄せた。

「どうでしょう?」

 どうやらあまり乗り気ではないようだ。

 

「モモンガさんは他のギルドメンバーもここに来てるかもしれないと考えてるわけですね?」

「はい。みかかさんが現地の人達から聞いた八欲王に六大神、十三英雄に童話の話。これらはプレイヤーや世界級アイテムと関係があると思います。それに自分達だけがこの世界に来たとは考えにくいでしょう?」

「……はい」

 それについてはみかかも同意する。

 

 だが、アインズ・ウール・ゴウンのメンバーがここに来ているのかと言われると正直なところ答えは分からない。

 サービス最終日に訪れた時、モモンガ一人だけだった。

 他のメンバーはどういう経緯で辞めていったのかを聞けてないのだ。

 

「個人的には賛同出来ませんね」

「それは私一人がギルド名を名乗るから、ですか?」

「………………?」

 みかかはモモンガの答えに歯車が噛み合わない様な違和感を感じた。

 

(何だろう? 私は何か大事なことを勘違いしてる?)

 

 モモンガと自分では、事の優先度の差異が大きく違うのかもしれない。

 具体的に何がと断定出来ないが違和感がある。

 心の警戒度を少し上げ、みかかは失言を漏らさないように注意しながら冷静な意見を述べることにする。

 

「いいえ。そうではありません。モモンガさんは皆に自分が来てることを知らせたいんですよね?」

「はい。そうです」

「なら、ギルド名を名乗るのは微妙かなと思います。もし、私が単身でこの世界にやって来ていて、一個人がアインズ・ウール・ゴウンを名乗ってたら罠だと判断します。何故なら、それはギルド名であってプレイヤー名ではないからです。特に私のようなタイプの人、ぷにっと萌えさん辺りも警戒度は高いと思いますよ?」

「……うっ、確かに」

 みかかの意見ももっともだ。

 

「どうせなら仲間内でしか知らないものにした方がいいのでは? 例えば『ナインズ・オウン・ゴール』とか『異形動物園』とか」

「異形動物園? ああっ!? よく覚えてましたね、そんなの……」

 クラン『ナインズ・オウン・ゴール』からギルド『アインズ・ウール・ゴウン』に変わる際にギルド名をどうするかでモモンガが提案した名前だ。

 

「何と言いますか……アインズ・ウール・ゴウンにしたいのは別の目的があるんじゃないのかなと思うんですけど?」

 

「………………」

 多分、そうなのだろう。

 伝説のギルド名をこの世界でも不変の物としたいという思いがあったのかもしれない。

 

「それと反対する一番の理由は危険が大きいからです。私達は敵が多いギルドでした。その名を掲げれば、他のギルドが危険だから結託して倒そうということになってもおかしくありません」

「……そう、ですね。少し軽率だったかもしれません」

 モモンガが見るからに気落ちしていくのが目に見て分かる。

「でも、モモンガさんがどうしてもと言うなら従いますよ?」

「その場合は貸しですか?」

「そうなりますね」

「なら辞めておきます。それでまたみかかさんが危険な目にあったりするのは御免ですから」

 数秒の沈黙の後、みかかはおずおずと口を開いた。

「……ちょっと、怒ってたりします?」

「えっ? いえ、そんなことないですよ。確かにみかかさんの言う通りリスクとリターンが釣り合ってませんからね」

「なら、いいんですけど……」

 

 なんせ自分達は運命共同体だ。

 仲違いして険悪な状態になるのは避けたい。

 これは最早ゲームではなく、仲間と言うより家族に近い関係だ。

 その分、ユグドラシルの頃よりずっと相手との距離感に気を使わなければならない。

 

(……恥ずかしいけど、仕方ないか)

 

 ここは建前だけでなく、本音をぶつけるべきだろう。

 みかかが納得出来ないのには、もう一つ理由があった。

 

「モ、モモンガさん!」

「は、はい!」

 机を叩いて立ち上がったみかかに釣られて、モモンガも椅子から立ち上がる。

「こ、これでも気にしてるんですよ? モモンガさんにギルド長らしい行動を、とは言いましたけど……それはモモンガさん個人の意思を殺せと言ってるものですから!? モモンガさんだって大変なのに、ちょっと我侭だったかな、と」

「………………」

「それもあるから、名前を変えるのは反対と言いますか。モモンガさんにはモモンガさんのままでいてほしいなとか思ったり思わなかったりしてるわけで……だから! つまり、モモンガさんはモモンガさんでいいんです! それにギルドメンバーの皆さんがいるなら、皆だって私達を探してるかもしれませんし、何かの対策を取ってる筈です。なら私達は彼らのためにも本拠地の安全を確保するのが最優先ではないでしょうか?!」

「そ、そうですね」

 

(……これがツンデレか)

 

 なるほど、これは確かに何か心にくるものがあるかもしれない。

 

「分かって頂けたなら結構です。ま、まぁ……仲間を探すというのは私も賛成です。その際はさっきのように仲間内でしか理解出来ないもの。つまり符丁を使うべきだと考えます」

 ストンと腰を下ろしたみかかに合わせてモモンガも椅子に座る。

「はい。そのときはまた考えることにしましょう。いきなり話の腰を折ってしまってすいませんでした」

「いえいえ。では、昨日の課題について話し合いましょうか?」

 どうやら言いたいことは吐き出したのか――みかかの顔は満足気だ。

 モモンガもまた自分を気遣う友人の言葉に満足していた。

 

 みかか・りにとか・はらすもちか。

 異形動物園『アインズ・ウール・ゴウン』の最年少メンバー。

 メンバーによって彼女の接し方は様々だったのだが、皆からは年の離れた友人、妹、教え子、弟子、ライバル、同志、メイド、玩具と形は違えど愛された少女である。

 

 そんな彼女の姿を見つめながら、モモンガは思う。

 

 ――友たちよ。

 

 至高の花園に咲いた一輪の華は、今もここに枯れることなくあの時と同じように咲き続けている。

 

 もし、この世界の何処かにいるなら――どうか、彼女に会いに来てくれないだろうか?

 きっと彼女もそれを望んでいるはずだ。

 

 だが、もしもこの世界の隅々まで探しぬいて見つからないその時は。

 

(このナザリックがその手に収めることが出来る宝石を彼女の為に探しても、許してくれるだろうか?)

 

「――モモンガさん。ちゃんと話を聞いてくれてます?」

「ええ。勿論、実はメンバーの件でちょっとした名案が思いついたんですけど……」

 二人きりの円卓の間で、モモンガは友人と語り合う。

 

 モモンガは空白の五年間の間にみかかに何があったのかを知らず、みかかもまたモモンガの五年間を知らない。

 

 互いの心の暗部に触れ合うことを二人は避けている。

 

 それはある意味、異世界に飛ばされるという極限状況下において仲間割れによる自滅を防ぐための懸命な判断だったのだろう。

 

 だが、互いの認識の差は時に致命的な事態に発展することがある。

 

 二人はまだその事に気付いていない。

 

 




モモンガ「……我が名を知るが良い。我こそが――異形動物園」
みかか「そっちを名乗るんですか?!」

 没原稿をリサイクル。
 この作品ではモモンガさんは改名しません。

 これから、こういう短い話も出てくるかもしれません。


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城塞都市の新たなる冒険者

 城砦都市エ・ランテル。

 隣国であるバハルス帝国、スレイン法国との要所となる境界に位置するリ・エスティーゼ王国の都市である。

 城砦都市の名を冠するだけあって、このエ・ランテルは三重の堅固な城壁に囲まれており、王国でも屈指の防衛力を誇っている。

 そんな街は各城壁内ごとにそれぞれ明確なゾーン分けが行われていた。

 外周部は王国軍の駐屯地として利用されており、軍事系統の施設・設備が大半を占めている。

 最内周部は都市の中枢となる行政関係と兵糧を保管しておくための倉庫が並んでおり、厳重な警備が行われている区画だ。

 そして二つの区画の間にあるのが街に住む市民の為のエリアであり、一般的に街と聞いて想像されるのがここにあたる。

 そんな区画に点在する広場の中で最も大きい中央広場――そこに隣接して立ち並ぶ建物の一つ、五階建ての建物から現れた三人組が街の喧騒を忘却の彼方へと押しやった。

 

 まず何より目を引くのが三人組の中心にいる女性だ。

 神に仕える女性が着るとされる尼僧服にその身を包んでいるが、敬虔という言葉から連想されるイメージとは大きく異なる印象を持った女性だ。

 年齢的には二十になる頃だろうか、健康的な褐色の肌の持ち主で、忙しなく視線を泳がせてはころころと表情が変えている。

 見るからに活発そうな印象があるが、彼女の三つ編みが歩くことでピコピコと揺れて、その印象をより強めていた。

 もしも、尻尾が生えていたならさぞ忙しなく振っていることだろう。

 

 対して彼女の連れ合いである二人の性別は不明だった。

 それも仕方の無い話だ。

 なんせ外見から性別を判断できるものがないのだ。

 

 広場にいた誰かが「漆黒の戦士」と呟く。

 

 まさしくその通りで三人組で最も背の高い者は漆黒に輝き、金と紫色の紋様が入った絢爛華麗な全身鎧に身を包み、真紅のマントを風に靡かせて歩いている。

 一目見ただけでも相当高価な鎧だと言うのが分かる。

 その全身鎧に隠された素顔は一体どんな物だろうかと見つめる人々の想像力を擽られるのも仕方ないことだろう。

 

 そして、最後の一人は見る者全ての度肝を抜く奇抜な格好をしていた。

 

 小柄な身体の一切を包み隠す外套を羽織り、顔をすっぽりと覆うタイプの兜ともいっても良いマスクを着けている。

 

 そのマスクは一言で言えば――虎だった。

 

 あまりにも精巧な作りであるため、まるで生きた虎の頭を刎ねて、そのまま人の身体にくっつけたような印象すらある。

 城塞都市から遠く離れた所に竜王国と呼ばれる地があるが、そこを襲っているビーストマンと呼ばれる種族でないかと城門を潜るときに門兵と一悶着あったほどだ。

 

 漆黒の戦士を先頭にそんな風変わりな三人組が通りを静かに進んで行く。

 目撃者達は遠ざかっていく三人の後ろ姿を目で追いながら口々に噂する。

 いずれはこの街どころか国中に知れ渡ることになる三人組だが、当然彼らはその事を知る由もない。

 

 三人組はさほど広くない通りを黙々と進む。

 

 街の中であるが、石畳のようなしっかりした作りではなく、土と泥が交じり合っていて足場は悪い。

 

(自然といえば風情もあるけど、大都市の道路がこれという事は文明的には大したことないな)

 

 モモンガは土を踏みしめながら思った。

 

 漆黒の戦士の正体――それは全身鎧に身を包んだモモンガだ。

 

 魔法詠唱者であるモモンガは本来であれば全身鎧を装備できない。

 だが、魔法で製作した鎧であれば身につけることは可能だ。

 そのため《クリエイト・グレーターアイテム/上位道具創造》により作成した漆黒の鎧を身につけ、骨の顔は幻覚魔法によるマスクで隠すことによって人間に見えるように偽装している。

 最初に門を潜るときは内心ばれるのではないかと不安だったが問題なく通過することも出来た。

 それから冒険者組合と呼ばれる建物に入って登録を済ませる頃には焦りもなくなり、今は周りの状況に気を使う程度の余裕も生まれた。

 

 路上を軽やかに歩きながら、周囲に人がいないことを確認すると、モモンガは後ろにいる二人に話しかけることにした。

 

「ルプス。それに――ミカサ。念のために言っておくが私はモモンであり、お前達のパートナーだ。対等の関係である為、敬語は必要ない。後、くれぐれも互いの名前を間違えるなよ?」

「了解っす! モモンさん」

 親指を立てて返事するルプス。

「………………」

 無言で頷くミカサ。

 

(ふむ。ルプスレギナの適応力は確かに高いな)

 

 モモンガはルプス――本名、ルプスレギナ・ベータの人選に間違いがないことを確信した。

 戦闘メイド『プレアデス』の一人、ルプスレギナ・ベータ。

 種族は人狼――職業はプリースト。

 当初、モモンガはナーベラルを連れて行くつもりだったが、シコクが彼女を推薦したことにより彼女を選ぶことにした。

 

(シコクは解答を提示するだけでその理由を語れないから不安もあったけど、確かに人選に狂いは無かった。この世界基準で考えればプレアデスの中ではルプスレギナが一番のチートキャラだ)

 

 第三位階魔法が常人の限界であるこの世界において、彼女は第三位階魔法に相当する治癒と攻撃魔法を扱える上に直接戦闘能力すら有するという万能キャラとなる。

 実際、組合に登録する際に第三位階魔法の治癒と攻撃魔法を両立させていることを告げた彼女に受付嬢は飛び上がらんばかりに驚いた。

 

(……正解過ぎて、戦士の俺がおまけっぽくなってるんだけど)

 

 騒然とする冒険者ギルドを見て、ここで直接戦闘も出来ると知られると厄介な事になると思ったモモンガが、彼女は直接戦闘が苦手――血を見るのが特に駄目、という設定を慌てて付け加えたほどだ。

 

 ちなみに円卓会議の時に、みかかが推薦した人物はソリュシャンだった。

 その理由は彼女らしく「索敵能力がないのは危険である」という観点からだ。

 またいざ襲われた際には、ソリュシャンの索敵能力を上回った時点でモモンガが戦士として対応できる相手ではなく、本気を出す必要があるのが分かるので鳴子代わりにもなると言っていた。

 

 だが、結果はソリュシャンではなくルプスレギナが選ばれた。

 そもそも索敵能力を考えるなら、誰を選ぶかなど問われるような問題ではない。

 

(かつてのギルドメンバーと冒険する――それは俺の譲れない願いだからな)

 

 その為にモモンガは随分と悩んだのだ。

 

「モモンさん。どうかしたっすか?」

「いや、なんでもない。ルプス、お前なら大丈夫だと思うが敵対行動を誘発するような行動はするなよ?」

「ばっちりオッケーっす! 冒険者ギルドでナンパされた時みたく声をかけられたら、上手くあしらって見せますよ!」

「………………」

 ちなみに冒険者ギルドでナンパされた時は「この人より強いなら考えてあげるっす」とモモンガに対処を全振りし、モモンガがその冒険者を片手で投げ飛ばす事態になった。

「いや、あれは……う~~ん。まぁ、私の強さが皆に知れたから結果的には良かったのだが……」

「ご不満っすか?」

「出来れば、もう少し穏便な手段で頼む。それともう一点……私達が本気で戦おうとしたり、殺すぞと思ったときに人間を脅かす殺気……のようなものが漂うらしい。だから私の許可がない限りは本気を出すことは禁じる。いいな?」

「モチのロンっす」

 再びルプスレギナは親指を立てた。

 

「よし。……さて、この辺りに教えてもらった宿屋があるはずなのだが」

「……ところでモモンさん。私、ちょっと面白いこと思いついちゃったんですけど」

「ん? 面白いこと?」

 周囲を見渡していたモモンガにルプスレギナの楽しそうな声が聞こえてきた。

「そうっす。この都市で冒険者としての地位を得、名が知られるまで上り詰めるんですよね? だったら、手早く済ませたほうがいいと思うんです」

 ルプスレギナは悪戯を思いついたというには凶悪な笑みを浮かべてモモンガに自分の考えを述べた。

 

 

 革靴に付いた泥を落としながら二段ほどの階段を上がり、ルプスレギナは両手を使ってウエスタンドアを押し開ける。

 明り取りの窓が全て下ろされているためその室内は暗く、外の明るさになれた人間なら一瞬真っ暗に感じるだろう。

 ルプスレギナですら問題ない闇など至高なる御方であれば尚更だろう。

 

 素早く室内を見渡す。

 室内は人間の街にしては広い方なのだろう。

 幅十五メートル、奥行き二十メートルくらい。

 一階は酒場になっているようで奥にカウンターがあり、後ろの棚には何十本もの酒瓶が陳列している。

 何卓もある丸テーブルには四組ほど客の姿があった。

 一人を除いて全員が男であり、暴力を生業とする者の特有の危険な空気を纏っていた。

 酒場の隅には途中で折れながら、上に向かう階段がある。

 受付嬢の話によるとニ階、三階部分が宿屋で自分達もここに宿を取りに来た次第だ。

 

 宿屋の奥、カウンターでグラスを磨いている一人の男がルプスレギナを堂々と観察していた。

 

 それなりに身奇麗にしているが、服の下に隠されている鍛えられた肉体を見るに引退した兵士か何かだろう。

 服の裾を捲くり上げ、露出した太い二の腕には常人なら一生縁のない類の傷跡が幾つも浮かび上がっていた。

 そして顔にもやはり大きな傷がある。

 

「帰りな、シスターさん。ここはあんたみたいなお上品な人が来る所じゃねえよ」

 

 割れ鐘を髣髴とさせる濁声がルプスレギナにかけられた。

 

「これはこれは御丁寧に――御忠告痛み入ります」

 普段の彼女を知る姉妹達であれば、さぞ驚くことだろう……或いはニヤニヤと笑うところか。

 敬虔という言葉から連想されるイメージそのものである上品な声色と笑顔を浮かべてから頭を下げる。

 そんな所作を見たことがないのだろう。

 丸テーブルを囲んでいるグループの幾人かが下卑た笑い声をあげるのがルプスレギナの耳に届いた。

 

「ですが、丁重にお断り致しますわ」

 

 頭を下げた彼女から聞こえてきたのは、店の主人である男よりも枯れ果てた薄気味悪い声だった。

 

「………………」

 

 沈黙が宿を支配していた。

 誰一人声を発することが出来ない。

 息をすることすら忘れたかのような静寂を作ったのはルプスレギナが開放した殺気だ。

 

 顔を上げたルプスレギナの瞳を見て、皆が石像にでもなったかのように凍りついた。

 

 動くな。

 話すな。

 騒ぐな。

 

 ――でなければ、殺す。

 

 そう瞳が継げている。

 

 頬を引っ叩くような圧力を感じるほどの暴力的、かつ信じられないほどの洗練された殺気。

 現に彼女の後ろ――店の外には日常の光景が広がっていた。

 

「大変申し訳ありません。ギルドの受付嬢の方に聞いたらここをお勧めされまして、どうか宿を貸して欲しいのですが?」

 

 その言葉と共に殺気は霧散する。

 

「………………」

 

 だが、しばらく誰も声を出すことが出来なかった。

 ややあって最初の男――額に珠のような汗を浮かべた店の主人がようやく声をあげた。

 

「宿? ギルドのネェちゃんが勧めた? ってことは、冒険者志願? あんたがっ!?」

「はい。その通りです」

 確かにこんな美女がこんな場所に来る理由は他になく、今まで飽くことなく続けられたお決まりのパターンでやって来ている。

 

(だが、こんな殺気……一体、この娘は何者なんだ?)

 

「……すみません」

 

 店内の人間が一様にビクリと震える。

 あの女性の機嫌をわずかであっても損ねたくないからだ。

 

「私は、宿を、貸して欲しいのですが?」

「た、大変御無礼を……個室で一日七銅貨になります、が?」

「七銅貨だそうです」

 女性は後ろを向き、声をかける。

 

 そこには全身鎧と虎の仮面をつけた人物が立っていた。

 

(……き、気付かなかった)

 

 あの女性が入った後、二人は入ってきたのだろう。

 ただ皆が、あの尋常でない殺気に意識を奪われ、それ所ではなかったのだ。

 

「連れが騒がせたようですまなかった――少し悪戯が過ぎたようだ」

 

 軽い口調で言った全身鎧の男の台詞に皆は乾いた笑みを浮かべた。

 

 少し?

 一般人なら卒倒しかねないあの殺気がか?

 

 格の違いをまざまざと見せ付けられて、店にいる連中は誰もちょっかいをかけようとはしない。

 

 そんな中、全身鎧の男から銅貨を受け取った女性が店の中を我が物顔で歩いて、主人のごつい手の中に銅貨を落とした。

 

(いや、なんで俺の宿に泊まるんだよ? お前ら絶対金持ってるんだろ?!)

 

 この街には三つの冒険者向けの宿があり、ここは一番安い宿だ。

 こんな殺気を放てる強者が寝泊りするような宿ではない。

 

(……厄介な客だぜ)

 

 手の中に落ちた銅貨を数えることはしないで、主人はそのままズボンのポケットに銅貨を突っ込んだ。

 そして店の中を歩き、カウンターから鍵を一つ取り出す。

「階段上がって、直ぐ右の部屋になります。寝台に備え付けてある宝箱の中に荷物は入れて下さい。鍵はこれです」

 主人は失礼がないように慣れない敬語を使いつつ、カウンターに鍵を置く。

 早々に引っ込めようとした手を、女性の手が止めた。

 

(なっ……早っ!?)

 あれだけの殺気を出すのだから只者ではないと思ったが、それでも不気味なほどに早い。

 

「どうなされたのですか? 随分震えてらっしゃるようですけど?」

「か……勘弁してくれ」

 主人は話は終わったと、その手を乱暴に引っ込める。

「あらあら」

 ルプスレギナに言わせれば冗談程度の殺気だったのだが、どうやら必要以上に怯えさせたらしい。

 くるりと後ろを振り返ると、店内の人間はいっせいに目を逸らした。

 

「皆様方――大変お騒がせ致しました」

 

「………………」

 一度店内を見回してから頭を下げるが、誰一人として目を合わせてくれない。

 

(うぷぷぷぷ、エクストリーム!! ドッキリ企画、大成功っす!)

 

 心の中で拳を握りながら、ルプスレギナは階段を昇る。

 その後を全身鎧の男は足早に、虎の仮面をつけた人物はマイペースに続いていく。

 

 皆の姿が二階に消えてから、カウンターにいた主人の前に皆が足音を殺して集まった。

 二階にいる彼らの機嫌を損ねてはならないと傍にいても聞き取りづらいほどの声で話し始める。

 

「……只者じゃねえ。なんだ、あいつら」

「ああ。あの殺気、あれはもう人間じゃねえ」

「その殺気を流しちまう後ろの二人も相当だな」

「プレートは卸し立ての新品みたいだったぜ? 冒険者ギルドでも話題になってんじゃねえか」

 

 飛び交う会話に含まれるのは驚愕と畏怖だ。

 同じ冒険者としてはこの上なく心強い味方であり、間違っても睨まれることだけは避けなければならない連中だ。

 

「……うぷぷぷぷ。めっちゃ話題になってます。ばっちり成功っす!」

 種族的特長で耳の良いルプスレギナはあてがわれた部屋から階下の会話を盗み聞きしてその成果に満足する。

「う、うむ」

「エ・ランテルの赤い死神って……これ、私の事っすよね? いや~~二つ名で語られるのは悪い気分じゃないっすね。この噂が広がるのも時間の問題っすよ」

「………………」

 確かに噂になるのは間違いないだろうし、少なくともこの宿でルプスレギナをナンパするような真似はあるまい。

 

(だが、俺より目立ってどうする!)

 

 正直、そう怒鳴ってやりたいモモンガだった。

 

(いや、別に俺が一番じゃなくてもいいんだけどさ。だけど、ほら……接待って物があるだろ?)

 

 上司よりゴルフの上手い部下はいないし、上司よりいい車に乗る部下はいない、関係ないが姉より優れた弟もいないとギルドメンバーの誰とは言及しないが言っている。

 

(この考え方は古いのか? 若い人……NPCには理解出来ない感情なのか?)

 

 木製の寝台に腰を下ろして、モモンガは額に指を当てた。

 

(まぁ、いい。ルプスレギナはやり方は少しあれだがミスをしてるわけではない)

 

 少なくとも人間を軽視しがちなナザリックのメンバーの中では優秀な部類だろう。

 

「ところで、盗聴などの恐れはないか?」

 モモンガは対面――ルプスレギナの横に腰掛けているミカサに声をかけた。

 モモンガの言葉に虎の仮面が肯定と一度頷く。

「そうか。ならば、ミカサ――いや、パンドラズ・アクター。話してもいいぞ」

「畏まりました。私の創造主たるモモンガ様!」

 モモンガの許しを得て虎の仮面を外す。

 そこにいるのは、みかかだ。

 

 しかし、その顔がぐにゃりと歪む。

 

 ピンク色の卵を彷彿とされる頭部には目と口の部分にペンで塗りつぶしたような黒々とした穴がある。

 彼こそモモンガの創り出したNPC――パンドラズ・アクター。

 そして、ソリュシャンではなくルプスレギナがここにいる理由である。

 

 現在のナザリックの状態を鑑みれば、モモンガとみかかが共に行動するのは難しい。

 

 だからといってモモンガはゾロゾロとシモベを連れて行くのは嫌だった。

 下手な行動をして支配者の器を疑われるくらいなら一人で行動した方がいいとすら思っている位だ。

 モモンガもユグドラシルに関してはそれなりの強者の自覚がある。

 いくら未知の敵、未開の土地とは言え、為す術もなく無残にやられることはないと思っている。

 

 しかし、それがナザリック地下大墳墓の主人として許されない行動だということも理解していた。

 

 そういう訳でアルベドやデミウルゴスを納得させた上で、かつてのギルドメンバーと共に未知を旅するにはどうしたらいいか?

 モモンガが悩みぬいた末に出した結論がパンドラズ・アクターの同行だ。

 パンドラズ・アクターはギルドメンバーの外装をコピーすることが出来るという特殊技術を有している。

 

 現在はみかかと共に行動することは不可能だが、状況が変わればその限りではない。

 パンドラズ・アクターであれば、その時が来れば速やかにみかかと入れ替わることが出来る。

 

 自分の我侭が多分に含まれているが、いざ行ってみると悪い案ではないように思えた。

 みかかの能力を用いれば、ソリュシャンより探索役として優れているし、ルプスレギナでは不可能なアンデッドである自分の回復も行える。

 前衛役のモモンガ、探索役のパンドラズ・アクター、回復・後衛役のルプスレギナとパーティとして最低限の体裁も整っているので他に仲間を探す必要もない。

 

 デス・ナイトと同レベルの戦士が周辺国家最強の戦士であれば、十分な布陣だろう。

 

「……色々と制約をつけてすまないな。パンドラズ・アクター」

 彼にはみかかの姿でいる際は極力会話することは禁じている。

 下手に会話を許してしまうと、みかかと入れ替わる際に入念な情報確認を要してしまうからだ。

 それなら喋らないほうがいい。

 何よりも……こいつが喋るとモモンガが頭を悩ませて出した策略はあっけなく崩壊してしまう。

 

「何をおっしゃいますか!」

 カツンと踵を合わせて鳴らし――。

 

「重大な任務でありますので仕方ありません!」

 ――オーバーなアクションで敬礼する。

 

「わたしの創造主、ん~~モモンガ様!!」

 キリッ、と本人は格好をつけてるつもりなのだろう軍帽の縁を指で摘みながらポーズを取った。

 

「………………うへぇ」

 

 ルプスレギナの声には「もうお腹一杯っす」と言わんばかりのうんざりしたものが感じられた。

 

(やっぱ……だっさいわぁ)

 

 今の姿でも仰々しいリアクションを取るパンドラズ・アクターに無い眉を顰めてしまうのに、友人の姿でこれをされたらどうなる事やら……と言うか、させるわけにはいかない。

 

 もしも、彼女の姿でコレをしてる所を本人に見られでもしたら確実に数日は口を利いてくれないだろう。

 

(……みかかさんも実際にパンドラズ・アクターを見たら苦笑いしてたからな)

 

 あの時のモモンガを気遣う笑顔はしばらく忘れられないだろう。

 

「ええっと……声はモモンガさんと同じくらい好きですよ!」と言われて、モモンガは複雑な感情を覚えたのを思い出す。

 

(意外に声フェチなのだろうか? 確かにギルドメンバーではぶくぶく茶釜さんと一番仲が良かったけど……)

 

「如何されましたか? モモンガ様」

「ああ、いや……なんでもない。パンドラズ・アクターよ。ルプスレギナにも言ったが任務上、私達は対等な関係だ――だから、敬礼は必要ないぞ? な、それは辞めておこう」

「《Wenn es meines Gottes Wille/我が神のお望みとあらば》」

「……ドイツ語だったか? それも止めような。本当に頼むぞ?」

「は、はぁ」

 微妙な返事をするパンドラズ・アクターと小一時間ほど話し合いたいところだが、生憎だがモモンガもそこまで暇ではない。

 

「みかかさんがこの世界での金銭を得るために数日内にここを訪れる予定だ。合流するまでは私達も仕事を見つけてこなすことにしよう」

 モモンガの言葉に二人は頷く。

「しかし、モモンガ様! みかか様はどのようにしてこの世界での金銭を得るのでしょう? 今は、どちらに?」

 パンドラズ・アクターのオーバーリアクションは見ない振りをしてモモンガは答えた。

「ナザリック近郊に広がるトブの大森林に住む魔獣を確認したいとアウラとマーレを連れていった。なんでも森の賢王とか言うらしい」

「賢王……その名に偽りがなければ是非とも我らが陣営に加えたいものですね」

 パンドラズ・アクターの言葉にモモンガは頷く。

 

「何にせよ、彼女に任せておけば問題ない。だが、私達も負けていられない――やって来る彼女を驚かせてやろうじゃないか」

 

 対抗心を燃やしたモモンガの言葉に触発されたのかパンドラズ・アクターとルプスレギナの瞳には強い光が宿っていた。

 

 




ルプスレギナ「人呼んでエ・ランテルの赤い死神、ルプスっす!! 死ぬぜぇ、私の姿を見た者はみんな死ぬっすよ~~」
モモンガ「ルプスレギナ! 貴様には失望したぞ!!(俺より目立ってるじゃん!)」
ナーベラル「あれ? 私、戦力外通告?!」

 城塞都市に出来る女が爆誕したようです。

 ナーベラルはどうなるんでしょう?
 どなたか働き先を紹介してあげてください。

 後、誰かの死亡フラグが立ったような、立ってないような?


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黒の夢

 イグヴァルジは今日何度目かになる舌打ちを打つ。

 城砦都市エ・ランテルに三組存在するミスリル級冒険者チームの一つ「クラルグラ」 のチームリーダーである。

 苛立ちの原因は新たに現れた冒険者チーム、仮称「赤い死神」についてだ。

 

 イグヴァルジが依頼を終えて街に戻ったところ、冒険者組合ではその噂で持ち切りだった。

 何でもまだ二十歳前後の女性でありながら、第三位階の攻撃と癒しの魔法を扱えるという信じられない人物だった。

 第三位階魔法を扱える人物は常人の限界に到達した者とされ、魔法使いとして大成したようなものだ。

 それを二分野――しかも、攻撃魔法と癒しの魔法を両立したなど英雄の器に相応しい人物でないかともっぱらの噂だ。

 

(どうせ嘘に決まってる)

 

 当初はそう思い、鼻で笑っていたイグヴァルジだったが情報を集めるにつれて「もしかしたら……」という思いが芽生え始めてきた。

 そんな彼女の仲間も只者ではないようで、冒険者組合でちょっかいをかけてきた他の冒険者を片手で持ち上げて投げ飛ばしたとか。

 更に冒険者組合ご用達の宿でも騒ぎを起こしたらしい。

 

 イグヴァルジはその真贋を確かめるべく朝から冒険者組合に来て、件の人物がやって来るのを待っている状態だ。

 

 状況の変化には敏感で、内容を調査した上で確認も怠らない。

 冒険者としては当然のことだが、冒険者としては成功したと言ってもいい地位まで上り詰めた今でも驕ることなく初心を忘れないのは彼が優秀な冒険者の証と言えた。

 これで彼に人望があれば、結成以来誰一人欠けることなく今日に至ってる冒険者チームのリーダーとして非常に高い評価を受けていただろう。

 ただ、往々にしてこういう仕事はたった一つの失点が己の命すら失う手痛いものに化けるという非情な世界であるのだが……。

 

 そういう訳で目の前にある落とし穴に気付かず、イグヴァルジは訪れた三人の冒険者チームを睨んでいた。

 

 

(うん。やっぱり読めない)

 

 明朝、冒険者組合を訪れたモモンガは羊皮紙が張り出されているボードの前で途方に暮れていた。

 街を訪れて目にした文字を見た瞬間から、予感はしていたのだ。

 この世界の文字は自分達の世界の文字とは異なっている。

 

(みかかさんは文字のことは言ってなかったな。特殊技術のせいだろうか?)

 

 暗殺者の職業は基本的に「潜み、欺く」ことに長けている。

 物理職である彼女が本来なら扱えないスクロールを扱えるのもそれに起因する。

 欺くことの一環で彼女は周囲に怪しまれなくなる「偽装」というスキルを所持している。

 その中に、幾つもの言語や文字が飛び交うユグドラシルでも難なく話せるし、文字も書けるというスキルがあった。

 職業的暗殺者が潜入先の文字や言葉を理解出来ないなどお粗末もいい所だろう。

 

「……ミカサ。お前が選んでくれ」

「……?」

 ミカサ……パンドラズ・アクターが首を傾げた。

 

(何故、疑問に思う? まさか、俺なら文字を理解出来て当たり前とか思われてる?!)

 

 文字読解の魔法などはユグドラシルには存在したが、モモンガはその手の魔法の取得は一切行っていない。

 そんな使い道の少ない魔法はスクロールで代用すればいいと思っていたからだ。

 

「適正なものを選べばいいだけだ。頼んだぞ」

 パンドラズ・アクターは頷く。

 そして即座に一枚の羊皮紙をボードから選び取ってモモンガに手渡した。

 

(やはり役に立つな。さすが、俺――シコクも認める最適な人選だった)

 

 モモンガは自分の選択を自画自賛しながらカウンターに向かう。

 

「これを受けたい」

 モモンガはカウンターにいる受付嬢に羊皮紙を差し出す。

「はい。こちらの依頼で……えっ?」

 受付嬢の顔が羊皮紙と自分を何度か行き来してから、申し訳なさそうに言葉を紡いだ。

「申し訳ありません。こちらはミスリルプレートの方々への依頼でして……」

「………………勿論、知っている」

 勿論、知るわけがなかった。

 

(なんでこれを選んだ?! 何、基準だ!? え、まさか……文字読めない?)

 

 選ばれた依頼はボードに張り出された物では最も高難易度であり、だからこそパンドラズ・アクターはモモンガには適正だと判断しただけである。

 生憎、モモンガにはそんな彼の心境を読み取ることは出来ない。

 

「え? それは、どういう……」

「……私達であればこの程度の仕事は容易くこなせるという意味だ。私達がこの仕事をこなせるかどうか不安であれば試して貰ってかまわない。大体、不合理だろう? 才ある者を有効に活用しないのは組合としてもマイナスになると思うが?」

 咄嗟に考えた言い訳としては悪くない。

 しかし、モモンガの言葉に受付嬢は顔を曇らせる。

「……申し訳ありませんが規則ですので、それは出来ません」

「……そうか。規則も時には無視した方がいいこともあると思うが……そこまで言われるのであれば仕方ない。ならば、その規則を守り、私が頂点たる冒険者まで駆け上がった時に、再度組合に提案することにするよ。何、そんなに時間はかからないだろうさ」

 周りにいた冒険者、受付嬢もモモンガの言葉に驚愕の視線を向けた。

 その身に纏う立派な鎧を見れば、この銅級プレートの冒険者が只者でないことは分かる。

 そして彼の仲間である冒険者も既に有名な人物だ。

 

 しかし、それでも冒険者の頂点、生きる伝説であるアダマンタイト級まで容易く駆け上がってみせると豪語し、その言葉にこれほどの説得力を持たせたのは彼が初めてだった。

 

 彼ならば、或いは――そう思わせる何かがあると皆が感じている。

 

「では、すまないが銅のプレートで最も難しいものを見繕ってくれ。あそこの掲示板に出ている物以外にはないだろうか?」

「あ、はい。畏まりました」

 

(よしっ、完璧だ! どうだ、この切り返し……伊達にNPC達に鍛えられてないぞ)

 

 モモンガは自らの立ち回りに十分な満足感を噛み締めていた時、男の声がかかった。

 

「さっきから黙って聞いてれば、最低ランクの冒険者風情がでかい口を叩いてるじゃねえか!!」

「……ん?」

 ドスの効いた声で威圧しながら、こちらに向かってくる男がいた。

 モモンガもカウンターを離れて、男に向かって歩く。

 二人は殴り合えるほどの近すぎる距離で向かい合った。

 

 モモンガはまず男の首のプレートに目をやった。

 

(ミスリルのプレートだな。成程、仕事を横取りされそうになった上に、俺のあの発言……そりゃ、そうなるよな)

 

 思わず食って掛かるのも理解できる。

 元の世界では単なる社会人だった鈴木悟、モモンガにも彼の気持ちはよく理解できるのだが……。

 

(状況的に謝るわけにいかない。それに冒険者なら実際に格の違いを見せれば、彼も分かってくれるだろう)

 

 冒険者稼業は年功序列形式の会社とは異なる。

 どちらといえばスポーツ選手のようなものだろう。

 能力のある者が評価され、優遇されるのが当たり前――ベテランのミスリル級よりも新人でアダマンタイト級の才能を持つ者の方がその価値は上だ。

 

 それが理解出来ないなら、彼はこの仕事には向いてない。

 

「……最低ランクがでかい口、ねえ」

 モモンガは心苦しいものを感じつつも、大物ぶった演技をし、大げさにため息をついてみせる。

 

「どうやら理解出来ていないようだな。なら、一つ問うが……仮にガゼフ・ストロノーフが冒険者になりたいといってやって来たら銅級から始まるのかな?」

「……なんだとっ?」

「周辺国家最強の戦士がミスリル級の仕事をしたいと言っても銅級の仕事から始めろと言うのか? 馬鹿げてるとは思わないかね? 私が言いたいことはそういう事だ」

「手前が王国戦士長と同等の剣士だとでも言うのか! ふざけんじゃ――」

 

「――試してみるか?」

 

 モモンガは自らが持つ特殊技術の絶望のオーラ・I(恐怖)を起動させる。

 この能力は五種類あり、恐怖、恐慌、混乱、狂気、即死と五つの効果がある。

 恐怖は怯えることによって、ありとあらゆる動作に対してペナルティが与えられる状態異常だ。

 

 殺気と呼ばれるあいまいな物とは異なり、これは明確な特殊技術だ。

 抵抗に失敗した者は必ず恐怖する。

 そういう意味ではルプスレギナが宿で見せた物より洗練された気配と言えるだろう。

 

「ひっ?!」

 

 絶望のオーラに晒されたイグヴァルジは見事に腰を抜かした。

 

「………………ふん」

 

 時間にしてみればたった一秒。

 起動して即座に解除しただけだが、その効果は絶大だった。

 モモンガの絶望のオーラの効果範囲内――すなわち冒険者組合のほぼ全員の顔に恐怖が刻まれていた。

 

(抵抗が成功したのはルプスレギナとパンドラズ・アクターのみ。ここにプレイヤーは存在しない、か)

 

 周りを一度確認してから、床に尻餅をついているイグヴァルジを見下ろす。

 

「遊び程度の気配だが、どうやら格付けは済んだようだな? 私はこの街にいる誰よりも強い最低ランクの冒険者ということだ。だが、規則であれば守るさ。君の仕事を奪ったりはしない――今はな」

 

 そしてモモンガは顔面蒼白になった受付嬢から銅級で最高難度の依頼を受注し、仲間と共に去って行く。

 

「………………っくしょう。畜生!」

 

 その背中を腰が抜けた体勢のまま見送ることしか出来なかった。

 あの男に殺気を向けられた時、イグヴァルジには走馬灯が見えた。

 幾多の冒険で危険な目にあった事、大成功を収めた事、そして――。

 

 子供の頃に村に来た詩人の英雄譚を聞いたときから、英雄になる夢を見た幼い頃。

 

 伝説と謳われた十三英雄と同じく世界を救う英雄になる。

 そんな夢を見て、自分ならその夢を叶えられると思っていた。

 だが、その夢は今、粉々に踏み潰された。

 

 不意に現れた顔も知らない男によって。

 

 あの男には勝てない。

 いや、勝つとか、負けるとか、そういう次元に相手はいない。

 ミスリル級の自分が、この街最高の冒険者である自分ですら、遠く及ばない存在であると――無理矢理に認識させられた。

 

「………………ちっ」

 ゆらりと立ち上がり、カウンターに向かうイグヴァルジに皆は道を開ける。

 

 そうだ。

 この街のミスリル級冒険者とはそういう存在だ。

 自分はそれを誇りに思っていた。

 

「……災難だったな。あんたも、俺も」

 顔色の悪い受付嬢に向かってイグヴァルジは笑う。

 それは同じ災害に巻き込まれた者に対する同情の笑みだ。

「ええ。本当に……」

 受付嬢も仕事上、イグヴァルジとは付き合いがある。

 この男が他人を気遣うなんて雨が降るんじゃないかと思いながらも、珍しいものを見たと胸中で呟きつつ、笑った。

「あのよ……俺は引退するよ。今日で冒険者稼業はおしまいだ」

 そういって首からぶら下げたプレートを躊躇いなく引きちぎってカウンターに置く。

「……そうですか。今迄、お疲れ様でした」

 受付嬢は丁寧に頭を下げてからプレートを受け取った。

「ああ。本当に、疲れちまった――そうだな。これからの人生は他のものにも目を向けてみることにするよ」

 ミスリル級冒険者ともなれば、引退してもその後の人生を遊んで暮らせるだけの金銭は貯まっている。

 自分が他には何が出来るのかを探してみるのもいいだろう。

 

「なら、その第一歩に如何ですか? 災難にあった者同士でお食事してみるのは?」

「……あん?」

 受付嬢の申し出にイグヴァルジは頭を掻いた。

「女の好きそうな店なんざ知らねえよ、俺は」

 今迄、脇目も振らず冒険者の道を突き進んできたのだ。

 言い寄ってくる女は少なからずいたが、自分の道を邪魔するものだと相手にしてこなかった。

「でしたら、一度『黄金の輝き亭』に行ってみたいんですけど?」

「ああ。あれね……あそこなら俺も気が楽だ」

 城砦都市エ・ランテル一番の宿屋だ。

 そこは一流冒険者の泊まる宿としても知られており、最初の目標はそこを本拠地とすることだったか。

 今では普通に本拠地として利用しており、家のようなものなので何とも思わなくなってしまったが……。

 

(……最初に仲間と泊まった日は楽しかったかもな)

 

「では、決まりで」

 昔を懐かしんで笑うイグヴァルジを他所に受付嬢は強引に約束を取り付ける。

「……あ? ああっ、じゃあ……そういう事で」

 強い人間と言うのはもてる。

 モンスターという存在がいるこの世界では当然のことながら強さと言うのは重要なパラメーターだ。

 それに加えて、すでに残りの人生を遊んで暮らせる金銭を獲得している男なら尚更だろう。

 決定的なのはモモンガによる絶望のオーラだ。

 今まで感じたことないほど強い恐怖に襲われた受付嬢は生存本能から最も強い男の保護を求めたのだ。

 

 男は精神的に参った所を突くとあっさり籠絡出来る。

 そんな話を聞いたことのある受付嬢は今が好機と、蒼白だった顔色をいつの間にか艶のある笑みに変えていた。

 

 後日、この二人は見事にゴールインを果たし、エ・ランテルに新たな冒険者向けの宿屋『黒の夢』を経営することになるのだが、それはまた別の話である。

 




イグヴァルジ「俺、冒険者辞めたから結婚するんだ」

 撲殺エンドを回避。
 絶望のオーラ・I(恐怖)には勝てなかったよ。

 後、モモン・ザ・ダークウォリアー誕生の瞬間でした。
 切れやすい若者だね。怖いね。という回です。
 
 


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懐かしき黄金時代~ビギナーズラック~

 

「お嬢ちゃん。お小遣いをあげよう」

「わーい」

 ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』の本拠地、ナザリック地下大墳墓にある円卓の間。

 ログインしたみかかを見つけたギルドメンバーのぶくぶく茶釜が無限の背負い袋を一つ差し出してきた。

 みかかを勧誘したのはぶくぶく茶釜で、その甲斐もあって二人は仲がいい。

 ここでは、みかかの周りは全員年上なので妹として振舞うことが出来てストレス発散になっていたし、ぶくぶく茶釜は理想の妹像を彼女に強要……もとい教育することに楽しみを見出していた。

 

 しかし、現実は小説より何とやら。

 

 そんな二人をマリア様辺りが観察してくれていればジャンルも異なっていたのかもしれないが、元々みかかは委員長気質なところがあるので、ぶくぶく茶釜の理想とする姉妹像には至れない所が悩みの種だった。

 

「何かな、何かな~~」

「………………」

 そんな訳で今回はプレゼント大作戦。

 贈り物でご機嫌を取ろうとしているわけなのだが……。

 

「……って、これはガチャのハズレアイテムじゃないですか!?」

「そうだよ~~。大事にしてね」

「しかも、何ですか。この大量のハズレアイテム!?」

 語尾にハートマークをつけるぶくぶく茶釜の前に剣呑な空気を纏ったみかかが詰め寄る。

 

「また、こんな無駄使いをしたんですか!? もうガチャは懲り懲りだって言いましたよね?!」

 ぶくぶく茶釜の前に立ち、両手を腰にあてたみかかが詰問する。

「言ッテナイ」

 かつて流行ったボーカロイドのような機械音声。

 声優であるぶくぶく茶釜の得意技だ。

 

「い・い・ま・し・た!」

「ダガ、私ハ言ッテナイ」

 ぷるぷると震えながらピンク色の粘体の二本の触手が伸びて頭部にくっつく。

 見た目がスライムなので判別つきにくいが、多分耳を塞いだのだろうと思われる。

 騒がしくなった女子メンバーに、他のギルドメンバーが何事かと視線をやって……なんだ、いつものことかと視線を戻した。

 

 ぶくぶく茶釜曰く『現役中学生に怒られる経験プライスレス』

 あの弟との血の絆が垣間見られる一言だった。

 

「う、ううっ……だって、うちのマーレにどうしてもドラゴンをあげたかったんだよ」

「こういうものは出ないと決まってるんです。だから素直に諦めるが吉、ですよ」

「えっ? 出るよ?」

「はい、そこ! また、ギルド長がゴロゴロするので《シューティングスター/流れ星の指輪》の話はやめてください!!」

 不思議そうに言った半魔巨人のやまいこをみかかは指差す。

「ほら、やまちゃんも出てるんだから私もきっと出るよ! 確率1%の壁を越えてみせる!」

「出ません。そのドラゴンって確か1%の壁を乗り越えた後、そこから十何種類選ばれるんですよね?」

「ピックアップ期間だからドラゴンが出るよ! ふふっ、もう二回ほどピックアップを外してるけどね」

 見る者全ての哀れを誘うだろう悲壮感漂う声だ。

 

「大丈夫。ぶくぶくちゃんも出ると思って回してみると出る」

 

「ゲームにそういう精神論とか、マインド的なものを持ち出さないで下さい。茶釜さんが影響されちゃいますから! ささ、やまいこさんはあちらに行きましょう」

「出ると思えば出るんだけどなぁ、ボク」

 やまいこは背中を押されながら不思議そうに呟いた。

 

「ノンノン……リピートアフターミー、かぜっち。頑張るよ、私!」

「ゴメンゴメン、そうだった。かぜっち。頑張れ、かぜっち!」

 ぶくぶく茶釜とやまいこが「イエーイ!」とハイタッチをする。

 

「大体、出ない出ないって言うけど、お嬢ちゃんはどうして出ないと思うわけ? あっ! まさか外した? 爆死しちゃった?」

「爆死って、なんです? ガチャに外れると爆発系の魔法でもかけられるんですか? 生憎と私はガチャなんて、ナンセンスなものはしたことありません」

「ナンセンス?」

 やまいこが聞き返すとみかかは胸を張って答える。

「そうです。私の敬愛するお爺様も仰ってました! 縁日にある当たり付きの籤は出ないものだ。何故なら、最初から当たりを抜いてるから。ガチャも最初から出ないように作っているに違いあ――」

「――お前の爺さんのせいか! お前の爺さんとかパレンケの宝珠とかがあるから、世界は狂ってしまうんだ!!」

 

「きゃーーーー」

 

 波に人が飲まれるように、ピンク色の粘体にシスターが取り込まれた。

 見るものが見れば、アカウント凍結もありそうな光景だ。

 

「ち、違います! あれですよ、みかじめ料? 違いました。授業料というものなのです!! こうして、みんな大人になるんですよ? そして、皆さんの授業料が私のお小遣いになるんです。だから安心していいですよ?」

「ギルド長。こいつ……シメテ良い?」

 ぶくぶく茶釜の声が低い。

 これはマジトーンだ。

「ギルド長権限で許可します。彼女の祖父こそ、私のボーナスの仇です」

「いじめです! いじめが発生してますよーー」

「違う。これは革命だーー」

「おや? 今日も元気にやってますね」

 吸血鬼とスライムが騒ぐ中、蔓で構成された植物系モンスターがやって来た。

 ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』の諸葛孔明、ぷにっと萌えだ。

 状況を察したぷにっと萌えは場の仲裁をするべく、ぶくぶく茶釜に声をかける。

 

「しかし、ぶくぶく茶釜さん。みかかさんの言う事にも一理あるかもしれませんよ?」

「どういう意味かな? ぷにっと萌えさん」

 みかかに伝説の関節技『パロ・スペシャル』をかけた状態でぶくぶく茶釜が尋ねる。

「私もこういうガチャのあるゲームはいくつか遊んでますけど……たまにあるんですよね、これ確率を操作されてるんじゃないか、と思うことが……今まで散々課金したゲームをしばらく放置した後にやるとガチャで貴重なアイテムがわんさか出たりとか経験はないですか?」

 ふふふ、と関節技をかけられた状態でみかかは不敵に笑う。

 

「おや、ぷにっと萌えさんらしくありませんね? それはオカルトです。単なる偶然を、強運だとか、運命だとか思い込んでいるだけなのです」

「まだ言うか、このなんちゃってインデックスは!?」

「いい加減にしてください! いつまでも、やられっぱなしだと思わないことです!」

「何っ?! 脱出不可能の筈のこの技を外した!?」

 そのまま二人は取っ組み合いを始めたのだろうが、傍から見ていると触手に襲われる修道女にしか見えない。

 

「ま、まぁ……本当に公正に確率論が適応出来る状態ならそうでしょうね。しかし、どうでしょう? ユグドラシルもゲームであり、運営も商売ですから儲かるなら儲けを追求すべきです」

「ふむ。つまり、ぷにっと萌えさんは何らかの不正がある、と?」

 年齢差による体力差の前に屈したのか、完全にスライムに取り込まれた状態でみかかは尋ねた。

 

「なんか、みかかさんがスライムに服を溶かされる往年の漫画ヒロインのような状態になってますから、そろそろ止めたほうが……っと、失礼。それが資本主義の原則、法治国家の在るべき姿というやつですよ。つまり、ばれなければ犯罪じゃない」

「相変わらず策士ですねぇ」

「みかかさんはわりとガチャ以外で課金してる方です。一度、やってみては? きっと運営のウィル・オー・ザ・ウィスプが素敵な案内をしてくれると思いますよ」

「こらこら、幼女を底なし沼に誘うのはいただけないなぁ」

「ぶくぶく茶釜さんは底なし沼と分かっていて回すんですね、大人だなぁ」

 みかかはうんうんと頷く。

 

「はい、とっても駄目な大人です。きゃーー」

「買わずにする後悔より買ってする後悔! なぁに、お嬢ちゃんも大人になれば分かる」

「かぜっちの部屋って買ったけど一度も使ってない健康器具が大量にありそうだよね。まぁ、それはともかくとして……ガチャって確か定期的に無料券をくれるよね? みかかちゃんはやったことはある?」

「ありません。どうせ当たりませんのでやりません」

 なんの迷いもなく言い切ったみかかに、ぶくぶく茶釜とやまいこ以外の皆も乾いた笑みを浮かべた。

 

「さすがはそこにどんな宝があったとしても、地雷原を見れば即座に撤退する女。まったく……夢もキボーもありゃしない」

 そういって、ぶくぶく茶釜はじゃれつくのを止める。

「リアリストと呼んでください」

「私もリアリストだよ? マーレにドラゴンをあげる、これは決定事項だもん」

「だから――」

「――出るまで回すよ。零じゃないなら、必ず辿り着ける。欲しいものを手に入れるための努力は惜しまない。そうじゃないとこの業界は生きていけないんだなぁ」

「やだ、かぜっち。かっこいい」

 やまいこは感動したように呟き、みかかは苦虫を潰したような顔をする。

 

「何故でしょう? なんだか私が悪者で負けたような気がします」

「まぁ、リスクを負わずにリターンを得ることは出来ませんからね。しかし、人には性分というものがありますから、みかかさんは茶釜さんみたいにならなくてもいいと思いますよ」

「自分の性分くらい弁えているつもりです。まったく、いいでしょう……貯まりに貯まった無料分を回してきますよ、どうせ外れるでしょうけど……」

「駄目だよ、そこで自分なら必ず当たると思って回さないと」

「やまいこさん、ガチャはパンチングマシーンとかではないですからね!? 関係ありませんから!!」

「そうかなぁ」

 不思議そうな顔をするやまいこの横でみかかはコンソールを呼び出して何かを操作する仕草を見せる。

 自分達には見えないが課金ガチャの画面を呼び出してるのだろう。

 

「よく分かりませんが十連ガチャとかいうのをやってみますか。どうせ、外れて皆さんの笑い物にされてしまうのです。なんて哀れな私……」

「外れろ~~。外れろ~~」

「ぶくぶく茶釜さん。そういう大人気ない真似はやめてください」

 

「ちなみに唐突ですが、ここで某有名な法則を」

「有名な、法則?」

「ええ。みかかさんみたいに、どうせ外れる、絶対外れるという人ほど当たりやすい」

「またまた~~。そんな簡単に出るなら私もみかかちゃんでストレス発散しないよ?」

「かぜっち。それは良くないな」

 

「えっ?!」

 

 皆の視線が思わず声が漏れてしまったみかかの方を向いた。

 

「おや、本当に当たったみたいですね?」

「ち、違います! ドラゴンなんて出てませんから!?」

「……ほう」

 ぶくぶく茶釜の背後に炎が上がる。

 嫉妬の炎だ。

 

「どうやらハズレでもないようですが……まぁ、何と言いましょうか可もなく不可もなくという面白みのない結果に……はいっ?!」

 

「ほら、出たでしょ?」

「出てません! 出てませんよ~~?」

「…………ほう」

 

 少しずつぶくぶく茶釜から距離を離すみかか。

 そんな彼女にジリジリと近寄るぶくぶく茶釜と、後ろからスススッと近寄っていくモモンガ。

 

「まったく、ぷにっと萌えさんの言う通りかもしれません。最初の十連だからって、こんな作為的な……ええっ! ちょ、何で!?」

「確保、確保ーー!!」

 ガチャに振り回されたぶくぶく茶釜とビギナーズラックを引き当てたみかかが円卓の間を走り回る。

「この禁書目録! 私の触手で動けなくした上でドロリ濃厚で乳白色なポーションをかけてやる! 他意はない!!」

「やだ、この人。怖い?! 他意ありまくりです! 単なるセクハラスライムです!!」

 

「その内、バターになりそうですね」

「そうなの?」

 ぷにっと萌えの発言は何らかの比喩なのだろうが、やまいこはそれを知らない。

「ええ、まぁ。しかし、何はともあれ……今日もナザリック地下大墳墓は平和です」

「まったくだね」

 ぷにっと萌えとやまいこは言い争いながら追いかけっこをする二人を楽しそうに見つめる。

 それはある日の一時。

 何よりも輝かしい――黄金の日々の一幕だった。

 

 

「それが、どうしてこうなった?」

 白昼夢から目覚めたみかかは起こった事態が飲み込めずに呆然と立ち尽くす。

「貴方様が私の召喚主でございますかにゃ?」

 目の前にいるのは件の課金ガチャで手に入れ、使わずに取っておいたモンスターだ。

 それはナザリック地下大墳墓には存在しない種族、妖精種のケット・シーだ。

 姿としては中型犬ほどのやや大きい猫の姿で、二足で歩き人語を喋っている。

 

「確かにそうなのだけど……一つ、聞いてもいいかしら?」

「一つと言わずにゃんにゃりと」

 その愛くるしさに本日のみかか当番、一般メイドのシクススがほっこりとした表情を浮かべている中、みかかは渋面を作りながら質問する。

 

「あなた……レベルはお幾つ?」

「一ですにゃ」

「そう。一レベル……やっぱり、そうなのね」

 みかかの特殊技術でも感じた……放つ気配が弱すぎるのだ。

 だが、それはおかしい。

 在り得ないと言ってもいい。

 絶対に、おかしいのだ。

 

「ええっと……一レベルだけど、何か凄い特殊技術を持っていたりするわけかしら?」

「にゃんにもございませんにゃ」

「あらまぁ」

 みかかとケット・シーは申し合わせたようなタイミングで微笑んだ。

「………………シクスス」

「はい! 何で御座いましょうか?」

「モモンガを呼んできて、大至急」

「は、はい!?」

 異様な圧力のあるみかかの笑顔にビクリと震えながら、シクススはモモンガの元に急ぐのだった。

 

「我が友よ、どうかしたのか?」

 これからパンドラズ・アクターとルプスレギナを連れて城砦都市へ赴こうとしていた所をモモンガは呼び出された。

 みかかの部屋に入ったモモンガはここでは見慣れないモンスターに疑問の声をあげた。

「ん? それはケット・シーか?」

「はい。えっと、ギルド長が覚えていらっしゃるかどうか分かりませんが……課金ガチャのレアモンスターです」

「課金ガチャ? ああっ! 無料分で回した十連ガチャが大当たりをした時のアレか!? 随分と懐かしいものを持ち出してきたな」

「ええ。忘却領域に仕舞ってたのを思い出しまして。でも、おかしいんですよ」

「ん? おかしいとは?」

「試しに一つ召喚してみたのですが一レベルでユニークスキルがあるわけでもない。本当にただの種族レベル一のモンスターなんです」

「それは……確かに妙だな」

「そうなんです! あの時のことはよく覚えてます! ちゃんとレアって出てたんですから!?」

「ふむ。ちなみにグレードは?」

「……グレード?」

 モモンガの言葉にみかかは首を傾げた。

 

「ん? もしかして……単なるレアか?」

「単なるレア? 意味が良く分かりませんが、レアです」

「………………」

 ああ、そういうことか。

 モモンガはあの時の事を思い出し、今更ながらのオチに僅かに苦笑した。

「そうだったな。君は、ガチャなどしたことがなかったのだった。だったら、分からなくても無理はない」

「……?」

 未だ理解が及ばないみかかにモモンガは驚愕の事実を告げた。

 

「我が友よ。ガチャにおいてレアとはレアではないのだ」

 

「え? レアですよ? 十連の結果表示が出たときにRの文字がありました。Rってレアの意味だと思ったのですが……」

 みかかの答えは「出るよ?」と言ったやまいこを思い出させた。

「あ~~。いや、そうなのだが、そうではないのだ」

「……?」

「うむ。何を言っているのかよく分からないかもしれないが、ユグドラシルの課金ガチャにおいてレアとはレアではない。実はレアリティにも種類があるのだ」

「はい?」

「ノーマル、ハイノーマルから始まり、レアはレア、ハイレア、さらにこの上に四種類があるのだが私が持つ指輪は何と最高位の……」

 

「 な ん で す か 、 そ れ は ! ? 」

 

 みかかの絶叫に思わず、その場の皆が飛びのいた。

 

「意味が分かりません! それ、レアなのに全然レアじゃないじゃないですか!? 運営は馬鹿ですか、死ぬんですか!?」

 ユグドラシルの運営は自分達がここにやって来たあの日に事実上死んでいるのでは、と思うが……今の状況でそれを指摘するほどモモンガも馬鹿ではない。

 

「えっ?! じゃあ、何ですか? Rが一杯出て――ほら、やっぱり私ってば神様に愛されてるから? とか内心調子に乗っていた私はどうなるんですか!?」

「そんなことを思っていたのか、君は」

 まぁ、単なる黒歴史ではないだろうか?

 

「ははは。まぁ、知らなかったのだから仕方ないさ……私も最初はハイレアとスーパーレアはどっちがレアだったかと戸惑ったこともある」

「どっちもレアですしおすし」

 みかかは拗ねたようにそっぽを向いている。

 

「ふはははは………………ちっ! 良い所を」

 モモンガはそんなみかかを見て、さらに微笑ましい気持ちにかられ……それが一瞬で沈下されて、今度は不機嫌になった。

 至高なる四十一人の二人が気分を害したのを感じたのだろう……ケット・シーは二人の顔を交互に見ながら、自分の運命がどうなるのだろうと不安げな顔を浮かべて震えていた。

 

「み、みかか様!」

 そんな猫妖精を見かねたのか、シクススが緊張しながら声をかける。

「どうかしたの?」

「ハッ、恐れながら申し上げます! その、そちらのケット・シーさんも一レベルかもしれませんが、きっとお役に立てるのではないかと愚考致します! ですから、どうか……どうか、寛大な措置を!」

 

「……ふうん」

 みかかはシクススを一瞥してから意地の悪い笑みを浮かべる。

 

「まったく貴方の言うとおりだわ、シクスス。私だって鬼ではないのだから、ちゃんと有効利用するわよ?」

「ありがとうございます!」

「これだけ大きいなら一食分のカロリーにはなりそうね? シクススは猫は好き?」

 冷笑を浮かべて質問する。

「はい! 猫さんは大好きです! え? カ、カロリー? えっ?!」

 悲壮な顔を浮かべるシクススと断頭台に立つ罪人のような様相のケット・シーを見て、さすがにモモンガも哀れに思って声かけた。

 

「それくらいにしてやってくれ。二人……いや、一人と一匹が怯えているぞ?」

「……ちょっとした悪趣味な冗談よ。ありがとう、シクススは優しい子ね。そうね……シクスス、良かったらこの猫に名前をつけてくれないかしら?」

「この猫さんに……私が、お名前をですか?」

 シクススはどうやら動物をさん付けするようだ。

 

「これも何かの縁だろう……シクスス、私からも頼む。新しいナザリックのシモベに名を与えてやってくれ」

「ハッ! モモンガ様、みかか様のご命令とあれば……そ、そうですねえ」

 シクススは真剣にケット・シーを凝視する。

 円を描くように歩いて身体を観察したり、屈んで頭を撫でたり、肉球に触れたり、持ち上げてみたり……真剣な顔でケット・シーに接している。

 

 時間がかかりそうなら、また後で……と言おうとしたのだが、真剣な彼女を前にして二人は声をかけるのが躊躇われた。

 

「決まりました!」

 シクススは自信満々といった表情を浮かべた。

「そう。じゃあ、教えてくれる?」

「ロックス、というのは如何でしょうか?」

「いい名前だと思うわ。では、召喚主として命じる――貴方は今日からロックスと名乗りなさい」

 名づけられたケット・シーは二足歩行する猫の身体で器用に臣下の礼を取った。

「ハッ……ありがとうございますにゃ」

「頑張って下さいね、ロックス」

「ハッ、名付け親たるシクスス様が誇れる働きを行うことを誓います」

 シクススとロックスに芽生えた新たな絆……それに満足しながら、モモンガはみかかに声をかけた。

 

「では、そろそろ私はパンドラズ・アクターとルプスレギナを連れて城砦都市に向かおうと思う」

「ギルド長には釈迦に説法でしょうけど、くれぐれもお気をつけて」

「分かっている。油断はしないさ――そちらも面倒だろうが、例の件は頼んだ」

「極めて了解。どうぞ、みかかにお任せあれ」

「頼りにしている」

 そういって、みかかの部屋を後にするモモンガをシクススとロックスが頭を下げて見送る。

 

「シクスス。私も今からメンバーを連れて外に出る――ロックス。貴方も一緒に来なさい」

「ハッ」

「いってらっしゃいませ。みかか様、ロックス――どうか、お気をつけて」

 シクススに見送られて、みかかも部屋を後にする。

 向かう先はカルネ村――そして、その先に広がるトブの大森林だ。

 

 




やまいこ「いいよ、ガチャが外れるって言うんなら、まずはそのふざけた幻想をぶち殺す!」
みかか「脳筋過ぎます!?」

 ピックアップが出ない? 何時から当たりさえすればピックアップが出ると錯覚していた?
 出るまで回せ、回転数が全てだ。
 そんな回です。

 冗談はともかくギルド『アインズ・ウール・ゴウン』全盛期の頃のお話。
 こういうのもたまに小噺で挟みたいと思ってます。
 
 次回は皆、大好き。
 オーバーロードのマスコット、あの方の登場です(多分


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三匹を斬る!

 現在のナザリック陣営の動きはこうだ。

 

 コキュートスとアルベドはナザリック地下大墳墓の防衛と運営を任されている。

 

 アウラとマーレはトブの大森林と呼ばれる森林地帯を探索・支配するために進軍を開始。

 二人の監督兼司令塔としてデミウルゴスがナザリックから指令を下すことになっていた。

 

 モモンガはパンドラズ・アクターとルプスレギナと共にナザリックから最も近い王国の大都市である城砦都市エ・ランテルにて一流の冒険者になる為に出発した。

 これは情報収集と金銭の獲得、そして人間に味方する存在という偽装身分を得るための行動である。

 

 そして、みかかはシャルティアに数名の御供を連れて王都リ・エスティーゼへ。

 さる大商人の娘という設定のシャルティアとそれに仕える者として、国家が保有する能力や魔法――ユグドラシルにはない『武技』と呼ばれる特殊技術や『《生まれながらの異能/タレント》』と呼ばれる特殊能力などの情報収集を行うことになっている。

 その過程で危害を加えても問題ない存在――要するに犯罪者などを浚って実験する予定だ。

 

 モモンガはソリュシャンを連れて行けばどうかと意見したが、みかかはその意見を却下した。

 

 腐っても国の王都だ。

 ユグドラシルプレイヤーの隠れる場所の一つや二つあるに決まっている。

 それを考えるとソリュシャンではかなり心許ない。

 下手を打って面倒事になった際にシャルティアがいれば心強いし、何よりシャルティアは《転移門/ゲート》という最上位の転移魔法が扱える。

 仮にナザリック地下大墳墓が襲撃されたりしたら、速やかに合流出来る上、侵入者を挟撃出来るのも大きな魅力だ。

 

 その意見にモモンガは納得、シャルティアは感涙、アルベドが狂乱することになったが、最終的にはシャルティアを連れて行くことについては合意を取る事が出来た。 

 

 しかし、ここで一つの問題が生じてしまう。

 

 大商人の娘という設定を生かすためには、この世界の金が必要になってくるのだ。

 みかかがカルネ村を襲った騎士達から得た路銀は全てモモンガに渡してあるため、行動しようにも金策が急務というのが現状だ。

 そして、その金策の為に訪れたのがトブの大森林である。

 エンリから聞いた話ではカルネ村の唯一の外貨獲得手段がトブの大森林での薬草の採取らしい。

 アウラとマーレの任務に助力する傍らで、王都に向かうための路銀の獲得を行うのが今回の目的だ。

 

「と、言うわけで――私も手伝わせてもらうわね?」

「はい! 宜しくお願いします!?」

「お、お願いします!」

 カルネ村からトブの大森林に入り、みかかはアウラ、マーレと合流する。

「すでに二人も話は聞いていると思うけど、この大森林内を探索と把握。そして従属する存在は問題がなければ陣営に引き入れて、物資蓄積場所の設営を行う」

 二人は了解してますと頷く。

「ちなみに把握とは大森林を支配することだけではないから注意してね? 生態系――ええっと、どういう生物が存在して、どんな植物があるのか、それらがナザリックに役立つものなのかの知ることも貴方達の指令には含まれているわ。消費系アイテムの素材となるもの、羊皮紙に代わるものを見つけたいわね」

「「はい!」」

「ただ、決して無茶はしないこと。私達はどうやら弱い存在ではないみたいだけど、最強であるかどうかは分からない。この森には私達より強い存在がわんさかいるのかもしれない。探索し、把握するにはそういう意味も含まれている。繰り返すけど、無茶はしないこと」

 二人の元気の良い返事に気分を良くしながらも釘を刺すことは忘れない。

 みかかの真剣な眼差しを前にして、二人も緊張しつつ頷いた。

 

「宜しい。アウラ――貴方達には先に先遣隊として調べてもらってる筈だけど、どんな感じかしら?」

「はい。本日、みかか様と共に向かう箇所は三箇所。現在のところ、こちらを圧倒するような強者の存在は確認出来ていません。順調に進んでいます」

「……そう。その三箇所には縄張りを支配するボスのような存在がいるのかしら?」

「はい。私達にとっては脅威ではありませんが三匹確認してます。その内の一匹はみかか様も御存知の白銀の魔獣、森の賢王と呼ばれているやつです」

「よし……では、まずその森の賢王のテリトリーを制圧しましょう」

 長らくの間、トブの大森林を支配してきた森の賢王と呼ばれる魔獣。

 異世界に飛ばされた自分達にとって知識は何より求める力だ。

 なんとか自分達に従属させたい相手だ。

 

「事前の調査では強さ自体は大したことないようだけど、決して警戒は怠らないこと。賢王と呼ばれるほどの魔獣――私達の知らない特殊技術や能力を備えている可能性もあります」

 自分達の造物主が発した緊張感のある声にアウラとマーレも神妙な顔で頷いた。

 

(それが、どうしてこうなった?)

 

 みかかは起こった事態が飲み込めずに呆然と立ち尽くす。

 今日はどうも厄日のようだ。

 多分、カルネ村の一件でクリティカルを連発させた反動がここできているのだろう。

 

 白銀の体毛。

 蛇のように長い尾。

 人の言葉を喋る知能。

 

 そして――愛らしい、円らな瞳。

 

「ふふふ。恐ろしさのあまり身も心も凍ってしまったでござるか? その顔に驚愕がアリアリと浮かんでいるでござるよ?」

「あ、貴方が森の賢王?」

「その通り。それがしこそ、森の賢王でござる!」

 

(……ただの巨大ネズミじゃない)

 

 正確には、巨大ジャンガリアンハムスターだろう。

 ペットのハムスターを寿命で亡くし、一週間近くユグドラシルにログインしてこなかった仲間を思い出す。

 メールでのやり取りで何とか励まそうとし、それにあたって知らないのも失礼だろうとペットショップまで足を運び、ジャンガリアンハムスターを見てきた経験があった。

 

「そう。貴方が森の賢王なのね。ところで……どうして、そんなに大きくなったの?」

「それはどういう意味でござる?」

「かつての仲間に貴方に良く似た動物を飼ってる人がいたのよ」

 アウラとマーレがみかかの発言を聞き、何故か「おおっ」と感動する中、ぷくっと森の賢王の頬袋が膨らむ。

「なんと! それがしに似たものをペットにするとは!!」

「………………」

 その生態までは知ろうと思わなかったので怒ってるのか、威嚇のポーズかは分からない。

「もしそれがしの同族を知っているなら教えて欲しいでござるよ! 子孫を作らねば生物として失格でござるがゆえに!!」

「こふッ!」

 森の賢王の言葉がみかかの心に痛恨の一撃を喰らわせる。

 そのこうかはぜつだいだ。

 

(いや、私アンデッドだもん! そもそも子孫を作れないから失格じゃないし!?)

 

 そもそも子供を作れるのだろうか?

 ――と言うか、今はそんな事はどうでもいい!

 

「ん~~」

 能力的にはガゼフよりも強いのではないだろうか?

 しかし、周辺国家最強の男より強い魔獣でも、ナザリック地下大墳墓基準で言えばかなり弱い部類に入るのが悲しい所だ。

 

(森の賢王ねぇ。何か、賢者的空気を纏ってないんだけど……むしろ、これはペット枠?)

 

「ねえ、マーレ?」

「は、はい! なんでしょうか、みかか様!」

「これ、ペットに欲しい?」

 みかかは白銀の毛玉を指差した。

「えっ? 別にこんなのいらないです」

 きょとんと不思議そうな顔を浮かべるマーレに苦笑する。

 良くも悪くも素直な子だ。

 

「みかか様! 私は欲しいです!」

 大してアウラは乗り気だ。

 

(そうよね。アウラは女の子だもの。ちょっとデカイのはアレだけど、可愛いといえば可愛いから)

 

「あら、そう?」

「はい! 剥いだらいい毛皮になると思うんです!」

 

(そっち! おしゃれ的意味合いで欲しいの?!)

 

「あ、ああ……そう、かもね」

 この年頃の子供と言うのは往々にして残酷なものだ。

 

「ええい! それがしを無視して何を勝手に話し合っているでござるか!?」

「別に無視しているわけではないのだけど……」

 むしろ当事者と言えよう。

「こうなったら、死なぬ程度に痛めつけ、それがしの種族について話してもらうでござるよ! 覚悟するでござる!!」

 森の賢王はニヤリと笑って、大きく孤を描いて尻尾を振り下ろす。

 瞬時に蛇のような鱗を纏った尻尾が弧を描いてみかかを襲った。

 

「未熟」

 

 パシッ、と軽い音を立てて、みかかの右手が森の賢王の尻尾を掴む。

 

「な、なんと!? 見切られた!?」

「何故、驚く? こんな真正面からの馬鹿正直な一撃など止められないほうがどうかしてる」

「くっ?!」

 森の賢王は握られた尻尾を力尽くで引き戻そうとして……地面にへたれこんだ。

「な、なんでござる? 力が、力が抜けていくでござるぅううう」

「……でしょうね」

 森の賢王におきた状態異常。

 その正体は吸血鬼の種族的能力である《生命力吸収/エナジードレイン》。

 その名の通り、生命力――標的のHPを吸い上げ、自らのものとする能力である。

 

「あら? なんだか気持ち良いわ」

 まるで冬場の冷気に悴んだ手がお湯に触れたような感じだ。

 気分が良いのでさらに吸い上げる力を強めてみると湯船に浸かったように身体全体がポカポカしてくる。

「や、やめてくだされぇえ……こ、降参するでござるぅ」

 森の賢王はフラフラの身体で、なんとかひっくり返る。

 そして、その柔らかそうな白銀の体毛に包まれた腹部を無防備にさらけだしてきた。

「こ、降伏でござるぅ。それがしの負けにござるよぉおおお」

 見る見るうちにふっくらした丸い身体がやせ細っていく姿はちょっとしたホラー映画のワンシーンのようだ。

「……仕方ないわね」

 尻尾から手を離し、自分の手の平を見つめる。

 気のせいかもしれないが肌の色艶が良くなっている気がした。

「そ、そなた……一体、な、何者でござる? この異常は、一体?」

 最早立ち上がる気力も無いようだ。

 ひゅー、ひゅー、とか細い息を吐きながら森の賢王は恐怖に染め上げられた表情で尋ねてきた。

 

「みかか・りにとか・はらすもちか。お前の主人であり、このトブの大森林を治める者よ」

 みかかは森の賢王の腹に手を置くと医療系技術を発動させて相手の体調を探る。

 

(生命力の欠如と軽い飢餓状態ね)

 

「……ちょっとやりすぎたみたい。マーレ、治してあげて頂戴」

「は、はい!」

「みかか様。こいつは恐れ多くも偉大なる御身に牙を剥いた不届き者――殺さないのですか?」

 天真爛漫なアウラの顔が、ここまで変わるのかと言うほどに冷たい表情を浮かべている。

「ええ。誰にだって失敗はあるものよ……それに、コレを殺したってぶくぶく茶釜さんが知ったら、きっと私は怒られてしまうわ」

 

 動物愛護的な意味で。

 

「えっ?! そ、そうなんですね……失礼しました!」

「いいのよ、アウラ」

 マーレの回復魔法で森の賢王の体は見る見るうちに元の体型に戻っていく。

「おおっ!? す、凄いでござる」

「さてと、さっきも言ったように私はこの大森林を支配するわ。お前の支配する縄張りは頂くわよ?」

「勿論でござる! 命を救ってくださったこの恩は絶対の忠誠と働きでお返しするでござるよ!」

「期待しておくわ。働き次第では貴方の同族を探してやってもいい」

「お任せくださいでござる!」

 調子のいいことを言う毛玉を半眼で見つめつつ、みかかは自らの計画を修正する。

 

(ケット・シーが村の警備には役に立たない分、このファンシーな毛玉で代用しましょうか)

 

 災い転じて福となすという言葉もある。

 みかかが考えているのはカルネ村の復興のことだ。

 

「なんにせよ、幸先良いスタートを切れたのは良いことだわ。このまま、進軍を開始しましょう」

「はい!」

 

 

 ビーストテイマーであるアウラが使役する魔獣フェンリルの背中に乗ってトブの大森林を奥へと進んで行く。

 フェンリルは土地渡りという特殊能力を持っており、森に存在する枝や蔓などの障害物などの影響を受けることなく進むことが出来る。

 木々が覆い茂っている為、昼でも尚暗い。

 だが、三人とも暗視能力を有しているために何の問題もない。

 元々、アウラ達の手により一度調べられた場所である上、階層守護者の中で最も感知力の長けるアウラとそれを超える能力を持つみかかが警戒しているのだ。

 

 そう簡単に不意を突けるはずがない。

 

 実際、アウラとマーレ、みかかの顔にも緊張感はなかった。

 みかかに至っては森の景色を楽しむ余裕があるくらいだ。

 

「……懐かしいわね」

 みかかがぽつりと漏らした言葉にアウラとマーレは驚いて振り返る。

「みかか様は以前にこちらにいらしたことがあるのですか?」

「ああ、そういう意味ではないわ。ぶくぶく茶釜さんと初めて会った場所もこんな森の中だったなあと思ってね」

 

「「ぶくぶく茶釜様とですか?!」」

 アウラとマーレにとっては創造主の話である為か、その食いつき具合は凄い。

「ええ。ぶくぶく茶釜さんが当時、人間種のプレイヤーに襲われててね。それを助けたのが始まりよ」

 みかかはギルド内では最も仲が良かった友人との出会いを思い出す。

 当時、ユグドラシルでは『異形種狩り』が流行っており、主に人間種プレイヤーによる狩りがブームとなっていた。

 当時ソロプレイヤーとして遊んでいたみかかは逆に『人間狩り』を行っていた。

 

「あの人がいなかったら、今ここに私がいることもなかったんでしょうね」

「「………………」」

 何とも数奇な運命の巡り合わせである。

「みかか様。ぶくぶく茶釜様も、この世界のどこかにいらっしゃるのでしょうか?」

「………………」

 たずねるアウラの顔を見つつ、みかかは沈黙する。

「分からない。余りにも不可解な状況だから、何とも言えないわね」

「失礼しました」

「気にすることはないわ。私のせいだもの」

 二人に話すような内容ではなかったかもしれない。

 

「あ、あの!」

 アウラはみかかの顔に暗い影が差したのを見て、声を上げて聞いてきた。

「みかか様は一度モモンガ様と合流した後に、王都に行かれるんですよね?」

「ええ、そうよ」

「その……シャルティアを連れて行くんですよね?」

「ええ」

「もしかして、王国を滅ぼしに行かれるのですか? それならマーレの方が適任かと思うんですが……」

「……ん?」

 どうして、そういう話になる?

 

「そ、そういう事なら……ぼ、僕! 頑張ります!!」

「いやいや、滅ぼしたりしないわ。アウラはどうしてそんな風に思ったの?」

「えっ? だって、シャルティアですよ?! 殲滅とか虐殺とかじゃないなら、何に使うんですか!?」

 

 なるほど。

 確かにモモンガの言う通りだ。

 NPC達はギルドメンバーの魂を受け継いでいる感がある。 

 ぶくぶく茶釜も実弟であるペロロンチーノを少し駄目な弟だと捉えていた節があった。

 

「シャルティアを連れて行くのは単純に効率を重視しているのもあるけど、もう一つ大きな理由があるのよ」

「大きな理由ですか?」

「ええ。早い内に教育しておきたいなと思って」

「教育、ですか?」

「そう。あの子は現時点でも階層守護者最強だけど、もし仮にシャルティアがデミウルゴスのような知力を得たとしたら?」

「えっ? それはむ、……う、う~~ん。確かに、そうなったら凄いと思いますけど……」

 ぽつりと漏れた本音に苦笑しつつ、みかかは続ける。

 

「そういう意味で、あの子には大きな成長性があるのよ。アウラとマーレだって、そうだけどね」

「なるほどぉ」

「そ、そうだったんですね」

 アウラとマーレは感心のため息をついた。

 

「幸い、あの子は私の言う事をよく聞いてくれそうだし。出来る限り育てるつもりよ」

「いいなぁ、みかか様に直接教えてもらえるなんて」

「う、羨ましいです」

 みかかは笑う。

「あら? 私なんかよりデミウルゴスの方が先生に向いてるかもしれないわよ?」

 

 デミウルゴスにはアウラとマーレの監督役を頼んでいる。

 彼は軍略において並ぶ者がない存在として創造された。

 そんな彼がナザリック内から一歩も出ず、入ってくる情報だけでどこまで戦略的な行動が取れるのかをテスト中だ。

 その辺りの感覚については、モモンガやみかかは実際に外に出て経験を積まなければ話にならないと思っているが、デミウルゴスは違う筈だ。

 現場を見ずして判断出来るくらいの知略を持っていて貰わないと困る。

 

「いや、それはないですよ~~」

「そうです! いくらデミウルゴスさんでもみかか様やモモンガ様に敵うはずがありません!」

 

(……それくらい優れていれば不安もないんだけどね)

 

 彼に匹敵する程の頭があれば、こんな森の中でわざわざ金策に走らずとも方法はいくらでも思いつくように思える。

 二人が絶対の信頼を寄せるみかかは森の賢王に薬草を集めさせているような状態だ。

 

「あっ、そろそろ次の目的地に着きます」

「そこのボスは誰かしら?」

「トロールですね。洞窟に住んでます」

「……ふうん」

 洞窟にお住まいのトロールさんか。

「森の賢王がハズレだった分、有益な関係を築ける相手だといいのだけどね」

 住まいを見る分に当てにならなそうだが……。

 

「貴方がこのテリトリーの――」

「――何をしに来た! チビ共!!」

 馬鹿でかい声が洞窟の中で反響した。

 その声を聞いた瞬間、二人は即座に採点を下した。

 

「……ハズレね」

「ハズレですね」

 

 貧相な住まいだが、その住まいに似つかわしい程度の知能しか持っていないようだ。

 

「こういう手合いは役に立たない。無駄足だったわね」

 力で支配するのは簡単だろうが、忠誠心という言葉の意味も理解出来ない者では意味がない。

「いいわ。ハズレならとっとと終わらせて次に向かいましょう」

 

「いや、うちはこいつは当たりだと思うんじゃけど……」

 頭上から聞こえた声にこの場にいる全員が反応して頭を上げた。

 

「「なっ?!」」

 

 洞窟の天井から幼女の首が生えていた。

 みかかのシモベであり、カルネ村に置いてきたはずのシコクだ。

 

 ゴーストなどに代表されるモンスターはその種族的特長として物理攻撃や壁などの障害物を無視する『透過』という能力を備えていることが多い。

 この洞窟のように自然にあるものを流用し、魔法的対策が施されていない壁であれば素通りだ。

 

「シコク?! どうして、ここに来たの?」

「どうして? こっちの手伝いをしようと思ったんじゃが邪魔だったかのう?」

 ちなみに最初に出会ったときと口調がまったく異なっているが、これがシコクの素の姿だ。

 彼女は気心がしれた相手の前では、このような話し方になる。

 

「『命令に反しない限り、自由にしてよい』それがうちがみかか様から命じられたことじゃけん」

「……そうだったわね」

 命じていたカルネ村での情報収集は終わったということか。

 

(それならカルネ村の警護をしてほしかったんだけど……シコクも人間より私を優先させたのかしら?)

 

 創造主であるみかかが言うのもなんだが、シコクはブラックボックスの固まりだ。

 シコクを解放してから色々と試してみたのだが、手綱を握るより好きなようにやらせるのが一番いい。

 元よりみかかはシコクの手綱を握れるとは思っていない。

 

「何だ! このチビゴーストもお前達の仲間か!?」

「化けネズミもそうじゃったけど、おんし達のような一山いくらの賑やかしに用はないけん。うるさいし、ちょっち大人しゅうしとれ」

 

 その言葉の前にトロール達は水を打ったかのように静かになった。

 デミウルゴスも所有する特殊技術『支配の呪言』であり、シコクもそれを扱うことが出来る。

 

 シコクは性能で言えば、魔法職で戦闘よりは補助がメインのキャラクターだ。

 パフ・デバフを用いて味方の力を底上げし、敵の力を削ぐことを得意としている。

 

「これは戦利品としてナザリックに持って帰ると吉」

 シコクは手に持った札にサラサラと流暢な文字で『差し押さえ』と書いて、その場にいたトロール達の額に貼る。

「……シコク。ちょっと待ちなさい」

 その背中にみかかは話しかけた。

「貴方、さっき化けネズミとか言ったわね?」

 シコクは振り返って頷いた。

 

「言った。ここに来る途中で草むしりをしとるでかい毛玉に会ったんよ」

 

「「………………」」

 一を聞けば十を知るという言葉がある。

 アウラとマーレはその先の展開に予測がついたのか微妙な表情を浮かべた。

 

「……その化けネズミはどうしたの?」

 みかかも嫌な予感を感じながらも問いかける。

「ん? なんかうちの姿を見た途端に『姫に忠義を尽くすでござる』とか言って襲い掛かってきたけん」

 シコクは手に持っていた札を見せ付けてから握りしめる。

「こんな感じで……消した」

 シコクが再び手を開いた時には影も形も残っていなかった。

 

「嘘でしょ……失敗したわ」

 

 みかかは額に手をやった。

 アウラかマーレを護衛につけるべきだった。

 

「多分、姫様とはみかか様の事だと思ったんじゃが化けネズミに説明するんも面倒くさいし、うちはまだアレがナザリック陣営に加わったとは聞いとらんけん。ちょうど良いと思って消したんは内緒じゃよ?」

「あ、あなたは……」

 

 確かに説明はしてない。

 説明してないのだから、衝突があってもそれは事故と言えるかもしれない。

 シコクは森の賢王が自分達の陣営に加わったことを察していたが、それはあくまで己の判断でしかなく、勝手に判断するのは独断専行と言える。

 

「だから、『命令に反しない限り、自由にしてよい』という主命を優先させてみた」

 にまぁ、と悪戯を成功させたことを自慢する子供特有の笑みを浮かべる。

「そうね、私の伝達ミスだわ」

 

 本当に……制御出来ない子だ。

 当然、一から十まで事細かに指示すれば守るのだろうが……それは不味い。

 みかかが最も苦手にする者――あの子はお小言を嫌う。

 

「そんな事はないんよ? みかか様が手取り足取り丁寧にうちの面倒見てくれるんなら、うちは大人しゅうしちょる」

 そして口に出さずとも心の内を見透かしたかのような会話をしてくる子だった。

 

「生憎とそこまで暇ではないわ。大体、そんな事をしたらしたで少しでも目を離した隙を見計らって何かやらかすつもりでしょう?」

「御明察。うちがかまって欲しい時にかまい、放っておいて欲しい時は放っておくのが吉」

「……まったくもう」

 

 つまり、あれだ。

 こいつは猫なのだ。

 犬のように主人に忠実というわけでは決してない。

 

「いや、うちはどっちかと言うとタチじゃけん」

「サラリと人の心を読んでくるわね。まぁ、貴方は日本髪で和服だし、そっちのほうが似合うわね」

「みかか様のそういう所を、うちはたまらなく愛しちょるんよ?」

 クククッ、と幼女がするには大人びた表情を浮かべて笑った。

「………………」

 どういう訳か、琴線に触れたらしい。

 あれは今、非常に機嫌がいいというのが分かる。

 

「あ、あの! シコクさん」

「マーレ様。何で御座いましょう?」

「え、えっと、別に僕も普通の話し方で結構です!」

「ん」

 シコクは了解したと頷いて続ける。

 

「マー君。何か気になることでもあったじゃろうか?」

「マ、マー君?!」

 マーレはあっさりと距離を詰めたシコクにびっくりしながらも尋ねる。

 

「あ、あのシコクさんが化けネズミさんを殺したのは仕方ないことだと思うんです」

 

(あっ、仕方ないで片付けるのね)

 

 残酷なマーレの発言にみかかは頬を引き攣らせた。

 

「で、でも、生き返らせてあげた方がいいと思うんです! このままじゃ、シコクさんが怒られますから!」

「うん?」

「ご、ごめんなさい! ええっと、何故怒られるかと言うと、実はあのネズミを殺すとぶくぶく茶釜様が怒るだろうって……」

「ああ、いや……マー君は勘違いしちょる」

 シコクは小さな手を右へ左へ振りながら答えた。

「えっ?」

 理解出来ていないマーレにみかかが告げる。

 

「マーレ。森の賢王は死んでないわ」

「そ、そうなんですか?」

「ああ、そういう意味か!」

 アウラも答えが分かったのか声をあげた。

「お、お姉ちゃん。ど、どういう事?」

「分からない? シコクは殺したなんて言ってない。消したって言ったでしょ?」

「えっ? あ、つまり……」

 マーレの顔に理解の色が浮かんだのを見てから、シコクは種明かしをする。

 

「ちょっと《上位転移/グレーター・テレポーテーション》をかけただけじゃよ?」

「転移先は何処にしたの?」

 

「知らん」

 

 あっけらかんと答える。

 

「はるか かなたへ はねとばした! と、思われる」

 

(………………ひどい)

 

 余りにも余りな発言にみかかは心の中で合掌する。

 

 ユグドラシルではランダムテレポートと呼ばれるテクニックだ。

 転移可能な範囲の何処かに飛ばされるというもので、普通は使用しない。

 転移先にどんな罠があるか分からないからだ。

 普通のプレイに飽きてしまったものが「物は試し」とやってみて大概が後悔することになる駄目テクニックである。

 

「《上位全能力強化/グレーターフルポテンシャル》と《上位幸運/グレーターラック》はかけておいたから、死んでないと思うんじゃが……」

「……帰巣本能があって帰ってこれたら謝ることにしましょう」

 

 ハムスターにそんな能力はないと思うが。

 それに《上位幸運/グレーターラック》のおかげで同族と出会えているかもしれない。

 

「さもありなん。じゃけど、みかか様。案外うちは感謝されるかもしれんよ? 第三位階魔法程度が幅を利かす世界じゃけん。《上位幸運/グレーターラック》が運んでくる幸運は相当なもんかもしれん」

 カラカラと笑いながら、シコクは《転移門/ゲート》の魔法を発動させた。

 罪悪感はまったく感じてないようだ。

 

「うちはこのトロール達を持って帰ってデミちゃんに話をつけてくるけん」

 

(……デミちゃんって)

 

 誰だ、それ。

 いや、デミウルゴスの事なのだろうが、シュールだ。

 

「そこの剣とこいつらの部下に用はないから御随意にどうぞ。後、化けネズミが集めよった草とかはここに入れちょる」

 ポイと空間から無限の背負い袋を取り出して地面に放り投げる。

 

「他になんも無いならうちは行くけど、どない?」

「大丈夫よ。問題ない」

「では、お先に……おまんら黙ってついておいで」

 トロールを連れてシコクが消える。

 

「シコクって……なんか色々と独特ですね」

 

 まるで嵐が去ったような静けさの中、アウラはシコクが消えた空間を見つめながら言った。

 

「そうね」

「話し方はシャルティアみたく特長的だし、エクレアみたいに少し反抗的、なんでしょうか?」

 反抗的、という言葉にみかかは思わず笑いが漏れた。

「みかか様?」

「ごめんなさい。反抗的じゃなくて、アレは単に悪趣味なだけよ」

 アウラとマーレはみかかの表情を見て、それが悪い意味ではないことを悟った。

 

(みかか様、私達といた時より楽しそうだな。やっぱり自分のシモベだからかな。ちょっと羨ましいかも……)

 

 エスコート役のアウラとしては複雑な気分だ。

 

「さてと、ここにはもう用はないわ。最後の縄張りのボスに会いに行きましょうか?」

「「はい!」」

 二人は元気良く返事する。

 

「ところで、残りの連中とこの剣はどうします?」

「剣は私が貰うわ。残りの連中には死んでもらう。漏れる口を残しておくほど甘くはないもの」

「分かりました。じゃあ、ここに眠らせておいて、洞窟ごとマーレの魔法で片付けましょう」

「そうね。次のボスは話の通じる相手だといいのだけどね」

 大剣を手に取りながら、みかかは余り期待はしてない風に呟いた。

 

 

 その後、洞窟を完全に崩壊させた三人は西に住むナーガ族のリュラリュースが支配するテリトリーに入る。

 みかかが持つ大剣を見たリュラリュースは即座に降参し、ナザリックの軍門に下った。

 

 トブの大森林に住む魔獣として名高い『森の賢王』

 それらに匹敵する実力を持つ二匹の魔獣が存在していた事を人間達は知ることもなく、この日を境にトブの大森林の勢力圏は驚異的な速度で塗り替えられることになる。

 

 ちなみに蛇足になるが、この日から数日後にモモンガの元にスクロールの素材となる羊皮紙の試験体第一号が届けられることになった。

 後に発見される羊皮紙と比較すると生産数は少ないが、森で見つかった羊皮紙は大量生産されるものより品質が良かったらしく第五位階魔法まで封じ込めれることが出来たそうだ。

 

 




シコク「バシ○ーラ」
ハムスケ「なんとっーー?!」

 オーバーロード唯一のマスコット役は早々に退場(えっ?
 ハムスケの次回の出番にご期待下さい。

リュラリュース「出番が無い!?」

 書いても蛇足だからです。
 蛇だけに!(どやぁ

 そういうわけで三匹共に生還ルートと相成りました。
 ただし、一匹は地獄ですが。

 死にたくても死ねないので考えるのをやめたとか何とか。



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甘く蕩ける優しさを

「ごりごりごりごりごーーりごーーり」

 カルネ村にあるエモット家邸宅の陰でネムは薬草を摺っていた。

 薬草はその種類によって乾かしたり、潰したり、そのままにしたりと保存する方法が異なる。

 まだ十歳と幼く労働力としては期待出来ないネムは薬草をペーストして壷に入れる作業を任されていた。

 丁寧さと素早さを両立させながら、一生懸命作業に没頭する。

 いつになるかは分からないが、近く集めた薬草を売りに行くことになっているからだ。

 少しでも姉の力になりたい、褒められたいという思いのせいか、詰まらない単純作業でも妥協を許さない。

 石臼を回すネムの瞳は真剣そのものだ。

 

「ネム? こんな所で何をしてるの?」

「!?」

 石臼を回していた手がピタリと止まり、弾かれたように顔を上げる。

「ミカ様だ!」

 ネムは立ち上がって、タッタッタと走り寄る。

「ん? あっ、こら」

 ネムの手についている薬草の汁に気付いたのか、いつぞやの時のように抱きつこうとしたネムの首根っこを掴んで持ち上げる。

 捕まった猫のような状態でネムは嬉しさを滲ませてはにかんだ。

「いらっしゃい、ミカ様。今日は可愛い格好だね」

 ネムが以前に見たときは尼僧服だったが、今の格好は異なる。

 竜王鱗で出来た蒼の胴鎧に短めのマント――そして、漆黒の短いスカートから真っ白い太股が僅かに覗いている。

 僅かと言うのは黒のストッキングで足の大部分が隠されているためだ。

 

 ナザリックに所属する者であれば、誰でも気付くだろう。

 

 みかかが着ている衣装はマーレの衣装の色違い――格闘ゲームで言う2Pカラーと呼ばれるものだ。

 みかかはナザリックに所属する人型の女性NPCが着ている服の色違いの物を所有していた。

 

「いらっしゃったわ、ネム。抱きつきたいなら、手を洗ってからにしてくれる?」

「分かった! じゃあ、降ろして」

「はい」

 ネムの足が大地に着き、首根っこを掴んでいた冷たい手も離れた。

 ネムは自分を救ってくれた人の顔を見上げた。

「……どうかしたの?」

 自分の視線に気付いたのだろう――真っ直ぐに見つめ返し、しばらくすると優しい笑顔を浮かべてくれる。

「ううん。なんでもない」

 

 この瞬間がネムは好きだった。

 まるで射抜くような吊り上った鋭い視線が徐々に緩んで、優しいものに変わっていく。

 ただ微笑んだだけなのに、格好いい人から可愛い人に変貌する。

 おうこくせんしちょーという何だか怖い人に睨まれても物怖じしない強い人と、まるで姉のように、或いは母のように優しく自分を見守ってくれる素敵な人。

 相反する二つを併せ持ったこの人はネムが将来こうなりたいと思う理想の人でもあった。

 

「ネム。これは何?」

 ネムから視線を外すときゅっと視線が鋭くなる。

 その視線の先にはペーストした薬草を詰めた壷があった。

「薬草だよ?」

「……ふうん」

 そのまま壷の前にかがんで壷の中に手を入れて指でペースト状になった薬草を少し掬い上げる。

「あっ?!」

 そして、ネムが止める間もなく救った薬草を口に入れた。

 

「………………まずいわね」

 

「ミカ様。それ、食べ物じゃないよ!?」

「それに苦いし、口の中がピリピリする。これはHPを回復するものみたいね」

 みかかは薬や毒に関するものであれば口に含むことでその効果を判別出来る。

 別に口に含まなくても鑑定は可能だが、それをするには一度ナザリックの自室にある機材を使う必要があった。

 

「こっちは何かしら?」

 天日に干していた薬草を一枚手に取る。

 次に何をし出すか予想出来たネムはおおいに慌てた。

「ミカ様! 駄目ーー」

 ネムはみかかの手から薬草を取ろうとするが、まるで水に浮かぶ葉を掴もうとするようにスルリと逃げられる。

「それも食べられないから!!」

 ネムの言葉を無視して、パサパサになった葉を口にいれる。

「……辛い。ちょっとペパーミントっぽいかも。でも、食感がイマイチね。どれどれ、こっちは……」

「もーー! 食べ物じゃないって言ってるでしょ!!」

 ネムは捕まえようとするが、サッと避けられる。

「なんで捕まんないの?!」

 みかかは自分を見ていない――まるで後ろに目があるように、背中を向けたままでネムの突進を避けてくる。

 

「言ったじゃない? 抱きつきたいなら、手を洗ってからにしてくれる?」

「言ったでしょ!? それは食べ物じゃないの! お腹を壊しちゃうよ!」

 乾燥した葉を一枚手に持ち、マタドールのように華麗にネムの突進を避け続ける。

 

「……大丈夫よ。そういう成分は含まれてないもの」

 そういって手に持った葉を一齧りする。

「あっーー!?」

「甘っ!? まるで、砂糖だわ。これは裂傷用のものみたいね。傷口に砂糖を塗っていいのかしら?」

「………………」

 ネムはみかかの手にある齧られた葉を見つめる。

「ね、ねえ。ミカ様」

「何?」

「その葉っぱ、甘いの!?」

 ネムは瞳を輝かせて葉っぱを指差した。

 

「これ?」

 みかかは手に持った葉っぱを右へ左へ振りながら聞く。

「それ!」

 ネムは右へ左へ視線を泳がせながら頷いた。

 

「………………苦いわよ?」

 フッと冷笑を浮かべて、ネムの希望を粉砕した。

 

「……甘い葉っぱなんてあるわけがないじゃない。ネムったら、お子ちゃまね?」

「………………」

 クスクスと笑うみかかにワナワナとネムは震える。

「いい、ネム? 知らないなら教えてあげるわ。これは薬草と言って食べ物ではないのよ?」

「もーー怒った!!」

 したり顔で語るみかかを見て、ネムは声を張り上げた。

「嘘をついたりしちゃいけないんだから! ミカ様なんて、お尻ペンペンの刑だよ!!」

「嫌よ、そんなの。したければ捕まえてみることね?」

 そして二人は追いかけっこを始めた。

 

 

「………………」

 そんな二人の様子を場違いな場面に遭遇したかのように呆然と見つめている者がいた。

 黄金の輝きを放つ長い髪、その先端は丁寧に縦ロールされている。

 体型を隠す尼僧服の上からでも豊満な胸を持つのが見て取れた。

 戦闘メイド『プレアデス』の一人、ソリュシャン・イプシロンだ。

 彼らの造物主にして神の如き存在であるみかかが、その身を危険に晒してまで救ったカルネ村。

 彼女は、そんなカルネ村の監視及び警護という大役を授かった身だ。

 

(流石はみかか様。取るに足らない人間風情を相手にまるで姉妹のような反応を示す。完璧な擬態です)

 

 自らが仕える主人に改めて深い敬意を抱くと共に、自らも見習わねばと強く思う。

 

 みかか・りにとか・はらすもちか。

 ソリュシャンでは遠く及ばないほどの高みに立つ暗殺技能者であり、それ故に深く尊敬すべき人物である。

 今回の任務に当たり、ソリュシャンはみかかの装備を借り受けている。

 主人と自分の能力には似通った所が多いからだ。

 造物主であり神に等しい御方の衣装を着て、装備を借り受けることを許された幸運。

 常に冷静沈着なソリュシャンも、これには思わず腰が引けてしまうほどの緊張感を感じていた。

 任務の重大さと、それを任されたことによる幸福感は、少しでも気を抜くと己の顔に笑みを浮かばせてしまう。

 

 一度、深呼吸。

 覚悟を決めるとソリュシャンは二人に近づく。

 まずは警護対象との心の距離を詰めることが重要だ。

 

「ズ、ズルイ……つ、捕まんない」

 肩で息をしながら、ネムは地面にへたれ込んだ。

 みかかとネムでは身体能力と保有する技能に差がありすぎる。

 どれだけ油断しようが、ネムでは一生かけてもみかかを捕らえることは出来ないだろう。

「ちなみに私の国では捕まらなければ謝らなくてもいいのよ?」

「そんなの、絶対、おかしいよ」

 息も絶え絶えに、ネムは反論した。

 

「いけませんよ、ミカ様」

 驚かせないように足音を立てて近づき、自然な感じで二人の会話に滑り込む。

「そういう子供の教育に悪い発言はお控え下さい」

 ソリュシャンは彼女には珍しい柔和な笑顔を浮かべて、みかかを嗜めた。

「お姉ちゃん。だ、誰?」

 急に現れた女性を前にして、ネムはみかかの腰にしがみついて後ろに隠れる。

「大丈夫よ、ネム。この人は私の知り合いだから」

「初めまして、ネム様。私はソリュシャと言います」

 この村の人間には友好的な態度で接すること。

 そして、その中でもエモット姉妹についてはみかかのお客様として対応することを命じられている。

 その為、ソリュシャンの声は自分の姉妹達に対応するときのように優しさに満ちていた。

「……こ、こんにちは」

 だが、人見知りする性格なのか、先程までのネムとは打って変わって消え入りそうな声だ。

 最大限の演技で優しい声を出してみたが効果は薄い。

 事前に言われていた通り、この村の住人の人間不信の芽は根深いようだ。

 

 しかし――ソリュシャンには目の前の人物から授けられたとっておきの秘策があった。

 

「私、実はネム様にお願いがあるんです」

「……お願い?」

「はい。ロックス、こっちに来なさい」

 ソリュシャンは頷くと、家の陰に隠れていた者を呼びつける。

「お呼びでございますかにゃ?」

「うわっ! 大きな猫さんだ!!」

 現れた妖精種、ケット・シーのロックスを見た瞬間、ネムの他所他所しい態度は消え去った。

「私のペットでロックスと申します。実はこの子には友達がいないんです。ロックスのお友達になってくれませんか?」

「なるなる!」

 ネムは走り寄って同じくらいの身長のロックスに抱きついた。

「すごーい! 猫さん。ふわふわだぁ」

「ふわふわですにゃ」

 ネムは好奇心の赴くままに頭や耳、背中に尻尾と触れていく。

「ネム、抱き心地がいいでしょ? これからはロックスと一緒に眠るといいわ」

「うん!」

 みかかの申し出をネムは喜んで受け入れる。

 

(よしよし。アニマルセラピーは有効なようね)

 

 これで少しはネムの心の傷も癒え、安眠に繋がることだろう。

 みかかとしても手に入れた課金ガチャのレアモンスターであるロックスを無駄にしなくて済むし、一石二鳥だ。

 

「それとネム様にお菓子も持って来たんですよ?」

「えっ?!」

 ソリュシャンは手に持った紙箱を掲げてみせた。

「うちの使用人が作った物ですの。今はネム様のお姉様と一緒に村長さんの家におりますわ」

 ソリュシャンの言う使用人とはフラジールのことで、彼は今、村長の家で挨拶と今後のカルネ村について相談している。

「エンリが戻ってくるまでネムの家でお菓子でも食べましょうか?」

「うん!」

 喜色満面のネムと安心した表情を浮かべたソリュシャンを見て、みかかも満足げに頷くのだった。

 

 

「ああっ!! ミカ様、またネムを甘やかして……」

「あら? 見つかってしまったわ」

 エモット家に戻ったエンリはみかかに詰め寄った。

「ネムもミカ様に食べさせてもらわないでも一人で食べれるでしょ?」

「だ、だってミカ様が自分で食べちゃ駄目、食べさせてあげるって……」

「……ミカ様?」

 エンリは顔を逸らしたみかかの正面に立つように回り込んで名前を呼ぶ。

 

「分かったわ」

 しばらくの沈黙の後、みかかは観念したように口を開く。

「分かって頂けたならいいんですけど……」

「エンリもあーんしなさい。食べさせてあげるから」

「そんな恥ずかしいことはしません! 私は子供じゃないですから!!」

 エンリの発言にみかかは分かってないとばかりに首を横に振った。

 

「意外に大人になっても恥ずかしげも無くやる人はいるものよ?」

「私は恥ずかしいから結構です」

「あらそう? じゃあ、エンリにはこのとろけるほど甘くて、ほっぺが落ちるほど美味しいお菓子はあげない」

「えっ?」

 みかかは笑う。

「このお菓子は私が用意した物よ? 欲しいと言うなら食べさせてあげるわ、私がね?」

 みかかの白魚のように細く長い指がクッキーを摘む。

 

「エンリは食べたい? 欲しいなら口を開けなさいな。私が食べさせてあげるわ」

「………………」

 エンリには意地悪く笑うみかかがまるで契約を強いる悪魔に見えた。

「……うっ」

 ここで食べるわけにはいかない。

 大事な妹の将来の為、これはエモット家の教育方針なのだ。

 

「いらないなら別にいいのよ? でも、こんなに甘くて美味しいお菓子は今度いつ食べられるか分からないわね」

「…………ううっ」

 それに姉の威厳がかかっているのだ。

「お姉ちゃん。このお菓子、すっごく甘くて美味しいんだよ?」

「………………うううっ」

 そんなに美味しいのだろうか?

 

「……い、頂きます」

 

 エンリはがっくりと肩を落とす。

 甘味の誘惑には勝てなかった。

 

「はい。どうぞ」

 

 エンリの口元にクッキーが運ばれ、紅潮する頬を意識しながらクッキーが口内に入った。

 柔らかいクッキーは噛み砕くまでもなくサラサラと口の中で溶けて、強烈な甘味が広がった。

 

「お、美味しい!!」

 

 思わず頬が緩んでしまうほどに甘くて美味しい。

 先程まで張っていた意地が地平線の彼方まで吹っ飛んでしまう程、どうでもいい物のように思えてしまう。

 

「じゃあ、この件は問題なかったということで。後は皆で仲良く分けるといいわ」

 澄ました顔で勝利宣言を述べるみかかを恨みがましげに見つめる。

「あら? 随分と納得のいかない表情ね?」

「私は、甘えるのは良くないと思ってますから」

「そう? 誰かに甘えられる、甘やかしてもらえるのは凄く素敵なことだと私は思うけど?」

 みかかはエンリとは正反対の意見を述べる。

 

「エンリは甘やかされるより厳しく接して欲しいの? それがお望みというならそうしてあげるわ。事細かに、それこそ重箱の隅をつつくように礼儀作法というものを徹底的に叩き込んであげるわよ?」

「………………うっ」

 優しい笑顔はそこにはない。

 そこにあるのは冷気すら感じさせるほどの鋭利で冷たい微笑みだ。

 エンリはその迫力に思わず気圧されてしまう。

 

「油断も出来ないような生き方をお望みなら叶えてあげるわ。さぁ、貴方の選択はどっちなのかしら?」

 優雅に微笑んで、人差し指と中指で摘んだクッキーをエンリに向けてくる。

「……う、ううっ」

 エンリは観念して再び口を開けた。

 白旗を揚げたエンリの反応に満足げに頷いてクッキーを口に運んでくれる。

「そうそう。素直なエンリはいいエンリよ。とっても可愛いわ」

 冷たい手がエンリの頭を愛でるように優しく撫でる。

 先程までの息を呑むような冷たさは何処にもなかった。

 

「………………」

 

 ズルイ。

 この人は……もう、何か色々とズルイ。

 クッキーの味を堪能しながら、エンリは思う。

 

「ソリュシャさんも何とか言って下さい」

「申し訳ありません、エンリ様」

 罰の悪そうな顔を浮かべてソリュシャンは頭を下げる。

「えっ?」

「残念ながら、この子も籠絡済みよ?」

 みかかは少しばかり妖しい笑みを浮かべてソリュシャンの口にビスケットを運ぶ。

「もうっ、ミカ様のやりたい放題じゃないですかぁ」

「ハッハッハ。お困りのようですな」

 カツカツと笑う老齢の声にエンリは振り返った。

「いやぁ、うら若き乙女達の花園は老齢にはちと応えますなぁ。なんせ居場所がない!」

「そう思うなら隅っこで大人しくしてなさいな」

 みかかはフラジールに向かって呟いた。

「エンリ様。こんな事もあろうかと昔の人は良いことを言っておられますぞ?」

「はい?」

「人が深遠を見る時、深遠もまた人を見ているのだ、とね」

 フラジールの猛禽類のように鋭い視線に光が灯った。

「……? …………?? ………………ああっ!?」

 エンリは合点がいったと頷いた。

「……ミカ様?」

 この恨み晴らさずにおくべきかと黒い情熱を燃やして、エンリはニッコリと笑みを浮かべる。

「な、なに?」

 エンリは紙箱からビスケットを一枚摘むとみかかの口元に持っていって、一言。

「はい、ミカ様。あーん、してください」

 それこそ母が幼子にするように、甘く優しい声で口を開けるように促した。

 

「………………」

 みかかはあらん限りの苦虫を潰したような嫌な顔を浮かべる。

 

「あら? ミカ様、ここで頂かないのは失礼にあたりますわ」

 ソリュシャンも微苦笑を漏らしながら主人がこの行為を受け入れるように促す。

 

「いらない。私はいいのよ」

「あーん」

「お腹も空いてないし」

「あーーん」

「大体、そんな恥ずかしいことするわけないじゃない」

「あ゛ーーーん゛!」

 

「ちょっと! 無理矢理、口に突っ込ませようとしないで!」

 

「だったら観念して食べればいいじゃないですか! 甘やかしてもらえるのは凄く素敵なことだって言ってましたよね!?」

 

「そんなの知らない。気のせいじゃない?」

「………………」

 明後日の方向を向いて拗ねるみかかの顔を見て、エンリの頬の筋肉がピクピクと引きつった。

「ソリュシャさん! 無理矢理にでも口に突っ込みますから手伝って下さい!!」

「さ、さすがにそれは……」

「むーりーでーす。ソリュシャはエンリの言う事なんか聞きませんー」

 みかかは小さな舌を覗かせて挑発してくる。

「だったら私一人でどうにかします!!」

「やれるものならやってみなさいな!!」

 家の中で暴れるエンリとみかかにネムは呆れた顔を浮かべた。

「二人とも、家の中で暴れちゃ駄目なんだよ?」

 

「暴れてるんじゃないの! これはエモット家の躾だから!!」

「こんな秘境の奥深くに存在する寒村の掟なんか知らないし!!」

「あーー!! 馬鹿にした! 今、このカルネ村を馬鹿にしましたね!!」

「シテナイ」

 取っ組み合った二人のせいで家の中に埃が舞う。

 

「もーー。お菓子やお茶の中に埃が入るでしょ!!」

 ネムの小さな声では二人の喧騒は収まらない。

「ネム様。少し宜しいですか?」

 そんなネムにソリュシャンは助け舟を出す。

「なに? ソリュシャさん」

「少しお願いがあるんです」

 ソリュシャンはネムに耳打ちする。

「そんなのでいいの?」

「はい」

「……ふうん」

 ネムは紙箱からビスケットを一枚取って、みかかの元に行く。

「ミカ様?」

「ネム。どうかした? もう少しでエンリを組み伏せられるから後にしてくれない?」

 その声を無視してみかかの背中をポンポンと叩く。

「いいから、こっち見て。ミカ様」

「もう、何?」

 

「あーん、して?」

 

「………………」

 ぴしりっ、と音を立ててみかかは彫像のように固まった。

「ネム。私は……」

「あーん」 

 みかかの色素の薄い唇がほんの僅かだけ開く。

 ネムはそこにビスケットを持っていく。

「美味しい?」

「……まぁね」

 皆の視線を避けるように背中を向けて、みかかは返事を返した。

 

「はっはっは。これが俗に言うツンデレというものですな……」

 

「黙りなさい。フラ爺」

「もしくは、これこそがかの有名な、キマシタワー」

「ぶっ飛ばすわよ?」

 一体、何処からその知識を手に入れてきたのだ。

 シコクといい、フラジールといい、他のナザリックの面々と比較すると微妙に性格に難があって困る。

 

「これは手厳しい。さて、ミカ様も往生際が悪くも負けを認められたところで話を変えると致しましょう」

 フラジールの瞳と言葉に鋭さが増した。

 エンリは未だ納得いってない所があるが、如何にも気難しそうな老人の真剣味溢れる顔を前に食い下がることは出来ない。

「ミカ様がお帰りになられたということは薬草採取は無事に終わったということですかな?」

「ええ。ここにあるわ」

 みかかは無限の背負い袋を一つ取り出した。

「重畳。では、ミカ様とエンリ様は城砦都市エ・ランテルに、その間は私とソリュシャにて村の警護を行うという方針に変わりはなく?」

「当然ね。エンリ、外に出る準備をしてくれるかしら?」

「私のほうは準備は出来てます」

 いつでも行ける様に荷台に出来上がった薬草の瓶は順次積み込んでいるし、着替えなどの必要な荷物も準備済みだ。

「へえ、手際が良いのね。じゃあ、早速向かいましょうか?」

 

「それはあかん」

 

 声と共に窓から一匹の黒猫が入り込んでくる。

 若干声が聞き取りづらいのは人間以外の生き物が人間の言葉を喋ってるせいか。

 

「ただいま戻った」

「えっ?!」

「小さな猫さんが喋ってる! ロックスのお友達?」

「そ、それはにゃんといいますか……」

 ロックスは説明していいものか悩み、言葉を濁す。

 

(……憑代を見つけてきたか)

 

 霊体であるシコクは生物に憑依し、それを操ることが出来る。

 みかかは黒猫の姿に見覚えがあった。

 忘却領域に存在する火車と呼ばれる炎を操る猫型の魔獣を憑代にしたのだろう。

 

「友達ではなか。うちの名前は……シャーデンフロイデとでも名乗っとこか。それの主人みたいなものじゃけん」

「小さな猫さんはロックスのご主人様なんだ」

「さもありなん」

「さも? あり?」

 首を傾げるネム。

「たしかにそうだろう、とかいう意味じゃよ」

「そうなんだ。小さな猫さんは偉いね。触っていい?」

「あかん。でっかい猫で我慢するが吉」

 妹と猫のやり取りを見ながら、エンリはみかかに尋ねた。

「ミカ様。その、猫が喋ってますけど……」

「何を今更。そこにいるロックスだって喋ってるでしょ?」

「そ、それはそうなんですけど……」

 エンリに言わせればロックスは確かに見た目は猫だが、二足歩行で歩き、貴族のような格好をしている為、人間と変わらないように見えるのだ。

 だが、普通の猫となると少し勝手は違ってくる。

「そんなに怖がることはなかよ。うちはミカ様の従者じゃけん」

「そ、そうなんですね」

 その言葉で大分冷静さを取り戻す。

 何故か分からないが、エンリはこの黒猫が少し苦手だ。

 

(うーーん。ネムと違って、私はあまり人見知りする方じゃないんだけど)

 

 どうも相容れない何かを感じてしまう。

 エンリには珍しい感覚だった。

 

「ちなみに、どうして止めるの?」

「ミカ様はこれからでっかい街に向かうんじゃろ?」

「そうよ?」

「そないな格好で行ったらあかんよ? きっと後悔するじゃろうから」

 全員の視線がみかかに集中する。

「駄目かしら?」

「全然あかんね。零点じゃね」

「……そこまで?」

 しかし、みかかには何処が駄目なのか分からない。

 シコクは猫の姿で駆け寄ると、ぴょんと飛び跳ねてみかかの肩に着地する。

 

「ちと、お耳を拝借……」

 

「……?」

 みかかはシコクの耳打ちに疑問符を浮かべた。

「ミカ様なら出来るじゃろ? 探索役には必須の技能じゃけん」

「勿論出来るけど……」

「なら、やるべき」

「……分かったわ」

 釈然としないものを感じるが、シコクの言う事を聞いておけば問題ないだろうという安心感がある。

「ソリュシャ。ミカ様の着替えを手伝うのと周囲の警戒よろしう」

「了解致しました。エンリ様、奥の部屋をお借りしても?」

「は、はい! どうぞ」

 二人は連れ立って奥へと消える。

 

(まさか喋る猫だったなんて……)

 

 改めて、不思議な人だとエンリは思う。

 朝方、畑の手入れをしていたエンリの元にみかか達一行はやってきた。

 数日振りに訪れた村の救世主は胸に抱いた黒猫をエンリに預けて一言。

 

「村で起こったこと一部始終をこの子に教えてあげて」

 

 エンリがどういう事かを聞き返す前に「森に薬草を採りに行ってくる」と去っていった。

 そして現在に至っている。

 

「えい!」

「甘いですにゃ」

 ネムは新たに出来た猫型の友人と戯れている。

 ふわふわの尻尾を掴もうと手を伸ばしてるのだが、ロックスが尻尾を右に左に振って器用に避けているのだ。

 そのやり取りを微笑ましげに見守り、自分も参加させてもらおうと思った所で黒猫に声をかけられた。

 

「エリリン。ちょっとお時間貰ってもいいじゃろか?」

「ど、どうぞ」

 エンリは何故か緊張し、姿勢を正す。

「城砦都市エ・ランテルにいるお友達のことを知りたいんじゃが宜しい?」

「ンフィーレアのことですか?」

 黒猫が頷く。

「かまいませんよ? ええっと、名前はンフィーレア・バレアレと言いまして……」

「ああ、話す必要はなか。その子のことを考えとったらええ」

 黒猫はエンリの肩に乗ると《記憶操作/コントロール・ アムネジア》と呟く。

 

「……なんじゃと?」

 

「どうかしましたか?」

「ンフィーレアって、男じゃったんか?」

「えっ? そうですけど……凄いですね。どうして分かったんですか?」

 エンリは肩に乗った黒猫を見る。

 エンリの声が聞こえてないのか黒猫は視線を右に逸らして沈黙している。

 

(ミカ様が黙って考える時と同じ仕草……猫も飼い主に似るんだ)

 

 エンリはその事に感心した。

 唯一違うのはみかかは視線を左に逸らす所か。

 

「下手を打った。軌道修正せんとあかんね。だとしたら……」

 エンリの肩から降りながら、小声で何かを呟いている。

 どうかしたのかと聞こうとしたエンリは猫がため息を吐くという珍しい光景を目の当たりにした。

 

「仕方なし、優勝劣敗は勝負の常じゃ――それに運命はもう変わらんけん」

 

「うんめい?」

 エンリは首を傾げた。

「さて、エリリン。これから街に向かうにあたって、御主に幾つか御忠告したいことがあるんよ」

「忠告、ですか?」

「そうじゃよ? 外は危険が一杯じゃからね」

 一声鳴くとエンリの前に宝の山が現れる。

「あ、あの……これは?」

「おんしに必要になるアイテム群じゃよ。遠慮なく貰っておくが吉」

 その言葉にエンリは絶句する。

 目の前にある宝の山を貰うなど、とんでもない話だったからだ。

「あ、あの――」

「――うちの忠告は素直に聞いておいたほうがええよ?」

 エンリの動揺を黒猫は鼻で笑った。

 

「おんしが関わってしもうたのはそういう類のものじゃ。良くも悪くも運命を捻じ曲げ、道理を黙らせる」

「………………」

「ただの村娘にしては状況判断は的確、肝も据わっとるようじゃね」

 成程、主人が気に入るわけだとシコクは納得した。

 

 ならば、手塩にかけて育てる必要はあるだろう。

 

「それじゃ、ミカ様の支度が済むまでに、うちらも支度を済ませよか」

「そ、そうですね」

 緊張するエンリを前にシコクは己が所有する宝物の説明を始める。

 

 それは忘却領域に捨てられた廃棄物。

 アインズ・ウール・ゴウンのギルドメンバーが使い道がなく、売るにも適さないので放棄したガラクタだ。

 ユグドラシルであれば大したことのないアイテムだが、ここでは強大な力となる。

 

 エンリは己に渡された宝物が、どれほど凄まじい宝であるのかを今はまだ知らない。

 




シコク「それは《シューティングスター/流れ星の指輪》と言って願いを一つ叶えることが出来る指輪じゃよ」
エンリ「指輪よ。I WISH (私は願う)! 大人しく口を開けてクッキーを食べなさい!!」
みかか「何に使ってるの!?」
 
 少しばかり忙しくなってきた為、更新間隔が開きます。


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異形の種族

 2017/12/17 作中で矛盾が生じていますので一部文章を訂正しています。


 カルネ村にあるエモット家。

 テーブルに並べられた宝の山を前に一匹の黒猫と少女が語り合う。

 

「今回持って行くアイテムはこれじゃ」

 黒猫の名はシコク。

 ナザリック地下大墳墓第二階層にある忘却領域に封印されていたNPCだ。

「綺麗な瓶ですね」

 少女の名はエンリ・エモット。

 カルネ村に住む村娘であり、村の救世主に特に可愛がられている少女である。

 

 宝の山から引っ張り出されたのは一本のガラス瓶。

 見事な細工が施されたその瓶はそれ自体が高級な美術品のように見える。

 ガラス瓶の中には赤い液体が満たされていた。

 

「あ、あのシャ、シャーデン……フロイデ、さん?」

「呼びにくいなら猫さんでもよかよ?」

 名前が呼びにくいからと言ってそれはないだろう。

 それでは自分も妹も人間さんになってしまう。

「じゃあ、シャーデンさん」

「なんじゃろ?」

 エンリはテーブルに置かれたガラス瓶を指差して言った。

「こんな高そうな物を本当に頂いていいんですか?」

「遠慮なく受け取るのが吉」

「わ、分かりました」

 エンリはテーブルに並べられた宝の山に視線を向ける。

 一目見た時からお金持ちなんだろうとは思っていたが、まさか知り合ったばかりの村娘にこれだけの物を譲渡する程とは思わなかった。

 困惑するエンリを落ち着かせるように黒猫は語る。

「これからエリリンはカルネ村の外に出て、城砦都市エ・ランテルに赴くことになるが、道中や滞在中に危険に見舞われることはなかろう。なんせ、うちとミカ様が守るけん」

「シャーデンさんも来るんですね」と思ったが、真面目な話の最中なので心の中で突っ込むだけにしておく。

 人語を解する猫に見守られるなど、まるで御伽噺の世界に迷い込んでしまったような気分だ。

「気をつけるとすれば……うちとミカ様、この両名から離れるような状況は作らんことじゃね」

「はい」

 エンリは自分が助けられた時の事を思い出して、少しだけ寒気を感じた。

 自分達姉妹に親身になって接してくれる優しい人の冷酷な一面。

 あんな場面は出来ることなら二度と目にしたくない。

 

「しかし、それはあくまでこちらの事情。そちらにはそちらの事情があるだろうから、うちは無理強いはせん。ミカ様がどうかは知らんけど」

「う~~ん」

 確かに許してくれないだろうな、とエンリは苦笑した。

 あの人の過保護さはどうかと思う反面、親身になってくれる所は嬉しい。

「不自由じゃろうが、そこはどうか御容赦願いたい。この村を襲った騎士達が報復しようと狙ってくるかもしれん」

「いえ、そういう事なら私もお二人から離れるようなことはしません」

「その配慮に感謝を」

 丁寧に頭を下げてくる黒猫を見て、猫なのにしっかりしてるなぁ、と暢気な感想を抱いてしまう。

 新しく出来た人外の友達と外に遊びに出て行ったネムにもこの折り目正しさは見習ってもらいたいものだ。

 

「エリリン。ちなみにこの瓶に入った液体のことを何と言うか分かるじゃろうか?」

「い、いえ。分かりません」

「そか。ポーションと言うんじゃけど、聞いたことないかのう?」

「あっ、それならンフィーレアから聞いたことがあります。薬草からポーションを作ったりするんですよね?」

「ほほう。薬草からポーションを作っとるんじゃね」

 あれ?

 違っただろうか?

「はい。確かその時に聞いた話では薬草だけ、薬草と魔法、魔法だけで作る場合と、三種類くらいあったような気がします」

「そかそか。それは大変面白いことを聞いた」

 エンリの返事を聞いた黒猫は笑う。

 それは本来、猫が浮かべる糸目の可愛らしいものではなく、無理に人間を真似たような歪な笑い方だ。

 愛想笑いを浮かべるエンリの顔も自然と固いものになってしまう。

 

「………………」

 どうしても嫌な記憶が蘇ってくる。

 この顔は解体した騎士を見つめるあの人のようで、何だか、少し怖い。

「あの! このポーションはどんなポーションなんですか?」

 浮かんだ不安を払拭すべくエンリは殊更、明るい声で問いかける。

 エンリとしては三種類の製法のどれで作ったのかという質問だったが、黒猫の返事はエンリの予想を裏切る物だった。

「詩的に言えばチェス盤をひっくり返すポーションかのう」

「えっ? えっと……どういう、意味なんでしょう?」

「どういう意味じゃろうね?」

 黒猫は猫が本来浮かべるだろう笑顔を見せて答えをはぐらかす。

「そういうところ、ミカ様に似てますね」

 いかにも飼い主である彼女が好きそうな手に思えた。

「褒め言葉として受け取っておこうかの。大事に持っておくとええよ」

 

(必要になると言われてもどういう物か分からないと使えないんだけど……ンフィーレアに尋ねればいいのかな?)

 多分、飼い主である少女に尋ねても同じ対応をされるだろうとエンリは思った。

 

「気にすることは無いよ。さて、こっちの準備は済んだし、ミカ様の様子でも見に行ってくるかのう」

「あ、あの、シャーデンさん」

「なんじゃろ?」

「ありがとうございます」

「………………」

 礼を言うエンリを黒猫はジッと静かに眺めている。

「気にすることはないんよ。色々と教えてもらった対価じゃけん。それにミカ様にエリリンを守るように頼まれとる」

「分かりました。でも、嬉しかったので……ありがとうございます」

「そか。うちの猿の手で良ければ幾らでも貸してあげるけん。困ったときは頼ると良い」

「は、はい。そうします」

 猿?

 猫に見えるのだけど。

 そんな事を思いながら、人の言葉を話す不思議な猫を見送り、エンリも出発前の最終確認に入るのだった。

 

 

「こんな所でソリュシャは何をしとるん?」

「……シャーデンフロイデ様」

 罰の悪そうな顔をしたソリュシャンがエンリの部屋の前で立っていた。

「それがそのミカ様が……」

「ああ、その顔を見れば皆まで言わずとも分かった。着替えの手伝いなど不要だと言われたんじゃろ?」

「……はい」

 シュンとソリュシャンは肩を落とした。

 今もそうだが、みかかは着替えや入浴に際して誰かが手伝おうとするのを一切断っている。

「気にすることはなか。恥ずかしがっとるだけじゃよ」

「そうなのですね」

「ミカ様の用意が出来次第、うちらはここを発つことになる。留守番よろしう」

「かしこまりました」

「ニグレドによる監視が行われておるから問題ないと思うけど、有事の際はトブの大森林にいるアウラ様とマーレ様の元に向かうこと。優先順位は御主、ロックス、ネム、フラ爺じゃ。後はどうでも良い」

「はい。了解しております」

「うちはこれからミカ様と話があるけん。席を外してくれるかのう?」

「ハッ」

 ソリュシャンは一礼して去っていく。

 それを見送ってから、シコクは中にいるみかかに声をかけた。

 

「みかか様。用意は出来たじゃろうか?」

「ええ。入ってもいいわよ」

 扉が開き、シコクは中へと滑り込む。

「こんな感じだけど、本当にこれでいいの?」

「うむ。上出来じゃ」

 一言で言えば、そこにいるのは男装の麗人だ。

 その身を飾るのはアウラが着ている衣装の色を反転させた物。

 男装し、眼鏡をかけ、ウィッグを被ることで髪型と色を変えている。

 それだけで見た目の印象は大きく異なる。

 化けるのは女なら差異はあれど心得ている技術である。

 

 ちなみに、みかかが保有する特殊技術の一つに変装というものがある。

 リアルであれば映画で用いられるような特殊メイクの技術もこの世界では思いのままだ。

 しかし、何故か今回はそこまで使う必要がない、とシコクから忠告されていた。

 

「まぁ、吸血鬼の私にとっては姿形なんて余興みたいなものだけど……これには何の意味があるの?」

「これから街に行くんじゃろ?」

「そうよ」

「だったらそっちの方が良い。あんなこれ見よがしに短いスカートを穿いて街にでも行こうものなら寄ってくる男に辟易することになるじゃろうね」

「ああ、成程」

 リアルではそういう相手を寄せ付けない為に、強面の男が付き添い役としてついてきたものだ。

「女の姿で街に出向いて、一目惚れでもされると面倒な話になりかねん」

「一目惚れとか馬鹿馬鹿しい。それは単にそいつが発情期なだけでしょう。そういう輩はパターンに当てはまる相手なら誰だっていいのよ」

「……発情期、ねぇ」

 くだらないと断じるみかかに対してシコクは含みのある物言いをする。

 

「言いたいことがあるなら言いなさい」

「では、遠慮なく。恋を知らない哀れな方じゃのう」

「今、なんて言った!」

 確かに知らないが哀れまれるような覚えはない!

「ククク。言いたいことがあるならと言えとか言うからじゃ。口に出してはいかん言葉があるし、口に出さねばならん言葉もある」

「ん? 何? もしかして、何か言いたいことがあるの?」

 シコクの物言いに何かひっかかるものを感じて問いかける。

「流石はみかか様。話が早い」

 その声に含まれた機嫌の良さに逆に不安になる。

 その予感は正しいものだった。

 みかかが最も聞かれたくないことを問いかけてくる。

 

「みかか様。どうかうちに教えてほしい。何故にあんな娘を守らねばならん?」

「………………」

 シコクに対してはぐらかすのは無意味だ。

 みかかがこの世で最も苦手とした相手、あの子は他人の嘘を、特に姉である自分がついた嘘を見抜けないことがなかった。

 

「ナザリックに属する者以外に情けをかけるのは褒められた行為ではないよ?」

「それは、分かってる」

「一部のシモベを除き、みかか様を裏切るような者はナザリック地下大墳墓にはおらん」

 一部のシモベ?

 エクレアのことか?

 それとも他にも裏切る可能性がある者が存在するのか?

 

「それ以外の者がみかか様の命を違えることはない。そんな状況で不確定要素の塊を飼う必要性を感じん」

「そうかしら? 有能な人材がいればナザリックに引き入れるべきではない?」

「それは奴隷、或いは家畜という意味でかえ? 有能な人間を飼い殺すというのであれば賛成じゃよ」

 あまりにも乱暴な意見にみかかは眉を寄せる。

「私には短絡的な意見に聞こえるのだけど違うわよね?」

「それはみかか様が奴隷や家畜という言葉に対する負のイメージが強すぎるからじゃろう。奴隷も家畜も虐げるために存在するのではない。ただ、生殺与奪の権利をこちらが保有しとるだけの話しじゃよ」

「……人間は信用出来ないということ?」

 この世界では獣とも会話による意思疎通が出来る。

 それなら友好的な関係を築けるのではないかと思うのは間違いだろうか。

 

「守護者統括殿から聞いておったが原因不明の事態が訪れとるのは本当のようじゃ。みかか様は少しばかり混乱しとるのう」

 シコクはみかかの発言にため息をついて返した。

「信用とは面白いことを言う。種族の差と言うのは相互の認識や価値観に致命的なズレがあるという事じゃ。そんなもんが分かり合えると思ってはいかん。どうやら、みかか様は分かり合えると思っとるようじゃが、それはみかか様が特別な存在――ある意味で異形種の中では異端な存在だからじゃよ」

 それはそうだろう。

 自分は生まれついての異形種ではない。

 ただゲームの中で異形の姿を選んだだけの人間なのだ。

 この世界に来て、その精神性は大きく歪められてしまったが記憶が存在する限りは人の魂は残滓となって残る。

 言ってしまえば、今の自分は人間と異形種の中間のような存在なのだろう。

 

「何を悩んでおるのか分からんが、人間と共存共栄出来るかもしれんとか夢のような考えをしておるなら辞めておくべき」

「互いに意思疎通が出来るのよ。友好的な関係を築くのも可能な筈でしょう?」

「そう思うなら、あの小娘達の前で偽りの姿ではなく本性を見せ、内に隠しておる感情を曝け出してくるとよい。それであの小娘達が今と変わらん対応をするならそういう可能性もあるじゃろうね」

 その言葉はみかかの心を傷つけた。

 偽りの姿――たしかに、今の自分は本当の姿ではない。

 己の意思一つで醜い化け物に変貌してしまう。

 醜い化け物に変わってしまった。

 みかかの思い出したくない事実の一つだ。

 

「みかか様はこの村に住む人、そしてあの姉妹から確かな信頼を勝ち得ている。じゃが、そんなもん状況一つであっさり覆る。そもそも信用とはその程度の儚いものじゃろ」

 みかかに見えるようにシコクは猫の手の平をくるりと返して見せた。

「人間と共生する事が出来ないなどとは言わん。うちらの力にひれ伏す者や恩恵に預かろうとする者もおるじゃろう。だが、情をかけるなどもっての他じゃよ。仮に状況が逆転していたら人間はうちらに情けをかけてくれたじゃろか? 種の生存競争とはそんな生易しいものではない。そんな考えでは、いつか必ず己の身を滅ぼすことになる」

「理解した。貴方の忠言に耳を貸さないほど愚かではないつもりよ」

「……本当かのう?」

 二人は静かに見つめあう。

 しばらくして、シコクはため息をついた。

 

「不思議じゃのう。みかか様はアインズ・ウール・ゴウンでは『人間狩り』の異名を持つ人間専門の殺し屋ではないか。殺した人間の数なんて数えるのも馬鹿らしいほどじゃろうに。それが今更になって人間に情けをかけるとはどういう心境の変化なん?」

「えっ?」

 ああ、そういう印象なのかと納得する。

 それはあくまでユグドラシルの中での話だ。

 だが、あくまでNPCであるシコクから言わせれば、みかかは人を専門に殺す吸血鬼なのだろう。

「また読みを外したか。おかしいのう……どうも、至高なる御方々のことになると読みが噛み合わん時がある」

「待って。貴方の知識を試したくなった。リアルって、どんな世界か知ってる?」

「知らん。おぼろげな記憶を頼りに推測するに面白い世界ではないようじゃね」

「……そう」

 

 幾らシコクが超常的な直感能力を有していても出来ることには限りがあるようだ。

 NPCの知識は設定に左右されるが、無理がある設定は破棄されていると考えるべきだろう。

 

(この子なら原因不明の事態の究明が出来るんじゃないかと思ったけど……流石に無理があったか)

 

「重ねて質問。これから言うシモベについて、貴方はどんな印象を持ってるか聞いてもいい?」

「かまわんよ?」

「ユリ・アルファ」

「何故か知らんが頭が上がらん」

「アウラとマーレ」

「決して口には出さんが頼りにしちょる」

「シャルティア」

「少しばかり困った方じゃな」

「そう。何だか改めて聞くとこそばゆいわね」

 どうやらNPC同士の仲は自分達の関係を受け継いでいるようだ。

 その事実に思わず笑みが浮かんでしまう。

 

「時にみかか様。上手いこと話をはぐらかしたつもりじゃろうが、そうは問屋が卸さんよ。エリリンは別に有能な人物ではなかろう?」

「……むぅ。放っておけばいいのに、貴方も大概しつこいわね」

 みかかは不服そうに口を尖らせる。

「まったく仕方のない人じゃのう。理解はしたが納得はしておらんという所かの。まぁ、いいじゃろ……しばらくは好きにしてみるとええよ。フォローはしておくけん」

「是が非でも関係を断ち切ろうとは思わないのね」

 なんせナザリック地下大墳墓に属する者は人間軽視の巣窟である。

 みかかに悪影響のある者はすべからく滅するつもりかと思ったのだが。

 

「そこまで狭量ではないよ。実際、みかか様はあの姉妹と接してる時は楽しそうじゃからね。うちもエンリの何がみかか様の琴線に触れたのか興味がある」

「だったら――」

「――ただ、それと異形種と人間種が分かり合えるかは別の話、それだけの事じゃ。線引きは明確にしておかねばならん。それがお互いの幸せの為じゃ」

「そうね。ありがとう」

 シコクなりにみかかを心配してるのだろう。

 他者の考えを曲げさせるのは容易なことではない。

 それが種の本能的なものであれば不可能と言ってもいいだろう。

 むしろ、無理に曲げさせるのは自然の摂理に反する行為だ。

 

「みかか様もお年頃、という所かの?」

「んっ?」

「うちもこんな事は言いたくないんじゃが……」

「何?」

 言い淀むなんて珍しい。

「さっきの話ではないんじゃけど発情期ならあんな村娘ではなく、シャルティア様でも誘ってみてはどうじゃろ? すっきりすると思うよ?」

「はっ?」

「ほら、うちは今、あの方の所に居候させてもらっておるじゃろ? まぁ、暇があれば飽きもせずぎったんばったん大騒ぎしちょるから正直、居心地が悪くてのう」

「ぎ、ぎったんばったん?」

「みかか様の誘いとあれば断る者も少なかろう。うちもやぶさかではないが、なんせこんな体型じゃから満足いくとは思えん。みかか様より胸はあるかもしれんけど」

「なっ?!」

 みかかの顔が真っ赤に染まり、怒りから目尻が釣り上がる。

 

「ちっがうわよ! 何言い出してるのよ、この馬鹿、大馬鹿、特上馬鹿!?」

 

 それまでの真面目な空気の全てを払拭するみかかの大絶叫がエンリ家に響き渡った。

 




 十月半ばまで本格的に忙しくなりますので更新は不定期です。
 合間を見て更新出来たらいいなと思ってます。



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それは水面を走る波紋のように

「……信じられんな。まさか、これ程の力を持つチームだったとは」

 エ・ランテル冒険者組合長のプルトン・アインザックは言葉を震わせた。

 彼の手には数枚の報告書が握られている。

 報告書には、三日前に冒険者組合に登録されたばかりの新人冒険者チームの華々しい戦歴が書かれていた。

 この業界に長くいれば、才能溢れる新人冒険者が降って湧いたように現れる場面に出くわすことは偶にある。

 例えば、王国最高峰の冒険者チーム『蒼の薔薇』のリーダーなどはその際たるものだろう。

 同じく最高峰冒険者チーム『朱の雫』に所属する叔父の七光と揶揄された彼女だが、今では彼女の実力を疑うものはいない。

 だが、その彼女と比較してもこの三人はかけ離れている。

 

 実際、その話を聞いても耳を疑うような話だ。

 

 この街の最高ランクであるミスリル級冒険者がリーダーと思われる漆黒の戦士の殺気を前に心を折られ、即座に引退を決意したと言うのだ。

 それだけではない。

 その場に居合わせた他の冒険者達も引退したり、多くの者が依頼を失敗し大怪我や死亡するという事故を起こしている。

 理由を聞けば「漆黒の剣士と比べると余りにも脆弱に見えた。あれなら勝てると思った」との事。

 恐怖に対する感覚を狂わされて明らかな強敵に挑んだり、退き際を誤って命を散らしたのだ。

 その時点で只者ではないのではないかとアインザックも予感した。

 そして本日の報告書で予感は確信に変わった。

 

『黄金』と呼ばれるこの国の王女が提案した政策にモンスターを狩るとそのモンスターの強さに応じた報奨金が街から組合を通して出すというものがある。

 今では冒険者組合がある国ならどこでもやってることだが、五年前までそんな事はなく、冒険者には非常に受けがいいものだ。

 街周辺の治安の向上に繋がり、それは自ずと街の発展にも繋がる素晴らしい政策だとアインザックも思っている。

 まさかその政策がこんな形で仇になる時が来るなど黄金の王女も予想していなかったのではないだろうか?

 

「在り得ない……こんなの絶対おかしいだろぉ!」

 アインザックは報告書をクシャクシャに握り潰して、激情のまま床に叩き付けた。

 そこに書かれているのは新人冒険者チームがそれぞれ『単独』でモンスターの群生地に向かい、掃討してきたとされるモンスターのリストだ。

 これはモモンガが冒険者としての地位の向上及びスキルと魔法の実験を兼ねて利用したモンスターの成れの果てだ。

 ちなみにモンスターはトブの大森林で順調に支配域を拡大させているアウラとマーレに逆らい捕らえられた者達である。

 

 それらは冒険者組合が驚愕に震えるほどの数となった。

 こんな事が仮に日常的に行われれば大都市であるエ・ランテルとはいえ、財政面で無視出来ない金額になるだろうという程だ。

 これは遠まわしに昇格させろという脅迫だろうかとアインザックは真剣に悩むくらいだ。

 

(騒動に居合わせた受付嬢の話では彼らは上の仕事を請けたいと言っていた。だが、そう簡単に昇格させるわけには……)

 

 実力面を考慮するなら、彼らにアダマンタイト級の冒険者プレートを渡してもいいとアインザックは思っている。

 故意か偶然かは知らないが、単純に戦力を数値化するなら彼らはたった三人で今回の騒動で失われた他の冒険者達の損失を容易に埋め、釣りがくるほどの成果を出せるだろう。

 しかし、それはあくまで戦力を数値化し、単純に天秤に載せた場合の話だ。

 低級の冒険者に価値がないわけではない。

 適材適所という言葉があるように、低級には低級の活躍の場があるのだ。

 エ・ランテル冒険者組合は現在、手が足りなくなっている状態だ。

 それだけに支払われる報酬は色がつくことになり冒険者としては嬉しい限りだが、冒険者組合への依頼には都市の助成金が支払われることが多いため、さらに街の財政を圧迫している。

 このままでは無能の謗りを受けることになってしまい、最悪の場合はアインザックは組合長の地位を奪われる可能性すらある。

 

「この危機を脱する上手い方法はないものか」

 

 アインザックは乱暴に椅子に座り、頭を悩ませる。

 

(冒険者とは国家に属さぬ一種の暴力装置だ。力は当然必要だ。だが、それ以上に規律が求められる)

 

 帝国のような専業兵士を持たない王国に取って、冒険者はある意味で危険な存在であると言える。

 彼らが酔って暴力を振るえば街の衛士ではとてもではないが敵わない。

 現状、冒険者を御することが出来るのは冒険者しかいないという状態だ。

 それ故に優秀な冒険者の一部は力に酔い、無法を働くこともある。

 人間種族が劣等種であるこの世界では力を持つ者は正義だ。

 エ・ランテルのような大都市ではあまり見かけないが、小さな町や寒村ではその場所を守る冒険者が悪徳貴族のような傍若無人な振る舞いをすることも多いと聞く。

 無論、目に余る行為をすれば人知れず姿を消すことになるのだが……。

 

(……本当に最悪の場合は使うしかないな)

 

 冒険者組合にはそういう汚れ仕事を専門に請け負う冒険者もいる。

 ワーカーのように金を求めるのではなく、力ある冒険者の血を求めるような殺人狂。

 スレイン法国では「ぴーけー」と呼ばれ蔑まれるような対冒険者用の冒険者を差す言葉だが、アインザックも組合長という仕事上、そういう連中と繋がりがあった。

 

(まずは彼らを呼びつけて厳重注意……いや、それで機嫌を損ねてエ・ランテルを離れられるのが一番の損失だ。だとしたら、王都のアダマンタイト級冒険者に監督役を要請して特別な昇格試験を行うか)

 

 その際に、先輩であるアダマンタイト級冒険者から一言言ってもらうように頼めばいい。

 

「これは、いいんじゃないか?」

 

 アインザックには悪くない案に思えた。

 

 その結果、アダマンタイト級冒険者に灸を据えられて新人達が大人しくなれば良し。

 逆に新人冒険者がアダマンタイト級冒険者を返り討ちにしてもアインザック自身としては悪くない。

 むしろ万々歳の成果と言える。

 

 もし上手くいけば王国に所属する冒険者組合の中でのパワーバランスが大きく変化することになる。

 

 現在、王国に存在する冒険者組合の中で最も権力を持つのが王都の冒険者組合だ。

 理由は勿論、最高峰であるアダマンタイト級冒険者が二チームも所属しているからである。

 しかも、その内の一チームは蘇生魔法を扱えるという稀有な存在だ。

 そのお陰で他の国と比較しても冒険者組合の中での権力は強い。

 

 しかし、ここでエ・ランテルにアダマンタイト級冒険者が出現すれば、そしてその冒険者が王都のアダマンタイト級冒険者を越える存在であれば、話は大きく変わってくる。

 

(王都冒険者組合の女組合長に一泡吹かせる良いチャンスだ。この街からアダマンタイト級冒険者が出れば、私の発言権も大きくなる)

 

 アインザックは思考をフル回転させて計画を練る。

 もし監督役として要請するなら『蒼の薔薇』がいいだろう。

『朱の雫』を選ばなかったのは、『蒼の薔薇』は構成メンバーが全て女性だからだ。

 しかも、リーダーの女性は貴族位を持つ美しい女性だ。

 

 新人チームの紅一点である『朱の死神』は美姫と呼ばれるほどの美貌を誇る女性だそうだが、美しい女が好みでない男だって存在するし、女なら何人いても困らないという男もいる。

 対する蒼の薔薇には懇意にしてる男の噂は聞いたことがない。

 

(うちの新人の力に惚れこんで『蒼の薔薇』がエ・ランテルを拠点にしてくれれば名実と共に私が王国冒険者組合のトップに立つことも可能。いかんな。こうして見ると彼らは幸運の神かもしれん)

 

 勿論、新人が『蒼の薔薇』に叩き伏せられて逆に王都へ拠点を移す可能性もあるだろう。

 そこは賭けだ。

 だが、不思議と負ける気がしなかった。

 

 ただの殺気でミスリル級冒険者を廃業に追い込むなど、最早アダマンタイト級冒険者の器ですら収まらない。

 

「……悪くない。いや、むしろいい! 良し、早速王都の冒険者組合に話をしてみるとしよう」

 

 冒険者に国境はなく、その力は国家に帰属することはない。

 しかし、それは決して公正なるものではない。

 人が二人以上集まれば派閥が出来、派閥が出来れば己の利益の為に同胞の足を引っ張る事もある。

 

 こうして、たった数日で超越者の投じた石は大きな波紋となって城塞都市エ・ランテルという湖面を揺らすのだった。

 その波紋は街だけに留まらず、《伝言/メッセージ》の魔法によって、その日の内に王都にすら届こうとしていた。

 

 

「邪魔するぜ」

「あっ、イグヴァルジさん。いらっしゃいませ」

 城砦都市エ・ランテルのポーション技師としては知らぬ者はいないリイジー・バレアレ。

 都市最高と名高い彼女が経営する薬屋はミスリル級冒険者だったイグヴァルジには馴染み深い店だった。

 この街には三つのミスリル級冒険者チームが存在するが、フォレストストーカーと呼ばれる職業につくイグヴァルジは特にこの店とは関係があった。

 そういう訳でリイジー・バレアレの孫であるンフィーレア・バレアレは小さな頃からイグヴァルジと親交があった。

 

「リイジーさんはいるか?」

 妙に優しい口調だ。

 この男は他者に対して厳しい。

 この年にもなってもンフィーレアとは商談を行うことはなく、必ずリイジーを呼びつける。

 その時ももう少し横柄な態度なのだが……随分と機嫌がいいようだ。

 

「いますよ。おばあちゃん!」

 大きな声でンフィーレアが呼びかけると奥の扉が開いた。

「はいはい。なんだってんだい。ん? イグヴァの坊やじゃないか」

 イグヴァルジを相手にこんな軽口が叩けるのは、この街でも彼女ぐらいだろう。

 ミスリル級冒険者チームの中では最もプライドの高い彼もそれを嗜めようとはしない。

 この老婆のご機嫌を損ねて店を出入り禁止にでもされたら、それは自らの生命の危険に繋がるからだ。

 

「しばらくぶりだな」

「なんだい。珍しい薬草でも見つけて売りに来たのかい?」

「……いや。そうじゃない」

「あん?」

 歯切れの悪いイグヴァルジの返答に老婆の視線が鋭くなる。

 イグヴァルジは良くも悪くもはっきりした分かりやすい男だ。

 その男がこんな煮え切らない返事をするのは珍しかった。

 リイジーは上から下まで一瞥し、ある部分に視線を集中させる。

 

「ん? あんた、もしかして……」

「ああ。俺は冒険者を辞めたんだ」

 イグヴァルジはかつてぶら下がっていたミスリル級のプレートを握り締めるような仕草でそう呟いた。

「ええっ?!」

 その事にンフィーレアは驚いた。

 彼はエ・ランテルでは最も精力的に活動していた冒険者だ。

 その彼が急に辞めるなどただ事ではない。

「随分と景気の悪い話しじゃないか。ちょっと詳しく聞かせな」

 リイジーは不機嫌な顔を隠そうともせず、顎で奥に来るように促した。

 

「なんだいなんだい。情けないねぇ、あんた、十三英雄を超えるんじゃなかったのかい!」

 孫にお茶を淹れてくるように申しつけ、リイジーは商談用のテーブルにつく。

 そして開口一番に発破をかけた。

「そう言われるとな。申し訳ない」

「………………」

 まるで憑き物が落ちたかのような反応にリイジーは目をぱちくりとさせる。

「一体、何があったんだい? まさか森を歩いてたら魔神にでも出くわしちまったかのかい?」

 魔神とは二百年前に大陸中を荒らし回った存在だ。

「……魔神か。そうだな。そんな感じかもしれない」

「………………」

 ミスリル級冒険者チームの実力、そしてこの男の性格をリイジーは熟知しているつもりだ。

 このイグヴァルジという男は、例え相手がこの国屈指の冒険者チーム『蒼の薔薇』や王国戦士長のガゼフ・ストロノーフと相対しても、ここまでは至らない。

 今はまだ相手の方が強い。

 それを踏まえて自分はどうするべきかを考えられる男の筈だ。

 むしろ、冒険者とはそうでなければやってられない。

 どれだけ鍛えようがモンスターは人間の膂力を持って生まれた力で粉砕出来るような存在なのだから。

 

「あんたは知らないのか? 『漆黒の悪夢』と噂されてる冒険者チームを」

「生憎と知らないねぇ」

 リイジーは薬師として日夜、ポーション研究に勤しむ身だ。

 在庫の管理にはうるさくても街の噂などからっきしだ。

「相変わらずだな。神の血、だっけか? それ以外に興味ないのか」

 呆れたイグヴァルジをリイジーは逆に鼻で笑う。

「あんたに言われる筋合いはないよ。あんた、私、魔術師ギルドの組合長。この三人は同じ洞穴のゴブリンだろ」

 共に見果てぬ夢に邁進し続ける者という意味で、リイジーはイグヴァルジを高く評価していたのだ。

 それが何と情けないとリイジーは侮蔑した。

 

「ああ、そうだ。そうだった」

 なのに、イグヴァルジはその侮蔑を受け入れた。

 リイジーはその様子を見て、いよいよ訳が分からなくなった。

 別段、彼は大怪我をしたわけではない。

 一体、どうしてイグヴァルジは引退に追い込まれたのだろうか?

「……そんなに凄いのかい? そいつは」

「ああ。ただ一瞬、殺気を向けられただけで……こうなっちまった」

 イグヴァルジは震える右手をリイジーに見せた。

「……心を折られたみたいだね」

 リイジーは信じられないものでも見た気分だった。

 冒険者には良くある事と言えば良くある事だ。

 不運から自分の手には余るモンスターに襲われて、命からがら逃げ出したりすると身体と同じように精神も傷を受ける事がある。

 そういう精神の治療もリイジーは行っているのだが、これは無理だと断じた。

 この男の目はある意味で死んでいる。

 心を完全に、完膚なきまでに叩き折られた者の目だ。

 ここから立ち直るのは余程の時間か、強いショックが必要だろう。

 

「す、すごいんですね」

 そこにお茶を淹れてきたンフィーレアがやって来た。

「ふん。ンフィー、夢を追うことを諦めたやつなんかにうちで一番の茶なんて淹れてやる事はないんだよ。こいつはもう客じゃないんだからね!」

「お、おばあちゃん」

「いや、いいんだ。事実だからな」

 イグヴァルジは置かれた茶を啜ると続ける。

 イグヴァルジもその生涯を夢に賭けたリイジーに一定以上の評価を抱いている。

 自分がこの老婆の立場なら熱い茶をぶっかけて外に叩き出してる所だろう。

「奴は遠からずこの街一番の冒険者になるだろう。必然的にこの店にやって来る可能性も高い。今迄、世話になった礼もあるから忠告を、と思ってな」

「ハッ。あんたも焼きが回ったもんだ。忠告って、そりゃどういう意味だい? そいつは上客だから仲良くしとけってことかい? 言われなくても仲良くするさ」

「違う」

 リイジーの言葉に真剣な顔で首を横に振る。

「逆だ。出来るなら関わらない方がいい。そうは言っても街一番の薬屋だから無理だろう。だから、忠告としては絶対に奴を怒らせるな、だな」

 リイジーとンフィーレアは顔を見合わせた。

「その、そんなに危険な人なんですか?」

「分からん。だが、敵対したら終わりだ。絶対逃げ切れない……例え、奇跡が起きたとしても無理だ」

 そこまでか。

 ポーション以外の知識は不要と思っているリイジーだが、さすがに警戒しないわけにはいかないだろう。

「それが必要なら、どんな冷徹な手段でも取れる相手に見えたよ」

 イグヴァルジは思う。

 実際、あの男が起こした騒動はこの上なく合理的な一手だった。

 今頃、組合では異例の昇格を検討しているのではないだろうか。

 

「大丈夫さ。私らはあんたと違って喧嘩を吹っかけるような真似はしないよ」

「そうとは思うがな。だけど、人は何がきっかけで怒るかなんて分からないだろ? ちょっとした一言で逆鱗に触れたりしたら最悪じゃねえか」

「確かにね。なんだい、随分と実感が篭ってるねぇ」

 リイジーの言葉にイグヴァルジは頷いた。

「いや、昨日よぉ。冒険者組合の受付嬢と『黄金の輝き亭』で飯を食ったんだよ」

「ほぅ」

 リイジーは興味深げに相槌を打った。

 この男から女の話を聞くなど珍しい。

「その後、その受付嬢が『今日は家に帰りたくない』とか言うもんだから家にゴキブリでも出るのかと思って虫除けの薬香をやったら凄い剣幕で怒りやがったんだよ」

「………………」

「………………」

 リイジーとンフィーレアは沈痛な面持ちでイグヴァルジを眺める。

 

 そうか。

 その台詞を聞いた後に虫除けをプレゼントしたか。

 女の精一杯の勇気、或いは打算を粉々にぶち砕いたな、この男。

 

「『私を何だと思ってるんですか!?』とか言って、泣いて出て行っちまったんだが、俺には何が何だか……意味分かるか?」

「そ、そうですねぇ。何が駄目だったんでしょう?」

 ンフィーレアは相槌を打つ。

 こんな男に気を使う必要も無いだろうに。

 自分の孫は優しく育ったと誇らしく感じる反面、心配にもなってしまう。

「香は肌に合わないのもありますから、もしかしたら香が使えない人だったんじゃないでしょうか?」

「あーー、そいつは悪いことした。だけど、それで泣いて出て行くか?」

「そ、そうですね。ははは……」

 頭の悪い会話をしている二人に辟易するものを感じながらリイジーは言った。

「忠告返しじゃないけど、イグヴァの坊や。悪いことは言わないから、そいつをもう一回誘ってみな」

「でも、怒るんじゃねえ?」

「冒険者にとって虫除けの薬香を贈るのは『俺が守ってやる』という意味だとでも言えば対応も変わるだろうよ」

「成程な。謝罪代わりに俺が家に行って虫退治してやればいいわけだ」

「そうそう」

 リイジーは適当に返事をしつつ、茶を啜る。

 

 さて、優秀なフォレストストーカーを失ってしまった。

 

 これから危険な場所にある薬草の採取を誰に頼んだものか。

 他のミスリル級冒険者チームか、或いは噂の冒険者か。

 

 リイジーが選んだのは後者だ。

 前者のミスリル級冒険者チームでも薬草の採取は行えるだろう。

 だが、採取量はイグヴァルジより劣るだろうし、今の薬草ではリイジーの目的は叶わない。

 噂の冒険者なら、もっと危険な場所にある薬草の採取でも可能ではないだろうか?

 自分が未だ目にしたことのないような貴重な薬草であれば『神の血』の再現も可能かもしれない。

 

 しかし、不安もある。

 

 長年の付き合いのあるイグヴァルジをここまで変えた人物だ。

 彼の忠告からすると、かなり慎重な対応を要する相手らしい。

 

 だが、自分は街の有力者であり、一介の商売人だ。

 相手の性格に多少の難があっても丸く治めることが出来ると思っている。

 

 その時、カランカランとドアベルが鳴り、新たな客が入ってきた。

 




 冒険者が騒動起こしたり、ドロップアウトしたらどうするんだと思ったので対冒険者用冒険者という概念を登場させてみました。
 実際は冒険者ギルドが処理するんですかねえ。

 後、アインザックさんは策士と言うか腹黒いイメージを私は持ってますので今回の運びとなっております。

 第三章のタイトルを「内なる邪悪」としました。


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弄ばれる獲物

2017/11/16
 大変長らくお待たせいたしました。連載再開です。



 後の世に聖魔大戦時代と呼ばれ恐れられた時代を私は駆け抜けた。

 

 単騎で長年の種族間戦争を終結させた英雄。

 一夜にして国を壊滅の危機に追い込んだ魔王。

 国家戦争の際に神の力を行使し、十数万の兵士を虐殺した魔法詠唱者。

 あらゆる国の寂れた村を標的とし、狙われた村の住人は例外なく皆殺しにされた旅する虐殺者。

 ある国の領土を根城とし、滅ばされた今でも領民から恐れられている鮮血の吸血鬼。

 そして――たった一つの魔法で国を一瞬で焦土化した竜王。

 

 突如として個でありながら国の存亡すら揺るがすような桁違いの超越者達が数多出現し、この世界に生きる全ての力無き種族はただ震え上がるしかなかった激動と動乱の時代。

 

 黒の聖者はそんな時代を静かに生きていた。

 私が今、ここでこうしているのはあの人のお陰だ。

 

 毎夜、その日に起きた出来事を書き留める習慣など、あの人と出会わなければ身につけようとは思わなかっただろう。

 私が持つ日記帳は黒の聖者からの贈り物で決してページが尽きることはない――だけど日記帳の厚さは変わらないという魔法の一品だ。

 当時の私は魔法について疎く、あの人が凄い人であるのは分かってはいたが真実では理解出来ていなかった。

 

 あの時、全てを理解していたならば――この世界はどう変わっていただろうか?

 

 一人眠りにつく時に思い出すのは、幸せだったあの日の記憶。

 

 唐突に両親を失い押し潰されそうな不安に苛まれていた自分を抱きしめてくれた優しい両手。

 砂糖菓子にたっぷりの蜜を絡ませたような甘い罠でからかっては意地悪い笑みを浮かべる相貌。

 私のどうしようもない過ちを静かに問いただした時の冷たい視線。

 それら全てが私の心を捕らえて離さず、私があの人の虜になるのに長い時間はかからなかった。

 

 聖魔大戦時代は苛烈な動乱の時代だったが、その反面で知や才、そして美に優れた者達が多く出没した華やかな時代でもある。

 私は運の良い事に、後の歴史に語り継がれることになるだろう様々な超越者達との出会いに恵まれた。

 当然、天上の美を有する人達を目にする事もあった。

 それでも私は未だあの人ほど筆舌に尽くしがたい程の魅力溢れる人物を見たことはなく、この先も見ることはないだろうと確信している。

 

 眠る前のまどろみに揺られながら、私の運命を大きく決定付けることになったあの街での出来事を思い出す。

 本当に、あの出来事は――。

 

 

「では、エンリ。よろしく頼んだよ」

「はい。任せてください」

 エンリは村長の言葉に頷いた。

 

 カルネ村から一番近い都市である城砦都市、エ・ランテル。

 村に住む誰かがこの都市に赴くというのはカルネ村にとっては大きなイベントであり、重要な意味があった。

 誰かが何がしかの目的で城砦都市に赴く際は村中の用事を頼まれる事になる。

 必要な物資の買い付け、新たな移住者の募集の確認等々、単に自分の用事を済ませればそれで終わりというわけにはいかないのだ。

 

 それだけではない。

 

 城塞都市に続く街道は比較的安全とは言え凶暴なモンスターや野盗、野犬や狼に出くわす可能性は零ではなく、その旅路には己の命がかかっている。

 運良く城塞都市に着いても、それで安心というわけにもいかない。

 街中でも危険はある。

 寒村に住む田舎者など都会の犯罪者から見れば良いカモだ。

 それ故に村の人間が都市に向かうのは、それなりの事情がある時に限られる。

 おいそれと旅を楽しめるほど、この世界は人に優しく出来ていないのだ。

 だから、村を離れる際はある種の緊張と覚悟を伴った難しい顔をしてしまうことが常なのだが、今回は違った。

 

「随分と楽しそうじゃな、エンリ」

「えっ?」

 村長はエンリの顔を見て、嬉しそうに言った。

 本来なら都市に行くのは村でも腕っ節に自信のある男達の仕事だ。

 しかし、惨劇からの復興もままならない現状では、そんな余裕は無い。

 長年、自衛という発想を欠いていたカルネ村にとって、今回の事件で武器の必要性を嫌と言うほど感じることになってしまった。

 それ故に自らの身を守ることが出来る武器を村の皆が求めている。

 それだけでなく悲惨な事件で失ってしまった物資の補給も必要だ。

 だからこそ、都市に向かうという危険なおつかいをただの村娘であるエンリに任せたのだ。

 

 残酷な物言いだが、運悪く両親を失ったエモット家は村では最も価値が無い。

 今回はエンリ自身が望んだからというのもあるが、仮にエンリが望まなくても城砦都市に向かう役はエンリが選ばれる事になっただろう。

 本来なら、村長もその事を心苦しく思っただろうが今は羨ましいくらいだ。

 

「なんせサエグサ様と一緒だ。自分の家にいるより安全だろう」

 貧乏くじでしかない街へのおつかい。

 それが現在はカルネ村で今一番就きたい仕事になっていた。

 今回の城塞都市へのお使いは村の救世主が同行するのだ。

 王国戦士長ですら一目を置く彼女と一緒ならモンスターや野盗など恐れるに値しない。

 都市内においても貴族のようにしっかりした見識を持つ彼女といれば、安心して都市を回ることが出来るだろう。

 安全が保障されるのであれば、都市へのおつかいは退屈な村の生活に飽きた村人の最大の楽しみと言っても良い。

 

「御主なら大丈夫だと思うが、くれぐれも失礼のないようにな」

「はい。留守の間、妹のことを宜しく頼みます」

 エンリと村長は視線を広場の方に向けた。

 そこには村の子供達と一緒に自らと同じくらいの背丈の猫と追いかけっこをするネムの姿があった。

「勿論だとも。だが、村の者の助けなど不要だろう。なんせ、サエグサ様のお知り合いが戻ってくるまで面倒を見てくださるのだから」

 二人の視線がネム達から横に移動する。

 そこには老紳士と美女が村の大人達に囲まれて談笑しているのが見えた。

「復興の目処が着くまでこちらに滞在し、私達の手伝いをしてくれるそうだ。本当に、あの方には感謝しかないな」

 村長の目尻には感動の涙さえ浮かんでくる。

 物語でしか知らない本物の貴族がそこにはあった。

 民から税を毟り取り、戦争へ駆り立てる現王国とは真逆の在り方に村人達の信頼は更に厚くなり、それは信仰へと変わりつつある。

 尼僧服に身を包む彼女は何らかの神を信仰しているのだろう。

 サエグサ様が信仰する神なら自分達も信仰する――それは妄信……或いは狂信に近い類の感情だ。

 

「エンリ。用意は出来た?」

「えっ?」

 そんな彼女と村長の後ろから知らない声が聞こえてきた。

 二人は後ろを振り返って、驚きの余りに言葉を失う。

 そこにいたのは金髪の剣士。

 背丈はエンリと同じで剣士にしては線の細い青年だ。

 上下共に皮鎧の上から漆黒と真紅の竜鱗を貼り付けたぴっちりとした軽装鎧を纏い、そらにその上に白地に金糸の入ったベスト。

 胸地には二人は知らないがアインズ・ウール・ゴウンに所属する者であれば誰もが知る「みかか」を意味するサインが描かれている。

 腰に下げた細剣は美術品のような拵えで一目見ただけで名のある名剣だろうと予測がつく。

 

「ど、どちらさまですか?」

「……?」

 男性が小首を傾げ、金髪の髪がサラリと揺れた。

 男性にしては少しばかり珍しい長髪は中性的な印象を見る者に与えるだろう。

「へえぇ。私が誰だか分からないの?」

 その容姿にあつらえたかのように男性にしては細く、女性にしては低い声でエンリに問いかける。

 少しばかり鋭い視線が眼鏡のレンズ越しにエンリを射抜いていた。

「ご、ごめんなさい」

 信じられないくらい綺麗な人なのだが、その視線の前に気圧されてしまいエンリは小声になってしまう。

「ふふっ、仕上げは上々といった所かしらね。私よ。私」

「えっ? そ、その声……」

「まさか!」

 聞き覚えのある少女の声に村長とエンリは驚愕を露にした。

 剣士は自らの髪を掴んで引っ張ると金髪の髪がスルリと抜けて、少し癖のある黒髪が姿を見せた。

「ミカ様?!」

「驚いた? ウィッグを被って、眼鏡をしただけでも印象なんて大きく変わるでしょ?」

 二人は悪戯が成功したことに機嫌を良くした救世主にコクコクと頷く。

 カルネ村の人間はウィッグなど見たこともなければ存在すら知らない。

 知っているのは城塞都市や王都では自分の髪の色を変えてる者がいるらしいという噂くらいだ。

 それだけにみかかの手に持つ髪の毛の束を信じられない物でも見たような視線を送っていた。

 

「その、背も高くなってますけど?」

「ああ。ヒールよ」

 エンリの疑問にみかかはズボンの裾をあげることで答える。

 地面につくほど延びている裾から竜を素材にして作ったハイヒールが姿を見せた。

 防御機能より攻撃機能を重視した造りとなっており、実際腰に下げた剣より攻撃面での性能は高く信頼出来る武器である。

「そんな靴があるんですね」

 だが、ヒールなど見たことのないエンリからすれば「随分歩きにくそうな靴だな」という印象が強い。

 

「さっきの声は別人のようでしたけど、どうやって?」

「ふふん。それはある方のお墨付きを頂いた私の演技よ。見事な少年声でしょう?」

 みかかの声が再び先程の声に変わった。

 二人はそれを見て「おおっ」と声をあげる。

 そもそも他人の声真似をするという発想がないカルネ村の住人にとって、自分の声を変える演技はそれだけで魔法の類に見えてしまう不思議なものだ。

 

「いやぁ、見事なものですな。ですが何故、サエグサ様は男装などを?」

 村長は気になって問いかける。

「あら? だって、私のような美しい女性が街に行けば至る所から声をかけられるでしょう? だからよ」

「ああ、成程。確かにそうでしょうなぁ」

 村長は納得がいったとばかりに大きく頷いた。

 

(うーん。でも、男装をしたらしたで声をかけられるんじゃ? 男の人なら大丈夫なのかな?)

 

 エンリにはまったく縁の無い感覚なので何とも言えなかった。

 しかし、女性の姿をしているよりはマシだと言うのは流石に理解出来た。

 ……理解出来たのだが。

 

 エンリはどうしても気になって、視線をある一点に集中させてしまう。

 

(ミカ様。あの胸は何処に?)

 

 村の救世主のトレードマークとも言えるのが、あの見た目に反比例した豊満な胸だ。

 それが今は露と消え、見事に無くなっていた。

 

(鎧で締め付けてるのかな? 相当苦しいんだろうな)

 

 それなのに普段と変わらない態度で自分達に接しているのは凄いと思う。

 そんなエンリの疑問を他所に、むしろ身軽になったみかかは再びウィッグを被り、一度咳払いをしてから一言。

 

「では、参りましょうか? 私のお姫様」

「は、はい」

 絶世の美少年に転じた村の救世主は自然な動作でエンリの手を取って馬車までエスコートする。

 エンリは自分の頬が熱くなるのを感じていた。

 

 村の入り口には幌の無いむき出しの荷馬車が止まっていた。

 荷台などは粗雑な作りだが、馬だけがやけに立派でアンバランスさが目立つ。

 それもその筈、これはつい先日、村を襲った法国の騎士が乗っていた軍馬だからだ。

 

「よっと」

 救世主の少女、いや今は少年か――それはともかく、軽い口調で呟くと重力を感じさせない軽やかな動きで御者台に飛び乗った。

 その軽業師のような動きに感心しつつ、エンリも御者台に乗る。

 

「忘れ物はない?」

「えっと……」

 後ろを向くと荷台を確認する。

 薬草の壷とその他の荷物と一緒に一匹の黒猫の姿もあった。

「はい。大丈夫です」

「了解。では、行きましょう」

 そして村中の人間に見守られる中、馬車は行く。

 目指すは城砦都市エ・ランテルだ。

 

 

 城砦都市エ・ランテルまでは荷馬車を使って行くことになる。

 カルネ村の人間がこの城塞都市に赴く際は朝早くに出立し、その日の内に到着するのが理想だ。

 戦う術を持たない村人が草原で夜を明かすのは危険だからである。

 だが、それは力を持たぬ村人の場合の話だ。

 訓練された騎士の一団を容易に全滅させるような人物がいれば何の恐れもない。

 そういう訳で夕日が草原を染め上げる中、ポコポコという音が似合いそうな雰囲気で荷馬車は街道を進んでいた。

 

 昼を過ぎた頃にカルネ村を出立し、とうとうここに至るまでエンリは一言も声を発することはなかった。

 

 いや、正確には出立する前に会話はあった。

 

「何も心配することは無いわ。例えドラゴンが馬車を襲ったとしても貴方を守ってあげる。だから、貴方はこの旅を楽しみなさい」

 それだけ言うと村の皆が恩義を感じる人物は姿を消した。

 

 隣にいる自分のことなど、まるで存在しない物であるかのように彼女の瞳には写らない。

 ただ、真剣な顔で周囲を観察していた。

 鬼気迫るその表情を前に、とてもではないが声をかけることは出来なかった。

 

 当初は、エンリが苦手とする彼女の側面――冷酷な彼女が顔を出したと思っていた。

 

 だが、横目で何度か盗み見してる内に違和感に気付き、自分のことなど気にも留められてないようなので遠慮なく顔を観察してるうちに理解出来たことがあった。

 

 その顔に余裕はなく視線は忙しなく辺りを彷徨っており、時折見えない何かを探すように遠くを凝視したりする。

 すぐに違和感の正体に気がついた。

 仮に自分が一人でこの街道を進んでいたら、似たような表情を浮かべていたのではないだろうか。

 

 疑問が一つ氷解すると新たな疑問が沸いてくる。

 たとえドラゴンが襲い掛かってきたとしても自分を守り抜くと豪語した女性にしては、あまりにもか弱い姿に見えた。

 自分は彼女の凄さを知っている。

 

 どんなに酷い怪我でも一瞬で何も無かったかのように癒した。

 まるで魔法のように少女から少年に姿を変えた。

 御伽噺のような人語を解する不思議な猫を連れてきた。

 

 だけど、今の彼女はまるで暗がりを歩く子供のように見えるのは気のせいだろうか?

 

「そこら辺にしておいたらどうかの?」

 

 そんな事を思うエンリの背中に人ではない生き物の声がかけられた。

「そろそろ日も落ちる。うちらはともかくエリリンと馬を休ませたほうが良かろうよ」

「………………そうね」

 聞こえているか不安になるくらいの長い沈黙の後、みかかは返事をした。

「ここら辺で野営しましょうか」

「了解した。さて、エリリン。つまらん旅路になってしまってすまんのう。うちらは敵を全力で警戒しとったから話すことも出来なんだ」

「い、いえ!? そんな事ありません!!」

 エンリは全力で首を横に振った。

 今更ながらに申し訳ない気持ちで胸が一杯になる。

 ただの村娘である自分が何か出来るわけではないのだが、これでは本当にお姫様扱いだ。

 

「そうよ。私が警戒してたんだからエンリが不安に思うことなんか何もないわ。存分に道中を楽しめたでしょう?」

 

(う゛っ)

 

 エンリはチラリとみかかの顔色を窺う。

 真面目な顔だ――悪戯をする時の意地悪な笑みはそこにはない。

 本当に集中して警戒にあたっていたのだろう。

 自分がずっと顔を眺めていたことに気付いていないようだった。

 

「どう? 楽しかった?」

「えっ? えっと……」

「一人で何を楽しめと言うんじゃ? ずっと、横手に平原と森が広がる街道を走ってただけじゃろ」

「この景色を見てみなさいな。素晴らしいじゃない?」

 まるで自分の宝物を自慢するように胸を張った。

 エンリとシコクは何を言われたのか分からず一度互いの顔を見つめあう。

 

「何を言い出すかと思えば……ただの自然を宝石のように貴重なものだと感じる特殊な感性なんぞ共感出来るわけなかろう」

「そんな事無いわよ。ねえ?」

 くだらないと断じるシコクから、エンリの方に視線を向ける。

 自分の感性に共感してくれるのでは、という希望の視線だ。

 

「エンリはどう? あの遠くの山に行ってみたいと思わない? 目の前にある平原を走ったりしたいでしょ?」

「い、いえ。私には遠くの山も近くの平原も怖いものかな、って」

「怖い?」

 みかかはエンリの言ってることが分からず、不思議そうに聞き返した。

「毒蛇がおるかもしれん平原なんぞ、どんだけ綺麗でも悠長に眺める気などせんということじゃろ」

「………………」

 シコクの発言にみかかはムスッとした表情を浮かべた。

 

 どうやら共感は得られないようだ。

 深刻な大気汚染にさらされ、ガスマスク無しでは外も歩けない世界に住んでいた者から言わせれば、この何気ない風景だけでも感動せずにはいられないのだが……。

 だが、その反応も仕方ないのかもしれない。

 当たり前の大切さは失わないと気付かないものだ。

 

「……あっ、そう」

 それだけ言うとみかかはエンリとシコクから視線を逸らして馬車を降りた。

「少しの間、周辺警戒を頼むわね」

「頼まれた」

 みかかは早足で街道から離れた場所に向かう。

 それを見守りながら、エンリはおずおずと黒猫に尋ねた。

「シャーデンさん。私、ミカ様を怒らせちゃったんでしょうか?」

「気にすることなか。うちもエリリンも正直な感想を述べただけじゃろ?」

「うーん」

 エンリとシコクはどちらともなく風景に目を向けてみる。

「あの山にかかっとる白いのは雪かのう?」

「そうですね。この季節でも雪があるってことは相当寒いんでしょうね」

「雪が降るほど寒いときは部屋の内に篭るのが吉。よってあの山はどうでもよい」

「そう、ですね」

 エンリもその意見には同意する。

 開拓村にとって冬の厳しさは命の危機に直結することもある。

 そんな山に行った所で何の得もないだろう。

 

「こっちの平原は毒蛇がおるかは知らんが、確実に虫とかいそうじゃな。走り回れば服に草の汁や匂いもつきそうじゃのう」

「ああ、それはあると思います。ネムもよく虫を捕まえてきたり、服を汚したりするんですよ」

「草の汁を吸った服とか洗濯するの面倒そうじゃの。よって家に篭るのが吉」

「……シャーデンさんって、外に出るの好きじゃなかったりします?」

「御名答」

 

「………………」

 すでに20メートルほど離れた距離にいるが二人の会話は聞こえていた。

 みかかは二人の会話に微苦笑を漏らす。

 

(まぁ、あの子は引きこもりだったからね)

 

 みかかに言わせれば夏から秋と思われるこの季節でも外でウィンタースポーツに興じることが出来るかと思うと心躍る。

 元の世界ではアウトドアスポーツ、レジャーの類は特別な室内施設でしか行うことが出来なかったからだ。

 特に室内スキー・スノーボードなどは高級娯楽に代表され、一般人には縁の無い代物だ。

 一般的にその手のアウトドアスポーツは安価で移動の手間がない体感型で済ませるのが主流である。

 みかかが体感型のゲームを始めるきっかけになったのもその辺りが始まりだ。

 そして、最終的には社会現象にもなった体感型MMOユグドラシルに手を出すことになる。

 

(最初は妹の趣味を理解しよう。相手をしてあげよう程度の軽い気持ちだったんだけどな)

 

 当初は一人黙々と遊んでいたのだが、ある事件がきっかけでぶくぶく茶釜と出会ってDMMORPGの面白さを知り、ギルドに加入し、毎日遊ぶようになった。

 そして、サービス終了日にログインしたら異世界に転送されるという異常事態に至っている。

 物思いに耽るみかかの耳にエンリとシコクの会話がBGMとして聞こえてくる。

 

「気にすることなか。あの方はちょっと変わり者なんよ」

「……ああ」

 

(……失礼な)

 

 釈然としないものを感じながら、みかかは目的の場所を見つけ出した。

 

「街道からは外れていてフラットな平地。これなら大丈夫ね」

 みかかは用意していたマジックアイテムを取り出して展開する。

 すると一軒のコテージが突如姿を現した。

 

「ええっ!? い、家が……いつの間に、何処から?!」

 遠く離れた馬車からもその様子は確認できた。

 エンリはいきなり出現したログハウスに驚愕を露にする。

「《グリーンシークレットハウス/緑の隠れ家》じゃね」

 そんなエンリの驚きを他所にシコクはマジックアイテムの名前を明かす。

 拠点作成系のマジックアイテムだ。

「お待たせ。エンリ。馬車ごと中に入ってくれる?」

 みかかは早足で馬車に戻ると、エンリに指示を出す。

「えっ? 入り口が狭くて馬車は入らないかと」

「そこは心配しなくて大丈夫よ。私は外にいるからエンリの相手はお願いね」

「心得た」

 エンリは馬車に合わせるように大きくなるコテージの入り口を見て唖然としながら中に進むのだった。

 

 

「うわぁ~~。本当に広くて、天井も高い」

 中は広く、エモット家など数件は入りそうな大きさがあった。

 コテージで最も大きな一室を宛てがわれたエンリは忙しなく辺りを観察している。

 

(本当に、ミカ様って……凄い)

 

 人の言葉を話す猫を連れ、魔法で家を出したりするなんて実際目にしても信じられない気持ちで一杯だ。

 もう何度も驚かされているが、きっとこれから先も驚かされ続けるのだろう。

 今度はどんな魔法を見せてくれるのだろうか?

 まるで御伽噺を聞く子供のように楽しみで仕方なかった。

 

「ほい。エリリン――うちは調理スキルを所持しておらんから湯を入れると出来上がるものしか作れん」

「ありがとうございます」

 テーブルに置かれたものは、たっぷりの野菜と肉が浮かぶクリームシチューだ。

 色取り取りの野菜に、分厚い肉がこれでもかという位に詰め込まれており、空腹感が強烈に刺激された。

 

「他にも何か用意しようかの?」

「いえいえ、これだけで十分ですよ!」

 それに、こんなごちそうを前にして我慢するのは拷問だ。

「そか。では、遠慮なくどうぞ。おかわりもあるけん」

 そこでエンリは自分の分しか用意されていないことに気付いた。

「あの、家からパンを持ってきてるんですけど如何ですか?」

「ふむ。遠慮なく頂こうかの。適当な大きさにちぎってくれるとありがたい」

「分かりました」

 エンリはパンをちぎって用意された皿に盛り付ける。

「はい、どうぞ」

「感謝する」

 口に合うだろうかと心配になったが杞憂だったようで、それなりのペースでパンは消化されている。

 そのことに安心するとエンリも食事を開始した。

 

「お、美味しいです! シャーデンさんは凄いんですね」

 黒猫に料理の腕で負けるのは何となく心にくるものがあるが、素直に白旗を揚げる。

「うん? これは料理人が有する特殊技術で予め作られたものじゃから、うちが作ったわけではないよ?」

「そ、そうなんですか? あの、予め作られたって、どういう?」

「フリーズドライとかいったかの。まぁ、魔法みたいなものじゃと思えば良い」

「へえぇ」

 やっぱり魔法は凄い。

 後、色々ズルイ。

 自分にも魔法は使えないのだろうか?

 そんな事を思ってしまう。

 

(これが空腹が満たされるという感覚か)

 

 エンリは口に合うか心配していたが、そもそもシコクは食物を口にしたのが初めてなので不味いや美味いという感覚がない。

 

 シコクは幽霊――アンデットなので食事を必要としない。

 しかし、憑依することで対象の種族的特長を得ることが出来る。

 現在、憑依しているのは火車と呼ばれる50レベルのモンスターだ。

 魔力系魔法を使用する動物形態と盗賊能力に優れた獣人形態というニ形態を持っている。

 

(肉のある身体と言うのも存外に悪いものではないの)

 

 最後のパン切れを飲み込み、満腹感を味わうと、シコクはテーブルの上で丸くなる。

 視界にはクリームシチューに舌鼓を打つエンリの姿が目に入っていた。

 

 

「馳走になった」

「いえいえ。私こそ」

 最初は何となくシコクが苦手だったエンリだが、接している内に少し慣れてきた。

 たまに不気味な一面が顔を覗かせるが、普段は礼儀正しく不思議な黒猫だ。

 

「さて、空腹も満たされたし、少しはエリリンの気分も晴れたかの?」

「えっ?」

「正直、期待ハズレで落ち込んだのではないか? ミカ様の言葉を借りるわけではないが道中楽しめると思ってたじゃろ?」

「そ、そんな事は……」

「あるじゃろ? 荷台から御主を見ておったが、愛らしいふくれっ面じゃったのう」

「………………」

 エンリは気恥ずかしさから視線を逸らした。

 しかし、そんなエンリを見逃してはくれない。

 テーブルをトコトコと歩き、俯いているエンリの顔を覗きこんでくる。

 

「ただでも、うちという邪魔者もおるからのう。二人きりなら誰に憚れることなく存分に甘えられたじゃろうに残念じゃったのう?」

「シャ、シャーデンさん!?」

 思わず黒猫を捕まえようと手が動く。

 しかし、その手は空を切った。

「すまぬすまぬ。つい、からかってしもうた」

「ううっ~~!!」

 エンリは恨みがましげな視線を黒猫に向ける。

 こういうところは本当に飼い主に似てるなと思う。

 

「これは申し訳ないことをした。もし、本気で気分を害したのなら丁重に謝罪させて頂きたい」

 深く反省していることが分かる声にエンリは慌てた。

「あの、シャーデンさん」

「うん?」

「……これからする話はミカ様には内緒にしてくれますか?」

 この場にはエンリとシコクしかいないが、エンリは気恥ずかしさから自然と小声になった。

「了解した。うちは交わした約定は決して違えぬ。誰にも喋らんゆえに安心してもらいたい」

「そ、それなら言います。シャーデンさんの言ったことは、当たってます」

 誰に言われるまでもなく、エンリはこの旅を楽しみにしていた。

 姉として、またエモット家の家長としての立場が邪魔していたが――本音を言えば、少しだけ妹が羨ましかったのだ。

 

 それに彼女と接することで初めて知ったことがある。

 

 自分は法律で結婚することを認められた年頃の娘だ。

 だが、夢見ることはあっても実感として感じたことはなかった。

 抱きしめられた時の柔らかさ、言葉に出来ない何かが心を満たす充足感、安心を与えてくれる優しい手の感触を。

 自分で自分を抱きしめても、少しも温かくないし満たされない。

 誰かと接することでしか満たされない何かがあることを知ってしまった。

 

「……そか。うちの読みは当たっちょるのか」

「す、少しですよ? ちょっとだけそうなったらいいなと思っただけで!」

「少し、のう? エリリンの少しはわりと大胆じゃのう」

「そんな事……」

 ない、と言いかけてエンリは思わず口を閉じる。

 ここで反論しても泥沼になる未来しか見えない。

 だとしたら……。

 

「あの……こ、この話はこれくらいで勘弁して下さい」

 エンリは素直に降参の白旗を揚げた。

 部屋の中は涼しいというのに今にも汗が出そうなほど火照っている。

「うむ。では、話を変えることにしよか。実は最近困ってることがあるんよ」

「相談ですね! お聞きします」

 話題が変わるのは幸いとエンリは話に食いつく。

 

「うちは勘の良さだけが取り柄なんじゃが、ここ最近精度が悪くての」

「ふんふん」

 エンリは真面目な顔でコクコクと頷く。

「ミカ様もかなり期待してくれとるんじゃが、どうにも読みが当たらん。 そういう訳で、ちょいとご機嫌斜めなんよ」

「大変なんですね」

「うむ」

 たしかに大変だ。

 その八つ当たりで被害を被った可愛そうなジャンガリアンハムスターやトロールがいたりするのだから。

 

「さて、ここで一つ聞かせて欲しい。仮にカルネ村で何か方針を決める際、エリリン一人だけが皆と違う意見や感想を持ったとしたらどうかのう?」

「うーーん」

「例えばエリリン一人だけが村長の判断に疑問をもっておるとしたら、御主ならどうするかの?」

「……昔の私なら、自分が間違ってると思ったかもしれません」

 エンリは真面目に思案してから答えを出した。

「ほう。今は違うと?」

 エンリは頷いて続ける。

 

「参考にならないかもしれませんけど……カルネ村は外敵に対する囲いを設けていないんです」

 森の賢王と呼ばれる魔獣の縄張りで開拓村が出来てから百年の間、モンスターに襲われたことはない。

 ないから……油断していたのだ。

 

「多分、平和な状態で囲いを作ろうと意見しても通らなかったと思います。それに意見が通っても、備えを用意する事が出来たかは分かりません。どの開拓村もそうですけど、生活に余裕がないので余計なことは出来ないんです。だけど、それは間違いでした」

「ふむ」

「多くの人が支持するから正しいとか――そういうのではない、と思います」

「集団思考は、合理的な推測や仮説の立案すら妨げ、結果的には組織を存亡の危機にさらす可能性があるという事じゃな」

「え、えっと……難しい言葉を使われてるので良く分かってないんですが多分そういう事だと思います」

「それはそれで難儀な話じゃの」

 エンリの目の前で黒猫は項垂れる――どうしたものか、といった感じだ。

 

「難しい話だと思います。シャーデンさんしか反対される方がいないなら尚更ですよ」

 村でも時折多数決を取るときはある。

 しかし、圧倒的多数を相手に反対意見を述べるのは思ったより勇気がいる行為だ。

 それがよりにもよって一対多数となると胃が痛くなるような事案だろう。

 

「確かにどっちも大変じゃな」

「どっちもとは、どういう意味ですか?」

「一人で反対意見を述べるのが難しいことは自明の理じゃ。仮にその判断を選んだ挙句に間違いだったなら総叩きを喰らうからの。じゃが、大変なのは圧倒的多数の支持を得た長だって同じじゃろ?」

「そう、でしょうか?」

「皆がその判断に間違いはないと言う――これぞ正に神の采配だと。しかし、神は過ちを犯したりはせんのじゃろうか?」

「神様なら間違わないのかもしれませんね」

 余りにスケールの大きい話に、エンリは苦笑を浮かべるしかない。

 人間ならまだしも神様となれば話は別だ。

 間違いを犯さないからこそ神と呼ばれるのだ。

 

「左様か。ちなみにエリリンは隠し事についてどう考えとるんかの?」

「……神様の御許に召されるまで自分一人の内に仕舞うべき事はあると思います。それを告げることで他人を不幸にしたりすることは特にそうです。でも、それを自らの内に隠すことで、他人までを不幸にするのであれば別だと思います」

「嘘も同じかの?」

「同じです」

「左様か」

 そこで会話は途切れ、食卓を何ともいえない沈黙が支配する。

 

「……シャーデンさん。もしミカ様に隠し事や嘘をついているなら一緒に謝りに行きましょうか?」

 まるで子を諭す母親のように優しい口調でエンリは尋ねた。

「いや……それは酷い誤解じゃ。うちは嘘はつかんよ」

「え! ……そ、そうですよね! シャーデンさんはそんなことしませんよね! 信じてましたよ!」

「……そういう事にしておくかの」

 横を向いてわざとらしく笑うエンリを目にしながら、シコクは口元を綻ばせた。

 シコクが隠し事について否定してないことに気付いていないようだ。

 

(……やはり読みは外れておらんかった。うちの能力は健在じゃ。失われたわけでもなければ、狂ってもおらん)

 

 何故か、至高の御方々に関しては的を外すこともあるが――それならそれを踏まえて対処すればいいだけのこと。

 

(読みきれん物に何らかの法則性があるという所かの? それは御方々を悩ませとる異常事態にも関係してるとみた)

 

 刺さった棘がシコクの心を軋ませる。

 自分はみかかの質問に対する解答を提示出来なかった

 主人は自分なら答えてくれると期待していたのに、だ。

 

 それが悔しく――そして、どうしようもなく怖かった。

 

 自身の力の有用性をアピール出来なければ、再び封印指定を受ける危険性がある。

 封印されるということは『何もしなくていい』という事だ。

 それはナザリックに所属するシモベ達にとって最高の恐怖であり、最大の罰だろう。

 

 それだけは何としても避けねばならない。

 

 他の誰にどんな評価をされようが知ったことではないが、造物主に無価値であると判断されるのは許容出来ない。

 なら、悠長な様子見などしている場合ではなく、早急に本領を発揮するべきだろう。

 

「時にエリリン。さっき、うちはパンを馳走になったじゃろ? これは何かお返しせねばならんの。ささやかな願いならタダで叶えちゃるよ?」

「ささやかなお願い、ですか?」

 むしろこちらがお礼をしなければいけないくらいだが、この黒猫の申し出は断るより受けたほうがいいだろうと理解したエンリは聞き返す。

 

「うむ。例えば……少し気になる男の子とお近づきになりたいとかどうじゃろ?」

「……少し気になる男の子?」

 ニヤリと意地の悪い笑顔を浮かべたシコクを見つめ返しながら、エンリは不思議そうに首を傾げた。

「……ううむ。エリリンもお年頃じゃろうに、その反応はまったく心当たりなさそうな感じじゃな」

 シコクは呆れ顔で呟いた。

 記憶を読んだ限りロクなアプローチもしてないのだから意識出来るわけもない。

 

「そうですね。村の男性で年の近い人は……」

「すまんかった……ちょっと期待しとったんじゃが、どうやら例えが悪かったようじゃな」

「いえ。でも、驚きました。シャーデンさんもそういう話しに興味があるんですね?」

 人語を解するだけはあるとエンリは感心した。

 猫の恋物語とは一体、どういう物なのだろう。

 エンリも一人の女として大いに興味があった。

 

「勿論じゃよ。例えば――ただの村娘(シンデレラ)村の救世主(おうじさま)を結びつけるとかの」

 

「………………はっ?」

 その言葉にエンリの思考は真っ白になった。

 

「うちはこう見えて魔法の扱いに関してはミカ様より遥かに上の使い手での。その中でも呪術というもんが得意でな。人を蛙に変えたり、水に塗れると男になりお湯を被ると元に戻るとか面白い魔法を扱えるんよ?」

「えっ? 男に、なる?」

 

(もしかして、ミカ様もシャーデンさんに魔法をかけてもらってる?)

 

 真実は、目の前にいるシコクがみかかに男装するように指示しただけだ。

 だが、この世界の常識では在り得ない魔法を目撃したエンリは、みかかが魔法で男性に変わったのだと思いこんでしまった。

 

「望みがあるなら叶えるよ? かぼちゃの馬車が欲しいかえ? 舞踏会に見合うドレスを用立てようか? 王子様との運命を繋ぐガラスの靴は欲しくない?」

 

「か、からかわないで下さい! シャーデンさん。私なんて――」

「――間違いなく、ただの村娘だの」

 いつの間にか黒猫はエンリの肩に乗り、耳元で優しく囁いていた。

 さながら魂の契約を迫る悪魔のように。

 

「ただ、ミカ様にとって特別な存在というだけ。それ位、誰に言われんでも理解しとるじゃろ?」

 

(……私が、ミカ様にとって、特別な存在?)

 

 エンリは胸元で震えを抑えるように両手を合わせる。

 そんな事、ある筈が無い。

 いや、そうかもしれないが――そういう意味での特別ではない、筈だ。

 

「そうかのう?」

 本当に勘がいい。

 エンリの内なる声を聞き逃すことなく返事を返してくるのだから。

「自分に置き換えて、よく考えて御覧。高潔な英雄なら、御主だけを優遇するかの? 同性の友人なら、あれほど近しい距離で接するかえ?」

「そ、それは……その」

 

 正論だ。

 どれだけ否定の言葉を思い浮かべても――まさか、でも、もしかしたら、と言葉が浮かんでくる。

 だけど、それも仕方ない事。

 今迄、見たこともないほどの美しい者に壊れ物を扱うかのように優しく、恋人のように甘く接されたのだ。

 恋を知らない少女が、淡い期待や妄想を夢見るのを誰が責められるだろうか。

 

(考えすぎると人は臆病になる。どこぞの小僧のように――じゃけど、この娘にはそれがない)

 

 エンリの性格をシコクはよく理解している。

 生来の性質なのか、あの事件で目覚めたのか知らないが、彼女は困難や問題を前にしたら飛び込むタイプだ。

 そういう人間を思うように動かしたいなら、困難や問題を突きつけてやればいい。

 そうすれば、自ずと飛び込んでくる。

 後は当人が納得する理由を並べてやればいいだけだ。

 

「エリリン。ミカ様に好意を持っとる女性は意外に多いんよ?」

「えっ?」

 魔法で男性なれるとしても抵抗はあるだろう。

 しかし、同じ思いを抱くものがいれば安心感に繋がる。

 さっきの話と同じだ。

 

「特に二人ほど熱烈なアプローチをしとる者がおってな。正直、女としての勝負では分が悪いじゃろうな」

「………………」

「二人はホームでエ・ランテルでのお使いが終わるのを今か今かと待ちわびてる事じゃろう。さて、お使いが終わったら、エリリンが次に会えるのは何時になるかの?」

 不安を煽り、対抗心を植えつける。

 ここまですれば、この少女なら必ず飛び込んでくる。

 ここで何もしないということは、みかかを失うことになるからだ。

 状況が悪くなることが分かっているのに放置する選択肢など、今の彼女には選べない。

 

 後は野となれ山となれ、だ。

 

「まぁ、よく考えて欲しい。うちとしては協力したいところじゃけど、それは流石にささやかなお願いではない。もしも願いを叶えてほしいなら、うちの願い事も叶えておくれ」

「どんな願い事、ですか?」

 小さく呟くその言葉は期待と興奮で震えている。

 その顔は恋する少女であり、一世一代のギャンブルに挑む者の顔にも見える。

 生贄の羊を見つめる瞳でシコクは交換条件を告げた。

 

「エリリン――御主、ちょいと一大決心して、うちらの所に来んかね?」

 




シコク「うちは呪術というもんが得意でな。例えば、これから御主が触れる液体は全て紅茶になる呪いとかの。重ねがけすると、茶葉の種類からたて方まで思いのままじゃよ?」
エンリ「お願いします! ところでミカ様が途中からフェードアウトされたんですけど……」
シコク「ギリースーツ着て外で警備中じゃ。ある島で最後の一人になるまで殺し合いやっとる時にケアパケから出てきたとか何とか……」
エンリ「ギリースーツ?!」

 やっとこの話のトリックスター、シコクが行動を開始します。  



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交錯する運命

(……釣れなかったか)

 

 朝日を眺めながら、みかかは大きくため息を吐いた。

 まるで彫像のように微動だにせず、一夜を過ごしたのだから仕方ないだろう。

 

 カルネ村の一件でみかかは自身の力の優位性について理解していた。

 だが、楽観視はしていなかった。

 発覚しないように気をつけたが、仮にもつい先日、国同士の喧嘩に巻き込まれた身である。

 いくら強者の自覚があっても、油断していい状態ではない。

 実際、スレイン法国からカルネ村に報復や接触、偵察等の何らかのアプローチがあると警戒していたのだが、どうやら杞憂だったらしい。

 

 今現在のみかかはシコクの支援魔法による強化が施されている。

 この状態のみかかの索敵能力を完全に欺ける者など皆無だろう。

 戦闘能力すら放棄した隠密特化ビルドなら欺けるだろうが、こちらも情報収集に特化したニグレドによる遠隔監視という二重対策を行っている。

 みかかとシコクのツーマンセルだと油断して襲撃すれば、即座にナザリック地下大墳墓選りすぐりの精鋭部隊による歓迎を受ける手筈になっていた。

 だが、結果はただ神経をすり減らしただけの静かな夜だった。

 

 探索役のみかかにとって最も恐ろしいのは情報系の世界級アイテムによる監視だが、現時点のみかかにはその心配もなかった。

 

 世界級アイテム『ヒュギエイアの杯』

 ヒュギエイアとは、ギリシア神話に登場する女神で、健康の維持や衛生を司る。

 一般的に「ヒュギエイアの杯」と言えば薬学のシンボルに用いられることが多い。

 そしてこのアイテムはギルド内で自分ほど用いるのに適した者はいないと断言出来る。

 

 このアイテムの能力は非常にシンプルで薬と毒の精製及び強化だ。

 一日一回、素材を必要とすることなく薬か毒を精製することが出来る上に、その効果は通常の物と比べると著しく強化される。

 相手が世界級アイテムを所持していない場合、毒無効のアイテム・能力を持っていてもそれを突破することが可能だ。

 デメリットは精製した薬や毒が効果を発揮するのは、あくまで杯を持つ者が使用した時だけということだろう。

 

 薬学のシンボルであるヒュギエイアの杯で何故毒を精製できるのかと疑問に持つ者もいるかもしれないが、元々薬と毒とは表裏一体の関係にある。

 分かりやすいもので挙げれば投与する量の差だろう。

 人体に有効な働きをする物を薬、有害な働きをする物を毒と呼んでいるだけだ。

 

 専門的な話をすれば毒薬と毒物は明確に異なるのだが、ユグドラシルではそこまでの区別はつけていなかったようで、このアイテムを用いることで毒物の精製も可能となっている。

 

 最後に世界級アイテム全てに共通する能力の一つに、所有者は他の世界級アイテムの影響を受けないというものがある。

 これにより物によっては反則級の能力を持つ世界級アイテム所有者にも対抗することが可能だ。

 

「……う~~ん」

 みかかがヒュギエイアの杯で作ったのはエナジードリンクだ。

 ユグドラシルでは一番安価で製作される自己強化アイテムで効果は身体系能力全般の一時的な強化である。

 本来、アンデッドは飲食によるパフ・デバフが発生しないが、世界級アイテムで作成したこのアイテムなら話は別だ。

 だが、みかかはどうにも使う気にはなれなかった。

 

 薬も過ぎれば毒となる言葉がある。

 著しく効果が強化された薬を用いるとどうなるか?

 アレルギー、副作用、投薬量などを調べずに使うのは危険すぎる。

 

(試してない特殊技術も多いし、モルモットがいるな。どこかに後顧の憂いなく実験の限りを尽くせるような対象はいないものか)

 

 傍から見れば朝日の訪れを一人静かに見守る少女の絵だ。

 だが、その少女がとんでもなく物騒な想像をしてるとは夢にも思わない事だろう。

 

「……そろそろ準備も出来たみたいね」

 

 みかかの聴覚がログハウス内で慌しく動く音を拾い上る。

 察するに朝の身支度も終えて出発の準備に取りかかっている所なのだろう。

 ゆっくりと立ち上がると、身体を伸ばす。

 

(現時点では城砦都市エ・ランテルにプレイヤーは確認されてない。少し慎重過ぎたかな?)

 

 警戒を怠るつもりはないが、それでも必要以上に気を張る必要はなさそうだ。

 ならば、自分も少しはこの旅を満喫することにしよう。

 

「おはようございます。ミカ様」

「……待たせたのう」

 

「な゛っ?!」

 

 ログハウスから出てきたエンリを見て、みかかは思わず絶句した。

 

 

「……そろそろ頃合か」

「そうっすね~~」

「………………」

 まだ訪れて間もないと言うのに早くも城砦都市エ・ランテルの名物になりつつあるモモンガ率いる冒険者三人組。

 彼らがいるのは城塞都市のメインストリートである大通りを見渡せるカフェだ。

 もうすぐこの大通りをギルドメンバーであるみかかが通ることになっている。

 もし、みかか達を尾行するなどの不審な行動を取る者がいたら監視及び情報収集を行った後、場合によっては始末するという手筈になっている。

 

(みかかさんが気付かない尾行を俺達で気付けるのかは疑問だがな)

 

 モモンガは自らが立てた計画に思わず苦笑してしまう。

 実際、互いの無事を確認する定時連絡の時に話の流れで決まった軽い物だ。

 

 基本的にモモンガは昼間は冒険者として仕事をし、特に用がなければ夜はナザリックに戻って執務を行う日々だ。

 多少は慣れてきたとはいえ、やはり支配者の演技は疲れるものだ。

 更に最近になって発覚した新たな問題にも頭を悩ませていた。

 

 それはアルベドとシャルティアの扱いについてだ。

 

 みかかが不在の為、分散していた熱烈なアプローチがモモンガに集中したのだ。

 たっち・みーとウルベルトと比較するのは違う気がするが、とにかく二人は争うことが多い。

 まだ大した日数も経っていないのに、既に何度か叱りつけるくらいにエスカレートする場面があった。

 

(みかかさんはアルベドを警戒してたな。確かに、設定がよりもよってビッチ……だもんな)

 

 今は自分達に御執心のようだが、二人に袖にされ続けたアルベドが自分達に飽きてしまい、在り得ないと思うがセバス、デミウルゴスの両名と関係を持ったりでもしたら……。

 

(ゾッとするな。控えめにいってもナザリックの危機だぞ)

 

 打ち解けていないチーム内に異性がいるとそれだけでチームが崩壊する危険性がある。

 

 まだ出来上がったばかりのナザリック地下大墳墓という巨大サークル。

 そこに守護者統括という地位を持った淫魔を投入。

 まだ同格の階層守護者であれば力で対抗することも出来るだろうが、領域守護者などの力や地位の劣るNPCだった場合、どうなるか?

 それこそ力尽くで――いや、ナザリックでも頂点を争う彼女の英知があれば、合法的に一大ハーレム、もしくは修羅場を作ることさえ可能ではないか?

 自分で考えておいて何だが、想像すらしたくない案件だった。

 

(タブラさん。ギャップ萌えなのは知ってますけど、こっちは大変ですよ! 責任取って出てきてください!!)

 

 NPCのトップに内部分裂を招きかけないキャラを設定したのもギャップ萌えの一環なのだろうか?

 結成以来敗北の無いギルド、難攻不落のナザリック地下大墳墓が自らの手の者にかかって脆くも崩れ落ちる。

 如何にも彼の好きそうなギャップの利いたシチュエーションに見えた。

 

(NPC達が意思を持ったことでギルドの男女比が大きく変わってしまった。ただでも異常事態なのに、男女関係のゴタゴタとか冗談じゃないぞ)

 

 NPC同士の恋愛なら素直に祝福出来ると高をくくっていたが――これは予想以上に根の深い問題なのではないだろうか?

 

「モモンさん。なんか、通りの様子が妙っす」

「むっ、そ、そうか」

 ルプスレギナの言葉でモモンガは現実に引き戻された。

「確かに辺りが騒がしいな。何かあったのか?」

 この光景には見覚えがある。

 自分達が初めて大通りを通った時と同じだ。

 

(みかかさん、か? いや、みかかさんは探索役だ。彼女がこんなに目立つはずがない)

 

 暗殺技能に優れた者の隠匿は単に気付かれないというレベルでは収まらない。

 たとえ認識されたとしても、その認識を書き換えることすら可能なのだ。

 映画などで在りがちな光景だが、暗殺者が変装して潜入する際、周りの警備員が不審に思わないというシーンがよくある。

 常識的に考えればそんな事は在り得ない。

 たとえ服装が同じでも見も知らない他人が混じれば、普通はすぐに誰かが気付く筈だ。

 だが、上位の暗殺者となればそういう事が可能になる。

 対人戦ではまったく効果を発揮しない微妙系スキルだったが、NPCには効果の高かった技能だ。

 今の彼女を怪しむ――つまり、彼女の隠匿能力を上回る索敵能力を持つような人間は存在しないはず。

 

 通りの騒がしさが徐々に増してくる。

 そして、モモンガも騒がしさの原因を知った。

 

「……そうきたか」

 

 かつて自分達がそうだったように、大通りにいる者達は口々に噂していた。

 モモンガの視線が大通りの話題を掻っ攫った馬車に向けられる。

 遠慮の無い周囲の視線に晒されながら、立派なメイド服を着た少女が馬車の御者を務めていた。

 

「そんな、あの服はまさか……」

 みかかの同行人である人間が着たメイド服に心当たりがあったルプスレギナが馬車を睨む。

 

(ルプスレギナは気付いたか。あれは間違いなくホワイトプリムさんがみかかさん用にデザインした戦闘メイド服だな)

 

 黒を基調としたレース、フリル、リボン、に飾られた華美なメイド服に靴は編み上げのブーツ。

 プレアデスの服装は一人ずつデザインが異なるが、どの服装とも異なるゴシック・アンド・ロリータ風のメイド服だ。

 

(スカート部分にペロロンチーノさんのギルドサインがある。あれはみかかさん用戦闘メイド服初期型だな)

 

 デザインが気に入らないので没にした外装データをペロロンチーノが買い取ってから――色々あって封印されたものだ。

 その後、ぶくぶく茶釜が戦闘メイド服後期型を作成――それも色々あって封印され、最終的にホワイトプリムが作った戦闘メイド服完成形という流れに至っている。

 

(成程、よく考えている。この世界なら使い道のないネタ防具のアレでも十分。それに、あれならプレイヤーへの撒き餌くらいにはなるか)

 

 昨日の《伝言/メッセージ》では知らされていなかったので少し驚いたが、みかかが何故あの装備を人間の村娘に与えたのかを冷静に分析していた。

 

「それにしても――」

 

 なんだ、あの空気は。

 黒いフード付きのコートを羽織ったみかかが通りにある建物を指差して、メイドの顔を覗きこむ。

 メイドは指差された建物を見て、それが何であるかを説明しているようだった。

 二人は終始笑顔で、なぜか周囲が二人を祝福するように輝いているように見えた。

 友人、恋人、家族――その形は様々だが、たった一人では決して創れない精神的な空間障壁のようなものが張られているような感じがした。

 

「――少しばかり、不快だな」

 

 無意識にぽつりと口をついて出た言葉。

 その言葉にルプスレギナとパンドラズアクターの態度が変化する。

 だが、モモンガはそれに気付くことなく、大通りに視線と意識を奪われていた。

 

 何もかもが未知な世界で、初めて訪れた大きな街。

 隣にいるのが自分だったなら彼女は、もっと楽しんでくれた筈だ。

 周りの喧騒など気にならない程、自分達も輝いていた筈なのだ。

 

「………………」

 あれだけ待ち望んだ仲間が目の前にいるのに――その距離が、何故か遠く感じる。

 

 そんなモモンガの言葉に出せない心の葛藤が、即座に冷めたものに変わっていく。

 それがモモンガを苛立たせる。

 不快感からギリッと奥歯を噛み鳴らす音がした。

 

 この肉体に変化してからは強い感情が生じた場合、強制的に沈静化させられる。

 自分が本当の意味で喜怒哀楽を感じるのは一瞬――すぐに、そんな感情は抑制されてしまう。

 

(……俺の感情は、いつか完全に平坦なものに変わってしまうのだろうか?)

 

 鈴木悟が玉座の間で最後の時を向かえた時に言えなかった言葉。

 そこに込められた言葉では語りつくせない狂おしい程の感情。

 それを思い出す度、感情が平坦なものに変えられるのが不快で――何よりも怖かった。

 

 待ち望んだ仲間との冒険の日々――みかかと共に過ごしても、何も感じなくなる日が来るのではないか?

 

 今思えばそんな不安が、この場所に足を運ばせるような計画を打ち立てさせたのではないだろうか?

 様々な探知対策を講じているがギルドメンバーの二人が合流するのは最小限に留めた方がいい。

 それを理解していれば、こんな事に意味がないのは分かるはずだ。

 

 モモンガが己の無様な心に怒りを感じている内に馬車はカフェを過ぎ、そのまま通りを直進して消えて行く。

 

 一時の見世物が終われば、そこにあるのは日常だ。

 ある者は自分達がすべき事を、ある者は先程見たことで話題を膨らませている。

 モモンガは気分を一新するように勢いよく立ち上がる。

 

「……行くぞ。ここですべき事は終わった」

 無言で礼をする二人を連れて、モモンガもまた日常へと戻る。

 後ろを歩く二人が一度、馬車の方向を睨んだことに気付くことなく。

 

 

 モモンガ達と入れ代わる形で銀のプレートを下げた冒険者四人組がカフェに入ってきた。

 四人の衣装には汚れが目立つ――どうやら仕事を終えて街に戻ってきたばかりらしい。

 四人組は手早く注文を済ませると世間話を始めた。

 

「あれが噂の『漆黒の悪夢』か。見た? あの美人ちゃんのおっそろしい顔!」

 金髪で茶色の瞳の若者で大きな声で言った。

 全体的に痩せ気味で手足が長く、蜘蛛を思わせるような姿をしている。

 レンジャーのルクルット・ボルブ。

 

「うむ。あの空恐ろしいほどの殺気は見事としかいう他ない。どうやら、噂は真実だったようである!」

 口周りにボサボサとしたヒゲが生えており、がっしりとした体格で野蛮人のように見える男が重々しく頷いた。

 森祭司のダイン・ウッドワンダー。

 

「良かったじゃないか。下手に声をかけてたらどうなったか分からないぞ?」

 金髪碧眼の若者が茶化すようにルクルットに言った。

 王国では基本的な人種の特徴であり、それ以外に特徴らしい特徴はないが顔立ちは整っている。

 四人組のリーダーである剣士のペテル・モーク。

 

「そうですね。余程、腹に据えかねることがあったんでしょう。誰かを殺しかねない雰囲気でしたよ」

 四人組では最年少だろう。

 濃い茶色の髪と青い瞳が少年が同意した。

 肌は白く、顔立ちもチームでは一番美形で中性的な美しさがあり、声もやや甲高い。

 魔法詠唱者のニニャ。

 

 彼らは『漆黒の剣』と呼ばれる冒険者チームだ。

 もっかの悩みは彼らにとって後輩である『漆黒の悪夢』とチーム名が被ってること。

 噂は噂でしかないとはいえ、冒険者組合の一件を知っているだけに喧嘩を売られないかと心配していた銀級冒険者チームである。

 

「勿体無いけどあれは駄目だな。うーん。なあなあ! 一仕事終えたばかりだし、今日はオフだろ? 俺、この後あのメイドさんにアタックしてくるわ」

 ルクルットの発言に三人はあからさまに顔色を変えた。

 チームメンバーが冗談ではなく本気で言ってることが分かるからだ。

「馬鹿! お前、何言ってるんだ!?」

「何でよ? 大丈夫だって! あの子、城門の衛兵に言ってたじゃん。自分はカルネ村のエンリ・エモットですってさ! 村娘と冒険者なら順当な組み合わせじゃね?」

 ぺテルの言葉にルクルットは反論する。

「確かに言っていた。村長の書状を持っていたようだから村娘であるのは間違いないだろう」

 ダインは頷いた。

 村長の書状とは通行税免除の書状のことだ。

 都市を行き交うには通行税がいるが、領内を通行するのに税金を課すと物流が滞る。

 その為、通行税免除の書状を発行している領土は多い。

「やめておいた方がいいですよ。あの見事なメイド服を見たでしょう? 大方、隣にいた大貴族に見初められたんでしょうね。影が薄くて顔をよく覚えてませんけど……」

「あれ? ニニャにしては珍しく柔らかい物言いだねぇ?」

 ルクルットが不思議そうに尋ねた。

 ニニャはある事情から貴族に関しては厳しい意見を持っている。

「彼女の様子を見れば望んでメイドになったのが分かりますからね。でも、飽きたらゴミのように捨てられるという線はあるでしょう。人の良さそうな振りをして領民を食い物にする貴族も珍しくない」

 ニニャの口調と表情に真っ黒い感情が混じる。

 失敗したという表情を浮かべるルクルットを注意するようにぺテルが軽く睨んだ。

 

(またこいつは藪をつついてゴブリンを出すような真似を……)

 

 ルクルットは悪い人物ではないが、その軽口から問題を引き起こすことがあった。

 チームメイトである三人はニニャから溢れ出た暗い感情の根源を知っていた。

 非常に悪い噂しかない領主に姉を妾として連れ去られたのだ。

 それが原因で彼の貴族を見る瞳は厳しく、容易に信頼したりしない。

 リーダーとして、仲間として、そして友として、ニニャの心の暗部をどうにかしてやりたいとぺテルは常々思っている。

 

「……それはないんじゃないかな」

 リーダーのぺテルはニニャを複雑な思いで見つめながら、彼の意見を否定した。

「あそこまで高価な服を用意するくらいだ。そこいらの村娘に道楽で渡せるようなものじゃない」

「確かにな。まさか、マジックアイテムって線はないだろうから寸法測って作ったんだろうさ」

 ぺテルのフォローにルクルットが絶妙なタイミングで乗っかる。

 この辺りの連携は生死を共にした仲間だけあって完璧だ。

 

「……だと、いいんですけどね」

 ニニャはそれきり何かを考え込むように黙りこくる。

「「………………」」

 ぺテルとルクルットも馬鹿ではない。

 貴族の中には想像を絶する加虐趣味を持つ者だっている。

 村娘が騙されている可能性だってあるだろう。

 しかし、それは自分達には関係のない話だ。

 

 神官が憎ければ癒しの神さえ悪魔に見える、という言葉がある。

 普通の人なら許せるような行為でも貴族というだけで許せない――ニニャにはそんな危険な側面があった。

 下手をすると、ルクルットは違う方向性で先程の大貴族にちょっかいをかけるのではないかと気になりだしていた。

 

「ニニャ。まだ何か気になることがあるのかい?」

「ぺテルはおかしいと思いませんか? 大貴族にしては馬車がみすぼらしかったなって」

「それはニニャの気のせいであるな。あの馬車を引いてた馬はいい馬である!」

 今迄黙っていたダインが重々しい口調で否定する。

 こういった場合、彼が話の軌道修正、もしくは無理矢理終わらせる役目を担っていた。

「………………」

 ニニャはチームの頭脳担当だ。

 チームメイトがわざと話を逸らそうとしているのは理解している。

 それが分かっていながらニニャはさらに食いつく。

「荷車の部分は村によくある粗末なものだったでしょう? 帆もなかったじゃないですか」

 自分の姉のように悲惨な目に遭う者を見たくない。

 そんな事をするような人間以下のクズが許せないのだ。

 

「そうなの? 俺の目はいい女しか映さねえから分からなかったぜ!」

 そんなニニャの気持ちなどおかまいなしに、ルクルットがいい笑顔で親指を立てた。

「………………」

 真面目に考え込んでいたニニャも呆れたようだった。

 ぺテルはこの隙を見逃さない。

「そうか。なら、ここの払いはルクルットの驕りで決まりだな」

 これは流れを変える好機だ。

「まったくである! そんな節穴レンジャーでは我らも心許ないのである!」

「ちょ! それって酷くね? ほら、俺の目はアレかも知れねえけど耳は大したもんだぜ?!」

 三人のくだらない言い争いを見て、ニニャは毒気の抜かれたようにため息を吐いた。

 

「……まったく。とんだレンジャーを抱えたものです」

 

 ニニャもあれこれ考えるのはやめることにした。

 残念ながら、これは王国ではよくある話だ。

 自分がどれだけ心配しようが、彼女をどうこうする事は出来ない。

 そんな力も権力も自分は持っていないからだ。

 

 だが、自分が力を得たならば――伝説に謳われるような十三英雄と肩を並べられるほどの英雄になれたなら。

 

 この世界から、そんな悲劇を無くすために力の限りを尽くそうと心に決めていた。

 

「お待たせしました」

 皆の話が一段楽するのを待っていたかのようにウェイトレスが注文していた軽食を持ってくる。

「おっ、きたな」

「やはり街での食事はいいものである」

「保存食では味気ないですからね。頂きましょうか?」

 三人がテーブルに備え付けのフォークを手に取る。

「おい、ルクルット。どうした?」

 窓から外を眺めているルクルットが凍りついたように動かないことに気付いた。

 

「今、ちょっと危ない系のお姉ちゃんが通った! やっべぇよ! あれ、超やっべぇって!! フード付きのマント羽織ってたから体型は分からないけどいい女だね! 俺ちょっと声かけてくる!」

 

 ………………。

 

「お前は、いい加減にしろっ!!」

 ぺテルの拳骨がルクルットの頭に落ちるのだった。

「痛っ!? 頭が割れるように痛ぇ!! ダインちゃん。回復プリーズ!」

「生憎だが馬鹿を治す薬草は持ち合わせていないのである」

「ルクルットは放っておいて食事をしましょう。冷めちゃいます」

 このパーティではわりと見慣れた日常。

 この時には街の噂になったメイドの事もすっかり記憶の端に追いやられていた。

 

 ニニャがもう関わることはないだろうと思っていたメイドと接点を持つのは、意外にもこれよりわずか数日後のことである。

 

 

 カフェで話題になっているとは露知らず、フードを被った人影は大通りを外れ、人気の無い裏路地へと滑るように進んでいく。

 

「あのメイドちゃん――な~んか、怪しいなぁ」

 その声は底抜けに楽しそうなのだが、聞いていると無性に不安になってくる不思議な圧力があった。

「ふんふんふーん」

 鼻歌を歌いながら裏通りを歩いていく。

 フードから時折覗く女の顔立ちは整っており、年齢は二十歳前後だろう。

 猫科の動物じみた愛らしさがあるのだが、そこには即座に肉食獣としての素顔を見せ付けるような側面を秘めている。

 一言で表すなら危険な女――犯罪の多い裏路地を散歩するかのような気軽さで歩いている所が何よりの証明た。

 

 女の名前はクレマンティーヌ。

 スレイン法国が誇る六色聖典の中でも最強の漆黒聖典――第九席次を預かっていた人物だ。

 現在はスレイン法国を裏切り、国の至宝である叡者の額冠を強奪。

 六色聖典の一つである風花聖典から追われている身である。

 

(あの馬についてる鞍。スレイン法国の偽装用のやつじゃない? あれは陽光聖典のサインだったかな)

 

 一見自然についたようにしか見えない傷だが通しサインとなっており、関係者が見れば分かるようになっている。

 

 しかし、あの二人組には不可解な点が多い。

 まず、あのやたらと目立つメイド服は何だ?

 これは勘だが、あれは単なる高級な服ではなくマジックアイテムではないだろうか?

 スレイン法国が所有する至宝の中には明らかに実用向きではないのに破格の性能をもつマジックアイテムが存在する。

 かのケイ・セケ・コゥクのように見た目からは想像できない強力な性能を持っているのでは?

 

(まさか、ね。私の知らない至宝なんてあるわけないじゃん。それに、あのメイドちゃんは挙動が明らかに素人っぽい。だとしたら喰いつかせる為の囮かな?)

 

 魔法詠唱者や神官という線もあるが、聖典の隊員に選ばれるなら最低限の体術を心得ている筈だ。

 それがあの女から感じない――断言してもいいが、あれは完璧に素人だ。

 

(もう一人が本命だろうけど……ちょっと見た目だけじゃ強さが分からないな)

 

 胸の内から沸いて出る衝動に思わず舌舐めずりしてしまう。

 百戦錬磨の自分が見た目から強さを判断出来ないということは、少なくとも弄りがいのある雑魚だ。

 おまけのメイドも食後のデザートに最適。

 どうやら連れに惚れ込んでいるようだが、そいつの無残な死体を見せたら、あの幸せそうな顔はどういう風に歪むだろうか?

 二人の獲物がどんな悲鳴をあげてくれるのか――それを想像するだけで胸が高鳴ってくる。

 

 しかし、懸念事項もある。

 

(陽光聖典の奴がまぬけにも馬を奪われた線もあるけど、私を捕まえるのに風花だけじゃ手が足りないから協力を要請したって場合が最悪のパターンか)

 

 陽光聖典は亜人の集落の殲滅を主な任務とするため、基本的に大人数で行動する。

 陽光聖典の隊員を一人見かけたら三十人はいると思え、というのは有名な話だ。

 確かに隊員全員が英雄級の実力を持っている元漆黒聖典の自分を捕縛・殺戮する為なら投入されてもおかしくはない。

 もしそうなら、国も自分を狩るのに本気を出してきたという事だろう。

 その場合は楽しみはそこそこに切り上げて、この街から早急に脱出する必要がある。

 

(何にせよ、善は急げ。一刻も早くカジッちゃんに会って、協力を取り付けないとね)

 

 クレマンティーヌの顔に笑みが浮かぶ。

 その顔は邪悪極まりなく、百年の恋すら冷めるほど醜いものだった。

 

 

 城砦都市エ・ランテル外周部の城壁内の四分の一。

 西側地区の大半を使った巨大な一区画――そこに共同墓地が存在する。

 王国広しとは言え、ここほど巨大な墓地はない。

 理由は毎年行われている帝国との戦場が近く、戦争での犠牲者をアンデッド化しないよう埋葬する場所を確保しなければならない為だ。

 

 そんな城砦都市エ・ランテルの共同墓地の地下に彼らは隠れ潜んでいた。

 

 秘密結社『ズーラーノーン』

 強大な力を持つことで名の知れた盟主を頭に抱き、死を隣人とする魔法詠唱者達からなる邪悪な秘密結社だ。

 幾つもの悲劇を生み出してきた彼らは周辺国家が敵と見なしている結社である。

 

 彼らはこの街を死の街に変えるため、数年前からこの場所で邪悪な儀式に勤しんでいた。

 儀式の名は『死の螺旋』

 ズーラーノーンの盟主が行い、一つの都市をアンデッドが跳梁跋扈する場所へと変えた都市壊滅規模の魔法儀式である。

 

「……『漆黒の悪夢』か。面倒なことになったものだ」

 弟子から受けた報告に儀式を取り仕切る男が顔を顰めた。

 男の名はカジット・デイル・バダンテール。

 アンデッドの支配に特化した魔法詠唱者でその実力はズーラーノーン十二高弟の一人に数えられる実力者だ。

 

 この街を儀式の場所に選んだのには様々な理由があるが、その一つに冒険者のランクが低いことが挙げられる。

 ミスリル級冒険者であれば十分に出し抜ける自信があったし、実際数年間気付かれることなく儀式を進めてこられた。

 だが、ここに至って状況が一変した。

 

 情報の真偽は定かではないが、ミスリル級冒険者を圧倒する冒険者が現れたのだ。

 

 噂の程が確かなら、その連中は確実にアダマンタイト級レベルの冒険者の中でもトップレベルの力を持っているだろう。

 如何にズーラーノーン十二高弟の自分であってもアダマンタイト級冒険者を相手するのは分が悪い。

 勝つ負けるの話ではない。

 そもそもカジットの目的を考えれば儀式が発覚した時点で負けなのだ。

 

「カジット様。如何致しますか?」

「知れたこと。慎重に慎重を期して行動するまでよ」

 弟子の質問にカジットは即答する。

 仮にこの街に十三英雄級の冒険者が現れたのだとしても、ここで諦めるという選択肢など在り得ない。

 ならば、例え亀の歩みとなっても儀式を推し進めるだけだ。

 

 怒りに震えるカジットの元に福音がもたらされるのは、これより数時間後となる。

 

 

「……おばあちゃん。近いうちにカルネ村に薬草を取りに行こうと思うんだ。冒険者さんを雇いたいんだけど、いいかな?」

「ああ、構わないよ。行っておいで」

 リイジーは二つ返事で了承する。

 あの村には孫が思いを寄せる村娘がいる。

 大方、目の前にいるドロップアウトした冒険者の色恋沙汰を聞いて気になったのだろう。

 なんせ孫もカルネ村の娘も結婚していてもおかしくない年齢だ。

 恋愛など何処でどう転がるか分からない――まさしく神のみぞ知るという所だ。

 イグヴァルジが冒険者を辞めたのはバレアレ商店としては痛いところはあるが、この話で孫の決心がついたなら怪我の功名と言えるだろう。

 

「邪魔したな。俺はそろそろ帰らせてもらうぜ」

「あっ、それならイグヴァルジさん。一緒に冒険者ギルドに行きませんか? 受付嬢さんに話があるでしょう? 僕も依頼を出さないといけないので」

「あっ? あーそっか。ギルドに行かないと会えないよな。今はあんまり冒険者ギルドには行きたくないんだがな」

「駄目ですよ。こういうのは善は急げです」

 孫の言葉にリイジーは苦笑した。

 むしろリイジーがンフィーレアに言ってやりたい言葉だからだ。

「確かに、それもそうだな」

「はい。行きましょう」

 イグヴァルジとンフィーレアはそれぞれ席を立つ。

 

 ンフィーレアが幼馴染と驚愕の再会を果たすのは、これよりわずか数秒後のことである。

 

 かくして惨劇の地となる城砦都市エ・ランテルに役者達が集結した。

 

 死地から抜け出したばかりの少女を待っているものは、前回よりも更に過酷な修羅場。

 再び己が命を賭けて、その窮地に飛び込む羽目になるなど今の彼女は想像すらしていなかった。

 




モモンガ「――少しばかり不快だな」
クレマンティーヌ「あのメイドちゃん――な~んか、怪しいなぁ」

エンリ(……何だか寒気が)


ニニャ 「ぺテルはおかしいと思いませんか? 大貴族にしては馬車がみすぼらしかったなって」
ルクルット「今、ちょっと危ない系のお姉ちゃんが通った! 俺ちょっと声かけてくる!」

弟子  「カジット様。儀式はどうしますか?」
カジット「無論、続ける!」

 色んな人が地雷原でタップダンスしてます。
 さてさて、誰が踏んで誰が避けるのか。
 はたまた全員踏むのか踏まないのか。

 そんな話です。

 この場を借りて誤字報告や感想下さる方に感謝を。
 執筆の励みになってます。


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わきあがる疑惑

「もうすぐ到着です。あそこの一番大きな家がンフィーレアのお店になります」

「へぇ」

 みかかはエンリが指差す方向を見つめた。

 どうやらこの通りは薬草やそれに類したモノ等を扱う店が集まっているようだ。

 どの店からも薬や草の独特な匂いが流れ込み、まるで空気に色がついたような気さえしてくる程だ。

 周囲に立ち並ぶ建物は前に店舗があり、後ろが工房――古式ゆかしい商家のような造りで統一されている。

 だが、最も大きな家だけ工房に工房を重ねたような造りになっていた。

 

(バレアレ商店。確かに間違いないわね)

 

 みかかは出されている看板の文字を読み、目的地に間違いないことを確認する。

 それというのもエンリは文字が読めないからだ。

 

(言葉が通じるのに文字は読めないって、どういう世界設定なの? モモンガさんに意見を聞かないといけないな)

 

 突如訪れた未知に包まれた異世界は、みかかの首を傾げるようなことばかりだ。

 だが、差し迫ってる問題を解決することが重要だ。

 

「エンリ。心苦しいけど打ち合わせしたことを忘れないで欲しい」

 みかかは意識して声を低くし、男の振りをする。

 暗殺者の特殊技術を使えば、映画のように別人に化けることが可能だが、逆を言えばそれは特殊技術を用いれば看破可能という事である。

 しかし、単純にウィッグをつけたり声色を変えるのは誰しも出来ることであり、決して特殊技術ではない。

 ならば、特殊技術では見破ることは出来ない。

 

 カルネ村でシコクがみかかに耳打ちした内容だ。

 

 よく思いついたなと感心する反面、少しだけみかかは安心していた。

 いくら自分達が圧倒的な強者といっても、保有する特殊技術でウィッグや化粧を見破れるとしたら、世界は少しだけ悲しいことになっていただろう。

 

「はい。分かってます」

 エンリは元気良く返事する。

 その瞳はキラキラと輝いており、誰が見ても上機嫌であることが分かる。

 みかかも一人の女として可愛い服を着たり、宝石を身に纏ったりする楽しさは理解している。

 だが、これから大事な交渉をしようという時に平静を保てていないのは頂けない。

 

(……本当に大丈夫かしら? うっかりばらしたとか洒落ですまないんだけど)

 

 みかかがエンリと打ち合わせた内容は幾つかある。

 

 カルネ村の件は黙っていること。

 みかかの素性を話さないこと。

 シコクが人語を解する猫であることを言わないこと。

 

 以上三点だ。

 

 まず最初のカルネ村の件を話さないのは、みかかの常識的判断である。

 村が他国の騎士によって襲われ、多くの人が死んだなど吹聴するような話ではない。

 ガゼフの一件もあり、みかかはこの国を信用していない。

 下手にカルネ村の件を話して噂が広まれば、人心を惑わせ、王を侮辱したと言いがかりをつけられる可能性も十分考えられるからだ。

 

 二つ目にみかかの素性を話さないのは当然、ユグドラシルプレイヤーを警戒してのことだ。

 城砦都市エ・ランテルは王国・帝国・法国の三国に繋がる中継都市の役割も担っている。

 この街で下手を打つと三国に情報が飛び交って目も当てられない状態になる可能性がある。

 

 何より、カルネ村の一件にみかかは関与していないというというのが彼らを助けた報酬だ。

 例え、エンリであってもこれを破ることは許されない。

 ただでもシコクから人間種への苦言を呈されている身である。

 ここで発覚すれば「やはり人間など信用ならない」という話になってエンリやカルネ村の立場が悪くなるのは避けられないからだ。

 

 三つ目も二つ目と同じような理由だ。

 これはエンリが話しても受け入れられないかもしれないが、珍しい猫ということで誘拐されても困る。

 仮に誘拐しようと思ってもこの世界の人間にどうにかなるレベルではないのだが、念のためだ。

 

「あの、ミカ様?」

「何?」

「ミカ様は今、普段とは違う格好をされてますよね? お名前はミカ様のままでいいんですか?」

「………………」

 ああ、そういえばそうか。

 いちいち偽名を考えないといけないとか面倒くさい生き方をするようになったものだと自嘲しつつ考える。

 即座に思い浮かんだのは一つの名前。

 

「……アリス」

「えっ?」

 

「この格好の時はアリス・サエグサ――様はいらないからね? さぁ、行こうか」

「は、はい」

 返事も待たず馬車から降りるみかかにエンリも続く。

 

(多分、妹さんの名前なんだろうな)

 

 胸に釈然としないモヤモヤするものを感じながら、エンリもその後に続くのだった。

 

 

「じゃあ、お祖母ちゃん。外に行くから店番を頼むね」

「あいよ」

「じゃあ、イグヴァルジさん。行きましょうか?」

「おう」

 ンフィーレアはイグヴァルジを連れて玄関へと向かう。

 丁度その時を待っていたかのように入り口の扉が押し開き、ドアベルが大きな音を立てる。

 入ってきたのは二人――貴族と御付のメイドだろうか。

 自慢にしかならないが城砦都市エ・ランテルのバレアレ商店は都市最高の薬屋だ。

 この街の富裕層は当然として、近隣の貴族達もわざわざ訪れるほどである。

 貴族達は利益になる反面、扱いが難しい客なのでンフィーレアも慎重に対応するように祖母から厳しく言われていた。

 

(折角、冒険者ギルドに行こうとした矢先に面倒なお客さんがきちゃったな)

 

 そんな自らの胸中はおくびにも出さず、ンフィーレアは失礼のない対応を、と自らに言い聞かせてから口を開いた。

 

「いらっしゃ……」

 

 挨拶の途中でンフィーレアはまるで時が静止したかのように彫像と化した。

 

「久しぶり、ンフィー!」

「………………」

 美醜というものは人それぞれだが、ンフィーレアにとって今の彼女よりも美しい人が現れることなど未来永劫存在しないと断言できる。

 

 そこには女神がいた。

 女神が自分に親しみある笑顔を向けてくれていた。

 

 何という事だろう。

 信じられない。

 

 装飾過多――まるでドレスのようなメイド服を着用していたのは自分が思いを寄せる少女、エンリ・エモットだったのだ。

 普段の可愛らしい少女の姿ではなく、そこに立っているのは美しい女性となった彼女だった。

 舞踏会に出席する大貴族の令嬢が行うような本格的な化粧だ。

 エンリがシコクの指導の下に小一時間かけた努力の結晶だが、ンフィーレアには凄く綺麗だなという単純な一言で終わってしまう。

 だが、その効果は絶大――彼女の愛が得られるなら大概のことはやってやるという気持ちになってくる。

 

「ねえ、ンフィー。大丈夫?」

 

 沈黙している自分を心配したのか小首を傾げて尋ねてくる。

 そんな彼女もまた可愛らしかった。

 グロスを多めに塗った唇は水も滴るというような潤い具合だ

 その唇に触れることが出来たなら、どれほど幸せだろうかと在らぬ妄想を抱いてしまう。

 

「エ、エンリ?」

「うん。もしかして……綺麗になって驚いちゃった?」

 そういって彼女は自らの髪を梳いて流した。

 いつも一つにまとめていた髪を今日はまとめていない。

 髪をかきあげる仕草と同時に香水の匂いが鼻をくすぐった。

「う、うん。凄く綺麗だよ!」

「ありがとう。すっごく嬉しい!」

 エンリは照れながらも蕾が花開くような笑みを浮かべる。

 ンフィーレアの顔は一瞬で真っ赤に染まった。

 

(お! 落ち着つかないと!)

 

 笑顔を目にした瞬間、心臓を鷲づかみにされる。

 ドクンドクンと異様な速さで打ち始めた心臓の音が自分の脳内に響いてくる。

 

「今日はね。ンフィーに紹介したい人がいるの」

 

「………………えっ?」

 

 その言葉でンフィーレアは現実に戻される。

 女神の視線は自分を横切り、隣に立つ青年に向けられた。

 

「ア、アリスさ――ん。彼が私の幼馴染のンフィーレアです」

 エンリの言葉に込められた感情、そして彼女の視線。

 それを目にした瞬間――心臓はその鼓動を止めたかのように鳴りを潜め、代わりに大量のガラスが割れる音が聞こえてきた。

 

「はじめまして。私はアリス――アリス・サエグサです」

「………………」

 目の前の青年はまさしく貴族に相応しい優雅なお辞儀を見せてから右手を差し出してくる。

「よろしく。ンフィーレア・バレアレさん」

「……ど、どうも」

 握手する気などさらさらなかったが、エンリがキラキラした笑顔をこちらに向けているのを見て、その手を取った。

 何の皮か知らないが上質な手袋だ。

 力強く握られた手の感触を前に、ンフィーレアは吐き気を抑える事で一杯だった。

 

 

「これはまた――しばらく見ない間に随分と別嬪さんになったもんだねぇ」

 真っ白になった孫の横に立って、久しぶりに会ったエンリにリイジーが声をかける。

「ありがとうございます!」

 喜色満面の笑みを浮かべるエンリにリイジーは老人特有の悟った顔を浮かべた。

 

(こりゃ、もうどうしようもないね)

 

 可愛い孫の初恋が実ることはないだろう。

 折角、踏ん切りがついた所で残念だが、往々にして人生とはそういうものだ。

 

「どうやら新しいお客さんのようだな。俺はこれで失礼するよ」

「ああ。また何かあったら来るんだね」

「おう」

 イグヴァルジは少しの間、青年を見つめると静かに出て行く。

 青年も気になったのか店を出て行く彼を目で追っていた。

 店を出て行くのを見送ってから、リイジーの方を向く、

 

「貴方がこの店の主人ということで宜しいか?」

「勿論だとも、リイジー・バレアレだよ」

「そうか。では、改めて名乗らせて頂く」

 

(さぁ、気合を入れないと――うまく交渉しないとね)

 

 この場にいるのは四人だけ。

 そして盗聴、監視の類も在り得ない。

 みかかは身につけていたフードを外して、その顔を見せた。

 

「アリス・サエグサと言う。宜しく、リイジーさん」

 

 ペロロンチーノ風に言うのであれば、古典的様式美――眼鏡キャラが眼鏡を外したようなもの。

 

「こ、これは、また……」

 

 これが彼の愛するエロゲ世界なら老婆が少女(男装)に頬を赤らめるという誰も嬉しくないイベントCGが出ていたところだろう。

 

「信じられんほどの男前じゃな。あんた、一体何処から来たんだい?」

 元から研究一筋で、男にあまり興味のないリイジーですら、息を呑むほどの美しさだった。

 これだけの美形であれば初対面同然の状態でファーストネームを呼ばれるのも悪くないと思ってしまう。

「南の果てから。出来ればゆっくり話したいが、時間も有限だから早速本題に入らせて頂く。今日は商談に来た」

「……商談? まぁ、立ち話もなんだから座ろうじゃないか」

 リイジーは部屋の中央に向かい合って置かれている長椅子を指差した。

 普段の商談に使われているものだ。

 

 当然、長椅子にはリイジーとンフィーレア、みかかとエンリが別れて座る。

 二人の座る距離は近い――関係性は聞いていないが、言わずもがなという所だろう。

 自分と孫の距離も同じくらい近いが、これは孫が悪魔に魂を奪われたのではないかと心配になるほど呆けているからだ。

 

「まず最初に今日はカルネ村の村長の許可を得て、私が代表で取引に来させて貰った。私がここに来た目的は二つある。一つは採取した薬草の買取。もう一つはちょっとした商談だ」

「ほう。薬草の買取はいつもの事だから良いとして、もう一つの商談というのは何だい?」

「前者に共通することなんだが――少し失礼させてもらう」

 青年は肩に下げていた背負い袋を床に置き、その口を広げて手を突っ込む。

「この中にあるのは私が採取した薬草になる。少し散らかるが御容赦願いたい」

 正確にはシコクが森の賢王から奪い取った薬草だ。

 みかかが鞄から大量の薬草を取り出して、床に並べていく。

 

「「………………」」

 

 リイジーと……ショックで呆けていたンフィーレアの顔にすら真剣な物が宿る。

 信じられないほど大量の薬草を袋から取り出したのだ。

 あんな容量が詰まる袋を二人は見たことがない。

 

 まるで客がかぶりつくのを見た手品師のようにみかかは得意げな顔を浮かべた。

 

「大したもんだ。結構な量じゃないか」

 そうは言いつつも、リイジーには腑に落ちない点があった。

 

 生まれてこの方、土に触れたこともなさそうな美男子が森に入って薬草を採取したのだろうか?

 

 確かにこれだけの量があればかなりの金額になる。

 ただし、それは一般人の基準でだ。

 貴族が頻繁に催す舞踏会など一回も開くことは出来ないだろう。

 

「ありがとう。貴方のような優秀な薬師に褒めて頂けるのはこそばゆいな」

 プライベートの自分とは違う、余所行き仕様のリップサービスで話を盛り上げる。

「リイジーさん相手に胸を張れるようなものではないが、私も自己流だが薬学には少しばかり自信がある。これも使えるんじゃないかな?」

 まさか自分が疑問に思われているとは露知らず、みかかは話をすすめていく。

「なっ、それは!?」

 

 みかかがさらに袋に手を突っ込んで取り出した物を見て、リイジーが驚愕の声を上げた。

 並べられるのは木の皮、枝になった奇妙な実、一抱えもありそうな大きな茸、丈の伸びた草、多種多様だ。

 知識のない者では分からないが、リイジーとンフィーレアには宝の山と言っても良い。

 

「凄い。これだけの量を、あんな短い時間で採ってきたんですか?」

「その通り」

 エンリの驚愕を前にみかかが得意げに断言する。

「な、なんじゃと?」

 リイジーはその在り得ない発言に絶句した。

「あんな短い時間じゃと? 待った! 一体どれだけの時間でこれだけの量の採取を行ったんじゃ?」

 リイジーは詰め寄らんばかりの気迫でみかかに問いかける。

 これだけの宝の山だ。

 薬草の群生地を見逃していたのだろうか?

 

「それは秘密」

「何故、秘密にする?」

「最初に言ったと思うが繰り返そう。これは商談、成立もしてないのに手札は公開しないよ?」

「ぬっ!!」

 まったくその通りだ。

 リイジーは言葉を詰まらせる。

 トリックの種を自ら明かす手品師はいない。

 

(エンリ、ナイスパス。お陰で良い感じに食いついてくれた)

 

 今、床に並んでいるもので一番量が多いのは森の賢王が採取した薬草だ。

 森の賢王という名前を冠しているが、所詮は巨大ジャンガリアンハムスターである。

 採取した薬草はエンリでも知っている一般的なものでしかない。

 

 他は全てアウラとマーレがトブの大森林の支配地域内で採取し、早朝にみかかに献上したものである。

 野伏のアウラと森祭祀のマーレの採取能力はナザリックでもトップレベルだ。

 ナザリックトップレベルとは、この世界ではまさしく神の所業であろう。

 

「どうだろう? この床に並べた物を買い取ってもらえるだろうか?」

「無論じゃ! その為に御主はここに来たんじゃろ」

「さて、どうかな?」

「どういう意味じゃ? ん? 御主も薬学の知識があると言ったな? もしかして共同で何かしようって腹積もりかい?」

「そうではないよ、リイジーさん。これだけ大量に揃えたんだ。今後の取引の為にも、少し色を付けて貰えるとありがたいな」

 まるで親に玩具をねだるような口調。

「……そういう事かい。若いのに、案外食えん奴じゃな」

 リイジーは悔しそうに、だが面白いものを見たと笑った。

 

 これだけの量の薬草を持ってきたのだ。

 今、カルネ村に赴いても採れる薬草の量など知れているだろう。

 ここで仕入れておかなければ、色々手を回す必要があり費用もかさむ事になる。

 だとしたら通常より高い値段で買い取るしかない。

 

「相手の欲しい物を出来るだけ高く売る――それが商売の原則だろ?」

「ちっ。わしもまだまだ若いわい。つい、欲が出ちまったよ」

 ここで在庫は余ってると虚勢を張れていれば、話も違う方向に転がったかもしれない。

 だが、宝の山を見てリイジーは思わず食いついてしまった。

 こればかりは年老いて尚、見果てぬ夢を求める彼女の性根なので変えようがない。

 

「安心して欲しい。どちらかが一方的に儲かるような関係は健全ではない――それが取引の原則だ。」

「ほほう。つまり、どういう事だい?」

「エンリから話は聞いている。現在、そちらが薬草を仕入れる際、冒険者を雇ってカルネ村まで来て、トブの大森林で採取を行うそうだな?」

 リイジーはその通りだと頷く。

「非効率的だと思ったことはないか? 貴方達は薬の製造を行うのが主で、決して原材料の採取を行いたい訳ではない筈だ」

「そりゃそうだが……あんた、もしかして」

「お察しの通りだ。人はその能力に適した仕事を行えばいい。これからはカルネ村の人間が薬草を採取して定期的にバレアレ商店に送り届ける。今回のような形でね」

 

「ほほう。そいつはありがたいね」

 宝の山と言える品物の数々。

 これが定期的に納品されるとすれば、それは計り知れない恩恵となるからだ。

 カルネ村に赴く理由がなくなるのは、店の経営面だけを考えれば大助かりだ。

「なるほどねぇ。うちは経費と何より貴重な時間を節約出来る。浮いた経費分を色としてつけろってことだね?」

「そういう事だ。カルネ村とバレアレ商店の双方共に利益のある話だと思うがどうだろう?」

 リイジーの眼光に鋭さが増す。

 気になることがあるからだ。

 

「うちにとっては悪くない話だね。だが、幾つか疑問があるんで聞いていいかい?」

「勿論」

「あんたは冒険者――じゃなさそうだね。ワーカーかい? だとしたら、貴重な薬草を考え無しに採り尽す気じゃないだろうね?」

 ギロリとリイジーは睨みを効かせるが、まるで気にしてないように肩をすくめる。

「ワーカー? よく知らないが目先の利益に捕らわれて、資源を枯渇させる気はないよ。その愚行の先にある物はこの世の地獄だろ」

「………………」

 実感の篭った声だった。

 裕福そうな外見だが、それなりの苦労はしてきたようだ。

 

「そうかい。じゃあ……うちには関係ない話だけど、カルネ村の連中は困るんじゃないかい?」

「カルネ村が困るとは、何故?」

「ん? 例えば、孫の幼馴染も薬草を持ってきてるんだろ?」

 エンリは頷いた。

「はい。村の人の物も一緒に持ってきてます」

「当然、この子が持ってきた薬草にも色をつける事になるね」

「当たり前だな。この取引はカルネ村とバレアレ商店の間で行われるものだ」

「うむ。で、あんたの取り分はいくらだい?」

「取り分? ないよ、そんなの」

 リイジーの言葉に青年は不思議そうに小首を傾げ――すぐに合点がいったと頷いた。

 

「リイジーさんの言いたいことは理解した。私が中抜きをすると思ったわけだな。そんなセコイ商売はしないよ」

 急ぎならシコクに《転移門/ゲート》を作らせるなり、みかかが本気で走ればいい。

 急ぎでないならフラジールやソリュシャンに頼んでもいいだろう。

 どちらにせよ簡単なお仕事だ。

 

「益々分からん。あんたは一体何者なんじゃ? なんで、そんな事をする?」

 リイジーがそんな疑問を持つのも無理はない。

 目の前の青年の正体が一向に見えないのだ。

 貴族のような立派な衣装に身を包み、外見に相応した高い教養を備えている。

 その反面、貴族が何よりも大事にする自尊心がない――やり手の商人のように浅ましく、可能な限りの利益を求める計算高さを持っている。

 腰に下げた剣の造りはどう見ても一級品、まさか見掛け倒しではあるまい。

 そして、薬学の知識を備えており採取もお手の物。

 常人の枠では決して納まらない存在だ。

 

(まさか、アインドラ家に縁のある者か?)

 

 リ・エスティーゼ王国が誇る人類の宝、アダマンタイト級冒険者を二人も輩出した貴族の家系だ。

 かの貴族の血脈であれば、そういう者がいてもおかしくはない気がした。

 

「ああ。リイジーさんからすれば、私が怪しいわけだ」

「まあ、そうだね。カルネ村とも長い付き合いだし、気になるのは人情ってもんだろ?」

「確かにそうだ。人は何の意味もなしに行動したりしない。実際、私がカルネ村に力を尽くすのには理由がある」

「その理由とは?」

「とある筋からの情報。カルネ村はこれから大きく発展する――もしかしたら、第二の城砦都市になるかもね」

 リイジーは「何を言ってるんだ、こいつは?」という顔を隠そうともしない。

 カルネ村は百年ほど前に出来た開拓村だ。

 開拓村が出来るだけあって、土地は有り余ってるが――それがエ・ランテルのような大都市になるなど、数百年単位で考えなければ在り得ないことだ。

 しかし、気になるのは隣にいたエンリが思い当たる節でもあるのか反応している。

 

「仮にそれが外れても私はカルネ村をこの都市のように変えたい。薬草の流通ルートを確保するのはその第一歩だよ」

 

 全ては、あの時に始まったのだ。

 

 見捨てるという選択肢を選びながらも、友人の為にその選択を曲げた。

 

 用心深いギルドなら、少なくとも自分がスレイン法国の指揮官なら辺り一帯に何らかの痕跡がないか徹底的に捜索させる。

 そうすれば近接するナザリックが発見される可能性は高い。

 そのような事態にならなくても、いずれは隠蔽工作を行っているナザリック地下大墳墓も発見されることになるだろう。

 ならば、いっそ発覚されることを前提の上で行動しようという方針だ。

 

 まず、人の手が触れていないトブの大森林を支配下に治めて避難場所と新たな領土を築き上げる。

 

 そして、トブの大森林に隣接するカルネ村には異形種と人間の架け橋、もしくは異形種と人間を隔てる境界線の役割をしてもらいたいと思っている。

 

 その為にもカルネ村には発展してもらう。

 今の簡素な開拓村という地位では終わらせないし、終わってもらっては困るのだ。

 

「そんなに不思議な話でもないだろう? リイジーさんの店はこの辺りでは一番大きいようだが更に発展させたいと思ったことは?」

「むっ」

「城塞都市一番の薬師であるなら王国一の薬師となりたいと思ったことは? 私がカルネ村に尽力する理由もそれだよ。今よりも少しでも安全に幸せに暮らせる場所を確保したいだけだ」

 

(……ミカ様)

 

 今よりも少しでも安全に、幸せに暮らせる場所を。

 

 それはカルネ村の悲劇を知っているからこその発言だろう。

 エンリには、その言葉が何よりも嬉しかった。

 どんな綺麗な衣装より、どんな煌びやかな宝石よりも心を震わせた。

 自分だけではない――村の皆を想う気持ちがとても眩しい。

 

(ミカ様なら、本当に――ここより安全で幸せな都市を造ってくれる)

 

 そんな確信がエンリにはあった。

 

 エンリの瞳は一際輝いている。

 その言葉が、見事にその胸を打ち抜いたのだろう。

 それはまさしく、一人の少女が恋に落ちた瞬間だった。

 

「他に何か質問は?」

「いや、私からはないよ。ンフィー。あんたが決めな」

 リイジーは先程から沈黙を守っていたンフィーレアに話を振った。

「………………えっ?」

 ンフィーレアは驚いて祖母を見つめる。

 祖母が経営に関する判断をンフィーレアに委ねたことはないからだ。

「こいつは、これから長い付き合いになる話だろ? だったら老い先短い私じゃなく、あんたが決めな」

「………………」

 三人の視線がンフィーレアに集中する。

 ンフィーレアが見つめるのは愛しい幼馴染だ。

 その幼馴染は期待に満ちた視線でこちらを見つめ返していた。

 

「そ、その……大事な話だから、保留にさせてもらえないかな?」

 

 ンフィーレアはそんな幼馴染の顔を見ていられず、床に並べられた薬草に視線を落とした。

 大量の価値ある薬草。

 自分の取り得である薬学ですら――陰鬱な気分が胸を支配する。

 

「それもそうだ。私達もこの街でしなければならない用事があるのでよく考えて欲しい」

 明るい口調は商談が成立するのを確信してのことか。

「ただ、こちらの薬草を買い取ってもらえないだろうか? 仕舞い直すのも面倒だからね」

「ええ。かまいませんよ」

 ンフィーレアは淀みなく言葉を続ける。

 睨み付けるような鋭い視線で薬草の束を見つめている。

「ああ、そういえば薬草は種類によって保存方法が異なるんだったな。もし、まずいものがあったら教えて欲しい」

「そうですね。もし、契約が成立した際にはお教えしますよ」

「……そうか。では、その時は宜しく頼む」

 返事をするのに間があったのは、破談する可能性があるのを知ったからだろう。

 そんなちっぽけな事で満足感を感じてしまう自分に腹が立っていた。

 

 

「ンフィー。あの二人はもう帰ったよ」

「………………」

 いつの間にか二人は帰ってしまったようだ。

 ンフィーレアは返事もせずに薬草の束を入念に確認している。

 

 そんなンフィーレアの頭にコツン、と軽い拳骨が落ちた。

 

「……お祖母、ちゃん?」

 ンフィーレアは呆然と呟く。

「仕事以外で、あんたにこんな事をするなんて何年ぶりかねえ」

 リイジーは昔を懐かしむかのような口調で言った。

「……ごめんなさい」

 本当に何年ぶりだろうか?

 自分で言うのも何だが、拳骨が落ちるような真似をしたことは少ない。

 両親を早くに亡くしてから、ンフィーレアは手のかからない子供であろうとしたからだ。

 拳骨や雷が落ちるようになったのは薬師になってからの方が多い。

 薬師としては師と弟子の関係だ。

 容赦のない叱責、時には強烈な拳骨が落ちる事だってあった。

 

 だが、今回のは全然痛くない。

 

 顧客に対する対応ではなかったと自分でも思っているのに、何故だ?

 

「あんたは良い子に育ったよ。自慢の孫さ」

「あ、ありがとう」

 少しこそばゆい。

 祖母がこんな話を始めるのは珍しいことだ。

「あんたがいなけりゃ、私はどうなってたかねえ。きっと、神の血の為なら、人さえ殺しかねない奴になったかもしれない」

 ンフィーレアは祖母の冗談に苦笑いを浮かべた。

 何故だが納得してしまい、否定しようという気にはなれなかったからだ。

 

「ンフィーレア。なんで、商談を保留にしたんだい?」

 

 祖母の瞳は真剣だ。

 

「ごめん。僕が間違ってた」

 初めて経営に関する重大な決定権を与えてくれたというのに。

 一人の商人として失格だ。

 あれは損のない取引だった。

 それを自分の意地から受け入れられなかったのだ。

 

「違う。そうじゃない」

「えっ?」

 祖母の目が細くなり、眼光に危険な光が宿る。

 常人の限界に到達した第三位階魔法詠唱者がそこにいた。

「ふざけるなって一喝して殴ってやればよかったじゃないか」

「はあっ?!」

「これでも私は城砦都市エ・ランテルの有力者だ。貴族と揉め事を起こしたってどうにかしてやるさ」

「幾らなんでもお客さんに手を上げるなんて出来ないよ。お祖母ちゃん。何を言ってるのさ!」

 そうしたいのは山々だが、バレアレ商店の看板に泥を塗るような真似は出来ない。

 

「冗談だよ。あんたがそんなことが出来ない子だってのは知ってるさ」

 

 ンフィーレアはホッとしたように息をついた。

 

「そして、それがあんたの本質だよ。ンフィー……あんたは、その悪癖をどうにかしないといけない」

 リイジーは孫を嗜めるように言った。

 

「えっ?」

「あんたは薬師だけど結晶トカゲくらいは知ってるね?」

 ンフィーレアは頷く。

 その名の通り結晶が亀の甲羅のようについたトカゲで稀少なモンスターだ。

 武器を鋳造する際に、このトカゲから取れた結晶を混ぜるだけで武器の性能が一段階上がるとされている。

 ただし、結晶トカゲは臆病で逃げ足が早く、一日で国を渡るとさえ言われるほどである。

 それだけに一匹捕まえれば三代は遊んで暮らせると言われるほどの破格の値がつき、庶民にとっては一攫千金のチャンスである。

 

「いいかい? 人生で大切なのは結晶トカゲみたいな大事なものを見かけた時、それを上手く捕まえられるかどうかだ」

「………………」

 祖母が何を言いたいのか、何の話をしているかが理解できた。

「それさえ捕まえることが出来たら、貧乏人でも幸せになれる。だけど、どんだけ頑張ったって自分の前に結晶トカゲが現れてくれるとは限らないんだ」

 自分は一体、何年の間待ち続けた?

「得てして、そういうものが現れる時は大体、準備なんざ出来てない。だけど、そこで行かなきゃ駄目なんだ。立ち止まってたら成るものも成らない」

 幼い時、初めて見た時から抱き続けた思い――そういってしまえば耳には心地よい。

 だが、それは幼い時から結婚してもおかしくない年頃まで、ずっと行動せずにいた証でもある。

 

 仕方のないことだと言えば、そうなのかもしれない。

 

 三重の城壁に囲まれた城砦都市に生まれ、第三位階魔法の使い手を祖母に持ち、街の外に出るときは冒険者を連れていた。

 彼の人生は、常に安全に守られていた。

 そんな彼だから上手くいく保障もないのに一歩を踏み出すなんてことが出来なかったのだ。

 

「……まだ、間に合う」

「んっ?」

「まだ分からない。そうだろう? お祖母ちゃん!!」

「………………」

 リイジーは孫の資質を一つ見誤っていた。

 彼はとことん追い詰められてからその力を発揮するタイプだったのだ。

 

「……そうかもしれないね」

 リイジーも別に本気で逆転出来るとは思っていない。

 むしろ焚きつけることで孫が一皮剥けるのであればいいだろう、という判断だった。

 商談を破棄するのは痛いが、ここで意識改革をしなければバレアレ商店の未来も危うい。

 

「どうせ喧嘩するなら勝つんだよ。負けるとまずいかもしれないからね」

「分かってる。彼は怪しい――エンリは騙せても僕は騙せない」

「怪しい? どこら辺が?」

 確かに不思議な人物ではあるが、騙すとはどういう意味だ?

 

「彼が騙した点は幾つもあるよ。これだけの量の薬草を彼はどこで集めたのかな?」

「トブの大森林に決まってるじゃないか?」

「そんなの出来るわけがないじゃないか。森の賢王のテリトリーだよ?」

 リイジーは「あっ」と声をあげた。

 

「これだけの量の薬草――特に価値のある物を取るには森の賢王のテリトリーに進入することが必須だ。つまり、この時点で人には不可能ってことだ」

「……確かに、そうだね」

 トブの大森林で数百年を生きた伝説の魔獣――そんな魔獣を出し抜くなど出来るはずがない。

 

「じゃあ、どうやって集めたんだい?」

「分からないけど、まっとうなルートじゃないと思うよ。そう考えれば全ての辻褄があうんだ」

「ほう」

 リイジーは孫の推理を素直に聞くことにする。

 

「もし、今回の商談をうちの店が受けなかったらどうなると思う?」

「今後、カルネ村で薬草採取は出来ないだろうね」

「僕もそう思う。ただし、彼の目的は薬草採取じゃない。むしろ僕達に採取させないことだ」

「うん?」

 どういう意味だ?

「開拓村を訪れる人は少ない。僕達が行かなくなれば、それこそ徴税官くらいしか訪れなくなる。そうすれば村は閉鎖されたも同然だろ?」

「確かにね」

 そもそもああいう村は危険が多い。

 物見遊山で行くような場所では決してない。

「そうすれば外部からの干渉がなくなり、彼の望み通りになる。彼は一体何者か? まず一人ではない――それなりの人数がいる組織だ。個人で村を街のようになんて発言が出るわけがない」

「確かにそうだ」

「僕の結論はこうだ――彼は八本指の手先である。よって、彼とは手を組むべきではない」

 

 ………………。

 

「なんだって!?」

 リイジーは驚く。

 八本指はリ・エスティーゼ王国の裏社会を牛耳っている地下犯罪組織である。

 その影響力は絶大で、傭兵、貴族、王族にまでコネを持ち、王国内のあらゆる犯罪の裏にその姿があり、巨大過ぎるが為に誰も手出しが出来ない集団だ。

「いやいや、どうしてそんな結論になるんだい?」

「とある筋からの情報でカルネ村はこれから大きく発展すると言ってた。それは一体何処からの情報でどうして発展するのさ? まさか王様がトブの大森林を一大開拓すると思う?」

 それはない。

 そんな一大事業に金を費やすことは今の王国では不可能だ。

 エ・ランテルの重鎮ということもあり、王国の内部事情にも詳しいリイジーには断言出来た。

 

「だとしたら貴族? ますます在り得ない。あそこは王の直轄領だ。かの『黄金』の姫なら在り得なくはないけど、姫は別に領土を持ってる」

「………………」

「そうなると国に近しい組織しかない。そしてそれが可能なのは現状では八本指しかない」

「む、むぅ」

 リイジーは真剣に思案する。

 仮にそうなら、絶対に止めなければいけないからだ。

 幾らなんでも相手が悪すぎる。

 

「だったら、なんで私達に薬草を売るなんて話を持ってきたんだい?」

「口止め料かな?」

「口止め料?」

「薬草を売るってのは表向きの理由で麻薬を栽培してこの街に蔓延させるのが目的としたら? それを黙ってる見返りに僕達に薬草を供給する」

「………………」

 否定する材料が思い浮かばない。

 現在、八本指は王国の内部に深く根付いている。

 それこそ公然と麻薬を栽培していても、簡単には口出し出来ない程だ。

 

「……確かに」

 そう考えれば、確かに不可解な点にも納得がいく。

 

 アインドラ家に縁のある者ではなく、むしろその逆。

 犯罪組織の幹部という線も十分考えられる。

 

 人は何の意味もなしに行動したりしないと彼は言ったが、それ言うなら見返りなしに人が動くなど稀なことだ。

 開拓村を発展させるのが本当に真実なら、リスクとリターンが釣りあわない。

 何か裏があると考えるのは当然だ。

 

「もしくは脅迫。最近、今迄頼んでいた冒険者さんがいなくなったでしょ? 僕がエンリを慕ってることもばれていてもおかしくない。エンリや家族を人質に取られたら僕には何も出来ない」

「………………」

 そんな馬鹿なことがあるものかと笑い飛ばしたい所だが、それは出来なかった。

 こんな推理が否定できないほどに王国は腐敗しているのだ。

 

「もしそうなら、カルネ村は危険だよ。エンリ達を助けないといけない」

「………………」

 まずい。

 話がまずい方向に向かっている。

 今更ながらにリイジーは反省した。

 孫が首を突っ込もうとしているのは想像以上に危険な相手ではないのか?

 

「私は、かのアインドラ家の傍流じゃないかと思ってるんだがね」

 自分で言っておいて何だが、儚い希望だった。

 英雄的素質を持った美貌の男性がたまたま訪れた村に思うところがあって力を貸す。

 そんな男に村娘は当然、好意を抱く――如何にも酒場で吟遊詩人が歌いそうな話だ。

 だが、現実にそんな人物が現れる筈がない。

 そんな夢を見ていられるほどリイジーは若くなかった。

 

「確かに女性受けはいいかもね。カルネ村をエ・ランテルのような都に変えるだなんて――まるで花の都の異邦人だ。エンリもそんな甘言に騙されたのかもしれない」

 

 花の都の異邦人。

 史実を元にした御伽噺で女性に大変人気があるものだ。

 

 時を遡ること100年ほど前――ここより遥か南にある砂漠に覆われた小国に大層美しい姫がいた。

 その美しさたるや姫を娶ろうとした貴族たちの争いが殺し合いに発展するほどだったという。

 最終的に姫は何と平民と結ばれることになる。

 ある日ふらりと現れた不思議な格好をした男は、砂漠という不毛の地に決して枯れることのない花を咲かせてまわったのだ。

 国のどこにいてもその花が見かけられるようになった頃、姫は不思議な男を城へと招きいれ、その場で男は姫に求婚を申し出た。

 姫はそれを快く了承した。

 不毛の地だと諦めず、黙々と花を咲かせてまわる男の行動が姫の心を射止めたのだ。

 姫と結ばれた男は国の後ろ盾を得て、周囲の砂漠に覆われた国にも花を売ることにした。

 花は小国を繁栄させ、また決して枯れぬ花は砂漠に繁栄した。

 しかし、ある時に竜の怒りに触れてしまい一夜にして国は滅んだ。

 男と姫もその時に亡くなったのだが、まるで彼の後を追うかのように花は一斉に枯れ出したという。

 身分の違いを結びつけた花と、まるで咲いて散るかのような国の顛末から、その都市は花の都と呼ばれることになった。

 

 生まれに違いがあっても、愛を得るために努力すればその苦難すら乗り越えることもある。

 身分違いの恋に身を焦がす者にとっては憧れの御伽噺だ。

 今でも男が眠る地には彼を守るように少なからず花が咲いていると言われており、その花を手に愛を告白すれば必ず結ばれるという伝説もある。

 

 繁栄の花――コナリなんとか、花言葉はなんだったか?

 

 長ったらしい上に不思議な名前だったのでリイジーは思い出せなかった。

 まだ若かりし頃、決して枯れない花を使えば、老いることもないのではないかと散々手を尽くして調べてまわったことがあった。

 当時のアダマンタイト級冒険者にも話を聞いたと言うのに年は取りたくないものだ、と改めて痛感する。

 女性受けする話だけに世に出回ってる書物などは大きく改変されている為、正確な話を知る者は少ない。

 自分が死ねば、元の話を知る者などいなくなってしまうだろう。

 

「早急に彼の素性と村の現状を調べてないといけないな」

「………………」

 孫は自分の意見など考慮に値しないと切り捨てる。

 確かに通りすがりの人間が英雄だったよりは犯罪者である方が身近な話だろう。

 見返りもなく人を助けようとする行為が、そうそう転がっている筈がないのだ。

「でも、相手が八本指なら、生半可な冒険者をぶつけるのは逆効果だね」

 八本指が相手ではこの街のミスリル級冒険者程度では返り討ちにあう可能性が高い。

 だとすれば――手は一つしかない。

 

「僕は今から冒険者ギルドに行って来るよ。王国のアダマンタイト級冒険者チームを指名しようと思う」

 




みかか「愚問だよ、ハニー。ぼくの好みはベイベー、君だけさ!」
リイジー「……キャー素敵、抱いて!」

 今回の見所は頬を赤らめる老婆と男装女子の出会いのシーンです。
 この小説はガールズラブですからね、ショウガナイネ。
 
 保有する特殊技術で化粧まで見破られると某聖王国の王女の肌年齢がばれたり、龍王国で必至にロリ演技をしてるおばちゃんが透けて見えてしまうという悲しい世界になるので今回の運びになってます。

 後は色々大変なンフィーレアさんでしょうか。
 クライムが彼を見たらどう思うんだろという印象です。
 結晶トカゲを追いかけて高所落下やモンスターの群れに突っ込まないといいですね。

 そんな訳で彼も地雷原でのタップダンスパーティに参加。

 今回の小ネタ解説。
 タイトルの「わきあがる疑惑」はある名作ノベルゲームから。
 ここで推理を外すと……?
  


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水底への誘い

「こんにちは、ンフィーレアさん」

「どうも。組合長さん」

 ンフィーレアが蒼の薔薇に名指しでの依頼を行いたいと告げると、受付嬢はすぐに別室へと案内した。

 お茶を出され待つこと数分――部屋に入ってきたのは冒険者組合長のアインザックだ。

 

「受付嬢から聞きました。アダマンタイト級冒険者『蒼の薔薇』に名指しの依頼――しかも、早急にお願いしたいとか?」

「はい。そうなんです」

 アインザックはンフィーレアを一瞥し、彼の深刻そうな表情を見つめる。

 祖母のリイジーとの付き合いから、アインザックはンフィーレアを知っている。

 あまり付き合いはないが、切迫した内容であることは顔を見れば分かった。

 

「勿論、それはかまいません。ただ、可能な限り早くとの事ですが大金になりますよ?」

「かまいません。それよりも、どれくらいの日数がかかりますか?」

 即答したンフィーレアにアインザックは驚きを隠せなかった。

 

「そうですな。まず、魔術師組合の魔法詠唱者に《伝言/メッセージ》を用いて通信した後、魔法的手段を用いてメンバーを移送する。というのが最速の手段になるでしょうな。蒼の薔薇のメンバーは五人ですから金貨五十枚程度が移送費用になります。これなら明後日の今頃にはこちらに到着しているでしょう」

「では、それでお願いします」

 流石はエ・ランテル一番の薬師を祖母に持つだけはある。

 金貨五十枚もあれば、一般人の家庭なら五年は慎ましく暮らしていける額だ。

 

「余程、急ぎの依頼のようですね。彼女らにはその旨伝えることに致しましょう。ちなみに依頼内容を受付嬢には話せず、私に直接話したいとの事ですが、どのような案件か聞かせていただけますか?」

「はい。実は……」

 ンフィーレアはアインザックに先程のことを話し出した。

 

「……と、言うわけで僕は八本指が絡んでいると思うんです」

「………………」

「ですから、アダマンタイト級冒険者の方に力を貸してもらおうと思いまして」

 アインザックは神妙な顔でンフィーレアの話しに聞き入っていた。

「ンフィーレアさん」

「はい」

 次に出た言葉は予想外の物だった。

 

「そういう話であれば依頼を引き受けるわけにはいきませんな」

 

「は?」

「冒険者組合は国家の争いには加担しない。それが不文律ですので」

「ちょ、ちょっと待って下さい! 相手は八本指なんですよ?!」

 リ・エスティーゼ王国最大の暗部であり、最悪の犯罪組織だ。

 

「そんな奴を排除するのに冒険者が力を貸すことがどうして駄目なんですか!?」

「ふむ。ンフィーレアさんは私の話を聞いておられましたか?」

「それはこっちの台詞ですよ! それともエ・ランテルの冒険者組合長は犯罪組織を擁護するようなお立場なのですか?!」

 あくまで冷静なアインザックにンフィーレアは憮然とした態度で返した。

 

「勿論、違いますとも。どちらにも力を貸さない中立の立場です」

「なっ! ど、どうしてですか!?」

「まだまだ、お若いですな。さて、何処から話せばいいものやら……」

 アインザックは困ったように思案する。

 

「仮に王国の冒険者組合が総出で八本指撲滅に尽力したとしましょう。そして、それを成し遂げたとしたら王国はどうなるとお思いですかな?」

「えっ? 今よりずっと良くなるに決まってるじゃないですか!」

「ほう。彼らがいなくなれば平和になると? まさか。王国に更なる混乱を招くことになるでしょうな」

「はいっ? 何を言って――」

「――いいですかな?」

 ンフィーレアの言葉を強引に遮ってアインザックは続ける。

「例えば、ですが――八本指は今でも違法である奴隷商売を行っています。噂によれば金次第では命すら自由に出来る娼館もあるとか……」

「………………」

 おぞましい話しにンフィーレアは嫌悪感を隠せない。

 そして、次に想像したのは用済みになったエンリがそんな場所に落ちることだ。

 そんな想像に、思わず自らの手が拳を作った。

 

「そこにいる奴隷達は不幸なのでしょうかね? 私はそうは思いませんな」

 

 ………………。

 

「組合長。あなた、正気ですか?」

 意味が分からず、ンフィーレアはそう問いかけることしか出来ない。

「正気ですとも。では、この娼館を冒険者組合が潰したとしましょう。そこにいる娼婦達は助けられた後、どうやって生きていくのです? そこにいるから生きていけるのでしょう?」

「ふ、普通に働けばいいでしょう!」

「そんな連中を雇うような働き口などありませんよ。あれば、そもそもそんな場所には落ちない――とも限らないのは、今の王国の悪いところですな」

「………………」

 ンフィーレアは言葉を呑んだ。

 

「だったら教会にでも逃げ込みますか? それで食っていけるなら寒村に住む者達は皆、神を頼ればいいと思いますよ」

「八本指も必要であると?」

「この世に悪の栄えた試しはありません。純粋な悪――生者を憎むアンデッドなどですな。彼らはそもそも社会に存在することが許されません。しかし、八本指は違う。彼らのような組織が存在するという事はその存在が許される理由があるのです」

 この世は別に道理と真実で出来ているわけではない。

 必要悪という言葉が存在するように、やむをえず必要とされるものも存在するのだ。

 噛んで含めるように話すアインザックの姿が、ンフィーレアには教えを説く神父のようにも思えた。

 

「私達は人を守るために創られた武力組織です。その力をどんな理由があったとしても人に向けて振るってはならない。力を持つからこそ、自らに課した規律を守らねばならないのです。それを損なえば、誰かに都合のいい道具に成り下がります」

「………………」

「あくまで理想論ですがね。私も、冒険者組合が完璧に理念を実行出来ている等とは言いません」

「だったら、どうすればいいんですか?」

 王国に頼るのか?

 馬鹿馬鹿しい――こんな頼みを聞いてくれるはずがない。

 

「ですから、こうしませんか? トブの大森林には数十年前、アダマンタイト級冒険者が他の冒険者チームを連れて超稀少な薬草の採取を行ったことがあります。その採取をお願いしたいと」

「えっ?」

「そんな依頼なら喜んでお引き受けしましょう。こちらに来た蒼の薔薇とンフィーレアさんがどんな話をするかまでは私達には関係のないこと。貴方の気が変わって別の依頼をするかもしれませんし、正義感の強い蒼の薔薇がそれを引き受ける可能性もあるでしょう」

「く、組合長さん」

 暗く落ち込んだンフィーレアの顔に希望の光が差してきた。

 

「ここら辺が私の裁量の限度ですな。勘違いしないで頂きたいのだが、私だって別に八本指が栄えればいいとは思ってませんよ」

「あ、ありがとうございます! それでお願いします!!」

「分かりました。では、可及的速やかに依頼を処理いたしますよ」

 

 ンフィーレアが礼を言って部屋を出ていった後、入れ替わるように右隣の部屋に繋がるドアが開いた。

 

「とんでもない話だな。アインザック」

 そこにいたのは魔術師組合長のテオ・ラケシルだ。

「まったくだ。厄介な話しを持ってきてくれたもんだよ」

「随分と似合わない説教をし出すもんだから、一体どうしたのかと思ったぜ?」

 ラケシルはアインザックの肩を小突く。

「仕方ないだろう。私は八本指になど関わりたくない。だが、いずれ街の有力者となる彼の頼みを邪険にしては私の心象が下がる。皆が幸せになれる選択を選んだだけさ」

 悪びれもせずに宣言するアインザックにラケシルは笑った。

 この男はしれっとこういう発言が出来る男だ。

 

「しかし、なんだ――お前、まさか王都の娼館に行ったことがあるんじゃないだろうな?」

「俺にそういう趣味はないよ。そんな話を聞いたことがあるってだけさ」

「今でもそんな娼館があるのか。そこにいる奴は不幸だな」

 ラケシルは不運な娼婦にわずかばかり同情した。

「どうかな。ま、生きてればその内いい事もあるんじゃないか」

「それは持てる者の理屈だよ。さてと、俺はそろそろ魔術師ギルドに戻ることにするよ」

「ああ。またな」

 アインザックはラケシルと見送ってから、時計を見る。

「おっと。これはいかん」

 ンフィーレアという予想外の飛び入りがあったせいでニ十分ばかり時間を過ぎていた。

 相手は十分前には到着しているとの事だったので、悪いことをしてしまった。

 アインザックは左隣の部屋に扉を開けると、待たせていた冒険者に話しかけた。

 

「すまない、モモン君。予定の時間より大分遅くなってしまった。どうしても私でなければ対応できない客が来てしまってね」

「――いいえ。冒険者組合長直々のお呼び出しには感謝していますよ」

 

 そういった漆黒の全身鎧に包まれた男の声は笑っていない。

 拳を作っているガントレットはギシギシと音を立てており、制御できない怒りを必至に押さえ込もうとしているようにしか見えなかった。

 それを見て、アインザックの背中に冷や汗が出てくる。

 

(噂どおりの男だな。待たせたのはこちらが悪いが、そこまで激昂することないだろうに……)

 

 三人組の冒険者チームなのだが、誰一人として朗らかな雰囲気を持つ者はいない。

 隣に座っている美貌の女性『赤い死神』もゾッとするほどの殺気を放っている。

 もう一人、何処かの部族の風習らしく虎の仮面を被った青年も苛立ちを覚えているように見えた。

 

(まさか、私の話が聞こえてたのか? 彼は冒険者組合の体制には思うところがあると聞いてる)

 

 ともかく、アインザックは場の空気を払拭すべく、彼らが最も望んでいるだろう餌をちらつかせることにした。

 

「ま、まあ、待たせた甲斐はあると断言しておくよ、実は君達冒険者チームに来てもらったのは異例の昇格試験を受けてもらおうと思ってね」

「……ほう」

 アインザックは用意しておいた飴玉を並べるが、最後まで彼等が機嫌を良くする事はなかった。

 

 

「ただいま戻りました」

「お帰りなさい。みかかさん」

 

 深夜、ナザリック地下大墳墓の円卓の間――所用もあってみかかは戻ってきていた。

 睡眠不要となった為に深夜は暇であることとアルベドからの定時連絡を相手にするのが面倒になった為だ。

 みかかは基本的にメールや電話、《伝言/メッセージ》などは端的に済ませる方である。

 アルベドはその逆だ。

 とにかく話が長い。

 そういう訳で戻ってきたのだが、戻ったら戻ったで大変だった。

 

 アルベド曰く――。

「みかか様をお見送りしてから今日で丁度一日半。時間にして三十六時間。分にして二千百六十分……秒にして十二万九千六百秒と、言ってる間にも十二秒が過ぎてしまいました! 長すぎる時間だと思いませんか?」

 ――との事。

 

 記録して数えてる所が素敵にドン引きである。

 ちなみにモモンガも同様の事を言われたらしい。

 そこまで愛されてるのは嬉しくもある――などと思ってしまう辺り、少しばかり彼女に毒されてきているのかもしれない。

 

「どうかしましたか?」

「ごめんなさい。つまらないことを考えてました。さっそく始めましょう」

 早めに切り上げて彼女の相手をしてあげようと思いながら、みかかは席に着く。

 モモンガとは定時連絡である程度の情報は共有しているが踏み込んだ内容については聞いていない。

 みかかは最も心配していたから聞くことにした。

 

「早速ですが、モモンガさんは城塞都市に赴いてみてどうでした?」

「街の感想ですか? そうですね」

 特に何もない――と言うのが正直な感想だった。

 強いてあげるならマスクなしで外を出歩けるのは新鮮なことだが、それは別にこの街に限ったことではない。

「つまらない感想になりますが普通ですね」

「普通ですか?」

 みかかは何だか物足りないといった感じだ。

 どうも彼女が期待してたような答えではないらしい。

 

(しまった。女の子が好きそうな店をリサーチするべきだったか? それとも有益な情報か?)

 

「うーん。冒険者になってみましたが案外夢のない職場ですし、街にはプレイヤーの陰は見当たりません。観光名所みたいな所もないのでユグドラシルにもあった普通の中世欧州的な都市というのがぴったりなのかと」

「……そうですか。モモンガさんには街の人がどう見えましたか?」

 モモンガにしてみれば他愛のない世間話なのだが、さっきからみかかの顔は真剣だ。

 それが気になってモモンガも真剣な面持ちで問い返す。

「……どう、とは?」

「私達は異形種のアンデッドです。モモンガさんは人を見ると別に意味は無いけど殺したいとか、苦しめてやりたいとか思いますか?」」

 そういう意味か。

 モモンガはみかかの悩みを理解した。

 

(……どう答えるべきか?)

 

 アンデッドの保有する精神的な攻撃に対する完全耐性の結果か、モモンガは自らの姿が変化したことによる恐怖や違和感を一切感じない。

 そしてアンデッド故に人間に同族意識を持てず、街の人間を見ても虫を見るような感情しかない。

 本来なら同じアンデッドであるみかかも同じ見解を示す所だろう。

 しかし、アンデッドでありながら感情の起伏が激しいシャルティアと同様にみかかの感情表現も多彩だ。

 モモンガは朝に見た光景を思い出す。

 推測するに、みかかは人間に対する同族意識が抜け切れていないのではないだろうか?

 

「そこまでは思ってません。今は虫を見るような感情しかありませんね」

 友人に嘘をつくわけにはいかない。

 モモンガは正直に人間への評価を話すことにした。

 

「モモンガさんにとってはエ・ランテルは虫籠のようなものですか?」

「そうですね。より正確に言うなら蟻の巣でしょうか?」

 虫なら種類によってはモモンガを傷つけることも可能だろう。

 だが、どう足掻こうがエ・ランテルの人間では自分を傷つけることは出来ない。

 そういう意味では城砦都市エ・ランテルに住む人間など蟻程度の価値しかない。

 

「蟻の巣、ですか」

「はい。だから、人間を殺すことを特に忌避してません。徒に殺すような真似はしませんがナザリックの利益に繋がるのであれば容赦なく殺せます」

「……そうですか」

「……ショックでしたか?」

 仲間に嘘はつきたくないので正直な気持ちを話したが、女性に話すような内容ではなかった。

 かつての同胞を何の躊躇いもなく殺せますよと言って、相手に良い印象をもたれるわけがない。

 

 女性は何気ない一言で気分が乱高下する生き物だ。

 それこそ、次の瞬間から虫を見るような目で見られることすら在り得る。

 かつての友人にそんな対応を取られたらモモンガはそれこそ立ち直れない精神的ダメージを受けるだろう。

 だが、そんなモモンガの心配は運が良いことに杞憂で済んだ。

 

「本来ならショックを受ける場面なんでしょうね。でも、今は安心したような、羨ましいような、複雑な気分で困ってます」

「複雑な気分?」

「私も人間が同族には思えません。モモンガさんとは少し見えてる物が違う感じですね」

「見えてる物が違う?」

「はい。モモンガさんは人間が虫に見えると言いましたよね? でも、虫だって生き物ですよね。私にはもっと違う物に見えるんです」

 モモンガは黙って、次の言葉を待つ。

 

「私には人間が飲み物に見えるんです」

「飲み物? あっ……」

 みかかの言葉が一瞬理解できず、一拍置いてからその意味を悟った。

 

 彼女は吸血鬼――血を吸う鬼なのだ。

 

「結構、シュールな光景なんですよ? 人間の頃の認識で言うとお酒の瓶が歩いて話してるみたいな感じでしょうか? 困ったことにこっちの世界に来てから吸血鬼の感性に書き換えられているみたいで、それをおかしいとは思わないんですよね」

 それはモモンガには想像できない光景だ。

 彼女のように世界が見えたら、どう感じるのだろうか?

 

「それもあって血を吸いたくなるんですよ」

「みかかさんは吸血鬼ですからね」

「はい。元が人間だったせいなのか分かりませんけど、人間――特に若い女性の血が好みなんだと思います」

「そうだったんですね」

 

(だからあの人間とあんなに親しそうにしていたのか。別にそんな事をしなくても手はあっただろうに……)

 

 吸血鬼の種族的能力の一つに魅了の魔眼というものがある。

 魅了とはかけられた相手にとって強く信頼できる友人であると認識を誤認させることが出来る。

 ただし、死亡したり大怪我をしたりするような友人がしそうもない命令や友人であっても聞けない頼みには従わない。

 そういった命令を行うときはより強力な精神支配を用いる必要があり、これであればどのような命令でも実行する。

 

 人間種に対する特効性能を有するみかかが魅了の魔眼を使用すると達成値にボーナスがついて魅了と精神支配の中間のような効果が現れる。

 分かりやすく言えば、友人ではなく恋人や家族であると誤認させることが出来る。

 これにより愛する者の為なら己の命すら厭わない人間が存在するように、場合によっては死すら命じることが可能となる。

 

 つまり、みかかはその気になれば簡単に吸血行為を行える筈なのだ。

 能力を用いずに、わざわざ一から人間関係を構築しているのは人の心の残滓がそうさせているのだろう。

 だとしたら彼女の前では人間の扱いに注意を払わないといけなくなる。

 

(冒険者ギルドで聞いた話をどう切り出すか。そして、どう彼女を説得すべきか)

 

「みかかさん。少しお話があるんです」

「なんでしょう?」

「この世界の金銭を得る為、取引にいかれましたよね?」

「あっ、そうでした。どっちが多く稼げるかでモモンガさんと勝負してましたね!」

 無限の背負い袋を取り出す彼女は上機嫌でモモンガの様子の変化に気付けてない。

 

「どうですか? 貴重な薬草を売ったのでそこそこの金額になりましたよ? なんと金貨四十枚です!」

 この世界の貨幣は基本的に四種類。

 銅貨、銀貨、金貨、白金貨で一枚辺りの価値は銅貨が千円、銀貨が一万円、金貨が十万円、白金貨が百万円。

 そうなるとみかかは四百万円を稼いだことになる。

 

「……むっ、負けましたね」

 モモンガも大量のモンスターを狩り殺してかなりの金銭を得たが、金貨にして三十枚ほどだ。

 

「私の読み通り、この世界でも命に関わる物の価値は高いです。とは言え、大部分はアウラとマーレがトブの大森林で採取したものなので私の手柄ではないですけどね。だから勝負はモモンガさんの勝利ということで」

「いやいや、どんな形でも勝負は勝負ですから」

「そうですか? でも、実は肝心の商談の方が破談になってしまうかもしれなくて」

「あれ? そうなんですか?

 モモンガはみかかに営業の相談を受けたことを思い出す。

 

 別に身内だからというわけではないが、みかかの提案は悪くないように思えた。

 互いに利益を得られる関係は商売として最も良好な関係であり取引相手としては申し分ない。

 どちらか一方の力が上だとそれを盾に無茶な要求を突きつけられたりすることがあるからだ。

 てっきり上手くいくと思っていたのに、何かあったのだろうか?

 

「その、現経営者のリイジーさんは乗り気だったんですけど、次期経営者のお孫さんがそうではなかったようで……」

「ああ。そういう事ってありますね」

 営業職のモモンガとしては馴染みのあるパターンだ。

 

「そうなんですか?」

「ええ。一代で伸し上がった会社にはよくあるパターンですよ。二代目が駄目にして三代目が会社を潰すって聞いたことありませんか?」

「……聞いたことはありますが、それって都市伝説の類じゃないんですか?」

「はははっ。いやいや、実際多いですよ」

 モモンガはみかかの不思議そうな呟きに思わず笑った。

 使い潰された慣用句、どこかで聞いたような話というのはそれだけよくある事なのだ。

 

「ちなみにその三代目はどんな感じの人でしたか?」

「う~~ん。ちょっと人見知りレベルが高そうでしたね。ロクに会話もしてないので何とも……」

「ああ。だとしたら、保守的な人なのかもしれませんね」

 経営者は大別すれば二つの分類に分けられる。

 ひたすら手を広げるのか、己の手の内にあるものを守るのか、だ。

 

「その人が内向的な人なら安定を求めるのは王道といえば王道でしょうね」

「それが好条件であっても、ですか?」

 みかかはモモンガに問いかけてくる。

 どうやら彼女には理解しがたい感覚のようだ。

 

「好条件だから尚更なんですよ。そういう人は甘い話には乗りません」

「確かにモモンガさんの言う通りかもしれませんね」

 みかかはモモンガの指摘に感心したように頷いた。

 いかにも床を見つめて黙りこっていた彼が取りそうな判断だからだ。

 

「都市一番の薬師といっても祖母と孫の二人経営なんでしょう? だったら守りに入るのも分かる気がしますね」

「経営者なら店を広げる機会をぶら下げれば食いつくと判断したのですが、どうやら逆効果だったようですね」

「そうですね」

 みかかに足りないものはリサーチ能力だろう。

 取引先の内情を事前に調べておけば結果も変わったかもしれない。

 

「勉強になりました。ありがとうございます」

「いえいえ。営業にはある程度の運も必要ですからそんなに気にする必要はありませんよ」

 そう言ってモモンガは律儀に頭を下げるみかかを慰める。

 

「私も情報収集が上手くいってませんからね。失敗したらしたで、二人で守護者達への言い訳を考えましょう」

 冒険者ギルドの一件で、モモンガ達は素質はあるが怖い人というイメージが定着してしまった。

 皮肉なことだが、モモンガは登録時に名乗ったモモン・ザ・ダークウォリアーの名で呼ばれ恐れられている状態だ。

 現在はダークヒーロー路線に乗り換えるべく鋭意努力中である。

 

「べ、別に私はまだ失敗したわけじゃありませんからね?! お祖母さんのほうはやり手に見えたので何とか契約を取り付けられるかもしれませんし!!」

「いや、どちらかと言うとその連中との取引は断られる方が都合がいいです。その方がこちらも気も楽ですし」

「えっ? それはどうしてですか?」

 みかかは不思議そうに尋ねる。

 モモンガは意を決して打ち明けることにした。

 

「みかかさん。冒険者ギルドで偶然、聞こえたんですが……みかかさんは次期経営者の男に犯罪者だと思われてますよ?」

「………………」

 モモンガから告げられた驚愕の事実に目をぱちくりと瞬かせる。

 それから一拍置いて絶叫した。

 

「はぁああああああああああああああああああ?!」

 

 テーブルを叩いて立ち上がった。

 

「な、なんで?!」

「心当たりはないんですか? 冒険者ギルドでは最高位の冒険者を雇って、カルネ村を調査しに行くって話しになってます」

「あ、ありませんよ! 黙って床とお見合いしてると思ったら、そんな事考えてたんですか! あの、エロゲ主人公!!」

「エ、エロゲ主人公?!」

 モモンガが訳も分からず聞き返すと、みかかはモモンガに足音も荒く詰め寄ってくる。

 

「そうですよ! ペロロンチーノさんに見せてやりたいくらいです!! こーんな髪型した男です!」

 みかかは自分の手で前髪を垂らすように押さえて見せた。

「髪が長いんですか?」

「長いと言うかシェードですよ、あれは! だから、あだ名はエロゲ主人公なんです!!」

「………………」

 なるほど、わからん。

 

「素朴な疑問なんですけど、なんでみかかさんがエロゲの主人公の髪型なんて知ってるんですか?」

「ペロロンチーノさんが強引に貸してくれたんですよ。すっごい昔のエロゲの全年齢版を」

「あ、ああ……みかかさんにも布教してたんですね」

 モモンガに渡されたのは全年齢ではない方だったが。

「はい。一時期借りたゲームの主人公達が何故か判を押したようにあんな髪型をしていたのを覚えてます!」

「へ、へぇ」

 モモンガは借りた――というより押し付けられたのだが結局遊んでいない。

 モモンガにとってはユグドラシルが大事だったからだ。

 

「そんな事はどうでもいいんです! なんで私が犯罪者呼ばわりされないといけないんです?」

「ただの犯罪者ではなく八本指と呼ばれる組織犯罪集団のようです」

 日本風に言えばヤクザ、海外風に言えばマフィアだろうか。

 

「……む、むうっ」

 その言葉に何故か噛み付かんばかりのみかかの勢いが削がれた。

「それだけじゃありません。彼、ンフィーレア・バレアレは《タレント/生まれながらの異能》の持ち主です」

「……なんですって?」

 みかかの顔が一気に真剣なものに変わった。

 

《タレント/生まれながらの異能》

 ユグドラシルにはないこの世界の人間が生まれながらに持っている特殊な力の事だ。

 存在自体は珍しくないそうだが、その力は強力な物から弱いものまで様々である。

 

「能力はありとあらゆるマジックアイテムを使用可能というもので都市内では有名だそうですよ」

「………………」

 みかかは物理職でありながら、スクロールを使用することにより魔法を扱うことが出来る。

 彼はそんなみかかの能力の上位互換の性能を持っているようだ。

 

「便利な能力を持ってるんですね。あの子」

「ええ。だから近いうちに始末しようかと思ってます。なので取引に関しては心配することはありません」

「………………えっ?」

 みかかは思わず詰め寄ってしまったモモンガの顔を見つめた。

 流れ出したような血にも似た色の光が空虚な眼窟の中に灯っている。

 その血色の灯火は激しく燃えるような力強さが感じ取れた。

 

「俺の友を薄汚い犯罪者風情と同列だと語ったんです。そんな虫けらを生かしておく理由はない」

 みかかの聞きなれたモモンガの声ではない。

 守護者達と接する時のモモンガ様の声だ。

 それはつまり、ギルド『アインズ・ウール・ゴウン』の長としての意見を述べているということだ。

 

「モモンガさん? ちょ、ちょっと待って下さい!」

 そういう場合ではないが、みかかは頬が赤くなった。

 いや、ただの暴言にそこまで怒ってくれるのはある意味で嬉しい限りだが、そういう場合ではない。

 彼のためにも自分のためにも、そしてギルドの為にも、そんな事をさせるわけにはいかない。

 

「やはり、止めますか?」

「止めますよ! お気持ちは嬉しいですけど、そんな私に疑いをかけたくらいで……」

「みかかさん。彼は貴方に明確な敵意を持ってます。だから、私は始末しようと思ったんです」

「えっ?」

 その言葉はみかかの想像の埒外にあるものだった。

 

(敵意? 何故? カルネ村で薬草採取が出来なくなるから?)

 

「なんにせよ、俺にとっては――今ここにいる貴方や、かつての仲間を侮辱するような輩にかける情けはありません」

「………………」

 まずいことになったな、とみかかは胸中で呟いた。

 

(……これか。私の感じてた違和感は)

 

 モモンガが本気で怒っている所を見るのはこれで二度目だ。

 一度目は六年ぶりに再会した時の円卓の間になる。

 再会した時から少し不安には思っていたのだ。

 

 六年という月日。

 サービス終了日だから集まらないかというメール。

 誰もいない円卓の間。

 

 そこで一人、声を荒げていたモモンガを見た時、みかかは悟ったのだ。

 

 皆、ここを去ったのだろうと――そして、彼にとってユグドラシルがどれほど大事なものであったのかを。

 音信不通で六年ぶりに会った自分を、少し侮辱されたくらいで殺そうとするほど思ってくれているのが何よりの証だ。

 

(だからこそ私が止めないと。このままじゃ、いけない)

 

「モモンガさん。ンフィーレアは危険である反面、利用価値も高い人物です。出来れば、ナザリックの手中に収めたいと思いませんか?」

「みかかさんが説得するつもりですか? 今の状況では厳しいですよ?」

「きっと誤解があるのだと思います。仮に誤解でなくても一度は警告すべきです。私の知ってるモモンガさんはそういう人でした」

「………………」

 モモンガは基本的に警告を二度もしない。

 何故なら、その人物の選択を尊重するからだ。

 たとえ、その結果がその者にとっての不幸になるとしても。

 

「ギルド長。どうか、みかかにお任せあれ。きっと誤解を解いてみせます」

「………………」

 その台詞はかつてよく耳にした言葉だ。

 自分も仲間もその言葉を信頼し、彼女に任せてきた。

 

「……分かりました。では、みかかさんにお任せします。ただし、みかかさんの勧誘が失敗する、もしくは彼がみかかさんに対して具体的な害を為そうとした時点でこちらで始末をつけますよ?」

「はい」

 今のモモンガを相手に、これ以上の譲歩を勝ち取るのは難しい。

 他人の命をチップに賭け事をするなど、偉くなったものだと自分を卑下してしまうが仕方ない。

 みかかにとってンフィーレアは身も知らない他人だ。

 

(だからこそ分からない。どうして私は敵意を持たれたの?)

 

 みかかには答えが思い浮かばず、首を傾げるばかりだった。

 

 

 城砦都市エ・ランテル共同墓地の地下で秘密結社『ズーラーノーン』十二高弟のカジットとクレマンティーヌは合流を果たした。

 

「漆黒の悪夢ぅ? 何よ、それ」

「知らぬのも無理は無い。つい先日現れたばかりの新人冒険者チームだからな。だが、その実力はあなどれんぞ」

 カジットから聞いた情報にクレマンティーヌは笑った。

 

「それが本当なら、確かにそいつはヤバイ奴かもねぇ」

 殺気だけでミスリル級冒険者を廃業に追い込むなどクレマンティーヌを持ってしても不可能だ。

 

 しかし、噂に尾ひれは付き物だ。

 クレマンティーヌは余り本気にしていない。

 そんな彼女を嗜めるかのようにカジットは続ける。

 

「その場に居合わせた冒険者達も次々と辞めている。眉唾とも思えん」

「うーん。それなら確かに嘘ってわけじゃなさそうだね」

 それにカジットの情熱を考えれば中途半端な調査を行ったとは思えない。

 

「荒唐無稽としか言いようがない話だが、御主ならどう見る?」

「妥当な線なら第四位階……或いは第五位階の幻術に特化した魔法詠唱者、かな」

「……幻術か。確かに特化した魔法詠唱者ならそんな現象を起こすことも可能か」

 

 それが特化系魔法詠唱者の強みだ。

 得意分野を潰されると極端に弱体化するが、得意分野においては頭一つ分飛びぬけた能力を持っている。

 それならば件の芸当も可能となるだろう。

 

「そいつの仲間に虎の仮面被った頭のおかしい奴がいるんでしょ? そいつがそうなんじゃない?」

 だとすれば恐ろしい相手ではあるが、十分に戦える。

 所詮、魔法詠唱者などスッと行ってドスッで終わる脆い相手だ。

 

「カジッちゃんが心配するのは分かるよ? だけど戦士というのはないね。私の知ってる六大神の末裔、神人でもそんな殺気は出せないんだから」

「お前が時折話す眉唾もののアレか。ならば戦士ではなく魔法詠唱者で決まりだな」

「だったら、手伝ってくれるよね?」

 クレマンティーヌが至宝を手にカジットに問いかける。

 その手に握られた物はカジットの悲願を叶える宝だ。

 

 叡者の額冠。

 スレイン法国の最秘宝の一つであり、巫女姫の"証"でもある。

 装備者の自我を封じることで、人間そのものを超高位魔法を吐き出すだけのアイテムを変える神器だ。

 本来であれば、このアイテムを使用できる女の確立は百万人に一人という割合だ。

 

 しかし、この街にはこのアイテムを使用できる男がいる。

 ンフィーレア・バレアレ。

 この街でも有名なタレント持ちの男を生贄にすることで、カジットは夢に大きく近づくことが出来る。

 

「いいだろう。ただし条件がある。お前がその冒険者チームを直々に調べることだ」

 だからこそ、カジットは用心深く動く。

 ここで気持ちが逸れば、全てが無に帰す可能性があるからだ。

 

「……んーいいよぉ、ただし交換条件で私も調べて欲しい奴がいるんだけど」

「何?」

「どこの奴か知らないけど、ちょっと気になる相手がいてね。下手をするとカジッちゃんの儀式を邪魔する奴かも知れないよぉ?」

「いいだろう。そんな相手がいるなら調べないわけにはいかぬ。どんな奴だ、言え」

「すっごい目立つからすぐに分かると思うよ? すっごく可愛らしいメイドちゃんとご主人様だから――念入りにぶっ壊してやりたくなるほどねぇ」

 まるで口が裂けたような笑みを浮かべて、クレマンティーヌはお気に入りの獲物について話し出した。

 

 

 城砦都市エ・ランテルで一番の宿屋といえば『黄金の輝き亭』になる。

 星の明かりだけを頼りに昼に主人が購入した本をシコクは読んでいた。

 猫の手で器用にページをめくっていたシコクがぴたりと止まり、顔を上げる。

 

「何用じゃ? ルプスレギナ」

 シコクの視線の先にあるのは鍵のかかっていない窓だ。

 それが開いて、閉まる。

 常人であれば勝手に窓が開いて閉まるという不可思議な光景に見えただろう。

 

「どうもっす。遊びに来ましたっすよー」

 明るい声と共に美貌の女性が姿を現した。

 ナザリックが誇る戦闘メイド『プレアデス』の一人、ルプスレギナ・ベータだ。

 

「《完全不可視化/パーフェクト・インヴィジビリティ》を使ったのに、あっさりばれたっすね? あっ、今は城塞都市の赤い死神、ルプスと呼んで欲しいっす」

「了解した。で、用件は?」

 途端、ルプスレギナの様子が変わる。

 

「モモンガ様よりみかか様が戻るまでは、こちらに身を寄せるようにと申し付かっております。それと伝令を頼まれました」

「ほう。何じゃろ?」

 

「私もその場にいたのですが、本日ンフィーレア・バレアレがみかか様とカルネ村の調査を冒険者ギルドに依頼しました。二日後には王国のアダマンタイト級冒険者チーム『蒼の薔薇』と呼ばれる五人組がやってくるそうです」

 再び本に視線を戻したシコクに向かってルプスレギナは報告する。

「左様か」

「それとンフィーレアは全てのマジックアイテムを使用可能という強力な《タレント/生まれながらの異能》の持ち主です」

「左様か」

「………………」

 ルプスレギナはチラリとシコクの顔を盗み見るが猫の顔に変化は無い。

 

「どうかしたかの?」

「いえ。ンフィーレア・バレアレの扱いについてモモンガ様とみかか様で御意見が違えたようで……」

「皆まで言わずとも分かった。大方、殺す殺さんの話しになったという所じゃろ?」

 ルプスレギナは頷いた。

 

「まさしく――何故、分かられたのですか?」

「そうあれと望まれたから――ただ、うちら幽霊種の種族的特長に第七感というものがある。さらに上位種になると第七感を超えた阿頼耶識というものに変わるのも関係しとるのかもしれん」

「なるほど。私の獣の勘のようなものですね」

「さもありなん」

 それからしばらく規則的にページを捲る音だけが響く。

 伝令の終わったルプスレギナに興味がないのかシコクは相手をしてくれる気配はなさそうだ。

 仕方ないので積まれている本を一つ取って開いてみるが、文字がまったく読めない。

 どれも文字ばかりの本で漫画はなさそうだった。

 

「退屈なんで、ちょっとお話ししてもいいっすか?」

「かまわんよ」

 本から目を離さず、シコクは答える。

 どうもルプスレギナの変化には興味はないらしい。

 

「この本、こっちの世界の言葉っすよね? 読めるんすか?」

「覚えた」

「はっ?」

「何を不思議がる必要がある? 御主とて時間をかければこれくらいの事出来るじゃろ?」

「いや、凄いっす。尊敬するっすよ」

 異国の言葉を翻訳し、即座に覚えるなど一苦労だ。

 流石はナザリックでも一、ニを争う頭脳の持ち主である。

 

「あー。後、さっきからめっちゃ気になってるんっすけど……」

「うん?」

 ルプスレギナは奥の部屋――寝室に続く扉を指差した。

 

「あの部屋にいるのは村娘ちゃんっすよね?」

「そうじゃよ。カルネ村のエンリ・エモット。今回のガイド役じゃな」

「あー、やっぱり?」

 ルプスレギナは頬を指で軽く引っかいてから、シコクに尋ねた。

 

「ナニやってんすか? あの子」

 

「寝とるだけじゃが?」

「えっ? 寝てる?」

 ルプスレギナは疑わしそうに扉の奥へと神経を集中させ、再度尋ねる。

 

「みかか様の特殊技術で眠らされとるから朝までは絶対起きん。それがどうかしたかの?」

「いや、ほら……私ってワーウルフじゃないっすか」

「うむ」

「狼なんで鼻と耳が利くんっすよ。あっちの部屋から発情期の雌の分泌物の匂いと、頑張ってる声が駄々漏れなんすけど……」

 

「それは難儀な事じゃな。代価にはその羽を、と言う所じゃよ」

 シコクが本の表紙をルプスレギナに向かって見せる。

 そこには純白の羽が黒く染まっていく天使の絵が描かれていた。

 

「どういう意味っすか?」

「これじゃ」

 ふよふよとテーブルに置かれていた小瓶が宙を浮いてルプスレギナの前までやってくる。

 

「うあ!? これ、香水っすね!」

 それを手に取った瞬間、ルプスレギナは鼻をつまんだ。

 

「ああ、すまぬ。御主には匂いがきつかったかの?」

「はい! これってアルベド様がお使いになってる奴っすね。ううっー。香水の類は正直勘弁してほしいっす」

 ルプスレギナが耐えられないとばかり香水の瓶を投げると再び重力を無視した動きで元の場所に戻った。

 

「ちなみに、あれは守護者統括殿が街に向かう際にみかか様に渡したものなんじゃが、思うところあってうちが預かっとった」

「……はぁ。そんな事していいんっすか? アルベド様にばれたら面倒臭いことになるっすよ?」

 ルプスレギナは匂いが移ったのか自分の手の匂いを嗅いで、嫌な顔を浮かべている。

 

「その自慢の鼻でよく匂ってみるがよい。そしたらうちが懐に収めた理由が分かる」

「……? …………?? ………………うあっ、最低っす」

 ルプスレギナは手の匂いをくんくんと嗅いでから、ドン引きした表情で呻いた。

 

「その反応を見るにうちの予測は当たったようじゃな。古来より乙女は愛する相手に菓子を贈るときは髪の毛やら何やらを混ぜたと聞くが……」

「これは血っすね。私みたいに嗅覚に優れた種族じゃないと見逃すほどに希釈されてますけど」

「みかか様は吸血鬼じゃからの。血の匂いはみかか様の気を引く上に、守護者統括殿の種族も相まって極上の媚薬になるという寸法じゃろうよ」

「あー。それを人間で試したんっすね? うあーそれはひとたまりもないっす」

 

 淫魔の吐く息、汗、血液はそれ自体が強烈な媚薬であり、魅了の効果を有している。

 至高なる御方であれば容易に抵抗出来るだろうが、幾ら希釈されてるとは言え、ただの人間が抵抗出来るわけがない。

 その結果が、扉の向こうにあるわけだ。

 この匂いにあの声――さぞかし強烈な淫夢を見ていることだろう。

 

「しっかし……なんでまた、そんな事するっすか?」

「忘却領域に捨てられた廃棄品とは言え、無料で貸し出すわけにもいくまい? レンタル料代わりに実験台になってもらっただけじゃよ」

 その質問にシコクは笑った。

 

「それにみかか様に溺れて貰ったほうが色々と都合がいいからのう」

「……だとしたら、まずいと思うっす」

「何がじゃ?」

「エンリ・エモットはモモンガ様に不快だなって言われたんっすよ。だから始末する運びになると思うんっすけど……」

 

「………………うん?」

 

 みかかが円卓の間で首を傾げている頃、それに同調するようにシコクも小首を傾げて沈黙するのだった。

 




ンフィーレア「蒼の薔薇ーー!! はやくきてくれーーっ!!!!」
アインザック「金貨五十枚になります」
 現在のレートに換算すると五百万円である。
 頑張れ、エロゲ主人公(90年代)
 
 見所はエンリさん。
 彼女は勉強熱心なタチキャラです。
 今回のイベントにより特殊技術を取得。
 夜の運動会の達成値にボーナスがつきます。やったぜ。

 なんか今回、そういうネタ多いですね。
 嫌いな人はごめんなさい。



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吸血鬼の花嫁

今回少し長くなりました(二万二千文字くらい)
後、ちょっとピンク色な展開もあります。
R15で収まる範囲だと思ってますが「こういうのはちょっと」という方は感想下さい。



 円卓の間での会議を終えた後、みかかは階層守護者達の留守中の活動報告を聞く運びとなった。

 シャルティアとアルベドのいつもの口喧嘩から始まり、コキュートスの警備関係の報告、アウラとマーレからは追加の薬草の提供を受けた。

 デミウルゴスはトブの大森林の侵攻に関する詳しい報告と今後の行動指針についての説明だ。

 セバスは第九階層のメイド達の業務報告。

 最後はアルベドの総括になる。

 第四階層のガルガンチュア並びに第八階層のルベドの起動実験も問題なく成功したとの事。

 

 組織運営という観点で言えば順調な運びで、喜ばしいことである。

 

 しかし、早朝、エ・ランテルに戻ったみかかの顔に浮かぶ表情は難しいものだった。

 実際、気晴らしにナザリックに戻ったら思わぬ問題が発生し、それを持って帰ったような状態なのだから仕方ない。

 

(本当はモモンガさんに相談したいことがあったのに……)

 

 まさかンフィーレアが自分に対して敵意を持っており、何故か国を騒がす犯罪者集団の一員と思われているとは予想外だった。

 しかも、モモンガはそんな彼を殺そうと思っている始末。

 

 みかかは決して平和主義者などではない。

 カルネ村の一件でも当初は見捨てることを選択した。

 つまり、モモンガとみかかの思考パターンは似ているのだ。

 さすがにモモンガのように過激ではないが自らの保身のためなら躊躇い無く人を殺せる側だ。

 

(だけど、それじゃいけない。モモンガさんはこの世界に仲間のみんなが来てるかもしれないと思ってる。それが真実だって言うなら人を殺すのは慎重に行わないと)

 

 仮にこの世界にはたっち・みーがいて、彼と再会出来たらどうするのだろう。

 目的のためなら躊躇なく人を殺せます、なんて言葉を彼の前で言おうものならどうなるか?

 正直、考えたくもない案件だ。

 

 だから、みかかはカルネ村の件に続いて、今回もモモンガの意見に逆らった。

 これはこれで気が重い。

 彼が気分を害してないといいのだが……。

 

「……ただいま」

「浮かない顔じゃのう」

《ゲート/転移門》で戻ってきたみかかの顔を見ることなく、本を読みながらシコクは言った。

 薬草の取引で得た資金で手当たり次第に買った本の山だが、どうやら読破間近のようだ。

「シコク。問題が発生したわ」

「差し当たってはンフィーレアの扱いかの?」

「あなた……そんな事まで分かるの?」

 みかかが不思議そうに聞くと、シコクは本を閉じて顔を上げる。

「いや、違う。つい数刻ほど前までルプスレギナが遊びにきておった。彼女から円卓会議の内容は聞いちょるよ」

「ああ……だからか。置いてあったお菓子や果物を食べ尽くしたのはルプスレギナね?」

「うむ」

 城砦都市一番の宿である黄金の輝き亭。

 高い宿泊料を取るだけあって提供されるサービスの質はいい。

 テーブルの上には瑞々しい果実が山と盛られており、菓子折や茶も用意されていた。

 それが今は根こそぎなくなっているのだ。

 

「エンリが残念がるわね……って、あの子は起きてるみたいね」

「うむ。みかか様の睡眠薬の効果時間が切れた途端に目を覚ましてのう。今は風呂に入っちょる――みかか様は散歩に出かけた体になっておるので宜しう」

「分かった」

 カルネ村には風呂がないそうだが、入浴の楽しみを知ったのだろうか?

 それはいい心がけと言えよう。

 身嗜みに気を配り、美意識を持つのは女としては当然の行いである。

 

「ねぇ、シコク」

「みかか様。悪いが、ちょいと失礼」

 ンフィーレアのことを相談しようとしたみかかの発言を遮って、シコクが香水を吹付けてくる。

「ちょっ!?」

 たちまち甘い香りがみかかを包み込む。

 この匂いはいつもアルベドが使っているものだ。

「きゅ、急に何をするのよ?」

「分からん? 愛を知らないみかか様には経験のない話じゃろうから仕方ないかの」

 くつくつと笑うシコクにみかかが困惑するばかりだ。

「な、何が?」

「ただ散歩に出かけた男が他の女の匂いを持って帰ってくるものではないよ。この香りから察するにシャルティア様辺りに抱きつかれたじゃろ?」

「あっ」

 みかかはナザリックで活動報告を聞く時に抱きつかれたことを思い出した。

「……ありがとう」

 自分が設定しておいて何だが、よくそんな事分かったなと思う。

 自分だけなら「……他の女の匂いがする」と何処かで見たことのあるシーンが再現されることになったかもしれない。

 シコクのフォローに感謝するみかかの耳に浴室に続く扉の開く音が聞こえてきた。

 

「あっ! 戻られたんですね」

 朝に強いのか、それとも朝風呂に入ったせいか知らないがエンリは元気そうだ。

「ええ。寝付けなかったから、少し街を歩こうと思って……」

 みかかはくるりと声のした方向を向いた。

 備え付けのバスローブに身を包んだエンリがみかかの瞳に写る。

 エンリは早足でこちらに向かってくると、そのままみかかの胸に飛び込んできた。

 

「えっ?」

 予想外の行動にみかかは反応出来ずに固まった。

「おかえりなさい。アリス」

 エンリはそれを気にすることはなく、溢れんばかりの笑顔でみかかを出迎えた。

 

「………………」

 

 みかかは幾つもの驚きからエンリを見つめるだけで「ただいま」の一言が口から出てこなかった。

 

 確かに自分は何度も名前だけでいいと言ったが、今までのエンリは緊張したのか遠慮していたのかは知らないが様付けで呼ばれていた。

 それが赤くなって照れながらも呼び捨てになったこと。

 妹のネムには甘えてはいけないと言っていたのに、ここに来てネムと同様に甘えてきた事。

 

 それに、何よりも――。

 

「どうかしましたか?」

「……えっ? あっ、いや……」

 具体的に挙げることが出来ないが、何と言うか――輝いて見えたのだ。

「それとも、二人きりの時はミカ、の方がいいですか?」

「そ、そうね。別にそれでかまわないわよ」

「……良かった」

 安心したようにみかかの胸に顔を埋めてくる。

 その行為に鼓動する事を止めた心臓が脈打つような錯覚を覚えた。

 

(な、何? 急にどうしたの? 妙に艶っぽくなったというか、何と言うか……)

 

 同性ながら意識せざるを得ないほどの色気を感じる。

 昨日、散々着飾って化粧をしたせいでエンリの中で意識革命が行われたのだろうか?

 この手の行動に慣れたのもあり、みかかの腕は自然とエンリの体を抱いていた。

 一体どうしたのだろうと、みかかはエンリを観察して息を呑んだ。

 

 湯上りの上気した肌に、水滴を弾く首筋、バスローブから覗く胸の谷間。

 

 止まっている筈の心臓が再び脈打つ錯覚。

 みかかの視線はエンリの身体に釘付けにされる。

 特に肌から透けて見えた血管を眺めていると急激な喉の渇きを覚えてくる。

 

 あア――ホントうニ、なンて、美味しソウ。

 

 暗い目で笑うもう一人の自分。

 人であった頃には在り得なかったその思考、その――嗜好。

 

 これ以上、見てはいけない。

 見れば、もう抑えられなくなる。

 知れば、きっと戻れなくなる。

 

 そして内から生じる衝動を抑えるように目を閉じた。

 

(……ああ、もう。まただ)

 ひりつく喉が飲み物を求めている。。

 この渇きこそ、みかかがモモンガに相談したかった悩み。

 昨晩、ナザリックにあるどんな美酒を飲んでも癒せなかったものだ。

 

 アンデッドの基本的な特徴として飲食不要がある。

 飲まず食わずでも死ぬことはないというものだ。

 しかし、みかかには血を吸いたいという欲求があった。

 

(飲食不要なんだから、私にとって吸血行為は嗜好品を嗜む程度のもの。なら、我慢出来るはず)

 

 そうかしら、ともう一人の自分が囁く。

 確かにユグドラシルではアンデッドが餓死する等という事はなかった。

 だが、そもそも血を吸わない吸血鬼は、果たして吸血鬼と呼べるのだろうか。

 吸血行為はその存在を保つために必要な行為ではないのか?

 

「顔色が悪いです。大丈夫ですか?」

「ごめんなさい。ちょっと意識が遠くなったみたい。落ち着くまでこのままでいさせてくれる?」

「はい」

 エンリは静かに自分の背中に手を回して優しく背中を撫でてきた。

「もしかして……あまり、寝てないんですか?」

 苦しげな息を漏らすみかかにエンリは心配そうに尋ねる。

「そうね。最近、寝つきが良くないものだから」

 確かに睡眠でも摂れば気も紛れるのかもしれないが、生憎と眠ることの出来ない身体だ。

 エンリを心配させまいと嘘をついたが、逆にその言葉にエンリは顔を曇らせた。

 

「それって……私のせいですか?」

 その声は囁くような小さなものだ。

 人間より優れた聴覚を持つみかかでなければ聞き返していたことだろう。

「どういう意味?」

「き、昨日は一緒のベッドで眠ったんですよね? その、一つしか……使われてなかったから」

「………………」

 嘘というのも難しい。

 そういう偽装工作をすることを忘れていた。

 

「そうね。いつの間にかエンリは眠ってしまったから、私がベッドに運んであげて、そのまま眠ったみたい」

「私、その……変じゃなかったですか?」

 みかかの胸板に顔を隠しつつエンリが尋ねた。

 余程ひどい寝相だったのか頬や耳が一気に真っ赤に染まっていくのが見えた。

 それを見て、いつもの様にエンリに対する悪戯心が芽生えてくる。

 

「可愛い寝顔だったわよ。ずっと見ていたいほどにね」

 

 みかかが真っ赤になった耳元に囁くと、エンリは静かに顔を上げた。

 言葉はなく、ただ熱を帯びた瞳が何かを訴えかけるようにみかかを静かに見つめていた。

 それは一人の女が愛しい想いを込めて男を見つめる瞳だ。

 

 ぷつりと糸が切れるような音がみかかの耳に響いた。

 消えかけていた吸血衝動という種火が荒れ狂う炎となって理性を焼き払う。

 みかかにはエンリの真っ白な首筋しか映っていなかった。

 

「……エンリ」

 みかかの手がエンリのバスローブをツツッとなぞり、ローブを結ぶ紐を掴んだ。

「あっ……」

 エンリが何かを言う前にみかかはその紐を引っ張る。

 まるで、その時を待ちわびていたかのように結び目はあっけなくスルリと解かれた。

 

「邪魔よ」

 

 そのままみかかはバスローブの前を強引に肌蹴させた。

 エンリの頬が羞恥で赤く染まる。

 みかかの遠慮のない視線がエンリの裸身を舐めるように見つめた。

「綺麗だわ、エンリ」

 みかかの腕がきつくエンリを抱き締めた。

 それは獲物を逃がすまいとする捕食者の動きだ。

 

「……私、初めてなんです」

 だが、哀れな羊は致命的な危険が訪れていることなど夢にも思わず、むしろ自ら食われることを望むように全身をすり寄せてきた。

「そう。私もよ」

「……良かった」

 エンリはみかかの顔を見つめてから安心したように瞳を閉じた。

 そのまま二人の距離は吐息を感じられるほどに近づいていく。

 

 しかし、悲しいかな。

 

 今の二人はどれだけ物理的な距離を近づけようと、その想いは決して交わることのない平行線。

 

 愛しい人からの愛を求める女と獲物の血を求める化け物。

 

 みかかの口が裂けるように開かれ、その歯が細く尖った犬歯に変わる。

 

「それくらいにしといたらどうかの?」

 

 自分を見つめる強い視線を感じて、みかかは顔を跳ね上げた。

 エンリもみかかの俊敏さに驚き、その視線を追う。

 

「………………」

「………………」

 二人の見つめる先には黒猫が座っていた。

 それを見た瞬間、二人は申し合わせたかのように距離を開けた。

 

「ああ。でも、うちの事が気にならんなら続きをどうぞ?」

 

「……いや」

「……別に」

 まるっきり子供にそういう現場を押さえられた夫婦の気まずい姿がそこにはあった。

 

「わ、私……服を着替えてきますね!」

 いたたまれなくなったのかエンリは肌蹴たローブを直して、そそくさと寝室へと逃げ込む。

 沈黙が支配した部屋でシコクはゆっくりとみかかの足元まで近づいてから問いかけた。

 

「ちょっと一時間くらい散歩にいこか?」

 

「……そういう性質の悪い冗談はやめて頂戴」

 みかかはシコクの視線から逃げるように顔を背ける。

 自分で自分の行動にショックを受けていた。

 あんな、衝動に任せた行動を取ったのは生まれて初めての経験だった。

 シコクの警告――みかかの特殊技術が危険を知らせるほどの殺意で律されなければ、今頃どうなっていたことか。

 みかかは苛立たしさを隠そうともせずに乱暴にソファに座る。

「ありがとう――我ながら情けない限りだわ」

 それから大きくため息を吐く。

 

「少しばかりお疲れのようだの。ちょいと、そこで座って待っておれ」

 主人を宥めるためか、シコクは手早くお茶の用意を始める。

 シコクはお茶を用意する傍らで世間話でもするように先程の行為を問い質してくる。

「危うい所だったの。しかし、何故にそこまで過度な断食などしとるんじゃ? 余程、腹回りでも気になるのかえ?」

「ちっがうわよ! 私はそんな自分の管理も出来ない生活はしてないわ」

「どうどう。自分の管理が出来る女なら、そうカリカリするでない」

 シコクは用意した紅茶に砂糖とミルクを放り込み、ゆっくりかき混ぜながら呟く。

「どうどうって、私は馬か!」

「吸血種の最上位種、始祖の吸血鬼じゃよ。ほれ、どうぞ」

 憤慨するみかかにティーカップを差し出した。

 

「……頂くわ」

 別に茶を飲みたい気分ではないのだが、わざわざ用意してくれた飲み物に口をつけないわけにはいかない。

 みかかはカップを受け取ってひとしきり香りを堪能する。

 何処か薬品めいた香りから察するにハーブでも使用しているのだろう。

 その香りが不思議と心が落ち着いてくる。

 そして息を吹きかけて熱々の紅茶を冷ましてから口をつけた。

 舌に感じるわずかな酸味と蕩けるような甘さ、コクリと飲み込むと程よい熱さが喉を駆け巡った。

 みかかは思わず頬を緩ませる。

 

「何よ、これ」

 飲食不要になってからは食べ物を美味しいと感じることがなかった。

 感覚的に言えば、すでに満腹なのに無理をして食べているような感じだ。

 それなのに、この紅茶は美味しいと感じる。

「驚いた。凄く美味しいじゃない」

「それは良かった。わざわざ用意した甲斐もあったというものじゃな」

 みかかの顔が輝くのを見て、シコクも珍しく邪気のない笑顔を浮かべる。

「この紅茶ならいくらでも頂けそうだわ」

 みかかは熱々の紅茶を一息に喉に流し込む。

 その様子はまるで砂漠で、ようやく水にありつけた旅人のようだ。

 渇きが満たされる至福の感覚――それに気付いたとき、みかかの顔色が青褪めた。

 

「……ちょっと待って。この紅茶は、何?」

「みかか様の御想像通りのものをブレンドした特製の紅茶じゃよ」

「血?! なんてものを飲ますのよ、貴方は!?」

 血を飲むという人であった頃には在り得ない行動。

 その生理的嫌悪感からみかかはシコクを睨みつけてカップを放り投げた。

 カップはシコクにぶつかる寸前で動きを止めて、テーブルに置かれたソーサーの中に収まった。

 

「たわけ。飢えのせいで危うく理性を失ってエンリを喰い殺しそうになったくせに何を考えておる。みかか様にとって血への渇望は種の本能に基づくもの。我慢など出来るわけがなかろう」

「………………」

 過度のダイエットに励む娘を窘める母親のような口調のシコクに対して何の反論も出来ない。

「下手に断食などすると揺り返しに苦労するだけじゃ。茶の一杯では足りなかろう? もう一杯飲むとええよ」

 空になったカップにシコクは紅茶を注ぐ。

 

(……この匂い)

 

 今度のは明らかに含まれた血の量が異なる。

 先程の紅茶はまだ紅茶の体裁を取れていたが、今度のは常人でも分かるほどの血臭がする。

 これは最早、紅茶ではない――紅茶風味の血だ。

 

「ただでも血の狂乱などという悪癖を抱える身。下手に飢えた状態で理性をなくせば、手が付けられんほど暴走する可能性もあるよ? うちは別に困らんが、みかか様はいいのかえ?」

 手をつけようとしないみかかを見て、シコクは冷たく言い放った。

「……分かった」

 みかかは観念してカップを手に取る。

 そして口につけると反応が一変し、一気に中身を流し込んでいく。

「うむうむ」

 食わず嫌いで避けていた物がいざ食すると美味しくて止まらなくなった――そんな主人の反応にシコクは満足げに頷いた。

 

「どうじゃ?」

「美味しいわ。でも、さっきのより少し苦い気がする」

 だが、前より濃厚で、何よりも美味しかった。

 大好物になるのは間違いないと確信するほどの極上の一品だ。

「左様か。だとしたら、獲物が血を流した時の感情が味に関わっとるのかもしれん」

「……そう」

 だとしたら、いざ吸血する際も注意しないといけない。

 どうせ血を吸うのであれば美味しく頂くのが食べる者の礼儀というやつだ。

「念のために聞くけど、これは何処から調達したの?」

「安心せい。人を浚ったり殺したりなどしとらんよ」

 シコクは再びカップの中に赤色の液体を注ぎこむ。

「混ざり物のない純正の生娘の血じゃ。ご堪能あれ」

「……そう」

 今度は少しずつ味わうように飲んでから、みかかは一息ついた。

「……ありがとう。少し収まった」

 喉を通る清涼感に不思議と心も落ち着いていく。

 この感じはまさしく空腹を満たした後に得られる満足感だった。

 

「うむ。冷静さも戻ったところで改めて尋ねるが、そろそろ結論は出たのかえ?」

「……結論って?」

 みかかは意味が分からず問い返す。

「十分な時間は与えた。それと、先程の軽い暴走も踏まえた上でお聞きするが、みかか様はエンリ・エモットをどうしたい?」

「………………」

「可愛がりすぎて壊すんが惜しくなったのかえ? ならば早急に別の花嫁を探さねばなるまい。エンリのように愛でる為のものではなく、みかか様が思う存分好き勝手出来る玩具としての花嫁をな」

「は、花嫁って」

 まさか自分が花嫁を娶ることになるなど想像もしておらず、みかかは思わずソファから腰を浮かした。

「みかか様もお年頃なんじゃから、そろそろ吸血鬼の花嫁が数人おってもおかしくなかろうよ」

「それも数人?! 何言ってるのよ!!」

 シコク曰く『愛を知らない哀れな女』なみかかだが、そういう事に興味がないわけではない。

 だが、決してハーレム願望などない。

 そういうのは、何と言うか……一人の決めた相手であるべきだと思ってる。

 

「何を驚く? うちは吸血鬼ではないから良く分からんが、シャルティア様を見るに吸血鬼の花嫁というのは一人では足りんのじゃろ?」

「い、いや、シャルティアはペロロンチーノさんがそう望んだだけで、あの子を基準に考えない!!」

 ちなみにシャルティアの抱える吸血鬼の花嫁は九十九人になる。

 記念すべき百人目の相手を誰にするか日々悩んでいるという設定だ。

「別に百人いても良かろうに妙に庶民的な感性をしとるのう。だが、うちが気にしとるのは、そういう意味ではないよ。人間一人から摂取出来る血液量などたかが知れとるじゃろう? それで飢えを凌げるのかえ?」

「あっ」

 当たり前といえば当たり前の疑問にみかかは今更気付かされた。

 

 人間は一日に何リットルの水を必要とし、人はどれだけの血液を失えば死に至るのか?

 

 本当にいざという時はエンリに頼るつもりだったが、それで満足するのかという単純なことを考慮してなかった。

 そもそも食事として考えるなら、必要な水分量以上に摂取しないといけないわけで……そうなれば到底、一人では足りるはずが無い。

 

「その様子では気付いておらんかったか。本当に世話の焼ける方じゃのう」

 シコクは大きなため息をついた。

 彼女に言わせれば自らの体調の管理も出来ない主人に見えるのだから、その反応も仕方ない。

「みかか様――御主、ちょっと衰弱しとるよ? さっき栄養補給したが、それでも一割ほどステータスが低下しとるんではないかの」

「はっ?」

 みかかは即座に医療系の特殊技術を発動させて自らの体をチェックする。

 確かに、全体的にステータス低下が起こっている。

 恐ろしいのはゲームでは生命力や体力を示すHPが少し減っているということだ。

 これが無くなればアンデッドでも死ぬことになる。

「嘘。まさか、こんな状態だったなんて……」

「医者の不養生とは正にこの事じゃな。みかか様は良くも悪くも隠れ潜むことに長けとるからのう。みかか様のバッドステータスに誰も気付けてないんじゃろうな」

 それでも、みかかの異常に気付けたのはステータスの管理・読み取り能力が高い支援系の魔法詠唱者の強みか、彼女自身の特性か。

「それでも、これなら今日明日で死ぬものではないでしょう?」

 人間で言えば栄養補給を怠った結果、風邪になったくらいのものだろう。

「おそらくは――と言うか、それこそみかか様の領分。しかも、己の身体のことじゃろうに自分で分からんのか?」

「……さてね」

 吸血鬼の生態など分かるわけがない。

 それこそ、シャルティアに実験に付き合ってもらうか、どこかで吸血鬼を生け捕りにして調べるしかない。

 幸い、この世界にも吸血鬼は存在するようなので余裕が出来たら探してみるのもいいだろう。

 

(……不本意だけど、確かに必要なのかもしれないわね)

 

 吸血鬼の花嫁――吸血鬼に選ばれた哀れな犠牲者であり、その血と肉と魂を捧げるための下僕。

 ユグドラシルのプレイヤーに渡されるエンサイクロペディアにはそんなテキストが書かれていた。

 これからは一定量の血液を定期的に摂取する必要がある。

 ユグドラシルとこの世界では色々な差異がある以上、ユグドラシルでは飲食不要だからという理由で絶食するのは危険だ。

 実際、ステータスが低下しHPが減っているような状態である。

 人であった頃の残滓――良心やモラルに捕らわれていると自らの首を絞める事態になりかねない。

 

(こうしてまた一歩、化け物に近づいていくわけね)

 

 自分の現状を自嘲し、皮肉の笑みが浮かんだ。

 肉体が変化しようが魂までは汚せないと思ってたのに、どんどん妥協しつつある。

 

「それよりも今はンフィーレアをどうにかするのが先よ。放置するわけにはいかないでしょ?」

 幸い空腹感は紛れた。

 ならば、差し迫った問題から解決するべきだ。

「ふむ。モモンガ様は殺したい。みかか様は殺したくないじゃったか。どちらにせよ、難儀な話しじゃな」

 シコクは飲み終えたティーカップを片付けながら呟いた。

「モモンガさん曰く私に敵意があるそうだけど、あの場にいた貴方なら分かるでしょ? 一体私が何をしたって言うのよ」

「……さてな。強いて言うなら、あの小僧が何もせんかったからこうなった気がするがの」

「はっ? それって、逆恨みってこと?」

「逆恨み――まあ、そうなるかの。ただ、言わせてもらうならンフィーレアという小僧は重要な問題ではない。この問題の本質は御二方の人間に対する認識の差じゃ、これを放置しておくととんでもない事になるよ?」

「うっ」

「早いうちに話をつける必要があると思うがの。それとも今回みたく人間の扱いで問題が起きるたびに争うつもりかえ?」

「……分かってるわよ」

 拗ねるみかかを見ながら、シコクは窓に視線を向けた。

 

「それなら話は早い。ちょっくら窓から外の様子を窺ってみ? どう対応するのか、うちは楽しみにさせてもらうよ」

「……なんですって?」

 みかかは表通りに面した窓に向かい、慎重に外の光景を眺める。

 

 外は生憎の雨模様だった。

 この異世界に来て初めての雨だ。

 舗装されていない道路は水捌けが悪いのか大きな水溜りが幾つも出来ている。

 

「嘘でしょ? まさかとは思ったけど……まさか、ね」

 みかかは窓の外を睨む。

 最初は雨宿りをしているのかと思ったが……ンフィーレアが物陰からこの建物の様子を窺っているのが見えた。

 

「雨も降ってるのに感心な事」

 

 でも、会いにいく手間が省けた。

 

「外に出る。戻るまでエンリの世話を頼むわ」

「了解した。お気をつけて」

 

 みかかはストレージから傘を取り出すと、外へと向かうのだった。

 

 

「……くそっ、どうしよう。こんな事をしてる場合じゃないのに」

 ンフィーレアは苛立ちを抑えきれずに一人呟いた。

 

 冒険者ギルドで依頼を終えてから直ぐに自分は大変な見落としをしていることに気付いた。

 彼女はあの男と一夜を共にするのだ。

 間違いがあってからでは遅い……自分の家に泊まるように説得するべきだと思い立ち、ンフィーレアは辺りを駆け回った。

 馴染みのある冒険者からそれとなく話を聞きだし、ようやく黄金の輝き亭に泊まっていることが判明した時には遅かった。

 話をしようにもエンリと接触する機会がない。

 泣く泣く向かいにある宿に部屋を取り、ずっと監視を続けていたのだが……胸を掻き毟られるような思いだった。

 彼女の泊まっている部屋だけが一晩中明かりは消えることはなく一体、何をしているのかと思うと気が気でなかった。

 

(まさか、朝までライラの粉末を使ってたんじゃ)

 

 ライラの粉末とは八本指が大量に生産している麻薬で安価で多幸感と陶酔感をもたらす。

 その反面、依存性が高く副作用があり、大抵の服用者は神官の魔法による治癒が必要なほど中毒性が強い。

 ただ禁断症状は弱く、重度の使用者も暴れたりすることがないため、王国では黒粉はほぼ黙認され続けている状態だ。

 

 薬師として名高いンフィーレアは麻薬がどれだけ恐ろしい薬物であるか知っている。

 

 それこそ中毒・依存性の高い薬物を用いれば薬のためなら何でもするようになるだろう。

 神官の魔法を用いれば中毒になっても癒すことは可能だが、それまでに受けた健康被害まで治るわけではない。

 確実に己の寿命を縮めることになる。

 黄金の輝き亭は宿泊客以外にも食事を提供するレストランの側面もある。

 開店と同時にンフィーレアはそこで待つことにした。

 彼女は朝起きるのが早い――朝食を摂るのも早いと見越しての行動だ。

 当然、狙いは偶然を装ってエンリと会話することである。

 

 しかし、待てど暮らせど彼女は現れない。

 

 街の有名人として知られるンフィーレアと言えど、飲み物だけで粘るのは限界がある。

 結局、先程十杯目の珈琲を飲み終えた所で食事を待つ客がいるという理由で店を出ることになってしまった。

 そして現在に至っている。

 

 元々、研究熱心なせいで睡眠は不規則かつ不足しがちの日々を過ごしているので徹夜は苦にならない。

 しかし、自分は大丈夫だと思っていても、睡眠不足は思考や判断力を低下させるものだ。

 

 ゴブリンを退治するときは近くの狩人より遠くの冒険者を雇え、という言葉がある。

 下手に心得がある者に任せるのではなく、その道の専門家に頼むのが一番であるという意味だ。

 ンフィーレアは薬師であると同時に魔法詠唱者としての側面もある。

 その見た目とは裏腹に街のチンピラ風情では第二位階魔法を使えるンフィーレアには敵わない。

 仮に自身が指摘したとおり八本指が裏で糸を引いてるのであれば、相手はその道のプロだ。

 蒼の薔薇が到着するまで動きべきではないし、下手にンフィーレアが動いて警戒されると彼女らの邪魔をすることになる。

 だが、今迄何の行動も起こさなかった自身への反省、恋する少女の身を案じる気持ち、恋敵への嫉妬――それらが混ざり合ってンフィーレアの焦りと妄想は加速し、こうして下手な行動を起こすという事態に陥っていた。

 

(ああ、エンリ。お願いだから無事でいてくれ)

 

 ンフィーレアは必至の思いで神に祈った。

 その時、黄金の輝き亭がわずかに騒がしくなる。

 何事かと宿の入り口を見れば、ンフィーレアの恋敵である男が傘を開き、外に出てくるのが見えた。

 驚いたことに数人の女性が外を出て行く彼を熱い視線で見送っていた。

 

(……ふん。あいつが八本指の関係者だとも知らずにいい気なもんだな)

 

 確かに彼はそんじゃそこらでは見れないほどの美形だ。

 この国が誇る美の結晶――黄金の姫に勝るとも劣らない存在だろう。

 いずれは国中に知れ渡るほどの人物になるのではないかとすら思う。

 そんな人物に優しくされれば、大抵の女は勘違いして浮かれることだろう。

 

(エンリも、そうして毒牙に……でも、僕が絶対に助け出してみせる!)

 

 ンフィーレアが決意を固める中、彼は上着から四つ折の紙を取り出すと、その紙を縦にしたり横にしたりして辺りと見比べ始める。

 

「………………?」

 地図か何かを見ているのだろうか?

 何度か紙と道を交互に見ると、頷いてゆっくりと歩き出した。

 

 これはチャンスだ。

 今ならエンリと話しをすることが出来る。

 

(……あれ? 何の匂いだ、これ)

 

 雨に塗れた土の匂いとはまったく異なる甘い香り。

 甘すぎる――今にも腐りおちそうな果実の匂いが鼻腔をくすぐった。

 

 追いかけなければ。

 何故だか、ンフィーレアはそう思った。

 

(そうだ! 今から八本指の連中と合流するのかもしれない。あいつが八本指だという確証を得られればお祖母ちゃんに頼んで都市長の力だって借りれる筈だ!)

 

 もしアイツが八本指の大幹部なら、これが切っ掛けになって組織が壊滅なんてこともあるかもしれない。

 

(いける、いけるぞ! そしたら僕は八本指を、王国最大の害悪を潰した英雄じゃないか! エンリだって惚れ直してくれる!!)

 

 ンフィーレアが興奮の余り、浮かんでくる笑いを堪えきれない。

 こうしてンフィーレアはみかかの後をついていくことに決めた。

 

 ………………。

 …………。

 ……。

 

 途中、何度か焦れるほど長い時間、立ち止まって紙を確認しながら――ゆっくりと郊外に向かっていく。

 充分な距離を取り、物陰に隠れつつンフィーレアも尾行していく。

 

(良し良し、いいぞ――どんどん郊外に向かってる)

 

 今歩いてるのは城砦都市の中でも最下層の人間が住むような貧相な住宅街だ。

 まともに雨風を凌げるのかすら不明なボロ屋や廃屋も多く、ここを過ぎれば一般住民は関わることのない世界――いわゆるスラム街に入ることになる。

 辺りからは何の匂いか知らないが、生臭い匂いが立ち込めており、どう考えても彼のような人物が歩く場所ではない。

 きっと彼はこれから仲間と合流するのだろうと確信し、自らの行動の正しさを確信した。

 

(合流したら見てろよ。合流したら……)

 

 合流したら――どうするんだ?

 まるで急に糸が切れたようにンフィーレアは我に帰った。

 

(なっ、なんで僕はこんな事をしてるんだ?)

 

 ンフィーレアは前を行く青年を見た。

 相手の視界に入らないよう背中を追っていたので――分かるわけがないのだけど。

 

「………………」

 冷たい雨のせいだろうか?

 

 彼は今頃、薄ら笑いを浮かべてる気がして。

 

「………………ひっ」

 急に――背筋に、寒気が走った。

 

(うっ……やばい? まずいよ、幾ら何でも危なすぎる!!)

 

 ンフィーレアはとっさに廃屋になっただろうボロ家の影に隠れて、早鐘を打つ心臓の鼓動を抑えるように胸に手をあてた。

 

(落ち着け、落ち着くんだ、僕。良く考えるんだ)

 

 冷静さを失って尾行してきたけど、ここは既に人影もない。

 相手は八本指――と、思われる危険な男。

 こんな所で襲われれば悲鳴を上げても誰も助けになど来てくれない。

 そして、すぐ近くにあるのはスラム街――エ・ランテルの無法地帯だ。

 そこなら死体が転がっていてもおかしくはない気がした。

 

「うん。きょ、今日は……こ、この位にしておこう」

 

 こんな場所を訪れるというだけで十分まともな人間ではないことは分かった。

 やはり、自分の仮説は間違ってなどいなかったのだ。

 ンフィーレアは廃屋の影から彼の様子を窺おうとして目を見開いた。

 

「い、いない?! 何処に!!」

 

 ここは貧相な住宅が虫食い歯のように立つ住宅街だ。

 身を隠すような場所は幾らでもある。

 

「どこに入ったんだ。せっかくここまで追いかけたのに見失うなんて!?」

「ふうん。で、誰がいないのかな?」

 

「………………」

 後ろからかけられた声。

 自分の両肩を逃げられないように掴んでいる人物が誰であるかなど、確認するまでもない。

 いつの間に気付かれず接近したのか分からないが完全にばれていた。

 

 この状況は――まずい。

 

 とてもではないが謝って済む状況じゃない。

 相手を追い詰めるつもりが、完全に追い詰められてしまった。

 

「静かに振り向いてもらえるかな?」

「わ、わわ分かった」

 肩を掴んでた両手の圧力が消えると同時に、ンフィーレアは足を震わせながら振り返った。

 

(駄目だ。この間合いじゃ勝てない)

 

 相手は腰に剣を下げている。

 この間合いでは自分が魔法を放つより早く、相手の剣が自分の身体を貫くだろう。

 

「多分、違うとは思うんだけど念のために聞かせて欲しい――貴方、私を殺そうとしてた?」

「っ?!」

 やっぱり八本指の関係者だ!

 いきなりとんでもない質問をしてくる。

 ンフィーレアは拳を握って、精一杯声を張り上げた。

 

「ち、違う!? こ、殺されるような事をしてる奴なのか、お前は?!」

「……へえ?」

 自分を見つめる瞳の温度が下がる。

 同じ人間の物とは思えない。

 まるで蛇のように冷たくて無機質な瞳――感情というものがまるで見えてこない。

「だったら、どうして尾行なんてした?」

「そ、それは、その……」

 いきなり痛い所を突かれてしまった。

「取引の件で、話しておきた――」

「――嘘はよくないな」

 きっぱりと自分の言葉をぶった切る。

「私は君に宿泊先なんて教えていないし、黄金の輝き亭からここに至るまで、君が話しかけるチャンスなんて山ほど与えたぞ?」

 ンフィーレアに対して見せつけるように紙束を広げる。

 そこには何も書かれていない。

 

(地図を見てる振りをしただけ? 最初から、ばれてたんだ!?)

 

「人気のないこんな場所に来ても君は後をつけるだけだった。君は私と話し合いをする為に追いかけてきたわけじゃないだろ?」

「………………」

 その視線の冷たさにンフィーレアはゴクリと唾を飲んだ。

「仮にも取引相手に対して、その行動は如何なる所存か? 納得のいく説明をしてもらおうか」

 嘘はまずい。

 だが、正直に話しても同じ結果になるだけじゃないのか?

 

「そ、それは……その」

 少しずつポケットに手を伸ばしていく。

 中にあるのはいざという時の錬金術アイテム、粘着剤だ。

 これを使えば、少しの間相手の足を封じることが出来る。

 

(えっ?)

 

 ンフィーレアは彼の視線が自分を見ていないことに気付いた。

 彼は自分の先を見つめている。

 

「ちょっと待った。こんなところで何してんのかなぁ?」

 

 この場の空気には似つかわしくない明るい声がンフィーレアの背中から聞こえてきた。

 

 

「ねえ、そこの少年。こっちに来たほうが良くない?」

「は、はい!!」

 

 ンフィーレアはこの場に現れた乱入者の元に即座に走りこむ。

「………………」

 どうやら知り合いではないようだが、自分の評価はこの中では最低のようだ。

 

(……まったく、運のいい事)

 

 もしも、ンフィーレアが何らかのアクションを起こしていれば痛い目にあってもらう所だが、乱入者のお陰で事なきを得たようだ。

 

(問題はそれよりも、こいつだ)

 

 ンフィーレアに対する苛立ちは露と消えて、みかかの意識は前方の女性に集中する。

 

「わおっ。お兄さん――めっちゃ美人さんじゃん」

 

(ガゼフ・ストロノーフ。あなた、周辺国家最強の戦士じゃなかったの?)

 

 みかかの特殊技術で見た感じだと、ガゼフよりこの女の方が強い。

 幸いなことにガゼフと目の前の女性の実力の差は、みかかに言わせれば誤差の範囲で済む程度の相手ではある。

 だが、一般的に最強の戦士の肩書きを持つガゼフより強い女性がいるのは大問題だ。

 

(……敵感知はひっかからない。魔法による遠隔視、盗聴の類もなし。この女は一人だわ)

 

 先程のンフィーレアの怪しい動きに対応するべく既に武器は抜いている。

 一歩踏み込んで二人を射程圏内に収めてから話しかけた。

 

「そういう貴方もとても魅力的な女性に見えるよ。私の名前はアリス――是非とも貴方のお名前を知りたいな」

「私? 私はクレマンティーヌって言うんだ。よろしくね」

 何がおかしいのかニヤニヤと笑いながら名前を明かす。

 この状態では偽名なのか本名なのかは判断出来ない。

「で、こういう職業の人」

 女はローブの中に手を突っ込んで胸の辺りをまさぐり、ミスリルで出来たプレートを取り出して見せた。

「……ミスリル級の冒険者?」

 昨晩、モモンガに見せてもらった首から提げる冒険者用のプレートだ。

 いわゆるドックタッグのようなもので名前やら登録先の冒険者ギルドが書かれているそうだ。

「その通り」

「……ふうん」

 

(はったり――もしくは偽装工作ね。後者なら身分証明書を偽造出来るわけだから、それなりに大きな組織が絡んでるんでしょうね。面倒なことになってきた)

 

 まずいことはもう一つある。

 ンフィーレアは確実に自分より、あの女を信用しているという点だ。

 ミスリル級冒険者の傍にいることで安心したのか、今はあの女の傍にいる。

 だが、こんな状況でいきなり現れた乱入者など怪しいことこの上ない。

 

(あの女の狙いは――私とンフィーレアのどっち?)

 

「良くないな、こんな少年を苛めちゃってさあ。可愛そうじゃん」

「別に苛めたつもりはないよ。むしろ、私は追い掛け回された被害者だ」

 相手の狙いが読めないので、まずは事実を突きつけて反論する。

「つまり、お兄さんが追い掛け回してるってわけじゃないと?」

「………………?」

 何か含みのある言い方だ。

 この返答は慎重に答えないとまずい気がする。

 

(こいつの狙いは私じゃなくてンフィーレアなのかしら?)

 

 もし仮にンフィーレアが狙いなら、助けることで恩を売るということも可能だろう。

 ただ、この現状では助けても無駄骨になる可能性も十分考えられるが。

 

「私? 私は彼に興味なんてないよ。どちらかと言うとお祖母さんと友好的な関係を築きたいと思ってる」

 ここでまったく興味がないと言えば逆に怪しまれる可能性があるため、リイジーが狙いだということにする。

 まったく素性が分からない者と敵対関係になるのは得策ではないからだ。

 

「僕に興味がないだって? 嘘をつくな!!」

 ここに、相手の素性も分からないのに積極的に敵意をむき出しにしてくる者もいるわけだが……。

「………………はい?」

 訳が分からずにみかかは聞き返した。

「だったらなんでエンリを連れてきたんだ? 彼女に僕の説得をさせようと思ったんだろ!」

「………………」

 

(……面倒くさい子ね。何かうざったくなってきたな)

 

 こちらに敵意を持ってるくせに興味がないと言えば怒り出すとか、どんなツンデレだ。

 

「分かった分かった。どの道、今の状態では良好な取引関係なんて望めない。昨日の話は白紙撤回するよ、もう私は君には関わらない――これで満足かな?」

「えっ?」

 

(いや、何でそこでキョトンとするの? 一体、どう言えば満足するのよ)

 

 みかかにはどの選択肢を選べば好感度が上がるか分からない。

 選択肢を選ばせたら百戦錬磨と自画自賛していたペロロンチーノに助言をお願いしたいくらいだ。

 いや、この場合攻略対象のンフィーレアは男性だから乙女ゲーのヒロイン役の経験もあるぶくぶく茶釜に聞くべきか?

 

「い、いいのか? そうなると僕はカルネ村に薬草採取に行くことになるんだぞ!」

「どうぞ、御勝手に。ただし、訪れても無駄骨になるだけだと忠告しておくよ」

 まるで切り札を見せるようなンフィーレアの口調に、みかかはため息を吐きつつ答えた。

「な、なんで……僕が行くと困るはずじゃ? まさか、そんな……本当に?」

 そんなみかかの様子に衝撃を受けたのか、ンフィーレアはふらふらと後ずさる。

 一体何が原因で噛み付いてきているのか分からないが、これで少しは敵意も薄まるだろうか?

 モモンガに啖呵を切った手前、この男と友好的な関係を築くつもりだが手段を選ばなければどうとでもなる。

 

「ただし、警告しておく」

 みかかは軽く右手の武器を振るった。

 

「次に今日みたいなふざけた真似をしてみろ。今みたいに、あしらいが少し乱暴になるぞ?」

「な、なんでお前の言うことなんか……って、えっ?」

 

 皆まで言うより前に、ンフィーレアの視界に変化が訪れる。

 急にンフィーレアの視界がクリアになったのだ。

 自分の金髪が風に吹かれて散り、雨に塗れた地面に落ちていく。

 

「うわぁっ!! い、いつの間に!?」

 ばっさりとンフィーレアの前髪がカットされていた。

 前髪は綺麗に水平に切り取られている――俗に言う坊ちゃんカットという奴だ。

「驚いた。意外に整った顔立ちじゃないか。そっちの方がずっと魅力的だよ」

 怯えて思い切り後ずさるンフィーレアにみかかは感想を述べた。

 

「……糸、だね」

 クレマンティーヌはわずかに腰を落としながら呟いた。

「御名答」

 

 ンフィーレアの前髪を真一文字に切り裂いたのはブルークリスタルメタルで作った糸だ。

 みかかがユグドラシルを初めて間もない頃に愛用していた暗殺武器である。

 ユグドラシルでは微妙すぎる性能しかないが、それでもこの世界では王国の至宝と呼ばれるアダマンタイトで出来た鎧くらいなら両断出来る切れ味はある。

 

「扱いは難しいけど、使う者が使えばミスリルくらいなら紙のように断ち切るよ?」

「……上等じゃん」

 みかかの挑発にクレマンティーヌが一瞬だけ笑みを消す。

 

(ふうん――あっさり挑発に乗るなんて腕に自信があるって所かしら?)

 

 だとしたら、あの女は墓穴を掘った結果になる。

 この程度の腕で自信があるということは女は現地人であり、またユグドラシルプレイヤーを知らないことになる。

 みかかの顔に嘲笑が浮かび、その顔がクレマンティーヌの顔から軽薄さを消す。

 

「少年――ここは私が相手するからさぁ。とっとと逃げなよ」

「えっ?」

「君を庇いながら戦えるほど甘い相手じゃないんだって、死なれると困るからどっか行っててよ」

「ご、ごめんなさい!!」

 ンフィーレアは背を向けて一目散に逃げ出す。

 

「ふん。女の子を盾にして逃げるなんて白状な話だね」

「女の子? それって私の事を言ってるのかな?」

「勿論。とても可愛らしいお嬢さんじゃないか」

 

 雨の中、クレマンティーヌとみかかが睨み合う。

 渾身の力で引き絞り、今正に放たれようとする矢のような緊張感。

 しばらくにらみ合った後、クレマンティーヌの舌打ちが響いた。

 

「うーん。思った以上に強いね……お兄さん」

 不満げに言い捨てて、ペッと唾を吐いて戦闘態勢を解く。

 

(女の子なのにはしたない)

 

 あまり育ちが良くないのだろうか?

 黙って立っていれば猫のような可愛らしさもあるというのに。

 

「どうして私が強いって分かるの?」

「はぁ? もしかして、私ってば舐められてるのかな?」

 クレマンティーヌは今にも飛び掛りそうな犬のような唸り声で問い返してくる。

「そんな事無い。私は貴方を王国戦士長より手強い相手だと思ってる」

 直情型で考えが読みやすいガゼフと目の前の女性なら、確実に女性の方が難敵だ。

 軽薄で考えなしのように見えるが、冷静に状況を観察する目を持っている。

 

「……それは買い被りすぎじゃない? 私は見ての通りミスリル級の冒険者だよ?」

「もしかして、私も舐められてるのかな?」

 みかかは努めて冷たい口調で聞き返す。

「いい目してるじゃん」

 女性はじっとこちらを見つめてから、ニヤリと笑った。

「お兄さんとは長い付き合いになりそうな気がするよ」

 どうやらみかかの選択に誤りはなかったらしく、殺気も消えて友達と話すような気楽さえ感じさせた。

 

「もしかして、私ってば借りが出来た感じ?」

「んっ?」

「あの少年――ここで始末するつもりだったんじゃないの?」

 傍から見れば、確かにそう見えてもおかしくない。

 みかかは肩をすくめて答える。

「まあ、後腐れなくばっさりやった方がいいんだろうけど……」

「うんうん。その思い切りの良さは嫌いじゃないよ? 人を殺すのって楽しいよねぇ」

 どうやら、この女性――あんまりまっとうな人間ではないようだ。

 とんでもないことを口に出してくる。

 

「やっぱりね。お兄さんはこっち側の人間じゃないかと思ってたんだよ」

「……こっち側?」

「その足運びに気配の無さは尋常じゃない。何より、お兄さんからは血の匂いがするよ。つい数時間前に人を殺してきたばかりでしょ?」

「………………」

 失礼なことを言う。

 ちょっと血を飲んでただけだ。

 

「誰の依頼か知らないけどさ。ンフィーレア・バレアレは諦めてるもらえる? あの少年が私には必要なんだよねえ」

 まるで神に祈るように両手を組んでお願いを口に出す。

 何故だか見ていると不安になってくる笑顔を浮かべる女性だ。

 みかかの特殊技術である敵感知が反応し、彼女の周りを湯気のように赤いオーラが立ち上ってるのが見えた。

 この色は攻撃色――相手は臨戦状態にあるという反応だ。

 

「……分かった。私は彼に手を出さない」

「ありがとー。じゃあ、私があの子を貰っちゃうね。ところでお兄さんの目的は何だったのかな?」

「大した問題じゃない。私の目的はお金だよ」

「そうなんだ。借りも出来たし、お婆さんの方も私が殺してあげようか。そしたら店のお金は全部持っていけるでしょ?」

「それは遠慮しておく」

 普通なら殺しの罪をこちらに被せるつもりかと怪しむ所だが、みかかにはこの女の思考が読めなかった。

 本当に借りを返すつもりで言ってるようにも見える。

 

(……しかし、リイジーさんの方も、ね。つまり、ンフィーレアは殺す気なわけね)

 

 上手く利用すればンフィーレアと友好的な関係を築けそうだが――今は、そんな事どうでもいい。

 

「いや、借りって言うなら――もっと別の形で返してほしいな」

 みかかは傘をストレージにしまう。

「………………」

 目の前から消えた傘を見て、クレマンティーヌのオーラの色が濃くなった。

 みかかの不可思議な行動に警戒を強めたのだ。

 

「別の形って何かな?」

 それでも顔色も口調も普段と変わらないことにみかかは感心した。

 もし特殊技術がなければ彼女が臨戦状態であるなど信じられないだろう。

 

「簡単なことさ。君に――興味があるんだよ」

 まるで世間話でもする気楽な様子で全力で警戒している彼女の間合いを侵食した。

 

「ッ?!」

 クレマンティーヌの顔が驚愕に染まる。

 最大限に警戒していた筈が、少し顔を動かせば互いの唇が触れ合うほどの距離まで詰められたのだから仕方ない。

 そんな可愛らしい反応に、みかかは唇を舐めた。

 

(悪いけどちょっと実験に付き合ってもらいましょうか)

 

 みかかの碧眼が蒼く輝いて、瞬時にクレマンティーヌの意識を支配する。

 吸血鬼の種族的特長である魅了の魔眼――更に特殊技術により特効性能を付与してある。

 まるで猫がマタタビを喰らったかのように腰が砕けた彼女の身体を支えると同時に、みかかは次の特殊技術を発動させる。

 

 薬物精製《トランキライザー/精神安定剤》

 ユグドラシルでは精神系のバッドステータスを回復する薬だ。

 これをスキルで遅効性に変性させてから、彼女の頬に手を触れる。

 精製された薬物が肌に吸収されるのとクレマンティーヌが面食らった顔であたふたと後ろに下がるのは同時だった。

 

「急に何すんのよ!!」

 

(もういい年でしょうに、随分と可愛らしい顔をするのね)

 

 まるで純朴なエンリのような反応だ。

 頬は染まり、瞳は潤み、自分に気があるのが丸分かりだ。

 とてもではないが戦士が間合いを詰められた後に浮かべる表情ではない。

 

「何って……この状態ですることなんて決まってる。唇を奪おうと思った」

「は、はぁ?!」 

 みかかの発言にクレマンティーヌは茹で上がったように顔を紅潮させる。

 

(実験成功。これは使えるわ)

 

 スキルコンボ『魅了の魔眼+精神安定剤』

 要するに単純に魅了してからゆっくり症状が治まるだけなのだが、効果だけを考えれば強制的に一目惚れを体験させたようなものになる。

 

 一度、好意を抱いたものを理由もなしに嫌うなど出来ることではない。

 だからと言って魅了の魔眼を効果時間一杯まで使えば、魔法が存在する世界では怪しまれる。

 だったら、即発動させて即解消すれば怪しまれないのではと思ったのだ。

 魅了の魔眼を有し、自らの手で薬物精製して投与して、ゆっくりと治癒する。

 一連の動作を人間では知覚出来ないほどの速度で行えるみかかだからこそ成立するコンボだ。

 

 これはンフィーレアと友好的な関係を作るためにどうすればいいかと考えて、最終手段として思いついたものだ。

 先程、彼の髪を切ったのも前髪が邪魔して魅了の魔眼が失敗しないようにするためだ。

 

「ハッ。あ、あんた……意外に女にだらしないわけね。悪いけど、私はそんな奴は……」

「私は、本気だよ?」

 冷静さを取り戻そうと必至になるクレマンティーヌの手を取って、自らの両手で包みこむ。

 

(簡単に終わるようじゃ興ざめだわ。追加でお薬を出してあげる)

 

 みかかの身体はそれ自体が薬であり毒だ。

 クレマンティーヌの身体に染みこんだ毒は彼女の心拍数を跳ね上げる。

 今頃、彼女は平静を保てず、鼓動する心臓の音が耳に響いてるだろう。

 毒物による軽い状態異常だが、魅了された後に心拍数が高くなれば体調不良を疑う前に、恋愛による興奮状態だと錯覚するだろう。

 

(強制的なつり橋効果よ――どうか、私に溺れて頂戴)

 

 絶対、逃がしたりしない。

 探していた相手がようやく見つかったのだ。

 後顧の憂いなく実験の限りを尽くせるモルモットという存在を。

 

「本気で、貴方を食べてしまいと思ってる」

「ま、待って。わ、私は……」

「私は、何?」

 みかかが一歩踏み込めば、クレマンティーヌは一歩下がる。

 そして、程なくして廃屋の壁にまで追い詰められた。

「ま、待って」

「嫌」

 抵抗する素振りを見せる彼女の手を取って、壁に押さえつける。

 観念したかのように力を抜いた彼女を見て、みかかは笑った。

 まるで蝶の標本――或いは蜘蛛の巣に捕らわれた哀れな獲物か。

 

「どうか、私に美味しく食べられてくれない?」

「………………は、離して」

 その言葉は消え入るようにか細い声だ。

 

「そう? それは残念」

 

 みかかは彼女の両手首を掴んでいた手をすんなりと離した。

 そして、まるで興味をなくしたとばかりに背を向ける。

 

「あっ……」

 クレマンティーヌが名残惜しげな声が背後から聞こえて、みかかは改心の笑みを浮かべる。

 これ以上は駄目だ。

 ただでも血が足りてない身だ。

 これ以上やると、また理性が消し飛んで折角見つけた玩具を壊してしまう。

 

「それじゃ、私は用事もあることだし失礼するよ」

「なっ……ちょ、ちょっ、待ってよ!」

「しばらくエ・ランテルの黄金の輝き亭に滞在してるから気が変わったらいつでも来てね?」

 みかかは再び傘を差して彼女に背を向けた。

 実験の成果を確認するまでもない。

 あれなら、そう遠くない内にやってくる。

 その時の彼女の顔を想像しながら――みかかは鼻歌交じりで帰路に着くのだった。

 

 

 みかかが去って三十分と少し。

 ようやく魅了の効果が消えたクレマンティーヌは押し付けられた壁から背を離した。

 しかし、追加で処方された毒のせいで心拍数は未だ収まっていない。

 早鐘を打つ胸の鼓動がクレマンティーヌから冷静さを取り戻させるのを拒んでいた。

 

(あ、在り得ない。私が、何で、あんな……)

 

 一目惚れ――自分の頭に浮かんだ言葉を頭をぶんぶんと振って否定する。

 

 自分が誰かを愛するなどある筈がない。

 愛なんてものはこの世に存在しないのだ。

 

 愛し合う家族を、恋人を、何度も責め殺してきた。

 血の絆や愛などという幻想を死への恐怖と苦痛で容易に駆逐してきた。

 

 だから、クレマンティーヌは知ってる。

 愛などという言葉は醜い欲望を綺麗に見える何かで覆ってるだけの幻想だ。

 

(あの美人さんが予想外の腕をしてて気も合いそうだから……ちょっと、そんな気になっただけよ)

 

 それは断じて愛ではない。

 ただの肉欲――浅ましい欲望だ。

 クレマンティーヌは今の自分の状態をそう結論付けた。

 

 自分が女であることは否定出来ない事実だ。

 極々たまにそういう気分になることもある。

 しかし、それは大抵気の迷いというやつで、気晴らしに人を酷く責め殺せばすっきり収まる。

 今まではそうだった。

 

 しかし、今回は違う。

 いつまで経っても胸の鼓動が収まらず、息苦しい。

 そしていつまでも彼の姿が脳裏から離れてくれない。

 

 しかし、この感情を言葉で表すとしたらそれは――。

 

「くだらない。私はそんな物は信じない」

 

 こういう時に自分が男であればと思うことがある。

 こんな時、男なら欲望の赴くままに女を食い物して、この気持ちを発散させているのだろう。

 

「ああ。まったく……気分悪い」

 あの男を殺せば気も晴れるだろうか?

 いや、あれは手強い――少なくとも自分の間合いを簡単に詰めてくる相手にその場のノリで戦いを挑むのはまずい。

 

「良かった! 無事だったんですね!?」

「あんっ?」

 一般階級の住宅街が見えた頃、自分に声をかけてくる者がいた。

 

 ンフィーレア・バレアレ。

 クレマンティーヌの目的の相手だ。

 本来であればカジットとの取引で、クレマンティーヌは『漆黒の悪夢』と呼ばれる冒険者を調べに行くところだった。

 それが、途中で自分の目的であるンフィーレアを見つけたので尾行していたのだが――まさか、こんな事になるとは。

 

「大丈夫ですか? お怪我は?」

「あーうん。私は大丈夫」

 心配してくるンフィーレアに適当な返事をする。

 どこか覇気のないクレマンティーヌの声に、ンフィーレアは項垂れるように頭を下げた。

「危ない目に合わせて申し訳ありませんでした」

「いや、いいんだけどさ。結局、どういう話だったの?」

「それは……いや、危ない所を助けてもらった恩もあるので話さないわけにはいきませんね」

 ンフィーレアは道すがら今までの経緯をクレマンティーヌに説明することにした。

 

 ………………。

 

「――と、言うわけなんです」

「なるほど。八本指ね」

 確かにクレマンティーヌの推測とも合致する点は多い。

 あの気配の無さは、まっとうな戦士の技ではない。

 自分も知らない使い手であることからイジャニーヤと呼ばれる暗殺者集団の一員かと思ったが八本指という線も捨てきれない。

 

 王国の一大犯罪結社であり、クレマンティーヌが元々所属していたスレイン法国でも目の敵にされている組織だ。

 スレイン法国は人間種の繁栄を願う大国である。

 そんな彼らに言わせれば自分の国を食い物にする八本指など亜人達に勝る劣らずの外道ということになる。

 そもそもスレイン法国は王国の愚鈍さに嫌気が差しているため、王国には秘密裏に危険な亜人達を始末するなどの助力は行っていない。

 法国がいくら人間種の安定に力を尽くしているとはいえ、くだらないことの為に消費するような人材は余っていない。

 そういうわけで王国を潰すために、八本指には好き勝手にやらせているような状態だ。

 

「はい。僕はそう思ってました――だけど、今日の話を聞いて間違いだったんじゃないかと」

「いや、当たってると思うよ」

「えっ?」

 ンフィーレアはどういう事かとこちらを見つめてくる。

「君の髪を切ったのは髪の毛より細い糸なんだけどさ。あんな特殊な武器を扱うような奴って、どうしたって有名になるんだよね」

「もしかして、相手に心当たりがあるんですか?」

「まあね。私も顔は見たこと無いけど、そいつの噂くらい知ってる。あれは八本指最強の戦闘部隊で知られる六腕のメンバー『空間斬』のペシュリアンじゃないかな」

 全身鎧に包まれた素顔は誰も知らず、その技は目標を空間ごと切り裂くと言われる戦士だ。

 

(風花め。幾ら相手してられないとはいえ、あんな強者を見落とすとか怠慢だわ)

 

 既に出奔した国の組織に対して毒づく。

 実際、六腕のメンバーはそれぞれがアダマンタイト級冒険者に匹敵するといわれるほどの使い手である。

 この国の戦士で自分とまともに戦えるのは五人だと聞いていたが、ここに来て六人目の登場というわけだ。

 

「八本指最強の戦闘部隊?」

 自らが尾行した相手がどれだけ危険な相手か分かったンフィーレアは青ざめた顔をして言った。

「そう。だから近づかないほうがいいよ」

「あ、ありがとうございます!」

「はい?」

 ンフィーレアの顔が喜びに満ちるのを見て、クレマンティーヌは首を傾げた。

 ンフィーレアに言わせれば、九死に一生を得たが、相手の正体が分かった状態だ。

 これを都市長や蒼の薔薇に伝えれば、調査も進むと思ってのことである。

 

「……あのさあ。ちょっと聞きたいんだけど、まだあの美人さんに関わる気?」

 クレマンティーヌの声は自分でも驚くほど冷たかった。

 今回は相手は退いてくれたが、次に彼の邪魔をすればンフィーレアは殺される。

 それでは自分の計画が潰れてしまう。

 だから、気分を害したのだ。

 

「……怒ってますよね?」

「当たり前だね」

 すんなりと本心が口から出た。

「ほ、ほら……折角助けたのに死なれると困るじゃない?」

 その後で慌てて説明を付け足した。

 決して、あの男を煩わせる輩が気に入らないとかそういう事ではない。

「大丈夫です。もう危ない目に合う様な真似はしません。それに僕にも考えがあるので……」

「待った」

 クレマンティーヌはンフィーレアの手を取った。

 

「考えって何? それって、あの美人さんをどうにか出来る手段があるって事?」

「はい」

「………………」

 はったりではなさそうだ。

 こいつにはあの男の首に縄をかける手段が存在するのだろう。

 

「……あのさ、手伝ってあげようか?」

 

 決して、あの男を助けたいとか、会う口実が出来るとか――そういう事ではない。

 あっさりと間合いを詰められたが、自分は自他共に認める一流の戦士。

 借りを返すなら、こういう形で返すのが相応しい。

 女としてではなく、戦士として認めさせてやる。

 

「でも、いいんですか?」

「勿論」

 クレマンティーヌの声は誰が見ても分かるくらいに上機嫌なものだった。

 

 




シコク「ちょっと一時間くらい散歩にいこか?」
エンリ「一時間じゃ足りないので三時間で!!」
みかか「何言ってるの、エンリさん?!」

 2017年最後の更新です。
 本年から連載を開始しましたが、今年一年ありがとうございました。
 読者の方、誤字連絡下さる方、感想を書いてくださる方に感謝です。

 来年も宜しくお願いします。



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それぞれの思惑

 

「……雨か」

 外の雨音を聞きながらモモンガはぽつりと呟いた。

 ここは城砦都市エ・ランテルにある冒険者御用達の宿屋だ。

 雨雲のせいで太陽は隠れており、薄暗い部屋は暗闇に包まれている。

 普通なら灯りを用意しなければならないが、ここにいるモモンガ、パンドラズ・アクター、ルプスレギナにとってはこの程度の闇で視界を遮られることはない。

 現在この宿はモモンガ達を恐れて泊り客はいなくなり貸切状態となっている。

 宿の主人には申し訳ないがモモンガは密かにこの宿のことが気に入っていた。

 

「いよいよ、私達の勇名を轟かす時が来た。今日という日は我らにとって記念すべき日となる」

 パンドラズ・アクターとルプスレギナは静かに頷いた。

 

 今日の冒険者の仕事はいつもと違う。

 冒険者組合からの指名の依頼で、エ・ランテルでは名の知れた商人の荷物運び兼護衛の仕事だ。

 この依頼にはこの街で最高峰のミスリル級冒険者チーム『虹』も同行することになっている。

 護衛はミスリル級冒険者主導で動き、モモンガ達はあくまで荷物運び係だが、単純に荷物運びをして終わりにするつもりはない。

 道中でアウラによって捕らえられたモンスターがモモンガ達一行に襲い掛かってくる手筈になっている。

 モンスターの名前はギカントバジリクス――ミスリル級冒険者では到底太刀打ち出来ない強さを持つ相手だ。

 街でも最高峰の冒険者チームでも対応できない相手を颯爽と倒し、悪評を覆すほどの名声を得るという算段だ。

 

「この依頼は私とパンドラズ・アクターで向かう。ルプスレギナはここに残り、ンフィーレア・バレアレの動向を探れ」

「ハッ」

 ルプスレギナは人狼という種族的特性に加えて《完全不可視化/パーフェクト・インヴィジビリティ》の魔法を扱える為、追跡行為もお手の物だ。

「奴がみかかさんに何らかの危害を加えようとしたことが発覚した時点で私とみかかさんに連絡しろ。その後は分かってるな?」

 ルプスレギナは神妙に頷いた。

 その時は遠慮会釈無く殺す。

 殺した後はナザリックに遺体を持ち帰って利用する手筈だ。

 

「モモンガ様。少し宜しいでしょうか?」

「何だ?」

「その、そのようなことがあるとは思えませんが……みかか様がンフィーレアの殺害を妨害された場合はどうすれば?」

 おずおずと尋ねてくる。

「そんなに怯えるな。お前の心配は分かるぞ、ルプスレギナ」

 今回、意見は統合せずにモモンガとみかかで争う形になっている。

 みかかが彼と友好的な関係を築くか、彼がみかかに対して明確な敵対行為を起こした時点でその命運は決まる。

 

 期限は定めていないが、目安となるが明日の夕方。

 その頃には王都からアダマンタイト級冒険者チーム『蒼の薔薇』が到着するらしい。

 蒼の薔薇に調査を依頼すればナザリックに対する明確な敵対行為と見做してンフィーレアを処分する。

 みかかはこの調査を行うのを止めさせる必要があるわけだ。

 

「勝負の結果は受け入れる。彼女はそれを反故にするような真似は決してしない」

「も、申し訳ありません!!」

「気にする必要はない。お前とシコクは今回の作戦に関しては中立の立場だ。ただ勝敗の行方を観察していればそれでいい」

「ハッ。お任せ下さい!!」

 ルプスレギナが深々と頭を下げる。

 

「モモンガ様。お聞きしたいことがございます」

「……何だ?」

 その言葉にモモンガは無いはずの心臓を掴まれたような嫌な気分になった。

 ルプスレギナもまた他のシモベと同様にモモンガが天才的な策略家であると信じて疑わない。

 その為に事あるごとに質問をぶつけてくる。

 右も左も分からない新入社員が先輩に質問してくるようなもので仕事熱心だと感心する反面、勘弁してくれよというのがモモンガの素直な気持ちだった。

 

「カルネ村の襲撃事件で一番最初に助けた村娘がンフィーレア・バレアレと繋がりがあったのはモモンガ様の策略なのですか?」

「当然だ。彼が《タレント/生まれながらの異能》の持ち主であることも知っていたとも」

 モモンガは自信に満ちた声で断言して胸を張った。

 それを見てルプスレギナは「おおっ」と声を漏らし、尊敬に満ちた目でモモンガを見つめる。

 モモンガは冷静さを装いつつ、シモベ達が望むアインズ・ウール・ゴウン――至高の四十一人のまとめ役を演じる。

 それが結果的に事なきを得たとはいえ、友人を危険な場所に向かわせた事への贖罪であり、自分を諭してくれた友への返礼だからだ。

 

「ですが、みかか様はンフィーレアが我々が危険視するほどの特殊な技能を保持していることを知らなかったようですが?」

「それは……余計な先入観を与えず彼女の好きなようにさせたいと思ったからだ。私達は人間に友好的に接するつもりだが、別に媚びたりする必要はない」

「なるほど、みかか様を想っての行動だったのですね」

 ルプスレギナは納得したように頷いてみせた。

「確かに偶然と呼ぶにはあまりにも出来すぎた展開です。であれば――交渉が決裂することも予測されていたのでしょうか?」

「無論だ。みかかさんには悪いが、私は交渉が決裂するだろうと踏んでいた」

 

(どうして、決裂したかまったく分からないけどな!!)

 

 毒を喰らわば皿まで、なんて言葉がある。

 モモンガは半ば自棄になりながら、選択肢を選んでいく。

 

「そう、ですか」

 ルプスレギナは悪意に満ち溢れた笑みを浮かべた。

「ですが、友好的な関係を築くほうが利用しやすいのでは?」

「こちらに敵対的である方が遠慮の必要がなくなるだろう?」

 モモンガもニヤリと――骨の顔なので笑えないが、そういう雰囲気を出して見せた。

 気分的にはインサイダー取引を持ちかける業者のようだ。

 

「私は、彼女ほど人が好きではないからな」

 モモンガはぽつりと呟いた。

 

 ユグドラシルであれば、探索役の彼女を斥候に出すことに躊躇いはなかった。

 しかし、斥候というのはアイテムロストという廃人プレイヤーにとっては悪夢でしかないリスクの高い役割を担っている。

 だからといって「リスクがある」という理由で探索役の彼女を前に出さないなど彼女に対する無礼でしかない。

 

 だが、今は違う。

 

 これは現実だ。

 プレイヤーやNPCに対する蘇生手段を試していない現状では、死は終焉である可能性を否定できない。

 確かに自分達は弱者ではないようだが、探索役として彼女を前線に出すのはモモンガもどうかと思っている。

 人に優しい彼女を前に出すのは、いざという時にまずい結果を招く可能性がある。

 

「だから、人間が少しでもみかかさんの不利益となるようであれば排除する事に躊躇いなどない」

 自分の友人を守る為なら、自分はどこまでも残酷になろう。

 万が一の可能性すら見過ごしはしない。

 自分がシモベ達が思い描くような支配者でない以上、いつかどこかで必ず失敗する時が来る。

 その失敗で自分や仲間、そして仲間達が創ったシモベ達を失うような真似になることだけは避けねばならない。

 

「それは――エンリ・エモットであっても同じですか?」

「エンリ・エモット? ああ、今回の協力者である人間の娘か」

 何故そこであの村娘が出てくるのか分からなかったが、モモンガは断言する。

「関係ないな。協力者であろうと人間であるならその価値に大差はない。みかかさんに危険が及ぶなら切り捨てるまでだ」

「まったくの正論かと」

 ルプスレギナは瞳に安堵の色を滲ませ、隣にいたパンドラズ・アクターも小さく頷いた。

 思わぬところで二人が神妙な反応をしたことにモモンガは焦りを覚える。

 

(協力者も簡単に切り捨てるという発言は非情過ぎるか? いざとなれば部下を簡単に見捨てる最低な上司だとか思われたとか?)

 

「私の心配はどうやら杞憂だったようです」

「そ、そうか。思う所があるのなら進言していいのだぞ? それを責めるほど狭量ではないつもりだ」

「ハッ。その、進言ではなく……愚かな私ではモモンガ様の策略が理解出来ない所が多々ありまして、どういう事なのかお聞きしても宜しいでしょうか?」

「……ほほう」

 それはモモンガが飛び上がって喜ぶほどの素晴らしい質問だった。

「そうか。ならば――パンドラズ・アクターよ。元の姿に戻れ、その上で発言を許可する」

「《Wenn es meines Gottes Wille/我が神のお望みとあらば》」

「………………」

 

 ソレ、前ニヤメロト言ッタヨナ?

 

 開始一秒で存在しない胃が重くなったような重圧を感じた。

 そして、さりげなくルプスレギナがパンドラズ・アクターから距離を取ったのが地味にショックだった。

 

「お前はどうだ? 私の策略を読みきれたか?」

「お任せ下さい」

 無駄に動きのあるポーズを決めながら、パンドラズ・アクターは答えた。

 もし、パンドラズ・アクターに歯があったならキラリと光ってそうだが、今の状態では微妙に口を開けた間抜けなポーズにしか見えない。

「ならば、答えてみよ。お前の言葉が真実かどうか試してやろう」

「ハッ!」

 軍靴の踵を鳴らしてパンドラズ・アクターは敬礼して見せた。

 ルプスレギナが「モモンガ様の深遠なる計略が汚された気がするっす」と呟くのが聞こえてくる。

 

「ルプスレギナよ。パンドラズ・アクターに疑問に思うところを質問してみるといい」

「ハッ。で、では失礼して……ええっと、ンフィーレアが敵対的な行動を取ってくれれば遠慮がいらなくなるってのは分かるんですけど、だったら別にエンちゃんを助ける必要なんてなかったんじゃ?」

 モモンガはルプスレギナの軽い口調に驚く。

 動物は上下関係を見定める生き物と聞くが、ルプスレギナにとってパンドラズ・アクターはタメ口オッケーな関係ということだろうか?

「違います。敵対的な関係となる為にエンリ・エモットは必要だったのです」

「うえっ? い、一体どういう事っすか?!」

 混乱するルプスレギナを見て、パンドラズ・アクターは笑った。

「みかか様の優しさはナザリック外の人間にすら及びます。そうなると我々が利用するにはみかか様が許容出来ないレベルの敵対関係となる必要があるからです」

「確かにそうっすね。でも、なんであの村娘が――あっ! もしかして……エンちゃんって」

「その通りです」

「なるほどーそういう事だったんっすね」

「……?」

 納得したのか頷くルプスレギナを見て、モモンガは訳が分からないと心の中で頭を捻る。

 

「後は彼にはなるべく騒ぎを大きくして欲しかったというのもあります」

「えっ? それは何で?」

 モモンガもルプスレギナと同意見だ。

 自分達は異形種で人間の支配地域に潜入しに来たのだ。

 それなのに騒ぎを大きくするなど在り得ないことだ。

「お忘れですかメイドのお嬢様。私達がここに来た目的を!」

「お、おじょう……」

 お嬢様呼ばわれされたことに、ルプスレギナは唇を震わせる。

 しかし、すぐに冷静さを取り戻して淑女然とした笑顔を浮かべて答えた。

「まず著名な冒険者としての地位を築き上げること。そしてプレイヤーと呼ばれるモモンガ様と同格の存在を探すこと。最後にこの世界の金銭を得る為ですわ」

 先程までの気楽な口調が鳴りを潜めているということはお嬢様呼ばわりされたことに思うところがあるのだろう。

 

「では、それを踏まえた上でお聞きしましょう。ンフィーレア・バレアレの能力は危険かつ利用価値があるにも関わらず、放置されてる現状をおかしいとは思いませんか?」

 その言葉にモモンガの意識に電流が走った。

 わざと餌をちらつかせて寄って来た相手を殺す。

 アインズ・ウール・ゴウンでも散々利用した手口だ。

 確かに、それなら彼が初対面同然のみかかに敵意を向けるのも理解出来る。

 

「あの男は街でも有名だそうですね。そうなると彼に対して何らかの行動を行えば、必ずその注目を浴びる事になる。それならカナリアとして扱うのも一興ではありませんか?」

「確かにそうですが、その様子ではモモンガ様はンフィーレアが罠であることが分かっていた筈です。ならば、何故みかか様が接触するのを放置なされたのですか?」

「分かりませんか?」

「はい。先のカルネ村の事件――それがモモンガ様の計略の内だったとは言え、モモンガ様はみかか様のことを案じておられました。そのモモンガ様が此度に限って何の心配もしないどありえません」

「そこまで分かっているのなら答えは目前ですよ? ンフィーレアの背後にプレイヤーが存在するかもしれません。しかし、存在したとしても我らと同格の力や知識を持つギルドではないと断言出来ます。だからこそ、御二方は彼を殺す殺さないの話をしているのです」

 唐突に確信を告げるパンドラズ・アクターにモモンガとルプスレギナは絶句するしかない。

 

「な、何故? どうして、そんなことが分かるのですか?」

 話の展開が理解出来ずにルプスレギナは戸惑う。

 

「あらゆる種類のマジックアイテムが使用可能――恐ろしい能力です。例えば、我らがギルドの象徴であるスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを彼が手にすればプレアデスである貴方達姉妹では束になっても勝てないでしょう」

「ぐっ、た、確かに仰るとおりです」

 その言葉にルプスレギナは唇を噛んだ。

 ギルド武器であるあの杖の能力の一つに《サモン・プライマル・ファイヤー・エレメンタル/根源の炎精霊召喚》というものがある。

 召喚される根源の炎精霊の強さは八十七レベル――どう逆立ちしてもプレアデスでは敵わない。

 

「仮にモモンガ様やシコク様が持つ指輪《シューティングスター/流れ星の指輪》で彼の能力を奪えるとすれば、彼の価値はさらに激変することになる」

 もし、この能力をセバスやコキュートスなどの生粋の戦士職のものが得たらどうなるか?

 スクロールとはいえあらゆる魔法を使用することが出来るようになり、戦術の幅が格段に広がることになる。

 魔法職のモモンガもスクロールで本来なら使用出来ない信仰系魔法を用いることが可能となり、即座に回復できるという大きなメリットがある。

 

「これらの点を考えれば、彼をカナリアとして使い潰すのは惜し過ぎる。それにも関わらず彼がこの年まで無事に生きていけた事こそ周辺国家に我らに匹敵するギルドが存在せず、また彼の能力をこの世界の人間では生かしきれないという証拠となるわけです」

「な、なるほど。たった一つの情報からそんなところまで読まれていたのですね」

 ルプスレギナは感動の余り身震いしている。

「しかし、だからと言って油断をしてはいけません。何故なら、我らとまったく同時期に幾つものギルドがこの世界にやってきた可能性があります。故にここで静観するのは愚策と判断し、此度の経緯に至るというわけです」

「………………」

 確かにモモンガもプレイヤーは近くに存在しないのではないかと思っていた。

 なんと言うか、余りにも静かすぎたのだ。

 

(よく考えろ。パンドラズ・アクターの説明に不十分な点はないか?)

 

 大きな矛盾はないと思うし、確かに納得のいく説明だと思う。

 これは――大いなる前進ではないだろうか?

 それなら大手を振って行動することが可能になる。

 

「これで理解は出来ましたか?」

「モチのロンっす! それならこの街は私達の玩具箱同然――こう、心の内に滾ってくるものがあるっす!」

 ルプスレギナがはしゃぐ中、モモンガも自らの幸運に心がざわめくのを感じる。

「近いうちにカナリアの鳴き声に反応して哀れな羊が現れると思います。それを捕らえれば新たな情報も得られましょう。仮に何の反応もなければ、行動範囲を人類圏ではなく亜人や異形種達の方に目を向ける必要があるでしょう」

「なるほど」

「如何でしょうか? モモンガ様」

「少し待て。みかかさんから《伝言/メッセージ》が入った」

 パンドラズ・アクターとルプスレギナは静かに二人の会話が終わるのを待つ。

 

「見事だ、パンドラズ・アクター。丁度、みかかさんから羊が現れたと連絡があった」

 

「な、なんと……」

「ち、智謀の王っす」

 その余りにも出来すぎなタイミングを前にパンドラズ・アクターとルプスレギナは尊敬の眼差しでモモンガを見た。

 二人にはモモンガがこれを計算して話していたように見えたのだろう。

 こうして、モモンガは着実に至高の四十一人のまとめ役に相応しい才覚を持つ男として称えられることになる。

 

 

 朝から降っていた雨は午後には止み、美しい夕焼けが城砦都市を染め上げる。

 カジットの隠れ家である地下神殿に日の光が届くはずもなく、魔法の灯りが辺りを照らしていた。

 

「クレマンティーヌ。貴様、一体どういうつもりだ?」

「んー? 何をそんなに怒ってるのかなぁ?」

 激怒するカジットの事に背中を向けたまま、心底面倒くさそうにクレマンティーヌは尋ねた。

「お前が殺したのはこの街でも有数の権力者だ。何故、殺す必要があった?」

「ごめーん。反省してまーす」

 こちらの顔すら見ようとしない彼女に謝罪の色など一切ないのは明らかだ。

 

「でもさー。ちゃんと色々調べてきたんだよー。『漆黒の悪夢』の二人が『虹』と一緒に依頼に出かけた。彼らは明日の今頃まで、ここには戻ってこない。私が調査を依頼した男は八本指でも有数の腕を持つ六腕の一人だった。凄いと思わなーい?」

「……確かにそれは認めよう。だが、それと貴族の屋敷に押し入って家人だけでなく使用人まで惨殺することは話が別だ!!」

「ごめんねごめんねー」

 カジットは湧き上がる殺意を押さえ込むのに精一杯だ。

 この女の腕は認める。

 死を隣人とする邪教集団『ズーラーノーン』十二高弟の一人であり、元漆黒聖典第九席次。

 間違いなく英雄の域に到達した強者であり、邪教集団の幹部に恥じない性格破綻者だ。

 

「でもさー。これもちゃんと考えての事なんだって」

「……ほう」

 カジットは欠片の信用もない声で相槌を打った。

「本当だって。大量の血痕はあれど死体はなし。殺しの現場を見れば常人でないのは明らか――とても役人でどうにか出来るレベルじゃないから冒険者にでも頼むしかない。そしたらミスリル級の『天狼』にでも頼むっしょ? もしかしたら、街に残ってる最後の『漆黒の悪夢』も絡んでくるかもね」

「………………」

 驚いた。

 どうせいつもの病気だとカジットは高をくくっていたのだが、どうやらちゃんと考えての行動だったらしい。

「明日、ンフィーレアを誘拐して儀式を決行する。どーよ?」

「確かに……何の問題もない」

 だからこそ、妙だ。

 

 この女――こんなに聞き分けのいい人物だったか?

 もしかして、貴族を殺したのは自分に罪を擦り付ける魂胆ではないか?

 そんな不安を抱くほどにやけに協力的だ。

 

「金目の物をあらかた盗んだのもそれが目的か? ならば納得もいく」

「ふふーん。よし、オッケー。こんな物かな」

「………………」

 クレマンティーヌは立ち上がり、カジットの前でクルリとターンを決めてみせた。

 それは戦士としての鋭さではなく、貴族としての魅せる動きだ。

「どうよ? カジッちゃん?」

 屋敷から奪ってきたドレスに身を包み、優雅な礼を見せたクレマンティーヌにカジットは舌打ちする。

「……ふん。腐ってもスレイン法国の名家、クインティアの片割れと言ったところか?」

「クインティアの片割れはやめてよ。カジット・デイル・バダンテール。ここは褒める所でしょーが」

 その言葉にカジットは肩眉を上げる。

 そして吐き捨てるように言った。

「……褒めるだと? 今更、自分が女であることを思い出したか?」

「あ゛っ?」

 クレマンティーヌの瞳に殺気が宿り、その姿が霞と消えた。

 カジットは即座にローブに手を入れ、黒い石を握る。

 十分にあったはずの距離をクレマンティーヌはドレスのまま一瞬で駆け抜けて、スティレットと呼ばれる刺突専門の剣を突き出す。

 常人であれば反応すら出来ずに深々と喉を抉られたことだろう。

 しかし、カジットは常人でない。

 クレマンティーヌには及ばないが自分もまた邪教集団『ズーラーノーン』十二高弟の一人である。

 スティレットはカジットに当たる直前で地中から生えた骨の鉤爪によって受け止められた。

「図星を突かれたか?」

 クレマンティーヌの本気の怒りを感じたカジットは痛快だとばかりに笑った。

 こちらは数年前からコツコツと準備を整えてきたのだ。

 それをいきなりやって来て、荒らしまわるなど許せることではない。

「……そんな訳ないじゃん。こんなの遊びよ、遊び。馬鹿な男を釣るためのねぇ」

「………………」

 クレマンティーヌの目に宿った危険な光がカジットの意識に冷水を被せた。

 これ以上、この話題に触れるのはまずい。

 この女は狂犬だ――このままでは自分が持ちかけた計画すら台無しにして、カジットに牙を向けるだろう。

 

(ちっ……この性格破綻者が)

 

 同士でありながら、まったく理解出来ない。

 カジットも人の事を言えた義理ではない――だが、それでも彼女ほど壊れていない。

 いや、ここまで壊れているからこそ、この女は強いのか。

 

「下らぬ真似をするな。御主とて儀式が失敗するのは避けたいだろう?」

「……そうだね。ちょっと冗談が過ぎちゃったかな? でも、ギリギリで止める気だったよ?」

 確実に嘘だ。

 くだらない世迷言に付き合っている暇はない。

「なら、聞くが……その格好は何だ?」

「………………」

 カジットの質問に答えるのに間があった。

 

「これから黄金の輝き亭に行くんだけど、さすがにいつもの格好ってわけにはいかないでしょ? その為の変装よ」

 カジットに背を向けて、貴族の屋敷から強奪してきたアクセサリーを身につけ始める。

 その様子を何か理解出来ない異様な物でも見るかのような目でカジットは見つめている。

「黄金の輝き亭だと? 確か八本指の男が泊まっている宿だったか? そこに何をしに行く?」

「どうやら八本指もンフィーレアを狙ってたみたいなんだよねぇ。交渉で手を退いて貰ったけど慰謝料くらい渡しておかないと密告されたら困るっしょ?」

「なっ?! ならば、先に言え。そんな金なら用意してやったわ!」

 ズーラーノーンは邪教集団ではあるが、貴族達からも信仰されるほどの大規模な宗教集団だ。

 その理由は簡単で死を隣人とするだけに死から逃れる術も人並み以上に知っているからである。

 特にカジットが現在行おうとしている大規模儀式『死の螺旋』を用いれば、不老の存在であるアンデッドになることも可能だ。

 そういう側面もある為に資金には困っていない。

 そうでなければエ・ランテルの共同墓地に地下神殿など築けるわけがない。

 共同墓地という公的施設にこんな施設が建設されてることが、エ・ランテルの上層部にも信者がいる証である。

 

「終わったことをグチグチ言わないでよ。うっとおしいな」

 クレマンティーヌは髪飾りをつけ、ネックレスを通し、指輪を嵌める。

「変装完了」

「………………」

 発覚されては困るのでカジットもクレマンティーヌの格好に妙な所はないかをチェックする。

 

(流石は元漆黒聖典――各国への潜入任務なども行っていたというだけあって見事なものだな)

 

 本来の姿を知るカジットからすれば信じられないが、一見すれば貴族の令嬢であり、とても狂人には見えない。

 この女――普段はただの性格破綻者にしか見えないが、その反面でこういう計算高さを持ち合わせていた。

「あー、あー、どうカジッちゃん? 声変わってる?」

「……気持ち悪いくらいだ」

 自前で声すら変えられるのか。

 貴族の令嬢に相応しい儚げな声――何と言うか出来の悪い悪夢でも見ているような気分だった。

「褒め言葉として受け取っておきましょうかね」

 クレマンティーヌは鞄にたっぷりと詰まった金貨を軽く持ち上げると縁の広い帽子を被って顔を隠す。

 仕上げとばかりに香水まで使い始めたクレマンティーヌにカジットは何と言っていいのか分からずに立ち尽くすばかりだ。

「……クレマンティーヌ」

 この女の性格を考えれば、こういう面倒くさい仕事は適当に終わらせそうな気がするのだが、妙に気合が入ってないか?

「何?」

 いや、法国でそう訓練されたからに違いない。

 手鏡で自分の姿をチェックするのは失敗しない為だ。

「御主」

 

(まさかとは思うが、その男に……)

 

 カジットの言葉は途中で終わり、嘲笑が浮かんだ。

 何を馬鹿な。

 そんなことがあるわけがない。

 

 超遠方から飛来した龍が突如この街を襲撃するくらいに在り得ない確立だ。

 

「どうしたの? 急に気持ち悪い顔しちゃってさー」

「いや、その男にあったらこう伝えておいてくれ。コッコドールには世話になってる、とな。そう言えば密告などする事はないだろうよ」

「誰よ、そいつ?」

「八本指奴隷部門の長だ。付き合いがあってな」

「はいはーい。分かりましたー。じゃあ、行って来るね」

 意気揚々と地下神殿を出て行く彼女を見送ることはせず、カジットは背を向けて地下神殿の奥へと進む。

 奇妙な光景を見たせいか、心の片隅に拭えない違和感を感じながら。

 

 

 一体どれほどの年月を捧げてきただろうか?

 ただひたすらに、信じるものに祈りを捧げる日々。

 それは敬虔なる信者の姿であり、狂おしいまでの執念が為せる業だった。

 

 カジットの邪悪なる祈りは大量のアンデッドを生み、大儀式の果てに生み出した切り札たる二体にあっては命を削るような思いで作り出された産物だ。

 

 全てはこの街を死の街と変えるために。

 大量の屍を作り上げ、その死の力で自らをアンデッドと変えて、さらに長く生き延びる為に。

 そして――あの日から始まった自分を責め苛む後悔。そして、必ず覆してみせるという誓いを叶える為に。

 

 カジットは願う。

 それは死に対する深い願いであり、生を歪められた存在に対する祈願だ。

 周囲の闇がより濃くなる。

 そして周辺の死が強まっていく感覚。

 生暖かい空気の中に、ピリピリとした肌をそばだてるものが徐々に含まれていく。

 この場所に満ちるもの――それはカジットにとって非常に慣れたものだ。

 

(明日、また一歩。悲願へと近づく)

 

 それを思うと黒い石を握る手にも力が篭る。

 途端、石が振動するように震えだした。

 

「何だ?」

 

 今迄、こんな反応は見たことがない。

 

 カラン――コロン。

 突如、そんな軽い音がカジット達に届いた

 詠唱を中断し、ぎょっとした顔で高弟の幾人かが音のしたほうを向いた。

 ここは地下神殿だ。

 ここに通じる秘密の通路が開くと、音が鳴る仕組みになっている。

 それが鳴っていないということは秘密の通路が使われていない事になり、そうなれば正体は限られる。

 新たに自然発生したアンデッドだ。

 

「――カジット様」

「うろたえるな」

 高弟の何かを求めるような声に対し、低く重々しい声でカジットは答える。

 規則的に響いた音が徐々にこちらに向かっている。

 そして気付いた――この奇妙な音は足音だ。

 

「恐れるな。心を強く持て」

 

 死の螺旋には一つ欠陥がある。

 アンデッドが集まると、より強いアンデッドが生まれる。

 この事から、下手をすれば自分達では対処出来ないレベルのアンデッドが発生してしまう可能性があるということだ。

 

 こんな奇怪な足音を鳴らすアンデッドに心当たりはない。

 つまり、新種のアンデッドである可能性が高い。

 カジットは闇を睨む。

 それから程なくして、人影が姿を現した。

 

「はっ?」

 どう見ても幼い子供の姿にカジットは間抜けな反応を返した。

 

 先程から響くカランコロンという軽い音は木で作られた奇怪な靴――カジットは知る由もないが、南方では下駄と呼ばれる物の音だったようだ。

 見たことの無い異国風の装束に身を包んだ美少女がこちらに向かって気楽に歩いてきている。

 周りに赤、青、緑、銀、黒の鬼火を漂わせた少女の姿は半透明に透けていた。

 

(姿が透けているということはゴースト? な、なんだあの見事な服装は? 元は何処かの高級娼婦か?)

 

 カジットの見立ては的を得ていた。

 それはかつてある国で遊女と呼ばれる娼婦が着ていた衣装。

 サイズが合っていないのか、それともそういう性分なのか――絢爛豪華な着物をだらしなく着崩して、カジット達の前にシコクが姿を現した。

 

「雨も上がって外は血のように赤い夕焼けで染まっとるよ。こんな所でぶつくさ独り言を呟くには惜しくないかえ?」

 

「ゴ、ゴーストが喋った!?」

 高弟の一人が飛び上がらんほどに驚いた。

 

 ゴーストとは死して尚、この世を彷徨う者の魂である。

 正気を失い、見る者全てに襲い掛かる厄介なアンデッドだ。

 本来であれば人と会話する知性など持ち合わせていない。

 それに基本的にアンデットは朽ち果てた醜い風貌をしている者だ――ここまで見事な美貌を誇るアンデッドなど見たことがない。

 ズーラーノーン十二高弟の一人であるカジットすら、そんなアンデッドは知らない。

 唐突に現れた理解不能の存在に気圧されて、皆はジリジリと後ろに下がる。

 そんな事を気にも留めてないのか、亡霊は形の良い眉を吊り上げて怒りを露にした。

 

「失礼な。うちはゴーストなどという低級なものではない。これでも幽霊種の上位種族スペクターじゃよ」

 スペクターなど聞いたこともないが敵対するなどもっての外だ。

 カジットは即座に膝をつき、頭を下げてから言った。

「ここまでまともに喋れるゴ……失礼。アンデッドなど見たことも聞いたこともない。無知な我々をどうかお許し下さい」

 カジットは言葉を選んで会話を試みる。

 アンデッドでも上位種族になると普通に会話が出来るようになる。

 そんな輩と刃を交えるのは得策ではない。

 アンデッドの本能で死の儀式を嗅ぎつけてやって来た可能性もある。

 ここまでの知性があるなら、生者を憎むアンデッドであっても交渉することも可能な筈だ。

 

「ほう。てっきり取り乱して攻撃してくるかと思ったが、意外にまともな対応じゃのう」

 

 にんまりと、まさしく満面の笑みを浮かべる。

 それは悪逆の限りを尽くす邪教集団の幹部であっても頬を緩ませるほどの愛らしい童女の顔だ。

 それが人間であったなら――という条件付だが。

 これがアンデッドが浮かべる表情だと知っているなら、途端に意味合いは変わってくる。

 

(顔も声も幻覚の類か? いや、そうには見えない。だとすれば幽霊種の王族か?)

 

「我々は人の身なれど死を隣人とする邪教集団『ズーラーノーン』と呼ばれる者達。スペクター殿のような高位のアンデッドには敬意を持って接します」

「左様か」

「どうか我らに教えて頂きたい。スペクター殿はこのような人間の都市に何をしに参られたのでしょう?」

「人間狩り」

 冷気すら含んだその声にカジットの高弟達がビクリと震える。

「安心せよ。御主らのような男に用はない。肉も固そうで美味いとは思えんからのう」

 条件が適合していたならどのような末路を辿ることになったかと思うと素直に喜べないものを感じる。

 

「それはそれとして――御主達はこんな所で何をしておるかの?」

 半透明の瞳がジッとカジットを見つめている。

 正体不明の存在相手に計画を話すのは躊躇われるが、相手はアンデッドだ。

 まさかこの街を死の街に変えると言って邪魔をすることはないだろう。

 

 眼前に立つ者は死の姫君。

 最大限の敬意を払い、必要とあれば己が身すら犠牲に守らねばならない。

 心の奥底から聞こえてくる声に抗えない自分がいる。

 

「死の螺旋をご存知でしょうか?」

「知らぬ」

「死の螺旋とは我らが盟主が行った都市壊滅規模の魔法儀式です。明日の決行に向けて準備をしておりました」

「都市壊滅規模の魔法儀式など奥に集めておるものでは無理じゃろう。何を隠しておる?」

 あっさりと隠してあるアンデッドがいることを突き止めた。

 やはり只者ではない。

「御慧眼でございます。ある人物とアイテムを用いることで《アンデス・アーミー/死者の軍勢》の魔法が使用出来るのです」

「……第七位階魔法をか? それは興味深いの」

 素晴らしい――魔法の知識も持ち合わせているのか。

 それならカジットの悲願にまた一歩近づけるかもしれない。

 

「如何でしょう、スペクター殿。この儀式に協力してもらえないでしょうか?」

「うん?」

「ただ、ここにいてくれるだけでもかまいません。それだけでより強いアンデッドが生まれます。人間狩りならば我らも手伝いましょう」

「それは手間が省けて助かる。要求するのは女じゃ。強さと美しさを兼ね備えた者が良い。邪悪であれば尚良し」

「ほほう」

 余りにも意外というか、俗物的な要求に呆れるものを感じる。

 

「万が一にも失礼があってはいけませんのでお聞きしても宜しいでしょうか?」

「なにかの?」

「美しさ、というのは――スペクター殿のような容姿をしていると判断しても?」

 カジットの言葉に亡霊の姫は目を丸くする。

「く……あはっ、あはは、あははははは!」

 そして、さもおかしそうに笑い出す。

 いきなり亡霊が笑い出したことにカジットも周りの高弟も身を固くする。

「そうじゃろ? 普通、そう思うよな!! これはいい。初めてまともな質問を聞いたわ!」

 テンションが上がったのか、狂ったようにケタケタと笑い出すアンデッドを見て、カジットの背筋に悪寒が走る。

 人の良い童女の顔など創り物であったことを証明するように、笑う亡霊の顔はクレマンティーヌにも勝るとも劣らぬほど醜く歪んでいる。

 

「な、なにか失礼でも?」

 噴出する冷気の濃さに己では絶対抗えない力を感じて、カジットの声は震えていた。

 在り得ない――信じられないほどの邪悪な気配。

 邪教集団の幹部として数え切れない人を殺してきたカジットですら吐き気を催すような何かを感じさせる。

 

「逆じゃよ。種族の差とは致命的に価値観が異なるということ――御主は圧倒的に正しい。生娘をトチ狂わせて遊んだ時より楽しかった!」

 一瞬で自分の目の前にやって来て、カジットの肩をバンバンと叩く。

 本来なら痛いくらいの力だろうが、その手はカジットの体をすり抜け何の痛痒も感じさせない。

「あー笑った笑った。安心せよ、美しさや強さに関しては人間基準で問題ない」

「そ、そうですか。それは良かった」

 カジットの顔に媚びた笑みが浮かぶ。

 そういう要望であれば、丁度良い者がいる。

 いい加減あの女との付き合いにも辟易していたのだ。

 ここで死んでくれるなら丁度いいし、あれなら満足頂けるだろう。

 

「ところでスペクター殿。人間の女などどうするのですか?」

「……うちは今、大変気分が宜しい。だから、答えてやろう」

 一体、どのような残酷な結末が彼女を待つのか。

 カジットと高弟達は固唾を呑んで言葉を待つ。

 

「なあに、最近――肉のある身体も悪くないと思ってな。ちょいと人の身体を借りて遊びたいんじゃよ」

「な、なんと……」

 どうやってエ・ランテルまでやってきたのかと思ったが、そういう仕掛けだったのか。

 モンスターの中には相手の身体に寄生する者も存在する。

 彼女ほどのアンデッドともなれば完全に支配することも可能なのではないだろうか?

 

「折角、目をかけて育てた器が駄目になるかもしれんのでな。代わりの器を探しておる」

「それならば、我らの幹部を差し出しましょうぞ。計画の核となる人物をここに連れてくる予定です。その後はお好きなようにお使い下さい」

 この亡霊の力があれば、クレマンティーヌなど恐れるに足りない。

 いや――この圧倒的な強者の気配は自分たちの盟主すら容易に凌駕するだろう。

 このような強者が人の世に隠れ潜んでいたとは思いもしなかった。

 

「ほう。それはいい――良かろう。力を貸してやろう」

「おおっ、それはありがたい」

 カジットは歓喜に震えた。

 何たる幸運だろう。

 全てが自分の思い通りに運んでいる。

 クレマンティーヌには感謝してもしきれない。

 

 しかし、降って沸いた幸運はさらに続く。

 

「ところで御主――ちょいと一大決心して、うちの所に来んかね?」

 

 笑みを堪えきれないカジットに更なる福音がもたらされた。

 




カジット「いや、その男にあったらこう伝えておいてくれ。コッコドールには世話になってる、とな」
クレマンティーヌ「誰よ、そいつ?」
カジット「八本指奴隷部門の長だ。付き合いがあってな」
クレマンティーヌ「付き合ってたんだー? カジッちゃんにも春はあったんだねー」
カジット「違うわ!!」

 遺体の有効活用が出来る持ちつ持たれつな関係というだけです。他意はない(なら、何故書いたし

 今回の見所はクレマンティーヌさんのお色直し。
 それと原作よりギスギスしたカジットとクレマンティーヌさんの関係。
 欲しいのは叡者の額冠だからね。しょうがないね。


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奪う者と奪われる者

 今回も長いです(大体、二万六千文字くらい)


 朝方に降った雨は止み、夕焼けに染まるエ・ランテルの街を一人の女が歩いていた。

 女の身を包む真紅で統一された見事な衣装が夕焼けの光を浴びてより一層紅く染まる。

 城砦都市のメインストリートは雨によりあちらこちらに水溜りが出来ていた。

 路面の状態は最悪――誰もが足元を注意して歩き、それでも服を汚してしまうだろう。

 そんな中、女は肩で風を切って優雅に歩く。

 その見事な動きに誰もが女に視線を向けた。

 女の歩みに迷いはなく、その服装に汚れはない。

 素人でも分かるほどに洗練された動きだ。

 一体何者かと皆がその顔を見ようとするが縁の広い帽子を深く被っており女の顔は見えない。

 それは逆に皆の好奇心を刺激し、その視線を釘付けにした。

 皆の注目の視線を浴びる女が向かう先は城砦都市でも最高級の宿である黄金の輝き亭だ。

 皮鎧に身を包んだ警備兵に止められることもなく、エントランスホールを抜けて受付カウンターへと向かう。

 

「一晩の宿をお借りしたいのだけど?」

「畏まりました。ではこちらの宿帳にサインを頂けますか?」

 受付に座っていた男からペンを受け取って宿帳に名前を記載する。

 高度な教育を受けたことが明白な達筆ぶり――書かれている文字はスレイン法国語だ。

 

「ようこそ、クインティア様。城砦都市滞在に私どもの宿屋を選んでくださったことに深く感謝致します。お部屋のほうはどういたしましょう?」

「一番良い部屋をお願いするわ」

「畏まりました。では、お部屋を準備させていただきます。宜しければラウンジバーでお待ちいただけますか?」

 クレマンティーヌの視線が受付から見える位置にあるラウンジバーへと移動する。

「随分と盛況なようね」

「はい。お泊りになられているお客様の中にひじょうにお美しい方がいらっしゃいまして……」

「へえ」

 目的の人物は宿泊客らしい冒険者グループとテーブルを囲んで談笑していた。

「本当にお美しい方ね。一体彼は何者なのかしら?」

 受付の男にそれとなく話を振ってみる。

「さて、南方から来られたと聞いていますが……誰とでもすぐ家族のように打ち解けあってしまう魅力的な方ですよ」

「……そう」

 彼の周りには取り巻きのように客が囲んでいる。

 貴族にしろ商人にしろ相手と接点を持つのは重要なことだ。

 帝国皇帝や黄金の姫に勝るとも劣らない美貌の持ち主なのだから、一言話をするだけでも舞い上がる女とているだろう。

 そこまで考えてから朝方の失態を思い出し、クレマンティーヌの視線に苛立ちが混ざる。

 その時、まるで自分の苛立ちを察したかのように談笑していた男の視線がこちらを捕らえた。

 

(嘘。この距離で気付いた?)

 

 視線が合ったのは一瞬――男はクレマンティーヌの顔を見て目だけで笑った。

 自分から目線が外れたのを確認してからクレマンティーヌも笑う。

 

 自分は単に交渉に来ただけではない。

 英雄の領域に到達した自分を女扱いした男に一発ぶちかましてやるつもりで訪れたのだ。

 最初の出会いでは慢心が過ぎたためにまんまと自分の間合いを詰められたわけだが、相手が強者であることを自覚し対策を行えば恐ろしくない。

 あの男には致命的な弱点がある。

 女だ。

 

(……その笑顔、凍りつかせてやる)

 

 その為にわざわざこんな格好で赴いたのだ。

 あの男の性格を考えれば、自分の誘いに簡単に乗ってくるだろう。

 そこを制してどちらが上かはっきりと理解させてやる。

 

「ラウンジバーでのお食事やお飲み物は全てサービスとさせていただきますのでゆっくりとおくつろぎください」

「ありがとう」

 

 瞳に戦意を宿らせて、クレマンティーヌはラウンジバーへと足を向けた。

 

 

 ラウンジバーはさながら貴族達が催す舞踏会のように賑わっていた。

 舞踏会の主賓ははるばる南方からやってきたという謎多き青年。

 帝国皇帝、王国の黄金、聖王国の王女――世界に名立たる美形に勝るとも劣らない青年と一言でも会話しようと女性達が彼の周りを取り巻いている。

 それだけでなく彼の衣装を見て只者ではないと判断した宿泊客も少しでも繋がりを持とうと集まっていた。

 

「ふう……」

 いつの間にかラウンジバーの隅にぽつりと立っているメイド服の少女が一人。

 会話の輪から外れて壁の花になったエンリの口からため息がこぼれた。

 

(早く終わってほしいな。明日には私は帰らないといけないだもの)

 

 夢のような時間も終わりが近づいていることを知り、エンリの心に言葉に出来ない不安が募っていく。

 人語を解し本を読む黒猫は朝方、用事があると言って一匹で宿を出てしまった。

 それに驚く反面、二人きりで街を歩ける機会にエンリの胸は高鳴っていた。

 だが、今は見る影もない。

 

 エンリは城砦都市に遊びに来たわけではない。

 自分の用事である薬草売りは終わったが村の人達に頼まれたお使いが残っている。

 その為、雨が止んで地面の状態も悪い中、城砦都市エ・ランテルを歩いて回ったのだ。

 中央市場で保存の効く食料と狩りに使われる矢尻、自衛の為の武器を買って、教会に赴いて開拓村への移住希望者がいないかを確認した。

 この格好のせいで何かを買おとすれば高級品を勧められ、開拓村の住人だと言えば冗談と思われて笑われたりして作業は難航したが無事に終了することが出来た。

 

 本当に大変なのは、もっと別のこと。

 市場などの人込みのある場所に赴くことになるので徒歩で向かったのだが、歩いていると声をかけられる羽目になったのだ。

 みかかの腰に下げた剣を見て格好いいと小さな男の子達が寄ってきたし、何処の工房で創られたものかと聞いてくる冒険者もいた。

 これらはまだ微笑ましいものだし、理由を聞けばエンリも納得のいくものだった。

 厄介なのは女性陣――小さな女の子から果ては長年連れ添った夫と死に別れた老婦人まで色々と理由をつけて話しかけてくる。

 今日一日で一体何回道を尋ねられたことか、中にはいきなり求婚してくる人もいた。

 そんな女性陣の自分を見つめる瞳の冷たさは同性ながら恐ろしいものがあった。

 

 街中の視線を独占する美しい人だ。

 そんな人を連れて歩く自分に嫉妬するのは仕方ないことだし、優先される自分を少し誇らしくも思っていた。

 だが、こうも立て続けに嫉妬の炎に焼かれるとエンリとて何とも言えないモヤモヤしたものがこみ上げてくる。

 

(それにしても……貴族の人って、どうしてこう話が長いんだろ?)

 

 エンリも女性なので話しに花が咲いて村の仕事を疎かにして両親に怒られることもあった。

 しかし、それでもここまで長く意味のない会話をしたことはない。

 綺麗なドレスに身を包んだ女性の会話はあまりにも回りくどく理解しづらかった。

 しかも話の半分は余談であり、真面目に聞こうという意欲をガリガリと削いでいった。

 

「それで、もしよろしければ、私の邸宅の方でお暇な時にお話をしませんか? 歓迎させていただきたいのです」

「……ええ。機会があれば是非お願いいたします」

 満面の笑みで答えるみかかにエンリは離れた所から恨みがましい視線を送る。

 その時、照明のせいか彼女の碧眼が淡く輝いたように見えた。

 自分が見つめられてるわけでもないのにエンリの胸がとくんと鼓動する。

 遠くから眺めているエンリですらこれなのだ。

 真正面から見つめられた女性は顔を真っ赤にするだけでなく、うっすらと汗もかいているようだった。

「女性の誘いを断るほど無粋ではないつもりですよ」

 そういって相手の女性の手を取って、その甲に軽く唇を当てた。

 女性は返事も出来ずにコクコクと頷き、顔を両手で隠して退散する。

 周りの女性も自分に言われたわけでもないのに顔を紅潮させている。

 その様子をエンリは半眼で見守っていた。

 こうしてまた恋敵が増えていくのだ。

 

(もう! 行く気がないなら、はっきりと断ればいいのにどうして期待させちゃうのかな)

 

 過ごした時間は少ないがその密度には自信がある。

 想いを寄せる人の細かな仕草、表情、癖を何となくだが理解し始めていた。

 断言してもいいが、あれは絶対訪れる気はない。

 

(それともこれが貴族風の挨拶なのかな? なんだか今日のミカは様子がおかしい気がするし……)

 王国戦士長のような偉い人と話していた時でもあんなにツンツンとしていたのに今はふんわりと柔らかい対応だ。

 

 あくまでエンリ基準だが、あの「フッ」という笑顔は完全に余所行きの対応だ。

 村の子供と話す時や、自分を困らせて遊ぶ時はこれが「フフッ」になり少し楽しんでることが分かる。

 そして素の感情を表したりしてる時は「フフフッ」になって、ここでようやくツンツンした所がなくなるのだ。

 ちなみに最上位は「ニコッ」とか「ニコニコ」でネムを甘やかしてるときに見られ、エンリだって向けられたことはない。

 

(……って、あれ? もしかして、私の一番のライバルってネムなの?)

 

 思い返すと今日の買い物でもネムのお土産にと人形を買ってた。

 自分が貰ったのは日記帳とペン――それに王国の文字を勉強するための本だ。

 これはどっちの勝利なのだろうか?

 

「すんませーん」

 むむむっ、と悩みだしたエンリに声がかけられた。

「えっ? は、はい! なんですか?」

「あ、やっぱりエンリちゃんじゃん」

 馴れ馴れしく話しかけてきたのは冒険者風の男だった。

「え? あの、どちら様……」

「あれ? 俺のこと知らない?」

 エンリは必至に記憶を掘り起こしてみる。

 確かに何処かで見たような気がするのだが……一体、誰だろう?

 ンフィーレアと一緒にカルネ村に来た冒険者だろうか?

 エンリが思案する中、ドタバタと慌ててこちらに向かってくる三人の姿が見えた。

 

「ルクルット! お前、何してるんだ!」

 金髪碧眼――王国に有り勝ちな外見をした男がエンリに話しかけたルクルットと呼ばれる青年の肩を慌てて掴んだ。

「いや、リーダーがチェックインしてる間に親交を暖めあおうかなってね」

「この馬鹿!」

 締りのない顔で笑ったルクルットに向かって男は怒鳴ってからエンリに頭を下げた。

「仲間が失礼しました。私達はこの街の冒険者チーム『漆黒の剣』で決して怪しいものではありません。私はリーダーのペテル・モークといいます」

 リーダーの後ろにいるチームメイト――がっしりとした体格をした男の人と最年少であろう少年も頭を下げるのが見えた。

 どうやらこの人達はいい人そうだ。

 そう判断したエンリは座っている男は相手にせず、ぺテルに話しかけることにした。

「エンリ・エモットです。その、記憶にないのですがンフィーと一緒に薬草取りに来られた方なんでしょうか?」

「ンフィーって、もしかしてンフィーレア・バレアレさんですか? 残念ですが違います」

「えっ? なら、どこでお会いしたんでしょう?」

 ぺテルは否定してから、困った顔を浮かべる。

「そ、その……私達は昨日エ・ランテルの検問で順番待ちをしていた時に見かけただけです」

「……あ、ああ!」

 この格好のせいでカルネ村の住人だと信じてもらえずにドタバタした時のことだ。

「そういえば確かに見覚えがあります」

「良かった。私達は日ごろの疲れを癒し、英気を得る為に泊まりに来たのですが……」

「そこで俺がエンリちゃんを見かけたので声をかけたってわけ」

「そ、そうなんですね」

 ニヤリと笑うルクルットにエンリは曖昧な笑みで応じる。

「失礼ですよ。本当にやめてください……はじめまして、エモットさん。ニニャと言います」

「ダイン・ウッドワンダーである」

 エンリは二人に頭を軽く下げる。

 エンリも一人でいては気を揉むばかりなので助かった気もしていた。

 

「エモットさん。仲間が迷惑をかけてすみません。ルクルット、お前も……どうしたんだ?」

 ぺテルの声が緊張感を含んだものに変わる。

 相棒であるこの男の顔から先程までの軽薄さが消えているのだ。

 ニニャとダインの顔からも余暇を楽しもうという余裕が消え去っていた。

 エンリは何事かとルクルットの視線の先を追う。

 そこには真紅の衣装に身を飾る女性の姿があった。

 

 みかかを取り囲んでいた人々が波が引くように道を開ける。

 素人目から見ても洗練された動きに格の違いを思い知らされたからだ。

 女は道を空けた者達に礼を言う事はない。

 むしろそれが当然であるかのように迷いのない動きで進むとみかかの前に立った。

 

「御機嫌よう、アリス」

 クレマンティーヌは両手でスカートの裾をつまみ、軽く持ち上げてから深々と頭を下げる。

「おや?」

 その姿にみかかは新鮮な驚きを与えた。

 みかかが抱いていた粗野で乱暴なイメージを払拭する完璧な淑女の姿。

「御機嫌よう。どうして、ここに?」

 罠にかかった獲物の価値が上がるという嬉しい誤算に自然と笑みが浮かび、周りからは驚きの声が上がる。

 エンリ風に言えば「フフッ」という笑み――今まで対応した女性の誰よりも親密感のあるものだったからだ。

「あら? 私がこちらの宿を訪れるのを心待ちにしていると言ってくださったお言葉は嘘だったのですか?」

「あ、ああ……確かに言ったね、そんな事」

 瞳に涙を溜めるクレマンティーヌを見て、みかかの顔に苦いものが浮かぶ。

 その逆にクレマンティーは、ようやく一矢報いてやったことに暗い喜びを感じていた。

「私は貴方様のお言葉を信じて参った次第です」

「そうですか。こんなに早く訪れてくれるなんて思っていませんでしたよ」

 やられっぱなしでいるのも癪なので軽く反撃しながら辺りの気配を探ってみる。

 しかし、追跡を命じているはずのシコクの気配は感じられなかった。

 

(あの子、一体何処をほっつき歩いてるのよ?)

 

 困惑するみかかの隙をついて、クレマンティーヌは大きく距離を詰める。

 

「……っ」

 油断しすぎた自分を戒める。

 意識が他所にいっているのを鋭敏に察知したのだろう――クレマンティーヌがみかかの間合いを侵食してきた。

「如何でしょう? 今から二人きりでお話したいと思っているのですが?」

 そして、肩が触れ合うほどの距離からみかかに耳打ちする。

 

「待って下さい!!」

 

 周りの者が親密な二人の関係を興味深く見守る中、この場の空気に相応しくない荒い足音が聞こえてきた。

「エ、エモットさん。まずいですよ!? やめてください!!」

「やめません! どいてください! ちょっと、邪魔ですからどいてくださーい!!」

 人込みを無理矢理かきわけてエンリが魔法詠唱者らしき格好をした少年を連れて乱入してきた。

 礼儀作法など地平線の彼方に吹き飛ばす行いに、ある者は口を開けて唖然としたり、くすくすと忍び笑いを漏らしている。

 

「ああ、もう……」

 面倒な事になった。

 みかかは頭痛を抑えるように手を顔で覆って、エンリから視線を背けた。

「アリス様?」

 満面の笑みを浮かべてエンリが一歩一歩をゆっくりと詰め寄ってくる。

 

「この女の人は誰なんですか?」

 普段のエンリと変わらない声だ。

 だが、何か異様な圧力があった。

 

「朝の件って、何ですか?」

 ニコ。

「宿を訪れるのを心待ちにされてたんですか?」

 ニコニコ。

「二人きりでお話しされるんですか?」

 ニコニコニコ。

 顔は笑っているが目が全然笑っていない。

 

(……ペロロンチーノさん。私に同時攻略の仕方を教えて下さい)

 

 みかかさん。これはゲームでなければ遊びでもないですよ。

 そんな彼の声が聞こえた気がしたのは気のせいだろうか?

 現実逃避をしていたみかかの隙を突いて、下から覗きこんでくるメデューサがいた。

 

「アリスさまぁ――どうして、わたしのかおをみてくれないんですかぁ?」

 

「………………うあっ」

 やばい、目が合った。

 そっか。

 これがかの有名なヤンデレという存在か。

 

「外にお散歩に出かけられただけと聞いてたんですけど、こちらの方と何があったんですかぁ?」

 ギラリと刃物のように光沢のある視線を向けながら質問してくる。

 それを見て、クレマンティーヌはこれ見よがしにため息をついた。

「そこの方」

 クレマンティーヌはあからさまに見下した視線をエンリに向ける。

「……なんでしょう?」

 エンリはみかかが今まで見たことのない程、いい笑顔を浮かべて返事する。

 

「「………………」」

 

 ラウンジバーを奇妙な沈黙が支配した。

 二人の視線が正面からぶつかって火花を散らす。

 

「お名前をお伺いしてもかまわないかしら?」

「私はエンリ。カルネ村のエンリ・エモットです」

「カルネ……村?」

 エンリの言ったことを繰り返してから「ハッ」と鼻で笑った。

「な、何なんですか!?」

「いえいえ、別に――そう、カルネ村のエモットさんね」

 クレマンティーヌは嘲笑を浮かべていた顔を急に真面目なものに変えて、スッと背筋を伸ばす。

 そして、先程みかかに見せたように優雅に頭を下げた。

「私はクレマンティーヌ・リセリア・クインティアと申します。どうかお見知りおきを」

 非の打ち所のない完璧な挨拶に周りのものが「おおっ」とどよめき、エンリは後ずさる。

「あっ……うっ……」

 エンリが困惑するのが分かった。

 どちらが場違いであるのかを察したのだろう。

 黄金の輝き亭に宿を取る者の大半は貴族や大商人に連なる者達だ。

 突然乱入してきたエンリに味方する者は少ない。

 

「分かりました。部屋でお話を窺いましょう」

「ア、アリス?!」

 その声には非難の色があった。

 唯一の味方であるみかかがクレマンティーヌの申し出を受けたことが信じられないのだろう。

「エンリ。聞き分けなさい」

「わ、分かりました」

 固い口調にシュンと肩を落としてエンリは頷いた。

 

「クインティア様。お部屋の準備が整いました」

 ラウンジの空気が変わったことを敏感に察したベルボーイが慌ててラウンジに入ってきた。

「そう。ありがとう」

「どうぞこちらに――手荷物をお預かり致します」

「それには及びませんわ。私には立派な殿方がいらっしゃいますもの」

 クレマンティーヌは自然な動作でみかかの腕を絡み取る。

「な゛あ゛っ?!」

 それを見てエンリは声を上げた。

「ああ。もしかして貴方が持ってくださるのかしら? 確かに貴方には荷物持ちがお似合いだわ」

「私は――」

「エンリ。私はこちらの方と話があるから、貴方は先に部屋に戻ってなさい」

「………………はい」

 革鞄を受け取ると二人はベルボーイに案内されて部屋へと向かう。

 クレマンティーヌは一度だけ振り返って、エンリに勝者の笑みを見せつける。

「むむっ……」

 エンリはそれを見送ることしか出来ない。

 

 みかかが去った後は蜘蛛の子を散らすように集まっていた連中もラウンジを後にした。

 

(ううっ、ミカの……ミカの馬鹿!!)

 

 そんな中、恨みがましい視線で去っていった方を見つめ続けるエンリの肩を誰かが叩いた。

「エモットさん。少しいいですか?」

 そちらの方を見ると神妙な顔つきをしたニニャがエンリを見つめていた。

「あ、あの……どうしたんですか?」

「エモットさん。今の対応はいけませんよ」

「えっ?」

 自分に落ち度はない。

 どうして自分が責められるのか分からないエンリを見て、ニニャの顔に苦い物が浮かぶ。

「メイドが仕える主人に意見するなんてとんでもない事です。知らなかったで済まされませんよ」

「い、いえ。私はメイドじゃないので」

「えっ? じゃ、じゃあ……貴方は一体何者なんですか? どうしてあの人と一緒に?」

「そ、それは……」

 その言葉にエンリは返事が出来ずに立ち尽くす。

 どう言えばいいのだろうか?

 困り果てるエンリの元に漆黒の剣のメンバーがやってきた。

「ニニャ。冒険者が他者への詮索は行うのは御法度だぞ?」

「分かってますよ、ぺテル。ですが、あまりにもエモットさんが危なっかしいので、つい口に出てしまって……」

「ありがとうございます。見ず知らずの私を心配してくださったんですね」

 リーダーに言われて落ち込んだニニャに向かってエンリは頭を下げた。

 

「あー。それよりもエンリちゃん。おたくのご主人様に伝言を頼まれてくんないかな?」

「何でしょう?」

「あの女……ちょっとヤバイ奴かもしれねえ。何の仕事の話をするのか知らねえけど信用するなってね」

 その言葉にエンリは驚いた。

「どういう意味ですか?」

「あの女が街を歩いてるのを偶然見かけたんだけどさ。そん時と格好が全然違うんだよね。ワーカーって知ってるかな? 冒険者の落ちこぼれというか色々ヤバイ連中の総称なんだけど、そんな連中みたいな感じがしたね」

「もしかして……アリスを騙そうとしている?」

「かもな。ありゃ、かなりの役者さんだ。俺も初対面なら名家のお嬢様だと思っただろうし」

 確かにあの綺麗な挨拶は真似しようと思っても簡単に出来るものじゃない。

 何度も何度も練習した者の風格のようなものを感じた。

「ルクルットさんもありがとうございます。アリスには必ず伝えておきますね」

「いえいえ。俺達も周りの取り巻きと変わらないんだよ。おたくのご主人様とお近づきになりたいなと思ってる次第でね」

「皆さんもそうなんですか?」

「勿論です。エモットさんは分からないかもしれませんが、彼の足運びは常人の域を超えています!」

 興奮気味のぺテルの声にエンリは驚く。

「確かにエンリちゃんのご主人様は凄いな。あんなに静かに歩く奴、俺も始めて見たからな」

 自分のことではないのにエンリは何故だが誇らしい気分になってくる。

「良ければアリスとお話出来るように頼んでみましょうか?」

「是非、お願いします!」

 喜ぶぺテルの顔を見ながら、大丈夫だろうかと胸騒ぎがするのを抑えられずにいた。

 

 

(ただの快楽殺人者かと思ったけど、どこかの国お抱えのスパイだったりするのかしら?)

 

 腕を組んで隣を歩くクレマンティーヌをさり気なく観察する。

 初めて会った時は外套に身を包んでいたので分かるわけもなかったが見事なプロポーションをしていた。

 一歩歩くごとにドレスの襟元から胸の谷間に埋もれるネックレスが揺れて、チャイナドレスのように深く切れ込んだスリットから真っ白い足が顔を覗かせる。

 みかかの視線に気付いたのかクレマンティーヌはくすりと妖しく微笑むと、絡ませた腕に胸を押し付けてきた。

 

(こうやって男を籠絡するわけね……御苦労だこと)

 

 引き締まった身体つきをしているのに柔らかいという矛盾――そんな感覚を味わいながらみかかは感心していた。

 この女の性格から考えて男に媚を売るような人物には見えない。

 だとすれば、こういう色仕掛けは誰かから習ったのか、もしくは自ら学習したものなのだろう。

 

(でも、残念。額面通りに受け取るのは危険なようね)

 

 意識を集中させて敵感知の特殊技術を用いることで、まるでサーモグラフィーのようにクレマンティーヌの身体から朱のオーラが立ち上っているのが見えた。

 赤系統の色は臨戦態勢を知らせるもので友好的なものではない。

 つまり、この女は本心から愛想を振りまいてるわけではないということだ。

 だが、みかかは胸中で冷笑を浮かべた。

 朝に会った時よりも色の濃さが数段淡くなっている。

 つり橋効果の実験は良好ということだ。

 

 みかかはエンリの買い物に付き合うついでに特殊技術と吸血鬼の種族的能力の実験を行っていた。

 薬物精製スキルを用いて強制的に好感を勝ち取り、集まった相手に対して《生命力吸収/エナジードレイン》を用いて生命力を分けてもらうというものだ。

 生命力吸収を行えば吸血行為を行わずに済むのではないかという発想だったのだが、これは失敗に終わった。

 ユグドラシル風に言えば生命力吸収はHPの回復であり、吸血行為はステータス値の維持にあたるようだ。

 現在のみかかは吸血行為を怠っていた為、最大HPが一割ほど落ち込んでいる。

 いくら生命力吸収を行おうがHPは九割までしか回復せず、攻撃や敏捷などの他ステータス値も下がったままだ。

 その中には精神値――ゲーマー用語で言う所の正気度と呼ばれる物も含まれている。

 

(ただでも血の狂乱で暴走しやすいんだから、体調を気遣いつつ、気を引き締めてないとアルベドやシャルティアの誘惑に負けちゃうかもしれないわね)

 

 そういう意味で、みかかが一番警戒しているのはエンリだ。

 今朝、彼女相手に理性を失いかけたことで苦手意識がついたのかもしれない。

 もし、エンリがアルベド達のように積極的な行動に出られると、少し対応に困る。

 

(分からない。エンリにはあって他の人にはないものって何なの?)

 

 今日一日、目に付いた人々は手当たり次第に誘引し、これはと思う人物には魅了の魔眼を用いてみた。

 だけど、エンリほど惹かれることはなかった。

 単純に外見的な意味合いだけで言うならエンリより好みの人物だっていたというのに。

 今、隣にいるクレマンティーヌは十分な利用価値があるし、性格も容姿も嫌いじゃない。

 だけど、エンリには一歩及ばない。

 

 そういう気持ちを人は恋と呼ぶのだろうか?

 

 残念ながら、みかかには答えを出せなかった。

 

 みかかのことを恋を知らない哀れな女だとシコクは言った。

 確かにその通りだ。

 リアルでは人に恋焦がれたことなどないし、この世界では自分の気持ちが分からない。

 

 みかか・りにとか・はらすもちかはエンリ・エモットの血を一滴残らず吸い尽くしたい。

 

 これが――吸血鬼の愛し方なのだろうか?

 そんな気持ち、元人間の魂を持つ自分に分かるわけがなかった。

 

「アリス様。何処に行かれるんです?」

 クレマンティーヌに腕を引かれて立ち止まる。

 どうやらクレマンティーヌが借りる部屋に着いたようだ。

 

「こちらのお部屋になります」

 ベルボーイが鍵を開けて、扉を開いた。

 部屋のグレードはみかかと同じようで内装も調度品も変わりはない。

 幸か不幸か、みかかの隣の部屋だった。

 

「鍵はこちらに置いておきます。それではごゆっくりとおくつろぎ下さい」

「ありがとう」

 ベルボーイが部屋を後にすると同時にクレマンティーヌの淑女然とした顔つきが変わった。

「あー疲れた。こんなヒラヒラした服とか着るの何年ぶりだろ。裸と同じくらい落ち着かないわ」

 組んでいた腕を離して、クレマンティーヌは部屋へと進み、ソファに座る。

 かすかな金属音がみかかの耳に響く――ドレスの下には鎧を纏っているのだろう。

 

「……いい宿泊まってんだねぇ。ここってエ・ランテルで一番の宿なんでしょ?」

 クレマンティーヌは辺りを見回しながら言った。

「つまらない話は聞きたくない。何の用?」

 みかかは手に持った鞄を突き返しながら問う。

「何? メイドちゃんを苛めたのが気に入らなかった?」

「………………」

「あっ、その鞄はお土産。開けてみて開けてみて」

 ニヤニヤ笑うクレマンティーヌを無視して、みかかは何かの動物で出来た革鞄を慎重に開ける。

 中には大量の金貨と貴金属が詰め込まれていた。

「これは?」

「ンフィーレアを譲ってくれたお礼と口止め料。後さ、私をかくまってくれない?」

「……ふうん。貴方、誰かに追われてるの?」

「そう。これを盗んだせいでね」

 クレマンティーヌは懐からサークレットを取り出した。

 水滴が付着した蜘蛛の巣のような作りで、それなりの価値があるものに見える。

「それは何?」

「さすがに知らないか。これは巫女姫の証、叡者の額冠。スレイン法国の最秘宝の一つだよ」

「……なんですって?」

 よりにもよってスレイン法国だと?

 みかかの驚愕を他所に手に持ったアイテムを自慢するかのように見せ付ける。

 

「着用者の自我を封じることで人間そのものを超高位魔法を吐き出すだけのアイテムに変える神器。可愛い女の子がこんなものしてたからさぁ、似合わないから奪ってあげたんだよねー。まあ、外すと発狂しちゃうんだけどねー」

 そういってからクレマンティーヌはケタケタと笑った。

 

(ああ、そう――とても残念だわ。クレマンティーヌ)

 

 なるべく穏便に事を済ませるつもりだった。

 特殊技術を用いはしたが、あくまで自主的にこちらに組してもらうつもりだった。

 元より逃がすつもりはなかったが、これで穏便に事を運ぶつもりもなくなった。

 この女は今、この場で手に入れる。

 

「ねえ、クレマンティーヌ。その叡者の額冠見せてくれない?」

「どうして?」

 クレマンティーヌの顔が真顔に変わる。

「超高位魔法を吐き出すアイテムに変えるだっけ? どの程度の魔法が使えるのか気になってね」

「第七位階魔法まで――ンフィーレアを使ってアンデッドの大群を召喚する魔法《不死の軍勢/アンデス・アーミー》を使用するのが私達の目的よ」

「………………」

 私達?

 クレマンティーヌには仲間がいるのか。

 

(シコクがいないのは仲間をあたってるせい? でも、相手の手の内は大体分かったか)

 

「これを貸して欲しいならさ。あんたの腰に下げた剣を私に貸してよ」

「これ?」

「そう。ちょっと気になってるんだよね。凄い立派な剣だからさ」

「はい」

 みかかはベルトに固定していた剣を取り外してクレマンティーヌに差し出した。

「……あ、ありがと」

 クレマンティーヌはあっけに取られながらも剣を受け取って鞘から引き抜く。

 

「嘘。何、これ?」

 空のように青い刀身から漏れる冷気を見て、クレマンティーヌは感嘆の息を呑んだ。

「アイスソード。とある聖騎士さんから頂いた魔剣だよ」

「………………」

「剣を渡したんだから、今度はそっちの番。叡者の額冠見せてくれない?」

「お前、馬鹿か」

 クレマンティーヌの声が変わった。

「……はい?」

「女に甘い甘いと思ってたけど、ここまでいくと病気だな。これ、お前の主力武器だろ? それをあっさり渡すとか剣士舐めてんのか?」

 クレマンティーヌは立ち上がると剣を構えた。

「ズーラーノーンも飽きてきたから、あんたのいる八本指にでも匿ってもらうつもりだった。だけど、ここまで馬鹿な男じゃ大したことないね。悪いけど、ここで死んでくれない?」

「……フッ。ふふふ、ふふふふ、あはははははは!?」

 ズーラーノーンという謎の単語。

 そして、何故自分は八本指と関わりがあると思われてしまうのか?

 色々な疑問を他所に、みかかは腹を抱えて笑った。

 

「まさか、貴方――嘘でしょ? ころしてでもうばいとるって言ってるの!? 何よ、それ。まさか、この剣のこと知ってるわけじゃないでしょう?」

 

「な、何がおかしい!!」

 アイスソードをブンッと振るって、みかかに向かって突きつける。

 こんな恐ろしい力を放つ魔剣を奪われたというのにどうしてこいつは余裕の態度が崩れないんだ。

「おかしいわよ! これが笑わずにいられるものですか! あーもう、貴方素敵だわ。かつての仲間に見せてあげたいくらい。きっと、皆気に入ってくれると思うわよ?」

「ん? えっ? その口調……お、お前――まさか、女か!?」

「あっ、しまった。思わず素の自分が出ちゃった」

 笑いすぎて目の端に浮かんだ涙を指で擦りながら、みかかは片手を伸ばして手招きする。

「おいで、クレマンティーヌ。ころしてでもうばいとると言うなら、私を殺してみせなさい! 私がかつてそうしたようにね!!」

「ええ、やってやろうじゃないの!!」

 クレマンティーヌは剣をかまえ、必殺の体勢に移行する。

 

「能力向上、能力超向上」

「………………」

 武技を発動させる自分を鼻で笑う。

「……馬鹿みたい。なんで自分の手の内をわざわざ口に出して晒してしまうのかしら? 支援系の特殊技術だってばれちゃうじゃない」

「黙れ。分かった所で何の問題もない」

 そう呟きながらも疾風走破、超回避の二つの武技を口には出さず発動させる。

 

 不気味な相手だ。

 この剣が魔剣と呼ばれる類のものであることは間違いない。

 それを奪われても尚、相手は自分の優位を疑っていない。

 

 だが、しかし――。

 

「この人外領域に到達した天才、クレマンティーヌ様が負けるはずがないんだよ!!」

 全身全霊の一撃で決める。

 大きく息を吐き出すとクレマンティーヌは突進した。

 四つの武技を同時に展開し、身体能力を極限まで高める。

 さらに相手が何かをしてきたとしても防御系の武技を使える余裕を残してある。

 

 いくら最高級の宿とはいえ、所詮は屋内。

 間合いはさほど離れていない。

 短い距離を瞬時に駆け抜けたクレマンティーヌは手にした剣を突き出した。

 鍛え上げた己の膂力と魔剣の性能を合わせれば、アダマンタイトの鎧でさえ貫く自信があった。

 

 しかし、必殺の一撃も当たってこそだ。

 

 突き出された氷の魔剣は相手の身体を掠りもしなかった。

 左目を貫くはずの魔剣は想定のはるか斜め上である虚空を貫いている。

 

「ッ!?」

 その在り得ない光景にクレマンティーヌは驚愕する。

 そしてクレマンティーヌは自らの手首を掴む小さな手に気付いた。

 クレマンティーヌは己の攻撃が何故外れたのかを理解した。

 突き出した刺突の力を後押しするように、みかかは手首を掴んで斜め上に引っ張りあげたのだ。

 

(馬鹿な!? 私の技を初見で見切ったの?)

 

 余りにも自然に受け流されたので身体が異変を感じなかった。

 格闘技でいう受け流しは往々にして崩しの動作を兼ねている。

 刺突を繰り出して伸びきった右腕は同時に右脇腹を無防備な状態で曝け出すという隙を見せている。

 当然、殺し合いの最中にがら空きの急所を見逃すようなお人好しはいない。

 

「ボディがお留守になってるわよ」

 手首を掴んでいた手を離すと同時に拳を握り、がら空きの脇腹に向けて放つ。

 伸びきった右腕では防御出来ず、今から避けることも出来ない。

 みかかの拳はクレマンティーヌの脇腹に突き刺さる――筈だった。

 

「不落要塞!!」

 クレマンティーヌが叫ぶと同時に武技を発動させる。

 

「んんっ?」

 今度はみかかが驚愕する番だ。

 脇腹は筋肉のつきにくい箇所であり、そこに位置する肋骨は骨の中でも折れやすい箇所だ。

 そこを狙った拳撃が無防備な脇腹を叩くと同時に大きく弾かれる。

 

(武技か!?)

 

 戦士の魔法――この世界特有の特殊技術だ。

 

 みかかは完璧なタイミングで放ったカウンターが失敗したことに舌打ちする。

 ユグドラシルであれば受け流しからのカウンター攻撃は達成値にボーナスがついて与えるダメージは大きくなる。

 それこそ百レベルのみかがの攻撃ならクレマンティーヌの身体など爆裂四散してもおかしくない。

 今回は生け捕りにしなければならない為、手加減をしたせいでスピードが乗らず、結果的に防御スキルを使う隙を生んでしまった。

 

「即応反射、流水加速!!」

 

 最大の好機を逃したみかかを嘲笑い、武技を発動させる。

 即応反射で受け流しによって崩れた体勢を無理矢理、攻撃態勢に引き戻して流水加速によって攻撃に転じる。

 事前に能力向上、能力超向上を用いたことにより流水加速の効果はさらに高まっており、クレマンティーヌの一撃はガゼフの速度を容易に凌駕していた。

 

「死ねよ!!」

 

 この一撃の速さは流星の如し、そしてこの距離であれば外しようがない!!

 しかし、再びクレマンティーヌの刺突は空を貫いた。

 

「………………な?」

 まるで先程の巻き戻し――再び、クレマンティーヌの攻撃は受け流された。

 だが、その結果はまったく異なる。

「邪魔」

 何かが折れる音と痛みがクレマンティーヌを襲った。

「ぐっ!?」

 クレマンティーヌは苦悶の声をあげた。

 不落要塞を発動させるより早く、みかかの拳が脇腹に突き刺さって肋骨の数本がへし折れる。

 それだけではない。

 握られた手首も強烈な握力によって直角に曲がっていた。

 当然、そんな状態では剣を握ることなど出来ない。

 手から落ちた氷の魔剣が厚い絨毯の上に転がった。

 

「えっ?」

 その光景に理解が追いつかず、クレマンティーヌは首を傾げた。

 いや、理屈は簡単だ。

 遥かな高みに位置する者が相手が意外に頑張るものだからちょっと本気を出しただけに過ぎない。

 

「癒しの武技は持ってないの? それとも私の油断を誘っているのかしら?」

 後ろからかけられた声――冷たい指がクレマンティーヌの喉から頚動脈をツツッとなぞる。

「馬鹿な……」

 自分の背筋に冷や汗が伝う。

 いつの間に背後を取られたのだ?

 目の前にいた筈なのに、あっさりと背後に回られた。

「ちっ!!」

 戦士として背後を取られたままでいるのは危険すぎる。

 瞬時の状況判断でクレマンティーヌが後ろを振り返るが、そこには誰もいない。

 

「手首と肋骨が折れただけよ。勝負はまだこれからでしょう?」

 再び背後から声をかけられる。

「くそっ!?」

 半ば自棄になって、再び振り返るが、やはりそこには誰もいない。

「人間には二百十五本も骨があるのよ。数本くらい折れた所で大したことないでしょう?」

 そんな訳がない。

 肋骨は臓器を守る鎧の役目を担っているが、折れた肋骨など臓器を傷つける凶器でしかない。

 すでにクレマンティーヌの身体は万全の状態ではなく、身体能力は落ち込んでいる。

 そもそも万全の状態で挑んでこうなったのだ。

 何をどうしようが勝つことなど出来はしない。

「さあ、私を楽しませて頂戴。一度は私の不意を突けたじゃない。貴方ならもっと頑張れるはずよ?」

 まるで母親が子供を諭すかのように優しい声で励ましている。

「あっ、うっ……」

 まるで悪夢だ。

 何度後ろを振り返っても、辺りを見回しても、相手の姿を捉えることが出来ない。

 自らについてまわる影のように少女に後ろを取られたままだ。

 

(あ、在り得ない。そんな馬鹿な……)

 

 桁違いの力を前にして、クレマンティーヌの脳裏にある人物の顔が浮かび上がる。

 六大神の血を引き、その神の力を覚醒させた神人と呼ばれる二人。

 

 漆黒聖典第一席次。

 そして化け物中の化け物、漆黒聖典番外席次。

 あの二人より――こいつの動きは早くないか?

 

 だとしたら自分の行いは神に唾を吐いたも同然。

 その末路には死あるのみ。

 

(嫌だ。そんなの嫌だ。死にたくない。死にたくない!!)

 

 いつの間にか自分の身体が寒さに震えるように揺れていた。

 

「……そう。どうやら、手品の種は出し尽くしてしまったようね」

 怯えた自分を見て、残念そうに少女が姿を現した。

「このっ!!」

 最早、勝負はついてる。

 それでも残った右手で手刀を作って、クレマンティーヌは相手の瞳を潰しにかかる。

 クレマンティーヌの必至の抵抗を、少女はつまらなそうに眺めながら、悪戯をする子供のように小さな舌を出す。

 馬鹿にしてるのかと憤慨するクレマンティーヌの意識が急速に冷めて顔が引き攣った。

 

「う、嘘でしょ!!」

 

 照明の光に照らされて、舌の上に転がる金属が光っていた。

 みかかの舌に乗っているのは含み針――暗器と呼ばれる隠し武器だ。

 みかかはニヤリと笑って、クレマンティーヌに口づけするように口をすぼめてから「フッ」と針を吹き出した。

 相手の狙いは眼球――その異様な速度を前にクレマンティーヌは攻撃を即座に中止。

 折れた手で己の顔を庇う。

 ぷつりと肌を突き破って針が刺さると同時、クレマンティーヌの膝が力を失った。

「はっ?」

 そのまま訳も分からずに絨毯に倒れこむ。

 

「麻痺毒よ。残念だったわね」

 

 毒?

 針に塗ってあったのか?

 なら、毒を塗った針を口に含んでいるあいつはどうして無事なんだ?

「ああ、やっぱり――剣を落とした拍子に床に傷がついてる。ばれなきゃいいけど」

 倒れた自分の横を通り過ぎ、転がった魔剣を拾うと再び腰に下げる。

「さてと、約束どおり叡者の額冠を借りるわね」

 みかかはクレマンティーヌの懐から叡者の額冠を抜き取ると、《道具上位鑑定/オール・アプレーザル・マジックアイテム》のスクロールを取り出して使用する。

「……性能的にはユグドラシルにはないタイプの道具ね。ふうん……一度着用して外すと正気を失う。着脱者を救うには破壊するしかない。しかも着用者には特別な資格が必要。だからンフィーレアが欲しかったってわけね」

「……し、信じられない」

 無様に床に倒れ伏したまま、クレマンティーヌは喘ぐように呟いた。

「ん?」

「スクロールを扱うなんて、あんた魔法詠唱者でもあるの? 何者なのよ? そんな奴、聞いたこともない」

「………………」

 みかかは何も答えずにクレマンティーヌの左手に触れると医療系の特殊技術を用いる。

 瞬時に折れた左手の手首は治癒して元の姿に戻った。

「ち、治癒魔法まで? 在り得ない、在り得ない」

「その手の反応はそろそろ見飽きてきたからしなくて結構よ。化け物でも見る目をされるのは不快だもの」

 折れた肋骨を治しながら、つまらなそうに呟く。

「………………」

 自らの立場を理解したのかクレマンティーヌは口を閉じる。

 そして母親の仕事を見守る子供のように、みかかの医療技術を眺めていた。

 

(凶手として、あれだけ技を極めながら魔法まで取得してるっていうの? 天才なんて言葉で片付く器じゃない)

 

「ど、どうして……」

「んっ?」

「どうして殺しの技と癒しの技を極められるのよ? 在り得ないわ。相反する力を求めれば中途半端な結果に終わる筈なのに……」

 

 そもそも戦士と魔法詠唱者の腕を両立など出来るわけがない。

 どちらか一方を極めるのが精一杯で、どちらも鍛えれば中途半端に終わる。

 それは英雄の領域に到達したクレマンティーヌですら同じだ。

 

 なのに、何故この少女だけ違うのだ?

 

「私の職業構成は三本矢――暗殺、医療、薬物精製で構成されてる」

 理解は出来ないが、クレマンティーヌは一字一句を忘れない覚悟で話しに聞き入っていた。

 英雄の領域に到達した自分を嘲笑う神域の領域に到達した者の力の秘密を知れるかもしれないと思ったからだ。

「成長タイプには早熟型や平均型とか色々あるけど私は大器晩成型。百レベルを前提とした種族・職業構成を行っている」

「………………」

 やはりか。

 この少女も神人――六大神や八欲王と同じ、プレイヤーなのだ。

「だから四十レベルに到達しない貴方が私の職業構成を真似ればそうなるでしょうね」

「………………」

 つまりは、自分には才能がなく、彼女には才能があった。

 それだけの話なのだろうか?

「だけど、貴方の言ってることには一部大きな誤りがある」

「えっ?」

「暗殺、医療、薬物精製は決して相反する力ではない。相互に密接な関係があるものよ」

 

「薬も過ぎれば毒になるし、人を殺す術を極めるということは人を生かす術を極めることに繋がる。貴方なら人より長く拷問出来るじゃない?」

 確かに拷問を行うときは長く苦しむように致命的な臓器や血管を傷つけないように注意している。

 逆に戦うときは容赦なく相手の急所を狙い打っている。

 自分は人を殺すことだけを追い求めたので気付かなかったが、確かに人を救う術も心得ているのかもしれない。

「私はあれも欲しいこれも欲しいと思って職業構成を選んだわけじゃない。如何に合理的に人を殺すかを追求した結果、こういう職業構成に落ち着いただけよ」

 その言葉にクレマンティーヌは感動した。

 血を求める狂犬に過ぎない自分とは異なる徹底的に追求した殺しの美学がそこにはあった。

「正統派はどの状況でも満遍なく強いけど面白くないでしょ? 私の友人は固定値は裏切らないと言ってたけど、こっちには正統派にはない爆発力がある。ダイスが回った時の達成値は正統派の比ではないわよ? 固定値は期待を裏切らないかもしれないけど、期待を上回ってもくれないわ」

 楽しそうに己の殺しの技術を自慢する少女がクレマンティーヌには眩しく見えた。

 そして、この少女なら自分を受け入れてくれるだろうという期待も。

 理解出来ない狂人を見る目――邪教集団の中でさえ、クレマンティーヌは理解されなかった。

 しかし、この少女なら違う――そういう確信がある。

 

「これで良し。他に痛む所は?」

「……ない。もう一つ聞いていい?」

「まだあるの?」

「あんたは私が今まで見た誰よりも殺す術に長けてる。その技能は誰から習ったの?」

「神様」

 みかかは吐き捨てるように言った。

 

「冠位暗殺技能習熟――生と死を極めた暗殺者の頂点に立ったものが有する技能、だったかしらね。本来なら修練の果てに会得する技術を九十レベルに到達したときに神様から頂いたのよ」

 そういってみかかは剣を抜いて振り回した。

「っ!?」

 それは一見すれば出鱈目な動き――狂人が刃物を振り回しているのと変わらない。

 だが、そこには常人では生きることも適わないほどの年月を殺すことに捧げた者の境地が宿っていた。

 この太刀筋は素人でありながら素人ではない――その内になにか得体の知れない神を宿した無慈悲なまでに極められた一撃だ。

 

「ハッ……こりゃ、勝てないわけだわ」

 クレマンティーヌは眩いものでも見たかのように目を細めた。

 自分には理解が及ばないほどに極められた殺しの技術――最早、道具の優劣など問題にならないほどの真髄が彼女には宿っている。

 自分はなんと愚かだったんだろう。

 彼女なら魔剣を持った自分でも、そこら辺の家庭から借りてきた包丁を使って殺せるだろう。

 

「お願い、私にあんたの技を教えてくれない?」

 

「はぁ?」

 みかかは小馬鹿にしたように笑った。

「笑えない冗談ね。私の命を狙ってきておいて、今更都合が良すぎるじゃない?」

「分かってる。でも……最初にその力を見せてくれてたら、あんな真似はしなかったよ」

「……ふむ」

 その意見は一理あると思った。

 みかかの敵感知スキルで見ても緑色の友好的なオーラに変わっている。

「それで私が貴方を教える対価に貴方は何を差し出すというの?」

「あんたの足元にも及ばないけど、それでも英雄と呼ばれるくらいの力はあるし国の内情もある程度把握してる。きっと役に立つから」

「全然駄目ね。足りないわ」

 無様に倒れ伏す自分を冷酷に見据える瞳に変化はない。

 このままでは死ぬ、殺される。

 己の人生において初めて訪れた大きな転機――最大級の幸運を目の前に無為に、無価値に、無意味に死んでしまう。

 言葉に出来ない感情が胸を渦巻き、クレマンティーヌの瞳に涙が浮かんできた。

 

 みかかは胸中で改心の笑みを浮かべる。

 ここが落とし所だ。

 

「血の巡りの悪い子ね。そうじゃないでしょう?」

「えっ?」

 クレマンティーヌの頬を撫でながら優しく語り掛ける。

 撫でる手には精神抵抗値を下げる毒が仕込まれており、即座に肌から吸収されて効果を表す。

 クレマンティーヌの瞳の焦点が定まっていないのを確認してから、噛んで含めるようにゆっくりと語り聞かせる。

「命を救ってあげた私に対して貴方が差し出すものが奉仕だと言うの? それって、当たり前のことよね?」

「じゃ、じゃあ……何を差し出せば?」

 迷い子のように不安な瞳を浮かべるクレマンティーヌにみかかは魅了の魔眼を用いた。

 その効果は朝に行ったものの比ではない。

「ぁ……うぁ……」

 みかかが有する特殊技術を駆使して強化された魔眼の威力はクレマンティーヌの精神を抵抗も許さずに塗り潰していく。

「決まってるわ。すべてよ。あなたの持ってるものは当然のこと――私にとって意味のあるものすべて、この世で意味のあるものすべてを私に捧げなさい」

「……はぃ。さ、さげ……」

「聞こえないわね」

 震える顎を掴んで、上を向かせて射竦める。

 再び蒼く光る碧眼を見て、クレマンティーヌの理性は完全に消し飛んだ。

 

「捧げます! 全部、何もかも!!」

 

「そう。嬉しいわ」

 みかかの腕が動けないクレマンティーヌの身体を抱きかかえる。

 以前のような言葉だけの抵抗すらない。

 

(……墜ちたわね。出来れば、じっくりコトコト煮詰めてあげたかったのだけど仕方ない)

 

「私は貴方の命を救ってあげたんだもの。貴方は私の為に生きて死ぬ義務があるでしょう?」

 少しばかり残念なものを感じながら、その耳元に囁いた。

 クレマンティーヌはみかかの腕に包まれ、そっと目を閉じて頷いた。

 

「いいわ、信じてあげる。貴方に裏切りの黒い影が差さないことを願っているわ」

 一度だけ強く抱きしめて念を押してから、みかかは身体を離した。

 その際に薬物精製スキルを用いて、全ての毒をゆっくりと取り除く。

「………………」

 麻痺から立ち直ったクレマンティーヌの顔は夢心地のように呆けていた。

「命を拾ったというのに、心ここにあらずな感じね」

 みかかの言葉にハッとして、クレマンティーヌは優雅な礼をしてみせる。

「し、失礼致しました。お嬢様」

 それを見て、みかかは気になっていたことを尋ねた。

「あなた……元は貴族か何かだったの?」

「はい。スレイン法国でも名家と呼ばれるクインティアの家系です」

「……ふうん」

 名家に生まれながら、何をこじらせたら人を殺すのが楽しくて仕方ない殺人狂に育つのか、少しばかり興味がそそられる。

 落ち着いたら聞いてみるのもいいだろう。

 

「貴方の実家に興味もあるけど今はいいわ。別に私の言う事に逆らわなければ口調まで変えろとは言わないわよ」

「よ、宜しいのですか?」

「ええ。人の生き方を変えるのは良くないわ。それに大抵、そういうものって手遅れだし。私に隷属してくれればそれで結構よ」

「………………」

 それは矛盾している命令のような気がするのだが。

 ともあれ、この少女の性格は理解した。

 我侭、強引、高飛車――絵に描いたような貴族のお嬢様だ。

 

「じゃ、じゃあ……堅苦しいのは嫌だからそうします。ええっと……命令を聞く代わりに私を鍛えてくれるんだよね?」

「ええ。しっかりと躾けてあげるから安心なさい。私の花嫁に相応しい存在になれるようにね」

「えっ?」

 その瞳に宿る妖しい光にクレマンティーヌは身体を固くした。

「で、でも、貴方って……女の子、でしょ?」

「それは私が男になれるなら問題ないという認識でいいかしら?」

 ユグドラシルには一時的な性別変換アイテムが存在する。

 男子禁制や女人禁制のエリアなど普通に存在するし、クエストクリアのために特定の性別でなければならないという条件があるからだ。

 試したことはないが、それを使えばどうにかなるだろう。

 

「い、いや……ほら、私って力ならまだ役に立つ自信があるけど、そっちの方はご期待に添うとは思えないよ!」

「黙りなさい」

 風が舞った。

「………………」

 気がつけば、自分の首に魔剣の刃が触れていた。

 刃は肌を裂いて頚動脈に触れている。

 一歩でも動けば血管は裂けて、盛大に血を噴き出すだろう。

 

「もう忘れたの? 私の命令は絶対よ」

 冷や汗を流す自分を冷徹な瞳で見つめながら警告する。

「貴方の意思なんて知ったことじゃない。私がそう決めたんだから貴方は私の物になるの」

 傲慢不遜な物言いだが、この少女にはこの上なく似合っている。

「お返事は?」

「は、はーい。分かりました」

「宜しい」

 再び目にも留まらぬ速度で剣を収める。

 その速さにクレマンティーヌは憧憬の眼差しを向けた。

 いずれは自分もあの神域に手をかけることが出来るのだろうか?

 いや、花嫁として躾けるといった以上、自分は今よりずっと高い所に登れるだろう。

 

「よ、宜しくお願いしますね。だ、旦那様」

 クレマンティーヌは意識して可愛い声を出して媚びてみる。

 しかし、まさか自分が誰かを旦那様などと呼ぶ日が来ることになるとは思ってもみなかった。

 

「旦那様? 冗談でしょう? 少し目をかけたくらいで調子に乗らないで」

 そんな自分に呆れた目が向けられた。

「今の貴方はせいぜい私の使用人レベルよ。お嬢様と呼びなさい」

「わ、分かりました。お嬢様」

 完全に我侭なお嬢様の相手をしているメイドみたいな状態だが、相手は神域の化け物だ。

 機嫌を損ねればあっと言う間に殺されてもおかしくない。

 だが、この緊張感は悪くない。

 絶対的強者だと思っていた自分が、この少女の前では無力な一般人に成り下がっている。

 しかし、こういう立場でしか学べないものがある。

 それはこの少女といることでしか得られない貴重な経験だ。

 

「さっそくで悪いけど命令よ。そのドレスを脱ぎなさい」

「えっ?」

「脱げと言ってるのよ。早く」

「い、いや、ちょっと待って! 私にも心の準備ってものが!!」

「あっ、そう」

「っ?!」

 自らの身体を庇うように抱いたクレマンティーヌの顔が恐怖に引き攣る。

 眼前の少女の機嫌が急降下していくのがアリアリと感じ取れたからだ。

 

「二度も同じ事を言わさないで」

 

 みかかが煩わしげに右手を振るうと青く光る五本の閃光が走る。

 空を裂いて鋭い音が耳朶を打ち、極細の糸がクレマンティーヌの身体を縛りつけた。

 

「わ、分かりました! 脱ぎます! 脱ぎますから!!」

 蜘蛛の巣にかかった哀れな獲物と化したクレマンティーヌが必至に叫ぶが、時既に遅しだ。

「うるさい、貴方の意思なんて、私は聞いてない」

 糸が絡まったのを確認すると、みかかは指をパチンと鳴らした。

「きゃ、きゃあああああああああ!?」

 瞬間、薄布を一気に引き裂く音と共にクレマンティーヌのドレスがビリビリに破かれる。

 

「やっぱり下に鎧を着てるのね」

「え? まさか……それが知りたかっただけ?」

「そうよ」

 その言葉にクレマンティーヌは顔を赤くして怒った。

「だったら、普通に聞けばいいじゃない! なんでドレスを破くのよ!?」

「最近、女性の服を無理矢理引き剥がすことに楽しさを覚えたからよ」

「趣味悪っ!!」

 フンッと悪びれもせずに宣言する少女にクレマンティーヌの頬の筋肉がぴくりと引き攣る。

 

「どーすんのよ。替えの服なんて持ってきてないのに。これじゃ、外に出られないじゃない!」

「そんな下着みたいな鎧つけてるくせに羞恥心はあるのね」

 クレマンティーヌの鎧はユグドラシルではビキニアーマーと呼ばれるもので現実には在り得ない鎧だった。

 ブラジャーに似たトップスと短いボトムに申し訳程度の装甲が施されたもの。

 ユグドラシルなら敵NPCや一部のいかれたプレイヤーが着用していたが、まさか異世界で実際に着用する者がいたのは驚きだ。

 

「そういう意味じゃなくて、この鎧見れば何でか分かるよね?!」

「ええ。私の趣味にけちをつけるだけあって、とってもいい趣味してるじゃない」

 クレマンティーヌの鎧は魚の鱗のように無数の冒険者プレートが着いてあった。

 銅、鉄、銀、金、白金、ミスリル、オリハルコン――アダマンタイトを除く全ての種類が存在していた。

「どうしてアダマンタイトがないの? 貴方ならアダマンタイトくらいどうにか出来るでしょ?」

 マジマジと胸部を見られるのにむず痒いものを感じながら、クレマンティーヌは答える。

「一対一で戦うならね。さすがにアダマンタイト級になると警戒も厳重だから奪えないのよ。私は尾行とかチマチマした行動は得意じゃないし」

 そう言ってクレマンティーヌは唇を尖らせる。

「ふうん。でも、駄目よ。ちゃんとシリーズアイテムはコンプリートしないとね。なんなら私が取ってきてあげましょうか?」

「……結構よ」

 この少女の性格が読めたクレマンティーヌは申し出を断ることにした。

「一対一で戦える状況さえ作ってくれれば自分で取れるもの」

「いい子ね。そういう所、好きよ」

「………………」

 毒気のない笑顔にクレマンティーヌは肩の力が抜けるのを感じた。

 とんでもなく恐ろしく、それと同じくらい我侭で小生意気な少女だが、こうして見ると意外に可愛らしい所があるじゃないか。

 

「でも、その鎧だと武装としては貧弱だし外を出歩けないわね。とりあえず私が昔愛用してた武装を貸してあげるわ」

「お嬢様の慎み深い胸を包む服は私にはサイズが合わな……ふぐっ!!」

 みぞおちに強烈な衝撃が走ると同時にクレマンティーヌの身体が軽く宙を浮いた。

 

(早すぎっ……全力で警戒してたのに見えなかった)

 

 そしてそのまま受身も取れず絨毯に沈む。

 

「貴方が絨毯に倒れこんだこととまったく無関係なのだけど」

 倒れ伏した自分を見つめながら、ぽつりと呟く。

「人の身体的特徴を揶揄するのはとても良くないことではないかしら?」

「……し、失礼致しました」

 スタイルに関する話は厳禁と己の心に深く刻み込む。

 空気抵抗が少なそうで自分は羨ましいくらいなのだが……。

『疾風走破』なんて呼ばれてる自分だが、割とぷるんぷるん揺れて痛いのだ。

 ……とかいう事をこのお嬢様の前では口にしないほうがいいだろう。

 

「いつまでもそんな所に寝転んでないで着替えたらどう?」

 みかかは虚空に手を突っ込むとアイテムボックスから服と外套、それに一本の細剣を取り出してテーブルに置いた。

「いたたた……いやぁ、久しぶりに床に転がされたわ」

 自分の身体が宙に浮くくらいの力で突かれたのに、すでに痛みは収まりだしていた。

 単純に力任せで殴ったのではこうはならない。

 絶妙の力加減で急所を突いたのだろう。

「服を貸してくれるのはありがたいけどお嬢様と私じゃ体格が違うから着れな……って、ええっ!?」

 クレマンティーヌは思わず生唾を飲んだ。

 一体どこからアイテムを取り出したのかも気になるが、置かれているアイテムはどれも並みのマジックアイテムではないことが分かる。

「戦闘メイド服後期型一式と透明化の能力がある外套、ブルークリスタルメタルの細剣よ。メイド服はマジックアイテムだからサイズは問題ない筈だわ」

「こ、こんなの借りていいの?」

 飛びつくように細剣を手にとり試しに振ってみる。

「なに、これ? うわ、やばいわ」

 恐ろしく軽い――それだけでなく初めて手に取る物なのに自分の手を延長させたかのように自由に扱える。

 予想以上の一品に思わず身震いしてしまう。

 これは国の至宝に扱われてもおかしくない一品だ。

 次にクレマンティーヌはテーブルに置かれたメイド服を見た。

 

「この服はあのメイドちゃんのと似てるね。私の趣味じゃないんだけど……」

「いいの? 上位物理無効化スキルを三回まで発動させることの出来るものよ?」

「物理、無効化? それって、もしかして……」

「言葉の通りよ。斬撃、殴打、刺突、あらゆる物理攻撃を防ぐわ」

「……マジで?」

「ええ。ただし、どんな些細な攻撃でも発動するし、その度に小破、中破、大破と服が破れていく仕様だけどね」

 ちなみにエンリの着ている戦闘メイド服初期型は一度で大破する仕様になっている。

「着る! 着る着る! この装備、私にぴったりじゃん!!」

「そうね。高機動で紙装甲なあなたにはぴったりな装備だと思うわ」

「うんうん。じゃあ、着替えてくる」

 服を手にとったクレマンティーヌは上機嫌で寝室へと消えていく。

「とんでもない殺人鬼のくせに子供みたいにはしゃいで……可愛らしいこと。サイコパスの知り合いが出来るなんて不思議な気分だわ」

 その様子を微笑ましく見守っていたみかかだが、不意に頭に何かが繋がる感覚を覚えた。

 

『みかか様、聞こえますか?』

 そして、直接声が響いた。

「……ルプスレギナか?」

『はい』

「お前が《伝言/メッセージ》を使ってくるという事は……」

『御慧眼でございます。先程、ンフィーレア・バレアレとエ・ランテル都市長が複数名の衛兵を伴って、そちらに向かいました』

「な、なんですって……」

 その言葉にみかかは唇を噛む。

「そう……ちゃんと警告してあげたつもりだったのだけどね」

 相手を甘く見たか。

 今日一日、自分を追い詰める為に必至になって行動したのだろう。

『心中お察しいたします。尚、現時刻をもって御二方の遊戯は終了となります。ンフィーレア・バレアレの対応についてはモモンガ様の命に従う。宜しいですね?』

「そういう約束です。私に異論はありません」

『失礼致しました。では、私はこれにて――』

 魔法の効果が終了し、静寂が訪れる。

 

「新しい友を得れば、失う者もいる。ままならないものね。何もかも」

 

 みかかは深くため息を吐くと天井を見上げた。

 

 

 夜の帳も下りて、薪の火が辺りをぼんやりと照らしている。

 赤く燃える焚き火の横に恐ろしい異形の姿があった。

 ギカントバジリスクと呼ばれる恐るべき魔獣の首だ。

 地平線の彼方にその姿が見えただけで一目散に逃げ出さないといけないほどの危険な魔獣の周りに多数の人物が集まっている。

 依頼人である大商人のバルド率いる商隊と護衛とエ・ランテルの冒険者チーム『虹』が昼間の出来事について語り合っていた。

 話の内容は強大な魔獣を一刀の元に屠った新たな英雄、モモンの勇姿についてだ。

 

 冒険者チームがいかにモモンが優れた冒険者であるかを大商人バルドに語っているのを見て、モモンガは内心でほくそ笑んでいた。

 冒険者組合では『漆黒の悪夢』という不名誉な二つ名で呼ばれていたが、それも今は『漆黒の英雄』に変わっていた。

 むしろ最初に悪評が立ったのが幸いしたとすら言える。

 モモンガは社会人として当たり前のことをしていただけなのだが、その丁寧な態度は冒険者や商人達には意外な側面だったらしい。

 昔、悪さをしていた人間が真人間になるとそれが普通のことであるにも関わらず、周りが高評価を下すことがある。

 今のモモンガはまさにそんな状態だった。

 

(やる事なす事全てが上手くいくのは嬉しいけど、失敗した時の反動が酷そうで怖いよ)

 

 こういうのを何と言うんだったか、確か――主人公補正?

 まさか、鈴木悟はただの社会人だ。

 物語の主人公なんて務まる柄じゃない。

 

「それでは予定通り、私は先に休ませてもらう」

「ごゆっくりどうぞ。モモンさん!」

 モモンガがちょっとした祝宴を挙げている連中に話しかけると皆が一斉に姿勢を正して頭を下げた。

 

(依頼主まで頭を下げなくても……いや、九死に一生を得たわけだから感謝してもおかしくはないけどさ)

 

 軽く手を挙げることで答え、モモンガはパンドラズ・アクターを連れて自らの天幕へと歩き出す。

 皆から離れた所にある天幕に入ると入り口を閉め、念の為に外の様子を窺う。

 命の恩人をゆっくりと休んでもらう為か、今日の出来事の熱がまだ冷めていないのか、こちらに注意を払っているものはいなかった。

 モモンガは兜を外して、その骸骨の顔を晒す。

 

「……すまない。待たせたな、シコクよ」

「いいえ。私の為に貴重なお時間を割いて頂きましたこと深く感謝致します」

 三つ指をつき、深く頭を下げる。

「気にすることはない。みかかさんが村娘のお守りをしている以上、お前が動くのは仕方ないことだ」

「ありがとうございます」

 再び頭を下げようとするシコクを手で制する。

 

「それより状況が大きく動いたと聞いた。報告を頼む」

「ハッ。みかか様に接触したクレマンティーヌを名乗る人間ですが、その者は邪教集団ズーラーノーンの幹部であるカジットと共にエ・ランテルで都市壊滅規模の魔方儀式を行うつもりです」

「ほほう。あれだけの大都市を第三位階魔法を扱うのがやっとの現地人が魔法儀式で壊滅させるというのか?」

「はい。クレマンティーヌはスレイン法国の人間であり、国より至宝を盗み出して逃亡中の身のようです。至宝の名は叡者の額冠――着用するのに厳しい制限がありますが、着用出来れば自我を失う代わりに第七位階魔法を扱う道具に変えることが出来るというものです」

「なるほど。こちらの世界の人間から言わせれば第七位階魔法を扱えるアイテムは至宝と呼んでもおかしくないな。クレマンティーヌはみかかさんに接触したというよりはンフィーレアの力が目当てだったというわけか」

「その通りです」

 シコクは頷いて話を続ける。

 

「ンフィーレアを誘拐し叡者の額冠を装備させて第七位階魔法《アンデス・アーミー/不死の軍勢》を使用。エ・ランテルを死の街と化し、その騒動に乗じて行方を晦ます計画だったようです」

 己の保身の為に都市を壊滅させようと企むとは大した女だ。

 その行動力には感心するが、信用できる人物ではなさそうだ。

 

「この計画の核であるンフィーレア・バレアレについてはルプスレギナが完全不可視化を使って尾行中です。こちらを訪れた原因でもあるのですが、先程都市長宅を訪れて会談後、街の衛兵を伴ってみかか様の元に向かいました。半刻の内には黄金の輝き亭に到着する予定となっております」

「愚かな男だ。みかかさんが友好的に接してやったにも関わらず、自ら進んで墓穴を掘るとはな」

 沸点を超えた怒りの感情が強制的に沈静化されるが、それでも波は収まらない。

 

「クレマンティーヌは確保済み。邪教集団についても私の指揮下にあります。これから城塞都市に起きる悲劇を未然に防ぐことも、さじ加減を調整して起きる悲劇を演出することも容易です。静観するというのも一つの手でございましょう。さて、如何致しますか?」

 天幕の中が静寂に包まれる。

 まるで判決が言い渡される瞬間のように。

 

「……シコク。私はな恩には恩を、仇には仇を返すべきだと思っている」

 裁判長たるモモンガの声は静かだった。

 

「そして、この街の運命はこの街に住む者が決めるべきだろう」

 そういってモモンガは《遠隔視の鏡/ミラー・オブ・リモート・ビューイング》を取り出した。

「……それは、つまり?」

「もうすぐみかかさんの所に奴が訪れるのだろう? ンフィーレア・バレアレがどのような選択を行ったのか私達も見せてもらおうじゃないか。その選択にこの街の運命を委ねよう」

「……それも一興かと」

 シコクが微笑んだことにモモンガは安堵していた。

 理論派のアルベドやデミウルゴスとは異なり、シコクは直感派だ。

 何となくでモモンガが大したことのない支配者なのが発覚してもおかしくない。

 その為の苦肉の策――全てを相手に委ねるという作戦である。

 

(俺達が何かをする必要もない。何もしなくてもンフィーレアは誘拐されて儀式に使われる。そして相手の戦力は完全に把握済みなんだから、最高のタイミングで助けに入ることも可能だ)

 

 そもそもモモンガはンフィーレアが何故、ここまでみかかを敵視しているのか分からない。

 みかかは見当がつかないと言っていたが、自分の欠点とはいうのは自分には見えにくい物だ。

 知らず知らずのうちに相手を怒らせていたということも考えられる。

 

(在り得ないとは思うが、みかかさんの対応に問題があったなら助けてやってもいい。もし死んだとしてもそれはそれで好都合だ。蘇生させてやれば流石に心を入れ替えるだろう)

 

 それでも変わらないなら、遠慮会釈なく責め殺す。

 その時はナザリックに存在する悪夢の体現者達、ニューロリスト、恐怖公、餓食狐蟲王、デミウルゴスの洗礼を受けることになるだろう。

 

「……モモンガ様」

「んっ?」

「もしも、ンフィーレアが取るに足らない理由でみかか様に牙を剥いていたのであればどうなるのでしょうか?」

 シコクの問いかけにモモンガは瞳に憤怒の炎を宿して答えた。

「知れたことだ。その時は未曾有の大惨事となった城塞都市を私が救ってやろう」

「モモンガ様の御帰還は明日の夕方――それまで放置するとなると都市に壊滅的な被害が生じることになりますが?」

「それがどうした。私達は人間の味方ではない。陥落しないだけマシだと思うべきだろう?」

「……仰るとおりでございます」

 モモンガの答えにシコクは瞳を伏せつつ頷いた。

 

 




 ずいぶんお待たせしました。
 あーでもないこーでもないと書いてたらいつの間にかこんなに間が空いてしまった次第です。


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羽をもぎ、血をすする

 今回も長いです(三万五千文字くらい)



「やあ。ずいぶんとまたせてしまったね。んふぃーれあくん」

 冴えない肥満型ブルドックというのがぴったりの顔つきの男が部屋に入ってきたンフィーレアに声をかけた。

 鼻が詰まっているのか、ぷひーという息が漏れた。

 そのため口で呼吸しているのだが、抑揚が殆ど無い。

 まるで台詞を棒読みにしているような違和感があった。

 見た目といい、威厳のない話し方といい、この男から貫禄というものは感じられない。

「いえ。お忙しい所を急に訪ねたにも関わらず、お時間を割いて頂いたこと感謝します」

 だが、ンフィーレアは礼の言葉と共に丁寧に頭を下げた。

 

 男の名はパナソレイ・グルーゼ・デイ・レッテンマイア。

 この城砦都市エ・ランテルの都市長である。

 

(お婆ちゃんは切れ者だと言ってたけど、全然そんな感じがしないな)

 

 むしろ、今からする話をこんな奴に話して大丈夫なのかという心配すらある。

 ンフィーレアの内心の葛藤を他所にぷひーと鼻を鳴らしながら都市長は頭を傾げた。

 

「としぎょうせいにかかわるもんだいがおきたときいているのだが、はなしてくれるかな?」

「は、はい! 実は……」

 ンフィーレアは勘の悪そうに見える都市長にも分かるよう、事の経緯を分かり易く説明する。

「ふむ。そのせいねんがはっぽんゆびのかんぶであると?」

「はい!」

 三十分ほどかけて説明した後、返ってきた返答には危機感というものが欠けていた。

 そのやる気のない返答に苛立ちつつ、これは一大事なんだと分かるように力強く頷いた。

「カルネ村が八本指の拠点として利用される可能性もあると考えます。もしかしたら王国を蝕む麻薬である黒粉の製造を――」

「――いくつかぎもんがあるのだがいいかね?」

 話の途中で強引に質問をねじ込まれた。

 

(人の話は最後まで聞いて欲しいな。アインザックさんは冷静に話を聞いてくれたのに……)

 

「は、はい。どうぞ」

 しかし、こんな男でも都市長だ。

 ンフィーレアは愛想笑いを浮べて応じた。

「きみはなぜそのおとこにかかわるのかね?」

「えっ?」

「はっぽんゆびだぞ? おうこくさいだいのはんざいそしきをあいてに、こわくはないのかね?」

「勿論、怖いですよ。僕も危うく殺されそうになったんですから!!」

「なに?」

 ンフィーレアは自分の額の辺りに手をあてた。

「これを見てください。スラム街で奴に糸を使って髪をばっさり斬られたんです!」

「す、すらむがいだと? なぜ、きみはそんなところへ?」

「勿論、奴が八本指である証拠を掴む為ですよ! 最初から尾行はばれてたようですけど、偶然通りかかったミスリル級冒険者に助けられたんです」

「な、なんと……」

 都市長はその言葉に目を見開いて驚いた。

 数秒の時間が過ぎた後、彼は疲れたようなため息をこぼす。

「……そうか。おもってたいじょうに、しんこくだな」

 ようやく都市長も事態が把握できたらしい。

 ンフィーレアはホッと胸を撫で下ろした。

「次はあしらいが乱暴になるぞと脅されましたけど、僕はそんな脅迫には屈しません!」

「それはなぜ?」

「幼馴染を助けるためです。僕も男ですから」

 ンフィーレアは胸を張って答えた。

「きみはまさか、かるねむらにいるだれかにおもいをよせているのかね?」

「はい。僕の好きなエンリ・エモットを守るために動いてます」

「……えんり・えもっと?」

 何故かパナソレイはきょとんとした顔を浮かべた。

「どうかしましたか?」

「いや……若いな」

「えっ? あ、あははは……」

 パナソレイが遠い目をして呟くのを見て、熱くなってしまった自分に照れが出てしまった。

「男はアリス・サエグサと名乗ってましたが偽名です。奴は八本指の幹部『空間斬』のペシュリアンです」

「ありす・さえぐさ……そうか。さえぐさ、ね」

「都市長?」

「おおまかなじじょうはわかった。わたしのしへいをつかおう」

「あ、ありがとうございます!!」

 ンフィーレアは勢いよく頭を下げた。

「ちなみにそのおとこがいるばしょをしらないかね?」

「知ってます! 黄金の輝き亭です」

「ほう。もしかして、じぶんでいばしょをつきとめたのかな?」

「はい。寝ずに監視してたので少し辛いですけど」

 

「………………ほぉう」

 

「!?」

 一瞬、都市長の目つきが鋭いものへと変わる。

 締りのない豚のような表情が獰猛な猪を思わせるものに。

「きみもついてくるといい。わたしではだれがわからないからね」

「もちろんです!」

 最高の舞台が整ったンフィーレアは歓喜する。

 王国を蝕む犯罪組織の幹部を捕らえる大捕り物の立役者――それが自分だ。

 きっと真実を知ればエンリも感激することだろう。

 

 自分がどれだけ悪辣な犯罪者に騙されており、それを助ける為に友人が危険を顧みずに動いてくれたのだ。

 まさに吟遊詩人が語る流行歌になってもおかしくないのではないかとさえ思える。

 

「では、じゅんびをととのえるまでまっていてほしい」

「まさか、今から動かれるのですか!?」

「うむ。やっかいごとははやめにおわせるにかぎるだろう?」

 確かにそうだ。

 奴は自分から手を退くと言っていた。

 用済みになったエンリが処分される可能性も十分ありえる。

 

「はい! 行きましょう!!」

 

 感動のフィナーレはもうすぐそこにある。

 歓喜に震えるンフィーレアだが、不意に後ろを振り返った。

 

「どうかしたかね?」

「い、いえ……」

 誰かに見られているような、そんな気がしたのだ。

 しかし、この部屋には自分達以外誰も存在しない。

 振り返った先にはあるのは大きな窓――その先には何も見えない暗闇が広がっていた。

 

 

「今日は雲で星も見えないようね」

 窓の外を眺めながら、みかかはため息を吐く。

 空を眺めても暗雲が立ち込めるばかり、星明りがないせいか酷く暗く感じる。

 この雲行きだとこれから雨が降るかもしれない。

 それがなんだか今の自分の心境を表しているようで落ち着かなかった。

 

「お嬢様ぁ。早速、着替えてきたよー」

 調子の良い声には敬意というものが感じられない。

 着慣れないメイド服のせいか、歩く姿にも品が無かった。

 

(ちゃんとやれば出来る子なのに、色々と残念な子だわ)

 

「なによーその顔は! 普段通りでいいって言ったよねぇ?」

「別に。お気楽で羨ましいと思っただけよ」

「えー。だって気難しくなる必要ないもん」

 クレマンティーヌは細剣を抜いて、試し切りを始める。

 新しく手に入れた武器を使いたくて仕方ないといった感じだ。

 

「クレマンティーヌ……貴方に命令するわ」

「何なりとお命じ下さいませ、お嬢様」

 しまりのない顔から笑顔は消えて、両手でスカートの裾を摘んでから頭を下げる。

「貴方のそういう所は好意に値するわね」

 ニコリと笑ってから、その笑顔を吹き消して告げる。

「だから、お願いよ。決して、私を裏切らないでね?」

 言葉と共に漏れた殺気を前に頭を垂れたクレマンティーヌの身体がカタカタと震えていた。

「裏切りは許さない。もし破れば、死ぬよりも辛いことなんて幾らでもあるって事を理解させてあげる」

「……勿論です。お嬢様の命令は絶対、決して違えることは致しません」

「そう? なら、顔をあげなさい。理解が早くてけっこうなことだわ」

 みかかが殺気を消すと、クレマンティーヌの顔にも安堵が宿る。

「この世の全ての栄光はナザリックにある」

「……?」

「仲間内での符丁よ。聞かれたら即座にそう答えなさい。いいわね?」

「了解致しました」

 念を押された。

 下手に馴れ馴れしい態度やふざけた態度を取れば殺されるかもしれない。

 クレマンティーヌは頭の中で何度か符丁を唱えてから忘れないように心に刻み込む。

 

「では、これより現状を説明します。先程、仲間から連絡がありました。ンフィーレア・バレアレが都市長と衛兵を連れてここに向かってます」

「……ちっ。ジッとしてろって言ったのに」

 クレマンティーヌが舌打ち交じりに呟いた。

「……ふうん。貴方、何か知ってるの?」

「その前にお嬢様に聞きたいことがある。お嬢様は八本指と関係は……ないよね?」

「ない。どうして貴方もンフィーレアもそう考えるわけ?」

「ええっと……私がそう思ったのはお嬢様が糸を使ったからだね」

「これ?」

 みかかは隠し武器の糸を周りに展開させる。

「ちょっ!? あぶなっ……」

「そんなに怯えなくても大丈夫よ。遊び半分で貴方に糸を使うことはしないわ」

「………………」

 さっきその糸でドレスをビリビリに破かれたのだが……。

 しかし、このお嬢様相手に細かい突っ込みをしていては命が足りない。

 クレマンティーヌは無視して話しを続けることにした。

「そんな特殊な武器を扱うもんだから、てっきり『空間斬』のペシュリアンかなって思ったのよ」

「空間斬?」

 それはまた、随分と馴染み深い単語ではないか。

「空間ごと相手を切り裂く謎の剣士ってのが売りな八本指の幹部だよ」

「ふうん。近いうちに顔を拝みに行きましょう。ちなみにンフィーレアが私を八本指だと思った根拠について何か知ってる?」

「短期間で貴重な薬草を一杯取ったんだっけ? でも、トブの大森林には森の賢王っていう魔獣がいて普通人なら無理なんだよね」

「森の賢王……そういえばそんなのも居たわね」

 今頃、どこで何をしているのだろうか?

 落ち着いたら探してやろうと心のメモに書いておく。

「そんなのも居たってことは今はいないわけね。もしかして……」

「一応、倒して服従させたんだけど……魔法でどっかに飛ばしちゃった」

「ま、お嬢様の強さは尋常じゃないから服従させてもおかしくはないね。でも、どっかに飛ばしたって、何処に?」

「知らない」

「………………」

 このお嬢様――ひょっとして馬鹿なんじゃないのだろうか?

「もうちょっと常識ってものを考えたほうがいいんじゃないかな?」

 クレマンティーヌは大げさなため息をついてみせた。

 

(飛ばしたのは私じゃない、シコクよ)

 

「ま、普通人には出来ないことをやってのけたから怪しまれたのよ。そこら辺が発端だね」

「なるほど――じゃ、これからはその辺は貴方に任せるわ」

 こういう視点で物が言える人物が出来たのは心強い限りだ。

「えっ?」

「私、そういうの良く分からないから上手くやって頂戴」

「あっ、いや……」

「私の命令は絶対」

 ニッコリと笑って話を終わらせる。

 

「は、はーい。話が逸れたけど、私がミスリル級の冒険者プレートちらつかせて八本指に間違いないって断言したから、それで都市長も動いたのかも?」

「動機が軽すぎる。都市長様はどうやら暇なお仕事のようね」

「で、どーするの? 今から逃げる?」

「貴方は透明化の外套を使って隠れておきなさい」

「隠れるって、お嬢様はどうするの?」

「私は何もやましいことがないもの。ここで相手を待つわ」

 その言葉にクレマンティーヌの顔が険しいものが浮かぶ。

「……はあっ? なんでよ?」

「この街ですべきことなんて大体終わらせたし、そろそろ締めの段階だわ――最後に、あの子と決着をつける」

「何言ってんのよ。権力者相手に正気ですか、このお嬢様は?」

 クレマンティーヌは両手を腰にあてて怒った。

「あいつらに話なんか通用しないっての! 王国の腐敗具合を馬鹿にしすぎなんじゃない!? 罪なんか適当にでっち上げればいいんだからさぁ。下手な騒ぎになるより、ここでトンズラしたほうがいいって!」

「クレマンティーヌ」

 みかかは人差し指をクレマンティーヌの唇に当て、彼女の発言を封じる。

 

「貴方の主人を信じなさい。それもまた、貴方の勤めよ?」

 

「ッ!!」

 ギリギリと歯をかみ鳴らす音が漏れていた。

 そんな彼女をみかかは困った顔で見つめる。

 自分の命令は絶対――だが、忠言に耳を貸さないような暴君を気取るつもりは毛頭なかった。

「あー! もー! 分かった!! わ・か・り・ま・し・たーッ!?」

 ややあって、クレマンティーヌはやぶれかぶれに叫んだ。

「で、もしお嬢様がとっ捕まったらお助けにあがればいいわけね?」

「それはないと思うけれど……その時はンフィーレアを捕らえて儀式を行いなさい。私はその騒動に乗じて脱獄する」

「面倒くさいなぁっ。脱獄するくらいなら最初から逃げればいいじゃん」

「私が人を殺すことしか能がないと思ってるなら、それは間違いね。上手く切り抜けて見せるわ」

「そりゃ信じてるけどさぁ。ああいう手合いは厄介だよ、馬鹿だから」

 その言葉にみかかはひっかかるものを感じた。

 

「もしかして、貴方――ンフィーレアが私に牙を剥く理由を知ってるわけ?」

「へっ? ん? あっ! ああ、そういう……ふーん。そうなんだぁ?」

 自分だけが問題を理解したと確信する余裕の笑顔にみかかの視線の温度が下がる。

「教えなさい」

「お嬢様にはおしえなーい」

 実に意地の悪い笑顔を浮かべて、クレマンティーヌは逃げようとするが当然あっさりと首根っこを掴まれる。

「忘れたの? 私の命令は何だったかしら?」

「いーやだ。そんな頼みは聞けませーん」

 声に冷たいものが混じったみかかを前にしてもクレマンティーヌは揺るがなかった。

 小さな子が叩かれるのを嫌がるかのように両手で頭を庇いながらふざけている。

「だって、その方が面白くなるもん。だから教えなーい」

 みかかは掴んでいた手を離し、眉を寄せた。

「お、面白い? それって、どういう?」

 

「ふふん。私も楽しみになってきちゃった。出来れば、私にも分かる場所で派手にやってよね?」

 

 クレマンティーヌはまるで年下の男の子をからかうお姉さんのような笑みを浮かべて、みかかを送り出すのだった。

 

 

(今頃、何をしてるんだろ?)

 

 陰鬱な気分を引きずりながら一糸纏わぬ姿となったエンリは浴室の扉を開けて中へと進む。

 浴室と言っても原始的なもので陶器製の風呂桶が置かれているだけだ。

 大量の湯が張られた風呂桶に身体を沈めて足を伸ばす。

 じんわりと身体を包み込む温かさに思わず気持ち良くて息がもれた。

「……ふう。やっぱり凄いな、ミカは」

 現在、城砦都市一番の宿である『黄金の輝き亭』に宿泊しているエンリだったが感想を聞かれれば意外に大したことない、と答えるだろう。

 何故なら、城塞都市に向かう前に森で一泊したときの風呂の方が優れていたからだ。

 ここよりずっと広かったし、風呂桶内で身体を洗う必要もない。

 それに何と言ってもシャワーと呼ばれるものがここにない――あれは凄くいいものだと、エンリはうんうんと頷く。

 しかし、無いものを嘆いても仕方ない。

 エンリは浴室に備え付けられたブラシを手に取った。

 ブラシは何か動物の毛で作られており極上のさわり心地がした。

 

「汗もかいたし、綺麗にしておかないとね」

 エンリはブラシを使って身体を念入りに磨き始める。

 みかかが戻ってくれば、夕食を食べることになるだろう。

 その後は待ちに待った二人きりの時間だ。

 朝の続きをすることになるかもしれない――いや、そうなって欲しいとエンリは願っている。

 今夜こそ山場――これが最後の機会だ。

 

(シャーデンさんの言ってた事、今なら分かる気がします)

 

 エンリは今朝、黒猫が去る前に話した時のことを思い出していた。

 

「シャーデンさんはどうして私に力を貸してくれるんですか?」

「前に二人ほど熱烈なアプローチをしとる女がおると言うたのは覚えとるかの?」

 エンリは頷く。

 忘れられるわけがない。

 まだ見ぬ恋のライバルなのだから。

「うちはあの二人のどちらか、或いはどちらも選ばれて良いと思っておる。才能、資質については申し分がないからの」

「………………」

 才能、資質――自分が決して持ち得ない物を指した言葉だ。

「単純な損得勘定で言うならエリリンに価値はない。むしろ、御主の存在はミカ様を命の危険に晒している」

 分かっている。

 自分は弱い。

 父と母が己の命を代価にエンリを助けたように、いつか彼女の身を危険に晒さしてしまうことになるかもしれない事は。

「そんな、私を……どうして?」

「そんな御主だからこそ助けた。御主ならうちと利害が一致すると思ったからの」

 黒猫は静かに告げる。

「うちは己の望みが叶うなら不幸になっても構わないという変わり者でな」

「夢が叶うなら、不幸になっても?」

 言葉の意味を真剣に考える。

 だが、自分には夢が叶ったのに不幸になるという状況が想像出来なかった。

「なに、すぐに分かるよ。こういう考えをする奴なんて大体相場が決まっておってな? 身の丈に合わぬ願いを叶えたいと思ってる奴なんじゃよ」

 放たれた言葉はエンリの胸に突き刺さる。

 今の自分はまさしくそうだ。

「身銭を切っても買えぬ物が欲しいなら、もう自らの身を切り売るしかない。そうでなければ掴めん物がこの世にはある」

 エンリには何もない。

 特別優れた容姿をしているわけでもなく、学はなく文字すら読めない、たまに存在する生まれたときから不思議な力も与えられなかった。

 そんな自分があの人と結ばれるにはどうしたらいい?

 自分が一生を費やして努力しても――到底、彼女が持つ何かに並び立てる気がしない。

「己の領分を越える願い――それを何かを失うことで得られるとしたら、御主はどうするかの?」

「えっ?」

「星を掴むべく手を伸ばす御主には才能がある。物の試しに、うちの魔法を教えてやろう――代償と犠牲の先にある覚悟と言う名の魔法、呪術をな」

 そしてエンリは黒猫からある物を受け取った。

 

「よし、やろう」

 身を清めたエンリは浴槽からあがると洗顔用の桶を取って、そこに少量の湯を注ぐ。

 それから浴室の隅に置いたアイテムを取りに行く。

 それは厚手の布で何重にも包まれており、エンリはそれを慎重に取り出した。

 中から現れたものは禍々しいデザインをした短剣だった。

 

「御主に教えるのは呪術の基本。第一位階魔法《生贄/サクリファイス》 その剣を手に取り、代償を捧げ、願うといい」

 

《生贄/サクリファイス》

 ユグドラシルでは己のHPを失うことで攻め・守り・その他補助系の効果のある魔法に転じるというものだった。

 呪術は忍術と同じで消費するHPが大きいほど効果が大きくなる。

 その傷が深ければ深いほど、傷ついた箇所が致命的な箇所であればあるほど威力は跳ね上がる。

 

 エンリが願うのは恋の成就だが、所詮は第一位階魔法なので命を代価にしても相手の精神を完全に操作することなど出来はしないし、そもそもみかかはアンデッドなので精神系統の魔法攻撃は無効化される。

 今のエンリに出来るのは己のステータスである魅力と幸運の数値を引き上げるのが関の山だ。

 

 エンリは短剣を手に取る。

 その瞬間、ばね仕掛けの玩具のように茨が飛び出して短剣を握るエンリの手を雁字搦めに縛り付けた。

 

「……い、痛っ!?」

 

 肌を突き破り固い棘が肉に埋没していく――すぐに神経は強烈な痛みの信号を脳へと変わり、エンリの額には見る見るうちに脂汗が滲み出す。

 

「早く……早く終わらせないと」

 

 この短剣は儀式を終わらせない限り手から離れないと聞いている。

 どんどん茨の締め付けがきつくなっている気がする。

 このままでは小指が落ちる。

 

(やり方は単純じゃよ。血、肉、魂――とにかく何でもかまわん。願いを叶えるために御主が差し出せる範囲のものを捧げればよい)

 

 多くの魔法・スキルが転移したことで変貌を遂げたが呪術もまたそうだった。

 本来ならHPを失うだけだが、ここではそれ以外の物も捧げることが可能になっており、大幅な上方修正が加えられたと言っていい。

 失うものが多ければ多いほど、大事なものであればあるほど、呪術はより強力になる。

 

(……お願いします。私の願いを叶えて下さい)

 

 負けられないと思った。

 才能、資質を認められた二人に負けるなら仕方ないと思ってた。

 その二人に『本当に愛する人は他にいる』という言葉を聞くまでは。

 自分の大切な人が『もののついで』に愛されているのだと知らなければ!!

 

「捧げる――私の血を、出来る限り」

 

 己の手の甲に刃を走らせた。

 

「いった!?」

 

 一度剣に斬られた経験のあるエンリだが、その異様な痛さは我慢できなかった。

 剣は人を殺すためのものだが、これは違う。

 

(よく見たら……この刃、まるでノコギリみたいになってる)

 

 きっと、より痛みを与える為だ。

「かまわない……どうせ、傷つくなら、そっちの方が、いい」

 自分がより苦しめば、魔法の効果も上がるような気がした。

 なら、出来るだけ苦しんだほうがいい。

 握った右手の手からも血が滲み出して見る見るうちに真っ赤に染まった。

 涙を浮かべながら、エンリは手を桶に浸した。

 

「どうか――私の想いが伝わりますように」

 

 今の自分に捧げられるものなど、この胸の内にある熱い想いと自らの身体しかない。

 どうしようもなく愛おしく、狂おしいほどに愛されたいのだ。

 

 昨日の夢を思い出すと今でも身体の内に火をつけられたように熱くなる。

 夢の中でエンリは何度も結ばれた。

 己の純潔を時には優しく、時には荒々しく奪われ、彼女の指で散らされ、自らの指で散らしてみせた。

 純愛、偏愛、加虐、被虐、奉仕、強制、隷属――薬物の使用すら経験した。

 その内容を聞けば、この街にある三大娼館『天空の満月亭』、『紫の百華亭』、『琥珀の蜂蜜亭』の娼婦は裸足で逃げ出し、かつてはその手練手管で男達を虜にした八本指の幹部すら驚愕を露にし、王都にたった一つ残された非合法の娼館――金次第で命すら快楽の道具とされる娘も目を剥くことだろう。

 

 それは、たった一夜の夢――しかし、無垢な処女を汚したのはこの世の全ての快楽と欲望による洗礼。

 

「どうせ遊ぶなら思い切りやった方が良くないっすか?」

『笑顔仮面のサディスト』と姉妹の間では定評のあるルプスレギナの思いつきによる提案で行われた悪魔的行為。

 

 百レベルの淫魔の血。

 五十九レベルのクレリックによる回復魔法。

 八十八レベルの支援系魔法詠唱者によるバフ・デバフ。

 

 この世界では八欲王や六大神、魔神と呼ばれるほどの力を持つ面々による最大級のおもてなしは彼女の身体と精神に大きな変化をもたらした。

 具体的に言えば四レベル分の経験値の獲得及びカルマ値の大きな低下だ。

 エンリが十六年の歳月を生きたうえで培ってきた職業レベルは計ニレベル。

 それがたった一晩で四レベル上がったのだから、この経験がどれほど凄まじいものであったのかも理解出来るだろう。

 

 あんな夢を見てしまうほど、自分はあの人を愛し、愛されたいと願っているのだとエンリに強く確信させた。

 

 正妻などとおこがましい事は言わない。

 愛妾でも、いいや……傍にいられるなら娼婦と蔑まれたって構わない。

 

 エンリはここまでの日々を思い出す。

 一緒に過ごしたのはたった数日という短い時間だが、自分の人生においてこれほど多くの出来事が起こった日々はない。

 大切なものを失い、それに代わる何かを得て、自分の世界は一変した。

 

 自分はこの人の傍でしか見れない世界をもっと見てみたいのだ。

 

 浸した両手に痛みが走る。

 ただの裂傷ではありえないほどの勢いで血は失われて水はどんどん真紅に染まる。

 やがて、浸した両手が見えなくなるほど真紅に染まったところで水は光に変わった。

 

 その瞬間――エンリの脳裏に何かが繋がったような感覚がした。

 

 この世界の魔法詠唱者が語る世界との接続。

 本来であれば特殊な才能がある者でなければ為し得ない行為はユグドラシル産の装備を用いたことによりエンリを導く。

 目を瞑れば見たこともない大きな大樹のようなものが見えた。

 それはスキルツリーと呼ばれる物……見上げれば遥か頂上には一切の光を飲み込む無常の闇が広がっているのが見えた。

 

 エンリはあそこを目指そうとその瞬間に決めた。

 他にも枝葉や幹は様々な方向へと伸びている。

 だが、自分の目的地はあそこだ。

 

 あそこには自分の望む何かがある――そう直感する。

 

(これが、魔法――私にも使えたんだ!)

 

 己の中にある異能の力にエンリの顔は綻んだ。

 今はまだ、小さな力だけど――鍛えていけば、いつかは自分も頼りにされるかもしれない。

 そして光は収まった。

 

「あ、あれ?」

 これで、終わりなのだろうか?

 何も変わったことはないように思えるのだが?

 エンリは自らの裸体を確認しながら首を傾げた。

 

「あれ? 手の傷も消えてる」

 まるで時を巻き戻したかのように空になった桶に諸刃の刃は入っているだけだ。

 

(まさか、夢……じゃないよね?)

 

 エンリは傷つけた手の甲を指で触れてみる。

 

「い、痛っ!?」

 その痛みこそ先程の行為が夢ではないと物語っていた。

 呪術の発動によりエンリの最大HPは数割低下しており、これは呪術の効果時間内はいかなる手段を用いても回復しない。

 

(呪術は誰でも扱える反面、危険も大きい。術の発動を見られるな、術を扱ったことを知られるな、術を扱えることを話すな、だったよね)

 

 エンリは厚手の布に呪術用の諸刃の剣を包んで、浴室を出る。

 そして無限の背負い袋の中に短剣をしまった。

 

「魔法って……けっこう疲れるかも」

 

 まるで一仕事を終えた後のように身体が重い。

 だが、全身を襲う倦怠感より魔法を使えたことの高揚感が上回っており、ちょっとしたハイ状態になっていた。

 

 鼻歌混じりに脱衣室にある姿見で全身をチェックし、色々とポーズをとってみる。

 なんだか前より綺麗になった気がする。

 エンリは自惚れてみるが、あながち間違いではなかった。

 レベルが上がればそれだけ基礎のステータス値は上昇する。

 全身に前よりも筋肉がついたことで、胸部や臀部が上向きになったのだ。

 

(礼儀作法では勝てないけど、プロポーションでは負けてないよね)

 

 女の魅力では負けてないことを確認すると、エンリは下着を着け始めた。

 身につけた下着は普段使っているものとは比べ物にならないほどの着心地だ。

 そして鏡に映る姿は自分でも驚くほどに扇情的だった。

 ブラジャーにガーターベルト、ストッキングで、このような下着をエンリは目にした事もない。

 下着にはどれも可愛らしい装飾や刺繍が施されており身につけるだけで不思議と気分も高揚してくる。

 エンリは上機嫌でどこかのお姫様が着るような装飾過多のメイド服に袖を通す。

 最後にくるりとターンを決めた。

 

「ミカ。早く私のところに帰ってこないかな~」

 夫の帰りを心待ちにする甲斐甲斐しい嫁の姿がそこにはあった。

 

「今頃、いったい何してるのかな~」

 洗った髪を丁寧に櫛で梳かしていたエンリの瞳から光が少しずつ消えていく。

 

「あんな女と二人きりで……いったい、何してるのかな~。私……とっても気になるなぁ」

 忙しなく行き来する櫛に髪の毛が絡まりブチブチと音を立てて髪の毛が千切れていく。

 

「ミカ。早く帰ってきて……」

 今の彼女にある想いは一つ。

 どうしようもなく愛おしく、狂おしいほどに愛されたい。

 

 自分の口角が今までにないほどに吊り上っていることに気付いた。

 愛する人と過ごせるだけで世界はこんなにも輝いて見えるのだと知らなかった。

 だからこそ、どんな手段を用いてもこの願いは叶えなければならない。

 

 自分は願いが叶うのならば、不幸になってもかまわない。

 

 代償を捧げ、魂を汚し、純真無垢な恋する乙女は血に濡れた魔女へと変化していく。

 

 

(クレマンティーヌのあの笑顔。猛烈に嫌な予感がする)

 

 クレマンティーヌの部屋を出て、みかかは廊下で立ち止まる。

 すぐ隣が自分達の部屋だ。

 しかし、入るのが躊躇われた。

 

(こういう時、特殊技術って役に立つわね)

 

 気配感知の特殊技術によって、扉の向こうでエンリが立っているのが分かったからだ。

 

(……きっと、まだ怒ってるわよね)

 

 今朝、冷静さを失った自分が彼女に何をしたのかを考えれば、あの反応は当然だ。

 

(でも、結局やましいことはしてないんだから……堂々としてればいいのよ)

 

 本当はクレマンティーヌを吸血鬼の花嫁として迎えるつもりだった。

 しかし、どうにも気が乗らないのだ。

 少なくとも、しばらくの間は使用人として教育してやろうと決めていた。

 

(なんか、こう……違うのよね。私の吸血鬼センサーに引っ掛からないわ)

 

 従順なクレマンティーヌより今の彼女の方が輝いて見える。

 吸血鬼の花嫁にするということは人間種からアンデッドへと変貌させることを意味する。

 きっと彼女の魂も書き換えられることになるだろう。

 

 それは、なんだか――とても嫌だ。

 

「つくづく甘い――またシコクに呆れられるわね」

 きっとお小言を受ける羽目になるだろう。

 

 さて、このまま扉の前で突っ立っているわけのもいかない。

 生憎とンフィーレア達がやって来るという差し迫った問題がある。

 みかかは観念して出たとこ勝負のノープランのまま、玄関の扉を開けた。

 

 待っていたのは予想外の展開だった。

 

「ただいま」

「おかえりなさい」

 まるで新婚夫婦のようだと暢気に感想を抱く。

 いきなり「私とあの女、どっちが大切なんですか!?」とか掴みかかられなくてホッとした。

 

「エンリ。もしかして、ずっとここで待っていてくれたの?」

「いえ。街を歩いて汗をかいたのでお風呂に入ってました」

 確かに髪の毛は塗れてるし、頬も湯に浸かったせいか上気している。

 そして、彼女の目尻が赤く腫れ上がっていることに気付いた。

 

「エンリ、貴方……泣いてたの?」

「えっ?!」

 冷たい手がエンリの涙の跡を擦る。

 みかかの胸が強烈な罪悪感で締め付けられた。

 彼女を守る立場にあるのに、泣かせてしまった。

 

(……そうよね。朝に自分を求めていた想い人が、夕方には他の女と腕を組んでいたら泣いてしまうのは当然だわ)

 

 姫を守る騎士が姫を悲しませてどうする。

 これでは騎士失格だ。

 

「どうか、愚かな私を許して頂戴。一人きりで不安にさせてしまったのね」

 みかかは半ば反射的にエンリの腰を抱いて、自らの元に強引に抱き寄せる。

 エンリも慣れたもので甘く蕩けるような掠れ声をあげて、それを受け入れた。

 かすかに香る花の香りにみかかは蜜を求める蜂のように吸い寄せられる。

 

「エンリから花の香りがするわ。香水でも使った? それとも石鹸?」

「私……そんなに良い香りがするんですか?」

 エンリは愛しい人の胸に抱かれながらおずおずと尋ねる。

「ええ。とても――このまま離したくないほどだわ」

 みかかの喉がわずかな渇きを訴えてくる。

 エンリにだけ感じる特別な感覚。

 吸血鬼用のフェロモンでも出ているのかと思うほど、彼女の香りに引き寄せられる自分がいた。

 味わうまでもなく分かる。

 エンリの血はきっと――自分が今まで口にしたことのないほどの美味であると。

 

「怒ってるでしょう? 私の事を嫌いになった?」

 耳朶に唇を寄せて囁き、そのまま甘噛みする。

 彼女の匂いはどんどん強くなっている。

 みかかも我慢の限界がきていた。

「ひゃっ!?」

 今までにはない直接的なアプローチにエンリはきつく目を閉じて行為を受け入れた。

「き、嫌いになんかなって……んっ!? で、でも……お、怒ってはいます」

「………………」

 いつもならここで許してくれるだろうに、今回は手強い。

 それだけエンリも腹に据えかねているという事なのだろう。

「どうしたら私のお姫様は機嫌を直してくれるのかしら?」

 もう一度囁いて、エンリの耳元から首筋に向けて唇を這わせた。

 健康的で白い肌から血管が透けて見える。

 この喉笛を喰い千切ってしまいたいという衝動を必至に理性で抑えながら舌を這わせる。

 エンリは返事も出来ずに顔をのぞけらせて、たまらず甘い声をあげた。

 

(ああっ、甘くて……美味しい)

 

 エンリの身体はまるでフルーツソースでもかけたのかと思うほど甘い味がした。

 興奮状態にある自分の脳が正常な判断が出来なくなっているのだろうか?

 それともこれも忌まわしい異形種の変化の賜物?

 

(もういい……そんなこと知らない)

 

 やめられない――そもそもやめるつもりもない。

 薬物精製で唾液を麻痺毒に変換――エンリの首筋に丹念に塗りつけて痛覚を排除していく。

 さらに薬物精製で神経刺激薬を精製――用いるのは感度上昇。

 

(普通は感知系の増幅スキルなんだけど……この世界でなら催淫薬も作れるみたいね)

 

 その事にみかかは初めて神様に感謝した。

 人の身では味わえない快楽を覚えれば、きっとエンリは自分を求めてくれる。

 悦んでその身体を差し出してくれるはずだ。

 

「エンリ――いくわよ?」

 情欲に濡れ、夢心地のエンリは訳も分からずにただ頷く。

 刃物のような光沢を放つ犬歯がエンリの肌に喰いこみ、皮膚に突き立てられて、その肉を抉る。

 一際高い矯正が響き、エンリの身体がビクビクと痙攣した。

 自分の喉を流れる血液にみかかは脳が蕩けるような甘美な快感を感じていた。

 足りない――もっと、全部欲しい。

 コクリコクリと血を吸い上げ、無意識に精製した毒がエンリの感度を天上知らずに跳ね上げていく。

 何度も何度も痙攣を繰り返すエンリを、みかかは心の底から愛おしいと思った。

 

 

「やっぱり……これ、法国の軍馬じゃん」

 黄金の輝き亭にある馬屋。

 主人が乗っていた馬車を引いていた馬の確認をしたクレマンティーヌは不可解な事実に眉を寄せた。

 馬蹄の裏にある刻印は六色聖典の一つ『陽光聖典』を示すもの。

 

「どっかで返り討ちにしたのかな? ま、いっか。今度聞けば済む話だし」

 今は自分の好奇心を満たすよりやらなければならないことがある。

「良し。武器の回収もオッケー」

 もう一つの目的であった武器の回収。

 馬屋に隠してあったスティレットとモーニングスターをいれた大き目の革鞄を手に取ると外に出る。

「まったく……世話の焼けるお嬢様なんだから」

 クレマンティーヌは一度毒づくと黄金の輝き亭周辺の調査を始めた。

 

 逃走経路の確認、待ち伏せしている兵士の数、周辺の立地状況等々、調べなければならないことは多岐にわたる。

 それらをざっくりと調べつくしたクレマンティーヌは不可解な表情を浮かべた。

 

(……んんっ? 監視の目が緩くない?)

 

 基本的に王国の兵士は徴兵制が主なので城塞都市のエ・ランテルの衛兵なども九割方は民兵だ。

 それなりの人数はいるがまさに烏合の衆。

 しかも内容を知らされていないのか緊張感はなく、馬鹿話に興じているような状態だ。

 

(なに、これ? 私でも余裕で正面突破が可能なレベルじゃん。お嬢様なら笑いながらぶっ飛ばせるんだろうけどさ……って、ん?)

 

 遠くからこちらを窺う者の中にカジットの高弟が混じっていた。

 

(私の監視……って所か。信じてくれないなんて悲しいなー泣いちゃうよー)

 

 クレマンティーヌは与えられたレイピアを握って危険な笑みを浮かべる。

 まぁ、確かに返り討ちにあったわけだからカジットの不安も間違ってはいないのだが……。

 

(これなら心配する必要もなかったかな)

 

 クレマンティーヌは先程の自分の行動を思い出して苦笑した。

 英雄の領域に到達した自分を軽く凌駕する主人に対して注意する自分。

 きっと大したことのない警備だと知っていたから余裕の態度を崩さなかったのだ。

 それなのに、つい心配して説教してしまった。

 

(……らしくないなー。いや、お嬢様には私を教育してもらわないといけないわけだし。なーんか隙があるように見えて不安になるんだよねー)

 

 まるで本当にただの我侭なお嬢様に見えるところが始末が悪い。

 実際、保護されるのは彼女の足元にも及ばない自分なのに放っておくとあっさり死んでしまいそうで守らなければと思ってしまう。

 

(それにしても……うちのお嬢様、こえー。超こわいわー)

 

 クレマンティーヌは隣の部屋から聞こえてきた女の声を思い出して背筋を震わせた。

 

(一体ナニをどーしたらあーんな凄い声出させるんでしょうねぇ。いつか私も相手することになんのかなー。不安だわー)

 

「でも、お嬢様。私、あのメイドちゃんは好きじゃないなぁ。あんなお荷物抱えてたら割とあっさり沈んじゃうよ?」

 自分の上司、同期、部下――優秀だった連中が異性に溺れて簡単にこの世を去ったことなどザラにある話だ。

 冷着冷静――状況を感情ではなく理性で判断しろ。

 漆黒聖典ではそう教わったし、自分もそれが正しいと思う。

「そう。あの子みたいに、ね」

 豪華な馬車から降り立った男、ンフィーレアを冷たい目で睨みつつ、クレマンティーヌは呟いた。

 

 

「さて、んふぃーれあくん。こっちだ」

「は、はい」

 黄金の輝き亭の玄関を潜り、パナソレイは奥まった部屋にある個室へと向かう。

「あの、都市長――ここは?」

「まほうによるかんし・とうちょうたいさくをおこなったとくべつなへやだ」

 パナソレイが扉を開ける。

「たちばなしもなんだ。せきにかけたまえ――すぐにかれらもやってくる」

「えっ? ここに呼びつけたんですか?」

「ここまできて、かおもみずにかえるのかね?」

「………………」

 そうか。

 今頃、衛兵が男の部屋に殺到しているのだろう。

 そして捕らえられた男をこちらに連れてくるという算段か。

 

「はい! 待ちましょう」

 きっと騙されたエンリは何が起きたか分からずに困惑していることだろう。

 それを僕がちゃんと分かるように説明してあげよう。

 自分がどれだけ危険な男の傍にいたのか、そして僕が彼女を救うためにどれだけ必至に頑張ったのかを。

 そして、告白する。

 

 さあ、奇跡の大逆転劇の始まりだ。

 

 待つこと数分――待ちに待ったノックが響き、黄金の輝き亭の職員が部屋に入ってきた。

 

「レッテンマイア様。お客様がいらっしゃいました」

「えっ?」

 お客様だって?

 この男は一体、何を言ってるんだ?

 さらにンフィーレアの驚愕は続く。

「そうか。お通ししたまえ」

「なっ!?」

 パナソレイの目つきが鋭い物へと変わり、雰囲気が一変した。

 先程までの締りの無い豚のような表情から、野生の獰猛な猪のように。

 

(これが、本物の都市長の顔だ)

 

 これなら祖母が切れ者だと噂していたのも頷ける。

 だが、それならどうして今まで隠していたんだ?

 不思議に思うンフィーレアだったが、扉の開く音と共にエンリが入ってきたのを見て、その事はどうでもよくなった。

 

「ンフィーレア?」

「エンリ! 良かった。無事だったんだね」

「……一体、何のこと?」

「えっ?」

 その声は今までになく冷たい。

 まるで他人と話すような彼女にンフィーレアは呆気に取られた。

「都市長が私に話があるからと来たんだけど、これは貴方のせい?」

「え、えっとそれは……」

 苛立ちを隠そうともしないエンリの言葉にンフィーレアは困惑した。

 

 エンリが怒るのも無理はない。

 恋人の逢瀬の最中にいきなり扉をノックされて、都市長が話があると言って半ば強引に連れ出されたのだ。

 着替えたばかりの下着は大変なことになっていて気持ち悪いし、両手は心臓の鼓動に合わせるようにじんじんと痛みを訴えており、眉をしかめるほどに辛い。

 そして、こうしている間にも魔法の効果が失われているのが分かった。

 エンリに言わせれば、ここで無駄な時間を過ごしている暇はないのだ。

 

「エンリ。無作法だよ」

「ご、ごめんなさい! 急な誘いだったので……その、驚いてしまって」

 エンリはンフィーレアと都市長に勢いよく頭を下げた。

「いえいえ、エモット殿のおっしゃる事は正しい。こちらこそどうか謝罪させて頂きたい」

 今度はパナソレイが椅子から立ち上がって、二人に頭を下げた。

「私は城砦都市エ・ランテル都市長のパナソレイ・グルーゼ・デイ・レッテンマイアと申します」

「レ、レッテンマイア様。お、お招き頂きましてありがとうございます。私はリ・エスティーゼ王国領カルネ村の住人、エンリ・エモット。こちらのアリス・サエグサ様の従者です」

 エンリは先程見たクレマンティーヌの真似をして背筋を伸ばし、スカートの両端をつまんで軽く広げる。

「どうか、お見知りおきを」

 そして静かに頭を下げた。

 

「これは丁寧な挨拶をどうも――どうか席にかけて下さい」

 パナソレイは微笑んで、席を勧める。

「はい。失礼します」

 エンリは謎の展開に戸惑うしかない。

 どうして自分が呼ばれたのか皆目検討もつかなかった。

 しかし、これ以上彼に恥をかかせるわけにはいかない。

 必至に新たに現れた強力な恋敵であるクレマンティーヌの姿をイメージして優雅に振舞う。

 

「エンリ。こちらの席をどうぞ」

「アリス様――ありがとうございます」

 椅子を引いてくれた優しい主人に微笑んだ。

「……よく出来たわね」

 自分にだけ聞こえる小さな声でエンリの努力を褒めてくれた。

 その事が涙が浮かびそうなほど嬉しかった。

 自分の人生で最も幸福な日は今ここに、自分がこの世界に産まれたことにこれほど感謝したことはない。

 

(もう何も恐くない――私、一人ぼっちじゃないもの)

 

「………………」

 パナソレイはその様子を静かに見守っていた。

 主人が仕えるメイドに椅子を引くなど、今まで生きてきた人生で見たことがない。

 メイドは腰掛けで愛妾になったのだろうかと判断する。

 

「改めまして、名乗らせて頂く。私の名はアリス・サエグサ。遠い異国の地から城塞都市を訪れた巡礼者で、こちらにいるエンリ・エモットの主人です」

「そうですか。サエグサ殿――本日は当然のお誘いにも関わらず招待を受けて下さったことに感謝致します」

 まだ年若い人物に対して、パナソレイはまるで目上の人物と接するような対応を取る。

 身なりからして只者ではない――対応には慎重を期す必要がある人物だと理解したからだ。

「と、都市長? これは一体どういう事ですか!?」

「ンフィーレア君。これから重要な話をするので少し黙っていてくれないか? これは君にも関係のある話だ」

「は、はい」

 パナソレイの眼力に圧されてンフィーレアは渋々頷く。

 コホンと咳払いをしてから、パナソレイはエンリに話しかける。

「さて、エモット殿」

「はい。何でしょう?」

「この度、都市長である私が貴方達をこちらにお招きしたのには理由がございます」

 都市長の言葉にンフィーレアはほくそ笑んだ。

 この後、都市長の一声で衛兵がここになだれ込んでくるのだろう。

 

「お気づきではないでしょうが、実は都市の善良な市民からの通報により貴方達には嫌疑がかけられている状態です」

「えっ?」

「………………」

 予想外の言葉にエンリは面食らった顔を浮かべ、みかかは静かに瞳を閉じる。

「その通報者はこちらにいるンフィーレア・バレアレ。内容は貴方達が王国最大の犯罪組織である八本指ではないかというものです」

「えっ?」

 王国最大の……犯罪、組織?

 エンリはゆっくりと言葉の意味を噛み締めてから叫んだ。

「ンフィーー!」

 絞め殺される鶏のような声でエンリは叫ぶ。

「ど、どういう事なの!? そんな事あるわけないじゃない!!」

「い、いや……エンリ。これには理由があるんだ。落ち着いて聞いてくれるかな?」

「それは君にも言える事だぞ。ンフィーレア・バレアレ」

 ンフィーレアにパナソレイの冷たい視線が向けられた。

「えっ?」

「………………」

 みかかは都市長に視線を向ける。

 

(ふうん……この男。ただの暇人ってわけでもなさそうね)

 

 まあ、自分にとってこれは消化試合だ。

 後は野となれ山となれ、である。

 

「さて、まずはここにいる皆の認識を統一しておきたい。これからある話をさせてもらう」

 その言葉に反論する者はいない。

 エンリもンフィーレアも現状がまったく認識出来ていないからだ。

「尚、この事は他言無用だ。くれぐれも軽々しく吹聴して回るような真似はやめてほしい」

 言葉に込められた圧力に皆は静かに頷いた。

「つい先日、カルネ村を含め、エ・ランテル近郊の開拓村が帝国騎士による襲撃を受けた。カルネ村以外の開拓村の住民はほぼ全滅――数名を街で保護している状態だ」

「えっ!?」

 いきなりの発言にンフィーレアは驚く。

 カルネ村を含めて、だと?

 

(い、一体何があったんだ? って……あれ?)

 

 ンフィーレアは辺りを見回す。

 自分以外、誰も驚いていない。

 

(ど、どうなってるんだ?)

 

 彼の困惑を他所に話は止まることなく続いていく。

 

「カルネ村にも多くの被害が出た。それを救ったのが王国戦士長率いる兵士の皆だ」

 

(流石は王国戦士長様だ)

 

「敵は強大だった。勝利は収めたが王国戦士長も兵士達も傷ついた。村の人間だってそうだ。しかし、王国の兵士に傷を癒す力はない。それを救ったのがサエグサと名乗る異国の魔法詠唱者だ」

「えっ?」

 ンフィーレアがその言葉に信じられないという表情を浮かべる。

「その魔法詠唱者は傷ついた者を癒した。特に戦士長は瀕死の重傷だった思う。報告に訪れた彼の鎧は剣で滅多刺しにされたような跡があった。もし彼がいなければ王国戦士長は命を落とされていたことだろう」

「………………」

「当然、戦士長も村長も謝礼を払うと言った。しかし、その魔法詠唱者は報酬も戦士長の命を救った名誉さえいらないと言った」

「そ、そんな……」

 なんだ、それは?

 まるで高潔な貴族のような態度――とても薄汚い犯罪者の真似ではない。

 ンフィーレアはこれは悪い夢ではないかと頭を振った。

 

(ちっ、ガゼフめ。上手く嘘をついたわね)

 

 みかかは自分の発言を思い出す。。

「村を救ったのは勇敢な戦士長様と兵士の皆さんのお陰。私は何一つ関わっていない。それが、私が頂く報酬よ」

 確かに今の話なら事件を解決したのはガゼフ達による物だ。

 みかかは終わった後に現れて傷を癒しただけという事になり約束は破っていない。

 

「最後に彼は言った。いつかこの街にサエグサと名乗る人物が訪れるかもしれない。もし、困っていたなら少しでいいから力になってくれとね」

 

(余計なお世話を……人の心配をする前に自分の心配をしなさいよ)

 

 礼など言わない。

 自分はそんな事をしろなんて頼んだ覚えはないのだから。

 だが、この事は忘れない。

 

「そしてエモット殿――君の発言に戦士長は救われたとも言っていた。王国の切り札たる戦士長を救って頂き感謝する」

「い、いえ……私は何もしてませんから」

「ご謙遜を――まさかこのような形で惨劇を解決した立役者である御二人を見かけることになるとは思いませんでしたよ。この事を知れば戦士長も驚かれるのではないでしょうか?」

「………………」

「………………」

 パナソレイの声に何故かエンリは氷の彫像となり、みかかは視線を横に逸らした。

「ど、どうかされましたか?」

 なにかまずい事でも聞いたかとパナソレイは困惑した顔を浮かべる。

「い、いえいえ! そ、そうですね! 驚かれるかもしれませんね!」

 それはもう確実に――飛び上がらんばかりに驚くことだろう。

 エンリは明後日の方を向きながらホホホと笑った。

 そんなエンリを横目にみかかは気になったことを尋ねる。

「都市長は私の事をどの程度窺っていたんでしょう?」

「サエグサを名乗る南方から来た魔法詠唱者としか――姿を見ればきっと驚くと言われてましたな」

 なるほど、容姿については説明しなかったのか。

 確かに下手にみかかの容姿を説明すれば好奇心や物見遊山で探そうとする者もいるだろう。

 そう考えれば妥当な判断だ。

「しかし、お美しい――かの黄金の姫、憎き帝国皇帝と比べても遜色ありませんな。エモット殿も従者として鼻が高いのでは?」

「そ、そんなことは……」

「おや? それは私の顔は大したことはないという意味かな?」

「そ、そうじゃありません! アリスは素敵な方で……って、二人してからかわないでください!!」

「申し訳ない。どうやら緊張なされてるようでしたので」

 パナソレイは力を抜き、太りすぎのブルドックのような顔を見せておどけて見せた。

 間抜けにも見える顔つきだが、こうして見ると愛嬌があり憎めない。

「どうやら――都市長とはいい酒が飲めそうですね」

「はははっ、私もそう思っています」

 みかかもクスリと笑みを漏らす。

 この人物の狙いが読めた。

 ならば、この波に乗らなければ勿体無い。

「もうっ、二人とも小さな子供みたいです!」

 顔を紅潮させたエンリを見て、都市長もみかかも笑みを浮かべた。

「………………」

 なんだ、これは。

 和気藹々と話す三人をンフィーレアは遠い世界から見つめている。

 

 違うだろ?

 そこには自分がいる筈だ。

 事件を無事解決し、都市長が自分の勇気を褒め称え、幼馴染が感動する。

 ここはそういうシーンのはずだ。

 

「大いなる誤解は解けたと思うのだが、どうだろう? 今ならカルネ村とバレアレ商店の取引も上手くいくのではないかな?」

「なっ?! どうして、それを――まさか、お婆ちゃんが?!」

「そうだ。リイジーさんから相談があってね」

 今朝方、リイジーがパナソレイの元を訪れた。

 都市の重役であり、そのポーション作成技術で多くの国民の命を救うリイジーから受けた相談にパナソレイは驚いた。

 ある男から取引をもちかけられた――孫の推測では八本指ではないか、というからだ。

 詳しく話を聞けば王国戦士長から話しを聞いたサエグサなる人物だということを知り、パナソレイは伏せていた情報をリイジーに開示した。

 

 しかし、その時点で事態はかなり深刻なことになっていた。

 

 アダマンタイト級冒険者への調査依頼を行うつもりだと知り、冒険者組合に問い質すと明日の夕方には到着するとのこと。

 これでは王国の影の功労者を大犯罪者扱いするという失礼極まりない対応を行うことになる。

 

 二人の焦りなどを我関せず、意気揚々と自分の元へとやって来たンフィーレアの行動は耳を疑うようなものだった。

 

 睡眠不足で思考能力が落ち込んでいるのか、恋が彼を狂わせたのかは知らないが、愛さえあれば全てが許されると考える辺り、彼の方がよっぽど八本指らしいとパナソレイは思う。

 そのために会談の席を設けることにしたのだ。

 公の場で彼の功績を説明すればンフィーレアも考えを改めてくれるだろう。

 そして誤解も解けたところで和やかな食事会へと移行する予定だった。

 

「君がサエグサ殿を怪しんだ理由も分かる。彼とエモット殿の衣装は大変な価値がある。これだけの財力がありながら無名となると後ろ暗い背景があると邪推するのも当然だ。だが、彼は王国戦士長と彼に仕える兵士、無辜の人々の命を救った。決して、君が思うような人物ではない」

「………………う、嘘だ」

 彼はフラフラと後ずさりながら首を横に振る。

「そんな筈……そんな筈があるもんか」

 そんなことはあってはならないんだ。

 

 あいつは薄汚い犯罪者で、幼馴染は騙された哀れな姫、自分はそれを救う王子。

 何故なら、エンリ・エモットが愛する男はンフィーレア・バレアレと決まってる。

 それが、この世界のあるべき姿――正しい物語なんだ。

 

「ち、違う。きっと……きっと王国戦士長も騙されたんだ」

「あくまで認めないつもりかね?」

 それはパナソレイの最後通告とも取れる言葉だ。

 しかし、男には退けない時がある。

 ンフィーレアにとって今がその時なのだ。

 

「だって、そうだろ? その男が王国戦士長を救ったとしても、それが八本指の幹部ではない証拠にはならないじゃないか。違いますか?」

 

「……もう止めたまえ。君は、自分が見たいものを見ているだけだ」

 パナソレイが痛ましいものでも見るような哀れみの視線で彼を見る。

「君も男なら、この結果を受け入れたまえ」

「な、何を言って……」

 困惑するンフィーレアにその声は響いた。

 

「そう――そういう事だったの」

 

「………………」

 その声は――全てを理解した者の声だった。

 ンフィーレアは彼女の顔を見て、びくりと震える。

 彼女の瞳にあるのは冷たい光だ。

 そして、パナソレイの言葉の意味を悟った。

 もうすぐ自分はこの世で一番聞きたくない言葉を耳にすることになる。

 近づいてくるエンリがまるで罪人を裁く処刑人のように思えて、ンフィーレアは目を逸らし、耳を塞いだ。

 

「ンフィーレア。貴方――私の事が、好きだったの?」

 それでも声は聞こえてくる。

 罪には罰を――決して逃さないと処刑人の声がする。

 

 やめてくれ。

 自分の恋が実らないのは認める。

 だから、これ以上――自分を追い詰めるのはやめてくれ。

 

「一体、貴方はいつから私を想ってくれてたの? 貴方が私を好きだって気持ちが私には伝わらなかったわ」

 

 いまさら、そんな話どうでもいいじゃないか。

 絞首刑になる男にこれから縛る縄の太さを教えるような残酷な真似をしないでくれ。

 そんな事をしても自分の運命は変わらないじゃないか。

 

「貴方の愛は、見えないし、触れない、不思議なものなのね」

「ッ!?」

 見えないし、触れない。

 その言葉にンフィーレアの視界がグシャグシャになった。

 何故、何もしてこなかったんだろう?

 こんな事になるのなら、もっと早く行動していればよかった。

 

 そうすれば、こんな惨めな結末にはならなかったのに……。

 

「ンフィーレア――この次は、待つ人生を送っては駄目よ?」

 

 その言葉にンフィーレアはハッと顔をあげる。

 

 そこにいたのは処刑人ではなかった。

 こんな男を心配してくれる自分には勿体無いくらいの友人――今も愛している女性だった。

 

「……さよなら、エンリ」

 滂沱の涙を流し、ンフィーレアは脱兎の如く走り出す。

 

「ま、待ちたまえ!!」

 まさか謝罪もなしに逃げ出すとは――もう結婚も認められた年の男がする行動ではない。

「……もう、彼のことはいいじゃないですか」

 去っていった方を見つめていたエンリがパナソレイに顔を向ける。

「彼は……きっと、もう二度と私達と関わることはありません」

 その預言者じみた物言いには不思議な説得力があった。

 きっと彼のことをよく知る友人故の発言だろう。

「だから、このお話はこれでおしまい――アリス、別にそれでいいですよね?」

「かまわない」

「サエグサ殿は……本当に、いいのですか?」

 貴族や由緒正しい家柄を持つ家系は面子や体裁を何よりも重んじる。

 そもそも横恋慕から自分を絞首台に送ろうとした相手を簡単に許せるはずがない。

「ええ。もう……どうでもいいんです」

「………………」

 その視線には哀れみの感情があった。

 

(関わりたくないのはお互い様か)

 

「貴方がそう言うのでしたら話はこれでおしまいにしましょうか」

 パナソレイはそう納得して、話を締めくくるのだった。

 

 

「どうやら……格付けは済んだようだな」

「はい」

「シコク――念のために確認するがエンリ・エモットとンフィーレア・バレアレは元は恋人関係にあったとかいうことはないな?」

「魔法にてエンリ・エモットの記憶を確認し、当人にもそれとなく尋ねましたが彼女はンフィーレアにそういう意識を持っておりません。恋愛に対して極めて消極的だったと思われます」

「つまりは単なる逆恨みか?」

「そうなるかと」

「そうか。それはつまらないことを聞いた」

 ぎしりと鎧の軋む音がした。

 

「仲間を探すべく、私の名声を轟かせる。その為なら手段は選ばないつもりだった。しかし、それでも余計な争いを避けるように静かに行動しようと決めていたのだがな」

 モモンガはぽつりと呟いた。

 実際、手段を選ばなければ幾らでも方法はあったのだ。

 ナザリックのシモベに命じれば、金も名声も都市の存亡すら容易に操ることが可能だ。

 この世界の金や物資が欲しいなら、この街から奪えばいい。

 力尽くは勿論の事、誰にも気付かれず盗み出す事だって赤子の手を捻るように行えるだろう。

 名声を手に入れたいなら城塞都市をシモベに襲わせて、自分がそれを倒せばいい。

 

 モモンガはここから離れたところにある聖王国をデミウルゴスに支配させようと企んでいた。

 それは多くの人間を不幸にする行為だ。

 しかし、そんなものはナザリックの利益――そして、仲間を見つけるためであれば大したことはない。

 だが、みかかが強く反対したために聖王国への侵攻は見送ることに決めた。

 たった一人傍にいる友人がそういう手段を好まないというなら止めようと思ったのだ。

 

「どうやら、私の考えは間違っていたようだな」

 モモンガは己の間違いを認め、自らの甘い認識を改める。

 みかかが人間に友好的だから、モモンガも相手の理由次第で仏心を出してやろうと思っていた。

 そもそもその認識が間違っていたのだ。

 理由の正当性など問題ではない――虫けらは煩わしいという理由だけで排除に値する存在だ。

 それをいちいち何か理由があるはずだと丁寧に接してやった結果がこれだ。

 

「どれだけ静かに生きていても、くだらない理由で我々に害をなす者が存在することを知った。ならば、その者達には己の愚かさのつけを支払ってもらおう。それがいなくなれば、煩わしい者達を消す。私の愛する静寂が戻ってくるまでな」

 もう二度と、このような愚か者を調子付かせる真似はすまい。

 グダグダとくだらない負け惜しみを吐くその前に踏み潰してみせる。

 

「モモンガ様。それでは……」

「恩は恩で返して、仇は仇で返す。ごく当たり前のことをするだけだ」

 喧嘩を売ってきたのであればその愚かさは苦痛を以って知らしめるべきだ。

「目には目を歯には歯を、でございますか?」

「そうだな。しかし、知っているか? その言葉は過剰な報復を抑止するための言葉でもある。だから私はその言葉を使わない。過剰な報復をするためにな」

 ぷにっと萌えさんの言葉は間違っていないとモモンガは強く確信する。

「まずは肉体だ――ニューロリストの拷問から始めよう。次は精神だ――それは恐怖公に任せるとしよう。人では体験出来ない苦しみを忘れてはならない――それは餓食狐蟲王が適任だ。最後の仕上げはデミウルゴスに任せよう――この世の地獄が奴を責め苛むだろう」

「モモンガ様の仰せのままに」

「殺すことは許さん。私が奴の名を聞いても何の感情も沸かなくなるその日まで、あの男には苦しみぬいてもらう」

「ハッ」

 冷たい声で肯定するシコクをモモンガは見つめる。

 

「シコクよ――お前に問おう。私は甘いか?」

 モモンガは静かな声でシコクに問いかける。

「モモンガ様はただ慈悲深い御方なだけでございます」

 やはりか。

 こんな拷問はシコクに言わせれば甘いのだ。

 それもそうだろう――これは鈴木悟が思いついたものだ。

「それは駄目だな。私の友の命を狙っておいて、その程度で許されるわけがない」

 アルベド、デミウルゴス、パンドラズ・アクター、そして目の前の少女であれば、自分よりもっと奴を苦しめられる方法を知っている筈だ。

「シコクよ。お前であれば私が望む地獄を見せてくれると強く確信している。出来るか?」

「お任せ下さい」

 モモンガの言葉に今まで凍りついた湖面のように変わらなかった少女の顔に笑顔が浮かぶ。

 それは春の到来、生命の息吹を感じさせるような暖かなものだった。

「ならば、お前に私が戻るまでの間、城砦都市における行動の命令権を与える。期限は私が城砦都市に戻るまでだ」

「かしこまりました」

「必要であればナザリックの戦力も遠慮なく使え。明日、城塞都市に『蒼の薔薇』がやって来る。先輩達の活躍に大輪の華を添えてやれ。阿鼻叫喚の地獄絵図という形でな」

「大変、結構な考えかと」

「この街を滅ぼすのは邪教集団の手によってだ。ナザリックの介入は発覚せず、みかかさんに疑いがかからないように行動せよ」

「勿論でございます」

 シコクは臣下の礼をとった。

 

「私からは以上だ。ちなみにシコクよ――お前ならどう動く?」

「不遜にも私の創造主に唾を吐いたあの男――奴の全てを奪いたく思います」

「当然だな」

「城砦都市に壊滅的なダメージを負わせることは不可欠かと。その為にカルネ村をお救いになられたのでしょう?」

「……無論だ」

 

(何故、エ・ランテルとカルネ村が繋がってるんだ?)

 

 と思ったが、ここは頷いておく。

「……モモンガ様」

「どうした?」

「モモンガ様にお願いしたい儀がございます」

 シコクはしばらくモモンガの顔を見つめた後、まるで恥じ入るかのように着物の裾で口元を隠しつつ、瞳を逸らしてから問いかけてくる。

「ふむ。言ってみるがいい」

 礼儀正しく育った娘が父親に頼みごとをするような愛らしさがある。

 モモンガは微笑ましいものを感じながら先を促した。

「エンリ・エモットとその妹であるネム並びに協力者であるクレマンティーヌを忘却領域で飼うことの許しを頂きたく思います」

「………………」

 そんな愛らしい娘の頼みは『人間を飼いたい』というちょっとアレな内容だった。

「クレマンティーヌは分かるが他の二人は何故だ?」

「ハッ。吸血鬼の花嫁として教育を施したいと思っている次第です」

 

(吸血鬼の花嫁? シャルティアの配下みたいに? どうして、そんなことをする必要がある?)

 

 モモンガはしばらく考えた後、ふと気がついた。

「シコクよ。エ・ランテル滞在中にみかかさんが血を吸ったところをお前は見たか?」

「モモンガ様もお気づきでしたか。それがどうも、何らかの理由で断食をなさっているようなのです」

 シコクの困った口調に、モモンガの心に不安がよぎる。

「空腹から自制心を失い、エンリを吸い殺そうとされたものですので無理を言って召し上がって頂きました」

「………………」

 アンデッドの基本的な特徴として飲食不要がある。

 飲まず食わずでも死ぬことはないというものだ。

 実際、モモンガは骨の身体というのもあるのかもしれないが食欲はまったくない。

 

(空腹から自制心を失っただと? ずっと抱え込んでいたのか? 何故、相談を……まさか、言えなかったのか?)

 

 モモンガは異形種である自分を受け入れている。

 モモンガにとっては不便さよりも便利さが上回っているしし、そもそも受け入れるしかないからだ。

 当然、みかかも異形種である自分を受け入れてるのだと思っていた。

 

(違う。違うだろ、鈴木悟――彼女は女の子だぞ?! リアルプレイだから大丈夫? 何言ってるんだ? 今の彼女の姿は仮初めのものじゃないか!!)

 

 醜い異形の姿こそ始祖の吸血鬼たる彼女の本質――自分はそれを見誤っていた。

 

「その三人で足りるのか?」

「……分かりかねます。食事でございますので同じものを食べ続ければ飽きるかもしれません。どうやら獲物の感情が味に関係しているようですが……」

「道理だな。好物だからといって毎日食べ続けて、逆に嫌いになったというのもよくある話だ」

「モモンガ様はよく御存知なのですね」

 シコクは感心した目でモモンガを見つめている。

「大したことではないさ。しかし、よくぞ教えてくれた。許可しよう――必要であれば人間を浚ってきてもかまわん」

 なんせ吸血鬼の生態など未知の領域なのだ。

 色々と実験も必要だし、いざという時の為に備蓄を用意しておく必要もあるだろう。

「ありがとうございます」

「吸血鬼の生態か。シャルティアを含めた医療チームの編成を考えた方がいいか? いや、シャルティアはどうしているのだ? やれやれ、前途多難だな」

 ともあれ、今は目の前の問題を片付けるのが先だ。

 

「話を戻そう。シコクよ、お前には私が戻るまでの指揮を頼む。尚、今回の事件の解決は私が行う。みかかさんの介入は許さん。高度の柔軟性を維持しつつ臨機応変に対応せよ」

「はい」

 ほぼ丸投げしたような形だが、シコクは適当な命令を出した自分に疑いの眼差しを向けるどころか上機嫌だ。

「それでは明日の夕方――城砦都市に戻るのを楽しみにしているぞ。早速、行動を開始せよ」

「ハッ。必ずやモモンガ様の満足行く光景をお見せいたします」

 シコクは一礼してから《ゲート/転移門》の魔法を発動して姿を消した。

 

 

《コンティニュアル・ライト/永続光》式街灯によって白色光の光が差す大通りをンフィーレアは歩いていた。

 夜も深まったこともあり、大通りを歩いている仕事帰りの男も少なくなっていた。

 左右に立ち並ぶ店からは陽気な声が漏れ、食欲を刺激する匂いが鼻腔をくすぐる。

 悲しみで胸が張り裂けそうな状態なのに空腹を感じる自分の肉体に苛立ちを覚える。

 そんな自分を慰めるかのように耳に心地良い歌がどこか遠くから聞こえてきた。

 きっとどこかの酒場で吟遊詩人が歌っているのだろう。

 

「……待つ人生は送らないで、か」

 

 確かにその通りだ。

 ごめんなさいと断られるのが怖かった。

 その為、ずっと気持ちを打ち明けずにいた。

 秘めたる気持ちは最後の最後まで口から出ることはなく、察しを受けて口に出す前に終わった。

 全ては遅すぎた。

 エンリが彼を連れてきたときにはもう、いや……カルネ村が襲われた時点でタイムリミットは尽きていたのだ。

 

 今思えば、幾らでも手はあった。

 

 本当に愛しているなら、あんな開拓村にエンリを放置するべきではなかった。

 森の賢王とかいう見たこともない魔獣の力をあてにして、彼女を危険な場所に放置した。

 どうして、彼女を――いや、彼女の家族をエ・ランテルに呼んであげなかったんだろう?

 自分にとっては義理の父と母になる人だ。

 人格的に問題があるわけではなく、むしろエンリが羨ましいくらいよく出来た人達だった。

 祖母と二人で経営する店のお手伝いや他への仕事の斡旋が出来た筈だ。

 だが、そんな事を思いつきもしなかった。

 

 自分なら彼女の両親を救うことも出来たのに、それは自分にしか出来ないことだったのに。

 

 城砦都市でヌクヌクと暮らしているうちに自分は全てを失ってしまった。

 意識を内に閉じ込めて、過去への後悔、そして在り得たかもしれない未来に思いを馳せる。

 何となく家には戻りたくない気分だった。

 

 ……ややあって。

 

 周りの景色がおかしくなっていることに気付いた。

 

「あ、あれ?」

 いつの間にか、ンフィーレアは墓地を歩いていた。

 この場所には見覚えがあった。

「ここは……エ・ランテルの共同墓地? なんでこんな所に……」

 今でも年に二、三度は一人で……或いは祖母と一緒に父と母の供養に来ている。

 いつか、エンリを連れて父と母の墓前に立とうと決めていたな……そんな昔の恥ずかしい思い出が蘇った。

 

(でも、衛兵もこんな時間に墓地に入る僕を止めてくれなかったのか。冷たいよな)

 

 夜も深まってきた……そろそろ墓地からアンデッドが出没する時間だ。

 そう考えれば止めるべきだろと思う自分と、もしかして声をかけられたが無視してしまったのだろうかと不安を覚える二人の自分がいた。

 

「………………ん?」

 

 墓地の奥から歌が聞こえていた。

 街中でかすかに聞こえたあの歌だ。

 どこか悲しげな歌が今の自分とシンクロして耳に心地よく、この歌に誘われるように街中を歩いていたことを思い出す。

 

(……この声、女の子か?)

 

 なんて綺麗な歌声――だが、その声にはどこか幼さがあった。

 こんな時間に女の子が墓地で歌を?

 

(いくらなんでも危険だ。見つけて家に連れ帰ってあげないと)

 

 思わず眉を寄せ、会いに行かねばと強く思った。

 自分はこれでも第二位階魔法まで扱える魔法詠唱者だ。

 そこら辺の衛兵よりずっと強い――ンフィーレアは危険など考慮することなく、墓地の奥へと進んでいった。

 

「………………えっ?」

 ンフィーレアは我が目を疑った。

 絢爛豪華――煌びやかな異国の服を身に纏った少女が歌い、舞い、踊っていた。

 金、銀、貴重な宝石を惜しげもなく使った衣装はサイズが合わないのか、まだ幼い少女の両肩を肌蹴させている。

 少女はとんでもない美人だった。

 まだ幼女といってもいい年頃だ。

 しかし、当の昔に幼さを卒業し、驚くほど大人びた表情を見せている。

 足首まで届こうかという長い黒髪には多数の豪華な髪飾りが付けられて、少女の育ちの良さを物語っていた。

 

「………………」

 ンフィーレアは目を擦った。

 あんな少女がこの世に存在するわけが無い。

 何故か、確信をもってそう言える。

 人相などという言葉があるが、顔はその者の生きた人生を現す。

 まだ、四つか五つという年齢であんな表情が出来るわけがない。

 分かるのだ――アレはとんでもない知者だ。

 知性を持つ者に特有の気配――愚者を嘲笑う軽蔑の視線が瞳に宿っていた。

 

「君は……」

 思わず声をかけた自分の後ろから土を踏みしめる音が近づいてくるのが聞こえた。

 ンフィーレアは少女から目を外して、闇を睨む。

 そこから現れた相手を見て、ンフィーレアは首を傾げた。

 

「自分の足でこんな所まで来てくれるなんて手間が省けて助かるなぁ」

「クレマンティーヌ、さん?」

「そう。災難だったねぇ。でも、もう少し頑張って欲しかったかなぁ?」

 

「ごめんね。八本指だと思うとか言って……私の予想、大外れだったんだぁ」

「そ、そうだったんですね」

 もういいのだ。

 たとえ彼女が八本指じゃないと言っても信用しなかっただろう。

 

「後、ごめんついでに何だけどさ……私ってば、ミスリル級冒険者でもないんだぁ」

「えっ? じゃあ、あのプレートは一体……」

「それはね……じゃじゃーん」

 宣言と共にクレマンティーヌは外套を脱ぎ捨てる。

 外套の下にあったのは仕立ての良いメイド服――クレマンティーヌはメイド服のスカートを捲り上げる。

 

「えっ? なっ?!」

「驚きながらもしっかり見てるじゃん。このえろすけべー」

「そ、それは……!?」

 スカートの下には大量の冒険者プレートを打ち付けた鎧を着込んでいた。

 

「私の正体はスレイン法国の至宝を盗み出して国から追われる盗賊であり元ズーラーノーン十二高弟の一人にして冒険者狩りが趣味の殺人鬼。そして今は君の憎き恋敵の使用人。主人の危機を払うのは従者の務め故、今から君を排除する」

「ズ、ズーラーノーンだってっ!?」

 周辺国家が忌避する忌まわしき邪教集団。

 一つの都市を死の都へと変えた人類の敵だ。

 

「君には今からアンデッドの大群を召喚する魔法《アンデス・アーミー/不死の軍勢》を使って、このエ・ランテルを死の都に変えてもらうよ」

「やっぱり……僕の予測は間違ってなかったんだ! あいつは悪党だったんだな!!」

「ん?」

 ンフィーレアの感極まった叫びにクレマンティーヌが首を傾げた。

 

「ざまあみろ、僕の勝ちだ! これで奴を絞首台に送りつけてやれる!!」

「駄目だ、こりゃ。ネジが一本外れてるねぇ……この状況、分かってんの?」

 多分、自分が情けなく命乞いでもすると思ったのだろう。

 相手の予測を外せたことにンフィーレアは会心の笑みを浮かべた。

 

「残念だったな、明日には僕が依頼したアダマンタイト級冒険者がやって来る! 蒼の薔薇の彼女達ならアンデッドなんかイチコロさ!!」

「あのさ、それまで君は無事でいられると思ってるわけ?」

「知らないのか? アダマンタイト級冒険者『蒼の薔薇』のリーダーは蘇生魔法を扱えるんだ! ここで僕を殺しても生き返らせてくれるさ!」

「そ、蘇生魔法!?」

 クレマンティーヌの驚愕。

 ンフィーレアはニヤリと笑って、さらに捲くし立てる。

 

「大体、短絡的すぎるんじゃないか? 今、僕が死んだり失踪したら確実にアイツが疑われるじゃないか!」

「………………」

 ぴたりとまるで凍りついたようにクレマンティーヌの動きが止まった。

「普通は即座に報復なんてしない! ほとぼりが冷めた頃を狙うはずだ!」

「……ッ」

 そこにあるのは間違いなく強い動揺だ。

 

「それをしないってことは僕はお前達を予想以上に追い詰めてたみたいだな!!」

 きっと計画は大きく狂わされ――余程、腹に据えかねたのだろう。

 くそっ、あの豚のような都市長のいう事なんて真に受けるんじゃなかった。

 自分は何一つ間違っていなかったじゃないか!

 

「僕に手を出した時点でお前は詰んでいる! 言っておくけど、僕は死ぬのなんて怖くないぞ? 彼女の為なら喜んで死んでやるさ!」

「んー格好いいなぁ。私、惚れちゃうよ……なんてね?」

 ぺろりと舌を出してから、クレマンティーヌはニンマリと歯をむき出して笑った。

 そして、懐から叡者の額冠を取り出す。

 

「これを装備できれば第七位階魔法である《アンデス・アーミー/不死の軍勢》を使用することが出来る。でも、これを装着できるのは女だけ。しかも、百万人に一人という確立でしかない。でも、君なら問題ないよね?」

「………………」

「でね、これって着けると自我は封じられて魔法を扱うアイテムになって、外すとなんと着用者は発狂するの。糞尿垂らしまくりでさぁ、酷いの何のって……ホント、マジで笑えちゃうんだよ?」

「えっ?」

「安心しなよ。君は殺さないからさぁ……魔法使ってもらったら適当な所で外してあげるよ、蘇生は出来ても発狂した人間が元に戻るか自分の身体で試してみれば?」

 ンフィーレアの足がガクガクと震えだした。

 アダマンタイト級冒険者『蒼の薔薇』なら発狂した人間を元に戻せるだろうか?

 いや、第七位階魔法――前人未踏の領域にある魔法を扱えるマジックアイテムの呪いともいえる効果を人の身で解く事など出来るわけがない。

 

「後さぁ、お前――前提が間違ってるよ。仮にうちのご主人様が八本指やズーラーノーンの幹部って発覚したらさ。伴侶のメイドちゃんなんて一緒に火刑か絞首刑になるに決まってるじゃん。馬鹿じゃないの?」

「な、何を言ってるんだ? エンリは騙されて……」

「だからさ、それはお前の願望だろ? あのメイドちゃんを見て、誰が騙されたなんて思うわけ? お前は最初から、愛のためとかご大層なお題目を掲げて惚れた女を殺すために必至に頑張ってたんだよ!!」

「ッ!?」

「あっ、いいねえ。その絶望に満ちた顔――私の一番好きな表情だわ。勝ち誇ってた相手を奈落に突き落とすのって何でこんなに心惹かれるんだろうね」

 詰めの段階だ。

「それじゃ、そろそろ締めと参りましょうか?」

 クレマンティーヌは腰に下げたスティレットをゆっくりと引き抜く。

「このスティレットには《チャーム/魅了》の魔法が封じられてる。刺さった瞬間、君は私の頼みを聞いてくれるって寸法」

「………………」

「ンフィーレア・バレアレ。覚悟は出来たかなぁ?」

 悠然とンフィーレアに向かって歩き出す。

 

「く、来るなっ! 来るなっ! 来るなぁ!!」

 

「何? 彼女の為なら喜んで死んでやるんでしょ?」

「嫌だ!」

 死んでもいいと思ったのは生き返る保障があったからだ!

 

「お前の望みは叶えてやんよ――あのメイドちゃんはいつか隙を見て殺してやろうと思ってたけど、ちゃんと守ってあげるって」

「嫌だ! 嫌だ! 嫌だ!」

 なんで何の見返りも無いのに、そんな目に会わないといけないんだ!

 

「それに発狂なんて死ぬよりマシじゃん? ま、生きてれば……その内良い事もあるんじゃないの?」

「そんなの嫌だぁあああああああああ!!」

 彼女を手に入れることも出来ないのに死ぬなんて無駄な事は真っ平御免だ!

 

「嫌だ。死にたくない! 死にたくない!」

 ンフィーレアは背を向けて逃げ出した。

 

「最後にうちのクソ兄貴のありがたい説法ってやつを聞かせてやんよ。愛とは惜しみなく与えるもの――見返りを求めるのは、ただの打算よ」

 疾風走破。

 一瞬でンフィーレアの背中に追いついたクレマンティーヌのスティレットは寸部の狂いなくンフィーレアの足に突き刺さる。

 それと同時に自分の思考に靄がかかる。

 精神操作――ンフィーレアは必至に耐えようとするが意識にかかっていく靄の方が強い。

 やがて、後ろから親しい友人の声がかかった。

 

 

 パナソレイとの会談を終えて部屋に戻る頃には夜も深まっていた。

 

 今夜は星が見えない。

 空は雲に覆われて、星明りも見えなかった。

 多分、また雨が降るだろうのエンリは思う。

 

「お疲れ様。大変だったでしょう?」

「そんな事ありません。都市長のお話は面白かったです」

「そうね。悪い人物ではなさそうだわ」

 話しながら、みかかは選んだアイテムをベッドに置いていく。

 

「あの……何をされてるんですか?」

「これでいいかな。ここに並べてあるアイテムは貴方の物よ」

 ベッドに並んでいるのはユグドラシルの装備品一式だ。

 エンリが着ているものとデザインは似ているが、より上質なメイド服。

 ペンダント、ピアス、ネックレス、リング等のアクセサリーに武器と思われるものもあった。

 

「貴方にあげる。これからは肌身離さず着用しなさい」

「はい! ありがとうございます」

 彼女の中で自分の評価がまた一つ上がったことが嬉しい。

 その上、これは愛しい人からの贈り物だ。

 エンリは喜びでどうにかなりそうだった。

 

「………………」

 そんな彼女を横目にみかかは窓へと向かう。

 そしてカーテンを一つずつ閉めていく。

 完全に部屋を閉め切ると、次は照明の光を落とす。

 今、寝室を照らすのは枕元にあるランプだけになった。

 

「………………」

 エンリは緊張から唾を飲んだ。

 これから起こるであろう事態への期待と不安で胸が一杯になる。

 顔は真っ赤に染まり、胸の鼓動が頭に響く。

 あまりの緊張に、こちらに向かってくるみかかの顔を見ることが出来ない。

 

「いつまで立ってるの?」

「ご、ごめんなさ――ひゃん!」

 エンリの身体を軽く抱えあげられ、ベッドに投げ捨てられた。

 うつ伏せになったエンリにみかかは圧し掛かって背中のチャックを一気に下ろす。

「脱ぎなさい」

 冷たい声にエンリの背筋がゾクリと震えた。

 抵抗する気など最初からない。

「は、はい」

 コクコクと頷いて、急いで服を脱いだ。

 下着姿になったエンリは再び抱き上げられて、今度は優しく仰向けに寝かされた。

 

「………………ふうん」

 みかかに組み敷かれたエンリはまるで彫像になったかのように固まっていた。

 自分の肌を観察する彼女の視線はひどく冷静で情欲の欠片も見出す事は出来ない。

 しかし、そんな視線に晒されるエンリの身体は火がついたような熱さに包まれていた。

「可愛らしいのを選んだのね。貴方らしいわ」

「あ、ありが……」

 皆まで言う前にブラジャーのフロントホックが外され、ショーツを足首まで下げられた。

「ッ~~~~」

 恥ずかしさで目も開けられなかった。

 自分の身体を――全て晒してしまった。

 何か変な所はないだろうか失望されないだろうかと不安で仕方ない。

「エンリ」

 冷たい手がエンリの胸に触れてそのまま軽く握られた。

「ひゃ、ひゃい!!」

「先に言っておく。こんなこと貴方以外にしたくない。だけど、それを約束出来るか分からないわ」

「は……はい。分かって……ます」

 遠慮なく胸を揉みしだかれながらエンリは何度も頷いた。

 エンリも身の程は弁えている。

 今の自分が本妻になれるなどと思っていない。

 自分以外にこんなことをしたくない――その言葉だけで今は十分だ。

「……そう。聞き分けのいい子は好きよ」

 そういってみかかはエンリの胸から手を離した。

 

「きっと貴方の幸せを願うなら私なんかいない方がいい。絶対、それが一番いい」

「………………」

 そんな事はないと言えたら良かった。

 だけど言えない。

 今の彼女に軽々しくそんな言葉を口に出してはいけないと自分の直感が訴えている。

「私は貴方に多くのことを隠してる。きっと貴方がそれを知れば私から離れてしまうのでしょうね」

「………………」

「だけど、もう逃がさないから」

 みかかの左手がエンリの首根っこを掴まえた。

「エンリ・エモット――私の花嫁になりなさい」

 それは断れば殺すという意思表示。

「………………」

 だが、エンリにはどうか逃げないでくれと泣いて縋りついてるように見えた。

「はい。喜んで」

 エンリは微笑んで、彼女の手に自らの手を重ねる。

 そして、二人の影がまるで溶けるように重なった。

 

 ………………。

 …………。

 ……。

 

 風は荒れ狂い、窓を叩く雨の音も大きくなっている。

 嵐が近づいているのかもしれない。

 それは、まるで二人の情事を表すかのように激しいものだった。

 

「まったく……とんだビーストだわ」

 ベッドに身を横たえたみかかが、隣で寝息を立てているエンリに呟いた。

 それからベッド脇に置かれた赤い瓶に入った青いカプセルを一つ取り出して飲み込む。

 特殊技術やアイテムで一時的に変化させた性別を元に戻す為のアイテムだ。

「後は……これね」

 ポーション瓶を取り出して、エンリの身体にかけてやる。

 エンリの身体についた痣や噛み跡が瞬時に消えて元の綺麗な肌へと戻った。

 吸血鬼の本能故かみかかの視線が太股を伝う血の跡を追った。

 きっと次の逢瀬も血が伝うことになるだろう。

「……ふう」

 全てが終わるとみかかはようやく一息ついた。

 

 人生初のPVPはエンリに軍配が上がった。

 情事の作法も流れも教わったことがないみかかに焦れたのか、途中からエンリがリードする展開に変わった。

 そして気付けばどんどん彼女のペースに巻き込まれ、みかかが特殊技術の薬物精製を用いて強制的にお眠り頂くまで終始圧倒されて搾り取られる形になったのだ。

 

「……お風呂行ってこよ」

 汗に濡れた身体をひきずりながら、みかかは風呂場へと足を向けた。

「信じられない。何なのよ、あの子」

 みかかは頬を膨らませたまま、浴室へと入る。

「一レベル上がってるじゃない。いったい、何のレベルが上がったのよ。実は先祖にサキュバスとかいて、先祖がえりしたとかじゃないでしょうね」

「ふむ。それは興味深いの」

「シ、シコク?!」

 見れば浴槽から顔を出す幼女が一人。

 

「……お疲れ様。どうやら体調も全快したようじゃな」

「………………」

 みかかは恥ずかしさから顔を合わせることが出来なかった。

 夢中になっていたのだろう。

 索敵を怠り、目と鼻の先にいるシコクの存在に気付いていなかった。

「余興に過ぎん企みじゃったが化けたか。うちも色々と頑張った甲斐もあるというものじゃな」

「……余興?」

「大したことではないよ。今はそんな事よりこっちにおいで。ちゃんと身体を清めねばなるまい?」

 シコクは動物の羽で出来たブラシを見せつけながら、みかかに手招きする。

「お願いするわ」

 みかかが浴槽に身体を沈めるとシコクはみかかの背中に回る。

 

「シコク――状況はどうなってるの?」

 みかかは背中越しにシコクに問いかけた。

「ンフィーレア・バレアレはクレマンティーヌの手によって邪教集団に確保された。今も悪巧み中じゃな」

 シコクは絶妙な力加減で背中を洗いながら答える。

「……そう」

「まさかンフィーレア・バレアレを助けろなどというつもりではあるまいな?」

 みかかの反応を咎めるような口調でシコクが尋ねた

「それこそまさかだわ。一度だったら御愛嬌。二度目はさすがにぶっ殺すがうちの家訓よ」

「安心した。もし助けろなどと言えば、さすがのモモンガ様でも許すまいよ」

「………………」

 みかかは言葉を返さず、シコクにされるがまま身体を洗わせる。

 ゆっくり時間をかけて身体を洗う。

 最後にみかかの身体に湯を流して仕上げを行うとシコクは話を再開した。

 

「かくして城砦都市エ・ランテルは邪教集団の手にかかり死の街と化すという寸法じゃ。偶然、この街に来たアダマンタイト級冒険者も阻止する事は敵わなかった悲劇をモモンガ様の手によって救い出す――というシナリオじゃな」

「待って。私達も都市の壊滅に関わる気?」

「無論。すでにナザリックから来た人員が暗躍しておる。この都市を壊滅させるためにな」

「えっ?」

「人口の九割方は死ぬじゃろうし都市機能も麻痺させる。それによって次の手が生きて――」

「――シコク。貴方にエンリの護衛を任せる」

「どこへ行く?」

 浴槽から上がったみかかにシコクは固い口調で尋ねた。

 

「……モモンガさんに言ってやめさせる」

「そんな事は許さんよ」

「!?」

 みかかの敵感知スキルが反応する。

 シコクは臨戦態勢に移行している。

「シコク――私の命令が聞けないというの?」

「聞けん」

 シコクはみかかの言葉に即答した。

「なんですって?」

「ナザリックの絶対命令権はギルド長であるモモンガ様にある。みかか様は序列二位――うちはモモンガ様よりこの都市内における行動の命令権を頂いておる」

「だったら、貴方がやめさせて」

「ならん。あまり我侭を言ってモモンガ様を困らせるものではない」

 シコクはため息をつくと細くて長い指をみかかに向けた。

 

「みかか様――御主、そんな事ではそう遠くない内に死ぬよ?」

 

「………………」

 シコクの予言。

 それは自称霊能力者や占い師のエセ予言とは異なる。

 超常的直感能力を有する者が持つ未来予知に等しい確実なものだ。

 

「断言してやろう。人類圏にナザリックと同規模のギルドはおらん。それどころかプレイヤーがいるかすら怪しい」

「……何故?」

「危機感がなさすぎる。うちらの存在を認識しておるならとても平静に生活などしておられん。例えば王国戦士長――強い男には大量の妻を宛がうべきじゃろう。それをせんのはプレイヤーの存在を知らぬからじゃ」

 確かにそうだ。

 ナザリックの総力を結集すれば、この三重の城壁に囲まれた城塞都市は一体何分もつだろう?

 そんな存在がいることを知っていれば、そもそも同じ種族同士で争いあってる状態ではないことに気付くはずだ。

 

「……とは言え、うちらと同時期に幾つものギルドが転移してきた可能性もある。それなら今頃、各陣営は必至に戦力拡大を行っておるじゃろう」

「………………」

「故にうちはここで少しばかし派手に動く必要があると判断する。相手の反応を窺う為にな」

 本当にプレイヤーが存在しないなら大手を振って行動できる。

 それを咎める者はいないし、それを止められる者も存在しない。

 

「この世界は勝利こそ全て、勝者は全てが肯定され、敗者は全てが否定される。世界に生きる全ての者に平等に存在する法則――弱肉強食の理念に従い、この街に住む人間の命を奪い取る。邪魔をすることは許さん」

 

「………………」

 それに反論することはみかかは出来なかった。

 ただ、何も言わずに浴室の扉に手をかける。

 

「ふむ。強情な方じゃな。いい機会じゃし、ここら辺で体験してみるかえ?」

「何を?」

「みかか様。御主――いっぺん、死んでみる?」

 壮絶な台詞と共にシコクの姿が掻き消えた。

 

「っ?!」

 無詠唱化した転移魔法?

 即座にみかかも索敵能力を最大まで跳ね上げる。

 

「なっ!!」

 

 シコクの転移先を知ったみかかは即座に床を蹴った。

 

「エンリ! 逃げなさい!!」

 その声は最早悲鳴だった。

 

 痛恨のミスだ。

 彼女はみかかの特殊技術で眠っている――絶対に目が覚めることはない。

 

 短い距離を駆け抜けた先に待っていたのは絶体絶命の窮地だった。

 眠っているエンリ目掛けて、シコクが右手を掲げて魔法を放とうとしている。

 

「死ね」

 言った言葉が単純ならその手段も単純だった。

 無詠唱化した魔法は即座にエンリの命を刈り取るだろう。

 

「間に合え!!」

 

 しかし、ギルド内でもトップレベルのみかかの機動性は伊達ではない。

 シコクがたった二文字を喋る間にエンリの前に割り込んで自らの身を盾にする。

 

「かかったな。阿呆め」

「っ!?」

 シコクの会心の笑みとみかかの失敗したという顔は対照的だった。

 エンリに攻撃する振りをしたのはブラフ。

 本命はエンリを庇わせることでみかかの最大の武器である機動性を殺して、確実に攻撃を命中させること。

 カバーリング――みかかのような紙装甲のキャラクターが決して行ってはいけない行動。

 

「流星の指輪よ。我が願いを叶えよ!!」

 

「なっ!? 馬鹿!! やめなさい!!」

 こんな――こんな所でそれを使うか!?

 それは切り札となる可能性を持つアイテム――世界級に匹敵する能力を持つ使いきりのアイテムだというのに!!

 

 みかかの周囲が闇に染まった。

 

「まずい!!」

 見たこともない魔法の効果だ。

 一寸先も見通せない闇の中、エンリを抱えて、みかかは走り出した。

 しかし、その抵抗は虚しく――みかかは地面に転んだ。

 

「なっ?」

 

 見れば自分の足がなくなっていた。

 まるでバターを高温で溶かすかのように自分の身体が形を失っていく。

 

「くっ、こんな所で……」

 

 駄目だ。

 

 この状況は……ユグドラシルでも何度か経験したことがある。

 もう、自分は詰んでいる。

 みかかは瞳を閉じて、自らの最後を受け入れた。

 

 

 そして朝がやって来る。

 目蓋が重い――きっと睡眠を満足に取れていないのだろう。

 もう少しだけ眠りにつこう――そう思ったところで全てを思い出して、みかかは跳ね起きた。

 

「えっ?」

 

 そこは見知った場所だった。

 黄金の輝き亭――自分が泊まっている宿の寝室。

 

「エンリ? エンリ! 返事をして!!」

 誰も居ない。

 みかかはベッドから抜け出して寝室を出た。

 

(いない! シコクに浚われた? そうだ。モモンガさんに連絡を!!)

 

 みかかはストレージから《メッセージ/伝言》のスクロールを取り出そうと虚空に手を差し込むように伸ばして……。

 

「はっ?」

 何の手応えも変化も生じない事に困惑した。

「な、なんで? ストレージが起動しない、って……んっ? なに? この声」

 背筋に寒気が走り、全身に鳥肌が立つ。

 感じる強烈な違和感――みかかは自分の身体に視線を向ける。

 

「嘘、でしょ?」

 

 栗色のお下げが揺れている。

 クレマンティーヌ曰く慎み深い胸が、丁度手に収まるくらい豊かになっていた。

「まさか、まさか、まさか!!」

 みかかはすぐ傍にある鏡の前に立って、自らの想像が的中したことに気付く。

 

「これはエンリの身体――まさか、入れ替わったの?!」

 

 だとしたら、エンリは――自分の身体は何処にある?

 部屋をくまなく探すが自分以外に誰もいない。

 エンリの持ち物はあるが、みかかの持ち物は全部なくなっていた。

 

「一体、どういう事なの?」

 

 起こった事態が飲み込めず、みかかは途方にくれるしかなかった。

 




みかか「これってもしかして……」
エンリ「私たち……」

二人「入れ替わってる~~!?」

 弱くてニューゲームのスタートです。
 エンリさんがことごとく踏んだ地雷はオリ主の為にあったのだ。

 そういうわけでみかかさんはカルネ村に続き、再び命を賭けることになります。
 前回はイージーモードだったけど、今回はハードモードですよ。

■暗黒面に落ちそうなエンリさん
 エンリが周りの状況でそう呼ばれたとかではなく、自ら進んで血濡れのエンリさんになるのって良くない? という歪んだ愛情から生まれてます。
 なんか前の話でヤンデレっぽくなって、こんなのエンリじゃないと思った方もいるかもしれませんが、洗礼を受けてカルマ値が下がったからだと解釈して下さい。

 ちなみに現状のレベル7
 ファーマー  LV1
 サージェント LV1
 呪術師    LV1
 えっちいの  LV4

 コマンダーとジェネラルを失うかわりに洗礼で悪魔の力を手に入れました。
 後、呪術師のクラスをゲット。
 邪悪な魔法ですので使うほどカルマ値が下がっていけない子になってしまいます。

 ナザリックの英才教育は凄い……というのもありますがLVが低い分上がりやすかったのでしょう。

■ンフィーレア
 更新期間に間が空いたのはエンリとンフィーレアの扱いで批判を受けるのが怖かったからですが、誰かを不幸にする以上はそのキャラを好きな人の批判が出るのは仕方ないこと――賛否両論出るんだろうな、と思いつつこんな展開になりました。

 クレマンティーヌも言ってますが、生きてればそのうち良い事もあるかもしれません。

 さて、ここまでが導入。
 次からは素敵なパーティタイムです。


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