ARIA新しい妖精たち (岩戸 勇太)
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その……優しい時間の流れは……

 五年前にピウクシブで投稿。したものです。
 アッペニーレはこの後ですよ。

 二次創作で未来の話を書いていたら、公式にやられてしまうなんて立場ねぇよ( ゚Д゚)状態でした。

 こちら、ハーメルンでも投稿します。


 ポチャン……

 

 オールが水に沈む音を聞くと、自分の心がどんどん澄み渡っていくように感じる。

 ゴンドラの上に立つ。直立した姿勢でオールを動かすと水をかく音が聞こえる。

 そして、オールが水の抵抗で少ししなる。ゴンドラが少しゆれる。これらの感覚はとても心地よい。

 自分は水の最も近くにいる人間であるのが実感として感じられる。

 夏の低い空に浮かぶ太陽が茜色の西日を放つ。

 品がありそれであって派手すぎない彫刻に飾られた、建物の影から出てきたゴンドラに乗ったアイ。

 そこから出るとアイの視界に、海に沈もうとする太陽の姿が思いっきり広がった。

「そろそろ帰らないと……」

 しっかりもののアイは自分の師であるアカリの顔を思い浮かべた。

 

 アイはいつもアカリが帰る時間に合わせて先に帰り料理をしている。

 この、ゆっくりと時間の流れるこの星に愛されているかのように、暖かく、優しい。素敵な事を見つけるのが上手いアカリ。

 アイはそのアカリが大好きだった。

 最初は嫌いだったネオ・ベネツィアを大好きにしてくれたのがアカリである。素敵な奇跡に触れ、ゆっくりと流れる時間と優しい人々に満ちた素晴らしい街であるのを教えてくれた。

 アカリはこの料理をどんな顔をして喜んで食べてくれるか?

 鍋をグツグツと煮立てているところにアカリの帰ってくる音が聞こえてきた。

 アリシアゆずりの静かで優雅な操舵の技術が、ゴンドラが水をかく音だけで伝わってくる。一発でアカリであると分かるのだ。

 ゴンドラから降りてアリアカンパニーのドアを開ける音。それと共にアカリが入ってきた。

「ただいまー。ホエー……いいにおい……」

 このゆっくりとした時間の流れるアクアの空気をそのまま表現しているような声である。

「アカリさん。お帰りなさい」

「うん。ただいま」

 アカリは締まりの無い顔をしながら桃色の髪を揺らして、花の蜜に誘われた蝶のように、フラフラしながら料理をしているアイのところまでやってきた。

「もうすぐできるね」

 ミネストローネが煮詰まっているのを見ながらアカリは言った。

 すぐ隣の流しで手を洗いながら言う。

「手伝うよ。お皿を並べればいい?」

「よろしくお願いします」

 アイは笑顔で返す。

 アカリはニコニコしながら皿を並べ始めた。

「昔と一緒だよね」

 アカリが言い出す。

 アイはアカリが昔このアリアカンパニーで見習いをしていた時の事を知っている。

 アカリの先輩のアリシアとお互いに手伝い合いながら、アリアカンパニーを切り盛りしていたらしいのだ。

「ぷにゅ!」

 そこにアリア社長もいたという。白くてまんまるの火星ネコもいまでもアリアカンパニーにいる。

 まだアリアカンパニーに来てから日が経っていないアイとは違い、ずっと前からここにいるアカリには昔と重なる部分も多く見えているのだろう。

「私は昔のアカリさんみたいに役に立てるお手伝いができていますか?」

 アイは聞いてみた。

 昔のアカリはアリシアにとってはなくてはならないほどに重要で大切な支えとなっていたのだという。

 自分はそこまでの力になれているのだろうか? 足りない部分があるのではないだろうか? そう考えると、アイはちょっとだけ不安になるのだ。

「足りないところもあるでしょうけど、私はできる限りがんばりますので見ていてくださいね」

 アイは握りこぶしを作って言った。アイなりに決意を込めて言った言葉だった。

 アカリはニコリと笑って言う。

「昔の私もアイちゃんみたいだったよ」

 昔のアカリ。非力な自分がアリシアの力になれているかどうか不安だった。

 それで肩に力を入れて『もっとがんばろう。もっとがんばろう』とがむしゃらになっていたのだった。

「アイちゃんには、もうこれでもかってくらい助けてもらっているよ」

 かつてアリシアから言われた言葉。

 それを思い出しながらアカリは同じ事をアイに向けて言ったのだ。

 

「それじゃあいってくるねー」

 いつ見てもアカリがゴンドラをこぐ姿は優雅である。

 仕事に向かったアカリの後姿がどんどと小さくなっていくのをアイは姿が見えなくなるまで見送っていた。

 これからアイは店番や自主訓練などをやっていくことになる。

「さっ! 今日もがんばらないと」

 アイは自分で自分にかつを入れた。

 気合を入れて頭に三角巾を巻いて今日の汚れを落とし始める。

 番台に立ちながら、アイは一つ気になるものを見つけた。

 番台から先は輝く海原になっている。

 春の日差しを受けて綺麗に揺れる海の上で一台のゴンドラが浮かんでいた。

 そのゴンドラの上に乗っている人影は、赤いラインの入ったウンディーネの制服を着ていた。

 昔から続く老舗である姫屋の制服だ。

 ゴンドラの上に立ちずっとこちらの方を眺めていた。

「なんだろう?」

 不思議に思ったアイはベランダに立った。

 身を乗り出すと夏の風を感じる。

 このアクアの海は真水である。海風が髪にベタつく事なんてない。今日は湿度も低く、カラリとしているためすがすがしい風だ。

「けっこう風が強いのに」

 風でアイの髪が揺れアリアカンパニーの制服がはためく。

 だが、あのゴンドラはまったく揺れることなく、流されることもなく水面に浮かんでいるのだ。

「上手いなあ。誰なんだろう」

 ゴンドラに乗る操者が上手いからできる事だ。

「すいません! アリアカンパニーに何か用ですか!」

 アイは大声でその人に声をかけた。

 彼女は何者なのか? これは新しい出会いなのかもしれない。

 アリアカンパニーにやってきてまだ一ヶ月しか経っていないアイには、この町の人間との新しい触れ合いは何者にも変えがたい喜びであるはずだ。

 だが、その人影はアイの声を聞くと驚いたようにして飛び上がった。

 慌ててオールを握った彼女は、ゴンドラを漕いで町の水路の方まで行ってしまったのだった。

「お茶でもどうかと思ったのに……」

 アイは新しい出会いの匂いが逃げてしまったのを残念に思いながら、自分の仕事に戻っていった。

 

 その日の夕食。

「へえ。そんな事があったんだ」

 アイは昼間に起こった事をアカリに話した。

 それを楽しそうにして聞いているアカリは何か違和感のある聞き方で返した。

「その子の事はどう思った?」

 アリシアさんのような雰囲気を持って、笑って聞いてきたアカリ。

「遠目に見ただけだったんでよく分からなかったです」

「ふーん」

 ニンマリと笑ったアカリ。

 何か嬉しそうであり何かを隠しているようである。いつもの子供のように無邪気であるが、水のように澄んでいる様子とは違った感じだ。

「何か知っているんですか?」

 アイは聞いた。

 それに面食らったようにして驚いたアカリ。

「私には隠し事なんて向かないんだね」

 そういった感じで、自分の不甲斐なさに苦い笑みを見せたアカリ。

「教えない」

 ニコリと笑ってアカリが言った。

「えー。教えてくださいよ」

 アイがむくれて聞いたがアカリはおしえてくれなかった。

「明日になれば分かるよ」

 そう言い、アカリは自分の皿を片付けていった。

 

「いちばんのりー!」

 アカリは丘に立つと透き通る声で言った。

 ここは花が一面に咲き乱れている丘である。

 岬になっているここは潮の流れが複雑で、まだアイが一人でくる事はできない。

 ここは、アカリが見習いの時代に練習コースとして使っていた場所だ。

 アカリは小妖精と呼ばれている仲間達と時間をすごしてきたのだという。

 水の三大妖精と呼ばれた三人が育てた申し子達は、それから立派なトップウンディーネになり師匠達と同じ『妖精』の名を受け取っているのだ。

「だーれが一番ですってー?」

 その丘の影から小妖精と呼ばれるウンディーネの一人アイカが声をかけてきた。

 アカリの背後から、頬をフニフニとつかんでアカリの顔をこねくり回している。

「あんたらより後に来るわたしだと思ったか!」

 ビシリ! とアカリの頭をつつきながら言ったアイカは得意げな表情をした。

「へえー。アイカちゃんはやいー」

 顔をグニャグニャとこなくりまわされながらもアカリは言った。

 アイは似たような光景を昔見たことがある。

 数年前と何も変わらなかった。何年経ってもアカリとアイカの関係には変化がない。

「アイカさん。おひさしぶりです」

 アイがアイカに挨拶をすると、アイカは振り向いた。

「うん。久しぶりだねアイちゃん」

 昔から活発なアイカは今でも変わりない。大人びて背が伸びても雰囲気はまるで変わっていなかった。

「アリスさんもくるんですか?」

「ああ。後輩ちゃんは遅れてくるんじゃない? オレンジプラネットの奴らはマイペースっていうか、ヌケているっていうか……」

 まったくあいつらはしょうがない。

 そういった感じで首を振っていたアイカの背中に声がかけられた。

「アテナ先輩と一緒にしないでください。でっかい不本意です」

 その声はゴンドラが水をかく音とともに現れた。緑色の髪を風になびかせながらゴンドラを漕いでいるのがアリスである。

 アリスも小妖精と呼ばれるウンディーネの一人だった。

 昔はアカリとアイカの後輩として一回り背が低かったアリスだが、今ではアカリ達に並ぶ背の高さになっている。

 アイは丘の上からアリスに声をかけようとした。

 だが、アリスの操縦するゴンドラに乗っていた小さな影がそれの邪魔をした。

「あんたがアイって奴かい?」

 じっと獲物を狙うようにして見上げてきた女の子だ。

「こら。何をしているんですか」

「ライバルにちょっとした挨拶をして何が悪いってんですか」

「アイちゃんは私のお友達ですよ」

 その女の子とアリスの間で何やら小さなモメ事が起こっている。

 その小さな女の子は髪を短くしていて、どちらかというとアイカに似ているかもしれない。

 その、オレンジプラネットのウンディーネの制服を着ている女の子は、大声をあげて自己紹介をし始めた。

「あたしはアサミ。将来のトップウンディーネになる女さ!」

 ビシリと空の方を指差して言うアサミ。それに対してアイカは言い出す。

「ほーう。このローゼン・クイーンのアイカ様の前でトップを名乗るとはいい度胸じゃないの!」

 アサミは胸を張り鼻を鳴らしながら言う。

「ローゼン・クイーンなんかに興味はないわい! あたしが目指してんのは」

 今度はビシリとアカリの事を指差しながら言う。

「アクアマリン! 水無灯里!」

 いきなり話が自分の方に向かってきたアカリ。

「ほえ?」

 話についていけずにいつもの身の入っていない声を漏らした。

「私は感服したわぁ。ゴンドラを漕いでいるだけでも圧倒的な存在感を持っているんやもん」

 アサミはアカリに惚れ込んでいるようだ。

「あたしの師匠も言ってたでぇ。『アイカ先輩なんかより、アカリ先輩の方が何倍も上です。アイカ先輩なんてでっかいゴミクズです』ってなぁ!」

「なぁ! あんたそんな事を言っていたの!」

 アリスは、ツンとした態度をしてアイカから顔をそらした。

「オレンジプラネットの後輩は生意気な奴じゃなきゃならないっていう決まりでもあるのかしらねぇ」

 アイカはうんざりしたようにして言った。

「一緒にしないでください。でっかい迷惑です」

 アリスは言う。

「自分が選んだ子なんでしょう? 指導員だってしているわけだし」

 アカリがそう言うとアリスは物言いたげにしてアカリの方を見た。

「それなのですが、そもそも私が指導員になったきっかけがですね」

 アリスはその事を話し始めた。

 

 いまアリスは船着場にいる。

 オレンジプラネットのウンディーネ達が使う、いくつもの仕事用のゴンドラが並んでいるところであった。

 アリスは仕事の時間になり、自分のゴンドラを操縦するためにオールを取った。

 自分のゴンドラに乗り移り水の上に立とうとしているところ、背中から耳をつんざくような大声で声がかかったのだ。

「よろしくおねがいしまぁぁぁあす!」

 大きな声に振り向くとそこには腰を九十度曲げて礼をしているアサミがいたのだ。

「オレンジプリンセス。どうか私の指導員になってください!」

 唐突にそう言いだした。

 アリスにとっては迷惑な話だ。自分の仕事だって忙しいのに人の指導などやっている暇があるわけがない。

「でっかい迷惑です」

 嫌な顔を隠しもせずアリスは言い捨てるように言ってから、ゴンドラに乗って仕事に向かっていった。

 だがその件はそれで終わりではなかった。

 何度もアサミはアリスの前に顔を出してきた。

 

 食堂で食事をしている時、自分の正面に座ったアサミは、何も前置きもなしに言い出す。

「おねがいします。弟子にしてください」

 はっきりと嫌な顔をしてみせたアリスは無言で別のテーブルまで向かった。

 

 続いて、アリスが風呂でくつろいでいる時すぐ隣に座ってきた。

 また言い出す。

「弟子にしてください」

 アリスは無言で風呂からあがっていった。

 

 アリスが日課の散歩をしているとき嫌な予感を感じてあたりを見回した。

 アリスは狭い小道を歩いている。両隣は木を植えて作った垣根になっており、前にも後ろにも人影は見えない。

「考えすぎですか」

 何もないのを確認してほっっとしたところ、となりの垣根の間からアサミがニュっと顔を出してきて言ったのだ。

「弟子にしろ!」

「ひぃ!」

 思わず驚いてしりもちをついたアリス。だがすぐに落ち着きなおす。

 アリスは体についた砂を払いアサミの事を無視して先へと歩いていった。

 背中にアサミの声を聞く。

『あれっ……抜けない……』『お願い引っ張って!』『助けてくださいししょ~!』

 後ろから助けを求める声をきいてしまったアリスは足を止めた。

「誰が師匠ですかまったく」

 そう言いながらきびすを返す。

「今回だけですよ」

 アリスは泣いて懇願をするアサミの手をつかみ思いっきり引っ張った。

 思いっきり引っ張ると、ズッポリとアサミの体が抜けアリスはしりもちをつく。

「ありがとうございます~。ししょ~!」

 しりもちをついて倒れたアリスにそう言いながら泣きつくアサミ。

「ひっつかないでください!」

 アリスは、アサミを引き剥がした後散歩のコースに戻っていった。

 

 その後、アリスは仕事をするために自分のオールをとった。そこに声をかけられる。

 ウンディーネの仕事を取り仕切る管理部長だった。

「あなた、アサミさんと仲がいいようですね」

「仲がいいといいますか」

 アリスは困惑して答える。管理部長は続けて言った。

「あなた、アサミさんの指導員をやりなさい」

 あまりの事にアリスは動きが固まった。

「ししょ~! がんばります~」

 どこからか出てきたアサミがアリスに飛びついていった。

「それじゃあ頼みますよ」

 その瞬間それは決定事項になったようで、管理部長はそのままきびすを返していった。

 

「そういった事情がありまして」

 アリスはアカリに説明をした後、ズーンと落ち込んだようにして暗い雲をまとった。

 

 その話をしている間にもアイカとアサミは『ムキー』と言い合って相手をポカポカと叩きあっていた。

「アイカちゃん。アサミちゃんもストップ」

 二人の事をアカリが止めに入った。

「そういえばアイカちゃんのところはどんな子なの?」

 アカリが聞くとアイカは奥の方に視線を向けた。

「アキ。そろそろ出てきなさい」

 よく見ると姫屋の帽子がちょこんと草の上から顔を出していた。アキと呼ばれた女の子は、草の上に目元まで顔を上げ皆の様子を確認した後立ち上がった。

「はじめまして。アキです」

 うつむきかげんで言った彼女はまた草の陰の方に歩いていった。

「まてぃ。なぜにまた隠れる」

 アイカがアキの服を引っ張ってそれを止めた。

「ここに座る」

 そう言いアイカは自分のすぐ隣をポンポンとたたいた。おとなしくアキはそこに座りそこから上目使いでアイの事を見上げた。

「アキちゃんって、もしかして今朝の?」

「はい、そうです。すいません」

「謝ることじゃないよ」

 うつむき加減で言ったアキ。

 どう声をかけていいのか? と困ったアイ。

 そこでアイカは大声を張り上げて言い出した。

「それじゃー! 三社合同のレース大会を始めるわよー!」

 

 アカリ、アイカ、アリス。

 三人がさっきまで使っていたゴンドラに乗り、三人がさっきまで使っていたオールを持っているアイとアキとアサミ。

 自分の師が長く使い込んでいるだけあり、それは自分のオールよりも自分の手にしっくりと馴染むように三人の弟子達には感じられた。

「よーいドン!」

 アイカの掛け声と共に三人は一斉にゴンドラを漕ぎ出した。

 その中で一番にかけだしていったのはアサミだった。

「うぅぅりゃりゃりゃりゃりゃりゃぁ!」

 思いっきり掛け声をあげてゴンドラを漕いでいく。

 アイとアキを追い抜いてずっと先にまで行ってしまった。

 それを見て得意げな顔をして言ったのがアリスだった。

「ほうら、うちの子が一番早いですよ」

「姿勢が悪けりゃオールの振りだって無駄に大きい。無駄な力が入りすぎ」

「何を言ってるんですか? これはレースですよ。勝てばいいんです」

「私達がウンディーネだって事は忘れないでよね。あんな漕ぎ方をするウンディーネがいるかい!」

 お互いに顔を突き合わせながら言い合った。

 アリスはアキの事を指差しながら言う。

「ならあの子はどうなんですか?」

 アイカがアキの様子を見る。

 ガチガチに震えながら壊れた人形のような様子であった。錆付いた人形のような様子でゴンドラを漕いでいる。

 動きを見ているだけでギギギギという音が聞こえてきそうであった。

「あの子、すぐにガチガチに緊張しちゃっていつもの力が出せなくなるのよ」

 アイカは言う。

「指導員がダメなんじゃないんですかねー?」

 アリスはこれでもかと冷たい目をしながら言った。

「アイちゃーん。がんばれー」

 その二人の耳にアカリの声が聞こえてきた。

 二人が見ると丘の上からアイの事を追いかけながら声援を送っているアカリの姿があったのだ。

「やりにくいなぁ」

 アイが言う。

 アイは少し困った様子になりながらゴンドラを漕いでいた。

「アカリ。あれはやりすぎよ」

「アイちゃんがなんか迷惑そうです」

 二人はそう言うがアカリは木が邪魔をして、先に進めなくなるところになるまでアイの事を追っていく。

「アイちゃん! そこは流れが激しいから気をつけて!」

 アイの事が見えなくなるまで声援をかけ続けていた。

 

 花の咲く丘に座り三人が戻ってくるのを待ちながら、アイカとアリスは春の風に吹かれていた。

「アイカ先輩はいったい何であの子の指導員をやろうと思ったんですか?」

 アリスは聞く。

 それに反応をしたアイカ。得意げな顔をしてアリスの方を向く。

「よくぞ聞いてくれました。後輩ちゃん」

 さらに身振り手振りも加わってきたアイカ。

「これには聞くも涙語るも涙の壮大なドラマがあるのよ」

 

 姫屋の入社式の日。姫屋の跡取りであるアイカは新人のウンディーネ達と対面をした。

 赤い絨毯が新人ウンディーネ達の座る椅子の郡の中から伸び、舞台の形になっているアイカの立つ壇上に伸びている。

 今年に入ったウンディーネは十数名。その一人一人に社員章などの書類を渡していくときの事だ。

 一人一人が椅子を立って壇上にいるアイカのところまで歩いていく。そして、書類を受け取って自分の席に戻っていく。形式的な式典である。

 その中で一人ガチガチになってぎくしゃくした動きをした女の子がいた。

 アイカはこの様子を見てこの後の新人のお披露目を兼ねたレースでは、この子はどうなってしまうのだろうか? と不安になったものであった。

 

 レースになるとその子はガチガチに震えながらゴンドラを操縦していた。

 晴天の空海に十台以上のゴンドラが並んでゴールに向かって進んでいる。

 姫屋の社員の乗るゴンドラがそのレースの様子を囲んで観戦をしている。

 速さを競い合っているところ群を抜いて遅いゴンドラが、フラフラしながらやっとの事で進んでいた。

 立っているのもやっとで見ているだけでも不安になる様子であった。

 案の定、そのゴンドラの操縦者はバランスを崩して海に落ちてしまった。

 

 その時までは、アキの事はただの『しょうがない新人』くらいに思っていた。

 

 その日の夜。寝巻きに着替えたアイカはヒメ社長にご飯をあげる。

 ヒメ社長がそれを食べ始めるのを見ると寝る準備のために髪をとかした。

 これから、眠くなるまで本を読んだりなどして時間をつぶすのである。

 夜といってもまだ宵の口。建物からはいくつも光がこぼれアイカの部屋である姫屋の建物からこの町の夜景を眺める事ができる。

 アイカは窓から外の様子を眺める。煌々と光が灯る夜のネオベネツィアの姿は、いくら見ても飽きない最高の風景であった。

 そこにゴンドラに乗る一人のウンディーネの影を見つけた。

 水路を進む姿は暗くて顔が見えない。

 誰であるか? 何でこんな時間にゴンドラを漕いでいるのか? その理由がアイカには一瞬で脳裏をよぎりたまらなくなって部屋からかけだしていった。

 

「こんな時間に練習をしても上手くならないわよ。夜はちゃんと休まなきゃ」

 アイカが最初にそう声をかけた。

 そのゴンドラを操縦していたのはアキである。

 アイカの姿に気づいたアキは驚いて体を硬くした。

「アイカ様! こんなところになぜいらっしゃっているのですか?」

『アイカ様……いらっしゃる……』

 姫屋のあととりである自分にある程度敬語を使ってくる相手はいるが、ここまで露骨なのはそうそういない。

 この子はまじめな子なのだろう。

 アイカは立て続けに聞いた。

「昼間の事まだ気にしてるの?」

 顔を伏せたアキは震えた声で言い出す。

「すいません。私はまだまだダメで。でも、いまより練習をしてもっと上手くなります」

 不安げな様子で言う。

 アイカには彼女の気持ちが痛いくらいに理解ができた。

 すぐ隣の仲間に先を越される時にはどうしようもなく孤独な気持ちになる。

 昔、アリスが自分よりも先にプリマになった。その時は本当に悔しかった。

 いままで一緒にいた仲間達に置いていかれているような気がした。自分が取り残されているように感じた。

 胸にどうしようもない不安が生まれた。

 真面目なこの子はそれを練習する事によって払拭しようとしているのだろう。

 周りの一緒に入った新人の中で一人だけ海に落ちた自分。情けない自分を変えるため、がむしゃらになってがんばっているのだ。

 アイカは思う。この子に分かってもらいたい。がむしゃらにがんばるだけではいけない。

 不安なとき、苦しいとき、がむしゃらになる以外の選択肢もあるのだという事を。

「うじうじ禁止ぃぃ!」

 アイカは大声で叫んだ。アキは驚いて身を縮ませる。

「あなた。私が指導してあげるわ」

「私がアイカ様ですか?」

 アキはいきなり言われて信じられないといった様子であった。

「それ。私の事をアイカ様と呼ぶのはやめなさい」

 

「それでアイカ先輩って呼んでもらってるの」

 アイカはそれらを話した後弟子達が帰ってくるだろうと思われる方を見た。

「さーて、あいつらはまだ帰ってこないのかしらねー?」

 昔話をしてバツが悪くなったらしいアイカが、言い訳がましくそう言いながらアカリ達から目をはずす。

「放っておけなくなったんだ。アイカちゃんらしいね」

 ニコリと笑いかけるアカリに恥ずかしそうにして顔を背けるアイカ。

「うるさいわね! トップがご到着したようよ」

 アイカが指差す先には一台のゴンドラがいた。

 それに乗るアサミは真っ青な顔をしていたのだ。

 無理やり体を動かしているのが分かる感じで、ヘロヘロになりながらゴンドラを漕いでいた。

 岬にたどりついたアサミは体をフラフラさせながら地面に立った。

「トップなのはいいですがフラフラではないですかい」

 アイカがアサミに言う。アサミは背筋を伸ばしまっすぐ立ってから言う。

「どこがフラフラやっていうねん! こんなんよゆーやで」

 だが、そんな虚勢では隠せるわけもなく膝がガクガクと笑っていた。

「ほー。それは大したもんですな」

 クスクス笑いながら答えるアイカ。

「アイカちゃん意地悪だよ」

 アカリはアイカを見てそう言う。

「残りの二人も帰ってきましたよ」

 二人を待って海を眺めていたアリスが言う。

 二つのゴンドラは並走をしながらこちらに向かってきていた。

『アイカさんも昔はねー』

『アイカ先輩がそんな事をしてたんですか?』

 うっすらだがそうやって話し合っているのが聞こえる。

 楽しそうにして談笑をしながら二人はやってきた。

 昔のアカリを思い出す姿だ。

 アカリは何度かレースなどに参加をした事があるが一度だって最後まで本気になってレースをした事なんてなかったのだ。

「おかえりー。アイちゃん楽しかった?」

 戻ってきたアイにアカリは声をかけた。

「はい。とっても」

 二人はそろってわらいあう。昔のアリアカンパニーのアカリとアリシアの姿によく似ていた。

 

 アカリとアイカとアリスの三人はそれぞれのゴンドラの上に立った。

 手を上に上げたアサミはそれを思いっきり振りおろした。

「スタートォ!」

 号令で全員のゴンドラが一斉に進みだし、あっという間に視界から消えてしまった。

 アイカがいなくなったのを見るとアサミは草の上にバタリと倒れこんだ。

 さっきまで隠していたが精根尽き果てたような顔をして横になる。

「無理をするからだよ」

 アイがアサミに向けて言う。

「うっさいねん。って何をしとるんや?」

 アイとアキは二人で花の咲く一角に座って何やら作業をしていた。

「ほら」

 そう言ってアイがアサミに見せたのは花の冠だ。まだ作りかけだが綺麗に編み込まれていた。

「アカリさん達にプレゼントするんだ」

 アイはそう言い作業を再開した。

「アイちゃん。私にも教えてもらっていい?」

 アキもアイと一緒になって作り始める。

 それを見ていたアサミも言い出す

「一緒に作ってやるから私にも作り方教えい!」

 そう言いながらアイ達と一緒に作り始めた。

 

 花の冠を編む三人は輪を作るようにして三人で向かい合って座っていた。

「ねえ、アイちゃん」

 アキがアイに声をかけた。

「ごめんね。私もっと早く自分からアイちゃんに会いに行けばよかった。朝はあんな事になって逃げちゃったけど」

 朝、アリアカンパニーの前にゴンドラを浮かべてうちの様子を伺っていたのは、やはりアキだったのだ。

「アイカ先輩にアイちゃんに会うといいって言われていたんだ」

『アリアカンパニーに会う事がなかったらウンディーネになれなかった』

 アイカはそう言ったのだという。

 アイカがウンディーネになろうと思ったきっかけはアリシアさんだった。

 アカリと出会ってペアになった。

 アイカはアカリから大切なものをいくつも受け取った。アカリと一緒にいなければ、一生見る事のできなかった景色をいくつも見る事ができた。

 アリアカンパニーの新人のアイも新しいネオベネツィアを見せてくれる。

 まるで、この星の女神様のように奇跡に触れる権利を与えてくれるのだというのだ。

「私は、アイちゃんって子はどんなすごい子なんだろう? って思ってたけどアイちゃんは普通の子なんだよね」

 怖くなって遠くから眺めたり一緒に会う事になって不安でどきどきしたりした。

 そんな事をしていたのがバカらしくなってくるくらいに、アイとは簡単に友達になれたのだ。

 アキは手で花の冠を作りながら言う。最後に頭と尻尾を繋いで丸い形にすると、アキはそれを太陽に向けてかかげた。

「アイカ先輩喜んでくれるかな?」

 

 アカリとアイカとアリスの三人はすぐに帰ってきた。

「二人ともムキになりすぎです」

 アイカとアカリが先にゴールをしたのを見てアリスは恨めしそうにして言う。

「ウチの後輩の前でかっこ悪いところはみせられないからねぇ」

 アイカが言う。そこにアイとアキは花の冠を二人に被せていった。

「私達のプレゼントです」

 アイが言う。

 その中でアサミは顔を伏せていた。

「まったく、どうしたんというんですか?」

 背中に何かを隠しているアサミに近づいていくアリス。

 アリスは強引にアキの腕を取った。

 アサミの背中に隠されていた歪な形の花の冠が出てきた。

「こんなもん渡せんよ」

 形が不ぞろいでできがいいとは言えない花の冠をアサミは投げ捨てようとした。

「待ちなさい」

 アリスはそれを止めた。

「あなたの指導員として一つ教える事があります」

 アリスは両手でアキが投げようとしていた花の冠を取った。

「心のこもった物は必ず相手に渡すべきです。こめられた想いは必ず相手に伝わるものですよ」

 アリスはその花の冠をかぶりニンマリと笑った。アサミに向けて言う。

「ありがとう」

 アリスの言葉を聞くアサミ。春風の吹く中闊達なアサミの顔が赤く染まっていった。

「恥ずかしいセリフ禁止!」

 アイカがアリスに向けて言った。

「そうや! 恥ずかしいセリフ禁止やで!」

 アサミはアイカの後ろに隠れていきアイカと一緒になって言った。

「アリスちゃん。成長したねー」

 アカリは目を細めて口をほころばせながらうれしそうにして言っている。

「まさか、アカリ先輩よりも先にアイカ先輩からそう言われてしまうなんて」

 アリスは悔しそうにしながら言った。

「みんな変わってく。変わらないものもある」

 アカリは言う。

 大妖精と呼ばれる三人を師に持つ自分達は、今ではまた小妖精という名前を持ってウンディーネの世界で取って代わった。

 その小妖精達は昔の大妖精達と同じように、弟子の娘達と共に笑いあっているのだ。

「だけど、変わったものもある」

 アカリは言う。

「アリスちゃんは、私なんかよりも立派なウンディーネに成長してるって事」

「私なんかよりも、アカリ先輩の方が素敵です」

 恥ずかしがり顔を伏せるアリス。アカリはさらに続けて言った。

「この素敵な事が何度も続くのはAQUAの奇跡なんだよ。素敵な事は何回繰り返してもいいんだから」

 アイカはそれから素早く言った。

「恥ずかしいセリフ禁止!」

 アイカの後ろでアサミまで一緒になって言っていた。

 二人から同時にビシリと指を指されたアカリ。その姿を見て言う。

「アイカちゃんとちっちゃいアイカちゃんだぁ」

 息のあった二人の行動。まるでこの二人が師弟であるかのようだ。

 

 夕焼け空。夕日の光で金色に染まった海の上をアカリの操縦するゴンドラが走っている。

「楽しかったね」

 アカリは自分のゴンドラを漕ぎながら座席に座っているアイに言った。

 アイはアカリを見上げた。

 自分の自慢の師。友達であり、尊敬する先輩であり、アイにとっていろいろな意味を持つアカリ。

 茜色の光を浴びてきれいに輝いているアカリは、まるで女神様のように見えた。

「このプレゼントもありがとう。ずっと大事にするよ」

 頭に乗っけたままの花の冠を触りながら言うアカリ。

「アカリさんのプレゼントに比べれば大したことないですよ」

「はひ? 私は何か渡したっけ?」

「私にお友達をプレゼントしてくれたじゃないですか」

 アカリはニコリと笑った。

「そうだね。大切にしてよ」

 少し寒くなった春の夕方の風を浴びながらアイはゴンドラの進む先を見た。

 アイの目にアリアカンパニーが映る。

 幸せな時間とこの星の神秘に囲まれているアイとアカリにとっては、この星の中心になる場所である。



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その……素敵な手帳は……

「君、ダッファーレについて聞きたいんだが」

 アキラはダッファーレをしているペアのウンディーネにそう聞いた。

「今のダッファーレは楽しいかな?」

 こくんとうなずくウンディーネの子。

「この仕事って思っていたのとちがって……」

 その言葉のメモを取るアキラ。

 メモを取った後、その子にお礼を言って立ち去っていく。

「アキラさんどうしたんだろう?」

「さぁ? 最近いろんな子に聞いて回っているらしいよ」

 姫屋のウンディーネ達の間では有名になっている事だ。

 それが何のための行動なのか? それを知る子は一人もいなかった。

 

「アズサ。お前のダッファーレについて聞きたい」

「はい。いいですよ」

 それはアズサのところにもやってきた。

「噂になってますよ。これって何の意味があるんですか?」

「それはだな。恥ずかしくて人には言えないというか」

 アキラが人に知られて後ろめたいことがあるとは、なかなか珍しいことだ。

「男ですか? そういえば、アテナさんも最近その手の噂がありますよ」

「なんだと! それは本当か?」

「嘘です」

 アキラにそれを言った時のうろたえようはとんでもなかった。

「そこまでですか?」

「いやなに……いままでアリシアとアテナの二人には煮え湯を飲まされていたからな……」

 アキラは三人の中でプリマになるのが一番遅かった事は、アズサも知るところだった。

「あのアイカ達三人組の時もオレンジプラネットに最初は取られたしな。アズサお前は一番を取れよ」

「私を巻き込まないでください」

 それから話の流れでアキラからの質問に答えていったアズサ。

 アキラの奇行の意味について聞くのは忘れてしまっていた。

 

「うーん。なんなんだろうね」

「アキラさんに他人の事を気にするようないけない趣味があったのかな?」

「そういう言い方はやめようね」

 アズサが三人の合同練習の時にそう言うと、アイとアーニャはそういった。

「あのサバサバしたアキラさんが他人の事を調べるなんて、なんか不思議だけどね」

 アズサの言葉には、アイもアーニャも納得である。

「そういえば、アテナさんも最近おかしいというかなんというか……」

 アーニャも言い出す。

 最近、オレンジプラネットに顔を出すことが増えたのだという。

 女優の仕事が最近少なくなっただけという事も考えられるのだが、アーニャとしては不思議なことらしい。

 

× アイがアリアカンパニーに戻ると、アカリは買い物に出かけているらしい。

 夕食までには帰ると書置きが残っていたので、アイは気にせず夕食の準備をする事にした。

「アイノ アイ君。君をアズサの親友と見込んで頼みがある」

 エプロンを着込んだとき、入り口から声が聞こえてきた。

「アキラさん。頼みって何ですか?」

 メモ帳を手に持ったアキラが立っていたのだ。

 

「あ……アキラ……」

 アキラの他の身とはアリノアに会わせてほしいというものだった。

「最近ダッファーレをしている子からいろいろな事を聞いているんだって」

 アイが言う言葉を聞いているのかいないのか、アリノアはアキラに対してペコリと頭を下げた。

「なんでも……」

 アリノアが言うと、アキラは聞き出す。

「君はダッファーレをしてよかったと思っているかな?」

「思います。アイちゃんに会えました」

 それからアリノアは言う。

 自分の会社の仕事は団体客が来たときのヘルプが主である。本来手の届かない場所にいるはずのアイと会えた事は自分には至上の幸せに思えるのだという。

「仕事が来るのを待って、来たらその人について漕ぐだけで終わっていたはずですから」

 そして、アリノアは今ある野望を持っているのだという。

「私。お客さんを取れるウンディーネになりたいです」

 アイの目指しているプリマウンディーネ。それも自分を目指したいと思ったのだ。

「私は臆病で、緊張しぃですけど、アイちゃんと一緒にいると元気をもらえます」

 だから、アイと肩を並べられるようになりたいのだという。ダッファーレの時だけでなく、普段の仕事でもアイの事を遠くの存在だと思わなくなるようにしたいという。

「私、アイちゃんの友達だって、胸を張って言えるようになりたいです」

 気弱で無口なアリノアの瞳に、輝く希望が浮かんだ瞬間だった。

 

「アイも好かれているな。責任を取ってやれよ」

「何の責任ですか?」

 アリノアからの話を聞き終えたアキラはアイに向けて茶化すようにして言った。

「何のためにこんな事をしているのか、私にだけ教えてもらえませんか?」

「それはお楽しみだ」

「お楽しみ?」

 何かの日のための準備なのだろう。

「それではな。この程度ではまだまだ足りないのだよ」

 アキラはアイにそう言い残すと、次の場所に向かっていった。

 

「はい? 頼みですか?」

 アズサはアキラからの頼みの内容を聞く。

 アキラが次に来たのはアズサのところだった。

「君はダッファーレをしてよかったと思っている友人に心当たりはないか?」

「ものすごく嫌がっている奴なら知っていますよ」

 アズサの頭に一番に浮かんだのはアピスだ。

「嫌がっている子もいるんだな」

 寂しげになったアキラ。

「でも! あいつはすっごい変人ですから! 気にしない方がいいと思いますよ!」

 アリシアの考えたダッファーレである。アキラとしては否定をされるのはキツいのだろう。

 アズサは慌ててフォローの言葉を言ったが、アキラはアズサの事を見据えて言った。

「その子から話を聞きたい」

 

 アズサは自分のダッファーレのゴンドラ教室にアキラを案内した。

「アピス姉ちゃん! 遊んでよ!」

「私には使命が!」

 もはや子供からかまってと言われたときの常套文句となった言葉を言っているアピス。

 当然、アピスに使命などあるはずもなく、子供に付き合わされることになるのだ。

「なんか、楽しそうで安心したな……」

 アピスも確かに面倒そうにはしているようだが、これが悪い物には見えない。

 アキラは近くにいた子に声をかけた。

「お客様。お久しぶりでございます」

 一度、アキラが案内をした子だ。

 いきなりやってきたアキラに驚いていたその子は顔を伏せていた。

「アピスの奴は好きかい?」

 アキラはその子にそう質問する。

「そこのアズサって奴よりは好きだ」

「キミィ!」

 アズサが食って掛かろうとしたが、それをアキラは羽交い絞めにして止めた。

「そうそう。続けて」

「俺たちにかまってくれるお姉さんなんて少ないもん。みんな俺たちの事を子供だってバカにしてさ」

「バカにしてはいないのだが」

「とにかく。俺たちを一人前として見ていないんだ」

 こちらとしては当然な対応であるが、子供からしたら、そのような印象をもつものだろう。

「だけどアピスの姉ちゃんは俺たちの事を子ども扱いしていないっていうか……」

 その子の言いようを聞き、アズサはアピスの様子を見た。

 子供たちに囲まれて困っているアピスには、確かにそういう所はあるかもしれない。

「なんか俺たちと同レベルっていう感じだよ。別にそれはいい事じゃないな。うん」

「まったく生意気な」

 アズサはその子の言葉に呆れてそう言った。

「そうそう。そういう態度だよ。生意気ってなんだよ。子ども扱いじゃないか」

 アズサはそれで顔を伏せる。

「とにかく好きだ。アピス姉ちゃんは俺たちの大事な友達だから」

 最後にその子はそう言った。その笑顔は気取ったところのない屈託な笑顔だった。

 

「アテナ先輩。最近よく戻りますね」

「うん。誕生日が近いから」

「誕生日?」

 アーニャがオレンジプラネットに戻ったアテナに声をかけるとそう返ってきた。

「ああごめん。これはナイショだった」

 ペコリを頭を下げるアテナ。そして急いだ様子でどこかに向かっていった。

「アーニャちゃんも来なよ」

 走りながら振り向いてアーニャに声をかけるアリス。

 何かが始まるらしい。

 

「皆さん集まってくれてありがとう」

 座談会という名のつまらなそうな集まりである。

 その中心にはアテナがいて、居心地悪そうにして正座をして座っているアリスもいた。

「みんなダッファーレで悩んでいる子たちなんだよね。私はダッファーレができる前から舞台役者とウンディーネを一緒にやっていました。いわば私はみんなのお姉さんです」

 アテナのその話を聞くのはペア、シングル、プリマのウンディーネもいる。

「普段のアテナ先輩を知らない人からしたら、ありがたいお言葉を聞ける機会に見えるらしいです」

 ヒソヒソをアーニャに耳打ちをするアリス。

 アリスの評価は低いようだが、実際にこれは貴重な機会だ。

 アーニャはアテナが一体何を話すのかが楽しみであるし、他の参加者も同様だと思われる。

「両立というものの難しさというのは私も感じています。どうしても外せない事がお互いの仕事で重なったり、忙しくて目がまわったり……」

 アテナの実体験を話しているのである。

「質問よろしいですか?」

 手を上げて言ったのはアツミだった。

「どうやって勇気を出せたんですか? アテナさんは自分で決めたと言いますけど」

 意外と勤勉な奴なのだ。アーニャはアツミの意外な面に感心した。

「皆の希望があってでした。私も最初は不安だったんです。

 アテナはアツミの質問に答える。

 アテナも、もちろん最初は不安だったという。

 だが、自分が舞台に上がるのを望んでくれている人がいる。そして、それを支えてくれる仲間がいる。

 だから頑張ろうと思えたのだ。

「私も終わりにしたいと思う事も何度もありました。でも、その時、支えてくれる人がいたんです」

 昔からの友人であるアリシアとアキラ。

 応援をしてくれるアカリとアイカとアリス。

 そのさらに後輩のアーニャ達もである。

「その子達が舞台を見に来てくれるのを見ると、本当は泣きたいくらい嬉しいんですよ。みんなのおかげで頑張れるんです」

 嬉しい涙を堪えるアテナがふとアリスを見ると、アリスも目を潤ませて泣き出しそうな顔をしている事もあるのだという。

「ちょっと待ってくだ……」

 アリスはアテナの言葉を止めようとしたが、それを後ろからアーニャが押さえる。

「話の最中です」

 そういう言い方をしたものの、アーニャも興味があった。

 アテナがアリスを見てどう思ったか?

 そして、どうして勇気を出せたと答えてくれるのだろうか?

「そして、この仕事もウンディーネの仕事のように尊いのだと気づきました。だからその時にこのまま続けていこうという勇気が起きたんです」

 アテナの意外な言葉である。

 最初から勇気を持ってダッファーレに赴いたわけではないのだ。

 皆の支えと期待。自分の仕事で喜んでくれる仲間がいるから、頑張れたというのだ。

「結局、ダッファーレなんて関係なく仲間は大切だという話なんですが」

 アテナはそう締めくくる。

「皆さん。ダッファーレそのものは大したことではないと思います。確かに大変で忙しいと思います。でも……」

 そこまでアテナが言うと、皆彼女の言葉の続きを待った。

「大事なのは今を楽しむことです。皆さんも、きっとダッファーレで楽しいことが見つかります。辛いものだと思わないで楽しんじゃいましょう」

 アテナの最後の言葉である。

 

「ありがとう二人とも」

 座談会が終わると、アテナはアリスとアーニャに声をかけた。

「私達は聞いていただけですよ」

 アリスはそれに答える。

「さっき言ったでしょう。仲間の支えが一番の勇気になるんだよ」

 アテナは言って、アリスとアーニャの手を取った。

「二人ともダッファーレを楽しんで頑張ってくれてる。アリシアちゃんもきっと喜んでくれると思うよ」

 アテナの言葉で大体察した。

「誕生日ってアリシアさんですか」

 アーニャが言うとアテナは、はにかんで笑った。

「アリシアちゃんのために頑張ろうって思って。みんなこれで気持ちが楽になったかな?」

 アリシアのためにやったことである。

 皆の気持ちを和らげて、これから続けていける勇気になったのならば、アテナのやった事には意味があった。

 

× その日の夜。アイがアリアカンパニーに戻るとアリシアの姿があった。

「アリシアさんのお誕生日パーティだよ。アイちゃん。まさか忘れてないよね」

「もちろんです」

 料理を並べるアカリが言う。前々から、アカリから今日アリシアを呼んで誕生日のパーティをする事を聞かされていた。

「でもいいんですか? みんなを呼ばないで」

 アイはアリアカンパニーの者達だけでささやかなパーティをするだけだと聞いていた。

「私も忙しいし、前みたいなのはうれしいけど、仕事の方も大事だから」

 アリシアは答える。

 一度、アクアアルタの頃にアリシア達を呼んでパーティをした事を思い出す。

 あんな事も頻繁にできはしない状況だというのだ。

「ほーら言ったろ。だから黙ってやってくるしかないんだよ」

 アリアカンパニーの二階の方から声が聞こえてくる。

 階段を下りてくる何人もの足音。

「みんな! どうして?」

 アリシアが驚いていた。

「お前の誕生日にみんなでお祝いだ。不満か?」

「アキラさん。仕切らないでくださいよ」

 アキラにアイカ。

「そうだよ。私達がアリシアちゃんの誕生日を忘れるわけないじゃない」

「アテナ先輩はバッチリ忘れそうですが」

 アテナにアリス。

「その料理は私達も手伝ったんですよ」

「耽美な味の世界にご招待します」

 アズサとアーニャも言う。

「プレゼントだ。誕生日おめでとう」

 アキラはアリシアに手帳を渡した。

「私の方からも」

 アテナも渡す。

 その手帳は、両方ともビッシリと何かが書き込まれているものだった。

「これは……」

 その内容を読むと、アリシアの目が潤んでいく。

「ああ。お前にはこれが一番必要だと思ってな」

「アイちゃん? 読んでみてくれないか?」

 アコスタビーレプリマを決める時に手紙の読み聞かせをした経験のあるアイの手にその手帳が渡る。

「アリシアさん。私はダッファレーを素敵な贈り物だと思っています」

 その一文から始まるのは、アリシアへの応援のメッセージだった。

 数々のウンディーネ達に話を聞き、ダッファーレに対する想い。仕事に対する気持ちがいくつも書かれている手帳だった。

「私達はあなたのおかげで本来知る事の出来ない幸せを知ることができました」

 それを言い終わると、アイはアリシアの手を取って手帳を握らせた。

 おそらくこれはアキラが渡したものという以上の意味のある、アリシアの宝物になるはずなのだ。

「食事といこう。この二人の作という事で味は保障しかねるがな」

「なんですかそれ」

 アキラの締めの言葉に、アズサが答えた。

 アリシアは一生の思い出になる物を手に入れた。

 これから、一生の思い出になる時間が始まるのだ。



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その……新しい始まりは……

 アルトはウンディーネ目指す女の子だ。

 目前に広がるのは、中世の街並みを今でも残すネオヴェネツィアの街並み。

 空港の受付には早速黄色のラインの入ったオレンジプラネットの制服を着たウンディーネがダッファーレをしている姿があった。

 橋の上に差し掛かり、少し歩くと後ろからガコンという音が聞こえてきた。誰もいなかったはずと思って後ろを振り返ると、郵便ポストの中身が棒を使って取り出されているところだった。

 彼女の故郷のマンホームでは紙の手紙のやり取りなどなくなっており、アルトにとっては珍しい光景である。

 棒を持っている人の事を調べると、自分と同い年くらいの、アリアカンパニー制服を着た子を見つけた。

「写真を撮らせてください!」

 アルトはカメラを構えて言った。

「いいですよ」

 アイが答えるのと、ほぼ同時にシャッターを切るアルト。

 ピピッという音が聞こえて、アイが棒を使って手紙を回収する姿がファインダーに納められる。

「綺麗な海、綺麗な街、綺麗な人。最高の写真になりました」

「綺麗な人って……」

 アイは言葉にはにかんだ笑顔を見せる。

 そこにまたピピッという音を立てファインダーに納められた。

「はにかんだ顔も素敵ですよ」

 アルトは言って、その場を後にした。

 

 サンマルコ広場に出たアルト。

「これは撮り甲斐がある」

 すべてがきれいなこの場所は、全てがシャッターチャンスだ。

ピピッカメラを鳴らし、この広場を写真に収める。

「おっと。建物はいつでも撮れる。今しか撮れないものでないといけない」

 キョロキョロと周りを見回すと、老紳士に声をかけられた。

「お嬢さん。何かお探しかな?」

「写真! 写真を撮りたいんです」

 アルトはその老紳士に詰め寄っていく。

 きれいな街並みを見て、写真家としての本能を抑えられないといった感じだ。

「私などいかがかな?」

 店主の軽めのジョークであった」

「いきますよ」

 そしてアルトがカウントダウンを始める。

「5、4……」

「本当に撮るのかい?」

 うろたえだす店主。だが、アルトのカウントダウンが終わると、シッカリとポーズを取っていた。

「急なんだから驚いたよ」

「ノリノリだったじゃないですか」

 そう言いケタケタ笑うアルト。バツ悪そうな店主は、帽子を深くかぶって目を隠した。

 

 アルトはそれから店主と一緒に昼食をとった。

「ここは時間の流れが緩やかでね。

 一年の日にちが地球の二倍もある。、一日も25時間。

「素敵のいっぱい詰まった惑星などと言われてるよ。さる偉大なお方にね」

 ジョークの流れでそう言い出す店主。そのさるお方という人に興味の出てきたアルトは聞いた。

「どのようなお力をお持ちなのですか? そのお方というのは?」

「あのお方には仲間が多い。手を出しでもしたら命がないと思うね。業界の次のトップはあのお方だよ。間違いない」

「本当に恐ろしそうですね」

 店主の言葉に軽く返したアルト。

「時間があるならアリアカンパニーの社屋に行くといい。なかなか面白い建物だよ」

 そしてカップを飲み干した店主は言う。

「仕事があるので」

 アルトの前から自分のティーカップを持って去っていった。

 

 アルトはアリアカンパニーに向かった。アリアカンパニーは海に浮かぶ綺麗な孤島のような美しい建物だった。、

「うちに何か御用ですか」

 アルトがパシャパシャと写真を撮ると、後ろから声が聞こえてきた。

「あなた、アイノ アイ! 噂のゴンドラタダ乗り犯!」

 アルトの言葉に、アイはキョトンとした顔をした。

 

 アルトのたっての希望で、アルトはアリアカンパニーの中を見学させてもらえた。

「ここが噂のアクアマリンの……」

「アカリさんはもうすぐ戻ってくるよ」

 そういうと、アイはお客を迎える準備を始めた。

「アイノさんも有名だよ。アッコスタビーレプリマのあれ。私も見たよ。ニュースで見たまったく素敵だったよね。特に背景が」

「私じゃないならおだてないでよ」

 アルトはアイをからかった後、くすくすと笑った。

「アクアマリン。ミズナシ アカリを見たら、すぐ帰るから」

「そううまくいくかなぁ?」

「今度はアイの方がクスクス笑った。

 そこにゴンドラを漕ぐ音が聞こえてくる。

「ここで待ってて」

 アカリが返ってきたのを察すると、アイはエプロンを椅子に掛けて船着き場に向かった。

 今日のお客である老夫婦をゴンドラから降ろし、その後、お見送りをした。

「アカリさん。物は相談なんですが」

 アイはアカリに提案をしたのだ。

 

「ゴンドラ。通りまーす」

 アイの声かけが聞こえてきた。

 大きな水路に出て視界が開けていく。

 アルトをお客様として乗せて、名所めぐりをしようというのだ

 リアルト橋、溜息橋。もろもろの名所にアルトを案内して、普段からの練習の成果を見せたのだ。

 スラスラと名所の案内と説明をするアイ。

 一人のウンディーネとして、練習の成果をみせるには絶好の状況だったのだ。

 だが、アルトはそれに不満気であった。

「なんかカタログで見たとこばっか。こんなところを今更見せられてもねぇ」

「ムチャ言わないでよ」

 アイはその要望に辟易していたが、アカリはクスクスと笑っていた。

「アイちゃん。あそこなんてどうかな?」

 アカリが指さした先には何があるかを知っている。アイはそれを見せるためにゴンドラを進ませた。

 

「ここのお庭は奥様が手入れをしているんですよ」

 いろいろな花が咲き乱れる庭。

 アルトは写真を撮りたくてウズウズしている様子であった。

「いらっしゃいますかー?」

 アカリは大きな声をはりあげた。

「いきなり呼び出すなんて失礼じゃ!」

 アルトはアカリの行動に慌てていたが、中から出てきた老婆はにこやかに応対をしてくれた。

「アカリさんね。お連れの人も一緒に紅茶でもどう?」

 アルトが慌てるのをよそに、アカリ達は老婆の家に進み出ていった。

 

 その後、たわいのない話をしてキッチンに向かう。

 アルトはふと、ビンの中に花の種が詰まっているところを見た。

「お花の種はね。油を採ったり、料理にも使えるの」

 その他、壁にポプリが飾れて花瓶にも花。

 ここの家の主は、花に囲まれた日々を送っているのだ。

「写真を撮らせてもらっていいですか?」

 アルトはこれを待っていた。

「私は、ネオヴェネツィアは綺麗な街という印象しか持っていなかった」

 だがきれいなだけでなく温かい人のつながりを教えてくれる街でもあると思えてきた。

「だけど、そんなものを写真に収めるのは無理だよね」

 自分の育てた花に囲まれたこの家の主はとても美しい。それを動じても撮って見せたい。

 だから、それをできるだけ表現できる写真が欲しい。

 

 アルトはそのために皆を庭に向かわせた。

「写真撮影です」

 一番いいポイントを見つけたアルトは、写真を撮りそれを見せると主人は言う。

「まあ綺麗。これは飾っておきましょう」

 アカリもこの写真は大事な宝物にしてくれるというのだ。

 

「そろそろ時間なんです」

「うん。オレンジプラネットだよね」

 オレンジプラネットに近い船着き場でアルトを降ろす。

 アルトはペコリと頭を下げてオレンジプラネットに向かっていった。

 アルトの姿が見えなくなったとき、アカリはふときいた。

「アイちゃん。そういえばお勘定は?」

「あー……そういえばそうでした」

 とぼけたような言いようをしたアイ。意図の分かったアカリはクスクスと笑う。

「悪い子だね」

 これで、ゴンドラタダの乗り犯はアイだけではなくなったのだ。

 

 アルトはオレンジプラネットに向かう途中に歌声を聞いた。

 アリスとアテナが歌っていたのだ。

「美しい……」

 思わずその姿に感嘆の溜息を吐くアルト。

 アリスはこちらに気づき、アルトに言ってくる。アテナの方はキョトンとしていた。

「あはは……覗き魔をやる気はなかったんだけど」

 それからアテナとアリスの事もよく知っているアルトはあたまをさげる。

「今日、オレンジプラネットに入社をする事になったアルトです」

 そういえば……と思うアリス、今日は新人が入るとか聞いていた。

「さっさと受け付きを済ませましょう。行きたいところがあります」

 

 アリスはアルトを連れてオレンジプラネット入社の手続きを済ませた。

 アルトをゴンドラに載せると小高い丘に向かっていった。

 そこは見晴らしの良い場所で、アルトはいくつものシャッターを切る。

「劇があるので劇場に行ってしまったアテナ先輩とは真逆です。どうもせっかちな子ですね」

「ここまでのシャッターチャンスは他にありませんよ」

「この先がかの有名な水上エレベーターです」

 大きな装置の中に入ったアリスが言うと、エレベーターに水がたまり始めた。

「予言をしましょう。あなたはこの先に見る景色を忘れられなくなります」

 含みのある言い方をする。

「私はいろんな景色を見てきました。ちょっとやそっとでは記憶に何て残りませんよ」

「生意気な子です。私も昔生意気と言われました。人の事を言える立場ではないですね」

 水上エレベーターは登り切り、ネオヴェネツィアの街並みが足元に広がる水路にまで進む。

「確かに綺麗ですけど、珍しいものの方が撮る価値ありますよ」

「あなたがウンディーネだから忘れることができなくなるのですよ」

 含みのある言い方をするアリス。アルトはキョトンとしていた。

 今はまだこの子も知らなくていい。忘れられなくなるのは先の話である。

「戻りましょうか。みんながごちそうを用意してくれていますよ」

 そう言いアリスはゴンドラの向きを百八十度変えた。

 

 アルトの歓迎会が開かれた。

 そこにはなぜかアイカもいた。

「歓迎会で外の会社の人間を呼ぶってのはどうなのよ?」

「いいじゃないか。大人は理由をつけてでも会わないと、会う機会なんてめっきり減るもんだからな」

 アキラはこの集まりに同意のようである。

「あらあら」

 いつもの口調で言うアリシア。アカリにアイもその場に同席していた。

「アテナに開始の挨拶ができるとは思わないがね」

「アテナ先輩は、決めるところはきっちり決めますよ」

 とりとめもなく会話をしたアリスとアキラ。アテナが立ち上がって話を始める。

「皆さん忘れていませんか? いっせーのでいいますよ」

 アテナの掛け声にアルト以外の全員が首を縦に振る。

「ようこそAQUAへ! ようこそオレンジプラネットへ!」

 その言葉はアルトの胸にじんと染み渡った。

 

 その後、アルトが空港の出口付近で客引きをする姿が見られるようになった。

「旅の思い出に写真はいかがですかー!」

 アルトのダッファーレだ。

 ネオヴェネツィアの名所の写真を売っていたのだ。

 屋台のてっぺんに大きく引き伸ばされた写真があった。

 アカリ達が集まった時に撮った記念写真だ。

「この写真をもらえないか?」

 お客にそう言われるがそのみんなの集合写真は売っていない。

「すみません。これは非売品なんです」

 ひときわ目を引く写真。題名はこうあるのだ。

 

『水の惑星の祝福』



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その……花火大会は……

 ダッファーレをしているアイは、各民家に配達するチラシを見た。

「花火大会とかあるんだ。アリノアちゃんも一緒に行こうよ」

 チラシを挟む仕事をしているアリノアに言う。

「他のお友達も呼ぶね」

「他の子もいるの?」

 アイの言葉に、アリノアはそう言って身をすくめた。アリノアには怖いことなのかもしれない。

「いいの。いいの。みんないい子達ばかりだよ」

 アイが言うとアリノアは小さくコクンと頷いた。

 

「今日だけ日本に帰ってきたみたい」

 アイは屋台に並んでいる人を見て言う。

 わたあめにポップコーンにたい焼き。

 ネオヴェネツィアの人々が、日本の屋台で伝統的に売られているものを売っていた。それも異様な光景にも見えず、昔から続いている風習のようにも見える。

「アリノアちゃんだ」

 アイの声にアリノアはビクリと身を震わせる。

 浴衣を着てやってきていたアリノアは、オズオズと言った感じでアイに聞いてきた。

「可愛いかな?」

「うん。とっても」

 アリノアが顔を真っ赤にして目を伏せると。キョロキョロと周りを見回した。

「いろいろ誘ってみたんだけど、みんなこれないって」

 アズサは姫屋の屋台の手伝い。アーニャも余興でアテナの歌を披露するのでその手伝いという事だった。

「アカリさんは?」

 アリノアが一番会いたがっていたのはアカリだったようだ。アカリの名前を出すのと同時に顔を上げた。

「アカリさんは……デート?」

「私に聞かないでよ」

 アカリはアカツキと出かけることになっていた。どうも不思議なやりとりが、アカリとアカツキの間にあったのだ。

 

 アイが昼の支度。アカリが書類の整理をしているところだった。おもむろにアカリが髪を掴んだ。

「何度も同じ手は食いませんよ」

「ちっ……もみ子め。俺様の心を込めた挨拶を分からんとは」

 いつものように、アカツキはアカリの髪を掴もうとしたのだ。アカリが紙を掴んだので上手く髪を掴むわけにはいかなかったアカツキは「ふん」と、鼻を鳴らした。

「今日のチラシは見たか?」

「そうですね。今日は牛乳が安いですね」

 アカツキの言いたいことを分かったうえでアカリは言う。

 アカツキが言葉に詰まったのをまるで見えているようにして、アカリはクスクスと笑った。

「花火大会。一緒に遊びに行く男の人が欲しいですね」

「う……うむ……頼むんなら……」

「郵便屋さんのおじさんでも誘おうと思います」

「待て……!」

 アカツキが言うのを聞いて、アカリは笑っていた。

「すぐ後ろにヒマな男がいるぞ」

 強がりをかなぐり捨てたアカツキ。肩を震わせて笑いをこらえているアカリはアカツキに向けて振り返った。

「そうですね。アカツキさん。一緒に花火を見に行きましょう」

「そうだな。そこまで頼むんなら行ってやらん事もない」

 かなり強引にこの言葉を持ってきたアカツキ。アカリはおかしくなって笑っていた。

「なにこれ?」

 アイは意味が分からない光景に、呆れかえって言う。

 

「あのアクアマリンにそんな事が……。アカリさん。そのアカツキって人と結婚するんですか?」

「ないと思うけど、アカリさんはいつもミラクルを起こすからなぁ」

 アイの見立てでは、あの二人は進展しそうにないと思う。

 だが数々のミラクルを起こしてきたアカリなら、ありえそうなことだった。

 

 それから二人で屋台の並ぶ道を歩く。

 提灯によってやわらかな灯りを放つ屋台。それに挟まれた道を歩く事は、アイにとって懐かしくて、心地よい気持ちである。

「アイちゃん。あれってもしかして……」

「アイカさんの屋台だ」

 

「へい。いらっしゃい。イチゴシロップ一丁」

 アイカの掛け声、その背後ではアズサがかき氷を作る機械を回していた。

「なんで手動のかき氷器を一つしか用意していないんですか!」

「そりゃ、こんなに忙しくなるとは思ってなかったからよ!」

 見立てに失敗したのだ。アイカは話を打ち切ると、客の行列の方を向いた。

「へいいらはい! このこはいつもゴンドラのオールを漕いでいるから作るの早いよー」

「勝手にハードル上げないでください!」

 アズサの文句の言葉も聞かずに、アイカは客を集めていた。

 

「邪魔しちゃ悪いね」

「あの状態のアズサちゃんには近づけないね……」

 二人して、この場を立ち去る事を選んだアイとアリノアだった。

 

「もみ子よ。どこに行くのだ? 焼きそばくらい奢ってもいいと言っているのだ」

 アカリはアカツキの言葉に反して屋台の並ぶ道とは正反対の方向に歩いていた。

「花火が上がる前にきっちりスタンバイしてないと」

 急ぎ足である場所に向かうアカリ。

「私ね。昔宝探しをした事があるんですよ。ものすごい宝物だったんですよ」

「何か素敵的なものか?」

 今は、花火があがる直前。その時になってようやくアカリはアカツキを目当ての場所に連れてきた。

 アカツキは壁に『ゴール』と書かれているところに出る。

「なるほど。景色がいいな」

「ここなら花火を見放題です、私達の秘密の特等席ですよ」

 アカリが階段に座ると、アカツキもその隣に座る。

 一発目の花火は、お腹の奥にまで衝撃の伝わってくる大きな花火だ。

「AQUAにいるからには楽しむだけです。AQUAは私達に素敵な贈り物を用意してくれるんですから」

「もみ子よ。俺は今言いたいことがある」

 アカツキは何かの言葉を飲み込んだ。

『一緒に花火を見れてうれしいとなぜ言えん……』

 アカツキは一言アカリに言っておきたかった。だがのどまで出かかっていたのに底から先にはつながらない。結局アカツキは照れ隠しの言葉を言う。

「はずかしいセリフ禁止だ!」

「エー……」

 二人が近づくチャンスであったのに、アカリの用意した舞台に立ちつつも、アカツキはいつも通りの照れ隠ししか言えなかった。

 

「これは休んでもいいはずよね」

 かき氷屋の氷が切れてお客さんには頭を下げて解散してもらった。

 だが、すぐに追加の氷は用意されるらしい。まだ気を抜くのは許されない。

 用意していたパイプ椅子に座り、アイカは疲れを吐き出すような溜息を吐いた。

「お疲れ様です。疲れには黒酢ですよ。グイッといきましょう」

 それを言ったのはアルだった。

「黒酢っていかにもおじさんっぽい」

「若い人にはなじみがないですかね」

 黒酢のパックを渡したアルは続ける。

「ボクも並んでいたんですよ。氷が切れるなんて運がないですね。宇治金時抹茶がメニューにないのも残念でした。

「またもやおじさんっぽい」

「花火まで時間がありますよ焼き鳥でも食べながらのんびりしましょう」

「もう、わざとしているようにしか見えないわよ」

 いつものニコニコ笑顔のアル。いつもの調子の彼から真意をうかがう事はできそうになかった。

「途中でアキラさんに会いましたよ。屋台の方は代わってくれるようです」

 正直助かる言葉だ。

「伝言も仰せつかってきました。『忙しい時にヒマをくれてやったんだ。必ずモノにしろ。成果を上げるまで家には返さんからな』とのことです。さて、成果とは何の事でしょうか?」

「成果云々はともかく、なんで支店長の私が締め出されるのよ?」

「確かに」

 

 アキラは屋台にやってくると、すぐに代わってくれた。今はアルと一緒にこれから花火が上がるだろう夜の空を見つめていた。

「アル君ありがとう」

 アイカはアルに向けて言う。

「アキラさんからのサービスです。すごい盛況でしたよ。女性が並んでいるのが多かったですね」

「なるほど。アキラさんだったらすごいことになっていそうね」

 アルはかき氷を二つ取り出した。それがアキラからの差し入れという事だろう。

 女だというのに、一部で王子様と呼ばれているアキラならそうなるだろう。

 アルはアイカの口にスプーンを突っ込んだ。

「疲れた体に甘いものは効くでしょう?」

「そうね」

 小さく言うアイカ。

『正直、アル君に会えたってだけで疲れなんか吹き飛んだけどね』

 心の中で思うアイカ。

 アルとアイカが隣り合って座っているところ。花火が上がりだした。

 

「夜の配達が入るなんてラッキーだったのだ」

 ウッディーは花火を間近で見て言う。

 エアバイクに乗っているから、花火が破裂するすぐ横にいることができるのだ。

「ふふふ。人の手で撮るのは私しかいませんね」

 ウッディーのエアバイクに乗るアリスは言う。

 夜の配達でオレンジプラネットにやってきたウッディーをアリスが捕まえて、花火のすぐ近くに連れていくように要求したのだ。

 「明日のトップは私が取ります。こんなに近い場所で撮影するのは私くらいでしょうね」

 パシャパシャとカメラのシャッターを切りながら言う。SNSに投稿をするつもりのようだ。

「ちゃんとつかまるのだ。落ちるのだ」

 そう言い、ウッディーはアリスの体に手を回した。

 体に腕を回されたアリスは体が固まった。

「私が支えているうちに撮るのだ」

 目をつむり、顔を伏せたアリスは言う。

「もういいです……」

 ウッディーの腕が体から離れると、アリスは俯いてエアバイクの荷台を掴んだ。

「ならあの辺で下すのだ」

 何も気づかないウッディーはアリスを近くの桟橋に下した。

 

 花火が終わると、締めにアテナの歌が始まる。

 歌い始めるために檀上に出る前のアテナとアーニャは、多くの客が待っているのを見る。

「なんかいつもと違う場所だと緊張するね。アーニャちゃん」

「私が歌うのではないですので緊張はしませんね」

 だがアーニャも司会をするために少し檀上に上がらないといけない。

 本当はアーニャの胸はバクバクと高鳴っていた。

「では行きます」

 アーニャが壇上に向かう。

『最初の一言だね』

 アーニャはよくアテナから聞く事を思い出す。

 最初の一言を出すのが一番難しい。一言を言ったら自然と言葉が出てくるものだ。

「皆さん花火はお楽しみいただけたでしょうか?」

『アテナさんの言った通りだ……』

 次々と言葉が出てくる。アーニャはさっきまで緊張でモヤモヤしていたのも忘れ、台本に書かれていた言葉を思い出す。

「アテナグローリーさんです。拍手でお迎えください」

 最低限の司会ができたアーニャ。アテナが後ろを通ると小さくアーニャの肩を叩いた。

「上手くできたね。舞台に上がるのが向いているかもしれないよ」

 アーニャは言われる。アテナに言われ、アーニャはスタスタと立ち去っていく。

『無茶言わないでください』

 舞台慣れしているアテナはマイクの前で頭を下げると歌を始める。

「御清聴ください」

 その言葉を皮切りにアテナが歌い始める。

 花火大会の余韻を感じながら見なそのカンツォーネに耳を傾けた。



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その……人形劇は……

 アイは買い物の途中で人だかりを見つけた。

 アイがひとだかりの中心を見ると、マリオネットの人形劇をしているのだった。

 生きているように動くマリオネット。その糸を操っているのはウンディーネだった。

 そのマリオネットの人形劇は終わりだったようで、人形が皆にペコリと頭を下げているところだった。

 買い物で余った小銭を置かれているビンの中に入れたアイに声がかけられた。

「あなた……アイノアイさんね」

 その声を聞き、人形師の方を見る、マリオネット人形は、チョイチョイと手を振ってアイに手招きをしていた。

「私はアラリアっていうの。あなたの事を知っているよ」

 人形が大きく腕を広げた。

 人形師のアラリアの事を見るとアラリアはにこやかに微笑んでいた。

 

 アイは買い物の途中だったが、そう急ぐものではない。アラリアに誘われて近くのカフェに行く。

「私、アッコスタビーレプリマを目指しているの」

 アイはそれに複雑な気持ちになる。

 アッコスタビーレプリマは一度悪用をされてしまった。

 アッコスタビーレプリマの座をかっさらっていったアニタは、どうにも憎めない相手であった。

 彼女の事をどう思えばいいか分からない。アラリアがもし制度を悪用しようとしているなら、アイもまた頑張らないといけないのだ。

 そうふと思う。

「私の事をどう思っている?」

 アラリアにとっては自分は敵かもしれない。前回二位だった自分は、順当にいけばアラリアの前に立ちはだかる壁のはずだ。

「憧れでもあり、勝たなきゃならない相手でもあり、そういう意味では敵同士だけど……」

 やはりアラリアにとっては自分は敵だ。口を固く結んだところ、アラリアはつづけた。

「でも手加減なんてしてほしくないな。あなただってプリマになりたいでしょう?」

 アラリアにそう言われる。

 アイは考えたことがなかった。アリシアの作ったアッコスタビーレプリマを守るため、そのためにやってきた事が前回の二位という結果だっただけだ。

 

 夜。ネコミミのナイトキャップを被って寝間着に着替えたアイは寝息を立てているアリア社長の隣で考えた。

「私ってアッコスタビーレプリマになってもいいのかな?」

 アリシアは出会いに恵まれない子のためにアッコスタビーレプリマの制度を考えた。

 自分の近くにはアカリがいる。アイカにアリスもいる。その自分は、彼女らと一緒に頑張っていけばいい。

「はずだけど……」

 自分の考えたことに返す言葉を自分で探した。複雑な気分だ。

 アイは自分もアッコスタビーレプリマになりたい。皆から愛されるプリマとして胸を張りたいのではないかと思う。

「アリシアさんはどう思うかな?」

 アッコスタビーレプリマの制度を考えたアリシアはどう思うかを考えた。

 

 翌朝、朝食の時にアカリのこの悩みを打ち明けたアイ。

「アイちゃんはどう? ダッファーレは楽しい?」

「もちろんです」

「ならそれでいいよ」

 アカリの言葉を測り切れないアイはキョトンとした。

「アイちゃんが楽しくダッファーレをすればいいと思う。アリシアさんもそれを望んでいるんじゃないかな?」

 つまりは、対決をしているなんて考えなくてもいいという事だ。

 

 その日のアズサとアーニャとの合同練習があった。

「難しい問題ね」

「どっちを選べば、アリシアさんが喜ぶか? って事だよね」

 アズサとアーニャにとっても難しい話のようだ。

「でもいいんじゃない? アイちゃんが勝っても」

 アズサは言う。

「ダッファーレもウンディーネの修行にはなっていると思う」

 ゴンドラ教室で講師をしているアズサは、それから学べた事があるというのだ。

「彼らって自由なの。たまに秘密基地とかに行くんだよね。私の知らない場所を、彼らはよく知っている。この場所とかをお客さんに案内して喜んでもらえばいいなって思う」

 藤の花が降りる場所。二つの像が太陽を掲げているように見える場所。

 新しい発見を子供たちに教えられると、ゴンドラ教室をやってよかったっと思うのだ。

「アイちゃんが決めていいのよ。アリシアさんだって怒ったりしないと思う」

 アズサの言う事に、アイは心が晴れる気がした。だがアーニャはそれとは違う考えを持っているようだ。

「私、会社でも上達が早いって言われてるけど、アテナさんとアリスさんのおかげだと思う」

 オレンジプラネットにも上達のできない子もいる。指導員の力不足が原因であると感じる事も多いのだ。

「そういう子のためにも、アイちゃんが勝っちゃいけないと思う」

 アーニャの言葉に、アイは唸るだけだった。

 

 アカリがアリアカンパニーに戻り、夕食となった。

「私もアリシアさんのためになるかどうか気になったんだ」

 アカリは朝の話がひっかかっていたようであった。

「アイカちゃんにも聞いてみたんだ」

 あの二人の意見は参考になるはずと思ったアイ。

 アカリはアイカから聞いた話をしはじめた。

 

 アカリが姫屋に向かうと、顔パスですぐに支店長室に案内をしてもらえたのだ。

「アポなしでいきなり来るのはやめてくれない? 今はちょうど休憩したい気分だったからいいけど」

 アイカの言葉の後、アカリはアイカに聞く。

「殿堂入りとかどうよ? 優勝した人はもう出れないようにするの」

 優勝しても一回で終わり。そうなればアイも気兼ねなく参加をする事ができるだろうとアイカは言うのだ。

「問題なのはアイちゃんの気持ちでしょう? アリシアさんだって、アイちゃんの望むようにして欲しいはずだし」

 アイはアリシアの事を考えすぎなのだという。勝ちたいなら全力を出せばいいというだ。

「アッコスタビーレプリマになりたいならなればいいじゃない」

 アイはウンディーネの修行にはげんでいる熱心なウンディーネだ。その熱心なウンディーネが優勝をするなら、元々の趣旨に合っている

 

「アイちゃんはどう思う? 気兼ねなくダッファーレをやれる?」

 話の最後にアカリが言い出した。

「一番重要なのは私の気持ちですか」

 アリシアの事ばかりを考えていて、そんな事は全く考えなかったアイ。

 

 次の日、アイはアラリアの人形劇に出くわした。まだ始まって間もない状況のようで、人垣の後ろから、アイはアラリアの人形劇を見た。

 小さな女の子はおばあちゃんが大好きだった。

 毎日おばあちゃんにたのんでマリオネットで人形劇をしてもらっていたのだ。

 その子はおばあちゃんを友達の集まる公園に一緒に連れて行った事もある。

 おばあちゃんの人形劇はその友達にも盛況だったのだ。

 みんなを楽しませてくれるおばあちゃんはその子の誇りであったのだ。

 おばあちゃんは、皆のために新しい劇を考え続けてくれた。そのおばあちゃんの姿を見て、自分も人形劇をやりたくなったのだ。

 その子はおばあちゃんに頼んで、人形の動かし方に語り口調も覚えた

 楽しく覚えたその子は友達の前で拙い人形劇を披露したのだ。

 だが友達はつまらないという。おばあちゃんの劇の方が面白いというのだ。

それが悔しくて、何度も練習して上達をするようにがんばった。

 その子は人形劇にのめり込んでいったのだ。

 時が経ち、友達も十歳になり十二歳になる。

 みんなの興味は人形劇以外のものに進んでいった。その子自身も、人形劇をやめ、ウンディーネを目指すようになったのだ。

 ウンディーネになったその子はダッファーレをする事になる。

 その子は、倉庫の奥のマリオネットを引っ張り出し、人形劇をしようとしたのだ。

 だがその時祖母はすでに亡くなっていた。教わる相手がいないながらも、独学で人形劇を確立させていく。

 一人の力で勝つのではない、ダッファーレで勝つ事はおばあちゃんと自分の二人の勝利であると考えているのだ。

 ダッファーレですでに有名になっているあの子に負けないため、その子はおばあちゃんの人形で戦っているのである。

「これでこの話はおしまい」

 アラリアはそう言い、人形をお辞儀させた。

 

 あれはアラリアの過去だ。

 この劇は、アラリアからアイへの挑戦状である。

 アイの胸にはじん……とくるものがある。

 

 あれから、アイはアラリアをカフェに誘った。

「あれは負けられないよね」

 もう亡くなった祖母からもらったマリオネット。自分の負けはおばあちゃんも一緒に負けてしまう事になる。

 自分一人ではなく、もう一人の命も預かった。自分だけではなく誰かのために戦うというアラリアの強さになっていると感じた。

「あなたも負けられないでしょう?」

 アラリアはアイがダッファーレに打ち込む理由を知っているという。アリシアが作ったダッファーレはアイにとってかけがえのないものであろう。

「私も悔しかったよ。あの子にアッコスタビーレプリマを取られて」

 アニタがアッコスタビーレプリマになり、胸がギュッっと締め付けられる気分になったという。

「だから今度の勝負はあんな子が入ってくる余地のないすっごいものにしたいの」

 アイはそれで思った。

 アリシアに聞く必要などない。彼女はアイと競い合えるのが楽しみなのだ。

「二人でがんばろう? 私もトップを取るつもりで行くよ」

 アリノアの言葉でアイの迷いは晴れた。

 アラリアは自分が心配をするような相手ではなかったのだ。

 アラリアは人形を取り出した。マリオネットをアイの前で動かす。

「この人形で、私はアッコスタビーレプリマになるんだ」

 彼女が祖母からもらった人形は、必ず何かの力がある。それに負けるわけにはいかないと、アイは思ったのだ。

「はいお辞儀」

 アラリアと、アラリアの操る人形はそろって愛に向けてお辞儀をした。



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その……不審な人は

 合同練習中、アーニャが切り出してきた。

「昨日、不審な人間がホテルにやってきたの」

 昔のアリスみたいな目つきをしているとアイは思う。

 昔のアリスは、何かを見つけると「大事件です」などといって同じような表情をしていたのだ。

 アーニャはその表情のまま話し始めた。

 

「お部屋はこちらになります。お荷物はどこに置きましょうか」

 部屋の奥にまで入ってペコリと頭を下げると、入口に設置されていた帽子掛けに帽子をかけた。

「この机の隣でいいよ」

「かしこまりました」

 アーニャが持った荷物には、布でくるまれた長い棒が飛び出していた。

「お客様。こちらの長い物は、もし使わないならフロントでお預かりする事も出来ます」

「これは大事な商売道具だ。このままでいいよ」

 と。それだけの事であった。

 

「最近ホテルの人達が、何かイベントがあるといって集まっています。出席者様を暗殺するためにやってきた刺客に違いありません」

 アーニャの飛躍した推理に、アズサはあきれ顔をした。

「何? その反応。消される覚悟で話したのに、友達甲斐がないね」

「消されないって」

 アズサの言葉の後、合同練習の続きでゴンドラが進められた。

 

「仲間は頼りにならないね」

 アーニャは自分自身でその男の事を調べると決める。

 ホテルの仕事をしながらその男の事を探っても、特に怪しい行動はしなかった。だが、なんどか外出をしていく。

「外出中にいったい何を?」

 アーニャは外出中の行動にこそ、真理はあるのではないかと邪推した。

 

 アイは郵便配達中に、路上でバイオリンを弾いている者を見た。

「最近多いな」

 水路を通りながら、何人もの路上演奏を見る。ハープ、トランペット、クラリネット、フルート。様々だ。

 郵便屋では大事な人の誕生日が近く、誕生日会の演奏の練習を兼ねているという噂なのだ。

 ここまでの演奏家を集められるとはいったい何者なのだろうか?

 

「あの子達はパワーありすぎ……」

 ダッファーレの終わったアズサは言う。まだ、子供たちに引っ掻き回されているアピスが眼前にいて、迷惑そうにしていた。

 教室が終わった後も、子供たちに揉まれているのだ。

 それはいつもの光景。家の窓から外の景色を眺めるような気分にすらなるいつもの様子だった。

「アズサさんですね」

 そこに横から声をかけてくる男がいた。

「秘密のパーティにご招待したいのですが」

 その男はホテルマンの格好をしていた。

 自分がパーティに呼ばれるような事をした覚えはない。不思議に思っているアズサに招待状が渡された。

 場所はアーニャがダッファーレをしているホテル。

「アイカ様と、アキラ様も招待されていますよ」

 ホテルマンはそう言う。つまり、自分は彼女らのオマケという事らしいとアズサは思うが、そういうわけでもないらしい。

「今回の場合、あのお二方の方がオマケのようなものです」

 アズサは招待状の文面に目を通した。

 驚いた後に合点がいく。

 

 オレンジプラネットの中庭。

 アリツェがアテナと一緒に中庭のベンチに座っていた。

「アテナ。ポカやらかしてないでしょうね?」

「していませんよ」

 二人は、わいわいと昔話に花が咲いているようであった。

「他の皆さんはどうしているんですか?」

「みんな、観光がてらに路上演奏をしに行っているよ」

「アーニャちゃんは?」

 アリツェが聞く。

 そうすると、にんまりと笑ったアテナは、アリツェにこっそりと教える。

 

 アーニャはアリスと一緒に練習をしているところだった。

 オレンジプラネットの近くの水路でアーニャにゴンドラを漕がせているのだ。

「これに何の意味があるんですか?」

「ゴンドラを漕ぐのに理由が必要ですか?」

 アリスはそう言うが、同じところを往復させ続けているだけだ。練習には常に意味があるのだが、すでに漕ぎ慣れているアーニャにこんな練習をさせる意味は全く分からない。

「まったく……あなたは勘がいいのか悪いのか……」

 そう言った後、アリスは慌てて口を押えた。マズい事でも言ってしまったかのような様子だ。

「とにかくあなたは、この練習を三日間くらい続けなさい。みっちり行きますよ」

 アリスはそう言う。ダッファーレも合同練習もいけないというのだ。

「何でそんな事になるんですか?」

 アーニャも言う。

 この意味のない行動に、疑問も上がるというものだろう。

 

 練習も途中で休憩となる。

 アリスはどこかに連絡をかける。

「はい。はい。ぶつくさ言いながらも練習をしていますよ」

 電話の先の人間は、それで満足をしているようだ。

「では私はアーニャの練習に戻ります。ぬかりはありません。彼女の大好物ばかりを挟んだサンドイッチも用意してあります。怪しまれないようにしていますよ」

 何か、アーニャに隠し事があるらしい。三日間アーニャの事をここに釘付けにしておく事がアリスの役目というようだ。

 

「あんなものを銃と間違えるなんて、オレンジプラネットの血を引いているんだね」

「昔のアリスさんもあんな感じだったの?」

 合同練習中のアイとアズサはアーニャが不審に思っていたものの正体を知っている。あれが銃ではないとはだれでも分かるというものだ。

 今の二人はアリスの頼みで工芸店に向かっている。

 アリスからアーニャへのプレゼントのオルゴールを取りに行くのだ。

 

 後日、アーニャはダッファーレに向かった。

 ホテルの入口には『本日貸し切り』の札が下がっていた。

「話は聞いていないけど」

 アーニャの言葉の通り、貸し切りにするなんて話は誰からも聞いていなかった。

 アーニャはいつも通り、ホテルをグルリと回って裏口からホテルに入っていく。

 ドアを開けると、一斉にクラッカーが鳴らされた。

 クラッカーを鳴らした者の中にはアイもアズサもいる。なぜ二人がこの場にいるのか?

 そう考えるアーニャは次の言葉で理由に気づいた。

『お誕生日、おめでとー』

 そしてアリスが出てアーニャを導いた。

「三日間の特訓を、よく耐え抜きましたね」

 あの理不尽な特訓の事を言っているのだ。

 アリスに導かれるまま中に進んでいくと、数名の音楽家が並んでいるところに出る。

 その中には殺し屋と疑った男性もいたのだ。

「私はパーティの出演者を狙う殺し屋ではなくフルート奏者だよ」

 クスクスと笑いながら言うその男。

「それは失礼しました……」

 アーニャが言うと周囲がクスクスと笑った後にバースディソングが演奏された。

「みんなあなたのために集まったんですよ」

 

 アリスからのオルゴールが渡され、みんなからもプレゼントが渡された。

 アイとアズサの番になるとアイは押し花を渡した。

 赤、黄色、青のマリーゴールドだ。

「花言葉は友情だよ」

 アイの言葉に、アーニャは頷く。

「これで私達はずっと友達だよ」

 それから、アイとアズサはアーニャと一緒に写真を撮影する。

 

 アーニャは部屋に戻るとマリーゴールドを飾った。

「どんな小説にもこんな気の利いたプレゼントはないよ」

 友情の花言葉のあるマリーゴールド。その押し花の意味に、胸がほっこりとした。



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