あきつの空 (溶けた氷砂糖)
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あきつの空/1

全六話を予定


「来てもらってすまないね。生憎と、これは命令書には出来ない機密事項なんだ」

 

 白い髭をたくわえ、年齢らしからぬ頑強な体躯を小さな椅子に座らせた壮年の男性が、悪びれることもなく言った。ある意味でそれは最後通牒であった。話を聞けば後戻りはもう出来ないぞ、と自らの地位で退路を塞ぎながら。

 

「いえ、少将殿のお眼鏡に叶い光栄であります。この命、国家のために捧げた身でありますゆえ、どうか遠慮なさらず」

 

 対面に立っていたのはまだ若い、白い軍服に着られているような少年だ。外見からだとせいぜい十七、八だろうか。壮年の少将とは二周りも年が離れているだろう。本来ならば、同年代の子供達と学業に励み、青年を謳歌している頃のはず。

 

「そう堅苦しくすることも無いと言うのに。私と君なら同期の桜みたいなものだろう」

 

 同期の桜とはそのまま同期生のことを指す言葉であるが、元々は太平洋戦争時に好んで歌われた歌のことで、華々しく散る様を桜に例えた軍歌である。軍属の彼らからすれば、正しくそう呼ぶべきだろう。少将が()()()()と形容したのは、けして言葉のあやではない。

 

秋津(あきつ)君。階級にこそ違いはあるが、私は君のことを旧友だと思っているのだがね」

「私もそう思っているでありますよ。それ以上に敬意を払うに値する存在だと認識しているだけであります」

「堅苦しいところは今も変わらず、か」

 

 薄く笑ってみせた少年に対し、少将は諦めの入った笑みを浮かべる。まるで祖父と孫のような微笑ましい光景は次の瞬間には鳴りを潜め、そこに居るのは最初と変わらず軍の上と下。

 

 少将が手元から一枚の写真を取り出した。巨大な建物が写されている。秋津はそれを受け取り、目で続きを促す。その目は感情の読めない黒に染まっていた。これからは仕事の時間である、と認識したのだ。

 

「鹿屋にある鎮守府の一つだ。鹿屋の特徴については知っているね?」

「最も艦娘が人らしい場所、でありますな。噂には聞いたことが」

 

 鹿屋、岩川は内陸部。出撃の無い艦娘が、今日も人のやうに大笑い。

 秋津が軍部で面白おかしく歌われる歌を口ずさんでみせる。

 

 海に面していないその二つの基地は深海棲艦への前線にはなりえず、教練のための区域とされてきた。岩川は現場の最高責任者である中将の意向で月月火水木金金の訓練漬けと言われているが、鹿屋においてはそれ程厳しい訓練が行われているわけではない。このようなあだ名が付けられるのはそのためである。

 

「それがどうかしたので? 一度風紀を取り締まる、というのであれば自分の役割ではないと思いますが」

「それがどうも、風紀の乱れでは無さそうだ。或いは、もっと危惧すべき話かもしれない」

「と言いますと?」

「この鎮守府は毎日建造と解体を行なっている」

「ふむ。不可思議ではありますが、有り得ぬ話でもないでしょう。まさかそれで終わりでありますか」

「そんな訳がないだろう」

 

 少将はゴシップ雑誌程の厚さの束を机から出す。十枚程度ページを捲り、ある一点を秋津に見えるように指差した。

 

「これは各鎮守府の保有艦娘のデータをまとめたものでね。そして、これが件の鎮守府のデータだ」

「ふむふむ……保有艦娘、零でありますか。有り得ない、でありますな」

 

 真っ当な鎮守府であれば、艦娘を解体するのは、同種類の艦娘が既に着任している時。それか今以上の艦娘を保持できない場合だ。必要無い、という理由で解体することもあるが、その場合も()()()()()()()()()()という前提の基で話が成り立っている。

 

「そもそも艦娘の居ない鎮守府は鎮守府と呼べるのか……」 

「認定を受けてるから、形の上では鎮守府さ。例え提督が軍人でなくとも、な」

「軍人でない?」

 

 秋津は眉をひそめた。艦娘が兵器であることを鑑みれば、それを指揮する提督は軍人でなければならない。機密事項の塊、基本的人権に抵触しかねない行動。艦娘を民間人に任せることなど、天地がひっくり返っても起こり得ない。艦娘技術というのは外交カードとしての価値を持ちうる技術なのだ。

 

 その上で、万が一軍属以外の者が提督になるとしたら、考えられるのは唯一つ。

 

「何かしらの研究をしている、ということでありましょうか」

「おそらくはな」

 

 艦娘を研究したいと望む研究者は多い。艦娘と多く接触を持つためには提督になるのが一番手っ取り早く、安全だ。余程のことがない限り、 艦娘(兵器) 提督(使い手)に牙を向けないのだから。

 そして、件の人物が研究者であるのならば、無意味な建造と解体にも説明がつく。実験し終わった後に捨てているだけだ。

 

「一応聞いておきますが、売買の可能性は無いのでありますな?」

 

 秋津が推論をより確かなものにするため少将に問う。

 

 提督の不祥事として多いのは艦娘への性的暴行。その次に大本営から送られる資源の横領。それから性玩具としての艦娘売買である。一つ目、二つ目は今回の事例にはおそらく当てはまらないとして、三つ目の艦娘売買にも、建造と解体を繰り返すという特徴がある。

 居るはずの艦娘が居ない、そんな場面を憲兵に見られたら勘付かれる。だから、解体だの轟沈だの書類をでっち上げて体裁を整える。呆れるほど見慣れたやり口であり、秋津も初めはそれを疑った。

 

 そして少将の答えは肯定。

 

「しばらく外部を見張らせてみたのだがね、誰かが出入りしているような様子は無かった。そもそも鹿屋の特性上、部外者が入れば目立つ」

 

 鹿屋は内陸部であり、実戦部隊でないがゆえに、それぞれの鎮守府が近い位置にある。また、海に面しているのであれば、海岸線を警戒するように広がるため内陸のルートは他所からは気付かれにくいだろうが、鹿屋ではそうは行かない。なにせ、どこまで行っても地上しかないのだから。

 

「潜り込むのも面倒でありますな。堂々と正面から行っても?」

「構わんよ。だが、あまり手荒なことはしないでくれ。こちらとしても罪状があって調べるわけではないのでな」

「それは、まあ相手の出方によりますが」

 

 身を守るくらい許されるでしょう、と秋津は腰に提げた十四年式拳銃をこつりと叩いた。時代遅れどころか骨董品とさえ呼べるボディは無骨に光り、人を殺すのに十分な代物であることを主張している。

 そうなればお縄にするだけだ、と軽口を叩く少将。

 

「では、明日にでも出立いたしましょう。地図と提督のデータは頂けるのでしょうか」

「鹿屋の提督用に配られるハンドブックがそこにある。持っていきたまえ」

「恩に着るであります」

 

 文庫本程度の大きさの本を脇に抱え、秋津は敬礼をして部屋を出て行く。退出の許しを請わぬ、無礼な振る舞いであったのは、少将のことを本当に親しい人間だと認識していることの証明なのだろう。親しき仲にも礼儀あり、という言葉もあるのだがな、と少将は独りになった部屋で苦笑いしながら呟いた。

 

 

 少将の部屋から退出した秋津は基地の敷地内にある自宅へと向かっていた。すれ違う人の冷めた視線に晒されながら、さして気にすることも無く歩き続ける。何日かかるか知らないが、替えの服は十分に有っただろうか、などとくだらないことを考えているうちに体は家の前についていた。

 

 ポケットから取り出したカードキーを差し込むと、ピーと音を立てて鍵の開く音がした。ドアを開けて中に入り、玄関のスイッチで照明を点ける。堅苦しい軍靴を脱ぎ去り、帽子をポールハンガーにかけた。軍服は着替えずにそのままだ。

 

 飾り気のない、だが高級感の漂わせるソファに腰を下ろして、秋津は机の上にあるライターと煙草を腰に提げた十四年式と交換した。

 

「やはり一日の終わりはこれに限るでありますな」

 

 ゴールデンバットに火を点けて咥える。秋津の数少ない娯楽の一つであった。明るく照らされた室内に煙がくゆり、換気扇に吸い込まれて消えていく。煙草を旨いと思ったことはあまり無いが、その光景を見ているとどことなく心が落ち着くのだ。

 

 思い出したかのようにハンドブックを開く。先ず読み流すのは演習を行うときのための提督名簿。海軍のエリート、高卒の叩き上げ、上からの天下り。軍人という共通項さえ除けば提督に選ばれる人物に傾向は無い。最後のページ、物のついでに付け足された欄で指を止める。経歴欄には士官学校卒業とだけ書かれている。見るからに不健康そうな写真には似つかわしくない。

 

 念のために名前を携帯端末で調べてみるが、目立った結果は得られなかった。

 

「せめて、何かしらの分野の権威、とかであれば楽なのでありますが」

 

 無名の研究者。その場合に最も困難なのは、「何を」研究しているのか予測することである。

 例えば、深海棲艦及びそれに付随する現象の研究。いわゆる深海学の人間であれば、艦娘と深海棲艦との類似性についての研究だと予測することができる。機械工学を学んだ者であれば、興味の対象は艦娘本人よりもむしろ艤装の方にあるだろう。

 だが、相手が何を学んできたのか分からないのでは推理のしようがない。理工学に限定せず、人類学や心理学の可能性もあるのだ。

 

 素直に口を割ってくれれば良いのでありますが、と秋津は希望的観測を口にする。今までの経験からすればそんなことは先ず有り得ないと思わざるを得ない。()()()に疑われるということは、知られると危ういということだ。

 

 崩れそうにしなった灰を慌てて灰皿に落とし、一つ息を吐いて咥え直す。体感よりも長く考え事をしていたようだ。

 下手な考え休むに似たり。案ずるよりも生むが易し。兎にも角にも行ってみなければ分からないと思考をそこで切り捨てた。

 

 それよりも問題は、少将が秋津一人で行かせたのは何故か、ということだ。部下を見張りに向かわせるのだから、別に秋津である必要は無かったはずだ。彼が優秀であることは確かだが、内密に頼むことには他の理由があるはず。

 

 おそらくは少将は中で行われていることを知っている。その上で秋津に向かわせたいと思っている。それがどうしてかは分からないし、分かる必要もない。

 

「結局、気にし過ぎなだけなのでしょうが」

 

 また考えすぎてしまった。煙草の火はとっくに消えていて、終わりの時間を告げている。秋津は灰皿に煙草を押し付けて、ソファから立ち上がり大きく伸びをした。

 

「風呂に入るのも億劫でありますな。昨日入ったし別に良いでありますか」

 

 そんな事を独りごちて、秋津はベッドへ向かう。今日はもう寝るかと軍服を脱ぎ捨てて、毛布に包まった。その姿はやはりまだ幼い子供のようであった。



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あきつの空/2

 件の鎮守府は森の中に隠れるようにぽつりと建っていた。新しい軍服をぴっしりと着こなした秋津は何処か初々しい様子を演出しながらドアをノックする。正面から、特に隠れる様子もない。しばらくしてドアが開き、姿を表したのは無精髭を生やした三十路くらいの男だ。よれた白衣を身に纏い、軽薄そうな笑みを浮かべている。

 

 秋津は胸ポケットから軍隊手帳を取り出す。新兵に見えるようにわざわざ新しく発行してもらったものだ。旧日本軍のものとはやや異なる形式の手帳。その表紙には金字で「憲兵」という文字が刻まれている。

 

「いわゆる定期監査というやつですな。ご了承頂きたい。何分、最近は良くない噂も聞きますので」

 

 口調すらもそれとなく変えながら、中に入れるよう促す。男は意外にも嫌な顔一つすることなく秋津を施設の中へ招き入れた。生活感の薄い埃被った灰色の廊下を男に先導される形で歩く。

 

 辿り着いたのはソファとテーブルが置かれた、それまでに比べれば幾分か人間味のある部屋。応接間、というよりは男が私的に用いているのだろう。

 

「丁度、クッキーを焼いたところだったんだ。良かったら一つどうだね」

「いえ、お構いなく」

「そうか、それは残念だ」

 

 君のために焼いておいたのだがなあ、と男は悲しそうに呟いた。肩をすくめ残念に思っていることを過剰にアピールしている。

 

「自分のために、ですか」

 

 その言葉が引っ掛かった。男は事も無げに言ったが、本日の監査は抜き打ちの筈である。見張られているのがバレていたか、内部情報が抜かれていたか。

 それとも、最初から仕組まれていたか。男の答えを待つ。

 

「ああ、そろそろ定期監査の時期だと思っていたからね。今までは信頼出来る部下なんだなあ、と思って受け入れてきたが、今回君のような新しい子が来るというのは予想外だ」

「つまり、これまでも監査は来ていたと」

「もちろんだとも」

 

 男は深く頷いた。嘘を吐いている様子は無い。喋り方から奇天烈な性格をしていることは容易に伺えるが、腹に一物持ったまま振る舞うのが得意そうには見えなかった。この手のタイプははったりをかますよりも、確固たる証拠を武器にして交渉に立つ。

 

 秋津は完全に理解した。薄々予想はしていたことだが。

 

「一本取られたでありますなあ」

 

 秘密を抱えた無名の探求者。その目論見に対する交渉ごとが自分の仕事だと思っていたが大間違いだった。交渉などずっと前に、自分が知らされるよりも昔に終わっていたのだ。自分はそれを確認し、黙認するために遣わされただけに過ぎない。

 

 そうとなればもはや外面を取り繕う必要もない。

 

「これでも少将の懐刀であると自負しているでありますよ」

「まだ若いのに懐刀とは。随分な自信家のようだね。大言壮語の通りであるならば良いのだが」

「それはご自分でお確かめになってください」

 

 帽子を取り、大きく溜め息を吐いた。全く少将も人が悪い。初めから全部説明してくれれば良かったのに。

 

「それで、私は何も聞かされておりませんが、貴官は何を研究しておられるのか、お聞かせ願えますかな」

「懐刀と言ったり、何も知らぬと言ったり。いやいい、自身を持つことは何よりも大事なことだ。これは監査なのだから私は聞かれたことにだけ答えるとしようか」

 

 いちいち長々と口を滑らせる男に秋津は一つ舌打ちをした。別に腹を立てているわけではないが、こういうポーズを取ることは、相手から要点だけを聞き出すのに必要だ。おお怖い怖いと男は大袈裟に恐れて見せた後、声のトーンを落として話し始める。

 

「お答えにする前に先ず私の方から大前提の質問をさせてもらおう。君は艦娘についてどこまで知っているかね?」

「人間の知り得るおおよそ全てのことは」

 

 艦娘には謎が多い。作っているのが人間ではなく、妖精などと呼ばれる得体の知れない存在であるのだから、ブラックボックスも致し方のない事だ。むしろ知らない方が良い可能性まである。

 それでも研究と経験から、幾つかのことは知られている。

 

「一つ、艦娘は深海棲艦を基にして作られ、人の法則から乖離した存在である」

 ゆえに深海棲艦への唯一の対抗策となる。

 

「一つ、艦娘と呼ばれる通り女性の姿で生み出される」

 理由は不明だが、海が命の源であるのが原因だと言われている。

 

「一つ、艦娘にはそれぞれ基となった艦の記憶があり、同じ艦は同じ姿をしている」

 生まれ落ちた後によって変わることもあるが、同じ艦娘は性格ですらほとんど変わらないという。

 

「一つ、彼女達には寿命が無く、怪我すらも専用の設備ですぐに治してしまう」

 これは艦娘よりも入渠ドックの仕組みだと主張する研究者も居る。

 

「一つ、彼女は食物を必要としない。代わりに弾薬や燃料で命を繋ぐ」

 彼女達が人間と同じものを食べれば、死ぬ。

 

 五つある艦娘の特徴。秋津は丁寧に左手で指折り数えてみせた。

 

「これでもまだ、と言うのなら続けますが」

「いや結構。それだけ博識ならば充分だ。なかなか良く勉強している」

 

 男は満足げに首を縦に振った。ちょっと待っていてくれ、と言い残し、別の部屋へと消える。研究資料でも持ってくるのかと秋津は身構えるが、男はクッキーの詰まったバスケットと湯気の立ったティーポット、一つだけのカップを盆に載せて戻ってきた。来る途中でつまみ食いしたのかカスが口元に付いている。

 

「さて、では博識な新人君に簡潔に私の研究を説明するとだね」

 

 クッキーを一口で飲み込み、男は天井を仰ぎ見る。つられて秋津も視線だけを上に向けた。何も無い。

 

「私はね、()()()()()()()()研究を行っているんだ」

「艦娘を、人間に? 自分はもしかして揶揄われているのでありますかな?」

「荒唐無稽な話だと思うかもしれないがね、私は真実をありのままに口にしたつもりだよ。確かに信じるか信じないかは君次第だが、私は君が理解したと仮定して話を進めよう。質問なら全て終わったあとで聞いてくれたまえ。

 私はね、戦争が終わった後のことを考えているんだ。艦娘は兵器だ。どれだけ見た目が人に似ていようとも根本からして人と違う。それが戦争が終わって平和な世の中になればどうなるか。先ず有り得るのは全員解体って末路だ。解体と言えばそれらしいがね、つまりは功労者を軒並み縛り首にするってえことだよ。革命じゃあるまいし、そんな未来を私は受け入れたくないね」

 

 堰を切ったように男は話し続ける。

 

「じゃあ保有したまま、保留したまま。これもまた困る。なんてたって艦娘は兵器だからね。存在意義を無くしてしまえば明日を生きることすら難しいだろう。人ならば生きること自体が生きる理由だ。矛盾しているようでしていない。動物だってそう、生きている限り生きている理由を失わないのさ。なんてったって、()()()()()()()()が出来る連中だからね。でも艦娘は戦うのが仕事。生きることを必要とされていない。いいかい、無意味は人を殺すのさ。人じゃなくて艦娘だがそこは今どうでもいい。それにもう一つ、食料の問題がある」

 

 クッキーを齧り、まだ熱い紅茶で注ぎ込む。

 

「そう食料だ。君もさっき言ったね。艦娘は人間の食物を必要としない、むしろ毒であると。まさしくそうだ。彼女達はこのクッキーも、淹れるのに失敗した紅茶も、酒だって飲めないのだ。いや、酒は工業用のガソリンなんかを代わりにしてるんだったかな。まあそんなことはどちらでも良いか。兎に角だ。人間社会に溶け込むとしたときに、同じものが食べられないというのはストレスがある。一部の食品に対するアレルギーなんて甘いものじゃない、全部全部が駄目なわけだからね。これは相当心にクる筈だつまり総合的に考えて、艦娘と人は共存できないという結論に至る」

 

 ところがだ。男は語気を荒らげた。

 

「戦争が終わったとき、艦娘もはいサヨナラとはいかない。何故なら彼女達は歳を取らないからね。必ず艦娘をどうするか、という問題に私達は立たされることになる。もしかしたら、戦争が終わるのがもう何百年も後で、その時には私がやらなくても平和的な解決方法が見つかっているのかもしれないがね、それは私がやらなくていい理由にはならない。艦娘は兵器だと私は何度も主張しているが、それ以上に私は最前線と命を張っている艦娘を人間だと思っている」

 

 そこで話は終わりだった。男は紅茶を飲み干していた。喉が渇いていたらしい。あれだけ喋れば当たり前だろうと秋津は気にも留めない。

 

「さて、何か質問があれば聞こうじゃないか」

「ふむ、そうでありますな」

 

 秋津は顎を手で撫でた。聞きたいことは幾つかある。答えが予想できるものも幾つかある。脳内で取捨選択を繰り返し、彼は一つだけ質問をすることにした。

 

「貴官は今までの実験で少なくとも三百の艦娘を無為に犠牲にしてきたわけでありますが」

「ああ成る程、現行活躍している艦娘はおおよそ千といったところ。解体されたもの、轟沈したもの、数えればキリがない。私の行為も手順自体は解体だ。問題は無いと思うが」

「いえ、そうではなく」

 

  男の言葉を途中で遮る。話が別の方向に向かいそうになっていた。

 

「艦娘を人間だと思っている、その言葉と反しているよう思いまして」

「なんだ、そんなことか」

 

 男はフンと鼻を鳴らした。

 

「私はね、人が人たるために必要なものは、それだけではない、生物が生物であるためには、経験というものが必要だと思っている。何を思い生き、何を為したのか。三文小説のクサい台詞だと笑わないでくれたまえ。人間であればこんなことを考えずとも生きていられるのだから、分からないかもしれない。しかしだね、艦娘を見給えよ。嗚呼確かに彼女達は生まれつきの性格を持っている。記憶もある。それは大人として、この場合の大人とは物心付いていることを指しているのだがね、初めから作られたものだ。さらに 性質(たち)の悪いことに、均一なんだよ。艦娘の性格というものは」

「確かに、そうでありますな」

「経験を持たない量産品の記憶と資質。君、これを果たして人間だと言えるのかどうか」

 

 艦娘の記憶は仮初の記憶だと、艦娘の感情は演じているだけに過ぎないと男は主張する。

 

 艦娘として生きてきた存在は確かに生きている。人として、他人に無い経験した者として。

 

「しかし、生まれ落ちたばかりの艦娘は空っぽ。貴官はそれを人とは認めない。そう言いたいのでありますな」

「まさしくそうだ。物分かりが良くて助かるよ。他に疑問は無いのかね?」

「特には」

 

 秋津はポケットから煙草を取り出した。

 

「ここで吸っても?」

「色々と取り扱いの難しいものもある。外で吸ってもらうとありがたいね」

「では失敬」

 

 秋津は立ち上がり、部屋を後にする。帽子をかぶり直し、普段より深く沈める。去り際に秋津は男の方を振り返り、感情の無い声で言い放った。

 

「それと、しばらく監査として残らせてもらうでありますよ」

 

 構わんよ。と男は返した。



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あきつの空/3

今回ちょっとショッキングな描写が御座います。


「秋津君、何ぼんやりとしてるのかね」

「ああ、教授殿。そろそろ雨が降りそうだと思いまして」

 

 屋上でぼうっとしていると、背後から声をかけられる。建物の主に適当な返事をしてから秋津は再び自分の世界に戻る。

 秋津は男のことを教授と呼ぶことにしていた。直接名前で呼ぶのはあまり好きではない。付き合いの長い少将ですら、官職名で呼ぶのだからその徹底ぶりは凄まじいものがある。とはいえ、彼の男を()()などと呼ぶのは憚られた。少なくとも提督と呼べる人柄ではない。だから、研究者としての意味合いを込めて教授と呼ぶことにした。本人は別にそんな大層なものではないと謙遜しながらも嬉しそうだった。

 

 咥えた煙草の煙が曇り空に消えていく。だんだん消費量が増えていっている気がして、次の箱を開ける手が一瞬止まったが、構うものかともう一本取り出して、短くなった方を足で潰した。

 

 秋津がこの鎮守府に来てから五日が経った。少将に連絡したとき、彼は開口一番に「思う存分に悩むといい」と言った。その言葉の意味が理解できないほど秋津は幼いわけではない。だが、悩むことと、その結果答えが出る事は全くの別物である。

 こんな時、艦娘であったなら、と秋津は思う。艦娘であったなら論理も自分へのメリットも全てかなぐり捨てて非難出来たのに。或いは砲塔の一つでも差し向けて脅して、もしくは殺して非人道的な実験を止める事ができたのに。こうやって生きてきてしまったから、教授の主張に一理あると思ってしまうのか。そうではない。

 

 教授の論理は筋の通ったものだ。彼が救いたい対象はあくまで人類の為に身を粉にして働いてきた艦娘に限られているのだから。今から生まれ、無為に消えていく存在の為ではない。そしてそんな命は珍しくもない。

 

 教授はもう屋上から立ち去っている。そのことには気付かないまま、秋津はぽつりぽつりと独り言を零し始める。

 

「戦争は科学を発展させると言いますが、これも発展になるのでありますか。いや、戦時中ならば人体実験など大した案件にもならない。まして人でなく艦娘など。ただ、目的は艦娘の救済。ああもう、面倒くさいでありますなぁ。答えなど少将殿が出してくれればいいのに。何故私などに振るのか」

 

 何故かなんて分かっている。少将も答えを出せなかったからだ。正確には答えに自信を持っていないからだ。そして、秋津の答えの方が少将よりも真理に近いものであるからだ。

 

 白い頬に雫が落ちた。涙などを流す人情を秋津は持ち合わせていない。続けてコンクリートの床が黒く染まっては消えていく。ざあざあと雨脚は強くなる。煙草の火が消えてようやく気付くが、建物の中に戻ろうとする頃には彼はずぶ濡れになってしまっていた。軍服は水を弾く作りになっているとはいえ、冷えてしまった体は早急に暖めなくては。そう思うのが普通である。しかし、秋津は嫌そうに髪をかきむしり、服についた水滴を撫で落とすと何事も無かったかのように階段を降りていく。

 

 教授の私室へ入ると、彼はニヤケ顔でクッキーを頬張っていた。秋津の姿を認めると、まだ手の付けてないクッキーを差し出してくる。秋津は丁重に断った。残念そうな顔をされるが、それよりも自分の取り分が増えたことの方が嬉しいのかニヤケ顔は止まらない。

 

「教授殿は本当にクッキーが好きなのでありますなあ」

「それは否定しないよ。ただ強いて反論するならば私は自分の好みに合わせて作り上げたこのクッキーが好きなんだ」

 

 教授の戯言を聞き流してソファに体を預ける。

 毎日毎日食べていれば体を壊しそうなものだが、この男以外と食には一家言ある人間であり、健康の維持にも気を使っている。むしろ秋津の方が不摂生な生活をしているのではないだろうか。

 

「そうそう、その話で少し気になっていたのだがね」

「何でありますか」

「君、実は女の子だったりしないかい?」

「は?」

 

 思わず口をポカリと開ける。確かに秋津の体は華奢な方だが、ガリガリに痩せているわけではない。無駄を削ぎ落とした筋肉は軍服の上からでも存在を主張している。やや中性的な顔立ちではあるものの、その立ち振る舞いに女性らしさは見られない。事実、そんなことを聞かれたのは初めて────でも無かったと遠い記憶を思い出し、秋津は咳払いをする。

 

「突然何を聞くのかと思えば。前髪が目に入って節穴にでもなったでありますか」

「そう怒らないでくれたまえよ。どうも食事を取っている様子が見られなかったから、これはもしや巷で噂になっている断食ダイエットとかいう悪魔の所業の体現者かと思ってね。元々痩せているように見えるのだから、そんなことを気にするのは君が実はうら若き乙女であるにも関わらず、そう見られないことを密かに気にしているのではないかと疑っただけだよ」

「実に想像豊かでありますなあ。小説家にでもなれば良かったのでは」

「悪かったからそんなに怒らないでくれ」

 

 実際は面白がって揶揄っているだけなのだが。

 

 とはいえ、面倒なことに気付かれてしまったと秋津は嘆息する。食事を取っていないことは出来れば隠し通しておきたかったのだが。冗談の一つでも言って適当に誤魔化すのは容易であるが、それでは何も変わらない。どうせなら、いっそ打ち明けてみようか。それもまた面倒なことになる気もする。最悪の場合、死体が出来てしまうかもしれない。

 

 まあ、そうなればその時だ。秋津はひっそりと腰の十四年式拳銃に手を掛けた。

 

「せっかくなら、その逞しい想像力で一つ考えてみませんか」

「ん? 何をだね」

「何故、艦娘は女しか居ないのか」

 

 パンッ。あまりにも軽い音がした。こめかみに当てられた銃口から硝煙が立ち昇る。秋津の小さな体は跳ねてソファから飛び出し、重たい頭が地面と鈍い音を立てた。

 

 教授が慌てふためいて立ち上がる。ティーカップが倒れて紅茶がテーブルクロスを赤く染めた。近付くのも恐ろしく、その場で棒立ちになってことの成り行きを眺めることしかできない。

 

 真っ白な床は、血に塗れない。明らかに死んだ筈なのに、秋津から血が流れることはなかった。絶句する教授を前にして、彼は立ち上がる。今の凶行がさも演技であったかのように自然に。銃をホルスターに戻し、首を鳴らす。拳銃自殺など最初から無かった。幻を見ていたのだと錯覚しそうになる。

 

 教授の反応がお気に召したのか、秋津は珍しくにやりと楽しそうに笑った。

 

「答えは、男だと艤装を扱えないからでありますよ」

「あ、秋津君……(きみ)は」

「お察しの通り、艦娘でありますよ」

 

 ただし、失敗作でありますがね。秋津は自嘲気味に呟く。

 

「少し、昔話をしましょう。そうでありますね、教授殿がまだ黒いランドセルを背負ってもいない頃の話でしょうか」

「それはつまり、艦娘が建造された当時の話、ということで良いのかな?」

「そのものズバリでありますな」

 

 かつて、まだ手探りで深海棲艦に立ち向かおうとしていた時代。初めは人間の持つ銃火器で。それが駄目なら戦車で、爆弾で、ミサイルで。その全てが無駄に終わった事実と、情け容赦無くシーレーンを破壊する残虐な深海棲艦の脅威。世界全体が絶望を感じ始めていた中で、とある研究者の提唱した()()という存在は実に画期的であった。コストも安く、場所も取らず、深海棲艦に太刀打ちできる。深海棲艦には深海棲艦を、というコンセプトで作られた、云わば人工深海棲艦。試作の時点で少女しか生み出されなかったがゆえに、一部では物議を醸したが、他に良案無しということで推し進められた。

 

「だからまあ、私は生まれついた時から例外だったわけであります」

 

 量産体制に入ったとき、初めて男が生まれた。銃弾が効かず、人以上の膂力を持つ、明らかに人ならざる存在。しかし、それは海を走る事ができなかった。敵を沈める砲を、その手に握る事ができなかった。さらに、彼と同様の存在は生まれなかった。たった一人の失敗作。そのまま不適格の烙印を押されて処分されるべき存在。

 

 ところが、既のところで待ったがかかった。当時、士官学校を出たばかりのある士官が彼を引き取ると言い出したのだ。身分だけは一人前の男であり、幾ら技術本部と言えど強く反対することは叶わなかった。結果、それは男のもとへ引き取られ、共にある組織を立ち上げることとなる。

 

「それが憲兵隊。内部の悪を裁く死刑執行人か」

「そんな大層なものでもありませんがね。砲弾も扱えずドラム缶引いて輸送任務もできやしない。そのくせ燃料ばかりは食ってしまう、そんな自分でもできる仕事でありますよ」

「ああ、謙遜するのは君らしい。それとも卑下していると言うべきかな。人間の扱う兵器が効かない、それだけで武器になるというのに」

 

 ようやく落ち着きを見せ始めた教授が大仰に手を広げ、わざとらしい驚きを表現する。笑顔は未だ引きつっているが、それも直に消えるだろう。

 

「男の艦娘、いや男だから娘ではないのか。なんて呼ぶべきかな」

「面倒だからそのままで良いでありますよ。無理に字を当てたいのなら息子の字でも当てれば良いでしょう」

「ふむ、艦息(かんむす)か。悪くない。そう呼称することにしよう。いやまさか、存在するとすら思っていなかったよ。懐刀と言っていたのはまさしくその通り、新人だと思っていたのは私の勘違いだったという訳だ」

「初めはそう演じていましたが、概ねその通りでありますな」

「しかし、艦息であるということは、燃料を補給しなければ生きていられないということでもある。その辺りはどうなのかね?」

「そこはやはり気になるところでありますか」

「無論だよ」

 

 驚きが薄れてくれば、次に芽を出すのは好奇心。失敗作を自称する秋津は本来の艦娘とどれほど離れているのか。気にならないはずが無い。

 

 艦娘は燃料さえあれば生きていける。しかし、活動する以上、燃料の消費は免れないし、大型の艦船程ではないにしろ燃費がけして良いわけではない。売りにもなっているコストパフォーマンスの良さは、あくまで今までの兵器と比べてである。具体的に例を挙げるならば、最前線で戦う大和型戦艦などは、一日に何千トンもの燃料を消費するという。もちろんこれは極端に高い数値を選んだわけであるが、普通の艦娘でさえトン単位で消費しているのだ。秋津が大量の荷物を運び込んだ様子も無いし、鎮守府内の資材が減った様子もない。

 

「そもそも艦娘が何故多くの燃料を必要とするのか。そこを間違えているでありますな。あれは、あくまで艤装を動かすために体内に蓄えているだけに過ぎません。艤装を使用しない自分にとっては無用なのでありますよ」

「つまり君は補給を必要としない?」

「そこまではいかないでありますなあ。別に艦娘は永久機関ではありませんので。極端に省エネなだけであります」

 

 秋津は一度満タンになるまで補給してしまえば三ヶ月は飲まず食わずで過ごす事ができる。身体に強い負担をかければその限りではないが、それでも一ヶ月保たないということは無いだろう。ここに来る直前には補給を済ませていた彼は、後二、三十日は気にしなくても良いわけである。

 

「全く、艦娘を研究していながら私はそんなことも知らなかったのか。勉強不足だと自分を恥じることしかできないよ」

「そう悲嘆にくれることでも無いでありますよ。実際の艦娘ですらこの事実を知っている者は少ないのでありますから。提督に至っては誰か知っているのか探すことすら骨が折れそうであります」

 

 艤装を装備していない艦娘など存在しないのだから。艤装を起動しているだけで蓄えたエネルギーはどんどん消費されていく。「食事」と称した定期補給で賄えてしまうような微々たるものだが、秋津に比べれば遥かに多く、それゆえに()()()()()()()を考えたことが無い。当たり前のことだ。人は一日くらいは何も口にせずとも生きていける。だからといって一日おきに食べれば良いなどと考える輩はそう多くは無いだろう。それと同じだ。

 

「自分に都合の悪いものは見ようとしないものです」

「そういうものかね」

「はは、人間である教授殿からそんな言葉が出るなど、どちらが人外か分からないでありますな」

「君に言われるのは心外だ」

 

 冗句と呼ぶにはあまりにも尖った言葉のナイフをお互いに突き刺しながら、平然と談笑する二人。教授は汚れてしまったテーブルクロスを机から取り去ると、ゴミ箱に放り投げた、上に乗っていた空の皿とティーカップは離れた場所にあるシンクへと移動させる。戻ってきて、教授は自分の椅子に深く座り直した。秋津もそれに倣う。

 

「私はね、資料だけを眺めて艦娘とは何なのかを知った気でいたようだ。君のような生き字引、これは言葉の綾だが、実際に生きた知識を得たのは初めてだよ。今まで上手くいかなかったのはそもそも情報が足りなかったからかもしれないね」

「艦娘の知識など資料に書いてあるものだけで本当は十分なのでありますよ。少なくとも提督にとっては。いや、違うでありますな。あれが限界なのであります」

「限界、か。研究者はそれ以上の知識を引き出すことができなかった。そういうことかね」

「詳しく知りたければ妖精に聞け、であります。なんだかんだ言って根が軍人でありますからな、中身がブラックボックスでも、あの忌々しい深海棲艦(バケモノ)共をブチ殺せればなんだって良いのであります」

「研究者の風上に置けないねえ」

 

 まあ、それはそれで良いとして。教授が壁に掛かった時計を眺める。時刻はちょうど六時を指していた。今日もこの時間がやってきた。秋津は眉間にシワを寄せる。

 

「君は今日も見学するのかね?」

「ええ、是非」

「顔を歪めるほど嫌なのなら見なければ良いのに。今まで来たものも吐き気がすると言って何度も見学はしなかったよ。嬉々として参加する者も居たがね」

「それは空気に酔っているだけです」

「個人の嗜好をそう悪く言うものではないよ。私も気に食わないと言えば気に食わないがね」

「教授も人のこと言えないでありますな」

 

 教授の後ろを三歩離れて歩く。そこには、この男と同じ存在にはなりたくないという意志が見て取れた。この男が嫌いな訳ではない。彼の研究を理解できない訳ではない。、それでも、それでも。

 

 二人が辿り着いたのは工廠だった。無機質なストレッチャーの上には、青と白のセーラー服と、それに合わせた青いショートパンツを纏った少女が寝かされている。街中を歩けば五人に一人が振り向くような整った顔立ち。至って健康的な肌。やや灰色めいたピンク髪。

 

「青葉、でありますか」

「重巡が来るのは珍しいのだがね。もしかしたら君が幸運を運んできたのかもしれない」

「やめてください気持ち悪い」

「自分でも流石に今のは無いなと思ったよ」

 

 青葉と呼ばれた少女が目を覚ますことはない。専用の睡眠薬がよく聞いているようだ。本来は改造するときの為の設備だが、こうやって、或いは更に悪辣に悪用されることも多い。とはいえ、艦娘はその状態でも刺激によって簡単に起きる。平気であるがゆえの体制ということなのだろうか。教授はいつもと同じ白衣で、使い捨ての手袋をはめる。その目は暗く濁っていた。秋津の目も鋭く、親の敵を睨むかのように細くなる。起こしてしまわないよう慎重に、少女の手足に拘束具を付けた。艤装を改造した対艦娘用のメスを握る。衣服を乱暴に切り捨てると、魅惑的な肢体が露わになった。教授はそれに欲情することも、動揺することもなく淡々とした声で告げた。

 

「さあ、()()を始めよう」

 

 教授は躊躇うことなくメスをいたいけな少女に突き立てた。一切予想していなかった痛みに少女の意識は最大限にまで覚醒させられる。何が起こったのかは理解できていない。ただ、純粋な痛みだけが彼女に襲いかかる。

 

「いやぁっ!? 痛いっ、痛いっ、なに!? 嫌だっ、助けて、誰か!?」

 

 悲鳴は、教授がメスで切れ目を入れる度に途切れる。血の代わりにオイルや、恐らくは彼女の体を構成するのに必要な液体が白いストレッチャーを汚した。がたがたと台が揺れる。人よりも強い膂力をもった艦娘が抵抗しようとも、鋼鉄の拘束具がそれを許さない。腕を持ち上げることすら不可。痛みから暴れることを抑えられず、そのせいでさらに痛みが増していく。

 腹が裂かれ、人間ともそう変わらない内臓がむき出しになる。

 

「────────ッ!?」

 

 胃を、肝臓を、腸を掻き回され、想像を絶する痛みが少女を襲う。もはや声にもならない声が(こだま)する。助けを呼ぶ声、見たこともない妹の名前を呼び続ける姿を教授は気にも留めない。ただ、冷静に少女を()()していくだけである。

 

 消化器官の感触を手袋越しに確かめ、握ったり、引っ張ったり、さらに裂いてみたり。ぬちゃ、ぬちゃ、と生々しく気持ちの悪い音がその度に響く。

 人間で言う脂肪に値する部分を切り取ると小さな溜め息が漏れた。叫ぶ気力も失われ始めたらしい。荒く、それでいてか細くなった息の根と、小刻みに経験する身体。ある種幸運であったのは、艦娘には血が流れていないということだろうか。スプラッター映画のような光景は、赤い血ではなくドロっとしたオイルに塗れていることによって現実味を薄くさせている。

 

 しかし、秋津からすれば、その事の方が恐ろしかった。艦娘は人間ではない、と改めて見せつけられているようだ。自分が人擬きだと認めざるを得なくなる。納得していた筈の事実が秋津を苦しめる。

 

「────たす、けて」

「……ッ!」

 

 目が、合ってしまった。焦点の合わない目が、それでも確かに彼を見つめていた。

 消え消えの言葉を聞くまでもない。彼女は秋津に助けを求めている。王子様などという甘ったれた憧憬ではない。この狂った男を消し去ってくれる、神か仏のような存在として秋津を求めている。そうだ、今行われているのは許されることではない。まともな感性であるならば、何をしてでも止めに入るべき事柄である。人間だとしても、艦娘だとしてもそれは変わらない。

 

「……どうか、憎むなら私を憎むでありますよ」

 

 秋津は、帽子を深く被り直した。息を呑む。少女の顔が絶望に歪むのが分かる。彼は、罪の無い、いたいけな少女を見捨てたのだ。

 

 もう何も聞こえない。心の中で蹲るように秋津は時が過ぎるのを待つ。これで四度目だ。秋津から来る前をカウントすれば三百を越える。顔色一つ変えないこの男は間違い無く気が触れている。それでも、男の語った未来のために、秋津は身体を動かすことができなかった。

 

 教授が、ふぅ、と息を吐くのが聞こえた。解体と研究はどうやら終わったらしい。顔を上げるとそこには何も無かった。さっきまで泣き叫んでいた少女などどこにも居ない。艦娘が解体されたのだから当たり前だ。教授は、あくまで正規の解体から少し外れた解体の仕方をしていただけ。痛みを最大限抑えた解体から掛け離れた、まるで最初期のような乱雑な解体。それでも艦娘という存在を抹消するには事足りる。

 

「人でないのは、どちらもでありますな」

 

 嗚咽を噛み殺すように彼は呟いた。



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あきつの空/4

 一ヶ月が経った。毎日の解体に、秋津は欠かさず付き添った。吐き気がするのを抑え、現実を直視し続けた。教授は何度も見る必要は無いと彼のことを気遣ったが、彼は頑として譲らなかった。

 

 これだけの犠牲を出して、もしも艦娘を人間にする技術が実現しなかったら。教授は残虐で狂気に満ちた科学者として葬られることになるだろう。それは果たして正しいのか。間違っているとは言えない。それは教授という人間を一側面からこの上なく正確に捉えた呼び名である。しかし、しかし。

 

「また、悩み事をしているのかね」

「生憎と、貴官のように割り切って生きることはできないでありますから。人体実験を許容するか否か。そもそもこれは人体実験と呼べるのかどうか。悩み事なら枚挙に暇がない」

「最近は、解体をする必要もだいぶ無くなってきたんだがね」

 

 教授の言う事は事実だった。そもそも艦娘とは均一化された存在なのだから、同じ艦であれば身体の中身すらも殆ど同じなのである。何度も解体する必要性はそこには無い。そして、切っ掛けを掴んだと彼は言い張り、ここ数日は通常の解体処分だけで終わっていた。

 

 代わりに多くなったのが、艦娘との会話だ。解体する前の数十分間、教授は艦娘と会話をし続ける。それは取り留めのない話から、デリカシーに欠ける踏み込んだ話まで。艦娘自身から艦娘を学ぶ、秋津から得た発想だと彼は言った。

 それならば、秋津は居合わせない方が良いだろうと同席を辞退した。一対一の方が話せることもあるやもしれぬ。曲がりなりにも教授は()()なのだから。艦娘は提督に対して心を開くものなのだから。

 

「それで、私の方にも悩み事が出来てしまってね」

「悩み事? 艦娘とクッキー以外には興味すら示さない教授殿に悩み事があったとは驚きでありますな」

「その艦娘の話なんだよ」

「ほう、まさか情が移ったとでも?」

「逃げられた」

「……は?」

 

 秋津が言葉に詰まる。この男は今なんと言ったのだ。逃げられた?

 

「ちなみに艦種は」

「阿武隈だったかな」

 

 阿武隈。長良型の軽巡洋艦だ。少なくとも一ヶ月の間に見かけた事はない。

 

「初めて出来たから、貴重だったのだが」

「ちょっと待ってください。阿武隈が建造されたのは初めてでありますか」

「私の記憶の中ではそうだな」

「ということは()()をするおつもりで」

「もちろん」

「そのことは本人には」

「ちゃんと伝えたとも」

 

 絶句した。本気で言っているのかこの男は。秋津の肩がわなわなと震える。

 

「本人の目の前で解剖するなどと言えば、逃げられるに決まっているでありましょう!」

 

 教授に向かって怒鳴り散らす。人間味の欠けた男だとは思っていたが、まさかここまでとは思わなかった。秋津は頭が痛くなるのを感じながら、それで、と続きを促す。

 

「どうしたいのでありますか。憲兵の権限で引きずって来いと?」

「いやいやいや、そんなことを頼むつもりは無いよ。私から逃げる。そんなことをするのは千篇一律の艦娘がやることじゃない。彼女はれっきとした人間として生まれたのだ。それは祝福する事柄ではあっても、私達が遮るべき事ではない。むしろそんなことはしてはならない」

「教授殿は本当に面倒臭い性格をしているでありますな。それなら何を困っているのでありますか」

「うーん、流石に他の提督に私のやっていることがバレるのはなかなかに危険なのではないかと。憲兵が絡んでいると分かれば君達も他人事ではいられないだろう?」

「はあ。それならこっちでどうにでもするでありますよ。伊達に憲兵隊はやってません」

 

 見つけるのと揉み消すのは憲兵隊の十八番である。表に出せない事柄を探し出し、時には公に晒し、時には本人に脅しを掛ける。そうやって憲兵隊は今の地位を得た。秋津はその黎明期を生き抜いてきた懐刀だ。いまさら、いち提督の不祥事など大した問題ではない。

 

 ああしかし、と秋津は考える。他の提督や艦娘がここに乗り込んでくるのは少々面倒だ。彼らは正義感に溢れている。特に若い提督などは、裏に足を突っ込みすぎて消えるのがお約束だ。懐柔するのは骨が折れるかもしれない。少なくとも目の前にいる世間知らずの研究者には不可能だろう。良くて撃ち殺されるか、悪ければ弱みを握られてダシにされる。後者は憲兵隊にも影響がある。教授はそのことを少々過剰に気にしているのだろう。

 

「逃げられたのはどのくらい前でありますか」

「具体的には分からないが、既に一時間は経っている。私が席を外したのが午後の二時だから、その間だろう」

「ふむ、一時間から四時間でありますか。何故そんなに長く席を」

「クッキーを作っていた」

「クッキーを」

 

 このクッキー狂いが、と言葉に出さないで罵る。

 四時間。一時間どころか二十分も歩けば他の鎮守府には辿り着ける。落ち着かせて、話を聞いて、血気盛んな艦娘が押し寄せてくるならそろそろでもおかしくない。十四年式拳銃を叩く。秋津はとっておきを準備しておくことにした。備えあれば憂い無しという奴だ。

 

「来客には自分が応対しますので、教授殿はけして出ないように。蜂の巣にされたいのであれば止めませんが」

「君の忠告通り大人しくしておくよ」

 

 教授は首をふるふると横に振った。人の言うことを無視する程狭量な人間では無いと信じて、秋津は鎮守府の入り口に向かう。

 

 誰に見せるわけでもなく戯れに覚えたガンスピンをしながら、秋津は弾倉を取り出し、入れ替えた。

 その直後にざわざわと人の押し寄せる音がする。普通の人には聞こえない微かな音でも、訓練を受けた秋津は容易く聞き取ってみせた。ちょうどいい、彼は口角を釣り上げる。

 

「おらぁ、出て来い!」

 

 威勢の良い声がコンクリートの壁に反響する。女性の声だ。提督か、艦娘か。おそらくは後者だろう。ずかずかと土足で踏み入っているのが一人。その後ろをついていくのが二人程度。提督と、逃げたという阿武隈だと思われる。

 

「ここは憲兵が改めている最中なのでありますが、どちら様でありましょうか?」

 

 秋津は声の主の前まで、まるで何も知らないかのように平然と出ていった。逆光が少し眩しくて顔をしかめるが、毅然とした態度は崩さない。亜麻色の髪に涼しそうな格好。重巡洋艦の摩耶、それも改二艤装ということはそれなりに経験を積んでいるらしい。

 

「憲兵? どういうことだよ、陸軍みたいな喋り方しやがってよ」

「どういうことと言われましても。この鎮守府が何か良からぬことを考えているのではと監査に参った次第でありまして。他の鎮守府とは関わりが無いと聞いていたのでありますが、その様子を見るとここの提督とは面識があるので?」

「あん? ねえに決まってんだろ」

「果たしてそれでは何故ここに」

「ここの提督が艦娘を道具みてえに扱ってるからって聞いたからだよ。憲兵だかなんだか知らねえけどさっさと退けよ」

 

 奥の方へ進もうとする摩耶の前に立ちはだかる。構えられた十四年式拳銃の照準は彼女の眉間に合わせられている。

 

「部外者に立ち入られるのは御免被ります。然るべき処置はこちらで取っておきますので」

「艦娘でも提督でもない奴なんか信じられっかよ。そんな銃でアタシが止められるとでも、っととなんだよ提督」

 

 秋津に食って掛かる摩耶の肩を叩いて提督と思われる青年が前に出る。感情的になっていた摩耶をたったそれだけの動作で収めてしまうとは、提督は提督で艦娘に信頼される手腕の持ち主なのだろうか。単細胞の能無しであればもっと楽だったのだが、と秋津は人知れず溜め息を飲みこむ。

 

「先刻、うちの鎮守府に所属不明の艦娘が飛び込んできた。ひどく怯えていて、話を聞くにはこの鎮守府で実験材料にされそうになったという話らしい」

「なるほど、こちらでも似たような情報は得ております。ということは、そちらの艦娘はここの鎮守府で建造されたと?」

 

 秋津が視線を向けると、提督の背中に潜んでいた小柄な体がさらに縮こまった。金色のツインテールが隠れきれず揺れている。提督は摩耶に一言二言告げる。どうやら一足先に帰すつもりらしい。秋津は銃口を下ろしそれに答えた。

 

 残されたのは一筋縄で行かない男二人。

 

「事の次第を確かめてから憲兵に突き出すつもりだったが、こうも()()()出会うとはね」

「こちらとしても、生きた証拠が見つかったのは重畳でありますな」

 

 含みを持たせた言い方にも動じず、あくまで偶然を装う。秋津はその程度のことを見抜かれたくらいでは焦らない。

 確かにこの男はある程度は察しているだろう。だが、分が悪い。悪事を裁くのは基本的に憲兵の仕事だ。そのノウハウは他には秘匿されている。つまり、憲兵以外に汚職や不祥事を暴き出すのはほぼ不可能だ。その憲兵が今回は黒に染まっている。あまりに食い下がって機嫌を損ねれば、身に覚えのない罪が降りかかるかもしれない。

 

「彼女は精神的に不安定だ。憲兵殿には艦娘を落ち着かせるノウハウなど無いだろう。落ち着くまではうちの鎮守府で預かっておくから聴取がしたいなら来れば良い」

「引き渡しには応じない、と?」

「艦娘は鎮守府に居るのが当たり前だろう。こんな研究所紛いじゃない、本当の鎮守府に居るのが。それに、こちらで預かることに何か不都合でも?」

 

 提督は小馬鹿にするように鼻を鳴らした。力押しでは動かない、始末するのも後が面倒だ。彼が帰ってこなければ、彼の所有する艦娘は弔い合戦と言わんばかりに押し寄せてくるだろう。一人、二人ならともかく、それら全員を相手する力は秋津には無い。

 何より、ポーズとして渋ってみせたが、この男の要求を呑んだ所で秋津にデメリットは無い。阿武隈を保護させる代わりに、こちらには口を出さない。相互不干渉とでも呼ぶべき提言をしているのだ。元より阿武隈を連れ戻すつもりの無い秋津にとっては渡りに船である。

 

「なるほど、確かにこちらに不都合はありませんが」

「アンタもそれじゃ殺せて八人、それともそんなに無いか? 連合艦隊丸々一つ相手にしたくは無いだろう」

「お気付きでありましたか。脅しに屈することはない、と言いたいところでありますが、そこは素直に乗っておきましょう」

「話の分かる相手で助かるよ」

 

 提督はそれだけ言うと背を向ける。隙だらけなのは半分はわざとだろう。秋津はそれが居なくなるまで眺めて、見えなくなるのと同時に限界まで溜め込んでいた息を吐いた。予想外に洞察力のある相手だ。いや、洞察力よりも単純な知識か。何処から仕入れたにせよ、誰かの()()()()()であることは間違い無いだろう。思ったよりも危ない橋を渡っていた事実に肝を冷やした。

 

「使うことにならなくて本当に良かったでありますなあ」

 

 安全装置を付け直した十四年式拳銃をホルスターに通し、軽く叩く。装填されているのはたった三発しかなかった。使用したわけではなく、初めからそれだけしか準備できなかったのだ。

 人間の兵器で艦娘に傷を付けることは出来ない。しかし、それでは余りにも不便だ。何せ反乱が起こったときに為す術が無いのだから。

 そうして、いざという時に人間の手で艦娘を排除出来るように作られたのが、彼が抜いた弾倉に入っていた特殊弾薬。外部を深海棲艦と同様の金属で加工して、艦娘という存在にダメージを与えられるようにした試作品だ。本来人間には扱えない武装を活用出来るようにしたが為に、コストは高く、威力は低い。艤装に当たれば軽々と弾かれてしまうし、三発かそこらで首都に家が建つ。それでも、眉間や心臓を撃ち抜けば艦娘を殺害出来る。生身で艦娘と渡り合うことも想定された秋津の()()()()()であった。

 

「さて、アレは他に話を流すなどという馬鹿はしないでしょう。一先ずはこれで安心と」

 

 あの男はわざわざ憲兵と事を構えようとは思っていないだろう。ただ艦娘を守りたかっただけ。その目的が果たされた今、何事も無かったかのように日常へと戻るのが正しい選択だと、あの男自身が分かっているはずである。

 

 どこか重苦しく感じる身体を引きずって、秋津は帽子をかぶり直した。



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あきつの空/5

「……んん」

 

 窓から差し込む朝日が彼の顔を照らした。うっすらと目を開け、どうしてこんなに眩しいのかと寝ぼけたままで考える。そういえばカーテンを閉めるのを忘れていたと少しずつ醒めてきた頭が思い出し、秋津は体を起こした。見覚えのない部屋。ああ、そういえば宿を取っていたのだった。

 

 秋津は補給と報告を兼ねて大本営に一度戻った。その際に少々相手に皮肉を幾らか言いもしたのだが取り合ってもらえず、監視の継続を申し出ると好きにしろと返された。

 そうして教授のもとへ戻るために列車に乗ったのだが、事故で遅れが発生していた。そのため急に宿を取ったのだ。

 

「土産話といえばいいお湯だったことくらいでありますな」

 

 浴衣姿からいつもの軍服に着替え、チェックアウトの手続きを取る。女将はめったに見ない軍人の姿に驚きを隠せないようだったが、秋津は一般の客人と変わらない振る舞いをしていた。

 次の列車で向かえば太陽が昇りきる前に着くだろう。端末でしっかり時間を調べて秋津は宿を出る。梅雨の季節は既に終わり、カンカン照りの夏の空が肌を焼く。日焼けするなんてことは無いが、流石にその暑さには辟易するところだ。

 

 今日は列車も問題無く走り、予定通りの時刻に秋津は鎮守府の前に辿り着く。自分の居ない間にまた問題でも起こしていないだろうか。頭のネジが何本か外れた科学者のことを思うと胃がきりきりと痛んだ気がした。

 

 今度はノックすることもなく扉を開く。埃っぽい廊下はほんの気持ちばかりとは言え掃除され、綺麗になっている。はて、珍しいこともあるものだと秋津が首を傾げていると、後ろから声をかけられる。

 

「おやおや、もしかして秋津さんですか。何か困り事ですかぁ?」

「ああいや、教授殿はどちらに」

「教授ならクッキー焼いてますよ」

「なるほど、ありがとう」

 

 私室に向かっていた足が止まる。

 

「ところでどちら様でありますかな」

 

 ホルスターに手を忍ばせながら、自然な流れで振り返る。この鎮守府には教授以外には誰も居ない筈だ。艦娘でさえも例外ではない。

 

 グレイッシュピンクの髪、十四、五歳くらいに思える体付き。幼さを助長する青を貴重としたセーラー服に、動きやすそうなハーフパンツ。快活さの見える整った容姿。見覚えがあり過ぎた。

 

「あー、私()()と申します。()()()()()()()()なので、お会いしたのは初めてですよね」

 

 少女はおどけた調子で敬礼してみせた。首からかけられたスチルカメラは傷一つない。手に持った手帳はまだ最初の方のページが開かれている。

 

「艦娘が好き勝手歩いているなんて、いったいどういう心変わりを」

「いやー、あのですねえ、私もう艦娘じゃないんですよ」

「艦娘じゃないと言っても……艦娘じゃない?」

 

 目の前の少女の姿は、秋津に助けを求めた彼女と瓜二つだ。艦娘ではない、なんて騙りにすらならない嘘。だが、仮に事実であるとするのならば。

 

「おや、音がしたからもしやと思えば。想定していたよりも遅いお帰りだね。青葉君も、私が出迎えるより先に出会ってしまうとは、幸運なのかどうだろうか」

「教授殿。これは……」

「彼女は人間だよ。比喩でも何でもなくね」

 

 本人に言われてしまえば否定することはできない。喜ぶべきことなのか、驚くべきことなのか。秋津に言えるのは、間が悪いとただそれだけだった。

 

「立ち話もなんだろう。座ると良い。君用に間宮アイスとやらを仕入れてみたんだ」

「確かに、不意打ちで立っているのもやっとなもので。お言葉に甘えるであります」

 

 いつもの場所で、少しクッキーの量が増えたバスケットと二人分のティーカップが並べられる。秋津が定位置に腰掛けると教授もいつもの席へ。青葉は工廠から持ってきたシンプルな丸椅子に座った。平然とクッキーを口にする少女を見て、本当に艦娘ではないのだと、思う。

 

「ちょうど君がここから出立した翌日だったんだよ。私の研究が第二段階に進んでいたのは君も知っているだろう」

「艦娘の研究は終わり、内部物質を置き換えるための薬品開発に移った、でありましたっけ」

 

 注射一本で種族すら変えてしまえるのかと半信半疑であったものだが。

 

「それが成功した、と」

「正確にはまだ成功とは言えないがね。人間と同じ構造になったのは彼女だけだ。他は拒否反応を起こして解体せざるを得なかった。艦娘の種類なのか、個体差なのか、或いは彼女自体が奇跡的な幸運によって生まれたのか。調べることは尽きていない」

「何にせよ、前例は出来たのでしょう?」

「そういうことだ」

 

 満足そうに教授は頷いた。百に至るには遥か遠い。しかし、零と一では雲泥の差だ。何より、仮に彼の所業が明らかになったところで、狂言の戯れ言と切って捨てることが出来なくなった。

 

「おめでとう、と言うべきでありましょうか?」

「有難く受け取っておくよ。本当は艦娘達からの賞賛が何よりの褒美なのだが、理解を貰うにはまだまだ足りないからね」

「また心にも無いことを」

「そうでもないさ。誰かが救われないと、私はただの人殺しだ」

 

 しばらく噛み砕いた音だけが響いた。一言で気温が一気に下がったのだろうか。もう夏の日だというのに寒気がした。

 

「……それで、成功者はどう扱うつもりで? まさか、殺すなんてことは言わないでしょう。おそらくは憲兵で請け負うことになりましょうが」

「ああ、それなんだがね。これからの成功者は君達に預けるつもりだよ。ただ」

 

 教授は珍しく困ったような顔で青葉を見た。つられて秋津の視線も彼女に向かう。当の本人は輝かんばかりの笑顔を浮かべていた。

 

「私はここに残りますよ? この人だけじゃ危なっかしいし、何より! 艦娘の人間化技術なんて特ダネじゃないですか!」

「副作用で頭がおかしくなったのでありますかな」

「ひどいっ!?」

 

 大袈裟に仰け反って見せる元艦娘。こういうオーバーリアクションな所は少し似ているな、と漠然と思った。ある意味では中身も似ているのかもしれないが。そう考えて、人と艦娘を同列に扱っている自分に気付く。全く、 艦娘(人外)が人に似すぎているのか、 教授()が艦娘に似ているのか。おそらくは前者だろうと秋津は自嘲する。今更になってこんなことを思うなど。

 

「こんなところに長居したいなど、真っ当な人間の考えることではないでありますよ」

「長居しているのが家主の前で言う台詞ではないね」

「自分は仕事でありますから」

 

 秋津は立ち上がり、煙草の箱をチラつかせて部屋を出て行く。屋上に行くからついてくるな、という意思表示だ。教授は気にすることもなく、残り一枚のクッキーを掴もうとする。背後で三十路と少女のおやつ争奪戦が始まったのを察しながら彼は部屋を後にした。

 

 雲一つない快晴に煙をもくもくと立ち昇らせて、秋津は手すりに肘を乗せた。頭の中で反響するのは青葉の言葉。

 艦娘はこの研究には反対するものだと思っていた。少なくとも教授のしてきた所業を知っているのなら。艦娘は戦争さえあれば艦娘として生きられる。絶対ではないがそれが常識だ。人間になりたいという欲求は生まれない。艦娘からは遠く離れた生き方をした自分でさえ、初めは酔狂と疑ったのだ。理解があると言ってしまえば聞こえは良い。しかし、しかし。

 

 パシャリ、とシャッターを切る音がした。二回、三回と繰り返される。秋津は振り返らなかった。灰を携帯用の灰皿に落とし、新たにもう一本くわえる。

 

 視界の端に髪の毛が映る。手すりに頭を乗せて、出会った時に持っていたスチルカメラよりずっと小柄なデジタルカメラをポケットに仕舞う少女の姿を横目に眺めて、秋津は煙草を口元から離し、逡巡して、まだ吸い始めのその火を消してしまった。

 

「貴官は、この呼び方は良くないでありますな。貴女は彼がやってきたことを知っているのですか?」

「解体の話ですかあ? そりゃまあ、本人から聞きましたし当然知ってますよ」

「それならどうして」

「さらに言うなら()()作業にもお邪魔しました。途中で吐いてしまったので、本当に邪魔してしまいましたが」

 

 秋津の言葉が止まる。教授がまだ()()をやっていたのかと驚く気持ち、それに同行しようとする彼女の意志。何より、吐き気のする現実を見せつけられた上であの男を支えようと決めた彼女の強さに何も言えなかった。

 

「たった一回だけですけどね。秋津さんは気付いてないかもしれませんけど、あれで結構ガラスのハートさんなんですよ」

 

 青葉は語る。秋津が見ようとして来なかった人間としての教授を。

 

「先ず私が建造されたときですけどぉ、あの人はこう言ったんです。『私は君を殺すだろう。人間として君を殺すだろう』。人間として、って誰を指しているんでしょうねぇ。それで全部聞かされてー、私はどうぞご自由に、って答えました。どうせ苦しんで解体か、苦しまず解体かのどちらかしか無かったですし」

「死にたくない、という気持ちは無かったので」

「無いと言ったら嘘になりますけどぉ」

 

 青葉はニカッと笑った。全部受け入れた笑みだった。

 

「それ以上に、艦娘の人間になりたいって気持ちは強かったってことなんでしょうねえ。赤の他人のことすら心配してしまえるくらい。もしかしたら私だけかもしれませんけど」

「…………」

「まあ、私は全部理解した上で選んでるつもりですよ。私が生まれるために()()()()()()()()んですから、それを受け継ぐのは私の使命かなって」

「人が……」

 

 教授の言葉を思い出す。艦娘が人になるのは経験を得たとき。艦娘が彼と話をする。ああ、そうか。

 

 彼は人殺しなのだ。自分の意志で人殺しになったのだ。他の人を救うために泥を被ったのだ。

 

「自分には、貴女の意志を否定することは出来ませんね」

 

 口調が少しだけ弛んだ。自分を()()()()にさせようとしていた何かが音を立てて崩れ落ちた。人だからではない、艦娘だからではない。人であっても苦悩し、否定する。艦娘だって阿武隈のように逃げ出す者が居れば、彼女のように受け入れる者も居る。

 

 自分が出すべき答えは、憲兵隊の副官でも、あきつ丸でも、ましてや混ざり者なんかでもない。()()として生きてきた自分の答えだ。

 

「貴女のおかげで視界が開けた気がします」

「おぉ! その表情はきっとレアですねぇ!」

 

 彼女の方へ振り返った瞬間、炊かれるフラッシュ。さっきとは似ても似つかないいたずらっ子らしい満面の笑みに、台無しだと思う秋津であった。



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あきつの空/6

「やあ、ちょっと見ない間に随分と大人びたものだ」

 

 ベージュ色の壁、無機質さを出切るだけ排除しながら機能性を追求したベッドに横たわっていた老人が嬉しそうに声を上げた。体を起こすと、点滴のついた腕が露わになる。痩せこけていて棒のようだった。皺だらけで、紫斑もあちこちに出来ている。瞼を開く筋肉も弱ってしまっているのか、目を開けているのかどうかすら曖昧だ。いかにも余命幾ばくか、といった様子だが、声だけは死期を悟らせないほど明るい。

 

「ちょっとと言っても、たかが数ヶ月ではありませんか。幾ら何でも成長するには短過ぎるであります」

 

 丸椅子に座り、老人に微笑みかける少年。藍色の浴衣を着て、背中にかかる長い黒髪を後ろで纏めている。陸軍なまりの喋り方がミスマッチしていることに気付き、恥ずかしそうに口元を緩ませた。

 

「やっぱり慣れませんね。気を抜くとつい素が出てしまう。いや、貴方の前だからですかね。少将殿」

「もう軍隊などないのだから、その呼び方はやめてくれたまえよ。私が退役して何年経ったと思っている。それに敬語も。私と君は同期の桜じゃないか」

「それもそう、だ。改まって言うと結構勇気のいるもので」

 

 少将の言葉に 秋津(少年)が頬を掻く。

 

 深海棲艦との戦争が終わって五年が過ぎた。七年前の大海戦を最後に、深海棲艦の抵抗は取るに足らぬものにまで弱体化し、五年前の八月十五日に最後の深海棲艦が討たれた。戦後処理を終えた後、海軍は解体され、艦娘も全てが解体処分を受けた。解体処分とは名ばかりの、()()()()()だ。研究を重ね、確実な方法を編み出したことにより、一人の失敗も無く、艦娘はただの少女となった。教授の研究は、たしか似多くの人々を救った。

 初めての成功からおよそ十五年、最後の処理が行われたのが数ヶ月前であった。最後の被験者は、言うまでもなく秋津であった。

 

「下の名前はもう決めたのだっけ?」

「色々話し合ったけれど、(みこと)が一番気に入ったからそれにしたよ」

「良い名前だ」

「ありがとう。皆にもそう言われたよ」

「そういえば、記念に食べに行ったのだろう?」

「そうそう、良いというのにわざわざ高い店を取って」

「あれか、大松か」

「御名答。眺めたことは何度かあったけど入ったのは初めてだ」

「初めて食べる飯はどうだった?」

「驚いたよ。皆が揃いも揃って食べさせるものだから、途中で気分が悪くなって吐いてしまったくらいで」

「相も変わらず加減の知らない奴らだ」

「全くその通りだ。でも、美味しかった」

「……そうか、それは良かった」

「だけど、その後に遠藤が二次会とか言い出して酒を飲ませてきて」

「人間になる前から酔うことくらいは出来ただろう」

「私は煙草ばかりでアルコールには手を出さなかったから。しかもいきなり度が強いのを」

「それは災難だったな」

「後で聞いたがかなり酷い酔い方をしたみたいで」

「ほう」

「それを誰も教えてくれないんだ。何かあったみたいなんだけれども」

「世の中には知らない方が良いこともあるということさ」

「知らない方が良いこと、か」

 

 とりとめのない会話。戦時中ならば絶対に有り得なかった。或いは、彼がいつまでも艦娘擬きであったのなら。こうして、自分を救った男と対等にならなかったのなら。

 秋津が出した答えは()()()()()()()()()()だった。ずっと、人間に混じって生きてきた。憲兵隊にも艦娘は居た。しかし、人間としての戸籍を持って、人間として振る舞う者はいなかった。そんなものは秋津独りだけだった。劣等感とも憧憬ともつかぬ感情を気付かずのうちに押し殺して生きてきたが、一度目を向けてしまえば止めることは出来ない。

 身勝手な欲望で教授の所業を認めたというのに、彼は実に晴れやかにそれを選んだ。

 

「私を含めて、人間になった艦娘は千二百六十三人だそうで。しかし、教授殿が()()した艦娘も五百にのぼろうかというところ」

 

 秋津が不意にトーンを落とした。それに気付いた少将がわざと朗らかに声をかける。

 

「引け目を感じているのかね」

「多少は」

 

 気分は晴れやかだ。自分を卑下するつもりは毛頭ない。それでも、自分のために数百もの娘達が烏有に帰した。それは事実として彼の心にのしかかっている。生きることができたかもしれない命。当の教授からしても百人や二百人。背負うには余りにも重過ぎる。それを背負うのは彼らだけではないのだとしても。

 手を頭の上にやる。何かを探るように動かしてから、そういえば今は帽子を被っていなかったのだと思い出す。悩み事をしているときの癖だったのか、今更ながら気付き、一人苦笑する。

 

「犠牲無しに生きることは、やっぱり出来ないのだなぁ、と」

「人間なんてそんなものさ。数字で割り切れないものを無理やりに割り切ってしまうのが人間なのだから」

「それを聞くと人間になったのが正解だったのか分からなくなるよ」

「答えはこれから出したまえ」

「もちろん、そのつもり」

 

 秋津の手が少将の腕に触れる。肉がなくなって骨ばった腕。それでもずっと共に歩んできた、自分をひっぱってきた力強い腕。憲兵隊を立ち上げ、あそこまでのし上がった軍人の頼もしい腕だ。共に過ごした五十年にも達しようかという日々の記憶は、まだその腕が瑞々しかった頃を知っている。

 自分もいつかはこうなるのか。恐怖が無いわけではない。嫌だ、と思う気持ちも無いわけではない。かつては寿命を迎えることなど考えたことすら無かったから、想像することも新鮮で、残酷な現実に思える。それでも、彼の後を追うことを誇らしく思った。

 

「これからどうする?」

「旅に出ようかと。仕事で色んな所に行ったけれど、観光には縁がなかったから。お陰様でお金には困ってないし」

「そうか」

 

 横須賀から先ずは北へ。太平洋を沿って大湊へ。そこから北海道をぐるりと回って、日本海沿いに下っていく。日本一周でもしてみようか。戦争が終わってからずっと練っていた計画だった。観光名所を訪れながら、二、三年かけて巡ってみる。それが終われば今度は世界だ。曲がりなりにも憲兵として高い地位にいたのだから、しばらくは遊んで暮らせるだけの貯蓄もある。旅に出て、人に出会って、景色を見て。何より、各地の名産品に舌鼓を打ってみたい。

 そう話す秋津の顔は年相応に無邪気だった。半世紀の間、組織の裏側で暗躍していた男のものとは思えない。それに気付いた時、少将は報われた。ああ、彼はやっと人間になれたのだと。

 

「実は今日からもう出立するつもりなんだ。たぶん、見舞いに来れるのはこれで最後」

「そうか、寂しくなるな」

「本当に」

 

 秋津は丸椅子から立ち上がる。二人の間にこれ以上の会話は必要無かった。種族や階級などに縛られていた頃から変わらない信頼を幾ら言葉で装飾しようと、どうせ蛇足になるだけだ。

 

「それでは、私はそろそろ行くよ」

「ああ」

 

 おそらくは今生の別れ。ちょっとの湿っぽさを拭い去るように秋津は髪を掻いた。背を向ける。

 

 病室の扉に手を掛けたとき、少将が一際大きな声を出した。

 

「尊!」

 

 秋津の足が止まる。体を翻す。

 

「一度だけで良い。私の名前を呼んでくれないか」

 

 そういえば、一度も、ただの一度も呼んだことが無かった。

 

 秋津は少しだけ目を伏せた。それからキッと顔を上げて

 

「さようなら、 神州(しんしゅう)

 

 ありがとう、と呟きが聞こえた。

 

  日本(あきつくに)の空は、今日も晴れ渡っていた。




秋津の話は一先ずお終い


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狼は群れで生きる/1

あきつの空と同じ世界観ですが時系列的にはそれより前です


「また大破か」

 

 執務机に広げられた書類を叩く。コーヒーカップの中身が揺れた。軍人と呼ぶには些かカジュアルな格好をした青年は、こめかみに青筋を立てながら言った。

 

「深追いするなと言っただろう。旗艦のお前が冷静にならなければ、駆逐艦達は沈むのかもしれないんだぞ」

 

 会話の相手は何も答えない。不機嫌そうに視線を逸らしているだけだ。衣服はぼろぼろに破け、所々に傷も負っている。真一文字に結ばれた唇は、彼女が反省していないことを如実に示していた。

 青年は大きく息を吐く。

 

「聞いているか、足柄」

「聞いてるわよ。大破しなければ良いんでしょ」

「そうじゃなくてだなあ」

「もう良いかしら。私も早くドックに入りたいの」

「あ、おい」

 

 青年の静止もきかず、足柄と呼ばれた女性は部屋から出ていってしまった。一人取り残された青年は困ったように頭を掻いて、机上の資料に目を向け直した。

 

「どうしたものか」

 

 ここ数週間の出撃記録に目を通しながら、青年は赤のマーカーで丸を付けていく。それは第一艦隊の旗艦が大破した時の記録だ。その割合はゆうに八割を越える。無茶な出撃をしたつもりはない。補給もしっかり行なったし、艦娘の疲労もいつも考慮している。以前、定期監査に来た憲兵が「軍服もびっくりのホワイトさ」と驚いた程だ。それでも、大破は無くならない。

 

「どうして、聞いてくれないんだろうなあ」

 

 そもそも、第一艦隊の旗艦は着任当初からずっと足柄だ。つまり、彼が丸を付けたのは全て足柄の大破記録ということになる。けして彼女が弱いわけではない。彼の艦隊で最も練度の高い艦娘であるし、他の鎮守府を演習した時には無類の強さを誇るエースだ。史実通り飢えた狼のような活躍を見せてくれる。

 

 問題は、彼女が深海棲艦に対して強過ぎる敵意を持っていることだった。艦娘ならば、深海棲艦を倒そうと思うのは自然の感情とはいえ、彼女の苛烈さは他の追随を許さなかった。敵を見つけたら死ぬまで追う。新たに出てくればそれすらも撃滅する。手当り次第に見境なく、随伴感の感想は悪魔のように。

 

「俺の差配が気に入らないのか」

 

 そうであってくれたのなら、どれ程楽なことだろうか。

 コーヒーを口に含む。温くなっていて、吐き気がするほど不味い。砂糖やミルクでも入っていてくれたなら、痛む頭を癒やしてもくれたのだろうが、生憎とブラックのそれでは、苦々しく彼を苛むだけだ。

 

「どうすれば良い。どうすれば良い」

 

 言霊は意味を成さない。呟くだけでは事態は好転しない。しばらく彼女を出撃から外すか。それは一時的な解決に過ぎない。気付いてもらわないと意味が無い。

 

 ノックの音がする。今日の出撃はもう無い筈だが。青年は首を傾げながらも、入れ、と促す。

 入ってきたのはピンクの髪をした少女だった。頬はオイルで汚れ、手にはスパナを持っている。

 

「なんだ、明石か。どうした」

「どうしたも何も、開発が終わったから報告しに来たんですよ」

「ああ、そうかそういえばそうだったな」

 

 コーヒーを飲み干す。明石はそんな青年の様子を見て眉を顰めた。

 

「提督、また足柄さんと喧嘩したんですか」

「喧嘩って言うな。説教だ」

「あれだけ二人共感情的になってたら喧嘩ですって」

 

 感情的。そう言われてしまうと反論のしようがない。

 明石からの書類を受け取って、目を通す。日課の結果は上々だ。失敗ばかりでも損はしないのだが、大勝と言って良いだろう。それでも提督の顔色は優れない。

 

「なあ、明石。どうすれば足柄は分かってくれるんだろうな」

「私に聞かれても分かりませんって」

 

 無茶な質問に明石は首を振る。明石には艤装こそ無いものの、この艦隊では一、二を争う古株だ。本来は第一艦隊の旗艦、足柄がするべき秘書艦の仕事も基本的に彼女がこなしている。その彼女ならば、と思ったのだが。

 

「でも、そうですねえ」

 

 腕組みをして、しばらく思案すると、あ、と声を上げた。

 

「何か妙案が出たのか」

「妙案というか。私達ってなんだかんだ軍艦じゃないですか」

「今更、何を当たり前のことを」

「いやいや、聞いてくださいよ」

 

 自信有りげな明石の姿に、提督は喉元まで出掛かっていた溜め息を押し戻す。

 

「軍艦である以上、私達は兵器です。兵器が自分のことを省みると思いますか」

 

 言われて想像する。兵器が、道具が自分の意思を表明するか。付喪神とやらの概念を認めれば有り得ないことも無いだろうが、普通は絵空事だろう。壁に立て掛けた軍刀が好い加減手入れをしてくれと頼むだろうか。腰に提げたピストルが銃弾を装填させてくれと懇願するだろうか。

 

「だけど、お前達には心がある。感情がある」

「そうですよ。だから私達は兵器じゃない。なんてことを言うと顔を真っ赤にする人も居るかもしれませんけど」

「上に喧嘩売るようなことは言わないでくれよ」

「分かってますよ」

 

 ええと、話を戻しますね。と明石はスパナを執務机に置いた。慌てて提督は書類を片付けてスペースを作る。

 

「でも、足柄さんにとっては自分は軍艦なんですよ。ただ何も考えずに相手を沈めれば良いと。撤退も進軍も自分が決めることじゃないって。だから自分で判断しろと言われても反発しちゃうわけです」

「そう、なのかなあ。いつも俺の指示に対して不満げな気もするんだけど」

「でも従ってるじゃないですか。信用してないなら言うこと聞きませんよ」

「うーん、うん?」

 

 なんだか引っ掛かるものがあるが、それを上手く言葉に出来ない。コーヒーを飲もうとして飲み干したことを思い出す。

 

「淹れてきましょうか?」

「いや、良い。それより続きを聞かせてくれ」

 

 だからぁ、と明石はにやにやと笑う。

 

「足柄さんに自分は兵器じゃないと気付かせてあげれば良いんですよ」

「どうやって?」

「そのくらい自分で考えてくださいよ。簡単でしょ」

「簡単って」

 

 思い付かない訳ではない。むしろ先ず第一にその結論に辿り着いてしまう。提督は眉間を押さえて悩む。言うは易し、行うは難しとはよく言ったもので、到底実行できるものではない。

 

「言っときますけど、提督。皆、気付いてますよ」

「え、マジで」

「マジです。駆逐艦のちびっ子達も結構気付いてました」

 

 知らぬは本人ばかりなり、です。提督の顔が赤く染まる。出来るだけ表には出さないようにしていたのに。足柄に気付かれていないのは不幸中の幸いというべきか。

 

「しのぶれど、って奴だなあ」

「むしろあれで隠しているつもりなのか、って感じでしたけどね」

「他人から見た自分って案外分からないものだな」

 

 まだ衝撃が抜けきっていないのか、がっくりと項垂れる提督を見て、これはしばらくおもちゃに出来そうだなと悪い笑みを浮かべる明石。つき合いの長い彼女は、提督がこの手のことを引きずる性格であることも良く知っていた。

 

 とはいえ、だ。明石にとっても足柄は古馴染みであるし、かたや裏方、かたやエースとしてこの鎮守府をずっと支えてきた仲だ。彼女の危なっかしさにはずっと心配していた。ここで提督を意気消沈させても意味が無い。

 

「足柄さんをずっと旗艦にしていたのも、あの人を沈めないためでしょ」

「もうあれじゃん。全部バレバレじゃん」

「ちょっとー、鈴谷インストールしてますよ」

 

 励まそうと思ったのに何故か失敗した。赤疲労のように負のオーラを漂わせて机に突っ伏す提督にどう言葉を掛けて良いものか。あたふたとする明石が可笑しく思えたのか、顔を伏せたまま、提督の肩がわなわなと震える。

 

「ふふっ、あはは」

「ちょ、提督騙しましたね!」

「先におもちゃにしようとしたのはお前だろ」

「もー」

 

 小鼻を膨らませる明石と、まだ、笑いが収まらない提督。夜の執務室がそこだけ明るくなったようだ。

 

「分かったよ。でも、お前らにも一枚噛んでもらうからな?」

「そりゃ応援はしますよ、って私達? 達ってどういうことですか」

「そりゃそのままの意味だ。駆逐も軽巡も戦艦も、足柄には世話になってるだろたぶん」

「あー、なるほど。面白そうですね」

 

 子供が新しい遊びを思い付いた時のように明石の目が光る。どんなビックリドッキリメカを作るのか夢想しているのだろう。

 

「でもそれって提督のハードル上がりますよね」

「まあなあ」

「自分から公開処刑されるとかドMですか」

「ちげーよ。いやぶっちゃけ俺一人じゃ話聞いてもらえないだろうし」

 

 それとなあ、と提督は気不味そうな顔をする。

 

「金剛のアタックにのらくらしてるのも疲れた」

「それは……ご愁傷様です」

 

 提督ずっと一筋でしたからね。だまらっしゃい。覇気のない会話が続く。

 

「日程は俺の方でバレないようなんとかするから、艦娘達への伝達はお前に任した」

「はいはい、任されました」

「それとだな」

 

 提督はかき集めた書類の中から一枚を引っ張り出し、至極真面目な顔で明石に手渡す。なんだろうと覗き込んだ彼女の目が丸くなり、口元は引き攣る。笑いを抑えているのか、呆れているのか。

 

「こんなこと考えてたんですか。流石に気が早いですちょっと引きます」

「前暇だったから妄想してたんだよ。こういう時にちょうど良いかなと思っただけだ。そんな笑うな」

「そういやデザインとか考えるの好きでしたね、でもせっかくだったらもう一歩踏み込んで逆にシンプルにしちゃいません?」

「え、あー。そういうことか。それこそ気が早くないか?」

「正直これ作るのめんどいです」

「お、おう」

 

 そう言われては仕方が無い。提督は潔く諦めることにした。無理に注文付けて機嫌を損ねては元も子もない。

 

「じゃあそれで頼むわ」

「分かりましたー」



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狼は群れで生きる/2

 足柄は困惑していた。彼女は普段惑うということはない。いつだって明快で、危ういくらいに真っ直ぐだ。たとえ敵が思わぬところから攻めてきても、冷静さを欠くことは無い。その彼女が困惑していた。

 

「これはどういうことなのかしら」

「えっとですね。足柄さんにはいつもお世話になっているから皆でお礼をしようって話になって」

「あたしは別にいらないでしょ、って言ったんだけどね」

 

 おどおどしている磯波とそっぽを向いた敷波から手渡されたのは花束とメッセージカード。子供向けの可愛らしい便箋に包まれている。赤いカーネーションは意味が分かって贈っているのだろうか。

 

 こんなものを貰っても、足柄には少しも嬉しくない。彼女にとっては戦場が全てで、無駄なことをするくらいなら少しでも練度を上げて敵を倒すことに心血を注ぐべきだと考える。彼女達は兵器なのだから。

 

「いったい誰が」

「あ、居たクマー」

 

 馬鹿げた企画を誰が考えたのか問い質そうとした時、また別の艦娘が足柄を見つけて声を掛ける。振り返ると同時に押し付けられたのは、木彫りの熊と猫のキーホルダー。

 

「何よこれ」

「球磨だから熊だクマ。多摩は寝てて準備してなかったのでこっちも球磨が用意したクマ」

「そういうことじゃなくて」

「じゃあ球磨は演習の準備をしに行ってくるクマよー」

「あっこら待ちなさい」

 

 足柄が捕まえようとするも、相手も軽巡で練度トップの球磨。妹の多摩を彷彿とさせる野性的な身のこなしでするりと逃げていってしまった。舌打ちしながら振り返ると磯波敷波コンビも雲隠れしている。

 

「もう、なんなのよ本当に」

 

 足柄は呆然とその場に立ち尽くす。今日は演習の予定は無いはずだ。戦場を誰より求めている彼女は出撃や演習の日程くらい覚えている。かと言って球磨が勘違いしているのも考え難い。そもそも、演習の準備は明石や大淀など裏方の仕事で、実際に戦う艦娘がすることはない。つまり、彼女の言葉は嘘。

 邪魔だが捨てるに捨てられない贈り物を両手に抱えて、一度、部屋に戻ろうかと思う。花やらキーホルダーやらを持ったままうろうろと歩き回れる程足柄は面の皮が厚くはない。幸いというべきか、彼女の部屋には家具も最小限のものしかなく、スペースは十二分に空いていた。

 

 心なしか乱暴な足取りで彼女は自室に向かう。廊下で他の艦娘とすれ違う度に何かしらを手渡され、どんどんと積み重なっていく。メッセージカードのような嵩張らないものなら大した苦労にもならないが、何に使うのか分からないガラクタに、中身の分からない箱に、手作りなのかあまりに大き過ぎるぬいぐるみ。抱えて歩いているというよりは埋もれながら進んでいるかのようだ。飢えた狼から客船に早変わり、と見かけた潜水艦組が囃し立て、殴りつけたくなるのを必死に我慢して部屋に向かう。ちなみに潜水艦達は色味の鮮やかな貝殻を置いていった。

 

「し、沈む」

「あっちゃあ、嫌な予感がして急いで来れば予感的中って奴ね」

「その声は明石? ちょうど良かったわ。逃げたら怒るわよ」

「逃げないって」

 

 陸に居ながら、過積載で沈没するかと思ったところに降りかかる救いの声。足柄が少しドスの効いた声で手伝いを頼むと明石は快諾する。

 

「というかそのために来たんだし。ほらほら乗っけちゃって」

 

 ガラガラと車輪の回る音がする。ショッピングセンターなどで見かけるカートだ。足柄はそんなもの初めて見たが、見れば用途も分かるというもの。少々乱雑に抱えていた荷物を全部投げ入れてしまう。多少壊れようが仕方が無い。どうせ大多数はガラクタだ。明石もあちゃー、という顔はするものの咎めるようなことはしない。

 

「や、やっと楽になったわ」

「うーん、流石にここまでなるとはねー」

「そう、そうよ。誰よこんなこと考えたのは」

 

 文字通り肩の荷が降りて生気を取り戻した足柄が明石に掴み掛かる。眉間にしわを寄せて、本気で怒っている。深海棲艦どころか仲間である艦娘達でさえも縮み上がりそうな剣幕に対しても明石は飄々とした態度を崩さない。流石は最古参である。

 

「さあ? そんなことより、覚悟した方が良いんじゃない?」

「何がよ」

「探すのが面倒くさいって娘達がたぶん部屋の前で待ち受けてるでしょ」

「……どんだけ大事になってるのよ」

 

 この世の終わりみたいな顔で肩を落とす。

 

「それだけ足柄さんが皆に慕われてるってことね」

「それなら出撃で頑張りなさいよ」

「それはそれ、これはこれ」

 

 戻ってきたー、と声を上げる駆逐艦達。我先にとカードを贈ろうと群がる様は餌を投げ入れられた池の鯉のようだ。

 

「ちょっと、コラ! どきなさいー!」

「第一艦隊旗艦は大人気ね」

「部屋にはーいーれーなーいー!」

 

 きゃあきゃあと騒ぐ駆逐艦と重巡洋艦。その後ろで微笑みながら様子を眺める工作艦。足柄本人は嫌がっているようだが、駆逐艦の少女達からすれば体の良い遊び相手のようだ。

 

「はいはい、プレゼント渡し終わったら解散。演習の準備に入って」

「はーい!」

 

 明石が手を叩いた。大きな声で促すとわいわいと嵐のように去っていく。残されたのは疲れ切った妙高型一人のみ。

 

「さっさと荷物置いちゃいましょー」

「出撃してないのにどっと疲れたわ……」

「まだ今日の仕事終わってないですよ」

「仕事って何よー」

「聞いてません? ほら、急に演習が入ったって話」

「ほんと!?」

 

 赤疲労から一気にキラキラへ、物の見事なテンションの変わりように苦笑いする明石。首筋に冷や汗が滴り落ちる。彼女に食いつかせるための餌とはいえ、良い人参をぶら下げ過ぎたか。

 

「私も詳しくは聞かされてないんですけど、大淀がそんなこと言ってましたよ」

「……なーんか怪しくない?」

「それを私に言われても」

 

 大淀に聞いてくださいよ、と説明を放棄する筆頭秘書艦。釈然としないまま、足柄は貰い物を全て部屋の中に押し込む。

 

「さ、私達も早く行きましょ」

「分かったわよ」

 

 

「砲雷撃戦、よーい!」

 

 鎮守府正面の海域、彼女達が最初に取り返し、今では数少ない安全地帯となっている場所に放火の音が響く。立て続けに上がる水飛沫、楽しそうな嬌声と悲鳴。

 

「第一水雷戦隊、戦術的勝利!」

 

 インカムを通した声がスピーカーから流れる。大淀の判定に一喜一憂しながら、艦娘達は次の演習の準備に取り掛かる。全員がこの鎮守府の所属だ。身内同士による演習試合が、急に入った演習の正体であった。

 

「それは分かったけど、なんで私は参加しちゃいけないのよ!」

「お前はいつも演習に参加してるだろ。たまには他に譲っても良いと思うぞ」

 

 縁に肘をかけて、うー、と唸る足柄を宥める提督。大淀は進行役と実況を兼ね、明石は艤装や演習弾頭の準備に奔走している。他の艦娘達は演習中だ。提督用の小型ボートに乗っているのは彼ら二人だけだった。

 

「というのは、半分冗談でな。本当はあいつらが駄目って言ったからなんだ」

 

 戦艦による一際大きな水飛沫が、太陽の光に照らされて虹を描いた。

 

「最初はさ、いつも世話になってる足柄に何かプレゼントを贈ろうって話だったんだよ。そしたらさ、こういうことをしたいんだって皆して俺のところにやってきて」

 

 レシプロ機のエンジン音がする。空母機動部隊による航空戦の真っ最中だ。笑顔の駆逐艦と違って空母達は真剣な顔付きだ。まるで、実際に敵と戦っているかのような緊張感がある。

 

「足柄に自分達の力を見てもらいたいんだと。自分達だってやれるって見せてやりたいらしい」

「こんなことされなくても、皆の実力くらいいつも見定めてるわよ」

「そうじゃなくてな。なあ足柄、お前は何のために戦ってんだ?」

 

 制空権は互角、一航戦対二航戦が再び矢をつがえ、護衛としての駆逐艦が12.7cm砲を撃ち合う。

 

「もちろん深海棲艦を倒すためよ」

「そうだろうな。でも、あいつらはちょっとだけ違う」

 

 加賀が小破、飛龍が中破の判定を出される。提督はじっと遠くの戦闘を見つめ、足柄はその横顔を困惑した顔で見つめる。

 

「あいつらは()()ために戦ってるんだ。もう誰も沈めないために。足柄、お前も入ってるんだぞ。あいつらが守りたい人の中に」

「私達は兵器よ。他のことなんて考える必要は無いわ」

「お前らが兵器だってこと否定するつもりは無いけどな。お前には考える頭も、戦えないことを不満に思う感情もあるんだ。人間の部分だってある」

「どうして意識なんて生まれてしまったのかしらね。必要ないのに」

「そういうこと言うなよ。それにさ、俺だってそうなんだよ」

 

 サイレンが鳴り、一航戦側の勝利が告げられる。ガッツポーズする赤城が遠目に見えた。

 

「俺も、足柄には死んでほしくないんだよ。提督とかそういうことは抜きの一個人として」

「これは……?」

「俺からの贈り物。まあ、お守りみたいなものだ」

 

 提督が足柄に渡したのは赤いリングケース。彼女が開けてみると銀色に輝く指輪が入っていた。

 

「本当はもっと月とかきらびやかな奴にしようと思ったんだけどな」

「……馬鹿じゃないの?」

「なんとでも言え。足柄がはめたら綺麗だろうなって、それだけの話だよ」

 

 それだけ言うと、インカムの電源を点ける。

 

「演習もそろそろ切り上げろー! 間宮アイス用意したから味わって食え!」

 

 提督の言葉がどういう意味なのか、聞き返す声は喧騒の中に消えていった。



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狼は群れで生きる/3

「敵影無し。索敵機にも引っかからないし、これは外れを引いたわね」

 

 戻ってきた零式水上観測機が艤装に収まるのを眺めていた。その折に白手袋に隠れた指輪も意識してしまう。薬指にちょうどフィットしている指輪。まさか捨てるわけにもいかず、どうするべきか悩んでいる時にむりやり明石にはめさせられたものだ。幾ら戦闘以外に疎い足柄でも、左薬指の意味くらいは知っている。知っているからこそ困惑しているのだ。とうして提督がこんな物を贈ったのか。

 

 お守りのようなものだと彼は言った。12cm砲の砲弾よりもちっぽけな金属がいったい何から守ってくれるというのだろう。成り行きでつけてはいるが、提督は左薬指にはめてもらう(この)ために指輪を渡したのだろうか。

 

「足柄、聞いているか」

「もちろん。撤退ね」

「羅針盤がまともな方向向いちゃくれないんじゃ仕方ない。気を付けて帰投しろ」

「了解」

 

 インカムの電源を切って単縦陣で後ろに着いている随伴艦にも声をかける。

 

「撤退するわ。最後まで気を抜かないこと」

「了解ネー」

 

 今の編成は、海域突破の為の、全戦力だと言っていいだろう。羅針盤の動きは誰にも予想の出来ないこととはいえ、気合を入れて出撃した足柄にとっては若干消化不良気味だ。

 

 帰り道にでも深海棲艦の群れと出くわしたりしないだろうか。知らず知らずのうちに白手袋に覆われた指輪に触れながら、頭では戦闘狂のようなことを考える。

 

 異変に気付いたのは、念のために偵察機を飛ばしていた飛龍だった。

 

「これは……」

「どうしたの?」

「着水した艦載機ですね。この辺りの海域では私達の他に出撃している鎮守府は無いはずですけど……」

「おかしいわね……回収して」

「私達が近付いた方が速いです」

 

 足柄はさっき切ったばかりのインカムを繋ぎ直す。

 

「提督、聞こえる?」

「どうした?」

「ちょっと別の艦隊のトンボ釣りやって来るわ」

「他には艦隊なんて……いや、分かった。通信は繋いだままにしておけ」

「了解。行くわよ」

 

 最後の言葉は随伴艦に対して。

 

 もうもうと立ち込める厄介事の臭いに、足柄は狼の如く歯を見せて笑っていた。

 

 着水していたのは水上偵察機だった。機体はぼろぼろに壊れ、パイロットの妖精も息絶え絶えといったところ。飛龍に回収を命じながら、慣れた手口で何があったのか聞き出す。

 

「民間の船が……」

 

 妖精が語ったのは、民間の客船が深海棲艦の襲撃を受けているという、驚愕するべき事実だった。

 近隣の鎮守府によってクリアされた、安全な海域を進む予定だったが、網の目をすり抜けてきた深海棲艦が客船に向かって砲撃。護衛として乗っていた艦娘が応戦するも多勢に無勢だったという。通信はしたが、応援は遅れると返された。ゆえに近くを通った別の艦隊に助けを求める為、飛ばされてのだという。

 

「提督、出撃の許可を」

「分かった。だが」

 

 だが。一分一秒が惜しいという時に何を言い出すのか。

 

「確認したが、救援要請はどこからも出ていない。今から向かっても応援はすぐには来ないぞ」

「そんなこと、私達が仕留めれば良いだけのことだわ」

「……ああ、進撃しろ。足柄」

「了解」

 

 足柄は今度こそインカムを切った。

 

 

 嫌な予感はしていたのだ。

 

 海の向こうから漂う血の香りは、目的地が既に鉄火場から殺戮現場へと変わったことを意味している。大穴が空いた船体は、まだ沈んでいないことが奇跡に思える程だ。

 そして、死にゆく船に群がる深海棲艦達が、地獄の亡者が蜘蛛の糸に上り詰めるが如く蠢いている。艦娘の姿は見えなかった。良くて船内で生存者の指揮を取っているか、もしくは全滅したか。

 

「飛龍、加賀、金剛、比叡は海上で深海棲艦をブチのめしなさい。私と球磨で船内に突入するわ」

「分かったクマ」

「ご武運を」

 

 てきぱきと指示を出し、足柄は足を動かし始める。爆撃隊による器用な殲滅によって開いた隙間をくぐり抜けて船内へと侵入する。

 

 中は惨憺たる有様だった。一瞬、赤い内装なのだと勘違いしそうになった。一面に血が染み付いている。深海棲艦でも無ければ、艦娘でもない。人の血だ。

 

 物言わぬ腕が衝撃でガクリと揺れた。その薬指に光る銀色がいやに目に入った。手のひらを合わせて、胸に刺さる痛みを誤魔化す。

 

「私はこっち側から探すわ」

「じゃあ球磨はこっちクマね。何かあったら連絡するクマ」

 

 二手に分かれて赤く染まった廊下を走り抜ける。脚のない低俗な深海棲艦を撃ち抜いて、生存者を探す。絶望的だと分かっていたが、それが自分の役目だと分かっていた。

 

 船は見た目よりも大きかった。豪華な船旅を目指していたのだろう。床に落ちて粉々に砕けたシャンデリア。足柄でも一度は目にした事のあるような、有名な絵画のレプリカが二つに折れている。

 

「弾が、足りないかもしれないわね」

 

 駆逐イ級の砲弾が頬を掠めた。返す砲撃で沈黙させる。既に十を越える敵を沈めた。だが、まだ到底倒し切れているとは思えない。どう考えたって、一艦隊の手に余る事態だ。

 

 歯軋りした。一箇所に集まる深海棲艦の量としては異常だ。大規模艦隊を編成して殲滅を目論むに十分な勢力がこの船を襲っている。

 警備網は何をしていたのか。こんな大船団を見逃すとは、とても日本海軍の船だとは思えない。

 

 提督は言っていた。()()()()()()()()()()と。

 

「……っく、そこ! しゃがみなさい!」

 

 曲がり角を曲がる。

 

 逃げ遅れた子供が、深海棲艦に今まさに食われようとしている、足柄は叫びながら、どうか子供には当たりませんようにと祈りながら引き金を引いた。血飛沫を跳ねさせて、深海棲艦が動きを止める。

 

 子供はへなへなと座り込んでいた。青く、油臭い深海棲艦の血を全身に浴びて、歯を鳴らしながら、お母さん、と何度も呟いている。

 

 足柄も近づいて分かった。まだ三十路に達しているかも怪しい、女性の死体。胸から上が無かった。手で破いた紙の切れ端のようなジグザグで切り取られていた。

 

 おそらくはこの少年の母親だったのだろう。目の前で親が食い殺される。到底受け入れられない光景だ。特に、年端も行かない子供には。

 足柄に子供をあやす技術は無い。しかし、このまま放っておくわけにもいかない。未だ放心状態の子を片手で抱え上げる。

 

「ひっ」

「落ち着きなさい。私は助けに来たの。悲しくても言うことを聞いて」

 

 そんな言葉で冷静になれる筈もなく、子供は泣き喚く。辺り構わず手足を振り回し、意味も無く足柄から逃げ出そうとする。艦娘の膂力で取り落とすということは無いが、深海棲艦の群れに出くわせば、二人の命が危うい。

 

「足柄!」

 

 提督の焦った声がする。他の生存者を探して歩き始めながら、インカムを点ける。

 

「何よ」

「さらに大きな深海棲艦の群れがそっちに向かってる。援軍は間に合わない!」

「だから?」

「撤退だ」

「ふざけないで!」

 

 泣いていた子供が驚いて叫び声を止めた。

 

「私達の仕事は人の命を守ることでしょう!?」

「それが不可能だと言っている!」

 

 提督も負けじと叫び返す。

 

「お前も兵器なら考えろ! ここで意地張って全滅するのと、ここは諦めて後の人を助けるのと!」

「目の前の人を見捨てる理由にはならないわ!」

 

 ガチ、ガチ。残弾の無くなった20.3cm連装砲を投げ捨てる。これでもはや敵を穿つ術は無くなった。

 

「クソッ! 球磨、飛龍、足柄を引っ張りだせ!」

「そんな余裕無いクマ! こっちも自分のことで精一杯クマよ!」

「外も深海棲艦が減る気配がしませんよ! このままじゃ撤退すら厳しいかもです!」

 

 タイムリミットは刻々と迫る。後一分、判断が遅くなればもう間に合わないだろう。

 足柄は僅かに目を伏せた、抱えた子供と目があった。怯えが移ったような気がした。それ以上に、この子が自分を思ってくれていることが分かった。聡明な子なのだろう。まだ十つにも届いていなさそうなのに、なぜ見捨てられないのか、そんな疑問が瞳の奥に浮かんでいた。

 

「足柄、頼む……」

 

 提督の悲痛な叫びが聞こえた。本当は分かっていた。足柄が動かないことなど。

 

 足柄も分かっていた。どうして彼がわざとらしく兵器なんて言葉を使ったのかを。民間人と足柄の命を天秤にかけて、提督は後者を選ぼうとした。軍人としては失格かもしれない。司令官としては正しいのかもしれない。

 

「提督」

 

 襲い来る深海棲艦を蹴り飛ばして走る。息をすっかり切らしながら、悲しいまで優しい声音で言う。

 

「大丈夫よ、生きて帰るから」

「……勝手にしろ」

 

 それは提督なりの最後の抵抗だった。

 

「ありがとう」

 

 インカムを全員に繋ぎ直す。

 

「皆、応援が到着するまでこの場を死守するわ。だけど、絶対に沈んじゃ駄目、分かった?」

 

 思い思いの返事が聞こえたのを確かめて、足柄はインカムを投げ捨てた。他人の声がこれ以上聞こえてしまったら、揺らいでしまいそうな気がした。

 

 重巡クラスと相討ちになって死んでいる艦娘が居た。駆逐艦の叢雲だろう。一人で重巡を討ち果たしたのならば、大健闘だと言える。死んでさえいなければ。

 

 ほんの少しの後ろめたさを覚えながら、彼女が最後まで握りしめていた12.7cm連装砲を拝借する。弾はまだ入っている。

 

「これ、借りるわよ」

 

 そして足柄は駆ける。どこへ向かえば良いのかも分からない。だが、生存者がまだ居るとするならば、もっと上の階層に固まっているだろうことは想像に難くなかった。そこへ辿り着けばまだ生きている艦娘と合流できるかもしれない。

 

 その道のりは果てしなく遠く思えた。



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狼は群れで生きる/4

「急げ、時間が無いぞ!」

 

 怒号が鎮守府に響き渡る。出撃していなかった中でも練度の高い艦娘達が右往左往していた。今日は非番の筈だったのだ。幾ら常在戦場といえども、艤装を準備するのに時間が掛かる。まして、報告にあるだけでも、敵本隊を見紛うだけの戦力。十分な準備をさせないまま出撃させれば、犠牲者を増やすだけだ。

 

 最悪なことに、件の船に関する第一報はこの鎮守府のものだった。誰だか分からないが、警備網に穴を開けた鎮守府が、そして警護の艦娘からの救援要請を握り潰した奴が居る。推測だが、おそらくは同一人物だろう。そうでなければ救援要請を無視するメリットが無い。逆に、本分を忘れていたのならば、隠してしまおうとする。

 

 提督は机を叩いた。遅いことに苛ついているのではない。もう殆ど手遅れだと思っているからこそ、どうしてもっと早く撤退の判断が出来なかったのか、それが悔やまれるのだ。

 

「お願いだ……皆を、足柄を守ってくれ」

 

 大本営への連絡はとうの昔に終わらせた、艤装に関してはまったくの素人だ。知り合いで、現場に近い鎮守府の提督にも報を入れたが、自分達より僅かに速いかどうかといったところだろう。

 

 もはや彼には祈ることしか許されていなかった。

 

 

 足柄が現場に辿り着いた頃。

 

「出撃を偽装して資源を横領。ま、笑えない程にありふれた手口でありますな」

 

 白い軍服を着て、呟く少年が一人。その傍らには、猿ぐつわを噛まされて、紐で縛られて転がされた男の姿がある。そして、同情と敵意を持った視線も。

 

 突然、手元の通信機が反応した。睨まれている中、少年は飄々とスピーカーに耳を当てる。

 

「大佐殿、どうしたでありますか」

「本部から緊急で連絡があった。客船が深海棲艦の襲撃を受けているらしい」

「はあ」

 

 気のない返事をしながらも、少年は即座にオープン通話に切り替える。

 

「それは私達とは関係無いように思うのですが」

「それがだね、深海棲艦の一団はそこの担当区域を潜り抜けていったらしい。さらに警護もそこの艦娘だという」

「だから?」

「見捨てるのかね?」

 

 それだけ言って通信が切れる。沈んだら深海棲艦に化けてやるでありますと、毒吐きながら、少年は辺りを見渡した。好戦的な艦娘を見張る部下に声をかける。

 

「指揮権は我ら憲兵隊にあり。長門、全体の指揮を」

「了解した」

 

 そして、必死にもがいている提督を一瞥すると、もう一度、彼が従えていたらしい顔ぶれを眺める。求めるのは、先の言葉を聞いて、目に自己嫌悪か後悔を持っているもの。

 

「貴官らには、これから憲兵隊指揮のもと、救出作戦に参加してもらうであります。仲間を助けたいならば言うことを聞け」

 

 誰もが予想もしていなかった所から、救いの手は差し伸べられたように見えた。

 

 

 頬から流れていくオイルを舌で舐め取った。船など沈んでも構わないと言わんばかりに砲火が飛び交う戦場。

 

 12.7cm砲の最後の砲弾で軽巡を打ち払い、邪魔になったガラクタを投げ捨てる。これで三つ目の主砲が傾いた廊下を跳ねていった。

 

「はぁッ……はぁッ…」

 

 息はとっくに上がっている。体を動かすのに必要な燃料も切れかけていた。身体には無数のかすり傷が染み付いているが、抱え上げた子供には傷一つ無い。いや、彼に傷が無いからこそ、足柄は満身創痍に至ったとも言える。

 

 インカムを放棄したことを後悔した。あの時の感情は、確かに仲間の言葉で揺らぎかねないという恐怖が勝っていた。しかし、終わりが見えない死地の中、孤独さが心を蝕んでいくのが自分でも分かった。

 

 もう皆沈んでしまっているのでは、生存者などもう居ないのでは。弱音を吐きたくなる。

 

 腕の中の子供は目を閉じて震えていた。パニックを起こさなくなっただけ、勇敢になったのだろう。しかし、一度不安そうな様子を見せれば自暴自棄になるかもしれない。

 だから彼女は大胆不敵に笑うしかない。敵の強さに歯噛みしながらも、自分の勝利を疑わない道化になりきらなくてはならない。

 

 ああ、こんな時だというのに、指輪が気になってしようがない。

 

 もう武器は無い。今まで拾い集めてこられたことすら奇跡的だ。頼り、縋るべきものを探すと、どうあがいても最後は左薬指に嵌められた指輪に行き着いてしまう。提督がくれたお守り、人の慣習では結婚(ケッコン)を意味するアクセサリ。

 

 不意に鎮守府が恋しくなった。戦艦も、駆逐艦も、空母も、巡洋艦も。自分は気にしなかったが、皆が自分のことを思ってくれていた。

 

 死に近づけば、本音が顔を出す。

 私は戦いたい。敵を倒して、敵に倒されて。それで十分だ。軍艦である自分はそうあってしかるべきだ。だけど────

 

 

 

────仲間の悲しむ顔は見たくない。

 

「あは……」

 

 なんて自分勝手だったのだろう。武功を上げることに固執していた私でさえそうなのだ。仲間達は自分以上に強く感じていた筈だ。何より、提督自身が。私に生きていてほしいと願っていた筈だ。

 

 ああ、そうだ。提督が撤退を命じたのは、軍人としてではない。指揮官としてでもない。本当に、彼自身が言っていた通り、一人の人間として足柄の命を願ったのだ。

 

「会いたいな」

 

 だったら生きて帰るしかない。

 

 武器が無い程度で諦めるな。足柄は自分を鼓舞する。艦娘は素手でも深海棲艦を倒すことができる。事実として可能なだけで、とても現実的な戦い方ではない。そんな死にたがりをするのは一部の気が狂った奴だけだ。

 だが、倒せないわけではない。

 

 拳を握る。どうあってもこの子供を守る覚悟、どうあっても生き残る覚悟。考えられるありとあらゆる可能性を模索して、考慮して、想像して、乗り越えていく。自分には出来るとうわ言のように呟いて、崩れ落ちそうな膝を伸ばす。

 

 船がさらに傾いた。そろそろ沈没する頃合か。どういうつくりになっているのか知らないが、まだ浸水していないという事実が本来有り得ないと言い切れる。

 

 いっそ、脱出を試みるか。来た道を戻ることも考えるが、すぐさま頭を振る。沈み始めている船で底に向かうのは自殺行為だ。艦娘個人ならまだしも、要救助者が居るのにそんなことはできない。

 

 そうなれば、目指すのは上。ひたすら上を目指し、甲板まで辿り着くしかない。

 

 守るべきものを抱えて走る。四肢が千切れそうな程に痛い。身体はとうの昔に限界だ。それでもただひた走るしかない。喉に艦娘の血が絡もうと、関節がぎしりと嫌な音を立てたとしても、まっすぐに突き進むしかない。

 

 目の前に重巡が見えた。運の良いことにこちらにはまだ気付いていない。足柄は気にすることなく走る。足音に気付いて重巡が振り返った。

 その喉元に鞭のようにしならせた腕を叩き付けた。いわゆるラリアット。反動に顔をしかめ、腕が取れそうな錯覚に苛まれながら、不意討ちで転げ回る重巡の頭に足を踏み下ろした。

 

 ぺき、とまるでプレッツェルでも折ったかのような軽い音がした。死んだかどうかも確かめず、足柄はまた足に力を入れる。

 

 進め、進め、進め。

 

 辿り着いた。甲板だ。当然のことながら誰も居ない。

 

 空をかき回すエンジン音にもはやここまでか、と諦めが過る。それならば、せめて一隻でも多く道連れにしてやろう。獲物を探す獣の目付きで敵を探す。当然のことながら誰も居ない。

 

 そこでようやく足柄は異常に気付いた。

 

 敵が、居ない。

 

「あれ! 足柄さんだよ!」

「足柄、良かったネー!」

 

 下から喝采の声が聞こえる。飛龍と金剛と、皆の声。いや、それ以外の声も聞こえる。誰だろうか。

 

「ふむ、生存の見込み無しと早々に沈めるつもりでありましたが、これで中々捨てたものでもないでありますな」

 

 背後から声がする。まったく気が付くことができなかった。足柄は慌てて子供を守るように身を翻す。

 

 声の主は、戦意がないことを示すように両手をあげ、どうどう、となだめているのか挑発しているのか分からないような声音で言う。

 

「私どもは貴官らを助けに来たのでありますよ。そうら、そこの救急ボートで降りると良いであります。本当に運が良い」

 

 仲間の早く、早くと急き立てる声に押され、足柄は少年の言う通りに救急ボートへと向かう。白い軍服に付けられた階級章は見たことのないものだった。つまりは普通の軍人ではなく、つまりは憲兵隊の人間。

 

 とりあえず、今回は敵ではなさそうだ。生き残れたという安堵とともに、ボートで降り、待っていた仲間達のもとへ戻っていく。

 

 残された少年はぼそりと

 

「羨ましいくらいの諦めの悪さでありますな」

 

 と呟いた。



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狼は群れで生きる/5

狼は群れで生きる、はこれで一先ず終わりでございます


 暗い部屋の中、灯りも点けずに少年は報告書にペンを走らせる。

 

「まさか原因が提督の職務怠慢などと、とてもではないが書けないでありますなあ」

 

 仕方が無いので代わりに英雄譚にしてしまおう。孤立無援の豪華客船で僅かな生存者を命がけで守りきった英雄達。広報もそちらの方がよっぽと扱いやすいだろう。

 

 乗客乗員、千六百名のうち生存者は二十三人。護衛の一艦隊は玉砕するも、知らせを聞きつけた艦隊の決死の救助活動により生存者の救出に成功。

 

「こんなところでありますか」

 

 報告書を書き終えて、少年はゴールデンバットに火をつける。

 

 煙が密室にこもって霧のように立ち込めていた。

 

 

 ダイアモンド・クルーズ号の悲劇。

 

 朝刊の一面には、昨日の出来事が大きな見出しでそう書かれた。艦娘の英雄的な活躍は喧伝されていても、肝心の事故原因については一切書かれていない。もちろん軍の御用新聞だ。

 艦娘に批判的な民間の新聞社やゴシップ雑誌なんかは誰かがリークした事実を叫んで国民感情を煽っている。

 

 軍人の怠慢、腐敗した組織構造、艦娘という兵器の限界。真相の中に民衆が喜びそうな添加物を加えて売り捌いている。だが、マスメディアの言う「戦時下最大の人災」という文句は、まったくもって正しいものだろう。千人以上の犠牲者を出したのだ。深海棲艦による被害としてはここ十年の合計をゆうに超える。

 

「どうした、足柄?」

 

 偏向され尽くした記事を一通り読み終えて、ゴミ箱に放り投げる。机に向かって唸っていた足柄に声をかけると、明らかに疲れ切った表情で「なんでもないわ」と返された。

 

「でも、秘書艦の仕事って忙しいのね」

「そりゃ二人分の仕事を一人でやろうとすればそうなる。だけど、お前がやりたいって言い出したんだろう」

 

 出撃と鍛錬以外は興味無しの足柄が、急に秘書艦としての本分を果たさなければと意気込んでやってきたのだ。提督と明石は驚いて顔を見合わせたものだ。

 それどころか、普段二人でやっている雑務含めて自分がやると言い始めた。明石は喜び勇んで工廠に籠もり始め、手持ち無沙汰になった提督はこうして執務室で暇なひとときを過ごしていたというわけだ。一応、業務が滞った時に助け舟を出すつもりでもあるが、何より一番は足柄が心配だったからだろう。

 

「にしたって何だって急にこんなこと言い出したんだ。まだ休んでいたっていいのに」

「動いてないのは性に合わないのよ」

 

 全身に傷を負っていた足柄は無理が祟り、しばらくの出撃制限を命じられていた。明石によると、活動限界をほとんど超えるところだったらしい。それが嘘か本当かはともかく、奮闘した彼女には休息が与えられて然るべきだ。というよりも、今日は、主力艦隊は全員が非番に設定されていた。

 

「それに私も反省することがあって」

「なんだ命令違反のことか」

「それも、かしらね」

「随分歯切れが悪いな」

 

 今まで足柄が反省なんて言葉を使ったのは、例えばあの時ああ動けば良かったと、戦闘に関することばかりだ。いつも彼女は目を輝かせて、次への展望に未来を馳せる。そうならないということは、珍しいことにもっと重大な反省らしい。

 

「……お茶にしましょう」

「おい」

 

 誤魔化したのはすぐに分かる。

 ティータイムなんて洒落たことをするのは一部の金剛型だけだ。それも、艦娘専用の紅茶なんてものをむりやり開発させた、実際には茶葉とは一切関係のない謎飲料。当然のことながら人間には毒であるし、他の艦娘には支給されない。それなのに、何故か彼女は得意げな顔でティーパックを取り出して見せつけている。大方金剛から譲ってもらったのだろう。

 

「まあ、休憩は別に構わないけどな」

 

 提督は諦めて、自分用のインスタントコーヒーのある棚を開けた。

 

 

「私は、皆に謝らなければならないわ」

「何だ藪から棒に」

 

 提督が自分のコーヒーに砂糖を入れていると、足柄が急にそんな事を言い始めた。それがきっと反省の内容なのだろうと、提督は耳を傾ける。

 

「皆私の事を大事に思ってくれていたのに、私はそんなことに気付きもしなかったんだもの」

 

 今にも死にそうな顔をしているから、いったい何事かと思えば。

 

「なんだ、そんなことか」

「そんなことって」

 

 あっさりとした提督の返事に顔をしかめる。ついでに初めて飲む紅茶もどきは、少し苦い。

 

「私は凄く悩んで申し訳なくなったのに」

「お前はそうかもしれないけどな」

 

 提督は平静な顔でコーヒーを飲む。

 

「あいつ達はお前が皆の事を思ってるって分かってたからな。まったく気にしてなかったと思うぞ」

 

 そうでなきゃあんなに懐いている筈がないだろと、言われてみればその通りだ。自分でもうまく言葉に出来なかったものを、周りはとうに知っていたということか。

 

「ま、これに懲りたら、今度からはちゃんと引き際を見極めろよ」

「言われなくたって分かってるわよ」

 

 軽い調子の言葉に、ぶーたれたように返す。今日の説教は身に沁みるのか、不貞腐れた顔でカップの中身を飲み干した。

 カップの底を見る。嫌いではないが、わざわざ金剛から頂く程でもなかったなと思った。

 

「飲み終わったんなら仕事に戻るぞ」

 

 提督の言葉に彼女は顔を上げた。

 

 あれ、と提督の視線が気になった。見かけは穏やかだが、どこかそわそわとしている。どうしたのだろう、と訝しんでいると、先に提督の方から口を開いた。

 

「なあ足柄。左薬指の意味って知ってるか」

 

 馬鹿にされたような気がしてむっとした。同時に提督が落ち着かない原因が分かった。今は白手袋をしていない。紅茶をこぼすといけないから外していた。だから、指を嵌めている足柄を見るのは今回が初めてだった。

 

 明石にむりやり嵌めさせられたものだが、不思議と外そうという気は起きない。

 

「分かってて着けてるのよ」

 

 こういうときはどうすれば良いのか、金剛だったか明石だったか誰かがこんなことを言っていた気がする。

 

 机越しに身を乗り出した。むぐ、と提督の驚いたような声がする。触れるだけ、それだけに少しだけ長く、二人の唇が一つになる。遠くからでも、提督の心臓がバクバクと脈打っているのが分かった。この先は分からない。だからもう少しだけ。

 

 すぐ目の前に提督の目があった。見つめ合うと、如何に彼が驚いて、反応できてないのかよく分かる。普段は強そうにしているくせに意外と()()な人だ。自分のことは棚に上げて、そんなことを思う。

 

 がらん。

 

 大きな音で二人共我に返る。執務室のドアでは普段から持ち歩いているスパナを落とした明石の姿があった。間違いなく今の姿は見られてしまっただろう。

 

「あ、あかし……?」

 

 提督が震え声で呼びかけると明石はすぐさま通信機を取り出して。

 

「もしもし青葉ですか」

「ちょっと待ちなさい明石ィ!?」

「よりにもよって青葉はねえだろう!?」

「二人の声が聞こえるでしょ! 大スクープよ青葉!」

 

 この場にいる三人と、通話越しに食いつく一人、それからどんどんと増えていっているらしいオーディエンス。

 

 わあわあきゃあきゃあと、二人の、皆の愛する鎮守府は変わらぬ姿でそこにあった。

 

 

 艤装である白手袋を着けない艦娘が居る。

 

 そのことに別段利点がある筈もない。他の艦娘と区別しやすいとか、そのくらいか。しかし、彼女の姿はいつか、全ての艦娘の憧れへとなった。

 

 彼女は誰よりも強く、誰よりも冷静で、誰よりも心優しかった。

 重巡洋艦でありながら戦艦と肩を並べる姿は異様にして、そうでありながらまったく自然な姿。彼女の技術を学ぶために演習を申し込む鎮守府まで現れる程だった。

 

 古傷だらけの身体で戦う姿。見るものを安心させる笑顔。

 

 そして。その左薬指に光る銀色の指輪を見て、「ああなりたい」と艦娘達は胸に刻む。

 

 

 

 ケッコンカッコカリという制度が作られたのは、それからもう少し後の話だった。



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不発弾ども/1

前回よりは秋津の出番多い


 長門は激怒した。必ず邪知暴虐の提督を止めなければならないと思った。

 

 ギリシャ神話をモチーフにし、かの文豪が書いた名作をオマージュして表現したところで、彼女の怒り狂った有様は到底形容できるものではなかった。

 味方である筈のプリンツ・オイゲンも、酒匂すらも命の危険を感じた。ただ、彼女が怒りを顕にしているだけで、鬼や姫クラスの深海棲艦を相手にしているかのような錯覚を覚えた。或いは、プリンツには想像もつかず、酒匂ですら想像するしかない八百万の神の怒り。大地を割り、海を荒らし、天を穿つ。自然を呑む程の怒り。

 

 その原因は、この鎮守府の提督による一種の背任行為だ。背任と呼ぶことすら烏滸がましい、常軌を逸した行為だ。ある意味で、あの男は艦娘を殺したのだと言っても過言ではない。だが、許せないと憤る気持ちとは裏腹に、奴の行ったことは正しいのではないか、そんな考えが長門の脳裏をチラついて離れない。

 

 艦娘の存在意義を考えれば、そして海軍の艦娘に対する態度を考えれば、間違っているのはむしろ自分達の方なのではないだろうか、と。

 

 外道なる提督が何を犯したのか。それは少し時間を遡る。

 

 長門、プリンツ、酒匂の三人は太平洋打通のために連合艦隊の一員として鎮守府とは別行動を取っていた。本来は長門一人の要請であったのだが、彼女が無理を言って他二人を同行させたのだ。重巡洋艦と軽巡洋艦であるが、練度は十分。提督も悩みつつ、最終的には許可を出した。今にして思えば、これこそがおかしいことだと気付くべきだったのだ。意味も無く自分の戦力を外へ放出することの意義を考えるべきであった。

 

 太平洋方面の前線をほんの少しばかり押し上げるという、成功とも失敗ともつかない戦果を引っ提げて戻ってきた三人がまず目にしたのは、焦点の合わない目で出撃する潜水艦の姿だった。酒匂はその時点で何かおかしいことに気付いていたようだが、長門は気にしなかった。潜水艦が疲れ切った顔でオリョール海へ向かうことは、この鎮守府ではさほど珍しい光景ではなかったからだ。自分達の居ない間に酷使されたのだろうと楽観視していた。

 

 長門が異変に気付いたのは、姉妹感である筈の陸奥と廊下ですれ違った時だった。彼女達は仲が良く、いつも顔を合わせれば軽口を叩き合っていた。

 それが潜水艦と同じように光の見えない眼差しで長門の隣を通り過ぎて行った。一言すら無く、そもそもすれ違ったことすら、目の前の光景すら理解できていないような目で。咄嗟に長門は陸奥の肩を掴んだ。どうした、大丈夫か。そう声を掛けるつもりだった。

 

 その手は、いつもなら絶対に有り得ないような力で振りほどかれた。まるで障害物を排除するかのように、淡々と。顔色一つ変えず。長門はすぐに察した。ビッグセブンであり、かつての戦争を生き残った長門型としての直感だったのかもしれないし、今までずっと抱いていた疑念だったのかもしれない。どちらにせよ、彼女は、提督の仕業であると確信していた。

 

 執務室へと走る。ドアを乱暴に開ける。息を切らした長門の前で、いけ好かない提督は、椅子に座っていた。長門を待ち構えていたのか。傍らには生気を失った姿のまま仕えている秘書艦の大和と、その妹である武蔵。一航戦の加賀、赤城も部屋で長門達を待っていた。第一艦隊であり、長門を除く最高戦力。正確には一人だけ足りない。駆逐艦でありながら、持ち前の豪運で幾度となく窮地を救ってきた雪風が居ない。

 

 何をやった。長門は言った。疑問ではなく詰問だった。いけ好かないわりに信用していたのだ。それが裏切られた。背中で隠したハンドサインでプリンツと酒匂に廊下を警戒させる。自分はわざわざ提督に聞こえるように艤装の安全装置を下ろした。艦娘達は何もしない。ただ、()()()()()()立ち尽くしているだけだ。

 

 何をやった。もう一度長門は言った。

 

 提督は答えた。君達を軍艦にしてあげたのだと。無駄な感情など要らない。何も考えず自分の命だけを忠実に守る兵器にしてやったのだと。ご丁寧に型の古い注射器まで取り出して、自分が如何なる薬物を用いたか高らかに自供し始める。

 曰く、一度では効果は薄く、何度も繰り返し使うことで洗脳していくのだと。今居る艦娘には既に五、六回は射ち込んだと彼は言った。それだけで長門の意識は飛びそうになった。だが、提督殺しは大罪だ。自分ならばともかく、絶対にプリンツと酒匂にさえ被害が及ぶ。それだけは避けなければならない。

 

 唇を噛みながらもう一つ尋ねる。

 

 雪風は何処へ行った。

 

 提督はあっさりと答える。

 

 口答えして逃げようとしたから沈めたよ。

 

 怒髪天を突くとはまさにこの事か。救われざる男の言葉に不思議と長門は冷静になっていた。世界がスローに映る。酒匂が自分の名前を叫んだのが聞こえた。コマ送りの世界の中、迷わず主砲に火を着け、プリンツと酒匂を抱え上げる。提督の罵声と、無機質な了承の声が聞こえた。背後からの轟音、轟音、轟音。長門は必死に逃げた。放送が流れる。死人が如く歩いていた、味方であった筈の艦娘がぎょろりとこちらを向き、徐に安全装置を外す。

 

 酒匂が腰に抱えた煙玉を投げた。もくもくと廊下を白煙に染める。長門は二人を抱えたまま、走り、外を目指そうとするが、すぐに警戒の厚さを察して諦める。その代わりに長くこの鎮守府に居た者でも知らない、物置代わりの空き部屋に飛び込む。ひと先ずは追撃を追い払い、一息吐いた所で状況は追い付くのであった。

 

「どうすれば良い」

 

 長門が一人呟いた。入口は完全に封鎖されてしまっただろう。この場所が見つかるのも時間の問題だ。正面から突破するにも、第一艦隊の四人を相手にしては殆ど不可能に近い。鎮守府全員を敵に回したのならば勝ち目は無いと言い切れる。外に助けを呼ぼうにも、通信は繋がらない。

 

 悪魔のような顔をした提督の姿が思い起こされる。壁を殴りつけたい衝動に駆られ、すんでの所で止まった。大きな音を出せば場所が割れる。代わりに自らの腿を掴んで怒りを押し込める。

 

「Admiral、たぶんもう話も出来ませんよね」

 

 プリンツが嘆いた。けして人間として好きになれる相手では無かったが、それなりの男ではあると思っていた。だが、あの表情を見ては、もう手遅れなのだと理解するのは容易かった。

 

「アレは自分の行いを聖人君子のそれだと思っているようだからな。何を言っても無駄だろう」

 

 提督の役目は艦娘を指揮し、深海棲艦を撃沈すること。クセの強い艦娘をまとめ上げるのは生半可な人望では成り立たない。海軍として規律で締め付ければ一定の戦力にはなるだろうが、信頼関係を築けていないのならば、絶対に超えられないラインがある。確かに、提督のやり方はその境界線を容易に超えられるようにするにはうってつけだったのかもしれない。指揮官の命令しか聞かない、文句一つ言わない自律兵器。どれだけの提督が欲するものだろうか。

 

「ぴゃー……私達、これからどうすれば良いんだろう」

「万に一つの可能性にかけて、入口を突破するしか無いだろうな。あの艦娘の惨状を白日の下に晒せば」

「でも、軍の人はあっちの方が都合が良いんじゃ……」

 

 長門は酒匂の手を握る。痛い、と酒匂が小さく悲鳴を上げた。慌てて手を離すと、酒匂が手をふるふると振る。

 

「すまん」

「いや、大丈夫だけど……」

「……軍人がどう思おうと、私達がああならないためにはそれしか方法は無い」

「それも分かってる」

「でも、ここから逃げるってどうやって」

 

 プリンツが横から口を挟んだ。もっともな言葉であった。第一艦隊との衝突を回避したところで、この鎮守府には三十人近い艦娘が居た。全てを潜り抜けるなんて神業は到底出来そうにない。

 

「その作戦を今から練らなければ……」

 

 長門の言葉が止まる。耳をすませば足音。おそらく一人だろう。偶然通りかかっただけなのか、それとも探しているのか。或いは、とっくに当たりを付けられているのか。

 

 手で二人に指示を出す。内開きのドアだ。開けたときに死角になる蝶番の近くへ隠れさせ、長門自身は物陰に隠れながらも即座に対応できるよう息を吐く。どうか、このまま通り過ぎてくれますように。

 

 ギィ、と音を立ててドアが開く。飛び出すべきか。単に確認しているだけかもしれない。ここで姿を表せば、自ら居場所を晒したことになる。長門の中に迷いが生まれる。

 

「ふむ、一人隠れて、他にも居そうでありますな」

 

 大和か武蔵か、それとも陸奥か。長門の予想とは見当違いの方向へ、その声は聞こえた。若い男の声だった。提督ではない。艦娘でもなければ、提督でもない、外部の人間。

 

 言葉から、自分の存在はバレているのだろう。敵か味方かすら分からないが、長門は出ていくことにした。

 

「貴方は、何者だ」

「おや、言葉が通じるとは。ふむ、まだ()()()()が居たということでありますな」

 

 白い軍服に身を包んだ少年が、人の良さそうな笑みでそこに立っていた。

 

「ご安心を、私はただの憲兵でありますから」



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不発弾ども/2

今回は三話想定


「憲兵、だと?」

 

 長門は眉を顰めた。憲兵隊という組織の名は聞いたことがある。海軍の内部浄化を試みる、十人にも満たない組織。隊長である男がそれなりの社会的地位を持っているから存続しているものの、実権などほとんど無く、今まで軍法会議にかけて処理してきた問題を肩代わりするだけの小さな者共だ。

 

 何故、今、この場所に。

 

 提督の口ぶりからすればこの鎮守府で起こっていることは誰にも知られていない筈だ。それこそ、あの薬を作り出した本人であろうと、このような惨状は知らない筈。

 

 私達を油断させるための罠か。当然長門はそれを疑った。だからプリンツと酒匂にはまだ出て来ないよう秘密のサインで命じている。だが、この男が仮に偽物だったとしても本物だったとして。あの提督が赤の他人の手など借りるだろうか。

 

「警戒するのは分かりますがね。こちらは余りに悠長にしている暇はないもので」

 

 少年は腰に掲げた警棒を抜く。長門はとっさに主砲を動かして少年の頭へと向けた。ほう、と少年が感嘆する。

 

「反応が速い」

「次、私が敵とみなすようなことを言えば、撃つ」

「なるほど。では簡潔に尋ねましょうか」

 

 少年は砲口を気にした様子は無い。気味が悪かった。まったく恐ろしくないわけではないのだろうが、この程度ならばどうにでもなると言わんばかりの自信が見えた。

 

「貴官の提督を拘束するが、貴官はどうするのか」

「拘束……?」

「ええ、とある駆逐艦からタレコミがありましてね」

 

 雪風のことだ。長門にはすぐに分かった。あの男は沈めたののたまっていたが、艦隊随一の幸運艦がそう簡単には沈む訳がないのだ。目の前の少年を信用していいのかは別として、この男と長門達の利害は一致していた。それこそ天佑であるがの如く。

 

「私は、提督と皆を止めたい」

「ならば、目的は同じでありますな。ご協力願えれば楽なのでありますが」

「貴方に従ったとして、そう上手く事は運ぶのか」

「貴官がヘマをやらかさなければ」

 

 その台詞も、自信に満ち溢れていた。

 

 長門に悩む必要は無かった。どうせそのまま地獄に落ちる道だ。いつ切れるかも分からない蜘蛛の糸に縋った所でたいした違いは無い。プリンツと酒匂の二人に相談もせず決めるのは良心が咎めたが、他にどうしようもなかった。

 

 彼女達にとって幸運だったのは、蜘蛛の糸は案外に強いものであった、ただそれだけである。

 

「分かった。貴方に従おう」

「ふむ、有り難いものでありますな」

 

 少年は廊下をクリアリングした後、中に入り、ドアを閉める。その結果プリンツと酒匂の姿も彼の視界に入ったが、特に気にすることも無かった。もしかしたら最初からバレていたのかもしれない、長門は目の前の少年に底知れない恐怖を感じたが言葉にはしなかった。今更縋った相手が天使か悪魔か、など腹の足しにもならない。

 

 少年は秋津と名乗った。

 

 期待通り、この惨状を外に報せたのは雪風だと言う。

 

「見た目以上に気丈な娘でありましたな。両足が吹き飛んで沈むかどうかというときに、ずっとここの事を訴え続けていたのでありますから」

「雪風は、どうなった」

「とりあえずは修復ドッグに。まあ足が戻るかどうかは五分五分でありましょう」

 

 秋津は基本的に聞かれたことには全て答えた。自分が彼女達を信頼していないことと同じく自身が信頼されていないことは察していたからこそであろう。真面目に答えることで誠実な人間であると思わせ、思わせぶりな言葉で揺さぶりを掛ける。秋津はともかく、長門は腹の探り合いに長けた艦娘ではない。敵の腹を読むことは出来ても、自分の感情を隠す事はできない。

 

 互いが互いを信用しても良いと判断するにはそう時間はかからなかった。少なくとも、全てが終わった瞬間、背後の心配をしなくても良い程度には。

 

 秋津が通信機のスイッチを入れる。

 

「中佐殿、聞こえますか」

「秋津君か。なんだね、私は今忙しいのだが」

「生き残りの協力者を三名確保しました。これから本丸に向かっても?」

「私としてはこちらにも手を貸してほしいのだがね。流石に大和型を同時に相手取るのは手間が掛かるよ」

「情報によるとそれが主力らしいのでせいぜい引きつけてください」

「酷い部下を持ったものだ。だが、せっかくの協力者にかつての仲間の相手をさせるのも忍びない。鎮圧は任せ給え」

「そうさせて頂くであります」

 

 それだけで通話が切れる。大和型二人を男一人で相手に出来る筈がない。しかし、雑音混じりに聞こえる男の声には苦戦の色すら見えなかった。信じられないと青褪めるプリンツを見て、秋津は鼻で笑う。

 

「陸では艦娘もそこまでの脅威ではない、ということでありますよ」

「大和型が陸では木偶の坊だと」

「鬼退治の要領でありますな。一寸法師ですら鬼を倒せたのです。人間にできぬ道理がありましょうか」

 

 そんな莫迦な。叫びそうになる前に、ドアが勢い良く開く。全員の視線がそちらへ向いた。

 

 発見、と呟く駆逐艦、吹雪。その鳩尾を秋津の警棒が捉えた。立ち上がる勢いで廊下の壁まで押し込む。他三人が反応する前に、秋津が次なる一撃で艤装を貫いた。爆発すら起こさず機能停止に陥る。項垂れた頭を蹴り飛ばし、踵と床でサンドイッチにする。

 

「何を……!」

「艦娘は丈夫でありますから、この程度は気を失うだけであります」

 

 それよりも、早くしなければ面倒でありますよ。秋津はまったく焦った様子がない。インカムを踏み潰してなお、三人に動くことを要求する。

 

「そろそろ逃げ出す頃合でありますから、緊急脱出の出来る裏口かボートのある場所でも教えてほしいであります」

 

 確かに、この場で捕まえなければ真相は闇の中だ。長門は即座に記憶の中にある鎮守府の見取り図を確かめ始める。言われたとおりに動いてしまうとは、秋津にすっかり乗せられねているのか。だが、どうであろうと構わない。長門は仲間であり後輩である二人を助けられれば良いのだから。

 提督ですらしばらく見つけられないような隠れ処を知っていた長門だ。提督がいざというときの逃げ場に使いそうな場所にもすぐに思い当たった。

 

「執務室の二つの右の部屋に外を眺めるためのバルコニーがある。脱出用の救命ボートも繋げられていた筈だ」

「なるほど、艦娘は?」

「ボートが一人用だ。大和でないなら居ないと思って良い」

 

 秋津は通信機の電源を再びつける。今度の相手は中佐と呼ばれた人間ではなく、複数人。彼らの部下だろう。

 

「各人海に回れ。ホシがボートで脱出する可能性がある。ただし艦娘が入れば深追いはするなよ」

「了解」

 

 さて、参りましょうと秋津が言う。何処へ、と問うと獣のような残忍な笑顔で、提督の所へ、と答えた。

 

 追い込み漁であります。

 

 秋津をナビゲートしながら並んで走る。プリンツと酒匂が背後を警戒しながら続く。執務室まで最短経路を走る。当然、出会った艦娘全てがこちらを敵とみなして攻撃してくるのだが、秋津の動きは芸術的なまでに磨かれていた。

 

 一度も引き金を引かせることなく、深海棲艦の死骸を元に作ったと話す警棒で艤装を破壊し、打撃で昏倒させる。相手が幼子にしか見えない駆逐艦だろうと、尋常ならざる膂力を持つ戦艦だろうと変わらない。一切止まることなく鎮圧し続ける。

 

「長門、後ろ!」

 

 酒匂が叫び、全員が振り返る。陸奥が砲門構えていた。虚ろな目はそのまま、安全装置を外し、引き金を引く一秒前。

 

 風切り音。一直線に飛んだ警棒が艤装の片側を貫いた。砲撃が止まる訳では無い。ただ一瞬遅れる、その隙間に長門がねじ込んだ。

 

「すまんな、歯ァ食いしばれ!」

 

 全力で振り抜いた拳が陸奥の体を打ち据え、廊下の奥まで吹き飛ばす。欠かさず追撃のために秋津がその横を通り抜けて警棒を掴んだ。艤装を完全に破壊し、冷や汗をかいている。

 

「馬鹿力でありますな……」

 

 一寸遅ければ死んでいた事実にではなく、一撃で戦艦を戦闘に不能に追い込んだ長門の馬力に対する恐怖であった。

 

 何はともあれ、向かうべきは執務室それだけである。

 

 四人が辿り着く。既にもぬけの殻なのか、何か奥の手を隠し持って待ち受けているのか。ゴクリと長門が唾を呑んだ。

 

「やあ、遅かったじゃあないか」

「中佐殿……一人で大暴れし過ぎであります」

 

 三十路を過ぎたくらいの渋い雰囲気を醸し出す男が、護衛代わりだったのと思われる赤城、加賀と提督に見えるナニカを荒縄で縛って机の上に座っていた。

 

 長門達の生涯を変える大事件は、こうして余りにも呆気ない終幕を迎えたのだった。



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不発弾ども/3

 夕方は凪のせいで暑苦しい。艦娘である以上、多少の暑さではものともしないが、今日だけは心に来るものがあった。

 

 鎮守府のバルコニーへ差す夕日は眩しく、水平線はぼやけて、とても勝利を刻めそうにはない。

 

「私達、どうなっちゃうのかなあ」

 

 欄干に頬杖をついて海を眺めていた酒匂が呟いた。それが軍艦だった頃の姿と重なって、心臓が締め付けられる。そう言えば、私がこの二人に目を掛けていたのは、同じ作戦(クロスロード)で沈んだからだ。長門はこれからのことに思いを馳せる。

 

 自分達が所属していた鎮守府は壊滅した。提督が使用した薬物の類は、海軍内でも使用を忌避される代物であったことから、何をどうしようとあの男の破滅は避けられなかったという。

 

────艦娘を意のままに操ろうとしても破綻すると、大本営の研究室が匙を投げたのでありますから。ついでに、他の士気が下がるのですよ。

 

 薬漬けにされた艦娘はどうなるのか、そう聞くと分からないと白い軍服の少年は答えた。薬物投与(ドーピング)と一口に言っても使われるクスリは様々。すぐに抜けるものもあれば、一生治らず已む無く解体処分される艦娘も居る。詳しいことは調べてからでしょうな、と秋津は言っていた。

 

 長門達に残された選択肢は二つ。一つは解体処分を受けること。だが、この選択だけは絶対にない。諦めたくはないから抗ったのだ。全て忘れてはいサヨナラとはいかない。

 もう一つは、何処か別の鎮守府へ異動することだ。こちらの方が明らかに現実的な選択であった。もしかしたら三人はバラバラになってしまうかもしれないが、艦娘としての本分は真っ当できるだろう。

 

 しかし、それも今は気乗りしなかった。プリンツや酒匂はどうだか分からないが、長門にはもう、提督というものに勝利を捧げるつもりにはなれなかった。

 

 ハ、と笑いが漏れる。自分はすっかり艦娘というものに幻滅してしまったらしい。たとえ深海棲艦をこの手で討ち滅ぼそうと、満足な喜びはもう得られないのだろう。死ぬことも出来ず、戦うことも虚しさが勝ってしまう。

 

「三人揃ってこんな所に居たのでありますか」

 

 若干疲れた顔の秋津が声を掛けた。少人数の組織では実行部隊ですら後処理を手伝わされる。今回特に暴れ過ぎたようで、中佐と秋津の二人が説教を受けている姿も見ていた。

 

「この鎮守府は、どうなるんだ」

「提督は更迭の後に軍法会議。後続の提督もしばらくすれば着任するでしょう」

 

 要所で無くて幸いでしたな、と秋津は言う。それは同時に不幸でもあった。深海棲艦の攻勢が薄いからこそ、落ち着いた対応が出来る。しかし、深海棲艦が少なく、戦果を上げにくいからこそ提督は凶行に走ったのだとも言える。

 

「皆は」

「クスリは抜くでしょうが、正直、解体した方が早いかもしれませんな」

「……そうか」

「約三十名の役立たずを置いておく奇特な鎮守府などありませんからなあ」

 

 長門は悲しげに目を伏せた。分かってはいても、納得できる話ではない。出来ることなら自分達で皆を引き取りたいが、そんな余裕がないことも分かっている。

 貴方達はどうするので。問いに対してプリンツは首を横に振り、酒匂は長門を見た。長門も目を瞑る。

 

「どうしたものかな。どうも深海棲艦と戦う気勢は削がれてしまったよ」

 

 言外に新しい鎮守府への着任を拒否する。

 

 それならば、と秋津が言った。

 

「取引をしませんか」

「取引だと?」

 

 長門が怪訝な顔をする。お互い取引出来るカードなど持ち合わせてはいない。

 

「ええ、憲兵隊も人手不足でありまして。特に艦娘なんかは殆ど居ないと言っても良いくらいであります」

「つまり、どういうことだ」

「ウチに来ないか、ということでありますよ」

 

 秋津が提示してきた条件は、長門が憲兵隊に配置転換する代わりに、他の艦娘を保護するというものであった。保護とは言うものの、先程自分で言ったように役立たずを大量に抱え込むということである。貴官にはそれだけの価値がある。そう言われて悪い気はしない。だが、良い気になったからといっておいそれと承諾するわけではない。

 

「捨て駒はゴメンだ」

「それは貴官の働き次第であります」

 

 甘い言葉で誘いはしない。ここで「そんなことはない」と言おうものなら即座に断るつもりだった。

 あの提督のようなものを罰することができる。自分達のような者を救うことができる。仲間を守ることができる。悪い話ではない。どうせ行くあても無いのだ。蜘蛛の糸にもう少しぶら下がっても良いかもしれない。

 

「こいつらは」

 

 長門が親指で二人を指差す。

 

「艦娘は幾ら居ても困ることはないでありますよ」

「そうか」

 

 長門はプリンツと酒匂に視線を向ける。言葉は無くとも、二人は頷いた。進むも退くも三人で一緒と心に決めていた。長門は思う。この三人ならばきっと大丈夫だと。

 

「それならば、応じることとしよう」

「良い契約が出来たものだと思いますよ」

 

 長門と秋津は固く握手を組みかわした。

 

 

 

 

 

 

「それが、秋津隊発足秘話なんですね!」

 

 食い入るように話を聞いていた少年が楽しそうに叫んだ。今まで他の誰かに話すことも無かったからか、話し終えた長門も、傍で聞いていたプリンツも懐かしげな顔をしている。

 

「今から三年前の話だな」

「意外と最近なんですね」

「まあそうだな。だから遠藤、お前も秋津隊では古株になるかもしれんぞ?」

「おおお! 俺大先輩っすか」

 

 一人で盛り上がる、遠藤と呼ばれた少年。見た目は秋津とそう変わらない歳に見える。つまり、本当ならば憲兵隊としてこの場所に居ること事態がおかしいような年齢だ。だが、彼は確かに丈の合わない白い軍服を着ている。目を爛々と輝かせながら。

 

「ところが、この話にはオチが有ってな」

 

 長門が一度は終わった話を続けた。はしゃいでいた遠藤の動きが止まり、何ですか、と尋ねる。

 

「私の前の仲間達の面倒見てくれると言っただろう」

「そうですね」

「実は、副作用の軽いクスリで一年もしない間に全員復活していったんだ」

「え」

 

 今はかつて鎮守府があった場所で後任の提督と仲良くやっているらしい。噂に聞くものでも、陸奥から聞いた世間話でも特に問題はなさそうだ。すっかり元気を取り戻したことは素直に嬉しいが、二度と戻らないかもしれないと腹を括っていた身としては若干肩透かしにあった気分だった。

 

「それって、隊長知ってたんですか」

「知ってたんだよ」

 

 さらに、活動していない艦娘ならば資源の消費は物凄く軽くなるんだ。思い切り騙されたよ。そう言いながらも長門は楽しそうだ。今の生活に満足しているということの裏返しだろう。

 

 それに秋津は脅しただけで嘘を吐いたわけではない。

 確かに働かない艦娘にかかる燃料は普段の五分の一程度にまで減少するが、それでもおおよそ六人分。一年の間、六人ものタダ飯食らいを置いておける鎮守府がほとんど無いのもまた事実であったからだ。

 

 最後まで話を聞くと、遠藤はうわあ、と感嘆とも幻滅とも取れるような声を上げた。

 

「あの煙に巻いたやり方は昔からなんですね」

「昔と言ってもたかだか三年前だ。もっと昔からやってるだろうがな」

「俺に取っちゃ三年は昔ですぅ」

「おっと喧嘩を売るつもりか? 艦娘に時間の話をしても無駄だぞ」

 

 だが腹が立つ。

 ギャー。

 

 生意気な小僧を捕まえて、こめかみをゴリゴリといじめてやると遠藤はすぐさま悲鳴を上げる。遠藤は必死に逃げようとするが長門側についたプリンツがそれを許さない。

 

「ぴゃー! 何やってるの楽しそう」

 

 仕事から戻ってきた酒匂も混ざって全員で遠藤をイジり倒す。立ち寄った秋津が何をやっているのでありますか、と止めに入った頃には遠藤はぜえぜえと肩で息をしているような状態だった。

 

「生意気言う新入りには礼儀を教え込まなければならないと思った」

「遊んでいたわけでありましょう……まあいい。長門。出動であります」

「あいわかった」

 

 秋津の命令に従った長門は立ち上がる。

 

 秋津隊と呼ばれ、後に憲兵隊の中でももっとも武闘派で危険だと恐れられた部隊の原型は、こうも和やかなものだった。



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Who killed the Bride?

今回だいぶ変な書き方してます。実験作というか、例外というか。
まあ、こういうこともあるよ、とそんな感じで


【被聴取者 軽巡洋艦 天龍型一番艦 天龍 練度63】

 

 ああ、まあ。昔から変な奴だな、とは思ってたよ。なんて言うのかさ、ギラついたって奴?

 

────ギラついた?

 

 そう、欲まみれって言い方してもいいかもな。絶対になんかやってやるぞ、って気合が入ってるというか。

 そのくせに戦闘の時にはむしろ大人しいんだ。臆病って言った方が近いんじゃねえかな。

 

 例えば俺達が出撃して、敵艦隊に出会ったときの話なんだけど、敵に戦艦が居ると見るや「すぐに逃げましょう」だの「せめて複縱陣にしましょう」だのうるせえんだ。だから俺はそん時「艦娘ならシャキッとしろ」って……

 

────そういうお話は別に要らないので続きを

 

 なんだよこれからが面白いってのに。まあいいや。とにかくあいつは臆病者だった。だから提督も気に入ったんだろうな。

 何にギラついてたのかって、つまりはそういうことなんだろうな。そりゃ、俺達にはそんな自由は無いけどよ。まさかそこまでするのか、って正直思ったね。

 

────仲間が沈んだというのに、随分淡白なことで

 

 仕方が無いだろ。死んで死なれては俺達にとっちゃ日常茶飯事だ。今は多少珍しくなったって、昔からの記憶はそう簡単に無くなりゃしねえよ。アンタには分からないのかもしれないけどな。

 

 だから悲しいって感覚も、無いわけじゃあ無いが、支障をきたすほどじゃねえな。フフ、怖いか?

 

────いえ、別に

 

 なんだよ、ノリわりいな。とにかく、そういうこった。俺達はあいつが死んだこととは無関係に戦うんだ。分かるだろ?

 

 

【被聴取者 航空戦艦 扶桑型二番艦 山城 練度87】

 

 よりにもよって私が選ばれるのね。不幸だわ。

 

────彼女が死んだことが?

 

 それもあるけれど……あの子が死んだのは、貴方達にとっては分からないのかもしれないけれど、私達にとっては普通のことだもの。それが理解されないのは何よりも不幸だわ。

 

────なんとなく分かるような気はします。

 

 どうかしらね?

 

 あの子は、自分のやりたいことをやっただけよ。艦娘であれば誰もが一度は思い描く。だけど実行には移さない。そんな願いをあの子は叶えたのよ。むしろ尊敬するべきなのかもしれないわ。

 

────それが自殺のようなものだとしても?

 

 分かってないわ、貴方。あの子は本懐を果たしたのよ。満足こそしても、悲しむことは何も無いわ。残された私達には思うところあってもね。

 

 やっぱり不幸だわ。あの美しい死に様が理解されないなんて。もしかしたら、深海棲艦と戦って沈むよりもずっと高潔かもしれないのに。

 

 

【被聴取者 正規空母 翔鶴型二番艦 瑞鶴 練度80】

 

 最低よ、あいつは。皆の前では、提督の前では言うべきでないけど。私はあいつを、あいつの死に方を絶対に許しはしない。

 

────高潔だと言う声もありますが?

 

 本人は満足よ。これ以上ないくらい幸せでしょ。誰だって好きなことして死ねるなら選んでもおかしかないわ。だけどね、私は嫌、理解したくない。理解できるから、訳分かんないって言いたくなるのよ。

 

 だけど、残された私達はどうなるの?

 

 軍艦だから轟沈は当たり前よ。今日一緒に笑ってた相手が明日は首無しになってる。そんなのは見飽きたわ。慣れっこよ。

 

 けど、あいつの場合は違うでしょ。同じに比べちゃならないでしょ。

 

 私達は諦めだってつくわよ。艦娘だもの。私が言いたいのは、ここに居るのは軍艦だけじゃないってことよ。

 

────もしかして、提督?

 

 そうよ!

 

 提督は今を生きる人間よ。昔はともかく、この鎮守府では轟沈者を出したことが無い。幾ら臆病者って言われたって、提督は誇りに思ってた。私だってそうよ。だって逃げてるわけじゃないもの。引き際を見極めて、堅実に、絶対に損をしないような提督の采配は、私にとっても誇りだったわ。

 

 だけどあいつはそれすら踏み躙った。ここのことなんて軒並み調べたんでしょ。だったら知ってる筈よ。あいつも気づかない筈がないのよ。分かっててやったのよあいつは!

 

────落ち着いてください

 

 ごめんなさいね。少し感情的になったわ。

 

 提督には話を聞いたの?

 

────いえ、まだですが

 

 だったら、せめてあの人の傷を抉るようなことはしないで。誰よりも傷ついて、誰よりも治りが遅いのは絶対にあの人だから。

 

 もし、アンタが提督を傷つけるようなことがあれば、私はアンタを殺す。

 

────肝に銘じておきましょう

 

 

【被聴取者 古賀友次提督 階級大佐 31歳】

 

 俺だ。俺が秋月を殺したんだ。アンタだってそう思うんだろう?

 

 俺がずっとあいつを苦しめていたんだって。俺が死に追いやったんだって。なあ!?

 

────原因は、貴官のせいではありません

 

 ああ、アンタは優しいんだな。それとも瑞鶴辺りに釘でも刺されたか。あいつはいつも俺のことを見透かしたように。

 

────大切、なので

 

 そうだよ! そんなことは分かってるよ!

 

 俺一人がうじうじしていた所で秋月はもう帰ってこないし、他の皆にも迷惑をかけるだけだって。

 

 でもよ、なんであいつは。なんで……

 

 ほら、見てくれよ憲兵サン。これさ、ケッコン指輪だよ。秋月にさ、ちょっと前にしたばかりだったんだ。あいつは泣いて喜んでくれてさ。皆で間宮のアイスでお祝いして。これからもっと楽しくなると思ったのに。死ぬまで一緒だって思ったのに。

 

 あんたに話したって何にもならないし、困るよな。分かってるよ。暇だって思ってんだろ。こんな軟弱者の弱音聞いてたって何も面白くないもんな。

 

 優しい人だよ。俺がこんなことばっか言ってるのに、黙って聞いてくれているだけで、本当に。

 

 う……うぅ……

 

────日を改めましょう

 

 そうしてくれると助かる。いや、いつになったって変わらないかもしれないけどな。皆はどんな反応だった悲しんでたか?

 

 あいつらのことだからケロッとしてたか?

 

────他人との記録は守秘義務があるので

 

 そうか、そうだよな。悪い忘れてくれ。

 

 ついでにそろそろ出てってくれ。一人になりたいんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いけないことだとは分かっていました。自分がどうなるのかも、話に聞いただけですが、知っていました。何度も何度もしつこく、注意されたのですから、しっかりと頭には残っています。

 

 注意が霞んでしまうほど、苦しいのです。卑しい人だと笑ってください。どうしても抑えきれないのです。

 

 司令は悲しむのでしょう。薬指を見るとそう思いました。臆病者の私を愛してくださいました。とても幸せでした。あの涙は嬉し涙だったんです。本当です。提督に愛されることが、軍艦として功を褒められることより嬉しかったんです。一人の女性として見てくれたような気がしていました。

 

 やめてしまおうか、誰かが言いました。誰も喜ばないと分かっていました。

 

 だけど、私は駄目でした。軍艦として失格です。反逆行為です。天龍さんや山城さんは分かってくれるでしょうか。瑞鶴さんはきっと凄く怒って、それから悲しんでくれる筈です。

 

 私は、自ら命を絶とうとしています。後悔はたくさんあります。これでいいのか、なんて問い掛ける声もあります。きっと私は間違っています。間違っていることが私は嬉しいのです。

 

 こんなことをするのは私くらいしか居ないだろうと。昔なら分かりませんが、今は私くらいに馬鹿じゃないときっとできません。

 

 さようなら、あなた。悲しまないでください。私はこんなにも安らかなのですから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 報告書を眺める少年が一人。白い軍服にゴールデンバットを咥え、ため息混じりに煙を吐く。

 

「ありふれた、事故であります」

 

 そう、本当にありふれた悲劇だ。どこでだって起こり得る話で、実際に何度も同じような結末を見た。昔は本当に腐るほど。それでも、最近になってから減ったように思ったのに。

 

 慣れるような事は無かった。むしろ、絆が深まるにつれ、苦しみは倍増していった。

 

「大馬鹿者であります」

 

 少年は書類を机の上に投げ散らかした。

 

 ランプに灯された一枚のページには、駆逐艦秋月の利発そうな顔と、その横に()()()()()()()()()()と書かれていた。



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帰ろう、帰ればまた来られるから/1

かなり昔の話


「さあ作れ作れ。産めよ増やせよ艦娘は宝」

 

 薄暗いで、若い男が大仰な口調で喋っている。白い軍服を身にまとい、高価そうな机に足を上げて、壊れた蓄音機のようにもう一度叫んでみせる。

 向かいに座ってそれを聞いているのは、巫女、と呼ぶには些か異様な格好をした少女。例えるなら、日本の文化を勘違いしながら学びに来た異人か、見た目のきらびやかさばかりに目を向ける服飾デザイナーが作り上げるような、滑稽とまで言える変哲な袴衣装。

 

 少女は顔色一つ変えないまま、黙っている。呆れて声が出ないということではなさそうだ。聞かれるのを待っている、それも期待しているのではなく、ただただ機械的に男の次の言葉を待っている。男もそれを分かっているから、次の台詞を中々言わないでいるのだ。万が一にも彼女が何か返事をすることを期待して。

 

 はあ、と男は残念そうに首を振った。

 

「馬鹿らしいとは思わんかね」

「私達は兵器。意見を求められても困るネー」

「やれやれ、金剛はまたそれか。君達は考える脳があるのだからもう少し思索に耽ることを覚えた方が良い」

 

 もっとも、石頭の組織の中に居ればそうもなってしまうものか。男はグラスに注がれたブランデーをぐいと飲み干した。喉が焼ける感覚を目を閉じて余すことなく感じながら、金剛への興味をなくして部屋の扉を見る。近付いてくる足音。

 ノックの音がした。

 

「私のことを気にする必要など無いだろうに」

 

 扉の向こうへと乾いた笑いを投げかける。聞こえている筈だというのに、返事は無い。扉が開かれることもなく、足音の主は男の言葉を待ち続けている。

 

 男は机に乗せていた足を下ろした。金剛は椅子の部屋の隅へと移動させ、自身も邪魔にならない所へ移動する。

 

「仕方が無いな。入り給え」

 

 ドアノブが捻られる音がする。入ってきたのは、まだ年端もいかぬ少年に見えた。淀んだ目付きが彼がひとかどの軍人であることを証明していたが、それを差し引いても不釣り合いに思える。

 

「君が案内してくれるのかね」

「私はただの護衛であります。山口少佐で宜しいですね」

 

 少年の確認に男は頷いた。

 

「ああ。しかし、大本営も回りくどいことをする。私に出向を命じればそれで終わるというのに」

「そうもいかない、ということなのでしょうな」

「ふむ。まあ私としてはどうだって構わないさ。お偉方の前で私の主張をするだけだ」

 

 山口は立ち上がる。秘書艦の金剛へ、彼が居ない間の指揮を書類にまとめて受け渡すと、少年に従って部屋を出て行く。

 

 見慣れた廊下を歩きながら、山口は先導して歩く少年に話しかけた。

 

「君は、私がどうしてこんな扱いを受けているのか知っているかね」

「さあ。私の仕事は貴官を守ることだけでありますので」

「それはそれはつまらない仕事人間だ。まるで命令を実行する機械みたいじゃないか」

「そう思って頂いて結構」

 

 会話には意外と応じてくれるが、踏み込んで心を開いてはくれない。山口にとっては話していて一番つまらないタイプだ。どうしてこんな少年を遣いに寄越したのか。大本営のセンスを疑うな、と心の中で呟く。ストップ安の信頼がさらに下がりそうとすら思えた。

 だけどまあ、彼自身の性格はともかく、彼という存在については山口の興味をそそる。一目見ただけで分かる。この大手柄は大本営ではなく、もっと面白くも厄介な男の仕業だろう。

 

「全く、君のような()()()が迎えに来るとはね」

 

 少年の足の動きが一瞬だけ止まった。すぐに何事もなかったかのように歩き出すが、その姿は何処かぎこちない。ふわふわと宙に舞うバルーンが、今にも割れそうに風に揺られている。不安定で崩れそうな足場を進んでいるみたいだ。

 

 少年は何も言わない、山口は明らかに気分を害する、侮蔑としか取れぬ言葉を使ったというのに、振り返ることさえしない。それがむしろ機械より人間に近い動きに彼には思えた。

 

 建物を出ると、迎えの黒いセダンが待ち構えていた。少年が扉を開けて山口に入るよう促す。彼も従って、後部座席に二人が並ぶと、運転手がアクセルを踏んだ。律儀にシートベルトを締める。暇を潰すのに使えそうなものは見当たらず、運転手は隣の少年よりもとっつきにくそうだ。

 

「こうやって自動車に乗るのは久しぶりだ。気分が悪くなってしまったらどうしようか」

「紙袋なら目の前にありますでしょう」

「ほう、確かにそうだ。気が利くものだね。これで話し相手が居てくれるのなら文句無しなのだが」

 

 少年からの返事は無い。世間話に興じるつもりは無いのだ、と無言のまま圧力をかけてくる。聞かれればつい答えてしまうのは、本人の性なのだろう。

 逆に、世間話でないのであればもしかしたらまともに答えてくれるかもしれないと思い付く。山口は重ねて少年に問い掛けた。

 

「そうそう、私はここ数日の戦況には少し疎いのだが、何か目覚ましい活躍はあったのかい」

 

 少年は訝しげに山口を睨みつけた。話すべきか、無視するべきか逡巡し、静かに語り出す。

 

「昨日の報告では、大和が一隻、武蔵が二隻、長門、陸奥、扶桑、日向がそれぞれ三隻。空母では赤城、加賀が」

「ああいや、そこまで詳しくなくても良い。沈めて沈んで、つまりはいつも通りだということだろう」

 

 少年が呪文のように唱え上げたのは、昨日一日の出撃で沈んだ艦娘の数だ。一週間や一ヶ月の単位ではない。たった一日、主力となる戦艦の被害だけでこれ程になってしまっている。空母から巡洋艦、駆逐艦まで含めればどれだけの損失になっていることだろうか。

 

「南西諸島においても進歩は無かったと見える」

「……現在、戦況は膠着状態でありますな」

 

 少年の言葉は、必死に安心材料を探し求めた結果だった。つまり、前述の被害を出しておきながら、仔細変わりなし、ということである。建造されたばかりの艦娘を逐次投入しては、いたずらに戦力を消耗しているだけだ。

 

「艦娘が出て来たときにはこれで戦争は終わりに向かうと言われていたのに、とんだ体たらくを晒しているものだよ」

 

 これは自分の心の中に向かって呟いた言葉だった。

 

 赤信号で乗っているセダンがブレーキをかける。軽い振動が山口の体を通り抜けていった。大本営まではそこまで遠くない。これ以上信号に捕まらなければ、あと十分と経たずに辿り着くだろう。

 

 ごくり、と喉を鳴らした。緊張から来るものだったのか、それとも高揚していたからなのか山口本人にも判別がつかない。

 

「何処で、知っていたのでありますか」

 

 か細い声で、運転手に届かないよう聞いてきたのは、ずっと剣呑な態度を取っていた少年だった。はて、なんの事だっただろうか。山口が首を捻ると、少年はもっと強い語気で何故、と言い直した。ようやく、山口も彼の言葉の先に思い至る。

 

「別に、親しいところにいれば噂くらいは幾らでも手に入るものさ。それに、彼とは浅からぬ因縁があってね。いつ如何なる時でも手を抜いたことは無い」

「そうで、ありますか」

 

 それからは無言が続いた。窓ガラス越しに見える街の風景は、ターミナルの患者が横になって死を待っているような、淀んだ空気に晒され続けている。かつては活気があった街並みは、救いの無い現実で摩耗してしまっていた。

 

 ブレーキが掛かる。馬鹿の一つ覚えのように巨大な建物が目に入った。もう目的地に着いたのか、山口はシートベルトを外す。

 

「では、私はここまでであります」

「おや、最後まで来てくれるものだと思っていたが」

「生憎、忙しい身の上でありますゆえ」

 

 敬礼をして、少年は山口とは反対の道を行く。山口も自分の向かうべき場所へ歩を進めようとした時、少年が何か言ったのが聞こえた。

 

「私は貴官の考え、嫌いではないでありますよ」

 

 一度振り返る。少年は既に遠く離れていた。

 

 口元が緩んでいる。

 

「皆がそう思ってくれれば重畳だがね」

 

 そして、山口もまた歩きだした。



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帰ろう、帰ればまた来られるから/2

「私は君達を沈めるつもりがないのだ」

 

 我らが提督は、着任したその日にこう言った。いつもと同じような、嘘か真か分からなくなるような気味の悪い笑顔だった。

 

 金剛は敬愛する提督から手渡された指示書の内容を目で追いながら、記憶の中にある鮮やかな世界を思い出す。

 

 艦娘とは兵器だ。偶然、人の形をしているだけで、その本質は今なお海を行く大船や、人を殺すピストルと変わらない。死ぬまで戦い、死んでなお戦う。産声を上げたその日に墓を建てられる運命。

 それゆえに、提督の言葉は新鮮で、異常で、侮蔑的だった。実際、彼に刃を突き立てようとした艦娘も居た。戦うことが、沈むことが役目の艦娘に、沈めるつもりがないとは何事だ。私達の存在意義を否定するつもりか。

 

 金剛もその艦娘に同調するつもりだった。見た目は人間の少女かもしれないが、そんな同情で自分の生き様を否定される訳にはいかない。提督殺しは大罪だろうが構わなかった。

 

 喉元に刃が触れている中、提督は変わらぬ様子で、調子外れに思えることを言い出した。

 

「君達は、人工知能を知っているかね」

 

 何の話だ、と誰かが聞いた。今にして思えば迂闊な言葉だったと思う。饒舌過ぎるあの口車を自由にさせてしまったのだから。

 

「人工知能。人のように学ぶ機械だ。例えば、将棋や碁、チェス。初めはバグだらけでまともに指すことも困難だったソレが今においては既に人を超えるとも言われている。何故、人間が作り出したものが人間より優れているのだろう」

「訳の分からんご高説で煙に巻く前に、撤回した方が良いんじゃねえか」

「撤回をするつもりは無いが、誤解は解いておかなければならないと思ってね」

 

 刃が薄皮を切った。押し当てられて、血が滲んでいく。提督は痛みに顔を歪めた。死に対する恐怖も見える。声は震えていた。しかし、言を食むつもりは毛頭ないようだった。

 提督の命を握っていた艦娘が刃を離した。脅したところで効果が無いと悟ったのか、提督の言葉に興味を持ったのか、そのときは定かではないが、結果としては正しかったのだろう。

 

「私は君達を人工知能になぞらえている。何せ人と同じ知性があるのだから。一度の失敗に二度目は無い。二度目の失敗に三度目は無い。分かるかね。私は君達に強くなってほしいのだ」

 

 それは、今までの海軍には確実に存在しない思考であった。

 

「今は作っては最前線に送り出し、沈むまで酷使している。だがね、物量という意味で考えれば、資源の限られている我々人間と、底の見えない深海棲艦では勝負は既についているようなものだ。艦娘は兵器だと言えど、言葉も喋れぬ白痴ではない。量で勝てぬのなら質を上げるしか無い訳だ」

 

 だから、沈めない。提督はもう一度はっきりとそう言った。

 

「君達は経験によって成長する。成長することによって兵器としてさらに上の段階へと進むだろう。その為には志半ばで沈んでもらっては困る。見苦しく生き伸びてこそ、次が活きる。それでもまだ、私の方針は間違っていると言うかい?」

 

 ふざけるな、と切って捨てるのは簡単だった。詭弁だ、と一笑に付すことも難しくなかった。しかし、上の段階へと進むという彼の言葉に惹かれた。

 

 結論としてこの三ヶ月間、周りが細胞の周期のように移り変わっていく中、この鎮守府だけは誰一人として沈むことが無かった。強くなったのか、は分からない。その代わりに一つだけ分かることは、きっと提督ですら予想していなかった一つの感情。

 

「提督を更迭なんて絶対させないネー」

 

 自分達の主への敬愛。たとえ身を賭してでも提督を守ろうとする気概が、金剛や、着任当初から共に戦ってきた仲間達には芽生えていた。

 

 提督は艦娘を沈めないよう早い段階で常に撤退させていた。それが敗戦行為として大本営に目を付けられたのだ。艦娘の動向は拒否された為に、彼を側で守ることはできなかった。きっと監査においても彼は同様の主張を繰り返すのだろう。

 

「加賀、準備はOKデスか?」

「ええ、合図さえあれば、いつでも爆撃は出来るわ。天龍と龍田も準備しているし、川内も忍び込んでる。助け出すのも問題は無い」

「もう大本営に恩も何も無いからネー」

 

 提督が何か不利益を被るようなことがあれば、全戦力を持って奪回する。敬愛というよりもはや狂信と呼ぶべき感情が彼女達を突き動かす。それこそ、世界を敵に回しても構わないと思う程の強い信頼が。

 

「後は、待つだけ」

「何事も無ければ、それで良いのだけれど」

 

 彼女達はそれでも待つだけだ。命令ではなく、彼の助けを乞う声を。きっと向こう側でも自分を貫いているだろうと信じながら。

 

 

 

 

 

 

「戦わせてみれば良い」

 

 山口の言葉にニヤニヤと悪質な笑みを浮かべていた男達の顔色が変わる。いったい如何なる命乞いをするものかと楽しみにしていたというのに、この生意気で夢見がちな男は未だ覚めない夢の中を揺蕩っているのだろうか。

 

「今、何と言ったのだ」

「戦わせてみれば良いと申し上げたのです」

 

 その中心、一人だけずっと神妙な表情を続けていた翁が躊躇うことなく言葉を発した。

 

「それは君の主張を実証する為かね」

「ええ、そうです。元帥閣下」

 

 山口の階級は少佐だ。そして彼を取り囲んでいる男達は元帥を筆頭に全員が将官以上。若輩の毛虫が何を言っているのかと表情を歪ませる。

 

「私はけして戦いから逃げようとしているのではありません。経験を積むことで艦娘が強くなる。それが証明されるならば、敗戦を望むのは私ではなく、むしろ私を糾弾する方々ということになりはしないでしょうか」

 

 どよめきが起こる。軟弱者だと馬鹿にしていた男が、逆にこちらを糾弾し始めたのだ。それも、まだ若く階級も低い。プライドを傷つけられた者も多かっただろう。更迭どころか、首を刎ねても良いくらいの不遜な態度。

 

 翁がカカカと笑った。

 

「それに命を捧げるつもりはあるかね」

「もちろんですとも」

「大層な自信だ」

 

 まさか、と誰かが言った。

 

「それなら一度だけチャンスをやろう。貴官の主義が正しいと言うのなら、結果で黙らせてくれたまえ」

「元帥! その必要はございません!」

 

 慌てて翁に食って掛かる男がいる。階級は中将。昨日の出撃で大和型と無駄死にさせた男だ。

 

「こやつはそれらしい言葉で逃げ果せようとしているだけのこと。口車に乗る必要はございません」

「ほう、では尚更、叩きのめす必要があるのではないのかね」

「は……?」

「山口少佐が()()()()を言っているのならば、現実を知らしめてやらねばなるまいな。彼のような愚か者が二度と現れないように」

 

 言葉の上では山口を軽蔑しているが、元帥が彼のことを気に入ったのは明白だった。

 

「伊能中将。采配は君に任せよう。詳しい日程は追って知らせる。今日は一度戻り給え」

「二、三日は覚悟していたのですが」

「あわよくば首を掻っ切ろうと考える艦娘のもとに他人はやれんよ」

 

 元帥の言葉に山口は眉を顰める。首を切る、とは何かの比喩だろうか。苦々しそうな上官の視線を一身に浴びながら、山口は敬礼して部屋を立ち去る。

 

「首の皮一枚繋がったでありますな」

 

 扉の横で、少年が彼を待っていた。こっそりと話を聞いていたのだろう。そして、山口に合わせて歩き出す。護衛は鎮守府に戻るまで続きそうだ。

 

「君が一枚噛んだのかね」

「まさか。私のような半端者には何もできませぬよ」

「そうか。今村元帥の御子息、その懐刀である君ならば何かしらの手を打っているやもと思ったのだがね」

「私は上からの指示に従うだけでありますから」

 

 扉を開く。行きにも使われたセダンがそのまま残っていた。運転手も同じ人物のようだ。

 

「それより、アレは仕込みだったのでありますかな」

「何のことかな?」

 

 少年はじっと山口を見た。しかし、山口には皆目検討もつかない。

 

「元帥の前での大言壮語でありますよ」

 

 少年は嘘を吐いた。山口が気が付いていないのだと分かったからだ。

 屋根裏に潜んでいた艦娘が、いつでも動けるように待機していたことに。

 

「なんだ、そんなことか」

 

 山口はいつものように大仰な口調で話しながらセダンで乗り込んでいく。少年は行きと同じように固い話には応じながら、空に浮かぶ飛行機のような姿をした物体が消えていくのを窓越しに眺めていた。



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帰ろう、帰ればまた来られるから/3

「クソッ……、クソックソックソォッ!」

 

 帰ってくるなり癇癪を起こして周りの調度品を蹴り飛ばす提督を、金剛はただ見ていることしかできなかった。

 

「何なんだあいつは、少佐のくせに! たまたま提督の椅子が転がり込んだだけの落ちこぼれのくせに!」

 

 柔らかそうなソファを何度も何度も踏みつける。穴が空いて中身が飛び出しているのに気付いた様子も無い。大本営に向かう前はもっと上機嫌だった筈だが、あちらで何かあったのだろうか。提督は自分の気に入らないことが起こるとすぐに周りへ当たり散らす。

 

 この場に自分以外の艦娘が居なくて良かったと、金剛は心から感謝した。今、この提督のもとで一度でも出撃しているのは自分だけだ。他に居るのは今日、昨日に建造されたばかりの新米。提督とは顔を合わせたことくらいしか無いだろう。そんな彼女達が無謀にも提督を諌めようとしたならば、結果は火を見るよりも明らかだ。殴り付けられて蹴り飛ばされ、最悪の場合には解体を命じられるかもしれない。こうなってしまった提督は人の話を聞かないのだ。嵐と思って過ぎ去るのを待つ他ない。

 

「金剛!」

「はい、提督」

 

 作り上げた礼儀正しい返事。着任当初、自分を隠さずに話しかけたら彼の拳の皮が剥けるまで殴りつけられた。人間の拳などたいした怪我にはなならないが、痛みは無くならない。何より、提督を怒らせたという事実が彼女を恐れさせた。だから矯正して、押し込めて、理想の兵器を演じ続ける。

 

「演習だ。演習をすることになった」

「了解しました。編成はどう致しましょう」

 

 間髪入れずに聞き返す。実際には驚いていた。演習なんてしたことが無い。今の鎮守府では行ったことのある方が稀であろう。どうせ沈むまで突き進ませるのだから、演習など燃料と弾幕の無駄だと誰もが考えていたから。

 

「お前を旗艦にして大和、武蔵、伊勢、蒼龍、飛龍で行く」

「はっ」

 

 今回の彼女達はいったいどんな性格だっただろうか。同じ方から作られるゆえに見た目こそ似ているが、性格はよくよく観察すると微妙な違いがある。全員の実力を引き出す采配は難しいだろう。そう進言することも諦めていた。

 

「あの生意気なガキ。絶対にぶち殺してやる。完膚なきまでに叩き潰すんだ!」

「提督の命令とあらば」

 

 駄々をこねる子供のように怒り散らす壮年の男の後ろ姿を見て、なんとなく、負けるのだろうな、と金剛は何処かで思っていた。

 

 

 

 

 

 

「演習をすることになった」

「存じております」

 

 はて、と山口は思う。演習の話は今初めてした筈なのだが、何故加賀は知っているのだろうか。

 きっと、あの失敗作が告げ口でもしたのだろうと考えることを後回しにして、山口は言葉を続けた。

 

「それならば分かっていると思うが。今回の演習は見世物であり、真剣勝負である。私の主義が正しいものなのか、それとも間違ったものであるのか。それを決めるのは君達自身だ。事実として、采配においても君達は私に優っていることだろう。詳細は任せる。私が求めるのは唯一、圧倒的な勝利だ」

「我ら第一艦隊。拝命したネー。提督は大船に乗ったつもりで待っていると良いデース」

「それは中々、頼もしい言葉だ。私は少し休もう。日取りに関しては大本営から後々送られてくるだろうから、それを参考にしてくれ」

 

 あれだけの大御所達の前で話すのは流石に堪えたようで、山口は少しふらつきながら彼の私室へと消えていく。執務室に残されたのは金剛と加賀。タイミングを見計らって第一艦隊最後の一人、扶桑が入ってくる。

 

「ある意味で、負けられない戦いは今回が初めて。気合入れて行きますヨー」

「しかし、相手の編成が分からないと作戦を立てるのも難しいですね」

「そこら辺は問題はナッシングね。扶桑!」

「はい」

 

 名前を呼ばれた扶桑が取り出したのは何枚かの写真と、この鎮守府とは異なる建造記録。こうなることが分かってから慌ててかき集めた資料だ。

 

「中将の艦隊だけあって大物ばかりですが、出撃未経験の艦ばかりなのでそこまで気にする必要はないでしょう」

 

 普段は山口が使っている執務机の上に広げると、金剛達もそれを輪になって眺める。大和や武蔵などビッグネームがこれでもかという程に並んでいる。対するこちら側では、戦艦は金剛と扶桑の二人だけ。正規空母は加賀一人だけ。カタログスペックだけではどうしても見劣りするのだが、金剛達には慢心とはまた異なった自信があった。戦場を知らない艦娘に負ける程、()()な鍛え方はしていない。

 

「ただ、一つ心配なのが」

「この(金剛)デスネー」

 

 金剛は資料の一箇所を指差す。唯一、三回もの出撃を経験している高速戦艦。イレギュラーである彼女達を除けば、海軍が保有する全ての艦娘で最も経験豊富な艦娘だろう。非効率的な出撃環境の中で生き残っている。それは彼女自身が並々ならぬ実力の持ち主であること。そして尋常ではない幸運の持ち主だということ。彼女においてのみ、自分達と同格であると考えた方が良い。

 

「この娘が居なければ、経験の少ない重巡を中心にして叩きのめす策もあったのだけれど」

 

 戦艦と重巡では根本的なパワーが違う。加賀の言葉はつまり、わざとらしくハンデを背負って勝つことで有用性を高めようというものだ。

 

「負ける可能性がある以上、その作戦はバイバイデース」

 

 チャンスは一度だけ。ただでさえハイリスクが過ぎるというのに、敵方の金剛という危険因子が存在する。全戦力を使い果たすつもりで、絶対に勝ちに行かなければならない。

 

「凝った編成は好まない方のようですし、負けるとは微塵も思ってないでしょう。戦艦と正規空母で固めてくると思います」

「少なくとも二人は正規空母を入れてくるでしょうね」

「赤城、加賀は居ないネ。翔鶴も居ないし。ってことは飛龍と蒼龍カナー?」

「大和と武蔵は必ず入ってくると考えて、それから旗艦であろう金剛さんも含めると、これで五人ですね」

 

 金剛、大和、武蔵、飛龍、蒼龍。最後の一人は戦艦か、正規空母か、それともまた別の艦種から引っ張ってくるのだろうか。

 改めて建造記録を見直す。資材の項を見ると、明らかに戦艦ばかりを気にした建造の仕方だ。先ず間違いなく相手の提督は大艦巨砲主義を引きずっているのだろうと推測できる。

 

「加賀。航空戦、どこまでなら持ちこたえられルー?」

「二航戦、五航戦の娘と一緒にしないで。と言いたいところだけれど、三人目が来たら少し厳しいかもしれない」

「飛鷹を編成に加えますか?」

「でも飛鷹はまだ三回しか戦場に出てないからネー」

 

 たった三回。つい先程、相手の金剛が三回出撃経験を持っているという話を危険に感じたばかりなのに、今度は味方の出撃回数を少ないと断じた。

 金剛達は回数で言えばもはや五十や六十に届こうかというところだ。しかし、自分達の出撃と、毎日の死ぬつもりで生きている艦娘達の出撃は天秤で釣り合わないことも分かっている。相手方の出撃はこちらの十回分に相当すると考えて困ることは無い。

 

「うーん、変に考えてドツボにはまるよりは、開き直ってフルパワーの方が良い気がするネー」

「空母よりも戦艦を入れてくる確率の方が高いでしょうし、そっちの方が良いわね。たとえ三人相手でも均衡までは持っていってみせるわ」

「戦艦三人だったら砲撃戦で巻き返せますから、私も賛成です」

 

 編成は決まった。後で戻ってくる天竜と龍田、川内にも伝えて、それから本格的な作戦会議だ。

 

「日程が決まってないとのことでしたが、それまでに相手が経験を積んでくる可能性もありますね」

「ンー、可能性としてはちょっと低いデース」

「そんなことを考えられるのなら、そもそもあんな無駄なことはしないわ」

 

 艦娘は兵器だ。ラジオのように喋ることはあっても成長することは無い。それが大本営の基本方針であるし、対戦相手である伊能中将は典型的な()()()()だ。資源の無駄であると一蹴して終わりだろう。

 

 資料を一纏めにして金剛が笑う。

 

「寝ぼけた大本営に、目にもの見せてやりまショー」



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帰ろう、帰ればまた来られるから/4

「それで、大尉殿はどうしたのでありますかな?」

 

 皆が見世物(演習)を一目見る為に向かう中、少年は一人の若い男と向き合っていた。白い軍服、白い肌。不健康な顔色とは裏腹に自信に満ちた表情。

 相対していた男が紙の束を投げ渡す。宙を舞い、バラバラに落ちようとしていた一枚一枚を、少年は眉一つ動かさずに空中で全て回収した。

 

「せっかくだからどんな人間なのだろうと伊能中将を調べていたらね。こんなものが出てきた」

「これは……そういう者も出るだろうとは思っていましたが、先駆けという奴ですか」

「まあ、兵器以外の使い道を模索していたことは確かだろうね」

「いつもいつも、大尉殿は何処から情報を仕入れてくるのでありますか」

「それは君が相手でも企業秘密という奴だ」

 

 与えられたソレは、()()()()()だ。売り物が何なのかは言うまでもない。しかし、伊能中将がどうして演習さえも嫌がったのかはよく分かった。使い捨ての兵器で無くなると、誤魔化すのに色々と手間が掛かるわけだ。

 

「元帥には?」

「父にかい? とっくに知らせてあるよ。確保についてはそちらに任せるとのことだ」

「確保というよりも、保護と称した方が近い気もしますがね」

 

 少年がくつくつと笑う。

 

「憲兵隊の初仕事が、憐れなエリート様の保護になるとは」

「やっぱり、件の闖入者は山口の艦隊か」

「一人近づき過ぎたから分かっただけで、どうやら他にも紛れ込んでいたようですが」

「恐ろしいな」

 

 統率の取れた特殊部隊のようなものか。と大尉が聞く。

 

 そんな大層なものではないと少年は答えた。

 

「アレはただの、狂信者の集まりであります」

 

 

 

 

 

 

 演習開始を告げる笛が鳴る。二人の金剛、それぞれの艦隊の旗艦が動き始めたのは同時だった。

 

「加賀!」

「飛龍、蒼龍!」

 

 鋭く空を裂く号令と共にお互いの艦載機が空を舞う。数だけで見れば二対一。仮に航空戦で勝ちきれなくても、残りを戦艦で固めている伊能中将の艦隊ならば、軽巡を三人も引き連れた山口の艦隊を押し潰すことができるだろう。

 

 その場で戦いを見ていた人間の殆どがそう思っていた。それ故に、観戦していた内の何人かが示し合わせもせずに呟いた一言を聴き逃していた。

 

「矢を番えてから放つまでが遅い。照準がぶれている。頼みの艦載機も鈍い、危うい」

 

 加賀の戦闘機が次々と飛龍達の艦載機を墜としていく。お互いが正規空母、数で劣る加賀は航空均衡まで漕ぎ着ければ十分過ぎる役目を果たしたことになる。だが、キルレシオの値は大方の予想を文字通り裏返す数値になっていた。

 

「二航戦と一緒にしないでもらえるかしら」

 

 加賀の言葉と共に最後の一機が煙をあげて落ちていった。加賀側の航空制圧。伊能中将の艦隊は完全に制空権を失ってしまった。想像を遥かに超える実力差に彼女達の顔が青褪める。

 この一幕だけで、山口の正しさを証明してしまったかのようだった。

 

「呆けてる暇はありません!」

 

 叫んだのは旗艦である金剛。実戦経験のある彼女は知っている。こうした、一瞬の硬直が生死を分けることを。艦載機を飛ばしたことさえ初めての正規空母だ。制空権を取れないことは覚悟していた。流石にここまでとは思わなかったが、その分立ち直りが早い。彼女の言葉に戦意を失いかけていた大和や武蔵も目に光を宿し直す。

 

 上空から襲い来る爆撃を躱す。金剛は無傷、それ以外は小破から中破。蒼龍が中破してしまった為に空母として戦闘能力は半減した。対空砲を撃った所で加賀の攻撃はこれ以上防げないだろう。

 

「単縦陣! 敵よりも早く構えなさい。有利はこちらが取っています!」

 

 金剛は矢継ぎ早に指示を出す。僚艦に考える時間を与えてはいけない。下手の考え休むに似たりと言う。愚者の一得に掛けるには余りにも時間が足りないし、パニックになられても面倒だ。金剛はむしろ僚艦を足手まといに感じ始めていた。それは以前からだったかもしれないが、そんなことはどうでも良い。

 偶然の位置取りとはいえ、敵艦隊に対してT字有利の形になっている。たとえ慣れていようとも砲撃を耐える力まで早々上がっている筈は無い。戦艦四人による遠距離砲撃でせめて五分の所にまで持っていく。

 

「ファイヤー!」

 

 超重量級の砲弾が単縦陣で正面向いて向かってくる相手の金剛達に突き刺さる。まとまった艦隊は格好の餌食だ。金剛の読みはその部分までは当たっていた。

 

「なッ……!?」

 

 艦隊が二つに分裂した。総錯覚してしまう程の鮮やかな陣形変更。軍艦から人の身に変わったからこそ行える、短い範囲で移動しながらの複縦陣への移行。扶桑、龍田に当たって小破には持っていけた。しかし、それまでだ。彼女達の不利は覆らない。

 

「敵艦砲撃来ます! 回避行動!」

 

 打って変わって今度は金剛と扶桑の正確な長距離砲撃に晒される。彼女も砲弾がすぐ隣を掠めた。小破にも至らないが、単なる幸運でしか無い事は分かっていた。

 

「損害報告!」

「私と伊勢が中破。武蔵が大破。飛龍と蒼龍は……轟沈判定です」

 

 大和の報告に唇を噛み締める。これは幸運で片付けられるレベルではない。何より、自分だけが未だ全力で戦えるという事実が、相手の主張を後押ししているように思えた。

 

「飛龍、蒼龍は武蔵が曳航しなさい。大和と伊勢は私に続いて第二砲撃の準備!」

「了解!」

「火力ではこちらが勝っていることを忘れないように!」

 

 このままでは終われない。もし負けたならば、腹を立てた提督に解体されるのは目に見えていた。戦場で死ぬのは別に構わないが、陸の上で無為に沈むのは御免だった。

 

 一回目よりも互いの距離が近くなる。顔がはっきりと見えた。鏡写しの自分の顔に驚く。どうして、そんなに顔をしかめているのだ。ここまで来れば勝ちはほとんど決まっているというのに。何故、自分と同じ苦しそうな顔をしているのか。

 

 金剛の判断がワンテンポ遅れる。反射的に号令を掛けて、しまったと思ったときにはもう遅い。標的から外れた方向へ砲弾が飛んでいく。

 

 そして、敵の二射目が降り注ぐ。

 

 頼みの綱の大和、伊勢も轟沈に追い込まれた。金剛自身も避け切れず中破している。艦攻から発射される魚雷を意地で回避し、艤装で軽巡洋艦達の砲撃も跳ね返す。残されるは雷撃戦。軽巡洋艦が最も力を発揮できる舞台。

 

 声の届く場所に居る()()が、悲しそうに目を伏せて言った。

 

「提督に恵まれていれば、と思うと残念ネー」

 

 誰かの放った魚雷が、彼女の足元で破裂した。

 

 

 

 

 

 

 中将の艦隊が少佐風情の艦隊相手に全滅した。それも軽巡を三人も交えた編成を相手にして、だ。その事実は遠征が終わってすぐに提督達へと広まり、艦娘は成長するのでは、と争論を巻き起こすことになった。

 運が良かっただけだ、と喚き散らすのは将校以上の老人。適度な撤退を視野に入れ始めたのは若い佐官。それはきっと、若者達の感受性の高さ、艦娘に対する親愛の情と呼ぶには些か外れている気もするが、これ以上、彼女達を沈めたくないと切に願っていたからだろう。

 

「ふざけんなァ! 使えねえなこのゴミが!」

 

 伊能が腹を蹴り飛ばした。金剛の小柄な体が吹き飛ばされる。大本営とはいえ、人々が歩く往来での凶行。道行く人は顔をしかめるか、何も思わないまま通り過ぎていくだけだ。仮にも将校、楯突けば自分の身にも危険が及ぶ。君子危うい気に近寄らず、ということだ。

 

「あんな無様な負け方してんじゃねえよ! てめえも売り飛ばされてえか!? ああン!?」

 

 這い蹲った金剛を何度も踏みつける。人間の身体では艦娘に傷を付けることは出来ない。それを幸いだと伊能は思った。どれだけ殴りつけたって()()()()にしなくて済む。

 

 不甲斐ない糞艦娘共を全員売り飛ばして、あの生意気な少佐を適当に罪をでっち上げて潰す。それだけでは飽き足らない。持てる全てを使ってぶち殺す。一族郎党皆殺しにしてやる。それから────

 

「ああ、うん。少々よろしいですかなぁ」

 

 最初、声が自分に掛けられたものだと気が付かなかった。たとえ分かっていても無視したことだろう。

 

 視界が三百六十度回転する。突然の事態に舌を噛みそうになった。カーペットの敷かれた廊下に背中から叩き付けられて、胃の中身がせり上がってくるように思える。

 

「ナ、ニしやがんだぁ!」

「五月蝿い、喚くな。で、ありますよ」

 

 底冷えする声に伊能の口が塞がれる。肋骨を肉の上から踏みつけると、声の主は人通りもまだ疎らにあるというのに、一枚の紙を取り出した。

 

「伊能明良中将。旗艦を拘束します。罪状は、艦娘の人身売買といったところでありますか」

「てめえ、何者だよ……」

「そういえばまだ認知されておりませんでしたなあ」

 

 少年はわざとらしく咳払いをした。

 

「遠巻きに眺めている皆さんもお見知りおきを。私は秋津。提督共を取り締まる、憲兵隊の一員であります」

 

 階級は特にございませんので、御容赦を。

 

 憲兵隊という、当時たった二人しか居ない部隊が、提督達の恐怖の象徴として産声を上げた瞬間であった。



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帰ろう、帰ればまた来られるから/5

「Hey! 秋津は相変わらず細っこいネー!」

「誰かと思えば横須賀のまともな方でありますか」

「その呼び方はあんまりだと思うのヨー」

 

 鹿屋のとある鎮守府。()()を行うその場所の森の前で、秋津は背後から抱き着かれたのを反射的に投げ飛ばしていた。咥えていたタバコが落ちる。空中で綺麗に躱され、文句無しの着地を決めた金剛が秋津の言葉に唇を尖らせる。

 

「確かに山口中将とこの金剛と比較されると劣ると思うけど」

「まともな、と言ったのは性格の方でありますよ。横須賀の二大金剛の片割れを平凡な艦娘だとは思わない」

 

 彼女に捕まったのなら長話になりそうだ。秋津は落としたタバコを踏み潰して火を消した。それから、入口から少し離れた木の幹に身体を寄り掛からせる。

 

「それもそれで複雑ネー。それに、私はもう艦娘じゃないデース」

「解体を受けたのでありますな」

 

 彼女はかつて伊能中将の隷下にあった金剛だ。歴史を変えたとさえ言われる演習の後、逮捕された中将の代わりとして着任した若い提督と共に、艦隊の練度向上をいの一番に推進した艦隊の母とまで呼ばれる存在。現在は中将となった山口の艦隊に居る金剛と合わせて、横須賀の主要戦力にまで成り上がった強者。

 横須賀の二大金剛に呉の足柄。舞鶴の変則姉妹に大湊の(ビースト)。艦娘の名を挙げれば真っ先に飛び出すそれらの中に名を連ねている。

 

 しかし、彼女はもはや人間だった。戦争が終わり、艦娘が次々と解体されて人間へと戻っていく。彼女も既にその一線を越えていた。

 

「秋津はまだ()()を受けてないのデースか」

 

 艦娘唯一の失敗作。艤装も着けられない男の艦娘。秋津に対して金剛は躊躇うこともなく聞いてくる。横須賀に居たこともあって、二人はそれなりに顔を合わせていた。時には憲兵隊の艦娘達の教練を頼みに行った程だ。お互い変な気を遣わずに会話できるだけの信頼があった。

 

「私は最後にしてもらう約束を教授と取り付けてありますから。今日は部下を見守りに来ただけでありますよ」

「そうですカー」

「それに、解体を受けたところで、することもない」

 

 これまでずっと仕事一筋で生きてきましたから。そう呟く秋津の顔は明るい。何もすることが思い付かないが、何かをしようと思っている。そんな顔だ。新しいタバコを取り出して火を付ける。何十年も吸い続けていると流石に飽きが来る。たまには別のものも試してみようか。そんなこと思いながら煙を吹かす。

 

「しかし、貴官、ではないでありますな。貴女まで解体に踏み切るとは。戦争は本当に終わった、ということでありますか」

 

 解体を受けたのは、戦力としては心許ない比較的新しい艦娘からだった。そこから始まって、金剛のような一大戦力にまで辿り着いた。

 

「もう三年経つし、そう思って良いと思いますヨー。少なくとも、艦娘としての私達はグッバイってことネー。何かあったら新しく建造するでしょ」

「昔程、対応も酷くはないでしょうなあ」

「練度も無かった頃の話をされてもネー」

 

 練度も無く、戦意高揚の為の間宮アイスや伊良湖モナカもない、ただ使い潰すだけだったあの時代を経験している艦娘など、もはや数える程しか居ないだろう。あれだけ轟沈を嫌った山口中将の艦隊でさえ、今なお生き残っているのは半分くらいのものだ。金剛と共に叩きのめされた艦も、今では武蔵しか残っていない。

 

「一番かつてのことに詳しいのは秋津でしょうネー」

「私もあの頃は言われたことをやるので精一杯でありましたからなあ」

 

 金剛の言葉に秋津は首を捻る。一番古いのはきっと秋津だろう。彼は生まれも育ちも特殊に過ぎて、他の艦娘とは到底比べられない。海にばかり目が向いている中、一人だけ陸に目を凝らしていた彼は確かに誰よりも大局的に物事を見ていたのかもしれないが。

 その頃の自分は艦娘も真っ青な機械の一面があった。それこそ山口中将の艦隊を狂信者と嘲笑うことも本来なら許されないような。ただ自分を拾ってくれた彼に報いるだけの機械。

 

「うーん、いつからか余裕は生まれてましたネー」

「海に出なくとも成長は出来るということでありましょう」

 

 ある出来事をきっかけに彼は自分というものを理解したのだから。

 

 貴女は、これからどうしますか。秋津が唐突に聞いた。彼が出会った艦娘には必ずしている質問だった。

 金剛は人差し指を唇に当ててしばらく考え込んだ後、「旅ですかネー」と言った。

 

「旅に出よう、って答え、多いんですよね」

「提督にバーニンラーヴすることも考えたけど、既に奥さん居るし。私は全国を旅しながら私のラヴを受け止めてくれる素敵な王子様を見つけるのデース」

 

 あ、別に秋津でも良いのですよ。いや流石に勘弁です。そうですカー。

 

 顔を合わせる機会は少ないと言えど、四十年来の知り合いだ。嘘か本当か判断に困るような言葉も平気で言い放ってくる。にべもなく断ったところで気を悪くしたような様子も無い。

 

「私も、旅に出てみましょうかね」

「それは良いと思いマース! 秋津もしばらく自分の生き方を探して見たら良いデース」

「生き方がそう簡単に見つかるのやら」

「見つからなくたって、その場にあるもので作ればいいんですヨー」

「それもそうでありますな」

 

 全てが終わったら旅に出てみましょう。秋津がうっすらと笑みを浮かべる。 

 

「そう言えば、皆に聞いたって言いましたガどんな答えがあったんですカー?」

「それは守秘義務があるのでねえ」

 

 わざとらしく言葉を濁す。守秘義務も何も憲兵隊にもはや仕事は無い。誰かに抜かれて困るような情報も無い。単に金剛をからかっているだけだ。金剛も分かっていても文句を垂れる。

 

「秋津のケチー、教えてくれたって良いじゃないですカー」

「そうでありますなあ。とは言っても、そこまで面白い答えは無いでありますよ」

 

 一番多いのは旅に出ようという答え。鎮守府のあった場所の近くで仕事を探そうとする艦娘も居たし、提督とケッコンカッコガチの約束を取り付けている艦娘も居た。駆逐艦なんかでは、養親を見つけて学校に通い始めると答えた者も。戦艦や重巡には大学を目指す変わり種も居たか。

 

「すっかり平和になったものであります」

「そうネー。そういえば噂で聞いたけど、山口中将の所は皆で旅に出るって言ってたネー」

「へえ、あの狂信者共も独り立ちの時期でありますか。正直意外でありますな。使用人になってでも近くに居ようとするのかと思っていましたが」

「何でも、中将殿が嫌がったらしいネー。言葉には出さなかったとも聞いたけど」

「あの人、優しいようでドライでありますからなあ。狂っていると言っても良いが」

「世の中成功する人間はだいたいサイコパスでしょー」

「否定のしようがないでありますな」

 

 まともな神経の持ち主が、あの時期に練度なんて考えに至る筈も無い。それに感化された艦娘が狂信者になるのも自然といえば自然か。そもそも、自分だって人のことを言えた義理ではない。ずれた帽子を直して誤魔化す。

 

 長門が鎮守府から出て来るのが見えた。いや、()()長門ではないか。どんな名前にするかもう決めたのだろうか、と思いながら、秋津は身体を起こす。

 

「ああ、部下が出てきた。それでは私はこれで失礼させて頂くでありますよ」

「また会いましょうネー。それと、これからは、あります口調は止めた方が良いですヨー」

 

 金剛の容赦ない言葉に秋津は苦笑いを浮かべながら、善処しますと返した。



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後悔先に立たず/1

 ひそひそと、囁く声が聞こえる。三人寄れば姦しいとはよく言われるが、それが二組も三組も作られれば、真夏に鳴く油蝉にもまさる騒々しさだ。言葉の中身は恐怖だろうか、嘲笑だろうか。この場にある明らかな異物に困惑していることだけは確かだ。誰もが目を離せないままでいる。

 

 少女が一人歩いている。翡翠色のロングヘアーを靡かせて、凛とした顔つきで迷いなく歩いている。何人もとすれ違い、視線を交わしているのだが、言葉は無い。通りの良い耳を雑音で塞いで、眉間にしわを寄せた顔で廊下を進んでいく。

 

 やがて、大きなドアの前に着いた。息を一つ吐いて、左手でノックをする。

 

「入って良いよ」

 

 部屋の主から許可を得ると、少女はノックをした左手でドアノブを捻った。外開きのドアがぎりぎりと軋んだ嫌な音で喚く。立て付けが悪いのだろう、見た目よりも少し重かった。

 

 部屋では、一人で扱うには大きすぎる机いっぱいに資料を広げて、男が立っていた。青年と言うには少し歳を取りすぎてしまっている。三十代半ば、壮年にはまだ早いかもしれないが、若さゆえの勢いというものは感じられない。

 

 男は持っていたペンの頭で胸元を叩くと、視線を少女に向けた。

 

「初めまして。君が補充要員ということでいいのかな。()()()()()()()()()?」

「ええ、そうよ。重巡洋艦鈴谷、着任しました」

 

 少女は、片腕しかない手を眼帯の上に持って来て、敬礼してみせた。

 

 

 

 

 

 

「ようこそアーセナルへ。激戦のブルネイからの異動だってね」

 

 男は応接用のテーブルで鈴谷をもてなした。質は良いが使い古されたソファに彼女が腰掛けると、男も向かいに座る。

 

「間宮はいるかな?」

「どちらかと言えば伊良湖派ね」

「じゃあそうしよう」

 

 キッチンボードから最中と漆器の皿を取り出した。袋を割いて最中を盛り付けると鈴谷の前に置く。冷蔵庫からはペットボトルのコーヒーを取り出して、男は自分の分のマグカップだけに注ぐ。

 

「あっちでは第一艦隊に居たわ」

 

 一日に千人を殺し、千百人を産む。神話に例えるのは少々大袈裟かもしれないが、最前線と言われるブルネイへの、内地からの評価はそのようなものだった。一部の怪物達だけが生き残り、それ以外は出撃の度に海へ沈む。噂では沈んだ船の油で魚が通らないとまで言われているらしい。

 

 そのブルネイで第一艦隊に所属していた。つまり、目の前の見るも痛々しい少女がその()()()()()()であるということだ。

 

 そのくらいの情報は前もって知らされている。男はマグカップに口をつけた。砂糖もミルクもシロップも入れていない、ブラックが彼の好みだった。

 

「その堅苦しい口調はあちらで直されたのか」

「普通の鈴谷だったら、もっと礼儀知らずな喋り方なんでしょうけど。提督はそっちの方が好みかしら?」

「どちらでも」

 

 鈴谷は最中を齧りながら目を細める。からかうような口調に男は肩を竦めた。出会って早々の部下に欲情するほど下半身で生きてはいない。

 

「それと、提督と呼ぶのはやめてくれ。俺は提督じゃない」

「ああ、そうだったわね。じゃあなんて呼べは良いかしら。あまり名前では呼びたくないのだけれど」

 

 そうでないと死んだ時に面倒だから、と彼女は言った。最前線では泊地に居座る提督でさえ安全とは言い難い、男が風の噂で聞いただけでも三人は殉職している。それがあるから、彼女は名前を聞きたがらないのだろう。

 ブルネイと比べれば天国のように安全なのだが、と男は笑いそうになったが、失礼に当たると踏みとどまって、代わりにコーヒーを飲み干す。

 

「そうだな、それなら()()とでも呼んでくれ。皆はそう呼ぶことが多い」

「先生、ね。お似合いだわ」

 

 先生と称した男は空になったマグカップにコーヒーを注ぎ足した。鈴谷も最中を食べ終えたところだ。

 

「お代わりが欲しかったら言ってくれ」

「いえ結構」

 

 口元についた残り滓を指で拭き取って鈴谷は答えた。艦娘には空腹も無いのだから、腹八分目も無い。

 

ブルネイ(あっち)での話なんて聞いても意味があるのかしら」

「さあ。意味があるかもしれないし、俺の個人的な興味かもしれない」

「過去のことなんてアテにならないわ。特にあっちでは」

 

 日々変わる戦況を、既に数日は離れている鈴谷が完全に把握できている訳も無い。分かるのは、陥落してはいないこと、そして殲滅してはいないこと。それだけだ。

 

「それもそうだ。過去より未来を語る方がお互いにとって建設的だろう」

 

 ここからが本音の話。これからの話。

 

「君はこの場所についてどれだけ知っている」

 

 先生は単刀直入に聞いた。提督ではないと彼が自称する通り、ここは鎮守府ではない。書類の上では鎮守府に当たるらしいが、彼は艦隊を持たないし、何処かへ出撃することもない。まさかとは思うが、一から説明するのは骨が折れる。

 

「書類に書かれていることはだいたい」

「残念なことに俺はその書類のチェックには参加していなくてね。何処の新聞記者が書いたんだろうか」

「日の丸背負ったジャーナリストに決まってるじゃない」

「多過ぎて見当がつかないな」

「それはご愁傷様」

 

 やっぱり最中のお代わりを頂けるかしら、と鈴谷が言ったので素直に新しいものを出してやる。再びそれを齧りながら、彼女は自分の持っている知識を当てはめるように呟いていく。

 

「他の鎮守府から戦力外とされた艦娘を集めて戦力として鍛え直す場所。教導官は貴方一人で、ここで訓練を積んだ艦娘は主に新たに設立された鎮守府へ着任する。掻い摘んで言うとこんな所かしら」

 

 通称、 アーセナル(工廠)と呼ばれる、海軍でも一部の人間しか知らない機密事項。書類とやらも万が一外に漏れたって構わない作りになっているだろうが、それゆえに完全に答えられるとは思っていなかった。

 

「有り難いことに書き手は無能ではなかったようだ。それだけ分かっていれば十分だろうが、補足の説明が必要だったりするかな」

「お願いするわ。文字のニュアンスだけだとどうしてもズレるから」

「了解した」

 

 先生は二杯目のコーヒーを飲み切ると、三杯目を注いだ。ペットボトルの中身も空になりかけていて、マグカップの半分くらいの所でぽたん、ぽたんと水滴だけが落ちる。軽く振った後、教官はペットボトルの蓋を閉めるとそこらに放り投げた。カランとプラスチックの軽い音がした。

 

「書類上ではもっともらしく書いてあるがね、要するに此処は艦娘異動のプールだよ。艦娘の育成というのはそのオマケだ」

「異動、は基本的には禁じられているのよね」

「ああ、そうだ」

 

 鈴谷の言葉に教官は頷いた。

 

 原則として、その鎮守府で建造された艦娘はその鎮守府から離れることができない。戦力として、提督のステータスになる艦娘が気軽に異動できるとなると、金持ちや良家のボンクラ息子が権力に物を言わせて優秀な娘を買い漁ることになる。それは海軍にとっても由々しき事態であった。

 たとえば、内地勤務の提督が戦力欲しさにブルネイの怪物を根こそぎ連れてきたとしよう。三日と経たずブルネイは崩壊し、収拾に一ヶ月も掛けようものなら三十年前の暗黒時代に逆戻りだ。海軍としても前線戦力を欠きたくはないからこそ、艦娘の異動は禁じられている。

 

 しかし、禁止されれば裏をかこうとするのが人情というもの。幾度か、この場所と同じ名目で艦娘のプールを作ろうと試みた軍人が居る。つまりは一度解体されかけた艦娘を拾い上げるという名目で交換や売買を図ったのだ。鈴谷も書類上は同じ流れに乗っている。

 

「俺の知る限り、三回はそれぞれ別の人間がやろうとしたみたいだね。その前に憲兵に勘付かれておしゃかになったらしいけれど」

 

「あら、それならなんで此処は堂々とやっているの」

「考えるまでも無いだろう」

 

 口煩い憲兵が口を噤むのは、理由は二つしかない。一つは憲兵隊ですら迂闊に手を出せない重鎮が腰を上げた場合。もう一つは、

 

「憲兵がグルってことかしら」

「飲み込みが早くて助かるよ」

 

 間髪入れずに答えを出した鈴谷に彼はわざとらしく手を叩いた。

 

「考えるまでも無いと言ったのは貴方でしょう」

「それもそうだな。とにかく、そういう訳で此処は三つの特性を持っているんだ。優秀な艦娘を憲兵に流すお仕事と、()()()のお願いを聞くお仕事。艦娘の育成というのは、先の二つをやる俺にお上が与えてくれたボーナスに過ぎない」

「貴方の目的はあくまでも最後なのね」

「まあね」

 

 コーヒーは空になり、最中も形を消していた。疲れたろう、と言って彼は立ち上がる。ポケットから鍵を一つと折り畳んだ地図を取り出すと机の上に置いた。

 

「今は寝床くらいしか置いてないけれど、一応君の部屋はこちらの本棟に作らせてもらったよ。地図を見れば分かると思うけれど、もし迷うようだったら案内しよう」

「随分と親切じゃない」

「同僚から嫌われながら仕事はしたくないんでね」

 

 投げ飛ばしたペットボトルを拾い上げる。キッチンボードの棚に置いて、くるりと振り返った。

 

「ただ、無礼を承知で一つだけ聞かせてもらっても良いかな」

「どんな質問か聞くまでもないわね」

 

 鈴谷は笑いながら片方しかない手で眼帯を撫でた。天龍や木曾など普段から眼帯で塞いでいる娘も少なくない筈だというのに、彼女がやると酷く歪に見えた。

 

()()()はもう戻らないわ」

 

 そうか、とだけ彼は言った。



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後悔先に立たず/2

「さて、皆にお披露目となる訳だけれど」

 

 先生がソファで資料をめくっている鈴谷に言う。

 

「何かやりたい事はあるかい」

「そうね」

 

 この場所に居る艦娘達のデータを恐ろしい速度で頭に入れながら、鈴谷は顎に手を当てた。彼女の仕事は彼のサポートだ。最初は小規模に経営されていたアーセナルも、今ではそれなりに多くの艦娘を抱えている。現在は七十人程度、教官一人で目を見張らせるには多すぎる人数だ。鈴谷は実質的に第二の教官と呼んでも良い。

 

「鼻っ柱を圧し折っておきたいわね」

「そう言うと思ったよ」

 

 教官である以上、生徒よりも優秀でなければならない。彼のような人間ならば提督の延長線だと我慢もできようが、同じ艦娘が、それも片腕と片目を失った重巡洋艦の言うことを素直に聞くほど彼女達はお利口ではない。何しろ、そういう問題児も混ざっているのだから。

 

「貴方の選んだ艦隊と私で演習でもして踏み潰せば、楽になるわ」

「それなら、相手してもらいたい娘が居る」

「そうなの」

「確か最初の方にまとめてあった筈だ」

 

 彼が鈴谷の後ろに周り、肩越しからペーパーを戻していく。女性に近付けば普通は香水の匂いもするだろうに、鈴谷からは何もしない。艦娘でも、身だしなみに気を使う娘は少なくないのだが、彼女の居たブルネイではそういう習慣は無かったらしい。

 

 一歩間違えれば変質者のような事を考えながら、彼は顔色一つ変えず目当てのページを探す。それが一番早かっただけで、別に匂いを嗅ぐために後ろに回った訳ではないのだから、薄ぼんやりと思っただけだ。やがて前から六番目に目当ての写真を見つけて手が止まる。

 

「この娘だ」

「重巡洋艦、足柄。成績は確かに優秀ね。頭一つ抜けていると言っても良いけれど」

「性格に難あり、と備考欄に書いてあるだろう。少々自信過剰なきらいがあってね。何度か見に来たものも居るけれど流れ続けてるんだ」

「なるほど、分かりやすいわね。他は?」

「いや、彼女だけで良い」

 

 鈴谷が眉をひそめる。確かに成績は優秀だが、あくまで相対評価の中で飛び抜けているだけに過ぎない。データだけならば鈴谷の相手にもならないだろう。たとえこの足柄が六人揃ったとしても、鈴谷が満身創痍だとしても、天秤は動かない。

 

「理由を聞かせてもらえる」

「一つは確実に勝ってもらわないと困るから。ビッグマウスは結構だけれど、俺は君の実力を知らないからね。足柄一人で目的は十分達成できるんだ。無駄に難易度を上げる必要は無い」

「なるほどね」

 

 まさか負けるとは微塵とも思わないが、彼の言葉には筋が通っていた。クリアすれば十分のゲームに縛りプレイする必要はないということだ。

 

「もう一つは」

 

 一つは、と言ったからには他にも理由はある筈だ。鈴谷は首を傾げて視線を彼に向けた。目と目が合う。息の掛かりそうなほど近いのに、お互いに恥ずかしさも驚きも無い。淡々としていた。

 

「足柄一人じゃないと、本人が納得しない可能性があるから」

「……『私以外が足を引っ張った』?」

「そういうこと」

 

 やはり飲み込みが早いとやりやすい、と彼は満足げに頷く。

 

「要領が悪いのも育てがいがあるけれど」

「私は育てる側よ」

「そうだな。まっ、君の言う通りさ」

 

 彼は鈴谷からは離れて自分の席に座ると、集会の段取りを確かめ始める。訓練の欄の最初の部分を塗りつぶして、その下に演習と書き加えた。

 

「それじゃあそろそろ向かおうか」

 

 

 

 

 

 

「か……はっ……」

 

 鳩尾を膝で突き上げた。海面に屈した足柄の髪を掴み上げる。

 

 端正な顔立ちは腫れ上がった青アザで歪んでいた。他の提督が見たところで足柄だと分からないかもしれない。漫画みたいな表現では生易しい。見ていて痛々しく、耐性のない観客の何人かは吐き気を催している。

 

 涙がこぼれ落ちる。えずいた喉元に鈴谷はつま先を突き刺した。足柄の体が水切り石のように跳ね、油混じりの嘔吐物で海を汚す。起き上がる気力は残されていない。何より、起き上がれば続行の意志有りと見なされる。

 

 誰もが戦慄していた。鈴谷の圧倒的な強さもそうだが、その容赦の無さに立つことすら出来なくなっていた。腕を折り、足を折り、助骨を折る。艦娘でなければとうに死んでいる。演習という名のリンチはかれこれ一時間も続いていた。

 

「これで負けを認めるかしら」

 

 鈴谷が尋ねた。彼女は全くの無傷だった。主砲すら構えていない。黙々と、理不尽に暴力を振るい続けるだけ。

 

「……も」

「も?」

「もうやめて……」

 

 何度も咳き込みながら、やっとのことで足柄は降参を口にする。鈴谷は先生の方へ振り返ると、どうしようかと目で聞いた。彼も引き攣った顔で三回頷く。足柄は地獄の中に仏を見たような顔で彼を見る。自分の体から漏れ出た液体で全身を汚し、その場に泣き崩れた。そこに演習が始まる前の勝ち気な様子は無い。

 

「演習はこれで終わり。誰か足柄をドックまで運んでやれ」

 

 鈴谷の前に出る事すら恐ろしいのか、それとも足柄に人望が無かったのか。誰もざわつくだけで足柄のもとへ駆け寄ろうとはしない。たとえ頑丈な艦娘でもこのまま放置すれば沈んでしまうだろう。

 

 鈴谷も殺すつもりは無い。仕方が無いと一歩踏み出した所で、オーディエンスから悲鳴が上がった。まさかとどめを刺すと思われたのだろうか。鈴谷の足が止まる。

 

 流石にやり過ぎたか、と今更に後悔する。ブルネイでは日常茶飯事だ。内地の加減はよく分からない。

 

 鈴谷が立ち止まったことで尚更誰も出て行けなくなった。このままでは埒が明かないと先生が声を上げようとしたその時、観客の中からするりと足柄に近づいていく姿があった。

 

 足柄よりも小柄な身体。朝潮型駆逐艦の霞だ。鈴谷をきっときつく睨むと、足柄を担ぎ上げようと体を下に潜り込ませる。

 

 ぐっ、と足に力を込めたは良いが、完全に意識を失っている足柄の体は鉛のように重い。ずるずると曳航する姿は霞の方が先に沈んでしまいそうだった。彼女を呼び水にして、手伝いが何人か出てきても良さそうなものだが、孤軍奮闘する彼女に天佑は来ない。

 

「思っていたよりも腑抜けが多いわね」

 

 鈴谷が吐き捨てる。再び歩き出すと、必死に足柄を引き摺っている霞の横に並んだ。またも甲高い悲鳴が上がるが、今度は気にしない。

 

「何よ」

 

 霞は一層強く鈴谷を睨みつけた。しかし、声は震えていた。それもそうだろう、足柄の実力は彼女達もよく知るところ。その足柄を完膚なきまでに叩きのめしたのだから、駆逐艦クラスが怯えるのは当たり前だ。

 

 それでも何とか取り繕って足柄を守ろうとする。仲間想いで勇敢な行動だ。

 

「手伝いに来たのよ。流石にやり過ぎたから」

 

 鈴谷は素っ気ない口調で言うと、自らも足柄の下に潜り込んだ。右手を失っているとはいえ、出力だけならば戦艦にも匹敵する鈴谷が持ち上げると、容易く足柄の体は浮かび上がり、潰されそうになっていた霞は急に肩の荷が降りた。手伝いとは言うが、彼女一人でも十分そうだった。

 

 霞はどうすれば良いのか分からず、ただ足柄の体に手を添える。これ幸いと離れようとはしなかった。そもそも鈴谷が恐ろしくて逃げるのなら元々駆け寄ったりしない。

 

 二人が陸に向かって歩いていくとそれに合わせて人の波が開けていく。モーセの脱出みたいだ、と遠目に眺めていた先生は思った。

 

 それから、呆然としている他の艦娘を早く正気に戻さなければならないと思い立ち、マイクの前で手を叩く。

 

「はいはい、足柄に関してはこっちに任せて。君達は訓練に戻りましょうか。あんまり駄々こねるようだと鈴谷を呼び戻すよ」

 

 弾かれたように動き出し、むりやり日常へ戻ろうとする艦娘の怯えた表情を見ながら、彼は失敗したかもしれないと頭を掻いた。



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後悔先に立たず/3

 よいしょ、と鈴谷が勢いをつけて足柄を修復ドックに投げ入れた。傷だらけの身体が特殊な溶液の中に沈んでいく。

 

「高速修復材は?」

「先生の許可なしに使うのは禁止だけど」

 

 霞が不安そうな目で鈴谷を見る。足柄が彼女のようになってしまうことを危惧しているのかもしれない。もしくは、一方的なリンチを行っていたときはまるで違う鈴谷の様子に驚いているのかもしれない。

 

 鈴谷は後者のことなど思い付きもせず、てきぱきと作業を勧めていく。

 

「じゃあ私が代わりに許可出しちゃうわ。修復材掛けてもしばらくは目を覚まさないでしょうけど、沈んじゃいないから大丈夫よ」

 

 鈴谷がバケツをひっくり返した。ぶくぶくと泡が立ち、足柄の体を包んでいく。意識は失っているが、一時間もすれば目を覚ますだろう。

 

 足柄の表情が僅かに和らいだのを見ると、鈴谷は踵を返して外へ向かった。同じように足柄の顔を覗き込んでいた霞が顔を向ける。

 

「何処に行くのよ」

「先生の所よ。これからの貴方達の教練について打ち合わせもしなきゃいけないから」

 

 ひらひらと手を振って、霞の言葉を待たずに鈴谷は外に出た。工廠の薄暗さに比べて夏の陽光は立ちくらみを起こしそうなほど明るい。左手で日光を遮りながら向かう先は、教官の書斎だ。

 

 その前に、壁に寄りかかって目を瞑ってる先生が足音で目を覚ました。

 

「あら、付いてきていたの」

「監督役としての責務って奴かな。それとは別に君に聞きたいこともあったし」

 

 二人で並んで歩き始める。彼も鈴谷も笑みを浮かべていて、その姿は恋人のようにも見えた。互いに薄皮の仮面一枚をかぶっているだけであることは重々承知していた。

 

「あそこまでやる必要あった?」

「何かと思えば説教しに来たの?」

 

 質問に質問で返す。世間慣れしていない艦娘ならともかく、彼はそういうことには慣れていると直感的に感じていたのだが。

 

「いや、君が意味もなくあんなになるまで痛めつけるとは思わなくてね」

「たった一日で私を理解したつもりかしら」

 

 見透かされたような気がして言葉が尖った。本人はそのつもりが無くとも、死地をくぐり抜けていた怪物の圧は、近くに居るだけで景色が歪む。

 

 心拍数が上がって声が震えそうになるのを彼は何でもない風に取り繕った。一朝一夕で出来る技術ではない。風に揺れる柳のように恐怖を受け流して心から追い出す。そしてけらけらと笑ってみせる

 

「少なくともサディストでないことは分かるさ」

 

 鈴谷の表情が不機嫌に染まる。

 

「足柄をボコってた時、苛ついた顔をしてたからね。降参した時はほっとしていたでしょ」

「先生は人の顔色をうかがうのが得意なのね」

「職業病さ。艦娘なら分かり易いが、狸を相手にするとこんな簡単には済まなくて困る」

 

 皮肉を言うと皮肉で返される。似たもの同士だとは欠片も思わない。どちらかがどちらかに合わせて言葉を選んでいる。近づこうとしているのか、突き放そうとしているのかはよく分からない。

 

 石ころが足に当たった。転がって壁にぶつかる。部屋までがやけに長く感じられた。海に出ていれば、こんな距離はひとっ飛びなのに。

 

 やがて観念したように鈴谷が首を振った。

 

「腕と目を馬鹿にされたから」

 

 彼女にとってそれは勲章なのだろう。この身朽ち果てるまで深海棲艦と戦い抜いた証なのだろう。片目が見えない不利など、片腕の使えない不便など些細なことだ。魂だけで代わりになる。

 

 しかし、前線から遠ざけられ、安穏と暮らしている彼女達にひ痛々しい姿にしか映らない。或いは、多少の怪我は即座に回復してしまう彼女達のことだ。引き際を間違えた無能と捉えるかもしれない。

 

「ふむ」

 

 先生は無精髭を撫でた。「嘘だね」と言った。

 

「嘘?」

「嘘ではないのかもしれないが、それだけでは無いだろう」

「それを聞いてどうするのよ」

「どうにもならないだろうなあ。俺の個人的興味だ」

 

 この男は徹頭徹尾掴み所が無い。正直な所、鈴谷のことをどう思っているのかも曖昧だ。

 

「君はあちらで解体を望んでいたらしいね」

 

 彼が唐突に話を変えた。鈴谷にとっては変わっていないも同然だったが、ため息を一つ吐くと呆れ直した。それは事実だった。

 

「そんな情報何処から仕入れてくるのかしら」

「ブルネイには知り合いが居るからね。これでも人脈には自信がある」

 

 知り合いとは誰のことだろうか。ブルネイで活躍する提督は殆どが彼よりも若い。国外での活動と、休む暇を与えない深海棲艦の猛攻。若い人間でなければ耐えられない程の仕事量だ。以前、功を焦ったご老公が着任して数日で病に倒れ本国送還になったという話を聞いたことがある。

 それ故に、彼と同年代の人間も居なければ、恩師と呼べるような年配の者も居ない。誰も彼もこの男と接点があるようには思えなかった。

 

「ま、君が話したくないならそれでも良いさ。足柄を捻り潰したのだってこっちには都合が良いし」

「執着の無い性格ね」

 

 白軍服の肩にかかった埃を払い除けて彼が言った。

 

「私はムチになれば良いんでしょ?」

「そんな直接的に言った覚えは無いんだけど」

「遠回しには言ったでしょう」

「それもそうか」

 

 先生はポケットから飴玉を取り出すと袋を破いて口に放り投げた。ぶどうの酸味が口の中に広がって、漬物石のように自分を押し込める思考を溶かしていく。彼女との会話に気を遣いすぎている。もっとざっくばらんな付き合いだって構わないのに。

 

「俺だけじゃどうにも舐められるからねえ」

「人間なら仕方無いわね」

「面目無い」

 

 安心しなさい、と鈴谷は自分の人差し指を舐めた。紅を指したように赤い舌が獲物を探す蛇に見えた。

 

「私は甘くないわ」

 

 

 

 

 

 

「という訳で、あんな状態なんですよ」

「道理で、以前見たときと比べて厳しくなっている訳だ」

「当社比三倍ってとこで」

 

 片腕の鬼が艦娘を追いかけ回している、なんて言うのは勿論比喩で、実際にはロングランのペースを上げる為に鈴谷が後ろから尻をひっぱたいているのであるが、追い掛けられる側の艦娘は捕まれば拷問されるとでも思っているのか必死の形相だ。

 

 それをのほほんと眺めているのは先生と、黒髪の特徴的な戦艦。

 

「それにしても、長門さんが来るとは。てっきり隊長さんが来るものだと」

 

 憲兵隊所属の長門はフンと鼻を鳴らした。艤装と一括の、誰かの趣味で作られたような露出の高い服装とは違い、旧日本軍の陸軍のような黒い軍服に身を包んでいる。

 露出は減ったものの、体にきっちりフィットするように作られたような制服は長門のスタイルの良さを際立たせていて、むしろ色気が増したとは長門の後輩の弁である。

 

「隊長は、本格的に表の仕事をしなければならなくなったからな。端々しか聞いていないが最前線にも負けない仕事量だとボヤいていたよ」

「あー、今村少将ぶっ倒れたんでしたっけ」

「今は快復しているが、憲兵隊の顔は私達()()()にすり替わったな」

 

 憲兵隊を立ち上げ、長らくトップとして君臨していたのは今村神州という男だ。かつては最前線で鎮守府の取り締まりに尽力したと言われる彼も寄る年波には勝てず、先月脳梗塞を起こした。一命は取り留め、後遺症も殆ど無かったようだが、流石に病み上がりの身をそのまま首魁に据え置く訳にはいかず、憲兵隊の内部でも大規模な再編が起こったという。

 

 様々な思惑が絡み合ったようだが、結局は今村の副官として仕え続けていた秋津という男が顔役に落ち着いたらしい。秋津はアーセナルへのパイプ役にもなっていたが、その役目は更に直属の部下である長門に移されたようだ。

 

「俺としては此処を残してくれればどうだって良いんですけどね」

「うちの隊長ならわざわざ取り潰すこともしないさ」

「今のって言質取ったってことで良いんですかね」

「好きに取れば良い」

「じゃあそうします」

 

 長門が来た目的は憲兵隊へのスカウトだ。それだけで本当は安心材料なのだが、彼はなかなかどうして用心深い。近く秋津本人にコンタクトを取ろうと心に決めながら、ロングランを終わらせた生徒達が地べたに倒れ込むのをぼうっと眺める。

 

「ところで」

 

 長門が指をさした。その先に視線を向けると、ぶるぶると震えている艦娘が居る。

 

「あれってあの足柄だよな」

「……トラウマになったみたいです」

 

 鈴谷に叩き潰された足柄だった。



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後悔先に立たず/4

「二の、三の四っと。こんなところか」

 

 運営に関する書類のページを数えると、角を揃えてホッチキスで止めた。鈴谷が教官となってからの成果はまだ表面化せず、先月出した憲兵隊への報告書と比べてもたいした違いはない。しかし、元々人手が欲しかっただけで、育成のノウハウなど殆どアテにしていないのだから問題は無いだろうと先生は考えていた。

 

「はい、先生。今日の分の報告書」

「ありがとさん」

 

 鈴屋が手渡してきた艦娘のデータを受け取って確かめる。当然といえば当然だが、艦娘に良くある丸文字とはかけ離れたきれいな楷書だ。利き手でもなかっただろうに、左手でよくもこう書けるものだと感心する。言葉に出したなら、彼女は機嫌を悪くするだろうが。

 

「本当は書類仕事を手伝ってもらうつもりだったのに、こんなデータ取りまでやらせてしまって、悪いね」

「気にしないで、私が好きでやってることだものやるからには手を抜きたくないの」

 

 最前線(ブルネイ)よりも厳しく育て上げてみせる。そう意気込んでいる彼女の姿は不相応に大きく映る。

 

 彼は冷蔵庫を開けながら唐突に思い出した事柄を口に出した。

 

「ああ、そういえば明日の入寮式の話はしたっけな」

 

 入寮式。聞き慣れない言葉に鈴谷が眉をひくつかせた。

 

「新しく三人入るって話しか聞いてないわね」

「いや、それが分かっていれば十分だ」

 

 相変わらずペットボトルのコーヒーを飲みながら先生が言う。

 

 アーセナルはその特性上、頻繁に入れ替わりが起こる。優秀な艦娘には引き取り手がついて、その代わりとばかりに要らない艦娘を置いていくのだ。

 実際に受け入れるかどうかは彼の裁量に任されているのだが、彼は殆ど断ったことが無い。この施設の存在を知っている者が少数派の為、急激に増えたりはしないこと、そしてこの場所を知っている者は博打に手を出すよりもここで競りに参加した方が有益だと考えるために建造を行わないのがその原因だ。

 

 そんな中で、珍しく一度に三人もの艦娘が新しくやってくる。生徒としての艦娘は皆同じ寮に入っているため、いつからか古株の艦娘達が人の真似事で入寮式なんてものをやるようになった。

 

「君も顔を出すかい?」

 

 先生が尋ねる。鈴谷は考え込むように首を傾げた。参加する必要性を感じない、というのが正直な所だった。しかし、この場で職務を全うするのだから、そういった式にも参加するべきじゃないかと一抹の不安を覚えたのだ。

 

「誰がやってくるのだっけ」

 

 記憶に馴染みのある艦ならば行くのもやぶさかでは無い。そう思って尋ね返す。

 先生は書類を探すこともなくそらで三人すらすらと答えてみせた。

 

「那珂と、飛鷹と、それから鈴谷だね」

「絶対に行かないわ」

 

 言い終わるか終わらないか微妙なタイミングだった。誰が彼女の心を逆撫でたのか考えるまでもなかった。

 

「それじゃあ俺一人で行くよ」

 

 何故、と理由を聞くこともなく。報告書を閉じてコーヒーを飲み直した。普段からブラックで十分なのに、今日だけはミルクを入れたくなった。

 

 

 

 

 

 

「だってさあ! 腕も目も一個無いんでしょ? あっちじゃ絶対落ちこぼれだったんじゃん?」

 

 寮の中でも多くの艦娘達が集まる中央広間に一際大きな声が響いた。入寮式を終えて、先生が自分の仕事場に戻った直後のことだった。

 

 声を上げたのは翡翠色の髪にブレザーの少女。眼帯を付けることもなく、袖の片方が弛んでいることもない。五体満足の重巡洋艦が、見た目通りの明るさというか、傍若無人さで話している。話し相手は自分と一緒に入ってきた同期の軽巡洋艦と軽空母ではない。赤い服を着たボーイッシュな型違いの姉である。

 

「そんなことないよきっと、だって戦ったの見たけど凄い強かったんだよ」

「横須賀の二大金剛みたいに?」

「それは……」

 

 艦娘最強との呼び声も高い高速戦艦の名前を挙げられて最上はためらった。生まれてすぐにアーセナル送りにされた彼女は、実際の艦娘の実力を知らない。今まで抜きん出ていた足柄を圧倒したからあの隻腕隻眼の鈴谷を恐れているだけに過ぎなかった。

 

「私はこんな所さっさと出て行って、最前線で戦うの! だから、あんな強さも分からない人の言う事なんて聞いてられないのよ!」

 

 鈴谷はグッと拳を握った。

 

 彼女は他の艦娘とは少々事情が異なっていた。他の艦娘は言ってしまえば余り物、必要無いからと捨てられただけに過ぎない。しかし、彼女は元の提督が()()()()()()と匙を投げたのだ。そこにあるのは、艦娘としても異常な殺戮本能。最前線(屠殺場)で死ぬことを美徳とする心意気。

 

「じゃあどうするのさ」

 

 横から口を挟んだのは艦娘の(メタノール)をかっ食らっている響だ。足が届かない程度の高さの椅子に座って、グラスに入ったドロリとした液体を喉に流している。

 

 彼女も此処ではそれなりに古株であった。粗野で性格面に難のあった足柄と違い、様々な鎮守府からの誘いはあったのだが、こちらの場合はその全てを蹴ってしまっていた。曰く、「自分が納得できないところに行くくらいならば解体を望む」とのことだ。

 その我が儘でチャンスを不意にしながら、なおも此処に残っていることが、彼女の実力の高さを証明している。

 

「先生に演習でも頼むかい? おそらく断られるだろうけど」

「なんでよ」

「人が鮫に素手で挑もうって話だよ。止めない方がおかしい」

 

 実力者であるはずの響すら、足柄が肉塊寸前にまで追いやられた時は一歩も動けなかった。単なる強さとは違う怨みが足を竦ませた。横須賀のトップがどれだけ強いのかは知らない。もしかしたら()()()()など歯牙にも掛けないくらい強いのかもしれない。しかし、目の前のビッグマウスが、あの怪物と同等に立ち回れるようには見えなかった。

 

 鈴谷はフンと鼻を鳴らした。目には侮蔑の色が見えた。

 

「ここに居るのは腰抜けばかりなのね」

「なんだって?」

 

 響の顔が険しくなる。グラスを机に置いた。椅子から飛び降りて、カツンカツンと足音を立てて鈴谷に向かう。最上は慌ててその場から離れた。響が一歩近づくごとに彼女達を覆い囲むように観衆の輪が形成される。

 

 一触即発の雰囲気の中、静寂を破ったのはドアを開く音だった。その場に居た全ての視線が一箇所に集中する。何人かは悲鳴を上げた。響も二の足を踏んで、動じていないのは僅か数人程度しか居ない。

 

「貴方達は何をやっているのかしら」

 

 右腕の無いシルエット。片方しか光を受け取らない目。教官の方の鈴谷が冷ややかな目で彼女達を見下ろし、もとい見下していた。

 

「喧嘩なら外でやりなさい。調度品だって金が掛かっているのよ」

 

 静かに放たれた、圧を掛けていない一言にさえ背筋が冷える。彼女の存在感に圧倒されているというよりも、記憶にまだ新しい悪鬼の姿を勝手に想起してしまうからだ。

 

 だから、彼女が欠片として怯まなかったのも必然だった。

 

「何、その喋り方。カッコつけてんの? 私のくせに真面目気取っちゃって、キモいんですけど」

 

 鈴谷が鈴谷に近付いた。挑発するように顔を歪めて、地に這いずる蚯蚓を見るかのような目で眼前に立つ。

 

「あら、鏡かと思ったら違ったのね。影が薄いから分からなかったわ」

 

 隻腕の吐き捨てるような皮肉を鼻で笑う。

 

「腕の有る無しも分かんないなんて、残ったお目々も節穴じゃん? せっかくだからくり抜いた方が良いんじゃないの?」

「それなら貴方のを頂けるかしら。貴方よりは有効活用できると思うのだけど」

「残念だけどアンタに施してあげるようなもんは持ってないでぇす」 

 

 こんなの鈴谷じゃない、と最上が誰にも聞こえない声で呟いた。二人共、普通という概念からは大きくかけ離れている。同じ艦である筈なのに、到底似ているようには見えなかった。全く同じ翡翠色の髪の毛でさえ別物に見える。

 

「ほら、その目玉くり抜いてあげますよ」

 

 小馬鹿にした態度で腕を掴んだ、彼女の姿が消えた。

 

 それを目で追えたのは、響くらいしか居なかっただろう。腕を捻り、足を刈り、最小限の動きで相手の体勢を崩す。掛けられた側すら何が起こったのか完全には理解できていないまま床に転がされた。

 

 倒れた鈴谷の感情がどう転ぶのかは誰の目から見ても明らかだった。

 

「落ち着け!」

 

 起き上がろうとした彼女の体を響が押さえつける。騒ぎを聞きつけてきた霞もそれに加わった。例の一件からリーダーシップを発揮し始めている彼女が二人の鈴谷の間に立つ。

 

「別に、これ以上どうこうするつもりは無いわ。先に突っかけてきたのはそちらでしょう?」

「分かってるわよ」

 

 言葉とは裏腹に睨みつけられて霞はたじろいた。しかし、それでも引き下がろうとはしない。

 

「まあ、油売ってる暇は無いし、私は帰るわ」

 

 彼女が踵を返した。背中に突き刺さるひっきりなしの罵声に顔をしかめて、ぐつぐつと湧き上がるソレを押し隠した。



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後悔先に立たず/5

「鈴谷をどうして離したの?」

 

 先生は資料から目を離して、霞の顔を見た。少し真面目に指揮を取っていない間にどうもたくましくなったものだ。わざわざ普段は立ち入らない本棟にまでやってきて聞きたいのはその事か。彼はペットボトルの蓋を開けた。コップに注ぐのも面倒になって直接口をつける。

 

「どうしてそんなことが知りたいんだ?」

 

 数日前から鈴谷を教練から外していた。理由は新しくやってきた方の鈴谷といざこざを起こし、不適格と認定されたから。人手が足りないのは以前変わらないので、本格的に事務仕事に回ってもらうと彼は言っていた。

 

「それで十分じゃないか」

「惚けないでよクズ教師」

 

 新しい三人がやってきてから、鈴谷は一度も教練に参加していないのだから、おかしいではないか。

 

「先生と呼ばれてはいるけど教師になったつもりは無いんだが。語呂の良さかそれは」

「そんなのどうだって良いでしょ」

 

 問題はそこじゃない。

 

「いざこざを起こしたと言ってもすぐさま干されるようなことじゃないわ。あれなら足柄を半殺しにした方がよっぽど危ない」

「判断するのは俺だ」

 

 彼はごくりと喉を鳴らした。冷蔵庫で冷やされていた黒い液体が一気に食堂を通り抜けていく。背筋の冷える気持ちの悪さに身震いした。端に残った苦味を噛み潰す。

 

「上官の命令は絶対。それが分からないのか」

「此処は鎮守府じゃないでしょ。私に上司なんて居ないわ」

 

 霞は堂々と言ってのける。確かに先生と呼び慕われる彼は霞の直属の上官ではない。あくまで施設の管理者であって、艦娘である彼女達の立場は曖昧なまま宙ぶらりんになっている。

 しかし、ここまではっきりと言葉にするのか。どうしてこの娘が今まで埋もれていたのかと、彼は自分の節穴を恥じる。たくましくなったの一言で片付けられるレベルではない。以前とはまるで別人だ。

 そして、その切っ掛けがどこにあったのかは、思案するまでも無かった。

 

 大きく溜め息を吐く。納得のいく答えがあるまで彼女は梃子でも動かないだろう。我慢勝負では、先に根負けするのは分かりきっていた。

 

「彼女自身が望んだんだよ。自分を教練から外してくれって」

「どうして」

 

 霞の詰問に彼は苦い顔をする。

 

「そんなこと俺は知らないよ」

 

 わざとらしく手で追い払う仕草をする様は、自分で聞きに行け、と言外に語っていた。

 

 

 

 

 

 

「こんな所に居たんだ」

 

 霞の声に彼女は振り返った。隻腕隻眼。欄干に肘をついて、くわえたタバコの灰が落ちる。鈴谷の瞳がすうっと細くなって相手を見つめる。

 

「こんな所まで来るなんてね」

 

 驚きと呆れが半々に入り混じった声色だった。

 彼女が居たのはアーセナルの本棟屋上。普段は立入禁止の場所で、当然許可など取っていない。尖った言い方をすれば鈴谷も霞も等しく軍規違反だ。

 

 兎に角、通常ならば艦娘が入ることは有り得ない場所である。先生も此処には来ないだろうし、彼女達の会話に横槍を入れる無粋者は居ない。

 

「タバコなんて吸ってたのね」

「娯楽なんてこんな物しか無いもの」

 

 煙と共に疲れた言葉を吐いた。無い、というよりは知らないと言う方が正しかった。ゲームやテレビや、或いは読書すらも彼女の居た場所には存在しなかった。

 

 霞は煙を気にすることなく彼女の隣に並んだ。罵声の一つでも浴びせたくなるような青空に紫煙が吸い込まれていくのを見上げる。

 

 何も聞いてこない霞に、鈴谷は苛立ちを隠さずタバコを噛んだ。どうしてなのだろうか。霞は彼女を恐れていなかった。最初は単に度胸があるだけだと思ったのだが、他の艦娘が恐怖を深めていくのに対して、彼女だけは水に溶いたように畏怖の念が消えていっているのを感じていた。

 

 鈴谷はタバコを落とした。地面に落ちた火種をヒールで潰す。

 

「何を聞きに来たのよ」

 

 ついに痺れを切らして鈴谷の方から話し掛けた。自分の憩いの場に土足で踏み込まれて気分の良い筈が無い。押し入り強盗のように傍若無人に暴れまわるのならば突き落とせば済む話だ。しかし、幽霊のようにその場に佇まれるだけでは、まさか読経する訳にもいかない。

 仮にも教官である筈の自分に文句を言いに来たわけでもあるまいし、聞きたいことがあるのならば手短に済ませてほしかった。

 

 先手を取られた霞は目を見開いて、口を金魚みたいにパクパクさせた後、観念して口を開いた。普段の強気な口調とは真逆の、消え入りそうな声だった。

 

「出撃って、怖いの?」

「…………っ」

 

 鈴谷は言葉に詰まった。喉を空気だけがひゅうひゅうと通り過ぎていった。

 

 出撃は艦娘の意義であり、義務であり、本懐だ。疑問が介在する余地などまるで無い。馬鹿なことを聞くものだと切り捨ててしまえばよいのに、それが出来なかった。

 

 きっと、霞はある程度察していて彼女に聞いたのだろう。笑い飛ばして誤魔化されることなく、真情を答えてくれる相手として求めたのだろう。

 

「怖いわ。少なくとも、私は怖い。普通はそうじゃないかもしれないけど」

 

 核心を突かれてなお逃げる勇気は鈴谷には無い。芯の折れ曲がった、聞くものを不安にさせる様であるが、言い間違えないよう確かに言葉を繋げる。

 

「そうなのね」

 

 良かった、と彼女は言った。

 

「貴方みたいに強くても、戦場は怖いんだもの。私が怖いと言ったって、何もおかしな事はないわ」

「貴方は戦場が怖いの?」

 

 いっそ無謀とすら思える程に勇敢な彼女が、熱くなっていた自分の目の前で足柄に手を貸してみせた彼女がそんなことを言うとは思わなかった。

 

「怖い。好き好んで行く人達の気が知れない。どうせ後悔するって分かってるのに」

 

 霞はちらりと鈴谷を見た。痛々しい眼帯と、本来通される筈の腕が無いためにぶらりと垂れ下がった袖。自分はこうなりたくない、と思わせるには十分だ。

 

「後悔したいのよ」

 

 鈴谷が呟いた。霞が完全に彼女の方へ向き直る。

 

「マゾヒストなのかしらね。進む先が地獄だと分かってて、それなのに見に行かなければ気が済まない。後悔先に立たずって言うでしょ。そこに行かなければ、後悔もないから」

「……やらぬ後悔よりやる後悔?」

「そんなとこでしょうね」

 

 忌々しげに吐き捨てた。現実を知り、恐怖を覚え、まさしく()()()()をした彼女には、ギラギラと目を輝かせて新たな船出を待つ此処の艦娘が気に食わなかった。

 

 正直な所、この話を受けた時はまさかここまで精神を痛めつけるものだとは思いもよらなかったのだ。足柄を見て、先生に見透かされて、そして()()()()と遭う。そこまでしてようやく納得がいったのだ。

 

「戦うのが嫌ならどうして貴方はここに居るのかしら」

 

 此の場所は望まなければ来ることは出来ない。戦場に行きたくないのであれば、解体を選ぶ道もあった筈だ。自分は答えたのだから、今度はそちらの番だと問い掛ける。

 

「それも怖いからよ」

 

 どういうことかと首を傾げる。

 

「私が出なかったら他の誰かが代わりに()()

 

 ()()ではなかった。

 

 彼女が言っているのは、けして死にたがりの艦娘ではないのだな、と鈴谷には分かった。

 

 自分一人では何も出来ない提督や、本当に何も知らない民間人。れっきとした人間に危害が及ぶ。それが彼女には我慢ならない。

 

「強いのね」

「強くないわ。私は、後悔したくないだけよ」

「貴方ならきっと悔いの無い生き方ができるわ」

 

 私には出来なかったけれど。そんな言葉は胸の奥にしまい込んだ。

 

 片手で器用にタバコをの蓋を開ける。くわえて、箱をポケットにしまい込むと、代わりにライターを取り出した。煙に乗ってもやもやが飛んでいってしまえば良いのに、心が晴れることはない。

 

 本当は分かっている。霞がそんなことを聞くためだけに自分を探していたのではないことを。そして、自分の答えでそれを萎縮させてしまったことを。

 

「先生に頼んで本格的に裏方に回らせて貰うわ。それでも、日が暮れる前なら時間が取れると思う」

「それって……」

 

 この小さな同類を死なせたくない、と思ってしまった。

 

「本当は習いたくて来たんでしょ」

 

 鈴谷の言葉に霞は頷いた。



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後悔先に立たず/6

「そこ! 三時の方向から砲撃!」

「はいっ!」

「遅い! それじゃ戦艦相手だと一発大破よ。艦の動きは一度忘れて、人間の小回りを活かしなさい!」

 

 夕日もそろそろ落ちる頃、海の上を動く影が二つ。

 

 鈴谷の鋭い指示に従って霞が必死に体を動かしていた。マンツーマンでの指導は、鈴谷が全体に向けて行なった教練よりも遥かに厳しい。口答えすることなど物理的に不可能だ。絶えず折れそうになる心を奮い立たせて、休みたいと希う体に鞭を打つ。

 

 最初の一日は終わった後に意識を失って、鈴谷に寝床まで運んでもらった。その時にもいざこざが起こっていたらしいが、先生が仲介に入ったおかげで事なきを得たという。

 

「五時の方向、雷撃用意!」

 

 それから三ヶ月。鈴谷の求めるレベルには遥かに及ばないが、少しずつその成果は出始めていた。

 条件反射的に発射管を持った左手を撚る。体ごと向き直っていては鈴谷の求めるスピードには到底追いつかない。わざわざ方角を教えてくれているのだからノールックで決めなければならない。

 

「射角がプラス六度もズレてる。そんなんじゃ簡単に避けられるわ!」

 

 厳しい声に発射寸前の左手を更に動かしていた修正する。正しい方角と、照準の合わせ方を目を使わず体で理解する。目を瞑って当てられるようになれば、目を開けたまま直撃させるなど容易いことだろう。

 

 どうして彼女が自分を鍛えてくれるつもりになったのか、霞は完全には理解できていない。ただ、自分に全霊を注いでくれているということは分かっている。

 

「今度は六時の方向に砲撃!」

「はい!」

 

 休む間もなく次の動きに映る。鈴谷の全身全霊に応えるには、自分も死ぬ気になるしかない。

 

「だいぶ見られるようにはなってきたかしら……」

 

 そう言いながら、鈴谷は視線を霞から逸らす。コンテナの置かれている桟橋近く。誰かが居たような気がした。

 

「気のせいかしら」

 

 きっと気のせいでは無いだろう。しかし、深海棲艦ならばもっと殺気を向けてくる。気配はとうに失せているし、たとえ誰か見ていたとしても、こちらに害意は無さそうだ。

 

「ほら、足を止めない!」

 

 何処かデジャヴュを感じながらも鈴谷は霞の教練に戻った。

 

 

 

 

「霞の動き、日に日に良くなってるわよね」

 

 二人の艦娘が鍛錬に汗を流しているのと同じ頃、広間のテーブルを囲んでいるのは足柄と響、それから最上と飛鷹の四人だ。

 

 豪快に飲み込む足柄とは対照的にちびりちびりとグラスに口をつけている最上が、それに答える。

 

「あの鈴谷()()に教わっているんでしょ。やっぱり凄い厳しいのかな」

「私は結局よく分かってないんだけど、あの鈴谷ってそんなに怖いの?」

 

 疑問符を浮かべるのは飛鷹。新入りの彼女は鈴谷同士が衝突した時は部屋に居た為に騒ぎに気付かず、三ヶ月前に起こった夜中の騒動の折には熟睡していた。実は幸運艦なのではと囁かれる程、彼女は騒ぎとは縁がなかった。

 

「駄目よ……あれは艦娘じゃないわ、化け物よ」

 

 飛鷹が尋ねた途端に足柄がガタガタと肩を震わせる。足柄の実力は付き合いの浅い飛鷹でも知るところだ。彼女がここまで怯えることになるとは、さぞや残虐な性格の持ち主なのだろう。新入りの鈴谷にすら関わろうとしない有様に、飛鷹は何度目かの結論を下す。

 

「でも、霞があんなに急に良くなるのなら、私も頼んでみようかしら」

「悪いことは言わないからやめときなさい。それは自殺行為よ」

 

 一層バイブレーションを大きくして飛鷹の肩を掴む。必死な顔で頼み込まれては飛鷹は何も言えない。

 

「諦めたほうが良いよ。今は霞しか見るつもりは無いんだって」

 

 横から口を挟んだのはさっきまで足柄以上のスピードで飲み干していた響だ。まるで聞いてきたような口振りに飛鷹は眉をひそめる。

 

「もしかして、既に行ったの」

「行ったよ。三日目くらいの時かな」

「響って勇気あるよねえ」

 

 僕なら怖くて声も掛けられないよ、と最上が若干引いた顔をした。足柄は顔面蒼白のままであるし、飛鷹はその行動力に感嘆する。

 

「もう嫌、早くここを出て何処でもいいからアレから離れたい」

「行った先に鈴谷が居たらどうするんだい?」

「逃げるわ。三十六計逃げるに如かずよ」

「よほどトラウマなのね」

 

 頭を抱える飢えた狼の背中をさすりながら、飛鷹があやす。

 

「素手で轟沈手前まで叩きのめされたから」

「やめて、思い出したくもない」

「まあまあ、生きてるんだし大丈夫だって……?」

 

 軽くフラッシュバックを起こしている足柄を三人係落ち着かせていると、響は不意に視線を感じて振り返って。広間の窓から見える外は落ちる直前の夕日で赤くなっているだけだ。

 

「どうしたの?」

 

 最上が心配そうな顔で聞いてくる。足柄の方はなんとか落ち着いたのだろう。勘違いだろうか、と思いながら響は一度置いたグラスを持ち直す。

 

「いや、さっき外から誰か見ていたような気がして」

「そう? 僕は全然感じなかったけど」

「私の勘違いかもしれないね」

 

 グラスに残っていた酒を飲み干した。

 

 

 

 

 

 

「いやまさか、本当に来るとは」

 

 珍しくコーヒーではなくラムネを飲みながら、呆れた声で先生が言った。いつもとは違う甘みに何とも言えない顔を浮かべる。土産だから飲んでいるが、普段はあまり好きではない。

 

「冗談だと思っていたのか? それこそ面白い冗談だ」

 

 向かい合っているのは、銀色の髪をたなびかせ、赤いインナーシャツに白いジャケットを肩掛けにしている女性。パイプを加える姿は如何にも姉御肌といった風体だ。

 

 Гангут(ガングート)。ロシア生まれの戦艦が、親しそうに彼に話しかけていた。当然、此のアーセナルの艦娘ではない。

 

「あのなあ、いったい何処の艦娘が所属ほっぽってお忍びでこんな所来るんだよ」

 

 鈴谷や他の艦娘と話す時とは違い、彼もだいぶ砕けた口調になっている。仕事抜きでの信頼関係がある相手だということなのだろう。

 

「ちゃんと提督からは許可を貰ってきたぞ。あいつも鈴谷のことを気にしていたみたいだからな」

「ブルネイに自分以外を気にする余裕があったとはね」

「ちょっと前ならともかく、今は少し落ち着いたからな」

 

 知っているだろう、とガングートが彼に問いかけると、彼も一応と頷いた。

 

「港湾夏姫だったっけ。偉い人のネーミングセンスはよく分からないな」

「ふざけた名前と格好でも実力は折り紙付きだったからな。性質が悪い」

「それでも撃破したんだろ?」

「私じゃなくて、大和だがな」

 

 ブルネイの大魔神と恐れられる戦艦の名前を挙げてブルネイの平定をアピールする。地獄と恐れられた最前線も、首魁を失って少しは勢いが弱まったということだろう。

 

「まあ数日程居座るからもてなせ」

「本当態度でかいなお前は」

「公式ではないが視察も兼ねているからな」

「視察って、ブルネイで生き残れそうな怪物がそう居るものかよ」

「たまには青田買いという奴だ」

「お前らじゃ田んぼに火をつけるようなもんだろ」

「案外そうならないかもしれんぞ?」

 

 軽口を叩き合う。ガングートの言葉に先生が首を傾げた。

 

「鈴谷はどうにもお気に入りを一人見つけたようだな」

「あー、ここに来る前に既に回ってんのかよ」

「私に気付けたのは一人だけだったな。アレには私に近い匂いを感じる」

「うん、誰だか分かったわ」

 

 空になったラムネの瓶をテーブルに置く。鈴谷になんと説明するか考えていると、ドアがノックされた。

 もうそんな時間か、と頭を抱える。

 

「戻ったわ、今日の仕事だけ……ど……」

 

 書類を脇に挟んだ鈴谷がガングートの姿を見て止まる。ばらばらと紙の束が地面に落ちた。ガングートは全く悪びれる様子も無く、ようと気さくに手を上げた。

 

「なんでアンタがここに居るのよ……」

 

 頭を抱えたいのは鈴谷も同じだった。



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後悔先に立たず/7

「えっと、それじゃあ聞いてもいいかしら」

 

 外からは楽しそうなロシア戦艦の声と、鈴谷の時とも変わらぬ悲鳴が聞こえる。せっかくだから一度ちゃんと見てみたい、ガングートがそう言ってきたのでこれ幸いと今日の指導を任せたのだ。

 聡明に見えて意外と抜けている彼女のことだから、鈴谷の時より容赦が無いだろう。足柄がさらにトラウマを併発しないか心配だ。そんな韜晦をしていた先生は鈴谷の声で現実に引き戻された。

 

「貴方が前に言っていた、ブルネイへの伝手っていうのがガングートってことで良いの?」

 

 昨日こそ夜も遅いからと誤魔化したが、鈴谷が先生とガングートの関係を疑るのは当然のことだろう。

 彼が前に言っていたブルネイの知り合い。誰か提督と繋がりがあるのかと思えばまさかの艦娘、それも超がつくほどの主力艦だ。本当ならば場末の将校でも無さそうな軍人と面識があるはずもない。

 どういう関係なのか、気にするのは当たり前のことだ。

 

「んー、まあ、合っていると言えば合っている」

「歯切れ悪いわね」

 

 何処まで話すべきか。彼は逡巡していた。別に過去に傷があるわけではない。顔合わせの時点で話しても良かった事柄なのだが、鈴谷のある言葉で思い留まったのだ。

 

 しかし、ガングートが来たのならば隠し通せることでもあるまい。それなら行き違いを引き起こしそうなあの戦艦よりも、自分の口で話した方が良いだろう。

 

「ガングートもそうだけど、赤城とか、大和とか、プリンツなんかもそうだね」

「待って、それってブルネイでも古参ばかりじゃない」

「うん、つまりはそういうことだよ」

「そういうことって……」

 

 それではまるで自分が提督だ、とでも言うようではないか。艦娘の異動が禁じられているように、提督もまた鎮守府を変えることはない。あるとすれば中央で元帥クラスの地位に就くか、逆に適正無しだと判断されて左遷されるか。どちらにしても、こんな所には来れない筈だ。当然、目の前の男はどちらにも見えない。

 

「君も()()の話には聞き覚えがあるだろう?」

「あっ」

 

 確かに聞き覚えがあった。鈴谷が建造される前の前、十年近く前にあったという特例のことを。

 

 当時、少将であったと言われるあるご老公が、最前線という言葉を狩場と勘違いしてむりやりに着任してきた事があった。その時、一人の若い提督が代わりに内地へ栄転したらしい。今なら彼と同じくらいの年齢だろう。

 

「……何の功績も無い人間に此処が管理できるわけ無いわよね」

 

 鈴谷が溜め息を吐く。

 

「元々最前線でそれなりに結果出したからね。憲兵もそういうところを見たんだろう」

「道理で初めて顔を合わせたとき、やけにブルネイのことを聞いてくると思った」

「古巣の事情は気になるもんさ。たとえ連絡は取っていたとしても、分からないことは幾つもある」

 

 ガングート以外とも連絡は取っていたが、分かっていたのは、誰か沈んだとか誰がまだ生きているとかそんな話ばかりだ。

 

「ちなみに、君を推薦したのもガングートだよ」

「なんとなくそんな気はしてたわ」

 

 そうでもなければわざわざブルネイに居た自分にお鉢が回ってくる筈もない。

 

 謎が解けて、少しだけ気持ちが軽くなった気がした。どうして自分が、という困惑がすっかり消えてなくなった。

 

「ねえ先生」

 

 鈴谷が問い掛ける。

 

「一つ聞いてもいいかしら」

 

 一つしこりが無くなって、そうしたら別の疑問が浮かび上がってきた。聞いてみても良いのだろうか、少し躊躇する。だが、好奇心には勝てなかった。

 

「なんだい」

 

 彼は特に気にすることもなく聞き返した。コーヒーには合わなさそうな煎餅の袋を破り、丸型の煎餅を四つに砕く。破片を一つ口に放り込んで、彼女の次の言葉を待った。

 

「どうして提督にならなかったの?」

「いや元提督だって……そんなことを言ってるんじゃないか」

 

 一瞬はぐらかそうとして思い直す。

 

 一度は内地に栄転したが、当の後任は数日で潰れた。そのまま何事も無かったように元の場所へ戻ることは不可能ではなかっただろうし、そうでなくとも新しい鎮守府にまた着任することも出来た筈だ。経験のある提督なんて喉から手が出る程有り難い存在だろう。

 

「なんていうかさ」

 

 唾液で柔らかくなった煎餅の欠片を喉に押し込む。お茶の片手間にする話には少し長くなるかもしれない。

 

「ノリについて行けなかったんだよね」

「ノリ?」

「そう。なんて例えれば良いかな……そう上手いのが出てこないんだけど」

 

 額に折り畳んだ人差し指を当てて考える。言葉に出来ない感覚を説明するのは難しい。

 

「帰りを待つ人間よりも、送り出す側の人間で有りたかったんだよね」

「それは、提督とは違うの?」

「全く違うっていうわけでも無いんだけど、ちょっと違うんだ」

 

 強いて例えるならば、スポーツチームの監督をやるよりも、熱心な一ファンでありたい。そんな感情が最も近いだろうか。

 提督という仕事は彼には少し重く感じられて、もっと無責任に応援していたかった。

 

 ただ、こんな例えをしても誰が理解できるだろう。少なくとも鈴谷には理解されない。彼は言葉に詰まってしまう。

 

「よく分からないけれど」

 

 ああでもない、こうでもない、と悩む先生の姿を見て、鈴谷が率直な感想を述べる。

 

「今の仕事がやりたかった、ってことで良いのかしら」

「うん、結果だけ言えばそんなところだ」

 

 物凄く簡潔にまとめられて思わず笑ってしまう。それらしい言葉で飾るよりも過程をすっ飛ばしてしまった方がいい早い。質問は「何故提督に戻らなかったのか」なのだから、彼女の答えで百点満点だ。

 

「後は、まあ、勿体無いって思ったんだよ」

「勿体無いって、艦娘が?」

「そうそう、気付いていない人も少なくないけど、艦娘って結構個人差が激しいから。既に居るから、って理由だけで解体されるのは実に忍びない」

 

 もしかしたら、有名な艦娘達に比肩する才能を持った艦娘が、そんな下らない理由で埋もれてしまったかもしれない。何か新しい道を模索する者が居たかもしれない。

 

「最初は、鹿屋か岩川にでも行ってゆったりやってようかとも思ったんだけど、憲兵隊に誘われてね」

 

 そうしてアーセナルは出来た。鹿屋基地や岩川基地のような予備戦力ではなく、積極的に艦娘を送り出す再生工場として。

 

「俺の話はこれくらいだけど、他に何かあるかい」

 

 きっと無いだろう、と彼は思っていた。長々と人に語れる程、驚天動地の人生は経験していない。今の分だってかなり水増しした方だ。

 

「そうね」

 

 鈴谷の雰囲気が少しだけ柔らかくなった気がした。

 

「一つだけ分かったことがあるわ」

「というと?」

「私は誰かを鍛えるのには向いてないわ」

 

 何のことだろうか、と先生の思考が一瞬停止する。彼女は彼女なりに悩んでいたのだろう、と気付いて彼は優しい笑みを浮かべた。

 

「それなら今まで通り書類仕事をやってくれれば良いさ」

「そうさせてもらうわ」

 

 鈴谷は机の上に積み重ねられた仕事を取り上げて笑った。




話が膨らみすぎてしまったので此処でこの話は一区切り。


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あきつ小噺

「あきつの空」「不発弾ども」を読んでからのほうが楽しめると思います。

秋津隊の毒にも薬にもならない話です


「隊長って犬派ですか、猫派ですか」

 

 呼び掛けられて、秋津は読んでいた本から顔を上げた。

 

 憲兵隊の庁舎にある、一つ大きな部屋。此処はいわゆる『秋津隊』と呼ばれる部隊の詰め所になっている。

 艦娘の失敗作と呼ばれる秋津という男を筆頭に、憲兵でも指折りの猛者が集うと噂の特殊部隊。その実態は隊長である彼が気に入った面々を引き抜いて出来た遊撃隊である。

 

 秋津や、長門のように事務も兼ねている面々にとっては仕事場の一つだが、秋津に話しかけた彼、遠藤保にとっては時間を潰す為の遊戯室のようなものだろう。実際、カーペットの床に座っていた彼の前には崩れたジェンガがあって、その向かいでプリンツ・オイゲンが頭を抱えている。タイマン勝負は遠藤に軍配が上がったようだ。

 

「唐突でありますな。それは単純な好みの話でありますか」

「うーん、じゃあ飼うとしたらってことで」

「それなら猫でありますな」

 

 えっ、と遠藤が驚いた声を上げた。

 

「ちょっと意外っすね。隊長は犬が好きだと思ってました」

 

 犬は忠実、猫は気まぐれとよく言われる。秋津のことだから自分の意に沿って動いてくれる犬の方を選ぶのだと思っていたが。そうでも無いのだろうか。

 

「実際、どちらも嫌いではないのでありますが」

「じゃあなんで猫なんです?」

「散歩とか手間掛かりそうで。猫の方が勝手に生きてくれそうで楽じゃないですか」

 

「あー、てっきり猫丸に懐かれてるからかと」

「これは付き纏われていると言うのであります」

 

 机の上で丸くなっている少女を指差しながら秋津は表情を歪めた。気持ち良さそうに寝ているが、この少女のせいで秋津は今日の分の仕事を諦めざるを得なくなったのだ。

 

「いいじゃないすか、何考えてるのか分からない同士」

「これは何も考えてないだけであります。むしろお前側でありますよ」

「うっわ、さらっとディスられた」

 

 俺だって色々考えているんですよー、と遠藤は不貞腐れる。その動作も三十手前の青年が取る行動にしては幼く見える。

 

「そもそも、なんでそんな話が?」

「いや、昨日アイオワと話してたんですよ。秋津隊(うち)って犬派と猫派どっちが多いんだろう、って。俺は犬派なんですけど」

「ちなみに私も犬派でーす」

 

 敗北のショックから立ち直ったプリンツが話に混ざってくる。現時点で犬派が二人、猫派が一人である。

 

「で、他の人にも聞こうと今思い出したんで」

「まさか全員に聞くつもりでありますか」

「全員というか、出会った人にはって感じですね。それとアイオワも犬派って言ってました」

「犬派多過ぎません?」

 

 自分も従えるのなら犬の方が都合は良いけれど。

 

「軍の犬ってことじゃないですか?」

「遠藤、それは流石に無理があると思う」

 

 憲兵ジョークをプリンツにバッサリと切られて泣き真似をする遠藤は放っておいて、秋津は片隅でふと考える。

 

 長門、は犬派のような気がする。ぐうすかと寝ている猫丸はそんなことを考えたことも無さそうだし、同族ということで猫派で良いだろう。これで四対二だ。他のメンバー的に猫派が優勢になることは有り得るだろうが。

 

「長月は、猫を可愛がっていたでありますな」

 

 拾った子猫を熱心に育てている部下のことを思い出す。動物を飼うとそちらに好みが傾くと言うし、彼女はきっと猫派だろう。

 

「そうですね、酒匂も良く一緒に可愛がってたし、二人は猫派だと思いますよー」

 

 一応はこれでトントンか。

 

「サラトガが分からないでありますなあ」

「どっちも行けそうですよねー」

「いっそハムスター派とかだったり」

「犬と猫の選択ではなかったのでありますか」

 

 他の動物も許せば群雄割拠になってしまう。犬派と猫派のどちらかを聞いているのにそれでは答えにならない。

 

「でもサラってそんな答え出しそうじゃないすか」

「流石にそこまでは抜けてないでありましょう」

 

 天然が少し入っているのは認める。

 

「っていうか、隊長丸くなりましたよね」

「話が急旋回したでありますな」

 

 遠心力で墜落しそうな舵の切り方だ。犬と猫は何処へ行ったのだろう。こういうのも天然と言うのだろうか、話の流れが分かってないポンコツにしか見えないが。

 

「でも隊長って前はこういう話乗ってくれませんでしたよね」

 

 プリンツにまで言われて秋津は眉をひそめる。自分の隊の隊員とはそれなりに関わってきたつもりだ。

 

「そうでしたっけ?」

「『そんな下らない話をしている暇があるなら、少しでも鍛錬していろ、であります』」

 

 プリンツの全く似ていない物真似に遠藤が吹き出した。似てる、似てる、と心無い賛辞を述べながら腹を抱えて笑い転げている。

 

「遠藤のその笑い方、結構傷付くんだけど」

「だって今のめっちゃ面白かったんですもん」

「これは久々に()()()が必要でありますな」

「えー、俺のせいっすかぁ!?」

 

 情けない悲鳴を上げる遠藤にけらけらと笑う残り二人。

 

「なんだなんだ、楽しそうなことをやっているな」

「あ、長門。もう会議終わったんだ」

「一応はな。隊長、報告書はいつまでに出せば良い?」

「とりあえず明日の朝一までに体裁を整えれば問題ないでありますよ。どうせ私が予想していたのとたいした違いはないでありましょう?」

「まったく予想通りだったよ」

 

 秋津の腹心として地道に実績作りを重ねているビッグセブンはそれでも疲れたと、遠藤やプリンツと同じようにカーペットに座り込んだ。椅子に座っているのは秋津だけだ。会議室にすることもあって椅子が無いわけでは無いのだが、運び出すのが面倒くさいらしい。

 

「あ、そうだ。長門さんって犬派? 猫派?」

 

 思い出したように遠藤が問い掛けると、長門は即答する。

 

「猫派」

 

 えっ、と今度は三人の声が重なった。どうやら秋津と同じように他の二人も長門は犬派だと思い込んでいたようだった。

 長門もそれは察して顔をしかめる。

 

「なんだ? 別に猫好きだって構わないだろう。私も時々長月に触らせてもらいに行くぞ?」

「いやー、意外だったから。イメージってアテにならないものね」

「犬派の方が圧倒的だと思ってたら猫派の天下だったでござるの巻」

「そんなに猫派が多いイメージが無いのだが……」

 

 長門的にも犬派が多数派のイメージは強かったらしい。やはり憲兵隊そのものにそういう印象があるのだろうか。犬は群れで生きるものであるし、軍の犬というのもあながち笑えないかもしれない。

 

「私と、長月と、酒匂。おまけに猫丸。意外に多いか、でも半分いかないくらいじゃないか」

「それが隊長も猫派だったんですよ」

「嘘だろ」

 

 今度は秋津がむっとした。自分がイメージで決めつけていたことは棚に上げているようだった。

 

「嘘つく必要が何処にあるのでありますか」

「犬派と信じていた二人が猫派だった時の裏切られた気分は凄まじいものでありますぅ」

 

 飛んできたボールペンが額にクリーンヒットして呻いている遠藤は無視することにして。

 

「これで私と長門、長月、酒匂。おまけに猫丸の五人が猫派。遠藤とプリンツ、それからアイオワの三人が犬派でありますな」

「まだサラトガの答え如何では犬派も競れますね」

「彼女は今日何をしていたでありますかな……」

 

 確か軽い仕事を単独で任せていたような気がする。人事を思い返していると控えめにドアを叩く音が聞こえた。こういうノックをするのはサラトガだ。

 

 なんとタイミングの良いことか。恐るべき速さで復帰した遠藤がドアを開ける。

 

「サラ、犬派? 猫派?」

「えっなんですかいきなり?」

「良いから」

 

 遠藤に畳み掛けられてさらにが言葉に詰まる。残りのメンバーもまったく予想が出来ず、じっと固唾を呑んでサラトガの答えを待った。

 

「えー、とカピバラですかね」

 

 ハムスター以上の変化球だった。



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ホットドッグでも食べながら

 私が秋津(あきつ)(みこと)という男の名を聞いたのは去年の秋口のことだった。しがないルポライターであった私は、知己である某雑誌の編集長からその名前を聞かされたのだ。

 

 彼が言う事には、その男は憲兵隊の重鎮であったらしい。それにも関わらず、情報が殆ど残されていないのだ、とも言った。

 憲兵隊といえば、今は無き海軍組織でも指折りのブラックボックスだった。名前が知られているのは、創設者である今村神州御大と、憲兵の顔として有名な戦艦長門──当然退役した今は異なる名前を使用している──くらいのもので、その内部構造は今でも民間人には秘匿されている。

 底の見えない組織なのだから、裏の実力者が居ても可笑しなことは無いだろう。私としてはそこまで興味をそそられる話では無かったが、ちょうど話の種が尽きていたこともあって、二つ返事で調査を請け負った。

 

 件の編集長が集めたなけなしの資料を鞄に入れた私は、先ず一目散に家へと帰った。時刻はまだ昼頃であったが、手掛かりもなしに、街を歩き回る労力を惜しんだからである。それに、こういうことに詳しそうな人には心当たりもあった。

 

 少々私事になってしまうが、私の家内は元艦娘である。それも横須賀の二大金剛(注釈※1)と呼ばれ、第一線で戦い続けた武勲艦であった。その彼女ならば秋津尊についても何か知っているかもしれない、という期待が私の胸にはあったのだ。

 

 家に帰って、早速家内に聞いてみると、いとも簡単に知っているという答えが返ってきた。

 

「憲兵隊のナンバー2」という看板に偽りは無いらしい。駄目元で連絡が取れないか聞いてみると、自分では無理だと返ってきた。ただ、連絡が取れるかもしれない人物ならば知っていると言う。

 

 教えてくれと頼むと彼女は一言「最近二人で出掛けていないネー」

 

 我が妻ながら抜け目の無い人である。こちらが一段落したら、デートプランも練らなければならないようだ。

 

 

 

 

 

 

 家内が紹介してくれたのは、なんとあの戦艦長門だった。インターフォンを押す時(注釈※2)から柄にもなく緊張してしまい、粗相が無かっただろうかと今になって恐ろしくなってしまう。

 

 当然、彼女には人間としての名前があるのだが、ここではプライバシーの保護も兼ねて、他のメディアでも使われる長門という名前で記させて頂く。

 

 話が本当であれば、秋津尊は彼女よりも高い地位に居たということになる。確かめてみると、まさしくその通りだと頷いてくれた。

 それどころか、長門さんを憲兵隊に呼び入れたのがその秋津尊であるらしい。

 

 自分が最も尊敬する人だ。と彼女は言った。海軍で最も恐れられた艦娘と呼ばれた彼女が尊敬している。秋津尊への興味が否応無しに強まっていった。

 

 秋津尊に連絡が取れないか。家内にしたのと同じ質問をしてみると、長門さんは首を振った。彼女が落ち着いた頃には既に疎遠になってしまったという。憲兵隊のナンバー2ではあったが、表に出る仕事は全て長門さんの領分だったらしい。最も、そうでもなければ例の知己が私に話を振ることもなかったのだろうが。

 

 せっかく近付けたのだが、と心内で残念に思っていると、代わりに他の人間を紹介してくれるという。

 

 もしかしたら、そちらならば連絡が取れるかもしれない。私はさらに期待を強めていた。

 

 

 

 

 

 

 長門さんから紹介された住所を訪ねてみると、私より干支一回り程上の男性(注釈※3)が出迎えてくれた。ここでは名前を仮にEさんとしておく。Eさんは秋津尊の部下であったと教えてくれた。さらに言えば、彼の妻も同じく部下であったという。職場結婚という奴だ。

 それにしては随分年齢が離れているな(注釈※4)と素直な感想を口にすると彼はこっそりと、彼女が元艦娘であると教えてくれた。

 軍人であれば可笑しなことでも無いのだろうが、私の場合、同じように艦娘の妻を娶った人物と話すのは初めてであった為、そこで大幅に話がそれてしまった。

 

 雑談に落ち着きそうになった話をむりやり軌道修正して、秋津尊と連絡が取れないか訪ねてみると、Eさんは首を捻りながら「すぐには難しいかもしれない」と言った。

 連絡手段はあるらしいが、繋がるかどうかは分からないとのことだった。秋津尊という男は、意外にもそういったことにはルーズであるらしい。

 

 ならば、直接会いに行くことはできないかと尋ねてみるとそれもノー。秋津尊は家無しで各地の宿を渡り歩きながら日本中を旅していると言うのである。

 

「今は中国地方辺りに居るんじゃないか」とはEさんの言葉をそのまま著したものであるが、横須賀から太平洋沿いに北上し、ぐるりと一回りして今そこなのだとか。三年を掛けてまだそこだと言うのだから随分と長い旅をしているらしい。

 

 連絡が着いたら教えてほしいと伝えてその場はお暇させて頂いた。

 

 こちらは本筋からは逸れるのだが、Eさんと私の間に奇妙な縁故が存在したので、メモ代わりにここにも記しておく。

 

 帰り際にEさんが私に突然こんなことを聞いてきた。父親とか、叔父とかに同じようにジャーナリストをやっている者は居ないだろうか、と。私は驚きながらも居ると答えた。

 私の叔父がルポライターをやっている。あまり話す訳ではないが、私がこの仕事を選んだ理由に叔父の存在がなかったと言えば嘘になる。

 

 Eさんは私の言葉に満足そうに頷いていた。それがどうしたのか、と聞いてみると、Eさんは「その叔父に会ったことがある」と言ったのだ。興味本位で詳しく話を聞いてみると、衝撃の事実が判明した。

 

 なんとEさんは『ダイアモンド・クルーズ号の悲劇』(注釈※5)の生き残りだったと言うのだ。

 私の叔父は確かに当時ダイアモンド・クルーズ号の事故について調べていたが、その折に話を受けたのだという。

 

 その事故があって軍人を選んだのか。聞くことは憚られたが、Eさんは自分から教えてくれた。むしろあの事故の生き残りで軍人になった人は多いのだと。彼以外にも二人はなっていると言う。

 

 叔父に会ったら元気だと伝えてほしいと言われ、了承した。その日は、彼らのような、悲劇の事故からの生き残りについて書いてみても良いかもしれないと思いながら帰路に着いた。

 

 

 

 

 

 

 だいたい一ヶ月程後のことである。Eさんから連絡があり、私は山口のとある港町に来ていた。Eさんから教えられて、私は初めて名前を聞いたような、観光地とはかけ離れた土地であったが、ここで秋津尊と落ち合う約束になっていた。

 

 家内から渡された土産のひよこ饅頭を抱えて待っていると、秋津尊──ここからは敬意を込めて秋津さんと呼ばせていただこう──が橋の向こうからやって来た。前もって話は聞いていたが、会ってみるとその幼さに驚かされる。

 

 妻を紹介しながら土産を渡すと、秋津さんは顔をほころばせた。あのじゃじゃ馬が、と歯に衣着せぬ言い方から、家内との仲は悪くなかったらしい。

 

 ホットドッグでも食べましょうか、と秋津さんは私を路上販売のホットドッグ屋まで案内してくれた。美味しいのだと言うが、元憲兵隊のナンバー2が食べるには安っぽすぎないだろうか、と考えていると、秋津さんは見抜いているかのように笑っていた。

 

 歩きながら食べられるのが良いのです、と彼は言っていた。高級料亭に連れてこられても、私が困るだけだったのでありがたいと言えばありがたい。海沿いに、ホットドッグを食べながら歩いて話をした。こちらの詳細については諸君らの知る通り(注釈※6)であろう。

 

 幾つか話を聞いて最後に私は尋ねた。

 

「憲兵隊という仕事は貴方にとってどうだったのか」

 

 不躾な質問だったが、秋津さんは真剣に答えてくれた。

 

「人生でありました」と。

 

 別れ際、彼の連絡先は貰っておいたが、鳴らす機会があるかは分からない。

 

 こうやって書いている最中にも、秋津さんは何処かを旅しているのだろう。そう、ホットドッグでも食べながら。

 

 

 

 

 

 

注釈※1 二大金剛のどちらであるかは伏しておく

  ※2 警備員の配備された邸宅など初めて訪ねた

  ※3 私が三十路手前なので、四十代くらいである

  ※4 奥さんは私よりも若く見えたので、二十近く離れているだろう

  ※5 2***年○月某日に起こった、豪華客船が深海棲艦に襲われた事故。およそ千六百人の乗客のうち生存者は二十人程度しか居なかった。その内三人が軍人になったというのだから、驚愕に値する

  ※6 6月号に掲載された『海軍を陰で支えた男』を御一読願いたい



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Burnout Syndrome

全然書く隙が無いけれど生存確認兼ねて短いのを。


「天龍は、人間になったら何がしたい?」

 

 唐突に話題を振られて天龍は顔を上げた。薄い壁紙を貼り付けただけの壁に預けていた背中がぴしりと音を立てた。質問の主である木曾は机に向かって何かを書いている。真面目な話ではないようだ。

 

 随分熱心に書いているが、さてはラブレターか、と天龍は当たりをつけた。木曾がここの提督に()()なのは誰もが知っていることだ。球磨や多摩は姉として優しく見守っているし、北上大井は気にすることもない。同室の天龍は無自覚な惚気話を辟易する程聞かされている。提督の方も満更ではない様子で、二人の恋路を阻むのは人間と艦娘という種族の違いだけだった。

 

 きっと、彼女は人間になったら提督と結ばれるのだろう。カッコカリなどではなく、本当に伴侶として生きていくのだろう。それを微笑ましいとは思ったが、羨ましいとは思わなかった。

 

「俺は、人間になるつもりは無えよ」

「……なんだって?」

 

 天龍の言葉に木曾は訝しげに振り返った。意外だ。そう思っているかのようだった。それが何だか無性に腹が立った。まるで、艦娘は人間になるのが当たり前だと言われたかのようで、深海棲艦に抱いていたものにも似た殺意が湧いた。ヒステリーを起こして叫び回っても良かったが、そんな気力も絞り出せなくて、固い壁に再び体を預ける。

 

「提督にも言ったさ。俺は普通の解体にしてもらうって」

「お前、自分で何を言っているのか分かってるのか?」

「おうよ」

 

 普通の解体。艦娘の人間化を否定するその言葉は、言ってしまえば殺処分だ。ぶうぶうと泣いている豚を、肉にすることもなく首を落とす。或いは、人間らしい呼び方をするなら安楽死といっても通じるだろうか。是非は別として、兎にも角にも、彼女という存在をこの世から抹消することであった。

 

「悪いけど、弱っちい人間になってまで生き続けたくはねえな。楽しみが待ってるわけでもねえし、軍艦は軍艦らしく、平和な海に沈むべきだろ」

「本気か」

「冗談だとでも?」

 

 木曾は天龍の目を見た。不機嫌そうに見えた。しかし、駆逐艦などによくある、人間になることへの恐れは無いように見えた。

 彼女はもしかしたら、誰よりも軍艦であったのかもしれない。人を守り、人を愛し、自己の存在が矛盾を孕んでいることを自覚した鉄塊。人を好いていたからこそ、共に生きることを選べなかった。

 

「お前が……」

 

 居なくなったら、寂しくなるな。そう言おうとしてやめた。自分の勝手な都合だと分かっていた。彼女への侮辱だと分かっていた。天龍は、天龍なりに考えて答えを出したのだと分かっていた。

 そして、彼女達の提督が認めた。木曾が敬愛する彼でも動かせなかった決意を、自分が動かすことは不可能なように木曾には思えた。

 

「なあ、明日にでもちょっと出掛けないか?」

「なんだよ薮から棒に」

「いや、思い出を、作ろうと思ってな」 

「思い出?」

 

 天龍が語尾を上げた。

 

「俺はそんなもの」

「俺が欲しいんだよ」

 

 言葉を遮った。吐いた息の行き場をなくして天龍は空虚に口を動かした。

 

「お前との思い出が、砲火で焦げ臭い海の上じゃあんまりだ。山でも、海でも、何処でもいい。平和な今に、お前が居たんだと思わせてくれ」

「……ハッ、ロマンチストだな、お前はよ」

「別に良いだろ?」

「待ってろ。提督に明日非番にしてもらえないか聞いてくるわ」

 

 天龍は立ち上がった。明日は出撃の日だったが、見かけばかりの哨戒任務よりも木曾と一日を過ごす方が有意義に思えた。きっと、提督も同じことを思うだろう。

 

「ああ、そうだ。書き上がったんならそのラブレターも一緒に持ってってやろうか?」

「な、お前、馬鹿」

「冗談だっての。手紙くらい自分で渡せ」

 

 背後から聞こえる甘酸っぱい罵声を聞き流して、天龍は部屋を出た。



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あきつ小噺2

せっかくのバレンタイン(一日遅れ)なので。
なお、山無し落ち無しで甘い話は御座いません。


「隊長! バレンタインデーです!」

「今年もこの季節でありますか」

 

 ニコニコ笑顔の酒匂とは対照的に難しい表情の秋津。今日の日付は二月十四日。酒匂が行った通りバレンタインデーだ。いつの頃からかこの製菓会社の陰謀は憲兵隊にも伝染しており、たった今一つ追加された秋津の机には、憲兵隊に所属する艦娘達から渡されたチョコが山を為していた。もちろん、人間が好むチョコは艦娘に毒であるので間宮アイスや伊良湖最中の系譜を継ぐ艦娘用に精錬されたチョコもどきである。

 量が多いとはいえ、古株である秋津に渡すのは礼儀といった意味合いがほぼ十割を占めている上、秋津自身がこの手のお祭り騒ぎを好まないことから大抵はごみ捨て場か長門の胃袋行きになるのが関の山なのだが、酒匂を含め秋津隊などの面々は秋津が最近になって穏やかになったことにも気が付いている。

 

「やっぱり要らないですか?」

「申し訳ないでありますな」

 

 断るのはいつも通り。ただし断り方が昔とは違っていた。

 

「全て終わるまでは、と誓っていますので」

 

 艦娘が人間になる技術は開発されている。戦争が終わって、自身が人間となるまで、食事をしないことを秋津は決めていた。それに意味があるのか、と問われれば無いだろう。元々資源の無駄であると口にしなかったのだから今までと変わらないとも言える。それでも誓いを立てたのは、あるクッキー好きの研究者の姿が人間らしく思えたからなのだろうか。

 

「そっかぁ、じゃあ仕方ないですね!」

 

 最初から分かっていたのか、酒匂はめげることも無い。爛漫な笑顔で研究室に行ってきます、と部屋を飛び出していく。入れ替わるようにして入ってきたのはプリンツだった。

 

「たいちょー、念の為今年も持ってきましたよ」

「以前戦況に変わりなし、であります」

「知ってました」

 

 山のわざわざ頂上にラッピングされたチョコを乗せてバランスゲームを始めるプリンツに溜息を吐く。

 

「食べたければどうぞ」

「それ目の前で言いますか」

「食べ物で遊んでる者に言われたくないであります。それか、酒匂に続いて研究室に持っていけば喜ばれるかもしれませんな。あそこは酒匂以外男所帯でありますから」

「東さんが糖尿病になるからってお菓子禁止令出てませんでしたっけ」

「あれは不摂生が原因でありますから今日くらいは無礼講にしておいても問題ないであります」

 

 研究室の主任らしからぬ好青年の顔を思い浮かべつつ、艦娘の力であのサバトが緩和されるのなら体調など安いものだろうと秋津は切って捨てる。

 

「ああ、赤城に食わせるのもありでありましたな」

「これ甲壱部隊まで持っていくんですか?」

 

 二人でチョコの山をしばらく睨みつける。暴力的なまでの糖とカカオの塊はうんともすんとも言わない。やがて根負けしたように秋津が帽子を被り直した。

 

「長門に任せるのが適任でありますな」

「結局いつも通りですね」

 

 それでは私は長月達にも渡してきますね、とプリンツが部屋を出ていく。チョコをどうにかしなければ執務もままならない、とどうするべきか悩んでいると控えめなノックの音がした。

 

「Hi! サラです」

「貴官らもすっかり慣れ親しんでいるでありますな」

「せっかくのpartyですから。隊長もどうぞ」

「例年通りの扱いで良ければ、とサラトガ」

 

 山に乗せられたそれを見て秋津が顔をしかめる。

 

「それは人間用のではありませんか」

「えっ」

 

 本当に気が付いていなかったのかサラトガが慌てて確認する。秋津の気になった通り、人間が好む(艦娘には毒の)純正チョコレートであった。

 

「sorry……間違えました」

「……他の艦娘に渡したりしてないでありましょうな」

「今日渡したのはアイオワと、プリンツと……」

「ああ、その二人なら大丈夫でありましょう」

 

 こんな日にそんな理由で沈んだとあっては笑いものにもならない。ちゃんと他にも注意喚起しておくべきかと頭を悩ませる。その時、サラトガが何かに気づいた。

 

「隊長、人間用のchocolateがここにも。それに既製品ですね」

「ああ、それは気にしないでいいでありますよ」

 

 恒例行事であります。と、秋津は山に埋もれていた元号由来の成果メーカーから発売されている板チョコを持ち上げて横に除ける。無いとは思うが、長門に押し付けるときに間違って食べてしまっては危険だ。

 

「分かっててpresentする人がいらっしゃるんですか?」

「ええまあ、恨み節というか、嫌がらせというか。特に気にすることもないであります」

「隊長がそういうのなら良いのですが」

「そんなことよりも、乙弐部隊から、ボーキサイトの収支が合わないと報告が上がったのでありますが」

「それではサラはお暇させて頂きますね」

 

 顔を引きつらせてそそくさと踵を返すサラトガの背中にドスの利いた声でまた後で、と死刑宣告してから、そろそろチョコをどうにかしなければ、と秋津も考え始める。何故だかここ数年でチョコの量が増えてきているし、幾ら長門でもこの量は一人で食べられるものでもないだろう。今年はアイオワにも手伝わせようか。戦艦二人ならば処理もできる。

 

「おっと、今年はまた一段と埋もれているな、隊長」

「一位殿には構いませんよ」

 

 ちょうどよいタイミングで入ってくる長門に皮肉混じりに返す。有志が意味も無く毎年チョコの総数を測っていて、去年は長門が一番チョコを貰っていた。人間に渡す分は艦娘が味見できない為に敬遠されがちで、手作りに拘る艦娘は同じ艦娘に渡すことが多いのだ。それでも二位に人間がつけているのはやはり男女差か。ちなみに秋津は三位であった。

 

「はは、しかしこれだけ多くもなると一人で平らげるのは難しそうだ」

「ええ本当に。アイオワも呼んできましょうか」

「それは妙案だ」

 

 長門が放り投げたものをキャッチする。不格好に包装された包みからはカカオ豆とは微妙に異なる香りがする。

 

「自分の腹に入ると分かっているのに、毎度わざわざ何故手作りするのやら」

「自分の腹に入るのなら良いものにしたいからな。後はまあ、形にしておくのは大事だろう」

「まあ、それもそうかもしれませんが」

「それより、酒々井は今年も人間用か?」

「ええ、相変わらず。まあ自業自得でありますから気にすることは無いでありますよ」

「私は詳しいことは知らないが」

「どうにかするには、私が気付くのか遅すぎたのであります」

 

 貴官の頭を悩ませることではない。そんなことを言われては長門にはもう何も言えなかった。

 

「さあ、食べるなりアイオワを呼ぶなり早くしてくれであります。このまま机を占拠されては敵わない」

「……そうだな」

 

 積み上がった頂上の包装を剥がして長門は口に含む。誰の作だったか、さっき自分が食べたのと同じ味だ。それも当たり前か、と思いつつ咀嚼していると、またしてもドアが、今度は勢い良く、開く。そこには息を切らしたアイオワが。

 

「どうしたでありますか」

 

 ただ事では無いと秋津が目を鋭くする。

 

「エンドーがうっかりサラトガからのチョコを食べちゃったの!」

「……それに何か問題が?」

「もしかして……人間用と艦娘用をまた間違えたのでありますか」

 

 アイオワがこくりと頷く。状況が読み込めない長門と違い、さっきのやり取りからどんな惨劇が起こったか理解した秋津が眉間を押さえた。

 

「なんであのアホは何か引き起こすのでありますか……」

 

 この日に一番の溜め息だった。

 

 ちなみに、遠藤はそれから三日間寝込んだ。




秋津はたくさん貰えるけど本命は貰えない。

名前だけ出てきた東や酒々井については別の作品で登場する、と思います。


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そこには何も無いけれど

「練度、ねえ」

 

 提督は訝しげにその言葉を口にした。普段から鉄面皮を崩さない彼らしくもない、困惑に満ちた表情だった。その気持ちはよく分かる、と陽炎も心の中で頷く。死ぬまで進め、死んでも進め。ずっとそう教えられてきたのだ。今更掌を返されても困る。

 

 提督の次の言葉は予想外だった。

 

「まあ何にしろ、途中撤退の大義名分が出来たのは良いことだわな」

「司令は練度なんてものを信じてるの?」

 

 乗員が居るのならば、練度は確かに重要視されて然るべきだろう。しかし、ここに居るのは兵器そのもの。兵器が、刀や銃が学ぶか、と問われればノーと答える他ない。

 

「いや半信半疑。っていうかあんまり信じてない」

 

 けどねえ、と提督は瓶から錠剤を取り出して一息に煽った。

 

「子供を死地に送り込むのは胃に優しくないのよ」

「私達は兵器よ?」

「そう割り切れたら楽なんだけどねえ」

 

 彼と彼女においての絶対的な隔たりがそこにはあった。提督は彼女達を死なせたくはなかった。たとえ、彼女達自身が玉砕を望んでいたとしても。鳥も食わない偽善を振り回したいのではない。ただ、自身の心が蝕まれていくのをうっすらと理解していたからだ。

 

「何においても、自分で引き金を引くのはやってられないさ」

 

 こんな話を知っているかい。提督は何の役にも立たない雑学を意味ありげに披露しようとする。

 

「何故、銃殺隊は複数人で組織されるのか」

「あのね、私達は昔から軍の船よ? 知らないわけがないでしょうか」

 

 陽炎は呆れ顔で首を振った。銃殺隊。軍事裁判における最も有名な処刑法として銃殺刑は存在する。それは複数人で同時に撃ち殺すというものだ。そうすることで、苦しませることなく確実に殺せる。それだけでなく、()()()()()()()()()()()()()

 

 感情の乖離はともかくとして、提督の言いたいことは陽炎にも分かった。確かに、今の彼は一人だけの執行人に近いのかもしれない。

 

 それでも意外だった。この男にまさか人の情があったのかと。

 

 陽炎の視線に気付いた提督が表情を曇らせる。

 

「何だ、そんな鬼の目にも涙があったのか、みたいな顔は」

「もっと冷徹に差配する人だと思ってたわ」

「人間はね、見た目に随分と左右される生物なんだよ」

 

 子供を送り込むのは嫌いだ。彼は改めて言った。

 

「僕には今年で十になる娘が居てね」

 

 初耳だった。まだこの男に出会ってから数日程度しか共にしていないとはいえ、彼は恋人に電話をかける素振りも見せていなかった。

 

 陽炎は彼の伴侶という言葉に気を取られて、一瞬もっと重要なことに気が付けなかった。幸か不幸か、本来訊ねるべき疑問は、彼が再び口を開く前になされる。

 

「十歳って、それ……」

「生まれた直後だったけど、新生児ということで別室に移されていたから、生き延びたらしい」

 

 十年前、誰もが知っている大災害がある。西暦にして二十世紀最後の年に起きた深海棲艦による本土上陸。当時の日本の人口をおよそ半分にしたとさえ言われ、横文字並べの外国では、ミレニアム・ラグナロクと呼称される()()が起こった年に産まれた赤子。提督の()()()()()()()()()()()()()()()()という言葉は、彼の妻がどのような結末を迎えたのか想像するには十分だった。

 

「こんな職業だから、娘にもめったに会えない。内陸で難を逃れた親戚の家に預けているからね。機密もあるし、年に一度でも顔を見れればマシな方さ」

 

 陽炎は産まれて、産み出されて数日だ。彼の言葉を実感として受け取る事はできない。だから彼女は黙っている。陽炎型長女として生まれ持った気質だろうか。聞き手に徹し、彼の心情吐露を受け止めようとしている。

 

「こんな御時世だ。なりふり構っちゃいられないのは分かってる。僕だってこうなることを半ば分かっていてこの任に着いているんだ。けどよ」

 

 だけど。

 

「どうして、娘と同じくらいの子を死に追いやらなければならない!」

 

 口調に伴わず、彼の表情は殆ど歪んでいなかった。それは軍人としての最後の矜持であったのかもしれない。臆面もなく泣き喚けばもう立ち上がれない。出来上がってしまった彼という芯は、一度折れればもう元には戻らない。

 

「…………」

 

 陽炎は黙っていた。反論は幾つもあった。それは全て艦娘の視点から来るものだった。彼女には人間の気持ちは分からない。人間に例えてみれば、何故生きるのか、と問われているようなものだ。戦船である彼女達にとって、海に出るのは本来息をすることに等しい。

 

 これは時の状況を廃した言葉であるが、練度というものが周知された後の艦娘ならば彼の言葉に共感することもあっただろう。良くも悪くも()()()()()()頃の艦娘であれば、彼と同じように自分を持ち、自分という存在に悩む者は少なくなかった筈だ。

 

 陽炎は違った。沈むまで進め、命を捨ててより多くの敵を道連れにせよ。彼女の存在意義はそこに在る。

 

「私は沈まないわ」

 

 それを鑑みれば、彼女の言葉は何よりも深い慈愛を持って放たれたものだったと分かるだろう。

 

「戦艦に追い立てられようと、空母に退路を塞がれようと、魚雷が目の前に迫っていたって」

 

 陽炎とは止まらない。

 

「どんな死地からでも、私は必ず敵を撃滅して帰ってくる」

 

 だから。

 

「だから心配要らないわ」

 

 提督はじっと陽炎を見た。彼女が本気で言っていることも、それが不可能であることも。何より彼には慰めにすらならないことも分かっていた。

 

 だから。

 

「そうか。それは安心だな」

 

 彼は言葉だけでも笑ってみせた。それが彼女に対する礼儀であり、そうしなければ全てが無駄になってしまうから。

 

 陽炎は自分の髪を括っていた黄色のリボンを解く。解放されたオレンジ色の髪がふわりと浮いて、重力にしたがって落ちる。

 

「これはその証」

「僕に持っていろと?」

 

 差し出されたそれを、ためらいがちに受け取る。証にも何にもならない。艦娘が使っていた、ということさえ除けば本当にただのリボンだ。

 

「それを司令が持っている限り、私は必ず帰ってくる」

「信じるよ」

 

 それ以上の会話はそこには無かった。

 

 

 

 

 

 

 彼は朝日に照らされて目を覚ました。寂しくなった頭髪を撫でながら、小柄なベッドから身体を起こす。枕元の時計を見て、なるほど、と思い出したように、その下の引き出しを開けた。そこにあるのは黄色のリボン。汚れて、ボロボロになっているが切れてはいない。

 

 端末が音を鳴らしていた。瞼を擦りつつボタンをタップする。

 

「分かってるって。言われなくたって」

 

 耳にも当てずその一言だけ言い放つ。それだけで端末は満足して沈黙する。

 

 黄色のリボンを腕に巻き、顔を洗う為に洗面台へと向かう。その足取りは軽い。

 

 小綺麗に整えて、朝食のトーストをかじる。何本か差し歯になっていて、どうも食べにくさが抜けない。無理矢理コーヒーで流し込んで、クローゼットから物々しい黒のスーツを取り出す。

 

 つうっ、と涙が流れた。涙脆くなってしまったものだと彼は思う。昔であれば、もっと我慢できた筈なのに。

 

「さて、あの嘘吐きに会ってくるかねえ」

 

 それが終わったら、娘の家に行って久々に孫の顔を見よう。黒い革靴を履いて彼は玄関の扉を開けた。

 

 雲は所々に見られる物の、白い雲は太陽を隠すことなく去っていく。朝も早いというのに頭が痛くなるほど蝉が鳴いていた。これでは、到着する頃にはヘトヘトになっているかもしれない。

 

 何処かの自動販売機で茶でも買おう。右手はポケットに元々入れてあった小銭を触ってじゃらじゃらと鳴らし、左手ではハンカチーフで額に滲む汗を拭いながら、彼はコンクリートで舗装された道を歩く。

 

 その先には、陽炎がゆらゆらと揺れていた。




陽炎は確かにそこにある


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Kanoya Navy Station/1

ふと書きさしの作品が目に止まり、きちんと完成させてみる。
またこの作品を続けるかはどうだろう


「ふんふんふふーん」

 

 鼻歌を歌いながら少女が昼食の準備をしている。グレイッシュピンクの髪をポニーテールにして、ベージュ色のエプロンを着込んでいる。

 容姿を説明するならば、艦娘青葉、の一言だけで片付いてしまうだろう。制服のボーイッシュなホットパンツとセーラーではなく、ボーダーにスキニーという無難な服装を着ているし、少女だった姿は大人びて、一人前の女性のように成長してはいるが、誰が見ても青葉と分かる、そんな顔立ちだ。

 

「今日は何にしましょうかね。ああ、送られてきたそうめんもそろそろ食べてしまわないとですか」

 

 だったら今日はそうめんにしよう。市販のつゆで済ませても良いが、せっかくだから麺つゆにも少し趣向をこらしてみようか。夏の暑さに負けぬよう、にんにくとごま油でつゆをアレンジすることを決めた彼女は冷蔵庫の中から食品を選んで取り出していく。

 

 中くらいの鍋に水を一杯に入れて火にかける。沸騰するまでの間に、にんにくと、薬味として大葉やみょうがを刻んだ。

 

「あ、そうだ」

 

 鍋にごま油を引く前に、ダイニングに置いてあった軍用の通信機の電源を入れる。目的のチャンネルには既に周波数があっていた。

 

 ザー、ザー、と耳に悪い砂嵐の後、通信機から若い女性の声が流れ始める。

 

『今日も暑い日が続きますが、皆さん如何お過ごしでしょうか。テレビの天気予報によると、今年の夏は例年よりも暑くなるそうで、海に出る艦娘にとっては厳しい季節になるかもしれませんね。しかぁし、此処は鹿屋、海に面していない土地ですのでKanoya Navy Stationはいつも通り、私、DJ衣笠さんの平常運転でお送りしまぁす!』

 

 沸騰した鍋にそうめんの束を放り込む。聞き慣れない、それなのに聞き飽きたような声を聞きながら、彼女はてきぱきと工程を進めていく。

 

『それでは先ずはオープニングナンバーから、R.N(ラジオネーム)鶴航戦さんからのリクエスト、舞鶴のアイドル鎮守府として有名な六十二番泊地ですが、やはり那珂ちゃんと並んでこの人を外すことはできないでしょう! 一航戦加賀で、加賀岬』

 

 じゅわっ、とにんにくが炒められる音に合わせて、通信機から演歌調のメロディが流れ始める。焦がさないよう適度にかき回しながら、そうめんだけではやはり物足りないだろうかと付け合わせに思考を巡らせる。

 

 香ばしい匂いにつられたのか、ダイニングに入ってくる人影があった。

 

「おはよう、というにはもうすっかり昼か」

「あ、陸人さんおはようございます。今日の一回目だからおはようで良いんですよ」

「それもそうか」

 

 白衣を着た四十手前の男が、ダイニングに備え付けのテーブルに座る。

 

 炒めたにんにくをつゆ用のお椀に入れる、麺つゆとお水は適量で、刻んでおいた薬味も流し込んでこちらは完成だ。

 

「朝早かったんですね。何してたんですか」

「何、いつもと同じだよ」

「今日は失敗ですか?」

「いや、成功だ。少しばかり恥ずかしがっているだけだよ」

 

 おいで、と男が廊下に向かって呼びかける。間を置いて姿を表したのは、セーラー服に身を包んだ小柄な少女だった。年齢は十を過ぎるか過ぎないか、目には怯えの代わりに緊張が浮かんでいる。

 

「電さんですね。いや、もうそう呼ばない方が良いのかもですけど」

 

 予定を変更して、つゆを入れるためのお椀をもう一つ取り出す。そうめんは今茹でている分で足りるだろうか。もう一束入れようか頭を悩ませて、子供一人なら問題無いだろうと、茹で上がったそうめんをそのままシンクに用意したザルに流す。お湯が一気に水蒸気へと変わった。夏なのに蒸し暑いことしているなあ、と思いながら、冷水でそうめんを一気に冷やす。

 

 そうめんが十分冷たくなったらまた別の皿に移して終わり。もう一品とも考えたが変に時間をかけない方が良さそうだ。

 

「さあ召し上がれ」

「そうめんか。うん、夏といえばやはりそうめんというのは欠かせないものだろうね。私は冷やしうどんも嫌いじゃないけれど、どうしても夏という枕詞をつけるならばそうめんに軍配が上がる」

 

 舞台役者のような大仰な口調で喋り散らしながら割り箸を割る男と、目を輝かせつつも箸を取ろうとはしない少女。

 

「はわわ……美味しそうなのです」

「たぶん美味しいから食べてみてください。大丈夫ですよ」

 

 そうめんで失敗するというのも稀有な例だが。

 

 彼女に促されてもまだ少女はおっかなびっくりといった様子で箸を握るだけだ。

 

「食べても死にませんって。私だって元青葉ですよ。」

 

 いや、今も青葉ですけど、とそうめんを茹でた少女が笑う。男が一足先に食べ始めたのに続いて彼女も麺を啜る。ずぞぞ、と音を立てて最後まで飲み込んだ。

 

「ほら、問題無しです。私達はもう()()ですから」

 

 人間、という言葉に、電と呼ばれた少女は泣きそうな顔をした。それでも歯を食いしばって──唇を噛んでいては食べられないと気付いてすぐに止めて──そうめんを口に入れる。

 

「どう?」

「美味しい、のです」

「ふふ、恐縮です」

 

 一度堰を切ったら止まらない。一言だけ返した電がそれから無言になって食べ続けるのを見て安心する。

 

 通信機(ラジオ)はオープニングナンバーを流し終えて再びパーソナリティの喋りに戻っていた。

 

「KNSか。前回の放送は難しい所を突いていたが、今日はおとなしめだね」

「流石にヤバい、って思ったんじゃないですか? ()()()()()()()()()()()()()()だなんて、青葉でもなかなか踏み込めませんよ」

 

 君がそんなセンチメンタルを持っていたとは。いやいや私だってデリカシーくらいありますよ。二人の会話がラジオを潤滑剤にして弾む。

 

 艦娘とは人間ではない。姿形は人間と変わらない。あえて低俗な所に踏み込めば、形ばかりの生殖器も存在するし、性欲だって存在する。

 

 だが、その体に流れているものは決定的に人間と異なる。ヘモグロビンを含んだ血液はそこには無い。代わりにあるのは赤褐色のオイル臭いどろりとした液体だけ。人との間に子を成すことは有り得ない。それどころか、人と同じものを食せば、普通は死ぬ。

 

 老いず、成長することもない。人間にも劣らない、或いは人間よりも優秀な高性能AIを搭載したアンドロイドであると表現するのが、最も的確だろう。

 サイエンス・フィクションの題材として、人間に憧れるロボットというものは往々にして描かれ、議論されるが、艦娘は現実世界においてその虚構(フィクション)を体現した存在と言い換えることもできる。

 

 つまるところ、人間に憧れない艦娘は居ない。それゆえに「もし人間ならば」という問いは、時には自身の想像以上に体を蝕むことになる。男が難しい所と言ったのはそういうことだった。

 

 しかし、何事にも例外は存在する。その例外が青葉であり、一心不乱にそうめんを流し込んでいる電だ。

 彼女達は艦娘であった。今は艦娘ではない。体組織は須らく人間のものだ。幾多の艦娘が望み、諦めた夢の体現者(シンデレラ)だ。

 

 そして、はやばやと自分の分を平らげた酔狂そうな男が、彼女達にガラスの靴とかぼちゃの馬車を与えた魔法使いである。

 石井陸人。彼を知る人間からは教授と呼ばれる、艦娘人間化研究の第一人者。といっても、そんな酔狂な研究をしているのは彼をおいて他に居ないのだが。

 

「そうそう、今日は秋津君がやってくると言っていたな」

 

 彼の研究をサポートしている憲兵隊の顔役がやってくると青葉に告げる。青葉もさらりと食べ終えて、ナプキンで口を吹いた。電は食べるのに夢中でこちらの話は聞いていないようだった。

 

「あ、じゃあ間宮か伊良湖の用意しておきますか」

「うーん、彼、口付けないからなあ」

 

 トントン、と遠くから扉をノックする音がした。

 

「噂をすればって奴ですね」

 

 ちょっと見てきますと言って青葉は席を立つ。埃一つ無い灰色の廊下を歩いて入り口へと向かう。

 

「はいはい、今開けますよっと」

 

 そしてドア開ければ見えたのは物珍しい黒い軍服────ではなく、薄緑と白のセーラー服を着た金髪碧眼の少女だった。

 

「……どちら様で?」

 

 他の鎮守府と交流があるわけでも無く、秋津という男が派遣した憲兵にも見えない。何より、手入れに手間の掛かりそうな髪型は紛れもなく軽巡洋艦阿武隈のものである。少し遅れて気が付いたが、背後には僚艦であろう、摩耶、雪風が控えていた。

 

 阿武隈も青葉に驚いたようだが、すぐに表情を引き締めて問う。

 

「教授は、まだここに居るんですか」



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Kanoya Navy Station/2

「私は君を解剖する。腸を引き裂いて、その油の一滴まで調べ尽くす。艦娘を人間にする為だ。もちろん君が望まないのであれば通常の解体処置をしよう。私にだって人の心くらいはあるのだから、嫌がる者に強制はしないさ。さあ、選んでくれ給え。後の礎のために苦痛を選ぶか、それとも自身の平穏な死を望むか」

 

 

 

 

 

 

 鳥の鳴き声で阿武隈は目を覚ました。人間の使うようなベッドから体を起こす。セットしていない髪が目に掛かる。汗に似た液体が全身をびっしりと濡らしていた。とてもこの状態では部屋から出られないな、とシャワーを浴びることを決意する。

 

 カーペットに足を下ろすと立ち眩みがした。慌ててベッドの縁を掴む。息が荒くなって、すぐには立ち上がれそうになかった。ふう、ふう、と深呼吸をして油を押し出すポンプの鼓動を落ち着かせる。手汗のせいで滑らせてしまいそうだ。ぐっ、と力を入れて一気に立ち上がると、伸びた体が安定して、なんとか立つことができた。

 

 あんな夢を見たのは初めてではなかった。しかし、どうして今更になって、という気持ちが頭の中でぐるぐると彼女を追い掛け回す。産まれて間もない記憶。第一声から死を運命づけられて、それが嫌で逃げ出した。幸運なことに、巡り会えた二人目の人間は優しい人だった。そうでなければ彼女は今ここに居なかっただろう。

 

 ここに来て四年。提督は優しいし、艦娘の仲間達も自分のことを気に掛けてくれる。鹿屋基地という場所のせいで実戦こそ経験はしていなかったが、阿武隈自身も己を磨き、艦娘として恥じない実力をつけていた。

 

 ナイトウェアを脱いで、部屋に備え付けのシャワールームに入る。そういえば、個室にシャワーがあるのはこの鎮守府くらいのものらしい。それが意味する所がまったく分からない訳では無かったが、彼女は気にしないことにする。藪を突いて蛇を出すことになりたくない。優しかった提督が、あの男のようになるのを想像したくも無い。

 

 そう、どうしてあの男の夢を見たか。答えは分かりきっていた。先日聞いたラジオのせいだ。

 

「もし人間だったら何がしたいか」

 

 冷たい水が彼女の裸体を濡らす。人と変わらないその姿は、人間に焦がれる人形だ。金色の髪が水を吸って垂れ下がる。

 

 もし人間だったら。そんな仮定自体が意味を成さない。例えるなら、人間がもしタイムスリップ出来たなら、と仮定するようなものだ。有り得ないことだ。あり得たとして、それらしい答えを出せたとして、夢物語の域をでない妄想だ。大半の艦娘は「攻めてるな」とは思いつつも戯言として流しただろう。

 

 阿武隈の頭の中に、あの男の言葉がリフレインする。きっと冗談ではなかった。瞳の奥に狂気を、虚空を感じたから彼女は恐れ、逃げ出したのだ。

 艦娘を人間に。馬鹿にしているのかと叫びたくなる。そんなことが可能であったのならば、とっくに研究して完成している筈だ。少子化社会に悩まされるこの国において、無から若い女を一人生み出す技術。考えられない筈がないのだ。

 

 蛇口を閉める。水滴がタイルに落ちた。ふわりとしたタオルで全身を拭く。下着をつけて、制服のセーラー服を着て。髪型のセットを始めようかという時に部屋の扉を叩く音がした。

 

「阿武隈、居るかー?」

 

 龍驤の声だ。ドライヤーを洗面台に置いて、タオルを頭に乗せたまま扉を開ける。

 

「どうしました?」

「おうっ、なんや髪型セットしてないんか。一瞬誰かと思ったわ」

 

 軽空母の彼女を見下ろしつつ、阿武隈は不機嫌そうに言う。

 

「そうなんですよ。早く髪のセットしたいんですけど、どうしたんですか」

「あー、いや。司令官が阿武隈のこと呼んでたからな。はよ行ってほしいんやけど」

「……髪型整えてからじゃ駄目ですか?」

「キミ、めっちゃ時間かけるやん。司令官を苛々させてもエエんなら構わんけど」

「うー。分かりました」

 

 自分の髪型にこだわりがある阿武隈にとって、髪を下ろした姿を見られるのは好きではない。同性の艦娘相手ならまだ耐えられるが、提督を相手にすると、恥ずかしさはその比ではない。

 

 それでも、提督を怒らせたくないと思うのは、彼女が臆病に過ぎるからだろうか。

 

「ちょっと待ってくださいね」

「いやウチ呼びに来ただけやし。もう行くからちゃんと司令官とこに顔出しーや」

 

 ドアを閉めると龍驤が去っていく足音が聞こえる。ドライヤーのスイッチを入れ直して乾かすだけ乾かすと、邪魔な前髪をヘアゴムで括って執務室へと歩き出す。

 

 すれ違う仲間に茶化されるのを軽くあしらって廊下を進む。北上に前髪をいじられなくなるのは数少ないメリットかもしれない、などと考えながら扉をノックした。

 

「阿武隈です」

「ん、入ってくれ」

 

 扉を開けると、書類の山に埋もれそうな青年が、その向こうから手をひらひらと振っていた。

 

「あれ、髪型どうしたの?」

「提督が呼ぶものだからセットする時間が無かったんです」

「それは悪かった。そこまで急ぎの話でも無かったんだけど」

 

 龍驤に脅されたからだ、とは言わなかった。もし本当は急ぎの用事だったとしても、彼はこういうだろうと思ったからだ。

 

「それで、どうしたんですか?」

「うん、そろそろ阿武隈の練度も十分に高まったかな、って」

「それってつまり」

 

 改造だ。と提督は言った。今の時点で阿武隈の艤装は一段階上の者に置き換わっている。その上で、さらに強化しようという話だ。この鎮守府で改二になっていないのは、阿武隈と、改二が実装されていない雪風の二人だけだ。鹿屋基地でも屈指の戦力(とはいえ、鹿屋基地自体が戦闘には適していないのだが)を持ったこの鎮守府で、阿武隈に改造の話が出るのは至極当たり前のことだった。

 

「申請そのものは通っているから、問題が無ければ、今週末にでも実行したいと思うのだが」

 

 提督の言葉に異論は無い。無い。無い。

 

「あの……」

 

 それなのに、阿武隈は口を挟んでいた。提督が目を丸くする。

 

「どうした?」

 

 言葉に詰まる。唐突に思い浮かんだ考えはあまりにも馬鹿げていて、自分の首を絞めるだけだと分かっていた。なんでもない、と誤魔化してしまえば良い。それが出来なくて、苦しんでいるのだが。

 

 ああ、やはりあのラジオのせいだ。こんな悪魔的なことを考えてしまうのは。

 

()()()()()に、改造の前に行ってみたいんです」

 

 あの男は今、何をしているのだろうか。憲兵隊に引きずり出されて今頃の檻の中に居るのかもしれない。そうすれば、あそこはきっともぬけの殻だ。逆に、居たらどうすれば良い。感情がまとまらなくて、ただ確かめたいという欲求だけだ。

 

「あの鎮守府ってのは、君が逃げ出してきた鎮守府のことかい?」

「……はい」

「おそらくだけど、君を傷付けようとした男はまだ其処に居ると思うよ」

 

 どうして提督がそんなことを知っているのか。そこに疑問が向かう前に、あの男が居るという事実に身が竦む。やはり怖い。今すぐにでも前言を撤回してしまいたい。天秤がぐらぐらと揺れる。しかし、止まる気配は一向に無い。

 

 提督は阿武隈の様子をじっと見つめていた。どうして阿武隈が突然そんなことを言い出したのかは分からない。彼女は彼女なりに過去と決別しようとしているのかもしれない。

 

「分かった。ただし、他の者……そうだな、摩耶と雪風と一緒に行くこと。通信は常に繋いでおくこと。それが守れるなら許可しよう」

 

 艦娘が悩みを抱えているのならば手を貸すのは提督として自明の理だ。本当ならば自分が付いていきたい所だが、目の前の書類を終わらせるにはそんな暇など無い。それに四年前の血気盛んな頃ならいざ知らず、今は自分が付いていくことがアキレスの踵になりうることを理解している。

 

「ありがとう、ございます」

 

 提督には、あの男からなんと言われたか話していない。どんな反応されるか分からなかったからだ。ただ、殺されそうになった。それだけを信じて自分を守ってくれた彼を騙しているような気持ちにもなる。終わったら、ちゃんと全て話そう。そう決意して阿武隈は部屋を出る。

 

「うん、気を付けて」

 

 騙しているのは、提督も同じであった。あの場所で何が行われているのか、彼は全て知っている。狂気の沙汰としか思えない研究が、完全ではないとはいえ、成功していることも。過去から逃げていたのが彼女ならば、過去を遠ざけていたのは彼なのだ。

 

「納得できれば良いけど」

 

 彼女のことは心配だが、彼女に任せるしかない。提督は、自分の仕事に向き直った。



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Kanoya Navy Station/3

「ネタが無いわ」

 

 ずらりと並んだスイッチを切って、椅子の背もたれに体を預ける少女がいた。グレイッシュピンク、よりは少し灰色の強い髪、青葉の制服によく似ているが、ショートパンツの代わりにスカートを履いている。一際目を引くのは、照明を浴びて琥珀色に光っているサングラスだろう。

 

 Kanoya Navy Station

 

 通称KNS。鹿屋基地の通信周波数を利用して、一帯に流している軍用ラジオ局。海賊ラジオかと思えば、きっちりと鹿屋の総責任者から許可を得ている合法ラジオだ。

 

 流れる番組は、火曜と金曜の正午からの二つだけ。メインパーソナリティである少女、DJ衣笠が一人で三時間喋り倒すだけだ。最も艦娘が人らしい場所、と呼ばれる鹿屋の鎮守府からは概ね好評で、おたよりも良く届く。今では鹿屋基地に欠かせない名物として存在している。

 

 ON AIR(放送中)の赤いランプが消えると、防音性のある重い扉を開けて、衣笠は部屋を出た。窓際に居た古鷹と軽くハイタッチをする。古鷹は衣笠にとっての相棒で、カンペを用意したり、話すネタを一緒に考えてくれる仲間だ。一度、一緒にラジオをやろうと誘ったのだが、話すのは苦手だからと断られた。いつも裏方に徹しているが、彼女が居なければKNSは成り立たないだろう。

 

 防音扉を閉めると、古鷹が使っていたテーブルの向かいに衣笠も腰掛ける。目の前にはまだキンキンに冷えている間宮アイスが二つ並んでいた。放送の終わりに合わせて古鷹が用意してくれたものだ。

 

「お疲れー」

「お疲れー」

 

 今度は間宮アイスのカップをぶつけ合って、今日の無事を労い合う。

 

「あ、これ。提督の差し入れね」

「えっ、そうなの?」

 

 じゃあ、提督にも感謝しなくっちゃ、と衣笠はスプーンで表面をすくって口に入れる。仄かな甘みがいっぱいに広がった。艦娘用であり、砂糖やバニラが本当に入っているわけではないのだが、優しい味は艦の記憶にあるソレと殆ど変わらない。

 

「うーん、美味しー」

 

 今一時だけは次の放送なんて溜息が出そうな話題は忘れてしまう。ラジオスタジオ、衣笠と古鷹の制服、アイスを食べて年頃の少女みたく顔を綻ばせる二人。さながら学校の放送部での一場面だ。誰が見たって、軍事施設に居る兵器だとは思わないだろう。

 

 無言のままアイスを味わって、パンと手を鳴らして食べ終わったことを強調する。先に口を開いたのは衣笠だった。

 

「そろそろおたより募集のネタが尽きてきたんだよね」

「昔に使ってた奴の使いまわしじゃ駄目なの?」

 

 KNSの歴史は意外にも古い。衣笠がふざけて仲間内用に作ってから既に十年前後の時が流れていて、鹿屋全域に放送されるようになってからも五百回を数える長寿番組だ。誰もが忘れてしまっているお題もあるだろう。

 

「それでも良いっちゃいいんだけど」

 

 クリスマスや正月といった季節ネタを除いて、毎回違うお題を考えてきた衣笠としては、軽率に使いまわしをしたくなかった。

 

「ねーねー古鷹ー」

「なぁに?」

 

 勿論次回の放送までに思いつかなければ使いまわすことになるのだが。もう少し考えてみよう、と衣笠は決心してアイスの最後の一口を頬張った。

 

「お昼から何かあったっけ?」

「利根さん達は演習があるけど、私達は何も無いね」

 

 ラジオという無茶を聞いてもらっているので提督には頭が上がらない。演習があったなら潔く諦めようかと思っていたが、幸運にも今日は一日フリーらしい。

 

「じゃあちょっと散歩しに行こうよっ!」

「散歩? 提督が許可してくれるかなあ?」

「そこは衣笠さんにおまかせあれっ。ちゃんと考えてるよん」

 

 自信満々の衣笠に、彼女の秘策がどんなものか古鷹も少し興味を抱く。

 

「どんなの?」

「加古をお外に引っ張り出す」

「あぁ……」

 

 それを言われてしまえば古鷹も反論できない。

 

 加古は一言で説明すれば変人だ。潜在能力だけならば他の重巡に追随を許さないとまで言われるのに、本人は全く自分を鍛えるつもりが無い。前線から離れた鹿屋だからと言われればそれまでかもしれないが、彼女はもう一つ変なのだ。

 

「これで何日布団から出てないっけ?」

「一週間は出てないんじゃないかな」

 

 布団とケッコンカッコカリした艦娘とまで言われる寝太郎なのだ。艤装を装着しなければ燃料は長持ちすると言われるが、加古の場合、補給以外で起きることが滅多にない。

 その強情さたるや、初雪や望月ですらドン引きする程である。

 

「確かに、加古を起こす為なら提督も許可してくれそうだね」

「それに鹿屋の敷地から出なければ大丈夫でしょ。森ガールになる事が新しいネタへの第一歩ってね!」

 

 衣笠はグッ、と拳を握るのだった。

 

 

 

 

 

 

「ったくよお、あたしをわざわざ起こして楽しいか?」

「楽しい楽しくないじゃなくて、ちゃんと毎日動かなきゃ体に毒でしょ!」

「艦娘に毒って言われたってねえ」

 

 ふわあ、と加古が大きなあくびをする。提督から許可を得て、衣笠と古鷹の二人掛かりで引き摺り出してきた形だ。加古は叩き起こされて不機嫌そうだが、それ以上に古鷹がガミガミとうるさいので逃げ出せないでいる。この場で逃げれば部屋に帰れなくなる。布団を取り上げて何時間でも説教してくるだろうと、加古は理解していた。

 

「まあまあ、たまには三人で歩くのも楽しいもんでしょ。青葉は居ないけど私達、六戦隊だし」

「いや、それは関係ないっしょお。衣笠はネタ探しに来てるだけだろ?」

「衣笠さんともなれば一つの散歩にも幾重もの意味を含ませるのさっ」

 

 生真面目な古鷹にも、爛漫な衣笠にも口では勝てず、うー、と唸りながら加古は二人の一歩前を歩く。当然先導している訳ではなく、逃げられないように監視されているだけだ。

 

「ん?」

 

 しかし、それが功を奏したというべきか。最初に気が付いたのは加古だった。足を止めると、後ろの二人もそれにならう。

 

「どうしたの?」

「変な奴が居る」

 

 変な奴、と言われて二人も目を凝らす。林の向こうに、見慣れない人影が見えた。

 衣笠達とも見た目はそう変わらない少年だ。落ち着かない素振りで帽子を触りながら、明らかに何処かへ向かって歩いている。

 

「陸軍さん?」

「でも、今は陸軍なんて無いよねえ」

 

 黒い軍服。そんな物を着ているのは改造後のあきつ丸くらいだ。しかし、男の艦娘など見た事もない。

 

「あっ」

 

 少年がこちらを見た。立ち止まって、じっとこちらを見定めるかのように眺めた後、興味を失って再び歩き出す。

 

 加古が一歩踏み出した。スタスタと少年の後をついていく。

 

「ちょっと、加古!?」

「面白そうだしついていってみようぜ」

 

 イタズラ小僧の笑みを浮かべる加古に対し、古鷹は心配そうだ。正反対の性格に思える二人の違いがよく分かる。

 

 一対一、衣笠の判断でどちらになるか決まる。

 

「衣笠さんは加古に賛成で」

「さっすが話が分かるぅ!」

「衣笠!?」

 

 そうと決まれば早くしないと見逃してしまう。勇み足の加古に衣笠が並び、古鷹も慌ててついてくる。

 

「何かあったら危ないよ」

「何か、ってあたしら艦娘だよ? あたしらに危険があるんだったら、あたしらでどうにかしなきゃ」

 

 暴論のようにも聞こえるが、加古の言い分はもっともだった。通常の手段で艦娘を傷つける事は出来ない。それが出来るのは、指揮官である提督か、深海棲艦だけだ。

 提督であったならば、人間の力しか持たないのだから恐れることはない。深海棲艦であったならば、被害が起きる前に止めなければならない。

 

「そうそう、六戦隊の冒険活劇って奴ですよっ」

「衣笠はラジオのネタになるかもしれないって思ってるだけでしょ」

 

 ジト目で睨まれて衣笠は目を逸らす。

 

 三人で追いかけていたが、そんな話をしている内に少年の姿は見えなくなってしまった。

 

「ねえ、提督に報告だけしてもう戻ろうよ」

「いーや、あたしゃ敵を見つけるのは得意でね。まだ見失ってないよ」

 

 衣笠と古鷹の足は鈍るが、加古はそんなこと知らぬとばかりにずんずん突き進んでいく。鹿屋の敷地内ではあるが、自分達の鎮守府からは遠のいている。

 

 もし誘い出されていたりしたらどうしようと、心配性の古鷹には悩みの種が尽きない。

 

「ふっふーん、そう簡単にあたしから逃げられると思うなよぉ?」

「衣笠さんにはお見通しよっ」

 

 スパイごっこに酔っているのか逆に普段よりもテンション高めな加古と衣笠は、古鷹のことを半分忘れたように進んでいく。

 

「あれ?」

 

 気配が消えた。というよりは、止まったという方が正しいか。動きが止まったようで、しかし姿は見えない。

 

「加古、見失っちゃったの?」

「うーん、ここら辺にどっか居ると思うんだけどなあ」

「追いかけてたんなら最後までやろうよ。せっかくネタになるかと思ったのに」

「誰が何のネタになるのでありますか?」

 

 少年特有の高い声、しかし艦娘に比べれば低い声が背後から聞こえて三人は一斉に身を翻す。加古と衣笠は艤装を持ってきていないが、古鷹だけはすぐに主砲を展開した。

 

「おっと、おっと。危ないものはしまってほしいでありますな」

「だ、誰ですか貴方は」

「それはこちらの台詞なのでありますが。突然尾行してくるわ、撒こうとしてもうまく行かないわ」

 

 それでもまあ、誤解を解くために自己紹介くらいはしておきましょうか、と少年は帽子を取る。さらりと艶のある黒髪が揺れた。

 

「私、憲兵隊の者であります」



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Kanoya Navy Station/4

 秋津は正直困っていた。

 

 直属の上司であり、憲兵隊のトップでもあった今村少将が倒れ、不意に転がり込んできた組織の長としての重責。本人としては表に立つことはごめんだったので、しばらくは少将の意志を汲みながらも、近いうちに部下である長門へ顔をすげ替えようと画策していた。

 

 その中で、長門には任せられない一つの案件を解消する為に彼は鹿屋にやってきたのだが。

 

「どうしたものでありますかねえ」

 

 鹿屋に入ってから尾行されている。気配を隠すことすらしていないので、たいした追手でも無いのだろうと適当に撒こうとしたのだが、どうにも途切れそうに無い。

 

 相手が何者かはなんとなく分かっている。歩いている最中に偶然目があった重巡娘の三人組。おそらくは鹿屋の何処かの鎮守府に所属している艦娘だろう。見慣れない秋津の姿を見て少し追いかけようと思った、そんな所だろうか。

 

「どうしてこう、無駄に才能のある奴が混ざっているのでありますか」

 

 敵対勢力でも無さそうだし、尾行の訓練を受けている訳でも無い。それなのにぴったりと張り付いてくるのが気味悪かった。目的地に辿り着くまで着いてきそうな気配に秋津は悩む。一番最悪なパターンは中身だけ知られて逃げられることだ。そうなれば鎮守府ごと取り潰す事態にもなりかねない。

 

 それならば、一度話をしてみることにしよう。邪魔になりそうなら憲兵隊の権限でむりやり遠ざければ良い。

 

 秋津は適当な木の陰に隠れる。ありきたりでバレバレのようにも見えるが、背後を取るだけなら問題無い。

 

 やがて三人の少女の姿が見え、秋津を通り過ぎたところで立ち止まった。奇跡的な偶然ではなく、気配をしっかりと追ってきていた証だ。

 

「あれ?」

 

 先頭の少女が不思議そうな声を上げる。他の二人は気配よりも、急に立ち止まった先頭に困惑しているようだった。加古、古鷹、衣笠。青葉を加えれば六戦隊の完成だ。目的地に居る青葉の姿を思い浮かべ、もしかしたらこれは数奇な運命なのかもしれないと自嘲気味に声を潜めて笑う。

 

「加古、見失っちゃったの?」

「うーん、ここら辺にどっか居ると思うんだけどなあ」

「追いかけてたんなら最後までやろうよ。せっかくネタになるかと思ったのに」

 

 脅かしと、練度を見る意味合いを兼ねて、するりと背後に回って声を掛ける。

 

「誰が何のネタになるのでありますか?」

 

 三人は一斉に身を翻す。加古と衣笠は艤装を持ってきていないが、古鷹だけはすぐに主砲を展開していた。それなりに経験を積んでいる証だ。魔境ブルネイはともかく、日本近海ならば十分に戦力として使い物になるだろう。

 

「おっと、おっと。危ないものはしまってほしいでありますな」

 

 戦闘を起こすつもりは無いので、わざとらしく両の手を挙げる。二人は艤装を持っていないとはいえ、三人を一人も逃さず仕留めるのはリスクが高い。

 

「だ、誰ですか貴方は」

 

 少女が問い掛ける。あちら側からすれば、怪しいと追い掛けていればいつの間にか背後を取られていたことになる。警戒するのは当たり前の反応だ。

 

「それはこちらの台詞なのでありますが。突然尾行してくるわ、撒こうとしてもうまく行かないわ」

 

 それでもまあ、誤解を解くために自己紹介くらいはしておきましょうか、と彼は帽子を取る。さらりと艶のある黒髪が揺れた。

 

「私、憲兵隊の者であります」

 

 貴官等の所属を伺いたいのですが、と彼は付け加えた。ついでに憲兵である証明書も見せる。

 

 ぐい、と前に出てきたのは、秋津のことをネタになると言った少女、衣笠だった。思うに、三人の中で一番弁が立つのだろうと当たりをつける。

 

「六番泊地の衣笠よ。こっちは同じ艦隊の加古と古鷹」

「六番泊地でありますか」

 

 余り印象に残る経歴を持った提督ではなかったような気がする。少なくとも即座には思い出せない。

 

「こちらは業務中なのでありますが、貴官等はいったいどういった理由で追跡を?」

「いやー、興味本位とネタ探し、みたいな」

「さっきから何なのですかそのネタ探しとは」

 

 まるで青葉みたいなことを言う。お前は妹だろうと心の中では思っていたが押し殺した。

 

 衣笠はよくぞ聞いてくれたと言わんばかりに胸を張る。

 

「衣笠さんはラジオのメインパーソナリティなのでいつでもネタを探す日々なのでっす!」

「ラジオ? ああ、KNSとやらですか」

 

 およそ艦娘の口からは聞けないような単語に秋津は記憶を掘り返す。そういえば、鹿屋だけで放送しているラジオ番組が存在した。鎮守府が運営しているという話くらいは聞いていたが、本当だったのか。

 

 うろ覚えの六番泊地提督に情報を上書きしながら、秋津はさらに考える。

 

「つまり、ラジオで使う話題集めにうろついていたと?」

「そういうことになるわね。こんな所に憲兵さんなんて滅多に来ないし」

 

 滅多に来ないのではなく気付いていないだけであるが、それは良いとして。

 

 ラジオ局か、と秋津は閉じた口の中で呟く。ここで追い返しても、後々に変に勘ぐられるだけだ。先に言ったように、最悪なのは自力で真相に辿り着かれること。逆に言えば、憲兵側でコントロールさえしてしまえば、別に知られても構わないということ。

 

「ふむ、それならば特大のネタがあるのですが、乗ってみますか?」

「特大のネタ?」

 

 衣笠が聞き返す。どう聞いても特大の厄ネタにしか聞こえない。憲兵隊が関わることにろくなものが無い。そんなことは建造されたばかりの駆逐艦でも知っている。

 

「それはラジオのネタに出来るような話なの?」

「さあ? 貴官のラジオとやら、私はまともに聞いたことありませんからなあ。そこまでは保証しかねるであります」

「それで、関わったら後戻りできないんでしょ」

「その減らず口を閉じれば大丈夫かもしれませんなあ」

 

 秋津は嘘を言うことを好まない。その言葉自体大嘘であった。

 衣笠はどうするか、秋津が口角を吊り上げる。挑発的な笑みに衣笠は顔をしかめた。

 

「良いわ、乗ってあげようじゃない」

「ちょ、ちょっと衣笠!?」

「ラジオとかは別にしても、憲兵さんだって私達が着いていくことにメリットがあるんでしょ? だったらWin-Winよ」

「特別メリットがあるという訳でも無いのでありますが」

 

 まあ、それは良いか。秋津は帽子を被り直した。

 

 

 

 

 

 

 勝手知ったるといった様子で秋津がやってきたのは、傍目には古ぼけた元鎮守府に見えた。中に入ると、ちゃんと掃除されていることから人が住んでいるのだと窺える。

 廊下を歩き、広い部屋に入る。おや、と秋津が驚いた声を上げた。

 

「見知らぬ艦娘、でもありませんな」

「あ、テメエは!?」

 

 秋津の姿を認め、椅子に座っていた摩耶がその椅子を蹴り上げた。主砲を展開、トランプの山が風圧で床に落ちる。

 

「どうどう、こんな所で撃てば建物自体崩落するでありますよ」

「なんでテメエが此処に居るんだよっ!?」

「その言葉、そのままお返ししましょう」

 

 ばらばらと広がったトランプを拾い上げる。遊んでいたようだが、それが目的では無いはずだ。奥に視線を向けると、遅れて臨戦態勢に入った雪風と、チャンスとばかりにカメラを構えている青葉の姿が見える。

 

 秋津は大きく息を吐いた。

 

「青葉殿、状況の説明を要求するであります」

「お客さんです。ババ抜きでは雪風さんの五連勝でした」

「そういう話をしているのではなく」

「察しの良い秋津さんならとっくに気が付いているのでは?」

 

 核心を突いた一言に黙り込む。青葉はその頃にはまだ居なかった筈だが。入れ知恵でもされたのか。元々頭の切れる娘であるがために判別がつかない。

 

「んー、三番泊地の摩耶さんと、雪風ちゃん?」

 

 彼の背後から顔を覗かせた衣笠が二人を見つけた。摩耶もそれに気付いて渋々ながら主砲を下ろす。秋津一人が相手ならばともかく、邪魔者が多過ぎる。

 

「私としてはそちらのガサと古鷹と加古についてお聞きしたいんですけどねえ、秋津さん」

「これはタダの外野でありますよ」

 

 少なくとも現時点では。いつの間にか結構な人数を巻き込んだ事態になっていることに秋津は頭を抱えたくなる。

 

「説明なら教授殿が戻ってきてからやってあげますから。教授殿は今どこに?」

「応接室ですねー。もう何時間も話しているんで、そろそろ戻ってきてもおかしくないと思うんですけれど」

「それはもう何時間もかかるかもしれないということでは?」

 

 そろそろ当たるだろうとくじを引き続ける中毒者のような青葉の言葉に苦笑いを浮かべる。

 

「結局、特ダネって何なのさ」

 

 衣笠の言葉に秋津は帽子のつばを掴む。教授が来てから説明するつもりだが、衣笠にずっと喚かれるのも面倒だ。

 

「確認として、貴官のラジオとやらはどれ程人気のあるものなのですかな」

「ラジオ? えええ、もしかしてKNSのDJ衣笠!?」

「青葉殿、静かに」

 

 秋津が聞いているのは衣笠に向かってである。青葉に介入されると話が二百七十度はネジ曲がってしまいそうだ。

 

「どれ程って言われてもねえ。あ、でも時々鹿屋以外の鎮守府からもおたよりが来たりするよ」

「鹿屋以外では流してないのでは?」

「ここでの放送を録音している人達が居るみたい」

「そうすると、別に此処に限定した話でもないのでありますか」

 

 ふむ、と秋津は帽子から手を離す。暇な艦娘の遊びと切って捨てるには、影響力は小さくなさそうだ。

 

「それならば、教授殿は戻ってきてないでありますが、掴みだけ話しておきましょうか」

 

 衣笠達を完全に巻き込むことを決めた。互いにデメリットは無いだろう。

 

「まだ机上の話でありますがね」

 

 それは、衣笠達だけではなく、青葉や、部外者である摩耶と雪風にも向けられていた。

 

「艦娘の人化技術、これを公表しようかと思いまして」



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Kanoya Navy Station/5

「クッキー、は艦娘だから食べられないか。それならアイスか最中か。好きな方を用意しよう」

 

 教授は()()()()()()()()()()()()()()()()かのように落ち着いた所作で動き続ける。丁寧に掃除された部屋。自分の為にティーセットも用意して、テーブルに置いていた。

 

「それにしても、他の二人を呼んできても良いのだよ? 無論私が君に対して何か危害を加えることは不可能に近いが、一人で私と相対するよりも、友と居た方が気分は楽だろうに」

「構わないでください。本当は巻き込みたくなかったんです」

 

 座りが悪そうにソファに腰掛けている阿武隈は棘のある言葉で答えた。彼女の制服の襟には通信機がスイッチオンのままになっている。此処での会話は全て彼女達の提督に届くようになっていて、万が一に何かあれば他の二人もすぐに動けるよう準備している。形だけの一人だ。

 

 教授はそれには全く気が付いていない。秋津を幼さにつられて新人だと思っていたような男だ。自分の専門から外れたことにはとことん鈍感なのかもしれない。

 

「そうか。いや、ならば私から言うことは何も無いな。ああ、アイスや最中だけでなく、紅茶も用意出来るけれど」

「そんなことよりも本題に入りませんか」

「君はせっかちだね。ただ、君が望むならそれもやぶさかではない。説明する義務が私にはあるからね」

 

 教授は阿武隈と向かい合うように座る。その隣には、阿武隈よりもさらに居心地悪そうにしている電の姿がある。一対一での話し合いを望んだというのに、どうして彼女が居るのか。阿武隈の疑問は尋ねる前に教授によって解消される。

 

「ああ、彼女のことは気にしないでくれたまえ。これからのことを分かりやすくするために居てもらっているだけだ」

 

 クッキーを齧り、紅茶で胃に流し込む。彼が話を始める前のルーティンみたいなものだ。阿武隈はそれを知らなかったが、教授の雰囲気が少しだけ変わったことは理解した。

 

「さて、聞きたいことは何かな。心当たりが多過ぎてとてもじゃないが絞り切れない」

 

 聞きたいこと。そんなこと、阿武隈にだって決めきれない。胸の奥に染み付いた、油のようなもどかしさをどうにかしたいだけなのだ。八つ当たりのためにやってきたと言っても間違いではなかった。

 

「貴方は、ここで何をしていたんです」

「それは君と初めて話した時にも説明した通りだ。あの頃は第一段階で、今は最終段階。不可能だったことが可能になった。それだけの違いはあるけれどね」

 

 青葉君を見ただろう、と教授は言った。

 

「艦娘を人間にする技術。彼女は初めての成功例だ。もう四年くらいになるのかな。君達艦娘の記憶にある重巡青葉よりも成長しているのは見てもらえれば分かるだろう。そして、此処に居てもらっている電君。彼女もそうだ。まだ百パーセントとはいかないが、高い確率で成功するようになっているよ」

 

 馬鹿馬鹿しい。デタラメを言うな。阿武隈の悲鳴は、電がクッキーを齧る音で霧散する。幻影だが、質量を持った霧は彼女の喉を締め付ける。

 

「まさか、それだけを聞きに来た訳ではないだろう?」

「どうして……」

 

 言葉が出なかった。言いたいことは幾つもある。何故、そんなことをしているのか。その為にどれだけの犠牲を出してきたのか。

 

 奇しくも、と言うべきだろうか。阿武隈が抱えている感情は、ある男がこの男と共に過ごしている間、戦い続けていたのと同じ感情だ。

 

「色々と悩んでいるようだけれどね」

 

 それを知っているからか、教授は呆れた声を出した。

 

「君は私を殺そうとしていない。研究を止めようとはしていない。それが君の出した答えだと考えることはできないかね」

「……どういうことですか」

「君は私を悪だと断じてはいない。何、片棒を担ぐ訳でも無し。いっそ全てを忘れてしまうというのはどうだろう」

「……ふざけるなッ!」

 

 阿武隈が叫びながら掴みかかる。主砲を持ってきていなくて本当に良かった。今この状況であったなら、その引鉄はひどく軽いものへと変貌していただろう。妖怪じみた笑みを浮かべるこの男はとっくに物言わぬ肉塊と化していたに違いない。

 

 騒ぎを聞きつけて摩耶と雪風がやってくるかと思ったが、手が握力を失って教授の筋肉質ではない体をもう一度ソファに叩きつけるまで廊下への足音一つ無かった。

 

 襟首を正して、教授は阿武隈ではなく隣で顔を青褪めさせていた電に話しかけた。

 

「電君。ちょっと冷蔵庫からお茶を持ってきてくれないかな。ペットボトルの冷たい奴がある筈だから」

「は、はいなのです?」

「私のことは気にしなくて良い。ああ、それと艦娘用の紅茶も用意してくれたまえ」

 

 それは、しばらく席を離していてくれ、という頼みだった。電はきっと額面通りにその言葉を受け取っただろうが、それならそれで、少なくとも十数分は戻ってこれない。

 

 電が姿を消すと、訥々と彼は話し始めた。先程までの流暢に過ぎる、舞台役者のような喋り方とはまるで別人のようだった。

 

「君が、不器用な人で良かったと思う」

 

 言葉を間違えた、気を悪くしないでくれ。

 

 そう言っている姿が彼の本質なのだろうか。阿武隈は怒りさえも丸め込まれて、目の前の弱気そうな男に戸惑うことしかできない。

 

「何分、私の周りには察しの良い者しか居なくてね。その上、気持ちの整理も上手いものだ。私は未だ迷っているというのに、すっかり心を落ち着かせている」

「なんですか、それは。意味が分からないんですけど」

「少しばかり、この狂人の話相手になってほしいだけさ」

 

 サクリ、とあまりにも軽い音がした。

 

 

 

 

 

 

「それ、ダウトであります」

「ぬああっ!?」

「いやはや、摩耶殿は分かり易いでありますなあ」

「お前絶対あたしの手札覗いてんだろ!」

「何のことやら」

 

 こめかみに青筋を立てつつも、摩耶がおとなしく中央のトランプの束を回収する。何をやっているのかと問われれば、青葉に秋津、摩耶達二人と衣笠達三人の計七人でダウト、トランプ遊びをしているのだった。

 二十枚近くのカードを抱えた摩耶が不機嫌そうにする隣で、秋津が六の札を宣言して四枚出す。

 

「あ、ダウトだダウト! 残り四枚全部六なんてねえだろ!」

「おや、良いのでありますかな?」

 

 揶揄うような秋津の態度に摩耶が一瞬怯む。しかし、どうせはったりだと摩耶はもう一度ダウトを宣言した。

 

 その結果、摩耶の手札が四枚増えた。

 

「はーい秋津さん二着ー」

「ま、こんな所でありますな」

 

 青葉の力の抜けるような声に、地べたから立ち上がって椅子に座る秋津と、トランプを投げ飛ばしそうな摩耶。しっかり明暗が分かれている。

 

「だぁぁ! やっぱイカサマしてんだろ!」

「イカサマするなら摩耶殿より雪風殿に仕掛けますよ」

 

 ちなみに、一着は当然の如く雪風であった。秋津の観察眼を持ってすれば、本心を隠す訓練のしていない相手などカモでしかないのだが、偽札(ダウト)無しで勝利されては参ったと言うより他にない。

 

「先程も当たり前のように最下位に沈んでいた摩耶殿にそんな凝ったことなどやりません」

「よーし表出ろてめえ」

「吠える前に早く上がってみろ、でありますよ」

「そうそう、次は摩耶さんの番だよー」

 

 いつの間にか一周していたのか、衣笠に急かされて渋々摩耶は神経をダウトに集中させる。

 

「あ、ダウト」

「んなああ!」

 

 ともすれば単なる遊び友達にしか見えないような光景を眺めつつ、秋津は視線を横に滑らせた。見慣れた白衣が見えた。見慣れない金色の髪の少女が見えた。全く予想外の小さな女の子も見えた。少女二人は秋津の姿に驚き、戸惑っているようだった。

 

「おや、珍しいことにお客さんがこんなにも来ているとは。そちらの三人は君の部下かな?」

「違うでありますよ。拾いものというか、野次馬であります」

「おや、あんなに神経質であった君が他人を連れてくるとはね。いや、抜け目のない君のことだから何か考えがあるのかもしれないが」

「ええ、まあ。それはおいおい説明するとして。そちらの方はもうよろしいのでありますかな?」

 

 二人がどんな話をしていたのか秋津は知らない。正直なところ見当もつかない。ただ、互いが互いなりに理解したからこそ、こうして二人共(三人共)で戻ってきたのだろうとは思う。

 

「ああ、待たせてしまって申し訳無いね」

「そうでありますか。では、こちらの本題に入ろうかと思ったのですが」

 

 秋津は視線を戻した。加古が上がって残り四人になっていた。ポーカーフェイス組が抜けて熱気が増している。これを途中で止めさせるのはなかなか骨が折れそうだ。

 

「お疲れでしょうし、これが終わるくらいは待ちましょうか」

「ああ……そうすることとしよう」

 

 少し煙草を吸ってきます、と秋津はその場から出て行った。



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Kanoya Navy Station/6

「私は私のやっていることに自信が持てないまま、ここまで来てしまったのだよ」

 

 

 

 

 

 

「あん? ラジオをやりたい?」

 

 十年以上昔の話。

 

 琥珀色のサングラスを額に掛けた提督が、半目で衣笠を見た。無精髭と室内でも外さないサングラスが目立つ三十五、六の男だった。手に抱えているのは、ゴシップからアダルトまで幅広く取り揃えたコンビニ雑誌。未処理の書類が山のように連なっているその上へ丸めた雑誌を放り投げた。上から何枚かがずれて重力で折れ曲がる。

 ふわあ、と大きなあくびをした。到底本気には考えていないようだった。

 

「ちょっと、マジメな話をしてるんですけど」

「どっからラジオなんて話が出てきたんだよ。玉音放送でも流すつもりか?」

「そういう多方面から怒られそうなこと言うのやめません?」

「いや、マジでなんでそんな話が出てきた」

 

 一度こっきりの冗談だと思っていた提督は、予想外に衣笠が真剣な様子であるのを見て、サングラスを掛け直す。

 

「総員起こしの放送でも使うのか?」

「いやー、ほら。この間提督の奥さんいらっしゃったじゃないですか」

「来たな」

 

 ここの提督は既婚者である。重ねて言うならば彼の伴侶は当然艦娘ではない。それどころか軍人ですら無いのである。彼の妻はジャーナリストだった。軍人とジャーナリスト、一見水と油のように思えるが、不思議と馬が合ったのである。

 

 余談ではあるが、たとえ家内といえども非軍人が基地内に入る事は本来できない。これは、鹿屋の総司令官が(主に大本営への嫌がらせとして)黙認しているのであった。

 

「そのときに聞かせてくれたんですよ、ラジオ」

「あいつはまぁた要らんこと教えてんのか」

「要らんことって」

 

 提督の物言いに衣笠は苦笑する。その表情が拗ねた子供のようで、それでいて別れを悲しむ大人に思えたからだ。

 

「お前、自分がどういう存在か分かってるのか」

 

 衣笠が本気であることを悟った彼の言葉は、氷柱のように冷たい。彼女の選択が苦しみを伴うことは分かりきっていた。

 

「お前達は軍艦だ。ここはまあ、確かに戦火ってもんからは遠いけどよ。それでもいつ沈むかなんてのは分かりゃしない」

 

 内地だから、なんて言葉は安心材料にはならない。地獄を知っている提督は、陸に攻め込まれたときの脆さを知っていた。出来の悪いパニック映画のように人が死んでいく様を、建物が崩れていく様を目の当たりにしていた。 

 

「うん。だから」

「だから?」

「呉の足柄さんの話は知ってるでしょ?」

「ああ、俺からすりゃ馬鹿げてる、としか思わねえけどな」

 

 史上初めて艦娘と結婚(ケッコン)した男の話。それは多くの艦娘にとって憧れとなり、数えきれない提督の心を救った。ケッコンカッコカリという制度によって後世まで語り継がれるであろう英雄譚を提督は馬鹿だと吐き捨てた。

 

「人間と艦娘は違う。一緒に歳を取ることなんざ出来ねえし、いつ死ぬかも分からねえ。いや戦争やってんのに死ぬだの何だのは覚悟の上だろうが」

「じゃあ何が嫌いなの?」

「戦争が終わったらどうする」

 

 艦娘とは、人外の兵器である。何年後になるのかは想像もつかないが、戦争が終われば他の兵器と同様に抑止力になるか、それとも廃棄されるか。実力者であれば、生き残ることも不可能ではないかもしれない。しかし。

 

「最悪、テメエの手で解体する(殺す)ことになんだぞ。その覚悟がある奴がどれだけ居る」

「その頃には艦娘を人間にする技術とかあるかもしれないじゃん?」

「だったらそれ作ってからやれってんだ」

 

 余程腹に据えかねているのか、どっしりと椅子に座り直した。体重で軋む音がした。実際のところ、別に例の足柄やその提督について悪感情を抱いているわけではない。提督は一度だけ顔を合わせたことがあるものの、二人には生き死にを共にする覚悟が見て取れたからだ。ただ、苦痛を増やすようなシステムのきっかけを作ってしまったことは気に入らない。

 

「話が逸れたな」

 

 本筋はケッコンカッコカリなどではなくラジオだ。

 

「足柄がどうしたって?」

「その、指輪の話を聞いて思ったのよ」

「何を」

「私も、何かを残したいって」

 

 それは思春期の青少年がかかる()()()だと、一言で切って捨てることは出来た。しかし、それは同じ存在が幾つもあるから出た発想だった。

 

「私達は余程のことが無い限り、戦果を残すことも出来ないわ」

 

 その時点で艦娘としての本懐は遂げることができない。

 

「写真や動画だって、誰かなんて分かるものじゃない」

 

 同じ顔、同じ声。彼女達のアイデンティティは常に危険に晒されている。個人として記憶に残る。それは不可能ではないだろう。だけど、()()を他の()()と分けるナニかは存在しない。

 

「私が私であった証拠が欲しいの」

「それの答えがラジオって、馬鹿だろお前」

 

 衣笠の真面目に過ぎた表情に提督は吹き出した。思いはずっと秘めてきたものなのかもしれない。しかし、昨日今日で知ったばかりのラジオにそれを求めるのは軽率過ぎやしないだろうか。

 

「私はマジですよー!?」

「はいはい分かった分かった」

 

 机をバンバンと叩く衣笠を宥めて、内線の受話器を取る。

 

「もしもし、ヨド? 放送って俺の権限で好き勝手できる? うん、ああそう、お前も話は聞いてんのね。うん、鎮守府内なら問題無いのね。おっけ」

「て、提督?」

「ま、無茶通すのは上司の仕事だしな」

 

 受話器を置いた提督がニヤリと笑う。

 

「当たって砕けろでやってみろ」

 

 

 

 

 

 

 結論から言えば、KNSの初回放送(第一回目にはそんな名前もついていなかったが)は大失敗に終わった。いざとなった時に発声するだけでいっぱいいっぱいになってしまって、台本は噛み噛み、機器を弄るのにも一苦労。挙げ句の果てには終わったにも関わらずマイクを切り忘れて衣笠の愚痴と自己嫌悪が鎮守府中に流れるという放送事故を引き起こした。

 

 顔を真っ赤にして机に突っ伏していた衣笠を提督はわざわざ煽りに行き、最後には間宮アイスを渡して「まだやるか」と聞いた。それが折れかけていた衣笠の反骨心を煽り、彼女がラジオを続ける理由にもなったのだ。

 

 台本を作り、何度も読み込み、鎮守府の色んな艦娘にどんな放送が良いか聞いた。諭したり、笑ったりする相手も居た。それでも衣笠は引き下がれなかった。面倒見の良い古鷹を引き込んでラジオそのものの質を上げようとした。館内放送を利用して週に二回行われる放送は、段々と他の艦娘の理解を得られるようになってきた。

 

 最初は重巡から、愛宕や高雄はかなり早い段階で興味を持ってくれて、未だにリスナーとしてハガキを送ってくれる。それから駆逐艦、軽巡洋艦、軽空母に正規空母。一番最後まで渋っていたのは戦艦だった。海に出れないということを最も気にしていた艦種だ。ただ、眉間にシワを寄せるだけで止めようとはしなかった。誰もが衣笠の本気を疑っていなかったのだろう。

 

「まさかこんなに粘るとは思わなかった」

 

 ラジオ放送が開始してから一年が経った頃、そう言ったのは他ならぬ提督だった。彼自身素知らぬ顔で戦艦を宥めたりと色々サポートしていたのだが、途中で衣笠が飽きるだろうと思っていた。古鷹が居るとはいえ、たった二人で休むことなく続けるのは困難を極める。

 

「何がそんなにお前を駆り立てたんだ?」

 

 提督の質問に衣笠はこう答えた。

 

「だってラジオが楽しいんだもの」

 

 自身を誰かに見せる為に始めたラジオは、彼女自身の楽しみになっていた。元の目的はもはや達成されたと言って良いのだろう。それどころか、彼女のラジオは鎮守府に居る他の艦娘達の生きる活力にすらなっていった。

 

 そしてまた時は流れる。

 

「まあ、掻い摘んで話せばこんな所ですよ」

 

 衣笠のラジオが始まって、五年程が経った頃。鹿屋基地の総司令部で提督は相手と向かい合っていた。軍服の襟を閉じ、無精髭も剃って、愛用のサングラスも外している。四十の大台に乗った彼の姿は軍人らしく相手に威圧感を与える。

 

「ああ、艦娘からの発案だったのですね」

 

 対するはおよそ軍服の似つかわしくない優男。見た目からは三十路手前のように見えるが、実際には提督よりも三つ程歳上の、それも中将である。彼が鹿屋基地の総司令官だった。

 

「それで、今回は罰則か何かですかね」

 

 元々自分の鎮守府だけで流していたラジオだが、演習をそれぞれの鎮守府が互いに請け負う以上、いつかは外に明らかになるのは分かっていた。放送設備の私的利用。罰せられても何ら文句は言えない。

 

「いやいや、そんな面白いこと止めはしませんよ」

 

 しかし、総司令官は手をひらひらと振って否定する。

 

「むしろもっとやってほしいくらいです。いっそ、鹿屋全域に流してしまいましょうか? うちの艦娘達も興味を持っているのが結構居ますから喜ぶことでしょう」

「……アンタは相変わらず危ない橋を渡るのが好きだな」

「それはお互い様でしょう?」

 

 互いに顔を見合わせて、ニヤリと笑う。最も艦娘が人らしい場所。岩川基地と違い、軍部に真っ向から喧嘩を売るようなスローガンを抱える総司令官が、この程度に日和る筈も無い。開設当初から着任している提督もその程度のことは分かっていた。だから、衣笠の提案を最初に許可したとも言える。

 

「んで、鹿屋全域に流すってやれるんです?」

「貴方もやっぱり乗ってくれるじゃないですか」

「面白いことには首を突っ込んでナンボでしょ」

「全くです」

 

 衣笠のラジオにKanoya Navy Stationという名前が付き、鹿屋に存在する全ての鎮守府に通達が送られたのはそれから少し先のこと。ちょうど、秋津が監査を終えて横須賀に戻った頃の話だった。



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Kanoya Navy Station/7

 ザーザーの砂嵐の音がする。キュルキュルとダイヤルを回す音がする。所々で音を拾っていたラジオはある周波数の所で明瞭な音声を届かせた。

 

『それでは皆様お待たせしましたぁ! Kanoya Navy Station全国版! たとえ大本営に利用されようと、パーソナリティは変わらずDJ衣笠さんっでお送りしまぁす!』

 

 その放送は全ての鎮守府に流れていた。普段は戦ってばかりいるブルネイの艦娘ですら、その時だけは手を止めてただ聞いていたという。

 

『今日のテーマは既にご存知の方も多いですかねぇ。まあ色んな方々が汗水垂らして宣伝してくれたので知らない人はちょっとやばいかも? なーんて。もちろん予告したとおり、()()()()()()()()()って話ですよぉ! それになんと特別ゲストで、人間になった青葉さんをお呼びしておりまぁす!』

 

 元々公表するつもりだった新解体技術。秋津の提案によって、それは彼女、衣笠のラジオに乗せて届けることになった。もちろん、公式な通達は格式張った書類になって届いていることであろうが、こうした娯楽的なやり方を取ることが艦娘に好影響を与えるのではないか、またラジオに乗せて()()の声を届けることが希望になるのではないか。その一念で彼が案を突き通した。

 

『普段ならオープニングナンバーを流すところですがっ、今回は衣笠さんも初の試み! ちょぉっと楽しみにしてた人にはごめんなさいだけど今回はカットで!』

 

 それを聞いた衣笠は更に一つ付け加えた。今まで誰かをゲストに呼んだことは無い。だからこそ、彼女は自分の首を締めるようなお願いをすることが出来た。

 

『さっそく本題! それではゲストをお呼びしましょう!』

『どもども、恐縮です、青葉です!』

 

 聞き慣れている人であれば、青葉の声が記憶よりも大人びていることが分かっただろう。何より他の青葉達が嘘偽りなきことを理解しているだろう。

 

『さっきも言った青葉さん! そして!』

『よ、よろしくお願いします』

 

 青葉とは違う()()()()()()がする。前もって話を聞いていた各所の艦娘も、誰なのか見当が付かなかった。いや、正確に言えば()()()()()は多くの人が分かったのだが。

 

『鹿屋基地三番泊地の阿武隈さんをお呼びしておりますっ』

 

 衣笠の声が明るく響く。実験から逃げ出した艦娘。普通に考えればその存在は悪手であった。彼女は言うなれば人間化に置ける負の象徴であり、教授の発明を前代未聞の異形から、或いは本来あるべき姿の、悪辣なマッドサイエンスへと貶めることさえあり得るアキレスの踵であった。昔の秋津であったならば、けして許可することは無かっただろう。

 

『ではでは、先ずは青葉さんからお話をお聞きしましょう。人間になったということですが、やっぱり変わったことはありますか!』

『そうですねぇ、艦娘特有の感覚ってのがやっぱり無くなりましたかね』

『というと?』

『ほら、艤装を付ければ動かし方はなんとなく分かるじゃないですか。でも人間になって艤装を付けると重くてまともに動かせませんし、使い方もさっぱり分からなくなっちゃったんですよね』

『あー、建造されたてでも動かし方までは分かりますからね。それすら分からなくなったと』

『ええもう、しばらくは違和感凄いんですよ。うっかり艤装付けようとして「あっそうだ私もう人間だった」って何度なったことか』

『それは、経験のある人程やっちゃいそうですねえ』

『足に落としたら痛いなんてものじゃすみませんよ』

『うっわぁ、想像しただけで痛くなってきた』

『まあやったこと無いんですけどね』

『無いんかーい』

 

 からからと笑い声が聞こえる。重苦しい話を出来るだけ簡潔に、明るく、分かりやすく。ラジオという媒体は最善の答えだったのかもしれない。

 

「全部、想定通りというわけかね?」

「何のことだかさっぱりでありますな」

 

 机の上に置かれたラジオの音量を上げた。伸びた灰を皿に落として再びニコチンを摂取する。横須賀鎮守府のとある一室。ここには秋津ともう一人の他には誰も居ない。

 

「そろそろ控えた方が良いのではありませんか? 山口中将ともあろうものがいつぽっくり逝くのか分からないのでは何処も気が気でないでありましょうな」

「それはまた今村の言いそうな小言だ。キレが増しているな」

「悪口雑言のキレを評価されても勲章にはならないでありますな」

 

 昔であれば、山口の言葉に舌打ちの一つでもしていただろう。秋津はそんなことを思いながら再びゴールデンバットを口元へと運ぶ。

 

「あの阿武隈のところの提督。まさか後ろ盾が貴官だと知ったときは頭を抱えました。お飾りや勘違いの者どもであれば簡単に抱き込めたのでしょうが」

「そう苦手意識を持つこともない。私はそれ程厄介狸の顔はしていないつもりだよ」

「どうやら狸を図鑑で調べる必要がありそうですな。少々齟齬があるらしい」

 

 山口大河。黎明期から提督業を勤め上げた名将であり、横須賀の二大金剛の片割れを抱える重役。そして使い捨てだった頃の艦娘に練度(レベル)という概念を生み出した革命家。秋津にとっては最も敵にしたくない男の一人だ。

 

 その山口とラジオを肴に談笑している。それはつまり、物事に全て片が着いたことを意味する。

 

「とはいえ殆ど偶然でね。彼女の保護に私は何一つとして関与していない。なるようになった、としか言いようが無いな」

「人情家で助かったでありますなあ」

 

 ラジオの話題はいつの間にか青葉から阿武隈へと移っていた。元の影響か喋りなれた青葉と違い、明らかに緊張した声は震え、舌も満足に回っていない。阿武隈の言葉はそれ故にストレートに人々の心に届く。

 

『あたしは、人間化の研究から逃げ出した艦娘です』

 

 最初に放り投げられた爆弾。丁寧に導火線を切っていなければ、この時点でゲームオーバーだろう。

 

建造されて(うまれて)すぐ、実験の為に解剖されそうになって、それで、逃げ出しました。あたし以外にも、もっともっと、たくさんの、仲間達が生まれてすぐにバラされたんだと思います』

 

「今村の容態はどうだ」

「復帰は難しいでありましょうな。日常生活を送る分には問題無いようですが」

「まあ歳だからな。私もそうだが、寄る年波には勝てんか」

 

『艦娘の中にはもう何十年も戦い続けてきた子達も居るでしょう。仲間達を救えなかった人も居るでしょう。あたしの知らない、研究の為に居なくなった子達のことをどうか、憐れまないでください』

 

「長い、長い戦いだった」

「まだ終わってないでありますよ」

「だが終わりは見えた。三十年前を見てみたまえ。あの時代はあまりに重苦しかった」

「死ぬまで突撃。あの時代に産まれた艦娘は何を考えて玉砕していったのでしょうな」

 

 消耗品であった艦娘を、存在から変えた男の言葉は重い。

 

『あたし達は、兵器です。でも、戦争が終われば兵器では居られなくなります。その時、人間として歩む道を選べるのは、みんなのお陰なんです。理不尽だと思うかもしれません。だけど、どうか()()()にしないでほしいんです』

 

「演説家だな」

「激情家でありますな」

 

 あれだけ恐れ怒っていた阿武隈と同じとは思えない。秋津は短くなった煙草を灰皿に押し付ける。彼女もまた、人間になるという欲に負けたのだろう。教授という存在の、胡散臭い立ち居振る舞いに似合わない純さにほだされたのだろう。

 

「さて、私はそろそろお暇させていただきましょう」

「最後まで聞かなくて良いのかね?」

「ええ、アレは私の立ち入ることが出来る世界でもないので、聞くだけ毒でありますよ」

 

 秋津は席を立ち、帽子を被り直すと視線をラジオに向けた。そして、僅かに笑みを浮かべると部屋の外へと踵を返す。

 

 その後ろ背中には、阿武隈の言葉が最後まで届いていた。

 

 

 

 

 

 

『あたし達は、未来を生きていくことを、バトンを託されたんです』




当時はもう少し膨らませるつもりだったのかも分からない


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