魔法界のお姫様 (やちは)
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序章
ブラック家の兄弟《前編》


普段は創作小説メインに活動しているんですが、『呪いの子』発売でハリポタ熱が再沸騰してしまい、本日一人称の練習を兼ねて書いていた二次創作小説を投稿することにいたしました。
若輩者ですが、何卒よろしくおねがいいたします。
少しでも共感、楽しんでくださればなによりです╰(*´︶`*)╯♡



九歳の時、初めて許嫁のシリウス・ブラックと出会った。

当時から黒髪に灰色の瞳をした健康的な、なかなかの美男子で、これは将来有望かしらと幼い頭で考えたほどだった。

 

「……よろしく」

 

言ったきりぷいとそっぽを向いた横顔が、私と会うことをあまり喜んでいないことを語っていた。

着崩れてくしゃくしゃになった一張羅は、さっきまで隣に侍っていた痣だらけの屋敷しもべがなんとかかんとか着せたもののようだ。名をクリーチャーという。

私を見て、真っ先に深々とお辞儀して、敬意を払ってくれたので、ドレスの裾を持ち上げて挨拶するとより一層、それこそ地面に額がつきそうなほど頭を深く下げたからよく覚えている。

 

「うん……」

 

なにをよろしくなのか。わからなくて、適当に頷いた。

母には『ブラックさんの気を損ねないようにね』と口を酸っぱくして言われていた。

だからなにを言われても答えは『イエス』。そう決まっていた。

浪費家の母がブラック家の名前に合わせて新調した漆黒のドレスの裾を直すふりをしてぎゅっと握り、下を向いた。

ブラック夫人はシリウスが私を泣かせたと思ったのかきつく彼を睨んで、「邸内を案内して差し上げなさい!」とヒステリックに怒鳴った。

ブラック夫人はシリウスをあまり気に入っていないみたい。なんとなく雰囲気でわかった。

 

「ここが父の書斎。隣の部屋に繋がってる。ここがお優しいお母様の部屋……で、ここが……」

「あ、の」

 

マイペースに広い邸内を適当に案内し、歩き続けるシリウスを追いかけるのに必死で、やたら裾の長いドレスを踏んでこけそうになってしまう。

シリウスが鼻で溜息を吐いた。ああ、ドジで間抜けだからきっとイライラしてる。機嫌を損ねちゃいけないのに。

 

「ご、ごめんなさ」

「もうちょっとゆっくり歩いてあげなよ、兄さん」

 

背後から声がかけられギョッとする。

同じ年頃の少年が階段を上がってこようとしてるところだった。

シリウスとは違い、きっちりと服を着こなした同じ年頃の少年。驚いてよろめいた私の腕を掴んで支えてくれる。

 

「ドレスの裾が泥だらけだ。さっきから何度もつまづいてるんだ」

 

上辺だけの優しさを浮かべたーーシリウスとはまた違った冷徹な目の色に少しゾッとする反面、その目に魅せられた。

シリウスは彼を憎々しげに睨みつけた。

 

「お前は黙ってろ、レギュラス」

「僕に兄さんの婚約者に口出しする権利はないもの。一応、助言してあげただけ」

 

そう言って、彼ーーレギュラスは再度冷ややかな視線をシリウスと私に向けて、新聞を片脇に、自室に消えた。

 

 

 

粗方邸内を見終わり、二人で庭に出た。シリウスは不本意ながらも弟の助言を聞いたのか、私の手を繋いで同じ歩幅で歩いてくれた。

屋敷しもべのクリーチャー(シリウスは蛇蝎のごとく嫌っていたが)が熱心に手入れをしている庭は美しく、溜池には藻一つ浮いていない。澄んだ水にシリウスの端正な顔がうつった。

 

「俺のこと、好きじゃないんだろ」

 

ため池に石を投げながらシリウスがとう。ぽちゃんと虚しい音がした。

 

「うん。……ん?」

 

私はぽちゃんと音を立てて石が水中に沈んでいくのをぼんやりと眺めて、『イエス』と言おうとした。しかしいまのは『イエス』と言ってはいけない気がした。

シリウスは「やっぱりな」というように自嘲を含んだ溜息を吐いた。

 

「お前さ、悲しくねえの」

 

質問の意図がわからず、首を傾けると、シリウスは名家の御曹司とは思えない粗野な動作で前髪をかきむしった。

 

「あー……だから、親の言いなりで見たこともない上に好きでもない相手と結婚することになって。悲しくねえの?」

「……わかんない」

「はあ?」

「だって私は生まれた時からこの家にお嫁に来ることが決まっていたもの」

 

これだけはきっぱりと言える。

私の体には聖二十八家の血がすべて流れている。我が家ーーコローナ=ボレアリス家は、かつての十六世紀イタリアで隆盛を誇った由緒ある純血の家柄だった。昔ほどの名声はないものの、純血の血統は守られ、嫁入り先に不自由しない。

それに私は五十年ぶりに生まれたコローナ=ボレアリス家の直系の女子だった。純血に拘る家柄からの縁談はひっきりなしで、そんな中でお母様に是非にと縁談を持ちこんだのが、財産も地位もある由緒正しきブラック家の直系の息子だった。

3歳時には正式にシリウスとーー正確にはブラック家と婚約していた。以来、大切に大切に邸内で育てられ、多くの屋敷しもべに傅かれて育った。

水中には名前も知らない魚が浮いている。尾びれが揺れてとても綺麗。家に魚はいない。お母様が魚は生臭いからと嫌い、買ってくれなかったからだ。代わりに与えられたのは猫だった。

 

「……おれお前がわかんねえ」

 

シリウスがぼやいた。

 

「私もあなたがわからないわ」

「お前、どうかしてるぞ」

「うん、そうかも」

 

これは自分の本音だった。

私はきっとどうかしている。自分の意思はお母様の意思で、母に見捨てられたくないがために私はずっと言いなりだ。

戯れにそばに落ちていた枝でぐちゃぐちゃと水面をかき混ぜる。ただでさえ凡庸な私の顔が実体が掴めないほど歪んだ。

恐らく本当の私はこんな感じ。実態などなくてふにゃふにゃしてる。

シリウスは「わけわかんねー」といって、不満そうな顔のまま私をその場において邸内に戻った。

 

 

 

 

怒らせてしまったかしらと、不安になった。

ブラックさんを怒らせないようにと口を酸っぱくして言われていたのに。

男三人の中に一人年が離れて生まれた女の子。それが私だ。

周囲が言うには、母は元々派手好きで浪費も激しかったが、一人娘が生まれるとますますその浪費が激しくなった。

食うに困らない程度はあった財産が今はそれまでの生活を運営するのに精一杯となった。

だから私はなんとしてでもシリウスに好かれなければならない。なけなしの財産を叩いて新調した黒いドレスを着せながら、母が言い聞かせた。母の目論見通り、ブラック夫人やクリーチャー含む屋敷しもべはドレスも私も気に入った。

ただ、シリウスとその弟ーーレギュラス、だったかーーは、違ったみたいだけど。

じっと水面を眺め、機嫌を損ねた婚約者に気に入られるにはどうしたものかと途方に暮れていると、まだ波紋を立てる水面に影がかかった。

シリウスが戻ってきたのかと肩越しに振り向くと、いたのはシリウスではなく、その弟の方だった。

 

「あ、の……」

 

自分の言葉を口にするのが苦手な私は、声がつっかかって難儀した。

上から見下ろされているせいか。影になっているせいか。いやそれ以前にーー実は挨拶した時から、彼の冷ややかな灰色の目が恐ろしかった。

 

「なにか……」

「兄さんはどこへ行ったの?」

「え?」

 

私はポカンとして同じ年くらいの男の子を見上げた。

彼は言外に話の先を促していたので、私はしどろもどろのなりながら経緯を説明した。

 

「あの、シリウスが、私のことがわからないって、それで私も貴方がわからないっていったから、それで、わけがわからないっておっしゃって……」

「………」

「それで私、怒らせてしまったみたいで……」

「………」

「ごっ、ごめんなさいっ」

「……はあ。また逃げ出したのか。しかもこんなところにレディを置き去りにして?」

 

「呆れるよ」レギュラスはため息混じりにそう言い、私に手を差し出した。

 

「兄さんのことだからそこまで気が回らないと思ってお茶を用意させたけど、当の本人がいないとはね……兄さんの分は無駄になってしまったな」

 

「行こう」といって、レギュラスは再度手を取るよう促す。

私はまじまじとその手を眺めてから、己の手も伸ばした。




また休日にでもパソコンで誤字脱字の修正をしたいと思います。


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ブラック家の兄弟《後編》

邸内の一番日当たりのいい場所に案内して、レギュラスは椅子を引いた。

「どうぞ、レディ」とまるで使用人みたいに傅くものだから、拍子抜けしてしまい、短いお礼の言葉さえも喉をつっかえた。

レギュラスは向かい側に腰掛け、そっぽを向いた。沈黙が走り、なにか会話をしなければと私は口を開いた。

 

「あの」

 

レギュラスの灰色の目がこちらを向いてどきりとして、しどろもどろになる。すぐに視線を横にそらした。

 

「私のことはレディじゃなくて、ベガでいいの……そんな大層な生まれでもないから」

 

そう言うと、レギュラスはまじまじと私の顔を見つめた。

 

「君が? 大層な生まれじゃあないだって? 冗談だろう」

 

レギュラスはじっとわたしを見つめたまま語る。

 

「その体にはヨーロッパのあらゆる純血の血が流れていると、そうお母様に聞いているよ。魔法界のお姫様だって」

「お姫様?」

 

私はポカンとして口を開けた。ゆっくりと言葉を飲み込み、顔が真っ赤になった。全力で首を横に振る。

 

「ち、違うわ」

「違う?」

「うちは……コローナ=ボレアリス家は、ブラック家と違ってその……貧しいの。お姫様はもっと豊かなものでしょう?」

 

世間知らずな私でも、貧乏なお姫様が存在しないことくらいは知っている。

申し訳なくて正直に言ってしまいたい。私があなたのお兄様とーーつまり“ブラック家"と結婚するのだって、ブラック家からお金をもらうためなのよ、と。

己を恥じて俯いた。

生家の財産が半分以下に減ったのは、そんなに昔の話ではない。

表向きは実家の事業の不振ということになっているけれど、実際は母の浪費癖が原因だった。母の浪費癖のせいで、食うに困らない程度はあった財産が今ではそれまでの生活を運営するのに精一杯となっていた。

加えて育ち盛りの男の子三人を育て上げなければいけないこともあり、両親は五十年ぶりに生まれた女の子ーー私を、どこか裕福な名のある名家に嫁がせることにした。

まず候補に上がったのはマルフォイ家だった。しかしマルフォイ家の跡取り息子とは年が離れすぎていると母が泣いて固辞したため、この縁談はなくなった。変わって転がり込んだ縁談はその親戚筋のブラック家で、この家には同じ年頃の男の子が二人いた。

二人のお見合い写真を見て、母は将来有望でハンサムなシリウスを気に入り、娘をあてがうことに決めたのだった。

前金としてかなりの金額を受け取ったと、小耳に挟んでいた。

 

「あなたは……ええと、レギュラス」

「待ってーーああ、ここだよ、クリーチャー」

 

レギュラスは半開きの扉越しに声をかける。間も無くしてお茶道具一式を持った屋敷しもべ妖精ーークリーチャーが入ってきた。

今すぐ折れそうな棒切れのように細い腕を胸に当て、深々とお辞儀をする。

 

「失礼いたします。お茶をお持ちいたしました、レギュラス様、お嬢様」

「ありがとう。僕はストレートで……レディ……じゃなくて、ええと」

「ベガよ。ベガ・アルタイラ・コローナ=ボレアリス」

 

クスリと笑って再度自己紹介する。

そういえば、まだきちんとした自己紹介はしていなかったと思い出す。きちんとした自己紹介をしたのはまだブラック夫人とシリウスだけだった。レギュラスにはまだ簡単な挨拶しかしていない。

 

「ああ……えっと、ベガはなににする? 他に何かあるかい、クリーチャー」

 

女の子の名前を呼びなれていないのか、早口でまくしたてる。

ワゴンでお茶の用意をしながら、クリーチャーは穏やかに答えた。

 

「オレンジジュースとリンゴジュースならすぐにご用意できます」

 

胸を張って答えるクリーチャーに、ベガは見るからに慌てた。

 

「私もお紅茶で結構よ。その……えーと、我儘を聞いてもらえるならミルクティーがいいわ。あるかしら?」

「かしこまりました」

 

立派なレディは紅茶はストレートで飲むものだと母がいっていたのでミルクティーは子供が飲むものだと馬鹿にされるかと冷や冷やしたが、クリーチャーは要望に答え、いそいそと用意を始めた。

まずはレギュラスにストレートの紅茶を。次に私に暖かいミルクティーを差し出した。

ゴールデンドロップまで淹れ切ったお茶は美味しそうな茶色をしている。理想のミルクティー色だ。

 

「お砂糖をどうぞ、お嬢様」

「あの、私のことはベガでいいの……お嬢様なんて……そんな大層な生まれじゃないんだから……」

 

いうと、クリーチャーは目をまん丸にして、聞くものが思わず肩をすくめるほどの音を立ててシュガーポットを落とした。

角砂糖が床一面に広がる。

私は焦ってクリーチャーに駆け寄った。

 

「大変……! クリーチャー、大丈夫? 怪我はない?」

「怪我……え、ええ。ありませんとも」

 

呆然としてシュガーポットを片付けようと素手で破片に触れようとする手を、慌てて払いのける。

 

「だめよ! 素手では怪我をしてしまうわ」

「クリーチャーめは奥様からくれぐれも失礼のないようにと命じられております。ですからいま、罰を……」

「やめろ、クリーチャー!」

 

破片を拾い上げ、小枝のような腕の内側に破片を押し当てた瞬間、レギュラスが怒鳴った。

 

「レディの前でなんてことをするんだ」

「し、しかし、レギュラスさま」

「お前の体はお前一人のものではないことを忘れたか? それともお前は主人の命令に背くのか?」

 

レギュラスがいい含めると、クリーチャーははっとしたように目を見開いた。

 

「わかったら地面にそれを置くんだ。いますぐ。クリーチャー。お前はもうお下がり」

「しょ、承知いたしましたっ、レギュラス様……」

 

憤りを抑えて言い聞かせるレギュラスにすっかり萎縮したクリーチャーは、腕に当てていた破片を放り捨てて、足早にその場を去った。

私は正直ホッとした。同時に、レギュラスがこのクリーチャーに向ける愛情に気付いてしまった。

それが少し羨ましかった。

子供心に、レギュラスは立派な人なんだと、感心し、尊敬した。

だって私は今まで生家で屋敷しもべ妖精をぞんざいに扱ってきた人しか見たことがなかったので。

 

「あっ! お前そんなところでなにやってんだよ!」

 

シリウスの不満そうな声が割って入り、レギュラスは眉間に皺を寄せた。

 

「なんだい、兄さん」

「お前なんでこいつと一緒にいるんだよ?」

 

レギュラスを無視して、くるりとシリウスの首がこちらを向く。

レギュラスがますます眉間に皺を寄せる。このとき、私はようやく二人の兄弟仲が芳しくないことを認めた。

話してみればわかるが、自由奔放でマイペース、元気いっぱいのシリウスと、誰の手も煩わせない物静かで品行方正、優等生のレギュラスは本当に兄弟なのかと疑うほど性質が真逆だ。それ故に相容れないこともまた、多いのだろう。

 

「レディをあんな中庭に置き去りにするから、ここに連れてきたんじゃないか。感謝の言葉もレディに対する謝罪の言葉もないのかい」

「お前には聞いてない。レギュラス」

 

途端、レギュラスの頬に赤みがさした。やや充血した同じ灰色の目で、兄をきつく睨みつける。

 

「この無作法者」

「そりゃどうも。礼儀正しくママに従順なレギュラス腐れ坊ちゃんと違って問題児な俺は、言いつけ通りレディをエスコートしきれなかったようで」

「貴様……!」

「あ、あの、喧嘩はやめて」

 

シリウスの幼稚な挑発に完全に頭に血が上ったレギュラス。今すぐ殴り合いそうな二人の間に割って入った。

 

「喧嘩は良くないと思うの」

 

いくら世間知らずな私でも、喧嘩がいけないことはよく知っている。

父はよく浪費する母を叱り、母は泣きながら父に言い返し口輪を繰り返した。ーー見ていて気持ちのいいものではない。

 

「それより、一体何の用事だったの?」

 

話を変えるためにシリウスの方をむく。

「ああ、そうだった」言いながら、シリウスはクリーチャーの用意したお茶請けのビスケットを一つ摘んで口に入れた。

私は大胆なその姿に軽く目を瞠っただけだったが、レギュラスとクリーチャーは顔をしかめている。

 

「お優しいお母様から伝言。みんなで写真を撮るから庭に来いってさ」

 

口をもぐもぐさせながらシリウスがいう。

そしてすべて飲み込んでしまうと、シリウスは私の手首を掴んで強引に立ち上がらせた。

 

「ほら、行くぞ、お姫様!」

 

手を引いて、シリウスが駆け出す。

 

「ま、待って」

 

私は長いスカートの裾をあげて、大慌てでシリウスの後に続いた。

「兄さん!」後ろから、レギュラスが追いかけてくる音が聞こえた。

 

 

 

「はーい、坊ちゃーん、お嬢さーん。笑って笑ってー」

 

写真屋のおじさんがニコニコ笑顔でこちらにカメラを向ける。

 

「坊ちゃん方ー、笑ってー笑ってー」

 

写真屋さんが困った顔になったのは、シリウスとレギュラスはお互い目も合わせず、険悪な雰囲気がその場に立ち込めていたからだ。

痺れを切らしたブラック夫人が首を横に向けるシリウスのほおを抓って無理矢理顔を正面に向けさせた。

 

「笑いなさい!」

 

いって強引にシリウスと私の肩を寄せる。

レギュラスはその中に入れなかった。

 

「はい、撮りますよー」

 

シャッター音が響く直前、シリウスが指名手配犯を思わせる凶悪な人相であっかんべをするように舌を出したので、ブラック夫人は怒り狂った。

 



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一年生
入学式《前編》


 

アルバムをめくりながら二年前のあの日を思い出す。

あのあと、シリウスがお仕置きを受けないようにブラック氏とともに夫人を諌めるのが大変だった。

 

「何を見ているの?」

 

ホグワーツに向かう列車内。同じコンパートメントで隣に座ったレギュラスがアルバムに挟まれた写真を覗き込む。

今年、ホグワーツから手紙が来たので、通例通り一年生としてホグワーツに通うことになった。レギュラスも一緒だ。同い年で、家族ぐるみで付き合いのあるレギュラスがそばにいると、学校生活に対する不安も少し和らいだ。

写真は動いており、舌を出したシリウスを叱りとばすブラック夫人、それを諌める私とブラックさん、冷ややかな目で見つめるレギュラスがいた。

 

「みんなで撮った写真。覚えてる?」

 

指をさすと、ああ、とレギュラスは嫌そうにうなずいた。

 

「その日は寝る前まで母上がずっとシリウスを怒鳴りつけっぱなしだったな」

 

あれから二年。レギュラスは兄のことを"兄さん"とは呼ばなくなり、"シリウス"と呼び捨てることが多くなった。

 

「あの時は楽しかったわ。とても」

「そりゃ君はね。あのあとのことを知らないんだもの」

 

レギュラスはうんざりした顔をした。と、その時車内販売のおばさんが注文を聞きに通りかかったので、レギュラスはブラック夫人からもらっていたお小遣いでキャンディーを一掴み買い、私に半分くれた。

ありがたくいただき、中でも一番小さなキャンディーを一つ口にした時、レギュラスは口を開いた。

 

「君は何処の寮に入りたい?」

 

唐突な質問だった。

私はこの二年で相当上達した曖昧な笑みを顔に貼り付けた。

何処の寮に入りたいという希望は特になかった。知る限り、うちの家族でスリザリンだったのは母と、ブラック家傍流の出身だという祖母だけだった。しかし、ブラック家は違った。

 

「レギュラスは断然、スリザリンよね」

「そうだよ。ブラック家は代々スリザリンの家系だからね」

 

家風に忠実なレギュラスは予想通りそう答えた。ブラック家の人々の多くはスリザリン以外の寮はくそくらえと思っているようで、レギュラスも例外ではない。

 

「君はグリフィンドールにでも入る気かい?」

 

レギュラスは嫌味っぽくいった。

顔では平静を保ちつつも、できるだけレギュラスを怒らせないよう曖昧にぼかす言葉を選ぶ。これが結構難しい。正直シリウス相手の方がマシだ。シリウスは私が答えに窮すると話題を変えることが多い。でもレギュラスはじっと相手を見てどう出るか見定めようとするーーまるでスリザリンの象徴である蛇のように。

時間稼ぎにキャンディーの包み紙を捻ったり引っ張ったりする時間が妙に長く感じた。

お互いに物心がつき始めたせいか、初めて出会った時からいびつだった兄弟関係は、二年の時を経て"確執"に変化した。特にここ一年、兄弟は事務的な話しかしないようになった。

悪戯好きで裏表のない大胆な性格のシリウスと、真面目で品行方正なレギュラスは両親だけでなく周囲からもなにかと比べられた。

二年前に出会ってからしばらく、試用期間も兼ね、シリウスがホグワーツに行くまでの数ヶ月をブラック家で過ごしたが、そのときもブラック夫妻はレギュラスは弟だが、ブラック家の家風な彼を見習うように、シリウスと私に言うくらいだ。

ブラック夫人は私にはたしなめることはあっても怒ることはなかったが、シリウスには悪戯でなにか問題を起こすたびに、怒り狂ったキンキン声で「レギュラスを見習いなさい」「ちゃんとしなさい」「レギュラスはあんなにいい子なのに」「どうして言うことを聞かないの」とシリウスを叱るのを聞くのが苦だった。

そしてその様子を遠目に、「ほらみろ」というようにレギュラスが態度で兄を嘲るので、腹を立てたシリウスがレギュラスに突っかかろうとしたところを何度か身を呈して止めたこともある。

二人とも私には親切だったが、もはや兄弟仲は私を介してしか交流がないほどで、レギュラスは口を聞くのも嫌だと言わんばかりにシリウスの前ではむっつり黙り込む。

レギュラスの前でシリウスの話はご法度。だから彼の名前は出さないように、当たり障りなく答えるのが吉だ。

 

「……そうね。それも悪くないかも」

 

一年前、シリウスが代々スリザリンが続いたブラック家に稀なグリフィンドール生となったことは記憶に新しい。

夏休み中、ブラック夫人はいい顔をしなかったし、レギュラスは終始不機嫌だった。でも対象的にシリウスがご機嫌だったのが、妙に笑いを誘ったが、しかしブラック家には終始、笑ってはいけないギスギスした空気が張り詰めていた。クリーチャーに聞くところによると、ブラック夫人は大層嘆き、吼えメールを送ったほどだったという。

また、兄弟間に決定的な亀裂が走ったのもこの頃だった。以降、またもや家族を悲しませた兄を、レギュラスは軽蔑していた。

その時のことを思い出してか、レギュラスは窓際に肘をついて忌々しそうに呟いた。

 

「死ねばいいんだ、あんなやつ」

「そんな言い方はいけないわ」

 

ブラックさんに嫌われないように、ブラック家の人々のいうことに対する答えは何があっても『イエス』だと母に教えられてきたが、流石にこれには賛同できない。

だって私にはシリウスに死んでほしいという思いも、それほど彼を憎む理由もなかったので。

少し咎めるように言うと、レギュラスは横目で見据えた。

 

「そうやって、君はいつもシリウスの肩ばかりもつんだ。だからあいつがつけあがるんだ」

「そんなことないわ」

「そんなことない? 君、あいつが影で自分のことをなんて呼んでいるかわかっているのかい?」

 

レギュラスは怒りを込めて唸った。

 

「"世間知らずのお姫様(Naive Princess)“と、家では君をそう呼んでいるんだ」

 

シリウスは世間知らずな私を『お姫様』と呼び、時折、『純血の王女様』と呼んでからかった。

意味は何となくわかっていたが、別に気にしていなかった。婚約者とはいえよそ者の私には彼に意見する権利はなかったし、シリウスの言動、そして一挙一頭足をいちいち気にしていてはきりがないということをこの二年間で学んでいた。なぜレギュラスが私のことを自分のことのようにシリウスに憤るのか、常々理解に苦しんだ。

伝統を重んじるレギュラスは礼儀正しい。特に女性に対しては。だからこれもその延長なのだろう。シリウスが女性に対して無礼な振る舞いをすることが許せないのだ。

私は今日も今日とて、兄弟仲をこれ以上悪くしないようにとりなす。

 

「私は気にしてないわ」

「そうだろうとも。君はいつもシリウスに対して従順だからね」レギュラスは不愉快そうに目を背けた。「はい、シリウス。ええ、そうね、シリウスって、そればかり……」

 

先ほどまでシリウスへの悪態をついていたはずのレギュラスの、怒りの矛先が自分に向いたことに、どうしようもなく困惑した。

自分はシリウスとレギュラスに喧嘩して欲しくないからそういっているだけだ。レギュラスが怒っているのはわかったが、どう言い返したらいいのかわからない。

 

「私は、その、二人に喧嘩して欲しくないだけなの。別にシリウスの肩をもっているわけじゃないわ。でも、レギュラスがそれを不快に思っていたなんて思わなくて…知らなくて……ごめんなさい……」

 

うまく言えない自分が情けない。

なんだか暗い感情が喉を押し上げてきて、目玉が熱くなって視界がぼやけた。私は喧嘩をして欲しくないだけだ。二人だけの兄弟なのだから、出来るだけ仲良くしてほしいだけなのだ。

泣きそうになったことに気づいたレギュラスが気まずそうな顔をした。

 

「……君を責めているわけじゃないんだ」

 

レギュラスが、クリーチャーがしっかりとアイロンを当てたまっさらな絹のハンカチを差し出した。それがレギュラスの敗北宣言だった。

わざとではないといえーーレギュラスが女の涙に逆らえないことをわかっていて泣く私は、きっと卑怯者なのだろう。

口の中で転がした小さなレモンキャンディーの味は、いつしか鼻の奥で海の味に変化していた。



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入学式《後編》

六ヶ月ぶりの更新……!


兄の婚約者を泣かせた入学初日はレギュラスにとっても最悪のスタートだったに違いない。

組み分けまで、レギュラスは気まずそうに黙ったままだった。私も気まずかったが、これから先の組み分けのことを考えるとひどく憂鬱だった。

 

「はじめまして、みなさん」眼鏡をかけた女の先生が厳かにいった。「ようこそ、ホグワーツへ」

 

いよいよ組み分けが始まるのだ、とごくりと緊張をのみくだす。

 

コローナ=ボレアリス家は一族のほとんどがホグワーツに通っていたが、所属寮はバラバラだった。

 

厳格な性格のお祖母様はブラック家の傍流から来た人で、この人はスリザリンだった。私をとても可愛がり知識を授けたお祖父様はレイブンクローだったらしい。決断力のあるお父様はグリフィンドール、神経質だが美人のお母様はスリザリンだった。兄弟内で一番優秀な一番目のお兄様はレイブンクロー。しっかり者で新しもの好きな二番目のお兄様はグリフィンドール。兄たちの中で一番美形でひょうきんな性格の三番目のお兄様はハッフルパフだった。

 

ハッフルパフ以外ならどの寮も確率は同等ーー。

 

祖母も母も外部の純血の名家からお嫁に来た。私の知る限り、生家にスリザリン出身者は少ない。

 

おそらくーーコローナ=ボレアリス家に生まれたものは、潜在的にスリザリンに向かないのだろう。

 

「レギュラス・ブラック」

 

そんなことを考えているうちに、ブラックの《B》が呼ばれ、心臓の音が高まった。

 

新入生の名前はアルファベット順に読み上げられている。ブラックの《B》の次はコローナ=ボレアリスの《C》だ。

 

姿勢良く椅子に座ったレギュラスの頭の上に、女の先生が組み分け帽を乗せる。レギュラスはいつも通りに振舞っていたが、内心やはり緊張があったようで、灰色の目が落ち着きなく組み分け帽を見上げていた。

 

誰もがレギュラスを神妙な面持ちで見ていた。ーー何故なら、代々スリザリンであるブラック家の伝統を破った兄が去年いたからである。

 

グリフィンドールかスリザリンかーー糸を張り詰めたように広間が緊張している中、帽子ははっきりと高らかに宣言した。

 

「……スリザリン!」

 

スリザリンのテーブルから大きな歓声が上がる。レギュラスと入学前から交流があったらしい先輩たちが祝辞と賛辞の言葉をかけ、飲み物の入った杯を渡して乾杯しあっているのが見えた。

 

純血を尊ぶスリザリンに入ったのだ。レギュラスは頰を薔薇色に染めて、とても嬉しそうに見え、いつもよりハンサムに見えた。シリウスと顔立ちが似ているのだから、もともと彼も相当ハンサムなのだけれど。ニコニコしているところをあまり見ないので、余計にハンサムにうつる。

 

空気を読んで、みんなに合わせて拍手を送っていると、新入生の名前を読み上げていた女の先生ーーマクゴナガル先生が、くい、と丸眼鏡をあげた。

 

「ベガ・アルタイラ・コローナ=ボレアリス」

 

一瞬、しん、と会場内が静まり返った。

 

スリザリンの席からはわずかなざわめきが聞こえた。

 

世間知らずな私にも、理由はわかっているーー私が、“魔法界のお姫様”だからだ。

 

重い足取りで椅子に腰掛けた途端、全校生徒の視線がこちらを向いて冷や汗が吹き出した。

 

屋敷内で大切に育てられてきたため、こんなに一斉に注目されたのは初めてだったのだ。

 

(スリザリン……スリザリン……)

 

帽子を被らされる前から震える膝を抑えて強くそう念じた。

 

そうじゃないと、私はブラックさんに嫌われてしまう。母も父も残念がるだろう。

 

じとりと冷や汗の量が増した気がした。

 

「ハッ……」

 

「だめ……!」

 

ぎゅっと帽子のつばを掴んで、きっと恐らく「ハッフルパフ」と言おうとした帽子を黙らせる。

 

嫌じゃない。ダメなのだ。

 

スリザリンじゃないといけない。

 

お母様は『将来ブラック家に嫁ぐためにはスリザリンじゃないといけない』と言った。

 

スリザリンじゃないとレギュラスにだって嫌われてしまう。優しかった彼はきっと私を軽蔑するだろう。

 

グリフィンドールに組み分けされたシリウスと同じように。

 

なぜだか、シリウスに嫌われるよりレギュラスに嫌われることの方が怖かった。

 

「……スリザリン!」

 

帽子が叫んだ瞬間、スリザリンから大きな歓声が上がり、ざわめきに混じって「スリザリンだ!」「お姫様だ!」「お姫様がスリザリンに来た!」という声がちらほら聞こえた。

私はただ呆然としており、何が起こったのかわからずにいた。

あまりに放心しているので、先生が椅子を離れるように促し、説明されるがままにスリザリンの席に歩み寄った。

 

帽子が組み分けを変えた……? そのことにただただ動揺していて、どこに座ればいいかわからなくて立ち尽くしていると、監督生バッチをつけた七年生がわざわざ立ち上がり、握手した。私より大きな手は筋張って色素が薄く、いかにも男性の手という感じ。

 

「君を歓迎するよ、ミス・コローナ=ボレアリス。さあ、こっちへ。みんな、静粛に! もっと詰めて! どこか空いている席はないかい」

 

あとでこの人がルシウス・マルフォイであるいうことを知った。一番最初に縁談が上がったが母が歳が離れすぎているからといって泣いて固辞したマルフォイ家の跡継ぎだった。

 

純血の名家コローナ=ボレアリス家の"お姫様"がスリザリンに組み分けされた喜びはひとしおで、監督生や他の七年生が呼びかけているにもかかわらず、みんな喜びを分かち合おうと私に話しかけるのに夢中でなかなか席に空白が出ない。

 

戸惑って一人ワタワタしていると、「ベガ」と小声で聞きなれた声が呼びかけた。

 

「ここにおいで。僕の隣」

 

レギュラスはいつもと同じよう優しく声をかけてくれて、どうやら彼に嫌われていないらしいことに私はほっとした。

助かったと思いながら、レギュラスが示してくれた席に座る。

 

「ベガおめでとう。君を誇りに思うよ」

「あ……りがとう、レギュラス……」

 

普段はクールで私の前ではあまり顔色を変えないレギュラスが喜んでいるのを見て、私も少し嬉しくなってしまった。

 

「やっぱり君には崇高なスリザリンが似合う。だって僕のお姫様だもの」

 

「え……」

 

珍しく目を合わせて、頰を上気させて誇らしげにいうレギュラスに心臓が音を立て始めた。

 

それはどう言う意味ーーと聞く前に、向かいの面倒見のいい二年生が皿を突き出して、一年生に食事を取り分け始めた。

 

「おめでとうお姫様! これもどうぞ!」

 

食事の乗ったお皿に続いて与えられるお菓子や飲み物をひたすら受け取る作業に追われて、私はいつしかレギュラスに言葉の意味を聞き返すのを忘れた。

 

ブラック家の直系とコローナ=ボレアリス家のお姫様を迎えたスリザリンは、その日夜が更けてもみんなお祭り気分で、私は日記をつけることも忘れてベッドに入ったのだった。

 

 




入学式編終了。


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君は僕のお姫様《前編》

レギュラス視点。


「明日から、女の子が来るわ。二人とも行儀良くね」

 

普段はカチャカチャと食器の擦れる音だけが聞こえる静かな食卓で、珍しくワインに酔った母が陽気に話しかけた。

 

母は男ばかりの屋敷に息子達と同じ年頃の女の子がくるのがよほど嬉しいのか、一週間ほど前から毎日口癖のように繰り返し、息子二人に覚えこませている。

 

母が陽気に話しかけるのは何ヶ月ぶりだろうと考えを巡らす。最近は屋敷内でやんちゃをする兄を非難する言葉しか耳にしていなかった。

 

母はちらりと、すでに話を聞いていないシリウスに冷ややかな視線をやった。

 

「特にシリウス」

 

「はいはい」

 

話を振られた兄は気の無い返事をし、行儀悪くフォークの先でマッシュポテトをつついて遊ぶ。兄は明日失礼が無いよう先手を打った両親に悪戯道具を根こそぎ取り上げられてしまい、ひどく機嫌が悪かった。

 

「お姫様が来たら家を案内して差し上げる。悪戯はご法度。何事も失礼がないように、だろ?」

 

「よろしい」

 

母はシリウスの返事に厳かに頷き、こちらを向いてにこやかな猫なで声を出した。

 

「レギュラス?」

 

「レディが困っていたら助けて差し上げます」

 

お姫様は兄の婚約者。次男の自分はそれを上手く補佐するのが役目だ。それ以上の言葉はない。

 

「いいわ。レギュラスは何も心配ないわね」母はご機嫌な様子でいった。「クリーチャー。二人の洋服にアイロンは?」

 

ワインのおかわりを注がせながら、母がとうと、「ばっちりでございます、奥様」とクリーチャーは深々と頭を下げた。この時のクリーチャーの、主人に対する恭しい声がどうやら不機嫌な兄の癇に障ったようで、思いっきり顔を歪ませ、クリーチャーが母の元を去る間際、こっそり足を引っ掛けた。

 

ビタンとゴムを打ち付けたような音がし、クリーチャーは盛大に顔面から倒れこんだ。慌てて椅子から立ち上がり、転んだクリーチャーを助け起こし、目立った怪我がないか確かめる。

 

 

「なんてことをするんだ! ――クリーチャー、平気かい?」

 

「大丈夫でございますよ、レギュラス坊ちゃん」

 

そうは言うが鼻血が出ている。

 

近頃、兄はこうして鬱憤晴らしにクリーチャーを痛めつける。きっと兄を睨み付けると、自分と同じ色の目が得意そうに細くなり、べーっと舌を出した。母も横目で睨みつけたが、兄は椅子を揺らして知らん顔をし視線を受け流した。

 

気に食わないから、気に入らないからという理由でクリーチャーに暴力を振るい、両親を嘆かせ、そして少しも悪びれていない兄に対して、ふつふつと反抗心が芽生え始めたのもこの頃からだった。

 

 

 

 

そしてその日はきた。彼女は一人の屋敷しもべ妖精に連れられて、暖炉をくぐってやってきた。

 

「ベガ・アルタイラ・コローナ=ボレアリスです」

 

初めて出会ったとき、まるで本当のお姫様のようだと思った。

 

彼女は細い体に血色の良い肌、青い目をした素晴らしい金髪の持ち主で、年齢に似つかわしくない黒色の堅苦しいドレスさえなければ妖精のようだった。ずっと微笑んでいるような顔で、年の割に落ち着いて全体的におっとりとしていた。

 

微笑んだとき、下がり気味の目尻がさらに下がって柔和な印象を強くした。とろんとした目が無条件に愛らしい。

 

「本日はお招きありがとうございます、ブラック夫人」

 

彼女は、婚約者がこの場にいないことに一瞬困惑した表情を見せたが、すぐに素の表情に戻って母の手を取り、腰をかがめて旧式の礼をとった。その一挙一動が素晴らしかった。家で何度も練習したのだろう。

 

きっと兄のために。

 

兄のことを思い出すと意識しなくても顔が険しくなってしまう。

 

両親を嘆かせる天才。今日になって婚約者に会うことを拒否したそうで、部屋に籠城しているらしい。昨日いじめられたばかりだというのに、可哀想なクリーチャーは兄を部屋から連れ出す役目を両親に申しつけられた。

 

「今日はゆっくりしていって頂戴。シリウスはちょっと……支度が遅れているの。……先に弟のレギュラスを紹介するわね」

 

苦しい言い訳を述べた母の目がこちらを向いた。

 

「レギュラス、ご挨拶を」

 

穏やかにいう母だが、内心は怒りが煮えたぎって仕方がないに違いない。その証拠にさっきからこめかみに浮いた青筋がピクピクしている。笑顔もぎこちない。

 

母に促され、彼女の旧式の礼に従って旧式の礼を返すべく、そっとレディの手をすくう。その手は驚くほど細く、壊れそうなほど華奢だった。

 

母曰く、彼女のこの折れてしまいそうなほど繊細な体には、ヨーロッパのほとんどすべての名だたる純血の名家の血が流れているそうだ。

彼女の家は千年以上前から続く純血の名家で、薬売りを生業にしてきた。『薬種問屋コローナ=ボレアリス』の名を知らない魔法使いはいないだろう。それに関する書籍は何冊も刊行されている。純血同士の政略結婚で着々と富を増やしていった一族で、ヨーロッパのほとんどの純血の名家はコローナ=ボレアリス家の縁者だった。しかもそのすべての頂点に立つほど高貴な家柄。〝魔法会の王族〟と呼ばれる所以である。

 

しかし彼女の父親が家業の薬種問屋のほか、魔法使い向けの宿泊施設など様々な家業に手を伸ばした結果、数年前から赤字が続き、経済状況は必ずしも良好とは言えないようだ。

 

そこで彼女の両親は、一人娘である彼女を金持ちの純血主義者に嫁がせることで財を取り戻そうと試みた。そこに目をつけ、純血同士の結婚に特にこだわるブラック家は彼女を欲した。

 

特に母は彼女を我が家に迎え入れることに執着した。ブラック家は地位も名誉も富もあるが、それ故に長らく血族内での婚姻が続いていた。両親も一族内での結婚で、これ以上、一族内での血を濃くするのは将来生まれる子供に影響が出そうだし、かといって他家から妻を得たところで、ブラック家に利益になることはほとんどない。彼女と兄の婚約は、ブラック家が、イギリス国内での政略結婚ではもはや何も得るものはないと考えた両親により決定されたのだった。

 

良心は有り余る富や名誉を守るより、失われかけた魔法会の純潔を守ることを選んだ。血が近い国内の純血の名家より、外国の様々な名家と縁があるコローナ=ボレアリス家を選んだのはそういう理由からだった。

 

うまく運べば家族ぐるみで付き合うことになる。"魔法界のお姫様"と呼ばれる彼女に思いを馳せ――やっと目通りが叶った。

 

優しく微笑み、相手からの口づけを待つ。

 

そんな彼女に見惚れた。

 

「あ、の……?」

 

しかし、彼女が困惑した声を出したことでその時間は終わりを告げた。ハッとなった瞬間、彼女に見惚れていた自分を認めて羞恥心が湧き上がる。

 

「レギュラス・ブラックです」

 

なるべく顔をみないようにして指先に口付けた。挨拶のためにやむなしとわかっていても、恥ずかしかったし、顔はきっとわかりやすいほど赤くなっていた。

 

「よろしく、レディ」

 

「……よろしくお願い、します」

 

思ったより高圧的な声が出たせいか、彼女は言葉に詰まった。

 

気まずい空気が流れ、二人沈黙したのを見て、「あらあら」と母は笑った。

 

「母上。僕は兄さんを呼んできます。兄さんの婚約者なんだから、兄さんがいなくちゃ」

 

母の方に向き直り、なるべく無表情でまくし立てた。

 

ここにいない兄をこの場を離れるための言い訳に使い、ちら、とまた彼女に目をやる。

ドレスの裾を掴んで固まっている彼女は、視線が自分に向いていると理解するなり怯えたように何度も瞬きした。

 

「……じゃあ、レディ・コローナ=ボレアリス。ゆっくりしていってください」

 

「あ……は、はい」

 

か細い声で彼女は頷いた。どうしていいかわからず焦っているのが手に取るようにわかった。

珍しく頬が緩んでいる母はお姫様の背を優しく押し、優しい声を出した。

 

「さ、ベガ。おかけになって。シリウスが来るまでブラック家の歴史についてお教えするわ」

 

母は彼女をずいぶん気に入ったようで、窓際の一番日当たりがいい席に自分から座らせるのを見届け、ほっとした気分で部屋を出た。

 

 

 

 

 

一度自室に戻って呼ばれるまで寛ごうとしたものの、あの無作法な兄がお姫様の前でも何かやらかしているのではと気が気ではなく、一時間もしないうちに腰を上げて部屋を出ていた。未来、ブラック家の当主となる男がレディをエスコートできなかったというのも後世に残る恥だ。それよりももっと最悪なのはいまだレディを待たせているのではないかということだった。これでレディに機嫌を損ねられて縁談が不意になれば両親はかなり嘆くだろう。両親が嘆くのを見るのは嫌だった。

一応、部屋にはいないようで、静かなものだった。一度一階に降りて一つ一つ扉を空けて中を確認したが、兄の姿は屋敷内のどこにも見当たらず、かわりに思いつめた表情で、新聞を片手にトボトボと廊下を歩くクリーチャーを見かけた。

 

どうやら入れ違いになったらしい、という結論に行き着き、クリーチャーに声をかける。

 

「クリーチャー」

 

「レギュラスさま!」

 

クリーチャーはハッとしたように顔をあげ、恭しく腰を折る。その後頭部には赤く腫れ上がった瘤があり、何が何でもお見合いを受けまいとする兄との乱闘の結果を物語っていた。

 

クリーチャーは両手で新聞を差し出した。

 

「今日の朝刊でございますよ」

 

朝一番にアイロンがけされた新聞をめくるのは父だ。その次に母が読み、自分の元へやってくるには大抵昼前か、午後が過ぎてからだった。兄はクィディッチ欄以外、新聞にほとんど目を通さないので、母が読み終わるとすぐに自分の元へやってくる。

 

クリーチャーから朝刊を受け取り、今朝の仕事を労う。

 

「今日はご苦労だったね。平気かい?」

 

「ええ……ええ、レギュラスさま。そんなめっそうもない」

 

クリーチャーは拳大の眼をうるうるさせ、啜り泣いた。

 

屋敷しもべ妖精がこんな風に主人に優しく話しかけられることはあまりないのだという。たしかに、大人たちが考える屋敷しもべ妖精たちの扱い方と、自分の考えはたしかにずれているようで、屋敷しもべ妖精と親しげに話しをすると母は「主人らしくもっと堂々として良いのに」とちょっとがっかりする。屋敷しもべ妖精に対する扱い、それは両親の期待通りに育った自分が珍しく両親を嘆かせる事柄であった。

 

でもそれを両親好みに改めようとは思わなかった。滅多に両親を嘆かせないし、屋敷しもべ妖精に傅いている訳ではなく主人と使用人の境界をしっかり分けているのだから、これくらいは許されるだろう。

 

クリーチャーは自分を敬ってくれて、とてもよく仕えてくれる。だから自分もクリーチャーによくしてやりたいと思うのだ。クリーチャーの仕事に対する姿勢にも敬意を抱く。

 

が……兄のシリウス・ブラックにはそれが備わっていないようで、小言を言いつつも兄にも仕えてくれるクリーチャーには申し訳がなかった。

 

「兄さんたちはどうかな。仲良く話せていた?」

 

緊張してほとんどずっと下を向いていたお姫様を思い出す。だが能天気な性格の兄ならお姫様も多少は心を開いて話せたかもしれない。

 

そう期待したが、クリーチャーはボロボロの服で目をこすると、ポツリとつぶやいた。

 

「酷いものです」

 

クリーチャーは鼻をすすって、顔を歪めた。

 

「クリーチャーはもう見ていられません。シリウス坊っちゃんは奥様の言いつけを守らず、レディの手も握らず面倒臭そうにお屋敷内を歩き回っていらっしゃるのです。レディの仕立ての良いドレスの裾は泥だらけ。坊っちゃんに合わせて小走りで駆けているせいでせっかくの素晴らしいお髪もぐしゃぐしゃになって台無しです」

 

「おいたわしや」とクリーチャーは自分の力が及ばない情けなさとレディに対する申し訳なさで再び半泣きになった。そして将来の主人の悪口を言ったので、「クリーチャーに罰を!」と床に崩れ落ちた。

 

やっぱりそうなったのか。悪い予想と期待を全く裏切らない兄にはもはや敬意を抱く。

 

ぐすぐす泣くクリーチャーを落ち着かせるためには、何かいい方法はないかと考えあぐねて、一つ命令をすることにした。

 

「罰はいいから、クリーチャー。あとで庭でお茶を振る舞うから、いつでも出せるように用意してくれるかい。三人分だよ。お菓子もね。レディはきっと甘い味がお好きだよ」

 

罰を問われなかったことにクリーチャーは少し後ろめたそうな顔をしたが、最後は「仰せのままに、レギュラスさま」と鼻声で返した。

 

クリーチャーが去ったあとで、自分もめっきり静かになった廊下を後にしようと階段を上がろうとしたとき、不機嫌な兄の声が聞こえた。

 

「ここが父の書斎。隣の部屋に繋がってる。ここがお優しいお母様の部屋……で、ここが……」

「あ、の」

 

上等な革靴がしきりにドレスの長い裾を蹴るボスボスという音がお姫様の足並みを鈍くする。

どうやら年相応ではない黒ドレスを、彼女は着慣れていないらしく、慣れない裾さばきに難儀していた。

兄はバカなのか。あんなに歩きにくそうにしているのに歩調を緩めるということがない。

さらにはこれ見よがしにため息をついてみせたので、お姫様が焦った。

 

「ご、ごめんなさ」

「もうちょっとゆっくり歩いてあげなよ、兄さん」

 

見るに見かねて声をかけると、背後から声がかけられてびっくりしたのか、細い肩が跳ね上がった。

 

驚いて後ろにたたらを踏んだ細い腕を支えて姿勢を正す。

 

「ドレスの裾が泥だらけだ。さっきから何度もつまづいてるんだ」

 

そんなこともわからないのか、という風に咎めると、兄は憎々しげに睨みつけてきた。

 

「お前は黙ってろ、レギュラス」

 

「僕に兄さんの婚約者に口出しする権利はないもの。一応、助言してあげただけ」

 

ムッとして言い返すと、灰色の目がより一層きつくつり上がった。

険悪な雰囲気を敏感に察したお姫様が戸惑ったように瞬きの回数を多くし、これ以上いてはますます兄の機嫌を損ねてお姫様が怯えてしまうので、さっさと新聞を抱え直して再び自室に戻ることとした。




添削、修正、加筆しました。


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