偽伝・機動戦艦ナデシコ T・A(偽)となってしまった男の話 (蒼猫 ささら)
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第一話―――憑依

憑依という事もあってか出だしは聖杯の少女の方と被ってます。
ただ主人公はそちらと違って本当に憑依物となってます。


 

 

「ッ……此処は?」

 

 ボンヤリとする頭を振って身を起こし、辺りを見回す。

 空には星が見えて暗く、今が夜間であることを示していたが、遠くに在る町の光が薄っすらと届いていた為、周囲の様子を窺う事ができた。

 

 「何でこんなところに?」

 

 思わず呟く。一面が草で蔽われた草原に俺は居た。

 何時の間にこんな所で眠ってしまったのだろうか? いや、そもそも俺はこんな場所に見覚えは無いし、来た覚えも無い筈。

 おかしな事態に首を傾げながらも、立ち上がって灯りの在る町の方へ歩き出す。

 途端、ぶわっと強めな風が吹いて俺の身体を撫でた。

 

「うっ……さぶっ」

 

 思わぬ風の冷たさに身を竦ませる。それに夜間である為か、時季に合わず妙に空気が冷たい。もしかして風邪を引いたのかも知れない。さっきから声もなんだか変だし、と思いながら手で身体を擦り――ってあれ?

 手から伝わる感触に違和感を憶え、視界を下げて自分の身を確かめる。

 持っていた覚えの無い黄色いシャツにジーパンを着用している自分。さらに気付くと首から紐のような輪っかをぶら下げている。

 ちなみに紐はペンダントだったようで宝石か、何かの石が付いていたらしい跡がある。

 

 ――――――――………………オーケー、OK、おーけー。落ち着け、俺よ。

 

 気付いたら夜の草原だとか。気が付いたらペンダントの石が無くなっていたとか。何だか色々と記憶に引っ掛かるものが在るが、気のせいだと思いたい。

 

 つーか、気のせいであって欲しい。そう思いながらも何か確認できる物が無いかとジーパンのポケットを探る。

 そしてソレは、アッサリと見つかった。

 ジーパンのポケットから出てきた一つの財布。

 勿論俺はこんな財布には見覚えが無い。……無いのだが、状況を確かめる為にも……と。何となく感じる後ろめたさを誤魔化しながら財布の中を漁る。そこからいの一番に出てきたキャッシュカードらしき物を見て――俺は固まった。

 

 「は、ははっ……はははははっ……」

 

 そして意味も無く可笑しさが込み上げて来て、笑いが止まらなくなる。

 何故ならカードの所有者を示す欄に――テンカワ アキト――と書かれていたのだから。

 なんだ此れは、つーか……ほんと何の冗談だ此れは。アレか? 不慮の事故で死んだ先は、二次元の世界でしたww 憑依物ワロス……ってか?

 そもそも死んだ憶えもねーっての。

 ……でもなぁ、頬を抓ってみるまでも無く、この感じる空気の冷たさとか、風の寒さだとか、明らかに現実なんだよなぁ。

 

 思わず肩を落として吐いた溜息が白かった。

 

 俺の主観では今は夏の筈なんだけど、この寒さは……ああ、そうか、そういえば。確か木連が火星を攻めたのって11月1日だっけ。

 劇場版から20年ほど経つというのに、未だに好きなアニメがナデシコだと言える俺のオタ知識がすぐさまそんな答えを出して、些細な疑問を払拭す――――って!? 待て待てまてって!!

 こんな馬鹿げた事が現実だって認めてるのか俺は!? この現状がどこかの馬鹿が仕掛けた悪戯って可能性の方が大きいだろうに!!

 そう、友人らが戯れに仕掛けたドッキリかも知れないだろう。きっと今も直ぐ近くで俺の狼狽する姿を見て、せせら笑っているに違いない。

 そう思って闇夜に目を凝らして辺りを見渡すが、人が身を隠せそうな場所や遮蔽物は見当たらない。

 

 ならば、望遠か! 

 

 思い至り、人工の灯が燈る方角をキッと見据え、手の込んだ悪戯への報復を決意し、気合を入れて足を踏み出す。

 

 正直に言えば、俺はこの時にとっくに此れが現実であると感じて……或いは気付いていたんだと思う。だとしてもだ。ソレを認めたくなくて、あえて悪戯だと考えたり、意味も無く強がって報復だー、と意気込むフリをしていたんだろう。

 

 だから、こうして目にした事実に俺が項垂れているのは、当然の帰結だった。

 

 どこぞの公園のベンチに座って黄昏れている俺。

 ハア、と今日……いや、ここ数時間で、もう何度目になるか分からない溜息を吐く。

 まず、この町は佐世保だった。

 そう、ナデシコが建造されたドックが在ったり、テンカワ アキトが第一話で働いていた中華料理店が在るあの佐世保だ。

 走っている見たことも無い車種の車のナンバープレート、交通案内板。この公園で見つけた、恐らく非常に珍しいと思われる公衆電話にあった電話帳。

 それら全てが此処が間違いなく佐世保であることを示していた。オマケに今が西暦2195年であるらしい事も分かったし、公園のトイレにあった鏡で自分の容姿も確認した。

 

 正直、誰っ!? 何処の若造だよ……って感じだ。

 

 訳が解んなくとも目の前の事実は変わらない……って、某オルタな世界の天才物理学者が言ってたけど、実際そういう目に遭うと途方に暮れてしまう。今ならあの某恋愛原子核の気持ちが分かる気がする。

 まあ、それでもあの世界よりずっとマシなんだろうけど。

 ……ああ、でも此処には直ぐに頼れる(?)某博士とか、見知った顔の美少女ばかりの分隊とか、いないんだよなー。

 第一、幾ら好きな作品だからって、今更“ナデシコ”ってどうよ? 新劇場版が出ている“エヴァ”とかならまだしも……ほんとナデシコって……。

 

 こんな古いジャンルの作品を今時ネットで公開して、読んでくれる人がどれだけいてくれる事やら。

 

 ――――……等とメタ的に考えて。これ以上現実逃避しても空しくなるだけだ。

 

 まったく、

 

「これから、どうしたものだろうか?」

 

 星空を仰ぎ、白い息と共に漏れた呟きに当然答える者は無く、ただ冷たい夜気に消えた。

 取りあえず、この理不尽な現実に対処する為、原作を思い出しつつ思考を纏める事にする。

 

 現状。どういう訳か俺はテンカワ・アキトに成ってしまった。

 テンカワ アキトというと、情けない奴で優柔不断。でも何故か女性にモテル。義理人情に厚く、妙に優しい事が一応その理由らしい。

 当時流行りだったギャルゲーを模倣したような主人公という事だが。 

 

 そう表すと原作は差し詰め、幼馴染ルートを攻略してハッピーエンドを迎えたと思ったら、実は人体実験でバッドエンド……と思いきや、更に続きが在って復讐鬼ルートへ直行、ノーマルエンド(?)といった所だろうか。

 

 うーん、この世界が本当に“機動戦艦ナデシコ”という作品――テンカワ・アキトを主軸とした物語の通りであるのなら、前半は兎も角、後半は確実に避けたい。五感を失うのは勿論嫌だが、下手をすれば死んでしまう。

 

 避ける為には、今後どう行動を取るべきか?

 

 ナデシコに乗らず、ネルガルにも存在を知られず、A級ジャンパーである事を隠すか?

 

 妙案に思える。

 ナデシコがテンカワ アキト一人を欠いたぐらいで沈むとも思えない。第一話の出航時にしても、何とか出来そうだし、火星から逃げる時もミスマル・ユリカにイネス・フレサンジュがいれば、無事チューリップを抜けられる筈。

 他も……まあ、大丈夫だろう。テツジンの自爆時は危ないかも知れないけど、そもそもテンカワ・アキトが居なければ関わらない可能性もある。

 

 しかし、結局の問題は火星の遺跡な訳で、どの勢力が遺跡を手にしても調査の結果、火星生まれの人間へ辿り着くのも時間の問題。

 そうなると、戦争を避けてヌクヌクと安寧に暮らしている所で、いきなり拉致実験エンドへ直行と成りかねない。

 なら、早めにネルガルに接触してジャンパーとか、未来知識をアピールして協力するとか?

 

 駄目だな、と即行で結論が出る。

 

 あの道楽会長が二次創作のように甘いとは思えない。少なくともナデシコに乗艦して“染まらない”限り信用も信頼も出来ない。その経験が在ってこその道楽会長な訳だし。

 それにボソンジャンプを行なったという証拠も無いし、未来知識云々にしても同様。

 いや、ジャンプに関しては火星からいきなり地球に現れた事実で十分な証明かも知れないが、それでもやはり貴重なモルモット以上の価値は無いだろう。そのまま世間から隔離され、無茶な実験を繰り返させられた揚句殺されかねない。

 それ以前に、テンカワ夫妻の息子という事で復讐目的に近付いたと勘違いされる可能性もある。その場合、問答無用で抹殺されてしまうだろう。

 

 うむむ、ならばこのまま生存自体を隠してホームレス生活とか?

 

 却下だ。

 

 そんな先の無い生活に俺が耐えられるとは思えない。そもそも人体実験以前にヘタをすると餓死や病死する可能性の方が高い。戦争で物資も欠乏するだろうし、時季的にも凍死する方が早いかも知れない。

 

 うぬう……やはり最善の手段は、原作通りナデシコに乗艦しての物語への介入、改変か。

 

 正直に言えばこれも避けたい。なぜなら原作のテンカワ・アキトのように戦争を生き残れる自信も確証も無い上、優人部隊が出てきた時、彼らに武器を向けられるか分からないからだ。

 

 早い話、俺には命を掛けて殺し合う度胸が無い、という事。

 

 しかしナデシコに乗れば、一般人として過ごすよりも状況が把握できるし、あの道楽会長とも接触しやすく、戦後に草壁の動きを注意する事も可能になる。

 いや、旨くやれば白鳥 九十九を生存させ、注意を促して草壁一派を完全に一掃させる事が出来るかも知れない……流石に高望みし過ぎだろうけど。

 それに一番留意すべきA級ジャンパーへの扱いに介入するには、どうしても道楽会長やイネス フレサンジュの協力が必要になる。

 

 その為にも、状況を旨く作る為にもナデシコへの乗艦はやはり不可欠。

 

 はあ、とまた溜息が出る。柄じゃないと思うし、鬱にもなる。

 この不条理な現実を受け入れてこの世界で……テンカワ・アキトとして生きていく為には。将来起こる悲劇の回避と歴史の改変が必要という事の大きさに。

 

 取りあえず今日はもう休もう。

 

 そう思い、寝床を確保する為に公園を後にして、俺は安値のビジネスホテルに一泊する事となった。

 野宿は凍死の危険があったし、支払いに関しても財布の現金こそ火星の通貨らしかったが、幸いにもクレジットカードがあり、使用も可能だったおかげで問題は無かった。

 

 

 

 

 見たものは赤い炎だった。

 

 空気が熱い、そう思うと同時に今の今まで人であった沢山の死体が目に入る。

 

 ナンダ……ナンダコレは、

 

 死体の向こう。赤く燃える炎と煙の先に、より赤く燈る目のように連なる光の群れが見えた。

 

 息が荒くなる、呼吸が速くなる、咽に酷い渇きを感じる。

 

 光の群れが迫る。巨大な虫のような形をした鋼鉄の怪物たちがやって来る。

 

 身体が震える、でも硬直する、心臓の鼓動が苦しい。

 

 気付くと直ぐ傍にも怪物が居た。

 

 叫び声を上げテ、怪物カラ逃げようトスル。

 

 だけド、体ハ動かナい、周囲ハ、モう怪物デ一杯だっタ。さっキまで生きてイタ人達をフみツケテ、コッチニソノアカイメヲムケテ――

 

「! ……ッああーーーー」

 

 叫ぶ、

 

 

 

 

 

 

「――……ぁあっ!!! ……またこの夢か……」

 

 飛び起きて辺りを見回してホッとするとそう言葉が漏れた。

 怪物たちはいなかった。目に入るのは自分の寝ている布団と備え付けられたテレビと時計だけ。

 そう此処はお世話になっている居候先の一室で、当然あんな怪物がいる筈が無かった。

 荒い呼吸を整えながら額の汗を拭う。

 

 今見たものは夢だ。しかしアレは事実として起きた出来事……この身体の主、テンカワ・アキトが体験した出来事だった。

 

 ソレを俺は今日まで何度も夢として見た……いや、むしろ体験させられたというべきだろう。

 それほどにまで、その夢は夢と思えないほどに現実的だった。

 燃え盛る炎の熱さ、何かが焼ける臭い、テンカワ・アキトの息遣いと身体の震え、迫りくる怪物――バッタに懐いた恐怖。

 

「!? ……ッ」

 

 気付くと俺の身体は震えていた。

 押し止めようとするが止まる様子が無い。

 フラッシュバックのごとく、さっき見ていた夢の内容が脳裏に浮かんで震えが酷くなる。

 全力で運動をしているように呼吸も荒れ、全身に汗が噴出す。

 

「グッ……」

 

 くそっ……と胸中で罵る。

 身体だけじゃなく精神の方もテンカワ・アキトの影響を受けているらしいのだ。いや、この場合、精神の異物は俺の方なのかも知れないが。

 

 耐える事、十分ほどで震えは止まった。

 

 深呼吸をするようにして、荒かった呼吸を整える。

 

「情けない……」

 

 確かにこれじゃあ事情を知らない人間からすれば情けない奴に見えてしまう。何しろ怯え方が尋常じゃないのだから。オマケに――右手の甲に視線を向け――IFSがある為に腰抜けパイロットなんてものまで付くのだ。

 

 パイロットじゃないのにな、と苦笑しながら原作のテンカワ・アキトと同様の事を思ってしまう。

 

「アキト」

「あ、はい」

「起きてたか……って、オイまたか?」

 

名前を呼ばれて返事をすると、廊下側の障子戸が開けられて中年の男性……家主であるサイゾウさんが顔を見せた。

 サイゾウさんは俺の顔色を見てすぐに察したようだ。この人には何度もさっきの情けない姿を見られている。

 

「すみません」

「まあ……事情は分かっている。さっさとシャワーを浴びてこい。先に行っているぞ」

「……ほんとすみません」

 

 サイゾウさんは呆れたように言うと立ち去り。俺もまた寝汗の酷さを今更のように気付き、着替えを持って洗面所に向かった。

 

 

 

 少し温めにしたシャワーで汗を流して着替えを終えると厨房の方へと向かう。

 サイゾウさんは既に仕込みに入っているだろう。

 なのに住み込みのバイトである俺がのんびりとシャワーを浴びているというのは……改めて情けなさを覚える。

 

「すみません、遅れました」

「おう、来たか」

 

 三度(みたび)頭を下げるがサイゾウさんは大して気にした様子はなく、軽く答えると仕込みの指示を出し始めた。

 厨房にはラーメンスープの良い匂いが漂っている。

 

 と、家主がサイゾウさんであったり、バイトとして朝から厨房に立って忙しく仕込みをしていたり、厨房にラーメンスープの香りが漂っている事からも分かるように。

 俺は、原作第1話にも出ていたラーメン屋……いや、それなりに品揃えがある事から小さな中華料理店にお世話になっていた。

この店……雪谷食堂に俺が居るのは、原作をなぞった部分もあるが……生きて行く上で火星から来たという身元の怪しい人間を雇ってくれる所が他に無かったという切実な事情もある。住まいもだ。

 

 まあ、しかし実の所、金銭面に関しては余裕はかなりあるのだが。

 というのも、このテンカワ・アキトという人物は、幼い頃に両親を亡くした折に保険やら遺産やらを確りと受け取っていて、それがまだ預金にたっぷりと残っているからだ。

 火星でも日々バイト暮らしではあったようだが、そこは彼なりに節約思考が働いてのものだ。

 口座の方も……例のネルガル系列の銀行の物だったが、地球のATMを利用する事が出来た。慎ましく暮らせば10年単位で働かずに居られただろう。

 

 まあ、しかし何もせずに過ごす訳にもいかないし、彼……テンカワ・アキトにも悪いと思い。こうしてサイゾウさんの所で厄介になっている。

 もしかしたら明日にでも寝て覚めたら元の世界に戻り、彼にこの身体を返しているかも知れないのだから。

 それがどれほどの可能性の在る話かは分からないが……。

 

「アキト、手が止まってるぞ。何をぼさっとしている」

「っと、すみません」

 

 考え事をしてぼやっとしてた所をきつい口調で咎められて慌てて手を動かす。

 今日は朝から謝ってばかりだ。集中しないと。

 雇ってくれたサイゾウさんの為にも、日々の生活の為にも、そしてテンカワ・アキトの為にも確りしなくては。此処でのバイトの経験がコックを夢見る彼の経験にもなるのかも知れないし。

 

 そうして俺はサイゾウさんの所でお世話となって日夜厨房に立ち。この世界でテンカワアキトとして生きていた。来るべき日を待ちながら……。

 

 

 

 

 時が進むのは早いもので一年が経った。

 2196年11月1日……木星蜥蜴の火星侵攻から丁度一年。

 

「お世話になりました」

「ホントに行くのか? 行き先なんてないんだろ?」

 

 店先でサイゾウさんが心配そうに言う。

 この人には本当にお世話になった。身元も不確かな俺の無理な願いを受け入れてくれて、厳しくも良く指導してくれた。

 原作と違ってクビにせず、今もこうして引き留めようとするのは夢見こそ悪いが変に怯える事がなかったからだと思う。

 それに元々料理人を目指していたテンカワアキトの経験とパイロットもコックも出来るという器用さが上手い具合に自分にも引き継がれていた為か、厨房での仕事も結構筋が良かったからだ。

 

「大丈夫です、一応当てはありますから」

「……そうか、まあ、だがもしダメだったら戻って来いよ。また雇ってやるからよ」

「はい。上手くいくかはわかりませんが、どちらにしろ何時かは顔を出そうと思います。……今日までありがとうございました!」

「ああ、達者でな」

 

 頭を下げると、サイゾウさんは軽く自分に手を振った。

 

 さて、いよいよだ。

 多分に博打要素はあるが原作での切っ掛けを先ず掴む必要があった。

 サイゾウさんにも言ったが一応当てはある。

 ネルガルのサセボドックの場所とそこに続く道は調べてある。サイゾウさんの店先に面する道からも真っ直ぐ続いている。

 

「問題は時間だけど」

 

 夜間であることは確かだが……ホントに博打だ。

 “彼女”と出会うか、出会わないかは半々、いやそれ以下か。

 まあ、出会わなくとも彼女の名前を叫んでドックのゲート前で騒げば、何とかなるだろう。

 ……楽観に過ぎるかも知れないが、プロスさんと顔を合わせる事が出来れば確実にナデシコには乗れる。

 あの人がテンカワ・アキトを勧誘したのは、あの人なりにテンカワ・アキトに思う所があった筈だからだ。

 ネルガルの火星支社に勤め、アキトの両親の死の真相を調査した彼には。

 個人的な推測だが、プロスさんはアキトの両親と知り合いか友人だったのではないかと思っている。

 だから真相を調査したのではないだろうか? だからアキトをナデシコへと誘ったのではないだろうか? 行く当てのない知人・友人の息子の助けになろうと。

 

「あくまで勝手な推測だけど、そう的外れではない筈」

 

 何にしろテンカワ博士夫妻の息子に興味を抱いたのは確かだろう。

 とりあえず、夜もすっかり更けた事だしナデシコのあるドックへと自転車を漕ぎ出す。

 

 そしてどれくらい道を進んだか――

 

 一時間ほど自転車を漕いだ所で、車のトランクとアタッシュケースから散らばった荷物を片付ける男女二人組とエンカウントした。

 

 

 

 

「何処かでお会いした事ありませんか? 何かそんな気がするんですけど?」

「……いや、俺はそんな気はしないけど」

 

 打算もあって散らばった荷物の片付けを手伝い、片付け終わると長い黒髪を持った女性にジッと見つめられて尋ねられたが、俺は首を横に振った。

 まあ、事実ではあるし。

 俺はテンカワ・アキトではないのだから。

 

「そうですか。……お手伝いありがとうございました」

「ああ、じゃあ気をつけてな」

「はい」

 

 ペコリと丁寧に頭を下げる女性に手を振り、車に乗り込む二人を見送る。

 

「……ふう、それじゃあ、俺も行くとしますか」

 

 彼女が拾い忘れた“荷物”を拾い、バッグへと詰め込んで自転車のサドルを跨ぐ。

 

「にしても……」

 

 美人さんであった。前世ではお目に掛ったことがないくらいの。

 原作通りであれば性格に難やら癖やらがあるのだろうが、それを差し引いても余りある程ではないだろうか?

 その上、服の上からでもそのスタイルが素晴らしいのが分かる。

 

「あんな娘に迫られてああも素っ気ない態度を取れるものなのか?」

 

 最終的には結ばれたとはいえ、原作でのアキトの態度に思わず首を傾げてしまう。

 まあ……彼女の事を直に知らないからこそなのかも知れないが。いや、それともアキトなりの照れ隠しか? 素直になれなかっただけで?

 

「……まあ、何でもいいか。取り敢えず急がないと」

 

 ペダルを漕ぐ力を強めて長い長い道のりを進む。

 テンカワ・アキトではないアキトとして、向けられる事になるであろう好意にどう返し、応えるべきかをなるべく考えないように。ただただ足に力を入れた。

 

 考えてしまっては、怯んで足が進まなくなってしまいそうだから。自分は“偽物”なのだ。

 

 

 

 

 何とか順調に事を進められたらしい。

 

「ユリカさんとはお知合いですか?」

「アイツとは幼馴染で、俺の両親の死の真相について知っている筈なんだ」

「……そうですか」

 

 予定通りドック前のゲートで騒ぎを起こし、警備員にひっ捕らえられた俺の前に、赤いベストと黒縁眼鏡……それと顔に浮かべるにこやかな商売人的な笑顔が印象深い男性の姿があった。

 最初は何処か俺を品定めするような目で見ていたが、テンカワ・アキトという名前と両親の事を聞くと態度が変わった。神妙に伺っているような感じだ。

 

「なるほど、分かりました。では貴方も乗ってみますか? ナデシコに……」

 

 そして俯く俺に――演技だが――そうプロスさんは俺に提案を持ちかけた。当然俺は訝し気にしながらもそれに頷いた。

 

 その為に此処に来たのだから。

 

 

 

 最初の難関を乗り越えれてホッと安堵しそうになる自分を押し殺し、訝し気な……戸惑った様相を崩さずにプロスさんの案内に続く。

 

「どうですか、我が社のナデシコは?」

「どうって言われましても、変な形としか。伝統的な木馬型って言うか……なんですあの形?」

「はっはっは……これは手厳しい。ですがこれでも軍にもない最新鋭の技術を持って建造された我が社自慢の(ふね)でして、あの形状にも色々と訳があるのですよ」

 

 プロスさんはやや大仰な様子で俺に言う。

 地下ドックへ降りた俺たちの前に見えた物は、赤と白に塗り分けられた戦艦とは思えない船だ。原作で見た通りの某天馬級を踏襲したような形状をしている。

 

 そして格納庫ブロックから船に乗り込むとやはりというか、ロボットが動いていた――のだが、

 

「パイロットは三日後に乗船予定の筈だろ!」

『いやぁ、ロボットに乗れるって聞いて一足先に来ちまいました』

 

 拡声機を持って怒鳴るメガネの男性に、ロボットの外部スピーカーでお茶目に応える少年っぽい声。ロボットはなお軽やかに動き、拡声機から咎める怒号が響く。実に対照的で愉快な光景であるのだが、余りそれは目に入らなかった。

 何故なら――

 

「えっと……?」

「………………」

 

 思わず頬を掻く。

 ジッと見つめられている為に戸惑いもあったが、何で? という疑問も強くあった。何故なら目の前にいるのは、

 

「はぁ……まったく、困ったものです。性格はともかく腕は一流という方針で集めた人材ですから、仕方ないと言えば、仕方のない事なのですが――……と、おや、ルリさん?」

 

 ロボットの方へ注視していたプロスさんが今になって気付いた。

 その名前を聞いてやっぱりと思う。

 

「ブリッジに居なくてよろしいので? 艦長がお見えになっている筈ですが」

「艦長はまだ来ていません」

「そうなのですか? ……おかしいですね。先程ドックに到着されたのですが……」

 

 プロスさんに答える目の前の少女。その会話の間も自分から少女は目を離さない。

 

「ああ、ルリさんこの方は――」

「――私はホシノ・ルリです。あの貴方は」

 

 少女が俺を見つめている事からプロスさんは自分を紹介しようとしたようだが、まるでそれを遮るかのように銀色の髪を揺らして尋ねてくる。

 

「え、えっと……俺はテンカワアキト」

「……アキト、さん」

「え? ……ああ、うん」

 

 見つめられて名前を……そう、“アキトさん”と呼ばれて戸惑い、少し驚いてしまうが頷く。

 

「ええっと……」

「ああ、テンカワさん。この方はナデシコのオペレーターでして、こう見えてとても優秀な方で、このナデシコにとって必要不可欠な人材なのです」

 

 琥珀とも金色とも取れる目線から逃れるようにプロスさんの方を見ると、そう答えた。どうやら子供が戦艦に乗っている事に説明を求められたと思ったらしい。

 

「そうなんですか……」

「ええ、まあ……と、ルリさん。こちらのテンカワさんはコックとしてこの船で働く事になりまして」

「そうですか。コックさん……とても似合うと思います。よろしくお願いします、アキトさん」

 

 やはり“名前”で俺の事を呼び、ペコリと頭を下げる銀髪金眼の少女……。

 戸惑いはあったし、疑問もあった。或いは予感か。

 だから少し恐れがあった。けれど、

 

「こちらこそ……よろしくルリちゃん」

 

 そう告げて彼女に手を伸ばした。握手を求めるように、

 

「はい……!」

 

 握手を求めた手に少女の白い手が重ねられた。

 

 




 リアルがごたついてまして、時間はあるのですが聖杯の少女の方や別の所の作品を書く精神的余裕がない状態です。
 しかしブランクを作らない為に軽く本作は書いてます。

 そちらの作品を楽しみされている方には申し訳ないのですが。まともな執筆は5月以降になりそうです。


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第二話―――船出

 

 少女……ルリちゃんは、ブリッジへと戻っていった。

 

「……テンカワさん、ルリさんとお知合いなのですか?」

「いや……そんな事は無い筈ですけど、多分」

「ですよね。ふむ……」

 

 プロスさんは腕を組んで心底不思議そうに考え込む。

 まあ、先程のあの子の様子を見ていればそうなるのも仕方がない。俺にしても――

 

『うわぁ、ああっああ!!』

「ば、馬鹿野郎ッ! た、退避! 退避だ! 潰されるぞ! うおおおっ!!」

 

 二人で首を傾げていると、背後から大声が聞こえ……凄まじい轟音が格納庫内に響いた。

 

 

 

「おーい、そこの少年! コックピットに俺の大切な宝物があるんだ。取って来てくれー!」

 

 足を折って担架で運ばれる男性……というか言う本人も少年なのだが。

 

「はあ、まったく今ので幾つの資材が無駄になった事やら」

 

 隣で宇宙ソロバンを弾いて頭痛を堪えるような表情をするプロスさん。

 

「あれって労災になるんですかね?」

「……多分に自業自得ですが、そうなるでしょうね。はあ……他に怪我人が出なかったのが幸いです」

 

 倒れたロボット……エステバリスを見ながら、ついポロッとプロスさんに追い打ちをかけるような事を言ってしまい、プロスさんの溜息が深くなった。

 

「……すみませんが私はブリッジへ行きます。艦長がまだ来られていないというのが気になりますし。案内はまた後という事で」

「はい、構いません。此処で待っていれば良いんですね」

「いえ、直ぐそこにパイロット用の待機室がありますのでそこでお待ち頂ければ」

「分かりました」

 

 プロスさんは視線で待機室の場所を示し、俺はそれに頷くと彼は格納庫を後にした。

 その背を見送り――

 

「――ふう」

 

 深く息を吐いた。そして倒れたエステバリスの方へ足を進める。

 

「ははっ、ゲキガンガーか」

 

 コックピットを覗き込んで目にしたもの……シートの上にあるカラフルな超合金フィギュアを見て苦笑が零れた。

 足を折った馬鹿の事といい、余りにも原作通りだったからだ。ルリちゃんが此処に居たという差異はあった所為か、何となくホッとした感もある。

 しかし、

 

「っ!」

 

 衝撃音と共に大きな揺れが起きてシートの中に転がり込んだ。つまり……いよいよなのだ。

 

「落ち着けよ、俺」

 

 シートに座り深呼吸する。

 ナデシコに乗艦するという難関は潜り抜けた。なら次は……この正念場を乗り越える必要がある。

 ナデシコを狙って襲撃してきた無人兵器との戦闘。

 IFSの扱いに慣れる為にサイゾウさんの所では、IFS対応のVRヘッド付きの専用ゲーム機を購入してロボットゲームやFPSなどやってみた。

 ステキな未来技術的なゲームな事もあって結構リアルな出来で。かなりやり込んだお蔭でCPUは勿論、ネット回線での対人戦でも好成績を出していた。

 

「けど、これはゲームじゃない。やられれば死ぬ」

 

 ああ、くそう。身体が嫌でも震える。

 エステに乗って戦う必要なんてないんじゃないか? とも思う。戦わず逃げる選択だってあるんじゃないかって。

 でもそれが出来るなら原作でもそれを選んでいた筈だ。敵の標的がナデシコである以上は追撃は免れず、逃してくれる訳がないのだから。

 

「やるしかない!」

 

 右手に手袋をして隠していたタトゥーを露わにする。コントロールボールを握って頭の中にあるナノマシンで形成された補助脳と機体のコンピュータをリンクさせる。

 

「武器はないか?」

 

 機体を起こして呟くとイメージを汲み取ったコンピュータが答える。

 モニターに機体画像が表示されて両腕部が点滅し、俗に言うロケットパンチ……いや、この世界ではゲキガンパンチか? ワイヤーフィストの使用方法が示され、

他にも脚部にイミテッドナイフが収容されている事が示された。

 これだけじゃきつい。他には?

 そう思うとエステのセンサーで周囲を走査したらしく、ラピッドライフルが近くのコンテナにしまわれていると表示される。

 

「よし!」

 

 コンピュータとリンクしているお蔭でコンテナの開封が可能だという事も分かり、エステからの遠隔操作でコンテナを開封。中のライフルとおまけの予備弾倉を確保する。

 そして搬入作業の為に開きっぱなしになっているエアロックを抜け、ドック内の地上へと続く大型エレベーターに乗り込む。

 

「すう、はあ……」

 

 もう一度深呼吸する。深く深く息を吸って吐く。

 コックピットに僅かに伝わる振動。モニターに映る揺れる光景。戦闘が今も続き、戦場に近づいている事を否応なしに突き付けられる。

 いくら深呼吸しても心臓のバクバクとした動悸は治まらない。コントロールボールと操縦桿を握る手が震える。

 

『誰だ君は! 姓名と所属を言いたまえ!』

「え? ええっと……俺は、テンカワアキト。コックです」

 

 震える手とそこに描かれたタトゥーを見ていたら、軽い電子音と共に目の前にモニター……いや、ウィンドウが投影されて聞き覚えのある台詞に思わず原作の彼のように返事をしていた。

 

『コック? 何故コックがエステバリスに乗っている?』

『あー! 俺のゲキガンガー!』

『困りますなぁ。パイロットではない方に危険手当は出せないのですが』

『もしもし、そこにいると危ないですよ』

『あら、ちょっとカワイイ子ね』

『あれ? 確か荷物を拾ってくれた人だよね、ユリカ』

 

 次々と空中にウィンドウが展開し、色んな人の声がコックピットを満たす。

 知らないのに覚えのある声。二次元(アニメ)ではなく現実(リアル)として視覚と聴覚に響くそれにあっけに取られそうになり――

 

『あーーーっ! アキト!! アキトだー!!!』

 

 より大きく耳をつんざくような声に、あっけに取られそうだった意識が引き締められた。

 

「ユ、ユリカ! なんでお前がそんなところに!」

 

 原作の彼の言葉を思い出してそう返事をした。いかにも驚いた風に。

 

『彼女はこのナデシコの艦長でして』

「艦長!?」

『そうだよ。私、艦長さんなんだよ。ぶいっ!』

 

 映像の先でVサインをするユリカ嬢。分かっていた事だが余りの場違いさに変な笑いがこみ上げてきそうなる。

 

『ちょっ!? ユリカ! あの人と知り合いなの!?』

『うん、私の王子様! ユリカがピンチの時にいっつも助けに来てくれるの!』

『ええっ!?』

『でもでも、アキトを危険な目には遭わせられない! けどそれがアキトの意思なのね! 分かったわ。このナデシコと私たちの命、貴方に託します!』

『頑張ってくださいね』

『じゃあね』

『ゲキガンガー返せよな!』

 

 ユリカ嬢が一方的に言って彼女が映る一番大きなウィンドウが消えて、ブリッジにいるそれぞれの面々のウィンドウも現れては消えて行き、

 

『……気を付けて下さい、アキトさん』

 

 琥珀色の瞳を持つ少女が心配げに見つめ、不安そうな声を零したのがやはり気に掛かった。

 

「まったく……」

 

 呆れた呟き。だが気付くと心臓の鼓動も収まり、震えも無くなっていた。

 アニメじゃないのに、現実だっていうのにそのまんまな雰囲気に当てられたのか。

 ガコンとエレベーターが止まる。

 

「やってやるさ」

 

 それとも自棄になったのか、不思議とこの場を乗り切れる気がした。

 モニターを通して見える光景は、黒煙が昇る炎と崩れた建物。破壊の痕跡。そして周囲を囲む虫型の機動兵器。

 それでも臆する事は無かった。

 

「うわぁあああっ!!」

 

 叫ぶ。己を鼓舞するように。

 レーダーマップに素早く目を通し、包囲の薄い所へローラーダッシュを使ってエステを躍らせる。邪魔になりそうな敵機へ右腕のライフルで射撃。

 突然地下から現れたこちらへ対応……反応し切れなかったのか、赤い虫型……ジョロ達は回避行動も取る事もなく無防備に砲弾の雨を受けて引き裂かれる。

 包囲を突破! そのまま一気に加速。しかし、

 

「くっ!」

 

 周囲の路面、地面に火花が咲き乱れ、火線がエステの傍を通り過ぎる。左右脚部のローラーの速度を調節し機体を蛇行させて回避機動。直線で移動してはただ的になる。

 反撃も必要だ。

 

「このぉっ!」

 

 速度を殺さないように機体を反転。ローラーを逆回転させながら後退しつつターゲットをマークして射撃。

 こちらが回避するようにジョロも回避を行うが、不思議と撃つ先から敵機に当たる。エステのFCSが優れているのか? それともネルガルなりに敵の無人兵器のマニューバやパターンデータを収集して反映している為なのか? 理由は分からないが当たってくれるなら文句はない。

 

「ん?」

 

 思いの外、直撃を受けて仲間を減らされた為か敵の動きが鈍る。ほぼ廃墟と化した近くの建物などの遮蔽物に身を隠そうとする。

 

「それならそれで好都合だ」

 

 その隙に一気に距離を取る。

 こちらはあくまで囮で時間さえ稼げれば良いのだから。ついでにこちらも遮蔽物を利用して敵機からの射線を躱す。

 

 

 

 

「コックがパイロットなんて無茶よ!」

「いや、彼は良くやっています」

「うむ、見事な囮ぶりだ。素人の割には動きも良い」

「彼は火星出身だそうですからね。IFSでの機械の扱いには慣れているのでしょう」

「なるほど」

 

 ムネタケ副提督の叫びにプロスペクターとゴート・ホーリーが感心したように話す。思わぬ拾いものかも知れませんな、うむ、等の言葉も続く。

 

「すごいスゴイ! さすがはアキト! やっぱり私の王子様だよね!」

「ウホンッ……艦長」

「あ、はい、ナデシコ発進準備! アキト、今行くからね!」

 

 映像に見惚れて歓声を上げるユリカに、フクベ提督がワザとらしく咳払いして彼女のやるべき事を遠回しに促す。

 それにユリカは一瞬ばつの悪そうな顔を浮かべるも、意図を了解して指示を出した。

 

「各部署、乗員確認できました」

「ドック内、注水完了。ゲート開きます」

「相転移エンジン出力60%、核パルスエンジン四基とも80%、行けるわ、艦長」

「……ナデシコ発進!」

 

 指示にメグミとルリとミナトが答えてユリカが船出を命じた。

 その四人の中、銀の髪の少女はエステの状況を投影する映像を見て、

 

「……アキトさん」

 

 辛そうに、不安そうに彼の名前を呼んだ。グッと何かを堪えるような表情で。

 

 

 

 

 瓦礫やら廃墟やらを利用して敵からの攻撃を避ける。

 空になった弾倉を交換。

 ジョロに加えて空からバッタが襲い掛かり、銃撃を浴びせてくる。

 ステップを踏むように軽く左右に跳ねて回避。敵の火線の合間を縫って反撃。撃つ度に敵機は火花を散らせてバラバラとなるか、火球と化す。バッタに対しては手応えが妙な感じでフィールドに阻まれているようだが、ライフルの弾は問題なく貫通できている。

 無論、こちらも、

 

「ぐう!」

 

 警告音が鳴り、ダメージが表示される。

 機体全体を映す画像が浮かび、左腕部と脚部に銃撃を受けたらしい。だがエステのフィールド出力がバッタよりも上か、バッタの銃撃自体が小さい為か、装甲を貫くまでには至っていない。損傷は軽微だ。

 

「くそっ! 分かっていたけど数が多すぎる!」

 

 レーダーに映る赤い光点の数、ウジャウジャとモニターに見える無数の機械の虫。その物量の所為でどうしても敵機の攻撃を避け切れない。今の所は大した事は無いがこのままだと、

 

「!」

 

 その飛行性能で先回りされたのだろう。逃げる先に弧を描いて反転しこちらに迫るバッタ達の映像が拡大表示される。しかもまだ距離はあるが背中の装甲を開放している。

 

「うおおぉぉっ!」

 

 ミサイルが来る! そう思った瞬間スラスターを噴かせて飛翔、機体を一気に加速させた。進路先のバッタの方へ。

 背後からジョロの銃撃が来るがフィールド出力を背面に集中させて防ぐ。

 

「これで……!」

 

 敵機との距離がグンと縮まり、左ワイヤーフィストを射出! 近くにあった装甲車の残骸を掴み、

 

「来た!」

 

 バッタから伸びる噴煙。迫るミサイル群にワイヤーフィストの射出した勢いを乗せて拾い掴んだ装甲車をぶつけ、さらにライフルをフルオート。

 瞬間、闇夜が明るく照らされた。

 数十発のミサイルが装甲車の残骸にぶつかり派手に連鎖的に誘爆した。一機のエステに向かって殺到して密集していた為だ。

 それでも数が数だ。一斉爆発した威力……爆炎と衝撃と飛び出した破片は凄まじく、エステまで届いて激しく揺らした。フィールドがなければ結構なダメージを貰っていただろう。

 ミサイル群に飛び込むなどと半ば捨て身の戦法だったが、縮まった距離もあって行き先を防ごうとした厄介なバッタを楽に照準出来、フルオートしたライフルで殆ど撃墜できた。

 

「うおっし!」

 

 小さく喝采を上げて撃ち尽くした弾倉を素早く交換。前方の残ったバッタから伸びる火線を躱しながらお返しとばかりに砲弾を叩き込み、さらにそのまま空中で180度旋回。

 後方から迫っていたジョロ達にも目に付く先から銃撃を見舞わせる。

 

「今のうちに!」

 

 周囲数㎞範囲。レーダーに目ぼしい反応がない事から指定されたポイントへの移動を優先する。

 直ぐにまた追い付かれるだろうけど。

 

「あと3分!」

 

 原作では予定の10分よりも早く来た。ならそろそろ来て欲しいものだが……。

 

「……やっぱり追い付かれた!」

 

 レーダーの反応と警告音。

 機体を振り返らせてモニターを見ると、ジョロを懸架したバッタの群れが迫っていた。背部の装甲も開放し……ミサイルも来る!

 

「南無三っ!」

 

 回避は無理と判断し、エステのセンサー・レーダーをフルアクティブ、FCSとの連動を最大にして音速を超えて迫るミサイルにライフルを撃つ。

 コンピュータがミサイルの軌道を読んでFCSが偏差射撃をサポートする。バッタと違って直線的に飛ぶミサイルは比較的容易に落ち、やはり密集しているお蔭で誘爆してくれる――しかし、

 

「! ……フィールド全開!」

 

 撃ち落としきれず小型の数発のミサイルが至近に迫るのを見た瞬間、叫んでいた。

 実際は叫ぶよりも早くイメージを汲み取って展開したのだろう。前方に出力を集中させた不可視のフィールドが広がり、

 

「ぐううっ!!」

 

 襲った衝撃……激しい揺れに耐える。強い警告音が鳴り響き、ダメージ表示ウィンドウが浮かぶ。

 

『ラピッドライフル破損 使用不可』

『右腕部小破』『左腕部中破』『胸部装甲破孔』

『危険!』『危険!』『敵機接近!』

 

 ダメージ表示だけでなく、状況の悪さも伝えてくる。それに一瞬鬱陶しさを覚え、恐怖を感じ、死を予感した――が、

 

『アキト! 飛んで!』

『早く! 後ろに飛んでください! アキトさん!』

「!!?」

 

 聞こえる二人の声、浮かぶ二つのウィンドウに驚くと同時に言葉に従って俺はペダルを思いっ切り踏み込んでエステを後ろへと跳躍させた。

 次の瞬間、流れる風景の直下……エステの足元で見た。海を割って浮上する白亜の(ふね)を!

 

『敵、有効射程にすべて入っています!』

『目標、まとめてぜーんぶっ!』

『了解! グラビティブラスト発射します!』

発射(ファイヤ)!!』

 

 ウィンドウを通して聞こえる女性と少女の声と共に白亜の艦……機動戦艦ナデシコはその力を示した。

 前方へと放たれる超重力の本流。その力に飲み込まれて敵群は圧壊し、原子レベルで引き裂かれて火球となった。

 

 

 

「ふう、はぁ、……助かった」

 

 圧巻させられる光景だったが安堵の感情の方が強く、見惚れるような余裕は無かった。呼吸を整えて心臓の鼓動を落ち着かせるので精一杯だ。

 本当にもう、最後の瞬間には駄目だと思った。……だけど、

 

「……生き残れた、か」

 

 安堵した。心の底から。

 

『アキト! アキト! やったね!』

「あ、ああ」

『うむ、見事な戦いぶりだった』

『いやぁ、やりますね。エステバリスに多少損傷はありましたが、艦は無傷です。十分採算に見合う戦果でしょう』

「はぁ」

『当然だよ! アキトは私の王子様なんだもん!』

『ユ、ユリカぁ、そ、それってどういう意味なの!?』

『ゲキガンガー返せよな!』

『カッコ良かったですよ』

『うんうん、顔に似合わず意外にやるわね』

『新品ピカピカのエステをいきなり傷もんにしたのは許せない……と言いたいとこだが、良くやったぜ兄ちゃん。今回は勲章って事にしといてやらぁ』

『認めない! 認めないわ! こんなのは偶然よ!』

『よくやった艦長。それとコック君』

 

 喜ぶユリカ嬢と褒めてくる厳つい顔の人……ゴートさんとプロスさんに曖昧に答えていると、戦闘前のように次から次へとウィンドウが目の前に浮かんで騒がしくなった。

 それに苦笑が零れそうになるが、強く握りっぱなしであるコントロールボールと操縦桿に気付いて、

 

「……ッ」

 

 力を抜こうとするも強張ったように指が動いてくれず、そこから手が離れなかった。

 

 

 




古い作品という事もあってキャラクターの台詞がおぼろげで、原作と合ってない所がありますがご容赦を。

それにしても書いていると懐かしい気分になります。


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第三話―――邂逅

 ナデシコ艦内……格納庫に戻り、指示されるままにエステを専用のガントリーに固定してコックピットから降り立った。

 

「ご苦労さん、ブリッジでも言ったが良くやったな兄ちゃん」

 

 背中をバシッと叩かれて振り返ると、作業用のジャケットを羽織ったメガネをかけた男性がいた。

 

「えっと……貴方は」

「ウリバタケセイヤだ。ナデシコでチーフメカニックとして雇われている。よろしくなテンカワ」

 

 一応尋ねると予想はしていた通りの名前が返ってきた。けど、

 

「どうして俺の名前を?」

「艦長が呼んでたからな」

 

 ああ、そういえばそうかと納得した。

 

「幼馴染の恋人らしいじゃねえか。性格はちょっと……いや、かなりアレっぽいが、あんな美人さんを捕まえられるなんて羨ましい限りだぜ」

「あ、いや、艦長とはそういうのじゃないんですよ」

「ん?」

「艦長とはただの幼馴染というか、十年前……幼い頃に火星で別れたきりで、今日……いや、昨日まで彼女の事を忘れていたくらいなんですから」

 

 知識としては一年前から知ってはいたのだが、原作のアキトの事を思う限り、そんな感じだったのでそう答えた。

 

「そうなのか? それじゃあ殆ど赤の他人か」

「はい、……艦長はあんな感じの女性みたいですから、色々と勘違いしているんじゃないかと」

「んー、そうだな。思い込みが激しそうな感じではあったな」

 

 怪訝そうにしていたウリバタケさんは納得したように頷く。

 

「しかし、何にしろ好意を寄せられている事には違いないみたいだし、羨ましい事にも違いないよなぁ」

「はは……」

 

 苦笑するしかない。ウリバタケさんの若干妬ましそうな視線もそうだが、その好意とやらは自分ではない“テンカワアキト”に向けられたものなのだ。

 いや、この時点のユリカ嬢にしても“王子様”という自分の思い描く理想に向けているのかも知れないが。

 

「テンカワ」

 

 苦笑しつつ取り留めのない事を考えていると、またもや背後から声を掛けられた。

 振り向くと着込むスーツの上からでも屈強な肉体を持っている事が分かる、2m超の大柄な男性がこちらへ歩いて来るのが見えた。

 

「ナデシコで戦闘指揮を預かっているゴート・ホーリーだ。話があるがいいか?」

「……俺はエステの修理と整備にかかるわ。それじゃあなテンカワ」

 

 ゴートさんが言うと、自分には関係のない話と判断したのか、ウリバタケさんはエステの方へと離れていった。俺はゴートさんと向き合う。話の内容は見当が付いていた。

 

「先程の戦闘の件だが」

「はい、無断でエステに乗った事ですね」

「ああ」

 

 俺の言葉にゴートさんは頷いた。

 

「本来ならば厳罰に処す所だが、今回の件については緊急的な側面があったからな。特にこれといって罰することはしない。不問だ。我々は軍ではないしな」

「……」

「しかし社としての規約はあるし、周囲の目もある。だからこうして注意しに来た訳だ」

「はい、申し訳ありません」

「……素直だな。うむ、分かっているなら良い。だがもし今後もパイロットをやるというなら歓迎する。コックよりは給料は良いぞ、危険手当も付く」

「それは……」

「まあ、無理にとは言わん。命には代えられない物だしな。……ただ中々に良い働きだった。良くやってくれた」

「……ありがとうございます」

「やる気があるならミスター・プロスペクターか、俺に言ってくれ。以上だ。ではな」

 

 用件を終えたゴートさんは立ち去った。

 にしてもパイロットか。こうしてナデシコに乗艦できたけど…今後もやっぱり続ける事になるのだろうか? 原作の彼のように。

 原作の展開通りなら、少なくとも宇宙に出るまではエステに乗る必要はある。けど、

 

「……」

 

 思わず右手にあるタトゥーを見た。さっきまでの戦いを思い出す。周囲を囲む無数のバッタやジョロ、自分に向かって伸びる火線、弧を描いて迫るミサイル。それら無機質の意思なき物の筈なのに殺意があったように思えて……微かに手が震えた。ゲームでは感じられなかった感覚だった。

 今回は上手く生き延びられたけど、次はこうはいかないかも知れない。

 

「怖いよな」

 

 ナデシコに乗る覚悟はあった積りだったが――いや、今更だ。此処にきて引き返す事は出来ない。元よりそれ以外の道はないのだ。バッドエンドを避ける為には。

 ……まあ、代わりにデッドエンドになってしまうかも知れないが、そこは覚悟を持って何とか乗り越えるしかない。

 

「ふう」

 

 憂鬱な未来と行き先に溜息が零れた。

 

 

 

 

 結局プロスさんは格納庫を再度訪れることなく、代わりに生活班所属の女性の案内を受けて、自分に割り当てられた部屋へと赴いた。

 

「案内、ありがとうございました」

「いえいえ、それじゃあね、テンカワさん」

 

 案内してくれた女性クルーにお礼を言い、ヤマダジロウというネームプレートが張られたドア――やっぱり彼と同室らしい――を渡されたIDカードを使って開ける。

 

「……誰もいないか」

 

 ドアを潜って部屋を見渡す。ヤマダジロウ……ダイゴウジガイという愛すべき馬鹿の姿は無い。

 足の骨折が原因なのか、医務室にでもいるのか? さっきの戦闘ではブリッジにいたようだが……待機するように言われて、まだそこにいるのか?

 

「まあ、いいや」

 

 とりあえず荷物を置いて、ついでにアイツの宝物というゲキガン超合金も適当にそこらに置く。

 戦闘で掻いた汗をシャワーで流して着替えたい所なのだが。

 制服とコミュニケも支給されたし、ホウメイさんの所へ顔を出すようにさっきの娘にも言われている。このまま汗臭い身体で食堂や厨房に赴くのは拙い。

 しかしこの後、確かユリカ嬢が来るんだったよなこの部屋に。マスターキーでロックされたドアの鍵を開けて。

 

「うーん……気を付ければ大丈夫か」

 

 少し悩んだがシャワーを浴びる事にする。分かっていれば自分の裸を見られるなどという誰も得しない出来事は回避できると思い。

 

 

 しかし予想に反してインターホンは鳴らず、ドアをノックされるような事もなかった。

 急いでささっとシャワーを済ませた身としては首を捻りたくなる所だが、一応ユリカ嬢の襲撃に備えて着替えを急ぐ。

 原作の彼のように迂闊に洗面所から出ずに制服へと着替え、着替え終えるとまるでタイミングを計ったかのように丁度インターホンが鳴った。

 やっぱり来たかと思い、

 

「はーい、今開けますよっと」

 

 ロックを解除してドアを開けて――

 

「――え?」

「どうも」

 

 予想だにしない人物がいた所為で唖然してしまった。

 銀の髪を大きく揺らして頭を下げる幼い少女。

 

「少しお話良いですか?」

 

 そう、琥珀色の瞳を向けるのは、

 

「ルリちゃん……?」

 

 ホシノルリ、ナデシコの唯一にして無二のオペレーターだった。

 

 

 

 

 薄暗かった部屋に明かりを灯して彼女を……ルリちゃんを招き入れた。

 正直緊張している。戦闘の時とは違う。何となく覚える予感の所為もある。だが、それ以上に彼女がホシノルリであるという事が俺に緊張を強いていた。

 何しろあの“ルリルリ”なのだ。往年のナデシコファンであり、数ある漫画・アニメなどの中でも、未だに好きなキャラとして個人的にはトップに入っているという思い入れの強い娘だ。その子と現実(リアル)で二人っきりでいるという状況。緊張せずにいられる訳がない。

 正直、そんな自分をキモイと思わなくもない。11歳の女の子相手に変に意識しているという事なのだから。

 

「ふう……」

 

 ルリちゃんに気付かれないように息を強く吐いて気を落ち着ける。

 変な意識の所為で浮つきそうな感情を振り払う。予感が当たっていれば迂闊な態度は取れないし、極めて厄介で真面目な話の筈。

 

「えっと……ルリちゃん」

「はい」

 

 畳の上、俺は座布団。ルリちゃんはクッションに座って互いに向き合う。

 改めてその特徴的な蒼い光沢持つ銀の髪と金色の瞳と、幼いながらも整った白磁の肌を持った容貌を見る。

 見惚れ、思わず息をのみ、唾を呑み込みそうになった。

 幼いと、子供だと分かってはいるが、それでも可愛く奇麗に思うし、この子がやはりあのホシノルリだと思うとどうしても緊張が強まり、動悸と共におかしな感情が擡げて来そうになる。

 落ち着け、落ち着け自分……と必死に己に言い聞かせる。俺はオタではあっても三次元での趣味や好みはノーマルなのだとも。

 

「お、俺に話って何かな?」

 

 緊張の所為で少し上ずっているように自分の声が聞こえた。変に思われただろうかと不安になる。

 

「………………」

 

 だが、これといって何も思わなかったのか、ルリちゃんは黙って俺を見つめるばかりだ。

 ただ少し沈黙が痛い。やはり変だっただろうか?

 

「……………………貴方は、アキト、さんですよね?」

 

 一分か、二分か、長く感じた沈黙を破って意を決したようにルリちゃんは言った。

 その躊躇ったような声色と不安そうに揺れる瞳を見て気付く。この子も緊張しているのだと。

 そう思った途端、不思議と自分の緊張が和らいだ。いや、この子を不安にさせたくないと無理にでも抑えたのだと思う。

 けど、ふと過った考えから、

 

「ごめんルリちゃん。多分俺は、君の知っているテンカワアキトじゃない」

 

 彼女を不安にさせてしまう言葉を口にした。その似せた台詞から声色と口調をあの時の彼のものを真似て。

 

「!!」

 

 ルリちゃんの眼が大きく見開かれる。

 

「ア、アキ、トさ……ん」

「別にカッコつけている訳じゃないんだ。……色々と話すべき事はあると思うんだけど、その前にルリちゃん一つ聞いて良いかな?」

「は、はい」

「君はボソンジャンプしてきたのか?」

「! じゃ、じゃあやっぱり……」

 

 ルリちゃんが驚きに目を見開いたまま胸の前で手を組む。何か胸の内から溢れそうになるものを抑えるかのように。

 その反応と言葉から予感が当たっていた事を確信する。

 

「アキトさんも……」

「いや、違うんだ」

「え?」

「火星からジャンプしたのは確かなんだろうけど、君と違って未来から来たんじゃない」

「ど、どういう事ですか?」

「……そうだな、なんて言えば……話せば良いのか?」

 

 考えはあったが、ふいに浮かんだものである事から言葉に迷い、思わず頬を掻いてしまう。

 

 

 

 

「俺にあるのは記録のようなものなんだ」

 

 目の前にいるこの人はそう言った。

 

「記録、ですか?」

「うん、そのようなもの。俺はイネスさんじゃないから上手い説明はできないんだけど、これから先の出来事を映像のようなもので見たという覚えがあるんだ」

 

 それは余りにも不可解な言いようだ。けど私は理解しようと考えて……尋ねる。

 

「それは未来を見たという事ですか?」

「そんな感じだと思う。火星からボソンジャンプしたあと、俺の頭の中にはこれから起きる出来事が知識や記録のような形であった。さっきも言ったけど映像作品を見たみたいに」

 

 真面目に。だけど困ったような表情でアキトさんは言う。

 

「だから最初はルリちゃんも似たような感じなのかと思ったんだけど……ゴメン」

 

 アキトさんは頭を下げる、本当にすまなさそうにして。

 

「ルリちゃんの態度を見て分かった。ルリちゃんは自分とは違うって」

「……」

「君は事故か、実験か何かで俺が見た未来からボソンジャンプを、それも精神だけが飛んだような状態なんだって――だから」

 

 ゴメンと彼は謝る。

 その謝罪の意味は良く分かった。私の抱いた期待に応えられない事。未来で家族だった大切な“あの人”でなかった事。そして……多分、私達を置いて行った自分ではない自分の事をあの人に代わって謝っているのだ。

 

「……アキトさん」

 

 やっぱり、優しい人だと思った。どこまでも、この世界でも。涙が零れそうになる。あの人でないという悲しい言葉に。もう見られなくなったその優しい姿に。

 首を振る。油断すると零れそうになる涙と優しさに甘えそうになる自分を振り払う為に。頭を下げる彼を宥める為に。

 

「謝らないで下さいアキトさん。私が……その、勝手に期待して、勘違いしただけですから。貴方の責任ではありません。……未来での事も」

「……ルリちゃん」

「でも、あの……知識や記録があるって事は、未来から来たって事じゃないんですか?」

 

 アキトさんの話と謝罪に納得した思いがあるのに、未練がましく尋ねてしまう。

 

「いや、違うと思う。ルリちゃんはどうかは知らないけど、俺には未来からジャンプした記憶なんてないんだ。事故にあったような覚えもない。それに映像作品って言ったように未来の事は映画のフィルムのような……まるで他人から見たようなもので全然実感がないんだ。自分の事なのかも知れないけど、他人事にしか感じられない……いや、うん、色々と思う所はあるけど」

「そうですか」

 

 そう告げるアキトさんは、言葉の中にもある通り、何処かさっぱりとした他人事を言う感じはある。

 先程の謝罪も心からの物だっていうのは感じられたけど……確かにあの人の、“黒い王子様”の雰囲気は無い。

 

「ゴメン、本当に」

「あ、いえ!」

 

 つい視線を落としてしまった所為か、アキトさんはまた頭を下げた……下げさせてしまった。

 

「お気になさらないで下さい」

 

 慌てて首を振る。大丈夫だとも、貴方が悪い訳ではないとも言うように。

 これ以上アキトさんに頭を下げさせたくはなかった。これは私の身勝手な期待であって、あの人でない彼には負うべき事などないのだから。

 だからこれは、私が何とか折り合いをつけるべき事だ。

 

「……うん」

 

 アキトさんは頷いてくれたけど納得していない様子だ。けどこれ以上は何を言っても不毛でしかない気がするから私は何も言わなかった。

 アキトさんはアキトさんで思う所があるのだろうし。

 

 

 一分ほど何とも言えない沈黙が漂った後、アキトさんが言う。

 

「それでルリちゃん、君はどうしてこの時代に、それと何時から……」

 

 その問い掛けに私は少し考えてから答える。

 

「……ジャンプ実験でした。ボソンジャンプ用の新型ナノマシン。イネスさん主導でネルガルが開発したその試験でした」

 

 そう切り出して私は話した。

 余り愉快な事ではないけど、火星の後継者が行った人体実験は事実として多くの貴重なデータを残し成果を上げていた。

 それら数あるデータと成果物の中にA級ジャンパーをA級ジャンパー足らしめる特有のナノマシン。あの火星の遺跡……ボソンジャンプのブラックボックスとリンク可能なナノマシンの研究・解析データもあった。

 イネスさんはアキトさん……あの時代のアキトさんの身体の治療の一環としてそのデータを参考に特殊なナノマシンの研究を行った。

 アキトさんの五感を奪い、過剰活動状態にあるナノマシンを制御する為だ。

 その過程……いえ、産物の一つとして新型ナノマシンが生まれた。理論上、ジャンパー適正のない人間すら遺伝子操作の必要なく、A級ジャンパーにする事が可能とされるナノマシン。

 非公式な実験では、遺伝子操作によってジャンプに耐えられる身体を持ったB級ジャンパーが、遺跡へのイメージングを成功させて単独で目標地点へ無事に飛べたらしい。

 イネスさんも立ち会ったそうだ。

 

「私はナデシコBの艦長になった際、二度目の遺伝子操作を受けてB級ジャンパーの適性を持ちました。加えてIFS……ナノマシン強化体質です。より強くイメージングが可能だと、その際のナノマシンの働きもより精細に分かると見られました」

「……だから実験に」

「勘違いしないで下さい。自分から志願した事ですから」

 

 顔を顰めるアキトさんに誤解を与えないように言う。そう、志願したのだ。強要された訳ではない。

 だけど、

 

「何のために」

「あ、そ……それは……」

 

 アキトさんはジッと探るように私を見る。

 口籠ってしまう。それでも、

 

「それはその研究と実験が科学の発展と人類への貢献と――」

「――、……そんな嘘は似合わないよ、ルリちゃん」

「う」

 

 それでも何とか言葉を出したけれど、やっぱり無理があったらしい。これならまだ強要された、軍の命令だったと言った方が良かったかも知れない。

 

「俺の為だろ。未来の」

「はい、すみません」

 

 アキトさんは溜息を吐く。シュンとしてしまう。また余計な負い目を持たせてしまった。

 

「いや、謝る必要はないよ。それだけ未来の俺を想ってくれたって事なんだし」

 

 笑顔を見せる。私が気にしないようにとの事なんだろうけど、頬を掻いて困った様子は隠せていない。誤魔化すときなんかに出るその癖で直ぐに分かってしまう。

 その仕草を見ると少し嬉しさを覚えるが、

 

「実験の結果、私は気が付いたらこの時代の、ナデシコに乗る前の研究所に居ました。一年前の事です。実験は失敗だったという事ですね」

 

 ともかくそう結論を話した。

 それを聞いたアキトさんは難し気な表情だ。

 

「一年前、それってもしかして……」

「はい、2195年11月1日。木星蜥蜴……いえ、木連が火星に侵攻した日、そして史上初の単独ボソンジャンプが行われた日です」

「……その日が起点という事なの、か?」

 

 アキトさんは考え込むようにポツリと言う。起点……なるほどと思った。

 今回の事だけじゃない。前回にしてもあの日が全ての“始まり”だったのだと思える。アキトさんを中心にした私達にとって運命という歯車が動いた……或いは狂った時の。

 当のアキトさん本人がどう感じたかは分からないけど、私はそう思えた。……勘みたいなものだけど。

 

「ルリちゃん」

「はい……って、えっ!?」

 

 アキトさんは何故か突然頭を下げて……土下座をした。

 

「ア、アキトさん!? どうしたんです、突然!? いえ、私がジャンプ実験で過去に飛んだのは別にアキトさんだけの責任という訳ではなくて……! えっと……」

 

 やっぱり負い目が大きいのかと慌てる私。だけど違った。アキトさんは畳に頭を付けたまま、強く私に言った。

 

「どうか力を貸して欲しい!!」

 

と。

 

「ルリちゃん、俺はあの未来に実感はないし、現実感も持っていない。君がどんな思いで過ごしたのかも分からない。けど、だけど、あんな未来はゴメンだ! 楽しかった事も、思い出もルリちゃんにはあるんだと思う。それでも……それでも、おれは、俺は、あの未来を変えたい! だから力を貸して欲しい!」

 

 土下座をして強く、必死にそうアキトさんは言った。

 

「勝手な言い分だとは分かっているけど、俺一人じゃ変えられる自信がない。だからどうか……! どうか! 俺に出来る事なら何でもするから! お願いだ!」

「アキトさん……」

 

 未来を変える。それは……言うまでもない事だった。

 

「頭を上げてください」

「……」

 

 言うがアキトさんは畳に頭を付けたままだ。

 私は仕方なさげに息を吐く。

 

「アキトさん、それは私も同じです。未来を変えたい。より良い将来を手にしたい。それはきっと誰だって同じですよ。だから――」

 

 そう、私はずっとそれを考え続けてきた。もう一度この時代をやり直せるのなら……と。

 なら、

 

「貴方の力を貸して下さい。私も一人で出来る事なんてしれてますから。未来を変える為に一緒に頑張りましょう、アキトさん」

 

 なら、次こそは――と。

 告げる私にアキトさんは頭を上げて笑顔を見せてくれた。

 

「ルリちゃん、ありがとう。うん、一緒に頑張ろう」

「はい」

 

 差し出される手。昨日に続いて二度目の握手。

 その手を取った。この暖かな手の温もりを二度と……そう、二度とそれを失いたくなかった。手放したくないから。

 

 例え“あの人”でないのだとしても……私は――

 

 

 

 

 小さな手を握ってホッとする。“黒い王子様”でない事に納得してくれた上で、俺が“未来知識を持った過去のテンカワアキト”であると認識してくれた事に、そして彼女の協力を取り付けられたことに。

 騙しているようで……いや、実際騙しているのだろうけど、全部が全部偽りではない積りだ。

 この子の知る大切な彼でない事への申し訳のなさ。“アキト”としての謝罪。実験に身を捧げた事への憤り。より良い未来に変えたいという願い。共に協力して挑むという思い。

 どれも本気だった。

 しかし、だからこそ怖くもある。この子が俺がテンカワアキトの“偽物”だって知ったら。

 

 ――いや、それを考えるのは止そう、少なくとも今は。彼女にバレるまでは。

 

 それを考えたら動けなくなりそうだから。

 

「アキトさん、どうかしましたか?」

「あ、いや、ちょっとホッとしてさ。ルリちゃんに断られたらどうしようかと不安だったし」

 

 怪訝な表情を浮かべるルリちゃんに本音を織り交ぜて答える。

 

「断られると思っていたんですか?」

「うん、まあ……はは……」

 

 む……とした顔を見せるルリちゃんに笑って誤魔化す。

 

「まあ、良いです。……それで早速なんですけど」

「うん」

「この後の事ですが、既に手は打ってあります」

「え?」

 

 拗ねた表情を引っ込めてルリちゃんが言った事に一瞬理解が及ばなかったが、

 

「副提督の乗っ取りの事?」

 

 時系列を思い出して言うと、ルリちゃんは頷いた。

 

「はい。プロスペクターさんとゴートさんに話しておきました。今現在、オモイカネのサポートの下で保安部が取り押さえに掛かっている筈です」

「そっか、さすがはルリちゃん」

「……どこかの誰かさんは当てにしていなかったようですけどね」

「うぐ」

 

 返す言葉もありません。

 そう言って項垂れるとルリちゃんはくすくすと笑った。

 

「ふふ、冗談ですよ。これから頑張って行きましょう。私はブリッジに戻りますね。あまり長いこと留守には出来ませんし」

「ああ、また後で、ルリちゃん」

「はい、また後で伺います」

 

 ルリちゃんは立ち上がって部屋から出ていく。その小さな背を見送って……

 

「……って行けね。俺も行かないと」

 

 で、厨房に赴いてホウメイさんとホウメイガールズ達に挨拶した後で、ユリカ嬢が姿を見せなかったことを思い出したのだが、

 

『私達の目的は火星です!』

『第三艦隊提督、ミスマルである! ナデシコ及び搭乗員には降伏を勧告する!』

『私はミスマルユリカ、ナデシコの艦長です!』

『周辺海域にエネルギー反応、チューリップです』

『グラビティブラスト発射!』

『チューリップを撃破』

『離脱します。このまま振り切ってしまいましょう』

 

 マッシュルーム頭の副提督が拘束された事もあってトントン拍子に状況は進んでしまう。

 ユリカ嬢が父親にテンカワ夫妻の死亡の事実を伝えに行かなかったが、良かったのだろうか? 俺からその話を聞かなかった所為もあるんだろうけど。

 

「ルリちゃんに相談してみるか」

 

 そう大した問題ではないような気もするが、聡明な彼女の意見も一応聞いておくべきだろう。

 

 




皆さん、ルリちゃんは好きですか? 私は今も大好きです。


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第四話―――友誼

 

「すみませんでした、アキトさん」

 

 ルリちゃんが謝った。

 

「いや、そんな大した事じゃないよ、大丈夫だと思うから」

 

 頭を下げるルリちゃんにフォローする。

 

「ですけど……」

「大丈夫だって、俺の両親の死はネルガルの所為だったんだし。それに結局、そのユリカは何も聞けずに戻ったみたいだし」

 

 それを知る術はない。アニメ視点で見ていた俺はともかく、ルリちゃん達の視点では分かりようがない事だからだ。

 ちなみに俺は、“未来の俺”がユリカ嬢から聞いたという事にしている。

 

「だから大丈夫」

「……そうですね」

 

 ルリちゃんも納得したようだ。そう大きな影響はないと考えたのだろう。

 

「……」

 

 さて、なぜその件でルリちゃんが謝ったかというと、どうもあの時、この子が俺の部屋を訪れた際、ユリカ嬢が俺を探し回っていたのを副長のジュンとプロスさんに伝えたからだ。

 それで2人に咎められてブリッジへと連れ戻され、ユリカ嬢は俺の部屋を訪れる事が出来なかったらしい。今もプロスさん、ゴートさん、フクベ提督、ジュンの他、ウリバタケさんを始めとした各部署の責任者と会議中で忙しくしているとの事。

 ルリちゃん的には、あの時は俺との話を邪魔されたくなかったからそうしたそうだが。ユリカ嬢をブリッジへと戻しながら、ちゃっかり自分が抜け出している事に何とも言えないものを覚えなくもない。

 ……悪意はないみたいだけど。

 ともあれ、その為にユリカ嬢のパパさん訪問フラグが潰れ、ルリちゃんは謝った訳である。

 

「過ぎた事をあれこれ言った所で仕方ないし」

「はい」

「それで明後日には、宇宙に出る事になってるけど」

 

 宇宙へ出る。

 つまり外敵から地球を守る第一から第七防衛ラインを逆から突破する事になるのだが、原作のそれは地球に大きな禍根を残している。

 

 地球連合軍への根回し不足か、それともネルガルの敵対勢力による工作の所為か、はたまたユリカ嬢の説得の失敗が大きいのか、ナデシコを捕捉する為に連合軍は大規模な軍事行動を取り、これに刺激を受けた無人兵器群が襲い掛かり、軍は予想だにしない戦闘に強いられて甚大な損害を被った。

 

 アニメ的にはギャグの面が強調されたが、実際その影響は地球上の各戦線に多大な悪化を齎した筈だ。気軽に考えて無視して良い話ではない。

 ビッグバリアの方も問題だ。アレに穴が開いた事でチューリップが更に地球へと打ち込まれただろう。融合炉爆発によるブラックアウトが発生したという台詞もあった。

 

 原作での連合軍のナデシコへの印象の悪さはこれらに大きな原因がある。

 まあ、これのお蔭で独立部隊として軍から遠ざけられて自由気ままにやれた所もあるが、冷遇されて単艦で無茶な作戦に投入されたのも事実だ。画面外でも恐らく色々とあった事だろう。

 この辺はどちらが良いと言い切れない部分はあるが、軍民共に反感を買った事や後にあった問題を考えると、やはり原作通りの道は避けた方がいいように思える。

 オモイカネが連合を敵と見なして攻撃した件もある。

 

「ええ、あの件はデータの削除……思い出の喪失こそアキトさんのお蔭で免れましたが、オモイカネの成長を遅らせたのも事実です。軍や民間の反感を買ったのも勿論問題ですけど……」

 

 俺の話を聞いたルリちゃんは同意を示す。

 

「ですから今回も手を打ちます」

「緊急停止コードだね」

「はい。それもありますが、もう一つ別に手を回す積もりです。それでその事で……アキトさんの意見を聞きたくて」

「良いけど、何かな?」

 

 この子のやる事で俺に何かできる事があるだろうか? そう思って首を傾げつつも話を聞く。

 

「アキトさんも言ったように先のミスマル提督の件も含めて、防衛ラインの件には反ネルガル勢力が関わっているのではないかと私も考えています」

「……うん」

「普通であれば、あんな無茶はしません。サセボでナデシコの威力を見たのであれば、ネルガルに新造艦の建造ないし現行艦の改修などを発注・依頼するのが道理です。ネルガルも大きな予算が動く軍需……多大な利益を齎すその話に乗らない筈がありませんし、参入を考えないなんて事もありません」

「そうだね、プロスさんも根回しをしているって言ってたからその辺りの話も当然出ていて、連合軍と交渉は進んでいたと思う」

「はい、ですからそれを嫌った軍需最大手……まあ、クリムゾングループなのでしょうが、彼等が敵対するように煽ったのではないかと。あわよくばナデシコの接収に託けて技術解析・盗用も視野に入れて軍の主流派と……」

「……何となくルリちゃんの考えている事が分かった。痛くない腹……もとい痛い腹を探ろうって事?」

 

 ルリちゃんは無言で頷く。

 献金、賄賂、癒着、袖の下、鼻薬などなど色々な言い方はあるが、反ネルガル勢力と連合軍のそういった後ろ暗い関係を探ろうという事だ。

 

「緊急停止コードは後に使い道がありますし、今回の突破では余り切りたくはないカードです。一度使えば対策が取られると思いますし、ですから今回はそこから……」

「強請ろうって事だね」

「はい」

 

 確かに緊急停止コードは後の地球脱出に使ってはいる。今回も同様の状況に進むかはまだ分からないが出来れば取って置きたい手札だ。

 対策の結果、ただコードを変更するだけなら兎も角、停止手順自体ガラリと変わる可能性がある。或いはそれ自体がなくなるか。

 しかし、

 

「ルリちゃんの能力を疑う訳じゃないけど、強請りネタがそんな簡単に見つけられるかな?」

「防衛ライン突破までまだ時間があります。やってみせます。当ては幾つかありますから」

「……分かった。反対はしない。停止コードは言う通り出来れば取って置きたい。ルリちゃんにそこまで自信があるなら間違いないんだろうし、でも無茶はしないで欲しい」

 

 ルリちゃんとオモイカネ、この二つがあってこそ成せる事なのだろうけど。それでルリちゃんが危険視されるのは嫌だった。

 止めるべきなのかとも考えるが、

 

「大丈夫です。これぐらいの事であれば私とオモイカネでなくとも、腕利きのハッカーであれば出来る事ですから」

 

 心配を見透かされたように笑顔でそう言われた。

 

「でも、心配してくれてありがとうございます、アキトさん」

 

 その嬉しそうな可憐な笑顔に一瞬見惚れそうになって、いや……と視線を上へズラして誤魔化した。

 この子は子供、11歳の子供。俺はノーマルだと、断じてそんな趣味は無いと念じて。

 

 

 

 

 密会の現場……という感じもあってその部屋、ルリちゃんの部屋から出ると何処かホッと安堵めいた感覚を覚える。

 あの時のように緊張を感じてはいない積りだったけど、そのように考えてしまい、安堵を覚えるという事は、まだまだ自覚してない範囲で緊張があり、ルリちゃんを意識せざるを得ないのだろう。見惚れそうになった事もある。

 

「……にしても」

 

 ドツボに嵌りそうな考えから意識を逸らして思う。

 殺風景な部屋だった。

 未来のルリちゃんの精神があるって事は、それなりに情緒が育まれている筈なのに飾り気が皆無だった。

 

「いや、ずっと研究所暮らしだっていうし……」

 

 そういった物を揃える時間がなかった。持てなかったと考えるべきか。それに今にしても戦艦の中だものな。

 

「……」

 

 むう、と腕を組んで通路を歩く。

 何とかしてあげたいと思う。いや、余計なお世話かな? それでも考えてしまう……、

 

「アーキートー!!」

「うわっ!?」

 

 背後から急に両肩を掴まれて、驚き思わずピョンとウサギのように前へと跳ねる。

 声から肩を掴んだ者の正体は分かっていた。

 

「艦長! 何をするんだ!?」

 

 振り返って驚かせた人間……ユリカ嬢に向かって声を荒げてしまう。

 

「むー、アキト冷たい!」

「な、何がだ」

「折角、会議を早く終わらせてこうして会いに来たのに」

 

 子供のように頬を膨らませるユリカ嬢。

 

「ユリカ、ずっと待ってたんだよ! でも全然来てくれないんだもの」

「いや……お前……」

 

 ルリちゃんから聞いているぞ。大事な発表がある直前にブリッジを抜け出して俺を探し回っていたのを。あとあのパパさんの艦隊を振り切った後も会議があるのに即行抜け出そうとし、提督とプロスさんに咎められて「ジュン君、あとお願い」をやろうとして叱られた事も。

 どの口が言うのか……。

 呆れるが口には出さない。ユリカにしてみれば気になる幼馴染に再会できた訳で、積もる話をしたいという思いも分からなくはないからだ。

 

「で、何の用だ」

 

 分からなくもないので彼女に付き合う事にする。

 

「えっと……改めて久しぶりだね、アキト」

「ああ、十年ぶりだよな」

「うん!」

 

 サセボでの他人としてではなく、幼馴染みとしての再会の挨拶に応じるとユリカ嬢は嬉しそうに満面の笑顔を見せる。

 晴天の中で輝く太陽や夏の向日葵を思い起こさせる明るい笑顔だ。

 ……なるほど、魅力的だと思う。テンカワアキトが彼女を選んだ理由がその笑顔だけで分かる気がした。

 

「アキト、元気そうで良かった」

「なんだ、昔話に花を咲かせに来たのか?」

「えへへ、そうだよ。だって十年ぶりなんだもの。話したいこと一杯あるんだから!」

 

 本当に嬉しそうに明るく無邪気に笑う。子供のように。

 けど、その笑顔は……ああ、そうなるとあのルリちゃんの笑顔も、俺にではなく――――――考えないように首を振る。

 

「ならちょっと場所を変えるか」

「そうだね。展望室に行こ!」

 

 首を振ったこともあって仕方なさげにして言うと、ユリカ嬢は俺の手を取って半ば引っ張るようにして歩き出した。途端――

 

「――!」

 

 一瞬視界に自分の手を引く、長い黒髪を持った幼い女の子の後ろ姿が見えた。

 思わず立ち止まってしまう。

 

「? アキト、どうしたの?」

「ああ、いや……」

 

 幻覚だ。恐らく夢と同じくテンカワアキトの記憶。それを強く垣間見た。直ぐに消えたが。

 

「なんでもない」

「? ……そう」

 

 ユリカ嬢は不思議そうな顔をするが、まあ、いいかといった感じで俺の手を引いて……じゃなくて、

 

「いや、手を繋がなくとも俺は逃げないから……離してくれませんかね」

「ダーメ。アキト、手を離したら直ぐに私から離れて行っちゃうんだもの」

 

 通り掛かったクルーの視線に気付き、手を離してくれるようにお願いしたが、当然のごとく彼女は取り合ってくれない。

 

「だから逃げないから、さ」

「ダメ、こうするのも久しぶりなんだし、アキトが照れ屋さんなのも分かるけど……」

 

 そう言いながらグイグイと引っ張っていく。

 俺は溜息を吐くしかない、そう昔からコイツはそうなのだ。人の言う事なんて全然聞かない。

 さっきの幻覚の所為かそんな思考が過る。“アキト”の思いだろう。記憶と共に彼の感情もこうして呼び出される事がある。

 主幹が俺の意識にあるから、それに振り回される事は無いのだが……これも余り考えたくない事だった。

 

 

 

 展望室に火星の風景を……テラフォーミング用ナノマシンによるオーロラが掛かった空と、いつか見た草原をユリカ嬢はコミュニケから操作して映し出し、俺はその風景を楽しみながら、彼女は懐かしみながら言葉を交わした。

 話すのは主に彼女だ。

 

「アキト……」

「アキトは――」

「アキトって――」

 

 十秒に一度の割合で俺の……彼の名前を呼んで昔の思い出を口にする。飽きる事は無いのかと思うほどに。

 俺はそれに殆どは相槌を打つばかりだが時には口を挟む。彼との記憶違い……ユリカ嬢が都合よく改変した妄想(きおく)を事実のように話す事があるからだ。

 そうなると“アキト”としては反発したくもなってしまう。そうして30分ほどして――

 

「ふふ、でも本当に良かった。アキト、元気そうで」

「ああ」

「お父様からは、テンカワの家の人は全員亡くなったって聞いてたから」

「……」

「私、あの時、すごく泣いちゃったんだよ。何日も何日もふさぎ込んじゃって、ベッドで泣いて、お父様やお手伝いさんを随分心配させちゃって」

「……そうか」

 

 その話が出た。

 でも、俺は相槌を打つだけに留めた。彼女は……ユリカ嬢は知らないのだから、真相を。

 だから、

 

「ねえ、アキトはいつ地球に来たの? 来ていたなら教えくれても良かったのに」

「住所も連絡先も分からないのに教えられる訳ないだろ」

「むう、それはちょっと冷たくないかなぁ? 私だったら一生懸命探すのに」

「地球に来てから大変だったからな、そんな余裕はなかったよ」

「……そっか、アキトにも事情はあるか、そうだよね。じゃないと私を探さない理由は無いんだし」

「はあ、相変わらずだなホント」

 

 都合よく解釈する彼女の捉え方に呆れる。

 

「それで、おじさんとおばさんは元気? 地球に来ているんでしょ?」

「………………」

「アキト?」

「……事故で亡くなった」

「え?」

 

 黙ったことで訝しげだった表情が驚きに変わる。

 まったく教えないで置こうかとも迷ったが、両親がいない事は誤魔化せないように思えて事故という事で落ち着けた。

 

「そ、そんな! 嘘でしょ!? 何時!?」

「もう結構前になる」

「……アキト、ごめんなさい」

「いや、良いんだ。気にしなくても」

 

 空気が読めない彼女だが、さすがに気まずさを覚えたようだ。原作では殺された事を聞いて、彼が変に憤った所為か、おかしな妄想を拗らせたが……こうやってゆっくりと“アキト”と話せて、楽しく思い出を消化できたお蔭なのか、拗らせる様子はない。

 思うにアレはアキトが構わない所為で勝手に暴走したのではないかとも考えられる。ああいった暴走や妄想は、ユリカ嬢なりのフラストレーションの解消の仕方なのではないだろうか?

 

「……んじゃあ、行くよ。仕事もあるし」

「あ、うん。……お仕事頑張ってね。あと……その、元気出してね」

「……ああ、ありがとう。こうしてお前と話せて良かったよ」

 

 言葉が途切れた所為というのもあるが、実際コックの仕事があった。元々休憩時間を見てルリちゃんの所へ行ったのだ。

 

 

 

「……話せて良かった、か」

 

 通路を歩きながら呟く。

 別れ際のその言葉はつい自然と零れたものだった……が、俺は本当にそう思ったのだろうか?

 確かにユリカ嬢と話すのは嫌な感じではなかった。むしろ楽しく話せていたように思える。それこそ久しぶりに会った友人との会話のように。

 けど、やっぱりそれは、

 

「くそっ……」

 

 小さく罵った。

 俺の感情ではないのだろう。ユリカ嬢が感情を向ける“本当の相手”と同じで。

 

「俺は――」

 

 途端、どうしてかムシャクシャした感情が湧いて来た。

 どこにも行き場がない、出口がない、胸の中にグルグルとした形容しがたい苛立ちを感じる。

 

「すう、はぁーー……」

 

 それを吐き出そうと強く息を吐く。それでも余り気が晴れなかったが。

 

「……さあ、仕事だ」

 

 厨房で働けば、その忙しさでその内気にならなくなり、こんな苛立ちは忘れられるだろう。

 そう思う事にした。

 

 

 

 

 仕事を終えて部屋に戻ると、ドアを開けた途端に軽快な音楽が聞こえてきた。

 

「この曲は……」

 

 聞き覚えのある音楽にアイツが居るのだとすぐに理解した。

 

「おう、コックか」

 

 投影用のスクリーンに大画面を映し、そいつはアニメ……そうあのゲキガンガーを見ていたのだが、集中していて気付かないかと思いきやリビングに入るとこちらに振り返った。

 

「確かヤマ「ダイゴウジガイだ!!」ロウ」

 

 名前を呼ぼうしたら大声で途中で言葉を塗り替えられた。

 だが、ロウという言葉尻が聞こえたのだろう。

 

「ダイゴウジガイだ!!!」

 

 もう一度この男は言った。先程よりも大声で。

 ……こいつはこんなんでどうやって今まで過ごしてきたんだろうか? 誰かに本名を呼ばれる度にそう叫んでいたのだろうか? ナデシコに来る前はパイロット養成の士官学校に居たという話だが、そこでもそうしていたのだろうか? 階級絶対の縦組織で教官などを相手に? そんな疑問が過った。

 まあ、とりあえず、

 

「分かったよ。だけど俺の事もコックじゃなくて名前で呼んでくれ」

「ああん、ホントに分かっているのか? なら二度と間違えるなよ。この俺の魂の名を! このダイゴウジガイ様の名前を!!」

「ああ」

 

 一々大声で叫ばれるのも面倒なので素直に頷く。

 

「ふん、まあ、いいだろう。それで……それで、……それ、で」

「うん?」

「……えっと、お前なんて名前だっけ?」

「……」

 

 同室になる相手の名前を聞いていないのかコイツは……。呆れ――

 

「――いや、まあ、そうだな。自己紹介はしてないしな。俺はテンカワアキト。コックとして雇われた」

「お、そうそう、そうだ。アキトだ。テンカワアキト。艦長がそう言ってたな」

「ああ、急な同室って事で迷惑をかける事になったけど、よろしく頼むよ、“ガイ”」

「……おお、応! アキト! ナデシコの左も右も分からないお前の事を、この“ダイゴウジガイ”様が面倒を見てやるぜ! 任せろ!」

 

 なんだか良く分からないけど、急にテンションを上げるガイ。なんか感動してないかこいつ? ちょっと目尻が光っているような?

 

「よし! ならば早速だ! 男が見るべきこの熱き聖典! 魂のバイブル! それをお前に特別に見せてやろう!!」

「あー……」

 

 見せてやろうと言うがもうそれスクリーンに映っているよな。ゲキガンガーの事だよな。

 正直、コックの仕事に疲れているんだけど……料理に気が向いていないってホウメイさんにどやされてきつい仕事を回されたし。

 しかし、うん……まあ、

 

「そうだな、見せてくれ。ゲキガンガー、懐かしいよな」

「お、お前、知っているのか!? この幻の超大作の事を!」

「ああ、小さい頃に見てたから」

「そうか! そうか! コックだとか言いながらエステに乗って美味しい活躍をしやがってなんだコイツは? ……とか思ってたけど、そうか! そうか! お前も同士だったんだな! やっぱロボットは、熱血はロマンだよなぁ!」

「ちょっ!? ガイ、近い、近いって!!」

 

 ガシッと肩を掴まれ、グッと顔を近づけて興奮した面持ちで語るガイ。

 

「よぉし! そうとなったら一話から一気見だ! 今日はゲキガン祭りだぜ!! オマケに俺様の特別編集したスペシャルの奴も見せてやる!!」

 

 テンション高く叫ぶとガイは再生機の前に座り、ディスクの交換を始める。

 

「……」

 

 ゲキガンガーという作品が気になっていた事もあって付き合おうと思ったのだが失敗だった。これは止めるのは無理だろう。ユリカ嬢とは別のベクトルで話を聞かない奴だし。いや、予測して然るべきだった。

 明日は寝不足確定か。

 

「……疲れているのに」

 

 がっくりと肩を落とす。

 しかしそんな奴だけど、悪い奴ではないし、気の良い人間でもあるんだよな。

 ……でも、もしかしたら、

 

「明後日か」

 

 防衛ラインの突破。

 副提督はとっくに降ろしている。ルリちゃんの進言で救命ボートに乗せて太平洋に放り出した。

 軍に通信を送っているから今頃救助されている事だろう。

 だからガイが死ぬ事は無いはずだ。その要因は除去してある。心配はいらない……筈だ。

 

 ――少し不安だった。

 

 

 




 ユリカさんについては嫌いではないのですが、正直原作での印象は微妙な感じでした。しかし今話を書いている内に私の中に印象の変化を感じています。
 原作のメインヒロイン―――しかし真のヒロイン(某ドラマCDのルリちゃん曰く)によってその座を奪われてしまいましたが―――であり、アキト(偽)に絡む以上、彼女にも上手い役回りを与えたい所です。


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第五話―――騒動

「ふぁぁ……」

 

 ね、眠い。欠伸が出る。目がしぶしぶする。身体がとてつもなく怠い。

 ほんとに徹夜する事になるなんて……――――とにかく眠い。

 

「テンカワ! テンカワ!」

「ハッ!?」

「鍋! 鍋!」

「あっ……しまった!!」

 

 あちゃー……駄目だ。焦げてしまっている。もうこれは全部破棄しないと…ここまで焦げが酷いと鍋を洗うのも一苦労だ。

 痛恨のミスに思わず頭を抱える。溜息も零れる。

 

「溜息を吐きたいのはこっちだよ。どうしたんだい、昨日の今日にして? テンカワは貴重な男手なんだ。確りして貰わないと困るよ」

「うう……す、すみませんホウメイさん」

「……ホント、どうしたんだい?」

 

 謝る俺にホウメイさんは眉を寄せる。その表情は咎めるというよりも不可解そうだ。

 

「寝てないのか?」

「……はい」

 

 誤魔化し切れない、嘘を言うのも悪いと思ったのもあるけど、頭が回らない所為で素直に頷く。

 

「……昨日会ったばかりだけど、それでもテンカワが真面目なタイプだってのは分かる。そんなアンタが敢えて仕事に差し支える真似をするとは思えない。……昨日の晩、何かあったのかい?」

「……」

 

 答え辛い。ゲキガン祭りをしてました……等とはとてもではないが言えない。

 答えに窮して黙ってしまっていると、

 

「多分、ヤマダさんに付き合わされたんだと思います」

「……え?」

「おや、ルリ坊」

 

 いつの間にか、厨房前のカウンターに小柄な少女の姿があった。

 

「どうも、おはようございます。ホウメイさん、アキトさん」

「ああ、おはよう」

「……おはよう、……ルリちゃん」

 

 いつもながら丁寧にぺこりと頭を下げて挨拶するルリちゃんに、ホウメイさんと俺も挨拶を返す。

 

「で、ルリ坊は何か知ってるのかい? ヤマダって確かパイロットの……?」

「はい、パイロットでアキトさんと同室の方です。とあるアニメのオタクのようなんですけど、多分ルームメイトの歓迎会的なノリで、そのアニメの視聴に無理やり付き合わされたんだと思います」

「……もしかして朝まで?」

 

 ホウメイさんが尋ねるとルリちゃんは、俺の顔を見ながら恐らく……と頷いた。相当眠そうに見えるんだろう。

 

「なるほどね。二度ほどあのパイロットの男は見かけているけど……なるほど」

 

 なるほど、という言葉を二回言ってホウメイさんは呆れた顔をする。ガイの素行や性格を思い浮かべているのかも知れない。

 

「それとアキトさんは、ナデシコが出航した一昨日の晩から寝てない筈です。一徹ならともかく、その晩の戦闘の疲れを引きずって二徹しては流石に……」

 

 ああ、そっかそれもあるか。

 あの晩は、ユリカ嬢の後を追ってネルガルのドックまでの長い道のりを全力で自転車を漕いでいたし。その後、エステで戦闘して……そりゃ疲れている訳で、眠い訳だ。そうかぁ、二徹目なのかー……俺。

 ぐわんぐわんする頭の中で考える。

 

「はぁ……しょうがないね。テンカワ、アンタは今日は休みだ。無理して体調を崩したら元も子もないし、そんな状態じゃどうせまたミスをする」

「う、はい、……すみません」

「だけど二度は許さないよ。アタシからも言っておくけど、アンタもヤマダって男に確りと注意しておくんだ。テンカワも此処での仕事はあるけど、ヤマダはパイロットなんだ。いざって時に使い物になりませんでしたってのは洒落にならない」

「……はい、……ほんと申し訳ないです」

「いいから、もう行きな」

 

 ホウメイさんは呆れの中に怒りを含んだ声色で俺を厨房から追い出した。

 俺はそんなホウメイさんに申し訳なさ一杯で何度も頭を下げながら、この厨房と食堂を後にするしかなかった。

 そんな俺の背中に、

 

「ルリ坊に感謝するんだよ」

 

 との声が掛かった。ルリちゃんのフォローに免じてという事なのだろう。

 

「ルリちゃん。ありがとう」

「いえ」

 

 寝不足でグラグラする頭だが、それでも通路を一緒に歩くルリちゃんに確りと頭を下げた。

 ただちょっと気になる事もある。ゲキガン祭りをやっていた事を知っていたらしい事に。

 小説などでは結構この子はナデシコ艦内を覗き見していた。プライバシーの問題でロックが掛かっている筈のクルーの私室まで。

 TV版ではアカツキとエリナ嬢、副提督の会話を覗くぐらいしかしなかったが……いや、それは元はプロスさんの悪だくみだった筈。

 だから疑いたくはないんだけど……――

 

「――覗いてた?」

 

 やはり寝不足の所為か、気付くと思っていた事がポロッと口に出ていた。

 

「……眠そうなアキトさんを見て、何となく予想が付いただけです。前の時もアキトさん、ヤマダさんに付き合わされてゲキガンガーを熱心に見てましたし」

 

 その声に動揺は無い。疑わしい感じはしない。

 

「心外です。アキトさんにそんな風に思われるなんて……」

 

 う……、ショックを受けた表情で悲し気に言う。ルリちゃんにそんな声でそんな顔をされたらこっちがショックで死んでしまいたくなる。

 

「いや、いや、ごめんルリちゃん。心配してくれたのに」

「……」

「疑って悪かった! 本当にゴメン! ルリちゃんがそんな事する訳ないのに」

 

 両手で合掌して先程より深く頭を下げる。うう……下げた勢いでぐわんぐわんグラグラする頭の中が余計に酷くなる。

 けど我慢する。

 

「許してあげます」

 

 その言葉にホッとする。

 

「……それよりもアキトさん、部屋に戻って休まれるんですか?」

「……その積りだけど」

「ヤマダさん、部屋にいますよね? 骨折まだ治ってませんし」

 

 ルリちゃんの問いに頷く。実際は未来の医療だけあってもう骨はくっ付いているらしいが……流石は200年後の医療技術、半端ない。

 しかしまだ完全ではなく、一応安静にするように医者に言われたとガイは言っていた。

 そして俺が仕事に向かう際も元気よくゲキガンカーを見ていた。

 

「戻らない方が良いんじゃないですか?」

「うーん」

 

 ルリちゃんの危惧は分かる。ゲキガン祭り再! になりかねないと言いたいのだろう。

 なら医務室のベッドでも借りるか? ガイ以外に怪我人・病人は出てないと思うし。事情を説明すれば……。

 

「……良かったら私の部屋で休みませんか?」

「え゛」

 

 考え込んでいたら思わぬ提案がなされて変な声が出てしまった。

 

「私はこれからブリッジで勤務に入りますし、一人部屋で誰もいませんから静かに寝られますよ。ベッドも大人用ですし」

「いや……でも、迷惑じゃないかな? それに嫌じゃない? 男を一人自分の部屋に置いて、ベッドを貸すだなんて」

「そうだったらこんなこと言いませんよ。アキトさん」

 

 信頼した笑みを向けられる。いや、しかし――

 

「いや、医務室でベッドを借りればいいことだし……」

「怪我人や病人でもないのにですか、それはそれで医療班の方達には迷惑な話ではないでしょうか? 同じ迷惑なら気にしない私のところの方が良いと思います」

 

 幼くとも女の子の部屋を借りるのは悪いし、迷惑であろうと思うので断ろうとしたが、そう諭されるように言われた。

 尤もなように思える……けど、

 

「……もしかして嫌ですか? 私の部屋……」

「いや、そんな事は無いけど……分かったよ。ありがたくルリちゃんの部屋を借りる」

 

 渋ったが、悲しそうにされたので頷くしかなかった。するとルリちゃんは嬉しそうに微笑んで、

 

「それじゃあ、行きましょう」

 

 そう言って先導するように俺の前を歩きだした。

 

 

 

 ぼんやりと暗い部屋でベッドの上で横になっている。

 制服の上着と靴を抜いでベッドに転がると、ルリちゃんはお休みなさいと言って部屋を出て行った。ブリッジに向かったのだろう。

 

「ふぁぁ……」

 

 欠伸が出る。強い眠気に直ぐにでも寝付けそうではあるが、眠れそうにもない感覚もある。

 ルリちゃんの部屋、ルリちゃんのベッドの中にいる事実がやはり緊張を誘い、オマケにやたらと良い匂いがする事もあって、落ち着くようで落ち着かない。

 

「とにかく寝よう。何も考えるな」

 

 そう念じるようにして目を閉じ、身体の力を無理にでも抜いた。そうして――なんだかんだ言っても一昨日から蓄積した疲労が大きかったのだろう。俺の意識は……何とか……眠りに、ついた。

 

 

 

 

「あれ? アキトはいないの?」

 

 食堂の暖簾を潜り、厨房を見渡すが彼女の愛しい彼の姿は無い。

 

「艦長、食事かい? 何にする」

 

 ナデシコ食堂は食券制でもあるが、忙しくない時は注文を直に受けつける事が殆どだ。

 ただ、今は朝食時で忙しくはあったが、手が空かない事もないので食堂の責任者にして料理長であるリュウ・ホウメイは、カウンター越しに厨房を覗くナデシコ艦長ミスマルユリカに嫌な顔一つせずに応対した。

 

「ホウメイさん、アキトはいないんですか?」

「テンカワ? あいつなら今日は休みだよ」

 

 注文の問い掛けに答えず、逆に問いかけてくる艦長をやはり嫌な顔をせずにホウメイは応じる。

 

「え? お休み!?」

 

 ユリカは驚く、何しろアキトは昨日コックとして働き始めたばかりだ。その翌日に休むなんて余り常識的ではない。

 だから直ぐにユリカは思い至る。休まざるを得ないのだと。

 

「もしかして病気!」

 

 ユリカの脳裏に布団に横になり、頭に氷を乗せた苦しげなアキトの姿が浮かぶ。

 

「いや、病気じゃないよ。コックなのにパイロットの真似事をして、その疲れが今朝になって出たみたいでさ、これが少し辛そうに見えてね。無理させて身体を壊された方が困るから一応休みを取らせたんだ。そう心配する事はないよ」

 

 ただの寝不足であるが、アキトの体面を考えてホウメイはそう答えた。

 

「そ、そうですか。良かったぁ、アキト」

 

 酷く心配げな顔が安堵に変わる。その一瞬の変わりように可笑しさを覚えたのか、ホウメイは愉快そうに軽く笑う。

 

「ま、ほんとに大事は無いから明日になればケロリと此処に顔を出しているさ。で、艦長……注文は何にする」

「えっと、それじゃあ――」

 

 と、このようなやり取りがあり。この時は頼れる女将さん、女傑的な雰囲気のあるホウメイの言葉もあって、ユリカは休んでいるアキトの事を大きく気に掛けなかったのだが――

 

「――そうだ!」

 

 お昼時、再び食堂を訪れ、本来なら居るであろう愛しい彼の姿が無い事からか、アキトが思ったようにフラストレーションの解消が成されなかったらしく、

 

「病気で苦しんで一人寂しく寝ているアキトを元気づけないと! 恋人の私が来てくれたらアキトもきっと喜ぶよね!」

 

 病気でないと聞いた筈なのに病気と言い、その脳裏にはやはり布団に寝込んで頭に氷を乗せ、口に体温計を咥えている彼の姿が浮かんでおり、

 

「でも、手ぶらでお見舞いなんて出来ないよね。じゃあ……」

 

 食堂という場所が悪かったのだろう。そのシチュエーションが彼女の頭の中で展開された。

 病気で寝込んでいる彼の所へ訪れた自分。その手には温かな鍋が持たれ、スプーンを差し出してその中身を彼の口元へ…当然それはユリカの手料理だ。それを食べた彼は美味しいと微笑み、

 

「いやーん、そんなぁ。ユリカが作った料理以外もう食べられないだなんて、そんなプロポーズみたいなことぉ……」

 

 紅潮させた頬に手を当てて、身体をくねくねと捩じらせるユリカ。周囲の目線も気にせずに。

 

「分かったわ。貴方のプロポーズを受け取る為に美味しい料理を持って行ってあげる! 待っててね、アキト!」

 

 そうして厨房に飛び込む彼女。ホウメイも妄想を展開させたユリカの姿に引くものを感じたが、彼女の意気込みに理解を示し、快く仕事場の一角をユリカの為に貸し出した。

 

 

 ――そう、貸し出してしまったのである。

 

 

 しかし幸か不幸か、その場面を昼食を取りに来ていた少女は見ていた。

 

「拙いです……!」

 

 少女は額に汗を浮かべて焦ったように、戦慄するように短く声を零した。

 

 

 

 

 薄っすらと目を開ける。

 見覚えのない部屋。天井に魚を模したオブジェクトが見える。ゆっくりと宙を泳ぐように回るそれを見て、

 

「あ、そっか。ルリちゃんの部屋で休ませて貰ったんだ」

 

 此処にいる理由を思い出した。

 ベッドに備え付けられた時計を見て時間を確認。デジタルの数字と文字は丁度PM2:00を示している。

 寝る際の時間は確認していないが、結構寝たように思う。

 

「よっと……」

 

 体を起こしてベッドから出て上着を取り、袖を通そうとした所でコミュニケから小さな電子音。

 

「と、外すのを忘れてた」

 

 寝てる間も付けっぱなしだったそれの横のスイッチを操作、鳴り続ける電子音に応えて通話状態にし、

 

『――アキトさん、絶対に部屋から出ないで下さい!』

 

 ウィンドウが展開されるや否やルリちゃんが叫ぶようにして言った。

 何時も以上に感情が見える表情。それを示すかのようにウィンドウのサイズも大きい。コミュニケは使用者の感情の振れ幅を読み取ってウィンドウのサイズが変わったりするのだけど、

 

「ど、どうしたの、ルリちゃん。部屋から出るなって?」

 

 必死さを感じさせる表情に驚きながらも尋ねる。するとルリちゃんは地獄の底から響くような低い声色で、

 

『……ユリカさんが、料理を作りました』

 

 囁くようにして言った。それに合わせてかウィンドウのサイズも手の平以下のサイズになる……が、

 

「な!?」

 

 そんなこと気にしている場合ではなかった!

 ユリカ嬢の料理……だ……と!?

 この上なく状況を理解した。ルリちゃんが焦り、必死になるのも当然だ! 何故料理したのかも想像が付いた。

 

「俺か? 俺が悪いのか!? 寝不足で寝込んだりしたから!?」

『……いえ、アキトさんの所為ではありません。こんな事になったのは……』

「いや、でも」

『ヤマダさんが元凶です。あの人がゲキガン祭りなんて事をしたからです。アキトさんが悪い訳ではありません』

 

 ユリカ嬢の手料理に恐怖し震える俺にルリちゃんはキッパリと言う。

 

『だから、その報いを受ける事になったのです』

「へ?」

 

 どういう事だ? ガイに何かあったのか?

 

『ヤマダさん、アキトさんと同室ですから』

 

 ガァァァーーーーーイッ!!?

 

 いい気味です、とばかりに呟いたルリちゃんの言葉の意味を悟って心の中で絶叫した。

 つまりこういう事だ。俺が寝込んでいると聞けば、当然ユリカ嬢は自室に俺が居ると考える。その考えの下でユリカ嬢は俺の……俺とガイの部屋を訪れた。そう、悪魔の毒々手料理を持って。そして俺が居ない事にがっかりしながらもユリカ嬢は折角だからとか何とか言ってガイに……。

 ガックリと膝を突く。

 

「すまないガイ。お前を助けられなかった……まさかこんな事で、こんな形で死ぬだなんて」

 

 運命は変えられないという事なのか?

 はらりと涙が零れた。

 いや、お前が犠牲になったからといって未来が変えられないと決まった訳じゃない。ああ、俺はやってみせる。だから、

 

「だから見ててくれガイ! 俺は必ず成し遂げて見せるから!」

 

 グッと拳を握って決意新たに亡き友へと誓った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「って! 勝手に殺すんじゃねぇぇぇーーーッ!!!」

 

 室内に大きな怒声が響いた。

 

「生きてたのか?」

「あったりめーだ!! あんな事で死んでたまるか!!―――……いや、危うく三途の川を渡りかけたけどよ。まさかナナコさん以外にあんな料理を作れる女が居るとは……」

 

 威勢よく叫んだものの、直後にガイは戦慄した様子を見せる。

 

「死んだ婆さんや爺さんが見えたぜ。死後の世界ってのはホントにあるもんなんだなぁ」

「うーん……」

 

 震えた声で言う。その隣のベッドではジュンが唸り声を上げている。

 そう、ジュンの奴もユリカ嬢の毒々手料理を食べたのだ。悪魔のアレを自主的に。勇気のある奴だ。見た目からして如何にもアレだったろうに。

 ある意味感心して尊敬……はしない。

 なお此処は医務室だ。言うまでもない事だがユリカ嬢の悪魔の毒々料理を食べて気を失ったガイとジュンは此処に運ばれ、毒物検査やら胃の洗浄やらを受けて今に至っている。

 

「にしてもアキト、お前は無事だったんだな」

「ああ、何とかな」

 

 ガイの口調は理不尽なことを訴えるかのようだった。自分がこんな目に遭ったのに当のターゲットだった本人はなんでピンピンとしているんだと言いたげだ。

 だが答える気はない。黙秘権を行使させて貰う。こういった事態が二度もないとは言い切れないのだから。

 逃げ道とセーフルームは確保しておきたい。

 

 ルリちゃんにはホント感謝だ。

 

 あの子が自分の部屋で休むように提案してくれなければ、そしてマスターキーでも開けられないようにガチガチにロックを掛けてくれなければ、俺はガイとジュンと一緒に此処に並んでいた筈だ。

 何故ならユリカ嬢は、ガイのもとを訪れ、医務室を訪れた後に何故か真っ直ぐルリちゃんの部屋の前に立ったのだ。

 正直、生きた心地がしなかった。末恐ろしい勘だと思う。

 俺の名前を呼びながら、何度も何度もインターホンを鳴らし、ノックを繰り返し、平然とマスターキーを取り出してカードスリットに通していた。

 プロスさんと提督に咎められるまでそれは続いた。ルリちゃんが連絡を入れたのだ。

 

 そして現在だが、ユリカ嬢は二人の人間を病院……もとい医務室送りにした事と、さらに厨房を半日使用不可にした事を受けて絶賛お説教中である。

 

「ユリカは何にも悪いことしてないのにぃ~~。ただアキトに元気になって欲しかっただけなのにぃ~~」

「艦長っ!! クルー二人が倒れたのだぞ! 君の所為で! その態度は何だ!」

「艦長、反省して貰わなければ困ります。クルーの間ではナデシコ食堂に食中毒が疑われて噂になっているのですよ。貴女の所為で」

「ふぇぇ~~ん、ごめんなさ~い。アキトーぉ」

 

 で、こんな様子らしい。

 ユリカ嬢の元気づけようと思い立った気持ちは嬉しいが……大いに反省して欲しい。少なくとも自分の料理が如何に悪魔的で毒々なのかを理解して貰いたい。切実に。

 

 

 

 そんな騒動を挟みながらも翌日――防衛ライン突破の日を迎える。

 

 

 

 ちなみに、

 

「バカばっか」

 

 と、ルリちゃんはこの日の騒動の中で呟かずにいられなかったとか。懐かしい思いで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふふ、アキトさんの匂いです」

 

 就寝の時間。ベッドの中でシーツに包まって大きく息を吸ってその匂いを堪能する。

 少しはしたない……変態っぽくないかと思わなくもないけど、止める事は出来ない。

 寝不足で辛そうなアキトさんをゆっくり休ませてあげたかったのも勿論本音だ。けれど、

 

「ふふ……」

 

 この役得を得たかったのも本当。

 今日は良い夢を見られそうです。

 

「アキトさん、お休みなさい」

 

 

 




 防衛ラインの突破の話にする予定でしたがギャグ回になってしまいました。ユリカさんにはちょっと悪いかな?と思う話でしたけど。

 ルリちゃんが何故かゲキガン祭りという言葉をさらりと口にしています。





 日刊ランキングで上位でないにしろ本作の名前が入っていて非常に驚きました。
 古いジャンルの作品であり、これといって構想もなく書いている話なだけにウケは悪いと考えてたので、こうも評価を頂けるとは…読んで下さった方、感想を書いて下さった方、お気に入り登録して下さった方、投票して下さった方、皆さんありがとうございます。予想外でしたが本当に嬉しいです。
 こちらも完結できるように頑張って行きます。



 あと中島ゆうき様、誤字報告ありがとうございました。


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第六話―――誓約

 IFS対応コンソールに手を置き、ナノマシンを通じてオモイカネと補助脳をリンクさせ、私は電子の海を泳ぐ。

 それは宇宙にも例えられる無限に広がる世界。ネットは広大だと昔誰かに言われた覚えがある。

 私は魚となり、流星となり、電子の海を……宇宙を行き交う。

 

 当たりは付けていた。

 基本、追うのは金の流れ、メールのやり取り……特に男性と若い女性の物が良い。

 クリムゾングループを筆頭とする反ネルガル企業の資金運用の記録を洗い。少しでもおかしなものをピックアップ。

 反ネルガル企業に属する社員と表向き関係なさそうな若い女性とのメールのやり取りを選別し、さらにその女性が議員などの政府関係者や軍高官と頻繁にメールのやり取りしているものを選抜。

 メール交換の頻度と資金の運用記録を照らし合わせる。そこから怪しいものをさらにピックアップする。

 

 他には……各大手のマスメディアのサーバー及び個人の端末にも侵入。

 取材記事・記録や記者と編集者のメールを…政治・経済・軍事を中心に取り留めのないゴシップなんかも一応拾う。

 SNSやネットの掲示板のログも同様に拾って行く。噂や憶測が飛んだ時期、不自然に拡散され、或いはそれを防ごうとする動き。メディアの報道と照らし合わせて不審なものがないか洗ってゆく。

 

 情報は膨大で多種多様で極めて雑多。種別なくごちゃ混ぜにして投棄された幾つものゴミの山の中を漁って、そこに紛れる小さな……小さな価値ある宝石を探すような作業だ。

 非常に根気がいる。セキュリティを突破するのは苦ではない。如何に難解でもパズルゲームを解くような楽しさがあるから。

 でも、ゴミ漁りは本当に苦行だ。その膨大な量もそうだけど、見たくもない汚いものを見せられて身が汚れるような感じだから。

 だからゴミだ。見つけた宝石とて薄汚れた輝きしかない。

 

 それでも――そんな辛い作業でも、

 

「……アキトさん」

 

 呟く。大切な人の名前を。

 この作業が上手くいけば、彼を危険な戦いから遠ざけられる。デルフィニウム部隊との戦闘が避けられるだけじゃない。パイロットになるなんて事は無く、コックのままにしてあげられる。

 ヤマダさんが生き残って、サツキミドリにいるリョーコさん達と合流できれば、パイロットの人数は十分の筈。

 

「……そう思いたい」

 

 十分だなんて事は無いのかも知れない。戦力は多い方が良いのだから。サセボでの初陣でアキトさんはパイロットとしての能力を示してしまった。

 プロスさんとゴートさんは褒めていて、関心を寄せている。

 “記録”を見たという影響なのだろう、エステバリスこそ損傷させたけど、アキトさんは前回の時よりも明らかに高い戦果を挙げた。

 その技量は軍人として、“ナデシコの艦長”として見たら中々のものだと思う。エース見習いともいうべき才能の片鱗が感じられた。もしアキトさんでなければ、パイロットである事に頼もしく感じて素直に喜んでいた。

 だけど、

 

「戦わせたくない。けど……」

 

 けれど、アキトさん。貴方はどうなんですか?

 

 

 

 

 今日は眠気もない、目覚めもバッチリ。昨日のようなミスをする事は無かった。

 無事に朝の仕込みを終えて、

 

「よし……」

 

 満足げに頷く。

 ホウメイさんから食堂開店時間まで小休止だと言われ、自分達の食事を他のクルーよりも一足先に済ませる。

 

「テンカワさん、手際良いですね」

「うんうん、男の人だからどうなんだろう? って思ってたけど、私達よりも全然良いよね」

「ありがとう、そう言って貰えると素直に嬉しいよ」

 

 テーブルを囲み、俺の隣と正面に座ったサユリさんとミカコさんが言い、笑顔で応じる。

 サイゾウさんの指導の下で懸命に頑張った事が褒められたみたいで本当に嬉しかった。照れ臭くもあるけど。

 正直、この一年の生活と修行で料理人というのも悪くないと思っている。自分が作った料理を食べて喜んでくれるのは見ていて気持ちの良いものだ。

 もし仮に元の世界に戻れたとしたら、会社を辞めてこっちの世界で得たこの経験を活かすのも良いかもしれない。

 景気も回復傾向だったし……まあ、それでも苦労は大きいだろうけど。

 

「テンカワの筋は確かに良いね。雪谷食堂って言ったっけ、良い人に指導して貰ったんだな」

「はい、自慢の師匠ですよ」

 

 小さな店だったけど、この戦時でも客足は絶えず繁盛していた。

 実際、サイゾウさんの料理は美味い。元の世界でも行列のできる店ってのを幾つか巡ってみた事があるけど、そこ以上だと思う。……師匠贔屓なのかも知れないけど。

 

「そっか、私も会ってみたいもんだね」

「きっと向こうもホウメイさんのこと知ったらそう思いますよ。話も合うと思います」

「私も会ってみたいなぁ」

「どんな人なんだろうね?」

 

 食事の中、皆で和気藹々と話す。

 サイゾウさんの所では二人っきりだったから、こういうのは久しぶりなようで、また新鮮さがある。

 ……こうやって若い女の子(ホウメイさんを除く)に囲まれているせいかな? 新鮮さがあるのは。

 

「皆さんおはようございます。食事中のところすみません」

「ん? プロスの旦那じゃないか。おはようさん。だけど、まだ店は開いてないよ」

 

 唐突に俺以外の男性の声が聞こえ、入り口の方を見るとホウメイさんが答えたように赤いベストを着たプロスさんが居た。

 

「ははっ、分かっておりますよ。今ここを訪れたのは食事ではなく、テンカワさんにちょっとお話があったからです」

「俺に?」

「はい、お時間よろしいですか?」

「大丈夫です、場所は変えた方が良いですか?」

 

 言って席を立とうとする……が、

 

「いえ、そのままで構いません。食事をしたままで結構です」

 

 制されて俺は浮き上がらせた腰を下ろした。流石に食事は続けないが、

 

「それで話ってなんですか……?」

「はい、大変お願いし辛い事なのですが……」

 

 居住まいを正して尋ねると、プロスさんはやや眉を寄せて困ったような顔をして懐に手を入れる。

 一枚の紙を取り出してテーブルの上に置いた。

 

「唐突であり、契約三日目にしてこう申し出るのは非常に心苦しくなんなのですが、契約内容を変更して貰えないかと……」

 

 プロスさんの言葉を聞きながら俺はテーブルに置かれた紙を見る。ナデシコに乗る前に見た物と同じ物だ。つまりは契約書。しかし、

 

「……パイロットですか?」

「ええ、本業はコックのままであくまで予備ですが……テンカワさんはヤマダさんと違って軍の教育を受けておられた訳ではありませんし、素人ですからね。しかしこの地球では珍しくIFSを持っております」

「それは……」

「ええ、ええ、言われなくとも分かっています。貴方の居た火星では珍しいものではないという事は。ですが、だからこそお願いしたい訳でもありまして」

 

 抗議という訳ではなかったが、原作のように腰抜けパイロット扱いされるのではないかと一瞬感じ、何故か勝手に口が動いてプロスさんに宥められた。

 

「勿論、無理強いする積もりはありません。しかし出来れば引き受けて頂きたいというのが我が方の本音です。何しろ戦力は多い方が良いですから。ナデシコもそれだけ安全となりますしね。……今日行われる防衛ラインの突破の件もあります」

「……少し考える時間を頂けませんか?」

「はい、それは勿論。何分急なお話ですからねぇ。考える時間は必要でしょう。ではわたくしはこれで失礼いたします。色よい返事をお待ちしております、ハイ」

 

 プロスさんは一度頭を下げてから立ち去った。

 俺は契約書を手に取り、しばし見つめる。

 

「ほら、さっさと食べる。開店の時間になっちまうよ」

 

 ホウメイさんはそう言うが、その声は俺には向いておらず周りのホウメイガールズに向けられていた。

 顔を書面から上げると、どうやらサユリさん達は俺の方を見つめていたらしい。興味、好奇心的な目もあれば、心配げなものもあった。

 とりあえず俺も書類をしまい。朝食を片付ける事にする。

 先程まで和気藹々とした会話があったのに、言葉が少ない食事となってしまった。

 

 

 

「パイロット……か、どうしたものかな?」

 

 朝食を終えて食器を洗いながら呟いた。

 ふいにやって来たそのパイロットという選択肢を改めて考える。

 率直に言えば……やはり怖い。やりたくないという思いが強い。しかし戦艦に乗って戦場に赴く以上は危険な時はどこにいても危険だとも思う。だけどそれでもパイロットをするよりも、しない方がまだ安全だ。

 

「……」

 

 俺は死にたくはない。

 だからナデシコに乗った。一年前にそう考えて結論した。戦場に赴く船に乗るというその矛盾の選択が最も生きられる可能性が高かったから。

 人体実験だって恐ろしい。それを避ける為にナデシコに乗ってネルガルとの、そして来るであろうアカツキとの伝手を得る必要があると思った。

 

「やっぱり、パイロットもやるべきかも」

 

 そう、思った。

 ただコックをやるだけでは“弱い”気がしたからだ。ナデシコの中での立場的にも。ネルガルやアカツキの興味を引く意味でも。

 それに原作のアキトとアカツキはパイロットとして共に戦い、張り合う事で友情というべきなのか? 関係を深めていったように思う。

 そしてナデシコという環境だけでなく、アキトという友人なのかライバルなのか、そのように触れ合う事でアイツは変わったんじゃないだろうか?

 

「わからない」

 

 けれど、もしそうであるなら。俺は――

 

 

 

 

 朝の忙しい時間帯を乗り越えた後、俺はナデシコの総務統括者のプロスさんが仕事を行うその部屋を訪れた。

 

「そうですか、引き受けて下さいますか。いやぁ良かった。ありがとうございます」

 

 飾り気の少ないややこじんまりとした部屋の奥、ビジネスデスクに座って端末を広げて作業をしていたプロスさんは、俺の訪問と話に身振り手振りで大仰に喜びを表す。

 

「何分、このご時世ですからね。パイロットを引き抜くのは中々難儀なものでして。今ナデシコに居るヤマダさんを含めて僅か4人。それもパイロット養成校中途の候補生ばかりで。……いえ、勿論、候補生と言っても厳正な審査によって選抜(スカウト)した才能ある若者たちばかりです。サツキミドリに居られる3人は事実、実機によるテストで素晴らしいデータを毎日のように我が社に提供して頂いていますから。ええ……」

「はぁ…」

「と、いけませんな。こんな話をしてもテンカワさんは困惑されるだけですな。まあ、パイロットをスカウトするのはそれだけ大変だったと……愚痴のようなものです。いや、すみません」

「いえ……」

 

 軽く頭を下げるプロスさん。確かに話されてもどう返事をすればいいのか困る話ではあった。

 しかし、少し興味深くもあった。

 ガイもそうだが、やっぱりあの三人娘もパイロット養成校出なのか…中途という事は卒業前にスカウトしたという事なのだろう。

 で、リョーコ嬢を始めとした彼女たちはサツキミドリで実機テストをしていたと。

 しかしガイの場合は、ナデシコに来てから初めて実機に触れた様子だったが……原作第二話でアキトをサポートした姿を思うに、エステに関してそれなりに知識があるようであった。

 或いはシミュレーター訓練ばかりだったのかも知れない。そういえばアイツの異名には『シミュレータークラッシャー』なるものがあった筈。それで養成校では右に出る奴がいない程の腕前とかいう設定もあったような?

 ……あとでガイ本人に話を聞いてみるか。パイロットをやるなら参考になる事もあるだろうし。

 

「はい、結構です。これで契約の変更・更新は完了です」

 

 少し考え込んでいる間にプロスさんは提出した契約書の確認を終えたらしい。

 

「しかし、本当にありがたいです。これでもテンカワさんには期待していますから」

「え? そうなんですか?」

「ええ、でなかったらパイロットに勧誘したりは致しません」

 

 プロスさんの意外な言葉に驚き、お世辞かとも思ったがプロスさんは真面目にそれを否定した。

 

「……でも、俺は素人ですよ。エステで何とか戦えたのだってゲームでやった事を真似しただけで」

「ほほう! ゲームで……それはIFS対応の?」

「はい、そう……ですけど……」

 

 眼鏡の奥にあったプロスさんの眼が光ったように見えた。如何にも興味ありげに。

 俺、何か変わったこと言っただろうか?

 

「なるほど、テンカワさん、貴方は“アドバンスド・チルドレン”という言葉をご存知ですか?」

「え、え……いや……」

 

 その言葉って…聞き覚えがあるってものじゃないぞ。思い掛けない言葉の登場に俺は驚く以上に困惑してしまった。

 

「ふむ……ご存じないですか。アドバンスド・チルドレンというのはコンピュータゲームに慣れた結果、高い機動兵器適正などを持つ事になった人を指す言葉です。ゲームに関連してという訳ではないのですが、どうもこの言葉の語源は昔あったとあるコンピュータゲームから来ているらしいのですが……まあ、この際それは関係ないので捨て置くとして」

 

 いやいやいや、関係ないって言われても俺はびっくりですよ、プロスさん! まさかそんな言葉を聞くとは思ってなかったし。

 

「言うなれば、数世紀前から発達し続けたコンピュータゲームが極めて現実に近づいた影響というべきですね。架空に過ぎなかったそれが、リアリティのある環境と操作性を再現できるようになったが為に、ゲームで培った経験と技術を実際にある戦闘機などの操縦に適応できるようになった訳ですねぇ」

 

 いやはや、技術の進歩の凄まじさを感じさせる話です、などと感心したように言うプロスさん。

 

「そういった事もあってゲーム大会……特に航空機ものやレーシングカーなどで高い成績を収められた方はその手のプロにスカウトされる事があります。勿論、皆が皆という訳ではありません。特に軍の兵器を扱うとなると精神も肉体も健全で屈強なものが必要ですし、他にも例えば対G適性や平衡感覚などが求められます。3Dゴーグル、ヘッドマウントディスプレイなどVR技術はありますが、それだけでは未だそれらはどうにも出来ませんから。それに基本的にゲームオタクというのは……――」

 

 実に饒舌に話すプロスさん、もしかするとそこからもパイロット候補を探したのかも知れない。

 

「――にしても、テンカワさんがそうだとは。私も実例は初めて見ましたが……であれば納得です、訓練もなく初陣であれだけ戦えたのも。いやぁ、居る所には本当に居るものなのですなぁ。火星出身でIFSに慣れておられる事も関係しているのでしょうが」

 

 腕を組んで俺を見てうん、うんと頷くプロスさん。

 褒めているし、感心しているのは分かるが、何処となく珍獣扱いされているようにも思える。

 不快感を覚えるほどではないが、少し居心地が悪い。

 

「……おっと、些か不躾でしたね。すみませんな。ともかく契約は完了です。テンカワさん、改めてお願い致します」

「はい、こちらこそよろしくお願いします」

 

 俺の態度に気付いたらしい、プロスさんは謝罪をし、手を出して握手を求めたので、俺も手を出して軽く頭を下げた。

 

 これで俺はパイロットになった。原作の彼と同じでコックを兼務でという扱いで。

 

 

 

 

 プロスさんの仕事部屋を出て厨房に戻ろうとしたが、

 

「……」

「ルリちゃん……?」

 

 部屋の前には待ち構えるかのようにして小柄な少女の姿があった。

 

「えっと、何か用かな?」

「……」

 

 ルリちゃんは俺の呼びかけに答えず、無表情で俺の傍に近づくと無言のまま俺の手を取って、

 

「ルリちゃん?」

「……」

 

 再度呼びかけるが答えはない。グイグイとこの前のユリカ嬢のように俺を引っ張って前へ前へと通路を進んで行く。

 途中でやはりこの前のように通り掛かるクルーに訝しげな視線を向けられたが、俺はともかく、ルリちゃんは意に返した様子もなく歩く。

 そうして、

 

「アキトさん」

 

 ルリちゃんの部屋へと入って、ようやく口を開いてくれた。

 

「パイロットになったんですね」

「ああ、うん……」

 

 問い掛けに頷くが、ルリちゃんはどうしてか悲しげだ。

 

「どうしてですか?」

「え?」

「どうしてパイロットになんてなったんですか? アキトさんはコックで。戦う必要なんて、ヤマダさんがいて、サツキミドリにはリョーコさん、ヒカルさん、イズミさんもいるのに……防衛ラインも戦う事なく抜けられるのに、前回のように戦う必要なんてないのに」

 

 寂しげな声、とてもとても辛そうな声だ。

 

「なのに――どうして? どうしてですか?」

「……ルリちゃん」

 

 俯いて言う彼女の言葉に直ぐには答えられなかった。けど、ルリちゃんがどうしてこんなにも悲しげか、寂しげか、辛そうなのかは分かった。

 悲しいのは俺がパイロットになった為で、寂しげなのは相談も無しに決めた為で、辛そうなのは俺が戦って傷付いて……死ぬかも知れないからだ。

 

「――、」

 

 ゴメン……と言いそうになって口を噤んだ。軽々しく謝ってはいけないと思った。

 だったら伝えるしかない。

 

「それが必要だと思ったから」

「……」

「ナデシコに乗っている以上、危険な時はどこにいても危険だと思ったから」

「だからって……」

「うん、分かってるよ。敢えてより危険なパイロットになる事もないっていうのは」

 

 話し始めた事で俯いていた顔をルリちゃんは上げる。

 

「でも、未来を変える為にはパイロットになる必要があるって考えたんだ。ネルガルが俺に興味を持つのは避けられない。その時にパイロットだった方がきっと価値がある。そしてアイツ……アカツキの奴が俺に突っ掛かるのにも、パイロットだっていう事が重要だと思うんだ」

 

 顔を上げるルリちゃんを……その金色の瞳を真っ直ぐ見詰めて話した。

 

「……アキトさんが何を考えているかは大体分かりました」

 

 聡明なルリちゃんは俺の言葉から色々と察してくれたようだ、けど俺から目を逸らして、また俯く。

 

「でも、それでも……私は……」

 

 視線を逸らして、俺の眼から逃れながらもルリちゃんは言う。

 

「……アキトさん、分かっているんですか。前回は……貴方の記録では大丈夫だったかも知れませんが、そんな保証はないんですよ! パイロットとして戦って無事であるなんて保証は! 実際にこの前のサセボの時は、ナデシコがあと少し、ほんの少しでも遅れていたら死んでいたかも知れなかった!」

 

 俯いてギュッと拳を握って振り絞るかのようにして言葉を出す。

 

「あの時、私がどんな思いだったか! アキトさんが地上に出た時、……バッタやジョロに囲まれて、銃撃がアキトさんのエステバリスに向く度に、ミサイルが撃たれる度に、私がどんな……どんな思いをしたか……」

「……ルリちゃん」

 

 言葉を振り絞りながらルリちゃんは肩を震わせる。

 

「私はアキトさんに戦って欲しくありません。傷付いて……死んで欲しくありません。そんな事になったら、私は……私は……」

 

 涙を流してはいなかった。けど泣き出しそうな潤んだ声だった。

 思わず手が動いた。ルリちゃんの震える肩に手が伸びて、抱きしめるように置きそうになり、

 

「――……!」

 

 気付いて手を止めた。そんな資格が俺にある訳がない。彼女を宥め、落ち着かせる為であっても……それは……それは――違う。俺の役割じゃない。俺は……“彼”じゃないのだから。

 

「ルリちゃん」

 

 だからせめて声で、言葉で何とかしよう。

 

「分かってる……なんて言えない。絶対に死なないなんて事も軽々しく言う積もりはない。けど、けどさ」

 

 優しく言う。ルリちゃんの気持ちが全部分からないように、俺の気持ちも分かって貰えるかは分からないけど、伝わるように確りと。

 

「俺は頑張るから。この前言ったように未来を変える為に頑張る。それしか言えないけど、俺はあの時にルリちゃんに頑張りましょうって言って貰えて嬉しかったから、だから頑張りたいんだ。未来を変える為に、より良い将来ってのを手にする為に――ルリちゃん、君と一緒に頑張りたいんだ」

「……あ、」

 

 ルリちゃんは顔を上げた。上げてくれた。目は潤んでいたし、肩も少しまだ震えていた。それでも、

 

「勝手な事を言ってるのかも知れないけど、これが俺の気持ちだ。パイロットになるのだって頑張って未来を変えようと思ったから」

 

 悲しそうでも、寂しそうでも、辛そうでもなかった。ただちょっと驚いたような顔だ。

 

「アキトさん、それちょっと矛盾してますよ。一緒に頑張ろうとか言って。本当に勝手です。相談もなく勝手にパイロットになる事を決めているんですから」

 

 ルリちゃんは笑った。驚いた顔から少し可笑しそうに。

 

「でも……そうですね。アキトさんらしいです。考え無しでそうやって何時も無茶をして」

 

 泣き出しそうだった瞳も声も引っ込んでくすくすと笑う。

 

「分かりました。アキトさんの勝手と無茶に付き合います。戦って欲しくない、パイロットを続けて欲しくないって、私のこの勝手な気持ちも変わりませんけど……ええ、思えば私がパイロットをやって欲しくないっていうのも、身勝手な考えでした。ふふ、そうですね。アキトさん、そうやって勝手な私達同士で頑張って行きましょう」

 

 そう、笑顔で言った。

 まるで秋口に夜空に見える涼やかな月の輝きを思わせるような、野原にひっそりと咲く白い花のような、見る者の心を優しく照らしてくれ、穏やかにさせてくれる笑顔だった。

 

「――うん、ルリちゃん、頑張ろうな」

 

 それに俺も笑顔を返した。

 

 そう、“テンカワアキト”に向けるルリちゃんの笑顔に……何とかぎこちなく返す事が出来た。

 

 俺とルリちゃんは未来を変える事をそうして改めて決意して誓った。

 

 




 今回も話が進まず防衛ラインの話に出来ませんでした。

アドバンスド・チルドレンは半分はネタな感じです。そういう事もあるんじゃないかな?と言う思いで書きました。

 それにしてもルリちゃんのヒロイン力がやっぱり強いです。逆行者にした為でもあるのですが。
 ユリカさんにも上手い役割を渡したい所です。しかししばらくは難しいかも知れません。次回辺りも色々とルリちゃんは動くと思いますので。



 日刊ランキング入ったと思ったら今朝起きてまた見てびっくりしました。まさかの一位。寝ぼけ眼が一瞬にして目が覚めましたよ。
 幾らなんでも皆さんナデシコ好き過ぎでしょう(大歓喜、誉め言葉)
 もう本当にありがとうございます。前回のあとがきでも言いましたが、頑張って連載を続けていこうと思います!



 それとSERIO様も誤字報告ありがとうございます。


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第七話―――突破

 微笑むルリちゃん。しかし話をして気になったのでそれを尋ねる。

 

「そういえば、どうして俺がパイロットになった事が分かったの?」

「え……?」

 

 笑顔だったルリちゃんの顔が引き攣ったように固まる。

 ……それに予感するものを覚える。以前も感じた物を。

 

「……ルリちゃん、もしかして」

「ご、誤解です! た、偶々です! 今朝はアキトさんが大丈夫かと思って……昨日のようにまたヤマダさんに付き合わされたんじゃないかと思って……」

 

 疑惑が籠った俺の言葉にルリちゃんは手を振り、首を振りと否定する。これまた何時になくらしくない様子だ。

 

「そ、それで心配になって食堂を覗いていたら、プロスペクターさんとの話を聞いてしまって……で、ですから偶々なんです」

「……」

 

 慌てた様子に余計に疑わしく思う……けど、

 

「そっか。心配してくれてありがとう。パイロットの事も、さ」

 

 ルリちゃんが進んで覗きなんて事をする訳がないので、心配してくれた事にお礼を言った。

 二次創作とは違うし、小説版のようにルリちゃん視点を補う為っていうメタ的な事情がある訳でもないのだ。

 この子はナデシコの主要クルーの中でも数少ない常識人なんだし。

 

「い、いえ……」

 

 ルリちゃんはまた俯くが、さっきまでと違って今度は照れ隠しのようだ。

 

「そ、それよりもアキトさん」

 

 顔を上げるルリちゃん、若干照れが残っているのか、少しどもっていたけど真剣な声色だ。

 

「……例の痛い腹の件なんですけど」

「ああ」

 

 真面目な声に俺も気を引き締めてルリちゃんに向き直る。

 

「さっき言ってたよね。防衛ラインを戦わずに抜けられるって」

「はい、連合軍の現主流派――要職に就く高官達……制服、背広組を問わずに色々と掴みました。探ればとても痛む部分を。反ネルガル勢力との関係を中心に」

 

 無表情だが、何処か暗さを感じさせる眼をしてルリちゃんは答えた。

 

「ミスマル提督とムネタケ元副提督にナデシコ捕縛という不可解な指示を参謀部が出し、今もナデシコとネルガルに敵意を煽っている動きも」

「……」

 

 暗い瞳を見せるルリちゃんが心配で気になるけど、少し考える。

 掴んだという情報の詳細は俺が知っても余り意味はないだろう。とりあえずクリムゾンの連中が扇動している事が確かだって知れただけで良い。

 狙いはナデシコ……正確には相転移エンジンを始めとしたオーバーテクノロジーであって、それら新技術によるネルガルの市場拡大、躍進の阻止という事で。

 他にも火星行きの事や、その火星の遺跡……古代先史文明の事も色々とありそうだが、今は考えるだけ無駄だろう。軍の派閥やポスト争いも絡んでそうな気もするが……それこそ関係ないな。

 

「それで強請りネタだけど、どう使う積もりなの?」

「先ず、ある程度スキャンダルとなる情報を、ネルガルの影響の強いアジア圏のマスメディアを中心にリークします」

「うん」

「これは一種の牽制、見せしめでもあります。スキャンダルが流れた事で連合軍の現主流派は混乱する筈です。そのスキャンダルへの対応と保身もあってナデシコやネルガルに構っている余裕はかなり減ると思います」

 

 淡々とルリちゃんは言う。

 

「そこに匿名でアカツキさん達……ネルガル経営陣へ、それらスキャンダルのものを含めたクリムゾン他、関連企業と連合軍の癒着などを示す情報を送ります。あとはアカツキさん次第……とお任せする事になりますが、ネルガルはこの機会を逃さない筈です」

「なるほど、ナデシコの火星行きとかの……スキャパレリ・プロジェクトは現ネルガルの最優先事業。その障害となっている連合の横槍を払拭できる機会が飛び込んで来たら嫌でも飛び付くよな」

「はい、タイミングの良さに多少違和感は持たれるでしょうが、クリムゾンの影響力を削ぐ機会でもありますから、必ずアカツキさんは乗る筈です」

「……うーん、流石だなぁ」

 

 感心した。てっきりプロスさんを通じて持ち掛けると思ったけど、あくまで間接的役割に徹して直接的な事は他に任せるとは……これなら変に怪しまれる事は無い。

 ルリちゃんがクリムゾンと軍に探りを入れた事とその理由を俺以外に話さずにすむのだ。それこそ俺達の痛くもない腹を探られるのを避けられる。

 

「……凄いな、ルリちゃんは」

 

 分かっていた事だけど、改めてそう思う。こう思慮深くできることが。考えなんてあるようでない俺とは全然違う。

 

「いえ……そんな事ありませんよ。私は情報を調べただけで具体策の実行は結局、人任せなんですから。それに必ずとは言いましたがアカツキさんが実際そう動くかは分かりませんし、軍も応じるかは確実とは言えませんから」

 

 ルリちゃんは謙遜するがそこには不安は見えない。自信があるという事だ。

 

「ですから一応、次善策の準備も必要ですね」

「ん、その場合は停止コードを使うの?」

「はい、ダメでしたらこっちを使います。出来れば取って置きたいというぐらいものですし」

 

 使う場合、その後の事はルリちゃんなりに考えがあるという事だろうか? それとも――尋ねようとしたが、電子音が鳴り響いた。俺のコミュニケから。

 

「あ、やば」

 

 心当たりがあって少し焦る。ホウメイさんからだろう。プロスさんの所からとっくに戻っていい時間の筈だ。

 しかし出ようにもルリちゃんの部屋でウィンドウを開くのは躊躇われる。SOUND ONLYで受けるというのもアリだが、変に思われそうだ。

 

「行って下さい。今話すべきことは大体話しましたから」

「わ、分かった」

 

 電子音の鳴る意味を察したらしいルリちゃんの言葉に頷いて、部屋から出よう……と、

 

「ルリちゃん」

「はい……?」

 

 足を止めた。背を向けた彼女の方へ振り返って不思議そうに首を傾げるルリちゃんに、

 

「大変な事を任せてゴメンな。なんか辛かったんだろ。なのに頑張ってくれて、ありがとう」

 

 さっきの暗い瞳を思い出してそうお礼を告げた。今一つどんな苦労をしたかは分からないから、確りとした言葉には出来なかったけど、感謝した。

 

「はい……! どう致しまして……」

 

 感謝の言葉にルリちゃんは嬉しそうに笑ってくれた。うん、言って良かったと思った。それぐらいしか言えないのが情けなくも感じたが。

 

「ほんと俺も頑張らないとな」

 

 だからそうも思った。

 

 

 

 

 アキトさんが部屋を後にする。扉が閉まる直前、足早になっているのが見えた。少し慌てているようだ。ホウメイさんに怒られると焦っているのだろう。

 そう思うと、部屋に連れ込んだのは悪かったかな? と少し後悔してしまう。けど、やっぱり早く話せて良かったとも思う。

 

「どのみち自制は利かなかったでしょうし」

 

 自覚はあった。昔と比べると感情の抑えがないというのは。

 ただ、それが良い事だというのは分かる。勿論、その限りではない事もあるけど、悪い事ではないのだ。

 

「でも、この頃の私がこんな私を見たらどう思うでしょうね」

 

 ふとそんなことを思う。

 きっと、バカだと言っただろう。大人にはなりたくないとも。

 

「ふふ」

 

 思わず笑い声が零れた。

 

「そうですよ、私もバカなんですから。そしてずっと子供ではいられないんですから」

 

 そう、脳裏に浮かんだ昔の私に向かって答えた。今にして思うともっと早くにそれに気づけば良かった。

 私もナデシコの皆と同じだって、そして成長して彼等のような大人にならなくてはならない事を。そうすれば――

 

「いえ、それでよかったのかも知れない。もし気付くのが早くて、早く大人になってしまったら――」

 

 思い直す。でなければ、

 

「――この想いは」

 

 この想いはきっと今は無かっただろう。

 リョーコさんやイネスさんやエリナさんのように、前回のナデシコ最後の航海の日に敵わないんだって引き下がっていた。

 

 ――あの人は、ユリカさんを好きなんだって。

 

 でも、気付くのが遅かったから、私がまだ子供だったから、そのお蔭でこの想いは今もあるのだ……きっと。

 

「だから今、“この時”に来て想っていられる。心から素直に、誰にも気兼ねなく――アキトさんを」

 

 名前を出した事で今ほど部屋を後にした彼の事を思い出して、さっきまでのやり取りも思い出される。

 頬が熱くなるのを自覚する。今までの人生……前の私の19年と今の私の11年の記憶の中でも感じた事がないくらいに。

 同じ記憶が重なっているというのも変な感じだけど、ともかく……頬がとても熱い。

 

『より良い将来ってのを手にする為に――ルリちゃん、君と一緒に頑張りたいんだ』

 

 思い出される言葉。何度も何度も脳裏に繰り返されて……いえ、繰り返してしまう。

 

「まるでプロポーズですよ、アキトさん」

 

 反則だった。あんなことを言われたら怒れなくなる。惚れた弱みという奴なのかも知れない。

 アキトさんにそんな積もりはないのは分かっているけど、それでもそう考えてしまって、心が浮き立つというか、今なら空さえ飛べそうな気がしてしまう。

 

「……まったく、ユリカさんの事を呆れられませんね、私も」

 

 艦長が妄想しておかしな行動を取る気持ちが分かってしまう。

 

「でも……嫌ではないんですよね」

 

 そんな妄想に捉われる自分が。

 もし本当にプロポーズの言葉だったらと、そしてもっといい雰囲気の場所だったらと、そして何時か見たユリカさんが立った位置に私が…成長した私が純白のドレスを着て薄い白いヴェールをかぶって、その位置に立って教会で――

 

「――ッ!!」

 

 途端、妄想の世界から引き戻された。小さく電子音が鳴り響いたのだ。さっきのアキトさんのように私のコミュニケから。

 私はまだ頭の中に名残のように焼き付いている妄想を振り払う為に、頭を軽く振って、少し惜しくも思いながらその電子音に応えた。

 

『ルリちゃん、どこに居るの? ……もしかしてお部屋? あ、顔が赤いけど体調が悪いの?』

「違います。大丈夫です。……今ブリッジに戻ります」

 

 目の前に広がったウィンドウに映ったメグミさんは、怪訝そうな顔をしていたけど、私の顔を見るなり心配そうな顔をした。

 

『……そう? 無理してない? 艦長とプロスさん達がなにか大事な話があるみたいだけど、無理そうなら――』

「――いえ、問題ありません。直ぐに戻ります」

『……うん、ならそう伝えておくね』

 

 まだ少し心配そうだったけどメグミさんは頷くと通信を切った。ウィンドウが閉じるのと同時に私は息を大きく吐いた。

 頬の熱さと火照った身体を冷ますように。

 

「ほんと、艦長の事を言えませんね」

 

 部屋を後にし、ブリッジへと足早に移動しながら羞恥と共にそう呟いた。

 

 

 

 

 ホウメイさんに謝りながら厨房に入る。

 

「すみません、ちょっと道草食ってしまって」

「……まあ、いいさ。パイロットをやるんだ。決めたって言っても色々と思い悩む所はあるだろうし、大目に見るよ」

「すみません、ありがとうございます」

 

 寛大さを見せるホウメイさんに謝罪と感謝して頭を下げ、仕事に取り掛かる。ホウメイガールズの皆にも軽く頭を下げて遅れた事を謝る。

 彼女達も笑って許してくれた。

 

 そうしてしばらく……包丁を振るい、鍋を振るいとホウメイさんの指示を受けて昼に備えていたのだが、

 

「アーキートー!」

「ん、艦長!? どうした……って、もうこんな時間か。また忙しくなるな」

 

 何時の間にか背後に居たユリカに驚いたが、壁に掛った時計を見て納得する。12時を指していた。

 そういえばさっきホウメイさんが直に昼になるよ! って言ってな。料理を作るのに熱中し過ぎていた。

 

「むう、艦長じゃなくてユリカって呼んでよ」

「……朝も言っただろ、プライベートならまだしも仕事中や他のクルーの目があるところじゃ気軽にそう呼べないって」

「私は気にしないのに」

「公私の区別を付けろって、もう二十歳の大人で、この船の艦長なんだろ」

「むー」

 

 尤もな指摘の積りだが、不満そうにするユリカ嬢。

 朝食の時間帯、その時にもこんなやり取りをしていた。……とっとと、危ね。余所見をしていたらフライパンから中身が飛び出すところだった。

 

「うわぁ、美味しそうだね。アキトの料理」

「ん、じゃあこれにするか」

「うん!」

 

 フライパンの中身を見て、不満顔はどこへ行ったのやら嬉しそうに頷くユリカ嬢。

 

「じゃあ、少し待っててくれ――ホウメイさん、注文入りましたー!」

「あいよ!」

「艦長、出来たら持って行くから席に戻って――」

「――ここで見ていたい」

「え?」

 

 唐突な言葉に思わず彼女の方を見る。

 

「アキトが料理する姿を見ていたい。駄目かな?」

「……いや、此処は厨房だし、今は昼時だし、それは……」

 

 無邪気な子供っぽさも感じさせる表情と声色だが、真剣な様子でもある。断りづらい感じだ。

 

「良いんじゃないかい。邪魔をしないってんなら。厨房の隅ぐらいのスペースなら貸すよ」

「ホウメイさん」

「良いんですか! やったー!!」

 

 両手を上げて万歳をするように喜びを表すユリカ嬢。ほんと無邪気だ。大人とは思えないぐらいに。しかしその仕草や笑顔は彼女らしく非常に似合っている。

 

「……本当に良いんですか、アイツをあんまり甘やかすと大変なことになるかも知れませんよ。昨日だって……」

 

 しかし、不安もあってこっそりとホウメイさんの傍に顔を寄せて言う。

 

「アンタも心配性だね。大丈夫だろうさ。時々勢い余って暴走するようだけど、艦長はアンタに迷惑を掛ける事はしないだろうさ。昨日のアレだって元はアンタを心配しての事なんだ」

「……」

 

 ……確かにユリカ嬢は勢い余って暴走したり、我儘を言う事はあるが、基本的にアキトに対して本当の意味で迷惑が掛かるような事はしない。オモイカネの反抗期などの余程の事情がない限りは。また料理の事も別として。

 戦後、アキトのアパートに押し掛けたという事も、結果的には屋台を引くアキトの助けになっていた。

 

 漫画版は色々と不幸を呼んでいたようだが、TV版はあっちのユリカ嬢ほど考え無しじゃない。二次創作などでそう言った印象が強まってしまったが……原作では追い掛け回しても(それ自体迷惑かも知れないが)、進んでアキトへ負担が掛かるような事はしていない。

 或いはメグミ嬢がいなかったら……早々二人はくっ付いていたんじゃないだろうか? 変に争った所為で暴走していたような……そんな気もしてくる。あともう少しアキトも変に優柔不断な態度を取らず、ユリカ嬢と向き合っていれば……。

 

「うーーん」

「ま、いざとなったらアンタが手綱を引いてやれば良い。多分、艦長はアンタの言う事なら素直に聞くだろうからさ」

 

 原作のユリカ嬢などの事を思い浮かべて考え込んでいると、ホウメイさんに肩を叩かれた。

 

「それじゃ、しっかりな」

「……」

 

 ホウメイさんはホウメイさんの仕事に戻っても俺は考え込み――

 

「アキトー、料理しないのー?」

 

 と、ユリカ嬢がフライパンを指さしながら言ったので仕事に戻った。ホウメイさんが許可した以上仕方がないと、ユリカ嬢の視線を受けて料理する事を甘受した。

 

 その後もユリカ嬢は一度俺の作った料理を食べに食堂のテーブルに戻ったが、食べ終わると厨房の隅へ戻って俺の姿を見続けた。

 常に笑顔だったので楽しいのか? と一度尋ねたら、「うん!!」と大きく頷いた。

 

 そうして仕事に掛かりきりで、ユリカ嬢は俺と話す事は出来なかったのだが、

 

「あ、もうこんな時間だ。じゃあね! アキト! カッコ良かったよ!」

 

 などと笑顔で大きく手を振りながら満足げな様子で食堂を後にした。休憩時間が終わり、彼女も勤務に戻ったのだ。

 何となくあっけに取られていた、そんな俺に、

 

「愛されているじゃないか。男冥利に尽きるね、テンカワ」

 

 などとホウメイさんは言った。

 俺はそれになんて返せばいいか、言葉に迷ってしまった。そんな俺を見てホウメイさんは笑うだけだった。

 

 

 

 

 ミスマル・ユリカは、本当はこの休憩時間をアキトと一緒に食事をしながら楽しくお喋りする積もりだった。

 勿論、彼がコックだという事は分かっている。しかし少しぐらいは時間が取れると、艦長の自分がお願いすれば料理長のホウメイさんも融通してくれるだろうと考えていた。

 けど、

 

「アキト、頑張っているんだぁ」

 

 フライパンを振るう彼の姿を見て、その考えは何処かに行ってしまった。料理をする彼の姿を見てみたいと思ってしまったのだ。

 それに深い考えはこれと言ってない。ただ直感的に何となくそう思っただけ。

 しかし、その勘は正解だった。

 恐らく一緒に食事を取る時間など忙しい昼時に取れなかったし、ホウメイの許しも出なかっただろう。だからユリカの選択は正しかった。

 愛しい彼と充実した時間を過ごせたのだから。

 

「かっこ良かったなぁ……凄く一生懸命で……」

 

 その姿を思い浮かべる。

 10年という月日を経て見る彼は、彼女同様に大人になりつつあり、その姿は思い出の中にある彼とは全然違っていた。勿論、面影はある。

 大きな身体、大きな手、声だって男らしくなっていた。だから月日の流れを感じるし、昔の彼とは違うのだとも感じる。

 けれど、

 

「やっぱりアキトは私の王子様だ」

 

 もっと好きになった。昔の面影がある今の違う姿の彼を。

 恋は盲目というべきか、ユリカは大人の身体つきを持った青年に差し掛かった少年の…真剣で一生懸命に料理に打ち込む姿に、昔の彼に向けていたものと変わらないくらいの…或いはそれ以上の大きさの感情を抱いた。

 

「うん、やっぱり大好き! アキト!」

 

 通路を歩き、誰かの目に留まり、耳に入るかも知れないのに恥じる事無く、堂々とユリカは言う。

 

 ただこれは……果たして本当に10年前に途切れた物の続きであるのか、或いは……ミスマル・ユリカ、彼女にとって実の所……それは、

 

 ――10年ぶりの恋と言えるのではないだろうか?

 

 

 

 

「えー、皆さん。先日……ミスマル提督の率いる連合軍の部隊を振り切った際、宇宙へ上がる為に地球を守る7つの防衛ラインを突破するというのが本日の予定でしたが――中止となりました」

 

 プロスペクターさんが言う。その言葉にブリッジに居るメンバーはともかく、艦内放送で見て聞いている他の部署で働いているクルーの中には驚いている人もいるだろう。

 

「ですが、宇宙へ上がる予定には変更はありません。艦長」

「はい。当艦、機動戦艦ナデシコは予定通り宇宙へと上がり、月の反対側にあるネルガル保有の宇宙コロニー『サツキミドリ』へと向かいます。この際、危惧された連合軍の妨害と障害となる防衛ラインですが、地球連合軍参謀本部はナデシコの火星行きを容認し、防衛ラインの通過の許可をしました。皆さん大手を振ってナデシコは……私たちは火星へ行ける訳です」

 

 プロスペクターさんから引き継いでユリカさんが説明を行う。

 

「今から30分後より、それから15分間のみビッグバリアを一部解除するそうです。ですのでクルーの皆さんは30分以内に所定の配置に就いて下さい。またそれまでの間、ご家族、親類等への連絡も許可します。される方はコミュニケを通じてブリッジ宛に取りたい連絡先を書いたメールを送信して下さい。返信のメールが送られます。そのメールに書かれたアドレスを通じて外部へのメール及び電話が可能となっています。詳しい方法はメール内容を読んで頂ければ分かりますので。……以上です。――あ、機密……じゃなかった社内秘は守って下さいね。破ったらもの凄い罰則が降っちゃいますから。今度こそ以上です」

 

 艦長らしいキリッとした姿だったのに最後の方は若干締まらなかったけれど、ユリカさんの説明は難なく終わった。

 私は密かにホッと安堵する。アカツキさんはどうやら上手く動いてくれたらしい事に。

 ブリッジに戻って他のクルー達よりも一足先にプロスペクターさんから大事な話というのをされて、連合軍と話が付いた事は聞かされていた。

 ま、そうなるように、アキトさんと話しをするよりも前に例の情報はとっくに送っておいたのだ。

 とはいえ、それから僅か数時間と随分と早い動きでしたが、

 

「……流石というべきなのでしょうか?」

 

 油断ならないアカツキさんはもとより、優秀な秘書であるエリナさんの顔を思い浮かべる。

 とにかくこれで目的は達成。今回は連合軍とむやみに対峙する事は避けられそう。連合の主流派も入れ替わってナデシコの立場も前回よりも優遇される筈。ただネルガルの権勢が連合内部で強まる事がどういった影響を齎すかが心配だけど。

 

「地球へ戻った後、今度はそちらを調べる必要がありますね」

 

 と、そう考えている間にブリッジ宛のメールが送られてくる。メールは私とメグミさんに振り分けられ、対応する事になっている。

 

「さて、お仕事、お仕事……です」

 

 考え事を一旦保留にして取り掛かる。通信士としての能力よりも士気の事を考えてスカウトされた声優のメグミさんでは対応できない部分もあるだろうから、そのフォローも必要になる。

 考え事をしながら処理する余裕はないだろう。集中しなくては。

 

 

 

 

 放送を見て、無事にルリちゃんの策が功を奏したらしい事を知って安堵の息を吐いた。

 パイロットになる事を決めたとはいえ、戦闘はやはり怖い。避けられるのならそれに越した事は無かった。

 ましてやデルフィニウムは有人兵器だ。脱出装置があるとはいえ、必ずしもという訳ではないだろう。

 

「外へ連絡できるって言ってたな」

 

 ユリカ嬢の説明内容を反芻する。

 サイゾウさんにやっぱり連絡を入れておくべきだよな。心配しているかも知れないし……別れる時も気に掛けてくれてたし。

 

 そう考えると俺はブリッジにメールを送って、返信メールに従ってサイゾウさんにメールを送った。

 戦艦に乗っている事を教えると余計に心配を掛けそうだから、新しい職場が見つかった事と元気でやっている旨を伝えておいた。あと暫くは連絡が取れない事も。

 

「……そういえば、宇宙へ出るんだよな」

 

 メールを送った後、連絡を取れない理由に……それがふと過った。

 元の世界では信じられない話だ。なんの変哲もない一般人である俺が宇宙へ出るだなんて。

 よくよく考えるとこれはすごい事なのではないだろうか? いや、今更なのかもしれないけど……こうして空飛ぶ戦艦に乗って、エステ……ロボットに乗って戦っているんだし。

 

「……ほんと、今更だ」

 

 とんでもない世界に来たものだと思う。二次元だと思っていた事が今は現実なのだ。色々と不安はある世界だが……それでもワクワクめいた感情が出るのは止められなかった。

 ルリちゃんという心強い協力者のお蔭で多少余裕が生まれたからだろうか? ……違う気もするが、そんな気もする。

 我が事ながら今一つ自分の感情が分からない。と、コミュニケに通信が入った。

 

「テンカワ」

「ゴートさん? どうしました?」

 

 珍しい相手からの通信で少し驚く。ただ頭の隅でこのコミュニケってのも凄いよな……とこれまた今更ながらに思っていたが。

 

「予め連絡を入れておくべきだったが……忘れていた」

「え?」

「パイロットスーツに着替えてエステバリスのコックピットで待機してくれ。軍と話がついたと言っても万が一の事もある」

「あ、はい! 分かりました」

「すまんな、こんな事は二度とないように気を付ける。では頼む」

 

 一瞬何を言っているか理解できなかったが頷くと、ゴートさんは連絡が遅れたことを謝ってから通信を切った。

 

「ホウメイさん」

「ああ、アタシのとこにも今連絡が入った。こっちは大丈夫だ。行ってきな」

「はい、すみません」

「謝る必要はないよ。仕事なんだから」

 

 ホウメイさんは快活に言うが、俺はそれでも頭を下げてから食堂を出た。

 

 




 ようやく防衛ライン…しかし戦闘にはなっておらず…です。

 ユリカさんの印象については、本文にもあったように本当の意味でアキトを困らせた事は殆どないんじゃないかな?と考えてアキト(偽)は思い直してます。
 あと今回でユリカさんの役回りが見えてきたような気がしてます。


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第八話―――交戦

 20分後、ナデシコは既に成層圏を突破し、それよりも遥か上空。高度200km。第四防衛ラインの範囲に到達。

 前回のように地表からミサイルを撃ち込まれる事は無く、順調に核パルスエンジンの推力と重力制御の推進力で上昇を続けている。

 

「ほ……」

 

 気付くと小さく溜息が零れていた。

 自分のやった事が確かな形となったのを感じられ、改めて安堵を覚えたらしい。

 

「順調、順調ですな。無駄な交戦を避けられて、艦の損害は無く、経費も掛からない。……いや、結構な事です。先日の一件でどうなるかと思いましたが、連合軍の方々が物分かり良い人達で助かりますなぁ。……今の時代に地球人類同士で相争うなど、全くもって不経済、不利益にしかならない訳ですし」

 

 プロスペクターさんはニコニコとした、何時ものいかにも商売人と言った笑顔でそんなことを言う。

 ネルガル本社からどんな説明をされたかは分からないけど、連合軍との戦闘が回避できたという事よりも出費が避けられた事が嬉しい様子。

 ……実にこの人らしいです。思わず笑みが零れる。

 

「……ルリちゃん、笑った?」

「はい」

 

 何時か聞いたセリフを言った操舵士のミナトさんに、嘗てのその時と違って素直に頷いた。

 

「やっぱり可愛いわね。ふふ……ルリちゃん、覚えておきなさい。笑顔は女の武器よ」

「はぁ……?」

 

 可愛いと褒められるのは少し嬉しいのですけど、何の脈絡もなく……いえ、ミナトさんにとってはそうでないのかも知れないけど、唐突な言葉に私はどう答えて良いのか……?

 

「……ふふ、“ルリルリ”はいっつも無表情だから、お姉さんは心配だったんだぁ。でもそうやって笑えるようで安心したわ。ルリルリも女の子になれるんだって」

 

 前回ではもっと後で言った私の愛称を口にしながら、ミナトさんは嬉しそうに笑う。……その大人な女性であるミナトさんの笑顔こそ武器なような気がする。

 脈絡のない台詞だったけど、どうやらミナトさんは私の事を心配してくれていたようだ。

 ……それも考えてみれば当然だった。

 こんな子供が地球ではマイナーで悪評もあるIFS処理が施されていて、こうして戦艦に乗せられているのだから。

 ミナトさんのような優しい女性が気にしない訳がない。

 

「ありがとうございます」

「うんうん、やっぱ可愛いわ。良い笑顔ね」

 

 気に掛けてくれた事にお礼を言うと、ミナトさんはうんうんと頷く、嬉しそうな顔で。

 どうやら私はまた笑っていたらしい。

 

「そうですね。笑顔を見せてくれて私もちょっと安心しました」

 

 反対側から声が聞こえた。メグミさんだ。

 

「初めて会った時、まったく笑ってくれなくて……ウサたんの着ぐるみを着て挨拶したのに」

 

 初めて会った時の事を思い出しているのだろう。明るかった声が不満げな、寂しげな声になった。

 

「正直、この子、大丈夫かな? って、私けっこう心配だったんだ」

「それは……すみません」

 

 メグミさんの言葉と声に、ちょっと罪悪感を覚えて彼女の方へ席を向けて頭を下げる。

 

「あ、ううん、いいよ。ルリちゃんがしっかり笑える子だって分かったから。おせっかいな考えだったみたいだし」

 

 あはは……とメグミさんは困ったような笑顔をする。

 

「ですけど、気に掛けてくれてありがとうございます」

 

 その笑顔にも優しさを感じて私はやはりお礼を言った。

 やっぱりナデシコの人達だと思う。こんな私でも偏見や差別なく接してくれて優しくて……懐かしくも思う。

 

 ……正直な事を言うと、アキトさんが記録と言うように前回の事は実は夢だったんじゃないかという不安も少なからず私にはあった。

 

 でもプロスさんに誘われて、またこの船に乗って、ミナトさんやメグミさんと会って――そしてアキトさんにも。

 

「……」

 

 でも、それにしても、そんなに私は無表情だったのでしょうか?

 昔と比べると随分表情が豊かになったと思っていたのだけど……アキトさんの前でもそんなだったらショックです。もし可愛げのない子供と思われていたら……。

 ――……笑う練習とかした方が良いのかも知れない。

 

「あと10分でビッグバリアが解除されるな」

 

 ゴートさんの声、何時ものむっつりとした顔でブリッジ正面に大きく映るウィンドウを見ている。ナデシコの大凡の現在位置や高度と時刻が示されている。

 

「何事もなければいいが……」

 

 あまり感情を感じさせない口調。けど不安や警戒というものが滲み出ている。

 ゴートさんは元正規の軍人さんで、ナデシコの中では“私”を除いたら唯一のまともな実戦経験者。……いえ、もしかするとプロスさんもそうかも知れない。あの人は謎が多過ぎて過去に軍人であったりしてもおかしくはない気がする。

 そう、気になって調べたのに全然分からないんだもの。

 ……なんでそんな人が会社勤めなんて出来ているのか? それも世界有数の大企業の。謎すぎます。

 

「ゴート君は心配性ですねぇ」

「ミスター」

「まあ、しかし気持ちは分かります。何事もない……と油断した状況が最も危険な時だと、商売も同じです。これで安心と思っていた次の瞬間には目も当てられない状況になっている事も多々ありますからねぇ。ええ……」

 

 例のにこやかな笑顔を浮かべながらもむぅと難しげに唸るプロスさん。

 それには同意できる。私もそういった経験はある。

 ナデシコBに乗ってしばらくして関わった事件。そして火星の後継者事件のあと、一年程してから起きた残党との戦い。あの時、“彼女”が艦長候補として居てくれなければ、どうなっていた事か。

 

「………」

 

 ふとユリカさんを見る。初代ナデシコの艦長であるこの人を。

 ユリカさんはジッと状況を示す正面のウィンドウを見ている。その顔、目を見ても何を考えているかは分からない。

 少なくともアキトさんの事ではなさそうだ。そうであればもっと分かりやすい様子を見せている筈。

 隣の副長も……って、そういえば前回は居なかったのに今回は居ますね。ミスマル提督の所へ行かなかったから当然と言えば当然だけど。とにかく、ユリカさんと同じくウィンドウを見つめて真面目な表情だ。ゴートさんとプロスさんの話も気掛かりのようだけど。

 

 フクベ提督(おじいさん)はオブザーバーとしてブリッジ上段の奥に用意された席でただジッと座っているだけ。傍から見ると眠っているように見える。

 ……自らを罪深く思い、死に場所を求める老兵。けど、それでも尊敬に値する人だと私は思っている。

 第一次火星会戦こそ無様に敗退したけど、その後の“第二次火星会戦”では見事な指揮をとり、火星から脱出を試みた人々を救って地球まで逃げ延びた。

 十分、英雄に値する功績であり、提督はまさに勇将だと思う。けど、やっぱり……ユートピアコロニーを壊滅させた事が提督の心を重く蝕んでいるのだろう。

 

 ……記録を持ったアキトさんは提督の事をどう思っているのだろうか?

 

 心配だった。両親が亡くなった真相を知っていてもネルガルに恨みを見せていないから大丈夫だと思いたい。

 だけど、本当にそうなのだろうか? 言わないだけでその心の内には……復讐心が隠されていないだろうか?

 ……行ってしまったあの人の事を――“黒い王子様”の事を思い出してしまう。

 

 だから心配で、不安で、とても怖い。あの人のように私の前から――

 

「ヤマダ、テンカワ、配置に就いているな?」

『ダイゴウジガイだ!!』『はい!』

 

 ハッとする。ゴートさんが呼んだ彼の名前と、聞こえた声に。

 

「直に高度400kmに達する。ヤマダは知っているだろうが、そこは第三防衛ライン。有人宇宙ステーションから発進する宇宙戦闘部隊……宇宙攻撃機『デルフィニウム』の展開域だ」

『ダイゴウジ……ガイィ……!』

 

 ヤマダさんの主張を無視してゴートさんは話す。

 

「デルフィニウムの機動性は科学燃料による大型ロケット頼りだ。各部姿勢制御のアポジモーターも同様だ。故に重量は大きく運動性は高くない。エステバリス……空戦フレームの機動性・運動性を活かせば、どれだけ数が居ようと敵ではない、フィールドもあるしな――しかしだからといって油断していい訳ではない。特にテンカワは今の内にエステのスペックもそうだが、デルフィニウムのスペックデータも頭に叩き込んでおけ……先ほども言ったが万が一という事がある。交戦という可能性は0(ゼロ)ではない」

 

 あくまで万が一という風な慎重な声色だ。けど、それが却って戦闘が起きるのを確信しているようにも聞こえる。

 

「万が一、交戦となった場合はヤマダがフォワード、テンカワがバックスだ。ヤマダ、ナデシコへもそうだが、テンカワにも可能な限り目が向かわないようにしろ。正規パイロットの役目を果たせ。テンカワ、戦う事となったら今度は空戦だ、それに重力も弱い、サセボの時とはかなり勝手が違う、注意しろ」 

『ダイゴウジガイィだ!! ……了解、任せろ!』『了解です』

 

 ヤマダさんは抗議しながらも頷き、アキトさんは素直に応じる。

 前回と状況は違っている。だから戦闘は無いと思いたい。打った手が功を奏したと。

 そう、軍と話が付いた以上は戦闘は起こりようがない筈……だけど、落ち着かない。胸がザワザワしてしまう。

 やっぱりアキトさんがパイロットになったからだろうか?

 

「あ、アキト! アキト!」

 

 アキトさんの姿がウィンドウに映った為に、神妙な様子だったユリカさんがはしゃぎ始める。

 その変わりようにユリカさんらしいと思いながらも、呆れた感情も出て来てしまう。…苦笑も。

 

「パイロットになったんだよね」

『あ、ああ』

「コックで頑張る姿もかっこ良かったけど、パイロットの姿もかっこ良くて似合ってるよ!」

『そ、そうか?』

「うん! アキトは私の王子様だもん! 何をしててもかっこ良いし……パイロットになって私を守ってくれるんだもの! えへへ、ユリカ嬉しいなぁ!」

 

 頬を紅潮させてアキトさんに向けてそう言うユリカさん。――だけど、

 

「艦長、悪いが作戦中だ。余り長話は……テンカワにはまだエステのレクチャーがある。時間が惜しい」

「あ、はい。了解です。じゃあアキト! 頑張ってね! パイロットの事も応援してるから! ユリカも艦長として頑張るから!」

 

 その信じ切った言葉。アキトさんがパイロットをする事に何の疑いも持たない言葉に――

 

「――」

「ル、ルリルリ……?」

「……なんですか?」

「ど、どうしたの?」

「何がですか?」

「えっと……」

 

 ミナトさんに話しかけられるけど何が言いたいのか分からない。できれば今は放って置いて欲しい。

 

「すみません、用がないのでしたら話しかけないでくれませんか? ゴートさんも言ったように今は作戦中ですし」

「え、ええ……そうね」

「?」

 

 ミナトさんは口を閉じると正面に向き直った。本当に何の用だったんだろう? 何時も言いたいことをハッキリというミナトさんらしくない。

 ……ふと、左の方を見るとメグミさんが何故かよそよそしい気がする。コンソールを意味もなく操作している。…確認作業とも思えない。

 

「……」

 

 いえ、そんなことはどうでも良い。

 ユリカさん、貴女はアキトさんが――、……!

 

『有人宇宙ステーションから分離する反応を確認。こちらに接近中。デルフィニウムと確認しました』

 

 思考に埋もれる直前、IFSを通じてリンクしているナデシコのレーダーに動きを感知。同時にオモイカネからの言葉(こえ)が聞こえた。

 宇宙ステーション……第三防衛ラインに動き!? ……それ以外は?

 

『確認できません。動きがあるのは第三防衛ラインの中でも、その宇宙ステーションだけです』

 

 私も他のレーダーに動きがない事は分かっていたが、一応問いかけるとオモイカネも同様の意見を返す。

 そのやり取りは一瞬だ。神経を通じて脳と身体の末端が信号をやり取りをするのと変わらないぐらいに。

 

「方位3-1-5、凡そ10時の方向、仰角40、距離150㎞の有人宇宙ステーションからデルフィニウムの分離を確認。数は9、本艦に接近中です。接触まで……」

 

 私は直ぐにブリッジの皆に伝える。

 

「デルフィニウムの発進!? そんな話は聞いていないが…?」

「ふむ……」

「間違いないのかい、ルリちゃん!?」

「はい、デルフィニウム9機、一個中隊分が接近中です」

 

 ゴートさんが訝しそうに、プロスペクターさんが考え込むように、アオイさんが少し驚いた風に尋ねてきたので、私は肯定する。

 それを聞いて、アオイさんはどうして? と困惑した表情をするが、正面ウィンドウを見て考え込むような様子も見せる。そこには軍大学を次席で出た秀才の一端が垣間見えた。状況を把握し打つ手を探ろうとしている。

 

「接近中のデルフィニウム隊から通信! これより本艦の護衛及び先導を行う……との事です」

「護衛? 先導? やはりそのような話は……」

「ふむう、確かに木星蜥蜴の襲撃がないとは言い切れませんが……」

 

 メグミさんの緊張した声にゴートさんとプロスペクターさんが応える。

 

「全艦に通達! 第一戦闘配置!」

「ユリカっ!?」

「エステバリスは出撃準備! ただし後部ハッチへ移動させて下さい」

 

 ユリカさん……艦長の決断は素早かった。

 

「ジュン君、万が一だよ」

「! ……そうだね、分かった! 全艦戦闘配置! エステバリスの出撃準備を!」

 

 困惑していたアオイさんに艦長は振り向いて告げると、彼は頷いて命令を復唱した。アオイさんとて不穏なものを感じていたのだろう。切り替えは早かった。

 

「りょ、了解! 全艦第一戦闘配置! エステバリスは出撃準備! 後部ハッチへ移動して下さい!」

「メインエンジン出力70%、サブは100%へ、ミサイル、レーザー、主砲、全てオールグリーン! 何時でも撃てるわ」

 

 メグミさんは戸惑いながら命令を実行し、ミナトさんも真剣に機関部と火器管制をチェックする。

 

「デルフィニウムには先導と護衛は不要と伝えて下さい」

「は、はい。……もしもし聞こえますか? こちらは機動戦艦ナデシコ――」

 

 更なる命令にメグミさんは慣れず戸惑いが抜けないながらも、声優に相応しい確りとした口調で艦長の言葉をデルフィニウム中隊へと伝える。

 

「艦長、命令を受けているという事で応じられないと言っています……どうしますか?」

「分かりました。これ以上の通信は必要ありません。――ナデシコ、速力最大! デルフィニウム部隊が進路を塞ぐ前にその脇を通過します」

「了解! ナデシコ最大船速! 進路そのまま前進! 上昇!」

「りょ~か~い! 一気に駆け抜けるわよぉ!」

 

 メグミさんを通じて得たデルフィニウムの返答に、艦長が指示を出してアオイさんとミナトさんが応じた。

 これにさらにナデシコが応えて船体が加速する。これに凡そ10時方向から真っ直ぐ接近していたデルフィニウム中隊は対応できず、ゴートさんの言う所の高くない運動性の所為で方向転換が鈍く、こちらの急な加速に驚いたというのもあるのだろうが、一気に上昇するナデシコの進路先へ割り込む事が出来ず、横から抜かれるように白亜の艦を見過ごす事になった――が、

 

「デルフィニウム中隊、上昇追走してきます」

 

 横を通り過ぎて十数秒…方向をようやくナデシコの方へ向けたデルフィニウムは、その大型ロケットの推力を活かして上昇してきた。

 重いといってもナデシコよりは流石にずっと軽い。機体の重量とロケットの推力比もあってグングン距離を縮めてくる。

 それを私は報告し、

 

「ふむ……やはりこれは」

「うむ……」

 

 プロスペクターさんとゴートさんが頷き合う。

 

「フィールド最大出力!」

「了解! ディストーションフィールド最大出力!」

 

 艦長と副長の指示が飛ぶ、私も了解と答え、今の相転移エンジンの出力で出来る限り強固なフィールドを張る。それに僅かに遅れて、

 

「デルフィニウムからミサイルの発射を確認。着弾まで……」

「やはり撃って来たか!」

 

 私の報告にゴートさんが応えるように短く叫ぶ。直後に衝撃! ナデシコのフィールドにデルフィニウムのミサイルが当たった。メグミさんの悲鳴が聞こえた。

 

「……これ以降、追走するデルフィニウムを敵と認識します!」

「……」

「ジュン君!」

「……あ、ああ、了解! これよりデルフィニウムを敵と認定!」

 

 フィールド越しに揺れるナデシコ……ブリッジで艦長が宣言し、唖然として戸惑いを見せていたアオイさんも艦長の目を見て遅れて追認。

 それに頷く艦長。

 

「エステバリス出撃! 追撃してくるデルフィニウムへ対応して下さい! ただしナデシコの防衛に専念。こちらから余り距離を離さないように!」

「了解! エステバリス出撃! ナデシコの防衛を最優先! 艦から余り離れるなよ!」

 

 ゴートさんがエステバリスへ……アキトさん達へ指示を出す。戦況を示す正面ウィンドウの脇に小さくパイロット二人のウィンドウが投影される。

 

「アキト、頑張って、気を付けてね!」

『ああ』

 

 ウィンドウ越しに艦長の言葉に頷くアキトさん。緊張が見える顔……だけど、一瞬私と視線が合って、

 

『……』

 

 無言で笑顔を見せた。大丈夫だと言うように。

 

「……アキトさん」

 

 小さく呟く。その時には既に後部のハッチから2機の空戦フレームが飛び出していた。

 

 

 

 

 世の中、やはりそう簡単に事が運ぶ訳ではないらしい。

 ……いや、ルリちゃんの打った手は十分上手くいったと思う。他の防衛ラインは動いていないのだ。

 何となくだがデルフィニウムだけが動いた理由は察しが付く。全体が無理なら小規模でも動かそうという事なのだろう。

 スキャンダルに混乱し、そこにネルガルの工作が加わり、主流派の劇的な交代が行われる中で足掻く連中が居るという事だ。

 先導だとか、護衛だとかは真っ赤な……とはいかないまでも、正式な命令ではないのだろう。

 

『おっしゃ! 行くぜアキト! レッツゴー! ゲキガンガー!』

「おいおい、ゲキガンガーじゃないだろ」

『ノリの悪い事、言ってんじゃねえ! 熱くなれよお前も!』

 

 ガイの奴は元気だ。軍の教育を受けた正規のパイロットで、躊躇いがないから当然なんだろうけど……こいつの場合は自分が戦闘で死ぬだなんて思ってないんだろうな。

 ……そう思う。だから恐怖がないのだと。

 

『と、来たな! キョアック星人ども! このダイゴウジガイ様が相手になってやるぜ! 喰らえ! ゲキガァンビィィームッ!!』

 

 迫るミサイルにラピッドライフルを撃つガイ機。それは面白いように次々とミサイルに当たりナデシコのフィールドを削る事も艦自体を揺らすこともない。

 俺もそれに続いてまずはナデシコを討たんとするミサイルを排除する。これはバッタを相手にするよりもずっと楽だが、

 

「……!」

 

 ミサイルが止み、デルフィニウムが上昇し接近してくる。

 見るにまだミサイルは残っているようだが、距離が空いたままではこっちに迎撃されると判断したのだろう。

 しかも、

 

「くっ!」

 

 デルフィニウムから火線が伸びた。銃撃だ。

 スペックデータを確認した時に見た。原作と違ってミサイル以外の飛び道具をこいつらは持っている。

 アーム……エステと同様、手が付いた腕を持っているのだから当然と言えるかも知れない。

 某可変戦闘機が持つガンポッドのようなものを腕に保持してこちらに向けてくる。

 

『当たるかよ! うらぁぁー! お返しだッ!』

 

 ガイが叫ぶ、前へと突撃しながら上下左右に動きながら火線を避け、デルフィニウムにライフルを向けて発砲。

 デルフィニウムも回避機動を取るが、大型ロケットを抱える図体の大きさが仇となって避け切れずに被弾。

 一機のデルフィニウムが本体に直撃、更にもう一機がロケット部に火花が咲いて派手に誘爆。

 前者は脱出ポッドが射出されて機体は制御不能に陥って落下。後者も誘爆するロケット部の切り離しが上手くいかなかったらしく、本体部分も火球に包まれてこれまた脱出ポッドが作動した。

 

『はっはっはっ! 見たかダイゴウジガイ様の強さを! 怖いなら逃げても良いぜ!』

 

 そんなことを言いながらライフルを持たない左手の人差し指を立てて、くいくいっと手招きしてデルフィニウムの奴らを挑発する。動きを止めて敢えてフィールドで銃撃を受けながら如何にも子馬鹿にしたように。

 調子に乗り過ぎだろ、と思った――が、直後、挑発を受けた残りのデルフィニウムの火線が全て集中して、

 

『今だぜアキト! 奴らの横ががら空きだぁ!』

「! ……分かった!」

 

 そういう事か! ガイが敵を引き付けた事を理解してバックスとしての役割を果たす。

 敵の目が逸れた事を理解して敵編隊の側面へ回る。ガイはこれに合わせて更に動く、踊るように回避機動を行いながら、銃撃を派手に撒き散らし敵の目を引き続け、

 

「取った!」

 

 こちらに無防備な姿を晒すデルフィニウム達をロックオン! トリガーを……入れようとして躊躇った。

 人間が乗った兵器を撃つ、寸前になってその事が脳裏に過って……一機のデルフィニウムがこちらにセンサーを向け―――

 

「―――ッ!? うぉおおおお!!」

 

 バッタとジョロ、それには感じなかった不快な気配……殺意! 多分そんなものだと思う。それを感じた瞬間に叫んでトリガーを入れていた。

 

 

 

 

 ナデシコに戻った。

 脱力してシートへ凭れ掛かった。

 

『おお、やったなアキト!』

「あ、ああ……」

『どうだ! 俺様の実力! 俺様の頭脳プレー! ガイ様に掛かればあんな連中屁でもないぜ!』

「……ああ、流石だよ。正規のパイロットなだけある」

『はっはっは、そうだろ! そうだろ! しかし俺様が凄いのは正規パイロットだからって訳じゃねえ! 俺様が地球を守る正義の味方(ヒーロー)だからだ!!』

「……そうだな」

 

 今度こそ調子に乗るガイ。だけど、突っ込む気力も諫める気力もない。

 とにかく……どっと疲れた。

 戦闘は損害なく、そして圧倒的な勝利で終わった。

 ゴートさんの言う通りデルフィニウムはそれほど脅威ではなかった。

 当然か……この戦争で連合軍が苦戦を強いられている事からも分かるように、バッタにも苦戦している機体だ。それら無人兵器を上回る性能を持つエステとの性能差は如何ほどか。

 原作で包囲されたガイが無傷だったのも分かる。分かるが……。

 

「……」

 

 どうだったのか? それでも確認する余裕はなかった。戦闘の中で墜ちたデルフィニウムから脱出ポッドは本当に射出されたのか?

 ガイが最初にやった奴は、半ば傍観した位置だったから確認できた。けど、

 

『アキト! やったね! 今ナデシコも防衛ラインを抜けたよ!』

「ああ」

 

 ユリカ嬢が言う。

 それは分かっていた。状況を示すウィンドウがコックピットに浮かんでいるから。

 それを見るに結局動いたのはやはり第三防衛ラインのデルフィニウム……それもナデシコの進路上にあった部隊だけだった。

 

『これもアキトのお蔭だね! さすがは私の王子様! 凄かったよ! かっこ良かった!』

「……ああ」

『……アキト?』

『艦長、アキトさんは疲れています。少し休ませて上げて下さい』

『あ、ゴメン、アキト……そうだよね。ユリカ気付いてあげられなくて』

『……いいですから艦長、仕事に戻って下さい。まだ防衛ラインを抜けたばかりです。軍が追撃してくる可能性も、木星蜥蜴が襲撃してくる可能性もあります』

『う、うん……それじゃあ、また後でね、アキト』

「……」

『アキトさん、お疲れ様でした』

 

 ルリちゃんの労いの言葉でブリッジからの通信が切れた。

 気遣いなのだろう、ルリちゃんの。……正直ありがたかった。今はユリカ嬢の元気の良さを相手にする気力は本当にない。

 

「……俺は」

 

 脳裏に先程の戦闘の事が過る。

 まだ殺したとは決まっていない。でも、それでも、

 

「殺し合い……か」

 

 例えデルフィニウムのパイロットが死んでいないのだとしても、人間と殺し合ったという事実は変わらない。

 あの時、デルフィニウムのセンサー……カメラを、目を向けられた瞬間――覚えた不快感……感じた殺意に恐怖して叫んでトリガーを引いたあの瞬間、

 

「俺は――」

 

 ――そう、これで人が死ぬかも知れないと分かって、それでも、ただ死にたくないと、殺されたくないと思って……撃った。

 

「――殺そうとした」

 

 明確に、自分の意思で。

 

「う……」

 

 気持ち悪い。吐き気がして、胃からせり上がるものに堪えられず――ぐっ……それでも堪えた。俺はパイロットになると決めて、頑張ると決めたから。

 

 あの子に……一緒に頑張ろうと誓ったルリちゃんに。

 

 だから堪えた。胸と腹からくる不快な気持ち悪い感覚に。

 それに負けたら誓いをもう二度と守れない気がして、二度と頑張れないような気がしたから。

 

 だから――堪えた。

 

 

 




 次はサツキミドリでの話かと思われたかもしれませんが、実はまだ突破してませんでした。
 戦闘回という事からか最後は暗くなってしまいました。戦闘シーンそのものはあっさりしてますけど。

 今回は展開もそうですが地味にオリジナル部分が加わってます。フクベ提督の所とか。
 
 で、今回戦闘が起きた背景ですが、後々明らかにしたいと思います。ナデシコが火星に行った後ぐらいでしょうか?



 ゆっくりしていきやがれ様、黄金拍車様、244様、クオーレっと様、teemo様、誤字報告などありがとうございます。


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第九話―――急行

 

 防衛ラインを抜けて二時間が経過した。

 

『艦長から通達です。第一戦闘配置を解除との事です。皆さんお疲れさまでした。通常勤務に戻って下さい。繰り返します。第一戦闘配置を――』

 

 メグミ嬢が映るウィンドウが浮かんでそう通達が下りた。

 このコックピットだけでなく、艦内全域に彼女の顔が浮かんで放送が掛かっているんだと思う。

 長いような、短いような、時間感覚が良く分からない。……とにかく、ようやくコックピットから降りられる。

 

 

「はぁ……」

「テンカワ、ご苦労さん!」

 

 バシッとまた背中が叩かれた。振り返るとやっぱりウリバタケさんの姿があった。

 

「今回はエステにこれといった傷はなし、良くやった。船外カメラからの映像で見てたぜ、ヤマダって奴も意外に凄くてビックリしたが、お前さんも中々にな。サセボの時と言い、ほんと素人とは思えないぜ」

 

 ウリバタケさんはやや興奮した面持ちで嬉しそうに言う。エステに損傷がない為なのか、それとも俺達の戦闘を見たからなのか……両方なのだろう。

 

「はは……ありがとうございます。エステの整備……お願いします」

 

少し複雑な思いもあって若干苦笑も零れたが、お礼を言い、これからが忙しいであろうウリバタケさんに後を頼んだ。

 

「おう、さっきも言ったが傷はないからな。整備は楽なもんだ。ついでに次の出撃にはもっとテンカワが動かし易くしといてやる」

 

 得意げに言うウリバタケさん。アサルトピットの調整の事だ。

 これを個人に合わせてチューン出来るのがエステバリスの強みの一つらしい。サセボとさっきの戦闘で得た俺のデータを反映するのだと思う。

 

「はい、助かります……それじゃあ失礼します」

「ああ、お前は確り体を休めておけよ」

 

 ウリバタケさんに背を向けて歩き出す……と。

 

「おーい! アキトぉぉ!!」

「ん?」

 

 ガイの奴の声が聞こえた。アイツがエステを固定したガントリーの方だ。

 

「撃墜マーク入れないのかぁ!! ゲキガンシールのコピーはまだまだあるから欲しいなら分けてやるぜぇ!!」

 

 整備の音に負けない大声で叫んでいる。

 ……拡声機要らずだなアイツは。今度は咽が枯れた、声が出ないとかで医務室のお世話にならないだろうな? ちょっと呆れる。

 にしてもゲキガンシールで撃墜マーク……か。

 

「俺はいい!! 本職はコックだしな!! そういうエースみたいな役割はお前に任せるよっ!!」

 

 聞こえるか分からないが俺も大声で応じる。

 

「なるほどなぁ!! さすがは同志アキト!! 確かにこういうのはエースの機体にこそ相応しいってもんだぁ!! 分かったぜぇ!! 今後も俺様の活躍に期待ってことだなぁ!! 任せろぉ!! 蜥蜴どもにもこのガイ様がナデシコのエースだって事を知らしめてやるぜッ!!」

 

 聞こえたらしく俺の声に応えてはっはっはっ……と豪快に笑うガイ。

 

「じゃあな!! 先に行ってるぞ!!」

「おう!!」

 

 ガイにも別れを告げると、俺は格納庫から出た。

 その寸前、出入り口から肩越しに顔を振り返らせて……アイツの姿を見た。

 

「……良かった」

 

 ガイが生き残って。

 ほんの少し……いや、人ひとりの命を助けられたのだ。大きく変わったのだと思いたい。未来が……より良い将来に向かって。

 

 ――少し元気が出た。

 

 

 

 更衣室に隣接する整備班の人達も使うシャワールームで汗を流し、着替えて通路へ出ると、

 

「お疲れさまでした。アキトさん」

 

 ルリちゃんが居た。

 通路に佇むその少女の姿を見て、何かこういう事が多いな……と思いつつもお礼を言う。

 

「うん、ありがとうルリちゃん。ブリッジの方は良いの?」

「はい、通常勤務ですし、オモイカネには自動迎撃システムがありますので。それに私はまだ少女……子供ですから」

 

 子供ですから……と少し悪戯っぽく言う。それを建前にして抜け出す許可を……休憩を貰ったという事だろう。

 意外にちゃっかりした所があるんだな、ルリちゃんも。

 

「それでわざわざ休憩まで貰って俺を待ってたって事は……」

「そうです。この後の事です」

「……サツキミドリ2号だね」

 

 俺の言葉にコクリとルリちゃんは頷く。

 

 

 

 場所変わってほんとに密会の場と化しつつあるルリちゃんの部屋。

 まあ、仕方がない。ルリちゃんとオモイカネの権限……いや、このナデシコでは権能と言っても良い程の力で、徹底的にセキュリティが掛けられた場所なのだ。

 このナデシコで人に言えない話をするのに、此処ほど適した所は無い。

 ちなみにルリちゃんが休憩を貰ったように、俺も戦闘の後という事もあって休憩の許可は貰っている。それも契約の内ではあるが……何となくホウメイさんとホウメイガールズの皆には申し訳なく、頭が下がる思いがある。何かの形で謝罪なりお礼なりをしたい所だ。

 

「……サツキミドリ2号か。アレに関しては分からない所が結構あるんだよね」

「そうですね。木星の無人兵器の仕業であることは確かなのでしょうが」

 

 ルリちゃんはベッドに、俺は部屋のデスクの前にある椅子に座って、互いに頷き合う。

 ……ルリちゃんがベッドの方に腰かけている事に、妙な意識をしてしまいそうな自分がいるが努めて無視する。いい加減に慣れろと自分を叱りたい。

 

「サツキミドリは月の反対側のラグランジュ3にあるんだよね、確か」

「はい、それもあってこれまで月を占領し、そこから地球へ侵攻する木連の標的から免れてきたのだと思われます。実際、地球までのルートとなるラグランジュ1は壊滅していて、月の裏側のラグランジュ2は勿論ですが、4、5も同様です。これは月の地盤を固める為と考えればおかしい事ではないですし……敢えて反対側にまで手を出す必要はなかったのではないかと」

 

 確信的に言うが、ルリちゃんは何処か自信なさげだ。占領地帯の反対側だからといって本当に放って置くものなのか? という思いがあるのだろう。

 サツキミドリに関して分からない事があるというのはその辺もある。

 

「うーん、ラグランジュ3……L3の開発は積極的じゃなくてコロニーも少ないみたいだし、それもあるんじゃないかな?」

 

 というのも、人類の宇宙開発の黎明期はやはりというか月を中心に進んだからだ。月面を開拓し、人々の移住を行い、都市を築く過程で主要航路となるL1や他に中継点となるL4、5にあらゆるものが集中した。

 そして月の開発が一段落した後は、火星への進出の為に月の裏側であるL2にも人と物が集まり始めた。地球圏の外へ出るのであれば、距離的な意味ではL3もさほど条件に違いは無いが、月を軸に宇宙開発が進んだ以上は、月の裏側の方が事は運びやすい。

 つまりL3は宇宙開発の軸足となった月から遠いが故に、半ば放置された宙域なのだ。つまり重要拠点とは言い難い。

 

「……そうですね、そう見るべきでしょう」

 

 それでもルリちゃんとしては納得し切れないのかも知れない。不承不承と言った感じで頷く。軍人としての経験と視点がそうさせているようだ。

 

「では、とりあえず、その前提で考えますとやはり前回のサツキミドリの件は違和感を覚えます。それまで見逃されていたL3宙域が何故襲撃されたのか?」

「それはやっぱりナデシコが近づいたからじゃないかな?」

「状況的にはそれが妥当ですが、それだと問題が……」

 

 ルリちゃんは悩ましそうだ。

 

「何時、敵がナデシコの行き先をサツキミドリだと知ったのか? 宇宙へ出たナデシコを観測し進路を予測したのか? これが問題です」

 

 ルリちゃんの言いたいことを考える。

 

「サツキミドリへ行く事はネルガルしか知らなかった。だから敵が知ることはあり得ない。宇宙に出たナデシコの進路を予測して動いたんだとしたら、ナデシコよりサツキミドリへの到着は遅い筈……なるほど、ルリちゃんが悩む訳だ」

 

 そう、だというのにナデシコが到着するかしないかのタイミングでサツキミドリは壊滅した。それもほぼ一瞬で。どう考えても先回りして……いや、

 

「先回りして待ち構えていたのなら、ナデシコがドック入りした後の方が良い。その方が……」

「ええ、それも不可解です。ドック入りした後を狙った方が効果的です。上手くすればサツキミドリ諸共ナデシコを墜とせました」

「うーーん」

 

 分からなくなる。不可解過ぎてサツキミドリ壊滅の件が何なのかまったく分からない。

 或いは……

 

「偶然、かな?」

「偶然ですか?」

「うん、ナデシコを建造したネルガルの所有のコロニーだったから狙って、その襲撃のタイミングが偶々ナデシコの寄港寸前だったんじゃないかな?」

 

 ふと思った事を言う。深く考えての事じゃない。ほんとに何となくそう思っただけだ。けど、ルリちゃんは得心がいったらしい。

 

「……辻褄は一応合いますね。サセボでのナデシコの破壊に失敗した敵が、その挽回としてネルガルの研究施設のコロニーを狙うという事はあり得ます。近くに居たナデシコよりもサツキミドリを襲った事もこれで納得できました。無人兵器は基本的に指示された命令しか実行できませんから。……だとすると前回の事を踏まえると、敵の狙い……無人兵器に下された命令はサツキミドリにあるナデシコとエステバリスなどのデータとサンプルの取得で……――あ! いえ、それだけじゃなく、もしかすると……」

 

 コクコクと頷きながら納得した表情を浮かべるルリちゃんだったが――突然、ハッとした顔をする。

 

「どうしたの? 何か気になる事が……?」

「……あ、はい。少し……ですが、これはまた今度にしましょう。今はサツキミドリをどうするか、です」

「?? ……まあ、ルリちゃんが保留するって事は、今話さなくても大事ないって事だろうから……。そうだね、とにかく今はサツキミドリだ」

 

 気にはなるけど、ルリちゃんは今は問題ないと考えているようなので俺も保留とする。

 

「とりあえず偶然という事であれば話は早いです。ナデシコを急がせましょう。ただドック入りした後で襲撃されては拙いですし、間に合わない可能性もあります。ですので向こうのレーダーとセンサーにハッキングを仕掛けます」

「それは警戒を促すって事?」

「はい。そうです。レーダーとセンサー類を誤作動させてサツキミドリを警戒態勢に移行させます。サツキミドリには防衛設備やシェルターもありますし、それにリョーコさん達もいます。警戒さえしていれば奇襲にも十分対応できる筈です」

「……いっそ脱出させるっていうのはどう? サツキミドリを放棄して逃げた方が安全な気がするし? エステとかも一緒に」

 

 ナデシコを急がせるというのもそうだが、もう一つ二次創作でよく使われた方法を思い出して提案する。警戒させるならいっそ逃がした方が手っ取り早いと思って、しかしルリちゃんは首を横に振った。

 

「いえ、サツキミドリはコロニーと言うだけあって人員は多いですし、資材までとなると結構時間が掛かると思います。それに無人兵器に下された指示内容しだいでは脱出した船舶等に狙いを変えるという可能性もありますし」

「そっか、逃げるのは危険か」

「はい、襲撃を警戒しサツキミドリの防衛態勢を整えさせるのが最善策だと思います……ナデシコが間に合わなければ、ですが。脱出はその後……襲撃をやり過ごしたあとですね。恐らくL3にいる敵戦力はサツキミドリを狙うものだけでしょうし」

 

 前回のL3宙域では、サツキミドリでの戦闘以外に敵と接触していませんから……ともルリちゃんは言う。

 先の事情からも基本的に月の反対側の宙域と航路は安全という事だ。

 

 ともかく原因が分かり、対処案が定まった。あとは実行だ。

 

「これもルリちゃん頼りだけど」

「……仕方ありませんよ。でもこうして話し合う事で見える事もありますし……今回だって。だからその、気を落とさないで下さい」

「……うん」

 

 ルリちゃんの励ましが痛かった。

 少なくとも俺が役に立つのは火星に行ってからか地球に戻ってからだろう。特にA級ジャンパーとしてネルガルとアイツに目を付けられる事が……。

 しかし、ルリちゃん以上に役に立てるかは非常に怪しい気がする。いや……ルリちゃんの言うように気落ちしても仕方ない。

 

「……頑張るよ」

「はい」

 

 気落ちした感情を振り払って顔を上げると、ルリちゃんはホッとしたように頷いた。

 

 

 

 

 ブリッジに戻ると艦長やプロスペクターさんの姿が無かった。ゴートさんとアオイさんとフクベ提督も。

 ブリッジに隣接するブリーフィングルームだろうか? サツキミドリの事で話し合っているのかも知れない。前回も宇宙へ出た後にそうしていたのかまでは流石に覚えていない。

 できれば、サツキミドリへ急ぐ為に早めに相談したい所なんだけど……なら、先にハッキングをしておこうかな?

 そう考えると、私はオペレーター席に着き、コンソールにIFSをコネクトする。

 

「私、艦長の事を見直しちゃった」

 

 電子の海へと泳ぎに入った私の耳にそんな声が聞こえた。

 

「そうね。ただの世間知らずのお嬢様かと思ってたけど、軍大学の主席ってのは伊達じゃないって事よね」

 

 ブリッジに残っているミナトさんとメグミさんの会話だ。

 サツキミドリのセキュリティシステムにハッキングを仕掛けつつ、その会話を聞く。

 

「あの時の艦長、キリッとしていて如何にも出来る女性って感じでしたし……ちょっと憧れちゃうなぁ」

「おやぁ、メグちゃんそっちの趣味だったの?」

「ち、違いますよ! 変なこと言わないで下さい! ……ただ私ってあまり大人っぽくないですし、スタイルも全然ですから……あんな風に立ち振る舞えるのが羨ましくて、私と違って魅力的だなぁって、男の人もあんな人が良いんだろうなぁって」

「あら? そんな事ないわよ。メグちゃんだって可愛いし」

「その……可愛いじゃなくて、奇麗だとか、かっこ良いとか……そういうのが――って私の事はどうでも良いんですよ!」

「ふふっ」

 

 顔を真っ赤にしてミナトさんに食って掛かるメグミさん。だけどミナトさんは余裕の態度だ。

 

「けど、確かに艦長は凄いみたいよね。ミスターゴートもそうだったけど、あのフクベ提督も……」

「凄く感心してましたよね。プロスさんも皆」

 

 艦長の評価は鰻登りだ。戦闘配置を続けた二時間の合間に簡単ながらデブリーフィングが行われた。その際、プロスさんを始めとしたナデシコの首脳メンバーは艦長の指揮を絶賛した。これは私を含めたブリッジクルーの……そしてそこから噂が流れる事を見越した士気高揚を狙って行われた茶番ともいえる部分もある。

 

 しかし――

 

 しかし、事実として先の戦闘は完璧だった。私でもそう評価する。現実としてナデシコに損害は無いのだ。

 

 不審なデルフィニウムを早々敵と考えて、接近されて進路を塞がれる前に前進・上昇して進路を確保した。

 もし悠長に構えて敵と考えずにいたら、進路を塞がれた上で至近距離でミサイルを一斉に撃ち込まれただろう。そうなったらナデシコは無傷では済まなかった。ブリッジや機関部を狙われて甚大な損傷を負っていた公算が高い。

 素早く的確な判断だった。

 

 けれど何より巧いのは、敵に手を出させた事だ。

 

 デルフィニウムに先に手を出させたからこそ反撃の名分が立った。

 勿論、あの場面でも敵が慎重に立ち回って撃ってこない可能性もあった。追い付いて至近からミサイルを撃って来る事も。けど、その可能性は低いと見た。

 

 少なくとも艦長と――そして私もそう考えた。

 

 不意を突いた標的の急な加速、鈍い自分達の旋回性能、加えて思惑を見透かされたような逃げに出た標的……ナデシコの行動。

 この時点でデルフィニウム隊は、自分達がナデシコから敵と認定されたと考えた筈。

 そう敵と捉えられたという認識を持ってしまったが故に、彼等は躊躇なく攻撃を選択した。してまった。

 まだナデシコが明確に攻撃の意思も素振りも見せていないのに……まだ決定的な判断要素を得ていないのに、だ。

 そこには動揺もあっただろう。逃げられかけた、追い付けないかも知れない、次にはナデシコの攻撃を受けるかも知れない……などという恐れ、だから焦った彼らは撃ってしまった。

 

 正確には、そう思わせて、焦らせて、誘った訳だけど。

 

 艦長の仕掛けた心理戦に絡めとられて。メグミさんの通信もその一環だ。護衛・先導は不要という拒絶直後にあのように行動したのだ。あれでデルフィニウム隊はより艦長の意図に絡められた。

 さすがと言う他ない。連合軍大学戦略科でトップの成績を収め、首席で卒業した初代ナデシコの艦長というだけはある。

 戦歴ならもう私の方がずっと上なのに“まったく同じ”判断を下して、先の戦いを演じた。

 もし少しでも判断が遅れ、間違うようなら遠慮なく口を出す積りだった。けど……

 

「流石です。ほんとに」

 

 称賛の言葉。しかしそれに反して悔しく思う。艦長と対等という事に。この人だけには負ける訳にはいかない……そう思うのに――いえ、違う。認めたくないのだ。艦長の事を。私は。

 だって認めてしまったら……

 

『……パイロットになって私を守ってくれるんだもの!』

『パイロットの事も応援してるから!』

 

 この言葉まで認めてしまうような気がするから。アキトさんがパイロットである事を、戦う事を当然だと受け入れてしまったように思えるから――そんな艦長のようにはなりたくなかった。――絶対に!

 

「……」

 

 アキトさんは苦しんでいた。戦いの後、コックピットの中で。私はそれを見ていた。聞いていた。

 

『俺は――、――殺そうとした』

 

 まるで血を吐き出すかのような声だった。

 直ぐにでも、言葉をかけて励ましたかった。けど、ブリッジに居るという事もあって話しかける事は出来なかった。アキトさんだってあんな姿を誰かに見られたくはないだろう。

 だから心配で、戦闘配置が解除された後、無理にでも休憩を貰ってブリッジを抜け出した。勿論、サツキミドリの件での話があったのも本当だ。

 けれど、シャワー室から出てきたアキトさんは意外な事に元気そうだった。

 コックピットの中ではずっと苦しそうだったのに。いつものように明るく笑顔で私の事を見て、労いの言葉にお礼を言った。

 

 だから言えなかった。尋ねるべきか迷ってしまった。そして結局はそれを話せなかった。

 それを言ったら、何か……アキトさんの決意か、覚悟か、そういった物を踏み躙るような気がしたから。けど、そう思う一方で……

 

「……もしかしたら後悔する事になるかも知れない」

 

 そうも思う。話さなかった事を。

 首を横に振る。

 大丈夫、アキトさんは頑張るって言った。だからもう少しだけ…アキトさんを見守ろう。まだパイロットとして一度目の戦いなのだ。艦長のように当たり前だとは思いたくはないけど、それでも信じたいから。

 

 だからもう少しだけ――

 

 

 

 ハッキングは終わった。それとほぼ同時に艦長たちも戻って来た。私は早速提案を行う。

 サツキミドリ2号の壊滅が逃れられれば、多くの人が助かるだけでなく、前回では失われた多くの物資をナデシコは得られる。

 その分、パイロットになったアキトさんの負担も減る筈。戦闘で傷付く可能性も……考えたくもないけど、死なせる確率だって減らせる。

 

「なるほど、機関部の負荷がどれぐらいか。データ通りのスペックを……理論値を実証できるか、それは重要ですからね。ふむ……」

 

 私の提案をブリッジメンバーの皆が聞き、プロスペクターさんが真っ先に口を開いた。眼鏡を押さえながら考え込む様子。

 

「いいんじゃないかな? 僕は悪くない提案だと思うけど」

「そうねぇ。操舵の感覚も掴めそうだし、色々と癖が多そうな船だもの、この子。私も賛成かな?」

「……反対する理由はないな。問題点の洗い出しにも繋がる」

「「……」」

 

 アオイさん、ミナトさん、ゴートさんが賛意を示し、メグミさんは判断が付かないのか、無言で成り行きを見ている。フクベ提督も無言だ、口出しする事ではないと思っているのだろう。

 考え込む様子を見せていたプロスペクターさんも妥当だと感じていたらしい、皆の意見に応えて大きく首を縦に振る。

 

「ですな、その場合、深刻なものがあればサツキミドリ2号のドックで補修が可能ですし……わたくしも賛成票を投じましょう。……社の方にも話を付けなくて行けませんが……」

「決まりですね。ルリちゃんの提案を実行したいと思います」

 

 プロスペクターさんが賛成と言うと、ブリッジメンバーは艦長の方を見て、艦長はそれに頷き返した。

 こうしてナデシコは機関部の出力が許す限り、最大速度でサツキミドリへと向かう事となった。

 

 そして一時間後、サツキミドリ2号はレーダーに不審な影を捉えて警戒態勢に入り、この通信を受けたナデシコもまた警戒態勢へと移行する。

 

「……少し失敗でしたね」

 

 警戒態勢……戦闘配置へ移行した事により、アキトさんは再度パイロットスーツに着替えてエステバリスのコックピットに待機する事となってしまい、私はアキトさんへの申し訳ない思いとともに嘆息する事となった。

 

 

 

 

 厨房に戻ったのも束の間、俺は再度パイロットスーツを着て、エステのコックピットのシートに身体を預けていた。

 

『すまねぇな、テンカワ。次の出撃までにはお前さんに合わせてアサルトピットを調整しておく積りだったんだが……』

「いえ、仕方ありませんよ。急だったんですし」

 

 そんな中、格納庫に居るウリバタケさんと話をしていた。

 

『……まあ、そうだな。敵さんが俺達の都合を考えてくれる訳じゃねえんだし……にしても空戦フレームで宇宙で戦闘とはな。宙間戦闘用の0Gフレームは向こうで受領予定だったから仕方ないと言っちゃ仕方ないんだが……』

「一応、行けるんですよね? デルフィニウムとの戦闘だってほぼ宇宙でしたし」

『まあ、な。だが専用でない上に実戦投入は初だからな。基本試験運用も大気圏内みたいだったし……不安にさせるようなこと言うのは悪いが。ぶっつけ本番みたいな所がある』

 

 ピットの調整の事も含めて無念そうな口調だ。整備士(メカニックマン)或いは技術者(エンジニア)として思う所アリアリと言った感じだ。

 

「分かりました。注意します」

『おう、肝に銘じておいてくれ。俺らが整備した機体で死人が出るなんて嫌だからな。……ま、こんな仕事を引き受けた人間が言う事じゃないのかも知れねえが』

「了解です……とそういえば、ガイには言わないんですか?」

 

 通信が繋がっているのは俺だけという事もあって気になって尋ねたが、

 

『……アイツは人の話を聞かねえし、やかまし過ぎる。つーか相手にするのがめんどい』

「は、はは……」

 

 苦笑するしかない。

 

『オマケに変なシールを張りやがるし、あんなものを撃墜マークにするのもどうかと思うが、エステにだって塗装の塗り替えや洗浄作業だってあるんだ。それを言ったらアイツは――』

 

 あ、何か変なスイッチが入ったのか愚痴り始めた。これは長い話になりそうだ。

 ……と予想した通りにガイの事の他、色々な話を聞く事となった。

 エステの事だけでなく、このナデシコの事やメカに対する情熱やら過去にMITを7回受験して失敗した事とか、ウリバタケさんの苦労話まで。

 俺はそれに苦笑したり、曖昧に頷いたりするだけだったが……結果的には面白い話もあり、暇を潰せたり、気を紛らわす事が出来た。

 時折、暇を持て余したガイが通信を繋げようとしたが、ウリバタケさんは遮断した。整備班長の権限を使ったらしい。

 

 嫌われているな……ガイ。

 

 

 ともあれ、警戒態勢が続き――

 

『総員、第二戦闘配置から第一戦闘配置へ移行して下さい! サツキミドリ2号に木星蜥蜴が襲来! 戦闘状態に入った模様! ナデシコは現在急行中! 繰り返します! 総員―――』

「……!」

『! ホントに敵さんのお出ましかよ!』

「ウリバタケさん! ガントリーからエステを動かします!」

『ああ、こっちもエアロックを解除する! カタパルトの方へ移動してくれ! ――お前ら! エステが動くぞ! 道開けろ! そこっ! もたもたするんじゃねぇ!! 潰されてぇのか!!』

 

 ガントリーからエステを立ち上げながら、ウリバタケさんの指示と怒声を聞く。

 

「今日、二度目の戦闘か……だけど」

 

 だけど、今度は人間が相手じゃない。大丈夫だ。戦いが怖いのは変わらないが、無人機なら大丈夫だ。

 恐怖と不安に包まれそうになる自分にそう言い聞かせる。

 

「サツキミドリ……無事だと良いが」

 

 不安と言えばそれもある。

 ナデシコが急いでいるにも拘らず、間に合わずに襲撃を受けている。それも予想よりも早い段階に。

 原作よりも防衛ラインの突破に時間が掛かったのか……と一瞬思うも、首を横に振る。それは無いと。

 それに部屋でルリちゃんと話した様子を思い返す限り、あの子の記憶と時間的なズレは無さそうだった。むしろ突破に手間取らなかった分、早い筈だ。なのに――

 

「――いや、考えても無駄か。今は無事を祈る事しかできない」

 

 あとは向こうに居る三人娘を信じるしかない。

 

 

 




今回は盛り上がりが欠けるかな?思ってます。
 サツキミドリ2号壊滅の考察回みたいな感じです。あとユリカさんが行った戦術説明回と言うべきでしょうか?

 ルリちゃんがユリカさんに不信を抱いていますが、私は別にユリカさんを貶める積りはありません。ユリカさんと向き合い、また自分とも向き合うフラグみたいなもので、アキトへの想いを巡って多分避けられない部分でないかと思って書いてます。
 ユリカさんにも影響を後々与えるのではないのかと思ってます。

 感想返しはちょっと時間がなかったので、また後日にします。


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第十話―――防衛

 時刻はやや戻る。

 

 サツキミドリ2号はレーダーに不審な反応を探知し――正確にはホシノ・ルリのハッキングの仕業によるものだが――警戒態勢へと移行した。

 コロニーの大多数の住民がシェルターへ避難し、少数がレーダー施設や各種ミサイルや砲台などの防衛設備へ残り、もしくは周辺宙域へ非IFS対応の宇宙戦闘機を駆って哨戒に出た。

 また木星蜥蜴が火星へ侵攻し、その2か月後に配属されたエステバリスのテストパイロット達もサツキミドリ2号の周りをグルリと回るように飛び、警戒任務に就いていた。

 

『ヒカルー……なんか見えるかぁ?』

『んーん、何にも……。イズミは? 索敵レンジは一番大きいんだし』

『怪しいものは何も見えないわ。ヒカルの方こそ、そっちのセンサーは周辺の走査を細かく出来るんでしょう?』

『さっきも言ったけど、エステちゃんのセンサには、何も変な物は引っ掛からないよぉ』

 

 エステバリスのパイロット達は愛機と共に空間を駆けながら言葉を交わす。

 その話す内容からも分かるようにパイロット……彼女達は警戒と共にサツキミドリ2号周囲の索敵を行っている。

 だが、その距離はサツキミドリ2号からそう遠く離れてはいない。エネルギー供給の問題から、コロニーより発せられる重力波エネルギーのラインから出るのを避けているのだ。

 最新の重力制御技術とディストーションフィールドを導入・搭載し、それらを駆動させる高出力ジェネレータを持ちながら、僅か全高6mクラスというコンパクトさを持って完成した人型機動兵器……エステバリスであるが、そのコンパクトさを実現する代償として自前の動力源は内蔵されていないのだ。

 一応、バッテリーがある為、全くないとも言えなくはないのだが……とにかく、そういった事情故、外部から供給されるエネルギーラインがこの機体の生命線だった。

 

 無論、そのデメリットを補うメリットもあるからこそ、エステバリスは作られたのだが。

 事実、重力制御技術の後押しを受けた小型・軽量かつ高出力を誇るエステバリスは、木星の無人兵器をも凌駕する優れた機動性・運動性を示し、サセボにおいて素人の乗った陸戦タイプが木星の無人兵器を相手に高い戦果を挙げ。数時間前には連合のデルフィニウムを歯牙に掛けない圧倒的な性能を見せた。

 

『んー? やっぱ見間違いか、誤作動じゃねえのか? こっちに蜥蜴どもが来たって話は聞いた事がねえし?』

 

 三機のエステバリスの内一機。赤い機体のパイロットが懐疑的に言う。その口調には荒々しさがある。女性らしい声に反して非常に男性的だ。

 

『そうかも知れないけど、でもネルガルの戦艦……ナデシコが来てるっていうよ。それに釣られてこっちに蜥蜴が来ていてもおかしくないんじゃない?』

 

 黄色い機体のパイロットは、十代半ばの少女っぽい愛らしい声でやや呑気な口調で言う。

 

『ヒカルの言うとおりね。サセボからナデシコが出航する時に蜥蜴の襲撃があったって聞いているわ。ならナデシコを狙ってここにも来ているかも知れない』

 

 薄い青……水色の機体のパイロットは、大人びた声色と口調で楽観的な見方は危険だと戒めるように告げる。

 彼女達3人は皆、宇宙軍のパイロット養成校からネルガルのスカウトを受けた人間だ。

 年齢は3人とも18歳。名前は前述の会話から上から順にスバル・リョーコ、アマノ・ヒカル、マキ・イズミという。

 

『……そうだな。油断は禁物か。だが……チッ、来るならとっとと来いっての! じれったい! ただコロニーの周りを飛ぶだけじゃ暇でつまらねぇ』

『それフラグだよ、そんなことを言っていたら本当に――』

『――来たみたいね。リョーコのお望みどおりに……』

 

 イズミがそれに逸早く気付いた。コックピットのモニターに映る閃光に。

 

『あれって? 戦闘光!?』

『確か向こうには!』

『ええ……うちの戦闘機が哨戒に出ているわ』

 

 エステバリス3機は動きを止めて、機体頭部……カメラをコロニーから離れた宙域に向ける。

 そこには、無数の光の線が伸びて交差し、時折瞬間的に瞬く光球が見える。その見えた光に遅れて、

 

『ゴルファー隊が木星蜥蜴と接敵! 戦闘に突入した! 敵襲! 敵襲! 各部隊は戦闘態勢に移行しろ! 蜥蜴が攻めてきたぞぉ!』

 

 サツキミドリの管制オペレーターから、緊張と高揚と恐怖が混じった通信が聞こえた。

 

『……ッ、行くぞ! お前――』

 

 ――ら! とリョーコは光を見て言おうとしたが、

 

『ダメよ! 私たちはここから離れられない! エネルギーだけの事じゃない!』

『イズミの言う通りだよ! ここが私たちの持ち場なんだよリョーコ!』

 

 直ぐに残りの2人が諫めた。

 

『まだ敵が他にもいるかも知れないし、敵が多ければ直ぐ此処へ抜けてくる。私達はここから動けない。動けば防衛網に穴が開く』

『……くっ、だがよ! あそこには……!』

『分かってるけど、どうしようもないよぉ』

 

 冷静なイズミの声に悔しげに尚も食い下がるように言う。それにヒカルもまた若干辛そうな声でリョーコを諫めようとする。

 

『……』

 

 一瞬の沈黙が彼女達の間に降りる。リョーコの歯軋りだけが通信回路に聞こえた。

 見える戦闘の光の先には同じエステバリス乗りではないが、サツキミドリの戦闘機パイロット達がいる。

 この八か月間を共にコロニーで過ごした同僚達だ。エステバリスのテストにチェイサーとしてアグレッサーとして付き合ってくれた仲間。

 皆年上の男性だが、エステバリスの開発に置いて苦労と喜びを分かち合った気の合った友人とも言えた。

 その仲間の一部隊が、友人達が戦っている。だが――

 

『ぐぅ……こちらゴルファー隊! 被害甚大! 敵の数が大きい! 食い止めるのも、下がるのも――……くそっ! ここまでかっ! そっちに蜥蜴どもが行くぞぉ! ……スバル! コロニーの守りを頼むぞッ!! ――がぁ……ッ!?』

『ニシカワ! ニシカワ!? おい――』

 

 ノイズの混じった悲鳴と共にその通信は途絶えた。同時に戦闘光も一つの光球を最後に見えなくなった……。

 

『くそぉぉ!! よくもやりやがったなぁ!! 蜥蜴どもぉぉ!!!』

 

 リョーコの強い怒りの籠った叫びが通信回線に響いた。

 

 

 

 ナデシコから見て正反対の方向から、木星の無人兵器は地球でも見られるような物量を以ってサツキミドリ2号へと襲来した。

 エステバリスとそのパイロット達を含む、サツキミドリ2号の防衛部隊はこれに対処して戦闘に入り、ナデシコに急遽援軍を求めた。

 

 

 

 

「サ、サツキミドリ2号より入電! せ、戦闘部隊を30%喪失! 防衛設備15%が損壊! きゅ……救援を急ぐように求めています!」

「くっ! だけど機関の出力はもう最大だ。ユリカっ!」

 

 メグミさんが泣きそうな声で言い。アオイさんが艦長に指示を出すことを求めた。艦長はそれに頷く。

 

「うん! エステバリスを先行させます! 直ちに出撃して下さい!」

「了解! ヤマダ、テンカワ、出撃だ! ただちにサツキミドリ2号の救援に迎え! エネルギーラインは向こうで受け取れる! エネルギー残量は気にせず最速で向かうんだ、いいな!」

 

 艦長の指示にゴートさんが応える。それに―――

 

『了解! 秘密基地を狙う木星人どもを一掃してくるぜ! 任せろ!』

『了解! 最速で救援に向かいます!』

 

 ヤマダさんと、そしてアキトさんが応える。

 

「アキトさん、気を付け――」

「アキト! 頑張って。サツキミドリの人達を助けてあげてね!」

『ああ、行ってくる! サツキミドリの人達を助けてくる……!』

「……」

 

 私の言葉は艦長の大きな声に遮られ、アキトさんはそれに意気込んで応えた。

 ……気付くと私はコンソールに置く手を意味もなく強く押し付けていた。そんな事でIFSのリンクが強まる訳でもないのに……。

 

「重力波カタパルト問題なし、エステバリス発進します。進路オーケーです……」

「エステバリス発進! 目標サツキミドリ2号! 出撃!」

 

 私と艦長の声を受けてエスバリスがカタパルトから射出される。慣性の法則でナデシコの速力を乗せて放り出されるように。

 

「……アキトさん、気を付けて、無理はしないで下さい」

 

 正面のウィンドウに映るエステバリスの背中を見て、私は小さく呟き……祈った。無事を。

 

 

 

 

 戦闘の光は既に見えていた。その光はどんどん大きく、強く見えてくる。距離が縮まっているのだ。

 メグミ嬢の報告では、サツキミドリ2号は戦闘でかなり損害が出ているらしい。

 ……結局、多くの人が亡くなったという事だろうか? それでも原作よりはマシな状況なんだろうが、けどそれでも――

 

「――いや、それは傲慢な考えだ」

 

 過った考えを振り払う。

 そう…多くの人を救えたのだと マシな状況に変えられたのなら満足すべきだろう。神の視点めいた原作知識を持ち、未来の記憶や経験があったとしても、決して万能の神様になれる訳じゃないのだ。

 

「だから手の届く範囲で出来る事をやるしかなんだよな、俺は……ルリちゃんも」

 

 そう思い直してこれからの戦闘に備えて意識を集中させる。ここで少しでも巧くエステを動かし、上手に戦えば、それだけ多くの人の命を救える筈だから。

 

 

 

『よっしゃ! 行くぞアキト!!』

「ああ、バックスは任せてくれ!」

 

 見える戦闘光はもう間近、無数のバッタと戦闘機と、銃撃による火線と弧を描いて飛ぶミサイルなどが見える。

 

『さあ、来やがれ秘密基地を狙う木星人ども! このガイ様がお前らに引導を渡してやるぜッ!! 喰らえ!! ゲキガァンカッターッ!!!』

 

 バッタが有効射程に入り、ガイが空戦フレームの肩部から小型のミサイルを撃ち出す。俺もそれに続く。

 

「ロックオン! 行けぇ!」

 

 IFSを通じてトリガーを入力。噴煙が打ち出される。

 ガイと俺が撃ったミサイルは、まだこちらに気付いていなかったのか、戦闘機群に襲い掛かるバッタの不意を、側面を突くようにして叩き込まれて、無数の火球がバッタを呑み込んだ。

 

『今だ! ゲキガァンビームッ!!』

「当たれっ!」

 

 さらに直撃を逃れた奴も至近で生じた爆炎と衝撃に翻弄され、俺たち新手に仲間が落とされた事でAIの思考ルーチンが乱れたのか、或いは対応(パターン)の切り替えにラグが生じたのか、微かに動きは鈍り、その隙を逃さずに俺とガイは容赦なくライフルの銃撃を向けた。

 それでも回避機動を取ったバッタであったが、

 

「逃がすか!」

 

 背中にある二つの大型可変ノズルと六つのバーニアノズル、脚部のスラスターを駆使し、敵機の機動を追尾して見事に射線に絡め取れた。

 

「よし……行ける! 空戦フレームでも!!」

 

 銃撃に穿たれて、狙い撃つ先から次々と爆散するバッタを見て、思わず喝采の声を上げる。

 

『……ナデシコからの救援か? 助かった。援護感謝する!』

 

 付近のバッタが片付くと、先程襲われていた戦闘機から通信が入った。ウィンドウが浮かんで30半ばぐらいの男性が映る。

 

『おう、おれさ―――』「はい! 機動戦艦ナデシコ所属のパイロット、テンカワアキトです。そちらの求めに応じて来援に駆けつけました!」

 

 咄嗟にガイの通信を遮った。

 ガイの事を知らない人間にはアクが強すぎるからだ。それもあって出撃前、密かにゴートさんから通信回線の優先使用権を渡されていた。

 ちなみにその際、「テンカワがパイロットになってくれて助かった、今更だが礼を言う」などとゴートさんには珍しく確かな感情を感じられる声で言われた。安堵と感謝が混じっていた。

 

「ですが、遅くなってすみません」

『いや、来てくれて助かった。それより他に回ってくれ、此処はもう大丈夫だ』

「……ですが、その機体のダメージでは……!」

『頼む!』

「! ……分かりました!」

 

 ヘルメットを被った頭を大きく下げる男性。強く必死さを感じさせる姿に頷くしかなかった。

 

『さっきも言ったが、大丈夫だ。流石にもう戦えないのは分かっている。俺達はコロニーに帰投するさ』

 

 男性は軽く笑いながら言う。だがその言葉の内容が無茶だと分かる。戻ると言ってもサツキミドリ周辺に見える戦闘光は広範だ。また敵と遭遇する可能性は高い……。

 ……こうして見ると分かる。原作ではデビルエステバリス一機のみで、無人機はそれに取り付いているバッタとコバッタぐらいだったのに……予想以上に多い。

 

 ルリちゃんは、無人兵器の目的はデータやサンプルの奪取だと言っていた。そして原作では、一瞬でサツキミドリが壊滅した事からそれ相応の戦力が投入されたのが分かる。

 つまりは、デビルエステバリス一機分を制御する無人兵器を残して、目的を達した無人兵器群の大部分は早々に引き上げたという事だ。近くに居たナデシコに目もくれずに。

 ただその場合、デビルエステバリス……サンプルとなる0G戦フレームが残ったのは謎となるが……いや、その少数を念を入れた調査の為に残したとも考えられるか。

 

『ともかく、俺達には構わなくていい。蜥蜴どもの殲滅が優先だ。片付けば安全になるんだ。――だから行ってくれ!』

「了解しました。お気をつけて」

『ああ、そちらもな。武運を祈る』

 

 敬礼する戦闘機のパイロット。俺もそれに見様見真似で答礼して、

 

「ガイ、行くぞ!」

『って、俺様の事を無視するんじゃねえよ!』

 

 ガイの抗議の声が聞こえるが、レーダーの反応を見ながらエステを移動させる事を優先した。

 

 

『ゲキガァン! フレアァァ!!』

 

 捉えた敵群にガイがフィールド出力を最大にして突っ込む。原作でもお馴染みのディストーションフィールドによる高速突撃戦法だ。

 バッタよりもずっと出力が大きい事もあって、ガイ機の突貫を受けたバッタは拉げて砕け、ミサイルを腹に抱えているだけに派手に爆発する。

 そして、突っ込んだガイによってバッタの編隊や隊列は乱れ、またはガイに引き付けられ――俺に無防備な姿を晒す。

 

「そこだぁ!!」

 

 その動きが乱れた所を、ガイをターゲットにしようとした隙を狙ってライフルを掃射する。

 既に三度目になるこの戦法。宇宙でのバッタの動きはもうほぼ完全に掴めたと思う。無駄弾を殆ど使う事なく俺はバッタを仕留める。

 

『もう一丁ぉぉ!! ゲキガァン! フレアァァ!! アンドォ!! ビィィーム!!』

 

 ガイが旋回してもう一度バッタの群れに突っ込む。それもライフルを撃ちながら。

 バッタは今度は俺の銃撃に翻弄されていた所を突かれた形となり、ライフル弾とフィールドの突撃を碌に躱せず、火球と化して細かなデブリ片となる。

 

「よし! 此処も片付いたな」

『ああ、この調子でどんどん行くぞ、アキト!』

 

 ここでもサツキミドリの防衛部隊を援護する事となり、お礼の言葉を聞き、最低限の返答をしながら俺とガイはサツキミドリ周辺域を巡る。

 

 そうして遊撃隊として動いて、更に二度ほど似た戦闘を繰り返した頃か?

 

『こちらサツキミドリ管制! 聞こえるかナデシコのエステバリス!』

 

 コロニーから通信が入った。

 

『聞こえているぜ! 見ていたか! おれさ―――』「聞こえています。こちらナデシコ所属のパイロットです。何か……?」

 

 ガイが応えようとするがやはり俺は遮る。悪いとは思うがこの状況で向こうを困惑させる訳にはいかない。

 

『ああ、救援感謝する! お蔭でそちらのエリア一帯はもう大丈夫だ。裏に回ってくれ! やっぱりその方位からの数が多い! こちらのエステバリス隊と合流して対処に当たってくれ!』

「……了解しました!」

 

 要領を得ない言葉があったが了承した。

 確かにエステのレーダーを見るにこの周囲の敵機の反応は少ない。十機もいない。残りはサツキミドリの戦闘機でも対処できるように思えた。

 

「けど、ついでだ! ガイ行くぞ!」

『無視されている上に、アキトに命令されているばかりのような気がするが……まあ、いいだろう!! 秘密基地を守るのが最優先だ!』

 

 不満アリアリな返事をしながらもガイは頷く。

 レーダーにあったバッタの位置を通り掛かりとして、サツキミドリの裏側へと回る。

 

 

 

 

「テンカワさん達は順調に敵を排除しているようです」

「うむ、三度目の実戦だがやるな、テンカワ。……ヤマダもな、蜥蜴相手では初陣だというのによく対処している」

「さっすがアキト! 私の王子様!」

 

 泣きそうな顔だったメグミさんがホッとした顔を見せ。ゴートさんは心底感心した様子で褒めて、……艦長ははしゃぐ。その後ろ隣りでは副長のアオイさんが複雑そうな顔をしていた。

 

「ルリルリ……」

「はい、何ですかミナトさん?」

「大丈夫、もしかして何処か調子が悪いの?」

 

 突然、話しかけられて何故か心配された。……いえ、何となく分かる。多分アオイさんのような複雑で且つ不安そうな顔をしていたのだろう。

 

「大丈夫です」

「そう、何かあまり顔色が良くない気がするけど?」

「本当に大丈夫です。大きな戦闘を見て、多分緊張をしているだけだと思います」

 

 心配ありがとうございます、とも言って私は正面に向き直る。

 実際、アキトさんの事は確かに心配だ。……けど、順調に敵は片付いている。アキトさんの機体にも損傷はない。無事だ。戦い方もまったく危なげは無い。

 ヤマダさんもついていて、リョーコさん達とも合流するようだからきっと大丈夫。

 予想外に大きな戦闘になったけど、傷一つなく帰って来てくれる筈。

 

 私はとにかく無事を祈った。今はそれしかできないのだから。

 

 

 

 

 残ったバッタを片付け、サツキミドリをぐるりと回って裏に出ると、再び多くの戦闘の光を見る事になった。

 確かに敵の数は多く激戦らしい、小惑星を基にしたコロニーの表面には向こうでは見えなかった破壊の痕跡が見える。砲台かミサイル発射台か、それとも何かの施設だったのか無数の残骸がある。

 無論、宙域にも戦闘機の残骸や破片が漂っている。そっちは向こうでも見た。

 

「く……」

 

 一瞬、それに乗っていたであろうパイロットの事を考えそうになり、あっちで目撃したバッタの餌食となった瞬間も脳裏に過る。

 だが、堪える。恐怖と不安を悔しさと怒りへと、戦意へと変える。これ以上、そういった犠牲者を増やさない為に!

 

「ガイ!!」

『ああ、アキト!! これ以上連中に好きにはさせないぜ! 行くぞ!!』

 

 頼れる相棒の名を思わず呼ぶと、それにガイは俺の意思を感じたのか強く応じた。俺もその声にガイの憤りを感じた。多分同じ思いがあるのだろう。

 

『ゲキガァン!! フレアァァ!!!』

 

 ガイが突っ込む。より気合が籠った声で、ライフルを撃ちながらフィールドを展開して。

 俺もまた……!

 

「うぉぉおおお!!」

 

 叫んでガイの後に続く。

 フォワードのガイが敵を翻弄して搔き乱す。そこをバックスの俺が突いて射撃を加えて撃墜ないし敵の乱れを拡大させ、そこをガイが更に突いて射撃と近接攻撃でバッタを落とす。

 

 やる事は変わらない。無人兵器だけにその思考ルーチンは読みやすい。先も思ったが敵の動きは殆ど掴めていた。

 パターン(うごき)さえ読めれば脅威じゃない。

 

 しかし、そんな脅威でもなさそうな無人機にこれまで連合が苦戦しているのは、やはり性能差が大きい為だ。

 ディストーションフィールドという厄介な防御力場もそうだが、それ以上に重力制御装置による圧倒的な機動性・運動性が、現行兵器では対処が困難な戦力差を生じさせている。

 その一方で、連合が戦えているのも無人機の思考ルーチンの解析が進んだお蔭である。レーザー、ビームが主体だった兵装を実体弾に切り替えた影響もある。

 ……ただやはり性能差を覆すまでには至らず、あくまで地球に侵攻を続ける木星兵器を食い止めるのがやっとなのだが。

 

「……だから、その為の新兵器(エステバリス)……か」

 

 木星の無人兵器と同じ……そう、同じ古代火星文明が持つ、高度な重力制御技術を始めとしたオーバーテクノロジーを導入した最新兵器が作られ、求められている。

 

 ――相転移エンジンを持つナデシコと同様に。

 

 ただ、ナデシコとエステバリスの建造や開発が始まった時期を思うに、それらが作られた目的は木星……木連の進攻に備える為や防衛の為ではなく――原作で白鳥 九十九が言っていた言葉…我々が火星に侵攻したのは、あなた方が木星を狙ったからです……が脳裏に過って、

 

「!?」

 

 警報が鳴る。ウィンドウが表示され、八時方向からミサイルが接近してくるのを知らせる。

 タイミング悪く、ガイの奴とは距離が離れていた。援護は期待できない。

 一応上手くやれてはいたが俺達は全く訓練をできていないのだ。こうして連携に穴が開く事は度々あった。

 明らかな練度不足。エステの性能もあって個人プレーで何とか出来ているのも、これに悪い意味で貢献していた。

 

「く!」

 

 旋回よりも前進を選ぶ、宇宙では空戦フレームは小回りが利かないからだ。接近するミサイルを振り切るように、推進炎を吹かして目の前に居るバッタからの銃撃を躱しながら、お返しにライフルで撃破する。進路を確保しつつ加速する。

 その上で脚部に内蔵されたチャフとフレアを撒く。……数秒後、後方で爆発の光を確認。それを確認して――

 

『うおおりゃぁぁーー!!』

 

 その雄たけびに一瞬、ガイかと思った。

 後方へ旋回機動を取り、ミサイルを撃って来たバッタに対峙しようとした直後に赤い機体がその無人機の群れに突っ込んでいた。更に――

 

『いっただきー!!』

『いただきマウス……駄目ね』

 

 黄色い機体と水色の機体が続いて、赤い機体がフィールドアタックで撹乱したバッタへ銃撃を浴びせて火の玉に変える。

 

「君達は……」

 

 覚えのある声、そのカラーリングで分かってはいた。けど、思わずそのエステバリスに尋ねるような口調を向けていた。

 

『へ、人に名前を尋ねるならてめえからだ! ……って何時もなら言う所だが、聞いているぜ、テンカワって言うんだろ。俺の名前はスバルリョーコ』

『私はアマノヒカル』

『マキイズミ』

 

 ウィンドウが次々と開いてヘルメットを被った三人の女の子の顔が浮かぶ。

 

『見ての通り、ナデシコで世話になる予定のエステのパイロットだ』

「……ああ、俺は――」

『細かい挨拶は後だ。今は顔合わせで十分だろ。取り敢えずそれよりやるべき事は――』

 

 三人の内、緑に染めた髪を持った娘…リョーコ嬢は映像越しでも分かる程の鋭い視線で周囲に目を走らせる。

 

『あのクソ蜥蜴どもの掃除だ!!』

 

 険の籠った声だった。怖いぐらいに強い怒りを感じさせるほどの。

 

 

 パイロット三人娘は、彼女達でフォーメーションを組んで動く事になった。これまでの戦闘のように。

 俺とガイが加わっても連携に乱れが生じると考えての事だった。彼女達のその意見に俺は同意した。こちらはただでさえ、個人の技量―――特にガイは―――問題ないが、チームでの練度は圧倒的に不足しているのだ。

 

『アキト、すまねえ。前に出過ぎちまった』

「いや、仕方ない。俺が付いていけない所もあるし……」

 

 ガイが戻って来た。いや、俺が合流したとも言えるのかも知れない。

 銃撃とミサイルを躱し、撃ち落としてバッタに対処しながら話す。

 

『あれがOG戦フレームか。うーん、やっぱ俺は空戦フレームの方が好みだなぁ』

 

 戦いながら余所見とは流石に余裕がある。

 カメラを三人娘が飛び立った方へ向けてガイがぼやくように言う。随分距離がある筈だから映像を拡大して見ているのだろう。

 

「好みで戦えるもんじゃないだろ」

『そこは気合いだ! 気合い! 根性があればなんとかなる!』

 

 ぼやきに答えるとガイはそんな精神論を主張した。お前は旧日本軍か! と一瞬言いたくなった。いや……ゲキガンガーの影響なんだろうが。

 

 ともかく、ガイほどではないが、そんな話が出来る余裕もあるように、見える敵機の数は先程よりも多くなく、レーダーの反応は今も勢いよく減っている。

 五機のエステ……それもそのうち四機はプロスさんのお眼鏡に適う超一流の腕を持つパイロットなのだ。

 これによって形勢が傾いたらしい。もしくは俺達二機が加わって三人娘が動きやすくなったのか? 実質、二部隊という事で間接的な連携が出来ているのかも知れない。

 

 取り敢えず、リョーコ嬢が言った所の蜥蜴の掃除は完了しつつあった。

 

「……何とか無事にナデシコには帰れそう……、だけど……」

 

 戦闘の終わりが見えた為、不意に安堵の感情が浮かんでルリちゃんの顔が何となく頭の中に過った。やっぱりあの子は心配しているだろうかと。

 しかし、同時に、

 

『アキト! 頑張って。サツキミドリの人達を助けてあげてね!』

 

 ユリカ嬢の言葉が過る。

 バッタの残骸に混じって戦闘機の残骸が見えた。余裕がある所為で嫌でも目に付くようになった。

 さっきサツキミドリで見た、破壊の痕跡も思い出す。それでも――

 

「……助けられたんだよ、な」

 

 多くの人を。俺達は……。

 そう思うのに、そんな実感は全く持てなかった。

 

 

 




 シリアス続きです。そろそろギャグもやりたいですけど、もう一話か、二話はシリアスかも知れません。

 リョーコさん達はエステのテストで長くサツキミドリにいたと仮定したので、原作とは異なり、サツキミドリの被害にドライだった態度はしなさそうです。
 また一応、宇宙は危険という事でサツキミドリの防衛戦力はそれなりではないかと考えてそこそこ充実させました。



 リドリー様、三輪車様、244様、誤字報告等ありがとうございます。


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第十一話―――慰霊(前編)

 戦闘は終わった、ナデシコが到着する前に。

 そのナデシコは既にドック入りしている。ただあれから数時間、再度襲来を警戒して戦闘配置が続いていた。

 しかし、それも今は解除されている。

 サツキミドリより離れたL3の別の宙域……別のコロニーに駐留している連合軍第2艦隊(月方面軍)に属する部隊が警護に就いたからだ。

 恐らくルリちゃんの打った策によって、主導権を握ったネルガルが動かしたのだろう。住民の退避も考えての事だと思う。

 お蔭でようやく長い、長い緊張から解放された。

 

「すぅ……はぁ……」

 

 コックピットから降りて一度背を伸ばして軽く深呼吸した。

 長い間シートに座り、狭いコックピットに缶詰めになっていた状態からの解放感からそうせずにいられなかった。

 

「おう、テンカワ……」

「あ、ウリバタケさん」

 

 何時ものように……といってもまだ二度目だが、ウリバタケさんが出迎えてくれた。

 

「ご苦労さん」

「いえ、そちらこそ、ご苦労様です」

 

 やはり例によって労いの言葉が掛けられ、俺も長い待機状態にあったウリバタケさんを労った。

 だが、ウリバタケさんは首を横に振る。

 

「いや、俺達はそんなでもねえ。交代で休憩と仮眠の許可は出てたからな。ずっとコックピットで缶詰めだったお前ほどじゃねえよ」

「そうなんですか?」

「ああ、まあ、だが……ありがとよ。パイロットってのは自分が主役だと思いたがる奴が多いっていうしな。こうして俺達……整備の連中に気を遣うのは良い事だ」

 

 そう言いながらウリバタケさんは、ガイの機体があるガントリーの方へ視線を向ける。

 思わず苦笑した。アイツは自分が主役だと思ってるパイロットの代表格と言えるような奴だし……うん?

 

「あれ? ガイの奴、降りてこないな?」

 

 ふと、ガイのエステのコックピットが一向に開かない事から不思議に思う。

 

「そういや、そうだな。どうしたんだアイツ? ……おーい!」

 

 ウリバタケさんも首を傾げて……叫んだ。ガイの機体の周囲にいる整備員達に。

 

「ヤマダの野郎、なんで出て来ないんだ! これからが俺達の仕事……整備があるんだぞ! ピットを外してとっとと取っからねえと! 0G戦フレームが納入次第、そっちの調整だってあるんだ!」

「いや、……そ、それが!」

「あん、なんだ! 何が言いたい! ハッキリしろ!」

 

 ウリバタケさんの言葉に困惑した表情を見せる整備員。

 

「……ヤマダの奴――寝てます!」

「ハァ!?」

 

 ウリバタケさんが盛大に唖然とした表情を見せ、その隣で俺も唖然とした。

 って、そういえば待機に入って一時間ほどは通信でやたらと話しかけて来ていたガイが、どうしてか突然に黙り込んでいた。少し不思議に思ったけど…………そうか、眠っていたのか。

 

「――ッ! コックピット強制開放だ! 叩き起こせ! ……いや、放り出してそこらに捨てちまえ!! こっちはこれからが忙しいんだ!! 遠慮してやる必要はねえ! 構ってられるか!!」

「りょ、了解!!」

 

 ピキッとこめかみに青筋を浮かべたウリバタケさんの怒声を受けて、整備員達はアワアワとした様子で指示を実行した。

 コックピットが解放され、三人以上の整備員にガイは引きずり出されて――

 

「「「――せーの……っ!!」」」

 

 固い床に投げ捨てられた。

 一切躊躇した様子もなく整備員達はそれを行った。彼らにしても呑気に寝ていたガイに思う所があったのだろう。

 ……俺も止めようとは思わなかった。

 

「ぐぇ!?」

 

 エステバリスの胸下ほどの高さから床に叩きつけられたガイは、思いっ切り背中を打ってカエルが潰れたような声を上げた。

 

「……!? ……!!?」

 

 寝ていた所への突然の衝撃と痛みにガイは目を覚ましたものの、パクパクと口を動かし、一度声を上げてからは無言でピクピクしている。まるで陸に打ち上げられた魚だ。声を出せない程の痛みらしい。

 しかし、

 

「ったく! 手間かけさせやがって!」

 

 ウリバタケさんはそれを見ても気が晴れないのか悪態をついた。

 そして俺は溜息を吐くしかなかった。

 

 

 

 

 忙しそうでピリピリした(半分はガイが原因なのだろうが)ウリバタケさんの様子もあって俺達は早々に格納庫を後にした。

 更衣室へ入り、パイロットスーツを脱ぐと、ガイはロッカーに張られた大きめの鏡と手鏡を写し鏡にして背中を確認していた。

 肩甲骨二つに大きな痣が出来ている。

 

「うわ、でけぇ痣になってやがる。痛っ……っつ……、この仕打ちは無いんじゃねのか? 蜥蜴どもを追い払ったヒーローに対してよ」

「寝てたお前が悪いんだろ。いつまた出撃が掛かるか分からないってのに……」

「ぐ……」

 

 俺もパイロットスーツを脱いで呆れた口調で言うと、ガイはバツの悪そうな顔をした。何かしら言い訳を口にするなり、誤魔化したりすると思ったがさすがに悪いと思ったようだ。で、

 

「悪かったよ」

 

 ほんとにそう思っていた。ガイは素直に謝った。

 

「なんだかんだ言って俺も防衛ラインの時が初陣だったからな。その後であの戦闘だ。柄にもなく疲れていたらしい」

 

 だが、そう言い訳めいた事も言う。しかし俺は咎める事はできなかった。パイロットとしては共感できる事だからだ。

 それにいつになく真面目な表情をしている。

 

「戦闘ってのは、ああなんだな」

「……」

 

 しみじみとした感じでポツリと言う。その言葉は曖昧だったが……不思議と言いたい事が何なのか理解できた。

 さっきの戦闘を思い返しているのなら嫌でも分かる。同じ思いがある筈だから。

 

「俺も軍人になろうとしたからな……だから分かってはいたんだ。その積りだった」

「そっか」

「ああ」

 

 ガイの言葉に短く答えると、ガイも短く頷いた。

 戦闘で人が死ぬ。ガイも俺もそんな分かり切っていた事を今更ながらに強く覚えたというだけ。

 

 ――それだけの事だ。

 

 戦闘機が撃墜されて目の前で少なくない人が死んだ。援護が間に合って助けられる事も決して少なくはなかったが。

 そして見えない所ではきっと多くの人が死んでいて、だから本当に俺は……俺達は……――疑問があって胸に淀むモヤモヤとした嫌な感覚があった。

 

 その所為か俺は黙り込み、ガイも何も言わず僅かに沈黙が漂ったが……しかし、

 

「まあ、だがウジウジする気はねぇけどな。それこそ俺の柄じゃねえし。……そもそもヒーローの俺様がそんなヘコたれた姿を見せられるかっての! でないと木星の連中からナデシコと地球は誰が守るってんだ!!」

 

 ガイはガイだった。一分ほどの沈黙の後、意味もなく不敵に笑ってカッコを付けて、自信に満ちた表情を見せる。

 

「……お前らしいな」

 

 神妙そうな顔を見せたと思ったらこれだ。呆れて苦笑するしかなかった。けど、

 

「けど、そうだよな。悩んだって仕方ないんだ」

 

 呆れはしたが、同意もした。

 死に対して辛く悲しくどうしようもないモヤモヤした感じや忌避や怖さもある。しかしそれを引き摺って落ち込んだり、あれこれ悩んだ所でどうにもならないのは確かだ。

 考えあっての言葉ではないのだろうが、少しはガイを見習って前を向こうと思えた……のだけど、

 

「おう! ウジウジ悩んだってそれで死んだ連中が帰ってくる訳じゃねえんだ。それによ! あの戦闘機のパイロット達だってコロニーを守る為に蜥蜴どもと戦ったんだ! なら俺達にしてやれるのは戦った連中の遺志を継いでやるだけだろ! 悪の侵略者たる木星人どもから無辜の人々を守る為に戦うってな!!」

「……そう、だな」

 

 この続いたガイの言葉には直ぐに頷けなかった。

 死んだ人達が帰ってくる訳ではない、誰かを守る為に戦った人達の意思に報いたい…というのはきっと間違ってもいないし、正しいと思う。

 しかしガイが出したその言葉の半分……その台詞は、“正義”を信じて疑わない事から言えたもの。

 ゲキガンガー3というアニメで描かれた誰が見てもそうだと思う、“分かり易い”それを、現実に持ち込んで――

 

「――ガイ」

「いつの日にか平和を~♪ 取り戻せこの手に♪ ……ともな。って……ん? なんだ?」

「あ、いや……なんでもない」

 

 先程の言葉に続けてゲキガンガーの歌詞を紡ぐガイに、自分でも何を言おうとしたのか? 声を掛けたものの、キョトンとしたガイの顔を見て……首を横に振らざるを得なかった。

 

「……変な奴だな?」

 

 訝しげに首を傾げるガイ。

 その顔に、まったくだ、と自分でも思わなくもない。

 本当に何を言う積もりだったのか……俺は?

 まさか木星人でなくて同じ地球人だと、敵は木星蜥蜴ではなく木連っていう同じ人類が築いた国家で、この戦争はただの人間同士の殺し合いだって言う積もりだったのか?……確かにそれは事実なんだろうけど、幾らガイが単純でも、何の確証もなしにこんな突飛な話は信じないだろう。

 そもそもそんな簡単に誰かに言っていい事じゃない。

 

 それに今、ガイが信じる“正義”を崩す訳にはいかない。

 もしそれでこいつが戦う事に疑問を持ってパイロットを辞めるなんて言い出したら……どうなるのか?

 ガイの実力は本物だ。パイロットを辞めさせるのも、ナデシコから降ろすのも惜しいぐらいの。

 俺個人としても、ガイとはこれからも一緒に戦っていきたいという思いも、場合によって連るんで一緒に馬鹿をやっても良いという思いもある。だからパイロットでいて欲しいし、ナデシコに乗っていて貰いたい。

 まあ……ウリバタケさんの言うように喧しいし、付き合うと面倒で疲れを覚える事もあるけど。

 

 ……しかしそれでも、何時かはその事実が知られて、その時ガイはどう思うのか?

 

 その不安はどうあっても拭えなかった。

 けど、先程のガイの言葉ではないが、ウジウジと悩んでどうにかなるものではない。

 出来る事もない。いや、あるのかも知れないが、今一ついい案は浮かばない。だから、

 

「……とりあえず、ルリちゃんと相談か。これからの事もあるし、そろそろあの子と方針を含めて確りと話さないとな」

 

 一人悩んで鬱屈しそうになる気分を振り払うかのように、そう小さく言った。

 これまでは短く近いうちに起きる事の対処案しか話していない。

 だけど、サツキミドリを出れば、火星までの一月半にも及ぶ航海が待っている。その間に多くの事を話せる筈だ。

 今後のナデシコの事、ネルガルの事、連合の事、木連の事、あの子と話せば色々とやるべき事、出来る事、進むべき道が見えてくるだろう。

 

「しかし、はぁ……、女の子に頼りっぱなしっていうのも、ほんと情けないけどな」

「あ~ん、何か言ったかアキト?」

 

 仮にも大人の男性としてどうなんだという事実に軽く嘆息すると、ガイがまた怪訝そうな顔を向けたが俺はまた首を横に振った。

 

「いや、何でもないよ」

「さっきもそう言ってたな。まあ、いいけどよ。さっさとシャワー浴びて戻ろうぜ。いい加減疲れたし、眠いしよ」

「ああ」

 

 確かに疲れていた。それに眠い。防衛ライン突破は艦内(にほん)時間で午後2時、それからサツキミドリ到着まで4時間ほど、戦闘後の待機に6時間……もう真夜中だ。

 ガイの言葉に賛成だった。

 

 

 

 

 戦闘配置が続いた6時間。

 その間、私はレーダーの監視以外これといってやる事はなかった。ただし他に何もしなかった訳でもない。

 サツキミドリのコンピュータにアクセスして警戒態勢から戦闘に入った記録(ログ)を洗い。前回の事も含めた敵の動きを調査したり、まだ地球圏である事からナデシコの重力波通信機を利用して地球上の電子の海を泳いでいた。

 

 後者の方はともかく、前者に関してはほぼ推測通りに思えた。

 

 前回、サツキミドリはナデシコが寄港する直前になって、突然壊滅した。それも一瞬で、メグミさんが通信の最中に。その通信には敵に警戒した様子も接近に気付いた様子もなかった。

 それらから推測できる事は、サツキミドリは敵の接近に一切気付いておらず、尚且つコロニーを一撃で壊滅させるほどの戦力…大多数の無人兵器に奇襲され、攻撃されたという事だ。

 

 それほどの…今回見たほどの戦力が気付かれずに接近できた方法は単純だ。

 アクティブセンサーを切り、動力の出力を最低限に落とし、デブリに紛れ…或いは偽装して慣性航法でサツキミドリへと移動したのだ。

 バッタのサイズならデブリに偽装するのは容易な筈。それと多少のデブリ群が纏まって流れていようがこの戦時だ。不審に思われる事は余りない。

 L3には敵が来ないという先入観もある。前回のサツキミドリのレーダー担当が見逃しても何ら不思議ではない。

 

 それら推測を裏付けるように、今回警戒態勢に入り、哨戒に出た戦闘機中隊の一つ…ゴルファー隊、最初に接敵した彼等が見たのは、サツキミドリへ侵入コースを取っていた大小様々なデブリに張り付くバッタ達だった。

 ゴルファー隊は警戒態勢に入っていたが故に、コロニーへ移動するデブリに不審感を持ったらしい。

 そして発見されたバッタ達は、奇襲は無理と判断し……かくして今回の戦闘となった。

 

 警戒態勢を取ったお蔭で奇襲による壊滅は防げたけど、対価として、前回より急いで航行するナデシコが到着するよりも早い段階で、無人兵器の攻撃を受けたという訳になる。

 

 ナデシコ到着前に戦闘が起きて、それなりに大きな戦いになったのも予想外だったけれど……結果としては喜ばしいものと言える。

 サツキミドリは壊滅せず、人的被害は戦闘要員だけ。前回リョーコさん達しか生き残らなかった事を思えば……手を打った甲斐はあった。本当に。

 でも、

 

「アキトさんは浮かない顔でしたが……」

 

 心配だった。通信で私の労いと艦長やプロスさん達の称賛にも苦笑するだけで嬉しそうな様子はなかった。達成感もないようだった。

 やはり戦闘は大変で辛く苦しい思いをしたのだと思う。

 

「……アキトさん、やっぱり貴方には戦う事は向いていないですよ」

 

 思わずそう呟いた。待機するコックピットの中で、何かを思い悩むようにずっと険しい表情だったアキトさんの姿が脳裏に浮かんで。

 

 優しいあの人には戦う事は似合わない。だけど、アキトさんは戦う事を止めない。私が止めようとしても、きっと……。

 それもきっと、優しいからなのだと思う。自分が凄惨な目に遭う未来が怖いというのが一番の理由なのかも知れない。けど、あの人が戦うのを止められないのは……。

 

 ――ああ、行ってくる! サツキミドリの人達を助けてくる……!

 

 臆した様子もなく、アキトさんは出撃直前にそう言った。強く意志が籠った声で。

 デルフィニウムとの戦いからそれほど間もなく、コックピットで苦しんでいたばかりだったのに。

 

「……優しいから戦うのが嫌なのに、優しいから嫌でも戦ってしまう」

 

 だから止める事はできない。ただのコックである事が出来ない。なら私は、そんなアキトさんに私が出来る事は……。

 

「パイロットとして頑張るアキトさんに、私は何をしてあげられるのだろう?」

 

 ゴロリとベッドの上で転がって天井を見る。作り物の魚が宙を泳いでいる。ぼんやりとそれを見つめる。

 今日の戦いで、私はブリッジで戦いを見守る事しか、祈る事しか出来なかった。

 オペレーターだからそれは当然の事。だからといってヤマダさんのように一緒に戦いに出るなんて以っての他。ナデシコのオペレーターは私にしか出来ない重要な役目。だから……

 

「結局は、これからもずっとそうなんでしょうね」

 

 見守って、無事に帰ってきてくれるのを祈る事しか……。

 

「艦長は……いえ、“ユリカさん”はよく平然としていられたものです」

 

 大好きだった人の事を思い出す。

 色々と問題がある人だったけど、ユリカさんは戦いに出るアキトさんを不安に思う事なく、艦長として戦いの指揮を執って、あの人の乗るレッドパープルのエステバリスが戻るのを待っていた。

 

 ……ううん、もしかするとユリカさんも同じ思いだったのかも知れない。

 

 私や他のクルーが知らないだけで、不安でアキトさんが無事で帰ってくるのを祈って――もしそうなら、そうだとしたら……聞きたい……ユリカ……さんに、

 

 ――重くなった瞼を閉じる。

 

 

 

 

「……という訳で今日は一段と忙しくなる」

 

 他のクルーよりも一足早い朝食を終えた後、ホウメイさんが言った。

 

「合同葬儀による葬式料理ですか? サツキミドリにもそういう料理スタッフとかいるんですよね?」

「当り前さ。向こうは小さくともコロニーなんだ。ネルガルの研究所や工場だとかの食堂の料理スタッフどころか、個人やチェーンでも店を出して構えている奴も当然いる。まあ、けど……うちはうちで必要だし、手は多い方が良いって事さ」

 

 俺の質問にホウメイさんはやや呆れたように答えた。

 葬式というのは分かる。多くの人が亡くなったのだから。しかし昨日の今日で合同だとかの話が纏まるとは……それが遅いのか? 早いのか? 自分自身、前の世界では曾祖母や曾祖父と……ぐらいしか経験がないから良く分からない。

 彼の……アキトの記憶では両親の葬儀は行われたようだが、幼い頃の出来事の所為かハッキリとしない、突然の事で……しかも殺されたと思わしき現場を見たショックもあったのだと思う。

 

「――ッ!」

 

 途端、頭の中に強い電流が奔った。フラッシュバックだ。

 血溜りの中で倒れた男女の姿が見えた。まだ健在だった頃の男女……厳しい父、優しい母……そんな両親の姿も。

 

「テンカワさんどうしました?」

「あ、いや……なんでもない」

 

 声にハッとする。サユリさんがやや心配そうな顔でこちらを見ていた。

 

「でも、ちょっと顔色が悪いです。疲れているんじゃないですか? 昨日の事もありますし」

「……大丈夫だから。心配してくれてありがとう」

 

 心配を掛ける訳にはいかないと笑顔でなるべく元気よく答える。

 

「そうですか? でももし辛いなら休んで貰っても構いませんよ。テンカワさんが大変なのは私達も分かってますから――ね、みんな……」

「うん!」

「遠慮なく言って」

「多少忙しくても大丈夫だから」

「そうそう、倒れたら元も子もないから」

 

 サユリさんの賛同を求める声に皆が頷いた。

 ……正直ちょっと、いや……結構感動した。良い職場だなと改めて思った。

 だからこそ、甘える訳にはいかなかった。

 

「皆、ありがとう。けどさ、ほんと大丈夫だから。そう言ってくれるだけで元気が……疲れが飛んでやる気が出たからさ」

 

 さっきより元気よく声を出した。心配してくれる皆に感謝して。

 

「はははっ、良い意気込みだ。じゃあ早速取り掛かるとするか。皆、今日もよろしく頼むよ!」

「はい!」

「「「「「はい!」」」」」

 

 ホウメイさんの快活な言葉に俺達も快活に応えた。

 

 

 

「やっほー! アキト! おはよう!」

 

 ユリカ嬢が俺たち以外で誰よりも早く食堂に来た。

 

「ああ、艦長、おはよう」

 

 振るう包丁の手を止めて挨拶する。するとユリカ嬢はやはりというか不満そうな顔をする。

 

「ユリカで良いのに……」

 

 と。

 しかし今日はそれ以上は言わなかった。俺がそうする気がない事を理解したのだろう。

 

「今日も見てて良い? アキトの料理する姿」

「ん……それは俺じゃなくてホウメイさんに――」

「――いいよ、邪魔しないんなら」

 

 俺が答えようとしたら、そのホウメイさんがあっさり了承した。

 それにユリカ嬢は昨日と同じく「やったぁ!」と笑顔で喜び、

 

「じゃあ、おとなしくしてる……――あ、そうだ。ちょっとだけお話良いかな?」

「うん?」

 

 笑顔だった顔が真面目になり、声のトーンも落ちて俺は訝しげに思うと、ホウメイさんもおや? とした顔になる。

 

「ホウメイさん、少しだけアキトと二人きりになりたいんですけど……」

「そうだねぇ……」

 

 遠慮がちなユリカ嬢の声。唐突なお願いだが、ホウメイさんはユリカ嬢の様子に感じるものがあったのか、少し考えてから言った。

 

「なら隣の部屋でどうだい? あそこなら今の調理に必要なものは取って来てあるし、二人で話すにはちょうどいいよ。こっちもテンカワに用があればすぐに呼べるしね」

 

 その言葉に、ユリカ嬢は頭を下げる。

 

「ありがとうございます。じゃあ……アキト」

「あ、ああ」

 

 ユリカ嬢は戸惑う俺の手を引いて……って、包丁を握ったままだった事に気付いて慌てて調理台に置いた。

 

 

「で、話しってなんだ? なんか大事な事っぽいけど」

 

 隣の部屋。ホウメイさん自慢の調味料棚がある所だ。ちなみに俺とホウメイガールズが使うロッカーもある。

 

「うん、昨日戦いが終わったあとなんだけど……」

 

 俺の問い掛けにユリカ嬢は、先程のように真面目な表情でそれを語った。

 なんでも戦闘配置で待機に入った俺を含めたクルー及びナデシコだったが、連合宇宙軍第二艦隊がサツキミドリの警護に動く際、何故か管轄外の連合宇宙軍第三艦隊(地球方面軍)からその旨の連絡が来たのだ。

 つまり、

 

「ミスマル提督……お前の親父さんから?」

「そう。……その理由はなんでかよく分かんないけど。確かに未だ第二艦隊は再編中だし……うーん、それでもお父様が連絡するなんて……」

「いや、それは……」

 

 分かる。あの親馬鹿カイゼル髭のサリーパパの事だから、権限を振り翳して無理を……いや、多分ミスマル家の権力まで使って、連合総司令部やら総参謀部だとかにそう話を通したのだろう。娘と話をしたいが為に。火星に行ったら顔を合わせるのは難しいから。

 

「まあ、分かんないけど、大したことじゃないし、それはそれで良いんだけど……」

 

 うーん、と首を傾げながらもユリカ嬢は話を続ける。

 良いのか? と一瞬思ったが、言う通り俺達には大したことじゃない。第二艦隊の提督がすべき役目を、第三艦隊の提督が越権して奪おうが。……尤も連合軍内では大問題になっているかも知れないが。

 少し額に汗が浮き出るのを感じつつユリカ嬢の話を聞く。

 

「それで待機中に色々と話をしたんだけど……――聞いてみたの」

「何を?」

「アキトの両親の話。アキトは亡くなったって言ってたから、お父様と話をしていてそれを思い出して、お父様が昔、テンカワの家の人が皆亡くなったって言ってたのが気になって」

「ユリカ……」

 

 二人っきりな事もあって名前で呼んだ。

 ルリちゃんもそうだが、ユリカ嬢の名前を口にするのは、あの子に対して以上に何か違和感と辛いものがある。本当に俺が彼女達の名前を呼んで良いのか? そんな資格・権利があるのか? ……という疑問と不安。

 

「アキト……ゴメン、辛い話だよね」

「あ、いや!」

 

 疑問と不安に捉われた俺の顔を見てどう思ったのか、ユリカ嬢は俺に気を遣う。

 

「いいんだ。それより、気に掛かった事って、そんなこと言われたらそっちが気になる。俺に気を使わなくてもいいから、遠慮なく話してくれ」

「……うん」

 

 変に誤解をさせたようなので少し慌てて気を使う必要はないと訴え、ユリカ嬢はそれに頷いた。ただその表情は気遣わし気なままだが。

 

「変だよね? アキトが生きているのにお父様は皆亡くなったって言うのは」

「うん、まあ……確かにそうかも知れないけど、そんなに変か? 父さんと母さんが死んで連絡が付かなかったりしたら、そう思い込むのも無理はないと思うけど」

「……そうだね。私もそう思ってはいたんだ。けど――」

 

 ユリカ嬢は真面目な表情の中、さらに真剣に考え込むような顔を覗かせる。

 

「変だって分かっちゃった。アキトが生きているって、ナデシコに乗ってるって言った途端、とても怖い顔をしてたから。ほんの一瞬だったけど、アレは何か隠してる」

「……」

 

 原作ではどうだったのか? と考えられずにはいられなかった。ユリカ嬢の様子に。

 第2話でミスマル提督に両親の事を尋ねに行ったユリカ嬢だったが、何も知らないとの返答を得るなり直ぐにナデシコに戻っていたが……此処にいる今の彼女と同じものを感じていたのだろうか?

 ミスマル提督は実際、両親の研究の事を知っていてネルガルに疑いを持っていた。原作22話でアカツキの意図を受けて再度ナデシコを包囲した時にアイツにそれを問い質していた。あとアカツキの父親の事を引き合いに出していたな。

 

「――!」

 

 さっきのフラッシュバックがまた来た。まるで何かを訴えかけるかのように強く。……思わず額を押さえる。

 

「アキト……?」

 

 怪訝そうな声を掛けられた。ユリカ嬢がジッと俺の顔を、目を見ている。

 

「……もしかしてアキトも何か隠している?」

 

 その真っ直ぐな視線に何も答えられなかった。浮かんだ光景を振り払う。

 

「ユリカ、そのあと提督……おじさんは何か言っていたか?」

「え? えっと……アキトの両親がどのように亡くなったか尋ねられた。アキトから聞いたんじゃないか? って。だから私余計に変に思って……昔、おじさんとおばさん、アキトが亡くなったって言ってたのはお父様だって。なのに死因を知らないのはおかしくありませんか? って、そしたらお父様黙り込んじゃって……暫くして、そうだった、事故だったって、明らかに誤魔化してた」

「………」

 

 この世界でもやっぱり疑っているらしい。恐らく独自に調査を行ったのだろう。あの人はアキトの記憶を思い返す限り、テンカワ夫妻とは家が隣同士だったからかかなり親しくしていたようだし……それでも真実には近づいても掴めなかったようだが。

 

「アキト、何か知っているなら――」

「――いや、ユリカ、事故だ」

「え? でも……」

「……事故という事にしておいてくれないか? おじさんが疑わしいという気持ちも分かるし、正直、俺も隠している事はある。けど、事故という事でそれ以上は……頼むよ」

 

 真っ直ぐ向けられる瞳。そこには不可解な疑問を解こうとする強い意志がある。父親が何かを隠していて疑わしい事、それもアキトの両親の死に関わっているらしい事、そして恐らく大きな秘密があるとも感じているのだろう。ユリカ嬢の勘は鋭い。

 だけど、それを知るのは危険だ。それを迂闊に調べる事も。だから原作でもユリカ嬢の問い掛けに提督は言葉を濁した。

 しかし直感的なものだが、この世界のユリカ嬢は深入りしそうな気がする。原作と違ってあっさりと引き下がらずに、ほっとくとズンズンと足を踏み入れて泥沼に嵌まりそうな気配を覚える。

 だから言う。

 

「ユリカ、そのことは誰にも言うな……絶対に。調べる事も禁止だ」

「アキト……」

「頼む!」

 

 尚もユリカ嬢は問いたそうにしていたが、俺は深く頭を下げてお願いした。

 

「……分かった。アキトがそこまで言うなら、何も聞かないし、調べない」

「そうか、ありがとう。……それとゴメンな」

「ううん、私の方こそゴメン、アキトにとって辛い事の筈なのに……」

 

 受け入れてくれたユリカ嬢にホッとする。

 ただそれでも不安はあったが、俺と……アキトと約束した事は守ると思えた。

 

「いや、いいさ。俺も何も言えないで黙っているんだ。悪いのはむしろこっちだ」

「そうかなぁ?」

「ああ、だからお詫びに朝めしは奢るよ。あとより気合いを入れて作るから」

「え、ほんと! えへへ、嬉しいなぁ。アキトの作るごはん美味しいし」

 

 暗く重かった雰囲気を払う為とこの話をこれっきりとする為にも、明るくやや強引に食事の話へ持って行き、ユリカ嬢も意図を読んでそれに乗って明るく応じてくれた。……彼女の方は半分以上は素なのかも知れないが。

 

 そして、昨日の昼食時と同様、ユリカ嬢は俺の調理する姿を楽しそうに見て、出来た料理を食べて、また俺の姿を見る……と、そうして時間になると彼女は勤務に入る為に食堂を後にした。

 

 

 

 

「ほんと何が楽しいんだか……」

 

 出ていくユリカ嬢の背中を見て何気なしに呟くも、察しは付いている。付き過ぎるほどに……。

 

「ふう」

 

 軽く溜息を吐いてそれを考えないように、仕事に集中して、朝の忙しい時間を乗り切った頃――

 

「あ~! 居た居た!」

「本当にコックなのか……」

「コック……コック……トントンと扉を……それはノック。ププッ……なんちゃって」

 

 昨日も聞いた聞き覚えのある声が食堂から厨房へと聞こえた。寒いギャグも……。

 思わず視線が声の方へ向く。やはりそこには例の三人娘の姿があった。

 

「おや、見ない顔。もしかして新顔で来るっていうパイロット達かい?」

「あ、えっと……」

「……と、私としたことが……ここで料理長をやっているリュウ・ホウメイって言うんだ」

 

 ホウメイさんがカウンターから食堂に居る彼女達に尋ね。ヒカル嬢から問いたげな視線を受けると自己紹介した。それに三人娘は昨日のように名前を告げている。

 ――で、

 

「それで向こうに居るのがテンカワだ」

 

 こっちに顔を振り向かせながら、三人娘の俺に向ける視線に答えた。

 その視線は明らかに値踏みするものだ。不躾なそれを三人は……いや、その内の一人……イズミ嬢は良く分からないが、二人は隠そうともしない。

 

「ふむ、……テンカワ。手が空いたしちょっと休憩に行ってきて良いよ」

「はい、じゃあ少しの間失礼します」

 

 ホウメイさんの意図を了解し直ぐに答えて厨房を出て、食堂の暖簾も潜って通路に出る。

 そのあとを三人娘も続いた。

 

「改めて紹介するよ、アタシはスバルリョーコ。知っての通りエステバリスのパイロットだ。今日付でナデシコの世話になる事になった」

「同じくエステちゃんのパイロットのアマノヒカルです」

「マキイズミ……パイロットよ」

 

 ナデシコ艦内の通路に幾つかある自販機も並ぶ休憩スペースで、椅子に座って俺達は向かい合った。

 

「俺はテンカワアキト、コックと一応パイロットもやっている。よろしく、スバルさん、アマノさん、マキさん」

 

 一応同年代という事と、堅苦しいのは彼女達には受けが悪いと思って頭を下げずに気軽に挨拶する。

 

「ああ、よろしく」

「よろしくね。テンカワさん」

「……よろしく」

 

 挨拶に挨拶が返るが……やはりリョーコ嬢、ヒカル嬢からは不躾な視線がある。

 

「うーん、やっぱ……」

「うん、そうだね。余り“らしく”ないね」

「ははっ、俺は本職はコックだしね」

 

 彼女達の言いたい事を察して苦笑する。視線の事も含めて別段不快という事は無い。自分でも自覚はあるのだ。パイロットは似合わないと。

 

「……まあ、見た目がどうこう言ったらヒカルはこんなだし、関係はないんだろうけどな」

「ひどいなぁ、リョーコは。うん、まあ……でもそれは私も自覚はあるかなぁ……?」

 

 リョーコ嬢に言われてヒカル嬢は、何故か自分の事なのに不思議そうに首を傾げる。

 

「そうだね、ヒカルの腕は確かだし、それにテンカワ君もね。昨日の動きは良かったよ」

「お、そうそう、空戦フレームなのに見事だったぜ。動きも良かったし、バッタのミサイルに追っかけられた時の判断の早さも対応の仕方も確りしてたしな」

 

 イズミ嬢は真面目モードなのかギャグは言わず、リョーコ嬢も意外にも称賛した。原作のアキトへの対応を思うと、もっと突っ掛かられるかと思っていたのだが。

 

「うんうん、流石だよね。サセボで初のエステでの実戦経験者ってだけはあるよ。それも訓練を一切受けていない素人でさ……まるで大昔のアニメの主人公みたい」

 

 ヒカル嬢がコクコク頷きながら言う。

 何か大仰な評価をされているような気がする。変に突っ掛かられないのはその所為らしい。その上で昨日の戦いを演じた事も関係してそうだ。

 ただヒカル嬢の言いようには……某天パの白い流星が脳裏に浮かぶ。もしそれと同一視されるなら過大評価もほんと過ぎると言うもので、きついのだが。

 

「そんな大したことじゃないよ。偶然ってだけで。俺は火星出身だからIFSに慣れているお蔭だってプロスさんも言っていたし」

 

 だから過大過ぎる評価を払拭する為にそう言った……のだが、

 

「んな訳あるかよ。アレはお前の実力……才能だよテンカワ。確かに慣れは重要だが、それだけで何とかなるならIFSを持ってる奴は、今頃みんなエースパイロットになっちまってる」

「リョーコの言う通りね。謙遜も過ぎると嫌味よ」

「いや、そんな積もりは……」

 

 過大な評価を否定しようとしたらリョーコ嬢に食って掛かられ、イズミ嬢に呆れられた。

 

「うーん、どうもテンカワ君は自分の実力って言うのを分かっていないみたいね」

「……そっかー、テンカワさん、素人だから比較対象が身近に居ないんだ。私達みたいに軍の学校で教育を受けている訳じゃないし」

「なるほどな、だから無自覚って訳か。自分がどれだけ良い筋しているのか分かんねえ、と……おっし、分かった!」

 

 やや悩まし気な表情のイズミ嬢、納得した様子のヒカル嬢、そして不満げな顔を一転して気合いを入れた様相を見せるリョーコ嬢。

 リョーコ嬢はパシンッと自分の膝を叩くと、俺に強い視線を向け、

 

「俺達がテンカワの実力がどれ程のものか教えてやる。それにまだまだ伸びそうだしな、鍛えてやるぜ!」

「え? ……えっと……」

 

 戸惑う俺。いや、何れにしろ訓練は必要だから、それはそれで構わないんだけど……。

 

「それが一番ね」

「よしよし、テンカワさん。任せて! 私たちが君を全国に連れて行ってあげるから!」

 

 イズミ嬢はリョーコ嬢に同意を示し、ヒカル嬢は冗談めかしながらも気合が入っている様子。

 三人娘の視線が俺に集中する。何か圧力めいたものを感じる。……顔が引き攣って汗が頬を伝った。

 

「……――ゴメン、俺仕事があるからっ! コックの!」

 

 三十六計逃げるに如かず! 嫌な予感を覚えて俺は素早く立ち上がると、同時にその場から脱兎の如く駆けだした。

 あの場に居たらどう考えても、シミュレーター上で三人掛かりで小突き回される未来しか見えない。

 せめてガイが……アイツが居ないと、バランスが悪い。戦力的な意味でも男女比的な意味でも。

 

「って、そういやアイツどうしたんだ!? ああしてパイロットは皆揃っているのに……!」

 

 そう言うと同時に脳裏に答えが出た。朝早く出勤する際に見た、大きないびきを掻いて寝ているガイの姿が浮かぶ。

 

「おらぁー! 何で逃げる!? 逃げんなぁ!! テンカワぁ!!」

「アキトくーん! 全国に行かないのぉ!!」

「やれやれ、ね」

 

 リョーコ嬢の怒鳴り声と、ヒカル嬢の……何故か名前呼ばわりで君付けになっている声が聞こえるが無視する。

 イズミ嬢、シリアスモードの貴女は真面そうに見えるんで止めてくれませんかね? 背後から、背後から、足音が! ……足音がガガッ! 何か凄まじい怒気と共にッ!

 

「よし! 捕まえ――」

「――させませんッ!!」

「……た! って何!? ――ぐあッ!」

 

 な、何だ! 足音がもう直ぐそこに――という所で、覚えがある声と共にリョーコ嬢の驚きと短い悲鳴が聞こえた。

 

「え? ――ええっ!?」

「……」

 

 さらにその直後、ヒカル嬢の驚きに満ちた声が聞こえ、イズミ嬢のあっけに取られた気配が何となしに伝わった。

 それに遅れて足を止めた俺は振り向くと、

 

「え?」

 

 ポカンと口を開ける事となった。

 

「い、いつつつ!! は、離してくれぇ!」

「駄目です! アキトさんを追いかけないと約束しないと離しません!」

 

 床に背中から倒れているリョーコ嬢、右腕を取られて伸びきったそれは関節を極められているのか痛みに喘いで起き上がれない様子。オマケに左腕も踏まれている。

 そしてその腕を取って極めて、踏んでいるらしいのは……

 

「ル、ルリ……ちゃん……?」

 

 銀の髪と金色の眼を持つ、我らが電子の妖精様だった。

 

「追いかけない! もう追いかけないからッ!!」

「本当ですか?」

「痛たたたっ!? ち、力を入れるな! 捻るなって! ほんとテンカワを追いかけないからぁ!!」

 

 リョーコ嬢のものとは思えない懇願に満ちた情けない声。

 二十歳近い腕っぷしの強そうな女性が、大人しく無害そうな十歳程度の少女に取り押さえられて凄まれるという――どう見ても異様な状況。

 何が一体どうなっているのか思考が追い付かない。いや、ほんと何なんだこの状況は? というかルリちゃんに一体何が……?

 

「……約束ですよ」

「あ、ああ」

 

 ルリちゃんが手を離す。リョーコ嬢がホッとした顔をする。

 

「スゴ……あのリョーコを、それもあんな小さな子が……」

「……合気道かしら?」

 

 唖然としながらも感心した様子のヒカル嬢、その横で興味深げにルリちゃんを見るイズミ嬢。

 

「くそぉ、なんでこんな……」

「……何か言いましたか?」

「い、いや! なんでもねえ!」

 

 立ち上がって悪態を吐くリョーコ嬢であるが、ルリちゃんに……ルリさんに睨まれてビクリと肩を震わせた。

 それを尻目に銀の髪を揺らして、こちらへルリさんが駆け寄ってくる。

 

「大丈夫ですか、アキトさん?」

「大丈夫っス、ルリさんに助けられましたんで……」

「……ルリさんって……どうして、そんな余所余所しいんですか?」

 

 思わずヘコヘコと頭を下げてしまう。

 

「いや~、ルリさん流石っス。マジパネェっす」

「……アキトさん、冗談でもそういうの止めてくれません? ――――怒りますよ」

 

 ――怒りますよ、とそう言われた瞬間背筋に悪寒が奔った!

 笑顔だけど眼が笑っていない。鋭さを感じさせて金色の眼だけに猛禽を連想させて本気で怖い。しかし此処で「我々の業界ではご褒美です!」とか言ったらどうなるのか? と好奇心が出たが、蛮勇&無謀な気がするのでグッと堪える。

 あと冗談だと分かってくれないルリちゃんに本気で蔑まれて、首を括りたくなる気もする。

 

 ……――とりあえず、いい加減落ち着こうか、俺。

 

「ゴメン、何か混乱した……っていうかルリちゃんいつの間に!? というかスバルさんに何をしたの!?」

 

 落ち着こうとするが、それでも困惑は残る。

 そんな俺にルリちゃんは首を傾げる。

 

「普通に食堂に向かっていたらリョーコさんの怒鳴り声が聞こえて、そしたら目の前の通路をアキトさんが凄まじい勢いで駆けているのが見えて、その直後にリョーコさんが飛び出て、アキトさんに危害を加えそうでしたから……こう、つい咄嗟に」

 

 通路の十字路となっている場所を指差して説明し、背負い投げのような動作をするルリちゃん。

 なるほど、脇に続く通路から、俺とリョーコ嬢が駆け抜ける通路へと出ようとした所を偶然遭遇し、俺の身が危ない思ったら勝手に身体が動いてリョーコ嬢を床に叩き付けていたと。

 ……うん、分かるけど、分からん。

 

「……咄嗟にって、ルリちゃんにそんな事が出来るのがビックリなんだけど」

 

 一番理解できない事を口にする。すると――

 

「――私、艦長でしたから」

 

 などとルリちゃんは説得力があるのか、無いのか、余計に訳が分からなくなることを言った。

 

 ……一応、もう少しだけ詳しく聞くとA級ジャンパーほどでないにしろ、身を狙われ、命の危険に晒される事もやはりあったそうなので、最低限自分一人でも身を守れるようにあの高杉 三郎太から“柔ら”を軽く学んだらしい。

 ただ軽くではあるもののIFS持ち、つまりナノマシンによる神経の補助のお蔭で反射神経や動体視力が常人よりも優れ……それもIFS強化体質な分、余計に向上しているらしく、先程のリョーコ嬢のように軍で格闘訓練を受け、居合抜き有段者のような実力者でも不意を突けば簡単に取り押さえられたり、一撃で叩きのめす事が出来たらしい。

 

「私は未来でも小柄であんな華奢な見た目でしたからね。随分と油断してくれて助かった事もあります。……リョーコさんから教わった銃技もとても役に立ちました」

 

 とも言うルリちゃんだが、誇らしそうなのに寂しげ、虚しげでもある。

 劇場版以後、未来で何があったのか非常に気に掛かったが、深く尋ねるのは躊躇われた。

 だから俺は尋ねない。

 

 その後、

 

「アキトさんはコックです。正式なパイロットではありません」

「いや、でもよ。だからって訓練は――」

「それも分かっています。ですから後々はスケジュールが組まれる筈です。リョーコさん達の訓練に混ざる事は間違いありません」

「……分かったよ、そん時を待つ」

「分かってくれればいいです。……でしたらアキトさんにも謝って下さいね」

「ぐっ」

「――謝って下さいね」

「わ、分かった。分かったって……テンカワ、悪かった。ゴメン、無理やり訓練に連れ出そうとして」

 

 ルリちゃんの説教を受けてリョーコ嬢は俺に頭を下げた。

 

「分かってくれればいいよ。それにスバルさんが訓練を付けてくれようとしたのは俺の事を思っての事で、悪気はなかったんだしさ、ありがとう」

 

 俺は彼女の謝罪を受け入れながらも、首を横に振って軽く頭を下げる。

 気に掛けてくれた礼もあるが、俺が変に逃げ出したのがリョーコ嬢を無意味に刺激したような気がするからだ。

 尤も……逃げなかったら逃げなかったで押し切られるか、捕まるかしてシミュレータールームに引きずり込まれていた気もやっぱりするが。

 

「……それは礼を言われる事じゃねえよ。パイロットの仲間として当然の事なんだし」

「それでも気を使ってくれたことに変わりないよ。あと――スケジュールは多分ゴートさんが決めると思うから、その時はよろしく」

「ああ、そん時は任せとけ! こっちこそよろしく頼むぜ、テンカワ!」

 

 ニッとした笑顔で手を差し出され、俺はその手を握り返した。

 その彼女の背後で「よろしくよろしく!」と手を振るヒカル嬢と「よろしく……よろしく……」と言いながらも何かを……多分ダジャレを考えているイズミ嬢がいた。

 

 とりあえず妙な騒ぎはあったものの、こうして俺は三人娘と正式に顔を合わせ、難なくパイロットとしても受け入れられた。

 ただ、ルリちゃんは俺がパイロットになる事にやっぱり思う所があるのか、懐かしそうな様子ではあったものの、不安そうな不満そうな複雑な顔をしていたが。

 そこに――

 

「おう、アキト! 飯作ってるんじゃなかったのか? って……昨日の新顔じゃねえか? あと病弱っ子も。なんだ大勢でそんな通路で突っ立って?」

 

 残りの一人のパイロットも姿を見せた。あ、ルリちゃんのこめかみに青筋が浮かんでるような……。

 

 

 




 原作第2話にあったサリーパパ訪問フラグを回収。ちょっとユリカさん様子がおかしいですが。
 ちなみに6時間の待機時間の間にアキトに彼女が話しかけられなかった原因だったりします。サツキミドリ側とも色々と忙しくあった模様。

 IFSによる神経補助と反射神経などの向上は一応公式設定です。
 独自解釈としては、ルリちゃんは補助脳の処理速度高いので状況判断もかなり早く、集中すればリアルでも少しだけスローモーに周囲が見えるのではないかな?と思ってます。


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第十二話―――慰霊(後編)

 

 

 食堂の暖簾を潜って私達はテーブルの席に着き、アキトさんは厨房へ戻った。

 それにしても先程は少しびっくりした。私もアキトさんを驚かせてしまったけど、仕方ないと思う。

 あんな形相でリョーコさんはアキトさんに掴み掛ろうとしたのだから。咄嗟にあんな事をしてしまうのは本当に仕方ない。

 

 ただ………………驚かせたというよりも、怖がらせたという感じだったのは釈然としませんが。

 

 それはともかく、リョーコさん達は相変わらずなようで……正確には違って、この頃から余り変わっていない様子。

 ただそれでも未来と違う所もある訳で……久しぶりな感じで懐かしさを覚える――のですが、

 

「微妙にフラグが立っている気がします」

 

 私に促されて謝ったリョーコさんをアキトさんは勿論許した。優しい人だし、根に持つような話ではないからそれは当然なのだけど、

 

―――スバルさんが訓練を付けてくれようとしたのは俺の事を思っての事で、悪気はなかったんだしさ、ありがとう。

 

 そう言ったアキトさんにリョーコさんは微妙に照れた顔をしていた。お礼の言葉が出た事が意外で照れ臭かっただけな気もしなくもないけど、しかし、

 

「前回の事もありますし……やっぱり要注意ですね」

 

 むう……と顎に手を当てて小さく呟く。

 それに――厨房の方へ視線を向ける。アキトさんとサユリさんの距離が近い気がする。あの人は前回明確な行動はしなかったけど、アキトさんに好意を寄せていた事は確認できていた。

 まだ出会ったばかりだから、距離が近く感じるのは気の所為かも知れない。けどやっぱり油断はできない。

 しかし、警戒しようにも今の私ではとても不利。アキトさんは私が未来からの逆行者だと知っているからか、子ども扱いはしていないけれど、それでも大人や同年代の少女として見てくれている訳でもない。

 

「くっ……」

 

 少し悔しさを覚えて軽く唇を噛んだ。

 精神だけでなく、身体も飛べていれば……そうすれば――いえ、それではこの時代のアキトさんより年上になってしまう……それはそれで何か嫌ですし、自分がアキトさんより年上だなんて事は想像が付かない。しかし子供の身体では……――

 

「ルリちゃん、ルリちゃん」

「!? ――あ、はい!」

「どうしたの? 食べないの?」

「え?」

 

 テーブルの向かいに座るヒカルさんが言う。って……あれ? 目の前にチキンライスが? さっき注文してもう届いたの?

 

「なんだ、やっぱ病弱っ子なんじゃねえか。元気無さそうに俯いて、食欲無さそうにして。 ――よし、いらねえなら俺が……」

「……!」

「痛ててってて!!!」

 

 アキトさんが作った私のチキンライスに、不届きにも手を伸ばそうとした愚か者の手を掴んで捻る。そして力の方向を上へやり、

 

「い……ッ」

 

 手首から肩に掛かる負荷……持ち上げられるような痛みに堪らずヤマダさんが席から立ち上がる。それに合わせて私も立ち上がり、相手の重心をズラすようしてグッと前へヤマダさんの握った手を押してから離す。

 

「ッてて、おわぁ!?」

 

 ヒカルさんの左隣の席に着いていたヤマダさんは、椅子を巻き込んで後ろから倒れた。

 

「うわぁ、やるぅ!」

「見事ね」

「すっげーなぁ」

 

 倒れたヤマダさんの方を見ながら、心配よりも称賛の言葉がリョーコさん達から出る。

 

「やれやれ、俺もこんな感じだったのか?」

「リョーコの時は、もっとスゴかったけどね」

「ええ、まさに電光石火って感じだったわ。テンカワ君とリョーコの間に横から小さな影が割り込んだと思ったら――飛んでいたもの。こう撥ねる感じで」

「そうそう、前方にグルンと回転する感じに。で、気付いたらルリちゃんが居て、腕を取ってたんだよね。ほんとスゴかったぁ!」

 

 絶賛といえる言葉に恥ずかしくなる。

 それなりに懸命に学んだとは言え、所詮は業務の合間での事、身に着けられた技は広くとも浅くて……まだまだ未熟としか言いようがなく、しかも殆ど我流となっていて……“道”からはほど遠く正道とは言い難い。

 サブロウタさん曰く「艦長のは手段(道具)に成り下がっている」との事で、正直そういった賛辞を受けられないものだ。

 ……まあ、そもそも私は武術家ではないのだから当然ですが。

 

「今のもまるで、どこかの大統領のボディーガードを組み伏せた達人みたいな感じだったし」

「……ヒカルさん、それ以上は流石に恥ずかしいので……」

 

 その話……映像は私も知っている。サブロウタさんが尊敬する人物の一人で200年以上前の武道家だ。“柔ら”を学ぶ際に参考として見せられた。

 そんな達人と同様に語られるのは恥ずかしい所ではない。

 

「照れる事ないのに~」

「恥ずかしいものは恥ずかしいので……」

 

 ヒカルさんがウリウリッと言って指先で私の頬を突っつく。友情・親愛の表現なんだろうけど、半分以上はからかいと私の柔らかな頬の感触を楽しんでいるように思う。

 ヒカルさんらしいですが。

 

「アタシはルリが恥ずかしがる気持ちは分かるけどな。まあ、あれだろ。未熟だって、まだまだなのに……それを褒められてもなぁ。……俺も家の事で居合やってるから何となくその気持ちが分かるぜ」

 

 リョーコさんが言う、うんうんと頷きながらしみじみと。流石に武道を嗜むだけに中々的確な意見。

 

「でもその年でそれだけの事が出来るのだから、大したことに変わりはないわ。機会があれば私に教えて欲しいものね」

 

 イズミさんはシリアスモードでこれまた真剣に私を見る。かなり興味を持たれた模様。未来で武術の達人になっていることを思うと分かる気がする。

 するとリョーコさんもヒカルさんも興味津々に私も私も、俺も俺もと話し掛けてくる。

 ……少し勘弁して欲しいです。

 

「だぁはっ!! 俺を無視してんじゃねぇ! ……そこの病弱っ子! 油断したぜ! さては――」

「――皆さんお話も良いですけど、折角の暖かい料理が冷めてしまいます。食べましょう」

「って、おい! 無視すんな!」

 

 チキンライス美味しいです。アキトさん、記録があるお蔭か前回のこの頃よりも腕を上げていますね。パイロットとしての技量だけでなくてちょっと安心してしまいます。これならテンカワ風チキンライス並びオムライスも火星までの航海の間に完成を見られるでしょう。実に楽しみです。

 ラーメンの方も前回のように協力して……いえ、少し反則ですが例のレシピを教えるというのもアリですね。もしかしたら記録にあるのかも知れませんが……。

 

「おい!」

「喧しいです。食事中ですよ」

 

 失礼にも指を突き付けてくるので、今度はその指から捻ってやった。

 

「おわぁぁ!?」

 

 また椅子を巻き込んで倒れるヤマダさん。

 

「ヤマダ~、確かに喧しいぞ」

「ヤマダさん、落ち着いてもう食べよう」

「ヤマダ、埃が舞うわ」

 

 倒れるヤマダさんに三人が言う。

 

「ダイゴウジ……ガイだ」

 

 倒れて指の痛みに悶えながらも真の名前だとか、魂の名前だとかいうのをあくまで主張するヤマダさん。

 ちなみに食堂に入る前、自己紹介にやはりそう名乗ったので親切に訂正してあげた。

 アキトさんは、どうしてかヤマダさんをガイと呼ぶので、あの場にはそれが出来るのは私しかいなかったからだ。

 もしヤマダさんがヤマダさんだとあの場で知られず、リョーコさん達が勘違いしていたら、後からアキトさんは嘘吐き扱いされていたかも知れない。

 偶然とはいえ、あの場に居合わせられて良かったです。

 

「ご馳走様でした」

 

 食材とそれを作った農家さんや糧となった命、そして調理してくれたアキトさんに感謝を。手を合わせてお辞儀する。

 

「わっ、空っぽ。大盛りで結構な量だったのに、ルリちゃん食べるんだねぇ」

 

 ヒカルさんがこれまた恥ずかしい事を言う。厨房にはアキトさんも居るのに。頬が熱くなる。

 

「私、ナデシコのオペレーターですから」

 

 言い訳する訳ではないが、右手を上げて意識を集中……見えないスイッチを押すように手の甲に淡く輝くタトゥーを浮かび上がらせる。

 

「ああ、そうだったな。IFS持ちはカロリーが人より必要だかんな」

「……ダイエットに結構いいよね」

「食べないダイエットは良くないわよ」

 

 納得するリョーコさんだが、ヒカルさんとイズミさんは妙なやり取りをする。

 ……ダイエット、カロリー消費。……私が同年代より発育が悪く、未来でも小柄で華奢だったのはそれが原因なのでしょうか? やはり……。

 情操教育も悪かったですし、そういった子は発育に影響が出ると言いますし……その上でIFS強化体質。

 

「――……ホウメイさん! おかわり!」

「え? まだ食べるの!?」

 

 驚くヒカルさん。ええ、食べますとも。未来を変えてより良い体形(しょうらい)を手に入れる為にも!

 ただでさえ、子供の身体で不利なんですから! 成長期にある今を少しでも有効に使えば半年、一年でそこそこの結果は出る筈! 地道ですが努力は実るものです!

 

 

 

 

「テンカワ、ルリ坊からおかわりが来てる。今度もアンタのご指名だよ」

「はい、分かりました」

 

 ホウメイさんに頷いて調理に取り掛かる。

 にしても……やっぱりチキンライスが好きなんだな、ルリちゃん。

 んー? 折角だし次はオムライスにしてみるか、勝手するのは拙いような気がするけど、喜んでくれそうな気がするし、あ……でも二杯目だしきつくなるか? 朝食だし……なら今度にしよう。

 

「しかし、ルリ坊も仲良くやれているようで良かったよ。あんたが来てからかねぇ」

「?」

 

 その声に振り返るとホウメイさんは、ルリちゃんとガイとリョーコ嬢達の方を微笑ましく見ている。

 

「余所見は禁止だ。まあ、調理しながらで良いから聞いてくれ」

 

 注意されて、俺は慌ててフライパンに視線を戻す。

 

「……あの子と会ったのは二週間前、物資の搬入やら船の最終調整やら、そしてクルーの講習や教習やらと、ナデシコの出港準備期間だったんだが……ルリ坊は率直に言って、いっつも無表情で笑わない子だったんだ。人付き合いもあんまり進んでしようとしないし、まあ……まともな環境で育っていないってのは、一目見て分かってはいたから無理もないと……そう思ってはいたけどね」

「そうなんですか?」

 

 ホウメイさんの話を聞いて、俺はフライパンを振るいながらも首を傾げる。

 ルリちゃんは一年前、火星が侵攻された日にボソンジャンプで飛んできた筈。未来のあの子なら表情はそれなりに豊かな方だと思うのだが……。

 

「でもさ、テンカワが来た翌々日。寝不足で辛そうなアンタを心配しているルリ坊の顔を見て私はかなり驚いた。この子はこんな顔を出来たのか? って、しかも私が休んで良いってテンカワに言った後にホッとして嬉しそうにするんだ。さらにビックリさ」

「……もしかしてあの時、休みの許しをくれたのって」

「まあ、そういう事さ」

 

 ふーむ、なるほど。だからホウメイさんあの時にルリちゃんに感謝しろって言った訳か。

 あの時もルリちゃんに免じてというのは分かっていたけど、改めてホウメイさんのその意図が分かったように思える。

 

「事情は分かんないけど、ルリ坊はアンタを信頼してるんだね」

「ええ、まあ……」

 

 頬を掻く。何というか複雑である。言うまでもなくルリちゃんが信頼しているのは“アキト”だからだ。

 

「……やっぱ事情があるって事か。その顔を見れば判るよ。詮索する積もりはないけどね。でもさ……あの子の信頼には確り応えてやりなよ。ルリ坊がああやって嬉しそうにしたり、怒ったりしたり、クルーと触れ合おうとするのは、きっとテンカワが居るからなんだろうしね」

 

 ホウメイさんは何も聞かないと言う。けど、その言葉は中々に重いものだ。しかし、

 

「ええ、それは勿論です。俺もルリちゃんの事が大切ですから」

 

 迷うことなく自然とハッキリとそう答えていた。

 

 

 ただ気にはなる。俺が来るまで表情が乏しかったという事が。

 そんな事は無いとも思うのだが……――いや、未来から一人放り出されたようなものだから不安があったとも考えられるか。

 だから俺が同じ未来の“彼”だと期待したのかも知れない。……結局、それには応えられなかったけど、“記録”を持っているという事で多少は不安を和らげられたのか……? 似たような境遇で共に頑張ろうと言った事も。

 だとしたら偽物だとか、憑依者だとか言わなかったのは正解だったな。

 今更ながらに自分の選択を褒めたい。卑怯で臆病な選択でもあったけど、それがルリちゃんの為にもなったなら少しは嬉しくはある。

 

 けど、同時にそれを裏切る事になった時が来ることが余計に怖くなった。

 

 

 と、チキンライスが出来た。

 

 何にしろ、その時が訪れるまではあの子には笑っていて貰いたい。こんなささやかな料理でも美味しく食べて幸せを感じて貰えれば……だが、その後は――

 

 

 

 

「メグちゃんは今日お休みするって」

 

 朝食を終えてブリッジに顔を出すと、ミナトさんは挨拶の後にそう言った。艦長以下、他のクルーの姿はない。サツキミドリ側と会議なり調整なりがあるのだと思う。

 

「そうですか、やっぱり……」

「ええ、昨日の戦闘の事が堪えたみたいね。人……沢山死んだもの」

「……メグミさんは、通信士ですしね」

 

 サツキミドリから救援を求める声と共に切迫した状況をしつこいくらいに聞いていた筈。もしかすると戦闘機パイロット達の通信も拾っていたかも知れない。

 メグミさんやミナトさんや私も含め、ナデシコクルーの大半が住まう日本は基本戦場とは程遠い地域だ。戦場となっているのは大陸の戦線。

 ビッグバリアの完成以後、チューリップが落ちていない事からも何とか多くのチューリップ並びにそこから出る無人兵器をユーラシア大陸の各戦線に押し込められている(他にも北米のカナダやアフリカ大陸中央部などにも少なくないチューリップがある)

 それでもサセボの時のように、沖縄や北九州などに戦線を抜けて少なくない数の無人兵器が押し寄せる事はあるけど。

 

 しかし、そう多くない事から戦時でありながら、戦いというものは日本に住まう私達には対岸の火事。身近とは言い難い出来事だった。

 けれど、今回の戦闘でそれを感じてしまった。TVやネットの向こうにあった戦争が間近に迫ったのを。

 

「ミナトさんは平気なんですか?」

「……そうね。緊張はしたけど、怖くはなかったかな? 私は操舵士でナデシコがサツキミドリに到着する前に戦闘が終わったからかしらね。だから実感が乏しいだけかも知れないけど。ルリルリは?」

「……私はこれといって何も?」

 

 ミナトさんに答えると、不思議そうな顔をされた。そんな事は無いでしょ? と言いたげだ。

 私も不思議な顔を返す。正直に言ったとでも答えるように。前回ナデシコに乗って何度も戦闘は経験しているし、未来では軍人だったのだ。

 

「でもルリルリは不安そうじゃなかった? 緊張しているかも? って言っていたし……」

 

 言われて思い出す。確かに心配されて緊張していると答えていた。でもあれは……どう言うべきか言葉に詰まった。

 

「……」

「……そこで黙っちゃうんだ。でもさっきの何も? っていうのもホントっぽいわね」

 

 そう言うとミナトさんは私を顔を見詰めるようで、視線を上向かせて宙を見るような……何かを考え込んでいる様子。

 

「ふーん、そっか」

 

 何かを思い付いたのか、ミナトさんはニヤリと言った感じで笑う。何か楽しげな玩具を見つけた子供のような表情だ。

 私は少し嫌な予感を覚え――

 

「確かあのパイロットの男の子……アキト君だっけ?」

「……!」

「ふふふ、当たりみたいね。やっぱりそうなんだ。へー」

 

 アキトさんの名前が出た為、覚えた予感に警戒する事も出来ず、思わず肩をビクリと震わせてしまった。

 そんな私を見てミナトさんは本当に楽しそうだ。

 

「女の子になれるって言ったけど、もうとっくに女の子だったんだ」

 

 嬉しそうに笑う。

 私はそんなミナトさんの顔が見られず、俯くしかない。アキトさんへの想いを隠す積もりは無かったけれど、こう人に知られるのが恥ずかしいなんて……。

 頬が熱い。アキトさんに言われたプロポーズめいた言葉を思い返した時のように。

 

「うわぁ……真っ赤か。首や手まで……って、ちょっ! 大丈夫、ルリルリ……!?」

 

 楽しそう、嬉しそうだったミナトさんの声が心配したものになる。頭が少しふらふらする。

 

「水! 水! ミネラルウォーター持って来ていて良かったわ。ルリルリ、これ飲んで、落ち着いて!」

「は、はい」

 

 火照ったような暑さに意識を捉われた私は、言われるまま冷たいペットボトルを受け取って口を付ける。

 口に入って広がり、喉を通って感じる冷たさが心地良い。

 

「ぷは」

「ふう……落ち着いたみたいね。お風呂でもないのにのぼせかけるなんて……」

 

 初心なのね……という呟きが聞こえた。また頬に熱が灯り、その熱を追い出す為に私は深呼吸する。

 

「余りからかうような事を言うのはダメみたいね。……じゃあ、ちょっと真面目な話をすると、あの時、不安そうだったのはそういう事なのね」

 

 ミナトさんはそう言う通り、真面目な様子で話し掛けてくる。

 

「戦いに出るアキト君が心配だったんだ」

「……はい」

「そっかぁ、色々と気になる事はあるけど、それはまた今度プライベートで時間がある時にするとして、そうよねぇ……好きな人が危ない目に遭うんだものね」

 

 考え深げに納得した風なミナトさん。

 私が昨日の戦闘で不安そうだった様子と、先程何も? と答えた事に合点がいったのだと思う。

 変に複雑な事だけど、戦闘に恐れはあるけど、戦闘その物には別段これとって恐怖は無いという感じなのだ。

 

「でも、これからはその心配もないんじゃない? ヤマダ君以外の正規のパイロットっていう人達も合流したみたいだし、アキト君は本業はコックでパイロットはサブだっていうし」

 

 楽観的な明るい口調でミナトさんは言う。考え無しでそう言ったようにも聞こえるけど、向ける優しげな視線を見るに私を安心させようと思っての事なのが分かる。

 けど……私は首を横に振る。

 

「……それは……」

「違うの?」

 

 問うミナトさんに今度はコクリと静かに頷く。

 

「サブパイロットなのは間違いないですけど、戦力は多い方が良いですし、これからもアキトさんが戦闘に出るのは変わりないと思います」

「なら、ミスター・ゴートか、艦長に言って……」

「それでも無理です。艦長は分かりませんが、貴重なパイロットを手放す事はゴートさんは受け容れ難いでしょうし……何より」

 

 ミナトさんから視線を落とす。

 

「何よりアキトさんがそれを望みません。あの人は戦ってしまうから……」

 

 そう、アキトさんは未来を変える為にもパイロットを続けなくてならない。そしてあの人は戦わずジッとしている事が出来ない。戦う事でナデシコを、もしくは今回のように見知らぬ誰かを守り、助けられるなら……って。

 

「頑張るとも言いました。だから私は信じたいんです」

 

 そんなアキトさんの意思を変える事はできない。変えようとして、例え受け入れられたとしてもそれでもきっと戦ってしまう。

 だから私は信じるしかない。頑張って未来を変えようとする意志を。その優しい在り方を。

 それに私自身、そんなアキトさんの意思を無理に変えようとしたり、捻じ曲げたりはしたくはない。

 

「……」

 

 私は顔を上げる。落としていた視線を真っ直ぐミナトさんに向けた。

 アキトさんが戦いに出るのは不安で確かに怖い。正直今も戦って欲しくないと思っている。けど……それでも、私はあの人の意思を尊重したい、優しさを否定したくない――そう告げるように、ミナトさんを見返した。

 

「ルリルリ……」

 

 ミナトさんから心配げな声が零れた。けど……、

 

「……そっか、そんなにアキト君の事が好きなんだ。想っているのね」

 

 優しく私を見つめて笑顔でそう言った。母性に満ちた本当に慈愛に溢れた顔だ。私が知るミナトさんの表情の中でも一番好きな顔。

 もう長い事見ていない気がして、とても強い懐かしさを覚えた。いえ、実際に長く見ていない、前の世界でミナトさんと最後にあったのは何時だっただろう……? ユキナさんとはよく顔を合わせていたのに。

 

「なら、どうこう言うのは野暮ね。馬に蹴られたくないし」

 

 優しい笑顔の中、クスリとした笑いも見せる。

 

「応援するわね、ルリルリ」

 

 

 

 

「……それで私の事はいいですけど、メグミさんが……」

 

 向けられる優しい眼差しに暖かさを覚えながらも、照れもあって話題を変える為に改めてメグミさんの事を言う。

 口実にして申し訳なさはあるも、実際心配だ。

 

「そうね、彼女も心配よね」

「はい」

 

 今回はどうなるのか? サツキミドリは前回のような壊滅の憂き目は避けられたけど、メグミさんの受けたショックは変わりない……いえ、もしかすると前回以上に堪えているかも知れない。一瞬で壊滅しなかった分、長く続いた戦闘の中で多くの通信(こえ)を聞いたのだ。

 

「……降りちゃうかも知れないわね」

 

 それもあり得ると思う。サツキミドリは無事で、戦闘待機中に行われた昨日の艦長達とコロニー側の話し合いで住人の退避に関する話も出ていた。

 多くが地球へと向かうらしい。宇宙軍第二艦隊もそれを支援・警護すると言っていた。それにメグミさんが付いていく可能性はある。

 

「……心配です」

 

 ポツリと言う。メグミさん自身もそうだけど、彼女がいなくなったナデシコがどうなるのかが。

 確かにメグミさんは通信士として卓越したスキルを持っている訳ではない。けど、人気声優だけあってその声は良く通っていて聞いていて中々心地が良い。業務の合間に掛かる放送で彼女の声を聞いて疲れを和らげたり、やる気を出そうとするクルーもいるだろう。

 これから経験を積んで戦闘でも落ち着く事が出来れば、そのよく通る落ち着いた声によって戦闘中でも各部署の艦内クルー達は冷静に行動でき、士気を保つ事が出来る筈。混乱が起きた場合でも助かる事が多々ある筈だ。

 私も艦長だったからそういったことの重要性は分かる。私自身、艦内全体に放送を掛けてそういった役割を担う事は一度やニ度ではなかった。

 だから出来ればメグミさんには残って欲しいと思う。ただ性格のことを思うと酷であるようにも思うから無理は言えない。

 けど、今回はどうなるか分からないけど、前回では白鳥さんが捕虜になった際、彼が脱出できたのは彼女のお蔭な部分もある。それを考えると――

 

「――……降りて欲しくないです」

「ええ、折角仲良くなってきたんだもの。でもやっぱり難しいのかもね」

 

 ミナトさんの声は複雑そうなものだった。メグミさんへの心配があり、私と同じく彼女の事を思うと降りた方が彼女の為なのでは? と考えているようだった。等量に出来れば一緒にナデシコで仲良くやっていきたいという思いもある感じだ。

 

「……」

 

 やっぱりそうするしかないのでしょうか?

 メグミさんの今の居場所は……コンソールにコネクトして――展望室。前回と同じらしい。私も覗いていた訳じゃないから人伝……というかメグミさん自身から聞いた事だけど、前回はそこでアキトさんと話をして元気を取り戻したと言っていた。

 けど……アキトさんに連絡を取るか迷う。

 

「………………」

 

それが切っ掛けでキスしたとかも言っていましたし……いえ、前回と同じになるとは限りません。

 母性タイプ(ミナトさん曰く)なメグミさんは、今のアキトさんに惹かれる可能性は低い筈。記録で未来の事を知ったからか、アキトさんは前回に比べて意思が定まって強くなっているんですから。

 ……悩んだり苦しんだり、弱い所も相変わらずありますけど。けど、けど……、

 

「……信じていますから、アキトさん」

 

 ミナトさんに聞こえないように小さく呟いてからメールを送った。

 

 

 

 

 ルリちゃんからメールが来た。

 メグミ嬢が仕事を休んでいるとの事、昨日の戦闘でショックを受けているらしいとの事、艦を降りてしまうかも知れない事、話をして欲しいとの事だった。

 

「うーん」

「どうしましたテンカワさん?」

「ッ!?」

 

 話しかけられて慌ててウィンドウを消す。手が空いた時だったとはいえ、仕事中にコミュニケを弄るのは褒められた事ではない。ルリちゃんからという事でつい開いてしまったが。

 

「いや、何でもないよ」

 

 声を掛けてきたサユリさんに頬を掻きながら答える。

 

「……コミュニケ弄ってましたよね」

「う……見てた?」

「はい、見ました。まあ、これもマナー違反ですけどね」

 

 見ましたと生真面目な声で言いながらもクスクスと笑うサユリさん。俺の焦った顔が面白いらしい。あと他人のコミュニケを覗くような事をしたのを誤魔化しているっぽい。

 

「誰かからのメールのようでしたけど」

「あ、うん」

 

 視線を調理台に戻して作業を再開して言うサユリさんに、俺も作業に戻って答える。

 

「艦長からですか?」

「いや、ルリちゃんから」

 

 作業に意識を持って行った所為か、つい誰からか言ってしまった。……隠す事ではないのかも知れないけど、人には言えない協力者関係という事もあってやや迂闊さを覚えた。

 

「……仲良いみたいですね。さっきホウメイさんもそんな事言ってましたけど」

「まあ、ね」

 

 先程の話を聞かれていたらしいが……何だろう? 探るような声色だ。

 何か変な疑いを持たれているのか? まさかルリちゃんと仲が良い事でタイーホな案件を疑われているとか? やはりこの時代でもちょっと子供に道を尋ねたりしただけで、110番される程に世間の目は厳しいのだろうか?

 あ、ちょっとトラウマが……。俺は何も悪くないのに……。

 

「え? テ、テンカワさん、何泣きそうになっているんです……!?」

「な、なんでもないよ。ちょっと玉葱が……」

「……それニンジンですよ」

 

 少し目尻から汗が出てしまい、サユリさんは焦ったような戸惑ったような顔をする。

 

「まあ、とにかく、何でもないよ」

「そ、そうですか」

「ほら! そこ! くっちゃべってんじゃない!! 口より手を動かしな!」

 

 ホウメイさんに叱られてしまった。慌ててサユリさんと口を揃えて「はい!」と答える。

 うーん、忙しい所為でホウメイさんの目が厳しいし、今はメグミ嬢の所へ行くのは難しい。俺も気にはなるけど……どうしたものか?

 

 

 

 一時間後の10時半ごろ、一応休憩が出た。

 

「ホウメイさんちょっと出てきます」

 

 調理で付いた手の汚れを落とし、そう言ってから俺は厨房を出て展望室へ向かった。

 どうもまだそこに居るらしい。ルリちゃんが気を使ってくれたのか、それともオモイカネの判断なのか、食堂を出た直後、メグミ嬢の場所をウィンドウが浮かんで教えてくれたのだ。

 

「ありがとう」

『どういたしまして』

 

 展望室の前、先導するように俺の前を浮かんでいたウィンドウにお礼を言うと、そんな文字が表示された。

 どうやらオモイカネだったようだ。ルリちゃんの意図を汲んで自主的に動いたらしい。

 展望室のドアを潜ると、見えたのは夏の黄昏時と思われる光景だ。暗くなくやや陽が強く高めの夕焼け。

 その中を、赤い陽に照らされた芝生の上に腰を下ろしている小柄な背中に向かって歩を進める。

 

「あ……」

 

 芝生を踏む音でこちらに気付いたらしい、メグミ嬢が顔を振り向かせる。如何にもといった感じの落ち込んだ表情だ。

 目元が赤く目尻に涙の跡が見えるが、気付かない振りをした。泣いていたのか等と誰かに言われたくはないだろう。

 

「……テンカワさん」

「おはようメグミさん」

 

 レイナードさんと呼ぶべきかと思ったが、しっくり来なかったので失礼かと思ったが名前で呼んだ。

 

「おはようございます」

 

 挨拶が返る。名前でも問題ないらしく気にした様子はない。

 

「どうしたの? 展望室で。お仕事は?」

 

 休んでいるのは知っていたがそう尋ねた。

 

「テンカワさんは?」

「今は休憩。メグミさんも?」

「あ、いえ……」

 

 顔を沈ませて正面を向いて、抱えた膝と腕の上に置く。

 

「隣良いかな?」

「……はい」

 

 返事に間があった。しかし断らない所を見ると拒絶はされていないようだ。一人にはなったが、誰かに心境を聞いて貰いたいとも思っているのかも知れない。

 

「何かあったの?」

 

 なので先ず率直に尋ねてみる。

 

「………………」

 

 返事はなし……か。

 しかし、やはり拒絶した雰囲気は無いように思う。もう少し待ってみるか。

 

 

 

 

 

 

「テンカワさん、怖くありませんでした?」

 

 五分ほど経ってからだろうか、メグミ嬢が口を開いた。

 

「戦って、戦場に居て、人が死んで……もしかするとテンカワさんだって……」

 

 泣きそうな声だ。いや、ホントに泣いているのかも知れない。膝の上で組んだ腕に隠れて顔は見えないが。

 とりあえず唐突な言葉だったが、言いたい事は見当が付くので答える。

 

「そりゃ怖かったさ」

 

 正直に言う。強がっても意味はないし、そんな言葉をメグミ嬢が求めている訳でもないと思い。

 

「……戦場に見える光が近づくにつれて、バクバクと心臓が鳴って緊張した。うん、怖かったよ」

「……」

「でも、逃げようなんて思わなかった。あの光の中で多くの人が同じ恐怖を抱いて戦っていて、そして助けを求めていると思ったから」

「……」

「俺が少しでも巧くエステを使えて、少しでも上手く戦えば、それだけ人を多く助けられるって思ったから、だから逃げようだなんて思わなかったし、戦えた」

 

 あの時の気持ちを思い出しながら答えた。少しかっこつけていないか、クサくないかとも思ったが、それが正直な思いだ。

 

「強いんですね。私だったらそんな風には思えません。きっと泣き喚いて逃げ出していたと思う」

 

 膝の上で俯いたままメグミ嬢は言う。羨ましそうに。

 俺は首を振る。俯いた彼女には見えないだろうが、その気配は伝わっただろう。

 

「……そんな事は無いと思う。俺も強くなんてないよ。確かに泣き喚いたり、逃げ出したりはしなかったけど、そう思えたのは臆病だからだとも思うし」

「……臆病、ですか?」

 

 不審げながらもキョトンした意外そうな声、首を動かしてメグミ嬢はこちらに視線をちらりと向ける。

 

「ああ、戦わない事が、助けに行けない事が、見捨てるのが怖かったからだとも思うんだ。そんなのは情けない、弱虫だって。戦えるのに、その手段があるのに何もせず、逃げ出すのは卑怯者だって言われたくないからね」

 

 これも本音だ。戦うのは怖いけど、何もしないままの方が怖い。出来る事があるのにそれをしなかった所為で後悔する事が怖い。

 もし、あの時、戦わずに多くの人が死んだ事を知ったら俺は自分を許せなかっただろう。誰かに卑怯者と呼ばれる以前に自分で自分の事を怒っていた。

 けど、

 

「……けど、助けに行ったけど、助けられなかった人も多くいた。目の前でバッタの銃撃で、ミサイルで、或いは体当たりで、……辛かったし、苦しかった」

「それでも、テンカワさんは戦ったんですよね」

「うん、悔しかったから、これ以上死なせるもんかって怒りをぶつけるようにね。いや、実際怒っていた。敵にも、自分にも」

 

 そう、結局は後悔も怒りも残った。多くの人を助けられた筈なのに。目の前で消えた命に。その命を助けられなかった自分に。

 

「それで結構悩んだ。今のメグミさんのように。死んだ人の事に、助けられなかった自分に」

「……でも、今は平気そうですね」

「うん、ガイが…ヤマダのことなんだけど、アイツが言ったんだ。だからってウジウジ悩んでもしょうがないってね。それで落ち込んだ所でどうしようもないってね。そんなんじゃあナデシコは守れないって」

「……」

「それにこうも言っていた。悩んでいても死んだ人間は帰って来ない。なら自分たちに出来るのはその人間の意思を継いでやるだけだって。……まあ、アイツは考え無しで言ったんだろうけど、俺も誰かを守る為に戦った人の意志に報いるのは正しいって思った」

「……意志」

「そう、意志。あそこで戦った人達は助けを求めていたけど、それは何の為だったのかな? 死にたくない、怖いってだけだったのかな? 違うと思う。あの時、助けられたパイロットの一人がさ。機体に酷いダメージを負っていたのに、まだ戦闘が続いて危ないのに、他の仲間の所に、コロニーを守る為にも自分を放って戦いに行け! って言ったんだ」

 

 

 あのパイロットはどうなったんだろうか? ふとそんなことが過る――が、言葉を続ける。

 

「サツキミドリで戦った人達は誰かを守ろうとした、仲間やコロニーに住む人々を、なら俺もそれを見習おうと思った。俺も誰かの為に、何かを守る為に戦おうって。それが死んでいった彼等に報いる事になると思って――――……カッコつけすぎだなこれは」

 

 メグミ嬢が何時の間にか顔を上げてこっちをジッと見ている事に気付き、恥ずかしい事を言っていたように思えた。

 いや、実際、カッコ付け過ぎだ。本心からの言葉とは言え、素面で言う事じゃない。頭を抱えて悶えそうになる自分がいる。

 ……これが若さか。などとそんな言葉も過る。この身体の肉体年齢に引っ張られているのだと、その所為にしたかった。

 ……さらに思えば、ルリちゃんにもあの時、パイロットになった時にカッコ付けていたような気が――ルリちゃんは笑顔だったけど、本当はどう思っていたんだろうか? 聞きたいけど、聞けない……!

 

『厨ニ病全開ですねアキトさん』

『黒歴史確定ですねアキトさん』

 

 などと冷静にか、良い笑顔でルリちゃんに言われたら立ち直れない。……つーか自分の首を掻っ切りたくなる。

 

「テンカワさん」

「ん?」

 

 内心でぬおお……! と頭を抱えているとメグミ嬢に名前を呼ばれた。

 

「私にも出来る事はあると思いますか? その亡くなった人達の為に」

 

 先程までの泣きそうな声に比べたら実に芯が通った声だった。あんなカッコ付けた言葉で立ち直ったのかな? と思いつつ少し考える。

 

「あると思うよ。メグミさんにも出来る事が、だってそれが生きているって事だから」

 

 そう言っていた。――おう……またこんな台詞を。思ったままの言葉……本心だけど、これはほんとに若さに引っ張られているのかも知れない。

 ……まあ、変に思われないのであれば、深く考えずにいよう。

 

「そう、ですね。……私達は生きているんですもんね。――分かりました。私も過ぎたことを悩んでばかりいないで、今を、そしてこれから出来る事を考えてみます。テンカワさん、ありがとうございました」

 

 スクッと立ち上がって夏の斜陽の光にも負けない、十代半ばの少女らしい明るく輝かしい笑顔を見せ、メグミ嬢は俺に頭を下げて展望室を出て行った。軽やかな足取りで。

 

「――立ち直ったみたいだな」

 

 その事にはホッとするが、釈然としない思いもあった。励まそうという意図は勿論あったが、ただ俺は言いたい事を言っただけなような気もするからだ。

 それが本当にメグミ嬢の為になったのか、今一つ分からない。

 

「……分からないけど、良いのかなこれで?」

 

 一人首を傾げた。

 

 

 

 

「優しい人なんだ」

 

 彼女……機動戦艦ナデシコの通信士であるメグミ・レイナードは自分の部屋に戻るなり、そう呟いた。

 そう言葉を向けた対象は先程展望室で話をしたテンカワ・アキトだ。

 

「自分の事を臆病だと言っていたけど……」

 

 それも事実なのだろうか、違うともメグミは思う。

 本当に臆病であれば、戦わずに逃げ出している筈だ。なのに戦って多くの人を助けようとしたのは強く勇敢で、優しいからだと思う。

 

「凄いな、テンカワさん。私とそんな歳は違わないのに……」

 

 そんな凄い彼を見習いたいと思った。自分も彼が見習いたいと思った戦闘機のパイロットのように。

 

「うん、悩んだって苦しいだけだもの。それに悩むくらいならその人達の為に何かをしてあげるべきだよね」

 

 部屋にあった化粧棚。その鏡に映る自分の顔を見て気合を入れる。と同時に目元が赤く、目尻に涙の跡が見えた。

 

「やだ、もしかしてテンカワさんに見られちゃった……!?」

 

 気合いを入れたのも束の間、その事実に気付いてメグミは恥ずかしくなる。赤く泣き腫らした目元、やや充血した目、みっともない涙の跡……正直余り見られたものではない。いや、実際はそれほど気にするほどではないのだろうが、若い少女とも言える歳にある彼女にとっては大問題だ。

 ましてや同年代の異性にそんな顔を見られた。そのショックはメグミのような年頃の娘には決して小さくない。

 

「うう……恥ずかしい……」

 

 両手で顔を覆ってしまう。だが、

 

「うん、ウジウジしても仕方ないもんね!」

 

 先程の彼の言葉を思い出して気合を入れ直す。

 

「変だって思われたなら、次はそう思われないように確りとした自分を見せればいいんだし!」

 

 グッと拳を握って、よし! と鏡に向かって更なる気合い注入の為に己に活を入れる。

 

「先ずは――」

 

 そうして彼女は自分の出来る事を考えて――

 

 

 

「歌、ですか?」

「はい! 亡くなった人達を厳かに送りたいっていうのも分かるんですけど、少しでも明るく笑って見送ってあげたいんです! 私達は貴方達のお蔭でこうして生きていられる。これからも大丈夫だから心配しないでって、亡くなった人達も笑顔で安心して逝けるように! 感謝と想いを乗せて! そして残された遺族の方達にも元気を出して欲しいんです! ただ悲しむだけじゃなくて、前を向いて彼等が戦った意味に報いて欲しいんです! だから――」

「――だから、悲しみを乗り越えて笑って見送りたいと」

「はい!」

 

 メグミはブリッジに出て、そう思いの丈をぶつけた。それが自分に出来る事だと思ったから。

 

「ふむう……」

 

 プロスペクターは唸り、他のブリッジクルーやウィンドウに映るサツキミドリ2号の責任者達も考え込んでいる。

 悲しみを抱える遺族や同僚や仲間、その彼等、彼女等にメグミの主張が受け入れられるのか? とそれを考える。

 彼女の主張も分かる。しかし厳かに送る事こそ定番である。だが悲しみを払拭して乗り越えようという思いも分からないでもない。いや、しかし、それでも――と。

 

「やりましょう」

 

 ナデシコ艦長ミスマル・ユリカが言った。

 

「メグミさんの意見に賛成です。今回の戦闘で本艦の中にもふさぎ込んでいる方も居られます。そんな雰囲気を払拭する為にも、戦った彼等に報いる為にもそれが一番だと思います。それに――メグミさんの言葉を聞けばきっと遺族の方々も分かってくれると思います。それも亡くなった人達への悼み方なんだって」

 

 この言葉が後押しとなった。

 

「ふむ、ではやりましょう」

 

 プロスペクターがやや大仰に頷き、サツキミドリ2号の責任者も追従した。

 

『ええ! 遺族の方々にはその旨を伝えます。同僚や仲間へも。……メグミさんとおっしゃいましたか』

「は、はい」

『ありがとうございます。そうまで戦ってくれた彼等の事を思ってくださって』

「い、いえ……そ、そんな、ただ私は何も出来なかったのが嫌で、だから今になって出来る事が何なのかって……でも、その、歌う事しか思いつかなかったのが……ちょっと……」

『いえ、十分です。貴女の想いは伝わりました。見知らぬ彼等のためにああまで一生懸命に意見して下さったのです。サツキミドリ2号の一同を代表して感謝致します。メグミさん』

 

 思ってもいない感謝の言葉にメグミはワタワタと慌てた様子で身振り手振りで言葉を紡ぎ、ウィンドウに映るコロニーの責任者たる壮年の男性は、少し微笑ましそうにしながらも丁寧に頭を下げた。

 恰幅も良く上品そうな男性に、そんな対応をされた経験の無いメグミはこれにさらに恐縮してしまった――が、

 

 

「では、僭越ながらナデシコ通信士メグミ・レイナードが、命を賭して戦ってくれた彼等が安らかに旅立てるように、そして皆さんがそんな彼等を大丈夫だと笑って見送れるように、心を込めて歌わせて頂きます」

 

 その日、ナデシコクルーとコロニーの住民の大勢が耳を傾ける中、彼女は見事大役を果たす。

 

 人気声優であった事に恥じない素晴らしい歌唱力を披露して。

 

 厳かさを壊さないバラード調の、されど今を生きる人と今世を旅立つ御霊を明るくさせ、笑顔で導くであろう歌がコロニーとその周辺域に音と電波で流れた。

 

 

 

 




 ルリちゃんがガイに当たりがキツイのは、アキトとオモイカネをゲキガンガーオタク(悪の道)へ招きかねないからです。
 あと、前回早々亡くなった為、余り思い入れがないからでもあります。ついで病弱っ子呼ばわりも地味に根に持ってます。

 アキトの優しさに関する印象は、本人は自分の為に未来を変えるという認識が強い為に無自覚であり、傍から見るルリちゃん(ユリカさんもかな?)だけが気付いているところがあります。メグミさんとの会話にも一端が見られるように本人に言えば強く否定するでしょうが。

 あと念のため、本作はハーレムにする気はありません。フラグが立っているような気もしますが…多分気のせいです。気のせいです。大事な事なので二度言います(汗


 244様、リドリー様、誤字報告等ありがとうございます。助かってます。


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第十三話―――休暇

 メグミさんの歌で締められた合同葬儀が終わった翌日から、ナデシコはサツキミドリ2号のドックで機関部を中心に点検作業に追われていた。

 就航からまだ凡そ6日ほど。しかし私の提案で機関部に無理を掛けた事もあって、その作業はかなり念が入っている。相転移エンジンという遺跡由来の理論後追いの未知の技術が使われている事もその理由だ。

 ついでにまだ二度しか使われていないグラビティブラストと、使用が浅いディストーションフィールドも念を入れて調べている。

 たった二度だろうと、使用が浅かろうと改善点はやはり見つかるものらしい。劇的な物ではなく、微々たるものですが。

 

まあ、それはそれでいいとして……今、より重要なのは――

 

「……下船、コロニーに出る許可が下りるみたいね」

「そうらしいですね、残りの三日間で交代で休暇だそうです」

 

 ブリッジでミナトさんとメグミさんが話している。

 結局、メグミさんは降りる事はなさそうです。アキトさんのお蔭で。

 私も私情を押し殺してメールを送った甲斐があったというものなのですが、やはりというか、

 

「……危惧が当たってしまいました」

 

 小さな、小さな声で呟く。

 合同葬儀から三日経ち、メグミさんは食堂に赴く度に厨房に居るアキトさんを目で追っている。明らかにこれはフラグが立っています。

 ただ、幸いなのはアキトさんにこれといって脈がない事。あれ以来大きな接触がない事……仲の良いクルー程度で留まっているという事。

 

「しかし油断は禁物です……」

 

 前回の積極的な行動を思うに、切っ掛けがあれば大きな行動に出るのは確実。メグミさんは結構意地悪というか腹黒いというか、強かな所があるから。

 ……割烹着とか似合いそうです……何となくだけど。

 

 それに艦長もこの短い期間で厨房で立ち位置を確保していてほぼ毎日、朝昼晩にアキトさんが料理に取り組む姿を見ている。

 これに気付いたのは葬儀が終わった後だったのが悔やまれる所。流石にいつもアキトさんを監視……もとい気に掛けている訳ではないですから仕方ありませんが。

 

「……やはり艦長が一番の強敵ですね」

 

 改めてそれを認識する。

 テンカワアキト争奪杯なるものであれば、その優勝カップを手にした勝利者だけはあるという事。……しかし例え前回の勝利者だろうと絶対に負けるつもりはないですが!

 

 リョーコさんについてはまだ心配はない模様。メグミさん同様に食堂で世間話はするものの、友人・友達感覚なのが見て取れる。

 ……まだパイロットとして訓練を共にしていないから、触れる機会が少ないというのもありそうですが。

 

「これも楽観は出来ませんね」

 

 触れる機会が多くなれば、前回のように何時の間にか争奪杯に参加している事でしょう。そうなれば触れる機会が多いだけに、メグミさんより厄介な敵となる可能性が高い。今回はアキトさん、パイロットになる事に積極的ですし。

 

 そしてサユリさん。彼女は前回行動を起こさなかっただけに全くの未知数。ただ職場が同じだけに話す機会も触れる機会も多く、非常に羨ま……いえ、けしからんことです。ええ、全く!

 

「このままだと大穴当選という事も……」

 

 あり得なくない。……っていうか何ですか! あの手の触れ合い! 同じ食材だとか調味料だとか、なんでそうタイミングが重なるんですか! そしてサユリさんもなんでそんな満更でもなさそうで、嬉しそうなんですか! 前回フラグらしいものが見えなかったのに立ちすぎでしょう! 非常に非常に危険です! 予想外な展開です!

 

「……――ふう」

 

 息を吐く。落ち着かないと。

 この状況を打開……いえ、何とかして私もアキトさんとの仲を進めたいと。ただの協力関係でなくて、一人の少女……女性としてアキトさんと触れる機会を掴まなくては。

 私もこの三日間、世間話以上の事はしていない。オペレーターとして、セイヤさん以下、整備班の皆と通信を介して整備箇所のチェック作業に忙しいのだ。ナデシコだけでなくエステバリスのシステム面も同様。そしてサツキミドリからも退避に合わせてデータ処理と消去に関して色々と頼まれている。

 

「……忙しすぎます」

 

 お蔭でアキトさんと深夜の密会……ではなく、二人一緒の料理研究計画が進められません。

 一日でも早くこの計画を実行しないと、他の誰かにこの役目を取られそうな気がしてならない。

 艦長は料理音痴で味覚音痴(?)だから大丈夫でしょうが、食堂スタッフであるサユリさん辺りに掻っ攫われそうで本当に不安です。

 前回手にした私の立ち位置なのに……! 今にして思えばあの位置がどれほど、貴重で機に恵まれていたのか。それを理解していなかったのが非常に悔やまれる。

 ……まあ、理解していなかったからこそ……そんな子供だったからこそ、今もこうしてアキトさんへの想いを持てているのは分かっているのですが――それでも、あの頃の自分に言いたい事はある。いえ、それが“今”でもあるのですが……。

 

 なので――

 

「忙しいところすみません。少しお話があるのですが……」

「はい、なんでしょう?」

 

 ブリッジの上段へと上がって、仕事部屋でなく此処で端末を操作して仕事をしているプロスペクターさんに話しかけた。

 

「スケジュールの事なんですが――」

「ああ、三日後にですか……うーん、分かりました。調整致しましょう。その方が正直こちらも助かりますし。何分ルリさんにしかできない事が多くて、間も空く事無く一気に片付けられるならそれに越した事はありませんしねぇ」

 

 うんうんと首肯しながらプロスペクターさんは、私の申し出を快く了承してくれた。……とりあえずは第一関門は突破と。次は――

 

「ちょっと出てきます」

 

 休憩時間ではないけど、さらっとそう言ってブリッジから出る。お手洗いだと思ってくれる筈。

 しかしその足で私は食堂へと向かう。ちょっとしたズル休みとなりますが目的の為にはやむを得ない事。これぐらいで不良だとか、悪い子だとは言われる事は無いと思いますし。

 

「――あれ? ルリちゃん」

 

 食堂へと続く通路を歩いていると、背後からアキトさんの声が聞こえた。

 

「どうしたの? 今の時間はブリッジにいるんじゃないのか?」

「アキトさんの方こそ――あ、出前ですか?」

 

 振り向く私へ向けられる問い掛けに、問い掛けを返そうとして、アキトさんが出前の岡持ちを手にしている事に気づいた。

 

「うん、その帰り。で、ルリちゃんはどうして此処に?」

「あ、えっと……」

 

 会いに行く積りではあったものの、突然の遭遇に動揺があったのか直ぐに言葉が出せなかった。

 ……いえ、違う。頬が熱くなってくるのを自覚する。今になってお願いする事への恥ずかしさに気付いたのだ。

 

「え、え、えっと……アキトさん」

「うん?」

「わ、わた、私と……その……」

 

 心臓が凄くドキドキしている。喉が萎むように、こ…声が中々出せない。そ、それに唇が震える。

 

「ル、ルリちゃん……? だ、大丈夫、顔が真っ赤だよ。もしかして――」

「だ、大丈夫です!」

 

 風邪だとか、病気だとか、そう思われて医務室に行く事になったらこの機会を逃してしまう。それだけは絶対に避けなくては……! それにここで偶然会えた好機も逃す訳にはいかない。

 唐突だったけど、食堂で誘う事になってはホウメイさんとあのサユリさんのいるホウメイガールズの皆さんに知られる事になる。他にも誰か食堂に居るかも知れない。

 だから今! 今ここで! 言わないと!

 

『ルリさん、頑張って!』

 

 アキトさんの背後にそんなウィンドウ表示が見えた。オモイカネ、ありがとう。勇気出た。喉の萎みと唇の震えを抑える。

 

「ア、アキトさん! 三日後のお休み、わ、私と一緒にコロニーに出掛けませんか! 二人で! 二人っきりで!」

 

 言った! とうとう言った! アキトさんのスケジュールは確認済みだ。だからプロスペクターさんにお願いした。

 二人っきりとも確り言っておいた。こういうのはきちんと言っておかないとお約束的に他の誰かが付いて来ない保証はないのだ。ヒカルさんなどの漫画のように。

 

「――……そうか、ルリちゃんもその日はお休みなのか、うん、分かったよ。デートって事だね」

「――!!?」

 

 デ、デート!? ま、まさかアキトさんからそんな単語が出るだなんて!? 前回と違って察し良すぎません!? いえ、さすがに二人っきりと言ったらそう受け取りますよね……幾らアキトさんでも……あ、あれ? 頭が、足が……あ、駄目……目の前がクラクラして……

 

「キュウ……」

「え!? ル、ルリちゃん!? し、しっかり!」

 

 アキトさんの驚愕と焦った声を耳にし――視界が暗転した。

 

 

 

 

 倒れかけたルリちゃんの身体を支える。

 顔は赤いが風邪じゃないよな? その理由は流石に察しは付くし、呼吸は確りしている。医務室へ運ぶべきか? いや、そんな大事という訳でもない。

 考え直して近くの休憩スペースへとルリちゃんの身体を抱えて移動する。岡持ちはちょっと邪魔だが……中身は空だし、ルリちゃんは軽い。

 

「よっと……」

 

 バランスを取って片腕でルリちゃんの身体を支えながら、岡持ちを床に置いて、ハンカチを長椅子に敷いて、ルリちゃんの頭をハンカチの上に置いて身体を横たえる。

 

「……ふう。ん……ちょっと熱いか?」

 

 抱えている時から感じていたが、火照っているようにルリちゃんの身体は熱かった。まだ顔は赤く、額に手を置いて確認するとやっぱり結構熱い。

 休憩スペースの自販機でミネラルウォーターを購入。予備のハンカチを取り出して湿らせてルリちゃんの額に置く。

 

「無いよりましだけど、ちょっと心もとないな」

 

 小さなハンカチを見てどうしたものか? と考えて――溜息を吐く。それしかないか。……周囲を見渡して人気(ひとけ)がない事を確認する。

 

「ルリちゃん、ゴメン……」

 

 覚悟を決めてルリちゃんのベストに手かけてチャックを開けて前を開かせる。ネクタイを緩めてシャツのボタンも二つだけ外す。

 

「……こんな所を人に見られたら、俺の人生終わりだな」

 

 後ろめたさからそんな言葉が漏れる。ああ、ちくせう……トラウマがまた思い出される。……ほんと悪いことしてないのにな。

 

「あと扇ぐ物でもあれば……と、そうだ!」

 

 岡持ちを開いてそのまま引っ張って綴蓋を外す。薄い金属の板であるこれなら団扇代わりになるだろう。

 

 

「……」

 

 扇ぎ始めて一分ほど、赤かった顔が何時もの白磁を思わせる肌色へと戻って来た。

 ほっと息を吐く。良かった。

 にしても……こうなった原因を思い出す。

 

「デート、か」

 

 ルリちゃんからのその申し出。

 受けはしたけど――……正直、やっぱり複雑だった。

 けど、ルリちゃんは倒れるほど緊張して勇気を出したのだ。確りと応えてあげないと。……それに複雑は複雑でも嬉しくない訳でもない。

 

「……ルリちゃんとだもんな」

 

 今でも信じ難いその現実に笑みが零れた。複雑な心境からの苦笑なのか、それともこの子とのデートの約束を交わした嬉しさからなのか、今一つ分からなかったが――

 

「――楽しみにしよう」

 

 そう思った。この子の――ルリちゃんの為にも。

 

 

 

 

「ルリちゃんとだもんな。――楽しみにしよう」

 

 冷めかけた頬がまた熱くなりそうだった。

 実の所、抱えられていた途中から目が覚めていた。けど、服越しで感じられるアキトさんの体温と匂いから離れ難くて気を失ったフリを続けてしまった。

 ベストに手を掛けられて、シャツのボタンを外された時はまた気絶しそうなほど緊張したけど……何とか今度は意識を保てた。

 

 扇いでくれる風が心地良い。アキトさんの優しさがその心地良い風から感じられるようで。とても幸せな気分です。

 デートに誘えたという事実だけでも、もう飛び上がってしまいそうなほどなのに、こんな役得に恵まれるなんて。

 今日はもうずっとこうして居たいです。けど――電子音が鳴った。私のコミュニケからだ。

 ……仕方ない。

 

「う…」

 

 目を覚ました振りをして瞼を開ける。如何にも電子音に反応したかのように。

 

「あ、ルリちゃん。目が覚めた?」

「……アキトさん、私……」

 

 電子音を耳にする中で演技を続けて、ハッと息を呑んで見せる。

 

「――! す、すみません! 迷惑をお掛けして……!」

 

 上半身を起こして頭を下げる。現状を如何にも今理解した風に。額から湿ったハンカチが落ちた。

 

「ううん、いいよ。大丈夫そうで良かったよ」

 

 迷惑でないと言うようにアキトさんは笑顔で言う。

 やっぱり優しい人だな……と、そういった顔を見る度に思ってしまう。それに甘えて気を失ったフリをし、こうして演技までして少し申し訳なくなる。

 

「すみません」

 

 その事にも謝るように私はもう一度頭を下げた。

 

「良いから、それよりコミュニケ」

「あ、はい……」

 

 アキトさんは笑顔のままで私のコミュニケを指差す。

 コミュニケを操作して音声のみで受ける。お手洗いに出ていると思われている筈だから映像がなくとも変に取られないだろう。

 

『もしもしルリちゃん』

 

 音声のみ、SOUND ONLYと書かれた灰色のウィンドウが開き、メグミさんの声が聞こえる。

 

「はい」

『どうしたの? 結構時間たってるけど、サツキミドリの方から通信があって話があるってさっきから……』

「すみません、飲み物と軽く口に入れるものを買おうかと思って」

 

 アキトさんの姿が映らないように映像をオンにして、自販機を背景に自分を映るようにする。

 休憩スペースは似たような配置なので、ブリッジから離れた場所の物だとはまず思われない。

 

「直ぐ戻ります」

『? ……えっと、うん、お願い。何か向こうも困ってるみたいだから』

「はい」

 

 通信が切れる。ふう……何故か訝し気な顔をされたけど、アキトさんの事に気付かれた様子はない。ホッと軽く息を吐いた。

 

「それじゃあ戻ります。アキトさん、ありがとうございました」

「あ、いや……ルリちゃん、その、シャツとベスト……」

「え? ……あっ」

 

 メグミさんが訝しげにしていた理由が分かった。そうでした。アキトさんに……――また顔が熱くなる。

 

「ア、アキトさん……」

「へ、変な事はしていないから……!」

「わ、分かっています。火照った身体を冷まそうとしてくれたんですよね」

「う、うん、そう」

 

 アキトさんは慌てた様子で少し顔が赤い。それを見ると恥ずかしさは増すものの、少し嬉しく思う自分もいる。今の私でも女の子として見てくれているのかな? とちょっとは期待してしまう。

 

「と、とにかく、ありがとうございました。い、行きます……」

「あ、ああ、気を付けて」

 

 とりあえず恥ずかしさがあったので、後ろ髪引かれる思いもあったけれど、ブリッジへと戻った。ベストとシャツを直しながらいそいそ……と。

 

「予想外な……嬉しいトラブルもありましたが、無事誘えて良かったです」

 

 三日後の休日が待ち遠しかった。

 

 

 

 

 さっきは周囲に人が通り掛からないか気がかりで、そこまで気が回らなかったが――……やっぱり白いなと思った。

 シャツの外れたボタンから覗いた胸元……肌が。勿論、女性らしい膨らみは無かったけど、

 

「って! 何を考えてるんだ!? 俺!」

 

 あの子はまだ11歳だって言うのに! 精神は別として! いかんいかんと邪念を振り払う。リアルで子供に劣情を催すなんて本当にタイーホフラグだ。

 サユリさんに疑われているっぽいし気を付けないと。でないと保安部に突き出される。看病の為とはいえ、迂闊にあんな事をしておいてなんだが……。

 

「っと、俺も早く戻らないと」

 

 岡持ちを手に取って足早に厨房へと戻る。ホウメイさんにどやされる。

 

 

 

 しかし結局、遅い! とどやされてしまった。

 一応事情もあり、言い訳は出来なくもなかったがルリちゃんがブリッジを抜け出していた事もあって、ただひたすら頭を下げて許して貰った。

 

「ふう……」

 

 それでもジッと厳しい視線を背後から向けられるので、溜息を吐いてしまう。

 そうして暫く……十数分ほど経過してホウメイさんから怒りの気配が消えた。

 

「ほっ」

 

 今度は安堵の溜息が零れた。

 

「テンカワさん」

 

 コソッとした感じで声を掛けられる。サユリさんだ。

 

「何かあったんですか? 出前帰りに……」

「いや、さっきもホウメイさんにも言ったけど、通り掛かったクルーと話し込んでしまって」

 

 全くの嘘を吐く事も出来なかったので、そう言い、話し込んだ自分が悪いと謝ったのだ。

 

「……真面目なテンカワさんらしくないように思えるんですけど、だからホウメイさんも怒ってるんじゃないですか? ほんとの事を言わないから……」

「いや、嘘を言ってる訳じゃないんだけど……」

 

 ……多分。

 

「……言いたくないのでしたら私も追求しませんけど」

「ははは……」

 

 誤魔化すように苦笑を浮かべる。

 サユリさんには特に言えない。さっきも思ったが、ただでさえ彼女には疑惑を持たれているのだ。後ろめたい事は無い積りだけど万一という事もある。保安部のお世話になる事態は避けたい。

 

「ま、いいかな? ……それにしても残念です」

「ん?」

「休暇の事……折角だからこの食堂スタッフのみんなと出掛けたかったのに。 ――テンカワさんとも」

 

 急に話は変わったが本当に残念そうな響きだ。

 

「仕方ないよ。食堂を一日丸々閉める訳にはいけないし、俺達も交代で休みを取らないと」

「それは、分かっていますけど……」

「まあ、しょうがないよ。俺もホウメイさんやみんなと出掛けてはみたいけどさ。……サユリさんはミカコさんと一緒だっけ休みの日?」

「はい、明後日に」

 

 俺の質問に答えるサユリさんだが、折角の休みで船の外に出られるというのに嬉しそうではない。今日通達があったばかりで、予定がまだ出来ていないからかも知れない。

 ちなみに此処のスタッフは、明日からの三日間で一日二人ずつ抜ける事になっている。俺はルリちゃんと約束した三日後だ。

 

「……テンカワさんとは別なんですよね」

「ん? そうだね」

 

 ほんと残念そうに言うサユリさん。

 それも仕方がない所だ。此処では一番後輩と言える俺なのだが、合同葬儀の後に我らがホウメイ料理長を筆頭とした食堂スタッフの中から、サユリさんと俺が共に副料理長……というのは流石に肩書としては重いので、副主任という肩書に選ばれた。

 その為、俺とサユリさんのどちらかは必ずシフトに入っていなくてはならず、一緒に外れる事はできない。

 そんな立場に置かれて不相応な気もしなくもないけど、あのホウメイさんに任せられないならそうしないと言われ、買ってくれているということなので、嬉しくもある。サユリさんを始めとしたホウメイガールズの皆もテンカワさんなら大丈夫だと言ってくれた。

 

 一年の修行でそこまで仕込んでくれたサイゾウさんには改めて感謝したかった。良い師匠に巡り合えたのだと心から思う。地球に戻ったら真っ先に会いに行きたいぐらいだ。

 しかしそうなるとサイゾウさんも結構謎だ。

 それだけの腕を持ちながら小さな店の経営者なのが。もっと弟子を取って大きな店を構えていてもおかしくないのに? うーん……料理の腕と経営は違うって事なのかも知れない。

 その辺も何時かは学ぶ必要がありそうだ。……無事に未来を変えられて平穏な生活を手に出来るのであれば、だけど。

 

 ――……あと、この世界から自分が消えなければ、だな。

 

「……テンカワさん?」

「っと、いけね。ボーとしてた」

 

 声を掛けられて手が止まっていた事に気付く。またホウメイさんに怒鳴られる。副主任の立場を担っているのに、そんなんだから余計に怒られるのだ。

 

「仕事に集中しないとね。お喋りもここまでにしよう。じゃないとまた怒られそうだ」

「……はい、そうですね」

 

 サユリさんは頷いて俺から距離を置いて自分の持ち場に戻った――のだが、

 

「テンカワさん」

 

 今度はミカコさんに話し掛けられて、

 

「私と休暇日、交換しませんか?」

 

 などと言われたのだが丁寧に断った。先の立場の事もあるし、それではルリちゃんとの約束を破る事になる。

 するとミカコさんはガッカリした様子で持ち場に戻って……と思いきやサユリさんと何かを話し、二人して肩を落としていた。

 

「……ううーん? ま、いっか」

 

 休暇の事で何かあったのかも知れず、代わってあげられない事に少し悪い気がしたが、こちらも事情があるので気にしない事にした。

 ただ今度何かの形で……と、パイロットの件で迷惑をかけている事も謝礼できていなかった。それも含めてほんと何かしてあげたい所だ。

 

 そんな事を頭の隅で考えながら調理に勤しんだ。

 

 

 

 

 

『テンカワさん、今度のお休みですけど……』

 

 休憩時間に入るとメグミ嬢から通信が入った。しかし、

 

『そうですか、三日後ですか。合いませんね。この前のお礼をしたかったんですけど』

「いや、何度も言うけど、ほんと大した事はしてないからさ。俺もただ言いたい事を言っただけな所もあるし」

『それでも、です。……私も何度も言いますけど、とても励まされましたから、だからテンカワさんにはきちんとお礼をしたいんです』

「その言葉だけで十分だよ。話をしただけなんだし、ほらそれでお相子だろ」

『うー……』

「ははっ、そろそろ休憩終わるから。じゃ切るね」

 

 休暇が合わない為か、お礼を断っている為か、メグミ嬢は不満そうな顔を浮かべるが、俺はそれでも可愛らしく見える彼女の顔に苦笑し……コミュニケを切った。

 にしても――――……この前の事でやっぱりフラグが立ったらしい。

 原作の事もあって予測はしていたのだが……もしそうなら確りと話しておくべきだろうか? 

 ……まあ、そうとも限らないか。本当にお礼がしたいだけなのかも知れないし。

 

 

 ――と。

 

 

「おっす! テンカワ!」

 

 お昼前、忙しくなる時間帯に入る前にリョーコ嬢が食堂に来た。その背後には、

 

「こんにちは~、アキト君」

「こんにちは、テンカワ君」

 

 ヒカル嬢とイズミ嬢の姿もあった。

 三人はカウンターからこちらを覗いて話しかけてくる。

 

「お前、今度の休みは何時だ?」

「私達は明日なんだけど」

「もし日が合うなら、サツキミドリの中を案内してあげる。娯楽施設を効率的に回れるわよ」

 

 メグミ嬢に続いてまた誘いが来た。モテ期到来だなとこれまた苦笑が出た。流石はテンカワアキトというべきか。

 けど、しかし、リョーコ嬢達のこの様子を見るに、男女間というよりもパイロット同士の親睦を深める為と言った感じが強い。恋愛フラグというものではなさそうだ。

 

「ゴメン、俺の休みは三日後なんだ」

 

 苦笑しながらも答える。

 

「んー、そうなのか?」

「残念、アキト君も巻き込んで久しぶりにパーッと遊ぼうかと思ったのに」

「仕方ないわね。……三年待たないと駄目かしら」

「それ、残念とかけてる? 此処のところキレが悪くない、イズミ?」

「……のようね、暫くは控えようかしら?」

「どっちでも良い……いや、控えてくれるならそっちの方が良いな」

 

 残念がるのも束の間、漫才みたいなやり取りをする三人娘。それに苦笑が強くなる。

 

「じゃあテンカワ、俺達はその日も訓練だけど、一緒にどうだ? そろそろパイロット全員での連携も確認したいし……訓練に出るなら歓迎するぜ」

「リョーコ、せっかくのお休みなのにそれは悪いよ」

「あ、そっか。……わりぃなテンカワ、今の言葉は忘れてくれ」

 

 ヒカル嬢の咎める言葉を受け、リョーコ嬢は後頭部に手をやりながら軽く頭を下げた。

 

「わかった。けど、こっちこそ折角の誘いを受けられなくてゴメン」

「気にしなくて良いわよ、――で注文良いかしら?」

「ああ」

 

 他に用もないのだろう。三人娘は料理の注文をするなり、テーブルの席に着いた。

 

 ――――――と。

 

 メグミ嬢、リョーコ嬢と続くとなると、

 

「アキトー!」

 

 予想通りユリカ嬢が来た。

 まあ、しかし彼女がお食事時に厨房にまで入って俺の所に来るのは、既に日課となっているのでそれ自体は予想も何もないのだが……。

 

「ねえ、ねえ、アキトのお休みは何時なの?」

 

 この質問だな、予想してたのは。なので、

 

「三日後」

 

 一秒の間もなくコンマで即答した。するとこれまた、

 

「えー!? うそぉ!!」

 

 コンマ以下の早さでユリカ嬢は愕然した反応を示す。ガーンという擬音が非常に似合う表情だ。

 その様子を見るに休暇日は合わないらしい。……少しほっとした。ユリカ嬢には悪いが。

 もし合っていたら押し切られていた可能性が高い。そうなったらルリちゃんの機嫌は最悪になっていただろう。幾らユリカ嬢がルリちゃんにとって姉のような大切な人でも二人きりと念押ししたのだ。それを翻せばきっと大変な事になる。

 

 ――ふいに、脳裏にこの前のリョーコ嬢が腕を取られていた姿と。ガイが病弱っ子を連呼した挙句、改造人間と呼んだ所為で“滑空”して頭から壁に激突した光景が過る。

 

 リョーコ嬢のはまだいいとして、ガイのような目に遭うのはゴメンだ。凄く痛そうだし。……人って結構飛ぶんだよなぁ。

 

「うう……ユリカ、明後日がお休みなのに……」

 

 俺の考えを他所にショックを受けて項垂れるユリカ嬢。だがガバッと顔を起こして、

 

「ねえ、アキト――」

「――残念だけど、日は代われないぞ。こっちもシフトがあるし、俺もその日には用があるんだ」

 

 ユリカ嬢の言いたい事を予測し、先回りして返答する。

 

「うう……ユリカは艦長なのに、一番偉いのに、アキトの恋人なのに……言う事聞いてくれないんだ」

「……恋人なのかはともかく、艦長なら余計にだ。クルーへの示しがあるだろ。我儘を言わない」

 

 呆れた口調で言うと、ユリカ嬢は尚も「うう」と悲し気に項垂れる。だがガバッと二度(にたび)顔を上げる。

 

「なら私がその日に――」

「――残念だけど、無理だろ。三日後はナデシコ出航の前日。サツキミドリの方と最終的な打ち合わせがあるんじゃないか?」

 

 ユリカ嬢の言いたい事は予測でき、またも先回りして返答する。

 

「うう……そうだった。ユリカは艦長だから、ナデシコで一番偉いから、その会議に出なくちゃいけないんだった」

「……諦めろ。艦長としての責務を確りと果せよ。クルー達の為にもな。まあ、頑張れ」

 

 少し投げやりな口調で言うと、ユリカ嬢は「うう」と再び悲し気に項垂れる。……三度(みたび)もガバッと顔を上げなかった。その代わりに、

 

「アキト……火星丼お願い」

 

 食欲はあるらしく項垂れたまま昼食を注文した。

 そして何時ものように俺の調理する姿を見るも楽しげな様子はなく、項垂れた様子のままに食堂を後にした。……ちと心配だった。

 

 だが、ユリカ嬢よりも心配なのは、

 

「ルリちゃん、来なかったな」

「どうしたんだろうね。朝は見たんだけど、出前の注文もなかったし」

 

 俺もそうだが、ホウメイさんも少し心配そうに首を傾げていた。

 

 

 

 

「もしかしてという事もあります。出来る限り仕事を片付けないと……」

 

 コンソールに手を置いて気合を入れて掛かる。

 デートのその当日になっても片付かなかったなんて事が無いように、新たな仕事が入らないように今ある仕事を手早く片付け、関係各部署にしつこいぐらいに催促して次の仕事を回して貰い、どれぐらいあるか、まだ残っていないかを確認する。

 アキトさんと初めて……いえ、前回のピースランドの時を入れると二度目でしょうか? ううん、やっぱりデートとハッキリと言えるのはこれが初めて。

 

「ですから、潰す訳にはいきません……!」

 

 背景があれば気炎を背負っているのではないかと自分でも思うほど、力を入れて仕事に取り組む。

 

「ルリちゃん、何か気合入ってますね」

「そうね。……ふーん、これは……」

「ミナトさん、何か思い当たる事があるんですか?」

「ううん、まあ、私達も頑張りましょ、ルリルリほどじゃないけど、私達も暇じゃないんだし」

「はあ……?」

 

 そんな会話を耳にするが気に掛けている余裕はない。思いのほか、回ってくる仕事は多い。

 仮にも子供である私をここまで扱き使うネルガルはどうかしてます。ブラックですか? 

 

 良いでしょう――――別に全て片付けてしまっても構わんのだろう? 

 

 その挑戦受けてあげます。伊達に未来で艦長だった訳ではありません。これぐらい熟して見せましょう。

 予め買ってきた自販機のハンバーガーとはっぱせんべい、ミネラルウォーターに口付けながら私とアキトさんのデートを邪魔する仕事(てき)に挑む。

 

 ですが、無理も禁物。

 当日になってバタンキューという駄目な方のお約束を演じる訳にはいかない。就寝の時間にはしっかりと部屋に戻る。

 

 

 

 そうして仕事は順調に片付き、デート前日には手もすっかり空くようになった。お蔭でゆっくりできる時間が多く、倒れるなんて心配もなさそう。

 

「なのですが……」

 

 私は部屋で落ち込んでいた。今になってようやく気付いた。

 

「困りました」

 

 私は呆然とクローゼットと衣装棚を見詰める。

 

「着て行く服がありません」

 

 思わず床にガックリと膝を突いた。

 ピースランドに行った時のおめかしした服も、その時にアキトさんに勧められる儘に買った一番星コンテストの衣装もない。

 あるのはナデシコの制服とジャージと、サセボに来る際にプロスさんに用意して貰った服だ。

 比較的プロスさんが用意した服はマシなのですが、安物の何の飾り気もない地味なこんな服では、とてもではないですがアキトさんとのデートに……折角の初デートに着て行けません!

 

 もう余りにもショックで、悲し過ぎて涙が出そうです。

 

 どうすれば……。

 

「……?」

 

 部屋のインターホンが鳴った。私の部屋を訪ねる人はまずいない。非常に珍しいこと――ま、まさか、アキトさん!? だとしたらなんてタイミングで!

 慌てて目尻に手をやり、涙が出ていないかチェック。……濡れてはいない。次は顔を笑顔に、確りとした笑顔に、鏡の前で練習した笑顔を作って……上手く出来ているか自信がない。

 けど、余り待たせる訳にもいかない。コミュニケを操作して部屋のインターホンと繋げて、

 

「……ミナトさん」

『やっほー、ルリルリ』

 

 開いたウィンドウに映ったのはアキトさんではなく、ミナトさんだった。

 その事にホッと安堵する。

 

『ドア、開けてくれる?』

「はい」

 

 催促に直ぐ頷く。アキトさんではなかったけど、ミナトさんにも閉ざす扉は無い。それに良いタイミングです。こういう時は彼女に相談すべきだとミナトさんの顔を見て気付いた。

 

「お邪魔しまーす。……ん?」

 

 ミナトさんが部屋に入った。けど、私の部屋の中を見るなり訝しげで……少し険しい顔をした。

 何かおかしな所があったのだろうか? 私も部屋を見渡す。けどいつもと変わりはない。

 

「どうかしましたか?」

 

 なので尋ねる……けれど、

 

「ううん、何でもないわ。それより……はい、これ」

 

 ミナトさんは首を振ると、私に何かを預けてきた。大きな紙袋だ。

 

「プレゼントよ」

 

 そう言われ、さあ、開けてみて、と言った目線で告げて来るので中身を見る。ナイロンの透明な袋を被ったそれは――

 

「――あ、」

 

 目が大きく見開いたのを自覚する。きっと今私の目はまん丸になっているだろう。その見開き具合が示すように驚きは大きかった。だけど――

 

「――ありがとうございます! ミナトさん!!」

 

 驚く以上に嬉しさが出て、頭を下げると同時に私はミナトさんに飛び付いていた。

 

「どう致しまして、ルリルリ……」

 

 そんな私を受け止めてミナトさんは優しく抱きしめてくれた。そして、

 

「……アキト君とのデート頑張ってね」

 

 耳元に口を寄せてそう囁いた。

 う……、私はその耳に入った言葉にドキリとしてしまい。動揺して何時知られたのだろうと考えるが、まだ嬉しさの方が大きくて、

 

「……はい」

 

 笑顔でコクリと頷いた。

 

 




 デート部分も書いてしまおうかと思ったのですが…次回に。ただ大まかな流れはイメージできているのですが意外に長くはならないかも知れません。
 あと今回と同様に暗くはしない積りです。楽しくデートして欲しいですし。

 実はユリカさんとのデートにしようかとも考えていたのですが、よくよく考えてみると読者視点ではルリちゃんのヒロイン力ないし正妻力は上がっているのですが、意外にも相談以外などではアキトと余り触れ合っていない事に気付き、今回はルリちゃんに機会を上げました。
 地味にユリカさんがアキトの傍に立ち位置を確保している事もありましたし。しかしユリカさんが今一つ弱いのも確かなので、彼女の話も火星行きの間に入れたい所です。もしくは火星編で。

 ――追記――

 少し忘れていました。ルリちゃんが言う料理研究計画や前回で得た立ち位置というのは小説版の方でアキトのラーメンの試食を行っていた事です。そっちからネタを持ってきました。
 そういった意味では本作のテンカワ特製ラーメンはルリちゃんの意見があって完成している事になるので合作とも言えます。

 あとイズミさんギャグが冴えないのは(元より寒いですが)、言うまでもないと思いますが私のセンスの無さ原因です。ギャグはやはり苦手です。ですので本作ではシリアスモードが多くなると思います彼女は。何とかだそうと頭を捻ってはいるのですが…。


 どたまかなづち様、244様、リドリー様、キーチ様、誤字報告等ありがとうございます。


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第十四話―――逢引(前編)

 昨日の昼過ぎ頃にルリちゃんからメールが来た。

 待ち合わせ場所は、ドックから出て近くにある3番リニアトレインの駅前。時刻は9時と。

 情けない話であるが、ルリちゃんの誘いを受けながらその時まで待ち合わせ場所と時刻の事をすっかり忘れていた。

 まあ、一緒にナデシコから出ると考えていた所もあったのだが……。

 

「ユリカの奴……艦長辺りに見つかったらどうなるか」

 

 などの不安も思えばある。……あとやっぱりサユリさんにもだ。

 うん? ……そういえば考えてみるとルリちゃんと二人で出歩いて本当に大丈夫だろうか?……――トラウマに刺激が……。

 

「いや、大丈夫だ。きっと……」

 

 前の世界の事を振り払って気を取り直す。

 とりあえず着替えだ。

 トップは無地の白シャツと黒のジャケット、アンダーはジャケットと同じく黒のデニムで良いだろう。ただ靴が普通のスニーカーでしかなく、今一つ決まらないのが問題だ。服をキレイめにして清潔感に気を付けているのに、くたびれた感のあるそれが台無しに思える。

 

「こういう時の為にも、きちんとしたものを買っておくべきだった」

 

 ナデシコに乗ったらずっと艦内生活だと思って油断したのが悪かった。

 バッグの方ももっと決まったのがあった方が恰好が付いていただろう。ポケットに物を入れて膨らみを作るのは余り良くないが、しかし手元にあるのはリュックサックのみ。それは流石に拙い。

 リュックを背負うくらいなら何も持たない方がマシだ。相手によって持っていない方が良いと言う人もいる。

 ちなみにリュックサックもそうだが、デートにスーツ服なども女性にウケが悪いのでデート初心者は気を付けるように。某マッドサイエンティストはクリスティーナの勧めで着て行ったが基本OUTである。ほんと心証が良くないから。ああいうのは場所による。

 

「って、誰に言っているんだろうな……?」

 

 あと無地のシャツだしワンポイントとして、ペンダントなんかのアクセサリーもあれば良かったんだが……これもない。

 ただ、これはこれといって良くも悪くもないからこだわる程でもない。

 コミュニケを外してジャケットの内ポケットに入れて、アクセサリー代わりになる時計を着ける。こっちは拘りがあったのでそれなりの物で見栄えが良い。地球のバイト生活の中でちょっとした散財でもあったけど……――しかしマイナスポイント一つか、それもちょっと目立つ。バッグも入れれば二つになる。

 

「……ルリちゃんの反応が少し怖いな」

 

 11歳とはいえ、女性は女性。デートに訪れた男を見る目は厳しいだろう。ましてやその中身は16歳以上と思われる。

 

「…………悩んでも仕方ない。行こう」

 

 鏡で身嗜みを最終チェック。髪は勿論、髭も……こっちは前から薄いからもとより大丈夫。爪が伸びすぎていないかも確認して部屋を出た。

 

 

 

 

 8時40分に駅前に到着。

 駅は何故か東京駅に似ている。そのミニサイズと言った感じだ。どうも本社が日本にある企業だけにモチーフを持って来たらしい。ここ以外の各ブロックにある駅も似たようなものだとか。

 

「……時間まであと20分か」

 

 軽く周囲を見る。

 ドックの作業員らしいツナギを着た人もいれば、会社員みたいなスーツ姿の男女もいるし、私服姿の人もまばらに見える。

 ナデシコのクルーも中にはいると思うが知っている顔は無い。……多分だが。通路ですれ違ったり、出前先で見た人もいる可能性があるので断言できない。

 

「でも、待ち合わせしているのは俺だけみたいだな」

 

 立ち止まって時間を確認している人間は居ないのでそう思えた。

 

 

 

 10分経過して8時50分。

 ぼんやりと考え事をしながらドックに続く道の方を見ていると――

 

「――あ」

 

 小柄な青い影が見えた。

 こちらに気付いたのだろう。小走りでこちらに駆けてくる。

 

「アキトさん、おはようございます。お待たせしました」

「……」

 

 結構走ったと思ったのに息を切らせずに挨拶するルリちゃん。小走りながらも結構颯爽と走っていたし、さすが武術を嗜んでいると言うべきなのか?

 

「アキトさん?」

「……あ、うん、おはようルリちゃん」

 

 定番の「今来たところ」と言うべきなのだが、挨拶を返すのが遅れて間を外した感があった。

 なので、代わりという訳ではないが、挨拶が遅れた理由について言うべきだろう。

 

「ゴメン、挨拶が遅れて。ちょっと……いや、結構びっくりしたから。良く似合っているね、その服」

「……あ」

「何時も制服だったっていう新鮮さもあるけど、うん……可愛くて、その……まるで御伽噺や童話から出てきたお姫様みたいだ。凄くきれいで似合っているよ」

 

 本当にそう思う。

 ルリちゃんの着ている服は所謂ガーリー系という奴だ。

 リボンやフリルがあしらわれ、袖やスカートの裾が薄いレースになった薄青色のワンピースだ。少しドレスっぽくもあって、柔らかくふわっとした雰囲気のあるそれを纏ったルリちゃんは、まさに御伽噺や童話から飛び出した住人ようだ。

 淡い蒼さを持つ銀の髪に金色の瞳、白磁の肌。整い過ぎるほどに整った容貌に小柄で華奢な見た目。妖精と讃えて可憐だと言いたくなる人の気持ちが良く分かる。

 フリルとリボンとレースで飾られた青い柔らかな衣装によって、そんな彼女の可憐さと美しさがより栄えている。

 今にも幻想の世界に帰る為に空気に溶けてしまいそうな……いや、見ているとこっちがそんな幻想の世界へ引き込まれた錯覚に陥る。

 

「……あ、ありが……とう、ござ……います」

 

 俯くルリちゃん、顔も首も真っ赤だ。

 そんなルリちゃんを見て、ハッとする。……本当に錯覚に引き込まれそうになっていた気がする。

 幾らなんでも見惚れ過ぎだ。

 しかし真面目にこの世のものとは思えない程というのも事実。実際、通り掛かる周囲の人もルリちゃんの方を見て思わず……と言った感じで足を止めたりしている。

 ピースランドの時もこういった格好だったと思うのだが……現実でそれを見たと思う原作のアキトは、そのルリちゃんの姿をどう思ったのかと少し気になる。

 もし何も思わなかったのであれば、朴念仁というレベルを通り越して異星人レベルの感性だ。

 

 と、ほんと見惚れているばかりではいけない。

 

「行こうかルリちゃん」

 

 俯くルリちゃんの手を取った。

 ……ん、ちょっと熱いかな? と柔らかな感触と共に伝わる体温にそう思った。

 

 

 

 

 握ってくるアキトさんの手が少し冷たく感じられた。そんな筈もないのに。……それだけ自分の体温が高いのだと思う。頬の熱さからもそれは確実だろう。

 でも仕方ないと思う。

 

 可愛くて、御伽噺や童話のお姫様みたいで、きれいで。

 オマケに妖精だとか、可憐だとかまで言っていた。小さな声で。

 

 実の所、妖精という言葉はとても恥ずかしく、褒め言葉だとは分かってはいても人間ではないと言われているようにも思えて、正直余り好きではなかった。

 なのに……アキトさんにそう褒められるとまた違う。

 我ながら現金だと思う。素直に褒め言葉だと嬉しく受け取れてしまう。アキトさんにならもっとそう言われたいと思うし、いっそ本物の妖精になりたいとさえ思ってしまう。

 そうしたらアキトさんはもっともっと奇麗だと、可憐だと、可愛いと褒めてくれる筈。

 

「……もしそうだったら、私だけを見てくれるかも……」

 

 気が付いたらポツリとそんな言葉が零れていた。

 

「ん? 何か言ったルリちゃん?」

「い、いえ……」

 

 零れた言葉に咄嗟に首を振って顔を上げる。

 横に並んで歩きながら私を見詰めるアキトさん。その眼には青いワンピースを纏った私が映っている。

 

「あの……本当に似合っていますかこの服?」

「うん、似合っているよ。お姫様みたいだし、ルリちゃんを妖精って褒めたくなる人の気持ちが分かるよ。……すごく可愛くて奇麗だ」

 

 確かめたいという気持ちもあったけど、もっとそう言われたくて尋ねてしまった。そしてやっぱりそう言ってくれて嬉しくて、頬の熱さは一向に消えず、心臓はもうドキドキしっぱなしだ。

 

「そのリボンも良いね。桃色でルリちゃんの奇麗な蒼い銀の髪をとても引き立ててる」

「~~~!!」

 

 もう、もう私、死んでも良いです。いえ、嫌ですけど……今なら死んでも未練なく何処かに昇天しそうな気がします。

 アキトさんにこんなに褒めて貰えるなんて夢のようです。

 ミナトさん、ありがとうございます。貴女のお蔭です。この服のプレゼントがなかったらきっとアキトさんにこれほどの言葉を頂けなかったでしょう。

 それもあと3回はチャンスがあります。赤と白に桃色。今回は私の髪に合わせて青色の服を選びましたが、きっと他のも同様に褒めてくれると思いますし。

 次のデートにはどちらの色の服を選びましょうか?

 

「それでこれからどうするの?」

「こ、これ……から? ……――ッ!」

 

 そ、そうです! これからです。まだデートは始まったばかり。なのに次のデートの事を考えている場合ではありませんでした。

 

「え、えっと――」

「――今日はルリちゃんからの誘いだったけど、俺も一応考えては来てるんだ」

 

 私が何かを言うよりも先にアキトさんが言葉を続ける。

 IDカードを使って改札を抜けてホームへと向かう。正面を向いて歩くアキトさんの言葉に私は耳を傾けた。

 まさかアキトさんが今日のプランを考えてくれていたなんて……と少し驚きながら。リードしてくれるという事なのでしょうか?

 

「まず、午前中なんだけど――」

 

 落ち着きが出て来て……それでも頬はまだ薄っすらと熱く、心臓の鼓動も何時もより大きかったけど、アキトさんの話を確りと聞く事が出来た。

 聞いたプランは意外と言っては失礼ですけど、悪くはなかった。

 私は、午前中に映画を選んでいたのですが……――アキトさんが好きそうなアニメ映画も上映してましたから、ただゲキガンガーとは趣の違う古いロボットアニメのリメイクですが……でも、

 

「俺はそれでいいけど、それじゃあルリちゃんは楽しくないんじゃない?」

 

 そう言われた。

 う……、私の事を思っての言葉に嬉しいような、誘ったのは私だから申し訳ないような……でも、嬉しさの方がやっぱり大きいですけど。

 

「あ、来たね」

 

 リニアがホームに停車した。二人並んで足を揃えて乗り込む。

 席に着くと、繋がれていた手が離れた、

 

「あ……」

「ん、何?」

「い、いえ……」

 

 手が離れた事がちょっと寂しくて思わず声が漏れてしまい、不思議そうにしたアキトさんに何でもないと首を振る。

 

「……そういえば、ルリちゃんは似合ってるけど、俺の恰好はどこか変じゃないかな?」

「え?」

 

 リニアが動きだすとアキトさんが唐突に言った。

 その言葉の意味を考えてアキトさんの恰好を改めて見る。

 待ち合わせ場所の駅前で遠目で見た時はいつもの制服ではないから、直ぐにアキトさんだと気づかなかったのが少し後ろめたく思った。ナデシコ長屋やアパート暮らしの時はほぼポロシャツとジーンズでしたし……制服以外でこういうきちんとした感じのアキトさんは見慣れず新鮮さはありますが、

 

「別に変じゃないですよ」

 

 キレイめという奴だ。

 私と比べると地味な感じは拭えませんが、そこはやっぱり女性と比べるとそういった物だと思いますし……変に派手でないのはアキトさんらしくて、

 

「とても似合っています」

「……そうかな?」

「はい」

 

 正直に言っているのにアキトさんは納得していない様子。どうしてでしょう?

 本当におかしい所はなくて似合っているのに。それにサブロウタさんが言っていました。変に着飾らずに身嗜みを整えて清潔感さえあれば、あとは中身で勝負できると。

 アキトさんは料理人だけあって清潔とか衛生面だとかは確りしていますし……ああ、でもヤマダさんが部屋に居るのがマイナス要素になっていますが。幾らアキトさんが片付けても直ぐ散らかるみたいなんですよね。……今度きつく注意しておきましょうか。

 

 ……まあ、ヤマダさんの事は放って置いて。

 

 とにかく、今のアキトさんは十分清潔感がアピールできていると思います。中身の方にしても、優しく何時も一生懸命な私の大好きなアキトさんです。不満なんてある訳がありません。

 なので、

 

「大丈夫ですよ、男性がデートで必要な清潔さもアピールできています。全然OKです」

「……。ルリちゃんがそう言うなら……」

 

 さらに大丈夫と保証したのに何故か戸惑うアキトさん。どうしてでしょうほんとに?

 仕方ないので、サブロウタさんが言っていた事を言う。デート経験豊富な彼の保証を満たしていると伝える為に。

 

「……うん、それは間違っていないんだけどさ。残念だけどマイナスポイントがあってね」

「?」

 

 アキトさんが困ったように頬を掻きながら言う。

 スニーカーな上にくたびれた物であること、バッグが無くてポケットに財布やら手鏡などの小物が、ズボンやジャケットの内ポケットに入って膨らんでいることなどを言う。

 

「……私、そんな事気にしませんけど」

「……そっか。うん、まあ、ルリちゃんが気にしないなら良いんだけど、さ」

 

 アキトさんは良いというけど、何故か困った顔のままだ。どうしてでしょうか? 分かりません。

 しかし、分からないまま話題は変わり、雑談として先程名前を出したサブロウタさんの話になった。

 彼は私の(ふね)の副長で、元木連の軍人さん。そして私の護衛でもある。

 性格は一見してチャラ男風の不真面目な人ですが、それはフリで根は真面目な熱血漢。とても芯の通った人物です。ハーリー君はそこを長いこと誤解していて中々理解していなかったのですが。

 しかし、

 

「女性関係ではそうでもなかったみたいです」

 

 何となく溜息を吐く。

 多くの女性に粉をかけて休日の度にデートを繰り返しているのは知っていましたが、それも相手を傷つけない範囲で、自分も本気でない程度に上手く線を引いていると思っていた―――それが発覚するまでは、

 

「二股を掛けていました」

「二股? スバルさん以外と誰か線引きを越えた付合いがある人がいたって事?」

 

 アキトさんの相槌に頷く。

 

「はい。木連時代から付き合っていた女性(ひと)が居たんです」

 

 それが発覚した時は大変だった。軍の宿舎の前まで押し掛けて来たその女性とリョーコさんが口論となった挙句、掴み殴るの大喧嘩。リョーコさんも軍人ですがその女性も木連式柔の使い手で、止めようとしたMPも軒並ノックダウンという状況に。

 仕方なく私が不意を突き、二人を気絶させて喧嘩を止めて、逃げようとしたサブロウタさんも捕まえて、目を覚ました二人に土下座させて何とか事態の収拾が付いた。

 

「……木連の軍人はもっと真面目だと思ってたんだけど、二股浮気……か」

 

 いつかハーリー君が言っていたような事を感想として零すアキトさん。

 なおその騒動の被害は以下の通り、

 

 ・リョーコさんとその女性に生傷が多数。

 ・MP一個小隊分の負傷者。

 ・宿舎に数十万円相当の損壊。

 ・サブロウタさんの顔に引っ掻き傷及び打撲複数と断髪。減俸六か月。

 ・ハーリー君に女性へのトラウマ及び顎に亀裂骨折。首にむち打ち。

 

 などとこんな感じである。

 そのあと、サブロウタさんは何とかリョーコさんとその女性二人と縒りを戻せたとの事。……二人共と言うのがやや不可解ですが。

 ハーリー君のトラウマも、とある女性艦長の慰めを受けて大分改善に向かってくれた。……彼女にはあの残党との戦い以来お世話になりっぱなしでしたね。

 

 私はそんな未来での話をして、そしてアキトさんも記録やこの一年の事を話してくれた。

 アキトさんの記録は結構曖昧で継ぎ接ぎだらけらしく、火星の後継者事件の後の事も南雲の乱ぐらいしか知らないとの事だ。

 

「重要な事件や出来事は知ってはいると思うんだけど……」

 

 アキトさんはやや不安そうにそう言った。だから今後もルリちゃんを頼りにする事が多いだろうとも。

 

「この一年は雪谷食堂に勤めて、サイゾウさんの下で料理の修行ばかりだったな。あと一応エステバリスに乗る事に備えてのゲームぐらいかな?」

 

 ナデシコに乗る一年前までの事を嬉しそうに話してくれた。

 

「ホウメイさんも厳しいけど、サイゾウさんも凄く厳しくてね。男の人だから口だけじゃなくて、手も出して来てさ。間違った事をしたら容赦なく手を叩いたり、頭に拳骨を落とされたなぁ……うん」

 

 まあ、それだけ料理に情熱があって、俺の事を思っての事なんだから不満は……いや、正直もうちょっと容赦して欲しかったかな?

 とも、困ったようにも大変そうにも言うけど、やっぱり嬉しそうだ。

 サイゾウさんという人の事を本当に尊敬しているのだと良く分かった。それとアキトさんがどれだけ料理が好きなのかも。

 私も嬉しくなる。アキトさんはコックなんだってそう思えるから。

 

 そうこう雑談に興じている内にリニアが目的の駅に止まった。

 

 

 

 

 ルリちゃんの意見は映画だったけど、どうも自分の事よりも俺の事を考えての事だったので変更した。

 まあ、俺の選択もルリちゃんが楽しめるかはまだ分からないんだけど、アニメ映画よりは良いと思う。……そっちも少し興味はあったけど、何しろあの白い流星と赤い彗星が決着をつける作品のリメイクなのだ。いずれは見てみたいと思う。

 けど、今はそれよりも、

 

「大人一人、こど……子供一人です」

 

 施設に入って受付で一瞬躊躇ってしまって……ルリちゃんの方を一瞥し、苦笑されて仕方なさげに頷かれた。

 そんなルリちゃんに俺も苦笑を返すしかない。

 料金をナデシコでも使うIDカードで支払って入場した。

 

 

 入って直ぐに幾つもの水槽が見えた。

 

「ちょっと不思議かな」

「何がですか?」

「ほら、コロニーだけど、宇宙で水族館があるのがさ」

 

 ルリちゃんにそう答えたように此処は水族館だ。薄暗く大小様々な水槽が並び、その中を多種多様な魚介類が泳いでいる。

 

「かも知れませんね。ですがこういった施設は、無重力などを始めとした宇宙という環境での生物研究の一環で昔から行われている事ですからそう不思議でも――――……なんて、私も“今回”は宇宙は初めてで、これも幼い頃に学んだ知識からの受け売りですけどね。……あ、そういえば水族館自体来るのが初めてですね、そういえば」

 

 ちょっと寂しい事も言うが、ルリちゃんは嬉しそうに並ぶ水槽を見ながら言う。

 泳ぐ魚を追うその目は外見相応の子供のような感じで、好奇心に輝いているようでもあって楽しそうだ。

 

 密かに安堵する。どうやら選択に誤りはなかったらしい。

 

 館内を進み、

 

 コイやフナやアカエイなどの日本でも身近な淡水コーナー。

 カサゴやタイやアジなどよく聞く名前だがその種類は意外に多く驚かされる海水コーナー。

 南方の海や100m以上の深海に住まう魚が見られる珊瑚コーナー。

 熱帯域に住まう巨大魚や色彩鮮やかな魚の他、蛇や蛙やカメレオンまで多様に見られる密林コーナー。

 魚や貝やヒトデやナマコなどに触れられるタッチコーナー。

 

 などそれらを回り、ルリちゃんは時に真剣に、時に驚き、時に感心し、時に不思議そうにして俺と話しながら水槽とその中の生き物を見て行く。

 本当に楽しそうで色んな表情を俺に見せてくれる。

 

「アキトさん、こっちです! クラゲです。クラゲが居ます。……あ! あっちには深海魚がいるみたいですよ……!」

 

 気付くと水槽を見回るルリちゃんを目で追うだけになっていて、彼女に置いて行かれそうになっていた。

 ぼんやりと不思議な輝きを放つクラゲが無数に浮かぶ水槽の前に、ルリちゃんが立ってこちらに手を振っている。

 

「うん、今行く」

 

 その姿に、笑顔に惹かれるように、俺はあの子の後を追う。

 

 

 あれから一時間ほど回ったと思う。

 水族館定番と言える周囲が水槽のトンネルを抜けて、壁一面が水槽となっているエリアに来た。

 

「わぁ……!」

 

 ルリちゃんが子供のような声を上げて水槽へと駆け寄って――

 

「――」

 

 思わず息を呑んだ。

 水槽の上から光が差し込まれ、銀の鱗を輝かせて無数の魚が泳ぐ海底を模した青い世界。そんな世界に一人佇む、薄く青いドレスの如き衣装を纏った蒼銀の髪を持った少女―――妖精の姿。

 

 余りにも様になっていた。一個の芸術、一枚の絵画のように。

 

 水槽を見ていた少女が、妖精が振り向く。嬉しそうにこちらに微笑んで。

 

「――奇麗だな……ルリちゃん……」

 

 自然と言葉が漏れていた。

 この光景をいつまでも見ていたい。時を止めて世界から切り取って、何処か宝箱の中にでも大切に取って置きたいと思える衝動があった。

 

 ――が、

 

「え?」

 

 笑顔だった妖精――少女の、ルリちゃんの顔が少し驚いた風になって、

 

「――いや、水槽がさ。魚の種類も、数も凄いしね」

 

 絵画の世界から抜け出したように思えた。

 

「え、ええ。そうですね。コロニーの中なのにここまで大きな水槽を作っちゃうんですね」

 

 巨大な水槽と泳ぐ魚の群れへ視線を戻しながら感心するルリちゃん。

 そんな彼女の姿を……絵画の世界から抜け出したとはいえ、青い世界に佇むこの子の姿をもう少しこの離れた場所で見ていたかった。

 しきりに首を動かし、身体を左右へ傾けて水槽を見るルリちゃん。

 

「アキトさん、そんな離れた所に居ないで傍で一緒に見ましょう」

 

 また振り返って呼ばれる。俺は惜しく思いながらもルリちゃんの呼びかけに応える。周囲に人の姿がまばらに見えてきた事もある。周囲に人がいては絵にならない。この少女の引き立て役にすらなれない。

 ――と。

 

「……もう」

 

 手を取られた。ルリちゃんの小さな女の子の手が俺の手を握った。

 

「さっきから私の後ろばかりに居て、気付いたら離れているんですから……きちんと傍にいて下さい」

「はは……ゴメン、何となくルリちゃんが水槽を見ているのを邪魔したくなくて」

「何ですかそれ?」

「いや、……はは」

 

 誤魔化す。さっきの青い光景はともかく、左右の髪を揺らして楽しそうにする後ろ姿と、嬉しそうにこちらに振り返って見せるこの子の笑顔を堪能していたかったとは言い難い。

 隣に居てはほぼ水槽に目を向けるしかなく、ルリちゃんの姿を見つめ続けては当の本人に不審がられる。

 

 ――まあ、つまりは水槽や泳ぐ魚よりもルリちゃんを見ている方がずっと楽しく、嬉しい訳で。

 

「……流石にそれを言うのは恥ずかしいからな」

「? ……何か言いましたか?」

「ん、やっぱりコロニーの中なのにこんな大きい水槽を……いや、結構大きい水族館を造るんだな、と思って」

「ですね、確かにこれぐらいでスペースを圧迫する事なんてないんでしょうけど……水だって大量に必要ですし、酸素なんかも、餌だって、循環系も……」

 

 ルリちゃんは感心した様子だ。その声と顔には好奇心も多分に混じっている。辺鄙なコロニーですけど、エステバリスの事もありますし、やっぱり結構重要な研究施設なのかも……などという小さな呟きが聞こえた。

 そんな呟きをかき消すように――

 

『三階の会場プールでイルカのショーが始まります。ご興味のある方はどうかお越し下さいませ、ませ……』

 

 などと何か変に茶目っ気を含んだ放送が掛かった。

 

 

 

 

 水族館……アキトさんが選んでくれた初めてのデート場所。

 そこは私の知らない世界だった。

 知識では大凡の種類や分類などその生命の在り方は知っていたけど、これだけの多くの魚や貝やサンゴや……生き物がいるだなんて知らなかった。きっと“無駄”な知識だと、知る必要のない事だと判断されたからだろう。

 

 実際に泳ぐ姿、ジッと身を潜める姿、餌を食べる姿、仲間と何処かじゃれ合うように触れ合う姿。

 とても新鮮で、驚きで、不思議で、興味深くて……見ていて楽しい。

 

 特に思い入れを覚えたのは、鮭を見た時だ。

 ピースランドの時を思い出す。

 あの時見たほどの数は居らず、力強さや次代に命を繋げようとする雄大さもなかったけど、それでも……うん、嬉しくなった。

 アキトさんの「あ、鮭……そっか」と感慨深げな様子だった事も。それ以上は何も言わなかったけど――それでも分かった。

 “知っている”んだって、実感のない記録だと言っても嬉しく思った。その大切な忘れえぬ思い出を共有しているんだって……それが本当に嬉しかった。

 

 楽しい、嬉しい時間が過ぎる。

 

 でも少しちょっとだけ、寂しくも思う。

 研究所を出て、ナデシコに乗って、戦争が終わって降りて……その後も色々とあってまたナデシコに乗る事になったけど、“外”に出た私は多くを知っているつもりだった。

 けれど、極端な生活だったのだと思ってしまった。こんな誰もが当たり前のように知っている娯楽施設――水族館に行った事もなかっただなんて。

 

 ううん、だからこそ楽しいのだ……きっと。アキトさんとこうして一緒に“初めて”を過ごせるのだ。

 だからこれは楽しくて、嬉しい事だ。

 これからもこうしてアキトさんと色んな“初めて”を経験する事ができるだろうか? そうであって欲しい。

 私はそう思い、願う――いえ、違う、叶えるんだ! 私自身の手で掴んで!

 

 ――そう思ったから手を取った。アキトさんの大きな男性の手を握った。

 

「さっきから私の後ろばかりに居て、気付いたら離れているんですから……きちんと傍にいて下さい」

 

 傍にいて欲しい……そんな想いを込めて。

 そんな私にさっきから何処かボンヤリしていたアキトさんは、苦笑しながらもしっかりと握り返してくれた。

 想いを受け取ってくれたようで嬉しさを覚える。

 

 そうして手を繋いで二人で大きな青い水槽を見ていると、

 

『三階の会場プールでイルカのショーが始まります。ご興味のある方はどうかお越し下さいませ、ませ……』

 

 何か変な放送が掛かった。いえ、言っている内容は分かるのですが……。

 

「これも定番だなぁ。見に行くルリちゃん?」

「はい」

 

 アキトさんの言葉に直ぐに頷いた。

 イルカはペンギンなどと一緒に哺乳類のいるコーナーで見てはいたけど、ショーというのはとても興味があった。

 

 

 会場にはすでに多くの人がいた。半円を描く客席の中段ほどの場所に私とアキトさんは座る。

 そうして一分もしない内にマイクを持った係員の指示に応えるように二匹のイルカがプール下に続くトンネルから泳ぎ出て、プールの中央からほぼ垂直に高く飛んだ。

 

「あ……」

 

 一瞬視線が合った気がした。飛んだ二匹のイルカが私を見た……ように思う。

 ショーの進む間も。輪を潜ったり、ボールをつついてサッカーのようなゲームをしたり、係員を背に乗せて一緒に飛び跳ねたり、音楽に合わせてダンスを、シンクロナイズドをする合間にチラチラとこちらに視線が向いている気がする。

 

『さて、この会場の皆さんの中でイルカさん達と遊んでみたい方は――ん? 何、どうしたの?』

 

 演目が一通り過ぎると、女性の係員さんが私達客席の方へマイクで呼びかけた――のだが、プールから上がって係員さんの足元にいるイルカがぺシペシと尾とヒレを床に叩いて見せ、何かを訴えかけている。

 それに気づいた係員さんが屈んで、イルカと何か話し込んでいるように目を合わせて……係員さんが振り向いた。

 

「え?」

 

 どうしてか私の方を見ている。係員さんもイルカもだ。気の所為だと思ったけどしっかり視線がこっちを向いている。

 

『そちら……えっと、客席中央の中段に居るお客様、青い服を着たお嬢さん。こちらに来て頂けませんか?』

 

 視線を向けられ、呼び掛けられて思わず視線を返すよりも、首を周囲へ巡らせてしまう。けど、それらしい人は私以外に居そうにない。

 

『貴女ですよ、きれいな銀色の髪をしたお嬢さん』

 

 ……やっぱり私の事らしい。思わずアキトさんの方を見る。

 

「行って来たら? あのイルカたちはルリちゃんと遊びたいみたいだよ」

 

 アキトさんは楽しそうな笑顔でそう言う。私が困惑しているのを見て楽しんでいるんじゃないでしょうね? そんな事ある筈もないのにそう考えてしまう。

 

『あ、保護者の方も一緒で構いませんよ。どうぞこちらへ』

「……そっか、なら行こうかルリちゃん」

「え、うう……」

 

 呼び掛けられたアキトさんは躊躇いもなく席から立ち上がった。私の手を取って。

 周囲からの目線が恥ずかしい……目立っています。

 客席にステージに居る方とは別の係員さんが来て、案内されて正面プールを大きく迂回してステージへと上がった。

 同時に何故か拍手をされる。

 

「ア、アキトさん……」

「ははっ」

 

 向けられる拍手、集まる視線に恥ずかしさが増す。思わず助けを求めてアキトさんに声を掛けたのに、アキトさんは頬を掻いて苦笑をするだけだ。……うう、当てになりません。

 

『お名前はなんていうのかな?』

 

 ステージ中央に立つと係員の女性……二十歳を少し過ぎたぐらいの女性……お姉さんにそう尋ねられてマイクを向けられた。

 答えなくてはならないのでしょうか?

 

『ホ、ホシノルリです』

 

 マイクを通して私の声が会場に響いた。

 

『ホシノルリちゃん。うん、語呂も響きも良くて良い名前だね』

『は、はぁ……?』

 

 自分の名前が良いかなんて分からない。

 けどそういえば昔、アキトさんに星に瑠璃がどうとか褒められた事はある気がする。……アキトさんからの言葉なのに覚えていないなんて。

 

『それじゃあルリちゃん、これを持ってくれるかな?』

「あ、はい」

 

 マイクが遠ざかったから私の声は会場へは響かないけど、お姉さんには十分聞こえた筈だ。

 手に大きな……私の身長ぐらいの大きさの輪っかが渡される。軽量なプラスチックかカーボン系の素材なのか見た目に反してかなり軽い。

 

『じゃあ、次はプールの方へ……端の方へ立ってくれるかな? 大丈夫、落ちないように支えてあげるから』

 

 そう言われて肩から軽く押されてプールの方へ私は近づく。

 プールの端に立つと別の係員のお姉さんが来て、私の隣に屈んで肩と腰を持って支えてくれる。

 

『大丈夫ね。うん、それじゃあ――』

 

 ピッと短く笛の音が鳴った。同時にステージに居た2匹のイルカが器用に身体を動かしてプールへ飛び込む。

 そして、

 

「しっかり輪を持っていてね」

 

 そう、支えてくれているお姉さんが声を掛けてくれて、プールの中を大きく弧を描いてイルカたちが泳ぎ、奥へ行って反転……私が立つ方へ戻って来て――飛んだ。

 

「――!!」

 

 天井から当たるライトで艶のある体が少し照り返されて、まずは右から私がプールへ突き出した輪っかに大きな身体が潜った。そして一秒ほどの間をおいて左からもイルカの身体が飛び出して輪を潜る。

 

 目の前を通り過ぎる躍動感のある動き、ダイナミックな迫力。客席から……遠くから見たのとは全く違う。

 水は跳ねたが、そこはステージへ上がる前に渡された雨合羽を着ていたお蔭で濡れる心配はない。

 

「……」

 

 呆然としてしまった。

 怖かったかな? と支えてくれているお姉さんから声が掛かるが答える余裕はない。

 

「凄い……」

 

 ただそんな言葉が零れた。

 目の前、間近でイルカの大きな身体が飛ぶ姿。これも初めての体験だった。何ていうか凄く迫力があってかっこいいとしか言いようがない。

 あんな大きくて、私の体重よりも重い身体があんなにも速く、強く水から飛び上がるだなんて……ほんとに凄いと思った。

 

「はい、これ」

 

 ハッとして気付くとお姉さんからバケツを渡され、言われるままに手に取る。

 

「お魚、触れる?」

「だ、大丈夫です」

 

 バケツを渡された理由、その中に手の平ぐらいの生魚がある意味も分かっている。見ていたから。

 私の居る所に水中から二つの影が迫って、水面からイルカ達が顔を出した。キュウ、キュイと鳴き声を上げながら催促してくる。

 

「今、上げますよ」

 

 バケツから魚を取り出す。ちょっとその感触が気に掛かったけど、躊躇わない。

 少し吊るすように出した魚を二匹は順番に咥えて飲み込む、直後、

 

「!?」

 

 手の平に触った事もない不思議な感触が2回。イルカの口……それとも鼻先? ……が当てられた。

 

「気に入られたみたいね、ルリちゃん」

 

 お姉さんが言う。嬉しそうにくすくすと笑いながら。

 その後も私は笛を渡されて、お姉さん達の真似をしてイルカを飛び上がらせたり、踊らせたり、プールとステージを隔てたイルカとのキャッチボールをした。これが本当に器用に返して来て本当にビックリした。水の中の生き物なのに尾や鼻を使って投げ渡したボールを見事私の居る所へ返してくるのだ。

 

 それを体験して楽しくはあったけど、正直恥じてもいた。

 

 客席から見て、私は確かに楽しんでショーを見ていたけれど、芸を仕込まれて見世物にされているイルカ達に哀れだと、滑稽だと冷めた目線もあったのだ。まるで昔の私のように。

 イルカと触れ合う事でそう無意識に思っていた事に気付かされた。

 けど、それは勘違いだった。イルカは確かに芸を仕込まれてはいる。でもこのイルカ達は係員のお姉さんの事を信頼していて、またお姉さん達もイルカ達の事を大事に思っているのだ。

 そう、友達や家族のように互いに思い合っているのだ。それが強く感じられた。

 

『はい、今日のショーはここまでです。皆さん来てくれてありがとう。そしてイルカさん達と遊んでくれたルリちゃんもありがとう。この子たち二人ともとても喜んでいたよ』

 

 客席に戻った私に手が振られた。イルカ達も懸命に尻尾を振っている。その視線は確かに私の方を向いていた。

 私も大きく手を振って返した。すると表情のないイルカなのに嬉しそうに笑い返してくれた気がした。

 

「うーん……もしかすると分かっていたのかな?」

「え、何がですかアキトさん?」

 

 会場から出るとアキトさんがポツリと脈絡のない言葉を呟いて、私は不思議そうにその考え込むような顔を見上げる。

 

「……あのイルカ達、ルリちゃんが助けてくれたって」

「??」

 

 ますます分からない。何の事だろう?

 

「ステージの横から見ていたけど、あの二匹……まるでルリちゃんにお礼を言っているようだった。サツキミドリの壊滅から自分達を、皆を助けてくれてありがとうって……何となくだけど」

「――!!」

 

 それは何の根拠もない言葉だった――けど、あのイルカは出て来た時に、そしてショーの合間に度々私の方を見ていた。

 イルカの眼……その視力がどれ程のものなのかは分からない。けど、確かに私の方に顔と眼が向いていた。

 

「そう、かも知れません」

 

 それでも根拠はない。イルカの言葉が分かる訳でもないから。でも……うん、私は納得した。あの二匹のイルカ達はそう言っていたんだって。

 

「うん、イルカって昔から予知とか、そんな不思議な力を持っているっていうからね。そういう事もあるかもね」

 

 アキトさんもそう頷いていた。

 

 

 

 ショーが終わるともうお昼前だった。少し早いくらいの方が混んでいないかも? とのアキトさんの意見もあって私達は昼食を取る事となった。

 

「午前中に水族館を選んだのはこれもあってね」

 

 ほんの少しだけアキトさんは得意げに言う。

 館内にはレストランもあった。

 

「水中……レストランですか」

「うん」

 

 そこは周りが水槽に囲まれていて、天井にも部分的ながら水槽がある。薄暗いけど、そう意識した内装と飾り付けと水を通した青い光によって、何処か神秘的な雰囲気がある。

 ただ、

 

「ちょっと高くありませんか?」

「まあ、そういう店だからね」

 

 館内には親子連れもの来客も多いからファミレス程度かと思ったら、ウェイターさんが水と一緒にメニューを持って来て少し驚いてしまった。

 

「そ、そういう店って……?」

「高級志向の中流以上の観光客や来客を対象にした感じで、あとは大人のカップル向けとか、家族のお祝いとかそういうちょっと贅沢をしたい時に来る店。マナーやドレスコードを必要としない程度だけど……」

「……!?」

 

 高級志向や中流以上とかはともかく、カ、カップル……!? それも大人のって!? ――頬が熱くなる。また……。

 

「折角のデートだから男の見栄のような物かな? だから気にしないで好きなものを頼んでよ」

 

 デート……そうなんですけど、今更ながらにその事実を考えてしまう。

 こんなまだ子供の私なのに、アキトさんはそれを真剣に受け止めてくれているのだと。

 ただ子供相手だと、軽く考えていたらこんな所に来ませんし。それに大人向けというだけにそういった良い雰囲気があります。店内の調度やこの薄暗さも、それを補うテーブル周りのライトの配置も。

 ここまで今日のデートの事を、そして私の事を考えてくれているなんて予想外です。勿論、嬉しい意味で。

 

「けど、結局は此処を選んだけど、実は結構迷ったんだよね。ほんとに外食で大丈夫か? とか、俺が用意した方が良いじゃないか? とか、……ほら、ピースランドの事もあるから」

「あ……、あのピザ屋の事ですね」

「そうそう、記録では酷く不味かったらしいから……ルリちゃんも凄く怒っていたし」

「う……」

 

 今度は別の意味で頬が熱くなる。

 あれは私にとって恥ずかしい思い出でもある。あの店員の無駄に自信たっぷりの態度に加えて、あの調味料塗れのピザの不味さに頭に血が上ってしまい――言いたい事を容赦なく言った結果、アキトさんに迷惑を掛けてしまった。

 アキトさんが私を守ってくれた行動は嬉しくもあったのですが……反省すべき事です。

 

「……」

 

 ……その恥ずかしさを含めて、今度行くことになったら前回アキトさんを傷だらけにしてくれたお礼もしなくては……! 今の私ならあんな筋肉だけが取り柄の不良料理人どもに後れを取りません! 返り討ちにしてあげます!

 私は密かに報復を決意する。

 

「ル、ルリちゃん……?」

「あ、す……すみません。あの時の事を思い出して考え事をしてしまいました」

 

 気付くとアキトさんが引き攣った顔をしている。いけません、つい怒りを(おもて)に出してしまったようです。

 困った事にアキトさん、こうして私の事を怖がることがあるんですよね。リョーコさんを取り押さえてから……悩み物です。

 

「そ、そう。……まあ、兎も角それもあってどうするか悩んで、聞いてみたら大丈夫だって意見を貰ったんだ。ホウメイさんも此処の料理長の名前を知っていたし、その人なら問題ないって」

「ホウメイさんの保証があるなら心配はいりませんね、楽しみです」

「うん、だから俺もちょっと楽しみなんだ。どんな味付けなのか」

 

 嬉しそうなアキトさん、その楽しみがあったからこの店を選んだのでは? カップル向けとかではなくて? と邪推してしまいますが、コックとして勉強を兼ねてという事ならそれも許せそうです。

 

「んー、何にしようか?」

「これはどうですか? 料理長のお勧めって書いてありますよ。つまり一番の自信作という事ですから――」

「――なるほど、そうだね。よし、それにしようか、他は……」

 

 メインではあったものの、きちんとしたレストランだけにセットや定食という訳でもないので、その主菜にあったメニューを私達は幾つかを選んで注文した。

 飲み物やデザートも含めて。

 

 

 そうして午前と正午、今日のデートの時間の半分が過ぎた。

 

 

 




 良い副題が思いつかず逢引とまんまに…(汗

 短くなると思いきやいざ書き始めると、長くなる気配が出てきましたので前後編に変更。次回は午後の時間帯となります。
 今回はアキトとの絡みが薄かった気がしますので、次回はそこら上手く書きたい所です。

 ルリちゃんの服については、ガーリー系ブランドでも知られているL〇Z L〇SAの物をイメージしてます。
 フリルやリボンにレースがふんだんに使われたそのブランドファッションはルリちゃんに非常に似合うと思いましたから。
 知らない方はそちらのブランドを検索されると、今回ルリちゃんの着た服のイメージが出来ると思います。

 アキトが昼食に訪ねた店ですが、実はホウメイさんより先にリョーコさんに聞いています。しかし彼女の名前を出すとルリちゃんが不機嫌になるのは明白なのでホウメイさんの名前を前面に出しています。
 ……しかし妙に気配りが出来て、何処かデート慣れしている感のあるこのアキトはホントのアキトなのでしょうか?…などと言ってみたりw

 サツキミドリの娯楽施設が充実しているのは研究も兼ねている面もありますが、ネルガルの福利厚生充実の意図の他、L3にある数少ない他のコロニーからの観光客目当てであるとも設定してます。
 あと研究他、小惑星が基になってますので工場、鉱業コロニーと考えて10万人以上の住民がいるともしてます。ちょっとした都市ですね。ネルガル以外の企業・系列の他、提携先の各種サービス業の店舗なんかが進出していると思います。


 244様、リドリー様、誤字報告等ありがとうございます。助かってます。


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第十五話―――逢引(後編)

「美味しかったです」

「うん、美味かったね」

 

 主菜は二つ頼んでみた。焼いた牛肉に赤ワインのソースを使ったフレンチの定番と真鯛の切り身をホイルにしたイタリアン風のもの。ウェイターに意見を聞いて副菜のサラダとスープそれぞれに合わせてみた。

 一応、主食としてカットしたパンも頂いた。

 デザートはチーズケーキを頼んだ。

 

「ホウメイさんの料理と比べても遜色ないと思います」

「だね、流石はこの時代でも本物って言われる一流シェフ。――ただそれでもホウメイさんの凄さと比べると……」

「ええ、あの人はここのような洋食だけでなく、和食も中華も、それどころか東南アジアや中東のマイナーなものも含めて、ほぼ全世界の料理に通じていますからね」

 

 食後の一服としてミルクティーを飲みながら言うルリちゃんに頷く。

 そう、此処の料理長はフレンチとイタリアンを学んでいて、その二つを合わせた独自のアレンジを加えた料理を振舞うのだが、ホウメイさんはルリちゃんの言った通り、全世界の料理を……それらの道のプロと何ら遜色のない腕前で振舞えるのだ。

 此処の料理長を貶める訳ではないけど、そんな怪物料理人であるホウメイさんと比べると劣った見方をしてしまうのは仕方ない。

 全世界のあらゆる料理を網羅しているだけに、それらの味付けや調理法を組み合わせれば、そのレパートリーはまさに無限と言えるだろう。

 サイゾウさんも中華以外にフレンチ、イタリアンも一流に出来るのだが、流石のホウメイさんには及ばない。

 ただ、二人が会えば意気投合するのは間違いないだろうけど……。

 

「と、感心して何時までも舌に残る余韻に耽っている場合じゃなかった。ごめんルリちゃん、コミュニケ使っていいかな?」

「え? はい、構いませんけど。……どこかに連絡を?」

「ううん、違う。メモを取りたくて……料理の」

「ああ」

 

 ルリちゃんは得心したように頷く。

 許可を貰った事もあって俺は、ジャケットの内ポケットからコミュニケを取り出す。テーブルの上に元の世界でのスマホより少し大きめなウィンドウを投影して、さらにその下に入力用のキーボードもウィンドウで投影。

 コミュニケは色々とアプリが入っていて、こんな風に未来のスマホみたいな所があるんだよな。……というか未来のスマホ……携帯端末そのものか。まだナデシコにしかないけど。

 

 ……まあ、とりあえずはメモメモ。

 

 ホウメイさんに食べた料理の感想を求められているのだ。料理人だけにやっぱり他所の料理に……それも確り名が知られた一流シェフの味付けに興味があるらしい。

 またこうして感想を書く事自体、俺の修行の一環となっている。サイゾウさんにも「ほかんところのメシを食ってこい」と言われる事が度々あった。食べた感想を報告するようにとも。

 

「……料理名は当然として、まずは食材とその調理法から……次はソースとか、調味料を……それらのレシピを分かる範囲で書かないと……うーん……」

 

 レシピとかは思い付いたままとにかく書き殴って後で見直して纏めよう。舌に覚えた味を忘れない内に! 書き出す! 書く!

 そうして20分ぐらいだろうか? 俺は唸りながらテーブルに映るキーボードに指を走らせ――ふいに、結構時間をかけている事に気付いて顔を上げた。

 

「ゴメン、ルリちゃん。待たせちゃって、一服するにしてもちょっと長い時間だし……」

 

 一人放っておいてしまった申し訳なさと、長く滞在して店にも迷惑を掛けているように思えて頭を下げるのだが。

 ルリちゃんは首を横に振った。無言で、いいですよ、と言う風に。放っておいてしまったのに、どうしてかとても嬉しそうな笑顔で。

 しかし、怒っていないとはいえ、待たせすぎるのは良くない。早く書き上げてしまおう。

 

 

 もう10分ほどかけてメモを終えた。

 

「アキトさん、ありがとうございます。奢って貰って……」

 

 支払いを済ませて店を出ると、ルリちゃんはお礼を言いながらも申し訳なさそうに頭を下げる。

 

「ううん、こういうのはやっぱり男が払うものだしね」

 

 と、そうは言うが、昨今では割り勘の方が良いっていう娘が多いっぽいけど。

 金銭的なもので互いを縛るようなのが嫌だとか……俺は気にしないけれど、でも相手の感情もある事だし――ルリちゃんもやっぱりそうなのかな?

 

「でも、高かったですし」

 

 困ったように遠慮した風にそう言う。

 うん、確かに。……二人分で二万近く飛んだ。ルリちゃんが気にするのも無理ないのかな? やっぱ……。

 けど、

 

「気にしないで。食べる前に言ったけど、見栄のようなものだから。デートなんだし、男性としてはこれぐらいの甲斐性は見せたいしね。それに俺が食べたかった所もあるしさ。ほら……コックとしての勉強代だと思えば」

 

 ほんと、男の意地としてこれぐらいの甲斐性は見せたい。独りよがりにも思わなくもないけど、金銭的に縛る積もりなんて事もないからルリちゃんには何とか納得して欲しい。

 

「うー、分かりました。でもそれなら今度デートした時は私に奢らせて下さいね。……私これでもアキトさんより高給取りなんですから」

 

 俺が頑固に譲らないと理解したのだろう。ルリちゃんは渋々頷きながらも強い目で約束を迫った。少し冗談っぽくも言いながら。

 

「そして、此処よりもうーんと高い店へ連れて行って、アキトさんを困らせてあげますから」

「いっ……!?」

「お返しです」

 

 思わぬ台詞に夜間の高層ビルと高級ホテルのレストラン的な風景が脳裏に浮かび、動揺した声を漏らすと、そんな俺の顔が面白かったのかルリちゃんはくすくすと笑った。

 

「そ、その時はお手柔らかに――」

「――しませんよ。覚悟していて下さい」

 

 う……見栄を張ったが為に何かとんでもない事態を招いたような気がする。ルリちゃんは容赦ない所があるから、多分本気で実行するだろうし……実際、もし金銭的な縛りとなったら俺が雁字搦めになるんだろうなぁ。

 ナデシコの給料以上に、この子はプログラム特許とか取るだろうから。いや、もう既に持っているのかも?

 

 

 そんなやり取りをしながらも俺達は水族館を出た。

 

「次は……このブロックの反対側の位置にあるんだけど」

 

 もう一度コミュニケを取り出してマップを確認する。

 

「うん、やっぱり此処の反対側だ」

「路面電車がありますから、それに乗って行きましょうか?」

「そうだね。同じブロック内とはいえ、距離があるしその方が時間を短縮できる」

 

 ゆっくりと街を見ながら行こうかとも思ったがルリちゃんの提案に頷いた。それは帰りで良いだろう。

 

 

 程なくして水族館正面にある乗り場に着くと、丁度出る所だった。

 

「走りましょう」

「え、うん」

 

 ルリちゃんが言い。一瞬戸惑ったが頷いて走る。……ってルリちゃん意外に速い! 俺も負けじと足に力を入れて……動き出す電車を見て、間に合わないと思って全速で走る。

 ルリちゃんを追い抜いて、歓楽街に相応しいクラシックな見た目を持つ路面電車の脇、扉も何もない出入り口に飛び込み、

 

「ルリちゃん!」

 

 すかさず振り向いて、すぐ後ろにいた少女の腕をとって引っ張り上げた。胸の中に飛び込む柔らかな感触を受け止める。

 

「ありがとうございます。アキトさん」

 

 胸の辺りから聞こえる声。腕を取ってそのまま腰を抱き上げる形になったからルリちゃんの顔が近い。花のような香りとミルクのような甘い匂いがする。

 ミルクのような甘い匂いは石鹸だろうか? でも花の香りはシャンプーとかにしては……?

 

「ルリちゃん、もしかして香水付けてる?」

「あ、はい。ミナトさんに勧められて」

「うあ、今気づいた。ごめん今更だけど……甘くも爽やかな感じで――うん、ルリちゃんに合ってる」

 

 不覚だった。それなりに手を繋いだりして、距離が近い時が間々あったのに気付いてあげられないとは。

 

「あ、ありがとうございます。……こういうのは正直よく分からなくて、それにミナトさんは大丈夫だと言っていましたけど、アキトさんはこういうの嫌いじゃないかって不安だったから……」

「大丈夫、嫌いじゃないよ。さっきも言ったけどルリちゃんに合ってるからさ」

「はい、変に思われなくて良かったです。嬉しいです」

 

 ルリちゃんは頬を赤くしながらもこちらを見詰める。ただ昨日や今朝見たように真っ赤じゃない。薄っすらとした感じで――……

 

「……にしても、ちょっと映画のワンシーンっぽかったね」

 

 顔を逸らして流れる風景を見る。

 ローマの休日的な……ゲームやアニメだと、某サクラな戦いのムービーや某可変戦闘機のFの劇場版などで、主人公がヒロインとそんなシーンを演じていた。

 まさかそんな場面を自分がやるとは、それもルリちゃんのような奇麗なまさにヒロインみたいな娘を相手に……ちょっと照れ臭い。

 

「そうですね、もっと余裕を持って乗れると思ったんですけど、やっぱり今の身体だと厳しいですね。アキトさんがこうして引っ張り上げてくれなかったら――……」

 

 何故か言葉の途中で黙り込んだ。訝しげに思って再度ルリちゃんの顔を見ると、薄っすらとした頬の赤みが増して行き……あ、

 

「ゴ……ゴメン、抱えたままだったね」

 

 ルリちゃんの身体が軽い所為か、腰から彼女を抱えたままだったのを忘れていた。ルリちゃんが入り口にあるポールを掴んでいる事もある。体重が殆ど掛かっていないのだ。

 しかし、それでも香水とかの香りや、暖かな体温を感じられたりしているので言い訳にならない。いや、その良い匂いの方に気を取られていたから気付かなかったのか……?

 照れ臭さが恥ずかしさへと変じて、俺も頬が熱くなっていくのを自覚する。

 

「い、今、降ろすから……」

 

 流れる街並み……風景から視線を逸らして車内の方を向き、ワタワタとしながらルリちゃんの身体を降ろそうとして――

 

「――え?」

 

 首に手を回されて、ジャケットの前裾を握られてルリちゃんは離れようとしなかった。

 

「……もう少し、……このままで。……お願いします」

 

 顔を赤くして消え入りそうな口調でありながらも、ルリちゃんは耳に届くしっかりした声でそう言った。

 恥ずかしげなのに俯かず、真っ直ぐ俺の顔を見詰めている。

 

「う――」

 

 やや潤んだ瞳でもあった為――……やっぱり、くそぅ……可愛いなぁと思う。こんな顔をされては断れない。少し反則に思える。

 

「わ、分かったよ」

 

 俺も恥ずかしく思いながら……きっと顔も赤いだろう。それでもしっかりと返事をした。

 すると、

 

「アキトさん……」

 

 甘えた声が聞こえて両手が首に回されて、よりギュッとルリちゃんが身体を押し付けてきたので、俺は背を壁に寄りかけてお姫様抱っこしてこの子の身体を持ち上げた。

 

「……」

「ふふ…」

 

 ルリちゃんは嬉しそうに笑う。

 暖かく柔らかな感触と甘い香りが傍に……息遣いも近い。

 嬉しそうなルリちゃんの真っ赤だった頬は、薄っすらとした赤みへと戻って少し余裕がありそうだが。俺は逆に頬に感じる熱が高まったようで赤くなる一方な気がする。

 

 ああ、もう……くそぅ、やっぱり自分は……そうなんだなと思う。

 けど――……それは、心でも言葉にできない。胸中でも言えない事だ。

 

 俺は流れる風景に意識をなるべく集中させた。

 歓楽街なだけにこのブロックの街並みは美しい。古い欧州の街並みを再現したノスタルジックな風景は、気分を少しは落ち着かせてくれるだろう。

 

 

 

 ノスタルジックな街並みを見ながら、電車に揺られて水族館から丁度反対に位置するエリアへ来た。

 その間、電車に乗り降りする客に訝し気な視線を何度向けられたか。

 正直冷や汗ものだった。お蔭で風景を見る以上に頬の熱さを忘れられたが、別の意味で心臓に悪い。下手したら通報されていただろう。

 されなかったのは終始ルリちゃんが嬉しそうに笑っていたからだと思う。だから不審に思われなかった。もし俯いて恥ずかしげにされていたら、多分……考えるのも恐ろしい。

 

「……着きましたね」

「うん」

 

 ルリちゃんは残念そうな声だったが、俺は頷くと彼女を下ろした。

 代わりに手を繋ぐ。抱えるよりは良いし、余り残念そうにされるのはこっちとしても嬉しくない。

 

「あ、ありがとございます」

 

 路面電車から降りる事も重なって自然な動作でもあった。先に降りていた俺は彼女を支える感じで降ろす。

 勿論、降りても手はそのままにする。

 

「行こうか」

「はい」

 

 見えた次の目的地へ、二人手を繋いで並んで足を運ぶ。

 

 

 

 街並みからやや外れたこのエリアは緑が多い。周囲には芝生や草原や森林などが見える。空こそ人工太陽とホログラムで覆われているが、それでも宇宙コロニーの中とは思えない。

 SFの世界に迷い込んだのだと改めて思えるようで、そうでないような不思議な感覚がある。地球の風景が再現されながらも、妙な違和感があるからだろう。

 煉瓦で敷かれた道を歩いて、丸太を組み合わせたやや大きめのログハウスへと向かう。

 

「大人一人、……子供一人です」

 

 ハウスの中に入り、受付で水族館と同じく料金を支払う。子供という部分で隣にいるルリちゃんがまた苦笑しているのが分かった。

 

「コースはどうされますか? 経験はおありですか?」

「コースはプライベートで。経験はあります。自分だけで大丈夫だと思います」

 

 受付に自信をもって答える。受付の女性はタブレット端末に電子ペンを走らせて頷く。

 

「プライベート……と。……で、スタッフも不要ですか? ……一応安全の為に経験は確認はさせて頂きますが」

「はい、こっちも久しぶりな所もありますし、お願い致します」

「では準備いたします。運が良いですねお客様、今は予約もありませんから直ぐに準備できます。……そちらにお掛けになってお待ちください」

 

 促しに応じて受付カウンターを離れ、来客スペースにある木製の椅子にルリちゃんと並んで座る。

 

「アキトさん、乗馬の経験あったんですか?」

 

 少し驚きを持って尋ねられた。この子の言葉から分かるように此処は所謂乗馬クラブという奴だ。

 

「……火星で農場のバイトをしていた時にちょっと仕込まれてね。一応人並み以上に出来ると思う」

 

 これは半分本当で半分嘘だ。“彼”自身農場のバイトで馬を扱った事はあるが、言うほど乗馬の経験はない。主に引き手側だ。乗る事もあるにはあったようだが。

 ただ俺は元の世界で古い友人の付き合いで、連休とかに泊まりでそういった体験乗馬やレッスンを結構受けていた。

 まあ、それもあって少しは自信がある。多少競技場を走らせたりも出来る。勿論プロには及ばないが。

 

「でも、もう一年以上前だからなぁ」

 

 実際は数年だ。あのボンボンの若頭とはもう長い事会っていなかった。連絡はくれていたのだが会う気にはなれなかったから。アイツとつるむとあの日の事を思い出してしまいそうで……いや、このデート自体が……――駄目だ、よそう考えるのは。

 今大事なのはこの世界で生きる事で、そして傍にいるルリちゃんの事だ。……少なくとも今は、いや……もう本当忘れるべきだ。

 

 「けど、ルリちゃんをリードするぐらいは出来るかな」

 

 過去を振り払ってルリちゃんに笑いかけた。

 

 

 ◇

 

 

 路面電車では思わず甘えてしまった。

 優しく抱き止めて貰え、感じるアキトさんの体温から離れ難くて……デートに誘った日の事を思い出して――あの時は気を失ったフリをしていましたが――もっと確りと抱えて欲しくて我儘を言ってしまった。

 

 意外にもアキトさんも顔が赤かったですけど。

 

 私も頬が熱いから顔が赤くなっていたのは分かっていた。でもこの人も同じで、意外だけど嬉しくて、一人の女性として見てくれているんだと思った。お昼のレストランでもそれを感じたけど。

 子供の身体であっても未来の記憶があるからそうなんだと思う。……デートに誘う前はそうじゃないと思っていたのに違って、だから意外で嬉しい。

 

 ただ電車に揺られて静かに流れる風景を見る時間が楽しくて、アキトさんの体温と感触を感じて、自分の胸がドキドキと脈打つ鼓動が不思議と心地良かった。

 

 でもアキトさんの方はどうだったのだろう? 顔を赤くしていたけど、同じ気持ちだったらやっぱり嬉しい。香水の事も褒めてくれたし、アキトさんも私の体温と感触に心地良く思ってくれていたら……。

 それとも、重いとか、辛く感じていたのだろうか? 幾ら体重が軽いとはいえ、長く抱えていたら腕も疲れた筈。

 けど、そんな様子はなかったし、目的地に着くまでずっと抱えていてくれたし、身体を下ろしても直ぐに笑顔で手を繋いでくれた。だから嫌ではなかったと思う。

 

 ……ですが、アキトさんは優しいですから。多少辛くて迷惑でも気にせず、笑顔で接してくれているだけかも知れません。

 

 うん、今にして思うと迷惑だったのかも……と心配になります。

 

 そう心配する私を他所にアキトさんは馬に乗って駆けています。楕円形のコースをグルリと回って。

 ただし軽い感じでTVなどの映像で見るレースのようではありません。あくまで本当に乗馬できるかという確認と、騎乗する本人の慣らしという事だとか。

 ですが、それでも颯爽した雰囲気があってカッコよくもあります。

 

「様になってるね、貴方のお兄さん」

「え? はい」

 

 スタッフの方から言われる。

 お兄さん……やっぱり周囲からはそんな風に、兄妹に見えるのでしょうか? 髪や目の色もそうですが、顔立ちも私は北欧系で――日本人の血も入っているそうですが――アキトさんとは全然似ていないのに。

 何か複雑な事情があるとか、そう思われているのかも知れない。

 分かってはいましたが、恋人というのは無理があるという事なのでしょうね。

 

「はぁ」

 

 溜息が出た――……けど、首を横に振る。今はそれでも良いと、まだこれからが勝負だと。

 そう、もうあと5年もすれば、兄妹なんて誰も思わなくなるでしょうから! 前回より成長しますしね!(※希望的観測)

 ただ問題は、その5年という時間を如何にして稼ぐかですが。何としてもアキトさんには待っていて貰わないと――いえ、もしくは……いっその事……いえいえ、駄目です、早まるのは。一歩一歩少しずつ進まないと。急がば回れ、です。

 しかし、それでも…………、

 

「お兄さん、戻って来たよ」

 

 はい、と返事をする。

 ……分かってはいてもやっぱり妹扱いなのは悔しい。掛けられる声色も子供を相手にする感じですし。……悲しい現実です。弓とか琴とかあったら弾いていそうです。

 

 それにしても本当に馬に乗れるんですね、アキトさん。スタッフの人も言うように結構慣れた感じです。

 よくよく考えてみれば、昔……前回も火星に居た時の事とか聞いた覚えがありません。というかアキトさんの過去自体……。

 

「――……私、思ったよりアキトさんの事を知らないんですね」

 

 ぽつりと呟いて、その今更の事実に気付き、愕然としたショックを受けた。

 アキトさんとの思い出は殆どがナデシコでの事。アパートでの生活は一年もなかったですし……いえ、そもそもナデシコも八ヶ月もの飛んだ時間があってこちらの日々も一年程度。

 

「……知りたいです。貴方の事をもっと……」

 

 戻って来てスタッフと話しをするアキトさんを見ながら、知らずに言葉が漏れていた。

 

 

 

「時間は90分、それ以上は10分ごとに延滞料が加算されます」

「はい」

「延長の事を含めて何かありましたら、こちらの端末でご連絡を下さい」

「分かりました」

 

 アキトさんがスタッフの方から小さなカード型の端末を受け取る。トラブル防止の為の発信機兼通信機だ。盗みというのは流石にないそうだが、場合によってはコースを外れて迷子になる事もあるらしい。

 

「それでは楽しい時間をお過ごし下さい」

 

 スタッフの方が頭を下げてこの場を後にする。アキトさんだけでも大丈夫と判断されたのだ。

 

「じゃあ、行こうかルリちゃん」

「は、はい」

 

 アキトさんに軽く背中を押されて馬に近づく。近くで見るとやっぱり大きい。私の身体が子供のものというのもありますが……少しおっかないです。

 

「怖がらなくても大丈夫だから。な、アヤメ」

 

 私に声を掛けて、馬の方にもアキトさんは声を掛ける。アヤメという名前の雌だそうです、この馬は。

 呼びかけられたアヤメさんは、アキトさんに肯定するようにブルンと唸って答えて、首を動かして私の方を見る。

 大丈夫だよ、と言ってくれているのでしょうか?

 

「じゃあ、乗せるよ。乗ったら確りと掴まってね」

 

 私は無言で頷く。大きな顔を向けられて緊張していた。

 アキトさんの手が私の脇に回されて、身体が持ち上げられる。ちなみに今の私は乗馬に相応しい服装としてジーンズとシャツが貸し出されている。あの服のスカートは少し短めだったので馬に乗る際に捲れたら困った事になっていた。……まあ、アキトさんになら見られてもそんなには困らないのですが。

 そんな事を考えている間に子供用の鞍に身体が乗る。

 

「……ッ」

 

 高くなった目線に、自分の足で地面に立たない不安から悲鳴ではないですけど、それに近い息が短く零れた。

 だけど――

 

「よっ……と!」

 

 すぐ後ろの安心できる暖かな気配が感じられて、覚えそうになった不安も怖さも吹き飛んだ。

 

「大丈夫、ルリちゃん?」

「はい」

 

 後ろから掛かる声に安心感が大きくなる。背中に当たる感触にも。

 アキトさんの手が前に回って手綱を握る。まるで後ろから抱きかかえられているみたいで……もう、またドキドキしてしまいます。路面電車の時のように。

 恥ずかしくも嬉しい感覚。

 乗馬という事で少し不安でしたが……これは当たりです。アキトさん、午前中の水族館に続いて良いチョイスです。

 

「じゃあ、馬を歩かせるから」

 

 アキトさんはそう言うと、足で軽くアヤメさんの横腹を叩く。すると前へゆっくりと……それでも人の足よりも早く歩き出す。

 上下に揺れる感覚。見慣れない目線の高さでの移動。初めての体験の所為か、少し不思議な感じ。

 

 固いレンガの道を進む度にカッポカッポと音がする。それも耳慣れないから不思議だけど、一定のリズムがある為か聞いていて気分が良い……風情があってとても落ち着く。

 道を進んで、私達はアヤメさんの背中に乗って森林へと入った。

 森林は土を踏み固めただけの道の所為か、風情のある音が聞こえなくなったけど、木々の合間から差し込む陽の光、ほど良い風の感触、その風に乗って運ばれる緑の匂い、馬に揺られてみる風景。

 十分、落ち着いた風情があった。

 

「水族館でも思ったけど、やっぱり凄いね」

「そうですね」

 

 すぐ後ろ、息遣いさえ聞こえてきそうな距離から掛かる声に頷く。落ち着く風景に気を取られていたけど、アキトさんに抱きかかえられている状態である事がそれで思い出されて、頬が熱くなる。また鼓動が高まる。

 

「こういった森まで作るんですね。……未来では宇宙に出て、色んなコロニーを見て回りましたが、こうして森の中を見るのは初めてです。あるのは知っていたんですけど――勿体ない事をしていました」

 

 アキトさんの言葉の意味を察して答えるも、改めて自分が極端な生活をしていたのだと思わされる。

 戦艦に乗って宇宙に出て、コロニーに立ち寄っても船からは殆ど出ず、出る事があっても仕事の件ばかり。たまの休暇も宿舎で本を読むか、電子の海を潜るか――ああ、でも街に出てホウメイさんの所に顔を出したり、ユリカさんとユキナさんと遊ぶ事はありましたね。ハーリー君とサブロウタさんに、それとアオイさんを時々巻き込んで、それはそれで楽しかったのですが。大体は都市部で出掛け先も固定していて、たまに違っても似たような場所ばかりで……観光だとか旅行だとかはまったくした事がない。纏まった休みを取らなかった事も……いえ、取る必要を覚えなかったというべきですね。

 

 そういえば、ユキナさんはそんな私の生活に気付いていたのかも知れませんね。

 軍はもう辞めるべきだとか、ルリはもっと友達を作るべきだとか、そして……恋をしないと行けない! ……ってよく言っていました。

 

「今にして気付くなんて」

 

 話半分に聞き流していたのが悪いように思えた。彼女にはもう会えず、そうやって心配してくれた事ももう謝れない。けど、

 

 ――けど、大丈夫です、ユキナさん。私は今、こうして恋をしていますから。

 

 頬の熱さと鼓動の強さ、背中に感じる大切な人の気配と感触。

 この人と……アキトさんといれば、もうきっと大丈夫ですから。だから心配しないで下さい。

 言葉が届かないのは分かってはいても。私は、未来の……多分別の世界にいるユキナさんに向かってそう告げた。届かなくとも届くようにと思って。

 

「ルリちゃん……」

「大丈夫ですアキトさん」

 

 さっきの私の言葉に心配そうな声が掛かったけど、私は笑顔で答える。アキトさんの方へ振り返って、その顔を見上げて。

 

「こうしてアキトさん、貴方と一緒に知る事が出来ましたから。教えてくれましたから。――だからこれからも傍にいて、私と一緒に……」

 

 言葉を途中で切りはしたけれど、きっと通じている。だからアキトさんも、

 

「――……うん、ルリちゃんがそう望む限り、傍にいるよ」

 

 笑顔で答えてくれた。

 

 

 

 

 ――望む限り……それが精一杯だった。

 

 笑顔で返せたと思う。変に間を空けてしまったが、ぎこちなさは無かった筈だ。

 

 と――

 

 アヤメが立ち止まった。手綱を引いた訳ではない。だけど彼女は止まった。こちらに振り向いて俺の顔を、目を見ている。

 馬というのはとても利口で、人の感情に思いのほか敏感だ。彼女は心配そうに俺を見ているようだった。

 大丈夫だというように足で優しく腹を叩いて答える。

 アヤメは、頷くように首を縦に振ると再び前を向いて進みだした。

 

 それで良いと思う。ルリちゃんは俺の返した言葉に嬉しそうに笑顔を見せている。

 だから前を向いて進もう。この子は笑えているんだ。それを大事にしよう。これからも……。

 

 

 

 

 人工の森の中を進む。あくまでも人が模したもので自然のものではないけど、土も草も木も、時折見える鳥も、その全ては本物だ。

 私の眼にはおかしな物には……空に違和感は確かにあるけど、地球の自然と変わりないように思える。

 まあ、それが分かるほど、自然の森に接したことがないからそう感じるだけかも知れませんが。

 

「あ……」

 

 おかしな場所に出た。

 自然を模した森が続いていたと思ったら、明らかに人の手が加わっている事を隠していない場所。

 木々が開かれていて木製のテラスがあって、椅子やテーブルがある。

 

「中間点に来たみたいだね」

 

 アキトさんが言う。手綱を引いて続く道を外れてテラスがある方へ向かう。

 言葉の意味から察するにコースの半ばに差し掛かったという事なんだと思う。

 

「休憩にしよう。まだ40分ほどだから大丈夫だと思うけど、長く乗ってるとお尻が痛くなってくるから」

 

 テラスの傍でアヤメさんを止めてそう言い、アキトさんは地面へ降りて私の身体を優しく抱えて降ろしてくれる。

 確かに言われるとお尻が少し張っているような気がする。……お尻と言われて少し恥ずかしい気もしましたが。

 

「ご苦労様」

 

 顔を撫でてアヤメさんを労うアキトさん、私もそれに倣ってそっと彼女の頭を撫でた。

 

「ルリちゃんは疲れていない? 乗るだけでも体力使うし」

「大丈夫です」

 

 私にも気を使ってくれるアキトさんに平気だと笑顔で答える。アキトさんは「そっか」と言いながら背負っていたリュックサックを下ろす。スタッフの人に渡されていた物だ。

 チャックを開けて中身を出して、

 

「はい、ルリちゃん」

「これは?」

 

 差し出されたのは透明なビニール袋。少しずっしりとしていて中にはニンジンが入っている。

 

「あ、アヤメさんのですか?」

「うん、そう」

 

 アキトさんが頷くと、アヤメさんもヒヒンッと元気よく答えた。

 これもコースの一環という事なのだろう。馬に餌を上げる。これも初めての経験。少し緊張する。だけど怖がる必要はない。馬が優しい生き物だって言うのは何となく分かったから。

 

「はい、アヤメさん。ここまで運んでくれてありがとうございます。この後もよろしくお願いしますね」

 

 そう言って私はニンジンを取り出して、アヤメさんの顔へ近づけて、彼女は口を開けて、

 

「わっ!?」

 

 思ったよりも大きな歯が出て来てビックリしてしまった。あとアヤメさんに失礼ですけど余り可愛くないです。

 そんな私を気にしていないようにボリボリとニンジンを食べるアヤメさん。

 

「はは……ビックリするよね。俺も最初見た時は結構驚いたから」

 

 アキトさんは可笑しそうに笑う。ちょっとムッとしましたが私も可笑しさを覚えて笑う。

 その間にも顔を近づけて催促してくるアヤメさんに応じてニンジンを上げる。そして大きな身体もあって、あっという間に何本もあったニンジンを平らげてしまう。

 食べ終わるとアヤメさんは器用に足を折りたたんでその場に座り込んだ。アキトさんはこれと言って何も指示とかはしていない。

 それを不思議に思って見ていると、

 

「この場が休憩所って分かっているからだと思う。それで半ば癖になってるのかな? 俺達もちょっと休もうか」

「はあ……?」

 

 生返事をしつつ、アキトさんに言われるまま、その後に続いてテラスへ入って椅子へ座る。

 アキトさんは再度リュックサックを開いて新しくビニール袋を三つぐらい取り出す。あとジュースの缶も。すると――

 

「え?」

 

 テーブルの上に何かがチョロチョロと小さなものが――リス? フェレット?

 

「え? ええ?」

 

 気付くと沢山いた。十匹以上います。

 

「此処はこの子達にも餌を上げられるんだって。自然の森じゃないからなんだろうね。人を全然怖がらない。あと小鳥が来て、ウサギもいるらしいけど……」

 

 アキトさんはテーブルの上のリスとフェレットを気にした様子もなく、周りを見て、私もそれにつられてテラスの周囲を見る――と、

 

「いますね」

「いるね」

 

 これまた何時の間にかテラスの周りの木々と地面に小鳥がいて、ウサギもぴょんぴょんとこちらへ跳ねて来ていた。種類も幾つかある。

 

「うーん、可愛いけど……これだけいると」

 

 アキトさんの言いたい事は分かる。何十匹もズラッと居て不気味な感じもある。あと少し怖い。

 

「何時もなら俺たち以外の客もいたんだろうけど、今日は偶々少ないか、時間が合わない所為なんだろうけど……」

「餌…絶対足りませんよね、これ?」

「「「「!?」」」」

 

 あ、私は今余計な事を言ってしまったらしい。一瞬ザワリとした気配が周囲に奔った。

 まるで私の言葉を理解したように、周囲の小動物たちは首を動かして互いを牽制するように睨み合っている……ような気がする。

 

 言いしれない沈黙が辺りの空気を支配する。

 

「……………」

 

 スクッとアキトさんが立ちあがる。ビニール袋を持って。

 

「じゃあ、逝ってくるよルリちゃん」

「だ、駄目です!? は、早まらないで下さい! アキトさんきっと大変な事に……!」

 

 無駄に良い笑顔を見せるアキトさんの服の裾を掴んで止める。好きな笑顔なのにこういう時にそんな顔をしないで下さい!

 

「……でもさ、此処で何もしなかったら二人とも大変なことになる気がするんだ。ならここは俺だけでも……。大丈夫、俺戻ったらユリカに――」

「――そういう台詞も駄目です!!」

 

 フラグを立てようとするアキトさんの言葉を遮った。冗談でもやめて下さい……本当に! あと艦長と何ですか!? 告白(プロポーズ)ですか! 結婚ですか!? もしそんなこと言ったら舌噛んで死にますよ! 化けて出ますよ……私!

 

 しかし――

 

「ッ!?」

 

 アキトさんは私の裾を掴む手を振り払う。森の小動物たちが動き出す気配を感じたからだ。

 牽制して睨み合っていた状態から私の大声に反応して、よーいドン的な合図になったらしい。

 

「ああ……」

 

 フラグを立てさせない為とはいえ、合図を掛けてしまった事で悲しい声が出た。いえ、フラグを立てようとしたアキトさんが悪いのかも知れませんが。

 だから自業自得だったのか?

 

「うわぁあああっ!?」

 

 リスがフェレットが、鳥がウサギがアキトさんに飛び掛かって群がる。

 

「ア、アキ―――え? あ、危ない!?」

 

 木々の合間から大きな影が飛び出すのが見えた。

 

「し、鹿ぁぁーー!? ……ヒッ! ぐぇあ!?」

「アキトさぁーん!!!」

 

 な、何てことに! 目の前でアキトさんが鹿に跳ね飛ばされました! それも二匹に。そのまま倒れたアキトさんに……! 動物達が……! アキトさんは逃げようとしますが鹿に踏まれて……しかも餌の入ったビニール袋がアキトさんの身体の下に。アキトさんが動物たちに啄まれています。放って置くと数分もしない内に骨だけになっていそうな勢いです。肉食ではないんですから、あくまで例えですが……でも、

 

「ど、どうしたら……?」

 

 流石の木連式柔でも動物相手には……基本、対人の技ですし――ハッ、そうです!

 

「ア、アヤメさん!! お願いします! 助けて下さい!」

 

 座るアヤメさんに呼び掛けると、彼女はすぐに立ち上がって、

 

 ――ヒヒーンッ!!!

 

 大きな鳴き声を上げてアキトさんの方へ駆け出してくれた。

 

 

 

 

「あ、お客様。お帰りなさ――! 大丈夫ですか!? どうされたのです!?」

 

 乗馬施設の方へ戻って来ました。何とか……。

 しかし、

 

「その服は一体!? あ、怪我まで!」

 

 出迎えてくれたスタッフの方が驚いてます。アキトさんの方を見て。

 

「いや……はは……」

 

 私の背中でアキトさんは乾いた笑い声を上げています。

 アキトさんの前でアヤメさんに跨っている私には見えませんが、その姿はもうボロボロとしか言いようがありません。

 リスとフェレットに噛まれ、鳥に突かれ、鹿に踏まれ齧られて、服は破けてほつれて穴も空き、アキトさんも生傷だらけです。

 正直、鹿の体当たりを受けた時点で死んでいてもおかしくなかったと思います。

 

「……疲れた」

 

 馬から降りてどっと地面に尻餅をついているアキトさんを視界の端に捉えつつ、そう言った事情をスタッフに説明する私。

 

「そ、そんな事が……」

 

 説明を聞き終えたスタッフの方は引き攣った顔をして戦慄した様子。

 

「みんな大人しい子だったのですが、お兄さんには申し訳ない所です。此処のスタッフ一同を代表し……いえ、森林エリアの管理主任として謝罪させて頂きます」

「え、責任者の方だったのですか!?」

「はい、ホシノルリさん」

 

 名前まで出て、素性を知っているらしい事も察して私は驚く。そんな私の顔を見て苦笑を浮かべるスタッフ……いえ、管理主任さん。

 

「こう見えてもう30半ば過ぎで結構偉いんですよ、私。……ナデシコの可愛いオペレーターさん」

 

 可愛いと言われた事に照れそうになりますが、30半ば過ぎと聞いて驚いてしまう。どう見ても二十歳前後のお姉さんにしか見えません。

 

「とりあえず、お兄さん……テンカワさんを手当てして休ませてあげましょう。救護室に案内しますね」

 

 そう言ってアキトさんの具合を軽くこの場で確かめてから、彼女の案内を受けて救護室へと向かった。

 

 

「ああ、酷い目に遭った」

 

 救護室にあるソファーにぐったりと凭れながら言うアキトさん。あちこちにシップや絆創膏を張られている。ただ服の方は幸い私と同様に貸し出されたものだったから、その身体の傷以外は問題ない。

 

「アヤメさんのお蔭ですね」

「うん、彼女がいなかったら、ちょっとどうなっていたか分からない」

 

 まったくです。さっきも思いましたが下手したら死んでいた所です。フラグ建てを阻止したというのに。

 

「どうもテンカワさん、ホシノさん、お茶です」

「「ありがとうございます」」

 

 出されたお茶に私とアキトさんが口を揃えてお礼を言う。

 

「ふふ、いえこちらこそ、ご迷惑をお掛けしました」

 

 揃って口を開いたのが可笑しかったのか、謝罪を言いながらもクスッと笑う管理主任さん。

 しかし直ぐに真剣な様子となり、頭を深く下げた。

 

「それに……先の件で夫を助けて頂いてありがとうございます」

「「え?」」

「……私の夫はパイロットなのです」

 

 深く頭を下げた事と唐突な感謝に何かと思ったら……なるほど、そうなのですか。

 

「救援に駆けつけてくれたナデシコ……特にテンカワさんには、お礼の申しようもありません。貴方がいなかったら私はもう二度と夫と会う事が出来なかったでしょう。息子も娘も悲しんでいた筈です。本当にありがとうございます」

「………」

 

 頭を下げて深く、とても深く感謝を表す彼女をアキトさんは呆然と見つめている。ただ、

 

 ――ああ、そっか……守れた人、いたんだな、俺。

 

 そう小さく呟く声が耳に強く残った。

 

 そのあと、一時間ほど管理主任さんと話をした。

 その夫、彼女の旦那さんの事、彼女とその旦那さんの間に出来た息子と娘の事、本当に嬉しそうに、感謝するように話してくれた。

 今、そうして笑って話せることがアキトさんのお蔭だと言うように。

 アキトさんも話を聞いて感慨深げに頷き、相槌を打っていた。何度も、

 

 ――良かったです。

 

 そう口にしていた。嬉しそうに、喜ばしげに。

 私も嬉しかった。サツキミドリで多くの人を守れたんだと改めて実感できて。あのイルカさん達の事も過った。

 

「テンカワさんを傷付けた動物たちも貴方に助けられたというのにね」

「いえ……それは。あ、そういえば、コロニーから撤収するという話ですけど……あの動物たちは……?」

「ああ、それなら大丈夫ですよ。あの子達も一緒にしっかりとここから離れますから。ナノマシンで管理と居場所はバッチリですから」

 

 アキトさんの質問に返った言葉にホッとした。あの二匹のイルカも同様だからだ。

 ただ貨物扱いだから窮屈な思いをさせるでしょうけど、とやや心苦し気に言ってはいたけど、それでも良かったと思う。

 

「また、会えるかな?」

 

 そう、いつか何処かでの再会を願う。

 

 ――うん、会えますよね、また。

 

 そう不思議なイルカ達のことを思った。

 

 

 

 

 思いのほか、話し込んでしまった。もう3時近くになる。

 管理主任の女性は、あの最初に通信をしたパイロットの奥さんだとの事だった。話込んで長くなったのはそれもあった。

 

 多くの人が亡くなった中で申し訳ない気持ちもあるけど、夫が助かり、自分も子供たちも悲しまずに済んで良かったと言って、嬉しそうにあのパイロット……旦那さんと子供たちの事を話すのをつい聞き続けてしまった。

 

 俺も嬉しかったからだ。助けられたという実感を得られて、戦った意味と価値を見い出せたように思えたから。

 別に感謝して欲しかった訳でもないけど……それでも嬉しそうに向けられる感謝の言葉はありがたくて、心が温かくなった。パイロットになって、逃げずに戦う事を選んで良かったと、そう本当に思えた。

 

「それでは失礼します」

「はい、本当にありがとうございました」

「いえ、こちらこそ、手当ありがとうございます」

 

 互いにお礼を言い、旦那さんに宜しくとも言って別れて乗馬クラブを後にした。

 

「ちょっと……いえ、結構大変な目に遭いましたけど、楽しかったです」

「……はは、そう言って貰えると連れてきた甲斐があったかな」

「はい、アヤメさんともまた会いたいですし」

 

 道を歩きながらルリちゃんは微笑ましそうに言う。

 俺を助けてくれたからなのか、ルリちゃんはアヤメの事を気に入ったらしい。救護室から出た後、進んで会いに行って餌を上げたりブラシを掛けたりしていたぐらいだ。あと楽しそうに話し掛けていた。

 ……本当に来た甲斐があった。

 

 と――ふと気づくと自然と隣にいるこの子と手を繋いでいた。俺もルリちゃんも意図していない筈だ、何時の間にか指が絡んでいた。

 

「……」

 

 そうなる事にこそばゆい感情はあったが、嫌ではない。手を離そうとも思わない。

 

 ああ、けど……いつまでこうしていられるのか。どうしてもその不安は付きまとう。

 

 昔の事を思い出した。過る感情……苦しさが似ているのだ。

 だからだろう。同時に似ているという事で自覚する。してしまう。

 

 ……俺は、やっぱり――そうなんだよな。この子の事が……。

 

 だから苦しい。とても……辛い。

 けど、昔に覚えがあるから耐えられる。昔も、最後の最後……あの瞬間まで耐えられたのだから。

 

「ルリちゃん、これから街を見て、買い物でもしてから帰ろうか?」

 

 だから笑顔でこの子に応えられる。

 幾ら苦しく、辛く、心が軋もうとも耐えられる。

 

「はい、そうしましょうか」

 

 この子が、ルリちゃんがこうして笑顔でいてくれるなら、幾らでも。

 

 

 

 

 楽しいデート時間は終わった。

 けど、

 

「ふふ、アキトさん」

 

 私はデスクに向かって一人で笑っている。

 傍から見たら不気味で変な子に見えるかも知れないけど、笑う事は止められない。

 

「……アキトさん」

 

 もう一度名前を呼んだ。

 それを――今日……あの乗馬クラブでアヤメさんの前でアキトさんと並んで撮った写真を、フォトフレームに入ったそれを見ながら。

 

 その写真は、あの管理主任さんが撮ってくれたものだ。森林管理を行う一環で撮影に慣れていて、趣味でもあるそうだ。

 だからとても奇麗に撮れている。

 街でコミュニケを使って噴水の前で撮ったもの、200年前からあるプリクラという機械で撮ったものもあるけど、やっぱりこれが一番だった。服も撮影に合わせてミナトさんがプレゼントしてくれたワンピースに着替えていた。

 

「アキトさん」

 

 デスクに頬をついて写真を眺めてまた名前を呼ぶ。

 デートが終わって少し寂しかったけど、これを見たらそんな気分も吹き飛んでしまった。

 今日の幸せな時間を思い出せるから。

 他にも思い出となる物はある。部屋にあるぬいぐるみ達。

 ゲームセンターで取った小さなキャラクター物の三つのぬいぐるみに、デパートで買った大きな猫のぬいぐるみ。

 

 左手首にあるブレスレット。

 ワンポイントの金色の星に青い石……瑠璃をあしらったものだ。コミュニケの邪魔にならないように付けているそれが部屋のライトの明かりに照らされキラリと輝く。

 

「アキトさんからのプレゼント……」

 

 笑顔である事を止められない。

 明日にはデパートで買った部屋の装飾なんかも届く。アキトさんと一緒に選んだもの。

 私の部屋が殺風景だと気に掛けてくれて、今日初めから買いに行こうと決めていたとの事だった。

 そういった気遣いも嬉しい。ああ、やっぱり――

 

「アキトさん、やっぱり私は……貴方の事が大切で、とても……そう、とても――」

 

 ――大好きです!

 

 そう言葉にする。

 まだ心は伴っても身体は幼いから言えないし、未来の事もある。だからまだ直接には言えない。

 けど、こうして一人でいる時ぐらいは、心であなたに向けて言うぐらいは良いですよね。

 

「ね、アキトさん」

 

 

 

 

 




 ―――……ぐぇあ、


 ……もうほんと最後の部分は私自身、身悶えしながら砂糖の混じった血反吐を吐く思いで書きました。
 恥ずかし過ぎて精神へのダメージが半端ないです。しかしルリちゃんがアキトへの想いが止まらず動いてしまいまして…(汗

 と。ルリちゃんもそうなのですが、アキト(偽)も止められなかった感じです。いえ、それでも止めてもいるのですが。
 やはりデートとなるとルリちゃんとより向き合う事になる為に、彼の本心にも少しは触れざるを得なくなりました。本当はもっと後に書こうと思っていた心情なのですが。
 感想返しでも一部触れてますが、この彼は元の世界で長く片思いをし、手痛い…というよりも重い失恋を経験してます。この部分は彼にとって最大の問題であり、ルリちゃんの想いに応える為には乗り越えなくてはならない部分なのかな?と思ってます。
 ただ偽物であっても、やはりアキトはアキトという根の部分壊したくないので彼に関わるエピソードは余り出さない方が良いのではないかとも考えてます。少し難しい部分ですが。

 それと彼の本心がそこに向いてはいてもヒロインレースは、一応まだ決着していません。ルリちゃんがフライング気味で先行してますが、ユリカさんがそれに甘んじるとは思えませんし。

 街での買い物部分は流石に冗長が過ぎると思いましたので省きました。

 ちなみにルリちゃんの部屋に転がり込んだキャラ物三体のぬいぐるみは、某4の数字の名を持つ猫かリスみたいな生き物と、デフォルメされた食っちゃ寝王、赤い弓兵だったりします。
 アキト(偽)も驚いた彼女も欲しがったぬいぐるみ達。本作でルリちゃんがそのネタを挟む理由にもなってます。

 あと、ここまでは結構短い頻度で更新してこれましたが、次回から更新に間が明くようになると思います。
 一週間か一度か、二週間か一度か、聖杯の少女の方も進めたいのでちょっと判りかねますが、それぐらいの頻度で更新したいと思ってます。

 カオカユイカー様、bq様、リドリー様、誤字報告等ありがとうございます。


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第十六話―――恋情

 ナデシコは火星に向けてサツキミドリ2号より出航した。

 昨日の事である。

 サツキミドリの防衛部隊と連合宇宙軍第二艦隊の部隊の見送りを受けて、私達は地球圏より離れた。

 またそれらの見送りは警護の為でもあった。

 ナデシコが木星の敵の標的になった事実があり、万一に備えてという事だ。

 グラビティブラストとディストーションフィールドを備える最新鋭艦であるナデシコの足手纏いとなるのでは? という意見も中にはあったようだけど、私はそうは思わない。

 サツキミドリ所属の防衛部隊の方はともかく、正規艦隊の部隊は侮れない。月や各コロニー群の防衛戦における敗残兵の集まりとはいえ、厳しい実戦を潜り抜けて生き残った部隊だ。

 居てくれるなら、それだけで戦闘となれば楽になるし、戦術の幅も広がる。

 艦長も同様の意見だったのだろう。彼等の見送りと警護を積極的に受け入れた。

 

 ただ万が一という事もあって私達も戦闘配置となり、アキトさんもエステバリスのコックピットでほぼ丸一日を過ごす事になったのが少し不満だった。

 

 いえ、私は普段からブリッジ勤務なので良いのですが、やはりアキトさんにエステに缶詰めとなる事を強いるのは心苦しく感じます。

 それにサブパイロットという契約なのに、正規パイロットと変わらない負担を求められるのも……これもやはり不満です。

 パイロットが僅か5人ではそうならざるを得ないのも分かりますが。

 

 アキトさんを出来る限りコックとして居させてあげたいのも勿論ですけど、単独で火星へと行くことを思うと、せめて一個中隊分の正規パイロットが欲しい所です。

 ……以前、アキトさんがパイロットになると決める前はヤマダさんとリョーコさん達でパイロットは十分と考えていたのに、我ながらほんと身勝手。

 

 ともかく、試験艦という側面もあるナデシコですが、多少無理をすれば一応それだけの規模の機動部隊を運用できる筈ですし、今のリョーコさんも中隊規模までであれば指揮は取れる筈。

 セイヤさんを始めとした整備班は少し忙しくなるでしょうが、まだ結構余力がありますし、ナデシコの高度にシステム化された格納庫周りなら一個中隊規模の運用でも十分対応可能。

 

「まあ、それでもプロスさんの言う通り、この戦時にパイロット……それもIFSを持った人材の確保は限られますし、それにこの時代ではエステバリスはまだ運用の浅い兵器ですからね」

 

 その運用の浅い兵器に対応でき、更に腕の良いパイロットとなると、やはり今の時代では求めるのはかなり難しい。

 動かすだけならIFSのお蔭で素人でもどうにでもなるけど、扱う機動兵器(機械)との相性の他、戦闘までとなると要求される資質と才能は一段も二段も違ってくる。

 そういえば、あの遺跡を巡った戦いでは、カキツバタにナデシコの予備として見繕っていた人材と、エステバリス配備後に慣れたパイロットを連合から引き抜いて搭乗させたようですが、30機余りいたそれらパイロット達はリョーコさん達3人の足止めに精一杯でしたね。

 一流として実戦を重ねたエースパイロットでも、超一流のトップエースクラスのリョーコさん達とはそれだけ差があるという事だ。

 

 ……なら、と不意に思ってしまう。

 素人だったのにそのトップエースクラスの彼女達に付いて行けて、最終的にはナデシコ所属のパイロットの中でも実力一位だったアカツキさんとも互角に戦えるようになったアキトさんは……

 

「でも……それでも、コックの方があの人には似合います」

 

 コックよりもパイロットの方に優れた才能があって、戦いに向いているなんて思いたくなかった。

 

「――……!」

 

 一瞬黒い機動兵器(幽霊ロボット)の姿が脳裏に浮かび、加えてA級ジャンパーだという事実も私は考えないようにする。 

 ――……そうですね。パイロット不足、戦力不足の事はまた後で相談しながら考えましょう。一応、案はありますし。

 

「………………」

 

 思考を切り替える。

 

 見送り部隊の……サツキミドリ側の中には、先の防衛戦でアキトさんに助けられた戦闘機パイロット達の姿もあったらしく、また乗馬クラブで会った女性の旦那さんがいて、ナデシコの甲板で待機に入ったアキトさんにお礼を言っていた。アキトさんはとても嬉しそうだった。

 そこにリョーコさん達の同僚だった人達も加わって随分と会話が盛り上がっていた。

 

『じゃあな、テンカワ。火星から無事戻ったらお前の作った料理を食べさせてくれ、こっちは上手い酒を用意して待ってるからよ』

 

 アキトさんがコックである事も知られていたようで、そんな約束をしてアキトさんは喜んで引き受けた。

 未成年だっていう事を忘れていませんか? と、少し無粋にそんな事も思ったけど、流石に野暮に突っ込まなかった。

 

 

 で、私達ブリッジメンバーですが。

 艦長は地球からまたもおじ様……ミスマル提督からの通信で長話。おじ様はこの世界でも相変わらずのようです。……二度目のこの世界ではおじ様と呼ぶ機会はあるのでしょうか?

 メグミさんはサツキミドリの管制官やコロニーの責任者の人達と通信で話し込んでいた。どうも先の葬儀の一件でメグミさんのファンになった人がサツキミドリには多数いる模様。管制官や責任者の人達もそういった人の一部。声優への復帰を考えているかという言葉の他、戻ったらサインが欲しいとか、握手して欲しいなどの声がやたらとあった。

 一方、私とミナトさんはこれと言って何もなくほぼ普段通り。男性メンバーも同様だった。

 

 

 そうして見送り部隊と半日近くナデシコは行動を共にした後、地球圏から距離が離れて、

 

「そういえばルリちゃん。今日は今朝から機嫌良さそうだけど、何か良いことあったの?」

 

 サツキミドリの通信から解放されたメグミさんがそんな事を尋ねてきた。

 それに私は正直に答えた。

 

「はい、昨日アキトさんとデートしましたから」

 

 黙っている理由はこれと言ってなかった。元より私はこの想いを隠す積もりはない。ただ、ミナトさんにバレた時のように恥ずかしさはあった。でもその時ほどではない。

 恥ずかしさ以上に負けたくないという感情が強くあったからだと思う。だから、

 

「へ? それって……」

 

 と、唖然とするメグミさんにも、

 

「そ、それって……ど、どういうことなのルリちゃん!?」

 

 そう驚愕する艦長にも、

 

「言葉通りです。昨日のお休みにアキトさんとデートに出掛けたという意味ですが」

 

 隠す事もなく堂々と答えた。

 

「デート……アキトと……」

「ええ、楽しかったです。プレゼントもしてくれましたし」

 

 椅子ごと振り返ってブリッジ上段からこちらを見て半ば狼狽え、半ば呆然とする艦長に私は更に言葉を続け、左腕に付けたブレスレットを見せびらかすように軽く掲げた。

 

「プ……プレゼント……アキトからの……」

 

 掲げて見せた左腕を見て目を見開き、艦長は呆然としながらフラフラとよろめいた。隣のメグミさんも何も言わないけど、少し羨まし気に私を見ていた。

 正直、気分が良かった。

 一時であろうと、アキトさんを想っているこの二人より先んじている事に優越感があった。

 そんな感情が少し浅ましく思わなくもなかったけど、そういった感情を抱くのは仕方ないと思う。

 けど……いえ、だから、

 

「な、なんで……恋人の私だってまだデートも……プレゼントなんて貰った事ないのにぃ、……それもアクセサリーなんて」

 

 恋人―――この言葉には我慢が出来ず、覚えた優越感は何処かへ行ってしまい、かなりムッとしてしまった。

 

「恋人というのは艦長の思い込みです。アキトさんは艦長の恋人ではありません」

 

 だから指摘した。普段の淡々として口調に語気を強めて。

 少なくとも今、この時はまだアキトさんは艦長を選んでいない。そして未来も前回のようになるとは限らないと、そう告げるように。

 けれど艦長は反論する。認められないとばかりに。

 

「そ、そんな事は無いよ。子供のルリちゃんにはまだ分かんないかも知れないけど、私とアキトはラブラブお似合いのカップルなんだから!」

 

 よろめいた足を立て直して、キッと私を少し睨みながら言った。

 

「うん、そう。アキトは私の事が好きで! 私もアキトが大好きなんだから!」

「……!?」

 

 一瞬、驚いてしまった。

 艦長もアキトさんが好きという言葉に。

 言葉前半の「アキトは私の事が好き」というものだけなら、私はただ反発を覚えていただけで済んだ。

 だけど後半の言葉は、戦争終盤の遺跡を巡った戦いから“ユリカさん”が言うようになったもの。それまでは事ある毎に前半の思い込みしか口にしていなかったのに。

 

 ――なのに、今のこの時に艦長がアキトさんを好きだなんて言うなんて。

 

 胸に締め付けられるような強い痛みが奔った。嫌な動悸を覚えて……焦りが、そう大きな焦燥感を私は覚えた。

 もしこの言葉をアキトさんが聞いたらという恐怖。そうなったら前回のように……――

 

 ――嫌! それはダメ! それでアキトさんがまた艦長を、ユリカさんを選んだら、そうなったら私は……私のこの想いは……

 

 その時、そんな焦燥感と恐怖が私を突き動かした。

 

「……分かりました」

 

 大きく揺れる二つの感情に歪みそうになる顔と、怯えて震えそうになる身体を抑えて一度頷き、

 

「え? 分かってくれたの! そうだよ、私とアキトは―――」

「――いえ、分かったのは艦長がアキトさんを好きだという事だけです」

 

 その艦長の想いだけは認める。だけど、

 

「ですがアキトさんも艦長が好きだとは限りません。やっぱり思い込みですね、恋人と言うのは……」

 

 そう、それはあくまで思い込みに過ぎないと否定した。否定してやった。続けて、

 

「……ああ、艦長。そういったものをなんて言うのか知っていますか?」

 

 ――片思いって言うんですよ。

 

 突き付ける、その事実を。

 アキトさんはまだ貴女を選んでいない! とも、またそう言うように。

 

 今日になって思う。本当に醜い感情だったと。

 言葉を突き付けて愕然とした艦長を見て、随分気分がスッとした……果たして私はあの時、どんな顔をしていたのだろう? ――――余り考えたくはなかった。

 けれど、こんな醜い感情を含めてきっと恋であり、愛なんだとも思う。

 前回のあの『忘れえぬ日々』の中でユリカさんとメグミさんがアキトさんを巡っていがみ合い、争い、張り合った気持ちが良く分かった。

 やっぱり私もナデシコクルー(バカ)の一員という事なんでしょうね。すっかり感化されている。

 

 あと……意趣返しみたいな所もあったのかも知れない。

 艦長は“ユリカさん”ではないけど、私はアキトさんがユリカさんと結ばれた時……教会で式を挙げて幸せそうな二人を、ユリカさんを見て……――いえ、本当はそのずっと前から、アパートで三人一緒に暮らしていた頃から苦しさを覚えていた。

 正直あの頃はハッキリとした自覚は無かった。だけど後になって思い返すとあの二人が幸せそうに語り合い、キスしたり抱き合っているのを見る度に辛く苦しくて悔しい感情に苛まれていた。

 

 その苦しさと悔しさが“片思い”の恋心故なのだと、嫉妬なんだと理解するのには、結構時間が掛かってしまいましたが。

 

 つまり私がデートの事を話したり、焦燥感と恐怖から意地悪な言いようをして言葉を突き付けたのは、そういった片思いの苦しさをユリカさんに……艦長にも味わわせてやりたいと思った為だ。

 

 ……本当に卑しい、醜いものです。

 自分の中にこんな感情があるだなんて思ってもみなかった。

 だけど後悔はしていない。遠からず何れはそうなったと思うから。艦長はアキトさんが好きで、私もアキトさんが好きだから。

 

 だから、結局――

 

「……ルリちゃんはテンカワさんの事が好きなの?」

 

 呆然とする艦長に変わって、そう横から問い掛けてきたメグミさんに確りと答えた。

 

「はい、アキトさんが好きです。とても……大好きです。愛しています」

 

 精神(こころ)は伴っても、身体は伴わないからまだ直接は言えないあの人へ告げたい言葉(おもい)を。

 これもやっぱり恥ずかしさがあった。

 私の告げた想いに驚いた表情を見せたメグミさん、それを告げた私の背後から「言うわねぇ、ルリルリ」と小さな口笛と共にミナトさんの称賛の声が聞こえた。

 

「でもルリちゃんはまだ子供で、デートしたって言ってもテンカワさんはそんな積もりじゃないかも知れないよ」

 

 驚いたメグミさんは、艦長と違って直ぐにその痛い点を突いてきた。

 アキトさんは私の誘いにデートと言ってくれて、当日のデートも一人の女性として見てくれていたようで脈があるように見えたけど、その可能性もゼロではない。脈があるように見えたのは気の所為で、それこそ私の思い込みに過ぎず、子供のお誘いに乗ってくれただけとも考えられるだろう。

 

「その……ルリちゃんには悪いけど、テンカワさんってそういう趣味じゃないと思うし」

 

 遠慮がちに気遣うようにそう言ったメグミさん。けど、それが演技だというのは何となくだけど分かった。前回艦長に意地悪した時と……そしてさっきの私と同じ気配を感じたからだ。

 やんわりと……されど強く釘を打ち込もうとしていた。……実にアンバー的で嫌な感じだった。

 しかしアキトさんにそういう趣味がないのは確か。

 この前、ミナトさんと一緒に食堂に訪れた際、ミナトさんの大きく開かれた制服の胸元に視線が向いていたから。それも一度や二度ではなかった。

 

 ……元々アキトさんは大きい方が好きな()がありますしね。

 

 ユリカさんに惹かれたのもそう言った部分もあるのでしょう。艦長のスタイルの良さが妬ましいです。

 けど、その事実にホッとするのも確かです。もしそっちの趣味だったら心配だしドン引き物だもの。……まあ、多分それでも嫌いにはなれないでしょうけど。

 ともあれ、私はメグミさんの意地悪に、

 

「そうですね。アキトさんにその積もりはないかも知れませんし、私は確かに子供です。ですが私がアキトさんを好きな気持ちに変わりはありませんし、その想う気持ちは自由です。それに何時までも子供という訳ではありません」

 

 幼さを理由に諦める気はないとの意味を込めてそう告げた。あと、

 

「私、将来性あると思いませんか? あと数年待ってみようと考えてしまうくらいに」

 

 とも加えて言った。らしくもなく挑戦的に。

 釘を刺そうとしたメグミさんは唖然としていた。如何にも二の句が告げられなかったといった様子だった。

 

 その後、ブリッジの雰囲気は少し悪くなったけれど、一応何事もなくその日は過ぎた。

 私自身、その日の事は艦長達に対する宣戦布告の意味合いがあったけど、変に煽る積もりも、焚き付けようとする意図もないのでそれ以上は言わなかった。

 変に煽って前回のようにアキトさんが艦長達に振り回され、気疲れさせるのは本意ではありませんし。

 それでまた優柔不断に逃げに入られて、私まで避けられるようになっては困ります。……というか、アキトさんに避けられるなんて想像しただけで泣きそうになります。

 

 ただ、しかし私の考えは甘かったのだと思う。

 私が焦燥感に駆られたように艦長はともかく、メグミさんも同様であって、唖然とした姿は見ても、まさか子供の私の言葉にそこまで動揺するとは思いもよらず。……また、第三者達によって私とアキトさんのデートの件が広がりつつある事も見逃していた。

 

 その結果、私の主観的に第二回テンカワアキト争奪杯の幕が上がってしまう。

 

 

 ……すみません、アキトさん。

 

 

 ◇

 

 

 ミスマル・ユリカにとってその少女は、変わった子供という以上の認識は無かった。

 地球ではマイナーなIFSを持ち、それに特化した“性能”を持つ子供というくらいだった。

 無論、その子が複雑で同情に値する境遇があるのだという事は察していた。普通の生まれではありえない蒼銀の髪に金色の眼を持っているのだ。今の時代においてほぼ全ての国で禁止された遺伝子操作が施されている事は明白だった。

 ただ、無論且つ勿論のことだが、ユリカはそこに敢えて触れる気はないし、他のクルー達も触れる様子はない。

 それは少女に対する気遣いであり、優しさであり、大人としての分別でもある。

 

 ともかく、ミスマル・ユリカの件の少女への―――ホシノ・ルリへの印象は、可哀そうな生まれを持った変わった子供という以外の何者でもなかった。

 いや、彼女だけでなく、ほぼ全てのクルーにとってそうであろう。

 

 だが―――

 

「はい、昨日はアキトさんとデートでしたから」

 

 それは衝撃的な言葉だった。少なくともユリカにとっては天地を揺るがされたに等しいものだ。

 その言葉は、ブリッジで仕事をする少女の様子を見たメグミ・レイナードが行った何気ない質問から返って来たものだった。

 その言葉に対するユリカの反応は早かった。問い掛けたメグミが言葉の意味を直ぐには呑み込めず「へ……?」とあっけに取られている合間に、

 

「そ、それって……ど、どういうことなのルリちゃん!?」

 

 ブリッジ上段から覗き込むようにして、中段のオペレーター席に座る少女の後ろ頭へ驚きに満ちた目を向けた。

 それに対してルリは簡潔に答えた。

 

「言葉通りです。昨日のお休みにアキトさんとデートに出掛けたという意味ですが」

 

 確りと耳に入った聞き間違いようがない言葉。ユリカは再び天地がひっくり返るような衝撃を精神に受けて狼狽えた。

 

「デート……アキトと……」

「ええ、楽しかったです。プレゼントもしてくれましたし」

 

 狼狽え呆然とするユリカに、少女は淡々と答えて普段は表情に乏しい顔に薄っすらと嬉しそうな笑みを見せ、さらに左腕に掛かる金色の輝きをユリカの方へ見せびらかす。

 

「プ……プレゼント……アキトからの…」

 

 立て続けて来る衝撃にユリカはフラフラとよろめく。

 

「な、なんで……恋人の私だってまだデートも……プレゼントなんて貰った事ないのにぃ、……それもアクセサリーなんて」

 

 そうよろめくユリカに、薄く笑みを浮かべて何処か勝ち誇っているようにも見えていたルリだが……途端、眉を顰めてムッとした表情となった。

 

「恋人というのは艦長の思い込みです。アキトさんは艦長の恋人ではありません」

 

 淡々としながらも語気の強さを感じさせる口調で少女は指摘した。

 

「そ、そんな事は無いよ。子供のルリちゃんにはまだ分かんないかも知れないけど、私とアキトはラブラブお似合いのカップルなんだから!」

 

 よろめきながらも精神を立て直しつつユリカは反論した。そこだけは彼女としても譲れない所だからだ。

 自分と彼は幼馴染で昔っから仲の良いカップルだったのだ。10年と長く離れていたし、自分は死んだと思っていたけど、こうして再会できた以上はその関係に戻った筈なのだ。

 

「うん、そう。アキトは私の事が好きで、私もアキトが大好きなんだから!」

 

 ユリカは心からそう思っていた。

 長く離れ、お互い成長して姿かたちも変わったけれど、それでも私の彼に対する想いは変わっていない……ううん、今の彼の姿を見てもっと好きになった。だからアキトもきっと同じ想いでいる。

 それがユリカの認識だ。昔の……幼かった時以上に互いを想い合っていると、そう信じている。

 

 けれど――

 

「……分かりました」

「え? 分かってくれたの! そうだよ、私とアキトは――」

「――いえ、分かったのは艦長がアキトさんを好きだという事だけです。ですがアキトさんも艦長が好きだとは限りません。やっぱり思い込みですね、恋人と言うのは。……ああ、艦長。そういったものをなんて言うのか知っていますか?」

 

 ――片思いって言うんですよ。

 

 ニコリとした表情なのに眼だけが笑っていない少女の告げる言葉に、その信じている想い(モノ)に罅が入った。

 

 その後は愕然としたショックを受けながらも、幼い筈の少女の強く想いの籠った言葉を聞いた。

 通信士のメグミの問い掛けに、

 

 ――はい、アキトさんが好きです。とても……大好きです。愛しています。

 

 そう、僅かに頬を赤くしながらもハッキリと答えていた。

 ユリカには分かった。

 自分と同じで確かな恋をして、同じ人を想う気持ちがあるからよく分かった。

 その言葉はただ子供が無邪気に好きだと言う、純粋だけど恋を知らない子が口にするモノではないという事が。

 だから恐れて焦りを覚えた。

 

(アキトはこの子とデートした。プレゼントもした。ならアキトはこの子……ルリちゃんの事が……?)

 

 そうでないかと疑った。それは確かな直感だった。

 ルリちゃんは決して子供なんかじゃない。そしてアキトもそれを理解しているのでは? ……と、少女の持つ雰囲気とその鋭い勘でユリカは確かに感じ取っていた。

 

(アキト……)

 

 ショックで揺れたように感じる視界の中、銀の髪を持つ少女の後ろ姿を見ながら愛しい彼の名前を呟いた。

 そうであって欲しくないと思いながら、告げられた“片思い”という意味も重く感じて。

 

 

 

 

 昨日はエステのコックピットでほぼ丸一日缶詰めだった。

 万が一……という事での戦闘待機だったが、実際の所、ルリちゃんの考えでは襲撃の可能性は高かったらしい。

 というのも、サセボの戦闘に続いてサツキミドリでのデータ奪取に失敗した為、ナデシコとエステバリスのデータを得るにはもう一度か、二度くらいは本格的に仕掛ける必要があるのではないか? との事だ。

 それもあって前回は散発的な攻撃に留まった火星までの航路だが、今回はそうならないかも知れないという。

 ただナデシコを落とす事も、地球へと追い返す……もしくは逃げ帰らせるような真似はしないとも言っていたが、その理由までは聞いていない。それを言った時、ルリちゃんの様子が少し意味深に見えて結構気になったのだけど、待機任務に入るまで深く話す時間がなかったのだから仕方がない。

 

「その辺を含めて今日明日にでも話せる時間が欲しい所だけど……」

 

 俺もルリちゃんも仕事があるし、大きく時間が取れるのは夜の就寝前になるだろう。

 夜中に女性クルーの部屋がある区画を歩くような事は出来れば避けたいが……こればっかりはしょうがないか。

 嘆息しながらも納得するように頷いて、エプロンをロッカーから取り出して身に着けて厨房に顔を出すと、

 

「あ、テンカワさん」

「サユリさん、おはよう」

「……はい、おはようございます」

 

 一番にサユリさんと挨拶を交わしたのだが、何か浮かない表情だ。

 

「テンカワさん、おはようございまーす!」

「「「おはよう、テンカワさん」」」

「うん、おはよう」

 

 ミカコさんが小柄ながら大きく元気な声で挨拶をし、他のホウメイガールズの皆も笑顔で挨拶をして、俺も挨拶を返した――が、

 

「テンカワさん、一昨日のお休みにオペレーターの子とデートをしたって本当なの!」

「ブホッ!?」

 

 ミカコさんの口から挨拶と同様、元気な声でそんな予想もしない言葉を聞いて思わず噴き出した。

 

「ゴホゴホッ……」

 

 呼吸器官に唾液が入って咽てしまう。

 

「……ッ、な、なんでそれを!?」

 

 呼吸を落ち着けて尋ね、何となしにサユリさんの顔を伺う。

 拙い……後ろめたい事は無い筈なのだが、保安部に突き出される未来が見えて危機感を覚える。

 

「昨日、食堂でそんな話をしている人達がいたから……って、やっぱり本当なんだ」

「まあ、こんな画像も出回っているしね」

 

 ミカコさんが言うとジュンコさんがコミュニケを操作して、ウィンドウを投影する。

 

「……う」

 

 宙に映った画像を見て呻き声が漏れた。

 水族館で二人手を繋いで歩いている姿に、路面電車でお姫様抱っこしている物。

 後者の方は距離が離れての撮影らしく、少し粗いが……引き延ばされて十分人物が特定でき、確りと俺がルリちゃんを抱えているのが分かる。

 ある程度はそういった事もあるだろうと予想はしていた。同じ休みの日のクルーにデートの様子が目撃される事もあると。

 しかし撮影までされ、艦内に出回って噂になるとは予想外だ。

 

「仲、とても良さそうだよね」

「ルリちゃん、凄く可愛いね、お人形さんみたい!」

「で、テンカワさん、どっちから誘ったの、デート?」

「……それは、ルリちゃんからだけど」

 

 画像を見て感想を言うジュンコさんとミカコさん、そして尋ねて来るエリさんへ答え。

 

「……テンカワさんって」

「な、何かな? エリさん」

 

 ジッと胡乱な目で見詰められて思わずたじろぐ。

 

「そういう趣味なの? ロリコン?」

「いやいやいや……!」

 

 聞きたくなかった言葉を言われて首を全力で振る。

 勘弁してください。マジで! 誤解だから! いや、まあ、確かにルリちゃんとデートしたし……ルリちゃんの事も大切にしたいと思っているけど――

 

「こら、エリ!」

「痛っ!?」

「テンカワさんに失礼よ!」

 

 在らぬ誤解を向けられて動揺する俺だが、意外にもサユリさんがエリさんを軽く小突いて怒って見せた。

 

「ルリちゃんに誘われて出掛けたからってそういう風に疑うなんて。……大体、テンカワさんとルリちゃんの仲が良いの知っているでしょ。別に変な意味じゃなくて」

「うーん、そうかも知れないけど、でも……サユリ、テンカワさんは違ってもそう誘ったって事はあの子の方は――」

「――それは……別に子供なんだし、ちょっとした憧れみたいなものでしょ。それにこの写真だって兄妹みたいな感じなんだし」

 

 エリさんとサユリさんのやり取りに何となく口を出し難い。

 誤解を避けられるのは良いんだが、ルリちゃんの事まであれこれ言われるのは余り気分が良くない。

 しかし、俺が口出しするのは違う気がするし、誤解が疑惑になりそうでやはり何も言えない。

 

「アンタ達、何時までお喋りしているんだい。そろそろ仕事に取り掛かりたいんだけどね」

「あ、ホウメイさん、おはようございます」

「おはようテンカワ、……さあ、仕事だ。朝の仕込みを早く終わらせないと私達が食べる時間が無くなるよ。ほら、さっさと持ち場に就きな」

「「「「「は、はい!」」」」」

 

 ホウメイさんの促しに俺の周りにいた皆が厨房の各々の位置へ散り散りになる。

 

「まったく、私も女だからそういった話が気になる気持ちは分かるけど、野暮ってもんだろうに。悪いねテンカワ」

「いえ、ホウメイさんの所為って訳じゃありませんから」

「まあ、そうだね。……だが一応、私からも言っておくか」

 

 これも野暮かもしれないけど……と言いながら、ホウメイさんは俺にしっかりと目を向けて告げる。

 

「ルリ坊は何かと目立つ子だからね。あの娘達みたいにアンタに色々と言ってくる連中はいると思う。けど、余り気にするんじゃないよ。……テンカワ、アンタは自分の思ったままにあの子と向き合えばいいんだからさ」

「……ホウメイさん」

「と、言ってもアンタがどんな思いでルリ坊を見ていて、どんな意味で大切だって言ったかなんて分からないんだけどね」

 

 ジッと語りながら向けられる眼に俺はなんて返すべきか分からなかった。ただ何となくだが、ホウメイさんには見透かされているような気がした。

 この前、ついホウメイさんの言葉に流され、躊躇いもなくルリちゃんを大切だと言った所為かも知れない。

 少し恥ずかしさがあり、迂闊さを覚えた。

 

「さ、アンタも持ち場に就きな」

「……はい」

 

 何も返す言葉を持てず、しかしホウメイさんもそれ以上は何も尋ねず、俺は促されるままに仕事に取り掛かった。

 複雑だったが少しホッともした。もしこの女傑的雰囲気を持つ尊敬するホウメイさんに本心を尋ねられたら、俺は答えを口にする事を避けられなかったと思うから。

 

 

 しかし、その安堵も束の間だった。

 

 

 仕込みを終えて朝食となり、ホウメイガールズの皆にデートの事を尋ねられ、差し障りないものを……ルリちゃんとのデートそのものではなく、水族館や乗馬クラブや歓楽街の観光スポットなどの感想を話す事でそれを回避して(またはホウメイさんの援護もあって)、同僚の彼女達には上手く誤解と疑惑を招かずに済んだが、

 

「……アキト、おはよう」

 

 朝食時の一番にやはり彼女はやって来た。

 

「ああ、おはよう艦長」

 

 そう、ユリカ嬢が。神妙でありながらもやや落ち着かない気配を纏って。

 その様子を見て直ぐに察した。ただでさえ仕込み前のホウメイガールズ達との話で、俺とルリちゃんのデートの件が艦内で広まっているらしい事が分かっていたのだ。当然そうなるとユリカ嬢が知らない筈もない。

 彼女の姿を見てどうしたものかと僅かに悩んだが、ここで変にユリカ嬢を暴走させる訳には行かない。言い争いみたいな事になる可能性もある。避けようとせず向き合うべきだろう。嫌な予感もあったがそう覚悟を決める。

 

「ホウメイさん、ちょっと調味料棚の所へ行ってきます」

「……ああ、分かった」

 

 ホウメイさんも察してくれたようで直ぐに頷いてくれた。

 

「艦長、話があるんだろ」

「……うん、少し。……ごめんなさい、お仕事中なのに」

「いや、いいよ」

 

 若干肩を竦めながらも俺は気にしないように言い。ユリカ嬢に部屋を移るように促した。

 

 

 

 部屋を移って二人っきりになる。開けっ放しになっていたドアも確りと締めた。防音性は結構高いから、よほど大きな声を上げない限り厨房に届かない筈だ。

 ユリカ嬢は自分を落ち着かせるように軽く深呼吸してからそれを言った。

 

「アキト、ルリちゃんとデートしたんだよね」

「……やっぱり知っていたのか」

「うん、ルリちゃんから聞いた」

 

 思わぬ返事が返って来た。ルリちゃんから直接聞いたとの事に少し驚く。

 

「ルリちゃんから……!?」

「……」

 

 ユリカ嬢は無言でコクリと頷いた。てっきりホウメイガールズのように噂話を聞いたのかと思ったら、まさかルリちゃん本人からとは。

 ルリちゃんらしからぬ積極的な……いや、そうでもないかな?

 あの子は意外にアグレッシブな行動を取る事があるし。確か原作でユキナちゃんがナデシコから連絡を取ろうとした通信用のコバッタに蹴りを入れていた事があった。劇場版でもアキトに容赦なく食って掛かっていたし、アカツキの言う通り結構キツイところがある子だ。昨今ではリョーコ嬢を組み伏せ、ガイを投げ飛ばしている。

 

「ルリちゃん、嬉しそうに言うんだ。アキトとデートした事とプレゼントしてもらった事を」

「……」

「あの子があんな風に笑える子だなんて思っても見なかった。どこか冷めた感じのある子供だったから少しびっくりした」

 

 以前、ホウメイさんも言っていたような事を言う。ルリちゃんに対する印象は皆そうなのだろうか? ユリカ嬢の様子も気に掛かるが、それも気に掛かる。

 少し心配だ。リョーコ嬢達とは仲良くしていたし、ブリッジにはハルカさんがいるから大丈夫だと思うが……ノベルテ+では男性クルーからの人気の高さに反して女性クルーからの評判が悪かったとかいう話もあった。

 ……ノベルテ+の話を思い出して少しどころか、かなり心配になったが―――それより今はユリカ嬢だ。

 

「同時に凄くショックだった。アキトとデートしてプレゼントを貰って嬉しそうなルリちゃんを見て……だってアキトが私以外の女の子と仲良くしているんだもの」

「艦……ユリカ……」

 

 思わず名前を呼んだ。

 ショックだという言葉の通り、ユリカ嬢は落ち込んで酷く曇った表情をしている。太陽のような笑顔の輝きを見せる彼女には余りにも似合わない。

 

「だからムキになって言ったの。ルリちゃんはまだ子供だからとか、アキトの恋人は私だって。でも逆に言われちゃった。それは思い込みだって、片思いに過ぎないって。これも凄く……とてもショックだった――ねえ、アキト!」

「……!」

 

 翳りのある表情。だが強い目線が向けられる。

 直後、直感した。駄目だと、拙いとも思った。ユリカ嬢が何を言うのか、言おうとしているのか分かってしまった。

 だけど、どうしようもなかった。彼女の言葉を止める事はできず――

 

「アキト、私はアキトが好き、大好き! 昔から今も恋人だと思ってる! だけどアキト、貴方はどうなの? アキトは私の事を……!」

「あ、」

 

 ――だから言われてしまった。

 

 まだナデシコに乗って10日間程度なのに、何れは来るであろう問い掛け(ことば)がこうも早くに。

 

「そ、それは……」

 

 顔も喉が張り付いたように強張るのを自覚する。零れた声も掠れていた。

 “アキト”に対して向ける言葉。それに返すべき言葉などある筈がない。それでも……それでも……考える。“アキト”として。

 “俺”が言うべき事ではないと分かってはいる。しかし問い掛けられた以上は、そうして答えるしかなかった。逃げられないというのもある。

 

「……ユリカ」

 

 名前を呼ぶ。何とか声は掠れていない。嫌な鼓動を立てそうだった心臓も落ち着けている。

 

「俺はお前の言う王子様じゃないよ。ただどこにでもいる平凡な男だ」

 

 “俺”自身も当然そうだが……恐らくアキトもそう思い、そう告げる筈だ。

 アキトの自己評価はとても低い。平凡でこれといった取り柄のない人間だと、情けない男だと自分を卑下している所がある。

 その為か、ユリカ嬢が求める王子様像に辟易した感情を持っている。だから彼女に対して当たりがきつく、また……重いと感じていた。

 

 そう、原作第8話でユリカに対してその本心を僅かに「そうだよ、俺には重いんだよ。だからこそ……」と、確かにそう見せていた。

 

 だがその一方で、彼は心の何処かでそれに応えたいとも思っている。ユリカに対して重いと感じるという事は、逆説的につまりはそれだけアキトは彼女の事を……――そしてだからこそ、余計に重荷にもなっているのだろう。

 だから、そう答える筈。

 

「精一杯その日その日を生きるのがやっとで、料理人になりたいって夢を追うごく普通のありふれた人間だ。ユリカ、お前が願う王子様になんてなれない」

 

 だから、彼女に相応しいなんて思えない。

 ユリカ嬢はミスマル家のお嬢様で、それこそ世が世であれば武家だとか、貴族だとかのお姫様とも言えるような女性……云わば高嶺の花だ。幼馴染という事で偶々近くにあるが、本来なら手が届く所にあるような娘じゃない。

 外見だってそれに相応しい美人で、性格だって少し落ち着きは無いが明るく優しく器量も良しと言える。

 加えて頭脳明晰で連合軍大学を首席で出たエリート。中高他、士官学校だって飛び級で進み、優秀な成績で出ている事だろう。

 とてもではないが平凡・凡人なアキト(おれ)とは釣り合いが取れない。それこそジュンのような同じエリートの方が余程相応しい。

 

 なのに、

 

「ううん、アキトは私の王子様だよ」

 

 何の疑問もなくユリカ嬢は言った。

 

「だって私の好きな人なんだもの」

 

 真っ直ぐな視線で彼女は語る。

 

「幼い時、風邪をひいて苦しんでいた時に元気づけてくれた。ちょっと危ない遊びをして工事現場の機械を動かしちゃってそれを止めてくれたのはアキトだった。川に落ちて溺れていた時もそう、大声で必死に助けを呼んでくれた。お祭りで花火が暴発したのを庇ってくれて私の代わりに火傷した事もあった。……十分、王子様だよ」

 

 覚えがあった。どれもこれもアキトの記憶に。フラッシュバックと共にそれが過る。再会するまでずっとユリカの事を忘れていた癖にアキト(おれ)は覚えていた。

 

「ユリカの危ない時は何時も助けてくれた。何度も何度も……」

 

 何の疑問もない真っ直ぐな言葉と好意。

 ……ああ、それが重い、とても。

 

「アキトは自分が平凡だって、普通の人間だって言うけど。それでも私にとっては王子様なの」

 

 本当に重い。……俺にとっても、アキトにとっても、王子様という言葉に込められた期待(ねがい)が。

 コイツに相応しい……望んでいる人間(おとこ)になれるのか? そうで在れるのか? ユリカ嬢は自分が如何に眩しい人間なのか分かっていない。

 そして、それはあの子も……ルリちゃんもそうだ。妖精のように可憐で美しく、聡明な少女。アキト(じぶん)なんかよりも相応しい男はきっといるだろう。

 

 ――なのに……なんでアキト(おれ)なんかを?

 

「アキトは優しくて一生懸命だから」

 

 過った疑問に答えるようにユリカは言った。

 

「エステバリスに乗って戦ったのも私とナデシコの皆を守る為だった。だから頑張ってくれた。コックになるのも美味しい料理を多くの人に食べて貰いたいから、だから毎日頑張ってる」

 

 ユリカ嬢は俺の手を取った。両手で両方の俺の手を掴んで包み込むように胸の前に持って来る。

 

「だから好き! 一生懸命で、誰かの為に戦えて、皆の為に料理をするアキトがカッコいいから! だから……だから私はもっと好きになったの! 大人になって頑張っている今のアキトを昔以上に!」

「――!?」

 

 今の……アキト(おれ)を……?

 一瞬、その言葉に揺れた。

 だが直ぐに内心で首を振る。それも結局は“アキト”であるという前提があっての事だ。

 ああ、けど、だけど……――頭が痛い。どうしてか痛い。ズキズキと頭の芯から痛む。俺は……。

 

「アキト、貴方はどうなの? 昔とは違う。泣き虫だったあの頃と違う、今の私を見て……」

 

 そうだったと思う。

 コイツは自分の感情に素直な奴だから、良く笑うけど、良く泣きもした。それで俺が泣かした事になって理不尽に怒られる事もあったっけ。

 

「そうだな、立派になったよな……お前」

「……アキト」

「昔と違って凄くなった。艦長をやっているんだから。この前の防衛ラインの時にはキリッとして見事な指揮を執ってさ、正直見違えたよ。あんな俺の後ばっか追っかけて泣き虫だった奴がビシッとカッコ良くやってさ。それでも我が儘言ったり、子供みたいに無邪気なままで変わらないんだから、変な奴だ」

 

 凄くて変な奴。だけどそういう所が良いのだと思う。コイツらしくて。あと凄く美人になった。これは流石に面と向かって言うのは恥ずかしいから黙って置くが。

 ああ、だけど、けど……――ユリカ嬢の想いに答えを出す事は出来ない。

 向けられる視線から目を逸らした。

 

「ユリカ、お前は立派だし変な奴だけど、魅力的だと思う。だけど……」

 

 俺がコイツの好意に応えられないのもそうだが―――…脳裏に蒼い銀の髪を持つ少女が過る。儚げで目を離せないあの子の姿が。

 ああ、そうだ。俺はあの子の事が……――それ以上は胸の内でも言葉には出来ない。しかしそれでも、そうだからこそ、

 

「――……やっぱりそうなんだ」

 

 微かに息を呑んでユリカがポツリと言う。何かハッとしたようで確信が籠った声だ。

 

「アキトはあの子が、……ルリちゃんの事が好きなんだ」

「!? ……ユリ、カ……」

 

 まさに不意を突かれた。その言葉は余りに唐突で鋭さがあった。少なくとも俺にとっては。

 

「ルリちゃんは言ってた。私と同じでアキトの事が好きで、大好きだって。愛しているって」

「!!!」

 

 ルリちゃんが!? 俺を!

 驚く事ではなかったのに、それでもその事実を聞くと驚いてしまう。

 あの子の向ける好意には気付いていたし、知ってもいた。けれど、いざこうして誰かに告げられると言い知れぬ衝撃がある。

 

 ……また、拙いと思った。次に来る言葉は予想できた。さっきと同じものだ。けれど、今度は良い言い訳がある。ルリちゃんには悪いけど、それを口実に答えを避けられる。

 

「……けど、ルリちゃんはまだ11歳の――」

 

 まだ幼い子供だと、恋も愛も憧れと区別が付かない年頃で、自分もそんな対象とならないというような事を言って誤魔化そうとした。しかし、

 

「うん、まだ子供。……だけど違う。あの子はきっと子供じゃない。アキトもそれを分かっているよね」

「!?」

 

 動揺した。

 いやに確信に満ちた声であり、的を射ていた。

 

「アキトはあの子が……ルリちゃんが子供じゃないって分かっているから、だから好きなんだよね」

「ユリカ……お前……何を……」

 

 言葉が続かない、的を射ているという事もあるが……コイツは何を言っているのか? 何を察しているのか? ボソンジャンプの事を知る訳ないからそれに気づく筈がない。だというのに、

 

「……なんでこんな風に思ったのか自分でもどうしてか分からない。ルリちゃんが大人びてるからかも知れないけど……でも、アキトの事が好きっていうルリちゃんを見てそう思ったの」

 

 勘なのか? だとしたら本当に鋭い。そう感じた時のルリちゃんがどんな風だったのか分からないが。

 

「アキトはルリちゃんの事が好き。だからデートした。だってそうじゃないとアキトみたいな真面目な男性(ひと)が女の子とそんな風に出掛けないもの。……私、見たんだよ、噂と一緒に広まっている写真を」

「それは……」

 

 言葉に詰まる。ユリカ嬢への想いを尋ねられた時以上に言えない。こればかりはアキトとしても答えられない。そう、これは間違いなく俺の、俺自身の感情(想い)だから。

 

「……ごめん、問い詰める真似をして。聞いてもアキトが答えられないのも分かっているのに」

 

 ドキリとした。また何か見抜かれたのかと思ったが、今度は違った。

 

「子供じゃないって言っても、ルリちゃんはやっぱり子供だから。そんな子を好きになるなんて変だって、おかしいって躊躇う気持ちは分かっているの。アキトはそう言えないって。だから――」

 

 だから、とユリカ嬢は呟き、

 

「……!?」

 

 油断した。

 本心が見抜かれずルリちゃんが子供という口実(いいわけ)が思わぬところで働き安堵した隙……その一瞬、顔の近くに熱い吐息を感じ――直後に唇が甘い柔らかな感触に覆われた。

 驚き、身体が硬直するのも束の間、直ぐに腕に力を込めてその感触を引き離そうとするが、

 

「「ん…」」

 

 唇から漏れた声が重なる。

 背中に腕を回されてがっしりと肩と腰を掴まれて引き離せない。意外に力が強い。そういえばコイツは元軍属……いや、軍大学を卒業して仕官していたから元軍人か? 展望室の会話で軍の訓練の所為で筋肉が付いて、腕が少し太くなったとか言っていたのを思い出す。軍事教練で格闘技だって学んでいるだろう。今の俺のような並みの男性では押し返せる訳がなかった。

 そうして十数秒ほどか、酸素を欲して息が苦しくなってきて、

 

「「プ、ハァ」」

 

 離れた。

 

「ユリカ、お前……!」

 

 頭に血が上るのを自覚する。口元を手の甲で擦り、俺とユリカの混じり合った唾液を拭う。

 何に対するものなのか判断が付かないまま、覚えた怒りに任せて怒鳴りつけようとし――

 

「――ごめんなさい、こんな事して。でも諦めたくないから。ルリちゃんはまだ子供だから、だから……アキトがあの子に好きだって言えない内に……私は――」

 

 ――……私はアキトを、貴方を振り向かせたい!

 

「――!」

 

 頭に昇った熱が急速に冷めた。

 ただし冷静になった訳ではない。動揺だ。俺の熱が冷めるのとは逆にユリカの熱が籠った視線にたじろいでしまう。その視線にどうすれば……どう対処したらいいか分からない。

 それもまた迂闊だった。

 

「ん……」

 

 動揺し、たじろいだ不意を突かれ、再び唇に甘い感触。ユリカが俺の身体をきつく抱きしめる。

 引き離そうとして……今度は出来なかった。軍人だったコイツに単純な力では敵わないという事が分かったのもあるが、

 

 ――ああ、くそう。そうだ。コイツの真剣な想いを拒絶なんて出来なかった。

 

 ルリちゃん、ゴメン……と後ろめたさを覚えて心の内で謝る。こんな事をあの子に知られたら泣かれるんじゃないかと思った。もし知られたらどうしたら良いのか……?

 甘い感触を感じつつも、そう考えて……また十数秒、ユリカが離れる。

 

「セカンドキス……今度は引き離そうとしなかったね、アキト」

「……、お前の力が強かったからな」

「ふふ……」

 

 ユリカから視線を逸らして言うとクスリと笑われた。拗ねたような口調だったからか、それとも引き離さなかった理由を誤魔化そうとしたのを見透かされたからか。

 ……恐らく後者だろう。ユリカは笑っているのだ。

 

「良かった」

 

 と、嬉しそうに。

 そう、俺はキスした事を嫌がらなかった。ユリカを嫌いになれないように――いや、素直に言って好意はある。なんだかんだ言って幼馴染なのだ。それも美人の女の子の。

 要するには十分脈があって、まだ勝ち目があると思われたという事だ。コイツに。

 それを見抜かれた事に悔しさがあった。それにやっぱり罪悪感も……ルリちゃんの悲しそうな顔が浮かぶ。あの子には笑顔でいて欲しくて、泣かせたくないのに。

 

 しかし同時に、嬉しそうに微笑むユリカの表情を見て、その笑顔が陰るのも見たくないと思ってしまう。

 

「じゃあねアキト、私は諦めないから。だってアキトは私の王子様だもの。きっと私の事を好きにして見せるから!」

 

 そう言うとユリカは、俺に背を向けて部屋から出て行った。

 その間際、頬を赤くしていたのを見た。多分、今更ながらにキスをした事が恥ずかしくなったのだろう。だから逃げるようにしてこの場から去った。やや足早だった事や何時ものように厨房に居座ろうとしなかった事からもそうなのだと思う。

 

「……はぁ」

 

 ため息が零れた。

 憂鬱な思いがあった。

 ルリちゃんを大切にしたいのに、ユリカを拒絶したくないとも感じている最低な自分に。

 俺は、どっちも取る……だなんて、器用な生き方が出来る人間じゃないってのに。

 

 ――それ以前に、ルリちゃんとユリカ……嬢の想いに応える資格すらないのにな。

 

 いや、そもそも――ジクリと脳の奥が痛む、艶やかで長い黒髪を持った小柄な“誰か”の姿が過る――俺がまた恋をする事、人を好きなる事自体……駄目だ止そう、考えるな。

 本当にいい加減、忘れるべきなのに。何時までも引き摺っている。

 きっとアイツはそんな事は望まない。最後のあの言葉だって恨み言ではない筈なんだ。

 

 ――ああ、だけど、冷たい雨の中、濡れたアスファルトの道の上に、アイツから零れて“赤い花”が咲いた記憶が浮かぶ。

 ……アイツが最後に残した言葉も。

 

 忘れられない光景と言葉だった。

 

 無様にもアイツを守れず、アイツが一番嫌っていた言葉(こと)を言わせてしまった俺がまた誰かを――……俺にそんな資格は無いように思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 やっぱりそうだったんだ、というショックはあった。

 けど、だからと言って諦めたくはなかった。

 例え彼が自分以外の誰かを好きであっても、簡単に諦められるものではないのだ。

 

(だってそれでも好きなんだもの)

 

 好きという感情、恋もしくは愛という感情は理屈ではない。それに、

 

「大丈夫、きっとアキトは私の事も好き」

 

 そう思えた。

 二度目のキスで見えた彼の感情。自分への好意は確かにあった。ただ――

 

(でも、あの子に……ルリちゃんには負けてる。アキトは私よりもあの子の方が好き)

 

 それも確かに覚えた。あのキスの最中にもそれを感じた。……正直に悔しい。

 

「だけど、負けない。ルリちゃんよりも私の方がアキトの事が好きなんだから……!」

 

 グッと拳を握って声に出す。

 それも確かな事だ。少なくとも彼女……ミスマル・ユリカにとっては。

 自分の方がずっと彼の事を知っていて、長く想っていたのだ。だから自分の想いの方が大きくて強い。

 アキトとルリはまだ出会ったばかりで……――

 

「――……その筈だよね」

 

 ふとそれに気づいた。

 抜群の記憶力を誇るユリカの頭の中には、このナデシコのクルーの全員の経歴・履歴がインプットされている。

 急遽採用されたアキトのものは流石に抜け落ちていたが、父との会話の事もあり、この数日で記憶したし、オペレーターの少女……ルリの事は、ナデシコに乗ると決めてから確りと記憶していた。

 

「アキトはずっと火星に居て、ルリちゃんは地球にあるネルガル傘下の研究所……」

 

 だから接点はない筈。けど……それだと何かが変だった。おかしく、違和感がある。

 何の接点もない子供に自分の想い人が惹かれるとは思えなかったし、研究所育ちなどと健全とは言い難い環境にあった子供が“外”に出たばかりで、あんなにも人に好意を寄せて恋をするとは思えなかった。

 しかし、事実として二人は……。

 なら、そうなるだけの理由がある筈だ。そう、何か、

 

(二人だけの秘密が……だから、なの?)

 

 “片思い”に過ぎない自分と違って、互いに好き合って……“両想い”なのは。

 

(……それを知らないと駄目、だよね)

 

 そうでないとあの子に……ルリに勝つ事は出来ないとユリカは考える。

 

「……秘密、か」

 

 秘密――その言葉に想い人ことアキトと絡んで今のユリカに思い当たるのは、前回彼と二人っきりで話した件だ。

 彼は誰にも言うなと言い、調べるのも駄目だとも言って、それに自分は頷いたが……。

 

「……距離は大分離れたけど、地球との連絡は取れる。ナデシコの重力波通信もある」

 

 加えて艦長としての権限もある。

 オペレーターのあの子や通信士のメグミ・レイナードを介さずに独自に秘匿回線を使用する事は可能だ。

 更にオモイカネ……メインコンピューターを迂回してサブの物を使えば……。

 

「……ゴメンね」

 

 アキト……と心の中で謝る。約束を破る事を。

 きっと怒られるだろう。だけど一時の不興を買う事になっても、それでも……。

 

「……諦めないし、負けたくないから」

 

 だからゴメンと、此処にいない彼にユリカは謝った。

 

 

 




 ルリちゃんの自慢げな行動や宣戦布告は、ユリカさんに塩を送る結果になったという話。
 アキト(偽)の心を揺さぶり、今の彼のファーストキス及びセカンドキスもゲットしました。

 にしても、恋愛話が続いてしまいます。
 前々回からの事からユリカさんがそれを知ると、やっぱり早々行動してしまいますから。
 そういう意味ではデート回は早すぎたのかも知れません。じっくりと進めたいと思っていた部分をバタフライ的に書く事になってしまってます(汗)

 それと恋やら愛やらの部分を描くと、どうしてもアキト(偽)の過去の部分に触れざるを得ない感じで…やはりジレンマが大きいです。
 ただ、今回の彼の心情描写でおや?と思われる部分が出てますが……これもちょっと予想していた以上に早まっている感じです。

 今回は話が進みませんでしたが、とりあえず恋愛事情を挟みつつも次回からは、ルリちゃん航海日誌(およびアキトの航海日誌)的な話になります…多分。

 ちなみに、ルリちゃんがアパートでアキトとユリカさんと暮らしていた頃から嫉妬を覚えていたというのは、空白の三年間の一部を書いた小説版から取ってます。
 ユリカさんの事は好きだけど複雑な感情があったようです。まだ淡い恋心故に自覚がないままに。



 リドリー様、誤字報告等ありがとうございます。
 あと、第一話で優人部隊を有人部隊と指摘されている方がいますが、優人部隊であってます。ナデシコという作品では優人部隊という精鋭が木星にいますので。


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第十七話―――前途Ⅰ

「……はぁ」

 

 溜息が零れる。

 少しウンザリした感があった。

 仕事中にも拘らずサユリさんを始めとしたホウメイガールズの皆にユリカ嬢とどんな話をしたのか何度も尋ねられ、食堂を訪れるクルーにはルリちゃんとの事をからかってくる奴が沢山いた。

 特に整備班に多く、チーフのウリバタケさんもその一人だった。

 

『オペレーターの子とデートしたって? お前さんがまさかそんな趣味だったとはなぁ』

 

 少しニヤニヤした表情でそんな事を言われた。

 ただウリバタケさんはナデシコクルーだけど、一応分別のある大人でもあるから悪意はないし、妹を相手にする感覚だろうと考えてくれているようなので友人感覚的なスキンシップだったり、話のタネとしてそう言ってくれるだけなのだが……中にはそう受け取らない人間や、そう考えながらも敢えて邪気を込めて来る人間もいる。それが結構厄介だった。

 しかし、そんな連中の……特に酷い言いようをする奴らは、ホウメイさんやからかって来ていた筈のウリバタケさんが睨みを利かせてくれたのでとても助かった。

 それに頭を下げる俺にホウメイさんは、

 

『アンタが頭を下げる必要はないよ。……まあ、気にせず堂々としていればいいさ。連中も直ぐに飽きるだろうしね』

 

 と、苦笑して仕方なさげに肩を竦めるだけで。ウリバタケさんは、

 

『悪いなウチの連中が迷惑を掛けて。お前さんは此処で可愛い女子に囲まれて仕事して、美人の艦長に好かれていて、パイロットの娘達にも気に入られているからな。察してやってくれ、男連中ばかりの仕事場にいるアイツらの気持ちもな。……まあ、俺もやっかむ一人だからこんな庇うような事を言うのかも知れねえが……』

 

 と、複雑そうに言った。

 酷い言いようをしたのもやっぱり整備班が中心だった所為か、メカニックチーフ……上司としては行き過ぎた奴らはきつくとっちめたいが、男としては気持ちが分かるという事なんだろう。

 ……しかし、やっかむと言う台詞は、美人の奥さんを捕まえられて十分勝ち組なウリバタケさんが言うのは少し違和感があるような? 奥さん本人……確かイオリさんだったか? その人を直接見ていないからハッキリそうとは言えないけど。

 

 他にも恋愛話が好きな女性クルーからも興味を持たれて色々と尋ねられた。メグミさんがルリちゃんとのデートの事を聞きたがっていたし。

 

 あと噂を知ったガイの奴もなんか面白く無さげに突っ掛かって来た。……ガイはルリちゃんと少し仲が悪いからなぁ。

 サツキミドリ滞在中の間にハルカさんとリョーコ嬢達パイロットと一緒に食事を取る事が多いんだけど、その度にガイとルリちゃんは何か揉めている。

 

 そのリョーコ嬢達、パイロット三人娘達はデートの事をこれといって気にした様子はなかった。俺とルリちゃんの仲が良いことを知っている為、それほど違和感がないらしい。兄妹みたいに思っているようだ。

 ……リョーコ嬢が普通に接してくれたのは、原作の事もあったので正直少しホッとした。

 

 ただ――

 

「はぁ……」

 

 また溜息を吐く。

 時刻は9時過ぎ、ナデシコ食堂は厨房の火を落として暖簾を片付けている。そして俺は仕事を終えて今、此処を……女性クルー達の部屋が集まっている区画を歩いている。

 

「……」

 

 その部屋の前に立った。

 今日、ルリちゃんは姿を見せなかった。その事に酷く不安がある。

 気付かれたのかも知れないと。脳裏にユリカ嬢とのやり取りを――二度もキスされた事が過る。

 見られた。覗いていたとは考えたくはないが、オモイカネが報告したという事もあり得る。

 オモイカネは基本的にルリちゃんの味方だろうし、この前の案内のように気を回してあの場面をあの子に知らせてもおかしくはない。

 

「………………」

 

 インターホンを押すのを躊躇う。

 あの子の反応が怖い。悲しむのか? 怒るのか? ……怒るのならまだ良いが、悲しんでもし泣かれでもしたら辛い。

 今一つ覚悟が決まらず……しかし何時までも突っ立っている訳にもいかない。こんな時間にこの区画に、しかもルリちゃんの部屋の前に居るのを誰かに見られでもしたら厄介だ。

 なので覚悟を決めてインターホンを鳴らそうとした――が、

 

『ドア、開いていますよ』

 

 目の前にウィンドウが開いてルリちゃんが映った。

 

『どうぞ、アキトさん』

 

 ルリちゃんは何時ものように抑揚の乏しい口調でそう言って、同時に部屋のドアが軽く空気が抜けるような音を立てて開いた。

 

「……お邪魔します」

 

 何となく丁寧な言いようをしてルリちゃんの部屋に入った。

 

「こんばんは、ルリちゃん」

「はい、こんばんは」

 

 俺の挨拶にルリちゃんが答える。気付かれないように一瞥してサッとその表情を慎重に窺う。涙の跡はないし、目は充血していない。目元にも腫れはない。

 安堵する。

 泣いてはいないらしい。……けど、少し表情が陰っているように思えるのは気の所為だろうか? キスしてしまった事……それに後ろめたさを覚えてる為にそう思うのか?

 

「……部屋、荷物しっかりと届いたんだね」

 

 誤魔化す気は無かった積もりだったが、やはり誤魔化す為だったのだろう。ルリちゃんの部屋を見渡して俺はそう言った。

 

「はい、昨日の出航前にきちんと届けて貰えました」

 

 ルリちゃんも自分の部屋を見渡して言う。

 此処は以前見た殺風景な寂しげな部屋ではなくなっていた。

 ベッドとデスクだけだった室内は、落ち着いた茶色のカーペットが敷かれていて、インテリアとして飾り気のある家具がある。

 部屋の中央にガラス製のダイニングテーブルと2人掛け用の小さなソファーが置かれ、ラックの類もベッドとデスクの脇にあり、他にも部屋に彩りを持たせる為にフェイクグリーンやフラワーもラックの上や壁に飾られている。ルリちゃんのイメージに合わせてこれも落ち着いた感じの物を選んだ。

 

「一人でこれをやったの?」

 

 家具の設置と飾り付けの事だ。そんな事は無いだろうなと思いつつも尋ねる。

 

「いえ、昨日、勤務が終わった後にミナトさんと……それと“偶々”通り掛かったゴートさんが手伝ってくれました」

 

 昨日は一日中警戒配置だったので勤務が終わった後となるとほぼ就寝時間前だ。ハルカさんはともかく……ゴートさんが、ね。……そんな時間帯に女性クルーの区画に“偶々”にか。

 ルリちゃんも随分ワザとらしく言う。やっぱりきつい所があるな、ルリちゃんは。

 にしても、もうこの頃から付き合い始めているのか。それともその直前って事なのだろうか? あの二人は破局したとはいえ、そういう関係だったみたいだし(劇場版後に復縁した?)、馴れ初めが少し気になる所だ。その辺の事はほぼ全く語られていないし。

 

「……まあ、しかし助かりました。ゴートさんはやっぱり力がありますから。ミナトさんもセンスが良いですし、お蔭でレイアウトと飾り付けに悩まずに済みました。正直、私はそういうのに疎いですから」

 

 ルリちゃんは少し恥ずかしげに言う。力がないのは仕方ないとしてもインテリアの配置に悩ましくあった事を女性としてどうなのか? という思いがあるみたいだ。

 

「でもルリちゃん、結構一人暮らし長いんだろ?」

 

 未来での事だ。軍の宿舎で暮らしていて劇場版の設定集では、部屋にそれなりに飾り付けがあった筈だ。

 

「そうですけど……宿舎の家具類は殆どが固定でしたし、カーペットやフェイクグリーンなんかもミナトさんが贈ってくれた物で。飾り付けも適当に部屋の隅やラックに置いていましたから……」

 

 あとサブロウタさんが部屋を訪れると、時折それら飾り付けの配置を弄ってましたね、とも言う。

 

「……」

 

 ……ちょっと思う所はあるが、サブロウタは面倒見が良い人らしいからな。俺のようにプライベートに無頓着な所があるルリちゃんを放って置けなかったんだろう。ノベルテ+の話から察するに彼はアキトやユリカ嬢やハルカさんとはまた違った形でルリちゃんの保護者役を自認・自負していたように思える。

 ルリちゃんもそれを察していたのか、ハルカさんと彼の気遣いに比べて自身の無頓着さに若干落ち込んだ様子だ。

 

「えっと……ルリちゃん。これから頑張ればいいと思うよ。ハルカさんから教えて貰ったりして」

「……はい」

 

 俺としても女性の感覚は分からないので上手いフォローは出来なかったが、ルリちゃんは静かに頷いた。

 

「それよりも座って下さい。部屋で立ち話というのもおかしいですから」

「……そうだね」

 

 気を取り直したルリちゃんに促され、頷いて部屋の中央のテーブルの右―――入り口から見て右側にあるソファーの方へ足を運ぶ。

 

 ――と。

 

 足を一歩、二歩と前に出した直後、ポフッと背中に柔らかな感触が当たる。同時に腹の方に細い腕が絡みついた。

 

「ルリちゃん……?」

「……」

 

 ギュッと小さな身体が俺を後ろから抱きしめている。

 突然の行動に一瞬戸惑ったが――ああ、と納得する。やっぱりかと……。

 

「……ゴメンな」

 

 それを察して、当たる背中の感触と腹に回された腕から伝わる気配(モノ)に謝った。

 

「……良いんです。アキトさんが艦長を嫌いになれない。拒絶できないという事は分かっていましたから」

 

 ユリカ嬢とのやり取りの事だ。やっぱりこの子はそれを知ったらしい。その声色は伝わるモノ……ルリちゃんが纏う気配と同じでやや悲し気だった。

 

「それでもアキトさんが私を想っていてくれている事も知れましたから」

 

 悲しさの中に相反する嬉し気な気配が混じる。

 

「だから良いんです。……そして待ってます。何時かアキトさんから言ってくれるのを。だからアキトさんも――」

 

 一度言葉が切れる。一呼吸おいて、

 

「――アキトさんも待っていて下さい。私が成長して貴方の隣に立つのに相応しく成れるまで」

 

 回された腕に力が籠り、ギュッと少し締め付けられる。

 そうやって触れて抱きしめて、言葉だけでなく触覚を通じて俺に想いを確りと伝えるように。

 事実、服越しだというのに体温と共にルリちゃんの心臓の鼓動が少し感じられる。それだけ強く胸を鳴らしているという事だ。俺を想って。

 

「その時まで我慢します。艦長のように無理やりなんて私は嫌ですし、もっと確りとした形でしたいです。やっぱり私も女の子ですからね、ロマンチックにいきたいです。アキトさんとの初めてにして、私にとっての――」

 

 ――ファーストキスは。

 

「……!」

 

 瞬間、かなりドキッとした。悲し気、嬉し気な物からさらに一転してとても甘く妖艶な気配と声だったから。

 ルリちゃんが背後にいて直接顔を見ていなくて良かったと思う。いったいどんな表情をしていたのか? もしその声色に伴った表情であったらその場で一気に流されていたかも知れない。

 そう思わせるほどだった。

 

「勿論、艦長にアキトさんのファーストキスもセカンドキスも取られたのは悔しいです。……とても。――だからこそせめて“私達にとっての初めて”は大事にしたいです」

「……ルリちゃん」

 

 何と言えばいいのか。

 ルリちゃんの想いが背中と腕越しに伝わって来て――嬉くもあり、そして辛い。

 

「だから良いんです。今は……」

 

 だけど、それでもユリカ嬢と同じく……いや、ユリカ嬢以上に拒絶は出来ない。“俺”にとっては。だから、

 

「うん、待っていて欲しい。いつか必ず伝えるから」

 

 そう告げた。どんな形にしろ来るべき時が来たら俺の想いを伝えなくてはならないのだろうと予感して。

 

 ただ、

 

「はい、待っています」

 

 ルリちゃんは嬉しそうに言うが、俺には恐怖と不安しかなく。また“赤い花”の記憶と共にジクリと脳に感じる痛みがあった。

 

 

 

 ルリちゃんが背中から離れて、

 

「お茶、淹れますね」

 

 そう言ってデスクの脇の、電気ポットが置いてあるラックの方へトトッとやや足早にステップを踏むように歩く。とりあえずユリカ嬢との事は今のやり取りで満足・納得という事なのだろう。

 俺も足を進め、お茶の準備に取り掛かるルリちゃんを見ながらソファーへ座る。

 

「~♪」

 

 部屋に入った時に見た表情の陰りはすっかり消えて、ルリちゃんは嬉しそうに鼻歌を口ずさみながらティーポットにお湯を注ぐ。仄かに甘い紅茶の香りが漂う。

 ルリちゃんは紅茶党なんだろうか? とそんなことを思いながら、聞いた覚えのあるメロディーにちょっと驚いてしまう。

 ……色彩だ。ルリちゃんってやっぱりそうなのかとベッドの上にある某ノベル作品のキャラクターぬいぐるみを見ながら思う。サツキミドリのゲームセンターで見掛け、ルリちゃんが欲しがった物。

 …………けど、それについては深く考えないようにしよう。あの作品の事を迂闊に口に出しては、大事な話があるのにその事で盛り上がってしまいそうだから。

 しかしその一方で気になるのも確かなのだが。

 

「アキトさん、どうぞ。――あ、すみません。紅茶でよかったですか?」

「うん、大丈夫」

「すみません……つい。アキトさんは何時も緑茶かコーヒーだったのに」

「いや、ほんとに大丈夫だから。紅茶も好きだよ俺」

 

 内心そうだったのか……と思いながら、それをおくびにも出さずに言う。

 しかしこの子の言葉を受けて記憶を掘り返してみるが、“アキト”の嗜好としてはこれといって拘りはなかった。出されるものは何でも飲むといった感じで、主に緑茶かコーヒーを飲んでいたのはそっちの方が身近だったからのようだ。……そこは俺と変わらないな。

 ……いや、幼い頃は紅茶党だった気がする。

 火星のミスマル宅を訪問する度に出され、飲んでいたのは紅茶ばかりだったからだ。おじさんは緑茶派だったようだが、ユリカの奴はケーキとか、クッキーとかの洋菓子が好きだったから紅茶をよく飲むようになったっぽい。多分、娘の前では……なんだと思うけど、俺も影響を受けていた。

 だからという訳ではないが、大丈夫だとルリちゃんにもう一度答えた。

 

「そうですか、ホッとしました。その紅茶は一昨日訪れたインテリアショップからのサービスの贈り物でして。サツキミドリの農園エリア、そこの無重力栽培で作られた茶葉だとか。宅配からそう伝言が来てました」

「へぇー、無重力栽培か」

 

 宇宙コロニーならではの物という事か。

 まあ、宇宙に出るのが当たり前の時代だし、珍しい物ではないのかも知れないが……と、そうでもないのか? コロニー群の多くが木連によって壊滅ないし占拠された昨今では貴重品とも考えられるか。

 そんな貴重品かも知れない物だけど――

 

「――サービスなのは結構色々と買ったからかな?」

「いえ、私がナデシコのオペレーターでアキトさんがパイロットだと知ったからだそうで、助けてくれたお礼だとの事です」

「あ、だからこの紅茶を出したんだ」

「はい」

 

 コロニーを助けられた事の証明の一つであり、デートの思い出の品物という事になるからか、ルリちゃんは嬉しそうに微笑む。

 ……やっぱり笑顔が良いなと思う。ユリカ嬢とはまた違う魅力を感じる柔らかな月光のような笑み。

 こうして笑顔を見る度に感じる。俺はこの子の事が本当に――……なのだと。

 

 また脳裏に“赤い花”がチラつくが――そう思った。

 

 

 

 金色の縁を持ち、花の絵柄が描かれて、置いておくだけで部屋の飾りにもなるティーカップに入った紅茶を飲む。

 お茶の味は正直余り良く分からないが美味しいと思う。……コックを目指す以上はそれも勉強すべきだなと頭の隅で考えながら、ルリちゃんと話そうとし、

 

「……」

 

 少し戸惑ってしまう。

 部屋に置かれた二人掛けのソファーだが、それだけに並んで座ると距離が近い。軍で言えば士官用とも言えるブリッジクルー専用の個室ではあるが、艦内の限られたスペースを使う為、決して広いとは言い難い。

 サツキミドリでの買い物の時にそう話したルリちゃんの意見を考え、二人掛けの物の中でもこじんまりとしたソファーを選んだが……少し失敗だった。

 距離が……ルリちゃんの身体が近い。体温も、石鹸とシャンプーなんかの匂いも。

 デートの時にも時折感じていたが、こうして部屋で二人っきりでそれを近くに、それも触れ合いそうな距離で感じると――うん、色々と拙い。ヤバい気がする。

 だというのに、

 

「どうしましたアキトさん?」

 

 俺の戸惑いを感じて首を傾げながら、なお距離を詰めて……というか俺の身体に凭れ掛かって俺の顔を窺うルリちゃん。

 

「い、いや……」

 

 首を振る。何でもないと言うように何気なくも……だが必死に。ピタッとくっ付いたルリちゃんの身体の事を。より感じるようになった体温と、鼻に感じる良い匂いを意識しないように。

 くっ……艦内が基本的に16~18度くらいの快適な温度に設定されている事が恨めしくなった。

 もう少し温度が高ければ、暑さを覚えてルリちゃんも変に身体を寄せて来る事もなかったのに。

 顔は赤くなっていないだろうな? 身体は熱いが頬にその感覚がないから大丈夫だと思うが。

 

「……それよりサツキミドリを無事出航できて、火星に向かう事になったけど、敵は襲撃してくるのかな? 昨日はそんな事を言っていたよね」

「はい、サツキミドリの襲撃に失敗してナデシコとエステバリスのデータを得られませんでしたから、威力偵察に一度は仕掛けてくると思います」

 

 動揺を悟られないように話題を振り、ルリちゃんはそれに答えるも凭れ掛かったままだ。というか凄くリラックスしている気が……子猫が膝の上に座っている姿を連想する。

 もしかして無意識にやっていて、凭れ掛かっている事に気付いていないのだろうか?

 

「でも、追い返す真似はしないとも言っていたね」

 

 感じる体温と良い匂いを考えないように話を続ける。リラックスを……安心しきった様子なのにそれを指摘するのも、身体を離すのも悪いと思ったのもあるが、意識しているのを悟られるのも何となく抵抗があった。

 

「……恐らくそうだと思います」

 

 ルリちゃんは首肯するも悩まし気に眉を顰める。

 

「ルリちゃん?」

 

 その難しげな表情がそれ以上は話したくないようにも見えて疑問を覚えた。

 そんな俺の声をどう思ったのか、ルリちゃんは自分を納得させるように先程の首肯に続いてもう一度頷いてから答える。

 

「そうですね、余り不安や先入観を与えるのもどうかと思いましたが、一応話しておくべきですね」

 

 ルリちゃんが俺の顔を見上げる。凭れ掛かったまま上目遣いになり、それが何処か甘えているように見え……桜色の唇に目が留まって、ユリカとの事もあって“ソレ”をねだられているようにも――って、駄目だ。今はそんな事を考えている場合じゃない。

 

「アキトさん、サルタヒコの件を覚えて……あ、いえ、知っていますか?」

「……っ」

 

 思わぬ言葉が出てきて息を呑んだ。不埒な考えも一瞬で吹き飛んだ。

 サルタヒコ――原作中盤以降にナデシコの強化の為に装着された追加装備『Yユニット』に搭載されたコンピュータの愛称だ。

 そしてその件という事は原作21話の記憶麻雀の事だろう。サルタヒコとコミュニケを介して体内のナノマシン……補助脳がネットワークを一時的に形成してIFSを持つ人間の他、ユリカ嬢とイネスさん達の精神……或いは人格データと言うべきか? それが繋がり、仮想空間内で何故か雀牌を交換する事でお互いの記憶をやり取りした。

 

 ――偽物の俺の事がバレるとしたら恐らくその時だ。だからその件に関しては警戒感があり、強い恐怖がある。ただ記憶が繋がったと言っても全部が全部丸裸になる訳ではないようだが……事実、アカツキの記憶を垣間見てもアキトは両親の真相をその時に知る事は無かった。

 しかし、実際どうなる事か……。

 

「うん、知ってる」

 

 抱いた恐怖を息と共に飲み込んで、取り敢えずルリちゃんに頷く。

 

「なら、話し易いですね。アキトさんはあの件の事をどう思っていますか?」

「……どうって?」

 

 ルリちゃんの言いたい事が分からない。“俺”の事ではないのは間違いないと思うが――考えて気付く。

 

 そうか。記憶麻雀の事じゃないのか。

 

 だとすると、ハッキングが仕掛けられた事そのものの事かな? 何時の間にかナデシコに潜入していたヤドカリという情報端末の操作に特化した虫型機械(ドローン)によってサルタヒコが侵入を受けた事。

 あれについては、相転移砲の初出の回というのもあって、その発射及びそれを使った連合軍の作戦の妨害が目的だと考えていた時があった――が、それだと少し疑問があった。

 当時ネルガルの最新兵器であった相転移砲の事は、当然ながら木連は知る筈がなく、それを使った連合軍の作戦内容も同様だった。

 また、もし知っていたのだとしても対応が半端過ぎだ。俺ならハッキングを仕掛けた上で戦闘も仕掛けている。相転移砲を受けて空間ごと破壊された木連の艦隊にしても警戒が無さすぎる。

 だからあのハッキングは相転移砲の発射や作戦の阻止ではなく、別の狙いがあった筈なのだ。そしてその狙いが何だったのかも……まあ、原作の設定や展開から考えて見当は付いていた。

 

「そうだね、ナデシコに何でハッキングをしてきたのか少し不自然には思ってる。最初は記録を見た時は、相転移砲の発射の妨害が狙いだと思っていたけど」

「ええ、それだと対応がお粗末です。私ならハッキングを行うと同時にナデシコを包囲します。単艦での隠密行動を執っていたとはいえ、ヤドカリが潜入していたのであればナデシコの位置は把握していたでしょうから。その進路を妨害する事も出来ますし、相転移砲の存在を知り、脅威を理解していたらもっと警戒して積極策を打っていた筈です。……アキトさんの言う通り不自然です」

 

 ……やっぱりルリちゃんも同様の考えらしい。

 

「それに相転移砲を知らないのであれば、敢えてあの頃にナデシコを狙うと言うのもおかしいですから」

 

 その言いように「ん……?」と首を傾げたが、ルリちゃんは紅茶を口に含んで一息入れると続きを話す。

 

「確かにナデシコは連合軍最強の船でしたが、それでもあの頃になれば連合軍には対木星兵器用装備……ディストーションフィールドを持った『グラジオス級』や『ハルジュオン級』に続いて、更に艦隊や分艦隊の旗艦、戦隊の指令艦にネルガルが建造した『ゆうがお級』が就航・配備されていました。相転移エンジンと中型グラビティブラストを二門持った最新鋭の戦艦が」

 

 グラジオスとハルジュオンはナデシコが火星で消えた後に建造された船だ。ネルガルの技術と協力を得て。

 そしてゆうがおに関しては、設定資料などに最新装備を持った旗艦クラスの戦艦という説明以外、具体的な物はなかったが――ネルガルと協力関係を築き、最新装備となるとやっぱりそうなるのか。

 劇場版に出た新リアトリス級の前身……いや、新リアトリス級がゆうがお級のコストダウン版なのかも知れない。

 

「……つまりナデシコは、相転移エンジンの搭載数と相転移砲以外は連合軍でも普通の戦艦になりつつあったって事だね」

 

 と言っても、エンジンやフィールドとグラビティブラストなどの出力は、Yユニット無しのナデシコにも劣っているんだろうが。

 関係改善を図った後にも拘らず、ネルガルはまだ軍を出し抜こうとしていたようだから、軍に対する優位性は確保していた筈だ。

 あと、エンジンと兵装周りの機材とシステム面を抑えていて、ネルガルの技術(じぶんたち)無しでは運用し辛くしている……なんて事もしていたかも知れない。

 ……しかし、そんな事情があろうと、連合軍がナデシコ級とタメを張れる戦力を持てた事には違いない。

 

「はい、事実あの作戦以前からナデシコは後方任務に回されるようになっていましたから。……まあ、これは防衛ライン突破の件と白鳥さん達と接触した件で上層部に疎まれていたのもありますが――とにかく、連合軍の戦力の充実に伴ってナデシコは木連側でも脅威度が下がっていた……という言い方は正しくないですが、ナデシコだけを注視する訳には行かなくなっていました」

 

 ふむ……と俺は同意するように頷く。

 エステバリスの配備が進み、連合軍の艦船にもディストーションフィールドが搭載され、更に相転移エンジンとグラビティブラストを持った艦艇もナデシコ以外に出てきたが故に相対的にナデシコの価値と重要度は低くなったと――敵味方の双方から共に。

 

「だけど、ナデシコは狙われた。相転移砲の事も作戦の事も知らないのに。それもハッキングという方法で」

「……一応、撃沈するという意味では木連側には意味はあったようですが。“連合最強の船”を沈めたいというプロパガンダの具材として」

「ああ、味方の戦意高揚や士気向上にはなるって事だね」

 

 木連側を散々翻弄した強敵を打ち破ったと喧伝でき、更にそれを成し遂げた英雄も得られるという事だ。しかしそこまで拘り、重要視するほどの事でもない。それに、

 

「それだと、ドローン一機を送り込んでのハッキングなんて絡め手は何か違うよね」

「はい」

 

 そうなると狙いはただ一つだ。ハッキングという手段で得るものと言えば……。

 

「情報……か。やっぱりそうなのか」

 

 また紅茶をゴクリと飲み。空になったカップの底を見詰めながら考え込むようにして呟いた。

 花柄はあれど、白いカップの色とその形状から原作……TV版の最後の方で見た“ソレ”を思い出す。

 ナデシコの……いや、ネルガル所属の船にあるコンピューターから得る情報。思い当たるものは“ソレ”だけだ。

 

「多分……です。ネルガルは四半世紀近くを火星に投資を行い、連合政府に代わって実質その開拓と開発を主導していた地球有数の巨大複合企業体(コングロマリット)です。そして相転移エンジンに関連する技術を地球で唯一有する事になった」

 

 ルリちゃんのその言葉は俺の推測に同意するものだった。具体的な事は言わなかったが、意味深な俺の呟きから考えを察したらしい。

 彼女の同意に俺は頷き返す。

 

「……そうだね。木星でそれを――古代文明の遺産を見つけた木連がその事実に目を向けない訳がない」

「はい、そしてナデシコはスキャパレリ・プロジェクトで火星に向かった船。追加されたYユニットは元は第二次スキャパレリ・プロジェクトを目的に建造されていたナデシコ級4番艦シャクヤクの装備でした。……シャクヤクの詳しい事情までは木連は知らなかったでしょうが」

「でも、偶然にも……いや、ナデシコを標的にしていたから半分以上は狙っての物か。そのシャクヤクに装着予定だったYユニットのコンピューター……サルタヒコをハッキングした事で“ソレ”に関する情報を見つけられた」

「そうだと思います。未来で見た記録……当時の木連側の記録では、あの件からしばらくして、木連は見込みがないと停滞させていた火星の遺跡探索事業を再開させていましたから。それも極冠の“あの場所”に的を絞って」

 

 ルリちゃんの言葉に原作での草壁春樹と白鳥九十九の会話を思い出す。

 和平を進言する九十九に草壁は「いかな古代の相転移炉工場でも終わりは来る。期待した火星の発掘もままならぬ」と、火星の遺跡探索が思うように行っていない事を嘆いていた。それもあって和平も止む無しと考えていたのも。――ハッキングが行われた同じ第21話の作中にて。

 

「……なるほど、だからナデシコを追い返す真似も、落とそうとする積もりもないという事か」

「ええ、恐らくサセボのネルガル重工のドックで相転移エンジンの反応を確認し、それを搭載したこのナデシコを見て木連はそう考えたのだと思います。ネルガルが古代文明の技術を有している事から、彼等木連が“都市”と呼んでいる極冠遺跡の所在を知っているのではないかと。しかしそれに気づいた時には既に遅く、火星のネルガルの研究所や施設はもぬけの殻。データも抹消され、遺跡の発掘現場も偽装・隠蔽された後だった」

 

 だから原作21話でナデシコにハッキングが仕掛けられ、そして原作5話に当たる火星へ向かっている今この時点では……――

 

「――誘われているんだな、火星まで。確実にナデシコを押さえて情報を得る為に」

 

 俺の言葉にルリちゃんは無言で頷く。

 サツキミドリで得たデータを検証する為に火星までの航路は散発的な攻撃に済ませ。ノコノコと火星まで来た所で……いや、誘い込んだ所で包囲して逃げられないようにした。

 

「そうなるとユートピアコロニー跡地で包囲されて、一度逃げられたのは……」

「逃がされたという事ですね。エンジン部にダメージを与えたのを見てとり、火星重力圏からの離脱も難しくなったと判断したのでしょう。……上手くいけば遺跡まで案内してくれるとも考えたのかも知れません」

 

 ……意外に狡猾だと思った。木連のイメージは優人部隊が主だ。清廉潔白・勇猛果敢で実直というものだった。ゲキガンガーが聖典というのもある。

 しかしやはりそれだけではないのだろう。

 草壁は己が理想(せいぎ)の為なら手段を択ばないし、それと対をなす穏健派にしても熱血クーデターを主導し、和平を導いた秋山源八郎を陰謀をもって地球へ“島流し”にしている。同様に国民に人気の高い優人部隊そのものを厄介に思って解体させた。

 源八郎を中心にした派閥が出来上がるのを警戒したのは明らかだ。

 

「……」

 

 そこまで考えて舌打ちしたくなった。そういった部分を付け込まれて草壁の暗躍を許したように思えたからだ。

 木連がもう少し纏まってさえいれば、姿を暗ました草壁を逃さずに済み。彼を匿ったと思える旧タカ派を抑えられたのではないか? ……とそう考えてしまう。

 

 そうであれば、アキトもユリカ嬢も不幸にはならなかった。ルリちゃんも軍に入る必要はなかった筈だ。

 

「……いや」

 

 首を振った。考えても仕方ない事だと、そうさせない為に頑張るのだと。意味のない事で憤ってもどうしようもない。

 

「アキトさん?」

「あ、いや……ちょっとね、敵は意外に狡猾だなと思ってさ」

 

 憤りを見せた事でルリちゃんは訝し気に俺の顔を見上げ、俺は誤魔化す。憤った事ではなく、敵の狙いに感じた事を言う事で。

 

「……そうですね、あくまで推測ですけど。正直余り確証はありません」

「でも、ルリちゃんが未来で見た記録では裏付けるものがあったんだろ? さっき言っていた遺跡探索事業再開の件とか」

「ええ、一応は。……サツキミドリが襲撃されたのも、ナデシコとエステバリスのデータだけでなく、それを調べようとした可能性もありますし」

「あ! あの時ルリちゃんが気付いた事ってそれか」

「はい、アキトさんと話をしていて木星側の視点で考えた時にふいにそう思って。火星開発を主導していた企業のドックから相転移エンジンを搭載した船が出てきたら木連がどう捉えるのか……と」

 

 木連はさぞかし驚いただろう。

 自分達が木星で手に入れていた物を地球側も持っていたんだから。同時に火星に古代文明の遺産があるとも確信した。

 そしてだからこそナデシコが狙われた。ネルガル所有のコロニーも。

 

「まあ、サツキミドリには無かったみたいだけど」

「そうですね、もしデータがあったらナデシコは火星行きの途中で大艦隊に包囲されて落とされていたでしょうから」

 

 怖い指摘だ。

 だが、そう的外れな意見ではない。火星まで誘い込む必要がないのだから、敵にしてみればナデシコはただの邪魔ものでしかなく。容赦する必要はない。航路の途中で布陣を敷いて袋叩きにするだけだ。

 

「……」

「一応、今回はそれも警戒すべきですね」

 

 想像してむう……と眉を寄せていると、ルリちゃんが言った。

 

「今回も前回と同じとはやっぱり限りませんから、情報が漏れた可能性も視野に入れようと思います。…大丈夫だとは思いますけど、念の為に」

 

 俺は頷く。原作とは違い、またルリちゃんが居た世界とは異なる並行世界なのだ。まったくないとは言い切れない。万が一に備える事に損はない。

 

「……すみません、不安にさせてしまいましたよね」

 

 唐突にルリちゃんが謝った。くっ付けていた身体を離して頭を下げる。

 

「……いや」

 

 俺はかぶりを振る。

 同時に、だからルリちゃんは話したくない様子だったのかと思い至る。

 ナデシコが誘い込まれている事に加え、そうでない可能性もまたあって袋叩きにされるかも知れないと言われれば――……まあ、確かに不安だ。そう感じている。

 だけど、

 

「良いよ、それはルリちゃんだって同じだろ。ならこうして知っていた方が良い。一緒に頑張るって決めたんだしさ」

 

 うん、この子だけに不安を抱えさせたくはない。

 

「それにサツキミドリの時に言っていただろルリちゃん。一人で考えるよりも二人で考えた方が見えてくるものがあるって。……まあ、俺は余り頭が良くないから頼りにならないかも知れないけど」

「そんな事はありません。サツキミドリの時はアキトさんの意見があったから直ぐに対策案が出ましたし、今話した事もその意見が無かったら思い至れなかったかもしれません。だからそんな事ある筈がありません。頼りになります!」

 

 ルリちゃんは強くこそ動かしていないが必死な様子で首を振る。

 

「はは、ありがとうルリちゃん」

 

 そんな彼女の様子が少し可笑しくて笑いが零れた。苦笑でもあったが。

 その笑いにルリちゃんはどう思ったのか、

 

「本当ですよ、私はアキトさんを頼りにしていますから」

 

 少しムッとした表情でそう言われた。

 俺はその顔に苦笑を消す。

 

「うん、分かってる。ルリちゃんが真剣にそう思っているのはさ。だからどんなに不安な事でも話して欲しい。俺も一緒に考えて力になるから」

「あ……――はい、ありがとう……ございます」

 

 ルリちゃんは俯くもコクリと大きく首を動かして確りと頷いた。

 

 

 ◇

 

 

 かぁぁ、と頬が熱くなった。

 この部屋でこうして二人っきりで居て、一緒に頑張るとか言われるとあの時のプロポーズめいた言葉を思い出してしまうから。

 

 それにアキトさんが――……それを思うと嬉しくもこの恥ずかしさに似た感情がより強くなる。

 

『アキトはあの子が、……ルリちゃんの事が好きなんだ』

『アキトはあの子が……ルリちゃんが子供じゃないって分かっているから、だから好きなんだよね』

 

 オモイカネが見せてくれた映像。艦長がアキトさんに向けて言った言葉。

 初めは、まさか!? と思った。正直信じられない思いだった。

 けど、思い込みこそ口にしても艦長のアキトさんを見る目は確かな事が多い。そしてアキトさんも答えこそしなかったけれど、否定もしなかった。

 

 嬉しかった。

 この想いは叶うんだって。アキトさんと両想いなんだって。

 

 だから、その直後の映像に衝撃は受けたけれど――いえ、とても悔しかったけど、悲しさに沈まなかった。

 勿論、直ぐには心が落ち着かず、ブリッジでご機嫌な艦長に私の心は乱されたし、ミナトさんに心配もさせて、アキトさんのいる食堂には顔を出せなかった。

 でも、こうしてアキトさんが私に会いに来てくれて、困った様子で私の部屋の前に立っているのを見て――……落ち着いた。

 困った様子なのは私に対して後ろめたさがある為だって分かったから。艦長とキスした事で悩んでいるんだって。

 だって――

 

 ――そう、私の事が好きだから。

 

 

 

 待つとは言ったけど、正直、本当は直ぐにでも答えは聞きたい。私も想いを告げたい。言葉にしたい。

 

 だけど、待つって決めた。

 

 キスだってそう。

 艦長のように私からしたいし、アキトさんにして欲しいってねだりたい。

 

 でも我慢した。

 

 想いを告げてもアキトさんをきっと困らせるから。迷惑を掛けてしまうから。私はまだ子供だから。

 今、想いを伝えてもアキトさんは受け入れられない。受け入れたいと思っても周囲はそうではない。皆アキトさんを変態だとか、犯罪者扱いする。そんな事は私も望まない。

 隠れて付き合うのも少し嫌だ。私は堂々とアキトさんの恋人だって言いたいし、周囲にそう振舞いたい。でないと艦長もメグミさんもリョーコさんもサユリさんも、そしてまだナデシコに乗っていないけどエリナさんもイネスさんもアキトさんに迫る。

 それは付き合ってなくとも同じかも知れない。

 けど、恋人になってもそれを周囲に示せず、アキトさんに迫るのを許す事になるのは、多分納得しがたい感情を抱くと思う。

 だから成長して、アキトさんの隣に並んでもおかしく思われないように、相応しくなれるまで待つ。我慢する。

 

 キスだってしっかりと想いを伝えあってからしたい。

 前回のメグミさんのように雰囲気に流されるだけで終わりにしたくないし、今回の艦長のように付け込む形で強引にしたくない。

 アキトさんとの初めてで、私にとってはファーストキス(初めて)だから猶更に。

 アキトさんにも言ったように大事な思い出になる形でしたい。それこそ前回の“ユリカさん”のような。

 

 

 ただ――

 

 

 少しだけ……いえ、本当は物凄くかも知れない。

 本当に待てるだろうか? 我慢出来るだろうか? ……という心配もある。

 理屈でない感情(モノ)だからアキトさんに無理に答えを求め、強引な行動を取ってしまうのではないかと。そして困らせて迷惑を掛けるのではないかと。

 

 心配で、不安で、自信がない――でも、でもきっと大丈夫。

 

『うん、待っていて欲しい。必ず伝えるから』

 

 アキトさんはそう言ってくれたから。真剣な声で。

 そこには私の想いと言葉に応えようとする気持ちが確かに籠めれていた。――そう思う。

 

 

 

「ルリちゃん」

「あ、はい」

 

 俯いていた顔を上げる。

 まだ頬は熱いけど、赤くなるほどではない筈。

 

「火星までの航路は安全でない可能性がある事は分かった。そして火星行きが実質罠で、敵が執拗にナデシコを狙ってくるって事も」

「……あくまで可能性の話ですが」

 

 先程までの話は推測に過ぎない。勿論、私は可能性は低くなく、高いと判断している。

 火星の後継者事件の時に草壁春樹の事を調べた際、戦時中の木連の動き……占領した火星での動きからも確かだと思うし、ネルガルにしても事前に連合宇宙軍第一艦隊(火星方面軍)の敗北が濃厚と見て、遺跡関連の研究データの抹消と発掘現場の隠蔽・偽装の指示を出していた。

 ネルガルの偽装を見破れず、サルタヒコのハッキングデータから木連は極冠遺跡の所在を突き止めたのは明らか。

 そして恐らく今回もナデシコを狙ってくる。単艦で火星に赴くカモネギなこの船を。

 

 しかし、そうなるとスキャパレリ・プロジェクトを推進していたネルガル上層部はどう考えていたのか? 敵が情報を求めてナデシコと自分達に目を付けるとは夢にも思わなかったのだろうか?

 だとしても、あのアカツキさんがナデシコ一隻でどうにかなると考えていたとは思えない。

 なら、このナデシコの火星行き、第一次スキャパレリ・プロジェクトの目的は――……アキトさんには悪いですけど、これももう少し考えを纏めてから言うべきですね。

 ともかく今は、

 

「……火星までの航路に関しては取り敢えず警戒を厳にするしかないと思います。火星圏に到着した後については――」

 

 そうしてアキトさんと話し合う。

 火星での戦いは厳しいものになる。前回にしてもナデシコは追い詰められた。そして撤退する為にチューリップを使うという当時としては無謀で、賭けでしかない手段に頼らざるを得なかった。

 けど、今回は――……地球でおじ様の指揮する戦隊に包囲された時に艦長が留守にしなかった為に、手早くチューリップを撃破出来、クロッカスもパンジーも飲み込まれなかった。

 いえ、それでもチューリップを使えない事は無いでしょうが、些か不確定な要素が出来てしまった。

 なので、

 

「チューリップを使わない事をまず前提に置きましょう」

 

 その事情をアキトさんに説明して、私達は意見を出し合った。

 

 

 




 前回でのユリカさんの行動に対するルリちゃんの反応と、ちょっとした考察回になりました。

 ルリちゃんが待つ事と我慢する事を選べたのは、デートした事やアキトの想いが知れた事が大きいです。
 特に後者をユリカさんの言葉を通して知らずにいて、キスシーンだけを見ていたらこうはならなかったでしょう。
 強引にアキトに答えを求め、キスも迫っていたと思います。
 精神的余裕があったという事ですね。だからアキトの想いを大事に捉えられて、掛かる迷惑を考えて思いやれたと言えます。
 なおソファーで一緒に座っていた際、ルリちゃんがアキトにべったりだったのは想いを知れて無意識部分ではすっかり恋人気分になっていた為です。デートでも手を繋いだりと触れ合う事が多かったのも影響してます。

 考察部分については、サツキミドリに続いて疑問に感じていた部分を書きました。
 あのYユニットに侵入したヤドカリの目的は何だったのか?というものから進めた考えです。
 ちなみに戦中の木連は古代火星文明ではなく、古代太陽系文明と呼称していて、古代文明は火星を中心としたものでないとも考えていたようです。
 それもあって火星に“都市”と呼ぶ、ボゾンジャンプのコアユニットがあるかは半々の思っていたのでは?と私は考えていて、主に無理をさせていた木星プラントの代替施設の確保が狙いだったのでないかとも見てます。
 実際原作では「枯渇した古代太陽系文明の遺産が充填されるばかりか…」等という草壁の台詞が劇中にありますし。
 あとノベルテ+で明らかになった話では、新たな遺跡を求めて木星圏以遠の外宇宙の探索も木連は計画していたようです。
 源八郎が島流しになった事もそれに書かれています。

 またゆうがお級に関しても独自解釈です。
 デザインにフィールドジェネレータだけでなく固定式の大型砲口が2つありましたので劇場版のリアトリス級に近い船でないかと考えました。
 エステバリスの配備と共に兵器にDF搭載が当たり前になっていた筈ですし、戦争後期に入った頃には連合軍も相転移エンジン搭載艦を導入してもおかしくないと思いますし。

 次回もまた何かこうした考察ないし独自解釈を入れるかも知れません。



 244様、リドリー様、kubiwatuki様、誤字報告等ありがとうございます。


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第十八話―――旅程Ⅰ

 あれから五日が経過。

 懸念される襲撃の兆候はなく、航海は順調。しかし嵐の前の静けさというのが正しい所。敵はナデシコを火星まで誘い込みたい訳だから地球からは遠く、仮に何かトラブルがあったとしても引き返すにはもどかしい位置を狙う筈。時間的には三週間後か、一ヵ月後か。距離的には地球と火星までの間の中間点か、それを越えた辺り。

 また、ナデシコを本気で厄介……邪魔者と判断していた場合でも、確実に落とす為に、逃がさない為にも同様の地点で仕掛けると思われる。

 ただ私としてはそれだけ猶予があるのはありがたくもある。特に万が一……後者の場合に備えての対策を進める時間を得られるのだから。

 

「…ふう、とりあえずこんなものでしょうか」

 

 一息吐いてIFSコンソールから手を離す。

 

「オモイカネ、出来上がったソフトをセイヤさんに送って置いて」

『はい、お疲れさまでしたルリさん』

 

 対策の一環として組み上げたプログラムソフトが一つ出来上がり、オモイカネに後を任せる。

 セイヤさんには既に話を通してあり、プロスさんの了解も得ている。

 ただ、まだ検証やら実証などもあるし、バグ取りや修正の必要もどうしても出てくるだろうから、完成とはとても言えないのだけど。それでもようやく一段落付いた。

 

「ん…」

 

 グッと腕を頭の上まで掲げて背筋を伸ばす。

 ずっと同じ姿勢で座っていたから身体が固まっていた。伸ばした動作に応えてググッと筋肉と関節が解れる音が耳に入る。

 

「…はぁ」

 

 身体の解れと共に僅かながら疲れが抜けたようにも思え、自然ともう一度息が漏れた。

 

「お疲れ様、何か大変そうねルリルリ」

 

 私の仕草を見て、オモイカネに続いてミナトさんも労いの言葉を掛けてくる。

 コンソールに手をついたまま動かず、傍から見れば何もしていないように見えるが、それが私の仕事風景だとすっかり理解していてくれている模様。

 

「じゃあ、お昼に行きましょ」

「はい」

 

 コミュニケで確認すると時間は一三三〇(ヒトサンサンマル)時……と、軍に居た癖が出ますね。午後の1時30分過ぎ、お昼には遅い時間帯だけど私にとっては丁度良い時間だ。

 

 何しろ――

 

「あ、ルリちゃん来たね。お昼の用意できてるよ。ハルカさんのも」

 

 食堂の暖簾を潜るとアキトさんが声を掛けてきた。そして私が返事をするよりも早くカウンターの向こうに姿を消し、カウンターの脇を抜けて厨房から出て来る。トレイ付きの台車を押して。

 台車のトレイには3人分の料理が乗っている。私とミナトさんと――そしてアキトさんの分だ。

 そう、忙しいお昼時を過ぎたこの時間帯にアキトさんは休憩に入る。また私もその時間帯をお昼休みにしている。

 

 火星までの航路。敵襲の警戒の必要性もあってブリッジクルー全員が艦橋を空ける訳には行かないので休憩は交代制となったのだが、艦長は正午に直ぐに入る事を選んだ。それまでの事からアキトさんの調理する姿を見ていたいからそうしたようだ。

 これにメグミさんも対抗心を覚えたらしく、艦長に続いたが……残念ながらそれは失策だった。食堂スタッフでない人間を二人も、忙しい昼時の厨房に入れる事にホウメイさんは難色を示したのだ。

 それなら艦長も駄目では?…とメグミさんは食い下がったのだけど、ホウメイさんは艦長に対してこれまで許していた経緯もあって今更駄目とは言い辛かったらしく、加えて「まあ、艦長なら良いんじゃないか?」という雰囲気もホウメイガールズの中にはあった模様。

 意外な話だけど、艦長は料理が全く駄目なのにホウメイさんの指示を誤ったり、聞き間違ったりしてアキトさん他、ホウメイガールズの皆が調理作業や手順を間違いそうになると、艦長はその都度指摘して料理スタッフを助けている事が多々あり、それが艦長が厨房に居る事を許容する雰囲気を形成される事となっていた。

 

 つまり艦長は、厨房内で完全に立場を確保していた。

 

 意図しての事ではないのに流石としか言う他ない。

 艦長はそういう人なのだ。未来の“ユリカさん”も似たような事していた。

 三人でアパートで暮らしていた頃、夕方から翌日の朝方まで(だいたい終電に当たる午前二時くらいで屋台を閉め、そこから明日の仕込みに入って終える四時頃に就寝。翌日の午後十二時頃に起床して掃除洗濯などの家事を済ませてまた仕込み、十七時前に屋台を開く)と仕事をして、夜型に近い生活をしていたアキトさんは、自然と近所付き合いが薄くなってしまい、世間的にちょっと苦労していたのだけど、私達が押し掛けて以降はユリカさんの不思議な人柄と近所付き合いで改善されて、同じアパートや近所の住民から色々とアキトさんは気に掛けられるようになった(多少変な誤解があったけど)。

 屋台を構える先でも同様で、その近辺の人達に配慮と便宜を受けられ、常連さんまでユリカさん(アイツ)のお蔭で増えたとアキトさんは言っていた。

 

 ただアキトさんは世間の目が和らいでいた事に反して、ユリカさんが押し掛け、若い男女が同じ屋根の下で寝食を共にしているという世間体を気にしてしまいプロポーズを――

 

「――……」

 

 そんなアキトさんに対して、早まったのではないかとも、もう少し……具体的には3年ほど待っても良かったのではないかとも思ってしまうのは、私の我儘でしょうか?

 まあ、勝ち目があったとも思えませんが。

 そもそも私は恋をしていた自覚がなかった訳ですし。

 

 ともあれ、そんなユリカさん……艦長らしいバイタリティを発揮して、艦長は厨房に立場を確保し、アキトさんの傍に居られる時間を得た。

 一方、私はお昼休憩を一時以降としてアキトさんの休憩時間に合わせる事でその時間を得た。

 正直な所を言うと、料理一生懸命に取り組むアキトさんを直ぐ傍で見られる艦長の得た立場の方が羨ましくあるのですが、こうして一緒に食事をし、お話しできる時間を得られた事を思うと一概にどちらが良いとは言えない所もある。……中々に悩ましいです。

 どちらも得られなかったメグミさんの事を考えると実に贅沢な悩みですが。

 

「はい、ルリちゃん」

 

 考え事をしている内に私とミナトさんが座ったテーブルにアキトさんが手早く料理を並べる。

 私のはテンカワ風オムライスをメインに栄養バランスを考えて生野菜のサラダの盛り合わせと魚介を使ったあっさり目のスープ。

 ミナトさんはサンドイッチ各種のセットとブイヤベースのトマトスープ。

 アキトさんはスパゲティ、日本独特のパスタ料理であるナポリタンだ。プチトマトの乗ったサラダも付いている。ドレッシングは無く、塩だけのよう。

 

「……」

 

 成人男性近いアキトさんは大盛りで、付け合わせのサラダも器が大きいのは分かりますが、

 

「ん、何? どうしたのルリルリ?」

「いえ」

 

 思わずミナトさんの方を見つめてしまい、返された怪訝そうな声に首を振る。

 ミナトさんのサンドイッチセットは実に慎まやかで女性らしく見えるのに、私の前に並ぶオムライス他、2点は――……大盛りを越えた特盛、サラダもスープも器が大きい。中身もたっぷり。

 カロリー消費の大きいIFS強化体質な上、将来の為でもあるから仕方ないとはいえ、とても11歳の少女のお腹に入れる量ではない。

 アキトさんも私の体質の事は分かってくれていますが、それでも大喰らいな姿を見せるのは恥ずかしいです。食べた後にお腹も少しポッコリと出てしまいますし…。

 

「気にしない方が良いわよ、アキト君も食が細いよりも良いって言ってたんだし、ルリルリはただでさえ同年代より成長がちょっと遅れているんだから」

 

 う、……ミナトさんにはしっかりと見抜かれたようです。しかしアキトさんがそのように言ってたのも本当。大喰らいな自分をどう感じているのかを思い切って尋ねたらミナトさんが言っていたような事を答えた。

 ですのでそう意識する必要はないのですが……乙女心は複雑なのです。

 

「ふふ、ま…ルリルリの気持ちも分かるけどね」

 

 フォローを受けても、むう…と眉を顰める私にミナトさんはクスリと笑う。それにますます恥ずかしさを覚えて微かに頬が熱くなった。

 

「お待たせ。…じゃあ、食べようか」

 

 トレイ台を片付けに厨房に戻っていたアキトさんが来てそう言う。

 今ほどのやり取りは聞かれてなかった模様。何となくその事にホッと息を吐いて私達は合掌する。

 

「「「いただきます」」」

 

 ふんわりと焼いた卵に包まれたオムライスは絶品です。本当に美味しくて思わず頬が綻んでしまう。

 私の大好物という事もありますがアキトさんが作ってくれて、未来では食べられなくなったテンカワ風なのだから尚更です。

 この過去に来て初めて(久しぶり)に食べた時、思わず涙が零れそうになったのは内緒です。そんな事を言ったらアキトさんに心配を掛けてしまいますから。

 

「アキト君ってどうしてコックになったの?」

 

 食事の合間にミナトさんが唐突にそんな事をアキトさんに尋ねた。

 

「え? 俺っすか?」

「うん、昨日は私の事を話したから今度はアキト君の番かな?って」

 

 昨日の昼食では確かにそんな話を聞いた。

 何気ない雑談からナデシコに乗った理由を話す事になって……まあ、私は選択の余地がなかったから兎も角、アキトさんは“私達の事情”を話す訳にも行かないので前回のように成り行きで乗る事になったとだけ短く答えて、その分、ミナトさんが多く話す事になった。

 

 ミナトさんは、ナデシコに乗った理由に刺激と充実感を求めての事だと言った。

 これは前回でも聞いている……というか、その頃の私は周囲の人間関係に殆ど無関心だったのでミナトさんが一方的に話すのを適当に相槌を打ちながら半ば聞き流していた。

 なので今回は改めてその事を真面目に聞く事になった。

 端的に言えば、若くして大企業(ネルガル傘下にあれど)の社長秘書として抜擢され、安定しながらも代わり映えのしない退屈な日常に疑問を感じていたらしく、そんな時にプロスペクターさんのスカウトが来て思い切ってその誘いに乗ったのだという。

 云わば衝動的な物であり、深い考えがあっての事ではない。

 「それで良いんでしょうか?」とアキトさんは当然そう尋ねたが、ミナトさんはあっけらかんと、

 

「そうね、まだ充実感は感じてないし、勤務もちょっと手が空いてるけど、退屈には感じてないから悪くない職場だと思ってるわ。社長秘書なんてほど多忙な仕事じゃないしね、……だから良いんじゃない」

 

 等とそう答えた。

 アキトさんとしては、安定した生活をそうも簡単に捨てて、ただ衝動で戦艦……戦う船に乗った事を疑問として尋ねたのだろう。しかし今一つその答えとなっていない返事を受け、どう言葉を返して良いか分からない様子だった。

 或いは、簡単に捨てたようにも、衝動的な動機に見えるようなものであっても、ミナトさんにとっては大事な決断だったのかも知れないと思ったのか、アキトさんはそれ以上はミナトさんに何も尋ねなかった。

 

 私の方としても正直に言えばミナトさんのその考えは理解し難い。

 けど、アキトさんやユリカさんとはまた違った意味で大好きなミナトさんがナデシコに乗ってくれた事は私にとってとても嬉しく、恵まれて幸運な事だったと思う。

 だから私的にはミナトさんがナデシコに乗ってくれた事だけが重要であって、その動機はどうでも良かった。

 少し冷たい考えかも知れませんが、そうとしか感想は持てない。

 

「…火星ってナノマシンの所為っていうか、無理なテラフォーミングの所為か、それともまだ土壌開発が進み切っていないのか、土が悪いんですよね。だから野菜だとか果物だとか余り美味くないんです。それを餌にする家畜なんかも少し質が悪くて。けどそんな美味くない、不味い物でもコックが上手く料理すれば美味しく食べられる。それが幼い頃魔法みたいに思えて――」

「だからコックに憧れたんですよね」

 

 ミナトさんに答えるアキトさんに私は言った。

 前回でアキトさんの料理の練習や研究を手伝っていた時(と言っても主に試食

して感想を言うだけでしたが)に聞いた話だ。不味い食材でも美味しい食べ物に変えてしまう事が幼いアキトさんには凄い事に思えた。

 そう話していたアキトさんは嬉しそうで、だけど半端にパイロットもやっている事に悩ましそうでもあった。

 それもあって私は今回こそはコックに専念して欲しかった……――のですが、い、いい加減不満に思うのは止めましょう。アキトさんはそれが必要な事だと進んで決めた事なのですから。

 

「うん、ただ火星でも掛け持ちで飲食店なんかでもバイトはしてたけど、本格的に学んだのはサイゾウさんの所が初めてだけどね」

 

 私の言葉にアキトさんは少し苦笑する。どうしてか若干困った様子だ。複雑そうにも見える。

 

「……料理が魔法に、ね」

「ふふ、何となく分かりますね、その気持ち」

「…!」

 

 ミナトさんの相槌に続く声に思わずハッと顔を上げる。

 見るとそこにはアキトさんと同じく生活班所属を示す黄色い制服を着る女性――

 

「――サユリさん」

「こんにちは、ルリちゃん、ハルカさん」

「こんにちは」

「…こんにちは」

「テンカワさん、私も相席良いですか?」

「あ、うん、良いよ」

 

 ミナトさんと私の返事を聞くと、両手に二枚のお皿を持っていたサユリさんは、アキトさんの承諾を得てその隣に座る。

 

「……」

 

 私はアキトさんの対面でミナトさんは私の隣に座っている。だけどまだこのテーブルの席には空きもあるし、他のテーブルも空いている。

 勿論、だからと言ってアキトさんの隣に座ってはいけないなんて事は無いのだけど、けど……何となく面白くありません。

 いえ、何となくではなく、サユリさんが私にとっての“敵”だからなのでしょうが。

 

「テンカワさんとは違うかも知れませんけど、私も幼い頃を思い出すと母が料理する姿……包丁を始め、色んな調理道具を使う度に野菜やお魚やお肉が、食材が形を変えて美味しい料理になっていくのを不思議な気持ちで見てましたね。私もそんな母の姿が魔法使いみたいに見えていたのかも」

「そうね、今思い返すと私も似たような事を感じていたわ。手際よく鮮やかに料理する母親の姿がなんかカッコよく見えて憧れがあったわね」

 

 サユリさんの言葉にミナトさんが頷いて同意を示す。

 母親のいない私にとって二人の話は実感できないものだ。けど少し共感できる部分はあった。母ではないけどアキトさんの料理する姿を見るのが好きだから。真剣な表情で、でも楽しそうでもあって凄くアキトさんらしいと思うから。

 けれど、そんなアキトさんを間近で見られていないのは少し残念で、悔しくありますね。こうしてお昼を一緒にというのも嬉しいですが……やっぱり艦長が羨ましいです。

 

 ――やはりそろそろ例の計画を進めるべきですね。

 

 そう思い。あのレシピを脳裏に浮かべる。

 

「…?」

 

 鼻に少し違和感を覚える。甘さと酸味を感じさせるトマトの香りが強まった。

 ミナトさんのトマトスープとアキトさんのナポリタンとは違う。これは私のオムライスと同じもの。テンカワ風の……甘みと酸味を高める為にケチャップソースに柑橘系果実のしぼり汁を混ぜるアレンジを加えた特有の香り。

 と、気付く。

 

「あ、それ」

 

 私が指摘するよりも早くアキトさんがサユリさんの前にあるお皿の中身を見ながら言う。

 

「はい、多めに作ってあったようですから頂きました。ホウメイさんは良いって言ってましたが、駄目でしたか?」

「いや、ルリちゃんの他にも注文があったら出して良いって言ったから問題ないよ」

「良かった。私、一度食べてみたかったんですよ」

 

 アキトさんにそう答えてサユリさんがスプーンで掬ってそれを口にする。赤く色付いたライスを。――そう、チキンライスを。私のオムライスの卵に包まれたものと同じものをサユリさんは頬張った。

 

「……」

 

 先程、面白くないと感じていたモノがムクムクと胸の内で大きくなるのを自覚する。

 それは、そのチキンライスはアキトさんが私の為に用意してくれたものであるのに…と。

 勿論、そうでない事は分かっている。アキトさんは此処の食堂スタッフで、作る料理はナデシコクルーの皆が食べるものだという事は。

 しかし、それでもアキトさんオリジナルのソースを使ったものは私しか食べていないものだった。普段はホウメイさん特製のソースとレシピを使ったチキンライスないしオムライスが出るからだ。私のようにアキトさんの料理を指定しない限りは。

 だから納得できない不満と怒りを覚えてしまう。けど、何とか抑える。サユリさんを睨みつけそうになる感情を我慢する。

 それは我が儘だと、ナデシコクルー皆の為の料理でもあるという理を理性的に考えて。

 それに、

 

「うん、美味しい! 良いですね、この柑橘の香りと風味。それに甘みも酸味も意外に合ってて」

 

 こうしてアキトさんの料理が褒められて認めてくれる。だから我慢出来るし、私も嬉しくなるから。

 私も包む卵と一緒に赤く染まったライスを頬張る。

 うん、本当に美味しいです。……ただもうちょっとですね。

 

「ありがと、でも中の肉、チキンがその柑橘の酸味の所為で柔らかくなり過ぎてて、まだ改良の余地があるんだよね。それが改善できれば、ホウメイさんは正式にメニューに加えられるって言ってるけど、…中々、ね」

「あ、確かにそうですね。こうして食べててもお肉の触感がライスとあまり変わらないように思えます。煮込み料理のようなとろけるような感じでもないですし…」

 

 その通りです。

 私の指摘を受けるまでもなく、そして恐らくホウメイさんに指摘されるまでもなくアキトさんは気付いていたのでしょう。

 未来のアキトさんはその問題をクリアしていた。それさえ何とか出来ればテンカワ風チキンライスは完成となる。けど私もそのチキンを柔らかくし過ぎない方法は知らない。こうなるのだと分かっていれば……昔の私にもっと真剣にアキトさんの料理の研究に付き合うべきだったと叱り付けたくなります。

 

 無茶振りもいいとこですけど。

 

 ですが、まあ……良いです。その改善の事も含めて例の計画をアキトさんに持ち掛けましょう。

 前回と違って今回は積極的に協力しますよアキトさん。私も未来……いえ、将来の事を考えると本格的に料理を覚えるべきだと思いますし。

何となく視線をカウンター越しに見える厨房に移し、脳裏に描いた光景――成長した私がアキトさんと並んで調理をしている姿を投影した。

 ……うん、ナデシコ食堂のような小さな店でも良いから、アキトさんと一緒に料理をして働けて、傍でこの人の夢を支えられる未来を手にしたい。

 そして看板娘……じゃなくて、良い奥さんだと近所で評判されるようになりたいものです。

 まるでユリカさんのようにそんな未来を妄想してしまう。

 妄想に耽りながらもオムライスの味を堪能していると、

 

「あ、ルリちゃん、ご飯粒が付いているよ」

「え?」

 

 突然、アキトさんが自分の下唇の方を指差しながら指摘し、私は咄嗟にスプーンを置いてアキトさんを真似て下唇の方へ指を撫でさせるが、

 

「逆、右…じゃなくてルリちゃんから見て左の方」

 

 再度指摘され、アキトさんの手が私の顔に伸びてきて――…一瞬ドキリとする。

 昔、ヒカルさんの描いた漫画や読んでいた小説などで見た展開。やや陳腐ながらも恋愛物では良く使われる場面が脳裏に過る。

 それを裏付けるかのように私の下唇の方へ伸びた手はご飯粒を取り、取った人の口に運ばれた――ただし、

 

「はい、取れたよルリちゃん」

「……ありがとうございます、“サユリさん”」

 

 ただし取った人はアキトさんの隣に座るサユリさんだった。

 アキトさんの手が私の元へ伸びるよりも早くサッと素早く横から手を出したのだ。

 ご飯粒を口に入れてニコリとした笑顔を見せ、私もお礼を口にしながら笑顔を返すが、

 

「「ふふ」」

 

 互いにクスリと笑いつつも睨み合った。

 サユリさんが“阻止”のために動いたのは分かったし、サユリさんも私のお礼が形だけだと分かっているからだ。

 ほんと余計な事してくれました。そう内心で呟きながら目線に力を入れる。しかしサユリさんは意に返した様子はなく、してやったという気配があり、余裕に受け流している。

 子供なので侮られているというのが何となく分かった。

 

「ル、ルリルリ……」

「……サ、サユリさん」

 

 笑みを浮かべながらも睨み合う私達の脇で、何故かミナトさんとアキトさんが表情を強張らせている。――と、あっ!

 

「アキトさん、頬に…」

 

 スパゲティを吸う時にパスタが跳ねて描いたのか? アキトさんの頬に赤い線が引いている事に気付いて椅子から腰を上げる――が、

 

「!?」

 

 遅く、隣にいるサユリさんがこれまた素早く動いてサッとアキトさんの頬を指で撫でた。

 

「いっ、サユリさん!?」

「テンカワさん、ソースが付いていましたよ」

 

 突然頬を撫でられた事に驚くアキトさんを他所にサユリさんはソースを拭った指を自らの口に運んで舐め取る。

 

「…っ」

 

 思わず歯軋りしそうになった。

 一度ならず二度までも! アキトさんとの間接キスの機会が奪われるなんて、それも目の前で!

 アキトさんもアキトさんで間接キスを察したのか、或いはサユリさんの指を舐め取る仕草にやや照れた様子ですし。

 

「ふふっ」

「!」

 

 照れと動揺を見せるアキトさんの顔に向いていたサユリさんの視線が一瞬私の方を一瞥し、クスリと笑われた。

 

「……」

 

 良いでしょう、理解しました。それは挑戦ですね。分かりました。

 これまでは前回で明確な行動を起こさなかった事もあって確信はしてませんでしたが、今ようやくハッキリと理解しました。

 

 ――サユリさん、貴方はやっぱり“敵”なのですね。

 

 しかし仮にも子供である私にそこまで挑発的にかかって来るとは。

 余裕めいていて実の所焦っているのでしょうね。アキトさんと同じ副主任という立場になった為、シフトが合わない事が増え、非番日や時間も合わないのですから。

 だから、

 

「ふふふ」

 

 にこりと……けど何処か不敵且つ余裕な感じで私も笑みを返す。

 その挑戦と挑発を後悔しない時が来ると良いですね、と答えるように。

 

 

 

 

 まいったな、と思う。

 楽しい食事時間が氷点直下な空気に代わり、サユリさんが自分に向ける好意にもいい加減気が付いた。

 ただ、彼女に対してそんはフラグを立てた覚えはないし、原作でもユリカ嬢やメグミ嬢のような具体的な動きは無かったので、正直どうして好意を向けられているのか分からず、首を大きく傾げたい所なのだが。

 

『テンカワさん、今お時間良いですか?』

 

 考え事をしているとコミュニケに着信が入ってメグミ嬢が出た。

 

「うん、大丈夫だけど」

 

 彼女が映るウィンドウの背景に自販機が見える。どうやらブリッジからではなく、休憩スペースから連絡を入れているらしい。そうした意図は……まあ、理解できる。ブリッジだとルリちゃんとユリカ嬢の目に付くからだ。

 

 ちなみに俺も今は厨房ではなく、食堂近くの休憩スペースに居る。朝から五時から昼過ぎまでシフトに入っていたから夕食時まで一度抜ける事になったのだ。

 ナデシコ食堂の開店は朝の七時から、その二時間前に朝の仕込みに入って昼のかき入れ時までと既に八時間ほど働いている訳で。パートタイマーなら大体フルタイムきっちり務めた事になる。

 なおナデシコ食堂が特殊なのかは分からないが、自分的には変わったシフトを敷いていて朝は必ず全員が出て、朝の仕込みを終えた時点で三人が抜けて三人が残り、残った人達はお昼時過ぎまで務め。かき入れ時が過ぎたその時点で食堂は一度閉店し、夕食前の十七時頃に再び開店して朝抜けた三人が入る事になっていて、中には俺のように希望すれば朝からの居残り組が入る事が出来るようになっている(全員出勤の日の場合だが)。

 ついで言えばホウメイさんは朝から晩までずっと食堂に努めている。…まあ、俺もサイゾウさんの所に居た頃は朝早くから閉店まで働き詰めだったから、そんなホウメイさんに余り違和感はない。

 此処と同じで昼時が過ぎればやっぱり一度閉め、少しの仕込みだけで結構手が空くし、そんなキツイと感じなかった事もあるんだろうけど。

 

 そんな訳でお昼を過ぎたあと、俺は時間を持て余していた。

 

「それで何か用かな?」

『はい、私もう二時間ほどで今日は上がるんですけど、その時間だとテンカワさんも空いてますよね?』

「ああ、うん」

 

 今は午後の二時過ぎ、その二時間後だと四時になる。ブリッジメンバーが上がり、夜勤(だんせい)組と交代するには早い時間帯だと思うが、メグミ嬢がそう言うのであればそこは気にしても仕方ないだろう。

 

『良かった。それじゃあ四時頃になったら展望室に来て下さい』

「いいけど、なんの――」

『――ふふ、約束ですよ。あ、こんな時間だ。切りますね、ブリッジに戻らなきゃ』

 

 ってあれ? 切られたぞ。何の用事かと尋ねようとしたんだけど……。

 

「……これは」

 

 図られたか? サツキミドリの件でメグミ嬢はお礼をしようとしてくれていたが、俺としては受ける理由がないのでその度に断っていた。

 

「だからこう来た訳か」

 

 用件を言わず、強引ながら約束だけを取り付けに来たと。

 そうなると仮に此方から断りの連絡を入れてても着信を拒否されるか、仕事を理由に着信を受けても直ぐに切られるかのどちらかだな。

 

「…仕方ないか。何れにしろこうして話をする時が来たんだろうし」

 

 メグミ嬢には悪いが面倒ごとのような気がしてやや溜息が零れ、肩も竦めたが、彼女の用件に付き合う事を受け入れる。

 

「……」

 

 ふと思う。贅沢な悩みだな、オイ…と、自らに突っ込みを入れて。女性に…それも可愛い女の子に好意を向けられて面倒ごとだと考えてしまう自分に対して。

 原作でウリバタケさんを筆頭とした男性クルーがアキトをやっかむ気持ちを我が事で分かってしまうとは。

 

「…といってもなぁ」

 

 贅沢だと分かってもそう感じてしまう自分の心を誤魔化せそうにはなかった。

 

 

 

 

「やっぱり強引だったかな?」

 

 通信を切って消えたウィンドウ。それが浮かんでいた虚空を見つめてメグミはポツリと呟いた。

 

「ううん」

 

 メグミは首を横に振った。

 こうでもしないと彼と二人っきりで話をし、距離を縮められる機会は作れない……そう思い直して。

 

「艦長にもそうだけど、ルリちゃんにも後れを取っているんだもの…」

 

 キュッと唇を引き締めて少し気合を入れる。

 負けたくないとメグミは思った。

 元より彼女がナデシコに乗った理由は出会いを求めての物だ。戦艦に乗ればカッコいい人と会える、機会を作れるとそんな理由だった。

 

 14歳の頃から看護士学校に通いながら声優業を営んでいた彼女。若くして人気声優の道を歩み、修得した看護師資格を活かす事なく、声優一筋で社会に出ていたメグミだが、その周囲には魅力的に映る男性は居なかった。

 いや、皆無という訳ではない。仮にも芸能の世界だ。仕事を通じて有名な俳優やモデルにアイドル歌手など多くの男性と顔を合わせている。

 しかし、そんな彼等と付き合うことになったり、良い関係になったりすると世間を賑わすスキャンダルになるであろうし、人気も伸び続け、本格的なTV出演と歌手デビューも視野に入っていたメグミに対して、スキャンダルを望まない所属事務所の意向もあり、メグミは年頃の少女にも拘らず恋愛から遠ざかっていた。

 

 だからだろう。彼女がネルガルの、プロスペクターのスカウトを受けてそれに乗ったのは。

 

 幼い頃からの夢で好きな職業であったし、誇りに思っていた声優の仕事であったが、彼女は窮屈さを感じていた。

 まだ17歳と思春期の少女らしい感情的な部分もあるのだろう。社会の柵に捉われて、どこかままならない自由に反発があったのだ。

 

 つまり、半ば衝動的な取り留めのない動機でメグミ・レイナードは幼い頃からの憧れであった夢の仕事に背を向け、自ら成功しつつあった道から外れてナデシコへの乗艦を決めたのである。

 しかしこれは別段責めるような事ではない。

 若い頃であれば誰にも訪れるその多感な時期。それ特有の情緒の揺らぎや迷いのようなものなのだから。

 そういった誰もが経験する物事を踏まえて皆、大人になっていくのだ。

 

 そう、メグミ・レイナードの一見その稚拙に思える動機もそれに他ならず、その動機によって、これから得て行く経験は掛け替えのないものとなり、それは少女である彼女を大人へと成長させる大事な土壌(おもいで)へときっと昇華されるだろう。

 

 

 ◇

 

 

 展望室へと呼び出された俺は、メグミ嬢のお礼の一貫だというサツキミドリで彼女が購入したものや、知り合ったコロニーの重役から頂いたお茶菓子などを摘まみながら一応デートと言うべきか? 展望室で様々な風景を…世界遺産にもなっている地球の雄大な自然の風景や、プラネタリウムのような満天の星空や何処かの遠い宇宙の星々の姿などを楽しみながら二人っきりで会話を楽しんだ。

 

「へぇー、凄いね。14歳で声優デビューなんて、それも看護士の学校に通いながら」

「そんな事ないですよ。デビューと言っても端役で、毎回出番があったキャラじゃなかったですし」

「でも一応レギュラーに近い位置づけのキャラクターだったんだし。それも難しい感じの」

「うーん、そうですね。作風は青年誌連載が原作の大人向けの恋愛物で、今の私よりも年上の…大人の女性キャラで、端役でも主人公との絡みもそれなりありましたしね」

「物語の脇を固める大事なキャラクターだった訳だ。新人でそれを任されるなんてやっぱり大したものだよ」

「ふふ…、声優になろうと思った切っ掛けのような憧れの感じのアニメでもキャラクターでもなかったですけどね。でもやっぱり思い入れはあります。初めてなのにしっかり名前のある役を貰えた訳ですし」

 

 メグミ嬢の声優を目指した切っ掛けやその仕事の思い出話を聞き、

 

「テンカワさんは火星生まれなんですよね? 火星ってどんなところなんですか?」

「どうしてコックになろうと思ったんですか?」

 

 などと尋ねられてアキト(おれ)の思い出話も逆に話す事になった。

 故郷(かせい)の事は俺自身のことではないのに、意外にもスラスラと話せる。ユリカ嬢やハルカさん達に話した時もそうだったが、火星の思い出やコックになろうとした切っ掛けなんかも、他人事なのだが妙に実感的に口から出て来る。

 やはり思い返そうとすれば、これといった違和感もなくアキトの記憶が明瞭に浮かぶ所為だからだろうか?

 

 同時にふと思う。メグミ嬢にこういった話をするのは、原作では火星に到着した直後だったんだけど……まあ、その前の話…『ルリちゃん航海日誌』では、葬式に忙殺されてユリカ嬢のみならずアキトも忙しく、メグミ嬢ともこうしてゆっくりする時間は無かったみたいだし。

 だから、コロニーで葬式が行われ、個人の物もサツキミドリや本社側が請け負った分、原作と違って俺はメグミ嬢と話せている訳で、バタフライ的に火星に着く前にそういった話題も出るのか…。 

 

 メグミ嬢と会話しながらそんな事も頭の隅で考える。

 

「魔法みたいにですか…」

「うん、まあ…でも俺も変わっているよな。幼い頃の子供の、それも男の子の夢なんて大抵はもっと…何かの運転手さんとか、警察官だとか…もっと…何て言うかそういったものなんだけどなぁ」

「ううん、そんな事ありませんよ。素敵な感じ方だと思います!」

 

 こちらに身を乗り出して意気込んで言うメグミ嬢に、はは…と苦笑しながらありがとうとお礼を言う。

 

「それに運転手っていうのもエステバリスに乗って、警察官っていうのも違いますけど、パイロットになってナデシコやコロニーの皆を守って頑張っているじゃないですか!」

 

 意気込みの所為か、少し要領を得ない言葉だったが、うん、そうだね、と俺は頷く。言いたい事は何となく分かるからだ。

 自分の事を卑下した積もりではなかったけど、メグミ嬢はそう感じたようだ。

 

 

 ◇

 

 

 楽しい時間は瞬く間に過ぎ行くもので気になる男性が仕事に戻る時間が近づいた。

 

「それじゃあ、メグミさん」

「はい、行ってらっしゃい、テンカワさん。また今度こうしてお話ししましょうね」

「うん、お互い時間が合ったら、また」

 

 軽く手を振りながら彼は展望室から立ち去る。

 展望室から出て行く彼のその背中を見ながら、メグミは内心で「よし!」ガッツポーズを取る。

 何気なく礼儀的に言った物だとしても“また次”という言質を取れた。

 

「ふふ」

 

 思わず笑みが零れた。

 最初、今日は約束を取り付けられたこの時間で、思い切って自分の中にある好意を彼にぶつけてみる積りだった。

 しかしそれは、彼と話していて思い留めた。

 

「ちょっと焦っていたかな?」

 

 冷静になった今となってそう呟く。

 自分は彼の事を何も知らず、彼もまた自分の事を知らない。そこで事を急いて早まった行動に出てはきっと良い結果にはならない。

 

「うん、テンカワさんの事を良く知って、それ以上に私の事を知って貰わなきゃ」

 

 優しい彼の事を知って、自分の良さも彼に知って貰わなくては彼の気を引く事は出来ない。

 艦長とルリちゃんに出遅れているのは分かっている。けれどそれで焦っては意味がない。

 

「だから少しずつ段階を踏まえて行かないと」

 

 大丈夫。艦長はまだ彼にとっては幼馴染の域は出ていないし、ルリちゃんもまだ子供。

 

「だから大丈夫。きっと追い付ける」

 

 時間を見つけて彼と一緒に居られる時間を増やして、そして彼に自分を見て貰えるようにアピールしよう。

 今日、二人っきりで過ごして知った彼の優しさ、魅力に触れてメグミはアキトに対する好意が大きくなったのを自覚して決意する。

 

「負けないんだから…!」

 

 此処にいない恋敵に向けてか、それとも自分を鼓舞する為か、そう意気込んで呟いた。

 

 

 




随分久しぶりの投稿ですが話は進まず。読者の皆様には申し訳ない所です。
書きたい事が多くありながらもリアルの事情もあって中々執筆が出来ず、それと最近になってオリジナル作品を新たに書く事になりまして。
なるべくこちらにも執筆時間を割きますが更新は滞ると思われます。楽しみされている読者の皆様には本当に申し訳ありません。

ですが次回以降は、今回ほど間が空かないように投稿したいとも思っております。

あとメグミさんに明確なフラグが立っている事も申し訳ないです。
ハーレムにはしたくないのですが…書いている内にメグミさんが自重してしまって、本当はこの回で焦って無謀な告白、そして玉砕にする予定でしたが、それだと違和感を覚えてメグミさんも慎重な考えを持つ事に…。
改めて小説を書く事の難しさを感じました。



指摘くださった方々も誤字報告等ありがとうございます。助かります。


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第十九話―――旅程Ⅱ

此処数話あたり恋愛偏向で食傷気味かと思われますが、前半ちょっと部分がまだそっちに偏ってます。


 感情というものが如何に厄介で制御の利き辛いものなのか、改めて考えさせられます。

 サユリさんの挑発を受けた事も重なっての事なのでしょうが、アキトさんがメグミさんと二人っきりで良い雰囲気で話し込んでいたとオモイカネから聞いて、私は仕事を終えたアキトさんを強引に部屋に連れ込んでしまった。

 

 詰問する為だ。

 

 勤務時間はとうに過ぎた夜間。午後21時。私の部屋に来るのは日課になっているとは言え、いえ……だからこそ、その日は仕事と密談や勉強などで根を詰めた疲れを抜く為、早く身体を休めたかったでしょうに。

 なのに浅はかにも私は……、

 

「…自己嫌悪です」

 

 早朝から憂鬱になって洗面台に映る自分の顔に向かって呟き、項垂れて顔を俯かせる。

 はぁ…とため息が零れた。

 口調も少しきつくなっていたと思う。サユリさんとメグミさんの事をどう思っているのか問い詰めた。

 

『…えっと、サユリさんは同じナデシコ食堂で働く仕事仲間…同僚で。メグミさんも…いや、面と向かって話したのはさっきとコロニーの件の時ぐらいだから、うーん……同じ船に乗るクルーだけど、まだ他人って感じの方が強い…かな?』

 

 私の詰問にアキトさんは少し困った様子でそう答えた。

 確りと考えて答えてくれたのだと思う。だけど私はつい、

 

『でも今日、食堂で間接キスをして嬉しそうでしたよね。メグミさんとの会話も随分弾んだようですし』

 

 固い声でやや皮肉っぽくそう言った。

 

『…そこは少し勘弁して欲しいな。サユリさんもメグミさんも可愛い女の子な訳だし、あんな事をされたり、二人っきりで会話したら、照れを覚えたり、楽しく感じるのは…男として仕方がないと言うか、ルリちゃんには悪いと思うけど…ゴメン』

 

 今度は心底困った様子でアキトさんは答えた。

 その言葉にかなりムッとしてしまった。

 私の事が好きなのに…その筈なのに、他の女性に気を取られるような事を言ったのだ。艦長に関しては未来の事もあるし、アキトさんにとって特別な所があるからまだ分かる。でも…!

 

「本当、自己嫌悪です…」

 

 一瞬感情が爆発しそうになった。だけど何とか抑えられた。アキトさんとケンカなんてしたくないし、もしそれで嫌われたら…と、理性の部分が強く訴えてきたからだ。

 

「それに冷静に考えたら、気を取られるという程の言葉ではありませんし」

 

 アキトさんは男性として自然な反応を言っただけで、あの二人に好意があると告げた訳ではない。

 尤も私には少し理解しづらいのが正直な気持ちだ。女性だからかも知れませんが、もし私がアキトさん以外の異性にあんな形でも間接キスなどされたら不快に思うか、無関心でしょう。仮にサブロウタさんやハーリー君でも大して気にはしないように思う。会話にしても同様です。

 …ああ、でもセイヤさんだったら嫌に思いますね。二人っきりになっても警戒を覚えそうな気がします。

 “前回”では、私の等身大一分の一フィギア作って艦内に偽番組を流したり、男性クルーに売り捌こうとしましたから。ヒカルさんに本気になって浮気しそうになった事もあります。

 

「…セイヤさんのことはともかく、」

 

 溜息が出た。

 感情を抑えた私は皮肉気に悪態を吐いた事を謝った。頭を下げて。

 今ほど落ち着いてはいなかったけど、いえ…だからこそ下げた頭の下で顔を青くしていた。嫌われたのでは?という恐怖があって、これで叶うかも知れないこの恋がそうでなくなったのかもという恐れがあったから。

 同時に擡げるアキトさんを批判したい感情もまだ残っていて、

 

『…浮気なんて最低ですからね、アキトさん』

 

 ポツリとそう零してしまった。

 まだ正式に付き合ってもいないし、恋人という訳でもないのに、私以外の女の人に目が向く事を不快に思い。私以外の誰かに心変わりしないよう釘を刺したいと考えてしまったのだ。

 これにアキトさんは困った顔を変えられず、どうしたものかと悩んだ様子だった。

 

「本当、本当に自己嫌悪です、身勝手ですね、私…」

 

 深く深く溜息を吐いた。

 その後は、お互い気まずさがあったので何となくお休みの挨拶をして別れた。

 

「……もう一度、謝らないと」

 

 今も気まずい感情はある。顔を合わせるのも少し不安がある。だけど、そうして逃げてもいられない。

 非は私にあるのだし、ズルズルと引き摺っては余計に気まずさが増す。

 

「ん…よし!」

 

 洗面台の蛇口から水を流し、頬を軽く叩くようして冷たい水で顔を洗って気合を入れる。その気合に応えるかのように頬からパシンッと聞き心地良い音が微かな痛みと共に耳に入った。

 

 

 ◇

 

 

 浮気かぁ…。

 昨晩、寝付く前から何度もそんな言葉が脳裏に浮かぶ。

 そんな積もりは一切ないのだが、ルリちゃんにとってはそうでなく、不安があるという事なのだろう。

 昨日の事――サユリさんとの間接キスやメグミ嬢との展望室での会話は、前者は偶発的な些細なトラブルみたいなもので、後者はこれと言って特別視するほどの事ではない……と思う。

 だけどルリちゃんはそう思えなかった。

 サユリさんは原作でもそうだったが、何故か(アキト)に好意を向けていたし、メグミ嬢とは少し微妙だけど付き合っていたと言えるくらいの関係だったからなぁ。

 

「だから不安に感じて、そう言ったんだろうな」

 

 ルリちゃんが怒り、浮気だなんてまで言った訳は何となく察せる。

 ただでさえ“前回”でアキトに好意を寄せ、半ば恋人めいた関係であった女性と親しい様子である事は許せなかったのだろう。

 ルリちゃんの事を(アキト)が間接的にも……なのだと知ったから余計に。

 

「まいったな」

 

 その想いを知られる切っ掛けとなったユリカ嬢との先日のやり取りや、昨日あったサユリさんとメグミ嬢との出来事以上にそっちに対して悩ましさを覚える。

 

 ――あの子に俺の想いが知られた事に。それが厄介に思ってしまう。

 

 ルリちゃんもそんな様子だったが、俺にしてもあの子と面した時に抱く感情をどう処理すべきか分からなくなりそうだった。

 俺の想いが知られ、より強く、より明確に向けられるようになったあの子の感情と想い。

 好き好きオーラとでも言うべきか? 形の無いそれをルリちゃんの姿を見る度に目に映るようなのだ。昨日の嫉妬や怒りにしても色は違っても同様に目に入るようだった。

 勿論、実際に見える訳ではないが、纏う雰囲気をヒシヒシと感じる。

 

「どうすれば良いんだか…」

 

 ルリちゃんを怒らせ、もしかしたら悲しませたかも…という事も辛いが、改めて強く向けられる好意に悩み、苦しさを覚える。

 また、それを厄介だと思ってしまう自分の身勝手さにも怒りを覚える。

 

「…ったく、人の感情って奴は――」

 

 まったくもって難解なものだ。

 軽く溜息を吐いて、とりあえず浮気をする気なんてないと伝えるべきかと考える。

 恋人という訳ではないのだけど、他の誰かによそ見する気は無いとだけは――と思い、途端、ユリカ嬢の事が脳裏に過る。

 強引に口づけされ、二度目は拒む事も出来なかった自分。

 

「……」

 

 舌打ちしたい気分になった。よそ見する気は無いと断言できない情けない自分に

気が付いたからだ。

 浮気なんてまで言われるのも当然だな、これじゃあ。

 呆れを覚えると共に自分への怒りも強くなる。

 その怒りに応えるかのように、俺を叱り付けるかの如くけたたましい電子音が鳴った。

 

「――もうこんな時間か」

 

 鳴り響いた電子音…コミュニケの目覚まし機能によるアラームを止めて、空中でウィンドウに映る時刻を確認する。

 

 ――AM4:30

 

 この少し前に目は覚めたのだが起きる気には成れなくて考え込んでしまった。もうあと30分後の5時までにナデシコ食堂へ顔を出さなくてならない。

 やや億劫な気分だが、気が乗らないからと休んでは仕事は務まらない。ホウメイさんにもサユリさん達にも迷惑が掛かる。それでは社会人として失格だろう。

 

「よしっ! 今日も仕事だ!」

 

 気持ちを切り替え、気を晴らす為にも叱咤するように軽く声を張り上げて身体を起こす。

 立ち上がって布団を片付け、顔を洗う為に洗面所へ向かおうとし、ふとガイの方を見る。

 いびきを掻いて眠り込んでいる。目覚ましのアラームが鳴り、布団を片付ける為にゴソゴソと動いたのに全く起きる気配がない。

 思わず苦笑する。

 

「悩みがなさそうで良いな、ガイの奴は」

 

 そんな事は無いとも思うが、呑気に眠る姿にそう思ってしまう。

 着替えを持ち、安眠を貪るガイを一応(必要ないかも知れないが)気を使って静かに洗面所へ移動する。

 きっちり五分で洗顔、歯磨き、髭剃り、着替えなど身支度を終えて、パジャマ代わりのジャージと脱いだ下着を洗濯籠……正確には籠の中の袋へ放り込む。

 洗面所を出る前にもう一度鏡で身嗜みを確認し……不意にコミュニケから着信を知らせる電子音が聞こえた。

 

「…ルリちゃん?」

 

 操作し、小さく宙に表示されたウィンドウにはあの子の名前がある。

 昨日の今日でという事もあって若干不安を覚えたが、応答する。

 

『朝早くからすみませんアキトさん。おはようございます』

「うん、おはようルリちゃん」

 

 不機嫌な様子はない…のだが、少しばかり元気のない声だ。それに怪訝と心配を覚えるが何用なのかと彼女の続く言葉を黙って聞く。

 

『……昨日は、その…ごめんなさい。嫌な事を言いました。頭に血が上ってしまって…』

 

 ウインドウ越しにルリちゃんは深く頭を下げる。

 

『アキトさんは何も悪くないのに……本当にごめんなさい』

「いや……別に謝って貰うような事じゃないから」

 

 下げられた頭に戸惑ってしまうが、どんよりとした空気を背負うルリちゃんを見ていられなくて若干慌てて告げる。

 

「大丈夫、そんなに気にしてないからさ」

 

 実際は悩んでしまったのだが、そう言うしかない。

 ルリちゃんなりに昨日、俺を責めたのは理不尽だと理解し、怒りも静まったようなのだからサユリさんとメグミ嬢の件は俺としても何も言う事は無い。むしろ安堵を覚える。

 

「ルリちゃんが、怒ったのはそれだけ俺を気に掛けているって訳なんだし、“前回”での事で心配があるからっていうのも分かっているから」

『…アキトさん』

 

 俺の言葉を受けてルリちゃんもホッとした安堵の表情を浮かべ、背負う空気も軽くなったのを感じられた。

 固かったルリちゃんの表情が綻んだ事で俺は更に安堵を覚えるが――……ああ、だけどそれでも言っておくべきだよな。

 

「だけど、これからも多分、ルリちゃんを似たような事で不安にさせたり、怒らせたりすると思う。でも……俺は浮気とか、余所見とかする気はないから。俺が大切だと想うのは――」

 

 ――言葉を切る。

 

 これ以上は口する事はできない。

 言ったも同然なのだとしても“ソレ”を告げたら自分の中で感情を押し留める堰が壊れ、越えてはならない一線を越える事になりそうだから。

 同時に気付く。そうなりそうだというのにルリちゃんにこんな意味深な言葉を言うのは、ユリカ嬢を何処か受け入れてしまいそうな自分を戒める為でもあるのだと。

 ユリカ嬢に揺さぶられる感情の抑止に利用せんが為に出た、浅ましく独善に満ちた言葉。

 そんな自分に吐き気を覚えた。ルリちゃんの想いを踏み躙っているようで自分を絞め殺したくなる。

 

 ――どこまで身勝手なのか!!

 

 自分に対して際限のない憤りを覚える。だが表情には出さない。必死に隠してウインドウに映るルリちゃんを見つめる。先の言葉に対する反応を確認する為に。

 

『……アキトさん』

 

 俺の……いや、“彼”の名前を呟いて頬をかぁっと赤く染めるルリちゃん。途中で切ったものの告白めいた言葉の意味を理解しての事だろう。

 顔を赤くしながらも少し潤んだ瞳で俺を見つめ返してくる。そして――

 

 ――はい、信じます。

 

 不安に思ったり、怒ったりするかも知れませんけど、それでも……と、俺を信じるとあの子は言った。

 

「うん、ありがとう。じゃあ、これから仕事だからこれで。あと謝る為に態々早起きしてくれたんだよね、それもありがとう」

 

 向けられる瞳と言葉に軋む心を抑えつけて俺は笑顔でそう告げ。ルリちゃんの返事を待たず逃げるようにコミュニケを切った。

 ……最低だな、俺は。

 泣かせたくないと思っていても、いつか泣かせる時が来るのだろう。そしてその時には俺も……――。

 

「……ふぅ」

 

 (かぶり)を振る。

 何時ものようにこれ以上は考えないようして部屋を後し、食堂へ向かった。

 

 ただ、どうしてか突然、無性に“アイツ”と“ボンボンの若頭”に会いたくなった。

 片方は既に亡く、もう片方とは疎遠になってしまったが――……3人でまた馬鹿なやり取りをしたいと郷愁(未練)めいたものが胸中に去来した。

 

 

 ◇

 

 

 まだ暖簾の掛かっていない食堂の入り口を抜けると珍しい顔を見掛けた。暖簾が掛かっていない事から分かる通りまだ開店していないのだが、

 

「お、テンカワ、おはようさん」

「来たか。おはよう、テンカワ。朝早くからの勤務、ご苦労だな」

 

 俺が食堂に入った事に気付いたホウメイさんともう一人……この時間帯では見ない顔を向けて大柄の男性が挨拶してくる。

 

「おはようございます、ホウメイさん、ゴートさん」

 

 ホウメイさんの傍にナデシコで戦闘指揮と保安を任されるゴートさんが居た。

 ルリちゃん並みに表情の変化に乏しく、冷静沈着な男性が俺の方をジッと見つめる。

 元軍人、それも特殊部隊に所属し、今はネルガル・シークレットサービス――という表向きの看板を持つ特殊工作部隊――に在籍する屈強な人物の視線を受けた所為かちょっと緊張する。

 その筋の、強面連中には慣れている積りだったが、やはり本物以上に本物の人間は雰囲気が一段、二段と格が……いや、次元が違う。

 

「珍しいですね、こんな時間に」

 

 覚えた緊張と身体の強張りを解すように笑顔を作ってゴートさんに尋ねる。それにゴートさんが「ああ」と頷くの見て、ふとその用向きに気付いた。

 

「もしかして俺に用ですか? パイロットの件で?」

「そうだ。察しが良くて助かる。正直、ここで忙しく働いているお前にパイロットまでやって貰い、その事を話すのは心苦しいものがあるからな。……それにコック姿が板に付いている」

 

 思わぬ気遣いの言葉に驚く。

 ゴートさんは仕事に関して私情というか、そういった内面を見せない人間だと思っていたからだ。リップサービスという訳でもなさそうだ。そういったお世辞や煽てこそゴートさんは口に出さないだろう。

 

「ありがとうございます」

 

 驚いたが素直に嬉しくもあったので軽く頭を下げる。

 

「いや、……まあ、良い」

 

 ゴートさんは何故か口籠ったが、用件を話し出した。

 

「テンカワの訓練スケジュールを組んだ。火、木、土曜の週三日、早朝の食堂勤務が終わってからこっちに参加して欲しい。やや急で悪いが明日が初日になる」

「いえ、大丈夫です」

「そうか。…それで――」

 

 ゴートさんはコミュニケを操作してウインドウを表示する。時間単位でこまかな訓練メニューの入った画像が浮かび、説明しながら俺にもコミュニケを操作するように言ってゴートさんからデータを受け取る。

 

「――とりあえずは以上だ。スケジュールの事はホウメイ料理長の了解を得ている」

「ああ、貴重な男手が取られるのはちょっと大変だが、それを考えてサユリにも頼んだんだしね」

 

 ホウメイさんは苦笑して言う。副主任の事だろう。

 ホウメイさんとホウメイガールズの皆と朝食時などの雑談で知った事だが、料理人として働いた事があるのはホウメイさんを除くと、意外にも俺とサユリさんだけらしい。

 俺はバイトでしかなかったがサイゾウさんに鍛えられた所為か、少しばかりプロとしての自負がある。だがレストラン経営者の娘であるというサユリさん以外のメンバーは、調理師学校や栄養士学校などからスカウトされたとの事だ。

 食堂スタッフとしての技術はそこそこあればいいという程度で良く、食堂に花を添えるとでも言うような見栄えを重視した人選だったとか。メグミさんの採用理由と近いものがある。

 ただ唯一、プロの場で経験があるサユリさんも……ホウメイさんが皆に言わず、俺にだけ語った事だが、サユリさんは料理人としての自負が少し乏しいという。

 

 プロの両親の指導を受けただけに筋はとても良いのだが、それ故にか“お手伝い”感覚があり、あくまで両親の下にいる一スタッフというスタンスで心構えが不足しているとの事。本人としては料理人の自覚はあるのだろうが……。

 

『まあ、それでも問題は無いと言えば、問題ないんだけどねぇ、ナデシコ(うち)としては』

 

 苦笑しながらホウメイさんは言った。

 だけど、一人くらいは気概のある人間が居て欲しかったと。

 

『そう言った意味でもテンカワが入ってくれたのはありがたかった。技術はまだ荒いが見込みもある』

 

 気概も気骨も十分、料理人として身を立ててやろう!っていう野望だってある…補佐として自分の代わりを任せられるって思ったよ。差別する訳じゃないが男性という点も良かった、とも言われた。

 褒め過ぎな気もする。

 過大な評価だ。自分なりに真剣に料理に向き合ってはいるが、身を立てようっていうのは”本来の彼”の夢の為で、この身体を預かっている以上は投げ出したくないという意地があるからだ。

 確かに料理人というのも悪くないと思っているし、多くを学ぼうと努力もしている積りだ。身体を返せずこの世界に留まって生きて行く事になるのなら将来は自分の店を持ちたいとも考えてはいる。

 だからサイゾウさんの下でも、此処でも真剣にやっている。

 

 ……うん? 傍から見るとホウメイさんの言う通りなのか?

 

 まあ、ともあれ。

 サユリさんはホウメイガールズのリーダー的立ち位置に初めからあったものの、ホウメイさんの補佐や代理として任せるにはやや不安があったので俺を……という事を考えていたのだが、俺が本格的にパイロットもやる事になった為に、苦肉的に俺とサユリさんの二人を副主任に選ぶ事になったそうだ。

 その際、

 

『サユリの奴もテンカワが来てからどうしてか、気概が出るようになったからね』

 

 と、ニヤニヤとした笑みで言って俺を意味ありげに見ていた。

 その時は、なんでさ? と某ブラウニー少年の口癖を心の中で呟いたものだが、今となっては――……まあ、分かる。

 そんなフラグを立てた積もりはないのだが……本当、どうしてだ?

 

「テンカワも二足の草鞋で大変だろうが、頑張りなよ」

「はい、すみません。ありがとうございます」

 

 厨房から抜けがちになる事に頭を下げつつも、気遣いと励ましの言葉にお礼を言う。

 ホウメイさんはそんな俺の態度に苦笑を覚えた様子だが、今日も宜しく頼むよ…と言いながら厨房の方へ引っ込んでいった。

 

「こっちも苦労を掛けるが明日から頼む」

「はい、了解です」

「うむ、ではな」

 

 ゴートさんも俺に背を向けて食堂を後にする。その背を見ながら思う。

 ……パイロットか。本当にもうコックだけではいられないんだな。

 もう三度も実戦を経験し、プロスさんの要請に応えておきながらも、そう今更ながらに思ってしまう。

 

「逃げる気なんてないけど」

 

 それでもサツキミドリに寄港してから今日まで平和で、エステのコックピットに座ったのもコロニーを出航したあの日だけで、それだって戦闘はなかった。

 

「駄目だな」

 

 もう戦いたくなんてない。エステに乗りたくないと感じている自分に気づいて、それを振り払うように首を振る。

 サツキミドリ滞在以降、楽しくコックに専念出来ていたせいか、思いのほか腑抜けていたらしい。

 

「気を引き締めて掛からないと」

 

 右手を目の前に持って来てIFSタトゥーのある甲を見詰めつつ、気合を入れるように拳を握った。

 

 

 ◇

 

 

 翌日――

 

「おう! 来たかアキト!」

 

 早朝の厨房での仕込みと食事を終えた俺は、格納庫近くにあるブリーフィングルームに顔を出した。

 艦橋に隣接する物よりもこじんまりとしているが、戦う船という事もあってか、こういうブリーフィングルームは各ブロック随所にある。

 

「ガイ、おはよう。…しっかり起きていたんだな」

 

 顔を出した俺に真っ先に声を掛けてきたガイに応じるも、確りと此処にいる事に少し驚いてしまう。

 

「……当たり前だ。これでも軍のパイロット校に居たんだぞ、俺は」

 

 時間管理はきっちりしていると言いたいらしい。

 俺の事を何だと思っていると問い質し気な視線を受けて俺は苦笑を返す。

 仕方ないだろう。俺が掛けた目覚ましのベルにも気にせず眠り続け、部屋を出るまで布団の片付けから洗顔、着替えまでゴソゴソと動いていても一向に目を覚まさずにいびきを掻き続けているのだから。

 遅刻常習犯とまでは言わないが、それに近いルーズな出勤していると思ってしまう。

 

「……ぬう」

 

 俺の苦笑をどう感じたのか、ガイはムッとした顔で不機嫌そうに唸る。

 

「オッス、テンカワ」

「アキト君、おはよう」

「おはよう、テンカワ君」

 

 三人娘もガイに続いて俺に挨拶してくる。それに俺もおはようと挨拶を返す。

 その三人娘の方をガイは一瞥すると、

 

「まあ、良いか。アキト、よろしく頼むぜ!」

 

 機嫌を直して改めて挨拶をした。ガイのその声には何となくだが、安堵めいたものが感じられた。

 多分、男一人で肩身が狭い思いをしていたのだろう。そこに漸く自分以外の男性パイロットが来たのだ。それも同室の気心が知れた俺である。

 

 ……その気持ちは分からなくもない。俺も食堂では同じな訳だし。

 

 整備班を中心にやっかむ声は聞こえてくるが、若い女の子の中で男一人というのは神経を使う。傍から羨ましい環境に見えても実際は違うものだ。

 漫画、ゲーム、アニメなどで、謂わばそういった類の物語の主人公などがそう似たようなセリフをぼやく事があるが、まさかリアルで体験して自分がそう思う事になるとは思わなかった。

 ガイの奴も似たような心境かも知れない。コイツも男性クルーにやっかみの籠った視線を向けられているのだし。

 ヒカル嬢とゲギガンガーについて熱く語り合って意気投合している事もある。他のアニメや特撮や漫画などの話題でも盛り上がっているらしい。

 ゲキガンガーオタクなだけかと思いきやそれ以外にも結構見ているんだよなぁ、ガイの奴。……ジャンルは偏っているけど。

 

「全員、揃っているようだな」

 

 背中から野太い声が掛かった。

 その声に振り向くと、つい先程俺が潜ったドアの前にゴートさんが居た。

 

「おはようございます、ゴートさん」

 

 俺が挨拶すると同時にカイやリョーコ嬢達も「オッス」「おはよう」など挨拶を口にしてゴートさんに軽く敬礼したり、頭を下げたり、手を振ったりする。

 それにゴートさんも短く「うむ、おはよう」と返事をする。

 

「さて、昨日知らせた通りテンカワが今日から訓練に参加する事になった。毎日ではないが、宜しくしてやってくれ」

 

 席に付いた俺達にゴートさんはそう切り出し、ガイ達は頷き、俺も宜しくと改めて軽くお辞儀をする。

 ゴートさんはその様子を見て満足するように軽く頷くと、俺の方へ視線を向けて、

 

「テンカワ、一応確認するが、渡していたマニュアルは読み終わったのか?」

 

 そう尋ねられた。

 渡されたマニュアルというのは、エステバリスの仕様書や格納庫周りのシステムや機材の説明書の事だ。

 エステバリスの仕様書は言うまでもなく、各フレームのスペックデータや取扱いに関しての事だ。

 格納庫周りのものは、エステを固定し移動させるハンガーやガントリーや発進時に使用するカタパルトに関する事などが書かれていた。

 パイロットになる以上、そういった知識はしっかり頭に入れておかなくてはいけない。

 忙しい昼時が過ぎて比較的手が空いた時間帯にそれらを読んだり、仕事が終わった就寝前の、“先の事”を密談する時間を使ってルリちゃん……いや、ルリ先生の講義(レクチャー)を受けて何とか頭に詰め込んだ。

 なお、ルリちゃんは先生呼ばわりはお気に召さなかった模様。俺に他人行儀に呼ばれるのは心底嫌らしい。……一度、そう呼んでみたのだが物凄く不機嫌な顔をされた。

 とにかく、ルリちゃんからの教えもあって俺は自信をもってゴートさんに頷く。

 

「はい、大丈夫です」

「…そうか」

 

 ゴートさんも頷き返し、なら問題ないなと言いながらブリーフィングルームの中央、俺達が席を囲って向き合うテーブル……もとい卓型のディスプレイ端末を操作する。

 操作を受けた端末に画像が投影される。コミュニケと同じ無数のウィンドウが優に開いて中央に立体映像が浮かぶ。

 

「お!」

「これは…?」

 

 浮かんだ映像にリョーコ嬢が微かに驚き示し、ヒカル嬢が疑問気な声を出す。そこにガイが卓上へ身を乗り出すようにして叫ぶ。

 

「エステバリスの新型かっ!?」

 

 ガイの言葉通り、立体映像(ホログラフィー)で分かり易く浮かんでいるのは見た事のない型のエステバリスだ。

 それを見て、イズミ嬢も僅かに目を見開いているが中央のホログラフィーばかりに気を取られず、冷静にその周りに浮かぶ概要欄やスペックが表示されているウィンドウに目を走らせている。

 そう、驚くリョーコ嬢や興奮したガイなど反応を観察するように見ていた所為か、ゴートさんに言われる。

 

「テンカワは驚いていないようだな。……ふむ、ホシノに既に見せて貰っていたか」

 

 指摘めいたその言葉に一瞬ギクリとしてしまう。

 

「……図星か」

「はは…」

 

 笑って誤魔化す。余り意味は無いのかも知れないが。俺とルリちゃんの仲の良さを知らないナデシコクルーはいないのだ。

 ガイは新型のこと知っていたのかよ!?と問い詰めて来るし、リョーコ嬢も非難するような視線を向けてくる。ヒカル嬢もぶーぶーと同じくだ。イズミ嬢は呆れが見える。

 皆、正規パイロットの自分達を差し置いて、という思いがあるのだろう。

 俺もそれには少し申し訳なく思うが許して欲しいとも思う。ルリちゃんと二人っきりで密談しているだなんて下手しなくともタイーホ案件になるような事は勿論言えないのだが、この新型の事もこうして披露される前に知らせて変に期待されては困るのだ。

 

 図面を引いたルリちゃんも、実際に形に出来るかは分からないと言っていたのだから。

 

「テンカワを責めるのはそこまでにしておけ、それでこの新型についてだが――」

 

 ゴートさんが淡々とした口調ながら皆を宥め、新型エステバリスを模るホログラフィーに目線を向けて説明を続けようとする――が、

 

「――その説明はこのナデシコのチーフメカニックこと、天才エンジニアのウリバタケセイヤに任せて貰おうかっ!!」

 

 魔改造ならお任せあれ!とも叫びながらブリーフィングルームの扉からウリバタケさんが飛び込んでくる。

 その突然の登場に俺とリョーコ嬢達が唖然とする中、ガイがそんなウリバタケさんのノリに合わせるかのように「おおっ! 博士!」と応じている。

 

「ウリバタケ班長、仕事はどうした? まだ――」

「――おおっと! 固い事は言うなよ、ゴートの旦那」

「……」

「メカの事に関しては専門家の俺から説明した方が良いだろ。こういった役目もまた仕事だ。第一、この新型エステの改造を実地しているのは俺が率いる整備班と技術班なんだぜ」

 

 眉を顰めて渋い顔をするゴートさんにウリバタケさんは尤もらしい事を言うが、部屋に飛び込んできたタイミングといい、叫んだ口上といい、仕事だと言いながらその仕事を放って楽しんでいるのは明らかだ。

 ゴートさんは額を手で覆って頭痛を堪えるようにしている。そして溜息を吐いて、

 

「……分かった。ただし余り長くならないように、脱線しないように頼む」

 

 あ、なるほど。だからか。

 新型のホログラフィーが浮かんだ時に思った事だが、こういう場に技術畑のウリバタケさんが居ないのは正直不思議に感じていた。

 けれど、その理由が分かった。マッドエンジニア気質を持つウリバタケさんに説明を任せたら無意味に話が長くなったり、脱線する危惧があったからだ。

 改造や整備の苦労話を挟むまでならともかく、メカの美意識だとか、拘りだとか、何故か自分の人生を語るような事になったら困る。

 脱線し過ぎて皆が呆れるだけなら良い方だが、堪忍袋の緒が切れたリョーコ嬢の拳や蹴りが飛んで、ウリバタケさんの顔や腹にめり込む事態になるのかも知れないし。

 ゴートさんも同じ事を考えたのだろう。だからウリバタケさんをこの場に呼ばなかった。……結局来てしまったが。

 

「よっし!……任されたっ!!」

 

 渋々頷くゴートさんとは対照的に意気込むウリバタケさん。

 

「この新型エステバリス…『エステバリス・OG改』の最大の見所は何といってもジェネレータ出力が従来のフレームの2倍以上となっている点だ!」

「「2倍!?」」

「おうよ! まだシミュレーション上だけでの計算だがOGフレームと比較して凡そ2.19倍の数値が出ている!」

 

 試作機を運用しデータ取りを行っていたリョーコ嬢達にとっては思いの他、大きい事だったのだろう。いきなり倍となる出力向上に驚きを見せる。

 まあ、そうだろう。

 2という数字を見て聞いてピンと来ない、或いはたった2…と思う人もいるかも知れないが、例えれば自分の体力や筋力が2倍になったと考えればその凄さが分かるのではないだろうか?

 100m走、幅跳び、垂直飛びなど身体測定などで測る記録が一気に倍に出来るのだ。

 

 とは言っても――

 

「倍以上となったジェネレータ出力のお蔭でエステバリスに搭載されているフィールド、反重力推進、重力制御、駆動系、その他諸々の出力も安定して理論値最大にまで発揮できるようになった」

「……あん?」

 

 ウリバタケさんの言葉にガイはおや?っと首を傾げて眉を顰める。

 

「なんかまどろっこしい言い方だな。フィールドなんかも二倍になるんじゃねえのか?」

「そこが素人が安易に考える所だな。そう簡単にはいかねえんだな、これが」

 

 ウリバタケさんが目を閉じて腕を組んで難し気な表情をする。ガイの疑問を予想した反応だったのか、微妙に演技っぽいが…。

 

「ジェネレータから供給されるエネルギーが倍になったとはいえ、フィールド発生器や重力制御装置などにそのまま反映するのは難しい。各機器の個別出力が入力されたエネルギーに対応できないんだ」

 

 そう、ただ単純に筋力を倍には出来ないという感じなのだ。ジェネレータ出力は例え直すなら人間の体力ないしスタミナに当たると言った所だろう。

 

「だが、そうがっかりする事もない。ナデシコに配備されたエステバリスは正式採用前の試作機ないし先行量産機のようなもんだが、冗長性や拡張性は確保してある。現場での改修や発展もしっかり視野に入れられている」

 

 どこか肩透かしをくらった顔をするガイに、それに反してニヤッと不敵な笑みを見せるウリバタケさん。

 

「フィールド発生器を含め、入出力に取ってある余裕(マージン)はかなり大きい。さすがに二倍そのままとはいかないが、フィールドや重力制御関係の出力は50%ほどの向上が見込める。駆動系もアクチュエータや内部構造のレイアウトを少し調整するだけで20%ほどのアップが可能だ」

 

 そう言ってウリバタケさんが端末を操作してウィンドウを空中に表示。ノーマルの0Gフレームとの比較した具体的な数値とグラフが示される。

 目に見える数字と表に「おおっ!」とガイの他、リョーコ嬢とヒカル嬢が感嘆の声を上げる。

 

「……大したものね。それで出力を一足飛びに2倍に出来た理由だけど、やっぱり此処の……脚部の部分かしら?」

「ああ」

「見た所これは…」

「イズミちゃんが思っている通りさ」

 

 イズミ嬢の指摘を受けてウリバタケさんが再度端末を操作する。

 ホログラフィーで浮かぶエステバリスの脚部……0G改と言われるフレームで最も異彩を放つ若干大型化し形状も変化した下腿部分が赤く点滅し、新たなホログラフィーが卓上に浮かんでその内部構造を透かしたものが映る。

 

「発想としては実に単純な物だ。エステバリスは内蔵バッテリーを除けば、ナデシコから発信される重力波ラインに乗ったエネルギーを機体背部に設置された2基の受信機…これがジェネレータな訳だが、この重力波受信ユニットでエネルギーの供給を受けて稼働する」

 

 大容量のエネルギー源を機体そのものに持たせるのではなく、外部に頼る事で非常にコンパクト且つ従来にない大出力を実現した……というエステバリス最大の売りにして基礎的な知識。

 ウリバタケさんの復習するような台詞に、俺を含めてパイロット全員が頷く。

 

「ならこの重力波ユニットを増設したらどうなるか? 2基あるこれを4基にすれば倍になるんじゃないのか? ……と」

「本当に単純だな」

 

 リョーコ嬢が横から言い、一瞬噴きそうになった。

 

「ああ、まるでメカの素人が思った事をそのまま口に出したような意見だが、だからこそ盲点でもあった。いや、発想の転換だな」

「…ッ!」

「どうしたテンカワ?」

「い、いや…なんでも……」

 

 こみ上げそうになった失笑を堪えて慌てて首を振る。その単純で素人みたいな意見というのは、元は未来のリョーコ嬢が言った事だからだ。

 知らぬ事とはいえ、言った本人が呆れたように言うのだから可笑しさを覚えても仕方がないだろう。

 笑いを堪えて引き攣った表情をしているだろう俺を皆が怪訝そうに見つめるが、「まあ、いいか」といった様子で皆の視線がウリバタケさんの方へ戻る。視線を受けたウリバタケさんもホログラフィーを見つめる。

 

「しかし重力波ユニットのパーツは大きい、増設するにしても背部にさらに追加しては機体バランスが悪くなり過ぎる。ガントリーやハンガーへの固定にも支障をきたす。そうなると自然整備作業にも影響が出てくる」

 

 卓上にホログラフィーが追加される。背部に重力波ユニットを増設した0Gフレームと、そのフレームとの格納庫周りの機材との干渉具合が映像で分かり易く示される。

 

「確かに背中が重そうだねぇ、このエステちゃん」

「宇宙空間なら影響なさそうだが……機動時に掛かる慣性モーメントもあるしなぁ。重力制御でそっちもコントロールできるつっても癖がありそうだ」

「重力下では余計にそうね。言うまでもないけど」

「翼が生えたみたいで見栄えは悪くなさそうだけどな。それに地上なら静安性が悪いのは逆にメリットになる事もあるぜ」

 

 ヒカル嬢、リョーコ嬢、イズミ嬢、ガイが各々感想を零す。

 

「機体バランスを敢えて崩してって奴?」

「おう! 重心などの不安定さを利用してな。地上の戦闘機は昔っからそうしてるぜ」

「なるほど、そういやヤマダは空軍の方の出だっけか?」

「ダイゴウジガイだ! いい加減、そう呼んでくれ…」

 

 ヒカル嬢とリョーコ嬢と続けて話しながらガイは肩を落とす。一々訂正(?)を求めるのも疲れるというのもあるだろうが、せめてパイロット達の間では……という思いもあるのだろう。

 しかしヒカル嬢は「はいはい」と軽く投げやりに、リョーコ嬢は呆れ顔で無言で流すだけだ。

 俺は苦笑するしかない。

 

「ヤマダの話すメリット云々はまあともかく、メカの専門として、また整備に携わる人間としてはエステバリスの背部へのユニット増設は歓迎は出来ない。それに高度な重力制御と慣性制御を行うこの最新鋭の機動兵器(エステバリス)にはそのメリットは殆ど無いしな」

 

 ウリバタケさんが話を戻す。

 

「で、背中が駄目ならと次に考えたのが、脚部だ」

「ん、だけどよ。そこには――」

「――ああ、補助動力のバッテリーの大部分が内蔵されている」

 

 リョーコ嬢の指摘に頷くウリバタケさん。エステバリスは空戦フレームと月面フレームを除いて下腿部分に内蔵バッテリーがある。アサルトピットの方にも予備はあるが。

 

「この改造機の唯一の欠点だな。こいつはバッテリーが内蔵されてる下腿を重力波ユニットを組み込んだパーツに取り換えたものだから、重力波エネルギーのラインの外に出ると稼働時間が大幅に減る。それでもノーマルの0Gフレームの出力に換算して半分の時間……5分は何とか連続稼働できるようにしてある」

 

 そう告げるウリバタケさんの言葉に、パイロットのそれぞれが悩ましそうな顔を浮かべる。

 

「…5分か。ノーマルでソレなら倍で戦闘をすれば更にその半分になるな」

「やっぱり一足飛びな分、そういったデメリットはあるよね」

「けど、エステバリスは元より母艦(ナデシコ)の補助兵器、それに宇宙なら大きな遮蔽物は少ないからラインが切れる心配は早々ないわ。だからと言って楽観視する積もりもないけど」

「やっぱ、背中に増設した方が良いんじゃねえか?」

 

 3人娘の悩まし気な言葉を受け、ガイは改めて背部増設案を勧める様に言うが、

 

「そうもいかねえ。背部案を蹴って下腿へ増設をする事になったのは、何もバランスや整備に問題が出たからじゃねえんだ」

「ん?」

「どういう事だ?」

「背部に増設すると0Gフレームの背面や胴体部にあるエネルギー伝達系へ掛かる負荷が大き過ぎるんだ。エネルギー伝達系にも勿論、出力向上を見込んでマージンは取ってあったんだが、いきなり2倍とは流石に想定外だったようでな。背部増設の場合、負荷を抑える為にせいぜい20%……良くても30%行くかどうかが限界値になる。フィールドなど各部への出力反映もその分か、それ以下になる。当然、伝達系にバイパスを追加しての話だ」

 

 機体の外にチューブを経由してという方法もなくは無いんだがなぁ……とも今度はウリバタケさんが悩ましげに言った。

 それにイズミ嬢が得心した表情を見せる。

 

「……なるほど、だから下腿に増設したのね」

「おう、元からバッテリー用のエネルギー伝達回路があったからな。それを利用してユニットを設置すればエネルギーが背面や胴体の回路ばかりに集中する負荷は避けられて、倍に得られるエネルギーを抑える心配もロスさせる事も無くなるという訳だ」

「へぇ~、倍にするにしても色々あって、考えなくてはいけないんだね」

「あったりめえだ! 漫画やアニメのようにポンポンと都合良くは出来ねえよ。プラモデルのようにただパーツをくっ付ければ良いって訳でもねえしな」

 

 ヒカル嬢の言葉に「こんな事もあろうかと!っていうのも実際は地味な積み重ねと苦労が裏にあるもんだ」ともウリバタケさんは小さく言う。どこかしみじみとして。

 

「ふーん、でもこうして聞くとホント良く考えているよね。単純なようで盲点なユニットの増設もそうだけど、バッテリーがある脚部の回路を利用するっていうのも。エステちゃんに触ること自体、まだ日が浅いのに……こう短い間にこんな改造案が出るだなんてさっすが天才エンジニアを名乗るだけあるよね」

「確かにな、やるなウリバタケ、冴えないおっさんかと思ってたけど見直したぜ」

「そうね、サツキミドリの開発スタッフもそうだけど、それに負けない確かな腕を持つ一流の技術者だったのね。私も見直したわ」

 

 しみじみとするウリバタケさんに三人娘から称賛の声が向けられる。しかし、

 

「………………」

 

 若い娘、それも美少女達から称賛と感心が籠った眼を受けたというのにウリバタケさんは何故か黙り込む。

 女房から逃げる為にナデシコに乗り込み、浮気と構わずとも若い娘との出会いを求めているウリバタケさんが喜ばずに何故か沈黙している。

 

「どうしたのウリバタケさん?」

 

 調子に乗って喜ぶ姿でも想像していたのだろう。三人娘は怪訝そうな表情をし、代表してヒカル嬢が尋ねるが、ウリバタケさんは沈黙を守る。

 俺は少し呆れて溜息を吐く。何故か…と表したがその理由を察していたからだ。

 

「ぐっ…」

 

 溜息を吐く俺の様子を見てウリバタケさんは気まずそうに呻いた。俺が察した事を察したらしい。

 で、観念したのか、頭を横に振りながら言い難そうに答える。

 

「……褒めてくれるのは嬉しいが、お門違いだ」

「え?」

「この改造案を出したのは俺じゃあねえんだ」

「ハァ!? あんな自慢げに登場しておいて、我が事のように説明していたのにか!?」

「……博士、それはないんじゃないか?」

「ぐはっ!?」

 

 ヒカル嬢、リョーコ嬢の唖然とした様相に続いてガイの呆れた声が効いたのか、ウリバタケさんはまるで心臓に赤い魔槍でも受けたかのように胸を押さながら膝から崩れ落ちる。

 なんとなくだが、ガイにさえ呆れられたのが特に応えたように思える。

 

「……無様ね」

 

 そこに鞭打つかのようにイズミ嬢の呟きが耳に入った。ウリバタケさんは今にも血を吐きだしそうな表情になる。

 意気揚々と現れて、自分がやった仕事のように話しておきながらの説明だったから……まあ、こうなるのも仕方がない。

 そこに落ち着いた声が横から入る。

 

「このプランを提案したのはホシノだ」

 

 ゴートさんだ。何時ものむっつりとした顔で淡々と告げた。

 

「あ! だからテンカワが知っていたのはそういう事なのか!?」

「テンカワが知っていたかどうかは別として、彼女が設計を行ったのは確かだ」

「ほへ~、ルリちゃんが。なるほど“本物の天才”はやっぱり違うね」

「アイディアを出すだけでなく、設計まで出来るなんて色々と凄いわね、あの子。何処かの“一流の技術者”顔負けね」

 

 リョーコ嬢の驚きに繰り返すように答えるゴートさんの言葉に、ヒカル嬢とイズミ嬢は此処にいないルリちゃんに感心する……が、微妙にウリバタケさんに視線をやり、刺を向けている。

 ウリバタケさんは膝を着いてorz状態だ。流石に哀れに思えてくる。

 

「まあ、ルリちゃんが設計したのは確かだけど、専門家じゃないから。ウリバタケさんの修正があって形に出来るんだし」

 

 哀れに感じた事もあってフォローする。

 

「それに設計が出来て、こう直ぐに実機の改造にまで漕ぎ付けられるのは一流の技術者で、改造屋(違法だけど)で腕を鳴らしたウリバタケさんがナデシコに居てこそなんだから」

「……それも事実だな。テンカワの言う通りだ」

 

 意外な所から更なる援護射撃(フォロー)が来た。ゴートさんが言葉を続ける。

 

「ホシノの設計案があったとしても、やはり彼女は専門家ではないからな。細かな所で問題点はあった。それを設計図の段階で的確に見抜き、逸早く修正できたのはウリバタケ班長の見識故だ」

 

 実際、サツキミドリから新たにクルーに加わったエステバリスの元開発スタッフ達は直ぐに見抜けなかったからな…と言いつつ、

 

「そこからシミュレーションでの検証と実機の組み立てまでと、この僅かな期間で進められたのは班長が一流の技術者であり、天才と自負するだけの腕があるという確かな証左だ」

 

 寡黙で実直な軍人とでもいうような――事実、元軍人だ――淡々とした口調だが……いや、だからこそ何の誇張もなく手放しに褒めているのだと分かる。

 

「へぇ~、そっか。ゴートの旦那がそう言うのなら」

「ウリバタケさんもやっぱりただ物じゃないんだね」

「……人は見かけによらないって事ね」

「博士は、博士って事だな! やっぱそうでないとな!」

 

 ゴートさんの偽りなく述べる褒め言葉を受け、ウリバタケさんに再び称賛の眼が向けられる。

 床に膝を着いていたウリバタケさんも立ち上がって笑顔を見せる。

 

「伊達にこの腕だけで飯を食ってきた訳じゃねえからな。そこらの技術者気取りの連中にこの道で後れを取る事は無い積りだ」

「……うむ」

 

 ウリバタケさんの言葉をどう受け取ったのか、ゴートさんが神妙に何処か考え込むように頷く。それが微妙に気になる。

 ただ俺もその言葉には確かな自信と気概が感じられて、三人娘も感じるものがあったのか「ほう」「へぇ」と感嘆の声を零した。今度こそ本当に見直したらしい。

 

「まあ、そんな俺から見てもルリルリは確かに凄いな。ヒカルちゃん達も言っていたが、流石は――って事なんだろうな」

 

 卓上に映るエステのホログラフィーとウィンドウに映る設計図を見ながらウリバタケさんは言う。

 ルリルリという愛称を口にするのは、ハルカさんがそう呼んでいる事が早くもクルー達に広がっているからだ。……女性よりも男性クルーがそう呼ぶ割合が多いのが何とも言い難いが。

 流石は……と口に出しながら濁したのは、俺としては僅かに怒りを覚えるがやるせなくも思う。

 心身知脳ともに優れた人間として、天才となるべく生まれる前から遺伝子調整されたデザイナーベビー。

 あの子に向かって誰も直接は言わないが、きっと誰もがそれをあの子を目にする度に頭の何処かで意識し、考えてしまうのだろう。

 羨望、哀れみ、奇異、妬み等々を込めて。

 それは俺自身例外ではない。それがあの子への侮辱なのだとしても。だからこそあの子に向けられる悪意や隔意から守りたいと、大事にしたいと思う。

 

「正直、脱帽されられたぜ。エステバリスどころか、機械その物をまともに弄った事もないあんな小さな子に、こんな立派な図面を見せられた時はな」

 

 感心しながら言うが、その声には微かに嫉妬めいたものもあるように思える。気のせいかも知れないが。

 

「うちの若い連中にも見習わせたいもんだ」

 

 ウリバタケさんの感心する様子に俺は内心で何とも言えない気分になる。多分、ルリちゃんもその言葉とウリバタケさんの様子を見たら同じ気分になるだろう。

 ルリちゃんがエステバリスの改造案と設計図を引けたのは、やはり未来での知識と経験がある為だ。

 

 ルリちゃんは周知されているとおりIFS強化体質だ。

 その身体の特性を活かして(活かされて)体内に通常のIFS保持者とは比較にならない大量のナノマシンを持ち、脳下垂体に形成されている補助脳も極めて大容量のデータベースを有し、高速演算処理を可能としている。それはあの子を一種の生体コンピューターと言わしめる程に。

 事実、ルリちゃん自身の脳と補助脳を含めた体内のナノマシン群の間で行われる量子プロトコルやアルゴリズムなどによるコンピューティングは、オモイカネを除いてこの時代はおろか、未来での最新コンピューターでも追随できない性能を誇るという。あの子自身から聞いた話だ。意識的にも無意識的にも常に自分の性能をアップデートさせている事もそれに貢献しているらしいが…。

 

 ともかく、生きたスーパーコンピューターとも言うべきルリちゃんの頭の中には、未来で得たエステバリスなどの機動兵器やナデシコの詳細な設計図を含めた膨大なデータが蓄積・保存されている。

 ルリちゃんがウリバタケさんも唸る程の図面を引けたのは、“天才”として教育されたあの子自身の知能の高さもあるが、何より未来で得たデータを持っていた為だ。

 

『改造人間――そう言われるのも無理はありません』

 

 数日前、あの子の部屋で図面を引きながら、自嘲したように自分の身体の事を語るルリちゃんを思い出す

 その言葉を否定する事は出来なかった。けどだからといって俺はあの子を非人間だと嫌悪する積もりは無い。否定は出来なくともそれはしっかりと伝えた。

 それで自嘲気味だった笑みが引っ込んでくれたから伝わってくれたと思うが、まだ心配はある。人とは違う、より優れた存在である事に優越感を覚える以上にコンプレックスや引け目、負い目を感じているようだから。

 だけどウリバタケさんも思う所はあってもルリちゃんをしっかり一人の人間として見ているし、ハルカさんや他のクルーも同様だから変に思い詰めたり、拗らせる事は無いと思うが――……。

 

「そういや、テンカワからアイディアを貰ったとかも言ってたな」

「え?……あ、まあ」

 

 突然、話を振られて戸惑うも頷く。

 

「そうなのか、テンカワ?」

「うん、まあ…」

 

 ウリバタケさんに続いてリョーコ嬢からも意外そうな顔を向けられて、もう一度頷く。

 

「といっても、大したことじゃないよ。重力波ユニットを足に付けたら? と言っただけで……」

「あ、アキト君のアイディアなんだ、それ」

 

 告げる俺にヒカル嬢は感心し、ガイもほう…と唸っている。残りの面々も似たり寄ったりだ。

 俺としては頬を掻くしかない。照れ臭いというのもあるがそう褒められる事でもないのだ。

 『エステバリス・カスタム』をこの時代の技術による再現を試みてルリちゃんが図面を引き、ユニットの増設の事で悩んでいるのを脇で見ていた際、エステバリス・カスタムとの事からふいに同劇場版で登場していた『ステルンクーゲル』の事が思い浮かび、あの機体と同じく足にユニットを付けたら良いんじゃないのか? と、アドバイスと言えないよう事を何となしに言ってみただけなのだ。

 そして、

 

『なるほど、それなら……――助かりますアキトさん』

 

 そうルリちゃんは天啓を受けたような顔をして俺にお礼を言って、ステルンクーゲルの設計図を引っ張り出して睨み始めて。それを参考にしたこの『エステバリス・0G改』が誕生する事になった。

 何と言うか皮肉的な話である。

 ネルガル最大のライバル企業が未来において開発し、エステバリスから主力の座を奪った機体のお蔭で形に出来たのだ。

 褒められた気がしないのは、パクリ的にアイディアを持って来たという事やライバル機から取ったという複雑な所もある所為かも知れない。

 

「話を戻そう。ホシノが提案した当機だが先程も説明に出たように現在組み立てが進められており、この二、三日で完成(ロールアウト)する見込みだ」

 

 懸念されたウリバタケさんの長話が出た訳でないが脱線を感じたのだろう。ゴートさんがやや声を大きくして傾注を促すように言う。

 

「それに先んじてシミュレーションデータは既に出来上がっている。訓練初参加のテンカワも含めて午前はパイロット各員にこの改造機への適性を計って貰う」

「うーん……そうだな。こいつは出力が倍になり、フィールドや重力制御こそ50%アップに留まるが、見ての通り下腿への重力波ユニット増設に伴いスラスターもそのままユニットの物を流用して下腿部に追加してある。総推力に関して言えば見たまま倍になっている訳だ。つまり――」

 

 ゴートさんの話を補足するようにウリバタケさんも告げる。

 

「重力制御…引いて言えば慣性制御、対G緩和は50%アップに限られるのに、推力は2倍上昇という事だが――この意味は敢えて説明しなくとも分かるだろう」

 

 告げられた内容に素人の俺は勿論だが、正規パイロットのガイと三人娘達は当然だと言う風に頷く。

 

「そういう事だ。訓練校時代の適性検査やこの一年でのスバル達の試験中のデータ。ヤマダもそうだが……そこからも問題は無いと思うが一応だ」

 

 皆を見まわしながらゴートさんが言い、俺の方で視線が止まる。

 その視線の意味を理解して俺は再度大きく頷いた。要するに実質俺に向けた適性検査な訳だ。

 当然といえば当然だ。サセボ、高々度上空、サツキミドリと三度の実戦を経てはいるが、元は偶発的――正確には違うが――にエステバリスに搭乗していただけの素人だ。訓練どころか適性検査すら受けていない。

 俺の頷きの意味を見て取ったのだろう。念押しは不要と思ったのかゴートさんは一時解散を告げる。

 

「では、各員パイロットスーツに着替え、シミュレーションルームに集合だ。5分……いや、3分以上時間を掛ける事は許さん。一人でも遅れれば全員腕立てスクワット100回の3本セットだ。以上だ。解散!」

「「「「了解!」」」」「……りょ、了解」

 

 口調は勿論のこと、何時もの無表情にも厳しさと険しさが籠った声が向けられ、ガイもリョーコ嬢達も慣れた様子で敬礼して強い声で応じたのだが、俺はどもり反応が遅れてしまった。

 一瞬、ゴートさんに一瞥されたがこれと言って何も言われなかった。

 軍隊でないからか、素人に過ぎないからか、それとも訓練初日だからか。何にしても叱責を受けなかった事でホッと胸を撫で下ろすが、

 

「おい、アキト、急げ! 遅れたらどうなるか旦那が言っていただろ!」

 

 隣に居たガイに代わりに怒鳴られてしまった。

 確かにボヤっとしている場合じゃない。急がないと。

 

「わ、悪い」

 

 全力疾走という訳には行かないからか、軽く駆け足になったガイ達の後を追って俺も足を駆けだす。

 そうして赤い制服を着込んでいる皆の背中を見ながら、一人黄色制服でいる場違い差を感じつつも自分もその一員……パイロットになるんだな、と今更ながらに改めて感じた。

 

 




 NMW-00改 エステバリス・0Gフレーム改
 頭頂高:6.24m/本体重量:1360Kg(アサルトピット重量:350Kg)

 『ND-001ナデシコ』専属オペレーター・ホシノルリが設計を行った現地改修機。エステバリスの宇宙戦闘用の0Gフレームをベースに、ナデシコ整備班及び技術班が火星航路途中の艦内で製造を行った。
 下腿パーツを重力波ユニットを組み込んだ改造パーツに換装しており、従来のフレームの凡そ2倍以上のジェネレータ出力を得る事に成功している。
 この向上した出力のお陰で当機は予め冗長を持たされていたディストーションフィールドや重力制御・慣性制御装置など、各機器の出力も理論値最大にまで活かせるようになった。
 機動性においては、増設された重力波ユニットに付随する重力波推進機関(スラスター)もそのまま流用・追加している為、総推力はジェネレータ出力と同様2倍となり大幅に向上している。これ加えて理論値最大にまで活かせるようになった重力制御も合わさり、空戦フレームにこそ及ばないものの大気圏内での飛行が可能となっている。
 また2倍以上となった出力は、エネルギー消費の大きいフィールドや重量制御などに回す以上のエネルギーの余裕を持たせる事となり、運用面で問題を抱えていたエステバリス用の新型レールカノンやディストーション・サーベルなどの武装使用の解決へと繋がった。
 しかし本来下腿パーツに内蔵されている補助動力のエルメタル・バッテリーの多くが撤去される事となった為、重力波エネルギーラインの圏外に出た場合、ノーマルの0Gフレームと同等の出力で、その半分以下の稼働時間となるという大きなデメリットを抱えている。

 なお当機の製造に当たってホシノルリは、自身の内にある未来の知識ないしデータベースから、『エステバリス・カスタム』を参考に『ステルンクーゲル』の設計を一部流用している。
 当機が製造された時期において、技術的な問題からジェネレータの小型化とフィールド発生器などの出力対応の不足に加え、エネルギー伝達系の負荷対策が不十分な事から、未来におけるエステバリス・カスタムの性能に達する事は出来ずにいる―――が、今後それらの問題が解決されれば、当機の設計を流用した『小型化した重力波ユニットを4基搭載した出力四倍の未知のエステバリス・カスタム』が、この『世界軸』の未来にて誕生すると思われる。
 その可能性が当機の存在のよって“不確定”ながらも生じている。
 

 上の説明があれば、後半の大部分は要らないではなかったのでは?と今回の執筆が終えた後に思いました。
 まあ、とりあえずはアキトが本格訓練入り。そして戦力のテコ入れ一段目のエステバリス・カスタム擬きの開発。劇場版サイズの小型ジェネレータが開発されていない段階での強引な改造案ですが。
 これ以外にももう一段か、二段ほど戦力テコ入れを考えています。

 ルリちゃんの設定に関しては独自解釈です。そうであってもおかしくないかな?と自分では思っていますが、往年のファンの方々はどう思われるか少し不安です。

 このあとがきでのエステバリスの設定でおや?思われる個所がありますが、後々の話の中の本文に入れるか、また別のあとがきで設定を載せようと思っています。
 (エステの設定を一部修正。フォトン・バッテリーをエルメタル・バッテリーに変更)

 次回は別の人物の視点から話を書く予定。
 男性一人か、男性複数からになるかも知れません。
 あとギャグそろそろ入れたいのですが、次々回になるかも…? ダジャレのセンスが皆無の為、イズミ嬢に言わせられてないのももどかしいです。

 《追記》
 ギャグ回のネタの方が早く纏まりそうなので次回はそっちにします。

 ソフィア様、静駆様、蒼衣灯夜様、黄金拍車様、しのっぺ様、三輪車様、アキラ様、誤字報告ありがとうございます。


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第二十話―――反乱…?

 その事の起こりは妬みと羨望という感情からだった。

 

 ある一人の男性クルーがこの船を率いる女性艦長……それもスタイル抜群なとびっきりの美人から好意を寄せられ、また良く通った愛らしい声でクルー達にささやかな癒しを齎す通信士からもアプローチを掛けられ、さらに幼いながらも妖精の如く可憐で将来有望な美少女と只ならぬ関係という。

 加えて、件の男性クルーの職場はうら若い女性ばかりである(一名例外はいるが、また違った魅力のある女傑だ)。これまた全員が全員容姿が整っており、サブの役職に置かれた仕事先もやはり三名の美少女がいたりする。

 

 端的に言えば、その男性クルーの周囲には常に女性の姿があり、その誰もが美人で魅力的だった。

 

 ………………私としては非常に、本当に非常に不愉快な事なのですが、その男性クルーは多くの女性に囲まれ、またその幾人からは好意を寄せられていた。

 

 だから彼等が同じ男性としてその男性クルーに思う所があり、それを妬み羨んで行動を起こす事は必然だった。

 彼等には彼等の大義名分があり、不当に抑圧され、その自由であるべき権利を取り戻そうとするのもまた当然の事だった。

 

 彼等に呼応し、同調するクルーは少なく無く。敵地へ向かうこの船は、待ち受ける敵へ銃火を交える前に同じ船に住まう仲間へ銃火を向ける事となった。

 

「いや、本当に“バカばっか”……です」

 

 

 ◇

 

 

 ある時、ある場所。

 格納庫近辺にある休憩所における会話記録――

 

「今日も艦長がテンカワの所へ来てたなぁ、アイツが料理する姿を見に…」

「メグミちゃんもだ。艦長のように厨房には入れないけど、カウンター近くの席に座ってジーッとさ」

「まあ、あれはテンカワを見ていたっていうよりは睨んでたって感じだよな、テンカワ以上に艦長の方をさ」

「だけど、それにしたって結局はテンカワが気になるって事なんだよなぁ……――くそっ、俺のアイドルをっ!!」

「……お前、ファンだったのか?」

「そうだよ! メグたんのデビュー当時からずっとな! この船に乗ってまさか生で会って、部署は違っても同じ所で働けるなんて……ああ、そんな事は無いだろうけど、もしかしたらって少しは、ほんの少しぐらいは期待してたのに――……ぐぁぁ! ちくしょうっ!!」

「うおっ!? 荒れるなバカ! こいつコーヒー投げ付けやがった!?」

「き、気持ちは分かるが、落ち着け! 八つ当たりなんてみっともないぞ…」

「ぐぐぐ…何でアイツばっかり……」

「まあ、それも分かる。その気持ちは。あんなスタイルの良い美人の艦長に好かれて、メグミちゃんも同様な上、食堂で一緒に働いている()とも良い感じらしいし」

「パイロットの娘達とも仲良いしな。こっちは何とも言えないけど、パイロット仲間だからなんだろうし」

「……だが、羨ましい。エステのパイロットだから俺達も話しかけられるけど――」

「――ああ、仕事関係の事だけだもんなぁ。一緒に食事しようとか誘ってもやんわりと断られるし」

「あしらい方が上手いんだよねぇ。やっぱサツキミドリとかでも声掛けられていたんだろうね」

「………あしらわれた後、テンカワの奴を食事に誘っていたな」

「……やっぱ羨ましい、妬ましい…」

「妬ましいって言えば、ルリルリとの事もだ!」

「「「「……え゛!?」」」」

「あんな可愛く御伽噺に出ている妖精のような子に、甘ったるい声で『アキトさーん』と親しげに呼ばれ、愛らしい笑顔を向けられ、傍に侍られるなんて……もう血涙ものだ!」

「いや、まあ…確かにルリルリは可愛いが、まだ子供…」

「しかもデートして手を繋いで、お姫様だっことか、ぐぉぉ…!! いったいどんな手管を使ったんだっ! 羨ましいぞぉぉ! 俺にも教えてくれぇぇ!!」

「こ…こいつ…」

「あ…ああ、」

「ヤバイな」

「どうする…?」

「俺だって思い切って勇気を出して休憩時間にルリルリを誘ったのに、笑顔どころか見上げられているのに、何故か見下されている感じで、ゴミを見るような蔑んだ冷たい目で見られたんだぞっ! なんでだぁぁ!!?」

「あったり前だ! 馬鹿! アホかっ!?」

「よし! 通報だ! 保安部に連絡しろ!」

「いや、明らかに事案だ! 通報するよりもエアロックから放り出した方が良い! その方が後腐れがない! ルリルリの身をより確実に守れる。それにこいつが何かしでかしたら俺達整備班全員にとばっちりが来るぞ!」

「いやいや、それだったら、此処は相転移エンジンの中に捨てる方が確実中の確実だ。塵一つ残す事なくこのゴミをこの世から消し去れる」

「うっし、そうしよう! 掛かれ!」

「うお、な、なにをするきさまらー!」

 

 以下までしばらくの間、怒号と悲鳴とノイズが混じる。

 

「はぁ、はぁ」

「ぜぇ、ぜぇ」

「ゴホッゴホッ…」

「疲れたし、痛ぇ…」

「何やってんだ、俺達?」

「「「「「…………」」」」」

「なんだこの虚しさは…?」

「不毛だ」

「あー! くそっ! 俺も女の子と仲良くしたい! こんな男どもよりも可愛い子と一緒にお喋りしたい、イチャイチャしたい」

「俺だって! 恋人が欲しい! メグたんでなくとも可愛い子なら誰でも良いから!」

「可愛い子と言いながら、誰でもって、オイ? ……いや、それ以前にその言いようはどうよ?」

「んー……だけどチャンスはあるんじゃねえか? テンカワでもモテているんだ。この船の女性は何も艦長やメグちゃんだけじゃないんだ」

「だな、戦艦の割には女性の割合は多いし、意外に可愛い子や美人が多い」

「なら、そうだな。やるか」

「…ナンパか? やめとけよ、無理だって」

「いや、そんなんじゃあない。ただナンパしても釣れない返事しか来ないのは分かってる」

「ん? じゃあ何をするんだ?」

「決まっているだろ、イベントだよイベント。火星までの長い航海でのレクリエーション企画。合コンみたいにしてさ。皆で楽しんで騒いで高揚した雰囲気が作られれば、羽目を外しやすくなって女性のクルー達の気分も緩んだり、浮ついたりする。そうなれば仲良くなれるチャンスが出来る」

「なるほど、…まあ、女性クルーの中にも出会いを求めている子もいるかも知れないしな。そういったイベントで切っ掛けが出来れば……」

「いいぜ、乗った! やろうぜ!」

「俺もだ! ルリルリがダメなら、この際、ミカコちゃんでも…!」

「「「「やっぱそっちの趣味かテメー!!」」」」

 

 再び怒号と悲鳴が入って音声が途切れる。

 

 

 ◇

 

 

 上記の会話があった後、彼等は意気揚々と行動に移った。

 企画を練り、同僚の男性クルーにも話を持ち掛け、他の部署のクルーにも話を広げた。

 これに男性クルーのみならず女性クルーの多くにも好感触をもって受け入れられ、企画を始めた整備班5名の男性達はさらに気合を入れた。

 また、神のようにとまでも行かないまでも、元々その筋では有名人であり、噂に違わぬ技量を持っていた事から、彼ら整備班にとって早くも師として崇められるウリバタケセイヤさんも積極的に協力に出た為、尚のこと立案者の5名は張り切った。

 

 そうして、凡そ一週間後、彼等は満を持してナデシコの総務統括者たるプロスペクターさんに仕上がった企画書を提出した。

 

「うむ、なるほど。火星までの長い航海、船という閉鎖された環境下での生活。それに掛かる不満、ストレス、フラストレーション、それら溜まった鬱憤を晴らす為にもこういった催しは大変宜しくもあり、結構な事です」

 

 提出された企画書を……このご時世、わざわざ紙を使って書かれたものを――いや、だからこそその気合の入れようも伝わる文書を読みながらプロスペクターさんは好意的にその熱意を認めた。

 その言葉とにこやかな表情を見、デスクに座るプロスペクターさんの前に立った5名は手応えを感じた。イケル!と苦労と努力が実を結ぶ予感を覚え、これで念願の彼女をゲットできる! と期待に胸を大きく膨らませた。

 

 しかし――

 

「ですが、」

 

 その予感と期待は脆くも泡沫と化す。

 

「……恋愛は自由です。このレクリエーションでその為の出会い、機会を作ろうというのも良いでしょう。ですが、ですが……いけませんなぁ」

 

 そう言ってプロスペクターさんは、彼等に一枚の書類を見せた。

 それは彼のスカウトを受けた際にも見せられ、彼等がサインをしたものだ。日本に本社のあるグループ企業であり、彼等も日本国籍な事からも印鑑による捺印も押した。

 

「プロスさん…これは?」

「赤く塗られた所を見て下さい」

 

 見せられた契約書はサインの入っていないものだが、細かくびっしりと文字が並んでいるとある一部分、ある項目の文章が色ペンか何かで塗られて強調されている。

 

「えっとなになに…『社員間の男女交際は禁止いたしませんが、風紀維持のため、お互いの接触は手を繋ぐ以上の事は禁止……』――って、ハァ!?」

 

 文章を読んでギョッとした声を上げる男性整備員。その背後で覗き込むようにして書類を見た残りの四名も唖然としている。

 

「ど、どうゆう意味ですか、これは!?」

「読んで字のごとくです。当ナデシコは民間船とはいえ、戦艦…戦う船。男女恋愛の末、結婚となればお金もかかります。さらに万が一にでも子供ができてはどうなるか」

 

 唖然とし動揺する彼等に反してプロスペクターさんは冷静に事務的に告げる。

 

「妊婦を、赤ん坊を戦場に連れていったとなれば、我が社のイメージにも関わります。しかしだからといってその度に乗員を降ろすという訳にも行きません。妊婦たる奥方、赤ん坊の親たる母、それらを放っては置けないとその夫や父も共に降りられる事もあるでしょう。ですがそれでは困るのです」

 

 ……既に僅か11歳の少女が選択の余地もなく戦艦に乗っているというのに、その事実を無視したようにプロスペクターさんは言葉を続ける。

 

「一部例外はありますが、ナデシコにスカウトした人員は各分野でのエキスパート。ブリッジクルーやパイロットは元より、貴方がた整備班は勿論、医療班、技術班、生活班、保安部要員もそうです。後方に軍属の人員や予備役などを持つ軍隊とは違い、民間から選んだそれ等人材は早々代えは効かないのです。ですので恋愛は自由ですがエスカレートされるのは困るのですよ」

 

 そう言ってプロスペクターさんは整備班の彼等が提出した企画書のあるページ、ある箇所を指差す。

 

「出会いの合コンパーティ、告白イベント、互いにOKであれば衆人観衆の中での抱擁と口づけ、仕舞いには成立カップル達への個室提供……ですか」

 

 概要文の他、イラストや写真付きでそれらの内容が書かれた所をトントンと指先で叩きながらプロスペクターさんは渋い口調で言う。

 

「困りますな、本当に。この部分は一切認められません。契約反故に触れかねませんので」

 

 このプロスペクターさんの言葉に彼の前に立った5名は当然食って掛かった。

 “前回”においてセイヤさんが「今時、契約書を読んで契約を結ぶ奴がいるか!」などと言ったような事から、「ならテンカワはどうなのか?」などアキトさんと比較するような事まで。

 

 前者に関しては、

 

「契約は契約です。サインされた以上は内容に同意したものとしてみなされます。読まなかった等というのはご自身の怠慢でしょう。それを棚に上げて責任転嫁されるのはどうなのかと? 第一、そのような言い訳こそ今のご時世、社会で通用するとお思いですか?」

 

 暖簾に腕押しと言わんばかりに飄々と、また正論で躱し。

 後者に関しては、

 

「テンカワさんの周囲における女性関係は私も耳にしております。ですが特定の女性と深く関係を持ったという話は寡聞にして聞いた事はありません。テンカワさんご本人もそう言った事は奥手なようですしね。……ん? ルリさんデートした事は……いや、それは何も目くじらを立てるような事ではなく、むしろ微笑ましい事ではありませんか。ネルガルに長く務めるわたくしがこのような事を言うのもなんではありますが、あの子の置かれていた境遇を思えば良い事だと思います。ええ、まったく、それに水を差すことなどできません。それにテンカワさんは良識を持った男性です。ルリさんに対して倫理に反するようなおかしな真似はなさらないでしょう」

 

 ……プロスペクターさんは艦長の取った行動を知らないので無理はない事。しかしながらアキトさんが女性から向けられる好意に応えていないのも事実。

 私との事は……些か不満のある言いようですが、問題なしと言い切った。

 

 だが、これまた当然ながら彼等は納得する筈がなく、なおプロスペクターさんに抗議したものの彼等の並べ立てる言葉は感情論の域を出ず、ネルガルの敏腕社員にして凄腕の交渉人(ネゴシエーター)でもあるプロスペクターさんを納得させるには至らなかった。

 

 その結果――

 

 

 ◇

 

 

『我々は~~断固~~ネルガルの悪辣さに~~!!』

 

 格納庫を映すウィンドウを見て溜息を吐く。

 

「“今回”もまたこんな事が起こるのですね」

 

 格納庫にいる整備員がプラカードや旗を振り、ネルガルに対する不満を叫んでいる。

 不満というよりも例の契約に関する事なのですが。

 しかし“前回”は火星圏に入る頃に起こった出来事で、それ故に火星を占拠した敵との戦闘に突入した為、この騒ぎは有耶無耶になった訳ですけど……今回はどうなるのか?

 時期が早まったのは何かしらのバタフライ効果があったのだとは思いますが、今一つ見当が付かない。

 

「まあ、大した事にはならないでしょう」

 

 前回もそうですが、こういった騒動はナデシコでは日常茶飯事だった。だから私は懐かしさを覚えてナデシコらしいとクスリと軽く笑って事態を楽観視した。

 

 それが間違いだとはこの時には気付かずに。

 

 

 ◇

 

 

「くそ! こちらスバル! ブリッジの制圧に失敗した!」

「ごめーん、ルリちゃんとゴートさんには勝てなかったよ」

「……実際に撃つ訳には行かないし、仕方ないわ」

 

 失敗を悟って咄嗟に“近くにいた人物”を盾にしてブリッジにあるシューターに飛び込み、そこを滑りながら彼女達は“リーダー”へ連絡を入れる。

 シューターの出口は格納庫に隣接するパイロット用の待機室に繋がっており、リーダーもそこにいる筈だ。

 

『了解、プランBを発動! 各員に通達、落ち着いて行って下さい』

 

 リーダーからの返答は直ぐにあり、動揺もなく冷静に作戦の変更を告げる。

 彼女達3人にしてみれば、普段見ていたリーダーの姿からは信じられない変わりようだった。凛とした口調で語り、ウィンドウ越しに見る顔付きもキリッと引き締まっていて、指揮官として様になっている。

 その様相に頼もしさを覚え、彼女達も戦闘要員らしく力強く応えた。

 

「「「了解!」」」

 

 ウィンドウに映る“長い黒髪の女性”に、スバル・リョーコ以下二名のパイロットは敬礼した。

 

 

 ◇

 

 

「今から一時間前、ナデシコ機関区を中心に暴動が発生した。人員の凡そ三分の一以上がこれに参加しており、格納庫を中心に相転移エンジンを含む各機関区が暴動を起こした彼等によって占拠された」

 

 ゴートさんが深刻に、されどだからこそ冷静に事態を説明する。

 

「ブリッジ及びメインコンピューターの占拠を試みた彼等であるが、これは我が方の対処により避けられた。しかしこの失敗を理解した彼等の行動は早く、各機関区の制御をメインコンピューターのオモイカネからサブコンピューターへと移行させられた」

「やれやれ、“彼女”の権限を使っての事ですな。今回のような事やムネタケ元副提督のような不届き者対策のシステムだったのですが……困ったものです」

 

 溜息を零してプロスペクターさんがゴートさんの説明に加わる。

 

「各機関区に繋がる通路はサブコンピューターからの操作によって隔壁が閉じられ、その内部のセキュリティも向こうに置かれた。さらにブロック切り離し機能の応用で物理的に回線が遮断され、メイン(オモイカネ)からのアクセスによるサブの奪還も現状では不可能となった。だが幸いコミュニケに関しては全面的にこちらの手にあり、向こうのコミュニケは一切使用不可となっている」

「彼等の要求は、契約の変更ないし一部項目の破棄です。それが24時間以内に受け入れられない場合、人質の身の安全は保障できないと通告してきています。そこでルリさん、心苦しいですが貴女に依頼があります。やって欲しい事は二つ」

「占拠された区画に潜入し、人質になっているクルー達の救出。そして彼等に奪われたサブコンピューターの制御権の奪還ないし停止だ」

 

 こんな子供に対して無茶な事を言ってくる大人達。まあ、状況的に仕方ありませんが。

 

「で、潜入方法は?」

 

 推測は付くが一応尋ねた。

 

「通気ダクトを使う。大人では無理だがホシノの小柄な体ならば余裕をもってダクト内を移動できる筈だ。体重でダクトを踏み抜く心配もない。……それでも這って行くことになるが」

「暴動を起こした彼等には、先程ブリッジを占拠しようとしたパイロット三名の他、整備班一同に加え各班の人員が男女関係なく多数参加しております」

「注意が必要なのは軍で訓練を受けたそのパイロットを含め、保安部の奴らだ。彼らは例外なく格闘及び射撃の心得がある」

「そして彼等を率いるのが、あろう事か当艦の艦長“ミスマルユリカ”さんです。ルリさんと同じブリッジクルー」

 

 その名前を聞いて思わず溜息が出た。

 

「……艦長」

 

 あの人は何をやっているのでしょうね? まったく。

 反乱に加担した理由も推測は付きますが……はぁ。怒りもあるが呆れもあって本当に溜息が零れます。

 

「占拠された区画の状況は不明だ。潜入後はコミュニケで指示を出す」

「私の他には?」

「隔壁が閉じている以上は他に人員を送るのは無理だ。単独での潜入作戦(スニーキングミッション)になる」

「装備も武器も現地調達?」

 

 子供に対する無茶振りに思わず皮肉を込めて問う。それを意に返さずゴートさんは軽く頭を振りながら答える。

 

「いや、さすがにそれはない。装備と武器の用意はある。足りない物、欲しいものは言ってくれ、直ぐに用意する。支援は惜しまない」

 

 そうして私は、ゴートさんから幾つかの荷物を受け取り、途方もなく下らない作戦(ゲーム)に身を投じる事となった。

 

 

 ◇

 

 

 多目的ゴーグルの赤外線機能を頼りに暗いダクト内を私は進む。

 建造されたばかりの船で助かったように思う。埃は少なく蜘蛛の巣もなく、ネズミなんかもいない。これでもいたいけな少女なのだ。その事にホッと安堵する。

 

『あの子は必ず来ます。各員気を抜かないように』

 

 ダクト内にも響く放送の声。…艦長の物だ。耳にした放送内容に少し驚き、まだダクトを出ていないが私はコミュニケを操作する。

 

「こちらホシノルリです。聞こえますかゴートさん」

『良好だ、ホシノ。まだダクト内のようだが、状況に変化があったのか?』

 

 連絡に直ぐに応対するゴートさん、ウィンドウは宙には浮かばずゴーグルを通して網膜に直接投影される。

 

「はい、どうやら警戒されているようです」

『何だと?』

「私が来ることを予想されてます。この様子だとダクトの出入り口各所には見張りが付いているでしょう」

『……さすがはミスマル艦長という事か。連合軍大の主席卒は伊達ではないな』

「警戒の薄い出口を探します」

『分かった。ホシノの判断に任せる。中止する訳にもいかないからな。くれぐれも見つからないようにな。また何かあったら連絡をくれ』

 

 通信が切れる。

 やはり子供(わたし)を使った奇策をあっさり看破されていた事にゴートさんも驚きを隠せないようだ。

 尤もゴートさんが躊躇いもなく、そんな作戦を実行するというのも意外でしたが……まあ、実戦ではありませんし、私としても異論は無いと言いますか、言いださなかったら同様の作戦を立案・志願する積もりでしたから別に良いのですが。

 

「…アキトさん、無事でいて下さい」

 

 暴動…もといストライキが起きた時、今日はブリッジで一緒に昼食を取ろうと出前でアキトさんを呼んでいた事が悪かったのか、前回同様にブリッジを制圧しに来たリョーコさん達を撃退した間際、逃げる彼女達と共にアキトさんがブリッジ下段にあるシューターに引きずり込まれてしまった。

 

「必ず助け出さなくては…」

 

 ギリッと思わず奥歯を噛みしめる。

 アキトさんを人質にされるなんて、制圧メンバーに加わっていたセイヤさん他、整備員二名を捕縛した代償というのは大き過ぎる対価です。

 反乱クルーからの要求が伝えられた時、拘束された人質たちの中に並ぶアキトさんの姿がウィンドウに映された…その映像が脳裏に浮かぶ。

 

「ふふ…そうです。よりにもよってアキトさんを人質にするだなんて――その対価は高いですよ、艦長」

 

 私は静かに嗤う。決して手を出してはいけない所に手を出した以上は一切容赦はしない。引きずり込んだリョーコさん達も同様です。

 

「ふふふ…」

 

 嗤う、この作戦への意気込み以上に報復とアキトさんの奪還の意思を込めて。

 

 

 ◇

 

 

「まいったな」

 

 原作でこの反乱騒動が起こる事は知っていたが、まだ先だと思っていたし、原因が原因なので大した事にならない、直ぐに治まると考えていたんだけど……。

 

「人質にされるとは…」

 

 それなりの大ごとになっている上、思いっ切りおかしな風に巻き込まれた。

 

「艦長は艦長でおかしな風に暴走をしているようだし……いや、それはそれでらしいと言えば、らしいんだけど」

 

 引きずり込まれたシューターの出口の先にはユリカ嬢もいた。しかも今回の騒動の統率者(リーダー)として。

 艦を率いる筈の艦長が艦内クーデターのリーダーとか、もはや意味不明である。

 正直、混乱もしたし、動揺もしたし、突っ込みたい衝動にも駆られたが、艦長ことユリカ嬢が反乱の真似事に加わった理由も察しが付いたので、一つ深呼吸した後、とりあえず説得を試みた。

 

『あー、かん……いや、ユリカ。一応聞くけど、なんでこんなバカ騒ぎに加わったんだ?』

『バカな事じゃないよアキト、これは私達…二人の未来の為の大切な、そう大切で神聖な戦いなんだから』

 

 云わばジ〇ードなの! と某宗教の信者が聞いたらリアルで危ない事が起きそうなことを言うユリカ嬢。

 というか、この船にも中東出身の人間が乗っている筈。クルーの殆どが日本国籍だが、少人数ながら一応外国籍か元外国籍の人もいる。自爆テ〇とか起きないだろうな?

 

『そうか、そうか。じゃあ、その未来の為にもやっぱり止めようなこんな事。プロスさんも怒るだろうし、フクベ提督にもまたどやされるぞ。あと絶対碌なオチにならないから。つーかジハー〇なんて言う辺り自覚あるだろお前!』

 

 テ〇リズムが歴史を建設的な方向へ動かした事は無い……と某魔術師が言っていたようにユリカ嬢の行動は(展開的に)何の意味もなさず、寧ろごく近未来に必ず彼女に(これまた展開的に)不幸な結末(オチ)を招くだろう。……何となく銀髪金眼の少女の顔がチラつく。それも笑顔なのに眼だけが笑っていない物が。

 不敗の名将と常勝の天才の対決を描く某スペース・オペラにおいて、名将派の俺としては心底そう思うし、不穏な予感を覚えて警告したのだが……某金髪の孺子(こぞう)と同じく天才であるユリカ嬢には通じないらしい。

 

『フッ…アキト、ルリちゃんに可能だった事が、私に不可能だと思うの?』

『……何を言っているんだお前は…?』

 

 鼻で笑い、金髪の孺子(こぞう)の台詞を引用してキザったらしく訳の分からない自信を見せるユリカ嬢。俺は幼馴染でも“赤毛”じゃないぞ、オイ。

 そもそもその台詞も訳が分からん。というか俺が銀〇〇雄伝〇の事を考えてるの良く分かったな。心でも読んでないと今の台詞のチョイスはあり得ないぞ。

 

『んー…何となく。私、ライン〇ルト派なんだよね』

『って、ほんとに心を読まれてるし、俺!? そしてやっぱりそっちの天才派なのかよ!?』

『アキトの事なら分かって当然だよ、えっへん』

 

 腰に手を当てて(大きな)胸を張るユリカ嬢。アキトがヤン・〇ェンリー派なのは残念だけど…とも小さく言っているが。

 いやいや、本当に心を読まれていたら、俺は色んな意味で冷や汗ものなのですがユリカさん。

 まあ、実際は勘なんだろうけど。コイツは知能面や発想だけでなく、勘も天才的なのだから。

 

『ともかく、これはアキトが考えているようなテ〇リズムでもなく、デモでもストライキでもなく、ネルガルの不当な権力(けいやく)に立ち向かう神聖な戦い――ジハ〇ドなの!!』

『またそれを言うのか!? それにもう文字すら隠してねえ! ピー音仕事しろ! これ以上はホントにテ〇られるぞ! ユリカ、ほんと馬鹿な事は止めろ、今ならプロスさんも怒らずに許してくれるし、提督だって寛大に――』

『――大丈夫だよ、アキト』

『ん?』

『勝てば官軍! この聖戦に勝利すればプロスさんに怒られるなんて事にはならない。それに提督だってほら』

 

 ユリカが指を差し、それを追って俺はこの待機室の隅に視線を向ける。

 

『んなっ!?』

 

 驚愕に顔が引き攣るのを自覚する。そこには縄とゴザでぐるぐるに簀巻きにされた一人の老人が転がっていた。

 

『て、て、提督ーーッ!!!』

 

 哀れ気絶し簀巻きにされた老将の姿に思わずギャオーッといった風に叫ぶ。

 

『ユ、ユリカ、艦長、お前…! これは本当に本気で洒落になってないぞ!?』

 

 まさかのまさか、フクベ提督の捕縛という事実に盛大に動揺する俺。しかしユリカは動じることなく告げる。

 

『うん、だって私達も本当に本気だもの、提督に手を出した以上は後戻りはできない。必ずこの聖戦に勝利しないといけないの!』

 

 ああ…とそこで悟った。ユリカ嬢の眼が正気でない事に。例えるなら瞳がグルグル渦巻いており、某メイド服の洗脳探偵か、某人工天然精霊の支配下に置かれたような状態だ。怪しい暗黒拳法を使ったりして、おかしなビームとかも撃って来そうだ。

 これはもう説得は無理だと理解せざるを得なかった。恐らく勢いで提督に手を出してしまい、正気に戻ろうにも最早戻れないと理性にブレーキが掛かってしまっているのだ。

 つまりはやけっぱち。行く所までいこう、もうどうとでもなれ!! と言った心境にあると見た。

 或いは、提督から何れにしても落ちるであろう雷を避けられない現実から掛かるストレスを、こうして暴走して発散・逃避しようとしているのか。これを知ったら幾ら親馬鹿のサリーパパ(ミスマルおじさん)でも流石に怒るだろうし。地球に帰ったらお説教か…。

 

『だからアキト、祈っていて。私達の勝利を! それまでは辛い人質の身だろうけど、直ぐに迎えに行くから、その時は私達は晴れて恋人だよ! えへへ…』

 

 グルグル眼のまま、もはや狂戦士(バーサーカー)のように話が通じなくなったユリカ嬢はそう言った。多分、狂化ランクEXでその言葉は俺ではなく、自分自身に向けているのだろう。

 

 

 

「さて」

 

 思い出すだけで頭が痛くなる回想から抜け出して考える。

 腕と足はハンドカフで拘束されているが……これは何とかなる。しかし問題はこの放り込まれた倉庫に監視カメラがある事と、ドアの外に歩哨が控えていそうな事だ。

 それに同じく人質になったフクベ提督の姿が此処には無い。他に人質がいるのも厄介だ。

 

「どうしたものか…」

 

 俺一人では状況を変えるのは至難だろう。

 だが、プロスさんとゴートさんがこの状況を座視している筈がない。それに……正直な所、余り考えたくはないが、ルリちゃんもジッとしていないように思える。

 未来で軍事教練を受け、高杉三郎太に木蓮式柔を教わっていたというあの子。その意外にまで高い戦闘力は先程ブリッジで示された。

 プロスさんが目立つように契約書を掲げて囮となり、それに目を取られた隙にゴートさんが懐から素早く拳銃を抜いてリョーコ嬢達の持つ銃を撃ち落とした。床に落ちた銃弾がゴムか樹脂っぽい見た目だった事から非殺傷のスタン弾だったのだろう。

 その発砲で動揺する反乱クルーの不意を突いて今度はルリちゃんが動き、ウリバタケさんと整備班の男性二名を一瞬で叩き伏せた。その動きは華麗にして流麗、まるでアクション映画かゲームのワンシーンのようだった。

 それを見た瞬間、蛇のコードネームを持つ某伝説の英雄や偉大なBOSSの近接格闘シーンが脳裏に浮かんだ程だ。

 

 そしてまた別に、ふと過る事がある。

 

 原作では壊滅したサツキミドリ、そこから脱出カプセルで逃げ出してきたヒカル嬢が偶発的にナデシコ艦内に入り、何故か通気ダクトを通って艦内を移動していた事が。クルーの中では小柄な方とはいえ、窮屈なダクト内を移動していたのは未だに謎だが。

 

「ヒカル嬢でも通れたなら、ルリちゃんなら余裕な気がする」

 

 原作同様、警戒したクルーやセキュリティの眼を潜り抜ける方法はそれしかない。なお白鳥九十九は例外だと思われる。あれは恐らくオモイカネが侵入者と判断しなかったのだろう。ゲキガンガーのコスプレ……いや、それを模したパイロットスーツのお蔭で。

 

「……」

 

 ユリカ嬢率いる反乱グループの手に落ちたセキュリティを掻い潜れる道を通れて、更に高い戦闘力を持つ人材。

 

「あのゴートさんなら多分そうする。ルリちゃん自身も自発的にそう動くだろうな」

 

 かつて特殊部隊に所属していたという優秀な元軍人と、未来において優秀な軍の指揮官(艦長)であったこの二人。このような事態に対して考える事は恐らく同じな筈。

 

『あの子は必ず来ます。各員気を抜かないように』

 

 まるで裏付けるかのようにユリカ嬢の声が放送によって聞こえた。アイツも考える事は同じか。軍大学主席のエリートも同意見な事に自分の考えに確証を抱く。そうなると俺の取れる選択肢は二つ。

 あの子の助けを大人しく待つか、自力で此処から脱出してユリカ嬢達を撹乱し、侵入して来るルリちゃんを間接的に援護するか。

 

「――……このどっちを取るべきか」

 

 

 

 




 原作5話における反乱(?)騒動。
 葬式がない事とアキトを羨むクルーの行動によってバタフライ的に逸早く契約の事を知り、火星圏到着前に彼等が蜂起、ナデシコ機関区を占拠。
 そしてこれも葬式がない所為か、ユリカさんが反乱側に加わるというイレギュラーが発生。
 優秀な指揮官が加わり、戦闘に入る事もない為に大ごとになってます。

 そしてこれに挑むのは白蛇のコードネームを持つ少女……みたいなおかしな話になりました。部分的に某潜入ゲームの台詞を入れたりしてますし。
 むしろこんなのを思い付いた私の頭がおかしいのでしょうが…。

 リョーコさん達が使ったシューターは、詳細は不明ながら一応公式設定にあります。原作ではまったく使われず、描写も不明なのですが某サクラ大戦のようなものかと思われます。

 あと前回、ルリちゃんの等身大フィギアの事が出ていましたが、こっちは小説版から。それを使ったセイヤさんが流した偽番組はまた別の小説「チャンネルはルリルリで」というミニ文庫から取っています。
 何れこっちのネタを使ったギャグ回も書きたいと思っています。…と言いますか、今回はギャグ回と言えるでしょうか?


 熨斗目花様、神羅様、荒魂マサカド様、ソフィア様、黄金拍車様、WILLCO様、静駆様、誤字報告などありがとうございました。


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第二十一話―――反撃…?

この回で終わらせたかったのですが、もう一話続きます。それと今回はギャグ回とは言えない内容になってしましました。すみません…orz


 

 助けを待つか、脱出してルリちゃんを援護するか……このどちらかだが、出来れば後者を選びたい。

 しかし、脱出できたとしてもセキュリティがユリカ嬢達の手中にある以上は、通路で隔壁を下ろされてまた閉じ込められる可能性が高い。

 

「そうなったら撹乱もルリちゃんの援護も無理だ。……いや、」

 

 ルリちゃんが侵入したとして先ずどう動く? ゴートさんはどう指示を出す?

 

「……」

 

 待つべきだ。恐らくルリちゃんはセキュリティを落としに動く。その時にこっちも動くべきだ。

 その為には、セキュリティが落ちたかどうか察知できるようにしないと。

 そう考えて俺は、手足が拘束された状態ながらも身体を転がし這わせ、出入り口の大きい搬入用ハッチの脇に位置するドアまで近づくと、そのドアに寄りかかるように背中を預ける。

 

「…ふう」

 

 手足を動かせない状態でドアまで移動した所為か、少しばかり変な疲れを覚えて息を吐く。

 背中にあるドア……その向こうに意識を向けて目を閉じ、耳を立てる。

 幸いにもハッチの方とは違い、ドアには然程厚みは無い。此処が日常雑貨や生活用品を収容している倉庫である為だ。

壁やドアが厚く頑丈であろうと、艦の維持に必要な各種機材や精密機器、危険な弾薬や薬品などがある資材庫を営倉代わりに使う訳にもいかない為だろう。

 

「…――だ。いつ…でこうしてい…ば」

「交代まで…ろ? なら…何かゲームでも…るか?」

 

 ボソボソと話し声が聞こえる。予想通りドアの傍に歩哨がいて、そいつらの会話も拾えた。

 よし! と小さな成果だが内心でガッツポーズを取る。何か動きがあればこいつらから察知できる筈だ。

 にしても――

 

士気(モラル)は高くないようだな」

 

 会話の他、本当にゲームをやり始めたらしく、何やら電子音やBGMめいたメロディーが聞こえた始めた。

 ユリカ嬢は本当に本気だと言いはしたが、やはり真似事……反乱“ごっこ”の域を出ないという事か。

 やれやれと呆れて肩を竦めたくなるが、これもチャンスだと素直にありがたくも思う。

 

「……運が良いのか、悪いのか」

 

 何となくぼやき、ドアに寄りかかってヤンキー座りのような姿勢を取り、拘束された腕を身じろぎするように動かして、脇の方へ滑っていたそれを手の平の中へ落とす。それの“柄”を握って上着の袖口から“刃”の方を引き抜く。

 ルリちゃんに出前を頼まれた所為もあって人質として巻き込まれた感がある訳だが、そのお陰でデザートに出す果物を切る為に持って来たそれを――小ぶりのナイフを隠し持ってこれた。

 

「咄嗟だったけど」

 

 銃を手にブリッジに現れたリョーコ嬢を目にした際、役に立つかと一応持っていたナイフをシューターを滑っている時に撒くっていた上着の袖を伸ばし、ナイフを滑り込ませて脇に挟んだ。流石に少し切ってしまったが……二の腕と脇の当たりに鋭い痛みを覚える。

 けど、これがあれば手足を拘束するハンドカフは切り外せる。反乱ごっこの真似事なのも助かった。身体検査をされずに済んだのだから。

 監視カメラに映らないように背中と寄り掛かるドアを影にしてナイフを握り、手首を縛るナイロン製のハンドカフに少しずつ慎重に切れ目を入れる。

 一気に切ろうとしないのはまだ早いからだ。耳を澄ませて機を待つ。

 

 

 ◇

 

 

「ジミー、頼みましたよ」

 

 ゴートさんから預かった手の平サイズの小さなケースを取り出して、収まっていた小さな機械に呼び掛け、私は右手で軽く触れてIFSを通して起動させる。

 IFSの他、コミュニケと多目的ゴーグルともリンクさせて、その小さな機械…コバエほどのサイズの機械の虫(ジミー)を飛ばす。

 ジミーをイメージでコントロールして1m先にあるダクトの出口――とある部屋の天井にある通気口を覗かせる。その際、通気口から出過ぎないように注意する。このサイズのドローンでもナデシコのセキュリティシステムは検知できる。

 

「……」

 

 五分ほどジミーが捉えた映像をゴーグルを通して観察し、

 

「…二人ですか」

 

 動きは無く、青い制服を着た二人の整備士が通気口の方を警戒して……いえ、そうとも言えませんね。その二人は呑気に取り留めのない雑談に興じており、通気口への警戒は皆無と言える。

 

「はぁ…」

 

 思わず溜息を吐く。艦長が指揮を執っている事から気を張っていたのですが、それが馬鹿らしく思えた。

 

「だらけ過ぎです」

 

 こちらとしては助かるものの仮にも警戒態勢の中。……もし私の下(ナデシコC)でこんな体たらくであったら説教では済ませない所です。

 呆れと若干の憤りを覚えながらも、私は通気口の傍まで移動して腕にしている物とは別に、ポーチからベルトの無いコミュニケを取り出して操作。ジミーの視界情報とリンクさせて……、

 

「……これで大丈夫ですね」

 

 コミュニケが機能したことを確認すると、次に胸元から小ぶりのCQCナイフを抜いて、通気口を閉じている格子蓋の隙間に突き刺し、蓋を固定している接合部を切断して行く。

 エステバリスのイミディエット・ナイフと同様の原理を持つバッテリー内蔵の高周波振動ナイフなだけに、柔らかいバターでも切るかようステンレス製の格子蓋が切れて――

 

「――っと!」

 

 外れて床へと落ちそうになるそれを慌てて掴む。

 繋がりを僅かに残した所で隙間に差し込んだナイフで梃の原理を使ってこっちに持ち上げる積りでしたが……危なかった。

 一応、ジミーの視界で確認し…ホッと息を吐く。

 『コミュニケを応用した仕掛け』のお掛けで、見張りは通気口の蓋が外れた事に気づいていない。

 私も自身の腕に付けた改良型コミュニケにインストールしたアプリを作動させ……それでも万一を考えて見張りの視線が通気口から外れた隙を見て、ダクトから降り立つ。

 

「ん?」

「なんだ?」

 

 タンッと私の軽い着地音が周囲に響く。しかし、

 

「……?」

「気のせいか?」

 

 通気口の方と私が居る方を訝しげに見つめるが、ただ首を捻るだけだ。

 そして数秒後には何も無かったかのように雑談に戻る見張り達。

 生じた数秒間の緊張から解放されて内心でほそく笑む。どうやら上手く行ったらしい。

 そう声にも出さずに呟き、今降りた通気口の方を一瞥する。

 

「…」

 

 外した筈の格子蓋は嵌ったままで何も異常はない……――ように見えるが、それは映像だ。ジミーの視界を経由してコミュニケのスーパーウィンドウを使って光学迷彩を展開している。

 そして私も同様だ。ウィンドウを応用した光学迷彩。この時代、ネルガルしか持たない遺跡由来の能動的スキャン方式カメラ技術を転用したこの迷彩は、常に360度周囲の光景を捉え、その捉えた光景を処理して自分を隠すようにウィンドウを投影する。

 赤外線隠蔽もほぼ完璧で熱感知は勿論、同じスキャン方式のカメラを使ったナデシコのセキュリティも誤魔化せる。

 

「…この時代ではまだ研究途上の技術なのですけどね、本当なら」

 

 既存のコミュニケでも僅かな改良とソフトウェアを…アプリケーションを追加するだけで済む事と、この状況の為にやむを得ず作った訳ですが、ネルガルでも研究途上の物の“答え”を出したことに不審を持たれそうです。

 

「ゴートさんもプロスさんも技術畑の人間ではありませんから、気付かないでしょうけど」

 

 この件が地球に報告されて帰った時に一悶着あるかも知れませんね。小さく呟き溜息を吐くも頭を振って思考を切り替える。

 さて、と…周囲を見回して目的の物を見つける。整備士の控え室であるここにも端末がある。コミュニケの不備など際に連絡に使うものが。

 

「……」

 

 見張りの動きに注意しつつ、音を立てずに壁に設置されているその端末の近づき、モバイル式IFSコンソールを取り出してケーブル端子を接続。

 

「すぐに気づかれるでしょうが…」

 

 端末を介して機関区にあるサブコンピューターへとアクセスする。

 このアクセスとハッキングは探知されて、艦長権限で変更された緊急用プロテクトを解除するのは恐らく無理でしょうが、最低限、セキュリティ落とすウィルスは流し込める筈です。

 

「…! やはり気付かれますか、ですが」

 

 ウィルスは流し込めた。直にセキュリティはこれで落ちる。ケーブルを外して端末を素早く片付ける。同時に、

 

「え…此処に?」

「なんだって!?」

 

 端末に操作しながらも視界に入れていた見張り二人が驚き、慌てふためく。二人は耳に手を当てており、そこにインカムを装着しているのは確認済み。コミュニケが使えない代わりにという事だ。

 艦長からか、それとも他の誰かか、予想もしない連絡が入った事で見張りは慌てた様子で端末があるこちらへ近づいて来て、

 

「…ま、侵入が察知されるのは予定通りです」

 

 呟くと、右肩に固定されているナイフケースから左手でナイフを抜き、姿が見えない私の方に無防備に歩み寄って来る二人へと踏み込んだ。

 

 

 ◇

 

  予備のCICとしての機能を有する機関区にある作戦室にてミスマル・ユリカはジッと佇み、中央の端末卓に浮かぶウィンドウ群を見つめていた。

 時折上がる定時連絡に異常を訴えるものはない。各所を映すウィンドウにも問題らしき光景は見えない。

 いや、見張りに付き、巡回に入っている人員がお喋りに興じて警戒が疎かになっているのは非常に問題であるのだが、

 

「むー…」

 

 ユリカは不機嫌そうに唸る。

 幾ら注意を呼び掛けても共に蜂起した“同志”達は真面目に受け取らない。

 しかしそれも仕方のない事だ。ホシノ・ルリが侵入…それも単独で占拠した機関区に忍び込んでくるなど同志達にとっては信じられないのだ。

 同志達のルリへの認識は、優秀なオペレーターであるが無力な子供に過ぎない。

 その子供である筈の少女の異様な戦闘力を理解しているのは、パイロット達とゴート・ホーリーのみだ。他はブリッジを制圧しに行き、捕縛されたウリバタケ・セイヤと整備士二名ぐらいだろう。

 警戒を呼び掛けたユリカにしてもパイロット達からの又聞きだ。それでも彼女はそれを信じたが。

 

「……仕方ないかな?」

 

 同志達は元々民間人。そしてやはり警戒すべき相手も子供。どうしたって油断が出来る。ましてや訓練を受けた軍人ではなく、加えて実戦でもない以上は、士気を維持するのは困難なものだ。

 

「何か少しでも不審な事があったら、すぐに報告するように通達して下さい」

 

 取りあえずは、そう再度呼びかけるしかない。

 

「はい、艦長」

 

 同志を纏めるリーダーの指示に、おさげを揺らしながら振り返って応える通信士…同志メグミ・レイナード。

 ブリッジクルーの一人でもある彼女もまたこの蜂起に加わっていた。理由はユリカと同じだ。

 例の契約の束縛があっては目当ての彼と仲を深めるのに差し障りがある。それでは困る。だからメグミもまた同志となった。

 端末を操作して艦内放送ではなく、通信機(インカム)を通じてユリカの指示を伝えると、メグミは再度振り返って同志ユリカに尋ねる。

 

「いっそルリちゃんもこっちに誘ったらどうです。あの子も私達と同じです。蜂起した事を理解してくれて賛同してくれると思いますけど」

 

 男女の接触を大きく制限するあの契約はルリにとっても煩わしいものである筈だ。そう考えて提案したのだが。

 しかし同志メグミの提案にユリカは首を振る。

 

「無理だと思うよ」

「え? どうしてです。あの子も――」

「ううん、違うよメグちゃん。あの契約がある事はあの子にとってはむしろ有利なの」

 

 ユリカは話す。

 

「ルリちゃんはまだ11歳の子供。私達と違って手を繋ぐ以上の行為は非常に限られる。仮にそれ以上の事をして、もし周囲に知られたらアキトに迷惑が掛かる事も理解している」

 

 つまりルリには元からあの契約に意味はない。年齢的に見てしようにも倫理的に許されないのである。

 

「それに例え(ルリちゃんから)キスしたとしても微笑ましく見られるだけだと思うし」

 

 とある整備士たちから聞いたプロスぺクターの話を脳裏に浮かべながらユリカは答えた。

 

「……なるほど、ルリちゃんにとって不利にはならない、というのは分かりましたけど、有利と言うのはどういう事です?」

「私達が契約に縛られている事」

「あ、」

 

 問い掛けに返った言葉にメグミは驚いて軽く目を見開く。

 

「そういう事ですか。男性へ…テンカワさんへのアプローチが制限される訳ですから」

「うん、ルリちゃんにとっては邪魔な女性(わたしたち)がアキトを距離を縮められるの抑えられて、誘惑される心配も減る訳。アキトも真面目だからそういった契約は厳守するだろうし」

 

 契約を盾にアキトを守れて、厄介な大人の女性達も牽制できるという事だ。加えて言えば子供であるルリは、本来は不利であるその事を利用して契約の隙間を縫うようにアキトと接するだろう。彼に好意を寄せる他の女性を尻目に。

 

「だから、あの契約はルリちゃんにとっては有利なものなの」

 

 その事はルリ本人も理解している。賢いあの子の事だから…とユリカは確信を持ってそう言える。

 

「……うん、だから、だから必ずあの子は来る」

 

 この蜂起を阻止しに、ネルガルの不当な権力(けいやく)同志(わたしたち)に強いる為に。

 

「! これは…っ!?」

 

 ユリカの言葉に答えるようにその報告が来た。

 

「サブコンピューターに不審なアクセスを感知! 場所は――」

 

 ユリカの権限で掌握したサブコンピューターの管理と、セキュリティの監視を任せていた整備士クルーが報告を上げる。

 

「映像を出して! それと直ぐにそこにいる同志に確認を!」

「は、はい…!」

 

 ユリカの指示にメグミが連絡を入れ、数秒後に監視映像も浮かぶ――が、

 

『お休み』『休み』『おやすみ』『一時停止』『使えないよ~ん』『お休みしてね』

 

 浮かんだ映像は消えて、そんな文字が書かれた奇妙なウィンドウが室内のあちこちに展開する。

 

「!?」

 

 展開したウインドウには、思兼という文字が入った銅鐸とデフォルメされた銀色の髪を持った少女のイラストが描かれている。

 

「やられた!」

「セキュリティが落とされました! ウィルスです!!」

 

 少女のイラストを見て察するユリカに一瞬遅れて、端末を操作する整備士が状況を叫んだ。

 

「く…! ルリちゃん!」

 

 してやられた事に悔やむ。しかしユリカは続けて指示を飛ばす。

 アクセスのあった位置に増援を送り、一帯を封鎖するように人員を回して連絡を密にするようにと。同時に考える。

 緩んでいたとはいえ、通気口の近くには見張りが付いていた。それに気づかれずにどうやってダクトから抜け出て、セキュリティにも引っ掛からずに端末からサブコンピューターにアクセス出来たのか……――!

 

「――各員に通達! 侵入者は光学迷彩を使用していると思われます。各班最低一名には熱感知器(サーマルゴーグル)を着用させて下さい。熱源対応タイプの可能性もありますから些細な物音と空気の流れにも注意するように!」

 

 真っ先にそれが頭に浮かばなかったのは、本来ならそれはナデシコには無いものだからだ。光学迷彩などという軍でも配備が限られる装備は、特殊部隊などのごく一部が使用する物だ。

 その特殊部隊の出自であるゴート・ホーリーが秘密裏に持ち込んだものかと考えてユリカは指示を出す。

 ナデシコのセキュリティにも感知されない高性能な迷彩となると気休めにしかならないが、そう警戒を呼び掛けるしかなかった。

 

「セキュリティの復旧は!」

「全力をもってウィルスの除去に当たっていますが……ああ、くそ! 駄目だ。手持ちのツールじゃ場当たり過ぎて、……すみません、艦長。直ぐには無理です」

 

 焦りと険しい表情と見せるクルーの返答にユリカは静かに頷き、復旧は当てにしない方向で対策を考える。

 

「まだ、まだ終わってないよ、ルリちゃん」

 

 姿の見えない少女の姿を幻視し、ユリカはまだ勝負は決していない!と強く拳を握り締めた。

 

「機関区にある全ての端末からの回線は遮断して下さい。それで再度サブコンピュータにアクセスされる心配は無くなります。それと閉鎖した隔壁の前にも人員を増強します。侵入者に呼応して強引に破って来る可能性もありますから」

 

 

 ◇

 

 

 狼狽える歩哨の声を聞いた俺は直ぐに行動に出た。切れ目を入れた拘束を完全に切り外し……立ち上がらせた身体を扉に向けて上着を脱ぎ。開閉スイッチを押す。

 軽く空気が抜けるような音がして予想通り扉が開いた。

 

「「なっ!?」」

 

 ロックされていた扉が開いた事でセキュリティが落ちた事を確信しつつ、驚き固まる歩哨の姿を確認。これまた聞こえる声から予想していた通りに二人一組(ツーマンセル)だ。

 左右に立つ歩哨達が硬直している隙に先手を取る。

 右の歩哨に対して脱いだ上着を広げて被せるように投げ掛け、同時に踏み込んで左の歩哨に対して右足を跳ね上げるように伸ばす。伸びる足、俺が繰り出した前蹴りに歩哨は咄嗟に後ろに下がって避けようとするが――遅く。

 

「ゴフッ!?」

 

 右足のつま先が歩哨の腹へと突き刺さる。

 空かさず戻す右足の着地させる勢いを利用して震脚を真似て踏み込み、呻き前屈みになった相手の頭を両手で抱え込むように掴むと、左膝をその抱え込んだ頭へ…顔面へ叩き込む。

 

「が…ッ!」

 

 ゴキッと何かが砕ける感触を膝に覚えるが、気にせず左足を付けると同時に素早く右へと向き。頭から上着を被ったもう一人の歩哨へと再度右足で蹴りを放つ。今度は股間に向けて、

 

「――ぐふっ!!?」

 

 視界が塞がっていた所為で避ける事も防ぐ事どころか、身構える事も出来ずにほぼ無防備に俺の足先が相手の股間にめり込む。

 上着の下から聞こえるくぐもった呻きを聞きながら、不意に目に留まった歩哨の右手から滑り落ちる物に手を伸ばし――床に落ちる前に左手でキャッチ。手の中に納まった物のスイッチを入れて歩哨の身体に押し当てる。

 

「はが…ッ、ばッ!?」

 

 押し当てられたスタンガンから電撃を受けて歩哨は痙攣しながら崩れ落ちた。それを尻目に、先程鼻を潰し白目を向いて倒れた歩哨へも一応スタンガンを押し当てる。

 やはりこちらも痙攣して直ぐに動かなくなった。

 

「…ふう」

 

 サッと周囲を見回して、他に誰もいないのを確認して溜息を吐く。

 左手に収まったスタンガンを改めて確認する。結構大きいスパークが見えた事からかなり強力っぽいが、俺が上着を被せる直前に抜いたのか……もし押し当てられていたら即ゲームオーバーだった所だ。

 気を失いつつも痙攣し、口から僅かながら泡を吹いている歩哨二人を見て冷や汗を掻く。

 

「さて、直ぐに此処から離れたい所なんだけど…」

 

 少し考え……――

 

 

「ふう…」

 

 再び息を吐く。

 歩哨二名を俺が閉じ込められていた倉庫へと運び、倉庫の中にあった雑貨類からナイロンの紐を見つけ出して上着を脱がせて拘束し、同じく倉庫にあったタオルで猿ぐつわをした。

 今にも誰か来るか…という緊張はあったが、幸いにもその様子はない。奪ったインカムから時折呼びかけはあるが、作った声で「異常無し」などと答える事で何とか誤魔化せているらしい。

 

「…というか、メグミ嬢まで参加していたんだな」

 

 インカムから聞こえる意外な声に驚かされた……のだけど、まあ動機はユリカ嬢と同様なのだろうと推測は付いた。

 だとすると、サユリさんも居そうだな。いや、そうするとホウメイガールズの全員が……それもありそうだ。

 

「……」

 

 リョーコ嬢達も原作通りに居たし、見知った女性がほぼ揃って反乱に加わっていそうな予感に溜息が零れそうになるが、それよりも……

 

「オイ!」

「……う…ぐ」

 

 パンッと大きく頬を打って、さらにバケツに入れたミネラルウォーターをぶっかける。バケツもミネラルウォーターもやはりこの倉庫にあったものだ。

 

「……いづ…っ」

 

 張り手の痛みと水の冷たさに目を覚ます元歩哨。鼻が潰れた痛みもあるだろう。青い制服であった事から整備クルーだ。

 正直、余りこういう事はしたくないがこの馬鹿騒ぎを早く終わらせる方が先決だ。

 

「大声を出すな、静かに答えろ」

 

 ナイフを首元に当てて冷たくドスの籠った声で告げる。顔も冷酷さを装う。

 

「俺以外の人質は何処にいる?」

「……」

 

 目覚めたばかりでまだ頭が働いていないのか、それとも状況を理解出来ていないのか、目を白黒させる整備士。

 その様子に構わず俺はナイフの握った柄を容赦なくそいつの折れた鼻に叩き付ける。

 

「ぐあ…ッ!?」

「これで目が覚めたか? もう一度聞く。他の人質は何処にいる?」

「…っ、……ぁ」

 

 整備士は鼻から血を流しながら何かを言いたいのか口をパクパクさせるが聞こえない。俺は敢えて苛立ったように見せて、今度はスタンガンのスイッチを入れて軽めの電撃を押し当てる。

 

「ああ…っ!!?」

「三度目の正直だ。素直に答えろ。はっきりと、確りとな」

 

 痙攣して悶える男に眉一つ動かさずに冷然と尋ねる。

 

「わ、分かった。…言う、言うから」

 

 声と表情に怯えの色を見せて応じる意思を見せる。

 思った以上に早く“素直”になる整備士に内心で安堵するが、やはり良い気分ではない。殆ど見様見真似だし、こんな尋問…いや、拷問めいた事をしたのは過去にカッとなったあの時の一度だけだ。

 

「……」

 

 思い出しそうになるそれを首を振って追い出す。嫌な思い出であるし、今は関係ない。

 ルリちゃんにこういう事を見られたらという思いも過る。

 

「まったく、この馬鹿騒ぎをやっている中で敵の襲撃を受けたらどうなるのか分かっているのか、お前ら? 自動迎撃システムは動いているようだけど、それだけで対応できない攻撃が来たら――…! って、そういう事なのか!?」

 

 気分がささくれ立った所為か、つい本当に苛立った感情が出て説教めいた事を言い――気付いた。ユリカ嬢の狙いはそれか。

 すると整備士も俺の言葉から何やら察したのか肯定の頷きを見せる。

 

「あ、ああ…。本格的な攻撃が来たら何時までも機関区を閉じている訳には行かない、プロスさんは艦長や俺達とこうしていざこざを起こしている所ではなくなる……艦長はそう言っていた」

「で、それを交渉材料にする積もりなんだな」

 

 敵襲を盾にプロスさんに反乱グループの提示する条件を飲ませる。本格的な攻撃であれば、可及的に速やかな決断が求められる。そんな状況であれば確かにプロスさんは頷かざるを得ない。

 そして乗員が皆が聞いている状況では、ただの口約束であろうと後から反故には出来ないし、一度約束した事を破ること自体、プロスさんの主義にも反するだろう。

 

「ユリカの奴も意外に喰えないな」

 

 天然で人が良い幼馴染らしからぬ思考に驚きを覚えつつも少し感心してしまう。プロスさんの性格を読んでのその計画なのだろうから。

 とはいえ、僅かな対応の遅れが致命傷になりかねないのが戦闘だ。反乱騒ぎの中で突発的な戦闘となれば、対応の切り替えが上手く行くかどうかは不安がある。

 アイツの事だからそれを理解していないとは思えないのだが……いや、あのグルグル眼を思い出して首を振る。

 何となくそこを計算に入れていない気がした。

 

「ともかく、人質は何処だ。この馬鹿騒ぎをとっとと終わらせる。万一にも対応が遅れて撃沈なんてのは洒落にならないからな。俺も勿論そうだが、お前だって死にたくはないだろう」

「……鼻を折られて今にでも死にそうなほど痛いんだが」

「痛みがあるのは生きている証拠だ。余計な事を言わずにとっとと言え。……まあ、悪かったとも思うけどさ。だけど自業自得なのも分かるだろ」

「……」

 

 皮肉気な言葉を向けたのは精一杯の強がりだったのか、俺の言葉を受けて整備士の男性は諦めたように肩を竦めると素直に人質の居所を口にした。嘘を吐いている様子はない……と思う。

 

「…悪いがまた眠らせてくれないか。ソイツの電撃はきついが今ある痛みの方が辛い。この騒ぎが終わるまで寝ていたい」

「言われなくともそうさせて貰うさ」

 

 諦めた口調で言う整備士に従う訳ではないが、目の前の男の身体にスタンガンを押し付けてスイッチを入れた。

 

「…少し時間を喰ったな」

 

 必要な事だったとはいえ、それなりに時間を消費した。

 耳に着けたインカムからはメグミ嬢が反乱グループへの指示を出す声が聞こえる。

 

「ルリちゃんは侵入に成功してセキュリティはダウン。復旧の目途は無し。……光学迷彩なんて物まであったのか」

 

 耳に入る状況を整理しながら装備を点検する。

 奪ったインカムとスタンガンの他、オートマチックの軍用拳銃もある。口径は10㎜。装弾数は13発。弾種はブリッジでゴートさんが使った弱装弾っぽいプラスチック…いや、やっぱりゴムスタン弾か。外したマガジンの上部から覗く弾丸を見てそう判断する。

 マガジンを差し込んで銃身をスライドして初弾を装填。同じく奪ったホルスターへとしまう。セーフティーは入れない。

 銃の扱いはゴートさんの指導で学んでいるが一応、元の世界でも中国や中南米なんかで射撃の経験はある。…流石に人に向けたことはないが。

 二人から一丁ずつ手に入ったので腰と左脇に持つ。予備弾倉は計六つ。持っていたナイフはケースがないので上着の袖の下にテープで巻いて隠しておく。もしまた捕まったら役に立つかも知れない。

 ちなみ今着ている上着は“青色”だ。拝借させて貰った。ついでにサングラスも倉庫にあったので同様に借りて、髪も見つけた整髪料で固めてオールバックにした。

 元来ていた上着は捨てて置くか迷ったが、こいつらが持っていたポーチに幾つかの雑貨と一緒に詰め込んで持って行く事にする。

 

「これでこいつらが見つかるまでは誤魔化せるだろう」

 

 スタンガンで気絶させ、猿ぐつわを噛ませて拘束した二人を尻目に倉庫のドアを潜る。

 余り上等とは言えない変装とツーマンセルではなく一人で行動している事に不審を持たれそうな不安はあるが……成るようにしかならない。

 

 一抹の不安を殺して俺は機関区の通路を進み出た。

 

 

 ◇

 

 

『ホシノ、どうだ』

「はい、人質の場所は分かりました」

 

 ゴートさんからの連絡に応える。

 端末の回線が切断されるのは予測通り、それで場所が分からないのなら直接人から聞き出すだけだ。

 

「少し手荒な事をしましたが…」

 

 そう言い、私は目の前で便器に寄り掛かって気絶している男性を見る。此処は機関区にある女子トイレの一つで、その個室の中だ。

 やはりナデシコの人員は民間人の所為か警戒時の動きが徹底されていない。

 この男性もそうだ。二人一組(ツーマンセル)か、四人一組(フォーマンセル)で行動すべき所を愚鈍にも一人で動いていた。どうやら組んでいた人間とバラけて私を捜索していたらしい。

 そこを、このトイレの前を通りかかった所で背後から膝裏を蹴ってバランスを崩してやり、頭の位置が私の背丈まで落ちた瞬間に首を絞めてここまで引きずり込んだ。

 勿論、抵抗されたがダクトから出たあの部屋に居た見張りを気絶させたスタンナイフを使って、気を失わないように適度に電撃を与えて大人しくさせた。完全に気絶させなかったのは、尻餅を着かれては私の腕力では持ち上げられなくなるからだ。

 このように一人で行動してくれていたお陰で、恰好の尋問相手を捕まえられた訳ですが……どうもスッキリしない。

 

『艦長と違って、他の連中はホシノが侵入者という事で油断があるのだろう。だとしてもしかし……定期的に訓練を行うべきだな、これは』

 

 ゴートさんも同様の思い…いえ、保安担当故に私以上に憂鬱そうに通信越しで溜息を吐いた。

 

『まあ良い、人質の場所が分かったのは幸いなのだからな。直ぐに向かってくれ』

「了解」

『それと予定を変更してこちらも動く事にする』

「…? 隔壁を破るのですか?」

『…………ああ、今突入部隊の隔壁前へと移動させている』

 

 若干返事に間があった。隔壁だけとはいえ、なるべく艦内を傷つけるのを避ける為、サブコンピュータを奪還してから突入部隊を動く筈でしたが……ゴートさんは微かに額に汗を浮かべており、その背後にはミナトさんの姿がある。ゴートさんをジッと睨む感じで。

 どうやらミナトさんに催促された模様。

 

「大変ですね、ゴートさんも」

『……』

 

 事情を察して僅かに同情して言うもゴートさんは無言だ。お遊びのような反乱騒ぎとはいえ、私を一人で送り出した事で相当絞られたらしい。屈強な大男が女性に問い詰められてタジタジしている姿が頭に浮かんで思わず頬が緩む。

 クスクス笑う私にゴートさんは憮然とするも、誤魔化す様に咳払いして話を続ける。

 

『……だが、人質が居ては突入部隊の動きは鈍くなるのは避けられない。だから――』

「――私が人質の救出に動くと同時に……という事ですね」

『その通りだ。お互い間接的に援護(フォロー)し合う形で行こうと思う』

「分かりました。こちらから合図の連絡を入れます」

『そうしてくれ』

 

 ゴートさんと私、お互いの思考を読み合って同意して頷いた。

 

「やっぱりゴートさんの戦闘指揮はやり易いですね」

 

 通信を切ると私は何となしに呟く。

 『南雲の乱』の時もそうでしたが、その後も何度か特務でゴートさんは私の(ふね)へ……ナデシコCへ乗艦する事があり、その度に戦闘指揮も任せていた。言葉を多く交わす必要もなく阿吽で状況に合わせて動き、部隊に指示を出し、時に進言を出してくれるのはとても助かった。

 副長の役職と共にそれを兼任していたサブロウタさんも及第点ではありますが、ゴートさんの方が隙が無く的確で戦術的思考と判断は優に上だ。またサブロウタさんを補佐していたハーリー君はまだまだ途上でこれからと言った所。

 南雲の乱以降、参謀本部勤務となったユリカさんは言うまでもなく最上。幾度かシミュレーションで対戦しましたが一度も勝てた事がない。

 他に上手く合わせてくれたのは、艦長候補生として南雲の乱を共に戦った“彼女”ぐらいだ。候補生で乗り込んだ臨時だったはいえ、一時的にも“ナデシコ”の艦長に選ばれていただけはある…という事でしょう。あの後は再改修されたナデシコBの正式な艦長となりましたし。

 あの彼女の読みの深さと勘はユリカさんに通じるものがあった。確か今のこの時期(じだい)では……。

 

「……いえ、懐かしむのはまた今度です」

 

 未来(過去)に想い馳せるのを僅かに、私は両手で銃を握り締めると再度ウィンドウ迷彩を展開して通路へと出る。

 何時までも光学迷彩(こんな物)に頼る積もりは無い……などと言うほど、私の兵士としてのスキルは正直高くはない。存分に利用して巡回の眼を掻い潜る。

 しばらくして――

 

 ――パンッ、

 

 乾いた破裂音が何処からか聞こえた。

 

「――じゅ…!?」

 

 銃声!? と一瞬大きく声を漏らしそうなったのを堪える。周囲に人が居ない事を確認して直ぐに通信を入れる。

 その間にも銃声は断続的に耳に入る。

 

「ゴートさん…!」

『ああ、こちらもセンサーで反響音を確認した』

 

 事態を告げる必要もなく、ゴートさんは状況を察して情報を送って来る。艦内図が網膜に投影される。

 

『オモイカネが算出した位置は――』

「――遠いですね」

『うむ』

 

 遠い……そう、人質の要る区画から。

 その事の意味と意図を考えようとして私が付けているインカムにゴートさん以外の声が交じる。先程トイレに放置した整備士のインカムに取り付けた小型盗聴器から拾ったものだ。敢えてそれを奪わなかったのはそうする事で向こうに対策を取られるのを避ける為だ。

 盗聴した音声を聞き、ウィンドウの向こうのゴートさんもコミュニケ経由で耳にし、

 

『ふむ、…ホシノ』

「はい、提督達のいる区画へ向かいます」

 

 ゴートさんの言いたい事を察して私は頷き、静かにされど素早く移動を開始する。

 本当は援護しに行きたいのですが……我慢するしかない。

 

「直ぐに終わらせますから、それまでどうか…」

 

 呟き、グッと奥歯を噛みしめて私は急ぐ。人質の救出へと。

 

 

 ◇

 

 

「艦長、B班が指示した区画の通路へ撒き終わったそうです」

「分かりました。ではその次は…」

 

 ユリカは光学迷彩を使っていると思われる侵入者(ホシノ・ルリ)に対する為、幾つかの主要な通路へ水と小麦粉や消火剤などを撒くように指示を出した。

 姿は消せても存在が無くなる訳ではない。水の上を歩き、小麦などの粉を踏めばその見えない存在を浮き彫りに出来る。とはいえ――

 

「これも気休めだけどね」

 

 あの子は簡単に引っ掛からないだろう。せいぜい動きづらくするのが限度だ。ユリカはそう考える。

 

 ―――だから、やっぱり待ち構えるしかない。

 

 人質のいる区画とサブコンピューターのある区画へ人員を増強する。隔壁の方へも注意は必要だが、件の侵入者の目的はそっちだ。

 ならそこを訪れた所を押さえるしかない。あの子を押さえて言う事を聞かせられればセキュリティの復旧も可能になる。ネルガル側の打つ手も抑えられ、交渉材料にもなるだろう。

 

「その為にはもう一手必要かな?」

 

 ユリカは、その思い付いた一手が有効かどうかを考えて――

 

「艦長! 大変で――」「――艦長、区画E-8にて銃声があったとの連絡が!」

「え!?」

 

 メグミとその彼女の隣にいる別の連絡役が急報を告げた。

 

「人質が逃げだしてこちらの武器を奪ったらしく、銃撃戦になっているようです!」

「ええっ!?」

「…え!?」

 

 突然の報告にユリカと、そしてメグミが驚く。

 そのメグミの様子がユリカは気に掛かる。隣にいる連絡役と同様の報告を上げようとしたのだと思っていたからだ。

 

「え、じゃあ、まさか…」

 

 メグミは戸惑い、大きく動揺を示す。そのメグミにユリカは尋ねる。

 

「どうしたの、メグちゃん?」

「……テンカワさんが居ないそうです。ルリちゃんが来るかもしれないからと送った人達からそう連絡があって…」

「――!!?」

 

 メグミの報告にユリカは愕然とする。

 

「ま、まさか、それじゃあアキトが!?」

「艦長、交戦中の班から連絡が! 相手の一人は“生活班の制服”を着ているとの事です」

「――! 直ぐにE-8に人員を回して下さい! 最優先です! ただし人質及びサブコンピュータの傍の人員は動かさないように!」

 

 ユリカは自身が浮かべた想像を裏付ける報告を受けて迅速に指示を出した。逃げ出した想い人を逃がしたくないという心理や私情もあるが、侵入者――ルリを追い詰める一手となる人物だからだ。

 しかしこの時、ユリカもメグミも、そして作戦室に詰めるその他の人員ももう少し冷静であるべきであった。

 銃撃戦などという民間人が殆どであるナデシコでは慣れない事態、それもテンカワ・アキトがそれを引き起こしているという事にユリカは気を取られ過ぎていた。

 

 

 ◇

 

 

「……上手いタイミングでバレてくれたな。後は――」

 

 インカムから聞こえる焦った声と慌ただしい周囲の様子に密かに呟く。厄介そうだった三人の内、二人を無力化でき、その上でこの状況だ。

 

「――こっちが何とかなるまで捕まるなよ」

 

 都合よく転んでくれた状況であるが、だからこそ不安もあって俺は急ぐ。すれ違う反乱クルー達に不審に思われない程度の足の速さで。

 脱出がバレてはいるもののまだ有効らしく、着込む“青い制服”のお陰か。反乱クルーとすれ違う度に緊張で心臓の鼓動は大きくなるが、呼び止められる事はなく、俺は目的の区画へと着実に近付いていた。

 

「あの子がどう動いているかが、心配だけど…」

 

 拘束されたと時に身体検査こそ避けられたが、コミュニケを取られたのが痛い。手元にあれば連絡出来たのだろうが……。

 

 




 今回の流れ、
 ルリちゃん、セキュリティを落とす。
 アキトはその機会を察知して脱出。撹乱行動前に独自に人質を捜索。
 ユリカさん、ルリちゃんの捜索と対応を打つ。ゴートさん達へも警戒。
 ルリちゃん、間抜けな反乱クルーを尋問して情報を入手。ゴートさんも鎮圧に動きを見せる。
 直後、アキトがクルーに発見されて銃撃戦が発生。
 ユリカさん、ルリちゃんを警戒しつつ銃撃戦を起こしたアキトの再度捕縛を試みる。
 何者かがルリちゃんと同様に人質の奪還に動いている模様。

 ウィンドウ迷彩はそういう事も出来そうなのでは?と考えて独自解釈で出しました。
 能動的スキャン方式カメラは、コミュニケがどうやって相手や周囲の光景を捉えているのかと考えて、Z.O.E…アヌビスの題名で知られているゲームの設定からアイディアを持って来てます。
 遺跡由来の技術なので現状ネルガルしか有していない技術とし、従来のカメラや光学センサーと合わせてエステやナデシコのセンサーにも搭載されているとしています。

ケンタウロス様、MinorNovice様、ソフィア様、黒祇式夜様、誤字報告などありがとうございます。助かります。


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