高校一年生、夢はアイドルです (まむかい)
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プロローグ
Lesson1:15個目の魔法の靴


 ――朝から話を始めよう。すべてよき物語は朝の薄明の中から出現するものだから。

 

                  ――池澤夏樹「マシアス・ギリの失脚」より

 

 

 ◆

 

 

 じりりりり。じりりりり。かちゃん。

 己の本分を果たすべく、これでもかと鳴り響く目覚まし時計を手で制し、鳴り止ませる。

 

「むぅ……」

 

 甘い眠気を振り切るように軽く目を擦り、未だ手の中にある目覚まし時計で、起床時間を確認する。現在は5時30分。うむ、いつも通りに起きる事ができたようだ。

 

「今日は入学式だったよね……」

 

 深呼吸をして意識を澄み渡らせ、スッキリとした気持ちでベッドから出る。春の陽気からくる眠気は人によっては抗えるものではないと言うが、昔から早寝早起きは特技の一つで、この程度の誘惑を跳ね除けることは私にとって造作もなかった。

 クローゼットから新品の学生服を取り出し、てきぱきと着替えていく。

 ……それにしても、私も今日から高校生かぁ。そう思うとなんだか感慨深い。

 

 私、鬼瀬(おにがせ) 窓花(まどか)はアイドルに憧れるごく普通の高校1年生だ。

 某大手企業のサラリーマンの父に専業主婦の母を持ち、鬼瀬家の一人娘として人並み以上の愛情を受けて育ってきた。

 

 ――幼いころ、私は母に何度もせがみ、時間をみつけては見ていたものがあった。

 それは、三年ほどの活動期間の中で、数々の記録を打ち立てた伝説的なアイドル、『日高舞』のライブを収めたビデオテープ。2時間ほどのビデオは子供が見るには長いものだったが、私はこれをただ齧りつくように見ていたのを覚えている。

 会場を包む熱気、ファンの歓声、綺羅星の如く輝くステージ。そこに一人立っていた少女は、その笑顔とパフォーマンスで人々をたちまち熱狂の渦へと導いていた。

 そんな、まぶしさすら感じる『アイドル』という存在に、幼い自分は強い憧れを抱いたのだった。

 

「アイドルになりたい」

 

 ビデオを見終わった私は、隣で一緒に見ていた母に自然とそう言った。母は、慈しむように目を細め、柔らかに微笑んだ。

 

「私も、アイドルになるのが夢だったのよ。親子揃って同じ夢なんて、なんだか嬉しいわ」

 

 母はそう言って、私の頭を撫でる。娘の言葉を優しく受け入れてくれた母に感謝しつつ、私はもう一つ、母に質問をしてみた。

 

「私、アイドルになれる? 」

 

 その問いに母は少し考えた後、私の手を上から軽く握り、しっかりと私の目を見据えた。

 

「ええ、努力すれば、必ずね。あなたの夢を叶えるのは、私の夢でもあるの。ずっと応援しているわ、まどか。」

 

 今思えば、母のこの言葉が、私の夢を決定づけたのだろう。

 

 ……この時から、いつかアイドルになることが、私の目標になった。

 アイドルになると言う夢を追って養成所に入り、そこで出来た友人たちと切磋琢磨し合いながら、今日に至るまで邁進してきた。

 アイドルへの道は険しく、時が経つにつれて、この世界から離れていく人の方が多くなった。高校生になろうとする現在、私の通っている養成所でレッスンを受けているのは、いまや私と親友の二人だけとなってしまった。

 その事実に一抹の寂しさを感じるものの、それでも自分の夢は今も変わらず、ひたすらレッスンを重ねていた。

 

 そんなことを考えているうちに、新しい制服に着替え終わった。脱いだ寝間着を片手にまとめて、部屋から持ち出す。とんとんとん、と軽快に階段を降りると、ほどなくして1階に着いた。

 

「おはよう、まどか」

 

 キッチンから食器を洗う音とともに母の声が聞こえる。5時半に起きた娘より早いとは、母娘そろって早起きなものだ。

 

「おはよう、お母さん」

 

 きっちりと挨拶を返し、洗面所へ向かう。朝食ができる前に、朝の支度を済ませておこう。

 

「制服、似合ってるわよ。後で写真を撮ってお父さんに送りたいから、よろしくね」

 

 父は単身赴任で、ほとんど家にいない。そのため、母は日々成長する私の写真を父にメールで送っているのだ。

 了解、と返事をして洗面所へ。

 洗濯機に寝間着を放り込み、洗顔を素早く終える。そして、父譲りのくせっ毛を纏めるために鏡の前で格闘すること10分間。煙のように、もくもくと天へ上らんとしていた毛髪の群れは、金色に輝くウェーブのかかったロングヘアに変貌した。我ながら、完璧な仕事だ。

 ついでに、鏡の前で父に送る写真用のポーズを模索する。かわいらしいポーズは、撮られる仕事であるアイドルには欠かせない要素だ。

 

「朝ごはん、出来たわよー」

 

「はーい」

 

 ポーズの模索を中止して、食卓へ。今日の朝食はいちごジャムを着けたトーストにミルクティーだ。すぐに席へつき、待っていてくれた母と手を合わせる。

 

「「いただきます」」

 

 まずはトーストに口をつける。うん、おいしい。いちごジャムの甘さが、トーストの香ばしさを高めている。

 続いてミルクティー。とても優しい、飲み慣れた味だ。

 そのままペロリと食べきると、母もちょうど食べ終えたようだ。もう一度手を合わせて、

 

「「ごちそうさま」」

 

 と締めの挨拶。しっかりしたあいさつはアイドルへの第一歩だ。食器を片付けて、キッチンでざっと汚れを落とすように洗う。仕上げに食洗機にセットすれば、これでいつも通りの朝の支度は終了だ。現在は6時を過ぎたばかりで、まだまだ時間には余裕があった。

 

 ……久しぶりに、アレを見ようかな。

 

 ふと思い立って自室に戻ると、慣れた手つきでテレビとDVDプレーヤーの電源をつけ、そのまま中に入れてあるDVDを再生。プレーヤーの中身は、私がアイドルを志したきっかけでもある日高舞のライブビデオ、それを高画質化して再販されたものだ。

 

「やっぱり、すごいなぁ……」

 

 会場の中心で歌って踊る彼女は、天才だ。

 ……アイドル界での天才とは、天性の才能を、見つけることができた人のことを言う。

 アイドルの卵としてレッスンを重ねている今だからこそ、憧れの中にある彼女との決定的な違いを痛感する。アイドルになるには、闇雲に努力するだけではダメで。

 努力した上で、もう一つ。人を引きつける魅力、自身のみにある『強み』、いわゆる個性を探り当てることが必要不可欠なのだ。

 

 例えば会場の上で舞う彼女の個性は、誰であろうと目を向けずにはいられないほどのカリスマ性。彼女の前ではどんな人も、ファンであろうが無かろうが、たちまち熱狂の渦に巻き込まれてしまうのだ。

 そんな、アイドルをアイドルたらしめる最後の1ピース。

 

 ……なら、私の強みってなんだろう。それを見つけなければ、私はいつまでもアイドルではなく、この綺麗な世界に憧れを抱いただけの、あの時の私のままな気がして。いつも不安になってしまうのだ。

 わからないまま終わるなんて、私にはできない。

 けれどもその答えは見つからないまま、今は地力をつけるため、ただ闇雲に努力するしかなかった。

 

 ――ぱしゃり。

 

 そんな思索にふけりつつライブに見入っていると、ドアの方から音がした。ハッとして目を向けると、小さなデジタルカメラを持ってこちらを微笑ましげに見る母の姿があった。

 「はい、チーズ」という掛け声とともに、もう一度カメラが構えられる。

 一枚目こそ不意打ちであったが、アイドル候補生の端くれとして、掛け声をくれた二枚目まで痴態を撮られるわけにいかない。しっかりと笑顔でカメラに視線を送った。

 

 ――ぱしゃり。

 

 母は撮れた写真を見やると、満足そうに頷いた。相変わらず、小さないたずらが好きな人だ。

 

「可愛く撮れてるわよ、まどか。もうそろそろ良い時間だから、電車に遅れないようにね」

 

「え? 」

 

 驚いて時計を確認する。……時刻は7時40分。遅刻はしないが、急ぐべき時間帯だった。

 

 

 ◆

 

 

 学校へと乗り継ぐ駅のホームで次の列車を待ち構えていると、ポケットに入れていたスマートフォンのバイブレーションが作動する。取り出して確認すると、新着のメッセージが一件入っていた。

 

「……卯月からだ」

 

 島村卯月。花の咲くような笑顔がチャーミングな、私の親友だ。

 私より一歳年上で、養成所では一年後輩に当たる彼女とは、それらの年月を足し引きすることで、自分たちは同期であるという事にしていたりする。

 

『おはようございます、まどかちゃん』と言うメッセージが、笑顔の太陽が描かれた可愛らしいスタンプを添えて送られている。

 

『おはよう、卯月』と一言返すと、すぐに返信があった。

 

『今日、入学式だよね? 』

 

『そうだね』

 

 質問に答えると、少しだけ間を置いて新着メッセージが届く。

 

『高校生ってやることがいっぱいで大変だけど、頑張ってね! 』

 

 エイエイオー、と腕を掲げて動く日野茜ちゃんのスタンプを添えて、そう送られてきた。少し時間を掛けた割には簡素なメッセージだけど、学生生活に不安を持っている後輩を応援したいという素直な気持ちに溢れており、自然と笑顔になる。かわいい人だ。

 

 電車がホームに入ってくる頃なので、そろそろ携帯をしまわなければ。

 ……最後に一つ良いことを思いついたので、卯月にメッセージを送る。

 

『ありがとう、卯月先輩』

 

『ええっ!? せ、先輩!? そうだよね、私ももう先輩かぁ』

 

『島村卯月、先輩として頑張ります! 』

 

 お決まりの口癖とともにグッとガッツポーズを取る彼女を幻視して、小さく笑みが漏れる。卯月、先輩として、だけじゃ何を頑張るのかわからないよ。……本当に、かわいい人だ。

 ホームに着いた電車から人があふれる。携帯をポケットに入れ直し、降りてくる乗客と入れ替わるようにして、学校へと向かった。

 

 

 

 

 入学式と行っても、形式だけのものだ。それというのも、私の通っている学校は中高一貫教育、いわゆるエスカレータ式なので、新たな始まりという感覚は無い。

 目新しいものも特に無く、話題としてはやれどこどこの担任の先生が格好いいだとか、春休みの間に何をしていたか、なんてことくらいだ。

 ……もちろん私もそんな人々の例に漏れず、友達からこう言った無駄話を聞く時間がなんとなく好きだったりする。

 

 

 

 

 そんなこんなで時間は流れ、放課後。今はお昼、午後への境目くらい。天気は快晴、春らしい爽やかな風が吹いている。

 さて、今日も楽しいレッスンの時間だ。正直、これだけが楽しみで学校に行っていると言っても過言ではない。

 課題が多くてまだ先の見えない夢だけど、その目標に向かって努力する事は好きだ。養成所は、アイドル候補生たちのそんな願いを叶えてくれる場所だった。

 意気揚々と学校を出て少々徒歩で向かうと、すぐさま到着。このアクセスの良さを目当てに今の学校へと入った面もある。

 

「おはようございます」

 

 受付のお姉さんに挨拶をしつつ戸を開けた。そして、いつものように靴を脱いで下駄箱にしまうが、違和感が二つ。……卯月の靴、そして見慣れない大きな靴が一足入っている。

 

(誰のだろう? )

 

 二つの違和感に首をひねる。不自然過ぎる見慣れない靴は一旦置いて、まずは卯月だ。

 卯月は、午前に入ってレッスンを受ける日は、トレーナーさんのお昼休みに差し掛かる頃には帰宅することが多い。

 今頃には、もう帰っているものと思ってたんだけど……。

 がんばりやな彼女は、トレーナーさんの居ない午後も自主練習に勤しんでいる、なんてことも多い。

 しかし……レッスンルームから、練習している気配は一切感じない。

 いつもと違う日常に小さな違和感を覚えつつ、レッスンルームに向かう。

 

 (事件? いや、短絡的過ぎるかな。……なら、どこかの事務所が卯月をスカウトしてたり。そして、私を見てティンと来た事務所の偉い人が卯月と一緒に勧誘を~……なんて、そんな都合の良い話なんか転がってないよねぇ……)

 

 まとまらない思考にはぁ、とため息をつく。

 アイドルを養成するスクールには、アイドルの卵を探すプロデューサーがレッスンを見に来る事がある、という噂は聞いたことがある。あるのだが、ここでそんな話を聞いたのは、もういつの事だったか。

 考えても、答えは出ない。

 ならば、何にせよ。

 

 (レッスンルームに行けばわかるよね)

 

 私はそう楽観して、到着したレッスンルームの扉を開けた。

 

「……誤解です」

 

 扉を抜けると、そこは別世界(じけんげんば)であった。

 ルームには黒いスーツを着た大男が一人。何かに覆いかぶさるように立っていて。

 

「ぁ、ま、まどかちゃん……」

 

 男の隙間からちょこっと見えるのは、レッスン用のジャージ姿で怯える卯月。

 

「……」

 

 参ったな、不審者だったか。

 

「その、これは誤解」

 

 無言でポケットから携帯電話を取り出し、簡単に取られないよう後ろ手に回す。

 

「待ってください! 私は怪しい者ではありません! 」

 

 携帯電話をポケットに仕舞い、いたずらっぽく笑う。

 この状況を必死に弁解しようとして、言葉が出てこず首に手を当てて考え込んでしまった彼の様子がなんだかおかしくて。

 

「そんなに焦らなくても大丈夫。冗談です……少し分かり難いほうの」

 

 ――なんとなくだけど、私にはこの人が悪い人だとは思えなかった。

 

 

 今、目の前で大変わかりやすく狼狽えているこの人物との出会いが、後に私の運命を大きく変える出来事の始まりであることを、この時の私はまだ知らなかった。

 




ここまで読んで頂き、感謝感激関裕美です(担当アピール)。
拙作を読んだ後、少しでも楽しい気持ちになっていただけたなら幸いです。
ぼちぼち投稿していきますので、良ければ今後も、彼女の歩む物語にお付き合いください。


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Lesson2:かぼちゃの馬車

 レッスンルームの声を聞きつけて現れた受付さんは、苦笑いで私たちを応接間に通してくれた。

 机にお茶を人数分用意し、頑張ってねと一言付け加えると、受付さんは静かに応接間の扉を閉めた。

 部屋に気まずい沈黙が流れる中で最初に話を切り出したのは、私達の向かいに座る彼だった。

 

「挨拶が遅れました。私、こういう者です」

 

 さっぱりとスイッチを切り替えた彼は、慣れた手つきで名刺を私たちに手渡してくる。

 

「こちらこそ、先程はとんだ失礼を……」

 

 自身の早とちりを陳謝しつつ、手渡された名刺を確認する。……その内容は、私にとって思いがけないものだった。

 

「「……346プロダクション、シンデレラプロジェクト、プロデューサー……」」

 

「ぷ、プロデューサーさん!? 」

 

「へっ? ……ほ、ホントに、ですか? 」

 

 予想外の状況に慌てる卯月。同じく驚いた私も、つい素っ頓狂な声を出してしまう。

 346プロダクションといえば、業界最大手と名高い老舗の芸能事務所だ。二年前に、新たな部署としてアイドル部門を設立した事は、養成所の仲間の内でも大きな話題になったものだ。

 

 しかし、そんなことよりも。気になる記述は、もう一つあった。

 

「はい。シンデレラオーディション、あなた達もお受けになったと思いますが……欠員が4名出まして」

 

「なるほど……」

 

 そう、シンデレラオーディションだ。

 新たな輝きをテーマに開催されたそれに、私は卯月とともに最終選考まで残ったものの、あっけなく落ちたはずで。

 あの時、養成所で渡された不合格の通知には思わずその場で涙するほど悔しくはあったけど、もう縁はないと気持ちを切り替えて、レッスンに明け暮れていた。

 

 ……でも、そんなプロジェクトのプロデューサーが私達を訪ねて、欠員補充の名目で目の前に居る。

 その現状が、意味するところは。

 

「つまり、私と卯月がそのプロジェクトの再選考に、選ばれた? 」

 

 ……期待しても、いいんだよね?

 すがるような気持ちで言葉を紡ぎ、彼の言葉を待つ。

 

「はい。参加して頂きたいと、思っています」

 

「っ……! 」

 

 胸の内に湧いていた淡い期待が、裏切られる事は無かった。

 

 ……ダメだ、顔が綻んでしまい、戻らなくなってしまった。客人の手前だからと必死に抑えようとするも直らず、とりあえず気を逸らそうと卯月の方を見る。

 卯月も同じ考えだったようで、ばっちりと目が合った。

 

「ま、まどかちゃん……私……」

 

 卯月は、もう気を抜けば泣いてしまいそうな顔をしていて。

 私とプロデューサーを交互に見て何度も小さく頷いている彼女は、みるみるうちに目に涙を貯めていく。

 

「まどかちゃん、私たち、ついにデビュー出来るんだ……! 」

 

「うん……うん! 卯月、私たち選ばれ「まどかちゃ~~~ん! よかった、よがっだよぉ~!! プロデューサーさ~ん、わたし、がんばります~!! 」ってわぁっ! う、卯月!? 」

 

 感極まって、大粒の涙をこぼした卯月が椅子から乗り出し、抱きついてくる。

 プロデューサーの前で少々はしたないかも知れないが……、無理もない、かな。

 

「私も同じ気持ちだよ、卯月」

 

 ……努力しても届かなくて、それでも歩みを止めること無く夢を追い続けたあの日々が、いま報われたのだから。

 こんな時に泣かないなら、いつ泣くのか。

 この涙は悲しみによるものじゃなくて。だからこそ、一度溢れてしまえば止まらないものなのだ。

 

 せめて親友の泣き顔を隠せるように抱き返し、背中をさすって落ち着かせる。しばらくそうしていると、次第に私も、抑えようとする心とは裏腹にぽろぽろと涙が出てくる。

 ……せめて、泣く前にこれだけは。プロデューサーに向き直って、嗚咽をできる限り抑え、言葉を絞り出す。

 

「プロデューサー……私たち、頑張ります」

 

「……はい。よろしくお願いします」

 

 その時、仏頂面の彼が少しだけ微笑んだような気がした。

 

 その後、私と卯月が落ち着いて泣き止むまで、プロデューサーは静かに待っていてくれた。

 

 

 ◆

 

 

 去り際に、資料を持って後日訪れることを伝えたプロデューサーが養成所を去ったのち、興奮も醒めやらぬままに夕方まで二人でレッスンを受けた。二人とも、いつも以上のパフォーマンスを発揮することができたようで、トレーナーさんも驚いていた。

 我ながら現金な話だけど、このレッスンから帰ったら、自身のデビューを両親に伝えられることを思うと、自然と力が湧いてきたのだ。

 

「はい、これで今日は終わり! ……デビューおめでとう。気をつけて帰るのよ」

 

「「ありがとうございました! 」」

 

 レッスンの終わりにトレーナーさんへ一礼をして、更衣室へ。

 

 タオルで汗を軽く拭い、レッスン用のTシャツから制服に着替える。荷物をかばんにまとめて更衣室を出る前に、嬉しそうに携帯を見ている卯月に声をかけた。

 

「また明日ね、卯月」

 

「はい! 明日も、頑張りましょうね! 」

 

「もちろん。頑張ろうね」

 

 笑顔であいさつを交わしたら、足早に養成所を出て、最寄りの駅から自宅付近まで電車を乗り継ぐ。

 この間に、あえてメールなどで伝えることはしない。この大ニュースを、母に直接伝えて驚かせてみたいのだ。

 駅から降り、星がまたたき始めた空をときおり眺めつつ少々歩くと、家に到着。玄関の扉を開けて、母が居るであろうリビングルームへ向かった。

 

「ただいま! 」

 

「おかえりなさい、まどか」

 

 ドアを開け、リビングルームに入るや否や大きくあいさつ。このような時でも、あいさつは欠かさずに。

 母は洗濯物を折りたたむ手を少し止め、こちらを見る。

 

「あら、良いことあった? 」

 

 さすがは私の母だ。娘のことがよくわかっている。……私自身、感情がストレートに表情に出るタイプであることにも起因しているが、母は昔から、私の感情の機微に聡かった。

 しかし、今回はそんな母の予想をも大きく裏切る大ニュースだ。

 仰々しくポーズを加えて、少し得意気にデビューを明かす。

 

「そうなんだ! 聞いて驚かないでね……、なんと私、デビューが決まったんだ! 」

 

 これで予想通り、母の驚く顔が見えて……、見えて、くることはなく。

 母はなぜか、いたずらが成功した子どものような笑みを浮かべていた。

 

「知ってるわよ♪」

 

 ……あれ?

 ちょっと待って。期待した反応と違うぞ。

 

「……実はゆうべには知っていたんだけど、まどかには言ってなかったの。未成年の娘をスカウトしようって言うなら、まずは両親に話を通すものでしょう? 」

 

 ひそかな目論見が成功した母は、事のあらましを語ってくれる。

 

「それに、お母さんよりもプロデューサーさんから聞くほうが、まどかは驚くかなって思ってね」

 

 そう言い終わると、ふふ、といたずらっぽく笑う。

 ……言われてみれば、確かにそうだった。

 私が声をかけて貰える機会を得たのは、おそらく最終選考当時の履歴書を見てのこと。履歴書には、連絡先も載っているわけで。むしろ、母が知っていて当然だったのだ。

 デビューに浮かれていてその事実に思い至らないまま、大仰なポーズなどつけて得意気に話した自分を省みて、途端に顔が熱くなる。

 

「あら、りんごみたいで可愛いわ~」

 

 そんな言葉が、耳に入ってくる。誰のせいだ、誰の。

 ……それにしても、なんという似たもの親子か。デビューの事実を知った後、奇しくも同じことを考えていた(あいてのおどろくかおがみたかった)とは。

 血は争えないとは、まさにこの事だろうか。

 

 ――ぱしゃり。

 

 少しへそを曲げて目をそらしていると、いつの間にか目の前でシャッターが切られていた。

 母はどこからか取り出していたデジタルカメラを構え、こちらに屈託のない笑顔を向けている。毎度行われる不意打ちには、もう慣れたものだ。

 

「じゃあ、記念写真撮るわよ。ほら、笑って~」

 

「……はーい」

 

 ちょっとだけもやもやした気分になったものの、撮られるとなると妥協できないのはアイドルとしての性か。

 即座に笑顔でポーズを決め、シャッターが降りるのを待つ。……でも、この胸のもやもやは取れないままだ。

 

 私が自分の口から伝えたのは、驚かせたかっただけじゃなくて。私が一番見たかったのは、驚く顔なんかじゃなくて――。

 

「では、娘のデビューを祝って~……、おめでとう、まどか」

 

「……うん! 」

 

 ――ぱしゃり。

 

 シャッターを切る音とともに聞こえたのは、私が一番聞きたかった、母からのお祝いの言葉。

 そうだ。母は昔から、私の感情の機微に聡かった。

 

 ――カメラに向けた表情は、自然と今日一番の笑顔になっていた。

 

 

 

 

 翌日の午後、養成所に再びプロデューサーがやってきた。応接間で顔を合わせて、提示された資料を手に取りざっと目を通す。

 一枚目はシンデレラプロジェクトと題されており、企画者であるプロデューサーの名前と、大まかな方針が記されている。

 

「新規プロジェクトを立ち上げ、多方面にプロデュース……」

 

「今後、私たちはそのプロジェクトのメンバーの一人として活動することになる、と」

 

「はい」

 

 卯月と私の言葉に、さらりと返す。

 事も無げに言うが、資料によるとプロジェクトメンバーは15人を予定している。

 オーディションの時は考えもしていなかったけど、この人数をたった一人でプロデュースするとなれば、並大抵の能力では捌き切れずに最悪プロジェクトごと潰れてしまうと思うのだが。

 それでも尚この企画が通る辺り、社内における彼の有能さへの信頼が成せる業なのだろうか……。

 

 ペラリと資料をめくれば、参加しているプロジェクトメンバーの一覧が作成されているページに目が止まる。欠員4名を除き、全部で11名の名前に簡単な紹介文を添えたものだ。

 

「あの、プロデューサーさん! 」

 

 卯月が手を挙げて、質問する。

 

「何でしょう」

 

「私たち以外の方は、もう部署に入られているんでしょうか? 」

 

「あ、いえ。部署への配属は、再選考の内残り2名が決まり次第、一斉に行われることになります。……申し訳ありませんが、お二人は引き続き、養成所でのレッスンをして頂くことになります」

 

「そ、そうなんですか……がんばります」

 

 まだ見ぬ仲間に期待を膨らませていた卯月が、見てわかるほどにしおしおとしぼんでゆく。気まずそうに視線をさまよわせた後、再度資料に視線を落とした。

 その後、私も卯月もざっと目を通し終えた所で、プロデューサーが私たちに他に質問は無いかと問いかけた。それについて、卯月は今後の企画などについて色々と尋ねたものの、

 

「それも、企画中です」

 

「な、なるほどぉ~……」

 

 全て、企画中だった。まあ、そもそもメンバーすら確定していないので計画を立てようがない、と言った所だろうか。

 卯月が一通り質問し終えると、プロデューサーと卯月の視線が私に集まる。

 ううむ、何を質問しようか。卯月の質問で判明した、思ったより決まっていないプロジェクトの今後を除くと……、思いつくのはこれくらいだ。

 資料を机に置き、卯月にならって手を挙げる。

 

「私からも一つ、良いですか? 」

 

「はい」

 

 頭のなかで、質問の内容を簡潔にまとめる。……実は先日、突然の大抜擢に卯月とともに浮かれる中、同時に私たちの心の隅で気になっていたことが、一つだけあった。

 

「再選考の件ですが……、なぜ、私たちだったんですか? 」

 

「……と、言いますと? 」

 

 しまった、簡潔にしすぎた。これだけではわかり難かったようで、聞き返されてしまう。人にわかりやすく伝えようとするあまり言葉を圧縮しすぎてしまうのは、私の悪い癖だ。

 今度はわかりやすく伝えられるよう、噛み砕いて話す。

 

「私たちは、このオーディションを受けて、一度は落選しました。でも、その時の最終選考に残った人は、私たち以外にも多く居たはずです」

 

 あの最終選考の日、オーディション会場に居た女の子は数十人を超えていた。その全てが同じ夢を目指して、書類選考から歌唱審査、ダンス、複数人での面接などの試験をくぐり抜けてきた猛者たちだ。

 ある人は、私より歌もダンスも上手だった。中には私よりもずっと可愛くて、きれいな女の子だって居た。

 でも、そんな私も最終選考まで残ったからには、自信がない訳ではなかった。

 飛び抜けた強みは無くとも、すべてを合わせた総合力なら、どんな人にも負けない自信があったから。

 

 ……それでも、オーディションに合格したのは、一握りにも満たない人数。

 それは当然のことだけど、採用されることのなかった私たち(ふごうかくしゃ)の胸には、その現実は重くのしかかっていたのだ。

 

 だからこそ、そんな中で。

 

「その中から、なぜ私たちを選んでくれたのか。それが気になっていたんです」

 

「わ、私も気になりますっ! プロデューサーさん! 」

 

 卯月も賛同し、私たちは静かに、プロデューサーの答えを待った。

 

「……」

 

 プロデューサーは首に手を当ててしばらく考えた後、しっかりと私たちと目を合わせ、答えた。

 

「笑顔です」

 

「「……え? 」」

 

 結構な思考時間から飛び出てきた、あまりにも簡潔過ぎる理由に少し驚く。

 ……え、それだけ?

 笑顔が理由たりえないという事ではなく、純粋に理由自体が短いような……。

 

「え、えがお、ですか? 」

 

「はい」

 

 私のつぶやきに、プロデューサーが頷く。……本当に、これで終わりらしい。

 

「説明不足、でしょうか? 」

 

 困惑する私に、プロデューサーは怪訝そうな顔でこちらをうかがう。

 正直な感想としては、説明不足ではあると思うが。

 

 卯月はどうだろうかと思い、さりげなく様子を見る。すると、卯月はいつの間にか椅子から前のめりに立ち上がっており、まっすぐにプロデューサーを見つめていた。

 

「いえ……、いえ!! わたし、笑顔だけは自信があるんです!! 」

 

 目がきらきらと輝いた、花の咲くような笑顔。……同性である私もときめいてしまう程の笑顔を持つ私の親友は、これ以上無く喜んでいる様子だった。

 

 ――採用理由、笑顔。

 なるほどこんなに素敵なら、立派な理由になるのかな。

 

「私も、ご期待に添えるよう頑張りますね」

 

 なら、今は良いか。プロデューサーさんともこれから長い付き合いになるんだし。このお話はまたの機会に、ゆっくり聞いてみようかな。

 




ここまで読んで頂き、ありがとうございました。
これを読んだみなさまに、茄子さんの大吉パワーが届きますように。


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Lesson3:夕暮れの魔法

 突然のスカウトから一週間ほど経った、休日の昼下がり。

 ここ養成所のレッスンルームで、私と卯月、そしてプロデューサーの三人が顔を合わせていた。

 

「「おはようございます! 」」

 

「おはようございます」

 

 まずはお互いに挨拶を交わす。

 三日もすれば彼の強面もすっかり見慣れたもので、注意して見れば思いのほか表に出ている表情の変化は、見ていて飽きないものだったりする。

 

「今日は、何をしましょうか? 」

 

「卯月、今日も同じだと思うよ? 」

 

「いえ、まどかちゃん! 今日はプロデューサーさんから何かを感じるんです! 」

 

「そう? 」

 

「はい! 」

 

 挨拶の後に卯月が切り出したのは、ここ最近繰り返されているやりとりだ。

 何をするのかと言っても、プロジェクト参加者があと二人決まっていないため、答えはわかりきっている。だがしかし、ちょっとした期待を込めて。

 ぐっと腕を寄せ、キラキラした目でプロデューサーを見つめる卯月。

 対するプロデューサーは、

 

「レッスンをお願いします」

 

 と一言。

 それを聞いた卯月は、へにゃりと分かりやすく萎れ、即座に持ち直す。ちなみに、ここまでが一連の流れだ。

 

「そ、そうですよね。レッスン、頑張ります! 」

 

「わかりました。さ、卯月。今日も頑張るよ! 」

 

「うん、頑張ろー! 」

 

 卯月の屈託のない笑顔を尻目に、軽く伸びをして深呼吸。

 さ、今日も今日とてレッスンだ。

 

「ああ、いえ。お二人とも」

 

 ……しかし、今日は続きがあった。

 呼び止めるプロデューサーの声に振り返ると、彼は小さく咳払いをする。

 

「今日は、レッスンを見学させて頂きます」

 

 ……なるほど確かに、何かあった。

 当たる方が珍しい卯月の勘は、今日は珍しく当たっているようだった。

 

 

 

 

 1,2,3,4,5,6,7,8。ラジカセから流れるメロディに乗せて、手拍子が淡々と繰り返される。

 

 レッスンに没頭していれば自然と日も暮れて、いつの間にやら最後の一つ。

 このレッスンは今日の内容の確認も兼ねた一曲の通し練習で、ここまでに指摘された様々なミスを洗い出し、同じミスを犯さないよう頭に叩き込むことを目的としている。

 

 集中し、今日のレッスンを思い出す。手は大きく水平に、次は軽やかにステップ、もちろん笑顔も忘れずに。一つ終われば、なめらかに次へ。体重移動や手の角度、視線に至るまで細心の注意を向けて。サビの盛り上がりに合わせ激しくなるダンスも、ミスなく踊りこなしていく。

 

「はい、ここで大きく左に! そのまま回転、左手上げてビシっと止まる! 」

 

 トレーナーさんの声に合わせて、一連の動作を淀み無く決めて、最後に決めのポーズ。数秒して曲が停止すると、トレーナーさんは手を叩いてポーズを解くよう合図を出し、曲を最初からリピートし始めたラジカセを止めた。

 

「はい、お疲れ様! 二人ともよく出来ていたと思うわ。今日はこれで終わりだけど、この調子で明日も頑張りましょう」

 

「「ありがとうございました! 」」

 

「そして……どうでした、彼女たちは? 」

 

 誇らしげなトレーナーさんの視線の先には、プロデューサーが鉄パイプの椅子にこぢんまりと座っていた。

 さて、今の私たちはプロデューサーにどう見えたのか。私と卯月を交互に見やるプロデューサーの、射抜くような視線に鼓動が早まった。

 それから少し間を置いて、彼は小さく頷いた。

 

「……率直に言うと、感心しました。この調子でレッスンを続けてください」

 

 プロデューサーの言葉に、胸の鼓動が更に早まる。しかし、それは緊張からじゃなくて。

 隣の卯月をちらりと見ると、偶然にも見合う形になった彼女の、緩んだ顔が目に映った。きっと私も、同じくちょっと見せられないような顔になっているのだろう。そう思うと何だかおかしくて、二人して笑い合う。

 

 しばらく笑いあっていると、プロデューサーが私たちの様子に当惑して目を伏せ、そのそばではトレーナーさんが微笑ましいものを見る目で見ていることに気が付き、顔が少し熱くなる。

 

 ……気を取り直して、プロデューサーに声をかけた。

 

「プロデューサーさん。次はもっと上手に踊れるように、頑張りますね」

 

 私はペコリと一礼し、

 

「わ、私も頑張ります!! 」

 

 卯月は胸の前で小さくガッツポーズを取る。

 

「……はい。お願いします」

 

 プロデューサーは相変わらずだが、その言葉には少しだけ、見守るような優しさが含まれているように感じた。

 

 

 

 

 レッスンが終わり、帰り道。最寄りの無人駅にて、帰路に着くために電車を待つ。今日はいつもより風が強く、野ざらしの券売機をガタガタと軋ませていた。

 まばらな出入りのこの駅をこの時間に利用するのは、大抵の場合、私だけだ。

 だが、今日は少しだけ客の入りが良いようだった。

 

 ――主に、腕を掴まれたプロデューサーとか、腕を掴んでいる側にあたる警官とか。

 ただ、二人とも電車で帰るから、一緒にここまで来ただけなんだけどなぁ。

 

「……と言うわけで、この人は私のプロデューサーで、怪しい人では無いんです」

 

 私の弁明に頷いた警官は、掴んでいたプロデューサーの腕を離す。

 

「気をつけてくださいよ。ここらで不審者が出てるって話ですから」

 

「……お騒がせしました」

 

 巡回へと戻るのだろう壮年の警官に、プロデューサーは頭を下げた。

 もう少し怒ってもいいと思うけど、当の本人は慣れたモノのようだった。

 

 職務を終えた警官が去った後、二人だけとなった駅で数分後の停車を静かに待つ。

 隣に立ち、お互い静かに待つだけ。待つだけ……。

 しかし、先程の件のせいか、私は少しだけ落ち着かないでいた。

 

「……プロデューサーさん」

 

「はい」

 

 不意に口をついて出た言葉に、彼が返事をする。

 

「……何か、ありましたか? 」

 

 隣を小さく見上げると、切れ長の鋭い目がこちらの様子を窺っていた。

 こちらを威圧しているようにも取れるこの眼光は、なるほど確かに勘違いを受けやすいかもしれない。

 これまでに接してみてわかったことだけど、これはその実、彼の大きな体との身長差から来るただの見下ろしであり、彼の目をよく見れば相手を害する気など毛頭なく、先程の言葉通りに疑問の意しか含まれていないことが分かるのだが。

 

 ……とは言え、さっきの言葉は本当に口をついて出ただけなので、何があるわけでもなく。

 

「えっと、呼んでみただけです、なんて」

 

「はぁ……」

 

 更に口をついて出た言葉は彼の生返事と怪訝な表情を引き出し、私の顔がカッと熱くなると言う結果に終わった。

 耐えきれず目を逸らし、その先にあった踏切に何となく目をやる。

 踏切はまだ降りておらず、それは即ち、この時間がもう少し続くのだと言うことを暗に示していた。

 

 プロデューサーと私の間に、再び沈黙が流れる。

 折角の機会だけど、何を話して良いかわからない。そのジレンマがもどかしい。

 エスカレータ式の我が母校は、知らず知らずの内に、新たな出会いへの経験不足という課題を私に課していたようだった。

 

「鬼瀬さん」

 

「はい!? 」

 

 突然の呼びかけに声が上擦るが、すぐに持ち直す。

 隣を見上げれば、彼と再び目が合った。

 

「何か、聞いておきたい事などはありませんか」

 

「聞いておきたいこと、ですか」

 

「出来る限り、答えます」

 

 彼はそう言うと、小さく頷く。

 聞いておきたいこと、かぁ。

 

「そうですね……」

 

 言われてみれば、ぽんぽんと思いつく。プロジェクトの具体的な方針、同期となるメンバーはどんな人達か。あとは、プロデューサー自身にも謎が多かったり、他にも……。

 とにかく、聞きたいことは意外と多かった。

 どれが良いかと少し迷ったものの、中でも特に気になっていた疑問を、彼にぶつける事にした。

 

「プロデューサーさんにとっての『笑顔』って、何ですか? 」

 

「……笑顔、ですか」

 

 投げかけた質問に、彼は一瞬だけはっとした表情を浮かべ、首元に手をやる。

 ……もしかして、何かマズかったかな。

 

「他には、プロデューサーさんの好きな食べものとか……」

 

「いえ、質問を変える必要はありません。……少し、驚いただけですので」

 

 あう、気遣いが裏目に。

 質問、そんなに驚く内容ではないと思うけどなぁ……?

 しかし、時間を下さいとばかりに考え込むプロデューサーを尻目に、日も落ちてきた空を、ぼんやりと眺める。

 

 ……私と卯月、二人の採用理由にもなっていた『笑顔』。二人とも同じ理由での採用だ。

 と言うことは、憶測の域を出ないけど、笑顔とはこのプロジェクト全体の採用基準である、とも考えられるのだ。

 ならば、その言葉の中にこそ、彼のプロデューサーとしての譲れない何かが内包されているはず。

 私はそれが、どうしても気になっていた。

 

 考え事をしているうちに、警報機がカンカンと小気味よく鳴り、車を通さないように踏切が降ろされる。間もなくここに停車するようだ。

 

「プロデューサーさん」

 

「……はい」

 

 プロデューサーは、申し訳なさそうにこちらを見る。

 

「先ほどの質問ですが……。答えは、まだ上手く伝えることが出来ません」

 

 表情こそ鉄のように動かないが、私には彼が、言いつけを守れず今にも泣きそうな少年のように見えた。

 

 私はそんな彼を見て、一つ腑に落ちた物があった。……なぜ、聞きたいことを聞かれた時、一番に『笑顔』の意味が気になったのか。

 簡単なことだったなと手を叩いて納得した私は、急に上の空となったせいで対応に困り、こちらの様子を窺うプロデューサーに気付いて、気の利かない自分に苦笑しながら彼に声をかけた。

 

「そんな顔しなくても、大丈夫ですよ」

 

 初めてプロデューサーとゆっくり話せて、気付いたこと。

 それがしっかりと伝わるように、彼の目を見て言葉を紡ぐ。

 

「私たちのプロデューサーは、私たちのことを、誰よりも真剣に考えてくれているってことが分かりましたから。それだけで、私には充分なんです」

 

 ――私は、あなたに何かを聞きたいのではなく、私のこの気持ちを伝えたかったのだと。

 

 まず一つ。あなたは、輝けない路傍の石だった私を拾い上げてくれた、初めてのファンであると。

 もう一つ。アイドルとしてファンのために頑張れる、と言うこと。

 アイドルとして当たり前の、しかし誰もができる訳じゃないそれを。

 これからは私もして良いんだという事が、私にとってどれだけ嬉しいことだったのか。

 そして、そんなあなたが何を思って私を選んでくれたのか。それを深く知ってみたいと思ったのだと。

 

 彼にこれを伝えるべく、それら全てを表す言葉を考えたが、どうにも上手くまとまらない。

 お互い、口下手なところは良く似ているようだった。

 

 ――なので、それは今後の課題ということで。

 

「改めてよろしくお願いします。プロデューサーさん」

 

 目を見合わせ、小さく微笑む。

 彼は少し逡巡した後、不器用に小さく口角を上げ、笑ってみせた。

 

「……こちらこそ、お願い致します。鬼瀬さん」

 

 この先にあるのがどんな世界なのか、まだ何も分からないけど。

 今この瞬間に、プロデューサーとアイドルとしての最初の一歩を、私たちは同じ目線で踏み出せたのだと、自然にそう思えたのだった。

 

 

 

「これからは、窓花って呼んでくださいね! 」

 

「……善処します」

 

「……あれ? 」

 

 プロデューサーは困ったように俯き、首に手をやる。

 流石に、もう一歩は勇み足のようだった。

 




 「そんな顔しなくても――」辺りで実は到着していた電車の運転手さんは、ニヤニヤしながら二人が乗るのを待っていたそうな。

 ここまで読んで頂き、ありがとうございました。
 全体イメージは親愛度MAX。まどかはPラブ勢です。

 今回はメモリアルコミュと言ったコンセプトで、「No Make」に近い雰囲気でお送りさせて頂きました。

 モバゲーにて絶賛配信中の公式サイドストーリー「アイドルマスター シンデレラガールズ:No Make」。1話では、アニメでは語られなかったしまむーの思いが描写されているので、まだ見たことが無いと言う方はぜひ合わせてどうぞ。


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Lesson4:回り始める車輪

 3話のその後、今回は武内P視点です。


 346プロダクションのオフィス内にて。

 

 私は今季に提出する予定の「シンデレラプロジェクト」と題した企画書の草案を携えて、新人だった私にプロデューサーとしてのいろはを教えて下さった、いわば恩師とでも言うべき人物、今西部長と対面していた。

 

 今西部長は企画書に一通り目を通すと、ズズと緑茶を飲み、話を切り出した。

 いつもの朗らかな調子は変わらないが、その目は真剣そのものだ。

 

「次代を担う個性的なアイドルたちを発掘、ね。いやはや、何ともキミらしくて良いじゃないか」

 

「――でも、一つ不可解な点がある」

 

「それは、何でしょうか……? 」

 

 察しはついているが、敢えて疑問を返す。今西部長は企画書を少しめくると、該当する箇所を指し示した。

 それは当プロジェクトにおける、採用人数の項目だった。

 

「私が覚えている限りでは、14人だったと思うんだがね」

 

「それは……」

 

 もちろん部長の記憶は正しい。

 しかし、そこに書かれている数字は「14」ではなく、「15」だった。

 

「キミを責めるつもりは無い。しかし、どうしても気になったんだ……どうしてキミが、突然プロジェクトの採用枠を増やしたのか」

 

「それほどの逸材を、キミは見つけたのかい? 」

 

 その言葉を受け、脳裏にある少女の姿が浮かんだ。

 再選考にあたって最終選考に残った人物を洗い直していた時に、不意に見つけたとある少女のことを。

 

 

 鬼瀬 窓花。黄金の髪と愛らしい顔立ちが人を惹き付ける少女。

 最終選考でその実力を遺憾なく発揮しながら、惜しくも夢を掴むことのなかった彼女の採用担当者による備考は、

 

「技術は申し分ないが、情熱や個性に欠ける」

 

 と言うものだった。

 しかし、私にはなぜか、その備考のたった一行で済まされるだけの人物には思えず、もう一人の候補である島村 卯月に会うためにも、と養成所へと出向いたのだ。

 

 ――結果として、それは正解だった。

 初めて顔を合わせた時は、確かに人事の評価の通り、一見しただけでは彼女に何かを見出すものは少ないだろうと感じた。

 

 アイドルへの憧れを胸にひたむきに努力する少女。

 しかし、それはアイドルを目指す少女たちなら誰でも秘めている情熱。

 個性と呼ぶには余りにも押しの弱いモノ。

 

 Cランク以上、もしくはBランクに勝るとも劣らない技術。

 しかし、それは往々にして天才と呼ばれる者たちなら、その程度は通過点にもならないモノ。

 

 しかし、彼女に出会い、触れることで、自身の目が曇っていなかったことを確信した。

 

 ――よろしくお願いします、プロデューサーさん。

 

 肌寒い駅で私に向けられた、彼女の万感の思いが込められた言葉。

 言われ慣れていたはずの挨拶に、少女のアイドルとしての原点を垣間見た気がした。

 

 一人は皆の為に。

 彼女は、ファンの為ならどこまでも自分を磨き楽しさを追求できる、求道者のような人間だった。そのどこまでも純粋な彼女の心根は、必ず人を惹き付ける。

 

 彼女のことが気になったのは、内に秘めるものが、私の求めたものだったからだ。

 私のもとから去っていった少女たちをただ見送ることしかできなかった私が、あの時に忘れていたもの。

 

 ――アイドルは人を楽しませ、そして自身すら楽しませる者たちである。

 

 その事を自然体で理解していた彼女だから、私の心は大きく揺さぶられたのだ。

 

 

「おーい……うむ、やっと戻ってきたかね」

 

「……いえ、問題ありません」

 

 気が付けば、今西部長がひらひらと手を振って様子を窺っていた。

 つい考えごとに没頭していたようだ。自身の悪癖を恥じ、頭を下げる。

 

 しかし、今西部長は私の予想に反し、にこりと笑みを作る。

 全て見通すような錯覚を覚えるその目は、今は懐かしむように細められていた。

 

「そんなに気に入ったのかい? 彼女の事を」

 

「……はい」

 

 今西部長は私の目をじっと見つめると、満足げに頷いた。

 

「どうやら、プロデュースしがいのある子を見つけたようだね」

 

「ならば私はちょいと後押しをするだけさ。じゃあ、期待しておくよ」

 

 ――今のキミは、昔のキミに戻ったようだ。

 

 今西部長は緑茶を飲み干すと湯呑みを手に持ち、静かに部屋から去っていった。

 一人になった部屋の中で、パソコンに向かいながら企画書を仕上げる。

 

 補充人員の下へもう一つ、「新規参入」という項目を新たに作り、そこへ一人の少女の名前を打ち込んだ。




 ここまで読んで頂き、ありがとうございます。
 更新が滞っている間もいくらか読んでくださった方が居るみたいで嬉しい限りです。
 具体的にはこの後書きでセクシーギルティの話をしようとしていたらシンデレラガールズ6周年だったくらいの期間が空いていたのですが、何よりのニュースは関ちゃんの声が聞こえること、ソロデビューが決定したこと。嬉しい(語彙力の低下)
 いい時代になったものです。


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