艦隊これくしょん―コンコルディアの落日― (GF-FleGirAnS)
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ケレースの利鎌

 発砲、たったの二発だけ。

 

 瀬戸内海と日本海を結ぶ関門海峡。太平洋を失った現在関門海峡は瀬戸内海と外洋をつなぐ唯一の海上交通路であり、本州の生活を支えるほとんどの物資がここを通る。発砲が聞こえれば海峡両岸に栄える二都市は大混乱に陥るに違いなかったが、それは耳をつんざく様な貨物船の汽笛にかき消された。

 

 薄黒く濁った曇天の中、遠くまで響いていく汽笛。それはいやにゆっくりな音速で伝わり、反響し、そして拡散して消えてしまう。

 

「……よかったのかい?」

 

 それを聞いた小柄で、白い装束に身を包んだ影が振り返る。まだ熱を帯びた銃身。グリップに手を握らせたまま硝煙をくゆらせており、それを認めた彼女は飛ばすように小さく息を吹き付ける。

 

 それから、諦めを滲ませたような風に言った。

 

「司令官がそれを聞くんだ」

 

 どこか乾いた声。眼の色は真っ白な帽子に隠されて見えず、代わりに真っ赤な槌と鍬、そして星だけが鈍く光った。

 

「悪かったね」

「いや?」

 

 彼女は顔を上げる。どこか億劫な様子で小ぶりな自動拳銃(ベレッタ)を背中にまわす。

 

「よかったのかな?」

 

 眼に宿っていたのは、しかし迷いではなかった。それを知っていて国防色の軍服に身を包んだ『司令官』は目を細めた。

 

「それを決めるのは、少なくとも私たちじゃない」

 

 それから『司令官』は、もはやヒトでない奇妙な有機物から目を逸らす。アレらは今日の悲劇の主人公であり、また天の許さぬ反逆を犯した張本人に違いなかった。

 

 対して少女は、目を逸らすどころか逆に見つめなおす。昔、もう遠いほど昔、同じ制服とバッチを着けていた二つの塊。

 

()()は、戦死扱いかい?」

「そのはずだ」

 

 少女はまだ塊を見つめていたが、『司令官』はもう外を見ている。外には幾名もの軍服姿が闊歩しており、もう何年も使い込まれているであろう幌が被せられたハーフトラックが止まっている。こんな風景を見るのは、もう何回目だろうか。

 

「……でも、これで終わりなんだよね」

「残念」

 

 そう言いながら指でとんとんと耳たぶを叩いて見せる『司令官』。わざわざ引っかけられていたインカムを示す様に嗤う。

 

「次の任務だ」

 

 それを聞いた少女がようやく振り返る。眼はなにも語っていない。

 

「場所は?」

「ん? 舞鶴、管区変わるから中部方面軍司令部(ひろしま)に挨拶しにいかないと」

 

 あっさり答えた『司令官』に、そう。とだけ言って歩き出す少女。

 

「――――ヴェル」

 

 そんな少女に健軍基地司令部付 菊澤桜花憲兵中佐(しれいかん)は声をかける。反応してゆるりと振り返った眼には、陸軍軍服に身を包んだ女性将校の姿が写る。

 

「なんだい?」

「変わったね、アンタ」

「……なにがだい?」

「いや、ひとりごとさ」

 

 足を止めた少女の代わりに、菊澤は先導するように前に歩き出す。

 

「……ホント変わったよ、佐世保のあの落日からね」

 

 あの忌まわしき。そして、日本国海軍の権威を失墜させるまでに爪痕を残した事件から数ヶ月。

 

 まだ、蒔かれた叛乱(たね)の火は消えることはなかった。

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 真水は貴重だ。

 

 念のため言っておくが、海で真水が重要なのは当たり前だ。というかそんな初歩的なことも考えられない奴は船乗り失格である。航海が予定より伸びるなら計画を立てて節約する、シャワーは必要最小限で済ませる、雨が降ったらしっかり確保しておく……挙げ始めればキリがない。

 

 だが忘れてはならない。一番の問題は真水が貴重な存在であることではない。その事実――――真水が貴重であるということを知らない人間がいることだ。

 

 外人でも分かるシャワーのマークが付いたコックを全開まで捻る。水圧に押される形で押し出された水は湯沸かし器で瞬間的に加熱されたもの。肌よりも少しだけ温いシャワーが肌に激突する。

 

 全くもって贅沢なものだ。人間にとって重要なのは水分の補給。組織となれば飲み水の確保以上に重要なものはない。昔は航海中の水など積み荷の黄金以上に大事なものだった。人命が大事なのではない。船員が死んだら黄金を(おか)まで届けられないから真水は大事なのだ。

 

 それが今や、造水機があるからとこんなにも無駄に出来る。

 

 やはり納得できなかったのだろうか。湯浴みをする彼女はすぐにその水流を止め、さっさとバスタブから出てしまう。まるでホテルのようなユニットバス。ご丁寧に用意されたアメニティ。

 

「でもまあ、こう乱雑に置かれてる当たり……慌てて載せたんでしょうね」

 

 女性将校だからといって舐めてくれる。とはいえこの船の面子を潰すのもアレであるので受け取っておくことにする。それらを使って髪を軽く手入れ。それから持参の化粧ポーチで、僅かに肌に色を乗せる。化粧をしていると気付かれないのがキモだ。()()はれっきとした軍人なのだから。

 

 

 バスルームを出る。彼女を乗せた貨物船が大陸を出てから二日目の朝である。

 

 

 ここでの彼女は客人だ。故に宛がわれた部屋も立派なもの。だが一人部屋ではない。というより、こんな密閉空間で部下と分断されるのは御免というもの。

 

「戻ったよ」

 

 部屋に入れば、ベッドの上に座った少女がひとり。こちらに気づいたようで、さっと振り返る。腰まで届きそうな銀髪がさらりと揺れ、青い瞳と眼があった。

 

「……足りないよ」

「なにがさ?」

 

 肩をすくめてそう返す。

 

「アカさが足りない」

 

 即答。いったいどんなアカさが足りないというのか……そう考えながら彼女の全身を見て、それから手に添えられたティーカップに気づく。

 

「ジャム?」

「そう、燃えるような、真っ赤なジャムさ……」

 そう言って僅かに微笑んでみせる少女。

 

「普通に苺ジャムって言いなさいよ」

「それじゃ革命的じゃない」

「『革命的』ねぇ……革命的ってなにさ?」

 

 その言葉に返さず、首を傾げてみせる少女。机の上に手を伸ばすと、答えるかのように制帽を被ってみせた。

 そこに輝くのは赤い星。そして鍬と槌。

 

「好きねぇ……」

 

 肩を竦めて下着を着て、椅子に引っかけられたワイシャツを手に取り着込んでゆく彼女。首から提げていた認識表がワイシャツの下に隠れて見えなくなる。

 

 ふと見れば、少女は未だにこちらを見やっていた。

 

「いつまでこっち見てるのよ、見世物じゃないわよ?」

「そんなことより司令官、とにかく足りないんだよ」

「なぁに、まさか脂肪の塊だなんて言うんじゃないでしょうね」

「そんな邪魔な肉塊の話を、私がすると思うかい? 司令官」

「何もお互いの曲線美の話をしてる訳じゃないのよ……そこにかけてある制服、内ポケットにあるわ」

 

 それを聞いた少女はそれっと言いながら椅子を飛び降り、素早く帽子掛けにぶら下がる制服へと駆け寄る。

 

 と、少女はがっくり項垂れた。恨めしそうにくいっと視線で彼女を刺す。

 

「……朝食で出されたヤツじゃないか」

「逆に聞くけど、ここでそれ以外手に入る?」

 

 もちろん少女の手に握られたのはパック詰めの苺ジャム。量産性に優れ、保存料万々歳で大変長持ち。

 

「こんなの資本主義の産物だよ」

「ここは資本主義国家よ、ごあいにく様」

 

 またしてもがっくり。彼女は呆れるよう笑ってから視線を窓へ。窓は小さく丸く、分厚い。向こうに見えるのは海と空の色が混じった色。

 

「ほんと、アンタみたいな変わり者が軍属でいれるのが不思議でならないわね……Верный」

「そんなことを言うなら、私は司令官こそ驚嘆に値する人物だと思うけどね、菊澤(きくざわ)桜花(おうか)憲兵中佐殿?」

 

 それを言われた世にも珍しい女性陸軍佐官は、あははと乾いた笑いを披露する。それから少女……艦娘Верныйへと向き直る。

 

「これも仕事ですから」

「憲兵っていうのは赤狩り専門部隊のことを指すのだと思っていたよ」

「イデオロギーとしての優劣は関係ない。反体制的ならそれは取り締まりの対象。それだけよ」

「やっぱり容赦ないじゃないか」

「そんなことないわよ」

 

 まず断っておくが、憲兵と言うのは単なる支援兵科に過ぎない。軍隊が国家に存在を認められ、さらには養われているとはいえそれが暴力組織であることに変わりはない。憲兵というのはその軍の秩序維持にその全てを捧げる兵科である。平時であれば隊内秩序の維持、交通整理に徹する存在。

 

 残念ながら現在は国家の存亡をかけた総力戦体制。憲兵は規模が膨らんだ陸軍の規律維持に努めるとともに、難民の保護に要人警護、果ては間諜の摘発など業務は多岐に渡っているが……基本は裏方職業だ。

 

 今となっては人的資源が不足した海軍をせっつく役割も仰せつかるような状態であるが、所詮は陸と海。監査官と監査対象では、水と油も良いところだ。個人としては海軍警察の復興を願ってもやまないが、戦況がそれを許しはしないだろう。

 

「さ、アタシはもう済ませたよ。シャワーを浴びておいで」

「二分も入ってないんじゃないかい? もっと浴びればいいのに」

「水を自由に使ってると、無くなった時余計に恋しくなるものよ……海軍のアンタには分かんないか」

「……わかるさ」

 

 聞かなかったことにしておこう。菊澤はバスルームへと向かう少女を見送る。

 

「そうだ。空に海軍機が飛んでたよ」

「海軍機?」

 

 なんでこんなところに、いや当然か。ここは人類の、というより日本の領域なのだから。

 

「どうするんだい?」

「どうするも何も、指揮系統がまったく違うから手が出せないわよ。陸軍(うち)の男どもは頭の固いのばっかりで取り次いでもらうのも厳しいだろうし」

 

 上空の警護は空軍に任せたとかなんとか言っていた上官の顔が浮かぶ。海軍機が飛んできてる時点で空軍はどこにもいない。そもそもそんな話が通ってるわけがないし、航路は防空識別圏の中。つまり何かあったら勝手に緊急発進(スクランブル)してくるだろうという理論。やはり任せたのではなく丸投げしただけだったのだ。

 

「やれやれ」

「司令官、疲れてるね」

「えぇ、沿岸防衛やら河川遡上防止で意気揚々の陸軍は凝り固まるばかり。女性には生きにくい時代よ」

「そんなに言うなら、司令官も正式に海軍になればいい。艦娘部隊なら男女比は真逆だし、さらに今なら私も付いてくるよ?」

「まるで営業。ようやく資本主義の良さを理解したわけだ」

「……経済は否定しない。ただ格差を否定するのさ」

「はいはい……とにかくお断りよ。海軍は性に合わないし、なにより陸軍には(うみ)の重要性を知る人間が必要だ」

「水?」

「その大切な要素を見失って、迷走する組織は多い……って話」

「……」

 

 なにか言いたげな少女を前に、菊澤は笑うのだった。

 

「ほら、今日には入港するんだから忙しくなるわよ? 早く浴びておいで」

 

 さぁ行った行ったとばかりに、自分の部下に対して右手を払う。

 

 少し早いが、モーニングコーヒーと洒落込もうとしたところにコール音。マグカップにインスタントの粉末を振りかけつつ、インカムでスイッチを切り替える。表だった行動をしないうちには軍用回線を用いるなという話だったはずだが、部下から報告が緊急時用のチャンネルだったことに頭を切り替える。

 

「菊澤だ。どうした」

《中佐。先程通過した舞鶴の航空隊から電文です。我々のいる現在地を含めた、対馬沖北北西100km付近で固有の電波障害が発生中とのこと。先刻からの通信遮断はやはり深海棲艦が原因かと》

「Верныйの艤装で影響を緩和しても、焼け石に水だったか」

《悪い事に(かいぐん)さんは任務後の帰投中らしく、補給を理由にお別れしましたがどう動くべきでしょうか》

「なら仕方がない。分かった、最悪我々が応戦する羽目になる。各員、機動艇にて待機。いつでも出れるようにしておけ」

《了解いたしました》

 

 返答しつつも、菊澤はこの状況に至るまでの過程を脳内で整理する。深海棲艦による電波障害。もはや電子機器との融合体ともいうべき奴らは、その個体間の意志疎通に固有の電波を使う事が分かっている。3kHzから3GHzまでと多種多様に用いるために、人類が使う周波数帯とも見事に混線してしまう。それを分かっている奴らは、その通信強度を高めることによって、意図しているに関わらず疑似的に電波障害を引き起こす要因となっているのだった。

 

 対抗するようにと艦娘の艤装に備え付けられた通信装置によって、貨物船に乗船中も緩和はできていたようだがいよいよニアミスするらしい。

 

「ヴェル。脱ぎ散らかしてるところ悪いけど、出撃準備だ。増援もままならん海上だが、はいそうですかと沈められる訳にはいかない」

「Да. 髪が濡れたままは嫌いなんだけどな」

「普段海の上でひっきりなしに航行してる艦娘のどの口が言うんだ。支度したら追いついてきなさい」

 

 その一声の後に、流れるような手つきで軍装に袖を通しボタンを留める。外套を羽織り、軍帽の鍔を傾ける。

 

「そんな恰好で風邪をひくんじゃないよ、ヴェル」

「自分はちゃっかりドライヤーをかけてて言う台詞かい? 司令官こそ、海には落ちないでね。泳げないんだから」

「なら、私が着衣泳をしないように貨物船を守ることだね。先に行くよ」

 

 客室から出ると、あたりは予想通りに喧騒に包まれていた。人の波を潜り抜けつつ、表向きには貨物品とされる区画へ菊澤は向かう。向こうだって配置につかなきゃならなくて忙しいだろう。こういう時は互いにやるべきことだけやる。干渉はナシだ。

 

 それにしても……他人を気遣えるくらいには落ち着いているわけか。深海棲艦が現れてからもう随分と経った。この貨物船の乗組員だって慣れたもので、いまさら襲撃で大混乱になるようなことはない訳だ。

 

 とはいえそれは人類側が冷静に対処できるようになったというだけで、脅威を排除したわけではない。

 

「すまない司令官。遅くなった」

「私の命令から三分と四十秒、十分早いよ」

 

 貨物船後部の一区画。駆けこんできたВерныйを迎える。シャワーを切り上げて飛んできたВерныйに菊澤が手拭(タオル)を手渡す。

 

「ほら、使いなさい」

「状況は?」

「深読みしすぎた、海軍機が飛んでいたのは単なる偶然。それも深海棲艦が迫っているという偶然だったわけ」

「救援は?」

「深海棲艦でなかったら空軍が助けてくれた。他には私の部下で完全武装の歩兵が一個分隊」

 

 歩兵では射程が足りなすぎる。艦娘であるВерныйは手拭を菊澤に返し、白の制帽を被った。

 

「なるほど。つまりキューバ並みの大ピンチだ」

「とにかく出てもらうわよ。陸軍(わたし)じゃ要請という形でしか言えないけど」

「分かってる。装備は?」

 

 菊澤は視線で答えるだけ。その先には梱包を解かれた艤装。それを納めていた木箱には実験艦隊だかなんとかと大仰なプリントが施されいるが、開けてみればなんてことはない普通の艤装だ。

 

 実験艦隊からあらかじめ譲渡されているパスコードを端末に打ち込む。壁面に固定されている艤装に火が入り、独特の駆動音。緊急時用とはいえ、自衛可能な範囲までアクセス許可を出した海軍には頭が下がるものだ。

 

 だが、こちらも仕事は仕事。せいぜい任された荷運びだけは、無事に終わらせたいものだ。

 

СПАСИБО(スパシィーバ)。助かる」

 

 Верныйはそれを慣れた手つきで身体に纏う。

 

「司令官。行ってくるよ」

「行っといで、ヴェル」

 

 その言葉とともにВерныйは船尾から飛び降りる。遠くから雷鳴のような砲撃音が聞こえる。敵の攻撃が始まったらしい。

 

「……こんなのばかりなら単純明快で助かるのにねぇ」

 

 誰に言うことなく呟いてから、菊澤は船室を兼ねる司令部施設へ戻っていった。






祝!艦隊これくしょん四周年!

という訳で合作企画であります!

昨年2016年も三周年を記念する企画として我々GF-FleGirAnSは「艦隊これくしょん~抜錨!戦艦加賀!~(小説ID83620)」という作品を投稿しておりました。

その作品は無事連載が終了しておりますが、参加者たちの熱い艦これへの愛はまさに不沈! 今年も無事に企画スタートです!

メンバーも増えてパワーアップした合作企画。どうぞよろしくお願いいたします!


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ディアーナの守護(前篇)

 時は少しばかり遡る。長崎県は佐世保市。奥まった佐世保湾の奥に居座る街の、その一角。

 

 陽光が差し込む廊下。亜麻色の髪をした娘が何やら嬉しそうにしながら歩いている。名を摩耶と言う。執務室の前に行くと扉をノックし返事を待たずに開けた。

 

「提督! やったぜ! 遂に、ついに......って提督?」

 

 部屋はカーテンが閉まり薄暗いが見えない事はない。視線の先、複数のディスプレイと資料が巧みに積み上がった机には提督――大宙哲也(おおぞらてつや)中佐――が突っ伏していた。せっかく整えた制服はしわくちゃだ。愛用のメガネが手に握られている。またかと摩耶は溜息をつきながら部屋に入った。

 

「おーい、提督ー、起きろー」

 

 摩耶は呼ぶが大宙は起きない。しびれを切らしたのか今度は大宙の耳元で、

 

「起きろ!」

 

 とバカデカい声で言った。

 

「ぬお!」

 

 鼓膜が破れるような爆音で大宙は飛び起きた。衝撃で資料の山は崩落してしまった。

 

「嗚呼、ったくもう......」

 

 呆れた声を上げながら摩耶は資料を拾い上げる。そこには『防空戦闘のすゝめ』。

 

「今度は何をしていたんだ?」

 

 大宙は浮かない顔で残念そうに答えた。

 

「少し前にラバウル等数カ所の海軍基地、飛行場が爆撃を受けただろ。その時の重爆撃機を新鋭大型爆撃機、戦闘機を新鋭戦闘機と仮定して基地防空シミュレーションしたんだが、ありったけの雷電と飛燕、高角砲を配備してもかなりの損害を受けたんだよ!泣きたいよ!」

「分かったから黙れ」

 

 大宙は見るからに落ち込んでる。摩耶が何か思い出そうとし思い出した。

 

「提督、例の物が届いたぞ」

「例の物? なんだっけ」

「お前って奴は......。Bofors 40mm四連装機関砲と5inch連装砲Mk.38 mod.0、21号対空電探改だろう」

 

 思い出した大宙は満面の笑みを浮かべた。

 

「よし、早速取り付けて試験しよう」

 

 すると摩耶は何か言いたげに首を振り大宙を指さした。

 

「その前にそのだらしない格好をどうにかしないとな」

 

 お行儀よく机で寝ていたおかげで軍服はしわくちゃになってしまっている。

 

「ああ、シャワー浴びて着替えてくる」

「ったく、いつになったらちゃんと布団で寝てくれることやら」

 

 摩耶はドアを開け歩きながら愚痴ってきた。大宙は溜息をついてから嫌そうに言った。

 

「しょうがないだろう、何故かいつも途中で寝てしまうんだ」

「寝不足なだけ。もっと布団で寝ればいいのに」

「司令官が睡眠時間を必要以上に取るのは贅沢じゃないか?」

「最低限度じゃなく提督の場合は最低限度以下なんだよ。せめてあと1時間半多く寝てくれよ」

「然るべき検討をし対処する。決定次第報告を送る」

「お前なぁ」

 

 シャワー室の前まで来ると大宙は足を止め摩耶に手を振った。

 

「先に行って艤装をつけ指定海域待っててくれ」

「あいよ、さっさと来いよな」

「俺の貧相な体を見たいなら話は別だがな」

 

 すると摩耶は耳まで真っ赤にして怒鳴った。

 

「ば、バカ野郎!」

「ほれさっさと行ってろ。すぐ行くからな」

 

 摩耶は駆け足で去っていった。工廠で改装された艤装を受け取り装着してさっさと指定海域に向かった。

 

《摩耶、どうだ。》

 

 摩耶の艤装、艦橋付近の25mm三連装機銃をBofors 40mm四連装機関砲に変更、艦首の高角砲を5inch連装砲Mk.38 mod.0に電探を14号対空電探から21号対空電探改にした。

 

「若干トップヘビーな気もするが問題ないぞ」

 

 摩耶は艤装の感触を確かめながら答えた。素直な艤装が当たった様だ。

 

《分かった。では試験を始めてくれ》

 

 通信機を挟んでも伝わってくる大宙の胸の昂ぶりを受け止めながら、

 

「了解」

 

 と答えた。

 

 基地から飛んできた標的機群の内最も高度が高い一機に狙いを定めた。2基の高角砲が仰角を目一杯上げながら回転する。レーダーの情報を高角砲内部の高射装置に入力し照準を絞る。

 

「第一射撃てぇ!」

 

 放たれた4つの砲弾は迷いもなく一点に飛翔した。音速を超えた砲弾は標的機の周囲で爆発した。爆薬が炸裂し機体を襲った。一発が右翼を叩き折り衝撃で燃料に引火、一瞬で火に包まれた。

 

《初弾命中か。素晴らしい。》

 

 照れ隠しにか摩耶は次の標的機に向けて砲撃していた。

 

「目標乙一から乙三まで撃墜!」

 

 摩耶が声を張り上げた。標的機群が二つに別れ、一隊が急降下爆撃をしてきた。回避機動を取り高角砲と半数の機銃を差し向けた。二種の高角砲が落とさんとばかりに撃つ。

 

 Bofors40mm四連装機関砲はその口径を活かして追い払うではなく、撃ち落とす。空を染め上げるほどの砲火をあげる摩耶は爆撃を避けるべく面舵を深くきった。だが体がいつも以上に倒れる。

 

「うぉ」

 

 思わず声を出す。左腕はほぼ海に使っている。慌てて舵を逆にきる。すると今度は右に大きく傾いた。

 

「クソがぁぁ!」

 

 こんな事で転覆してたまるかと言いたげに手を振り盛大に白波をたてながらなんとか持ち直す。直後、大宙から通信が入る。

 

《摩耶どうした》

 

 標的機が頭上で旋回しているのを確認し、止まって答えた。

 

「あー、危険レベルまで傾いた。新装備のせいでトップヘビー気味かな。バルジをつければ安定しそうだが速度が落ちるのはちょっと嫌だな」

 

 沈黙の後返答が来た。

 

《わかった。うーん、もう少し旋回や速度のデータが欲しい。30分後から速力試験を……》

 

 突如として深海棲艦の接近を示すアラームが回線上に鳴り響いた。タイミングの悪さに摩耶は舌打ちをした。

 

《こんなタイミングの悪い時に来やがって。場所は何処だ……ここか。警報通り深海棲艦が接近中。水雷戦隊規模みたいだ。摩耶、試験中止、直ちにに帰投しろ。補給後再出撃する。》

 

 摩耶は大きなため息を付き大きな声で答える。

 

「了解。ってことはぁ、試験装備のまま出撃か?」

《そうなるな。なかなか面倒だが幸いな事に多分この出撃のおかげで試験をやらなくて済む。》

「ったくこっちの苦労も考えろよな。何で行くんだ?」

《おそらくヘリで行くことになる。支援艦隊も向かう。楽しいフライトをお楽しみに》

「機関にあまり負荷をかけない程度の速度でいくぜ」

 

 摩耶にスルーされてややダメージを負ったのか大宙は少し声のトーンを落として言い返した。

 

《お前のその言葉は全く信用できないんだが》

 

 港の艦娘受け入れ口から上がった摩耶は整備兵に艤装を託し、体勢を整えるべく多くの兵が走り回っている中を縫うように走り指揮所に向かった。

 

「提督、帰投したぜ」

 

 摩耶は息を切らしながら突入した。勢いよく開けた内開きドアが何かに当たり跳ね返ってきた。うめき声がし部屋に入り見てみると大宙が鼻を抑えていた。

 

「あ、すまん」

「い、いいんだ。迎えに行く手間が省けたから。すぐにブリーティングを」

 

 そう言ってティッシュで鼻を抑えながら司令席に座り要綱をメインスクリーンに映した。

 

「先に言った通り補給が完了しだい、ヘリに乗ってくれ。随伴艦として深雪を連れていく。彼女は既にヘリで待機している。深海棲艦は軽巡と駆逐艦の水雷戦隊だが大半がエリートかフラグシップの面倒な編成だ。それを深雪、そこまで運んだヘリ、現在急行中の空母を含む支援艦隊と共闘し撃破してくれ。何か質問は?」

 

 摩耶は唸りながら画面を指さした。

 

「旧済州国際空港から敵機が来る可能性はどうなんだ?」

「再三による爆撃で可能性は低いだろうがなんとも言えない。護衛機をつけたいが……基地航空隊の損耗が激しくて今は無理だ。間に合えば支援艦隊がカバーしてくれる」

「それまでは防空巡洋艦の本領発揮というところだな。やってやるぞ」

 

 補給完了の報を受け摩耶は艤装を取りに行き装着した。きちんと補給され新装備以外は馴染んでいることをしっかりと確かめ問題がないことを整備員と大宙に通信で報告した。大宙の命令に従いヘリポートに向かうとぽつんと一機のヘリが待機しているのが見えた。中にいた深雪が気付いて手を降ってきた。摩耶は手を振り返し搭乗員の手を借りて乗機した。

 

「機長の吉井翼中尉だ。よろしく頼む」

「重巡洋艦摩耶だ。よろしくな」

 

 吉井と摩耶が握手し摩耶が着席しハーネスを締めたことを確認するとヘリは大空へと舞った。

 

「作戦前の再確認。主任務はヘリコプターを用いた空中機動作戦……ヘリボーンだな。だが、必要に応じ俺たちも応戦することを考えておけよ。それと本隊の支援艦隊が遅れ気味だ、支援艦隊より先に現場に到着する可能性がある、あと他はブリーフィングに変更はない」

 

 洋上へと飛び出していたヘリの眼下にはただ青い海面が広がるばかりである。母なる海とはよく言った物だと見慣れた水平線を見ながら回想する———勿論目視による哨戒は怠らないが———今や、海は母なる海でもなんでもない人類に牙を剥く海でしか無くなった。はたと考えてみれば我が物顔で人類が海を使い荒らしていた今までが間違えだったのではとも思う。人類は自然を貪りすぎた結果の地球の怒りではないか……いや、そんな事を考えてはいけない。国に仕える者としては失格だろうと吉井は思い直し、どこの特撮かと心の中で自嘲してから気合いを入れ直す。

 

 佐世保鎮守府分遣航空隊の吉井翼(よしいつばさ)中尉の操縦する哨戒ヘリは対馬沖へと急行していた。数十分前、長距離練習航海に出ていた練習艦隊から敵艦隊視認の旨を受信。しかし、運が悪いことに別方面にて主力艦隊及び輸送・救難ヘリや大型艦艇を含めた随伴部隊が出撃していた。

 

 本来であれば、艦娘の出撃の際にはプラットフォームとなる大型艦艇が文字通りに運搬作業を行う。しかし稼働可能な艦艇が無い場合には、単独での航行。あるいは、空輸による作戦海域への投下(・・)がセオリーとされていた。

 

 そのため、事が起きた時には非番や演習に回っていた艦娘と指揮官を招集する様な状況で佐世保は出払っていたために、待機(アラート)状態だった吉井達のメルクリウス1も哨戒ヘリにも関わらず、ある程度の輸送能力あるため指名を受け、出撃していた。

 

 

「司令部もこき扱いやがるよなぁ。なぁ、大宙提督」

《試験中止の上に、直ちに帰還しての再出撃か......嫌になるのも分かるが、気を引き締めておけよ》

 

 無線の先、空輸中の(・・・・)重巡洋艦摩耶の呟きに、本土から無線を飛ばす司令官の声が返る。こういう部署を越えた協力が無ければ、対深海棲艦戦は難しいところだ。奴らには同種の生物としての本能があるのだろうがが、我々人間には法があり、派閥があり、個々人の感情もある。その柵に捕えられているうちは、即応的な対処など夢のまた夢の様なのだと。だからこそ、後手後手に回り続ける人類の方がより愚かなのではないかと嗤いたくもなってくる。

 

《……摩耶、試験装備で悪いけどいけるか?》

「やるしかないんだろ? ここでアタシらが踏ん張らなきゃ誰がやるんだよ、けどここまで近づかれたのはなんでだ? 提督」

 

 何でも、定期輸送スケジュール外で半島からの船団が出港していたらしい。その目標が佐世保鎮守府だったらしいから、こうして救助に向かっている訳だが。

 

「愚痴なら、オフレコにしておけよ。いくらお偉いさんの目が届かないからって、駄弁られたら俺らの士気にも関わる」

「いつも、無駄口叩いているのは吉井中尉じゃなかったでしたっけ?」

「確かに……」

 

 摩耶に同意をしつつも、職場は職場。この部署(ヘリ)の長として管轄する吉井中尉は、叱り付けるようにぶっきら棒な声を出す。同乗する副操縦士らもまた、機長の発言に苦笑しながらもディスプレイに点滅する光点を睨み続けていた。

 

 緊張感が漂い始めた機内の空気を裂く様に、突如レッドアラートが共通回線で鳴った。

 

《佐世保鎮守府司令部より各所。旧済州国際空港より敵機多数。推定進路に輸送船がいる。至急迎撃せよ》

「Mercurius1, roger.」

 

 輸送船……摩耶の僚艦である深雪が代弁したかのように訝しげに呟く。

 

「なんでこんなタイミングに航路にいるんだよ。先月の難民船の二の舞いになりたいのか?」

「でも、やるしかないんじゃねぇ? あたしらの仕事は深海棲艦の撃破。そこにTPOは関係ないぜ」

 

 インカムから、指揮官の指示を聞き終わったのだろう。第302航空戦隊所属の隼鷹が、毒突いた摩耶を諌めるように声をかける。

 

《今回の編成でまともな迎撃ができるのは......摩耶だけか。済まないが摩耶》

「それでも、あたしらに暴れて来い……って言いたいんだろ」

 

 挑発するような口調で言う。

 

《本当に大丈夫なのか? 今の状態では厳しいぞ》

 

 この心配性がと罵るかのように摩耶は答えた。

 

「あたしは摩耶様だぜ。対空戦なら任せろ!」

《そうか......分かった。では指示を出す。展開予定時刻はマルロクヒトマル。海域投下後には機関がいつでも全速を出せるように、火を入れておけ。使用武器はなんでも構わん》

 

 いつもの愉快な口調から、冷静な口調に変わった。『防空の秀才』とも言われるだけあって指示は的確だ。そんな提督の下で戦える事に感謝した。

 

「よし……御嬢さんたちの打ち合わせは済んだようだな。では作戦通りに頼む、降下管制員は着水点と投下後の離脱航路の算出。他搭乗員は監視を。副機長は通信と俺の補佐を頼む」

「Roger, Bacchus」

 

 と、TACネーム———ローマ神話で酒の神とされる女神バックスの英語読みが元ネタである———に敬意を込めて返す者、TACネームだけで返す者。機長呼びで返す副機長。十人十色に指示を承諾する。

 

 吉井が計器に目を戻すと目標海域まであとちょっとの所であった。

 

「Sasebo Fleet Command,Mercurius1」

《Mercurius……Sasebo…Fleet Command……》

 

 どうやら航空管制なんて慣れてないらしく男声のタドタドの英語が返ってくる。

 

「あー佐世保艦隊司令部。メリクリウス1。非常時につき以後の交信を日本語で行う。支援艦隊は今何処にいるか、それだけまず確認したい」

 

 新人であろう管制員は安心したのか声色から若干の緊張が抜ける。吉井はフランクに問いかけるが、結果は芳しくないものだった。

 

《佐世保鎮守府所属艦は他方面へ展開中のため、遠征帰投中の呉第202航空戦隊と舞鶴の第403水雷戦隊に救援を求めました。海域到着予定時刻はマルナナフタゴーです》

 

 それを聞き、吉井は時計に目を落としてから無線に載せないように舌打ちをする。

 

「マズイな、最低でも一時間以上は持たせろってことか」

 

 吉井がそんな事を確認した矢先であった。搭乗員からの報告が飛ぶ。

 

「水上レーダーコンタクト。救援対象(オブジェクト)発見。更に救援対象(オブジェクト)を追尾する5隻……深海棲艦かと思われます」

「機長……」

 

 副機長が、いや全搭乗員が吉井を見ていた。その視線に応えるように、吉井は笑い飛ばす。

 

「司令部! 支援艦隊はまだかかるだろう?」

《はい……》

 

 管制員は少し疑問を抱きつつ答えた。吉井は一度息を吐いてから再びマイクに向け吹き込む。

 

「オブジェクトの撤退ルート上に合流できるように頼む。具体的な場所は打電する。これより我が機は敵艦隊と接敵しオブジェクトの支援並びに艦娘の降下を行う」

《メリクリウス1!? 勝手な戦闘行動は……》

「降下は予定通り、火器使用は自衛と緊急避難の場合認められるのはブリーフィングで確認済みだ! また、敵戦力に航空戦力が確認されている。そのためこれより無線封鎖を行う! 通信終わり!」

 

 吉井は言いたいことだけを一方的に捲したて司令部との通信を切る。対空レーダーには遥か遠方から敵航空隊が迫っているのをしっかりと確認しながら、エンジン出力最大まで捻りこむ。そしてやるだけやるさと口角を上げた。

 

「よっしゃ、久し振りにヒーロー登場と洒落込んで大暴れするか! 副機長、可能なチャンネルで輸送船に呼びかけてくれ。白馬の王子様が来たってな!」

 



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ディアーナの守護(中篇)

 巡行姿勢(ぜんけいしせい)から水平姿勢に機体を起こし上げる吉井。それは一度敵艦を攪乱し安全に降下するために対艦攻撃を行うためであった。

 

「しゃぁ! 敵艦隊ロックオン! 対艦ミサイル(ヘルファイア)……」

「水上レーダーコンタクト! 新手です!」

 

 その報告に吉井は慌てず確認する。

 

「どこからだ? まさか故障か?」

「いえ、レーダーは正常です。救援対象(オブジェクト)から出てきました」

 

 その報告にはさすがに動揺する。副機長も動揺の色が取れた。

 

「機長まさか……」

敵味方識別装置(IFF)確認! ゆ、友軍です!」

「なんだと?! レーダー照射止め!」

 

 吉井はその咄嗟の報告を受け指示を出す。丁度深海棲艦と件の友軍がヘルファイアの攻撃範囲に入ってしまっていた。これでは手出しができない。

 

「それにしてもなぜだ? 友軍はこの付近にはまだ……」

 

 彼等が戸惑って間に水上レーダーでは次々と敵がロストしていく。謎の友軍艦が葬ったのであろう。3隻ほどすぐに消えていき、すぐ様残った艦隊は撤退していく。

 

「脅威の排除を確認。暗号化された通信を友軍艦から確認……吉井中尉」

 

 流石に機動部隊の随伴駆逐艦程度なら、拍子抜けするほどアッサリと終わってしまったと言ったところだろうか。いやまだやるべき事は残ってはいるが。

 

「あれは後回しだ。降下を先に……直ぐに敵の本隊が来る、警戒を怠るなよ。まったく一体ナニを積んでるんだかなぁ」

 

 吉井は小声でぼやきつつ。素早く暗算を始める。輸送船までの距離を考えるとここで艦娘を降ろすのは得策ではない、がこのままでは敵艦載機に食いつかれかねない。

 

「センサー、敵は?」

敵影ナシ(No joy)

「何事もなく終了したとして、敵の艦載機を振り切れるかどうか微妙だ」

「なら、なんとか支援艦隊の所まで急ぐしかないな。お嬢ちゃん達へ少し荒くなるがご勘弁を!」

 

 既に吉井は操縦桿を倒し一気に加速する。その破天荒な操縦に、搭乗する艦娘たちも艤装を抱えながらも踏ん張る。

 

「ちょっ、吉井中尉!? 昨晩の酒残ったまま執ってねぇだろうなぁ!?」

「大丈夫だ、心配するな隼鷹! アル中でぶっ倒れるまで呑んでないからなぁ?!」

「あれで呑みすぎじゃないと言い張る機長の方が可笑しいぞ」

 

 杯を酌み交わしていたこともある隼鷹の指摘が飛ぶが、説得力のない回答をする吉井。そんな惨状を見て、センサー手がすかさず反論する。それに集り他の乗員も口々に罵る。しかし突如の警告音でその喧騒は断ち切られる。

 

「2時の方向! 敵航空隊最接近! 加速したのか? 早いぞ、猫型の新鋭機か?」

 

 その報告に吉井も多機能ディスプレイ(M F D)で確認する。これまでの戦闘データから割り出される交戦距離に差し迫っていた。丁度未来位置を吉井が予測すると深海棲艦の艦載機とメルクリウス1が浅い角度で交差している。もちろん吉井たちを堕としに来たのだろう。

 

「……副機長。緊急打電及び記録。我が機敵航空隊と接触。投下目標地点へ到達後離脱する」

「了解しました」

「降下管制員、嬢ちゃんたちを頼む」

「わかっています、機長」

 

 吉井は指示を出している間も加速を続ける。

 

「15秒後反転。ミサイル(ヘルファイア)機銃(ドアガン)その他諸々で威圧。そのまま降下予定のポイントαまで振り切る! いいなぁ?!」

「了解」

「ラジャー」

「はい!」

 

 搭乗員がそれぞれ答えた後、吉井は一度後ろを振り向く。

 

「嬢ちゃんたち! しっかりつかまっとけよ?」

「えっ?」

「はっ?! さっきのよりなのか?」

メルクリウス1、交戦(Mercurius1Engage)

 

 答えることなく戦闘開始を宣言する吉井。深雪と摩耶はこれから起こる事が全く理解出来ず頭に疑問符を浮かべる。とりあえず戦闘が始まるしか、今の彼女達は理解していなかった。そんな中一人隼鷹だけが中途半端に笑いながら肩を竦める。彼女の表情は諦観のそれだ。

 

「3……2……1……今!」

「オラッ!」

 

 副機長のカウントに合わせ吉井が操縦桿を一気に横へ倒し込み急制動急回転。振り向きざまに相対距離が数キロと成っていた敵航空隊の鼻っぱし目掛け対艦ミサイル(ヘルファイア)をぶっ放す。同時にドアガンナーが敵が密集している範囲に弾薬をばら撒く。ミサイル誘導が完了した瞬間に吉井は高度を下げて半回転。全速力で振り切りを狙う。

 

「報告! 数機ロスト!」

「駄目だ、まだ足りない!」

 

 対空レーダーに少し機影が少なくなった程度で、爆風の中を突っ切って来た航空機が吉井達のヘリを狙う。

 

「敵機直上! 急降下!」

 

 異形の飛行物体が高さの利を生かし急降下しながら機銃を撃つ。すぐ様吉井が操縦桿を引き急制動、上昇しながら後進、すぐ横を戦闘機が掠める、副機長は目敏くフレア噴射し航空機を飛行不能にする。

 

「まだ後ろだ!」

 

 相手も学んだのか散開してヘリへと迫る。ヘルファイアは対艦、対空両用に使えるが、この量では密集してないと効果は得られない。

 

「ドアガンで対処!」

 

 また一気に前進させ、高度を取り降下予定地点へ目指す。右から突っ込んできた機にはドアガンの弾幕で攻撃させない。

 

 では左は? 回転してそのまま右のドアガンを使えばいい。

 

 端から見ればクルクル回りながら弾幕を張りつつ前進する。まるで独楽のように回り続ける回転翼機は滑稽でもあっただろうが、当人達は必死である。一度でも密集したらミサイル(ヘルファイア)をそこへぶち込む。見事な飛行テクニックによって躱し横を通過する敵にはチャフとフレアを。これで姿勢を維持し続けるのだから、彼らの戦いを玄人のそれと呼ばずしてなんというだろう。

 

 しかし、技量は青天井でも弾薬までそうとはいかない。

 

ミサイル(ヘルファイア)後1発か」

 

 今回、このヘリに搭載されているミサイルは2発、1発は今しがた使ってしまったため、残り1発。吉井は小さくつぶやく。まだ悪いことは続いた。

 

「こちらドアガンナー。残り弾薬あとわずか!」

「フレア切れました」

 

 ドアガンナーと副機長がそれぞれ報告を上げる。その報告に機体後部に居る艦娘達は騒めく。

 

「え? なに? 普通にピンチ?!」

「いや、まだだ。とっておきがあるから心配すんなよ」

 

 めちゃくちゃな機動で少しグロッキーに成っていた深雪は更に青くなる。しかし、吉井は全く諦めてはいない顔であった。何か小声でマイクに吹き込むと声を張り上げ確認する。

 

「スモークまだあるだろ?  これにかける。ドアガン、自衛に留めろ。エンジンにはもう少し無理してもらうか……スモーク噴射!」

 

 機首を上げ、スモークを噴射しながら更に上昇、それに敵機も追いすがる。

 

「5、6機はついて来たか……全員掴まれっ!」

 

 吉井は出力を絞る。警告が出るが無視。すぐに奇妙な飛行音が聞こえたと思った瞬間、ドップラー効果で音が変わる。敵機は吉井達のヘリ(メルクリウス)を追い抜いた。

 

「撃てっ!」

 

 6機の航空機が直ぐに火に包まれる。しかし、追っ手はまだ止まない。

 

「一気に降下だ!」

 

 出力をまた上げて追っ手を振り切る。

 

「機長、スモーク残量が」

「覚悟の上だ、行け!」

 

 最早、ほぼ丸腰である。吉井の額から汗が流れ落ちる。彼の白い手袋は既に濡れ雑巾のようにびしょびしょだ。それに構わずヘリはひたすら旋回、蛇行、上昇下降。回避行動を繰り返す。ヘリの本領とはきめ細やかなホバリング飛行にあって、敵の裏をかくための一時的な高機動ならともかくそれを逃げるために多用するのには向いていない。

 

「完全に後ろにつかれたぞ!」

 

 飛行音が近づき、搭乗員の悲鳴が上がる。

 それこそ回転翼(ブレード)がいつすっ飛んでいってもおかしくないような激しい機動を続けているのだが、やはりというべきか振り切れない。当然だ、なんせ最高速度で負けているのだから。

 

「ココだ!」

 

 吉井はその場で急回転させ右腹を航空機に見せる。

 

 撃たれる。そう思った瞬間には空が瞬き、一面に火の花が咲き、追ってきていた敵機は炎に包まれた。この特徴的な兵器は三式通常弾。大日本帝国海軍の兵器の一つだが、現代でそれを使えるのはただ一つのしか存在しない。そう、艦娘だ。

 

「ハッチ開けたままの錐揉み飛行は勘弁してくれよ? 吉井中尉」

 

 口角を上げた摩耶が、扉から覗く僅かな隙間を使い砲撃を始める。食いかかる戦闘機を大体落としたところで摩耶が操縦席に怒鳴る。

 

「ここで降ろしてくれ、吉井中尉!」

「うっしゃ! 任せとけ!」

 

 すぐに水面から1~2m程度の高度まで降下しホバリングさせ、機長の吉井がGOサインを降下管制員に出す。降下管制員は最終チェックへと取り掛かった。途中で無茶苦茶な機動をした所為で、再びの確認が必要であったのだ。

 

「サンキューな。しっかし、ヘリでこんなになるとは思わなかったぜ。それに哨戒ヘリにも関わらず運んでくれるなんてなぁ」

「いや、こんなのは慣れているから気にすんな」

 

 摩耶の隣にいた隼鷹が軽く笑いをかみ殺す。そんなやり取りの内に降下管制員がGOサインを出した。それと同時に副機長が声を上げる。

 

「機長! 第二波接近!」

「あいよ。さて……俺達(メルクリウス)は始めと終わりに位置する。そして旅人を導く。良い()を!」

「防空巡洋艦摩耶、出撃する!」

 

 旗艦がよろしく宙に身を躍らし、隼鷹と深雪も続いた。

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 通信機の向こう側、大宙哲也中佐の言葉に摩耶が隠すことなく悪態をつく。いざという時に敵艦隊の発見ができないのになんのための哨戒隊だろうか。

 

《気持ちはわかる。だが今は哨戒隊を責める前にやるべきことがあるだろ?》

「わあってるよ! 防空戦闘、よーい!」

 

 摩耶が号令を出すと艤装に搭載された機銃や高角砲が一斉に天を睨む。そのまま待つこと暫し、それらは姿を現した。

 

 接近するそれらの、黒ぐろとした雷雲のような深海棲艦の艦載機を見て摩耶は絶句した。いくら何でも数が多すぎる。

 

「これを全て落とせって言うつもりか?」

《摩耶、全滅できないことは俺にもわかってる。だからできる限り漸減させてくれ。通信終わり》

 

 その言葉を最後に大宙の通信が切れた。どうやら無線封鎖(タイムアップ)だ。

 

「了解!」

 

 もう大宙に聞こえないとわかっていながら捨て鉢に摩耶が言い捨てる。激しい戦いになりそうだ。正直に言うと、ひとりでやるのはかなり厳しい。だが言ったところで何も始まらないし、事態は好転しないだろう。

 

「やってやるよ、クソが!」

 

 吐き捨てて大きく前へ。対空電探のデータを元に、機銃がとめどなく鉛弾を撃ち出して、虫のように集る艦載機群へと襲いかかる。だが向こうもやられっぱなしという訳ではなく、摩耶に向かって爆弾や魚雷を使った容赦ない攻撃を浴びせかけた。必死に回頭して回避運動をするが、いつもと同じ動きができない。

 

「いつもの装備より重いっ……」

 

 試験装備のままで出撃したために、慣れない重量感に振り回される。事前に渡されていた大宙の予測によりある程度は何とかなっているが、すぐに限界を迎えることは嫌でもわかっていた。

 

「クソがぁ!」

 

 諦めてたまるか。そんな意地だけでただひたすらに砲撃を続ける。

 額に汗がたれる。何度も背筋に寒気が走った。頭の中ではアラートが鳴りっぱなしだ。

 だからといって何もかも放り出して逃げ出すなんてごめんだ。そんなことはこの高雄型重巡洋艦摩耶の名において許さない。許してたまるものか。

 

「うっ……がああああああああああ!」

 

 飛来した爆弾が摩耶の張った弾幕にぶつかり、空中で爆ぜる。かなり近距離だったせいでもろに爆風を受けた。破片が摩耶の肉体を蹂躙し、爆発のインパクトで身体が海面を鞠のように弾む。

 

「まだいけるっ!」

 

 虚空に向かって怒鳴り返しながら両手を海面に突っ張り、勢いを殺して立ち上がる。切り裂かれた皮膚から血が流れ、左腕が持ち上がらない。足ががくがくと震える。もう既に限界を迎えてるはずだが、ここで自分が下がれば下がるだけ被害は増えてしまう。

 

「でやあああああああ!」

 

 高らかに吼えて砲を構えなおす。撃ち出された無数の弾が天を穿った。鮮血を海に撒き散らしながら、なおも砲撃の手は緩めない。Bofors 40mm四連装機関砲がひたすらに回り続ける。高角砲が砲身を焼きつかせそうになりながら、異形の艦載機を撃ち落とす。

 

「っ! しまっーーーー」

 

 摩耶の直上に爆撃型の艦載機が近づく。同時に摩耶の思考の回転速度が一気に上昇。

 

 回避は? もう間に合わない。急に反転しようとすれば、バランスを失って転覆する。

 迎撃するか? だめだ。砲身が直上を向いているものが少ない。撃ってもやつらには避けられる。

 

 なら選択肢は一つ。摩耶は痛みで持ち上がらない左腕を無理やり上げると右腕とクロスして防御の姿勢をとった。そして後ろへと飛び退ることで衝撃を少しでも緩和させようと試みる。

 

「ぐっ……がはっ」

 

 摩耶の口から血が溢れる。手袋に包まれた右の拳でぐい、と拭いながら痛みで震える身体を叱咤した。

 

 まだ。まだだ。こんなところで倒れてなるものか。

 いくら防空巡洋艦とはいえ、摩耶だけで落とせる艦載機の数などたかが知れている。これほどの数をすべてたった一人で撃墜することなどハナから無理だ。

 

「へっ、まだまだぁ!!」

 

 すべてを落とすことができなくたって、減らすことはできる。だから摩耶はこの場で粘り続ける。

 動きを止めるな、思考を止めるな。両者を並行して処理しろ。反射と思考を融合させるんだ。

 

「直撃コース。避けてみせるっ!!」

 

 雷撃。目で見て瞬時にコースを判断。

 旋回。判断する前に回避行動を。

 深海棲艦の動きを読め。撃たれる前に砲撃ポイントを予測しろ。

 

 摩耶が起動に制動をかける。ぐぐ、と慣性力が体にかかり、折れた骨が軋んで悲鳴を上げる。構うことなく横に大きく飛びあがる。直後にさっきまで摩耶のいた場所に雷撃と爆撃が集中した。

 

「確かにてめえらはウザイ。数も多いし、動きも早い。個々の攻撃力だってバカになんねえ。はっきり言って脅威だ。でもよ……」

 

 摩耶の両隣の海面が盛り上がる。駆逐ハ級と呼ばれる個体が2体、摩耶を挟み込むようにして飛び上がり、その凶悪な顎門(あぎと)を開いて摩耶に噛み付こうとする。

 

「思考がねえ。ただ動物みたいに本能で暴れてるだけだ。せっかくの能力に追いついてねえんだよ」

 

 ハ級が飛びかかった時にはすでに摩耶はもういなかった。摩耶の主砲が火を噴き、2体のハ級を爆砕する。

 

「だから動きも読まれるんだよ!」

 

 深海棲艦の航空機によってズタボロにされたおかげか頭に上っていた血が少し抜けて脳味噌が冴えてきた。視界が広い。

 

「落ちろよ!」

 

 一斉射。針のように突き出した砲口から吐き出された砲弾が接近し始めた艦載機群を襲った。摩耶の意地はまだまだこれからだった。

 

 だが摩耶はひとりではない。奥歯を食いしばって戦い続ける摩耶から少し離れたところでは深雪が額から汗を流して降り注ぐ爆撃の雨をギリギリのラインで避け続けていた。

 

 そしてもう1人、摩耶と深雪からまた更に離れた場所で隼鷹が巻物を戒めていた紐を解いてふわりと広げた。揃えた人差し指と中指にマゼンダカラーの焔を宿して着々と艦載機を飛ばしていく。

 

「さぁてと。摩耶もみゆきんも頑張ってるからねー。そろそろ後輩(あたし)も行かせてもらいますよっと」

 

———勅令。

 

 展開し終わり直上で円を描いてた艦載機が途端に一直線に飛んでいく。

 

「エアカバーは任せなっ! 者共かかれー!」

 

 その言葉と共に編隊を崩し(ブレイク)、艦上戦闘機烈風、零式艦上戦闘機52型そして艦上攻撃機流星がそれぞれ獲物に喰いかかる。艦上偵察機彩雲は既に接敵済みで常に情報を提供してくれていた。

 

「隼鷹ッ!」

「ヒーローは遅れて登場ってね」

 

 摩耶や深雪に群がっていた雷爆撃機を烈風や零戦の20mm機銃ではたき落す。流星は件の船へと直行し、接近しつつあった敵先遣水雷戦隊を巧みな雷撃で撃退した。

 

「第一次攻撃隊収容させるぜ。摩耶、次はどうするんだい? つうか、ダメージ大丈夫かよ」

 

 飛行甲板の代わりとなる、巻物を広げつつ二人の元へ隼鷹は合流する。先程おもいっきり被弾したのを見かねた隼鷹は声をかけた。まだ吐血した跡と傷が生々しい。ちらっと深雪の方も伺ってみるが軽いかすり傷程度で済んでいるようであった。

 

「これくらい大したこと……小破にもなんねぇよ」

「そうかぁ? まぁいいっか無理するもんじゃないぜぇ。で、指示は?」

 

 摩耶は血を拭いつつ、戦場を見渡す。依然として航行を続ける輸送船を捉える。

 

「輸送船に被害はねぇな?」

「彩雲の報告では大きな損害はないぜ」

 

 青をぶちまけた様な雲一つない空を見上げれば隼鷹所属機以外には機影はなく、吉井機(メルクリウス)のヘリは視界外へと離脱していた。摩耶は一度逡巡する。

 

「輸送船と合流する、予定よりずれちまったしな」

「りょーかい」

「はーい」

 

 号令と共に深雪が先行し、摩耶がそれをカバーする形で無線で呼びかけながら接近する。隼鷹は直掩機を展開させつつ後方に布陣する。

 

「あー、あー。聞こえるか?」

 

 未だ敵空母は健在であるため、正確に補足されないよう摩耶が短距離通信で呼びかける。すぐに返事があった。

 

《感度良好》

 

「こっちもよく聞こえるぜ……こちら佐世保所属臨時編成艦隊、第301戦隊所属。艦隊旗艦の摩耶だ。無事でよかった」

 

《救援感謝する。私は陸軍西部軍区の菊澤中佐だ》

 

 それを聞いた摩耶と隼鷹は即座に怪しむ。何故()()が佐世保向けの輸送船に乗っている? では、先の友軍艦は? 疑問は尽きないが、とりあえず今は合流だ。

 

「……現在の状況はどうなってんだ??」

《見ての通り襲撃に遭ってる最中です。()()にも付近にいた艦娘に要請して戦ってもらっているところです。申し訳ないが、このまま向こうの方でも支援を続けて頂くことは出来ないでしょうか?》

「艦娘の足じゃ過度の連戦も長距離航海も無理だ。貴官も知っているだろうに。まぁ交戦中なら仕方ないか」

《申し訳ない。感謝する》

 

 その瞬間、摩耶の対空電探は何かを捉える。

 

「対空戦闘用意!」

 

 反射的に摩耶は叫ぶ。それと同時に隼鷹も航空隊を展開させる。胡散臭い輸送船であっても、守るのが任務だ。

 

「菊澤とか言ったよな? 最大船速と対空警戒を取らせるよう指示してくれ!」

《ノイズが入っているということは……第二次攻撃か?》

「どうやらそうらしいな!」 

 

 摩耶はそれだけ通信を出すと深雪とともに侵入ルートから飛び出し輸送船を中核とした輪形陣を取る。

 

「さらに嫌ぁな知らせだぜ、摩耶。彩雲が敵本隊の侵攻を観測。航空隊と同方角だ!」

 

 摩耶は唇を噛む。敵本隊の侵攻、支援艦隊の遅れ。第二次攻撃。そして極めつけは大きな戦力差。最悪の防戦になることは必須であった。

 

「全機、艦戦だったら支えれたかもしれないけどよーちょっちあたしでもきついぜ」

「……あたしが単体で突っ込んで落とす」

 

 摩耶はぼそりと呟く。それを聞いた隼鷹と深雪はもちろん反対する。

 

「何考えてんだよ?!」

「そんなのだめだ!」

「けどよ、深雪。昼戦で戦艦クラス倒せんのか? 隼鷹だって一個中隊で倒すのは難しいだろ?」

「だからってなぁ! 特攻していい理由にはならねぇぜ()()()よぉ? 生き残ってなんぼって思わないのかい? 内地で待ってるよな、仲間が」

 

 隼鷹は普段の様子とは違う、トゲトゲした雰囲気で摩耶を睨みつける。

 

「……」

「生き残って守れ……残された方も考えてみろって……」

 

 摩耶は唇を噛み締め、俯く。それだけ言った隼鷹はあえて明るい声で深雪に問う。

 

「さぁて、撤退戦だがどうしたもんだか。みゆきんはよぉ、どう考えるかい? 無駄死にはあたしは御免さ」

「あたし……も生き残りたい。だからさ、深雪様は旗艦の指示に従うぜ。特攻命令以外はな!」

 

 深雪は軽く口角を上げて答える。隼鷹は嬉しそうにうなづき、再びに摩耶に向き直る。

 

「時間はねぇぜ。摩耶。あたしだってここで轟沈するつもりはないねぇ」

《わたしも同意見かな》

「……?」

 

 

 突然無線から流れてきた少女の声は、どうやら先程から戦闘中の艦娘かららしい。

 

《実験艦隊隷下 駆逐艦Верныйだ。緊急時につき、貴艦隊の指揮下に入るべきだと判断した》

「えっ?! ……響か?」

 

 隼鷹は細目でその艦娘を捉える。白髪のようにも見える銀髪の少女が海上を滑り、砲撃を始めた。ザザ、と一瞬だけ通信にノイズか混ざる。

 

《古い名前だね……今の私はВерныйだ》

「味方、と判断するよ」

《構わないさ》

 

 さも興味なさそうにヴェールヌイは呟いた。

 



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ディアーナの守護(後篇)

「えーっと、Верныйとか言ったな? 旗艦の摩耶だ。協力サンキューな……そして最善は尽くすぜ。皆で帰ってやるよ」

 

 隼鷹はその言葉に嬉しそうに笑う。

 

(Да)……指示を頼むよ」

「で、どうすんだ、摩耶?」

「積極的に攻勢に出る。撤退戦だが防戦一方じゃ勝てるもんも勝てねぇからよ。隼鷹は輸送船に追従、制空権と敵主力艦の威圧頼んだ。深雪とВерныйは妨害と敵水雷戦隊の迎撃。あたしは中衛で防空と攻撃支援」

 

 摩耶はテキパキと指示を出し、しっかりと水平線を見つめた。深雪と隼鷹はそれに安心し、互いに微笑む。

 

「さぁーて、摩耶様の力思い知れ!」

「うっし! 深雪様、1番乗りぃ! 最初の敵はどいつだぁ?」

「いいねぇ……隼鷹()行っくぜー!」

「……君達はいつもこんな感じなのかい? 名乗りを上げて突撃なんて、大和魂が燻った時代錯誤な気もするけどね。Верный出撃する」

 

 その掛け声とともに輸送船と同航だった深雪とВерныйが陣形を崩し、大きく外回りの弧を描き、敵艦隊に対峙する。

 

「一度雷撃したら、転進しろいいな!」

「了解っ!」

「わかった」

 

 摩耶は打電をしつつ、体を180度回転。進行方向はそのままで速度を落とす。隼鷹は輸送船に追従したまま艦載機を展開させる。

 

「距離……よしっ、これならイケる! 深雪! Верный! 気を引いとくからよ、臆するなよ!」

 

 摩耶がそう叫んだ瞬間に摩耶の主砲が火を噴き、敵水雷戦隊へと吸い込まれていく。防空巡洋艦と言えども重巡洋艦。火力は十分である。

 

「弾着、今ッ!」

「えーっと、弾着遠近近、至近弾。いい感じのカーテンになってるぜぇ?」

 

 彩雲からの報告を読み上げつつも隼鷹は発艦を続ける。摩耶は少し主砲の俯角を変え第二射の用意をする。

 

「てぇっ!」

 

 その声と共にまた摩耶の主砲が瞬き、砲弾が飛んで行く。

 

「命中、近近々! ナイスゥ」

 

 弾着後、報告を聞いた隼鷹は嬉しそうに口笛をヒュウと吹く。派手に水柱が立ち、敵の視界をシャットアウトした。その瞬間付近で伏せていた特型2人組が一気に飛び出し進行方向へ満遍なく魚雷を散布する。

 

「順調順調」

 

 一部の艦はそのまま被雷し轟沈若しくは大破。碌な艦隊運動も戦闘も難しいだろう。残った艦艇は回避行動と隼鷹の零戦が威圧したせいで明後日の方向へ向かってしまったため目論見道理といえるだろう。

 

「大破確認! 摩耶様がけりをつけるぜ!」

 

 18.52km/h(10ノット)も出てるか怪しい敵軽巡洋艦に主砲弾を直撃させ、その体を海の中へと叩き込む。彩雲から報告を聞いた摩耶は次の敵を捕らえる。つまりは空母機動部隊だ。すでに隼鷹は第一次攻撃隊を向かわせていた。

 

「接敵まで5分といったところかねぇ」

「了解、んじゃ深雪とВерный。自由戦闘だ巡洋艦以下の誘引任せるぜ。行けるか?」

「うーん、やるしかないんでしょ? だったら全力を尽くすだけだぜ!」

「Хорошо……面白いね。乗ろうか」

 

 二人の艦娘は嬉々として応じる。すぐに二人は敵艦隊へと駆け出す。

 

「敵の分断できるよな?」

 

 摩耶は意地悪そうに笑う。それを見て隼鷹は肩を竦める。

 

「なんだい! あたしだけ結論ありきかい? まぁ、いいわ! パーッといってやるよ。パーっとなぁ!」

 

 そういいながらにひひと笑い、一瞬眼光が鋭くなる。

 

――――勅令

 

 一気に編隊解除(ブレイク)し、航空戦の幕が上がる。

 

「いっけぇー!」

 

 白色の猫型艦載機と深緑色の零戦、烈風が入り組み正面での戦闘(ヘッドオン)そしてドックファイトを始める。最初のヘッドオンで烈風隊が5機撃墜し幸先良い開戦となる。撤退戦ということもあり基本的に攻撃機への攻撃中心とし、戦闘機の数に於いて劣勢を補う。が、穴は空くものである。

 

「悪い、摩耶!」

「わかってる、任せろ!」

 

 すぐに隼鷹から逃れた攻撃機を対空射撃で叩き落とす。最初の何分間は良いものの、段々と消耗戦へと突入する。

 

「かーっ! 埒が明かないねぇ。一気に決めたいねぇ。摩耶少し支えてくんね?」

「あ? しゃねえか、やってやるよ!」

「いいねぇ! じゃっ頼むよぅ」

 

 零戦が急に軌道を変え、敵陣へ電撃的に突っ込み道を作る。

 

「ひゃっはー! 者共かかれー!」

 

 そこに無理矢理、流星を滑り込ませ航空戦の外へ出る。多少の損害は出るがその分だけの利益はある。その目の前は敵艦隊だ。

 

「いっけー!」

 

 何機か対空砲火に食われるが果敢に飛び込み、隼鷹の声と共に魚雷を投下する。それと同時に残った零戦をまた急展開し、戦線へ引っ張り戻す。

 

「摩耶悪ぃ!」

 

 摩耶に対し完全にマウントを取っていた敵艦爆を隼鷹は撃墜し、再び全艦戦隊を防空任務につかせ戦線を押し戻す。その間に敵艦隊で大きな水柱が立ち雷撃が成功したこと知らせる。

 

「空母被雷、炎上中! 今だ!」

「おうよ! これでも食らいやがれ!」

 

 すこし楽になった摩耶が主砲を三式弾のままぶっ放す。爆発せずに敵艦隊上空まで行ったかと思うと炸裂。大量の焼夷弾子が敵艦に降り注ぐ。至る所が炎上し一瞬だが統制が乱れる。続いて第二射。今度は徹甲弾で戦艦を捉える。

 

「どーだ!」

 

 戦艦の防御力では大ダメージとはいかないものの、完全に戦艦の注意が摩耶に向く。無線封鎖してる手前、確認はできないが、駆逐艦二人が弾幕を張ったりするなりして、護衛艦艇にたいして大立ち回りを演じているだろう。空母は完全に自身のダメコンに意識が向いている所為か、航空隊の挙動がおぼつかなくなっている。摩耶は砲撃と弾幕を張りながら行けると確信できた。

 

「航跡確認! 摩耶、6時の方向!」

 

 隼鷹が咄嗟に叫ぶ。これは落とし損ねた雷撃機か潜水艦、もしくは駆逐艦か。どれから放たれたかはわからないが2本の魚雷が白波を立てて迫っていた。摩耶は艦種の関係から、水中探信儀(ソナー)は付けていない。そのため、発見にもワンテンポの遅れてしまった。

 

「この野郎ッ! やらせるかよ!」

 

 装備バランスからして過度の重心移動は危険ではある。しかし、それを無視して体全体で摩耶は面舵を切り、雷撃に相対する形で魚雷と魚雷の間へとつっこむ。

 

「よしっ!」

 

 魚雷の間をすり抜け舵を戻す、が不幸は続くものだとよく言われる。

 

「摩耶ッ! 回避!」

「なっ?!」

 

 隼鷹が叫ぶも、時既に遅し。顔を上げ飛んできた砲弾を捉えたその瞬間、摩耶が居た場所に水柱が炸裂した。

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

「まったく、熱くなり過ぎだ。周りだけじゃなく、敵すら見落とすなんてね」

 

 被弾して後退中の摩耶を庇うように、援護する隼鷹と深雪。その様子を蔑むような眼光で睨むВерный。他人の心配をする余裕があったら、一機でも落とせば良いのに。それだけで体勢を立て直す摩耶へのメリットだと言わんばかりに、単騎で舵を切り返す。

 

 戦艦の火砲が自艦隊を捉えたの数分前だ。その間に敵を漸減し、回避に備えられなかったのは努力不足である。だからこそ被弾は当然とも言える。次発に対処するにはどうすれば良いか。もちろん殺られる前に殺れ(・・・・・・・・)だ、とВерныйは一人ごちる。

 

 いつもと同じで良い。自分を守れば、他人を守れる。

 

 かつて指揮を執っていた上官の言葉を思い出す。敵艦で埋め尽くされた海域を引き裂く流れ星の様に。早く、速く、疾く、迅く。斬り結んだ戦場の華は、星屑(ダスト)のように喰い散らかせ。この禍々しく蒼い海面を、緋色(ほのお)で夜空の様に彩るのは、他でもない自分自身への存在価値の証明だと思っている。

 

 脚部艤装は、Верныйに合わせてチューニングされ続けてきた特注品。少数精鋭の防衛戦を数多く経験し得た答えは、誰よりも先陣を切り持ち場を整えること。

 

 負傷で落伍した艦娘の穴埋めなど、日常茶飯事であったВерныйにとってはこの程度の物量差ならば嗤い飛ばせる。

 

「でも司令官のバックアップがつかないのは、やっぱり使い勝手が悪いね」

 そう呟いた彼女は、艤装の爪先で海面を器用に叩く。まるで陸上選手がスターティングに備えるかのように。

 機動装置点火(イグニッション)。一言発した直後に急加速、そして旋回。深海棲艦にとっては白い外套に身を包んだ少女の体が、掻き消えるかのように姿を見失っただろう。波飛沫は箒星の様に尾を描き、置き去りにする。

 荒波に紛れるかのように水面を掻き分け、敵艦に肉薄したかと思うとキックバック。大きく迂回をしながらも、虚を突かれた敵艦のどてっ腹に砲弾を撃ち込む。

 深海棲艦の体が衝撃で揺らいだのを見届ける事なく、再び海を蹴るВерный。

 

 文字通りに次の獲物へと飛びかかり、次の相手の空中(うえ)をとる。防弾版など持たない敵の頭部に発砲。振り向く前には魚雷を手榴弾よろしく残し、炸裂前に撃ち抜き爆砕する。

 まるで遠雷のような速度に、敵艦隊の足並みは乱れた。先程まではたかだか一隻と驕っていた駆逐艦だ。それがなぜか理性を捨てたかのような行動に出たことに、理解が追い付かない。

 

 己の身すら守るべきものなど、ないかのように攻勢一辺倒。増援の到着によって、士気が上がったのかは深海棲艦の知る由もないことだ。だが、狂っているとだけは本能が囁く。奴は危険だと。

 

 まるで次元が違うかのように、触れられない。そして攻撃は当たらない。全てを置き去りにするような速度。まるで彗星の如く飛来する白い悪魔が、残骸すら消し去るように喰い散らかした。

 

 背に腹は代えられないと、同士討ちを覚悟で乱戦模様の中に敵艦載機が攻撃に出る。機銃の即射性を活かした立ち回りで、白光を纏う艦娘を銃弾の檻に閉じ込める。

 

 頬を掠る。帽子を吹き飛ばす。あるいは、腕に装備された砲塔に直撃する。甲高い音が砲塔から鳴り響いた時点で、Верныйは連装砲を強制排除(パージ)する。一拍置いての爆発音。

 

 得物を失った事に舌打ちをするが早いか、弾幕を縫って深海棲艦達の前に躍り出る。残った片方の連装砲をリロード。攻撃を絶やさぬよう、武装管制に次の命令を下す。

 

 腰部アタッチメントに懸吊された警棒――――もはや、その攻撃的な外見から棍棒(メイス)に近い鈍器を振りかざす。

 

 犠牲になった一隻を踏みつけ、止めを刺す隙を狙って別の艦が飛び込む。しかしその砲火を遮るかのように、Верныйの背部から防弾版が()()()

 

「さすがは、陽炎型の艤装をベースに組んであるね。よく動く」

 

 特Ⅲ型と侮るなかれ。人類側の開発した兵器を他の艦娘()が使って何が悪い。かつて響であった時のように装備された防弾版は、彼女自身の意志によって自在に動く。

 

 一隻の相手には、盾を投げつけ行動を阻害する。戦艦の砲弾よりも質量のある金属の塊が直撃した相手は、昏倒しないものの体勢を崩す。踏み留まった一瞬には、既に投下された魚雷が飛沫を上げて迫っていた。

 

 爆炎が踊るが早いか、その煙を裂き空中で一回転。低空攻撃に固執した艦載機を叩き割り(・・・・)、着水と同時に機銃が火を噴く。

 

 数刹那に鉄の華が散り、陽が黄金に照らし始めた洋上に緋色を描く。仇と言わんばかりに突出した相手には、伸びた背部の腕がその臓物を抉る。

 

「あぁ、紅い。やっぱり紅いね」

 

 深海棲艦の艤装のオイルか、はたまたその肉塊の血飛沫か。深紅に染まった己を見て、Верныйは自嘲する。

 

 追いすがる敵機には、飛び込む前に投錨した鎖を腕力任せで無理矢理引き上げる。度外視した速度で巻き取られた錨は、撓った鞭として宙を打つ。空間を薙ぎ払いながら、まるで靭尾のように武器と化した。

 

 小柄な体からは、まるで災厄のような暴力が振りまかれる。しかし一隻、また一隻と敵を屠る度にその兵装は消耗していく。己が一兵士であることに自覚はあるВерныйは、あと何分継戦可能かを脳内の算盤で弾く。

 

 艦隊を率いていた摩耶は被弾のため戦力外。隼鷹の艦載機は、下手をすれば彼女の艦載機ごと巻き込むだろう。とてもではないが、背中を預けられる練度ではない。自己評価した自身のスペックを鑑みて、敵の殲滅が可能なのは2分。囮として浮き続けるなら10分。

 

 残された一基の連装砲のトリガーを引くが、駆動音だけで反応を返さなくなる。弾詰まりの銃など、只の鉄の塊だ。エラーを吐いた火器管理装置を、強制的に解除する。その状態で発砲。膅発上等で近場の相手に放り投げると、直後に炸裂する。破片で自身も切り傷を作りながらも、別の敵へ跳躍。柄頭からへし折れた警棒を、尖槍として突き立てる。

 

「お下がりください!」

 

 無線ではない、肉声だ。見ればゴムボートに毛が生えたような定員三名の機動艇。もちろん乗組みは陸軍の兵士たちだ。深海棲艦相手にはお世辞にも機動性の良いとは言えない(ふね)にВерныйは身を近づける。

 

「足を止めたら危ないよ。それ外して……武器だけ借りる」

「同行します! 貴方に何かあったら、こちらは大目玉です!」

「大丈夫さ。得物をくれるだけでも、十二分なくらいだ」

 

 そう返しつつ懸架されている小型迫撃砲を伸ばしたサブアームで無理矢理引っ手繰ると、振り向きざまに掃射。すれ違う瞬間に、隊員のタクティカル・バックパックが機動艇から放り投げられた。

 

「……全く、今の司令官(たいちょう)は過保護にも程がある」

 

 器用に空中でキャッチするとそこには見慣れたモノが引っかけられている。先ほど落としてしまった制帽だ。海水で湿ってはいるが、そこには確かに輝く赤い星。

 

「落とし物です!」

感謝するよ(Спасибо)、同志軍曹。もう輸送船に戻って大丈夫だよ」

 

 流石に被り直す余裕はない。バックパックごと不恰好に腰のカラビナに括りつけ、手持ち斧(サンダーモール)刺突器具(ハリガンツール)を諸手で構える。敵艦隊へと吶喊し過ぎ去り際に殴打。

 

 対人用兵器でない工具(・・)を、艦娘としての馬鹿力で無理矢理振り下ろす。さすがは工具、深海棲艦(そざい)への食いつきがいい。そのまま食い込むところまで食い込ませる。抜けるかどうかは知らない。うまくいけば深海棲艦は開きになるし、いかなくても腹に工具をぶら下げて動くのは相当無理が出るはずだ。

 

А служба службою везде(りくでも うみでも): И на земле, и на воде(いくさはつづく)

 

 脳裏に浮かんだメロディが口から流れ出る。Верныйはくるりとその場で体を回す。手斧は抜けなかった。相手の中で引っかかったらしい。

 

И друга верного(つらくとも) рука с тобой в любой беде,(となりに)А если очень повезёт(ともが)

《――――だーれが軍用回線(ラジオ)で赤色軍歌を流してるんだか、艦隊への路(Дорога на флот)が流れてくるとか予想外なんだけど》

 

 無線に菊澤(たいちょう)の声が乗る。片手が空いたВерныйは腰に下がった帽子をかぶり直す。手首を捻って位置を微調整。

 

「計画経済でも想定外はつきものだろう?」

《確かにね、でもまぁタイミングがいい。同志(とも)ではないが友軍(どうるい)は来たようだ。特Ⅰ型三番艦、パーソナルネーム、深雪。方位1-5-6、距離4,500、12秒後、一直線に来る(ヘッドオン)

 

 Верныйがちらりと後ろを見る。確かに菊澤の声の通りに航跡が伸びている。

 

「加勢に来ました……って、うえっ!?」

 

 何に驚いたのか黒い髪を跳ねさせる少女が驚いたように目を見開く。

 

「どうしたんだい?」

「だ、大丈夫響ちゃん!?」

「Верныйだよ。今は」

 

 そんな驚くだろうかと思うが、確かに妹分が真っ赤に染まって釘抜き(ハリガン)片手に海にたってたら驚きもするだろう。Верныйだってたぶん驚く。

 

「大丈夫だし、驚いている余裕はないよ。ほら、お出迎えだ」

 

 Верныйの言葉の通り、深海棲艦が突っ込んでくる。それを紙一重で避けると一度後退。弾薬を潤沢に持っている増援に期待する。

 

「ちょっまっ!」

 

 慌てて発砲した深雪、狙いは当てずっぽうだが食われそうなほどに近ければいやでも当たる。目の前に突っ込んでくる撃破した駆逐ハ級を馬跳びの要領で飛び越え、深雪が叫ぶ。

 

「あっぶなぁ! 響ちゃん手伝ってよ!」

「なら武器おくれよ」

 

 つれない返事に一瞬イラッときたらしい深雪だが、正論は向こうだ。黙る。その間にもまだまだ飛び込んでくる敵の群れに深雪は砲を取り直した。

 

「応援は一隻だけかい?」

「隼鷹さんの艦載機も来るはずっ!」

「誤爆はごめんだね。さっきだって、私の動きに置いてかれたくらいだ」

「隼鷹さんはそんなへたっぴじゃなないやい! 響の急制動が可笑しいだけじゃんっ!」

 

 その声にゆるりと嗤い、Верныйは飛びかかってきた駆逐ロ級に釘抜きをたたき込む。そのまま振り回して引き抜けば、今度は抜けた。撃沈させることはできなかったが貴重な武器を失わなかっただけよしとしよう。

 

「うわ、ちょ、うえっ!」

 

 その間にもなぜか深雪に集中攻撃が来ているらしい。直撃はしてないし、うまいこと避けているが、顔色を伺う限り、芳しくはなさそうだ。

 

「全く」

 

 Верныйはあきれたようにそういうが、顔に落胆は見られない。どこか愉しそうではある。

 

「うわ、ちょちょちょっちょっ!」

 

 深雪を喰わんと駆逐ハ級が跳ねた。大口を開けて主砲が顔を出す。避けるのには遅すぎた。至近距離過ぎる。深雪の前に影が落ちる。

 

「――――――!?」

「甘いね、本当に」

 

 凜と澄んだ声。ハ級が動きを止める。ハ級の()()()釘抜きがめり込んでいた。深雪の前に滑り込んだВерныйが無理矢理敵の主砲の砲門に工具をたたき込んだのだ。彼女はそのまま工具を蹴り込む。 

 

Тебя дорога приведёт(きみはうんがいい)

 

 上機嫌に歌うВерныйを深雪はなにか恐ろしいものを見たかのような表情で眺める。

 

「運は良いが……」

 

 そのВерныйが左足を振り上げた。

 

邪魔(・・)

「へっ?」

 

 その左足が深雪の肩にめり込む。そのまま吹っ飛ばされる深雪。

 

「――――На Тихоокеанский флот(さぁ ひがしへいこう)

《だーれが味方をホールインワンしていいって言った? それに飛ばしたのは南だ》

「言葉の綾というやつさ」

 

 深雪が3秒前までいた位置に降ってくる弾丸。深雪が空中に(おと)していった連装砲を空中でキャッチし掌の中で回す。セーフティ解除。互換性のある艤装をドロップしてくれた僚艦(とも)と整備兵に感謝。引き金に指をかける。動作は良好。見事に砲撃してきたやつを海に還した。

 

「うん、いいね。工具より使いやすい」

《そりゃそうだろうけどさ》

「あと数隻、倒しきって良いよね」

《構わないが、後で詫びの文言考えときなさいよ》

「どこ宛てだい?」

《自分の胸に手を当てて考えなさいな》

「戦闘中は無理だね。そして張る程の胸部装甲は、持ち合わせない主義なんだ」

《ごりっぱで》

 

 Верныйはそう言って引き金を引く、残りは()()4隻。5分はかからないだろうと踏む。

 

 そしてその考え通り、4分と12秒後には海面には赤黒い液体しか残っていなかった。

 

 残骸しか残らない海面を眺め、敵勢力の完全排除と判断する。脚部海域掌握用戦略システム(StArDUSt)を停止。被害モニタリング実施。バイタルパートへのダメージは皆無、状況終了。さてこれから面倒な戦闘詳報だと肩を落とすВерныйに、前線から下がったはずの本隊から無線が届く。

 

《こちら隼鷹。深雪、Верный両名報告》

 

 飛んできた無線の主はなぜか隼鷹であった。深雪はВерныйから頂いた()()()()()を撫でつつ報告する。

 

「深雪、ちょっとヘマしたけど小破で住んでるぜ」

「こちらВерный。敵勢力排除完了。損傷なし、借り物以外の武装は全部パーさ」

《把握した》

 

 やけにテンションが落ち着いた声音で隼鷹は応じる。深雪は何か引っかかりを覚える。ここは旗艦たる摩耶が音頭をとるべきである。しかしさっきから一度も出てこない。

 

《無線封鎖解除。佐世保臨時編成艦隊()()()()、302航空戦隊所属隼鷹。関係各所へ。海幕指定海域カテゴリー1、ナンバー2内の敵勢力を撃滅。残党は東へ敗走中》

 

 安全が確認されたため隼鷹は長距離通信で各方面へ報告を終わらせる。それが終わるを見計らって深雪は問う。

 

「ねぇ、摩耶さんは? 隼鷹さんが旗艦代理? 旗艦が指揮能力を欠如した場合の臨時措置なんだよな……?」

《すまねぇ、もう少し待ってくれ。救援艦隊へ、こちら臨時編成艦隊。護衛任務を引き渡す》

 

 少しだけいつもの隼鷹が顔を出したと思えば、すぐに硬い口調で各所と連絡を取る。

 

《とりあえずみゆきん、こっちに戻ってきてくれ。摩耶の治療もしなきゃならねぇから、救援艦隊に合流するぞ》

「隼鷹さん。何があったの?」

《……結局、摩耶が大破判定。戦艦の主砲弾が直撃したんだ。それでこっちは介抱中。》

「うへぇ、無事なら良いんだけど……」

 

 まったく、艦隊行動とは難儀な物だ。上長が動けなくなれば、部下がその心配をせねばならない。好き勝手やらして貰っていた司令官には、頭が下がるばかりだ。当時を思い返せば、よく僚艦達は従ってくれたものだが……いや、スタンドプレーの集合体によるチームの戦果とでも言おうか。

 

 自覚はあるが、狂獣を野には放つ覚悟がなければ摩耶達との艦隊行動など夢物語。そう自嘲するВерный。性格上で相容れない友軍にむけて、別れの言葉を切り出す。

 

「こちらВерный。事態は収束しただろう? 離脱するよ」

《了解した。貴艦の協力に感謝する》

「礼には及ばないさ」

 

 

 身を翻して、進路を輸送船へと向ける。あそこにいるのが、今の私の同士だ。表向きの上下関係とあるのは、実際には互いが互いを護衛し合うと言う奇妙な共闘関係。だが、今回の戦闘程度では……。

 

「私一人でも十分だったかな」

 

 外見だけならクール・アズ・キュークにも見えたと人は言うだろう。しかし白色と言うのが、純真だか無垢だとかのイメージは一方的なものに過ぎない。そして返り血でその身を汚した少女は、その紅に恥じない滾りを感じていた。

 

 また足りなかった。練度を見れば九十九(つくも)をゆうに超えたВерныйにとっては所詮あの程度(・・・・・・)だ。必死に抗っても、黒雲の様に空を覆った艦載機。雷雨よりも身を裂く砲弾。仲間の名を叫ぶ余裕すらない圧倒的な武力を目にした事のある少女にとっては、先の戦闘は御飯事(あそび)にしか感じないのは事実であった。

 

「あぁ、分かってる。足手まといはもう御免だね」

 

 かつての僚艦に対する懺悔だろうか。少女の呟きは、潮風に乗って消えていった。

 




 どうも読者の方々はじめまして。日本の艦艇大好きマンで護衛艦を艦娘化させたものばかり書いている山南修と申します。葛藤とロマンを書きたい(書けるとは言ってない。この企画には帝都造営氏、オーバードライブ氏、エーデリカ氏の誘いを受けて参加しました。小生、OD氏の鏑矢に憧れて始めたものであり、氏の影響をかなり受けました。おかげで青葉は情報キャラに。


さて今作「艦隊これくしょん―コンコルディアの落日―」はまだまだ続きます。ディアーナの加護は序章の一つに過ぎません。我々が思い描いたシリアス溢れる作品をとくとお楽しみください。


P.S.提督の方々は春イベ頑張ってください。
よろしくお願いします。


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アポローンの救済(前篇)

 海軍組織と言うのは、なにも砲雷撃戦(ぜんせん)ばかりじゃない。九州地方は長崎県佐世保市。海軍佐世保鎮守府は活気とは正反対の喧騒に包まれていた。

 

 佐世保海軍病院の敷地に設けられたヘリポートに爆音をばら撒きながら回転翼航空機(ヘリコプター)が舞い降りる。ブレードの回転が収まるのを待たずにドアがスライドして開き、そこから毛布にくるまれた担架が運び出された。毛布には血が染みついている。

 

 即座に待機していたストレッチャーに移し替えられて、走り出す。

 

「緊急搬送! 緊急搬送! 通ります!」

 

 怪我人で溢れかえった廊下。看護師が叫びながら先導するなか突き進む。その声を聞いた人間から重そうな身体をしかし素早く傍に避けて、看護師ともども手術室に吸い込まれていく。

 

 そして観音開きの大扉が閉まるとポン、と手術中のランプが点灯した。

 

「雅医療大尉!」

「ありがとう。そこに」

「はい!」

 

 滅菌された緑の手術着を着た執刀医たちの中に患者が運ばれる。

 

 手術着白色ではなく緑色なのは赤色の血を見続けてから白を見ると、補色残像により緑色を幻視する。そして残像が生じると、目が慣れるまでは手元がはっきりと見えないため、手術のミスに繋がってしまう。それを防ぐためにわざと緑色にしてあるのだ。

 

 手術のチームリーダーである老女が進み出た。顔に刻まれたシワが老女の生きてきた時間を感じさせる。その老女、(みやび)柚穂(ゆずほ)は手術台に視線をやった。

 

 拘束具が外され毛布が引っぺがされ、血塗れの患者が露になる。患者は女性だった。手術に邪魔なカーキ色の軍服がハサミで切断される。現れたのは見慣れない陸軍の認識票。

 

「陸軍の? なぜ……」

「そんなこといってる場合じゃないでしょ。心電図!」

「は、はい!」

 

 計測器が取り付けられ、機器が心音を示す電子音を放つ。この音ならまだ大丈夫なはずだ。僅かなうめき声が乗る。ひどい怪我だ。

 

 可愛らしいのであろう顔立ちは頭部からの出血で確認できない。皮膚は赤く焼けただれて見るも無惨。一体全体どういう状況でこんなことになったのか聞きたいものだが、そんなことを気にしている場合ではない。

 

「大鯨、患者はIII度熱傷。皮膚培養の準備をお願い」

「わかりました。細胞サンプルは先遣隊の医務班が採取済みです。培養準備整ってます」

 

 差し出されたシャーレに目をやる。細胞が既に取れているのはありがたい。これで無駄な手間が省ける。

 

「確認。これがサンプルね、培養を急がせて」

「了解しました」

 

 パタパタと大鯨が走り去る。深海棲艦と人類の戦争。艦娘が主力となった今でも、その背後で傷つく人間がまったくいないなんてことがあるわけがない。もちろん、ゼロに抑え込めるに越したことはない。だがそのような理想が通るわけはなく、人は傷つく。

 

 きっとこの陸軍兵士も、己の大事なものを守らんとして深海棲艦と戦い、そして傷ついたのであろう。

 

 そのために雅のような軍医がいる。雅は確かに海軍の所属だが、目の前にいるのは陸軍兵士以前に人間だ。放置するわけにはいかない。

 

 治してみせる。それが雅の()()本分だ。麻酔を注射。女性の意識が落ちたことを確認して、大鯨を待つ。

 

「培養、完了したものです!」

「ありがとう、大鯨。すぐに入って」

「了解です!」

 

 火傷によって損傷した皮膚を取り除くと、大鯨によって運ばれて来た培養皮膚を移植する。時間はかけられない。手術チームが女性の各所各所の皮膚を丁寧に移植していく。

 

「大腿部の損傷が酷いです!」

「培養皮膚は?」

「この範囲だと足りません」

「人工皮膚でカバーを!」

「わかりました!」

 

 短時間で培養した皮膚だけでは間に合わない。だからすぐに現場判断で別の手を提示してそちらにシフトしていく。

 

「植皮、完了しました」

「右腕の縫合は無事に完了。左大腿部の植皮も完了したわ。あと頼める?」

「問題ありません」

「お願いね」

 

 女性の治療は無事に終わるだろう。ここまでやれば、後の処置は他に任せても大丈夫だ。一番の山場は終わっているので、本当に簡単なものしか残っていないからだ。

 

 だが1人を治療してはい、おしまいというわけにはいかない。怪我人は彼女だけというわけではないのだ。いったい何人が、と思わされるくらいの人数が佐世保に搬送されてきていた。

 

 タイミングが悪い事に、艦娘部隊が対馬へ出撃中に沖縄方面で深海棲艦が確認されていた。結果的に防衛もままならない状態で、何隻もの民間船が犠牲になっている。各所の病院で受け入れ作業も進めているが、海軍としても医療スタッフを多く抱える佐世保鎮守府を解放したのであった。

 

「怪我人が多すぎる……ここにいる医者だけじゃ全く人手が足りないわ」

 

 雅が嘆きながら大広間をぐるっと見渡す。佐世保鎮守府は大広間を解放して怪我人の受け入れ体制を作っているのだ。あちらこちら聞こえるうめき声の大きさは傷ついた人間の多さを如実に表していた。そしてその数は明らかに今、佐世保にいる人間だけで処置できる量の限界を大幅に超えていた。何人の怪我人が出ているのだろう。書類に書かれる数字のことなど今はわからないが、それでも大きくなることだけははっきりとわかる。

 

「柚穂さん、この数は……」

「言わなくてもわかってるわ」

 

 佐世保鎮守府の医務室長である雅には現状において動くことのできる人員と薬剤の分量は大まかに把握している。だから、というべきか。この大広間にいる全ての人間を救うことができないとわかってしまった。

 

「大鯨、トリアージを」

「……わかりました」

 

 トリアージ。患者の重症度に基づき、治療の優先度を付けて選別する、ある意味では非情とも思われる行為である。だが限られた人的資源と医療器具、薬剤では救える数に限りが出てしまうことも事実なのだった。だからこそ、選別をしてできる限りの救える命を救う。これはそういう行為だ。

 

 残酷なことだと思われるだろう。手を尽くせば救えるかもしれない命を見捨てるという行為に違いはないのだ。けれど、最大数の命を救うためには仕方ない処置でもあるのだ。医者としても苦しい決断ではある。だがここで決断せずにだらだらと時間を無駄にすれば死者は増えていく一方だ。

 

 大鯨が運ばれてきた男性に近寄り、ざっと状態を確認した後に準緊急である黄色のタグを切る。次の人には緊急を示す赤色のタグを。また次に運ばれてきた人には大鯨はすこし躊躇った後に死亡を表す黒色のタグを切った。

 

「雅大尉!」

 

 担架を運びながら衛生棟に入ってきた男たちのうち片方が雅の名前を叫ぶ。そこに担架をおろせばいいか、と聞いていることはすぐにわかった。

 

「そこにお願い!」

「了解です!」

 

 雅が指し示した場所に軍服をまとった軍人が慎重に担架を下ろした。疲れの色は見えるが、まだ気概に満ち溢れた顔で雅の方を向いた。

 

「なにか自分に手伝えることありますか?」

「今まで通りに搬送をお願い。出来るのなら手の空いてる人に協力を依頼して」

「わかりました!」

 

 走り去っていく軍人を目に止める余裕などない。雅はすぐに薬棚を確認。次へ次へと使われていく薬品は恐るべきスピードでその量を減らしていく。このペースで使い続けていけば、もう間もないうちに底を尽いてしまうだろう。

 

「薬が足りないわ。追加が届くのはいつ?」

「全力で輸送中らしく、もう少しかかるとのことです!」

「……そう」

 

 間に合わないでしょ、と叫びかけるのを喉で抑え込む。八つ当たりなんて無駄なことをしている暇はない。その一時すらも惜しい。

 

 麻酔の残量を確認。圧倒的に足りない。薬品類は何かしらの輸送手段で運ばれてきているとのことが、必要な時である今になければ何の意味もない。だがわかっていてもどうにかするしかない。ただ手を拱いて消えゆく命を見ているだけなんてまっぴらごめんだ。

 

「私は艦娘の治療が専門だけど……」

 

 だが原理は同じ。そして雅は外科手術関係も学んでいる。ならばできない理屈など存在しない。そこで無理だとのたまうのはただ目前に存在する問題から目を逸らして逃げているだけだ。

 

「……やるしかないわね」

 

 眉をひそめて、手術室のドアを押し開く。やることはいつもと変わらない。ただその数が増えただけ。他にも不安な案件は嫌というほど目の前にぶら下がっているが、それも飲み込んだ上で見捨てるわけにはいかないのだ。それを見捨ててしまうことは雅の信念に反することだ。自らに立てた誓いを反故にするようなことがあってははないのだから。

 

 さあ戦え。そこが己の戦場だ。患者から六文銭を取り上げて生死の淵からすくいあげろ。なんとしてもその川を渡らせてはならない。渡らせてしまえばもう絶対に帰ってくることはない。

 

 そして戦いの始まりを告げるゴングが鳴った。

 

「そこに!」

「はい!」

 

 ひたすらに運ばれてくる怪我人に手当を施しては、次へと移っていく。怪我の箇所をトリアージタグから素早く読み取って、現状においてできる最良の手当を最短で実行。必要ならば、手術用器具を手に取ってオペを。いつ底を尽きるかわからない薬剤に焦りを覚えながらも、手を尽くし続ける。

 

「医薬品の到着はまだなの!」

「も、もう少しかかるそうです!」

 

 ここまで待って来ないなら、もうないものと考えた方がいい。来るかわからないものをあてにするより、ないことを前提として動くべきだ。

 

「仕方ないわね。やってやろうじゃない」

 

 丁寧に、だが素早く。足りない医薬品で最大の人数を救いきれ。

 

 時計の針は待ってくれない。ないものねだりをしても貴重な時間を浪費するだけだ。

 

「雅さん!」

「なに?」

「手を貸してもらえますか? 艦娘の治療なんですが、我々では対処が難しく……」

「待つように言っておいて。このオペを終わらせたら行くわ」

「わかりました!」

 

 他の治療にかかりきりだった雅を呼ばなければいけないということは、運ばれてきた艦娘の損傷はかなり酷いのだと推測された。人数は足りていないが、すぐにやらなければ命が危ない患者は雅が対応している患者で最後だ。

 

 やっている手術を終わらせると手術室の外へ。廊下で待機していた看護師が雅に気づき、呼び止めた。

 

「雅さん、こっちです」

「どこに搬送したの?」

「集中治療室へすでに搬送しました」

「カルテを頂戴」

 

 受け取ったプリントに書かれていることと、写真の情報を頭へと叩き込む。ざっと見て行くと艦娘の名前が目に入った。

 

「高雄型重巡洋艦摩耶……っていうと確か大宙中佐の所の娘ね」

 

 腕は立つ艦娘だったはずだから、大怪我を負って帰ってくるとは思わなかった。書面を見る限り、相当なようだと察される。急いで集中治療室へ駆け込むと、手術台へと走りよった。

 

「酷いわね……」

 

 全身に重度の火傷、頭部の裂傷とざっと見ただけでここまでの怪我だ。しかもさっきの書面で、腹部外傷があることもわかっている。呼吸があることは確認したし、心臓も動いていることは心電図を見ればわかる。だがこのままにしておいたら摩耶の命の灯火が消えてしまうことは一目瞭然だ。

 

「どれだけ戦力差があったのよ……」

 

 ここまでボロボロになって帰ってくるということは相当の相手だったはずだ。唖然として動きが止まりかけてしまうが、自らを叱咤して目の前の摩耶に集中させる。

 

 出血が多いのは頭部の裂傷から対処。テーピングや軟膏で対処できるレベルを超えているため、縫合することを選択した。一ミリのズレもないように縫い合わせると次に取り掛かる前に、患者の血液量を計測する機器の数字に視線をやった。

 

「血が足りないわ……輸血の準備を」

「はい。輸血、開始します」

 

 チューブに赤い血液が通って摩耶の体内に流れ込んでいく。傍目にそれを見ながら開腹。穿孔部の箇所を確認すると、切除して縫合する。

 

 普通だったら死んでしまってもおかしくない。だが生命の鼓動が続いているのは摩耶の生きたいという意志が強いせいか、それとも艦娘の生命力の恩恵ゆえか。

 

「腹部の縫合お願い」

「わかりました」

 

 あとは火傷の処置だけだ。無事な場所の皮膚を植皮して、酷い火傷の部位を覆い隠した。その後は体に刺さっている金属片を抜いては縫合して傷口を塞いでいく。

 

「あと10分ほどで麻酔が切れます!」

「問題ないわ。今、終わったわ」

 

 カタン、と縫合針を雅が置いた。摩耶の心電図は弱いながらも一定のリズムを刻んでいる。酸素マスクはつけているが、呼吸も安定していた。

 

「手術成功よ。術後で抵抗力が下がっていると思うから感染症の類には気をつけて」

「わかりました」

 

 雅のやれることは終わった。あとは摩耶が意識をいつ取り戻すかどうかだけだ。これ以上はやれることもない。だがら集中治療室から出たのだ。

 

「雅さん!」

「大宙中佐?」

 

 集中治療室から出てきた雅にすぐ駆け寄ったのは大宙だ。どうやら手術中にずっと廊下で待っていたらしい。上着がよれている。おそらくはすぐそこにある長椅子に座っていた時についたものだ。

 

「摩耶は?」

「手術は成功しました。あとは意識が戻るのを待つだけです」

「そうですか。それは、よかった」

「何がよかった、ですか!」

 

 ふう、と安堵の息を吐いた大宙に雅が詰め寄る。一喝した雅のあまりの剣幕に思わず大宙は身を仰け反らせた。

 

「読ませていただきましたよ。試験装備のままで出撃するなんて何を考えているんですか」

「いや。装備の試験後に起きた騒動でしたし、換装も間に合わなかったので」

「そもそもどうして装備を全て試験装備に換装したんですか。通常なら機銃だけ、高角砲だけ、電探だけと試験するはずなのに一括で換装するなんて何を考えていらっしゃったのか理解に苦しみます。どう考えても不合理なことを実行に移した理由をぜひとも教えていただきたいものですね」

「簡単な事です。アメリカ製電探との直結リンクを試していました。試験計画書にも報告の通りであり、予定されていた運用です。換装が間に合わなかったのはこちらの落度ですが、それに関して部外者(・・・)から誹りを受ける謂れはありませんがね」

 

 大宙としても複数の装備を試験したという痛い所を突かれているのだろうが、前線で戦えない奴が何を言うかという憤りも表情に出している。

 

「いくら重量変化による予測航行変化レベルのデータを事前に渡していたとしても、艦娘の負担はあまり変わりません。それを司令官であるあなたがわかっていなかったなんて言わせませんよ?」

「肝に銘じましょう」

「……今回は緊急事態だったということで目をつぶりますが、今後はこのような艦娘の運用は控えてください。摩耶さんを沈ませたいんですか?」

 

 その問いには苦笑だけで返す大宙中佐。沈黙は肯定だというのなら、よほどの冷血だろう。

 

 雅は大尉だ。中佐である大宙に対してできることは少ない。だがこの場合はパターンが違う。摩耶の負傷の原因が大宙にあるために医務官である雅は進言する。

 

「あなたは摩耶さんの指揮官なんでしょう? 確かに守らなくてはいけないもののために死ねと命じなくてはいけない時もあるとは思います。ですが、そうでない事態においてなら艦娘の帰還を優先させてあげてください」

「善処いたしますよ。それにしも医官殿()はずいぶんと提督(こっち)の事情にお詳しいようで」

「…………私も伊達に長く生きているわけじゃないんですよ」

 

 大宙と雅を比べたら、どちらの方が歳を取っているかなんてことはすぐにわかる。階級は大宙の方が上で、年齢なら雅だ。

 

「とにかく、です。今後はこのようなことはできる限り避けてください」

「ええ、もちろんですとも。ところで摩耶はどこに?」

「手術は完了したので集中治療室から個室に移しました。容態は安定の方向へ向かうはずです」

「個室の場所は?」

「そこをまっすぐ行った突き当たりを左です……ですが、あなたには他にやるべきことがあるんじゃないですか?」

 

 明らかに摩耶の病室へ行こうとしている大宙を咎めるように雅が鋭く指摘する。だが大宙が何かを言おうとする前に雅がため息と共に口を開くが、大宙が遮った。

 

「やるべきことですか? もちろん、部下へのフォローも上官の仕事でありますので。感謝します、雅医療大尉」

「……患者の容態が悪化するといけないのであまり時間をかけないようにお願いします。あと病室に入る前に消毒するのを忘れないでくださいね」

 

 雅の指で示した方向に大宙が歩を進めていく。角を曲がり切ってしまえば雅からは完全に見えなくなってしまった。

 

「これが若さゆえ……かしら」

 

 雅が目を細めて大宙の消えた突き当たりに視線を投げかけた。大宙だってわかっているだろう。いつまた深海棲艦が動くかわからない以上は、もうしばらくアラート待機をしていなくてはいけない。

 

 雅は大宙を止めた方がよかったのだろう。アラート待機していなければいけないにも関わらず、所定の場所ではなくて病室に向かうという状態がいいことだとはとても言えない。

 

 だが懸念事項を抱えたままで戦闘指揮を執ることは危険だ。本人は気にしていないと言っていたとしても、本当にフラットな心理状況で指揮を執ることはできない。なら多少、時間を使ってしまったとしても気にかかっていることを取り除いてから指揮に臨んだ方がいいだろう。そう考えたから雅は敢えて大宙に摩耶の病室を教えたのだった。

 

「少しでもちゃんと動ける人間が必要なの。だから大宙中佐、あなたも安心して防衛に専念してちょうだい」

 

 摩耶は助かる。一命は取り留めて、あとは意識を戻すだけだからだ。だが大宙が摩耶の容態を気遣ってるように見えなかった。

 

「失礼します! 大宙中佐はどちらへ?」

 

 部屋に水兵が飛び込んでくる。戦局に変化でもあったのだろうか。雅はあまり大声を出さないように水兵を窘めてから、大宙に教えたのと同じ部屋を伝える。

 

「ありがとうございます。では」

 

 一礼し去っていく水兵。雅は小さくため息をつく。

 

「この状態で佐世保が攻められたら怪我人は増えるだけ。だからなんとしても守ってもらわなくちゃいけないのよ」

「なら出撃準備を私もしましょうか、()()?」

「……大鯨」

「たった一言、潜水母艦の大鯨から軽空母の龍鳳に換装して出撃しろ、といわれたらいつでもこの大鯨は出撃できます」

 

 いつの間にか雅の隣に来ていた大鯨がじっと雅の目を覗き込む。その瞳には確固たる覚悟の焔が燃え上がっている。雅が一言、龍鳳と呼ぶだけで死の溢れる戦場に踊り出す覚悟を大鯨は決めていた。

 

「……やめておきましょう。今は医療関係に従事する人手が少なすぎるわ。あっちは中佐たちに任せて私たちはこのまま継続して治療にあたっていくわ。もちろん、大鯨がそれでも戦いたいっていうなら私に止める権利はないけど」

「……わかりました。あなたがそれを望むのなら」

 

 拍子抜けするくらいあっさりと大鯨は引いた。雅が考えて下した決断したのなら、その判断に異論を唱えるためだけに雅と議論を開始して、時間を無為にするような真似はしたくない。

 

「大鯨、私はあなたの指揮を執れないのよ」

 

 わかってるでしょ? と言外に雅が告げる。雅は医務室勤務であって機動部隊の司令官職ではない。軽空母である龍鳳の指揮権はない。どころか本来なら潜水母艦の大鯨すら指揮権を有していないのだ。緊急時ということで今は医療知識と技術を持つ大鯨には指示を出すことができているが、戦闘に関しては口を出す権利など全くない。

 

「ならここで医療に従事させてもらいます。私の判断で」

「そう。なら働いてもらうわよ、大鯨」

「もちろんです!」

 

 まだまだ怪我人はいる。雅と大鯨がゆっくり休むためには、時間がかかりそうだった。

 



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アポローンの救済(中篇)

 強く足音を廊下に響かせながら、大宙が佐世保鎮守府の廊下を進む。向かっている先は鎮守府の病棟の2階にある病室。雅に教えてもらった摩耶の入院している個室だ。

「おっと。建前上、見舞い品くらい持っていかなくちゃな」

 目に付いた売店にふらりと立ち寄る。お見舞い用の商品も取り揃えている店だったおかげでお見舞いの品を購入するという義理も果たすことができた。

 いざ病室へとしたいところだが、いきなり病室に直行するのはあまりよいことではない。まずはナースステーションに顔を出して面会の申請をすることがいいだろう。

「失礼。摩耶の見舞いに来たのですが」

「こちらにお名前をお願いします」

 カウンターのペン立てからボールペンを抜き出して、差し出された名簿に名前を記入する。書き終わると名簿を受付けのナースに渡した。

「大宙哲也さん、ですね。確認しました。摩耶さんの病室は2370号室です。そちらの廊下をまっすぐ行って突き当たりを右に曲がってください。7つ目の病室です」

「ありがとう」

 軽く礼を言って大宙が言われたとおりの道順を辿る。突き当たりを曲がって7つ数えた部屋のネームプレートにはしっかりと『摩耶』と書かれていた。どうやらここらしい。右手を持ち上げてノック。

「はいよー」

「よう、摩耶。体の方は大丈夫か?」

「んだよ、提督かよ」

「なんだとはなんだ、なんだとは」

 苦笑しながらも、大宙は摩耶の体を上から下までざっくりと確認。声だけを聞いていると、思っていたより元気そうな様子だ。だが声の調子が元気そうでも、摩耶の体は痛々しい。頭部には包帯が巻きつけられ、左腕部と右脚はしっかりと固定、さらに右腕は点滴がされているという酷い有様だ。病院着で隠れてはいるが、その下も包帯がぐるぐるに巻かれているのだろう。けれどこれくらいの怪我でヘタっていてもらうようでは困る。

 そう考えていると、ばっと摩耶が上体を起こして急に頭を下げた。

「悪い。アタシがミスっちまった」

「摩耶は重量超過の艤装でよくやってくれたよ」

「それでもしっかり動けなかったのはアタシの訓練不足だよ。そのせいでこのザマだ、クソッ」

 悔しそうに摩耶が顔を歪める。摩耶の横たわるベットの隣に置かれたスツールに大宙が腰を下ろして小さく笑みを浮かべた。

「生きてるだけ儲けもんだ。次があるんだからな。だから次はもうないようにしろ」

「……そうだな」

「で、そろそろ頭を上げろ。その怪我で無理な姿勢を取るな。さっき頭を下げたとき顔をしかめたのは知ってるぞ」

「気づいてたのか」

「そこまで耄碌(もうろく)じゃないさ」

 すっと大宙が肩をすくめる。あの一瞬とはいえ、注視していれば気づくのは容易いことだ。隠していたつもりだった摩耶としては、できるかぎり気づかれたくはなかっただろう。摩耶が窓の方を向いて、大宙を視界から外してしまった。

 気まずくなった空気を払拭しようと大宙が紙袋から売店で買った白いビニールに梱包されたものを取り出した。

「摩耶。これ、見舞い品だ」

「お、さんきゅーな! ……おい」

「どうした、摩耶」

「どういうつもりだ、これ」

 ぷるぷると摩耶が震える。梱包を解いた中から出てきたのは巨大なげっ歯類のモフモフとしたぬいぐるみ。おそらくは怒りで震える摩耶を見ながら大宙がニヤッと笑う。

「なかなか愛嬌ある顔だろ?」

「なんでぬいぐるみなんてチョイスしたんだよ!」

「嫌いか?」

「そういうこと言ってんじゃねえ!」

 ぬいぐるみをばふっと枕元に置くと摩耶が大宙に睨みを利かせる。ひとしきり大宙が笑うと今度は紙袋ごと摩耶の目の前に置いた。

「またぬいぐるみじゃないだろうな?」

「こいつは違う。さっきのはまあ、ちょっとしたイタズラだ。こっちが本命」

「……これは?」

 摩耶が胡乱げな目線で紙袋を見つめる。さっきのちょっとしたイタズラを根に持っているらしい。だが今度は本当にお見舞いの品だ。

「よくわからんがジェラートだと。どこの店がいいとかはわからなかったから適当に値が張るもの買ってきた」

「いや、調べろよ」

「時間が惜しい。ま、外れはしないだろ」

 改めてジェラートの包みを見てみると、『ラムレーズンと北海道ジャージーミルクのジェラート』だの『ベルギー産の生チョコを贅沢に使ったチョコジェラート』やら『あまおうをふんだんに使用したストロベリージェラート』となんだか長ったらしい名前のカップがずらりと箱詰めされていた。

「……思ってたよりまともだな」

「失礼な。上官のチョイスを疑うのか?」

「アタシの枕元にあるぬいぐるみを見てから言えよな」

「まあ、そう言うな。冷凍庫ん中に入れておくからゆっくり食ってくれ」

 大宙が立ち上がって冷凍庫の中に紙袋から出したジェラートの箱を入れた。ひんやりとしている冷凍庫の中をぼんやりと大宙が見つめていると、横開きのドアが開けられて大宙の思考を中断させた。

「失礼します」

「……ノックぐらいしたらどうだ?」

 扉から現れたのは、セーラー服を来た水兵。あからさまに顔をしかめる大宙。慌ててぬいぐるみを布団に突っ込み隠ぺいを図る摩耶。

「失礼しました。中佐、至急お伝えしたいことが」

「なんだ、さっさと済ませろ」

 そう言われてしまっては仕方がない。大宙は歩み寄ってきた水兵に耳を貸す。

「……なに、不審な船? なんだそれは」

「とにかく来て下さい。こちらでは対処のしようがありません」

 大宙はやれやれと首を振ると、それから軍帽を被る。

「摩耶、また来るぞ」

「仕事しとけよ。アタシが復帰したときに書類が山積みとかだったらぶっとばすからな」

 摩耶と軽く言葉を交わし、大宙はそそくさと病室を去っていく。

◇◆◇◆◇◆◇◆

「それで――――不審な船とはなんだ、不審な船とは」

 長崎県佐世保市。山と佐世保湾に挟まれるようにして立地しているため決して農業が営みやすいわけではないが、ここは所謂軍事都市というやつで、海軍の基地である『鎮守府』という奴が設置されてからおおいに発展した都市だ。

 そもそも佐世保に『鎮守府』が置かれたのは新鮮な真水を供給してくれる湧水が存在していたからである。四六時中海を進んでいる海軍は塩水は好きなだけ手に入るのであるが、一方真水というのは貴重品である。

 まあ湧水がある場所は他にも複数あったのではあるが、佐世保の立地自体がそもそも優秀であった。長崎県は入り組んだリアス式海岸を抱えているから要塞陣地の構築に向いているし、佐世保湾はそう簡単に侵入できる場所ではない。陸に関しても背後に控える隠居岳を始めとする北松浦半島の山々が守ってくれる故、海の(つわもの)が羽根を伸ばすには丁度良い場所であるというわけだ。

 単に守りが堅固というだけではない。知っての通り長崎県は対馬海峡を抱えているし、南西諸島も目と鼻の先である。他国との国境地帯であるこの二地域にほど近いということからも、この佐世保がいかに安全保障上有意義な立地をしているかが分かることだろう。

 ――――つまり。何が言いたいかと言うと、佐世保鎮守府の立地は敵が(・・)攻め入るには困難な場所ということだ。

 その一角である海軍病院に、大宙海軍中佐の声が響いた。摩耶の見舞いも兼ねて足を運んだのだが、席を外した上官に対して慌てて報告を上げに来たらしい。息を切らせながらも、状況説明をと口を開いたのに対する回答がこれだ。だから不審船とはなんだというのだ。

「不審な船は不審な船です。先ほど埠頭に横付けしたとの報告が……ほら、アレです」

「……だからなんだあの船は」

 窓から部下が示した方向を睨む。大宙の目に入ったのは、物資の搬出入を行うために空けてあるのをいいことに悠々と横付けした貨物船。しかもそこから人がバラバラと降りてきている光景。

 佐世保鎮守府は軍事施設である。当然敷地は明確に外界と区切られているし、設備(ハード)人員(ソフト)の両面からありとあらゆる防護が施されている。配備された艦艇はどれも深海棲艦との戦争が始まる前の主力ばかり。深海棲艦以外には負けない。

 そんな鎮守府に、不審船の侵入を許したのである。なんということだ。言っているそばからこの様である。トロイの木馬とでも言えば良いのか。大宙はすぐさま手ごろな曹士を呼びつけた。

「おい!」

「はっ、何でありましょうか?」

「あの貨物船はなんだ、聞いてないぞあんな船が来るなんて。そしてなぜ黙って見てるんだ」

「補給ではないのですか?」

 首を傾げる水兵に大宙は半ば怒鳴りつけるように言う。

「そんなことあるか、作業員を見ろ。貴官にはあれが海軍の職員に見えるのか?」

 そう言われて見れば、なるほど海軍の制服ではない。遠目でも分かる――――陸軍だ。

「……まさか!」

「そのまさかだ。おい、誰かこのことを総監に報告しろ!」

 その言葉だけ残して大宙は足早に歩き出す。

「中佐どちらへ?」

「現場に決まってるだろ、勝手にやるにもほどがあるってんだ」

「いやでも、総監に確認してからでも遅くは……」

「やられた時点で舐められてるんだよ。徹底抗議だ、武装してるやつはついてこい!」 

 その言葉に曹士は顔色を悪くする。慌てた様子で内線をかけると、近場にいた警備をかき集めたようだ。数名が付いてくる。

「まったく、陸軍の連中め……」

「中佐、流石に乱暴ではないでしょうか。せめて武器は持ち込まない方が……」

 まあ武装と言っても拳銃や警棒程度なのだが、それでも穏やかな対応とは言えないだろう。

「乱暴? さきに乱暴をしたのは向こうだぞ。それに万に一を考えろ。向こうは通告なしにやって来たんだ。敵は深海棲艦だけじゃない」

 そう言われてしまえば曹士も言い返せない。数人の水兵たちは黙ったまま大宙に続いて埠頭へと向かう。小銃を持った防備隊の人間も駆けつけ、いよいよ物騒になってきた。

「中佐殿、何があったのですか?」

「分からん、それを確かめに行くんだ」

「自分らも同行します」

「よしついてこい」

 向かう先の埠頭ではカーキ色の陸軍兵士たちが貨物船からいくつもの木箱が降ろしている。木箱は二人がかりでどうにか持てるほどの大きさで、陣頭指揮を取っているのであろう人物の衣装は陸軍佐官のそれだ。

「積み荷を降ろせ、時間はないぞ」

 ……こっちに気づいているだろうに。無視を決め込むつもりか。ならば結構、こちらは声を張り上げてやろう。

「ちょっと、なんなんですかあんたら!」

 つかつかと陸軍佐官に詰め寄れる。服装と肩章が示すのは……中佐だ。奇しくも大宙と同じ階級。そして――――女だ。

 あからさまに嫌そうな顔をしてやれば、その女中佐は敬礼。陸軍式のだ。

「菊澤です。我々だけでは危ないところでした……救援に感謝申し上げます」

 救援? なんのことだ? そう考えればすぐ思い当たるのは先ほどの戦闘。ああ、その時の輸送船か。ともかく大宙は答礼。もちろん海軍式。

「大宙哲也、海軍中佐だ……ここは海軍の敷地だが、いったいどこの許可を得て乗りつけてるんだ? 民間船は港にいってくれ」

 そういう大宙。菊澤はなんの感傷もなく微笑んだ。

「そう言われましても、佐世保鎮守府に直接運び込むよう言われていますので」

「……菊澤中佐。所属は?」

 大宙がそう問う。彼の後ろに控えた水兵たちが無表情のまま待機。

「熊本憲兵隊司令部付です。今回の任務は実験艦隊の正式な要請を受けてのもの。ご確認ください」

「憲兵だぁ? それに要請なんて聞いてないぞ」

「ご確認ください」

 その言葉を受けた大宙は顔を歪める。実験艦隊は横須賀に司令部を置く海軍の部隊。要は頭越しの命令ということ。しかし、命令は命令。

「……問い合わせろ」

「はっ!」

 水兵の一人が駆けていく。慌ててやってきたので、誰も無線の類を持っていなかったのだ。そういえばそろそろ司令にこの話も届くだろうか? ともかく、それまでの対処は大宙に一任されたと判断しても問題ないだろう。向き直って話を続ける。

「仮に海軍の要請だったとしても、事前に一報は入れてください中佐。水先案内を無視していきなり乗りつけられては……こちらとしても()()()が出来ませんので」

「失礼した。しかし現在は非常時です。どうかお気遣いなさらず」

 気遣いじゃないんだがなぁという表情を大宙は隠さない。一方の菊澤は余裕綽々。

「中佐!」

 と、走らせた水兵……いや、先ほど司令への報告に走らせた水兵がやってきた。紙切れを大宙に渡す。そこには、この輸送船が横須賀の実験艦隊からの正式な命令で動いていること。陸軍の菊澤中佐と一個憲兵分隊、そして実験艦隊の艦娘一隻がその護衛についているということ、積み荷は五番倉庫に運び込むようにと書かれている。

 走り書きでないあたり、事前に用意されていたらしい。

「……なるほど。菊澤中佐、護衛任務ご苦労様です。では荷物はこちらで五番倉庫に運ばせていただきます」

「ご厚意は嬉しいのですが、一連の実験が終了するまで機材の安全を確保するのが仕事ですので」

 それだけで菊澤は背後へと目配せ。カーキ色の陸軍服たちは再び荷物の運搬を再開しようとし――――大宙が止めに入った。紙切れに『手出し不要』とは書いていない。

「これは、鎮守府司令判断です。中佐も長旅でお疲れでしょう。部屋を用意しましたので、……どうぞお休みください(・・・・・・・・・・)

「…………なるほど。ではそのように」

「案内してやれ」

「はっ」

 水兵の案内に菊澤は司令部庁舎へと向けて歩き出す。陸軍軍服たちも続く……が、誰の腕にも「憲兵」の文字がない。憲兵なら赤文字で目立つように書かれているというのに。

「……中佐、憲兵隊の腕章が見受けられませんが、それはなぜでしょうか」

 菊澤が振り返る。それから彼女は、わざとらしく微笑んで見せた。

「ああ失礼、忘れていましたよ。このご時世陸軍は英雄と言われがちですが、とかく憲兵は嫌われ者なもので」

 そう笑うと菊澤は憲兵(・・)と書かれた腕章を取り出し、腕に通す。それに倣うように彼女の部下たちも腕章を取り出す。

 どう考えてもおかしいだろう。これは。言葉を探しつつ大宙は進路を塞ぐように菊澤の前に回り込んだ。

「憲兵が運び屋ですか……どこも人材不足は変わらないのですね。ところでそこの方は艦娘のようですが、どこの所属ですかね?」

 実験艦隊なのは知っているが、だから何だというのだ。相手は紙切れの内容を知らないのだ。知っているだろうとは言わせない。さて、なんと答える憲兵サン?

「ああ、彼女ですか? 彼女は――――我々の、()()()()であります」

 菊澤は口角を上げ、さも誇らしげに声を張り上げてみせた。艦娘の方は不満げに頬を膨らませる。

「……私は、司令官に御守りをされてるつもりはなかったのだけどね」

「御守りだなんて自虐にしては酷わよ? 私は実験艦隊から正式な要請を受けて配置された護衛要員。そう()()()()()()()よね中佐」

 菊澤は大宙を見据えつつそう言う。

「……確かに、そう書いてありますね」

 海軍部隊の警備を陸軍が取り持つなど異常であるが、それでも書いてあるのなら仕方がない。彼の手に握られた紙切れはただの紙切れだが、その背後には命令書が存在する。軍隊とは官僚組織であり、命令が全てなのだ。菊澤は憲兵と書かれた腕章をさすりながらケラケラと笑う。

「ほんと、正式な書類が来てるだろうに扱いが荒いわね。佐世保(ここ)は」

「前例がありませんので」

「なるほど、確かに前例がない……しかし、中佐も積み荷を見ればさぞ驚かれると思いますよ?」

 菊澤はそれから笑みを深めた。

「さて、立ち話もなんです。佐世保鎮守府司令部には、この件に関しての()()の機会をお願いしています。積荷の件に関わる士官のリストアップも済んでいます。勿論、大宙中佐。佐世保第301戦隊の指揮官として、貴方にも同行をお願いするでしょう」

 菊澤の言葉を待っていたかのように、控えの部下がハードコピーを手渡す。列挙された名前に眉を顰めながらも、苦々しく大宙は返す。

「この会議によって、我々は有意義な時間を過ごせますかね」

「少なくとも、表向きには世のため人のためにはなるでしょうね。権威争いで誰が得するかはでは、私にはあずかり知らぬ話です。では該当する海軍士官の皆さまへのお呼びたて、よろしくお願いいたします」

 それだけ言って、菊澤は埠頭を去っていく。見送る大宙。これで邪魔者はいなくなった……が、仕事はしっかり残されたまま。

「手の空いてるヤツをかき集めろ。やるといった手前、すぐに終わらせるぞ」

「了解しました。それで中佐は?」

「俺も陸軍中佐殿に押し付けられた仕事を果たすさ。お互いさっさと済ませよう」

 引き受けた以上、招集はかけなければならない。ましてや上位組織からとなればなおさらだ。まあ各部署に電話の一本を言れれば良いだけの話だが、何かと面倒な士官が多いということも勘定に入れなくてはならない。

 本当に訪問者たちは、厄介な案件を持ち込んでくれたものだ。

 




こんにちは。提海蓮です。

 今年もまたこの様な企画に参加させて頂く運びとなりました。前回とはメンバーも内容も刷新した本作品。楽しんで頂けているならば、参加者の端くれとしても幸いです。
 そういえば。前回企画の後書きではやらようなことを宣っていましたが、まさか今年もやる事とは……これも前回読者や他参加者さんのご支援があってのことです。

 さて、混沌を極める佐世保鎮守府。果たしてどの様にして転がっていくのでしょうか?
 そして最大の謎、今回はどの軍人と艦娘がセットで、誰が書いているか? 今回は入り混じっているので若干難しいかもしれませんが個性が出ているところは出ているので推理してみるのも一興でしょう。

 これからもコンコルディアの落日をお楽しみ下さい!


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アポローンの救済(後篇)

 回れるところは自分の足で回った大宙だが、やがて喧騒な波止場から離れた位置まで辿り着く。

「あとは工廠か……」

 鎚と、熱と、そして妖精によって支配されている工廠。艦娘の指揮官すらこの区画には立ち入らない者も多いが、先程の戦闘で摩耶の艤装の修理を任せていた事をふと思い出す。

「厄介なのが、工廠の技官組。実験艦隊は旗本が横須賀な以上、俺達でも迂闊に手は出せんからな」

 各鎮守府の軍備については、それぞれに一任されることは多い。しかし開発や建造に関する情報は全てが横須賀行に統合され、各部隊に共有されることになっている。技術格差の是正のためと聞くと聞こえはいいが、大宙にとっては佐世保の指示に従う必要のない目の上のたんこぶではある。

 何より、実際に装備を整備するために必要な妖精の問題がある。会話できるもの。姿が見える物。まちまちであるが、そのコンタクトだけにすら人間ごとの個体差が生じる。端から見れば虚無の空間と会話するように見えるために、事情を知らない一般人から見れば目を見張るだろう。

 しかしそのファンタジーな世界に精神的に狂わずにいられるのが、技術士官として必須事項と言うのだから笑えない。大宙からしてみれば、妖精は必要であるが人間の技術力でカバー出来ればこしたことではないと考えている。

 戦場に関わるものについて、不確定な要素は排除して動くべきだ。だからこそ、思い通りにいかない工廠と言う勢力は忌避すべき存在であるさえ思う。といっても、顔を合わせねば、戦えないのも事実。内線電話で伝えるだけでも十分なのだが……丁度工廠に注文したいこともある。大宙はその巨大なトタン屋根の建造物の影へと足を踏み入れた。

 一番工廠の控え室。インターホンを鳴らすと、長袖にエプロン姿のような出で立ち。独特の桃色髪を靡かせるのは、特種兵装実験隊に所属する明石だった。

「あれ、どうされたんです大宙中佐。摩耶さんの艤装の修理って期限はまだですよね」

「伏宮少佐はいるか。用事ついでに実験艦隊に納品される物資について、運び屋から招集がかかっている。出頭するよう伝令しにきた」

「ちょっと待ってください。伏宮少佐ぁ、大宙中佐がお待ちですよ」

 駆け足で工廠の方へ姿を消す明石。横須賀の実験艦隊司令の職務を代行する、伏宮扇少佐が姿を表したのは数分後だった。

「伏宮特務技官、ご苦労様です」

「佐世保の士官様がいらっしゃるなんて、珍しいですよね。伏宮少佐」

 伸びをした明石が、からかう様に伏宮を見る。自分も含めた佐世保所属士官の対応をおおかた皮肉っているのだろう。それを知ってか知らずか、彼は明石の態度を諌める事無く言葉を続ける。

「お世話様です、大宙中佐。こんな恰好で失礼する。しかし、こんな時間にご用件とは珍しい」

 作業着の上から第二種軍装の上衣を羽織った姿。ちぐはぐの衣装だが、不作法だとこちらが非難するいわれもない。案内されたソファに腰掛け、伏宮もそれにならう。早朝の試験航海の報告も含めて、大宙が口火を切る。

「うちの摩耶の艤装ですけど、修理は済んでますかね?」

「直すだけなら一昼夜で出来なくもないですよ。しかし『直す』という行為には『現物と100%同じにはならない』ことをご理解いただきたい。電気信号系の調整と摩耶の再フィッティングを済ませない限り、再出撃は許可できません」

「時間がかかるのはこっちも分かってます。せっかくだからこの期間を利用して、摩耶の対空火器を刷新したいと思ってるんですよ」

 その依頼は、指揮官からの正式な(・・・)依頼ですかと問いたげな表情をする伏宮。諦めの混じった溜息と共に、言葉を返してくる。

「防空巡洋艦としての強化改装……なんでまた。摩耶の二次改装のスペックじゃ事欠かないでしょう」

「それで十分に賄えない可能性が出てきたんですよ。艦隊防空の要である秋月型駆逐艦の配備が遅れているのは、伏宮少佐も知ってますよね?」

「それを俺に言われても困ります。発注先の長崎に訊いてください」

深海棲艦が跳梁跋扈する時代においては、日本本土への侵攻は瀬戸際だと言っても良い。先の空襲で長崎造船所に被害を受けた今、最新鋭艦の配備は時期が遅れているのが現状だ。もちろん、ここ佐世保鎮守府においても深海棲艦の侵攻は例外ではない。

大宙もまた、防空巡洋艦として大規模改装された摩耶を運用する対空戦の指揮官だ。機銃と言った対空兵装を積み替えろというのだから、工廠にもまた協力的な姿勢を示して欲しいものなのだが。

「先日、横須賀から取り寄せた兵装の航海データです。カタログスペックで見れば摩耶への搭載には十分でしたけど、今朝の戦闘でやってみて満足な艦隊運動が出来なかったのが不可解なんですがね」

「……それはそうでしょう。机上の空論で勝てるなら、この戦争はとっくに終わっています」

25mm三連装機銃を、アメリカ製のBofors 40mm四連装機関砲に。12.7cm連装高角砲を、アイオワ級に採用された5inch連装砲Mk.28 mod.0に。結果的に鈍重になったウェイトを軽減するために、14号対空電探を21号対空電探改へ換装するなどの配慮はしている。

――――もちろん、端末に投影された数字の話だけであるが。

実戦で得られたデータは確かに貴重である。それでも予定調和の失敗をする、この出撃に関しては必要であったと大宙は考える。とはいえ、その状態で前線に送り込む羽目になるとは微塵にも思っていなかったが。

「大宙中佐。まさか……前回の出撃については、初期運用(・・・・)の段階で全部積んだんですか?」

「まぁ、摩耶の希望もありましたので」

大宙の回答に対して、伏宮からは長い溜息が返ってくる。

「……確かにアメリカ製の装備は優秀です。スペックだけ見れば傑作とも言って良い。しかしそれが、日本製の艦娘に適合できるかは別問題です。特に高角砲に関しては、砲架式から砲塔式に載せ替えただけで十分すぎる重石になります。Bofors 40mm機関砲だって、アメリカの駆逐艦はその分魚雷発射管を撤去した上で運用してます。それを承知で全ての搭載を許可したのは、どう考えても貴方の判断ミスだ」

「口を弁えたまえ、特務技官。たかだか実験艦隊の少佐が戦隊の中佐に意見するとは、良い度胸だな」

 重量超過を分かっていて、GOサインを出すのかと伏宮の視線が問うてくる。当然だ、基本的に武装は使い捨てを考慮する。積むだけ積んで出撃し、必要なものを戦場で取捨選択する。結果を残せる指揮官はその無駄使いは見逃して貰えるし、何より次の結果を出せればさしたる問題ではない。

 相対する伏宮は、少々艤装に対する思い入れが強すぎるように思う。これが妖精が見えるかどうかの違いであるかは、大宙には関係のない話であるが。

「工廠の一技官として言わせて貰えば、せめて高角砲だけは日本製に戻すべきです。ただでさえ摩耶の二次改装は、改装前と比べて主砲を下ろした上での運用が前提。火力を採るか対空を採るかは司令官の塩梅に他ならないが、二兎を追うべきではありません」

「そこをなんとかするのが。前線が求める兵器を造るのが工廠の役目でしょう」

「違います。前線の要望を可能な限り(・・・・・)で再現するのが工廠の役目です」

 役目の話はここではそもそもが関係ない。お互いに命令に従って、深海棲艦を叩く。それだけのはずだ。敵に勝つにはより強い武器を、物量を。

「確かに、艦娘の艤装は只の道具です。しかし、それを扱う艦娘自身は機械ではない。貴方の要望は、艦娘を殺しかねない思想だ。役に立たない兵器を持たし、兵士を送り出して戦死させる。それは指揮官がやってはならない行為だ」

「それでも、抑え込まれている戦況を打破するためには必要な力。そこに妥協をしては、この戦争に負けるのも伏宮少佐なら分かっているでしょう」

 先程の台詞を胸中で反復する。その通りだろう、伏宮少佐。言いたいことは言った。試すような視線を向けると、彼は興味がなくなったかのように先刻の戦闘データに目を通すのだった。

 こちらの命令に対しては、釘を刺すような発言がくるのだろうか。内心楽しみにしつつ、大宙は伏宮が語り出すを待つ。

「分かっていて、今回の出撃を組まれてるんでしょう。大宙中佐」

「ん、どうしたんですか? 伏宮少佐」

 お茶汲みを終わらせた明石が、会話に参加する。先程までの喧々した雰囲気をやんわりと絶ち切るだけに、助け船をだした形だろう。そして伏宮が台詞を紡ぐ。

「明らかに総重量の計算が合わない。本当に摩耶は、この艤装を装備して出撃したのかすら怪しいと」

「出撃したも何も、さっきオーバーウェイトが原因で転覆したって言ったのは少佐じゃないですか」

「実際には転覆したんじゃない。転覆しかけた(・・・・)方が重要だ。5inch連装砲の重量に隠れがちで見落としたが、逆算すれば分かる。報告の通りには摩耶に四連装機関砲が搭載されていない(・・・・・・・・)。明らかな超過だが、それでも軽微な方だ」

 さすがに気付いたか。何を装備させるかは、もちろん指揮官の自由だ。四連装が生産される前には、当然単装砲版の開発も見込まれる。そして採用するかの取捨選択は、横須賀の試験艦隊は関与せず各艦隊に委ねられる。

「そもそも今回の機関砲を開発したのはスウェーデンだ。そしてデータで確認したが搬入されてきたのは、マレー半島で引き上げた兵装のコピーレント。そもそも日米交流でのアイオワ級に関する技術提携は、横須賀(ほんぶ)でも試験段階のはずだ。もちろん実用化の目途なんて立っちゃいない」

「でもアイオワ級の装備って、今ではちゃんと日本でも生産されてますよね?」

「表向きには……な」

 5inch連装砲は護衛艦時代のノウハウが残っているからこそ、設計図だけで開発できた。だが機関砲の技術は、日本で進化した訳ではない。立てなきゃいけないメンツ、そしてテーブルの下でどんな折衝が重ねられてきたのは彼が知る必要はない。そして、その交渉が穏便に済んだかなんて話は噂にもならないくらいが丁度良い。

「そして一士官である大宙中佐。貴方個人の要望で、そんな曰く付きな装備が颯爽と配備される訳がない。そもそも横須賀の工廠で、復元させた装備は何だった? 40mm高射単装(・・)機関砲だ」

「北欧製の純正品じゃない……ということは陸軍技術本部ですかっ? どうしてこんな装備を佐世保に寄越したんです!?」

「まぁ、知らない方が吉なのかも知れないが? 二人とも」

 明石の指摘には、はぐらかす様に肯定の意を表す。誘導された改装案と、不可解な開発・搬入経路。何かのコネがあったからこそだと、佐世保一士官であっても工廠を通さない仕入れルートはいくらでもあるというものだ。

「大宙中佐……貴方は一体何を考えているのです?」

横須賀(そと)の人間は、佐世保(うち)の話に首を突っ込まなくて良いだけさ」

 話は終わりだ。寄港した憲兵サマとの会合まであと僅か。伝言を最後に残し、大宙は会議の準備に向け席を立った。

◇◆◇◆◇◆◇◆

「……と言うわけで、水雷戦力の対空強化に関する武装のアップデートを早急に実施するようにとの要請だ。海さんも陸軍風情の私にこんな案件をもたせるとは物好きだ」

 海軍軍人と違う身なりの女性が、白一色に染まった面子を見て仰々しく口を開く。それを合図に、テーブルに座った各長に対して部下が机上にレジュメを配り始める。

「対空特化といいますと、例の秋月型で本試験に入った自律型兵装ですか」

 そう口を開いたのは、特種兵装専任医系技官を務める天羽月彦軍医中尉だ。どこか野暮ったい丸眼鏡の奥の目が細められる。それを見て面白そうに笑ったのは菊澤だ。

「医系技官としては面白くない提案かな?」

「とんでもないです、中佐。たとえ、面白くないと思っていたとしても、それによって優劣をつけていい問題ではないことは把握しているつもりです」

「結構。とりあえず話を続けようか、お手元の資料をご覧ください」

 菊澤はそう言って余った資料を一部、手に取って振って見せた。

「今回の『第二五八号改装計画実施命令』は比較的大きなアップデートになる。既存の水雷戦隊に配属されている駆逐艦型の特種兵装、通称『駆逐艦娘』に自律駆動式砲台への対応を求めるという内容になります」

「……なるほど」

 どこか皮肉めいた声でそう言って手を上げたのは、特種兵装開発実験団佐世保方面分遣隊司令補佐を務める伏宮扇少佐だ。

「その命令を遂行するにあたり確認をしたいのですが、よろしいですか?」

「どうぞ」

「いわゆる自律駆動型の艤装は、あぁ見えて命令装置に演算リソースのかなりを占めることになります。伴って現在先行して試験運用されている島風型。及び陽炎型の一部艦娘に関しては、火器管制容量の削減のためウェポンベイ自体の撤去を要しています。それに対して個艦の戦闘能力の低下を招く事態について、上層部はどうお考えでしょうか」

「資料に含みきれない内容かと思うが、それに関しては兵装自体の圧縮。及び戦闘能力を低下させてでも、防空能力の向上に寄与して欲しいとの要望だ」

 涼しい顔でまるで用意した原稿を読むかのように答える菊澤。この反応を伏宮も予期していたのか、間髪入れずに続ける。

「では、技官としての意見を一つ申し上げたい。資料にある戦力強化についてのプランニングですが、艦娘の浮力力場に支障をきたさない程度の砲火力。及び魚雷の搭載数の増加を要望されているように思います。菊澤中佐、この解釈で問題ないでしょうか」

「私一個人の意見では申し上げられないため、回答を控えさせていただく。資料通りの内容であります」

「では、先の発言通りであるとの仮定で申し上げます。主に駆逐艦娘に搭載されている連装砲について、高射装置付きの高角砲への更新は有意義なものと判断します。しかし、知っての通り、主流の10cm高角砲は砲身の寿命が短いことが短所です。明石、頼む」

 彼の指示で、控えていた桃色髪の女性は端末を操作する。会議室前面のスクリーンには、直近まで行われていた駆逐艦娘の開発記録が投影される。

 小口径主砲のスタンダードであった、12.7cm連装砲。しかし敵勢力の変遷により、対航空戦力に対しての高角砲の開発が急務であった。そこで手持ちの兵装としての交換は進みつつあるが、役割が違う分どうしても使用者からの違和について報告が多数あった。そこで手持ちに拘らない、島風型のような自律型艤装を用いてはどうかと開発されたのが秋月型である。

 そもそも秋月型は、主兵装が自律駆動砲台であり艦娘自体は支援係なのである。加熱した砲身を戦地で交換する役割とはいえ、駆逐艦娘としての最低限の雷装は残しているようではあるが。

 それを踏まえて、開発についての疑問点を議題へ乗せる。

「現場の意見を尊重し、秋月型には予備砲身の搭載が常態されている為に雷装の削減が実施されているのは、モニターに掲示した通りです。秋月型現行の改装プランである六連装酸素魚雷の開発。これは今回の特型改装計画にも適用されうるものでしょうか」

「艦娘という自律駆動型砲台のプラットフォームがどの艦娘であるかは、問題ではない。同様に適応されうるとの回答でよろしいか。伏宮少佐」

「承知致しました。では『第二五八号改装計画実施命令』について、特種兵装実験隊佐世保方面分遣隊司令補佐官として発言させて頂きます。現行第六七期軍事補正予算案に、秋月型艤装と同等の六連装酸素魚雷搭載に関する開発予算計上を要望いたします」

「その件については、統合幕僚部に持ち帰り次第の回答をさせて頂く。しかし高角砲による負担を減らすための研究資料として、横須賀の特種兵装実験本隊へ陸軍技術本部による技術提供は検討しよう」

「……以上、発言を終わります」

 予算のやり取りを妥協点に落とし込んだのか、伏宮は着席する。次に口を開いたのは、医官として招集された天羽月彦中尉だった。

「発言をよろしいでしょうか。菊澤憲兵中佐」

 その発言で座っていた天羽に注目が集まる。几帳面に眼鏡の位置を直しながら口を開く天羽。

「医系技官としては艦娘の身体への物理的な負荷が減るのは歓迎しますし、反対する理由はないかと。……最も、現行の艦娘がそのシステムに合致できれば、という条件が付きますが」

「その運用面に関しては、運用してみないとわからないところもありますからねぇ」

 どこか呑気に答えたのは佐世保で艦娘を最前線で運用している佐世保鎮守府 第301戦隊司令官の大宙哲也中佐だ。そのまま大宙は真横に目を移す。

「深雪」

「ひゃっ!」

 いきなり声をかけられると思ってなかったのか。肩を跳ね上げる深雪。

「現在の現場における対空戦闘をどう考える? 個人の私見でいいから、発言を頼む」

「うぇっ!? えっと……今だと、主砲から対空砲に持ち変えたり、徹甲弾から三式弾に詰め替えたりがあるから……あるので、えっとー、対空専用でいつでも撃てる武器があるなら助かるかな……と思います」

 たどたどしく、かちんこちんに緊張した返答を返す深雪。それを受けて肩を竦めた大宙が口を開いた。

「聞いてのとおり、対空対艦同時戦闘は現状困難を極めています。現場を統括するものとして言わせてもらえれば、対空専任の艦娘を配備する余裕もない現状においては諸手を上げて歓迎したいと思いますよ」

 大宙のその言葉に、菊澤は満足気に頷いた。それから部屋全体を見渡す。

「なるほど。他に何かありますでしょうか?」

 沈黙。

「では以上のこと、報告させて頂きます」

 それだけいうと資料をさっさと纏め始める菊澤。ひとしきり片付けると、そのまま部屋を出て行ってしまう。会議室に置かれる大半の席を埋める海軍軍人たちは無言で見送った。会議室の木製の扉が閉じられる。

「……大宙中佐。ひとつお聞きしても?」

「なにかな?」

「なぜ陸軍の方がこちらに?」

 艦娘の艤装を運用するのは海軍だ。開発するのも海軍だ。建造は民間にやらせることもあるが、それでも陸軍がやってくるのはお門違いにもほどがあるというもの。

「あっ、それ私も思った!」

 深雪もそう声を上げる。上げてしまってから、周りを見回して「ご、ごめんなさい……」と小さく言って縮こまってしまう。大宙はいやいやと手を振った。

「別に深雪の謝ることじゃない。実際、私も詳しいことは聞かされてないんだ。分かっているのは、実験艦隊の正式な書類付きで送り込まれてきた木箱が、第五倉庫に積まれていることだけ」

 その言葉に、天羽中尉は首を傾げる。

「では、その木箱は開封もされてないんですか?」

「そうだ、憲兵を名乗る陸軍軍人たちが直接見張りを立てたがっているが、そこは佐世保(ウチ)の防備隊にやらせている」

 これは面子の問題だ。大宙のその言葉に同調するように何人かの士官が頷く。陸軍憎しとまではいかずとも、まあ自分らの縄張りを犯されて気分がいいわけないのである。

「何か問題でもあるのか、天羽中尉?」

「いえ、問題というほどでもないのですが……少し気になりまして」

「しかし、中尉は実験開発団(よこすか)じゃないか。別に佐世保の事情に口を出さなくても、構わないじゃないか。責任がそちらに飛ぶものでもないだろう」

 天羽中尉も工廠組の伏宮と同様、指揮系統を辿れば中央(よこすか)に行きつく。大宙が皮肉気にそう言えば、天羽はわずかに視線を逸らした。

「……佐世保分室なんて横須賀とは縁も所縁もありませんよ」

「それでも貴官が知らないとは思わなかったよ、実験団が装備を開発して実験艦隊に回すんだろう?」

「私はあくまで医科歯科幹部ですので」

「……そうかい」

 まあ、いくら中央から来ているとはいえ医務室の新人。歳を食っている割には階級も低いし、そんなものなのかもしれない。大宙は歩き始める。すると天羽は彼についてきた。

「ところで中佐。総監から、この件について何か聞いていないのですか?」

「何も聞いてやいないよ。何か知ってるのは間違いないんだろうが……まったく、本当に何を考えているんだ。実験が名目のクセに演習海域の使用許可申請だって提出する気配がない」

「……ちょっと待ってください。申請も来てないんですか?」

 天羽が怪訝な顔をする。

「そうだよ、申請のしの字もない。倉庫だって無限に容量があるわけじゃないんだ、まったく……」

「……なるほど」

 それだけ言って腕を組む。話は終わりだと、大宙は立ち上がると全体に向かって言った。

「ともかく今日はお開きだ。皆忙しい中すまなかったな。仕事に戻ってくれ!」

 大宙はようやく肩の荷が下りたと、ブツクサ言いながら歩いていく。その場に残された天羽はしばし思考を巡らせるように佇んでいた。

 



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ユーノーの恋慕

「……はぁ」

「御疲れ様、バタバタする中大変だったね。やっと君の番だ。待たせたね」

 本日最後の『患者』に向き合いながら、天羽月彦軍医中尉は軽く笑った。

「なんでこんな時に限って摩耶さんがいないかなぁ……秘書官代理なんてあんまり経験ないのにさー。大宙中佐も無茶言うよぅ」

 そうぼやきながら長椅子兼用のベッドに腰掛ける深雪。取り出した白衣に袖を通しながら天羽はそれを笑う。

「他の面々が軒並み損傷を追ってしまったからね。動ける中でこういう時に戦力になるのが君ぐらいだったんだろう」

「でも大変なんだよー、報告書に報告書に報告書! もーやだ。字を見たくないって思ったのに会議に連れていかれてまた字がいっぱいで!」

「軍隊は戦闘組織より前に官僚組織だ。書類があって初めて戦える。活字は武器だし、使い方は覚えておくに越したことはない」

「また難しいことを言う」

 深雪はそう言って頬を膨らませた。

「あたしは肉体派なんだい。頭を使うのは他の人に任せていればいいじゃん。司令塔が複数あっても意味がないしさ」

「船頭多くして船山に上るとは言うが、船頭がいない船は路頭に迷うことになるぞ」

「それは……そうかもしれないけど」

「それに、命令を聞くにも頭がいる。どんなに名指揮官でも、部下が理解しなければ使えない」

「むぅ……」

 深雪はそう言ったきり、難しい顔をして黙った。

「だからちゃんと書類も戦略も覚えることだ。Верныйが嘆いてたぞ」

「なんであのちんちくりんが出てくるのさ。知り合い?」

「昔ね」

 天羽はそう言って肩をすくめた。左手を深雪の頭にのせ、軽く撫でる。

「気概も度胸もあるが、冷静さが足りない、だってさ。心当たりは?」

「……あの子だけには言われたくない」

 そう言って深雪は天羽に噛みつかんとする勢いで顔を上げ、自分でセーラー服の裾を引っ張って肩を制服から抜いた。歳と外見の割に筋肉質な肩には大きく色が異なる部分ができていた。

「あのВерныйもВерныйだよ! 見てよほら! しっかりアザになってるし! 熱持ってるし!」

「落ち着きなさい。君の妹分の方がよほどレディーをしているぞ」

 名前は出ないものの具体的な人物がはっきり思い出されて、深雪は思わず黙り込む。

「それに怪我をしてるなら早く言ってほしかったかな。そして初期処置でちゃんと冷やせばもっとアザは楽になるんだ……傷の確認と追加の処置をする。気を付けるけど痛かったら言ってくれ」

 天羽はそう言うとテキパキと深雪の怪我を診ていく。処置自体は簡単なものだったこともあり、あっという間に終わってしまう。

「これで大丈夫?」

「……大丈夫」

「いじけてないで気分をしっかり切り替えなさい。痛み止め(アスピリン)は渡しておくよ」

 そう言って天羽は錠剤の入った袋を渡した後、使い終わった脱脂綿やピンセットを片付けていく。脱脂綿は指定された方法通りに処理することになるし、ピンセット等は徹底的に滅菌しなければならない。艦娘も感染症のリスクは普通の人間と同じなのだ。

「それにしても、今回は大変だったよ。あの子には蹴り飛ばされるし」

「それでも、深雪が一番怪我は軽かった。大変だったかもしれないが、それだけ優秀だったってことではないのかい?」

 天羽はそういうと肩を竦めた。白衣を脱ぎつつそう言った彼から、彼女は――――深雪は目を逸らす。治療のために腰掛けたベッドに体重を預け、軽く足を振った。

「そうでもないんだよねー、なんというか、逃げてばっかりというか? 被弾は少ないけどね、戦果も少ないから」

「生きて帰ってくるだけで十分優秀だろう」

 そう言って壁のハンガーに白衣をかけた。海軍の濃紺の作業服に揺れるのは中尉の階級章、同時に袖に縫い付けられた特種兵装開発実験団医学実験隊所属を示すワッペンが光った。白い蛍光灯の下でどこか深雪は浮かない顔だ。

「あたしさ、前の時は戦ったことがないみたいだからさ、なんというか、艦娘になってもこんな感じなのかなってさ……まぁ、納得はしてるわけ、さ」

 そう言いながらも、軽くシーツを握りこむ。それを天羽は見逃さなかった。彼女の隣に腰掛ける。

「……私も艦娘になればさ、軍人さんみたいに強くてかっこよくて、みんなを守れると思ってた。でも……なってみたら、自分の身を守るので精いっぱいでさ……あ、ごめんごめん、天羽先生に話すことじゃなかったよね」

 そう言った笑みはどこか乾いていた。

「……話したいなら話していいんだぞ。話したくなければ強制はしないが」

 天羽に言える言葉はそれだけだった。深雪はそっと視線を上げる。これ以上踏み込むべきではないと天羽は知りながら、口を開いた。

「私は医官だ。君の上官ではないし、医官として知り得た患者の情報を他に漏らすことはしない」

 天羽は『医官』――――正式には『特種兵装専任医系技官』だ。彼の仕事は特種兵装、いわゆる『艦娘』の整備(ちりょう)を行い、出撃し、深海棲艦を撃ち滅ぼせるようにすることだ。

「……天羽先生はさ、怖くない? あたしたちのこと」

「怖いというのは?」

「……その答えで怖いと思ってないのは、なんとなく分かった」

 深雪は苦笑いだ。そこには、ホッとしたような、なにか恐ろしいものを見たような色が複雑に混じっている。

「深海棲艦をたくさん倒して、時々仲間が殺されて……それでも、明日になったらいつも通り出ていって、倒して、殺されかけて、逃げ帰って……それに慣れてきた自分が、本当に……なんというか、怖いというか、嫌というか……艦娘になり切れていない気がするんだ」

 深雪はそう言って、体育座りをするように膝を抱えた。体が少し前のめりになって、その動きでセーラー襟が揺れる。

「今日のあの子(Верный)の様子を見て、恐ろしいって思った」

「恐ろしい?」

「……化け物とか、悪魔とか、そんな表現が浮かんじゃった。あたしもさ、ああならなきゃってさ、思うんだけどさ……ああじゃなきゃ守れないって言うのもわかってるんだけどさ……」

 抱えた膝の間に穂を垂らすように、深雪は視線を下げる。

「きっとあたしは弱いんだ。それがいやで、怖くて、たまらなくなる。艦娘はもっときれいで、かっこいいものだと思ってた。そんな単純なものじゃないっていうのは言われたし、知ってたつもりだけどさ」

 乾いた笑い声が響く。無理にひねり出したような、声。

「わかってなかったんだよ、きっと。あの時の私は、全くわかってなかった。だから、こんなことになってるんだと思う。残念とは思わないけどさ、後悔もしてないんだけどさ。でもすこし悲しいというか、怖いというか、変な感じが消えないんだ」

 そういう彼女の肩にそっと触れて、天羽はそのまま抱き込んだ。深雪が驚いたように身じろぎする。その仕草は年相応な反応そのもので、天羽はそれに戸惑う。表には出さないようにしたつもりだが、それでも出てしまっただろうか。

「やめてよ……! 優しくしないでいいよ」

「……怖くていいんだ。それでいいんだ。君は、間違ってない」

「間違ってるとかわかんないよ。でも今のままじゃダメなんだよ。でもあたしは、化け物みたいにはなりたくないよ……!」

 そう言って天羽は彼女の髪を梳く。元は濡れ羽黒と言ってよいほど鮮やかな黒であったであろう髪は、潮風と陽光に焼かれ、僅かに色素が抜け斑なこげ茶が混じっている。彼女を傷つけないように優しく、絡んだ髪を解していく。

「……本当なら、君たちに押し付けた国防と人類救済の責務は、男が背負うべきものだ。それを押し付けてしまっているこの世界がおかしいんだ。男でも大人でもそれを恐れないことは無理だ。君の不安は、間違ってない」

「……天羽先生」

「どうした」

「……どうして、あたしだったのかな。どうしてあたしたちじゃなきゃいけなかったのかな……!」

 天羽の肩に顔を押し付けるようにして、彼女は言葉を絞り出す。

「憧れていたかったのに、憧れでよかったのに、どうして……どうしてあたしは艦娘になれっちゃったの? どうしてあたしが皆の憧れでいなきゃいけないの……?」

 縋るような声に天羽は答えを持ちえない。彼が戦場に出ることは、深海棲艦と対峙し、一矢報いるような状況は、現状発生し得ない。海は彼女たちのものになったからだ。深海棲艦は水兵の居場所を奪い、水兵は皆、それを甘んじて受け入れ、艦娘に立つ瀬を譲り渡したからだ。

 たしかにそれには必要性が認められた。そのときはそれ以外の手段を天羽はもちろんのこと、人類の誰も持ち得なかった。だから仕方がなかったというのは容易い。誰もがこれが禁忌だと知りながら、彼女たちを送り出してきたのだ。ーーーーーー自らの役割から、目をそらして。

 そんな不甲斐ない男が何を語る資格があるというのだ。

「死にたくない……死にたくないよ。死ぬのは、怖いよ……!」

 天羽は視線を落とした。

 元来、戦場は男のものだった。妻子を守り、前線に立ち、野蛮に抗い、野に海にうち捨てられる。それは男の特権であり、役割だったはずだ。子を増やすこともできない、ただ生まれただけの役立たずである雄に、雌から授けられた唯一の役割だったはずなのだ。

 もし、死地に飛び込むのが私であるならば、笑って行軍できるのに。笑顔でそれに殉ずることができるのに、なぜ。

「……間違ってない、深雪は間違ってない。間違ってないんだ」

 彼の腕の中で髪を梳かれながらも尚、彼女はまるでそれが恥であるかのように声を押し殺している。死ぬのが怖いと思い、涙を流しながらも、それでもきっと彼女は明日の朝には海に出て、死地への行軍を続けるのだ。

 抱いた思いが間違っているかもしれないと悩み、恐れる。彼女はそれを独り飲み込んで、戦ってきた。

「怖くていい。情けなくていい。それを自分で否定してくれるな」

 それを勇敢と言わずになんという。それを崇高と言わずになんという。それを称えずに、何を称えるというのだ。死地を幾度もくぐり抜けてきた彼女が弱いはずがないのだ。

「よくここまで耐えた。よくここまで頑張った。それだけでも君は本当に強い」

 その彼女は天羽の前で泣くことを選んだ。泣くことを恥とし、泣いても尚、声を押し殺してしまうとしても、天羽に手を伸ばしたのだ。

 たとえ答えを持ち得ないとしても、天羽にはそれに応える義務があった。

「だから、自分を責めなくていいんだ。怖いことは怖い。そこに嘘をつかないでいい。無理して平気なふりをしなくていいんだ」

 たとえ言葉が届かないとしても、そう嘯いて撫でるように髪を梳くしかできない自分を呪いながら、天羽はしばらくそうしていた。

◇◆◇◆◇◆◇◆

 南西諸島とそこに脈々と流れる生命線(シーレーン)を護る佐世保鎮守府は変わることなく流れていく。

「作戦が終わったよ。お疲れ」

 埠頭へとたどり着いた艦娘は海面より()()。菊澤の横にすとんと落ちた。

「アタシは何もしてないけどねぇ……ま、掃海活動ご苦労様。久しぶりの運動は楽しかったかい?」

「いやぁ助かったよヴェル。もし防げていなかったら西部方面軍(くまもと)が大目玉を食らうところだったよ」

「なに、労働とは喜びさ」

 そう言いつつВерныйは意味ありげに笑うと、見せつけるように制帽を深くかぶりなおす。輝くのはやはり赤く星。菊澤はそちらから目を逸らすと、帰投する艦娘たちの様子を見守る海軍中佐の方を見た。

「それにしても大宙中佐、国防が最優先なのはもちろん理解しておりますが、試験段階である装備をテストするВерныйをいきなり戦場に駆り出すのはやめていただきたい。まがりなりにも、我が隊の護衛対象です。いくら伏宮特務技官の許可が下りているとはいえ、傷物にされてはこちらの落度となりますゆえ」

 それを言われた大宙中佐は、剣呑な目つきで菊澤を睨む。それから営業用の笑みを浮かべた。

「申し訳ありません。お恥ずかしながら佐世保鎮守府の戦力だけでは対処しきれないのが現状なのです。今回は陸軍の沿岸への展開が遅れた以上、仮に防衛線の突破を許せば燦々たる光景が長崎中に広がることになります。Верный、ひいては実験艦隊に迷惑をかけているは百も承知でありますが……どうかご理解を」

「別にいいんだ司令官。必要だからやる。それだけさ」

 戦力不足は明白で、それこそ深海棲艦は陸地まで迫ってきている。海軍による対処は全く間に合っておらず、陸軍が沿岸に展開することで辛うじて民間への被害を防いでいる。それが事実である以上は、別に菊澤もこれ以上文句を言うつもりなどない。

「では私は先に失礼します。今作戦の報告をしなければなりませんので」

 大宙は一礼して去っていく。向かう先の庁舎には、そよ風を受けて力なくたなびく日章旗。陸軍中佐と駆逐艦娘も海に背を向け歩き出す。

 菊澤中佐とВерный。この奇妙なコンビが佐世保に来てから早くも数日が経過した。こうして哨戒任務になど駆り出されるのが常であるが、もともとは実験艦隊所属艦。そして菊澤自身は、大本営の命令で半島からВерныйの護送を任された士官だ。さも当然の様に、艦隊のシフトに組み込まれているのは違和感を感じる者も多いはずだ。

「そういやぁ、憲兵さんはいつまでここにいるんだ? シフト明けが被ったら、呑みにでもどうだいってね」

 桟橋に腰掛け、耳元の無線機をいじる隼鷹。どうやら航空隊との交代のために待機中らしい。彼女の疑問も当然だろう。なにせ、今の菊澤たちには役割がない。憲兵隊が監査でもないのに居座り続けている方が、可笑しいのもまた事実であった。

「我々憲兵隊にも、ちゃんと命令が出ているさ。でなきゃ、血税を貪る木偶の坊と一緒さ。現場の混乱が収束するまで待機。それに、先日の戦闘で関門海峡から駐留部隊の撤退ときたものだ。控えていた光作戦だって、七尾湾までの輸送ルートが遠回りだ。陸軍の沿岸警備隊が九州方面に出張って、潜水艦による輸送作戦が進行中とも聞く」

「つまり、あちこちに人が持ってかれた感じか」

「残念ながら、私の部下も散り散りだ。だから、全員が揃って熊本に帰れるまでここで待機。隊長は前線に出れないのが辛いところだ」

 今は何してるのさと聞く隼鷹に、デスクワークと簡潔に返す菊澤。手持無沙汰になったВерныйが湾内に駆けだすのを眺めつつ、言葉を続ける。

「私が言うことじゃないけどさ。実際、艤装以外の攻撃って通じるものかい? 憲兵さん」

「まぁ、効かない訳じゃないと言った方が正しいかな。残念ながら、深海棲艦の機動力に対抗できるのは艦娘の足しかない。我々憲兵隊も機動艇に乗って出撃する事も多いが、もちろん急旋回急発進の芸当など出来る訳がない。その分犠牲も多くなる」

「艦娘だけが対抗できるって自惚れちゃいないよ。でも、あんたの指揮で何人が殉職したんだ?」

 隼鷹の問いには、目深に軍帽を被り直す菊澤。やや間があって、低い声が響く。

「……そうだね。数えきれない程の部下が逝ったよ。中には国に命を捧げれたと笑顔で見送った部下もいた」

「ボートに乗って、機関銃を振り回す。一昔前なら、そんな戦場が当たり前だったのかい」

「あぁ、そうだ。君たちが艤装を背負えるようになるまで、多くの軍人が逝った。まぁあまり大きな声で言えないが。君の艤装を整備してる伏宮少佐だって、元は深海棲艦を狩る側の軍人だぞ」

「うへぇ。あの人、見かけによらず戦闘員かい」

 感嘆した隼鷹が、件の軍人に整備されている巻物を人撫でする。そろそろかの呟きと共に、組んだ指を一閃。勅令の文字が飛びまわり式神が宙を舞う。

「そろそろ時間だな。たまにはこうやって、陸も海も関係なしに話したいよなぁ憲兵さん」

「そうだな。また機会があればよろしく頼む」

 その声を見送りの言葉とし、隼鷹の脚部艤装が唸る。海上を駈けだした後に、速力を上げる頃には丘から遥かに離れた位置にくる。

「ほんじゃまぁ、一仕事と往きますか」

 にぃと口角を上げると、艦載機を展開。更に上空を飛行するヘリと相対しつつ。無電が音を拾う。

《佐世保分遣隊飛行隊司令部、メルクリウス1。敵影なし、哨戒飛行終了する》

「あちゃぁ、吉井機長とは入れ替わりかぁ。また呑みの面子を集め直さなきゃならないかねぇ」

 勝利の美酒に浸って、一日を終えたいものだ。気持ちを切り替えて、真っ青な水平線に身を構えた。

 




はじめましての方ははじめまして、そうでない方はお久しぶりです。自分が拠出したキャラクターが似非インテリ野郎になることに開き直り始めたオーバードライヴと申します。

陰謀渦巻く佐世保鎮守府、きな臭い人たちがどったんばったん大騒ぎな今回のコンコルディアの落日、サブタイトルが尚更きな臭さを演出しているかと思います。今回のサブタイトル、実は作品内の人間&艦娘に対応しています。さて、今回のユーノーはどの子なんでしょうね……?

物語はまもなく中盤、この先もお付き合いいただけるなら、一作家としてこれほどうれしいことはありません。


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メルクリウスの当惑

 佐世保鎮守府沖に一機のヘリが爆音をあげ飛んでいく。ギリシャ神話におけるヘルメスが持っていたというケリュケイオンの杖をイメージしたエンブレムが、その白色の機体の尾翼で日光を反射し光っていた。

 

「佐世保分遣隊飛行隊司令部、メルクリウス1。敵影なし、哨戒飛行終了する」

《了解、哨戒艦隊に引き継ぎ後帰投せよ》

 

 そのヘリの機長、吉井 翼(よしい つばさ)中尉は司令部からの指示通りに通信を切り替え周辺海域で航行している哨戒艦隊を呼び出す。

 

「こちら佐世保分遣隊飛行隊所属哨戒ヘリメルクリウス1。哨戒任務中の艦隊応答せよ」

《はいよーこちら艦隊旗艦隼鷹だぜぇ! よs……じゃくてバッカス。ボイスクリアー》

 

 快活な声が通信機から響き、それを聞いた吉井は眼を細める。

 

「なんだ、隼鷹か。呼び方には気をつけろよ、作戦行動中の俺はメルクリウス1だ」

《わかってるってーで、何か異常は?》

 

 本当にわかっているのか、わかっていないのかわからない陽気さで吉井の小さな抗議を受け流す。いつもの事だという様に吉井は肩を竦めてから通信に答える。

 

「あいよ。対空対潜水上共に敵影なし、特記事項は哨戒ポイントデルタ付近に冷水塊あり。注意されたし」

《佐世保所属定期哨戒任務臨時編成艦隊旗艦軽空母隼鷹了解、これより哨戒任務を受け継ぐ》

「任務の引き継ぎを確認、良い航海を」

《そちらも、無事の帰投を祈る》

 

 再び操縦桿を倒す。海面にて片手を挙げている紫髪の艦娘が先行していくのを見てから、その風景をコックピットの下へと潜り込ませる。通信を切ろうとしたところでまた通信が飛んでくる。

 

《バッカスゥ! 明日は、オフだろ? 呑みに出ようぜ!》

「おま、馬鹿野郎! 部隊無線を私用すんなよっ!」

《ヘッヘッヘじゃあな!》

 

 「ったく」と呟きつつも心から憤怒している様子はなく、通信を切る。彼等の眼下にはまだ空襲の焼け跡が痛々しい佐世保市街が横たわっており、破れた水道管を修理したり瓦礫を撤去して道を作ったりと人々がせわしなく復旧作業を続けている。

 吉井は回線を開いた。呼び出すのは佐世保鎮守府の向かいにある航空基地。

「Sasebo Tower, Mercur1. Request landing with Sasebo base.」

 

 

 ここの航空基地も管制塔(タワー)も、深海棲艦との戦いが始まる以前には存在しないものだった。吉井はサングラスを上げつつ佐世保タワーの応答を待つ。

 

 

《Mercur1, Sasebo Tower. Cleared for landing wind 3 at North》

「Roger.」

 

 

 着陸の許可を受けて吉井は機体を短めの滑走路へとアプローチ。こちらは市街地と対象的に被害を受けてない。対空防備さえ怠っていなければ深海棲艦の攻撃を防ぐことは出来るが、その肝心の対空砲が足りないのだ。

 

 吉井は安全確認の為ぐるっと周囲を見渡す。烏帽子山や将冠山といった佐世保近辺の山を目でなぞっていく。

 

――――いつもと変わらねぇな。

 

 そんなことを考えつつ、吉井は地上要員の管制に従い降下。そのまま何事もなく着地、それから格納庫へと機体を戻す。

 航空機というのは重力に逆らうだけあって非常にデリケートで、一回飛ぶだけで損耗してしまう部品もあるくらいだ。整備員と言葉を交わしたり、面倒な報告書をちゃっちゃと片付けていれば、基地中に鳴り響く終業ラッパ。

「めっし、めっし、ふっろ、ふっろ、あとはねるだけー……っとな」

 そんな誰が思いついたかも知らない語呂合わせを口ずさみながら吉井は格納庫を出る。仕事が終われば酒だ。酒は美味いぞ。いや、これじゃ唯の酔っ払いおじさんになってしまう

か? しかし美味いものはいいものだ。

「それにしても、さっき隼鷹は出て行っちまったのか……参ったな」

 今日は本当なら隼鷹と飲む約束をしていたのだが、今日も今日とて深海棲艦の襲撃を受けたせいで彼女は出撃してしまったところだ。まあ明日飲めばいい話なのだが、一人だけで飲むんじゃつまらない。飲み相手を探さねばならない。

「おう少尉、今日飲もうぜ?」

「すみません中尉殿……これから会議に出席しないといけないので」

「おーそりゃあ大変だな。頑張れよ!」

 吉井が次の日がオフの時飲むのはお天道様が昼に出るのと同じくらいの常識だが、彼は「一人酒は寂しい」と他に飲めそうな士官を探しては誘う、一種の佐世保の名物となっていた。

 

 

「ん……? アレは天羽君じゃないか」

 白衣に眼鏡。どこの博士キャラだよと突っ込みたくなるような奴は佐世保にゃ一人だけ、最近佐世保にやって来たばかりの天羽中尉だ。たしか医官で、中央から派遣されてきたと聞いている。実際堅物で、いつ飲みに誘っても「数値が悪くなりますよ」となんでだが説教してくるのだ。付き合ってくれるかは微妙だ。

 しかし誘ってみて損はないだろう

「おぉい! 天羽君!」

「吉井中尉ですか。どうされたんですか」

 しまった。中尉をつけた方がよかったか。まあこちらの方が先任だし許してもらうこととしよう。

「いやあ丁度晩酌の友を探していてね。一緒に飲もうじゃないか」

「いえ、自分は……」

 今日の天羽はどうにも調子が悪そうだ。なにかあったのだろうか。

「ほらいいから行くぞ」

「は、はぁ……」

 戦いに明け暮れる軍人の癒しは少ない。娯楽のトランプは手榴弾で吹き飛ぶし、電源がないからテレビもラジオもナシ。女なんて前線配備の艦娘以外は誰もいない。

 結局のところ、戦場で頼れるのは酒かクスリ、後者は法律がうるさいから酒だけだ。せっかくだから鎮守府の外に飲みに行きたいところだが、つい先日に輸送艇の襲撃があったばかりだ。そのためあまり外へ出て行くのも気が引けたために宅飲みならぬ寮飲みだ。

「天羽君、君は何を飲むかい? とはいってもワインと日本酒しかないけどな」

「……では日本酒で」

「飲み方は?」

「冷で」

「あいよ」

 それを受けて天羽は日本酒をチョイスした。天羽らしいと言えばらしいと思った吉井は内心で苦笑。グラスに日本酒を注いで和らぎ水も用意。小さめのお盆に載せると天羽の前に差し出した。

 そして大事なのはツマミだ。しかし残念ながら吉井の料理の腕はないのでツマミは市販品のカルパスとさきいかしかない。

「市販品で悪いね」

「いえ、構いません」

 味気ないといえば味気ないがないよりはマシだ。それに酒とはただそれのみで飲むものではない。ツマミと併せて楽しむものだ。まあ、今回のツマミに関してクオリティはお察しだが。

「さぁて、いい加減佐世保には慣れたかい?」

「ええ、まぁ」

「ここはいい場所だぞ、適度に暖かいし魚はうまい。まあ最近はちと砲弾が飛んでくるが、それでもいい場所だ」

「は、はぁ」

 ヒトとのコミュニケーションにおいて最も重要なのはノリだ。波長を合わせることだ。しかし天羽のノリはイマイチ。ここまで冗談の通じないやつだっただろうか。というか今日はどうにも変だ。

「いやぁそれにしても天羽君とだけで飲むのは初めてじゃないか? 普段はどのくらい飲むんだ」

「週に一、二回ですかね。中尉は毎日飲まれているようですが」

「なあに朝から飛ぶときは飲まないさ、飲酒運転はしない主義なんでな」

 コルク抜きでボトルを開ける。ワイングラスの8分目少々まで深紅の液体を注ぎ込む。くるりとグラスを回すとワインの涙がゆっくりとグラスを伝った。

「いよぉし、では宴と行こう」

 吉井は自分の酒に手を付ける。タンニンの渋みがありながらも柔らかい飲み口。力強くインパクトがありながらも、優しく包み込むような感覚は上物だと思わせた。多少、値が張ったものを買ってみたが、安酒とは比べ物にならない。吉井が堪能している最中に一瞬だけ天羽がこちらを見てきたようだったが、彼もそのまま飲み始める。

 適当な会話に適度なお酒。ここにうまいツマミと最高の美女でもいれば完璧だ。

「なぁ、天羽君、君は艦娘をどんな存在だと考えているか?」

 ふと気になった吉井は、酒を飲みつつ言う。

 

「艦娘を、ですか……」

 それだけ言って言葉尻を濁してしまう天羽。誘ったとき彼が特になにも言わずに乗ってきた時点でなにかあるとは思っていたが……案外ドンピシャなのかもしれない。

「おうどうした天羽君、思うとこがあるなら言っちまえ」

「……いえ、大丈夫です」

「なんだよ水臭い。同じ階級で似たようなおっさんじゃないか、ほら本音を言え」

 

 カルパスの皮を剥く。それを口に放り込みながら天羽に問いかけを投げかける。

 天羽は目の前に置かれた日本酒に手を付けることもなく、俯いたまましばらく間を取った。

「私は精神科医ではありませんし、主観としてしか語れないのですが」

「おう、言え言え」

「……やはり見た目相応な部分も多いかと。この言い方は嫌いなんですが、お上の言い方をするなら『未熟』というのが妥当でしょう。良くも悪くも見た目通りの少女です」

 

 吉井はそれを聞いてうなづく。

 

「やっぱり君はそう言うと思っていたぜ。上の方には艦娘を未だに唯の道具と考える奴が多くいるからなぁ……」

「単なる兵装とみるのは、技術的にも感情的にも難しいでしょう。ミサイルや機関銃とはわけが違います。彼女らには一人一人感情があって、一人一人に夢を持っている。戦いたいと願って前線まで出てくるならいざ知らず、戦場に居る必要のない夢を語っている子も多い」

 駆逐艦娘などはその傾向が顕著なんですけど、と天羽は続ける。

「ご存知ですか? 艦娘を輩出した家族や親族には莫大な補償金が出るそうです。国家ぐるみの人身売買マーケットの運営なんて、口の悪い人間は騒ぎ立てているようですよ」

「……やるせねぇなぁ」

 赤のワインを僅かに口に含んで、吉井は目を伏せた。上物のワインのはずなのに妙に渋みだけが目立った。

「まぁなあ……だが、こればっかは現場じゃどうしようもねぇ。悲しいけど、これ戦争なのよね」

 

 そう軽くおどけるように言ってから、自嘲の笑みを浮かべる吉井。天羽はグラスを飲むでもなく揺らすだけだ。

 

「大問題だし腸が煮えくり返る。だが、深海棲艦(れんちゅう)が攻めてくるんじゃどうしようもねぇ ……俺は指揮官じゃねぇから、戦争がどうなるかなんて分からねぇが、俺は彼女たちを唯の道具とは絶対に思わない。共に酒飲んで、笑える。人間臭いじゃねえか。今はそれだけで、それだけ思ってればいいんだよ」

 ほら、とりあえず飲むぞ。それだけ言うと吉井は自らのグラスにワインを注いだ。

「中尉は本当にお酒がお好きですね」

「あぁそうだとも、なんせ俺はバッカスだからな」

「ローマ神話に出てくるワインの神でしたね……ギリシア神話のディオニューソス、ヘーラーの狂気」

 

 その天羽の言葉に、軽く吉井は頭を掻いた。

 

「かっあぁーーなんだい天羽君、お前は知ってくるクチか」

「まあ、一応は……」

 

 

 一度、吉井は背を伸ばす。

 

「じゃっ、酔っ払いの昔話に付き合ってくれるか?……俺は昔海軍の特殊部隊に居たのさ」

「海軍の特殊部隊?」

 

 初耳と言った感じで天羽は聞き返す。

 

「主戦力は通常兵器と海軍軍人の部隊だ……待てよ、これ機密事項だったか」

 

 

 ボソッと吉井が言った言葉に天羽は呆れるようにため息。

 

「まっ、冗談よ。話を元に戻すと俺はそこでヘリの副機長とスナイパーやってたのさ。既に部隊は解体されたがな」

「狙撃手?」

 

 真っ白な手袋を外し直ぐ近くに置き、目の前には酒やツマミ。軍人の体裁を保っているのは腰にぶら下げた正式採用されている拳銃だけ……そんな吉井だが、確かに体つきなかなか良く、唯の酒飲みの体つきではない。

 

「あぁ、そうだ……知ってるか? 撃つ時、相手の顔がしっかりと見える。これから消える奴の顔がな」

 

 吉井の目はしばし目を伏せる。

 

「俺の両手は血だらけだ。国家の為にな……そして人殺しをした金でのうのうと酒を飲んでる奴さ。俺は」

「では中尉は、この現状をどうお考えですか」

「俺が酒をよく呑む様になったのは部隊が解体されてからだぞ? それで察してくれよ」

 吉井はチラリと机の上に投げ出してある手袋を見る。

「そしてこの手袋は俺の過去の隠す為に着けている……艦娘にはこの()()()の両手を見せたくないからな」

「なぜ艦娘には?」

「恥ずかしいじゃねぇか、昔この国を護ってたのは俺たちだったんだ。その証拠であるこの手を晒しながらやる仕事はなんだ? 安全な後方勤務さ」

「……」

 黙ったままの天羽。

「若い時にはいろいろ考えるものだ。そりゃいいことだ。考えて考えて、それで答えを出せばいい……って、天羽とは同年代だったか。はっはっはっは」

 自分で自分にツッコミ。天羽も力なくはははと笑う。

「ですけど……今はつけてないですよね。手袋」

「酒の席と公の場では外すようにしてる」

「なぜ酒の席では外すんです?」

「おう、いい質問だな」

 

 再び吉井は酒を呷り始める。

 

「まだ、俺が手袋して酒を飲んでいた時にあいつが……隼鷹が、『酒の席ぐらいそんなもん外そうぜ? 酒は嫌な事も全部忘れられる。全てを切り離してくれるからよ』ってなだから、俺は今も外している。いやぁ駄目だなぁ。酔っ払って変な話聞かせちゃってさ」

 

 吉井はスッと盃を掲げる。

 

「今日、酒を飲み交わせた事について乾杯だ、天羽」

 

 

 応じるように、天羽も盃を掲げる。

「乾杯」 

 ぐいっと天羽と吉井がグラスを傾ける。これだから酒はやめられない。酔いはまだ回ってこない。この様子だとボトル一本くらいは空けてしまいそうだ。

 バタン! と吉井の部屋のドアが大きく開け放たれた。機敏な動きで天羽と吉井が振り返る。

「オーイオイオイ! なんで勝手に始めちゃってるのさぁ!」

 隼鷹が陽気そうな調子で吉井の隣を占領した。その後ろからどこか呆れ顔の大鯨が手提げの編み籠を持ってきっちりとした正座をした。

「せっかく捕鯨してきたんだよ!」

「隼鷹さんはおつまみなしです」

「すいませんでしたぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 隼鷹が全力で土下座をする傍らで大鯨が膨れながら編み籠を開ける。それを見てケラケラと吉井が笑う。

「おう隼鷹。遅かったな」

「悪かったねえ、こちとら十分前まで哨戒任務さ。間に合わせただけ感謝して欲しいぐらいだって。どーせ市販品のツマミで一杯やってると思ったから大鯨さんにお願いしたってのにさあ……」

「拗ねるな、拗ねるな。ほれ、お前も飲め」

「あ、じゃあ私はワインー」

「あいよ」

 吉井がワイングラスをもう一つ用意するとまだ半分くらい残っているボトルから注いだ。この様子だともう一本くらいは開けることになるだろう。

「隼鷹さんから日本酒とワインだって聞いていたのでこんなものですけど」

「わざわざ作ってくれたのか?」

「出来合いは化学調味料だらけですから。それにちょっとの工夫と時間をかけるだけで簡単に作れますから」

 そう言いながら大鯨がツマミを広げ始める。日本酒用に用意したのはイカそうめんとカワハギの刺身。ワイン用にはカナッペ。カナッペはスモークサーモンとクリームチーズの上に実山椒が乗せられたもの、そしてオイルサーディンとパセリの乗せられたタイプの2種類だ。さらにマグロと短冊切りにされた山芋が和えられたものが盛られた小鉢が2つ。

「イカそうめんはしょうが醤油か酢味噌でどうぞ。あ、山葵もありますからお好きな方で。カワハギは今朝に水揚げされたものをさっき捌いたのですが、新鮮だったので肝醤油も作らせていただきました」

「肝醤油とは贅沢だねえ」

「なかなかいいカワハギだったんですよ」

 透き通ったイカと美しい光沢を持ったカワハギの刺身を大鯨が指差す。隼鷹がきらりと目を光らせた。

「カナッペは2種類ほど用意しました。さっぱりさせたい時は実山椒が乗っている方を、がつんとしたものがいい時はオイルサーディンの方を召し上がってください」

「これ、手作りなのか?」

「ええ、まあ。さすがにクラッカーは市販ですけど」

「それまで手作りって言われたら卒倒してたな」

 わざわざ実山椒なんてどこで調達してきたんだ、と吉井は思った。少なくとも吉井の知る限りで佐世保周辺で売ってる店はないはずだ。

「こちらの山芋とマグロの小鉢ですが、下味は薄めにつけてあるので日本酒を飲まれる方は出汁醤油で、ワインを飲まれる方はオリーブオイルを好みの量かけてからいただいてください」

「こんだけくるともはや食の暴力だね」

「まったくだな、隼鷹。大鯨を呼んでくれたのはいい仕事したぜ」

 というかこのレベルをさらっと作る大鯨は何者だと吉井は思わずにいられなかった。簡単なもの、と言ってはいるが普通に店で出されても不思議ではない。

「あ、大鯨は何か飲むか?」

「え、でも……」

「そう硬いこと言うなよ。ささ、ほら一杯だけ」

「……じゃあ日本酒で」

「あいよ」

 もう一つグラスを用意して大鯨のぶんを注ぐ。5分目あたりまで注いだ段階で大鯨がストップをかけた。

「んじゃあ人数も増えたところで……乾杯!」

「かんぱーい!」

「か、乾杯」

「……乾杯」

 それぞれがグラスを持ち上げる。カチン、とグラス同士はぶつけずに乾杯をするとグラスを傾けてくいっと煽った。

「くぅー、このカナッペいけるなぁ! 酒が進むったらありゃしねえ!」

「この山芋とマグロのマリネもいいねぇ!」

 隼鷹と吉井がツマミを食べながら盛り上がる。うまいツマミは酒の量を加速させる。まさにそのとおりだ。吉井と隼鷹はもう新しいボトルを開け始めていた。

「珍しいですね、天羽中尉」

「断りきれなかっただけですよ。そちらこそ珍しい」

「ええ。まあ、そうかもしれませんね。私は」

 透明な日本酒の表面に映った揺れる自分の顔を大鯨はじっと見つめた。大鯨は滅多に飲まない。それくらい自覚していた。

「私たちってなんでしょうね?」

 ぽつりと大鯨が漏らす。天羽が口元まで持ち上げたグラスをゆっくりと戻した。

「私たち、とは?」

「艦娘、という意味で捉えてください」

「ならばそれがどうしたので?」

 また大鯨が日本酒を口に含むとすっきりとした辛味が口の中を満たした。残り続けようとする辛味を押し流すように肝醤油をつけたカワハギを箸で口へ運ぶ。

「天羽中尉、私が戦ってると言ったら笑いますか?」

「笑いますかと聞く者が求めるのは本気で冗談にして笑って欲しいか、慰めが欲しいかの2択です」

「じゃあたぶんどっちもですよ」

 大鯨が自虐的に笑う。酔いが回っているのかもしれない。だが止めるものはいなかった。

「私は私の信じているものがあります。それだけは譲らない。それを侮辱されたらきっと私は激怒します。でも本当に正しいことってなんでしょうね?」

「……」

「艦娘が戦場に出ることは当たり前。沈んで当たり前。頭でわかってはいるんです。でも私はそこまでリアリストになれない」

 天羽は黙って大鯨を見続けた。話を聞くことに徹すると決めたのだろう。吉井と隼鷹、そして天羽と大鯨。この2組同士は同じ空間にいながら間には大きな隔たりがあった。

「本物の戦闘に馴染めない子をいっぱい見てきました。足が竦んでしまう子、震えて立てない子。沈んでしまった子も見てきたし、処置が間に合わずに命を散らした子もいた」

 くい、と大鯨がまたグラスを傾ける。ピリピリと喉にアルコールが通って胃に落ちていくとじわじわと熱いものがわだかまる。

「できることならもう見たくないし、出て欲しくない」

「それを私に言ってどうしたいんですか」

「ただの愚痴、と言うには露骨すぎますか?」

「まあ、そうですね」

 大鯨は自身が戦えと言われてもいいとすら思っている。望んで入った道だ。ここに骨を埋める覚悟くらいとっくの昔に決めている。

 なら他の子はどうだ。仮に望んで入ったとしても彼女たちの手に握らされているのは引き返せない片道切符だ。

 長々と意味のないことを言い続けた。遠回り過ぎだったかもしれない。だが大鯨は言いたことは伝わったはずと思いたかった。

 深雪ちゃんから目を離さないで。

 すべてはこれに集約している。

 深雪はずっと迷っている。わんぱくそうに振舞うその内側でどうしようもない寂しさを抱えているのも気づいていた。だから何度か接触してみたし、会話も試みた。けれど深雪が大鯨に見せたのは『元気一杯の仮面』をつけた深雪だった。

 天羽中尉ならあるいは。深雪が唯一、懐いている天羽中尉なら何か変わるかもしれない。仮面のない深雪をさらけ出せるかもしれない。だから頼むしかなかった。

「これくらいでお酒はやめておきます」

「そうですか。では、おやすみなさい。ツマミ、おいしかったですよ」

「……それならよかったです」

 まったく摘んでいなかったくせに、と口の中だけで言いながら大鯨は天羽に背を向けた。

 洗面所に水が流れる音が響く。口の中に残った胃酸の痛いような酸っぱいような感覚は、嫌でもこれが現実であることを示していた。口を(ゆす)いだ程度では消えてはくれないらしい。顔を洗えば少しは楽になるかと思ったが、濡れた前髪が重く束になるだけだった。

「――――思ひつつぬればや人の見えつらん 夢と知りせばさめざらましを

 そんな歌を詠んだのは小野小町だったか、天羽はそんなことを考えながら、洗面所の鏡を見る。乱視のせいもあり、ぼやけた輪郭。水音だけが鮮明だ。

「……夢であったなら、どれだけ良かったか、言ったところで変わらんか」

 呟いて思う。らしくない。1人呟くのも、これしきのアルコールで戻してしまうのも、患者(あいて)に分を超えて踏み込むのも。全くもってらしくない。

「こんな痛みが、夢であってたまるか」

 喉の奥に引っかかったような刺激臭に嫌気を感じながら、天羽は両手をシンクの脇に就いた、排水口に渦になる水はそしらぬ顔で吸い込まれていく。

 昔話に付き合うことはよくあることであり、よく聞いてきたが、吉井ほどほどお似合いな話があっただろうかと思う。

「神の血を引きながら、神と認められなかったバッカスは、人を陶酔させ狂わせるワインの作り方を武器に、狂信者を抱え込み、やがて神と成る。酔いを知らない人々を善意で狂わせながら、バッカスは破滅と共に成り上った」

 アルコールを大分吐き出したおかげで思考は比較的クリアだ。まだ、飲まれてはいない。

「吉井中尉。あなたの善意、あなたの好意は、艦娘にとっては美酒かもしれない。それでも彼女たちを混酒器の信奉者(マイデナス)にするわけにはいかないのです」

 狂ってしまえたらどれだけ楽だろう。酔えていたならどれだけ楽だろう。しかしながら、前後不覚に酔うことは軍人には許されないのだ。

 こんな神話があった。バッカスを信頼し、狂信したバッカスの信奉者(マイデナス)の一人、アガウエーはその酩酊のうちに息子のテンペウスを八つ裂きにして、その首を杖に刺し、バッカスの下へと戻る。

「四六時中狂っていられるのならば、世界は平和に満ちている。しかしワインには限りがあり、酔いが覚める時が来る。現実が襲ってくれば、もう、そこまでだ」

 軍人はいかなる時も現実に則し、冷静な判断を下せねばならない。それは操縦士だろうと軍医だろうと差はないはずだ。軍人の基本的な原則だ。それができないものは軍人としてふさわしくないとまで言える。

「だからこそ、酔うわけにはいかないんだがな……」

「よう、大丈夫かー? 吐いてないかー?」

 ひょっこりと顔を出す吉井に微笑みかけながら、天羽は笑みを浮かべた。

「大丈夫ですよ。少しばかりぼんやりしてしまったようです」

「疲れてるのか? いや、疲れてるか」

「疲れてないといえば嘘になってしまいますね」

 そう答え天羽は肩を竦めた。

「先に戻っています」

「おう、隼鷹が絡んでくるだろうが適当に処置しといてくれよ、お医者様。そろそろ出来上がり始めてる」

「適度に諫めておきます」

 そう笑いあってすれ違い、洗面所を出る。鼻につく、赤ワインの渋い香り。それが先ほどの会話を引きずりだす。

――――――お前ならそう言うと思っていたぜ。上の方には艦娘を未だに唯の道具と考える奴が多くいるからなぁ……。

 

 

 彼女たちを使い続けるつもりの癖によく言う、と毒を吐きかけて、口を噤んだ。

 すでに杯には口を付けた。嗤える立場にすでに無いのは明白だ。

 狂気がうごめく気配をひたひたと感じながら、天羽はいつもの表情を取り繕い、席に戻る。

 



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ウルカヌスの天秤(前篇)

 悲しいことに海では強い艦娘でも、(おか)に上がればただの人である。食べて眠って風呂に入って、普通に日常生活を送っている。コケれば膝を擦り剥くし、ぎっくり腰になるときだってあるのである。

「で?」

「えへへ。ちょーっとやりすぎた、かな?」

 時にはこうやって出撃もしていないのに生傷を作ってくることもある。当然、傷には手当が必要だからこそ、一通りの治療施設が用意されている。彼女がそこを訪れたのは陸上でのスケジュールで、丁度昼休みにあたる時間だった。

「どうやったら安全地帯の基地内で引っかき傷をこさえてくるんだい、君は」

「だって、間宮アイスをとられたら怒るじゃん?」

「だからってなんで取っ組み合いになるほどヒートアップするんだ。とりあえず消毒するから座ってくれ、駆逐艦娘、深雪」

「了解っ、天羽月彦軍医中尉!」

 豪胆に笑う女の子が()()用の丸い椅子にどっかりと座る。それを見て軽くため息をつきながら天羽は滅菌済の脱脂綿と消毒用のヨードチンキを取り出す。惜しげもなく脱脂綿を濡らしてそれをピンセットで掴んだ。

「滲みるよ」

「……やさしく、してね?」

「そんな取ってつけたような猫かぶりは必要ないし、喧嘩をするような子に保証はできない」

 丸い眼鏡越しに深雪を見ると少し緊張気味だ。それもそのはず、消毒に使う希ヨードチンキは昔ながらの滲みる消毒液だ。滲みにくいタイプの用意もあるのだが、お灸も兼ねればこれぐらいでいいだろうとかなり遠慮なく脱脂綿を押し当てた。

「天羽先生……滲みるぅ……」

「私は滲みない」

「そりゃぁ天羽先生は毛抜きでやってるし、怪我してないじゃん」

「喧嘩をする方が悪い。あとピンセットと言いなさい」

「一緒じゃん」

「用途は別だ」

 とっさに体を逸らして逃げようとした深雪を左手でがっちり押さえると、半分涙目の深雪が腕を払いのけようとする。

「ほら、逃げるな」

「なら優しくしてよ」

「断る」

「ひどい」

 そういう間にも一通り消毒を終えた。一応女の子であることを考慮して、ヨードチンキの汚らしい褐色を落とすようにエタノールの脱色剤を塗布しておく。手早く絆創膏を貼って処置自体は完了。

「はい、お疲れさま」

「えへへ、ありがと」

「けがはしないようにしなさい。一応は国の守り神みたいなもんですからね、君たちは。かしこまって言うなら『もっとご自愛ください』です」

「天羽先生は守り神だなんて思ってないくせに」

「まさか」

「それはダウトでしょ」

 深雪はそう言って真顔で首を傾げた。そのまま天羽の顔を覗き込む。椅子に座ったまま覗き込むので、結果的に上目遣いで天羽を見上げることになる。天羽は一瞬言葉に詰まらせた。

「……どういう意味だ?」

「だってさ、ずっと距離取ってんじゃん。あたしだけじゃなくて、みんなから。仲間としては実は見てない。違う?」

「……私にとっては、仲間ではなく患者だよ、皆」

「ふーん。深雪様もその一人って訳なんだ?」

「あぁ」

 そう言った瞬間にふくれ面を作る深雪。昼下がりの気怠い日差しが、彼女の外側にはねた黒髪を光らせる。

「……なにか不満か?」

 カルテがぎっちり詰まったラックから深雪の個人ファイルを取り出して、天羽がそう問いかけた。

「別にぃ」

「ならいいんですが。他に具合の悪いところはあるかい?」

「別にぃ」

「ならこれで治療は終了。明日明後日で腫れたり、化膿ができてたら来なさい。あと、君はここに来すぎです。一人だけここに入り浸るのはやめといたほうがいい」

「天羽先生が主計科とかいろんな人から毛嫌いされてるから?」

 天羽はそれには答えない。ただひたすらペンを走らせる。

「あたしはさ、気にしないよ、そういうのは。今の司令官はいい人だし、司令官もあんまりそういうのには……なんというか、ズボラ?」

「君に言われるなら相当だね」

「なんだよ、あたしがズボラで大雑把って言いたい?」

「よくわかりましたね」

「そういうのは先生らしくないよね」

「そういうのを余計なお世話って言うんです」

 そのやり取りに少し笑う深雪。天羽はどこか面白くない。

「ねぇ、天羽先生」

「どうしました」

「天羽先生は、どうして海軍に来たの?」

 ペンが止まる。軽く変わった空気に深雪は機敏に反応した。

「……聞いたら駄目だった?」

「いや。理由が必要なのか考えてました」

 そう言ったきり、天羽は言葉を切る。

「そういう深雪はどうなんだい? 戦う理由とかそう言うのを気にするタイプだったりするんです?」

「んー、どうだろ」

 そう言って軽く空中を見つめるように視線を泳がせる深雪。しばらくそのままだったが、どこか照れたようにニカリと笑う。

「あんまりわかんないや、そういうの」

「……そうか」

 そう言うと天羽は一言二言カルテに書きつけて、パタンと閉じた。

「なら、どうして深雪はそれを聞いたんでしょう」

「え……?」

 深雪がきょとんとして黙る。その彼女を真正面から見据えて、天羽はゆっくりと言葉を紡いだ。

「深雪、君は————」

 どこまで自分が()()()いるんだい。

 そう、きいた。

「どこまでって……どういうこと?」

「少し含意が広かったかな」

「がんい?」

「質問が大きすぎたなってこと」

 天羽はそう言って目を伏せる。

「私もいろいろ考えるのさ。医官として、軍人として――――という程崇高でもないんですが――――いろいろ考える。なんでここにいるのか、これからどうするのか。何が本質で、何が違うのか。色々考える」

「ふぅん。……頭いいんだ」

「悪くはないつもりだよ。深雪もバカに体を調整さ(イジら)れたくはないだろう?」

「そりゃぁ、ねぇ?」

 嫌味を言うには朗らかすぎる深雪の笑みに苦笑して肩を竦める天羽。掛けた丸眼鏡に室内灯の光が一瞬反射した。

「だからこそ、わからなくなる。何をしたいのか、何をするべきかを見失いそうになる。……いや、これは誤謬(ごびゅう)だな。医官である以上は軍務を全うするべきだし、そうであらねばならない」

「ごびゅう?」

「論証の過程に論理的または形式的な明らかな瑕疵があり、その論証が全体として妥当でないこと」

「ますますわからないんだけど」

「いつかはわかるようになるよ」

「天羽先生、普段からそんなこと考えてるの?」

「君は考えないのか?」

「全っ然」

「……そうか」

 どこか開き直ったようにそういう深雪。その顔にはどこか笑みまで浮かんでいる。天羽はそれをどこか不思議そうに眺めた。

「でさ、なんでそれが深雪様への質問に繋がるわけ?」

「君が不思議だった」

「なにそれ」

 どこか天羽を胡散臭そうに見る深雪。天羽は言葉が足りないことに気が付いたのか、すぐに口を開いた。

「戦場に毎日ように出て、帰ってくる。凄惨な現場だって見てきている。でも君は笑って、間宮アイスの為に名誉の負傷をしたりする。かと思えば、夜中に私の所で泣いたりする」

「うえっ……」

 あの時のことは忘れてほしいんだけど……とバツが悪いのか、照れ隠しなのか、少しおどけたリアクションでそう言った彼女だが、天羽は取り合わず続ける。

「私には、君が艦娘をやめる理由を欲しがっているように見えた」

「私が?」

「君が」

 天羽の言葉に、深雪はどこか刺されたような表情をする。

「……やめたくない、って言ったらウソになっちゃうけど、やめるつもりはないよ」

「……」

「だって、私が選んだんだから、艦娘になるって。いまさら辞めるなんて言えないし、みんなは好きだし」

「それでいつか君は死ぬかもしれないとしても、かい?」

 深雪はそれを聞いて、言葉を刹那の間だけ詰まらせた。

「その時にそうなっちゃうんだとしたら、それは深雪様の運命ってやつだったんだよ。つらいし嫌だし怖いけど、私が深雪でいられるうちは、深雪でいたい」

「……そうか」

 天羽は目線を伏せたままそう言うと、視界の端にちらりとローファーのつま先が見えた。

「ありがとね、天羽先生」

 そう言って、深雪は少しだけ背伸び。僅かに踵を浮かせて天羽の頭に手を乗せた。

「何をしている?」

「なにって、頭を撫でてる?」

「なんでだ」

「撫でたいから?」

「なぜそうなる」

「なんでも」

 深雪はそう言って天羽の髪からぱっと手を離した。

「少し楽になった。天羽先生すごいや」

「何もしてないんだが」

「それでも楽になったのは楽になったからいーの! 天羽先生のおかげ」

 そう言って深雪は部屋の外に出ていこうとする。時間を見れば午後の始業まで時間はあまりなかった。

「そうだ、天羽先生」

 部屋のドアを開けて、顔だけで振り返る。

「お礼できてないけど、もしなにかあったら、この深雪様が守ってあげる!」

「……ありがとう」

「むー、期待してない顔だなー。これでも大分強いんだぞ」

「よく知ってるよ」

「ほんとうにぃ?」

「本当に」

 そう言えばこれまでで一番いい笑みを浮かべて、深雪が出ていく。残された天羽は、小さくため息。

「いかんな」

 そうだけいってカルテを取り出す。艦娘の治療は些細なことであっても記録することが必要だ。

 海軍 聯合艦隊 特種兵装開発実験団 医学実験部 医学実験隊 佐世保方面分遣隊 研究調査班。天羽月彦はその班に特種兵装専任医系技官として所属している以上、実地での試験サンプルとなる個体データはどれほど些細なものであっても収集する義務がある。

 損壊の発生日時、状況を記録。損壊理由に「僚艦と甘味をめぐって騒動」という項目は存在しないため、その他の理由にチェックを入れ、個別に記載。傷の種別や範囲、深度を記録し、処置の内容を記載。その際に使った脱脂綿などは所定の処置を施し、横須賀への輸送の手筈だ。そこに付着した体液や微細な細胞片などのデータ解析は横須賀の医学実験隊施設でなければできないのだ。

 手を止めて、ため息

「……悪い兆候だ」

 思考が変な方向に回り始めている。顔でも洗ってリセットしようと思い、部屋を出る。

「……不満そうね、天羽君」

 

 

 部屋の外に出ればいきなりそう声をかけられた。落ち着いた女性の声。

「疲れているだけ……ではなさそうね」

「あなたほどじゃないですよ。雅軍医大尉」

「管理職になる前からこれじゃぁ、先が思いやられるわね」

 雅柚穂軍医大尉がそう言い、軽く肩を竦めた。

「丁度よかった。渡しておきたいものがあるの」

 雅はそう言って背を向けて歩き出す。ついて来いと言うつもりらしい。天羽は黙ってついて行く。階級は向こうが上、従わない理由もない。

 無言のままについて行くと、雅の診察室まで行き着いた。部屋に入るとカルテかなにかの整理をしているらしい大鯨が会釈してくる。

「それで、渡したいものと言うのは?」

「先日の襲撃で艦娘以外にも被害が出ていてね。その治療に艦娘治療技術が使えないかと思って、レポートをまとめたの。目を通しておいてくれるかしら」

「……本題は?」

 天羽はそう言って眼鏡を外す。

「御見通しね」

「昼休みとはいえ、それを渡すだけなら、あの時に資料を持ってくればいいだけの話でしょう。ここに呼び出す必要はない」

「やっぱりあなた不満そうね」

 どこか几帳面に丸眼鏡を拭く手を止めた。部屋には大鯨がカルテを書き込むボールペンのノイズとアナログ時計の音が響く。それを聞きながら、天羽は口を開く。

 

 

「いえ、別に不満などありませんよ」

「全くもって不満そうな顔をして言うもんじゃないわよね。それ」

「しいて言うなら昼休みの間にしっかり休めるかどうかが心配ですかね」

 

 

 かなりの近眼なのか、眼鏡をかけると顔の輪郭が変わる。

 

 

「……深雪ちゃんのことが心配?」

「なぜ深雪が出てくるのでしょう?」

「やたらと気にしてたじゃない。あの子が部隊で孤立気味なのを知っているから、違う?」

「そんな情で動けるほど軍組織が甘くないことは貴女の方がよくご存じでしょう」

 

 

 そう言うと小さく笑う雅。

 

 

「それもそうね。でも感心したわ。そうやってちゃんと艦娘のそばに立てる人間が医者で。最近はほんと艦娘を使い捨ての兵器としか見てない人が多くてね、嫌になる」

「そうですか」

 

 

 天羽の声はいたって淡泊だ。冷たく見える言葉だが、誰の心を逆なですることなく過ぎていく。

 

 

「陸軍畑出身のあの監査官、天羽君はどう見た?」

「北の艦隊の艦娘を連れたあの士官ですか」

「そう、あの人」

 

 

 年相応の落ち着きに満ちた声で雅がそう言うと天羽が逡巡するだけの間を空けた。

 

 

「聞きたいのは、正解ですか?」

「まずはあなたの個人的な見解を聞かせて頂戴」

「あの短時間なのでなんとも言えませんが、優秀で厄介なタイプでしょうね。軍学校でもおそらく優秀。歩くときの重心の運びは常に母指球の位置に重心を持ってくる歩き方は軍事訓練で叩き込まれる基本の動作です。左腕を体に密着させないところを見ると、脇にかなり大型の拳銃を吊っている。少なくともこの基地に快く思わない人間がいるんでしょう」

 

 

 さらさらとそう言うと大鯨はどこか驚いた顔で振り向いた。天羽の言葉はまだ続く。

 

 

「かなりの自信家。少なくとも仕事に関しての苦手意識はない。艦娘とのコミュニケーションの取り方を見る限りリーダーシップを取るタイプとは違うものの、指揮を取るには十分な能力を持っている自負を持つボス的意識……現状はこんなところでしょうね」

「……さすがね。天羽君」

「心理学は専攻外なんですが」

「そこまでできれば十分よ。なんで佐世保に配置されているのかが不思議なぐらい優秀だと考えているわ」

 

 

 雅の称賛を前に天羽は何の反応を示さなかった。

 

 

「それで、ちなみに正解はどんなものだったのかしら?」

「『艦娘を道具として利用する傾向がある。艦娘を副官として置いておくには適切ではない。少なくとも海軍基地に置いておくには危険な可能性がある』……少なくともあなたはそう言ってほしそうに思いましたが?」

 

 

 雅はそう言われ、飛び出しかけた言葉を飲みこんだ。大鯨の目線が険しくなるが、天羽はどこ吹く風だ。

 

 

「まるで私にゴマをするのが正解みたいな言い方ね、天羽君」

「真実と正解は一致しない。それだけのことでしょう」

 

 

 ゴマをすることは否定しない天羽。大鯨が腰を浮かせようとしたのを雅は目で止めた。

 

 

「貴方もあの陸軍士官と同じクチかしら。艦娘を単純な兵器として扱う彼女と」

「陸軍のスタンスはあくまで艦娘に依存する現システムの刷新でしょう。容姿だけとはいえ幼子を前線に送る末期戦に追い込まれている海軍よりはよっぽど人道的だ。海軍がなければ陸はとっくに壊滅してるのはありますが、それを差し引いても陸軍の発言力が高まっているのも頷けます」

 

 

 バイオエレクトロニクス素子が海軍医療実験施設で実用化されたころ、対深海棲艦戦線は海軍の独壇場だった。艤装と呼ばれる専用兵装群を背負い、海を往くには生身の身体は弱すぎる。それを体構造から書き換え、生きながら深海棲艦の砲撃に耐え、作戦行動をとり続けることが出来る『艦娘』が海を切り拓いた。艦娘は確かに革新的だったが、二世代から三世代も前の技術のアップデートしかできない状況では陸軍に追いつかれても仕方がないと言える。

 

 

「それでも海軍がいなければ姫級などはどうする気?」

「さぁ、それは参謀かだれかが考えてくれるんじゃないですか?」

「中尉、いうに事欠いて……!」

「大鯨」

 

 

 雅の一言が大鯨の感情的な大声を叩き切った。今は感情的になったほうが不利なのだろう。渋々黙り込む大鯨。天羽はどこかつまらなさそうにその様子を眺めていたが溜息を一つついて立ち上がる。

 

 

「……貴方は、艦娘が使い潰される現状をどう思っているの?」

 

 

 その問いを鼻で笑う天羽。そして吐き捨てた。

 

 

「同情することはできますけど、したところで救えないでしょう」

「ダブルスタンダードね。深雪ちゃんには別のことを言っていたようだけど」

「子供に見せていい顔と悪い顔があるでしょう。問答無用で戦場の只中に居る深雪にその事実を見せつけて何になるんです。それに私の任務である『艦娘の機能維持と医療技術的課題に対する情報収集』を遂行することが必要である以上、仮面を被ることもやぶさかではありませんよ」

 

 

 天羽はそう言って続けた。

「目の前の命を救うのは間違いではないでしょうが、軍医は医者である前に軍人です。あなたはそれを誰よりもわかっているのでは? 雅()()

「……懐かしいことを覚えているのね、もう捨てた役職よ、それは」

 

 

 雅の纏った空気が異質なものに代わる。それを機敏に感じ取る柳は眼鏡をそっと直した。廊下に続くドアに手を掛け、開く。それを見ながら雅は言葉をひねり出す。

 

 

「森だけを見ては木を救えないでしょう。そうして残るのは荒涼とした土地だけよ。それでは意味がないのではないかしら? それが見えないうちは誰も救えないわ」

 

 

 その言葉を聞いて天羽は足を止めた。半身を向けて雅を見る。とっさに大鯨が雅を守るように飛び出して臨戦態勢をとった。それほどに天羽の目は鋭い感情を湛えている。嘲り、それよりも強い、憤怒。

 

 

「エゴですね、ただの」

「なんですって?」

 

 

 天羽につられるように雅の声のトーンが下がった。

 

 

「目の前の命を救いたい。大いに結構でしょう。私だって救える限り救っている。だが、貴女はそれを勘違いしている。救うといいながら、目の前の患者しか見ていない。それは正義でも何でもないただのエゴでしょう。あなた個人のエゴだ。それをあなたはあたかも正義のように振りかざす。それは滑稽ではありませんか?」

 

 

 その言葉が大鯨の堰を叩き壊した。天羽の左耳を脅かすように大鯨の右腕が掠めた。背後のドアが大きく鳴る。眉一つ動かさず、天羽はそれを受けた。

 

 

「……何も知らないまま、雅大尉を愚弄しないでください。天羽中尉」

「私は確かに司令官とやらの葛藤は知らないし、理解していないでしょう。それでも、少なくとも大尉と少将ではどちらが守れる権限が大きいかは火を見るよりも明らかなはずです。守る力を自ら投げ捨てておいて、皆を救った? 目の前の人を救えたら満足? 寝言は寝てから言っていただきたい。今この瞬間に見えないところで何百人という戦死者を重ねる現状がある。だのに雅大尉は目の前のたった一人を救って微笑んでいる。それを偽善と言わずに何と言うんです?」

 

 

 悔しそうに天羽を睨みながら大鯨は涙を流す。それを天羽は涼しい顔で眺めていた。

 

 

「あなたに……! 中尉に柚穂さんの何がわかるというんですか……!?」

「わかりませんよ。私にわかるのは、切り捨てる覚悟ができない人間に、軍医は務まらないという事だけです。切り捨てられた人間の嘆きや怨嗟を投げられる覚悟のない人間にどうして軍医が務まります?」

 

 

 天羽はそう言って、ドアに叩きつけたままの大鯨の腕を押して、ドアから離させる。怒りのせいなのか、震えた手は天羽が力を入れなくともするりと外れた。改めてドアを開ける。

 

 

「その覚悟ができないならば、あなたのその小さな箱庭を守っていればいい」

 

 

 そう吐き捨てて部屋を出る。雅も大鯨も追ってはこなかった。そのまま廊下を曲がる。天羽の眼鏡に室内灯の光が反射した。

 

 



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ウルカヌスの天秤(中篇)

「それで? 工廠に酒を持ち込んでまで、お前から何があるってんだ。菊澤」

「久しぶりに同期と顔を合わせたんだ。たまには酌み交わして積もる話もあるだろうさってね」

「こっちからは何もねェし、お前からの愚痴聞かされるだけだろうが」

 焼酎のボトルを片手に、休憩室のソファに腰を下ろす菊澤。木製テーブルの反対に心底嫌な顔をして伏宮が座るが、彼女はどこ吹く風で涼しい顔をする。

「あぁやって会議中に他人の振りをされるのは、こっちもショックだったからね。ちょっとくらい、乙女心を分かってくれても良いじゃない」

「三十路の女を掴まえて、やぁ久しぶりなんて言える間柄か?」

 いつの話でしたっけねと、ガラスのボトルに手をかける菊澤。そして、懐かしむかのように言葉を接ぐ。

「もう十年近く前かな。お互いに統合訓練校でヒーヒー言いながら、背嚢しょいこんで野営地を駆けずりまわったのは」

「俺が東北の防衛戦でリタイヤしなきゃ、お前と肩を並べられてたと思うか?」

「まずありえないでしょ。伏宮君、実技苦手だったし」

「自分から話振っておいて、全否定かよお前」

 わざとらしく落とす肩を伏宮に、菊澤は興が乗ったのか笑い転げる。

「ねぇ。妖精が見えるって理由で、海援隊から海軍に引き抜かれた身分はどうかな伏宮君。小っちゃい女の子を侍らせてるんでしょう?」

「侍らせてねぇよ! まぁ、悪くはないが性に合わん。お前だって、ヴェルに何をさせてるんだか」

「何って。勿論いかがわしいことに決まってるじゃないか、伏宮少佐」

 伏宮の目の前に文字通り(・・・・)、ひょっこりとВерныйが顔を出す。一体どこにいたのやら。どうやら菊澤を注意を引いている間に、匍匐前進でここまで来たようだ。机の下から登場しなくていいだろうと小突きつつ、それに頭を押さえたВерныйは逃げるようにお勝手へ姿を消す。

「ついでだヴェル。三人分湯呑でも持ってきてくれ」

「うん、分かった」

 勝手知ったると言わんばかりに慣れた手つきで、給湯室からマグカップを三つ分とポットを持ち込む。せめてグラスでと目で語る菊澤に、一瞥しただけで何事もないようにВерныйは作業を続ける。

「伏宮少佐はいつも通り、薄めで良いのかい?」

「…………酒に弱いつもりはねぇが、自主的な宿直も兼ねてるんだ。いざって時に動けるくらいで丁度だ」

「Xорошо. 可愛い女の子からのお給仕だよ。心して飲むと良い」

「あいっ変わらず、自由奔放に生きてるなお前」

「今は共産主義者の狗だけどね、うちのヴェルは。ロシアっ子は中部海域に居たままの方が幸せだったのかもね」

 そう言って喉を鳴らす菊澤は、ちびちびと白色の陶器に口をつけ始める。対してただ単に晩酌を流すだけなのか、伏宮のマグカップからは湯気だけが立ち昇る。

 そんな様子に辟易したのか菊澤が飲むだけには飽き足らず、手持無沙汰になったのか懐から取り出したポータブルキット。折りたたまれた盤の内側から、白と黒の駒が転がり出る。

「手元が覚束ないのに、机を散らかすんじゃねぇよ」

「つまらなそうにしてるから、暇潰しの手伝いしてやるってだけよ」

「ぬかせ……どっちが白だ」

「勿論、私でしょ。まずはe4へ」

 並べられて早々、菊澤の手番から白のポーンが跳ねていく。渋々と言った様子で、伏宮もまた黒の歩兵を摘まむ。無機質に駒がゲーム盤を奏でながら、歩兵同士の喰い合いが始まる頃。伏宮が口を突くのは、先日の会議の延長だった。

「それで? 今さらだが、Верныйに秋月型の自律駆動式砲台をコントロールさせるのはどういう了見だ。なぜこのタイミングなんだ」

「何を今さら……はそっくりそのまま返すわよ。別に可笑しな話じゃないでしょ、伏宮君。深海棲艦との接触において発生する特殊な磁場干渉。その解決策がようやくって所に、艦娘を小隊の主軸とした無人機の投入。現にテストベットとして陽炎型9番艦の天津風。新造した島風型と秋月型で実践データは得られてる」

「……そして、改装時に固有兵装が召還されないВерный。確かにキャパシティは逼迫していないことが、試験艦として白羽が立った原因か」

 当事者であるВерныйは何食わぬ顔で焼酎を消費しているが、今日は酔いたい気分らしい。南方戦線で彼女を率いたこともある伏宮は、寡黙に見えても彼女なりの自己表現が端々に現れるのは知っての通りだ。

「本題の前に一つ言わせてくれ、菊澤。お前な……同じ理屈なら翔鶴型ですら自律駆動式砲台が使えるからな」

「それとこれとは話が別。どちらかと言えば、老朽化した特II型以降の延命措置の方が優先事項なんだから」

「未だ現役で酷使されるロートルには、辛い話だと思わないかい? 伏宮少佐」

「自分で自分のことを時代遅れ(・・・・)と言ってるうちには、前線じゃ死んでないから安心しろ」

 本当に枯れてるなら、ここで酒なんて酌み交わしてると思うか――――その呟きには、あえて聞こえない振りをするВерный。駆逐艦の中では旧式の部類にあたる彼女が、Верныйという姿を経て戦い続けるのにも限界が来ている。騙し騙し使ってきた艤装。不具合を誤魔化す様にチューニングを繰り返してきたことは、かつて整備を担当してきた伏宮だからこそ分かっている。

 既存艦のテコ入れをしなければ、時間の経過そのものが国防力の低下に直結する。スペック通りの性能を叩き出せない程に老化(・・)した時点で、次の手を打たねば戦線の維持すらもままならない。

「そこで特種兵装実験隊にお鉢が回ってくるか。期限はいつまでに?」

「この前の空襲で、長崎造船所が被害を受けているのは当然ご存じでしょ? 建造途中の秋月型が進水まで半年弱ってところでね」

「……そのツケのためにВерныйの調整が急務ってか? 笑えねェ冗談だなオイ、実質二ヶ月近くで仕上げろって命令か」

「自律駆動式砲台自体は、横須賀にモスボールされてたものを無理矢理持ってきてる。それも統合幕僚監部のお墨付きで、早急に処理せよ(・・・・・・・)との命令だ。おまけに艤装とは縁も程遠い、憲兵隊たる私が運んできたんだ。そんな通りが通ると思う?」

「キナ臭さが十二分に増してるぞ。一体お前は何のために佐世保に寄越されたって言うんだ」

 伏宮の睨むような視線には、肩を竦めて返す菊澤。Верныйもまた、目の前のカップに視線を落とすだけだった。

 白のキングを詰るように、指先で小突く菊澤。そんな彼女の口から、乾いた笑いを含んだ声が飛び出す。

「伏宮君はさ。この戦争の終わりは、何をもって証明できると思う?」

「藪から棒に何だ。それを考えるのは為政者の仕事であって、軍人が語るべき舌は持ち合わせない……昔のお前ならそう言っていたはずだが?」

「……だったんだけれどね。正直、自信がなくなってきた」

会話をしている間にも、盤上からは白黒の両軍が少しづつ消えていく。互いの腕前は人並みだが、一進一退を示すよりも駒を減らし過ぎた。詰め(チェックメイト)には程遠い。

「長崎空襲が意図的に被害を出したのかは、状況証拠すらない結果論だ。仮に演出であった場合であっても、誰が何のためにという議論にすら発展しないだろう。だが、異常なまでに即決された憲兵の派遣。その事実と、艤装の搬入の決定だけはどう考えてもあらかじめ予定調和(しくまれていた)としか思えない」

「…………仮にお前の妄想(・・)が事実だとして、得するのは誰だ。長崎の不始末の検挙を点数にしたい憲兵隊か? ネタにして海軍を揺さぶりたい陸軍幕僚部のお偉い様か?」

「三軍を統括する統合幕僚監部がGOサインを出した時点で、海軍の息がかかってない決定だと言えるかしら? 深海棲艦と言う駒を世界中に配置した、利権獲得のゼロサムゲーム。私たち軍人と艦娘はそれに付き合わされてるだけだって、伏宮君にも分かるでしょ」

 候補生時代と何も変わっていない――――語る菊澤の表情を見ての感想は、それに尽きる。暇を見ては、チェスに勤しんでいた姿。盤上の白と黒を削り合い、勝負がつかなかった試合は幾度も重ねている。

「だからだ。だから艦娘は……いや。艦娘を運用する部隊は、誰の地位や名誉からも遠ざけられ、干渉などされないよう強くあるべきだ」

 その台詞は、彼女の堅い意志の表れか。満を持して動かした白のポーン。ゲーム盤の縁まで到達し、用意していたゴム製の王冠を菊澤は被せる。

「|戦争を軍人に任せるには、あまりに重要過ぎないかね。《War is too important to be left to the generals.》」

「…………確かナポレオンの寝首を掻いた、外交官タレーランの話か?」

「私の記憶の限りじゃ。独国(ドイツ)を完膚なきまでに叩きのめした、クレマンソー首相の方が、先に浮かぶけどね。言い得て妙だと思わないか? 我ら軍人には政治的動向に気兼ねすることなく、戦って死ね――という皮肉にはね」

「残念ながら、日本史専攻だったものでな。その言葉の背景を、理解できる能は持ち合わせていないさ」

 チェック――――盤上に躍り出た、二体(・・)のクイーンが黒のキングを包囲する。気落ちすることなく、黒の駒を盾にする伏宮。その様子を見て、面白味もないと鼻を鳴らす。

「雑兵だって、クラウンになれるんだ。うちのヴェルだって、他の子を打ち負かしたって良いじゃない。伏宮少佐」

「それとこれとは話が別だ、菊澤。canとbe able toじゃ、天と地ほど意味が違う」

「そこで命令(やれ)と言わないのが、菊澤中佐様の優しさだよ?」

 性格だけ見れば、天上天下唯我独尊。こんな彼女がそのまま昇華したようなままでは、部下も苦労していることだろう。チェスゲームのように見下ろされながら、動かされる方はたまったものではない。

 だからだ。だからこそ、彼女が見えない糸に吊るされている姿に違和感を覚える。主導権を常に握る側の人間が、手綱をとられている。これは伏宮にとっても手に負えないような、案件ではないかと脳裏から警告が飛ぶ。

「……一つ聞かせろ、菊澤。今のお前は、ただ命令に忠実に従うだけの軍人か」

「中坊じゃないんだから、上司の指示通りにを実行するだけよ。そうでしか生きられないのは、貴方にも分かるでしょう。伏宮君」

 干からびたような笑みを見せて嗤う菊澤に対しては、こちらも覚悟を決めざるをえなかった。

「……幸いВерныйには、トラック泊地で使用した自律駆動式砲台のテストデータは残ってる。情報を引き出すのには手間と人脈が必要だが、不可能ではない……これで十分か?」

「やっぱ伏宮君は頼りになるなぁ。餌で釣る甲斐だけは(・・・)あるよねぇって、ちょっとタンマっ、ストップ、ウェイト伏宮君っ。ヴェル止めて、絶対止めて!? 顔が怖いっ」

「……離せヴェルッ! こいつだけは一発ぶん殴らせろッ!」

 笑いを堪えて伏宮の後ろに抱き着くВерныйを引き剥しつつ、振り解き拳を突き出す。空を斬るように回避した菊澤が宙に身を躍らせるが、追おうとしたところで喧騒を聞きつけた闖入者が扉から顔を出す。

「伏宮少佐ぁ!? いい加減に寝てくださいってば。上司が死にそうな顔で仕事してたら、部下は気を使って休めないんですからね!?」

「……明石か。意地でもお前を夢の世界に放り込んでから話すべきだったわ」

 寝ぼけ眼を擦って、仮眠室から来た寝間着姿の明石が欠伸をする。毒気を抜いたように溜息をつく伏宮に対して、明石が仁王立ちで説教を始める。菊澤はこれ幸いと、何事もなかったかのようにソファに身を預ける。

「ほら、寝ましょう。寝ましょうったら少佐! 今日と言う今日は、梃子でも何使ってでも寝床に縛り付けますからねっ」

「……昔っから本当に面倒な部下だな。俺の城(こうしょう)で自由時間を好きに使って何が悪い」

「ほら、やっぱり可愛い女の子を侍らせてるじゃない」

「菊澤ァ! お前いい加減にしやがれ!」

 一緒に爆発しろリア充と。笑い飛ばしたこの時には、まさかこの身に降りかかることとは誰も思わなかった。

◇◆◇◆◇◆◇◆

 戦隊の司令官となれば、外出の機会すら中々難しい。そんな多忙な合間を縫って基地の外に出たのは、馴染の店に顔を出すためだった。

 お通しを待ち、メニュー表で目に留まった何品かを注文をする。公務外とはいえ酒を飲む事に躊躇した大宙は、それこそソフトドリンクで胃を誤魔化しつつ時間を潰す。

 四半刻経った頃合いだろうか。他に席があろうに、わざわざ大宙の隣に男が座る。挨拶を済ませた位で、酒の注文を始める客からの言葉を待つ。

「随分と手を焼かせる案件をお持ちの様だ。大宙様は」

「前置きは良い。それで……頼んでおいたものはどうなっている?」

「そう焦りなさるな。この店がいつも使われるのは、親切な人達(きょうりょくしゃ)のおかげです。依頼に関して漏れることはありえません。しかし金で動くような奴らばかりですので、同業者であれば過信は禁物ですが」

 頼んだ料理に舌堤を打つ情報屋に大宙は辟易する。店長が気を使ってくれたのか、サービスでとノンアルコールを出されたあたりで会話が再開する。

「まず朝鮮のツテにかけて、工廠関係を丸洗いしました。気にかけていらっしゃる自律駆動式砲台。教えて頂いたロットナンバーと照らし合わせれば、確かに開業工業地区で生産されたものがメインでした」

「最新装備だった秋月型の艤装だ。普段であれば横須賀、今回委託されたのが長崎だった。偶然に生産ラインが止まった結果、半島の予備艤装を取り寄せる羽目になった。ここまでは予想通りか?」

「えぇ、表向きにはですが。しかし本国ではなく半島や満州の軍需工場を使用したのは、何かしらの企みがあったと推して図るべしかと思いますがね」

 これ以上は追加料金だと言わんばかりの表情。遠目でこちらを見る店長に対してキープボトルを開けるようにと声をかけると、満足したかのように言葉を続ける。

「強いて言えば、模造品や粗悪品が含まれていた場合です。あえて海外の工廠から取り寄せた口実を使えば、事故が起きた場合でも言い訳が出来る」

「本土産の純正品ならば質はキープできる。目の届かなかった委託先の問題だと切り捨てられるからか」

「あくまで噂かと思いましたが、裏がとれています。ここ数ヶ月で、秋月型の艤装の増産が決定して実行されています。もちろん、長崎が空襲される前の話です」

 操る側の艦娘の総数が、両手で数える必要があるかというレベルの話だ。そもそも秋月型は量産性に優れた艦ではない。

「……量産体制に入った秋月型の正式ロールアウト自体は、一年に満たない。試験運用も兼ねて一番(テスト)艦だけは先行して南洋にデータ取りで実戦投入された記録があるが、その有用性が証明されたのは、トラック泊地迎撃戦。そして皮肉にも大鳥島(ウェーク)奪還戦での味方艦載機の電子ジャック事件の防空にあったはずだ」

「そうです。時期的には、五十機弱もの自律駆動式砲台が予備として生産される理由はありません。指揮する秋月型の艦娘すら適合者を血眼になって探しています。長崎の工廠の分も合わせれば、ゆうに百機を越える連装砲が用意されていたとは考えにくい」

まさか、決算期前の予算消化ではあるまい。そんな余力は我が軍には存在しない。だとすれば使うとは考えにくい艤装が、なぜこうも強硬的に生産されたか。それを手繰るしかないだろう。

「使い手がいないのに武器を作る必要性か」

「大本営は沿岸防備用に基地内の司令部施設を使用して運用するつもりだった、と答弁しています。その有用性に間違いではありませんが、無理があります。なぜ戦車では駄目なのかと(・・・・・・・・・・・・)

「艦娘の艤装だからこそ効果を発揮する場合か。何かしらの不祥事や金銭的癒着があるように思えるがなぁ」

 時の海軍大臣が更迭されたという話も聞かない。だとすれば、派閥争いではなくもっと別の目的か。

 隣に座った男は辺りを一瞥すると、仲間にでも合図をしたのだろう。会話を双方以外で気取られた可能性は低いらしい。

「調査の報告はひとまずここまでです。依頼された分だけこちらは動きますが、大宙様も悟られぬようお願いいたします。こちらとしても都合は悪いですからね。そして我々としてもパートナーを失うには惜しいですからね」

「警保局の重役が金で情報を売るとは考えまい。君の部署は腐敗した政治を叩くためではなかったかね?」

「お互い様です。まさか天下の艦娘部隊の指揮官が、身内の背後を撃ち殺す役回りとは思わないでしょう?」

 お代はこちらが持ちますのでという誘いを断り、大宙は万札をテーブルに置く。夜も冷える頃合いだが、飲酒なしに火照るような錯覚を覚えるのは少々頭を回したからだろうか。

「最終的には、あの陸軍佐官を吊るすに他ならないか」

 大宙の呟きは、闇夜へと溶けていった。

 



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ウルカヌスの天秤(後篇)

 仮にも顔見知りとはいえ、()()のカルテ等の個人情報が詰め込まれている部屋に通すわけにも行かず、彼は結局小さな応接室に彼女を通した。彼女についてくる白い帽子をかぶった少女も部屋に入ったことを確かめてから、部屋の使用状況を示す板を『使用中』にひっくり返し、中に入る。

 

「それで? 憲兵隊の士官殿が今更私に何の用です?」

「今更、今更ね……、その節は世話になったとしか言いようがないが……なに、見知った顔を見て尋ねることがそんなに不審なことかね?」

 

 

 埃一つない程に手入れが行き届いた部屋に通された菊澤はどこか上機嫌に人工皮張りのソファーに腰掛けながらそう言った。彼はどこか迷惑そうな顔をしながらローテーブルを挟んだ向かいに腰掛ける。

 

 

「痛くもない腹を探られるのは不愉快だって言うのは理由になりませんか?」

「十分に理由になるが、そもそも私は尋問をしに来たわけじゃない。そこの認識を改めてもらいたいね。海軍聯合艦隊直轄、特種兵装開発実験団、医学実験部、医学実験隊隷下、佐世保方面分遣隊、研究調査班所属、天羽月彦特種兵装専任医系技官殿?」

 

 

 所属を頭から諳んじられ、彼は――――天羽月彦海軍中尉は溜息をついた。

 

 

「溜息をつくようなことがあるのかな? 地方人(みんかん)の出身では軍隊のノリが合わないってところか?」

「別に合わないわけではありませんよ。スタッフも患者にも恵まれていますから」

「でも仕事に恵まれているわけじゃない」

 

 

 菊澤はそう言って笑う。

 

 

「この国の最高学府の中でも頂点に君臨する帝都大学大学院。そこの医学系研究科外科学専攻で医学博士になって、移植外科学の専門家として働いていた君を海軍がスカウトした。特種兵装(かんむす)治療(せいび)技術の発展のために。……蓋を開けたらびっくり仰天、研究からは程遠く、飛んでくるのは実務のみ。階級だって医官としては下から二番目、通常なら学生あがりでも任官から半年で少尉から中尉に格上げになることを考えれば実質的に下っ端だ……ひどい仕打ちもあったものだと思わないかい?」

 

 その言いぐさに天羽は小さく苦い笑みを浮かべた。

 

「臨床実験という言葉をご存知でしょう。満足していますよ……それで、今度は菊澤中佐殿が私を陸軍か憲兵にスカウトする気ですか?」

「君にその気があるなら繋いであげてもいいんだけどね。でも今回は単純にВерныйが世話になったことのお礼と、ちょっとした確認と情報提供のお願いといったところだ」

「……」

 

 

 天羽はそれにどこか身構えた姿勢を取る。部屋に差し込んだ日光が、彼の顔に似合っていない丸眼鏡に反射する。

 

「そんなに警戒しないでいい。まずは私からお礼を言わせてほしい。Верныйを治療してくれたこと、感謝する」

「特別なことをしたわけではありません。助かる見込みがあった。技術と設備が手元にあった。だから助けられた。それだけです。それに今回、彼女の怪我は軽かった」

「それでも助けてもらったことには変わりない。それも、()()()だ」

 

 

 そうだったよね? と菊澤はソファーに座ったまま背を反らして後ろを見る。護衛をするように立ったВерныйは頷いて口を開く。

 

 

「まだ天羽中尉が国立病院機構東京医療センターにいたころだったかな?」

「あぁ……そんなこともあったか」

 

 

 無表情にも見えるВерныйに天羽がどこか懐かしそうにそう返す。

 

 

「運ばれてきた時には驚いたものだったが、助けられて何よりだ。不調はないか?」

「全く。異性に一糸まとわぬ素肌をさらしたのは初めてだったけどね、感謝している。責任とってほしいかな?」

「あれは医療行為だ」

 

 

 Верныйにそう返すとケラケラと笑ったのは菊澤である。

 

 

「まぁ、からかうのはそれくらいにしておきなよ、ヴェル。天羽中尉も話半分でいい、ここから先の本題もその程度のものだ」

「……それで、本題とは何でしょう?」

「先日、私が輸送を担った自律駆動式砲台についてだ。……どう思う?」

「どう思うと言われましても……」

 

 

 天羽はそう言って頭をかく。菊澤は笑みを張り付けたままだ。

 

 

「難しく考えなくてもいい。……妙だとは思わないか? 自律駆動式砲台をこんな急に佐世保まで動かす。それも憲兵隊所属の私を使ってまで、だ」

「それだけ佐世保方面の状況が逼迫しつつあるということでしょう。実際、輸送中にも襲撃があった。実験中のものだとしても動かさないといけないと判断した。そういうことなんだと思うんですが……」

 

 

 天羽はそう言って指を組む。言葉が切れたのを見計らって菊澤が割り込む。

 

 

「天羽中尉も専門部署は異なるとはいえ、特種兵装開発実験団の所属。それに自律駆動式砲台の使用者の生体データの採取は、研究調査課の君が担当することになるはずだ。根っからの現場肌である雅軍医大尉もいるが、彼女は佐世保鎮守府の衛生隊の所属だ。実験団付として送られてきた自律駆動式砲台のサンプリングは君が適任となるはず……その君がなにも聞かされていないはずがない」

 

 

 天羽は黙ってその言葉を聞いていた。沈黙が落ちる。

 

 

「沈黙は肯定と受け取るけど、どうかな?」

「……聞かされているのはその仕様とこれまでの実験データぐらいのものですよ。それがどのような意図をもって使用されるのか……特に上層部の(まつりごと)が絡むところは中尉程度に情報が降りてこないことぐらい、あなたなら予想がつくでしょう。そういうのは伏宮司令補佐官の方が詳しいと思いますが」

「うん。伏宮少佐には昨日の夜にもう聞いたんだ」

「酒の力を借りて彼の体にね」

ヴェル(きみ)は少し黙ろうか」

 

 

 菊澤は振り向かずにそう言ってВерныйを黙らせる。

 

 

「なるほど、君の言う事ももっともだ。なら話を変えようか。医官として自律駆動式砲台の運用をどう判断する?」

「……まだ運用していないのでコメントは差し控えたいところです」

「政が苦手って言う割には、お役所的な答えが返ってきたね」

 

 

 何が面白いのか菊澤笑いながら肩を竦めた。

 

 

「これはオフレコだし、君の意見が調書に乗るわけではない。そもそもこれは尋問でもなんでもないんだから調書も作らない」

 

 

 そういう目は笑っていない。天羽は溜息。

 

 

「十分運用できると思いますよ。……陽炎型のテストでも、島風型でも、秋月型でも使えたわけですから、自律駆動をしている間、そのオペレーターたる艦娘には肉体的ダメージは入らない。夜戦などなら有効だと思いますよ。発射炎を目標とされてもオペレーターの生存率は跳ね上がる。自律駆動式砲台は文字通りある程度の自律行動をしてくれるわけですし、現状で危険は少ないと考えています。いつかは艦娘もクーラーの効いた司令部で自律駆動式砲台をコントロールする時代が来るかもしれません」

 

 

 天羽はそう言って目を細めた。丸眼鏡越しの目がВерныйに向けられた。

 

 

「もっとも、自律駆動式砲台をコントロールする時に拒絶反応を起こさないかどうかは、個体差があると考えられる以上、誰もが使える兵器であるかの判断を下すには時期尚早でしょうね」

「拒絶反応?」

「身体にとって、自律駆動式砲台を手足のように駆使して運用することはこれまでにない器官を植え付けられるに等しいんです。生身の腕を義手に変えてから調子を崩す人がいるのと似ています」

 

 

 天羽はそういうと右手を握って開くという動作をしてみせた。

 

 

「人間が右手を自在に動かせるのは、それを自身の一部と認識し、神経がまともに通じているからです。ですが、人間に猫が尻尾を動かす感覚は理解し難い。同じように身体から分離した自律駆動式砲台をコントロールする感覚は理解し難い……まぁ、通常型の艤装を自在に動かす感覚を知っている艦娘は比較的その感覚を理解しやすいだろうと言われています。そこまで気にすることはないのかもしれません」

「なるほど……だが、実際に運用できているんだろう」

「えぇ、ですから、そこまで気にする必要はないかと……特型艤装のアップグレードも可能だと思われます」

 

 

 天羽の言葉に菊澤はどこか皮肉な笑いを浮かべた。

 

 

「そうか、喜べヴェル。休暇はしばらく先になりそうだ。お賃金は期待できるな」

「その資本主義的な考え方は嫌いだね」

「残念ながらここは資本主義の王国だ」

 

 

 常日頃からそう言い合っているのか至って軽くそう言い合った二人だったが、注意はすぐに天羽に戻る。

 

 

「乗っ取られる危険性は?」

「通信などの分野は門外漢でなんとも言えません。それこそ伏宮司令補佐官か工作艦明石にでも聞いてください」

「……それもそうだ。後で聞いてみることにしよう。時間をとってしまって悪かった」

「いえ、そこまで時間を取った訳でもないので」

 

 

 天羽はそう言って立ち上がろうとする。会話は終わりなのだ。

 

 

「あぁ、そうだ」

「なんです?」

 

 

 その天羽を手で制したのは、菊澤だった。

 

 

「近頃、佐世保鎮守府内で不審な動きはなかったか?」

「……そちらが本題でしたか」

「いや、憲兵隊(うち)の大部分でも眉唾ものだろうと言われているんだが、少々小耳に挟んだんでね。ものはついでだから聞いてみようと思った……この鎮守府に不穏分子が潜んでいるんじゃないかという噂が立っている。艦娘のシステムを根底から破壊しようとしているやつがいる、とね」

「年がら年中の話じゃないですか? 艦娘反対派はマイノリティですがいない訳じゃないでしょう。確率論で言えば鎮守府にいてもおかしくないのでは?」

 

 

 天羽の答えに肩を竦める菊澤。

 

 

「そういう君はどうなんだい?」

「……本気でそんなことを考えてるならとっくに艦娘を全滅させてますよ。特種兵装専任医系技官の肩書きを使えば、陸にいる間に皆殺しにできますからね」

「なるほど?」

 

 

 でもまぁ、快くは思ってないかな? と菊澤は笑う。

 

 

「個人の主義主張はそれでいいし、個人ならいくらでも鎮圧可能だ。大きな事態にもならない。だが、それを組織立った形で行動に起こそうとしているなら話が別だ。それも軍組織の中でやられるとたまったもんじゃないしさ。それで上は内密にと言いながら敵性コードまで設定して対策を練ろうとしている」

「……それを、私に話していいのですか?」

「医官の口の硬さを信頼するさ。カドゥケウス……憲兵隊ではそう呼ばれている」

「医療部隊を狙い撃ちしたような名前ですね」

 

 

 天羽が苦笑いを浮かべると、菊澤はどこか腑に落ちない顔をした。

 

 

「あぁ……あれか、アスクレピオスの杖と混同してるのか。違う違う。カドゥケウス……ケリュケイオンと言った方がわかりやすいか。ヘルメスやメリクリウスが持ってたりする杖だ。神々の使者であり、死者の導き手であり、商人や羊飼い、博打打ちに嘘つき、盗人の守護者たる彼らの象徴だ。雄弁にして博識、夢と策略の神だったりする」

 

 朗々と読み上げられるその声はどこか芝居がかっており、どこか楽しそうだ。それを聞いて天羽は逡巡する間を取った。それを察したのか菊澤も口を噤む。

 

「……心当たりがないですね。もし怪しい行為を見つけたら菊澤中佐に内密に伝えればいいのでしょうか」

「火急だったら派手に喚き散らしてもらっても大丈夫だろう。自律駆動式砲台のテスターにВерныйが入っていることもあって、しばらくは佐世保にいることになりそうだ。目につきそうなところでわめいてくれれば私が馳せ参じよう」

「それは心強い。よろしく頼みますよ」

 

 

 天羽はそういうと扉を手前に開く、直後。

 

 

「うわ……っ!?」

「……何をしてるんだい? 深雪」

 

 

 ドアを開けた途端バランスを崩して部屋に倒れ込んできたセーラー服を見て、天羽は溜息。

 

 

「盗み聞きとは感心しないが、どうしたかな? 深雪君」

「け、憲兵さまには言われたくないやい」

 

 

 深雪は部屋の床に突っ伏した姿勢のままそう言った。顔だけ上げた様子はどこか不満そうだ。

 

 

「……それで、何をしに来たんだい?」

「……天羽さ……中尉が憲兵にしょっぴかれてたから……」

「なんだ、冷やかしかい?」

 

 

 天羽の声に彼に噛みつかんとしているのかのように、がばっと体を持ち上げる深雪。

 

 

「アンタを心配してたんだよ! ……少しだけ、だけどな」

 

 

 口にしてから恥ずかしくなったのか、どっかりとその場で腰を下ろすように距離を取った。スカートを気にせず胡坐をかいて顔を逸らす。それを見てにやにやとした笑みを浮かべ天羽にすり寄ったのはВерныйだ。

 

 

「こんなとこでも(たら)し込んでるのかい。私という女を置いておきながら。このロリコンお医者さん」

「根も葉もないことを言うな。それにすり寄らないでくれるかな。あと腕を外してくれると助かる。菊澤中佐について行くんじゃないのかВерный」

「ヴェルが好きならおいていってあげようか? このロリコン医官」

 

 

 菊澤の科白に深雪がじとっとした目を向ける。

 

 

「天羽中尉……まさか……」

「……ロリコンだったら外科医じゃなくて小児科医を目指してるさ」

「で? 精神鑑定でバレたから外科医に?」

「Верныйは少し黙ってくれ」

 

 

 天羽が困ったようにそういうと、ニヤニヤしながらВерныйが天羽の横をすり抜けて部屋の外に出た。

 

 

「さて、いつでもラブコールは待ってるからね、天羽中尉」

「ヴェルもそう言ってることだし、ぜひとも考えておいてね、天羽君?」

「あなたまで乗らないでくださいよ」

 

 

 菊澤はケラケラと笑ってВерныйの後を追った。彼女は振り返って敬礼。

 

 

「んじゃ。よろしく頼む」

「……了解しました」

 

 

 扱いへの不服を滲ませながらも天羽は答礼。深雪も不承不服ながらも答礼を返した。胡坐のまま海軍式で額に掌を翳す動作は慇懃極まりない。その背中に向かって舌を出して怒りを表現するが彼女たちは振り返らない。

 

 

「ふんっだ。なんなのアレ! あんなのが好きなの天羽さんっ!」

「誰も好きとは言ってないし、あれを真に受けられると私も困る」

 

 

 からかわれたことが相当に不満なのか、菊澤たちが消えていった方向を指さして天羽に噛みつく深雪。天羽も困り顔だ。

 

 

「……まったく、好奇心は猫をも殺すという言葉を聞かないのか」

「そんなこと言ったって天羽さんがいなくなったら誰が私達の治療をするのさ」

「そりゃあ雅柚穂大尉がしてくれるだろう」

「えー……」

「なにが『えー』なんだかわからないんだが」

 

 

 天羽の確認を深雪は無視。

 

 

「……で? 何か変なこと言われて……たね、うん」

「あの冗談は差し置いて、別に私が連行されるとかそういうことじゃない」

 

 

 安心しろ、という意味でポンポンと頭に手を置いた天羽。深雪が目を伏せ気味にしてそれを受け入れていたが、何かにハッとしたようにその手を払って飛び上がる。

 

 

「こっ、子ども扱いするなバカ――――!」

 

 

 地団駄とは言わないが床をバンと鳴らして威嚇する深雪だが、その顔は羞恥か怒りかわからないが真っ赤に染めている。

 

 

「別にアンタの心配なんて全っ然、全然してないし! 勝手にあの白いの(Верный)とイチャついてろバ――――――カ!」

 

 

 そう言い残して走り去っていく深雪。菊澤たちがいなくなった方向とは逆の方向に去っていく。

 

 

「おっと」

 

 

 深雪が角を曲がったタイミングで男の驚いた声が聞こえた。怪訝に思っているとその角からひょっこりと顔を出す影を認める。天羽はすぐに敬礼。向こうの方が上官だ。

 

 

「深雪と何かあったのか?」

「……子ども扱いするなと怒られてしまいました。……大宙中佐はどちらへ?」

「陸海連携の会議に呼ばれてるんだ。先の深海棲艦の襲撃の反省と対策を練るための会議だとさ。全く嫌になるよ。部外者(りくぐん)がいるだけでそれなりの恰好をしなきゃいけないのは本当に何とかならないものかね。屋内なら制帽は不要だろう」

 

 

 首元が苦しいのか塩梅を確かめ、脇に抱えた制帽を振って見せながらそう口にするのは大宙哲也中佐だ。横には書類が入っているらしい男物のブリーフケースを下げた重巡洋艦『摩耶』がついている。彼女の恰好からすると恐ろしくブリーフケースは似合ってない。

 

 

「んで? 天羽中尉はこんなところで何を?」

「いえ、憲兵隊の菊澤中佐に呼び止められてしまいまして、過去に顔を合わせたことがあったのでそれで絡まれたようです」

「憲兵さんか、天羽中尉も災難だ」

 

 

 そう言って笑って見せる大宙の横で鼻を鳴らしたのは摩耶だ。

 

 

「こんなところで油売ってる余裕ないんじゃないですか、大宙提督殿」

 

 

 取ってつけたような丁寧語があまりに似合わない摩耶に大宙や天羽は苦笑いだ。

 

 

「艦娘も参加されるのですか?」

「まさか、摩耶が寂しそうにしてるから構ってるだけ」

「提督が荷物持ちでついて来いって言ったんじゃねぇかクソが!」

「おっと」

 

 

 さっきの敬語がどこへやら、摩耶が拳を作って大宙へ振り下ろす。それをひょいと軽く避けた大宙が小さく笑う。

 

 

「まぁ護衛も兼ねて呼んでる訳なんだがね」

「基地の中で、ですか?」

「仮にもあの襲撃の対応に係った一人だ。陸海のいがみ合いの合間に殉職とか避けたいし、国防の要たる艦娘がいるところで馬鹿正直に責めてきたりはしないはずだから」

「はぁ……」

 

 

 天羽はそういうものなのか、とどこか腑に落ちないような煮え切らない返事を返す。

 

 

「提督、さっさと行くぞ。もう時間はギリギリなんだ」

「それもそうだな、仲直り頑張りたまえ、天羽中尉」

 

 

 そう言って肩を叩いて横をすり抜けようとする大空。その瞬間、口元を動かさないようにして大宙が呟いた。

 

 

「気をつけろ。陸が何かをしているらしい」

 

 

 それだけ言って肩をもう一度叩いて通り過ぎていく。

 

 

「頑張ります、中佐」

 

 

 天羽は苦笑いの敬礼で見送る。手をひらりと振って過ぎていく大宙と怪訝な様子の摩耶が廊下の角に消えていくのを確認してから、天羽は踵を返した。

 

 

「……気をつけろ、か」

 

 

 天羽はそう呟いて、自分の職場である医務区画へと向かったのだった。

 




はじめまして。今年も音頭をとることになったエーデリカです。
去年の合作を受けて、対策した上で現在の有様とは笑うに笑えないですね。

読者の皆様の中には、そろそろ期末テストの方もいらっしゃると思います。勉強も執筆も先延ばしにしない! 割りを喰うのが自分自身だけなら良いのですが、果てさて。

さて、物語も折り返しに入って参りました。既に原稿は完成していますが、こうご期待くださいませ。

それでは。


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ウェヌスの抱擁(前篇)

 

 雅は佐世保鎮守府において自らに与えられている個室がある。だが、あまり個室にいることはない。傷病人はいつ出るかわからないのだ。深夜に来るかもしれない。早朝に来るかもしれない。だからこそ、いつ人が来てもいいように雅はたいていの場合、医務室に常駐していることが多かった。そして、今日も今日とて珍客が姿を表した。

 

「やっほー!」

「隼鷹さん? 医務室で騒ぐのはやめてもらえないかしら?」

「やー、ごめんごめんっと」

 

 隼鷹が手刀を切って詫びる。適当なこと極まりない謝罪に半目で雅が隼鷹を見つめて、ようやくバツの悪そうな顔で隼鷹が頭を下げた。

 

「まあ、いいわ。で、何の用? 見たところ怪我はしてないみたいだけど。酔い覚まし?」

「いやだなぁ、私は酔ってなんかないってぇ。あ、でも雅先生もこれからいっぱいやらない?」

「消毒用のエチルアルコールがお望みかしら?」

「じ、冗談だってば」

「はあ……休肝日くらいは設けなさい、まったく。飲むなとまでは言わないけど、飲みすぎは体に毒よ」

 

 飽きれた口調で雅が忠告するが、隼鷹はタハハ、と頭をかいて誤魔化した。どうせ真面目に言ったところで取り合わないと知っているのでこれ以上、追及することは早々に切り上げた。

 

「で? こうやって私に説教を食らうってわかっているのに医務室に来たってことは何か用事があるんでしょう?」

「あ、やっぱりわかっちゃう? あのさ、大鯨さんいない?」

「大鯨? ……そういえば見ないわねぇ」

「部下じゃないのかい?」

 

 遠まわしに隼鷹が、どうして大鯨の居場所を知らないのかと問いかけてきた。それに対して雅は小さく肩をすくめることで答えとする。

 

「違うわよ。私の近くにいてくれるのはただ単に大鯨の好意よ。そもそも大鯨は艦娘よ? 私は医務室勤務なんだから指揮系統が違うわ」

「へぇ。じゃあ、大鯨さんはどこにいるか知らないと」

「知らないわ。私の助手ってわけでもないから。でも、どうして?」

「それがさぁ。この間、バッカーーーーいや、吉井中尉と飲む時にツマミを作ってもらったからそのお礼にって思ったからさ」

 

 隼鷹が手に提げていた紙袋を持ち上げる。わざわざちゃんとお礼を用意してくるあたりはしっかりしているのだから、少しくらい禁酒するなり制限するなりすればいいと雅は思うのだがそう簡単にできることではないらしい。

 

「でも大鯨さんいないのかぁ。んじゃ、雅先生が渡しといてくれよ」

「まあ、いいわよ」

 

 大鯨が来ることは義務ではない。あくまでも大鯨が好んで医務室を訪れ、彼女の意思で雅の指示に従っているだけなのだ。

 隼鷹から受け取った紙袋をデスクの上の端に置いておく。これで忘れるようなことはないはずだ。

 

「それにしても本当に珍しくないかい? いっつも大鯨さんは医務室にいるイメージだけどねえ」

「まあ、否定はしないわ。今日はなにか大鯨に予定があったかしら?」

「雅先生、知らないのかい?」

「だから私は大鯨の直属の上司じゃないのよ? 予定までは把握してないわ」

 

 大鯨に何かしらの命令でも降りたのかもしれない。仕事、ということなら雅に口を出す理由も権利もない。

 

 そもそも艦娘と医務室では関係がなさすぎる。それでもしょっちゅう顔を出してくれるのは大鯨の個人的な動機だけだろう。いつも時間があるときは手伝ってくれる大鯨に雅は本当にありがたいと思っていた。

 

 雅はぽんと手を叩く。この話は終わりだ。

 

「……さて、お茶でも淹れようかしら?」

「お、気が利くねぇ」

 

 何にしようか少し悩む。雅の個人的な趣味の問題で、医務室には無駄に飲料の種類が豊富なのだ。煎茶を始めにして、基本のコーヒーはモカ、コナ、ブルーマウンテンやキリマンジャロなどが置いてあり、紅茶もアールグレイやアッサム、ダージリンにディンブラなどと茶葉の取り揃えが非常に多い。それだけではない。お茶も、玉露、烏龍茶、ハス茶、ジャスミン茶、ハーブティーなど多種多様な取り揃えがある。もちろん軍の経費は使わずに、雅のポケットマネーから出ているので何も問題はない。それぐらいの良識はあるつもりだし、その程度の金額を払っても痛まない給金はもらっている。

 

「梅昆布茶にしようかしら」

「梅昆布? なんだいそりゃ」

「あなたのようなヒトに良いものよ」

 

 練り梅と粉末状にした昆布を湯呑みに入れると、電気ポットから湯を注ぎ込む。時間が経つにつれ、梅の酸味ある香りがふわりと湯気と共に雅の鼻をくすぐった。

 

「なんで梅昆布茶?」

「梅に含まれるクエン酸は疲労回復に効果があるのよ。それに胃腸の粘膜を保護する働きもあるから二日酔いに効くの」

「へえー」

「あとは昆布のビタミンB1とマグネシウムがアルコールの分解を助ける効能があるから、二日酔いの日やお酒を飲む前に飲んでおくといいわよ」

 

 2つ目の湯呑みにも同じように練り梅と粉末状の昆布を投入。湯気の沸き立つお湯を流し入れて、軽くスプーンでかき回す。きれいに溶けきってから、湯呑みを隼鷹の目の前に置いた。

 

「そりゃいいねぇ! これで心置きなく飲めるわけだ」

「……そのために淹れたんじゃないけどね」

「いやぁ感謝してるよ雅先生。ありがとねっ」

 

 そういいつつ湯飲みを手に取り、匂いも味わうようにゆっくり飲む隼鷹。くい、と湯呑みを傾けると、爽やかな梅の酸味と昆布の旨みが口の中で交錯しながら広がった。嚥下すると温かいものが胃の腑を満たしていく。半分ほど飲んだところでちょっと彼女は手を止めた。

 

「ちょっとつまみでも持ってくるよ。お茶、ちゃんと取っといてよね」

「分かってるわよ」

 

 立ち上った隼鷹はそのまま出口へ。扉が閉まる。

 

 医務室にいつも通りの沈黙が訪れた。珍しく誰もいない医務室はまさに平穏。時計の秒針が進む音すら聞こえる。

 

 だからこそ、無駄なことまで考えてしまう。考えるのは先ほどのこと。いやにつかえる言葉。

 

「小さな箱庭を守っていればいい、ね……天羽君も厳しいことを言ってくれるわ」

 

 少数の命を救うことですべてを助けたような気持ちになっている偽善者。まさにその通りだ。多数の命を救うためには、力が必要だ。そして権力というのは立派な力だ。

 

「雅()()……ね。天羽君も懐かしいことを思い出させてくれるわ」

 

 苦虫を噛み潰した表情で雅が言った。天羽がどこで知ったのかはわからない。だが確かに雅は少将だった。けれど少将であったのにも関わらず、今は大尉。階級は大きく下がってしまっている。つまり持っていた権力は縮小し、今では佐世保鎮守府医務室の長でしかない。

 

「確かにその通りよ。大尉より少将の方ができることが多い」

 

 そんなことわかっている。雅は人を救うという信念を果たすなら、大尉に身を落とすのではなくて少将に居続けるべきだった。その努力をするべきだった。

 

「私のやってることが偽善だってことくらい自分でわかってる。手のひらに掬える水だけで、こぼれ落ちていく水から目を背けている私は間違っている」

 

 そんなこと、この道に入ることを選択した時になんども問いかけたことだ。

 

「でもね、もう戻れないのよ」

 

 梅昆布茶の入った湯飲みを傾ける。昆布の出汁の中に混ざる梅の風味が口の中で淡く溶けた。

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

「柚穂さん……あなたは間違ってなんかいません」

 

 雅の名前を大鯨はゆっくり呟く。つい黙って聞いてしまった。医務室の扉を隔てている雅がこちらに気付いた様子はない。いまさら部屋に入る気になれず、大鯨はもたれていた背を離しその場から立ち去る。

 

 うつむきがちにゆっくりとした足取りで目指すのは宛がわれている自室。

 

「お、大鯨じゃん。先日はありがとねぇ。あとで雅大尉からブツを受け取ってくれなー」

 

 どこかに向かうらしい隼鷹とすれ違うが、軽く会釈を交わし逃げるように大鯨は歩みを早める。

 

 大鯨は知っていた。雅は大尉になるしかなかったことを。少将という立場を引くしかなかったのだということも。

 

 そして、それでも雅は戦うことをやめずに医務に従事してきたことも。

 

「柚穂さん……だから私はあなたに付いてきたんです」

 

 大鯨はそこで足を止める。やっぱり納得できない。彼女の想いを偽善の一言で切り捨てられて黙っていることなんてできない。足が天羽の部屋へと向けられる。さっきは言い返せなかった。今度も言い返せないかもしれない。それどころか門前払いをくらうかも。

 

 でも、どんな言葉を出せばいいのか分からないけど、このまま部屋に帰ってしまうなんて出来なかった。

 

 天井に取り付けられた蛍光灯は節電のために半分に減らされている、どこか暗くなりがちな廊下はどこまでも続いていきそう。

 そこでふと、大鯨の中で引っかかるものが。

 

「そういえば……天羽中尉はなんで柚穂さんが少将だったことを知っていたの?」

 

 あの時は冷静じゃなかったから気づかなかった。でもどうしてだろう、妙に引っかかる。

 

 別にそれは一級機密というほどのものではない。だがそう簡単に知ることができる内容でもないはずだ。少なくとも中尉という階級では知り得ない情報だということは間違いない。ましてや佐世保に来てまだ日の浅い彼が知るはずがないのだ。

 

 そんなことを考える内に天羽の部屋についてしまった。ノックをしようとして、ドアが僅かに開いていることに気付く。

 

「あれ……天羽中尉?」

 

 呼びかけて見るも返事はなし。隙間から覗く部屋の中は黒く塗りつぶされていて、まるでどこまでも続く穴の入り口のよう。

 

「誰も……いない?」

 

 天羽の部屋の戸を中の様子を伺いつつ、大鯨がこっそりと押し開ける。そのまま廊下に誰もいないことを確認して、電気のついていない部屋にこっそりと滑り込む。カーテンも引かれているせいか、真っ暗だ。

 

「ずいぶんと殺風景な部屋……」

 

 暗闇に目が慣れてきてようやく部屋の全貌がきれいに見えるようになった。質素、とはまた違うが飾り気があるというわけでもない。ただ必要なものが置いてある、という感じだ。

 

「さっきの言葉……やっぱり引っかかる」

 

 天羽月彦という人間はなぜあそこまで敵意をむき出しにする必要があった? 雅に対してその思考が理解できない、もしくは反対していたのだとしてもあそこまで反抗的な態度を取る必要性はなかったはずだ。

 

 ぐるぐると頭の中でさっきの会話をリピートしているところで、急に電子音。

 

「ひっ!」

 

 驚いて大鯨は飛び上がった。警報が作動したのかと思ったが、飛び込んできたのは警備ではなくぼんやりとした光。どうやら見つかったわけではなさそうだ。

 

「驚かさないでよ……」

 

 さっきまであんなに静かだった部屋で、天羽の机の上にあったパソコンが音を立ている。ようだ。さっきまで光がなかった部屋に、コンピューターのブルーライトが混ざった。

 

 そろり、そろりとコンピューターに忍び寄る。慎重にコンピューターの画面を大鯨が覗き込んだ。

 

《<ers:mbean name="ERS2:name=Unkoown"》

《<ers:property name="User">○○○△△△@◇××#ne.jp》

《<ers:property name="Password">eottpy</ers:property>》

 

「どういうこと……?」

 

 よくわからないコードが天羽のコンピューター画面に流れる。だがあまりにも早すぎて内容までは読み取れなかった。だがよくわからないプログラムが走っていることだけはわかった。

 

「えっと、いい旅を? 幸運を祈る? どういうことなの……?」

 

 大鯨が首を傾ける。どうしてこの状況下でこんな言葉が天羽のコンピューターに流れているのかわからない。

 ポン、とウィンドウがポップ。小さなウィンドウにあるバーは左から緑色に染まっていく。完全に緑色になった後に、[Sending]の文字が浮かぶ。

 

「送信? これってメール?」

 

 じっとコンピューターを見つめる大鯨の顔をブルーライトの光がぼんやりと照らし出す。これで終わりなのかと思っていると急に新しく文字が浮かび上がる。

 

「なに、これ?」

 

 と、その時。大鯨は、一瞬意識を失いかけるような衝撃を受ける。

 

 文字通り雷に撃たれたような錯覚。目をしばたいて、自身の状態を確認する際にも違和感。数刹那か数時間か。その把握すら判断できないように間が空く。再び考え、動き始めるころにはどれだけ経過したことだろうか。

 

 ピントが合わない仄明るい視界。僅かに体を動かそうとして、微動だにしないことに気が付いた。スタンガンか何かを使われただけではない。物理的に結束バンドで、両手の指を結わえられたかのようだ。

 

「……!」

「お寝坊ですね。しかし、こちらとしても想定外だ。君のおかげで、曙の頃合いだというのに花火を打ち上げる羽目になるとは」

 

 その言葉に意識が強制的に引き戻される。上官にあたる雅軍医大尉とは異なる声、男の人の声だ。大鯨は飛びかけた思考をかき集め、この部屋の主の名を口から突き出す。

 

「……天羽月彦軍医中尉」

「フルネーム階級付きで呼ばれるほど他人行儀は必要ないと思っていたんですが、まぁ、仕方ないでしょう。後ろ手に縛られてベッドに転がされている状況で、目の前に縛ったらしい男がいたら、警戒されるのも当然ですからね」

 

 丸眼鏡の向こうの目はいつも通りだ。几帳面過ぎるほどに折り目正しくプレスされた白衣もいつも通り。無造作ながらも不潔感はない髪もいつも通り。――――それでも、目の前の天羽月彦の雰囲気は、大鯨から見る限り、どこか異なっているように見えた。

 

「……あなたがアナキストだとは、知りませんでしたよ」

「なるほど、あなたから見たら私は無政府主義者(アナキスト)に見えるんですね。私は自身を愛国心(パトリオティズム)溢れる愛国の士だと認識しているんですが」

 

 そう言って肩を竦める天羽。その背後にはPCの明りが灯っているのが見える。大鯨は素早く視線を走らせた。天羽の部屋。どうやら拘束した大鯨の処遇は、ここに放置することを選択したらしい。あやしまれずに自室から運び出す事は無理だと考えたようだ。大鯨は目の前に居る男に向かって口を開く。

 

「愛国心とは、卑怯者の最後の逃げ口上である……という言葉はご存知ですか?」

「文豪サミュエル・ジョンソンの言葉でしたか? 確か18世紀イギリス、英語辞典の編纂者だったはずです」

 

 天羽が即答。大鯨の何がおかしかったのか、彼は喉の奥で笑った。

 

「愛国主義でジョンソンが出てくるあたり、大分皮肉が入っていますね。普通ならジャン=ジャック・ルソーあたりが出てくるものだと思ったのですが」

「私の考え方には合わないので」

「フムン。では、アメリカ南北戦争の話もお嫌いですかな?」

 

 天羽はそう言うと朗々と何かを読み上げるように諳んじる。

 

権利が奪われているものとして自らの国を見たがる人物は、愛国者たりえない。したがって、アメリカに対する権利侵害などという馬鹿げた主張を正当化する者は愛国者ではないのだ。彼らはわれわれ自身の植民地に対する自然かつ合法的な権威を国民から奪おうと試みている。それら植民地は英国の保護のもとで安定し、英国の憲章によって統治され、そして英国の武力によって防衛されてきたのだ。

 

「……為政者の為の安寧、それを謳うつもりですか?」

「君は嫌いなんでしょう? 私もです。しかしながら私はこれに学ぶべきところがあると考えているんですよ」

 

 天羽はそう言って両腕を広げた。

 

「人間が社会を構築し、貨幣経済を成立させて以来、価値のない物に価値を認め、それらを交換することを覚えました。その最たるものが時間であり、労働であり、命であるわけです。その価値をお金に変え、権威に変え、権力に変え……そして富めるものと富まざるものを生み出した」

資本主義者がきまりきった所だけの利潤では行き詰り、金利が下がって、金がダブついてくると、『文字通り』どんなことでもするし、どんな所へでも、死者狂いで血路を求め出してくる……ですか」

「小林多喜二『蟹工船』ですね」

 

 その声にどこかムッとしたような視線を向ける大鯨。

 

「社会主義の話をしに来たわけじゃないんですが」

「私も社会主義の話をしたいわけではないんですがね。まぁ社会主義というのは、学のない労働者の中で言語化されていない思想として脈々と続いてきたという意味において、根源的な思想と言えます。……なかなか面白い引用をしますね、大鯨」

「褒められてもうれしくないんですが」

「なるほど」

 

 不機嫌な大鯨と比較しても天羽は上機嫌だ。

 

「話が逸れましたね。南北戦争において、アメリカは最終的にイギリスの植民地から外れ、独立を勝ち得ます。為政者や権力者の言葉に対しての勝利とも取れるわけです。そうして生まれたのが自由主義(リベラリズム)ということになります。人が自由に生きられる世界を、自由の守護者としての国家の存在を求めた」

 

 天羽が何を言わんとしているか大鯨にはわからなかった。

 

「では私から質問です。この国は自由の守護者たることができるでしょうか?」

 

 天羽はそう言って大鯨を指さした。

 

「その体、その言葉、その仕草、その思考……それらすべてを規定するナニカ。それを疑ったことはありませんか? 自らが戦う必要、自らがまるで滅私奉公のようにしてこの国体を守る必要、それらを疑ったことは?」

 

 カーテンが閉め切られた部屋で天羽の声が響く。軍事機密の権化のような代物である艦娘を扱う都合上、この部屋に入れるのは艦娘およびそれに関わる人物の出入りに限られる。外の誰かに聞かれることを考えていないのか、天羽はどこか興奮気味に続ける。

 

自由の名に値する唯一の自由は、われわれが他人の幸福を奪い取ろうとせず、また幸福を得ようとする他人の努力を阻害しようとしないかぎり、われわれは自分自身の幸福を自分自身の方法において追求する自由である――――――J・S・ミルはご存知かな?」

 

 天羽はそう言って笑った。

 

「この国は今死に絶えようとしています。それは、深海棲艦が攻め寄せているから()()()()。一番の理由は自由や意思の欠落によるものだと私は考えています」

「よく言いますよ。あなたは今前線がどうなっているかを知っているんですか? 硝煙の匂いを嗅いだことがあるんですか? 腕や足がちぎれる感覚を覚えたことはありますか?」

「そう、それが問題だと私も考えています。私もできることなら最前線に立ちたかったのですが、前線に出ることができないんじゃどうにもなりません」

 

 そう言って天羽は肩を竦めた。

 

「国を守る役目は君達が負ってしまいました、私はぬくぬくと後方で暇を持て余すしかできない訳です。なので、まぁ、頭でっかちと言われるとなにも言えないところがありますが……それを問わねばならないと思っていますよ」

「無責任じゃないですか。あなたの愛国に付き合わされて私は縛られているのは不条理じゃないんですか?」

「それについては後々補填があるでしょう。それこそ、政府や権力があなたを見捨てるはずがない。私もあなたを拘束することが目的ではない。もうすぐ解放しますよ。時間は十分に稼げた」

 

 そう言った声に大鯨は僅かに目を細めた。

 

「あのコード……」

「起動する前にコトが露呈してはさすがに意味がありませんからね。ウィルスは使い捨ての兵器とはいえ、使う前にバレてはお話になりません」

「……それで、何をする気なんですか」

「話す必要がありますか?」

 

 天羽はそう言って後ろのPCを操作し、電源を落としたらしい。画面がブラックアウトする。

 

「どうも自分はいま機嫌がいいらしいので、少しだけ先ほどの質問にお付き合いしましょうか。……コンコルディアという女神は知っていますか?」

「コンコルディア……?」

「ローマ神話に出てくる女神です。紀元前370年ごろ、時の大国であった共和制ローマはフォロ・ロマーノに和平と協調を司る女神コンコルディアを祭る神殿を建立した。荘厳なる協調(コンコルディア・アウグスタ)の精神を具現化したその神殿は、ローマを鎮守するため、重要な役割を果たした」

 

 天羽はそう言って白衣の襟を正した。

 

「コンコルディアは(パテラ)豊穣の角飾り(コルヌー・コピアイ)を持っている姿で描かれることが多いですが、もう一つ持っていることがあります。――――――平和の杖(カドゥケウス)

 

 そう言って笑った彼の目に初めて、狂気が浮かんだ。

 

「もし、その杯に毒が注がれていたら。もし、その角飾りに詰まっているものが腐った林檎だとしたら。もし、その杖が導くものが子羊ではなく悪霊だとしたら。それらの協調により守り導かれるこの世界の安寧は、何処に向かうのでしょう。私は、それを危惧している」

 

 天羽が部屋の扉を開けた。廊下からは薄暗い中でも日差しが飛び込んでくる。

 

「すぐに迎えが来るでしょう。その人たちに伝えてください。カドゥケウスは預かった。取り返したくば追ってこい」

 

 双眸に、夜明けよりも遥かに禍々しい光が見えた。

 



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ウェヌスの抱擁(後篇)

 異変は突然に、前触れもなく。日常であることは、人間にとって何を用いての尺度か。しかしこの日に起きた出来事が、佐世保鎮守府の将来を大きく揺るがしたのは他でもない事実だった。

 

 睡眠不足による片頭痛に悩ませられながら、散らかした作業台の上を明石が片づけるのを眺める。コーヒーを煽ったものの、気つけにもならないような不快感。休息が削られた事よりも控えている仕事の方に悩まされていたのが大きいが、部屋中に聞こえるような溜息を一つだけついた。

 

 日頃は装備の開発に限って喧々している伏宮と明石であるが、開発が一段落すれば対等な技術者間ではなく只の上司と部下になる。

 壁掛け時計を見れば、シフトが交代する頃合いである。窓からは、ブラインド越しに忌々しいくらいに朝日が差し込んでくる。

 

 そろそろシャッターを開けるかとも考えた伏宮だが、先方のコールをを告げる着信音に顔を顰める。電話帳に登録された名前を見て、ますます気分が滅入ってくる。なぜ今になって、特実隊の実質的トップである横須賀の准将殿から連絡を寄越されねばならないのか。

 

 気持ちを仕事へと切り替え、マナー通りに2コールで通話を開始。夜明けまでご苦労という出だしからの会話は、もはや上長からの煽りにしか聞こえない。

 

「はい。例のコンテナは無事に陸揚げされたようです。いえ……勘弁してください、准将。なぜこの時期に搬入されたかは、私の方が聞きたいです。はい……今回の件、統合幕僚幹部。いえ、陸軍幕僚部に関しての探りは……。はい、了解いたしております。その件ですが、なぜこのタイミングになって、ロシア極東部から追加の艤装が? では、またこちらからご連絡させて頂きます。失礼いたします」

 

 苛立ちを抑えながら状況報告を済ませ、通話を切る。上司相手の報告一つで予想外が起こるだけで面倒だと、特種兵装実験隊佐世保方面分遣隊司令補佐官であるなどという仰々しい肩書に見合わぬものだと溜息をついた。

 

 そもそもが長崎の海軍工廠が空爆されたのにはじまり、補填物資を大陸から海路で運んだ際の戦闘などイレギュラーが多すぎた。それに伴って抗議の意味も含めて追及したつもりだが、巧い具合にはぐらかされた。

 

そうして一人背もたれに身を預けると桃色の髪に鉢巻を締めた女性が、作業着姿の伏宮に問うてくる。

 

「そういえば伏宮少佐。何であんな開発計画を快諾してるんです?」

「快諾も何も、技術屋がやるべきはお上からの命令を忠実に実行することだけだが? おまけに、本来落としえない予算まで申請できた」

海軍においても唯一無二と言える工作艦、明石。その声に何処吹く風と流す伏宮。

片づけきった作業机に広げられたのは、整備や補給の報告書の束。その散らばった書類の中に、明石のいう案件があった。あらかた先日の会議で、菊澤相手に発破をかけた件についてだろう。

「試製六連装酸素魚雷なんて正気です!? 五連装でも十分な威力ですし、それ以上に現状魚雷装備へ防盾の追加と装填の自動化こそ優先すべきだと思うんですけど」

「あの炸薬の塊に、盾など付けたところで焼石に水だぞ。それに便利にしたところで、被弾時の強制排除で使い捨てもありうる装備に経費を落とせと?」

詰め寄る少女の剣幕に、物怖じせずに伏宮は返す。艦娘である明石の階級は中尉相当、対するその上官は少佐。本来であれば抗議のスタンスなど持っての他だが、工廠で勤める者として譲れない面もあるようだ。

技官である以前に艦娘である明石にとって、実際に艤装を背負い戦場に立つのがいかに危険と隣り合わせかと目で問うてくる。

「僅かでも誘爆の可能性を下げられれば十分でしょう!? 工廠の都合でそれを妥協していいんですか。戦地の艦娘の生死に直結する話ですよ!」

「オーバーホールして換装するのであれば、それこそ重心関係を総とっかえだ。既存システムからの更新のために開発費と実装調整、一体どれだけの金と時間がかかると思っている」

「それを言い出したら、お上のいう六連装魚雷発射管だって同じですっ。ただただ魚雷を積めば良いって問題じゃありませんっ」

「だから秋月型に改装計画が持ち上がっているんだろう。開発中の戦時量産型駆逐艦にしかり、少ない搭載スペースに最大限の雷装をという要望は理に適っている」

これで議論は終わりだと突き返す伏宮。対して明石は、悔しげに歯を鳴らす。

秋月型駆逐艦は、その運用コンセプトから攻めより守りに重点をおいた艤装をしている。自律駆動式砲台によってカバーする、他を追従しない防空範囲。ただし水雷戦による肉薄しての打撃力は、初期型艦艇にすら劣るという犠牲の上だ。

改良策として挙げられるのは、キャパシティを活かしての六連装酸素魚雷へ更新すること。駆逐艦の中でも演算処理装置が大型な秋月型であれば、取り回しへの負荷も軽微であるという机上の空論だけが根底にある。

資源は有限である。戦況を打開するためには、常に新たな戦術や武装が必要とされているのは理解できる。しかしそんなこと(・・・・・)よりも、既に配備されている武装の拡充が最優先だと明石は語る。

前線にとって必要なのは柔軟に対応できる戦力の向上であり、決して尖ったワンオフ機が欲しい訳ではない。これから配備される最新の秋月型と、現状配備されている多くの駆逐艦。汎用性という面だけを鑑みれば、少ない投資に見合う働きをするのは後者だ。

しかし前線にいる艦娘の旧型装備を更新し続けるのは、日中夜に工廠が稼働し続けてもいつになるかも分からない。そして彼女達はたとえ旧型であっても、今なお戦線を支え続ける実力を兼ね備えている。

だからこそ上官である伏宮はコストを天秤にかけた上で、上層部の要望を優先する。整備のためにただただ戦線から艦娘を遠ざけることを良しとはしない。ならば、これからの戦線を担う秋月型に最大限の技術を注力すべきだと判断する。

「俺達がやるのは、最前線が常に100%の実力を発揮できるように整備することだ。決して、120%をムラがあっても出せるようにすることじゃない」

「しかし前線の膠着状態は、決してその余力があるとは思えません」

「だからこそだ。整備のために戦線から艦娘を一隻でも下げれば、他の艦娘がカバーせざるをえない。無理が祟って、それこそ轟沈させれば終いなことも分からなくはないだろう。明石」

「だからと言って、前線の要望を取り下げるんですか!? 本土にいる私たちの勝手な思想でっ!」

確かに、魚雷という爆発物を抱えている艦娘を守るために防御力は欠かせない。しかし鈍重にならざるをえないことで、機動力が落ち込むのも前線も分かっている。無理難題の上で、各泊地の指揮官は艦娘の要望を上げてくる。それに応えるのも技術屋の立派な務めだ。しかし出来ないことが出来るようになればと、世の中が上手く回らないのもまた事実である。

「『兵は拙速なるを聞くも、いまだ巧久なるを睹ざるなり』かつて孫子は極度の長期戦を避けるべきだと問いたが、今の俺達はどうだろうな。勝算がないにも関わらず、悪戯に兵を喪うだけだ。なら、前線にテコ入れが必要な時期が差し迫っていても可笑しくはない」

「『正を以て合い、奇を以て勝つ』伏宮少佐はそう言いたいんですか?」

「そういうことになるな。敵軍と対峙するときには正攻法を採用し、戦には奇襲によって勝利する。今が正というのではあれば、奇を作るべきときも必要だという話だ」

とはいっても、それが前線から求められているかは別の話だがね――――そう言って伏宮は嗤う。

 戦争には()である英雄(ヒーロー)が必要だ。戦場を駆け巡り、敵を打ち倒す。そして味方を鼓舞し、勝利の盃に手をかけるのは英雄として昇華された者がその役割を担うのが望ましい。

ヒトは何時の世も、戦場に近しくない女性を旗印と据えることがある。オルレアンの乙女。自由の女神(マリアンヌ)。その役割は様々だが、艦娘がそれを担う今となっては、彼女達こそが深海棲艦を打ち滅ぼす勝利の女神なのだ。

だが、決して艦娘は万能ではない。彼女らが活躍していく為には、内地で支え続けることが必要である。そして彼女達が消費していく資源に対して、帳簿を睨んで運営するのは人間の役目だ。例え艦隊に有一無二の工作艦相手と言えど、伏宮は技官としての矜持を優先する性質であった。

不服そうな表情をしながらも、どうにかならないかと伏宮の顔色を窺う明石。もちろん彼自身にとって彼女が艦娘であるからといって、特別扱いなぞしていない。

「伏宮少佐の堅物……」

 口を尖らせ、明石が呟いた声。それに対しては肯定も否定もなく、伏宮は肩を竦めるのだった。

 

 しかし、この問答に意味がない訳ではない。明石の言う通り現行装備のアップデートも重要であるし、同時に新装備も開発を進めねばならない。技術者や妖精の数。そして予算と照らし合わせて、今やるべき事を総合的に判断して実行するだけだ。

 

 長崎に対する空襲によって工廠のラインが中断したのも問題であるが、それよりも戦力拡充に対しての要求スケジュールが悲惨なことになっている。このままでは突貫作業によって、艤装自体の質も問われかねない。

 

 今回は棚から牡丹餅のように予算が通ったからこそ、六連装酸素魚雷の開発に集中する。結局のところ、明石に対して伏宮が言い放ったのは建前であり方便でもあったのだ。やろうと思えば、それこそ防盾付五連装酸素魚雷の支持にまわることも出来ただろう。

 

 とりあえずであるが、会話が途切れる。伏宮は一眠りする前に、緊急の案件があるかだけを確認しようと卓上のコンピュータを起動する。いかに上層部との日程調整について折衝を行うかを脳内でシミュレート。特種兵装実験隊佐世保方面分遣隊司令補佐官宛てのメールボックスをチェックする。

 

 既読、既読、既読、ウイルスチェック、削除、既読、既読、ウイルスチェック、削除、ウイルスチェック、削除。

 

 本来であれば外部からのアクセスには厳しい鎮守府の軍用回線であるが、ここのところ一般人と変わらない程度に勧誘やら出会い系やら還付金やらのメッセージが多く届く。

 

「どこの誰なんだろうな。こんなに頻繁にセキュリティソフトに引っかかるものを流し込むものか?」

「もともと特種兵装実験隊自体って、他の部隊と違って横須賀が本部じゃないですか。十二ある軍事サーバーとは切り離して運営されてますし、ここ佐世保とも直接ラインが通っている訳じゃありません。松代のスパコンが一度検閲をかけてますけど、どこかでセキュリティホールでも見つかったんですかね?」

 

 明石の指摘も最もであるが、そういう訳ではないらしい。現に有象無象のスパム系メールが、佐世保のメインサーバー経由でも確認されている。

 

 伏宮としては、自分達の置かれている状態が他の指揮官と同等だと感じていたが。しかし受信リストにある『Gewalt Apparat』という一通のメール。たったそれだけのタイトルに、危機感と共に、吸い寄せられるような魔力に近しいものを感じた。

 

「……直訳で暴力装置?ですか。チェックで弾かれてませんけど、いきなり固まってどうしたんです?伏宮少佐」

「いや、メールのタイトルに少し引っかっかってな。英訳にOrganized violenceを用いれば、確かに暴力装置で間違いないんだが。だがマックス・ウェーバーやレーニンが近しい言葉を用いたとする『権力を行使する力』という意訳の方が、原文に近いって話を思い出しただけだが……」

「出所は菊澤中佐ですか?」

「あいつと関わると、碌な教養じゃついていけないがな。だが高等学校教育相当で語る分には、義務教育は捨てたものじゃないか」

 

 念のために、メールボックスから件の文書をシステムから切り離す。隔離した状態で起動するが、書かれていたのは文面だけで綴られた日記のように感じる。

 

「……文面は暴力を批判する内容というか、現行海防システムに対するシニカルな思考のオンパレードだな。カーボンコピーを見る限り、メールの送り主は俺を含めた士官連中に叩きつけたようだが」

「少なくとも、送信者は暴力装置って意味で使ってそうですよね」

 

 事細かく書かれた、軍に関する考察。それもかなり内部の事情に詳しい者が筆を執っていると判断する。批判だけでなく改善案まで定義されているあたり、只の批評家ではなく。現状に対してを憂いる革命家とでも言ったところか。

 

 雑多な情報の中に埋もれるように、著名な人物が遺してきた思想。そういったものを凝縮して、この文書が固められていく。そして最後まで読み進めた伏宮が見たものは、聖書からの文章に後付された、送信者の悪意だった。

 

 And saying, The time is fulfilled,(ときはみち) and the kingdom of God is at hand:(かみのくににちかづいた) repent ye,(くいあらため) and believe the gospel.(ふくいんをしんじよ)

 

 

 ――――You have withnessed too much...(あなたはしりすぎた)

 

この文章を最後に、パソコンのファンが急速に回転を始める。

 

 ディスプレイが『Good luck!』だの『Bon voyage!』などと、この状況に対して縁起でもない言葉で埋め尽くされていく。

 

「何が良い旅をだよクソったれ! 時限式のカバーウイルスなんか仕込んどいて、攻撃する気満々じゃねぇか!?」

 

 プロセスを見る限り切り離したメールボックス自体から枝を伸ばし始めたようだが、隔離してあるのが幸いだったのか駆除ソフトによって覆い尽くした文字が消滅し始める。

 

 陸に打ち上げられた魚の様になった端末を見て胸をなで下ろしている間に、部屋の向こうから慌てた様子の明石が顔を出す。夢中になっていて、彼女が隣からいなくなったことにすら気が付かなかったらしい。

 

「大丈夫ですか? 伏宮少佐。さっき本部から申請されているサイドトラックの強制破棄についてって、電話が来てますけど」

「何だ? 俺はメールの隔離はしたが、トラック13の破棄命令なんて出してないが……」

「いや……伏宮少佐がって訳じゃないそうです。同様の事案が直近二時間以内に佐世保管轄で7件。現在トラック1、3、5、7、11が強制イジェクト。残った容量だけだと有事に関しての対策が出来ないので、佐世保の管理側が特実隊のシステムをお借りした(・・)と」

「そんなことは、横須賀の本部を通してくれと伝えとけ。第一、有事に備えての特実隊の独立運用だろうに」

 

 確かに鎮守府の運用システムがダウンしても良いように、伏宮が所属する実験隊は書類上や電子系の類に至るまで横須賀が上位に位置する。だからこそ伏宮からは手が出せないと言った方が正しいが、非常用のバックドアは残してあるには違いない。

 

「だから、承服できない。司令補佐としてできる判断はそこまでだ」

「……すみません、伏宮少佐。流れが理解できてないんですけど、許可は出してない感じですか?」

「何を今さらだ、俺がそんなことすると思うか?」

「ですよね……だからおかしいとは思ったんです。今になって、事後承諾(・・・・)だなんて」

「待て、明石……事後承諾って何のことだ」

 

 振り返った先に目に止まった文字。液晶が部分部分で透け。バラバラに散っている残った文字は、特定の単語だけを築いて繰り返していた。

 

『BOMB!』

 

 文字通りに伏宮たちを爆音と衝撃が襲ったのは、その僅か後であった。

 







 暫くぶりでございます、エーデリカです。

 昨年度にやった「戦艦加賀(小説ID:83620)」の毎日更新と比べて、毎週更新なため気が楽ではありますね。その分この期間を利用した、別の問題が噴出しててんやわんやですから何とも言えませんが。

 各参加者がキャラクターを持ち込みでの執筆となっていますが、うちの子はキャラがブレない(というかブレさせない)くらいにはお堅いです。そんな感じにどのキャラが誰の担当かを絞っていくと、読む側の楽しみもあるかもしれません。

 さて作品としても佳境にさしかかった頃合いとなりますが、今後とも宜しくお願い致します。


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ウェスタの純真

 その時、何があったかと言えば単純だった。カップが揺れた。その後にくぐもった音が響いた。それだけだ。

 

 しかし、閉ざされた会議室の中でも聞こえたそれは『なにが起こったのか』はわからなくても、『なにかが起こった』のを知らせるには十分だった。何かが爆発したらしいという速報が間髪入れずに飛び込んでくる。消防隊や警邏隊の出動要請が飛び交い、重苦しい会議が一気に騒がしくなった。

 

 菊澤中佐はそっと目を閉じ、腕を組んだ。

 

 

「……ヴェル」

了解(Да)

 

 

 要件を言う前に後ろに控えていたВерныйは返答。ドアの外へと向かおうとする。

 

 

「まて、菊澤中佐。何をする気だ?」

「なにって、今の音の確認です。ヴェル、戦術偵察(みてこい)。武装の使用は自衛行為及び現場指揮官に求められた場合にのみ使用を許可。行け」

 

 

 Верныйは無言で敬礼。制帽を被り直して部屋を出ていく。

 

 

「……どういうことか、説明したまえ」

 

 

 会議を治めていた基地司令がそんなことを言う。会議デスクに肘をついて指を組む菊澤。

 

 

「説明と言われましてもこの密室では見つかるものもないでしょう。だから見に行かせました。Верныйは元海軍籍で土地勘もあるでしょう。陸でのトラブルだったとしたら、憲兵として協力できることもあるでしょう。何か問題が?」

「……貴様が追っているというカドゥケウスか」

 

 

 基地司令がそんなことを言いだす。わざとらしく驚いた表情をして見せた菊澤が口を開く。

 

 

「おや、ご存知でしたか」

 

 

 その反応に一瞬吹き出しそうになったらしい大宙が不自然に肩を揺らした。基地司令が睨む。

 

 

「不穏分子の排除が、憲兵だけの仕事と思わない方が良い。内務省、運輸通信省、大東亜省、軍需省。あらゆる方面から、お前達の探してるカドゥケウスとやらはテロリストとしてお尋ね者だ。関係のないような厚生省まで出張るとは、私も内心複雑だがね。だが、おかげで海軍(われわれ)も事前情報ぐらいは持っている。とある筋から連絡があった。(そちら)と関係を持つ不穏分子がこちらで動いている可能性がある、十分警戒されたし」

「あらら、勝手に我々の問題だと決めつけられていたわけですか。心外ですが状況的に仕方ないかもしれませんね。陸と海の間には文字通り、山より高く海より深い軋轢がある。それでも、互いに相手がいなくなると困るわけです」

「何が言いたいんです? あらかた貴官らが、尻拭いで派遣されたのが今回の顛末でしょう。我々(かいぐん)は、見事に陸軍の仕込んだシナリオに人命救助という形で乗せられた訳だ」

 

 横から茶々を入れる様に声を上げたのは大宙中佐だ。

 

 

「海上戦力を主力とする深海棲艦(てきじんえい)に国家として対峙する場合、陸軍だけでは国土を守れても状況の根底からの解決は難しいでしょう。同様に海軍にとっても基地型タイプワン……そちらの言い方なら『飛行場姫』をはじめとした陸棲型を排除するには陸軍は利用できる。だから、互いに協力をしましょうよ、と言う話です。呉越同舟、わからないわけではないでしょう?」

「それで貴様は海軍の腹の中で何をする気だ?」

 

 

 基地司令が問えば菊澤はいつも通りのどこか軽薄な笑みを浮かべた。

 

 

「我々憲兵隊としても、現状のシステムが今の段階で崩壊することは避けたいと考えています。海軍さんにも犯人捕縛にご協力いただきたい」

「その行為が海軍や艦娘システムにクラックを入れる可能性は?」

 

 

 そう言って大宙は右手を上げた。発言許可を求めている。基地司令が頷いた。

 

 

「続けたまえ」

「はい。カドゥケウスがどんな奴で何をしようとしているかなんて私は知りませんがね、もしそれが反逆だというのなら、この会議の場は絶好のテロ対象だ。佐世保に本拠をおく艦娘運用部隊の長が集まっているわけですから、ここをササッと爆破して基地機能を乗っ取ればいい」

 

 

 そう言って大宙は自分の左腕に巻いた腕時計の文字盤を叩いた。

 

 

「先ほどの爆発音から2分半、3分弱が経過しています。不穏分子が反乱を起こすなら一気呵成にここに攻め込む方が警備を突破しやすいのは素人の僕でも容易に想像がつく。犯人の馬鹿や阿呆に期待するほど、憲兵さんも菊澤中佐も甘くはないでしょう。最悪の場合を想定し守りを固めて反撃までの時間を稼ぐのが妥当だ」

 

 

 菊澤の方を見て大宙は口の端を歪めて笑って見せた。

 

 

「でもあなたはそうしなかった。協力的かどうかもわからない海軍基地の中で唯一信頼できる部下を偵察に出した。即ちあなたはここが襲撃の対象にならないと考えている……貴女は爆発音の後にココがすぐ狙われることがないことを知っているのでは?」

 

 

 それを聞いた菊澤がくつくつと笑みを浮かべる。

 

 

「なるほどなるほど。それでは大宙中佐は私が反逆者とつながっており、なんらかの悪事を海軍の敷地内で行おうとしていると言いたいのかな?」

「先程も申し上げた通りです。菊澤中佐。マッチポンプと疑えない状況がありますか?」

 

 

 反語で返す大宙。間髪入れずに彼はそのまま続けた。

 

 

「あなたの言う通り、海軍(こちら)陸軍(そちら)の関係は『互いに嫌だが無視できない』複雑な関係です。ですが、どちらがイニシアティブを取るかは大きな問題だ。常に最前線で戦い続ける艦娘たちを陸のせいで傷つくようなことは避けねばならない。僕は今回の騒動は陸が海を切り崩しにかかる嚆矢とならないか危惧している」

 

 

 大宙はそう言って肩を竦めた。

 

 

「あなたの指揮でカドゥケウスを押さえるのが最適だというのなら、あなたを信頼するに足る証拠と覚悟を示してくださいよ。少なくとも、僕の部下がそれで犬死するのは死んでも御免だ」

「私個人の責任でできることが大宙中佐他の皆様に納得いただけるだけのものになるかは保証できかねます。わが国伝統のハラキリショーで責任を取れというなら目の前で行ってやりますが」

「死んでも御免だと言いましたよね?」

 

 

 皮肉には皮肉で返し大宙は笑った。

 

 

「基地司令、先ほどの爆発音の委細がわかり次第、海軍はあくまで海軍として事態の収拾を行うことを強く提言します」

「……提言を受諾した。菊澤君、情報提供感謝する。またなにか情報があったら言ってくれ」

「えぇ、私もここで果てるのはそれこそ死んでも御免なので。なにか進展があればお伝えしますよ。……会議は以上で?」

 

 

 基地司令は不満げに溜息をついた。

 

 

「会議をしているどころの状態ではなくなったのは事実だ。会議を中断する。決が取れなかった議事については追って審議するものとする。艦隊・戦隊司令は深海棲艦の襲撃を想定し対策を。基地隊は基地内外問わず、何らかの破壊行為が行われている場合を想定し展開用意を進める。この場の人員の移動については基地隊から警護をつける。以上。解散してよろしい」

「私については警護不要です。Верныйがいますので」

 

 

 菊澤はそう皮肉を放ち立ち上がり、目深に制帽を被った。足早に会議室を横切る。

 

 

「菊澤中佐」

 

 

 基地司令が声をかけた。部屋のドアに手を掛けてた姿勢のまま半身で言葉を受ける。

 

 

「なんでしょう?」

「基地内の行動に於いてこちらは感知しないが、協力の必要があれば検討する。物資・人員両面において支援が必要であれば一声かけてくれたまえ。……貴官の行動がわが国の益となることを切に願う」

「ご配慮痛み入ります、それでは」

 

 

 部屋を出ると扉の前でВерныйが待っていた。

 

 

「遅れてすまない。中に入れてもらえなかったんだ」

「まぁ当然だろうね」

 

 そう返しながらВерныйが差し出した片耳タイプのヘッドセットを左耳にかける。電源を入れて回線を開く。

 

「各班、今の()()()について報告」

《A班、司令部庁舎前です。音はかなり大きかったですが、こちらからは何も確認できず》

《B班、駐車場です。波止場方向に黒煙、あと火災らしき炎も見えます》

《C班、港湾区画です。火の手が上がっています。火災です》

 

 順序良く、素早く入ってくる報告。C班の報告が聞きたかったものだ。

 

「了解した。AB班はその場で待機。C班、私が向かう。要救助者がいれば救助しろ」

 

 それだけ言って菊澤は黒煙へ向けて歩き出す。Верныйも後に続く。

 

「ヴェル、司令部に繋いでくれ」

「どちらのだい?」

「火事は所管の仕事でしょ、134中隊」

「ちょっと待ってね……繋がった」

 

 それから小さな通信機を渡される。Верныйが実験艦隊として訓練行程の消化中で助かったというものだ。武装を解除していても艤装部分さえあれば艦娘は屈強な護衛(へいし)だし、なにより艤装の基幹システムは通信兵(でんわ)の役割もこなしてくれる。

 

「134中隊、熊本本部の菊澤です。ただ今海軍佐世保鎮守府の港湾区画にて火災を確認。黒煙が上がっており、化学火災の可能性大と思われる。確認を」

《了解した中佐。しかしなぜ貴官が我が師管区の中、しかも海軍基地の様子を分かるというのかね》

「先日申し上げた通り、スケジュール通りの任務を遂行中であります。確認していただけたかと」

 

 無線先は沈黙。それからややトーンを荒げた返事が返ってきた。

 

《あぁそうだったね。報告ご苦労。だが、これ以上は何もしてくれるなよ》

 

 それだけでぶつりと切られる通信。

 まあ要するに、管轄じゃないんだから何もしてくれるな、ということである。今の佐世保の複雑な事情と菊澤の立場を知らないとはいえ、気分の良い対応ではない。菊澤は歩き続ける。

 

「いいのかい? 何もするなって言ってるのに」

「要は越権行為をなにもしなければいいのよ、それに人命救助なら聞こえもいいでしょ……で、ヴェルがその目で見てきたものは?」

 

 

 はや足で廊下を進みながら横を進む小柄な影に声をかけた。

 

 

「爆発したのは第五格納庫。艦娘の艤装の一部が保管されている建物だね。外殻側に破損はないから内部で何かが発生した。中にいた人がどうなったかは保証しない」

「ミンチよりひでぇやってこともありえるほどの爆発というわけだ。海軍は即応を?」

「今そこに警邏隊と消防隊が向かっているらしいけど、多分全滅する」

「多分?」

「双眼鏡で確認しただけだから確定じゃないけど、ほぼ間違いない。……そう言えば司令官は第五格納庫に今なにが仕舞われたか知ってるかな?」

 

 

 Верныйはどこかとぼけたような質問をした。菊澤は肩を竦めた。

 

 

「いや? さすがに知らないけど、ヴェルは知ってるわけだ」

「長10センチ連装砲装備型自律駆動式砲台。自分達で運び込んだんじゃないか、忘れたのかい?」

 

 

 その答えに菊澤は初めて笑みを消した。

 

 

「……なんだって? 私はそんな話まで聞かされていない(・・・・・・・・・・・・・・・・)

「テスト用として持ち込まれた秋月型の『長10センチ砲ちゃん』が元気いっぱい暴走中。その数4ダース48機。無差別に建物を破壊して人員を殺戮中。ぺらいジェラルミンの盾と拳銃じゃ話にならない」

「……なるほど、アイザック・アシモフもびっくりだ」

「ロボット三原則かい? 資本主義的答えは嫌いだよ」

「アシモフは共産主義圏出身だよ」

 

 

 そう返して菊澤は制帽を深くかぶり直した。もう一度無線をつなぐ。

 

「……C班、状況は?」

《目下、火災状況の確認を……あっ》

 

 何かに驚く様な班員の声が聞こえ、それから爆竹のようなちゃちな破裂音が響く。その後何かのノイズ。どうやら回線を開いたまま送話口に何かが擦れている様だ。

 

「どうした?」

 

 返事はない。再び破裂音。どさりと崩れるような音がして、受話器を握る手に汗が走った時――――

 

《発砲です、火災現場より発砲を受けました!》

「被害知らせ」

 

 反射で返す菊澤。向こうは焦ってはいるものの、決して冷静さを欠いている訳ではなさそうだ。

 

《……失礼、変わります。バディが腹に一発、多分貫通してます。今手当を……》

 

 それからノイズと一緒に走る呻き声。菊澤は顔をしかめてから、通話を引き継いだ相方に続ける様に言った。二人一組(ツーマンセル)で行動していると、こういう時に支障がなく作戦行動が実行できるのがありがたいと痛感する。

 

《応急処置、終了いたしました。別の班が対応していますが、携帯火器では歯が立ちません。物陰に隠れてます》

「深海棲艦か。種別は?」

《いえ……自分には、艦娘の装備に見えましたが……》

「――――どんぴしゃりだ。クソッタレ」

 

 手先が誰であろうと関係はない。しかし()()()()()のだ。それは間違いない。

 

 

「ロボットは人間を傷つけてはならない。人間の命令に服従しなければならない。自らの破滅となるような行動を成してはならない。……さて、ロボット工業三原則を無視させた犯人を見つけ出さなきゃいけないわけだ」

 

 

 骨が折れるね、と言えばВерныйが首を傾げた。

 

 

「なら放置するのかい?」

「まさか」

「だよね」

 

 

 Верныйが一歩前に出る。腰に手を回し、それからガックシと肩を落とす。

 

「しまった、トカレフは預けたんだった」

「……まずは武器の確保だね」

 

 さっきも言った通りВерныйは艤装中。もっと効率的に攻撃できる武器を持つことを想定しているし、先日の騒動のせいもあって個人携帯火器(あぶないもの)は鎮守府側に預けてしまっている。

 

「あては?」

「蛇の道は蛇だよ。艤装には艤装で対応するのが早そうだ」

「なるほど」

 

 

 Верныйが駆け足。菊澤もついていく。また一つ、ゆるゆると黒い煙が上がった。

 

 

「それで? 目的地の工廠区画がネット社会もびっくりなくらいに大炎上な訳なんだけど、司令官はどうするつもりなんだい?」

「あー、こういう時に伏宮君がいれば使い勝手が良いのになぁ。Верныйの艤装は懸架中。佐世保の備品は会議室で喧嘩しちゃったもんだから、ハイそうですかと貸して貰えないだろう。だとすれば、指揮系統が横須賀の実験艦隊から艤装を拝借するのが早いんだけど」

「……そして、伏宮少佐は電話に出ないと」

 

 私用の端末から工廠にいるはずの伏宮にかけるが、反応はない。

 

「フラれちゃったかな。酷い男よね。女の子からのラブコールだったら、普通は飛び付くでしょう?」

「三十路で女の子呼わばりしてる時点で、負けだと思うよ。まぁ私だって、実年齢なんて何歳かなんて覚えていないけどね」

「艤装は素体となった少女の人格を蝕み、艦娘としての個体を形成する。下手すれば、精神だけは七十越えのおばあ様だ。うちのヴェルは」

「そう悲観したものじゃない。ロートル(老兵)にだって、自我はある。役に立つかは別だけれどね」

 

 手頃に開いている窓から跳躍。着地したトタン屋根の床を、軍靴で蹴りつけるように先を急ぐ。

 

「もしかすると。カドゥケウスは、そういった私たち艦娘の在り方が気に喰わないんじゃないかな。人格の上書き……いや洗脳とも言うべきかな。今の海軍の、素体となった少女を省みない姿勢とかね」

「今日は毒が冴えるね、ヴェル。貧困にあえぎ、労働力として軍に身を置いた者。英雄に憧れて、艦娘を目指したもの。親しき人の仇を討つために、力を欲した者。国を守るために、武力を羨望した者。形は違えど、全ては志願兵だ。その在り方に、波紋を広げようとで言うのかねテロリストさんは。まぎれもない艦娘の艤装(・・・・・)を使って」

「そうだね。まぁ誰であれ私たちが捕えらなきゃならないのは、トチ狂った思想家なのは変わりはないけどね……と、優秀な部下を持てたのは幸いだったね」

 

 憲兵隊員が寄せた車が階下に見える。飛び乗るように駆け込むと、後部座席にはВерныйが所望した重機関銃もある。弾薬を確認し、小柄な少女の腕からは思いもよらない腕力で軽々と持ち上げる。

 

「さぁ、行こうかヴェル。派手に撃ち上げようじゃないか」

 

 日は昇ったばかりだというののに、その陽射しは目に痛い。まるでその刺激が、佐世保鎮守府にとっての厄日を告げる鐘のようだった。

 




どうも山南修です。

いやー、夏イベですね。久々の大規模作戦ですよ。死なない程度に頑張ります。

ここでちょっと裏話を。制作にあたって何度も合作メンバーで会議したんですが毎回オーバードライヴ先生とエーデリカ先生が恐ろしかった。いや変な意見や案を言ってしまったという自業自得な事がほとんどなんですけどね。凄い追求劇でした。怖かった。

さて本編では連装砲達が猛威を振るっています。人はどのように連装砲に反撃するのか次回お楽しみください。


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ネプトゥーヌスの修羅

《緊急事態発生!基地全体に戦闘配置!》

 

 その警告音ともに、アラート待機をしていた吉井中尉を機長とする、海軍航空隊佐世保鎮守府分遣隊所属 メルクリウス1。機長以外の搭乗員は立ち上がり、すぐ様指示を聞くために彼の元へと集まる。当の吉井は至極冷静に司令部へと繋がる通信機の受話器を取る。

 

「佐世保鎮守府分遣隊司令部。ヘリ格納庫待機室。何があった状況を説明してくれ。深海の奴らか?」

 

 その声音も落ち着き、しっかりと響く男性の声で問う。それに応じたオペレーターの声は逆に緊張に満ち焦っていた女声であった。

 

《詳細は不明! 襲撃者も人か深海棲艦かも未詳! 現場は混乱しています》

 

 まるで、切羽詰まったようにオペレーターは甲高い声で答える。どうやら司令部もかなり喧騒に包まれているらしく、電話機越しにそれが伺えた。

 

「それで、メルクリウスへの指示は?」

 

 そんな中で吉井はオペレーターにも落ち着いてもらうために冷静な声で問う。すると、その応じていたオペレーターの甲高い声から普段通りの高さに戻る。

 

《現状維持……いえ、司令部(HQ)より緊急入電あり! 基地内に侵入した武装勢力を偵察せよとのこと。メルクリウスは直ちに発進せよ!》

「了解、メルクリウスは直ちに発進する!」

 

 その声とともに搭乗員と整備員が脊髄反射のレベルで駆け出し、滑走路上に鎮座した彼ら(メルクリウス1)のヘリへと駆け出す。ヘリに乗り込んだ吉井は立てかけていたヘッドセットをすぐに嵌めて、通信を呼び出す。

 

「詳細な情報はまだか?」

《確実な情報はありません。目的地は佐世保鎮守府庁舎前》

 

 乗り込んだら直ぐに整備員、搭乗員共に機器をいじり始める。

 

「機器チェック! 航法装置」

「問題なし」

 

 手早く各自で機器のチェックを行う。これを怠れば大事故につながりかねない。ざっと10分で準備を終わらせた吉井は後ろを振り返り問いかける。

 

「全機器以上なし。センサーマン、救護員報告」

「オールグリーン」

「異常なし」

 

 それぞれちゃんと応答を帰って来るの確かめ、整備員も全員退避したかどうか確認し、吉井は操縦桿に手を掛け宣言する。

 

「エンジン出力上昇」

 

 徐々に高まるエンジン音と風切り音を聴きながら、管制塔にコンタクトする。

 

「Sasebo Tower.Mercurius1 at helipad.Ready for Takeoff.」

 

 吉井が英語で離陸許可を求めれば、直ぐ管制塔からも応答する。

 

《Mercurius1,Sasebo Tower.Cleared for Takeoff.Wind 60 at 3》

 

 それを聞いた吉井は最大出力を命じ、ヘリは重力の縛りから抜け出し空へと舞い上がろうとしていた。

 

「Mercurius1 Take off!」

 

 甲高いエンジン音と共に高度を上げ、件の地点へと機首を向けた。

 

《Good luck Mercurius1.》

「Thank Sasebo control tower.」

 

 と言っても、格納庫からその地点までの距離はヘリにとってはあって無いようなものである。メルクリウス1が上がり直ぐに司令部から通信が入る。

 

《メルクリウス1、佐世保分遣隊司令部。緊急時につきに日本語での通信とする。我彼不明部隊が佐世保鎮守府内で活動中。現在、憲兵隊が応戦。メルクリウスは偵察に当たってください》

 

 任務(しょうかい)の時と同じような声調子でオペレーターは任務を通達する。

 

「メルクリウス1、佐世保分遣隊司令部。敵は外患なのか? 装備は?」

 

 吉井は機首を佐世保本陣に向けて爆進しつつ問う。

 

《詳細は不明、情報が錯綜しています。さらに一部でシステムダウン及び通信途絶が報告されています》

「……可笑しな状況だな。メルクリウス1、了解。偵察任務を行う」

 

 既に目標地点は目の前へと迫っており、機首を上げ、一旦ホバリング状態にする。

 

《復唱に間違いなし。発砲は自衛及び救助の為だけに認めます。行動開始、貴機の幸運を祈ります》

 

 吉井は操縦桿を握り直してから倒す。

 

「メルクリウス、()()()()に突入する。各員、対地警戒を怠るな」

 

 そう言いつつ内心苦笑する。

 

――自分の基地が作戦空域ねぇ……

 

 海上から陸上へ。警邏隊が所在する鎮守府、南東部から侵入し、庁舎前に向かって北上を試みる。もし仮に敵が対空火器を所持しているならば……いきなり飛び込むのは得策ではないと、吉井は判断し比較的安全と思われる区域から当たったのである。

 陸地にはいって数分後。レーダーを担当している搭乗員が息を飲む。

 

「対水上レーダーコンタクトっ! 11時の方向!」

 

 そう言われた瞬間高度を下げ、若干体を乗り出し見てみるが機長席からは見えず、直ぐに体勢を元に戻す。

 

「副機長、確認してくれ」

「……ネガティヴ。遮蔽物(じゅもく)ありです」

「了解。進路変更、み……」

 

 そう吉井が言いかけた瞬間、耳に突き刺さす様なアラートがコクピットいっぱいに鳴り響く。

 

 ロックオンアラートだ。

 

 吉井は瞬間的に無理矢理水上レーダーに感があった方向……ロックオンされたと思われる逆方向に機首を向けつつ、高度を下げ右方向に機体をスライドさせる。急激なGに体を押しつぶされる。

 

「対空レーダーに微弱反応! 何か飛んでくるぞ!」

 

 その言葉と共にほんの少しまでメルクリウスがいた所に砲弾が空を切っていた。

 

「なぁ?! 敵さんは対空砲もあるのか?!」

 

 そう怒鳴り、レーダー照射が切れたのを見計らって吉井は体勢を立て直すと、通信を呼び出す。

 

「佐世保分遣隊司令部! メルクリウス1。敵は対空砲を持っている! 偵察任務遂行困難っ!」

《佐世保分遣隊司令部、了解しました。敵と断定、交戦を許可します》

 

 吉井はまた疑問を感じた。

 

――交戦許可だと……?

 

 普段ならば、そうそう出ることがない命令に不信感を覚えつつ復唱する。

 

「メルクリウス1、了解。攻撃者を敵と断定、交戦する。機関銃での射撃を試みる」

 

 吉井は機上救護員に指示し、78式機関銃(ドアガン)を握らせる。姿勢を安定させ、そのまま一気に遮蔽物から飛び出す。吉井は飛び出す寸前、思考を巡らす。

 

 レーダー射撃……正確な射撃……対空砲? 高度なFCS(火器管制装置)を持つ対空携行兵器? そんなものが? もし反乱として地対空砲が? いや馬鹿な。

 

 彼がほんの数秒の内に巡らせた思考の答えはすぐそこに広がっていた。

 

「おい……あれは……秋月型の艤装じゃないか?! 艦娘の反乱かっ?!」

 

 また、すぐにコックピットに五月蝿い警報が鳴り響き、吉井は慌てて高度を取り回避行動を取る。

 

「くそっ、携行SAMでなかったと喜ぶべきかよ? 副機長、地上の観測を。センサー手は地上の無線拾ってくれるか?」

「駄目です。混線してます」

 

 そう言われ、吉井は試しに開いてみるかひどい混線状態であり到底使えるものではなかった。

 

「分遣隊司令部へ打電、交戦勢力は秋月型自律駆動型艤装」

「機長!」

 

 吉井が打電内容を読み上げていると、副機長が彼を呼ぶ。

 

「自律駆動型艤装と交戦しているのは憲兵隊だけじゃありません。自律艤装と艦娘も交戦しています。」

 

 そう言われ、吉井も乗り出して見てみれば、多数のオートマトン相手に憲兵と艦娘が共同戦線を張り、抵抗していた。

 

「続けて打電だ。現在艦娘も自律駆動型艤装と交戦中。反乱の可能性……いや、俺の判断することではないな。以上だ」

 

 今、俺が考えるべきことは生き残り、情報を伝えることだけだ。

 

「ドアガンを用意しろ、威力偵察を開始する」

 

 極めて冷静な声で言う。

 

 確か、あの自律艤装は脅威レベルを自動的に識別、迎撃する。正にイージスシステム。俺たちが低空に侵入したときのみ撃って来た。つまり俺たちは高い脅威レベルでない……しかし、ここで撃てば高度を上げても脅威と認定され撃たれるな。

 

 ふと、体の()のような物が冷え、頭がすっきりした様な感覚に吉井は襲われる。一度、軽く深呼吸し、操縦桿を握り直す。

 

「メルクリウス、エンゲージ!」

 

 機体の高度をやや下げ、ドアガンの有効射程に詰める。

 

「奴らのリンクが何処までしているかわからん上に、俺達が攻撃すれば脅威目標として認識される。初動が大切だ。蜂の巣になる前に任務を遂行するぞ、始めろ」

「了解……ドアガン、射撃開始!」

 

 側面に設置された機関銃がその声と共に火を噴き、一つの自律駆動型艤装(もくひょう)に火力を集中する。しかし。

 

「目標に効果なし!」

「7.62mmじゃキツイな」

 

 そんな愚痴を吉井は零すと、副機長が声を上げる。

 

「警告!警告!」

「くそっ!」

 

 何度目かの警告音を聞きながら、吉井は悪態を吐きながら、高度を取る。

 

ENEMY(てき)の位置は把握している、躱せる」

「敵、一斉射撃来ます!」

「……全基リンクしてんのか? 捕まれ!」

 

 すぐに彼らのすぐ右を、下を、左を弾が駆け抜ける。それに応じて、吉井も右、左、上、下とヘリの利点を最大限生かして回避行動を取り続ける。

 

 アレにヘリ対策が無くて幸か……だが、リンクしている以上ジリ貧だな。

 

 現に、吉井の読み通り段々と精密度が上がり、より近くを砲弾が尾を引いて飛んでいく。吉井はその弾幕の中を積んできた飛行テクニックと()()でなんとか回避していた。しかし、既にそれも限界に近い。吉井はほんの数十秒の間に汗が伝う程に操縦に集中していた。

 

「……ヘルファイアだ。ヘルファイア攻撃用意!」

「ッ……了解」

 

 Gに身体を振り回らせてながら用意させる。その間に吉井は通信を取る。

 

「佐世保分遣隊司令部、メルクリウス。自己防衛の為に空対艦ミサイルを使用する!」

《メルクリウス、佐世保分遣隊司令部。それは……》

 

 咎める様な口調でオペレーターが答えるが、吉井はそれを遮り言う。

 

「靖国に名前を刻むにはまだ早い! 以上、通信終わり!」

 

 吉井は無理矢理通信を終え、そのまま吉井は手前のディスプレイ(MFD)や装置を弄り始める。

 

「セミアクティブスタンバイ……副機長、準備できたか?」

「はい、勿論」

 

 しかし、そう報告した瞬間機体が大きく揺れ、機体を何かが打つ音が彼等の耳に届く。吉井は慌てて機体を右へ左へと尾を振り、そこから抜ける。

 

「くそっ! 被弾……エンジン、異常なし。出力問題なし。他及び搭乗員に怪我ねぇか?」

「機長、他の装置も全てオンラインです」

「我々も大丈夫です」

「不幸中の幸いか……彼奴らの射程はどこまでなんだよ? レーザー照射!」

 

 すかさず、手短な敵に標準を合わせる。自律駆動型艤装にはレーザー照射感知や妨害装置の類は勿論、運用上必要ないものとして組み込まれていないのがここでは吉井達に幸いする。

 

「ヘルファイア発射!」

 

 その声と共に吉井はスイッチを押し、少しの衝撃と共に一筋の白煙が真っ直ぐ飛んで行く。

 

「セミ・アクティブ・レーザー照射中。機長お願いします」

「あぁ、わかっている」

 

 ヘルファイア。正式名称AGM-114M ヘルファイアII。対小型艇から戦車、地上目標まで使える主にヘリコプターから発射されるミサイルであり、誘導方式はセミ・アクティブ・レーザー・シーカー。平たく言えば弾着まで誰かしらがレーザーを当て続けなければ命中しないミサイルなのである。つまり、吉井達は濃密な弾幕の中一定方向を向き続けなければいけないのである。

 

「なぁ、アレのロックオンはレーザーと光学認識だったけか? 赤外線か? まあ良いか。チャフ&フレア発射!」

 

 ヘリから(フレア)金紙(チャフ)を放出し、目眩しをする。その間も回避行動を忘れない。

 

「インターセプト3秒前! 2……1……マークインターセプト!」

 

 副機長が言い終わらないうちに、ヘリ前方に大きな火球が出現し、消える。

 

「効果観測後、全力で撤退だ! 観測まだか?!」

「待ってください……記録確認……煙が……目標半壊! 周囲の目標も戦闘能力欠如! 攻撃効果ありです」

 

 副機長はそう言いつつ、司令部に映像を送信する。それを聞いた吉井は機首を振り向け高度と速度を取る。撃破した分だけ、弾幕は薄くなった。しかし、一撃離脱した機体を狙ってか、嫌な衝撃に彼等は揺さぶられる。吉井は反射的にMFDを確認し、叫ぶ。

 

「被弾っ! 尾翼がもってかれた!」

「エンジン出力低下、このままでは墜落します!」

「洋上に進路をとる! 陸に落ちるより遥かにマシだ!」

 

 前面のMFDは各所がエラーで埋まり、警告音が鳴り止まず姿勢がふらつく。

 

「副機長、メイデイ宣言するぞ! 救難信号用意! 着水する!」

 

 みるみる内に高度は下がりエンジン出力もゼロへと近づき、副機長は全チャンネルでメイデイ宣言をする。吉井は、沿岸に機首を振り向けつつ水面着陸を試みる。

 

「総員……対ショック体勢! もう、持たんっ!」

 

 吉井の言葉が言い終わらない内にヘリは急激に揚力を失い、佐世保の内海に大きな水柱を立たせた。

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

 地響きに近い音が響く。どこかの倉庫に火が回った。爆薬や発射薬のような火薬類、軽油に重油を中心とする燃料類。可燃物の集積地たる軍事基地に一度火災が発生すれば、その規模と被害は計り知れないものとなる。

 

 

「っ……!」

 

 

 轟音。深雪にとっては半ば聞きなれた音ではあるが、今回は質が違う。

 

 

「なんで……っ! なんで連装砲ちゃんが……!」

 

 

 そう嘆いたところで攻撃は止まらない。深雪が伏せているコンクリートの壁……すでに壁『だったもの』と言うべき状況だが……にも砲弾が突き刺さる。

 顔をそろりと出した瞬間、発砲炎が見えた。咄嗟に顔を隠す。衝撃波で耳が痛い。完全に位置がバレている。

 

 

「……なんでこんなことになるかなぁ」

 

 

 現実逃避的に声を出したところで答えが返ってきてくれるわけではない。それでも嘆かずにはいられない。連装砲ちゃん……正確には秋月型が装備する長10センチ連装砲装備型自律駆動式砲台なのだが……が勝手に起動して暴走して基地をどんどん破壊していますなんて何の冗談だ。誰か「映画の撮影中です」みたいなフリップボードを持ってきてくれないかと思ったが。上から落ちてくるコンクリートの粉に思考を中断。この建物のもう少しで潰される。艦娘の死因で「建物の倒壊に巻き込まれて圧死」と言うのはあまりに恰好が付かない。

 

 

「とりあえず……艤装がないとどうにもならないっ」

 

 

 後ろをちらりと見て、目指す出口を確認。目算で大体15メートル程先、ドアが開いているからあそこに飛び込めば建物の裏に出られる。建物を出て二つ隣は特型艤装が仕舞ってある艦娘艤装格納庫。格納庫の中で暴走中の自律駆動式砲台が待ち伏せ(スタンバイ)していないか心配だが、それは祈るしかない。

 

 

 柱がミシミシ言い始めた。正直に言ってかなりヤバいと思われる。

 

 

 息を整えて、態勢を整える。覚悟を決める……決めたことにする。決めたのだからやるしかない。

 

 

「さん……、にぃ……、いち……!」

 

 

 ゼロカウントはしない。その余裕があったら速度を上げて走るべきだ。そう思い走り出した背後で発砲音。心臓が止まりそうになる。息はもう止めて走っているが、心臓まで止まったら走れない。

 

 ズガン、と表現するべきか、ドカン、と表現するべきか。とにかく轟音が巻き起こった。爆風が背中を押した。バランスを崩しそうになる。それでも、走る、走る、走る。

 

 

 建物が崩れる音、天井が落ちてきているらしいが、深雪に見る余裕はない。

 

 

「うわわわわわわわわわわわわわっ!」

 

 

 裏口に飛び込むか飛び込まないかのタイミング、爆風でいよいよ足が浮いた。そのまま建物から弾き出される。とりあえず頭を両手で庇い、身体を丸くする。軍事訓練の賜物と言うべきかどうかはわからないが、考えるより早く体が動いたのは助かった。

 

 

「――――――っ!」

 

 

 助かったのだが、死にかけたと言えば死にかけた。崩れる建物の土埃やコンクリートの欠片と一緒に跳ね飛ばされる。潰れる空間が(ふいご)の役割を果たしたためだ。車用の通路と延焼防止のために広く取られた空間を転がる。アスファルトが熱いし痛い。口の中も砂利っぽいザラザラ感と血の味が酷いが、それでもなんとか生きていて、気絶もしなかったらしい。

 

 

「痛っつつつ……名誉の負傷とは言えないかな……これじゃ」

 

 

 なんとか体を起こして周囲を確認。とりあえず自律駆動式兵装は見えない。とりあえず見つかる前に走り出す。膝から血が出ているがとりあえずは無視。これぐらいなら舐めれば治る。ダメだったら天羽の所にでも行って治してもらおう。

 

 

「……天羽先生たちじゃ、勝ち目ないもんね、これ」

 

 

 基地にいるのは戦闘員だけではない。後方支援担当の人員も数多く配置されているのだ。どこか野暮ったいデザインの眼鏡をかけた冴えない医官を思い出して、深雪は少し笑う。

この基地を守るための剣は、数が少ない。

 

 だがそれでも、深雪にはそれを扱う資格があった。

 

 

「だから、あたしが何とかしないと!」

 

 

 艤装格納庫の入り口に取り付く。まだここは電源が生きていた。ドアの横のリーダーにIDカードをかざす。すぐにパスワードを求められる。入力、解除。ドアが横にスライドした。深雪は中に飛び込んで扉の閉鎖ボタンを叩き込む。開いた時と同じように滑らかのドアが閉鎖される。暗闇に包まれたが、すぐにキセノンの灯が燈る。

 

 

 溜息と深呼吸の中間のような息をつき、格納庫の中を走る。巨大な艤装保持器(キャニスター)の影にあるモニターを叩くと明るい緑に輝いた。

 

 

「動いてよー頼むよーお願いだから」

 

 

 そういう間にもシステムの起動画面が現れては消える。海軍のロゴマークが回り、すぐ後に艤装の開発元である特種兵装開発実験団のロゴが現れ、消える。その間すらもどかしい。SET ID-CARDの指示が出るが早いかIDカードを乱雑に置く。現れた手形のマークに合わせて両手を置くと、機械が勝手にその手をスキャン。IDと照合、画面には自分の顔写真と経歴が表示された。艤装の呼び出し請求。コンピュータが『艤装の使用目的が不明』などというエラーを吐き出す。

 

 

「目的なんて、相手を撃つために決まってるじゃん!」

 

 

 エラー画面に文字を打ち込めるらしいスペースとキーボードが表示されるがまさかのオールイングリッシュ。PURPOSEやらINPUTやらが表示されているから多分「目的を入力せよ」と言ったところだろうか。

 

 

「ああもう、急いでるのにっ!」

 

 

 焦ってミスタイプを繰り返すが何とか「ふぉあ・いんたーせぷと(FOA INTA-SEPUTO)」と打つ。迎撃なら嘘はついていないし緊急性が高い。とりあえず艤装が取り出せれば何とかなる。

 

 

 入力画面が消えた。エラー。

 

 

「だーもう! 何を打ち込めばいいんだよ!」

 

 

 なんとかスペルを覚えていたエマージェンシー(EMERGENCY)を打ち込んでもエラー。出撃(SALLY GO)と打ち込んだところでやはりエラー。

 

 

「あぁもうどうにでもなれっ!」

 

 

 めちゃくちゃにキーを叩いてエンターを入れる。入力画面が消える。直後に現れたのは深雪の所属する佐世保鎮守府第304水雷戦隊のロゴ。

 

 

「嘘っ! 入れたっ! さすが深雪様! こういう運だけは持ってるっ!」

 

 

 そして直後に現れる入力画面。

 

 

「えっと……ふぃるいん・ゆあ・こまんだーず・ぱすこーど……って持ってる訳ないじゃん!」

 

 

 貴戦隊司令の暗証文を入力せよ(FILL-IN YOUR COMMANDER‘S PASSCODE)と言われてもそんなものほんとに司令しか知らない。

 

 

「でも……っ!」

 

 

 いまここに司令を呼んでくるのは危険すぎる。外にはあの自律駆動式砲台がゴロゴロしているのだ。

 

 

「でも、なんとかしな――――――」

 

 

 言葉が途切れた。ドアが破られる轟音がする。外の光が飛び込んでくる。

 

 

「うそ……でしょ……っ!」

 

 

 まだ艤装は取りだせすらしていない。丸腰だ。それで見えるだけ5基の連装砲を相手に大立ち回りは無理だ。そのまま海に出られるように半水没式のドックから海に出ることもできなくはないが、艤装が無くては浮けない艦娘は艤装無しでは普通の人間同様泳がねばならない。その間にも自力で浮力を有する自律駆動式砲台はすいすいと海上を渡ってくるだろう。追いつかれるのがオチだ。

 

 

 逃げ道はない。それでも一歩でも距離を取りたいところだがそんな余裕はない。今まで操作していた制御盤に背中を打ち付ける。

 

「……っ!」

 

 

 間違いなく捕捉された。こちらに砲がいくつも向く。

 

 

「失敗しちゃった……かな……」

 

 

 少しでも何かをしてないと壊れてしまいそうだ。それでも向けられた砲門は動きを許してくれない。だから口を動かす。

 

 

「ここで逝くのは、嫌だな……嫌だ」

 

 

 ザリザリと足を引きずるように歩く自律駆動式砲台。その音が嫌に耳に障る。

 

 

「死にたくないっ!」

 

 

 その願いを受けて立ち上がるべきは深雪自身であらねばならないはずだった。それでも、手元に武器が無ければ戦えるものも戦えない。それでも、こんなところで死にたくはない。だから叫ぶ。

 

「助けてよっ! 誰か!」

「いいわよ。――――――撃て(Огонь)

了解(да)

 

 

 誰にも聞かれていないと思った叫びに答えが返ってくる、直後に大きく火花が散った。火花の出どころとなったのは――――自律駆動式砲台の砲塔部。外からの大きな圧力で砲塔が大きくゆがみ、その衝撃に煽られるように砲台がすっ転ぶ。

 

 

「へっ!?」

 

 

 深雪が慌てて屋根の方を見上げると、そこから熱せられた薬莢が落ちてくる。慌てて避ける。その間にも赤い火花が頭上を過ぎていく。二階のキャットウォークから発砲炎。だれかがそこから撃っている。フルオートでの掃射しているらしく、断続的に響く轟音が格納庫の中で乱反射する。

 

 

 横凪にするように放たれた銃撃が次々砲台を沈黙させていく。さすがに穴あきチーズのようにはできないようだが、それでも十分効果があった。銃撃が止むころには、五つのスクラップの出来上がりだ。

 

 

「やっほー。みゆきん災難だったね?」

「……憲兵の」

「そろそろ菊澤って名前覚えてほしいんだけどな……っと」

 

 

 そう言いながらキャットウォークの手すりを飛び越えた菊澤は深雪の横にストンと飛び降りる。左手に持っているのは大きなブリキの箱。深雪はそれが機関銃用の弾帯を収納する弾薬箱らしいとあたりを付けた。映画でこういう箱を見たことがある。

 

 

「とりあえず傷だらけだけど五体満足なようで何より。ヴェルも降りておいでー」

 

 

 菊澤の声に反応するようにして飛び降りてきたのはВерный。その手には2メートルはあろうかというサイズの大きな機関銃があった。それを両手で抱えたまま膝のクッションを利用してストンと降りてきた彼女は深雪を見て僅かに頸を傾げた。

 

 

「Пулемёт Ковровские Оружейники Дегтярёвцы……Мисс, это так здорово, не так ли?」

「いや、日本語で話してよ」

「このカッコいいKORD重機関銃に救われたね、お嬢さん」

 

 

 そう言うВерныйは横に銃を置いて腰を上げる。

 

 

「私も艤装を取りに来たんだけど、先客がいるなら譲るべきかな」

 

 

 Верныйが向かう先は深雪が艤装を取り出そうと悪戦苦闘した操作パネル。すでに菊澤が操作している横に並び、Верныйがタッチパネルに手をピタリとくっつける。すぐに足元で駆動音。それを聞きながら菊澤は僅かに笑みを浮かべた。

 

 

「深雪ちゃん、君は改二改装とかは受けてたっけ?」

「な、なんだよ……こんな時にも煽りか?」

「いや? でもその反応で受けてないのはわかった。好都合だ。特Ⅰ型と特Ⅲ型は別の艤装だが互換性が高い。君にも使えるはずだ」

 

 

 そう言ったころには呼び出された艤装が収納用のキャニスターごとせりあがってくる。キャニスターを手動で開けたВерныйが主砲をマウントから取り外すと手持ちで使うためのグリップを引き出した。

 

 

「君の艤装は司令からの許可が出ないと使えないらしいからね。その間の応急処置だ。ヴェルはどうせ重機関銃(それ)があれば戦えるでしょ?」

「どうせとは失礼な」

「でも赤いもの大好きなんでしょ? 日ノ本製は今回ばかりは譲ってあげなさいな」

「……仕方ないか」

 

 

 Верныйが12.7センチ連装砲を差し出してくる。

 

 

「壊したら怒るよ」

 

 

 深雪は渋々ながらもそれを受けとる。

 

 

「保証はできないかも」

「ま、壊した時は伏宮少佐に何とかしてもらいましょ。……基地の指揮権が正常に回復するまで暫定的に深雪は私の指揮下に。海軍の指揮官と連絡がつき次第権限を委譲するからそのつもりで」

「了解」

「おや、憲兵だからって毛嫌いしてたのが嘘みたいだね。我が主の良さに気が付いたかな」

「真面目なシーンぐらい少し黙ろうな、ヴェル」

 

 

 重機関銃に新たな弾帯を差し込みながらВерныйが肩を竦めた。菊澤はわずかに溜息。それでもその瞳は好戦的な色を帯びていた。

 

 

「それじゃあ、反撃開始といこうか」

 




 こんにちは、プレリュードです! 知っている方はどうも毎度ありがどうございます。知らない方は初めまして。なかなかあとがき担当の番が来ないなーと思っていたらとうとうやってきました!
 コンコルディアの落日、ついに大詰めといったところですがいかがでしたか? これが読者の皆様方にとって有意義な暇つぶしになることを参加者の一人として祈るのみです。

 それにしても、この合作に呼ばれた時は最初、なにか夢かなにかと思いました。「は?」って素で変な声が出てしまいましたよ。ベットローリングしてフローリングに落ちたのもいい思い出です。会議のたびに互いのやりたい展開をかけた議論は物書きとしてよい経験値を積ませていただく、とても貴重で愉快な場でした。

 ところでそろそろ読者の皆さんは、どの参加者が誰を書いているのか大まかな目星をつけ始めた頃ですかね? 自分の書いているパートはすごくわかりやすいと思うのですでに気づかれている方もいるのではないかと思います。まあ、メシテロの帝王らしく各所にメシテロを埋め込ませていただきましたとも。

 コンコルディアの落日、最後までお楽しみいただければと思います。これだけのメンバーが揃うことなんてそうありませんよ?


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ユーピテルの断罪(前篇)

 またしても爆発音。数を数えるのは初めから諦めている。だがそんなにも、ようやくちらほらと味方のそれと思える爆音が聞こえてきていた。

 

「くらえぇぇえええぃ!」

 

 初めて艤装を背負った日からずっと何度も何度も散々繰り返してきた姿勢で照準、そして引き金を引く。Верныйから借りた12.7cm砲が火を噴き、こちらに走ってきた秋月型の砲台はそれを避けるように飛び上がる。本当にすばしっこい。

 

「飛んだ!?」

 

 しかし飛び上がってしまえば動きは途端に単純になる。自律駆動式兵装は駆動するからこそ厄介なのだ。地面からひとたび離れてしまえば重力に従って落下するほかない。すかさずВерныйが弾丸を叩き込む。空中で一撃食らった相手はそのままガシャンと地面に落下。

 

「……思ったよりすばしっこいわね。流石海軍さんは予算が潤沢だこと」

「司令官、資本だけじゃ技術を捕まえることは出来ないよ」

 

 相変わらずよく分からない会話をしている二人を尻目に、深雪は連装砲の装填作業を急ぐ。皆逃げられたのだろうか、ここには倉庫と今倒したばかりの砲台以外には誰もいない。

 

「防備隊は下がったのか、それとも瓦解したのか……いずれにせよどこかの部隊と合流したいところね。工廠の方へ向かうわよ、流石に工廠や司令部くらいは意地でも守るでしょうし」

 

 そう呟きながら歩き始めるのは菊澤とかいう憲兵中佐。とりあえず中佐と言うんだから大宙中佐と同じくらい偉いのはよく分かるのだけど、深雪にはどうも引っかかるところがあった。

 

「な、なぁ中佐」

「ん? なにかな」

「中佐はさ……どうして戦ってるの? ここは鎮守府なのに」

「ん? それはなぜ陸軍が海軍の場所(ちんじゅふ)を守ろうとしているのか、という質問かな? 少なくとも今は私とその護衛対象たる艦娘を守るために動いてるだけだけど」

「司令官はむしろ私に守られる側だと思うけどね」

 

 すかさず訂正を入れるВерный。実際、菊澤は銃すら取り出していない。

 

「まあそれは置いておいてだ。憲兵さんというのは前線で命を張る部隊が心置きなく戦えるように頑張る支援兵科だ。後方の基地で皆殺しにされちゃあ深海棲艦と戦えないだろう?」

「……答えになってない」

 

 深雪が不満げに言ったのを受けて、菊澤はさも楽しそうに顔を歪めた。その横顔を微笑んでいると表現していいのかは微妙なところだ。

 

「ま、確かにグレーゾーンには違いないかもね……でも考えて欲しいものだよ深雪。陸軍も海軍も目的は同じ、この国に仇なす存在を討ち滅ぼし国家の安寧を確保すること、即ち国防だ。今目の前で起きている現象が国防のためになるとは私は憲兵として判断しないし、司令部だって私に職務の範囲内で動けと言っている」

 

 私はそれをしているに過ぎないよ。菊澤はそう言いながら歩みを進める。角に差し掛かったところでВерныйが手鏡を取り出し安全確認。それから銃機関銃をぐるんと大回りに振り回して飛び出す。発砲音が立て続けに鳴り響く。

 

「あ、こら!」

 

 先を越されたと深雪も後に続くが、角を曲がった頃にはもう遅い、既に自律駆動式砲台は倒された後だ。

 

「ヴェル、もうちょっとみゆきんにも活躍させてあげなさいよ」

 

 菊澤がそう言うと、Верныйは振り返って肩をすくめた。

 

「活躍? 彼女は司令官を守っているじゃないか、立派な活躍だよ」

「む、なんか納得いかない」

「深雪が司令官を守って、司令官が私を守ってくれる。これで完璧だ」

「……で、誰を守る必要もないあんたは好き放題やる訳ね」

 

 菊澤の言葉には応えずВерныйは前を向く。目の前に広がるのは工廠区画……いや、区画だったと言うべきか。

 

「酷い……」

「これは酷いね。現代アートにしては不格好が過ぎる」

 

 なにが爆発したのかは分からないが、とりあえず屋根が吹き飛んだのは間違いないのだろう。各種建材の塗装にはもれなく焦げ目がつき、梁などはひしゃげている。

 

「仕方がない。司令部へ向かうわよ」

 

 そう菊澤が言ったその時、何かの音が聞こえた。鋼鉄を叩く音だ。一定間隔で、連続している。何かが動いてる。

 

「……!」

 

 慌てて連装砲を構える深雪。それを手で遮ったのは菊澤だ。

 

「待ちなさい。兵器が意味もなく音を立てるわけないでしょ……生存者だ。ヴェル、安全確保」

 

 その言葉で駆け出すВерный。誰か残っているのなら救助せねばならないが、作業中に背後から撃たれたんじゃ目も当てられない。

 

「憲兵隊の菊澤中佐だ。誰か残っている者はいるか?」

 

 一瞬静寂。それからすぐに男の声が聞こえる。

 

「菊澤、お前か!?」

 

 工廠の伏宮だ。聞き慣れたその声を聞いて、菊澤が高らかに嗤った。

 

「すっごーい! 伏宮君は本当に工場が好きなフレンズなのね♪」

「じゃかあぁしい! 誰が好きでこんな廃墟に残るか馬鹿、こちとら巻き込まれた側だっ!」

 

 即座に聞こえてくる抗議の声。とにかく元気には違いなさそうだ。

 

「声だけは聞こえるけど、どこにいるのよ伏宮君」

「事務所があった(・・・)ところのはずだ。かろうじて骨組みの中で生きてるが、一歩間違えれば社屋の鉄骨で雀刺しだ」

「……あー、あれね。ものの見事に残骸が十字架だ」

「縁起でもねぇこと言うな」

「まー待ってなさい。今助けてあげるわよ」

 

 生存者の居場所が分かってしまえば話は早い。深雪と菊澤は協力して残骸を除けていく。途中からはВерныйも作業に加わり、大して時間はかからない。かつて扉だった板を除けると、そこから伏宮少佐と明石が現れた。

 

「二人とも五体満足か。大変結構」

「まったく、人がいない間に何勝手に仕事を増やしやがった菊澤」

「助けてあげたのに、酷い言われようね。別に私が増やしたわけじゃないのよ伏宮君。屋外では連装砲ちゃんが大ハッスル。まぁ増やしたという意味では、あながち間違いではないか」

 

 埃を叩いて身を起こした伏宮に、菊澤は手を差し出す。打ち身打撲程度で済んでいれば良かったのだが、不幸な事に金属片やら鉄骨やらで切り傷まみれになっている。

 

「暗くて見えませんでしたけど、閉じ込められてる間治療もできたでしょう! 何で早く言ってくれなかったんですか!?」

「情けない声出すんじゃねぇ……痛みがあるだけで、行動に支障はない」

 

 怪我を黙っていた伏宮に明石が抗議のあげるが、当の伏宮は聞く耳も持たない風に菊澤の手を取る。

 

「とりあえず菊澤、何が起こってるか教えてくれ」

「司令部施設は健在。秋月型の艤装が暴走して、対処にあたった歩兵や航空機に被害が出てる。それくらいかな」

「目下の目標は、艤装を稼働させたプログラムを対処するか。あるいは物理的に破壊するかの二択か」

 

 それをどうにかしなきゃいけないからアンタが必要なのさ、と言わんばかりの菊澤の表情。対して、流し目で現実逃避したげな伏宮。

 

 厄介事はこれ以上は勘弁だ。しかし、状況はそんな願いを許しはしなかった。菊澤の端末が鳴り響く。

 

「ヴェル、みゆきん。うちの部下から救援要請だ。消防施設前で武力衝突、手数が足りないからここは放って置いて急行しなさい」

Понятно(了解)

「任せとけぃ!」

 

 勝手知ったる基地内を駆け抜ける駆逐艦娘が二名。残された菊澤たちは、さてどうしようかと頭を抱えるのだった。

 

「どうすれば良いんですかね……このままじゃ警備隊もジリ貧ですよ」

 

 明石が溜息をつく。 携帯端末の軍港マップに敷かれた赤いエリア。空襲時には消火活動の目安に使われる危険地帯(・・・・)の範囲が急速に拡大していく。

 

「不味いですよ……中佐。自律駆動砲台が格納されていたC区画を中心に、消化班を含め退避命令。及びB、D区画にも延焼中です。無線機能喪失の状況で爆弾魔(ユナボマー)を押さえろだなんて無理難題ですってば!」

「とにかく状況把握が先だ」

 

 伏宮が第一種軍装の内ポケットから取り出したキーカード。引っ手繰った明石が携帯端末に滑らせる。本来ならば海戦時に使用する戦術システムを無理やり起動すると、主たる艦隊指揮官や艦娘の所在がマップに追加される。もちろん、Верныйと深雪が駆け抜けている様子もモニタリングできる。

ユナボマー(れんそうほう)に自制を促すのは難しいが、物理的に止めろと言われてもなぁ。炎上中なると艤装を取りに工廠に戻れる訳がない。そもそも、輸送終了直後に特種兵装実験隊(とくじつたい)まで管理権限が下りない時点で詰んでるに決まってるだろ。蚊帳の外の俺らには憶測でしか動けん」

「もうクラッキングの犯人止めるのと、連装砲ちゃんを止めるのどっちかにしません? 現状戦力外の艦娘って私ぐらいですし、手が圧倒的に足りませんっ」

 権限を持ちえない工廠長と艤装を下ろして陸に上がった艦娘。状況が違えれば切るべきカード。しかし、今は只の無役(ぶた)にしかなりえないのが残念である。

「さっきも言ったが、思いつくような対処法は2つ。1つ、テロの首謀者から連装砲のコントロールを奪い返す。おそらく司令部施設にウイルスか何かを流し込まれて、深海棲艦と人間の区別もつかないような状態だろう。金銭的にも、実験艦隊として推奨はしたい。2つ、武力で物理的に連装砲を破壊する。海軍でない第三者お前なら、どっちを採用する?」

「決まってるじゃない。仮に訊き出すことが可能性として浮上するのは、時間的制約がない場合。今回の様に邁進しながら施設を壊されちゃ、こっちには立つ瀬がない。ならば、方法は問わず早急に解決を図るべきだ」

 

 人質を抱えられた場合には交渉の余地ありと見るが、未だに声明などはなし。正直お手上げだと、菊澤は唸る。

 

「そもそも、早急に対処せよとの命令が優先されるのは、テロリストによる佐世保鎮守府掌握を阻止するためだ。短期的にとはいえ、国防力の低下は国民に対して無視できない脅威になりうる」

「そういう事だ。でなきゃ、首謀者の生け捕りなんか関係になく、兵糧攻めで干上がるのを待てばいいだけだ。自律駆動式砲台だって、人間の整備や補給なしでは連続稼働は48時間も持たない」

 

 つまり、動かなくなるまで待てと言いたい所だ。それが不可能なら、命令系統を奪取するか、破壊するしかなくなる。

 

「真正面からぶち抜くには手数がいる。可能ならば艦娘用の装備があった方がいいが、格納庫周辺が思いっきり囲まれている状況だと増援は見込めない。迫撃砲などを引っ張ってくれば人海戦術でなんとかなる。その猶予すら上から急かされる状況となれば、今の戦力で何とかするしかないわね」

「いや、いくつか手は残ってる。先日郊外の第七倉庫に、ある戦艦艦娘の艤装を搬入した。中口径主砲で制圧できなくとも、それを使えば一騎当千の戦力になりうるだろう」

「素体の艦娘がいないのにどうやって運用するのよ?」

「考えても見ろ。じゃあ何故、艦娘がいない連装砲が暴走していると思う?」

 

 言われてみれば当然だ。目下大暴れしている秋月型の連装砲たちはそもそも配備前で、AIの立ち上げすら棚上げだった状態の艤装だ。言い換えれば、組み上がっていないパソコンにコンピュータウイルスを流し込むようなものだ。人間の病気と違って、それでは効果は生まれない。

 

 連装砲を起動し、そしてこの殺戮命令を下す存在が必要なのだ。いきなり暴れ出したわけではない。

 

「Верныйに秋月型の艤装が使わせる計画が持ち上がった時点で、可笑しいと思わないか? 本来運用を想定しない規格外の装備を運用できる目途は立ってるんだよ」

「……少佐、まさかとは思いますけど!」

「落ち着け明石、俺は別に艦娘が犯人だとは言ってない。ただ艦娘()必要なんだ」

 

 厳密には連装砲をコントロールするメインシステムだがな。そう言う伏宮。連装砲だけでは動かない。ならばどうすれば良いか。最初からコントロールする側の艦娘が奪われた、という方が正しくないだろうか。

 

「じゃあ一体誰が……」

「だいたい目星はつく。艤装のコントロールが技術的に可能であるのが、実験艦隊には周知の事実になっている。だがそれはまだ新しい技術だ」

「つまり首謀者は身内であり、艦娘の艤装の技術革新に関して理解が深い奴ということかしら?」

「情報が少なくて、仮定にすらならんがな。だが同じ手を使って、Верныйに大口径主砲を使わせる。空母艦娘だって41cm砲を運用できたんだ。ノウハウは既にある」

 

 例えば連装砲のシステムに組み込まれているのは、空母艦娘による艦載機のコントロール技術がベースとなっている。その操縦に明るい艦娘であれば、楽に運用できるとも言えよう。

 

「つまり、艦娘の誰かが人質に捕られているのは可能性が高い。まぁ、明石の言うとおり艦娘自体がテロの首謀者である可能性は否定できないが」

「とりあえず、その子を奪還出来れば自体は収束するってことね。あーもー嫌になる。身内(なかま)殺しは」

「お前は憲兵隊だろう? 中佐殿」

 

 菊澤のぼやきに伏宮が律儀に返す。それを半ば鼻で笑うように返す菊澤。

 

「今更陸海派閥の話をしても仕方ない。ヴェル、そっちは?」

 

 

 無線の送受信転換機(プレストークスイッチ)を押し込んで、菊澤がマイクに問いかければ、一瞬の空電の後に劣化した音声が流れ込む。

 

《Bの32グリットで深雪と一緒に障害物走大会(クロスカントリー)だよ。そこら中に穴をあけられて動きにくいことこの上ない》

 

 B地区32グリットと言われ、地図と照合。被害報告と照らし合わせながら経路を算出する。

 

「ま、耐えて頂戴。今は時間が惜しい」

《わかってる》

「次目標はB地区28番グリット、流れ弾に気をつけなさいよ、隣の29番の地下は揮発油タンクだ。中身は目一杯に詰まってるはずだから急激な大爆発はないはずだけど、穴あきチーズにされるとコトだよ」

《了解。なんでそんな海沿いにタンクを置くかな海軍は》

「君の古巣でしょ。海さんに聞いて頂戴」

 

 半ば茶化すようにそう言えば、Верныйはどこか寂しそうに返す。

 

《ただの愚痴だよ》

「知ってる」

《ならいいよ。敵影目視(ボギーインサイト)……と、ちょっと緊急》

「どうした」

 

 Верныйが緊急と言うぐらいだ。菊澤はかなりの事態を想定する。そして案の定『かなりの事態』が報告されてきた。

 

《人が現在進行形で襲われてる。緊急戦闘開始、離脱させる》

「ヴェル、最後に一つ。そこを制圧したら第七倉庫に急行しろ。伏宮君がとびっきりのプレゼントを用意してくれるそうだ」

《お酒なら嬉しいんだけどね。通信終了(アウト)

 

「それで? 伏宮少佐。私は結局なにすればいいんですか?」

「現状なら、司令部施設棟で待機……と言いたい所だが、仕事が一件増えた。横須賀からのスクランブルコードで、無事なE地区保管庫の艦載機を遠隔操作するらしい。おやっさんもよく無茶やるよ。だからこそ、佐世保基地と同化してるお前の艤装が必要になってくる。リソースを全部空母艦娘に貸してやれ」

 

 ポケットにねじ込んでいた伏宮の携帯端末は、何とか無事だったらしい。コールに出た伏宮が驚嘆したような笑い声を上げたのが、先程の事だった。

 

「各泊地が大規模作戦中なのに、横須賀に待機してる空母って……あぁ、コンバート改装中の戦艦がいましたっけ。それにわざわざ横須賀の特実隊司令のサイン入りって……この短時間でよく仕上げましたね。少佐」

「書類を誤魔化すのだけは得意な准将様だから、問題はないさ。あの人ならな。とはいっても、問題が解決したかという訳ではない。高射装置が健在な現状での航空攻撃は効果が薄い。だからこそ、陸上部隊による飽和攻撃との連携で釘付けにする必要がある。フルオートで20分間、弾数換算で350発だ。艦娘の補助なしでは、砲身の交換すらままならん連装砲だ。腔発させるのが、一番手っ取り早い。怖るるに足らんな、人工知能さえなけりゃだが」

「その人工知能がクラッキングされてるから、大問題なんじゃないですか?」

「俺もそう思う。まさか、脳味噌が白紙の人工知能の殻を全部乗っ取られるとは想定外だった」

 

 AIを組み込む演算領域へ、艦娘の思想のコピーレントが挿入されている状態といった方が正しいだろうか。どの道、暴走していることに変わりはないが。

 

「だよねぇ。お陰様で、私たちは擦り傷切り傷と全身打ち身状態だ」

「日頃の行いが悪いんじゃないのか?」

「ナレッジワーカーは口だけは達者ね。二階から同期が飛び堕ちてくるシーンを再現する?」

「どこぞの天空の城じゃあるまい。俺なら無言で叩き落とすが?」

「……減らず口をまだまだ叩きあいたいけど、ここまでね。次波がくるよ。明石ちゃんはそのお荷物を抱えてでも良いから、そろそろ行くよ。とっとと、基地の通信設備を奪い返しに行こうじゃないか」

「人を勝手に荷物扱いして、俺の部下に命令するなよっ! 憲兵中佐殿よ」

「事実でしょ? 一般的な小銃やらの扱いしか、日常訓練に課されない、事務佐官様にはお似合いよ。女の子にお姫様抱っこされるんだから役得でしょ!?」

「嬉しそうにしてんじゃねぇ! 菊澤。男にとっちゃトラウマものだぞ!?」

 

 何処に行けば良いと問う菊澤には、一言施設棟とだけ伏宮が告げる。結局明石とは二人三脚状態で妥協したらしい。

 

「でも、不正アクセスの検知は確認できなかったんでしょう。どうして施設棟を目指すんですか?」

「瓦礫の中でも、ちゃんと調べられることは調べていたさ。まぁ検知出来なかったのが功を奏するしてるだけだ。わざとノーガードな領域のファイルに正規の履歴が残ってた。よほど犯人は焦ってたらしい。鳴っている警報だけ切り続けて、こっちの追及に対して功性防壁を張るのを優先した」

「つまり、正規と不正アクセスのタイミングがほぼ同時刻だったってことですか?」

「可能性の話だがな。だが、奴が侵入する為に接続した場所は特定できた」

 伏宮が菊澤の端末へ転送したポイントには、港内各所の電子端末の接続履歴が。そして、最初の警告が鳴ったマルロクヒトフタ。その時間に該当文書へアクセスを試みた接続元が、一覧で表示されている。

「全部で18か所……って、正気ですか!? まさか全部虱潰しにローラーな訳ないですよねっ!?」

「そのまさかだから施設棟に走ってんだろ! 喜べ明石、その内に候補の13か所も存在してるんだからなっ」

「結局、総当たりじゃないですかぁ」

 無差別攻撃後の市街地な様相。ただただ燃える軍港を横目に、三人はエントランスへ滑り込む。窓ガラスの破片が散乱する廊下を軍靴で殴りつけ、該当する部屋と言う部屋を調べ尽くすが見つからない。1フロアが終了した時点で、伏宮が奥歯を噛み潰すのと明石が溜息をつくのがほぼ同時だった。

「ねぇ、伏宮少佐。菊澤中佐。なんで、こうも人っ子一人いないんですかね? これじゃ私たち火事場泥棒みたいですよ」

「現在進行形で基地燃えてんのに火事場も糞もねぇだろ。すれちがった消化班には感謝だな。だいたい、自律駆動式砲台の征伐で戦闘用員は全部持ってかれて……」

「そういう意味じゃないんです。この施設棟に非戦闘員ですらいないんですよ? 本来であれば、行方不明者に備えて捜索隊ですら派遣されるはずですけど」

「マップを見てみたが、火災で要避難区域だぞここ。そもそも炎上中につき至急非難せよ(・・・・・・・・・・・・)って。だから消火器を持って……って、そういうことかよ」

 報告通りなら、本来燃えているはずの施設棟。しかし、伏宮たちが回った限り煙すらでていない。仮に人払いのための口実であるならば、納得がいく。クラッカーは施設棟から目を逸らせたいのならば、目的はなんだ。誤報による消火班の到着も考えれば、一時間稼げれば良い頃だろう。

 表では自律駆動式砲台が、裏では誤報による避難誘導が。戦闘区域と延焼区域を繋げていくと、ある一点が無警戒であることに気付く。ここ佐世保基地において電子機器の専門施設ともいえ、情報処理の中枢である。

「佐世保中央司令部施設……。自律駆動式砲台のクラッキングからはじまって、コントロールセンターに目が行くのは当然だ。それにこの施設棟からは、地下に直通連絡通路があったよな!?」

「急ぎましょう少佐! 目的はなんであれ、佐世保基地のデータバンクまで侵入を許したら不味いです!」

 

 慌ただしくし始めた伏宮たちを、菊澤が手で制する。何事かと問うた伏宮に対して、手元の端末をちらつかせる。

 

「どうやら、事態に進展があったようだ。犯行声明だよ」

 

 多くの一般人が使う動画サイトに、生中継で放映されているらしい。そこには、この場の三人も見知った顔が映されていた。

 



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ユーピテルの断罪(後篇)

 無残にも基盤を剥き出しにした連装砲が崩れ落ちる。ようやく最後の一体を倒し終えたのだ。急造のバリケードは初めからその役目を果たせていなかったようで穴だらけ、原型を保っているのが奇跡のようだ。

 

「助かりました」

「なに、このくらいどうってことないさ」

 

 カーキ色の軍服に身を包んだ憲兵がВерныйに敬礼。それに続くように水兵服の鎮守府防備隊員も敬礼。Верныйは静かに答礼してから、ゆっくりと深雪の方へと歩き出す。

 

「あれ? 壊れちゃったかな?」

「どうしたんだい?」

 

 Верныйが先ほどから得物を弄っている深雪に声をかけると、彼女は少し目線を逸らすようにしながら答えた。

 

「あ。いやー……この連装砲、もう弾は残ってないんだろ?」

「そうだね。さっき言ったとおり、私の弾薬庫に12.7cm弾はどの一発も残ってないよ」

「ならいいんだけどよ。その、別に普通に使ってただけだし、なんだけど……ちょっとこれ、壊しちゃったかも……」

「ああ、トリガーが戻らなくなったのかい? これは単に弾切れだよ」

「え? そうなのか?」

「Ⅰ型の連装砲は不便だからね。なかなか便利だろう? さあ行くよ」

「な、なんだよぉ。驚かせるなよなぁ」

 

 そう不満げに言いながら深雪はВерныйに続く。幸いにも連装砲たちが暴れ回るのは基地の中心部だけである。七番倉庫に向かう道のりを邪魔する者はいない。先ほどまでと比べれば至極簡単にたどり着くことができた。

 

「ほお、これは面白そうだ」

 

 七番倉庫には開けてくださいと言わんばかりに置かれた木箱(プレゼント)が。無造作に放置されたそれをВерныйと深雪が開けると、中に入っていたのは丁寧に保護された艤装だった。

 

「大きい……これを使うの」

「いいじゃないか。主砲も魚雷も大口径に限るよ」

 

 そう言いながら鉄の塊に取り付き、なにやらごそごそと弄り始めるВерный。

 

「司令官? 例のブツにたどり着いたよ。伏宮少佐を呼んでくれ」

 

 自身の艤装からケーブルを引き出し、菊澤と連絡を取りながら作業を進めるつもりらしい。何もすることがない深雪はその様子を眺めるだけ。遠くからはまだ散発的な戦闘音が聞こえるが、ここからは遠い。

 

「……なんだって? 分かった」

 

 ところが彼女は作業を始めることもなく手を止める。それから耳に手を当て、何言か通信相手と交わした後……くるりと深雪の方を振り返った。

 Верныйと目が合って、深雪は思わず一歩下がりそうになる。

 

「ねぇ深雪」

「な、なにさ」

 

 Верныйの様子が先ほどとまるで違ったのだ。真っ直ぐ深雪を捉えているその眼にただならぬ雰囲気。そしてなにより、声がずっと冷えている。

 

「面倒なことになったみたいだ、犯人が誰か分かったよ」

「……分かった? な、ならよかったじゃんかよ。そいつを倒せばオワリなんだろ?」

「まあ、その通りといえば確かにそうなんだろうね」

 

 そう言いながら手のひらサイズの情報端末を取り出すВерный。何度かその画面をタップしてから、Верныйはそれを深雪へと投げつけるように渡す。

 

「わわっ、危ないだろ。大切にしろよ……な……」

 

 受け取った深雪はВерныйを注意しながら画面へと目をやり、そこで言葉が止まる。

 

 画面に映し出されてたのは大手の動画共有サイト。普段はあまりネットサーフィンをしない深雪だって知っている画面を流れていく大量のコメント達。その流れの奥底に揺れる陰、大人の男性だろうか。薄暗い照明のせいで輪郭がぼやけていて顔の周りは半分以上陰だ。判別はそう簡単につきそうにない。

 

 しかし深雪にはそれが誰だか一瞬で分かった。()の声だ。あんまりに聞き慣れた声。

 

《自称善良な市民の皆さんと今最前線で身をすり潰している艦娘諸君へ告ぐ》

「う、そ……だよね?」

 

 しかしそれは深雪の知っている声とは違い、言い表しようのない感情を含んでいる声だった。その声は誰に向けられているのだろう。とりあえずマイクとカメラはその与えられた役目を想定通りにこなし、音声と映像は深雪の画面と繋がっている広大な電子ネットワークを通じて届けられる。

 

《我々は今、直面している。深海棲艦への脅威はもちろん、それに伴った悪しき人間の本質の変容に直面している。それに気がつき、震えている君たちに告ぐ。今立ち上がるべきだ。私は天羽月彦、海軍特種兵装開発実験団医学実験部医学実験隊佐世保方面分遣隊研究調査班に所属している》

「見る限りじゃコラージュでもなさそうだね」

「なんで天羽さんが……」

 

 深雪は訳が分からないといった様子でВерныйの方を見やる。相手はかぶりを振るだけ。

 

「分からないけど、説明はしてくれるんじゃないかな」

 

 そのВерныйの言葉に応えるように影……天羽月彦は両手を広げる。

 

《艦娘の出自について諸君に語る必要はあるまい。そもそもこんなストリーミング放送をリアルタイムで見ているのは相当の問題意識の持ち主か、この現場にいる人か、相当の暇人であろう。君たちの問題意識を思い起こしてもらいたい。そう思い、この放送を行なっている》

 

 次の瞬間、画面が切り替わる。

 

「あっ、私だ」

 

 そこに出てきたのは深雪の姿だった。大空にどこまでも群がる深海棲艦は長崎が空襲されたときのそれだろうか。そうだ、あの日私たちは南西諸島沖を突如として突破した敵空母機動艦隊を補足しろとの命令を受けて……。

 

《見てほしい。艦娘の本質を、艦娘の叫びを》

「おや、このアングルはなかなか悪趣味だね」

 

 Верныйの言葉が耳に入るわけもない。深雪は画面を凝視し続けた。端末搭載のスピーカーから発せられる全ての音を拾おうと耳を傾けた。

 

《艦娘は世の中では深海棲艦と雄々しく戦い、水平線に勝利を刻む現代の海神(ネプトゥーヌス)として扱われている。それは当然だ。我々海軍にとってそれが求められる役割であり、ロールだからだ》

 

 水飛沫が時たま覆い尽くす画面の中では、硝煙かそれとも乾いた血か、真っ黒に染まった艦娘が戦っている。戦う自分の姿を見るのなんて初めてだ。

 

《軍にとってそれは大切なことだ。そして海の上での死闘は不都合な真実を隠し通す上でこの上ない好条件だった。その真実を今ここで晒し出したい》

 

 友軍機が落ちる。爆弾投下を終えた艦爆が本土へ向かおうとする敵機に体当たりを敢行する。対空砲火が無限に広がるかのような空に吸い込まれていく。

 そしてそれを飲み込まんばかりの敵機。水平線を、まるで日本近海を全て囲んでしまったかのような敵艦の群れ。

 

《この真実が白日に晒されてなお、この国が艦娘を使い続けるというのならば、それは大きく問題になるだろう。ジュネーヴ条約では少年兵を禁じているというのに、いまのこの国は未だにそれを続けている。近代国家としてあるまじき姿ではなかろうか》

 

 画面が再び天羽を写しだし、彼の言葉が延々と続いていく。難しい言葉ばかりだ。それでも、なにを言っているかが分からないわけじゃない。

 

「ともかく、これで我々が倒すべき敵ははっきりしたわけだね……司令官、どうすればいい?」

 

 Верныйが視界の端で指示を仰いでいる。それを聞きながら呆然としている深雪の目はВерныйの情報端末に釘付けだった。

 

《我々の安寧はまだ幼い少女たちの犠牲の上に成り立ってきた。そして今、我々軍隊は少女を犠牲としなくとも戦える装備を開発した。それでもなぜ少女達が今も苦しみ、殺されなければならないのか。そこには巨大な利権が存在するからである。その利権の上にあぐらをかき、人の道を外れた奴らがいることをここに告発すると共に、それを排せなかった私の無力さを懺悔する》

 

 天羽の演説は続く。嘘だ嘘だと言いたいが画面の向こうの天羽には届かない。

 

《しかし、私はこの状況に一石を投じることはできたと考えている。最前線にいる艦娘諸君、(いか)れ。君たちに戦いを強い、犠牲を強いたこの社会とこの組織に怒れ。艦娘のあり方に疑問を感じ、行動出来なかった市民諸君、(いか)れ。その怒りこそ、この世界を変え、正していく原動力となる》

「やめて、よ。天羽、さん……!」

《我々は人の道に立ち返り、今こそ正義を成し、か弱き物達を守るために立ち上がるべきだ》

 

 天羽の声は高らかに反響する。それに呼応するようにその放送の視聴を示すカウンターが急速に回っていた。視聴者数が跳ね上がる。

 

《艦娘諸君、今こそ蜂起せよ。奪われた幸せと青春を、家族や仲間と過ごす安心で安全な大切な時間を取り戻すために蜂起せよ。その権利と力が君たちにあると信ずる。我々はそれを応援しーーーーーー》

 

 放送が途切れた。何者かがその放送を無理矢理中止させたのだろう。

 

「天羽さん……!」

「とりあえず放送は止まったけど、どうする?」

 

 Верныйはそう言って深雪から情報端末を取り返す。それとほぼ時を同じくして戦術リンクが起動、画面に佐世保鎮守府の地図が表示される。

 

《Верный、対象の位置が割れた。佐世保鎮守府の司令室だ。どうやら本丸を盗ったつもりらしい》

「それをみんなで包囲してデスマッチすればいいのかい?」

《そんな時間も惜しい。狙撃でカタをつける》

「一応聞くけど軍法会議に通さなくても?」

 

 どこかのんびりとしたВерныйの声が響く。

 

《やむを得ん。このまま佐世保を火の海にするわけにはいかない。佐世保鎮守府から連装砲ちゃんが飛び出されてもコトだしね》

「了解」

「ちょっとまってよ!」

 

 深雪が慌てて止めに入る。

 

「何か?」

「何かじゃないよ。ほ、本当に撃ち殺すの? 味方の軍人なんだよ?」

「さっきまでは、ね。味方じゃない」

「でも敵だと決まったわけじゃ……!」

「味方じゃないなら、敵だ」

 

 Верныйの冷酷な声。深雪は言葉を詰めた。

 

「敵だよ、深雪。彼はこの国に反旗を翻した。彼はすでに脅威だ。そして脅威を撃破、撃滅し、跡形もなく粉砕するために軍隊は存在する」

「だからって」

「深雪、家族は? 大切な人はいる?」

 

 いきなりВерныйが話題を変えた。

 

「私にはいるよ? 艦娘になってからの姉妹だっている。今彼を止めないとその大切な人が大変なことになる。そして彼を確実にかつ迅速に止めるには殺すのが一番だ」

「説得でなんとか……」

「その時間がないんだ」

 

 残念なことにね。取り付く島もなくВерныйがそういった。

 

「君の感傷につきあう余裕はないんだ。司令官、指示を」

《ホント、鎮守府に多くの建物が建っていて助かったよ。端末に場所を送った。そこから撃ちなさい》

「この新しい艤装(おもちゃ)でやっていいのかい?」

《それを狙撃とは言わないわよ……同じ倉庫に一応狙撃銃がある。それを使いなさい》

「狙撃銃……ああ、これか。司令官、見つけたよ」

 

 そう言いながらВерныйが持ち上げたのは防備隊の隊員たちが持っている銃だ。いや微妙に違う、狙いを定めるところに大きなスコープを付けた……狙撃銃。明らかに連装砲を倒すための武器ではない。

 

「さあ、行こうか」

 

 それだけ行って歩き出すВерный。深雪に続く以外の選択肢はない。

 

「……ねぇ」

「なんだい?」

「怖くないのかよ、味方を……人間を撃つんだよ? どうしてそんな淡泊になれるのさ」

 

 これからВерныйが銃を向けるのは天羽だ。人間なのだ。深雪なら銃を向けられる気がしなかった。相手が天羽()()だからじゃない。誰に対してだって、銃なんて向けたくない。

 

「二度も聞くのかい? だってそういうものじゃないか」

「でも、怖いもんは怖いだろ?」

「私は深雪こそ怖がっているようには見えないね」

「え……なんでだよ?」

「だってさっきまで砲塔内の弾丸を使い切ることはなかったじゃないか。装填のタイミングをしっかり見極めている」

「そりゃだって、戦闘中に切れたら大変だし、それに切れたら次の弾をもらわなくちゃいけないじゃないか」

 

 それを聞いたВерныйは、さも可笑しそうに肩を揺らしたように見えた。深雪の気のせいでなければ、だが。

 

「そうだ、つまり撃ち合いの最中にいきなり丸腰になってしまう。だからこそ残弾数に注意するのは当然……だけれども。それを言葉通りに実施するのは難しいよ」

「……なにが言いたいのさ」

「君は相当に優秀だ。少なくとも、私の司令官ならそう言うだろう」

「なんでそこであの憲兵サマが出てくるんだよ」

「私は一駆逐艦に過ぎない。だから優秀かどうかを判断すべき立場にないんだ。あくまで想像として言ってみただけだよ、それで提案なんだけど……」

 

 その時、Верныйが足を止めた。深雪の方を向く。

 

「……この狙撃銃、君が使ってみないかい?」

「な、なに言ってんの?」

「そのままの意味だよ? 私もロクヨン改(これ)は使ったことがなくてね。しかも艤装(せなか)が大きすぎて姿勢が上手くとれるか怪しい」

「……」

「なに、私がスポッターとしてサポートする。出来ないことはないよ」

 

 狙撃銃を差し出すように突き出すВерный。深雪は黙ったままだ。

 しばしの沈黙。Верныйは小さく息をついた。

 

「……なら、深雪にはスポッターをやってもらおうか。拒否権はないよ? どの道誰かがやらなきゃいけないんだ」

 

 深雪はВерныйについて行く。黙ったまま、目的地へと歩いて行く。

 



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ミネルヴァの慙愧(前篇)

 悪態をつこうとしては堪えたのは何度目だろうか。言ったところで何か変わるのならばいくらでもこの口から罵詈雑言を吐いて見せるが、変わらないとわかっていて口汚く状況を罵るほど愚かなことはないだろう。

 

「隼鷹さん、何か掴めた?」

「ダメそうだねえ。指揮系統が完全に混乱してるよ」

「勘弁してよね。こっちは患者の避難もやらなきゃいけないのよ」

 

 その場にいた人手をかき集めて避難誘導はしているが、怪我人の避難をすることは時間がかかる。できる限り効率よく誘導はしているが、それでも物理的に超えられない壁がある。

 

 雅が窓際に寄って外の様子を伺う。3階にある医務室の窓から佐世保を闊歩する連装砲が見える。

 

「秋月型艤装の自律駆動式砲台。それも横須賀から送られてきたテストモデルじゃない?」

「わかるのかい? まぁどこの生産物だろうが、艤装に変わりはないと思うけどねぇ」

 

 暴走しているのか、それとも悪意ある何者かに操られているのか。わからないが少なくとも攻撃してくることがわかれば十分だ。

 

「隼鷹さん、空のガラス瓶ある?」

「えーっと、これでいいかい?」

「ワンカップ酒じゃない……」

「まあ、同じガラス瓶だしいいじゃないか。で、こいつがどうかしたのかい?」

「ちょっとちょうだい」

 

 怪訝な表情ながらも隼鷹が雅に空き瓶を渡す。振りかぶって手のひらからはみ出るサイズの瓶を窓から投げた。

 

「この、命知らずー」

「しっ!」

 

 身を隠しながら投げた瓶を観察する。投げられた瓶は重力に従ってまっすぐ地面に落ちていき、ガシャン! と音を立てて割れた。

 

 その瞬間、割れたガラス瓶を砲撃が襲った。コンクリートが抉れ、焼け焦げたあとが周囲に広がる。

 

「動体だけじゃなくて音に反応してるのかしら。となるとストレッチャーの車輪が発する音も気をつけないといけないわね」

「危ないことするねえ。本当にただの医者?」

「AIがどう動いてるのかは確認したかったのよ。あとあのまま進まれると避難ルートに自律駆動砲がぶつかるからなんとか逸らしたかったのよね」

「だとしても危険すぎるってぇ」

「大丈夫よ。ここからだと患者のいる場所は離れているし、あなたは艦娘だから」

 

 やれやれと呆れ返る隼鷹をよそに雅は陰に隠れたまま、窓際から様子を窺った。

 

「あれは大元からの指示で起動して個々に搭載されたAIによって行動するタイプのオートマトンね。フォーマットは……空母の艦載機と同じものを流用したってところかしらね。味方識別はできるはずだから誤射で共倒れを狙うのは難しそう」

「雅さん、あんた何もんだい?」

「今はいいでしょう。そんなこと言っている場合じゃないんだから」

「まあ、そうだけどねぇ。知らぬが仏、かい?」

「聞かぬが花、よ。でもそうね、念のために抜いときましょうか。でもこれがどれだけ役に立つことやら」

 

 雅の袖口からレディース用拳銃が飛び出した。小ぶりだが殺傷能力のあるであろうそれを雅はくるりと手の中で回して握る。

 

「そんなもんまで使うのかい?」

「患者を守るために必要なら仕方ないわ」

「相手は対深海棲艦を想定してるよ? それに弾がすぐに切れる」

「気を引くレベルでいいのよ。弾が切れたらメスでも投げつけるわ」

 

 肩をすくめながら少しふざけた調子で雅が言った。慰めるような微笑みの下になにが秘められているのか隼鷹は悟ってしまっていた。

 

「私に艤装があればねえ……」

「軽空母で装備できるものだとやっぱり対抗するのは難しいわ。相手は対空戦闘を想定した秋月型の自立駆動砲よ」

「それでもないよりはましだろ?」

「ないものねだりはしない主義なの。でもそうね。隼鷹さんは司令部に向かいなさい。その後は司令部で指揮を執っている人の下につくこと」

「……いいんだね?」

「ええ、もちろん」

「そいじゃ、仰せのままに」

 

 隼鷹が医務室を駆け出していく。振り向くようなこともなく、まっすぐに司令部へと走る足取りはいつもの酔っ払いらしい気配はまったく感じさせない。

 

「さあ、私も覚悟を決めようかしら」

 

 雅が白衣を脱ぎ捨てた。患者の避難誘導はうまくいっている。だがいつここまで攻撃の魔の手が来るのかわからない。司令部も対応しようとしているが、正直に言って初動が遅すぎる。

 

 となれば早々に何かしらの行動をしなければ避難誘導にも支障が出る可能性が高い。

 

「鎮守府内の情報が欲しいわね……」

 

 どこでもいい。どこか安全に状況が俯瞰できるところがほしい。常に目を光らせながら廊下を早歩きで移動する道中で、安全そうな場所を探す。

 

「携帯端末からアクセスすればモニターくらいなら見れるはず……」

 

 大尉の権限レベルでは深く潜れことはできない。だが監視カメラの映像くらいなら見れるだろう。病棟を監視しているシステムから入っていけばざっくりと俯瞰することくらいならできるはずだ。

 

「ここが適当かしら」

 

 まだオートマトンの攻撃が及んでいない部屋に滑り込むと念のために安全を確認。ポケットから携帯端末を抜き出す。無線で接続した瞬間、素早く雅の手がキーボードの上を走り回り、文字列が浮かぶ。

 

《/dev/[r]dsk/cwdx[sy,pz] access to Sasebo closed network.》

《Requests are providing activity log cluster.》

《Instruction register load.》

《Main memory adress stored in program counter.》

《Instruction decoder decrypt.》

《This is authorization account.》

《User authorization complete.》

《Execute.》

 

「よし、入れた」

 

 タブレットタイプの携帯端末にいくつものタブが表示され、それぞれのタブに監視カメラの映像が映し出される。

 

 素早く映像を雅が確認していく。オートマトンの動きが映し出される監視カメラの映像を睨みながら佐世保鎮守府のマップに赤を入れる。

 

「中核はここね」

 

 接続をそのままに端末をポケットに戻す。ワイヤレスイヤホンを片耳に押し込んで端末からの警告がすぐに聞こえるように。目的地への最短ルートは頭に入れた。あとは行動するのみだ。

 

「さて、この老骨がどこまでやれるかしらね」

 

 部屋のドアを慎重に押し開けて廊下の安全を確認。音を立てないようにドアを閉めると廊下を迷いなく歩く。まだ走ることはできるが、年のせいで体力の低下はある。できることならまだ体力は温存したかった。

 

 早歩きで廊下を進む。耳に嵌めたワイヤレスホンが小さく警告音を発した。

 

「あらあら。やっぱり一筋縄じゃいかない、か」

 

 十字路になっている廊下の角から口腔内撮影用ミラーを使って顔を出さないように確認。オートマトン3機が直列になってゆっくりと動いていた。

 

「走って抜けるのはちょっと無謀かしら」

 

 雅が周囲を見渡す。パッと目についたのは備え付けの消化器。

 

「こんなものでも使えるかしらね」

 

 引きずるようにして消化器を持ち上げると、角から顔を出さないようにオートマトンに向かって慎重に転がす。そしてレディース用拳銃を抜くと3回、引き金を引いた。

 

 消火器に穴が開き、薬剤が勢いよく噴き出す。消化剤の濃霧が廊下を満たした。そしてそれは同時にオートマトンのセンサー類を一時的ではあるが阻害してくれる。

 

 あとはその隙に十字路を走って抜けるだけだ。かなり昔と比べて足は遅くなったが、それでも3mていどならば遅い速いはあまり関係ない。

 

「これだけで、息が、上がるなんて、ね……」

 

 やっぱり歳かしら、と雅が呟いた。十字路から離れた場所まで駆け抜けると、荒い呼吸を整えるために壁にもたれて深呼吸。激しい動悸はなかなか収まってくれる様子がない。

 

「まあ、いいわ。一番の鬼門はなんとかできたから」

 

 呼吸を落ち着けられるようにと、頭の中へ叩き込んだ地図に従ってゆっくりと歩く。目当ての場所はすぐそこだ。

 

 重厚感のある扉を雅のシワが目立つ老いた手が押した。音は立てずに扉が重々しく開く。

 

「こんにちは、天羽君」

 

 そこにいた男────天羽月彦はつまらなさそうに鼻を鳴らした。

 

「……やっと話せるわね」

「別に私はあなたと話したいわけではないのですけども、雅柚穂大尉殿。それに話したいのは私ではなく、この子なのでは?」

 

 天羽はそう言いながらどこか野暮なデザインの眼鏡を拭く。明らかに敵意が滲むような視線を受けながらも、彼はまるで気にしていないように振る舞う。デスクの上に置かれたバックは大ぶりで中から何やらコードのようなものが伸びている。それがこの事態の引金になっているのだろうか。雅には判別がつかなかった。

 

「やっとのお迎えで彼女も待ちくたびれた事でしょう。それでも来ないよりは大分マシ、といったところでしょうか」

「それを論じることに意味はないわね。……捕虜にとるならそれなりの対応を求めたいところね。後ろ手に縛った上に亀甲縛りというのはあなたの趣味かしら?」

「趣味嗜好についてはお答えいたしかねますので」

 彼はそう言ってにこりと笑った。薄ぼんやりとした焦点の合わない瞳が雅に向くように、横に座らせた彼女のあごを持ち上げる。

「何をしたの」

「ご安心ください。ただの睡眠導入薬です。無理に精神を繋ぎ続けていても良かったんですけどね、そこまでやらなくてもいいのなら負担は軽いに超したことはない」

 そう言って笑ってみせる天羽に雅は恨みのこもった目を向けた。

「連装砲ちゃんを暴走させるには艦娘の協力か、連装砲ちゃん自体のプログラムに介入することが必要になる。……だから、大鯨を使ったのね」

「自律駆動型連装砲、軍人であるならば、ちゃんと正式名称を使いましょうよ雅大尉」

「些末な問題で揚げ足をとらないでくれないかしら。質問に答えて頂戴」

 せっかちな女性は嫌われますよ、と軽く笑って天羽は肩をすくめた。

「ご想像にお任せします。それにあなたもそこが本題ではないのでは? わざわざ危険域を超えて、いえ、留まってと言う方が正しいですかね。そこまでして私と話したいことでもあるのですか?」

「……貴方の目的は艦娘システムの否定。そのためのクーデターだった。そうよね?」

「その問いに意味がありますか?」

 

 拭いた眼鏡を掛けながら彼は煙に巻こうとしたのか、軽薄に笑ってそう言った。そのしぐさに雅は普段の彼の、どこか野暮ったくも見える生真面目な言動は、意図的に作られたそれだと知る。

 

「防空駆逐艦をはじめとする新型艦に採用された自律駆動型連装砲が暴走、セーフティが作動せず艦娘・人間問わず砲撃が行われた。……それで貴方は満足をするの?」

「私が満足しているかどうかが、あなたの納得に関係するのですかね?」

 

 夕陽差し込む部屋の中で天羽は普通ならば司令官が使うデスクに腰を下ろし、そう笑った。そしてそれは同時に、彼がこの事態に関わっていることを認めることだった。

横を流し見る彼女の視線の先には大鯨の青みがかった黒髪がある。長いこと雅を慕い、信じ、背中を守ってくれていた子だ。

 

「私もね、艦娘というシステムは完全ではないし、間違っていると思うわ。でもね、艦娘システムが確立した時、7年前には、こうでもしなければ生き残れなかった。間違っていたとしても、それで須く報いを受くと知っていても、私たちは種を後に残さねばならなかった」

「――――だから、幼子を犠牲にしてでも守らねばならなかった、と?」

 

 天羽の笑みは軽薄なままだったが、その声色は一変していた。

 

「私たち、私たちね……その『私たち』の中には誰が内包される? そこに含まれるのは、何処のどいつだ」

 

 天羽はそういって、雅を真正面から見据えた。

 

「あなたのその中には自分の知っている人しか含まれていないでしょう。名も知らない誰かが、名も付けられていないどこかで、その『私たち』が創った秩序の為に生きたまますり潰されている。それを知りながら見ようとしていない貴方が、このシステムは間違っていると断罪する? クーラーの効いた安全圏しか知らないあなたらしい冗談です。……ほんと、笑わせてくれる」

 

 天羽はそういうと、わざとらしく微笑んで見せた。

 

「……私が勝手に師匠と仰いでいる先生がいましてね、その人はこんなことを仰っています」

 

 天羽の声は朗々とその部屋に響いた。

 

「――――There is no such a thing as disabled person, there is only physically disable technology」

「障碍を持つ人間などなく、ただ、技術に障碍があるだけである……ね。どこかの大学教授の言葉だったかしら?」

「マサチューセッツ工科大学のハー・ヒュー教授のものですよ。眼鏡という文明の利器により、弱視は障碍としては致命的ではなくなってきた。同じように、人間の体の不都合はテクノロジーによって補完され、誰もが安全で平和な世界を享受することが可能になる」

 

 素晴らしいとは思いませんか? と言って両手を広げる天羽はどこか皮肉げだ。

 

「だが、現実はそう簡単ではなかったわけです。技術の障碍によって発生した損益は必ず誰かにしわ寄せを送る。それは概して社会的弱者に押し付けられてきた。それこそ、国家単位での策略によってそうされ、見えなくされてきた」

 

 天羽の声を雅はただ聞いている。それをいいことに天羽は言葉を発し続けた。夕焼けの執務室に響くその声が反響する。遠くに響く爆発音を背景に彼は浪々と語りかけた。

 

「その損益は技術の失敗か? 人の失敗を技術が補完するのなら、技術の失敗は誰が補完すればいい? ……神か? 世界か? はたまた社会か?」

 

 天羽の声は問いかけの形をとっていたが、答えを雅には求めていなかった。

 

「どれにしてもくだらない。誰も、何も救おうとしない。そのくせ他人に助けることを強要し、それを美徳と定義した。……無責任な正義だ。それを強制するナニカは破壊せねばならない。人間の手によって作られた秩序であり、価値観であるならば、そのシステムを壊さねばならない」

 

 

 










数話ぶりですね、プレリュードです。前のあとがきを担当したOD氏がたいへんに興味深いものをあげられていたのでそれに負けじとなにかおもしろいものを書こうとしましたが、うまくいきませんでした。ちくせう。
前回のコンコルディア・サンシャイン! とかでいいですかね? 元ネタわかる人が少なすぎるだろうなあ……

紆余曲折を経てきたこの合作企画でしたが、ようやくエピローグが近づいてまいりました。ずいぶんと時間がかかったなー、という感じですね。投稿前の土壇場もここまでくるといい思い出のようです。ははっ(乾いた笑い)

さて、これで私のあとがき回はラストです。なのでもうこうして書くことはないでしょうからいくつか。

まずはこの合作企画に招待していただき、そして参加させていただいた合作企画メンバーの仲間たちに多大なる感謝を。そしてコンコルディアの落日を読んでいただいている読者の皆様。読者あってこその小説。こうして読んでいただいたからこそ、コンコルディアの落日は小説として成り立っています。まもなく大団円。もうしばし、お付き合いをお願いすると共にこの小説が少しでも皆様の有意義な暇つぶしになってくれることを祈りつつ、私は筆を置こうと思います。

それではあと数話。どうぞお楽しみください!


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ミネルヴァの慙愧(後篇)

「……そのために、この事態を?」

 

 それを聞いた天羽は喉の奥で笑って見せた。

 

「これはただの狼煙に過ぎないのですよ。声なき市民(サイレント・マジョリティ)が私の声を拾い上げ、誰かがこの思いを継いでくれるだろう。顔も声もしらない同志が、私にはたくさんついている」

「革命家にでもなったつもりかしら?」

 

 それを笑って天羽は肩を竦めた。

 

「いいですね。革命家。なれるものならなってみましょうか。もうこの連鎖は止まらない。帰還不能地点(ポイント・オブ・ノーリターン)は遥か彼方の後方だ。皆がそれを望むなら、担ぎ上げられるのも悪くない」

 

 それに戦慄する。今回のテロの仕組みはおそらく既に解明されている。それでも続けるというならば、別の手段によるテロが画策されていることになる。

 

「これ以上続けて何になるというの? 貴方が守りたかった彼女たちを危険地帯に放りこむことに繋がるだけじゃない! 戦場が海だけではなくて、陸にも広がるのよ。それが貴方の望むこと? それで何が変わるの!?」

「変わりますよ」

 天羽は即答。あまりの早さに雅は押し黙る。

「革命が続いた19世紀後半ならいざ知らず、光ファイバーケーブルが蜷局を巻き、通信衛星が言の葉を繋ぐほどに高度な成長を遂げた情報社会なら、変えられる。それでもね、人の思いが並列化され、均一化されるほど、世界は変わってはいないわけです。……誰もが扇動者(アジテーター)となり、誰もが革命家(レボルショナリー)となる。その可能性を淘汰できるほど、この世界は成熟していない。……私の思いは既にネットに託された。私への審判はネットの奥に繋がれた個がそれぞれ下すだろう」

 

 そう言って彼は横にいる影の頭を撫でた。大鯨の体は反応を示さない。まるで人形か何かにでもなってしまったように思えるほどだ。

「彼女たちは革命前夜まで続いた圧政による犠牲者だ。いや、今も犠牲になり続けているという意味ではさらにたちが悪い。搾取され、犠牲になり続ける彼女たちは、救済されねばならない」

「そのために貴方は、今泣いている人たちを切り捨てるの!? 貴方を慕ってくれている子はどうするの。深雪ちゃんは、貴方を信じていたのよ」

 

 深雪の名前が出たその刹那の間だけ、天羽の顔は僅かに曇り、元に戻る。――――その刹那を、雅は見逃さなかった。

「あの子は貴方を好いていた。彼女の居場所を、あなたは奪えるの? あの子の居場所はもうここにしかない! それでも貴方は深雪ちゃんを追い出せるの?」

 いつもおおらかに笑っていた深雪の笑顔を、雅は印象深く覚えていた。そして寡黙でどこか浮いていた天羽のことをずっと気にかけていたことも、艦娘たちの間で天羽が悪く言われる度に、ささやかな反論を毎回していたことも、よく覚えていた。

「艦娘システムを否定することは今の彼女たちのよりどころを奪うことだわ。それでもあなたは彼女を裏切れるの?」

「裏切る? ハ! 面白い冗談です」

 天羽はそう言って醜く口の端をゆがめる。

「では雅軍医大尉、あなたにたとえ話をしましょう。医官でもわかりやすいように病院の現場での話にしましょうか」

 そう言って天羽は手を広げた。

「ここが病院だとしてあなたは小児科医だとします。目の前にインフルエンザの予防接種に来た女の子がいて、あなたは注射できるか否かを決めなければなりません。親が記載した問診票に問題はなく、発熱もなし。それでも注射が嫌いでたまらない女の子は『注射はいやだ』と泣き叫んで抵抗します。あなたはどうするべきでしょうか?」

 簡単ですね? と天羽は笑う。

「注射をするのがベストです。感情に流されてはその子が将来ツケを払う。そんなことを許すなど医師ならやってはならないことでしょう」

 そこまで言えば天羽が何を言い出すのか容易に想像がついた。

「つまりあなたは深雪ちゃんは切り捨てるべきだと言うのね?」

「致し方ないでしょう。遺憾ですが、排除不能な犠牲です」

「なんですって?」

 跳ね返ってきた答えは単純だった。それに耳を疑う。

「排除不能な犠牲? その犠牲になる人を救うために戦うって言ったあなたが、その例外を認めるの?」

「もちろん他の形で補填することにはなるでしょうね。少なくとも私が深雪を見捨てても、周りが深雪を見捨てない。少なくともあなたは見捨てないでしょう。彼女の傷は、誰かがきっと癒す。彼女には人望があるのだから」

 天羽は演技臭く言葉を続ける。

「『変なのに利用されて大変だったね』『泣いていいのよ、泣き止むまでいっしょにいてあげる』『塞ぎ込んでいても仕方ないよ、いっしょにどこか遊びに行こう?』……心からの言葉は彼女を癒す。そこについては心配していませんよ。その上でもし、彼女のことを心から気に掛けるなら、やるべきは彼女たちの命の保護でしょう。もう少女を戦場に立たせる必要などないのだから」

「必要などない?」

「自律駆動型連装砲、これによって戦闘形態は著しく変貌します。最初の命令だけ下して、意識をほぼ失っている状態の大鯨でも十分に『戦果』を挙げている自律性能の高さ、それに伴う艦娘が乗っ取られた場合の脆弱性は、たった今私が証明した」

 天羽は人差し指を立ててそう指摘した。

 

「一番怖いのは深海棲艦に制御を乗っ取られることでしょう。現状において、やつらと接触するのは戦闘が行なわれる海上に限られる。乗っ取られないためにはどうしたらいいか。答えは単純、コントロールする管理者を地上に置けばいい」

 天羽がそう言って笑う。

「そのうち艦娘システムは自律駆動型の兵装群に取って代わる。元空母を戦艦に改装した事例もある。自律駆動型連装砲を応用した主砲は難なく駆動しているそうだ。艦娘自体が必要なくなる日も近い。……それでも、居場所作りのために幼子を戦場に送ると?」

 その問いは反語だ。雅は下唇を噛み、それに耐える。

「深雪も変革を望んでいた。……艦娘に志願する子たちがどのような経歴を辿ってくるか、知らないあなたではないはずだ。何せあなたはそれに関わっていたはずだ、雅柚穂軍医大尉。いや、元特種兵装開発実験団医学実験部部長、雅柚穂少将と呼ぶべきですか」

 

 天羽はそう言って僅かに笑みを深めた。

 

「プロパガンダのせいだけではないし、志願者となるまで過程の問題もある。貧困や虐待、教育に思想、様々に根の深い問題も絡んでいる。だから、あなただけのせいではないでしょう。それでもあなたはそれを推し進めた人間に違いない。甘言を嘯き、幼子に銃を持たせ、戦場に送り出した」

 

 そういう彼の目はどこか寂しげで、そこに自嘲が含まれることを知る。

「明日死ぬかもしれない恐怖、さっきまで話していた友達が数時間後には死亡報告書に置き換えられる恐怖……それに震え、泣き、狂う。それでも世論は彼女たちが純然たる戦巫女(ワルキューレ)であることを強い、毅然と戦い、散ることを強要する。そんなシステムを組み上げたのは、悪魔の所業としか言いようがない」

 雅がわずかに間を置いて口を開いた。声が震えるのを押さえ込む。

 

「……そうよ。私が推し進め、子どもを艦娘に変えていった。地獄行きなど百も承知。貴方に言われるまでもなく、煉獄に焼かれる程度では生ぬるい程の罪を犯していることはとっくに知っているわ。それでもね、天羽君」

 そう言って前に、一歩。

 

「貴方がしたことは間違っている。この世界は壊れているかもしれない。狂っているかもしれない。それでも、我々は、ここに生きる我々は、生き残らねばならないのよ。そして、それを脅かす全てに否と言い続けなければならない。時にその戒律を自ら侵すとしても、それに恥じ入り悔やんだとしても、我々は生き延び、生き、共存の路を探さねばならない」

 

 矛盾しているかもしれない。夢物語かもしれない。そうだとしても、雅はそれに縋る。

 

「貴方の想いはきっと間違っていない。私なんかよりもよっぽど優秀で立派な思想家であり人格者であり、軍人だと思う。だとしても、私は貴方の行動を肯定することは許せないのよ。守るべきと説いた相手さえ傷つけて、目の前で泣いている子すら見捨てて、革命を騙る貴方の行動を誰が容認できるの。きっと艦娘のみんなも、そこの大鯨も深雪ちゃんもこんなことを望んでなかった」

「当然です。そもそも私はあなたたちに認められたくてやっているわけじゃない。あなた程度に理解されてたまるか」

 

 天羽はそう言って、そっと立ち上がる。

 

「あともう一つあなたは勘違いしている。私は深雪たちの安寧だけを願って起こしたわけではないし、彼女らの隣に立つつもりも到底ない。私もまた艦娘システムに加担した大悪人の一人だ。……たとえ深雪が望んだとしても、そんな糞野郎はあの子の隣に立つべきではない」

「……貴方は」

 

 一瞬だけ、影が過った気がした。その僅かな違和も刹那の間に飛び去り、もとの笑みに戻る。

「雅大尉、私にはあなたを理解できない。どうしてそこまで鈍感でいられる。目の前に自らの手で地獄に叩き込んだ少女達がいるのに、なぜあなたは何事もないかのように振る舞える? どうしてあなたは彼女たちの味方であるかのような仮面を被り、隣に居座っていられるのです?」

「大鯨がそれを許したからよ。そうすることを私に求めたからよ」

 そう言って雅は彼を見据える。

「そこにいる大鯨はね、昔は龍鳳と呼ばれた航空母艦だった。私もまた指揮官だった。指揮官について初めて、自分のしてきたことの意味を知ったわ。絶望だってしたし、彼女たちに征けと命ずることも出来なくなったときもある。それでもよ、天羽君。それでも私は前に進まねばならなかった」

 雅がすらりと背を伸ばす。

「それは龍鳳が私を信じると言ったからなの。私の言の葉を、背中を、あり方を、信じると言ってくれたあの子を見捨てることは守りたかったなにかを捨てることになった」

 子供じみた意地であることなど百も承知だ。それでもそのために雅は汚くてもみっともなくても生き残らねばならなかった。だからこそ、血の海を渡り、泥を啜りながらも前に進んできたのだ。

「それは呪いかもしれない。それは希望かもしれない。それでもそれを信じてここまで来た。――――もう貴方も気がついているんじゃないのかしら? 貴方もまた、それをすでに背負っているはずよ」

 それを聞いた天羽は鼻で笑い飛ばした。懐に右手を突っ込み何かを漁った。

「あなたは、甘すぎる」

 その右手が真横に差し出される。夕陽は彼とその機械を等しく照らしだした。その機械を見て、雅はとっさにポケットから銀色の拳銃を取り出した。

 

「止めなさいっ! 今更手を下してなんになるの?」

「何をいっているんです? これを認めれば今すぐこの事態は止まるのに」

 夕日に照らされる拳銃を天羽は笑って見下ろした。照星の向こうに大鯨の頭を捕らえ、笑ってみせた。

「あなたはただの優等生でしかなかったようですね。周りもそういう人しかいなかったのでしょう。愛されることしか知らない。愛することしか知らない。だからあなたは目の前の感情を愛することしか知らない――――そんな人間に誰かを守れるはずもない」

 天羽の瞳が一段と冷え込んだ。

「信頼や愛情を否定はしない。それでもそれに拘泥しては判断を誤る。だからあなたは私を止められなかった。天羽月彦という怪物を止められなかった。――――最初から私を撃ち殺していればこんなことにならなかったのかもしれないのに、残念です」

 セーフティが外れるのが見える。

「私は好かれたいとも思っていない。愛されたいとも思っていない。だからあなたに私は止められない。情を超えられず、目の前の命に拘泥し、切り捨てられ、嫌われることを恐れたあなたには、私は絶対に止められない」

 

 そう言って引き金に人差し指を当てがい、勝ち誇ったように笑って見せた。彼の背後で何かがきらりと光る。窓の向こう、ビルの屋上で何かが光った。

 

「それに私はあなたの罪滅ぼしに付き合う義理もない」

 

 引き金を引けばそれで終わる、と雅は念ずる。それを嘲うかのように天羽は高らかに笑った。

「――――私の勝ちだ、雅柚穂元少将」

「待ちなさ――――っ!」

 

 最後の瞬間も彼は笑っていた。直後、ガラスにひびが入る。彼の胸板に赤い花弁が散る。ゆっくりと膝をつき、直後、その頭が吹き飛んだ。

 

 半ば呆然としたまま、雅は彼のそばに寄る。脳漿が床に散らばり、その隙間を埋めるように赤黒い液体が飛び散る。

「――――っ、大鯨!」

 大鯨は彼から流れ出た血潮の海で膝をぬらしながら、何事もなかったかのように座っている。駆け寄ってその肩を叩いた。ぼんやりとしたまま反応はない。バイタル確認、呼吸と脈もある。異常な体温の変動も震えもない。ただぼんやりと眠っているような反応だ。拘束を解く。長時間縛られていたならその先の血流が心配だ。

「大丈夫。まだ、大丈夫ね……」

 広がっていく浅い血の海の中で大鯨の頭を震える手で抱きしめる。暖かい体があることに安堵する。彼の右腕もまた、その薄い水たまりに沈もうとしていた。その腕から見た目からすればあまりにも軽いそれを引き抜いた。マガジンキャッチを押し込んで、弾倉を取り外す。空っぽだった。

 

 ハッとしてデスクに置きっぱなしのバックに飛びつき、開ける。中には通信装置に括り付けられたビデオカメラ。残された録画時間を示すカウントダウンは刻一刻と減っている。そのビデオカメラの録画停止ボタンを押し込んだ。

 

「……本当にやってくれるわね、天羽君。最後の最後まで、ホントに」

 

 飲んだ唾液が苦い。血の海に沈む彼の頭だったものの欠片が、まるで微笑んでいるように見えた。

 過去のすべてを否定して、ひっくり返していくなんて。

「ひどいことをしてくれるわ」

 血の海の中で満足げな彼は答えることなどなかった。

 








やめて! 自律駆動式砲台の機動戦力で、ベース・オブ・サセボを焼き払われたら、テロリズムでモンスターと繋がってる天羽の精神まで燃え尽きちゃう!

お願い、死なないで天羽! あんたが今ここで倒れたら、深雪との約束はどうなっちゃうの? ライフはまだ残ってる。ここを耐えれば、お偉いさんに勝てるんだから!

次回、「天羽、死す」。デュエルスタンバイ!


……という予告を前回の更新分に挟むか悩んだオーバードライヴです。お久しぶりです。

さて、今回はいろいろ波乱がありましたが、結構やりたい放題した結果がこの原稿です。本当にどうしてこうなった。

物語も既に終盤、もう少しだけお付き合いくださいませ。


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マールスの凱旋

 墜落したメリクリウスのヘリは沈没せず浮遊していた。墜落から数秒後、吉井は微睡んだ意識からいち早く覚醒した。

 

「クソ……身体中が痛ぇ……とりあえずは五体満足か……」

 

 吉井はその事実に胸を撫で下ろしつつ、全身打ち身状態の体を労わる。が、直ぐに思い直し、辺りを見渡した。墜落場所は沿岸から大体1キロと言った所であり、吉井は自分の操縦に感謝しつつ、機体の状態を確認し始める。まだ浸水は始まってはいないが、電源は完全に喪失し(ブラックアウト)、レスポンスが全く無い。次に搭乗員を確認する。

 

「おい! お前ら! 死んでるか、生きているかぐらい返事しろ! 生きてなくても返事しろ!」

「うぅ……生きてます。打撲程度で済んでます」

 

 副機長が呻きつつ上体を起こす。次に後ろからも身動きする気配がし、声が上がる。

 

「機長、あんたは頭でも打ったか? 欠損なし」

「右に同じくです。 あっ、出血してました。右腕」

「左腕が脱臼したようだ……誰か嵌めてくれ」

 

 とりあえず後方3人組も大怪我ないようで、声が返ってくる。その事に安心と幸運を喜びつつ吉井は再び指示を出す。

 

「とりあえず、敵は居ない。しかし、いつ沈没するかは分からない。最低限の処置をした後、こいつを放棄し陸に向かう。異論は無いな?」

 

 着水時に首を強く打ったようで思う様に首を振り向かせることが出来ずにいたが、沈黙していたため吉井は話を続ける。

 

「一応、小銃も積んである。それを防水袋に入れて本陣に向かう」

 

 その言葉にメリクリウスの面々は息を飲む。また、わざわざ戦場へと戻る必要は無い筈だ……と言ったように。しかし、誰かが声を上げる前に吉井は再び口を開く。

 

「言いたいことはわかる。だが、俺たちの基地へは遠い。そこでだ、先の偵察で交戦範囲は把握しているだろう? そこを回避し、医務室へ向かう。そこの方が確実に治療を早く受けられる」

 

 そして吉井は目を閉じる。

 

「救護員は肩を嵌めてから応急処置を各員へ。無理はするなよ。手空きは持ち出す物を用意しろ。機密は確実に回収だ」

「了解」

 

 各々が動き始めたのを確認し、吉井は軽く首を回しながら作業を始める。

 

「機長……」

 

 吉井はそう呼ばれてから差し出されたもの……中身が入った黒革のホルスターを受け取る。その中身は制式拳銃に他ならない。

 一度拳銃を引き抜き、昔受けた訓練を思い出しながら使えるかどうかしっかりとチェックする。弾倉に弾薬をセットし拳銃に収める。予備の弾倉も確認し弾倉入れに収める。

 

「さてと……」

 

 ホルスターを差し出された防水袋へと詰める。後方では世話しなく動き始め、小銃や応急セットを取り出し防水袋へと詰めていく。

 頃合いを見計らい、吉井は声を再びかける。

 

「作業進捗、報告」

「応急処置は完了」

「持ち出し品詰め込み完了」

「兵装封印完了」

 

 その報告を聞いた吉井は頷き、立ち上がる。

 

「兵装放棄後、脱出する。陸まで約1km……海軍軍人の力を見せようじゃないか」

「ガラにもない事言いますね」

「まぁな……」

 

 センサー手が茶々を入れつつ、吉井は立ち上がる。全員を見渡し、吉井は口を開く。

 

「兵装放棄」

「兵装放棄します」

 

 撃たずにいた残り1発のヘルファイアが音を立てて海へと落ちる。搭載魚雷も封印した上で投棄する。それらを確認した吉井は再び叫ぶ。

 

「総員、退避!」

 

 その号令と共に後部座席のセンサー手二人と救護員が海へと飛び出し、背囊型防水袋を手にした吉井と副機長も機体を蹴り海へと飛び込む。

 飛び込んだ吉井の体は衝撃で一度沈み込むが、そのまま浮力を使って水面へと顔を出す。すぐ見渡し誰一人と欠けてない事を確認し、陸に向かって海を蹴る。背囊を背負いながらでは上手く泳げなくはあるが、必要な物ではある為しっかりとベルトに固定し泳ぐ。

 

「死にたくなければ、泳げ!」

 

 時より顔を水面から出し、鼓舞し続ける。常に陸との距離、乗員の体力を観測、推察して泳ぎ続ける。腕に怪我を負ったセンサー手の一人が速度が落ちている為、先頭を泳ぐ吉井も自然と速度を落とす必要があり、他乗員の体力の心配もあったが彼には見捨てるという判断は全くもって持ち合わせて居なかった。

 

「弱音は吐くな! 前を見ろ!」

 

 常に彼等の心情を理解し、先回りをするのも彼の役目であった。辛そうな顔を浮かべる乗員がいるならば、そうやって鼓舞する。吉井にはそれしか出来なかった。

 

「よしっ! もうすぐ陸だ! 諦めんな!」

 

 全身で水を掻き出し少しつづ陸への距離を詰める。だんだんと海の色が薄くなり、彼らはついに海底を足で捉える。夢中で走り、砂浜へと辿り着く。誰しもが呼吸が荒く5人全員が砂浜で大の字になり寝転ぶ。

 

 しかし、そうは問屋が卸さなかった。愛機を奪った仇敵である自律駆動式砲台が、獲物を探す様にと前進してくるのが見える。

 

「あー非常にまずい」

 

 後方の茂みでうごめくのが1つ、右からやってくる小さな影1つ。沖合から向かってくるのが2つ。海辺で小休憩をとっていたクルーへ小さな敵が忍び寄ってきていた。

 

「機長……」

「わかってる。総員、戦闘用意」

 

 吉井はそっと立ち上がり、小声で指示を出す。最接近しているであろう、茂みのほうへ視線を投げる。

 

「しかし、弾薬が十分なのですか?」

「やるだけ、やってみようじゃないか? 犬死は俺は勘弁だ」

 

 吉井はそう言ってケースから弾薬を引っ張り出し、確認する。腰にホルスターを固定させ、そこに拳銃と弾薬ケースをセットする。

 

「けが人は自衛のみにとどめろ。他の奴は小銃を使え。俺は拳銃で構わん」

 

 軽く手首を回し、拳銃を引き抜く。拳銃は海軍に於いては士官の特権である。後は特別な任務を帯びた海軍軍人のみが許されている。

 

「最後にやったのはいつだったか……まぁ、行くぞ。救護員、副機長は左右から挟撃」

 

 歩兵の真髄、散兵戦術である。目標に対し分散配置、正面より突っ込んでくる目標に対し教科書通りの十字砲火(クロスファイヤ)を浴びせようと言うのである。

 

 すると一人が、おずおずと手を上げた。

 

「で、ですが機長。ドアガンでも効果が……」

 

 ヘリ搭載の7.56mmが効かなかったのだ。そして彼らが持っている歩兵小銃の口径は5.56mm……確かに効果があるとは思えない。強いて言うなら吉井の持つ拳銃弾の口径は9mmだが、残念ながら貫徹力は遥かに劣る。

 

「安心しろ、それについては俺に考えがある……無人機(ドローン)との戦いにはセオリーってもんがあるんだ」

「機長は、こういう経験がおありなんですか?」

「こういう経験ねぇ……」

 

 こういう経験というよりか、この深海棲艦との戦いが始まる前を知っている、というべきか。吉井はどこか懐かしむように笑う。

 

 

 現代における先進国の戦いというのは無人機を用いて行われるものであった。遥か遠隔地から衛星を通じて操作され、それにより無慈悲に地と空気を焦がす攻撃が放たれる。今ではそれらは艦娘に取って代わられたわけだが……今吉井たちが対峙せんとしている相手もそれである。違いがあるとすれば友軍に対して発砲していることくらいだ。

 

 無人機ほど人的資源の保持に適したものはない。戦場に人間が送られないのだから当然だ。精神衛生上の問題は人が戦地に赴こうが赴きまいが起こるのだから、ならせめて死なないように戦うべきという選択。

 

 逆に言えば、それに付き合わされるのはたまったもんじゃないということ。相手が血を流さないのにこっちだけ血を流すなんて、まったくもって非効率。

 

 まあ要するに無人機との戦いにおけるセオリーというのはこうだ。

 

 見たら逃げろ。

 

 とはいえ、今は逃げられない。全員が背を向けて逃げればめったうちにされるのがオチだ。戦うしかない。

 

「……さあ、どうだろうな」

 

 機械に対しては制圧射撃やらなんやらは通用しない。そもそも制圧射撃とは銃弾の雨を浴びせることで敵の反撃を封じ込める戦術、痛みも恐怖もなくルーチンをこなすだけの無人機(ドローン)に通用するはずがないのである。

 

「さ、頼んだぞお前ら」

「え……?」

 

 吉井はそれだけ言ってその場を離れる。当然困惑する部下たち。

 

「安心しろ、俺が全部倒してやるよ」

 

 走る。草陰から飛び出した吉井。オートマトンが一斉にその銃先を向ける。全力で跳躍、護岸工事のために盛られたコンクリート置き場の裏に飛び込む。発砲、弾除けにされたコンクリートが鈍い音を立てて爆ぜ、破片が吉井の頭にも降りかかる。

 仮置きであることもありコンクリートは決して数が置いてあるわけではないし身を潜めるのは高さがない。半ば伏せるような姿勢になる吉井。

 

 だが相手とて馬鹿ではない。正面からバカスカ撃っても意味がないことは分かるだろう。今頃、こちらを挟撃すべく二手に分かれてこちらに向かってくるはずだ。

 もう一斉射。もう十二分に引き付けた。吉井は部下たちに向かって叫ぶ。

 

「撃てっ!」

 

 指示は届いた。茂みに隠れた部下たちが一斉に5.56㎜弾を叩き込む。

 ドアガンの7.62㎜弾が通用しないのだ。5.56㎜弾では当然アレには無力。

 

 だが、これで連中の脅威判定は部下たちに向くに違いない。俺が撃たれたならそうする。

 

「おうらっ、よっと!」

 

 吉井は伏せの体勢から一瞬で起き、コンクリートを飛び越える。高温高速の弾丸によってひしゃげたカラーコーンの脇に飛び降り、瞬間的に走る。部下たちに反応して撃ち返そうとするオートマトンの一部が吉井に気付くが、もう遅い。

 

「もらった!」

 

 二手に分かれた集団のちょうど中間に滑り込む。拳銃を振りぬき、躊躇いなく引き金を引く。馬鹿にならない反動だが、吉井の照準はブレない。連射。厚い全面装甲を狙ってやる義理はない。恐らくはセンサー類が集中しているであろうオートマトンの頭部――――カメラが二つ付いてて目玉みたいだからこの表現はあながち間違っていない――――へと撃ち込む。

 

「止めろ止めろ! 中尉に当たるぞ!」

 

 慌てて射撃を止める部下たち。オートマトンたちは当然割り込んだ吉井へと銃口を向けるが、同士討ちを警戒してか撃ってこない。

 

 拳銃のスライドが下がったままで固定される。弾倉内に収められた弾丸を全て撃ちつくしてしまったのだ。

 

「おらぁっ!!」

 

 再装填の暇はない。そして距離を詰める必要もない。拳銃は弾をぶっ放すだけが仕事ではない。堅牢な構造設計が売りの拳銃は、文字通りの”拳”になるのだ。

 

 一閃。吉井の拳銃がオートマトンへと激突する。そして吹き飛ぶかと思われたが……それには重量があり過ぎた。少しぐらりとふらつくだけだが、それでも効果はあるはずだ。なんせ機械は、繊細なのだから。

 

 空を切るナニか。同士討ちも恐れず撃ってきやがった。吉井は内心そう毒づきつつ殴る。敵の射線を敵で塞ぐだけの簡単なお仕事、それを二桁相手にやるのだから求められる集中力は半端じゃない。銃口を向けられた順に射線を潰していく。

 

 同時に背後で破裂音。飛び散る破片を見るまでもない、目論通り同士討ちが起きたのだ。吉井は内心ほくそ笑む。

 

 だが、それでオートマトンたちの動きが止まった。それこそピタリと止まった。

 

「中尉……?」

 

 不審げに顔を出す部下の一人。吉井が叫ぶのとロボット特有のモーター駆動音、それは同時に起こった。

 

「馬鹿野郎! 伏せろ!」

 

 機械仕掛けの殺意が一斉に茂みへと指向される。慌てて首を引っ込めようとした部下は逆に空中に飛び上がる。吉井の周囲に硝煙が舞う。

 

「しまっ……!」

 

 続けて放たれる凶弾。対深海棲艦(バケモノ)を想定した兵装は動物を殺すのには高威力すぎる。ましてやこちらは防弾ベストの代わりにライフベストを装備する部隊。制圧は容易に過ぎた。

 

「この野郎っ! 待ちやがれ!!」

 

 吉井は自分に背を向けたオートマトンを殴る。だが、今度は揺らぎもしない。虚しく金属のぶつかり合う音が響く。

 

「俺を狙いやがれよっ!!」

 

 再び殴る。がオートマトンは微動だにせず、主砲からゆるゆると煙が上がるのみ。砲身から湯気が立ち上り、今は冷却中なのだと思い知る。間もなく、第二射が放たれんとしているのだ。

 

「やらせないっ!」

 

 その言葉と共に影が飛び込む――――大きな盾を抱えた小さな戦士。その防弾盾で全ての弾丸を防ぎぬく。吉井たちと連装砲の間に割って入ったその背中、吉井は見覚えがあった。

 

「深雪……っ!」

 

 驚くのも無理はない。艦娘の姿がなかったとは言え、今この瞬間まで艦娘の艤装に襲われていたのである。そして驚いたという点では連装砲も同じだ。新たに現れた標的(かんむす)相手に全ての砲先が向けられた。

 しかし深雪は怯まない。

 

「明石さん!」

「こういう風にっ、使うモノじゃあないんですけどぉっ……とりゃあぁ!」

 

 かけ声が聞こえ、次の瞬間なにか黒いモノが転がり落ちる。

 

「なんだ、あれ……」

「皆、伏せてっ!」

 

 盾を構えたままの深雪が叫び、言われるがままに身を伏せる吉井達。

 

 刹那、空気が膨張し鼓膜を叩く。加熱される空に飛び散る遅れてやってくる爆音を聞くほどの余裕はなく、最後に残された火薬特有の刺激臭だけが鼻に残る。

 

「いやぁ流石は天下の海軍46cm。弾頭だけでもよく爆発するものだ」

 

 と、盛り土から滑り降りてくる影。深緑一色の制服に「憲兵」と書かれた腕章。陸軍軍人だ。

 

「深雪、ご苦労だったね。怪我人は何人だ?」

 

 吉井は顔をしかめる。今は暴れ狂う殺戮兵器に占拠されてしまっているが、ここは海軍の敷地だ。

 

「……なんで中佐殿が艦娘を指揮されてるんで?」

「必要が認められたのでね中尉。即席な統合任務部隊だと思って貰えればいい」

 

 周囲を見渡しながら聞く菊沢。吉井は押し黙ったままだ。遅れてきた伏宮が明石と共に倒れている部下たちを手当てしようと駆け寄っていく。

 

「お前ら……なんでやられたんだよ」

「中尉、人間に音速飛翔する弾丸は避けられない。よく囮に使えたものね」

 

 囮と言う言葉に吉井は菊澤を睨むが、睨んだところでどうしようもない。

 

「何があったのか報告して貰っていいかな、中尉」

「……今のやつらにヘリが落とされたのです。仕方がないので泳いできたのです。その後襲撃を受け、迎撃しました」

 

 その言葉に菊澤は一瞬眉を顰める。

 

「指揮官が最初に死にに行くなら、説教から始める所だったよ。海さんはどんな教育をしてるんだい。自分勝手に指揮系統を放棄した責任は重い。なおさら死んでいった部下は、浮かばれないだろうにってね」

 

 菊澤は冷めた瞳で、手当を受ける吉井の部下たちを見下ろしている。まさに指揮官として、戦場を俯瞰するように。

 

 言葉を返さない吉井に興味がなくなったのか、菊澤は連装砲を目視しようと周囲に視線を奔らせる。爆発で吹き飛んだのだろうか、土煙がもうもうと舞うだけで、何かが動く気配はなかった。

 

「守るべきものがある、それは結構。仇を討つ、それも結構。だが、隊長としての立場を忘れるな。生きている部下を帰すのが貴官の本望だろう、吉井中尉。ともかく状況は把握した。深雪、航空隊の司令部に通信は繋げるかい?」

「待って……繋がった!」

「あっちの方は無事だったわけだ。それは結構。中尉、ウチの無線で無事を報告しておきなさい」

 

 そして差し出される受話器。吉井はそれを受け取る。

 

「それにしても……ヘリを撃ち落とすとはね。秋月型がすごいというのは聞いてたけど、ホントにすごいのね」

 

 まったく、憲兵は支援兵科だってのに。今更嘆いても仕様がない。サイレンばかりはけたたましいが、機銃の掃射音や組織的抵抗の気配はない。十中八九防備隊と司令部は壊滅、貴重な艦艇群に被害が及んでないことを願うばかりだが……とにもかくにも、この場で組織的戦闘が可能なのは彼らだけだろう。

 

「で、伏宮君。何人?」

「三人だ。後は残念だが」

「判定は壊滅以上か……中尉、熊本憲兵隊はこれより状況の鎮圧を行う。生憎人員が足りていなくてね、佐世保航空隊にもご助力いただきたい」

「俺に弔い合戦をしろってか?」

 

 そう言う吉井。菊澤は不思議そうな顔をする。

 

「中尉は状況を把握していないようだな。今回の事件の首謀者は既に制圧された。後は問題の艦娘艤装を制圧するだけ……おっと」

 

 そう言いながら、菊澤もベルトから拳銃を取り出した。

 

「お客さんだ。招かれざる客(クレーマー)じゃなければいんだが」

 

 神様は非情にも、幕を下ろしてくれない。土煙の中より影が揺らめく。まだ連装砲を倒し切れていなかったのだ。今は爆発による土煙が残っているが、それもいずれは晴れる。終わらせるためには、人の手で切り落とすしかない。

 

「……やっぱり砲丸(ばくだん)投げじゃ倒せないか」

「無理があるに決まってるじゃないですか! そもそも私のクレーンで砲弾を投げるとか正気の沙汰じゃないですよ!」

「それは伏宮クンの提案じゃない?」

「一番威力の高い爆弾を持ってこいと言ったのはお前だろうが!」

 

 風が吹き、煙が晴れる。生き残った連装砲が駆動し、開けた場所にいた菊澤たちを目指して疾走する。その様を見て、体勢を立て直しきれていないメリクリウスの搭乗員たちが叫ぶ。

 

「憲兵殿っ。貴官も威勢は良いが、具体的にはどうするんで!?」

「歯を食いしばって耐えろ。後は万事どうにでもなる」

「殺生です、中佐殿ぉ!」

 

 その悲痛な叫びを掻き消す様に、砲弾が降る。爆音が埋め尽くし、鼓膜を叩く。収まった後に、吉井が身を起こした際に自問する――――まだ生きていると。

 

 大地を耕す様に銃弾が抉ったのは、菊澤たちのいる場所ではなく連装砲たちのいた場所だった。翼端を陽光に煌めかせ、胴体に二本の赤帯を巻いた機体が翔け抜ける。続いて爆撃機による飽和攻撃が始まる。

 

 数々の航空戦を見てきた吉井にとっても、感嘆するような光景だった。ゆうに100機近い航空機が、目の前の空を埋め尽くす。そしてただ作戦行動をするだけでなく、編隊を組み統率の執れた動きでヒットアンドアウェイを繰り返す。

 

 秋月型の射程や砲の旋回速度を理解しているのか、その合間を縫うように点制圧を続ける航空隊。まるで曲芸飛行だと目を疑うが、戦果を上げ続ける艦載機たち。普段の隼鷹はこんな動きで扱わない。目の前の操縦スキルは、練度だけ見れば全盛期の第一航空戦隊レベルではないか。

 

 攪乱され動きを止めた連装砲たちに対して、今度は火砲が着弾する。

 

 手元の端末に、周辺で交戦中の艦娘たちの情報が更新される。背後を振り返ると、逆光の中で嗤う白髪の艦娘の姿が見える。

 

Мы поступью твердой идем(たいれつをくんでたたかうのだ).」

 

 前触れもなく、オートマトンが()()()。どんなに殴ってもビクともしなかった奴らが、爆ぜた。

 

 それは一瞬の出来事で、動く間も与えないほど。だが、まだ一基だけ。敵はまだいくつも残されている。残された八基十六門の信管に電気が流し込まれ、施条(ライフリング)に従って角速度を与えられた直径10㎝の悪意が迸る。

 

Родная столица за нами(われらのあいするくにのため),」

 

 吉井の隣に大柄な殻を背負った影が降り立つ。瞬時にオートマトンがまた吹き飛ぶ。

 

Рубеж наш назначен Вождем(めいれいにしたがいたたかうのだ).」

 

 国家の維持という国家の最大利益を追求し開発され、不幸にもその防人に手を出した凶器たちが次々と乱暴に解体されていく。至近距離から艦娘の砲撃を食らったのだ。いとも簡単にねじが飛び、基盤が砕け散る。

 

 数瞬も数えぬ間に、たちまちオートマトンは鎮圧された。吉井は緊張の糸が切れたように息を継ぐ。

 

「……驚いた、一体お嬢さんは何者だい?」

「Верныйだ。遠距離から確認してたけど、よくもまあ小銃だけで挑もうとしたね」

 

 どこか冷めた眼のВерный。吉井はどうにか呼吸を整えると、ゆっくり吐き出すように言った。

 

「……は、はは。こちとらそれしか知らなくてね」

 

 ぎこちなく答える吉井には目もくれず。Верныйは状況報告と、無線機の送話器に手をかけた。

 

「しかし、お嬢さん。戦艦の艤装を持ち出すとは驚いた」

「正式ロールアウト前の艤装を使えるとは、私も感慨深い。そして、我が同朋(Гангут)の血肉だ。これほど馴染むものは他にはないね」

 

 小柄な体には無理がある重量だろう。それでもВерныйは、苦ともせぬように仁王立ちで砲撃を続ける。四基の大口径主砲が旋回し、照準を定め発砲。瞬く間に連装砲を窮地へ追いやる。追い打ちの様に続く航空隊。息する間を与えぬような迫撃で、視界を爆炎で包み込む

 

「さすがは、横須賀一と名高い航空隊だ。戦艦にしておくには、まったく惜しいものだね」

「そんな事言わないでおきな。あの子だって、ツ級がいなきゃ今まで通りに空母だったのだろうにさ」

 

 Верныйの呟きに応えながらも、菊澤は端末からの無電に溜息をついた。その口から告げる。

 

「突入班が大鯨を確保したようだ。各員、警戒を怠るな。もう終わりにしよう、こんな無意味な(いくさ)など」

 

 その真意を吉井は知らない。だが電源が落ちたかのように、生き残った連装砲が動き出すことがなかったのだけは事実だった。

 

 




こんにちは。帝都造営です。
最終話も間近となって参りました。本当に長かった。読者の皆様、ここまでお付き合いいただきありがとうございます。

気付けば連載も20話の大台を超え、合計文字数も15万字を突破しました。……いえ、してしまいました。前回企画である「抜錨!戦艦加賀」の二倍の文字数に迫りつつあるという訳です。
一人当たりの担当原稿文字数も増え、それに従って編集作業も膨大なものとなりました。それでもここまで進めることが出来たのは参加者の皆さんのおかげです。参加してくださった皆様には、この場を借りて感謝を伝えたいと思います。


ではまた、どこかでお会いしましょう。


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コンコルディアの落日

 発砲、たったの二発だけ。

 

 瀬戸内海と日本海を結ぶ関門海峡。太平洋を失った現在関門海峡は瀬戸内海と外洋をつなぐ唯一の海上交通路であり、本州の生活を支えるほとんどの物資がここを通る。発砲が聞こえれば海峡両岸に栄える二都市は大混乱に陥るに違いなかったが、それは耳をつんざく様な貨物船の汽笛にかき消された。

 

 薄黒く濁った曇天の中、遠くまで響いていく汽笛。それはいやにゆっくりな音速で伝わり、反響し、そして拡散して消えてしまう。

 

 

「……よかったのかい?」 

 

 

 そう聞かれたとき、どんな顔をしていいのか分からなかったし、どんな顔をしていたのか覚えていない。ぽっかりと何か穴が開いてしまったような気持ちをかき消したくて、少し格好をつけて紫煙より暴力的な煙を吐き出す銃口に息を吹きかけた。

 

 

「司令官がそれを聞くんだ」

「悪かったね」

「いや……」

 

 

 いつも通りの銃のはずなのに、少し重い。それでも自らを守る為のこの銃を落とす訳にはいかなかった。だから背中側に回したホルスタにそれを仕舞う。

 

 

「よかったのかな?」

「それを決めるのは、少なくとも私たちじゃない」

 

 

 目を細めるだけの間はあったが、即答に近い答えを聞いて、じっと目の前のモノを見る。同じ制服を着、同じ釜の飯を食らった間柄。時代が良ければ、友とも家族とも呼べた間柄だった『モノ』。

 

 

 今この場にいられるのは、Верныйのわがままだ。

 

 

()()は、戦死扱いかい?」

「そのはずだ」

 

 

 その即答は菊澤桜花憲兵中佐なりの優しさなのだろう。せめて最後の最後まで国家に忠誠を誓った英雄としての扱いを受けられるように、Верныйの仲間が反逆者だという誹りを受けることがないように。暁型を名乗る彼女がそれを最後まで誇れるように。――――その優しさが痛い。

 

 

 いくら事件の解決に尽力したとはいえ、関係者を身内に抱える菊澤とВерныйをここに送ることは本来ならば許されないはずだ。

 

 

 あの事件から、早数ヶ月が経っていた。

 

 

 佐世保鎮守府の機能の大半は大きく損壊を受けた。弾薬庫や燃料保管庫に損傷が生じた。沢山の倉庫群が倒壊し、被害は数億円規模に及ぶが、それは軍にとっては()()()問題であった。設備隊が基地を再建するまでの数週間は佐世保の鎮守府機能が停止してしまったのだ。そのせいで、鎮守府や周辺の基地に勤務する誰もが衝撃や悲観に暮れる余裕もなく、職務に追い立てられた。

 

 

 やっと状況が落ち着いて彼らを公式に慰霊できたのは、たった5日前だ。喪章を下げた吉井翼中尉が英霊の名前が刻まれた真新しい御影石の前で『悲しんでやれないまま終わっちまったな』と呟いたのをВерныйはよく覚えていた。彼に対して一瞬(いか)ってしまいそうになったのに驚いたのだ。終わってなんていないと声を上げそうになったことに驚いたのだ。

 

 

 彼にとっては終わったのだ。乗機を(おと)され、仲間を失ったあの地獄のような時間は、佐世保鎮守府の機能回復と、その御霊を慰めたことを以て終わったのだ。その彼を責めるのはあまりに見当違いだ。

 

 それに、そのときに涙の一滴も出なかったのは、Верныйにとっても同じ事だ。

 

 

「悲しいかい?」

「悲しいのかな」

 

 そう返せば、菊澤はくすりと笑った。

 

「本当はそうじゃないんだろう?」

「……どう返すのが正解なんだい?」

「星新一に敬意を表するなら『本当はそうじゃないの』かな。でも今は君の意見が聞きたい、ヴェル。君はどう思うんだい?」

 

 そう言われ、言葉を詰める。

 

「……最後の最後まで、理解できなかった」

「何をだい?」

「天羽月彦を」

 

 目の前に転がっているふたつのカタマリを見下ろして、Верныйはぽつりと続けた。

 

「優秀な医者だった。知識があった。教養があった。大切なものだってあったはずだ。……天羽月彦はきっと、愛国者だった。それなのに、どうしてこうなったんだろう」

「さぁ? それを判断するのも私たちじゃないわ。亡霊の言霊に惑わされる余裕は現場にはない。わかってるでしょう」

「嫌になるよ。狂えてしまえば楽だったのかな」

「深雪みたいにかい」

 

 その言葉に首を横に振って答えに代えた。

 

 あの日から、深雪はずっと気丈に振る舞い続けた。それは自分の殻に閉じこもることで自己を保つための術だった。雅柚穂軍医大尉や大鯨がよってたかって彼女を癒やそうとした。それでも彼女はそれを拒み、何度も何度も海に出続けた。

 

 まるで、陸にいるのを拒むかのように。

 

 それもある意味当然だったのかもしれない。万が一にも軍関係者()()に見つかれば、そのときに彼女はきっと彼が何をしたのかを受け入れなければならなくなる。

 

「まぁ、彼は軍医よりアイドルかなにかのプロデューサーにでもなるべきだったよね。深雪をあそこまで悲劇のヒロインに仕立て上げたんだからさ」

「皮肉にしては笑えない」

「そもそも皮肉は笑えないものだよ、ヴェル」

 

 菊澤はそう言って腰に手を当て笑って見せた。それを横目で見て、目を伏せた。

 

 天羽月彦元軍医中尉の残した『遺産』は驚くほど強く作用した。

 

 大手動画投稿サイトでストリーミング配信された彼の犯行声明はこの国を駆け巡り、艦娘システムへの世論の批判を誘発、国会に海軍やら軍需産業やらのお偉いさんが呼び出されるまでに発展した。艦娘の人権を守れ、戦場に二度と子供を送るな、とシュプレヒコールがそこかしこで聞こえるようになり、この国の政権は頭を抱えているらしい。

 

 Верныйたちにとってはそれは雲の上の話だが、もっと近々に重大な問題として艦娘の脱柵――要は脱走だ――や謀反が頻発してしまったことだった。

 

 

「やれやれだよね、たった一本の動画で世界を変えてしまったんだから」

「褒めるようなことかい?」

「褒めるつもりなんてこれっぽっちもないさ。それでも残した結果は大きい」

 

 菊澤はそう言ってどこか演技臭く続ける。泣き出しそうな曇天はその声をどこにも反響させないつもりらしく、彼女の声にはどこか空虚さが帯びる。

 

「彼を屠らんとした人間は皆さんざんだ。雅柚穂大尉には殺害予告が相次ぐし、大宙中佐は勝手に他部隊を動かしたせいで軍事裁判行きの特急券が手配済だ。航空隊の吉井中尉は部下を全部失った戦犯として冷や飯を喰わされているし……あれ? まともにお咎めなしなの伏宮君しかいないのか。良くも悪くも冷静だからね、彼。うまいことやったよ、ほんと」

「お咎めなしなのがもう一人ここにいるんじゃないのかい?」

「さぁ誰のことだろう?」

 

 菊澤はそう言って肩をすくめた。

 

「私には権限があった、大義名分もあった、それを支える公的な後ろ盾があった。そして、能力のある騎士(キミ)がいた。そのおかげだ」

「皮肉かな」

「褒めてるんだよ」

「褒めるようなことかい?」

「私にとっては、ね」

 

 菊澤はそう言って帽子越しにВерныйの頭を撫でた。 

 

「まぁ、それでもきっとこれが最善だったさ」

「慰めてる?」

「必要ない?」

 

 質問に質問で返され、Верныйは黙る。否定できないのが自分でも歯がゆい。

 

「彼がやったのは矮小な独善をカメラの前で崇高そうに演説しただけ、問題はそんな動画の一本で変わってしまうほど脆弱な基盤の上に自分たちが立っていたなんて思いもしなかった。せいぜい変わるのは人程度だと思っていたよ」

 

 

 頭を撫でられ続けながらВерныйはそれを聞いていたが、彼女の手を払ってため息。

 

 

「人が変われば社会も変わるさ」

「おや、赤が大好きな君らしくない。資本主義の王国にようこそ、かな」

「赤色思想は民主主義だよ。人が変われば国家も変わるさ」

「フフン、一理ある」

 

 

 菊澤はそう言ってから表情を引き締めた。

 

「ヴェル、深雪が好きだったのかい?」

「好きでも嫌いでもないよ。……ただ」

「ただ?」

「……私は彼女を救えたかもしれない」

「ばーか」

 

 それを聞いて、Верныйは弾かれたように振り返る。

 

「なんで熱くなる、ヴェル。君らしくない」

 

 菊澤がそう言ってわざとらしく頭を掻いて見せた。軽薄な笑顔。

 

「救えたかも『しれない』、そんな可能性は君も私も『知らない』はずだ。守れたかもしれない? 救えたかもしれない? 確かにその瞬間にはその可能性は確かにゼロじゃなかったかもしれない。でも、今はそんなもの存在しない。ゼロだ。冷え切った頭(クール・アズ・キューク)で話し合おうよ。今更感情論を振りかざしても現実は変わらない」

 

 何を言いたいのかはВерныйは既に痛いほど知っていて、それはすでに深雪に対して振りかざした理論で、未来だ。

 

「……だとしたら、この気持ちにどう処理をつければいいんだろう」

「人によりけりね。でも私なら祈るかな」

「祈る?」

 

 彼女らしくない言葉が返ってきてとっさに聞き返した。

 

「現実を変えるのは行動だ。その行動のカタマリの世界が間違わないように法と力でこの世界のロジックを守っている。その力を扱う軍人はロジカルでなければならない。だけど個人の内面は別だ。ロジックだけでは縛れない。心は誰もが自由だから。でも自由すぎて指針を失う」

 

 そう言ってため息を付いた菊澤。その笑みはどこか優しい。

 

「だから人は祈るのさ。だから誰かを頼るのさ。船乗りが狂った羅針盤の針を捨て、灯台を求めるように、ね。その指針を得るために、言葉に耳を傾け、祈る中で答えを探す。その時間稼ぎに祈りや儀式はちょうどいい」

 

 そう言われ、Верныйは視線を落とした。

 

「……少し、ひとりにしてくれないかい?」

「完全には無理だ。遠くから見させてもらう」

「それでいい」

「なら、心ゆくまで祈るといい」

 

 菊澤はそう言ってそっと距離をとった。それを見送って、Верныйは二つのカタマリの前にゆっくりと膝をついた。今にも泣き出しそうな空がじっと彼女を見つめている。

 

「……私は、思ったより人間を捨てられていなかったのかな」

 

 そう言ってВерныйは悲しげな笑みを浮かべる。

 

「君たちが彼に期待するのも、どこか分かってしまえた自分がいるんだ。全く、度し難いが。彼なら風穴を開けてくれるかもしれないと思えてしまったんだろう? どうしようもなく続くこのクソッタレな戦場から離れられると思えたんだろう?」

 

 Верныйに言わせてみれば、それはただの妄想だ。それでもそれは妄想であるがゆえに輝いて見えてしまう。

 

「佐世保の外の人間は、あの惨状を知らない。だから素直に彼の言葉を信じていられる。さすがに摩耶や大鯨は信じられないようだけど、あの惨状を知らなければ、なんと言っていたやら」

 

 これはさすがに皮肉が過ぎるか。そう思えども、そうとしか言えなかった自分がどこか煤けて見えた。

 

「あぁ……長生きは、しないものなのかもしれないな。長生きをすればするほど、大切なものが重くなる」

 

 愛している、愛してますとも。……それはわたしの頸に結わえつけられた重石で、その道連れになってわたしは、ぐんぐん沈んで行くけれど。やっぱりその重石が思いきれず、それがないじゃ生きていけないの。……チェーホフのそれを諳んじたら、自称淑女が難しそうな顔をしていたっけ。

 

 嫌な兆候だ。あまりに湿ったことを言い過ぎている。帽子のつばに雨粒が当たる音がした。――――――きっと今なら、ばれるまい。

 

「どうして、どうして私たちは、艦娘だったのかな」

 

 そんなことを言っては私が私である意味がない。艦娘は艦娘であるが故にこの国の防人たることができ、この世界を救う英雄たることができるというのに。ソレをなぜ否定してしまうのだろう。Верныйは自分でもそれが理解出来なかった。

 

「ねぇ、どうして、どうして私たちは、誰かを傷つけないと、理解できないのかな」

 

 天羽月彦の言の葉は、確かに力を持った。それは彼の行動が彼の言葉を大衆に、艦娘に、世界に届けたからだ。わかりやすい暴力と、権力に使い潰される艦娘という構図を切り取り、世界に見せつけることで艦娘を救おうとした。彼こそが暴力の権化であることは明白なはずなのに、回っているカメラの前で彼が射殺されるその刹那、信念と艦娘を慮るような言葉を述べたせいで、彼を擁護する意見が上がってしまったのだ。

 

「これじゃ、深雪を笑えないか」

 

 艦娘は常に死と隣り合わせの生き物だ。否、正確にはいつでも隣にある死を直視しなければならない生き物だ。その死の世界から逃れられる希望はそれはとても甘美に響く。それは麻薬のように今も艦娘を蝕んでいるのだ。

 

「……だから、終わりにしなくちゃね」

 

 降り出した雨を仰ぐようにしてВерныйはそう言う。帽子が落ちたが拾う気にはなれなかった。生温い下関の雨を浴びながら速く流れる雲を見る。

 

 いつまでそうしていただろうか。Верныйはそっと視線を戻し。目の前の二人の瞳を閉じさせた。

 

「……終わらせたら、話しに行くよ」

 

 そう言って立ち上がる。少し離れたところで菊澤が腕を組んで待っていた。

 

「終わり?」

「終わったよ」

「帽子は?」

「いらない」

「そう」

 

 菊澤はそれだけ言って歩き出した。

 

「全くやれやれだ、これで一応佐世保周辺は終わりだね」

「……でも、これで終わりなんだよね」

「残念」

 そう言いながら指でとんとんと耳たぶを叩いて見せる菊澤。わざわざ引っかけられていたインカムを示す様に嗤う。

 

「次の任務だ」

「場所は?」

「ん? 舞鶴。管区変わるから中部方面軍司令部(ひろしま)に挨拶しにいかないと」

「そう」

「――――ヴェル」

 

 

 菊澤が名前を呼んで脚を止めた。数歩進んだВерныйが振り返る。

 

「なんだい?」

「変わったね、アンタ」

「……なにがだい?」

「いや、ひとりごとさ」

 

 足を止めたВерныйの代わりに、菊澤は先導するように前に歩き出す。

 

「……ホント変わったよ、佐世保のあの落日からね。君もそう思わない? ()

「ーーーー今更戻れないよ」

「……そうだね、悪かった」

 

 菊澤が歩き出す。その後ろを白髪の少女が追いかける。

 

 あの忌まわしき。そして、日本国海軍の権威を失墜させるまでに爪痕を残した事件から数ヶ月。

 

 彼女たちの戦いは、まだ終わっていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




<登場キャラクター>

「伏宮扇」「明石」
エーデリカ

「天羽月彦」「深雪」
オーバードライヴ

「吉井翼」「隼鷹」
提海 蓮

「菊澤桜花」「Верный」
帝都造営

「雅柚穂」「大鯨」
プレリュード

「大宙哲也」「摩耶」
山南修


最後までお付き合い頂きありがとうございました!

これからも「艦隊これくしょん~艦これ~」をどうぞよろしくお願いいたします!


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