婀嗟烬我愛瑠〜assassin girl〜 (大岡 ひじき)
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プロローグ 1・汚れつちまった悲しみに

 確かに最初の晩は泣いたと思う。

 家族から引き離されて、わからない場所に連れてこられて。

 暗くて、怖くて、寒くて、お腹が空いて、喉が渇いて。

 でもすぐに、泣いてもどうにもならない事を悟った。

 そして忘れた。目の前にある現実以外を、全て。

 弱ければ死ぬ。戦わなければ死ぬ。

 

 

 殺さなければ……死ぬ。

 

 

 そして…

 

 

 

 気がついたら1人になっていた。

 

 ☆☆☆

 

「…驚いたな。本当に生き残るとは。

 御前が、見込んだだけの事はある。」

「あの子の素性を考えれば当然の結果だろう。

 あの血が欲しくて、御前は大金を積んだのだ。

 もっとも最初の1人を手にかけるまでは、怯えきって満足に動く事も出来なかったようだが。」

「そこからの思いきりが早かった。

 最後の1人など、本当に躊躇なく片付けてしまって、見ていて鳥肌が立ったよ。」

「しかも、勝ち残った後、回収に来た職員にも襲いかかったからな。

 2年前の件で職員も警戒していたから、怪我人が出る前にうまく取り押さえられたが、そうでなければあの時と同様、全滅させられ逃げられていてもおかしくなかった。」

「まあ暴れたのは反射的にだろう。

 あの時の少年のように、逃げようという明確な意志があったわけではないし、あれほど頭も働いていなかったに違いない。

 現に、取り押さえられた後は大人しくしていた。」

「この後然るべき修行場に連れて行って、最強の拳士に育て上げるのだろう?

 御前の手駒がまた1人増えるわけだ。」

「いや、あの子は日本に戻して、御前が手ずから育てられるそうだ。

 血筋が血筋だけに、武術を鍛えるより、暗殺の方の才能を、伸ばされたいとおっしゃってな。

 なので印も本当は付けたくはないが、付けるなら服の下の見えない部分にと固く命じられたゆえ、あの子だけは、孤戮闘(こりくとう)終了の証の刺青を、腕ではなく左肩甲骨の下に施す事になっている。」

「暗殺者の血筋か…。

 

 年端もゆかぬしかも少女の身で、まったく恐ろしい事よ。」

 

 ☆☆☆

 

「姉さん。」

 邸の離れの小さな庭で、咲き始めの梅の花を眺めていた私に、まだ変声期を迎えていないのであろう、高めの少年の声がかかった。

 ゆっくりと振り返ると、癖の強い頭髪と長い睫毛が印象的な少年が、微笑みながら歩いてくるのが見えた。

『姉さん』と呼ばれたが、この子は私の弟でもなんでもない。

 2年ほど前に私がこの邸に来てから、一応同じ敷地内で寝起きしている、「御前」の息子たちの1人だ。

 私も表向きは「御前」の娘として扱われているものの、実情としては『飼い犬』に近い立場だと思う。

 年齢は私の方がこの子よりふたつ上だったので、この子だけは私を『姉さん』呼びなわけだけど、この邸での地位は、この子を含めた「御前」のお子たちの方が間違いなく上で、本来なら傅かねばならないのだろう。

 もっともこの子以外の兄弟たちは、上の3人は私が来た時には既にここには住んでいなかったし、初めて顔合わせをした日の晩に四男が私の寝ている離れに忍び込んで来たのを、私が解除しなければ10日は続く激痛を右腕に与えてやって以来、数える程しか顔を見たこともない。

 この行動を、身の周りの世話をしてくれる女中さんには叱られたけど、「御前」は、

 

「まだ与えるとも言っていないものに、不用意に手を出そうとする方が悪い」

 と笑っていたっけ。

 そしてこの子には懐かれた。

 後で聞いたところによれば、私が撃退した四男には、酷く苛められていたのだそう。

 

 その、呼びかけた声が僅かに震えていたのを、私は聞き逃さなかった。

 

「…何かあったんですか?」

「やはり、姉さんにはわかってしまうのかな。」

 11歳という年齢に似合わぬ、少し大人びた表情で、彼は寂しげに微笑むと、ひとつ深呼吸をして言葉を続けた。

 

「遂に俺も、兄者たちと同じ寺に、修行に行く事になった。

 …少なくとも3、4年は帰ってこられない。」

 …言われてみればここ半年ほどは例の四男の姿を、遠目にもまったく見ていない。

 私の部屋は離れだし、邸はとても広いし、食事も別々に取っていて、会わずにいようと思えばいくらでもできるから、いない事にまったく気づいていなかった。

 ああ、これはうっかり言ったら「御前」に叱られそうだな。

『暗殺者』が気配に気づけないなんて、と。

 もっとも暗殺者の素養として、一般人の日常生活に、違和感なく溶け込めなければならないと、私をここで生活させているのも「御前」の意志なのだけど。

 

「…そうですか。

 寂しくなりますけど、ならばきっと、御立派になって帰ってこられるのでしょうね。」

 微笑みながら私が言うと、長い睫毛を瞬かせ、少し泣きそうな表情で、彼は私を見つめた。

 …ついこの間までは、並んだ目線が同じ位置にあった筈が、いつの間にか少しだけ見下ろされている。

 

(ひかる)…姉さん。」

「それを楽しみに、お帰りをお待ちしています。

 …そんな顔しないで。

 3、4年なんて意外とすぐですよ。豪くん。」

 言いながら、自分を慕う少年を見上げると、その癖の強い髪を私は、指先に絡ませながらそっと撫でた。

 いかにも愛おしげに、優しく笑って見せながら、そこに心は一欠片もこもってはいないけれど。

 

 ☆☆☆

 

「あの…申し訳ございませんが、お手をお貸しいただけないでしょうか?

 お恥ずかしい話ですが、鼻緒が、切れてしまって…。」

 春まだ浅い、小雨が降る小路で、困ったように声をかけてきた和服姿の小柄な女を、男は30そこそこと見た。

 少女の面影を残しつつ匂うような色香をも併せ持ったその美貌に、モダンな配色の和服がよく似合っている。

 手には鼻緒の切れた草履を持ち、それ故に片足がつけない不自然な体勢をそれでも保とうとしており、もう片方の手に握られた蛇の目傘が、体の揺れと共に傾いた。

 振り続ける小雨が、その肩と髪を濡らしてゆく。

 

「それはお困りでしょう。

 どうぞ、私の肩に手を置きなさい。

 私が挿げて差し上げますよ。」

「いえ、そこまでお手を煩わせるわけには。

 できれば傘さえお持ちいただければ、自分で挿げますので…あら?」

 草履を受け取ろうと手を差し伸べてきた男の長身を見上げた女は、驚いたように目を見開く。

 

「まあ、貴方様は…。

 私ったら、なんて方に声をかけてしまったのかしら。」

「お気になさらず。

 さあ、肩に手を置いて草履をこちらに。

 それからその傘をしっかり持って、できればその中に私も入れてください。」

「は、はい…誠に恐れ入ります。」

 男は女のそばに屈み込むと、女の手から草履を受け取り、その手を自身の肩に導いた。

 女の重さの一部がその肩にかかるが、その年齢の男にしては体格のいい彼に、小柄な女の重みなど気にするほどの事でもない。

 男は全く気づいていなかった。

 肩に触れた女の、もう片方の手の指先が、その首筋に今まさに触れようとしていることなど。

 そして。

 

 バサッ。

 

 何か軽いものが地面に落ちる音がして、肩から女の手の感触が消える。

 何事かと振り向こうとする前に、彼の想定しない低い声が、後方からかかった。

 

「危ないところであったな、中ちゃん。」

 男が驚いて立ち上がり、後ろを振り返る。

 そこには、彼より更に長身の禿頭の男性が立っており、何故かその腕の中に、件の女の小さな身体が、包まれるようにしなだれかかるのが見えた。

 足元に、女が持っていた蛇の目傘が転がる。

 先程の軽い音はこれかと、彼は頭の片隅で思った。

 次の瞬間ハッとして、もう一度男に目をやる。

 

「……江田島?

 貴様がなぜここに…危なかった、とは?」

「やはり気づいておらなんだようだな。

 この女、おまえの命を狙っておったぞ。」

「な、なんだと!?」

 彼は、自らが江田島と呼んだ男の腕の中にいる女を、もう一度見やった。

 当身でも食らったものか、どうやら昏倒しているらしく、目を閉じたまま動かない。

 

「そ、それは本当か?まさか、こんな女性が…?」

「暗器の類は手にしておらぬようだが、直前の動きからして間違いなく指拳の使い手よ。

 などと、おまえに言うてもわからんだろうが。」

 言いながら江田島という男は、腕の中の女を肩に担ぎ上げた。

 更に女の蛇の目傘を拾い上げ、それで降り続く小雨を遮る。

 そうしてから、まだ信じられぬという表情を浮かべたままの彼に、どこか楽しげにニヤリと笑いかけた。

 

「忍び遊びは程々にする事だな。

 さて、せっかくだからわしは、この小糠雨の中、美女との道行きを楽しむ事にしよう。

 ではな、中ちゃん。気を付けて帰れよ。」

 呆気に取られたまま江田島をただ見送った彼、内閣総理大臣・中曽根某(中ちゃん)は、その日誰にも知られぬ間に、暗殺の危機を乗り越えていた。

 

 ・・・

 

「旦那様、先程の女性なのですが…。」

 気を失ったままの女を運び込んだ別宅で、ひとまず寝かせる床を用意させた女中、事実上は妾の1人である女性が、おずおずと江田島に話しかけてきた。

 雨に濡れた服を着替え終え、頭を手拭いで拭きながら、江田島はそちらを見やる。

 

「どうした?目を覚ましたか?」

「いいえ。ですが…説明より、まずはご覧を。」

 女中は江田島を促して、先程の女を寝かせている部屋へ通した。

 その寝顔を見た彼は、驚いたように目を見開く。

 

「これは…本当に先程の女か?」

「ええ。

 お化粧したままではお肌に悪いと思い、拭いて差し上げましたところ…。」

「驚いたな。女は化粧で化けるというが…。」

 そこに寝ていたのは、匂いたつ色香をまとった30そこそこの女ではなく、整った顔立ちだけはそのままの、まだあどけなさの残る10代半ばであろう少女だった。

 

「さて…この娘、どうしたものか…。」

 未だ眠る少女の顔を見下ろしながら、江田島は我知らず独りごちた。




アタシ、オリ主に壮絶な過去とか特別な設定とか付けるの、本当はあんま好きじゃないんですが、これに関してはその前に書いてた女主人公との差別化がうまくいかなかった事と、男塾の世界ならなんでもアリだ!という開き直りが合わさって、気付いたらこうなっていました。


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2・someday きっといつか…

 奴と知り合ったのは偶然。

 奴を女と間違えてつきまとっていたチンピラを、たまたま近くを通りかかって気まぐれで追い払ってやっただけだが、その時点でなんだか判らんがいきなり懐かれた。

 

「オレ、激しい運動ができないもんで、走って逃げる事も出来なくて。

 ほんと助かりました。あ、ちょっと待って。

 オレ、薫っていいます。(たちばな) (かおる)

 良ければあなたの名前を教えてくれませんか?

 …赤石剛次さん?

 うわあ、名前まで男っぽくてかっこいいなぁ。

 ほら、オレ見た目がこれでしょ。

 今も女と間違われたくらいで。

 憧れてるんですよね、こういういかにも『(おとこ)』ってイメージ!

 ねえ、友達になってくれませんか?

 まず電話番号教えてください!あ、これオレの番号!

 平日の日中は学校行ってるんで出られませんけど、夕方以降ならほぼ居ますから!」

 走れないとか言いながらそれに近い勢いで寄って来たと思えば、俺の服の裾をがっしり掴んで矢継ぎ早にまくし立て、気付いた時にはこの俺が、すっかり奴のペースに巻き込まれていた。

 その時一緒に居た連れの連中も最初は呆気に取られ、その後はなんかニヤニヤしながらただ見ていやがるし。

 その時に他の奴らとも番号を交換していたようで、俺が連絡しないでいたにもかかわらず、普段行動するメンバーにいつの間にか加わっているようになった。

 というより気付けばいつの間にか、揃いも揃って強面な連中の輪の中心に居た。

 女みたい…否、下手な女より綺麗な顔をしてるくせに、中身は相当図太いようだ。

 

「人との出会いって生ものですからね。

 この人って思ったら、遠慮しない事にしてるんです。

 いつも一緒に居た人だって、明日には居ないかもしれないし、オレ自身だって、明日はどうなってるか判らない。」

「フン。

 てめえみてえな奴は殺したって死なねえだろ。」

「そう願いたいですけどね。

 なにせ爆弾抱えてる身なもんで。」

 そう言って親指で自分の心臓の位置を指して笑う。

 なんでも生まれつきの心臓の病気があり、本来なら10歳まで生きられないと言われていたのを、なんとか11歳と半年まで永らえたあたりでようやく手術をしたらしい。

 それにより間近に迫った死の運命は回避したものの、一生通院と投薬を続けなければならない上に、激しい運動や大きなショックといった、心臓への急激な負担は厳禁なのだそうだ。

 一度俺の家で服を脱いだ時に(誤解のないよう言っておくが、おかしな真似をしたわけじゃねえ。一緒にいる時に雨に降られて、仕方なく家に入れて風呂と着替えを貸しただけだ)、胸にかなり大きな手術痕があるのを、実際に目にしている。

 

「たまに思うんですよ。

 こんななら無理に手術してオレを生かさない方が、オレの家族は幸せだったんじゃないかなぁ、って。

 でもオレは生きてるから、責任取んなきゃいけないんです。」

 手術はアメリカで行われ、その術後入院中に、一旦帰国していた両親が交通事故で死んだらしい。

 退院した後は、そっちに住んでいる母親の友人夫婦に引き取られたが、一向に迎えに来ない両親の死を聞かされたのはかなり後になってからだそうだ。

 結局15までアメリカで暮らし、高校は日本の学校に通いたいと言って帰国。

 今住んでいる家は、両親の生前に暮らしていた家で、奴が戻るまでは若干の現金遺産とともに、両親の弁護士が管理していたという事だった。

 なので、日本での身元引き受け人もその弁護士に頼んでいると。

 17歳という年齢にしては色々生き急いでる感があるのは、ガキの時点で命の期限を切られていた、その経験からか。

 

「バカ言うな。

 そんなもん、てめえの責任でもなんでもねえだろうが。」

「まあね。

 妹の事を思えば、両親に関しては、ある意味自業自得だと思うけど。」

「自業自得…?

 というか、てめえに妹がいたのか。」

 ここまでの話を聞いた感じでは、てっきり天涯孤独と思い込んでいたが。

 

「双子のね。

 男女の双子の割にはそっくりだったから、多分今もオレと似てるんじゃないかな。

 生きてれば、ですけど。」

「生きていれば…?」

「オレの妹は、どこかの金持ちに売られたんですよ。

 オレの手術費用を捻出する為に。

 だから、幸せに暮らしてればそれでいいけど、とにかく一度会って確認したい。

 その為に、オレは日本に帰ってきたんです。」

 

 ☆☆☆

 

「剛次さん!

 オレ、ひょっとしたら妹に会えるかもしれない!」

 なんなんだ藪から棒に。

 しかも朝っぱらから電話なんぞかけてきやがって。

 

「昨日会った子から連絡が来て。

 その子、オレの事妹と間違えて。」

「おい橘。とりあえず順を追って話せ。

 何を言ってるのかさっぱりわからん。」

 電話の向こうで相当興奮しているであろう奴を、なんとかこちら側から制してみる。

 心臓に負担をかけるのは命の危険があると、てめえ自分で言ったんだろうが。

 喜びすぎて目的果たす前に死んでどうする。

 …別に心配なんざしてねえが、俺も相当絆されてるな。

 

「あは、すいません。

 ちょっとテンション上がっちゃって。

 ええと、昨日の朝、登校途中で、いきなり知らない男に肩掴まれて、『姉さん』って呼ばれたんですよ。オレが。」

「それは、また女と間違われただけだろうが。

 これで何回目だ?いつも言ってんだろうが。

 間違われたくねえならせめて髪くらい切れ。」

「最初はオレもそう思ったんですけどね。」

 

 ☆☆☆

 

「姉さん!」

「……!?」

「探したぞ。無事だったんだな、姉さん。

 …だが、こんなところにいてはまずい。

 すぐに俺と来い。

 大丈夫だ、俺が必ず守ってや……」

「姉さん、ね。

 つまりアンタ、オレと似た顔の女を、知ってるって事だな。」

「貴様…!?

 いや、すまん。どうやら人違いのようだ。」

「探してたって言ったな。

 オレもこの顔の女を探してる。

 アンタとオレ、探してるのは同じ女なんじゃないのか?」

「…手を引け。」

「え?」

「事情は話せんが、悪い事は言わん。

 命が惜しいならその女の件から手を引け。

 貴様が誰かは知らんし、敢えて聞かん。

 だからこれ以上関わるな。」

「待てよ。…これ、オレの連絡先。

 気が変わったら連絡してくれ。」

 

 ☆☆☆

 

「…で、今朝になってその子の使いとかいう人から電話が来て、今日夜の7時に、集英公園のブランコ前で、待ち合わせる約束した。」

「信用できるのか、そいつ?

 その流れから察するに貴様の妹、相当ヤバイところに首突っ込んでるぞ。」

「オレもそう思う。

 だけど帰国してからずっと探してて、ようやく見つけた、たったひとつの手がかりなんだ。

 …小さい頃、ろくに動けないオレを、妹はいつも守ってくれた。

 その度に思ってたんです。

 もし元気になれたら、オレがこの子を守ろうって。

 だからもし妹が、何か危険な事に巻き込まれてるなら、助けてやらなきゃ。」

「助けるったって、貴様みてえな生っ白い奴に何ができる。」

「だから剛次さんに電話したんですよ。」

「なに?」

「その待ち合わせ場所に、オレと一緒に行って欲しいんです。

 剛次さんと一緒なら心強いし。

 なんにもなかったとしてもそれならそれで、奢りますから飯でも食べに行きましょうよ。」

 本当に図太い、絶対に殺したってただじゃ死なないような奴だ。

 その時は、本当にそう思っていた。

 

 ・・・

 

 こんな時に限って舎弟同士のトラブルがあり、それを片付けた時には、奴との約束の時間が間近に迫っていた。

 何かよくわからない胸騒ぎに追い立てられ、急いで待ち合わせ場所に辿り着いた俺の目に飛び込んで来たのは、ブランコの柱を間にして、背中越しに紐のようなもので首を絞め上げられるあいつと、絞め上げている中肉中背の男。

 

「橘っ!!」

 俺が思わず声をあげると、奴の首を絞めていた男が手を離し、奴の身体が地面に落ちた。

 俺は背に隠していた刀を、そのまま逃走しようとする男に向かって、抜くと同時に斬り放った。

 

 一文字流(いちもんじりゅう)斬岩剣(ざんがんけん)

 

 この世に斬れぬものはない俺の剣技は、距離が多少離れていようがお構いなしに、剣圧のみでその腕を切り飛ばす。

 

「ぎゃ…ああああーーーーーーーーっ!!!!」

 魂消るような悲鳴を上げて、男が地面に転がり、その場でのたうち回った。

 追い討ちをかけようとして、後ろの微かな気配に思わず足を止める。

 振り返ると橘が咳き込みながら、身を起こそうとしているところだった。

 その動きが一瞬止まり、細い身体が再び地面に落ちる。

 

「…橘?」

 駆け寄り、その身体を支え起こす。

 覗き込んだその顔の色が、どう見ても普通じゃなかった。

 心臓への負担。激しいショック。

 不安を煽る言葉が、頭の中をグルグル巡る。

 畜生。俺が約束通りの時間に、ここに着いてさえいれば。

 

「ご…う、じさん…?」

「てめえ、一体これはどういう…いや、喋るな。」

 だが、こいつはまだ生きてる。

 処置さえ早ければ助かるかもしれねえ。

 男にしちゃ小柄で、軽い身体を抱え上げる。

 橘が、腕の中から俺を見上げた。

 大丈夫だ、こいつは死にやしねえ。

 こんな図太い性格の男が死ぬわけがねえ。

 

「ハァッ…ハァッ…よく、わかんない、んです、け、ど…どうも、オレ、騙されたっぽい、かも。」

「騙された、だと?」

 不穏な言葉に、自分で喋るなと言ったくせに思わず聞き返してしまう。

 

「あの子…眼つきは確かに、悪かった、けど…本気で、妹の事、心配して、た、ぽかったのに…なぁ。

 ごっついナリして、る、割には、それが、なんか可愛か、たんだ、けど。

 行ったら、あの子、居なくて…うちの、センセイ、が…。」

「てめえ、意味のわからねえ事喋るくらいなら黙ってろ!

 いい加減黙らねえと、ほんとに死ぬぞ!?」

 不安と罪悪感がない交ぜになって思わず怒鳴りつける。

 その俺の怒号に全く怯むこともなく、奴は苦しい息の下で、笑った。

 

「ん…悪いけど、剛次さん……多分オレ、黙ってても、死ぬと、思う……自分で、判る。」

「この野郎……何を諦めてやがる!

 妹に会えるまでは死なねえと言ってただろうが!!」

 

 

「そう思ってた、んですけど、ね。

 も…無理…ぽいや。会いたかった、なあ………。

 

 ……………光………………………。」

 

 

「橘ーーーーーーッ!!!!!」

 

 奴の、ただでさえ非力な四肢から全ての力が消える。

 閉じられた瞳から、涙がひとしずく落ちるのが見えた。

 何という、呆気ない死。

 

「あの子」は居らず「センセイ」が居た?

 つまり、奴に『姉さん』と呼びかけた男はここには来ず、代わりに来たのが「センセイ」だった。

 つまり、俺が腕を斬り落としたのは「センセイ」であり、それは橘の知ってる男だった。

 その男の姿は、俺が腕を斬り落としたその血溜まりだけを残して、その場から消えていた。

 血の跡を途中まで追ったが、その後は車で移動したらしく、大通りの手前で途切れていた。

 腕は御丁寧に拾って行きやがったようだ。

 

 橘…貴様の無念、俺が晴らしてやる。

 貴様を死なせた奴…「センセイ」だろうが「あの子」だろうが、どっちも探し出して、今度こそ、この刀でぶった斬る。

 そして、貴様の妹も、俺が探し出してやる。

 

 こんな時になぜだか、桜が薫る。



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3・生きていることさえも、切ないなら

「あなたも、何もお聞きにならないですね。」

「今なら、お話していただけて?」

「いいえ。」

「ならば、お訊ねしても仕方ないでしょう。

 こちら、お味見していただけるかしら?」

「はい。…美味しいです。」

「そう?旦那様は、わたしの料理はいつも、一味足りないとおっしゃるのよ。

 あなたが作った時は、何も言わずに召し上がってらしたでしょう?

 もし、なにか工夫があるのならば、教えていただきたいのだけれど。」

「この味は上品で、私は好きですが。

 単純に地域的な味の好みではないでしょうか?

 私が作るとすれば、この昆布の出汁に鰹節の出汁もブレンドしますが、これはこれで完成していますから、直すほどの事ではないでしょう。

 刻み柚子か七味唐辛子を、横に小皿で添えて差し上げるくらいで充分では?」

「ああ、刻み柚子を加えるのは、確かに美味しそうね。

 だとしたら、柚子胡椒でもいいのかしら?」

「いいと思います。

 そして最初から入れるのではなく、あくまでも好みで加えるくらいのスタンスの方が合うかと。」

「よくわかったわ。ありがとう。

 あなたはお料理が上手ね。

 その年頃にしては随分手馴れているわ。」

「それについて否定はいたしませんが、私の作ったものなどよく口にできますね。」

「何故?本当に美味しいのに。」

「毒が入っているかもしれません。」

「あら?そんなものお持ちでしたの?」

「いいえ…と答えて信用するのですか?」

「現に旦那様はお腹すら壊しておりませんわ。

 わたしも勿論。」

「………」

 

 ☆☆☆

 

「御前」の指示で出向いた首相の暗殺は、目的までほんの数ミリの地点で、突然現れた大男に阻止された。

 それは仕方ない。

 仮にも人を殺めようとする者が、逆に殺められる覚悟も持たずにいるなど、それまで手にかけてきた命に対して失礼だ。

 今回は急ぎだとかで、私の本来の仕事とは違う手順を踏んだ事で、失敗する確率が僅かながら上がっていたのも事実。

 そもそもはもう少し時間をかけてターゲットの関心を捉え、その閨に入り込むまでが、私の仕事の本来の手順なのだ。

 

 もっとも、そこから実際にコトに及んでしまえば、私の方が無防備な状態に追い込まれる上、私にはターゲットの前で裸になれない身体の特徴がある為、仕事は必ずその前に済ませる事となる。

 なので、相当余計な情報ではあるが私は未だ処女だ。

 というか、そもそも初潮を迎えるのが15歳の終わりと遅かった上、その後は半年に一度くらいの間隔でしか生理が来ていない事を考えると、生殖機能的にも多分まだ女ですらない。

 本来ならばこの手の仕事をするならさっさと女になっておいた方が、後々面倒がなくて済むと思うし、時折顔を合わせる「御前」の側近の人たちは、私には当然「御前」の手が付いていると思っている筈で、そこは面倒だからいちいち訂正はしていないものの、何故だか「御前」は私を、可能な限り生娘のままにしておく事にこだわっていた、気がする。

 あくまで気がするだけだが。

 

 まあそれは余談でそんな事はどうでもいい。

 とにかく、ターゲットを始末する直前だった筈の私が、次に気がついた時にはどこかの和室で、ふかふかの布団に寝かされており、ふくよかな体型をした上品な感じの和服女性(先ほどの会話を交わしていた相手)が、心配そうに私の顔を覗き込んでいた。

 女性は私が目を覚ましたと見るや否や、どこか身体に不調はないかとしつこいくらいに確認して、私に白湯をあてがった後その場を辞して、代わりに現れたのが私の邪魔をした大男だった。

 男は「男塾塾長・江田島平八」と名乗り、最初は私に、一通りの質問をしてきた。

 

「名はなんという?」

「その質問に意味があるとも思えませんが、名が必要であれば好きにお呼びください。」

「ふむ…では、何故貴様が、首相の命を狙った?」

「主の考え故、飼い犬ごときが推し量るべき事ではございません。

 また、存じておりましたところで、主の考え故、それを申し上げる訳には参りません。」

「ほほう。自らを飼い犬と称するか。

 ならば質問を変えよう。飼い主の名は?」

「申し上げられません。

 飼い犬にも、飼い犬なりの義がございます。」

 

 そんなやりとりの後、江田島は諦めたようで質問をやめた。

 そんなわけで、私はどうやら与えられた任務に失敗したわけだが、私を捕らえたこの男は、私を警察に引き渡すでもその身を拘束するでもなく、この邸に常駐させている先ほどの女性とともに、簡単な自分の身の回りの世話を命じた。

 

 もっとも警察に引き渡したところで、私を罪には問えないだろうが。

 

 私は暗殺に際し凶器を持っておらず、よしんばあの光景を誰かが見ていて、その上で任務を遂行したとしても、私が殺したと見る者は恐らく居ない。

 私の武器はこの手であり、また人体の急所とそれがもたらす効果を熟知したこの頭。

 あの時は首の後ろのツボから針のように研ぎ澄ました『氣』を注ぎ、脳と心臓を連絡している神経を破壊する事で、外傷すら与えずにその心臓を止めるつもりでいた。

 それは傍目には私の指が、首相の首筋をそっと撫でるくらいにしか見えない筈だ。

 

 それを未然のうちにこの男は見抜いた。

 つまり、私が指先で人を殺せると、判っているという事なのに、危機感がなさすぎではないだろうか。

 肩をもめと言われた際に思わずそう言ったら、大人しく従っている私も同様だと笑われたうえ、何故かその大きな手でわしゃわしゃと頭を撫でられた。

 私としては、抵抗しても意味がないと諦めただけなのだが。

 

 何せこの江田島という男、氣の大きさが常人と違う。

 通常、氣の総量というものは、その器である肉体の大きさに準ずる。

 なので私のような小柄な女と、巨漢のこの男とでは、そもそもの氣の総量が違うのは最初からわかっている。

 が、それにしても違いすぎだ。

 氣というものは、練る事で密度が増す。

 私が極限まで練った氣を、針のように研ぎ澄ますのは、その方が私が扱うならば殺傷能力が高いのも勿論だが、何より総量が少ない為、一度に大量の氣を放出する使い方ができないからだ。

 そんな使い方をしていては、あっという間に氣は尽きてしまう。

 氣の扱いに熟練した者ならば、肉体のうちに溜め込んでいる時点で、ある程度そうして密度を濃くする事で、総量を増す事ができる。

 本来ならシャツ10枚しか入る事を想定していない引き出しの中に、ぴっちりと折りたたんで隙間を詰めて30枚入れるようなものだ。

 …若干喩えが所帯くさいがそれはこの際どうでもいい。

 この男の場合、その詰め込み方が、既に達人の域すら越えている。

 だから最初に顔を合わせ、自分が失敗してこの男に捕らわれたのだと理解した時点で、私は完全に己の命を諦めていた。

 

 そもそも任務に失敗した時点で、私に待っているのは死しかない。

 生き延びようと思ったらまずは目の前の男を殺して、自由になってから改めて、首相の暗殺を成功させなければ、私は「御前」のもとには戻れないのだ。

 逃げる、という選択肢も、ないではないがそれは愚策だ。

 逃げれば追われる。当然の話だ。

 実際、任務に失敗して逃亡を企てた暗殺者をひとり、「御前」の命令で始末した事がある。

 私は暗殺に関しては自身に並ぶ者はいないと思っているが、基本的な身体能力そのものは、ごく普通の17歳の女の子のそれでしかない。

 追っ手を返り討ちにして逃げ延びる。

 生きる為に何度も繰り返し。

 それが可能であるとは到底思えない。

 どちらにしろその初手からそもそも詰んでいる。

 すべての選択肢の前に、今立ち塞がるのがこの男である以上、私には死を覚悟する以外なかった。

 

 なかった…筈なのだ。それなのに。

 最初にされた質問をすべて私が流した後、暫し私を見つめ、ニヤリと笑って江田島が発した言葉は、

 

「貴様、茶の湯の心得はあるか?」

 …まったく意味がわからなかった。

 

 真面目に答えれば、ある。

 私はどのような席にも完璧に馴染まなくてはならず、またターゲットは有力者の男性である率が高い。

 だから「御前」は私に、必要と思うありとあらゆる事を教え込んだ。

 茶道や華道は勿論の事、日常会話程度の主要5カ国語、更に男が最終的に求めるのは家庭の癒しであるとして、家事なども完璧である事を求められた。

 完璧な暗殺者になる事は、男が欲しがる女を完璧に演じられる事だった。

 多分、余程特殊な嗜好の持ち主でもない限り、大抵の男の理想の女を、私は違和感なく演じる事ができるだろう。

 そもそも本当の自分がわからなくなるくらい。

 

 結局、こんな事で嘘を言っても仕方がないので私が肯定すると、江田島は「いい茶道具がある」と自らそれを持ってきて私の前に並べた。

 

「一服、点ててくれぬか。」と言って。

 

 …正直、私は戸惑った。

 こいつは何を言っているんだと思った。

 とはいえ、逆らう理由も見つからず、下準備が済むと私は江田島に求められるままに茶を点てた。

 

「頂戴いたす。」

 江田島は男らしくそれでいて美しい所作で、私の点てた茶を服むと、先程と同じようにニヤリと笑った。

 

「なるほどな。」

 何がなるほどなのか、私にはさっぱりわからない。

 

「人は嘘をつくが、茶の味は嘘はつかぬ。

 貴様は見どころがありそうだ。

 暫くこの邸におるが良い。

 いずれ、身の振り方を考えてやろう。」

 …そうして、今に至る。

 江田島が私の茶の味に何を見たのか、今はまだわからぬままだ。

 

 ☆☆☆

 

「あら嫌だ。

 お米とお味噌を買わなければいけなかったわ。」

 …夕飯のおかずをほぼ完成させてしまった今になって、何を言っているのだこの人は。

 確かに江田島から改めて紹介された際に、「こいつは少し抜けている」と言われてはいたが、いくらなんでも気付くのが遅すぎだろう。

 …いや、ここは私が気をつけていなければならなかった。申し訳ない。

 

「いつもは配達をお願いしているのだけれど、今から頼んだら明日になってしまうわね。

 申し訳ないのだけれど、これからスーパーマーケットに買い物に行くので、一緒に来ていただけないかしら。」

 彼女…(みゆき)さんという名前らしい…が私の前で両手を合わせる。

 

「構いませんが…いいのですか?

 私は江田島殿に、外には出ないようにと言われています。」

「わたしが無理にお願いしたと言えばいいわ。

 わたし1人では荷物が重たいし、あなたにも気分転換が必要でしょう?

 ここは親子みたいに、仲良く買い物しましょう!」

 親子みたいに、と言われても、母親というものを知らない私には、どのような感じなのかわかりかねるが、この人はかつて、幼かった娘を事故で失っている。

 目を離したほんの僅かな時間の出来事で、生きていれば私と同じくらいなのだそうだ。

 彼女の夫とその親族はその事で彼女を酷く責め、彼女は絶望して一時は命を絶とうとさえ思ったという。

 死に場所を求めて街中をふらふら歩いている時に江田島に声をかけられ、判断力も低下していて特に考える事もなく、促されるままに自身の状況を語ったところ、江田島は彼女を保護して住むところと仕事を与え、ついでに離婚に強い弁護士を紹介して、彼女に有利な条件で夫との離婚を成立させたとの事。

 そもそも彼女は嫁いで以来、夫や義両親から無料の家政婦か奴隷のように扱われ、それを本人ですら当然のように感じてしまうくらい、人としての自信と尊厳を踏み躙られていた。

 今はふくよかな体型をしている彼女だが、当時はやせ細って、実年齢より十も上に見えるほどだったという。

 

「旦那様にはいくら感謝しても足りません。」

 としみじみ言った幸さんの後ろから突然江田島が話に入って来て、

 

「なに、いい女だと思っただけの事。

 単なる下心よ。」

 などとと言わなくてもいい事を笑って言っていたが、あれは照れ隠しなのだろうと思う。

 

 私が見る限り、基本的にはこの男、女好きで好色なのは間違いない。

 だが、それ以上に限りなく優しい。

 少なくとも女性には下心以上に、守るべき対象という意識の方を強く抱いている、気がする。

 しかも無条件に。

 こんな出会い方をしたのでもなければ私も…まあ私の場合年齢に不足があり過ぎるから恋愛感情は持ちようがないが、それでも尊敬の念くらいは抱いたかもしれない。

 

 …それはさておき。

 彼女の懇願に従って、一緒に一番近くのスーパーマーケットに行き、米10キロと味噌、ついでに玉子を買って、米は私が担ぎ彼女に味噌と玉子を持たせて、やや急ぎ足で帰途についていた。

 

 自身の状況を忘れたわけではないが、確かに私は油断していたのだろう。

 自分のした事を考えたらありえないほどに優しい男女の、その温かさに溺れきっていた。

 自身が殺される可能性は考えていても、隣にいる人に及ぶ危険については、まったく考えていなかった。

 スーパーマーケットに面した大通りから、ひと気のない路地に入って少ししたところで、異様な空気に気付いた。

 それは、明らかな殺気。

 

 気付いた時には遅かった。



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4・Neo Universe

…雷電がまだいないから、自分で解説するしかないんだよ。


 何かが風を切る音が聞こえたと思った瞬間、一歩前を歩いていた幸さんの身体が、スローモーションのようにその場に崩折れた。

 喉に開けられた小さな穴から血の糸が空間に広がり、幸さんの持っていた買物袋とともに地面に落ちる。

 

「…!!?」

 次の瞬間、同じ音とともに私の身体にも衝撃が走り、寸でで急所は外したものの、何かに脇腹を撃ち抜かれた痛みが、一瞬遅れて襲ってきた。

 重力に敢えて逆らわずに倒れこみながら、音の方向に目をやる。

 視界がぼやけてはっきりとは見えなかったが、前方にある住宅の大きな木の枝に、黒い服を着た人物が、Y字型の棒のようなものを、こちらに向けて構えていた。

 

 まさか…あれは簾轔虞衝濤(すりんぐしょうとう)!?

 

 

 簾轔虞衝濤(すりんぐしょうとう)…かつて中国の山岳地帯において狩猟の為に考案された、Y字型の枠にゴム様の弾力性のある弦を張って、石などの固い玉を飛ばす構造の飛び道具を、より高い殺傷力のみを追求して改良されたものである。

 的に正確に命中させるには高い技量と、何より弦を引く腕力が必要とされるが、発 引候(はつ いんこう)という技師が作成したものは、女性や子供のような非力な者でも使用できたという。

 この発 引候の名が、今日の『パチンコ』の語源になった事は言うまでもない。

(民明書房刊『今そこにある武器』より)

 

 

 名前は忘れたが、多種多様な技を持つ東アジア圏発祥の暗殺組織があると「御前」から聞いた事がある。

 今回任務に失敗した上、事実上出奔した形になる私を、消す依頼がとうとう為されたという事だろう。

 

 刺客を送るなら私ごとき、「御前」の手駒の闘士たちで充分事は足りるだろうに、わざわざ外注する必要があったのだろうかといささか疑問には思うが、今はそんな事を気にしている時ではない。

「御前」がそれをお望みならば、私は殺されても一向に構わないが、でも今は駄目。

 

 私が倒れたまま動かずにいると、黒い服の人物…どうやら男であるらしい…は、音もなく木から飛び降り、それから私の肩に、もう一撃放ってきた。

 

 くそ…どうやら私が死んだかどうかを確認したらしい。

 念の為保険を切っておいて良かった。

 この場合の保険…例の針状の氣を自分自身に撃ち込んで、体内の氣の流れを調節する事により、一時的に肉体の弾力を高める事。

 これにより今撃ち込まれた、恐らくは小さな鉄の玉は、私の肉体に傷もつけずに弾かれて、明後日の方向に転がっていった。

 だがこれをやると、数時間は身体に力が入らなくなり、満足に動く事もままならなくなるが、幸い私がこれからやらなければならない事に、力は一切必要ない。

 

 私は今、この瞬間は死ねない。

 だから、申し訳ないが、この男に死んでもらう。

 

 男が、依然倒れたままの私に近づいてくる。

 その数歩の間に私は、五指全てに氣を集中させる。

 鋭い針のように、研ぎ澄ます。

 そして…

 

 男の足が、私の傍で止まる。

 私の身体を、ひっくり返して確認しようとでもしたのであろう、伸ばしてきたその掌に、

 

 私は氣の針を、撃ち込んだ。

 

 氣は一瞬にして、男の掌から、血管を伝い、心臓に達して、内部で弾ける。

 その身体には傷一つ負わず、苦悶の声すら発する事なく、男は一瞬で絶命した。

 

 だが、まだだ。まだやる事が残っている。

 私は、脱力し始めた四肢を引きずるように幸さんの側まで這った。

 間に合って。お願い。

 私は死んだっていい。だが今は駄目。

 今私が死んだら、幸さんを助けられない。

 

 私は倒れた幸さんの首筋に指を当てて脈拍と、ついでに呼吸を確認する。

 大丈夫だ。微弱ながら、ある。

 もう一度、五指で氣を研ぎ澄ます。

 そのまま、ツボ数カ所を一度に押さえ、氣の針を今度は優しく、幸さんの身体に送り込む。

 

 幸さんの喉に開けられた穴から、血にまみれた小さな鉄の玉が、コロリと地面に転がり落ちた。

 そしてその穴は、見る間に塞がっていく。

 

 もう…大丈夫だ。

 ホッと息をついた瞬間、四肢から全ての力が消えた。

 同時に、全身の汗腺から、一気に汗が噴き出してくる。

 どうやら、ただでさえ少ない氣を、完全に使い果たしたようだ。

 だが、これ以上は必要ない。

 

 名前も知らない暗殺者の、敗因はたったひとつ。

 私より先に、幸さんを狙った事だ。

 幸さんの命を救う為に、私は生きなきゃいけなくなった。

 私だけなら、素直に殺されてあげたのに。

 と。

 

「…さすがに、この程度の奴に殺されはせんか。

 だがこいつはこいつで、充分役には立ってくれたな。

 これで反撃される心配もなく、貴様をブッ殺せる。」

 どこか聞き覚えのある声が、暗殺者の亡骸の後ろから近づいてきた。

 動かない首を懸命に捻って、声の主を確認する。

 

獅狼(しろう)…さん?」

「気安く名を呼ぶな、毒蜘蛛が。

 親父や豪毅はうまく誑かしたんだろうが、俺はそうはいかんぞ。」

 これはこれは、毒蜘蛛とは、随分嫌われたものだ。

 しかし、まだ12歳になるかならないかの義妹に夜這いをかけて撃退された鬼畜の汚名は、他の誰でもないおまえの所業を正確に述べているだけで、夜這いをかけられた私のせいではない筈なのだが、反撃として10日間の激痛を与え続けた事で、どれだけ恨まれているのやら。

 

「親父は貴様を、自分の跡目を継ぐ者に与えると言った。

 だが俺は、貴様のような毒蜘蛛を妻にするなどまっぴらだ!

 正直、総理の暗殺に失敗したと聞いて、よくやってくれたと思ったぞ。

 俺に、貴様を殺す理由を与えてくれてな。」

 …なるほど。

「御前」はそんな事を考えていたわけか。

 私に手をつけなかった理由は、おそらくそれに違いない。

 それにしても…、

 

「フッ…クククッ……。」

「なにが可笑しい!」

「クク…それは最初から無用な心配ですよ。

『御前』の跡目にあなたが選ばれる事自体、そもそもありえませんからね。

 私が知る限り、あなた方兄弟の中で『御前』が一番目をかけていたのは、一番下の豪くんだったようですし。」

 ああ、そうなると私は豪くんと結婚しなければいけなくなるな。

 それは彼にとっても迷惑な話だったろう。

 この男のように、蛇蝎の如く嫌われているわけではないにしろ。

 

「……このっ…!」

 顔を真っ赤にして、獅狼が力任せに私を蹴る。

 動けない私は彼のなすがままだ。

 

「…殺してやる、光。」

 獅狼は隠し持っていたらしい短刀を抜き放つと、私に向かって突き立てようと構える。

 …いずれは「御前」の刺客に討たれるとは思っていたがまさか、「御前」の息子の1人とはいえ、このようなつまらない男に殺される事になるとは。

 これまでに何人もの命を奪って来た、これが報いというわけか。

 ならば仕方ない。死神に少し不満があるが、運命を受け入れてやるとしよう。

 と。

 

「ぬおおおぉぉお!千歩氣功拳!!!!!」

 野太い声の叫びと共に、凄まじい氣の奔流が頭上を疾り抜けた。

 本来なら目には見えない筈の、あまりにも強大なそれは、視覚的に明確な巨大なひとつの拳の形をとる。

 

「ぐおっ!!?」

 その巨大な拳をまともに背中から食らった獅狼は、吹き飛ばされて近隣の住宅のはるか上空を飛んでいき、恐らくはどこかに落下して見えなくなった。

 

 千歩氣功拳!?

「御前」の配下の中にそれを使う者がいたが、私が一度見たそれは、今のような巨大な拳ではなく、無数の手刀の形をとっていた筈だ。

 

「光、というのが貴様の名か。

 このような形で知る事になろうとはな。」

 和服姿の巨漢が、横たわったままの私の顔を覗き込む。

 先ほどの「千歩氣功拳」、放ったのは彼だったようだ。

 

「私より、幸さんを。

 傷は塞ぎましたが、出血が多かったんです。

 命に別状はないかと思いますが、安静は必要です。

 連れて帰って休ませてあげて下さい。」

「なに、心配するな。

 わしの女の命を救うてくれた事、感謝するぞ。」

 江田島が、私を抱き起こしながらニヤリと笑う。

 私は思わず彼から目を逸らした。

 

「私と居なければそもそも起きなかった事です。

 逆に申し訳なく思います。

 私のことは…どうぞ、お捨て置き、を…。」

 そこまで言ったところで意識が途切れた。

 

 ☆☆☆

 

 次に目を覚ますと、簾轔虞衝濤(すりんぐしょうとう)の男に負わされた脇腹の傷はしっかりと血止めが為され、私は江田島の邸の一室に横たえられていた。

 氣が肉体の裡に充足したら傷は自分で治す事ができるが、それまでに出血多量で死んでしまえばそれもできない。ありがたい事だ。

 服もその日着ていたものから清潔な肌着のみに着替えさせられていたが、これは誰の手によって為されたかは敢えて考えない事にする。

 というか手当てするのに服が邪魔だったのはわかるが、別に下着まで全て外さなくても良かったのではないだろうか。

 

「指拳の使い手と見たは誤りか。

 貴様が使ったのは、まさしく橘流氣操術(たちばなりゅうきそうじゅつ)

 奪うにせよ救うにせよ、人の命を左右する技よ。

 絶えて久しいと思うておったが…貴様、橘の末裔だな。」

 私が目覚めた事を知った江田島が、何か訳のわからない名前を出す。

 

 

 橘流氣操術(たちばなりゅうきそうじゅつ)…平安時代中期までは源氏、平氏、藤原氏と共に隆盛を誇った橘氏の、傍系にあたる橘 法視(たちばなのほうみ)という医師(くすし)が考案したもとは治療術。

 それは極限まで練り上げた氣を、経絡(ツボ)を入り口として外部から注入する事により、様々な治療効果を期待するものであり、主に怪我の治療に多大な効果を発揮した。

 ただしツボ同士の組み合わせによっては、患者の肉体に悪い影響を及ぼし、最悪死に至らしめるものもあった。

 橘 法視はこれらの悪例を『裏橘(うらたちばな)』と称して書にまとめ、固く使用を禁ずるものとしたが、後の世代に於いて、これを悪用し為政者の暗殺に用いようとした者が現れ、これが発覚した事により謀反の疑いをかけられた橘氏は衰退の道を辿ったとされる。

 ちなみに、この術を用いて傷の治療を行う橘 法視の姿は、一般の者には手をかざしただけでみるみる傷が治癒していくように見えたと伝えられる。

 某国民的RPGの、体力を回復する呪文が、この法視の名から取られたものかどうかは定かではない。

(民明書房刊『世界の暗殺術から』より)

 

 

「たちばな…何ですか?」

「知らずに使うておったのか?

 いつ、誰に教わった?」

「記憶にある限り10か11の頃には既に使えておりました。

 それ以前の事は覚えていませんし、使った状況もお話ししたくありません。」

 記憶にある一番最初にこの技で手にかけたのは、自分と歳もそう変わらない少年。

 何もない谷底のような場所で飢えて渇いて、死にたくなければ殺せと命じられて、そばにいた私の首を絞めてきたその少年は、先ほどの簾轔虞衝濤(すりんぐしょうとう)の男と同じように、私に掌から氣の針を撃ち込まれた。

 その頃の私の氣の練りはまだ未熟で、技も今ほど洗練されてはおらず、即死させる事はできなかった。

 少年は自分に何が起こったのかわからぬまま、地獄の苦しみを味わいながら、数分後に息絶えた…。

 

「こちらも聞きたくはないわ。

 背中の刺青を見る限り、楽しい話でない事は確かであろうからな。」

「!……あの刺青の意味を、御存知でしたか。」

 それは孤戮闘…中国拳法極限の養成法とされ、世界中から年端もいかぬ子供達を集め脱出不可能な谷底に落として、一週間程飲まず食わずの飢餓状態に追い込んでから、その後人数に対し半分の数量の食料を投げ入れ、その食料を巡り奪い合いをさせる。

 力が劣り闘いに負け糧を得られなかった者にあるのは死であり、それは最後の一人になるまで続く。

 そして最後に生き残った子供を素質のある者と認め、それ以上に苛酷な修行を受けさせるというもの。

 私の左肩甲骨の下部にある、六芒星をモチーフとしたデザインの刺青は、それを修了した証である。

 私は目が覚めた時は、柔らかい肌着の下は止血のための包帯以外のものを身につけてはいなかった。

 江田島はこの包帯を巻く際に、この刺青の存在に気付いたのだろう。

 

「うむ、話に聞いた事があるだけだがな。

 しかし、光。」

 名前を呼ばれた。

 ただそれだけだが、それが妙に心に響く。

 名、というものは、こんなにも重要なものであっただろうか。

 気がついたら呼ばれていた、単なる識別記号であるだけなのに。

 

「何故貴様がそこに入れられたかは知るよしもないが、それは貴様のせいではない。

 貴様はただ、大人の思惑の犠牲になっただけ。

 そして、その中で生き抜こうと足掻いただけの話よ。

 もっとも、貴様がそこに入れられた時点で既にその技を操れたというのならば、貴様がそこで勝ち抜く事は定められた筋書きのうちであったのであろうがな。

 どのみち、貴様の責任ではない。」

 …そういえば、あそこに私とともに放り込まれた子供達の中に、私のように特殊な技を持つ者はいなかった。

 だとしたら、私があそこで生き残った結果そのものが、ある意味出来レースだったという事なのか。

 

「後から現れた男は、単なる刺客ではなかったようだな。

 恐らくは、貴様の飼い主の縁者であろう?

 貴様は飼い主に捨てられたという事ではないか?

 その飼い主に、忠義立てする義理が本当にあるか?」

「やめてください!」

 思わず考え込んでしまった私にかける江田島の言葉に、私は思わず声を荒げる。

 確かに私は捨てられたのだろう。

 もはや飼い犬ですらない。

 だが、これまで培ってきたものを、いきなり捨て去る事など出来る筈もない。

 

「…失敗したのは私です。

 始末されるのは当然の流れです。」

 私は「御前」の意向に添えなかった。

 だから捨てられても仕方ない。

 使えない道具は処分される。

 それは実に当たり前の話だ。

 

「…惜しいな。」

 私の言葉に、何故か悲しそうな表情を浮かべて、江田島が呟く。

 

「え?」

「貴様のその力よ。

 貴様の主は、命を奪う事のみに貴様の価値を認めておるようだが、それは本来は救う事を目的として生み出された技。

 力に善悪はなく、振るう者次第で如何様にも傾くもので、それは光、貴様自身にも言える事だ。」

「私…自身?」

 思わずおうむ返しに問い返すと、江田島が頷いて、微かに笑う。

 

「貴様の点てた茶には、心の曇りは一切なかった。

 貴様もまたその力と同様、如何様にも変わっていけるという事よ。

 今の貴様に、主を捨てろとは言わぬ。

 貴様の様子から見て、主に忠義以上の感情もあるようだからの。

 だが、貴様はこれから、貴様自身の生を生きねばならん…いや、生きてみよ。

 これまでは死を間近に、嫌という程見続けてきておろう。

 これから先は生を、嫌という程見続けてみるがよい。

 光よ、貴様はまだ若い。

 これまでは、主の世界の中だけで生きてきたのだろうが、新しい世界を知るというのは、存外楽しいものだぞ?」

 江田島はそう言うと、またあのニヤリ笑いを浮かべ、それからいつかしたようにその大きな手で、私の髪をぐしゃぐしゃになるまで撫でた。

 

 何故だろう。

 私はこの行為を嫌だと思っていない。

 そして何故か、鼻の奥がツンと痛む。

 私は生きていていいのだろうか。

 彼の言う『新しい世界』は、本当に私が見ていいものなのか。

 わからない。わからないけれど。

 それを知る為に、もう少し生きてもいいかと思っている自分がいる。

 

「それにしても、ぬかったわ。

 あの時はまず、貴様の側から排除する事を考えて遠くにすっ飛ばしたのだが、貴様がここに居る事を、知られてしまったのではないか?」

 江田島が少し悔しそうに私に問う。

 

「彼以外は大丈夫でしょう。

 無駄にプライドの高い男でしたから、私を見つけたのに取り逃がしたなどと、主に報告はできない筈です。

 そもそもそんな事をすれば、彼自身も粛清対象となりましょうし。

 簾轔虞衝濤使いの男も、彼が個人的に雇い入れた者でしょう。

 ただ、私と共にいた幸さんは念の為、拠点を移した方が良いかと。

 私がここを出て行った後、私の居場所を探す為に、彼があの人に危害を加える可能性も否定できませんので。」

 睡眠をとったからそろそろ氣も快復する頃だ。

 まだ完調ではないにせよ、この脇腹の傷を塞ぐくらいなら、今ある氣の半分も使えば充分だろう。

 傷さえ塞がれば、私一人ならどこにでも行ける。

 

「待て。今あっさりと出て行くとか申したな。

 どこへ行く気だ?」

「それは聞かぬ方が良いでしょう。

 とにかくこれ以上、お世話になったあなた方に、ご迷惑をおかけする訳には参りませんので。

 …ご心配なく。

 うまく立ち回って逃げ延びてみせますよ。

 あなたの言う、新しい世界を見る為にも。」

 私にとっては、この出会いこそが新しい世界だった。

 …気がついてしまったのだ。

 私は「御前」の飼い犬としての自分の立場を、充分わきまえているつもりだった。

 それなのに私は無意識に「御前」の愛情を求めてしまっていた。

 褒めて欲しかった。頭を撫でて欲しかった。

 だからあの方の求める自分の役割を、完璧にこなしてきた。

 だけど「御前」は私に、頭を撫でてくれるどころか、優しい言葉ひとつかけた事はない。

 仕事が終わって報告を終えれば、「ご苦労だった。下がって良い。」と背を向けるだけで。

 当然だと思ってきた。

 けれど心はいつだって、得られないものを欲しがって叫んでいた。

 だけど。

 私の親でもない人たちが、私を気にかけてくれた。

 頭を撫でてくれた。

 失敗しようがなんだろうが、生きていいのだと言ってくれた。

 だからこそ、離れなければならない。

 この人たちに甘えて、危険を犯させるわけにはいかない。

 獅狼の台詞ではないが、毒蜘蛛が抱きしめられる事を望むべきではないのだ。

 

「今更水臭い事を申すな。

 貴様一人匿う先くらい、既に用意しておるわ。

 あそこなら決して見つからぬであろうし、見つかったとしても貴様を害する事は出来まいて。

 わしに任せておくが良い。」

 それなのにどうしてこの人は、こんなにも優しくしてくれるのだろう。

「しかも、退屈は決してせぬぞ。

 ただし貴様には、今日より男になってもらう。」

「…男に?」

 どういう意味かと訝しむ私に、目の前の男は笑って、一言こう言い放った。

 

「フフフ、わしが男塾塾長、江田島平八である!」

 …まったくなんの説明にもなっていなかった。




名もない暗殺者は勿論あの組織の一員で、「一番の小者」より更に小者でしたwww
そして次からようやく原作始まります。


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学園生活編 1・春の嵐

この章は基本的に原作準拠の小ネタ。
塾生たちの影響を受けて、ヒロインが少しずつツッコミ属性になっていきます。


「こやつが光だ。皆、よろしく頼む。」

「よ、よろしくお願いいたします…。」

「押忍!よろしくお願いいたします!」

 江田島が私を、塾長室に集めた異様な風体の男性たちに紹介し、私は無難に挨拶をした。

 男たちが、馬鹿丁寧に挨拶を返してくる。

 塾長の紹介だからって、こんなチビの若造に対してかしこまりすぎではなかろうか。

 

「こやつらは当塾の教官どもだ。

 貴様にはわしやこやつらの補佐として、主に事務仕事を担当してもらう事になる。

 何せ揃いも揃って、この手の仕事に不得手でな。」

「面目次第もございません!」

「ひとまず肩書きは『塾長秘書』としておこう。

 貴様の部屋は、応接室だった部屋の内装を今変えている最中でな。

 本来なら出来てからここに呼ぶ予定だったが、そんなわけで、しばらくはここか、救護室にでも常駐しておれ。」

 …という感じで、私は今、江田島…いや、これからは私も塾長とお呼びする事にしよう。

 とにかく彼が運営する「男塾」に、事務員として勤務する運びとなった。

 彼が事あるごとに主張してきた肩書きの意味がようやく理解できた。

 なんでも創立300年以上の歴史を持つ全寮制の私塾(といっても一応正式な教育機関であり、卒業時に高卒の認定はされる。あと、『男塾』の名称は江田島塾長の代になってからの呼称で、それ以前は別の名前だったようだ)で、全国の高校から持て余された不良少年らを受け入れてそれらを鍛え上げ、最終的には次世代のリーダーを育てていく事を教育目標としている、らしい。よくはわからないが。

 名称の通り男子校であり、塾長が私に「男になれ」と言ったのは、つまりはそういう事である。

 私を塾生としてではなく自身の秘書として置く事にしたのは、塾生として入れると寮に入らねばならず、それは色々と危険だろう、という事だった。

 …多分だが塾生の方が。

 というか、塾長はそれこそ感謝しても仕切れないほど私に対して親身になってくれるが、私はそもそも首相暗殺未遂事件の実行犯なわけで、自身の目の届かない場所に置くわけにはいかないという理由もあったろう。

 基本的に私は今後、ここの敷地内に常駐する事になり、現時点では外出は許されていない。

 現在内装工事中であるという私に充てがわれた部屋は、だから基本そこで生活できる仕様になる。

 つまり私は、塾長と私にしかわからないレベルで、実は軟禁状態にあるわけだ。

 それでいて、敷地内ならば好きに動き回って構わないというのだから、なんと緩い軟禁である事か。

 とりあえず今は特に仕事もないという事なので、私は先に示された救護室というところで待機している。

 というか、暇だったので部屋の掃除をしていたら、いつから掃除をしていなかったのかというくらい思いのほか大仕事になり、更に何気なく棚の中の薬品類を、何があるかチェックしたところ、ほとんど全ての使用期限が切れているという恐ろしい事態が発覚した。

 これは一度全て廃棄して発注しないといけないと思い、今、その廃棄作業の真っ最中だ。

 先ほど換気の為に開け放った窓から、桜の香りが舞い込んでくる。

 そういえばここの庭には数本、何故か一年中花をつけている桜の木があり、それがこの男塾の象徴となっているそうだ。

 ここでの生活に慣れて少し余裕ができたら、近くまで行ってその木を見てみようと思う。

 窓からの風が、短く切りそろえたばかりの髪を揺らして、首まわりにまだ慣れない涼しげな感覚をもたらす。

 塾長から「男になれ」と言われた際に、これまでの自分との決別と覚悟の為に切ったものなのだが、その後ようやく床上げをしてきた幸さんに、その姿を見せた途端に号泣された。

 

「似合ってたのに!綺麗な髪だったのに!女の子なのに!」

 と、何故か塾長を責めていたのだが、今時女性でもこのくらいの長さにしている人は珍しくないと思うし、私は全然気にしていない。

 ただそれで男の服を着たら、背が低いのも手伝って小学生でも通る容貌になってしまったのが、若干腹の立つところだけれど。

 

 そしてその服装なのだが…裾の長いダブルボタンの詰襟学生服で、腰の部分をベルトで締めるというデザインの、ここの塾生の制服である。

 いや、私は職員なわけだから制服はおかしいでしょうと思いはしたが、これしか用意していないと言われればそれ以上つっこむわけにもいかず、仕方なくこの服装で過ごしている。

 サイズは合わせてあるので問題ないが、デザイン的に裾の長いのが気に入らない。

 背の低い私が着るとますますチビに見える。

 ある程度の体格のある男性が着れば、さぞかし立派に見えるのだろうが。

 そんな事を考えながら作業を続けていたら、扉の外が突然騒がしくなり、次の瞬間には、数名の塾生が、どかどかと踏み込んできた。

 

「あ……?」

 恐らくは誰もいないと思っていたのだろう、先頭の塾生がぽかんとした顔で私を見つめる。

 

「………怪我人、ですか?」

 微かな血の匂いを嗅ぎ取って私が話しかけると、彼はハッとしたような表情で頷いた。

 頭に乗せたくたびれた学帽を、何故か深くかぶり直す。

 制服は見たところ真新しいのに、帽子だけがくたびれているのは何故なのだろう。

 

「あ、ああ。おまえ何してんだ、ここで?」

「薬棚の整理を。

 見たところ、薬品類のほとんどが期限切れのようなので、総入れ替えになるかと。」

「期限切れぇ?」

「ええ。ほらこの正◯丸なんて10年以上前に。」

 容器のひとつを手にとって示してやると、その学帽の塾生が私の手元を覗き込んで、驚きの声を上げた。

 

「マジかよ!俺、こないだ飲んじまった…。

 い、いやそんな事より、桃が怪我してんの知ってんだろが!

 今使える薬無ぇのか!?」

 見れば彼の後ろで3人の塾生が立っていたが、真ん中にいる1人が血まみれなのがわかった。

 …どうでもいい事だが、ここは高等課程に相当する学校ではなかっただろうか。

 だとすれば目の前にいるこの男たちは十代の若者なのだと思うのだが、このヒゲ率の高さは一体なんなんだろう。

 少なくともここにいる4人の中で、きちんと剃っているのは真ん中のハチマキを締めた、怪我をしていると思われる男1人だけ。

 

「傷薬は全滅ですが、消毒薬は使えます。

 …ちょっと失礼しますね。」

 傷の程度にもよるが、普通に歩いて来られる程度ならば、私が治してやったほうが早いだろう。

 怪我をしているというハチマキの前まで歩み寄り、その手を軽く引く。

 …どうでもいいが背が高い。

 近寄るんじゃなかった。

 

「ここに座って。

 一旦全部の傷を見ますので、上着、脱いでいただけますか?

 サラシも外して下さい。」

 少々悔しい気持ちを隠しつつ私が話しかけると、ハチマキは初めて口を開いた。

 

「いや、別に…。

 こいつらが大袈裟なだけで、そこまで酷くは。」

 …思いのほか耳に心地よく響く、深く落ち着いた声音に驚く。

 だがその良い声で、血まみれの姿をして何を言っているのだこの男は。

 

「いいから、言う通りにしなさい。」

 呆れながら、少しキツ目に言ってやると、ハチマキは観念したように上着を脱いだ。

 右腕を上げる時に、少しだけ痛そうな表情を浮かべて。

 

「…おい、ありゃ誰だ?

 あんなヤツ、男塾(ウチ)に居たかのう?」

「知らん。確かに見ない顔じゃな。」

「それになんか、この部屋綺麗になっとらんか?」

「わしも思うた。この壁、白かったんじゃな。」

 その後ろの方で何か、彼を連れてきた塾生が話をしているのが聞こえたが、今は構っている時ではない。

 その1人の髪型に若干の疑問を感じたにしても。

 

 それにしてもこのハチマキの男、よく見ると実に端正な顔立ちをしている。

 それに、周りの塾生たちのアクが強すぎるのもあるだろうが、彼だけはどこか毛色が違うように思える。

 …私がこれまで命を奪ってきた、多くの男たちと同じような匂いを感じる。

 恐らくは上流階級の出身、少なくとも相当に育ちはいい筈だ。

 そうでなければ、隠そうとしても滲み出るこの人品の良さの説明がつかない。

 

「…刺し傷、ですね。

 何をしてこんな怪我をしたんですか?」

 包帯やサラシを外して傷の状態を見る。

 顔の周りの、細い血管の多いところについた切り傷は、見た目の出血の割には大した大きさではない。

 腹部や胸部の急所付近にも特に傷は見当たらず、一番深いのは右上腕部の、刃物で突いたような刺し傷だった。

 しかもそれほど鋭利ではない、ろくに手入れもされていないナマクラだろう。

 それだけに自然治癒だと治りが遅い上、傷あとも残ってしまいそうだ。

 それにしても、さっき外した包帯の巻き方は、素人の施した応急処置とは思えない、完璧な巻き方だった。

 そういえば塾長も私の手当てをしてくれた際、同じような巻き方をしていた気がする。

 

「何って、さっきの直進行軍に決まってんだろが。

 ったく、飛行帽の野郎、ムチャクチャやらせやがって。」

「直進…なんです?あ、いやいいです。

 後で塾長にでもうかがいます。」

 それにしても何故この学帽は先ほどから、私が事情を知っている体で話を進めようとするのだろうか。

 そろそろ鼻についてきたので、軽く流して傷に集中しよう。

 あ、でもすごい。包帯の巻き方もよかったけれど、血止めの処置も完璧なようだ。

 …ひょっとするとこの塾では、こういう事も授業で学ぶのではないだろうか?

 私は氣を使い果たしさえしなければ大抵の傷は即時に治癒させられるが、もし氣の量が足りない時には、こういうまともな手当ての方法に頼らねばならない。

 塾長に後でお聞きして、もし本当にそうだったなら、一度教官にお願いして、私も授業に混ぜてもらおう。

 

「少しチクっとするかもしれませんけど、すぐ終わりますから我慢してくださいね。」

 さて、一通り傷の確認も終わったし、そろそろ治療を行う事にしよう。

 私はいつも通り、氣を五指に集中させた。

 

 ・・・

 

「……はい、終わり。」

 なんの問題もなく綺麗に傷が塞がったのを確認して、私はハチマキの身体から手を離した。

 

「なっ…なにー!桃の傷が消えとるぞーー!?」

「そ、そんなバカな!さっきまであんなに…!」

 私がする事をおとなしく横で見ていた残りの塾生たちが、驚きの声を上げる。

 

「…今、何を?」

 治療を受けたハチマキが、先ほどまで傷のあった場所に指を触れ、軽く腕を上げて、状態を確認しながら問う。

 

「…ちょっとしたおまじない、ですかね。」

 説明するのが面倒だったので適当な事を言ってみるが、一応大切な事だけは、ニコッと笑って誤魔化しながら注意しておく。

 

「この後少なくとも朝までは、激しい運動はしないでくださいね。

 表面上は塞がりましたけど、傷の内側はまだ治りきってません。

 こればかりは、本当に何もしない時間が必要なんで…早い話、睡眠が。」

 ハチマキは明らかに不得要領な表情を浮かべていたが、私からそれ以上の情報を引き出せない事を悟ったものか、小さくため息をひとつついてから、頷いて私に微笑みかえした。

 それから、深く頭を下げる。

 

「…押忍。ごっつぁんです、先輩。」

「先輩ぃ!?」

 学帽が、ハチマキの言葉に反応した。

 ハチマキが頷いて、私を示しながら言う。

 

「この人は直進行軍に参加していない。

 少なくとも、一号生じゃないって事だ。」

「こ、このチビが、先輩!?」

 ムカッ。この野郎。少し気にしている事を。

 

 ゴゴゴ……

 

 …私は気がつけば大人げなく、怒りオーラを放っていたようだ。

 学帽は明らかに怯んだ様子を見せ、ハチマキは上着に袖を通しながら、学帽を嗜めるように言った。

 

「フッ、失礼な事を言うな、富樫。

 すいません、勘弁してやってくれませんか。

 俺たち一号生はここに来てまだ、先輩がたにお会いするのが初めてなんですよ。

 …申し遅れました。一号生筆頭、剣桃太郎。

 一号生を代表してご挨拶させていただきます。」

 丁寧な挨拶、痛み入る。

 だが、彼は根本的な勘違いをしている。

 それは訂正せねば。

 

「剣、ですね。私は先輩ではありません。

 ただの事務員です。

 一応肩書きは塾長秘書となっていますが、そう畏まらなくて結構です。」

 私の言葉に、剣と名乗ったハチマキが軽く目を見開く。

 それに続いて他の塾生もざわつき出した。

 

「へっ?事務員?塾長秘書?」

「で、でも、その制服は…。」

 言われると思った。

 

「やっぱり紛らわしいですよね?

 塾生とそう年齢も変わらないのだからと塾長から、当塾敷地内ではこれを着るようにと渡されたのですが。

 ちなみに、私は今年で18になります。」

 一号生と言うことは、一年生ということだろう。

 どうりで制服が真新しかったわけだ。

 そういえば私が着ているものも新品だし、同輩と思われても仕方なかったか。

 今更大人げない自分を反省する。すまん学帽。

 だからそこで、「先輩じゃなくとも、俺たちより年上じゃねえか!」とか大袈裟に驚くのはやめてくださいお願いします。

 

「そうでしたか。

 良ければ、名前を教えてくれませんか。

 秘書どの。 」

「敬語も要りませんよ、剣。私は」

「そやつの名は江田島光。

 このわしの息子である!」

 自己紹介をしようとした瞬間、野太い声が間に入ってきた。

 …え?息子?江田島光?

 

「塾長!」

「え、ええーーっ!!?」

「塾長の息子ぉ!?」

「ウム。かつて別れた女が生んでおり、長く母親の元で育てられていたが、その女がこの春に死んで、父であるわしが引き取った、紛れもなくわしの子なのである!」

 いや、その設定、今初めて聞いたんですけど。

 結構一生懸命考えた後、絶対説明し忘れていただろう。

 しかしこれで朝の教官たちの、無駄に畏まった態度の理由がよくわかった。

 次に会った時に、普通に接してくれるよう頼んでおく事にしよう。

 

「塾長。そんな事よりこの救護室の薬の在庫管理が酷すぎます。

 期限切れの薬品類を捨てたら棚が空っぽになる為すぐ発注したいので、こちらで契約されている業者のリストをいただけないでしょうか。

 先ほど通りかかった教官にも言ったのですが、まともに答えを返して下さらなかったので。」

「そうか。あいわかった。

 後ほど揃えて、貴様の部屋に届けさせよう。

 フフフ、わしが男塾塾長江田島平八である!」

 …そろそろこの人の自己紹介はデフォルトなのだと悟った方がいいだろうか。

 

「今、塾長の紹介に『そんな事より』って言ったぞあいつ…。」

「フフ…見た目通りのヤサじゃない事は確かなようだな。」

 そして何故か剣と学帽が、呆れたようになにか喋ってるのが聞こえる。

 と、

 

「しっかし驚いた…全然塾長に似ておらんのう。」

「おふくろさんが美人だったんじゃな。

 下手すりゃその辺の、女の子よりべっぴんだしのう。」

 丸メガネをかけた塾生と、奇抜な髪型の塾生が、気がつけば私を挟んで、まじまじと見つめてきていた。

 居心地が悪い。

 

「は、はあ、それはどうも。」

 適当に挨拶をしてさりげなくその場を離れようとする。

 ふと顔を上げると、いつの間にか真正面に立っていた学帽と目が合った。

 

「あ、その…悪かったな、チビとか言って。」

 …うん、謝ってくれるのはいいのだけれど。

 

「せっかく忘れていたのに蒸し返すのはやめてください。

 一応、気にしてるんです。」

「そ、そうか。すまん!

 …俺は富樫源次だ。よ、よろしく頼むぜ。」

 学帽をまた深くかぶり直しながら、彼が自己紹介をしてくれる。

 ひょっとして、気持ちを落ち着かせようとする時の癖なのだろうか。

 

「富樫、こちらこそよろしくお願いします。」

「わ、わしは田沢じゃ!

 こっちの変な髪型のやつが松尾!」

「誰の髪型がサザエさんヘアーじゃ!」

 いや誰もそんなこと言ってないから。

 ていうか取り囲むのはやめて。

 私が若干怯んでいると、剣がさりげなく動いて、私と3人の間に立った。

 

「…ところで、あんたの事はなんて呼べばいい?

『江田島』は、俺たち塾生には若干呼びにくいんだが。」

 まだ私を囲もうとする3人を制しながら、剣が先ほどよりも砕けた口調で問いかけてくる。

 

「そうですね。私もそう呼ばれても、自身の事とはまだ思えません。

 光、と呼び捨てていただいて結構です。

 あなたが一号生のリーダーなのですね?

 ならばあなたには特に、これからお世話になる事と思います。

 よろしくお願いしますね、剣。」

「フッフフ、こちらこそよろしく頼むぜ、光。」

 握手を求めて差し出された手は、塾長と同じくらい大きかった。




ヤヴァイwww
一番書きたいモノを書けているシアワセが半端ないwww


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2・Going My Way

本当は前の話とで一話分として書いてたけど、文字数が意外に多かったので分割した。
なんか中途半端な感じになった。くそう。


「光!富樫が重傷なんじゃ!なんとかしてくれ!」

「はい?」

 ようやく私の自室兼執務室が完成して数日、その日入ってきた編入生の各種手続きの書類を部屋でチェックしていたら、ノックもせずに松尾が飛び込んできた。

 早く早くと手を引っ張られ、救護室に連れていかれる。

 というか途中から担がれた。何故だ。

 

 ・・・

 

「…一体何をして下半身なんか火傷したんです?」

「男塾名物のひとつで油風呂といってな。

 金だらいに油を…。」

「あ、もういいです。

 そのネーミングだけで、何があったかわかった気がします。

 先日の直進行軍といい今回といい、ここの名物ってろくなものがありませんよね…。」

「塾長の息子のお前が言う台詞かよ!」

「…御迷惑をおかけしています。本当に。」

 

 初日に剣の怪我を治して以来、私は一号生たちから、養護教諭のような扱いを受けていた。

 何せここの授業、鍛錬系にかなりの時間が割り振られていて、塾生たちは生傷が絶えない。

 最初のうちはそれなりに治していたが、あまりに件数が多くいい加減体力の限界を感じたので、そこそこの重傷でもないなら自分たちで手当てしてくれと剣に頼んで通達させ、ここ2、3日は平穏無事に過ごせていたのだ。

 そういえば昨日は何故か塾長から、

 

「この時間帯だけは、絶対に部屋から出るな」

 と言われ、3時間ほど自室で待機させられた時間があったのだが、その後で一号生の教室の前を通ったら、ほぼ全員がいつもより更にボロボロになっていて、お互いに傷の手当てをし合っていた。

 一体何があったと訊ねると皆一様に口を噤み、1人だけ涼しい顔をした剣が、「お前には絶対に言うなと、塾長から厳命されてる」とだけ教えてくれたのだが、本当に何があったのだろう。

 昨日の朝のうちに教官たちが、倉庫から大量の鈴を持って行ったのと何か関係があるのだろうか。

 ていうか、何故に鈴?

 

「…はい。治療、終わりました。

 けど、今夜一晩は動いたり、患部に触ったりはしない方がいいと思うので、富樫、あなたは今日はこのまま、ここに泊まっていきなさい。」

 重度の火傷の場合、真皮にダメージを受けている場合が多いので、それだけ治癒に時間がかかる。

 何せ、再生に必要な部分から既に傷ついているので、そこから治さなければいけないからだ。

 なので火傷の治療に関しては、完全治癒に必要な睡眠時間が通常の怪我よりも長い。

 できれば外界からの刺激を完全にシャットダウンできる環境に、一刻でも早く置いてやりたい。

 寮に帰してしまえば、恐らくそれは望めまい。

 

「こ、ここに?

 うへえ…なんか出んじゃねえのか…?」

 初めて会った時もそうだったが、相変わらず失礼な事を言う奴だ。

 私が出入りするようになってからは、この部屋の清掃と衛生管理は完璧だ。

 虫などわく筈もなければネズミの穴だってとうに塞いでもらってある。

 …ん?出るってそういう意味じゃないのか?

 

「私が宿直して面倒をみますから、万一なにか出ても追い払ってあげますよ。

 幽霊でもネズミでもなんならゴキブリでも。」

「ネズミなんざぁ怖がるか!」

「じゃあ怖いのは幽霊ですか、それともゴキブリですか。」

「確かにゴキブリはちょっとな…ってそうじゃねえ!

 …いや、別にいい。気にすんな。」

 どうやら幽霊の方だったらしい。

 なかなか可愛いところもあるではないか。

 

「フフ…後で食事をお持ちしますから、食べられるようならちゃんと食べて、ゆっくり寝てくださいね。」

 老け顔のくせに子供みたいに、少し拗ねた顔をする富樫をベッドに残して、私は仕切りのカーテンを引く。

 これも私が入ってから新品に変えてもらったもので、以前のものは黄色みがかってなんでついたのかわからない染みもたくさんついていたが、今のものは清潔感あふれる真っ白なカーテンだ。

 

「はい、それでは富樫の事は私に任せて、あなた方は授業に戻りなさい。」

「押忍!ごっつぁんです!」

 富樫を救護室に運んできたらしい塾生たちが、一斉に私に頭を下げる。

 揃いも揃って強面で、しかも全国各地の高校から持て余されて来た子たちの筈なのだが、懐いてくれると実に素直で可愛いものだ。

 

 ・・・

 

 食事を与えた後何故か急に、汗を拭けだの背中を掻けだのと、妙に甘えてきた富樫に付き添いつつ、若干煩わしくなってそろそろ強制的に眠らせてやろうかと思った矢先(私の背景を考えるといささか剣呑な台詞だが、あくまで言葉通りの意味である)、入口からノックの音が聞こえた。

 

「押忍。…光、今、大丈夫か?」

 扉の外からかけられたのは剣の声だ。

 もっとも『ノックして、確認してから入室』程度の初歩的なマナーを、弁えて実行してくれる奴が、現時点でここにはこの男しかいないわけだが。

 というか、一応ここの教育方針として、国を背負って立つ若者を育成するというコンセプトを掲げるなら、最低限のマナーくらい守れないとまずいのではなかろうか。

 

「剣。お疲れ様です、どうぞ。」

「失礼します。」

 いつも通りの余裕綽々な微笑みを浮かべ、剣が入室してくる。

 が、その傍の小さな人影に、私は目を疑った。

 

「……ご、極小路?この姿は、一体!?」

 極小路秀麻呂。

 今日付で男塾に編入してきた、暴力団組長の跡取り息子で、入塾手続きの際に塾長室で顔を合わせている。

 恐らく向こうは覚えていないだろうけれど。

 その極小路がボロボロの姿で、剣に伴われて来ていたのだ。

 

「て、てめえ!何しに来やがっ…」

 しまった、思わず声を上げてしまったせいで、富樫が気付いて起き上がってしまった。

 極小路が何をしたかは、富樫から聞いて知っている。

 顔を見ただけで怒りを呼び起こすのは当然の流れだろう。

 

「富樫、動かないでください!

 …剣、富樫を興奮させたくないので場所を移しましょうか。

 極小路、手当てしますから、こっちへ。」

 私より小さいその手を引いて、富樫の目に入らない場所に誘導しようとすると、

 

「そ、その前に…と、富樫。」

 極小路はおずおずと、富樫に向かって呼びかけた。

 だからやめろと言うのに。

 

「あ〜ん?」

 富樫が睨みを効かせながら反応する。

 だが、それに続く極小路の言葉は、私にも富樫にも意外すぎるものだった。

 

「す……すみませんでしたあ〜〜!!」

 極小路は身体を90度に折り曲げて、富樫に向かって謝罪したのだ。

 

「えっ!!?な、何ぃーーーっ!!??」

 富樫が驚きの声をあげる。

 私も、声こそ出さなかったが、あまりの展開にその場に固まった。

 

「……って、ワケだ富樫。

 色々言いたい事はあるだろうが、これからは同じ一号生の仲間として、仲良くしてやってくれ。俺からも頼む。」

 そんな空気を打ち破るように剣が、極小路の肩に手を置きながら、富樫に向かって宥めるように語りかける。

 

「うっ………わ、わかったぜ。

 桃がそう言うんなら。

 こ、これから、よろしくな…。」

「よ、よろしく…。」

 …2人が、ぎこちなく握手を交わす。

 そのあっけない和解劇に、一応は胸を撫で下ろしつつも、私は剣に問いかけた。

 

「…剣、あなたですか?

 一体どんな手妻を使ったんです?」

 正直、入塾手続きをしに来た際の塾長との自己紹介合戦を目にした身としては、彼がここに馴染むまで、もっと時間がかかると踏んでいた。

 もっとも彼自身気がついていなかったろうが、彼の父親は彼を、男としての成長を期待してここに入れた筈であり、決して威張らせる為ではない。

 彼が脅しに使っていたポケットベルでの応援の要請など、そんな事に組員を使う事、決してさせはしなかっただろう。

 それが理解できた頃に、ようやく彼は変わっていき、そこから徐々にこの和解が為っていく。そう思っていた。

 というかもし変わらないようなら、入学金も既に入った事だし、命令いただければいつでも、人知れず綺麗に始末しますよと塾長に言ったら、いい加減その発想から離れろと呆れたように言われた。

 何故だ。

 せめて何か役に立てるならと思っただけなのに。

 

「手妻?止せよ、俺は何にもしてないぜ?

 まあ収まるところに収まった…ってとこかな。」

 どうだか。

 私はそんな飄々とした剣の言葉に、まったく納得できずにいる。

 思わず首を捻ったら富樫と目が合った。

 富樫は軽く肩を竦めて、口元を笑みの形に歪める。

 

「秀麻呂、彼は江田島光。

 塾長秘書兼事務員だが、ここで快適に過ごしたいと思うなら、彼にも挨拶しといた方がいいぞ。」

 と、剣が脅すように、私を示しながら極小路に言う。

 もう名前呼びなのか。ていうかちょっと待て。

 

「ひっ!?よ、よろしくお願いします!」

「ちょっと剣!

 その紹介の仕方はおかしいでしょう!」

 絶対この子何か勘違いしたし!

 私が食ってかかると、

 

「ん、まあ、間違っちゃいねえな。」

 と何故か富樫までもが、納得したように頷いた。

 なんかもういいや。

 

 ☆☆☆

 

「富樫、どうした?メシ食わんのか?」

「…世の中、知らねえ方がいい事もあるよな。」

「ん?」

「俺、昨日救護室に泊まっただろ?

 光が、飯を作って持ってきてくれたんだがな…。

 それが、メチャクチャ美味かったんだ…。」

「へえ、光の料理か。

 あいつ、そんな事まで出来るんだな。」

「ああ。味噌汁はちゃんと出汁が効いてるし、肉じゃがにはちゃんと肉が入ってる。

 それだけでも今の俺にとっちゃご馳走だってのに、なんつーかホッとするような味でな。

 ひじきの煮物なんて何年振りかで食ったが、そもそも美味いと思って食った事なかったのに、あいつの作ったやつは素直に美味かったぜ。」

「え、ええのう…。」

「米だって洗って水入れて火にかけるだけだろうに、なんでそんなもんまでこんなに違うんだってくらい、美味くてな…。」

「なあ富樫。

 ここにいて美味いものを食える機会なんてそうそうないだろう。

 一体、何を落ち込んでるんだ?」

「言ったろ?知らねえ方がいい事もあるって。

 あいつのメシが美味すぎたおかげで、寮のメシが前より更に不味くて仕方ねえんだよ。」

「あ…なるほど。そういう事か。」

「それは確かに、辛いかもしれんのう…。」

「あいつ、自分の食う分は自分で作ってるらしいから、毎日あんなの食ってんだよな…。

 あいつが女なら、あいつと結婚したいくらいだ。」

「…それは本人の前で言わない方がいいぞ、富樫。」




断煩鈴は暁での授業内容ですが、深い意味もなく魁の塾生にやらせてみたwww


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3・Eye of the Tiger

「塾長!もう無理です!

 ワシはもう、虎丸にメシを持っていくのは御免こうむります!」

 お昼に塾長室で、塾長と一緒にお弁当を食べていたら(今日はフタを開けた途端に玉子焼きを一つ奪われたので文句を言ったら、自分のお弁当からだし巻き玉子を一つくれた。すごく繊細で上品な味だったが、どうやら塾長はだし巻きより甘い玉子焼きの方が好きみたいだ)、何故かボロボロの鉄カブト教官が突然ノックもなしに入って来て半泣きで訴えて来た。

 

「…虎丸?」

「虎丸龍次。

 入塾式の日に鬼ヒゲに屁をぶっかけて、懲罰房に入っておる一号生だ。

 そこで1日2回の食事時間以外は、常に200キロの重石を支えておる。」

 一号生という事は、剣たちと同学年か。

 …というか、200キロ!?

 

「もう、なにかここでひとつ聞くたびに思う事ですけど、塾生の親とかに訴訟起こされても文句言えないレベルの虐待ですよね…。」

 かつて自分が生き残る為に、罪のない同年代の子供を、何人も手にかけた女が言う事じゃないけれど。

 

「フフフ、わしが男塾塾長江田島平八である。」

「判ってるとは思いますけど褒めてませんからね。

 それよりも鉄カブト教官。

 その虎丸が、なにか…できるような状況ではないですよね?話を聞く限り。」

 200キロを持ち上げながら攻撃できたらそれはもう人間業じゃない。

 

「重石を支えている間は、そりゃ何にもできませんけどね。

 1回2時間の休憩時間の間に食事、排泄、睡眠まで済ませなきゃいかんので、その間は重石を浮かせてやらねばならんのです。

 ヤツはその、重石を浮かせた瞬間にいちいち抵抗してきやがり、その度に食事を届ける係が負傷させられるというわけで、ほとほと手を焼いておるのですよ。」

 …いや、直前まで200キロ支え続けて、浮かせた瞬間抵抗できるって、どんだけ元気なんだその子。

 

「ふむ…光。」

「…はい?」

 何故だろう、嫌な予感しかしない。

 

「貴様には今日から、その虎丸の食事係も兼任してもらう。」

 それはひょっとして殺せという事だろうか。

 いや、今日『から』という事は、それ以降も続けるという事だろうから、それはないか。

 …先の問いを言葉にしなくてよかった。

 また呆れられるところだった。

 

「塾長!それは無茶です!

 ワシらですらこのザマだというのに、光どのが無事でいられる訳が…!」

 もし実際に襲いかかられたら、実際にはその塾生の方が危険だと思うが。

 肉体の耐久力に自信のない私は、その場合確実に命を奪う行動に出るだろうから。

 一撃で仕留めないと、反撃されれば逆に命取りになる。

 その事を私は、あの孤戮闘の中で嫌という程思い知り、もはや本能的とも言えるレベルで理解している。

 

「ただし、虎丸のところに行く時は必ず、これから用意するものを身につけて行くが良い。

 それが貴様を守ってくれようて。」

「はあ…?」

 塾長はそう言うと、机の上の電話の受話器を取り、どこかに電話をかけ始めた。

 下がっていろと手で示され、私はまだ食べかけのお弁当箱を片手に、鉄カブト教官とともに塾長室から退室する。

 ふと気がついたら、まだ残っていた筈の私の玉子焼きがすべて無くなっていた。

 おのれ、あのハゲどうしてくれよう。

 

 ・・・

 

「…塾長。どういうつもりなのですか?」

 という私の問いは、先ほどの玉子焼きの件ではなく、待機していた自室に突然やって来てまず私に抱きついてきた幸さんが、届けてくれたものを見たからである。

 

「フフフ、わしが男塾塾長江田島平八である!」

「仰るとは思っていましたが、当然なんの説明にもなっていませんから。」

 幸さんが届けてくれたのは、3着の和服とそれに合わせる帯以下装身具一式。

 その中の1着に見覚えがある。

 私が首相暗殺の際に選んだ衣装で、割とモダンな配色の柄が特徴的な現代ブランド着物。

 あの仕事が成功していたら二度と身につける事はなかった筈の、それどころか恐らくは焼却処分される予定だった筈のものだ。

 そうでなければこんな派手なものを身につけて殺しに行きはしない。

 正直私の好みじゃないし、私は「御前」の邸では普通に和装で過ごしていたが、その時普段着として身につけていた紬の方が、よっぽど値段的な価値も高かったろう。

 他の2着は、こちらは私好みの古典的で落ち着いた小紋とシンプルな紬、どちらも単衣仕立て。

 少なくともここで生活するには、どれも必要のない服だ。

 それを敢えて持って来させたという事は。

 

「先ほどの話の流れからすると、女の扮装で虎丸とかいう塾生の前に行けと?」

 屈強な男でも歯が立たない元気過ぎる男の子相手に、か弱い女に何ができると思っているのか。

 塾長はこれが私の身を守ってくれると、自信たっぷりに仰っていたが、こんなものより私自身の指の方がよほど、自身を守る役には立ちそうなのだが。

 

「貴様にとっては、男を演じるよりよほど容易い事であろうが。

 初めて会った時の、貴様の化けっぷりには驚いたものだぞ。

 化粧を落とすまでは完全に、大人の女と思い込んでおったからな。」

「あの時は髪も結えるだけの長さがありましたし、何より化粧道具がないと。」

 言いながら、短くなった自分の髪の毛先に触れる。

 最近ようやく首筋の涼しさに慣れてきたところだ。

 

「そう仰ると思って、持ってきておりますわ。

 白粉と紅と、あと、(かもじ)も。

 さあ、お部屋に戻って支度しましょう。

 お手伝いしますわ。」

 勢いで塾長室に駆け込んだ私の後からのんびりついてきていた幸さんが、私の腕を取って引き寄せる。

 この光景、はたから見れば男子学生と中年美女(幸さんは基本ふくよかではあるが顔立ちは相当な美人だ)の年の差カップル…には見えないか。

 どう見ても入学式の親子連れだ。

 

『光、途中で何か食べていく?』

『家に帰って、母さんの料理の方がいいな。』

 

 …ってなんだこの連想!!どっから出てきた!!?

 

 突然電波的に脳裏に浮かんだ異世界の光景に戸惑っていたら、

 

「うむ、だが虎丸相手なら、あの時よりももう少し、若い女という設定にした方が良かろうな。

 十代の男が憧れる二十代前半の大人の女。

 どうだ、できるか?」

 …もう完全にやると決まった流れになっていた。

 仕方ない。肚をきめるとしよう。

 

「10歳以下の幼女が好みとか言うのでなければ大抵の女性像は演じられますね。

 そもそも、男の閨に入るまでがお仕事でしたから、その男の気にいる女を、演じられねば話にはなりません。」

「判っておるとは思うがそこまではせんでもいいわい。

 ともかく頼んだぞ。」

 

 ☆☆☆

 

「虎丸龍次、重石を上げます。」

 懲罰房の外から扉を開け、重石を上げるレバーを動かす。と、

 

「おお、待っとったわい!……………!?」

 恐らくは入った瞬間に蹴りでも食らわせようとしていたのであろう、伸ばしっぱなしの蓬髪に無精髭の男が、私を見てぽかんとした顔で立ちすくんだ。

 

「…申し訳ありませんが、そこに立っていられると運び込めないので、少し下がっていただけますか?」

 そう声をかけて、にっこり微笑みながら、男根寮の食堂から借りてきたカートを押す。

 

「あ、ああ、済まねえ。…あ、あんた、誰だ?」

「その質問にお答えする指示は受けておりませんわ。

 それよりも、どうぞ、温かいうちに。

 この時間内に、一通りの用を済ませなければならないのでしょう?」

 私が言うと、男ははっとしたような顔で叫ぶ。

 

「そ、そうじゃ!

 おれは便所に行きたかったんじゃ!」

 …黙って行け。

 そう言いたくなるのを堪えて、私は配膳に取り掛かる。

 

「はい、行ってらっしゃい。

 あの…言うまでもない事ですが、ちゃんと手を洗ってから戻ってくださいませね。」

「わ、わかっとるわい!」

 

 ・・・

 

「…うまい!ここに来てから、こんな美味いもん初めて食ったぜ!」

 …と言われると気恥ずかしいくらい、内容的に大した物はないのだが。

 とりあえず焼いた目刺しと、塾長にも好評の(思い出したらまた腹が立ってきた)甘い玉子焼きに、きゅうりとわかめの酢の物。

 具がネギのみの味噌汁とご飯だけは、せめて多めに用意したくらい。

 

「お口に合ったようで良かった。

 急に言われて、あり合わせのものでしか用意できなかったもので。」

 私は外に買い物に行けないので、食材は注文して配達してもらうしかない。

 突然の事でとりあえず寮長に頼んで食材を分けてもらおうとしたら、あそこの食料庫にろくな食材がなくて暫し固まった。

 今更だけど育ち盛りの一号生の子たち、毎日何を食べて日々の修行をこなしてるんだろう。

 ちょっと心配になってきた。

 

「…これ、あんたが作ってくれたのか。

 教官どもに頼まれたのか?

 おれのメシ持って行けって?」

「最終的には塾長からの依頼ですわ。

 彼らが、あなたのことを凶暴な獣のように言っていたので、来るまではとても不安だったのですけれど、会ってみたら思っていたよりもずっと、紳士的な方なので助かりました。」

 とりあえず予防線を張っておく。

 人は無意識に、他人の信頼には応えたくなる生き物だ。

 まあ実際に、私の持ってきた食事は大人しく食べてくれて、教官が言っていたようなトラブルを起こす兆しすら見せなかった事に、若干拍子抜けした訳だが。

 

「ちぇ…考えやがったな。

 教官ども相手ならいくら暴れてもなんとも思わねえが、こんな……華奢で綺麗なお姉さんに、手を上げるわけにもいかねえだろうが。」

 今ひょっとして、小さいって言いそうになっただろ。

 しかしなるほど、そういう事か。

 私もどうやらここの塾生たちの影響か、若干脳筋な考え方に偏っていたらしい。

 力で敵わないなら心を攻めればいい。

 なんの事はない、私のいつものやり口ではないか。

 それに塾長はいつかの、幸さんの過去の話を聞いていた時、話の流れの中で『女に手を上げる男などいっそ死んだ方がいい』と仰っていた。

 恐らくはここでも塾生たちに、同じような教育をしているのだろう。

 もし万が一、この子が私に危害を加えたなら、もはや救いようのないものとして、私に殺されてもやむなしと考えたのだろう。

 

「私としてもそう願います。

 万が一あなたに脱走でもされたら、私では止めようがありません。

 そうなればかくなる上は、死んでお詫びするしか…。」

「し、心配すんな!

 あんたの迷惑になる事はしねえよ!」

 私が大げさに怯えて見せると、虎丸は私を安心させようと言葉をかけてきてくれる。

 

「ありがとうございます、虎丸。」

 こんな茶番に付き合ってくれて、本当に。

 

 

「ごちそうさん。ホント、美味かった。」

 さっきも思った事だが、この子も今朝まで、どんなご飯食べさせられてきたんだろう?

 そういえば富樫が火傷をした時に食事を持って行った時も、『肉じゃがに、肉が入ってる…。』と、当たり前の事を呟いてしばらく固まって、なんだか目が潤んでいたので嫌いだったのかと思ったのだが、その後あっという間に完食していたのを見て安心したものだった。

 …ひょっとしてそういう事だったのだろうか。

 なんだか不憫になってきた。

 

「お粗末様です。少し眠るでしょう?」

 空の食器を片付けながら何げなく問うと、虎丸は小さく頷いてから、ひとつため息を吐いた。

 

「あぁ…でもなんか、眠っちまうのが勿体ねえ。

 ここは懲罰房だってのに、綺麗で優しいお姉さんに給仕してもらえるなんて、夢みてえな時間だったぜ。ありがとな。」

 言いながら虎丸が、その場にごろりと横になる。

 

「明日からは、あなたの食事の時間には原則、私が参ります。

 よろしくお願いしますね、虎丸。」

 私がそう言うと、今横になった虎丸が、再びガバッと跳ね起きた。

 

「ほんとか!?じゃ、じゃあ名前教えてくれよ!」

 うむ、実にあっさり懐いてくれたらしい。

 虎というよりは仔猫、いや犬だなこれは。

 ぶんぶん振る尻尾が見えるようだ。

 今のこの子なら、技を使うまでもなく、毒でも盛ればあっさり殺せるだろう。

 …発想が未だにそっち寄りになってしまうのは、確かに自分でも物騒な性だと思う。

 鎖が届くいっぱいまで寄ってきて目をキラキラさせて私を見る虎丸に、4年前に別れたきりの『おとうと』の姿が、一瞬重なった。

 

 “光姉さん”

 長い睫毛に縁取られた、泣きそうに潤んだ目。

 撫でると指に巻きついてきた、癖の強い髪。

 そういえば、別れた時はまだ子供だったから、今の今までその感覚でいたけれど、よく考えれば『おとうと』は目の前にいる男と、年齢的にそう変わらない筈だ。

 しかもあの時点で既に身長は追い越されていたし、「御前」があの年齢にしては割と大柄な体格である事を考えると、あの子も今は相当大きくなっている事だろう。

 私は手を伸ばすと、伸び放題に伸びている虎丸の髪をそっと撫でた。

 それは汗と埃でごわついて、決して触り心地は良くなかったけれど、何か懐かしい気持ちを呼び起こした。

 あの時期は、何の感情も抱かずに接していると、自分自身で思っていたけれど、私は自分が思っていたよりもずっと、あの子の存在に慰められていたのかもしれない。

 きょとんと、丸い目を見開いてこちらを見つめる虎丸に、私は微笑みかけながら、言った。

 

「その質問にお答えする指示は受けておりませんの。

 では、私はこれで。

 重石を動かす際に、また声をおかけします。」

 

 ・・・

 

「フフフ、その様子だと首尾は上々のようだな。

 …貴様からみて、あの者の印象はどうだ?」

 彼の使った食器を洗っていたら、その私の背中に、塾長の声がかけられた。

 

「拍子抜けするくらい、普通にいい子でしたけど?

 非力な女を演じて接しているとはいえ、警戒心がなさ過ぎて心配になるくらいで。

 でも、話をした感じからすれば、決して馬鹿ではありませんね。

 もっとも本当に賢ければ、そもそも懲罰房に入るような真似はしないんでしょうけれど。」

 自分でそう言った瞬間、ひとを小馬鹿にしたように微笑む剣の無駄に端正な顔が、何故か頭に浮かんだ。

 うん、少なくとも奴なら、教官をキレさせるギリギリ手前で遊びはしても、あんな場所に入らなければならなくなるほど決定的な事態にはならない筈だ。

 

 ☆☆☆

 

 そうして1日2回、虎丸の食事を運び始めて、何日か経過した頃。

 

「いただきます。今日も美味そうだ。」

「ええ、それについては保証いたしま……!?」

 ガコン、と天井の方から音が聞こえ、それに金属が軋むような、ミシミシという音が続いた。

 

「なんの音だ?」

「あなたも聞こえましたか?

 そういえば先ほどレバーを動かした時、いつもと比べて妙な感触が……!?」

「危ねえっ!!!!」

 話している間に、上げていた筈の天井が落下して、私と虎丸は押し潰され……なかった。

 

「…虎丸!?」

「お、おれは平気だ!いつも支えてるからよ!

 でもあんたは早く逃げろ!!」

 見ると虎丸が、確かにいつもしている体制で、落ちてきた天井の重石を支えている。

 が、様子がおかしい。

 落下速度が加わったせいで体勢が崩れたのかとも思ったが、どうやらいつも以上の負荷が、その肩にのしかかって来ている。

 

「わかりました!」

 逃げろと言った彼の言葉に、私は従う。

 

「え?ちょっと…!?」

「何があったか、原因を特定して然るべく対処します!

 必ず助けますから、あなたはもう少し耐えていてください!」

「お、おう……!」

 まずは私はこの場を離れるのだ。

 私が死んだら、彼を助けられない。

 

 ・・・

 

「塾長!」

 大急ぎで塾長室に飛び込むと、椅子に腰かけた塾長を、何故か教官がたが取り囲んで何かしている光景が目に飛び込んで来た。

 

「ぬおっ!?」

「お、おなご!?何故ここに…?」

「光!?貴様、その姿でここまで来たのか?

 途中、誰にも会わなんだろうな!?」

「そんな事より虎丸が!

 懲罰房の重石の鎖が切れて!

 まだご飯も食べてないのに!」

 先ほど部屋の外から確認したところ、天井の重石を吊っている鎖が、途中で切れて重石の上に、蛇のようにとぐろを巻いていた。

 当然、レバーでの操作は効かず、どう動かしても軽い感触で動かした方向に動くだけで、重石はピクリとも動かない。

 

「ひ、光どのか?」

「な、なにーー!?」

 私を男だと信じている教官がたが騒つくが、それを制するように塾長が立ち上がる。

 

「落ち着け。鎖が切れたと?

 それで、虎丸は生きておるのか?」

「今、これまでの要領で全力で支えてます。

 でも鎖で200キロに調節していた今までの状態と違って、重石そのものの重さ全てがかかってるんです!

 このままでは耐えきれなくなって圧死してしまいます!

 お願いです!虎丸を助けてください!!」

「あいわかった。

 貴様は戻って、奴の気力が尽きぬよう力づけてやるのだ。

 皆、聞いたな?必ず助けるぞ!」

 

 

「虎丸!応援を呼びました!

 もう少しですから耐えてください!」

 塾長に言われた通り、私は虎丸の側に戻り、彼に向かって声をかける。

 

「くくっ…ち、ちきしょう。

 て、手が…痺れてきやがっ、た…!」

 まずい。どうやら体力の限界が近いようだ。

 

「…一瞬、チクっとした痛みがあるかもしれません。

 驚かないでくださいね。」

「え?…!」

 氣の針を研ぎ澄まし、虎丸の四肢に撃ち込む。

 少なくとも彼が懲罰房から出て、「謎の女」が姿を消した後、「江田島光」と初対面するまでは、技は使いたくなかったのだが、今はそんな事は言っていられない。

 

「これでほんの僅かですが筋力が増強します。

 理論上はもっと上げることも可能ですが、これ以上の処置を行なえば、1時間ほどで反動が来て通常以下に力が低下しますから、上の処置が間に合わなければこのままぺしゃんこです。

 リスクを考えたらこれが限界でした。

 足りない分は気力でなんとかしてください。」

「ぐぐ…仕方ねえ、な。

 まずは、とにかく、あんたは逃げろ。」

 また、さっきと同じ事を。だが。

 

「いいえ。私はここに居ます。」

「なっ!?」

「レバーを操作した際、その感触に違和感を覚えたのに、それを見過ごしたのは私のミスです。

 それであなたが死ぬなら、私も一緒に死にます。

 …私を死なせたくないのなら、根性で耐え切ってください。」

 助けを呼び、技を使ってしまった以上、私にできる事はもうない。

 1人で死なせない事、私の命の責任を負わせて、彼の尽きかけた気力を奮い起させる以上の事は、もう。

 

「…ったく。しおらしくて、か弱い女性だと思ってたら、とんでもねえ女だな、あんた。」

 そうだった。

 この緊急事態のせいで、演技するのを忘れていた。

 

「そんな女が、虎の檻にのこのこ入ってくるわけがないでしょう。

 まだまだ青いですね。

 これに懲りたら、もっと女を見る目を養いなさい。」

 演じ続けられなかった悔しさを隠し、とりあえず開き直ってみる。

 

「くそ、騙された。

 これが終わったら、覚えてろよ…!」

 だが、彼の方にも若干余裕が出てきたようだ。

 少なくともこんな、憎まれ口が叩ける程度には。

 

「はいはい。わかりましたから重石に集中してください。

 今はあなただけが頼りなんですからね。

 終わったら何でもひとつ、希望を聞いてあげますから。

 私だって死にたくはないんですよ、虎丸。」

「…勝手な事、言いやがって。でも、約束したぜ?

 その言葉、忘れんなよぉぉ!!」

 虎丸の丸くて大きな目に闘志が浮かぶ。

 それは守るべきものの為に、戦う男の瞳だった。

 

 ・・・

 

「よしっ!直ったぞぉー!!」

「上げろ!!」

 ガコン。

 重い音とともに、重石の天井が上がってゆく。

 同時に、虎丸が尻餅をついた。

 

「っ……はぁっ、はあっ………。」

「お疲れ様でした、虎丸。

 よく頑張りましたね。」

「ああ…やったぜ……!」

 まだ整わない息の中、私に向かって笑って見せる。

 

「ありがとうございます。本当に。

 私の事も、助けてくれて……。」

 半分は本気で言いながら、私は彼の首に腕を回すと、その左の頬に唇を当てた。

 

「………!!?」

 虎丸が明らかに硬直する。可愛いものだ。

 

「…不快でした?」

 至近距離から顔を覗き込んで、問う。

 

「ンなわけねえだろ……っ?」

 次の瞬間、私の指先から首筋に撃ち込まれた氣により、虎丸は昏倒し、私の膝に倒れこんだ。

 

 

「光どのーーーっ!!」

「大丈夫、私は無事です。

 教官がたも、お疲れ様でした。」

「お、お疲れ様でした!」

「と、虎丸?こ、これは…まさか」

「大丈夫。気力が尽きたんでしょう。

 じきに目を覚ますとは思いますが、しばらくは動ける状態には戻らない筈です。」

 まあ、私がやったんだけど。

 こうしておかないとこの教官たち、虎丸が元気と見れば鎖が直ったのだからと、すぐにでも懲罰を再開しかねない。

 

「虎丸の懲罰は、少なくとも今夜一晩は休止としてください。

 明日の昼くらいに、私が身体の調子を見て判断し、然るべき後に再開する事にします。

 申し訳ありませんが、布団をひと組、お貸しいただけますか?」

 いつもは眠る時も、ここの硬い床にごろ寝しているのだ。

 せめて今くらいは、柔らかい布団の上で寝かせてやりたい。

 

 ・・・

 

「……ん?」

「おはようございます、虎丸。

 気分はいかがですか?」

「…最悪だぜ。

 女に気絶させられたんだからな。」

「申し訳ありません。

 あなたを少なくとも一晩は、ゆっくり休ませてあげたかったので。

 でも、身体の調子は悪くないでしょう?」

「そうだな。

 あんたの顔を見た途端に腹は減ってきたけど。」

「それ完全に条件反射ですね。

 ただ、一時的に身体機能を低下させて、その分を筋肉の修復に費やしている最中なので、多分今は固形物を、内臓が受け付けないかと思います。

 お粥を用意してますので、今はそれで我慢してください。

 夜の食事の頃には完全に戻っている筈です。」

「…なあ。約束、覚えてるか?

 なんでもひとつ、いう事きいてくれんだよな?」

「…そうでしたね。私に可能な事でしたら。」

「………。」

「………虎丸?」

「…い、いや。やっぱりいいや。気にすんな。

 …うん、そうじゃ!唐揚げじゃ!唐揚げが食いたい!」

「…?わかりました。

 それでしたら夕方の食事には、充分間に合うと思います。

 はい、とりあえず今はお粥を食べて、それからもう少し眠ってください。」

 

 ☆☆☆

 

 という事で、大量の唐揚げを揚げている最中に、背中から塾長の声が掛かった。

 

「光、ご苦労であった。

 フフフ、わしが男塾塾長、江田島平八である。」

「つまみ食いはやめてください、塾長。

 …私は何もしておりません。

 虎丸が、頑張ったんです。」




虎丸って弟キャラな気がする。実は結構歳の離れたお姉さんとか居そう。


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4・可能性のドアはロックされたまま

やや短め。この回は基本動きがありません。塾生たちがハチャメチャやってる端でのほほんしてる話。


「ふう、ごっついのお。これで全部じゃぞ、光。」

「お疲れ様です、江戸川。

 ありがとうございます。」

 一号生の夏合宿がこの先予定されており、各合宿所宛の荷物を今日中に、明日早朝に出発する車に積み込まねばならなかったのだが、それを担当する筈だった鬼ヒゲ教官が昨日、どういう経緯でかは定かではないがトラックと正面衝突して怪我をしたらしい。

 それにしては元気な様子で仕事を突然まるまる押し付けられ、手伝いを頼もうと思った頼りの一号生が何故か1人もおらず、他の教官も塾長も忙しく動き回っていて、もう私1人で途方に暮れていた。

 こうなったら私の責任で虎丸を懲罰房から連れて来ようかと本気で考えた頃、倉庫に出入りしていた二号生たちが声をかけてくれ、江戸川が重い荷物をすべて積み込んでくれたわけだ。

 二号生の教室は棟が離れている為、一号生たちほど頻繁な交流はないのだが、鍛錬中に怪我をしたりするのは彼らも変わらない為、救護室に出入りしていたら、すぐに彼らとも顔見知りになったのだ。

 

「なんの。光にはわしらも世話になっとるからのう。

 たまたま倉庫に用もあった事だし。」

 私が差し出した冷たい麦茶を一気に煽ってから、江戸川がニコニコ、顔の筋肉だけで笑って言う。

 

「見たところあっちの倉庫には、何に使うのかも判らないような大道具しか入っていないようでしたが。何かあるんですか?」

「うむ、近々わしら二号生主催で、一号生との御対面式を行うので、その準備をな。」

「…何故でしょう。内容について全く言及していないにもかかわらず、いやな予感しかしないのは。」

 そもそもここの名物とか、本当ろくなものがないのでね。

 そろそろ悟ってきたけど、塾生のみんなには無事でいて欲しいと願う。少し遠くから。

 

「フフフ、ごっついのう。

 なんにせよ、光の手を煩わせるような事はせんよ。」

 ここら辺は、「塾長の息子」という立場がじわじわ効いていると思う。

 この設定を考えてくれた塾長に感謝だ。

 

「…ところで、江戸川は二号生筆頭『代理』なんですってね。

 私はてっきり、あなたが筆頭なんだと思っていたのですが、あなたに代理をさせて、本物の筆頭は何をしているんですか?」

「……!!?」

 私が何気なく口にした質問に、江戸川が明らかに動揺する。

 心なしか震えてもいるような。一体どうした!?

 

「あの…なにか?」

「わ、わしもそろそろ戻らんとな。

 あ、あのごっつい準備の指揮を、丸山だけに押しつけるわけにもいかんのでな。

 こ、これで失礼する。」

「え?あの、江戸川?」

 

 ☆☆☆

 

「二号生筆頭の名は赤石剛次。

 3年前の2月より無期停学中でな。

 以来代理を江戸川が務めておる。」

 あの江戸川の態度が気になって、今日思い切って塾長に尋ねたところ、もっと気になる答えが返ってきた。

 

「待ってください。

 つまり江戸川を少なくとも3年進級させてないって事ですか?

 ていうか、3年間停学って、多分本人は普通に辞めた気でいると思いますけどそれは。」

 代理という事は、戻ってくるまでという意味だろう。

 だとしたら、もし本人に戻る意志がなかった場合、江戸川は一生進級も卒業もできないのではなかろうか。

 

「フフフ、わしが男塾塾長江田島平八である。」

「いや誤魔化すなやハゲ」

 …若干口が悪くなってきたのはきっと男の中で生活しているせい。うんきっと。

 

 ☆☆☆

 

「男塾、塾史…と、あれだ。」

 私は、もう少しここの事を知らねばなるまい。

 そう思い色々と塾長にお尋ねしたところ、この資料室に手書きの塾史があるから目を通してみろと言われ、事務作業にひと段落ついたところで、ようやく来てみたわけだ。

 

「……んっ、もう少しで、届く、んだけ、どっ…、」

 目には見えるし、背伸びすれば指先は届くが、うまく引き出せない。

 踏み台は収納を探せばあるんだろうが、あまり人の出入りしない資料室は埃が溜まっており、そこまで踏み入ったら、徹底的に掃除をしたくなる衝動に駆られるのは間違いない。

 それをやってしまったら、そもそもここに来た目的を、果たす前に時間が経ってしまうだろう。

 それは、避けたい。

 

「これか?」

 と、私が足がつりそうになりながらやっとの事で指だけ届いていたそれを、後ろから伸びてきた大きな手が、あっさりと本棚から抜き取った。

 振り返ると、白いハチマキが眩しい無駄に整った顔が微笑みながら、抜き出した資料をこちらに差し出してくる。

 

「っ……剣!?」

「押忍。男塾塾史ねぇ…。

 俺も、一度目を通してみるかな。

 読んだら教えてくれ。」

 差し出されたそれを受け取りながら、そこはかとない敗北感に打ちひしがれる。

 

「取ってくれてありがとう。

 ですが残念ながら、資料室の資料は塾生の閲覧を許可していません。

 というか剣、あなた、いつからここに?」

 その敗北感を胸の内に隠しながら、一応は礼を述べる。

 しかし私の記憶違いでなければ、今日は確か江戸川が言っていた、「御対面式」とかいうイベントを、講堂で行なっている最中の筈だ。

 

「なら戻しといてくれたら、勝手に見るさ。

 江戸川先輩が足が痺れて動けないってんで、御対面式がさっさと終わっちまったから、今更授業に戻るのも面倒で、ここに潜り込んで昼寝してたんだが…いい匂いがすると思って、起きたらおまえがいた。」

「…つっこむべきところが多すぎてどこからつっこんでいいのかわかりませんが、とりあえず私は香水の類は着けていません。」

 今の自身の設定が男だというのも勿論だし、暗殺者の本分として無臭である事は基本中の基本だから、香水など使わないのは勿論の事、毎日の入浴と洗髪は欠かさないし、その身体を洗うのに使うものにも細心の注意を払うのが、身についた習慣になってしまっている。

 一応任務の際には化粧をする事が多いから、その化粧品の選択にも相当気を使うのだが、「御前」の家で世話をしてくれた女中さんにも協力してもらい色々と検証をした結果、無香料の製品の中でも、更に原料臭もしないのは日本製ブランドの化粧品だけだという結論に落ち着いた。

 国産万歳、である。

 ちなみにこの間幸さんが持ってきてくれた白粉は、ほんの少し香りが付いているので、虎丸の食事を持って行った後は、すぐに化粧を落とした上シャワーを浴びないと落ち着かない。

 だからその匂いも、今は残ってはいない筈だ。

 

「いや、そういう匂いじゃないな。

 なんていうか、落ち着く匂いだ。

 ガキの頃に母親が洗濯物を干している、その背中を見ていた時のような。」

「…なんだか物凄く気色悪い事を言われた気がするのは気のせいでしょうか。」

 一応同性と認識する相手に対して、こういう事を言うのはどうなのだろう。つか嗅ぐな。

 

「フッ、気を悪くしたなら謝る。

 ところで、欲しい資料はそれだけか?

 重いものなら運んでやるし、今みたいに高い棚に置いてあるやつならまた取ってやるぞ?」

「…余計なお世話です。もう教室に戻りなさい。」

 ただでさえここにいると身長コンプレックスが刺激されるのだ。

 何せ一号生二号生ともに、揃いも揃って180越えのデカブツばかりときてる。

 目の前にいるやつに至っては、身長153センチの私より30センチあまりも大きい。

 多分185はあるだろう。 正直、並んで欲しくない。

 …これが江戸川くらいになると、もう完全にどうでもよくなるが。

 

「それなんだがな。ここで会ったのも何かの縁だ。

 今から自分の執務室に戻るんだろう?

 なら、おまえの部屋のソファーで寝かせてくれないか。」

 いや待て。私の立場でそれが許せると本気で思っているのか、この男。

 だとしたら随分舐められているものだ。

 

「手伝いを申し出たのはそういう理由ですか。

 部屋で寝かせてあげる事は出来ませんが、ならばコーヒーをお淹れしましょう。

 それで眠気を覚まして、午後は授業に出てください。」

 私が言うと、剣は軽く肩を竦めた。

 

「…仕方ない、それで妥協するか。」

 妥協とか言うな。こっちにしてみれば最大限の譲歩だ。

 

 ・・・

 

 2月15日、一号生筆頭伊達臣人、教官を殺害し出奔。

 2月26日、二号生筆頭赤石剛次、校庭にて一号生大量傷害。無期停学。

 この事件による死亡者はなし。

 ただし被害に遭った一号生は全員再起不能。

 

 3年前の2月に、連続して起きたふたつの事件。

 これにより当時の一号生と二号生の筆頭が共に不在となる異常事態となる。

 資料には関係者名と結果しか記されていないので経緯はわからないが、ひとつめはともかくふたつめの事件が、先のそれと連鎖した事に疑いの余地はないだろう。

 

 4月3日、新一号生入塾。

 二号生、三号生については進級・卒業を保留。

 

 …この辺に関してはつっこんだら負けな気がする。

 

 10月某日、大威震八連制覇開催。三号生勝利。

 一号生闘士全員死亡。

 

 大威震八連制覇ってなんだろう。

 またろくでもない名物だろうかとも思うが、死亡者が出ているあたり、それで済ますにはあまりにシャレにならない気がする。

 あと死亡したとされている塾生の名前の中に、なんだか割と最近見たのと似た名前がある気がするのだが気のせいだろうか。

 

 …さて、虎丸の食事を用意する時間だ。

 結局コーヒーを淹れてる間にソファーに沈んでしまったこの無駄にデカイ幼児を、そろそろ叩き起こして寮に帰さねば。

 というか筆頭のくせに何をやっているのだ、こいつは。




冒頭のあたりでは、一号生が鬼ヒゲ教官に引率されて、ディスコで外人ボクサーに喧嘩売った挙句に、桃が女子大生に頭から飲み物ぶっかけてる頃です。


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5・ジレンマは終わらない

「…これは、朝っぱらからなんの騒ぎですか。」

 ある日、男根寮の食料庫に米を貰いに行った(虎丸の食べる量が私の予想を超えて多く、私の二週間分のお米が3日でなくなったのを見て、米だけはこちらに負担してもらう事にした)際、朝の4時という早朝であるにもかかわらず、寮の周辺がやけに騒がしかった。

 更に、食料庫の手前の厨房では、一人の塾生が走り回っている。

 と思ったら一羽の黄色いカナリアが目の前に飛んできて危うくぶつかりそうになり、思わず固まったら肩に留まってきた。

 

「あ…光!

 頼む、助けてくれ!オレには出来ない!」

 走り回っていた塾生が半泣きで駆け寄ってきて、私の足元に転がるように膝をつく。

 

「落ち着いてください。

 このカナリア、どうしたんですか?」

「椿山が飼ってた小鳥だ。

 あいつ、夜中に寮から脱走しようとして、馬之助に捕まったんだ。

 その際に馬之助がこの小鳥を没収して、オ、オレにコイツを料理しろって…。」

 馬之助…ああ、寮長の事か。

 この間松尾が、自分の班の一人が特に目をつけられて苛められていると私に相談して来たのだが、そういえばその塾生の名前が椿山と言った気がする。

 私は待遇こそ教官とほぼ同等ではあるものの、教官や他の職員の動向に意見できる権限はない。

 ついでに言えば、はたから見ている限りでは、ここの名物と呼ばれる鍛錬系授業と苛めとの線引きが結構わからない。

 

「なるほど。

 脱走とは穏やかではありませんが、確かに寮長の塾生への対応は、断片ながら私の耳にも入って来ています。

 いいでしょう。この子は私が預かります。」

 見たところ厨房の隅の方に、このカナリアを入れていたと思われる鳥籠がある。

 あれに入れて私の部屋に連れていけばいいだろう。

 

「代わりに………これを。

 ちょっと焦げてるくらいに焼いて、寮長に出してあげてください。」

 私は冷蔵庫を漁って、どう見ても食料用に養殖されたものではなくその辺の川から採ってきたのだろう蛙を取り出すと、若干形成して串に刺し、目の前の塾生に差し出した。

 

「ちょ、いくらなんでも、これはバレるんじゃ…。」

「大丈夫、多分ろくろく見もしませんよ。

 まあでも…ごめんね、後で新しいのを作ってあげますからね。」

 言いながらカナリアに指を伸ばし、首につけられた名前入りのアクセサリーを外す。

 外したそれを、串に刺した蛙の首にかけて、もう一度彼に差し出した。

 

「はい、これでも付けておけばいいでしょう。

 では、私はここには来ていません。

 寮長にも、椿山にも、他の塾生にも、他言は無用に願います。いいですね?」

 籠の入口を開けてやると、カナリアは私の肩から腕を伝って、自分から中に入っていった。

 よく躾けられている。

 

「あ、あぁ。助かったよ、光。」

 塾生はようやく蛙の串を受け取ると、私に向かって礼を述べた。

 

 

 男根寮(どうでもいいがこのネーミングはどうにかならないのだろうか)名物・竹林剣相撲を挑まれた椿山が、怒りのままに秘められた力を解放し、寮長を下したとの報せを、私が松尾から受けたのは、その日の昼の事だった。

 

 ☆☆☆

 

「押忍、失礼します。光、いつもお疲れさん。」

「こんにちは剣。なにか御用ですか?」

「特にはないが、ここはなんだか落ち着くんでな。」

「わざわざひとの執務室までくつろぎに来るのはやめてください。

 ここは元々応接室だったそうですから、調度品がいいのは確かですけど。」

 この執務室の奥の、ドア一枚隔てた部屋が私の生活圏だ。

 一応昼間はしっかり施錠してあるものの、出入りするところをあまり見られたくないので、ドア前に衝立を置いている。

 そしてその衝立のすぐそばに、今はカナリアの籠を吊り下げていた。

 勿論椿山のあのカナリアだ。

 生き物の世話をするのは初めてだったので、幸さんに頼んで手引本などを揃えてもらったのだが、後で気付いたのだが塾の図書室に同じ本があった。謎。

 

「ふうん。カナリアを飼い始めたのか。

 確かにこの部屋の雰囲気には合ってるな。」

「そうでしょう。

 時々とても綺麗な声で鳴いて、疲れた心を癒してくれますよ。」

 剣の言葉に私は適当に返事をする。

 正直あまり突っ込んで聞いて欲しくない。

 

「しかしつい最近、よく似たカナリアを見た気がするんだが。」

 だが軽い口調で言葉を返しながら、剣は、瞳に探るような色を浮かべる。

 うん、昨日ノックもなしに入ってきた松尾にうっかりこの子を見られて、あれっていう顔されてから、ちょっと嫌な予感はしていたのだ。

 一応こちらにも考えがあったので口止めはしたのだが、あまり当てにはならない気がする。

 

「カナリアなんてどれも対して変わらないでしょう。」

「確かにそうだが、愛情持って飼ってるやつが言う台詞じゃないな。」

 剣が言いながら、籠の外から指を伸ばすと、カナリアは嬉しそうにその指に寄ってきた。

 元の飼い主が男性であるからか、私が同じ事をする時より反応がいい気がする。滅べ。

 

「中々痛いところを突きますね、あなたも。」

「そもそも『疲れた心を癒してくれる』なんて白々しい台詞、素でおまえの口から出てくるとも思えない。」

 この野郎、白々しいとか言うな。

 自分でも少し思った事だが言うな。

 

「リィコちゃん、剣が私を虐めます。」

「リィコちゃん、ねぇ…。」

 と、ドアの外からドカドカと、誰かが走ってくる音が聞こえ、その音が一番大きくなって止まったと思ったら、

 

「ピ、ピーコちゃーーーん!!」

 大きな声で叫びながらドアを破らんばかりに、1人の身体の大きな塾生が、執務室に飛び込んで来た。

 

「椿山!?」

 さすがの剣も驚いたような表情を浮かべる。

 

「ま、間違いない、この子はボクのピーコちゃんだ!

 松尾と山田の言ってた通りだ!

 光が助けてくれたんだってね、ありがとう!」

 滂沱の涙を流しながら鳥籠ごと抱きしめる椿山に、私は小さくため息をつく。

 これは私のリィコちゃんですと誤魔化そうにも、カナリアの反応が私や剣に対するものとは明らかに違う。

 恐らく椿山はこの子を、雛の時から餌を与えて育てたに違いない。

 

「…なるほど。他言無用と口止めした筈なのに、彼らはあなたに言っちゃいましたか。

 これは、処分を考えないといけませんね。」

 声のトーンを抑え、脅し気味に言う。

 

「え……光?」

「あの後であなたの様子を観察していました。

 この子がいなくなった後のあなたは、以前に比べて見違えるほど、自信に満ちて立派になったと思っていたのですが。

 これでまたこの子をあなたの元に戻して、その後あなたはどうなるんでしょうね?

 また、元に戻ってしまう事も考えられますよね。

 そういった事を考えて、この子が生きている事を敢えて、あなたに内緒にしていたのに。

 特にこの子を料理しろと寮長に言われて、できないと半泣きで私に助けを求めてきたくせに、その私の恩を仇で返すように、こちらの構想をぶち壊してくれたあの子には、どういった処分を下すべきでしょう。

 山田って言いましたっけね。」

 勿論本気じゃない。

 けど、私はこの椿山から、どうしても引き出してやりたい感情があった。

 

「そっ、そんな!

 山田は、ボクの気持ちを考えてくれて…!」

「ならばどうします?

 実力を示して、私を思いとどまらせますか?」

「うっ…。」

 私の言葉に、椿山は蒼白になり、ぶるぶる震えだす。

 

「何を躊躇する事があります?

 ここにいるのは、非力なチビの事務員で、リーチも腕力もあなたには遠く及ばないというのに。

 念の為、剣には手を出させませんよ?」

 話を振られた剣は頷き、そのまま空気でいる事を了承してくれた。

 黙って事の次第を見守ってくれるようだ。

 多分、結果までもう少し。

 

「そんな事はない…光が、本当は強い事くらい、ボクにだって肌でわかるよ…でも!

 ボクの事を心配してくれた仲間を、守らなければいけないなら、ボクは…!」

 …そう、この言葉を引き出したかったのだ。

 震えながら私に向かって構え出した椿山に、私はようやく笑いかけた。

 

「………どうやら、もう大丈夫みたいですね。」

「え?」

 椿山が、もともと丸い目を更に丸くする。

 

「あなたは、私の力が見極められるレベルまでには強くなった。

 その上で、敵わないとわかっても、仲間の為に戦おうとした。

 今のあなたの強さは本物です。

 ていうかね、椿山。

 私も確かに、教官と同程度の待遇で、ここの仕事をさせていただいてますけど、塾生の処分を決定できる権限なんて与えられてないですから。」

「ひ、光…?」

 椿山はまだ震えていた。私が言葉を続ける。

 

「ただし、寮は原則ペットの飼育は不可な上、あなたが寮を脱走しようとしたのは事実で、それがあれだけの騒ぎになってしまって、今更なかった事にはできないでしょう。

 騒ぎにしたのは勿論、寮長に責任がありますけど、一応彼の行動にも一旦の理はあります。

 特例を認めるには恐らく、あなたの側の非も多すぎる。

 あと、個人的にはこの子を再び、寮長の目に入る場所に、置きたくないというのもあります。

 そういう事で申し訳ありませんが、この子をあなたに返す事、今はできません。

 あなたがここを卒業する時まで、責任持って私がお預かりします。

 それで勘弁していただけませんか?」

 私の言葉に、椿山は悲しそうな表情で、私とカナリアを交互に見た。

 鳥籠を抱えながら、その場に蹲る。

 

「あ…あ、ピーコちゃん…。」

 愛情をかけて育ててきたのだから、納得できないのも道理だろう。だが。

 

「…ねえ、椿山。

 確かに寮長の行動は行き過ぎです。

 けれど、もしあなたがもう少し、周りに目を向けていれば、ここまでの騒ぎにはなっていなかったと思いませんか?

 あなたは、自分の事を判ってくれるのは、この子だけだと言っていたそうですね。

 でも、もし本当にそうであれば、多分今この子はここにはいない。

 あなたが可愛がっている小鳥だと知っていたから、山田はこの子を殺せなくて、私に泣きついたんですから。

 だから私が口止めしたにもかかわらず、この子が生きている事を、あなたに告げずにはいられなかった。松尾もそう。

 彼らだけじゃない。

 ここにいる剣も、他の塾生たちも、あなたが寮長に目の敵にされているのを、心配していませんでしたか?

 あなたの目に、彼らの存在がちゃんと映っていて、自分が一人じゃないと知っていたなら、少なくとも寮を脱走する決意を固めるところまで、あなた自身が追い込まれる事はなかったのでは?

 本当はもう、判っているのでしょう?

 あなたは、私から仲間を守ろうとした。

 男は、自分一人では強くなれない。

 そしてここは、男が強さを学ぶ場所です。

 強くある為、強くなる為、仲間と絆を深めてください。

 私も微力ながら、何かあれば相談に乗ります。

 それにこの子に会いたければ、いつでもここに来ていいですから。」

 そう言って、私は俯く椿山の肩に手を置いた。

 その肩が震えている。泣いているのだろうか。と、

 

「光……いや、光さん!」

「…はい?」

 椿山はやおら立ち上がると、肩に置かれた私の手を、いきなり取った。

 

「わかりました!

 ピーコちゃんはあなたに預けます!

 そしてボクの…いえ、俺の命もあなたに預けます!」

 取られた手が、彼の大きな両手に包まれる。

 見上げると、やはり滂沱の涙を流した椿山が、私を無駄にキラキラした目で見つめていた。

 何故だろう。その頬が赤い。

 

「あ、あの……?」

「か…感動しました!

 あなたは、なんて素晴らしい漢だ!

 俺はあなたに惚れました!

 あなたに一生ついていきます!

 あなたに死ねと言われれば死にます!

 あなたになら掘られたって構いません!

 いえむしろ俺が掘ります!」

 いや待て。

 

「いやその決意は要りませ…ちょ、椿山!?

 重いです、退いてください!

 って、どこ触って…こ、この………っ!!?」

 身の危険を察した時は遅かった。

 椿山はソファーに私を押し倒すと、私の着ている制服に手をかけた。

 勢いで胸が掴まれる。

 一応サラシで巻いて抑えてはいるから揉まれはしなかったものの、脱がされて晒されたら明らかに、男のものでないとばれてしまうだろう。

 などとそもそも考えている余裕もなかった。

 私は反射的に、手に氣の針を溜めていた。だが。

 

「ごふっ!」

 次の瞬間、私が何もしないうちに椿山は、私の身体の上から転がり落ち、ソファーの足元にのびていた。

 見上げると剣がそばに立ち、手を手刀の形に構えている。

 どうやら、彼が椿山を気絶させてくれたらしい。

 

「……危なかった。

 椿山のやつ、頭に血が上って、俺がいる事をすっかり忘れていたようだな。」

「あ…ありがとうございます、剣。」

 起き上がると同時に、乱れた胸元を慌てて直す。

 少しサラシも緩んだようだ。後で巻き直さなければ。

 

「光に礼を言われる筋合いはないぜ。

 俺が助けたのは椿山の方だ。

 …今、一瞬本気で殺ろうとしただろう?

 見かけによらず恐ろしい奴だな、おまえは。」

「一応、犯されそうになった身として、当然の反応と思ってはもらえませんかね。」

 呆れたように言いながら、少し睨むように私を見る剣に、理不尽なものを感じつつ私が答える。

 椿山をきれいに気絶させた手腕といい、私のうちに生じた殺気をあの一瞬に感じ取れたというなら、彼は余程の達人だろう。

 普段から只者ではないと見せているそれ以上に。

 

「…私には、あなたの方がよっぽど恐ろしいですけど。

 その目がどこまで見えているのか、その手にどこまでの力を隠しているのか、まったく見えてこない事が、本気で。」

 わからない、という事は、私ではこの男のレベルに、遠く及ばないという事だ。

 そもそもどういう手段で近づいたとしても、この男を殺せる気がしない。

 剣は少しの間、怖い目で私を見つめていたが、やがてその瞳から力が抜けると、いつも通りの柔らかい笑みを唇に浮かべた。

 

「…フッフフ、今日は寮に帰るか。

 椿山を送っていかなきゃいけないしな。

 じゃあまた、光。明日また来るぜ。」

 言いながら、のびたままの椿山の腕を取り、器用に背中に担ぐ。

 その背中が部屋から出て行くのを見送ってから、私は溜息のように呟いた。

 

「…いや、ちゃんと授業受けてくださいってば。」




書いてる自分でもまさか、この子とフラグ立てる事になるとは思ってなかったwww
ノーマルカップリングなのにBLってなんぞwww


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6・友よ、流れる雲のように

「塾長、お風呂のお湯が出ないのですが。」

 虎丸の食事を届けに行き、戻った自室に突然生じていた重大問題を塾長に告げに行く。

 

「うむ。二号生が武術鍛錬中に、誤って水道管を一本破損したという報告が入っておるが、どうやらそれが貴様の部屋に繋がっている管だったようだな。

 修理は頼んであるから、明日には元通り使えるようになるだろう。」

 いやちょっと待って。

 

「困ります。

 その日の匂いが身体に残ると落ち着いて眠れませんので、次の日の業務に差し障ります。

 私は刺青持ちなので、たとえ外出許可が出たとしても公衆浴場には入れませんし。」

 飲み水や煮炊きに使う分は、他の部屋の水道から調達すればいい。

 洗濯や食器洗いは、1日くらい我慢できるだろう。

 だが風呂だけはほんと困る。

 入らない事は考えられないし、入浴に使う水をキッチンで沸かしていたら明日の朝になってしまう。

 私が訴えると塾長は少しの間考えてから、ニヤリと笑って言った。

 

「ふむ…わしは寮の大浴場を、塾生が使わん夜中に利用するのだが…貴様、今日はわしと一緒に入るか?」

「その案しかないようでしたらそうさせていただきます。」

 だって背に腹は変えられないし、塾長には既に裸は見られている。今更だ。

 だが塾長は、自分では私をからかったつもりだったのだろう。

 私が普通に了承した事に、ほんの一瞬驚いた表情を浮かべてから、次には苦笑混じりに言った。

 

「…湯は落とさずにおくから、わしの後にこっそり入るが良い。」

「御配慮感謝いたします。」

「フフフ、わしが男塾塾長江田島平八である。」

 …うん、今日はつっこまずにおくことにする。

 何だか勝ったような気がするし。

 

 ☆☆☆

 

 ちゃっぽん。

 高い天井から水滴が落ちる。

 広いお風呂って気持ちいい。

 浴槽で手足が伸ばせるなんて久しぶりだ。

「御前」の邸のお風呂も広かったから。

 そういえばあの獅狼に夜這いをかけられたのを撃退してしばらくの間、無防備な状態で1人になるのが怖くなり、頼み込んで『おとうと』と一緒に入っていたら、私だけでなく彼も怒られてしまって、あの時は本当に悪い事をした。

 その代わり世話係の女中さんが入浴中は警護に付いていてくれるようになったのだが、それはそれで窮屈だった。

 あーでも、ここのお風呂は確かに広いのだけれど、使う時は塾生が何人も一斉に入るんだっけ。

 そうなると逆に狭いかもしれない。

 お互いに何も身につけていない身体を晒し、無防備な状態を共有しあうのも、ある意味絆を深める事かもしれないけど。

 そう言えばこの前、私が部屋に押し込められていた謎の3時間についての真相がようやく判明した。

 松尾と田沢と極小路が何故か3人揃って酷い怪我をしてやって来て、その時に松尾が口を滑らせたのだが………………………うん。止そう。

 少なくとも私は彼らとは、そういう絆は深められそうにない。

 そこは高くそびえる男女の壁がある。

 

 ガラガラ…

 不意に入口の方から扉が開けられる音がした。

 湯気の向こうでよく見えないが、入ってきたのは身体の大きな人物のようだ。

 

「塾長?」

 忘れ物でもしたのだろうか。

 一応は腕で、胸を隠して呼びかける。

 ちょっと前まではそうでもなかったし、日中はサラシで抑えてかなり虐げられているにもかかわらず、ここ2、3ヶ月でやけに膨らんできたので、先端は覆えても膨らみ自体を完全には隠しきれないのだが。

 と、私の呼びかけに反応して、動きが止まった相手の姿が、湯気の間からはっきり見えた。

 え…塾長、じゃない。これは…。

 

「……………つる、ぎ?」

「光?」

 

 意図せずお互いに無防備な状態を晒しあった形で、私たちは暫し固まっていた。

 確かに少し羨ましいとさっきは思ったが、これは違う。

 

 ・・・

 

「…なあ、ひとまず背中を向けて話さないか?

 この状況だと、お互いに刺激が強すぎる。」

 という剣の提案で、私たちは腰まで湯に浸かりながら、お互いに背後に向けて話をしている。

 

「…あなた、こんな時間に何故ここに?」

「塾長が夜中に入ってるのは知ってたからな。

 時々その後にこっそり一人で入ってる。

 まさか今日に限って先客がいるとはな。」

「はあ…私はあなたという不安要素を、もっと警戒すべきでしたね。

 他の塾生ならこっそり始末して、失踪扱いにする事も出来るでしょうが、あなたに関してはそうもいかない。

 筆頭のあなたが突然消えたら大騒ぎになるでしょうから。」

 こんなことになったのも自室の風呂が使えないせいだ。

 明日は江戸川に八つ当たりをしよう。

 

「物騒な事を言うんだな。

 時間外に風呂に入っただけで殺されるんじゃ、命がいくつあっても足りやしないぜ。」

 どうやら論点を微妙に変えていく作戦のようだ。

 そうはいくか。

 

「絶対に知られてはいけない秘密を知られたら、そこは殺すか殺されるかしか無いでしょう。」

「そうは言っても、おまえが女だって事なら、少し前から判っていた事だしな。」

「!?」

 軽い口調で、剣がとんでもない事を言う。

 いけない。

 今、驚いて思わず振り返りそうになった。

 

「…いつから気付いていたんですか?」

「初めて会って、傷の手当てをしてくれた時に、なんとなく違和感を覚えて、御対面式の日に資料室で会った時に、そうじゃないかと思った。

 ダメ押しに、椿山に押し倒されて服、脱がされかけた時、おまえはまず最初に胸元を気にしてた。

 あれは男ならまずやらない仕草だからな。」

 …という事で椿山も八つ当たり要員決定。

 

「そうでしたか。

 ですが、何故今までそれを黙っていたんですか?」

 理由如何によっては、対処を考えなければならないだろう。

 

「飢えた狼の群れの中に、狼の皮を被せて羊を放り込むんだ。

 腕に覚えがあるとはいえ、自分の娘だろうがそうでなかろうが、そこまでの試練を課すには、塾長に何か考えが、或いは事情があると思ったからな。

 俺が口を挟む事じゃない。」

 …本心で言っているなら、下心ではないという事だ。

 

「なるほど。

 知った上で今まで黙っててくれたと言うなら、あなたにはお礼を言わなくてはいけませんね。

 …これから先の事も含めて。」

 そう、これから先についてはわからない。

 まずは一旦下手に出て、口止めを頼む事にする。

 そうして、調子に乗って私に手を出してきたら、その瞬間に共犯の関係が成立するのだ。

 私が女である事を晒せば、自分のした事も晒される。

 形として、秘密を盾に脅して関係を迫ったていになるのだから。

 

「礼なんざ要らないが、ひとつだけ頼む。

 ……桃、だ。」

「え?」

 …何を言われたか、一瞬判らなかった。

 

「桃。俺の事はこれからそう呼んでくれ。

 敬語も要らん。」

 ああ、確かに他の一号生はそう呼んでいるな。

 見た目の印象の割に、随分可愛らしい仇名だと思っていた。

 まあ、本名が「桃太郎」なのだから、そのままといえばそうなのだが。

 しかし、何故?というか…。

 

「…それだけ、ですか?」

「なんだ、まだ敬語になってるぞ?」

「あ、それは…これが素の口調なので、すぐに直すのは無理かと。

 でもあの、剣。」

「桃。…ほら、呼んでみろって。」

 何故だろう。

 背中を向けているのに、あの余裕の微笑みが見えるようだ。

 

「………桃。」

 少し戸惑いながらも、呼んでみる。

 

「それでいい。

 …光、おまえは椿山に言ったな。

 ここは男が強さを学ぶ場所だと。

 強くなる為、強くある為に、仲間と絆を深めろと。

 どんな事情があるかは知らん。

 だがここで男として暮らしているなら、おまえも俺たちの仲間だ。

 いつもおまえに頼っている俺たちだが、だからこそ、おまえも必要なら俺たちに頼って欲しい。

 心配すんな。

 おまえに頼られて嫌な顔する奴なんか居やしないさ。

 …まずは、俺を信じろ。

 おまえが困るような事は、絶対にしやしない。

 約束する。」

 彼の言葉に、さっきまでの自身の考えを反省する。

 というより男の汚い部分ばかり見てきた己の心の汚さそのものを恥じる。

 私の方が年上なのに、この男の完成度の高さはなんだ。

 

「……はい。ありがとう、桃。」

 …どうして胸がこんなに痛むんだろう。

 人間としての格の違いを見せつけられたからか。

 しかしそもそも、私は人間ではない、飼い犬だ。

 否、今は飼い主にすら捨てられた野良犬でしかない。

 嫉妬や羨望など、感じる事さえ間違っている。

 

「…それにしても。

 おまえが女だって事に驚きはしなかったが、正直その刺青の方に驚いた。」

 私が思わず黙り込んだ事をどう解釈したか、桃は軽い口調に戻り、話題を変えてきた。

 が、それも私にとっては、私の穢れの象徴だ。

 

「自分で望んで入れたわけじゃありません。

 愉快な話ではないので今は語りたくありませんが。」

 だけど、この男にはいつか、話さねばならない日が来る。

 そんな気がする。

 と、そこまで思ったところで、不意にある事に気付いた。

 先ほどから湯に浸かりっ放しであるのも加わって、覚えず顔が熱くなる。

 

「…って、え?ひょっとして、つ…桃!

 あなた今、こっち向いてるんですか!?」

 自分から、背中向けようって言ったくせに!

 いや私だって見たくないけど!

 その厚い胸板とか、締まったウエストとか、割れた腹筋とか、とにかく彫刻みたいに全体的なバランスの取れた、男として非の打ち所がないほどに美しい筋肉とか……ええくそ腹の立つ!!

 さっきチラッと見ただけだけど、貶すところがまったく見つからないじゃないか!!

 

「おっと、悪い悪い。

 じゃあ、俺は先に上がらせてもらうぜ。

 また明日、な。」

 背後の水音とともに、大きな気配が遠ざかる。

 私はしばらくそのまま固まっていたが、脱衣所の方からも気配が消えた事を確認して、ほうっと息を吐いた。

 少しのぼせたかもしれない。私も上がろう。

 …あれ?

 

「あの子、身体洗えてないよね…?」

 確実に私のせいだ。申し訳ない事をした。

 

 ・・・

 

「フフフ、どうやら味方ができたようだな。

 結構。」

 服を身につけて、髪をタオルで拭きながら、大浴場の裏口を出ると、そこに塾長が腕組みしながら立っていた。

 

「…剣が来る事知っていたんですね。

 どうやら私も彼も、あなたの掌の上で踊らされていましたか。」

「実際に来るかどうかはまあ、賭けのようなものだったが。

 あやつは周囲に影響力のある男よ。

 充分に貴様の助けになろうて。」

 味方なら、塾長が後ろにいるだけで充分助けになっているのに。

 それだって私には、身に余る事なのに。

 

「…どうしてですか?」

「ん?」

「私がどんな女か、あなたは御存知でしょう。

 …どうしてそんなによくしてくれるんですか?

 あなただけじゃなく幸さんや、教官も塾生も、どうしてみんな、優しいんですか?

 私にはそれを受ける資格なんかないというのに。」

 何故か判らないが、心が騒つく。

 優しくされると、逃げ出したくなると同時に、そこに身を埋めたくなる。

 結局身の置き場がわからなくなる。

 

「ふむ…なんの資格かは知らぬが、それは貴様が決めることではないぞ、光。」

「え?」

「己を評価するのは常に他人ということよ。

 己を卑下する事は、即ち他人を貶める事、ゆめゆめ忘れるでない。」

 塾長はそう言って手を伸ばすと、まだ湿っている私の髪をぐしゃぐしゃと撫でた。

 …私はこうされるのが好きだが、今はやめて欲しい。

 その胸にすがりついて甘えたくなる。

 私が黙っていると、塾長は口元に笑みを浮かべ、言葉を続けた。

 

「フッ。今は分からずとも、心にだけ留めておけばよい。

 いずれ貴様にも腑に落ちる日が来ようぞ。

 …わしが男塾塾長江田島平八であ…ックション!」

 …うん、つっこむのはやめておこう。

 

 ☆☆☆

 

「押忍。おはよう光。」

「おはようございます……桃。」

 いつもとまったく変わらない調子で、執務室を訪ねてきた桃に、私は挨拶を返す。

 若干気まずい。

 

「よくできました。

 ところで、今日はちゃんと授業に出るから、コーヒー飲ませてくれ。」

 これは脅迫だろうか。

 いや、違う。多分だが違う。

 そんな風に考えてしまう私の心が汚れているだけだ。

 

「私の執務室は喫茶店じゃないんですが。」

「フフ、光のコーヒーは喫茶店より美味いぜ。」

「この前は飲む前に寝ちゃったくせに何言ってるんですか。」

「そうだけど、起きてからちゃんと飲んだだろ。」

「冷めちゃってたじゃないですか。

 あんなものは、ちゃんとコーヒーを飲んだとは言えません。」

 美味しいコーヒーの淹れ方は、「御前」の邸にいた時に女中さんから習った。

 でもやっぱりどんなに美味しいコーヒーを淹れても、冷めたものや温め直したものはどうしても味が落ちる。

 どうせ褒めてくれるなら、一番いい状態で褒めて欲しいものだ。

 会話しながらケトルを火にかけ、ドリッパーにペーパーフィルターをセットしてサーバーに乗せる。

 コーヒーの粉を棚から取ろうと、振り返ろうとして何かにぶつかった。

 目の前に突然現れた黒い壁を見上げると、謎に微笑む桃の顔があった。

 

「…ちょ、距離が近い!もっと離れてください!」

 いくら私が小さくたって、狭い距離でちょこまか動けるわけじゃない。

 

「なんだ、照れてるのか?

 一緒に風呂にも入った仲だろう?」

「それ以上言ったら殺……あれ?」

 反射的に物騒な台詞を吐きそうになった時、ふと気づく。

 

「ん?」

「…こんなに近づいたのは、最初に会った時以来ですけど、あの時は気付きませんでした。」

 言いながら、桃の胸元に手をかざす。

 

「…なんの話だ?」

「あなたも、『氣』を扱うんですね?

 塾長ほどのものは感じませんけれど、身体の大きさ以上の総量を有しているのがわかります!

 …やはり只者ではありませんか。触れても?」

 彼は、私が『氣』で人を殺せる事に、うすうす気付いているはずだ。

 だから、安心させる為に了承を取る。

 

「あ…ああ、構わない。」

 少し戸惑った様子で、桃が頷いた。

 私は掌を、桃の厚い胸に当てる。

 

「失礼いたします。…信じられない。

 ここまで洗練されているのに、なんて穏やかな『氣』…!」

 恐らくすぐに気付けなかったのは、彼の持つ『氣』に威圧感を全く感じないせいだ。

 それどころか、実際にやってみた事はないが、ぽかぽか陽気の草原に寝転んで、流れる雲を眺めているような気になる。

 なんだか離れたくなくて、その大きく固い胸板に、頬を寄せ、目を閉じた。

 

「……っ?」

 少しだけ桃が身じろいだ気がしたが、私はそれに構わなかった。

 

「眠ってしまいそう…こんなに心地いい『氣』に、触れたのは初めてです…!」

 ため息混じりに呟くと、頭の上から、深く落ち着いた声音が降ってきた。

 

「…それはどうも。

 でも、そろそろ離れた方が良くないか?」

「え?」

 あ、ひょっとして不快だっただろうか…?

 

「押忍!光さん!何かお手伝い……!!?」

 と、執務室の扉が開けられ、そこに椿山の姿があった。

 いつも思うがここにはノックの習慣というものは存在しないのだろうか。

 

「お疲れ様です、椿山。………椿山?」

 桃の胸から渋々顔を上げると、椿山がドアのそばで固まっていた。

 ん?どうかした?

 

「ま、まさかそんな。桃と、光さんが…!?」

「は?……あ!!」

 今の自分の状況に、ようやく気付いてハッとして、慌てて桃の身体から身を離す。

 ふたりきりの部屋で、対外的には、男同士で抱き合っていたのだ。

 はたから見ると異様な光景だ。

 

「うっ、うわあぁぁぁああ!!!!」

 椿山が叫び、執務室から駆け出す。

 

「ちょ、待ちなさい椿山!

 とりあえず廊下は走っちゃ駄目です!」

「いやそこじゃないだろう、問題は…。」

 動揺して思わずズレたコメントを発した私に、桃が冷静につっこんでくる。

 

「わかってます!剣!

 あなたからも何か言ってください!」

「…ん?今、なんて呼んだ?」

 私の言葉に反応した、桃の顔がまた近くなった。

 

「え……その、も、桃。」

「よくできました。」

 あああああ、もう!この美丈夫本当に腹立つ!!

 私は心の中で地団駄を踏んだ。

 もう完全に、後で江戸川に八つ当たりすることに決めた。



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魂剣斬岩編 1・真夏の夢の蜃気楼

この回はやや短め。


 橘の死から、4ヶ月が経った。

 俺はあれ以来、奴の周辺を調べまわり、まずは奴の日本での身元引受人だという弁護士が、あの日以来行方不明だという情報を掴んだ。

 そうだ。奴は死の間際、確かに『うちのセンセイ』と言ったのだ。

 恐らく俺が腕をぶった斬った男は、その弁護士だ。だが何故?

 本人が見つからない以上、理由はわからない。

 今度はその弁護士について、色々と嗅ぎまわったが、大した情報は得られなかった。

 というより、こいつはやたらと手広く大物の顧客ばかりを持っており、その中のどれが手を引いたものか絞り込めなかったのだ。

 というかこんな奴が何故、橘の親の顧問なんか引き受けてたんだ?

 調べたところ、あいつの父親は生前、地元では評判の鍼灸師だったそうだが、一家の生活ぶりはごく一般庶民のそれであり、金持ちでも名士でもなんでもない。

 むしろ稼ぎは病を抱えた長男の治療費にほぼ持っていかれ、困窮していた筈だ。

 

『オレの妹は、どこかの金持ちに売られたんですよ。

 オレの手術費用を捻出する為に。』

 その手術費用がどれほどのものだったかはわからないが、少なく見積もっても一億はくだらねえ筈だ。

 そもそも奴の妹、しかも当時11歳半の小娘の何に、その金持ちはそれだけの価値を見出したのか。

 ただ女として飼うだけの存在に、そこまでの金を出すとも思えない。

 必ず、何かあった筈だ。

 そして何より、奴は妹の手がかりを掴んだ途端、命を狙われたのだ。

 手がかり…橘を人違いして『姉さん』と呼んだ奴と、弁護士の間に、何らかの繋がりがあった事に、疑いの余地はない。

 そして、その男が『姉さん』を探していたという事は、『姉さん』は奴らの前からも行方をくらましている事になる。

 何らかの重大な秘密を知って、それ故に命を狙われ、逃げ隠れしているのではないだろうか。

 その『姉さん』が橘の妹で間違いないなら、俺は奴らより先にそいつを見つけ出して、保護しなければならん。

 だが…俺の調査はそこで行き詰っていた。

 警察は、橘を襲った男について、特に身を入れて探すような事はしなかった。

 型通りに地域のパトロールを幾らか強化したくらいだ。

 何せ襲われた事が原因にはなったものの、橘の直接の死因は心臓発作だ。殺人事件ではない。

 しかも俺たちとの交流が仇になったというか、その襲われた事件についても、不良少年同士の諍いという形となって、4ヶ月経った今となっては、地元での噂話にものぼらなくなっていた。

 

 そんな時だ。

 男塾から、俺の無期停学を解くという連絡が来たのは。

 

 ☆☆☆

 

「伊達は貴様らを守る為にあんな真似をしたんだろうが!

 その辺をよく考えろ!」

「よく考えたから直訴するんです!」

「馬鹿か貴様ら!直訴は重罪だ!

 それで貴様らが死罪にでもなったら、それこそ伊達のした事が無駄になる!!

 元はと言えば貴様らが不甲斐無いせいで、新任教官にデカいツラさせて増長させ、その結果伊達が全部引っ被る事になっちまったんだろうが!

 その貴様ら如きが、今更徒党組んで出張ったところで何になる!?

 腑抜けなら腑抜けらしく、大人しく伊達に守られた命、大事にしてろ!!」

「…そういうアンタの方が腑抜けなんじゃないんですか、赤石先輩?

 結局アンタは塾長が怖いんだろう!?」

「……なんだと?」

 

 ・・・・・

 

 ☆☆☆

 

 3年前のあの日。

 

 完全に頭に血が上っていた。

 気付けば雪の校庭が、一号どもの血で真っ赤に染まっていた。

 死者が出なかったのが奇跡だと言われた。

 俺は、俺が認めた後輩が、守ろうとした奴らを、結局は傷つけて男塾を去った。

 去った…つもりだった。

 確かに無期停学とは言われたが、まさか復帰の要請が来るとは思っていなかった。

 聞けば俺の立場は二号生筆頭のまま、その籍を残してあるという。

 くだらねえ、と心底思った。

 俺は今、ガキどものお守りをしている暇はねえんだ。

 だが、無視する訳にもいかねえ理由があった。

 教官を殺して逃げた伊達と違い、俺は一号生どもをギリギリ死なせはしなかった。

 だが俺の場合人数が人数な上、むしろ被害者が生きているからこそ、面倒な問題もあった。

 塾長はそれらの面倒を一手に引き受けてくれた上、俺を無期停学にする事で、その問題から逃がしてくれたと言っていい。

 

「最後に己を助けるのは過去の己という事よ。

 かつての貴様の功績がものを言った結果だ。」

 と笑っていたのが、一番最後に会った時の事。

 つまり俺は塾長に恩がある。

 それに「来る者は拒まず、逃げる者は地獄の果てまで追っていく』のが男塾だ。

 復帰の要請があったからには、それを拒む訳にはいかない。

 だから、俺は決めていた。

 男塾が俺を、今度こそ見放す方向に持っていこうと。

 あの時ほどの事はしなくていいだろうが、2、3人の腕でも脚でもぶった斬ってやれば、今度こそ復帰要請は来るまい。

 俺は、橘の無念を晴らさねばならんのだ。

 橘の妹が、今この瞬間にも、奴らの手に落ちているかもしれない以上、こんな事に時間を取られる訳にはいかん。

 

 ・・・

 

「なんだ貴様は!?

 ドスなんぞぶら下げて、こいつの使い方を教えて欲しいのか。」

「一号生筆頭、剣桃太郎。お願いします。」

 あの年の一号生どもより更に腑抜けに見えるガキどもの、筆頭を名乗ったのはハチマキを締めたヤサ男だった。

 俺とそのふざけた野郎は、塾長の提案により、一週間後に衆人環視の中で、改めて雌雄を決する事となった。

 

 ☆☆☆

 

 再入寮の手続きやら何やらが必要とかで、塾長室に呼ばれた。

 入塾の際にも見せられたのと同じ書類、『塾生となったからには、たとえ死んでも文句は言わない』という内容のそれに、改めて血判を押す。

 もっともここに長く留まるつもりはない。

 その筈だった。

 

 コンコン。

 塾長室のドアの外から、ノックの音がする。

 

「入るが良い。」「失礼いたします。」

 短いやり取りの後、ドアが開かれる。

 そこに現れた小柄な男を見て、俺は目を見張った。

 

「……橘っ!?」

 

 確かに4ヶ月前、俺の腕の中で無念の涙を流して死んだ、橘の顔がそこにあった。




この章全部、赤石フラグwww
そして、実はついでに、もう一人。


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2・難破船

関係ないけど、赤石先輩ってオカンとかメッチャそっくりな気がしてならないwww


「二号生筆頭・赤石剛次の無期停学を解く事とする。

 その為の手続きと準備をせよ。」

 ある日の正午、お弁当を持って塾長室に行ったら、塾長が何故か頭をごしごしタオルで拭きながら、私に向かってこう言った。

 

 先日の一号生・二号生合同レクリエーションの夜間遠足の後、熱を出したという江戸川(発症2日めに丸山から連絡を受け、鬼の霍乱!?と思ったら、全身数カ所に打撲痕と、何かはわからないが割と大きな獣の咬傷があり、その咬傷が膿んで発熱していた。何故すぐに私のところに来なかったのかと叱ると、何故かぶるぶる震え出した。確かにこの間八つ当たりで痛い目にあわせたけど、命に別状ないようちゃんと加減したんだから、そんなに怖がらなくてもいいのに)にしばらく付き添っていた為、その間にどういう経緯があったものか私にはわからないが、恐らく午前中に何かあったのは間違いない。

 

 そういえばその日、江戸川の看病からようやく執務室に戻った際(この期間、虎丸の食事係は教官にお願いしていた。暴れたら二度と私が来ないと脅したら大人しくしたらしいけど、飯が不味いとずっとぼやいていたそうだ)、ドアの前で富樫に声をかけられ、桃が来ていないかと訊ねられたが、何か関係があるのだろうか。

 あの子、また何かしたの?

 

 それはそれとして、二号生筆頭というと、例の3年前の一号生大量傷害事件の加害者の筈。

 そんなの呼び戻して大丈夫なのだろうか。

 まあ事務員でしかない私の目にも、本来なら上の者には逆らえない筈のこの男塾におけるパワーバランスが、逆転してきているのがわかるので、二号生のテコ入れをはかるための処置であろうけど。

 ていうか3年間も停学食らってたやつが今更戻って来るかどうかすら怪しいけれど。

 

 しかしまあそんなわけで今日、久しぶりに虎丸のところに顔を出した後、二号寮(二号生の寮は塾敷地内にあり、その為か管理人を置かず塾生が自分たちで管理するに任せている)に清掃を行う為に向かっていたら、ほぼ遅刻寸前のタイミングで、校門から松尾、田沢、極小路の3人が飛び込んできた……のだが。

 

「!?…あ、あなた方!

 なんて格好で登校して来るんですか〜〜!!!!!」

 下半身は指定の下着のみの姿の彼らを見て、私は思わず叫んでしまった。

 一応花も恥じらう18手前の生娘には、いささか刺激が強すぎる。

 いや、対外的には男だけど。

 

 ☆☆☆

 

 そんな刺激的な朝の出来事は思考の外に追いやり、『赤石剛次』を入れる部屋の清掃を終えた私は、その報告の為に塾長室のドアをノックした。

 私が埃と格闘している間、この部屋を使う事になる男は早くも一号生たちと小競り合いを起こしていたようで、一通りの被害の後、遂に筆頭の桃が立ち向かった(基本的に彼は仲間思いなんだと思う)時に塾長が割って入り、戦うなら金取って観客の前で戦えという提案をして、決戦は一週間後だという。

 それらの事を私に、ここにたどり着くまでに会った塾生全員が、わざわざ呼び止めて教えてくれた。

 おかげで本来なら10分もかからない距離を歩いてきたのに移動にトータルで40分近くかかったのは一応内緒にしておこうと思う。

 

「入るが良い。」「失礼いたします。」

 挨拶をしてドアを開け、一礼する。

 顔を上げると、塾長の机の真ん前に、平均的にデカブツ揃いの塾生の中でも(この場合江戸川は数に入れない事にする。彼を入れてしまうとそもそもの平均値がおかしくなるので)一際大きい、多分2メートル近くはあるだろう銀髪の男が立っていた。

 この男が赤石剛次に違いない。

 

 だがこの男、その大きさと銀髪だけでも充分目立つのに、体型のバランスがまた異様だった。

 少なく見積もっても私の3本ぶん以上はあるであろう太い腕。

 脚も、太ももの一番太い部分は私のウエストより太い。

 腰回りも腰骨自体が大きいのであろう、私なら確実に2人は入れる。

 幼少期から、当たり前に重い得物を扱ってきた事、容易に想像がつく体型だ。

 それにこの男、強い。確実に。

 桃も強い…のだろうが、恐らくは強さの方向性が違う。

 戦ったらどっちが勝つかは、やってみなければわからないだろう。

 

 そこまで一瞬にして考えたところで、『赤石剛次』が何故か、驚いたような顔で私を見ている事に気がついた。

 

「……橘っ!?」

「!?」

 知らない名前で呼びかけられ、私が驚いて固まった瞬間、長い足がほんの二歩で距離を詰め、大きな左手が私の肩を掴んだ。

 

「いや…そんなわけがなかった。だが…。」

 私の顔をじっと見て、訳のわからない事を呟く『赤石』。

 体格差がありすぎて、距離を詰められただけでも覆いかぶさるような形になり、とてつもない圧迫感に襲われる。

 …瞬間的に理不尽な怒りが湧いて、私は自分の肩を掴んでいる赤石の左手首を自分の右手で掴むと、ごく微弱な『氣』を撃ち込んで、強制的に五指全部を開かせた。

 これをやると数十分の間は物が握れなくなる上、肘までつったような痛みがそれ以上に続くが知ったことではない。

 

「…っ!?」

 そうして赤石が一瞬驚いた隙に、私は詰められた距離を離し、塾長の側まで駆け寄った。

 

「てめえ…今、何をしやがった!?」

 指が開いたままつっている左腕を押さえながら、赤石が私を睨みつける。

 

「いきなり人に摑みかかる不躾な手を、退けさせていただいただけですが。」

 …まあしかし、摑みかかられた事よりも単にデカい事の方に腹を立てたのは事実だから、本当に時間いっぱい苦痛を持続させるのは自分でも若干酷い気がしてきた。

 注意しながらもう一度歩み寄ると、今度は肘の方に指を触れ、同じ量の『氣』を撃ち込んで、解除する。

 与えられた時と同じように痛みが突然消えた事に、赤石は再び驚いた表情を浮かべ、指を動かせる事を確認し始めた。

 

「二号生筆頭、赤石剛次。

 部屋の清掃は済んでいます。これが鍵です。」

 私は彼に話しかけながら、グーパーしてるパーのタイミングで、その手の中に部屋の鍵を、無造作に落とし込む。

 

「わかっているとは思いますが、寮建物内での抜刀は原則禁止です。

 案内は要りませんね?それでは失礼します。」

 私がやった事とはいえ、これ以上は関わりたくない。

 一礼してから入ってきたドアの方に向かう。

 一瞬チラッと見えた塾長の顔がニヤニヤ笑っていたが意味など気にしない事にしよう。

 

「待て!……てめえの名を聞かせろ。」

 若干イラっとしつつ私は立ち止まると、もう一度振り返って赤石の目を見据えた。

 そうだな。ここは塾長の威を借りることにしよう。

 乱暴に扱われるのは御免こうむる。

 

「…江田島光と申します。

 事務員と塾長秘書を務めさせていただいております。」

「……江田島だと?てめえは塾長の」

「いかにも、こやつはわしの息子。

 何か不審な点でもあるか、赤石よ?」

 赤石の問いに、私が答えるより先に塾長が答える。

 赤石は塾長に向き直ると、フッと笑った。

 

「…息子、ですか。

 自慢じゃありませんが、俺は目はいい方でしてね。

 …こいつは女だ。違いますか。」

「………!?」

 あまりにもあっさり言い切られて驚く。

 桃も初対面で違和感は覚えたそうだが、確信に至ったのは後になってからだった筈だ。

 

「ほう。よく見破ったのう。」

「塾長!」

 しかも塾長も、バレたらあっさり認めるし。

 もう少し粘れや。

 

「そして大方、貴方の娘ですらないでしょう。

 俺の知り合いに、こいつによく似た顔の男がいた。

 そいつは、生き別れた双子の妹を探していた。

 名前は、光。……偶然ですか?」

 赤石に問われ、塾長は私と赤石を交互に見てから、私に向かって言った。

 

「ふむ…光?

 この先の話、わしは聞かぬ方が良いかな?」

 …この人は、いくら何でも私に甘すぎやしないだろうか。

 ここに自身の子で通しているのは、知己を手にかけようとした犯罪者で、自分の事は何ひとつ話さない、得体の知れない女である事、忘れているわけではないだろうに。

 

「いえ、居ていただいた方が心強いです。

 この人と二人きりにさせられるのは遠慮したいですし、そもそも私自身、そう言われてもまったく、なんの心当たりもありませんので。」

 私がそう言うと、赤石は睨むように私を見た。

 

「…男の名は橘 薫。この名に聞き覚えは?」

 たちばな、かおる。心の中で反芻する。

 少し考えてから、私は答えた。

 

「ありません。…思い出せません。」

「思い出せない、だと?」

「はい。10か11くらいまでの事ならば、遡って思い出せますが、少なくともそれ以降の記憶の中にはない名前です。」

 私の一番古い記憶は孤戮闘の中だ。

 それ以降の事ならば、近い記憶故に鮮明に覚えている。

 …正直その『たちばなかおる』という名前、聞いた瞬間少しだけ、心の奥に何か引っかかるものはあったが、記憶の糸を手繰り寄せても、何も引き寄せられては来なかった。

 

「…なるほど。その男の名、橘と申すか。

 貴様も味わったであろう。

 こやつが使うのは橘流氣操術という、古い治療術から発展した技でな。

 本来橘の血族の者しか知り得ぬものよ。

 こやつ自身が知らぬというのでそれ以上追求はせなんだが、身内と思われる者の名が橘なら、やはり最初に思うた通り、こやつが橘の末裔である可能性が濃くなったわ。」

 塾長が勝手に何事か納得し、赤石が続ける。

 

「奴が、妹と別れたのは11歳半の頃だと言っていた。

 重篤な病を抱えていて、その莫大な手術費用の為に、妹はどこかの金持ちに売られたと。」

 売られた…もしそれが本当に私ならば、買ったのは、『御前』以外には考えられないのだが、そもそも自分がどういう経緯で『御前』の元に来たのか、そんな事は考えもしなかった。

 

「それはわしではないわい。

 そんな金があるなら、この貧乏塾の経営にアタマを抱えてはおらん。

 そもそもこやつを引き取ったのは今年に入ってからでな。」

「それを聞いて安心しました。

 どうも、奴を殺したのがその金持ちの関係者のようなので。

 仇をとってやると約束したので、そうであったなら、貴方に刃を向けねばならなくなる。」

 私が考え込んでいる間にも、塾長と赤石の会話が続く。

 そこにどうも、物騒な事実が入ってきた。

 

「殺された?その方は亡くなったのですか?」

「…直接の死因は心臓発作だ。

 手術はしたものの完治はしなかったようで、すぐに死ぬ事はないまでも、強いショックを受けたり、激しい運動がそもそも出来ない身体だった。

 妹の行方の手がかりが掴めそうだと、それを知る人間に会いに行くと言って…俺が遅れてそこに行った時、奴の首を何者かが締めてる最中だった。

 寸でで阻止したが、奴の心臓が保たず、そのまま…。」

 …彼は私を『買った』人間が、その人の死に何らかの形で関わっていると考えているようだが、聞いた限りで私が判断するに、『御前』配下の仕事にしてはあまりにもお粗末だ。

 まあ、その『仕事』に失敗してここにいる私が言える事じゃないし、その人が亡くなった原因になってるのがどうも私らしい事を考えると、余計な事は言わない方がいい気がするが。

 

 それにしても…私の、兄?

 そう言われてもまったくピンと来ない。

 

「犯人は取り逃がしたが、橘の身元引受人である、奴の死んだ両親の顧問弁護士が、それ以来行方不明だ。

 恐らく、何らかの事情を知ってやがるに違いない。

 だがそれよりも、橘は妹の行方を追って殺された。

 …奴が言うには、手がかりを知ってる男は、奴を人違いで『姉さん』と呼んだそうだ。」

 どきん。心臓がいきなり跳ねる。

 

「!………その、橘という方は、私と似ていたのですね?」

 考えられる事が、ひとつ。

 私を『姉さん』と呼ぶ人間は1人しか居ない。

 だけど、まさか、そんな。

 

「顔だけならそっくりだった。

 髪は今のおまえより長かったし、タッパはさすがにもう少しあったがな。

 …その顔は、心当たりがあるな?言え!」

 赤石にとって、亡くなった人は友であったのだろう。

 彼にしてみれば、その妹である筈の私が、犯人と思われる人物を庇っているように見えて、それが腹立たしいのはわかる。だが…。

 

「…申し上げられません。」

「何だと!?」

 私にとっては知らない人であり、これから先会うこともない人なのだ。

 その辺の意識の違いが、私と赤石の間に大きな隔たりを生んでいて、だけど現時点で少し頭に血が上っている彼に、そこを理解して貰えそうにない。

 

「赤石剛次。

 あなたは大事な戦いを控えている身の筈です。

 それまで身を休めていてください。

 終わった頃には今の質問に、何らかの形で返答させていただきます。

 …その時点であなたが生きていれば、ですけど。」

 だから、その頭に上った血を利用するような形で、違う方向に挑発する。

 

「下らねえ事をほざくな。

 この俺が、あんな一号のヤサ男に。」

「桃を…剣を舐めてかからない方がいいですよ。

 私が見る限り、あの子は常に何か、切り札を隠し持っている。

 それをそもそもあなた相手に出してくるかは、その時にならないとわかりませんけれど。」

 桃のいつも浮かべている余裕の笑みが頭に浮かぶ。

『俺を信じろ』という声と、穏やかで心地いい『氣』を同時に思い出す。

 それがこの荒ぶる、抜き身の刀みたいな男相手に、どう戦うのかわからないけど。

 そもそも私はまだ、桃の戦うところをまともに見た事がない。

 まあ、それはこの男にしても同様だ。

 

「チッ…いいだろう。

 あの剣とかいうガキをぶった斬ったら、必ず聞かせてもらうぞ。忘れんな。」

 抜き身の刀…うん、自分自身でいい表現をした。

 まさにそれだ。

 常に研ぎ澄まされ、ギラギラ光って、触れるもの全てを斬らんとする。

 けれど、本当の名刀は鞘に納まっているものなのだ。

 

 ・・・

 

「フッ。おぬしもいい度胸をしておる。

 おなごの身であの赤石を前にして、一歩も引かぬどころか、挑発までしてのけるとはな。」

 赤石が退室した後、ほうっと息を吐いた私に、塾長がニヤニヤ笑いながら言う。

 その笑い顔に向けて、私は先ほどから考えていた事を切り出した。

 

「…塾長。外出許可をいただけないでしょうか。

 できれば7月2日、殺シアム開催の当日に。」

 この日なら、事前に準備さえしておけば私の仕事は特にはあるまい。

 

「んー?」

「自身の、咎人としての身の上を忘れたわけではありません。

 ありえない事を言っているのもわかっています。

 …ですが、確かめたい事があるのです。」

 自分が誰かなんて、考えた事はなかった。

 考える必要もなかった。

 けれど赤石の言葉が、私の心に波を立てた。

 もっとも、確かめてしまえば、その波が収まるどころか、そこに沈んでしまうに違いない事も、よくわかっていたけれど。

 それでもいつかは、決着をつけなければいけない事だ。

 

「それは、今の赤石の話に関わりのある事だな?

 ならば許可は出せんな。」

 そう言われると思った。

 けど、一応礼儀として確認しただけで、反対されたなら勝手に行こうとも思っていた。だが、

 

「どこに何を確かめに行くかは敢えて聞かぬが、行くのならば、殺シアムの試合が終わった後日、赤石を伴って行くがよい。

 それが筋というものだし、そうでなければ許可は出せん。」

 意外にも、『その日以外』と『同行者あり』の条件であっさり許可が下りてしまった。あれ?

 

「フフフ、わしが男塾塾長江田島平八である!」

 …桃に対しても思った事だが、この人の目も、一体どこまで見えているんだろう。




「抜き身の刀」のくだりは映画「椿三十郎」からのパクリ。
関係ないけど個人的にはあの話を「原作『日日平安』」とは言って欲しくない。


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3・愛ゆえに狂おしい嘆きの天使たち

 書き終えて、封をした手紙を、塾から出す郵便物の中に混ぜる。

 こうしておけば午後には回収に来て、明後日の午前中には無事に配送されるだろう。

 内容は、一見すると単なる時節の挨拶と、書いた側の他愛のない近況報告程度。

 だが受け取った相手だけはそこに、別な意味を読み取ってくれるだろう。

 子供同士の遊びが、まさかこんな事の役に立つなんて。

 

「殺シアム」開催まで、あと4日。

 

 ☆☆☆

 

 その「殺シアム」は、途中まではなかなかに見応えのある試合だった…などというのは、実際には衆人環視の中での殺し合いに対して、いささか不謹慎に過ぎるだろうか。

 途中まで、というのは、防戦一方に見えながら一撃必殺のチャンスをうかがっていた桃の戦いに富樫が割って入り、どこから持ってきたか知らない拳銃を赤石に向かって発砲して、いいところに水を差したからだ。

 とはいえあれによって赤石の『俺は目はいい方だ』という言葉が、ハッタリではなくむしろ謙遜だった事実を見せつけられる事になった。

 弾丸の軌道を見切れる動体視力とか普通に人間業じゃないし、それを一刀両断できる剣技も同様だ。

 だが桃の方も只者じゃなかった。

 というか、私の目にはどう見ても、彼が全力で戦っているように見えなかった。

 最後には赤石の太刀筋を見切った桃の刀が、とどめに向かってきた赤石の懐に入り、その胸を切り裂いた。

 

「全治3ヶ月、富樫の借りはピッたし返したぜ。」

 血まみれの顔で桃が言いながら、いつもの余裕の笑みを浮かべる。

 だが悪い。

 あくまで私の都合だが3ヶ月も待てない。

 その富樫が、胸に仕込んだ鶏のお陰で無傷だったわけだから、あなたが負わせた赤石の怪我を、私が今晩にでも治してしまう事を許してほしい。

 

 ・・・

 

「…また、怪しげな術を使いやがるぜ。

 だが一応、礼だけは言っといてやる。」

 全治3ヶ月の筈の胸の傷が綺麗に塞がったのを目の当たりにして、何故だか呆れたように赤石が言う。

 

「別に構いません。

 あなたに長く寝ていられては困る事情がありまして。

 今晩大人しく寝ていてくれたら、明日の朝には普通に動いて大丈夫です。

 なので明日は私に付き合って、行って欲しい場所があります。」

 本当は一人で行きたいけど、情報源を蔑ろにするわけにはいかない。

 それが筋だと塾長に言われた。

 

「待て。てめえには試合の後、話を聞かせてもらう約束だった筈だ。」

 その最大限の譲歩に対し、赤石が噛み付く。

 私は彼の顔の前に指を広げ、少し脅すように言った。

 

「私の返答は『何らかの形で』と言った筈ですよ、赤石。

 その為にも、是非お付き合いください。

 ちなみに、塾長の許可は頂いてます。」

 

 ☆☆☆

 

「…なんだ、その格好は。」

 校門の裏口で待ち合わせて、顔を合わせた瞬間に、赤石が問う。

 私の服装は、メイクこそ年齢相応に清楚に施してあるが、首相暗殺未遂の際に身につけていた着物。

 正直、本来の私の年齢には大人っぽ過ぎるのだが、今手元にある私服は幸さんが持ってきてくれた3枚の和服のみであり、その中で借り物でないのはこれだけだ。

 恐らくは返せないであろう着物を借りていくわけにはいかない。

 この着物に短髪だとちょっとかっこ悪いので、結い髪にするのに(かもじ)は借りたけど。

 

「私としては、二人で出かけるのに、あなたのその服装こそなんなんだと思いますけどね。

 せっかくのデートなんですから、もう少しなんとかなりませんか?」

「デッ………!?」

 塾敷地内で身につけている改造制服のままの赤石に、仕返しとして軽口を叩くと、赤石が少しだけ顔を赤くして絶句する。

 ふふん、デカい図体でそれ以上にデカい態度の割には、可愛いところもあるではないか。

 

「冗談です。

 私としては、塾長に迷惑がかかる可能性を考えて、制服は止そうと思いまして。

 何せ特徴がありますからね、あの制服は。

 まああなたの場合、そこまで改造してあれば、コスプレと思われはしても、男塾の制服だとは判断されないでしょう。

 …行きますよ、赤石。」

「…どこへ行くつもりだ。」

 歩き出す私の背中に、赤石が問いかける。

 

「恐らくは、私にとっての死地へ。」

 私がそう答えると、赤石は私を睨むように見据えた。

 

「何だと?」

 その赤石の目をまっすぐに見返し、私は彼に、懇願する形で言った。

 

「お願いがあります、赤石。

 あなたは何もせず、何も聞かず、一部始終を見届けてください。

 あなたの知りたい真実は、恐らくはその過程で手に入ります。

 ですから…もし私が死んだら、私の事は見捨てて、あなたはその場を立ち去ってください。

 …いいですね、約束ですよ。」

 懇願の形をとっていながら、ほぼ命令だったけれど。

 

 ・・・

 

 約束の場所に着くと、もう夕方だった。

 既に待っていた背の高い人影が振り返る。

 

「お久しぶりです、豪くん。

 ……で、間違いないですか?」

 まだ2人とも子供だった頃、戯れに考えた、2人だけに通じる暗号。

 それを見てここに来た者が、本人である事は疑いようがないのだけれど。

 つい確認してしまったのは、目の前に現れたその男が、私の記憶にある少年の姿と、どうしてもイメージが一致してくれなかったからだ。

 私とて、彼がいつまでも11才の少年のままではいないと、ちゃんと理解はしていたつもりだ。

 しかし…多分桃と同じくらいはあるだろう長身で、だけど胸板は遥かに厚く、腕も首も太い。

 癖の強かった頭髪は短く刈りそろえられて、長めに残した揉み上げがその片鱗を窺わせるのみ。

 

 むしろそこは何故残したと思わなくもないが、今は気にしている時じゃない。

 

 丸みを帯びていた頬も肉が削ぎ落とされ、愛らしさが精悍さに取って代わられている。

 濃い眉と長い睫毛に縁取られた、どこか寂しさと孤独を感じさせる瞳だけは、辛うじてそのままだったけれど。

 

「光姉さん…生きていたんだな。」

 低い声が、懐かしげに答える。

 隣で赤石が息をのむ気配がしたが、私は構わず言葉を返した。

 

「見違えましたよ。

 大きくなりましたね、随分逞しくなりました。」

 どうやら確かに、ここに現れたこの男が、私の「おとうと」である事に間違いはないようだ。

「御前」…藤堂財閥総帥・藤堂兵衛。

 彼はその五男、藤堂豪毅。

 現時点で、「御前」側の人間で唯一、私が信用できると踏んだ男。

 最後に会ってからそろそろ5年近く経つが、未だに私を「姉さん」と呼んでくれるようだ。

 

「その男は?」

「見届け人、といったところでしょうか。

 空気だと思っていてください。

 …私が、首相の暗殺に失敗した件は御存知でしたか?」

「何!?」

 その私の問いには、豪毅よりも先に赤石が反応した。

 そういや言う必要もなかったから言ってなかったな、私が暗殺者だということを。

 

「…黙っていなさい。何も聞かない約束ですよ。」

 軽く睨みながら言うと、赤石は小さく舌打ちして引き下がった。

 うむ、もう少し躾けてから連れて来たかったが、時間が足りなかった。仕方ない。

 

「帰国してすぐに聞いた。

 だから、俺は姉さんを探していた。」

 やはり知っていたか。まあ普通に想定内だ。そして。

 

「それは『御前』の命令で、私を始末する為ですね?」

 そう言った私の言葉に、豪毅は激しくかぶりを振る。

 

「違う!

 俺は姉さんを、親父より先に見つけるつもりだった。

 任務に失敗した姉さんを、親父が許すとは思えなかったからだ。

 …俺が必ず守る。そう決めた。」

 そう考えると思っていたのだ。

 一緒に暮らしていたあの頃、この子は私を慕いすぎていた。

 私の見る限りだが5人の兄弟たちの中で、「御前」に一番素質を買われていたとはいえ、上の兄たちがもっと遅くに出された修行に11歳の時点で出されたのは、半分は私と引き離す目的でもあったろう。

 

「…何故?」

 だけど、判りきっている事を、わざと確認する。

 お互いの立場を、認識させる為に。

 

「何故、とは?」

「『御前』の命令は絶対でしょう。

 あの時の私にとっても、今のあなたにとっても。

 私を匿ったりしたら、あなたは『御前』の命令に背く事になる。

 それは決して、あってはならない事。」

「姉さん…しかし」

 何か言おうとした豪毅の、その言葉を遮って、私は言葉を発する。

 時間に制限はないが、それほどのんびりもしていられまい。

 

「豪くん、あなたに確認したい事があります。

 私を探している時に、私によく似た男性に会いませんでしたか?」

 隣で赤石が再び息をのむ。当然だろう。

 その辺の豪毅の行動如何で、赤石がどう出るか決まるのだ。

 状況によっては赤石と豪毅のどちらか、或いは両方が死ぬ事態になる。

 だが私は、それは避けたいと考えていた。

 

「…会った。

 てっきり姉さんだと思って呼びかけたら、人違いだったが…自分と似た顔の女を探していると言っていた。」

「てめえが………っ!!!」

 豪毅の言葉の途中で、赤石が背中に右腕を回す。

 どうやら刀を背中に隠しているらしい。

 

「何もするなと言っています!

 黙って見ていなさい!」

 鋭く斬りつけるように言葉で制する。

 

「………クッ!」

 赤石が忌々しげに喉の奥で唸った。

 まったく血の気の多い事だ。

 

「…続けてください。」

 私が促すと、豪毅が小さく頷いて、再び口を開いた。

 

「俺は手を引けと言った。

 姉さんの状況を話す訳にはいかなかったが、一般人が下手に踏み込めば、無事でいられるとも思えなかったし…何よりあいつは姉さんに似過ぎていた。

 下手に近づけば、俺が間違えたように、人違いで消される可能性がある。

 そうして立ち去ろうとしたら、あいつは自分の連絡先を書いたメモを、俺に渡してきた。」

 その辺の情報は、赤石から聞いて知っている。

 今のところ双方の情報に矛盾はない。

 だが、ここからだ。

 

「それを、どうしました?」

「連絡するつもりはなかったから捨てようと思ったが…そこに書かれている緊急連絡先のひとつが、親父の息がかかった弁護士の番号だった。

 それが気になって、その弁護士に連絡をして、奴のことを聞いた。

 …奴が姉さんの双子の兄だと、その時に知った。

 アメリカで暮らしていたものが、何故か2年前に帰国したので、親父の命令で、姉さんと接触させない為に監視しているのだと言っていた。」

 もともと監視の目的で送り込まれたというなら、両親の生前の顧問だったというのも嘘だったのだろう。

 兄が高校に通い、更にその間の生活を過不足なく営める程度にあったという両親の現金遺産も、その嘘の為に「御前」が出したものであったに違いない。

 恐らく「御前」は、私と血縁関係のある者とを接触させる事で、私に人としての感情が戻る事を警戒したのだろう。

 私は「御前」に、それなりに手放したくないとは思われていたのか。

 不謹慎だが、少しだけ嬉しくなる。

 

「この人の話だと、兄は心臓の病気の手術の為にアメリカに行き、両親の死後、そのまましばらくそこで暮らしていたそうです。

 そして、その手術の費用の為に、両親は私を『売った』のだと。

 という事は、兄の手術費用を出したのは『御前』という事になりますね。」

 その目的は、間違いなく私だ。

 正確にはその時点で既に扱えたであろう、私のこの力。

 塾長は「橘流氣操術」と仰っていた。

 

「てめえら、さっきから言うその『御前』ってのは誰だ!いい加減…」

 と、それまで黙って聞いていた赤石が突然吠える。

 これまではなんとか抑え付けていたが、そろそろ臨界を迎えたようだ。

 

「…どうやら、強制的に黙らせた方が良さそうですね。」

 私は赤石に手を伸ばすと、指先からの氣の針を、赤石の喉と、四肢の関節に撃ち込んだ。

 

「…!!?……、………!」

 これで1時間は、喋る事も動く事もできない。

 最初からこうしておけば良かった。

 

「騒がせて申し訳ありません、豪くん。

 …それで、その後は?

 私の兄は、亡くなったそうです。

 恐らくは、あなたと接触した事実を危険視した何者かに襲われて。

 豪くんには、その犯人の心当たりがありますか?」

 私の問いに、豪毅が頷く。

 

「知っている。

 手を下したのは弁護士だ。しかも独断でな。

 俺が奴を訪ねた時、奴は事務所に片腕になって戻ってきた。」

 …そういえば赤石が、「腕一本ぶった斬っただけで、取り逃がした」と言っていた気がする。

 

「独断で?

 でしたらその男、彼に引き渡していただく訳にはいきませんか?

 私は兄を知りませんが、彼にとっては友であったそうです。

 どうか、仇を取らせてあげてください。」

 豪毅は兄の死のきっかけにはなったかもしれないものの、手を下してはいない。

 それどころか、命の心配をして遠ざけようとすらした。

 私が確認したかったのはそこなのだ。

 豪毅が、私の兄の仇であるのか否か。

 そうでない事がわかった今、赤石と豪毅の2人が、殺し合いをする事態は避けられたと言っていい。

 後はその弁護士を引き渡してくれれば、赤石は満足する筈だ。

 してもらわなければ困る。

 

「その必要はない。

 奴は親父の命令で、既に俺が始末した。」

 だが豪毅の言葉に、私の隣で動けずにいる赤石が、驚いた表情を浮かべる。

 

「…なるほど。

 行方不明というのは、そういう事でしたか。

 了解しました。

 あなたは、私に嘘はつかないですよね。

 信用しますよ。」

 これは豪毅に対してより、赤石に対する牽制だ。

 この件の後、彼を探す事、殺す事の必要がない事を、暗に強調する。

 

「姉さん、俺と来い。今の俺なら姉さんを守れる。

 …必ず、俺が守ってやる。」

「さっきも言ったでしょう。

『御前』の命令は絶対です。

 私を始末する命令を、あなたは受けている筈。

 今、私はここに居ます。

 どうすべきか、わかりますよね?」

 一緒に暮らしていた頃は、特に何の感情も抱かずに接していたつもりだ。

 けれど実際には、私は彼の存在に慰められていて。

 本来なら兄が占めていたのであろう場所に、彼が居てくれたから私は、心を完全に無くさずに済んだのだ。今思えば。

 豪毅は確かに私の「おとうと」だった。

 私は「姉さん」だから、「おとうと」を守らなければいけない。

 この子に私を守らせては、いけない。

 

「姉さん…!」

 豪毅が、信じられないものを見る目で私を見る。

 何故だか赤石までが同じような表情を浮かべている。

 その赤石に視線を移し、一瞬笑いかけてやってから、私は再び豪毅に向き直った。

 

「ただし、彼はこのまま帰してあげてください。

 彼に施した拘束は、あと一時間もすれば血流とともに解けます。

 その間に私を殺して、あなたは『御前』のもとに遺骸を持ち帰ればいい。

 さっきから煩いので仕方なく拘束しましたが、元々この人とは、全てを見届けてそのまま帰れと、最初から約束をしています。」

 そう言ったら赤石に、ものすごい目で睨まれたけれど、知ったことか。

 

「姉…さん。」

「刀を抜きなさい、豪毅!

 でなければ、私があなたを殺します!」

 言いながら、豪毅の懐近くまで入り込む。

 だが恐らくは触れるのは不可能。

 少し殺傷力が落ちる飛ばし攻撃で氣の針を放つ。

 

「うっ!!?」

 天性の勘なのだろう、豪毅はほぼ反射的に首を捻って、目には見えていない筈の私の攻撃を避けた。

 首筋に一筋、赤い線が走る。

 そこにじわりと血が滲んだ。

 

「…よく避けましたね。でも次はない。」

「本気か…姉さん。」

 豪毅の、長い睫毛に囲まれた瞳が、哀しげな色を映す。

 それは最後に会った日に見たのと同じ。

 

 まったく…泣き虫ですね、豪くんは。

 こんなに大きくなったのに、そういうところはちっとも変わらないんだから。

 

「忘れましたか?

 私は『御前』の育てた暗殺者です。

 間合いに入れたら、その瞬間が最後ですよ。

 …さあ、抜きなさい。豪毅。」

「姉さん……光。」

 すらり。

 豪毅は、ずっと手にしていた太刀をようやく抜いて、構えた。

 堂に入った構えだ。

 私と離れた後、相当の修行をしたに違いない。

 ただ、あくまで私の見解でしかないが、現段階ならばきっと、桃と戦えば桃が勝つ。

 でもそれは仮定の話。

 今、彼と向き合っているのは、桃ではなく私だ。

 

「それでいい。

 死にたくなければ、私を殺すしかない。」

 どうせいつかは、「御前」の刺客に討たれるのならば、私は豪毅の手にかかって死にたい。

 

 

「う……おおおぉぉぉぉーーーっ!」

 と、少なくとも1時間は声も手も足も出せない筈の赤石が、大きく吠えた。

 

「!?」

 向き合っていた私と豪毅が、存在すら忘れていたそちらに一瞬目を奪われる。

 赤石は神がかった速さで背中の刀を抜き放つと、豪毅に向かってそれを振り抜いた。

 

「一文字流奥義・烈風剣!!!!!」

 大きく攻撃的な氣が、風圧となって豪毅を襲う。

 

「くっ!!」

 それにより豪毅が体制を崩し、私との間合いから瞬間外れた。

 その瞬間、太い腕が私を捕らえ、踏みしめていた地面が足から離れた。

 

「きゃ……!!!?」

「来い!」

 気付けば私は赤石に横抱きに抱えられ、対峙していた場所から連れ去られていた。

 見上げた薄曇りの夜空に、刀のような三日月が浮かんでいた。

 

 ☆☆☆

 

 赤石は私を抱えたまま全力疾走して、どこをどう走ってきたものか、夜の街中、やや人通りの多い交差点に差し掛かったところで、ようやく私を下ろした。

 さすがに呼吸を乱し、肩で息をする。

 

「おい、いい加減答えろ!

 あいつは一体誰だ!?『御前』ってな何者だ!!」

 私の氣による拘束を自力で破った男が怒鳴る。

 私はどうやらこの男を、相当見くびっていたようだ。

 

「お答えできません!

 どうして約束を破ったんですか!?」

「あの状況で動かねえ奴は男じゃねえ!

 てめえは俺に、男をやめろってのか!?」

「約束を破るのは男としていいんですか!」

「うるせえ!てめえは女だ!

 女はおとなしく男に守られて、好きな男のガキでも生んでろ!」

「意味がわかりません!

 なんでそうなるんですか!」

「女には女の幸せがある!

 死ぬのは男に任せてりゃいいって言ってんだ!!」

 気付けば私たちの言い合いに、通りすがりの人がみんな振り返る。

 …うん、大柄な改造学生服の銀髪男と、小柄な和服の女が大声で怒鳴りあってるんだから、そりゃ確かに目立つだろう。

 2人してその、はたから見ると異様な光景に気づき、赤石が声のトーンを落とす。

 

「…てめえ、自分が死ぬ事であいつを守ろうとしたんだろうが…あいつだけじゃねえ、俺の事もだ。違うか?」

 赤石に問われ、私は溜息をひとつ吐いて、答える。

 

「…あなた方男と違って、私は感情に任せた無駄死にはしません。」

「何だと?」

「女だって、出産で死ぬ事がありますよ。

 そして、母親の命と引き換えに生まれた子も、誰も育ててくれなければ、そのまま死にます。

 母親の方が生き残っていれば、その先も生きていけるのに。

 それは無駄死にです。

 あなたの言う女だって、それと同じですよ。

 誰かが守らなければいけないくらい弱いなら、その守ってくれる人がいなくなった後、どうやって生きていけって言うんです?

 無責任です、そんなの。私は違います。

 私が母親なら、極力生きて子を守りますが、命の危険があれば子を諦めて自分が生きます。

 でもこの場合、私が守るべき人は私より強い。

 その場を生き抜けさえすれば、その後は自分で生きていってくれる。彼も、あなたも。

 私なんかが生き残るより、よっぽど理に適っています。」

 私の言葉に、赤石が私を睨んだまま、何か言いたげに口を開く。

 が、私はそれを制して言葉を続けた。

 

「私はね、赤石。

 子供の頃から、人を殺してきました。

 子供のうちは、子供である事を、ある程度成長してからは、女である事を武器にして。

 飼い主の意のまま、男の習性を利用して、その男を何人も手にかけてきたんですよ?

 あなた方、男の考えることなんて、ちゃあんとわかってるんです。

 …あの子は、『御前』に逆らっても私を守ろうとする。

 私を連れて、逃げてすらくれる。

 けど、そのうち逃げきれなくなって、最後には二人とも殺される。

 あの子なら死の間際に言うでしょうね。

 姉さんと一緒に死ねるなら本望だ、と。

 けど私は嫌です。一緒に死ぬなんて。

 そのくらいなら私が死んであの子が生きてくれた方がいい。

 あの子が私を殺して、私の骸を土産に『御前』のもとへ帰るのが、一番いい。

 飼い主が飼い犬を庇って死ぬなんて、笑い話にもなりゃしません。

 それが一番の選択なんです。

 なんの問題もない。」

 だが私の言葉を聞き、赤石が突然私の両肩を、その大きな手で掴んだ。

 そのまま私の背後の建物の壁に、私を押し付ける。

 

「痛いです赤石!離してください!!」

「問題大ありだ馬鹿野郎!!

 てめえは飼い犬じゃねえ!

 俺もあいつもてめえも、同じ人間だ!!」

 …この男は何を言っているのだろう。

 私が人殺しであると、今聞いたばかりだろうに。

 私たちはお互いの目を見据えたまま、そのままの状態で暫し固まっていた。が、

 

「…ついて来い。見せてえ(モン)がある。」

 赤石はゆっくりと私の肩から手を離すと、大きな背中を私に向けて、歩き出した。




この時点での豪毅には若干甘さがあります。
兄貴全員ぶった斬った後、師匠を奥義奪ってぶっ殺したのはこの後日のお話。


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4・哀しみ胸に閉じ込めるなら

書いてたらこの回メッチャ長くなってたけど、分割したらまた中途半端になりそうなのでこのままいく。
後悔はしているが反省はしていない←だから、だめだろ


「…ここは?」

「橘の…てめえの兄貴の住んでた家だ。

 親が残したモンらしいから、てめえも売られる前にはここに住んでいた筈だ。

 見覚えはあるか?」

 大人しく俺の後をついてきた橘の妹…光を、主人のいない家の中に促す。

 鍵は、死んだ時に身につけていた奴の遺品が、警察から返ってきた際に、俺が受け取ったままだ。

 誰に返しゃいいのかもわからなかったし、奴の死の手がかりを見つける為に何度か入った事もある。

 何も掴めなかったが。

 だが、唯一の肉親を見つけた以上、いずれはこいつに返すべきかもしれねえ。

 

「…ある、気がします。

 なんとなくですけど、あの壁の染みとか。

 …中を、見て回っても?」

 さっきまで俺に食ってかかっていやがったやつと、同一人物とは思えねえようなしおらしい顔で、光が俺を見上げて問いかける。

 

「その為に連れてきた。好きなだけ…何だ?」

 ふと、小さな手が、俺に向かって伸ばされた。

 こいつの手は武器だ。一瞬警戒する。だが、

 

「手を…申し訳ありませんが、手を繋いでいてもらえますか?

 自分でも意味がわかりませんが、何か…怖い。」

 ガキか。

 思わず言いそうになった言葉を、慌てて飲み込む。

 見返した顔が、何故か泣きそうな表情を浮かべていたからだ。

 …さっきから様子がおかしいと思っていたが、その表情で悟る。

 こいつは今、ここで暮らしていた頃、恐らくは11歳半の少女の頃に、気持ちが戻りかけているのだ。

 巻き戻る時間に引き込まれそうになるのを、懸命に踏みとどまっている。

 そしてここにあるものの中で、こいつの『いま』の時間の中にあるものは、俺の存在しかない。

 

「…いいだろう。」

「ありがとうございます、赤石。」

 伸ばされた手を軽く握ると、それは俺の手の中に、すっぽり収まって見えなくなる。

 俺を見上げる不安げな顔が、少しだけ安心したように、微笑んだ。

 

 ・・・

 

「ここは、子供部屋のようだな。

 恐らくは、てめえと暮らしていた時のまま、あいつが残しておいたもんだろう。」

 パステルカラーというやつだろうか。

 柔らかい青を基調とした壁紙の、俺にはどうにも居心地の悪い色彩の部屋。

 古ぼけた子供用の図鑑やら、科学空想系の絵本などが並んだ本棚の上に、赤い車の模型が2つ置かれており、その1つを、光が手に取った。

 

「これは…。」

「車の玩具か。

 あいつが遊んでいたものだろうな。」

 所謂プラスチックモデルというやつだろう。

 よく見れば子供が組み立てたのだろうとわかる荒い接着面から、はみ出た接着剤の乾いた欠片が覗いている。

 一応はタイヤは動くし、ドアも開けられる作りのようだが、俺などが触れば壊してしまいそうだ。

 

「いえ…これ、多分ですが私のものです。

 懐かしいというか…手に馴染みます。

 というか、この部屋、私の部屋だったような気がします。」

 言われて部屋の隅まで見渡してみても、女が好むような人形やぬいぐるみなどの、可愛らしいものは1つも見当たらない。

 この部屋がこいつの部屋だというだけで、こいつがここに住んでいた間、どんな育てられ方をしたのかわかる気がした。

 こいつはここで、女である事を必要とされていなかったのだ。

 恐らくは例の「橘流氣操術」とやらを、代々伝える家系だったのだろう。

 本来ならそれを受け継ぐ筈の長男にそれが不可能だとわかった時から、こいつは「守る者」として生きる事を余儀なくされた。

 伝統を、家族を。それは本来なら男の役割だ。

 そうして兄を守りきった末に「御前」とやらに買い取られ、初めて女としての自身を必要とされたのが、人を殺す為であったというのなら、それはなんという皮肉であることか。

 そこまで考えたものの俺はそれらを一切口に出さず、

 

「ふん…てめえらしいといえば、らしいかもしれねえな。」

 とだけ呟いた。

 

 

 その宿命から逃れても「守る」という意識だけは消えず、こいつにとって自身に属する者を守る事は、息をするくらいに当たり前の事なのだろう。

 だがな、てめえを守りたい男にしてみりゃ、それは屈辱だぞ。

 俺はこの時初めて、こいつが『豪くん』と呼んでいた男に同情した。

 

 

「……桜の木。」

 居間を通り抜け、縁側から庭に出ると、草ぼうぼうの庭の真ん中に、確かに木が一本生えているのが見えた。

 

「桜?あの木か。

 花が咲いていねえから、わからなかった。」

 何気なく口に出した言葉に、何故か橘の笑顔が、引きずられるように脳裏に浮かぶ。

 

『一年中咲く桜があるんですか?

 へえ…見てみたいなぁ。』

『てめえにゃ無理だ。

 男塾の校庭にある木だからな。』

『残念。オレ、桜って好きなんですよ。

 子供の頃ね、妹が…』

 

「散った花びらを…地面に落ちる前に受け止められたら、願いが…叶うんだよって。」

「…!?」

 今思い出していたあいつの話を、目の前の妹が、ぽつりと呟くように語り始める。

 いつもの可愛げのない、つっけんどんな敬語ではなく、まるで子供みたいな口調で。

 …いや、今のこいつは本当に子供なのだろう。

 

「だから、いっぱい取ろうとしたの。

 元気になって欲しかったから。

 でも、手を伸ばしたら花びらは逃げて、全部地面に落ちちゃう。

 そしたら、『自分から取りに行くんじゃなく、手の中に落ちてくるのを待つんだよ』って…。」

 

『あ、でもそれはあくまで、花びらの捕まえ方ね。

 これって思った人間関係は、やっぱ、自分から捕まえに行かないと。

 だからこうして、剛次さんとも、運命的に出会えたわけだし。』

『気色悪い事言ってんじゃねえよ!』

『えー、剛次さん、つれなーいwww

 …でも、今隣にいた人だって、明日には居なくて、二度と会えないかもしれないし。

 後悔とか、したくないですからね。

 だから、好きなものは好きだし、欲しいものは欲しいって言うんです。オレは。』

 

「思い……出した。なんで忘れていたの…。

 お兄ちゃん……!!」

  繋いだままの手が、ぶるぶる震える。

 少し強めに握ってやると、不安げな顔が俺を見上げた。

 

「ねえ、お兄ちゃんほんとに死んじゃったの?

 ほんとに、もうどこにも居ないの?

 もう………二度と、会えないの………?」

「…ああ。」

 

『春は毎年来るけど、咲く花にしてみれば、その年の春はその時だけだ。

 だから、散り落ちるその瞬間まで、精一杯咲き誇る。

 桜は、オレの理想の生き方そのものです。』

 

 あいつが死んだあの夜は桜が薫っていた。

 自身が好きだと言った、桜の花の季節に、その香りの中、奴は逝った。17歳の若さで。

 

 俺の肯定に光が俯き、唇を噛みしめる。

 俺はその小さな頭を掴むと、強引に上向かせて、言った。

 

「…………泣け。」

「え?」

「我慢する事ぁねえ。泣け。てめえは女だ。

 あいつの為にも、てめえ自身の為にも、今は泣きたいだけ泣け。」

 女は悲しい時には泣くもんだろう。

 涙を堪えて先に進むのは男の仕事だ。

 ガキの時分にどっちも求められて、自分はどっちに傾くべきか判らなくなってんだろうが、ならせめて、泣きたい男の代わりに泣くがいい。

 

「…泣き顔を見られんのが嫌なら、俺は背中を向けていてやる。」

 顔を見られたくないのは、どちらかというと俺の方だったのかもしれねえ。

 俺は掴んでいた光の頭を離すと、そのまま背を向けた。と、

 

「……!!?」

 不意に、背中に温かく、柔らかいものがしがみついてきた。

 

「ごめ…なさい……でも、背中……貸して…っ……!」

 …俺の背中で、その温かいものが弾かれたように慟哭した。

 それでいい。泣きたいだけ泣けばいい。

 あいつの為、てめえ自身の為、そして…俺の代わりに。

 

 ・・・

 

「赤石。」

 背中から、温かい感触が離れたと同時に、呼びかけられる。

 

「…なんだ?」

「帰りましょう、男塾へ。

 今日は一日中付き合わせてしまって、申し訳ありませんでした。」

 …どうやら11歳半の少女から、実年齢の時間に戻ってきたようだ。

 泣いた事が気まずいのか、俯き加減の顔の、頬が少し赤い。

 まったく可愛げのねえ女だと思っていたが、こうして見ると少しだけ可愛く見える。

 …って、何を考えてんだ、俺は。

 

「フン。

 そう思うんなら、今度いい酒の一本でも持ってくるんだな。」

 何だかこいつの顔をまともに見ていられなくて、俺は明後日の方向に視線を泳がせながら応じる。

 さっきまで泣いていた女が、俺の言葉にクスッと笑うのが聞こえた。

 

「今日のことを、口外しないでいただけるのでしたら、3本は用意させていただきますよ。

 良ければそれで、桃と和解してください。」

 生意気な事を言いやがる。

 口外するなと言うが、てめえは肝心な事は何一つ言いやがらねえだろうが。

 だが、その提案は魅力的だな。

 

「余計なお世話だ、ガキが。

 …まあいいだろう。

 いい酒だとてめえが選んできたものを話のネタにして、それをツマミにヤツと酌み交わすのも悪かねえ。」

「あら、信用がないんですね。

 私だってお酒の事、少しはわかりますってば。

 ていうか…私は桃よりも年上なんですがね。」

「ああ…橘とは双子だったな、そういや。

 あんまりちっこいんで、忘れてた。」

「ちっこいとか言うな!

 あなたと比べたら誰だって小さいでしょう!」

 そのちっこい身体で俺に食ってかかる心臓は褒めてやる。

 もっとも、さっきあの男と対峙していた様子から見て、本気になればこいつは、俺くらい躊躇もなく殺しにかかってくるのだろうが。

 

 

「あ、ちょっと待って。確か…ここだ。」

 突然光が、桜の樹に歩み寄り、その幹の下にしゃがみ込んだ。

 そうしてそこに転がっている大きな石を、躊躇なくひっくり返す。

 

 …普通、女はそういうの、嫌がるもんなんじゃねえのか。

 というか、和服姿の女がする事じゃねえ。

 

 ひっくり返した石の下からは、湿気のある場所を好む虫がわらわらと出て…来なかった。

 そこは石で組まれた、明らかに人工的に作られた隙間というか穴が開いており、光はその中に手を突っ込むと、青っぽいビニール袋に包まれた何かを、その穴から引っ張り出した。

 

「ん?……なんだ、それは。」

 ビニールを外すと、中から出てきたのは2冊の、子供用の学習用ノート(所謂ジャ◯ニカ学習帳。分類は『じゆうちょう』とある)だった。

 

「…父が、私に教える為に、古文書を現代語に直して纏めたものです。

『橘流氣操術』と、その禁忌を記した『裏橘』の書。

 どちらも今は、全て私の頭の中に入っています。

 だから、これは誰かの目に触れる前に、私の手で焼却処分します。

 そういう約束でした。

 その前にこの家を離れざるを得なかったので、隠すしかできませんでしたが、ようやく果たす事ができます。」

 そう言うと、どこか切なげに、光はそれを抱きしめる。

 

「てめえ…記憶が」

 俺の呟きにこくりと頷いて、光は言葉を続けた。

 

「父は、兄の病気が発覚した時点で、兄の命を諦めていました。

 だから本来なら兄が受け継ぐ筈の一族の秘術を、まだ幼い私に教え込みました。

 私は10歳になるかならないかで、その全ての技を修めた。

 本来ならいつ尽きていてもおかしくなかった兄の命を、それから2年弱、繋ぎ止めたのは、この私です。」

 恐らく父親は、この女に自身の宿命を納得させる為に、兄の命をダシに使ったに違いない。

 理由が理由だけにこいつは必死になった筈だ。

 もっともその親にしても、こいつがそこまでの速さですべての技を習得する事になるとは思っていなかったのだろうが。

 その点では棚ボタというか、結果的にこいつが天才だったのだろう。

 橘のやつがもし健康で、同じ修行をしたとしても、同じ結果にはならなかったろうから。

 

「御前…私の飼い主が、いつ私を見つけたのか、それはわかりません。

 ですが、父が兄の命を諦めた事に不満のあった母に、私を寄越せば兄の手術費用を出してやると、話を持ちかけたのは間違いないようです。

 両親がそのように言い争いをしているのを、何度か見ました。

 私は兄と離れるのが嫌だったからそう言ったら、『兄さんを助けたくないのか』『お前は人でなしだ』と母に詰られ、父が母に手を上げるのも見ました。

 飼い主の元へは、母に連れられて行きました。

 そこで…人を殺す事を学び、それ以外の事は、全て忘れました。

 己の感情はなく、飼い主の意のままに、証拠も残さず人を殺す暗殺者。

 それが、私です。」

 飼い主にとってのこいつの価値は、人を殺す力。

 僅か11歳半の少女の身に、課せられたそれは、なんと重い宿命だったことか。

 温かい記憶など忘れきらなければ、到底耐えきれるものではなかったろう。

 

「以前塾長は私に、力そのものに善悪はないとおっしゃいました。

 ですが私はその力に、罪を与えてしまった気がします。

 受け継いだのが、私だったばかりに。」

「そんなもんは、てめえの責任でもなんでもねえ。

 何もかも、大人の都合だ。」

 聞いていて胸糞が悪くなり、俺は思わず吐き捨てるように言い放つ。

 

「…似たような事を、てめえの兄貴も言っていたがな。

 生き延びた事が罪だが、生きてるからには責任取らなきゃいけねえんだと。

 本当に…てめえらは似てる。そっくりだ。」

 違うのは、あいつはそれを笑って言った事くらい。

 あいつの心の強さは、しなやかさだった。

 こいつは違う。

 心が壊れないよう、固く覆って隠す事で、それを守っている。

 内側は恐らく、儚く脆い。

 

「だが橘は、自分の力が及ばねえ事に、他人を頼る事を恐れなかった。

 てめえもそうしろ。

 生きてる責任が重てえてんなら、誰かに一緒に持ってもらやいい。

 …俺の手がまた必要なら言え。貸してやる。」

 気がつけば俺は、自分でも気持ちが悪いと思う事を口にしていた。

 どうやら兄だけでなく妹にまで、俺は完全に絆されたようだ。

 そして兄の時と同じように、俺はそれを不快に思ってはいない。

 まったく…どうかしている。

 

 ・・・

 

 時間はもう真夜中。男塾の正門前。

 

「あなたは先に入っていてください。

 私はこの格好で、正門から堂々と入る訳には参りませんので、あとで裏門から入ります。」

 馬鹿か貴様は。

 普通は男が、女を送り届けるもんだろうが。

 こうなると分かってりゃ先に裏門から回ったものを。

 

「…まさか、このまま行方を眩ましやしねえだろうな?」

 少しだけ悔し紛れに、俺はその目を睨みつける。

 

「しませんよ。

 豪くんが…彼が言っていたでしょう?

 私はもとの飼い主から、命を狙われているんです。

 単独でどこへとも逃げ回るより、ここにいた方が安全ですから。」

 その俺の視線に怯むでもなく、軽く肩を竦めて、おどけて答える。だが、

 

「…その言い方は二度とするな、光。」

「…は?」

 さっきしたのと同じように、頭を掴んで上向かせる。

 何を言われたのかわからなかったのであろう、光はきょとんとした目で、俺を見返した。

 

「さっきも言ったが、てめえは犬じゃねえ、人間だ。

 今までも、これから先もだ。それを忘れんな。」

 当たり前の事を言っているだけなのに、光の目が驚いたように見開かれる。

 

「…何か、文句でもあるのか?」

 黙ったまま何も答えない事に、若干イラッとして俺が問うと、その口角がゆっくり、笑みの形に上げられた。

 

「いいえ……赤石は、優しいんですね。」

「…!く、くだらねえ事言ってんじゃねえ…!!」

「フフッ…今日はありがとうございます。

 おやすみなさい、赤石。」

 光が小さく手を振るのに、答えず俺は背を向けた。

 校門をくぐると、季節外れの桜が薫った。

 あいつが見たいと言っていた桜。

 あの時は俺とて、二度と見ることはないと思っていた。

 春と違って満開ではなく、夏はこの枝、秋ならここと、一部の枝に花が咲くような形。

 その花が、風に揺れて、花びらを散らす。

 不意に橘の満面の笑顔が、その光景に重なった。

 さっき別れた顔と同じで、それでも全然違う顔。

 そうだ、てめえの妹は、まだそんな風には笑わねえな。

 少なくとも俺は見たことがねえ。

 いつか見る事があるんだろうか。

 

 ☆☆☆

 

「押忍、光。」

 いつも通り、執務室で雑務をこなしていたら、桃がまたやって来た。

「殺シアム」で彼が負った怪我は、一番大きな胸の傷自体がそれほどの重傷でもなかった為、私は手当てを施していない。

 ので、あちこちに包帯やら絆創膏が目立っているが、男塾仕様の応急処置は信用できる。まあ大丈夫だろう。

 

「おはようございます、桃。今日は何か?」

「特にないが、何か手伝うことは?」

 彼のこれは、授業をサボる口実でしかない事はそろそろ判ってきているので逃げ道を塞ぐ。

 

「ありません。授業を受けてきてください。」

 そのまますげなく執務室から追い出そうとしたら、桃は私の顔を覗き込んで、少しだけ探るような眼差しを私に向け、言った。

 

「で、赤石先輩とのデートは楽しかったか?」

 …一瞬何を言われたのかわからなかったが、昨日自分でも赤石に、同じような冗談を言った事を思い出して、苦笑する。

 うん、とりあえず乗っておこう。

 

「…おや、どうして知ってるんですか?」

「俺は聞いただけだけどな。

 一昨日俺との決闘で全治3ヶ月の重傷を負った筈の赤石が昨日、和服を着た美人と歩いてたって。

 傷に関しては、そんな事が出来るのはおまえくらいだろうし。

 連れの女がおまえかどうかは、今聞くまで確証はなかったが。」

「所謂、カマをかけたというやつですか。

 残念ながらデートではありません。

 最初から話すと長くなるんで端折りますが、赤石に付き添って貰って兄弟に会ってきただけです。」

 …嘘は言っていない。

 

「兄弟?」

「正確には義理の弟と、死んだ兄です。

 詳しく話す気はありません。

 もういいでしょう。ほら、授業に遅れますよ。」

 正確には、もう始業のチャイムが鳴っているので既に遅れているけれど。

 多分、本人もわかっているのだろう。

 

「でもおまえ、なんか雰囲気変わったぜ。

 なんていうか…少し、綺麗になった。

 もしそれが赤石のおかげだというのなら、少し妬けるな。」

「…相変わらず気色の悪いことを言いますね、あなたは。」

 一応、確認すべき事は確認したが、私が依然、命を狙われたままという事実に変わりはない。

 という事は、私はまだまだ男でいなければいけないという事だ。

 事実を知っているとはいえ、女を見る目で私を見るのはやめてほしい。

 …とはいえ、椿山の時のような特殊なケースもないではないので、男だからいいという事でもないのか。難しい。

 

「フフフ、そうか?だが本当だ。」

「変わったというなら、幾らか吹っ切れたものがあるからでしょう。

 …それは多分、赤石だけじゃなく塾長や…桃、あなたのお陰でもあると思いますよ。」

 けど、そういう関心から離れた、純粋な好意や思いやりが、彼らの中に存在するのも事実で。

 以前なら、それを感じるたびに、身の置き所がわからなくなって、逃げ出したくなったものだけど。

 

「俺の?」

「ええ。以前言ってくれましたよね?

 私の事も、仲間だって。

 昨日、赤石に言われた事があって、それによってあなたのその言葉が、いきなりストンと腑に落ちたんです。

 だからじゃないでしょうか。」

 

『生きてる責任が重てえてんなら、誰かに一緒に持ってもらやいい。

 …俺の手がまた必要なら言え。貸してやる。』

『おまえに頼られて嫌な顔する奴なんか居やしないさ。

 …まずは、俺を信じろ。』

 

 ここの男たちは、優しすぎる。

 けれど、今はその優しさが、素直に嬉しい。

 なんて事を考えていたら、

 

「…ふうん。だとしたら、やはり妬けるな。

 なあ光、今度、俺ともデートしてくれないか?」

 と、もう一度顔を覗き込んで、桃が言った。

 

「デートじゃないと言った筈ですけどね。

 でも、いいですよ?」

 さっきの冗談の続きならば、まだ乗っておく事にする。

 それなのに当の桃は、一瞬目を見開いて黙り込んでから、少し驚いたように言った。

 

「いいのか?

 絶対に断られると思っていたんだが。」

「私も、あなたは絶対に本気じゃないと思っていましたが。」

 私の言葉に、何故か挑戦的に微笑んで、桃が答える。

 

「フッフフ、それでも約束はしたぞ。

 どこに行きたいか決めておいてくれ。」

「あら、あなたが誘ったんですから、プランはあなたが考えてくださいよ。

 ちなみに、女の『あなたに任せる』は『どこでもいい』という意味ではなく、『あなたのエスコート能力を見極めさせてもらう』の意味ですからね。

 将来、これはと思う女性と付き合う時の、参考にしてください。」

 どうやら、交際経験というジャンルに関しては、私に軍配が上がったらしい。

 もっとも、私の過去の「交際相手」は、上流階級の大人の男性ばかりだったから、エスコート能力で十代の男の子が敵うわけがない。

 そのうち一人として、今現在まで生きている者はいないけど。

 

「なるほど、よくわかった。

 …ところで、なんか珍しいもんがあるな。」

 言われるとは思っていた。

 私の執務室にあるソファーの前のローテーブルは、天板はアクリル板だが下にもう一枚オーク材の板との2枚仕立てになっており、間にディスプレイ品が置ける形のもので、今はそこに、2台の赤い車の模型を配置してある。

 昨日赤石に連れられて行った兄の家から、隠しておいた秘伝書と共に持ち帰ってきたものだ。

 

「これですか。

 どうやら私は子供の頃、車が好きだったようです。

 見ていると懐かしい気がして、兄の家から持ってきました。」

 記憶が完全に戻ったわけではない。

 思い出せたのはほんの断片だが、親戚のおじさんとかいう人に、欲しい玩具を買ってあげると言われて、私が選んだのがこの2台の模型だった。

 …というか、今気付いたのだが、あの時のおじさんが、今思えば御前だったような気がする。

 …いや、止そう。考えるな。

 

「スーパーカーブームの頃だろう。

 俺も好きだった。」

 桃が、言いながら、天板の下から、その小さな車を出して、掌に乗せる。

 

「特にこの、フェラーリ365GT4ベルリネッタ・ボクサー、この世で最も美しく官能的な車で、今でも俺の憧れだ。」

 桃が言うのに対抗して、私ももうひとつを手に取る。

 

「私はこっちが好きです。

 ランボルギーニ・カウンタック。

 この、車を超えた、美しいデザイン、もはや芸術の域でしょう。」

 同じ時に買ってもらって同じように組み立てて、若干カウンタックの方が痛みが激しいのは、やはり当時も気に入っていたのがこっちだったからだろう。

 …それはそれとして、桃だとすっぽり掌に乗るのに、私が同じようにするとはみ出して、同じ縮尺なのになんかものすごく大きく見える。

 泣くもんか。

 

「あと、あの当時人気だったのは、ポルシェ・ターボやロータス・ヨーロッパかな。」

「その辺はあんまり好きじゃなかった筈です。

 今は知りませんが、当時はカエルみたいな顔とか思っていましたから。」

「顔、ねえ…。」

「…でも意外です。

 あなたがこんな話題に乗ってくれるなんて。」

「俺にだって子供の頃はあったんだぜ?」

「きっと、相当かわいげのない子供だったんでしょうね…。」

「しみじみ言うな。」

 いつもより軽口の応酬が何故か心地いい。

 

「…やっぱりおまえ、いい方に変わったと思うぞ。

 少なくとも一昨日会った時点では、まさかおまえとスーパーカーの話ができるとは思っていなかったからな。」

 けど、いつまでもこうしているわけにもいくまい。

 私は事務員、相手は塾生だ。

 

「そうですね。楽しかったですよ、桃。

 はい、雑談は終わりです。

 授業は始まっていますから、今から行って潔く鬼ヒゲ教官に怒られてきなさい。」

 彼の手からベルリネッタ・ボクサーを回収し、カウンタックと一緒にまたディスプレイスペースに戻してから、私は桃の背中を両手で押した。

 

「フフッ、まったく厳しいことだ。」

 抵抗せずに入口付近まで私に押し出されながら、桃が少しだけ私を振り返る。

 その顔を見上げた時、小さな違和感を覚えた。

 

「あ、ちょっと待って。ここ、何か…?」

「ん?」

 桃の顎の下、真正面から見れば辛うじて隠れているくらいの位置に、何か白いものが付着している。

 指でつまんで取ってやり、正体を目で確かめて…それが何か理解した瞬間、思わず吹き出した。

 

「…ぶふっ!

 やだちょっと、歯磨き粉の欠片ですよ、これ。

 付けたままここまで来たんですか!?あなたが!?」

「え?本当か?」

 さすがに慌てたような表情をする桃に、更に笑いがこみ上げてくる。

 まずい、止まらない。

 

「本当ですって。

 くくっ…もう、子供じゃないんですから…っ……ぷぷっ」

「フフッ……ハハハッ…」

「アハハハハ、や、やだもう、苦し…!」

 

 

 と。

 大笑いしているところに、突然巨人が現れた。

 

「邪魔するぞ、光。

 …剣か、何してんだてめえ。」

 唐突に訪れた圧迫感に、笑った顔のまま固まる。

 

「赤石!お、お疲れ様です。」

「押忍、赤石先輩。

 …先輩こそ、どうしてここへ?」

 桃が問うと、問われた赤石は、親指で私を指し示した。

 

「俺はこいつに用がある。」

「ここに来たからにはそうなんでしょうね。

 用はなんですか?」

「その前にこいつを追い出せ。」

 今度は同じ指で桃を指し示す。

 

「だ、そうですよ桃。」

 私が暗に退室を促すと、なにを思ったか桃は私の肩を抱くと、自分のそばに引き寄せた。

 赤石の眼光が鋭くなる。いや怖いから。

 

「光が女だって事は俺も知ってますよ、先輩。

 なので、二人っきりにはさせられません。」

「てめえこそさっきまで二人っきりだったろうが。

 つか、手ェ離せ。

 いいか、俺の妹に手なんか出してみろ。

 その手、今度こそぶった斬ってやる。」

「ちょ、ひとの執務室で抜刀はやめ…………え?」

 なにか今、あり得ない宣言を聞いた気がするが気のせいだろうか。

 

「………妹?」

 さすがの桃も怪訝な表情を浮かべ、私の肩を抱いたまま、私と顔を見合わせる。

 

「あの…赤石?何を言って…」

「…そう言いに来た。

 てめえの兄貴の仇は、結局この手で取れなかった。

 ならせめて、その役割を俺が肩代わりしてやる。」

 ちょっと待って。その決意要りません。

 

「…いやもう、こいつ代表にした手のかかる弟みたいのがここにはたくさんいるんで、それ以上に手のかかる兄とかほんと要らないんですが…とか言っても無駄なんでしょうね。

 ありがとうございます、赤石。」

 なんか色々な意味でまた泣きそうなのは気のせいだろうか。

 赤石が、本質的には優しい人なんだという事は、昨日一日でよくわかった。

 けど、惜しむらくは、その方向性が明後日に向かっている上、血の気が多いこともあって、深く関わったら嫌な予感しかしない。

 

「用はそれだけだ。ではな。

 …剣、てめえも来い。

 どうせ授業に出る気なんざねえんだろう。

 相手してやるから、こいつを煩わせるな。

 行くぞ。」

 抜きかけた刀を背に戻しながら、赤石が桃を促してドアへ向かう。

 桃はようやく私の肩から手を離すと、軽く肩をすくめて、苦笑いした。

 

「前門の虎、後門の狼か…光、また後でな。

 デートプラン、ちゃんと考えとく。」

 これは私に対してより、赤石に対するからかいの冗談なんだろう。

 とりあえず乗っておく。

 

「はい、楽しみにしています。」

「!?貴様っ……!!」

 赤石が桃を睨みつけ、桃は飄々と、その視線を受け流した。

 いいから外でやれ。

 

 ・・・

 

「…俺が入る前、なんの話をしていた?」

「はい?」

「俺も付き合いが長いわけじゃねえが、あいつの笑い声なんざ初めて聞いたぞ。

 どうやって笑わしたんだ?」

「ああ、あれね。

 朝、寝坊して急いで出てきたんで、歯磨き粉が付いてたらしいです、ここに。

 どうも、それがツボったみたいで。」

「ガキか。」

「あいつにも言われました。…で?

 兄貴になるなんて言っちゃって、いいんですか?」

「…どういう意味だ。」

「フッ、まあ、俺としてはその方がいいですけど。

 光は、いい女ですからね。」

「いい女?

 あんな、男のひとりも知らねえガキがか?」

「…いやまあ、そこのところについては、俺は知りませんけど。」

「俺は目はいい方だ。間違いねえ。

 それよりさっき、デートがどうとか言ってやがったな。

 どういうつもりだ。」

「どういうつもりと言われてもね。

 駄目元で申し込んでみたら、了解してくれただけなんで。」

「絶対に許さん。

 貴様は今ここで、俺の刀の錆にしてくれる!」




この時期の桃は、他の塾生がハチャメチャにした展開を、スッキリ纏めるのがお仕事の主人公でした。
なので、最後の一番いいトコは彼が持っていきます。
リアルタイムで読んでた時は、ちょっとズルいと思ってましたwww
そしてアタシの中では、赤石先輩はナチュラルに兄貴キャラ。

「帰ろう、男塾へ…!」というフレーズがなんか好きで、思い切ってヒロインに言わせてみたw


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音速剛拳編 1・ジェネレーション・ダイナマイト

良男のかあちゃんとか夏合宿の話は、どう頑張ってもヒロインを介入させられなかったのでスルー。
ちょっと関わってみたかったけどね良男のかあちゃん。原作のオチが完璧すぎて、ヒロイン入ったら邪魔になるだけだったよ…。


「留学生?」

 いつも通り塾長室で一緒にお弁当を食べている時に塾長が振ってきた話題は、今度米国海軍兵学校(アナポリス)から留学生を受け入れるという話だった。

 

「うむ。貴様が殺そうとした中ちゃんからの依頼でな。」

 ニヤニヤ笑いながら塾長が言う。

 うん、もうその話はやめて欲しい。

 自業自得なんだけど。

 

「貴様、英語は話せるな?」

「日常会話程度ですが。」

「うむ、充分であろう。」

 一応主要5ヶ国語、暗殺者の嗜みとして身につけた。

 ターゲットに接触する際、言葉が通じなくては文字通り話にならないから。だが、

 

「私より剣の方が、語学は堪能な気がします。

 以前図書室でシェイクスピア全集の原書を見つけて読んでいたら、私が意味がわからなくて首を捻っていた表現を、彼はあっさり解説してくれましたし。」

 意味がわかったら普通に下ネタでドン引きしたけど。

 

「そもそもあの人、苦手な事なんかあるんでしょうか。

 何をやらせても完璧な人っているんですね。」

 頭の回転も速く身体能力も優れ、恐らくは血筋もいいであろう桃。

 その上見た目もいいし性格………も、いい、方だろう。

 多分、根っこの部分においては。

 時々人をからかって遊ぶ悪い癖があるが、大事な場面に於いては仲間思いのいいやつだと思ってる。

 一号生全員に慕われ頼りにされているのも道理だろう。

 

「貴様とて相当、そこに近い位置におろうが。」

「そう思っていたのですけどね。

 彼を見ていると、自信を失う事ばかりで。」

 そもそも人としての器の大きさで桃と勝負する事は諦めている。

 彼は人の上に立つ人間だ。

 私のような日陰の毒草とは違う。

 なんて事を言ったら、自身を卑下するなとまた叱られそうなんだけど。

 目の前の人もそうだけど、最近じゃ赤石にも。

 

 その赤石だが、先日の『俺の妹』宣言の後から、桃と同じくらい私の執務室に入り浸るようになった。

 まあ彼は二号生の筆頭だし、別に不自然な事ではないのだが、問題は二号生関係の細かい仕事は、相変わらず江戸川が処理しているという事だ。

 しかし、おまえは何の為の筆頭なんだと、つっこみたいがつっこめない何かがそこに存在しているのもまた事実。

 桃はなんだかんだでそれらの仕事もこなしているから、余計その対比が浮き彫りになる。

 まあそれだって、あの完璧人間と比べる方が間違ってるのかもしれないが。

 そもそも二号生、強さだけなら確かに赤石が群を抜いてるけど、人望は江戸川の方があるんじゃないかって気がするし。

 同じ「筆頭」でも、桃と赤石では求められるもの自体が違うかもしれない。

 その桃たち一号生が、つい昨日まで夏合宿で不在だった間、赤石は完全に私の執務室のヌシみたいになっていた。

 何だか急に部屋が狭くなったと文句を言ったら、

 

「てめえがチビなんだからちょうどいいだろうが。」

 などと言われた。バカ兄貴滅べ。

 てゆーかコイツ居るだけで威圧感が凄すぎて、ピーコちゃんが鳴かなくなっている気がするのだがこれは動物虐待じゃないだろうか。

 なんぼなんでもかわいそうなので次からは、赤石が居る間は私の私室の方に入れてやる事にしよう。

 ピーコちゃんで思い出したが、夏合宿に入る前、椿山がピーコちゃんに会いに執務室に来たので、ついでにプリント折を手伝わせていたところ、そこになんの用だったか忘れたが赤石が現れて、そのだだ漏れの威圧感に明らかにビビった椿山は「用事を思い出した」と逃げ帰ってしまった。

 大量に残った仕事を仕方なく一人でちまちま片付けていたら「手伝ってやろうか」と言われて、

 

「その太い指じゃ鶴も折れないでしょう。」

 と断ったら不機嫌になったので、

 

「じゃあ折ってみてください!」

 とヤレ紙を数枚渡したところ、物凄い形相で何だかわからないモノを折り始め、その時点で腹筋に深刻なダメージを負った。

 更にそこに二号生の課外活動のレポートをまとめて持ってきた江戸川が現れ、その鬼気迫る光景に若干ビビりつつも赤石に何をしているのか尋ねてきて、私が「鶴を折らせている」と答えると、赤石に渡したヤレ紙の一枚を取り、赤石よりも更に太く大きな指をちまちまと器用に動かして、一羽の綺麗な鶴を折りあげたのを見て、そしてそれを見た赤石の苦虫を噛み潰したような顔を見て、遂に完全に決壊した私はその時本気で笑い死ぬかと思った。

 結局プリント折は江戸川に手伝ってもらう事にして赤石を部屋から追い出したのだが、その時の赤石は何故かひと仕事終えたような表情を浮かべており、正直何なんだコイツと思った。

 

 …そういえばあれ以来じゃないだろうか。

 赤石が本当に頻繁に、私の執務室に入り浸るようになったのは。

 

 桃が居心地いいと言って一度座ったらなかなか離れないソファーに狭そうに腰を下ろし、長い脚を邪魔そうにテーブルに乗せた赤石の姿を思い浮かべていたら、塾長が何やら呟くのが聞こえた。

 

「なにをやらせても完璧、か…。

 かつて、そんな男がもう一人、この男塾に居た。」

「え?剣みたいな完璧超人が、他にも居たって事ですか?

 世の中、広いですね…。」

「フフフ、今頃どうしておるやら、のう…。」

 私の言葉が聞こえているのか聞こえていないのか、塾長はしみじみと独りごちた。

 

 ☆☆☆

 

 校庭では留学生の歓迎式が行われているようだったが、私は私で塾長室に呼ばれていた。

 

大威震八連制覇(だいいしんぱーれんせいは)司祭、王大人(ワンターレン)と申す。」

「江田島光と申します。

 よろしくお願いいたします。」

 塾長から紹介された、異様な風体の男が名乗り、私も自己紹介を返す。

 

「貴様が、『橘流氣操術』を使うという娘か。」

 とか言われたところを見ると、塾長はこの男に、粗方の事情は話してしまっているようだ。

 まあしかし、塾長がそれを是と判断したならば、それは間違いではなかろう。

 ………………………多分。

 そ、それはともかく、彼の言った大威震八連制覇という耳慣れない名称だが、何だか割と最近、どこかで見た覚えがある。

 

「今年は開催の年。

 三号生は前回と変わりないが、そちらの人員の選定は進んでおるのか。」

「まだまだ時間がかかりそうよの。

 現時点では、赤石を入れてもめぼしいのは3人しか居らぬが、赤石は恐らくは加わるまい。

 無理に従わせようと抑えつければ死ぬか、逃げる。

 どちらにせよ血を見る事となろう。

 こやつが居るお陰で、以前より丸くなってはおるようだがな。」

 …なんの話だ。

 

「ほう…全てを斬るという斬岩剣にも斬れぬものがあるという事か。

 ならばこの娘、わしに預けぬか?

 なりは小さいがこれだけの素質、ひと月も鍛えればひとかどのものになろうぞ。」

 小さいとか言うな。失礼な。

 

「ほほう、それほどの才か?

 貴様がそこまで言うならば少し興味があるが、貴様はあくまで中立でおらねばならぬ立場の筈。

 手づから鍛えればそれなりに情もわこう。

 それに、赤石と剣は、こやつが女という事を知っておる。

 こやつを戦わせる事に、納得は決してすまい。

 わしとて同じよ。

 これほどの数の男が居ながら女を戦わせる事になるなら、むしろ男塾という看板自体をおろさねばならぬわ。」

「それもそうか。つまらぬ事を言った。」

「いやいや、だが本当にどうしたものかな…。」

 男二人が、腕を組んで考え込む。

 

「…あの、塾長。

 私をお呼びになった用件はなんでしょうか?」

 呼ばれて来たらこの王とかいう男を紹介された以外、特になんの用事も言い渡されず、二人の会話を横で聞かされていただけの時間に、いい加減焦れた私が問うと、塾長は今初めて気付いたような顔をした。

 この野郎、これ絶対忘れていただろう。

 

「ああ、すまぬな。

 今日たまたまこの王が来ていたので、そろそろ顔を通しておいた方が良いかと思うたまでの事だが…うむ、白状するか。

 実は剣から頼まれておってな。」

 え?桃が?

 

「…頼まれた、とは?」

「ほとぼりが冷めるまでは、貴様を留学生どもの目に触れぬよう、引き留めておけとよ。

 先ごろわしを出し抜いた時の事といい、先の事までよく頭の回るやつよ。

 余程貴様の事が心配とみえる。」

 ニヤニヤ笑って言われた塾長の言葉に、思わず心の声が口からだだ漏れる。

 

「オカンか。」

「ん?」

「いえ何でも。

 ですが確かに、もし何かの間違いでうっかり殺してしまっては国際問題となりましょうし、確かに私は彼らと、顔を合わせない方が良さそうですね。

 そういう事でしたら、私は今日一日は、二号棟の方にでも詰めていましょう。

 赤石の近くにいれば、大抵の事は大丈夫でしょうから。

 では、これにて失礼いたします。」

 いい加減、意味のわからない会話をそばで聞き続けるのも辛くなってきた。

 深々と頭を下げてから、早々に塾長室を立ち去る。

 

「フフフ、わしが男塾塾長江田島平八である。」

 背中から、いつもの塾長の声が聞こえた。

 

 ・・・

 

「…平八よ。

 あれは、獅子身中の虫ではないのか?」

「ん?何故そう思う?」

「以前、裏の世界での噂に聞いた事がある。

 藤堂の子飼いに、暗器も毒も使わず指で人を殺せる女の暗殺者が居るとな。

 橘流氣操術という事は、その禁忌である裏橘も極めていよう。

 あの者、暗殺に失敗して貴様に捕らわれたというが、それ自体貴様に近づく為の策であったという事はないか?」

「…光の、元の飼い主が藤堂である事、とうに調べがついておる。」

「…なんと!?」

「だが、そこを隠しておること以外に、光は腹の中に、何も持ってはおらぬ。

 その出自を考えれば驚くほどに、まっさらよ。

 わしは、あれの立てた茶の味を信じる。そう決めた。

 時が来れば、いずれは話してくれようて。」

 

 ☆☆☆

 

 塾長室を辞した私は、まず虎丸の今日の食事を教官に頼んでから自分の執務室に戻って、ピーコちゃんの餌と水を替え、その籠を私室に運び入れた。

 それから、昼に塾長と一緒に食べるつもりだったお弁当を持って執務室を出る。

 ていうか、もうすぐお昼だ。

 ここに来てからほぼ毎日塾長と一緒にお昼を食べていたので、一人で食べるのは少し寂しい。

 赤石か江戸川が一緒に食べてくれないだろうか。

 …うん、無理だな。

 講堂の方が何やら騒がしいが、どうせ留学生関連で、桃が判断した事だから私は行っちゃダメなんだろう。

 聞かなかった事にして二号棟へ向かう。と、

 

「Curl!?」

「…は?」

 突然、後ろから肩を掴まれ、振り向くと身体の大きな外国人が、笑みを浮かべて私を見下ろしていた。

 留学生の一人か。せっかく桃が気を使って、真っ先にからかいの材料になりそうなチビの私を遠ざけてくれていたというのに、まさか別行動している奴に見つかるなんて。

 …と最初は思ったのだが、どうも様子がおかしい。

 

「Did you come to Japan, too?

 …Hm?Have you forgotten me?

 I'm Jack. King Butler,Jr.

(おまえも日本に来ていたのか?

 ん?俺の顔を忘れたか?

 ジャックだ。キング・バトラーJrだ)」

 

「…I think that you are confusing me with someone else,Jack.

(多分ですが人違いです、ジャック)」

 

「?……It seems to be so.

 The words of the Curl had a Boston accent, but you are slightly different.

 …However, you resemble him closely.

(そのようだな。カールの言葉にはボストン訛りがあったが、おまえは少し違う。しかし…よく似ているな)」

 

 どうやら知り合いと間違えられただけらしい。

 というか、なんだろうこのデジャビュ。

 ちょっと前にもこんな事があったような気がしてならないのだが、気のせいだろうか。

 

「…おい、そいつに触んじゃねえ。」

 と、デジャビュの正体が突然話しかけてきて、私は思わずそいつの名を呼ぶ。

 

「…赤石!」

 赤石は私の制服の襟首を無造作に掴み、まっすぐ後ろに引っ張ると、放り投げるように振り払った。

 そうしてから私と『ジャック』の間に、私を庇うように入り込む。

 勢いで尻餅をつきそうになった私の背中を、江戸川が受け止めて支えてくれた。

 お礼を言いがてら見ると、二号生全員引き連れてきたのかってくらいの人数がいる。

 …つかちょっと待て。

 二人並んだらこの外国人と赤石、目線がそう変わらないってどういう事だ。

 銀髪といい日本人離れした体格といい、赤石って実は純粋な日本人じゃないんじゃなかろうか。

 

「おもしれえモンしてるじゃねえか。

 男のアクセサリーにしては派手すぎだがな。」

 …まあ私も気にはなっていたが。

『ジャック』が指にはめている、金属製で尖った鋲のついた、殺傷力高そうなナックル。

 赤石の言葉に、『ジャック』が口を開く。

 

「このナックルはダイヤモンドよりも硬いマグナムスチールでできている。

 この世に俺の拳でぶっ壊せねえものはねえ。」

「って日本語上手すぎか!」

「黙ってろ、光。

 …ますますおもしれえ。

 俺も同じような事をカンバンにしてる。

 この世に斬れねえものはねえ、一文字流斬岩剣!!」

 いや、やめろこのバカ兄貴。

 

「どっちがハッタリ野郎か白黒つけてやろうじゃねえか。」

 赤石が刀を構え、『ジャック』がファイティングポーズを取る。

 私の後ろで江戸川以下二号生が、二人の気迫に息を呑んだ。

 二人同時…否、私が見る限り、一瞬だけ赤石の方が先に動き、『ジャック』はそれに合わせたのだと思う。

 インパクトは、刹那。

 ぶつかり合う金属音が、それより一瞬遅れて響いた、気がした。

 

 ・・・

 

「名前を教えてくれや。」

「人はJと俺を呼ぶ。」

 さっきジャックって名乗ったくせに。

 いや、それは『カール』に対してなのか。

 ジャック…Jは講堂の方にそのまま歩き始め、赤石は大人しくそれを見送った。

 …うん、確かにそれ以上追いすがる真似をすれば、却ってメンツが立たないだろう。

 

 この勝負…赤石の、負けだ。

 

 …何故だろう。

 私には関係ない事なのにちょっとだけショックなのは。

 

「なんだあ、あの野郎ーーっ!!

 このまま放っておいていいんですか、赤石さん!!」

 恐らくは二人のインパクトの瞬間自体が見えていなかったのだろう江戸川が的外れなコメントを発し、それと同時に、赤石の刀が砕け散った。

 

「銘刀“一文字兼正”にも打ちそこねがあったとは……!

 このままじゃ、日本から帰さねえぜ。」

 誰に言うともなく、赤石が固い声で呟いた。

 

「おい光。

 奴にインネンつけられてたんじゃねえのか。」

 折れた刀を鞘に収めながら、赤石が私を振り返る。

 

「男の姿でいる時にまで過保護にするのはやめていただけますか。

 大丈夫。人違いしただけのようです。」

「人違い、だと?」

「ええ。『カール』って呼ばれました。

 私に似た顔の男性が、どうやら兄の他にもいたみたいですね。

 しかも、アメリカに。」

 私の言葉に、赤石は怪訝な顔で少し考え込んだ後、呆れたように言った。

 

「…ひょっとして『薫』じゃねえのか?

 恐らくてめえの兄貴だ、それは。

 あいつは、5年近くボストンってトコで暮らしてたんだぞ。」

「え?……あ!」

 確かに『カールにはボストン訛りがあった』って言っていた。

 兄の知り合いだったのか、あの男。




この章はJフラグとして書くつもりだった筈が、何故か気付けば赤石メインになっていた罠。
次からはなんとか軌道修正……したいと思ってるが、うちの赤石先輩の自己主張と独占欲が思いのほか強くて生きるのが辛い。
英語部分はweblio英語翻訳アプリに訳してもらったんだけど、なんか間違ってたらすまん。


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2・孤独のHERO

Jの本名は「天より高く」の方を採用してます。
キング・バトラーって、連載時にリアルタイムで読んでた時点で、リングネームくさいと思ってたんで。パパの本名は捏造。


 キング・バトラー。

 ボクシング世界ヘビー級チャンピオン。

 本名:バート・レディング。

 俺の……父親。

 

 俺は13歳の時、父を喪った。

 宿泊したホテルで火災に巻き込まれ、父は俺を助ける為に…逝った。

 母を早くに亡くし、父ひとり子ひとりだった。

 その後は親戚の間をたらい回しにされ、その期間俺は、少し荒れた。

 何故俺を残して死んだと、父を恨む気持ちもあった。

 そして父の死に様を思い出しては、そんな気持ちを抱く自分を責めた。

 最後に母の従兄弟だというボストンの親戚のところに連れて行かれ、そこで生活を始めた頃に、そいつに出会った。

 俺より3歳年下のその日本人の少年は、こっちに来て覚えたというボストン訛りの英語で「カール」と名乗った。

 日本式の発音では「ka-o-ru」らしいが、今の家族からはそう呼ばれているからと。

 今の家族、というからには、日本人である事からも明確であるが、一緒に暮らしている一家とは血縁関係ではなかった。

 何でも心臓の手術の為にこっちに来て、入院中に実の両親が亡くなったとかで、今の家族は実の母親の友人夫婦と、その幼い娘だという。

 彼に声をかけられたのは、ボストン市内の小さな公園。

 拳で、舞い散る木の葉を打つトレーニングをしていた(半分は動きによる風圧で俺の拳をすり抜けていったが)時。

 

「You will be very strong.

 I look and understand it!

(すっごく強いでしょ?見てわかるよ!)」

 

「Sure thing.

  I am a son of King Butler.

(当然だ。俺はキング・バトラーの息子だからな)

 

「Really?I’m Curl.

 Nice to meet you,King Butler,Jr.

(マジ?オレはカール。よろしくね、キング・バトラーJr.」

 

「…My name is Jack Redding.

(俺の名はジャック・レディングだ)」

 

 そんなふうにして始まった友誼。

 カールは、人の心にすんなり入り込むような、不思議な魅力を持った少年だった。

 気付けば俺はこの少年に、誰にも言えなかった心の中の葛藤を、すんなり話してしまっていた。

 

「…そうだよね。死ぬ側はいいよ。

 後のことなんか考えなくて済むんだから。

 残された側は、思うよね。

 守るって言うなら生きて守れよって。

 一人きりで放り出すなら、一緒に死なせてくれれば良かったのにって。

 でもさ、オレ、死ぬ側の気持ちも判るんだよ。

 オレが死んでも、生きてて欲しいって、理屈じゃないんだよね。

 感情だけが、突っ走るの。

 突き詰めれば結局は『おまえのことが大好きだ』っていう感情だけが、さ。」

 これが、13歳そこそこの少年が言う台詞だろうか。

 だが、俺はこの言葉で救われた気になったものだ。

 父は俺を愛してくれた。

 気付いてみれば当たり前の事だ。

 だから、考える前に身体が、そう動いてしまった。

 俺を助けたい、ただそれだけの為に。

 そう、素直に思う事ができると、父が守ってくれたこの命、精一杯に生きようと思えた。

 

「カール、俺は、おまえが最初に呼んだ、『キング・バトラーJr』を名乗ろうと思う。」

 俺がそう言うと、カールは笑いながら、少し考えるように、言葉を返してきた。

 

「それもいいと思うけど、いきなりだと、誰も呼んでくれなくない?

 まずは『J』とでも名乗ってみれば?

 ジャックのイニシアルだけど、実際にはJrの『J』だよって感じで。」

「J、か。悪くないな。」

「うん、カッコいいと思うよ、ジャック。」

「おまえは呼ばねえのかよ!」

 そんな俺たちの交誼も、それほど長くは続かなかった。

 俺は17歳になってすぐに、アナポリスの海軍兵学校に入学する事になっていたから。

 いつか再会できる日を楽しみに、と俺たちは別れの挨拶をした。

 その時にふと気になって、守って死んだ側と守られて生き残った側、どちらの気持ちも判るという考えに、どういう経緯で至ったのか、訊ねてみた。

 カールは少し考えてから、淋しげに笑ってこう答えた。

 

「日本を離れるちょっと前に、妹…血の繋がった、双子の妹の方ね。

 それが泣きながら、オレの寝てる部屋に飛び込んできたんだよ。

『わたしの心臓をお兄ちゃんにあげる』って。

 その時、妹を養子に出す条件で、オレの手術費用を出してくれるって人がいて、でも妹はオレと離れたくないって言って、あの子なりに考えて出した答えだったんだろうね。

『わたしの心臓をお兄ちゃんにあげれば、わたしが死んじゃっても絶対に離れなくて済むでしょう』ってさ。

 その時、オレ言ったんだ。

『オレは、オレが死んでも、おまえが生きてる方がいい』って。

 …あの時の、妹の顔は、今でも忘れられないな。

 安心したような、それでいて絶望したような、どっちともつかない顔。

 結局、あれが最後に見た妹の顔だったし。」

「おい、まさか…」

「ご心配なく。妹は生きてるよ。

 オレが手術を受けられたのが、何よりの証拠だろ?

 妹は結局、どっちも生き残れる方を選択して、オレを助けてくれた。

 でも半身と別れて、オレたちはお互いに半分ずつ死んだ。

 だからだと思ってるよ。

 死んだ側生き残った側、どっちの気持ちも判るってのは、さ。」

 

 ☆☆☆

 

 赤石の言葉に、さっき会った男「J」が急に気になり出した私は、二号棟へ行くのを中止し、講堂の方に向かう事にした。

 桃にはひょっとしたら怒られるかもしれないけど、なんとなくだが直感的に、あの男が今いる留学生のリーダーである気がしたし、ならばあの男は、他の留学生がもし私にちょっかいをかけようとしても、それは止めてくれるような気がした。

 

「ひ、光ーーっ!」

 私が講堂に入ると、一号生のみんなが私に駆け寄ってきて、一斉に富樫と田沢と松尾が負傷していると報告してきて、そうなった状況も詳しく説明してくれた。

 リングに立っている桃が、こっちを見て軽く眉を顰めた気がするけど気にしない事にする。

 

 ・・・

 

「ま、待ってくれJ……!!

 あ、あれはちょっと甘く見て油断しただけなんだ。」

「栄光と名誉ある米国海軍兵学校(アナポリス)の名を汚した罪は重い。

 いいわけは聞かん。体で償え。」

 そう言ってJは、丸く整列させた他の留学生たちの、先頭に一撃食らわせる。

 その最初の男が倒れた、頭のその先に次の男の頭があり、次々と倒れていく留学生たち。

 つまりはひどく暴力的な人間ドミノ倒しの様相を呈していたわけだ。

 …ある程度身長が揃っていないとできない芸当だと思うけどな、これ。

 

「ばかどもが………!!」

 その倒れた仲間たちを睨む目で見下ろして、吐き捨てるようにJが呟く。

 さっき、『カール』に話しかけていた時は、あんなに穏やかに微笑んでいたのに。

 赤石といいこのJといい、私の兄は、獰猛な獣をおとなしくさせるフェロモンでも出してたんだろうか?

 まあ、私も似たような事を言われた事があるが。

 豪毅が修行に出されてすぐの頃に私が護身術を習いに行っていた師範が、御前に依頼されて世界中から集めてきた闘士たちの中にいた、狼使いの男に。

 

『嬢ちゃんは狼を怖がらんのじゃな。

 狼も何故か嬢ちゃんには懐くしのう。』

 などと言われたが、私は正直狼よりも、この男の顔の方がよっぽど怖いと思っていた。

 もっとも怖いのは顔だけで、本質的には気のいい男だったのだけれど。

 まあそんな事は今はどうでもいい。

 

 リング上ではJのパフォーマンスの後、桃とJの試合が始まった。

 先ほど赤石の刀を折った拳(とはいえ、あれは基本的にはボクシングの『カウンター』ではないかと思う。相手の攻撃の力をも利用して瞬間的に大きな破壊力を得る、ボクシングの高等テクニック。つまりは赤石自身の強さがなければ、本人はうち損ねと言ってはいたが赤石の刀が、ああも容易く砕かれるなんて事にはなっていない筈だ!…って何を力説しているんだ私は。いずれにせよ、あの瞬間に初見である筈の赤石の攻撃が、見切られていた事実には変わりないわけだけど)が、リングを少しずつ破壊しながら桃と打ち合い、桃のグラブをも破壊する。

 そして、やっと体が温まってきた、とか言ったかと思えば、遂に桃が一撃をくらう事になった。

 こちらから見ていても、何というスピードと、パワーの乗ったパンチ。

 

「俺のパンチは、音速突き破る『マッハパンチ』。

 目で見切ろうっても見切れるもんじゃねえ。」

「フフフ、おまえの言う通りだ。

 すげえパンチだぜ。どうせ見えねえなら……。」

 桃が額のハチマキを目の上までずらし、目隠しをする。

 心眼を開く事でJの攻撃を見切ろうとする考えらしい。

 だが所詮は付け焼き刃。

 Jのフットワークに翻弄され、攻撃をくらい、桃のダメージが蓄積していく。

 とうとうJのパンチがまともに入り、桃がリング外に吹き飛ばされた時、赤石が現れた。

 桃の目隠しを真っ二つに切り裂いた後、返す刀を横に凪ぐ。

 次の瞬間、桃の両目から血が流れ出した。

 

「心眼とは目に見えぬものを心で見る事…目があると思うから、いくら目隠ししたって目で見ようとしてしまう。

 それなら目ん玉なんてねえ方がいい。」

「押忍!ごっつぁんです、先輩!」

 赤石に食ってかかろうとする松尾たちを制して、桃が微笑む。

 うん、私の見る限り、あれは瞼の皮を切っただけだ。

 今は出血で視界は塞がれていようが、それがおさまれば普通に見える筈。

 と、私のそばに立った赤石が、そのデカイ手を私の頭の上にぽんと置いた。

 あーはいはい。終わったら治療してやれって事ですね。わかりました。

 

「ここの塾は狂気の集団か…?」

「そうだ。その狂気を極めるのが俺たちの本分さ。」

 Jは一撃で勝負をつけると言ってグラブを外し、例のナックルを拳に装着すると、桃に向かって躍り掛かった。

 先ほどよりもパワーもスピードも完璧に乗ったパンチ。

 だがそれを桃はいとも容易く、最低限の身体の動きで躱すと、渾身の力で右手を振り抜いた。

 Jの身体がリング外に吹き飛ぶ。

 講堂は一号生たちの歓喜の声に包まれた。

 

 ☆☆☆

 

 校庭の樹の下で、舞い散る落ち葉を打つ。

 昔からよくやっていた、スピードを高めるトレーニングだ。

 なにせ落ち葉というのは、風の抵抗を受けやすい。

 生半可なスピードでは、拳の孕んだ風圧で、落ち葉は触れる前に拳をすり抜けてゆく。

 とはいえ今の俺ならば、ほぼ100%打ち抜く事は可能だが。

 と、後ろからパチパチと手を叩く音が聞こえて、俺はそちらを振り返った。

 

「お疲れ様です、J。

 あれだけの試合をした後でもうトレーニングなんて、随分熱心なんですね。」

 そこにいたのは、さっきの試合の前に会った、カールそっくりの男。

 塾生たちは「ヒカル」と呼んでいた筈だ。

 てっきり塾生の1人かと思っていたが職員だという。

 

「ボクシングの正式なルールでなかったとはいえ、シロウトに負けたんだ。

 俺もまだまだという事だろう。」

 いささか自嘲気味に、言葉を返す。

 そんな俺を見上げながら、少し探るような目をして、「ヒカル」が訊ねた。

 

「このトレーニングは、アメリカでは、ずっと?」

「ああ。」

「…桜の花びらを打ってみた事はありますか?」

「なに?」

「こっちに来てください。

 あなたがどうするのか、興味があります。」

 何だか判らぬままに手を引かれて、移動した先には、大きな木が、部分的に花をつけていた。

 淡いピンク色の小さな花弁が、はらはらと舞い散っている。

 アメリカではあまり見ない花だが、俺の記憶違いでなければ、これは春に咲く花ではなかっただろうか。

 

「さっきの、落ち葉と同じように打ってみてください。」

「…なかなか、難しそうだな。

 落ち葉よりも小さく軽いから、更に風の影響を受ける。」

 試しに打ってみれば、やはり落ち葉よりも多くの枚数が、俺の拳を避けるようにふわりと舞い、落ちる。

 

「…なるほど。これもいいトレーニングになりそうだ。」

「やっぱり、あなたでも全部、当てる事は難しいんですね。

 参考になりました。」

 ふわりと微笑んで、「ヒカル」が言う。

 カールとそっくりな顔だが、彼の笑い方とはやはり違う。

 

「…では、私はこれで。お邪魔しました。」

 確か日本式の礼だったろうか。

「ヒカル」は俺に向かって軽く頭を下げてから、踵を返してその場から去ろうとした。

 何故か名残惜しくて、思わず呼び止める。

 

「待て。何故、俺にこれを?」

「言ったでしょう、興味があっただけです。

 あ…ちょっと失礼。」

「ん?」

 驚くほど小さな手が、俺の頬に向かって伸びてきて、何故か指先を触れてくる。

 と、さっきの桃とかいう奴に負わされた傷が、一瞬チクリと痛んだ。

「ヒカル」はすぐに指を離すと、もう一度微かに微笑んで、今度こそ去った。

 

 

 夜になってから、頬の絆創膏を替えようと剥がしたら、不思議な事に傷がなくなっていた。

 どういう事だ?




クッ…無理だ。
どう頑張っても、Jでフラグを立てられる気がしねえ。なんという難攻不落。


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3・Blue age revolution

J編ラスト。
前半は小ネタ。デリカシーのない男ども。
後半は単なるグダグダ。
Jフラグのつもりで書き始めたのに、結局赤石と桃の補強にしかなってない罠。


 男は喧嘩して仲良くなる、という塾長の説は、まあそれが全てではなかろうが間違いではないのだろう。

 女の私には判らない世界だが。

 あの撲針愚以来、留学生と一号生は互いの力を認め合ったのか、気付けば確かにあちこちで、和気藹々とした交流が見られるようになった。

 ちなみに私に対しては、両拳を桃に潰されたコングという男の怪我を私が治療してやった時に、『どういう事だ?』『東洋の神秘だ!』と一斉に取り囲まれて怯んでいるところを桃が見つけて救出してくれて以降は特にトラブルもなく(この時助けてくれたのが桃で、本当に良かったと思っている。これが赤石だったら確実に国際問題に発展していると思うと、もう怖くて朝も起きられない…!)、彼らは私にも笑顔で挨拶してくれる。

 そんな留学期間も、あと三日で終了。

 それでホッとしたせいではないだろうが、なんだかお腹が痛いと思っていたら私の半年に一度の女祭りが始まってしまった。

 確か前回来たのが首相暗殺の指示を受ける前だったから、周期的に1ヶ月ほど早いので少し油断していた。

 ちゃんと準備はしていたから手当てに問題はないわけだが、そんな訳ですこぶる体調がよろしくない。

 普通の女性は月1でこれを繰り返しているというが、私の身体も完全に成長したらそうなるのか。

 半年に一度でもこれだけ気分が悪いのに、月1なんて考えただけで気が重くなる。

 もう富樫や赤石にチビだガキだって馬鹿にされようが子供のまんまでいいです。

 来月で18になるけど。

 そういえば御前の邸にいた時には10月手前になるとひとつ年齢を増やされたのだが、この間赤石に教えてもらった私(と兄)の誕生日は9月半ばで、あながち間違ってはいなかったのだと今更気付いた。

 お昼ご飯を食べたら鎮痛剤を飲もう。

 そう思っていたら、執務室のドアがノックされた。

 

「桃?どうぞ。」

 ここにはノックして確認してから入ってくるのが桃しかいない、そう思っていたから、自然とそう言ってしまったのだが。

 

「…失礼する。」

「え…J?」

 意外にも、ドアを開けて入室してきたのは桃ではなく、留学生のリーダーであるJだった。

 米国海軍兵学校(アナポリス)から送られてきた資料によれば身長195㎝、体重95㎏。普通にデカイ。

 とはいえ留学生の中では別に一番でもないし、最近は赤石を見慣れたせいか、このくらいの大きさならそれだけでビビる事はないけれど。

 ていうか、赤石が普段から無駄に威圧感を発し過ぎなんだと、今更ながら気がつく。

 などと考えながらつい見入ってしまったら、ん?みたいな顔をされ、慌てて居住まいを正す。

 

「…失礼しました。

 こんにちは、J。どうしました?

 傷の方はすっかりいいようですね。」

「おかげさまでな。」

 おかげさま、ときたか。

 こんなの、日本人だって若い人はなかなか言わないだろう。

 

「…本当に、日本語上手いですよね…このまま日本で生活しても、言葉で困る事とか全然なさそう。」

 私が呆気に取られて思わず呟くと、Jが頷く。

 

「その件で来た。

 俺は、このままここに入塾する。

 形の上では留学期間の延長という事で、本国には連絡済、塾長にも届け出てある。」

「…本気ですか?それはまた酔狂な…。」

 私の言葉に、Jは眉を顰める。

 

「スイキョウ?」

 どうやら彼にも、判らない言葉があったらしい。

 申し訳ないが、ちょっと安心した。

 

「あ、失礼。ええと…物好き、で判ります?」

 私の説明に、Jはここに来て初めて、唇を笑みの形に緩める。

 それは初めて会った時に見たようなものではなく、やや自嘲が加わったものだったけど。

 

「…フッ。確かにな。その通りだ。

 俺も、狂気を極めてみたいと思ってな。

 …後は細かい手続きをしなければいけないそうだが、そちらはおまえに頼めと言われた。」

「了解しました。各種手続きは私がしておきます。

 寮の手配と、制服も用意しなければ…あー制服。

 さすがにあなたのサイズ、在庫なさそうだなー…採寸しましょうか。」

「…どうすればいい?」

「ちょっとそこに立ってください。

 あ、ベストは一旦脱いでくれると助かります。」

「わかった。」

 …ところで制服は勿論だけど、ひょっとして指定下着も、私が発注しなければいけないのだろうか。

 それはちょっと遠慮したい。

 後でこっそり桃に頼んで説明してもらい、自分で発注書を書いてもらおう。

 …その、桃に頼む段階からがもう嫌だけど。

 とりあえずメジャーを持ってきて、Jの前に立つ。

 身長が判っているから、着丈は計らなくても大丈夫だろう。

 だとすれば胸囲と胴囲と肩幅、腕が太いから袖ぐりも一応測った方がいいかも。

 …そういえば赤石が制服の袖取っちゃってるの、あれ絶対に腕が太すぎるせいだよな。

 今はいいけど、冬になったらどうする気だろう。

 …どうもしない気がする。

 というか、この塾に於いて季節感というものはむしろないと考えた方が良さそうだ。

 それは、ここの象徴となっているあの校庭の桜を見ても判ることだ。

 そんな事を考えていたら、ノックの音がして、返事をしたら今度こそ桃が入ってきた。

 

「押忍。少々失礼するぞ、光。」

「桃。お疲れ様です。何かご用ですか?」

「ちょっとJにな。

 赤石先輩がおまえを探してるから、面倒なら裏口から逃げろって伝えにきた。」

 いやちょっと待て。

 

「赤石…あの銀髪の男だな。」

「ちょ、もうそれ確実に、私に赤石を引き止めておけって事ですよね?お断りします!」

 ただでさえ体調の悪い時に、そんな厄介ごとを私に押し付けるんじゃない!

 

「そう言うな。

 赤石先輩はおまえの兄貴みたいなモンだろ?

 なんだかんだでおまえには甘いしな。頼むよ。」

「兄……?」

 笑いながら私に向かって両手を合わせる桃の横で、何故かそのキーワードに反応したJが、私をじっと見つめる。

 

「あんな面倒な兄は要りません!

 人聞きの悪いこと言わないでください!」

「心配するな、光。

 桃、俺は逃げん。配慮には感謝する。」

 配慮には感謝する、ね。

 もうつっこみ疲れたけど、ほんとヘタな日本人より日本語上手いよJ。

 なんて事をやっていたら、

 

「押忍。光、邪魔するぞ。」

 と、本日の厄介ごとが入ってきた。

 ああくそ部屋が狭い。

 

「邪魔だと判ってるなら来ないでください!」

 苛立ちまぎれに手近にあったティッシュの箱を、赤石に向かってぶん投げる。

 赤石はデカイ手であっさりとそれを受け止め、放り投げるようにしてテーブルの上に置くと、軽く首を捻りながら私に向かって問いかけた。

 

「…随分と機嫌が悪ィじゃねえか。

 こいつらに何かされたのか?」

「いやひとのせいにするなし。

 というか過保護はやめてくださいと何度言えば」

 文句を言っているとデカイ手で頭を掴まれ、そのままぐりぐりと揺さぶられた。

 

「やめれ!首がもげる!」

「わかったわかった。

 文句があんなら後で聞いてやる。

 …Jと言ったな。ツラ貸せ。」

 なんか適当に流しながらJを連れて行こうとする赤石。

 それに軽くキレつつ、 私はJと赤石の間に立ち塞がった。

 

「待ちなさい赤石!まずは私の用件が先です!

 J、さっきの続きです。

 そこに立って、腕を少し上げてください。

 採寸します!」

 言いながら、さっきから持ったままだったメジャーをピシリと鳴らす。

 Jが私と赤石に交互に目をやってから、赤石に向かって問うた。

 

「…どうする?」

「……こいつの言う通りにしろ。

 俺の用件は後でいい。」

 フッ、勝った。

 

「…わかった。」

 Jが何だか呆れたように言って、私の方に向き直った。

 

「ほらな。

 なんだかんだで、光の言う事はきくんだ。

 赤石先輩は。」

「そのようだな。」

「なにをぶつぶつ言ってるんです?

 はい失礼、胸囲測りますね…っと。」

 Jの分厚い胸にメジャーを回す。

 一瞬だけ抱きつくような格好になった時、何故か男3人が揃って息を呑んだ。

 

「…ッ」「…!」「!?」

「ん?どうかしました?

 ええと、125センチ…あと、袖ぐりは…。」

 

 ・・・

 

「はい、終わり。

 じゃ、これをもとに制服、発注しますので。

 お疲れ様です、J。」

 あとは男同士、拳の友情でもなんでも好きに育んでください。

 私は私のお仕事をします。

 

「ああ。

 しかし、日本の学生が着る服と聞いていたが、女性職員も同じものを着ているとは思わなかった。」

 Jがベストに腕を通しながら、なんかあっさりとんでもない事言った。

 

「え!?」

「…はあ。」

 何故か赤石が、ため息とともに頭を抱え、

 

「やっぱりな。あれでバレると思ったぜ。」

 桃が言いながら苦笑する。

 

「ど、どういう事ですか!?」

 どこでバレたのか判らぬまま、動揺した私は若干噛みながら訊ねる。

 

「その…だな。

 さっきのは、男としては、嬉しくないわけではないが…。」

 Jが額を掻きつつ若干バツが悪そうに言いながら赤面する。

 

「は?」

「光。言おうか言うまいか迷ったんだが、おまえ今日、サラシ緩いんじゃないか?」

「えっ?」

「そうじゃねえ。

 機嫌悪ィし、微かに血の匂いもする。

 恐らくは生理中だ。

 だから胸が、いつもより張ってやがんだ。」

「ええっ?」

「あー、確かに、言われてみれば風呂で見た時より若干大きいな…。」

「ええぇっ?」

「風呂?

 おい剣、どういう事か説明してもらおうか。」

「あ、え、い、う……えぇーーーっ!?」

「…ひょっとして、光が女なのは秘密だったのか?」

「一応な。とりあえず内密で頼む。」

「了解した。」

 私が驚く事しかできずにいる間に、男たちは勝手に会話を進めていた。

 てゆーか、胸とか、生理とか、風呂の話とか、そろそろ何に対して赤面すればいいかも判らぬまま、じわじわと顔が熱くなる。

 なにがなんだか判らなくなって、私は思わず叫んだ。

 

「全員出て行けーーーっ!!!!!」

 

 ・・・

 

 数時間後、執務室を訪ねてきた椿山が、「桃から、渡すように頼まれた」と、小さな包みを手渡してきた。

 開けてみると小さな箱に道明寺桜餅が4個入っていた。

 聞けば寮の近くの商店街にかなり古くから経営している和菓子屋さんがあるとかで、その店のものだという。

 

「光さんを怒らせたからお詫び…って言ってたんですけど、何かあったんですか?」

 って椿山が聞いてきたが曖昧に誤魔化し、せっかくなのでお茶を淹れて椿山と一個ずつ堪能した。

 お菓子に罪はない。

 残りは後で塾長か、虎丸とでも一緒に食べよう。

 久しぶりに食べたせいもあるだろうが、それはあんこの味に深みがあって繊細で、それでいてしっかり甘くて(私はお菓子に関しては甘さ控え目などというヌルいものは必要ないと思っている)とても美味しかった。

 それにしても、桜餅は長命寺より道明寺の方が好きだって私、桃に一度でも言った事があっただろうか?

 なんで知ってたんだ?偶然か?

 なんでもいいけど、次会った時にお礼言おう。

 ていうか私、なんで怒ってたんだっけ?

 

 ☆☆☆

 

「俺に用とは?」

「橘 薫という男を知っているな?

 光と、同じ顔をした男だ。」

「カオル…カールの事だな。

 彼を知っているのか?やはり日本に?」

「……死んだ。」

「何だと?」

 

 ・・・

 

「つまり、光はカールの双子の妹という事か。」

「そうだ。ここでは塾長の息子だがな。」

「…何故、それを俺に?」

「てめえも、あの野郎に絆された1人かと思っただけだ。

 ならば、あいつの最期を伝えるべきだとな。」

「…そうか。感謝する。」

 

 ☆☆☆

 

 留学生たちが、Jを残して帰っていった後、私は若干思うところがあり、桃に空手の指南を受けていた。

 なんだかんだで、私は桃や赤石に心配をかけているようだし、自分の身は自分で守れるように、できる事をしていこうと思った。

 そう言ったら桃には「そういう事じゃないんだがなぁ。」と苦笑いされたが。

 でもいいんだ。

 今度塾長から、小太刀を教えてもらう事になっている。

 それがある程度形になったら、今度は赤石に相手になってもらおう。

 …そっちはそっちで、また苦虫噛み潰したような顔されるのが容易に想像つくけど。

 存分に手加減をしてもらって組手をしていたら、真新しい制服に身を包んだJがやってきた。

 私と桃の組手の様子をしばらく眺めていたJは、私に向かって、「今度は俺とスパーリングをしてみないか。」と言ってきた。

 私はボクシングの事は判らないから無理と答えると、シャドーボクシングのやり方を教えてくれ、本当に打ち合わず型だけで拳を合わせようと提案してきた。

 

「心配しなくても、そんなに激しい運動じゃない。

 心臓の悪い男にもできたトレーニングだ。」

 と言っていたが、やはりそれ兄の事なんだろうな。

 …実際にやってみたら、ボクシングのスパーリングというよりダンスを踊ってるみたいになった。

 そう思うと、さすがレディーファーストの国の軍人、リードするのが上手い。

 僅かに汗をかいたくらいのところで終了の声がかかり、そばで見ていた桃が拍手した。

 …なんとなくだが、桃との空手の組手の際には、若干掴めていなかった体捌きの感覚が、Jとのこれで少しだけ掴めた気がする。

 ボクシングって蹴りがあるわけじゃないから上半身だけが重要なんだと思ってたけど、本当に必要なのはフットワークなのかも。

 

「大変勉強になりました、J。

 ありがとうございます。」

「いや…俺の方も、懐かしい友と再会したような気がして、楽しかった。いずれまた頼む。」

「勿論ですとも!是非!」

 このトレーニングの間脱いでいた上着に袖を通しながら、Jが穏やかに微笑んだ。

 …制服の裾をはためかせて去っていくJの、大きな背中を見送っていたら、唐突に桃が右手を伸ばし、私の頬に掌を触れた。

 何事かと見上げれば、ひどく優しく、それでいて少し寂しそうな微笑みが、私を見下ろしている。

 いつもの余裕たっぷりの笑みとは違うその表情に、私が何かしたかと少し胸が痛んだ。

 

「…どうか、したんですか?」

「ん?

 フッ、光が俺の目の前で、あんまりJと仲良くするから、少し妬けた。」

 そう答えた表情は、もういつもの桃だったが…。

 

「はぐらかさないでくださいよ。

 私には言えない事ですか?」

「俺は正直に言ったぜ?

 でもそうやって心配されるのは悪くないな。」

「…もういいです。」

 そんなに信用されていないのかと、ちょっとがっかりしながら、私は桃の手を顔から離す。

 そのまま背中を向けて去ろうとしたら、突然脇を掴まれて持ち上げられた。

 

「ちょ!な、何ですか!?」

「まあいいから。

 運動した後だし、少し休憩しようぜ!」

 子供を抱くみたいに抱きかかえられ、大きな木の下に連れてこられたかと思えば、何を思ったか桃は、私を抱いたままそこに横になった。

 深呼吸しろと言われてその通りしていたら、いつの間にか眠っていた。

 相変わらず大きくて穏やかな氣は、心地よく私を包んでくれていた。

 

 ・・・

 

「の、のう。これ、どうすればええんじゃ?」

「どうって、起こして寮に連れて帰らなきゃまずいだろうが。

 光は、起こしゃ自分で帰るだろうが、桃は意外と寝起き悪いからな。」

「しっかし、二人とも、気持ちよさそうに寝ておるのう。

 なんか起こすのが悪いような…。」

「だが、何だってこんなところで、二人で昼寝してやがんだ、こいつら…?」

「ひ、光さん〜……!」




一応この話での塾生の年齢設定は、基本的には一般の高校生を基準にしてます。というか、大まかな年齢がはっきりしてるのは富樫だけで、その富樫が「3年前中学生だった」というのに合わせた形で、桃たち一号生はこの年16歳。
ただし赤石先輩とまだ未登場の伊達は、3年前の二号生と一号生の筆頭という事だけど、事件が起きたのが3月の年度末って事でひとつ足す計算。なので赤石先輩は21歳、伊達は20歳。
(学園生活編の4話でもちょっと触れてますが、富樫兄が男塾に入ってきたのは、だからこの事件後の4月になります。なので生きていれば伊達の一個下って事で、彼らの間に面識はありません。今気付いたけど富樫兄、ヒロインの一個上って事だ。笑)
あと、米国海軍兵学校(アナポリス)は入学可能年齢が17〜23歳なので、Jは最低でも17歳にはなってなきゃおかしいというのと、留学生たちのリーダーって事を考え、とりあえず赤石先輩と同年の21歳に設定。
本当は父親と同じプロボクサーになる事を夢見てたんだろうに、父親を亡くしたが故に17歳になってすぐ、授業料なし給料ありの米国海軍兵学校(アナポリス)に、ほぼ選択肢なしで入ったんだろうとか考えると泣ける。


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蠢闇胎動編 1・鋼鉄の巨人

この章は基本、サイドストーリー。一号生たちが愕怨祭の準備をしている頃、ヒロインは一足先に三号生との御対面となります。


「光。飯が済んだら、この書状を持って、天動宮に行って欲しい。貴様一人でな。」

 今日もお弁当を持って塾長室を訪ねたら、突然塾長にこう命じられた。

 

「天動宮…?」

「うむ。

 三号生の居棟にして経営事務所ともなっておる。

 場所は、校舎裏の東側だ。」

「経営事務所って…。」

「ヤツらは用心棒などを派遣する一企業として、主に政界に多くの顧客を持っておるでな。

 現在の三号生筆頭は大豪院邪鬼。

 ヤツの体制となって10年余、三号生地区は完全自治となっており、3年に一度の、大威震八連制覇以外には、ほぼ互いに干渉しあわぬという暗黙の了解ができておる。」

 なんかもう、つっこむところが多すぎてどこからつっこんでいいかも判らないのだが、とりあえず。

 

「いや、あなたが塾長ですよね?

 なんでそれ放置してるんですか?」

「うむ。ヤツらからは年に一度、施設使用料として、三号生全員分の授業料に相当する金額が振り込まれてくるのでな。

 財政難の折、追い出すわけにもいかぬ。」

「あー……はい、理解しました。」

「フフフ、わしが男塾塾長江田島平八である。」

「言っときますけど、理解はしましたが納得はしてませんからね。

 …それはそれとして、色々質問で話が逸れて申し訳ありません。

 それで、私はその書状を、どなたにお渡しすれば良いのでしょう?」

「無論、筆頭の大豪院邪鬼に。

 必ず返事を貰って来るように。良いな?」

 …気のせいだろうか。

 塾長がまた、何か企んでるように思えるのは。

 

 ☆☆☆

 

「赤石。お疲れ様です。」

「あっ……!?」

「…どうかしました?」

 例の書状を持って三号棟へ向かう途中、赤石の姿を見かけて声をかけた。

 が、どうも反応がおかしい。

 私の顔を見て驚いたようにその場に立ち尽くし、バツが悪そうに目を逸らす。

 そもそも最初の「あっ」から始まりその後一連の行動の、どれひとつとしていつもの赤石らしくない。

 そこに気がつくくらい普段から、彼の行動を見せられてると思うと、若干自分に腹が立つけれど。

 

「赤石?」

「あ、あぁ。

 ……なんだ、いつもと変わりねえみてえだな。」

「?なに言ってるんですか。」

「……てめえ、剣の野郎と寝たって話になってんぞ。」

「ブフォッ!ゴホッゲホッゴホッ!!」

 多分だが先日のあの件の、噂に尾ひれ現象に違いない。

 桃との組手からのJとのスパーリングの後、何故か桃に強引に寝かしつけられて二人で夕方近くまで昼寝してしまい、下校時間ギリギリに田沢たちに起こされた。

 寝ぼけたままの桃の代わりに状況は説明したものの、そういえばあれ以来、他の一号生たちが妙に余所余所しい気がする。

 

 けど!ほんとに昼寝してただけだし!

 対外的には男同士だから!

 いやこの場合、男同士ってのが逆にまずいのか?

 いやだがしかし!

 

「まあ、てめえの顔見た瞬間に嘘だと判ったがな。

 だが気をつけろ。

 おかしな噂が立つとあとあと面倒だぞ。」

「ゲホッ…いえ、本当といえば本当ですね。」

「なに!?」

「寝た、と言ってもあくまで、言葉通りの意味ですが。」

 そう言うと、赤石は少し考えてから、ゆっくり頷いた。

 

「…ああ、そういう事か。

 言葉通り、な。それで納得いったぜ。」

 ため息混じりに言いながら、指先で頭を掻く。

 

「…赤石は、信じるんですね。この説明で。」

「あぁ?」

「というか、あなたの行動パターンを考えると、その話が耳に入った場合、まず桃のところに詰め寄りそうなんですけど。」

 私が言うと、赤石はまた、バツが悪そうに視線を逸らした。

 

「…ヤツのところに行く前に、てめえに会った。」

 行く途中だったんかい。

 

「…そういう事でしたか。

 だったら、お会いできて良かったです。

 桃が相手なら、同じ説明をして、今ほどあっさりあなたが納得してくれるとも思えない上、あの子、人をからかって遊ぶ悪い癖があるから。

 あなたがどうして私の事を、そこまで信じてくれるのかはともかくとして。」

「言ったろう、俺は目はいいってな。

 てめえがオボコのまんまだって事くらい、見りゃ判る。」

「なっ…!!」

「違うってのか?」

 さっきまでのバツが悪そうな表情は何処へやら、赤石が厚い唇に、ただの悪そうな笑みを浮かべる。

 

「……失礼します。

 よく考えたら、あなたと雑談している暇はないんでした。」

 なんかムカついたのでノーコメント。

 私はおつかいに戻る事にする。

 まあ、先に声かけたのは私なんだけど。

 私が背を向けて歩き出そうとすると、赤石が何故か慌てたように、私の肩を掴んできた。

 

「おい待て。どこ行く気だ?そっちは…」

「三号棟のある方角でしょう?

 これから、塾長からの書状を、三号生筆頭に届けに行くので。」

 その私の言葉に、赤石が明らかに動揺する。

 

「何だと!?一人でか?…待て、それは駄目だ。

 俺が一緒に行ってやる。」

 過保護か。

 

「塾長からは一人でと念を押されています。」

 若干鬱陶しいので、そこを強調する。

 嘘は言っていない。

 だが赤石は引き下がらなかった。

 私の両肩を掴んで自分の正面に引き寄せ、私の目を見据えて、言い聞かせるように言う。

 

「ならば、しばらくここで待ってろ。

 塾長に直談判して、同行の許可を取り付けてくる。」

 だから過保護かって。

 

「塾長の事ですから、その許可を出すくらいなら、最初から一人でとは言っていないと思いますよ?

 それに塾長は所用で出かけていて、今日はもう塾には戻られない筈です。

 …単なるおつかいですよ、赤石。

 子供じゃないんですから、そんなに心配していただかなくても大丈夫ですってば。」

 正直、赤石のあまりの真剣な表情に、私は少し気圧されていた。

 それをなるべく気取られぬよう、軽い言葉で返す。

 しばらくそのまま二人で固まっていたが、やがて赤石の手から力が抜けた。

 

「…判った。

 ならせめて三号棟の門の前までは俺に案内させろ。

 それから、中に入ったらまず、羅刹って人を訪ねて、仲介を頼め。

 俺の紹介だと言えば、あの人なら、悪いようにはしねぇ筈だ。」

 たかだか手紙を届けるだけなのに、仲介を頼んだりするのは失礼ではなかろうか。そうは思ったが、

 

「羅刹、ですね。了解しました。

 …あなたがそこまで信頼を寄せる相手とは、少し興味がありますね。」

 そう言われると、ちょっと会ってみたくなった。

 

「信用し過ぎんのもどうかとは思うが、少なくとも俺には、あの人に対して示せる実績がある。

 それだけの話だが、この状況ならそれで充分だろうぜ。

 …この塀の向こうが三号棟、天動宮だ。」

 赤石が立ち止まって見上げたそれは、高いコンクリート塀に挟まれた大きな鉄の門。まるで刑務所だ。

 思わず、心の声が口からだだ漏れる。

 

「趣味悪っ…。」

「なに?」

「いえ何でも。それでは行ってまいります。」

 赤石に一礼して、一歩踏み出す。

 その背中に声がかけられた。

 

「戻ったら一度、俺んトコに顔出せ。」

「心配しすぎですってば!」

 できるだけ笑って、手をひらひら振ってみせる。

 たくバカ兄貴。つられてこっちまで怖くなってくるじゃないか。

 

 

 

「心配しすぎじゃねえから言ってんだ、あのじゃじゃ馬…!」

 

 ☆☆☆

 

「江田島光と申します。

 二号生筆頭赤石剛次からの紹介で、羅刹という方にお会いしたいのですが。」

 門番に中に通されて、外門より更に趣味の悪い建物の中に入ると、尖った金属製の杭が一面に並んだ広間に出た。

 

「貴様…一号生か?」

 奥の方に座っている、大きな身体をした男が、こちらに向かって声をかけてくる。

 

「いいえ、制服は身につけておりますが職員です。

 塾長秘書をやらせていただいております。」

「塾長秘書が、羅刹様に何用だ?」

「それは、御本人にお会いしてからお伝えしたく思います。」

 私の答えに、男が面白くもなさそうに鼻を鳴らす。

 

「ふむ、では問おう。男とは、何ぞや?」

「…唐突ですね。

 生き様よりも死に様に、より高い価値を求める生き物、かと思いますが。」

「では、命とは?」

「その価値を高める為、燃やす燃料…と言ったところですかね。」

「なかなか面白い答えよ。

 フフ、正解にしておいてやろう。」

 男はニヤリと笑うと、背後にある紐を引いた。

 杭の上に板が渡される。

 この上を歩いてこいという事だろう。すごく面倒臭い。

 

「正解よりも、早く羅刹という方にお取り次ぎいただきたいのですが。」

 板を渡って男の前に降りながら、私は無表情で男に向かって言った。

 

「……………こっちだ。ついてくるがいい。」

「ありがとうございます。」

 ちょっとかわいそうだっただろうか。

 もう少し相手してやるべきだったか。

 

 ・・・

 

「赤石の紹介だと?俺に何の用だ。」

 案内された部屋にいたのは、顔だけは妙にダンディな長身の男だった。

 恐らくは30を少し越えたくらい…え?ここって三号生の居棟だよね?

 このオッサン何者ですか?

 …ああでも、三号生の筆頭は10年余務めてるって言ってたから、彼がその同期であればそのくらいの年齢でもおかしくはないのか。

 いや状況的には充分おかしいけど。

 まあ、とにかくこの男がどうやら、赤石が言っていた羅刹という男であるらしい。

 

「塾長より、三号生筆頭宛の書状を預かっております。

 それを赤石に言ったところ、まずあなたにお会いして仲介をお願いしろと。

 申し遅れました。

 塾長秘書の、江田島光と申します。」

 挨拶とともに告げた名に、羅刹が反応する。

 

「江田島?塾長の子か!?」

「そういうことのようです。

 育てられてはおりませんが。」

 後半は嘘じゃない。

 だがそう言うと羅刹は、何か申し訳なさそうな表情を浮かべた。

 よくはわからないが、なにか深読みして解釈してくれたようだ。

 

「む…そうか。

 …そうそう、邪鬼様への書状、だったな。

 それは俺を介さずとも、入口でそう告げて渡せば良かったのではないか?」

「その、大豪院邪鬼という方にお渡しして、返事をいただいて来るようにと言われております。」

 そう言って、羅刹の目を見返す。

 羅刹が小さく溜息をついた。

 

「そうか。

 帰れと言いたいところだが、赤石が俺を指名したとあれば、無下にするわけにもいかんな。

 …暫しここで待て。」

「お手数をおかけします。」

 

 ・・・

 

「邪鬼様がお会いになるそうだ。ついてこい。」

 邪鬼様、ね。

 大豪院さんでも、邪鬼でもなく、邪鬼『様』。

 同じ筆頭でも、赤石や桃とは扱いが随分違うようだ。

 まあ、それは赤石の時にも思った事だけど。

 桃も二号生に上がったら剣さんとか呼ばれるようになるんだろうか?

 …いや無いな。職員の私にすら桃呼びを強要するくらいなんだから。

 そんな事を考えていたら、羅刹が歩きながら私に話しかけてきた。

 

「赤石が停学処分を解かれたという話は聞いていたが、息災のようだな。」

「血の気が多いので、いつも見ていてハラハラさせられますが、幸い周りの人間には恵まれているようで。」

 少なくとも江戸川のサポートなしには彼に二号生筆頭は務まらない。

 孤高の存在のように見えて、彼は1人では生きられない、否、1人で生きさせてはいけない人種だと思う。

 1人で置いといたら結構明後日の方向に暴走して、命や立場を危険に晒す。

 まあ要するに脳筋なんだけど。

 復帰早々、桃と戦う事になったのは、彼にとっては良かったのだと今は思う。

 

「見るに、貴様もその1人なのではないか?

 少なくとも、奴がその身を案じて俺に頼るほど、目をかけているという事は。」

「私は、彼が目の前で失った友に似ているそうです。」

 嘘は言っていない。

 意図的に伏せた部分があるだけで。

 

「友…か。

 三年前のあの時に、奴にそんな存在があったなら、或いはあのような事にはなっていなかったのかもしれぬ。」

 三年前、というのは例の、赤石が起こした大量傷害事件の事だろう。

 だがそれがなければ赤石は兄とは出会う事なく、兄はもっと孤独なまま死んだ上に、きっと私は未だに兄の事を、思い出しもしていないだろう。

 羅刹は私を連れて大きな扉の前に立つと張りのある声を扉に向けて上げた。

 

「死天王・羅刹、参りました。」

 仰々しい扉が開かれる。

 中は、薄暗い広間となっており、

 

 中心に…10メートルの巨人が座していた。

 え?これ、仏像とかじゃないよね?




序盤の戦いで傍観決め込んでる分、赤石先輩の使いやすさが半端ない件www
だからバランスを取る為に、最後は桃にいいトコあげなきゃならなくなるのよと言い訳してみるwww


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2・Purple Haze

赤石先輩…い、いや、なんでもないです。


「江田島光と申します。

 塾長江田島平八よりの書状を、三号生筆頭大豪院邪鬼どのにお渡しし、必ず返事をいただいて来るようにと、申しつけられて参りました。

 どうぞお受け取りください。」

 口上とともに差し出した手紙を羅刹が私から受け取り、中央に座す仏像もとい大豪院邪鬼に差し出す。

 その巨体はなぜか濃い紫の影というか霧を帯びており、これだけ大きいのにその顔が全く見えない。

 そしてその周りに3人の男たちがおり、全員がこちらを凝視していた。

 …面倒臭い。ものすごく面倒臭い。

 けど一連の儀式だと思って我慢する。だが。

 

「………帰れ。」

 開いた手紙に一瞬だけ目を通しただけで、大豪院邪鬼はそう言い放った。

 

「は?」

「このような書状に返事など出せん。

 とっとと帰れ。」

 いやいや待て。仮にも塾長からの書状に対してそれはなかろう。

 それにこのまま帰ったら、この程度の使いも果たせない無能者の烙印を押される事必至だ。

 

「そうは参りません。

 必ず返事をいただくようにと、念を押されておりま…………ッ!?」

 一瞬、身体の周りを旋風が走った。

 そして次の瞬間、制服の上着の留め具が全て弾け飛んだ。

 サラシを巻いただけの胸元が、男たちの目に晒される。

 

「…お、女!?」

「女だと!?」

「何故女がここに!?」

 慌てて胸元をかき合わせるが既に遅く、その場の男たち、大豪院邪鬼以外が騒つく。

 私の隣の羅刹も、声は出さなかったものの、やはり驚いた表情を浮かべていた。

 

「…それ以上の辱めを受けたくなければ、大人しく帰るのだな。」

 

 ………ぶちっ。

 大豪院邪鬼が抑揚のない口調で言うのを聞き、私の中で何かがキレた。

 …うん、沸点が低いと赤石を笑えない。

 そしてキレてからの行動の方向性が明後日に向かうのも。

 やはり一緒にいる事が多いと若干影響を受けてしまうものなのか。

 

「…こんなものでご満足いただけるのでしたら、御存分に。」

 どうせこんな格好で外になど出られやしない。

 私は前側が全開になった学ランを脱ぎ捨て、勢いでサラシにも手をかけた。と、

 

「…!?ま、待て待て待て!

 それ以上の事をさせたら、俺が赤石に殺される!!」

 がっ。次の瞬間、羅刹の大きな手が、私の両手を掴んでいた。

 それから、男たちの視線から私を遮るように、その大きな身体で私の前に歩み出る。

 

「邪鬼様、この者は俺が、二号生筆頭赤石剛次より預かった身。

 御存知の通り、俺以下、あの雪の行軍に加わった全員、赤石には命の借りがあります。

 返事が出せないというのであれば、せめてこの者が納得する理由を…!」

 雪の行軍?命の借り?

 一体なんのことだろう。

 そう言えば赤石は羅刹に対し、示せる実績があると言っていた。

 その事なのだろうか。

 

「…邪鬼様、お戯れが過ぎます。」

 大豪院邪鬼の一番近くに侍っていた男が、落ち着いた声音で進言する。

 と、その瞬間、大豪院邪鬼の巨体が揺らぎ、その身体の周りから、紫の煙が消失した。ように見えた。

 

「フッ…仕方あるまいな。

 だが羅刹。貴様も動揺し過ぎだ。

 この女のほうが、よほど根性が据わっている。」

「は、面目次第もございません。」

(あれ…?)

 ごしごし。思わず目をこすってもう一度『大豪院邪鬼』を見る。

 つい今まで10メートル台の巨体に見えていた男は、それでも確かに大きいが、せいぜい2メートル強くらい、大柄な男レベルにサイズが縮んでいる。

 疑問を感じると同時に、悟る。

 私が見ていたのは、恐らくは彼が内包する『氣』。

 それは先ほどまで見えていた巨体の方が納得できるというくらいの総量ゆえに、それが肉体に収まりきれていないのであろう。

 これは…恐ろしい男だ。

 思わず身体の芯がぞくりと震えた。

 

「だが、普通に考えて、これに返事が出せると思うか?」

「……ええっ!!」

 広げられたそれは、白紙だった。

 つい今まで感じていた恐怖など一瞬で吹き飛び、私は大豪院邪鬼の側まで駆け寄ってしまった。

 間違いなく、何度見ても、どんなに目を凝らしても、それは白紙以外の何物でもない。

 

「さて…江田島光。貴様はこれをどう解釈する?

 塾長は何ゆえ、貴様にこれを、わざわざ俺のところに届けさせたか。」

 驚きのあまりその白紙に見入っていた顔を上げ、私は大豪院邪鬼を見上げた。

 強大な氣に邪魔されてよく見えなかった顔が、今ははっきりと見えている。

 年齢的には30そこそこ、恐らくはそれを越えてはいまい。

 思っていたより整った顔立ちは、豪快さと繊細さを同時に感じさせる。

 何故かはわからないが、私はそのアンバランスさを、美しいと感じた。

 彼が微かに浮かべた微笑みに、思わず見惚れる。

 俗な表現をすれば、小娘が大人の色気にあてられたとでも言うのだろう。

 だが、その男の微笑みには、魂の深いところを揺さぶると同時に、本能的に他者をひれ伏させる不思議な魅力があった。

 それは、生まれついてのカリスマ。帝王の資質。

 …生まれる場所と時代を、この男は完全に間違えた。

 そう考えると、少しだけ私は落ち着くことができ、ようやく言葉を口から紡ぎ出す。

 

「…殺せという指令や、単なる嫌がらせでなければ、顔を売ってこいとかいう意味でしょうか。

 塾長のお考えですから、全てを推し量る事、私などには不可能ですが。」

「なるほどな。

 貴様がそう解釈するのならば、俺もそう思う事にしよう。」

 大豪院邪鬼はそう言うと、片手で軽々と私を抱き上げた。

 驚いて固まる私を、ひょいと肩に乗せる。

 

「うひゃ!?」

 私はいきなり大豪院邪鬼の肩の上に座らされる格好になり、その高さに思わず、彼の頭にしがみついてしまう。

 いやいやいや、いくら私が小さくてこの男が大きいからって、この体勢はないでしょうが。

 私は幼児か、くそ。

 

「江田島光。貴様は2、3日、この天動宮に留まれ。

 逗留する部屋を用意させるから、それまで俺の部屋で休んでいるがいい。」

「えっ!?」

 ちょっと待て。

 ちょっとしたおつかい認識で来たから、泊まりの用意はしてきていない。

 

「邪鬼様!」

「羅刹よ、心配せずとも貴様の大事な預かり物に、手荒な真似はせぬ。

 だが俺は、この者を見極めねばならん。」

 …どうやら、私は解答をミスったようだ。

 正解ではなかったという意味ではなく、予期せぬ展開を招いてしまったという意味で。

 

「こ、困ります!

 せめて赤石のところにだけでも、報告に行かせてください!

 私が戻らなければあのバカ兄貴、ここに抜刀して殴り込みかねません!」

 今、ここにいるのは恐らく三号生の主力だろう。

 私が見る限り一人一人がそれぞれ、赤石に匹敵する力量を備えている筈で、そして今私を肩に担いでいるこの筆頭に関しては、どこまで強いのかまったく見えてこない。

 …無策で突っ込んだら最悪殺される。

 

「奴が心配か?」

「…はい。それに、日々の仕事も。」

 少し考えたが素直に肯定する。

 それに虎丸のご飯の手配もしなきゃいけないし、事前にわかっていないと不都合な事が多すぎだ。

 

「そちらは代理を手配してやろう。

 羅刹。貴様は二号棟に出向いて、二号生筆頭赤石剛次に、事の次第を説明…」

「ああ〜〜!それますます不安です!

 せめて白紙の書状の件だけは伏せてください!

 それ言ったら今度は、塾長室に殴り込む可能性が出てきます!

 というより、彼には私から説明させてください!

 余人に任せたら嫌な予感しかしません!

 お願いします!」

 もう半泣きで訴える。うん、認めてやる。

 赤石は既に私の兄のようなものだ。

 私は兄を、ふたりも失いたくはない。

 

「…連れて行ってやれ。」

 呆れたように言いながら、大豪院邪鬼はようやく、私の身体を降ろしてくれた。

 

「…なあ、赤石ってそんな性格だったか?」

「まあ、血の気が多いトコは変わってないようだがな…。」

 なんか後ろの方で、ちょっと目立つ髪型の二人がなんか言ってる気がするが、聞かなかったことにしてそのそばを通り過ぎようとしたら、黒くて重たい布が、バサリと頭からかけられた。

 

「着ていけ。そのまんまじゃ目のやり場に困る。」

 見上げると目立つ髪型の一人、モヒカン頭に妙な…マスクを着けた男が背中を向けるところだった。

 頭から被せられたものが、男塾の学ランであると気付き、慌てて袖を通す。

 そうだ、今上半身に身につけているのはサラシだけだったんだ。

 …ただ、袖を通したそれは、私にはあまりにも大きかった。

 袖をまくり、ベルトで裾の位置を調整したものの、子供が大人の服を無理矢理着ている感は拭い去れない。

 しかもその姿で歩き出そうとしたら、後ろで誰か吹いた。滅べ。

 

 ☆☆☆

 

 羅刹を伴って趣味の悪い天動宮を出ると、二号棟へ向かう。

 筆頭室の扉をノックすると、返事よりも前に勢いよく扉が開いた。

 

「光か!?」

 その勢いですっ飛ばされそうになった私の背中を、羅刹が支える。

 

「…フッ、久しいな、赤石。」

「羅刹先輩?……光!」

 赤石が羅刹の腕の中から、強引に私の腕を引く。

 そのまま私の身体を自分の後方にやって、自分は私と羅刹の間に、私を庇うように立った。

 いや、言っとくけど、今私をすっ飛ばしたの、お前だからね?

 その赤石の服の裾を軽く引いて、私は今ここに来た用件を告げる。

 

「赤石、報告の為に戻りましたが、私はこの後3日ほど、天動宮に留まる事になりました。」

 赤石が睨むような目をしながら私を振り返る。

 

「何だと?」

 それから、同じ目を、今度は羅刹の方に向けて言った。

 

「…どういう事だ、羅刹先輩?

 俺はあんたを信用してコイツを預けた。」

「赤石、羅刹は常に私を守ろうとしてくれました。

 彼を責めるのはやめてください。」

 だが、赤石は私の着ている学ランの肩を掴んだ。

 身体に添わずに余った布が、赤石の手の中でしわになる。

 

「だが、これは何だ?どう見ても借りモンだろう。

 貴様の制服はどうした?」

「あ…それは」

「服が替えられてるって事は、一旦脱がされたって事じゃねえのか?」

 そうか。赤石の反応が過剰に見えたのは、どうやらこれが原因のようだ。

 

「それについては本当に申し訳ない。

 邪鬼様の悪ふざけで、止める間もなかった。」

 羅刹が真摯に頭を下げる。

 …うん、なんだか気の毒になってきた。

 赤石は羅刹から視線を外すと、私の顔をじっと見つめる。

 

「………どうやら手は出されてねえようだな。」

「もう驚きませんが、顔見ただけでわかるのやめてください。」

「判っちまうんだから仕方ねえだろうが。」

 私の言葉に、赤石の表情が僅かに緩む。

 

「そこだけは安心してくれていい。

 邪鬼様はそういった無体はなさらないお方だ。」

 だが羅刹が言うのを聞き、赤石は再び表情を引き締めた。

 

「…万が一、コイツの身に何かあったら、例えあんたでも許さねえ。」

 視線がまた、強く、鋭くなる。

 唐突に、豪毅と対峙していた、あの日の事を思い出した。

 あの時はそうなる事を全力で阻止したが、私の『あに』と『おとうと』は、本気で戦ったらどっちが勝つのだろう。

 そんなものを見る日は一生来なくていいけど。

 羅刹は暫しそのまま、赤石の視線を受け止めていたが、やがて少しだけ表情を崩して言った。

 

「判っている。

 貴様の女に手を出す真似は誰にもさせん。」

「なっ…!!」

 赤石が動揺したように言葉に詰まる。

 

「誰が誰の女ですか。失礼な。」

 仕方なく私が冷静に言い返してやると、赤石は何故か私を睨んできた。

 

「てめえ、失礼は言い過ぎだろうが。」

「あなたの為に言ってあげたんじゃないですか。

 ガキに手を出す男と思われたくないでしょう?

 普段から桃に向かって私のことを、チビだのガキだの貧相だのと散々言ってるの、私が知らないとでも思ってるんですか?」

 私が言うのを聞いて、赤石が大きくため息をつく。

 

「…もういい。

 戻ったらまた、俺んトコに顔出せ。いいな?」

 どうやら勝った。

 結果に満足して私は、頷いて赤石に笑いかけた。

 

「はい、赤石。必ず。」

 

 ・・・

 

「…貴様、本当に、赤石とは何もないのか?」

「その何かの意味が、恋愛感情とか肉体関係とか、そういった意味でしたら、何もないと言い切れますね。」

 何故だかさっきから呆れたような顔をしている羅刹が、また何かおかしな事を聞いてきたのを、バッサリ斬り捨てる。

 

「もっとも彼は私を妹のように思ってくれていますし、私も今は彼を兄と思っています。

 そういう意味での関係は、他の誰より深いかもしれませんね。」

 正直、手のかかる兄だとは思うけれど。

 

「あれはどう見ても、自分の女を奪われまいとする男の顔だったがな…恐らくは無自覚なんだろうが。」

「は?」

「まあいい。

 後で貴様の部屋を用意させるから、まずは邪鬼様のところに行くがいい。」

 気がつけば天動宮の門の前に着いていた。

 またあの建物に入らねばならないのか。

 

 ☆☆☆

 

「変わった『氣』の使い方をする。

 使う瞬間に、必要最小限だけを練り上げるというわけか。

 だが普段からも息をするように練っていかねば『氣』の総量は増えぬぞ。

 貴様の身体の大きさを考えれば尚の事、少しでも増やさねば足りぬだろう。」

「確かに最近では、この使い方をしていても足りぬと感じる事があります。」

「普段から練って溜めておけば、尽きかけた場合の回復も早まろう。

 限度というものは、確かにあるがな。」

 天動宮滞在2日目。

 私は今、三号生筆頭大豪院邪鬼から、改めて氣のレクチャーを受けている。

 

「邪鬼様の氣は、どのようにして溜めているのですか?

 少なくとも、器の10倍以上もの総量の氣を、身の内に貯められる人を、私は初めて見ました。」

 そう、気付けば私は、他の三号生と同じように、彼の事を『邪鬼様』と呼んでいた。

 何故かはわからないが、どうしても「大豪院」と呼び捨てにはできなかった。

 それはやはり、あの巨大な氣に当てられたのが大きいのだろう。

 そして彼の強烈なカリスマ性に。

 

「…フッ。俺のは、少しばかり反則でな。」

 私の問いに邪鬼様は、薄い唇に笑みを浮かべる。

 

「え?」

「所謂特異体質というやつだ。

 常人には真似できん。」

「はあ…。」

「まあ、結局は、身体が大きいから可能なのだと思っていればいい。

 いいか、最初から全て精製しようと思うな。

 少しずつ練り上げて密度を上げるのだ。

 続けていけば、そのうち身体の方が慣れる。」

「はい!」

 …そうして3時間ほどレクチャーを受けて判った事は、氣をメインの攻撃手段とするにはチビの私はまったく向いていないという、純然たる事実だった。

 いいもん。私の本分は治療だから。あと暗殺と。

 

 ☆☆☆

 

「邪鬼様。

 関東豪学連についての調査結果はこちらです。」

「御苦労。…やはりそうか。

 現在の総長は伊達臣人。

 ヤツに対してなら、少しつついてやれば、男塾にちょっかいをかけてくるよう、仕向ける事は可能だな。」

「御意に。」

「後は、いかに殺さぬよう手配するかだ。

 我々の行動はあくまで秘密裏に、当事者に気取られる訳にはいかん。」

「その事ですが、邪鬼様…。

 ……あの女、使えるのでは?」

「…光のことか?」

「先程、鍛錬の折に負傷した者がおり、その傷を不思議な技を使って治療するのを見ました。

 あの女がいれば、死者を出さずに死闘を終える事は可能では?」

「馬鹿な。戦場に女を連れて行くだと…?」

「ですが、彼女の能力は我々の目的の達成に、一番欲しいと思っていたピースです。

 問題は、彼女が江田島塾長の手駒という事ですが、敢えて頭を下げてでも、借り受ける価値はあるかと。」

「……計画を実行しろ。」

「御意に。」




光は豪毅の最終奥義である暹氣龍魂の存在をまだ知らない為、この時点では赤石との比較で「桃=赤石≧豪毅」くらいだと思ってます。
アタシ的には、豪毅原作登場時の時点なら、手数の多さで「赤石≦豪毅<桃」だと思ってますがね。
この時点で赤石が「念朧剣」を使えたならわかりませんが、基本的には斬岩剣を封じられた後のパフォーマンスが一気に下がるの、赤石の仕様だと思ってるんで。
…まあ、手数の多さを基準で考えると、桃以外なら伊達が最強って事になっちゃうんだけどね。
槍の名手なのは勿論だけど、刀でも拳でも戦える男ですし。

邪鬼様の氣の総量は、巨大化した際のものをそのまま、常人枠に縮んでも維持してるという設定です。
光は「極」の時代にはもう生きていないので、真相を知る事はないですが。


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3・心に刷り込まれた哀しい習性が昨日を連れ戻そうとするけど

…展開と理屈に無理があるのはわかってるので、「これは男塾理論」と思って読んでください。


 天動宮訪問から4日め。

 邪鬼様が書いてくれた手紙の返事を携えて、私はようやく自室のある中央校舎に戻ってくる事ができた。

 途中赤石のところに顔を出してから、塾長室に向かう。

 

「どうやら三号生もきっちり手懐けて帰ってきたようだな。上々、上々。」

「…それが目的なら最初から仰ってください。

 白紙の手紙を持たせるなどと、まどろっこしい事などせずに。」

「フフフ、わしが男塾塾長江田島平八である。」

 …塾長室を辞し、虎丸の食事を用意して持っていくと、「もう会えねえかと思った。」とかしんみり言い出すので何かと思ったら、彼の懲罰期間があと一週間ほどで終了なのだという。

 おめでとうと言ってやると、

 

「この半年、ほんとしんどかったけどよ、あんたのメシが美味かったから頑張れたんだ。

 ありがとな。」

 と、何故かちょっと寂しそうな顔で言われた。

 ここから出られるんだから、もっと喜んだっていいのに、この半年の間に完全に懐かれたようだ。

 残りの一週間はできるだけ代理を立てずに通う事にしようと思う。

 そして最後の日は、彼の好きな唐揚げを作ろう。

 まあ、彼の懲罰期間終了とともに、食事係だった謎の女は消えるが、江田島光とはいずれ会う事になるわけで、私は全然寂しくないんだけど。

 謎の女が和服姿であったのもより印象を強くする為であり、私のメイク技術の完璧さと合わせて、江田島光と謎の女のイメージが重なる事はまずないと思う。

 不安があるとすれば、あの鎖が切れた時にうっかり術を使ってしまった事と、その際にしとやかでか弱い女性の仮面が外れてしまった事だけだが、その辺はなんとか誤魔化すつもりだ。

 校庭では、どうやら私が天動宮に滞在している間に量産されたらしい、薄い板で組み立てられた安っぽい小屋が点在しており、『愕怨祭』というイベントが明日の朝から行なわれるらしい。

「男塾と一般市民との、年に一度の交流」という建前だが、要するにこれも塾経営の中での赤字対策である。

 教官たちは利益が自分たちの懐に入ると思っているようだが、そこは施設使用料としてきっちり上納させると、塾長が仰っていた。

 まいどあり。平和だ。とても平和だ。

 …そこに嵐が迫っている事、知ってはいたけれど。

 

 ☆☆☆

 

 時間は少し戻って天動宮滞在3日目の夜。

 その晩、充てがわれている部屋に、訪問者があった。

 邪鬼様の常に側近くに控えていた男、名前は影慶といった筈だ。

 

「女人の部屋を訪ねる時間としてはいささか非常識ながら、余人には聞かれたくない話だ。

 扉を閉める無礼をお許し願いたい。」

「いえ、お気になさらず。

 そもそも対外的に私は男ですから、むしろ二人きりだからと扉を開けて話すのも不自然でしょう。」

「うむ。それもそうか。

 …まず用件の前に、我々が、簡単に言えば用心棒を派遣する企業を、ここを拠点にして経営している事は知っているな?」

「はい、聞き及んでおりますが…。」

「顧客は命の危険がある故に、それを守るべく我々に、仕事を依頼してくる。この10年で政界、経済界より多くの顧客を獲得し、信用を得てきた。

 その我々が、護衛を失敗した例が、実は一件だけある。

 2年ほど前の話だ。

 もっとも、護衛に失敗したと言うよりも、護衛中に対象者が心不全で死亡したという事で、我々には何ら落ち度はないとされた。

 実際我々もそう信じていたのだ。

 ……つい最近までは。」

 …何故だろう。ものすごく嫌な予感がする。

 

「別件で過去の事例を調べていた際に、我々が守れなかった対象者の時と、よく似た事例が数件ある事に気付いた。

 要人とそれに連なる人物の、それまで健康診断などでも認識されていなかった筈の、何らかの内臓疾患による、急死。

 我々の対象者を含めて調べてみたら、いずれの死亡者も、死の直前まで、交際している女性の存在を匂わせていたという共通点があった。

 だが死後に連絡をしようにも、それが誰であるか遺族にも判らず、連絡が取れなかったという。」

 影慶はそう言うと、数枚の写真を出して、ローテーブルの上に置いた。

 それは、20代後半から40代前半くらいまでの、数人の男性の写真だった。

 

 その男性たちの、最大の共通点を、私は知っていた。

 全員、御前の指令を受けて、私が殺した男たちだ。

 

 …見たくない。

 けど、目を逸らしたら怪しまれる。

 

 影慶は私の反応を確かめるように、暫し私を見つめていたが、やがて並べた中から一枚の写真を指し示した。

 

「我々の警護対象だったのはこの男だ。

 名前は久我慎一郎、当時32歳。

 今は引退している政治家の妻の甥で、当時はその秘書を務めており、いずれは後継にと言われていた。

 彼の死後、その政治家は、後継も指名せずに引退した筈だ。」

 知っている。表向きは清廉なイメージの真面目な政治家秘書であったこの男は、裏に回ればそこそこねじ曲がっており、常に人を見下してかかる悪い癖があって、特に女性関係でのトラブルが多かった。

 家柄も収入も更に見た目も良かったから、近寄ってくる女性には不自由しておらず、故に女という生き物を、あからさまに馬鹿にしていたからだ。

 だが、そんな男のほうが、私にとっては近づきやすかった。

 とあるパーティーで、『水内麻耶21歳。引退して久しい政治家の孫娘』という設定で出会った私が、彼に全く興味を示さなかった事に、最初は単にプライドが傷つけられただけだったろう。

 だが何度か(意図的に)顔を合わせるたび、私を落とそうと躍起になるうち、彼は私に本気になっていった。

 人の心理とはそういうものだ。

 苦労して手に入れるものの方が、容易く手に入るものよりも価値があると思ってしまう。

 そして不思議な事に、私に夢中になって以降の彼は、何か憑き物が落ちたように、誰に対しても誠実に接するようになった。

 

『義叔父の御子息は、所謂『武術バカ』でね。

 今は海外留学の体で、武者修行に出てる。

 義叔父は彼の事は、口ではなるようになると諦めているけど、本当は期待してると思うよ。

 しかもその武術バカ、実は幼少の頃から結構な天才肌で、やらせれば何でもできてしまう。

 自分の興味のある事にしか動かないだけでな。

 今はまだ子供だからいいけど、彼がある程度の年齢になったら、俺なんてすぐに追い落とされる気がするよ。

 俺は、義叔父の秘書になった時から、ずっと彼の存在を、脅威だと思ってきた。

 笑っちゃうだろ?

 30過ぎた大の男が、20近くも年下の従弟の、見えない影にビクビクしてるんだからな。

 でも、本当だ。』

 ある時、酔って私に甘えかかりながら、そんな話をしてきたのを覚えている。

 

 だが、その後はお定まりのコースだ。

 ある時、誕生日(設定上のもので、勿論実際の誕生日じゃない)を祝ってくれるという彼に、「一度、あなたの手料理を食べてみたい」とねだって彼の部屋に招待してもらい、その夜に彼のベッドの上で、暗殺は実行された。

 正直、付き合っていくうちに見せた彼の変化があまりにも劇的であったせいか、この仕事は、当時既にプロの暗殺者であった私にすら、後味のよくないものとなった。

 彼が何故死ななければならなかったか、理由など知らない。

 だが、私ではない誰かがもっと早く、彼の孤独やコンプレックス、その抱える心の闇をありのまま受け止めていたら、或いは殺されずに済んだのではと思わずにはいられなかった。

 

「…何故、そのお話を、私に?」

 恐らくはバレているのだろう、私が彼の「交際していた女性」である事。

 痕跡は絶対に残していない筈だから、どこから発覚したのかはわからないので、ハッタリである事も考慮しなければいけないけど。

 だから、まずはすっ惚けてみる。

 

「…先日、総理の側近から総理の護衛の依頼を受けた。」

 あの人か!確かに、塾長言うところの『中ちゃん』は、私の顔を見て未だ生きている!

 もっともあの時の『仕事』モードの私と、どスッピンのチビガキの私を見比べて、同一人物であるとは決して思わないだろうが、比べてみれば少しは似ている、くらいには思うかもしれない。

 

「総理御本人は自身が狙われている事、半信半疑だった上、襲われた時の刺客の顔も、小柄で色っぽい女性だったという印象しか覚えていなかった。

 だが、その時助けてくれた知り合いが、彼女の顔を自分より覚えている筈だと言っていて、その名を聞いて驚いた。

 それが江田島平八…この男塾の塾長だ。

 彼はその刺客を気絶させて、どこかへ連れて行ったという。

 その、暗殺未遂事件のあってすぐに、江田島塾長は自分の息子とする者を秘書としてこの塾に入れていて…その正体が女とくれば、そしてその能力を考え合わせれば、ほぼ全ての線が繋がる。

 貴様は……少なくとも、江田島塾長のもとに来るまでは、要人暗殺を生業とする者だった。そうだな?」

「…申し開きもございません。」

 もう、素直に認める事にしよう。

 それにしてもあの時期に、久我慎一郎に護衛が付いていたなんて知らなかった。

 偶然うまく出し抜いた形になったが、下手すればあの仕事が私の命取りになっていた可能性もあったわけだ。

 私は自分で思っているほど有能な暗殺者ではなかったのかもしれない。

 

「大方、塾長に捕らえられた後は、身の安全と引き換えに、その配下となったというところなのだろう?」

「その件だけは訂正させてください。

 塾長は私に、自身の配下になれとは、一言も仰ってはおりません。

 あの方はただ、『死よりも生を間近に、嫌という程見続けて、新しい世界を生きてみよ』と仰ったのみです。」

 無論、その言葉の裏に、打算がなかったと証明はできない。

 けど、あの人は私の頭を撫でてくれた。

 その手は確かに、私が欲しかった手ではなかったけれど、私はあの温もりを信じたいと思った。

 

「…よくわかった。

 だが、それは言うほど容易い道ではないぞ。

 貴様の過去はいずれ、貴様の今と未来を阻もうとするだろう。

 それは覚悟しておくが良い。」

 影慶はまだ私を、厳しい目で見つめながら言う。

 それを見返しながら私は答えた。

 

「…わかっております。」

「いや、わかっていない。

 …この久我と縁のある者が、今この男塾に居る事を、貴様は知るまい?」

「え?」

 だがそこで、なにやら予想もしなかった事を告げられ、私はたじろぐ。

 その後に告げられた名前に、私は確かに絶望的なものを感じた。

 

「一号生筆頭の剣桃太郎は、久我が秘書をやっていた国会議員、剣情太郎の一人息子だ。

 久我は剣情太郎の妻の、兄の息子だから、剣桃太郎とは従兄弟同士の関係となる。」

 桃の…従兄。

 2人とも確かに端正な顔だちをしてはいるが、似たところはまったくない。

 そもそも年齢が離れているし、慎一郎はどちらかといえば女性的な面ざしで、背は高い方だが細身の、全体的に神経質な印象を与えるタイプの男だった。

 

 …そうか。慎一郎があの時話していた従弟というのが、桃の事だったんだ。

 

「過去が未来を阻むとは、そういう事だ。

 貴様はこの先、同じような業と、幾つも戦ってゆかねばならん。」

 私は、桃の血縁者を手にかけている。

 もし彼に復讐の意志があれば、殺されても文句は言えないという事だ。

 そしてそれは、桃に限ったことではない。

 他の、私の手にかかった男たちの、全てに家族や友がいて。私はその全ての人たちから、恨みを買う立場にいる。

 

「光。邪鬼様に仕える気はないか?」

 と、唐突に影慶が、私の目を見据えたまま言った。

 

「あの方は貴様の業を受け止め、守り、そして生きる場所と意味を、貴様に与えるだろう。

 何故なら、貴様はこちら側の人間だからだ。

 邪鬼様は自分に属する者を決して見捨てはせん。」

 …なるほど。今日の本題はこれだったか。

 だが、その提案は確かに魅力的ではあった。

 邪鬼様の圧倒的なカリスマは、確かに私を惹きつけていたから。けれど。

 

「…それでも、私は、自分の罪と向き合います。

 塾長は、その為に私を、生かしてくれたと思うので。」

 塾長は私に、新しい世界を知れと言った。

 それは決して、自分の罪を忘れろという意味ではない。

 むしろそれを背負った上で、それでも前を向いて生きろという意味であると、私は思ってる。

 影慶の言う通り、それは容易い事ではない。

 だけど少なくとも塾長は、私にそれができると信じてくれた。

 

「ですが、少なくともあなたは、私の運命を案じてくれました。

 それが邪鬼様の意志でもあるというのでしたら、もし私の力が必要である時には、塾長の意に反しない範囲で、お貸しいたしましょう。」

 私が言うと、影慶は深く息をつき、微かに微笑んだ。

 

「…そうか。強いな、貴様は。

 では遠慮なく頼む事にしよう。

 早ければ明日にでも男塾に、関東豪学連が攻め込んでくる。

 詳しい事はまだ言えぬが、この戦いで誰一人として死なせない為に、貴様の力が欲しい。」

 

 ☆☆☆

 

 いずれ時が来たら、桃には真実を打ち明けよう。

 そして、彼の手で裁いてもらおう。私の罪を。

 だけど、それは今じゃない。

 今はまだ、私は死ねない。

 

 私が死んだら、誰も助けられない。

 絶対に誰も死なせない。

 

 私の命も、力も、全部あなたたちに、あげる。



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4・裏切りへの前奏曲(プレリュード)

 茶番だ。正直、そう思う。

 こんな茶番に命を賭ける男たちに、心底同情した。

 それなのに今、私はこの茶番を仕組んだ男たちと、行動を共にしている。

 それは、私を仲間と思ってくれているあの子たちへの裏切りかもしれない。

 けれど、彼らを死なせない為に、私の力が必要だというなら、今はこうするしかないだろう。

 少なくとも、私一人では、それは到底成し得ない事なのだから。

 

 ☆☆☆

 

 影慶の言っていた通り、関東豪学連という連中が、男塾に殴り込みをかけてきたのは、愕怨祭が開催されている最中の事だった。

 どうも少し前から三号生の何人かが工作員として送り込まれていたようで、その者たちが何らかの働きをした結果、今日のこの襲撃に至ったものであるらしい。

 とりあえずその件は伏せたうえで、『関東豪学連が男塾を狙っている』という情報のみを、私は独断で事前に赤石にリークしておいた。

 もっとも赤石は外に結構な情報網を持っているらしく、少し前から奴らがおかしな動きをし始めた事は、私に言われる前に知っていたようだ。

 三号生の暗躍についてまでは、さすがに気付いてはいなかったが。

 

「気ィ抜くわけにはいかねえだろうが、この程度の件なら、一号ボウズどもで充分対処できんだろうぜ。

 剣のヤロウと、Jも居る事だしな。」

 と言ってたところを見ると、二号生を動かすつもりはないようだが、一号生にというか桃に警告はしてくれるつもりのようだった。

 赤石が大丈夫だって言うんなら大丈夫だろう。

 大丈夫…だといいなぁ。

 関東豪学連から斥候として送り込まれてきた者たちは、最初は単に催し物にちょっかいをかけてきて、富樫と松尾が負傷させられた後、JにKOされて催し物のひとつになっただけだった。

 その直後に彼らの一部隊が乗り込んできて乱闘になりかけたところを鬼ヒゲ教官が制し、男塾名物「羅惧美偉」での勝負となった。

 双方15人ずつの選手が毒薬を服んで、ボールの中にある鍵を奪い合い、相手方のゴールにある解毒剤を飲めば勝利、負ければ全員死亡。

 

 …という事なのだがどうも胡散臭い。

 つか塩酸バリトニウムや鉱素ミナトリウムって何ぞ。

 私は一応薬学の知識も叩き込まれているが、そんなの聞いたこともないぞ。

 でも、こぼれた液体を舐めた猫が倒れて痙攣してるし、嘘でないとしたら単に鬼ヒゲ教官の覚え間違いかもしれない。

 それに他の塾生はともかく桃がその辺をつっこまないなら、ひょっとしたら私が知らないだけで本当はある物質なのかもしれないし。

 

 とりあえずこの猫は私が解毒しておこう。

 …あれ?この皮膚の感触、死にかけてる生き物のそれじゃないな。

 落ちてる一升瓶の中に僅かに残っていた液体を掌に取り、舌先で舐めてからすぐに吐き出す。

 多分だがこれ、神経に作用する麻酔薬の類だ。

 飲んでも死ぬ事はないだろうが、効いてきたらしばらくは、身体の自由が効かなくなるだろう。

 これ、飲んで気付かなかったって事は、ひょっとして桃は、薬学の知識はあまりないのかもしれない。

 彼のスペックの高さで、知らない事があるって事実が逆に信じられないけど。

 …とりあえず猫の身体の大きさを考えたら、その効果が人間より強く作用する可能性もあるので、解毒はきっちりしてやる事にする。

 

 ちなみにこの羅惧美偉の観戦も、入場料とは別料金。

 もはや完全にぼったくりである。

 塾の運営にご協力いただきましてありがとうございます近隣住民の皆様。

 これからも多大な迷惑をおかけする事になるとは思いますが、この子たちは明日の日本を背負って立つ若者です。

 どうぞ生温かい目で見守ってください。

 よろしくお願いいたします。

 

 そんな事を考えていたら足元に小さな気配を感じ、目をやるとさっきの猫が、私の足に身体を擦り付けてきた。

 それはいいがその足元に、今獲ってきたのだろう、小さなネズミの新鮮な死体が転がっている。

 うん、ゴメン私それ要らない。

 申し訳程度に頭を撫でてやると、猫は身体を立ち上げて私の手に頭を擦り付け、私の指をペロペロ舐めてきた。

 …それ、ネズミ齧った口だよね。泣きたい。

 

 それはさておき、羅惧美偉の試合は、Jと富樫が倒された後、桃と豪学連側のキャプテンとの一騎打ちに突入した。

 徐々に薬が効いて選手たちが動けなくなっていく中、どうやらひとり薬を飲まなかったらしい豪学連キャプテンが、モーニングスターのついた斧を自在に振り回し桃に迫る。

 やがて選手たちが薬によって意識を失うと、桃の目に絶望と怒りが灯った。

 ふらつく身体を無理矢理動かし、自らの脚に刀を突き立てる。

 

「これで目が覚めたぜ。まだ死ねねえ。

 おまえをぶっ殺すまではな…!!」

 そう言うと桃は相手の急襲を受け止め、その武器を両断した後、返す刀で豪学連キャプテンの身体を貫いた。

 実況する鬼ヒゲ教官が桃の、そして男塾の勝利を告げる。

 直後、そろそろ薬の効き目が弱まり意識を取り戻した富樫たちが、ぽかんとした表情で身を起こした。

 鬼ヒゲ教官が、飲ませた薬が痺れ薬だとネタばらしをして、「その薬の後遺症で意志とは無関係に動き出す手足」によって、教官たち全員が一号生に袋叩きにあう。

 そんな中、外に控えていた大群の気配が動き出すのを、私は肌で感じ取った。

 そろそろ動き出さなければならない。

 

 もう、いい加減私の膝から退け、猫。

 

 ・・・

 

「久しぶりだな、伊達臣人。

 まだ生きておったのか。」

「フフフ、塾長にもお変わりなく。」

 塾の正門から堂々と、大軍を率いて乗り込んできた鎧カブトの男に、突然出てきた塾長が呼びかけ、男が挨拶を返す。

 どうやらこの男が、関東豪学連の大将で間違いないようだ。

 

 しかし、その『伊達臣人』という名に聞き覚えがある。

 確か塾史に書かれていた、赤石の事件の前に起きたもうひとつの事件の、関係者がそんな名前ではなかったろうか。

 つまりは一度はこの塾に在籍していたという事だ。

 …時間があったら後で塾史をもう一度読み返してみよう。

 一度目を通しただけだからかなり内容を忘れている。

 強い印象が残ってるのは赤石の事件くらいだ。

 塾長は「伊達臣人」に『驚邏大四凶殺(きょうらだいよんきょうさつ)』での決着を提案、もと塾生の伊達臣人は「男子本懐の極み」と、その提案を受けた。

 

 …ここまでがほぼ、三号生の目論見通りの展開。

 時は7日後の深夜、場所は富士山にて、双方4人の戦士を選び、戦うことになる。

 

 ☆☆☆

 

 だが、ここで三号生にとっても私にとっても、一つだけ計算外の事が起きていた。

 

「この、虎丸龍次という男は誰だ!?

 剣桃太郎とJ、富樫源次までは予想通りの選抜だが、何故最後の一人が赤石じゃない!?」

「入塾してより半年間、懲罰房にて200キロの吊り天井を支え続けた男です。

 私が体調管理をしておりましたから、健康状態には全く問題はありませんが、その実力は…未知数です。」

「なんにせよ、赤石に比べるとずいぶん見劣りする。

 我々はてっきり赤石を想定していたから、一部計画を練り直さねばならんぞ。」

 羅刹が唸るような声で言う。

 そこまで言わなくてもいいだろう。

 とりあえず私が半年世話をした男を、桃が覚えていて抜擢した事、私はちょっと誇らしかったのに。

 

 ・・・

 

 時間は遡りその日、いつものように食事を持って行った懲罰房に、もう虎丸の姿はなかった。

 ご飯を食べさせてから送り出そうとしていたのに、なんという勝手な事をするのかと憤慨して、着替えるのも忘れて鬼ヒゲ教官を問いただすと、一号生筆頭、つまり桃が、彼を驚邏大四凶殺のメンバーに抜擢し、連れていったのだと説明してくれた。

 まずその事に驚くよりも、彼の為に揚げた大量の唐揚げが無駄になった事に心を痛めていたら、うっかり女の姿で執務室に戻ってしまい、ドアの前で何の用でか待っていた桃と鉢合わせた。

 焦ったがとりあえず奴が消えるまで塾長のところにでも避難しようと思い、仕事用の顔で会釈して執務室を通り過ぎようとしたら、「…光だろ?」って声をかけられて終わったと思った。

 

 なんでバレたし。

 

 観念して、周囲に誰もいないのを確認して執務室に引っ張り込み、念の為これ以上他者が入ってこないよう鍵をかけてから、状況を説明するとともに、一応どうしてこの姿で私とわかったか聞いてみた。

 桃が言うには私には、驚いた時に出る癖があるのだとの事。

 確かに印象がまったく違うから一見して判らなかったけど、その癖を見てピンときたと言う。

 後学のためにそれがどんな癖なのか訊ねたが、笑って誤魔化された。

 

「それより、今の話だと虎丸の分の食事、まだそのまま残ってるんだな?

 申し訳ないがそれ、寮の食堂まで持ってきてくれないか?

 腹が減ったと言われて、飯だけは用意したんだが、それも足りなくなりそうなんだ。」

 と言われ、ならば着替えてから持っていくと言って、桃を部屋から追い出した。

 …着替えて化粧を落とすのは勿論だが、シャワーを浴びる時間はなさそうだ。

 それでも大急ぎで「謎の女」から「江田島光」に戻り、校舎から少し離れた寮へと向かう。

 …私が寮の食堂に着くと、何故か富樫が他の一号生に取り押さえられていた。

 

「あ、光!」

 私に気付いた田沢が声をかけてくるが、いやこの状況で私に注目を集めるな。

 案の定、その場の視線が私に集まり、明るい場所では初めて見る虎丸と目が合った。

 …気付かれる筈がない。私は「江田島光」だ。

 

「虎丸龍次ですね?食事係から伝言があります。

『最後にお会いできず残念です。せめてお食事は召し上がってください。』との事です。」

 早口で言いながら彼の前に皿を並べる。

 できる限り今は、早くこの場を離れたい。

 

「あ、あの人に会ったのか?」

「冷めますよ?

 彼女の気持ちを無にしないであげてください。」

 そそくさと言ってその場を去る。

 つもりだったが、何故か行く手を富樫に阻まれた。

 

「…あの飯、光が作ったんじゃねえのか?」

 空気を読んでか、小声で訊ねてくる。

 なんでわかったんだろ。

 確かに富樫は私の作ったものを食べた事があるけど、そのパターンを覚えるほどの回数ではない。

 単なる勘だとは思うが。

 

「…夢を壊さないであげてください。

 彼は、食事を運んでくる係だった女性が作ってくれていたと信じています。」

 嘘は言っていない。

 

「マジかよ。

 あの野郎、半年間懲罰房に居たくせに、その間おまえの作った美味い飯食ってやがったのか。

 俺たちよりずっと恵まれてたんじゃねえか。」

「…富樫も支えてみます?200キロの吊り天井。」

「…いや、遠慮しとく。」

 そんな会話を富樫と交わしていたら、後ろから視線を感じた。

 振り返ると、不思議そうな目でこちらを見ている虎丸とまた目が合った。

 なんだろう?

 やっぱり怪しまれているんだろうか?

 …だがもうすぐ出発の時間だ。

 私もこんなところでゆっくりはしていられない。

 富樫に軽く挨拶して、今度こそ去ろうと思っていたら、歩き出したところで勢いよく歩いてきた鬼ヒゲ教官とぶつかって弾き飛ばされた。

 

「ぬおっ!な、なんじゃ光どのか!」

「は、鼻うった…いや大丈夫、失礼します。」

 もうこれ以上はのんびりできない。

 私は鼻を押さえながらその場から走り去った。

 

「なあ、あれ、誰だ?」

「ん?あいつは塾長の息子の江田島光だ。」

「塾長の…息子?」

「おお、塾長秘書で事務員だが、わしらの保健の先生みたいなもんじゃな!

 なんか知らんがすげえ技を持ってて、怪我なんかしてもすぐ治してくれるんじゃ!」

「…ふうん。

 可愛い顔してんな。女の子みてえだ。」

 

 ☆☆☆

 

「このままでは、大威震八連制覇開催までに、8人の闘士は揃わぬだろう。

 Jという男が入ってきて、ようやく実力者が4人揃った。

 あと半数、その4人に匹敵する者を集めるには、互角に戦える敵を倒して、それを引き入れるのが早道だ。」

「関東豪学連の総長伊達臣人と、その側近3名。

 こやつらは是非欲しい。」

「だが、それはあくまで死闘を演じ、勝ちをおさめた後でなければならぬ。

 そうでなくば、全員納得はすまい。」

「そして全員生き残らねば話にならぬ。

 その為に、貴様の存在が重要なのだ。」

 

 ☆☆☆

 

 死装束のような真っ白い学ランを身に纏い、4人の闘士たちが戦いに赴く。

 …この戦いが、仕組まれたものとも知らず。

 大いなる茶番を演じる為に。

 

 そしてその茶番劇の裏方として、今、私はここにいるのだ。




散漫なのは認める。


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驚邏大四凶殺編 1・アウトロー・ブルース★

関係ないけど、THE ALFEEのロック系の曲は、Jの話を書く時に妙にしっくり来るんだ。


「ボクシングのルールでは、バックハンドブローは反則なんだがな。」

 あれは天動宮滞在の前日。

 例の、型だけのスパーリングから、軽く打ち合う方向(と言っても当ててるのは私だけでJは寸止めに終始してくれていた)に、ほんの少し進化したトレーニングを、校庭の桜の樹の下で行なっていた際、私が思わず繰り出してしまった裏拳での攻撃を、あっさりその太い腕でガードしながらJが苦笑した。

 

「失礼いたしました。

 一時間ほど前に桃と空手の組手をしていたもので、まだ頭の中で切り替えができていなかったようです。」

「…その足で俺のところに来たのか。

 光は意外とタフなんだな。

 それにしても、今のは反射的に出た動きだろう?

 これまでに、何か格闘技の経験があったのか?」

 Jに問われて、私は頷く。

 

「護身術程度の拳法なら、ほんの少しだけ。

 あくまでも危機的状況の時に身体が動くように、くらいの位置付けで、飼い…養父が雇っていた師範に教わりました。」

 いけない。

 飼い主、なんて言葉を使ったらまた赤石に怒られる。

 今は近くにいないようだが、油断はできない。

 どこからでも現れる可能性がある。

 

「恐らく、まともに修業すれば、かなりのものになってたんじゃないのか。

 …リーチの長さという、格闘家としては致命的なハンディが確かにあるとはいえ。」

 …Jは純粋に、褒めてくれたんだとは思う。

 けど、最後に余計なこと言った。

 

「…今、ものすごい地雷踏んだ事に気付いてますか?」

 大人気ないとは思うが、とりあえず睨んどく。

 

「…すまん。だが、本当だ。

 光には格闘技の才能がある。」

 そういえば、留学生が来た日に塾長室で会った、(ワン)とかいう人にも言われたっけ。

 自分ではよくわからないけれど。

 

「…俺としてもいい勉強になった。」

「え?」

 と突然、意外なことを言われ、私は思わず聞き返す。

 

「ここでの格闘術の授業は、基本的に異種格闘技戦のようなものだからな。

 いつも自分の得意のステージで戦える訳ではない以上、あらゆる状況や攻撃に対する心構えは必要になってくるという、いい教訓だ。

 …ボクシングのルールなら、俺とおまえのような、体重差のある同士が戦う事自体、そもそもありえない。

 だが、異種格闘技戦となる場合、おまえがどのような戦い方をするか、俺は瞬時に予測を立てねばならん。

 おまえの格闘スタイルがボクシングでない以上、さっきのような攻撃もあり得るわけだ。」

 …真面目だなあ、Jは。

 私が単にうっかりやっちゃった事まで、教訓にしちゃうんだから。

 

「例えば…そうだ。

 あの桜の花びらが、敵だったとしたら、おまえならどう対処する?」

 は?桜の花びらが…敵?

 

「凄いこと考えますね、Jは。

 そうですね、私なら…。」

 それは、予想もつかない動きで襲いかかってくる敵。

 こちらから攻撃しても、その動きに合わせてひらりひらりと躱される。となれば。

 

 ☆☆☆

 

「私は、救命はできますが救助はできません。

 そこは全面的に、あなた方にお任せします。

 どうぞよろしくお願いいたします。」

「承知した。そちらは任せておいて欲しい。

 こちらも光の力を全面的に信頼している。」

  三号生たちと、そのように話をして、最初の闘場へと向かう。

 ちなみにこの道行きだが、邪鬼様や、あの時彼の側に控えていた4人(死天王(してんのう)と呼ばれていた。羅刹と影慶の他、私に学ランを貸してくれたモヒカンが卍丸、もう1人の金髪スーパーリーゼントがセンクウというらしい)は同行していない。

 彼らが出張るほどの事ではない、という事であるようだが、今同行している三号生たちは、必要であれば私の指示に従って動いてくれるとの事で、改めて自身に課せられた期待の大きさを意識させられる。

 誰も…死なせない。敵も味方も。

 その為に、茶番劇と知りつつも私はここにいるのだから。

 

 両軍合わせて8名の男たちが、大きな鉄球を押し上げながら、富士山を登ってくる。

 先に着いて待機していた私たちは、それぞれの持ち場で彼らを待つ。

 驚邏大四凶殺一の凶・灼脈硫黄関(しゃくみゃくいおうかん)

 千度もの高熱をもつというマンガン酸性硫黄泉。

 戦いの足場は、突出点在する無数の岩のみ。

 見届け人の男たちが戦いの開始を告げ、それぞれの闘士が一人ずつ、鉄球と繋がれた足枷を外されて闘場に立った。

 

 

 男塾側闘士は、J。

 豪学連側闘士は、雷電という男。

 

 

 戦いは終始、雷電のペースで展開していた。

 

「伊達の側近のあの3人は、三面拳と呼ばれている。

 それぞれに中国拳法の奥義を極めた強者だ。

 中でもあの雷電が操る大往生流とは、古い歴史のある流派で、優れた体術と高い俊敏性に重きを置くという。」

 何故か私の隣で解説し始めた三号生のひとりが言う通り、雷電は足場の悪さなど何程のこともないというように、Jへの攻撃にヒットアンドアウェイの足技を繰り返す。

 しかもその爪先に刃物を仕込んである為、攻撃を受ける箇所によっては致命傷も免れない。

 ボクシングのリングの上であれば、Jとてフットワークに定評のある男だが、この足場ではそれが生かせず、ダメージが蓄積していく。

 それに、一発入ればそこで勝負が決まるであろうJのパンチに、足元を気にする為か今ひとつ切れがない。

 このままでは負ける。

 

 ☆☆☆

 

「………私なら、待ちます。」

 正直、軽い気持ちで訊ねただけだったが、光は俺の『桜の花びらが、敵だったら』の問いに、少し考えてから、そう答えた。

 

「待つ?」

「ええ。敵が、こちらに向かって攻撃して来るのを待ちます。

 その瞬間なら確実に動きを捉えられますから、相手を捕まえてから攻撃をします。」

 …こういうのを日本語では、『目から鱗が落ちる』と言うのだろうか。

 それは、少なくともボクシングのルールを前提として考えたら、相手を捕まえての攻撃など、絶対に出てこない発想だった。

 だが異種格闘技戦なら、そういった事も考えに入れておかないと、思わぬ形で敗北を喫する事になる。

 改めてそれを感じた。

 狂気を極めるにしても、俺の世界はまだ狭い。

 

 ・・・

 

 …何故このタイミングで、そんな事を思い出したのだろう。

 俺の対戦相手の雷電という男が繰り出す、つま先に仕込んだ刃物以上に鋭い足技に翻弄され、それでも何とか致命傷は避けながら、俺は考える。

 足場の悪さを、逆に利用するような、変幻自在の動き。

 押さば引き、引かば押す。

 そうだ。こいつはまさに、桜の花弁だ。

 あの時仮想敵として思い描いた、自分に攻撃して来る桜の花弁。

 ならば……!

 

「大往生ーーーっ!!」

「…フフフ、そいつを待ってたぜ。

 今までは斬るばかりだったが、今度はとどめに突き刺しに来るってわけだ。」

「な、なに…!?」

 俺はファイティングポーズのまま微動だにせず、雷電の攻撃をそのまま胸で受け止めた。

 

「無駄だ。いくらあがこうが抜けやしねえ。

 胸の筋肉ってな人間の体で一番緊縮力の強い部分…これでもう逃がしゃしないぜ。」

 雷電の爪先に仕込んだ刃が、俺の胸に突き刺さったまま固定される。

 雷電は蹴りを繰り出した足を、俺に完全に取られた格好になった。

 後ろで俺の戦いを見守る仲間たちに、笑いかけながら、俺は言った。

 

「フフフ、先に地獄で待っている。

 必ず勝てよ…この『驚邏大四凶殺』。

 …俺の名前は男塾一号生、J!

 これがこの世で最後のマッハパンチだーーーーっ!!」

 瞬間、なぜか桜の下で一生懸命に拳を振るう、少年のような少女の姿が脳裏に浮かび…次にはその姿が、桜の花びらのように散っていった。

 

 ☆☆☆

 

 雄叫びをあげながらのJの一撃が完全に雷電を捉えた。

 そりゃそうだ。

 あの状況では、いかな雷電とて避けようがない。

 2人はそのまま、酸性の泉の中に倒れていく。

 

 勝負は…相討ち。

 

 だが、私たちの仕事はここからだった。

 J、その覚悟や見事。

 だが最後になんて私がさせないから安心しろ。

 

「急いで引き上げて、酸性の液体を洗い流してください!」

 私の指示で、三号生たちが動く。

 だが私たちの動きが生き残りの闘士たちの目に触れるわけにはいかない為、彼ら2人が落ちた瞬間を狙い、周りが見えないほどの濃い煙を立てておいた。

 これは闘士たちの目には、2人が落ちた瞬間に一気に立ちのぼった蒸気のように見える筈だ。

 その煙に身を隠して、鮮やかな救出劇が行われる。

 見届け人達は「千度の高熱」と言ったが、恐らく温度自体は大袈裟だ。

 この場合、皮膚を損傷しうるのはあくまで泉の成分の強い酸で、確かに温度は高いが、実際には100度に満たないだろう。

 とはいえ引き上げられた2人が全身火傷を負っている事実には変わりなく、全身を水で洗い流された後の皮膚は、かなりひどく焼けただれていた。

 

「お疲れ様です。

 後は5人ほど残っていただいて、残りの人数は先に二の凶へと向かってください。

 残りの方は私が治療を終えるまで待機していただいた後、4人は彼らを、それぞれの救護地点まで搬送してから、あとの1人は私と一緒に、それぞれ二の凶へ向かうという事でお願いします。」

「了解した。」

 全身の火傷だから、治療は広範囲に渡る。

 しかも2人ともだ。

 この後の事も考えて、完治まではさせずに、焼けた皮膚の再生とJが胸に受けた刺し傷の治療のみに留めておくべきだろう。

 両手の五指に氣の針を溜め、2人同時に、心臓に直接送り込む。

 こうしておけば血流とともに全身に私の氣が巡り、その氣が細胞を活性化させるだろう。

 Jの胸の傷はほっとけばほぼ致命傷なので、これだけは完全に塞いでやろうとは思うが、この後最高で6人に治療を施さなければならない事を考えたらここまでが限界だろう。

 少しずつ増やす努力はしているものの私の氣はまだ少なすぎる。

 後は、2人を安静に休ませてやれる場所まで運ぶ。

 この後三号生達の別動隊が彼らを迎えに来て、麓まで運んでくれるという手筈だ。

 もっとも、うちの塾生と豪学連のメンバーを、同じ場所に寝かせておくわけにもいかないのだけど。今はまだ。

 

「…お疲れ様です、J。そして、雷電。」

 

 近い将来、この者たちが手を携えて、共に戦う日が来る。

 その日の為に、私はここにいる。

 さあ、感傷に浸っている暇はない。

 次の闘場へ向かわなくては。




挿絵機能って奴を見つけて、ちょっと使ってみたくなった。
とりあえず光のイメージ。
【挿絵表示】
アタシの中では和服のイメージが強い。
てゆーか、実は学ランあまり似合ってないぽい。


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2・YOU GET TO RUN

この驚邏大四凶殺編に入る前に行なっておこうと思っていた筈の、富樫とのフラグ立て(ただし、BLバージョン)をすっかり忘れていた事にようやく気付いた罠。すまん富樫。どうやらおまえには潜在ビッチである筈のうちのヒロインとの芽すらないようだ。


 驚邏大四凶殺二の凶・断崖宙乱関(だんがいちゅうらんかん)

 鋼で編み上げた綱一本を命綱とし、それを握って断崖から吊り下げられた状態で、高所にて戦う空中戦。

 手を離したら命はない。

 

 

 男塾側闘士、富樫源次。

 豪学連側闘士、飛燕。

 

 

「あの飛燕という男、身軽で華麗な動きを旨とする鳥人拳の使い手と聞く。

 更にあの若さで中国拳法の秘中の秘とも言われる鶴嘴千本を極め、天才の名を(ほしいまま)にしていると。

 空中戦はまさにこの男の独壇場。

 これは、あの富樫という男、かなり分が悪いと言わざるを得ないな。」

 と、またも私の隣でさっきの男が解説してくれるのを聞きながら、心の中で舌打ちする。

 偶然ではあるのだろうがさっきの一の凶の時といい、なにやら一方的に相手のステージで戦う状況になってしまっている。

 そもそも私の見る限り、富樫には拳法の心得も刀剣術の基礎もない。

 彼にあるのは肉体の頑健さと根性、それに尽きる。

 それだけでこの驚邏大四凶殺の闘士のひとりとして名を連ねたわけだから、たいしたものといえばそうなのだが、私から見れば死天王が狼狽えた虎丸の選抜よりも、実は富樫の方が意外だった。

 どうも根性という目に見えない要素は、女の私よりも、男の彼らに重要な評価ポイントであるらしい。

 もっともこの闘場に関して言えば、ここで戦うのがもし赤石だったとしたら、その「根性だけはある」富樫よりずっと、とんでもない苦境に立たされていた気がするけど。

 …閑話休題。

 戦いは始まってみれば、やはり最初の予想通り、飛燕という男の独壇場だった。

 まるで翼が生えているかのごとき、その身の軽さはまさに『鳥人』。

 ロープを掴んだ手に体重がかかっているとは思えない動きで、そのロープの揺れを利用しながら、富樫に攻撃を与えていく。

 対して富樫は自身の体重を支えるのが精一杯と見え、反撃どころか防御すらままならない。

 やがて飛燕はその状態から器用に脚にロープを巻きつけると、懐から細長い針状の暗器を取り出し、それを投擲して富樫の右手首に打ち込んだ。

 打ち込まれた富樫の右腕がロープから離れ、だらりと下がる。

 

「あれが鶴嘴千本。

 あの飛燕が最も得意とする武器だ。」

 なるほど…あれは私が裏橘を用いて、赤石や豪毅の兄の獅狼に使ったのとほぼ同じ技だ。

 ただあの鶴嘴という針では、私が氣で精製する針に比べると明らかに太い為、その分ツボの奥に届く深さが制限される。

 私ならば同じ箇所に同じ攻撃を加えれば、強制的に五指を開いた上に、指先から肘までつったような痛みが走る事だろうが、あの場合は痺れて力が抜けるくらいだろう。

 しかしこの状況では、それで充分に致命的だ。

 そもそもあれは投擲武器だ。

 あの距離で正確に神経節に当てる事自体、神業としか言いようがない。

 やはり富樫ではここまでか。

 落下に備え、崖下に待機している一隊に、警告の合図を出しておく。

 そして飛燕の鶴嘴の第二撃が、残った富樫の左手を容赦なく貫く。

 そっちは辛うじてロープを掴んでいる手だ。

 そこから力が抜ければ…結果は一目瞭然。

 これで男塾側の一敗になってしまうが、むしろ大した怪我もない今のうちに落下してくれた方が、それを救出するだけでよく、私は何もしなくて済む。

 ドンマイ富樫。後は任せろ。

 

 と思ったのだが。

 落ちた、と思った瞬間、富樫は歯でロープを咥え、落下を免れていた。

 これが富樫の「根性」。

 まったく、要らんところで使いやがって。

 まあ、本人的には使わなきゃ死ぬ状況なんだから仕方ないのだが、その光景にその場の全員が驚愕する。

 飛燕は、今度は懐から爪形の武器を取り出して手に装着すると(というか、あんな大きなものをどこに収納…いや、そこはつっこんだら負けな気がする。止そう)、未だ手も足も出ない富樫に猛攻する。

 それまでは手首以外に目立った負傷などなかった富樫の、厚い胸板に血の花が咲いた。

 

「富樫ーーーっ!!」

 

 ☆☆☆

 

「なぁ、よく考えたら『もみしだく』って、オッパイにしか使いどころのねえ言葉だよな?」

 関東豪学連の奴らが引き上げた後、救護室で手当てを受けながらの俺の言葉に表情を消したあいつが、ものすごく冷たい目をして、それでも言葉を返す。

 

「いきなり何を言い出すんですかあなたは。」

 唐突だったのは確かに認めるが、そんな、公園や通学路で下半身を露出する変態を見るような目で俺を見るのは止せ。

 泣くぞこの野郎。

 

「下ネタは、男同士のコミュニケーションだろうが。」

 本当のところ、こいつに対してそういう話題は厳禁と、塾長から釘を刺されてる。

 が、そう言われると、それがどこまでの範囲ならOKなのか、確認したくなるのが人情じゃないか?

 

「…そのコミュニケーション要りません。」

「なんだよ、ノリ悪ぃな…おめぇ童貞だろ。」

 更に温度の冷えた目であいつが俺を睨むのを見て、ちょっとからかってみる。が。

 

「…そういう富樫はどうなんです?

 経験あるんですか?」

 そっちは見事に反撃された。くそ。

 

「………あるわけねえだろうが。」

 嘘を言っても仕方ないので正直に言う。

 

「お互い様です。

 さあ、もうこんな不毛な話は止して、怪我は治療したんですから、さっさと教室に戻りなさい。」

 俺が答えるとようやく薄く笑って、あいつはその、女の子みたいに小さい手を、パンパンと鳴らした。

 その仕草が、子供扱いされてるようでちょっとムッとする。

 ふたつ年上だからって、こんなチビに。

 

「不毛とか言うな!

 おめぇには、宿題の為に開いた辞書にうっかり『乳房』みたいな単語見つけて、その後ついついそういう、いやらしい単語を引くのに夢中になって、気付けば宿題の事なんか忘れてた、そんな栗の花臭い青春の記憶はねえのかよ!」

 ちょっとムキになって言い募る。

 しょうもない事を言ってるのは判ってる。だが、

 

「ないわ!おまえと一緒にすんな!」

 適当に流されると思ってたら、あいつは同じテンションで言い返してきた。

 …よし、やっと同じ土俵に立てる。

 

「ねえのかよ!おめぇ本当に男か!?

 男なら大きいオッパイや、ミニスカートから覗くムチムチの太ももとかに、ロマンを感じるモンだろうが!」

「だから、さっきからなんの話をしているんですか!?」

「男の健康な性欲の話だよ!

 マスラオのマスせんずれば若き血潮ほとばしりじっと手を見る、そんな話だよ!」

「そんな若者のリアルな下半身事情とか聞きたくないわ!私に振るな私に!!」

 若干顔を赤くしながらあいつが言うのを聞き、ここらへんでもう既にアウトなのを理解した。

 こいつ男のくせに下ネタに免疫なさ過ぎじゃねえか?てゆーか…、

 

「…おめぇ、女に興味ねえのか?

 ひょっとして……ホモか?」

「……は?」

 俺の問いに、あいつはぽかんとした顔をする。

 そういえば、こないだこいつ、桃のやつと妙な事になってたし。

 考えてみりゃ桃の、こいつに対する態度も、おかしいっちゃおかしいよな?

 

「…そうだ。

 桃のヤロウも断煩鈴の時、一人だけ鈴鳴らさなかったし…やっぱりおまえらデキてんだろ?」

「……へ?」

 あと椿山なんか、こいつに惚れてるって公言してやがるし、それでちょっかいかけようとして、赤石先輩に睨まれてたらしいし。あ?

 

「…それとも、赤石先輩の方か、本命は?」

 いや待て。

 それ言うならJも、あの顔面神経痛みてえな仏頂面が、こいつに対しては妙に優しい。

 だが、そこまで考えたところで、心臓を圧迫されるような威圧感に気がついた。

 

「………私の事なら、どう思われても構いませんが、桃や赤石におかしな疑いをかけるのは、やめていただけませんか。」

 ゴゴゴゴゴ……!!

 地の底から響くような音が聞こえた気がした。

 そうだ、こいつ普段は穏やかだが、怒らせると結構怖いんだった。

 なんかもう、何をされるとかじゃなく、雰囲気が。

 

「うっ!す、すまねえ。そ、そろそろ戻るわ。」

 若干脚をもつれさせながら救護室のベッドから降りる。

 

「あ、富樫、上着。」

 慌てて扉に向かおうとする俺の背中に、あいつの声がかかった。

 

「お、おお。悪……いっ?」

 まだ脚がもつれたまま振り返ろうとして、バランスを崩す。

 思ってたより近くにあいつが、俺の上着持って立ってた。

 その身体を巻き込んで、救護室の床に転倒する。

 

「痛たた…。」

「わ、悪りぃ光。大丈夫……か……。」

 顔を上げると、滅茶苦茶近くにあいつの顔があった。

 …普段から女みたいだと思ってたが、こうして間近に見ると、ほんとの女の子にしか見えねえ。

 しかもとびっきりの美少女だ。

 

「…ねえ富樫。

 お節介かもしれませんが、普段からズボンの中に、ドス入れとくのやめた方がいいです。

 こうやって転んだ時、危ないですよ。」

「へっ?」

 一応有事の際は確かにそうして持ってるが、今は置いてきてる。

 こいつ、一体なんの事を言って……あっ!?

 俺は慌てて光から身体を飛び退かせた。

 どうしてこうなった!?

 

 …なんでか知らんが俺の分身が臨戦態勢で、光の内腿に当たってた。

 多分、こいつがドスと思ったのは、これだ。

 

「そ、そうだな。悪かった。じゃ、じゃあな。」

 俺は光の手から、奪い取るように上着を受け取ると、救護室から駆け足で逃げ去った。

 

 この後、俺が若き血潮をほとばしらせたのは言うまでもない。

 ちょっと、桃や赤石の気持ちが判った。

 

 ・・・

 

 どこかで光が、俺を呼ぶ声を聞いた気がした。

 へっ、女の子みてえな声出しやがって。

 だからホモ疑惑なんざかけられんだぜ。

 まあ、間近で見たあの時には、俺もちょっとだけくらっときたが。

 …ああ、光だけじゃない、桃の声が聞こえる。

 虎の声も……あいつには貸しがあったっけな。

 麓にいる筈の、松尾や田沢、秀麻呂の声もするぞ?

 おかしいな、ここは確か富士の……。

 

 フレー、フレー!富樫!!

 それは、富士をも揺るがす、男塾大鐘音。

 

 途切れそうだった意識がはっきりしてくる。

 目の前に迫ってくる、飛燕とかいうオカマ野郎の鋭い武器。

 俺は咥えていた綱を口から離すと、脚をそいつの腰に絡みつけた。

 

「フフフ、そうだ。俺は負けるわけにはいかねえ。

 てめえらとは、背負ってるもんが違うんだ。」

 俺の実力がこいつに及ばねえのは判ってる。

 だから、せめて刺し違えてでも。

 

「自分の命と引き換えに相討ちを狙う気か。

 まったく、どこまでしぶとい奴なんだ。」

 男のくせに無駄に綺麗な顔が、僅かな動揺を見せつつもニヤリと笑う。

 

「だてに毎日、血ヘド吐きながらしごかれてきたんじゃねえ。

 これからが男塾一号生・富樫源次の真骨頂だぜ。」

 俺の言葉に、そいつは怒りに顔を歪ませ、更に例の武器で攻撃してきた。

 バケモノ呼ばわり、結構じゃねえか。

 相変わらず手が使えない俺は、やっとの事で握っていたドスを、口に咥えて反撃した。

 奴のお綺麗な顔に、一筋の赤い線と、驚愕の色が走る。

 俺は勢いに任せ、同じ攻撃を再び繰り返した。

 と、奴が崖壁を蹴る。

 その振動で俺の身体がぐらつき、僅かに脚が緩んだ。

 刹那、奴の鷹爪殺(ようかさつ)と呼んだ武器が伸びてきて、俺の腹を冷たい感触が貫いた。

 …痛みが、一瞬後に遅れてやってくる。

 そこに追い討ちのように奴が俺の身体を蹴り……

 

 俺の身体は宙に投げ出された。

 

 ………。

 

 それはまさに奇跡だった。

 次の瞬間、落下していた筈の俺の身体は、谷底から吹き上げる風に乗って、さっきまで戦っていた高さまで持ち上げられていた。

 飛燕の美しい顔が、驚愕に歪んでいる。

 俺は咄嗟に、その長い髪を掴んだ。

 気付けばさっきまで力の入らなかった痺れた手に、握力が戻っている。

 

「どうだ、ここは引き分けというのは。

 おまえも一度死んで拾った命、大事にしたほうがいい。」

「たわけた事こいてんじゃねえ。

 俺が神風に吹かれて地獄から戻ってきたのは、てめえをお迎えする為だぜ。」

「フフフ、冗談じゃない。

 おまえと心中なんてまっぴらだ。」

 飛燕はそう言って鷹爪殺を振るうと、俺が掴んでいた長い髪を、根元からバッサリ切り落とした。

 再び落ちかかる俺の身体に蹴りを入れてくる。

 その脚を俺は掴むと、それを軸にして体勢を変え、渾身の蹴りを、奴のご自慢の顔にくれてやった。

 身体を捕まえている状態だ。

 もう絶対に逃げられない。

 

「地獄へ行っても忘れんじゃねえ!

 俺の名は富樫源次!!

 男塾一号生、油風呂の富樫源次じゃーーーー!!」

 俺の一撃で気を失ったのだろう。

 奴が顔から血を流しながら、ゆっくりと落下していくのがわかった。

 心残りは…ない。

 

「男塾万歳ーーっ!!

 必ず勝てよ、この『驚邏大四凶殺』!!」

 落下しながら、俺は何故か妙に高揚していた。

 

 ☆☆☆

 

 胸に多数の切り傷、腹部に深い刺し傷。

 富樫の負った負傷は、特に腹部のそれは肝臓にまで達しており、あと少し治療の手が遅れれば失血死していてもおかしくないものだった。

 それなのに…何故だ。

 いやその、なんだ。

 私は女を武器にして仕事をしていたから、実際に自分の身体に経験していないだけで、見るだけならその状態のそれを何度も見てきているわけだが…だ、だから、この程度の事で動揺など、決してしてはいない。

 してはいない、のだが…。

 

 なんでこの男、この状況で勃起してるんだ。

 

 いや、きっと戦闘による興奮と、死を目前にした生存本能がない混ざって、肉体におかしな反応が出ているだけだ。

 そう思う事にしよう。

 そう思っておく事にしておくが…失血死寸前の身体のくせに、血液を無駄遣いするんじゃない!

 しかしまあ、これで彼を表現する言葉は「頑健な肉体」「底なしの根性」の他に「強い生存本能」が加わった。

 個人的にはその前に『ゴキブリ並の』と付け加えたいところだ。

 …とりあえず致命傷となり得るのは腹部の傷なので、そちらを優先して治療を行う。

 切り傷は止血の手当てのみで済ませた。

 血液の再生までは手が回らないので、そちらは時間をかけて自然回復してもらうしかない。

 現時点でそこまでしていたら多分、氣を使い果たしてしまう。

 

「…帰ってから、血を作る為の美味しいもの、なにか作って差し入れしましょうか。

 お疲れ様、富樫。」

 三号生の誰かが回収してきてくれた帽子をかぶせてやりながら、意識のない富樫に語りかける。

 そういえば初めて会った時にも思ったけど、この帽子は制服に比べると随分くたびれている。

 この間塾史を読み返した時に、彼と似た名前をその中に見たし、ひょっとしたら親戚か肉親のお下がりなのかもしれない。

 …ただ、その人物の名前は、確か死亡者として記されていた筈だけれど。

 だとすると、お下がりではなく形見か。

 …少ししんみりしながら、ショートブレッド様の高カロリー食品をもそもそ口にし、申し訳程度にエネルギー補給をしてから、もう一人の治療にかかる。

 口の中の水分が一瞬にして奪われるのが気になったけど、それよりも。

 

「え…女の人?」

 私の前に運ばれてきた、豪学連側の闘士であるその人を初めて間近で見て、私はついそんな事を言ってしまった。

 

「…の訳がなかろう。」

 私の中で既に解説役という認識となった三号生が、それに冷静につっこむ。

 

「ですよね…。」

 顔だちは確かに女性と見紛うばかり、しかしその身体は一見華奢に見えはするがそれでも鍛え抜かれている。

 気を失っているのは落下の衝撃によるショックだけであり、その身体にはほぼ傷と呼べるものがなかった。

 先ほどの雷電に比べたら本当に軽傷だ。

 負傷は首から上に集中している。

 殴打による腫れと、頬の切り傷。

 どちらも富樫が付けたものだ。

 やはり富樫のスペックでは、達人レベルの格闘家相手では、これだけの傷を与える事しかできなかった。

 双方落下の相打ちに持ち込めた事は奇跡としか言いようがない。

 とはいえ、傷つけたのは顔である。

 ほっといても死ぬ事はないのだが、やはり気にはなる。

 この人が本当に女性だったら、富樫が責任取って嫁に貰わなきゃいけないレベルの罪ではなかろうか。

 本人が承知するかはともかく。

 ついそんなしょうもない事を考えながら、さっきまで富樫と死闘を繰り広げていたその男の、頭部全体を包むように五指でツボを押さえ、微弱な氣の針を優しく送り込む。

 顔は他の部位より皮膚が薄い為、その周囲の部分の細胞も同じように活性化しておかないと、最悪傷痕が残ってしまう。

 

「せっかく綺麗な顔してるんですから、勿体無いですものね…。」

 呟きつつ治療の効果を観察する。

 みるみる傷が塞がると同時に、癖のない真っ直ぐな亜麻色の髪がざわりと伸びた。

 頭部全体だからこれも仕方ない。

 これも富樫との戦いの時に切り落としたものらしいから、ひょっとして後になってから気付いて疑問に思うかもしれないけど、別にいいや。

 

 2人の治療を終え、先程と同じように5人借りて、搬送と私の護衛をお願いした。

 さあ、次の闘場が私たちを待っている。




下品。


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3・Glory Days

男w子wwのwww面www体wwwwww
後から考えると、月光を怒らせるって相当凄い事だった気がする。


「龍ちゃん、うちの子抱っこして〜!」

「横綱、うちの孫もね!」

「うちのも頼むぜ、龍次!」

 村祭りの奉納相撲が終わると、横綱に向けてかけられる声がこれだ。

 同年代の他の子供より発育が良かったおれは、10歳の年の祭りで初めて横綱を張って以来5年間、その地位を守り続けた。

 何せ奉納相撲の土俵に立つ『横綱』は、村で一番強い男の称号だ。

 おれがこの村に居る間は、誰にも譲るわけにはいかねえ。

 その、一番強い男の肉体に神が宿り、その脚が四股を踏む事で、大地の穢れを祓う。

 五穀豊穣を願う神聖な儀式だ。

 そしてそれが終わると、その年に生まれた赤ん坊を、次々と抱っこさせられる。

 力士の、神の宿った腕に抱かれた赤ん坊は、元気に育つという、古くからの習わしだ。

 …だが、15歳の年の祭りで、無事奉納相撲が終わった後にかかった声は、いつもと少しだけ違っていた。

 

「今は、龍ちゃんが横綱なの!?

 大きくなったのね〜!

 …うちの子、もう赤ちゃんじゃないけど、まだご利益あるかしら?」

 声をかけられて振り返ると、割と綺麗な、でもちょっと派手な女の人が、3つか4つくらいの小さな女の子の手を引いて、おれに笑いかけていた。

 一瞬「誰だ?」と思ったが、彼女本人じゃなく、連れた女の子の顔を見て、記憶の蓋が開く。

 

「ひょっとして、優花(ゆか)姉ちゃんか?」

 おれんちの3軒隣のうちの、7歳年上のお姉ちゃんだった。

 つか、うちとは姻戚っての?

 確か、うちの母ちゃん方の叔母さんの旦那さんの妹の娘、だった気がする。

 姉ちゃんは昔から美人と評判で、ガキだったおれも少しは憧れてた…少しだぞ?

 

「すぐにわかんなかったの?

 小ちゃい頃はよく遊んであげてたのに、薄情な子ねえ。」

 うちの村の周辺には、高校がない。

 進学しようと思ったら、村から出て下宿とか寮に入るとかするしかない。

 優花姉ちゃんも高校入学と同時にこの村を出ていって、それ以来会ってなかった筈だ。

 都会っぽい派手な化粧とか服装とかして、子供の手なんか引いてこられて、すぐにわかんなくたって仕方ねえよな?

 

「当たり前じゃ。そんな格好しとるんじゃもん。

 でも、この子は昔の姉ちゃんによう似とる。

 幾つじゃ?」

 おれが問うと、

 

「よんさい!」

 指を4本立てて、女の子は元気に返事をした。

 うん、賢い。

 これが同じ頃のおれなら、おんなじ台詞吐きながら、出す指は3本だった筈だ、ってやかましいわ。

 それに、おれはこの歳の頃の姉ちゃんは知らないが、もう少し大きくなったら、きっとそっくりになるだろうと、容易に想像できた。

 

「4歳か。名前は?」

「もか!」

「モカ?」

「桃香っていうの。

 この子の父親がそう呼んでたものだから。」

 この子の父親、という言い方に少し違和感を感じる。

 普通はうちの主人とか旦那とか言うもんじゃねえのかな。

 なんか人ごとみてえだ。

 それに、サラッと聞き流したけど過去形だったし。

 気にはなったけどそれ以上つっこめず、おれはもう一度女の子の方に向き直る。

 

「モモカちゃんか。

 抱っこしちゃるから、こっちゃ来い。」

「やだ!」

「ちょっと桃香〜!」

「ハハハ、振られちまった。」

「ごめんね、龍ちゃん。」

 すまなそうに苦笑する優花姉ちゃんの顔は、ほんの少し昔の面影を残していた。

 …後から聞いたところによれば優花姉ちゃんは、高校を中退して桃香ちゃんを出産してた。

 相手はバイト先の社長で、既婚者だった。

 優花姉ちゃんは相手が所有するマンションに桃香ちゃんと二人で住んで、時々相手が通ってくる生活を、4年間続けたらしい。

 が、先頃その事実が相手の奥さんの知るところとなり、姉ちゃんは慰謝料を請求されない代わりに相手と一生会わない事を誓約させられ、親娘共々追い出されて、村に帰ってきたそうだ。

 ともあれ、昔から美人と評判だった優花姉ちゃんが村に帰ってきたという事で、村の若い衆は色めき立った。

 冷静に考えれば、都会慣れした女が、この村を出たこともない世間知らずの田舎モンなんぞに心を動かす筈がないんだが、男に捨てられて帰ってきたんなら俺でもいけんじゃねえか、身体が寂しいだろうから、いっぺんくらいヤらせてくれんじゃねえか、みたいな空気が、奴らの中に漂ってるのは、おれが見ても判った。

 事件が起きたのはそんな時。村祭りのあった日から、2ヶ月ほど過ぎた頃だった。

 

 ・・・

 

「でもねえ、子供なんてすぐ、そのへんにフラッと遊びに行くもんでしょ。

 すぐ帰ってくるって。優花ちゃん心配し過ぎ。」

「それはこの辺の常識がおかしいの!

 普通は小さい子供ひとりで遊びになんか行かせないわよ!

 大体、隣村のナオトの弟が行方不明になった時だって、最初はみんなそう言って探しもしなかったじゃない!

 あの子、未だに見つかってないんでしょう?

 まして、桃香はまだ4歳で、女の子なのよ!?」

 隣の村に一つだけある中学校から、自転車こいでおれが帰ってきた時、半泣きの優花姉ちゃんがうちにいて、オフクロと話してた。

 

「あ、龍ちゃん!うちの桃香見なかった!?

 洗濯物取り込んでる間の、ちょっと目を離した間に居なくなってて…ここの村の子達と違って、普段、一人で勝手に遊びに行っちゃう子じゃないのに、絶対おかしいのよ!」

 …その瞬間、なんでそんな勘が働いたのか、今考えてもわからねえ。

 けど、それ聞いた瞬間に脳裏に浮かんだのは、その日の朝、おれが登校する為に姉ちゃんちの前を通りかかった時の事。

 不意に何か寒気を感じて、自転車を止めて振り返ったら、そいつが居た。

 村長の甥っ子のシンタ、歳は姉ちゃんと同じくらいだと思う。

 こいつは、父親が小学校の用務員をやっていて、時々その手伝いに行く以外は基本無職で、見た目も雰囲気もなんか暗かったせいか、村の子供の若い母ちゃん達からは密かに気味悪がられてる奴だった。

 そのシンタが、なんて言うかよく判らないが、なんだか嫌な目で、姉ちゃんちをじっと見ていた。

 なんだアイツと思いながらも、登校途中だったおれは、そのまま自転車を走らせた。

 ほんとにそれだけだ。それだけだったのに。

 姉ちゃんから話を聞いた途端、おれは走り出してた。

 急がなきゃいけない気がした。

 

「龍ちゃん!?」

 後ろからかけられてる筈の、姉ちゃんの声が遠くに聞こえた。

 

 ☆☆☆

 

 驚邏大四凶殺三の凶、氷盆炎悶関(ひょうぼんえんもんかん)

 氷のステージの下には、刃物よりも鋭い氷の杭が立ち並んでおり、ここに落ちたら確実に串刺しになる。

 更に天井に火が放たれ、氷のリングは時とともに小さくなり、また上から巨大な氷柱も落下してくるだろう。

 そもそも、氷が溶けきる前に勝負がつかなければその時点でアウトじゃなかろうか。

 この闘場での救助活動は、予測される事態が多岐にわたる為、人員が広範囲に振り分けられている。

 広くカバーしてはいるが、一箇所ずつ見ればそれまでより明らかに手薄で、正直不安だ。

 もっとも、私は救助には関われないから、その辺は彼らにお任せするしかない。

 少なくともこれまでは間違いなくやってきてくれたのだ。

 信じるしかない。

 

 豪学連側闘士、月光。

 

 男塾側は…桃が動き出そうとしている。

 あれ?

 あなたは大将戦まで動いちゃダメじゃないの?

 と思っていたら、虎丸が桃に、当身を食らわせてそこに足止めした。

 …桃は確かに、今の一号生の中では能力が突出していて、筆頭を張るのにこれ以上の人材はいない。

 が、やはり素は16歳の若者だ。

 どんなに完璧に見えても、時々の行動がまだ青い。

 リーダーとしての責任感よりも、リーダーであるが故に冷静になれず、感情が先に立つ時がやはりあるようだ。

 虎丸は、そこを制した。

 自分の立場と桃の立場、それらを今の段階では、桃より遥かに冷静に見て、判断している。

 

 かくして。

 男塾側闘士、虎丸龍次。

 

 氷のステージでの戦いが、今始まった。

 

「あの月光は、拳法、刀剣術、他様々な武術を極め、三面拳で最強と言われている。

 もっとも得意な武器は棍らしいが、それは今回は使わぬ腹のようだな。」

 一番得意な武器を使わないとか、どんだけ舐められてるんだ。

 とはいえ、あまり警戒されすぎていても困るわけで、まあいい事にしよう。

 私は虎丸の実力をよく知らない。

 そもそも桃ですら知らないのだろうし。

 その桃だが、月光と虎丸が戦い始める前に、既に目を覚ましていた。

 

「猛虎流二段旋風脚!!」

 先手を打ったのは虎丸。

 全身のバネを活かした、鋭い蹴りで猛襲する。

 虎丸は拳法を使うのか。初めて知った。

 けど、この動きは、ひょっとしたら我流なんじゃないだろうか。

 洗練されていないというかなんというか色々荒いし、恐らく師匠について正式に教えを受けた拳士なら、こうは動かないだろうと思う部分がたくさんある。

 それがある意味での意外性を生む可能性もなくはないが。

 とはいえ人間離れした怪力に筋肉の強さと関節の柔らかさ、身体能力の高さはかなりのものというか、これ以上ないくらい高い素質の持ち主だ。これは恐らく天性のもの。

 半年間200キロの吊り天井を支えていた実績は、下手すればズブくなっていてもおかしくないのに、それはその肉体に頑丈さとスタミナを与えはしても、その俊敏性を奪うことにはならなかった。

 それだけに、いい師について修行を重ねていれば、相当のものになっていたかもと考えると、実に惜しい。

 …この間私自身が、それと似たような事を言われたけど。

 そう言えば以前見た虎丸の経歴の欄に、「村相撲の横綱経験有り」とか書かれていた気がするな。

 村相撲って事は間違いなく、祭りの際の神事だろう。

 つまりあの身体は、元々は神の依代って事か。

 誰の手も入っていない、純粋な、神通力の器。

 神に愛され、その加護を受けた、完璧な肉体。

 神の宿りしその足は大地を清め、その腕はその地に生まれし生命を抱き、守る。

 

 …この子が誰にも邪魔されず、のびのび育つ事が出来たのは、その神の加護があったからじゃないだろうか。

 なにせこれほどの素質、組織の目に留まれば即、誘拐されて私と同じように、孤戮闘に放り込まれていただろうから。

 強さだけを考えれば、その方が確実に強くなれた筈だけど、御前が雇っていた師範が纏めていた戦士の中に一人だけいた、左手首に孤戮闘修了の証を刻まれていた私よりひとつ年上の少年が結構嫌なやつだった事を思えば、やはり虎丸は虎丸のままで良かったと思う。

 

 …話が逸れた。

 対する月光は最小限の動きのみで虎丸の攻撃を難なく躱すと、体勢を崩し氷上で滑って尻餅をついた虎丸に、無造作に蹴りを入れた。

 その衝撃により、摩擦の少ない滑るリングが、虎丸を窮地に陥れる。

 剥がれるんじゃないかと心配になるくらい氷に爪を立て、落ちる寸前でなんとか止まるが、月光はそこに更に蹴りを放ち、虎丸は身体のバネでそれを躱した。

 それにしても、同じ氷のステージに立っていながら、月光は足を滑らせる事も腰をぐらつかせる事もなく、ごく普通に足技を繰り出してくる。

 どうやら三面拳と呼ばれる男達全員、卓越したバランス感覚の持ち主で、それが優れた体術の裏付けをしているようだ。

 この月光という男は、他の二人よりひとまわり大きな体格をしているのでもう少し鈍重でもいいんじゃないかと思うが、もちろんそんな都合のいい話はなく、その動きは他の二人に勝るとも劣らない。

 三面拳最強の男か。

 虎丸も、とんでもない相手と当たってしまったものだ。

 

 そして、その三面拳を束ねる大将、伊達臣人。

 はたしてどれほどの強さであることか。

 

 苦し紛れに繰り出した虎丸の拳を、月光がやはり足技で逸らし、虎丸の顔面に連続で蹴りを入れてくる。

 それでもバック転で体勢を整え、構え直した虎丸を、冷たい目で月光が見据えた。

 

「教えてやる。道場拳法と殺人拳の違いをな。」

 言うや月光は服の袖に手をおさめ、次に引き出した時には、曲刀のような刃のついた手甲を着けていた。

 だから、あんな大きなものをどこに…いやダメだ、つっこんだら負けだ、負けなんだ。

 

覇月(はづき)大車輪(だいしゃりん)!!」

 そうして綺麗に剃髪してある頭を氷の地面につけて、ブレイクダンスのヘッドスピンのように回転しながら、両手の刃で虎丸を追いつめていく月光のその大技に、私は初めてこのステージもまた、相手の土俵なのだと気がついた。

 

「三面拳、ズルいーーー!!」

 思わず発した叫びは、隣の三号生の手の中に消えた。

 ナイスフォロー。取り乱してごめんなさい。

 

 ☆☆☆

 

「オッチャン、邪魔すんぜ!」

「うおっ!?何の用だ、龍次!靴は脱げ!」

 やつの父ちゃんに申し訳程度の挨拶をしつつシンタんちにずかずか踏み込んで、ヤツのいる筈の2階に靴も脱がずに上がり込んだら、案の定小汚い布団の上に、桃香ちゃんが寝せられてた………裸で。

 

「龍次!?い、いや、これはだな」

 なんかカメラ持ったシンタがあたふたしてるけど、この状況にどんな言い訳しやがるつもりだ。

 4歳児なんて赤ちゃんみたいなモンだろうが。

 それを裸に剥いて写真撮って、その後どうするつもりだった。

 考えるだけでおぞましい。

 

「問答無用ーーーっ!!」

 おれはヤツの顔面に拳をぶち込んだ。

 一撃で、鼻血と前歯をまき散らしたシンタが気絶する。

 それから、なるべく桃香ちゃんを見ないようにして周囲を探した。

 服は…見当たらない。

 仕方なくおれは着ていた上着を脱いで、それで桃香ちゃんの身体を包んだ。

 そのまま、小さな身体を抱き上げる。

 おれの後を走ってついてきた優花姉ちゃんが、その光景を見て号泣し、次には倒れたままのシンタの股間を踏みにじった。

 女ってこええ。

 

 シンタは子供の頃、優花姉ちゃんの事が好きだったそうで、姉ちゃんそっくりの桃香ちゃんの小さな姿を、永遠にそのまんま留めておきたいという謎理論で連れ去ったという事だった。

 つまり、ほっといたら殺されてた可能性が高いって事だ。

 …だが幸い、桃香ちゃんの身体には傷も、おぞましい真似をされた痕跡も見つからなかった。

 本人は薬を飲まされて眠っていたから、後々まで残るトラウマなんかもなさそうだという事だ。

 

 …むしろ問題はおれの方だった。

 村長の甥をぶん殴ったからどうこうという事はない。

 状況が状況だけに、その件についておれを責める声なんぞ出るはずもなかった。

 だが、この土地を守る神様の力を宿した手で、この土地の者を傷つけ、その拳を血で穢した、それが問題だった。

 それによりおれは神聖な存在ではなくなり、横綱の地位を返上せざるを得なくなった。

 おれの肉体は、神様の加護を失った。

 だが、それと引き換えに、子供の未来を守れたんだ。

 子供は土地の宝だ。

 村の守り手だったおれに、後悔なんかあるわけがねえ。

 

「あたしは、ここに戻ってきちゃいけなかったのね。」

 優花姉ちゃんが哀しげに俺を見て言う。

 

「んな事ぁねえさ!

 どっちにしろ来年には、高校行くのにこの村を離れなきゃいかんかったしのう。」

「でも、今回の事件で、推薦入学が決まってた話が流れちゃったんでしょう?

 龍ちゃんは悪くないのに、あたしたちのせいで…。」

「だーからー、姉ちゃんたちはもっと悪くねえじゃろって!

 …東京にの、わしらみたいな、持て余されたモンも受け入れてくれて、男を磨いてくれる、男塾っちゅー私塾があるんだと。

 そこに願書出したから、姉ちゃんは心配せんでも大丈夫じゃ!」

 力士でいる間は攻撃に使わなかった拳と脚を、仮想の敵に対して存分に伸ばし、振るう。

 最初のうちは慣れずに腰がぐらついたが、何度か続けるうちにそれもなくなってきた。

 神様の加護を失ったからには、おれは自分の力で強くならなきゃいけねえ。

 

「…龍ちゃんは強いのね。」

「おお!

 男として生まれたからにゃそこ目指さんとな!

 にしても、見よう見まねでやってみとるが、拳法ってやつは、おれに結構合ってそうじゃ。

 今更師匠探すってのもアレじゃし、こうなったら、最強の流派の始祖になっちゃる!

 名前は…『猛虎流』!

 どうじゃ?強そうじゃろ?」

「姉ちゃんが言ってるのは、そういう意味じゃないんだけどなぁ…まあ、いいか。

 それが龍ちゃんだもんね。」

 姉ちゃんは少しだけ呆れたように笑ったが、すぐに真顔に戻って、おれの目を見つめて言った。

 

「…ねえ、龍ちゃん。

 今回、もし桃香に万一の事が起きてたら、あたし絶対に、アイツ殺して自分も死んでた。

 龍ちゃんは桃香だけじゃなく、あたしの事も助けてくれたの。

 神様の加護は失っても、あたしと桃香にとって龍ちゃんは、誰よりも相応しい横綱だわ。

 どこに行っても、それを忘れないで。

 桃香とあたしを助けてくれて、ほんとにありがとう。」

 言うと、姉ちゃんは、おれの首に抱きついてほっぺにちゅーしてきた。

 

 ☆☆☆

 

「上だ!虎丸ーーっ!!」

「わかっとるわい!」

 おれが助けた少女と同じ果実を名に冠したおれたちの大将の声に、おれは己に迫る大技を、宙に飛んで逃れる。

 落下しながら、その脚に蹴りを入れると、月光とかいうハゲ野郎は、氷のリングの端から、回転しながら落下した。

 そのマヌケな光景に、思わず笑いがこみ上げる。

 

「まんまと引っかかりやがって。

 おれがわざと追いつめられたフリをしてたのも知らずに。」

 だが次の瞬間、こみ上げた笑いが凍りついた。

 

「フッフフ…わたしをこの程度の事で倒せると思っているのか。」

 どうやら氷の崖壁に突き刺して落下を免れていたらしい、奴の覇月とかいう刃がおれの胸を切り裂く。

 一瞬遅れて襲ってきた痛みがおれの身体を硬直させるが、おれの身体はそうヤワじゃねえ。

 奴の追撃を躱しながら、おれは再びリングの端に追い詰められるが、おれにはとっておきの技がある。

 おれの挑発に乗って肉迫してきた奴の顔面に、おれはそのとっておきを放った。

 

「猛虎流奥義、大放屁!!」

 

 ☆☆☆

 

 …何故よりによってここから私視点だ。

 めっちゃコメントし辛いわ。

 あ、いや、なんでもない。

 とりあえず虎丸の「猛虎流」が、完全に我流である事だけは、これではっきりした。

 ていうか、どこの土地の神様なのかは知らないが虎丸の身体に降りてた神様、今の彼の姿を見てどう思いますか。

 土地を離れたならもう関係ないんですかそうですかそうですよね。

 そんな事より、虎丸の「とっておきの技」を顔面にまともに受けた月光はそこから明らかに怯んだ。

 というか、あまりの事に呆然としたのだろう。

 しばらくの間虎丸の反撃に、なんの反応もできずに身を任せていた。

 だが、やがて呼吸を乱しつつもゆらりと立ち上がると、その身から怒りのオーラを発しながら、虎丸を睨みつける。

 

「お、おのれ…!

 よくも男子の面体に屁などこきおって……!!」

 その怒りの形相と共に、月光の額に龍が現れる。

 胸と腕の筋肉が膨れ上がり、もともと大きな身体が更にひとまわり大きくなって、着ていた拳法着が弾け飛ぶ。

 そうして露わになった肌に、渦巻きのような文様と「一見必殺」の文字が浮かぶ。

 

「フフフ、久しぶりに見た…月光の怒粧墨(どしょうぼく)

 奴め、やっと本気になりおったか。」

 伊達臣人が、よく聞くと無駄に色気のある声で解説とも独り言ともつかない言葉を呟く。

 怒粧墨…流れからすると、感情の昂りによる急激な体温とかアドレナリン量の上昇とか、そういったものに反応する刺青という事だろう。

 だとすると、ただ相手を威圧する為だけに浮かぶものだとは思えないのだけれど。

 と、虎丸が放った渾身の拳を、月光は避けもせずまともに腹で受け止め…潰れたのは、虎丸の拳。

 

「怒粧墨…怒りは肉体をも鋼と化す。

 そんな拳ではもはや、わたしに通用せぬ。」

 ならばというわけでもなかろうが、今度は蹴りを虎丸が放ち、それが確実に折れる綺麗な音がした。

 やはりあの刺青の効果で、皮膚を硬質化したものらしい。

 どういう原理でかはわからないけど、怒りが引き金になってるのは間違いないようだ。

 月光が激昂したって事か。

 ……………うん、ゴメン。私が悪かった。

 私がそんなバカな事考えてる間に月光が、例の覇月という武器を手から外す。

 

「ここまでわたしを怒らせたおまえを、こんなものであっさりとは殺さん。

 …この鋼の拳で、粉ごなにしてやる!」

 言うや、鈍器と化した拳のラッシュが虎丸を襲う。

 虎丸は抵抗もままならずサンドバッグ状態。

 いいだけ殴ったところで伊達臣人が「早く勝負をつけろ」と声をかけ、月光は気を失っているらしい虎丸を持ち上げた。

 このままリングの下に待つ氷杭に叩き落とすつもりらしい。

 落下に備え、三号生達が動く。

 この場合、落下した闘士を秘密裏に回収する手段はどうするのだろう。

 わからないが任せるしかない。

 私の方もスタンバイしておこう。

 だが、虎丸は気を失ってはいなかった。

 どこから取り出したものかライターを取り出して火をつけると、…例の、先ほどの必殺技を繰り出して、それに火をつけた。

 

「大放屁火炎放射!!」

 顔面に炎をまともに受けた月光が顔を押さえて悶絶する。

 …正直、私も悶絶したい。

 

「てめえがいくら鋼だろうと、こいつは効いたようだな。」

「一度ならず二度までも!!こんなマネをして、貴様に勝ち目があると思っておるのかーっ!!」

「この勝負、おれの勝ちだ。

 次の策もちゃんと用意してあるぜ。」

 言うと虎丸は氷の地面に爪を立て、そこに一筋の線を引いた。

 それから、先ほど月光の鋼の肉体を殴って潰れた右の拳を、ためらう事なく地面に叩きつける。

 

「これが男塾一号生、虎丸龍次の実力じゃーーーっ!!」

 その衝撃で、虎丸が傷付けた部分から氷が割れて、月光の足場が一瞬にして崩れる。

 驚愕の声をあげながら落下した月光の身体が、下の屹立氷柱に貫かれるのが見えた。

 

「負けたぜ、虎丸。おまえには……。」

「へっへへ。屁はイタチでも力は虎だぜ。」

 

 ちょっと待ってーーー!!

 三号生の仕事どうなってるのーーー!?




無駄に冗長なエピソード入れたせいで、虎丸×月光…もとい虎丸vs月光の話が全然終わらないw
早く桃×伊達…もとい桃vs伊達の話に移りたいww


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4・Another One Bites the Dust

「驚邏大四凶殺」第三の凶、氷盆炎悶関(ひょうぼんえんもんかん)、勝負あり!!」

 見届け人の男の一人が片手を上げて、虎丸の勝利を告げる。

 

「三面拳最強と言われたあの月光が……。」

「ヘッヘへ、実力だっていってんだろ。」

 

 ・・・

 

「ちょ、早く月光を回収しないと!」

「暫し待て。上の奴らの注意を逸らさねば、我らの動きが知られてしまう。」

「そんな事言ってる間に、あの人が死んじゃったらどうするんですか!

 私は治療はできても死者を蘇生させる事は出来ません!

 そうなったら取り返しが…!」

「待て、様子がおかしい。」

「え?」

「あの男…意識があるぞ!」

 

 ・・・

 

「これは………!?」

「いかん、あまりに洞の中が暖まりすぎた為、氷壁が崩れ始めてきおった。」

 …どうも、この洞内の急激な気温上昇が三号生の仕掛けであったらしい。

 それにより避難を急がせて彼らを外に出し、それから負傷者を回収する計画の。

 …ていうか、それ救助に当たる人員にも相当な危険があるんじゃないの?

 

「急いで入ってきたトンネルより避難なされい!

 この洞全体が崩れ落ちるのは時間の問題でござる!!」

「さあ、これにて渡りなされい!」

 見届け人たちが、虎丸のいるリングに板を渡し、焦ったように桃が叫ぶ。

 

「虎丸、急げ!!」

「ったく冗談じゃねえぜ。

 これじゃあ命がいくつあっても………」

 だが、ここで予想外の事態が起きていた。

 救助する対象である月光が意識を取り戻し、氷のリングを支える氷柱を登り始めたではないか。

 

「むう、なんという執念。

 自軍に一敗を与えぬ為に、せめて相討ちを狙うか。」

「てな事言ってる場合かハゲ!」

「ん?」

「いえ何でも。」

 …最近心の声が口からだだ漏れる癖がついてきたようだ。気をつけなければ。

 そんな中、上では這い上がってきた月光に、虎丸が驚愕している。そりゃそうだ。

 

「おのれなどにそうたやすくたおされるこの月光か。」

 そう言うと月光は、虎丸に鋼の手足で乱打を加えた。

 もはや戦術も何もない、本当にただの殴る蹴るだ。

 そうか…あの怒粧墨(どしょうぼく)が消えていない事、生存の証として安心していたけれど、あれは体温の上昇よりも感情の昂りによって現れるものだった。

 あれが消えないという事実は、確かに生存も意味しているけど、同時に、感情の昂りが持続している…意識があるという事実の証明に他ならなかったのだ。

 だが、闘場の崩落が始まった今、まだ粘られると救助に支障が出る。

 闘士たちだけでなく救助する三号生に、甚大な被害が出る恐れがある。あと私も。

 そこまで考えたところで、私の足が地面から突然宙に浮いた。

 次の瞬間、私は隣の三号生の腕で、小脇に抱えられていた。

 

「え?え?なに!?」

「これ以上ここに居ると危険だ!

 勝負はまだついてはいないが、貴様を先にここから避難させる!!」

「えっ?ちょっ…」

「光を頼むぞ!

 我々は、奴らの勝負を見届け、負傷者の回収をしてから合流する!」

「承知!!」

 私を抱き上げている男が、言うや私たちが確保していた出入り口に向けて走り出す。

 

「待ってください!

 それでは残るあの人たちも、闘場の崩落に巻き込まれる危険が…!」

「我々は邪鬼様から、貴様の身の安全を第一にと厳命されている!行くぞ!!」

「待って…お願い、必ず全員、生きて戻って…!!」

 男の腕の中から振り返り、私は後方にまだ待機する三号生に向けて叫んだ。

 いつの間にか溢れた涙が氷の欠片に混じり、消えていった。

 頼むから死に急ぐな、男ども。

 

 ☆☆☆

 

 生きて戻って…!!

 

 這い上がってきたバケモノハゲにタコ殴りされ、首を極められた瞬間に、なんだかわからねえが、あの人の声が聞こえた気がした。

 懲罰房に居たおれに半年間、食事を持ってきてくれてた女の人だ。

 見た感じの年齢は、優花姉ちゃんと同じくらいだったか。

 名前は、最後まで教えてくれなかった。

 清楚で、綺麗な人だと思った。

 吊り天井のトラブルの時に、結構気の強い本性隠してたのがわかっちまったけど、それだって幻滅するほどのギャップじゃない。

 最後にもう一度会いたかったな。

 最後のメシも美味かったけど、できれば顔見てごちそうさまって言いたかった。

 

「総長、お先に脱出なされい!

 この月光、こやつの息の根を止めてから行き申す。」

 一瞬甘い記憶に浸りかけたおれを、月光の不粋な声が現実に引き戻す。

 そうだ。ここの闘場は今危険なんだった。

 

「ウム、まかせたぞ。」

 奴らの大将が、こいつを信頼しきった様子で背を向ける。

 一方で、俺たちの大将は、おれを心配して動けずにいる。

 

「虎丸ーーーっ!!」

 これじゃまずい。

 おれは首を極められながらも、精一杯声を張り上げた。

 

「桃、何をぐずぐずしてる!

 ここは俺にまかせておけ!」

 だが桃は動かない。くそ、何やってやがる。

 

「早くいくんだ、このままおまえまで死んじまったらどうするんじゃーーーっ!!」

「馬鹿言うんじゃねえ。

 このままおまえを見捨てていけるか。

 おまえの勝負、最後まで見届けるぜ。」

「馬鹿野郎ーーーっ!!」

 全滅した時点で俺たちの、男塾の敗北が決まる。

 そしたら、先に逝ったJや富樫が、何の為に戦ったのかわからねえだろうが。

 焦るおれに、月光がせせら嗤いながら言う。

 

「何をたわけた事を。

 仮にあやつが生きて脱出し、われらの総長と戦っても、万にひとつの勝ち目もあると思うかっ!!

 あのお方こそ『驚邏大四凶殺』の覇者となるにふさわしいお方よ!!」

 そう言うと月光は、そばに落ちていた尖った氷杭を手にした。

 

「こいつでとどめじゃーーーっ!!」

 おれの腹が、その氷杭に貫かれる。

 その冷たい感触に、おれの身体が崩れ落ちる。

 駄目だ。脚が身体を支えきれない。

 

「虎丸ーーーっ!!」

 桃の声が遠くに聞こえる。

 

「おまえもこれで心置きなく脱出できるだろう。

 わたしもそろそろ行かせてもらう。」

 おれを貫く氷杭から手を離した月光が、先ほどおれに渡された板を、拾うのが見えた。

 目の前を、その足が通り過ぎようとする。

 おれは夢中で手を伸ばすと、その足首を捕まえた。

 

「き、貴様!」

 驚愕に慄く月光に構わず、おれは桃に訴えかける。

 

「行くんだ桃…Jや富樫、そして俺の死を無駄にするんじゃねえ。」

「は、離さんかーーーっ!!」

「ヘッヘへ。虫のいい事言ってんじゃねえ。

 てめえも地獄へ道づれだぜ。」

 と、天井からの氷の量が急に増えて、見上げると円柱形の氷の塊が、おれたちの頭上に落下してくるのがわかった。

 

「天井の中心の支点柱が抜けたーーっ!!

 あれが完全に抜けたら、この洞はひとたまりもなく崩壊するぞーーーっ!!」

 月光が叫び、おれも桃に向けて叫ぶ。

 

「桃、早くトンネルの中へ入れーっ!!」

 それでもまだ桃は、呆然とこちらを見つめたままだ。

 …このタイミングで何故か唐突に、またあの人のことを思い出した。

 

『あなたが死ぬなら、私も一緒に死にます。

 私を死なせたくないなら、根性で耐え切ってください。』

 逃げろと言ったおれの言葉に首を振り、強い目をおれに向けた彼女。

 自分の命をおれに預け、おれを奮い立たせる為。

 その根底に、おれならば可能であるという信頼が、確かにあった。

 今の状況は違う。

 桃、おまえが命を張ったところで、おれはもう助からねえ。

 俺の為に死んじまったら、それは単なる無駄死にだ。

 

「ば、馬鹿野郎ーーーっ!!」

 俺は桃に向かって叫ぶと、月光の身体を抱え上げ、落ちてくる支点柱をそれで受け止めた。

 これでおれの手が塞がっても、こいつはもうおれを攻撃できねえ。

 間違いなく地獄へ道づれだ。

 

「さあ行くんだ桃。

 これでもまだわからねえなら、てめえに男塾一号生筆頭としての資格はねえぜ。」

 おれの言葉に、桃が氷の壁を、力任せに殴りつけるのが見える。

 

「忘れねえでくれ。おれの名は虎丸龍次。

 今度生まれ変わってくる時も、桜花咲く男塾の校庭で会おうぜ。」

「………………ああ忘れねえ。

 虎丸龍次って大馬鹿野郎の名をな……。」

「それでいい。さあ行け。

 もう決して後ろを振り向くんじゃねえ!

 必ず勝てよ、この『驚邏大四凶殺』ーっ!!」

 桃の白殲ランの白い背中を見送ると、おれの意識は暗闇に沈んだ。

 

 生きて戻って…

 

 悪いな。そのお願い、聞いてやれそうにない。

 

 ・・・

 

「またせたな。」

「フッフフ、いい顔になっておる。

 友を三人なくす前とは別人のような、闘う男の顔だ。」

 

 ☆☆☆

 

 …結果から言うと、三号生は全員、無傷とは言えないが戻ってきてくれた。

 これまでの戦いで一番重傷の虎丸と月光を連れて。

 

 私をあの場から連れ出した後、あの洞は完全に崩落したのだが、どうやら彼らの仕掛けによる気温上昇が功を奏し、落ちてきた氷は中央の支点柱以外ほぼ全体が溶けて脆くなっており、三号生たちを下敷きにするほどの塊ではなくなっていたそうだ。

 ただ、その支点柱の下敷きになった闘士2人は、そもそもが重傷だった事もあり、救出された時には失血と低体温で瀕死と言ってよかった。

 どっちも大して変わらないが、敢えて比べるとより重傷なのは月光の方だ。

 というか、正直生きてるのが不思議なくらいのレベル。

 あの伊達臣人という男に対する忠義ゆえか、それとも三面拳最強の男の誇りゆえなのか。

 恐らく両方が、本来なら死んでいてもおかしくない身体を突き動かしていた。

 それにしても、遠くから闘う姿を見ていた時は、とても恐ろしい男に見えていたのに、こうして横たわって目を閉じている顔は、なんて穏やかなのだろう。

 全身の傷をほぼ完璧に塞いでから、造血の処置をする。

 こればかりはひとつでも傷を残したら、せっかく血液を増やしても流れ出てしまうから仕方ない。

 月光の治療を終え、次は虎丸の番だ。

 足の骨折は、綺麗に折れてるから通常の手当だけで済まして、潰れた右の拳は治してやらなければ。

 でも何よりも腹部の刺し傷。

 刃物ではない、氷杭で穿たれたそれは、ひどく大きく口を開けており、正直見るに耐えなかった。

 腹部全体に氣の針を打ち込む。

 もこもこと皮膚が盛り上がってきて、傷はすぐに塞がったものの、傷自体あまりにも大きかったせいか、内部が完全に治癒するまで長時間の睡眠を経た後、同じ治療をあと2回ほど続けなくてはならないだろう。

 それから拳を治療して、先ほどの月光と同じように、造血の処置を施す。

 と、目の前がぐらりと揺れたと思ったら、全身の汗腺から汗が一気に吹き出てきた。

 まずい…氣を使い果たした。

 まだ、桃と伊達が…四の凶が、私を、待ってるのに……。

 

 私は己の身体を支えきれず、治療を終えたばかりの虎丸の胸の上に倒れこむと、そのまま意識を失った。



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5・Running Wild

 桃たちが出立する前日、赤石と会った際に、ふと思いついて訊ねてみた。

 

「伊達臣人というのは、どのような男だったのですか?」

 当時一号生筆頭だった伊達臣人が教官を殺害して出奔したのと、赤石が筆頭不在の一号生を血祭りにあげた事件は、ほぼ同時期に連続して起きている。

 関連性が全くないと思う方が不自然だろう。

 だが、当の本人に事件についてを問うのはあまりにも無神経な気がして、そのような聞き方をしてみたのだが、私の問いに赤石は、らしくもなく遠くを見るような目をして答えた。

 

「伊達、か。奴は…全てにおいて秀でていた。

 何をやらせても完璧で、苦手なモンなんざなかった。

 …だが、秀で過ぎてて、並ぶ奴が居なかった。

 だから、筆頭として立てられた後は、他の一号生は、奴におんぶに抱っこで、何にもできねえ腑抜けになっちまった。」

「全てにおいて完璧…なんだか、桃みたいな人ですね。

 桃の場合その完璧さが、仲間を駄目にする事はなさそうだけど。」

 私が言うと、赤石は少しだけ考え込んでから、またゆっくりと口を開いた。

 

「…確かにな。その点だけに関して言や、そうだ。

 なんなんだろうな。この違いは。

 …伊達に、てめえの兄貴を足して2で割ったら比較的、剣に近いのが出来上がりそうだが。」

 …ますますわからなくなった。

 そもそも私の知ってる兄と、赤石の知ってる兄では、微妙に違う。

 私は11歳半までの兄しか知らない上、その記憶すら断片的だし、赤石が兄と交流していたのは17歳で亡くなるまでのせいぜい半年くらいだという。

 お互いの時間が重ならない以上、わからないのはしかたないのかもしれない。

 まあでも敢えて言うなら桃は、仲間を信じる事を知っている。

 そして、桃に信じてもらえる事で、仲間は更なる力を得る、気がする。

 その点、ここに居た時の伊達臣人は、孤高の存在だったのだろう。

 彼にとって同じ一号生の仲間は守る存在ではあっても、頼る存在ではなかったのだ。

 

 赤石の事は…どうだったのだろう。

 どう思っていたのだろうか。

 私がなんだかんだで赤石に頼っているから言うわけではないが、同じ一号生に頼れないなら、せめて赤石に頼れば良かったのだ。

 赤石は、自分を慕ってくる者は見捨てない。

 厳しいけど、本質的には優しい人だから。

 桃や邪鬼様を見てもそうだが、そこはやはり筆頭の資質なのだろう。けど、

 

「…俺は認めてたぜ。奴の事ぁな。

 だから、奴が守りたかったものを、残った奴らが自分から、台無しにしようとすんのが、許せなかった。

 …結局、伊達が守ろうとしてた奴らを、俺は全員ぶった斬った。

 本末転倒だ。笑い話にもならねえ。」

 赤石が、自嘲気味に笑って背を向けた。

 一瞬、その背中が小さく見えた。

 

 …と思ったら違った。

 

「え!?

 …すいませんいきなり話変わって申し訳ないんですけど、刀、メッチャ長くなってませんか!?」

 いつか一緒に出かけた時は服の下に隠してたけど、塾敷地内では普通に背負ってる赤石の刀が、いつも見慣れてるものに比べると遥かにデカイ。

 長さだけなら桃の身長と同じくらいあるだろう。

 もう絶対服の下には隠せない。

 

「…こいつが斬岩剣(ざんがんけん)兼続(かねつぐ)、一文字流の御用刀だ。

 本来、一文字流(いちもんじりゅう)斬岩剣(ざんがんけん)ってのは、これを使いこなす為の剣技で、俺はガキの頃から、こいつの重さに耐えうる修行をしてきた。

 これと同じ重量の鉄棒での、毎日千回の素振りから始まってな。」

 あー納得。

 この腕と脚の筋肉の太さも、腰骨の大きさも、この刀の為のものだったってわけか。

 刀に対してこんな見方をするのは間違っているとは思うが、そう言われると確かに今までのものよりも、赤石には似合っているように思う。

 にしても…現実問題として、抜けるんだろうか、この刀。

 

「…今、ちゃんと抜けるのかと思ったろ?」

「なんでバレたし。」

 思わず心の声がだだ漏れたら、ものすごく呆れたような顔してため息つかれた。

 それから、何かもの言いたげな目をしてじっと私を見た後、何故か口元がニヤリと笑みの形に歪む。

 更に、デカイ手がぽんと頭に乗せられた。

 

「てめえが富士から帰ってきたら見せてやる。

 …だから無茶だけはすんな。」

 …あ。こっちもバレてる。

 しかも、多分だが止めても無駄だと諦められてるし。

 

 ☆☆☆

 

「あか、し……。」

「ん?気がついたか?」

 目を覚ました時、私は三号生の一人に背負われていた。

 どうやら移動中であるようだ。

 背中に綿入れのようなものを着せかけられているのは、雪が降ってきているからか。

 

「あっ…申し訳ありません。降りて歩きます…」

「貴様ひとり背負うのに苦労はない。

 いいからギリギリまで休んでいるがいい。

 この先は大将戦だ。貴様の力が回復せぬ事には、最終的に手詰まりにもなりかねん。」

「ありがとう、ございます……。」

「好きな男の夢でも見ていたのか?」

「えっ?」

「赤石は幸せ者だな。

 貴様にそれほど想われているとは。」

「…なんの事ですか?」

「覚えていないのか?

 目覚める直前に、赤石の名を呼んでいたぞ?」

「それで、何故好きな男の夢とか…あっ。」

 半分寝ぼけながら対応していたのが急に目が覚める。

 なんかはてしない誤解があるようだ。

 ひょっとして三号生の間では、私は赤石の女だというのが共通認識だったりするのか。

 …でも考えてみれば、赤石が過保護すぎるせいで江戸川以下他の二号生からはそろそろおかしいと思われ始めてるぽいし(二号生は赤石を怖がってるから表立っては言わないけど)、一号生の間では例の昼寝事件のせいで一時期、桃と衆道関係結んだと思われてた。

 ちなみに以前赤石がその噂を知ったのは、未だに桃に対して含みを持つ江戸川が、それとなく赤石の耳に入れたものだったらしい。

 策士か。アイツ意外と策士なのか。

 なので私も後でそれとなくシメておいた。

 それとなく、物理で。

 つか富樫なんか両方疑ってやがったしあの野郎。

 更に当事者の桃に至っては、もう面白がっちゃってまったく否定しないし、逆に『葉隠』の一文とか持ち出して、

 

「若年の時、衆道にて多分一生の恥になる事あり。

 心得なくして危ふきなり。

 云ひ聞かする人が無きものなり。

 大意を申すべし。

 貞女両夫にまみえずと心得べし。

 情は一生一人のものなり。

 さなければ野郎かげまに同じく、へらはり女にひとし。

 これは武士の恥なり。

 ……俺の心は、もう光だけのものだからな。

 安心していいぜ。」

 とかみんなの前でワケ判らん事言い出す始末。

 滅べ。

 なんかもう社会的な私の立場、相当アレな気がしてならない。

 ソレ考えたら、三号生は私を女だと知ってる(最初、全員に知られててメッチャ驚いたけど、全員に通達した上で緘口令を敷く方が隠すよりも私が安全だという、邪鬼様と死天王の判断だったらしい)分、認識的にはまだマシだし、表立って口にする事もないわけで。

 なら訂正するのも面倒だからもうそれでいいや。

 今はお言葉に甘えてもう少し寝よう。

 

 ……………。

 

「それにしても、ここまでで全て引き分けとは痛いな。」

「そうだな。

 この大将戦で勝てなければ、たとえ全員生き残っても、奴らを引き入れるのが難しくなろう。」

「やはり赤石がメンバーにおれば、せめて一勝くらいはできていたであろうに。」

 夢うつつに男たちの会話が耳に入ってくる。

 言われて思い出したせいか、なんか無性に赤石に会いたくなった。

 けど、瀕死の赤石を治療するなんて私は御免だ。

 その場面、絶対に冷静じゃいられない。

 

 ☆☆☆

 

 雪の富士山頂。

 驚邏大四凶殺四の凶、頂極大巣火噴関(ちょうきょくたいそうかふんかん)

 富士山頂の火口を利用した天縄闘(てんじょうとう)

 天縄闘とは、蜘蛛の巣状に張られた石綿縄の八方から火をつけ、その上で闘うというもの。

 石綿縄の火が全てに燃えわたるまでにおよそ一時間。

 それまでに勝負がつかなければ、両者とも火口に落下し、一巻の終わりである。

 私たちがそこにたどり着いた時には、桃と伊達臣人の闘いは既に始まっていた。

 先発隊が用意した待機場所に降ろしてもらう。

 三号生の1人が、今はすることもないのだから少し休んでいろと、例のショートブレッド様のブロック菓子と、イオン系飲料をくれた。

 綿入れのような防寒具に包まりながら、それらを摂取して僅かながらでも体力の回復をはかる。

 本当はもう少し眠った方がいいのだろうが、ここまで来て眠れるわけもない。

 せめて動かずにいることにしよう。

 白装束と黒い鎧兜。刀と槍。

 男塾一号生筆頭と元筆頭。

 桃と伊達臣人、二人の息もつかせぬ攻防が、足場の悪い天縄網の上で繰り広げられる。

 

覇極流(はきょくりゅう)千峰塵(ちほうじん)!!

 うぬにこの穂先見切れるかーーーっ!!」

 伊達臣人の槍から連続の突きが繰り出される。

 それは桃の目には、一瞬で千本もの槍に襲われるように見えているだろう。

 辛うじて急所を躱すのがやっとというところで(私などからみればそれ自体が既に神業だ)、桃は身体全体に一瞬にして無数の傷を受けた。

 更に攻撃を躱す際に足場の縄を踏み外し、落下しかけるその身体は、寸でで縄を掴んだ腕一本で、天縄網からぶら下がる格好となる。

 足場の悪さ。状況によっては空中戦。炎による時間制限。

 どうやらこの闘場、これまでの一、二、三の凶の、いやらしいところばかりを集めたステージのようだ。

 誰が考えたこんな事。

 

「それが男塾一号生筆頭か、『驚邏大四凶殺』第四の凶・頂極大巣火噴関、もはや勝負あったわーーっ!!」

 その桃の頭上から歩み寄り、槍を構えながら、伊達臣人が高笑う。

 

「そいつは俺のセリフだぜ。」

 桃はそう言うと、縄をしっかりと掴んで身体を揺らし、その遠心力と身体のバネで、一瞬で天縄網の上に飛び乗った。

 それから抜く手も見せずに刀を抜き、伊達臣人の胴を逆袈裟に斬り上げる。

 だがその攻撃は桃の刀に、刃こぼれを生じさせるにとどまった。

 

「フフフ、その太刀なかなかの業物らしいが…しかしこの黒銅鋼でかためた鎧には通じはせん。」

 …むー。ズルいよ伊達臣人。

 いや、防具の使用はルール違反じゃないから仕方ないけど、なんかちょっとズルい。

 今の、まともに入ってたら、勝負決まってたじゃない。

 …いや、防具がないならないで、躱す行動取ってるか。

 アイツだって馬鹿じゃない。

 むしろ切れる方だろう。

 ごめんなさいシロウト考えで。

 

「まだまだ火がまわりつくすには時間がかかる。

 一生に一度あるかないか、この大舞台、じっくり楽しませてもらう。」

 ひょっとしてこの男、戦闘狂のケがあるんじゃなかろうか。

 いや絶対そうだ。

 考えてみれば塾長からこの驚邏大四凶殺の提案を受けた際、『男子本懐の極み』とか言ってたよ!

 いや男子ひとくくりにすんな。

 そんなん思うのおまえだけだよこの変態!!

 ごめんなさい言い過ぎました。

 再び同じ目線に戻ってきた桃を見据えながら、伊達臣人は槍を振るい、桃がその攻撃の瞬間に斬りつける。

 と、桃の鋭い斬撃から飛び上がって身を躱した伊達臣人は、桃の刀の上に飛び乗った。

 その勢いで、長い脚で桃の横っ面を蹴り飛ばす。

 あんな重そうな防具を身につけていながら、なんという身の軽さか。

 

「冥土のみやげに見せてやろう…覇極流蛇轍槍(じゃてつそう)!!」

 そして伊達臣人の次の攻撃は、蛇のようにぐねぐねと曲がりはじめた槍の攻撃だった。

 いわば三節棍のもっと長いやつに槍の穂先がついたようなイメージだが、あれを自在に操るのは容易なことではあるまい。

 その穂先が予想外のところから桃に向かってくるのは勿論、ガードして逸らせば、そこからまた変化して、再び穂先が襲いかかってくる。

 

「生きた蛇のように獲物を毒牙にかける蛇轍槍!

 穂先が貴様の胸を貫くのも時間の問題だ!!」

 御丁寧に説明ありがとう伊達臣人。

 避けても避けても向かってくる変幻自在の槍の穂先の、間隙を縫って、桃が足元の縄を蹴る。

 桃の身体が、伊達の頭上より高く飛んだ。

 

「ほう、たまらず上へ飛んだか。

 槍を相手に頭上からの攻撃は、自ら死地に飛び込むのも同然。

 それこそ思うつぼよ。」

 嘲笑う伊達臣人に向けて、桃が白い学ランを投げつけ、それが一瞬伊達の視界を遮る。

 その一瞬に桃が攻撃を仕掛けるも、伊達は瞬時に桃の意図を見抜き、槍の一撃を返してきた。

 桃の肩から鮮血が散る。

 

「そんな小細工が通用すると思うか。

 こう実力の差があっては勝負にならん………!!?」

 だが次の瞬間、伊達の顔を覆っていた仮面が、バラリと二つに割れて、落ちた。

 

「何を寝言を言っている。

 どうやら御自慢のその鎧も、あてにはならんようだな。」

 体勢を立て直して、桃がいつもの余裕の笑みを浮かべて言った。

 

「フッフフ、そうだ。これでいい。

 それでこそ『驚邏大四凶殺』最後を飾るに相応しい勝負になろうというもの。」

 やはり怖い笑みを浮かべて言う伊達の、露わになった貌の両頬に、六条の古傷が見えた。




そういや、どこかに書いたつもりで書いてなかった、今更だけど光のスペック他。

江田島光(本名:橘光?)
9月20日生まれ 乙女座 AB型
身長152.5cm体重??kg
全体的に小柄で細っこく子供っぽい印象。
でも胸だけは、サラシ巻いて抑えてる上に周囲に比較対象がいない為自分では貧乳だと思ってるけど意外と小さくない。
(最初の設定では中性的な感じの長身モデル体型だったのだが、制服着せたら飛燕とイメージかぶる上、アタシの脳内イメージではちっちゃくした方が可愛かった。)
割と潔癖症気味で、食事を抜いても掃除と入浴は欠かさない。
本当は動物もあんまり好きじゃない(というか、孤戮闘修了後暫くの間、小動物を『新鮮な肉』としか捉えられなかった時期があり、今でも感覚として可愛いという感情が抱けない)が、何故か高確率で懐かれる。けど藤堂家の猫にはメッチャ嫌われてた。
暗くて狭いところと、一人きりで取り残される状況とかがちょっと怖い。
甘いもの大好き。黒蜜ときなこの組み合わせは神。お菓子に甘さ控えめというヌルい概念は必要ない。バナナはおやつに入らない。
関係ないがコロッケはおかずじゃなくおやつとかいう馬鹿は遠足の時バナナ以上に困れ。
嫌いな食べ物はないけど、人工甘味料の後味は苦手。
ぱっと見には落ち着いて細やかで女性らしい性格だが、その辺は無意識にだが結構作ってる。色々抑えて生活してるが素は甘えん坊で我儘で泣き虫。そのくせ理屈っぽい、結構めんどくさい女。けど、頭撫でてくれる人には懐く意外とチョロいタイプ。
本人朧げにしか覚えていない幼少期の育てられ方が特殊だった為、根っこのところで不自然に男っぽいところがある。時々変に口が悪いのはそのせい。
特技は本人気づいてないが忘却。覚えていようと思った事の記憶力自体はいい方なのだが(橘流(たちばなりゅう)氣操術(きそうじゅつ)裏橘(うらたちばな)の古文書は全文丸暗記してる)、不必要、或いは不都合な記憶は綺麗に忘れられるアタマの持ち主。これによって精神の崩壊を防いでる事が一度ならずある。家族の記憶とか思いがけず抱いてしまったターゲットへの思い入れとか…。


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6・流砂のように

原作では、この前の話からここに至る間の僅かな時間に、桃が伊達に投げつける為に脱いだ学ランまた着てるのに気付いて、つっこむべきかスルーすべきか迷ったんだが、アニメで見たらフツーに着直しててワロタwww


 六忘面痕(ろくぼうめんこん)…二世紀中国漢代後期、大罪を犯した咎人に科した刑罰のひとつ。

 六つの徳を忘れた反逆の徒という証に、左右合わせて六条の傷を、顔面に切り刻んだという。

民明書房刊「古代刑法全」より

 

 伊達臣人がその傷を負った経緯については、私は赤石から聞いていた。

 …が、実際に目にしてみると、改めてその凄惨さが浮き彫りになる。

 伊達はその新任教官から、他の一号生を守ろうとしたのだと、赤石は考えていた。

 真剣で挑んで来いと言う教官に、誰も名乗り出る事をしなければ、誰彼構わず目についた者が指名されて、その者が死んだかもしれない。

 だから伊達は自分から名乗り出て、その時にはその教官を、手にかける決意をしていただろうし、それ故六忘面痕を刻まれた時、敢えて抵抗しなかったのだろうと。

 だからこそ赤石は、守られた筈の一号生たちが、その命を捨てようとするのが許せなかった。

 

 “…結局、伊達が守ろうとしてた奴らを、俺は全員ぶった斬った。

 本末転倒だ。笑い話にもならねえ”

 でも、赤石は誰も殺さなかった。

 最後の一線だけは辛うじて守った。そう思う。

 

 仮面が外れた伊達臣人が、先ほどよりも速さを増した蛇轍槍(じゃてつそう)を繰り出してくる。

 

「いまだかつてこの蛇轍槍、唯一匹とて獲物を逃したことはないわーーーっ!!」

 高笑いしながら徐々に追いつめてくる伊達の攻撃を、急所だけはなんとか躱しながらも、桃の表情に焦りの色が見える。

 そんな桃を余裕の表情で観察しながら、伊達臣人は次の攻撃に移った。

 

「覇極流奥義、蛇轍眩憧槍(じゃてつげんどうそう)!」

 今度は円の動きから繰り出される槍の突きに翻弄され、桃の身体が血飛沫を上げる。

 やはり間一髪で急所を避け、後退していくも後ろの炎に遮られる。

 後が無くなったと見るや、広範囲からの伊達の攻撃が一点に集中し始めた。

 桃の腕がその穂先の前に晒され、手首を貫かれる。

 それにより穂先の動きを封じ、伊達の間合いに入らんとする。が、

 

「もらったぜ、『驚邏大四凶殺』!!」

 伊達臣人は突進してくる桃に向けて頭を突き出した。

 兜を飾る二本の角が桃の身体を貫く。

 なんとか心臓は避けたものの、今度は伊達が突進してくる。

 次の瞬間、伊達は桃の手足を捕まえると、その身体を頭上に抱え上げ、背中に兜の角を突き立てた。

 

「覇極流体術・卍天牛固(まんじてんぎゅうがた)め!!」

 桃は手にした刀を口に咥え、両手を使って、身体への角の侵入を抑えようとする。

 だがこの不自然な体勢からでは、充分に力を出せるわけもなく、背中から心臓を貫かれるのも時間の問題だ。

 

「桃っ!!」

 思わず叫んでしまい、隣に控えていた三号生がそれを制した。

 

 ☆☆☆

 

 光……?

 何故だろう、あいつに名前を呼ばれた気がした。

 こんな状況であいつの声が聞こえる気がするなんて、俺も大概だな。

 

 …初めて会った時から、なんだか不思議な奴だった。

 不思議な術を使って、俺が肩に負った怪我を治してくれた。

 あいつが治療するのを何度か見ているうちに、あいつの技が氣功術の一端だと理解できたが、だからと言って真似できるものじゃない。

 人体の構造や急所を、あいつは下手すれば医者以上に理解しているだろう。

 だとすれば、あの技は人を癒すと同時に、殺すことも可能ではないだろうか。

 そんな思いを漠然と抱いていた時に、あいつの氣が一瞬にしてドス黒いものに変わった瞬間を見た。

 カナリアの件からのあいつの説得に、感極まった椿山が、あろうことかあいつを押し倒した時だ。

 あの瞬間、あくまで優しく穏やかに話をしていたあいつは消え、代わりにドス黒い氣を纏った、冷たい目をした、見知らぬやつがそこに居た。

 あれはまさに『殺氣』と言うべきもの。

 俺が咄嗟に椿山に当身を食らわせて止めなければ、あいつは躊躇なく椿山を殺していただろう。

 あの瞬間に確信した。あいつの技は人を殺せる。

 そして実際に殺した事があるであろう事を。

 だが、それでも。

 不思議な事にあいつからは、母親のような『匂い』がした。

 それは、実際に嗅覚で感じたものではないのだろうが、そうとしか表現できない感覚。

 見た目だけでなく本当に女ではないかと、思い始めたのもその『匂い』のせいだ。

 男なら本能的に惹きつけられずにはいられない、安らぎと、持て余すほどの深い愛情を、その小さな身体に内包しているように思えて、それを無性に欲しいと思った。

 それは冷酷な殺人者には似つかわしくないものだ。

 正直、どう扱っていいか判断しかねた。今も同じだ。

 黒と白。邪と聖。殺す手と癒す手。

 どちらが本当のあいつなのか。

 俺には判らない。今は、まだ。

 

「いい加減に観念したらどうだ。

 この俺を相手にここまで戦えば、死んだ貴様の仲間も褒めてくれるだろうぜ。」

 背中に走る激痛と伊達の言葉が、一瞬気が遠くなりかけた俺を現実に引き戻す。

 

「フッフフ、馬鹿言うな。

 このままブ様な負け方をして、地獄に迎えてくれるような奴等じゃねえ。」

 そうだ、俺はまだ死ねない。

 こいつを倒すまでは。

 

「最後だ。言い残す事あらば聞こう。

 下界にいる貴様の仲間達へ伝えてやる。」

「大きなお世話だぜ。」

「死ねいっ!!卍天牛固め落花輪(らっかりん)!!」

 俺の身体を角に突き刺したまま、伊達が跳躍する。

 高い位置から俺の身体を地上に叩きつけるような大技だ。

 だが、目指す先は地上ではなく炎を纏った天縄網。

 俺に言わせれば勝負を焦ってのこれは愚策だ。

 瞬間、俺の身体が己の体重から自由になり、その一瞬に俺は刀を手にして、叩きつけられる直前に縄を切り裂いた。

 切れた縄を掴んで落下を止め、その勢いを借りて、伊達の身体を蹴り飛ばす。

 そのまま火口に落下するかと思いきや、伊達は先ほどの蛇轍槍を伸ばし、それをまだ張っている縄に絡めて、やはり落下を防いだ。

 だが既に縄全体に火がまわりきっており、俺の掴んでいるそれも、焼け切れる寸前で俺の皮膚を焼く。

 

「………仕方ねえ。

 おまえを道づれに、地獄へ飛び込むしかなさそうだ。」

 俺の言葉を聞き、伊達が腰に下げた刀を抜く。

 飾りだとは思っていなかったが、この男、槍だけでなく刀も使うのか。

 

「伊達、おまえは確かに強い……。

 しかし俺は、死んでいった三人の仲間達に約束した…必ず貴様を倒すとな!」

 

 聞こえるぜ、大鐘音のエールが……!!

 ありがとうよみんな…おまえらの事は決して忘れない。

 J、富樫、虎丸……俺も今行くぜ。

 おまえらのところに……。

 

 光…………。

 

「俺の名は男塾一号生筆頭、剣 桃太郎!!」

 俺は綱から手を離して両手で刀を構え、渾身の一撃を、伊達に向けて繰り出した。

 

 ☆☆☆

 

 伊達に一撃加えたと同時に、カウンターの如く同じだけの一撃を胸に受けた桃が、天縄網から落下していく。

 あの下は溶岩ではなく有毒の赤酸湖だそうで、危険ではあるが、闘士の身柄を回収するのに10分ほどの猶予があるとの事。

 見届け人が一度、伊達臣人の勝利を告げるも、次の瞬間、伊達の鎧と兜が切り裂かれて落ち、伊達本人も同じく落下する。

 刃こぼれが生じていた刀であの鎧を切り裂き、下の身体にダメージを与え得たのは、桃が刀身に纏わせた氣で、切れ味を増したからだろう。

 相討ち。誰からともなくそんな言葉が出る。

 だがその時、見届け人の男たちの声が響いた。

 

「双方命あらば聞かれい!」

 言いながらどうやら下にロープを下ろしたところを見ると、桃も伊達も意識はあるらしい。

 男たちは赤酸湖の毒性についてを説明し、更に縄が一人分を支えるだけの強度しかない事を告げて、最後の勝負を促した。

 

「ありがたい。

 これで相討ちとなれば、奴らをこちらに引き入れるのが難しくなろう。」

「それにしても、あの伊達がこれほどまでに強いとは。

 つくづく3年前の事が惜しまれる。」

「だがあの剣というのもたいした奴よ。」

 などと、三号生たちが話をしているのが聞こえたが、私にはもはや奴らの打算や計画などどうでもいい。

 私のいる場所からは勝負の行方は見えない。

 結果が出るのを待つしかない。

 あとは、祈るしか。

 

 …勝って、桃。

 

 ☆☆☆

 

「地獄にはまだ先がありそうだぜ。」

 俺と、遅れて伊達が落ちた火口は、有毒ガスの発生する空間だった。

 下げられた綱で、登っていけるのは勝者のみ。

 得意の槍を失った伊達が、刀を抜いて挑み掛かる。

 それに応じて刀を振るう、その俺の耳に、脳裏に、仲間たちの大鐘音のエールが響く。

 ここには居ないはずのあいつらの声が、鮮明に。

 

 “死ぬな…負けるんじゃねえ、桃”

 “この大塾旗が見えるだろ”

 “桃……!

 俺達はこの旗の(もと)に身も心もひとつだぜ!!”

 

 “勝って…桃!”

 

 尽きかけていた力が、身体の奥から湧き上がる。

 

「き、貴様、どこにまだそれだけの力が……!?」

「おまえには聞こえないか、この大鐘音のエールが…おまえが今相手にしているのは、男塾一号生全員の魂だ。」

 だが、この火口に満ちる毒ガスは、無慈悲に俺の意識を奪おうとする。

 俺は刀の切っ先を己の爪先に立て、その痛みで、閉じようとする意識を無理矢理覚醒させた。

 

「さあ、来い伊達!!」

「フフフ、さすがだ剣。

 その執念…俺にもおまえの後ろに、男塾大塾旗が見えてきたぞ。」

 俺も伊達も、既に体力は限界。

 その最後の力を一撃に込め、伊達が勝負に出た。

 俺はその一撃を刀で受け止める。

 押し負けたら、最後だ。

 俺は手にした刀に氣を込めた。

 気合で、額のハチマキが切れる。

 なおも押してくる伊達の刀の、その刀身に、俺の刃と触れている部分から亀裂が入った。

 そのまま伊達の刀が折れ、その勢いのまま俺は、刀を横に薙ぎ、伊達の胸板を切り裂いた。

 伊達が断末魔をあげて背中から倒れる。

 とどめを刺そうと歩み寄った時、奴の左腕に、何かが見えた。

 

「俺の負けだ、さっさととどめをさせ。」

「こいつが見えなければぶっ殺していただろう。」

 伊達の言葉に、俺は刀の切っ先を使って、伊達の袖の破れた部分をはねのけた。

 それは男塾血誓痕生(けっせいこんしょう)。この戦いで散った三面拳の…ヤツの、仲間達の名前。

 仲間を思う気持ちは、俺もこいつも変わらない。

 こいつを殺しても死んだ仲間は生き返りやしない。

 

「時間がねえ。俺の肩につかまるんだ。」

 俺は伊達を背負って、ロープを登り始めた。

 

「おやめなされい!ロープが切れまする!!」

「それにこれでは『驚邏大四凶殺』覇者としての資格はありませんぞ!」

 上から見届け人たちが、慌てたように俺に向かって叫んでいるが、今更そんな勲章なんざどうだっていい。

 と、俺の背中で伊達の声が聞こえた。

 

「礼を言うぜ…おまえのような男と、悔いのねえ勝負をできたことをな………。」

「フッ、何を今更………!!」

 言葉の途中で、背中に感じていた重みが消える。

 手を伸ばそうとするも、その時には伊達の身体は、既に手の届かない所へ、真っ逆さまに落下していくところだった。

 

「さらばだ、剣!」

 高笑いしながら落ちていくヤツを、俺はただ見ているしかできなかった。

 

 ☆☆☆

 

「めでてえだと…ふざけるんじゃねえ!

 そんな紙っぺら貰ったって、死んでいった奴らは帰ってきやしねえ!」

 戻ってきた桃に、見届け人たちが『驚邏大四凶殺』成就の証を差し出すも、桃はそれを受け取らず、真っ二つに切り飛ばした。

 それが本当に最後の力であったようで、倒れるように地に膝をつく。

 見届け人が彼に手を差し出すのを拒み、桃はその場に横たわった。

 見届け人は少し考えるように立ち止まっていたが、やがて諦めたように桃を置いてその場から立ち去った。…え?

 

「な…何やってんの、アイツ?」

「どうやら、下山せずにここで命を終わらせるつもりのようだな。」

「あンの………馬鹿っ!!」

 聞いた瞬間、頭に血が上った。

 思わず飛び出そうしたところを、三号生に取り押さえられる。

 

「なんで止めるの!?離して!桃が死んじゃう!!」

「落ち着け。ヤツのことは俺たちに任せろ。

 ここでヤツを死なせたら、我らのここまでの苦労が水の泡だ。

 必ず生かして下山させるから、貴様は伊達の方を頼む。」

 そうだった。

 あの火口の下に落下した伊達を、三号生の別動隊が回収に行っている。

 そして私は、虎丸と月光が想定したより重傷だった為、一度氣を使い果たしている。

 僅かな睡眠と糖分によって若干回復はしたものの、恐らくは一人回復させれば終わりだ。

 ならば、毒ガスの影響を受けて神経の働きが低下しているだろう伊達を優先的に治療して、桃の方は通常の止血と手当てだけで一旦凌ぎ、私の氣が回復するのを待って改めて治療に入る方が、確かに合理的だろう。

 

「…わかりました。どうか、桃を頼みます。」

「心配するな。貴様も、伊達を必ず生かせ。」

 というような会話を交わし、私は伊達の回収を待った。

 まったく心臓に悪い。

 

 ・・・

 

 私の前に連れてこられた伊達臣人は、確実にチアノーゼを起こしていた。

 肺の機能が弱まっているのが明らかで、既に呼吸が弱い、というより、ほぼ、無い。

 解毒を施し、心肺機能の活性化を図るが、完全に回復するまでには若干の時間がかかる。

 その間に酸欠で死んでしまったら元も子もない。

 考える間もなく、伊達臣人の形のいい鼻をつまみ、口から直接息を吹き込んだ。

 私と伊達臣人以外の、その場にいる全員が、息を呑んだ気配がしたのは気のせいか。

 まあそんな事はどうでもいい。

 数回繰り返すと、肺が思い出したように自力呼吸を再開して、厚い胸板が上下する。

 ほっと息を吐いた途端に、お決まりの発汗が起きた。

 言わずと知れた、氣が尽きた合図。

 けど、もう大丈夫。後で全員の治療を改めて行うにしても、それは私の氣が完全回復してからで充分間に合うのだから。

 とにかく、眠い。

 気が遠くなり、伊達臣人の身体の上に倒れそうになる寸前で、誰かの手に支えられた。

 そのまま、同じ手が私の身体を軽々と姫抱きする。

 

 誰だ…?

 目を開けてその腕の主を確認しようとしたが、私の意識は、そこで完全にブラックアウトした。

 

 ☆☆☆

 

「邪鬼様!」

「皆の者、大儀であった。

 この大豪院邪鬼、心より皆に感謝する。」

「…勿体なきお言葉。」

「…貴様もな、光。

 よくやってくれた。礼を言うぞ。」




驚邏大四凶殺、桃vs伊達の回のアニメを見返してみたら、作画のいいのもさることながら、全盛期のお二人の声のエロさにクラクラきた。
これを普通に見ていられた当時のアタシを褒めてやりたい。
そんな事を考えながら卍天牛固めのあたりを書いていたら、「足首を掴んで身体を貫く」とか、表現によってはすごく卑猥になる事に気づいて己の心の汚れを自覚した。


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緩流安息編 1・あなたの渇き、癒すまで

この章は基本的にフラグ立てのみ。


 …目が覚めたら天動宮の、以前私が滞在していた部屋に寝かされていた。

 一瞬、『虎丸がお腹を空かせてる!』と思って焦ったが、あの子がもう懲罰房から出されている事を思い出して安堵した。

 もう彼の食事の心配を私がする必要はない。

 でも半年続けた事だけに、この感覚はしばらく残るだろう。

 

 というか今、お腹が空いているのは私だ。

 枕元の時計を見ると18:48とある…え?

 確か、あの場で伊達の治療を施していた時に、朝日が昇るのが見えた筈だ。

 という事は、大まかに見てもあの時点で朝の5時から6時の間くらい。

 つまり、少なくとも12時間以上眠ってしまっていた事になる。

 というか、もし日をまたいでいたら36時間以上なんだがそれは。

 そらお腹も空くわ。

 でも何よりも先に、お風呂に入りたい。

 ここのお風呂は十数人一度に入れる大きなお風呂の他は、邪鬼様の部屋にしか設置されておらず、ここに滞在していた時には、厳重に人払いされてから大きなお風呂を一人で使わせてもらっていた。

 いくらなんでも、今日はそこまで甘えさせてもらうわけにはいかないだろう。

 

 起き上がってから、ふと気づく。

 富士ではずっと制服姿だったものが、今着ているのは、ぶかぶかのTシャツの下は下穿き一枚のみ。

 サラシまで外されている。

 

 またこのパターンか、くそ。

 まあ塾長の時は全部だったから下穿き一枚残ってただけましだが、どいつもこいつも乙女の柔肌をなんだと思ってやがるのだ。

 見ると、私の制服はきちんと洗濯されアイロンがけもされて、寝台の横のサイドテーブルに置かれている。

 サラシも新しいものが用意され、制服と一緒に置かれていた。ありがたい。

 まあ、できればお風呂に入って綺麗になってから身につけたかったけれど。

 誰のものかは知らないが、着せられていたTシャツを脱ぐ。

 それから、新しいサラシに手を伸ばした時、唐突に部屋のドアが開けられた。

 

「ーーっ!?」

「……!!し、失礼した!

 まだ、眠っているとばかり…!」

「いいから黙ってむこう向いて下さい!」

 乙女の部屋にノックもなしに入ってきた金髪のスーパーリーゼントに、私は手にしていた脱いだばかりのTシャツを投げつけた。

 

 …どうやら私が寝ている間に、部屋に花を飾ってくれようとしたらしい。

 思いつくのが遅かったと苦笑いしながらセンクウが「持って帰って部屋に飾ってくれ」と手渡してくれたピンク色のバラの花束は、芳しくも爽やかな香りがした。

 

 ☆☆☆

 

 深夜11時を少し過ぎた頃、センクウに教えられた、男塾にほど近い一軒の日本家屋を、私は訪れていた。

 この場所は三号生が、依頼のあった要人警護の際、必要があれば対象者を避難させる為に使っている家だそうで、見た目に反して警備システムが完璧に整っているそうだ。

 渡されたカードキーで門を開けて中に入る。

 教えられた、一番広い部屋をそっと覗くと、4組の布団が敷かれ、そこに一人ずつ寝かされているのがわかった。

 

 豪学連側の闘士、伊達臣人と、その配下の三面拳。

 

 私の治療は、最終的にはまとまった睡眠時間を必要とする為、彼らはここに運び込まれた後、しばらくは目を覚まさないよう薬を使ってある。

 個人差はあるだろうが恐らくは、明日の朝くらいまでは目を覚ます事はない。

 

「…総長とお揃いにならなくて、良かったですね。」

 飛燕という男の顔に、傷が残っていないのを目で確認して、私はそう独りごちる。

 あの時すぐに治療したからまず残らないとは思っていたものの、見える場所だけに心配だった。

 雷電の全身の火傷も、月光の背中の刺傷も、経過は順調そうだ。

 …うん、我ながらいい仕事をした。

 それから最後の男に目をやって、思わずため息をつく。

 

 関東豪学連総長、伊達臣人。

 飛燕とはタイプが真逆だが、鎧兜を外してみれば、こちらも男らしく整った顔だち。

 その名の通り『伊達男』というわけか。

 それだけに頬に刻まれた、6本の古傷が本当に勿体無い。

 この傷だってついて直ぐに治すことができたなら、こんなに痕を残す事なく塞ぐ事ができたのに。

 しかしまあとりあえず、この闘いで負った傷は、全てではないが深いものは塞いでやったから安心しろ。

 この後に桃の治療が控えてるから、お前にばかり氣を取られるわけにはいかないが。

 ああでもせめて、この左腕に刻まれた、仲間の名前くらいは消してやろうか。

 死に別れたならともかく、全員生きているのだから、残しておく必要もあるまい。

 むしろ残しておいたら彼らの間で、黒歴史扱いになる可能性が高い。と、

 

「これは…!」

 何気なく取ったその左手首に、私にとっては馴染んだ文様が刻まれていた。

 もっとも私のは、鏡を使わなければ、自分では見えないけれど。

 六芒星をモチーフにしたそれは、私の背にあるものと同じ。

 御前のもとにいた時に一人だけ、同じ文様の刺青を、やはり左手首に持った少年がいた。

 そしてかなり余計な情報ではあるが、私はそいつが大嫌いだった。

 それはさておき、その刺青は、紛れもなく孤戮闘修了の証。

 つまりこの『伊達臣人』も、あの地獄を生き抜いた一人という事だ。

 

「うっ…。」

 伊達が呻いて身じろぎをする。

 はっとして、手首に集中していた意識をその顔に向ける。

 形のよい眉根が寄せられ、その目がうっすらと開いた。

 

「誰……だ?」

 掠れた声が誰何してくる。

 唇もカサカサだし、喉が渇いているのかもしれない。

 彼の手首から手を離し、枕元に置いた水差しを取ろうと手を伸ばす。

 だが、私のその手は水差しに届く前に、今離した手に捕らえられた。

 

「誰でもいい。そばにいろ。

 俺を……一人に、するな。」

 …どうやら、意識がはっきり戻ったわけではなさそうだ。

 その目は私の方を見ているようで、微妙に焦点が合っていない。

 それにしてもこの、鬼のように強い男の口から出てくるには、なんという意外な言葉であることか。

 だが、同じ刺青を持つ者として、私にはこの男の恐怖が理解できた。

 普段は心の奥底に沈めて、自身で意識する事すらないかもしれない。だが確実に存在するものだ。

 

 …自分が、最後の一人になる恐怖。

 最後の一人になってしまった、トラウマ。

 

 私たちがあの試練を抜けてきた事を知る者は、私たちの中にその恐怖がある事を知れば、きっと嗤うだろう。

 おまえが殺したのだろうと。

 自分以外全て殺し、勝手に一人になっておいて今更と。

 だけど、その事実を受け止めるには、その時の私たちはまだ幼すぎたのだ。

 男塾を出奔した時に一号生だったとするなら、伊達は私よりふたつ年上くらいだろう。

 あの少年は私よりひとつ上だったから、多分だが御前が孤戮闘を毎年行なっているとするなら、彼もあの子も私と同じ11歳くらいの時にあの地獄に放り込まれたのだろうから。

 それは実際にあの地獄をくぐり抜けた、私たちにしかわからない。

 わかってあげられるのは、今は私だけだろう。

 伊達は、本来なら私やあの少年同様、御前の手駒として生きる筈だった。

 それがどうにかして外の世界へと逃げ出して……三面拳と呼ばれていた他の3人、東洋系ではあるが恐らく日本人ではないと思われる事を考えると(飛燕という男に至っては、恐らくは中国とロシアの国境付近の生まれではなかろうか。なんとなくだが純粋なアジア系ではないような気がする)、彼らと知り合ったのは男塾に入るより前かもしれない。

 とにかく彼は、独りで強くなる事よりも、仲間を求めた。

 独りになる事は耐え切れなかった筈だ。

 そしてどのような経緯でか男塾に入り、そこで得た仲間を守ろうとして人を殺め、外の世界でまた仲間を求めて…遂には関東豪学連という組織をまとめ上げる立場になるまでに至った。

 だが、今はその地盤もない。

 総長が敗れた事で統率が乱れた関東豪学連は、現在工作員として潜り込んでいる三号生の手で、多分半年以内には空中分解する筈だ。

 元々は力によって支配されていた学校の集まりだ。

 その支配がなくなれば、本来あるべき姿に戻るだけだろう。

 だが…

 

「…大丈夫。

 あなたは一人になんかなりませんよ。」

 伊達はこの戦いで、1人、また1人と斃れてゆく腹心たちを前に、孤戮闘で植え付けられたトラウマを刺激された筈だ。

 左腕に刻んだ名前は、それに必死に耐えて、強くあろうとした、その心の揺れ。

 例え名前だけでもその身に刻んで、己が一人である事実を無意識に、認める事を拒否したのだろう。

 だけど、少なくとも、彼の腹心である3人は、現実にここに生きている。

 そしてこの先、もっと大勢の仲間を得る事になる。

『伊達臣人』は元々、仲間を守ろうとする思いが強い男だ。

 それは、彼が起こした男塾を去らねばならなかった事件が証明している。

 男塾に戻れば、きっと事実上の副筆頭のような立場になって、筆頭の桃を支える事になるだろう。

 

『奴は…全てにおいて秀でていた。

 何をやらせても完璧で、苦手なモンなんざなかった。

 だが、秀で過ぎてて、並ぶ奴が居なかった。』

 桃の存在は、その『並ぶ者』になり得るのだし。

 もう彼は一人になんかならない。

 一人になんか、させない。

 

「……本当に?」

「本当に。」

 私の言葉に『伊達臣人』は、少しだけ安心したように微笑んだ。

 まるで子供のようだ。

 いや、この状態は私にも覚えがある。

 恐らく今の彼は、孤戮闘終了時の少年に戻っている。

 …あの日、子供に戻った精神状態の私のそばには、赤石が居てくれた。

 不安に震える手を、あの大きく無骨な手で、しっかりと包んで握りしめていてくれた。

 …比べると私の手は小さすぎて、両手を使っても伊達の片手を、包み込むことができないけれど。

 

「さあ、もう少し眠ってください。

 あ、その前に…喉が渇いたでしょう?

 お水、ゆっくり飲んで。」

 先ほどの水差しからコップに水を注ぎ、伊達の背中を支えて、少し起き上がらせる。

 伊達は素直に私の手からコップを受け取った。

 その手の動きがまだ弱々しい。

 落とさないように、私の手で支える。

 

「ゆっくり…そう。まだ飲みます?もういい?

 …では、また横になって。

 もう少し眠りましょうね。」

 優しく声をかけながら、伊達の逞しい身体を布団に横たえる。

 一瞬不安げな目をした男の、少しだけ癖のある髪を、そっと撫でた。

 

「安心して。

 大丈夫…おやすみなさい、伊達臣人。」

 私の言葉に、『伊達臣人』はゆっくりと目を閉じた。

 

 ☆☆☆

 

 翌朝。

 

「どうやら全員、奴らに助けられたらしいな。」

「そのようです。ですが総長、これから…。」

「こうなった以上、俺はもう総長じゃねえ。

 伊達でいい。」

「いや、それは…。」

「うむ、いくらなんでも…。」

「なんだ?

 初めて会った頃はそう呼んでたじゃねえか。

 今更だ。それより飛燕。」

「…何です?」

「俺の髪、切ってくれねえか。若干鬱陶しい。」

「…わかりました。髪……!?」

「どうした?飛燕。」

「切った…筈なんです。

 あの富樫という男に掴まれたのを、こう、首の付け根辺りから、バッサリと。

 それが…確かに切る前よりは短いとはいえ、いくらなんでも…伸びたにしても、早すぎる。」

「…確かにな。俺も見ていたから、間違いない。

 それに、確かこっちの頬も切られていた筈だな?

 その傷も無くなってるぞ。」

「あ……!」

「伊達殿。

 拙者も、酸性の高熱泉に、あのJとか申す男とともに落下した筈。

 気を失う寸前、全身の皮膚の焼ける感触を、確かに味わい申した。

 それが……この通りでござる。

 全身に負った火傷が、これほど早く治癒する事など、あり得るのであろうか?」

「私の方も、氷の杭に貫かれた背中の傷が、何事もなかったかのように無くなっております。」

「……信じられませんが奴らの中に、常識を超えた治療術の使い手がいるという事でしょうね。」

「まさか…あのガキが…。」

子供(ガキ)?」

「ああ。

 俺が夜中に目を覚ました時に、ガキが1人、この部屋に居やがったんだ。

 …そうだ、今思えば、男塾の制服を着てやがった。」

 

 ・・・

 

「総長…いやさ、伊達殿。

 これを…今、玄関に置かれており申した。」

「何だ?開けてみろ。」

「これは…服?」

「……男塾の制服だ。フン、なるほどな。

 負けたからには、軍門に下れということか。」

「どうされますか、伊達殿。」

「…面白えじゃねえか。俺は応じるつもりだ。

 だが、お前たちは好きにしろ。

 俺と来るも、別れるも自由だ。」

「何を申される。

 我ら三面拳、この命と忠誠、伊達殿に捧げており申す。

 この命ある限り、どこまでもお供致す所存。」

「異論ありませぬ。」

「同じく。」

「…難儀な奴らだな。」



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2・祭の終わりの刹那の中で

朝チュン(笑)
はたから見れば充分BL。


「光?」

「……お疲れ様です、桃。

 傷を見せていただけますか?」

 真夜中の男根寮。

 本来なら一号生は寮の部屋を数人で使う(部屋数は余っているくらいなので、現在せめて2人一部屋くらいにさせるよう、塾長を通じて寮長に申し渡してある。多分近日中には改善される筈だ)のだが、私の治療の手を入れる事を考えて、今日は一部屋を臨時の救護室にして、桃を一人で休ませていた。

 つまりここは本来の彼の部屋ではない。

 さっき伊達と三面拳の様子を見舞ったのと同じように、桃が眠っている間に治療をしてしまおうと思っていたのだが、予想に反して桃は私が訪ねた時、こんな時間になっても、まだ眠っていなかった。

 疲れ切っている筈なのに、戦いの余韻でもあるのかもしれない。

 正直、己の中に引っかかるものがあるせいで、この子と今日はまともに顔を合わせたくはなかったのだが、会ってしまったものは仕方ない。

 一通りの治療を施してから、睡眠導入剤を飲ませる。

 これで、明日には完全回復している筈だ。

 

「これで終了です。

 後は今夜一晩、ぐっすり眠ってください。

 では、失礼。」

 だが、その場を辞すべく立ち上がりかけた私に、桃が少し訝しげに声をかけてきた。

 

「光…なんか、怒ってないか?」

 …鋭いなコイツ。

 いや、とりあえずここは、笑って誤魔化すことにしよう。

 

「いいえ全然。おやすみなさい、桃。」

 仕事用の顔で微笑んで、強引に話を終わらせようとする。

 大抵の男はこれで誤魔化されてくれるんだが。

 

「待てって。

 このまま置いてかれたら、気になって眠れやしないぜ。」

 …やはり桃は『大抵の男』ではないか。

 ていうか、全身の傷の治療を終えたばかりだから仕方ないのだが、下帯いっちょで詰め寄るのはやめて欲しい。

 

「ご心配なく。

 先程の薬が効いてきたら、嫌でも眠れますよ。

 はい、布団に戻りなさい。」

「やっぱり何か怒ってるだろ?

 俺が何かしたんなら謝るから、理由を言ってくれ。」

 私が立ち上がって背を向けると、桃は私の肩に手をかけ、強引に彼の方を向かせた。

 

「…手を離しなさい、『剣』。

 私に、怪我人を攻撃させないでください。」

 軽く睨みながら、脅すように言うと、何故か桃は、悲しそうな目で私を見つめて言った。

 

「……嫌だ。

 おまえにそんな顔をさせたままで、離せない。」

 …そんな顔って、私がどんな顔をしていると言うんだ?

 そんな疑問が湧いたが、何故か私の口からは、別な言葉が漏れ出した。

 

「一号のみんなの手は離そうとしたくせに?」

「え?」

 言ってしまった。

 言わずにおこうと思っていたのに。

 だけど、言ってしまったら、もう止まらなかった。

 

「このたびの『驚邏大四凶殺』、戦っていたのは、あなた方4人だけではありません。

 松尾も、田沢も、極小路も、他のみんなも、全員があなた方と一緒に、命懸けで戦っていた筈です。

 それなのに…勝ち残って、拾った命を、あなたはそのまま捨てようとしましたよね?」

 そりゃあ桃の気持ちだってわからなくはない。

 一応全員の命を助ける為に私たちが裏で暗躍していたとはいえ、彼はその事を知らず、仲間を全員失ったと思っていたのだ。

 だけど彼の『仲間』は、一緒に『驚邏大四凶殺』を戦った三人だけだったか?

 答えは否。

 だから、それだけは、どうしても許せなかった。

 

「光…おまえが、何故その事を…?

 …いや、そうだ。J、富樫、虎丸…あいつらの負った傷、本来あんなもんじゃなかった。

 治せるとしたら、おまえだけだ。

 …ずっと近くで、見ていたのか。

 俺たちの戦いを…!」

「そんな事はどうだっていいんです!

 ねえ、あの子達が、あなたが生きて帰ってきた時に、どれだけ喜んだことか、その場に居なかった私にだって判る事、あなたはもっと判りますよね?

 あなたは彼らの、その手を離そうとしたんですよ?

 それって、裏切りと同じじゃないですか!」

 違う。こんな事が言いたいんじゃない。

 裏切っていたのは私だ。

 そもそも私は桃には、いつか償わなければいけない負い目がある。

 それをせめて謝る事もさせないまま死のうとした事に、理不尽に腹を立てているだけ。

 全部、私の我儘だ。

 それでも、わかっていても私は、桃を責める言葉を、止める事ができなかった。

 私は、ひどい女だ。

 だから言いたくなかったのだ。

 冷静に話せない事が判っていたから。なのに。

 

「すまなかった…光。」

 ひどいのは私なのに。

 どうして謝るんだ。この男は。

 

「私に謝ったって仕方ないでしょう。

 もっともこんな事、あの子達には言えやしない。」

 だから、違う。そうじゃない。

 

「だからだ。

 俺の浅慮のせいで、あいつらの心全部、おまえ一人に背負わせるところだった。

 だから…すまない。」

「…ほんとですよ。私、関係ないじゃないですか。

 あの子たちのことを考えるのは、筆頭であるあなたの仕事でしょう。

 なんで私が、そこまで背負わなきゃいけないんですかっ…!」

 言いたくないのに。傷つけたくないのに。

 なんで私の口からは、こんな言葉しか出てこないんだ。

 なんで涙が出てくるんだ。

 そんなどうしようもない状態の私に、桃は両腕を伸ばすと、背中に掌を触れた。

 気がつけば、私は、桃の腕に抱き寄せられ、その胸に優しく抱きしめられていた。

 

「そうだな。

 本当に…悪かった。そして、ありがとう。」

 深く落ち着いた声が、耳に心地よく響く。

 触れた胸板から、心臓の鼓動を感じる。

 なにより、穏やかで心地良い氣が、身体全体を包んでくる。

 

 ああ、桃は、間違いなく、ここに生きている。

 そのことをもっと実感したくて、私は桃の身体を抱き返した。

 

「桃が…あなたが生きていてくれて、本当に…良かった。

 帰ってきてくれて…良かった。」

 つまらない意地も、悔恨も、怒りも、取っ払ってしまえば、結局最後に残ったのはこの気持ちだけだった。

 

「お帰りなさい…桃。」

「ああ。ただいま、光。」

 

 と。

 突然、桃の体重が、私の方にかかってきた。

 

「…?」

「……なんだ?急に、眠く…」

 ああ、そういうことか。

 

「薬が効いてきたんですよ。

 はい、今度こそもう横になって、ゆっくりおやすみなさい。」

 倒れかかる彼の身体を支え、布団のある方に導く。

 そうしたつもりだった。だが。

 

「…光も。」

「え?」

「光も、一緒に…。」

「いや、何を言って…ちょ、桃!!」

 桃に肩を貸して布団に連れていき、中に押し込んだ筈が、桃は私の身体を離してくれない。

 何をどのようにされたものか、私は桃と同じ布団に引き込まれ、胸に彼の頭を乗せられていた。

 

「頼む。もう少し…このまま、居てくれ。

 俺が、眠るまででいい、から…。」

「桃……。」

 …唐突に、御前のところに来たばかりの頃、豪毅が熱を出した事があったのを思い出した。

 女中さんの世話を何故か拒み、私を呼んだ彼は、やはり眠るまででいいと言って、私の手を握って離さなかった。

 あの日は結局彼と一緒に眠って、後で女中さんに甘やかすなと小言を言われたものだ。

 けど、純粋に私だけを頼って、必死に伸ばしてくるその手を、振り払う事が出来なかった。

 …今も、同じだ。

 

 ・・・

 

「寝た…よね?」

 規則正しい呼吸を確認して、私はそっと身体をずらす。

 桃の頭を持ち上げ、その下に枕を当てがって、這うようにして桃の身体の下から脱出した…つもりだった。

「っ!?」

 寝ている筈の男に、唐突に、両手を掴まれ、再び引き寄せられた。

 先ほどまでより堅固にホールドされ、抑え込まれる。

 元々体格差があり過ぎるのだ。

 完全にのしかかって来られたら、私では抵抗しようがない。

 しかも一番肝心の手を押さえられている。

 

「ちょ、桃!起きてるんですか?」

 私の質問に桃は、私の耳元で相変わらず規則正しい寝息で答える。

 どうやら眠っているのは間違いないらしい。

 って、これもう、寝相が悪いとかいうレベルじゃないだろ!

 ていうか、心なしか脚にさっきから……当たっているのだ。

 何がって?聞くな。

 

「こ…困った。どうしよう。」

 あまりの事に、覚えず半泣きになる。と、

 

「…どうした?」

 聞き覚えのある声が、部屋の入り口から低く響いて、私は凄く苦労して顔をそちらに向けた。

 

「塾長!」

 ほんの二日ばかり顔を合わせなかっただけなのに、なんだか随分久しぶりに会ったような気がする。

 塾長は私の置かれている状況を目の当たりにし、何故かニヤリと笑って言った。

 

「これはまた、随分と大胆な真似をしているのう。」

 ヤメロ。ていうか、指導者なら止めろ。

 

「呑気に笑ってないで助けてください!」

 思わず強く言ってしまってから、慌てて声のトーンを落とす。

 

「…あの、できれば剣を起こさないように、そーっと。」

「それは、なかなか難しい注文だな。」

「眠るまで一緒に居てくれって言われて、寝たと思ったら抱きつかれて。

 ここで起こしたら、また最初からやり直しですから。

 強制的に寝かしつけるにしても、まずは腕が自由にならないと。」

 私が状況を説明すると、塾長は顎をさすりつつ、屈んで私の顔を覗き込んだ。

 

「ときに、この後ここを出たら、貴様はどうする?」

 …塾長が訊ねながらニヤニヤ笑う。

 この顔はなんか企んでる顔な気がするが、今は考えても仕方ない。

 

「え?勿論、他の子たちの様子を見に行きます。」

「…それは必要なことか?」

「治療は完璧に施してありますから、心配ないとは思いますが、念の為。」

 私の答えを聞くと、塾長は立ち上がり、

 

「…どうやら、このまま捨て置いた方が良さそうだな。」

 と言ってから、入ってきたドアに身体を向けた。

 

「えっ!?」

「これほどの男に甘えられるなど、女冥利に尽きるであろうが。

 今夜はこのまま、剣の隣で、おとなしく休んでおれ。

 貴様に倒れられたら、明日からの仕事が立ち行かぬわ。

 何せ、三号生どもに貸している間に、日々の事務仕事は溜まる一方だからな。」

 …なんか鬼のような事言われた気がするが、それよりも。

 

「そんな、塾ちょ…」

「ほら、騒ぐと剣が目を覚ますぞ?」

「うっ…!」

 もう一度ニヤリ笑いを私に向けてから、塾長はドアノブに手をかける。

 

「ま、待ってください。

 もし、万が一、剣が私に無体な真似をしてきたら、どう責任をとっていただけるんですか…。」

「その場合、責任を取るのは剣だろうて。

 逃げようとて決して逃がさぬから安心しておれ。」

「違う、そうじゃない…!」

「フフフ、わしが男塾塾長江田島平八である!」

 …もう泣いていいだろうか。

 

 ・・・

 

 あったかくて気持ちいい。

 ぽかぽか陽気の中で、草原に寝転がって、流れる雲を眺めながら眠ったら、こんな感じだろうか。

 

「………る。光。」

「………………ん?」

 誰かに名前を呼ばれ、重たい瞼をなんとか開く。

 まだ夜も明けぬ薄暗闇の中、目の前のものに焦点を合わせると、無駄に端正な顔が間近で微笑んでいた。

 

「おはよう。ずっと居てくれたんだな。」

「………っ!!」

 思わず飛び起きて、自身の状況を確認する。

 結局あのまま、私は眠ってしまったらしい。

 

「心配すんな。何にもしてやしないぜ。」

 桃がからかうように笑いながら言う。

 

「あ、あたりまえです!…怪我の具合は?」

 …見た感じ、顔色は悪くないようだが。

 

「フッ、おまえが治療してくれたんだ。

 悪くなってるわけがないさ。」

 桃がそう言って私に向けたのは、完全に信頼しきった目だった。

 

「良かった…。」

 思わず、ホッと息をつく。

 何せ、昨日の私は冷静ではなかった。

 今更治療の手が感情に影響されるとは思わないが、判断を間違う恐れはある。

 そんな私に、桃は手を伸ばすと、右の掌を私の頬に触れた。

 ほんの少しの間そうしてから、名残惜しそうに手を離す。

 

「…まだ夜明け前だ。

 他の連中がまだ目を覚まさないうちに、光は自分の部屋に帰った方がいい。

 …前に昼寝の件で俺と、おかしな噂が立っちまったからな。

 これ以上は嫌だろう?」

 …あの件はおまえ、自分でも煽っただろ。けど。

 

「…あ。そうですね。お気遣い感謝します。」

「いや…俺が引き止めちまったからな。

 でも、居てくれて嬉しかった。

 ありがとう、光。」

 そう言って、何故か幸せそうに優しく微笑んだ顔が一瞬だけ、かつて私が殺めた人の顔と重なった。

 私が見たその男の、最後の笑顔と。

 そう思ったら見ていられなくて、私は桃に背を向けた。

 

 そんなに優しい目で、私を見ないで。

 壊れてしまいそうだから。



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3・幾つもの偶然が君を想い出に変えるその前に

フラグ立てというよりは小ネタかもしれん。


 富樫に差し入れを持っていきつつ傷の状態を見て、心配なしとの判断を下した後、虎丸のいる部屋を訪ねた。

 虎丸の入寮は『驚邏大四凶殺』の戦いの後になった為、今は空いている部屋を一人で使っているらしい。

 近々部屋割の再編成があるので、その時に改めてルームメイトが決まる事になるだろうが。

 彼は脚を骨折しているのだが、腹部の傷の方が大きかった為、今はそちらを優先して治療している。

 彼の場合何回かに分けて治療を行う必要があるので、しばらくはまた毎日、彼のもとに足を運ばねばならないだろう。

 まだまだ、虎丸との縁は切れそうにない。

 

「…やっぱり、おまえだよな。」

「え?」

 今日の治療が一通り済んで、帰ろうとした時に、それまで黙っていた虎丸が口を開いた。

 

「まず礼は言っとくぜ。

 半年間、メシ運んでくれて、ありがとな。」

 うは。やはりバレてた。

 多分だが、『驚邏大四凶殺』に挑む前、私をじっと見ていたあの時には、もう気付いていたのだろう。

 

「…どの時点で、なにから気付いたんです?」

 私のメイク術は完璧な筈だ。

 顔の印象だけで気付かれた可能性は低い。

 桃が、私の癖を見抜いて『彼女』を私だと判断した時のように、私が何かヘマをしたのだ。

 自分では気付かないうちに。

 

「匂い。」

 だが、虎丸の答えは、私にとっては一番意外なところをついていた。

 

「えっ…。」

 思わず自分の腕を鼻に近づけて確認してしまう。

 その行動を見て、虎丸は小さく笑った。

 

「今はしねえよ。

 出発前に、あの人からだって言ってメシ並べてくれてた時、おまえからあの人の匂いがした。

 そんでもあの時点じゃあ、まだ半信半疑だったけどな。」

 …そうだ。あの日は桃に頼まれて、急いで虎丸の食事を持って行った。

 その際化粧は落としたけど、シャワーを浴びる時間がなくて。

 そしていつも、虎丸のところに行っていた時に使っていた白粉は、微かに香りがついていた。

 …迂闊だった。

 

「それに、その技。

 効果は違うかもしれねえが、受けた時のピリッとした感覚は一緒だった。

 印象は全然違うけど、そう思って見りゃよく似てるし、身長もそういやそのくらいで…もう、別人だって思う方が不自然だろ?」

 やはり虎丸は頭がいい。

 なんにも考えてないようで、意外と考えてる。

 考えてるようで考えてない時もあるが。

 

「…そう、ですね。」

 完全に敗北を認めた私の肯定に、虎丸は大袈裟にはぁっと息を吐いた。

 

「でもなぁ…おまえ、なんでわざわざ、女の格好なんてしてたんだよ?」

「は?」

「それに、俺に隙を作る為とはいえ、男同士でほっぺにちゅーとか、やりすぎだろうが。」

「へ?」

「てゆーか、おれ本気で、あの人に憧れてたんだぞ。

 おれの純情返せよ、オイ。」

「ほ?」

「ちっきしょーー!!

 よりによって男に…騙されたーーーっ!!」

「!?ごっ、ごめんなさいーーーっ!!」

 …奇跡的に、はてしない誤解によって、私が女であるという事実を虎丸に知られずに済んだ。

 済んだのだが…うん、なんか、私の中ではかなり複雑だ。

 

 ☆☆☆

 

「ガッハハハ!

 なんだよ、それじゃ光、わざわざ女装までして、懲罰房に通ってたのか!?」

 騒ぎを聞きつけて何事かと駆け寄ってきた富樫や他の一号生が、事情を聞いて大笑いする。

 

「…塾長命令だったんですよ。

 女の格好で行けば、虎丸は絶対に暴れないからって。」

「…まあ、確かにその通りだったけどよ。」

 私の説明に虎丸は、左手の人差し指で頬を掻いた。

 そして、何故か右手は私の腰を抱いていて、さっきから何度離れようとしても、その度に引き寄せられていた。何だ?

 

「ていうか、わしらも見てみたいのう。

 光の女装。」

 松尾が私を見て、ニヤニヤ笑いながら言う。

 

「…やめてください。

 単なるお目汚しで、見せるほどのものではありません。」

 多分この件は、私がここにいる間は、黒歴史としてついてまわる話となるだろう。

 それが判っている事に、これ以上の上塗りをするつもりはない。

 

「そんな事ねえよ!すっげえ美人だったぞ!」

 虎丸がそう言いながら、何故か嬉しそうに私に背中から抱きついてきた。いや、ちょっと。

 

「何故でしょう。

 そんな事を褒められてもまったく嬉しくないのは。」

 というか離せ。

 

「…虎丸。いい加減光から手を離してやれ。」

 そんな私の心の声が聞こえたわけではないだろうが、Jが虎丸に声をかける。が、

 

「んー?いいだろ、別に。

 男同士なんだし、こいつスッゲー抱き心地いいし。」

「…問題発言やめてください、虎丸。」

 つか、ほっぺにちゅーはアウトなのに男同士で抱きつくのはいいのか?

 おまえの基準、どうなってるんだ。

 

「やめろ!

 光さんに抱き付きたいのは虎丸だけじゃないぞ!」

「椿山、それ助け舟になってません…!」

「…抱き付きたいとは思った事はないけど、ほっぺとかスゲー柔らかそうとは、いつも思ってんな。

 この際だから俺も触っていいか?」

「え?…極小路?」

「あーわかるわかる。髪もサラサラじゃしな。

 ちーっと触ってみたいと思う事は、わしもたまにあるのう。

 どれどれ…うん、やっぱりすべすべのサラッサラじゃあ!」

「…ま、松尾?」

「光は、その辺の女の子よりよっぽどべっぴんじゃからな。

 肌なんか男とは思えないくらい綺麗じゃしのう。

 光が塾長の息子じゃなく俺らと同じ塾生で、一緒に風呂とか入っとったら、確かに我慢できずに抱きついたりしてるかもしれんな。」

「ええっ、た、田沢っ?

 ……ギャーーー!と、富樫、助けてください!!」

 唐突に妙な展開に突入し、私は富樫に助けを求めた。

 が、その富樫は何故か学帽を深くかぶり直しながら、更に衝撃的な発言をする。

 

「…すまん、光。この際だから謝っとく。

 俺、いっぺんだけおまえで抜いた…!」

「その告白、今する意味あります!!?」

 思わずつっこんだが、何故かその富樫の発言に、他の一号生が次々と挙手した。

 

「富樫、大丈夫だ!

 それだったらここにいる全員、一度は光をネタに使ってる!」

「えええっ!?」

「いやあ、わしらの身近にいるだけあって、反応とか声とかもリアルに想像ができるから、ついな。

 ハハハ…。」

「なんて事だ…知らない間にこんなに大勢の男の脳内で、光さんが汚されている…!」

「椿山なんて、1回や2回じゃないだろ?」

「当たり前だ!

 俺は妄想の中だって光さん一筋だ!

 今なら断煩鈴をやらされても、鈴を鳴らさない自信がある!」

「光の写真使われたらアウトだろうが!」

「ああーっ!!」

 …うん、ここはいわば閉鎖空間で、そこに独特の空気感が生まれてくるのは理解できる。

 多分私が彼らの中でも『女』であったなら、実際に同じ事をしていたとしても、彼らは私本人に対して、それを告げる事はしないだろう。

 私を『男』だと思っているからこそ、こんなにあけすけにそれを口にするのだ。

 そして、女と違い定期的に生理で排出されない、使わずにいれば劣化するだけの生殖細胞を、自力で排出しなければならない肉体の構造も理解できる。

 

 けど…けどね?聞きたくなかったよ?

 そんな、若者のリアルな下半身事情とか。

 そして『男』の私も、この閉鎖空間では充分に、性欲の対象になり得るという、恐ろしい事実とか。

 もう、半泣きになってたら、私を抱いたままの虎丸が、

 

「何だよ。モテモテだな、光。

 さすがはおれが見込んだ男だぜ!」

 …何か変な事言い出したこの子。

 

「だが、おれには女装姿の光っちゅー、お前らにはないネタがある!

 懲罰房ん中じゃ、ンな余裕はなかったが、今夜早速使うことにするぜ!」

「うおおーー!虎丸の脳内覗きてえー!!」

「というより、このまんま今から、光を女装させてみんか!?」

「そりゃいい考えじゃ!

 愕怨祭の準備の時に、倉庫に演劇用の衣装があったの見たぞ!」

「虎丸、独り占めはなしだぞ!」

「チッ、仕方ねえな。」

 って、なんか変な方向に話進んでるーーッ!!!!?

 

「う……うわーーーん!

 J、助けて!ここにケダモノの群がいますー!!」

 もう本気泣きで、ちょっと離れたところで困った顔してるJに向かって叫んだら、

 

「…あ、助けに入って問題ないのか?

 ひょっとしたらこれは日本の文化なのかと、少し悩んだのだが…。」

 となんかボケた答えを返され、本人意図してないだろうが、トドメ刺された感じになった。

 

「そんなわけあるかーーーっ!!」

 …結局、私はJの手で虎丸の腕から救出された。

 

 Jは私が女だって事を知っている筈なんだけど、なんか時々忘れるっぽい。

 というかどうも、私と兄を同一視してしまう時がまだあるようだ。

 プンスコしてたら送られて帰ってきた執務室で謝られ、あのデカい手でアタマ撫でられた。

 許す。

 

 …桃はこの時、部屋でまだ眠っていたそうだ。

 後で事情を聞いた時に、

 

「…光が助けを求めたのがJで良かったな。

 これが赤石先輩だったら、三年前の事件の再現になってたぞ。」

 って言って皆を恐怖で凍りつかせ、改めて『光に対する下ネタ禁止』を言い渡してくれたらしい。

 てゆーかソレ私も怖いわ。

 まあ、場所が男根寮内だし、偶然赤石が通りかかる事とか絶対ない場面ではあったにせよ。

 

 ☆☆☆

 

『驚邏大四凶殺』の参加闘士4人には、1ヶ月の休養期間を与える事となった。

 その間に私はまた天動宮に呼び出され、伊達と三面拳が入塾を承諾した事、それに伴い関東豪学連が解体した事などを告げられて、労いの言葉を貰った。

 

「我らの提案を受け入れ、『驚邏大四凶殺』を執り行っていただいた事、塾長には大変感謝していると伝えてくれ。」

 と言われたんだが、正直めんどくさいと思った。

 塾長と三号生、とりわけ邪鬼様との関係は未だによくわからない。

 だがとりあえず、面子だのなんだのが色々絡んで、実にどうでもいいところで複雑化してるのはなんとなくわかる。

 男って本当にめんどくさい。

 あと、その際に死天王より階級は下になるがやはり三号生の主戦力ではあるという3人を紹介された。

 そのうち一人は、確か初めてここを訪ねた際に会った片目の男だった。

 名を独眼鉄というらしい。

 …そのまんまじゃねえか。

 あと、病んだ雰囲気と鍛えられた身体が全く合っていない長髪の男が蝙翔鬼、シルクハットを被り鞭を持った、多分道で会ったら即座に通報しそうなチョビヒゲ男が男爵ディーノ。

 この3人は普段、天動宮の門番のような事をしているらしく、私が最初に独眼鉄と会った時も、その業務の一環だったそうだ。

 あのまま進んで、蝙翔鬼と男爵ディーノが出す課題をクリアしてから開く奥へと進むのが本来のルートだったそうだが、私の場合まず羅刹に取次ぎを頼んでいたから、残りの過程をスルーできたわけだ。

 ……後で赤石に改めてお礼言っとこう。

 彼が羅刹に仲介を頼めと教えてくれてなかったら、邪鬼様と会う前にとんでもなくめんどくさい試練課せられていたっぽい。

 

 ・・・

 

「もっと氣の総量を増やす必要があろうな。

 6人目の治療の後に一度倒れたと聞いたぞ。

 俺が着いた時は二度目だったという事か。」

「うち1人はほぼ無傷に近い状態でしたので、実質5人です。」

 …そう、伊達の治療を終えた直後、倒れた私を受け止めて、抱き上げたのは邪鬼様だったそうだ。

 最初に会った時といい、この人は私を随分子供扱いしていると思う。

 

「それでも以前よりは、だいぶ増えた方だと思っていたのですが。

 まだまだ修行が足りません。」

 つい自分の掌を見つめながら、ため息まじりに反省する。と、

 

「…フッ。」

 思わず、といった風情で笑った声に見上げると、謎に微笑む邪鬼様と目が合った。

 …いつもこの人を見るたびに感じる、豪快な見た目とは裏腹な、『儚い』という印象は、一体何なのだろう。

 

「…何か?」

「いや…貴様を見て、いずれ我が子も同じ悩みを抱えるようになるのかと、つい思ってしまっただけだ。」

「邪鬼様には、お子さんがいらっしゃるのですか!?」

 初耳だ。だが邪鬼様は30前くらいの筈だから、年齢的には全くおかしくない。

 

「息子が一人。数えで三才になる。

 春に元服の儀を終えたから、大豪院家の習わしでは既に成人だ。

 俺のような特異体質の持ち主ではない故、修行で総量を増やしてもいずれは壁にぶち当たろうがな。」

 いや3才で成人って…てゆーか数えって言った!?

 て事は事実上は2才、生まれ月によってはそれにも満たないって事なんですがそれは。

 そもそも今の時代に元服の儀とか、しかも大豪院家の習わしとか、いやな予感しかしない。

 どういうふうに想像しても、児童虐待の絵面しか浮かんで来ない。

 いや待て。その状況、母親はどう見てるんだ?

 子供がいるって事は、その母親がいるって事だよね?

 つまり邪鬼様の奥さんが。

 

「ええと…その儀式の事とか、奥様は、どのようにおっしゃってるんですか?」

「奥様…?」

「ええ、邪鬼様の。」

「息子の母親という意味ならば、もうこの世には居らん。

 子を産んですぐに死んだ。」

「えっ…も、申し訳ありません。」

「いや…だが、そうか。

 俺の息子の母親だから、俺の妻と呼んでも、おかしくはないというわけか。」

「邪鬼様?」

「…遠縁の女だった。

 俺の精通の儀の相手になった後、一度嫁して戻ってきて、本家の長である俺の父から、俺の子を産むよう命じられたもので、少なくとも向こうには、俺に対する感情はなかった筈だ。

 だが、嫁した先で産んだ娘を引き取る事を条件に、俺の子を産む事を承諾した。

 …そうでなければ、もっと長く生きられたであろうものを、な。」

 …聞かれてもいない事をしみじみと語り出した邪鬼様の言葉は、半分くらいは私には理解できない話だった。

 多分だがこの人、すごく特殊な環境で育っていながら、自分ではその自覚がない。

 だが、それでも一つだけ、理解できた事がある。

 その人は多分だが、邪鬼様にとっては『初恋』の人であったのだろうという事。

 そして邪鬼様は、己が抱いてるその人への感情を自覚しないまま、その人を失ってしまったに違いない。

 それでも、子供のことを話した邪鬼様の顔には、何処か誇らしげな彩が見えた。

 それは親としての感情なのか、それとも愛する人と形を残せた男としての自信なのか。

 この人から見ればまだ子供の私にはわからない世界だけれど。

 

 …ん?私を見て息子を思い出した?

 この人本気で私の事、子供だと思ってるんじゃない?



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4・君が眠れぬ夜のため

「光どの。塾長なら出かけられましたぞ。

 今日はお戻りになられぬ筈です。」

 塾長室のドアの前に立ち、ノックをしようとしたら鬼ヒゲ教官に声をかけられた。

 

「え?そうなんですか?ありがとうございます。」

 今日は久しぶりに塾長と一緒にお昼ご飯を食べようと思ったのに。

 お弁当を片手にちょっと途方にくれる。

 執務室に戻って一人で食べてもいいけど、今日はお天気もいいし、校庭に出て外で食べようか。

 虎丸の治療と編入生4人を入れる部屋の清掃…のついでにこれから部屋割を変える為今後使う事になるだろう空き部屋の清掃(本当はこれは寮長の仕事だと思うんだけど)で、毎日男根寮に通ってるから顔だけは合わせてるけど、今は桃もJも休養期間中で登校してきてないから、あの桜の下には誰も居ないだろう。

 あそこで食べることにしよう。

 

 …と思ったら先客がいた。

 かなり癖のある眩しいほどの銀髪。

 太く長い手脚、大きな腰骨。

 2メートル近い長身と逞しい体躯。

 大きな右手が、背に負った刀に手をかける。

 左手が反対側から、鞘を引く。

 すらり。巨大と言えるほどの刀身が姿を現す。

 その巨大な刃が閃いたかと思えば、次の瞬間、空間が桜色に染まった。

 はらはらとこぼれていた季節はずれの桜の花弁が、一瞬にして細断されたのだ。

 

「チ……一枚逃したか。」

 なんて舌打ちしてるけど、ソレ自体人間業じゃありませんから。

 そもそも私の目には、最初の一閃しか見えていなかったけれど、花弁は一直線上の空間にあったわけじゃない。

 ひとつの動きだけで、無数の花弁を細断するのは不可能だ。

 つまり私の目が捉えられない速さで、もっと複雑な動きがあったということだ。

 私が呆然と立ち尽くしていると、その男は巨大な刀を鞘に収めながら私を振り返った。

 

「…ちんまい気配がすると思えば、やっぱりてめえか、光。」

「お疲れ様です、赤石。

 出発前の約束、果たされちゃいましたね。

 つか、ちんまいとか言うな。」

  二号生筆頭・赤石剛次は、私の言葉にニヤリと笑った。

 会ったばかりの頃ならば怖い笑みだと思ったろうが、今の私には、それはひどく優しいものに見える。

 慣れというのは恐ろしいものだ。

 

「何してやがんだ、こんなところで。」

「塾長がいらっしゃらなかったので、ならばたまには外でお昼をいただこうと思って。

 まあでも、あなたが邪魔だと言うのであれば執務室へ戻ります。」

「邪魔だなんて言っちゃいねえだろうが。

 好きにしろ。」

 許可が出たので、樹の根元に腰を下ろす。

 ああは言ったが、駄目だと言われる事は最初から想定していない。

 そろそろ甘やかされてる事は自覚してる。

 

「はい。赤石も好きにしていてください。」

 私が言うと何故か赤石は、私の隣に腰を下ろした。

 水筒に淹れてきた冷たいお茶を、カップに入れて差し出すと、受け取って一気に煽る。

 運動した後ですもんね。水分補給は必要です。

 でも同行者の想定をしていなかったのでカップはひとつしかなく、返された同じカップに自分の分を入れて飲んだら、ちょっと目を見張るような表情された。

 わかってますよ間接キスって言うんでしょこういうの。

 いいんですよ別にどうせ赤石だし。

 これが桃相手なら少しは意識するかもだけど赤石だし。

 

「…ちっこい弁当箱だな。

 そんなんで足りんのか。」

 ちょっと呆れたように赤石が言う。

 

「実際にはこれだと多いくらいです。

 いつもは塾長と一緒に食べるんですけど、私の作るものが口に合うらしくて、結構な量を横取りされるものですから、いつも少し多めに用意してます。」

 最近は天動宮に呼び出されたり男根寮に行ってたりしてお昼時にゆっくりご飯を食べる事自体ができなくて、だから今日は久しぶりに塾長と一緒にお昼ができると、ちょっと楽しみにしていたのだけれど。

 ちなみに今日は鮭の西京焼きと、ひじきと豆の炒め煮、カブのぬか漬け、ご飯はきのこの炊き込みご飯。

 あと甘い玉子焼きは鉄板だ。

 

「…ふうん。」

 なんか企んでる顔だと、気付いた時は遅かった。

 

「あっ…!」

 赤石は私の箸から玉子焼きを奪い取り、自分の口に放り込んだ。

 塾長だけじゃなくお前もかこの野郎。

 しかも弁当箱からじゃなく、今口に運ぼうとしたものを箸から盗るとか鬼か。

 …てゆーか赤石って、風貌は鬼っぽいよね。

 しかも首領格。

 だから『桃太郎』に退治されたのか。

 そんなしょうもないことを考えていると、

 

「………甘い。」

 すごく当たり前のことを言われた。

 

「…でしょうね。」

 私の玉子焼きはとてもシンプルだ。

 砂糖に、それを引き立てる塩が少し。

 隠し味のだし汁も、入れすぎると焼く際の卵の形成を邪魔するから、ほんの少ししか入らない。

 対して、味のメインになる砂糖は結構たくさん使う。

 

「だが悪かねえ。

 黄色いのに甘かったから少し驚いたがな。

 うちの祖母さんは甘いのも出し巻きも両方作ったが、甘いやつは若干黒っぽかったんで、未だにそのイメージが抜けねえらしい。」

 …ひとつ判ったのは、赤石に家庭の味を提供してきたのは、お母さんではなくお祖母さんだという事。

 

「…黒?黒砂糖か、お醤油でしょうかね。」

 問いかけながら、弁当箱のフタに2片取って渡す。

 これが一番塾長に取られる率が高いので、多めに用意してるのだ。

 少しくらいなら分けてやってもいい。

 だが箸から盗るのだけは勘弁して欲しい。

 地味にダメージがくる。

 

「祖母さんはもう死んじまったから確かめようがねえが、多分両方だな。

 今思えば、黒糖の変な雑味は確かにあった。

 …俺は、てめえの味の方が好きだ。」

「それは…どうも。」

 …なんなんだこのむず痒い感覚。

 

 

『麻耶の料理は、確かに美味いんだが、それ以上にホッとする味だな。

 これ、嫌いな男は居ないんじゃないか。』

 

 

 …なんでこんな時に、あの人の言葉なんか思い出すんだ。

 確かに若干引っかかる部分はあったにせよ、私が手にかけた数多の男の中の一人に過ぎないのに。

 しかもその言葉は私ではなく、あくまで私が演じていた水内麻耶という女性に対しての言葉なのに。

 …何か、思い出してはいけないことを思い出してしまいそうだ。

 

 ………。

 

「……何考えてる。」

 ふと気づくと赤石が、何か痛いような顔して私の顔を覗き込んでいた。

 

「?別に、何も。」

 そういえば、何か思い出しかけていた気がするけど、何だっただろうか。

 

「嘘つけ。今にも泣きそうな目ェしやがって。」

 泣きそう?私が?何を言っているんだこの男は。

 

「見間違いでしょう?私にはなんの事やら。」

 嘘なんかついていない。

 赤石はそんな私を、恐い目でじっと見つめていたが、やがて小さくため息を吐いた。

 

「…そうだな。自分じゃ気がついてねえんだろう。

 だがてめえは時々、そんな目をする。

 そんな時は決まって、今そこにあるものじゃなく、何か遠くを見てるような表情をした後だ。

 …何を見て、何を考えてる?」

「赤石…?」

「何を抱え込んでんのか知らねえが、言ったろう。

 1人じゃ重てえ荷物なら誰かに頼れと。

 ここに、てめえの目の前に誰がいる?

 ちゃんと見ろ。」

 言うと赤石は、両手で私の頬を掴み、私の顔を強引に自分の方に向けた。

 心なしか、顔が近い。

 赤石は鼻梁が高いから、あとほんの少し近ければ確実に鼻がぶつかるだろう。

 

「…こんなに近いと却って見えませんが。」

「………黙ってろ。」

 なんでだよ。

 

 ☆☆☆

 

 面白くねえ。そう思ってた。

 むしゃくしゃして刀を振るってたら、やはりどうも調子が出ねえ。

 そんな中、後ろに小さい気配を感じて、振り返ったら光がいた。

 例の『驚邏大四凶殺』の前日に会って話してる筈なのに、随分久しぶりに会ったような気がする。

 

 …それくらいほぼ毎日顔合わしてたって事か。

 状況が変わったのは、あいつが三号生と接触した後からだ。

 恐らく三号生筆頭に気に入られたんだろう。

 天動宮に3日留まって、帰ってきたと思えば、その直後に関東豪学連を率いて男塾に殴り込んで来やがった伊達の野郎に塾長が『驚邏大四凶殺』での決着を提案したら、それから執務室を訪ねても居ねえ事の方が多くなりやがった。

 あまりに顔を見せねえんで、俺にしちゃらしくもなく心配になって、意を決して塾長室を訪ねたら例の自己紹介で誤魔化されたが、最初からあの人にまともな答えを期待しちゃいねえ。

 少なくとも塾長の用事を片付けてるとか、そんな事ではないらしいと、判っただけでも収穫だ。

 だとしたら、残るは三号生関連って事だ。

 そう判断した時に、ようやくあっちから訪ねてきたのが、『驚邏大四凶殺』が行われる前日。

 

『ここ数日お会いしてなかったので、騒ぎなど起こしていないかと思って。』なんてどの口が言いやがる。

 一番危なっかしいのはてめえだろうが。

 つか、このタイミングで訪ねてきた事そのものに、なんとなく察したあたりで、ひとつの質問で確信した。

 

『伊達臣人というのは、どのような男だったのですか?』

 間違いねえ。

 こいつはなんらかの形で『驚邏大四凶殺』に関わるつもりだ、と。

 今更ながら、剣に事の始末を押し付けた際に言外に参加を断った事を後悔した。

 だが、闘士として参加してたらどっちにしろこいつを守る事などできやしねぇ。

 

 …俺は、俺を頼ってきた橘をむざむざ死なせちまった。

 だから、その妹だけは、必ず守ってやらなきゃならねえんだ。これは誓いだ。

 それなのに、俺の手を離れてちょこまか勝手に動き出しやがって。

 だがそろそろこいつの性格もわかってきている。

 止めたところで無駄だ。

 だから、約束を交わすにとどめた。

 どこに居ても、必ず俺のところに帰ってくるように。

 

 …なのに、『驚邏大四凶殺』が男塾側の勝利で終わり、全員帰ってきたってのに、未だにこっちに顔出さねえ、こっちから行ってもやっぱり居ねえってなどういう事だ。

 まったく、面白くねえ。

 振り回されてんのは、俺自身よくわかってる。

 わかってるからこそ、面白くねえ。

 

 

 そんな気分でいたからか、こっちの気も知らずに呑気に飯なんか食い始めた光に、何か意地悪をしてやりたくなった。

 その前に茶なんぞ差し出して来たのは素直に受け取ってやったが、俺が口をつけた同じカップで平気で自分の分を飲み始めたのを見て、余計に。

 無防備過ぎんだろ、この馬鹿が。

 この平然と取り澄ました顔を、驚きの表情に変えてやりたい。

 大人気ないと思いつつも、箸の先から黄色い玉子焼きを奪い取って、口に入れる。

 だが、その行為で結果として、何故か俺自身が驚かされる事になった。

 俺のイメージとは違う、黄色い玉子焼きが甘かったのもそうだが、意外にもそれが美味かったからだ。

 そしてそれを褒めたら、光の表情が変わった。

 …俺が期待した驚きの表情じゃなく、どこか遠くを見ているような…更にその目が泣きそうに潤んだ時、見ていられなくて声をかけた。

 以前から、話してると時々そうした事があった。

 今日のそれほどに顕著ではなかったにせよ。

 

「てめえの目の前に誰がいる?ちゃんと見ろ。」

 だから、その遠くを見る目をやめさせたくて、俺の方を無理矢理向かせた。

 それだけだったが、意図せず口づけの体勢になってる事に、今度も俺自身が驚いた。なのに、

 

「…こんなに近いと却って見えませんが。」

 って、此の期に及んでまだ取り澄ました顔して、ボケた事言いやがってこのバカ女。

 俺をまったく男として意識してねえ。

 てめえ、女を武器にしてきたから、男の考えなんて手に取るようにわかるとか言ってなかったか?

 全然わかってねえだろ。無防備にも程がある。

 

 …確かに兄貴の、橘のかわりになると言ったのは俺だ。

 その時の思いに嘘はねえ。

 だが…剣の野郎がからかうように言った言葉が、今更腑に落ちてくるのを感じる。

 

『兄貴になるなんて言っちゃって、いいんですか?

 俺としては、その方がいいですけど。』

 

「…黙ってろ。」

 …このままこの唇を奪っちまえば、少しは俺を意識すんのか。

 その取り澄ました顔が驚きに取って代わるのか。

 そんなに俺を信用するな、この馬鹿。

 

 ☆☆☆

 

 なんか知らないが赤石と至近距離での睨めっこになったと思ったら、

 

「なるほど。睦まじい事よ。

 だが、場所は選んだ方が良いぞ。」

 と、聞き覚えのある声が聞こえた。

 

「…っ!!?」

 何故か赤石が、焦ったように私から手を離す。

 頭が自由になったので声のする方を見ると、以前塾長室で会った事のある男が立っていた。

 

(ワン)さん、こんにちは。

 …あ、塾長でしたら今日は戻られないそうですよ。

 私でよろしければ、伝言があればおうかがいしますが。」

 王大人(ワンターレン)は、私の挨拶に少し驚いたような顔をした。

 いやいや、確かに一度しか会ってないけど、こんな見た目に特徴のある人、忘れませんって。

 

「いや、光。今日は貴様に用があって来た。」

 それでも王は、すぐに気を取り直した様子で首を横に振る。

 

「私に?」

「うむ。だがどうやら取り込み中のようだな。

 明日にでも出直して来よう。」

 そう、済まなそうに言った王の視線が、何故か私ではなく赤石の方に向いた。

 その視線を受けた赤石が、バツが悪そうに明後日の方を向く。

 その顔が心なしか赤い。なんだ?

 

「?いえ、すぐでも構いませんよ。

 …あ、でも確かに食べながらお話を聞くのも失礼ですね。

 少しお待ちいただいてもいいでしょうか?

 10分もかからないと思います。」

「…フフフ、食事ならば急がずとも良い。

 腹が減っては戦はできぬというからな。

 では飯を食い終わったら、すまぬが塾長室に来てもらえぬか?」

 最高権力者の執務室を、待ち合わせに使うのもどうかとは思うが。

 

「塾長室ですね。

 承知いたしました。では後ほど。」

 私と頷きあって、王はその場を辞する。

 去り際何故か赤石に向かって、

 

「……貴様も、苦労するな。」

 などと、謎の言葉を投げかけながら。

 

 ・・・

 

「あの男、王大人だな?

 この塾の関係者だったのか。」

「以前塾長室でお会いした時には、塾長のお知り合いという紹介しかされなかったかと思うのですが。

 ああでも、この塾の名物のひとつである、なんらかの行事を執り仕切る立場だと言っていた気もします。

 赤石は、あの方を御存知だったのですか?」

「御存知も何も、裏の世界じゃ有名な医者だぞ。

 西洋医学じゃあねえから、日本の法律では無免許医になっちまうんだろうが、噂じゃ死んだ者だってある一定の時間のうちなら、蘇生させられるって話だ。」

「ちょっと待って。

 あなたの言う『裏の世界』が気になりすぎて、そこから先のお話がアタマに入ってきません。」

 

 ☆☆☆

 

「お待たせして申し訳ありません、王先生。」

「うむ。だが、赤石を置いてきて良かったのか?」

 私を塾長室で出迎えた王大人が、なんだかわからない事を言う。

 

「?お昼を外で食べるのにあの場に行ったら、たまたま彼が居ただけですから。

 食事は終わりましたので、私があの場に留まる理由はありません。」

 私が答えると、王先生は謎の微笑みを浮かべる。

 

「…フフフ、斬岩剣にても女心は斬れぬか。

 誠に厄介よの。まあいい。

 先ごろの『驚邏大四凶殺』での貴様の働き、見事だったと聞く。」

「あれは主に三号生の皆さんの働きです。

 あの方々が、時には命懸けで闘士達を救助してくれなければ、私の出番などどこにもありません。

 それに、氣の量が足りずに私は、結局最後まであの場に立っている事ができませんでした。」

 ただでさえ強行軍だったというのに、倒れた私を背負って山を登ってくれたあの人には、本当に申し訳ない事をした。

 二度目に倒れた時は邪鬼様が抱き上げて運んでくれたそうだが、そちらはある程度のところまで降りたあたりでトラックが待機しており、それでこちらまで帰ってきたのだという。

 

「確かに、貴様の氣の量は少なすぎる。

 特に女の身でこんな極限状態を何度も繰り返しては、身体に影響が来よう。

 というより、もう既にその傾向が出ているようだな。」

「えっ…?」

 思いもよらない事を言われて、思わず王先生を凝視する。

 王先生は小さく頷くと、言葉を続けた。

 

「貴様、見た目もそうだが、身体も『女』の機能は出来ていまい?

 …不躾な言い方をすれば、初潮も未だであろうが。」

 本当に不躾だな!失礼な事を言うな!

 

「生理はあります!

 半年に一度しか来ませんけど!」

 てゆーか、うら若き乙女である私が、なんでこんな事を主治医でもないオッサンに主張しなければならんのだ!

 

「なるほど。

 18歳の女としては、それがある程度異常な事態だというのは理解しておるか?」

「で、でも、最初が遅かったし、こんなもんかなと。」

「何歳の時だ?」

「じゅ、15…」

 くそ、顔が熱い。

 

「それから3年もその周期のままでは、さすがにおかしかろうて。」

 仕方ないだろ!その件に関して、私の周りに比較対象が居なかったんだよ!

 ついでに言えば15っても終わりの頃だったから、正確には2年とちょっとくらいだよ!

 初潮を迎えた時に、身の回りの世話をしてくれてる女中さんに意を決して打ち明けたら、最初のうちは、今更何言ってんのみたいな顔されたよ!

 初めてだって言ったら驚かれたよ!

 豪毅は10才になる前に精通してるのにって、そんなん知らねえわ!

 

「今の貴様の身体は、おそらく軽めに見積もっても十一、二歳の成熟度でしかない。

 そのくらいの年齢の頃から、極限まで氣を使い尽くしては回復させる事を繰り返してきたのであろう?」

 断片的にしか覚えていないが、兄の発作が起こるたびに、技を使っていたのは覚えている。

 そして、今思えば身体の大きさもさる事ながらやはり氣の精製の仕方が未熟だったのだろう。

 一度技を使うたびに、確かに大汗をかいて倒れそうになっていたのも覚えている。

 それから孤戮闘の中。

 私は見た目には一番弱そうだったからか、戦いが始まれば一番最初に襲いかかられる事が多く、最初の段階ではより多くの人数を相手にしなければならなかった。

 なのでせっかく敵を倒して食料を手に入れても、食べる前に力尽きて奪われる事もあって、氣の扱いをある程度、子供なりに考え直したのがこの時期。

 そこからは、技を使うたびに氣が尽きるような事はなくなったし、ある程度人数が減ってからは、私に真正面から挑みかかる子がそもそも居なくなった。

 その代わり、僅かな睡眠を取っている間に奇襲をかけられる事が増えて、熟睡する事が出来なくなったけど。

 私の背が伸びなかったのはそのせいじゃないかと、漠然と思っていたのだが。

 

「本来ならば肉体の成長に使われなければならない生気を、氣の回復に費やされるから、その分肉体の成長が遅れたのだ。

 このまま繰り返していたら、成長が止まった状態のまま老化して、子供の産めぬ身体になるぞ。」

 そうなのか。まあ…それは別にいいんだけど。

 少なくとも今のところ、子供を産む予定はない。

 というか、私は私の代で、『橘流氣操術』の伝承を止めるつもりでいる。

 私に子さえ生まれなければ、自然とそうなっていく筈だ。

 

「…と、まあ、ここまでは医者としてのわしの意見だ。

 ここからが本題、大威震八連制覇司祭としての話をする。」

「いやここからかよ!」

「何?」

「いえ何でも。王先生。

 その『大威震八連制覇』というのは…?

 確か、三号生が今回『驚邏大四凶殺』を画策したのも、それを執り行う為だったと認識しておりますが、実際それがどういった行事であるのかまでは聞かされておりません。

 前回の開催時に死者が出ている事を考えると、今回の『驚邏大四凶殺』に匹敵する死闘であるものかと、予想はできますが。」

「うむ。その通りだ。

 そして参加人数はそれぞれ八名。」

 うん、そうだと思った。

 だから豪学連のあの4人が欲しいって言ってたんだから。

 そしてあの天動宮で、私が三号生の主力とみたメンバーも、確か合計8人。

 筆頭である邪鬼様をはじめ、影慶、羅刹、卍丸、センクウ、そして独眼鉄、蝙翔鬼、男爵ディーノ。

 うん、間違いない。

 対して男塾側(塾長サイドという意味で)は、桃、J、虎丸、富樫、あと豪学連から伊達臣人、雷電、飛燕、月光。

 …今からでも富樫外して、赤石に代わりに入ってもらえないかな。

 どうもあの子は危なっかしい。

 実力という点で見てもそうだが、この間気になって調べたところ、この闘いに関しては特に、大きな不安要素がひとつある。

 動揺した時とか、何か本心を隠したい時とかに、あのくたびれた学帽を被り直す富樫の癖を思い出して、胸の奥が微かに疼いた。

 

「…ところで貴様は三号生と、平八との間の確執は、理解しておるか?」

 平八、ね。塾長でも江田島でもなく、平八。

 その呼び方で、二人がごく親しい間柄なのだと理解する。

 というか、話してるうちになんとなく感じた事だけど、この人塾長より年上なんじゃないかな。

 二人とも何げに年齢不詳だけど。

 

「少なくとも、一般的な生徒と学長との関係でないことだけは、なんとなく。

 まあ、塾生の自治に任せ切って、塾内で発生した勢力が大きくなりすぎ、派閥化したってところかなと思いますが。」

「派閥化というよりは、傘下からの独立だな。

 塾内だけの話ではなく、三号生は外に対して大きなパイプを持っている。

 社会的にある程度有用な位置に既に立っている以上、平八としても頭から押さえつけるわけにもいかぬわけだ。

 施設使用料を納められている分、余計にな。

 その上奴らは、三年に一度開催される『大威震八連制覇』を利用して、その力を誇示する事で、塾内での権力を保たんとしている。」

「その『大威震八連制覇』ですが、万事執り仕切るのは貴方なのですよね?

 貴方の権限で、中止や延期を申し渡す事は出来ないのですか?」

「この件に関して、わしの立場はあくまで中立。

 どちらかに肩入れした行動を取るわけにはゆかぬ。」

「そうですか…。」

「そうしてこの状態にてほぼ10年余。

 無駄に均衡が保たれた状態を、ようやく崩せる絶好の機会が、遂にやってきた。

 今回の闘士たちの実力もさる事ながら、貴様の存在でな。」

「へっ?」

 私?この男は何を言っているんだ?まさか…、

 

「貴様に、今回『驚邏大四凶殺』でしたのと同じ仕事を頼みたい。

 闘士たちには知られずに、16人全員、生かして闘いを終わらせたいのだ。」

 いや、さっき自分で、氣を使い過ぎるなと言ったよね?

 16人とか絶対無理だからーーーーッ!!!!!




緑川光の耳責めヴォイス聴きまくってたら、赤石先輩が少し積極的に出てきてしまいましたw
迫られた本人その事に気付いてないけど。


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5・ワインレッドの心

 その日私は天動宮を訪れていた。

 例の『大威震八連制覇』の出場闘士の名前を、正式に書面にして邪鬼様に届ける為だった。

 …面倒くさい。なんでこの人たち、こんな面倒くさい関係いつまでも続けてられるんだろう。

 あと、出場闘士って本人に承諾も取らずに勝手に決めてるけどこれもなんだかなって思う。

 まあ一応コレ、邪鬼様が指名したって形にはなるらしいんだけど。

 

 王先生の依頼には、結局応じた。

 というか話をよく聞けば『驚邏大四凶殺』の時とは違い、私一人に16人の治療を全部任せるという事ではないらしい。

 王先生本人は立場上治療に携われないが、優秀な医療スタッフを抱えているそうで、要はその一員として同行しろとの事らしい。

 あと別働隊として秘密裏に救助に当たる為のスタッフもいるそうだ。

 そこまで用意してるなら、別に私、居なくていいんじゃない?とちょっとだけ思ったのだが、王先生曰く、

 

「貴様の技はいわば最後の手段よ。

 より確実に命を救う為の、保険と言ってもいい。

 それに、貴様には判らぬ事かもしれぬが、男というのは単純な生き物でな。

 可愛い女子(おなご)の目があれば、何としても良いところを見せんと、良い仕事をしようとするものよ。」

 …後半はニヤリといった表情で笑いながら言ってたので冗談なんだと思うが。

 

「富樫や虎丸は私を男だと思っておりますが。」

 あと豪学連組は私の存在すら知らないし。

 伊達臣人はあの晩に顔合わせてるけど、多分覚えてないだろう。

 かなり意識が混濁してたっぽいし。

 薬のせいか怪我のせいか、あるいは毒ガスの後遺症なのかは知らないが。

 

「闘士たちだけではない。

『驚邏大四凶殺』で貴様と行動を共にしていた三号生たちの働きを思い返してみよ。

 みんな貴様にいいところを見せようと躍起になったからこそ、あれだけの仕事ができたのだぞ。」

 彼らの命懸けの仕事をそんなもんで片付けるのは失礼な気がする。

 私がおらず彼らだけでも、ちゃんと仕事は完璧にしたと思うよ?

 彼らは邪鬼様に心酔してるし。

 私が不得要領な顔をしているのに気付いたのか、王先生は不意に質問を投げかけてきた。

 

「フフ…ならば貴様は、男とはどういう生き物だと思うておる?」

 …これと同じ質問を以前、独眼鉄からされた気がするんだが、あの時私はなんと答えたろう?

 

「生き様よりも死に様に、より高い価値を求める生き物…と、以前同じ質問を受けた時には答えた気がしますが、今は更に、女以上に見栄っ張りで、面倒くさい生き物かなという気がしてます。

 塾長と邪鬼様のやり取りを仲介する様になってからは、特に。」

「フフフ、まさにな。

 だから、男は単純という事よ。」

「単純、かなぁ…?」

 確かに以前は、その男性心理を突いて仕事をしていたわけだから、男など単純でわかりやすいと思っていたし、わかっているつもりでいた。

 けど、ここの男たちに関わっていくうちに、私の男性観などただの一面でしかない事に、否応なく気付かされ。

 結果、複雑で面倒くさく見えてしまっているのだけど。

 単純ゆえに、複雑で。

 大人なのに子供みたいで。

 子供だけど、時には大人で、それでもやっぱり子供で。

 うん。やっぱり面倒くさい。男って。

 

 ☆☆☆

 

 帰り際、こちらが提出した出場闘士の名簿を、廊下門番組に(『鎮守直廊』っていうらしい)届ける仕事を引き受けて、最後に独眼鉄にそれを渡したところ、それに目を通した独眼鉄が、そのうちひとつの名前を見て、息を呑んだ。

 

「富樫…源次?」

「先頃行われた『驚邏大四凶殺』にて、次鋒をつとめた一号生です。

 とにかく根性のある子ですよ。

 独眼鉄は、彼を御存知なのですか?」

 私の質問に、独眼鉄は押し黙ったまましばらく固まっていたが、やがてゆっくりと首を横に振った。

 

「…いや、俺が知ってるのは、似た名前の男だ。」

「ああ。それは、前回の『大威震八連制覇』の死亡者のひとり、富樫源吉ですね?

 私も、名前の類似性が気になって調べたのですが、どうやら2人は兄弟であるようです。

 兄の源吉が亡くなった3年後、その弟が男塾に入塾してきたわけですね。」

 過去の書類をひっくり返したら、当時の入学願書が出てきたので目を通した。

 それに添付されていた写真で見た限り『富樫源吉』は、弟の『源次』より随分年上に見える。

 亡くなった当時で一号生だったから同い年…いや、入学願書というからには写真を撮った当時は中学三年生で、今の『源次』よりも年下の筈なのだが。

 富樫自体が結構な老け顔だと思っていたけど、まだましな方だったのか。

 …まあ、私が見る限り富樫は多分、30越えて色気が出たら急にモテ始めるタイプだろう。

 或いは十代のうちに初体験を、そのくらいの年齢の大人の女性と迎える事になるか。

 少なくとも現時点で同年代の女性に、富樫の魅力はまだまだ理解できない筈だ。

 …話が逸れた。

 

「…弟?そうか…。」

 独眼鉄の声が震える。

 

「どうかしましたか、独眼鉄?…独眼鉄!?」

「うっ…くくっ……!!」

 見上げた先には、ひとつだけ残っている目から、大粒の涙を零して、嗚咽する大男が居た。

 

 ・・・

 

「…でも、それはあなたのせいではないでしょう。

 あなたは、与えられた仕事を遂行しただけです。」

 嗚咽する独眼鉄を宥めながら話を聞き終えて、私は彼にそう言った。

 話の内容は、現時点では御容赦願いたい。

 そもそも私、誰に向かって話してるのか知らないけど。

 それはともかく一応ここの塾則の中に、『親の葬式でも涙は見せるべからず』とかいうのがあるらしいが、その割にここの男たちは結構泣き虫な気がする。

 それとも私が、男は泣かないものだと思い込み過ぎなのだろうか?

 でも、断片的にしか覚えてはいないものの、今の彼らよりずっと幼かった筈の私の兄は、泣いている姿なんか私に見せた事がない。

 まあ覚えている限りで考えるに、肉体的なハンデからは信じられないくらい、兄が図太い性格だっただけって気がするけど。

 ていうより、現状をそのまんま受け止める事が当たり前になってたんだろうな。

 自分が頑張ったところでどうにもならない事態が多過ぎて、ある意味悟っちゃってたんだろう。

 

『オレは、オレが死んでも、おまえには生きてて欲しい…オレは、光が大好きだから、さ。』

 あれは、どんな場面で言っていた言葉だったろう?

 兄は、自分が死ぬという事を、当たり前のようにあっさり、笑いながら口にした。

 泣く事など、心の片隅にすらないかのように。

 

『てめえは女だ、我慢する事ぁねえ。泣け。』

 私にそう言った赤石は、明らかに自分が泣くのを堪えていた。

 あのまま置いとけば涙の代わりに、自分の身を傷つけて血を流しそうだと思った。

 だから彼を抱きしめて、彼の代わりに私が泣いたんだ。

 うん、そういう事だ。

 男が泣くって、本来それくらい大変な事だ。

 

「…それでも、俺が富樫源吉を殺したのは、変えようがねえ事実なんだ。

 その弟が入塾して、兄と同じように大威震八連制覇に挑んでくる。

 こいつはもう、運命だ。

 俺は、奴の恨みを受け止める。」

 若干まだ鼻をすすりながらも、先ほどより落ち着いた声音で、独眼鉄が言う。

 

「そんな…考え直してください。

 それに、大威震八連制覇は2対2、四組の団体戦です。

 あなたと富樫が戦う事になるかどうかは、わからないではありませんか。」

「いや、恐らくそうなる。

 この大威震八連制覇の組み合わせってな、直前に決まるんだが、運命っていうか縁ってやつが、本当に見事にハマっちまうんだ。

 不思議なくらいな。

 富樫源吉という因縁が、その富樫源次と俺の間に横たわる以上、奴は俺の待つ第二闘場に、間違いなくやってくるだろう。

 そうなったら俺は、運命を受け入れるぜ。

 幸いにというか、俺はこんな悪人ヅラだ。

 ゲスな発言のひとつでもしとけば、奴は遠慮なく俺を殺してくれるだろう。」

 この厳つい風貌は、確かに彼の繊細で優しい本心を覆い隠してくれる。

 悲しいほどに。

 

「…独眼鉄。決意は変わらないのですね?」

 それでも、そうして欲しくなくて、私は確認を促した。けれど。

 

「ああ。…光、この件は他言無用に願う。」

 それはどうやら、決意をより固める結果にしかならなくて。

 泣いてやめてと縋れば、決意を翻してくれるだろうか?

 

「嫌だと言ったら、私を殺しますか?」

 そう思っても、こんな言い方しかできない、可愛くない自分が恨めしい。

 私の言葉に独眼鉄は、少しだけその片目を丸く見開いた後、唇を笑みの形に歪めた。

 

「……やめとこう。全塾生を敵に回しちまう。

 おめえは喋らねえって信じるさ。

 みっともねえとこ見せちまったな。

 勘弁してくれ。」

 そう言って独眼鉄は、その大きな手を私の頭の上に乗せ、軽くぽんぽんと叩いた。

 その温もりが、今は切ない。

 これ以上は、女である私には踏み込めない領域なのだろう。

 男同士の絆というのは、なんとままならないものか。

 自分たちで、勝手に複雑にしてしまっているだけなのだろうけれど。

 もっと楽な方法がある筈なのに。

 それでも彼らは、ままならない道を進んでいくのだ。

 

 だけどね独眼鉄…最後の決意だけは、悪いが受け入れてあげられない。

 私は、あなた方全員を、生き残らせなければいけないのだから。

 そして、そうなったら富樫にも、あなたの話を聞かせなければならない。

 せめてその意地が通るよう、あなたの言う運命の闘いが終わるまでは、口を噤んでいてあげるけれど。

 

 ☆☆☆

 

 桃たちが1ヶ月ぶりに登校してきた。

 この日は豪学連の4人が編入してくる日でもあった。

 天動宮に桃たちが呼び出され(その際呼びに行った三号生が悪ふざけをして危うく廊下が火事になりかけたので虎丸と2人で消し止め、後でほとぼりが冷めてから改めて物理交えて文句言った。つか邪鬼様に進言しなかっただけでもありがたいと思え)、その間に塾長に呼ばれて、塾の門の前で豪学連組を出迎えることになった。

 

「フッフフ、塾長自らのお出迎えとは……。」

 三面拳を従えた素顔の伊達臣人が呟くように言う。

 

「既に入学手続きはとってある…特例を認め、本日をもって貴様達四人は、男塾一号生の学籍に入る。

 何故貴様等がこの男塾に召集されたかわかっておるか…?

 今ならばまだ遅くはない。

 この校門をくぐるか否かは、もう一度心して考えい。」

 そう言った塾長の言葉に、伊達臣人は瞳に力を込めて、塾長を見据えた。

 

「塾長もお年を召されましたな。

 大威震八連制覇……!!

 真の男を極めんとする者、この名を聞き引き返す道はありませぬ!!」

 その言葉を合図に、四人が校門をくぐる。

 やっぱ戦闘狂のケがあるなコイツ。

 などと私が呆れていると、

 

「…!?貴様…!」

 塾長の後ろにいた私に初めて気付いた伊達臣人(しかも二度見しやがったコイツ)が、少し驚いたような声を上げた。

 それと同時に後ろの三人も、一斉に私に注目する。

 …え?なに?

 

「フッ。どうかしたか?こやつは、わしの息子よ。

 訳あって秘書として側に置いておる。」

「息子…?」

 塾長の言葉に、伊達の側にいた月光が、思わずといったていで小さく呟く。

 ん?…この男、目線は私を捉えてはいるが、微妙に焦点が合っていない気がするのだが気のせいか?

 

「…江田島光と申します。

 伊達臣人。そして雷電、飛燕、月光。

 あなた方4名の入塾を歓迎いたします。」

 とりあえず無難に挨拶をしてみた。

 月光は相変わらず焦点合ってなさそうに、伊達は不躾に上から下まで、飛燕はちょっとだけ不審げに、雷電は何やら微笑ましげに、それぞれの視線で私を見ている。

 

 …てゆーか雷電のこの表情ってアレだろ!

 絶対に『お父さんのお手伝いしてるんだ〜、偉いね〜』って感じの事考えてるだろ!

 どう考えても18の若者に向ける視線じゃねえわ!

 …てゆーか、Jと戦ってる間はほぼ無表情で、すごく冷たいイメージだったのに、この男、こんなに優しい顔ができるんだ。

 

 …何だか居たたまれなくなった頃、伊達が話しかけてくれた。

 なんか助かった気がした。

 

「…貴様、俺たちが寝かされてたあの家に来ていただろう。」

「…あれ?気がついていたんですね?

 ずっとうわ言で何かぶつぶつ言っていたから、目は開いてたけど意識はないかと思っていました。」

 …あの時の会話、恐らくはこの三人にも聞かれたくはなかろう。

 というか、私自身のトラウマも少し刺激されたから、私がもう、思い出すと辛い。

 なんだこの前門の虎後門の狼。

 一難去ってまた一難。

 

「…何を言ったかまでは聞いてねえってのか?」

 案の定、伊達が探るような目を向けてくる。

 自分が何言ったか、うっすらと覚えてるっぽいな、これ。

 だとすると、あの時一応会話は成立してたし、私が空惚けてる事はわかってるんだろうから、これ以上つっこまないでいただきたい。

 それとも、そんなに言ってほしいか?

 誰でもいいから側にいてくれって、初対面の私に縋り付いた事。

 私も絆されてついアタマとか撫でちゃったけど。

 

「これでも忙しいので、そんな事までいちいち気にしてられませんよ。

 …少し、髪を切ったんですね?」

 仕方ないので強引に話題を変える事にした。

 それはともかく塾長、ニヤニヤしながら見てるんなら少しでも口挟んで助けてくれませんか。

 

「あ?あぁ…。」

「男前が上がりましたね。

 その方が似合ってます。」

「…フン。俺は元々男前だ。」

 そうきたかこの野郎。

 つっこもうにも本当のことだから始末に負えない。

 まあ、誤魔化されてくれたようなのでいい事にしておく。

 

「あ…その事ですが、光さん…。」

 と、思い出したように今度は、飛燕が話しかけてきた。

 …うん、なんか無意識にきれいなおねえさんみたいなイメージで見てたけど、喋ったらちゃんと男の人だ。

 くっそ、羨ましいくらい美人だな。

 化粧もしてないのに。

 …だからだろうか、彼の他の仲間たちと同じように、制服の前を開けて肌を見せているのがすごく違和感がある。

 学ランの中に着るTシャツとか用意してあげた方が良かったかもしれない。

 制服を用意して箱詰めしてた際センクウに、替えの下着も多めに詰めておいてやれとか言われて、少なからず動揺してたんでそこまで思い至らなかった。

 ついでに言えばその際、横で聞いてた卍丸に、嫁入り前の娘に男の下着なんか揃えさせるなと怒られて、結局2人とも手伝ってくれたけど。

 

「光、と呼び捨てていただいて結構です。

 なんでしょうか、飛燕?」

「恐れ入ります、光。

 …彼の、切った髪なんですが、新聞紙には包んでますが、ゴミ箱に捨てて、そのまま来てしまいました。」

 律儀だなコイツ。

 まあ、それ以外なんか他に言いたい事あるっぽい雰囲気だけど、気付かない事にしとく。

 

「そうでしたか。申告ありがとう。

 どうぞご心配なく。

 あの家を管理しているのは、自分たちの都合であなた方を救助した三号生ですから、清掃くらい彼らで行うでしょう。

 こっちであなた方が入る寮の手配と部屋の清掃は済んでいます。

 伊達がいる事ですし、寮の場所はわかりますね?

 鍵は寮長から受け取って下さい。

 でもまずは三号棟、天動宮へ行ってくださいね。

 そこで三号生筆頭大豪院邪鬼より、『大威震八連制覇』についての詳しい説明がある筈です。」

 場所は校舎裏の東側です、と付け加えて、手で方向を指し示した。

 

 ☆☆☆

 

「伊達殿、あの、光と申す者…。」

「なんだ、月光?」

「私の感覚に狂いがなければ、あの気配、『驚邏大四凶殺』の闘いの最中、ずっとどこかに感じていたものです。

 恐らくは隠れたところからずっと、我らの戦いを見ていたものかと。」

「そうか。

 てめえがそう言うなら間違いねえだろう。

 あのひょろくてちんまいのが、わざわざそんな事をしてたって事は、ヤツにしかできねえ仕事があったって事なんだろうな。

 …十中八九、俺やおまえらの怪我の治療をしたのは、ヤツだろう。

 あの夜中に様子を見に来てた理由も、それで説明がつく。」

「まさか、あのような子供が…!?」

「見た目に惑わされるな、雷電。

 あの者の氣は、決して子供のものなどではない。

 むしろ……」

「…月光?」

「……いや。何でもない。」

「てめえらしくねえな、月光。

 何かヤツの事で、気になる事があるんだろ?

 言え。」

「……あれは子供ではなく、妙齢の女ではありますまいか、と。」

「お、女!?」

「あ…なるほど。

 先程江田島塾長から『息子』と紹介された際、妙な違和感を覚えたのはそのせいでしたか。

 男性にしては、可愛らし過ぎると思っていたんですよ。」

「飛燕、貴様もだ。

 見た目に惑わされるなと言った筈だ。

 あれが女だとしたら、男である場合以上に、とんでもない怪物という事になる。」

「どういう事だ、月光?」

「…あの者、恐らくは年齢の3倍以上の人数を、これまでに殺してきているでしょう。

 そうでなくば説明がつかない凄みが、あの者の『氣』にはある。」

「フッ…そうか。なかなか面白え。」

 

 ☆☆☆

 

 桃たち一号生と邪鬼様との初対面の場は『大威震八連制覇』の説明という建前からは程遠い、なかなかに物騒な展開になっていたらしい。

 というのも、鎮守直廊の試練を桃以外の三人で突破した後、いよいよ邪鬼様と対面って場面で富樫が暴走して、一人で邪鬼様の命を狙い特攻したのだという。

 どうも富樫は兄の死の状況を勘違いしているらしく、兄の仇が邪鬼様だと思い込んでいるらしかった。

 どうしてその時点で否定しなかったか、後で邪鬼様に訊ねたら、

 

「独眼鉄は俺の命令に従ったのだ。俺が仇でも、別に間違いではないだろう。」との事。

 邪鬼様は独眼鉄を庇ったのだろうが、それはそれでどうなのかと思う。

 独眼鉄のあの決意の固さを考えたら、こんな事をしたところで、勝負の場面にいざなれば、彼は自分で言っちゃうんだろうし。

 何はともあれ、豪学連組が桃たちと合流し、決戦は三日後と相成った。

 

 その三日間で、私ができる事ってなんだろう。




雷電の微笑ましげな表情云々て話の時に、入れようとしたが泣く泣く諦めてカットした文章。
自分的にはヒットだったので裏話的に晒す。

『塾長の別宅に居た時期に幸さんが『わたし、この番組大好きなの♪』って言ってて、よく分からぬまま観せられた、小さい子供にちょっとハードル高いおつかい頼んで、その一部始終を撮影するって企画のTV番組で、ゲストのタレントが一様に浮かべていたのと同じ表情じゃねえか!』

…念の為調べてみたら『はじめてのお○かい』はこの時代まだ放送されてなかったよ…。


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6・愚か者たちの夢

「光、ちょうどいいところに来た。

 体調が悪くなかったらでいいんだが、助けてくれないか?」

 豪学連組がちゃんと馴染んでいるかどうか、ちょっと様子を見に一号生の教室の前まで行ってみたら、目ざとく私を見つけた桃に声をかけられた。

 助けて…って?

 

「桃?どうかしたんで…あ、火傷!?しかも両手!?」

 なんでこんな事になってるんだろう。

 桃の両掌が、まるで焼けた鉄の棒でも握ったみたいに焼け爛れていた。

 彼の事だからある程度までは氣でダメージを軽減してるだろうが、それでも限界というものがある。

 

「ああ。大した事ないかと思ってたが、時間が経ったら思ったより病んできた。」

 いやこれを、そもそも大した事ないと思うな。

 

「火傷って、普通の傷より厄介なんですよ。

 しかも掌って、神経が集中してる場所ですから、病むの当たり前でしょう。

 次からはすぐに、私のところに来るように。

 …いつも通り、チクッとしますけど、我慢ですよ。」

 まずは桃の右手を取り、掌に私の指先を当てる。

 

「フッフフ、光が治してくれると思ったら、そのチクッてやつも却って気持ちいいぜ。」

「相変わらず気色悪い事を言いますね桃は。」

「フフ、相変わらずつれないんだな、光は。」

「…はい、今度は左手ですよ。

 いつも言ってる事ですけど、これで完治ではありませんから、無理な使用を避ける事と、睡眠はしっかり取る事。

 いいですね?」

「光が一緒に寝てくれるなら、今すぐにだって眠れるんだがな。

 いつかみたいに。」

「子供か。」

「ん?」

「いえ何でも。」

 軽口の応酬を経て治療を終え、これ以上からかわれたら面倒くさいのでそそくさとその場を去ろうとしたら、なんか驚いた顔してこっち見てる雷電と目が合った。

 …さっきこっそり見た限り、意外にも一番最初に、他の一号生と溶け込んでいたのはこの男だった。

 年齢は塾生より明らかに上なのだろうが、本質的には相当気さくな人であるようだ。

 

「むぅ…光殿のその技は、もしや『橘流氣操術』!?」

「おや…知っているんですか、雷電?」

「うむ、日本に生まれた、氣を用いた治療術の中で最も洗練された技であったと聞く。

 だが、今の世にそれを伝える者が居たとは…!」

 言いたい事はわかるが大往生流がそれ言うな。

 

「…そして私で最後になります。

 私はこの先、自身の子孫に、この技を遺すつもりはありませんので。」

 治療術としては類を見ないほど優秀だし、もはや望むべくもない家族との唯一の血の絆、私の本音としては失われるのは惜しい。けれど。

 

「…それは、暗殺術としての側面を重視しての決断か?」

「…何でも知ってらっしゃるのですね、雷電は。

 その通りです。禁忌を知らずしての治療は事故に繋がりますから、『橘流氣操術』だけを残して、表裏一体の『裏橘』のみを封じる事はできません。

 そしていつの世も、黒い一面に目を向ける者はいるものです。

 一族の同じ過ちを繰り返さぬ為に、すべての因縁を私は、私の代で、断とうと思っています。」

 私の代で『橘流氣操術』が暗殺術になってしまったのは、技を全て修めた時の私が、あまりにも幼すぎたからだ。

 それこそ、善悪の区別も判らぬほどに。

 気がついた時には、私は既に暗殺者だった。

 殺すことが私の存在意義だった。

 …私だけでいい。こんな思いをするのは。

 ましてや自身の子や孫に、そのような事は望まない。

 私だけでいいんだ。

 

「もっとも、伝えるべき子が居なければ勝手に絶える訳で、私がこの先、生涯独身を貫けばいいだけの話ですけどね。」

 橘法視(たちばなのほうみ)直系の子孫は、もはや私だけだ。

 王先生に、子供が産めなくなる可能性も示唆されたし、それならそれでいいだろう。

 こんな血、絶えるなら絶やしてしまえ。

 

「おい、光…。」

 しかし私がそう言うと、何故か桃は、少し焦ったように私に何か言いかけた。が、

 

「それは、却って難しい話であろう。

 光殿ほどの女子(おなご)、世の男どもが放っておく筈がない。」

 それとほぼ同時に雷電が、衝撃的な台詞を、周囲に配慮してかかなり小声で吐いた。

 

「なっ!」

「えっ!?雷電、あなた、何故それを知って…!?」

 私と桃が同時に驚いて、やはり周囲を警戒する。

 幸い、私たちの会話を聞いていた者は居ないようだ。

 

「これは失礼した。

 うちの月光は気配に敏感でな。

 あやつが気付いて我らに伝え申した。」

 え、月光?

 

「…という事は、光が女だと三面拳全員、それに伊達も知っているという事か?」

 桃の問いに、雷電が頷く。まじか。

 

「うぇ……三面拳はともかく、伊達はなんか面倒そうだな…。」

「え?」

「いえ何でも。

 あの…この件は、一部の者しか知らない事ですので、どうか内密に…。」

「御安心召されよ。

 婦女子に危険が及ぶ事、我らも伊達殿も決して望み申さぬ。

 特に伊達殿は、女子(おなご)には優しい男ゆえな。」

 私の言葉に、安心させるように優しく雷電が言うが、

「なんかソレ却って嫌だ…。」

「え?」

「いえ何でも。」

 …なんて言うか、考えてみれば伊達本人にはなんの落ち度もないし、誰に判ってもらえるとも思ってないんだけど、私的には孤戮闘をくぐり抜けてきた男ってだけで、こいつには絶対に弱味は見せられないという感覚になるのだ。

 その相手に一番のウィークポイントを知られている。

 決めた。伊達には極力関わらないでおこう。

 

 ☆☆☆

 

 とりあえず豪学連組にも女だとバレたらしい事を、久しぶりに執務室を訪ねてきた赤石に言うと、

 

「塾長はともかく、俺に剣、J、伊達に三面拳と、あと三号生全員か。

 もういっそのこと、全員に晒して秘密じゃなくしちまった方が、面倒がなくていいんじゃねえのか?」

 という若干脱力するような答えが返ってきた。

 

「忘れてるかもしれないですけど、私がここにいるのは、命を狙われてるからなんですがね。

 忘れてるかもしれないですけど。」

 大事な事なので2回言いました。

 しかもアタマ掻きながら「ああそうか」とか言いやがりましたよこのバカ兄貴。

 本当に忘れてたんですねわかります。

 

「とは言っても、てめえの実家の周辺とか、最初に襲われたっていう塾長の別宅の周辺を、一応まだ警戒させてるが、はじめの頃こそ怪しいやつが姿見せたって報告が何度かあったが、今じゃそんな話は、それこそ忘れるくらいまったく上がってこねえ。

 てめえの元の主人が誰だか知らねえが、いつまでも内輪の事に人員を割いてられるほどの余裕なんぞねえんじゃねえか。」

 警戒『させてる』って…いや、何も言うまい。

 赤石が塾の外にある程度の規模の情報網を持ってるって事はもう判ってる。

 

「…あの時会ったてめえの『弟』は、もっと感情的な理由で、てめえを探してそうだがな。」

 赤石の言葉に、私の胸がチクリと痛んだ。

 

『俺と来い、姉さん。必ず守ってやる』

 そう言ってくれた豪毅の、差し伸べてきた手を、私は拒んだ。

 彼は今、どうしているだろうか。

 やはり私の事を怒っているだろうな。

 

「豪くん……。」

「…もう忘れろ。」

 赤石の大きな手が私の両肩を包む。

 忘れられる筈がない。

 そう言いたかったけど、赤石の手の温もりが優しくて、引き寄せられるままにその胸に顔を寄せ…ようとした瞬間。

 

 コンコン。

 ドアからノックの音が聞こえ、ハッと我に帰る。

 赤石も慌てたように私から手を離した。

 

「ど、どうぞ!開いてます!」

 ノックして入るのは桃かJだ。

 そして桃の場合、ノックした後外から声をかけてくるから、無言でノックしたって事はJだろう…と思ったのだが。

 

「…伊達!?」

「押忍、失礼…………!?」

 入ってきた伊達は、挨拶の途中でいきなり固まった。

 見開いた目の、その視線の先は、私ではなく赤石。

 

「…コイツに用があったんじゃねえのか。」

 少し焦れたように赤石が、伊達に話しかける。

 

「…あった筈だが、アンタの顔見た瞬間に全部ぶっ飛んだぜ。

 まだ男塾(ココ)に居たのか、アンタ。」

「てめえの事件の後に無期停学食らって、この夏に戻らされた。

 未だに二号生の筆頭だ。」

 言いながら赤石が自嘲気味に笑う。

 

『伊達が守ろうとしてた奴らを、俺は全員ぶった斬った。

 本末転倒だ。笑い話にもならねえ』

 そう言った時と同じ表情。

 そうだ、その点で、赤石は伊達に負い目を抱いてる。

 

 …その話、赤石の口から伊達に告げさせたくない。

 何故だか判らないがそう思った。

 そして気がつけば、私は赤石の制服の裾を掴んでいた。

 

「…光?」

「……あ、失礼しました。」

 慌てて手を離すと、何故か赤石がニヤリと、私に向かって笑いかけた。

 

「…俺が心配か?」

「え?…ええ、まあ。」

 よく判らないが適当に返事をする。

 私のその答えに赤石が何を見たかは判らないが、赤石の大きな手は私の頭を掴むと、そのままぐりぐりと揺さぶった。

 

「やめて脳が揺れる」

「伊達、場所移すぞ。ツラ貸せ。」

「押忍……先輩。」

 私が強制的に引き起こされためまいに耐えている間に、二人は執務室を去っていった。

 なんなんだよもう。

 

 うん、私が心配するほど赤石は弱くはない。

 わかってるけど。

 てゆーかそもそも何しに来たんだ、伊達。

 

 ☆☆☆

 

「…フッ。そんな事なら、今更気に病む必要はないでしょう。

 アンタらしくもねえ。」

「そう言ってくれんなら、有難てえな。」

「なんか、丸くなったな、アンタ。

 ……あの女のせいか?」

「…何故そう思う?」

「さっきの様子を見りゃあな。

 ひょっとしてアンタの女か、あれは?」

「死んだ(ダチ)の妹だ。

 そいつの代わりに守ってやると誓った。

 …よもやとは思うが、手は出すな。」

「そいつは約束できませんね。

 アンタの女ってんならともかく、ヤツに俺も若干興味がある。

 年齢の3倍以上の人数を殺してる女ってやつに。」

「!……何故てめえがそれを知ってるかは聞かねえが、それをあいつの前で言ってみろ。

 その瞬間、俺はてめえをぶった斬る!」

「………!?」

「…てめえにも、他人に触れられたくねえ過去のひとつやふたつあんだろうが。

 不用意に逆撫でんじゃねえ。」

「…前言撤回だ。アンタは丸くなっちゃいねえ。

 単に、キレる方向が変わっただけだな。」

 

 ☆☆☆

 

 二号生筆頭と、元一号生筆頭が、そんな会話を交わしていたとは全く知らず、私は桃に、また組手の相手をしてもらっていた。

 少し離れてJも様子を見ている。

 いつも通りの光景だったが、何やら騒がし気な声がして、Jのそばに富樫と虎丸が寄ってくるのが見えた。

 

「お、おい。何してんだ、あいつら!?」

 虎丸がなにか慌てたようにJに問う。

 

「光と桃はよくここで組手をしてるぞ。

 俺も時々混ぜてもらっているが。」

「てゆーかあのチビスケ、めっちゃ強ぇじゃねえか!」

「聞こえとるわ!チビスケ言うなチョビヒゲ!!」

「ぐはっ!」

 …富樫の言葉にムカついて思いっきり靴を投げつけた。

 見事に命中した。当てるつもりはなかった。

 後悔はしているが反省はしていない。

 

 ・・・

 

「…随分身体が動くようになってきたな。

 また何か新しい概念でも入れたろ?」

 虎丸が何故かヤカンに水を持ってきてくれて、桃と2人で回し飲みする。

 お互い口はつけてない。

 ちょっと零したけど、私は上着を脱ぐわけにいかないので、このまま乾くのを待つしかない。

 こういう時、本物の男である彼らを羨ましいと思う。

 ちなみにヤカンを持ってきた後、虎丸は『おれらも、光に負けんよう特訓じゃーー!』と富樫を引っ張ってどこかに連れて行った。

 

「今朝塾長に、合気の手ほどきをしていただきました。

 それでまた、少し戦い方が、変わったのだと思います。」

「合気か、確かに光には合ってるかもな。

 相手との身体の大きさとか、体力の差が、弱点にならなくなるわけだし。」

「アイキ…確か、相手の力をも利用しての、受けや返しの技に特化した武術だったな?」

 私と桃の会話にJが反応する。

 まあ、間違いではないが、Jの言う部分はあくまで結果。

 合気の基本理念は『万物との和合』。

 相手の力や氣と争わないからこそ、それを受け流し、また自身のものとできる。

 もっとも、私もその辺のことは端的に理解しているに過ぎないが。

 というか、精神面での理解が充分に及んだ頃には、私は多分老婆になっているだろう。

 そのくらい奥が深い。

 

「だが、それにしても凄い。

 光には格闘技の才能(センス)があるとは思っていたが、こんなに短期間で、これだけ強くなるとは。」

 Jの言葉に、私は首を横に振る。

 

「桃は、手加減をしてくれています。

 Jだってそうでしょう?

 それでやっとついていけてるんですから、まだまだです。」

「勘弁してくれ。

 光に対して手加減なしでやり合わなきゃならなくなったら、戦場に連れてかなきゃいけなくなる。」

 …それは、桃は何気なく言ったのだろうが、私には傷つく言葉だった。

 私が強くなろうと思ったのは、桃たちに心配をかけないように、自分の身くらい自分で守れるようになろうと思ったからだ。

 そうする事で守られる立場ではなく、彼らと対等になりたかった。

 それは、桃が私を『仲間』だと言ってくれたからだ。

 けど桃は、戦力として頼りになるレベルにまでは、私を強くする気はなくて。

 

「ついて行っては、駄目なんですか?」

「…できれば、待っていて欲しいかな。」

 今回の戦いには、そりゃ間に合わないし、私には私の仕事があるけれど、私だってあなた方を守りたいのに、そこそこの強さじゃ意味がない。

「そんな顔するなって。

 言っておくが、光を信用してないわけじゃない。

 光を危険に晒したくない…いや違うな。

 俺がたとえ死んでも、光には生きてて欲しい。

 あくまでも俺の感情だけだがな。」

 …そしてよりによって兄とおんなじ事言うなこの野郎。

 てゆーか今この瞬間思い出した。

 この台詞を兄から言われた時の状況。

 発作時の、氣による私の対処の効果が段々と落ちてきて、いよいよ限界だと言われ。

 

『わたしの心臓をお兄ちゃんにあげる』

 私が、そう言った時だ。

 それに対する兄の答えだった。

 今考えれば、子供の浅知恵だろう。

 健康な双子の妹から、瀕死の兄への心臓の移植。

 そんな手術を引き受ける医者がいるはずがない。

 だが、兄と離れたくない私が出した答えがそれだった。

 そして、今考えると恐ろしいのは、その時は思いつきもしなかったが、自分の身体を脳死状態にする事なら、やろうと思えば当時の私にだってできたって事だ。

 

「…これは、理屈じゃないんだ。

 ある意味、男の本能みたいなものだ。」

 言い訳のように桃が続ける。

 私だって、私が死んでも兄には生きてて欲しかった。

 そんなの男だけの特権じゃない。

 …男は、面倒な上に、自分勝手だ。

 

「…つまり、桃は光を好きだという事だ。」

 鼻の奥がツンと痛み始めた時、Jが突然思いもよらない事を言った。

 

「は?」

「なっ……J!」

 普段の余裕がなりを潜め、桃が焦ったように叫ぶ。

 心なしか、顔が赤い。

 

「ある男が言った言葉だ。

 守って死ぬ側の感情を突き詰めれば、『I really like you(おまえのことが大好きだ)』ってところに行き着くと。

 …だがな桃。

 守られる側にとっては、それは無責任だ。

 守られて自分だけ生き残るくらいなら一緒に死にたい。

 これも理屈じゃないんだ。

 片方だけの思いを押し付けるのは、フェアじゃない。」

 …Jの言うある男って、多分だが兄の事だ。

 兄はあの時確かに言った。

 私のことが大好きだと。

 私の兄は肉体は死んだが、赤石やJ、関わった者たちの中に生きて、未だに私を見守ってくれている…そんな感覚に、不意に襲われた。

 

「…今日はいつになく饒舌ですね、J。」

 少し泣きそうになるのを我慢して言う。

 Jは口元に笑みを浮かべて私に問うた。

 

「フッ、少し喋りすぎたか?」

「いいえ。

 私がコイツに言いたくて、見つからなかった言葉を、あなたが代わりに見つけてくれました。

 ありがとう、J。」

 そして、ありがとうお兄ちゃん。

 私は再び桃に向き直ると、腰に手を当てて胸を張って、少し声を張り上げて宣言した。

 

「いいですか、桃。

 もし、あなたが私を守って死ぬような事があれば、私はその場ですぐ、自ら命を断ちますから!

 そうしてあなたの命懸けの献身を、すべて無駄にして差し上げます!」

 私の言葉に桃はまず目を見開いてから、ややあってため息混じりに言葉を発した。

 

「…とんでもない脅迫をするものだな。

 それでは男の面子が丸潰れだ。」

「でしょうね。

 ですが、男の面子だのプライドだの、そんなもの私には関係ありません。

 犬死にしたくないなら何があっても生き残る事です。以上!」

 男は、死に様を重要視する生き物。

 そこを全否定する女の為に、命なんか張らないでくれ。

 そうして何だか呆気に取られたように私を見ている桃に、Jが言葉をかけた。

 

「この平行線を交わらせようと思ったら、ともに戦い、勝ち残る道しかないかもしれんぞ。

 光を本当に守りたいなら、俺たちが強くなるのも勿論だが、光をとことん強くして、そばに置いておくのもひとつの手だ。

 安心しろ。おまえが思っているよりも光は強い。

 そして、光が欲しいのは、守る手よりも携え合う手だ。

 …光が好きなら、叶えてやれ、桃。」

 Jの大きな手が私の頭を撫でる。

 見上げた顔が、フッと優しく微笑んだ。

 

 ・・・

 

「…なんか、Jは大人だなぁ。」

 いつもならばこの後、続けて私とスパーリングに入るJが、そういう空気ではなくなったと見たか『富樫と虎丸の様子を見てくる』と言って、制服の裾を翻して去っていく、その後ろ姿を見送りながら、私はそう独りごちた。

 

「それは、俺に対する当てつけか?」

 ちょっと不満そうに桃が、私を睨む。

 

「そう思うのならば、そうなのでしょう。

 あなたの中では。」

 私が素っ気なく答えを返すと、桃は少し笑って、私の顔を覗き込んできた。

 

「本当、つれないな。また怒ってるのか?

 …あの夜は、あんなに優しかったのに。」

「人が聞いたら誤解するような言い方はやめてください。」

 また人をからかおうとしてるんだろうが、そうはいくか。

 と思ったところで、桃は急に真顔になって、少し怖いくらい強い視線で、私を真っ直ぐに見つめて、言った。

 

「光…俺は、本気だぞ?」

「…はい?」

「本気で、光のことが、好きだ。」

 いや、いきなり何を言うんだこいつは!

 

「Jに先に言われちまったから、若干格好はつかないがな。

 この際だから、ちゃんと言っておく。」

 …話の流れ的にその『好き』は、仲間としての感情だと思っていたのだが。

 

「…桃、私は」

「わかってる。

 今はお互いに、それどころじゃないって事くらいな。

 だから、今すぐに答えが欲しいとは言わん。

 光がなんの憂いもなく女に戻れた時に、俺を男として見られるかどうか、その時に考えてくれりゃいい。」

 そういう事じゃない。

 私は、あなたにそんなふうに、思ってもらえるような女じゃない。

 

「…ならば、まずは生きて帰って来てください。

 話はそこからです。」

 少なくとも、こんな可愛くない事しか言えない女の、どこがいいというんだろう。

 

『大威震八連制覇』開始まで、あと二日。

 

 ☆☆☆

 

『大威震八連制覇』出場闘士達が男塾を出発したであろう朝。

 私は既に長野八ヶ岳連峰にある八竜(ぱーろん)の長城で、(ワン)先生と、そのスタッフと共に、彼らの到着を待っている。

 立ちこめる霧で、湿気を帯びた白装束が、少し重く感じた。

 そろそろ覆面を着ける事にしよう。




赤石先輩の恫喝の部分さ…
構想の段階ではなかった筈なんだ…
やっぱり勝手に動き出すよこの人…


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大威震八連制覇編 1・it's Alright

ヤヴァイw
王大人の台詞書いてたら段々ハラ立ってきたww
てゆーか、原作通りの部分は非常に書きにくい。幕間の方が好き勝手に書ける分気楽www
そしてこの回、光は脳内ツッコミしかしていないというねwwwwww


我大威震八連制覇司祭(わたしはだいいしんぱーれんせいはしさい)王大人(ワンターレン)

 此時汝等冥府魔道(これよりあなたたちをめいふまどう)八竜路先導(ぱーろんのみちへせんどうする)!!」

 霊柩車を模したバスから降りてきた一号生達に、王先生が何やら変な口調で語りかける。

 私は王先生のスタッフである白装束組の中に混じって聞いていたのだが、たまたま隣にいたやっぱり白装束のスタッフが小声で、

 

「あれ、飽きたら普通に喋り出すんで気にしなくていいから。」

 と教えてくれた。

 いやそれ、やり始めたなら統一しようよ王先生。

 ちょっと吹きそうになって堪えたら咳き込んでしまい、慌てて後ろの列に飛び込んだ。

 何せこの白装束の一団の中で、ちっこいの私だけで目立つし、ってやかましいわ。

 

此起竜門潜入前(このきりゅうもんをくぐるまえに)託生石儀式催(たくしょうせきのぎしきをおこなう)

 大威震八連制覇(だいいしんぱーれんせいは)八人猛者共(はちにんのつわものども)其岩周囲集合(そこにあるいわのまわりにあつまれ)。」

 託生石の儀式。簡単に言えばタッグの組み合わせと順番を決めるくじ引きである。

 岩(まあ、どう見てもコンクリートなんだけど)から出ている8本に見えて実は4本の鎖を闘士達がそれぞれ握り、それから岩を砕いて、同じ鎖の端と端を握る同士がタッグを組む。

 更にその鎖に番号札が付いていて、それが闘う順番となる。

 そうして出来上がった組み合わせは次の通り。

 

 一番手、雷電とJ。

 二番手、飛燕と富樫。

 三番手、月光と虎丸。

 四番手、伊達と桃。

 

 …うん、見事に『驚邏大四凶殺』で戦った同士という組み合わせになった。

 

仕掛何無(しかけなどなにもない)是絶対運命也(これがうんめいだ)

 因果応報。

 戦者(たたかうもの)敵在時(てきであるときも)味方在時(みかたであるときも)常時不透視鎖連結(つねにみえないくさりでむすばれている)。」

 …独眼鉄が言ってたのはこういう事か。

 

『この大威震八連制覇の組み合わせってな、直前に決まるんだが、運命っていうか縁ってやつが、本当に見事にハマっちまうんだ。

 不思議なくらいな。』

 ハッとして富樫と飛燕の鎖の番号札をもう一度見る。

 何度見てもそれは間違いなく『二』だ。

 

『富樫源吉という因縁が、その富樫源次と俺の間に横たわる以上、奴は俺の待つ第二闘場に、間違いなくやってくるだろう。』

 …確かに、独眼鉄が言ってた通りになった。

 この縁のお陰で三年前、独眼鉄と富樫源吉は闘わねばならなかった。

 そして同じ縁が、今度はその弟を独眼鉄のもとに向かわせる。

 富樫自身は、未だそれと知らぬまま。

 神様が居てこの運命を操作してるとすれば、その神様は相当性格悪いと思う。

 まあいい。その件は後だ。まずは第一闘場。

 Jと雷電を待ち受けるのは、確か卍丸と蝙翔鬼の筈。

 てゆーか、確か鎮守直廊で蝙翔鬼と戦ったのがJだという。

 こんな僅かな縁も拾っちゃうのかよ 、神様。

 

 ☆☆☆

 

 大威震八連制覇第一闘場・磁冠百柱林。

 塩鉄鋼で作られた無数の背の高い柱の上で磁靴を履き、二対二で闘うというもの。

 そのままでは10万ガウスの磁力により足場に固定されてしまう磁靴の、踵に遮鉛板を差し込む事で磁力が遮断され、その間だけ動く事が可能。

 そして双方に与えられた遮鉛板は一枚ずつ。

 つまり戦闘可能なのは双方一名ずつ、遮鉛板は選手交代の為の鍵というわけだ。

 

「Jとかいったな。鎮守直廊では油断した。

 貴様とまたやれるなんてこんな嬉しいことはねえぜ…。」

 三号生側から、まずは蝙翔鬼が出るようだ。

 空気を読むならこの流れ的にまずJが行くっぽいけど、このステージって『驚邏大四凶殺』の時に、Jが雷電に苦戦したあの闘場と感じが似てる。

 足場に不安があるという点で。

 だとするとあの『灼脈硫黄関』で雷電が見せた、足場の悪さを逆に利用するくらいの卓越した体術。

 あれこそが今必要ではなかろうか。

 できたらここは、雷電で行って欲しいところなのだけれど…。

 

「先にやらせてもらうぜ。

 どうしても俺とやりたくてウズウズしている奴がいる。」

「さあ来い!!

 貴様のマッハパンチか俺の天稟掌波か、今こそ決着をつけてやる。」

 あ、駄目だ。男は、こうなったら止められない。

 Jは他の塾生達より随分大人に見えていたのに、肝心な場面で簡単に相手の挑発に乗っちゃうとか、大人なのに、やっぱりどこか子供なんだ。

 

 

開始(はじめい)!!」

 王先生の合図と同時に、動き出したのは蝙翔鬼。

 

南朝寺教体拳(なんちょうじきょうたいけん)宙空憑拳(ちゅうくうひょうけん)!!」

 襲いかかる蝙翔鬼に向けてJが一撃を繰り出すが、蝙翔鬼はそのJの腕に一瞬手を置いたかと思うと、そこを起点にして身体を捻り、Jの顔面に蹴りを入れた。

 一瞬体制を崩したJに、まるで翼でも生えているかの如き身の軽さで、更に攻撃を加えてゆく。

 対するJは最初に思った通り、一撃必殺を狙って攻撃を繰り出すも、足場の悪さに邪魔されて、得意のフットワークが使えない。

 これでは完全に『驚邏大四凶殺』での、対雷電戦の再現だ。

 ここは雷電と交代して、一旦体制を立て直すべき。

 誰もがそう思い、Jに対してそれを促す。

 だが、どうやら少し頭に血が上っているらしいJはそれに応じない。

 

天稟掌波(てんぴんしょうは)!!」

 蝙翔鬼が繰り出した技は、氣が巻き起こす、刃の如き鋭い風圧。

 それがJの右肩を掠め、その肌を裂く。

 それでもバランスを立て直し、一旦最初に登った柱まで戻ると、そこにいた雷電が無言で、Jの磁靴から素早く遮鉛板を抜き取った。

 たちまちJの足が、磁力で柱の上に縫いつけられる。

 驚いて振り返ったJに、雷電は静かに、だが強く言い放った。

 

「ここは拙者に任せてもらおう。

 一人の力でこの大威震八連制覇、勝利できるものではござらん。

 何よりも大切なのはチームワーク。

 生死を共にする仲間として、お互いを信じ合うことでござる。」

 Jが驚いた顔してるトコ見ると、この二人、出発前の三日間とか出発後の道中にも、特にコミュニケーション取るとかはしてなかったぽい。

 腹割って話したら結構相性良さそうなんだけどな。

 

「しばらく休んでおるがいい……戦いはまだまだこれからだ。」

 雷電は磁靴の踵に遮鉛板を差し込むと、独特の戦闘の構えを取った。

 

「大往生流殺体術の極意、ひさびさに見せるか、雷電…。

 まさに、うってつけのステージよ。」

 という伊達の言葉通り、満を持して。

 …雷電・始動。

 

「フッ、大往生流…いまだその拳法を伝えるものがおったとは……。」

 言って蝙翔鬼は、雷電への攻撃を開始する。

 対して雷電はその攻撃を悉く避け、無数の足場の上を縦横無尽に飛び回る動きを見せた。

 そのうちひとつに、桜の花びらの如くふわりと着地し、指先を『来い』というように動かして、蝙翔鬼を挑発さえする。

 

「逃げ回っているだけでは、俺を倒すことはできねえぜ。」

 その挑発に乗らずにせせら笑う蝙翔鬼に、雷電が吐き捨てるように言い放った。

 

「すでにお前の動きは見切った!!」

 蝙翔鬼の繰り出した手刀を雷電が両手の掌底で挟んで止め、下方から蝙翔鬼の顎に蹴りを放つ。

 それから肘で一撃を加えて間合いを取ると、その爪先から刃を繰り出した。

 その脚から、目にも止まらぬ無数の蹴りが放たれる。

 

「大往生流鶴足回拳!!」

 これは『驚邏大四凶殺』でJと闘った時に使っていた技。

 これには蝙翔鬼も、急所を避けるのが精一杯のようだ。

 蝙翔鬼の肩の、刃の掠った箇所から血が吹き出す。

 それが先ほど、Jが彼の天稟掌波で傷を受けた箇所と同じであったのは偶然か。

 

「フフフ、相変わらず凄まじい技の切れ味よ、雷電…。」

 と、相変わらず無駄に色気のある声で解説とも独り言ともつかない言葉を伊達が呟き、

 

「どうやら拳法の使い手としては役者が違うようだな。」

 それに桃が耳に心地いい深く落ち着いた声で応じる。

 何だこの片隅で密かに行われてる美声対決。

 いやそんな事より。

 たまらず逃げた足場で体制を立て直しながら、蝙翔鬼は一瞬、卍丸の方に目をやった。

 自身では雷電に敵わぬと見て、どうやら選手交代となるようだ。だが、

 

「己の始末は己でつけい。

 奴を倒す以外に、貴様に生きる道はない。」

 え?ちょ、卍丸冷たっ!

 天動宮で会った時は、一番紳士で優しかったのに冷たっ!!

『大威震八連制覇』の勝利の鍵は、チームワークなんじゃなかったの!?

 当てが外れた蝙翔鬼の顔に絶望の色が浮かぶ。

 それでも半ば破れかぶれといったていで繰り出した天稟掌波を、雷電はあろうことか足裏で受け止めた。

 驚愕して一瞬動きが止まる蝙翔鬼。

 その隙を見逃さず雷電は体制を整えると、飛び出して強烈な足技を繰り出し、足場から彼を蹴り出した。

 蝙翔鬼は柱の縁に手をかけ、やっとの事で落下を免れたものの、このままでは落ちるのも時間の問題だ。

 ここで落下に備えて、こちらでは救助組のスタッフが動き始める。だが、

 

「ま、負けた。

 俺の負けを認める。手を貸してくれ。」

 蝙翔鬼は情けない声でそう言って、頭上の雷電に右手を伸ばした。

 その手をためらう事なく雷電は掴み、柱の上へ引き上げる。

 …豪学連組が男塾に編入して三日の間、何度か話をして判ったのは、彼が博識なだけではなく本当に優しい男だという事だった。

 その優しさ、敵にすら与えられるのか。

 何だか心が洗われるようだ。と、

 

「危ない、雷電!!」

 Jが叫ぶと同時に、雷電が掴んでいた蝙翔鬼の右手が…抜けた!?

 

「義手!!」

 気付いた時には遅かった。

 蝙翔鬼の義手の下には刃が仕込まれており、至近距離からその刃が、易々と雷電の背を貫いた。

 

「雷電ーーっ!!」

 

 

「馬鹿めが、まんまとかかりおったな!!

 生か死か!命を賭けたこの大威震八連制覇の闘いの最中に、命乞いする者に情けをかけるなど、愚かなマネをしおって!!」

 まじか。天動宮で会った時にも、正直あんまり得意なタイプじゃないなと思ってたんだけど、清々しいまでに卑怯モンだこいつ。

 こういうの、邪鬼様はどう思ってるんだろう?

 …単なるやんちゃとしか思ってない気がする。

 あの人無自覚な非常識人だし。

 柱の真下では、どうやら私と同じ事を思っていたらしい虎丸がそれを口にする。

 だが、その虎丸を伊達が制した。

 

「…奴の言うとおりだ。

 まだわからんのか、この大威震八連制覇…三号生と一号生の親善試合だとでも思っているのか。

 生きるか死ぬかの闘いに、汚ねえもヘチマもありゃしねえ。

 ……しかし、これからが見ものだ。

 あの雷電を怒らせたらどういう事になるか…。」

 

 

「かわれ。遮鉛板をよこすんだ雷電。」

「お断り申す。

 勝手を言ってすまぬがこの畜人鬼…こやつだけはなんとしても拙者の手で…。」

 深手は負ったものの、僅かに急所は外したらしい雷電が構えを取り直す。

 それをせせら笑いながら蝙翔鬼はマントの下に左手を入れると、そこから金属製の風車のような形の刃を取り出した。

 ってお前もかこの野郎。

 だからそんな大きなもの、マントの下のどこに隠してた!

 などと心の中で叫ぶ私の心中など知る筈もない蝙翔鬼が、その風車を義手の部分に装着する。

 って外国製掃除機のオプションノズルかっ!

 つっこんだら負けだと判っているのに脳内ツッコミが止まらねえわ!

 

「南朝寺教体拳・賭殺風車拳!!」

 その風車のついた右手から、蝙翔鬼が拳を繰り出す。

 

「な、何ーーっ!!

 あの風車、拳のスピードで回転しやがる!!」

「あれを食らったら肉も骨も引き裂かれるぞーーっ!!」

 …はい、解説ありがとう、松尾、田沢。

 彼らの言葉通り、風車型の刃が回転し、それが雷電に襲いかかる。

 だがいかに負傷していようとも、雷電ほどの達人に、そのようなものは児戯に等しい。

 捕まえようと手を伸ばした時の桜の花びらのように、腕の動きに従ってふわりふわりと避けられるのみ。

 少し冷静さを失いつつある蝙翔鬼が追撃するも、その風車はとうとう、雷電の脚に捕らえられ、手刀に軸を砕かれる。

 

「人の情けを踏みにじり、男の戦いを汚した罪は重い。」

 言うと雷電は再び、靴の先から刃を出す。

 

「大往生流・飛翔鶴足回拳!!」

 …だが、次の瞬間雷電が、硬直してその場に膝をつく。

 

「フフフ、やっと効いてきたか。

 危ねえところだったぜ。」

 どうやらさっき傷を負った際の蝙翔鬼の刃に毒が塗られていたようだ。

 蝙翔鬼は再びマントの下からオプションノズル…もとい刺突用の武器を取り出すと、やはり義手の部分に装着し、動けない雷電の胸板を、それで刺し貫いた。

 

「雷電ーーーーっ!!」

 

 ☆☆☆

 

 私たち白装束スタッフは、救助組と救命組に別れ、それぞれの仕事にかかっていた。

 私は勿論救命組の方に入っている。

 とはいえ『驚邏大四凶殺』の時と違い、闘士たちの目を憚りながらの仕事ではない分かなり楽な筈だ。

 救助組は現時点で落下者に備えて待機中。

 救命組は生死確認の名目で直ちに応急処置を施し、王先生の『死亡確認』という暗号(サイン)を合図に闘士の身柄を回収して、改めて治療に取りかかるというわけだ。

 現時点で雷電の生死確認の為に、スタッフが数人、柱を登り始める事を検討しているのだが、現時点で柱の上は未だ戦闘中。

 迂闊に近寄ると巻き添えを食う可能性がある。

 とはいえ、雷電が本当に事切れてしまったら取り返しがつかない。

 毒も回っている事だしここはできる限り早めに処置したいところ。

 王先生は、一定時間内なら死者を蘇生させられるという話を赤石から聞いているが、それだって噂レベルで、実際にできるかどうかは眉唾ものだし…。

 

 そうしているうちに柱の上では、遮鉛板を雷電から受け取れなかったJがその場から動けず、蝙翔鬼が「念には念を」と、そのJの背後に回る。

 

「てめえのような卑怯な野郎……どんなことがあっても生かしちゃおかねえ。」

 Jがこんなに怒っている姿は初めて見る。

 最初に会った時は人違いで笑顔だったし、その後桃と戦った時も、怖そうな表情だとは思ったが、それは怒りによるものじゃなかった筈だ。

 それがここまでの気迫。

 私ならば近寄るのも怖い。

 けどどんなに怒ろうと、磁力に貼り付けられた脚はそこから動かせない。

 蝙翔鬼が高笑いしながら襲いかかってきて、雷電を刺したのと同じ武器を振りかぶる。

 と、その蝙翔鬼とJの間に影が飛来したかと思うと、蝙翔鬼の武器の前に身を晒した。

 それは、倒されたと思っていた雷電。

 驚愕するJに遮鉛板を差し出しながら、雷電は苦しい息の下で囁いた。

 

「おまえなら、必ず勝てる………。

 足場の悪さなど気にするな……。

 ここを、四角いリングの上だと思うのだ…。」

 

 さらば、友よ。

 

 どうして自分を助けたのか、そう問いかけたJに微笑んでから、そう言って雷電は目を閉じた。

 

 三面拳・雷電、闘死……

 於大威震八連制覇、磁冠百柱林闘

 

 

 

 

 

 …ってなんだこのナレーション!

 どっから出てきた!

 絶対私たちが助けるから、余計な事を言うんじゃない!




これさ…
書いてる最中、ずっと思ってたんだけどさ…



うちのヒロイン、一体どこからこの光景見てるんだろう…?


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2・サファイアの瞳

Jのかっこよさは大人になってから完全に理解した。ナイスガイにもほどがある。
イイオトコ過ぎてうちのヒロインみたいな潜在ビッチに引っかかる展開が全く思いつかなくて困る。


「馬鹿な奴よ。どうせ俺に殺られるおまえを、執念で助けおるとは…。」

 さっきまでその『馬鹿な奴』に追いつめられていた筈の蝙翔鬼がせせら笑うのを背中で聞きながら、さっきとはまた違う気迫を身に纏わせて、Jが身を震わせる。

 

「俺の友の悪口は許さねえ…俺が、そのうす汚ねえ口を、永遠に封じてやる……!」

 その気迫に気付いているのかいないのか、蝙翔鬼はまたも天稟掌波を放つ。

 だがJの怒りと哀しみの拳は、それを真正面から受け止め、その衝撃を撃ち砕いた。

 

「雷電、見るがいい。

 これが、おまえへの鎮魂歌(レクイエム)だ!!」

 音速を超える拳(マッハパンチ)の衝撃が、蝙翔鬼の身体を遠くの柱まで吹き飛ばし、その身を撃ちつけた柱の壁をも砕く。

 そうしてから、Jは雷電の倒れた身体を、脱いで置いてあった学ランでそっと覆った。

 その青い瞳に浮かぶのは、新たな決意か、それとも覚悟か、或いは友への勝利の誓いか。

 

 

「不甲斐ない奴よ。

 三面拳のツラ汚しもいいところだ。」

 下では伊達が厳しい表情でそう言い、富樫と虎丸がそれに反応する。

 遂に富樫がその伊達に殴りかかろうとして、直前でその拳を止めた。

 腕を組んだまま掴んだ伊達の上腕から血が滴る。

 それに気付いたからだ。

 紛れもなくこの男の、それが、涙。

 そう、伊達臣人は、仲間に対する情に篤い男だった。

 その死を悲しまぬ筈もなく、まして今目にしているのは、何年も生死を共にし肉親より濃い絆で結ばれた、同士。

 

「ああいう人なんです。

 仲間の死を見るのが何よりも辛い…だからああして、これ以上犠牲を出さぬよう厳しい態度に出る…本当は、優しい人なんです。」

 きれいなおねえさん…もとい、飛燕が穏やかにフォローにまわる。

 この二人は年齢近そうだし、分担的にずっと以前からこういう関係なんだろうなという事を窺わせる。

 なんか本当に伊達のお姉さんみたいだとか思ったのは秘密だ。(多分だけど飛燕の方が少し年上なんじゃないかって気がする)

 豪毅がここにいて似たような事を言ったら、私だっておんなじような事言う気がするし。

 

 は、ともかく。

 こちらでは何とか方針が決まり、雷電の身柄を回収しに、数人が柱を登ることになった。

 何せ、あのままでは生死確認(と治療)のしようがない。

 先頭の一人が予備の遮鉛板と、磁靴を外す器具を腰に下げていく。重そう。

 何せ、雷電は磁靴を履いたまま倒れているので、未だその脚は柱に張り付いたままなのだから。

 

「よせ…!!

 命だけは助けてやったのがわからねえのか。」

 普通なら一撃食らえば終わりだろうJのマッハパンチをもろに喰らいながら、フラフラのていで立ち上がる蝙翔鬼が、Jにまたも背後から襲いかかる。

 だが無論そんな攻撃が、今のJに通用する筈もない。

 あっさりと振り返って、襲いかかる勢いすら利用した、重いパンチを叩き込む。

 さっきほどの衝撃ではないにせよ吹き飛ばされた蝙翔鬼の身体は、やはり柱にぶつかってから、それより低い柱に落下。

 そこは、卍丸が立っている柱。

 つまり、この闘いに於ける蝙翔鬼のスタート地点でもある。

 蝙翔鬼は震えながらも踵から遮鉛板を外すと、それを卍丸に差し出しながら交代を求める。

 それを受け取りながらも、自分の足元に倒れこむ蝙翔鬼を見下ろす卍丸の目が冷たい。

 私は卍丸にはなんだかんだ気を使ってもらっている印象しかないので、このキャラクターのギャップが怖い。

 

「忘れたのか……言ったはずだ、いかなる失態も、それが貴様には死を意味するとな……。」

「お助け下さい、卍丸様!命だけは!

 まだわたしは死にたくないんですぅっ!!」

「見苦しい。」

 言うと卍丸は、蝙翔鬼に軽くぽんと蹴りを入れる。

 それだけで蝙翔鬼の身体が柱の外に蹴り出された。

 跪いていた事が災いした。

 ちゃんと地に足をつけていさえすれば、遮鉛板を外しているのだから強力な磁力がその身体を支えたであろうに。

 柱から離れた蝙翔鬼は、当然のことながらそのまま落下する。

 ところが、だ。落下する事自体は想定の範囲だ。

 だが戦闘中ならばまだしも、まさか味方に蹴り落とされる事態は誰も想定しておらず、救助組の対処が遅れた。

 故に現時点で蝙翔鬼の落下地点には誰も待機していなかった。

 

「嘘ーっ!!」

 結果、蝙翔鬼は頭から地面に激突した。

 いや、これ応急処置程度じゃ間に合わない。

 すぐに私が対処する必要がある。

 目立つ事覚悟で、私はまっすぐ蝙翔鬼に駆け寄った。

 大丈夫、まだ息がある。

 急いで五指に氣の針を精製し、蝙翔鬼の頭と首に撃ち込む。

 ただし、最低限だ。

 

「なんて奴だ。命乞いしてるてめえの仲間を…。」

 まったくだよ!

 虎丸が胸糞悪そうに呟くのに、心の中で同意する。

 今回少し楽できると思ってたのに、いきなり仕事振らないでよ卍丸!

 その卍丸は遮鉛板を踵に挿し入れると、纏っていたマントを脱ぎ捨てた。

 傷跡だらけの肉体と、その上に纏った鋼胴防が現れる。

 あれなら拳銃の弾でもはじき返せるだろうとは伊達の弁。

 …関係ない事だけど、アレひょっとして要人警護の際に、服の下に着込む為の防具なんじゃないだろうか。

 あの人あのヘアスタイルでプロのボディーガードなのか。

 いや本当に関係ないけど。

 その卍丸に対し、戦意を示すようにJは、両手のナックルを撃ち合わせた。

 

 

「死亡確認。」

 塾生達が全員柱の上に注目している間に、蝙翔鬼の身体の致命傷となり得る損傷に対して、最低限死なないだけの治療を施すと、(ワン)先生は打ち合わせ通りの暗号(サイン)を出した。

 心臓に悪い。つか救助組、思ったより使えねえ。

 これなら三号生の方がよっぽどいい仕事してたわ。

 まあ今回のケースで彼らに協力は仰げないけど。

 他の白装束スタッフが、棺桶に蝙翔鬼の身体を横たえて、そのまま治療スペースに運搬していく。

 そっちはもう彼らの仕事だ。

 

「Jと申す者、大分背たけがあるようだが、いくつある?」

 と、突然王先生が一号生たちに向けて、よくわからない質問をした…てゆーか!

 誰も気付いてないけど普通に喋り出した!

 まだ第一戦も終わってないのに、もう飽きたのか王先生!!

 

「190㎝はあるだろうが…。」

 虎丸、残念。正解は195㎝。

 ちなみに並べてみたら赤石の方が3㎝くらい高かった。

 あの人絶対純粋な日本人じゃないわ。

 ただ、全部のパーツが大ぶりな赤石と比べて、Jは顔小さめで頭身高いし腰の位置も高いから、並べなきゃJの方がデカく見えるけど。

 そんな事聞いてどうする?という問いに対し王先生の答えは、

 

「棺桶を用意しておく。」

 …この人、こういう笑えない冗談好きだな。

 などと思っていたら、その王先生に虎丸が食ってかかり、王先生は卍丸の実力について語り始め、Jに勝ち目がないと断言した。

 

 其は、魍魎拳百人毒凶を極めし『拳聖』。

 挑戦する者は試合前に遅効性の毒を飲み、十人打ち負かすごとにその毒の解毒剤を十分の一だけ与えられて、100人倒して初めて命が助かるという荒行を、見事成し遂げた男。

 

 …ていうか、私と似たような過去持ってたんだ、あの人。

 打ち負かされた相手は、拳で殺されなくても毒で死んでるだろうし。

 ひょっとして卍丸が私に優しくしてくれたのは、私に自分と似たような匂いを感じたって事なのかもしれない。

 …単に私が女って理由だけかもしれないけど。

 

「質問に答えるが良い、あの者の身長は…?」

 これ、知ってる私が答えるべきだろうか?

 でも教えてしまったら、王先生が言う事を認めてしまうようでなんか嫌だ。

 

 負けないで、J。

 

 ☆☆☆

 

 卍丸の闘法は、特殊な呼吸法により筋力を増すところから入るようだ。

 恐らくあのマスクはそれを補助するものか。

 もっとも、無くても問題はないんだろうけど。

 単にスタイル?

 とにかく、ひとつ呼吸音が聞こえるたびに、卍丸の筋肉が膨れ上がる。

 

「来いっ!!」

 戦闘態勢が整うと、独特の構えを取る卍丸。

 互いに狭い足場ながらじりじり距離を詰め、Jが右の拳を繰り出す。

 それが命中し、卍丸の身体が砕かれたと見えたのも一瞬。

 卍丸はJの後方で構えを取っており、Jが砕いたのはそこにあった高い柱。

 拳が捉えたと見えたのは、どうやら残像だったようだ。

 

「確かに破壊力はあるようだな。

 しかし蝙翔鬼は倒せても俺には通用せん。」

 言うと卍丸は、そこから更に繰り出したJの左のパンチに合わせ、自分も手刀を繰り出した。

 

「烈舞硬殺指!!」

 …一瞬の静寂。

 次の瞬間、Jの左のナックルが砕け散る。

 そう、J自身が赤石に挑まれた際に、拳で赤石の一文字兼正を砕いた時と、同じ。

 どうやらJは、お株を奪われたようだ。

 ボクシングでいうところの、これは恐らくカウンターだろう。けど。

 マッハパンチを封じられたJに勝ち目は薄い、そう発言した伊達に対して、桃が笑みを浮かべて答える。

 

「Jの強さは俺たちの思っている以上のようだぜ。」

 …Jはインパクトの瞬間、次の手を出していた。

 それこそ目にも止まらずに、左を合わせられたと同時に右で放ったマッハパンチのワン・ツー。

 次の瞬間、卍丸の鋼胴防も、粉々に砕け散る。

 

「それでこそ、俺もやる気が出るというもの……!!」

 …立ち込めていた霧が、なんか徐々に濃くなってきた気がする。

 

 

 …雷電回収隊が、目的を果たさずに戻ってきた。

 まあ仕方ない。

 思いのほか柱の上の戦いが激化してきて、今近寄るのはとんでもなく危険だった。

 これは王先生の、死者ですら蘇生させられるという噂が真実であることを祈るしかないかもしれない。

 これ以上時間が経つようなら、たとえ今雷電が生きていたとしても、回収した時には既に手遅れになっている可能性が高い。

 

 で。

 その戦いの方だが、卍丸の猛攻が始まったと思えば、その手刀を辛うじてJが避け、かわりに次々と周囲の柱が砕かれていく。

 凄まじいスピードと鋭さを持った指拳は、太い柱を切断し、その先が地上へ、富樫と虎丸のいる場所のちょうど間に落下してきた。

 ちょ!危ないわ!

 下手したら私まで巻き添え食うわ!

 もう私、卍丸を紳士だと思うのやめることにする。

 

「魍魎拳・烈舞硬殺指!

 奴の指こそ、まさに凶器そのものよ。」

 呆然とする富樫と虎丸に、王先生がコメントする。

 魍魎拳とは、中国拳法史上、最凶の暗黒拳として恐れられた存在であるらしい。

 …なんか聞けば聞くほど、卍丸と私って共通点多くない?

 それはともかく魍魎拳自体は、基本的にスピードに特化した拳法なのだろうが、卍丸は先ほどの呼吸による強化でパワーも補っており、その両方が噛み合って、あの指拳の鋭さを生むのだろう。

 だが、パワーとスピードにかけてはJだって負けちゃいない。

 というかさっきまであれだけ気にしていた足場の悪さを、今度こそ克服したと見え、今はそのフットワークにも迷いがない。

 卍丸の猛攻を躱しつつ、間合を徐々に詰めて、カウンターの一発を狙っているようだ、とは伊達の見解。

 とはいえ、外から見ている伊達や私が見て取れる作戦が、相手取っている卍丸が気づいていないという事はなかろうが。

 そして、その作戦が少しずつ身を結んだか、遂に自身の間合いまで踏み込んできた卍丸の攻撃を躱すと同時に、サイドステップで後をとった。

 

「そこだ!

 マッハパンチワン・ツー攻撃炸裂させろーーっ!!」

 虎丸うるさい!黙って見てろ!

 応援しながらネタバレしてどうするー!!

 好機と見て攻撃に移ったJの右を、卍丸はバック転で躱す。

 更に間髪をいれず繰り出した左に合わせてきた手刀に貫かれた、Jの左拳から血が噴き出した。

 

「Jのマッハパンチワン・ツー攻撃がやぶられたーーっ!」

 驚いてるけど虎丸、今のもしかしたらおまえのネタバレのせいだぞ。

 帰ったらJに謝ってジュースの一本くらい奢ってやんなさい。

 ビールの方がいいとか言うかもしれないけどね。

 彼もう成人してるし。

 それにしてもパワーとスピードだけじゃなく、股関節も柔らかいな、卍丸。

 

 それはそれとして、さっきから濃くなり始めた霧がいっそう立ち込めてきて、二人のいる柱の上の方が、下からはほぼ見えなくなってきた。

 夜目とか割ときく方の私の目にさえ、二人の動きは影しか見えない。

 

「あれじゃあお互い姿も見えず、迂闊に手は出せなくなった筈だぞ。」

 富樫が呟くのに、王先生が答える。

 

「魍魎拳は闇にあってこそ真価を発揮する。

 あの霧は卍丸にとっては魚に水も同然。」

 

 ☆☆☆

 

「おあつらえむきに霧が濃くなってきた。

 貴様に魍魎拳の真髄を見せてやろう。」

 卍丸は含み笑いをしながらそう言うと、霧に溶け込むようにその姿と気配を消した。

 だが奴の方では俺の気配を捉えているに違いない。

 そう思った瞬間、背後に空気の流れを感じた。

 空気の動きを肌で読む…これは、光とのスパーリング後のディスカッションで得た発想だ。

 どんな物体もこの地球上で、空気を動かさずに移動することは不可能だと、相変わらず桜の花びらを掴もうとしては捕まえ損ねて空振りした彼女が忌々しそうに言っていた。

 その表情を脳裏から消しながら俺は反射的に飛び退るも、左の肩に奴の手刀が掠る。

 半分苦し紛れに、その攻撃が来た方向にパンチを撃ったが、奴の姿はかき消えたかのように既に無い。

 濃い霧の中に奴の声だけが響く。

 

「よくぞ今の攻撃を躱した。

 天才ボクサーとしての本能が貴様を救ったようだな。

 しかし、次はそうはいかん。」

 奴の姿を探して周囲に視線を疾らせると、倒れたままの雷電が目に入ってきた。

 その言葉がふと、脳裏をかすめる。

 

『足場の悪さなど気にするな……ここを四角いリングの上だと思うのだ…』

 ……そうか!

 雷電の最後の言葉が、それこそ雷のように俺の心を貫いて、俺は闘場の柱を跳躍した。

 この百柱林の一番端の柱の上に立ち、構える。

 心の奥で、試合再開のゴングが鳴った。

 

「来い。ここが貴様の墓場になる。」

 ここに立てば、後方からの攻撃はない。

 

「ボクシングでいう、ロープザドープというわけだな。

 そううまくいくものかどうか…。」

 奴の呼吸音と含み笑いが聞こえる。

 

 …この後に及んで指摘してやるつもりはないが、正確には“rope a dope(ロープ ア ドープ)”だ。

 モハメド・アリvsジョージ・フォアマン戦で、アリが逆転KO勝ちを収めた時に使った戦法。

 だが、俺は奴が俺への攻撃で消耗するのを待つつもりはない。

 奴が攻撃してくるその一瞬を捉え、その身体にマッハパンチを叩き込むだけだ。

 ふと、霧で見えないその下にいる仲間たちのことを思った。

 特に、俺を負かした男のこと。

 そして、その男が想う少女のこと。

 

『男の面子だのプライドだの、そんなもの私には関係ありません。

 犬死にしたくないなら何があっても生き残る事です。』

 彼女はおまえに、生きて欲しいと言ってるんだ、桃。

 男の死に様もいいが、愛しているなら、思いやってやれ。

 …俺がまたアドバイスしてやれるかなんて、わからねえんだからな?

 

 ここからは霧に隠れて見えないあいつらに、俺は覚えず微笑みかけた。



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3・Sweet Hard Dreamer

正直、原作通りの部分をダラダラ書くのは抵抗がある。
一応主人公視点とかツッコミとか辻褄合わせを入れる事でなんとか誤魔化してるけど、自分の中ではやはり「うーん…」と思う。
けど以前書いてた別の作品で、主人公のいない原作通りの部分の話をメッチャ端折ってたら、感想欄で『場面が飛んだような印象を受ける』とか言われて、それが未だに引っかかってる。
はてさて、どうするのが正しいやら。
とりあえずレバー串うめえ。


「聞こえなかったか……?

 今、Jが俺達に別れの言葉を言った。」

 桃が硬い声で不穏な事を言う。

 

「奴は今、命を賭けた最後の勝負にでた…!!」

 

 ・・・

 

 少し間があって、大気が震えた。

 

「急に雨が降ってきたぞ。」

「…違う、これは雨なんかじゃねえ。

 こ、こりゃあ血だーーっ!!」

「う、上で一体何が起こったんじゃーーっ!!」

 

 ☆☆☆

 

 右か…左か……前か……!?

 俺は構えを取りながら、奴が生む空気の流れを探る。

 どこから来るか。と、

 

「上だーっ!!」

 待ち望んだ空気の奔流は、頭上から巻き起こった。

 

「烈舞硬殺指!!」

「マッハパンチ!!」

 …俺たちの渾身の技がぶつかり合う。

 その衝撃が大気を震わせた。

 次の瞬間、明確に姿を現した卍丸と俺は、互いに互いの胸を貫き合っていた。

 

 相討ち。

 互いにあと1センチ拳が入っていたなら、そこで終わっていただろう。

 だが卍丸は俺から離れると、跳躍して後方の柱に降り立った。

 

「どうやらおまえの力を見くびっていたようだ。

 ならば俺も死力を尽くして戦わねばなるまい。

 この俺を、ここまで本気にさせたのはおまえが初めてよ………。」

 言うと卍丸は、再び霧の中に身を隠す。

 そして次に姿を現した時には、目の前に卍丸が何人もいた。

 1、2、3………全部で十人。これは、一体……!!

 

「魍魎拳・幻瞑十身剥!!」

 十人の卍丸はじりじりと間合いを詰めてくる。

 そのうちの一人が繰り出してきた手刀を躱し、反撃のマッハパンチをその身体に撃ち込むが、俺の拳はその身体をすり抜け、パンチが当たった卍丸がかき消えた。

 こいつら全て幻か…!!だが、

 

「フッ、幻ばかりではないぞ。」

「ぐおっ!!」

 間髪入れずに放った俺のパンチを躱した卍丸が放った手刀が、俺の腹部の表層を切り裂く。

 そうか…!!

 奴は素早い動きで残像をつくり、目を錯乱させている。

 しかもこの霧がスクリーンとなり効果を倍増しているのだろう。

 十人のうち実体はひとり。あとは虚像だ。

 その実体をいかにして見切るか……!!

 考える間にも、再び十人の卍丸が俺を取り囲む。

 不意に、俺と戦った時の桃の事を思い出した。

 

『俺のパンチは、音速突き破るマッハパンチ。

 目で見切ろうっても見切れるもんじゃねえ』

『おまえの言う通りだ。すげえパンチだぜ。

 どうせ見えねえなら……』

 そう言って桃は、額に巻いている布で目隠しをした。

 あの時の俺はそれを、狂気の沙汰だと笑ったが、目隠しだけでは成し得なかったものの、その発想に俺は結局敗れた。

 心の目を研ぎ澄ませて、見えないものを見る。

 見えているものの中から、本物を見極める。

 桃ならば、可能かもしれない。

 だが現実に、奴と相対しているのは俺だ。

 どうせ、見えないなら…?

 そうだ、ひとつだけ。

 この時点で心眼を開く事はできなくとも、ひとつだけ手がある。

 だがそれは…!

 …俺は、右手にはめたナックルを外すと、それを宙に放り投げた。

 

「どういうつもりだ?唯一の武器であるベアナックルを自ら捨てるとは…。」

 奴の言葉に答えず、俺は右腕に力を込め、構えを取った。

 武器は必要ない。

 必要なのは、俺自身の覚悟だけだ。

 

 ☆☆☆

 

 カキィン!

 上から降ってきた何かが、地面に落ちて金属音を響かせた。

 それがJの着けていたナックルである事を確認した虎丸が、驚きと疑問を口にする。

 それを見て、何やら顔を青ざめさせた桃が、誰にいうともなく呟いた。

 

「まさかJの奴、あのパンチを……?」

 …それは驚邏大四凶殺が終わって1ヶ月、つまりつい最近の出来事のようだ。

 休養期間の間にも、桃とJは早朝に、鍛錬の為に校庭を使っていたそうで、その日はたまたま鉢合せをしたらしい。

 その時、Jは同時に5個の卵が落ちる仕掛けを自作して、桃の前で、落下してくる5個の卵を、パンチで一瞬で撃ち抜いたそうだ。

 

 ……思い出したよ!

 確かにこないだ、校庭の鉄棒の前の地面に何故か卵がいくつか割れてるのを見つけて、結構な臭いを放ってたので気持ち悪いの我慢して片付けたんだよ私が!

 おまえだったのかよJ!

 トレーニングはいいけど後片付けくらいきちんとしなさい大人なんだから!

 

 …うん、なんていうかこれが富樫や虎丸の仕業だったりしたら、なんかそんなに腹も立たずに『しょうがないなもう』で済ませちゃいそうな気がするんだ。

 赤石だったら逆に更に激怒するけど。

 

 …さておきそれはフラッシュ・ピストン・パンチといい、本来は同じ要領で十発のパンチを出せたら成功らしい。

 だが過去にそれに挑戦したボクサーは、それにより人間の持つ肉体の限界を超えた結果、一瞬にして腕の筋肉がズタズタになったという。

 おまえなら10個でもできるか?との桃の問いにJは『割れても割れなくても、二度と拳が使えなくなる事は間違いない』と答えたとの事だ。

 恐らくは、それを使う事をJが決意したに違いない事を、桃が告げる。

 そのパンチを撃てば、Jは二度と闘えない。

 ボクシングはJの命、魂。

 それができなくなれば、それはJ自身の死と同じ。

 

「しかし誰にも止める事はできない。

 奴は必ず使うだろう。

 命を捨てても誇りは捨てない……そういう男なんだ!

 あいつは……!!」

 桃の言葉に、その場の全員が息を呑む。

 

 ☆☆☆

 

「実体を見切るかわりに、虚像もろとも全てを一撃で倒そうというのか!」

 俺の意図を読み取ったらしい卍丸が、桃の時の俺と同じように今の俺を嘲笑う。

 まあ仕方ない、可能か不可能か、俺自身やってみなければわからない。

 どちらにしろ最初から『命』を賭けた勝負だ。

 十人の卍丸が一斉に俺に襲いかかってくる。

 その刹那、俺の右腕は、すべての幻を打ち砕いていた。

 

「フラッシュ・ピストン・マッハパンチーーッ!!」

 

 ・・・

 

 卍丸は俺のパンチの衝撃で吹き飛ばされ、その先の柱に激突した。

 更にその衝撃はそこに止まらず、奴の身体が柱を貫く。

 右腕に引き攣れたような痛みが一瞬走ったが、それでも思ったほどではない。

 もしかしたら、神経までズタズタで、感覚がなくなっているだけかもしれないが。

 

 悔いはねえ……。

 男が勝負に命を賭ける…それがどういうことか、あんたが身をもって教えてくれたぜ、雷電……。

 

「行こう。下でみんなが待っている。」

 ふらつく身体をどうにか支え、雷電を抱えようとした時、異変に気付いた。

 柱にめり込んだ卍丸が、力ずくでそこから抜け出そうとしていた。

 

 ☆☆☆

 

 …白装束スタッフ全員の反対を押し切って、私は柱の縄ばしごを登っていた。

 あんな話を聞いてしまったらもう、正体がバレる可能性とか考えていられない。

 たとえそのパンチを撃ってしまったとしても、私ならば助けられるかもしれない。

 それに、雷電の事も気にかかる。

 さっきこっそり聞いたところ王先生の感覚では、心停止したばかりの段階では、まだ死亡したとは見做さないらしい。

 心停止からの時間が短ければ短いほど、特殊な氣の注入により高い確率で蘇生できるからなんだって。

 だがこのケースの場合、倒れてから時間が経ち過ぎてる。

 状態を見てみなければ、対処のしようがない。

 

 私が柱を半分くらいまで登ったあたりで、なにかが爆発するような音が響いた。

 それはまさしく、音速を超えるJの拳が、それを更に超えた事により巻き起こした衝撃波音(ソニックブーム)

 まさか。

 

 ☆☆☆

 

 めり込んだ柱を粉々に破壊して、卍丸がまた立ち上がる。

 

「貴様がよもや、あのF・P・P(フラッシュ・ピストン・パンチ)を使いおるとは!」

 死天王のひとりとして負けるわけにはいかないと俺を睨みつける奴に、俺は再び構えを取った。

 だが、

 

「今やおまえは羽根をもぎ取られた鳥も同然…俺の最後の死力を、次の一撃にかける…。」

 そう言って、最後の力を全てその手刀に込めて、襲いかかってくる卍丸。

 その、さっきより確実にスピードの落ちた身体に、俺は…

 

 反射的に、()()拳を繰り出していた。

 

「フラッシュ・ピストン・マッハパンチーーッ!!」

 

 ☆☆☆

 

 更に、二度目の衝撃波音(ソニックブーム)

 どういう事だろうか。

 例のF・P・P(フラッシュ・ピストン・パンチ)とは生涯一度、ボクサーの命であるその拳とひきかえにして撃てるパンチなのではなかったか。

 とにもかくにも、ようやく柱のてっぺんが見えてきて、私は慎重に縄ばしごの最後の一段に手をかけた。

 ここに来て脚を踏み外しでもしたら一巻の終わりだ。

 私が死んだらみんなを助けられない。

 柱のてっぺんに手をかけて、身体を持ち上げようとして、こちらを見下ろして怪訝な顔をしているJと目が合った。

 そして次の瞬間、いきなり手を掴まれて引き上げられた。()()()

 一瞬焦るも、自分が覆面をつけている事を思い出して、なんとか平静を装う。

 Jはどうやら雷電を背負おうと屈んだ瞬間に、登ってくる私を見つけたものだったらしい。

 私は懐から予備の遮鉛板を取り出すと、それをJに示してから雷電を指差した。

 喋ったら私だとバレるので、その程度のボディランゲージが精一杯だ。

 しかしJは私の言いたい事をすぐに理解してくれたと見え、私の差し出した遮鉛板を受け取った。

 それを雷電の磁靴の踵に差し込む。

 そうしてからようやく雷電を背中に背負ったJが、私に薄く微笑んだ。

 …どちらの腕も普通に使えてるようだし、それで大人の男ひとり持ち上げたって事は、懸念した事態は起きていないようだ。

 でも、それならあの衝撃波音(ソニックブーム)はなんだったのだろう。

 まあいい。

 ひとまずはサムズアップを返して、登ってきた縄ばしごを再び降りる。

 Jの腕が無事だというのならば、今私にできるのはここまでだ。

 雷電はこのまま、Jに連れてきてもらおう。

 

「Thank you very much.For your advice.

 Be careful about a step.」

(感謝する。足元に気をつけて行けよ。)

 …言われて、初めてとんでもない高さまで登って来てしまった事に気付いた。

 余計な事思い出させんな馬鹿。

 

 ・・・

 

「死亡確認。」

 慎重にゆっくり降りていき、なんとか地上にたどり着いたあたりで、王先生の声が聞こえた。

 どういう経緯なのかわからないが、卍丸が先に地上に降りていたらしい。

 救命組の何人かがそのまま彼を連れて行く。

 そこに、人ひとり抱えている関係上、私よりもっとゆっくり、慎重に降りて来たJの姿を見つけた虎丸が、泣きべそ顔で指差して皆にそれを告げた。

 

「Jーーッ!!」

 

 

「俺だけが勝ったんじゃねえ…ふたりで勝ったんだ……。

 先に、雷電のために祈ってくれ。」

 歓喜して飛びつかんばかりに駆け寄ってきた虎丸と富樫を制して、Jは腕に抱いた雷電の身体を下に降ろした。

 すかさず王先生がその心臓の上に指を置き、氣を注入する。

 

「死亡確認。」

 そしてまた、雷電の身柄は救命組に預けられる。

 やはり心停止していたようだが、今ので蘇生はできたものらしい。

 

 …今、私、本気でこの人に弟子入りしようかと考えている。

 

 

 …JはやはりF・P・P(フラッシュ・ピストン・パンチ)を撃っていた。

 それも二度。

 それは人間の能力の限界を超えるパンチを、Jが完全に己のものにした事を意味する。

 

「どんな苦境に陥ろうとも諦めない…それを雷電が教えてくれたからこそ、F・P・P(フラッシュ・ピストン・パンチ)は完成した。」

 磁冠百柱林闘、男塾一号生側、勝利。

 

 ☆☆☆

 

 次の闘場へと歩き出す途中で、Jが突然倒れた。

 桃がJの上着を捲ると、胸の傷からひどく出血している。

 先ほどまではそうでもなかったのに、歩いているうちに傷が開いてきたらしい。

 

「置いていくがいい。然るべき手当はしよう。

 そのままでは死ぬ。」

 そう言いながら、王先生がチラと私の方を見る。

 実は救命組のスタッフはほぼ他の三人の方に割り振られていて、現時点ではこの場に私しか居ない。

 彼らは救命処置が終わり次第、次の闘場へ向かう手筈になっている。

 

「ふざけるな……俺はいくぜ。

 おまえ達と一緒に……。」

「当たり前じゃ!

 Jをひとりこんな所に置いて行けるか!」

 だが、ここでJに治療を受けさせる事に、本人と富樫虎丸コンビがゴネた。

 

「何を言ってやがる。

 こんなケガ人抱えては足手まといもいいとこだ。

 俺たちの身まで危なくなる。」

 と、伊達がさっきと同じような厳しい表情で相当キツイ事を言う。

 それに虎丸が食ってかかるのを桃が制した。

 こうでも言わなければJは聞き入れないと。

 …さっきから見てると、伊達はフォローしてくれる人がいないと、かなり誤解されやすいタイプかもしれないな。

 この男もまた、一人で生きるには相当危うい。

 もっとも本人がそもそもそれを望まないだろうが。

 だが、やはり適材適所というか、伊達には桃にない厳しさがある。

 時として非情な判断を下さねばならない場合、桃だと思い切れない事を、伊達ならば必要に応じて行なえるだろう。

 これは、いい相性と言えるのではなかろうか。

 

「Jは任せよう。

 だがな…奴の身にもしもの事があったら、あんたにも死んでもらう事になるぜ。」

 厳しい表情で、伊達が王先生を睨みつけながら言う。

 それに対して、

 

「最善は尽くす。」

 と、王先生は全く動じていない声と表情で伊達に答えた。

 救助組のスタッフが急遽2人私に貸し出され、担架でJを運んで、治療スペースへ連れていく。

 その横に付き従って、私は一緒に移動した。

 てゆーか。

 この第一戦めに関して言えば、なんだかんだで私が一番仕事してない?

 気のせい?

 

 ・・・

 

 とりあえず最低限、Jの胸の傷から出血を抑える処置が完了したタイミングで、眠っていると思ったJに何故か手を掴まれ、胸の上まで引き寄せられた。

 

「光…だな?」

「…!?」

 名前を呼ばれて、答えることもできずに固まっていると、Jが目を開けてこちらに微笑みつつ、私の覆面を空いた方の手ではねあげた。

 

「やはりな。

 覆面をしていたところで、背の高さと手で判るさ。

 男塾に来てから何度この拳を、掌に受けてきたと思ってる?

 …大分楽になった。

 さっきの柱での事も含めて、感謝する。」

 と言うことは、柱の上で会った時には、既に私だと判ってたって事か。

 まあでも、楽になったならよかった。

 

「どういたしまして。あの…J。

 私とここで会った事は、他のみんなには」

「ああ。…だが、何故隠れる必要が?」

「私はここに中立の立場で参加しています。

 けれど、一号生は私がいたら、無意識に安心してしまうだろうと、王先生が。

 私もそう思いますし。」

 立場的に中立だが、気持ちはどうしても一号生側に傾いてるのは認める。

 どうしたって、なんだかんだで長く時間を過ごしてる分、それなりに情もわくものだ。

 御前のもとにいた時には知らなかった感情だが。

 ここの男たちの熱い魂は、否応なく私に、人間の感情を呼び起こさずにはいない。

 それらは時に、苦しみももたらすけれど、それも悪くない。

 

「そうだな…確かにその通りだ。」

 言いながらJが、手を伸ばして指先を私の頬に触れた。

 なんか最近、ほっぺ触られる事多いな。

 つかぷにぷにすんなこの野郎。

 

「J、眠ってください。

 私の治療は、睡眠時間がなければ完了しません。」

 小さい傷ならいいが、Jの胸の傷は見た目よりも深かった。

 それを少しの間、手当てもせずに放置して開かせてしまったから、死ぬ事はないまでも状態はあまりよろしくない。

 私の氣の量に不安がなければ、完全に消してやりたかったくらいだ。

 どちらにしろ睡眠は不可欠だが。

 

「フッ、それは残念だな。

 思いもかけず、俺が光を独占できた、数少ない機会(チャンス)だというのに。」

「…あなたもそういう冗談を言うんですね。

 まあ、それが言えるならもう大丈夫でしょう。

 Goodnight(おやすみなさい), J。」

 私が言うと、Jは名残惜しげに私の手を離した。

 …正直、桃みたいな我儘言われたらどうしようかと思っていたが、そこはやはりJは大人だ。

 深く息を吐きながら、目を閉じて呟く。

 

「…Goodnight, sweetie.」

 

 …sweetie(可愛いひと)ときたか。

 こういう冗談がいやらしくないところが、さすがはレディーファーストの国の軍人だ。

 

 さあ、次の闘場へ。

 私も闘士達を追いかけなくては。




というわけで、卍丸先輩がこの時十分身できたのは霧のお陰ですw
本来は五分身が精一杯らしいですwww


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4・悲劇を演じた道化者

 私と他二名の白装束が王先生達に追いついた時、一号生達は先の道が崩れ落ちて行き止まりの長城の上で立往生していた。

 その一号生達のそばまで行こうとしたら、

 

「あ、光ちゃん。僕らはこっち。」

 と、一緒にいた一人が私の腕を引く。

 てゆーか名前を呼ぶな。

 一号生達に聞かれたらどうする。

 まあとりあえず言われるままに導かれて進んだ先に、洞窟みたいな入り口があった。

 

「抜け道。僕らはここから向こう側へ渡る。」

「え!?なんでこの事、あの子達に教えてあげないんですか?」

「これ、試練だからね。

 闘士たちだけじゃなく全員の、絆の力を試す為の。

 ちなみに、正解は特になし。

 もし彼らの力でここ見つけたなら、それは有効って事で。」

 まじか。

 

「で、でも、もし無茶な選択して、あそこから落ちたりしたら…!」

「あの下、川だから。

 余程おかしな落ち方しなければ多分死なない。

 その場合僕らも一応待機するし、大丈夫大丈夫。」

 ……いいのか?なんか納得いかないんだが。

 とりあえずあの子達が、周囲の探索を選択してここを見つけてくれる事を祈るしかない。

 

 その祈りも虚しく。

 彼らが選択したのは、全員の身体で橋をかける事。

 くっそ、あの脳筋どもが。

 こうなったら絶対落ちるなよ。

 

 洞窟と見えた抜け道は、歩きやすいようそれなりに整えてあった。

 そこを通って私たちが向こう岸に着いた時、男たちの命の架け橋が、闘士たちを全員渡しきった直後だった。

 万人橋と呼ばれるこの人橋、故事では渡しきった後、全員力尽きて谷底に落下して死んだという。

 先程の救助スタッフの言葉を信じれば、ここから落ちても彼らが死ぬことはないようだが、闘士達の側からそれは判るまい。

 となると、これから闘いに赴く彼らの心に、甚大なるダメージを与える事は必至。

 彼らがどのようにそこから脱出するのか、固唾を飲んで見守っていたら、田沢の号令を合図に、最初の崖の方にいた塾生が地面を蹴って、連なったまま一瞬宙を舞った。

 そうして反対側の崖壁に、全員が足をつける。

 この状態だと一番上を支える松尾に、全員の体重がかかることになる。

 足で壁を支えるのは、少しでもその負担を軽くする為らしい。

 そしてある程度体制を整えてから、1番下の者から順番にその身体を伝い、上へと登っていった。

 

 だが全員既に体力も限界。

 落ちそうになった1人を、危ういところで、もう登り切る寸前だった田沢が繋ぎ止め、そこから滞りなく脱出劇は進んでいった。

 最後に、全員の体重を支えきった松尾と、切れそうになった流れを繋ぎ直した田沢の二人を残すのみとなったのだが、這い上がる力が出せず少し休んでからと言っている間に、事態が悪い方向に動いた。

 闘士達と、崖壁を登り切った人橋が乗った部分は、ややオーバーハングしていた。

 

 それが、全員の体重を支え切れずに崩れ始めたのだ。

 

 桃が全員を安全な場所まで退避させ、自分は松尾と田沢を助けようと崖を降りる。

 二人は「来るな」とそれを止めようとするが、この場合桃がそれを聞く筈もない。

 このままでは全員崖の崩落とともに落ちる。

 その時。

 

「さらばだ、みんなーーっ!!」

「おまえ達の勝利を信じているぞーーっ!!」

 松尾と田沢は自ら、捕まっていた岩から手を離すと、崖下に身を躍らせた。

 

 …呆然と見送る間にも崩落は止まらない。

 

「崩れ落ちるぞ!退け!貴様らーーっ!!」

 伊達が桃の代わりに全員に号令をかけ、安全な場所まで退避させる。さすがは元一号生筆頭の貫目。

 

「奴らの死を犬死ににしたいのかー!?

 あがれ、あがってくるんだ、桃ーーっ!!」

 …桃が年齢なりの青さを見せるのはまさにこういう場面だ。

 やはり桃には、今の伊達のような存在が近くに必要だと思う。

 

 …崩れ残った崖の末端から、男達の慟哭がこだまする。

 その男達の背中に、先ほど一番最後に抜け道を通って渡ってきた王先生が、感情のこもらない声をかけた。

 

「いつまで悲しんでおるつもりだ?

 第二の闘場では、次の対戦相手が首を長くして待っておる。」

 …いつの間に渡ってきたのかと一号生達が怪訝な表情を見せる。

 うん、ごめん。

 こうなった以上、抜け道があるなんて口が裂けても言えない。

 一応崖下に待機してた救助組からの報告で、落下した二人は川に着水してすぐに川岸に引き上げたとの事。

 落下のショックで気は失ってるけど、特に怪我はないし水も飲んでないから、そのうち目を覚ますだろうってさ。良かった。

 

「大威震八連制覇の道は長く険しい…。

 ここから先も、これ以上の悲しみや苦しみが、おまえ達を待ち構えているだろう。

 どうする…?勝負を捨て敗北を認め、引き返すのも自由だがな…。」

 意地悪言わないであげてよ王先生。

 それでなくとも全員ショック受けてるんだから。けど。

 桃が、崩折れていた膝を立ち上がらせながら、失った二人を偲ぶ言葉を紡ぐ。

 どんなに苦しく辛いシゴキにも耐え、あまつさえその明るさで皆を励ましていた事を。

 

「引き返すだと…そんな仲間を失った俺達に、引き返す道などあると思うのか……!!」

 言って立ち上がった桃の号令に、全員が闘場への道を真っ直ぐに歩いていく。

 それは決意。勝利の誓い。

 誰かが男塾塾歌を歩きながら口ずさみ始め、次々とその声が増えて重なってゆく。

 

 日本男児の生き様は

 色無し 恋無し 情け有り

 男の道をひたすらに

 歩みて明日を魁る

 嗚呼男塾 男意気

 己の道を魁よ

 

 日本男児の魂は

 強く 激しく 温かく

 男の夢をひたすらに

 求めて明日を魁る

 嗚呼男塾 男意気

 己の道を魁よ

 

 嗚呼男塾 男意気

 己の道を魁よ

 嗚呼男塾 男意気

 己の道を魁よ

 

「なんという悲しい唄声よ…。

 まるで魂を引き裂かれるような慟哭よ。

 しかし、その悲しみの中には、嵐に立ち向かっていくような力強さがある。

 この王大人(ワンターレン)、ひさしぶりに心を震わされた……!!」

 王先生が、珍しく感極まったように呟いた。

 

 私が今している事は、やはりあの子達を欺き、裏切る行為なんじゃないかと思う。

 少なくともこの純粋な悲しみを前にして口をつぐみ、無用な涙を流させたまま放っておいている、この状況だけを見ても。

 ごめんね、みんな。

 

 ☆☆☆

 

 天界降竜闘神像。

 雲上から降り立った竜の化身とされ恐れ崇められた闘いの神を模した巨大な像。

 第二の闘場はこの神像の中にあり、既に対戦相手は待っている筈。

 三号生側の二の組は、独眼鉄とセンクウ。

 そういえば鎮守直廊で富樫は独眼鉄と顔を合わせているそうだが、その時は闘ったというよりも、私にもした例の質問に富樫が身体で答えた、というところだったらしい。

 

「あの学帽は懐かしかったが、顔も性格もあまり似ていないな。

 源吉(アイツ)が色々老成してただけなんだろうが、弟の方が直情的で、まったく可愛いもんだ。

 だが、いい答えを出したぞ、アイツは。

 あの根性に応えるべく、俺も精一杯、いいゲス野郎を演じることにするさ。」

 独眼鉄が出発前、そう言って哀しげに笑った顔を思い出して胸が痛んだ。

 中に入るのは闘士のみ、他の者は外で、闘いが終わるのを待つしかない。

 

「情けだ、時をやろう。

 末期の別れになるやもしれん。

 友との別れを惜しむがよい。」

「そんな悠長なこと言ってるヒマがあったら、早く中へ案内してくれや。」

 また意地悪な事を言う王先生に、富樫が迷う事なく答え、その彼を取り囲むように一号生が歩み寄った。

 

「安心しろ。俺たちは負けやしねえ。

 命を張って万人橋を架け、俺達をこの闘場に渡してくれた、松尾や田沢の死を無駄にできんからな……!!」

 言いながら学帽を深くかぶり直す。

 これは本心を隠したい時か気持ちを落ち着かせたい時、つまりはある程度精神的に重圧を感じている場合に出る富樫の癖だ。

 そりゃそうだろう。

 彼だって怖くないわけじゃない。

 けど彼にしてみれば早く自分の闘いを終わらせて、『大豪院邪鬼』のもとへと急ぎたいのだろう。

 だが、本当に彼が目指すべき仇はまさに、これから挑む闘いの中に待っている。

 そこに誤解と嘘と、深い哀しみが横たわっていたにしても。

 像の竜の口から階段が降りてきて、そこから王先生が闘士達を先導する。

 私達はその後ろに並び、虎丸が他の一号生に声をかけた。

 

「じゃあな……いってくるぜ。」

 皆の応援を背に、闘士達は階段を登り始めた。

 

 はあ、はあ、ぜぇ、ぜぇ。くっそ、階段長ぇわ!

 体力がない方ではないが、こいつらと比べると歩幅の小さい私は、どうしても遅れがちになる。

 ってやかましいわ。

 とか思ってたら裾を踏んでしまい、転びそうになったところを虎丸が襟首を掴んで支えてくれた。

 声を出すわけにもいかないので虎丸に向かって一礼する。

 

「気をつけろ。

 ここで足を踏み外したら下まで一気に転げ落ちるぞ。」

 前の方から桃が振り返り、何やら物騒なことを言っている。

 もう一度会釈してから、少し急ぎ足で階段を登った。

 背中の方から桃が、虎丸に話しかける声が聞こえる。

 

「どうした、虎丸?」

「…いや、今のやつ見てたら、ちょっと光のこと思い出した。

 あいつ、今頃なにしてんのかなぁ。」

 ギクッ。

 

 息を切らせながらもようやく追いつくと、何故か王先生は立ち止まってこちらを見ていた。

 ありゃ。心配かけちゃっただろうか。

 だが、先生の視線の先にいるのは、私ではなく富樫だった。

 

「なんだおっさん。

 さっきから…俺の顔がそんなに珍しいか。」

 どうやら王先生は先ほどから、何度も振り返っては富樫の顔を観察していたらしい。

 

「…運命とは皮肉なものよ。

 この大威震八連制覇第二闘場への階段を、兄と同じように三年後の今、その弟が登っていくことになるとはな……!!」

 あちゃー。ここで言っちゃうのか王先生。

 

「なっ…!!し、知っているのかーーっ!

 お、俺の兄貴のことをーーっ!!」

 案の定、富樫は王先生に駆け寄り、飛びつかんばかりに詰め寄る。

 

「貴様の兄は貴様と同じように三年前、大威震八連制覇男塾一号生代表として、この第二闘場で闘い、敗れおった。

 そしてその対戦相手も、これから貴様が闘う相手と同一だ。」

「な、何……俺の兄貴の対戦相手は、邪鬼ではなかったのか……!?」

 富樫の目が驚愕に見開かれる。

 桃達他の闘士も、なにも言えずに黙り込んだ。

 王先生はもう一度前を向くと、再び歩き出す。

 まもなく大きな鉄の扉が、階段の先に見えた。

 

「着いたぞ。

 この扉の向こうに第二の闘場が待ち受けておる。」

 その重そうな扉が、大きな音を立てて開かれる。

 

「さあ、入るがよい!!

 これぞ大威震八連制覇・竜盆梯网闘(りゅうぼんていもうとう)!!」

 

 ☆☆☆

 

 大威震八連制覇第二闘場、竜盆梯网闘…直径三十(メートル)の大器になみなみと濃硫硝酸を満たし、その上に長さ二十五(メートル)の、老柔(ラオロウ)杉で作られた非常に軽くて脆い梯子を組んで、その上で両軍一名ずつの闘士が闘う。

 この梯子、三名以上が乗ると割れ落ちるように強度が計算されて作られているそうだ。

 あと、この闘場に関しては、何故か濃硫硝酸の器が数カ所で、細めのワイヤーロープで天井から吊り下げられていた。

 そこに王先生が、生きたウサギを投げ入れてのパフォーマンスを行なう。

 …かわいそうとか思う前に『あ、肉、勿体無い』と思ってしまうのは、やはり私が孤戮闘修了者だからだろうか。

 ひょっとしたら伊達も今、おんなじような事思ってるかもしれない。

 

「出場闘士二名以外は後ろへ下がられい。」

 王先生の指示により、私達白装束が富樫と飛燕以外をその場から下がらせる。

 彼らが目印の線より下がったのを見計らって、打ち合わせ通りスイッチを押すと、上から鉄格子の檻が落ちてきて、下がらせた者たちをその場に閉じ込めた。

 

「これで貴様達は、この二名がいかなる窮地に陥ろうとも手出しはできん。」

「フッフフ、随分と念のいったことだぜ。」

 …関係ない事だがこの檻、無駄に体格のいいこの男たちだから閉じ込める事ができるが、多分私ならこの隙間、少し無理すれば通り抜けられる気がする。やらないけど。

 

 と、

 

「危ない、富樫ーーっ!!」

「んー!?」

 檻の中から桃が突然叫んだと同時に、飛燕が富樫を押し倒すように地に伏せさせ、そのすぐ頭上を巨大なヨーヨーのような武器が通り抜けた。

 その武器は繋がった鎖を巻いて放った者の手元に戻ってゆく。

 

「独眼鉄!

 死天王のひとり、センクウ!

 貴様等とこの竜盆梯网闘で闘うのはこの俺達よ。」

 独眼鉄が固い声で名乗りをあげた。

 

 …今から彼にとって一世一代の演技が始まる。

 せめて精一杯踊れ、道化よ。




この万人橋に関しては詳細はスルーしようかと本気で考えてた。ここをアタシ程度の文章力で中途半端に描写するくらいなら、いっそ書かない方がいいんじゃないかと。それくらい重要なシーンだと個人的には思ってる。
結局書いちゃって正直すまんかった。
そんなわけでルックア・ラ・モードが甘すぎて不味いとか言うやつはおとなしくカレールーでもかじってろ。


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5・世にも悲しい男の物語

なんかよくわからないが、この回すごく描き辛かった…。


「三年ぶりに、懐かしい兄貴と対面させてやるぜ。

 もっとも、地獄での話だがな。」

 …その男の死を辱める言葉を吐くのは、彼にとっては辛いことの筈だ。

 なのに、そんな事をおくびにも出さずにニヤリと嗤いながら、つっかえずにその台詞を言った独眼鉄は、己に課したそのゲス野郎の役を、今や完全に自分のものとしていた。

 その演技は婀禍泥魅威(アカデミー)賞ものだ。

 

「て、てめえ達か…俺の兄貴を殺したのは……!!」

 富樫が身体を震わせながら独眼鉄を睨みつけ、それに独眼鉄が頷く。

 

「その通りだ!」

 …まあ正確にはその時、先発で戦った独眼鉄が、富樫源吉の後にその相棒も倒しており、センクウは戦っていないという。

 それくらい実力差があったのだ。

 その時の挑戦者である出場闘士と、三号生代表との間には。

 

「俺が先だ。文句はねえだろうな、飛燕。」

 王先生に先発を決めろと促され、富樫が上着を脱ぎ捨てる。

 …ほらもう、またあんなところにドス差して。

 転んだ時危ないからやめろって言ってるのに。

 これに限らず富樫は、どこか危なっかしくて見ていられないようなところがある。

 今は特に状況が状況だけに、はたから見たって冷静さを失っているのは間違いないし。

 

「フッフフ、三年前を思い出すわい。」

 ニヤニヤ笑いながら、独眼鉄が梯子に続く階段を登る。

 思い出すも何も、忘れたことなんかなかったろう。

 でもひょっとしたら、この笑みは本物かもしれない。

 今日までの後悔に、ようやく決着がつけられるという喜びからの。

 対する富樫は相変わらず身を震わせながら、階段の1段目に足をかけた。

 

「まずい!富樫の奴、ああ興奮していては……!!」

 檻の中から桃が、私が思っていたのとおんなじような危惧を口にした。と、

 次の瞬間、階段を登る途中の富樫の頭上を飛び越えて、大きな鳥が闘場の梯子の上に降り立った……そのように見えた。

 

 しなやかな手足。

 女性のように柔和で整った美貌。

 そこに浮かべる涼しげな微笑み。

 長くて真っ直ぐな亜麻色の髪を、ヴェールのようにふわりと靡かせ。

 …鳥人・飛燕、降臨。

 

「ひ、飛燕、てめえーーっ!!」

「おっと!気をつけてくださいよ?

 三人以上この梯子の上に乗れば、たちまち砕け落ちることをお忘れなく。」

 振り返ったその涼しげな微笑みを向けられ、富樫が舌打ちをする。

 …てゆーか、えっ!?

 ちょっと待ってお姉さん、いやお兄さんか。

 あなた、ついさっきまで普通に制服姿でしたよね?

 なんで今、拳法着なんですか?

 いつ着替えたんですか?

 私が富樫に気を取られてた間に着替えたにしても早すぎませんか?

 …この人、この特技とこの美貌なら、武闘家でいるよりも舞台俳優かファッションモデルでもやってた方がいいんじゃなかろうか。

 それともこれもまた、つっこんだら負け案件なのか。それはさておき。

 

「そんな、頭に血が上った状態のあなたでは、この勝負勝ち目はありません。

 しばらく頭を冷やしていて下さい……。」

 …えーと。独眼鉄の心持ちを現時点で唯一把握している私からすれば、この行動は、

 

『無いわー。空気読めてないわー。』

 と思わざるを得ないわけだが、まあ確かに普通の状況ならこの判断が正しいのだろう。けど。

 独眼鉄、一瞬唖然としちゃってたじゃん!

 メッチャ素の表情に戻っちゃってたから!

 まあ、すぐに気を取り直して、ゲス野郎のキャラを取り戻したのはさすがというべきか。

 

「…少しはできるらしいが、おまえのような女々しい野郎が、俺に勝てるとでも思っているのか。」

「見かけで人を判断しないほうがいい…死ぬことになる!!」

 確かに。可憐な咲きたてのこの白薔薇は、迂闊に手折ろうとすれば棘に刺されて怪我をする。

 かたや対面のゲス野郎は、心のうちを覗けば少し照れ屋で泣き虫で、けれど情の深い優しい男。

 どちらも見た目に騙されちゃいけない。

 

 しかし、これで状況が若干カオス化してきた。

 少なくとも独眼鉄が富樫に倒されようと思ったら、まずはこの飛燕に勝たなければならないわけだ。

 

 大威震八連制覇第二戦・竜盆梯网闘(りゅうぼんていもうとう)、開始。

 

 ☆☆☆

 

「心配はいらん。

 (つばめ)のように素早く鷹のように鋭い、三面拳のひとり飛燕の鳥人拳…奴の恐ろしさを知ることになるだろう。」

 檻の中から飛燕に声をかけ、心配そうに見つめる虎丸の後ろから、伊達が落ち着いた声で言う。

 その言葉通り、独眼鉄が例の刃のついた巨大ヨーヨーで攻撃するも、ふわりと飛び上がってそれを避ける。

 

「そんなオモチャが、この飛燕に通じると思うのか。」

 言いながら懐から例の針を取り出し、独眼鉄の第二撃をやはり飛んで避けながら投擲する。

 

「鳥人拳・鶴觜千本!!」

 それは戻ってくる巨大ヨーヨーと同じ速度で、それと並行して独眼鉄のもとに向かう。

 独眼鉄はその武器の特性上、戻ってくるそれを受け止めねばならない為、嫌が応にも鶴觜に向けて手を伸ばす事になる。

 そして飛燕の鶴觜が狙うのが、その伸ばされた腕。

『驚邏大四凶殺』の時に富樫に対して見せた攻撃と同じように、三本の鶴觜が一瞬にして、独眼鉄の手首に突き刺さる。

 

「針の穴を通すが如く、貴様の神経節を貫いた。

 貴様の右手はもう使えまい。」

 …そう言ってるけど、それにしてはちょっとおかしい。

 あれ、まともに入ってたら痺れて力が抜ける筈だから、あんな重たい武器とか持ってられないと思うんだけど、それにしては未だに平然と持ったまんまだし。

 私が見た限りでは狙いは正確だし、飛燕が外すとも思えないんだけど。

 

「鶴觜千本十字打ち!!」

 そこに気付いていないのかどうなのかわからないが、飛燕は更に鶴觜を、独眼鉄の身体に放つ。

 

「次はどこがいい…それともひと思いに、心臓を貫いてやろうか。」

 言いながら飛燕が冷たい笑みを浮かべる。

 あ、これも『驚邏大四凶殺』で富樫と戦った時と同じ表情だ。

 どうやら相対している敵に見せて浮かべるらしいその表情は、闘いの最中であっても見惚れるほどに美しい。

 …こりゃ、アレだな。

 この人、自分が綺麗だって事ちゃんと判ってて、その魅せ方も計算してる。

 彼にとっては、その美貌すらも武器なんだ。

 それだもん、顔に傷つけられてあんなに怒るわけだわ。

 …はっ!!

 ま、まさかあの闘いで双方落下した後、気を失ってた富樫が………その、ええと、なんだ、勃起してたのって、まさか……!?

 い、いや止そう。考えるな。

 

「さすがに大威震八連制覇に選ばれただけの事はあるようだな。

 こうでなくては、つまらん。」

 それはさておき、独眼鉄のひとつだけの目に、さっきまではなかった気迫が浮かぶ。

 そして気合の声とともに、その身体に突き刺さった鶴觜が全て、厚い筋肉の力だけで弾き出された。

 それが飛燕の方に飛んでゆくも、さすがに飛燕は小さな動きだけでそれを躱す。

 

「神経節を貫いただと…そう簡単に、この鍛え上げられた鋼並の筋肉を通して、神経節まで届くと思うのか。」

 やっぱり届いてなかったんだ。

 あの鶴觜は投擲武器である事の限界から、ある程度の質量を要する。

 あれより細い針ならばもっと深いところまで届くのだろうが、飛距離は確実に短くなり、その分対象に近寄らねばならないだろう。

 ちなみに私が氣の針で同じ攻撃をしようと思ったら、対象の懐に入って直接触れて行うしかない。

 氣を飛ばして攻撃するのも可能は可能だが、飛距離に従って威力も確実性も落ちる。

 私は所詮闘士にはなれない、ただの暗殺者という事だ。

 

「どうやらおまえを甘くみすぎていたようだ。

 ならば俺も全力を尽くさねばなるまい…。

 仁王流・號賽拳(ごうさいけん)!!」

 独眼鉄が巨大ヨーヨーを投げ捨て、構えを取る。

 それを見て伊達が、底意地の悪そうな笑みを浮かべた。

 

「フッフフ、笑わせやがる。

 あの図体をして、拳法で飛燕に立ち向かうだと…?」

 飛燕が構えると同時に独眼鉄が突進してくる。

 この巨体にして鋭く早い攻撃だが、飛燕はその攻撃の悉くを、微笑みすら浮かべながら躱す。

 どうやらスピードに関しては役者が違うらしい。

 というか、そろそろ判ってきてしまった。

 伊達の言う通り、実力的にも飛燕は圧倒的に独眼鉄を上回っている。

 …ごめん富樫。私、相当おまえの事舐めてた。

 たとえ奇跡にしろこの人と闘って相討ちに持ち込めたって事実、今度からもっと重く見る事にする。

 

「どこに目をつけている。後をとったぞ。」

 その独眼鉄の手刀をすり抜けて、飛燕が独眼鉄の背後に降り立つ。が、

 

「かかったな。

 わざと後をとらせて近づけたのがわからんのか。」

 独眼鉄は振り返ると、飛燕に向けて口から含み針…というには太い棘状の暗器を放った。

 反射的に飛燕の手が顔を庇い、掌にそれが突き刺さる。

 同時に視界が塞がれたその一瞬をついて、なんと独眼鉄の太い脚が、飛燕の首に絡んで絞め上げた。

 そのまま梯子の棒を一本掴み、他の棒を破壊しながら回転する。

 飛燕は首吊り状態に更に遠心力が加わり、その苦しみは相当の筈だ。

 

「これぞ仁王流・錠枷殺(じょうかさつ)大車輪!!」

「飛燕ーっ!!

 この野郎、妙なマネしやがってーーっ!!」

 思わず富樫が駆け寄ろうとするも、

 

「馬鹿め、忘れたのか。

 この老柔(ラオロウ)杉でできた梯子は、三人以上で乗ればたちどころに、割れ落ちるように計算されて作られている事を。」

 意訳=『危ないからおまえはまだ来んな』。

 というか遠心力がかかってる時点で、三人分以上の重さ、充分かかってると思うのだけれど、やはりこれもつっこんだら負け案件だろうか。

 

「恐ろしい技よ。完全に決まりおった。

 あれでは死ぬまで耐えるだけで逃れる術はない。」

 王先生が感情のこもらない声で呟くが、本当、なんて恐ろしい技なんだ。

 後頭部に股間押し付けるとかセクハラ過ぎて見てられない。

 いや、そんな事言ってる場合じゃないけど。

 

「ヌワッハハ、苦しかろう。まだ息はあるか。

 その美しい顔が歪むのを見るのはなんとも快感じゃて。」

 ちょっと待て独眼鉄。

 演技に熱が入ってきてるのはわかるけどもうゲス野郎通り越して変態発言ですそれ。

 てゆーか多分だけど、自分の決意に水を差された事で飛燕に腹を立ててるぽい。

 独眼鉄の思いなんかわからないんだから仕方ないし、飛燕にしてみれば相棒を思いやっただけなんだけど。

 それはともかく見てる間に飛燕の顔色が蒼白になってゆき、虎丸が檻の中から必死に声をかけている。

 そして相棒の富樫はというと…腹のサラシに差し込んだドスを抜き、じっとその刃を見つめていた。

 その様子に王先生が、

 

「投げて味方を助けるような真似は許さん。」

 と注意を促すけど、富樫はそんな事考えるような子じゃない。

 大体飛燕ならともかくこの子にそんな技術ない。

 下手に刃物なんか投げたところで、この距離でしかも動く的に正確に当てるなんて出来っこないし、下手すりゃ飛燕に当たる恐れだってある。

 それにあの刃を見つめていた目は、何かの覚悟を一生懸命固めようとしてる、その過程であるように見えた。

 そしてその覚悟は、王先生の言葉により、一気に固まったらしかった。

 

「なめるな…!!

 俺が男の勝負に、そんなチンケなマネするとでも思うのか。」

 言うと富樫は、抜いたドスを逆手に持ち替え……!?

 

 え…ギャーーーッ!!な、何やってんのよアイツ!!

 

 ・・・

 

「ヌワッハハハ、腕の力が弱くなってきたぞ!

 このまま絞め殺されるのと、それとも硫硝酸の池に放り投げるか、どっちがいいーーっ!!」

 独眼鉄の錠枷殺大車輪に極められて、飛燕はもはや完全に力を失ったように見えた。

 その飛燕に向かって、富樫が大声を張り上げる。

 

「飛燕ーーっ!!目を覚ますんじゃーーーっ!!

 目ン玉を開け!これが見えんかーーっ!!」

 それは、先ほど手にしたドスで、富樫が自らの胸に刻んだ『闘』の文字。

 

「血闘援か……。」

 王先生が呟いて、少しだけ説明してくれた。

 その起源は中国の兵法書の中に残るという、身をもって闘士と苦しみを同じくして必勝を祈願するもの。

 

 …あの傷は、私が介入しなければ残りそうだな。

 友を思う気持ちはよくわかったが、私にかかる負担も少しは考えてくれんかね?

 考えるわけないかそんなもん。

 

「貴様それでも生死を共にすると誓い合った俺の相棒か!

 俺は、そんな情けねえ相棒をもった覚えはねえぞーーっ!!

 これを見ても駄目ならてめえもそこまでの男!

 勝手に死んじまえーーーーっ!!」

 気持ちはよくわかったが出血が凄い。

 飛燕がもしこれで目を覚ましたにしても、交代は必至だろうから、これからあなたが闘わなければならないのに、その前に自分からダメージ食らってどうする。

 

「何をたわけたことを!!

 そんなマネをしても無駄なことじゃ。

 もうこいつは息をしておりはせんわい。」

 そして相変わらず演技が白熱してる独眼鉄がその富樫に言うも、その台詞がまだ終わらぬうちに、だらりと下がっていた飛燕の両手が上がり始めた。

 その手が首に絡む独眼鉄の脚を掴む。

 先ほどまで苦し紛れにそこにあった手ではあるが、先ほどよりもしっかりと掴んでいるようにすら見える。

 

「フッフフフ、まったくきつい相棒をもったもんだぜ…どうしてもただでは死なせてくれんらしい。」

 恐らくは飛燕が抵抗しなくなったあたりで、脚の締め付けが緩んでいたのだろう。

 そうでなければ首の骨が折れる勢いで、飛燕は独眼鉄の脚を掴んだ手を軸にして身体を大きく揺らすと、上がった脚でそのまま、独眼鉄の顔面に蹴りを放った。

 その華奢な脚で、しかも不自然な体勢から繰り出されたとは思えないほどの一撃に、思わず独眼鉄の口から血と演技ではない声が漏れる。

 飛燕はその状態から空中で体勢を整え、再び梯子に降り立って、構えを取った。

 

「そうだ、それでいい。

 それでこそ俺の相棒だぜ。」

「フッ…余計なマネをしてくれる。

 しかしおまえの血闘援、無駄にはしない…富樫…。」

 だが、飛燕の呼吸はかなり乱れており、ピンチは切り抜けたものの残るダメージは相当なもの。

 檻の中で見守る面々の表情にも不安げな彩が映る。

 対する独眼鉄は、口から折れた歯を三本ほど吐き出し、やはり闘う構えを取った。

 

「フッフフ、やるのう。

 俺の錠枷殺大車輪を破るとは…しかし相当こたえたようだな。

 その身体でまだ戦うつもりか?」

「貴様ごときに後ろを見せるこの飛燕ではない。」

 飛燕がそう言って懐から、例の鷹爪殺を取り出して右手に装着する。

 …この件に関して私はもうつっこまないからな。

 折りたたんで入れてあんのかとか言わないからな。

 飛燕は大きく振りかぶり、その鷹爪殺を独眼鉄の身体に突き立てる。

 それを独眼鉄は避けることもせず、そのまま腹で受け止めた。

 

「その程度の力では、俺の鋼の筋肉を貫けはせん!」

 …鷹爪殺は先端が表層の皮膚を薄く傷つけたに過ぎず、独眼鉄の分厚い腹筋はそれ以上の刃の侵入を許さない。

 独眼鉄の右手がその鷹爪殺を掴み、同時に右脚が蹴りを放つ。

 飛燕はそれを飛び上がって躱したが、その際に鷹爪殺を独眼鉄の手に残す結果となった。

 

「いいものをもらったぜ。」

 嗤いながら手の中に残ったその武器を自分の手に装着し、独眼鉄は飛燕に向けてそれを振り回す。

 飛燕はそれを辛うじて躱しているが、その動きに先ほどまでのような精彩がない。

 やはりダメージが蓄積しているのか。

 かと言って自陣に戻り選手交代しようにもその隙は与えられず、自身の武器である鷹爪殺に道着の胸元を切り裂かれ、更にらしくもなく脚を踏み外す。

 すんでのところで梯子に捕まり落下を防いだものの、安心できる状況ではまったくない。

 

「フッフフ、どうやらこれで勝負あったようだな。」

 梯子からぶら下がっている飛燕のそばにしゃがみ込んだ独眼鉄が、無造作にその指に鷹爪殺の先を振り下ろす。

 

「ぐっ!!」

「ククッ、それにしてもその美しい顔が、苦痛で歪むのを見るのは快感よ。」

 だから、変態発言ヤメロ独眼鉄。

 というかこれ完全に、自身の設定したゲスキャラに、本来の独眼鉄が飲み込まれてる気がしてならない。

 こうまでしなきゃならないのかと、そろそろ見ているのが辛い。

 見ているのが辛いといえば、富樫の胸の傷なんだが、一応今は戦闘に参加していない彼の手当てをしては駄目かと王先生に訊ねたところ、この先の闘いの事もあるから止血くらいなら構わんと答えたので、全員が梯子の上に注目している今のうちに、こっそり背中から富樫に近寄り、脊髄の部分に氣を入れて、止血処理だけ施すことにした。

 これなら使用する氣もほんの僅かで済む。

 ただ、やはり処置の際に一瞬だけ痛みが走ったようで、富樫は驚いたように後ろを振り返った。

 その時には私はもう、他の白装束スタッフの陰に走りこんで姿を隠していたけど。

 チビスケ舐めんな。

 

「フッフフ、快感、快感!」

 そんな事をしているうちに独眼鉄の変態劇場はまだまだ続き、あろう事か飛燕の右頬に鷹爪殺の先を当てて、そのまま横に滑らせた。

 

 …ギャーーーー!!おま、独眼鉄!

 女性の顔になんて事を!いやわかってる!

 彼が男性だとアタマではわかってるが、私の感情的にはまだ許容しきれていないんだよ!

 あの驚邏大四凶殺の時に富樫につけられた傷でさえ許し難いと思ったのに、これがもし傷跡残ったら今度こそ伊達とお揃いだろ!

 責任とって嫁にもらったって鬼畜の汚名は雪がれんわ!!

 

「あ、あの変態野郎ーーっ!!」

 虎丸がその場にいた全員の意見を代表した言葉を叫ぶ。

 そんなものにはまったく頓着せずに、独眼鉄は更に鷹爪殺を、今度は飛燕の背中に打ち込む。

 

「おまえの心は、その顔と同じように醜くゆがんでいる。

 ならばそれにふさわしい死を与えてやるまで…!」

 泣き叫べ命乞いをしろと高笑いする彼に、飛燕はその姿からは考えられないほど、強い口調で言い放った。

 その言葉に逆上した独眼鉄が、鷹爪殺を飛燕の頭部に向かって打ち下ろす。

 その瞬間、飛燕は梯子を掴んでいた両手を離した。

 

「潔い奴よ、自ら硫硝酸盆へ飛び込みおったかーーっ!!」

「ひ、飛燕ーっ!!」

 自殺したとしか見えぬ飛燕の行動に富樫が思わず叫ぶ。

 だがその飛燕は落下しながらくるりと体勢を変え、頭上に向けて何かを投げ放った。

 ロープ様のそれは梯子に巻きつき、寸でのところで落下を防ぐ。

 こうなれば、空中戦を得意とする鳥人・飛燕に敵はない。

 ロープにつかまりながら反動をつけ、その遠心力で梯子のはるか上まで飛び上がった飛燕は、その勢いで独眼鉄を梯子から蹴り落とした。

 先ほどまでの飛燕と同じように梯子から、しかも片手だけでぶら下がる独眼鉄に向けて、更に空中から鶴觜を投擲する。

 

「鶴觜千本・断神節!!」

 血まみれのその繊細な指から放たれた四本の鶴觜は、独眼鉄の梯子を掴むその指に突き刺さった。

 同時に飛燕の足が梯子の段を踏み、一瞬にして双方の立場が逆転する。

 

「な、何をしやがった。

 体が痺れて動くことができねえ…。」

「自慢の筋肉も、指の甲だけは鍛えようがなかったようだな。

 鶴觜千本、寸分の狂いもなく指の神経節を貫いた。」

 指には、首と繋がる神経がある。

 そして首は脳と身体を繋ぐ重要な箇所。

 うまく刺激すれば、麻酔の如くそこから下の神経を麻痺させる事も、理論上は可能だ。

 飛燕がしたのはまさにそれ。

 とはいえ言うほど簡単な事では勿論なく、しかもそれを投げた針で行なったのは、改めて見るとやはり神業だ。

 

 私がやるなら触れられる距離で直接氣を撃ち込むしかないから、わざわざ指からなんてまどろっこしい事はせずに直接首を狙うけど。

 

「今からおまえの指は一本ずつ、意思とは無関係にはがれてゆく。」

 飛燕が冷たい目で独眼鉄を見下ろしながら、死刑宣告のように言い放つ。

 その言葉通りに、最初に小指が一本立ち上がった。

 

「馬鹿な奴よ。飛燕を本気で怒らせるとは…。」

 その光景を見ながら伊達が呟く。

 彼をよく知る伊達がこう言うのだ。

 飛燕は普段は穏やかでいながら、怒ると怖いタイプなのだろう。

 うん、絶対怒らせるのやめとこう。

 更に、独眼鉄の薬指が立ち上がり、今やその身体を、人差し指と中指のみで支えている。

 私からすればそれだけですごい事だ。

 

「最後だな。

 いくらおまえでも、指一本では支えられまい…。」

 言いながら、飛燕は独眼鉄に背を向ける。

 その(むご)い光景を、せめて目にしたくないとでも言うように。

 

「ちょ、ちょっと待てーーっ!!

 お、俺は独眼鉄!

 貴様ごときに負けてたまるかーーーっ!!」

 彼にとっては、富樫との闘いを果たさぬ前に、その相棒などに倒されるわけにはいかないのだ。

 だが、そんな彼の想いなど誰も知らぬまま、今度は中指が立ち上がり、独眼鉄は悲鳴をあげて、硫硝酸盆へ落下していった。

 

「貴様にはこんな死がふさわしい……!!」

 

 ・・・

 

「ひ、飛燕の奴、あんな優しい顔して、あんな恐ろしい一面があったとは……。」

「どこに目をつけている虎丸。

 もう一度よく見てみろ。」

 独眼鉄が落下する瞬間目を背けていたのだろう虎丸が呟くのに、桃が微笑みながら下を指し示す。

 独眼鉄の身体には、先ほど飛燕が使ったロープが繋がっており、彼は硫硝酸盆に落下する寸前のところで泡を吹いて、あまつさえ失禁すらしてぶら下がっていた。

 

「命だけは助けてやる。

 死の恐怖は存分に味わっただろう。」

 ナイスだ飛燕。

 独眼鉄はほぼ無傷の状態だから、敗退しても手当はしなくて済む。

 飛燕は三号生側の陣に初めて目をやると、そこに控えたままのセンクウに声をかける。

 

「わたしはこの梯网(ていもう)より降りて待っている。

 その間に助け上げてやるがよい。」

 だがセンクウは、必要ないと一言告げ、その場から立ち上がりもせず手を動かす。

 次の瞬間、独眼鉄を繋いでいたロープが切れ、独眼鉄は悲鳴を上げて、今度こそ硫硝酸の中に沈んだ。

 

 ちょっと待てーー!

 なんて事するんだよセンクウ!!



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6・Sexy Blaze Storm

「相棒だと……そんな、不甲斐無い相棒をもったおぼえはない。」

 センクウは立ち上がると、纏ったマントを翻し、梯网(ていもう)の上に歩み出た。

 

「外道が……!!」

 敵とはいえ自分が命を助けた筈の者をあっさり殺されて、飛燕が歯噛みをする。

 …まったくだよ!

 ちなみに天動宮で会った時のセンクウは、親切にはしてくれたけど、一方でデリカシーに欠ける面があった。

 まあ男って基本そういうもんだろうし、その点では卍丸が紳士すぎたんだけど。

 なんだかなあ。

 まあだがしかしこの硫硝酸盆には若干の仕掛けが施してあり、戦闘開始から少しずつ、液体の濃度は薄くなっている。

 現時点でなら確かに触れれば結構な火傷はするだろうが、先ほどのウサギの様に一瞬にして骨になる様な事はもうない。

 更に人間が落ちた瞬間に急激に煙を立てて(これは驚邏大四凶殺一の凶・灼脈硫黄関で三号生たちが使ったのと同じ手だ)その間に救出を行なっている筈だから、独眼鉄は今は救命組により迅速な手当てが施されている最中だ。

 

 …私も行った方がいいだろうか。

 王先生は大丈夫だと言っていたけど。

 まあ火傷といっても表層だから、落ち着いてから治療を施しても間に合うとは思う。

 どっちかといえば、心の傷の方が気にかかるが、そっちはそれこそ私にはどうする事もできない。

 

「奴が、独眼鉄をぶら下げていたロープを、あの距離から切った技は……!?

 十(メートル)は離れていただろう。

 しかも刃物を投げたようには見えなかった。」

 檻の中から桃が呟くのを聞いて我に帰る。

 そうだ。私の側からもあの時、センクウの手が微かに動くのが見えただけで、暗器のようなものの存在はおろか、蝙翔鬼の天稟掌波みたいな空気の流れも感じなかった。

 

「もうひとりの相棒とかわるがよい。

 そんな疲れ切った状態で、この俺と戦っても勝負にはならん。

 貴様とは、その後ゆっくり相手をしてやる。」

 センクウは富樫を指差しながら飛燕に向かって言う。

 

「そうだ飛燕!ここは俺にまかせておけーーっ!!

 俺とかわるんじゃーーっ!!」

 それに応ずるように富樫が、やはり飛燕の背中に向かって叫ぶが、その飛燕はどこか呆然としたような表情を浮かべながら、それでもセンクウから目を離さずに言葉を発した。

 

「だ、だめだ富樫……。

 わたしにはわかる。こいつの強さが…。

 拳法を知らぬおまえではとうてい勝ち目はない。」

「な、なんだと飛燕、てめえーっ!!」

 その言葉を聞いて飛燕に食ってかかる富樫。

 その二人の様子に、センクウが含み笑いをしながら呟いた。

 

「フッフフ、わかるか。俺の強さが……。」

  センクウは両手を広げ、不思議な構えを取ったかと思うと、梯子の上から宙へと飛び上がる。

 それから空中で一回転した後、まっすぐ立ったその身体は、何もない空間で静止していた。

 その光景に、闘士たちが驚きの表情を浮かべる。

 

「飛燕とかいったな…。

 確かに貴様の鳥人拳、なかなかのものだ。

 しかし、このセンクウとは、拳法の格が違う。

 戮家奥義(りくけおうぎ)千条鏤紐拳(せんじょうろうちゅうけん)!!」

 見る者の目を眩ますようなゆるゆるとした手の動きから、センクウの掌底が突き出される。

 次の瞬間、飛燕の身体の各所に、一度に鋭い切り傷が走った。

 飛燕の皮膚が、着衣が裂け、血が噴き出す。

 

「ひ、飛燕ーっ!!あ、あれだ!

 独眼鉄のロープを切ったのもあの技だーーっ!!」

 虎丸が驚愕の声を上げる。

 

「戮家奥義・千条鏤紐拳。

 その名の通り貴様は全身を、千条に切り刻まれて死んでいく事になる。」

 相変わらず、氣も風圧も拳圧も、センクウの拳からは感じない。

 だが、もっと物理的な空気の動きは、微かだが感じるようになってきた。

 その正体は未だ掴めてはいないが、暗器か何かである事は間違いなさそうだ。

 飛燕はセンクウを睨みつけながら、懸命に技の正体を探ろうとしているようだ。

 そうしながらほぼ苦し紛れになのか、懐から鶴觜を取り出して、センクウに向けて放つ。だが、

 

「鶴觜千本…。

 こんなものがこの俺に通じると思うか。」

 センクウは胸元に飛んできた鶴觜を無造作に手で捕まえ、あまつさえ親指でそれを曲げてみせる。

 

「さあこい。

 素手ではこの俺に近寄ることもできんのか。」

「武器などなくとも、手刀一本あれば充分だ。」

 言うや飛燕は構えと同時に、センクウに向かって猛攻する。

 飛燕の手刀を、大きな動きで後方に飛び退って避けたセンクウを、更に追おうとした飛燕の動きが突如止まった。

 

「うぐっ!!」

 その喉元にうっすらと、一筋の赤い線が走り、そこにじわりと血がにじむ。

 飛燕は何故か空間に指を滑らせた。

 元々色白な顔が蒼白になる。

 

「こ、これは……!!」

「フッフフ、よく踏みとどまったな。

 あと一歩踏み込んでおれば、貴様の首は胴と離れ離れになっていたものを。」

 ここからではよく見えないが、どうやらピアノ線のような細い鋼線が、いつの間にか張られていたものらしい。

 

「そうか、奴はあのピアノ線みてえな上に乗っていたから、空中に浮いているように見えたんだ。

 さっき飛ぶ前に両手を広げたのは、ピアノ線の端と端を、この房の壁に撃って張るためのものだったのか。」

「戮家奥義・千条鏤紐拳………。

 いまだかつてその技を見切ったものはおらん。」

 王先生の説明によれば、中国拳法暗黒史において、(卍丸の)魍魎拳と勢力を二分した秘伝の殺人拳だという。

 …偶然なのか、それとも邪鬼様が探してきたのか知らないが、両方の暗黒拳の使い手揃えたって凄いな。

 それはさておきそれは、目に見えぬほど細く鋭い鋼線を、指先でムチのように自在に操る技。

 …なるほど、それならば空気の動きがほとんど感じられなかったのも道理だ。

 

「見えるか、貴様にこの鋼線が…。

 しかし、止まっている時はなんとか見えても、攻撃をしかけた時は見えはせぬ!

 次の一撃がとどめとなる。」

 恐ろしい技だ。

 先ほどの飛燕は寸前で踏みとどまったが、下手すれば気付いた時には既に首が落ちている。

 

「死ねいーーっ!!」

 見えない糸が放たれたその瞬間、飛燕は自分の髪を一房切り、それを空中に投げ広げた。

 

「フッフフ、考えたな…。

 目に見えぬ鋼線に髪の毛を絡ませ、動きを読むか……。」

 センクウの言葉通り、飛燕の亜麻色の髪が糸に絡んで、その軌跡を明らかにする。

 張り巡らされた糸の場所さえ判れば、飛燕の体術ならば避けて通るのは容易い。だが、

 

「富樫……万が一の時は後を頼む。」

「な…!!」

 やや不穏な言葉に、言われた富樫が息を呑む。

 それに構わず飛燕は、鋼線の間をかいくぐり、センクウに向かって突進した。

 

「鳥人拳飛燕、最後の技を見せてやる!!」

 

 

「飛燕の奴、今、最後の技を見せるとか言ったぞ!!

 最後の技とは一体どういうことだ!!」

「………まさかあやつ、己の命を賭してあの最終拳を……!!」

「最終拳……!?」

 

「フッ、最終拳か……しかし、どうやらそれは見られそうもない。

 鏤紐拳・縛張殺!!」

 センクウは何やら釘のようなものを梯子の枠に指で刺すと、上空に飛び上がり、見えないが恐らくは鋼線を飛燕に向けて投げた。

 それはどうやら飛燕の首に巻きついたらしく、飛燕はそれを、手に持った二本の鶴觜で、首に食い込むのを防ぐ。

 

「間一髪、首が飛ぶのを千本で防いだか…しかし両手を使えぬそのザマではどうしようもあるまい。」

「うぬぬうっ……。」

「このまま貴様が力尽きるのを待ってもいいが、それは俺の流儀ではない。」

 センクウは鋼線を引くその手を緩めぬまま、そこから飛び上がると飛燕に向けて蹴りを放つ。

 

「な、なんだ、奴の踵から鋭いトゲが飛び出しおったぞーっ!!

 あのケリ、まともに食らったら頭蓋骨が粉々だーーっ!!」

 はい、解説ありがとう虎丸。

 虎丸の言葉通り、センクウの靴の踵から鋭い突起が現れて、それが飛燕の頭部を狙う。

 飛燕は咄嗟にその脚に向けて蹴りを出し、センクウの動きを止めた。

 体勢を崩したセンクウが、一旦梯子の上に降り立つ。

 その瞬間に飛燕は、首に巻きついた鋼線を払いのけ、センクウから一旦距離を取った。

 

「フッフフ、やりおる。

 俺の蹴りを足で合わせ、バランスを崩した一瞬の隙を逃さず、たわみを利用して縛張殺から脱出するとは。

 しかし貴様もここまでが体力の限界だろう。

 その状態では勝ち目がないことは、貴様自身もよくわかっているはず。」

 そのセンクウの言葉通り、飛燕は呼吸を乱しており、連戦のダメージと疲労が、側から見ても明らかだ。

 

「確かに貴様は強い…。

 しかしこの飛燕、このままでは終わらん!!」

「出る……!!飛燕の最終拳が……!!」

 伊達が硬い声で呟いた。

 

 

「な、なにーーっ!!

 飛燕の奴、自分の腕に千本を突き立ておったーーっ!!」

 虎丸が叫ぶそばから、飛燕は両腕の肘裏と、更に両膝の上に鶴觜を突き立て、深く貫く。

 その箇所から激しく出血して、纏った拳法着を赤く染める。

 

「鳥人拳極意、終焉節!!

 この飛燕、この世で最後の拳を見せてやる……!!」

 

 

「一体どういうことだ!説明しろ伊達ーっ!!

 血がどんどん吹き出している!

 あれじゃまるで、出血多量で自殺するようなもんじゃねえか!!」

「わからんか…。

 奴は自分の神経節を寸断したのだ。」

 伊達が言うには、先ほど独眼鉄に対して使った断神節という技と、基本的には同じものらしい。

 主眼は神経節を貫き、相手にダメージを与えたり、思い通りに動かしたりする事にあるわけだが、断つ神経節の場所によっては、一時的に肉体の能力を極限まで高める事が可能だという。

 しかしその神経節は全て大動脈の下にあり、それを突く事は出血多量で死に至る事を意味する。

 ちなみに同じ事が橘流氣操術でも可能であり、その場合出血はしなくて済むが、神経節を寸断する事で一時的なパワーアップは果たせても、鶴觜で突き刺すよりも遥かにボロボロに破壊された神経節は恐らく治療は不可能で、その後確実に廃人と化すと思う。

 勿論やった事があるわけがないので、確かとは言えないが。

 生きているだけマシと捉えるか、逆に(むご)いと見るかは個人の自由だが、どちらにしろ私は御免だ。

 

「己の持つ全ての力を、次の一撃に賭けたのだ…。

 己の命とひきかえにな……!!」

 そう言う伊達は、表情こそ変えはしなかったが、その目には深い哀しみの彩が映っていた。

 

「見事だ……その闘いへの執念…!来るがよい。

 このセンクウ、真っ向から貴様の最終拳、受けて立とうぞ!!」

 …たとえ相討ちになろうとも、私はどちらも助けるつもりではいるが、少なくともセンクウがこの状態の飛燕を見て、彼が力尽きるのを待つ事を選択する人種じゃなかった事にホッとする。

 そう、センクウは、デリカシーはないが卑怯者でもない。

 

「や、やめろ飛燕!死んじゃだめだーーっ!!」

「無駄だ…誰にも止められはしない。

 俺たちに今できるのは、奴の勇姿を俺たちの胸に、刻み付けておくことだけだ………!!」

 檻の中から飛燕に向かって呼びかけた虎丸が、桃に諭されて泣きそうな顔になる。

 近くにいたら反射的にアタマ撫でてしまいそうだ。

 そんな事を思ってる間に、飛燕は空中高く舞い上がると、両方の掌を合わせて、空中で溜めの構えを取った。

 

「終焉節・双掌極煌(そうしょうきょくこう)!!」

 そのままセンクウの懐に向けて落下する。

 軌道の判っている攻撃に対して、センクウがそれに合わせる形で手刀を振り上げた。

 双掌と手刀、拳の刃が、交錯する。

 それはまさしく、一瞬の出来事。

 互いに背中合わせに梯子の上に降り立った二人、先に胸から血しぶきを上げて、倒れたのはセンクウの方だった。

 

「ひ、飛燕……。」

 ホッとしたような表情で富樫が相棒の名を呼ぶ。

 

「飛燕の勝ちじゃーーっ!!

 今ならまだ間に合う、急いで止血して手当てするんじゃーーっ!!」

 更に檻の中で虎丸が、先ほどまでの泣きそうな顔を歓喜に変えて呼びかけた。

 だがその飛燕は、そのどちらにも振り返る事なく、何故か俯いたまま呟く。

 

「富樫………あとは、頼む。

 おまえなら必ず勝てる……必ずな……。」

 その言葉に、富樫が眉を顰める。

 

「あとは頼むだと?そりゃあどういう意味だ…!?」

 その瞬間、時間がスローモーションで流れた。

 

 …ゆっくりと仰向けに倒れ込む飛燕の胸板から多量の血液が噴き出し、その身を真紅に染め上げる。

 その優しげな美貌の下に隠した内なる紅蓮の炎が、嵐となってその身体から溢れ出し、遂にはその身を焦がすかのように。

 けれど、そんな凄惨な姿であっても、或いはそうであるからこそ、その男は信じられないほど美しかった。

 

「飛燕ーーっ!!」

 …時間の流れが戻ってくる。富樫が叫ぶ。

 その場の誰もが息を呑む。

 

「富樫…おまえの勝利を信じている……。

 わたしが死んでもおまえが勝てば、それはわたし達ふたりの勝利だ…。」

 たのんだぜ…と、富樫の口調を真似たような、あまり似合わない言葉を最後に、飛燕の瞳が閉じられる。

 

「敵ながらたいした奴よ……。

 鳥人拳終焉節・双掌極煌…。

 あと一寸深ければ、俺の命もなかったろう。」

 と、その後ろで、先に倒れたセンクウが、胸の傷から血を流しながらも、ゆっくりと立ち上がった。

 

「俺にこれだけの深手を負わせ、次に戦う貴様の為に捨て石となって、道を開き死んでいきおった。

 貴様もこの男に恥じぬ闘いをするがよい…。」

 胸の傷が痛むであろうに、センクウは飛燕の身体を抱き上げ、富樫の側まで歩み寄る。

 

「本来ならば硫硝酸盆に投げ入れて、勝負の決着とするところだが…。

 これほどの男。手厚く葬ってやれ。」

 言いながら飛燕の身体を富樫に渡し、自陣へと歩いて戻る。

 富樫は黙って受け取ると、一旦階段の下まで降りて、そこに飛燕の身を横たえた。

 涙こそ見えないが、泣いているのだろう。

 自分の膝に置いた手が、力任せに腿を掴んで、その指が肉に食い込みそうになっているのにも気付かずに。

 

 ここから先の彼の闘いは、復讐でも憎しみでもなく、ただ、友に捧げる勝利の為に。



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7・落日の風

「待てい!梯网上の闘いはこれまでだ。」

 手にしたドスを抜き放ち、覚悟を決めた表情の富樫が梯网に上がる階段に足をかけた時、王先生がそれを止めた。

 

「この大威震八連制覇・竜盆梯网闘、両軍一名ずつになった場合は、その様を変える事になっている。」

 王先生が手を挙げて合図を出すと、天井から硫硝酸盆に数多の、短い円柱型にカットされた形の石が落ちた。

 それは水面に浮かんで、小さく泡を立てている。

 

「これぞ竜盆浮敲闘(りゅうぼんふこうとう)!!」

 投げ落とされた石は灰雲岩(かいうんがん)…その性質は酸面に浮きはするが、時とともに大きさが、硫硝酸に溶かされ小さくなる。

 全てが溶けてなくなるまでおよそ15分。

 その間に勝負がつかなければ、全ての灰雲岩を溶かした硫硝酸が体積を増して、盆を支えるロープを溶かし、下に落ちる仕掛けだという。

 さっきも例に出した驚邏大四凶殺の灼脈硫黄関での闘いに似ているだろう。

 Jが苦労した足場の悪さを、今度は富樫が体験するわけだ。

 足場の岩がただ浮いてるだけだから、むしろ状況的にはあれよりも更にタチが悪い。

 そこまで聞いたところで、救命組が『死亡確認』された飛燕を運搬し始めたので、私は一旦それについていく事にした。

 王先生が蘇生はさせたものの出血が酷かったから、直ちに造血の処置をする必要がある。

 今回はプロの救命士達が仕事をしているから、止血の方は彼らに任せればいいが、更にもうひとつ、どうしても気になる事があるので。

 

 ・・・

 

「あ、顔の傷本当に消えた!良かったー!」

「ほんとほんと。

 すごく綺麗な人なのに、もったいないって思ってたんだよー。

 男性だけど。」

 一番の懸念、これで解消。

 何せ万一傷が残ったら今度こそ伊達とお揃いだ。

 その伊達ですらもったいないと思ってるのに。

 なんせ硫硝酸盆の上の梯网上を歩くよりも、パリコレのランウェイを歩いてる方が、よっぽど自然ってくらいの美貌なんだから(なんて事を思っていたら何故か、以前ターゲットの男性が連れて行ってくれたウェディングコレクションのファッションショーの場面が頭に浮かび、更にそのランウェイを腕を組んで歩いてきた男女モデルの顔の記憶が伊達と飛燕で上書きされて、慌ててその光景を頭から追い出した。『うわーメッチャお似合いの二人』とか素で思った事は秘密だ。うっかり言ったら殺されそうな気がする)、私がいる限りこの顔に傷なんて残させない。

 以前やった時と同じように頭部全体に術を施したから、また10センチくらい髪伸びたけど。

 あとは造血の処置をして終了。

 邪鬼様からレクチャーを受けての鍛錬の成果がようやく出てきたのか、驚邏大四凶殺では虎丸と月光の二人に施した途端に倒れた造血処置を行なったにもかかわらず、思ったほど氣を消費せずに済んだので、

 

「…そういえば、独眼鉄はどうしてます?

 火傷、酷いようでしたら治しに行きますけど。」

 と一応申し出てはみたのだが、

 

「いいよいいよ。

 あんなゲス野郎に、光ちゃんの手を煩わせる事ないって。」

 って言われて教えてもらえなかった。

 そうじゃないのに。

 この人たちも事情を知らないまま、独眼鉄の変態劇場だけ見ちゃってるわけだから仕方ないけど。

 命が助かってることは間違いないから、全部終わったら王先生に聞くとするか。

 ならばこれ以上、ここで私の出る幕はない。

 富樫とセンクウが戦っている闘場に戻ろう。

 

 富樫…大丈夫かな。

 

 ☆☆☆

 

 梯网から軽々飛び降りて、足場の浮岩に容易く着地したセンクウを見下ろしながら、俺はゴクリと唾を飲み込んだ。

 

「気をつけろ富樫ーっ!!

 足踏み外しでもしたら骨になっちまうんだぞーーっ!!」

 檻の中から、虎の野郎が余計な事を言う。

 んな事ぁ、言われなくてもわかってるってんだ。

 ビビってると思われんのも癪だから、気合いを入れて飛び降りる。

 飛燕ならば、今のセンクウよりもっと軽々と、まるで羽根でも生えてるみてえに飛び降りてふんわり着地すんだろうが、俺にはそんな体術はねえ。

 案の定、着地した岩が傾いて俺はバランスを崩し、倒れかける。

 危うくブリッジ状に別の岩に手をついたら、今度はその岩まで動き出しやがったから、仕方なく着地した岩から足を離して逆立ちの体勢を取り、手の方の岩に尻餅をつく事で、なんとか硫硝酸の池に落ちんのは免れた。

 ふう。こっから生きて戻ったら、少し体術の方も鍛えねえとな。

 俺も光の野郎と組手でもしてみるか。

 桃とやってた時のあいつは、驚くくらい軽快に動いてた。

 少なくともあれについていけるくらいにはならねえと、戻った後またこんな闘いがあった時、あいつに取って代わられちまう。

 

「光は格闘技の才能があるし、成長力もなかなかのものだぞ。

 体格に恵まれていないぶん、どうしてもパワー不足なのは否めないがな。

 それ以外は、完璧だ。」

 俺と虎丸がタッグ技の案を出し合ってる時に、俺たちの様子を見に来たJがそう言ってた。

 Jはアメリカ人の割には物事を大袈裟に言ったりしねえ奴だ。

 あいつが言うんなら間違いねえだろう。

 腐っても鯛、チビスケでも塾長の息子って事かよ。

 へっ…生きて戻ったら、か。

 そんな事考えられるなんて、俺も余裕のある事だぜ。

 だが負けるわけにゃいかねえ。

 そもそもは兄貴の復讐の為の戦いだったが、今は更に、飛燕のオトシマエもつけなきゃならねえんだからな。

 

 ・・・

 

「富樫、傷はもういいのか?」

 ここに移動する霊柩車型の趣味の悪いバスの中で、編み物なんぞしながら顔を上げ、俺に話しかけてきた、その表情をふと思い出す。

 何のことかと一瞬思ったが、天動宮でのことかとすぐに思い当たった。

 

「おまえに大四凶殺で受けた傷に比べりゃ屁でもねえぜ。」

 俺の答えに、人形みてえに整った顔がフッと笑う。

 敵として対峙してた時も、終始余裕って感じで笑ってやがったが、あの時の顔とは全然違う、あったかみのある、優しそうな笑い方。

 こいつ、本当はこんな顔で笑いやがんのな。

 

「それに、俺たちには光がおるからな!」

 その優しげな顔に騙された他の奴らが間に入ってきて飛燕に話しかける。

 …言っとくけどそいつ、俺に対する第一声が『汚い顔をしている』だった奴だからな?

 単なる挑発だと思うから今は気にしてねえがな。

 …本当に気になんかしてねえぞ?

 

「光というのはあの女性………みたいな顔をした人ですね。塾長秘書の。」

 間違っちゃいねえが、てめえが言うな。

 てゆーか、今の妙な間はなんなんだよ。

 

「そうそう。

 あいつは変わった特技持ってて、あいつが触るとなんでか傷が塞がんだぜ。」

「傷が…塞がる。」

 鸚鵡返しに言いながら、何か考え込むように、飛燕が自分の左頬に指を触れた。

 …あれ?

 そういや俺、そこに結構デカい傷負わせたよな?

 見た感じなんも残ってねえようだが、あれだけの傷が、ひと月でこんなに綺麗に治るもんか?

 …残ってなくて、良かったけどよ。

 自分でした事ながら、ゾッとする。

 俺も傷持ちだが、俺とこいつじゃ、その重さが全然違う。

 

 …いつだったか、光の野郎に傷の手当てをされていた時、不意に顔を触られて驚いた事がある。

「勿体無いなぁ。」とか言って、間近から顔を覗き込んできて…不覚にもちょっとドキッとした。

 

「あ?な、何だよ?」

 落ち着け俺。こいつは男だ。

 

「この傷。

 かなり古そうですけど、いつのものですか?」

「これか。

 俺は覚えちゃいねえが、4才くらいの頃らしい。

 何でか知らねえが屋根から落ちて、そん時そばの樹の枝に引っかけたって兄貴が言ってた。

 眼球じゃなくて良かったって。」

「あー…子供の顔は、特に皮膚が薄いからなあ。

 でも大人よりも細胞の代謝が活発だから、適切な処置さえすれば残らなかった筈なんですよね。

 その際に手当てした人も、眼球じゃなくて安心しちゃったんでしょうね。

 あーあ、その時私がそばにいればなぁ。

 絶対に顔に傷なんか残さなかったのに。」

「へっ。この面相で傷の一つや二つ、あってもなくてもそう変わらねえよ。」

「そんな事ありません。

 私は好きですよ、あなたの顔。味があって。」

 うるせえよ。味があるってそれ褒めてねえだろ。

 てゆーか傷ましげに傷跡に指なんか触れんのやめろ。

 カーチャンかてめえは。

 

『私がそばにいれば、絶対に顔に傷なんか残さなかったのに』

 

 …俺のこの顔ですら『勿体無い』って言う野郎が、こいつの顔の傷見てほっとけるわけねえ。

 気付いちまった。

 俺がつけた飛燕の頬の傷、絶対にあいつが治してる。

 多分今、飛燕の野郎もおんなじ事考えてんだろう。

 

 ………。

 

「そうなんじゃ。

 だからわしらはあいつの事、保健の先生みたいなもんだと思うちょる。」

「そうじゃな。

 塾の中で負った怪我なら、あいつがチャチャッと治してくれるからのう。

『ちょっとチクッとしますよ』とか言って。」

「あと『何をどうしたら、こんな怪我をするんです?』とかなんとか小言も言いながらな!」

「違いねえや。」

 …どうやらこっちでは、光の話がまだ続いてたらしい。

「そういやあいつ、出発前の見送りに来てくれんかったな。」

「仕方ない、あいつも忙しいんじゃ。

 なんか自分から仕事抱え込んでる気もするがな。」

「でも、大四凶殺の前には顔出してくれたのに。」

「あん時は虎丸のメシ持ってきただけだろ?

 …ちょっと見ただけでも美味そうだったな、あの唐揚げ。」

 秀麻呂が何気無く呟いた言葉に、虎の野郎が反応する。

 

「光のメシは本当に美味いぞ!

 おれは懲罰房で半年、あいつの作ったメシを食っとったから、今の寮のメシが不味くてかなわん!

 あー、いっその事、光が男根寮の寮長になってくれんかのう。」

 …それは俺も実は、油風呂の時にあいつのメシ食って、その後寮に戻された後に思った。

 だが、もしあいつが寮長だったら、俺なんざ毎日小言を言われ続けてる気がする。

 まあ、そんなもんであのメシを毎日食えるなら安いもんだが。

 

「それいいな!

 あいつを気に入っとる赤石先輩には悪いが、わしは以前から、光が二号棟にも出入りしとるのが面白うなかったんじゃ!

 そうなれば光は完全に、わしら一号生のもんじゃからのう!」

 松尾の言葉に何人かがうんうんと頷いてる。

 

「…光という人は、随分と慕われているようですね。」

 そんな俺たち一号生の会話に、飛燕が微笑みを浮かべながら言う。

 それに椿山が食い気味に答えた。

 

「勿論だ!光さんは素晴らしい漢だ!

 あの人の為なら俺は死ねる!」

「あー、椿山の事は気にしなくていい。

 コイツの光への思い入れは特別だから。」

 唾でも飛ばしそうな勢いの椿山に明らかに引いてる飛燕にそう言って、俺はさりげなくその隣に座り直した。

 

「…そういえば、寮のわたし達の入った部屋に、秋桜(コスモス)の花が飾ってあったのは、ひょっとしてあの人が?」

「秋桜?わかんねえけど、そうかもな。

 あいつ、しばらく男根寮で部屋の掃除とかしてくれてたし。」

 寮長の馬之助の野郎が不精してて、使っていない部屋の清掃が面倒だからと、俺たちは入塾からずっと、狭い部屋に数人まとめて押し込まれてた。

 それを見かねて、せめて二人一部屋くらいにしてはと提案したのが自分だから…と埃と格闘してた光のマスクと割烹着姿を思い出す。

 椿山をはじめ何人かは自主的に手伝いに行ってたな。

 俺もやろうかって言ったら、怪我人は大人しくしてなさいって断られて、何故かアタマ撫でられたけど。

 だからカーチャンかって。

 

「もう少し待ってくださいね。

 部屋割もさる事ながら、TVもちゃんと見られるようにしてあげますから。

 何せあなた方はいずれは、この日本の未来を負って立つ若者たちなんです。

 世の中の情報に置いていかれたら話になりません!」

 だってよ。

 こいつらの部屋の掃除もその作業の一環で、花は歓迎のつもりだったんだろう。

 あいつらしいっちゃあいつらしい。

 らしくねえと言えばらしくねえが。

 

「…そうか。

 ならば、それも含めて、後でお礼を言わなければ。

 最初は敵として現れたわたしたちへの、あの人なりの歓迎のメッセージなのでしょうし。」

「メッセージ?」

「秋桜の花言葉は『調和』です。

 上手くやっていけって意味でしょう。」

「へえ…。」

 花言葉ねえ。

 男塾で生活してるとそうそう聞くこともねえ言葉だ。

 てゆーか、そんな事いちいち考えて花なんて飾るもんか?

 秋桜なんて今の時期、そこらへんの庭とか街路樹の下に幾らでも咲いてるぜ?

 俺が納得いってねえのが顔に出てたんだろう。

 飛燕は薄く微笑んで、肩をすくめて言った。

 

「ある程度は知っておかないと、女性に嫌われますよ?

 こっちが単に綺麗だからと贈った花が、相手からは馬鹿にしてるのかと捉えられる場合もありますからね。

 たとえば、極端な例としては待雪草(スノードロップ)という花。

 単独では『逆境の中の希望』ですが、これを人に贈る場合には何故か『あなたの死を望む』になるのですよ。

 そんなものを贈られたら、どう思われるか想像できるでしょう?」

 なんだよそれ。ややこしいな。

 人に花を贈るなんて機会、これから先の俺に巡ってくるかどうかは知らねえが、わざわざ贈る時にそんな事まで考えなきゃいけねえのかよ。

 見舞いに鉢植えが駄目だって事くらいしか知らねえよ。

 

「……飛燕。擬宝珠(ギボウシ)の花言葉は判るか?」

 と、そんな話をしていたら、反対側で桃と一升瓶傾けてた伊達が、唐突に飛燕に話しかけてきた。

 つかギボウシって何だ?

【挿絵表示】

 

「確か…『沈静』ですが、何故?」

「ぶっ……間違いねえ。

 絶対、知ってて選んでやがる。」

 飛燕の答えを聞いて伊達が吹き出す。

 つか、こんな顔して笑いやがんだな。こいつも。

 そもそもこいつの顔を初めて見たのが天動宮で再会した時なんだが。

 こいつらと闘った驚邏大四凶殺では、あのふざけた鎧カブトと仮面の姿しか見てなかったからな。

 桃が名前を呼んだ事と、他の三人と一緒に居たからこの男を『伊達』だと判断できただけで、単独で現れてたら『…誰?』ってなってた筈だ。

 まあ、そんなことはどうでもいい。

 

「赤石が夏に男塾(ココ)に戻ってきた時も、部屋に花が飾ってあったそうだ。

 それが擬宝珠だったらしい。

 あの男が花の名前なんぞ知ってる事にまず驚いたから、その時は意味なんざ考えもしなかったが…くくっ。」

 赤石先輩に『沈静』か。

 騒ぎ起こすなって意味だろうな、間違いなく。

 願い虚しく、だったが。光よ、御愁傷様。

 

「どうやらあの人、性格は見た目よりも相当(きつ)そうですね。」

 面白そうに笑いながら飛燕が言う。

 だから!その通りだがてめえが言うな!

 敵として相対してる姿を知ってるぶん、俺にしてみればてめえの方がずっと怖ぇよ!

 

 ・・・

 

 その顔のイメージを裏切らない、華麗な技を駆使しながら、顔に似合わぬ壮絶な闘いをする奴だった。

 でも気を許した相手に対する情には篤い奴だった。

 付き合いは短かったが、俺はてめえを忘れねえ。

 飛燕…おまえの死は決して無駄にしねえ。

 おまえの仇、俺が必ず取ってやる。

 たとえこいつと刺し違えてでも、俺は絶対に負けやしねえ…!

 

「いくぞ。」

 言うや、センクウが無造作に足場の石を蹴り、空中に飛び上がる。

 そのまま俺に向けて、さっき飛燕にも見せた、鋭い突起のついた踵の蹴りを放ってきた。

 辛うじて避けるも、次の一撃までの間が驚くほど短い。

 奴はこの足場を、まったく苦にしちゃいねえようだ。くそ。

 

 ☆☆☆

 

 私が闘場に戻ってきた時、二人の闘いはどう見ても富樫に不利な展開となっていた。

 いくら飛燕との闘いでのダメージを差し引いても、かたやセンクウは拳法の達人。

 かたや富樫の武器はドス一本、しかも小太刀や小具足といった刀剣術を修めているわけでもない、単なるケンカ殺法。

 その富樫の気合い声とともに繰り出したドスの一撃を、センクウは当たり前のように難なく受け止める。

 

「チィッ!!」

「フッ、俺と飛燕との戦いで何を見ていた。

 ただガムシャラに芸もなくドスを振り回して、このセンクウに勝てると思うのか。」

 言い終わらぬうちにセンクウの手刀が富樫を襲い、それを辛うじて避けたものの、滑らせた富樫の右足が硫硝酸の池に浸った。

 

「うわちゃーーーっ!!」

 一瞬にして富樫の右足の、脛から下が焼け爛れる。

 

「と、富樫ーーっ!!」

 檻の中から虎丸が叫び、桃や他の闘士たちも、その痛々しい光景に息を呑んだ。

 

 …が。良かった。みんな忘れててくれて。

 先ほど言った通りこの硫硝酸の池、戦闘開始の頃と比べて濃度が半分以下まで下がってる。

 もしずっと同じだけの濃度を保っていたとしたら、最初に投げ入れられたウサギ同様、すぐに足を引き上げたところで富樫の足、火傷なんかで収まってる筈もなく今頃骨だけになってるって事を。

 双方怖がって最後まで足元に気をつけて闘ってくれるだろうと踏んでいたから、まさか本当に足を踏み外すマヌケがいるとは思わなくてちょっと焦った。

 桃とか、あと月光もなんか勘が鋭そうなんで、ひょっとしたら気付くんじゃないかと思ったけど、どうやら大丈夫だったようだ。

 

「うぐぐ…!」

 だが、骨にこそならなかったものの富樫のダメージは一目瞭然、靴もズボンも一瞬で焼け溶けて、焼け爛れた足が痛々しい。

 

「貴様の相棒は、俺にこれだけの深手を負わせて貴様に勝利を託し、捨て石となって死んでいった。

 しかしそれはかなわぬ夢だったようだな。」

 呆れたようにセンクウが言い捨て、掌を富樫に向けて翳す。

 戮家奥義(りくけおうぎ)千条鏤紐拳(せんじょうろうちゅうけん)

 あの飛燕すら苦戦した技で、一瞬にして富樫の全身が切り刻まれ、傷から血が噴き出す。

 

「地獄で飛燕に詫びるがよい。」

 …なんて言うかセンクウ、ちょっと怒ってるぽい?

 あれだけ自分に肉薄した飛燕を認めた分だけ、富樫の未熟さ、不甲斐なさが許せないといったところか。

 

 …勝手だな。

 元はといえば、その未熟な奴らと闘う為に、一計を案じたのはおまえらだろうに。

 ふと気づくと、檻の中で相変わらず虎丸が騒いでいる。

 

「も、桃!

 てめえはなんでそんなに落ち着いてられるんじゃーーっ!!」

 と、何故か桃に絡み始めたが、いやおまえが落ち着きなさすぎだよ虎丸。

 というかこの子、驚邏大四凶殺の時には下手すりゃ桃より落ち着いてたのに、なんかキャラ変わってない?

 それともこっちが本来の彼だったのだろうか?

 だが、絡まれた桃はまったく頓着しないかのように、まっすぐ富樫を見つめていた。

 

「フッ…なんて野郎だ。この場に及んで。

 笑っている…富樫の奴は笑っていやがる。」

 は?私は思わず闘場の方を振り返る。

 

「時間もない。

 次の一撃で、この勝負に終止符をうつ。」

 私たちより富樫の近くにいるセンクウが、次の攻撃に移る構えを取る。

 その動きから目を離さぬように、その場にじっと立った富樫の……

 

 その口元は、確かに、微笑んでいた。

 老け顔のくせに、楽しい事を見つけた子供のように。

 

 センクウの身体が跳躍し、突起のついた例の踵がまたも富樫の身体を狙う。

 

「何をそんなに勝負を急いでる。

 溶けて小さくなっていく足場が、そんなに気になるのか……拳法の達人も、勝負より自分の命が惜しいらしいな。」

 言いながらニヤリと笑う富樫の狙いは…

 

「俺の命は最初(ハナ)から捨てておるんじゃーーっ!!

 それが男・富樫源次のケンカ殺法だーーっ!!」

 その、自分に向かってくるセンクウの左足に、富樫は真っ直ぐにドスを突き立てた。




「奥義・和風総本家!」
「な、なにーっ!し、柴犬の仔犬が駆けてくるぞーーっ!!」
「な、なんて可愛いんじゃーーっ!!」
「むう…あれはまさしく和風総本家…」
「知っているのか、雷電?」
「うむ」

…という夢を、書きながらうたた寝している時に見ました。なんかもう色々廃人レベルかもしれません。


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8・挽歌

「お、俺はな…拳法なんて気の利いたものは知らねえが、斬ったはったのケンカに、一度だって塩なめたことはねえんだ。」

 センクウの靴の裏から甲までをドスで貫きながら啖呵を切り、そのまま力任せにその身体を投げ飛ばす。

 

「い、いいぞ富樫!

 その体勢からセンクウの奴は逃げられやしねえ!

 そのまま硫硝酸の盆へたたき込むんじゃーーっ!!」

 相変わらず虎丸の野郎が檻の中で騒いでるが、言われなくてもわかってる。

 

「飛燕、てめえのオトシマエとったぞーーっ!!」

 この瞬間、俺は自分の勝ちを疑ってなかった。

 

 

 なのに。

 

「はいやーっ!!」

 そのまま硫硝酸の中に落ちるかと思われたセンクウは、空中で身体を捻って体勢を整えると、浮いた灰雲岩のひとつに掌底一本で着地した。

 そのまま逆立ちの体勢で、纏っていたマントを脱ぎ捨てる。

 

「富樫とかいったな。

 どうやらおまえを甘く見ていたようだ。

 このセンクウから片足を奪うとはな……!!

 しかし、戮家(りくけ)殺人拳の真髄はここからだ。」

 言いながら、もう片方の手を乗ってる灰雲岩の上に置く。

 その動きである程度の体重移動があったはずなのに、奴の乗るその岩はピクリとも動かねえ。

 なんてぇバランス感覚だ。

 

 

「へっ、何を強がり言ってやがるんだあの野郎。

 片足やられては、いくら拳法の達人とはいえ、今までみてえな動きはできねえぜ。」

「恐ろしい男よ、センクウ。

 ついにその奥義の数々を見せるか……。」

 

 

 その逆立ちの姿勢のまま、センクウは両脚をぴたりと揃える。

 その動きと同時に、奴のズボンの裾が裂けたかと思えば、その下から金属の鈍い輝きが姿を現した。

 

「な、なんじゃあ、センクウの足から刃がでおったーーっ!!」

 虎丸の叫んだ言葉通り、それは牙のような形の刃。

 ひとつひとつは小ぶりなそれが三振り、奴の膝から足首にかけての脚の外側のラインの、一直線上に並んでいた。

 

「戮家奥義・踊跳踵刃(ようちょうしょうじん)!!」

 センクウの手が、倒立していた岩を弾くように離れる。

 と、次の瞬間には俺の真ん前の岩に着地し、更に岩につけた腕を軸にして足を扇風機の羽さながら回転させ、俺に向けて蹴りを放ってきた。

 辛うじて避けたものの、俺の顔面ギリギリを、足に付けた刃が通り過ぎる。

 驚邏大四凶殺で雷電がJに対して、これと似たような攻撃をしていたのを思い出す。

 Jだってあれには苦戦してた。

 

「逃しはせん!」

 なんて凄まじい攻撃だ。

 流れるような円の動きから、一瞬の隙も置かず、刃を繰り出してくる。

 …上からの攻撃しか、奴の蹴りに対抗する手段はねえ!

 俺はそう判断してその場から高く飛び上がると、落下速度に合わせてドスを構え、振り下ろした。

 だが、

 

「やはりおまえもそうきたか…。

 しかし、戮家奥義に死角はない…!!

 皆同じ事を考え死んでいった。」

「なっ…ぐがっ!!」

 この攻撃は完全に読まれていた。

 落下中の俺の胸を、センクウは足の裏の面で蹴り飛ばす。

 

「戮家奥義・烈繞降死(れつじょうこうし)!!」

 慌てて空中で何とか体勢を整え、何とかうまいこと下の灰雲岩のひとつに着地しようとしていた俺の背後が、後から飛び上がってきた影にとられる。

 次には俺の四肢は奴のそれに拘束され、俺は受け身を取ることもできずに、灰雲岩に顔面から叩きつけられていた。

 

「な、なんだあの技はーーっ!!」

「運の強い奴よ。

 落下したのが灰雲岩の上とはな…。

 しかし、勝負はもはやあったようだな。」

 顔面を下にして倒立した状態から、下半身が倒れかかる。

 

「と、富樫、目を覚ますんじゃーーっ!!」

 虎丸がまた叫んでやがるけど、俺は寝てねえ。

 何とか別の岩に足を置き、その岩の上に立ち上がる。

 

「しぶとい奴よ。

 確かに貴様の言うとおり、ケンカ根性だけは大したものだ。」

『だけは』は余計だ。

 俺は握ったままのドスを構え直すと、刃の根元の(ボタン)に親指をかけた。

 普段は却って扱いにくいが、今はこれが必要だ。

 

 ☆☆☆

 

 …富樫がドスを構え直した次の瞬間、短刀だったその刃が脇差くらいの長さに伸びていた。

 

「伸長自在の仕込みドスとはな…。

 だが、ドスを長くしたくらいで、このセンクウに勝てぬ事がまだわからんのか。」

 いや、つっこむトコ絶対そこじゃないよね!?

 柄の長さの4倍以上の刃、どこに収納してたんだって疑問はスルー?

 ああそうかこれもつっこんだら負け案件か。

 富樫、おまえもかこの野郎。

 おまえだけは信じてたのに。

 なんだかんだで常識人だって。

 だが富樫のドスがそんな構造だったとわかった以上、やはりズボンの中に差すのは絶対にやめさせよう。

 この前みたく、転んだ時危ないんだからね!

 それはさておき、富樫はセンクウに背を向けたかと思うと、闘場の盆の縁の方にある岩まで移動して、盆を吊り下げているロープに手をかけた。

 そのままロープを登りはじめる。

 結構な高さまで登ったところで、富樫は挑発するようにセンクウに向けて言い放った。

 

「もう一度烈繞降死とやら、見せてもらおうじゃねえか。」

「フッ、余程気に入ったらしいな。

 どういう腹か知らんが、貴様の挑戦、受けてやろう。」

 どうやら富樫にはなにか考えがあるようだが、その行動に檻の中の面々が騒つきはじめる。

 

「どういうつもりだ、富樫の奴。

 また頭上から攻撃するつもりだ……。」

「どんな攻撃もあのセンクウには通じん。

 また烈繞降死をくらって、今度こそ硫硝酸の盆に叩っこまれるぞ!!」

「まさか、富樫の奴……!!」

 桃が、何かに気付いたように呟き、顔色を変えた。

 

 ☆☆☆

 

「行くぜいーーっ!!」

「おろかな……。」

 さっきと同じように俺がロープから飛び降り、それに対してやはりさっきと同じようにセンクウが俺を拘束する。

 

「とったぞ、烈繞降死!!」

 

 

「や、やめろ!やめるんだ富樫ーーっ!!」

 桃が叫ぶ声が聞こえた。

 

 

「かかったなセンクウ…。

 俺のケンカに負けはねえ。

 てめえにも地獄に付き合ってもらうぜ!!」

 さらばだ、みんな!

 

「見さらせーーっ!

 これがケンカ殺法真骨頂じゃーーっ!!」

 俺はドスを己の胸に突き立てる。

 この体勢なら絶対に逃げられねえ。

 長く伸ばした刃は俺の身体を突き通し、俺を捉えているセンクウの胸まで貫通した。

 

 

「み、見事だ富樫…。

 男塾三号生として、貴様のような根性のかたまりの後輩を持った事を、誇りに思う…。」

 俺と一緒に串刺し状態で落下しながら、センクウが言う。

 

「俺一人じゃ、あんたを倒せなかった…。

 飛燕の力があったからこそだ。

 飛燕の分も褒めてやって下さいよ…先輩。」

 互いの命を握り合った同士、そして共に死んでいく同士、妙な親近感がこの瞬間、俺とセンクウの間に芽生えていた。

 いい気分だ。まったく後悔はねえ。

 

「礼を言うぜみんな…。

 短い付き合いだったが、俺の人生は貴様等のおかげで素晴らしいものだった…。

 男塾万歳ーーっ!!」

 

 

 だが、次の瞬間思いがけないことが起こった。

 センクウが、俺の両手首を取ったかと思うと、二人を貫いていた刃を、力任せに抜き去ったのだ。

 

「うっ!?」

「フッフフ、俺を先輩と呼んだ後輩を、このまま死なすわけにはいかん。

 少しは先輩らしい事もしてやらんとな。」

 驚いて振り返ろうとしたが、それは叶わなかった。

 センクウが空中で俺との位置を入れ替えたからだ。

 

「命あったらたまには思い出せ。

 このセンクウの名をな……。」

 そう言って微笑んだ顔が、一瞬見えたのみで、そのまま俺は奴に、空中に向けて投げ飛ばされた。

 

 その瞬間、俺の意識が闇に沈んだ。

 

 ☆☆☆

 

 硫硝酸の池に落下する寸前で投げ飛ばされた富樫の身体は、上の梯网に引っかかっていた。

 それを行なったセンクウは落下して盆の中に沈む。

 

「み、見ろ、あれを…!!

 と、富樫は、富樫は生きておるぞーーっ!!」

 そして、全員の目が富樫の方に向いている隙に、救助組が立てた煙に紛れて、センクウの身柄を回収した。

 あ、ちなみに盆の吊り下げに使用しているロープだが、闘士達には時間切れの場合には酸で焼け切れると説明してあるけど、実際にはそんな事はない。

 そもそもそこに至る頃には液体の濃度が薄くなっていて、とてもそこまでの力はない。

 

「しょ、勝負はついたんじゃーーっ!!

 早くこの檻から出しやがれ、このラーメンのドンブリ頭じじいーーっ!!」

 檻の中から虎丸がとても失礼なことを言う。

 つかおまえ、今は知らないだろうから仕方ないけど、この人すごい医者なんだからな?

 

「ラーメンのドンブリ頭………。」

 てゆーか王先生、なんかちょっと傷ついたみたくしみじみ呟いてるんだけど、ひょっとして自覚なかったのか。

 

 一方、梯网から回収した富樫には、最低限の止血処置を行なった。

 傷を治していないから見た目には変化なく見えるだろうが、一応これで大丈夫だ。

 てゆーか、なんでか桃が私の手元をじっと見てるもんだからこれ以上の事ができない。

 おまえあっち行けこの野郎。

 

「この後の手当ては引き受けよう。

 命の保証はせんが最善は尽くす。」

 私がやりにくそうにしてるのを見かねたのか、王先生が口を挟んで助けてくれた。

 

「どうやら、ここはそれしかないようだな。」

 少し考え込んでしまった桃に、伊達が促すように声をかける。

 

「た、頼んだぜ、富樫をーっ!!

 もしものことがあったら、てめえらただじゃ済まねえぞーーっ!!」

 その後の手当てをする為に富樫を運んでいく救命組に向けて、やっぱり虎丸が失礼な事を言う。

 あのね、この人たちも一応、プロの救命士だからね?

 

「それにしてもセンクウという男…。

 落下する時、富樫を梯网まで放り投げる程の余力がまだあった…。

 富樫を助けなければ、自分だけなら助かったはず…。」

 そんな中伊達がしみじみ呟くのに頷いて、桃が感極まったように言う。

 

「自分の命を犠牲にして、富樫の命を救った。

 三号の中にも、あのような男がいたのか…。」

 そのセンクウがどうやら回収できたようなので、私はそっちの方に行こうと思う。

 硫硝酸の濃度は薄まってるとはいえ、あの状況だと全身火傷は免れないだろうし、センクウは最終的には独眼鉄と同じところに運ばれると思うので、やはり彼の様子も見ておきたい。

 

「大威震八連制覇・竜盆浮敲闘(りゅうぼんふこうとう)!!

 生存者、一号生側一名!!

 よって一号生勝利ーーっ!!」

 王先生が高らかに叫ぶ声が背中から聞こえた。

 

 ☆☆☆

 

 センクウの火傷の治療を済ませ、同じ処置を独眼鉄にも施したいと言ったら、一号生をここに連れてきたのと同じ霊柩車型のバスに案内された。

 ただしこちらは内部が席が全て取り外され、代わりに救護用のベッドが並べてある。

 そこには独眼鉄だけではなく、卍丸と蝙翔鬼も横たえられていた。

 一通りの手当てが済んだら、センクウもここに運ばれて寝かされるのだろう。

 

「うっ…。」

 全身に火傷の処置を施し、飛燕の断神節の効果も解除したあたりで、独眼鉄が呻いて目を開けた。

 

「あ…ごめんなさい。起こしてしまいましたか?」

 ひとつだけの目を見開いて、独眼鉄が私を見つめた。

 ややあってようやく状況が掴めてきたのか、半身を起こして自分の身体を見下ろす。

 

「その声、光…か?お、俺は、生きて…!?

 お、おい!源吉の弟は…富樫源次はどうした!?

 まさか…!」

「御心配なく。

 センクウと刺し違えようとしたところを、そのセンクウに助けられました。」

「センクウ様が…?」

 非情な顔で自分を硫硝酸盆に落とした相棒の名を出されて、不得要領な表情をする。

 わかりやすい。

 

「戦いの中でセンクウは富樫を、その根性を、男として認めたんです。

 ちなみに、彼も無事です。

 じきにここに運び込まれて来るでしょう。」

「そうか…良かった。」

 それは富樫のことか、それともセンクウのことなのか。

 ともあれ、彼が話せる状態ならば、言っておきたいことがある。

 

「いい加減気が済んだでしょう?独眼鉄。

 あなたの舞台は終了です。

 次に富樫に会った時には、役を離れた本当のあなたで、彼とちゃんと向き合ってください。」

 私が言うと独眼鉄は首を激しく横に振った。

 まあ、この反応は予想の範囲内だ。

 

「馬鹿な。まだ終わっちゃいねえ。

 俺は、あいつと戦って殺されなきゃいけなかった。

 それなのに、あのヤサ男が間に入ってきて…」

「それはあなたの勝手な事情ですから、飛燕に当たるのは筋違いです。」

 きっぱりと言い切ってやると、少ししゅんとする。

 ちょっとかわいそうだが、まだ伝えたいことの半分も告げていない。

 

「それに、あなたは富樫に殺されるつもりでいたと私は認識しておりますが、それが彼に対する侮辱だと、まだ気付いていないのですか?」

「な…!」

「言ったでしょう。センクウは富樫を認めたと。

 それはお互い、男と男が命と誇りをぶつけ合った、本気の戦いだったからです。

 あなたは違う。

 己を嘘で塗り固めて、富樫に本気で向き合う事を放棄したあなたには、それは決してできなかった事です。」

 独眼鉄は、思いもよらない事を言われたといった表情で、私を見つめている。

 

「私は一応、あなたの意地を尊重しました。

 だからあなたをあのまま、この闘場へと送り出した。

 ですが、これ以上富樫を侮辱する気ならば、富樫の為、そしてあなた自身の為にも、今度こそは絶対に許しません。」

 敢えて強めの言葉を選んで、この弱り切っている男にぶつける。

 私はひどいやつだ。だが、今更だ。

 

「侮辱など…俺は、考えもしていない。俺は…」

 今にも泣きそうな目をして、独眼鉄がまた首を横に振った。

 うん、もうこれ以上苛めるわけにはいかないだろう。

 

「…わかっていますよ、独眼鉄。

 ただね、私なりに、今わかっている情報だけを頼りに、富樫源吉の心の動きをシミュレーションしてみた結果、どうしてもこれだけはわかるって事があるんです。

 少なくとも、今回のあなたの決断を、彼は決して喜びはしない、という事が。」

「っ……!」

「故人が望んでもおらず、更に故人の大切な唯一人の身内を、侮辱するに等しい行為を、これ以上続けることに何の意味が?」

「………源、吉…っ…!」

「あなたが本当にしなければいけないのは、先程から再三言っている通り、富樫と真正面から向き合って、彼に真実を告げる事です。

 それは、ひょっとしてあなたにとっては、彼に殺される事を受け入れる事よりも、ずっと苦しい事なのでしょう。

 …けど、あなたはそれができる人のはずです。

 そうでしょう、独眼鉄?」

 俯く彼の肩に、そっと手を置く。

 

「うっ……くっ……ううっ………!!」

 …どうやら、決壊したらしい。

 けど、それでいい。今は、泣いた方がいい。

 富樫源吉の為に、彼自身の為に。

 何より二人の、()()()()()()()()()()()

 

「…私も協力しますから、ね?

 大丈夫。大丈夫ですから…。」

 私は子供のように号泣し始めた独眼鉄の頭を抱きしめて、その頭をしばらく撫でていた。

 

 

 落ち着いたのを見計らって、私は独眼鉄にもう少し眠るように言い、救護車から出た。

 そのタイミングで、まだ意識を失ったままのセンクウが、私と入れ替わるように運び込まれる。

 

 …今思えばセンクウは、戦闘中の独眼鉄のキャラが、いつもと違う事には気付いていただろう。

 あの時、飛燕がせめてもの情けで落下から助けた独眼鉄を、敢えてそのロープを切って硫硝酸盆に落としたのは、やはり彼なりの情けだったのかもしれない。

 

「…デリカシーがないなんて言って、ごめんなさい。」

 聞こえるはずもない謝罪を口にしてから、私はそこに背を向けて来た道を戻る。

 すっかり時間を食ってしまった。

 次の闘場へと向かわねば。



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9・Change The Wind

関係ないけどアタシの中では、桃のイメージはすごく若い頃の加藤剛。伊達はやはりすごく若い頃の中村吉右衛門。
本当に関係ないがアタシは小学生の頃、杉良太郎と結婚したいと思っていた。


 大威震八連制覇第三闘場・燦燋六極星闘(さんしょうろっきょくせいとう)

 湖の中央に星型の人工島があり、更にその中央に棘のついた柱が何本も立てられた四角い高台が設けられ、闘士たちが戦うのはその場所だ。

 正確には星型になっている部分は堤防であり、その内側にも水が満ちている。

 そして中央の高台のやや手前に四角い足場があり、一人が戦っている間、もう一人はそこで待つことになるのだが…実はこの湖の水は一面石油。

 戦闘が始まると同時にそれに火矢を放ち、文字通り火の海にすると言うのだから、まったく悪趣味この上ない。

 てゆーか、どうやって選手交代するんだこの闘場。

 移動に使ったボート燃えちゃわない?

 途中の足場で待機してる闘士だって、時間かかったら命の危険があるし。

 

 私が辿り着いた時、さすがに既に戦闘は開始されていた。

 確かここでの三号生側闘士は羅刹と男爵ディーノ。

 対する一号生側は、月光と虎丸……の筈なんだ、けど?

 周囲の石油が燃え盛る炎の中、手前の足場に、なんか不貞腐れた顔して胡座かいて座ってるのは確かに虎丸で間違いなさそうだが、中央の武舞台でディーノと向かい合っている男は、どう見ても月光じゃない。

 私が見る限りだが、三面拳は全員、礼に始まり礼に終わる的なきっちりしたイメージがある。

 相手が完全に戦闘態勢取ってる前でポケットに手ェ突っ込んで、完全に人を舐めくさった態度で突っ立ってるような失礼な奴が月光なわけない。

 大体髪あるし。

 

「あれ、伊達…?」

「ここに来る途中で奴が、組合わせの変更を申し出てきた。

 本来なら一度託生石が示した絆、覆すなど以ての外だが、これまでそのような事を提案してきた者自体がおらん。

 時節が変わりつつあるのだろうと、わしの権限で認めた。

 奴が自ら選び取った未来が、定められた運命に勝つというのなら、それもまた歴史の流れだろうて。」

 …王先生が説明してくれたのだが、ごめんなさいちょっと何言ってるかわからないです。

 とにかくこの闘いは先に決まっていた組合せから一部メンバーチェンジがあり、月光と伊達がシフトされたという事だ。

 まあ、いいんじゃないかな。

 驚邏大四凶殺で死闘を演じた二人という縁はあるものの、虎丸と月光は、現時点であまり相性がいいように思えない。

 というか、4人が編入してきてまだ3日しか経っていないから、私も彼らの事は充分に判ってるとは言えないが、この3日の間観察した限り、普段の月光は沈着冷静、雷電のような気さくなタイプでも飛燕のような優しげに見えるタイプでもないけど、穏やかで理知的なタイプだって事が判った。(銀縁メガネにスーツとかメッチャ似合いそうだ)

 

 同時に、闘いの中でのこととはいえ彼を怒らせた虎丸が、実はとんでもない奴だったって事も。

 

 まあ、だからって伊達ならいいというものでもないけど、伊達の方が意外と面倒見は良さそうなんでまだマシって気がする。

 もっとも伊達が提案してきたのは自身と虎丸との交代であり、この第三闘を気心の知れた月光と組んで闘うのが本来の構想だったようだが。

 

「伊達殿は二人ともを自分が倒し、虎丸を闘わせぬつもりなのだ。」

「まじか。

 でもそれ、虎丸がよく承知しましたね…って、え!?」

 話しかけられて思わず普通に返事してしまったが、後ろから聞こえてきたその声が王先生じゃない事に、一瞬遅れて気付く。

 恐る恐る声の方を振り返ると…月光が、相変わらず焦点合ってないような目で私を見ていた。

 

 …焦ったが、覆面してる事を思い出して、頷いて誤魔化す。

 けど、そういや雷電が「月光は気配に敏感だ」というような事を言っていた筈だ。

 Jの時と同様に、私だと気付かれてる可能性、非常に高い。

 覚えず覆面の下で汗がダラダラ流れる。

 そんな私に、表情を変えぬまま月光が、私にしか聞こえぬくらいの小声で言った。

 

「そんなに警戒しなくていい、江田島光。

 なんの目的かは知らぬが、おまえは我らを助ける為に動いているようだ。

 だが、この戦いに関してはその心配はいらぬ。

 安心して見ているがいい。」

 うわあぁああ名前呼ばれたぁ。

 そもそも私が女だとこの人が最初に気付いたっていうし、やっぱり気配に敏感って本当だったのか。

 いや雷電がそんな事で嘘つく必要ないけど。

 

「…この月光、生来目が見えん。

 代わりに心の目が開いている。

 身を隠そうが姿を変えようが無駄な事だ。」

「えっ!?」

 ちょっと待ってなんか今すごい事聞いた気がするんだけど!

 だが私がそれ以上つっこむ前に闘場では、突っ立ってる伊達にディーノが、柱を砕く破壊力の怒流鞭(どるべん)と呼ぶ鞭を伊達に向けて振るい、捕まえたと思った伊達に背後をとられたところだった。

 

「この趣味の悪いヒゲは、どうにかした方がいい。」

 言いながら背後からディーノのヒゲを摘んだかと思えば、そのままそれを支点にして、ぐるりと身体を逆立ちさせて前へと回り、当然千切れて自分の手の中に残ったディーノのヒゲを、フーッと息を吹きかけて散らす。

 更に怒りの表情を浮かべて振り返るディーノの鼻梁を、デコピンするように指で弾いた。

 それだけの動きがどれほどの威力であったものか、ディーノはそのまま尻餅をつき、上げた顔は鼻血を流している。

 

「気にすんな。おまえが弱いんじゃねえ。

 俺が強すぎるんだ。」

 …どうやら敵として相対する者に対して、とことん底意地悪いのがこの男の流儀であるらしい。

 驚邏大四凶殺の時、最初は桃の事も散々侮ってくれてたけど、あの程度ならまだましな方だったのか。

 ディーノにしてみたらこれほど腹の立つ相手もおるまい。

 しかし、態度はともかく強いのは間違いない。

 

 てゆーか今気付いたけどなんで無手?槍は?

 桃との戦いの時には刀も使ってたけど、今日は拳で戦うつもりだろうか。

 どんだけ引き出し多いんだ、この男。

 この時点では多分、それすら使ってないけど。

 怒りに震えながら立ち上がったディーノが、被っていたシルクハットを伊達に向かって投げた。

 

「何のマネだ、これは……!?」

 小さく首を傾けてそれを避ける伊達の後ろで、飛んで行ったシルクハットの中から、何かが飛び出した。

 それは伊達の周辺を飛び回ると、ディーノの元に飛んでいき、その腕に着地する。

 それは鷹くらいの大きな鳥だった。

 

「死穿鳥拳!!

 このわたしを怒らせた報いを受けるがよい!!

 いけい!奴の喉笛をかっさばけーーっ!!」

 なるほど。鷹匠みたいなもんか。

 ちなみに動物を使った拳法や攻撃手段は、世界には意外にたくさんあると、御前が雇った師範が教えてくれた事がある。

 実際、その師範が集めていた闘士の中に、狼使いの男がいたし。

 

 …あのひとの狼、なんでか私に懐いたけどな。

 こっそり一匹連れて帰って御前の猫ども襲わせてやろうかと本気で思ったくらい。

 何せあの猫ども、私に懐かないどころか何故か顔見るたびに威嚇してきやがったので、本当に憎ったらしかったし。

 マジで群れの中の一番小さいのをこっそり連れて帰ろうとしたら、その狼使いに動物好きなんだと思われて、数日前に生まれたばかりの仔狼とか見せられたけど。

「可愛かろ?」とか言われて曖昧に頷いたけど知らねえわ。

 ちっこいもふもふの毛玉が蠢いてるさまを見て世間一般の女子なら『きゃー可愛い』とか思うんだろうが、正直『食えそうな部分全然無いじゃん』とか思っただけだった。

 …うん、人間的に何かが欠落してたのは自覚してる。

 それでも今はだいぶマシになったんだよ!

 椿山のピーコちゃんは世話するようになってから、それなりに情も湧いてきたし。

 つか椿山とか、コレ目指せばいいんじゃないかな。

 …いや無理か。あの男に育てられたら攻撃手段としては使えないただのペットになるだけな気がする。

 閑話休題。

 伊達は自分に向かってくる死穿鳥の軌道を観察していたかと思えば、少し大きな動きでその攻撃を躱す。

 

「気がついたか。

 その死穿鳥の嘴には猛毒が塗ってある。

 ほんの少しのカスリ傷を受けてもたちまちあの世行きだ。」

 待て。毒が攻撃手段としてアリかどうかは賛否の分かれるところだと思うが、それ以前に鳥には毛繕いの習性があってだな…これ以上は言わなくてもわかるよな?

 誰に向かって言ってんのかホント知らないけど。

 

「死穿鳥にばかり気を取られていいのか?

 死穿鳥拳の真髄は、この鞭と鳥との二段攻撃にある!!」

 わざわざ解説してくれてありがとう。

 つまりは猛禽の素早い動きと自身の連続攻撃で、伊達の移動範囲をある程度狭めていく事で、攻撃を当たりやすくするわけだ。

 言葉通り、死穿鳥の攻撃を躱した先に鞭の先が飛んでくる。

 しかし、伊達の体術も大したもので、地面に片手をついた半ブリッジのような体勢になりつつも、次の瞬間には体勢は整っていて、息も乱してはいない。

 体のバネというか関節が柔らかいというか、多分だがこれは天性のものだろう。

 考えてみればこいつは驚邏大四凶殺で、あのクソ重たそうな鎧カブトであり得ないほど身軽に立ち回り、終始桃を圧倒していた男だ。

 …この才が幼少期から開花していたのなら、孤戮闘に放り込まれたのも頷ける。

 誘拐されたのか売られたのかは知らないが。

 そして躱しながらも鞭と死穿鳥の動きから目を離さず、その軌道を追っているようだ。

 本物の猛禽がそこにいるのに、私は伊達のその目を、『獲物を狙う鷹のようだ』と思ってしまった。

 

 

「や、やべえ、あれではかわすのが精一杯だぞ。」

「まるでひとりで二人の敵と戦っているようなもんじゃあーーっ!!」

 だが、それらの事が見えていないものか、一号生たちが騒つきだし、それに対して桃が薄く微笑みながら、視線は闘場から離さずに言った。

 

「フッ。伊達は、只かわしているのではない。」

「その通り。伊達殿は待っているのだ。」

 それに月光が頷いて答える。

 

「ウム…勝負はもうすぐつく…。」

 この二人にも同じものが見えているのだろう。

 って、月光……いや、つっこむまい。

 

「フッフ、追い詰めたぞ。その後は火炎地獄だ。

 どうした…わかったか、このわたしの実力が。」

 闘場の端で、水面から立ちのぼる炎を背にした伊達に、ディーノがほくそ笑みながら鞭を構える。

 が、

 

「ああ、わかった。

 やはりおまえは俺の敵ではない……。」

 落ち着き払った表情を崩さず、伊達がそう言い放った。

 

「ほざきやがれーーっ!!」

 怒りに任せてディーノが振るう鞭の先が、伊達の胸元に向かって来る。

 背後の頭上には死穿鳥。

 なのに何故か、伊達はその場から動かない。

 

「だ、伊達ーーっ!!」

 どうも先程から不貞腐れた態度で、時折気がついたようにディーノの方に声援送ったりしていた虎丸が、さすがに焦ったように叫ぶ。だが。

 

「待っていたぞ。

 鞭と鳥が直線状になるこの一瞬をな……!!」

 伊達は二本揃えた指先で、胸元にきた鞭の先を下から突いて軌道を逸らした。

 勢いを殺されぬまま軌道を変えたその鞭先は、頭上から伊達を襲おうとしていた死穿鳥に直撃する。

 驚愕するディーノだったが、その間にも伊達は動いていた。

 貫いた死穿鳥ごとディーノの怒流鞭を掴み、腕を振るう。

 鞭は持ち主を裏切ったようにディーノの身体に巻きつくと、次の瞬間にはその身体に食い込んでいた。

 …伊達はあの蛇轍槍を、己が手足の如く自在に使いこなしていた男だ。

 使う気になれば鞭だって使いこなせるだろう。

 塾長や赤石が言っていた通り、本当に苦手なものなんかないんだ。

 

「次は貴様の番だ、羅刹……!!」

 断末魔のような声をあげるディーノの後方を見据えながら、伊達が呟いた。

 

 

 完全に戦意を喪失して倒れかかるディーノに向けて、落ちていたシルクハットを指先で投げる。

 

「地獄への忘れもんだぜ。」

 それは正確にスポッとディーノの頭にハマり、ディーノはそのまま倒れ込んだ。

 実力の1割も発揮しないまま、伊達臣人、一勝。

 

 

「す、すげえ、伊達の奴ーーっ!!

 ディーノをまるきり目にしねえで倒しちまったーーっ!!」

「いいぞ伊達!

 次の羅刹とかいう野郎も、この調子で頼むぜーーっ!!」

 一号生達が伊達の勝利に盛り上がるが、正直それどころじゃない。

 ディーノを回収しに行きたいところだが、闘場は炎にまかれて近づけない。

 一縷の望みをかけて王先生に、「この闘場には、仕掛けとか抜け道とかないんですか?」って一応聞いてみたけど、あっさり「そんなものはない」って言いやがったしこのドンブリ頭ジジイ。

 こうなったら炎がおさまるか、勝負がついて消火を実行できるまで待つしかない。

 ごめんなさい男爵ディーノ。

 多分死んでないと思うけど手当てはもう少し待って。




伊達対ディーノ戦はほんとあっという間に終わっちゃうから、光が到着するまでの間に終わってた事にしても良かったし、流れ的にはそっちの方がむしろ自然だったけど、実はディーノ戦って伊達がその底意地の悪さを見せた最初のステージな上、
「気にすんな。おまえが弱いんじゃねえ。俺が強すぎるんだ。」
当時高校生だったアタシがズッキュンされたこの名台詞だけは、どうしても入れたかったんだ。
ああ、未だに惜しまれて仕方ない。これを鈴置洋孝さんの声で聞いてみたかった…。


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10・Dark Side Meditation

「じゃかあしい!

 てめえら、伊達、伊達って騒ぎやがって!

 あんな奴俺に比べればたいしたこたぁねえ!!

 こらーっ伊達、今度こそはわしの出番じゃ!

 かわらんかーーっ!!」

 

 待機してる足場の上で悔しげに叫ぶ虎丸に、伊達が一瞥をくれただけで黙殺する。

 先ほどの月光の言葉通り、交代する気はさらさらないらしい。

 どうやら虎丸がさっきから不機嫌に見えるのは気のせいではなかったようだ。

 自分の出番を奪われる事で、蔑ろにされたと感じているのだろう。

 けど、今の伊達の闘いを目の当たりにした後では、確かにこの子の出番はないかもしれない。

 むしろ私としてはこのまま闘わずに終わってくれればと思う。

 何せ、これから出てくるのは、死天王のひとり羅刹。

 

「こいや。待ちくたびれたろう。」

 その羅刹に向かって、伊達が声をかける。

 ディーノとの闘いが割と速攻で終わったからそう待ってないとは思うけど。

 それはそれとして、ディーノが動けず船を戻せない状況で、どうやって選手交代する気だろう。

 虎丸も同じ疑問を口にしている。

 羅刹はマントの下に手を入れると、何やら掌大の丸い厚紙?のようなものを取り出した。

 次にはそれを水面に投げて浮かべる。

 燃えないところを見ると、紙ではないのかもしれない。

 ちなみに虎丸はそれを見て『メンコみたいな』と表現したが、私は冷たいグラスの下に置くコースターを連想した。

 それは彼のいる足場と武舞台との間に、きれいに一直線に並んでいる。

 それを確認してから、羅刹は足場の岩を蹴って、前方へ飛んだ。

 そして、先ほどのコースターの上につま先で着地したかと思えば、その瞬間にはまた飛び上がって、次のコースターで同じことをする。

 コースターの枚数分同じ事を繰り返して、羅刹はあっという間に武舞台に飛び降りた。

 忍者だ、忍者がいる。

 

妙活渡水(みょうかつとすい)の法じゃ。

 己の体重を殺し、水面に浮かべた紙片に全体重がかかる寸前跳躍する。

 すさまじい修練と、並外れた気の充実がなければできることではない。」

 王先生が今の羅刹の移動方法について解説している。

 うん、羅刹はあの図体をして、意外と空中戦とかも得意そうだな。

 …それはそうと、羅刹は上半身にマント以外の防具は付けていない。

 という事は、あのコースターを収納していたのはマントの方だったようだ。

 裏側にポケットでも付いているのだろうか。

 想像するとちょっとマヌケなんだが。

 と、私がしょうもないところに目が行っている間に、そのマントを脱ぎ捨てながら伊達を見据える羅刹を見て、月光と桃がため息混じりに呟いた。

 

「あの男の全身から発散される異様な闘気、死天王の中でもかなりの腕だ。」

「ウム…それは伊達が一番わかっている筈だ。」

 …はい、ごめんなさい緊張感なくて。

 正直、天動宮に出入りしていた間、私は羅刹にも世話になっているし、どうぞうちの赤石(バカ兄貴)をこれからもよろしくお願いします的な意味を込めて肩や背中を揉んでやったりもして、結構なコミュニケーションを取っていたから、私の中での羅刹の扱いは『親戚のオッチャン』程度には近くなっている。

 それはそうと、羅刹は絶対30越えてると思っていたんだが、聞けば邪鬼様と同い年で、老け顔だけどまだギリ20代だそうだ。

 完全にオッサン扱いしてましたごめんなさい。

 ちなみに卍丸とセンクウは赤石よりひとつ上だった。

 影慶にだけはなんか妙に距離置かれてて、滞在した三日の最後の晩以外必要以上の会話をしなかったので、彼の事はよくわからないのだが、羅刹の話によれば影慶が死天王に加わったのは実は一番最後で、三年前になんとかいう武道大会の予選に来ていたのを邪鬼様が見込んで連れてきたんだそうだ。

 影慶も邪鬼様と同じくらいかと思ってたが、その話からすると彼も思ってたより若そうだ。

 それはさておき。

 

「見ろ!伊達が初めて構えたぞーーっ!!」

 吐息とともに、伊達が戦闘態勢に入る。

 それは羅刹を、全力で闘うべき相手と認めた証拠。

 ひょっとしてこいつの配下の奴ら同様、どっかから槍出してくるのかと思ったが、そんな事はないらしい。安心した…って、違う!

 マジで槍使わないの!?

 最後まで得物無しで闘うつもりなの!?

 

「その構えは覇極流(はきょくりゅう)活殺拳(かっさつけん)…。

 それも相当の遣い手だ……。」

 羅刹が言うのを聞いて、瞬時に納得する。

 ひょっとして覇極流って武器選ばない流派なんじゃなかろうか。

 槍には槍の、刀には刀の、そして拳には拳の、それぞれの戦闘スタイルに合わせた奥義があるとみた。

 

「ならば俺も、鞏家(きょうけ)兜指愧破(とうしきは)の奥義を尽くして戦うまで!!」

 そして、羅刹もまた戦闘の構えをとる。

 独特な指の構えからすると、羅刹は指拳の使い手のようだ。

 卍丸もそうだったよな。

 死天王の少なくとも半数が指拳使いなのか。

 別にいいけど。

 

 ・・・

 

 だが。

 そこからが長かった。

 

「てめえらやる気あんのかーーっ!!

 もう一時間も身動きひとつせず、向かい合って何しとるんじゃーーっ!!」

 ひとり蚊帳の外の虎丸が焦れて叫ぶ。

 まあ一時間は大袈裟だが、伊達と羅刹は互いに構えをとった後数十分、そこから一歩たりとも動かずにいる。

 

「動けないのだ。

 互いに一分(いちぶ)の隙もなく、相手の仕掛けるのを待っている。」

 二人の間に立ち込める、触れれば切れそうなほど濃密な闘気を感じ取った桃が、硬い声でそう言う。

 そこに、一陣の風が吹いた。

 何処からか、炎にまかれずに闘場に舞い込んだ枯葉が、一瞬伊達の視界を塞ぐ。

 その瞬間、羅刹が動いた。

 鋭い指拳が、真っ直ぐ伊達の胸板を狙ってくる。

 伊達がそれを躱すと羅刹の指拳は、そのまま伊達の背後の柱を貫いた。

 柱から引き抜いた指を示しながら、羅刹は伊達に向かって言い放つ。

 

「この世に、俺の指で貫けぬものは存在せぬ。」

 ちょっと待って、その台詞どっかで聞いたよ!

 私の知ってる人に、それとおんなじような事言ってるやつが、少なくともほかに一人いるわ!!

 …そういえば羅刹は赤石に『命の借りがある』とか言っていたな。

 詳しい話を聞きそびれてしまったが、この八連制覇の出場闘士として赤石が参加していたら、託生石は間違いなく、ここに赤石を導いただろう。

 赤石と羅刹がもし闘っていたなら…………………うん、止そう。

 戦闘スタイルが違いすぎて、全くイメージが湧かない。

 けど、素手で闘えとは言わないが、赤石にも刀以外の攻撃手段があってもいいんじゃないかな。

 今、武舞台場で羅刹と対峙してる奴ほどの器用さはなくてもいいけど、刀を奪われたり封じられた際に、闘氣を操る攻撃とかができるとかなり有利だと思う。

 赤石は器用なタイプではないが、素質的に不可能ではない筈。

 というか、私から豪毅を引き離す為に彼に向かって放った、確か烈風剣とかいう技、見た目にはその剣圧で豪毅の身体を吹き飛ばした感じだし、多分放った本人もそのイメージで使ったと思うけど、実際のところあれは闘氣だった。

 あれを意識的に、できればもっと鋭く研ぎ澄ませて操ればいいだけだ。

 少なくともあれだけのガタイがあれば、氣の量的には全く問題ないわけだし。

 

兜指愧破(とうしきは)両段殺(りょうだんさつ)!!」

 さて、私の脳内ツッコミが明後日の方向に向かっている間に、羅刹はその指拳を伊達の胸板に照準を合わせ、真正面から向かってきた。

 伊達はその軌道を冷静に見極め、正確に胸に向かっていた筈の羅刹の指拳を、どのようにしたものかその両手首を己が両脇に挟んで止める。

 そうして両手を拘束した状態から、羅刹の顔面に頭突きを食らわすも、次の瞬間には羅刹の膝がやはり伊達の顔面に飛んできて、二人はそこから一旦距離を取った。

 伊達が体勢と呼吸を整える間に、羅刹は次の攻撃の構えに入る。

 両掌を合わせ、親指、人差し指、小指を立てた状態で、やはり狙うのは伊達の胸板。

 正確にはその下で生命の律動(リズム)を刻む心臓だ。

 

兜指愧破(とうしきは)双指殺(そうしさつ)!!」

 それに対する伊達の反応が遅れた…と、その瞬間誰もが思った。

 

「だ、伊達ーーっ!!」

 虎丸の叫びが虚しく響き、指拳が伊達の胸に風穴を開ける…そう見えた瞬間、

 

「とったぞ……覇極流(はきょくりゅう)拳止鄭(けんしてい)!!」

 伊達の胸元で羅刹の両手の甲が、伊達の両拳に挟まれていた。

 

 

「きまったーーっ!

 覇極流奥義・拳止鄭だってよーーっ!!」

「す、すげえ技だぜ、さすが伊達だーーっ!!」

「あの羅刹の凄まじい指拳を、完全に封じたぞーーっ!!」

 一号生たちが盛り上がるのを見て、待機している虎丸がちょっとムキになる。

 

「ヘッ、何を言ってやがる!

 俺だってあれくれえの事は、やろうと思えばできるんだぜ!!

 こらあ伊達ーっ、俺とかわらんかーっ!

 本当にこのままじゃ、俺の出番がなくなっちまうじゃねえかよーっ!!」

 素質的な事だけ言えば、虎丸は伊達レベルに強くなれる可能性はある。

 それくらいの逸材だ。

 だがそれは、少なくとも同じだけの修行をすればの話。

 それに、その素質を効率的に伸ばす為には、良き師の存在も不可欠で。

 いわば伊達が磨き上げられてカッティングも施された、完成された金剛石(ダイヤモンド)だとするならば、虎丸はうっかり庭の敷石に紛れてしまった原石というところだろう。

 …今、伊達が陥っている窮地に気付いていないというのならば尚のこと。

 

 ☆☆☆

 

「…フッ。中国の古い(ことわざ)に、“一見は真ならず”とあるのを知ってるか?」

 俺の拳止鄭により拳を砕かれた筈の羅刹が不敵に笑う。

 

「なに……!?」

 奴の言葉の真意を問う前に、至近距離で目にしている、羅刹の腕の筋肉が膨れ上がる。

 

「ぬはーーっ!!」

「!…ぬっ!!」

 そのまま力を込めた奴の指拳は、真っ直ぐに俺の胸を捉えている。

 手の甲は俺に潰されているのに、指先の鋭さはまだ生きているのだ。

 

「フッ、俺の言った意味がわかったか。

 俺の拳を封じたつもりだろうが、どうやら立場は逆だったようだな。」

 …そういうことか。

 

 ☆☆☆

 

「どうした伊達ーっ!!

 いつまでも睨み合ってねえで、一気に勝負にいかんかーっ!!」

「おう、今までのところ、勝負は圧倒的に伊達が優勢だぜい!!」

「違う……!今、窮地にいるのは伊達の方だ。」

「んーーっ!?ど、どういう事だ桃、それは!?」

「羅刹の指拳はあの体勢から、伊達の胸を貫こうとしている。」

「な、なにーーっ!!」

 …桃の言う通り。

 そもそも腕の関節というのは、内側に曲がる構造になっている。

 そして羅刹が力を加えているのが、まさにその曲がる方向なわけで。

 羅刹は真っ直ぐ前だけに力を込めればいいのに対して、伊達がこの体勢のままそれを阻もうとするならば、羅刹の拳を止めている自身の拳だけではなく、関節を固定する為にも力を使わねばならない。

 つまり、その時点で既に力が分散されている。

 現時点で二人が、単純な膂力で互角であるのなら、伊達が押し負けるのは明らかだ。

 

 ☆☆☆

 

 羅刹の指先が徐々に、俺の胸に近づいてくる。

 

「いつまでもこらえきれるものではない。

 貴様の横から押さえる力と、俺の前から押す力、どちらか有利かは、言わずとも知れた事……!!」

 確かに、このままの体勢では確実に俺が押し負ける。

 だがこの体勢から離れたり、足技を繰り出しても、奴の指拳はそれより早く、俺の胸板を貫くだろう。

 この体勢を維持したまま、力で押し返すしかない。

 

「もらったぞ、この勝負……!!」

「くっ!!」

 押し返そうとして脚が僅かに後方に滑った。

 反射的にそれを止めようとした瞬間、奴の指先が、遂に俺の胸板に到達する。

 虎丸が俺の名を叫ぶ声が聞こえた。

 うるせえ黙ってろ、気が散る。

 

「ううっ!!」

 まるで味噌に指でも突っ込むみたいに易々と、奴の指拳が俺の胸を貫いてくる。

 

「しぶとい奴よ。まだこらえおるか。

 しかしあと1cm。

 1cmもすれば、俺の双指殺は心臓を貫く。」

 …無駄に体力を消耗するからやりたくはなかったが、ここは切り札を使うしかないようだ。

 

「貴様に俺を殺すことはできん。」

「なにーっ!!」

 至近距離の訝しげな顔を視界から外すように、俺は瞳を閉じた。

 

闘・妖・開・斬・破・寒

滅・兵・剣・駿・闇

 

「何をブツブツと。最後の念仏でも唱えておるのか。」

 …心が闇のベールに包まれ、無意識の壁を越える。

 奴が何か言っている気がするが、俺の耳にはもう届かない。

 深いところへと、潜っていく。

 

煙・界・爆・炎・色・無

超・善・悪

殺・凄・卍・克・哀・煦

 

 静寂の闇の中、伸ばした心の手が何かに触れる。

 躊躇うことなく、俺はそれを掴む。

 その瞬間、掴んだ拳の中から、眩しい光が溢れ出し、同時に激しくなった血流が、その輝きを全身に押し流し、ゆき渡らせた。

 光が、力が、俺に満ちる。

 そのまま、意識が急浮上する。

 

 膨張した筋肉が、装着していた腕のプロテクターをはじき飛ばす。

 左手首の、かつて見知らぬ誰かの所有物であった証、思い出したくもない紋様が露わになるが、今は気にしている時ではない。

 

「おおっ!!

 

 覇極流(はきょくりゅう)気張禱(きちょうとう)!!」

 

 目の前の羅刹の貌に驚愕の色が浮かぶ。

 肉体の奥に眠っていたその力を腕に漲らせ、俺は胸に突き刺さる奴の指拳を、力任せに引き抜いた。




らせん階段・カブト虫・廃墟の街・イチジクのタルト・カブト虫………

すいませんなんでもないです。


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11・風は吹く花は散る時は流れる

「ぬうっ!

 き、貴様、どこにまだこれ程の力が………っ!!」

 明らかに自身の方が有利であった筈の状況をゼロに戻され、羅刹が驚愕した。

 一方、急にどこからか力が湧き出てきたように見える、伊達の膨れ上がった腕の筋肉に、一号生が歓喜しながらも疑問を口にする。

 

練活気挿法(れんかつきそうほう)の一種じゃ。」

 突然の伊達のパワーアップの理由を、王先生が解説してくれた。

 練活気挿法…簡単に言えば、肉体の持つ潜在能力を、一時的に100%引き出す自己催眠法である。

(人間の肉体は通常時、その能力を最大でも50〜60%程度しか使用しない。それ以上を使うと自身の肉体をも破壊してしまう恐れがある為)

 いわゆる火事場の馬鹿力を任意に引き出すもので、自己催眠に至る方法はそれぞれだが、密九教の呪文を唱えるケースが多いという。

 気張禱(きちょうとう)とはまさしく、覇極流における練活気挿法なのだろう。

 一応、私の橘流氣操術でも、その手の一時的なパワーアップは可能だ。

 というか、以前懲罰房で重石の鎖が切れた際に虎丸に使ったのがそれだ。

 そして私がやる場合、どれくらいの割合で力を引き出すかの調整もある程度は可能だったりする。

 勿論その割合が高ければ高いほど持続時間は短くなるし、更に後からくる肉体の反動も大きいけど。

 あの時の虎丸に施したせいぜい7、8%弱程度の上乗せでも、後で筋肉の修復の為に更に術を使わねばならなかった。

 もっとも虎丸の場合支える重量が半端なかった上、今思えば無駄に潜在能力が高かった故に、その7、8%のパワーアップの値が思ったより大きかったという事もあるのだが。

 だが、この場合は本当に瞬間的な覚醒なのだろう。

 その瞬間を無駄にせず、伊達は自身が止めた羅刹の両手を支点にして地面を蹴り飛び上がると、気合い声とともにバック転で羅刹の背後に飛び降りた。

 

「フッ、やりおるわ。

 よもや貴様が練活気挿法まで体得しておるとはな。

 しかし、気挿法を使った後の体力の消耗は言語を絶すると聞く。」

 やはりそうか。

 どんな方法でも、肉体の限界に到達するパワーアップで返ってくるダメージは大きいようだ。

 

「しかもその出血……既に勝負は見えた。

 一気に決着(ケリ)をつけようぞ!」

 言いながら羅刹が構え直す。

 己の勝利を確信して、今度こそその胸板を貫いてこようとする羅刹の指拳を構えも避けもせず、伊達はその場に立ったまま、それを真っ直ぐに受け止める。

 

「もう動く事もできぬか。」

 だが次の瞬間、意外な事が起こった。

 

「ぐ、ぐああーーーーっ!!」

 苦痛の悲鳴を上げたのは羅刹の方。

 なんの動作もなくただ受け止めただけの伊達の胸板に、それを貫く筈だった羅刹の指拳は弾かれ、その指の関節が、ありえない方向に曲がっている。

 その状況が信じられず己の右手を見つめる羅刹の目前で、右手の親指以外の指が、折れた関節から血を噴き出す。

 

「気がつかなかったのか。

 自分の指の筋が、先の拳止鄭で粉々に破壊されていたのを。

 自慢の指拳もあまりに鍛えすぎたため、その痛さまでも感じなくなっていたようだな。

 拳止鄭の神髄は、相手の拳を止めることにではなく、使えなくすることにある。」

「なっ!!

 ば、馬鹿な、俺の兜指愧破でこの世に貫けぬものなど存在せん!」

「まだわからんのか。

 今の貴様の拳では豆腐でも貫けはせん。」

 残る左手を振りかぶる羅刹の、その左手も容易く砕いて、伊達の正拳がその顔面にまともに入った。

 

「どうやら、貴様も俺の敵ではなかったようだな……!!」

 面白くもなさそうな表情で、伊達が言い放った。

 

 ・・・

 

 羅刹は見た目よりも、精神的に脆い気がする。

 実際、初めて会った日に、邪鬼様にそんなような事を指摘されてたし。

 動揺しやすい、よく言えば感情が豊かって事なんだけど、今も怒りと屈辱で、すごくわかりやすくぷるぷるしてる。

 …けど、元々はここに居る筈じゃなかった人を、わざわざ引き込んでまで闘いを挑んだのは、元々はあなた方三号生なんだけどな。

 まあそんな事は今はどうでもいい。

 羅刹は、どうやら口の中で折れたのだろう歯をプッと吐き出すと、燃える目で伊達を睨みつける。

 

「やめておけ。その拳ではもう戦えまい。

 今度は命を失うことになる。」

「フッ、貴様の覇極流拳法がこれほどのものとはな…。

 しかし、これしきのことで俺に勝った気でいるのか。

 俺の兜指愧破は指一本あれば充分。

 まだ、親指が生きておる。」

 羅刹は先ほどまでとは違う構えを取り、親指を突き出した拳で伊達に挑みかかった。

 先ほどよりも大きい動きで伊達がそれを避ける。

 それを見て虎丸がまた叫ぶ。

 

「たかが親指一本にビビるこたぁねえじゃねえか!!」

 …庭の敷石は黙ってろ。

 確かに羅刹はダメージを受けてるし、若干キレてもいる。

 けどこの気迫、さっきまでの比じゃない。

 身を躱した伊達の身体があった空間を通り、その後ろの柱を砕いた羅刹の指拳は、その破壊力を増していた。

 それは、感情の昂りが、肉体を強化しているからに他ならない。

 

千麾(せんき)兜指愧破(とうしきは)!!」

 だが伊達は冷静にその動きを見極めていた。

 先ほどは大きな動きで躱したそれを、最小限の動きで捌いていく。

 …もう完全にわかってしまった。

 さっきのディーノ戦での台詞じゃないが、伊達は本当、強すぎる。

 ここまでくると、役者が違うとしか言いようがない。

 桃、あなたどうやってこの化け物に勝てたんですか?

 それともあなた自身、こいつ以上の化け物なんですか?

 

「無駄だ。

 貴様のどんな拳も、俺を倒すことはできん。」

 言うや、羅刹の親指を無造作に掴み、それを支点にして一回転した伊達が、その途中で羅刹の顔面に蹴りを放つ。

 

「どうやら死なねばわからんようだな……。」

 だが羅刹は唐突に、謎に不敵な笑いを浮かべた。

 

「地変われば福に転ず…あたりを見てみろ。

 どうやら勝負の神はまだ、俺を見放してなかったようだな。」

 …石油の湖の炎が、島全体を覆い始めた。

 

 ・・・

 

「油が満ち始めているのではない。

 島が沈み始めているのだ。」

 王先生が状況を説明する。

 そもそもあの闘場を支える島の台座になっている岩は、温度が上がるにつれ溶けていくらしい。

 残されるのは中央に乱立する石柱。

 ここからはその上で闘う以外ない。

 正直、今の今まであの柱の存在意義をわかってなかったけど、そういうことだったのね。

 

「これぞ燦燋六極星闘(さんしょうろっきょくせいとう)炎濠柱(えんごうちゅう)!!」

 

 

 …ここで闘ったのが赤石じゃなくて本当に良かった。

 恐らくあの脳筋なら、この闘いのどっか途中で「…邪魔くせえ!」とか言い出して、全部の柱を一刀の元にぶった斬ってるに決まってる。

 今まさに行われてるかの如く、その光景が目に浮かぶ。

 そして今のこの場面では、二人揃って途方に暮れてる。

 …ここまで容易に想像できるとか、私はあの男に関わりすぎたかもしれない。

 

 …羅刹が柱のトゲトゲを利用して身軽にスイスイ登っていく。

 図体の割に本当に身軽だ。

 このまま下に留まっていては丸焦げになってしまうので、伊達も仕方なく地面を蹴って、柱の上まで飛び上がる。

 柱の上の、ひとまず炎が登ってこないところまで登った二人が、改めて対峙した。

 

「フッ、教えてやろう。

 さっき俺が言った、勝負の神がまだ俺を見捨ててはいなかったという意味をな。

 鞏家(きょうけ)鼯樵橤拳(ごしょうずいけん)滑空殺(かっくうさつ)!!」

 羅刹が、伊達に向かって、()()()

 

 

「な、何を考えてんだあいつーーっ!!

 あんな距離があるのに飛びだしやがったーーっ!!」

 虎丸が驚いた通り、羅刹と伊達の間の距離はかなり離れていた筈だった。

 だがその距離をものともせずに、まさに羅刹は両手を翼のように広げて滑空し、武器である親指が伊達の傍を掠める。

 伊達はそれを寸でで躱したが、彼が立っていた柱が、その身の代わりに砕かれた。

 伊達が落下する身体を、その下の足場を掴んで、辛うじて支える。

 羅刹はそのままの勢いと、更に下から吹き上げる熱風の力も借りて上昇し、別の柱の足場に降り立った。

 

「と、飛びやがった………!!

 ま、まるでムササビのように……!!」

「鼯樵橤拳………!!」

 桃が呆然と、羅刹の発した技の名前を呟く。

 それは中国屈指の大樹海地帯『烏慶漢(ウーケイハン)』にて、そこに暮らす少数民族・烏慶族(ウーケイぞく)が、多民族や外敵から身を守るために編み出した拳法だという。

 その特徴は字を見てのとおり(むささび)の動きを模した形象拳で、木立など高所での闘いを得意とするのだそうだ。

 …ひょっとすると羅刹はそこの出身なんだろうか。

 それはないか。と、

 

「鼯樵橤拳・縄縛環(じょうばくかん)!!」

 羅刹は手錠のついたワイヤーのような武器を投げた。

 それが数本の柱に巻き付いた後、手錠の部分が4本、伊達に向かって飛んできたかと思うと、狙い違わず伊達の両手首と両足首を捉える。

 だ・か・ら!それどっから出した!!

 いい加減つっこんだら負け案件多過ぎだろ!!

 

「どうやら勝負あったようだな……!!」

 ワイヤーの端が柱に繋がれ、磔のように拘束された伊達の姿に、羅刹がニヤリと嗤う。

 だが、

 

「フフ…俺はやっと本気になれそうだぜ。」

 伊達はそう言って羅刹を睨みつけながら、やはり挑戦的な笑みを浮かべた。

 …まさかとは思うがお前ら二人とも、頼むからおかしな趣味に目覚めるのだけはヤメロ。

 

 

 四肢の自由を奪われた伊達に、一号生たちが心配げにその名を呼ぶ。

 伊達は恐らく状況を冷静に判断しようとしているのだろう、それ以上無駄に暴れる事も、ましてや叫ぶ事もしない。

 ちなみに羅刹によればワイヤーは1tの重さにも耐え、手錠の鋼環はダイヤモンドより堅い白金鋼でできているという。

 …まあ、男塾(ウチ)塾生()たちの中には、状況さえ許せばその程度簡単にぶち壊せるパワーや技の持ち主、数人おりますがね。

 赤石の斬岩剣ならそのワイヤー程度、寸断しちゃうだろうし、Jのナックル付きでのパンチなら、その手錠くらい粉々に撃ち砕ける。

 問題は、実際にそこに囚われてる状況の伊達に、その方法が存在するかどうかって事だが。

 

「フッ…此の期に及んでも動ぜずか。

 貴様程の男、そう簡単には殺さん…。

 その余裕、どこまで本当のものか試してやろう。」

 言いつつ羅刹が親指を構える。

 何故かその状況を見て、突然虎丸が笑い出した。

 

「ウワッハハ、ざまあねえぜ伊達の野郎ーーっ!!

 ひとりばっかでいいかっこしおるからそういうことになるんじゃーーっ!!

 あとのことは心配しねえで、心おきなくやられろやーーっ!!」

 その言葉に一号生たちが怒りの表情を浮かべる。

 

「と、虎丸!あの野郎なんてことをーーっ!!」

「虎丸!

 てめえ言ってる事がわかっておるのかーーっ!!」

「じゃかあしい!

 てめえらに俺の気持ちがわかってたまるかーーっ!!」

 …子供だな。けど、虎丸は馬鹿じゃない。

 本当は自分でも気がついてる筈だ。

 自分のその言葉が、本心じゃないって事くらい。

 ちょっと拗ねてるだけで、本当は優しい子だから。

 さっきからなんだかんだで伊達を心配してるの、ちゃんと見てるんだからね。

 そんな事にはまったく頓着せず、羅刹が再び跳躍する。

 拘束されて抵抗どころか防御もできない伊達の肩に、羅刹の両親指が突き刺さった。

 

「鼯樵橤拳・激震経破(げきしんけいは)!!」

 そこから再び全身のバネで羅刹が別の柱に飛び移る。

 見てわかるほどに伊達の腕の筋肉が収縮し、その傷から血が噴き出した。

 

「ぐくっ!!」

 らしくもなく、伊達が声をあげた。

 その表情が苦痛に歪んでいる。

 

「な、何をしたんだ、羅刹の野郎は伊達に!」

「出血もひどいが、あの苦しみ方は異常だぞ!!」

 一号生がまだ騒めき出す。

 いや異常でもなんでもねえわ、ど素人は黙ってろ。

 あの部分は腕の中枢神経の集合節で、あの出血を見る限り間違いなくそこまで届いて砕かれてる。

 神経に直接ダメージを受けてるわけだから、痛み自体相当なものの筈だ。

 いやまあ、神経通らない痛みなんてないけどさ。

 

「並の体力と気力の者なら、その痛みだけでショック死してるだろう。

 貴様はその痛みに、のたうちまわりながら死んでいくのだ。」

「やめておけ……俺を怒らせると、楽には死なせんぞ。」

「まだ大口をたたきおるか!!

 次は腹部中枢神経集合節!」

 呼吸を乱しながらもまだ言い返す伊達の、胴のプロテクターをあっさり貫通して、今度は腹部に、羅刹の指拳が突き刺さった。

 

「ぐぬっ!!」

 再び、伊達が苦痛に呻く。

 

「痛かろう、苦しかろう。

 どうだ、素直に負けを認めれば、ひと思いにあの世に送ってやるぜ。」

 だが、羅刹のその言葉に、伊達は荒い息の中、強い瞳で羅刹を睨め付けて、言った。

 

 

「誰にものを言っている…。

 俺の名は、伊達臣人。

 貴様に、この俺は倒せはせん…!!」

 

 

 それは己に対する誇り。

 それなくしては『伊達臣人』そのものの存在が揺らぐほどに、伊達を伊達たらしめている、矜恃。</