婀嗟烬我愛瑠〜assassin girl〜魁!!男塾異空伝 (大岡 ひじき)
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プロローグ
1・汚れつちまった悲しみに


 確かに最初の晩は泣いたと思う。

 家族から引き離されて、わからない場所に連れてこられて。

 暗くて、怖くて、寒くて、お腹が空いて、喉が渇いて。

 でもすぐに、泣いてもどうにもならない事を悟った。

 そして忘れた。目の前にある現実以外を、全て。

 弱ければ死ぬ。戦わなければ死ぬ。

 

 

 殺さなければ……死ぬ。

 

 

 そして…

 

 

 

 気がついたら1人になっていた。

 

 ☆☆☆

 

「…驚いたな。本当に生き残るとは。

 御前が、見込んだだけの事はある。」

「あの子の素性を考えれば当然の結果だろう。

 あの血が欲しくて、御前は大金を積んだのだ。

 もっとも最初の1人を手にかけるまでは、怯えきって満足に動く事も出来なかったようだが。」

「そこからの思いきりが早かった。

 最後の1人など、本当に躊躇なく片付けてしまって、見ていて鳥肌が立ったよ。」

「しかも、勝ち残った後、回収に来た職員にも襲いかかったからな。

 2年前の件で職員も警戒していたから、怪我人が出る前にうまく取り押さえられたが、そうでなければあの時と同様、全滅させられ逃げられていてもおかしくなかった。」

「まあ暴れたのは反射的にだろう。

 あの時の少年のように、逃げようという明確な意志があったわけではないし、あれほど頭も働いていなかったに違いない。

 現に、取り押さえられた後は大人しくしていた。」

「この後然るべき修行場に連れて行って、最強の拳士に育て上げるのだろう?

 御前の手駒がまた1人増えるわけだ。」

「いや、あの子は日本に戻して、御前が手ずから育てられるそうだ。

 血筋が血筋だけに、武術を鍛えるより、暗殺の方の才能を、伸ばされたいとおっしゃってな。

 なので印も本当は付けたくはないが、付けるなら服の下の見えない部分にと固く命じられたゆえ、あの子だけは、孤戮闘(こりくとう)修了の証の刺青を、腕ではなく左肩甲骨の下に施す事になっている。」

「暗殺者の血筋か…。

 

 年端もゆかぬしかも少女の身で、まったく恐ろしい事よ。」

 

 ☆☆☆

 

「姉さん。」

 邸の離れの小さな庭で、咲き始めの梅の花を眺めていた私に、まだ変声期を迎えていないのであろう、高めの少年の声がかかった。

 ゆっくりと振り返ると、癖の強い頭髪と長い睫毛が印象的な少年が、微笑みながら歩いてくるのが見えた。

『姉さん』と呼ばれたが、この子は私の弟でもなんでもない。

 2年ほど前に私がこの邸に来てから、一応同じ敷地内で寝起きしている、「御前」の息子たちの1人だ。

 私も表向きは「御前」の娘として扱われているものの、実情としては『飼い犬』に近い立場だと思う。

 年齢は私の方がこの子よりふたつ上だったので、この子だけは私を『姉さん』呼びなわけだけど、この邸での地位は、この子を含めた「御前」のお子たちの方が間違いなく上で、本来なら傅かねばならないのだろう。

 もっともこの子以外の兄弟たちは、上の3人は私が来た時には既にここには住んでいなかったし、初めて顔合わせをした日の晩に四男が私の寝ている離れに忍び込んで来たのを、私が解除しなければ10日は続く激痛を右腕に与えてやって以来、数える程しか顔を見たこともない。

 この行動を、身の周りの世話をしてくれる女中さんには叱られたけど、「御前」は、

 

「まだ与えるとも言っていないものに、不用意に手を出そうとする方が悪い」

 と笑っていたっけ。

 そしてこの子には懐かれた。

 後で聞いたところによれば、私が撃退した四男には、酷く苛められていたのだそう。

 

 その、呼びかけた声が僅かに震えていたのを、私は聞き逃さなかった。

 

「…何かあったんですか?」

「やはり、姉さんにはわかってしまうのかな。」

 11歳という年齢に似合わぬ、少し大人びた表情で、彼は寂しげに微笑むと、ひとつ深呼吸をして言葉を続けた。

 

「遂に俺も、兄者たちと同じ寺に、修行に行く事になった。

 …少なくとも3、4年は帰ってこられない。」

 …言われてみればここ半年ほどは例の四男の姿を、遠目にもまったく見ていない。

 私の部屋は離れだし、邸はとても広いし、食事も別々に取っていて、会わずにいようと思えばいくらでもできるから、いない事にまったく気づいていなかった。

 ああ、これはうっかり言ったら「御前」に叱られそうだな。

『暗殺者』が気配に気づけないなんて、と。

 もっとも暗殺者の素養として、一般人の日常生活に、違和感なく溶け込めなければならないと、私をここで生活させているのも「御前」の意志なのだけど。

 

「…そうですか。

 寂しくなりますけど、ならばきっと、御立派になって帰ってこられるのでしょうね。」

 微笑みながら私が言うと、長い睫毛を瞬かせ、少し泣きそうな表情で、彼は私を見つめた。

 …ついこの間までは、並んだ目線が同じ位置にあった筈が、いつの間にか少しだけ見下ろされている。

 

(ひかる)…姉さん。」

「それを楽しみに、お帰りをお待ちしています。

 …そんな顔しないで。

 3、4年なんて意外とすぐですよ。豪くん。」

 言いながら、自分を慕う少年を見上げると、その癖の強い髪を私は、指先に絡ませながらそっと撫でた。

 いかにも愛おしげに、優しく笑って見せながら、そこに心は一欠片もこもってはいないけれど。

 

 ☆☆☆

 

「あの…申し訳ございませんが、お手をお貸しいただけないでしょうか?

 お恥ずかしい話ですが、鼻緒が、切れてしまって…。」

 春まだ浅い、小雨が降る小路で、困ったように声をかけてきた和服姿の小柄な女を、男は30そこそこと見た。

 少女の面影を残しつつ匂うような色香をも併せ持ったその美貌に、モダンな配色の和服がよく似合っている。

 手には鼻緒の切れた草履を持ち、それ故に片足がつけない不自然な体勢をそれでも保とうとしており、もう片方の手に握られた蛇の目傘が、体の揺れと共に傾いた。

 振り続ける小雨が、その肩と髪を濡らしてゆく。

 

「それはお困りでしょう。

 どうぞ、私の肩に手を置きなさい。

 私が挿げて差し上げますよ。」

「いえ、そこまでお手を煩わせるわけには。

 できれば傘さえお持ちいただければ、自分で挿げますので…あら?」

 草履を受け取ろうと手を差し伸べてきた男の長身を見上げた女は、驚いたように目を見開く。

 

「まあ、貴方様は…。

 私ったら、なんて方に声をかけてしまったのかしら。」

「お気になさらず。

 さあ、肩に手を置いて草履をこちらに。

 それからその傘をしっかり持って、できればその中に私も入れてください。」

「は、はい…誠に恐れ入ります。」

 男は女のそばに屈み込むと、女の手から草履を受け取り、その手を自身の肩に導いた。

 女の重さの一部がその肩にかかるが、その年齢の男にしては体格のいい彼に、小柄な女の重みなど気にするほどの事でもない。

 男は全く気づいていなかった。

 肩に触れた女の、もう片方の手の指先が、その首筋に今まさに触れようとしていることなど。

 そして。

 

 バサッ。

 

 何か軽いものが地面に落ちる音がして、肩から女の手の感触が消える。

 何事かと振り向こうとする前に、彼の想定しない低い声が、後方からかかった。

 

「危ないところであったな、中ちゃん。」

 男が驚いて立ち上がり、後ろを振り返る。

 そこには、彼より更に長身の禿頭の男性が立っており、何故かその腕の中に、件の女の小さな身体が、包まれるようにしなだれかかるのが見えた。

 足元に、女が持っていた蛇の目傘が転がる。

 先程の軽い音はこれかと、彼は頭の片隅で思った。

 次の瞬間ハッとして、もう一度男に目をやる。

 

「……江田島?

 貴様がなぜここに…危なかった、とは?」

「やはり気づいておらなんだようだな。

 この女、おまえの命を狙っておったぞ。」

「な、なんだと!?」

 彼は、自らが江田島と呼んだ男の腕の中にいる女を、もう一度見やった。

 当身でも食らったものか、どうやら昏倒しているらしく、目を閉じたまま動かない。

 

「そ、それは本当か?まさか、こんな女性が…?」

「暗器の類は手にしておらぬようだが、直前の動きからして間違いなく指拳の使い手よ。

 などと、おまえに言うてもわからんだろうが。」

 言いながら江田島という男は、腕の中の女を肩に担ぎ上げた。

 更に女の蛇の目傘を拾い上げ、それで降り続く小雨を遮る。

 そうしてから、まだ信じられぬという表情を浮かべたままの彼に、どこか楽しげにニヤリと笑いかけた。

 

「忍び遊びは程々にする事だな。

 さて、せっかくだからわしは、この小糠雨の中、美女との道行きを楽しむ事にしよう。

 ではな、中ちゃん。気を付けて帰れよ。」

 呆気に取られたまま江田島をただ見送った彼、内閣総理大臣・中曽根某(中ちゃん)は、その日誰にも知られぬ間に、暗殺の危機を乗り越えていた。

 

 ・・・

 

「旦那様、先程の女性なのですが…。」

 気を失ったままの女を運び込んだ別宅で、ひとまず寝かせる床を用意させた女中、事実上は妾の1人である女性が、おずおずと江田島に話しかけてきた。

 雨に濡れた服を着替え終え、頭を手拭いで拭きながら、江田島はそちらを見やる。

 

「どうした?目を覚ましたか?」

「いいえ。ですが…説明より、まずはご覧を。」

 女中は江田島を促して、先程の女を寝かせている部屋へ通した。

 その寝顔を見た彼は、驚いたように目を見開く。

 

「これは…本当に先程の女か?」

「ええ。

 お化粧したままではお肌に悪いと思い、拭いて差し上げましたところ…。」

「驚いたな。女は化粧で化けるというが…。」

 そこに寝ていたのは、匂いたつ色香をまとった30そこそこの女ではなく、整った顔立ちだけはそのままの、まだあどけなさの残る10代半ばであろう少女だった。

 

「さて…この娘、どうしたものか…。」

 未だ眠る少女の顔を見下ろしながら、江田島は我知らず独りごちた。




アタシ、オリ主に壮絶な過去とか特別な設定とか付けるの、本当はあんま好きじゃないんですが、これに関してはその前に書いてた女主人公との差別化がうまくいかなかった事と、男塾の世界ならなんでもアリだ!という開き直りが合わさって、気付いたらこうなっていました。


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2・someday きっといつか…

 奴と知り合ったのは偶然。

 奴を女と間違えてつきまとっていたチンピラを、たまたま近くを通りかかって気まぐれで追い払ってやっただけだが、その時点でなんだか判らんがいきなり懐かれた。

 

「オレ、激しい運動ができないもんで、走って逃げる事も出来なくて。

 ほんと助かりました。あ、ちょっと待って。

 オレ、薫っていいます。(たちばな) (かおる)

 良ければあなたの名前を教えてくれませんか?

 …赤石剛次さん?

 うわあ、名前まで男っぽくてかっこいいなぁ。

 ほら、オレ見た目がこれでしょ。

 今も女と間違われたくらいで。

 憧れてるんですよね、こういういかにも『(おとこ)』ってイメージ!

 ねえ、友達になってくれませんか?

 まず電話番号教えてください!あ、これオレの番号!

 平日の日中は学校行ってるんで出られませんけど、夕方以降ならほぼ居ますから!」

 走れないとか言いながらそれに近い勢いで寄って来たと思えば、俺の服の裾をがっしり掴んで矢継ぎ早にまくし立て、気付いた時にはこの俺が、すっかり奴のペースに巻き込まれていた。

 その時一緒に居た連れの連中も最初は呆気に取られ、その後はなんかニヤニヤしながらただ見ていやがるし。

 その時に他の奴らとも番号を交換していたようで、俺が連絡しないでいたにもかかわらず、普段行動するメンバーにいつの間にか加わっているようになった。

 というより気付けばいつの間にか、揃いも揃って強面な連中の輪の中心に居た。

 女みたい…否、下手な女より綺麗な顔をしてるくせに、中身は相当図太いようだ。

 

「人との出会いって生ものですからね。

 この人って思ったら、遠慮しない事にしてるんです。

 いつも一緒に居た人だって、明日には居ないかもしれないし、オレ自身だって、明日はどうなってるか判らない。」

「フン。

 てめえみてえな奴は殺したって死なねえだろ。」

「そう願いたいですけどね。

 なにせ爆弾抱えてる身なもんで。」

 そう言って親指で自分の心臓の位置を指して笑う。

 なんでも生まれつきの心臓の病気があり、本来なら10歳まで生きられないと言われていたのを、なんとか11歳と半年まで永らえたあたりでようやく手術をしたらしい。

 それにより間近に迫った死の運命は回避したものの、一生通院と投薬を続けなければならない上に、激しい運動や大きなショックといった、心臓への急激な負担は厳禁なのだそうだ。

 一度俺の家で服を脱いだ時に(誤解のないよう言っておくが、おかしな真似をしたわけじゃねえ。一緒にいる時に雨に降られて、仕方なく家に入れて風呂と着替えを貸しただけだ)、胸にかなり大きな手術痕があるのを、実際に目にしている。

 

「たまに思うんですよ。

 こんななら無理に手術してオレを生かさない方が、オレの家族は幸せだったんじゃないかなぁ、って。

 でもオレは生きてるから、責任取んなきゃいけないんです。」

 手術はアメリカで行われ、その術後入院中に、一旦帰国していた両親が交通事故で死んだらしい。

 退院した後は、そっちに住んでいる母親の友人夫婦に引き取られたが、一向に迎えに来ない両親の死を聞かされたのはかなり後になってからだそうだ。

 結局15までアメリカで暮らし、高校は日本の学校に通いたいと言って帰国。

 今住んでいる家は、両親の生前に暮らしていた家で、奴が戻るまでは若干の現金遺産とともに、両親の弁護士が管理していたという事だった。

 なので、日本での身元引き受け人もその弁護士に頼んでいると。

 17歳という年齢にしては色々生き急いでる感があるのは、ガキの時点で命の期限を切られていた、その経験からか。

 

「バカ言うな。

 そんなもん、てめえの責任でもなんでもねえだろうが。」

「まあね。

 妹の事を思えば、両親に関しては、ある意味自業自得だと思うけど。」

「自業自得…?

 というか、てめえに妹がいたのか。」

 ここまでの話を聞いた感じでは、てっきり天涯孤独と思い込んでいたが。

 

「双子のね。

 男女の双子の割にはそっくりだったから、多分今もオレと似てるんじゃないかな。

 生きてれば、ですけど。」

「生きていれば…?」

「オレの妹は、どこかの金持ちに売られたんですよ。

 オレの手術費用を捻出する為に。

 だから、幸せに暮らしてればそれでいいけど、とにかく一度会って確認したい。

 その為に、オレは日本に帰ってきたんです。」

 

 ☆☆☆

 

「剛次さん!

 オレ、ひょっとしたら妹に会えるかもしれない!」

 なんなんだ藪から棒に。

 しかも朝っぱらから電話なんぞかけてきやがって。

 

「昨日会った子から連絡が来て。

 その子、オレの事妹と間違えて。」

「おい橘。とりあえず順を追って話せ。

 何を言ってるのかさっぱりわからん。」

 電話の向こうで相当興奮しているであろう奴を、なんとかこちら側から制してみる。

 心臓に負担をかけるのは命の危険があると、てめえ自分で言ったんだろうが。

 喜びすぎて目的果たす前に死んでどうする。

 …別に心配なんざしてねえが、俺も相当絆されてるな。

 

「あは、すいません。

 ちょっとテンション上がっちゃって。

 ええと、昨日の朝、登校途中で、いきなり知らない男に肩掴まれて、『姉さん』って呼ばれたんですよ。オレが。」

「それは、また女と間違われただけだろうが。

 これで何回目だ?いつも言ってんだろうが。

 間違われたくねえならせめて髪くらい切れ。」

「最初はオレもそう思ったんですけどね。」

 

 ☆☆☆

 

「姉さん!」

「……!?」

「探したぞ。無事だったんだな、姉さん。

 …だが、こんなところにいてはまずい。

 すぐに俺と来い。

 大丈夫だ、俺が必ず守ってや……」

「姉さん、ね。

 つまりアンタ、オレと似た顔の女を、知ってるって事だな。」

「貴様…!?

 いや、すまん。どうやら人違いのようだ。」

「探してたって言ったな。

 オレもこの顔の女を探してる。

 アンタとオレ、探してるのは同じ女なんじゃないのか?」

「…手を引け。」

「え?」

「事情は話せんが、悪い事は言わん。

 命が惜しいならその女の件から手を引け。

 貴様が誰かは知らんし、敢えて聞かん。

 だからこれ以上関わるな。」

「待てよ。…これ、オレの連絡先。

 気が変わったら連絡してくれ。」

 

 ☆☆☆

 

「…で、今朝になってその子の使いとかいう人から電話が来て、今日夜の7時に、集英公園のブランコ前で、待ち合わせる約束した。」

「信用できるのか、そいつ?

 その流れから察するに貴様の妹、相当ヤバイところに首突っ込んでるぞ。」

「オレもそう思う。

 だけど帰国してからずっと探してて、ようやく見つけた、たったひとつの手がかりなんだ。

 …小さい頃、ろくに動けないオレを、妹はいつも守ってくれた。

 その度に思ってたんです。

 もし元気になれたら、オレがこの子を守ろうって。

 だからもし妹が、何か危険な事に巻き込まれてるなら、助けてやらなきゃ。」

「助けるったって、貴様みてえな生っ白い奴に何ができる。」

「だから剛次さんに電話したんですよ。」

「なに?」

「その待ち合わせ場所に、オレと一緒に行って欲しいんです。

 剛次さんと一緒なら心強いし。

 なんにもなかったとしてもそれならそれで、奢りますから飯でも食べに行きましょうよ。」

 本当に図太い、絶対に殺したってただじゃ死なないような奴だ。

 その時は、本当にそう思っていた。

 

 ・・・

 

 こんな時に限って舎弟同士のトラブルがあり、それを片付けた時には、奴との約束の時間が間近に迫っていた。

 何かよくわからない胸騒ぎに追い立てられ、急いで待ち合わせ場所に辿り着いた俺の目に飛び込んで来たのは、ブランコの柱を間にして、背中越しに紐のようなもので首を絞め上げられるあいつと、絞め上げている中肉中背の男。

 

「橘っ!!」

 俺が思わず声をあげると、奴の首を絞めていた男が手を離し、奴の身体が地面に落ちた。

 俺は背に隠していた刀を、そのまま逃走しようとする男に向かって、抜くと同時に斬り放った。

 

 一文字流(いちもんじりゅう)斬岩剣(ざんがんけん)

 

 この世に斬れぬものはない俺の剣技は、距離が多少離れていようがお構いなしに、剣圧のみでその腕を切り飛ばす。

 

「ぎゃ…ああああ────────っ!!!!」

 魂消るような悲鳴を上げて、男が地面に転がり、その場でのたうち回った。

 追い討ちをかけようとして、後ろの微かな気配に思わず足を止める。

 振り返ると橘が咳き込みながら、身を起こそうとしているところだった。

 その動きが一瞬止まり、細い身体が再び地面に落ちる。

 

「…橘?」

 駆け寄り、その身体を支え起こす。

 覗き込んだその顔の色が、どう見ても普通じゃなかった。

 心臓への負担。激しいショック。

 不安を煽る言葉が、頭の中をグルグル巡る。

 畜生。俺が約束通りの時間に、ここに着いてさえいれば。

 

「ご…う、じさん…?」

「てめえ、一体これはどういう…いや、喋るな。」

 だが、こいつはまだ生きてる。

 処置さえ早ければ助かるかもしれねえ。

 男にしちゃ小柄で、軽い身体を抱え上げる。

 橘が、腕の中から俺を見上げた。

 大丈夫だ、こいつは死にやしねえ。

 こんな図太い性格の男が死ぬわけがねえ。

 

「ハァッ…ハァッ…よく、わかんない、んです、け、ど…どうも、オレ、騙されたっぽい、かも。」

「騙された、だと?」

 不穏な言葉に、自分で喋るなと言ったくせに思わず聞き返してしまう。

 

「あの子…眼つきは確かに、悪かった、けど…本気で、妹の事、心配して、た、ぽかったのに…なぁ。

 ごっついナリして、る、割には、それが、なんか可愛か、たんだ、けど。

 行ったら、あの子、居なくて…うちの、センセイ、が…。」

「てめえ、意味のわからねえ事喋るくらいなら黙ってろ!

 いい加減黙らねえと、ほんとに死ぬぞ!?」

 不安と罪悪感がない交ぜになって思わず怒鳴りつける。

 その俺の怒号に全く怯むこともなく、奴は苦しい息の下で、笑った。

 

「ん…悪いけど、剛次さん……多分オレ、黙ってても、死ぬと、思う……自分で、判る。」

「この野郎……何を諦めてやがる!

 妹に会えるまでは死なねえと言ってただろうが!!」

 

 

「そう思ってた、んですけど、ね。

 も…無理…ぽいや。会いたかった、なあ………。

 

 ……………光………………………。」

 

 

「橘──────ッ!!!!!」

 

 奴の、ただでさえ非力な四肢から全ての力が消える。

 閉じられた瞳から、涙がひとしずく落ちるのが見えた。

 何という、呆気ない死。

 

「あの子」は居らず「センセイ」が居た?

 つまり、奴に『姉さん』と呼びかけた男はここには来ず、代わりに来たのが「センセイ」だった。

 つまり、俺が腕を斬り落としたのは「センセイ」であり、それは橘の知ってる男だった。

 その男の姿は、俺が腕を斬り落としたその血溜まりだけを残して、その場から消えていた。

 血の跡を途中まで追ったが、その後は車で移動したらしく、大通りの手前で途切れていた。

 腕は御丁寧に拾って行きやがったようだ。

 

 橘…貴様の無念、俺が晴らしてやる。

 貴様を死なせた奴…「センセイ」だろうが「あの子」だろうが、どっちも探し出して、今度こそ、この刀でぶった斬る。

 そして、貴様の妹も、俺が探し出してやる。

 

 こんな時になぜだか、桜が薫る。



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3・生きていることさえも、切ないなら

「あなたも、何もお聞きにならないですね。」

「今なら、お話していただけて?」

「いいえ。」

「ならば、お訊ねしても仕方ないでしょう。

 こちら、お味見していただけるかしら?」

「はい。…美味しいです。」

「そう?旦那様は、わたしの料理はいつも、一味足りないとおっしゃるのよ。

 あなたが作った時は、何も言わずに召し上がってらしたでしょう?

 もし、なにか工夫があるのならば、教えていただきたいのだけれど。」

「この味は上品で、私は好きですが。

 単純に地域的な味の好みではないでしょうか?

 私が作るとすれば、この昆布の出汁に鰹節の出汁もブレンドしますが、これはこれで完成していますから、直すほどの事ではないでしょう。

 刻み柚子か七味唐辛子を、横に小皿で添えて差し上げるくらいで充分では?」

「ああ、刻み柚子を加えるのは、確かに美味しそうね。

 だとしたら、柚子胡椒でもいいのかしら?」

「いいと思います。

 そして最初から入れるのではなく、あくまでも好みで加えるくらいのスタンスの方が合うかと。」

「よくわかったわ。ありがとう。

 あなたはお料理が上手ね。

 その年頃にしては随分手馴れているわ。」

「それについて否定はいたしませんが、私の作ったものなどよく口にできますね。」

「何故?本当に美味しいのに。」

「毒が入っているかもしれません。」

「あら?そんなものお持ちでしたの?」

「いいえ…と答えて信用するのですか?」

「現に旦那様はお腹すら壊しておりませんわ。

 わたしも勿論。」

「………」

 

 ☆☆☆

 

「御前」の指示で出向いた首相の暗殺は、目的までほんの数ミリの地点で、突然現れた大男に阻止された。

 それは仕方ない。

 仮にも人を殺めようとする者が、逆に殺められる覚悟も持たずにいるなど、それまで手にかけてきた命に対して失礼だ。

 今回は急ぎだとかで、私の本来の仕事とは違う手順を踏んだ事で、失敗する確率が僅かながら上がっていたのも事実。

 そもそもはもう少し時間をかけてターゲットの関心を捉え、その閨に入り込むまでが、私の仕事の本来の手順なのだ。

 

 もっとも、そこから実際にコトに及んでしまえば、私の方が無防備な状態に追い込まれる上、私にはターゲットの前で裸になれない身体の特徴がある為、仕事は必ずその前に済ませる事となる。

 なので、相当余計な情報ではあるが私は未だ処女だ。

 というか、そもそも初潮を迎えるのが15歳の終わりと遅かった上、その後は半年に一度くらいの間隔でしか生理が来ていない事を考えると、生殖機能的にも多分まだ女ですらない。

 本来ならばこの手の仕事をするならさっさと女になっておいた方が、後々面倒がなくて済むと思うし、時折顔を合わせる「御前」の側近の人たちは、私には当然「御前」の手が付いていると思っている筈で、そこは面倒だからいちいち訂正はしていないものの、何故だか「御前」は私を、可能な限り生娘のままにしておく事にこだわっていた、気がする。

 あくまで気がするだけだが。

 

 まあそれは余談でそんな事はどうでもいい。

 とにかく、ターゲットを始末する直前だった筈の私が、次に気がついた時にはどこかの和室で、ふかふかの布団に寝かされており、ふくよかな体型をした上品な感じの和服女性(先ほどの会話を交わしていた相手)が、心配そうに私の顔を覗き込んでいた。

 女性は私が目を覚ましたと見るや否や、どこか身体に不調はないかとしつこいくらいに確認して、私に白湯をあてがった後その場を辞して、代わりに現れたのが私の邪魔をした大男だった。

 男は「男塾塾長・江田島平八」と名乗り、最初は私に、一通りの質問をしてきた。

 

「名はなんという?」

「その質問に意味があるとも思えませんが、名が必要であれば好きにお呼びください。」

「ふむ…では、何故貴様が、首相の命を狙った?」

「主の考え故、飼い犬ごときが推し量るべき事ではございません。

 また、存じておりましたところで、主の考え故、それを申し上げる訳には参りません。」

「ほほう。自らを飼い犬と称するか。

 ならば質問を変えよう。飼い主の名は?」

「申し上げられません。

 飼い犬にも、飼い犬なりの義がございます。」

 

 そんなやりとりの後、江田島は諦めたようで質問をやめた。

 そんなわけで、私はどうやら与えられた任務に失敗したわけだが、私を捕らえたこの男は、私を警察に引き渡すでもその身を拘束するでもなく、この邸に常駐させている先ほどの女性とともに、簡単な自分の身の回りの世話を命じた。

 

 もっとも警察に引き渡したところで、私を罪には問えないだろうが。

 

 私は暗殺に際し凶器を持っておらず、よしんばあの光景を誰かが見ていて、その上で任務を遂行したとしても、私が殺したと見る者は恐らく居ない。

 私の武器はこの手であり、また人体の急所とそれがもたらす効果を熟知したこの頭。

 あの時は首の後ろのツボから針のように研ぎ澄ました『氣』を注ぎ、脳と心臓を連絡している神経を破壊する事で、外傷すら与えずにその心臓を止めるつもりでいた。

 それは傍目には私の指が、首相の首筋をそっと撫でるくらいにしか見えない筈だ。

 

 それを未然のうちにこの男は見抜いた。

 つまり、私が指先で人を殺せると、判っているという事なのに、危機感がなさすぎではないだろうか。

 肩をもめと言われた際に思わずそう言ったら、大人しく従っている私も同様だと笑われたうえ、何故かその大きな手でわしゃわしゃと頭を撫でられた。

 私としては、抵抗しても意味がないと諦めただけなのだが。

 

 何せこの江田島という男、氣の大きさが常人と違う。

 通常、氣の総量というものは、その器である肉体の大きさに準ずる。

 なので私のような小柄な女と、巨漢のこの男とでは、そもそもの氣の総量が違うのは最初からわかっている。

 が、それにしても違いすぎだ。

 氣というものは、練る事で密度が増す。

 私が極限まで練った氣を、針のように研ぎ澄ますのは、その方が私が扱うならば殺傷能力が高いのも勿論だが、何より総量が少ない為、一度に大量の氣を放出する使い方ができないからだ。

 そんな使い方をしていては、あっという間に氣は尽きてしまう。

 氣の扱いに熟練した者ならば、肉体のうちに溜め込んでいる時点で、ある程度そうして密度を濃くする事で、総量を増す事ができる。

 本来ならシャツ10枚しか入る事を想定していない引き出しの中に、ぴっちりと折りたたんで隙間を詰めて30枚入れるようなものだ。

 …若干喩えが所帯くさいがそれはこの際どうでもいい。

 この男の場合、その詰め込み方が、既に達人の域すら越えている。

 だから最初に顔を合わせ、自分が失敗してこの男に捕らわれたのだと理解した時点で、私は完全に己の命を諦めていた。

 

 そもそも任務に失敗した時点で、私に待っているのは死しかない。

 生き延びようと思ったらまずは目の前の男を殺して、自由になってから改めて、首相の暗殺を成功させなければ、私は「御前」のもとには戻れないのだ。

 逃げる、という選択肢も、ないではないがそれは愚策だ。

 逃げれば追われる。当然の話だ。

 実際、任務に失敗して逃亡を企てた暗殺者をひとり、「御前」の命令で始末した事がある。

 私は暗殺に関しては自身に並ぶ者はいないと思っているが、基本的な身体能力そのものは、ごく普通の17歳の女の子のそれでしかない。

 追っ手を返り討ちにして逃げ延びる。

 生きる為に何度も繰り返し。

 それが可能であるとは到底思えない。

 どちらにしろその初手からそもそも詰んでいる。

 すべての選択肢の前に、今立ち塞がるのがこの男である以上、私には死を覚悟する以外なかった。

 

 なかった…筈なのだ。それなのに。

 最初にされた質問をすべて私が流した後、暫し私を見つめ、ニヤリと笑って江田島が発した言葉は、

 

「貴様、茶の湯の心得はあるか?」

 …まったく意味がわからなかった。

 

 真面目に答えれば、ある。

 私はどのような席にも完璧に馴染まなくてはならず、またターゲットは有力者の男性である率が高い。

 だから「御前」は私に、必要と思うありとあらゆる事を教え込んだ。

 茶道や華道は勿論の事、日常会話程度の主要5カ国語、更に男が最終的に求めるのは家庭の癒しであるとして、家事なども完璧である事を求められた。

 完璧な暗殺者になる事は、男が欲しがる女を完璧に演じられる事だった。

 多分、余程特殊な嗜好の持ち主でもない限り、大抵の男の理想の女を、私は違和感なく演じる事ができるだろう。

 そもそも本当の自分がわからなくなるくらい。

 

 結局、こんな事で嘘を言っても仕方がないので私が肯定すると、江田島は「いい茶道具がある」と自らそれを持ってきて私の前に並べた。

 

「一服、点ててくれぬか。」と言って。

 

 …正直、私は戸惑った。

 こいつは何を言っているんだと思った。

 とはいえ、逆らう理由も見つからず、下準備が済むと私は江田島に求められるままに茶を点てた。

 

「頂戴いたす。」

 江田島は男らしくそれでいて美しい所作で、私の点てた茶を服むと、先程と同じようにニヤリと笑った。

 

「なるほどな。」

 何がなるほどなのか、私にはさっぱりわからない。

 

「人は嘘をつくが、茶の味は嘘はつかぬ。

 貴様は見どころがありそうだ。

 暫くこの邸におるが良い。

 いずれ、身の振り方を考えてやろう。」

 …そうして、今に至る。

 江田島が私の茶の味に何を見たのか、今はまだわからぬままだ。

 

 ☆☆☆

 

「あら嫌だ。

 お米とお味噌を買わなければいけなかったわ。」

 …夕飯のおかずをほぼ完成させてしまった今になって、何を言っているのだこの人は。

 確かに江田島から改めて紹介された際に、「こいつは少し抜けている」と言われてはいたが、いくらなんでも気付くのが遅すぎだろう。

 …いや、ここは私が気をつけていなければならなかった。申し訳ない。

 

「いつもは配達をお願いしているのだけれど、今から頼んだら明日になってしまうわね。

 申し訳ないのだけれど、これからスーパーマーケットに買い物に行くので、一緒に来ていただけないかしら。」

 彼女…(みゆき)さんという名前らしい…が私の前で両手を合わせる。

 

「構いませんが…いいのですか?

 私は江田島殿に、外には出ないようにと言われています。」

「わたしが無理にお願いしたと言えばいいわ。

 わたし1人では荷物が重たいし、あなたにも気分転換が必要でしょう?

 ここは親子みたいに、仲良く買い物しましょう!」

 親子みたいに、と言われても、母親というものを知らない私には、どのような感じなのかわかりかねるが、この人はかつて、幼かった娘を事故で失っている。

 目を離したほんの僅かな時間の出来事で、生きていれば私と同じくらいなのだそうだ。

 彼女の夫とその親族はその事で彼女を酷く責め、彼女は絶望して一時は命を絶とうとさえ思ったという。

 死に場所を求めて街中をふらふら歩いている時に江田島に声をかけられ、判断力も低下していて特に考える事もなく、促されるままに自身の状況を語ったところ、江田島は彼女を保護して住むところと仕事を与え、ついでに離婚に強い弁護士を紹介して、彼女に有利な条件で夫との離婚を成立させたとの事。

 そもそも彼女は嫁いで以来、夫や義両親から無料の家政婦か奴隷のように扱われ、それを本人ですら当然のように感じてしまうくらい、人としての自信と尊厳を踏み躙られていた。

 今はふくよかな体型をしている彼女だが、当時はやせ細って、実年齢より十も上に見えるほどだったという。

 

「旦那様にはいくら感謝しても足りません。」

 としみじみ言った幸さんの後ろから突然江田島が話に入って来て、

 

「なに、いい女だと思っただけの事。

 単なる下心よ。」

 などとと言わなくてもいい事を笑って言っていたが、あれは照れ隠しなのだろうと思う。

 

 私が見る限り、基本的にはこの男、女好きで好色なのは間違いない。

 だが、それ以上に限りなく優しい。

 少なくとも女性には下心以上に、守るべき対象という意識の方を強く抱いている、気がする。

 しかも無条件に。

 こんな出会い方をしたのでもなければ私も…まあ私の場合年齢に不足があり過ぎるから恋愛感情は持ちようがないが、それでも尊敬の念くらいは抱いたかもしれない。

 

 …それはさておき。

 彼女の懇願に従って、一緒に一番近くのスーパーマーケットに行き、米10キロと味噌、ついでに玉子を買って、米は私が担ぎ彼女に味噌と玉子を持たせて、やや急ぎ足で帰途についていた。

 

 自身の状況を忘れたわけではないが、確かに私は油断していたのだろう。

 自分のした事を考えたらありえないほどに優しい男女の、その温かさに溺れきっていた。

 自身が殺される可能性は考えていても、隣にいる人に及ぶ危険については、まったく考えていなかった。

 スーパーマーケットに面した大通りから、ひと気のない路地に入って少ししたところで、異様な空気に気付いた。

 それは、明らかな殺気。

 

 気付いた時には遅かった。



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4・Neo Universe

…雷電がまだいないから、自分で解説するしかないんだよ。


 何かが風を切る音が聞こえたと思った瞬間、一歩前を歩いていた幸さんの身体が、スローモーションのようにその場に崩折れた。

 喉に開けられた小さな穴から血の糸が空間に広がり、幸さんの持っていた買物袋とともに地面に落ちる。

 

「…!!?」

 次の瞬間、同じ音とともに私の身体にも衝撃が走り、寸でで急所は外したものの、何かに脇腹を撃ち抜かれた痛みが、一瞬遅れて襲ってきた。

 重力に敢えて逆らわずに倒れこみながら、音の方向に目をやる。

 視界がぼやけてはっきりとは見えなかったが、前方にある住宅の大きな木の枝に、黒い服を着た人物が、Y字型の棒のようなものを、こちらに向けて構えていた。

 

 まさか…あれは()(りん)()(しょう)(とう)!?

 

 

 ()(りん)()(しょう)(とう)

 かつて中国の山岳地帯において狩猟の為に考案された、Y字型の枠にゴム様の弾力性のある弦を張って、石などの固い玉を飛ばす構造の飛び道具を、より高い殺傷力のみを追求して改良されたものである。

 的に正確に命中させるには高い技量と、何より弦を引く腕力が必要とされるが、(はつ) 引候( いんこう)という技師が作成したものは、女性や子供のような非力な者でも使用できたという。

 この発 引候の名が、今日の『パチンコ』の語源になった事は言うまでもない。

民明書房刊『今そこにある武器』より

 

 

 名前は忘れたが、多種多様な技を持つ東アジア圏発祥の暗殺組織があると「御前」から聞いた事がある。

 今回任務に失敗した上、事実上出奔した形になる私を、消す依頼がとうとう為されたという事だろう。

 

 刺客を送るなら私ごとき、「御前」の手駒の闘士たちで充分事は足りるだろうに、わざわざ外注する必要があったのだろうかといささか疑問には思うが、今はそんな事を気にしている時ではない。

「御前」がそれをお望みならば、私は殺されても一向に構わないが、でも今は駄目。

 

 私が倒れたまま動かずにいると、黒い服の人物…どうやら男であるらしい…は、音もなく木から飛び降り、それから私の肩に、もう一撃放ってきた。

 

 くそ…どうやら私が死んだかどうかを確認したらしい。

 念の為保険を切っておいて良かった。

 この場合の保険…例の針状の氣を自分自身に撃ち込んで、体内の氣の流れを調節する事により、一時的に肉体の弾力を高める事。

 これにより今撃ち込まれた、恐らくは小さな鉄の玉は、私の肉体に傷もつけずに弾かれて、明後日の方向に転がっていった。

 だがこれをやると、数時間は身体に力が入らなくなり、満足に動く事もままならなくなるが、幸い私がこれからやらなければならない事に、力は一切必要ない。

 

 私は今、この瞬間は死ねない。

 だから、申し訳ないが、この男に死んでもらう。

 

 男が、依然倒れたままの私に近づいてくる。

 その数歩の間に私は、五指全てに氣を集中させる。

 鋭い針のように、研ぎ澄ます。

 そして…

 

 男の足が、私の傍で止まる。

 私の身体を、ひっくり返して確認しようとでもしたのであろう、伸ばしてきたその掌に、

 

 私は氣の針を、撃ち込んだ。

 

 氣は一瞬にして、男の掌から、血管を伝い、心臓に達して、内部で弾ける。

 その身体には傷一つ負わず、苦悶の声すら発する事なく、男は一瞬で絶命した。

 

 だが、まだだ。まだやる事が残っている。

 私は、脱力し始めた四肢を引きずるように幸さんの側まで這った。

 間に合って。お願い。

 私は死んだっていい。だが今は駄目。

 今私が死んだら、幸さんを助けられない。

 

 私は倒れた幸さんの首筋に指を当てて脈拍と、ついでに呼吸を確認する。

 大丈夫だ。微弱ながら、ある。

 もう一度、五指で氣を研ぎ澄ます。

 そのまま、ツボ数カ所を一度に押さえ、氣の針を今度は優しく、幸さんの身体に送り込む。

 

 幸さんの喉に開けられた穴から、血にまみれた小さな鉄の玉が、コロリと地面に転がり落ちた。

 そしてその穴は、見る間に塞がっていく。

 

 もう…大丈夫だ。

 ホッと息をついた瞬間、四肢から全ての力が消えた。

 同時に、全身の汗腺から、一気に汗が噴き出してくる。

 どうやら、ただでさえ少ない氣を、完全に使い果たしたようだ。

 だが、これ以上は必要ない。

 

 名前も知らない暗殺者の、敗因はたったひとつ。

 私より先に、幸さんを狙った事だ。

 幸さんの命を救う為に、私は生きなきゃいけなくなった。

 私だけなら、素直に殺されてあげたのに。

 と。

 

「…さすがに、この程度の奴に殺されはせんか。

 だがこいつはこいつで、充分役には立ってくれたな。

 これで反撃される心配もなく、貴様をブッ殺せる。」

 どこか聞き覚えのある声が、暗殺者の亡骸の後ろから近づいてきた。

 動かない首を懸命に捻って、声の主を確認する。

 

獅狼(しろう)…さん?」

「気安く名を呼ぶな、毒蜘蛛が。

 親父や豪毅はうまく誑かしたんだろうが、俺はそうはいかんぞ。」

 これはこれは、毒蜘蛛とは、随分嫌われたものだ。

 しかし、まだ12歳になるかならないかの義妹に夜這いをかけて撃退された鬼畜の汚名は、他の誰でもないおまえの所業を正確に述べているだけで、夜這いをかけられた私のせいではない筈なのだが、反撃として10日間の激痛を与え続けた事で、どれだけ恨まれているのやら。

 

「親父は貴様を、自分の跡目を継ぐ者に与えると言った。

 だが俺は、貴様のような毒蜘蛛を妻にするなどまっぴらだ!

 正直、総理の暗殺に失敗したと聞いて、よくやってくれたと思ったぞ。

 俺に、貴様を殺す理由を与えてくれてな。」

 …なるほど。

「御前」はそんな事を考えていたわけか。

 私に手をつけなかった理由は、おそらくそれに違いない。

 それにしても…、

 

「フッ…クククッ……。」

「なにが可笑しい!」

「クク…それは最初から無用な心配ですよ。

『御前』の跡目にあなたが選ばれる事自体、そもそもありえませんからね。

 私が知る限り、あなた方兄弟の中で『御前』が一番目をかけていたのは、一番下の豪くんだったようですし。」

 ああ、そうなると私は豪くんと結婚しなければいけなくなるな。

 それは彼にとっても迷惑な話だったろう。

 この男のように、蛇蝎の如く嫌われているわけではないにしろ。

 

「……このっ…!」

 顔を真っ赤にして、獅狼が力任せに私を蹴る。

 動けない私は彼のなすがままだ。

 

「…殺してやる、光。」

 獅狼は隠し持っていたらしい短刀を抜き放つと、私に向かって突き立てようと構える。

 …いずれは「御前」の刺客に討たれるとは思っていたがまさか、「御前」の息子の1人とはいえ、このようなつまらない男に殺される事になるとは。

 これまでに何人もの命を奪って来た、これが報いというわけか。

 ならば仕方ない。死神に少し不満があるが、運命を受け入れてやるとしよう。

 と。

 

「ぬおおおぉぉお!千歩氣功拳!!!!!」

 野太い声の叫びと共に、凄まじい氣の奔流が頭上を疾り抜けた。

 本来なら目には見えない筈の、あまりにも強大なそれは、視覚的に明確な巨大なひとつの拳の形をとる。

 

「ぐおっ!!?」

 その巨大な拳をまともに背中から食らった獅狼は、吹き飛ばされて近隣の住宅のはるか上空を飛んでいき、恐らくはどこかに落下して見えなくなった。

 

 千歩氣功拳!?

「御前」の配下の中にそれを使う者がいたが、私が一度見たそれは、今のような巨大な拳ではなく、無数の手刀の形をとっていた筈だ。

 

「光、というのが貴様の名か。

 このような形で知る事になろうとはな。」

 和服姿の巨漢が、横たわったままの私の顔を覗き込む。

 先ほどの「千歩氣功拳」、放ったのは彼だったようだ。

 

「私より、幸さんを。

 傷は塞ぎましたが、出血が多かったんです。

 命に別状はないかと思いますが、安静は必要です。

 連れて帰って休ませてあげて下さい。」

「なに、心配するな。

 わしの女の命を救うてくれた事、感謝するぞ。」

 江田島が、私を抱き起こしながらニヤリと笑う。

 私は思わず彼から目を逸らした。

 

「私と居なければそもそも起きなかった事です。

 逆に申し訳なく思います。

 私のことは…どうぞ、お捨て置き、を…。」

 そこまで言ったところで意識が途切れた。

 

 ☆☆☆

 

 次に目を覚ますと、()(りん)()(しょう)(とう)の男に負わされた脇腹の傷はしっかりと血止めが為され、私は江田島の邸の一室に横たえられていた。

 氣が肉体の裡に充足したら傷は自分で治す事ができるが、それまでに出血多量で死んでしまえばそれもできない。ありがたい事だ。

 服もその日着ていたものから清潔な肌着のみに着替えさせられていたが、これは誰の手によって為されたかは敢えて考えない事にする。

 というか手当てするのに服が邪魔だったのはわかるが、別に下着まで全て外さなくても良かったのではないだろうか。

 

「指拳の使い手と見たは誤りか。

 貴様が使ったのは、まさしく橘流(たちばなりゅう)氣操術(きそうじゅつ)

 奪うにせよ救うにせよ、人の命を左右する技よ。

 絶えて久しいと思うておったが…貴様、橘の末裔だな。」

 私が目覚めた事を知った江田島が、何か訳のわからない名前を出す。

 

 

 橘流(たちばなりゅう)氣操術(きそうじゅつ)

 平安時代中期までは源氏、平氏、藤原氏と共に隆盛を誇った橘氏の、傍系にあたる(たちばなの) 法視(ほうみ)という医師(くすし)が考案したもとは治療術。

 それは極限まで練り上げた氣を、経絡(ツボ)を入り口として外部から注入する事により、様々な治療効果を期待するものであり、主に怪我の治療に多大な効果を発揮した。

 ただしツボ同士の組み合わせによっては、患者の肉体に悪い影響を及ぼし、最悪死に至らしめるものもあった。

 橘 法視はこれらの悪例を『裏橘(うらたちばな)』と称して書にまとめ、固く使用を禁ずるものとしたが、後の世代に於いて、これを悪用し為政者の暗殺に用いようとした者が現れ、これが発覚した事により謀反の疑いをかけられた橘氏は衰退の道を辿ったとされる。

 ちなみに、この術を用いて傷の治療を行う橘 法視の姿は、一般の者には手をかざしただけでみるみる傷が治癒していくように見えたと伝えられる。

 某国民的RPGの、体力を回復する呪文が、この法視の名から取られたものかどうかは定かではない。

民明書房刊『世界の暗殺術から』より

 

 

「たちばな…何ですか?」

「知らずに使うておったのか?

 いつ、誰に教わった?」

「記憶にある限り10か11の頃には既に使えておりました。

 それ以前の事は覚えていませんし、使った状況もお話ししたくありません。」

 記憶にある一番最初にこの技で手にかけたのは、自分と歳もそう変わらない少年。

 何もない谷底のような場所で飢えて渇いて、死にたくなければ殺せと命じられて、そばにいた私の首を絞めてきたその少年は、先ほどの()(りん)()(しょう)(とう)の男と同じように、私に掌から氣の針を撃ち込まれた。

 その頃の私の氣の練りはまだ未熟で、技も今ほど洗練されてはおらず、即死させる事はできなかった。

 少年は自分に何が起こったのかわからぬまま、地獄の苦しみを味わいながら、数分後に息絶えた…。

 

「こちらも聞きたくはないわ。

 背中の刺青を見る限り、楽しい話でない事は確かであろうからな。」

「!……あの刺青の意味を、御存知でしたか。」

 それは孤戮闘…中国拳法極限の養成法とされ、世界中から年端もいかぬ子供達を集め脱出不可能な谷底に落として、一週間程飲まず食わずの飢餓状態に追い込んでから、その後人数に対し半分の数量の食料を投げ入れ、その食料を巡り奪い合いをさせる。

 力が劣り闘いに負け糧を得られなかった者にあるのは死であり、それは最後の一人になるまで続く。

 そして最後に生き残った子供を素質のある者と認め、それ以上に苛酷な修行を受けさせるというもの。

 私の左肩甲骨の下部にある、六芒星をモチーフとしたデザインの刺青は、それを修了した証である。

 私は目が覚めた時は、柔らかい肌着の下は止血のための包帯以外のものを身につけてはいなかった。

 江田島はこの包帯を巻く際に、この刺青の存在に気付いたのだろう。

 

「うむ、話に聞いた事があるだけだがな。

 しかし、光。」

 名前を呼ばれた。

 ただそれだけだが、それが妙に心に響く。

 名、というものは、こんなにも重要なものであっただろうか。

 気がついたら呼ばれていた、単なる識別記号であるだけなのに。

 

「何故貴様がそこに入れられたかは知るよしもないが、それは貴様のせいではない。

 貴様はただ、大人の思惑の犠牲になっただけ。

 そして、その中で生き抜こうと足掻いただけの話よ。

 もっとも、貴様がそこに入れられた時点で既にその技を操れたというのならば、貴様がそこで勝ち抜く事は定められた筋書きのうちであったのであろうがな。

 どのみち、貴様の責任ではない。」

 …そういえば、あそこに私とともに放り込まれた子供達の中に、私のように特殊な技を持つ者はいなかった。

 だとしたら、私があそこで生き残った結果そのものが、ある意味出来レースだったという事なのか。

 

「後から現れた男は、単なる刺客ではなかったようだな。

 恐らくは、貴様の飼い主の縁者であろう?

 貴様は飼い主に捨てられたという事ではないか?

 その飼い主に、忠義立てする義理が本当にあるか?」

「やめてください!」

 思わず考え込んでしまった私にかける江田島の言葉に、私は思わず声を荒げる。

 確かに私は捨てられたのだろう。

 もはや飼い犬ですらない。

 だが、これまで培ってきたものを、いきなり捨て去る事など出来る筈もない。

 

「…失敗したのは私です。

 始末されるのは当然の流れです。」

 私は「御前」の意向に添えなかった。

 だから捨てられても仕方ない。

 使えない道具は処分される。

 それは実に当たり前の話だ。

 

「…惜しいな。」

 私の言葉に、何故か悲しそうな表情を浮かべて、江田島が呟く。

 

「え?」

「貴様のその力よ。

 貴様の主は、命を奪う事のみに貴様の価値を認めておるようだが、それは本来は救う事を目的として生み出された技。

 力に善悪はなく、振るう者次第で如何様にも傾くもので、それは光、貴様自身にも言える事だ。」

「私…自身?」

 思わずおうむ返しに問い返すと、江田島が頷いて、微かに笑う。

 

「貴様の点てた茶には、心の曇りは一切なかった。

 貴様もまたその力と同様、如何様にも変わっていけるという事よ。

 今の貴様に、主を捨てろとは言わぬ。

 貴様の様子から見て、主に忠義以上の感情もあるようだからの。

 だが、貴様はこれから、貴様自身の生を生きねばならん…いや、生きてみよ。

 これまでは死を間近に、嫌という程見続けてきておろう。

 これから先は生を、嫌という程見続けてみるがよい。

 光よ、貴様はまだ若い。

 これまでは、主の世界の中だけで生きてきたのだろうが、新しい世界を知るというのは、存外楽しいものだぞ?」

 江田島はそう言うと、またあのニヤリ笑いを浮かべ、それからいつかしたようにその大きな手で、私の髪をぐしゃぐしゃになるまで撫でた。

 

 何故だろう。

 私はこの行為を嫌だと思っていない。

 そして何故か、鼻の奥がツンと痛む。

 私は生きていていいのだろうか。

 彼の言う『新しい世界』は、本当に私が見ていいものなのか。

 わからない。わからないけれど。

 それを知る為に、もう少し生きてもいいかと思っている自分がいる。

 

「それにしても、ぬかったわ。

 あの時はまず、貴様の側から排除する事を考えて遠くにすっ飛ばしたのだが、貴様がここに居る事を、知られてしまったのではないか?」

 江田島が少し悔しそうに私に問う。

 

「彼以外は大丈夫でしょう。

 無駄にプライドの高い男でしたから、私を見つけたのに取り逃がしたなどと、主に報告はできない筈です。

 そもそもそんな事をすれば、彼自身も粛清対象となりましょうし。

 ()(りん)()(しょう)(とう)使いの男も、彼が個人的に雇い入れた者でしょう。

 ただ、私と共にいた幸さんは念の為、拠点を移した方が良いかと。

 私がここを出て行った後、私の居場所を探す為に、彼があの人に危害を加える可能性も否定できませんので。」

 睡眠をとったからそろそろ氣も快復する頃だ。

 まだ完調ではないにせよ、この脇腹の傷を塞ぐくらいなら、今ある氣の半分も使えば充分だろう。

 傷さえ塞がれば、私一人ならどこにでも行ける。

 

「待て。今あっさりと出て行くとか申したな。

 どこへ行く気だ?」

「それは聞かぬ方が良いでしょう。

 とにかくこれ以上、お世話になったあなた方に、ご迷惑をおかけする訳には参りませんので。

 …ご心配なく。

 うまく立ち回って逃げ延びてみせますよ。

 あなたの言う、新しい世界を見る為にも。」

 私にとっては、この出会いこそが新しい世界だった。

 …気がついてしまったのだ。

 私は「御前」の飼い犬としての自分の立場を、充分わきまえているつもりだった。

 それなのに私は無意識に「御前」の愛情を求めてしまっていた。

 褒めて欲しかった。頭を撫でて欲しかった。

 だからあの方の求める自分の役割を、完璧にこなしてきた。

 だけど「御前」は私に、頭を撫でてくれるどころか、優しい言葉ひとつかけた事はない。

 仕事が終わって報告を終えれば、「ご苦労だった。下がって良い。」と背を向けるだけで。

 当然だと思ってきた。

 けれど心はいつだって、得られないものを欲しがって叫んでいた。

 だけど。

 私の親でもない人たちが、私を気にかけてくれた。

 頭を撫でてくれた。

 失敗しようがなんだろうが、生きていいのだと言ってくれた。

 だからこそ、離れなければならない。

 この人たちに甘えて、危険を犯させるわけにはいかない。

 獅狼の台詞ではないが、毒蜘蛛が抱きしめられる事を望むべきではないのだ。

 

「今更水臭い事を申すな。

 貴様一人匿う先くらい、既に用意しておるわ。

 あそこなら決して見つからぬであろうし、見つかったとしても貴様を害する事は出来まいて。

 わしに任せておくが良い。」

 それなのにどうしてこの人は、こんなにも優しくしてくれるのだろう。

「しかも、退屈は決してせぬぞ。

 ただし貴様には、今日より男になってもらう。」

「…男に?」

 どういう意味かと訝しむ私に、目の前の男は笑って、一言こう言い放った。

 

「フフフ、わしが男塾塾長、江田島平八である!」

 …まったくなんの説明にもなっていなかった。




名もない暗殺者は勿論あの組織の一員で、「一番の小者」より更に小者でしたwww
そして次からようやく原作始まります。


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学園生活編
1・春の嵐


この章は基本的に原作準拠の小ネタ。
塾生たちの影響を受けて、ヒロインが少しずつツッコミ属性になっていきます。


「こやつが光だ。皆、よろしく頼む。」

「よ、よろしくお願いいたします…。」

「押忍!よろしくお願いいたします!」

 江田島が私を、塾長室に集めた異様な風体の男性たちに紹介し、私は無難に挨拶をした。

 男たちが、馬鹿丁寧に挨拶を返してくる。

 塾長の紹介だからって、こんなチビの若造に対してかしこまりすぎではなかろうか。

 

「こやつらは当塾の教官どもだ。

 貴様にはわしやこやつらの補佐として、主に事務仕事を担当してもらう事になる。

 何せ揃いも揃って、この手の仕事に不得手でな。」

「面目次第もございません!」

「ひとまず肩書きは『塾長秘書』としておこう。

 貴様の部屋は、応接室だった部屋の内装を今変えている最中でな。

 本来なら出来てからここに呼ぶ予定だったが、そんなわけで、しばらくはここか、救護室にでも常駐しておれ。」

 …という感じで、私は今、江田島…いや、これからは私も塾長とお呼びする事にしよう。

 とにかく彼が運営する「男塾」に、事務員として勤務する運びとなった。

 彼が事あるごとに主張してきた肩書きの意味がようやく理解できた。

 なんでも創立300年以上の歴史を持つ全寮制の私塾(といっても一応正式な教育機関であり、卒業時に高卒の認定はされる。あと、『男塾』の名称は江田島塾長の代になってからの呼称で、それ以前は別の名前だったようだ)で、全国の高校から持て余された不良少年らを受け入れてそれらを鍛え上げ、最終的には次世代のリーダーを育てていく事を教育目標としている、らしい。よくはわからないが。

 名称の通り男子校であり、塾長が私に「男になれ」と言ったのは、つまりはそういう事である。

 私を塾生としてではなく自身の秘書として置く事にしたのは、塾生として入れると寮に入らねばならず、それは色々と危険だろう、という事だった。

 …多分だが塾生の方が。

 というか、塾長はそれこそ感謝しても仕切れないほど私に対して親身になってくれるが、私はそもそも首相暗殺未遂事件の実行犯なわけで、自身の目の届かない場所に置くわけにはいかないという理由もあったろう。

 基本的に私は今後、ここの敷地内に常駐する事になり、現時点では外出は許されていない。

 現在内装工事中であるという私に充てがわれた部屋は、だから基本そこで生活できる仕様になる。

 つまり私は、塾長と私にしかわからないレベルで、実は軟禁状態にあるわけだ。

 それでいて、敷地内ならば好きに動き回って構わないというのだから、なんと緩い軟禁である事か。

 とりあえず今は特に仕事もないという事なので、私は先に示された救護室というところで待機している。

 というか、暇だったので部屋の掃除をしていたら、いつから掃除をしていなかったのかというくらい思いのほか大仕事になり、更に何気なく棚の中の薬品類を、何があるかチェックしたところ、ほとんど全ての使用期限が切れているという恐ろしい事態が発覚した。

 これは一度全て廃棄して発注しないといけないと思い、今、その廃棄作業の真っ最中だ。

 先ほど換気の為に開け放った窓から、桜の香りが舞い込んでくる。

 そういえばここの庭には数本、何故か一年中花をつけている桜の木があり、それがこの男塾の象徴となっているそうだ。

 ここでの生活に慣れて少し余裕ができたら、近くまで行ってその木を見てみようと思う。

 窓からの風が、短く切りそろえたばかりの髪を揺らして、首まわりにまだ慣れない涼しげな感覚をもたらす。

 塾長から「男になれ」と言われた際に、これまでの自分との決別と覚悟の為に切ったものなのだが、その後ようやく床上げをしてきた幸さんに、その姿を見せた途端に号泣された。

 

「似合ってたのに!綺麗な髪だったのに!女の子なのに!」

 と、何故か塾長を責めていたのだが、今時女性でもこのくらいの長さにしている人は珍しくないと思うし、私は全然気にしていない。

 ただそれで男の服を着たら、背が低いのも手伝って小学生でも通る容貌になってしまったのが、若干腹の立つところだけれど。

 

 そしてその服装なのだが…裾の長いダブルボタンの詰襟学生服で、腰の部分をベルトで締めるというデザインの、ここの塾生の制服である。

 いや、私は職員なわけだから制服はおかしいでしょうと思いはしたが、これしか用意していないと言われればそれ以上つっこむわけにもいかず、仕方なくこの服装で過ごしている。

 サイズは合わせてあるので問題ないが、デザイン的に裾の長いのが気に入らない。

 背の低い私が着るとますますチビに見える。

 ある程度の体格のある男性が着れば、さぞかし立派に見えるのだろうが。

 そんな事を考えながら作業を続けていたら、扉の外が突然騒がしくなり、次の瞬間には、数名の塾生が、どかどかと踏み込んできた。

 

「あ……?」

 恐らくは誰もいないと思っていたのだろう、先頭の塾生がぽかんとした顔で私を見つめる。

 

「………怪我人、ですか?」

 微かな血の匂いを嗅ぎ取って私が話しかけると、彼はハッとしたような表情で頷いた。

 頭に乗せたくたびれた学帽を、何故か深くかぶり直す。

 制服は見たところ真新しいのに、帽子だけがくたびれているのは何故なのだろう。

 

「あ、ああ。おまえ何してんだ、ここで?」

「薬棚の整理を。

 見たところ、薬品類のほとんどが期限切れのようなので、総入れ替えになるかと。」

「期限切れぇ?」

「ええ。ほらこの正◯丸なんて10年以上前に。」

 容器のひとつを手にとって示してやると、その学帽の塾生が私の手元を覗き込んで、驚きの声を上げた。

 

「マジかよ!俺、こないだ飲んじまった…。

 い、いやそんな事より、桃が怪我してんの知ってんだろが!

 今使える薬無ぇのか!?」

 見れば彼の後ろで3人の塾生が立っていたが、真ん中にいる1人が血まみれなのがわかった。

 …どうでもいい事だが、ここは高等課程に相当する学校ではなかっただろうか。

 だとすれば目の前にいるこの男たちは十代の若者なのだと思うのだが、このヒゲ率の高さは一体なんなんだろう。

 少なくともここにいる4人の中で、きちんと剃っているのは真ん中のハチマキを締めた、怪我をしていると思われる男1人だけ。

 

「傷薬は全滅ですが、消毒薬は使えます。

 …ちょっと失礼しますね。」

 傷の程度にもよるが、普通に歩いて来られる程度ならば、私が治してやったほうが早いだろう。

 怪我をしているというハチマキの前まで歩み寄り、その手を軽く引く。

 …どうでもいいが背が高い。

 近寄るんじゃなかった。

 

「ここに座って。

 一旦全部の傷を見ますので、上着、脱いでいただけますか?

 サラシも外して下さい。」

 少々悔しい気持ちを隠しつつ私が話しかけると、ハチマキは初めて口を開いた。

 

「いや、別に…。

 こいつらが大袈裟なだけで、そこまで酷くは。」

 …思いのほか耳に心地よく響く、深く落ち着いた声音に驚く。

 だがその良い声で、血まみれの姿をして何を言っているのだこの男は。

 

「いいから、言う通りにしなさい。」

 呆れながら、少しキツ目に言ってやると、ハチマキは観念したように上着を脱いだ。

 右腕を上げる時に、少しだけ痛そうな表情を浮かべて。

 

「…おい、ありゃ誰だ?

 あんなヤツ、男塾(ウチ)に居たかのう?」

「知らん。確かに見ない顔じゃな。」

「それになんか、この部屋綺麗になっとらんか?」

「わしも思うた。この壁、白かったんじゃな。」

 その後ろの方で何か、彼を連れてきた塾生が話をしているのが聞こえたが、今は構っている時ではない。

 その1人の髪型に若干の疑問を感じたにしても。

 

 それにしてもこのハチマキの男、よく見ると実に端正な顔立ちをしている。

 それに、周りの塾生たちのアクが強すぎるのもあるだろうが、彼だけはどこか毛色が違うように思える。

 …私がこれまで命を奪ってきた、多くの男たちと同じような匂いを感じる。

 恐らくは上流階級の出身、少なくとも相当に育ちはいい筈だ。

 そうでなければ、隠そうとしても滲み出るこの人品の良さの説明がつかない。

 

「…刺し傷、ですね。

 何をしてこんな怪我をしたんですか?」

 包帯やサラシを外して傷の状態を見る。

 顔の周りの、細い血管の多いところについた切り傷は、見た目の出血の割には大した大きさではない。

 腹部や胸部の急所付近にも特に傷は見当たらず、一番深いのは右上腕部の、刃物で突いたような刺し傷だった。

 しかもそれほど鋭利ではない、ろくに手入れもされていないナマクラだろう。

 それだけに自然治癒だと治りが遅い上、傷あとも残ってしまいそうだ。

 それにしても、さっき外した包帯の巻き方は、素人の施した応急処置とは思えない、完璧な巻き方だった。

 そういえば塾長も私の手当てをしてくれた際、同じような巻き方をしていた気がする。

 

「何って、さっきの直進行軍に決まってんだろが。

 ったく、飛行帽の野郎、ムチャクチャやらせやがって。」

「直進…なんです?あ、いやいいです。

 後で塾長にでもうかがいます。」

 それにしても何故この学帽は先ほどから、私が事情を知っている体で話を進めようとするのだろうか。

 そろそろ鼻についてきたので、軽く流して傷に集中しよう。

 あ、でもすごい。包帯の巻き方もよかったけれど、血止めの処置も完璧なようだ。

 …ひょっとするとこの塾では、こういう事も授業で学ぶのではないだろうか?

 私は氣を使い果たしさえしなければ大抵の傷は即時に治癒させられるが、もし氣の量が足りない時には、こういうまともな手当ての方法に頼らねばならない。

 塾長に後でお聞きして、もし本当にそうだったなら、一度教官にお願いして、私も授業に混ぜてもらおう。

 

「少しチクっとするかもしれませんけど、すぐ終わりますから我慢してくださいね。」

 さて、一通り傷の確認も終わったし、そろそろ治療を行う事にしよう。

 私はいつも通り、氣を五指に集中させた。

 

 ・・・

 

「……はい、終わり。」

 なんの問題もなく綺麗に傷が塞がったのを確認して、私はハチマキの身体から手を離した。

 

「なっ…なにーっ!も、桃の傷が消えとるぞ──っ!?」

「そ、そんなバカな!さっきまであんなに…!」

 私がする事をおとなしく横で見ていた残りの塾生たちが、驚きの声を上げる。

 

「…今、何を?」

 治療を受けたハチマキが、先ほどまで傷のあった場所に指を触れ、軽く腕を上げて、状態を確認しながら問う。

 

「…ちょっとしたおまじない、ですかね。」

 説明するのが面倒だったので適当な事を言ってみるが、一応大切な事だけは、ニコッと笑って誤魔化しながら注意しておく。

 

「この後少なくとも朝までは、激しい運動はしないでくださいね。

 表面上は塞がりましたけど、傷の内側はまだ治りきってません。

 こればかりは、本当に何もしない時間が必要なんで…早い話、睡眠が。」

 ハチマキは明らかに不得要領な表情を浮かべていたが、私からそれ以上の情報を引き出せない事を悟ったものか、小さくため息をひとつついてから、頷いて私に微笑みかえした。

 それから、深く頭を下げる。

 

「…押忍。ごっつぁんです、先輩。」

「先輩ぃ!?」

 学帽が、ハチマキの言葉に反応した。

 ハチマキが頷いて、私を示しながら言う。

 

「この人は直進行軍に参加していない。

 少なくとも、一号生じゃないって事だ。」

「こ、このチビが、先輩!?」

 ムカッ。この野郎。少し気にしている事を。

 

 ゴゴゴ……

 

 …私は気がつけば大人げなく、怒りオーラを放っていたようだ。

 学帽は明らかに怯んだ様子を見せ、ハチマキは上着に袖を通しながら、学帽を嗜めるように言った。

 

「フッ、失礼な事を言うな、富樫。

 すいません、勘弁してやってくれませんか。

 俺たち一号生はここに来てまだ、先輩がたにお会いするのが初めてなんですよ。

 …申し遅れました。一号生筆頭、剣桃太郎。

 一号生を代表してご挨拶させていただきます。」

 丁寧な挨拶、痛み入る。

 だが、彼は根本的な勘違いをしている。

 それは訂正せねば。

 

「剣、ですね。私は先輩ではありません。

 ただの事務員です。

 一応肩書きは塾長秘書となっていますが、そう畏まらなくて結構です。」

 私の言葉に、剣と名乗ったハチマキが軽く目を見開く。

 それに続いて他の塾生もざわつき出した。

 

「へっ?事務員?塾長秘書?」

「で、でも、その制服は…。」

 言われると思った。

 

「やっぱり紛らわしいですよね?

 塾生とそう年齢も変わらないのだからと塾長から、当塾敷地内ではこれを着るようにと渡されたのですが。

 ちなみに、私は今年で18になります。」

 一号生と言うことは、一年生ということだろう。

 どうりで制服が真新しかったわけだ。

 そういえば私が着ているものも新品だし、同輩と思われても仕方なかったか。

 今更大人げない自分を反省する。すまん学帽。

 だからそこで、「先輩じゃなくとも、俺たちより年上じゃねえか!」とか大袈裟に驚くのはやめてくださいお願いします。

 

「そうでしたか。

 良ければ、名前を教えてくれませんか。

 秘書どの。 」

「敬語も要りませんよ、剣。私は」

「そやつの名は江田島光。

 このわしの息子である!」

 自己紹介をしようとした瞬間、野太い声が間に入ってきた。

 …え?息子?江田島光?

 

「塾長!」

「え、ええ──っ!!?」

「塾長の息子ぉ!?」

「ウム。かつて別れた女が生んでおり、長く母親の元で育てられていたが、その女がこの春に死んで、父であるわしが引き取った、紛れもなくわしの子なのである!」

 いや、その設定、今初めて聞いたんですけど。

 結構一生懸命考えた後、絶対説明し忘れていただろう。

 しかしこれで朝の教官たちの、無駄に畏まった態度の理由がよくわかった。

 次に会った時に、普通に接してくれるよう頼んでおく事にしよう。

 

「塾長。そんな事よりこの救護室の薬の在庫管理が酷すぎます。

 期限切れの薬品類を捨てたら棚が空っぽになる為すぐ発注したいので、こちらで契約されている業者のリストをいただけないでしょうか。

 先ほど通りかかった教官にも言ったのですが、まともに答えを返して下さらなかったので。」

「そうか。あいわかった。

 後ほど揃えて、貴様の部屋に届けさせよう。

 フフフ、わしが男塾塾長江田島平八である!」

 …そろそろこの人の自己紹介はデフォルトなのだと悟った方がいいだろうか。

 

「今、塾長の紹介に『そんな事より』って言ったぞあいつ…。」

「フフ…見た目通りのヤサじゃない事は確かなようだな。」

 そして何故か剣と学帽が、呆れたようになにか喋ってるのが聞こえる。

 と、

 

「しっかし驚いた…全然塾長に似ておらんのう。」

「おふくろさんが美人だったんじゃな。

 下手すりゃその辺の、女の子よりべっぴんだしのう。」

 丸メガネをかけた塾生と、奇抜な髪型の塾生が、気がつけば私を挟んで、まじまじと見つめてきていた。

 居心地が悪い。

 

「は、はあ、それはどうも。」

 適当に挨拶をしてさりげなくその場を離れようとする。

 ふと顔を上げると、いつの間にか真正面に立っていた学帽と目が合った。

 

「あ、その…悪かったな、チビとか言って。」

 …うん、謝ってくれるのはいいのだけれど。

 

「せっかく忘れていたのに蒸し返すのはやめてください。

 一応、気にしてるんです。」

「そ、そうか。すまん!

 …俺は富樫源次だ。よ、よろしく頼むぜ。」

 学帽をまた深くかぶり直しながら、彼が自己紹介をしてくれる。

 ひょっとして、気持ちを落ち着かせようとする時の癖なのだろうか。

 

「富樫、こちらこそよろしくお願いします。」

「わ、わしは田沢じゃ!

 こっちの変な髪型のやつが松尾!」

「誰の髪型がサザエさんヘアーじゃ!」

 いや誰もそんなこと言ってないから。

 ていうか取り囲むのはやめて。

 私が若干怯んでいると、剣がさりげなく動いて、私と3人の間に立った。

 

「…ところで、あんたの事はなんて呼べばいい?

『江田島』は、俺たち塾生には若干呼びにくいんだが。」

 まだ私を囲もうとする3人を制しながら、剣が先ほどよりも砕けた口調で問いかけてくる。

 

「そうですね。私もそう呼ばれても、自身の事とはまだ思えません。

 光、と呼び捨てていただいて結構です。

 あなたが一号生のリーダーなのですね?

 ならばあなたには特に、これからお世話になる事と思います。

 よろしくお願いしますね、剣。」

「フッフフ、こちらこそよろしく頼むぜ、光。」

 握手を求めて差し出された手は、塾長と同じくらい大きかった。




ヤヴァイwww
一番書きたいモノを書けているシアワセが半端ないwww


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2・Going My Way

本当は前の話とで一話分として書いてたけど、文字数が意外に多かったので分割した。
なんか中途半端な感じになった。くそう。


「光!富樫が重傷なんじゃ!なんとかしてくれ!」

「はい?」

 ようやく私の自室兼執務室が完成して数日、その日入ってきた編入生の各種手続きの書類を部屋でチェックしていたら、ノックもせずに松尾が飛び込んできた。

 早く早くと手を引っ張られ、救護室に連れていかれる。

 というか途中から担がれた。何故だ。

 

 ・・・

 

「…一体何をして下半身なんか火傷したんです?」

「男塾名物のひとつで油風呂といってな。

 金だらいに油を…。」

「あ、もういいです。

 そのネーミングだけで、何があったかわかった気がします。

 先日の直進行軍といい今回といい、ここの名物ってろくなものがありませんよね…。」

「塾長の息子のお前が言う台詞かよ!」

「…御迷惑をおかけしています。本当に。」

 

 初日に剣の怪我を治して以来、私は一号生たちから、養護教諭のような扱いを受けていた。

 何せここの授業、鍛錬系にかなりの時間が割り振られていて、塾生たちは生傷が絶えない。

 最初のうちはそれなりに治していたが、あまりに件数が多くいい加減体力の限界を感じたので、そこそこの重傷でもないなら自分たちで手当てしてくれと剣に頼んで通達させ、ここ2、3日は平穏無事に過ごせていたのだ。

 そういえば昨日は何故か塾長から、

 

「この時間帯だけは、絶対に部屋から出るな」

 と言われ、3時間ほど自室で待機させられた時間があったのだが、その後で一号生の教室の前を通ったら、ほぼ全員がいつもより更にボロボロになっていて、お互いに傷の手当てをし合っていた。

 一体何があったと訊ねると皆一様に口を噤み、1人だけ涼しい顔をした剣が、「お前には絶対に言うなと、塾長から厳命されてる」とだけ教えてくれたのだが、本当に何があったのだろう。

 昨日の朝のうちに教官たちが、倉庫から大量の鈴を持って行ったのと何か関係があるのだろうか。

 ていうか、何故に鈴?

 

「…はい。治療、終わりました。

 けど、今夜一晩は動いたり、患部に触ったりはしない方がいいと思うので、富樫、あなたは今日はこのまま、ここに泊まっていきなさい。」

 重度の火傷の場合、真皮にダメージを受けている場合が多いので、それだけ治癒に時間がかかる。

 何せ、再生に必要な部分から既に傷ついているので、そこから治さなければいけないからだ。

 なので火傷の治療に関しては、完全治癒に必要な睡眠時間が通常の怪我よりも長い。

 できれば外界からの刺激を完全にシャットダウンできる環境に、一刻でも早く置いてやりたい。

 寮に帰してしまえば、恐らくそれは望めまい。

 

「こ、ここに?

 うへえ…なんか出んじゃねえのか…?」

 初めて会った時もそうだったが、相変わらず失礼な事を言う奴だ。

 私が出入りするようになってからは、この部屋の清掃と衛生管理は完璧だ。

 虫などわく筈もなければネズミの穴だってとうに塞いでもらってある。

 …ん?出るってそういう意味じゃないのか?

 

「私が宿直して面倒をみますから、万一なにか出ても追い払ってあげますよ。

 幽霊でもネズミでもなんならゴキブリでも。」

「ネズミなんざぁ怖がるか!」

「じゃあ怖いのは幽霊ですか、それともゴキブリですか。」

「確かにゴキブリはちょっとな…ってそうじゃねえ!

 …いや、別にいい。気にすんな。」

 どうやら幽霊の方だったらしい。

 なかなか可愛いところもあるではないか。

 

「フフ…後で食事をお持ちしますから、食べられるようならちゃんと食べて、ゆっくり寝てくださいね。」

 老け顔のくせに子供みたいに、少し拗ねた顔をする富樫をベッドに残して、私は仕切りのカーテンを引く。

 これも私が入ってから新品に変えてもらったもので、以前のものは黄色みがかってなんでついたのかわからない染みもたくさんついていたが、今のものは清潔感あふれる真っ白なカーテンだ。

 

「はい、それでは富樫の事は私に任せて、あなた方は授業に戻りなさい。」

「押忍!ごっつぁんです!」

 富樫を救護室に運んできたらしい塾生たちが、一斉に私に頭を下げる。

 揃いも揃って強面で、しかも全国各地の高校から持て余されて来た子たちの筈なのだが、懐いてくれると実に素直で可愛いものだ。

 

 ・・・

 

 食事を与えた後何故か急に、汗を拭けだの背中を掻けだのと、妙に甘えてきた富樫に付き添いつつ、若干煩わしくなってそろそろ強制的に眠らせてやろうかと思った矢先(私の背景を考えるといささか剣呑な台詞だが、あくまで言葉通りの意味である)、入口からノックの音が聞こえた。

 

「押忍。…光、今、大丈夫か?」

 扉の外からかけられたのは剣の声だ。

 もっとも『ノックして、確認してから入室』程度の初歩的なマナーを、弁えて実行してくれる奴が、現時点でここにはこの男しかいないわけだが。

 というか、一応ここの教育方針として、国を背負って立つ若者を育成するというコンセプトを掲げるなら、最低限のマナーくらい守れないとまずいのではなかろうか。

 

「剣。お疲れ様です、どうぞ。」

「失礼します。」

 いつも通りの余裕綽々な微笑みを浮かべ、剣が入室してくる。

 が、その傍の小さな人影に、私は目を疑った。

 

「……ご、極小路?この姿は、一体!?」

 極小路秀麻呂。

 今日付で男塾に編入してきた、暴力団組長の跡取り息子で、入塾手続きの際に塾長室で顔を合わせている。

 恐らく向こうは覚えていないだろうけれど。

 その極小路がボロボロの姿で、剣に伴われて来ていたのだ。

 

「て、てめえ!何しに来やがっ…」

 しまった、思わず声を上げてしまったせいで、富樫が気付いて起き上がってしまった。

 極小路が何をしたかは、富樫から聞いて知っている。

 顔を見ただけで怒りを呼び起こすのは当然の流れだろう。

 

「富樫、動かないでください!

 …剣、富樫を興奮させたくないので場所を移しましょうか。

 極小路、手当てしますから、こっちへ。」

 私より小さいその手を引いて、富樫の目に入らない場所に誘導しようとすると、

 

「そ、その前に…と、富樫。」

 極小路はおずおずと、富樫に向かって呼びかけた。

 だからやめろと言うのに。

 

「あ〜ん?」

 富樫が睨みを効かせながら反応する。

 だが、それに続く極小路の言葉は、私にも富樫にも意外すぎるものだった。

 

「す……すみませんでしたあ〜〜!!」

 極小路は身体を90度に折り曲げて、富樫に向かって謝罪したのだ。

 

「えっ!!?な、何ぃ───っ!!??」

 富樫が驚きの声をあげる。

 私も、声こそ出さなかったが、あまりの展開にその場に固まった。

 

「……って、ワケだ富樫。

 色々言いたい事はあるだろうが、これからは同じ一号生の仲間として、仲良くしてやってくれ。俺からも頼む。」

 そんな空気を打ち破るように剣が、極小路の肩に手を置きながら、富樫に向かって宥めるように語りかける。

 

「うっ………わ、わかったぜ。

 桃がそう言うんなら。

 こ、これから、よろしくな…。」

「よ、よろしく…。」

 …2人が、ぎこちなく握手を交わす。

 そのあっけない和解劇に、一応は胸を撫で下ろしつつも、私は剣に問いかけた。

 

「…剣、あなたですか?

 一体どんな手妻を使ったんです?」

 正直、入塾手続きをしに来た際の塾長との自己紹介合戦を目にした身としては、彼がここに馴染むまで、もっと時間がかかると踏んでいた。

 もっとも彼自身気がついていなかったろうが、彼の父親は彼を、男としての成長を期待してここに入れた筈であり、決して威張らせる為ではない。

 彼が脅しに使っていたポケットベルでの応援の要請など、そんな事に組員を使う事、決してさせはしなかっただろう。

 それが理解できた頃に、ようやく彼は変わっていき、そこから徐々にこの和解が為っていく。そう思っていた。

 というかもし変わらないようなら、入学金も既に入った事だし、命令いただければいつでも、人知れず綺麗に始末しますよと塾長に言ったら、いい加減その発想から離れろと呆れたように言われた。

 何故だ。

 せめて何か役に立てるならと思っただけなのに。

 

「手妻?止せよ、俺は何にもしてないぜ?

 まあ収まるところに収まった…ってとこかな。」

 どうだか。

 私はそんな飄々とした剣の言葉に、まったく納得できずにいる。

 思わず首を捻ったら富樫と目が合った。

 富樫は軽く肩を竦めて、口元を笑みの形に歪める。

 

「秀麻呂、彼は江田島光。

 塾長秘書兼事務員だが、ここで快適に過ごしたいと思うなら、彼にも挨拶しといた方がいいぞ。」

 と、剣が脅すように、私を示しながら極小路に言う。

 もう名前呼びなのか。ていうかちょっと待て。

 

「ひっ!?よ、よろしくお願いします!」

「ちょっと剣!

 その紹介の仕方はおかしいでしょう!」

 絶対この子何か勘違いしたし!

 私が食ってかかると、

 

「ん、まあ、間違っちゃいねえな。」

 と何故か富樫までもが、納得したように頷いた。

 なんかもういいや。

 

 ☆☆☆

 

「富樫、どうした?メシ食わんのか?」

「…世の中、知らねえ方がいい事もあるよな。」

「ん?」

「俺、昨日救護室に泊まっただろ?

 光が、飯を作って持ってきてくれたんだがな…。

 それが、メチャクチャ美味かったんだ…。」

「へえ、光の料理か。

 あいつ、そんな事まで出来るんだな。」

「ああ。味噌汁はちゃんと出汁が効いてるし、肉じゃがにはちゃんと肉が入ってる。

 それだけでも今の俺にとっちゃご馳走だってのに、なんつーかホッとするような味でな。

 ひじきの煮物なんて何年振りかで食ったが、そもそも美味いと思って食った事なかったのに、あいつの作ったやつは素直に美味かったぜ。」

「え、ええのう…。」

「米だって洗って水入れて火にかけるだけだろうに、なんでそんなもんまでこんなに違うんだってくらい、美味くてな…。」

「なあ富樫。

 ここにいて美味いものを食える機会なんてそうそうないだろう。

 一体、何を落ち込んでるんだ?」

「言ったろ?知らねえ方がいい事もあるって。

 あいつのメシが美味すぎたおかげで、寮のメシが前より更に不味くて仕方ねえんだよ。」

「あ…なるほど。そういう事か。」

「それは確かに、辛いかもしれんのう…。」

「あいつ、自分の食う分は自分で作ってるらしいから、毎日あんなの食ってんだよな…。

 あいつが女なら、あいつと結婚したいくらいだ。」

「…それは本人の前で言わない方がいいぞ、富樫。」




断煩鈴は曉での授業内容ですが、深い意味もなく魁の塾生にやらせてみたwww


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3・Eye of the Tiger

「塾長!もう無理です!

 ワシはもう、虎丸にメシを持っていくのは御免こうむります!」

 お昼に塾長室で、塾長と一緒にお弁当を食べていたら(今日はフタを開けた途端に玉子焼きを一つ奪われたので文句を言ったら、自分のお弁当からだし巻き玉子を一つくれた。すごく繊細で上品な味だったが、どうやら塾長はだし巻きより甘い玉子焼きの方が好きみたいだ)、何故かボロボロの鉄カブト教官が突然ノックもなしに入って来て半泣きで訴えて来た。

 

「…虎丸?」

「虎丸龍次。

 入塾式の日に鬼ヒゲに屁をぶっかけて、懲罰房に入っておる一号生だ。

 そこで1日2回の食事時間以外は、常に200キロの重石を支えておる。」

 一号生という事は、剣たちと同学年か。

 …というか、200キロ!?

 

「もう、なにかここでひとつ聞くたびに思う事ですけど、塾生の親とかに訴訟起こされても文句言えないレベルの虐待ですよね…。」

 かつて自分が生き残る為に、罪のない同年代の子供を、何人も手にかけた女が言う事じゃないけれど。

 

「フフフ、わしが男塾塾長江田島平八である。」

「判ってるとは思いますけど褒めてませんからね。

 それよりも鉄カブト教官。

 その虎丸が、なにか…できるような状況ではないですよね?話を聞く限り。」

 200キロを持ち上げながら攻撃できたらそれはもう人間業じゃない。

 

「重石を支えている間は、そりゃ何にもできませんけどね。

 1回2時間の休憩時間の間に食事、排泄、睡眠まで済ませなきゃいかんので、その間は重石を浮かせてやらねばならんのです。

 ヤツはその、重石を浮かせた瞬間にいちいち抵抗してきやがり、その度に食事を届ける係が負傷させられるというわけで、ほとほと手を焼いておるのですよ。」

 …いや、直前まで200キロ支え続けて、浮かせた瞬間抵抗できるって、どんだけ元気なんだその子。

 

「ふむ…光。」

「…はい?」

 何故だろう、嫌な予感しかしない。

 

「貴様には今日から、その虎丸の食事係も兼任してもらう。」

 それはひょっとして殺せという事だろうか。

 いや、今日『から』という事は、それ以降も続けるという事だろうから、それはないか。

 …先の問いを言葉にしなくてよかった。

 また呆れられるところだった。

 

「塾長!それは無茶です!

 ワシらですらこのザマだというのに、光どのが無事でいられる訳が…!」

 もし実際に襲いかかられたら、実際にはその塾生の方が危険だと思うが。

 肉体の耐久力に自信のない私は、その場合確実に命を奪う行動に出るだろうから。

 一撃で仕留めないと、反撃されれば逆に命取りになる。

 その事を私は、あの孤戮闘の中で嫌という程思い知り、もはや本能的とも言えるレベルで理解している。

 

「ただし、虎丸のところに行く時は必ず、これから用意するものを身につけて行くが良い。

 それが貴様を守ってくれようて。」

「はあ…?」

 塾長はそう言うと、机の上の電話の受話器を取り、どこかに電話をかけ始めた。

 下がっていろと手で示され、私はまだ食べかけのお弁当箱を片手に、鉄カブト教官とともに塾長室から退室する。

 ふと気がついたら、まだ残っていた筈の私の玉子焼きがすべて無くなっていた。

 おのれ、あのハゲどうしてくれよう。

 

 ・・・

 

「…塾長。どういうつもりなのですか?」

 という私の問いは、先ほどの玉子焼きの件ではなく、待機していた自室に突然やって来てまず私に抱きついてきた幸さんが、届けてくれたものを見たからである。

 

「フフフ、わしが男塾塾長江田島平八である!」

「仰るとは思っていましたが、当然なんの説明にもなっていませんから。」

 幸さんが届けてくれたのは、3着の和服とそれに合わせる帯以下装身具一式。

 その中の1着に見覚えがある。

 私が首相暗殺の際に選んだ衣装で、割とモダンな配色の柄が特徴的な現代ブランド着物。

 あの仕事が成功していたら二度と身につける事はなかった筈の、それどころか恐らくは焼却処分される予定だった筈のものだ。

 そうでなければこんな派手なものを身につけて殺しに行きはしない。

 正直私の好みじゃないし、私は「御前」の邸では普通に和装で過ごしていたが、その時普段着として身につけていた紬の方が、よっぽど値段的な価値も高かったろう。

 他の2着は、こちらは私好みの古典的で落ち着いた小紋とシンプルな紬、どちらも単衣仕立て。

 少なくともここで生活するには、どれも必要のない服だ。

 それを敢えて持って来させたという事は。

 

「先ほどの話の流れからすると、女の扮装で虎丸とかいう塾生の前に行けと?」

 屈強な男でも歯が立たない元気過ぎる男の子相手に、か弱い女に何ができると思っているのか。

 塾長はこれが私の身を守ってくれると、自信たっぷりに仰っていたが、こんなものより私自身の指の方がよほど、自身を守る役には立ちそうなのだが。

 

「貴様にとっては、男を演じるよりよほど容易い事であろうが。

 初めて会った時の、貴様の化けっぷりには驚いたものだぞ。

 化粧を落とすまでは完全に、大人の女と思い込んでおったからな。」

「あの時は髪も結えるだけの長さがありましたし、何より化粧道具がないと。」

 言いながら、短くなった自分の髪の毛先に触れる。

 最近ようやく首筋の涼しさに慣れてきたところだ。

 

「そう仰ると思って、持ってきておりますわ。

 白粉と紅と、あと、(かもじ)も。

 さあ、お部屋に戻って支度しましょう。

 お手伝いしますわ。」

 勢いで塾長室に駆け込んだ私の後からのんびりついてきていた幸さんが、私の腕を取って引き寄せる。

 この光景、はたから見れば男子学生と中年美女(幸さんは基本ふくよかではあるが顔立ちは相当な美人だ)の年の差カップル…には見えないか。

 どう見ても入学式の親子連れだ。

 

『光、途中で何か食べていく?』

『家に帰って、母さんの料理の方がいいな。』

 

 …ってなんだこの連想!!どっから出てきた!!?

 

 突然電波的に脳裏に浮かんだ異世界の光景に戸惑っていたら、

 

「うむ、だが虎丸相手なら、あの時よりももう少し、若い女という設定にした方が良かろうな。

 十代の男が憧れる二十代前半の大人の女。

 どうだ、できるか?」

 …もう完全にやると決まった流れになっていた。

 仕方ない。肚をきめるとしよう。

 

「10歳以下の幼女が好みとか言うのでなければ大抵の女性像は演じられますね。

 そもそも、男の閨に入るまでがお仕事でしたから、その男の気にいる女を、演じられねば話にはなりません。」

「判っておるとは思うがそこまではせんでもいいわい。

 ともかく頼んだぞ。」

 

 ☆☆☆

 

「虎丸龍次、重石を上げます。」

 懲罰房の外から扉を開け、重石を上げるレバーを動かす。と、

 

「おお、待っとったわい!……………!?」

 恐らくは入った瞬間に蹴りでも食らわせようとしていたのであろう、伸ばしっぱなしの蓬髪に無精髭の男が、私を見てぽかんとした顔で立ちすくんだ。

 

「…申し訳ありませんが、そこに立っていられると運び込めないので、少し下がっていただけますか?」

 そう声をかけて、にっこり微笑みながら、男根寮の食堂から借りてきたカートを押す。

 

「あ、ああ、済まねえ。…あ、あんた、誰だ?」

「その質問にお答えする指示は受けておりませんわ。

 それよりも、どうぞ、温かいうちに。

 この時間内に、一通りの用を済ませなければならないのでしょう?」

 私が言うと、男ははっとしたような顔で叫ぶ。

 

「そ、そうじゃ!

 おれは便所に行きたかったんじゃ!」

 …黙って行け。

 そう言いたくなるのを堪えて、私は配膳に取り掛かる。

 

「はい、行ってらっしゃい。

 あの…言うまでもない事ですが、ちゃんと手を洗ってから戻ってくださいませね。」

「わ、わかっとるわい!」

 

 ・・・

 

「…うまい!ここに来てから、こんな美味いもん初めて食ったぜ!」

 …と言われると気恥ずかしいくらい、内容的に大した物はないのだが。

 とりあえず焼いた目刺しと、塾長にも好評の(思い出したらまた腹が立ってきた)甘い玉子焼きに、きゅうりとわかめの酢の物。

 具がネギのみの味噌汁とご飯だけは、せめて多めに用意したくらい。

 

「お口に合ったようで良かった。

 急に言われて、あり合わせのものでしか用意できなかったもので。」

 私は外に買い物に行けないので、食材は注文して配達してもらうしかない。

 突然の事でとりあえず寮長に頼んで食材を分けてもらおうとしたら、あそこの食料庫にろくな食材がなくて暫し固まった。

 今更だけど育ち盛りの一号生の子たち、毎日何を食べて日々の修行をこなしてるんだろう。

 ちょっと心配になってきた。

 

「…これ、あんたが作ってくれたのか。

 教官どもに頼まれたのか?

 おれのメシ持って行けって?」

「最終的には塾長からの依頼ですわ。

 彼らが、あなたのことを凶暴な獣のように言っていたので、来るまではとても不安だったのですけれど、会ってみたら思っていたよりもずっと、紳士的な方なので助かりました。」

 とりあえず予防線を張っておく。

 人は無意識に、他人の信頼には応えたくなる生き物だ。

 まあ実際に、私の持ってきた食事は大人しく食べてくれて、教官が言っていたようなトラブルを起こす兆しすら見せなかった事に、若干拍子抜けした訳だが。

 

「ちぇ…考えやがったな。

 教官ども相手ならいくら暴れてもなんとも思わねえが、こんな……華奢で綺麗なお姉さんに、手を上げるわけにもいかねえだろうが。」

 今ひょっとして、小さいって言いそうになっただろ。

 しかしなるほど、そういう事か。

 私もどうやらここの塾生たちの影響か、若干脳筋な考え方に偏っていたらしい。

 力で敵わないなら心を攻めればいい。

 なんの事はない、私のいつものやり口ではないか。

 それに塾長はいつかの、幸さんの過去の話を聞いていた時、話の流れの中で『女に手を上げる男などいっそ死んだ方がいい』と仰っていた。

 恐らくはここでも塾生たちに、同じような教育をしているのだろう。

 もし万が一、この子が私に危害を加えたなら、もはや救いようのないものとして、私に殺されてもやむなしと考えたのだろう。

 

「私としてもそう願います。

 万が一あなたに脱走でもされたら、私では止めようがありません。

 そうなればかくなる上は、死んでお詫びするしか…。」

「し、心配すんな!

 あんたの迷惑になる事はしねえよ!」

 私が大げさに怯えて見せると、虎丸は私を安心させようと言葉をかけてきてくれる。

 

「ありがとうございます、虎丸。」

 こんな茶番に付き合ってくれて、本当に。

 

 

「ごちそうさん。ホント、美味かった。」

 さっきも思った事だが、この子も今朝まで、どんなご飯食べさせられてきたんだろう?

 そういえば富樫が火傷をした時に食事を持って行った時も、『肉じゃがに、肉が入ってる…。』と、当たり前の事を呟いてしばらく固まって、なんだか目が潤んでいたので嫌いだったのかと思ったのだが、その後あっという間に完食していたのを見て安心したものだった。

 …ひょっとしてそういう事だったのだろうか。

 なんだか不憫になってきた。

 

「お粗末様です。少し眠るでしょう?」

 空の食器を片付けながら何げなく問うと、虎丸は小さく頷いてから、ひとつため息を吐いた。

 

「あぁ…でもなんか、眠っちまうのが勿体ねえ。

 ここは懲罰房だってのに、綺麗で優しいお姉さんに給仕してもらえるなんて、夢みてえな時間だったぜ。ありがとな。」

 言いながら虎丸が、その場にごろりと横になる。

 

「明日からは、あなたの食事の時間には原則、私が参ります。

 よろしくお願いしますね、虎丸。」

 私がそう言うと、今横になった虎丸が、再びガバッと跳ね起きた。

 

「ほんとか!?じゃ、じゃあ名前教えてくれよ!」

 うむ、実にあっさり懐いてくれたらしい。

 虎というよりは仔猫、いや犬だなこれは。

 ぶんぶん振る尻尾が見えるようだ。

 私は動物はあまり好きではないが。

 今のこの子なら、技を使うまでもなく、毒でも盛ればあっさり殺せるだろう。

 …発想が未だにそっち寄りになってしまうのは、確かに自分でも物騒な性だと思う。

 鎖が届くいっぱいまで寄ってきて目をキラキラさせて私を見る虎丸に、4年前に別れたきりの『おとうと』の姿が、一瞬重なった。

 

 “光姉さん”

 長い睫毛に縁取られた、泣きそうに潤んだ目。

 撫でると指に巻きついてきた、癖の強い髪。

 そういえば、別れた時はまだ子供だったから、今の今までその感覚でいたけれど、よく考えれば『おとうと』は目の前にいる男と、年齢的にそう変わらない筈だ。

 しかもあの時点で既に身長は追い越されていたし、「御前」があの年齢にしては割と大柄な体格である事を考えると、あの子も今は相当大きくなっている事だろう。

 私は手を伸ばすと、伸び放題に伸びている虎丸の髪をそっと撫でた。

 それは汗と埃でごわついて、決して触り心地は良くなかったけれど、何か懐かしい気持ちを呼び起こした。

 あの時期は、何の感情も抱かずに接していると、自分自身で思っていたけれど、私は自分が思っていたよりもずっと、あの子の存在に慰められていたのかもしれない。

 きょとんと、丸い目を見開いてこちらを見つめる虎丸に、私は微笑みかけながら、言った。

 

「その質問にお答えする指示は受けておりませんの。

 では、私はこれで。

 重石を動かす際に、また声をおかけします。」

 

 ・・・

 

「フフフ、その様子だと首尾は上々のようだな。

 …貴様からみて、あの者の印象はどうだ?」

 彼の使った食器を洗っていたら、その私の背中に、塾長の声がかけられた。

 

「拍子抜けするくらい、普通にいい子でしたけど?

 非力な女を演じて接しているとはいえ、警戒心がなさ過ぎて心配になるくらいで。

 でも、話をした感じからすれば、決して馬鹿ではありませんね。

 もっとも本当に賢ければ、そもそも懲罰房に入るような真似はしないんでしょうけれど。」

 自分でそう言った瞬間、ひとを小馬鹿にしたように微笑む剣の無駄に端正な顔が、何故か頭に浮かんだ。

 うん、少なくとも奴なら、教官をキレさせるギリギリ手前で遊びはしても、あんな場所に入らなければならなくなるほど決定的な事態にはならない筈だ。

 

 ☆☆☆

 

 そうして1日2回、虎丸の食事を運び始めて、何日か経過した頃。

 

「いただきます。今日も美味そうだ。」

「ええ、それについては保証いたしま……!?」

 ガコン、と天井の方から音が聞こえ、それに金属が軋むような、ミシミシという音が続いた。

 

「なんの音だ?」

「あなたも聞こえましたか?

 そういえば先ほどレバーを動かした時、いつもと比べて妙な感触が……!?」

「危ねえっ!!!!」

 話している間に、上げていた筈の天井が落下して、私と虎丸は押し潰され……なかった。

 

「…虎丸!?」

「お、おれは平気だ!いつも支えてるからよ!

 でもあんたは早く逃げろ!!」

 見ると虎丸が、確かにいつもしている体制で、落ちてきた天井の重石を支えている。

 が、様子がおかしい。

 落下速度が加わったせいで体勢が崩れたのかとも思ったが、どうやらいつも以上の負荷が、その肩にのしかかって来ている。

 

「わかりました!」

 逃げろと言った彼の言葉に、私は従う。

 

「え?ちょっと…!?」

「何があったか、原因を特定して然るべく対処します!

 必ず助けますから、あなたはもう少し耐えていてください!」

「お、おう……!」

 まずは私はこの場を離れるのだ。

 私が死んだら、彼を助けられない。

 

 ・・・

 

「塾長!」

 大急ぎで塾長室に飛び込むと、椅子に腰かけた塾長を、何故か教官がたが取り囲んで何かしている光景が目に飛び込んで来た。

 

「ぬおっ!?」

「お、おなご!?何故ここに…?」

「光!?貴様、その姿でここまで来たのか?

 途中、誰にも会わなんだろうな!?」

「そんな事より虎丸が!

 懲罰房の重石の鎖が切れて!

 まだご飯も食べてないのに!」

 先ほど部屋の外から確認したところ、天井の重石を吊っている鎖が、途中で切れて重石の上に、蛇のようにとぐろを巻いていた。

 当然、レバーでの操作は効かず、どう動かしても軽い感触で動かした方向に動くだけで、重石はピクリとも動かない。

 

「ひ、光どのか?」

「な、なに──!?」

 私を男だと信じている教官がたが騒つくが、それを制するように塾長が立ち上がる。

 

「落ち着け。鎖が切れたと?

 それで、虎丸は生きておるのか?」

「今、これまでの要領で全力で支えてます。

 でも鎖で200キロに調節していた今までの状態と違って、重石そのものの重さ全てがかかってるんです!

 このままでは耐えきれなくなって圧死してしまいます!

 お願いです!虎丸を助けてください!!」

「あいわかった。

 貴様は戻って、奴の気力が尽きぬよう力づけてやるのだ。

 皆、聞いたな?必ず助けるぞ!」

 

 

「虎丸!応援を呼びました!

 もう少しですから耐えてください!」

 塾長に言われた通り、私は虎丸の側に戻り、彼に向かって声をかける。

 

「くくっ…ち、ちきしょう。

 て、手が…痺れてきやがっ、た…!」

 まずい。どうやら体力の限界が近いようだ。

 

「…一瞬、チクっとした痛みがあるかもしれません。

 驚かないでくださいね。」

「え?…!」

 氣の針を研ぎ澄まし、虎丸の四肢に撃ち込む。

 少なくとも彼が懲罰房から出て、「謎の女」が姿を消した後、「江田島光」と初対面するまでは、技は使いたくなかったのだが、今はそんな事は言っていられない。

 

「これでほんの僅かですが筋力が増強します。

 理論上はもっと上げることも可能ですが、これ以上の処置を行なえば、1時間ほどで反動が来て通常以下に力が低下しますから、上の処置が間に合わなければこのままぺしゃんこです。

 リスクを考えたらこれが限界でした。

 足りない分は気力でなんとかしてください。」

「ぐぐ…仕方ねえ、な。

 まずは、とにかく、あんたは逃げろ。」

 また、さっきと同じ事を。だが。

 

「いいえ。私はここに居ます。」

「なっ!?」

「レバーを操作した際、その感触に違和感を覚えたのに、それを見過ごしたのは私のミスです。

 それであなたが死ぬなら、私も一緒に死にます。

 …私を死なせたくないのなら、根性で耐え切ってください。」

 助けを呼び、技を使ってしまった以上、私にできる事はもうない。

 1人で死なせない事、私の命の責任を負わせて、彼の尽きかけた気力を奮い起させる以上の事は、もう。

 

「…ったく。しおらしくて、か弱い女性だと思ってたら、とんでもねえ女だな、あんた。」

 そうだった。

 この緊急事態のせいで、演技するのを忘れていた。

 

「そんな女が、虎の檻にのこのこ入ってくるわけがないでしょう。

 まだまだ青いですね。

 これに懲りたら、もっと女を見る目を養いなさい。」

 演じ続けられなかった悔しさを隠し、とりあえず開き直ってみる。

 

「くそ、騙された。

 これが終わったら、覚えてろよ…!」

 だが、彼の方にも若干余裕が出てきたようだ。

 少なくともこんな、憎まれ口が叩ける程度には。

 

「はいはい。わかりましたから重石に集中してください。

 今はあなただけが頼りなんですからね。

 終わったら何でもひとつ、希望を聞いてあげますから。

 私だって死にたくはないんですよ、虎丸。」

「…勝手な事、言いやがって。でも、約束したぜ?

 その言葉、忘れんなよぉぉ!!」

 虎丸の丸くて大きな目に闘志が浮かぶ。

 それは守るべきものの為に、戦う男の瞳だった。

 

 ・・・

 

「よしっ!直ったぞぉー!!」

「上げろ!!」

 ガコン。

 重い音とともに、重石の天井が上がってゆく。

 同時に、虎丸が尻餅をついた。

 

「っ……はぁっ、はあっ………。」

「お疲れ様でした、虎丸。

 よく頑張りましたね。」

「ああ…やったぜ……!」

 まだ整わない息の中、私に向かって笑って見せる。

 

「ありがとうございます。本当に。

 私の事も、助けてくれて……。」

 半分は本気で言いながら、私は彼の首に腕を回すと、その左の頬に唇を当てた。

 

「………!!?」

 虎丸が明らかに硬直する。可愛いものだ。

 

「…不快でした?」

 至近距離から顔を覗き込んで、問う。

 

「ンなわけねえだろ……っ?」

 次の瞬間、私の指先から首筋に撃ち込まれた氣により、虎丸は昏倒し、私の膝に倒れこんだ。

 

 

「光どの───っ!!」

「大丈夫、私は無事です。

 教官がたも、お疲れ様でした。」

「お、お疲れ様でした!」

「と、虎丸?こ、これは…まさか」

「大丈夫。気力が尽きたんでしょう。

 じきに目を覚ますとは思いますが、しばらくは動ける状態には戻らない筈です。」

 まあ、私がやったんだけど。

 こうしておかないとこの教官たち、虎丸が元気と見れば鎖が直ったのだからと、すぐにでも懲罰を再開しかねない。

 

「虎丸の懲罰は、少なくとも今夜一晩は休止としてください。

 明日の昼くらいに、私が身体の調子を見て判断し、然るべき後に再開する事にします。

 申し訳ありませんが、布団をひと組、お貸しいただけますか?」

 いつもは眠る時も、ここの硬い床にごろ寝しているのだ。

 せめて今くらいは、柔らかい布団の上で寝かせてやりたい。

 

 ・・・

 

「……ん?」

「おはようございます、虎丸。

 気分はいかがですか?」

「…最悪だぜ。

 女に気絶させられたんだからな。」

「申し訳ありません。

 あなたを少なくとも一晩は、ゆっくり休ませてあげたかったので。

 でも、身体の調子は悪くないでしょう?」

「そうだな。

 あんたの顔を見た途端に腹は減ってきたけど。」

「それ完全に条件反射ですね。

 ただ、一時的に身体機能を低下させて、その分を筋肉の修復に費やしている最中なので、多分今は固形物を、内臓が受け付けないかと思います。

 お粥を用意してますので、今はそれで我慢してください。

 夜の食事の頃には完全に戻っている筈です。」

「…なあ。約束、覚えてるか?

 なんでもひとつ、いう事きいてくれんだよな?」

「…そうでしたね。私に可能な事でしたら。」

「………。」

「………虎丸?」

「…い、いや。やっぱりいいや。気にすんな。

 …うん、そうじゃ!唐揚げじゃ!唐揚げが食いたい!」

「…?わかりました。

 それでしたら夕方の食事には、充分間に合うと思います。

 はい、とりあえず今はお粥を食べて、それからもう少し眠ってください。」

 

 ☆☆☆

 

 という事で、大量の唐揚げを揚げている最中に、背中から塾長の声が掛かった。

 

「光、ご苦労であった。

 フフフ、わしが男塾塾長、江田島平八である。」

「つまみ食いはやめてください、塾長。

 …私は何もしておりません。

 虎丸が、頑張ったんです。」




虎丸って弟キャラな気がする。実は結構歳の離れたお姉さんとか居そう。


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4・可能性のドアはロックされたまま

やや短め。この回は基本動きがありません。塾生たちがハチャメチャやってる端でのほほんしてる話。


「ふう、ごっついのお。これで全部じゃぞ、光。」

「お疲れ様です、江戸川。

 ありがとうございます。」

 一号生の夏合宿がこの先予定されており、各合宿所宛の荷物を今日中に、明日早朝に出発する車に積み込まねばならなかったのだが、それを担当する筈だった鬼ヒゲ教官が昨日、どういう経緯でかは定かではないがトラックと正面衝突して怪我をしたらしい。

 それにしては元気な様子で仕事を突然まるまる押し付けられ、手伝いを頼もうと思った頼りの一号生が何故か1人もおらず、他の教官も塾長も忙しく動き回っていて、もう私1人で途方に暮れていた。

 こうなったら私の責任で虎丸を懲罰房から連れて来ようかと本気で考えた頃、倉庫に出入りしていた二号生たちが声をかけてくれ、江戸川が重い荷物をすべて積み込んでくれたわけだ。

 二号生の教室は棟が離れている為、一号生たちほど頻繁な交流はないのだが、鍛錬中に怪我をしたりするのは彼らも変わらない為、救護室に出入りしていたら、すぐに彼らとも顔見知りになったのだ。

 

「なんの。光にはわしらも世話になっとるからのう。

 たまたま倉庫に用もあった事だし。」

 私が差し出した冷たい麦茶を一気に煽ってから、江戸川がニコニコ、顔の筋肉だけで笑って言う。

 

「見たところあっちの倉庫には、何に使うのかも判らないような大道具しか入っていないようでしたが。何かあるんですか?」

「うむ、近々わしら二号生主催で、一号生との御対面式を行うので、その準備をな。」

「…何故でしょう。内容について全く言及していないにもかかわらず、いやな予感しかしないのは。」

 そもそもここの名物とか、本当ろくなものがないのでね。

 そろそろ悟ってきたけど、塾生のみんなには無事でいて欲しいと願う。少し遠くから。

 

「フフフ、ごっついのう。

 なんにせよ、光の手を煩わせるような事はせんよ。」

 ここら辺は、「塾長の息子」という立場がじわじわ効いていると思う。

 この設定を考えてくれた塾長に感謝だ。

 

「…ところで、江戸川は二号生筆頭『代理』なんですってね。

 私はてっきり、あなたが筆頭なんだと思っていたのですが、あなたに代理をさせて、本物の筆頭は何をしているんですか?」

「……!!?」

 私が何気なく口にした質問に、江戸川が明らかに動揺する。

 心なしか震えてもいるような。一体どうした!?

 

「あの…なにか?」

「わ、わしもそろそろ戻らんとな。

 あ、あのごっつい準備の指揮を、丸山だけに押しつけるわけにもいかんのでな。

 こ、これで失礼する。」

「え?あの、江戸川?」

 

 ☆☆☆

 

「二号生筆頭の名は赤石剛次。

 3年前の2月より無期停学中でな。

 以来代理を江戸川が務めておる。」

 あの江戸川の態度が気になって、今日思い切って塾長に尋ねたところ、もっと気になる答えが返ってきた。

 

「待ってください。

 つまり江戸川を少なくとも3年進級させてないって事ですか?

 ていうか、3年間停学って、多分本人は普通に辞めた気でいると思いますけどそれは。」

 代理という事は、戻ってくるまでという意味だろう。

 だとしたら、もし本人に戻る意志がなかった場合、江戸川は一生進級も卒業もできないのではなかろうか。

 

「フフフ、わしが男塾塾長江田島平八である。」

「いや誤魔化すなやハゲ」

 …若干口が悪くなってきたのはきっと男の中で生活しているせい。うんきっと。

 

 ☆☆☆

 

「男塾、塾史…と、あれだ。」

 私は、もう少しここの事を知らねばなるまい。

 そう思い色々と塾長にお尋ねしたところ、この資料室に手書きの塾史があるから目を通してみろと言われ、事務作業にひと段落ついたところで、ようやく来てみたわけだ。

 

「……んっ、もう少しで、届く、んだけ、どっ…、」

 目には見えるし、背伸びすれば指先は届くが、うまく引き出せない。

 踏み台は収納を探せばあるんだろうが、あまり人の出入りしない資料室は埃が溜まっており、そこまで踏み入ったら、徹底的に掃除をしたくなる衝動に駆られるのは間違いない。

 それをやってしまったら、そもそもここに来た目的を、果たす前に時間が経ってしまうだろう。

 それは、避けたい。

 

「これか?」

 と、私が足がつりそうになりながらやっとの事で指だけ届いていたそれを、後ろから伸びてきた大きな手が、あっさりと本棚から抜き取った。

 振り返ると、白いハチマキが眩しい無駄に整った顔が微笑みながら、抜き出した資料をこちらに差し出してくる。

 

「っ……剣!?」

「押忍。男塾塾史ねぇ…。

 俺も、一度目を通してみるかな。

 読んだら教えてくれ。」

 差し出されたそれを受け取りながら、そこはかとない敗北感に打ちひしがれる。

 

「取ってくれてありがとう。

 ですが残念ながら、資料室の資料は塾生の閲覧を許可していません。

 というか剣、あなた、いつからここに?」

 その敗北感を胸の内に隠しながら、一応は礼を述べる。

 しかし私の記憶違いでなければ、今日は確か江戸川が言っていた、「御対面式」とかいうイベントを、講堂で行なっている最中の筈だ。

 

「なら戻しといてくれたら、勝手に見るさ。

 江戸川先輩が足が痺れて動けないってんで、御対面式がさっさと終わっちまったから、今更授業に戻るのも面倒で、ここに潜り込んで昼寝してたんだが…いい匂いがすると思って、起きたらおまえがいた。」

「…つっこむべきところが多すぎてどこからつっこんでいいのかわかりませんが、とりあえず私は香水の類は着けていません。」

 今の自身の設定が男だというのも勿論だし、暗殺者の本分として無臭である事は基本中の基本だから、香水など使わないのは勿論の事、毎日の入浴と洗髪は欠かさないし、その身体を洗うのに使うものにも細心の注意を払うのが、身についた習慣になってしまっている。

 一応任務の際には化粧をする事が多いから、その化粧品の選択にも相当気を使うのだが、「御前」の家で世話をしてくれた女中さんにも協力してもらい色々と検証をした結果、無香料の製品の中でも、更に原料臭もしないのは日本製ブランドの化粧品だけだという結論に落ち着いた。

 国産万歳、である。

 ちなみにこの間幸さんが持ってきてくれた白粉は、ほんの少し香りが付いているので、虎丸の食事を持って行った後は、すぐに化粧を落とした上シャワーを浴びないと落ち着かない。

 だからその匂いも、今は残ってはいない筈だ。

 

「いや、そういう匂いじゃないな。

 なんていうか、落ち着く匂いだ。

 ガキの頃に母親が洗濯物を干している、その背中を見ていた時のような。」

「…なんだか物凄く気色悪い事を言われた気がするのは気のせいでしょうか。」

 一応同性と認識する相手に対して、こういう事を言うのはどうなのだろう。つか嗅ぐな。

 

「フッ、気を悪くしたなら謝る。

 ところで、欲しい資料はそれだけか?

 重いものなら運んでやるし、今みたいに高い棚に置いてあるやつならまた取ってやるぞ?」

「…余計なお世話です。もう教室に戻りなさい。」

 ただでさえここにいると身長コンプレックスが刺激されるのだ。

 何せ一号生二号生ともに、揃いも揃って180越えのデカブツばかりときてる。

 目の前にいるやつに至っては、身長153センチ(自称)の私より30センチあまりも大きい。

 多分185はあるだろう。 正直、並んで欲しくない。

 …これが江戸川くらいになると、もう完全にどうでもよくなるが。

 

「それなんだがな。ここで会ったのも何かの縁だ。

 今から自分の執務室に戻るんだろう?

 なら、おまえの部屋のソファーで寝かせてくれないか。」

 いや待て。私の立場でそれが許せると本気で思っているのか、この男。

 だとしたら随分舐められているものだ。

 

「手伝いを申し出たのはそういう理由ですか。

 部屋で寝かせてあげる事は出来ませんが、ならばコーヒーをお淹れしましょう。

 それで眠気を覚まして、午後は授業に出てください。」

 私が言うと、剣は軽く肩を竦めた。

 

「…仕方ない、それで妥協するか。」

 妥協とか言うな。こっちにしてみれば最大限の譲歩だ。

 

 ・・・

 

 2月15日、一号生筆頭伊達臣人、教官を殺害し出奔。

 2月26日、二号生筆頭赤石剛次、校庭にて一号生大量傷害。無期停学。

 この事件による死亡者はなし。

 ただし被害に遭った一号生は全員再起不能。

 

 3年前の2月に、連続して起きたふたつの事件。

 これにより当時の一号生と二号生の筆頭が共に不在となる異常事態となる。

 資料には関係者名と結果しか記されていないので経緯はわからないが、ひとつめはともかくふたつめの事件が、先のそれと連鎖した事に疑いの余地はないだろう。

 

 4月3日、新一号生入塾。

 二号生、三号生については進級・卒業を保留。

 

 …この辺に関してはつっこんだら負けな気がする。

 

 10月某日、大威震八連制覇開催。三号生勝利。

 一号生闘士全員死亡。

 

 大威震八連制覇ってなんだろう。

 またろくでもない名物だろうかとも思うが、死亡者が出ているあたり、それで済ますにはあまりにシャレにならない気がする。

 あと死亡したとされている塾生の名前の中に、なんだか割と最近見たのと似た名前がある気がするのだが気のせいだろうか。

 

 …さて、虎丸の食事を用意する時間だ。

 結局コーヒーを淹れてる間にソファーに沈んでしまったこの無駄にデカイ幼児を、そろそろ叩き起こして寮に帰さねば。

 というか筆頭のくせに何をやっているのだ、こいつは。




冒頭のあたりでは、一号生が鬼ヒゲ教官に引率されて、ディスコで外人ボクサーに喧嘩売った挙句に、桃が女子大生に頭から飲み物ぶっかけてる頃です。
この女子大生のその後は番外編で描写してますが…多分同一世界の別分岐軸でしょう(爆


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5・ジレンマは終わらない

「…これは、朝っぱらからなんの騒ぎですか。」

 ある日、男根寮の食料庫に米を貰いに行った(虎丸の食べる量が私の予想を超えて多く、私の二週間分のお米が3日でなくなったのを見て、米だけはこちらに負担してもらう事にした)際、朝の4時という早朝であるにもかかわらず、寮の周辺がやけに騒がしかった。

 更に、食料庫の手前の厨房では、一人の塾生が走り回っている。

 と思ったら一羽の黄色いカナリアが目の前に飛んできて危うくぶつかりそうになり、思わず固まったら肩に留まってきた。

 

「あ…光!

 頼む、助けてくれ!オレには出来ない!」

 走り回っていた塾生が半泣きで駆け寄ってきて、私の足元に転がるように膝をつく。

 

「落ち着いてください。

 このカナリア、どうしたんですか?」

「椿山が飼ってた小鳥だ。

 あいつ、夜中に寮から脱走しようとして、馬之助に捕まったんだ。

 その際に馬之助がこの小鳥を没収して、オ、オレにコイツを料理しろって…。」

 馬之助…ああ、寮長の事か。

 この間松尾が、自分の班の一人が特に目をつけられて苛められていると私に相談して来たのだが、そういえばその塾生の名前が椿山と言った気がする。

 私は待遇こそ教官とほぼ同等ではあるものの、教官や他の職員の動向に意見できる権限はない。

 ついでに言えば、はたから見ている限りでは、ここの名物と呼ばれる鍛錬系授業と苛めとの線引きが結構わからない。

 

「なるほど。

 脱走とは穏やかではありませんが、確かに寮長の塾生への対応は、断片ながら私の耳にも入って来ています。

 いいでしょう。この子は私が預かります。」

 見たところ厨房の隅の方に、このカナリアを入れていたと思われる鳥籠がある。

 あれに入れて私の部屋に連れていけばいいだろう。

 

「代わりに………これを。

 ちょっと焦げてるくらいに焼いて、寮長に出してあげてください。」

 私は冷蔵庫を漁って、どう見ても食料用に養殖されたものではなくその辺の川から採ってきたのだろう蛙を取り出すと、若干形成して串に刺し、目の前の塾生に差し出した。

 

「ちょ、いくらなんでも、これはバレるんじゃ…。」

「大丈夫、多分ろくろく見もしませんよ。

 まあでも…ごめんね、後で新しいのを作ってあげますからね。」

 言いながらカナリアに指を伸ばし、首につけられた名前入りのアクセサリーを外す。

 外したそれを、串に刺した蛙の首にかけて、もう一度彼に差し出した。

 

「はい、これでも付けておけばいいでしょう。

 では、私はここには来ていません。

 寮長にも、椿山にも、他の塾生にも、他言は無用に願います。いいですね?」

 籠の入口を開けてやると、カナリアは私の肩から腕を伝って、自分から中に入っていった。

 よく躾けられている。

 

「あ、あぁ。助かったよ、光。」

 塾生はようやく蛙の串を受け取ると、私に向かって礼を述べた。

 

 

 男根寮(どうでもいいがこのネーミングはどうにかならないのだろうか)名物・竹林剣相撲を挑まれた椿山が、怒りのままに秘められた力を解放し、寮長を下したとの報せを、私が松尾から受けたのは、その日の昼の事だった。

 

 ☆☆☆

 

「押忍、失礼します。光、いつもお疲れさん。」

「こんにちは剣。なにか御用ですか?」

「特にはないが、ここはなんだか落ち着くんでな。」

「わざわざひとの執務室までくつろぎに来るのはやめてください。

 ここは元々応接室だったそうですから、調度品がいいのは確かですけど。」

 この執務室の奥の、ドア一枚隔てた部屋が私の生活圏だ。

 一応昼間はしっかり施錠してあるものの、出入りするところをあまり見られたくないので、ドア前に衝立を置いている。

 そしてその衝立のすぐそばに、今はカナリアの籠を吊り下げていた。

 勿論椿山のあのカナリアだ。

 生き物の世話をするのは初めてだったので、幸さんに頼んで手引本などを揃えてもらったのだが、後で気付いたのだが塾の図書室に同じ本があった。謎。

 

「ふうん。カナリアを飼い始めたのか。

 確かにこの部屋の雰囲気には合ってるな。」

「そうでしょう。

 時々とても綺麗な声で鳴いて、疲れた心を癒してくれますよ。」

 剣の言葉に私は適当に返事をする。

 正直あまり突っ込んで聞いて欲しくない。

 

「しかしつい最近、よく似たカナリアを見た気がするんだが。」

 だが軽い口調で言葉を返しながら、剣は、瞳に探るような色を浮かべる。

 うん、昨日ノックもなしに入ってきた松尾にうっかりこの子を見られて、あれっていう顔されてから、ちょっと嫌な予感はしていたのだ。

 一応こちらにも考えがあったので口止めはしたのだが、あまり当てにはならない気がする。

 

「カナリアなんてどれも対して変わらないでしょう。」

「確かにそうだが、愛情持って飼ってるやつが言う台詞じゃないな。」

 剣が言いながら、籠の外から指を伸ばすと、カナリアは嬉しそうにその指に寄ってきた。

 元の飼い主が男性であるからか、私が同じ事をする時より反応がいい気がする。滅べ。

 

「中々痛いところを突きますね、あなたも。」

「そもそも『疲れた心を癒してくれる』なんて白々しい台詞、素でおまえの口から出てくるとも思えない。」

 この野郎、白々しいとか言うな。

 自分でも少し思った事だが言うな。

 

「リィコちゃん、剣が私を虐めます。」

「リィコちゃん、ねぇ…。」

 と、ドアの外からドカドカと、誰かが走ってくる音が聞こえ、その音が一番大きくなって止まったと思ったら、

 

「ピ、ピーコちゃ───ん!!」

 大きな声で叫びながらドアを破らんばかりに、1人の身体の大きな塾生が、執務室に飛び込んで来た。

 

「椿山!?」

 さすがの剣も驚いたような表情を浮かべる。

 

「ま、間違いない、この子はボクのピーコちゃんだ!

 松尾と山田の言ってた通りだ!

 光が助けてくれたんだってね、ありがとう!」

 滂沱の涙を流しながら鳥籠ごと抱きしめる椿山に、私は小さくため息をつく。

 これは私のリィコちゃんですと誤魔化そうにも、カナリアの反応が私や剣に対するものとは明らかに違う。

 恐らく椿山はこの子を、雛の時から餌を与えて育てたに違いない。

 

「…なるほど。他言無用と口止めした筈なのに、彼らはあなたに言っちゃいましたか。

 これは、処分を考えないといけませんね。」

 声のトーンを抑え、脅し気味に言う。

 

「え……光?」

「あの後であなたの様子を観察していました。

 この子がいなくなった後のあなたは、以前に比べて見違えるほど、自信に満ちて立派になったと思っていたのですが。

 これでまたこの子をあなたの元に戻して、その後あなたはどうなるんでしょうね?

 また、元に戻ってしまう事も考えられますよね。

 そういった事を考えて、この子が生きている事を敢えて、あなたに内緒にしていたのに。

 特にこの子を料理しろと寮長に言われて、できないと半泣きで私に助けを求めてきたくせに、その私の恩を仇で返すように、こちらの構想をぶち壊してくれたあの子には、どういった処分を下すべきでしょう。

 山田って言いましたっけね。」

 勿論本気じゃない。

 けど、私はこの椿山から、どうしても引き出してやりたい感情があった。

 

「そっ、そんな!

 山田は、ボクの気持ちを考えてくれて…!」

「ならばどうします?

 実力を示して、私を思いとどまらせますか?」

「うっ…。」

 私の言葉に、椿山は蒼白になり、ぶるぶる震えだす。

 

「何を躊躇する事があります?

 ここにいるのは、非力なチビの事務員で、リーチも腕力もあなたには遠く及ばないというのに。

 念の為、剣には手を出させませんよ?」

 話を振られた剣は頷き、そのまま空気でいる事を了承してくれた。

 黙って事の次第を見守ってくれるようだ。

 多分、結果までもう少し。

 

「そんな事はない…光が、本当は強い事くらい、ボクにだって肌でわかるよ…でも!

 ボクの事を心配してくれた仲間を、守らなければいけないなら、ボクは…!」

 …そう、この言葉を引き出したかったのだ。

 震えながら私に向かって構え出した椿山に、私はようやく笑いかけた。

 

「………どうやら、もう大丈夫みたいですね。」

「え?」

 椿山が、もともと丸い目を更に丸くする。

 

「あなたは、私の力が見極められるレベルまでには強くなった。

 その上で、敵わないとわかっても、仲間の為に戦おうとした。

 今のあなたの強さは本物です。

 ていうかね、椿山。

 私も確かに、教官と同程度の待遇で、ここの仕事をさせていただいてますけど、塾生の処分を決定できる権限なんて与えられてないですから。」

「ひ、光…?」

 椿山はまだ震えていた。私が言葉を続ける。

 

「ただし、寮は原則ペットの飼育は不可な上、あなたが寮を脱走しようとしたのは事実で、それがあれだけの騒ぎになってしまって、今更なかった事にはできないでしょう。

 騒ぎにしたのは勿論、寮長に責任がありますけど、一応彼の行動にも一旦の理はあります。

 特例を認めるには恐らく、あなたの側の非も多すぎる。

 あと、個人的にはこの子を再び、寮長の目に入る場所に、置きたくないというのもあります。

 そういう事で申し訳ありませんが、この子をあなたに返す事、今はできません。

 あなたがここを卒業する時まで、責任持って私がお預かりします。

 それで勘弁していただけませんか?」

 私の言葉に、椿山は悲しそうな表情で、私とカナリアを交互に見た。

 鳥籠を抱えながら、その場に蹲る。

 

「あ…あ、ピーコちゃん…。」

 愛情をかけて育ててきたのだから、納得できないのも道理だろう。だが。

 

「…ねえ、椿山。

 確かに寮長の行動は行き過ぎです。

 けれど、もしあなたがもう少し、周りに目を向けていれば、ここまでの騒ぎにはなっていなかったと思いませんか?

 あなたは、自分の事を判ってくれるのは、この子だけだと言っていたそうですね。

 でも、もし本当にそうであれば、多分今この子はここにはいない。

 あなたが可愛がっている小鳥だと知っていたから、山田はこの子を殺せなくて、私に泣きついたんですから。

 だから私が口止めしたにもかかわらず、この子が生きている事を、あなたに告げずにはいられなかった。松尾もそう。

 彼らだけじゃない。

 ここにいる剣も、他の塾生たちも、あなたが寮長に目の敵にされているのを、心配していませんでしたか?

 あなたの目に、彼らの存在がちゃんと映っていて、自分が一人じゃないと知っていたなら、少なくとも寮を脱走する決意を固めるところまで、あなた自身が追い込まれる事はなかったのでは?

 本当はもう、判っているのでしょう?

 あなたは、私から仲間を守ろうとした。

 男は、自分一人では強くなれない。

 そしてここは、男が強さを学ぶ場所です。

 強くある為、強くなる為、仲間と絆を深めてください。

 私も微力ながら、何かあれば相談に乗ります。

 それにこの子に会いたければ、いつでもここに来ていいですから。」

 そう言って、私は俯く椿山の肩に手を置いた。

 その肩が震えている。泣いているのだろうか。と、

 

「光……いや、光さん!」

「…はい?」

 椿山はやおら立ち上がると、肩に置かれた私の手を、いきなり取った。

 

「わかりました!

 ピーコちゃんはあなたに預けます!

 そしてボクの…いえ、俺の命もあなたに預けます!」

 取られた手が、彼の大きな両手に包まれる。

 見上げると、やはり滂沱の涙を流した椿山が、私を無駄にキラキラした目で見つめていた。

 何故だろう。その頬が赤い。

 

「あ、あの……?」

「か…感動しました!

 あなたは、なんて素晴らしい漢だ!

 俺はあなたに惚れました!

 あなたに一生ついていきます!

 あなたに死ねと言われれば死にます!

 あなたになら掘られたって構いません!

 いえむしろ俺が掘ります!」

 いや待て。

 

「いやその決意は要りませ…ちょ、椿山!?

 重いです、退いてください!

 って、どこ触って…こ、この………っ!!?」

 身の危険を察した時は遅かった。

 椿山はソファーに私を押し倒すと、私の着ている制服に手をかけた。

 勢いで胸が掴まれる。

 一応サラシで巻いて抑えてはいるから揉まれはしなかったものの、脱がされて晒されたら明らかに、男のものでないとばれてしまうだろう。

 などとそもそも考えている余裕もなかった。

 私は反射的に、手に氣の針を溜めていた。だが。

 

「ごふっ!」

 次の瞬間、私が何もしないうちに椿山は、私の身体の上から転がり落ち、ソファーの足元にのびていた。

 見上げると剣がそばに立ち、手を手刀の形に構えている。

 どうやら、彼が椿山を気絶させてくれたらしい。

 

「……危なかった。

 椿山のやつ、頭に血が上って、俺がいる事をすっかり忘れていたようだな。」

「あ…ありがとうございます、剣。」

 起き上がると同時に、乱れた胸元を慌てて直す。

 少しサラシも緩んだようだ。後で巻き直さなければ。

 

「光に礼を言われる筋合いはないぜ。

 俺が助けたのは椿山の方だ。

 …今、一瞬本気で殺ろうとしただろう?

 見かけによらず恐ろしい奴だな、おまえは。」

「一応、犯されそうになった身として、当然の反応と思ってはもらえませんかね。」

 呆れたように言いながら、少し睨むように私を見る剣に、理不尽なものを感じつつ私が答える。

 椿山をきれいに気絶させた手腕といい、私のうちに生じた殺気をあの一瞬に感じ取れたというなら、彼は余程の達人だろう。

 普段から只者ではないと見せているそれ以上に。

 

「…私には、あなたの方がよっぽど恐ろしいですけど。

 その目がどこまで見えているのか、その手にどこまでの力を隠しているのか、まったく見えてこない事が、本気で。」

 わからない、という事は、私ではこの男のレベルに、遠く及ばないという事だ。

 そもそもどういう手段で近づいたとしても、この男を殺せる気がしない。

 剣は少しの間、怖い目で私を見つめていたが、やがてその瞳から力が抜けると、いつも通りの柔らかい笑みを唇に浮かべた。

 

「…フッフフ、今日は寮に帰るか。

 椿山を送っていかなきゃいけないしな。

 じゃあまた、光。明日また来るぜ。」

 言いながら、のびたままの椿山の腕を取り、器用に背中に担ぐ。

 その背中が部屋から出て行くのを見送ってから、私は溜息のように呟いた。

 

「…いや、ちゃんと授業受けてくださいってば。」




書いてる自分でもまさか、この子とフラグ立てる事になるとは思ってなかったwww
ノーマルカップリングなのにBLってなんぞwww


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6・友よ、流れる雲のように

「塾長、お風呂のお湯が出ないのですが。」

 虎丸の食事を届けに行き、戻った自室に突然生じていた重大問題を塾長に告げに行く。

 

「うむ。二号生が武術鍛錬中に、誤って水道管を一本破損したという報告が入っておるが、どうやらそれが貴様の部屋に繋がっている管だったようだな。

 修理は頼んであるから、明日には元通り使えるようになるだろう。」

 いやちょっと待って。

 

「困ります。

 その日の匂いが身体に残ると落ち着いて眠れませんので、次の日の業務に差し障ります。

 私は刺青持ちなので、たとえ外出許可が出たとしても公衆浴場には入れませんし。」

 飲み水や煮炊きに使う分は、他の部屋の水道から調達すればいい。

 洗濯や食器洗いは、1日くらい我慢できるだろう。

 だが風呂だけはほんと困る。

 入らない事は考えられないし、入浴に使う水をキッチンで沸かしていたら明日の朝になってしまう。

 私が訴えると塾長は少しの間考えてから、ニヤリと笑って言った。

 

「ふむ…わしは寮の大浴場を、塾生が使わん夜中に利用するのだが…貴様、今日はわしと一緒に入るか?」

「その案しかないようでしたらそうさせていただきます。」

 だって背に腹は変えられないし、塾長には既に裸は見られている。今更だ。

 だが塾長は、自分では私をからかったつもりだったのだろう。

 私が普通に了承した事に、ほんの一瞬驚いた表情を浮かべてから、次には苦笑混じりに言った。

 

「…湯は落とさずにおくから、わしの後にこっそり入るが良い。」

「御配慮感謝いたします。」

「フフフ、わしが男塾塾長江田島平八である。」

 …うん、今日はつっこまずにおくことにする。

 何だか勝ったような気がするし。

 

 ☆☆☆

 

 ちゃっぽん。

 高い天井から水滴が落ちる。

 広いお風呂って気持ちいい。

 浴槽で手足が伸ばせるなんて久しぶりだ。

「御前」の邸のお風呂も広かったから。

 そういえばあの獅狼に夜這いをかけられたのを撃退してしばらくの間、無防備な状態で1人になるのが怖くなり、頼み込んで『おとうと』と一緒に入っていたら、私だけでなく彼も怒られてしまって、あの時は本当に悪い事をした。

 その代わり世話係の女中さんが入浴中は警護に付いていてくれるようになったのだが、それはそれで窮屈だった。

 あーでも、ここのお風呂は確かに広いのだけれど、使う時は塾生が何人も一斉に入るんだっけ。

 そうなると逆に狭いかもしれない。

 お互いに何も身につけていない身体を晒し、無防備な状態を共有しあうのも、ある意味絆を深める事かもしれないけど。

 そう言えばこの前、私が部屋に押し込められていた謎の3時間についての真相がようやく判明した。

 松尾と田沢と極小路が何故か3人揃って酷い怪我をしてやって来て、その時に松尾が口を滑らせたのだが………………………うん。止そう。

 少なくとも私は彼らとは、そういう絆は深められそうにない。

 そこは高くそびえる男女の壁がある。

 

 ガラガラ…

 不意に入口の方から扉が開けられる音がした。

 湯気の向こうでよく見えないが、入ってきたのは身体の大きな人物のようだ。

 

「塾長?」

 忘れ物でもしたのだろうか。

 一応は腕で、胸を隠して呼びかける。

 ちょっと前まではそうでもなかったし、日中はサラシで抑えてかなり虐げられているにもかかわらず、ここ2、3ヶ月でやけに膨らんできたので、先端は覆えても膨らみ自体を完全には隠しきれないのだが。

 と、私の呼びかけに反応して、動きが止まった相手の姿が、湯気の間からはっきり見えた。

 え…塾長、じゃない。これは…。

 

「……………つる、ぎ?」

「光?」

 

 意図せずお互いに無防備な状態を晒しあった形で、私たちは暫し固まっていた。

 確かに少し羨ましいとさっきは思ったが、これは違う。

 

 ・・・

 

「…なあ、ひとまず背中を向けて話さないか?

 この状況だと、お互いに刺激が強すぎる。」

 という剣の提案で、私たちは腰まで湯に浸かりながら、お互いに背後に向けて話をしている。

 

「…あなた、こんな時間に何故ここに?」

「塾長が夜中に入ってるのは知ってたからな。

 時々その後にこっそり一人で入ってる。

 まさか今日に限って先客がいるとはな。」

「はあ…私はあなたという不安要素を、もっと警戒すべきでしたね。

 他の塾生ならこっそり始末して、失踪扱いにする事も出来るでしょうが、あなたに関してはそうもいかない。

 筆頭のあなたが突然消えたら大騒ぎになるでしょうから。」

 こんなことになったのも自室の風呂が使えないせいだ。

 明日は江戸川に八つ当たりをしよう。

 

「物騒な事を言うんだな。

 時間外に風呂に入っただけで殺されるんじゃ、命がいくつあっても足りやしないぜ。」

 どうやら論点を微妙に変えていく作戦のようだ。

 そうはいくか。

 

「絶対に知られてはいけない秘密を知られたら、そこは殺すか殺されるかしか無いでしょう。」

「そうは言っても、おまえが女だって事なら、少し前から判っていた事だしな。」

「!?」

 軽い口調で、剣がとんでもない事を言う。

 いけない。

 今、驚いて思わず振り返りそうになった。

 

「…いつから気付いていたんですか?」

「初めて会って、傷の手当てをしてくれた時に、なんとなく違和感を覚えて、御対面式の日に資料室で会った時に、そうじゃないかと思った。

 ダメ押しに、椿山に押し倒されて服、脱がされかけた時、おまえはまず最初に胸元を気にしてた。

 あれは男ならまずやらない仕草だからな。」

 …という事で椿山も八つ当たり要員決定。

 

「そうでしたか。

 ですが、何故今までそれを黙っていたんですか?」

 理由如何によっては、対処を考えなければならないだろう。

 

「飢えた狼の群れの中に、狼の皮を被せて羊を放り込むんだ。

 腕に覚えがあるとはいえ、自分の娘だろうがそうでなかろうが、そこまでの試練を課すには、塾長に何か考えが、或いは事情があると思ったからな。

 俺が口を挟む事じゃない。」

 …本心で言っているなら、下心ではないという事だ。

 

「なるほど。

 知った上で今まで黙っててくれたと言うなら、あなたにはお礼を言わなくてはいけませんね。

 …これから先の事も含めて。」

 そう、これから先についてはわからない。

 まずは一旦下手に出て、口止めを頼む事にする。

 そうして、調子に乗って私に手を出してきたら、その瞬間に共犯の関係が成立するのだ。

 私が女である事を晒せば、自分のした事も晒される。

 形として、秘密を盾に脅して関係を迫った(てい)になるのだから。

 

「礼なんざ要らないが、ひとつだけ頼む。

 ……桃、だ。」

「え?」

 …何を言われたか、一瞬判らなかった。

 

「桃。俺の事はこれからそう呼んでくれ。

 敬語も要らん。」

 ああ、確かに他の一号生はそう呼んでいるな。

 見た目の印象の割に、随分可愛らしい仇名だと思っていた。

 まあ、本名が「桃太郎」なのだから、そのままといえばそうなのだが。

 しかし、何故?というか…。

 

「…それだけ、ですか?」

「なんだ、まだ敬語になってるぞ?」

「あ、それは…これが素の口調なので、すぐに直すのは無理かと。

 でもあの、剣。」

「桃。…ほら、呼んでみろって。」

 何故だろう。

 背中を向けているのに、あの余裕の微笑みが見えるようだ。

 

「………桃。」

 少し戸惑いながらも、呼んでみる。

 

「それでいい。

 …光、おまえは椿山に言ったな。

 ここは男が強さを学ぶ場所だと。

 強くなる為、強くある為に、仲間と絆を深めろと。

 どんな事情があるかは知らん。

 だがここで男として暮らしているなら、おまえも俺たちの仲間だ。

 いつもおまえに頼っている俺たちだが、だからこそ、おまえも必要なら俺たちに頼って欲しい。

 心配すんな。

 おまえに頼られて嫌な顔する奴なんか居やしないさ。

 …まずは、俺を信じろ。

 おまえが困るような事は、絶対にしやしない。

 約束する。」

 彼の言葉に、さっきまでの自身の考えを反省する。

 というより男の汚い部分ばかり見てきた己の心の汚さそのものを恥じる。

 私の方が年上なのに、この男の完成度の高さはなんだ。

 

「……はい。ありがとう、桃。」

 …どうして胸がこんなに痛むんだろう。

 人間としての格の違いを見せつけられたからか。

 しかしそもそも、私は人間ではない、飼い犬だ。

 否、今は飼い主にすら捨てられた野良犬でしかない。

 嫉妬や羨望など、感じる事さえ間違っている。

 

「…それにしても。

 おまえが女だって事に驚きはしなかったが、正直その刺青の方に驚いた。」

 私が思わず黙り込んだ事をどう解釈したか、桃は軽い口調に戻り、話題を変えてきた。

 が、それも私にとっては、私の穢れの象徴だ。

 

「自分で望んで入れたわけじゃありません。

 愉快な話ではないので今は語りたくありませんが。」

 だけど、この男にはいつか、話さねばならない日が来る。

 そんな気がする。

 と、そこまで思ったところで、不意にある事に気付いた。

 先ほどから湯に浸かりっ放しであるのも加わって、覚えず顔が熱くなる。

 

「…って、え?ひょっとして、つ…桃!

 あなた今、こっち向いてるんですか!?」

 自分から、背中向けようって言ったくせに!

 いや私だって見たくないけど!

 その厚い胸板とか、締まったウエストとか、割れた腹筋とか、とにかく彫刻みたいに全体的なバランスの取れた、男として非の打ち所がないほどに美しい筋肉とか……ええくそ腹の立つ!!

 さっきチラッと見ただけだけど、貶すところがまったく見つからないじゃないか!!

 

「おっと、悪い悪い。

 じゃあ、俺は先に上がらせてもらうぜ。

 また明日、な。」

 背後の水音とともに、大きな気配が遠ざかる。

 私はしばらくそのまま固まっていたが、脱衣所の方からも気配が消えた事を確認して、ほうっと息を吐いた。

 少しのぼせたかもしれない。私も上がろう。

 …あれ?

 

「あの子、身体洗えてないよね…?」

 確実に私のせいだ。申し訳ない事をした。

 

 ・・・

 

「フフフ、どうやら味方ができたようだな。

 結構。」

 服を身につけて、髪をタオルで拭きながら、大浴場の裏口を出ると、そこに塾長が腕組みしながら立っていた。

 

「…剣が来る事知っていたんですね。

 どうやら私も彼も、あなたの掌の上で踊らされていましたか。」

「実際に来るかどうかはまあ、賭けのようなものだったが。

 あやつは周囲に影響力のある男よ。

 充分に貴様の助けになろうて。」

 味方なら、塾長が後ろにいるだけで充分助けになっているのに。

 それだって私には、身に余る事なのに。

 

「…どうしてですか?」

「ん?」

「私がどんな女か、あなたは御存知でしょう。

 …どうしてそんなによくしてくれるんですか?

 あなただけじゃなく幸さんや、教官も塾生も、どうしてみんな、優しいんですか?

 私にはそれを受ける資格なんかないというのに。」

 何故か判らないが、心が騒つく。

 優しくされると、逃げ出したくなると同時に、そこに身を埋めたくなる。

 結局身の置き場がわからなくなる。

 

「ふむ…なんの資格かは知らぬが、それは貴様が決めることではないぞ、光。」

「え?」

「己を評価するのは常に他人ということよ。

 己を卑下する事は、即ち他人を貶める事、ゆめゆめ忘れるでない。」

 塾長はそう言って手を伸ばすと、まだ湿っている私の髪をぐしゃぐしゃと撫でた。

 …私はこうされるのが好きだが、今はやめて欲しい。

 その胸にすがりついて甘えたくなる。

 私が黙っていると、塾長は口元に笑みを浮かべ、言葉を続けた。

 

「フッ。今は分からずとも、心にだけ留めておけばよい。

 いずれ貴様にも腑に落ちる日が来ようぞ。

 …わしが男塾塾長江田島平八であ…ックション!」

 …うん、つっこむのはやめておこう。

 

 ☆☆☆

 

「押忍。おはよう光。」

「おはようございます……桃。」

 いつもとまったく変わらない調子で、執務室を訪ねてきた桃に、私は挨拶を返す。

 若干気まずい。

 

「よくできました。

 ところで、今日はちゃんと授業に出るから、コーヒー飲ませてくれ。」

 これは脅迫だろうか。

 いや、違う。多分だが違う。

 そんな風に考えてしまう私の心が汚れているだけだ。

 

「私の執務室は喫茶店じゃないんですが。」

「フフ、光のコーヒーは喫茶店より美味いぜ。」

「この前は飲む前に寝ちゃったくせに何言ってるんですか。」

「そうだけど、起きてからちゃんと飲んだだろ。」

「冷めちゃってたじゃないですか。

 あんなものは、ちゃんとコーヒーを飲んだとは言えません。」

 美味しいコーヒーの淹れ方は、「御前」の邸にいた時に女中さんから習った。

 でもやっぱりどんなに美味しいコーヒーを淹れても、冷めたものや温め直したものはどうしても味が落ちる。

 どうせ褒めてくれるなら、一番いい状態で褒めて欲しいものだ。

 会話しながらケトルを火にかけ、ドリッパーにペーパーフィルターをセットしてサーバーに乗せる。

 コーヒーの粉を棚から取ろうと、振り返ろうとして何かにぶつかった。

 目の前に突然現れた黒い壁を見上げると、謎に微笑む桃の顔があった。

 

「…ちょ、距離が近い!もっと離れてください!」

 いくら私が小さくたって、狭い距離でちょこまか動けるわけじゃない。

 

「なんだ、照れてるのか?

 一緒に風呂にも入った仲だろう?」

「それ以上言ったら殺……あれ?」

 反射的に物騒な台詞を吐きそうになった時、ふと気づく。

 

「ん?」

「…こんなに近づいたのは、最初に会った時以来ですけど、あの時は気付きませんでした。」

 言いながら、桃の胸元に手をかざす。

 

「…なんの話だ?」

「あなたも、『氣』を扱うんですね?

 塾長ほどのものは感じませんけれど、身体の大きさ以上の総量を有しているのがわかります!

 …やはり只者ではありませんか。触れても?」

 彼は、私が『氣』で人を殺せる事に、うすうす気付いているはずだ。

 だから、安心させる為に了承を取る。

 

「あ…ああ、構わない。」

 少し戸惑った様子で、桃が頷いた。

 私は掌を、桃の厚い胸に当てる。

 

「失礼いたします。…信じられない。

 ここまで洗練されているのに、なんて穏やかな『氣』…!」

 恐らくすぐに気付けなかったのは、彼の持つ『氣』に威圧感を全く感じないせいだ。

 それどころか、実際にやってみた事はないが、ぽかぽか陽気の草原に寝転んで、流れる雲を眺めているような気になる。

 なんだか離れたくなくて、その大きく固い胸板に、頬を寄せ、目を閉じた。

 

「……っ?」

 少しだけ桃が身じろいだ気がしたが、私はそれに構わなかった。

 

「眠ってしまいそう…こんなに心地いい『氣』に、触れたのは初めてです…!」

 ため息混じりに呟くと、頭の上から、深く落ち着いた声音が降ってきた。

 

「…それはどうも。

 でも、そろそろ離れた方が良くないか?」

「え?」

 あ、ひょっとして不快だっただろうか…?

 

「押忍!光さん!何かお手伝い……!!?」

 と、執務室の扉が開けられ、そこに椿山の姿があった。

 いつも思うがここにはノックの習慣というものは存在しないのだろうか。

 

「お疲れ様です、椿山。………椿山?」

 桃の胸から渋々顔を上げると、椿山がドアのそばで固まっていた。

 ん?どうかした?

 

「ま、まさかそんな。桃と、光さんが…!?」

「は?……あ!!」

 今の自分の状況に、ようやく気付いてハッとして、慌てて桃の身体から身を離す。

 ふたりきりの部屋で、対外的には、男同士で抱き合っていたのだ。

 はたから見ると異様な光景だ。

 

「うっ、うわあぁぁぁああ!!!!」

 椿山が叫び、執務室から駆け出す。

 

「ちょ、待ちなさい椿山!

 とりあえず廊下は走っちゃ駄目です!」

「いやそこじゃないだろう、問題は…。」

 動揺して思わずズレたコメントを発した私に、桃が冷静につっこんでくる。

 

「わかってます!剣!

 あなたからも何か言ってください!」

「…ん?今、なんて呼んだ?」

 私の言葉に反応した、桃の顔がまた近くなった。

 

「え……その、も、桃。」

「よくできました。」

 あああああ、もう!この美丈夫本当に腹立つ!!

 私は心の中で地団駄を踏んだ。

 もう完全に、後で江戸川に八つ当たりすることに決めた。



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魂剣斬岩編
1・真夏の夢の蜃気楼


この回はやや短め。


 橘の死から、4ヶ月が経った。

 俺はあれ以来、奴の周辺を調べまわり、まずは奴の日本での身元引受人だという弁護士が、あの日以来行方不明だという情報を掴んだ。

 そうだ。奴は死の間際、確かに『うちのセンセイ』と言ったのだ。

 恐らく俺が腕をぶった斬った男は、その弁護士だ。だが何故?

 本人が見つからない以上、理由はわからない。

 今度はその弁護士について、色々と嗅ぎまわったが、大した情報は得られなかった。

 というより、こいつはやたらと手広く大物の顧客ばかりを持っており、その中のどれが手を引いたものか絞り込めなかったのだ。

 というかこんな奴が何故、橘の親の顧問なんか引き受けてたんだ?

 調べたところ、あいつの父親は生前、地元では評判の鍼灸師だったそうだが、一家の生活ぶりはごく一般庶民のそれであり、金持ちでも名士でもなんでもない。

 むしろ稼ぎは病を抱えた長男の治療費にほぼ持っていかれ、困窮していた筈だ。

 

『オレの妹は、どこかの金持ちに売られたんですよ。

 オレの手術費用を捻出する為に。』

 その手術費用がどれほどのものだったかはわからないが、少なく見積もっても一億はくだらねえ筈だ。

 そもそも奴の妹、しかも当時11歳半の小娘の何に、その金持ちはそれだけの価値を見出したのか。

 ただ女として飼うだけの存在に、そこまでの金を出すとも思えない。

 必ず、何かあった筈だ。

 そして何より、奴は妹の手がかりを掴んだ途端、命を狙われたのだ。

 手がかり…橘を人違いして『姉さん』と呼んだ奴と、弁護士の間に、何らかの繋がりがあった事に、疑いの余地はない。

 そして、その男が『姉さん』を探していたという事は、『姉さん』は奴らの前からも行方をくらましている事になる。

 何らかの重大な秘密を知って、それ故に命を狙われ、逃げ隠れしているのではないだろうか。

 その『姉さん』が橘の妹で間違いないなら、俺は奴らより先にそいつを見つけ出して、保護しなければならん。

 だが…俺の調査はそこで行き詰っていた。

 警察は、橘を襲った男について、特に身を入れて探すような事はしなかった。

 型通りに地域のパトロールを幾らか強化したくらいだ。

 何せ襲われた事が原因にはなったものの、橘の直接の死因は心臓発作だ。殺人事件ではない。

 しかも俺たちとの交流が仇になったというか、その襲われた事件についても、不良少年同士の諍いという形となって、4ヶ月経った今となっては、地元での噂話にものぼらなくなっていた。

 

 そんな時だ。

 男塾から、俺の無期停学を解くという連絡が来たのは。

 

 ☆☆☆

 

「伊達は貴様らを守る為にあんな真似をしたんだろうが!

 その辺をよく考えろ!」

「よく考えたから直訴するんです!」

「馬鹿か貴様ら!直訴は重罪だ!

 それで貴様らが死罪にでもなったら、それこそ伊達のした事が無駄になる!!

 元はと言えば貴様らが不甲斐無いせいで、新任教官にデカいツラさせて増長させ、その結果伊達が全部引っ被る事になっちまったんだろうが!

 その貴様ら如きが、今更徒党組んで出張ったところで何になる!?

 腑抜けなら腑抜けらしく、大人しく伊達に守られた命、大事にしてろ!!」

「…そういうアンタの方が腑抜けなんじゃないんですか、赤石先輩?

 結局アンタは塾長が怖いんだろう!?」

「……なんだと?」

 

 ・・・・・

 

 ☆☆☆

 

 3年前のあの日。

 

 完全に頭に血が上っていた。

 気付けば雪の校庭が、一号どもの血で真っ赤に染まっていた。

 死者が出なかったのが奇跡だと言われた。

 俺は、俺が認めた後輩が、守ろうとした奴らを、結局は傷つけて男塾を去った。

 去った…つもりだった。

 確かに無期停学とは言われたが、まさか復帰の要請が来るとは思っていなかった。

 聞けば俺の立場は二号生筆頭のまま、その籍を残してあるという。

 くだらねえ、と心底思った。

 俺は今、ガキどものお守りをしている暇はねえんだ。

 だが、無視する訳にもいかねえ理由があった。

 教官を殺して逃げた伊達と違い、俺は一号生どもをギリギリ死なせはしなかった。

 だが俺の場合人数が人数な上、むしろ被害者が生きているからこそ、面倒な問題もあった。

 塾長はそれらの面倒を一手に引き受けてくれた上、俺を無期停学にする事で、その問題から逃がしてくれたと言っていい。

 

「最後に己を助けるのは過去の己という事よ。

 かつての貴様の功績がものを言った結果だ。」

 と笑っていたのが、一番最後に会った時の事。

 つまり俺は塾長に恩がある。

 それに「来る者は拒まず、逃げる者は地獄の果てまで追っていく』のが男塾だ。

 復帰の要請があったからには、それを拒む訳にはいかない。

 だから、俺は決めていた。

 男塾が俺を、今度こそ見放す方向に持っていこうと。

 あの時ほどの事はしなくていいだろうが、2、3人の腕でも脚でもぶった斬ってやれば、今度こそ復帰要請は来るまい。

 俺は、橘の無念を晴らさねばならんのだ。

 橘の妹が、今この瞬間にも、奴らの手に落ちているかもしれない以上、こんな事に時間を取られる訳にはいかん。

 

 ・・・

 

「なんだ貴様は!?

 ドスなんぞぶら下げて、こいつの使い方を教えて欲しいのか。」

「一号生筆頭、剣桃太郎。お願いします。」

 あの年の一号生どもより更に腑抜けに見えるガキどもの、筆頭を名乗ったのはハチマキを締めたヤサ男だった。

 俺とそのふざけた野郎は、塾長の提案により、一週間後に衆人環視の中で、改めて雌雄を決する事となった。

 

 ☆☆☆

 

 再入寮の手続きやら何やらが必要とかで、塾長室に呼ばれた。

 入塾の際にも見せられたのと同じ書類、『塾生となったからには、たとえ死んでも文句は言わない』という内容のそれに、改めて血判を押す。

 もっともここに長く留まるつもりはない。

 その筈だった。

 

 コンコン。

 塾長室のドアの外から、ノックの音がする。

 

「入るが良い。」「失礼いたします。」

 短いやり取りの後、ドアが開かれる。

 そこに現れた小柄な男を見て、俺は目を見張った。

 

「……橘っ!?」

 

 確かに4ヶ月前、俺の腕の中で無念の涙を流して死んだ、橘の顔がそこにあった。




この章全部、赤石フラグwww
そして、実はついでに、もう一人。


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2・難破船

関係ないけど、赤石先輩ってオカンとかメッチャそっくりな気がしてならないwww


「二号生筆頭・赤石剛次の無期停学を解く事とする。

 その為の手続きと準備をせよ。」

 ある日の正午、お弁当を持って塾長室に行ったら、塾長が何故か頭をごしごしタオルで拭きながら、私に向かってこう言った。

 

 先日の一号生・二号生合同レクリエーションの夜間遠足の後、熱を出したという江戸川(発症2日めに丸山から連絡を受け、鬼の霍乱!?と思ったら、全身数カ所に打撲痕と、何かはわからないが割と大きな獣の咬傷があり、その咬傷が膿んで発熱していた。何故すぐに私のところに来なかったのかと叱ると、何故かぶるぶる震え出した。確かにこの間八つ当たりで痛い目にあわせたけど、命に別状ないようちゃんと加減したんだから、そんなに怖がらなくてもいいのに)にしばらく付き添っていた為、その間にどういう経緯があったものか私にはわからないが、恐らく午前中に何かあったのは間違いない。

 

 そういえばその日、江戸川の看病からようやく執務室に戻った際(この期間、虎丸の食事係は教官にお願いしていた。暴れたら二度と私が来ないと脅したら大人しくしたらしいけど、飯が不味いとずっとぼやいていたそうだ)、ドアの前で富樫に声をかけられ、桃が来ていないかと訊ねられたが、何か関係があるのだろうか。

 あの子、また何かしたの?

 

 それはそれとして、二号生筆頭というと、例の3年前の一号生大量傷害事件の加害者の筈。

 そんなの呼び戻して大丈夫なのだろうか。

 まあ事務員でしかない私の目にも、本来なら上の者には逆らえない筈のこの男塾におけるパワーバランスが、逆転してきているのがわかるので、二号生のテコ入れをはかるための処置であろうけど。

 ていうか3年間も停学食らってたやつが今更戻って来るかどうかすら怪しいけれど。

 

 しかしまあそんなわけで今日、久しぶりに虎丸のところに顔を出した後、二号寮(二号生の寮は塾敷地内にあり、その為か管理人を置かず塾生が自分たちで管理するに任せている)に清掃を行う為に向かっていたら、ほぼ遅刻寸前のタイミングで、校門から松尾、田沢、極小路の3人が飛び込んできた……のだが。

 

「!?…あ、あなた方!

 なんて格好で登校して来るんですか〜〜!!!!!」

 下半身は指定の下着のみの姿の彼らを見て、私は思わず叫んでしまった。

 一応花も恥じらう18手前の生娘には、いささか刺激が強すぎる。

 いや、対外的には男だけど。

 

 ☆☆☆

 

 そんな刺激的な朝の出来事は思考の外に追いやり、『赤石剛次』を入れる部屋の清掃を終えた私は、その報告の為に塾長室のドアをノックした。

 私が埃と格闘している間、この部屋を使う事になる男は早くも一号生たちと小競り合いを起こしていたようで、一通りの被害の後、遂に筆頭の桃が立ち向かった(基本的に彼は仲間思いなんだと思う)時に塾長が割って入り、戦うなら金取って観客の前で戦えという提案をして、決戦は一週間後だという。

 それらの事を私に、ここにたどり着くまでに会った塾生全員が、わざわざ呼び止めて教えてくれた。

 おかげで本来なら10分もかからない距離を歩いてきたのに移動にトータルで40分近くかかったのは一応内緒にしておこうと思う。

 

「入るが良い。」「失礼いたします。」

 挨拶をしてドアを開け、一礼する。

 顔を上げると、塾長の机の真ん前に、平均的にデカブツ揃いの塾生の中でも(この場合江戸川は数に入れない事にする。彼を入れてしまうとそもそもの平均値がおかしくなるので)一際大きい、多分2メートル近くはあるだろう銀髪の男が立っていた。

 この男が赤石剛次に違いない。

 

 だがこの男、その大きさと銀髪だけでも充分目立つのに、体型のバランスがまた異様だった。

 少なく見積もっても私の3本ぶん以上はあるであろう太い腕。

 脚も、太ももの一番太い部分は私のウエストより太い。

 腰回りも腰骨自体が大きいのであろう、私なら確実に2人は入れる。

 幼少期から、当たり前に重い得物を扱ってきた事、容易に想像がつく体型だ。

 それにこの男、強い。確実に。

 桃も強い…のだろうが、恐らくは強さの方向性が違う。

 戦ったらどっちが勝つかは、やってみなければわからないだろう。

 

 そこまで一瞬にして考えたところで、『赤石剛次』が何故か、驚いたような顔で私を見ている事に気がついた。

 

「……橘っ!?」

「!?」

 知らない名前で呼びかけられ、私が驚いて固まった瞬間、長い足がほんの二歩で距離を詰め、大きな左手が私の肩を掴んだ。

 

「いや…そんなわけがなかった。だが…。」

 私の顔をじっと見て、訳のわからない事を呟く『赤石』。

 体格差がありすぎて、距離を詰められただけでも覆いかぶさるような形になり、とてつもない圧迫感に襲われる。

 …瞬間的に理不尽な怒りが湧いて、私は自分の肩を掴んでいる赤石の左手首を自分の右手で掴むと、ごく微弱な『氣』を撃ち込んで、強制的に五指全部を開かせた。

 これをやると数十分の間は物が握れなくなる上、肘までつったような痛みがそれ以上に続くが知ったことではない。

 

「…っ!?」

 そうして赤石が一瞬驚いた隙に、私は詰められた距離を離し、塾長の側まで駆け寄った。

 

「てめえ…今、何をしやがった!?」

 指が開いたままつっている左腕を押さえながら、赤石が私を睨みつける。

 

「いきなり人に摑みかかる不躾な手を、退けさせていただいただけですが。」

 …まあしかし、摑みかかられた事よりも単にデカい事の方に腹を立てたのは事実だから、本当に時間いっぱい苦痛を持続させるのは自分でも若干酷い気がしてきた。

 注意しながらもう一度歩み寄ると、今度は肘の方に指を触れ、同じ量の『氣』を撃ち込んで、解除する。

 与えられた時と同じように痛みが突然消えた事に、赤石は再び驚いた表情を浮かべ、指を動かせる事を確認し始めた。

 

「二号生筆頭、赤石剛次。

 部屋の清掃は済んでいます。これが鍵です。」

 私は彼に話しかけながら、グーパーしてるパーのタイミングで、その手の中に部屋の鍵を、無造作に落とし込む。

 

「わかっているとは思いますが、寮建物内での抜刀は原則禁止です。

 案内は要りませんね?それでは失礼します。」

 私がやった事とはいえ、これ以上は関わりたくない。

 一礼してから入ってきたドアの方に向かう。

 一瞬チラッと見えた塾長の顔がニヤニヤ笑っていたが意味など気にしない事にしよう。

 

「待て!……てめえの名を聞かせろ。」

 若干イラっとしつつ私は立ち止まると、もう一度振り返って赤石の目を見据えた。

 そうだな。ここは塾長の威を借りることにしよう。

 乱暴に扱われるのは御免こうむる。

 

「…江田島光と申します。

 事務員と塾長秘書を務めさせていただいております。」

「……江田島だと?てめえは塾長の」

「いかにも、こやつはわしの息子。

 何か不審な点でもあるか、赤石よ?」

 赤石の問いに、私が答えるより先に塾長が答える。

 赤石は塾長に向き直ると、フッと笑った。

 

「…息子、ですか。

 自慢じゃありませんが、俺は目はいい方でしてね。

 …こいつは女だ。違いますか。」

「………!?」

 あまりにもあっさり言い切られて驚く。

 桃も初対面で違和感は覚えたそうだが、確信に至ったのは後になってからだった筈だ。

 

「ほう。よく見破ったのう。」

「塾長!」

 しかも塾長も、バレたらあっさり認めるし。

 もう少し粘れや。

 

「そして大方、貴方の娘ですらないでしょう。

 俺の知り合いに、こいつによく似た顔の男がいた。

 そいつは、生き別れた双子の妹を探していた。

 名前は、光。……偶然ですか?」

 赤石に問われ、塾長は私と赤石を交互に見てから、私に向かって言った。

 

「ふむ…光?

 この先の話、わしは聞かぬ方が良いかな?」

 …この人は、いくら何でも私に甘すぎやしないだろうか。

 ここに自身の子で通しているのは、知己を手にかけようとした犯罪者で、自分の事は何ひとつ話さない、得体の知れない女である事、忘れているわけではないだろうに。

 

「いえ、居ていただいた方が心強いです。

 この人と二人きりにさせられるのは遠慮したいですし、そもそも私自身、そう言われてもまったく、なんの心当たりもありませんので。」

 私がそう言うと、赤石は睨むように私を見た。

 

「…男の名は橘 薫。この名に聞き覚えは?」

 たちばな、かおる。心の中で反芻する。

 少し考えてから、私は答えた。

 

「ありません。…思い出せません。」

「思い出せない、だと?」

「はい。10か11くらいまでの事ならば、遡って思い出せますが、少なくともそれ以降の記憶の中にはない名前です。」

 私の一番古い記憶は孤戮闘の中だ。

 それ以降の事ならば、近い記憶故に鮮明に覚えている。

 …正直その『たちばなかおる』という名前、聞いた瞬間少しだけ、心の奥に何か引っかかるものはあったが、記憶の糸を手繰り寄せても、何も引き寄せられては来なかった。

 

「…なるほど。その男の名、橘と申すか。

 貴様も味わったであろう。

 こやつが使うのは橘流氣操術という、古い治療術から発展した技でな。

 本来橘の血族の者しか知り得ぬものよ。

 こやつ自身が知らぬというのでそれ以上追求はせなんだが、身内と思われる者の名が橘なら、やはり最初に思うた通り、こやつが橘の末裔である可能性が濃くなったわ。」

 塾長が勝手に何事か納得し、赤石が続ける。

 

「奴が、妹と別れたのは11歳半の頃だと言っていた。

 重篤な病を抱えていて、その莫大な手術費用の為に、妹はどこかの金持ちに売られたと。」

 売られた…もしそれが本当に私ならば、買ったのは、『御前』以外には考えられないのだが、そもそも自分がどういう経緯で『御前』の元に来たのか、そんな事は考えもしなかった。

 

「それはわしではないわい。

 そんな金があるなら、この貧乏塾の経営にアタマを抱えてはおらん。

 そもそもこやつを引き取ったのは今年に入ってからでな。」

「それを聞いて安心しました。

 どうも、奴を殺したのがその金持ちの関係者のようなので。

 仇をとってやると約束したので、そうであったなら、貴方に刃を向けねばならなくなる。」

 私が考え込んでいる間にも、塾長と赤石の会話が続く。

 そこにどうも、物騒な事実が入ってきた。

 

「殺された?その方は亡くなったのですか?」

「…直接の死因は心臓発作だ。

 手術はしたものの完治はしなかったようで、すぐに死ぬ事はないまでも、強いショックを受けたり、激しい運動がそもそも出来ない身体だった。

 妹の行方の手がかりが掴めそうだと、それを知る人間に会いに行くと言って…俺が遅れてそこに行った時、奴の首を何者かが締めてる最中だった。

 寸でで阻止したが、奴の心臓が保たず、そのまま…。」

 …彼は私を『買った』人間が、その人の死に何らかの形で関わっていると考えているようだが、聞いた限りで私が判断するに、『御前』配下の仕事にしてはあまりにもお粗末だ。

 まあ、その『仕事』に失敗してここにいる私が言える事じゃないし、その人が亡くなった原因になってるのがどうも私らしい事を考えると、余計な事は言わない方がいい気がするが。

 

 それにしても…私の、兄?

 そう言われてもまったくピンと来ない。

 

「犯人は取り逃がしたが、橘の身元引受人である、奴の死んだ両親の顧問弁護士が、それ以来行方不明だ。

 恐らく、何らかの事情を知ってやがるに違いない。

 だがそれよりも、橘は妹の行方を追って殺された。

 …奴が言うには、手がかりを知ってる男は、奴を人違いで『姉さん』と呼んだそうだ。」

 どきん。心臓がいきなり跳ねる。

 

「!………その、橘という方は、私と似ていたのですね?」

 考えられる事が、ひとつ。

 私を『姉さん』と呼ぶ人間は1人しか居ない。

 だけど、まさか、そんな。

 

「顔だけならそっくりだった。

 髪は今のおまえより長かったし、タッパはさすがにもう少しあったがな。

 …その顔は、心当たりがあるな?言え!」

 赤石にとって、亡くなった人は友であったのだろう。

 彼にしてみれば、その妹である筈の私が、犯人と思われる人物を庇っているように見えて、それが腹立たしいのはわかる。だが…。

 

「…申し上げられません。」

「何だと!?」

 私にとっては知らない人であり、これから先会うこともない人なのだ。

 その辺の意識の違いが、私と赤石の間に大きな隔たりを生んでいて、だけど現時点で少し頭に血が上っている彼に、そこを理解して貰えそうにない。

 

「赤石剛次。

 あなたは大事な戦いを控えている身の筈です。

 それまで身を休めていてください。

 終わった頃には今の質問に、何らかの形で返答させていただきます。

 …その時点であなたが生きていれば、ですけど。」

 だから、その頭に上った血を利用するような形で、違う方向に挑発する。

 

「下らねえ事をほざくな。

 この俺が、あんな一号のヤサ男に。」

「桃を…剣を舐めてかからない方がいいですよ。

 私が見る限り、あの子は常に何か、切り札を隠し持っている。

 それをそもそもあなた相手に出してくるかは、その時にならないとわかりませんけれど。」

 桃のいつも浮かべている余裕の笑みが頭に浮かぶ。

『俺を信じろ』という声と、穏やかで心地いい『氣』を同時に思い出す。

 それがこの荒ぶる、抜き身の刀みたいな男相手に、どう戦うのかわからないけど。

 そもそも私はまだ、桃の戦うところをまともに見た事がない。

 まあ、それはこの男にしても同様だ。

 

「チッ…いいだろう。

 あの剣とかいうガキをぶった斬ったら、必ず聞かせてもらうぞ。忘れんな。」

 抜き身の刀…うん、自分自身でいい表現をした。

 まさにそれだ。

 常に研ぎ澄まされ、ギラギラ光って、触れるもの全てを斬らんとする。

 けれど、本当の名刀は鞘に納まっているものなのだ。

 

 ・・・

 

「フッ。おぬしもいい度胸をしておる。

 おなごの身であの赤石を前にして、一歩も引かぬどころか、挑発までしてのけるとはな。」

 赤石が退室した後、ほうっと息を吐いた私に、塾長がニヤニヤ笑いながら言う。

 その笑い顔に向けて、私は先ほどから考えていた事を切り出した。

 

「…塾長。外出許可をいただけないでしょうか。

 できれば7月2日、殺シアム開催の当日に。」

 この日なら、事前に準備さえしておけば私の仕事は特にはあるまい。

 

「んー?」

「自身の、咎人としての身の上を忘れたわけではありません。

 ありえない事を言っているのもわかっています。

 …ですが、確かめたい事があるのです。」

 自分が誰かなんて、考えた事はなかった。

 考える必要もなかった。

 けれど赤石の言葉が、私の心に波を立てた。

 もっとも、確かめてしまえば、その波が収まるどころか、そこに沈んでしまうに違いない事も、よくわかっていたけれど。

 それでもいつかは、決着をつけなければいけない事だ。

 

「それは、今の赤石の話に関わりのある事だな?

 ならば許可は出せんな。」

 そう言われると思った。

 けど、一応礼儀として確認しただけで、反対されたなら勝手に行こうとも思っていた。だが、

 

「どこに何を確かめに行くかは敢えて聞かぬが、行くのならば、殺シアムの試合が終わった後日、赤石を伴って行くがよい。

 それが筋というものだし、そうでなければ許可は出せん。」

 意外にも、『その日以外』と『同行者あり』の条件であっさり許可が下りてしまった。あれ?

 

「フフフ、わしが男塾塾長江田島平八である!」

 …桃に対しても思った事だが、この人の目も、一体どこまで見えているんだろう。




「抜き身の刀」のくだりは映画「椿三十郎」からのパクリ。
関係ないけど個人的にはあの話を「原作『日日平安』」とは言って欲しくない。


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3・愛ゆえに狂おしい嘆きの天使たち

 書き終えて、封をした手紙を、塾から出す郵便物の中に混ぜる。

 こうしておけば午後には回収に来て、明後日の午前中には無事に配送されるだろう。

 内容は、一見すると単なる時節の挨拶と、書いた側の他愛のない近況報告程度。

 だが受け取った相手だけはそこに、別な意味を読み取ってくれるだろう。

 子供同士の遊びが、まさかこんな事の役に立つなんて。

 

「殺シアム」開催まで、あと4日。

 

 ☆☆☆

 

 その「殺シアム」は、途中まではなかなかに見応えのある試合だった…などというのは、実際には衆人環視の中での殺し合いに対して、いささか不謹慎に過ぎるだろうか。

 途中まで、というのは、防戦一方に見えながら一撃必殺のチャンスをうかがっていた桃の戦いに富樫が割って入り、どこから持ってきたか知らない拳銃を赤石に向かって発砲して、いいところに水を差したからだ。

 とはいえあれによって赤石の『俺は目はいい方だ』という言葉が、ハッタリではなくむしろ謙遜だった事実を見せつけられる事になった。

 弾丸の軌道を見切れる動体視力とか普通に人間業じゃないし、それを一刀両断できる剣技も同様だ。

 だが桃の方も只者じゃなかった。

 というか、私の目にはどう見ても、彼が全力で戦っているように見えなかった。

 最後には赤石の太刀筋を見切った桃の刀が、とどめに向かってきた赤石の懐に入り、その胸を切り裂いた。

 

「全治3ヶ月、富樫の借りはピッたし返したぜ。」

 血まみれの顔で桃が言いながら、いつもの余裕の笑みを浮かべる。

 だが悪い。

 あくまで私の都合だが3ヶ月も待てない。

 その富樫が、胸に仕込んだ鶏のお陰で無傷だったわけだから、あなたが負わせた赤石の怪我を、私が今晩にでも治してしまう事を許してほしい。

 

 ・・・

 

「…また、怪しげな術を使いやがるぜ。

 だが一応、礼だけは言っといてやる。」

 全治3ヶ月の筈の胸の傷が綺麗に塞がったのを目の当たりにして、何故だか呆れたように赤石が言う。

 

「別に構いません。

 あなたに長く寝ていられては困る事情がありまして。

 今晩大人しく寝ていてくれたら、明日の朝には普通に動いて大丈夫です。

 なので明日は私に付き合って、行って欲しい場所があります。」

 本当は一人で行きたいけど、情報源を蔑ろにするわけにはいかない。

 それが筋だと塾長に言われた。

 

「待て。てめえには試合の後、話を聞かせてもらう約束だった筈だ。」

 その最大限の譲歩に対し、赤石が噛み付く。

 私は彼の顔の前に指を広げ、少し脅すように言った。

 

「私の返答は『何らかの形で』と言った筈ですよ、赤石。

 その為にも、是非お付き合いください。

 ちなみに、塾長の許可は頂いてます。」

 

 ☆☆☆

 

「…なんだ、その格好は。」

 校門の裏口で待ち合わせて、顔を合わせた瞬間に、赤石が問う。

 私の服装は、メイクこそ年齢相応に清楚に施してあるが、首相暗殺未遂の際に身につけていた着物。

 正直、本来の私の年齢には大人っぽ過ぎるのだが、今手元にある私服は幸さんが持ってきてくれた3枚の和服のみであり、その中で借り物でないのはこれだけだ。

 恐らくは返せないであろう着物を借りていくわけにはいかない。

 この着物に短髪だとちょっとかっこ悪いので、結い髪にするのに(かもじ)は借りたけど。

 

「私としては、二人で出かけるのに、あなたのその服装こそなんなんだと思いますけどね。

 せっかくのデートなんですから、もう少しなんとかなりませんか?」

「デッ………!?」

 塾敷地内で身につけている改造制服のままの赤石に、仕返しとして軽口を叩くと、赤石が少しだけ顔を赤くして絶句する。

 ふふん、デカい図体でそれ以上にデカい態度の割には、可愛いところもあるではないか。

 

「冗談です。

 私としては、塾長に迷惑がかかる可能性を考えて、制服は止そうと思いまして。

 何せ特徴がありますからね、あの制服は。

 まああなたの場合、そこまで改造してあれば、コスプレと思われはしても、男塾の制服だとは判断されないでしょう。

 …行きますよ、赤石。」

「…どこへ行くつもりだ。」

 歩き出す私の背中に、赤石が問いかける。

 

「恐らくは、私にとっての死地へ。」

 私がそう答えると、赤石は私を睨むように見据えた。

 

「何だと?」

 その赤石の目をまっすぐに見返し、私は彼に、懇願する形で言った。

 

「お願いがあります、赤石。

 あなたは何もせず、何も聞かず、一部始終を見届けてください。

 あなたの知りたい真実は、恐らくはその過程で手に入ります。

 ですから…もし私が死んだら、私の事は見捨てて、あなたはその場を立ち去ってください。

 …いいですね、約束ですよ。」

 懇願の形をとっていながら、ほぼ命令だったけれど。

 

 ・・・

 

 約束の場所に着くと、もう夕方だった。

 既に待っていた背の高い人影が振り返る。

 

「お久しぶりです、豪くん。

 ……で、間違いないですか?」

 まだ2人とも子供だった頃、戯れに考えた、2人だけに通じる暗号。

 それを見てここに来た者が、本人である事は疑いようがないのだけれど。

 つい確認してしまったのは、目の前に現れたその男が、私の記憶にある少年の姿と、どうしてもイメージが一致してくれなかったからだ。

 私とて、彼がいつまでも11才の少年のままではいないと、ちゃんと理解はしていたつもりだ。

 しかし…多分桃と同じくらいはあるだろう長身で、だけど胸板は遥かに厚く、腕も首も太い。

 癖の強かった頭髪は短く刈りそろえられて、長めに残した揉み上げがその片鱗を窺わせるのみ。

 

 むしろそこは何故残したと思わなくもないが、今は気にしている時じゃない。

 

 丸みを帯びていた頬も肉が削ぎ落とされ、愛らしさが精悍さに取って代わられている。

 濃い眉と長い睫毛に縁取られた、どこか寂しさと孤独を感じさせる瞳だけは、辛うじてそのままだったけれど。

 

「光姉さん…生きていたんだな。」

 低い声が、懐かしげに答える。

 隣で赤石が息をのむ気配がしたが、私は構わず言葉を返した。

 

「見違えましたよ。

 大きくなりましたね、随分逞しくなりました。」

 どうやら確かに、ここに現れたこの男が、私の「おとうと」である事に間違いはないようだ。

「御前」…藤堂財閥総帥・藤堂兵衛。

 彼はその五男、藤堂豪毅。

 現時点で、「御前」側の人間で唯一、私が信用できると踏んだ男。

 最後に会ってからそろそろ5年近く経つが、未だに私を「姉さん」と呼んでくれるようだ。

 

「その男は?」

「見届け人、といったところでしょうか。

 空気だと思っていてください。

 …私が、首相の暗殺に失敗した件は御存知でしたか?」

「何!?」

 その私の問いには、豪毅よりも先に赤石が反応した。

 そういや言う必要もなかったから言ってなかったな、私が暗殺者だということを。

 

「…黙っていなさい。何も聞かない約束ですよ。」

 軽く睨みながら言うと、赤石は小さく舌打ちして引き下がった。

 うむ、もう少し躾けてから連れて来たかったが、時間が足りなかった。仕方ない。

 

「帰国してすぐに聞いた。

 だから、俺は姉さんを探していた。」

 やはり知っていたか。まあ普通に想定内だ。そして。

 

「それは『御前』の命令で、私を始末する為ですね?」

 そう言った私の言葉に、豪毅は激しくかぶりを振る。

 

「違う!

 俺は姉さんを、親父より先に見つけるつもりだった。

 任務に失敗した姉さんを、親父が許すとは思えなかったからだ。

 …俺が必ず守る。そう決めた。」

 そう考えると思っていたのだ。

 一緒に暮らしていたあの頃、この子は私を慕いすぎていた。

 私の見る限りだが5人の兄弟たちの中で、「御前」に一番素質を買われていたとはいえ、上の兄たちがもっと遅くに出された修行に11歳の時点で出されたのは、半分は私と引き離す目的でもあったろう。

 

「…何故?」

 だけど、判りきっている事を、わざと確認する。

 お互いの立場を、認識させる為に。

 

「何故、とは?」

「『御前』の命令は絶対でしょう。

 あの時の私にとっても、今のあなたにとっても。

 私を匿ったりしたら、あなたは『御前』の命令に背く事になる。

 それは決して、あってはならない事。」

「姉さん…しかし」

 何か言おうとした豪毅の、その言葉を遮って、私は言葉を発する。

 時間に制限はないが、それほどのんびりもしていられまい。

 

「豪くん、あなたに確認したい事があります。

 私を探している時に、私によく似た男性に会いませんでしたか?」

 隣で赤石が再び息をのむ。当然だろう。

 その辺の豪毅の行動如何で、赤石がどう出るか決まるのだ。

 状況によっては赤石と豪毅のどちらか、或いは両方が死ぬ事態になる。

 だが私は、それは避けたいと考えていた。

 

「…会った。

 てっきり姉さんだと思って呼びかけたら、人違いだったが…自分と似た顔の女を探していると言っていた。」

「てめえが………っ!!!」

 豪毅の言葉の途中で、赤石が背中に右腕を回す。

 どうやら刀を背中に隠しているらしい。

 

「何もするなと言っています!

 黙って見ていなさい!」

 鋭く斬りつけるように言葉で制する。

 

「………クッ!」

 赤石が忌々しげに喉の奥で唸った。

 まったく血の気の多い事だ。

 

「…続けてください。」

 私が促すと、豪毅が小さく頷いて、再び口を開いた。

 

「俺は手を引けと言った。

 姉さんの状況を話す訳にはいかなかったが、一般人が下手に踏み込めば、無事でいられるとも思えなかったし…何よりあいつは姉さんに似過ぎていた。

 下手に近づけば、俺が間違えたように、人違いで消される可能性がある。

 そうして立ち去ろうとしたら、あいつは自分の連絡先を書いたメモを、俺に渡してきた。」

 その辺の情報は、赤石から聞いて知っている。

 今のところ双方の情報に矛盾はない。

 だが、ここからだ。

 

「それを、どうしました?」

「連絡するつもりはなかったから捨てようと思ったが…そこに書かれている緊急連絡先のひとつが、親父の息がかかった弁護士の番号だった。

 それが気になって、その弁護士に連絡をして、奴のことを聞いた。

 …奴が姉さんの双子の兄だと、その時に知った。

 アメリカで暮らしていたものが、何故か2年前に帰国したので、親父の命令で、姉さんと接触させない為に監視しているのだと言っていた。」

 もともと監視の目的で送り込まれたというなら、両親の生前の顧問だったというのも嘘だったのだろう。

 兄が高校に通い、更にその間の生活を過不足なく営める程度にあったという両親の現金遺産も、その嘘の為に「御前」が出したものであったに違いない。

 恐らく「御前」は、私と血縁関係のある者とを接触させる事で、私に人としての感情が戻る事を警戒したのだろう。

 私は「御前」に、それなりに手放したくないとは思われていたのか。

 不謹慎だが、少しだけ嬉しくなる。

 

「この人の話だと、兄は心臓の病気の手術の為にアメリカに行き、両親の死後、そのまましばらくそこで暮らしていたそうです。

 そして、その手術の費用の為に、両親は私を『売った』のだと。

 という事は、兄の手術費用を出したのは『御前』という事になりますね。」

 その目的は、間違いなく私だ。

 正確にはその時点で既に扱えたであろう、私のこの力。

 塾長は「橘流氣操術」と仰っていた。

 

「てめえら、さっきから言うその『御前』ってのは誰だ!いい加減…」

 と、それまで黙って聞いていた赤石が突然吠える。

 これまではなんとか抑え付けていたが、そろそろ臨界を迎えたようだ。

 

「…どうやら、強制的に黙らせた方が良さそうですね。」

 私は赤石に手を伸ばすと、指先からの氣の針を、赤石の喉と、四肢の関節に撃ち込んだ。

 

「…!!?……、………!」

 これで1時間は、喋る事も動く事もできない。

 最初からこうしておけば良かった。

 

「騒がせて申し訳ありません、豪くん。

 …それで、その後は?

 私の兄は、亡くなったそうです。

 恐らくは、あなたと接触した事実を危険視した何者かに襲われて。

 豪くんには、その犯人の心当たりがありますか?」

 私の問いに、豪毅が頷く。

 

「知っている。

 手を下したのは弁護士だ。しかも独断でな。

 俺が奴を訪ねた時、奴は事務所に片腕になって戻ってきた。」

 …そういえば赤石が、「腕一本ぶった斬っただけで、取り逃がした」と言っていた気がする。

 

「独断で?

 でしたらその男、彼に引き渡していただく訳にはいきませんか?

 私は兄を知りませんが、彼にとっては友であったそうです。

 どうか、仇を取らせてあげてください。」

 豪毅は兄の死のきっかけにはなったかもしれないものの、手を下してはいない。

 それどころか、命の心配をして遠ざけようとすらした。

 私が確認したかったのはそこなのだ。

 豪毅が、私の兄の仇であるのか否か。

 そうでない事がわかった今、赤石と豪毅の2人が、殺し合いをする事態は避けられたと言っていい。

 後はその弁護士を引き渡してくれれば、赤石は満足する筈だ。

 してもらわなければ困る。

 

「その必要はない。

 奴は親父の命令で、既に俺が始末した。」

 だが豪毅の言葉に、私の隣で動けずにいる赤石が、驚いた表情を浮かべる。

 

「…なるほど。

 行方不明というのは、そういう事でしたか。

 了解しました。

 あなたは、私に嘘はつかないですよね。

 信用しますよ。」

 これは豪毅に対してより、赤石に対する牽制だ。

 この件の後、彼を探す事、殺す事の必要がない事を、暗に強調する。

 

「姉さん、俺と来い。今の俺なら姉さんを守れる。

 …必ず、俺が守ってやる。」

「さっきも言ったでしょう。

『御前』の命令は絶対です。

 私を始末する命令を、あなたは受けている筈。

 今、私はここに居ます。

 どうすべきか、わかりますよね?」

 一緒に暮らしていた頃は、特に何の感情も抱かずに接していたつもりだ。

 けれど実際には、私は彼の存在に慰められていて。

 本来なら兄が占めていたのであろう場所に、彼が居てくれたから私は、心を完全に無くさずに済んだのだ。今思えば。

 豪毅は確かに私の「おとうと」だった。

 私は「姉さん」だから、「おとうと」を守らなければいけない。

 この子に私を守らせては、いけない。

 

「姉さん…!」

 豪毅が、信じられないものを見る目で私を見る。

 何故だか赤石までが同じような表情を浮かべている。

 その赤石に視線を移し、一瞬笑いかけてやってから、私は再び豪毅に向き直った。

 

「ただし、彼はこのまま帰してあげてください。

 彼に施した拘束は、あと一時間もすれば血流とともに解けます。

 その間に私を殺して、あなたは『御前』のもとに遺骸を持ち帰ればいい。

 さっきから煩いので仕方なく拘束しましたが、元々この人とは、全てを見届けてそのまま帰れと、最初から約束をしています。」

 そう言ったら赤石に、ものすごい目で睨まれたけれど、知ったことか。

 

「姉…さん。」

「刀を抜きなさい、豪毅!

 でなければ、私があなたを殺します!」

 言いながら、豪毅の懐近くまで入り込む。

 だが恐らくは触れるのは不可能。

 少し殺傷力が落ちる飛ばし攻撃で氣の針を放つ。

 

「うっ!!?」

 天性の勘なのだろう、豪毅はほぼ反射的に首を捻って、目には見えていない筈の私の攻撃を避けた。

 首筋に一筋、赤い線が走る。

 そこにじわりと血が滲んだ。

 

「…よく避けましたね。でも次はない。」

「本気か…姉さん。」

 豪毅の、長い睫毛に囲まれた瞳が、哀しげな色を映す。

 それは最後に会った日に見たのと同じ。

 

 まったく…泣き虫ですね、豪くんは。

 こんなに大きくなったのに、そういうところはちっとも変わらないんだから。

 

「忘れましたか?

 私は『御前』の育てた暗殺者です。

 間合いに入れたら、その瞬間が最後ですよ。

 …さあ、抜きなさい。豪毅。」

「姉さん……光。」

 すらり。

 豪毅は、ずっと手にしていた太刀をようやく抜いて、構えた。

 堂に入った構えだ。

 私と離れた後、相当の修行をしたに違いない。

 ただ、あくまで私の見解でしかないが、現段階ならばきっと、桃と戦えば桃が勝つ。

 でもそれは仮定の話。

 今、彼と向き合っているのは、桃ではなく私だ。

 

「それでいい。

 死にたくなければ、私を殺すしかない。」

 どうせいつかは、「御前」の刺客に討たれるのならば、私は豪毅の手にかかって死にたい。

 

 

「う……おおおぉぉぉぉ───っ!」

 と、少なくとも1時間は声も手も足も出せない筈の赤石が、大きく吠えた。

 

「!?」

 向き合っていた私と豪毅が、存在すら忘れていたそちらに一瞬目を奪われる。

 赤石は神がかった速さで背中の刀を抜き放つと、豪毅に向かってそれを振り抜いた。

 

「一文字流奥義・烈風剣!!!!!」

 大きく攻撃的な氣が、風圧となって豪毅を襲う。

 

「くっ!!」

 それにより豪毅が体制を崩し、私との間合いから瞬間外れた。

 その瞬間、太い腕が私を捕らえ、踏みしめていた地面が足から離れた。

 

「きゃ……!!!?」

「来い!」

 気付けば私は赤石に横抱きに抱えられ、対峙していた場所から連れ去られていた。

 見上げた薄曇りの夜空に、刀のような三日月が浮かんでいた。

 

 ☆☆☆

 

 赤石は私を抱えたまま全力疾走して、どこをどう走ってきたものか、夜の街中、やや人通りの多い交差点に差し掛かったところで、ようやく私を下ろした。

 さすがに呼吸を乱し、肩で息をする。

 

「おい、いい加減答えろ!

 あいつは一体誰だ!?『御前』ってな何者だ!!」

 私の氣による拘束を自力で破った男が怒鳴る。

 私はどうやらこの男を、相当見くびっていたようだ。

 

「お答えできません!

 どうして約束を破ったんですか!?」

「あの状況で動かねえ奴は男じゃねえ!

 てめえは俺に、男をやめろってのか!?」

「約束を破るのは男としていいんですか!」

「うるせえ!てめえは女だ!

 女はおとなしく男に守られて、好きな男のガキでも生んでろ!」

「意味がわかりません!

 なんでそうなるんですか!」

「女には女の幸せがある!

 死ぬのは男に任せてりゃいいって言ってんだ!!」

 気付けば私たちの言い合いに、通りすがりの人がみんな振り返る。

 …うん、大柄な改造学生服の銀髪男と、小柄な和服の女が大声で怒鳴りあってるんだから、そりゃ確かに目立つだろう。

 2人してその、はたから見ると異様な光景に気づき、赤石が声のトーンを落とす。

 

「…てめえ、自分が死ぬ事であいつを守ろうとしたんだろうが…あいつだけじゃねえ、俺の事もだ。違うか?」

 赤石に問われ、私は溜息をひとつ吐いて、答える。

 

「…あなた方男と違って、私は感情に任せた無駄死にはしません。」

「何だと?」

「女だって、出産で死ぬ事がありますよ。

 そして、母親の命と引き換えに生まれた子も、誰も育ててくれなければ、そのまま死にます。

 母親の方が生き残っていれば、その先も生きていけるのに。

 それは無駄死にです。

 あなたの言う女だって、それと同じですよ。

 誰かが守らなければいけないくらい弱いなら、その守ってくれる人がいなくなった後、どうやって生きていけって言うんです?

 無責任です、そんなの。私は違います。

 私が母親なら、極力生きて子を守りますが、命の危険があれば子を諦めて自分が生きます。

 でもこの場合、私が守るべき人は私より強い。

 その場を生き抜けさえすれば、その後は自分で生きていってくれる。彼も、あなたも。

 私なんかが生き残るより、よっぽど理に適っています。」

 私の言葉に、赤石が私を睨んだまま、何か言いたげに口を開く。

 が、私はそれを制して言葉を続けた。

 

「私はね、赤石。

 子供の頃から、人を殺してきました。

 子供のうちは、子供である事を、ある程度成長してからは、女である事を武器にして。

 飼い主の意のまま、男の習性を利用して、その男を何人も手にかけてきたんですよ?

 あなた方、男の考えることなんて、ちゃあんとわかってるんです。

 …あの子は、『御前』に逆らっても私を守ろうとする。

 私を連れて、逃げてすらくれる。

 けど、そのうち逃げきれなくなって、最後には二人とも殺される。

 あの子なら死の間際に言うでしょうね。

 姉さんと一緒に死ねるなら本望だ、と。

 けど私は嫌です。一緒に死ぬなんて。

 そのくらいなら私が死んであの子が生きてくれた方がいい。

 あの子が私を殺して、私の骸を土産に『御前』のもとへ帰るのが、一番いい。

 飼い主が飼い犬を庇って死ぬなんて、笑い話にもなりゃしません。

 それが一番の選択なんです。

 なんの問題もない。」

 だが私の言葉を聞き、赤石が突然私の両肩を、その大きな手で掴んだ。

 そのまま私の背後の建物の壁に、私を押し付ける。

 

「痛いです赤石!離してください!!」

「問題大ありだ馬鹿野郎!!

 てめえは飼い犬じゃねえ!

 俺もあいつもてめえも、同じ人間だ!!」

 …この男は何を言っているのだろう。

 私が人殺しであると、今聞いたばかりだろうに。

 私たちはお互いの目を見据えたまま、そのままの状態で暫し固まっていた。が、

 

「…ついて来い。見せてえ(モン)がある。」

 赤石はゆっくりと私の肩から手を離すと、大きな背中を私に向けて、歩き出した。




この時点での豪毅には若干甘さがあります。
兄貴全員ぶった斬った後、師匠を奥義奪ってぶっ殺したのはこの後日のお話。


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4・哀しみ胸に閉じ込めるなら

書いてたらこの回メッチャ長くなってたけど、分割したらまた中途半端になりそうなのでこのままいく。
後悔はしているが反省はしていない←だから、だめだろ


「…ここは?」

「橘の…てめえの兄貴の住んでた家だ。

 親が残したモンらしいから、てめえも売られる前にはここに住んでいた筈だ。

 見覚えはあるか?」

 大人しく俺の後をついてきた橘の妹…光を、主人のいない家の中に促す。

 鍵は、死んだ時に身につけていた奴の遺品が、警察から返ってきた際に、俺が受け取ったままだ。

 誰に返しゃいいのかもわからなかったし、奴の死の手がかりを見つける為に何度か入った事もある。

 何も掴めなかったが。

 だが、唯一の肉親を見つけた以上、いずれはこいつに返すべきかもしれねえ。

 

「…ある、気がします。

 なんとなくですけど、あの壁の染みとか。

 …中を、見て回っても?」

 さっきまで俺に食ってかかっていやがったやつと、同一人物とは思えねえようなしおらしい顔で、光が俺を見上げて問いかける。

 

「その為に連れてきた。好きなだけ…何だ?」

 ふと、小さな手が、俺に向かって伸ばされた。

 こいつの手は武器だ。一瞬警戒する。だが、

 

「手を…申し訳ありませんが、手を繋いでいてもらえますか?

 自分でも意味がわかりませんが、何か…怖い。」

 ガキか。

 思わず言いそうになった言葉を、慌てて飲み込む。

 見返した顔が、何故か泣きそうな表情を浮かべていたからだ。

 …さっきから様子がおかしいと思っていたが、その表情で悟る。

 こいつは今、ここで暮らしていた頃、恐らくは11歳半の少女の頃に、気持ちが戻りかけているのだ。

 巻き戻る時間に引き込まれそうになるのを、懸命に踏みとどまっている。

 そしてここにあるものの中で、こいつの『いま』の時間の中にあるものは、俺の存在しかない。

 

「…いいだろう。」

「ありがとうございます、赤石。」

 伸ばされた手を軽く握ると、それは俺の手の中に、すっぽり収まって見えなくなる。

 俺を見上げる不安げな顔が、少しだけ安心したように、微笑んだ。

 

 ・・・

 

「ここは、子供部屋のようだな。

 恐らくは、てめえと暮らしていた時のまま、あいつが残しておいたもんだろう。」

 パステルカラーというやつだろうか。

 柔らかい青を基調とした壁紙の、俺にはどうにも居心地の悪い色彩の部屋。

 古ぼけた子供用の図鑑やら、科学空想系の絵本などが並んだ本棚の上に、赤い車の模型が2つ置かれており、その1つを、光が手に取った。

 

「これは…。」

「車の玩具か。

 あいつが遊んでいたものだろうな。」

 所謂プラスチックモデルというやつだろう。

 よく見れば子供が組み立てたのだろうとわかる荒い接着面から、はみ出た接着剤の乾いた欠片が覗いている。

 一応はタイヤは動くし、ドアも開けられる作りのようだが、俺などが触れば壊してしまいそうだ。

 

「いえ…これ、多分ですが私のものです。

 懐かしいというか…手に馴染みます。

 というか、この部屋、私の部屋だったような気がします。」

 言われて部屋の隅まで見渡してみても、女が好むような人形やぬいぐるみなどの、可愛らしいものは1つも見当たらない。

 この部屋がこいつの部屋だというだけで、こいつがここに住んでいた間、どんな育てられ方をしたのかわかる気がした。

 こいつはここで、女である事を必要とされていなかったのだ。

 恐らくは例の「橘流氣操術」とやらを、代々伝える家系だったのだろう。

 本来ならそれを受け継ぐ筈の長男にそれが不可能だとわかった時から、こいつは「守る者」として生きる事を余儀なくされた。

 伝統を、家族を。それは本来なら男の役割だ。

 そうして兄を守りきった末に「御前」とやらに買い取られ、初めて女としての自身を必要とされたのが、人を殺す為であったというのなら、それはなんという皮肉であることか。

 そこまで考えたものの俺はそれらを一切口に出さず、

 

「ふん…てめえらしいといえば、らしいかもしれねえな。」

 とだけ呟いた。

 

 

 その宿命から逃れても「守る」という意識だけは消えず、こいつにとって自身に属する者を守る事は、息をするくらいに当たり前の事なのだろう。

 だがな、てめえを守りたい男にしてみりゃ、それは屈辱だぞ。

 俺はこの時初めて、こいつが『豪くん』と呼んでいた男に同情した。

 

 

「……桜の木。」

 居間を通り抜け、縁側から庭に出ると、草ぼうぼうの庭の真ん中に、確かに木が一本生えているのが見えた。

 

「桜?あの木か。

 花が咲いていねえから、わからなかった。」

 何気なく口に出した言葉に、何故か橘の笑顔が、引きずられるように脳裏に浮かぶ。

 

『一年中咲く桜があるんですか?

 へえ…見てみたいなぁ。』

『てめえにゃ無理だ。

 男塾の校庭にある木だからな。』

『残念。オレ、桜って好きなんですよ。

 子供の頃ね、妹が…』

 

「散った花びらを…地面に落ちる前に受け止められたら、願いが…叶うんだよって。」

「…!?」

 今思い出していたあいつの話を、目の前の妹が、ぽつりと呟くように語り始める。

 いつもの可愛げのない、つっけんどんな敬語ではなく、まるで子供みたいな口調で。

 …いや、今のこいつは本当に子供なのだろう。

 

「だから、いっぱい取ろうとしたの。

 元気になって欲しかったから。

 でも、手を伸ばしたら花びらは逃げて、全部地面に落ちちゃう。

 そしたら、『自分から取りに行くんじゃなく、手の中に落ちてくるのを待つんだよ』って…。」

 

『あ、でもそれはあくまで、花びらの捕まえ方ね。

 これって思った人間関係は、やっぱ、自分から捕まえに行かないと。

 だからこうして、剛次さんとも、運命的に出会えたわけだし。』

『気色悪い事言ってんじゃねえよ!』

『えー、剛次さん、つれなーいwww

 …でも、今隣にいた人だって、明日には居なくて、二度と会えないかもしれないし。

 後悔とか、したくないですからね。

 だから、好きなものは好きだし、欲しいものは欲しいって言うんです。オレは。』

 

「思い……出した。なんで忘れていたの…。

 お兄ちゃん……!!」

  繋いだままの手が、ぶるぶる震える。

 少し強めに握ってやると、不安げな顔が俺を見上げた。

 

「ねえ、お兄ちゃんほんとに死んじゃったの?

 ほんとに、もうどこにも居ないの?

 もう………二度と、会えないの………?」

「…ああ。」

 

『春は毎年来るけど、咲く花にしてみれば、その年の春はその時だけだ。

 だから、散り落ちるその瞬間まで、精一杯咲き誇る。

 桜は、オレの理想の生き方そのものです。』

 

 あいつが死んだあの夜は桜が薫っていた。

 自身が好きだと言った、桜の花の季節に、その香りの中、奴は逝った。17歳の若さで。

 

 俺の肯定に光が俯き、唇を噛みしめる。

 俺はその小さな頭を掴むと、強引に上向かせて、言った。

 

「…………泣け。」

「え?」

「我慢する事ぁねえ。泣け。てめえは女だ。

 あいつの為にも、てめえ自身の為にも、今は泣きたいだけ泣け。」

 女は悲しい時には泣くもんだろう。

 涙を堪えて先に進むのは男の仕事だ。

 ガキの時分にどっちも求められて、自分はどっちに傾くべきか判らなくなってんだろうが、ならせめて、泣きたい男の代わりに泣くがいい。

 

「…泣き顔を見られんのが嫌なら、俺は背中を向けていてやる。」

 顔を見られたくないのは、どちらかというと俺の方だったのかもしれねえ。

 俺は掴んでいた光の頭を離すと、そのまま背を向けた。と、

 

「……!!?」

 不意に、背中に温かく、柔らかいものがしがみついてきた。

 

「ごめ…なさい……でも、背中……貸して…っ……!」

 …俺の背中で、その温かいものが弾かれたように慟哭した。

 それでいい。泣きたいだけ泣けばいい。

 あいつの為、てめえ自身の為、そして…俺の代わりに。

 

 ・・・

 

「赤石。」

 背中から、温かい感触が離れたと同時に、呼びかけられる。

 

「…なんだ?」

「帰りましょう、男塾へ。

 今日は一日中付き合わせてしまって、申し訳ありませんでした。」

 …どうやら11歳半の少女から、実年齢の時間に戻ってきたようだ。

 泣いた事が気まずいのか、俯き加減の顔の、頬が少し赤い。

 まったく可愛げのねえ女だと思っていたが、こうして見ると少しだけ可愛く見える。

 …って、何を考えてんだ、俺は。

 

「フン。

 そう思うんなら、今度いい酒の一本でも持ってくるんだな。」

 何だかこいつの顔をまともに見ていられなくて、俺は明後日の方向に視線を泳がせながら応じる。

 さっきまで泣いていた女が、俺の言葉にクスッと笑うのが聞こえた。

 

「今日のことを、口外しないでいただけるのでしたら、3本は用意させていただきますよ。

 良ければそれで、桃と和解してください。」

 生意気な事を言いやがる。

 口外するなと言うが、てめえは肝心な事は何一つ言いやがらねえだろうが。

 だが、その提案は魅力的だな。

 

「余計なお世話だ、ガキが。

 …まあいいだろう。

 いい酒だとてめえが選んできたものを話のネタにして、それをツマミにヤツと酌み交わすのも悪かねえ。」

「あら、信用がないんですね。

 私だってお酒の事、少しはわかりますってば。

 ていうか…私は桃よりも年上なんですがね。」

「ああ…橘とは双子だったな、そういや。

 あんまりちっこいんで、忘れてた。」

「ちっこいとか言うな!

 あなたと比べたら誰だって小さいでしょう!」

 そのちっこい身体で俺に食ってかかる心臓は褒めてやる。

 もっとも、さっきあの男と対峙していた様子から見て、本気になればこいつは、俺くらい躊躇もなく殺しにかかってくるのだろうが。

 

 

「あ、ちょっと待って。確か…ここだ。」

 突然光が、桜の樹に歩み寄り、その幹の下にしゃがみ込んだ。

 そうしてそこに転がっている大きな石を、躊躇なくひっくり返す。

 

 …普通、女はそういうの、嫌がるもんなんじゃねえのか。

 というか、和服姿の女がする事じゃねえ。

 

 ひっくり返した石の下からは、湿気のある場所を好む虫がわらわらと出て…来なかった。

 そこは石で組まれた、明らかに人工的に作られた隙間というか穴が開いており、光はその中に手を突っ込むと、青っぽいビニール袋に包まれた何かを、その穴から引っ張り出した。

 

「ん?……なんだ、それは。」

 ビニールを外すと、中から出てきたのは2冊の、子供用の学習用ノート(所謂ジャ◯ニカ学習帳。分類は『じゆうちょう』とある)だった。

 

「…父が、私に教える為に、古文書を現代語に直して纏めたものです。

『橘流氣操術』と、その禁忌を記した『裏橘』の書。

 どちらも今は、全て私の頭の中に入っています。

 だから、これは誰かの目に触れる前に、私の手で焼却処分します。

 そういう約束でした。

 その前にこの家を離れざるを得なかったので、隠すしかできませんでしたが、ようやく果たす事ができます。」

 そう言うと、どこか切なげに、光はそれを抱きしめる。

 

「てめえ…記憶が」

 俺の呟きにこくりと頷いて、光は言葉を続けた。

 

「父は、兄の病気が発覚した時点で、兄の命を諦めていました。

 だから本来なら兄が受け継ぐ筈の一族の秘術を、まだ幼い私に教え込みました。

 私は10歳になるかならないかで、その全ての技を修めた。

 本来ならいつ尽きていてもおかしくなかった兄の命を、それから2年弱、繋ぎ止めたのは、この私です。」

 恐らく父親は、この女に自身の宿命を納得させる為に、兄の命をダシに使ったに違いない。

 理由が理由だけにこいつは必死になった筈だ。

 もっともその親にしても、こいつがそこまでの速さですべての技を習得する事になるとは思っていなかったのだろうが。

 その点では棚ボタというか、結果的にこいつが天才だったのだろう。

 橘のやつがもし健康で、同じ修行をしたとしても、同じ結果にはならなかったろうから。

 

「御前…私の飼い主が、いつ私を見つけたのか、それはわかりません。

 ですが、父が兄の命を諦めた事に不満のあった母に、私を寄越せば兄の手術費用を出してやると、話を持ちかけたのは間違いないようです。

 両親がそのように言い争いをしているのを、何度か見ました。

 私は兄と離れるのが嫌だったからそう言ったら、『兄さんを助けたくないのか』『お前は人でなしだ』と母に詰られ、父が母に手を上げるのも見ました。

 飼い主の元へは、母に連れられて行きました。

 そこで…人を殺す事を学び、それ以外の事は、全て忘れました。

 己の感情はなく、飼い主の意のままに、証拠も残さず人を殺す暗殺者。

 それが、私です。」

 飼い主にとってのこいつの価値は、人を殺す力。

 僅か11歳半の少女の身に、課せられたそれは、なんと重い宿命だったことか。

 温かい記憶など忘れきらなければ、到底耐えきれるものではなかったろう。

 

「以前塾長は私に、力そのものに善悪はないとおっしゃいました。

 ですが私はその力に、罪を与えてしまった気がします。

 受け継いだのが、私だったばかりに。」

「そんなもんは、てめえの責任でもなんでもねえ。

 何もかも、大人の都合だ。」

 聞いていて胸糞が悪くなり、俺は思わず吐き捨てるように言い放つ。

 

「…似たような事を、てめえの兄貴も言っていたがな。

 生き延びた事が罪だが、生きてるからには責任取らなきゃいけねえんだと。

 本当に…てめえらは似てる。そっくりだ。」

 違うのは、あいつはそれを笑って言った事くらい。

 あいつの心の強さは、しなやかさだった。

 こいつは違う。

 心が壊れないよう、固く覆って隠す事で、それを守っている。

 内側は恐らく、儚く脆い。

 

「だが橘は、自分の力が及ばねえ事に、他人を頼る事を恐れなかった。

 てめえもそうしろ。

 生きてる責任が重てえてんなら、誰かに一緒に持ってもらやいい。

 …俺の手がまた必要なら言え。貸してやる。」

 気がつけば俺は、自分でも気持ちが悪いと思う事を口にしていた。

 どうやら兄だけでなく妹にまで、俺は完全に絆されたようだ。

 そして兄の時と同じように、俺はそれを不快に思ってはいない。

 まったく…どうかしている。

 

 ・・・

 

 時間はもう真夜中。男塾の正門前。

 

「あなたは先に入っていてください。

 私はこの格好で、正門から堂々と入る訳には参りませんので、あとで裏門から入ります。」

 馬鹿か貴様は。

 普通は男が、女を送り届けるもんだろうが。

 こうなると分かってりゃ先に裏門から回ったものを。

 

「…まさか、このまま行方を眩ましやしねえだろうな?」

 少しだけ悔し紛れに、俺はその目を睨みつける。

 

「しませんよ。

 豪くんが…彼が言っていたでしょう?

 私はもとの飼い主から、命を狙われているんです。

 単独でどこへとも逃げ回るより、ここにいた方が安全ですから。」

 その俺の視線に怯むでもなく、軽く肩を竦めて、おどけて答える。だが、

 

「…その言い方は二度とするな、光。」

「…は?」

 さっきしたのと同じように、頭を掴んで上向かせる。

 何を言われたのかわからなかったのであろう、光はきょとんとした目で、俺を見返した。

 

「さっきも言ったが、てめえは犬じゃねえ、人間だ。

 今までも、これから先もだ。それを忘れんな。」

 当たり前の事を言っているだけなのに、光の目が驚いたように見開かれる。

 

「…何か、文句でもあるのか?」

 黙ったまま何も答えない事に、若干イラッとして俺が問うと、その口角がゆっくり、笑みの形に上げられた。

 

「いいえ……赤石は、優しいんですね。」

「…!く、くだらねえ事言ってんじゃねえ…!!」

「フフッ…今日はありがとうございます。

 おやすみなさい、赤石。」

 光が小さく手を振るのに、答えず俺は背を向けた。

 校門をくぐると、季節外れの桜が薫った。

 あいつが見たいと言っていた桜。

 あの時は俺とて、二度と見ることはないと思っていた。

 春と違って満開ではなく、夏はこの枝、秋ならここと、一部の枝に花が咲くような形。

 その花が、風に揺れて、花びらを散らす。

 不意に橘の満面の笑顔が、その光景に重なった。

 さっき別れた顔と同じで、それでも全然違う顔。

 そうだ、てめえの妹は、まだそんな風には笑わねえな。

 少なくとも俺は見たことがねえ。

 いつか見る事があるんだろうか。

 

 ☆☆☆

 

「押忍、光。」

 いつも通り、執務室で雑務をこなしていたら、桃がまたやって来た。

「殺シアム」で彼が負った怪我は、一番大きな胸の傷自体がそれほどの重傷でもなかった為、私は手当てを施していない。

 ので、あちこちに包帯やら絆創膏が目立っているが、男塾仕様の応急処置は信用できる。まあ大丈夫だろう。

 

「おはようございます、桃。今日は何か?」

「特にないが、何か手伝うことは?」

 彼のこれは、授業をサボる口実でしかない事はそろそろ判ってきているので逃げ道を塞ぐ。

 

「ありません。授業を受けてきてください。」

 そのまますげなく執務室から追い出そうとしたら、桃は私の顔を覗き込んで、少しだけ探るような眼差しを私に向け、言った。

 

「で、赤石先輩とのデートは楽しかったか?」

 …一瞬何を言われたのかわからなかったが、昨日自分でも赤石に、同じような冗談を言った事を思い出して、苦笑する。

 うん、とりあえず乗っておこう。

 

「…おや、どうして知ってるんですか?」

「俺は聞いただけだけどな。

 一昨日俺との決闘で全治3ヶ月の重傷を負った筈の赤石が昨日、和服を着た美人と歩いてたって。

 傷に関しては、そんな事が出来るのはおまえくらいだろうし。

 連れの女がおまえかどうかは、今聞くまで確証はなかったが。」

「所謂、カマをかけたというやつですか。

 残念ながらデートではありません。

 最初から話すと長くなるんで端折りますが、赤石に付き添って貰って兄弟に会ってきただけです。」

 …嘘は言っていない。

 

「兄弟?」

「正確には義理の弟と、死んだ兄です。

 詳しく話す気はありません。

 もういいでしょう。ほら、授業に遅れますよ。」

 正確には、もう始業のチャイムが鳴っているので既に遅れているけれど。

 多分、本人もわかっているのだろう。

 

「でもおまえ、なんか雰囲気変わったぜ。

 なんていうか…少し、綺麗になった。

 もしそれが赤石のおかげだというのなら、少し妬けるな。」

「…相変わらず気色の悪いことを言いますね、あなたは。」

 一応、確認すべき事は確認したが、私が依然、命を狙われたままという事実に変わりはない。

 という事は、私はまだまだ男でいなければいけないという事だ。

 事実を知っているとはいえ、女を見る目で私を見るのはやめてほしい。

 …とはいえ、椿山の時のような特殊なケースもないではないので、男だからいいという事でもないのか。難しい。

 

「フフフ、そうか?だが本当だ。」

「変わったというなら、幾らか吹っ切れたものがあるからでしょう。

 …それは多分、赤石だけじゃなく塾長や…桃、あなたのお陰でもあると思いますよ。」

 けど、そういう関心から離れた、純粋な好意や思いやりが、彼らの中に存在するのも事実で。

 以前なら、それを感じるたびに、身の置き所がわからなくなって、逃げ出したくなったものだけど。

 

「俺の?」

「ええ。以前言ってくれましたよね?

 私の事も、仲間だって。

 昨日、赤石に言われた事があって、それによってあなたのその言葉が、いきなりストンと腑に落ちたんです。

 だからじゃないでしょうか。」

 

『生きてる責任が重てえてんなら、誰かに一緒に持ってもらやいい。

 …俺の手がまた必要なら言え。貸してやる。』

『おまえに頼られて嫌な顔する奴なんか居やしないさ。

 …まずは、俺を信じろ。』

 

 ここの男たちは、優しすぎる。

 けれど、今はその優しさが、素直に嬉しい。

 なんて事を考えていたら、

 

「…ふうん。だとしたら、やはり妬けるな。

 なあ光、今度、俺ともデートしてくれないか?」

 と、もう一度顔を覗き込んで、桃が言った。

 

「デートじゃないと言った筈ですけどね。

 でも、いいですよ?」

 さっきの冗談の続きならば、まだ乗っておく事にする。

 それなのに当の桃は、一瞬目を見開いて黙り込んでから、少し驚いたように言った。

 

「いいのか?

 絶対に断られると思っていたんだが。」

「私も、あなたは絶対に本気じゃないと思っていましたが。」

 私の言葉に、何故か挑戦的に微笑んで、桃が答える。

 

「フッフフ、それでも約束はしたぞ。

 どこに行きたいか決めておいてくれ。」

「あら、あなたが誘ったんですから、プランはあなたが考えてくださいよ。

 ちなみに、女の『あなたに任せる』は『どこでもいい』という意味ではなく、『あなたのエスコート能力を見極めさせてもらう』の意味ですからね。

 将来、これはと思う女性と付き合う時の、参考にしてください。」

 どうやら、交際経験というジャンルに関しては、私に軍配が上がったらしい。

 もっとも、私の過去の「交際相手」は、上流階級の大人の男性ばかりだったから、エスコート能力で十代の男の子が敵うわけがない。

 そのうち一人として、今現在まで生きている者はいないけど。

 

「なるほど、よくわかった。

 …ところで、なんか珍しいもんがあるな。」

 言われるとは思っていた。

 私の執務室にあるソファーの前のローテーブルは、天板はアクリル板だが下にもう一枚オーク材の板との2枚仕立てになっており、間にディスプレイ品が置ける形のもので、今はそこに、2台の赤い車の模型を配置してある。

 昨日赤石に連れられて行った兄の家から、隠しておいた秘伝書と共に持ち帰ってきたものだ。

 

「これですか。

 どうやら私は子供の頃、車が好きだったようです。

 見ていると懐かしい気がして、兄の家から持ってきました。」

 記憶が完全に戻ったわけではない。

 思い出せたのはほんの断片だが、親戚のおじさんとかいう人に、欲しい玩具を買ってあげると言われて、私が選んだのがこの2台の模型だった。

 …というか、今気付いたのだが、あの時のおじさんが、今思えば御前だったような気がする。

 …いや、止そう。考えるな。

 

「スーパーカーブームの頃だろう。

 俺も好きだった。」

 桃が、言いながら、天板の下から、その小さな車を出して、掌に乗せる。

 

「特にこの、フェラーリ365GT4ベルリネッタ・ボクサー、この世で最も美しく官能的な車で、今でも俺の憧れだ。」

 桃が言うのに対抗して、私ももうひとつを手に取る。

 

「私はこっちが好きです。

 ランボルギーニ・カウンタック。

 この、車を超えた、美しいデザイン、もはや芸術の域でしょう。」

 同じ時に買ってもらって同じように組み立てて、若干カウンタックの方が痛みが激しいのは、やはり当時も気に入っていたのがこっちだったからだろう。

 …それはそれとして、桃だとすっぽり掌に乗るのに、私が同じようにするとはみ出して、同じ縮尺なのになんかものすごく大きく見える。

 泣くもんか。

 

「あと、あの当時人気だったのは、ポルシェ・ターボやロータス・ヨーロッパかな。」

「その辺はあんまり好きじゃなかった筈です。

 今は知りませんが、当時はカエルみたいな顔とか思っていましたから。」

「顔、ねえ…。」

「…でも意外です。

 あなたがこんな話題に乗ってくれるなんて。」

「俺にだって子供の頃はあったんだぜ?」

「きっと、相当かわいげのない子供だったんでしょうね…。」

「しみじみ言うな。」

 いつもより軽口の応酬が何故か心地いい。

 

「…やっぱりおまえ、いい方に変わったと思うぞ。

 少なくとも一昨日会った時点では、まさかおまえとスーパーカーの話ができるとは思っていなかったからな。」

 けど、いつまでもこうしているわけにもいくまい。

 私は事務員、相手は塾生だ。

 

「そうですね。楽しかったですよ、桃。

 はい、雑談は終わりです。

 授業は始まっていますから、今から行って潔く鬼ヒゲ教官に怒られてきなさい。」

 彼の手からベルリネッタ・ボクサーを回収し、カウンタックと一緒にまたディスプレイスペースに戻してから、私は桃の背中を両手で押した。

 

「フフッ、まったく厳しいことだ。」

 抵抗せずに入口付近まで私に押し出されながら、桃が少しだけ私を振り返る。

 その顔を見上げた時、小さな違和感を覚えた。

 

「あ、ちょっと待って。ここ、何か…?」

「ん?」

 桃の顎の下、真正面から見れば辛うじて隠れているくらいの位置に、何か白いものが付着している。

 指でつまんで取ってやり、正体を目で確かめて…それが何か理解した瞬間、思わず吹き出した。

 

「…ぶふっ!

 やだちょっと、歯磨き粉の欠片ですよ、これ。

 付けたままここまで来たんですか!?あなたが!?」

「え?本当か?」

 さすがに慌てたような表情をする桃に、更に笑いがこみ上げてくる。

 まずい、止まらない。

 

「本当ですって。

 くくっ…もう、子供じゃないんですから…っ……ぷぷっ」

「フフッ……ハハハッ…」

「アハハハハ、や、やだもう、苦し…!」

 

 

 と。

 大笑いしているところに、突然巨人が現れた。

 

「邪魔するぞ、光。

 …剣か、何してんだてめえ。」

 唐突に訪れた圧迫感に、笑った顔のまま固まる。

 

「赤石!お、お疲れ様です。」

「押忍、赤石先輩。

 …先輩こそ、どうしてここへ?」

 桃が問うと、問われた赤石は、親指で私を指し示した。

 

「俺はこいつに用がある。」

「ここに来たからにはそうなんでしょうね。

 用はなんですか?」

「その前にこいつを追い出せ。」

 今度は同じ指で桃を指し示す。

 

「だ、そうですよ桃。」

 私が暗に退室を促すと、なにを思ったか桃は私の肩を抱くと、自分のそばに引き寄せた。

 赤石の眼光が鋭くなる。いや怖いから。

 

「光が女だって事は俺も知ってますよ、先輩。

 なので、二人っきりにはさせられません。」

「てめえこそさっきまで二人っきりだったろうが。

 つか、手ェ離せ。

 いいか、俺の妹に手なんか出してみろ。

 その手、今度こそぶった斬ってやる。」

「ちょ、ひとの執務室で抜刀はやめ…………え?」

 なにか今、あり得ない宣言を聞いた気がするが気のせいだろうか。

 

「………妹?」

 さすがの桃も怪訝な表情を浮かべ、私の肩を抱いたまま、私と顔を見合わせる。

 

「あの…赤石?何を言って…」

「…そう言いに来た。

 てめえの兄貴の仇は、結局この手で取れなかった。

 ならせめて、その役割を俺が肩代わりしてやる。」

 ちょっと待って。その決意要りません。

 

「…いやもう、こいつ代表にした手のかかる弟みたいのがここにはたくさんいるんで、それ以上に手のかかる兄とかほんと要らないんですが…とか言っても無駄なんでしょうね。

 ありがとうございます、赤石。」

 なんか色々な意味でまた泣きそうなのは気のせいだろうか。

 赤石が、本質的には優しい人なんだという事は、昨日一日でよくわかった。

 けど、惜しむらくは、その方向性が明後日に向かっている上、血の気が多いこともあって、深く関わったら嫌な予感しかしない。

 

「用はそれだけだ。ではな。

 …剣、てめえも来い。

 どうせ授業に出る気なんざねえんだろう。

 相手してやるから、こいつを煩わせるな。

 行くぞ。」

 抜きかけた刀を背に戻しながら、赤石が桃を促してドアへ向かう。

 桃はようやく私の肩から手を離すと、軽く肩をすくめて、苦笑いした。

 

「前門の虎、後門の狼か…光、また後でな。

 デートプラン、ちゃんと考えとく。」

 これは私に対してより、赤石に対するからかいの冗談なんだろう。

 とりあえず乗っておく。

 

「はい、楽しみにしています。」

「!?貴様っ……!!」

 赤石が桃を睨みつけ、桃は飄々と、その視線を受け流した。

 いいから外でやれ。

 

 ・・・

 

「…俺が入る前、なんの話をしていた?」

「はい?」

「俺も付き合いが長いわけじゃねえが、あいつの笑い声なんざ初めて聞いたぞ。

 どうやって笑わしたんだ?」

「ああ、あれね。

 朝、寝坊して急いで出てきたんで、歯磨き粉が付いてたらしいです、ここに。

 どうも、それがツボったみたいで。」

「ガキか。」

「あいつにも言われました。…で?

 兄貴になるなんて言っちゃって、いいんですか?」

「…どういう意味だ。」

「フッ、まあ、俺としてはその方がいいですけど。

 光は、いい女ですからね。」

「いい女?

 あんな、男のひとりも知らねえガキがか?」

「…いやまあ、そこのところについては、俺は知りませんけど。」

「俺は目はいい方だ。間違いねえ。

 それよりさっき、デートがどうとか言ってやがったな。

 どういうつもりだ。」

「どういうつもりと言われてもね。

 駄目元で申し込んでみたら、了解してくれただけなんで。」

「絶対に許さん。

 貴様は今ここで、俺の刀の錆にしてくれる!」




この時期の桃は、他の塾生がハチャメチャにした展開を、スッキリ纏めるのがお仕事の主人公でした。
なので、最後の一番いいトコは彼が持っていきます。
リアルタイムで読んでた時は、ちょっとズルいと思ってましたwww
そしてアタシの中では、赤石先輩はナチュラルに兄貴キャラ。

「帰ろう、男塾へ…!」というフレーズがなんか好きで、思い切ってヒロインに言わせてみたw


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音速剛拳編
1・ジェネレーション・ダイナマイト


良男のかあちゃんとか夏合宿の話は、どう頑張ってもヒロインを介入させられなかったのでスルー。
ちょっと関わってみたかったけどね良男のかあちゃん。原作のオチが完璧すぎて、ヒロイン入ったら邪魔になるだけだったよ…。


「留学生?」

 いつも通り塾長室で一緒にお弁当を食べている時に塾長が振ってきた話題は、今度米国海軍兵学校(アナポリス)から留学生を受け入れるという話だった。

 

「うむ。貴様が殺そうとした中ちゃんからの依頼でな。」

 ニヤニヤ笑いながら塾長が言う。

 うん、もうその話はやめて欲しい。

 自業自得なんだけど。

 

「貴様、英語は話せるな?」

「日常会話程度ですが。」

「うむ、充分であろう。」

 一応主要5ヶ国語、暗殺者の嗜みとして身につけた。

 ターゲットに接触する際、言葉が通じなくては文字通り話にならないから。だが、

 

「私より剣の方が、語学は堪能な気がします。

 以前図書室でシェイクスピア全集の原書を見つけて読んでいたら、私が意味がわからなくて首を捻っていた表現を、彼はあっさり解説してくれましたし。」

 意味がわかったら普通に下ネタでドン引きしたけど。

 

「そもそもあの人、苦手な事なんかあるんでしょうか。

 何をやらせても完璧な人っているんですね。」

 頭の回転も速く身体能力も優れ、恐らくは血筋もいいであろう桃。

 その上見た目もいいし性格………も、いい、方だろう。

『性格がいい』ではなく『いい性格』の方だけど、多分、根っこの部分においては悪くはない。

 時々人をからかって遊ぶ悪い癖があるが、大事な場面に於いては仲間思いのいいやつだと思ってる。

 一号生全員に慕われ頼りにされているのも道理だろう。

 

「貴様とて相当、そこに近い位置におろうが。」

「そう思っていたのですけどね。

 彼を見ていると、自信を失う事ばかりで。」

 そもそも人としての器の大きさで桃と勝負する事は諦めている。

 彼は人の上に立つ人間だ。

 私のような日陰の毒草とは違う。

 なんて事を言ったら、自身を卑下するなとまた叱られそうなんだけど。

 目の前の人もそうだけど、最近じゃ赤石にも。

 

 その赤石だが、先日の『俺の妹』宣言の後から、桃と同じくらい私の執務室に入り浸るようになった。

 まあ彼は二号生の筆頭だし、別に不自然な事ではないのだが、問題は二号生関係の細かい仕事は、相変わらず江戸川が処理しているという事だ。

 しかし、おまえは何の為の筆頭なんだと、つっこみたいがつっこめない何かがそこに存在しているのもまた事実。

 桃はなんだかんだでそれらの仕事もこなしているから、余計その対比が浮き彫りになる。

 まあそれだって、あの完璧人間と比べる方が間違ってるのかもしれないが。

 そもそも二号生、強さだけなら確かに赤石が群を抜いてるけど、人望は江戸川の方があるんじゃないかって気がするし。

 同じ「筆頭」でも、桃と赤石では求められるもの自体が違うかもしれない。

 その桃たち一号生が、つい昨日まで夏合宿で不在だった間、赤石は完全に私の執務室のヌシみたいになっていた。

 何だか急に部屋が狭くなったと文句を言ったら、

 

「てめえがチビなんだからちょうどいいだろうが。」

 などと言われた。バカ兄貴滅べ。

 てゆーかコイツ居るだけで威圧感が凄すぎて、ピーコちゃんが鳴かなくなっている気がするのだがこれは動物虐待じゃないだろうか。

 なんぼなんでもかわいそうなので次からは、赤石が居る間は私の私室の方に入れてやる事にしよう。

 ピーコちゃんで思い出したが、夏合宿に入る前、椿山がピーコちゃんに会いに執務室に来たので、ついでにプリント折を手伝わせていたところ、そこになんの用だったか忘れたが赤石が現れて、そのだだ漏れの威圧感に明らかにビビった椿山は「用事を思い出した」と逃げ帰ってしまった。

 大量に残った仕事を仕方なく一人でちまちま片付けていたら「手伝ってやろうか」と言われて、

 

「その太い指じゃ鶴も折れないでしょう。」

 と断ったら不機嫌になったので、

 

「じゃあ折ってみてください!」

 と反故紙を数枚渡したところ、物凄い形相で何だかわからないモノを折り始め、その時点で腹筋に深刻なダメージを負った。

 更にそこに二号生の課外活動のレポートをまとめて持ってきた江戸川が現れ、その鬼気迫る光景に若干ビビりつつも赤石に何をしているのか尋ねてきて、私が「鶴を折らせている」と答えると、赤石に渡した反故紙の一枚を取り、赤石よりも更に太く大きな指をちまちまと器用に動かして、一羽の綺麗な鶴を折りあげたのを見て、そしてそれを見た赤石の苦虫を噛み潰したような顔を見て、遂に完全に決壊した私はその時本気で笑い死ぬかと思った。

 結局プリント折は江戸川に手伝ってもらう事にして赤石を部屋から追い出したのだが、その時の赤石は何故かひと仕事終えたような表情を浮かべており、正直何なんだコイツと思った。

 

 …そういえばあれ以来じゃないだろうか。

 赤石が本当に頻繁に、私の執務室に入り浸るようになったのは。

 

 桃が居心地いいと言って一度座ったらなかなか離れないソファーに狭そうに腰を下ろし、長い脚を邪魔そうにテーブルに乗せた赤石の姿を思い浮かべていたら、塾長が何やら呟くのが聞こえた。

 

「なにをやらせても完璧、か…。

 かつて、そんな男がもう一人、この男塾に居た。」

「え?剣みたいな完璧超人が、他にも居たって事ですか?

 世の中、広いですね…。」

「フフフ、今頃どうしておるやら、のう…。」

 私の言葉が聞こえているのか聞こえていないのか、塾長はしみじみと独りごちた。

 

 ☆☆☆

 

 校庭では留学生の歓迎式が行われているようだったが、私は私で塾長室に呼ばれていた。

 

大威震八連制覇(だいいしんぱーれんせいは)司祭、(ワン)大人(ターレン)と申す。」

「江田島光と申します。

 よろしくお願いいたします。」

 塾長から紹介された、異様な風体の男が名乗り、私も自己紹介を返す。

 

「貴様が、『橘流氣操術』を使うという娘か。」

 とか言われたところを見ると、塾長はこの男に、粗方の事情は話してしまっているようだ。

 まあしかし、塾長がそれを是と判断したならば、それは間違いではなかろう。

 ………………………多分。

 そ、それはともかく、彼の言った大威震八連制覇という耳慣れない名称だが、何だか割と最近、どこかで見た覚えがある。

 

「今年は開催の年。

 三号生は前回と変わりないが、そちらの人員の選定は進んでおるのか。」

「まだまだ時間がかかりそうよの。

 現時点では、赤石を入れてもめぼしいのは3人しか居らぬが、赤石は恐らくは加わるまい。

 無理に従わせようと抑えつければ死ぬか、逃げる。

 どちらにせよ血を見る事となろう。

 こやつが居るお陰で、以前より丸くなってはおるようだがな。」

 …なんの話だ。

 

「ほう…全てを斬るという斬岩剣にも斬れぬものがあるという事か。

 ならばこの娘、わしに預けぬか?

 なりは小さいがこれだけの素質、ひと月も鍛えればひとかどのものになろうぞ。」

 小さいとか言うな。失礼な。

 

「ほほう、それほどの才か?

 貴様がそこまで言うならば少し興味があるが、貴様はあくまで中立でおらねばならぬ立場の筈。

 手づから鍛えればそれなりに情もわこう。

 それに、赤石と剣は、こやつが女という事を知っておる。

 こやつを戦わせる事に、納得は決してすまい。

 わしとて同じよ。

 これほどの数の男が居ながら女を戦わせる事になるなら、むしろ男塾という看板自体をおろさねばならぬわ。」

「それもそうか。つまらぬ事を言った。」

「いやいや、だが本当にどうしたものかな…。」

 男二人が、腕を組んで考え込む。

 

「…あの、塾長。

 私をお呼びになった用件はなんでしょうか?」

 呼ばれて来たらこの(ワン)とかいう男を紹介された以外、特になんの用事も言い渡されず、二人の会話を横で聞かされていただけの時間に、いい加減焦れた私が問うと、塾長は今初めて気付いたような顔をした。

 この野郎、これ絶対忘れていただろう。

 

「ああ、すまぬな。

 今日たまたまこの(ワン)が来ていたので、そろそろ顔を通しておいた方が良いかと思うたまでの事だが…うむ、白状するか。

 実は剣から頼まれておってな。」

 え?桃が?

 

「…頼まれた、とは?」

「ほとぼりが冷めるまでは、貴様を留学生どもの目に触れぬよう、引き留めておけとよ。

 先ごろわしを出し抜いた時の事といい、先の事までよく頭の回るやつよ。

 余程貴様の事が心配とみえる。」

 ニヤニヤ笑って言われた塾長の言葉に、思わず心の声が口からだだ漏れる。

 

「オカンか。」

「ん?」

「いえ何でも。

 ですが確かに、もし何かの間違いでうっかり殺してしまっては国際問題となりましょうし、確かに私は彼らと、顔を合わせない方が良さそうですね。

 そういう事でしたら、私は今日一日は、二号棟の方にでも詰めていましょう。

 赤石の近くにいれば、大抵の事は大丈夫でしょうから。

 では、これにて失礼いたします。」

 いい加減、意味のわからない会話をそばで聞き続けるのも辛くなってきた。

 深々と頭を下げてから、早々に塾長室を立ち去る。

 

「フフフ、わしが男塾塾長江田島平八である。」

 背中から、いつもの塾長の声が聞こえた。

 

 ・・・

 

「…平八よ。

 あれは、獅子身中の虫ではないのか?」

「ん?何故そう思う?」

「以前、裏の世界での噂に聞いた事がある。

 藤堂の子飼いに、暗器も毒も使わず指で人を殺せる女の暗殺者が居るとな。

 橘流氣操術という事は、その禁忌である裏橘も極めていよう。

 あの者、暗殺に失敗して貴様に捕らわれたというが、それ自体貴様に近づく為の策であったという事はないか?」

「…光の、元の飼い主が藤堂である事、とうに調べがついておる。」

「…なんと!?」

「だが、そこを隠しておること以外に、光は腹の中に、何も持ってはおらぬ。

 その出自を考えれば驚くほどに、まっさらよ。

 わしは、あれの立てた茶の味を信じる。そう決めた。

 時が来れば、いずれは話してくれようて。」

 

 ☆☆☆

 

 塾長室を辞した私は、まず虎丸の今日の食事を教官に頼んでから自分の執務室に戻って、ピーコちゃんの餌と水を替え、その籠を私室に運び入れた。

 それから、昼に塾長と一緒に食べるつもりだったお弁当を持って執務室を出る。

 ていうか、もうすぐお昼だ。

 ここに来てからほぼ毎日塾長と一緒にお昼を食べていたので、一人で食べるのは少し寂しい。

 赤石か江戸川が一緒に食べてくれないだろうか。

 …うん、無理だな。

 講堂の方が何やら騒がしいが、どうせ留学生関連で、桃が判断した事だから私は行っちゃダメなんだろう。

 聞かなかった事にして二号棟へ向かう。と、

 

「Curl!?」

「…は?」

 突然、後ろから肩を掴まれ、振り向くと身体の大きな外国人が、笑みを浮かべて私を見下ろしていた。

 留学生の一人か。せっかく桃が気を使って、真っ先にからかいの材料になりそうなチビの私を遠ざけてくれていたというのに、まさか別行動している奴に見つかるなんて。

 …と最初は思ったのだが、どうも様子がおかしい。

 

「Did you come to Japan, too?

 …Hm?Have you forgotten me?

 I'm Jack. King Butler,Jr.

(おまえも日本に来ていたのか?

 ん?俺の顔を忘れたか?

 ジャックだ。キング・バトラーJrだ)」

 

「…I think that you are confusing me with someone else,Jack.

(多分ですが人違いです、ジャック)」

 

「?……It seems to be so.

 The words of the Curl had a Boston accent, but you are slightly different.

 …However, you resemble him closely.

(そのようだな。カールの言葉にはボストン訛りがあったが、おまえは少し違う。しかし…よく似ているな)」

 

 どうやら知り合いと間違えられただけらしい。

 というか、なんだろうこのデジャビュ。

 ちょっと前にもこんな事があったような気がしてならないのだが、気のせいだろうか。

 

「…おい、そいつに触んじゃねえ。」

 と、デジャビュの正体が突然話しかけてきて、私は思わずそいつの名を呼ぶ。

 

「…赤石!」

 赤石は私の制服の襟首を無造作に掴み、まっすぐ後ろに引っ張ると、放り投げるように振り払った。

 そうしてから私と『ジャック』の間に、私を庇うように入り込む。

 勢いで尻餅をつきそうになった私の背中を、江戸川が受け止めて支えてくれた。

 お礼を言いがてら見ると、二号生全員引き連れてきたのかってくらいの人数がいる。

 …つかちょっと待て。

 二人並んだらこの外国人と赤石、目線がそう変わらないってどういう事だ。

 銀髪といい日本人離れした体格といい、赤石って実は純粋な日本人じゃないんじゃなかろうか。

 

「おもしれえモンしてるじゃねえか。

 男のアクセサリーにしては派手すぎだがな。」

 …まあ私も気にはなっていたが。

『ジャック』が指にはめている、金属製で尖った鋲のついた、殺傷力高そうなナックル。

 赤石の言葉に、『ジャック』が口を開く。

 

「このナックルはダイヤモンドよりも硬いマグナムスチールでできている。

 この世に俺の拳でぶっ壊せねえものはねえ。」

「って日本語上手すぎか!」

「黙ってろ、光。

 …ますますおもしれえ。

 俺も同じような事をカンバンにしてる。

 この世に斬れねえものはねえ、一文字流斬岩剣!!」

 いや、やめろこのバカ兄貴。

 

「どっちがハッタリ野郎か白黒つけてやろうじゃねえか。」

 赤石が刀を構え、『ジャック』がファイティングポーズを取る。

 私の後ろで江戸川以下二号生が、二人の気迫に息を呑んだ。

 二人同時…否、私が見る限り、一瞬だけ赤石の方が先に動き、『ジャック』はそれに合わせたのだと思う。

 インパクトは、刹那。

 ぶつかり合う金属音が、それより一瞬遅れて響いた、気がした。

 

 ・・・

 

「名前を教えてくれや。」

「人はJと俺を呼ぶ。」

 さっきジャックって名乗ったくせに。

 いや、それは『カール』に対してなのか。

 ジャック…Jは講堂の方にそのまま歩き始め、赤石は大人しくそれを見送った。

 …うん、確かにそれ以上追いすがる真似をすれば、却ってメンツが立たないだろう。

 

 この勝負…赤石の、負けだ。

 

 …何故だろう。

 私には関係ない事なのにちょっとだけショックなのは。

 

「なんだあ、あの野郎──っ!!

 このまま放っておいていいんですか、赤石さん!!」

 恐らくは二人のインパクトの瞬間自体が見えていなかったのだろう江戸川が的外れなコメントを発し、それと同時に、赤石の刀が砕け散った。

 

「銘刀“一文字兼正”にも打ちそこねがあったとは……!

 このままじゃ、日本から帰さねえぜ。」

 誰に言うともなく、赤石が固い声で呟いた。

 

「おい光。

 奴にインネンつけられてたんじゃねえのか。」

 折れた刀を鞘に収めながら、赤石が私を振り返る。

 

「男の姿でいる時にまで過保護にするのはやめていただけますか。

 大丈夫。人違いしただけのようです。」

「人違い、だと?」

「ええ。『カール』って呼ばれました。

 私に似た顔の男性が、どうやら兄の他にもいたみたいですね。

 しかも、アメリカに。」

 私の言葉に、赤石は怪訝な顔で少し考え込んだ後、呆れたように言った。

 

「…ひょっとして『薫』じゃねえのか?

 恐らくてめえの兄貴だ、それは。

 あいつは、5年近くボストンってトコで暮らしてたんだぞ。」

「え?……あ!」

 確かに『カールにはボストン訛りがあった』って言っていた。

 兄の知り合いだったのか、あの男。




この章はJフラグとして書くつもりだった筈が、何故か気付けば赤石メインになっていた罠。
次からはなんとか軌道修正……したいと思ってるが、うちの赤石先輩の自己主張と独占欲が思いのほか強くて生きるのが辛い。
英語部分はweblio英語翻訳アプリに訳してもらったんだけど、なんか間違ってたらすまん。


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2・孤独のHERO

Jの本名は「天より高く」の方を採用してます。
キング・バトラーって、連載時にリアルタイムで読んでた時点で、リングネームくさいと思ってたんで。パパの本名は捏造。


 キング・バトラー。

 ボクシング世界ヘビー級チャンピオン。

 本名:バート・レディング。

 俺の……父親。

 

 俺は13歳の時、父を喪った。

 宿泊したホテルで火災に巻き込まれ、父は俺を助ける為に…逝った。

 母を早くに亡くし、父ひとり子ひとりだった。

 その後は親戚の間をたらい回しにされ、その期間俺は、少し荒れた。

 何故俺を残して死んだと、父を恨む気持ちもあった。

 そして父の死に様を思い出しては、そんな気持ちを抱く自分を責めた。

 最後に母の従兄弟だというボストンの親戚のところに連れて行かれ、そこで生活を始めた頃に、そいつに出会った。

 俺より3歳年下のその日本人の少年は、こっちに来て覚えたというボストン訛りの英語で「カール」と名乗った。

 日本式の発音では「ka-o-ru」らしいが、今の家族からはそう呼ばれているからと。

 今の家族、というからには、日本人である事からも明確であるが、一緒に暮らしている一家とは血縁関係ではなかった。

 何でも心臓の手術の為にこっちに来て、入院中に実の両親が亡くなったとかで、今の家族は実の母親の友人夫婦と、その幼い娘だという。

 彼に声をかけられたのは、ボストン市内の小さな公園。

 拳で、舞い散る木の葉を打つトレーニングをしていた(半分は動きによる風圧で俺の拳をすり抜けていったが)時。

 

「You will be very strong.

 I look and understand it!

(すっごく強いでしょ?見てわかるよ!)」

 

「Sure thing.

  I am a son of King Butler.

(当然だ。俺はキング・バトラーの息子だからな)

 

「Really?I’m Curl.

 Nice to meet you,King Butler,Jr.

(マジ?オレはカール。よろしくね、キング・バトラーJr.」

 

「…My name is Jack Redding.

(俺の名はジャック・レディングだ)」

 

 そんなふうにして始まった友誼。

 カールは、人の心にすんなり入り込むような、不思議な魅力を持った少年だった。

 気付けば俺はこの少年に、誰にも言えなかった心の中の葛藤を、すんなり話してしまっていた。

 

「…そうだよね。死ぬ側はいいよ。

 後のことなんか考えなくて済むんだから。

 残された側は、思うよね。

 守るって言うなら生きて守れよって。

 一人きりで放り出すなら、一緒に死なせてくれれば良かったのにって。

 でもさ、オレ、死ぬ側の気持ちも判るんだよ。

 オレが死んでも、生きてて欲しいって、理屈じゃないんだよね。

 感情だけが、突っ走るの。

 突き詰めれば結局は『おまえのことが大好きだ』っていう感情だけが、さ。」

 これが、13歳そこそこの少年が言う台詞だろうか。

 だが、俺はこの言葉で救われた気になったものだ。

 父は俺を愛してくれた。

 気付いてみれば当たり前の事だ。

 だから、考える前に身体が、そう動いてしまった。

 俺を助けたい、ただそれだけの為に。

 そう、素直に思う事ができると、父が守ってくれたこの命、精一杯に生きようと思えた。

 

「カール、俺は、おまえが最初に呼んだ、『キング・バトラーJr』を名乗ろうと思う。」

 俺がそう言うと、カールは笑いながら、少し考えるように、言葉を返してきた。

 

「それもいいと思うけど、いきなりだと、誰も呼んでくれなくない?

 まずは『J』とでも名乗ってみれば?

 ジャックのイニシアルだけど、実際にはJrの『J』だよって感じで。」

「J、か。悪くないな。」

「うん、カッコいいと思うよ、ジャック。」

「おまえは呼ばねえのかよ!」

 そんな俺たちの交誼も、それほど長くは続かなかった。

 俺は17歳になってすぐに、アナポリスの海軍兵学校に入学する事になっていたから。

 いつか再会できる日を楽しみに、と俺たちは別れの挨拶をした。

 その時にふと気になって、守って死んだ側と守られて生き残った側、どちらの気持ちも判るという考えに、どういう経緯で至ったのか、訊ねてみた。

 カールは少し考えてから、淋しげに笑ってこう答えた。

 

「日本を離れるちょっと前に、妹…血の繋がった、双子の妹の方ね。

 それが泣きながら、オレの寝てる部屋に飛び込んできたんだよ。

『わたしの心臓をお兄ちゃんにあげる』って。

 その時、妹を養子に出す条件で、オレの手術費用を出してくれるって人がいて、でも妹はオレと離れたくないって言って、あの子なりに考えて出した答えだったんだろうね。

『わたしの心臓をお兄ちゃんにあげれば、わたしが死んじゃっても絶対に離れなくて済むでしょう』ってさ。

 その時、オレ言ったんだ。

『オレは、オレが死んでも、おまえが生きてる方がいい』って。

 …あの時の、妹の顔は、今でも忘れられないな。

 安心したような、それでいて絶望したような、どっちともつかない顔。

 結局、あれが最後に見た妹の顔だったし。」

「おい、まさか…」

「ご心配なく。妹は生きてるよ。

 オレが手術を受けられたのが、何よりの証拠だろ?

 妹は結局、どっちも生き残れる方を選択して、オレを助けてくれた。

 でも半身と別れて、オレたちはお互いに半分ずつ死んだ。

 だからだと思ってるよ。

 死んだ側生き残った側、どっちの気持ちも判るってのは、さ。」

 

 ☆☆☆

 

 赤石の言葉に、さっき会った男「J」が急に気になり出した私は、二号棟へ行くのを中止し、講堂の方に向かう事にした。

 桃にはひょっとしたら怒られるかもしれないけど、なんとなくだが直感的に、あの男が今いる留学生のリーダーである気がしたし、ならばあの男は、他の留学生がもし私にちょっかいをかけようとしても、それは止めてくれるような気がした。

 

「ひ、光──っ!」

 私が講堂に入ると、一号生のみんなが私に駆け寄ってきて、一斉に富樫と田沢と松尾が負傷していると報告してきて、そうなった状況も詳しく説明してくれた。

 リングに立っている桃が、こっちを見て軽く眉を顰めた気がするけど気にしない事にする。

 

 ・・・

 

「ま、待ってくれJ……!!

 あ、あれはちょっと甘く見て油断しただけなんだ。」

「栄光と名誉ある米国海軍兵学校(アナポリス)の名を汚した罪は重い。

 いいわけは聞かん。体で償え。」

 そう言ってJは、丸く整列させた他の留学生たちの、先頭に一撃食らわせる。

 その最初の男が倒れた、頭のその先に次の男の頭があり、次々と倒れていく留学生たち。

 つまりはひどく暴力的な人間ドミノ倒しの様相を呈していたわけだ。

 …ある程度身長が揃っていないとできない芸当だと思うけどな、これ。

 

「ばかどもが………!!」

 その倒れた仲間たちを睨む目で見下ろして、吐き捨てるようにJが呟く。

 さっき、『カール』に話しかけていた時は、あんなに穏やかに微笑んでいたのに。

 赤石といいこのJといい、私の兄は、獰猛な獣をおとなしくさせるフェロモンでも出してたんだろうか?

 まあ、私も似たような事を言われた事があるが。

 豪毅が修業に出されてすぐの頃に私が護身術を習いに行っていた師範が、御前に依頼されて世界中から集めてきた闘士たちの中にいた、狼使いの男に。

 

『嬢ちゃんは狼を怖がらんのじゃな。

 狼も何故か嬢ちゃんには懐くしのう。』

 などと言われたが、私は正直狼よりも、この男の顔の方がよっぽど怖いと思っていた。

 もっとも怖いのは顔だけで、本質的には気のいい男だったのだけれど。

 まあそんな事は今はどうでもいい。

 

 リング上ではJのパフォーマンスの後、桃とJの試合が始まった。

 先ほど赤石の刀を折った拳(とはいえ、あれは基本的にはボクシングの『カウンター』ではないかと思う。相手の攻撃の力をも利用して瞬間的に大きな破壊力を得る、ボクシングの高等テクニック。つまりは赤石自身の強さがなければ、本人はうち損ねと言ってはいたが赤石の刀が、ああも容易く砕かれるなんて事にはなっていない筈だ!…って何を力説しているんだ私は。いずれにせよ、あの瞬間に初見である筈の赤石の攻撃が、見切られていた事実には変わりないわけだけど)が、リングを少しずつ破壊しながら桃と打ち合い、桃のグラブをも破壊する。

 そして、やっと体が温まってきた、とか言ったかと思えば、遂に桃が一撃をくらう事になった。

 こちらから見ていても、何というスピードと、パワーの乗ったパンチ。

 

「俺のパンチは、音速突き破る『マッハパンチ』。

 目で見切ろうっても見切れるもんじゃねえ。」

「フフフ、おまえの言う通りだ。

 すげえパンチだぜ。どうせ見えねえなら……。」

 桃が額のハチマキを目の上までずらし、目隠しをする。

 心眼を開く事でJの攻撃を見切ろうとする考えらしい。

 だが所詮は付け焼き刃。

 Jのフットワークに翻弄され、攻撃をくらい、桃のダメージが蓄積していく。

 とうとうJのパンチがまともに入り、桃がリング外に吹き飛ばされた時、赤石が現れた。

 桃の目隠しを真っ二つに切り裂いた後、返す刀を横に凪ぐ。

 次の瞬間、桃の両目から血が流れ出した。

 

「心眼とは目に見えぬものを心で見る事…目があると思うから、いくら目隠ししたって目で見ようとしてしまう。

 それなら目ん玉なんてねえ方がいい。」

「押忍!ごっつぁんです、先輩!」

 赤石に食ってかかろうとする松尾たちを制して、桃が微笑む。

 うん、私の見る限り、あれは瞼の皮を切っただけだ。

 今は出血で視界は塞がれていようが、それがおさまれば普通に見える筈。

 と、私のそばに立った赤石が、そのデカイ手を私の頭の上にぽんと置いた。

 あーはいはい。終わったら治療してやれって事ですね。わかりました。

 

「ここの塾は狂気の集団か…?」

「そうだ。その狂気を極めるのが俺たちの本分さ。」

 Jは一撃で勝負をつけると言ってグラブを外し、例のナックルを拳に装着すると、桃に向かって躍り掛かった。

 先ほどよりもパワーもスピードも完璧に乗ったパンチ。

 だがそれを桃はいとも容易く、最低限の身体の動きで躱すと、渾身の力で右手を振り抜いた。

 Jの身体がリング外に吹き飛ぶ。

 講堂は一号生たちの歓喜の声に包まれた。

 

 ☆☆☆

 

 校庭の樹の下で、舞い散る落ち葉を打つ。

 昔からよくやっていた、スピードを高めるトレーニングだ。

 なにせ落ち葉というのは、風の抵抗を受けやすい。

 生半可なスピードでは、拳の孕んだ風圧で、落ち葉は触れる前に拳をすり抜けてゆく。

 とはいえ今の俺ならば、ほぼ100%打ち抜く事は可能だが。

 と、後ろからパチパチと手を叩く音が聞こえて、俺はそちらを振り返った。

 

「お疲れ様です、J。

 あれだけの試合をした後でもうトレーニングなんて、随分熱心なんですね。」

 そこにいたのは、さっきの試合の前に会った、カールそっくりの男。

 塾生たちは「ヒカル」と呼んでいた筈だ。

 てっきり塾生の1人かと思っていたが職員だという。

 

「ボクシングの正式なルールでなかったとはいえ、シロウトに負けたんだ。

 俺もまだまだという事だろう。」

 いささか自嘲気味に、言葉を返す。

 そんな俺を見上げながら、少し探るような目をして、「ヒカル」が訊ねた。

 

「このトレーニングは、アメリカでは、ずっと?」

「ああ。」

「…桜の花びらを打ってみた事はありますか?」

「なに?」

「こっちに来てください。

 あなたがどうするのか、興味があります。」

 何だか判らぬままに手を引かれて、移動した先には、大きな木が、部分的に花をつけていた。

 淡いピンク色の小さな花弁が、はらはらと舞い散っている。

 アメリカではあまり見ない花だが、俺の記憶違いでなければ、これは春に咲く花ではなかっただろうか。

 

「さっきの、落ち葉と同じように打ってみてください。」

「…なかなか、難しそうだな。

 落ち葉よりも小さく軽いから、更に風の影響を受ける。」

 試しに打ってみれば、やはり落ち葉よりも多くの枚数が、俺の拳を避けるようにふわりと舞い、落ちる。

 

「…なるほど。これもいいトレーニングになりそうだ。」

「やっぱり、あなたでも全部、当てる事は難しいんですね。

 参考になりました。」

 ふわりと微笑んで、「ヒカル」が言う。

 カールとそっくりな顔だが、彼の笑い方とはやはり違う。

 

「…では、私はこれで。お邪魔しました。」

 確か日本式の礼だったろうか。

「ヒカル」は俺に向かって軽く頭を下げてから、踵を返してその場から去ろうとした。

 何故か名残惜しくて、思わず呼び止める。

 

「待て。何故、俺にこれを?」

「言ったでしょう、興味があっただけです。

 あ…ちょっと失礼。」

「ん?」

 驚くほど小さな手が、俺の頬に向かって伸びてきて、何故か指先を触れてくる。

 と、さっきの桃とかいう奴に負わされた傷が、一瞬チクリと痛んだ。

「ヒカル」はすぐに指を離すと、もう一度微かに微笑んで、今度こそ去った。

 

 

 夜になってから、頬の絆創膏を替えようと剥がしたら、不思議な事に傷がなくなっていた。

 どういう事だ?




クッ…無理だ。
どう頑張っても、Jでフラグを立てられる気がしねえ。なんという難攻不落。


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3・Blue age revolution

J編ラスト。
前半は小ネタ。デリカシーのない男ども。
後半は単なるグダグダ。
Jフラグのつもりで書き始めたのに、結局赤石と桃の補強にしかなってない罠。


 男は喧嘩して仲良くなる、という塾長の説は、まあそれが全てではなかろうが間違いではないのだろう。

 女の私には判らない世界だが。

 あの撲針愚以来、留学生と一号生は互いの力を認め合ったのか、気付けば確かにあちこちで、和気藹々とした交流が見られるようになった。

 ちなみに私に対しては、両拳を桃に潰されたコングという男の怪我を私が治療してやった時に、『どういう事だ?』『東洋の神秘だ!』と一斉に取り囲まれて怯んでいるところを桃が見つけて救出してくれて以降は特にトラブルもなく(この時助けてくれたのが桃で、本当に良かったと思っている。これが赤石だったら確実に国際問題に発展していると思うと、もう怖くて朝も起きられない…!)、彼らは私にも笑顔で挨拶してくれる。

 そんな留学期間も、あと三日で終了。

 それでホッとしたせいではないだろうが、なんだかお腹が痛いと思っていたら私の半年に一度の女祭りが始まってしまった。

 確か前回来たのが首相暗殺の指示を受ける前だったから、周期的に1ヶ月ほど早いので少し油断していた。

 ちゃんと準備はしていたから手当てに問題はないわけだが、そんな訳ですこぶる体調がよろしくない。

 普通の女性は月1でこれを繰り返しているというが、私の身体も完全に成長したらそうなるのか。

 半年に一度でもこれだけ気分が悪いのに、月1なんて考えただけで気が重くなる。

 もう富樫や赤石にチビだガキだって馬鹿にされようが子供のまんまでいいです。

 来月で18になるけど。

 そういえば御前の邸にいた時には10月手前になるとひとつ年齢を増やされたのだが、この間赤石に教えてもらった私(と兄)の誕生日は9月半ばで、あながち間違ってはいなかったのだと今更気付いた。

 お昼ご飯を食べたら鎮痛剤を飲もう。

 そう思っていたら、執務室のドアがノックされた。

 

「桃?どうぞ。」

 ここにはノックして確認してから入ってくるのが桃しかいない、そう思っていたから、自然とそう言ってしまったのだが。

 

「…失礼する。」

「え…J?」

 意外にも、ドアを開けて入室してきたのは桃ではなく、留学生のリーダーであるJだった。

 米国海軍兵学校(アナポリス)から送られてきた資料によれば身長195㎝、体重95㎏。普通にデカイ。

 とはいえ留学生の中では別に一番でもないし、最近は赤石を見慣れたせいか、このくらいの大きさならそれだけでビビる事はないけれど。

 ていうか、赤石が普段から無駄に威圧感を発し過ぎなんだと、今更ながら気がつく。

 などと考えながらつい見入ってしまったら、ん?みたいな顔をされ、慌てて居住まいを正す。

 

「…失礼しました。

 こんにちは、J。どうしました?

 傷の方はすっかりいいようですね。」

「おかげさまでな。」

 おかげさま、ときたか。

 こんなの、日本人だって若い人はなかなか言わないだろう。

 

「…本当に、日本語上手いですよね…このまま日本で生活しても、言葉で困る事とか全然なさそう。」

 私が呆気に取られて思わず呟くと、Jが頷く。

 

「その件で来た。

 俺は、このままここに入塾する。

 形の上では留学期間の延長という事で、本国には連絡済、塾長にも届け出てある。」

「…本気ですか?それはまた酔狂な…。」

 私の言葉に、Jは眉を顰める。

 

「スイキョウ?」

 どうやら彼にも、判らない言葉があったらしい。

 申し訳ないが、ちょっと安心した。

 

「あ、失礼。ええと…物好き、で判ります?」

 私の説明に、Jはここに来て初めて、唇を笑みの形に緩める。

 それは初めて会った時に見たようなものではなく、やや自嘲が加わったものだったけど。

 

「…フッ。確かにな。その通りだ。

 俺も、狂気を極めてみたいと思ってな。

 …後は細かい手続きをしなければいけないそうだが、そちらはおまえに頼めと言われた。」

「了解しました。各種手続きは私がしておきます。

 寮の手配と、制服も用意しなければ…あー制服。

 さすがにあなたのサイズ、在庫なさそうだなー…採寸しましょうか。」

「…どうすればいい?」

「ちょっとそこに立ってください。

 あ、ベストは一旦脱いでくれると助かります。」

「わかった。」

 …ところで制服は勿論だけど、ひょっとして指定下着も、私が発注しなければいけないのだろうか。

 それはちょっと遠慮したい。

 後でこっそり桃に頼んで説明してもらい、自分で発注書を書いてもらおう。

 …その、桃に頼む段階からがもう嫌だけど。

 とりあえずメジャーを持ってきて、Jの前に立つ。

 身長が判っているから、着丈は計らなくても大丈夫だろう。

 だとすれば胸囲と胴囲と肩幅、腕が太いから袖ぐりも一応測った方がいいかも。

 …そういえば赤石が制服の袖取っちゃってるの、あれ絶対に腕が太すぎるせいだよな。

 今はいいけど、冬になったらどうする気だろう。

 …どうもしない気がする。

 というか、この塾に於いて季節感というものはむしろないと考えた方が良さそうだ。

 それは、ここの象徴となっているあの校庭の桜を見ても判ることだ。

 そんな事を考えていたら、ノックの音がして、返事をしたら今度こそ桃が入ってきた。

 

「押忍。少々失礼するぞ、光。」

「桃。お疲れ様です。何かご用ですか?」

「ちょっとJにな。

 赤石先輩がおまえを探してるから、面倒なら裏口から逃げろって伝えにきた。」

 いやちょっと待て。

 

「赤石…あの銀髪の男だな。」

「ちょ、もうそれ確実に、私に赤石を引き止めておけって事ですよね?お断りします!」

 ただでさえ体調の悪い時に、そんな厄介ごとを私に押し付けるんじゃない!

 

「そう言うな。

 赤石先輩はおまえの兄貴みたいなモンだろ?

 なんだかんだでおまえには甘いしな。頼むよ。」

「兄……?」

 笑いながら私に向かって両手を合わせる桃の横で、何故かそのキーワードに反応したJが、私をじっと見つめる。

 

「あんな面倒な兄は要りません!

 人聞きの悪いこと言わないでください!」

「心配するな、光。

 桃、俺は逃げん。配慮には感謝する。」

 配慮には感謝する、ね。

 もうつっこみ疲れたけど、ほんとヘタな日本人より日本語上手いよJ。

 なんて事をやっていたら、

 

「押忍。光、邪魔するぞ。」

 と、本日の厄介ごとが入ってきた。

 ああくそ部屋が狭い。

 

「邪魔だと判ってるなら来ないでください!」

 苛立ちまぎれに手近にあったティッシュの箱を、赤石に向かってぶん投げる。

 赤石はデカイ手であっさりとそれを受け止め、放り投げるようにしてテーブルの上に置くと、軽く首を捻りながら私に向かって問いかけた。

 

「…随分と機嫌が悪ィじゃねえか。

 こいつらに何かされたのか?」

「いやひとのせいにするなし。

 というか過保護はやめてくださいと何度言えば」

 文句を言っているとデカイ手で頭を掴まれ、そのままぐりぐりと揺さぶられた。

 

「やめれ!首がもげる!」

「わかったわかった。

 文句があんなら後で聞いてやる。

 …Jと言ったな。ツラ貸せ。」

 なんか適当に流しながらJを連れて行こうとする赤石。

 それに軽くキレつつ、 私はJと赤石の間に立ち塞がった。

 

「待ちなさい赤石!まずは私の用件が先です!

 J、さっきの続きです。

 そこに立って、腕を少し上げてください。

 採寸します!」

 言いながら、さっきから持ったままだったメジャーをピシリと鳴らす。

 Jが私と赤石に交互に目をやってから、赤石に向かって問うた。

 

「…どうする?」

「……こいつの言う通りにしろ。

 俺の用件は後でいい。」

 フッ、勝った。

 

「…わかった。」

 Jが何だか呆れたように言って、私の方に向き直った。

 

「ほらな。

 なんだかんだで、光の言う事はきくんだ。

 赤石先輩は。」

「そのようだな。」

「なにをぶつぶつ言ってるんです?

 はい失礼、胸囲測りますね…っと。」

 Jの分厚い胸にメジャーを回す。

 一瞬だけ抱きつくような格好になった時、何故か男3人が揃って息を呑んだ。

 

「…ッ」「…!」「!?」

「ん?どうかしました?

 ええと、125センチ…あと、袖ぐりは…。」

 

 ・・・

 

「はい、終わり。

 じゃ、これをもとに制服、発注しますので。

 お疲れ様です、J。」

 あとは男同士、拳の友情でもなんでも好きに育んでください。

 私は私のお仕事をします。

 

「ああ。

 しかし、日本の学生が着る服と聞いていたが、女性職員も同じものを着ているとは思わなかった。」

 Jがベストに腕を通しながら、なんかあっさりとんでもない事言った。

 

「え!?」

「…はあ。」

 何故か赤石が、ため息とともに頭を抱え、

 

「やっぱりな。あれでバレると思ったぜ。」

 桃が言いながら苦笑する。

 

「ど、どういう事ですか!?」

 どこでバレたのか判らぬまま、動揺した私は若干噛みながら訊ねる。

 

「その…だな。

 さっきのは、男としては、嬉しくないわけではないが…。」

 Jが額を掻きつつ若干バツが悪そうに言いながら赤面する。

 

「は?」

「光。言おうか言うまいか迷ったんだが、おまえ今日、サラシ緩いんじゃないか?」

「えっ?」

「そうじゃねえ。

 機嫌悪ィし、微かに血の匂いもする。

 恐らくは生理中だ。

 だから胸が、いつもより張ってやがんだ。」

「ええっ?」

「あー、確かに、言われてみれば風呂で見た時より若干大きいな…。」

「ええぇっ?」

「風呂?

 おい剣、どういう事か説明してもらおうか。」

「あ、え、い、う……えぇ───っ!?」

「…ひょっとして、光が女なのは秘密だったのか?」

「一応な。とりあえず内密で頼む。」

「了解した。」

 私が驚く事しかできずにいる間に、男たちは勝手に会話を進めていた。

 てゆーか、胸とか、生理とか、風呂の話とか、そろそろ何に対して赤面すればいいかも判らぬまま、じわじわと顔が熱くなる。

 なにがなんだか判らなくなって、私は思わず叫んだ。

 

「全員出て行け───っ!!!!!」

 

 ・・・

 

 数時間後、執務室を訪ねてきた椿山が、「桃から、渡すように頼まれた」と、小さな包みを手渡してきた。

 開けてみると小さな箱に道明寺桜餅が4個入っていた。

 聞けば寮の近くの商店街にかなり古くから経営している和菓子屋さんがあるとかで、その店のものだという。

 

「光さんを怒らせたからお詫び…って言ってたんですけど、何かあったんですか?」

 って椿山が聞いてきたが曖昧に誤魔化し、せっかくなのでお茶を淹れて椿山と一個ずつ堪能した。

 お菓子に罪はない。

 残りは後で塾長か、虎丸とでも一緒に食べよう。

 久しぶりに食べたせいもあるだろうが、それはあんこの味に深みがあって繊細で、それでいてしっかり甘くて(私はお菓子に関しては甘さ控え目などというヌルい概念は必要ないと思っている)とても美味しかった。

 詳しい店の場所を椿山に教えてもらったから、今度私も行ってみよう。

 それにしても、桜餅は長命寺より道明寺の方が好きだって私、桃に一度でも言った事があっただろうか?

 なんで知ってたんだ?偶然か?

 なんでもいいけど、次会った時にお礼言おう。

 ていうか私、なんで怒ってたんだっけ?

 

 ☆☆☆

 

「俺に用とは?」

「橘 薫という男を知っているな?

 光と、同じ顔をした男だ。」

「カオル…カールの事だな。

 彼を知っているのか?やはり日本に?」

「……死んだ。」

「何だと?」

 

 ・・・

 

「つまり、光はカールの双子の妹という事か。」

「そうだ。ここでは塾長の息子だがな。」

「…何故、それを俺に?」

「てめえも、あの野郎に絆された1人かと思っただけだ。

 ならば、あいつの最期を伝えるべきだとな。」

「…そうか。感謝する。」

 

 ☆☆☆

 

 留学生たちが、Jを残して帰っていった後、私は若干思うところがあり、桃に空手の指南を受けていた。

 なんだかんだで、私は桃や赤石に心配をかけているようだし、自分の身は自分で守れるように、できる事をしていこうと思った。

 そう言ったら桃には「そういう事じゃないんだがなぁ。」と苦笑いされたが。

 でもいいんだ。

 今度塾長から、小太刀を教えてもらう事になっている。

 それがある程度形になったら、今度は赤石に相手になってもらおう。

 …そっちはそっちで、また苦虫噛み潰したような顔されるのが容易に想像つくけど。

 存分に手加減をしてもらって組手をしていたら、真新しい制服に身を包んだJがやってきた。

 私と桃の組手の様子をしばらく眺めていたJは、私に向かって、「今度は俺とスパーリングをしてみないか。」と言ってきた。

 私はボクシングの事は判らないから無理と答えると、シャドーボクシングのやり方を教えてくれ、本当に打ち合わず型だけで拳を合わせようと提案してきた。

 

「心配しなくても、そんなに激しい運動じゃない。

 心臓の悪い男にもできたトレーニングだ。」

 と言っていたが、やはりそれ兄の事なんだろうな。

 …実際にやってみたら、ボクシングのスパーリングというよりダンスを踊ってるみたいになった。

 そう思うと、さすがレディーファーストの国の軍人、リードするのが上手い。

 僅かに汗をかいたくらいのところで終了の声がかかり、そばで見ていた桃が拍手した。

 …なんとなくだが、桃との空手の組手の際には、若干掴めていなかった体捌きの感覚が、Jとのこれで少しだけ掴めた気がする。

 ボクシングって蹴りがあるわけじゃないから上半身だけが重要なんだと思ってたけど、本当に必要なのはフットワークなのかも。

 

「大変勉強になりました、J。

 ありがとうございます。」

「いや…俺の方も、懐かしい友と再会したような気がして、楽しかった。いずれまた頼む。」

「勿論ですとも!是非!」

 このトレーニングの間脱いでいた上着に袖を通しながら、Jが穏やかに微笑んだ。

 …制服の裾をはためかせて去っていくJの、大きな背中を見送っていたら、唐突に桃が右手を伸ばし、私の頬に掌を触れた。

 何事かと見上げれば、ひどく優しく、それでいて少し寂しそうな微笑みが、私を見下ろしている。

 いつもの余裕たっぷりの笑みとは違うその表情に、私が何かしたかと少し胸が痛んだ。

 

「…どうか、したんですか?」

「ん?

 フッ、光が俺の目の前で、あんまりJと仲良くするから、少し妬けた。」

 そう答えた表情は、もういつもの桃だったが…。

 

「はぐらかさないでくださいよ。

 私には言えない事ですか?」

「俺は正直に言ったぜ?

 でもそうやって心配されるのは悪くないな。」

「…もういいです。」

 そんなに信用されていないのかと、ちょっとがっかりしながら、私は桃の手を顔から離す。

 そのまま背中を向けて去ろうとしたら、突然脇を掴まれて持ち上げられた。

 

「ちょ!な、何ですか!?」

「まあいいから。

 運動した後だし、少し休憩しようぜ!」

 子供を抱くみたいに抱きかかえられ、大きな木の下に連れてこられたかと思えば、何を思ったか桃は、私を抱いたままそこに横になった。

 深呼吸しろと言われてその通りしていたら、いつの間にか眠っていた。

 相変わらず大きくて穏やかな氣は、心地よく私を包んでくれていた。

 

 ・・・

 

「の、のう。これ、どうすればええんじゃ?」

「どうって、起こして寮に連れて帰らなきゃまずいだろうが。

 光は、起こしゃ自分で帰るだろうが、桃は意外と寝起き悪いからな。」

「しっかし、二人とも、気持ちよさそうに寝ておるのう。

 なんか起こすのが悪いような…。」

「だが、何だってこんなところで、二人で昼寝してやがんだ、こいつら…?」

「ひ、光さん〜……!」




一応この話での塾生の年齢設定は、基本的には一般の高校生を基準にしてます。というか、大まかな年齢がはっきりしてるのは富樫だけで、その富樫が「3年前中学生だった」というのに合わせた形で、桃たち一号生はこの年16歳。
ただし赤石先輩とまだ未登場の伊達は、3年前の二号生と一号生の筆頭という事だけど、事件が起きたのが3月の年度末って事でひとつ足す計算。なので赤石先輩は21歳、伊達は20歳。
(学園生活編の4話でもちょっと触れてますが、富樫兄が男塾に入ってきたのは、だからこの事件後の4月になります。なので生きていれば伊達の一個下って事で、彼らの間に面識はありません。今気付いたけど富樫兄、ヒロインの一個上って事だ。笑)
あと、米国海軍兵学校(アナポリス)は入学可能年齢が17〜23歳なので、Jは最低でも17歳にはなってなきゃおかしいというのと、留学生たちのリーダーって事を考え、とりあえず赤石先輩と同年の21歳に設定。
本当は父親と同じプロボクサーになる事を夢見てたんだろうに、父親を亡くしたが故に17歳になってすぐ、授業料なし給料ありの米国海軍兵学校(アナポリス)に、ほぼ選択肢なしで入ったんだろうとか考えると泣ける。


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蠢闇胎動編
1・鋼鉄の巨人


この章は基本、サイドストーリー。一号生たちが愕怨祭の準備をしている頃、ヒロインは一足先に三号生との御対面となります。


「光。飯が済んだら、この書状を持って、天動宮に行って欲しい。貴様一人でな。」

 今日もお弁当を持って塾長室を訪ねたら、突然塾長にこう命じられた。

 

「天動宮…?」

「うむ。

 三号生の居棟にして経営事務所ともなっておる。

 場所は、校舎裏の東側だ。」

「経営事務所って…。」

「ヤツらは用心棒などを派遣する一企業として、主に政界に多くの顧客を持っておるでな。

 現在の三号生筆頭は大豪院邪鬼。

 ヤツの体制となって10年余、三号生地区は完全自治となっており、3年に一度の、大威震八連制覇以外には、ほぼ互いに干渉しあわぬという暗黙の了解ができておる。」

 なんかもう、つっこむところが多すぎてどこからつっこんでいいかも判らないのだが、とりあえず。

 

「いや、あなたが塾長ですよね?

 なんでそれ放置してるんですか?」

「うむ。ヤツらからは年に一度、敷地使用料として、三号生全員分の授業料に相当する金額が振り込まれてくるのでな。

 財政難の折、追い出すわけにもいかぬ。」

「あー……はい、理解しました。」

「フフフ、わしが男塾塾長江田島平八である。」

「言っときますけど、理解はしましたが納得はしてませんからね。

 …それはそれとして、色々質問で話が逸れて申し訳ありません。

 それで、私はその書状を、どなたにお渡しすれば良いのでしょう?」

「無論、筆頭の大豪院邪鬼に。

 必ず返事を貰って来るように。良いな?」

 …気のせいだろうか。

 塾長がまた、何か企んでるように思えるのは。

 

 ☆☆☆

 

「赤石。お疲れ様です。」

「あっ……!?」

「…どうかしました?」

 例の書状を持って三号棟へ向かう途中、赤石の姿を見かけて声をかけた。

 が、どうも反応がおかしい。

 私の顔を見て驚いたようにその場に立ち尽くし、バツが悪そうに目を逸らす。

 そもそも最初の「あっ」から始まりその後一連の行動の、どれひとつとしていつもの赤石らしくない。

 そこに気がつくくらい普段から、彼の行動を見せられてると思うと、若干自分に腹が立つけれど。

 

「赤石?」

「あ、あぁ。

 ……なんだ、いつもと変わりねえみてえだな。」

「?なに言ってるんですか。」

「……てめえ、剣の野郎と寝たって話になってんぞ。」

「ブフォッ!ゴホッゲホッゴホッ!!」

 多分だが先日のあの件の、噂に尾ひれ現象に違いない。

 桃との組手からのJとのスパーリングの後、何故か桃に強引に寝かしつけられて二人で夕方近くまで昼寝してしまい、下校時間ギリギリに田沢たちに起こされた。

 寝ぼけたままの桃の代わりに状況は説明したものの、そういえばあれ以来、他の一号生たちが妙に余所余所しい気がする。

 

 けど!ほんとに昼寝してただけだし!

 対外的には男同士だから!

 いやこの場合、男同士ってのが逆にまずいのか?

 いやだがしかし!

 

「まあ、てめえの顔見た瞬間に嘘だと判ったがな。

 だが気をつけろ。

 おかしな噂が立つとあとあと面倒だぞ。」

「ゲホッ…いえ、本当といえば本当ですね。」

「なに!?」

「寝た、と言ってもあくまで、言葉通りの意味ですが。」

 そう言うと、赤石は少し考えてから、ゆっくり頷いた。

 

「…ああ、そういう事か。

 言葉通り、な。それで納得いったぜ。」

 ため息混じりに言いながら、指先で頭を掻く。

 

「…赤石は、信じるんですね。この説明で。」

「あぁ?」

「というか、あなたの行動パターンを考えると、その話が耳に入った場合、まず桃のところに詰め寄りそうなんですけど。」

 私が言うと、赤石はまた、バツが悪そうに視線を逸らした。

 

「…ヤツのところに行く前に、てめえに会った。」

 行く途中だったんかい。

 

「…そういう事でしたか。

 だったら、お会いできて良かったです。

 桃が相手なら、同じ説明をして、今ほどあっさりあなたが納得してくれるとも思えない上、あの子、人をからかって遊ぶ悪い癖があるから。

 あなたがどうして私の事を、そこまで信じてくれるのかはともかくとして。」

「言ったろう、俺は目はいいってな。

 てめえがオボコのまんまだって事くらい、見りゃ判る。」

「なっ…!!」

「違うってのか?」

 さっきまでのバツが悪そうな表情は何処へやら、赤石が厚い唇に、ただの悪そうな笑みを浮かべる。

 

「……失礼します。

 よく考えたら、あなたと雑談している暇はないんでした。」

 なんかムカついたのでノーコメント。

 私はおつかいに戻る事にする。

 まあ、先に声かけたのは私なんだけど。

 私が背を向けて歩き出そうとすると、赤石が何故か慌てたように、私の肩を掴んできた。

 

「おい待て。どこ行く気だ?そっちは…」

「三号棟のある方角でしょう?

 これから、塾長からの書状を、三号生筆頭に届けに行くので。」

 その私の言葉に、赤石が明らかに動揺する。

 

「何だと!?一人でか?…待て、それは駄目だ。

 俺が一緒に行ってやる。」

 過保護か。

 

「塾長からは一人でと念を押されています。」

 若干鬱陶しいので、そこを強調する。

 嘘は言っていない。

 だが赤石は引き下がらなかった。

 私の両肩を掴んで自分の正面に引き寄せ、私の目を見据えて、言い聞かせるように言う。

 

「ならば、しばらくここで待ってろ。

 塾長に直談判して、同行の許可を取り付けてくる。」

 だから過保護かって。

 

「塾長の事ですから、その許可を出すくらいなら、最初から一人でとは言っていないと思いますよ?

 それに塾長は所用で出かけていて、今日はもう塾には戻られない筈です。

 …単なるおつかいですよ、赤石。

 子供じゃないんですから、そんなに心配していただかなくても大丈夫ですってば。」

 正直、赤石のあまりの真剣な表情に、私は少し気圧されていた。

 それをなるべく気取られぬよう、軽い言葉で返す。

 しばらくそのまま二人で固まっていたが、やがて赤石の手から力が抜けた。

 

「…判った。

 ならせめて三号棟の門の前までは俺に案内させろ。

 それから、中に入ったらまず、羅刹って人を訪ねて、仲介を頼め。

 俺の紹介だと言えば、あの人なら、悪いようにはしねぇ筈だ。」

 たかだか手紙を届けるだけなのに、仲介を頼んだりするのは失礼ではなかろうか。そうは思ったが、

 

「羅刹、ですね。了解しました。

 …あなたがそこまで信頼を寄せる相手とは、少し興味がありますね。」

 そう言われると、ちょっと会ってみたくなった。

 

「信用し過ぎんのもどうかとは思うが、少なくとも俺には、あの人に対して示せる実績がある。

 それだけの話だが、この状況ならそれで充分だろうぜ。

 …この塀の向こうが三号棟、天動宮だ。」

 赤石が立ち止まって見上げたそれは、高いコンクリート塀に挟まれた大きな鉄の門。まるで刑務所だ。

 思わず、心の声が口からだだ漏れる。

 

「趣味悪っ…。」

「なに?」

「いえ何でも。それでは行ってまいります。」

 赤石に一礼して、一歩踏み出す。

 その背中に声がかけられた。

 

「戻ったら一度、俺んトコに顔出せ。」

「心配しすぎですってば!」

 できるだけ笑って、手をひらひら振ってみせる。

 たくバカ兄貴。つられてこっちまで怖くなってくるじゃないか。

 

 

 

「心配しすぎじゃねえから言ってんだ、あのじゃじゃ馬…!」

 

 ☆☆☆

 

「江田島光と申します。

 二号生筆頭赤石剛次からの紹介で、羅刹という方にお会いしたいのですが。」

 門番に中に通されて、外門より更に趣味の悪い建物の中に入ると、尖った金属製の杭が一面に並んだ広間に出た。

 

「貴様…一号生か?」

 奥の方に座っている、大きな身体をした男が、こちらに向かって声をかけてくる。

 

「いいえ、制服は身につけておりますが職員です。

 塾長秘書をやらせていただいております。」

「塾長秘書が、羅刹様に何用だ?」

「それは、御本人にお会いしてからお伝えしたく思います。」

 私の答えに、男が面白くもなさそうに鼻を鳴らす。

 

「ふむ、では問おう。男とは、何ぞや?」

「…唐突ですね。

 生き様よりも死に様に、より高い価値を求める生き物、かと思いますが。」

「では、命とは?」

「その価値を高める為、燃やす燃料…と言ったところですかね。」

「なかなか面白い答えよ。

 フフ、正解にしておいてやろう。」

 男はニヤリと笑うと、背後にある紐を引いた。

 杭の上に板が渡される。

 この上を歩いてこいという事だろう。すごく面倒臭い。

 

「正解よりも、早く羅刹という方にお取り次ぎいただきたいのですが。」

 板を渡って男の前に降りながら、私は無表情で男に向かって言った。

 

「……………こっちだ。ついてくるがいい。」

「ありがとうございます。」

 ちょっとかわいそうだっただろうか。

 もう少し相手してやるべきだったか。

 

 ・・・

 

「赤石の紹介だと?俺に何の用だ。」

 案内された部屋にいたのは、顔だけは妙にダンディな長身の男だった。

 恐らくは30を少し越えたくらい…え?ここって三号生の居棟だよね?

 このオッサン何者ですか?

 …ああでも、三号生の筆頭は10年余務めてるって言ってたから、彼がその同期であればそのくらいの年齢でもおかしくはないのか。

 いや状況的には充分おかしいけど。

 まあ、とにかくこの男がどうやら、赤石が言っていた羅刹という男であるらしい。

 

「塾長より、三号生筆頭宛の書状を預かっております。

 それを赤石に言ったところ、まずあなたにお会いして仲介をお願いしろと。

 申し遅れました。

 塾長秘書の、江田島光と申します。」

 挨拶とともに告げた名に、羅刹が反応する。

 

「江田島?塾長の子か!?」

「そういうことのようです。

 育てられてはおりませんが。」

 後半は嘘じゃない。

 だがそう言うと羅刹は、何か申し訳なさそうな表情を浮かべた。

 よくはわからないが、なにか深読みして解釈してくれたようだ。

 

「む…そうか。

 …そうそう、邪鬼様への書状、だったな。

 それは俺を介さずとも、入口でそう告げて渡せば良かったのではないか?」

「その、大豪院邪鬼という方にお渡しして、返事をいただいて来るようにと言われております。」

 そう言って、羅刹の目を見返す。

 羅刹が小さく溜息をついた。

 

「そうか。

 帰れと言いたいところだが、赤石が俺を指名したとあれば、無下にするわけにもいかんな。

 …暫しここで待て。」

「お手数をおかけします。」

 

 ・・・

 

「邪鬼様がお会いになるそうだ。ついてこい。」

 邪鬼様、ね。

 大豪院さんでも、邪鬼でもなく、邪鬼『様』。

 同じ筆頭でも、赤石や桃とは扱いが随分違うようだ。

 まあ、それは赤石の時にも思った事だけど。

 桃も二号生に上がったら剣さんとか呼ばれるようになるんだろうか?

 …いや無いな。職員の私にすら桃呼びを強要するくらいなんだから。

 そんな事を考えていたら、羅刹が歩きながら私に話しかけてきた。

 

「赤石が停学処分を解かれたという話は聞いていたが、息災のようだな。」

「血の気が多いので、いつも見ていてハラハラさせられますが、幸い周りの人間には恵まれているようで。」

 少なくとも江戸川のサポートなしには彼に二号生筆頭は務まらない。

 孤高の存在のように見えて、彼は1人では生きられない、否、1人で生きさせてはいけない人種だと思う。

 1人で置いといたら結構明後日の方向に暴走して、命や立場を危険に晒す。

 まあ要するに脳筋なんだけど。

 復帰早々、桃と戦う事になったのは、彼にとっては良かったのだと今は思う。

 

「見るに、貴様もその1人なのではないか?

 少なくとも、奴がその身を案じて俺に頼るほど、目をかけているという事は。」

「私は、彼が目の前で失った友に似ているそうです。」

 嘘は言っていない。

 意図的に伏せた部分があるだけで。

 

「友…か。

 三年前のあの時に、奴にそんな存在があったなら、或いはあのような事にはなっていなかったのかもしれぬ。」

 三年前、というのは例の、赤石が起こした大量傷害事件の事だろう。

 だがそれがなければ赤石は兄とは出会う事なく、兄はもっと孤独なまま死んだ上に、きっと私は未だに兄の事を、思い出しもしていないだろう。

 羅刹は私を連れて大きな扉の前に立つと張りのある声を扉に向けて上げた。

 

「死天王・羅刹、参りました。」

 仰々しい扉が開かれる。

 中は、薄暗い広間となっており、

 

 中心に…10メートルの巨人が座していた。

 え?これ、仏像とかじゃないよね?




序盤の戦いで傍観決め込んでる分、赤石先輩の使いやすさが半端ない件www
だからバランスを取る為に、最後は桃にいいトコあげなきゃならなくなるのよと言い訳してみるwww


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2・Purple Haze

赤石先輩…い、いや、なんでもないです。


「江田島光と申します。

 塾長江田島平八よりの書状を、三号生筆頭大豪院邪鬼どのにお渡しし、必ず返事をいただいて来るようにと、申しつけられて参りました。

 どうぞお受け取りください。」

 口上とともに差し出した手紙を羅刹が私から受け取り、中央に座す仏像もとい大豪院邪鬼に差し出す。

 その巨体はなぜか濃い紫の影というか霧を帯びており、これだけ大きいのにその顔が全く見えない。

 そしてその周りに3人の男たちがおり、全員がこちらを凝視していた。

 …面倒臭い。ものすごく面倒臭い。

 けど一連の儀式だと思って我慢する。だが。

 

「………帰れ。」

 開いた手紙に一瞬だけ目を通しただけで、大豪院邪鬼はそう言い放った。

 

「は?」

「このような書状に返事など出せん。

 とっとと帰れ。」

 いやいや待て。仮にも塾長からの書状に対してそれはなかろう。

 それにこのまま帰ったら、この程度の使いも果たせない無能者の烙印を押される事必至だ。

 

「そうは参りません。

 必ず返事をいただくようにと、念を押されておりま…………ッ!?」

 一瞬、身体の周りを旋風が走った。

 そして次の瞬間、制服の上着の留め具が全て弾け飛んだ。

 サラシを巻いただけの胸元が、男たちの目に晒される。

 

「…お、女!?」

「女だと!?」

「何故女がここに!?」

 慌てて胸元をかき合わせるが既に遅く、その場の男たち、大豪院邪鬼以外が騒つく。

 私の隣の羅刹も、声は出さなかったものの、やはり驚いた表情を浮かべていた。

 

「…それ以上の辱めを受けたくなければ、大人しく帰るのだな。」

 

 ………ぶちっ。

 大豪院邪鬼が抑揚のない口調で言うのを聞き、私の中で何かがキレた。

 …うん、沸点が低いと赤石を笑えない。

 そしてキレてからの行動の方向性が明後日に向かうのも。

 やはり一緒にいる事が多いと若干影響を受けてしまうものなのか。

 

「…こんなものでご満足いただけるのでしたら、御存分に。」

 どうせこんな格好で外になど出られやしない。

 私は前側が全開になった学ランを脱ぎ捨て、勢いでサラシにも手をかけた。と、

 

「…!?ま、待て待て待て!

 それ以上の事をさせたら、俺が赤石に殺される!!」

 がっ。次の瞬間、羅刹の大きな手が、私の両手を掴んでいた。

 それから、男たちの視線から私を遮るように、その大きな身体で私の前に歩み出る。

 

「邪鬼様、この者は俺が、二号生筆頭赤石剛次より預かった身。

 御存知の通り、俺以下、あの雪の行軍に加わった全員、赤石には命の借りがあります。

 返事が出せないというのであれば、せめてこの者が納得する理由を…!」

 雪の行軍?命の借り?

 一体なんのことだろう。

 そう言えば赤石は羅刹に対し、示せる実績があると言っていた。

 その事なのだろうか。

 

「…邪鬼様、お戯れが過ぎます。」

 大豪院邪鬼の一番近くに侍っていた男が、落ち着いた声音で進言する。

 と、その瞬間、大豪院邪鬼の巨体が揺らぎ、その身体の周りから、紫の煙が消失した。ように見えた。

 

「フッ…仕方あるまいな。

 だが羅刹。貴様も動揺し過ぎだ。

 この女のほうが、よほど根性が据わっている。」

「は、面目次第もございません。」

(あれ…?)

 ごしごし。思わず目をこすってもう一度『大豪院邪鬼』を見る。

 つい今まで10メートル台の巨体に見えていた男は、それでも確かに大きいが、せいぜい2メートル強くらい、大柄な男レベルにサイズが縮んでいる。

 疑問を感じると同時に、悟る。

 私が見ていたのは、恐らくは彼が内包する『氣』。

 それは先ほどまで見えていた巨体の方が納得できるというくらいの総量ゆえに、それが肉体に収まりきれていないのであろう。

 これは…恐ろしい男だ。

 思わず身体の芯がぞくりと震えた。

 

「だが、普通に考えて、これに返事が出せると思うか?」

「……ええっ!!」

 広げられたそれは、白紙だった。

 つい今まで感じていた恐怖など一瞬で吹き飛び、私は大豪院邪鬼の側まで駆け寄ってしまった。

 間違いなく、何度見ても、どんなに目を凝らしても、それは白紙以外の何物でもない。

 

「さて…江田島光。貴様はこれをどう解釈する?

 塾長は何ゆえ、貴様にこれを、わざわざ俺のところに届けさせたか。」

 驚きのあまりその白紙に見入っていた顔を上げ、私は大豪院邪鬼を見上げた。

 強大な氣に邪魔されてよく見えなかった顔が、今ははっきりと見えている。

 年齢的には30そこそこ、恐らくはそれを越えてはいまい。

 思っていたより整った顔立ちは、豪快さと繊細さを同時に感じさせる。

 何故かはわからないが、私はそのアンバランスさを、美しいと感じた。

 彼が微かに浮かべた微笑みに、思わず見惚れる。

 俗な表現をすれば、小娘が大人の色気にあてられたとでも言うのだろう。

 だが、その男の微笑みには、魂の深いところを揺さぶると同時に、本能的に他者をひれ伏させる不思議な魅力があった。

 それは、生まれついてのカリスマ。帝王の資質。

 …生まれる場所と時代を、この男は完全に間違えた。

 そう考えると、少しだけ私は落ち着くことができ、ようやく言葉を口から紡ぎ出す。

 

「…殺せという指令や、単なる嫌がらせでなければ、顔を売ってこいとかいう意味でしょうか。

 塾長のお考えですから、全てを推し量る事、私などには不可能ですが。」

「なるほどな。

 貴様がそう解釈するのならば、俺もそう思う事にしよう。」

 大豪院邪鬼はそう言うと、片手で軽々と私を抱き上げた。

 驚いて固まる私を、ひょいと肩に乗せる。

 

「うひゃ!?」

 私はいきなり大豪院邪鬼の肩の上に座らされる格好になり、その高さに思わず、彼の頭にしがみついてしまう。

 いやいやいや、いくら私が小さくてこの男が大きいからって、この体勢はないでしょうが。

 私は幼児か、くそ。

 

「江田島光。貴様は2、3日、この天動宮に留まれ。

 逗留する部屋を用意させるから、それまで俺の部屋で休んでいるがいい。」

「えっ!?」

 ちょっと待て。

 ちょっとしたおつかい認識で来たから、泊まりの用意はしてきていない。

 

「邪鬼様!」

「羅刹よ、心配せずとも貴様の大事な預かり物に、手荒な真似はせぬ。

 だが俺は、この者を見極めねばならん。」

 …どうやら、私は解答をミスったようだ。

 正解ではなかったという意味ではなく、予期せぬ展開を招いてしまったという意味で。

 

「こ、困ります!

 せめて赤石のところにだけでも、報告に行かせてください!

 私が戻らなければあのバカ兄貴、ここに抜刀して殴り込みかねません!」

 今、ここにいるのは恐らく三号生の主力だろう。

 私が見る限り一人一人がそれぞれ、赤石に匹敵する力量を備えている筈で、そして今私を肩に担いでいるこの筆頭に関しては、どこまで強いのかまったく見えてこない。

 …無策で突っ込んだら最悪殺される。

 

「奴が心配か?」

「…はい。それに、日々の仕事も。」

 少し考えたが素直に肯定する。

 それに虎丸のご飯の手配もしなきゃいけないし、事前にわかっていないと不都合な事が多すぎだ。

 

「そちらは代理を手配してやろう。

 羅刹。貴様は二号棟に出向いて、二号生筆頭赤石剛次に、事の次第を説明…」

「ああ〜〜!それますます不安です!

 せめて白紙の書状の件だけは伏せてください!

 それ言ったら今度は、塾長室に殴り込む可能性が出てきます!

 というより、彼には私から説明させてください!

 余人に任せたら嫌な予感しかしません!

 お願いします!」

 もう半泣きで訴える。うん、認めてやる。

 赤石は既に私の兄のようなものだ。

 私は兄を、ふたりも失いたくはない。

 

「…連れて行ってやれ。」

 呆れたように言いながら、大豪院邪鬼はようやく、私の身体を降ろしてくれた。

 

「…なあ、赤石ってそんな性格だったか?」

「まあ、血の気が多いトコは変わってないようだがな…。」

 なんか後ろの方で、ちょっと目立つ髪型の二人がなんか言ってる気がするが、聞かなかったことにしてそのそばを通り過ぎようとしたら、黒くて重たい布が、バサリと頭からかけられた。

 

「着ていけ。そのまんまじゃ目のやり場に困る。」

 見上げると目立つ髪型の一人、モヒカン頭に妙な…マスクを着けた男が背中を向けるところだった。

 頭から被せられたものが、男塾の学ランであると気付き、慌てて袖を通す。

 そうだ、今上半身に身につけているのはサラシだけだったんだ。

 …ただ、袖を通したそれは、私にはあまりにも大きかった。

 袖をまくり、ベルトで裾の位置を調整したものの、子供が大人の服を無理矢理着ている感は拭い去れない。

 しかもその姿で歩き出そうとしたら、後ろで誰か吹いた。滅べ。

 

 ☆☆☆

 

 羅刹を伴って趣味の悪い天動宮を出ると、二号棟へ向かう。

 筆頭室の扉をノックすると、返事よりも前に勢いよく扉が開いた。

 

「光か!?」

 その勢いですっ飛ばされた私の背中を、羅刹が支える。

 

「…フッ、久しいな、赤石。」

「羅刹先輩?……光!」

 赤石が強引に羅刹の腕の中の私の腕を引く。

 そのまま私の身体を自分の後方にやって、自分は私と羅刹の間に、私を庇うように立った。

 いや、言っとくけど、今私をすっ飛ばしたの、お前だからね?

 その赤石の服の裾を軽く引いて、私は今ここに来た用件を告げる。

 

「赤石、報告の為に戻りましたが、私はこの後3日ほど、天動宮に留まる事になりました。」

 赤石が睨むような目をしながら私を振り返る。

 

「何だと?」

 それから、同じ目を、今度は羅刹の方に向けて言った。

 

「…どういう事だ、羅刹先輩?

 俺はあんたを信用してコイツを預けた。」

「赤石、羅刹は私を守ろうとしてくれました。

 彼を責めるのはやめてください。」

 だが、赤石は私の着ている学ランの肩を掴んだ。

 身体に添わずに余った布が、赤石の手の中でしわになる。

 

「だが、これは何だ?どう見ても借りモンだろう。

 貴様の制服はどうした?」

「あ…それは」

「服が替えられてるって事は、一旦脱がされたって事じゃねえのか?」

 そうか。赤石の反応が過剰に見えたのは、どうやらこれが原因のようだ。

 

「それについては本当に申し訳ない。

 邪鬼様の悪ふざけで、止める間もなかった。」

 羅刹が真摯に頭を下げる。

 …うん、なんだか気の毒になってきた。

 赤石は羅刹から視線を外すと、私の顔をじっと見つめる。

 

「………どうやら手は出されてねえようだな。」

「もう驚きませんが、顔見ただけでわかるのやめてください。」

「判っちまうんだから仕方ねえだろうが。」

 私の言葉に、赤石の表情が僅かに緩む。

 

「そこだけは安心してくれていい。

 邪鬼様はそういった無体はなさらないお方だ。」

 だが羅刹が言うのを聞き、赤石は再び表情を引き締めた。

 

「…万が一、コイツの身に何かあったら、例えあんたでも許さねえ。」

 視線がまた、強く、鋭くなる。

 唐突に、豪毅と対峙していた、あの日の事を思い出した。

 あの時はそうなる事を全力で阻止したが、私の『あに』と『おとうと』は、本気で戦ったらどっちが勝つのだろう。

 そんなものを見る日は一生来なくていいけど。

 羅刹は暫しそのまま、赤石の視線を受け止めていたが、やがて少しだけ表情を崩して言った。

 

「判っている。

 貴様の女に手を出す真似は誰にもさせん。」

「なっ…!!」

 赤石が動揺したように言葉に詰まる。

 

「誰が誰の女ですか。失礼な。」

 仕方なく私が冷静に言い返してやると、赤石は何故か私を睨んできた。

 

「てめえ、失礼は言い過ぎだろうが。」

「あなたの為に言ってあげたんじゃないですか。

 ガキに手を出す男と思われたくないでしょう?

 普段から桃に向かって私のことを、チビだのガキだの貧相だのと散々言ってるの、私が知らないとでも思ってるんですか?」

 私が言うのを聞いて、赤石が大きくため息をつく。

 

「…もういい。

 戻ったらまた、俺んトコに顔出せ。いいな?」

 どうやら勝った。

 結果に満足して私は、頷いて赤石に笑いかけた。

 

「はい、赤石。必ず。」

 

 ・・・

 

「…貴様、本当に、赤石とは何もないのか?」

「その何かの意味が、恋愛感情とか肉体関係とか、そういった意味でしたら、何もないと言い切れますね。」

 何故だかさっきから呆れたような顔をしている羅刹が、また何かおかしな事を聞いてきたのを、バッサリ斬り捨てる。

 

「もっとも彼は私を妹のように思ってくれていますし、私も今は彼を兄と思っています。

 そういう意味での関係は、他の誰より深いかもしれませんね。」

 正直、手のかかる兄だとは思うけれど。

 

「あれはどう見ても、自分の女を奪われまいとする男の顔だったがな…恐らくは無自覚なんだろうが。」

「は?」

「まあいい。

 後で貴様の部屋を用意させるから、まずは邪鬼様のところに行くがいい。」

 気がつけば天動宮の門の前に着いていた。

 またあの建物に入らねばならないのか。

 

 ☆☆☆

 

「変わった『氣』の使い方をする。

 使う瞬間に、必要最小限だけを練り上げるというわけか。

 だが普段からも息をするように練っていかねば『氣』の総量は増えぬぞ。

 貴様の身体の大きさを考えれば尚の事、少しでも増やさねば足りぬだろう。」

「確かに最近では、この使い方をしていても足りぬと感じる事があります。」

「普段から練って溜めておけば、尽きかけた場合の回復も早まろう。

 限度というものは、確かにあるがな。」

 天動宮滞在2日目。

 私は今、三号生筆頭大豪院邪鬼から、改めて氣のレクチャーを受けている。

 

「邪鬼様の氣は、どのようにして溜めているのですか?

 少なくとも、器の10倍以上もの総量の氣を、身の内に貯められる人を、私は初めて見ました。」

 そう、気付けば私は、他の三号生と同じように、彼の事を『邪鬼様』と呼んでいた。

 何故かはわからないが、どうしても「大豪院」と呼び捨てにはできなかった。

 それはやはり、あの巨大な氣に当てられたのが大きいのだろう。

 そして彼の強烈なカリスマ性に。

 

「…フッ。俺のは、少しばかり反則でな。」

 私の問いに邪鬼様は、薄い唇に笑みを浮かべる。

 

「え?」

「所謂特異体質というやつだ。

 常人には真似できん。」

「はあ…。」

「まあ、結局は、身体が大きいから可能なのだと思っていればいい。

 いいか、最初から全て精製しようと思うな。

 少しずつ練り上げて密度を上げるのだ。

 続けていけば、そのうち身体の方が慣れる。」

「はい!」

 …そうして3時間ほどレクチャーを受けて判った事は、氣をメインの攻撃手段とするにはチビの私はまったく向いていないという、純然たる事実だった。

 いいもん。私の本分は治療だから。あと暗殺と。

 

 ☆☆☆

 

「邪鬼様。

 関東豪学連についての調査結果はこちらです。」

「御苦労。…やはりそうか。

 現在の総長は伊達臣人。

 ヤツに対してなら、少しつついてやれば、男塾にちょっかいをかけてくるよう、仕向ける事は可能だな。」

「御意に。」

「後は、いかに殺さぬよう手配するかだ。

 我々の行動はあくまで秘密裏に、当事者に気取られる訳にはいかん。」

「その事ですが、邪鬼様…。

 ……あの女、使えるのでは?」

「…光のことか?」

「先程、鍛錬の折に負傷した者がおり、その傷を不思議な技を使って治療するのを見ました。

 あの女がいれば、死者を出さずに死闘を終える事は可能では?」

「馬鹿な。戦場に女を連れて行くだと…?」

「ですが、彼女の能力は我々の目的の達成に、一番欲しいと思っていたピースです。

 問題は、彼女が江田島塾長の手駒という事ですが、敢えて頭を下げてでも、借り受ける価値はあるかと。」

「……計画を実行しろ。」

「御意に。」




光は豪毅の最終奥義である暹氣龍魂の存在をまだ知らない為、この時点では赤石との比較で「桃=赤石≧豪毅」くらいだと思ってます。
アタシ的には、豪毅原作登場時の時点なら、手数の多さで「赤石≦豪毅<桃」だと思ってますがね。
この時点で赤石が「念朧剣」を使えたならわかりませんが、基本的には斬岩剣を封じられた後のパフォーマンスが一気に下がるの、赤石の仕様だと思ってるんで。
…まあ、手数の多さを基準で考えると、桃以外なら伊達が最強って事になっちゃうんだけどね。
槍の名手なのは勿論だけど、刀でも拳でも戦える男ですし。

邪鬼様の氣の総量は、巨大化した際のものをそのまま、常人枠に縮んでも維持してるという設定です。
光は「極」の時代にはもう生きていないので、真相を知る事はないですが。


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3・心に刷り込まれた哀しい習性が昨日を連れ戻そうとするけど

…展開と理屈に無理があるのはわかってるので、「これは男塾理論」と思って読んでください。


 天動宮訪問から4日め。

 邪鬼様が書いてくれた手紙の返事を携えて、私はようやく自室のある中央校舎に戻ってくる事ができた。

 途中赤石のところに顔を出してから、塾長室に向かう。

 

「どうやら三号生もきっちり手懐けて帰ってきたようだな。上々、上々。」

「…それが目的なら最初から仰ってください。

 白紙の手紙を持たせるなどと、まどろっこしい事などせずに。」

「フフフ、わしが男塾塾長江田島平八である。」

 …塾長室を辞し、虎丸の食事を用意して持っていくと、「もう会えねえかと思った。」とかしんみり言い出すので何かと思ったら、彼の懲罰期間があと一週間ほどで終了なのだという。

 おめでとうと言ってやると、

 

「この半年、ほんとしんどかったけどよ、あんたのメシが美味かったから頑張れたんだ。

 ありがとな。」

 と、何故かちょっと寂しそうな顔で言われた。

 ここから出られるんだから、もっと喜んだっていいのに、この半年の間に完全に懐かれたようだ。

 残りの一週間はできるだけ代理を立てずに通う事にしようと思う。

 そして最後の日は、彼の好きな唐揚げを作ろう。

 まあ、彼の懲罰期間終了とともに、食事係だった謎の女は消えるが、江田島光とはいずれ会う事になるわけで、私は全然寂しくないんだけど。

 謎の女が和服姿であったのもより印象を強くする為であり、私のメイク技術の完璧さと合わせて、江田島光と謎の女のイメージが重なる事はまずないと思う。

 不安があるとすれば、あの鎖が切れた時にうっかり術を使ってしまった事と、その際にしとやかでか弱い女性の仮面が外れてしまった事だけだが、その辺はなんとか誤魔化すつもりだ。

 校庭では、どうやら私が天動宮に滞在している間に量産されたらしい、薄い板で組み立てられた安っぽい小屋が点在しており、『愕怨祭』というイベントが明日の朝から行なわれるらしい。

「男塾と一般市民との、年に一度の交流」という建前だが、要するにこれも塾経営の中での赤字対策である。

 教官たちは利益が自分たちの懐に入ると思っているようだが、そこは施設使用料としてきっちり上納させると、塾長が仰っていた。

 まいどあり。平和だ。とても平和だ。

 …そこに嵐が迫っている事、知ってはいたけれど。

 

 ☆☆☆

 

 時間は少し戻って天動宮滞在3日目の夜。

 その晩、充てがわれている部屋に、訪問者があった。

 邪鬼様の常に側近くに控えていた男、名前は影慶といった筈だ。

 

「女人の部屋を訪ねる時間としてはいささか非常識ながら、余人には聞かれたくない話だ。

 扉を閉める無礼をお許し願いたい。」

「いえ、お気になさらず。

 そもそも対外的に私は男ですから、むしろ二人きりだからと扉を開けて話すのも不自然でしょう。」

「うむ。それもそうか。

 …まず用件の前に、我々が、簡単に言えば用心棒を派遣する企業を、ここを拠点にして経営している事は知っているな?」

「はい、聞き及んでおりますが…。」

「顧客は命の危険がある故に、それを守るべく我々に、仕事を依頼してくる。この10年で政界、経済界より多くの顧客を獲得し、信用を得てきた。

 その我々が、護衛を失敗した例が、実は一件だけある。

 2年ほど前の話だ。

 もっとも、護衛に失敗したと言うよりも、護衛中に対象者が心不全で死亡したという事で、我々には何ら落ち度はないとされた。

 実際我々もそう信じていたのだ。

 ……つい最近までは。」

 …何故だろう。ものすごく嫌な予感がする。

 

「別件で過去の事例を調べていた際に、我々が守れなかった対象者の時と、よく似た事例が数件ある事に気付いた。

 要人とそれに連なる人物の、それまで健康診断などでも認識されていなかった筈の、何らかの内臓疾患による、急死。

 我々の対象者を含めて調べてみたら、いずれの死亡者も、死の直前まで、交際している女性の存在を匂わせていたという共通点があった。

 だが死後に連絡をしようにも、それが誰であるか遺族にも判らず、連絡が取れなかったという。」

 影慶はそう言うと、数枚の写真を出して、ローテーブルの上に置いた。

 それは、20代後半から40代前半くらいまでの、数人の男性の写真だった。

 

 その男性たちの、最大の共通点を、私は知っていた。

 全員、御前の指令を受けて、私が殺した男たちだ。

 

 …見たくない。

 けど、目を逸らしたら怪しまれる。

 

 影慶は私の反応を確かめるように、暫し私を見つめていたが、やがて並べた中から一枚の写真を指し示した。

 

「我々の警護対象だったのはこの男だ。

 名前は久我真一郎、当時32歳。

 今は引退している政治家の妻の甥で、当時はその秘書を務めており、いずれは後継にと言われていた。

 彼の死後、その政治家は、後継も指名せずに引退した筈だ。」

 知っている。表向きは清廉なイメージの真面目な政治家秘書であったこの男は、裏に回ればそこそこねじ曲がっており、常に人を見下してかかる悪い癖があって、特に女性関係でのトラブルが多かった。

 家柄も収入も更に見た目も良かったから、近寄ってくる女性には不自由しておらず、故に女という生き物を、あからさまに馬鹿にしていたからだ。

 だが、そんな男のほうが、私にとっては近づきやすかった。

 とあるパーティーで、『水内麻耶21歳。引退して久しい政治家の孫娘』という設定で出会った私が、彼に全く興味を示さなかった事に、最初は単にプライドが傷つけられただけだったろう。

 だが何度か(意図的に)顔を合わせるたび、私を落とそうと躍起になるうち、彼は私に本気になっていった。

 人の心理とはそういうものだ。

 苦労して手に入れるものの方が、容易く手に入るものよりも価値があると思ってしまう。

 そして不思議な事に、私に夢中になって以降の彼は、何か憑き物が落ちたように、誰に対しても誠実に接するようになった。

 

『義叔父の御子息は、所謂『武術バカ』でね。

 今は海外留学の体で、武者修行に出てる。

 義叔父は彼の事は、口ではなるようになると諦めているけど、本当は期待してると思うよ。

 しかもその武術バカ、実は幼少の頃から結構な天才肌で、やらせれば何でもできてしまう。

 自分の興味のある事にしか動かないだけでな。

 今はまだ子供だからいいけど、彼がある程度の年齢になったら、俺なんてすぐに追い落とされる気がするよ。

 俺は、義叔父の秘書になった時から、ずっと彼の存在を、脅威だと思ってきた。

 笑っちゃうだろ?

 30過ぎた大の男が、20近くも年下の従弟の、見えない影にビクビクしてるんだからな。

 でも、本当だ。』

 ある時、酔って私に甘えかかりながら、そんな話をしてきたのを覚えている。

 

 だが、その後はお定まりのコースだ。

 ある時、誕生日(設定上のもので、勿論実際の誕生日じゃない)を祝ってくれるという彼に、「一度、あなたの手料理を食べてみたい」とねだって彼の部屋に招待してもらい、その夜に彼のベッドの上で、暗殺は実行された。

 正直、付き合っていくうちに見せた彼の変化があまりにも劇的であったせいか、この仕事は、当時既にプロの暗殺者であった私にすら、後味のよくないものとなった。

 彼が何故死ななければならなかったか、理由など知らない。

 だが、私ではない誰かがもっと早く、彼の孤独やコンプレックス、その抱える心の闇をありのまま受け止めていたら、或いは殺されずに済んだのではと思わずにはいられなかった。

 

「…何故、そのお話を、私に?」

 恐らくはバレているのだろう、私が彼の「交際していた女性」である事。

 痕跡は絶対に残していない筈だから、どこから発覚したのかはわからないので、ハッタリである事も考慮しなければいけないけど。

 だから、まずはすっ惚けてみる。

 

「…先日、総理の側近から総理の護衛の依頼を受けた。」

 あの人か!確かに、塾長言うところの『中ちゃん』は、私の顔を見て未だ生きている!

 もっともあの時の『仕事』モードの私と、どスッピンのチビガキの私を見比べて、同一人物であるとは決して思わないだろうが、比べてみれば少しは似ている、くらいには思うかもしれない。

 

「総理御本人は自身が狙われている事、半信半疑だった上、襲われた時の刺客の顔も、小柄で色っぽい女性だったという印象しか覚えていなかった。

 だが、その時助けてくれた知り合いが、彼女の顔を自分より覚えている筈だと言っていて、その名を聞いて驚いた。

 それが江田島平八…この男塾の塾長だ。

 彼はその刺客を気絶させて、どこかへ連れて行ったという。

 その、暗殺未遂事件のあってすぐに、江田島塾長は自分の息子とする者を秘書としてこの塾に入れていて…その正体が女とくれば、そしてその能力を考え合わせれば、ほぼ全ての線が繋がる。

 貴様は……少なくとも、江田島塾長のもとに来るまでは、要人暗殺を生業とする者だった。そうだな?」

「…申し開きもございません。」

 もう、素直に認める事にしよう。

 それにしてもあの時期に、久我真一郎に護衛が付いていたなんて知らなかった。

 偶然うまく出し抜いた形になったが、下手すればあの仕事が私の命取りになっていた可能性もあったわけだ。

 私は自分で思っているほど有能な暗殺者ではなかったのかもしれない。

 

「大方、塾長に捕らえられた後は、身の安全と引き換えに、その配下となったというところなのだろう?」

「その件だけは訂正させてください。

 塾長は私に、自身の配下になれとは、一言も仰ってはおりません。

 あの方はただ、『死よりも生を間近に、嫌という程見続けて、新しい世界を生きてみよ』と仰ったのみです。」

 無論、その言葉の裏に、打算がなかったと証明はできない。

 けど、あの人は私の頭を撫でてくれた。

 その手は確かに、私が欲しかった手ではなかったけれど、私はあの温もりを信じたいと思った。

 

「…よくわかった。

 だが、それは言うほど容易い道ではないぞ。

 貴様の過去はいずれ、貴様の今と未来を阻もうとするだろう。

 それは覚悟しておくが良い。」

 影慶はまだ私を、厳しい目で見つめながら言う。

 それを見返しながら私は答えた。

 

「…わかっております。」

「いや、わかっていない。

 …この久我と縁のある者が、今この男塾に居る事を、貴様は知るまい?」

「え?」

 だがそこで、なにやら予想もしなかった事を告げられ、私はたじろぐ。

 その後に告げられた名前に、私は確かに絶望的なものを感じた。

 

「一号生筆頭の剣桃太郎は、久我が秘書をやっていた国会議員、剣情太郎の一人息子だ。

 久我は剣情太郎の妻の、兄の息子だから、剣桃太郎とは従兄弟同士の関係となる。」

 桃の…従兄。

 2人とも確かに端正な顔だちをしてはいるが、似たところはまったくない。

 そもそも年齢が離れているし、真一郎はどちらかといえば女性的な面ざしで、背は高い方だが細身の、全体的に神経質な印象を与えるタイプの男だった。

 

 …そうか。真一郎があの時話していた従弟というのが、桃の事だったんだ。

 

「過去が未来を阻むとは、そういう事だ。

 貴様はこの先、同じような業と、幾つも戦ってゆかねばならん。」

 私は、桃の血縁者を手にかけている。

 もし彼に復讐の意志があれば、殺されても文句は言えないという事だ。

 そしてそれは、桃に限ったことではない。

 他の、私の手にかかった男たちの、全てに家族や友がいて。私はその全ての人たちから、恨みを買う立場にいる。

 

「光。邪鬼様に仕える気はないか?」

 と、唐突に影慶が、私の目を見据えたまま言った。

 

「あの方は貴様の業を受け止め、守り、そして生きる場所と意味を、貴様に与えるだろう。

 何故なら、貴様はこちら側の人間だからだ。

 邪鬼様は自分に属する者を決して見捨てはせん。」

 …なるほど。今日の本題はこれだったか。

 だが、その提案は確かに魅力的ではあった。

 邪鬼様の圧倒的なカリスマは、確かに私を惹きつけていたから。けれど。

 

「…それでも、私は、自分の罪と向き合います。

 塾長は、その為に私を、生かしてくれたと思うので。」

 塾長は私に、新しい世界を知れと言った。

 それは決して、自分の罪を忘れろという意味ではない。

 むしろそれを背負った上で、それでも前を向いて生きろという意味であると、私は思ってる。

 影慶の言う通り、それは容易い事ではない。

 だけど少なくとも塾長は、私にそれができると信じてくれた。

 

「ですが、少なくともあなたは、私の運命を案じてくれました。

 それが邪鬼様の意志でもあるというのでしたら、もし私の力が必要である時には、塾長の意に反しない範囲で、お貸しいたしましょう。」

 私が言うと、影慶は深く息をつき、微かに微笑んだ。

 

「…そうか。強いな、貴様は。

 では遠慮なく頼む事にしよう。

 早ければ明日にでも男塾に、関東豪学連が攻め込んでくる。

 詳しい事はまだ言えぬが、この戦いで誰一人として死なせない為に、貴様の力が欲しい。」

 

 ☆☆☆

 

 いずれ時が来たら、桃には真実を打ち明けよう。

 そして、彼の手で裁いてもらおう。私の罪を。

 だけど、それは今じゃない。

 今はまだ、私は死ねない。

 

 私が死んだら、誰も助けられない。

 絶対に誰も死なせない。

 

 私の命も、力も、全部あなたたちに、あげる。



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4・裏切りへの前奏曲(プレリュード)

 茶番だ。正直、そう思う。

 こんな茶番に命を賭ける男たちに、心底同情した。

 それなのに今、私はこの茶番を仕組んだ男たちと、行動を共にしている。

 それは、私を仲間と思ってくれているあの子たちへの裏切りかもしれない。

 けれど、彼らを死なせない為に、私の力が必要だというなら、今はこうするしかないだろう。

 少なくとも、私一人では、それは到底成し得ない事なのだから。

 

 ☆☆☆

 

 影慶の言っていた通り、関東豪学連という連中が、男塾に殴り込みをかけてきたのは、愕怨祭が開催されている最中の事だった。

 どうも少し前から三号生の何人かが工作員として送り込まれていたようで、その者たちが何らかの働きをした結果、今日のこの襲撃に至ったものであるらしい。

 とりあえずその件は伏せたうえで、『関東豪学連が男塾を狙っている』という情報のみを、私は独断で事前に赤石にリークしておいた。

 もっとも赤石は外に結構な情報網を持っているらしく、少し前から奴らがおかしな動きをし始めた事は、私に言われる前に知っていたようだ。

 三号生の暗躍についてまでは、さすがに気付いてはいなかったが。

 

「気ィ抜くわけにはいかねえだろうが、この程度の件なら、一号ボウズどもで充分対処できんだろうぜ。

 剣のヤロウと、Jも居る事だしな。」

 と言ってたところを見ると、二号生を動かすつもりはないようだが、一号生にというか桃に警告はしてくれるつもりのようだった。

 赤石が大丈夫だって言うんなら大丈夫だろう。

 大丈夫…だといいなぁ。

 関東豪学連から斥候として送り込まれてきた者たちは、最初は単に催し物にちょっかいをかけてきて、富樫と松尾が負傷させられた後、JにKOされて催し物のひとつになっただけだった。

 その直後に彼らの一部隊が乗り込んできて乱闘になりかけたところを鬼ヒゲ教官が制し、男塾名物「羅惧美偉」での勝負となった。

 双方15人ずつの選手が毒薬を服んで、ボールの中にある鍵を奪い合い、相手方のゴールにある解毒剤を飲めば勝利、負ければ全員死亡。

 

 …という事なのだがどうも胡散臭い。

 つか塩酸バリトニウムや鉱素ミナトリウムって何ぞ。

 私は一応薬学の知識も叩き込まれているが、そんなの聞いたこともないぞ。

 でも、こぼれた液体を舐めた猫が倒れて痙攣してるし、嘘でないとしたら単に鬼ヒゲ教官の覚え間違いかもしれない。

 それに他の塾生はともかく桃がその辺をつっこまないなら、ひょっとしたら私が知らないだけで本当はある物質なのかもしれないし。

 

 とりあえずこの猫は私が解毒しておこう。

 …あれ?この皮膚の感触、死にかけてる生き物のそれじゃないな。

 落ちてる一升瓶の中に僅かに残っていた液体を掌に取り、舌先で舐めてからすぐに吐き出す。

 多分だがこれ、神経に作用する麻酔薬の類だ。

 飲んでも死ぬ事はないだろうが、効いてきたらしばらくは、身体の自由が効かなくなるだろう。

 これ、飲んで気付かなかったって事は、ひょっとして桃は、薬学の知識はあまりないのかもしれない。

 彼のスペックの高さで、知らない事があるって事実が逆に信じられないけど。

 …とりあえず猫の身体の大きさを考えたら、その効果が人間より強く作用する可能性もあるので、解毒はきっちりしてやる事にする。

 

 ちなみにこの羅惧美偉の観戦も、入場料とは別料金。

 もはや完全にぼったくりである。

 塾の運営にご協力いただきましてありがとうございます近隣住民の皆様。

 これからも多大な迷惑をおかけする事になるとは思いますが、この子たちは明日の日本を背負って立つ若者です。

 どうぞ生温かい目で見守ってください。

 よろしくお願いいたします。

 

 そんな事を考えていたら足元に小さな気配を感じ、目をやるとさっきの猫が、私の足に身体を擦り付けてきた。

 それはいいがその足元に、今獲ってきたのだろう、小さなネズミの新鮮な死体が転がっている。

 うん、ゴメン私それ要らない。

 申し訳程度に頭を撫でてやると、猫は身体を立ち上げて私の手に頭を擦り付け、私の指をペロペロ舐めてきた。

 …それ、ネズミ齧った口だよね。泣きたい。

 

 それはさておき、羅惧美偉の試合は、Jと富樫が倒された後、桃と豪学連側のキャプテンとの一騎打ちに突入した。

 徐々に薬が効いて選手たちが動けなくなっていく中、どうやらひとり薬を飲まなかったらしい豪学連キャプテンが、モーニングスターのついた斧を自在に振り回し桃に迫る。

 やがて選手たちが薬によって意識を失うと、桃の目に絶望と怒りが灯った。

 ふらつく身体を無理矢理動かし、自らの脚に刀を突き立てる。

 

「これで目が覚めたぜ。まだ死ねねえ。

 おまえをぶっ殺すまではな…!!」

 そう言うと桃は相手の急襲を受け止め、その武器を両断した後、返す刀で豪学連キャプテンの身体を貫いた。

 実況する鬼ヒゲ教官が桃の、そして男塾の勝利を告げる。

 直後、そろそろ薬の効き目が弱まり意識を取り戻した富樫たちが、ぽかんとした表情で身を起こした。

 鬼ヒゲ教官が、飲ませた薬が痺れ薬だとネタばらしをして、「その薬の後遺症で意志とは無関係に動き出す手足」によって、教官たち全員が一号生に袋叩きにあう。

 そんな中、外に控えていた大群の気配が動き出すのを、私は肌で感じ取った。

 そろそろ動き出さなければならない。

 

 もう、いい加減私の膝から退け、猫。

 

 ・・・

 

「久しぶりだな、伊達臣人。

 まだ生きておったのか。」

「フフフ、塾長にもお変わりなく。」

 塾の正門から堂々と、大軍を率いて乗り込んできた鎧カブトの男に、突然出てきた塾長が呼びかけ、男が挨拶を返す。

 どうやらこの男が、関東豪学連の大将で間違いないようだ。

 

 しかし、その『伊達臣人』という名に聞き覚えがある。

 確か塾史に書かれていた、赤石の事件の前に起きたもうひとつの事件の、関係者がそんな名前ではなかったろうか。

 つまりは一度はこの塾に在籍していたという事だ。

 …時間があったら後で塾史をもう一度読み返してみよう。

 一度目を通しただけだからかなり内容を忘れている。

 強い印象が残ってるのは赤石の事件くらいだ。

 塾長は「伊達臣人」に『驚邏大四凶殺(きょうらだいよんきょうさつ)』での決着を提案、もと塾生の伊達臣人は「男子本懐の極み」と、その提案を受けた。

 

 …ここまでがほぼ、三号生の目論見通りの展開。

 時は7日後の深夜、場所は富士山にて、双方4人の戦士を選び、戦うことになる。

 

 ☆☆☆

 

 だが、ここで三号生にとっても私にとっても、一つだけ計算外の事が起きていた。

 

「この、虎丸龍次という男は誰だ!?

 剣桃太郎とJ、富樫源次までは予想通りの選抜だが、何故最後の一人が赤石じゃない!?」

「入塾してより半年間、懲罰房にて200キロの吊り天井を支え続けた男です。

 私が体調管理をしておりましたから、健康状態には全く問題はありませんが、その実力は…未知数です。」

「なんにせよ、赤石に比べるとずいぶん見劣りする。

 我々はてっきり赤石を想定していたから、一部計画を練り直さねばならんぞ。」

 羅刹が唸るような声で言う。

 そこまで言わなくてもいいだろう。

 とりあえず私が半年世話をした男を、桃が覚えていて抜擢した事、私はちょっと誇らしかったのに。

 

 ・・・

 

 時間は遡りその日、いつものように食事を持って行った懲罰房に、もう虎丸の姿はなかった。

 ご飯を食べさせてから送り出そうとしていたのに、なんという勝手な事をするのかと憤慨して、着替えるのも忘れて鬼ヒゲ教官を問いただすと、一号生筆頭、つまり桃が、彼を驚邏大四凶殺のメンバーに抜擢し、連れていったのだと説明してくれた。

 まずその事に驚くよりも、彼の為に揚げた大量の唐揚げが無駄になった事に心を痛めていたら、うっかり女の姿で執務室に戻ってしまい、ドアの前で何の用でか待っていた桃と鉢合わせた。

 焦ったがとりあえず奴が消えるまで塾長のところにでも避難しようと思い、仕事用の顔で会釈して執務室を通り過ぎようとしたら、「…光だろ?」って声をかけられて終わったと思った。

 

 なんでバレたし。

 

 観念して、周囲に誰もいないのを確認して執務室に引っ張り込み、念の為これ以上他者が入ってこないよう鍵をかけてから、状況を説明するとともに、一応どうしてこの姿で私とわかったか聞いてみた。

 桃が言うには私には、驚いた時に出る癖があるのだとの事。

 確かに印象がまったく違うから一見して判らなかったけど、その癖を見てピンときたと言う。

 後学のためにそれがどんな癖なのか訊ねたが、笑って誤魔化された。

 

「それより、今の話だと虎丸の分の食事、まだそのまま残ってるんだな?

 申し訳ないがそれ、寮の食堂まで持ってきてくれないか?

 腹が減ったと言われて、飯だけは用意したんだが、それも足りなくなりそうなんだ。」

 と言われ、ならば着替えてから持っていくと言って、桃を部屋から追い出した。

 …着替えて化粧を落とすのは勿論だが、シャワーを浴びる時間はなさそうだ。

 それでも大急ぎで「謎の女」から「江田島光」に戻り、校舎から少し離れた寮へと向かう。

 …私が寮の食堂に着くと、何故か富樫が他の一号生に取り押さえられていた。

 

「あ、光!」

 私に気付いた田沢が声をかけてくるが、いやこの状況で私に注目を集めるな。

 案の定、その場の視線が私に集まり、明るい場所では初めて見る虎丸と目が合った。

 …気付かれる筈がない。私は「江田島光」だ。

 

「虎丸龍次ですね?食事係から伝言があります。

『最後にお会いできず残念です。せめてお食事は召し上がってください。』との事です。」

 早口で言いながら彼の前に皿を並べる。

 できる限り今は、早くこの場を離れたい。

 

「あ、あの人に会ったのか?」

「冷めますよ?

 彼女の気持ちを無にしないであげてください。」

 そそくさと言ってその場を去る。

 つもりだったが、何故か行く手を富樫に阻まれた。

 

「…あの飯、光が作ったんじゃねえのか?」

 空気を読んでか、小声で訊ねてくる。

 なんでわかったんだろ。

 確かに富樫は私の作ったものを食べた事があるけど、そのパターンを覚えるほどの回数ではない。

 単なる勘だとは思うが。

 

「…夢を壊さないであげてください。

 彼は、食事を運んでくる係だった女性が作ってくれていたと信じています。」

 嘘は言っていない。

 

「マジかよ。

 あの野郎、半年間懲罰房に居たくせに、その間おまえの作った美味い飯食ってやがったのか。

 俺たちよりずっと恵まれてたんじゃねえか。」

「…富樫も支えてみます?200キロの吊り天井。」

「…いや、遠慮しとく。」

 そんな会話を富樫と交わしていたら、後ろから視線を感じた。

 振り返ると、不思議そうな目でこちらを見ている虎丸とまた目が合った。

 なんだろう?

 やっぱり怪しまれているんだろうか?

 …だがもうすぐ出発の時間だ。

 私もこんなところでゆっくりはしていられない。

 富樫に軽く挨拶して、今度こそ去ろうと思っていたら、歩き出したところで勢いよく歩いてきた鬼ヒゲ教官とぶつかって弾き飛ばされた。

 

「ぬおっ!な、なんじゃ光どのか!」

「は、鼻うった…いや大丈夫、失礼します。」

 もうこれ以上はのんびりできない。

 私は鼻を押さえながらその場から走り去った。

 

「なあ、あれ、誰だ?」

「ん?あいつは塾長の息子の江田島光だ。」

「塾長の…息子?」

「おお、塾長秘書で事務員だが、わしらの保健の先生みたいなもんじゃな!

 なんか知らんがすげえ技を持ってて、怪我なんかしてもすぐ治してくれるんじゃ!」

「…ふうん。

 可愛い顔してんな。女の子みてえだ。」

 

 ☆☆☆

 

「このままでは、大威震八連制覇開催までに、8人の闘士は揃わぬだろう。

 Jという男が入ってきて、ようやく実力者が4人揃った。

 あと半数、その4人に匹敵する者を集めるには、互角に戦える敵を倒して、それを引き入れるのが早道だ。」

「関東豪学連の総長伊達臣人と、その側近3名。

 こやつらは是非欲しい。」

「だが、それはあくまで死闘を演じ、勝ちをおさめた後でなければならぬ。

 そうでなくば、全員納得はすまい。」

「そして全員生き残らねば話にならぬ。

 その為に、貴様の存在が重要なのだ。」

 

 ☆☆☆

 

 死装束のような真っ白い学ランを身に纏い、4人の闘士たちが戦いに赴く。

 …この戦いが、仕組まれたものとも知らず。

 大いなる茶番を演じる為に。

 

 そしてその茶番劇の裏方として、今、私はここにいるのだ。




散漫なのは認める。


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驚邏大四凶殺編
1・アウトロー・ブルース★


関係ないけど、THE ALFEEのロック系の曲は、Jの話を書く時に妙にしっくり来るんだ。


「ボクシングのルールでは、バックハンドブローは反則なんだがな。」

 あれは天動宮滞在の前日。

 例の、型だけのスパーリングから、軽く打ち合う方向(と言っても当ててるのは私だけでJは寸止めに終始してくれていた)に、ほんの少し進化したトレーニングを、校庭の桜の樹の下で行なっていた際、私が思わず繰り出してしまった裏拳での攻撃を、あっさりその太い腕でガードしながらJが苦笑した。

 

「失礼いたしました。

 一時間ほど前に桃と空手の組手をしていたもので、まだ頭の中で切り替えができていなかったようです。」

「…その足で俺のところに来たのか。

 光は意外とタフなんだな。

 それにしても、今のは反射的に出た動きだろう?

 これまでに、何か格闘技の経験があったのか?」

 Jに問われて、私は頷く。

 

「護身術程度の拳法なら、ほんの少しだけ。

 あくまでも危機的状況の時に身体が動くように、くらいの位置付けで、飼い…養父が雇っていた師範に教わりました。」

 いけない。

 飼い主、なんて言葉を使ったらまた赤石に怒られる。

 今は近くにいないようだが、油断はできない。

 どこからでも現れる可能性がある。

 

「恐らく、まともに修業すれば、かなりのものになってたんじゃないのか。

 …リーチの長さという、格闘家としては致命的なハンディが確かにあるとはいえ。」

 …Jは純粋に、褒めてくれたんだとは思う。

 けど、最後に余計なこと言った。

 

「…今、ものすごい地雷踏んだ事に気付いてますか?」

 大人気ないとは思うが、とりあえず睨んどく。

 

「…すまん。だが、本当だ。

 光には格闘技の才能がある。」

 そういえば、留学生が来た日に塾長室で会った、(ワン)とかいう人にも言われたっけ。

 自分ではよくわからないけれど。

 

「…俺としてもいい勉強になった。」

「え?」

 と突然、意外なことを言われ、私は思わず聞き返す。

 

「ここでの格闘術の授業は、基本的に異種格闘技戦のようなものだからな。

 いつも自分の得意のステージで戦える訳ではない以上、あらゆる状況や攻撃に対する心構えは必要になってくるという、いい教訓だ。

 …ボクシングのルールなら、俺とおまえのような、体重差のある同士が戦う事自体、そもそもありえない。

 だが、異種格闘技戦となる場合、おまえがどのような戦い方をするか、俺は瞬時に予測を立てねばならん。

 おまえの格闘スタイルがボクシングでない以上、さっきのような攻撃もあり得るわけだ。」

 …真面目だなあ、Jは。

 私が単にうっかりやっちゃった事まで、教訓にしちゃうんだから。

 

「例えば…そうだ。

 あの桜の花びらが、敵だったとしたら、おまえならどう対処する?」

 は?桜の花びらが…敵?

 

「凄いこと考えますね、Jは。

 そうですね、私なら…。」

 それは、予想もつかない動きで襲いかかってくる敵。

 こちらから攻撃しても、その動きに合わせてひらりひらりと躱される。となれば。

 

 ☆☆☆

 

「私は、救命はできますが救助はできません。

 そこは全面的に、あなた方にお任せします。

 どうぞよろしくお願いいたします。」

「承知した。そちらは任せておいて欲しい。

 こちらも光の力を全面的に信頼している。」

  三号生たちと、そのように話をして、最初の闘場へと向かう。

 ちなみにこの道行きだが、邪鬼様や、あの時彼の側に控えていた4人(死天王(してんのう)と呼ばれていた。羅刹と影慶の他、私に学ランを貸してくれたモヒカンが卍丸、もう1人の金髪スーパーリーゼントがセンクウというらしい)は同行していない。

 彼らが出張るほどの事ではない、という事であるようだが、今同行している三号生たちは、必要であれば私の指示に従って動いてくれるとの事で、改めて自身に課せられた期待の大きさを意識させられる。

 誰も…死なせない。敵も味方も。

 その為に、茶番劇と知りつつも私はここにいるのだから。

 

 両軍合わせて8名の男たちが、大きな鉄球を押し上げながら、富士山を登ってくる。

 先に着いて待機していた私たちは、それぞれの持ち場で彼らを待つ。

 驚邏大四凶殺一の凶・灼脈硫黄関(しゃくみゃくいおうかん)

 千度もの高熱をもつというマンガン酸性硫黄泉。

 戦いの足場は、突出点在する無数の岩のみ。

 見届け人の男たちが戦いの開始を告げ、それぞれの闘士が一人ずつ、鉄球と繋がれた足枷を外されて闘場に立った。

 

 

 男塾側闘士は、J。

 豪学連側闘士は、雷電という男。

 

 

 戦いは終始、雷電のペースで展開していた。

 

「伊達の側近のあの3人は、三面拳と呼ばれている。

 それぞれに中国拳法の奥義を極めた強者だ。

 中でもあの雷電が操る大往生流とは、古い歴史のある流派で、優れた体術と高い俊敏性に重きを置くという。」

 何故か私の隣で解説し始めた三号生のひとりが言う通り、雷電は足場の悪さなど何程のこともないというように、Jへの攻撃にヒットアンドアウェイの足技を繰り返す。

 しかもその爪先に刃物を仕込んである為、攻撃を受ける箇所によっては致命傷も免れない。

 ボクシングのリングの上であれば、Jとてフットワークに定評のある男だが、この足場ではそれが生かせず、ダメージが蓄積していく。

 それに、一発入ればそこで勝負が決まるであろうJのパンチに、足元を気にする為か今ひとつ切れがない。

 このままでは負ける。

 

 ☆☆☆

 

「………私なら、待ちます。」

 正直、軽い気持ちで訊ねただけだったが、光は俺の『桜の花びらが、敵だったら』の問いに、少し考えてから、そう答えた。

 

「待つ?」

「ええ。敵が、こちらに向かって攻撃して来るのを待ちます。

 その瞬間なら確実に動きを捉えられますから、相手を捕まえてから攻撃をします。」

 …こういうのを日本語では、『目から鱗が落ちる』と言うのだろうか。

 それは、少なくともボクシングのルールを前提として考えたら、相手を捕まえての攻撃など、絶対に出てこない発想だった。

 だが異種格闘技戦なら、そういった事も考えに入れておかないと、思わぬ形で敗北を喫する事になる。

 改めてそれを感じた。

 狂気を極めるにしても、俺の世界はまだ狭い。

 

 ・・・

 

 …何故このタイミングで、そんな事を思い出したのだろう。

 俺の対戦相手の雷電という男が繰り出す、つま先に仕込んだ刃物以上に鋭い足技に翻弄され、それでも何とか致命傷は避けながら、俺は考える。

 足場の悪さを、逆に利用するような、変幻自在の動き。

 押さば引き、引かば押す。

 そうだ。こいつはまさに、桜の花弁だ。

 あの時仮想敵として思い描いた、自分に攻撃して来る桜の花弁。

 ならば……!

 

「大往生───っ!!」

「…フフフ、そいつを待ってたぜ。

 今までは斬るばかりだったが、今度はとどめに突き刺しに来るってわけだ。」

「な、なに…!?」

 俺はファイティングポーズのまま微動だにせず、雷電の攻撃をそのまま胸で受け止めた。

 

「無駄だ。いくらあがこうが抜けやしねえ。

 胸の筋肉ってな人間の体で一番緊縮力の強い部分…これでもう逃がしゃしないぜ。」

 雷電の爪先に仕込んだ刃が、俺の胸に突き刺さったまま固定される。

 雷電は蹴りを繰り出した足を、俺に完全に取られた格好になった。

 後ろで俺の戦いを見守る仲間たちに、笑いかけながら、俺は言った。

 

「フフフ、先に地獄で待っている。

 必ず勝てよ…この『驚邏大四凶殺』。

 …俺の名前は男塾一号生、J!

 これがこの世で最後のマッハパンチだ────っ!!」

 瞬間、なぜか桜の下で一生懸命に拳を振るう、少年のような少女の姿が脳裏に浮かび…次にはその姿が、桜の花びらのように散っていった。

 

 ☆☆☆

 

 雄叫びをあげながらのJの一撃が完全に雷電を捉えた。

 そりゃそうだ。

 あの状況では、いかな雷電とて避けようがない。

 2人はそのまま、酸性の泉の中に倒れていく。

 

 勝負は…相討ち。

 

 だが、私たちの仕事はここからだった。

 J、その覚悟や見事。

 だが最後になんて私がさせないから安心しろ。

 

「急いで引き上げて、酸性の液体を洗い流してください!」

 私の指示で、三号生たちが動く。

 だが私たちの動きが生き残りの闘士たちの目に触れるわけにはいかない為、彼ら2人が落ちた瞬間を狙い、周りが見えないほどの濃い煙を立てておいた。

 これは闘士たちの目には、2人が落ちた瞬間に一気に立ちのぼった蒸気のように見える筈だ。

 その煙に身を隠して、鮮やかな救出劇が行われる。

 見届け人達は「千度の高熱」と言ったが、恐らく温度自体は大袈裟だ。

 この場合、皮膚を損傷しうるのはあくまで泉の成分の強い酸で、確かに温度は高いが、実際には100度に満たないだろう。

 とはいえ引き上げられた2人が全身火傷を負っている事実には変わりなく、全身を水で洗い流された後の皮膚は、かなりひどく焼けただれていた。

 

「お疲れ様です。

 後は5人ほど残っていただいて、残りの人数は先に二の凶へと向かってください。

 残りの方は私が治療を終えるまで待機していただいた後、4人は彼らを、それぞれの救護地点まで搬送してから、あとの1人は私と一緒に、それぞれ二の凶へ向かうという事でお願いします。」

「了解した。」

 全身の火傷だから、治療は広範囲に渡る。

 しかも2人ともだ。

 この後の事も考えて、完治まではさせずに、焼けた皮膚の再生とJが胸に受けた刺し傷の治療のみに留めておくべきだろう。

 両手の五指に氣の針を溜め、2人同時に、心臓に直接送り込む。

 こうしておけば血流とともに全身に私の氣が巡り、その氣が細胞を活性化させるだろう。

 Jの胸の傷はほっとけばほぼ致命傷なので、これだけは完全に塞いでやろうとは思うが、この後最高で6人に治療を施さなければならない事を考えたらここまでが限界だろう。

 少しずつ増やす努力はしているものの私の氣はまだ少なすぎる。

 後は、2人を安静に休ませてやれる場所まで運ぶ。

 この後三号生達の別動隊が彼らを迎えに来て、麓まで運んでくれるという手筈だ。

 もっとも、うちの塾生と豪学連のメンバーを、同じ場所に寝かせておくわけにもいかないのだけど。今はまだ。

 

「…お疲れ様です、J。そして、雷電。」

 

 近い将来、この者たちが手を携えて、共に戦う日が来る。

 その日の為に、私はここにいる。

 さあ、感傷に浸っている暇はない。

 次の闘場へ向かわなくては。




挿絵機能って奴を見つけて、ちょっと使ってみたくなった。
とりあえず光のイメージ。
【挿絵表示】
アタシの中では和服のイメージが強い。
てゆーか、実は学ランあまり似合ってないぽい。


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2・YOU GET TO RUN

この驚邏大四凶殺編に入る前に行なっておこうと思っていた筈の、富樫とのフラグ立て(ただし、BLバージョン)をすっかり忘れていた事にようやく気付いた罠。すまん富樫。どうやらおまえには潜在ビッチである筈のうちのヒロインとの芽すらないようだ。


 驚邏大四凶殺二の凶・断崖宙乱関(だんがいちゅうらんかん)

 鋼で編み上げた綱一本を命綱とし、それを握って断崖から吊り下げられた状態で、高所にて戦う空中戦。

 手を離したら命はない。

 

 

 男塾側闘士、富樫源次。

 豪学連側闘士、飛燕。

 

 

「あの飛燕という男、身軽で華麗な動きを旨とする鳥人拳の使い手と聞く。

 更にあの若さで中国拳法の秘中の秘とも言われる鶴嘴千本を極め、天才の名を(ほしいまま)にしていると。

 空中戦はまさにこの男の独壇場。

 これは、あの富樫という男、かなり分が悪いと言わざるを得ないな。」

 と、またも私の隣でさっきの男が解説してくれるのを聞きながら、心の中で舌打ちする。

 偶然ではあるのだろうがさっきの一の凶の時といい、なにやら一方的に相手のステージで戦う状況になってしまっている。

 そもそも私の見る限り、富樫には拳法の心得も刀剣術の基礎もない。

 彼にあるのは肉体の頑健さと根性、それに尽きる。

 それだけでこの驚邏大四凶殺の闘士のひとりとして名を連ねたわけだから、たいしたものといえばそうなのだが、私から見れば死天王が狼狽えた虎丸の選抜よりも、実は富樫の方が意外だった。

 どうも根性という目に見えない要素は、女の私よりも、男の彼らに重要な評価ポイントであるらしい。

 もっともこの闘場に関して言えば、ここで戦うのがもし赤石だったとしたら、その「根性だけはある」富樫よりずっと、とんでもない苦境に立たされていた気がするけど。

 …閑話休題。

 戦いは始まってみれば、やはり最初の予想通り、飛燕という男の独壇場だった。

 まるで翼が生えているかのごとき、その身の軽さはまさに『鳥人』。

 ロープを掴んだ手に体重がかかっているとは思えない動きで、そのロープの揺れを利用しながら、富樫に攻撃を与えていく。

 対して富樫は自身の体重を支えるのが精一杯と見え、反撃どころか防御すらままならない。

 やがて飛燕はその状態から器用に脚にロープを巻きつけると、懐から細長い針状の暗器を取り出し、それを投擲して富樫の右手首に打ち込んだ。

 打ち込まれた富樫の右腕がロープから離れ、だらりと下がる。

 

「あれが鶴嘴千本。

 あの飛燕が最も得意とする武器だ。」

 なるほど…あれは私が裏橘を用いて、赤石や豪毅の兄の獅狼に使ったのとほぼ同じ技だ。

 ただあの鶴嘴という針では、私が氣で精製する針に比べると明らかに太い為、その分ツボの奥に届く深さが制限される。

 私ならば同じ箇所に同じ攻撃を加えれば、強制的に五指を開いた上に、指先から肘までつったような痛みが走る事だろうが、あの場合は痺れて力が抜けるくらいだろう。

 しかしこの状況では、それで充分に致命的だ。

 そもそもあれは投擲武器だ。

 あの距離で正確に神経節に当てる事自体、神業としか言いようがない。

 やはり富樫ではここまでか。

 落下に備え、崖下に待機している一隊に、警告の合図を出しておく。

 そして飛燕の鶴嘴の第二撃が、残った富樫の左手を容赦なく貫く。

 そっちは辛うじてロープを掴んでいる手だ。

 そこから力が抜ければ…結果は一目瞭然。

 これで男塾側の一敗になってしまうが、むしろ大した怪我もない今のうちに落下してくれた方が、それを救出するだけでよく、私は何もしなくて済む。

 ドンマイ富樫。後は任せろ。

 

 と思ったのだが。

 落ちた、と思った瞬間、富樫は歯でロープを咥え、落下を免れていた。

 これが富樫の「根性」。

 まったく、要らんところで使いやがって。

 まあ、本人的には使わなきゃ死ぬ状況なんだから仕方ないのだが、その光景にその場の全員が驚愕する。

 飛燕は、今度は懐から爪形の武器を取り出して手に装着すると(というか、あんな大きなものをどこに収納…いや、そこはつっこんだら負けな気がする。止そう)、未だ手も足も出ない富樫に猛攻する。

 それまでは手首以外に目立った負傷などなかった富樫の、厚い胸板に血の花が咲いた。

 

「富樫───っ!!」

 

 ☆☆☆

 

「なぁ、よく考えたら『もみしだく』って、オッパイにしか使いどころのねえ言葉だよな?」

 関東豪学連の奴らが引き上げた後、救護室で手当てを受けながらの俺の言葉に表情を消したあいつが、ものすごく冷たい目をして、それでも言葉を返す。

 

「いきなり何を言い出すんですかあなたは。」

 唐突だったのは確かに認めるが、そんな、公園や通学路で下半身を露出する変態を見るような目で俺を見るのは止せ。

 泣くぞこの野郎。

 

「下ネタは、男同士のコミュニケーションだろうが。」

 本当のところ、こいつに対してそういう話題は厳禁と、塾長から釘を刺されてる。

 が、そう言われると、それがどこまでの範囲ならOKなのか、確認したくなるのが人情じゃないか?

 

「…そのコミュニケーション要りません。」

「なんだよ、ノリ悪ぃな…おめぇ童貞だろ。」

 更に温度の冷えた目であいつが俺を睨むのを見て、ちょっとからかってみる。が。

 

「…そういう富樫はどうなんです?

 経験あるんですか?」

 そっちは見事に反撃された。くそ。

 

「………あるわけねえだろうが。」

 嘘を言っても仕方ないので正直に言う。

 

「お互い様です。

 さあ、もうこんな不毛な話は止して、怪我は治療したんですから、さっさと教室に戻りなさい。」

 俺が答えるとようやく薄く笑って、あいつはその、女の子みたいに小さい手を、パンパンと鳴らした。

 その仕草が、子供扱いされてるようでちょっとムッとする。

 ふたつ年上だからって、こんなチビに。

 

「不毛とか言うな!

 おめぇには、宿題の為に開いた辞書にうっかり『乳房』みたいな単語見つけて、その後ついついそういう、いやらしい単語を引くのに夢中になって、気付けば宿題の事なんか忘れてた、そんな栗の花臭い青春の記憶はねえのかよ!」

 ちょっとムキになって言い募る。

 しょうもない事を言ってるのは判ってる。だが、

 

「ないわ!おまえと一緒にすんな!」

 適当に流されると思ってたら、あいつは同じテンションで言い返してきた。

 …よし、やっと同じ土俵に立てる。

 

「ねえのかよ!おめぇ本当に男か!?

 男なら大きいオッパイや、ミニスカートから覗くムチムチの太ももとかに、ロマンを感じるモンだろうが!」

「だから、さっきからなんの話をしているんですか!?」

「男の健康な性欲の話だよ!

 マスラオのマスせんずれば若き血潮ほとばしりじっと手を見る、そんな話だよ!」

「そんな若者のリアルな下半身事情とか聞きたくないわ!私に振るな私に!!」

 若干顔を赤くしながらあいつが言うのを聞き、ここらへんでもう既にアウトなのを理解した。

 こいつ男のくせに下ネタに免疫なさ過ぎじゃねえか?てゆーか…、

 

「…おめぇ、女に興味ねえのか?

 ひょっとして……ホモか?」

「……は?」

 俺の問いに、あいつはぽかんとした顔をする。

 そういえば、こないだこいつ、桃のやつと妙な事になってたし。

 考えてみりゃ桃の、こいつに対する態度も、おかしいっちゃおかしいよな?

 

「…そうだ。

 桃のヤロウも断煩鈴の時、一人だけ鈴鳴らさなかったし…やっぱりおまえらデキてんだろ?」

「……へ?」

 あと椿山なんか、こいつに惚れてるって公言してやがるし、それでちょっかいかけようとして、赤石先輩に睨まれてたらしいし。あ?

 

「…それとも、赤石先輩の方か、本命は?」

 いや待て。

 それ言うならJも、あの顔面神経痛みてえな仏頂面が、こいつに対しては妙に優しい。

 だが、そこまで考えたところで、心臓を圧迫されるような威圧感に気がついた。

 

「………私の事なら、どう思われても構いませんが、桃や赤石におかしな疑いをかけるのは、やめていただけませんか。」

 ゴゴゴゴゴ……!!

 地の底から響くような音が聞こえた気がした。

 そうだ、こいつ普段は穏やかだが、怒らせると結構怖いんだった。

 なんかもう、何をされるとかじゃなく、雰囲気が。

 

「うっ!す、すまねえ。そ、そろそろ戻るわ。」

 若干脚をもつれさせながら救護室のベッドから降りる。

 

「あ、富樫、上着。」

 慌てて扉に向かおうとする俺の背中に、あいつの声がかかった。

 

「お、おお。悪……いっ?」

 まだ脚がもつれたまま振り返ろうとして、バランスを崩す。

 思ってたより近くにあいつが、俺の上着持って立ってた。

 その身体を巻き込んで、救護室の床に転倒する。

 

「痛たた…。」

「わ、悪りぃ光。大丈夫……か……。」

 顔を上げると、滅茶苦茶近くにあいつの顔があった。

 …普段から女みたいだと思ってたが、こうして間近に見ると、ほんとの女の子にしか見えねえ。

 しかもとびっきりの美少女だ。

 

「…ねえ富樫。

 お節介かもしれませんが、普段からズボンの中に、ドス入れとくのやめた方がいいです。

 こうやって転んだ時、危ないですよ。」

「へっ?」

 一応有事の際は確かにそうして持ってるが、今は置いてきてる。

 こいつ、一体なんの事を言って……あっ!?

 俺は慌てて光から身体を飛び退かせた。

 どうしてこうなった!?

 

 …なんでか知らんが俺の分身が臨戦態勢で、光の内腿に当たってた。

 多分、こいつがドスと思ったのは、これだ。

 

「そ、そうだな。悪かった。じゃ、じゃあな。」

 俺は光の手から、奪い取るように上着を受け取ると、救護室から駆け足で逃げ去った。

 

 この後、俺が若き血潮をほとばしらせたのは言うまでもない。

 ちょっと、桃や赤石の気持ちが判った。

 

 ・・・

 

 どこかで光が、俺を呼ぶ声を聞いた気がした。

 へっ、女の子みてえな声出しやがって。

 だからホモ疑惑なんざかけられんだぜ。

 まあ、間近で見たあの時には、俺もちょっとだけくらっときたが。

 …ああ、光だけじゃない、桃の声が聞こえる。

 虎の声も……あいつには貸しがあったっけな。

 麓にいる筈の、松尾や田沢、秀麻呂の声もするぞ?

 おかしいな、ここは確か富士の……。

 

 フレー、フレー!富樫!!

 それは、富士をも揺るがす、男塾大鐘音。

 

 途切れそうだった意識がはっきりしてくる。

 目の前に迫ってくる、飛燕とかいうオカマ野郎の鋭い武器。

 俺は咥えていた綱を口から離すと、脚をそいつの腰に絡みつけた。

 

「フフフ、そうだ。俺は負けるわけにはいかねえ。

 てめえらとは、背負ってるもんが違うんだ。」

 俺の実力がこいつに及ばねえのは判ってる。

 だから、せめて刺し違えてでも。

 

「自分の命と引き換えに相討ちを狙う気か。

 まったく、どこまでしぶとい奴なんだ。」

 男のくせに無駄に綺麗な顔が、僅かな動揺を見せつつもニヤリと笑う。

 

「だてに毎日、血ヘド吐きながらしごかれてきたんじゃねえ。

 これからが男塾一号生・富樫源次の真骨頂だぜ。」

 俺の言葉に、そいつは怒りに顔を歪ませ、更に例の武器で攻撃してきた。

 バケモノ呼ばわり、結構じゃねえか。

 相変わらず手が使えない俺は、やっとの事で握っていたドスを、口に咥えて反撃した。

 奴のお綺麗な顔に、一筋の赤い線と、驚愕の色が走る。

 俺は勢いに任せ、同じ攻撃を再び繰り返した。

 と、奴が崖壁を蹴る。

 その振動で俺の身体がぐらつき、僅かに脚が緩んだ。

 刹那、奴の鷹爪殺(ようかさつ)と呼んだ武器が伸びてきて、俺の腹を冷たい感触が貫いた。

 …痛みが、一瞬後に遅れてやってくる。

 そこに追い討ちのように奴が俺の身体を蹴り……

 

 俺の身体は宙に投げ出された。

 

 ………。

 

 それはまさに奇跡だった。

 次の瞬間、落下していた筈の俺の身体は、谷底から吹き上げる風に乗って、さっきまで戦っていた高さまで持ち上げられていた。

 飛燕の美しい顔が、驚愕に歪んでいる。

 俺は咄嗟に、その長い髪を掴んだ。

 気付けばさっきまで力の入らなかった痺れた手に、握力が戻っている。

 

「どうだ、ここは引き分けというのは。

 おまえも一度死んで拾った命、大事にしたほうがいい。」

「たわけた事こいてんじゃねえ。

 俺が神風に吹かれて地獄から戻ってきたのは、てめえをお迎えする為だぜ。」

「フフフ、冗談じゃない。

 おまえと心中なんてまっぴらだ。」

 飛燕はそう言って鷹爪殺を振るうと、俺が掴んでいた長い髪を、根元からバッサリ切り落とした。

 再び落ちかかる俺の身体に蹴りを入れてくる。

 その脚を俺は掴むと、それを軸にして体勢を変え、渾身の蹴りを、奴のご自慢の顔にくれてやった。

 身体を捕まえている状態だ。

 もう絶対に逃げられない。

 

「地獄へ行っても忘れんじゃねえ!

 俺の名は富樫源次!!

 男塾一号生、油風呂の富樫源次じゃ────!!」

 俺の一撃で気を失ったのだろう。

 奴が顔から血を流しながら、ゆっくりと落下していくのがわかった。

 心残りは…ない。

 

「男塾万歳──っ!!

 必ず勝てよ、この『驚邏大四凶殺』!!」

 落下しながら、俺は何故か妙に高揚していた。

 

 ☆☆☆

 

 胸に多数の切り傷、腹部に深い刺し傷。

 富樫の負った負傷は、特に腹部のそれは肝臓にまで達しており、あと少し治療の手が遅れれば失血死していてもおかしくないものだった。

 それなのに…何故だ。

 いやその、なんだ。

 私は女を武器にして仕事をしていたから、実際に自分の身体に経験していないだけで、見るだけならその状態のそれを何度も見てきているわけだが…だ、だから、この程度の事で動揺など、決してしてはいない。

 してはいない、のだが…。

 

 なんでこの男、この状況で勃起してるんだ。

 

 いや、きっと戦闘による興奮と、死を目前にした生存本能がない混ざって、肉体におかしな反応が出ているだけだ。

 そう思う事にしよう。

 そう思っておく事にしておくが…失血死寸前の身体のくせに、血液を無駄遣いするんじゃない!

 しかしまあ、これで彼を表現する言葉は「頑健な肉体」「底なしの根性」の他に「強い生存本能」が加わった。

 個人的にはその前に『ゴキブリ並の』と付け加えたいところだ。

 …とりあえず致命傷となり得るのは腹部の傷なので、そちらを優先して治療を行う。

 切り傷は止血の手当てのみで済ませた。

 血液の再生までは手が回らないので、そちらは時間をかけて自然回復してもらうしかない。

 現時点でそこまでしていたら多分、氣を使い果たしてしまう。

 

「…帰ってから、血を作る為の美味しいもの、なにか作って差し入れしましょうか。

 お疲れ様、富樫。」

 三号生の誰かが回収してきてくれた帽子をかぶせてやりながら、意識のない富樫に語りかける。

 そういえば初めて会った時にも思ったけど、この帽子は制服に比べると随分くたびれている。

 この間塾史を読み返した時に、彼と似た名前をその中に見たし、ひょっとしたら親戚か肉親のお下がりなのかもしれない。

 …ただ、その人物の名前は、確か死亡者として記されていた筈だけれど。

 だとすると、お下がりではなく形見か。

 …少ししんみりしながら、ショートブレッド様の高カロリー食品をもそもそ口にし、申し訳程度にエネルギー補給をしてから、もう一人の治療にかかる。

 口の中の水分が一瞬にして奪われるのが気になったけど、それよりも。

 

「え…女の人?」

 私の前に運ばれてきた、豪学連側の闘士であるその人を初めて間近で見て、私はついそんな事を言ってしまった。

 

「…の訳がなかろう。」

 私の中で既に解説役という認識となった三号生が、それに冷静につっこむ。

 

「ですよね…。」

 顔だちは確かに女性と見紛うばかり、しかしその身体は一見華奢に見えはするがそれでも鍛え抜かれている。

 気を失っているのは落下の衝撃によるショックだけであり、その身体にはほぼ傷と呼べるものがなかった。

 先ほどの雷電に比べたら本当に軽傷だ。

 負傷は首から上に集中している。

 殴打による腫れと、頬の切り傷。

 どちらも富樫が付けたものだ。

 やはり富樫のスペックでは、達人レベルの格闘家相手では、これだけの傷を与える事しかできなかった。

 双方落下の相打ちに持ち込めた事は奇跡としか言いようがない。

 とはいえ、傷つけたのは顔である。

 ほっといても死ぬ事はないのだが、やはり気にはなる。

 この人が本当に女性だったら、富樫が責任取って嫁に貰わなきゃいけないレベルの罪ではなかろうか。

 本人が承知するかはともかく。

 ついそんなしょうもない事を考えながら、さっきまで富樫と死闘を繰り広げていたその男の、頭部全体を包むように五指でツボを押さえ、微弱な氣の針を優しく送り込む。

 顔は他の部位より皮膚が薄い為、その周囲の部分の細胞も同じように活性化しておかないと、最悪傷痕が残ってしまう。

 

「せっかく綺麗な顔してるんですから、勿体無いですものね…。」

 呟きつつ治療の効果を観察する。

 みるみる傷が塞がると同時に、癖のない真っ直ぐな亜麻色の髪がざわりと伸びた。

 頭部全体だからこれも仕方ない。

 これも富樫との戦いの時に切り落としたものらしいから、ひょっとして後になってから気付いて疑問に思うかもしれないけど、別にいいや。

 

 2人の治療を終え、先程と同じように5人借りて、搬送と私の護衛をお願いした。

 さあ、次の闘場が私たちを待っている。




下品。


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3・Glory Days

男w子wwのwww面www体wwwwww
後から考えると、月光を怒らせるって相当凄い事だった気がする。


「龍ちゃん、うちの子抱っこして〜!」

「横綱、うちの孫もね!」

「うちのも頼むぜ、龍次!」

 村祭りの奉納相撲が終わると、横綱に向けてかけられる声がこれだ。

 同年代の他の子供より発育が良かったおれは、10歳の年の祭りで初めて横綱を張って以来5年間、その地位を守り続けた。

 何せ奉納相撲の土俵に立つ『横綱』は、村で一番強い男の称号だ。

 おれがこの村に居る間は、誰にも譲るわけにはいかねえ。

 その、一番強い男の肉体に神が宿り、その脚が四股を踏む事で、大地の穢れを祓う。

 五穀豊穣を願う神聖な儀式だ。

 そしてそれが終わると、その年に生まれた赤ん坊を、次々と抱っこさせられる。

 力士の、神の宿った腕に抱かれた赤ん坊は、元気に育つという、古くからの習わしだ。

 …だが、15歳の年の祭りで、無事奉納相撲が終わった後にかかった声は、いつもと少しだけ違っていた。

 

「今は、龍ちゃんが横綱なの!?

 大きくなったのね〜!

 …うちの子、もう赤ちゃんじゃないけど、まだご利益あるかしら?」

 声をかけられて振り返ると、割と綺麗な、でもちょっと派手な女の人が、3つか4つくらいの小さな女の子の手を引いて、おれに笑いかけていた。

 一瞬「誰だ?」と思ったが、彼女本人じゃなく、連れた女の子の顔を見て、記憶の蓋が開く。

 

「ひょっとして、優花(ゆか)姉ちゃんか?」

 おれんちの3軒隣のうちの、7歳年上のお姉ちゃんだった。

 つか、うちとは姻戚っての?

 確か、うちの母ちゃん方の叔母さんの旦那さんの妹の娘、だった気がする。

 姉ちゃんは昔から美人と評判で、ガキだったおれも少しは憧れてた…少しだぞ?

 

「すぐにわかんなかったの?

 小ちゃい頃はよく遊んであげてたのに、薄情な子ねえ。」

 うちの村の周辺には、高校がない。

 進学しようと思ったら、村から出て下宿とか寮に入るとかするしかない。

 優花姉ちゃんも高校入学と同時にこの村を出ていって、それ以来会ってなかった筈だ。

 都会っぽい派手な化粧とか服装とかして、子供の手なんか引いてこられて、すぐにわかんなくたって仕方ねえよな?

 

「当たり前じゃ。そんな格好しとるんじゃもん。

 でも、この子は昔の姉ちゃんによう似とる。

 幾つじゃ?」

 おれが問うと、

 

「よんさい!」

 指を4本立てて、女の子は元気に返事をした。

 うん、賢い。

 これが同じ頃のおれなら、おんなじ台詞吐きながら、出す指は3本だった筈だ、ってやかましいわ。

 それに、おれはこの歳の頃の姉ちゃんは知らないが、もう少し大きくなったら、きっとそっくりになるだろうと、容易に想像できた。

 

「4歳か。名前は?」

「もか!」

「モカ?」

「桃香っていうの。

 この子の父親がそう呼んでたものだから。」

 この子の父親、という言い方に少し違和感を感じる。

 普通はうちの主人とか旦那とか言うもんじゃねえのかな。

 なんか人ごとみてえだ。

 それに、サラッと聞き流したけど過去形だったし。

 気にはなったけどそれ以上つっこめず、おれはもう一度女の子の方に向き直る。

 

「モモカちゃんか。

 抱っこしちゃるから、こっちゃ来い。」

「やだ!」

「ちょっと桃香〜!」

「ハハハ、振られちまった。」

「ごめんね、龍ちゃん。」

 すまなそうに苦笑する優花姉ちゃんの顔は、ほんの少し昔の面影を残していた。

 …後から聞いたところによれば優花姉ちゃんは、高校を中退して桃香ちゃんを出産してた。

 相手はバイト先の社長で、既婚者だった。

 優花姉ちゃんは相手が所有するマンションに桃香ちゃんと二人で住んで、時々相手が通ってくる生活を、4年間続けたらしい。

 が、先頃その事実が相手の奥さんの知るところとなり、姉ちゃんは慰謝料を請求されない代わりに相手と一生会わない事を誓約させられ、親娘共々追い出されて、村に帰ってきたそうだ。

 ともあれ、昔から美人と評判だった優花姉ちゃんが村に帰ってきたという事で、村の若い衆は色めき立った。

 冷静に考えれば、都会慣れした女が、この村を出たこともない世間知らずの田舎モンなんぞに心を動かす筈がないんだが、男に捨てられて帰ってきたんなら俺でもいけんじゃねえか、身体が寂しいだろうから、いっぺんくらいヤらせてくれんじゃねえか、みたいな空気が、奴らの中に漂ってるのは、おれが見ても判った。

 事件が起きたのはそんな時。村祭りのあった日から、2ヶ月ほど過ぎた頃だった。

 

 ・・・

 

「でもねえ、子供なんてすぐ、そのへんにフラッと遊びに行くもんでしょ。

 すぐ帰ってくるって。優花ちゃん心配し過ぎ。」

「それはこの辺の常識がおかしいの!

 普通は小さい子供ひとりで遊びになんか行かせないわよ!

 大体、隣村のナオトの弟が行方不明になった時だって、最初はみんなそう言って探しもしなかったじゃない!

 あの子、未だに見つかってないんでしょう?

 まして、桃香はまだ4歳で、女の子なのよ!?」

 隣の村に一つだけある中学校から、自転車こいでおれが帰ってきた時、半泣きの優花姉ちゃんがうちにいて、オフクロと話してた。

 

「あ、龍ちゃん!うちの桃香見なかった!?

 洗濯物取り込んでる間の、ちょっと目を離した間に居なくなってて…ここの村の子達と違って、普段、一人で勝手に遊びに行っちゃう子じゃないのに、絶対おかしいのよ!」

 …その瞬間、なんでそんな勘が働いたのか、今考えてもわからねえ。

 けど、それ聞いた瞬間に脳裏に浮かんだのは、その日の朝、おれが登校する為に姉ちゃんちの前を通りかかった時の事。

 不意に何か寒気を感じて、自転車を止めて振り返ったら、そいつが居た。

 村長の甥っ子のシンタ、歳は姉ちゃんと同じくらいだと思う。

 こいつは、父親が小学校の用務員をやっていて、時々その手伝いに行く以外は基本無職で、見た目も雰囲気もなんか暗かったせいか、村の子供の若い母ちゃん達からは密かに気味悪がられてる奴だった。

 そのシンタが、なんて言うかよく判らないが、なんだか嫌な目で、姉ちゃんちをじっと見ていた。

 なんだアイツと思いながらも、登校途中だったおれは、そのまま自転車を走らせた。

 ほんとにそれだけだ。それだけだったのに。

 姉ちゃんから話を聞いた途端、おれは走り出してた。

 急がなきゃいけない気がした。

 

「龍ちゃん!?」

 後ろからかけられてる筈の、姉ちゃんの声が遠くに聞こえた。

 

 ☆☆☆

 

 驚邏大四凶殺三の凶、氷盆炎悶関(ひょうぼんえんもんかん)

 氷のステージの下には、刃物よりも鋭い氷の杭が立ち並んでおり、ここに落ちたら確実に串刺しになる。

 更に天井に火が放たれ、氷のリングは時とともに小さくなり、また上から巨大な氷柱も落下してくるだろう。

 そもそも、氷が溶けきる前に勝負がつかなければその時点でアウトじゃなかろうか。

 この闘場での救助活動は、予測される事態が多岐にわたる為、人員が広範囲に振り分けられている。

 広くカバーしてはいるが、一箇所ずつ見ればそれまでより明らかに手薄で、正直不安だ。

 もっとも、私は救助には関われないから、その辺は彼らにお任せするしかない。

 少なくともこれまでは間違いなくやってきてくれたのだ。

 信じるしかない。

 

 豪学連側闘士、月光。

 

 男塾側は…桃が動き出そうとしている。

 あれ?

 あなたは大将戦まで動いちゃダメじゃないの?

 と思っていたら、虎丸が桃に、当身を食らわせてそこに足止めした。

 …桃は確かに、今の一号生の中では能力が突出していて、筆頭を張るのにこれ以上の人材はいない。

 が、やはり素は16歳の若者だ。

 どんなに完璧に見えても、時々の行動がまだ青い。

 リーダーとしての責任感よりも、リーダーであるが故に冷静になれず、感情が先に立つ時がやはりあるようだ。

 虎丸は、そこを制した。

 自分の立場と桃の立場、それらを今の段階では、桃より遥かに冷静に見て、判断している。

 

 かくして。

 男塾側闘士、虎丸龍次。

 

 氷のステージでの戦いが、今始まった。

 

「あの月光は、拳法、刀剣術、他様々な武術を極め、三面拳で最強と言われている。

 もっとも得意な武器は棍らしいが、それは今回は使わぬ腹のようだな。」

 一番得意な武器を使わないとか、どんだけ舐められてるんだ。

 とはいえ、あまり警戒されすぎていても困るわけで、まあいい事にしよう。

 私は虎丸の実力をよく知らない。

 そもそも桃ですら知らないのだろうし。

 その桃だが、月光と虎丸が戦い始める前に、既に目を覚ましていた。

 

「猛虎流二段旋風脚!!」

 先手を打ったのは虎丸。

 全身のバネを活かした、鋭い蹴りで猛襲する。

 虎丸は拳法を使うのか。初めて知った。

 けど、この動きは、ひょっとしたら我流なんじゃないだろうか。

 洗練されていないというかなんというか色々荒いし、恐らく師匠について正式に教えを受けた拳士なら、こうは動かないだろうと思う部分がたくさんある。

 それがある意味での意外性を生む可能性もなくはないが。

 とはいえ人間離れした怪力に筋肉の強さと関節の柔らかさ、身体能力の高さはかなりのものというか、これ以上ないくらい高い素質の持ち主だ。これは恐らく天性のもの。

 半年間200キロの吊り天井を支えていた実績は、下手すればズブくなっていてもおかしくないのに、それはその肉体に頑丈さとスタミナを与えはしても、その俊敏性を奪うことにはならなかった。

 それだけに、いい師について修行を重ねていれば、相当のものになっていたかもと考えると、実に惜しい。

 …この間私自身が、それと似たような事を言われたけど。

 そう言えば以前見た虎丸の経歴の欄に、「村相撲の横綱経験有り」とか書かれていた気がするな。

 村相撲って事は間違いなく、祭りの際の神事だろう。

 つまりあの身体は、元々は神の依代って事か。

 誰の手も入っていない、純粋な、神通力の器。

 神に愛され、その加護を受けた、完璧な肉体。

 神の宿りしその足は大地を清め、その腕はその地に生まれし生命を抱き、守る。

 

 …この子が誰にも邪魔されず、のびのび育つ事が出来たのは、その神の加護があったからじゃないだろうか。

 なにせこれほどの素質、組織の目に留まれば即、誘拐されて私と同じように、孤戮闘に放り込まれていただろうから。

 強さだけを考えれば、その方が確実に強くなれた筈だけど、御前が雇っていた師範が纏めていた戦士の中に一人だけいた、左手首に孤戮闘修了の証を刻まれていた私よりひとつ年上の少年が結構嫌なやつだった事を思えば、やはり虎丸は虎丸のままで良かったと思う。

 

 …話が逸れた。

 対する月光は最小限の動きのみで虎丸の攻撃を難なく躱すと、体勢を崩し氷上で滑って尻餅をついた虎丸に、無造作に蹴りを入れた。

 その衝撃により、摩擦の少ない滑るリングが、虎丸を窮地に陥れる。

 剥がれるんじゃないかと心配になるくらい氷に爪を立て、落ちる寸前でなんとか止まるが、月光はそこに更に蹴りを放ち、虎丸は身体のバネでそれを躱した。

 それにしても、同じ氷のステージに立っていながら、月光は足を滑らせる事も腰をぐらつかせる事もなく、ごく普通に足技を繰り出してくる。

 どうやら三面拳と呼ばれる男達全員、卓越したバランス感覚の持ち主で、それが優れた体術の裏付けをしているようだ。

 この月光という男は、他の二人よりひとまわり大きな体格をしているのでもう少し鈍重でもいいんじゃないかと思うが、もちろんそんな都合のいい話はなく、その動きは他の二人に勝るとも劣らない。

 三面拳最強の男か。

 虎丸も、とんでもない相手と当たってしまったものだ。

 

 そして、その三面拳を束ねる大将、伊達臣人。

 はたしてどれほどの強さであることか。

 

 苦し紛れに繰り出した虎丸の拳を、月光がやはり足技で逸らし、虎丸の顔面に連続で蹴りを入れてくる。

 それでもバック転で体勢を整え、構え直した虎丸を、冷たい目で月光が見据えた。

 

「教えてやる。道場拳法と殺人拳の違いをな。」

 言うや月光は服の袖に手をおさめ、次に引き出した時には、曲刀のような刃のついた手甲を着けていた。

 だから、あんな大きなものをどこに…いやダメだ、つっこんだら負けだ、負けなんだ。

 

覇月(はづき)大車輪(だいしゃりん)!!」

 そうして綺麗に剃髪してある頭を氷の地面につけて、ブレイクダンスのヘッドスピンのように回転しながら、両手の刃で虎丸を追いつめていく月光のその大技に、私は初めてこのステージもまた、相手の土俵なのだと気がついた。

 

「三面拳、ズルい───!!」

 思わず発した叫びは、隣の三号生の手の中に消えた。

 ナイスフォロー。取り乱してごめんなさい。

 

 ☆☆☆

 

「オッチャン、邪魔すんぜ!」

「うおっ!?何の用だ、龍次!靴は脱げ!」

 やつの父ちゃんに申し訳程度の挨拶をしつつシンタんちにずかずか踏み込んで、ヤツのいる筈の2階に靴も脱がずに上がり込んだら、案の定小汚い布団の上に、桃香ちゃんが寝せられてた………裸で。

 

「龍次!?い、いや、これはだな」

 なんかカメラ持ったシンタがあたふたしてるけど、この状況にどんな言い訳しやがるつもりだ。

 4歳児なんて赤ちゃんみたいなモンだろうが。

 それを裸に剥いて写真撮って、その後どうするつもりだった。

 考えるだけでおぞましい。

 

「問答無用───っ!!」

 おれはヤツの顔面に拳をぶち込んだ。

 一撃で、鼻血と前歯をまき散らしたシンタが気絶する。

 それから、なるべく桃香ちゃんを見ないようにして周囲を探した。

 服は…見当たらない。

 仕方なくおれは着ていた上着を脱いで、それで桃香ちゃんの身体を包んだ。

 そのまま、小さな身体を抱き上げる。

 おれの後を走ってついてきた優花姉ちゃんが、その光景を見て号泣し、次には倒れたままのシンタの股間を踏みにじった。

 女ってこええ。

 

 シンタは子供の頃、優花姉ちゃんの事が好きだったそうで、姉ちゃんそっくりの桃香ちゃんの小さな姿を、永遠にそのまんま留めておきたいという謎理論で連れ去ったという事だった。

 つまり、ほっといたら殺されてた可能性が高いって事だ。

 …だが幸い、桃香ちゃんの身体には傷も、おぞましい真似をされた痕跡も見つからなかった。

 本人は薬を飲まされて眠っていたから、後々まで残るトラウマなんかもなさそうだという事だ。

 

 …むしろ問題はおれの方だった。

 村長の甥をぶん殴ったからどうこうという事はない。

 状況が状況だけに、その件についておれを責める声なんぞ出るはずもなかった。

 だが、この土地を守る神様の力を宿した手で、この土地の者を傷つけ、その拳を血で穢した、それが問題だった。

 それによりおれは神聖な存在ではなくなり、横綱の地位を返上せざるを得なくなった。

 おれの肉体は、神様の加護を失った。

 だが、それと引き換えに、子供の未来を守れたんだ。

 子供は土地の宝だ。

 村の守り手だったおれに、後悔なんかあるわけがねえ。

 

「あたしは、ここに戻ってきちゃいけなかったのね。」

 優花姉ちゃんが哀しげに俺を見て言う。

 

「んな事ぁねえさ!

 どっちにしろ来年には、高校行くのにこの村を離れなきゃいかんかったしのう。」

「でも、今回の事件で、推薦入学が決まってた話が流れちゃったんでしょう?

 龍ちゃんは悪くないのに、あたしたちのせいで…。」

「だーからー、姉ちゃんたちはもっと悪くねえじゃろって!

 …東京にの、わしらみたいな、持て余されたモンも受け入れてくれて、男を磨いてくれる、男塾っちゅー私塾があるんだと。

 そこに願書出したから、姉ちゃんは心配せんでも大丈夫じゃ!」

 力士でいる間は攻撃に使わなかった拳と脚を、仮想の敵に対して存分に伸ばし、振るう。

 最初のうちは慣れずに腰がぐらついたが、何度か続けるうちにそれもなくなってきた。

 神様の加護を失ったからには、おれは自分の力で強くならなきゃいけねえ。

 

「…龍ちゃんは強いのね。」

「おお!

 男として生まれたからにゃそこ目指さんとな!

 にしても、見よう見まねでやってみとるが、拳法ってやつは、おれに結構合ってそうじゃ。

 今更師匠探すってのもアレじゃし、こうなったら、最強の流派の始祖になっちゃる!

 名前は…『猛虎流』!

 どうじゃ?強そうじゃろ?」

「姉ちゃんが言ってるのは、そういう意味じゃないんだけどなぁ…まあ、いいか。

 それが龍ちゃんだもんね。」

 姉ちゃんは少しだけ呆れたように笑ったが、すぐに真顔に戻って、おれの目を見つめて言った。

 

「…ねえ、龍ちゃん。

 今回、もし桃香に万一の事が起きてたら、あたし絶対に、アイツ殺して自分も死んでた。

 龍ちゃんは桃香だけじゃなく、あたしの事も助けてくれたの。

 神様の加護は失っても、あたしと桃香にとって龍ちゃんは、誰よりも相応しい横綱だわ。

 どこに行っても、それを忘れないで。

 桃香とあたしを助けてくれて、ほんとにありがとう。」

 言うと、姉ちゃんは、おれの首に抱きついてほっぺにちゅーしてきた。

 

 ☆☆☆

 

「上だ!虎丸──っ!!」

「わかっとるわい!」

 おれが助けた少女と同じ果実を名に冠したおれたちの大将の声に、おれは己に迫る大技を、宙に飛んで逃れる。

 落下しながら、その脚に蹴りを入れると、月光とかいうハゲ野郎は、氷のリングの端から、回転しながら落下した。

 そのマヌケな光景に、思わず笑いがこみ上げる。

 

「まんまと引っかかりやがって。

 おれがわざと追いつめられたフリをしてたのも知らずに。」

 だが次の瞬間、こみ上げた笑いが凍りついた。

 

「フッフフ…わたしをこの程度の事で倒せると思っているのか。」

 どうやら氷の崖壁に突き刺して落下を免れていたらしい、奴の覇月とかいう刃がおれの胸を切り裂く。

 一瞬遅れて襲ってきた痛みがおれの身体を硬直させるが、おれの身体はそうヤワじゃねえ。

 奴の追撃を躱しながら、おれは再びリングの端に追い詰められるが、おれにはとっておきの技がある。

 おれの挑発に乗って肉迫してきた奴の顔面に、おれはそのとっておきを放った。

 

「猛虎流奥義、大放屁!!」

 

 ☆☆☆

 

 …何故よりによってここから私視点だ。

 めっちゃコメントし辛いわ。

 あ、いや、なんでもない。

 とりあえず虎丸の「猛虎流」が、完全に我流である事だけは、これではっきりした。

 ていうか、どこの土地の神様なのかは知らないが虎丸の身体に降りてた神様、今の彼の姿を見てどう思いますか。

 土地を離れたならもう関係ないんですかそうですかそうですよね。

 そんな事より、虎丸の「とっておきの技」を顔面にまともに受けた月光はそこから明らかに怯んだ。

 というか、あまりの事に呆然としたのだろう。

 しばらくの間虎丸の反撃に、なんの反応もできずに身を任せていた。

 だが、やがて呼吸を乱しつつもゆらりと立ち上がると、その身から怒りのオーラを発しながら、虎丸を睨みつける。

 

「お、おのれ…!

 よくも男子の面体に屁などこきおって……!!」

 その怒りの形相と共に、月光の額に龍が現れる。

 胸と腕の筋肉が膨れ上がり、もともと大きな身体が更にひとまわり大きくなって、着ていた拳法着が弾け飛ぶ。

 そうして露わになった肌に、渦巻きのような文様と「一見必殺」の文字が浮かぶ。

 

「フフフ、久しぶりに見た…月光の怒粧墨(どしょうぼく)

 奴め、やっと本気になりおったか。」

 伊達臣人が、よく聞くと無駄に色気のある声で解説とも独り言ともつかない言葉を呟く。

 怒粧墨…流れからすると、感情の昂りによる急激な体温とかアドレナリン量の上昇とか、そういったものに反応する刺青という事だろう。

 だとすると、ただ相手を威圧する為だけに浮かぶものだとは思えないのだけれど。

 と、虎丸が放った渾身の拳を、月光は避けもせずまともに腹で受け止め…潰れたのは、虎丸の拳。

 

「怒粧墨…怒りは肉体をも鋼と化す。

 そんな拳ではもはや、わたしに通用せぬ。」

 ならばというわけでもなかろうが、今度は蹴りを虎丸が放ち、それが確実に折れる綺麗な音がした。

 やはりあの刺青の効果で、皮膚を硬質化したものらしい。

 どういう原理でかはわからないけど、怒りが引き金になってるのは間違いないようだ。

 月光が激昂したって事か。

 ……………うん、ゴメン。私が悪かった。

 私がそんなバカな事考えてる間に月光が、例の覇月という武器を手から外す。

 

「ここまでわたしを怒らせたおまえを、こんなものであっさりとは殺さん。

 …この鋼の拳で、粉ごなにしてやる!」

 言うや、鈍器と化した拳のラッシュが虎丸を襲う。

 虎丸は抵抗もままならずサンドバッグ状態。

 いいだけ殴ったところで伊達臣人が「早く勝負をつけろ」と声をかけ、月光は気を失っているらしい虎丸を持ち上げた。

 このままリングの下に待つ氷杭に叩き落とすつもりらしい。

 落下に備え、三号生達が動く。

 この場合、落下した闘士を秘密裏に回収する手段はどうするのだろう。

 わからないが任せるしかない。

 私の方もスタンバイしておこう。

 だが、虎丸は気を失ってはいなかった。

 どこから取り出したものかライターを取り出して火をつけると、…例の、先ほどの必殺技を繰り出して、それに火をつけた。

 

「大放屁火炎放射!!」

 顔面に炎をまともに受けた月光が顔を押さえて悶絶する。

 …正直、私も悶絶したい。

 

「てめえがいくら鋼だろうと、こいつは効いたようだな。」

「一度ならず二度までも!!こんなマネをして、貴様に勝ち目があると思っておるのかーっ!!」

「この勝負、おれの勝ちだ。

 次の策もちゃんと用意してあるぜ。」

 言うと虎丸は氷の地面に爪を立て、そこに一筋の線を引いた。

 それから、先ほど月光の鋼の肉体を殴って潰れた右の拳を、ためらう事なく地面に叩きつける。

 

「これが男塾一号生、虎丸龍次の実力じゃ───っ!!」

 その衝撃で、虎丸が傷付けた部分から氷が割れて、月光の足場が一瞬にして崩れる。

 驚愕の声をあげながら落下した月光の身体が、下の屹立氷柱に貫かれるのが見えた。

 

「負けたぜ、虎丸。おまえには……。」

「へっへへ。屁はイタチでも力は虎だぜ。」

 

 ちょっと待って───!!

 三号生の仕事どうなってるの───!?




無駄に冗長なエピソード入れたせいで、虎丸×月光…もとい虎丸vs月光の話が全然終わらないw
早く桃×伊達…もとい桃vs伊達の話に移りたいww


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4・Another One Bites the Dust

「驚邏大四凶殺」第三の凶、氷盆炎悶関(ひょうぼんえんもんかん)、勝負あり!!」

 見届け人の男の一人が片手を上げて、虎丸の勝利を告げる。

 

「三面拳最強と言われたあの月光が……。」

「ヘッヘへ、実力だっていってんだろ。」

 

 ・・・

 

「ちょ、早く月光を回収しないと!」

「暫し待て。上の奴らの注意を逸らさねば、我らの動きが知られてしまう。」

「そんな事言ってる間に、あの人が死んじゃったらどうするんですか!

 私は治療はできても死者を蘇生させる事は出来ません!

 そうなったら取り返しが…!」

「待て、様子がおかしい。」

「え?」

「あの男…意識があるぞ!」

 

 ・・・

 

「これは………!?」

「いかん、あまりに洞の中が暖まりすぎた為、氷壁が崩れ始めてきおった。」

 …どうも、この洞内の急激な気温上昇が三号生の仕掛けであったらしい。

 それにより避難を急がせて彼らを外に出し、それから負傷者を回収する計画の。

 …ていうか、それ救助に当たる人員にも相当な危険があるんじゃないの?

 

「急いで入ってきたトンネルより避難なされい!

 この洞全体が崩れ落ちるのは時間の問題でござる!!」

「さあ、これにて渡りなされい!」

 見届け人たちが、虎丸のいるリングに板を渡し、焦ったように桃が叫ぶ。

 

「虎丸、急げ!!」

「ったく冗談じゃねえぜ。

 これじゃあ命がいくつあっても………」

 だが、ここで予想外の事態が起きていた。

 救助する対象である月光が意識を取り戻し、氷のリングを支える氷柱を登り始めたではないか。

 

「むう、なんという執念。

 自軍に一敗を与えぬ為に、せめて相討ちを狙うか。」

「てな事言ってる場合かハゲ!」

「ん?」

「いえ何でも。」

 …最近心の声が口からだだ漏れる癖がついてきたようだ。気をつけなければ。

 そんな中、上では這い上がってきた月光に、虎丸が驚愕している。そりゃそうだ。

 

「おのれなどにそうたやすくたおされるこの月光か。」

 そう言うと月光は、虎丸に鋼の手足で乱打を加えた。

 もはや戦術も何もない、本当にただの殴る蹴るだ。

 そうか…あの怒粧墨(どしょうぼく)が消えていない事、生存の証として安心していたけれど、あれは体温の上昇よりも感情の昂りによって現れるものだった。

 あれが消えないという事実は、確かに生存も意味しているけど、同時に、感情の昂りが持続している…意識があるという事実の証明に他ならなかったのだ。

 だが、闘場の崩落が始まった今、まだ粘られると救助に支障が出る。

 闘士たちだけでなく救助する三号生に、甚大な被害が出る恐れがある。あと私も。

 そこまで考えたところで、私の足が地面から突然宙に浮いた。

 次の瞬間、私は隣の三号生の腕で、小脇に抱えられていた。

 

「え?え?なに!?」

「これ以上ここに居ると危険だ!

 勝負はまだついてはいないが、貴様を先にここから避難させる!!」

「えっ?ちょっ…」

「光を頼むぞ!

 我々は、奴らの勝負を見届け、負傷者の回収をしてから合流する!」

「承知!!」

 私を抱き上げている男が、言うや私たちが確保していた出入り口に向けて走り出す。

 

「待ってください!

 それでは残るあの人たちも、闘場の崩落に巻き込まれる危険が…!」

「我々は邪鬼様から、貴様の身の安全を第一にと厳命されている!行くぞ!!」

「待って…お願い、必ず全員、生きて戻って…!!」

 男の腕の中から振り返り、私は後方にまだ待機する三号生に向けて叫んだ。

 いつの間にか溢れた涙が氷の欠片に混じり、消えていった。

 頼むから死に急ぐな、男ども。

 

 ☆☆☆

 

 生きて戻って…!!

 

 這い上がってきたバケモノハゲにタコ殴りされ、首を極められた瞬間に、なんだかわからねえが、あの人の声が聞こえた気がした。

 懲罰房に居たおれに半年間、食事を持ってきてくれてた女の人だ。

 見た感じの年齢は、優花姉ちゃんと同じくらいだったか。

 名前は、最後まで教えてくれなかった。

 清楚で、綺麗な人だと思った。

 吊り天井のトラブルの時に、結構気の強い本性隠してたのがわかっちまったけど、それだって幻滅するほどのギャップじゃない。

 最後にもう一度会いたかったな。

 最後のメシも美味かったけど、できれば顔見てごちそうさまって言いたかった。

 

「総長、お先に脱出なされい!

 この月光、こやつの息の根を止めてから行き申す。」

 一瞬甘い記憶に浸りかけたおれを、月光の不粋な声が現実に引き戻す。

 そうだ。ここの闘場は今危険なんだった。

 

「ウム、まかせたぞ。」

 奴らの大将が、こいつを信頼しきった様子で背を向ける。

 一方で、俺たちの大将は、おれを心配して動けずにいる。

 

「虎丸───っ!!」

 これじゃまずい。

 おれは首を極められながらも、精一杯声を張り上げた。

 

「桃、何をぐずぐずしてる!

 ここは俺にまかせておけ!」

 だが桃は動かない。くそ、何やってやがる。

 

「早くいくんだ、このままおまえまで死んじまったらどうするんじゃ───っ!!」

「馬鹿言うんじゃねえ。

 このままおまえを見捨てていけるか。

 おまえの勝負、最後まで見届けるぜ。」

「馬鹿野郎───っ!!」

 全滅した時点で俺たちの、男塾の敗北が決まる。

 そしたら、先に逝ったJや富樫が、何の為に戦ったのかわからねえだろうが。

 焦るおれに、月光がせせら嗤いながら言う。

 

「何をたわけた事を。

 仮にあやつが生きて脱出し、われらの総長と戦っても、万にひとつの勝ち目もあると思うかっ!!

 あのお方こそ『驚邏大四凶殺』の覇者となるにふさわしいお方よ!!」

 そう言うと月光は、そばに落ちていた尖った氷杭を手にした。

 

「こいつでとどめじゃ───っ!!」

 おれの腹が、その氷杭に貫かれる。

 その冷たい感触に、おれの身体が崩れ落ちる。

 駄目だ。脚が身体を支えきれない。

 

「虎丸───っ!!」

 桃の声が遠くに聞こえる。

 

「おまえもこれで心置きなく脱出できるだろう。

 わたしもそろそろ行かせてもらう。」

 おれを貫く氷杭から手を離した月光が、先ほどおれに渡された板を、拾うのが見えた。

 目の前を、その足が通り過ぎようとする。

 おれは夢中で手を伸ばすと、その足首を捕まえた。

 

「き、貴様!」

 驚愕に慄く月光に構わず、おれは桃に訴えかける。

 

「行くんだ桃…Jや富樫、そして俺の死を無駄にするんじゃねえ。」

「は、離さんか───っ!!」

「ヘッヘへ。虫のいい事言ってんじゃねえ。

 てめえも地獄へ道づれだぜ。」

 と、天井からの氷の量が急に増えて、見上げると円柱形の氷の塊が、おれたちの頭上に落下してくるのがわかった。

 

「天井の中心の支点柱が抜けた──っ!!

 あれが完全に抜けたら、この洞はひとたまりもなく崩壊するぞ──ーっ!!」

 月光が叫び、おれも桃に向けて叫ぶ。

 

「桃、早くトンネルの中へ入れーっ!!」

 それでもまだ桃は、呆然とこちらを見つめたままだ。

 …このタイミングで何故か唐突に、またあの人のことを思い出した。

 

『あなたが死ぬなら、私も一緒に死にます。

 私を死なせたくないなら、根性で耐え切ってください。』

 逃げろと言ったおれの言葉に首を振り、強い目をおれに向けた彼女。

 自分の命をおれに預け、おれを奮い立たせる為。

 その根底に、おれならば可能であるという信頼が、確かにあった。

 今の状況は違う。

 桃、おまえが命を張ったところで、おれはもう助からねえ。

 俺の為に死んじまったら、それは単なる無駄死にだ。

 

「ば、馬鹿野郎───っ!!」

 俺は桃に向かって叫ぶと、月光の身体を抱え上げ、落ちてくる支点柱をそれで受け止めた。

 これでおれの手が塞がっても、こいつはもうおれを攻撃できねえ。

 間違いなく地獄へ道づれだ。

 

「さあ行くんだ桃。

 これでもまだわからねえなら、てめえに男塾一号生筆頭としての資格はねえぜ。」

 おれの言葉に、桃が氷の壁を、力任せに殴りつけるのが見える。

 

「忘れねえでくれ。おれの名は虎丸龍次。

 今度生まれ変わってくる時も、桜花咲く男塾の校庭で会おうぜ。」

「………………ああ忘れねえ。

 虎丸龍次って大馬鹿野郎の名をな……。」

「それでいい。さあ行け。

 もう決して後ろを振り向くんじゃねえ!

 必ず勝てよ、この『驚邏大四凶殺』ーっ!!」

 桃の白殲ランの白い背中を見送ると、おれの意識は暗闇に沈んだ。

 

 生きて戻って…

 

 悪いな。そのお願い、聞いてやれそうにない。

 

 ・・・

 

「またせたな。」

「フッフフ、いい顔になっておる。

 友を三人なくす前とは別人のような、闘う男の顔だ。」

 

 ☆☆☆

 

 …結果から言うと、三号生は全員、無傷とは言えないが戻ってきてくれた。

 これまでの戦いで一番重傷の虎丸と月光を連れて。

 

 私をあの場から連れ出した後、あの洞は完全に崩落したのだが、どうやら彼らの仕掛けによる気温上昇が功を奏し、落ちてきた氷は中央の支点柱以外ほぼ全体が溶けて脆くなっており、三号生たちを下敷きにするほどの塊ではなくなっていたそうだ。

 ただ、その支点柱の下敷きになった闘士2人は、そもそもが重傷だった事もあり、救出された時には失血と低体温で瀕死と言ってよかった。

 どっちも大して変わらないが、敢えて比べるとより重傷なのは月光の方だ。

 というか、正直生きてるのが不思議なくらいのレベル。

 あの伊達臣人という男に対する忠義ゆえか、それとも三面拳最強の男の誇りゆえなのか。

 恐らく両方が、本来なら死んでいてもおかしくない身体を突き動かしていた。

 それにしても、遠くから闘う姿を見ていた時は、とても恐ろしい男に見えていたのに、こうして横たわって目を閉じている顔は、なんて穏やかなのだろう。

 全身の傷をほぼ完璧に塞いでから、造血の処置をする。

 こればかりはひとつでも傷を残したら、せっかく血液を増やしても流れ出てしまうから仕方ない。

 月光の治療を終え、次は虎丸の番だ。

 足の骨折は、綺麗に折れてるから通常の手当だけで済まして、潰れた右の拳は治してやらなければ。

 でも何よりも腹部の刺し傷。

 刃物ではない、氷杭で穿たれたそれは、ひどく大きく口を開けており、正直見るに耐えなかった。

 腹部全体に氣の針を打ち込む。

 もこもこと皮膚が盛り上がってきて、傷はすぐに塞がったものの、傷自体あまりにも大きかったせいか、内部が完全に治癒するまで長時間の睡眠を経た後、同じ治療をあと2回ほど続けなくてはならないだろう。

 それから拳を治療して、先ほどの月光と同じように、造血の処置を施す。

 と、目の前がぐらりと揺れたと思ったら、全身の汗腺から汗が一気に吹き出てきた。

 まずい…氣を使い果たした。

 まだ、桃と伊達が…四の凶が、私を、待ってるのに……。

 

 私は己の身体を支えきれず、治療を終えたばかりの虎丸の胸の上に倒れこむと、そのまま意識を失った。



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5・Running Wild

 桃たちが出立する前日、赤石と会った際に、ふと思いついて訊ねてみた。

 

「伊達臣人というのは、どのような男だったのですか?」

 当時一号生筆頭だった伊達臣人が教官を殺害して出奔したのと、赤石が筆頭不在の一号生を血祭りにあげた事件は、ほぼ同時期に連続して起きている。

 関連性が全くないと思う方が不自然だろう。

 だが、当の本人に事件についてを問うのはあまりにも無神経な気がして、そのような聞き方をしてみたのだが、私の問いに赤石は、らしくもなく遠くを見るような目をして答えた。

 

「伊達、か。奴は…全てにおいて秀でていた。

 何をやらせても完璧で、苦手なモンなんざなかった。

 …だが、秀で過ぎてて、並ぶ奴が居なかった。

 だから、筆頭として立てられた後は、他の一号生は、奴におんぶに抱っこで、何にもできねえ腑抜けになっちまった。」

「全てにおいて完璧…なんだか、桃みたいな人ですね。

 桃の場合その完璧さが、仲間を駄目にする事はなさそうだけど。」

 私が言うと、赤石は少しだけ考え込んでから、またゆっくりと口を開いた。

 

「…確かにな。その点だけに関して言や、そうだ。

 なんなんだろうな。この違いは。

 …伊達に、てめえの兄貴を足して2で割ったら比較的、剣に近いのが出来上がりそうだが。」

 …ますますわからなくなった。

 そもそも私の知ってる兄と、赤石の知ってる兄では、微妙に違う。

 私は11歳半までの兄しか知らない上、その記憶すら断片的だし、赤石が兄と交流していたのは17歳で亡くなるまでのせいぜい半年くらいだという。

 お互いの時間が重ならない以上、わからないのはしかたないのかもしれない。

 まあでも敢えて言うなら桃は、仲間を信じる事を知っている。

 そして、桃に信じてもらえる事で、仲間は更なる力を得る、気がする。

 その点、ここに居た時の伊達臣人は、孤高の存在だったのだろう。

 彼にとって同じ一号生の仲間は守る存在ではあっても、頼る存在ではなかったのだ。

 

 赤石の事は…どうだったのだろう。

 どう思っていたのだろうか。

 私がなんだかんだで赤石に頼っているから言うわけではないが、同じ一号生に頼れないなら、せめて赤石に頼れば良かったのだ。

 赤石は、自分を慕ってくる者は見捨てない。

 厳しいけど、本質的には優しい人だから。

 桃や邪鬼様を見てもそうだが、そこはやはり筆頭の資質なのだろう。けど、

 

「…俺は認めてたぜ。奴の事ぁな。

 だから、奴が守りたかったものを、残った奴らが自分から、台無しにしようとすんのが、許せなかった。

 …結局、伊達が守ろうとしてた奴らを、俺は全員ぶった斬った。

 本末転倒だ。笑い話にもならねえ。」

 赤石が、自嘲気味に笑って背を向けた。

 一瞬、その背中が小さく見えた。

 

 …と思ったら違った。

 

「え!?

 …すいませんいきなり話変わって申し訳ないんですけど、刀、メッチャ長くなってませんか!?」

 いつか一緒に出かけた時は服の下に隠してたけど、塾敷地内では普通に背負ってる赤石の刀が、いつも見慣れてるものに比べると遥かにデカイ。

 長さだけなら桃の身長と同じくらいあるだろう。

 もう絶対服の下には隠せない。

 

「…こいつが斬岩剣(ざんがんけん)兼続(かねつぐ)、一文字流の御用刀だ。

 本来、一文字流(いちもんじりゅう)斬岩剣(ざんがんけん)ってのは、これを使いこなす為の剣技で、俺はガキの頃から、こいつの重さに耐えうる修行をしてきた。

 これと同じ重量の鉄棒での、毎日千回の素振りから始まってな。」

 あー納得。

 この腕と脚の筋肉の太さも、腰骨の大きさも、この刀の為のものだったってわけか。

 刀に対してこんな見方をするのは間違っているとは思うが、そう言われると確かに今までのものよりも、赤石には似合っているように思う。

 にしても…現実問題として、抜けるんだろうか、この刀。

 

「…今、ちゃんと抜けるのかと思ったろ?」

「なんでバレたし。」

 思わず心の声がだだ漏れたら、ものすごく呆れたような顔してため息つかれた。

 それから、何かもの言いたげな目をしてじっと私を見た後、何故か口元がニヤリと笑みの形に歪む。

 更に、デカイ手がぽんと頭に乗せられた。

 

「てめえが富士から帰ってきたら見せてやる。

 …だから無茶だけはすんな。」

 …あ。こっちもバレてる。

 しかも、多分だが止めても無駄だと諦められてるし。

 

 ☆☆☆

 

「あか、し……。」

「ん?気がついたか?」

 目を覚ました時、私は三号生の一人に背負われていた。

 どうやら移動中であるようだ。

 背中に綿入れのようなものを着せかけられているのは、雪が降ってきているからか。

 

「あっ…申し訳ありません。降りて歩きます…」

「貴様ひとり背負うのに苦労はない。

 いいからギリギリまで休んでいるがいい。

 この先は大将戦だ。貴様の力が回復せぬ事には、最終的に手詰まりにもなりかねん。」

「ありがとう、ございます……。」

「好きな男の夢でも見ていたのか?」

「えっ?」

「赤石は幸せ者だな。

 貴様にそれほど想われているとは。」

「…なんの事ですか?」

「覚えていないのか?

 目覚める直前に、赤石の名を呼んでいたぞ?」

「それで、何故好きな男の夢とか…あっ。」

 半分寝ぼけながら対応していたのが急に目が覚める。

 なんかはてしない誤解があるようだ。

 ひょっとして三号生の間では、私は赤石の女だというのが共通認識だったりするのか。

 …でも考えてみれば、赤石が過保護すぎるせいで江戸川以下他の二号生からはそろそろおかしいと思われ始めてるぽいし(二号生は赤石を怖がってるから表立っては言わないけど)、一号生の間では例の昼寝事件のせいで一時期、桃と衆道関係結んだと思われてた。

 ちなみに以前赤石がその噂を知ったのは、未だに桃に対して含みを持つ江戸川が、それとなく赤石の耳に入れたものだったらしい。

 策士か。アイツ意外と策士なのか。

 なので私も後でそれとなくシメておいた。

 それとなく、物理で。

 つか富樫なんか両方疑ってやがったしあの野郎。

 更に当事者の桃に至っては、もう面白がっちゃってまったく否定しないし、逆に『葉隠』の一文とか持ち出して、

 

「若年の時、衆道にて多分一生の恥になる事あり。

 心得なくして危ふきなり。

 云ひ聞かする人が無きものなり。

 大意を申すべし。

 貞女両夫にまみえずと心得べし。

 情は一生一人のものなり。

 さなければ野郎かげまに同じく、へらはり女にひとし。

 これは武士の恥なり。

 ……俺の心は、もう光だけのものだからな。

 安心していいぜ。」

 とかみんなの前でワケ判らん事言い出す始末。

 滅べ。

 なんかもう社会的な私の立場、相当アレな気がしてならない。

 ソレ考えたら、三号生は私を女だと知ってる(最初、全員に知られててメッチャ驚いたけど、全員に通達した上で緘口令を敷く方が隠すよりも私が安全だという、邪鬼様と死天王の判断だったらしい)分、認識的にはまだマシだし、表立って口にする事もないわけで。

 なら訂正するのも面倒だからもうそれでいいや。

 今はお言葉に甘えてもう少し寝よう。

 

 ……………。

 

「それにしても、ここまでで全て引き分けとは痛いな。」

「そうだな。

 この大将戦で勝てなければ、たとえ全員生き残っても、奴らを引き入れるのが難しくなろう。」

「やはり赤石がメンバーにおれば、せめて一勝くらいはできていたであろうに。」

 夢うつつに男たちの会話が耳に入ってくる。

 言われて思い出したせいか、なんか無性に赤石に会いたくなった。

 けど、瀕死の赤石を治療するなんて私は御免だ。

 その場面、絶対に冷静じゃいられない。

 

 ☆☆☆

 

 雪の富士山頂。

 驚邏大四凶殺四の凶、頂極大巣火噴関(ちょうきょくたいそうかふんかん)

 富士山頂の火口を利用した天縄闘(てんじょうとう)

 天縄闘とは、蜘蛛の巣状に張られた石綿縄の八方から火をつけ、その上で闘うというもの。

 石綿縄の火が全てに燃えわたるまでにおよそ一時間。

 それまでに勝負がつかなければ、両者とも火口に落下し、一巻の終わりである。

 私たちがそこにたどり着いた時には、桃と伊達臣人の闘いは既に始まっていた。

 先発隊が用意した待機場所に降ろしてもらう。

 三号生の1人が、今はすることもないのだから少し休んでいろと、例のショートブレッド様のブロック菓子と、イオン系飲料をくれた。

 綿入れのような防寒具に包まりながら、それらを摂取して僅かながらでも体力の回復をはかる。

 本当はもう少し眠った方がいいのだろうが、ここまで来て眠れるわけもない。

 せめて動かずにいることにしよう。

 白装束と黒い鎧兜。刀と槍。

 男塾一号生筆頭と元筆頭。

 桃と伊達臣人、二人の息もつかせぬ攻防が、足場の悪い天縄網の上で繰り広げられる。

 

覇極流(はきょくりゅう)千峰塵(ちほうじん)!!

 うぬにこの穂先見切れるか───っ!!」

 伊達臣人の槍から連続の突きが繰り出される。

 それは桃の目には、一瞬で千本もの槍に襲われるように見えているだろう。

 辛うじて急所を躱すのがやっとというところで(私などからみればそれ自体が既に神業だ)、桃は身体全体に一瞬にして無数の傷を受けた。

 更に攻撃を躱す際に足場の縄を踏み外し、落下しかけるその身体は、寸でで縄を掴んだ腕一本で、天縄網からぶら下がる格好となる。

 足場の悪さ。状況によっては空中戦。炎による時間制限。

 どうやらこの闘場、これまでの一、二、三の凶の、いやらしいところばかりを集めたステージのようだ。

 誰が考えたこんな事。

 

「それが男塾一号生筆頭か、『驚邏大四凶殺』第四の凶・頂極大巣火噴関、もはや勝負あったわ──っ!!」

 その桃の頭上から歩み寄り、槍を構えながら、伊達臣人が高笑う。

 

「そいつは俺のセリフだぜ。」

 桃はそう言うと、縄をしっかりと掴んで身体を揺らし、その遠心力と身体のバネで、一瞬で天縄網の上に飛び乗った。

 それから抜く手も見せずに刀を抜き、伊達臣人の胴を逆袈裟に斬り上げる。

 だがその攻撃は桃の刀に、刃こぼれを生じさせるにとどまった。

 

「フフフ、その太刀なかなかの業物らしいが…しかしこの黒銅鋼でかためた鎧には通じはせん。」

 …むー。ズルいよ伊達臣人。

 いや、防具の使用はルール違反じゃないから仕方ないけど、なんかちょっとズルい。

 今の、まともに入ってたら、勝負決まってたじゃない。

 …いや、防具がないならないで、躱す行動取ってるか。

 アイツだって馬鹿じゃない。

 むしろ切れる方だろう。

 ごめんなさいシロウト考えで。

 

「まだまだ火がまわりつくすには時間がかかる。

 一生に一度あるかないか、この大舞台、じっくり楽しませてもらう。」

 ひょっとしてこの男、戦闘狂のケがあるんじゃなかろうか。

 いや絶対そうだ。

 考えてみれば塾長からこの驚邏大四凶殺の提案を受けた際、『男子本懐の極み』とか言ってたよ!

 いや男子ひとくくりにすんな。

 そんなん思うのおまえだけだよこの変態!!

 ごめんなさい言い過ぎました。

 再び同じ目線に戻ってきた桃を見据えながら、伊達臣人は槍を振るい、桃がその攻撃の瞬間に斬りつける。

 と、桃の鋭い斬撃から飛び上がって身を躱した伊達臣人は、桃の刀の上に飛び乗った。

 その勢いで、長い脚で桃の横っ面を蹴り飛ばす。

 あんな重そうな防具を身につけていながら、なんという身の軽さか。

 

「冥土のみやげに見せてやろう…覇極流蛇轍槍(じゃてつそう)!!」

 そして伊達臣人の次の攻撃は、蛇のようにぐねぐねと曲がりはじめた槍の攻撃だった。

 いわば三節棍のもっと長いやつに槍の穂先がついたようなイメージだが、あれを自在に操るのは容易なことではあるまい。

 その穂先が予想外のところから桃に向かってくるのは勿論、ガードして逸らせば、そこからまた変化して、再び穂先が襲いかかってくる。

 

「生きた蛇のように獲物を毒牙にかける蛇轍槍!

 穂先が貴様の胸を貫くのも時間の問題だ!!」

 御丁寧に説明ありがとう伊達臣人。

 避けても避けても向かってくる変幻自在の槍の穂先の、間隙を縫って、桃が足元の縄を蹴る。

 桃の身体が、伊達の頭上より高く飛んだ。

 

「ほう、たまらず上へ飛んだか。

 槍を相手に頭上からの攻撃は、自ら死地に飛び込むのも同然。

 それこそ思うつぼよ。」

 嘲笑う伊達臣人に向けて、桃が白い学ランを投げつけ、それが一瞬伊達の視界を遮る。

 その一瞬に桃が攻撃を仕掛けるも、伊達は瞬時に桃の意図を見抜き、槍の一撃を返してきた。

 桃の肩から鮮血が散る。

 

「そんな小細工が通用すると思うか。

 こう実力の差があっては勝負にならん………!!?」

 だが次の瞬間、伊達の顔を覆っていた仮面が、バラリと二つに割れて、落ちた。

 

「何を寝言を言っている。

 どうやら御自慢のその鎧も、あてにはならんようだな。」

 体勢を立て直して、桃がいつもの余裕の笑みを浮かべて言った。

 

「フッフフ、そうだ。これでいい。

 それでこそ『驚邏大四凶殺』最後を飾るに相応しい勝負になろうというもの。」

 やはり怖い笑みを浮かべて言う伊達の、露わになった貌の両頬に、六条の古傷が見えた。




そういや、どこかに書いたつもりで書いてなかった、今更だけど光のスペック他。

江田島光(本名:橘光?)
9月20日生まれ 乙女座 AB型
身長152.5cm体重??kg
全体的に小柄で細っこく子供っぽい印象。
でも胸だけは、サラシ巻いて抑えてる上に周囲に比較対象がいない為自分では貧乳だと思ってるけど意外と小さくない。
(最初の設定では中性的な感じの長身モデル体型だったのだが、制服着せたら飛燕とイメージかぶる上、アタシの脳内イメージではちっちゃくした方が可愛かった。)
割と潔癖症気味で、食事を抜いても掃除と入浴は欠かさない。
本当は動物もあんまり好きじゃない(というか、孤戮闘修了後暫くの間、小動物を『新鮮な肉』としか捉えられなかった時期があり、今でも感覚として可愛いという感情が抱けない)が、何故か高確率で懐かれる。けど藤堂家の猫にはメッチャ嫌われてた。
暗くて狭いところと、一人きりで取り残される状況、逆に数人に取り囲まれる状況とかがちょっと怖い。
甘いもの大好き。黒蜜ときなこの組み合わせは神。お菓子に甘さ控えめというヌルい概念は必要ない。バナナはおやつに入らない。
関係ないがコロッケはおかずじゃなくおやつとかいう馬鹿は遠足の時バナナ以上に困れ。
嫌いな食べ物はないけど、人工甘味料の後味は苦手。
ぱっと見には落ち着いて細やかで女性らしい性格だが、その辺は無意識にだが結構作ってる。色々抑えて生活してるが素は甘えん坊で我儘で泣き虫。そのくせ理屈っぽい、結構めんどくさい女。けど、頭撫でてくれる人には懐く意外とチョロいタイプ。
本人朧げにしか覚えていない幼少期の育てられ方が特殊だった為、根っこのところで不自然に男っぽいところがある。時々変に口が悪いのはそのせい。
特技は本人気づいてないが忘却。覚えていようと思った事の記憶力自体はいい方なのだが(橘流(たちばなりゅう)氣操術(きそうじゅつ)裏橘(うらたちばな)の古文書は全文丸暗記してる)、不必要、或いは不都合な記憶は綺麗に忘れられるアタマの持ち主。これによって精神の崩壊を防いでる事が一度ならずある。家族の記憶とか思いがけず抱いてしまったターゲットへの思い入れとか…。


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6・流砂のように

原作では、この前の話からここに至る間の僅かな時間に、桃が伊達に投げつける為に脱いだ学ランまた着てるのに気付いて、つっこむべきかスルーすべきか迷ったんだが、アニメで見たらフツーに着直しててワロタwww


 六忘面痕(ろくぼうめんこん)…二世紀中国漢代後期、大罪を犯した咎人に科した刑罰のひとつ。

 六つの徳を忘れた反逆の徒という証に、左右合わせて六条の傷を、顔面に切り刻んだという。

民明書房刊「古代刑法全」より

 

 伊達臣人がその傷を負った経緯については、私は赤石から聞いていた。

 …が、実際に目にしてみると、改めてその凄惨さが浮き彫りになる。

 伊達はその新任教官から、他の一号生を守ろうとしたのだと、赤石は考えていた。

 真剣で挑んで来いと言う教官に、誰も名乗り出る事をしなければ、誰彼構わず目についた者が指名されて、その者が死んだかもしれない。

 だから伊達は自分から名乗り出て、その時にはその教官を、手にかける決意をしていただろうし、それ故六忘面痕を刻まれた時、敢えて抵抗しなかったのだろうと。

 だからこそ赤石は、守られた筈の一号生たちが、その命を捨てようとするのが許せなかった。

 

 “…結局、伊達が守ろうとしてた奴らを、俺は全員ぶった斬った。

 本末転倒だ。笑い話にもならねえ”

 でも、赤石は誰も殺さなかった。

 最後の一線だけは辛うじて守った。そう思う。

 

 仮面が外れた伊達臣人が、先ほどよりも速さを増した蛇轍槍(じゃてつそう)を繰り出してくる。

 

「いまだかつてこの蛇轍槍、唯一匹とて獲物を逃したことはないわ───っ!!」

 高笑いしながら徐々に追いつめてくる伊達の攻撃を、急所だけはなんとか躱しながらも、桃の表情に焦りの色が見える。

 そんな桃を余裕の表情で観察しながら、伊達臣人は次の攻撃に移った。

 

「覇極流奥義、蛇轍眩憧槍(じゃてつげんどうそう)!」

 今度は円の動きから繰り出される槍の突きに翻弄され、桃の身体が血飛沫を上げる。

 やはり間一髪で急所を避け、後退していくも後ろの炎に遮られる。

 後が無くなったと見るや、広範囲からの伊達の攻撃が一点に集中し始めた。

 桃の腕がその穂先の前に晒され、手首を貫かれる。

 それにより穂先の動きを封じ、伊達の間合いに入らんとする。が、

 

「もらったぜ、『驚邏大四凶殺』!!」

 伊達臣人は突進してくる桃に向けて頭を突き出した。

 兜を飾る二本の角が桃の身体を貫く。

 なんとか心臓は避けたものの、今度は伊達が突進してくる。

 次の瞬間、伊達は桃の手足を捕まえると、その身体を頭上に抱え上げ、背中に兜の角を突き立てた。

 

「覇極流体術・卍天牛固(まんじてんぎゅうがた)め!!」

 桃は手にした刀を口に咥え、両手を使って、身体への角の侵入を抑えようとする。

 だがこの不自然な体勢からでは、充分に力を出せるわけもなく、背中から心臓を貫かれるのも時間の問題だ。

 

「桃っ!!」

 思わず叫んでしまい、隣に控えていた三号生がそれを制した。

 

 ☆☆☆

 

 光……?

 何故だろう、あいつに名前を呼ばれた気がした。

 こんな状況であいつの声が聞こえる気がするなんて、俺も大概だな。

 

 …初めて会った時から、なんだか不思議な奴だった。

 不思議な術を使って、俺が肩に負った怪我を治してくれた。

 あいつが治療するのを何度か見ているうちに、あいつの技が氣功術の一端だと理解できたが、だからと言って真似できるものじゃない。

 人体の構造や急所を、あいつは下手すれば医者以上に理解しているだろう。

 だとすれば、あの技は人を癒すと同時に、殺すことも可能ではないだろうか。

 そんな思いを漠然と抱いていた時に、あいつの氣が一瞬にしてドス黒いものに変わった瞬間を見た。

 カナリアの件からのあいつの説得に、感極まった椿山が、あろうことかあいつを押し倒した時だ。

 あの瞬間、あくまで優しく穏やかに話をしていたあいつは消え、代わりにドス黒い氣を纏った、冷たい目をした、見知らぬやつがそこに居た。

 あれはまさに『殺氣』と言うべきもの。

 俺が咄嗟に椿山に当身を食らわせて止めなければ、あいつは躊躇なく椿山を殺していただろう。

 あの瞬間に確信した。あいつの技は人を殺せる。

 そして実際に殺した事があるであろう事を。

 だが、それでも。

 不思議な事にあいつからは、母親のような『匂い』がした。

 それは、実際に嗅覚で感じたものではないのだろうが、そうとしか表現できない感覚。

 見た目だけでなく本当に女ではないかと、思い始めたのもその『匂い』のせいだ。

 男なら本能的に惹きつけられずにはいられない、安らぎと、持て余すほどの深い愛情を、その小さな身体に内包しているように思えて、それを無性に欲しいと思った。

 それは冷酷な殺人者には似つかわしくないものだ。

 正直、どう扱っていいか判断しかねた。今も同じだ。

 黒と白。邪と聖。殺す手と癒す手。

 どちらが本当のあいつなのか。

 俺には判らない。今は、まだ。

 

「いい加減に観念したらどうだ。

 この俺を相手にここまで戦えば、死んだ貴様の仲間も褒めてくれるだろうぜ。」

 背中に走る激痛と伊達の言葉が、一瞬気が遠くなりかけた俺を現実に引き戻す。

 

「フッフフ、馬鹿言うな。

 このままブ様な負け方をして、地獄に迎えてくれるような奴等じゃねえ。」

 そうだ、俺はまだ死ねない。

 こいつを倒すまでは。

 

「最後だ。言い残す事あらば聞こう。

 下界にいる貴様の仲間達へ伝えてやる。」

「大きなお世話だぜ。」

「死ねいっ!!卍天牛固め落花輪(らっかりん)!!」

 俺の身体を角に突き刺したまま、伊達が跳躍する。

 高い位置から俺の身体を地上に叩きつけるような大技だ。

 だが、目指す先は地上ではなく炎を纏った天縄網。

 俺に言わせれば勝負を焦ってのこれは愚策だ。

 瞬間、俺の身体が己の体重から自由になり、その一瞬に俺は刀を手にして、叩きつけられる直前に縄を切り裂いた。

 切れた縄を掴んで落下を止め、その勢いを借りて、伊達の身体を蹴り飛ばす。

 そのまま火口に落下するかと思いきや、伊達は先ほどの蛇轍槍を伸ばし、それをまだ張っている縄に絡めて、やはり落下を防いだ。

 だが既に縄全体に火がまわりきっており、俺の掴んでいるそれも、焼け切れる寸前で俺の皮膚を焼く。

 

「………仕方ねえ。

 おまえを道づれに、地獄へ飛び込むしかなさそうだ。」

 俺の言葉を聞き、伊達が腰に下げた刀を抜く。

 飾りだとは思っていなかったが、この男、槍だけでなく刀も使うのか。

 

「伊達、おまえは確かに強い……。

 しかし俺は、死んでいった三人の仲間達に約束した…必ず貴様を倒すとな!」

 

 聞こえるぜ、大鐘音のエールが……!!

 ありがとうよみんな…おまえらの事は決して忘れない。

 J、富樫、虎丸……俺も今行くぜ。

 おまえらのところに……。

 

 光…………。

 

「俺の名は男塾一号生筆頭、剣 桃太郎!!」

 俺は綱から手を離して両手で刀を構え、渾身の一撃を、伊達に向けて繰り出した。

 

 ☆☆☆

 

 伊達に一撃加えたと同時に、カウンターの如く同じだけの一撃を胸に受けた桃が、天縄網から落下していく。

 あの下は溶岩ではなく有毒の赤酸湖だそうで、危険ではあるが、闘士の身柄を回収するのに10分ほどの猶予があるとの事。

 見届け人が一度、伊達臣人の勝利を告げるも、次の瞬間、伊達の鎧と兜が切り裂かれて落ち、伊達本人も同じく落下する。

 刃こぼれが生じていた刀であの鎧を切り裂き、下の身体にダメージを与え得たのは、桃が刀身に纏わせた氣で、切れ味を増したからだろう。

 相討ち。誰からともなくそんな言葉が出る。

 だがその時、見届け人の男たちの声が響いた。

 

「双方命あらば聞かれい!」

 言いながらどうやら下にロープを下ろしたところを見ると、桃も伊達も意識はあるらしい。

 男たちは赤酸湖の毒性についてを説明し、更に縄が一人分を支えるだけの強度しかない事を告げて、最後の勝負を促した。

 

「ありがたい。

 これで相討ちとなれば、奴らをこちらに引き入れるのが難しくなろう。」

「それにしても、あの伊達がこれほどまでに強いとは。

 つくづく3年前の事が惜しまれる。」

「だがあの剣というのもたいした奴よ。」

 などと、三号生たちが話をしているのが聞こえたが、私にはもはや奴らの打算や計画などどうでもいい。

 私のいる場所からは勝負の行方は見えない。

 結果が出るのを待つしかない。

 あとは、祈るしか。

 

 …勝って、桃。

 

 ☆☆☆

 

「地獄にはまだ先がありそうだぜ。」

 俺と、遅れて伊達が落ちた火口は、有毒ガスの発生する空間だった。

 下げられた綱で、登っていけるのは勝者のみ。

 得意の槍を失った伊達が、刀を抜いて挑み掛かる。

 それに応じて刀を振るう、その俺の耳に、脳裏に、仲間たちの大鐘音のエールが響く。

 ここには居ないはずのあいつらの声が、鮮明に。

 

 “死ぬな…負けるんじゃねえ、桃”

 “この大塾旗が見えるだろ”

 “桃……!

 俺達はこの旗の(もと)に身も心もひとつだぜ!!”

 

 “勝って…桃!”

 

 尽きかけていた力が、身体の奥から湧き上がる。

 

「き、貴様、どこにまだそれだけの力が……!?」

「おまえには聞こえないか、この大鐘音のエールが…おまえが今相手にしているのは、男塾一号生全員の魂だ。」

 だが、この火口に満ちる毒ガスは、無慈悲に俺の意識を奪おうとする。

 俺は刀の切っ先を己の爪先に立て、その痛みで、閉じようとする意識を無理矢理覚醒させた。

 

「さあ、来い伊達!!」

「フフフ、さすがだ剣。

 その執念…俺にもおまえの後ろに、男塾大塾旗が見えてきたぞ。」

 俺も伊達も、既に体力は限界。

 その最後の力を一撃に込め、伊達が勝負に出た。

 俺はその一撃を刀で受け止める。

 押し負けたら、最後だ。

 俺は手にした刀に氣を込めた。

 気合で、額のハチマキが切れる。

 なおも押してくる伊達の刀の、その刀身に、俺の刃と触れている部分から亀裂が入った。

 そのまま伊達の刀が折れ、その勢いのまま俺は、刀を横に薙ぎ、伊達の胸板を切り裂いた。

 伊達が断末魔をあげて背中から倒れる。

 とどめを刺そうと歩み寄った時、奴の左腕に、何かが見えた。

 

「俺の負けだ、さっさととどめをさせ。」

「こいつが見えなければぶっ殺していただろう。」

 伊達の言葉に、俺は刀の切っ先を使って、伊達の袖の破れた部分をはねのけた。

 それは男塾血誓痕生(けっせいこんしょう)。この戦いで散った三面拳の…ヤツの、仲間達の名前。

 仲間を思う気持ちは、俺もこいつも変わらない。

 こいつを殺しても死んだ仲間は生き返りやしない。

 

「時間がねえ。俺の肩につかまるんだ。」

 俺は伊達を背負って、ロープを登り始めた。

 

「おやめなされい!ロープが切れまする!!」

「それにこれでは『驚邏大四凶殺』覇者としての資格はありませんぞ!」

 上から見届け人たちが、慌てたように俺に向かって叫んでいるが、今更そんな勲章なんざどうだっていい。

 と、俺の背中で伊達の声が聞こえた。

 

「礼を言うぜ…おまえのような男と、悔いのねえ勝負をできたことをな………。」

「フッ、何を今更………!!」

 言葉の途中で、背中に感じていた重みが消える。

 手を伸ばそうとするも、その時には伊達の身体は、既に手の届かない所へ、真っ逆さまに落下していくところだった。

 

「さらばだ、剣!」

 高笑いしながら落ちていくヤツを、俺はただ見ているしかできなかった。

 

 ☆☆☆

 

「めでてえだと…ふざけるんじゃねえ!

 そんな紙っぺら貰ったって、死んでいった奴らは帰ってきやしねえ!」

 戻ってきた桃に、見届け人たちが『驚邏大四凶殺』成就の証を差し出すも、桃はそれを受け取らず、真っ二つに切り飛ばした。

 それが本当に最後の力であったようで、倒れるように地に膝をつく。

 見届け人が彼に手を差し出すのを拒み、桃はその場に横たわった。

 見届け人は少し考えるように立ち止まっていたが、やがて諦めたように桃を置いてその場から立ち去った。…え?

 

「な…何やってんの、アイツ?」

「どうやら、下山せずにここで命を終わらせるつもりのようだな。」

「あンの………馬鹿っ!!」

 聞いた瞬間、頭に血が上った。

 思わず飛び出そうしたところを、三号生に取り押さえられる。

 

「なんで止めるの!?離して!桃が死んじゃう!!」

「落ち着け。ヤツのことは俺たちに任せろ。

 ここでヤツを死なせたら、我らのここまでの苦労が水の泡だ。

 必ず生かして下山させるから、貴様は伊達の方を頼む。」

 そうだった。

 あの火口の下に落下した伊達を、三号生の別動隊が回収に行っている。

 そして私は、虎丸と月光が想定したより重傷だった為、一度氣を使い果たしている。

 僅かな睡眠と糖分によって若干回復はしたものの、恐らくは一人回復させれば終わりだ。

 ならば、毒ガスの影響を受けて神経の働きが低下しているだろう伊達を優先的に治療して、桃の方は通常の止血と手当てだけで一旦凌ぎ、私の氣が回復するのを待って改めて治療に入る方が、確かに合理的だろう。

 

「…わかりました。どうか、桃を頼みます。」

「心配するな。貴様も、伊達を必ず生かせ。」

 というような会話を交わし、私は伊達の回収を待った。

 まったく心臓に悪い。

 

 ・・・

 

 私の前に連れてこられた伊達臣人は、確実にチアノーゼを起こしていた。

 肺の機能が弱まっているのが明らかで、既に呼吸が弱い、というより、ほぼ、無い。

 解毒を施し、心肺機能の活性化を図るが、完全に回復するまでには若干の時間がかかる。

 その間に酸欠で死んでしまったら元も子もない。

 考える間もなく、伊達臣人の形のいい鼻をつまみ、口から直接息を吹き込んだ。

 私と伊達臣人以外の、その場にいる全員が、息を呑んだ気配がしたのは気のせいか。

 まあそんな事はどうでもいい。

 数回繰り返すと、肺が思い出したように自力呼吸を再開して、厚い胸板が上下する。

 ほっと息を吐いた途端に、お決まりの発汗が起きた。

 言わずと知れた、氣が尽きた合図。

 けど、もう大丈夫。後で全員の治療を改めて行うにしても、それは私の氣が完全回復してからで充分間に合うのだから。

 とにかく、眠い。

 気が遠くなり、伊達臣人の身体の上に倒れそうになる寸前で、誰かの手に支えられた。

 そのまま、同じ手が私の身体を軽々と姫抱きする。

 

 誰……?

 目を開けてその腕の主を確認しようとしたが、私の意識は、そこで完全にブラックアウトした。

 

 ☆☆☆

 

「邪鬼様!」

「皆の者、大儀であった。

 この大豪院邪鬼、心より皆に感謝する。」

「…勿体なきお言葉。」

「…貴様もな、光。

 よくやってくれた。礼を言うぞ。」




驚邏大四凶殺、桃vs伊達の回のアニメを見返してみたら、作画のいいのもさることながら、全盛期のお二人の声のエロさにクラクラきた。
これを普通に見ていられた当時のアタシを褒めてやりたい。
そんな事を考えながら卍天牛固めのあたりを書いていたら、「足首を掴んで身体を貫く」とか、表現によってはすごく卑猥になる事に気づいて己の心の汚れを自覚した。


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緩流安息編
1・あなたの渇き、癒すまで


この章は基本的にフラグ立てのみ。


 …目が覚めたら天動宮の、以前私が滞在していた部屋に寝かされていた。

 一瞬、『虎丸がお腹を空かせてる!』と思って焦ったが、あの子がもう懲罰房から出されている事を思い出して安堵した。

 もう彼の食事の心配を私がする必要はない。

 でも半年続けた事だけに、この感覚はしばらく残るだろう。

 

 というか今、お腹が空いているのは私だ。

 枕元の時計を見ると18:48とある…え?

 確か、あの場で伊達の治療を施していた時に、朝日が昇るのが見えた筈だ。

 という事は、大まかに見てもあの時点で朝の5時から6時の間くらい。

 つまり、少なくとも12時間以上眠ってしまっていた事になる。

 というか、もし日をまたいでいたら36時間以上なんだがそれは。

 そらお腹も空くわ。

 でも何よりも先に、お風呂に入りたい。

 ここのお風呂は十数人一度に入れる大きなお風呂の他は、邪鬼様の部屋にしか設置されておらず、ここに滞在していた時には、厳重に人払いされてから大きなお風呂を一人で使わせてもらっていた。

 いくらなんでも、今日はそこまで甘えさせてもらうわけにはいかないだろう。

 

 起き上がってから、ふと気づく。

 富士ではずっと制服姿だったものが、今着ているのは、ぶかぶかのTシャツの下は下穿き一枚のみ。

 サラシまで外されている。

 

 またこのパターンか、くそ。

 まあ塾長の時は全部だったから下穿き一枚残ってただけましだが、どいつもこいつも乙女の柔肌をなんだと思ってやがるのだ。

 見ると、私の制服はきちんと洗濯されアイロンがけもされて、寝台の横のサイドテーブルに置かれている。

 サラシも新しいものが用意され、制服と一緒に置かれていた。ありがたい。

 まあ、できればお風呂に入って綺麗になってから身につけたかったけれど。

 誰のものかは知らないが、着せられていたTシャツを脱ぐ。

 それから、新しいサラシに手を伸ばした時、唐突に部屋のドアが開けられた。

 

「──っ!?」

「……!!し、失礼した!

 まだ、眠っているとばかり…!」

「いいから黙ってむこう向いて下さい!」

 乙女の部屋にノックもなしに入ってきた金髪のスーパーリーゼントに、私は手にしていた脱いだばかりのTシャツを投げつけた。

 

 …どうやら私が寝ている間に、部屋に花を飾ってくれようとしたらしい。

 思いつくのが遅かったと苦笑いしながらセンクウが「持って帰って部屋に飾ってくれ」と手渡してくれたピンク色のバラの花束は、芳しくも爽やかな香りがした。

 

 ☆☆☆

 

 深夜11時を少し過ぎた頃、センクウに教えられた、男塾にほど近い一軒の日本家屋を、私は訪れていた。

 この場所は三号生が、依頼のあった要人警護の際、必要があれば対象者を避難させる為に使っている家だそうで、見た目に反して警備システムが完璧に整っているそうだ。

 渡されたカードキーで門を開けて中に入る。

 教えられた、一番広い部屋をそっと覗くと、4組の布団が敷かれ、そこに一人ずつ寝かされているのがわかった。

 

 豪学連側の闘士、伊達臣人と、その配下の三面拳。

 

 私の治療は、最終的にはまとまった睡眠時間を必要とする為、彼らはここに運び込まれた後、しばらくは目を覚まさないよう薬を使ってある。

 個人差はあるだろうが恐らくは、明日の朝くらいまでは目を覚ます事はない。

 

「…総長とお揃いにならなくて、良かったですね。」

 飛燕という男の顔に、傷が残っていないのを目で確認して、私はそう独りごちる。

 あの時すぐに治療したからまず残らないとは思っていたものの、見える場所だけに心配だった。

 雷電の全身の火傷も、月光の背中の刺傷も、経過は順調そうだ。

 …うん、我ながらいい仕事をした。

 それから最後の男に目をやって、思わずため息をつく。

 

 関東豪学連総長、伊達臣人。

 飛燕とはタイプが真逆だが、鎧兜を外してみれば、こちらも男らしく整った顔だち。

 その名の通り『伊達男』というわけか。

 それだけに頬に刻まれた、6本の古傷が本当に勿体無い。

 この傷だってついて直ぐに治すことができたなら、こんなに痕を残す事なく塞ぐ事ができたのに。

 しかしまあとりあえず、この闘いで負った傷は、全てではないが深いものは塞いでやったから安心しろ。

 この後に桃の治療が控えてるから、お前にばかり氣を取られるわけにはいかないが。

 ああでもせめて、この左腕に刻まれた、仲間の名前くらいは消してやろうか。

 死に別れたならともかく、全員生きているのだから、残しておく必要もあるまい。

 むしろ残しておいたら彼らの間で、黒歴史扱いになる可能性が高い。と、

 

「これは…!」

 何気なく取ったその左手首に、私にとっては馴染んだ文様が刻まれていた。

 もっとも私のは、鏡を使わなければ、自分では見えないけれど。

 六芒星をモチーフにしたそれは、私の背にあるものと同じ。

 御前のもとにいた時に一人だけ、同じ文様の刺青を、やはり左手首に持った少年がいた。

 そしてかなり余計な情報ではあるが、私はそいつが大嫌いだった。

 それはさておき、その刺青は、紛れもなく孤戮闘修了の証。

 つまりこの『伊達臣人』も、あの地獄を生き抜いた一人という事だ。

 

「うっ…。」

 伊達が呻いて身じろぎをする。

 はっとして、手首に集中していた意識をその顔に向ける。

 形のよい眉根が寄せられ、その目がうっすらと開いた。

 

「誰……だ?」

 掠れた声が誰何してくる。

 唇もカサカサだし、喉が渇いているのかもしれない。

 彼の手首から手を離し、枕元に置いた水差しを取ろうと手を伸ばす。

 だが、私のその手は水差しに届く前に、今離した手に捕らえられた。

 

「誰でもいい。そばにいろ。

 俺を……一人に、するな。」

 …どうやら、意識がはっきり戻ったわけではなさそうだ。

 その目は私の方を見ているようで、微妙に焦点が合っていない。

 それにしてもこの、鬼のように強い男の口から出てくるには、なんという意外な言葉であることか。

 だが、同じ刺青を持つ者として、私にはこの男の恐怖が理解できた。

 普段は心の奥底に沈めて、自身で意識する事すらないかもしれない。だが確実に存在するものだ。

 

 …自分が、最後の一人になる恐怖。

 最後の一人になってしまった、トラウマ。

 

 私たちがあの試練を抜けてきた事を知る者は、私たちの中にその恐怖がある事を知れば、きっと嗤うだろう。

 おまえが殺したのだろうと。

 自分以外全て殺し、勝手に一人になっておいて今更と。

 だけど、その事実を受け止めるには、その時の私たちはまだ幼すぎたのだ。

 男塾を出奔した時に一号生だったとするなら、伊達は私よりふたつ年上くらいだろう。

 あの少年は私よりひとつ上だったから、多分だが御前が孤戮闘を毎年行なっているとするなら、彼もあの子も私と同じ11歳くらいの時にあの地獄に放り込まれたのだろうから。

 それは実際にあの地獄をくぐり抜けた、私たちにしかわからない。

 わかってあげられるのは、今は私だけだろう。

 伊達は、本来なら私やあの少年同様、御前の手駒として生きる筈だった。

 それがどうにかして外の世界へと逃げ出して……三面拳と呼ばれていた他の3人、東洋系ではあるが恐らく日本人ではないと思われる事を考えると(飛燕という男に至っては、恐らくは中国とロシアの国境付近の生まれではなかろうか。なんとなくだが純粋なアジア系ではないような気がする)、彼らと知り合ったのは男塾に入るより前かもしれない。

 とにかく彼は、独りで強くなる事よりも、仲間を求めた。

 独りになる事は耐え切れなかった筈だ。

 そしてどのような経緯でか男塾に入り、そこで得た仲間を守ろうとして人を殺め、外の世界でまた仲間を求めて…遂には関東豪学連という組織をまとめ上げる立場になるまでに至った。

 だが、今はその地盤もない。

 総長が敗れた事で統率が乱れた関東豪学連は、現在工作員として潜り込んでいる三号生の手で、多分半年以内には空中分解する筈だ。

 元々は力によって支配されていた学校の集まりだ。

 その支配がなくなれば、本来あるべき姿に戻るだけだろう。

 だが…

 

「…大丈夫。

 あなたは一人になんかなりませんよ。」

 伊達はこの戦いで、1人、また1人と斃れてゆく腹心たちを前に、孤戮闘で植え付けられたトラウマを刺激された筈だ。

 左腕に刻んだ名前は、それに必死に耐えて、強くあろうとした、その心の揺れ。

 例え名前だけでもその身に刻んで、己が一人である事実を無意識に、認める事を拒否したのだろう。

 だけど、少なくとも、彼の腹心である3人は、現実にここに生きている。

 そしてこの先、もっと大勢の仲間を得る事になる。

『伊達臣人』は元々、仲間を守ろうとする思いが強い男だ。

 それは、彼が起こした男塾を去らねばならなかった事件が証明している。

 男塾に戻れば、きっと事実上の副筆頭のような立場になって、筆頭の桃を支える事になるだろう。

 

『奴は…全てにおいて秀でていた。

 何をやらせても完璧で、苦手なモンなんざなかった。

 だが、秀で過ぎてて、並ぶ奴が居なかった。』

 桃の存在は、その『並ぶ者』になり得るのだし。

 もう彼は一人になんかならない。

 一人になんか、させない。

 

「……本当に?」

「本当に。」

 私の言葉に『伊達臣人』は、少しだけ安心したように微笑んだ。

 まるで子供のようだ。

 いや、この状態は私にも覚えがある。

 恐らく今の彼は、孤戮闘終了時の少年に戻っている。

 …あの日、子供に戻った精神状態の私のそばには、赤石が居てくれた。

 不安に震える手を、あの大きく無骨な手で、しっかりと包んで握りしめていてくれた。

 …比べると私の手は小さすぎて、両手を使っても伊達の片手を、包み込むことができないけれど。

 

「さあ、もう少し眠ってください。

 あ、その前に…喉が渇いたでしょう?

 お水、ゆっくり飲んで。」

 先ほどの水差しからコップに水を注ぎ、伊達の背中を支えて、少し起き上がらせる。

 伊達は素直に私の手からコップを受け取った。

 その手の動きがまだ弱々しい。

 落とさないように、私の手で支える。

 

「ゆっくり…そう。まだ飲みます?もういい?

 …では、また横になって。

 もう少し眠りましょうね。」

 優しく声をかけながら、伊達の逞しい身体を布団に横たえる。

 一瞬不安げな目をした男の、少しだけ癖のある髪を、そっと撫でた。

 

「安心して。

 大丈夫…おやすみなさい、伊達臣人。」

 私の言葉に、『伊達臣人』はゆっくりと目を閉じた。

 

 ☆☆☆

 

 翌朝。

 

「どうやら全員、奴らに助けられたらしいな。」

「そのようです。ですが総長、これから…。」

「こうなった以上、俺はもう総長じゃねえ。

 伊達でいい。」

「いや、それは…。」

「うむ、いくらなんでも…。」

「なんだ?

 初めて会った頃はそう呼んでたじゃねえか。

 今更だ。それより飛燕。」

「…何です?」

「俺の髪、切ってくれねえか。若干鬱陶しい。」

「…わかりました。髪……!?」

「どうした?飛燕。」

「切った…筈なんです。

 あの富樫という男に掴まれたのを、こう、首の付け根辺りから、バッサリと。

 それが…確かに切る前よりは短いとはいえ、いくらなんでも…伸びたにしても、早すぎる。」

「…確かにな。俺も見ていたから、間違いない。

 それに、確かこっちの頬も切られていた筈だな?

 その傷も無くなってるぞ。」

「あ……!」

「伊達殿。

 拙者も、酸性の高熱泉に、あのJとか申す男とともに落下した筈。

 気を失う寸前、全身の皮膚の焼ける感触を、確かに味わい申した。

 それが……この通りでござる。

 全身に負った火傷が、これほど早く治癒する事など、あり得るのであろうか?」

「私の方も、氷の杭に貫かれた背中の傷が、何事もなかったかのように無くなっております。」

「……信じられませんが奴らの中に、常識を超えた治療術の使い手がいるという事でしょうね。」

「まさか…あのガキが…。」

子供(ガキ)?」

「ああ。

 俺が夜中に目を覚ました時に、ガキが1人、この部屋に居やがったんだ。

 …そうだ、今思えば、男塾の制服を着てやがった。」

 

 ・・・

 

「総長…いやさ、伊達殿。

 これを…今、玄関に置かれており申した。」

「何だ?開けてみろ。」

「これは…服?」

「……男塾の制服だ。フン、なるほどな。

 負けたからには、軍門に下れということか。」

「どうされますか、伊達殿。」

「…面白えじゃねえか。俺は応じるつもりだ。

 だが、お前たちは好きにしろ。

 俺と来るも、別れるも自由だ。」

「何を申される。

 我ら三面拳、この命と忠誠、伊達殿に捧げており申す。

 この命ある限り、どこまでもお供致す所存。」

「異論ありませぬ。」

「同じく。」

「…難儀な奴らだな。」



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2・祭の終わりの刹那の中で

朝チュン(笑)
はたから見れば充分BL。


「光?」

「……お疲れ様です、桃。

 傷を見せていただけますか?」

 真夜中の男根寮。

 本来なら一号生は寮の部屋を数人で使う(部屋数は余っているくらいなので、現在せめて2人一部屋くらいにさせるよう、塾長を通じて寮長に申し渡してある。多分近日中には改善される筈だ)のだが、私の治療の手を入れる事を考えて、今日は一部屋を臨時の救護室にして、桃を一人で休ませていた。

 つまりここは本来の彼の部屋ではない。

 さっき伊達と三面拳の様子を見舞ったのと同じように、桃が眠っている間に治療をしてしまおうと思っていたのだが、予想に反して桃は私が訪ねた時、こんな時間になっても、まだ眠っていなかった。

 疲れ切っている筈なのに、戦いの余韻でもあるのかもしれない。

 正直、己の中に引っかかるものがあるせいで、この子と今日はまともに顔を合わせたくはなかったのだが、会ってしまったものは仕方ない。

 一通りの治療を施してから、睡眠導入剤を飲ませる。

 これで、明日には完全回復している筈だ。

 

「これで終了です。

 後は今夜一晩、ぐっすり眠ってください。

 では、失礼。」

 だが、その場を辞すべく立ち上がりかけた私に、桃が少し訝しげに声をかけてきた。

 

「光…なんか、怒ってないか?」

 …鋭いなコイツ。

 いや、とりあえずここは、笑って誤魔化すことにしよう。

 

「いいえ全然。おやすみなさい、桃。」

 仕事用の顔で微笑んで、強引に話を終わらせようとする。

 大抵の男はこれで誤魔化されてくれるんだが。

 

「待てって。

 このまま置いてかれたら、気になって眠れやしないぜ。」

 …やはり桃は『大抵の男』ではないか。

 ていうか、全身の傷の治療を終えたばかりだから仕方ないのだが、下帯いっちょで詰め寄るのはやめて欲しい。

 

「ご心配なく。

 先程の薬が効いてきたら、嫌でも眠れますよ。

 はい、布団に戻りなさい。」

「やっぱり何か怒ってるだろ?

 俺が何かしたんなら謝るから、理由を言ってくれ。」

 私が立ち上がって背を向けると、桃は私の肩に手をかけ、強引に彼の方を向かせた。

 

「…手を離しなさい、『剣』。

 私に、怪我人を攻撃させないでください。」

 軽く睨みながら、脅すように言うと、何故か桃は、悲しそうな目で私を見つめて言った。

 

「……嫌だ。

 おまえにそんな顔をさせたままで、離せない。」

 …そんな顔って、私がどんな顔をしていると言うんだ?

 そんな疑問が湧いたが、何故か私の口からは、別な言葉が漏れ出した。

 

「一号のみんなの手は離そうとしたくせに?」

「え?」

 言ってしまった。

 言わずにおこうと思っていたのに。

 だけど、言ってしまったら、もう止まらなかった。

 

「このたびの『驚邏大四凶殺』、戦っていたのは、あなた方4人だけではありません。

 松尾も、田沢も、極小路も、他のみんなも、全員があなた方と一緒に、命懸けで戦っていた筈です。

 それなのに…勝ち残って、拾った命を、あなたはそのまま捨てようとしましたよね?」

 そりゃあ桃の気持ちだってわからなくはない。

 一応全員の命を助ける為に私たちが裏で暗躍していたとはいえ、彼はその事を知らず、仲間を全員失ったと思っていたのだ。

 だけど彼の『仲間』は、一緒に『驚邏大四凶殺』を戦った三人だけだったか?

 答えは否。

 だから、それだけは、どうしても許せなかった。

 

「光…おまえが、何故その事を…?

 …いや、そうだ。J、富樫、虎丸…あいつらの負った傷、本来あんなもんじゃなかった。

 治せるとしたら、おまえだけだ。

 …ずっと近くで、見ていたのか。

 俺たちの戦いを…!」

「そんな事はどうだっていいんです!

 ねえ、あの子達が、あなたが生きて帰ってきた時に、どれだけ喜んだことか、その場に居なかった私にだって判る事、あなたはもっと判りますよね?

 あなたは彼らの、その手を離そうとしたんですよ?

 それって、裏切りと同じじゃないですか!」

 違う。こんな事が言いたいんじゃない。

 裏切っていたのは私だ。

 そもそも私は桃には、いつか償わなければいけない負い目がある。

 それをせめて謝る事もさせないまま死のうとした事に、理不尽に腹を立てているだけ。

 全部、私の我儘だ。

 それでも、わかっていても私は、桃を責める言葉を、止める事ができなかった。

 私は、ひどい女だ。

 だから言いたくなかったのだ。

 冷静に話せない事が判っていたから。なのに。

 

「すまなかった…光。」

 ひどいのは私なのに。

 どうして謝るんだ。この男は。

 

「私に謝ったって仕方ないでしょう。

 もっともこんな事、あの子達には言えやしない。」

 だから、違う。そうじゃない。

 

「だからだ。

 俺の浅慮のせいで、あいつらの心全部、おまえ一人に背負わせるところだった。

 だから…すまない。」

「…ほんとですよ。私、関係ないじゃないですか。

 あの子たちのことを考えるのは、筆頭であるあなたの仕事でしょう。

 なんで私が、そこまで背負わなきゃいけないんですかっ…!」

 言いたくないのに。傷つけたくないのに。

 なんで私の口からは、こんな言葉しか出てこないんだ。

 なんで涙が出てくるんだ。

 そんなどうしようもない状態の私に、桃は両腕を伸ばすと、背中に掌を触れた。

 気がつけば、私は、桃の腕に抱き寄せられ、その胸に優しく抱きしめられていた。

 

「そうだな。

 本当に…悪かった。そして、ありがとう。」

 深く落ち着いた声が、耳に心地よく響く。

 触れた胸板から、心臓の鼓動を感じる。

 なにより、穏やかで心地良い氣が、身体全体を包んでくる。

 

 ああ、桃は、間違いなく、ここに生きている。

 そのことをもっと実感したくて、私は桃の身体を抱き返した。

 

「桃が…あなたが生きていてくれて、本当に…良かった。

 帰ってきてくれて…良かった。」

 つまらない意地も、悔恨も、怒りも、取っ払ってしまえば、結局最後に残ったのはこの気持ちだけだった。

 

「お帰りなさい…桃。」

「ああ。ただいま、光。」

 

 と。

 突然、桃の体重が、私の方にかかってきた。

 

「…?」

「……なんだ?急に、眠く…」

 ああ、そういうことか。

 

「薬が効いてきたんですよ。

 はい、今度こそもう横になって、ゆっくりおやすみなさい。」

 倒れかかる彼の身体を支え、布団のある方に導く。

 そうしたつもりだった。だが。

 

「…光も。」

「え?」

「光も、一緒に…。」

「いや、何を言って…ちょ、桃!!」

 桃に肩を貸して布団に連れていき、中に押し込んだ筈が、桃は私の身体を離してくれない。

 何をどのようにされたものか、私は桃と同じ布団に引き込まれ、胸に彼の頭を乗せられていた。

 

「頼む。もう少し…このまま、居てくれ。

 俺が、眠るまででいい、から…。」

「桃……。」

 …唐突に、御前のところに来たばかりの頃、豪毅が熱を出した事があったのを思い出した。

 女中さんの世話を何故か拒み、私を呼んだ彼は、やはり眠るまででいいと言って、私の手を握って離さなかった。

 あの日は結局彼と一緒に眠って、後で女中さんに甘やかすなと小言を言われたものだ。

 けど、純粋に私だけを頼って、必死に伸ばしてくるその手を、振り払う事が出来なかった。

 …今も、同じだ。

 

 ・・・

 

「寝た…よね?」

 規則正しい呼吸を確認して、私はそっと身体をずらす。

 桃の頭を持ち上げ、その下に枕を当てがって、這うようにして桃の身体の下から脱出した…つもりだった。

 

「っ!?」

 寝ている筈の男に、唐突に、両手を掴まれ、再び引き寄せられた。

 先ほどまでより堅固にホールドされ、抑え込まれる。

 元々体格差があり過ぎるのだ。

 完全にのしかかって来られたら、私では抵抗しようがない。

 しかも一番肝心の手を押さえられている。

 

「ちょ、桃!起きてるんですか?」

 私の質問に桃は、私の耳元で相変わらず規則正しい寝息で答える。

 どうやら眠っているのは間違いないらしい。

 って、これもう、寝相が悪いとかいうレベルじゃないだろ!

 ていうか、心なしか脚にさっきから……当たっているのだ。

 何がって?聞くな。

 

「こ…困った。どうしよう。」

 あまりの事に、覚えず半泣きになる。と、

 

「…どうした?」

 聞き覚えのある声が、部屋の入り口から低く響いて、私は凄く苦労して顔をそちらに向けた。

 

「塾長!」

 ほんの二日ばかり顔を合わせなかっただけなのに、なんだか随分久しぶりに会ったような気がする。

 塾長は私の置かれている状況を目の当たりにし、何故かニヤリと笑って言った。

 

「これはまた、随分と大胆な真似をしているのう。」

 ヤメロ。ていうか、指導者なら止めろ。

 

「呑気に笑ってないで助けてください!」

 思わず強く言ってしまってから、慌てて声のトーンを落とす。

 

「…あの、できれば剣を起こさないように、そーっと。」

「それは、なかなか難しい注文だな。」

「眠るまで一緒に居てくれって言われて、寝たと思ったら抱きつかれて。

 ここで起こしたら、また最初からやり直しですから。

 強制的に寝かしつけるにしても、まずは腕が自由にならないと。」

 私が状況を説明すると、塾長は顎をさすりつつ、屈んで私の顔を覗き込んだ。

 

「ときに、この後ここを出たら、貴様はどうする?」

 …塾長が訊ねながらニヤニヤ笑う。

 この顔はなんか企んでる顔な気がするが、今は考えても仕方ない。

 

「え?勿論、他の子たちの様子を見に行きます。」

「…それは必要なことか?」

「治療は完璧に施してありますから、心配ないとは思いますが、念の為。」

 私の答えを聞くと、塾長は立ち上がり、

 

「…どうやら、このまま捨て置いた方が良さそうだな。」

 と言ってから、入ってきたドアに身体を向けた。

 

「えっ!?」

「これほどの男に甘えられるなど、女冥利に尽きるであろうが。

 今夜はこのまま、剣の隣で、おとなしく休んでおれ。

 貴様に倒れられたら、明日からの仕事が立ち行かぬわ。

 何せ、三号生どもに貸している間に、日々の事務仕事は溜まる一方だからな。」

 …なんか鬼のような事言われた気がするが、それよりも。

 

「そんな、塾ちょ…」

「ほら、騒ぐと剣が目を覚ますぞ?」

「うっ…!」

 もう一度ニヤリ笑いを私に向けてから、塾長はドアノブに手をかける。

 

「ま、待ってください。

 もし、万が一、剣が私に無体な真似をしてきたら、どう責任をとっていただけるんですか…。」

「その場合、責任を取るのは剣だろうて。

 逃げようとて決して逃がさぬから安心しておれ。」

「違う、そうじゃない…!」

「フフフ、わしが男塾塾長江田島平八である!」

 …もう泣いていいだろうか。

 

 ・・・

 

 あったかくて気持ちいい。

 ぽかぽか陽気の中で、草原に寝転がって、流れる雲を眺めながら眠ったら、こんな感じだろうか。

 

「………る。光。」

「………………ん?」

 誰かに名前を呼ばれ、重たい瞼をなんとか開く。

 まだ夜も明けぬ薄暗闇の中、目の前のものに焦点を合わせると、無駄に端正な顔が間近で微笑んでいた。

 

「おはよう。ずっと居てくれたんだな。」

「………っ!!」

 思わず飛び起きて、自身の状況を確認する。

 結局あのまま、私は眠ってしまったらしい。

 

「心配すんな。何にもしてやしないぜ。」

 桃がからかうように笑いながら言う。

 

「あ、あたりまえです!…怪我の具合は?」

 …見た感じ、顔色は悪くないようだが。

 

「フッ、おまえが治療してくれたんだ。

 悪くなってるわけがないさ。」

 桃がそう言って私に向けたのは、完全に信頼しきった目だった。

 

「良かった…。」

 思わず、ホッと息をつく。

 何せ、昨日の私は冷静ではなかった。

 今更治療の手が感情に影響されるとは思わないが、判断を間違う恐れはある。

 そんな私に、桃は手を伸ばすと、右の掌を私の頬に触れた。

 ほんの少しの間そうしてから、名残惜しそうに手を離す。

 

「…まだ夜明け前だ。

 他の連中がまだ目を覚まさないうちに、光は自分の部屋に帰った方がいい。

 …前に昼寝の件で俺と、おかしな噂が立っちまったからな。

 これ以上は嫌だろう?」

 …あの件はおまえ、自分でも煽っただろ。けど。

 

「…あ。そうですね。お気遣い感謝します。」

「いや…俺が引き止めちまったからな。

 でも、居てくれて嬉しかった。

 ありがとう、光。」

 そう言って、何故か幸せそうに優しく微笑んだ顔が一瞬だけ、かつて私が殺めた人の顔と重なった。

 私が見たその男の、最後の笑顔と。

 そう思ったら見ていられなくて、私は桃に背を向けた。

 

 そんなに優しい目で、私を見ないで。

 壊れてしまいそうだから。



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3・幾つもの偶然が君を想い出に変えるその前に

フラグ立てというよりは小ネタかもしれん。


 富樫に差し入れを持っていきつつ傷の状態を見て、心配なしとの判断を下した後、虎丸のいる部屋を訪ねた。

 虎丸の入寮は『驚邏大四凶殺』の戦いの後になった為、今は空いている部屋を一人で使っているらしい。

 近々部屋割の再編成があるので、その時に改めてルームメイトが決まる事になるだろうが。

 彼は脚を骨折しているのだが、腹部の傷の方が大きかった為、今はそちらを優先して治療している。

 彼の場合何回かに分けて治療を行う必要があるので、しばらくはまた毎日、彼のもとに足を運ばねばならないだろう。

 まだまだ、虎丸との縁は切れそうにない。

 

「…やっぱり、おまえだよな。」

「え?」

 今日の治療が一通り済んで、帰ろうとした時に、それまで黙っていた虎丸が口を開いた。

 

「まず礼は言っとくぜ。

 半年間、メシ運んでくれて、ありがとな。」

 うは。やはりバレてた。

 多分だが、『驚邏大四凶殺』に挑む前、私をじっと見ていたあの時には、もう気付いていたのだろう。

 

「…どの時点で、なにから気付いたんです?」

 私のメイク術は完璧な筈だ。

 顔の印象だけで気付かれた可能性は低い。

 桃が、私の癖を見抜いて『彼女』を私だと判断した時のように、私が何かヘマをしたのだ。

 自分では気付かないうちに。

 

「匂い。」

 だが、虎丸の答えは、私にとっては一番意外なところをついていた。

 

「えっ…。」

 思わず自分の腕を鼻に近づけて確認してしまう。

 その行動を見て、虎丸は小さく笑った。

 

「今はしねえよ。

 出発前に、あの人からだって言ってメシ並べてくれてた時、おまえからあの人の匂いがした。

 そんでもあの時点じゃあ、まだ半信半疑だったけどな。」

 …そうだ。あの日は桃に頼まれて、急いで虎丸の食事を持って行った。

 その際化粧は落としたけど、シャワーを浴びる時間がなくて。

 そしていつも、虎丸のところに行っていた時に使っていた白粉は、微かに香りがついていた。

 …迂闊だった。

 

「それに、その技。

 効果は違うかもしれねえが、受けた時のピリッとした感覚は一緒だった。

 印象は全然違うけど、そう思って見りゃよく似てるし、身長もそういやそのくらいで…もう、別人だって思う方が不自然だろ?」

 やはり虎丸は頭がいい。

 なんにも考えてないようで、意外と考えてる。

 考えてるようで考えてない時もあるが。

 

「…そう、ですね。」

 完全に敗北を認めた私の肯定に、虎丸は大袈裟にはぁっと息を吐いた。

 

「でもなぁ…おまえ、なんでわざわざ、女の格好なんてしてたんだよ?」

「は?」

「それに、俺に隙を作る為とはいえ、男同士でほっぺにちゅーとか、やりすぎだろうが。」

「へ?」

「てゆーか、おれ本気で、あの人に憧れてたんだぞ。

 おれの純情返せよ、オイ。」

「ほ?」

「ちっきしょ──!!

 よりによって男に…騙された───っ!!」

「!?ごっ、ごめんなさい───っ!!」

 …奇跡的に、はてしない誤解によって、私が女であるという事実を虎丸に知られずに済んだ。

 済んだのだが…うん、なんか、私の中ではかなり複雑だ。

 

 ☆☆☆

 

「ガッハハハ!

 なんだよ、それじゃ光、わざわざ女装までして、懲罰房に通ってたのか!?」

 騒ぎを聞きつけて何事かと駆け寄ってきた富樫や他の一号生が、事情を聞いて大笑いする。

 

「…塾長命令だったんですよ。

 女の格好で行けば、虎丸は絶対に暴れないからって。」

「…まあ、確かにその通りだったけどよ。」

 私の説明に虎丸は、左手の人差し指で頬を掻いた。

 そして、何故か右手は私の腰を抱いていて、さっきから何度離れようとしても、その度に引き寄せられていた。何だ?

 

「ていうか、わしらも見てみたいのう。

 光の女装。」

 松尾が私を見て、ニヤニヤ笑いながら言う。

 

「…やめてください。

 単なるお目汚しで、見せるほどのものではありません。」

 多分この件は、私がここにいる間は、黒歴史としてついてまわる話となるだろう。

 それが判っている事に、これ以上の上塗りをするつもりはない。

 

「そんな事ねえよ!すっげえ美人だったぞ!」

 虎丸がそう言いながら、何故か嬉しそうに私に背中から抱きついてきた。いや、ちょっと。

 

「何故でしょう。

 そんな事を褒められてもまったく嬉しくないのは。」

 というか離せ。

 

「…虎丸。いい加減光から手を離してやれ。」

 そんな私の心の声が聞こえたわけではないだろうが、Jが虎丸に声をかける。が、

 

「んー?いいだろ、別に。

 男同士なんだし、こいつスッゲー抱き心地いいし。」

「…問題発言やめてください、虎丸。」

 つか、ほっぺにちゅーはアウトなのに男同士で抱きつくのはいいのか?

 おまえの基準、どうなってるんだ。

 

「やめろ!

 光さんに抱き付きたいのは虎丸だけじゃないぞ!」

「椿山、それ助け舟になってません…!」

「…抱き付きたいとは思った事はないけど、ほっぺとかスゲー柔らかそうとは、いつも思ってんな。

 この際だから俺も触っていいか?」

「え?…極小路?」

「あーわかるわかる。髪もサラサラじゃしな。

 ちーっと触ってみたいと思う事は、わしもたまにあるのう。

 どれどれ…うん、やっぱりすべすべのサラッサラじゃあ!」

「…ま、松尾?」

「光は、その辺の女の子よりよっぽどべっぴんじゃからな。

 肌なんか男とは思えないくらい綺麗じゃしのう。

 光が塾長の息子じゃなく俺らと同じ塾生で、一緒に風呂とか入っとったら、確かに我慢できずに抱きついたりしてるかもしれんな。」

「ええっ、た、田沢っ?

 ……ギャ───!と、富樫、助けてください!!」

 唐突に妙な展開に突入し、私は富樫に助けを求めた。

 が、その富樫は何故か学帽を深くかぶり直しながら、更に衝撃的な発言をする。

 

「…すまん、光。この際だから謝っとく。

 俺、いっぺんだけおまえで抜いた…!」

「その告白、今する意味あります!!?」

 思わずつっこんだが、何故かその富樫の発言に、他の一号生が次々と挙手した。

 

「富樫、大丈夫だ!

 それだったらここにいる全員、一度は光をネタに使ってる!」

「えええっ!?」

「いやあ、わしらの身近にいるだけあって、反応とか声とかもリアルに想像ができるから、ついな。

 ハハハ…。」

「なんて事だ…知らない間にこんなに大勢の男の脳内で、光さんが汚されている…!」

「椿山なんて、1回や2回じゃないだろ?」

「当たり前だ!

 俺は妄想の中だって光さん一筋だ!

 今なら断煩鈴をやらされても、鈴を鳴らさない自信がある!」

「光の写真使われたらアウトだろうが!」

「ああーっ!!」

 …うん、ここはいわば閉鎖空間で、そこに独特の空気感が生まれてくるのは理解できる。

 多分私が彼らの中でも『女』であったなら、実際に同じ事をしていたとしても、彼らは私本人に対して、それを告げる事はしないだろう。

 私を『男』だと思っているからこそ、こんなにあけすけにそれを口にするのだ。

 そして、女と違い定期的に生理で排出されない、使わずにいれば劣化するだけの生殖細胞を、自力で排出しなければならない肉体の構造も理解できる。

 

 けど…けどね?聞きたくなかったよ?

 そんな、若者のリアルな下半身事情とか。

 そして『男』の私も、この閉鎖空間では充分に、性欲の対象になり得るという、恐ろしい事実とか。

 もう、半泣きになってたら、私を抱いたままの虎丸が、

 

「何だよ。モテモテだな、光。

 さすがはおれが見込んだ男だぜ!」

 …何か変な事言い出したこの子。

 

「だが、おれには女装姿の光っちゅー、お前らにはないネタがある!

 懲罰房ん中じゃ、ンな余裕はなかったが、今夜早速使うことにするぜ!」

「うおお──!虎丸の脳内覗きてえー!!」

「というより、このまんま今から、光を女装させてみんか!?」

「そりゃいい考えじゃ!

 愕怨祭の準備の時に、倉庫に厭劇(えんげき)用の衣装があったの見たぞ!」

「虎丸、独り占めはなしだぞ!」

「チッ、仕方ねえな。」

 って、なんか変な方向に話進んでる──ッ!!!!?

 

「う……うわ───ん!

 J、助けて!ここにケダモノの群がいますー!!」

 もう本気泣きで、ちょっと離れたところで困った顔してるJに向かって叫んだら、

 

「…あ、助けに入って問題ないのか?

 ひょっとしたらこれは日本の文化なのかと、少し悩んだのだが…。」

 となんかボケた答えを返され、本人意図してないだろうが、トドメ刺された感じになった。

 

「そんなわけあるか───っ!!」

 …結局、私はJの手で虎丸の腕から救出された。

 

 Jは私が女だって事を知っている筈なんだけど、なんか時々忘れるっぽい。

 というかどうも、私と兄を同一視してしまう時がまだあるようだ。

 プンスコしてたら送られて帰ってきた執務室で謝られ、あのデカい手でアタマ撫でられた。

 許す。

 

 …桃はこの時、部屋でまだ眠っていたそうだ。

 後で事情を聞いた時に、

 

「…光が助けを求めたのがJで良かったな。

 これが赤石先輩だったら、三年前の事件の再現になってたぞ。」

 って言って皆を恐怖で凍りつかせ、改めて『光に対する下ネタ禁止』を言い渡してくれたらしい。

 てゆーかソレ私も怖いわ。

 まあ、場所が男根寮内だし、偶然赤石が通りかかる事とか絶対ない場面ではあったにせよ。

 

 ☆☆☆

 

『驚邏大四凶殺』の参加闘士4人には、1ヶ月の休養期間を与える事となった。

 その間に私はまた天動宮に呼び出され、伊達と三面拳が入塾を承諾した事、それに伴い関東豪学連が解体した事などを告げられて、労いの言葉を貰った。

 

「我らの提案を受け入れ、『驚邏大四凶殺』を執り行っていただいた事、塾長には大変感謝していると伝えてくれ。」

 と言われたんだが、正直めんどくさいと思った。

 塾長と三号生、とりわけ邪鬼様との関係は未だによくわからない。

 だがとりあえず、面子だのなんだのが色々絡んで、実にどうでもいいところで複雑化してるのはなんとなくわかる。

 男って本当にめんどくさい。

 あと、その際に死天王より階級は下になるがやはり三号生の主戦力ではあるという3人を紹介された。

 そのうち一人は、確か初めてここを訪ねた際に会った片目の男だった。

 名を独眼鉄というらしい。

 …そのまんまじゃねえか。

 あと、病んだ雰囲気と鍛えられた身体が全く合っていない長髪の男が蝙翔鬼、シルクハットを被り鞭を持った、多分道で会ったら即座に通報しそうなチョビヒゲ男が男爵ディーノ。

 この3人は普段、天動宮の門番のような事をしているらしく、私が最初に独眼鉄と会った時も、その業務の一環だったそうだ。

 あのまま進んで、蝙翔鬼と男爵ディーノが出す課題をクリアしてから開く奥へと進むのが本来のルートだったそうだが、私の場合まず羅刹に取次ぎを頼んでいたから、残りの過程をスルーできたわけだ。

 ……後で赤石に改めてお礼言っとこう。

 彼が羅刹に仲介を頼めと教えてくれてなかったら、邪鬼様と会う前にとんでもなくめんどくさい試練課せられていたっぽい。

 

 ・・・

 

「もっと氣の総量を増やす必要があろうな。

 6人目の治療の後に一度倒れたと聞いたぞ。

 俺が着いた時は二度目だったという事か。」

「うち1人はほぼ無傷に近い状態でしたので、実質5人です。」

 …そう、伊達の治療を終えた直後、倒れた私を受け止めて、抱き上げたのは邪鬼様だったそうだ。

 最初に会った時といい、この人は私を随分子供扱いしていると思う。

 

「それでも以前よりは、だいぶ増えた方だと思っていたのですが。

 まだまだ修行が足りません。」

 つい自分の掌を見つめながら、ため息まじりに反省する。と、

 

「…フッ。」

 思わず、といった風情で笑った声に見上げると、謎に微笑む邪鬼様と目が合った。

 …いつもこの人を見るたびに感じる、豪快な見た目とは裏腹な、『儚い』という印象は、一体何なのだろう。

 

「…何か?」

「いや…貴様を見て、いずれ我が子も同じ悩みを抱えるようになるのかと、つい思ってしまっただけだ。」

「邪鬼様には、お子さんがいらっしゃるのですか!?」

 初耳だ。だが邪鬼様は30前くらいの筈だから、年齢的には全くおかしくない。

 

「息子が一人。数えで三才になる。

 春に元服の儀を終えたから、大豪院家の習わしでは既に成人だ。

 俺のような特異体質の持ち主ではない故、修行で総量を増やしてもいずれは壁にぶち当たろうがな。」

 いや3才で成人って…てゆーか数えって言った!?

 て事は事実上は2才、生まれ月によってはそれにも満たないって事なんですがそれは。

 そもそも今の時代に元服の儀とか、しかも大豪院家の習わしとか、いやな予感しかしない。

 どういうふうに想像しても、児童虐待の絵面しか浮かんで来ない。

 いや待て。その状況、母親はどう見てるんだ?

 子供がいるって事は、その母親がいるって事だよね?

 つまり邪鬼様の奥さんが。

 

「ええと…その儀式の事とか、奥様は、どのようにおっしゃってるんですか?」

「奥様…?」

「ええ、邪鬼様の。」

「息子の母親という意味ならば、もうこの世には居らん。

 子を産んですぐに死んだ。」

「えっ…も、申し訳ありません。」

「いや…だが、そうか。

 俺の息子の母親だから、俺の妻と呼んでも、おかしくはないというわけか。」

「邪鬼様?」

「…遠縁の女だった。

 俺の精通の儀の相手になった後、一度嫁して戻ってきて、本家の長である俺の父から、俺の子を産むよう命じられたもので、少なくとも向こうには、俺に対する感情はなかった筈だ。

 だが、嫁した先で産んだ娘を引き取る事を条件に、俺の子を産む事を承諾した。

 …そうでなければ、もっと長く生きられたであろうものを、な。」

 …聞かれてもいない事をしみじみと語り出した邪鬼様の言葉は、半分くらいは私には理解できない話だった。

 多分だがこの人、すごく特殊な環境で育っていながら、自分ではその自覚がない。

 だが、それでも一つだけ、理解できた事がある。

 その人は多分だが、邪鬼様にとっては『初恋』の人であったのだろうという事。

 そして邪鬼様は、己が抱いてるその人への感情を自覚しないまま、その人を失ってしまったに違いない。

 それでも、子供のことを話した邪鬼様の顔には、何処か誇らしげな彩が見えた。

 それは親としての感情なのか、それとも愛する人と形を残せた男としての自信なのか。

 この人から見ればまだ子供の私にはわからない世界だけれど。

 

 …ん?私を見て息子を思い出した?

 この人本気で私の事、子供だと思ってるんじゃない?



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4・君が眠れぬ夜のため

「光どの。塾長なら出かけられましたぞ。

 今日はお戻りになられぬ筈です。」

 塾長室のドアの前に立ち、ノックをしようとしたら鬼ヒゲ教官に声をかけられた。

 

「え?そうなんですか?ありがとうございます。」

 今日は久しぶりに塾長と一緒にお昼ご飯を食べようと思ったのに。

 お弁当を片手にちょっと途方にくれる。

 執務室に戻って一人で食べてもいいけど、今日はお天気もいいし、校庭に出て外で食べようか。

 虎丸の治療と編入生4人を入れる部屋の清掃…のついでにこれから部屋割を変える為今後使う事になるだろう空き部屋の清掃(本当はこれは寮長の仕事だと思うんだけど)で、毎日男根寮に通ってるから顔だけは合わせてるけど、今は桃もJも休養期間中で登校してきてないから、あの桜の下には誰も居ないだろう。

 あそこで食べることにしよう。

 

 …と思ったら先客がいた。

 かなり癖のある眩しいほどの銀髪。

 太く長い手脚、大きな腰骨。

 2メートル近い長身と逞しい体躯。

 大きな右手が、背に負った刀に手をかける。

 左手が反対側から、鞘を引く。

 すらり。巨大と言えるほどの刀身が姿を現す。

 その巨大な刃が閃いたかと思えば、次の瞬間、空間が桜色に染まった。

 はらはらとこぼれていた季節はずれの桜の花弁が、一瞬にして細断されたのだ。

 

「チ……一枚逃したか。」

 なんて舌打ちしてるけど、ソレ自体人間業じゃありませんから。

 そもそも私の目には、最初の一閃しか見えていなかったけれど、花弁は一直線上の空間にあったわけじゃない。

 ひとつの動きだけで、無数の花弁を細断するのは不可能だ。

 つまり私の目が捉えられない速さで、もっと複雑な動きがあったということだ。

 私が呆然と立ち尽くしていると、その男は巨大な刀を鞘に収めながら私を振り返った。

 

「…ちんまい気配がすると思えば、やっぱりてめえか、光。」

「お疲れ様です、赤石。

 出発前の約束、果たされちゃいましたね。

 つか、ちんまいとか言うな。」

  二号生筆頭・赤石剛次は、私の言葉にニヤリと笑った。

 会ったばかりの頃ならば怖い笑みだと思ったろうが、今の私には、それはひどく優しいものに見える。

 慣れというのは恐ろしいものだ。

 

「何してやがんだ、こんなところで。」

「塾長がいらっしゃらなかったので、ならばたまには外でお昼をいただこうと思って。

 まあでも、あなたが邪魔だと言うのであれば執務室へ戻ります。」

「邪魔だなんて言っちゃいねえだろうが。

 好きにしろ。」

 許可が出たので、樹の根元に腰を下ろす。

 ああは言ったが、駄目だと言われる事は最初から想定していない。

 そろそろ甘やかされてる事は自覚してる。

 

「はい。赤石も好きにしていてください。」

 私が言うと何故か赤石は、私の隣に腰を下ろした。

 水筒に淹れてきた冷たいお茶を、カップに入れて差し出すと、受け取って一気に煽る。

 運動した後ですもんね。水分補給は必要です。

 でも同行者の想定をしていなかったのでカップはひとつしかなく、返された同じカップに自分の分を入れて飲んだら、ちょっと目を(みは)るような表情された。

 わかってますよ間接キスって言うんでしょこういうの。

 いいんですよ別にどうせ赤石だし。

 これが桃相手なら少しは意識するかもだけど赤石だし。

 

「…ちっこい弁当箱だな。

 そんなんで足りんのか。」

 ちょっと呆れたように赤石が言う。

 

「実際にはこれだと多いくらいです。

 いつもは塾長と一緒に食べるんですけど、私の作るものが口に合うらしくて、結構な量を横取りされるものですから、いつも少し多めに用意してます。」

 最近は天動宮に呼び出されたり男根寮に行ってたりしてお昼時にゆっくりご飯を食べる事自体ができなくて、だから今日は久しぶりに塾長と一緒にお昼ができると、ちょっと楽しみにしていたのだけれど。

 ちなみに今日は鮭の西京焼きと、ひじきと豆の炒め煮、カブのぬか漬け、ご飯はきのこの炊き込みご飯。

 あと甘い玉子焼きは鉄板だ。

 

「…ふうん。」

 なんか企んでる顔だと、気付いた時は遅かった。

 

「あっ…!」

 赤石は私の箸から玉子焼きを奪い取り、自分の口に放り込んだ。

 塾長だけじゃなくお前もかこの野郎。

 しかも弁当箱からじゃなく、今口に運ぼうとしたものを箸から盗るとか鬼か。

 …てゆーか赤石って、風貌は鬼っぽいよね。

 しかも首領格。

 だから『桃太郎』に退治されたのか。

 そんなしょうもないことを考えていると、

 

「………甘い。」

 すごく当たり前のことを言われた。

 

「…でしょうね。」

 私の玉子焼きはとてもシンプルだ。

 砂糖に、それを引き立てる塩が少し。

 隠し味のだし汁も、入れすぎると焼く際の卵の形成を邪魔するから、ほんの少ししか入らない。

 対して、味のメインになる砂糖は結構たくさん使う。

 

「だが悪かねえ。

 黄色いのに甘かったから少し驚いたがな。

 うちの祖母さんは甘いのも出し巻きも両方作ったが、甘いやつは若干黒っぽかったんで、未だにそのイメージが抜けねえらしい。」

 …ひとつ判ったのは、赤石に家庭の味を提供してきたのは、お母さんではなくお祖母さんだという事。

 

「…黒?黒砂糖か、お醤油でしょうかね。」

 問いかけながら、弁当箱のフタに2片取って渡す。

 これが一番塾長に取られる率が高いので、多めに用意してるのだ。

 少しくらいなら分けてやってもいい。

 だが箸から盗るのだけは勘弁して欲しい。

 地味にダメージがくる。

 

「祖母さんはもう死んじまったから確かめようがねえが、多分両方だな。

 今思えば、黒糖の変な雑味は確かにあった。

 …俺は、てめえの味の方が好きだ。」

「それは…どうも。」

 …なんなんだこのむず痒い感覚。

 

 

『麻耶の料理は、確かに美味いんだが、それ以上にホッとする味だな。

 これ、嫌いな男は居ないんじゃないか。』

 

 

 …なんでこんな時に、あの人の言葉なんか思い出すんだ。

 確かに若干引っかかる部分はあったにせよ、私が手にかけた数多の男の中の一人に過ぎないのに。

 しかもその言葉は私ではなく、あくまで私が演じていた水内麻耶という女性に対しての言葉なのに。

 …何か、思い出してはいけないことを思い出してしまいそうだ。

 

 ………。

 

「……何考えてる。」

 ふと気づくと赤石が、何か痛いような顔して私の顔を覗き込んでいた。

 

「?別に、何も。」

 そういえば、何か思い出しかけていた気がするけど、何だっただろうか。

 

「嘘つけ。今にも泣きそうな目ェしやがって。」

 泣きそう?私が?何を言っているんだこの男は。

 

「見間違いでしょう?私にはなんの事やら。」

 嘘なんかついていない。

 赤石はそんな私を、恐い目でじっと見つめていたが、やがて小さくため息を吐いた。

 

「…そうだな。自分じゃ気がついてねえんだろう。

 だがてめえは時々、そんな目をする。

 そんな時は決まって、今そこにあるものじゃなく、何か遠くを見てるような表情をした後だ。

 …何を見て、何を考えてる?」

「赤石…?」

「何を抱え込んでんのか知らねえが、言ったろう。

 1人じゃ重てえ荷物なら誰かに頼れと。

 ここに、てめえの目の前に誰がいる?

 ちゃんと見ろ。」

 言うと赤石は、両手で私の頬を掴み、私の顔を強引に自分の方に向けた。

 心なしか、顔が近い。

 赤石は鼻梁が高いから、あとほんの少し近ければ確実に鼻がぶつかるだろう。

 

「…こんなに近いと却って見えませんが。」

「………黙ってろ。」

 なんでだよ。

 

 ☆☆☆

 

 面白くねえ。そう思ってた。

 むしゃくしゃして刀を振るってたら、やはりどうも調子が出ねえ。

 そんな中、後ろに小さい気配を感じて、振り返ったら光がいた。

 例の『驚邏大四凶殺』の前日に会って話してる筈なのに、随分久しぶりに会ったような気がする。

 

 …それくらいほぼ毎日顔合わしてたって事か。

 状況が変わったのは、あいつが三号生と接触した後からだ。

 恐らく三号生筆頭に気に入られたんだろう。

 天動宮に3日留まって、帰ってきたと思えば、その直後に関東豪学連を率いて男塾に殴り込んで来やがった伊達の野郎に塾長が『驚邏大四凶殺』での決着を提案したら、それから執務室を訪ねても居ねえ事の方が多くなりやがった。

 あまりに顔を見せねえんで、俺にしちゃらしくもなく心配になって、意を決して塾長室を訪ねたら例の自己紹介で誤魔化されたが、最初からあの人にまともな答えを期待しちゃいねえ。

 少なくとも塾長の用事を片付けてるとか、そんな事ではないらしいと、判っただけでも収穫だ。

 だとしたら、残るは三号生関連って事だ。

 そう判断した時に、ようやくあっちから訪ねてきたのが、『驚邏大四凶殺』が行われる前日。

 

『ここ数日お会いしてなかったので、騒ぎなど起こしていないかと思って。』なんてどの口が言いやがる。

 一番危なっかしいのはてめえだろうが。

 つか、このタイミングで訪ねてきた事そのものに、なんとなく察したあたりで、ひとつの質問で確信した。

 

『伊達臣人というのは、どのような男だったのですか?』

 間違いねえ。

 こいつはなんらかの形で『驚邏大四凶殺』に関わるつもりだ、と。

 今更ながら、剣に事の始末を押し付けた際に言外に参加を断った事を後悔した。

 だが、闘士として参加してたらどっちにしろこいつを守る事などできやしねぇ。

 

 …俺は、俺を頼ってきた橘をむざむざ死なせちまった。

 だから、その妹だけは、必ず守ってやらなきゃならねえんだ。これは誓いだ。

 それなのに、俺の手を離れてちょこまか勝手に動き出しやがって。

 だがそろそろこいつの性格もわかってきている。

 止めたところで無駄だ。

 だから、約束を交わすにとどめた。

 どこに居ても、必ず俺のところに帰ってくるように。

 

 …なのに、『驚邏大四凶殺』が男塾側の勝利で終わり、全員帰ってきたってのに、未だにこっちに顔出さねえ、こっちから行ってもやっぱり居ねえってなどういう事だ。

 まったく、面白くねえ。

 振り回されてんのは、俺自身よくわかってる。

 わかってるからこそ、面白くねえ。

 

 

 そんな気分でいたからか、こっちの気も知らずに呑気に飯なんか食い始めた光に、何か意地悪をしてやりたくなった。

 その前に茶なんぞ差し出して来たのは素直に受け取ってやったが、俺が口をつけた同じカップで平気で自分の分を飲み始めたのを見て、余計に。

 無防備過ぎんだろ、この馬鹿が。

 この平然と取り澄ました顔を、驚きの表情に変えてやりたい。

 大人気ないと思いつつも、箸の先から黄色い玉子焼きを奪い取って、口に入れる。

 だが、その行為で結果として、何故か俺自身が驚かされる事になった。

 俺のイメージとは違う、黄色い玉子焼きが甘かったのもそうだが、意外にもそれが美味かったからだ。

 そしてそれを褒めたら、光の表情が変わった。

 …俺が期待した驚きの表情じゃなく、どこか遠くを見ているような…更にその目が泣きそうに潤んだ時、見ていられなくて声をかけた。

 以前から、話してると時々そうした事があった。

 今日のそれほどに顕著ではなかったにせよ。

 

「てめえの目の前に誰がいる?ちゃんと見ろ。」

 だから、その遠くを見る目をやめさせたくて、俺の方を無理矢理向かせた。

 それだけだったが、意図せず口づけの体勢になってる事に、今度も俺自身が驚いた。なのに、

 

「…こんなに近いと却って見えませんが。」

 って、此の期に及んでまだ取り澄ました顔して、ボケた事言いやがってこのバカ女。

 俺をまったく男として意識してねえ。

 てめえ、女を武器にしてきたから、男の考えなんて手に取るようにわかるとか言ってなかったか?

 全然わかってねえだろ。無防備にも程がある。

 

 …確かに兄貴の、橘のかわりになると言ったのは俺だ。

 その時の思いに嘘はねえ。

 だが…剣の野郎がからかうように言った言葉が、今更腑に落ちてくるのを感じる。

 

『兄貴になるなんて言っちゃって、いいんですか?

 俺としては、その方がいいですけど。』

 

「…黙ってろ。」

 …このままこの唇を奪っちまえば、少しは俺を意識すんのか。

 その取り澄ました顔が驚きに取って代わるのか。

 そんなに俺を信用するな、この馬鹿。

 

 ☆☆☆

 

 なんか知らないが赤石と至近距離での睨めっこになったと思ったら、

 

「なるほど。睦まじい事よ。

 だが、場所は選んだ方が良いぞ。」

 と、聞き覚えのある声が聞こえた。

 

「…っ!!?」

 何故か赤石が、焦ったように私から手を離す。

 頭が自由になったので声のする方を見ると、以前塾長室で会った事のある男が立っていた。

 

(ワン)さん、こんにちは。

 …あ、塾長でしたら今日は戻られないそうですよ。

 私でよろしければ、伝言があればおうかがいしますが。」

 (ワン)大人(ターレン)は、私の挨拶に少し驚いたような顔をした。

 いやいや、確かに一度しか会ってないけど、こんな見た目に特徴のある人、忘れませんって。

 

「いや、光。今日は貴様に用があって来た。」

 それでも(ワン)は、すぐに気を取り直した様子で首を横に振る。

 

「私に?」

「うむ。だがどうやら取り込み中のようだな。

 明日にでも出直して来よう。」

 そう、済まなそうに言った(ワン)の視線が、何故か私ではなく赤石の方に向いた。

 その視線を受けた赤石が、バツが悪そうに明後日の方を向く。

 その顔が心なしか赤い。なんだ?

 

「?いえ、すぐでも構いませんよ。

 …あ、でも確かに食べながらお話を聞くのも失礼ですね。

 少しお待ちいただいてもいいでしょうか?

 10分もかからないと思います。」

「…フフフ、食事ならば急がずとも良い。

 腹が減っては戦はできぬというからな。

 では飯を食い終わったら、すまぬが塾長室に来てもらえぬか?」

 最高権力者の執務室を、待ち合わせに使うのもどうかとは思うが。

 

「塾長室ですね。

 承知いたしました。では後ほど。」

 私と頷きあって、(ワン)はその場を辞する。

 去り際何故か赤石に向かって、

 

「……貴様も、苦労するな。」

 などと、謎の言葉を投げかけながら。

 

 ・・・

 

「あの男、(ワン)大人(ターレン)だな?

 この塾の関係者だったのか。」

「以前塾長室でお会いした時には、塾長のお知り合いという紹介しかされなかったかと思うのですが。

 ああでも、この塾の名物のひとつである、なんらかの行事を執り仕切る立場だと言っていた気もします。

 赤石は、あの方を御存知だったのですか?」

「御存知も何も、裏の世界じゃ有名な医者だぞ。

 西洋医学じゃあねえから、日本の法律では無免許医になっちまうんだろうが、噂じゃ死んだ者だってある一定の時間のうちなら、蘇生させられるって話だ。」

「ちょっと待って。

 あなたの言う『裏の世界』が気になりすぎて、そこから先のお話がアタマに入ってきません。」

 

 ☆☆☆

 

「お待たせして申し訳ありません、(ワン)大人(ターレン)先生。」

「うむ。だが、赤石を置いてきて良かったのか?」

 私を塾長室で出迎えた(ワン)大人(ターレン)が、なんだかわからない事を言う。

 

「?お昼を外で食べるのにあの場に行ったら、たまたま彼が居ただけですから。

 食事は終わりましたので、私があの場に留まる理由はありません。」

 私が答えると、(ワン)先生は謎の微笑みを浮かべる。

 

「…フフフ、斬岩剣にても女心は斬れぬか。

 誠に厄介よの。まあいい。

 先ごろの『驚邏大四凶殺』での貴様の働き、見事だったと聞く。」

「あれは主に三号生の皆さんの働きです。

 あの方々が、時には命懸けで闘士達を救助してくれなければ、私の出番などどこにもありません。

 それに、氣の量が足りずに私は、結局最後まであの場に立っている事ができませんでした。」

 ただでさえ強行軍だったというのに、倒れた私を背負って山を登ってくれたあの人には、本当に申し訳ない事をした。

 二度目に倒れた時は邪鬼様が抱き上げて運んでくれたそうだが、そちらはある程度のところまで降りたあたりでトラックが待機しており、それでこちらまで帰ってきたのだという。

 

「確かに、貴様の氣の量は少なすぎる。

 特に女の身でこんな極限状態を何度も繰り返しては、身体に影響が来よう。

 というより、もう既にその傾向が出ているようだな。」

「えっ…?」

 思いもよらない事を言われて、思わず(ワン)先生を凝視する。

 (ワン)先生は小さく頷くと、言葉を続けた。

 

「貴様、見た目もそうだが、身体も『女』の機能は出来ていまい?

 …不躾な言い方をすれば、初潮も未だであろうが。」

 本当に不躾だな!失礼な事を言うな!

 

「生理はあります!

 半年に一度しか来ませんけど!」

 てゆーか、うら若き乙女である私が、なんでこんな事を主治医でもないオッサンに主張しなければならんのだ!

 

「なるほど。

 18歳の女としては、それがある程度異常な事態だというのは理解しておるか?」

「で、でも、最初が遅かったし、こんなもんかなと。」

「何歳の時だ?」

「じゅ、15…」

 くそ、顔が熱い。

 

「それから3年もその周期のままでは、さすがにおかしかろうて。」

 仕方ないだろ!その件に関して、私の周りに比較対象が居なかったんだよ!

 ついでに言えば15っても終わりの頃だったから、正確には2年とちょっとくらいだよ!

 初潮を迎えた時に、身の回りの世話をしてくれてる女中さんに意を決して打ち明けたら、最初のうちは、今更何言ってんのみたいな顔されたよ!

 初めてだって言ったら驚かれたよ!

 豪毅は10才になる前に精通してるのにって、そんなん知らねえわ!

 

「今の貴様の身体は、おそらく軽めに見積もっても十一、二歳の成熟度でしかない。

 そのくらいの年齢の頃から、極限まで氣を使い尽くしては回復させる事を繰り返してきたのであろう?」

 断片的にしか覚えていないが、兄の発作が起こるたびに、技を使っていたのは覚えている。

 そして、今思えば身体の大きさもさる事ながらやはり氣の精製の仕方が未熟だったのだろう。

 一度技を使うたびに、確かに大汗をかいて倒れそうになっていたのも覚えている。

 それから孤戮闘の中。

 私は見た目には一番弱そうだったからか、戦いが始まれば一番最初に襲いかかられる事が多く、最初の段階ではより多くの人数を相手にしなければならなかった。

 なのでせっかく敵を倒して食料を手に入れても、食べる前に力尽きて奪われる事もあって、氣の扱いをある程度、子供なりに考え直したのがこの時期。

 そこからは、技を使うたびに氣が尽きるような事はなくなったし、ある程度人数が減ってからは、私に真正面から挑みかかる子がそもそも居なくなった。

 その代わり、僅かな睡眠を取っている間に奇襲をかけられる事が増えて、熟睡する事が出来なくなったけど。

 私の背が伸びなかったのはそのせいじゃないかと、漠然と思っていたのだが。

 

「本来ならば肉体の成長に使われなければならない生気を、氣の回復に費やされるから、その分肉体の成長が遅れたのだ。

 このまま繰り返していたら、成長が止まった状態のまま老化して、子供の産めぬ身体になるぞ。」

 そうなのか。まあ…それは別にいいんだけど。

 少なくとも今のところ、子供を産む予定はない。

 というか、私は私の代で、『橘流氣操術』の伝承を止めるつもりでいる。

 私に子さえ生まれなければ、自然とそうなっていく筈だ。

 

「…と、まあ、ここまでは医者としてのわしの意見だ。

 ここからが本題、大威震八連制覇司祭としての話をする。」

「いやここからかよ!」

「何?」

「いえ何でも。(ワン)先生。

 その『大威震八連制覇』というのは…?

 確か、三号生が今回『驚邏大四凶殺』を画策したのも、それを執り行う為だったと認識しておりますが、実際それがどういった行事であるのかまでは聞かされておりません。

 前回の開催時に死者が出ている事を考えると、今回の『驚邏大四凶殺』に匹敵する死闘であるものかと、予想はできますが。」

「うむ。その通りだ。

 そして参加人数はそれぞれ八名。」

 うん、そうだと思った。

 だから豪学連のあの4人が欲しいって言ってたんだから。

 そしてあの天動宮で、私が三号生の主力とみたメンバーも、確か合計8人。

 筆頭である邪鬼様をはじめ、影慶、羅刹、卍丸、センクウ、そして独眼鉄、蝙翔鬼、男爵ディーノ。

 うん、間違いない。

 対して男塾側(塾長サイドという意味で)は、桃、J、虎丸、富樫、あと豪学連から伊達臣人、雷電、飛燕、月光。

 …今からでも富樫外して、赤石に代わりに入ってもらえないかな。

 どうもあの子は危なっかしい。

 実力という点で見てもそうだが、この間気になって調べたところ、この闘いに関しては特に、大きな不安要素がひとつある。

 動揺した時とか、何か本心を隠したい時とかに、あのくたびれた学帽を被り直す富樫の癖を思い出して、胸の奥が微かに疼いた。

 

「…ところで貴様は三号生と、平八との間の確執は、理解しておるか?」

 平八、ね。塾長でも江田島でもなく、平八。

 その呼び方で、二人がごく親しい間柄なのだと理解する。

 というか、話してるうちになんとなく感じた事だけど、この人塾長より年上なんじゃないかな。

 二人とも何げに年齢不詳だけど。

 

「少なくとも、一般的な生徒と学長との関係でないことだけは、なんとなく。

 まあ、塾生の自治に任せ切って、塾内で発生した勢力が大きくなりすぎ、派閥化したってところかなと思いますが。」

「派閥化というよりは、傘下からの独立だな。

 塾内だけの話ではなく、三号生は外に対して大きなパイプを持っている。

 社会的にある程度有用な位置に既に立っている以上、平八としても頭から押さえつけるわけにもいかぬわけだ。

 施設使用料を納められている分、余計にな。

 その上奴らは、三年に一度開催される『大威震八連制覇』を利用して、その力を誇示する事で、塾内での権力を保たんとしている。」

「その『大威震八連制覇』ですが、万事執り仕切るのは貴方なのですよね?

 貴方の権限で、中止や延期を申し渡す事は出来ないのですか?」

「この件に関して、わしの立場はあくまで中立。

 どちらかに肩入れした行動を取るわけにはゆかぬ。」

「そうですか…。」

「そうしてこの状態にてほぼ10年余。

 無駄に均衡が保たれた状態を、ようやく崩せる絶好の機会が、遂にやってきた。

 今回の闘士たちの実力もさる事ながら、貴様の存在でな。」

「へっ?」

 私?この男は何を言っているんだ?まさか…、

 

「貴様に、今回『驚邏大四凶殺』でしたのと同じ仕事を頼みたい。

 闘士たちには知られずに、16人全員、生かして闘いを終わらせたいのだ。」

 いや、さっき自分で、氣を使い過ぎるなと言ったよね?

 16人とか絶対無理だから────ッ!!!!!




緑川光の耳責めヴォイス聴きまくってたら、赤石先輩が少し積極的に出てきてしまいましたw
迫られた本人その事に気付いてないけど。


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5・ワインレッドの心

 その日私は天動宮を訪れていた。

 例の『大威震八連制覇』の出場闘士の名前を、正式に書面にして邪鬼様に届ける為だった。

 …面倒くさい。なんでこの人たち、こんな面倒くさい関係いつまでも続けてられるんだろう。

 あと、出場闘士って本人に承諾も取らずに勝手に決めてるけどこれもなんだかなって思う。

 まあ一応コレ、邪鬼様が指名したって形にはなるらしいんだけど。

 

 (ワン)先生の依頼には、結局応じた。

 というか話をよく聞けば『驚邏大四凶殺』の時とは違い、私一人に16人の治療を全部任せるという事ではないらしい。

 王先生本人は立場上治療に携われないが、優秀な医療スタッフを抱えているそうで、要はその一員として同行しろとの事らしい。

 あと別働隊として秘密裏に救助に当たる為のスタッフもいるそうだ。

 そこまで用意してるなら、別に私、居なくていいんじゃない?とちょっとだけ思ったのだが、(ワン)先生曰く、

 

「貴様の技はいわば最後の手段よ。

 より確実に命を救う為の、保険と言ってもいい。

 それに、貴様には判らぬ事かもしれぬが、男というのは単純な生き物でな。

 可愛い女子(おなご)の目があれば、何としても良いところを見せんと、良い仕事をしようとするものよ。」

 …後半はニヤリといった表情で笑いながら言ってたので冗談なんだと思うが。

 

「富樫や虎丸は私を男だと思っておりますが。」

 あと豪学連組は私の存在すら知らないし。

 伊達臣人はあの晩に顔合わせてるけど、多分覚えてないだろう。

 かなり意識が混濁してたっぽいし。

 薬のせいか怪我のせいか、あるいは毒ガスの後遺症なのかは知らないが。

 

「闘士たちだけではない。

『驚邏大四凶殺』で貴様と行動を共にしていた三号生たちの働きを思い返してみよ。

 みんな貴様にいいところを見せようと躍起になったからこそ、あれだけの仕事ができたのだぞ。」

 彼らの命懸けの仕事をそんなもんで片付けるのは失礼な気がする。

 私がおらず彼らだけでも、ちゃんと仕事は完璧にしたと思うよ?

 彼らは邪鬼様に心酔してるし。

 私が不得要領な顔をしているのに気付いたのか、(ワン)先生は不意に質問を投げかけてきた。

 

「フフ…ならば貴様は、男とはどういう生き物だと思うておる?」

 …これと同じ質問を以前、独眼鉄からされた気がするんだが、あの時私はなんと答えたろう?

 

「生き様よりも死に様に、より高い価値を求める生き物…と、以前同じ質問を受けた時には答えた気がしますが、今は更に、女以上に見栄っ張りで、面倒くさい生き物かなという気がしてます。

 塾長と邪鬼様のやり取りを仲介する様になってからは、特に。」

「フフフ、まさにな。

 だから、男は単純という事よ。」

「単純、かなぁ…?」

 確かに以前は、その男性心理を突いて仕事をしていたわけだから、男など単純でわかりやすいと思っていたし、わかっているつもりでいた。

 けど、ここの男たちに関わっていくうちに、私の男性観などただの一面でしかない事に、否応なく気付かされ。

 結果、複雑で面倒くさく見えてしまっているのだけど。

 単純ゆえに、複雑で。

 大人なのに子供みたいで。

 子供だけど、時には大人で、それでもやっぱり子供で。

 うん。やっぱり面倒くさい。男って。

 

 ☆☆☆

 

 帰り際、こちらが提出した出場闘士の名簿を、廊下門番組に(『鎮守直廊』っていうらしい)届ける仕事を引き受けて、最後に独眼鉄にそれを渡したところ、それに目を通した独眼鉄が、そのうちひとつの名前を見て、息を呑んだ。

 

「富樫…源次?」

「先頃行われた『驚邏大四凶殺』にて、次鋒をつとめた一号生です。

 とにかく根性のある子ですよ。

 独眼鉄は、彼を御存知なのですか?」

 私の質問に、独眼鉄は押し黙ったまましばらく固まっていたが、やがてゆっくりと首を横に振った。

 

「…いや、俺が知ってるのは、似た名前の男だ。」

「ああ。それは、前回の『大威震八連制覇』の死亡者のひとり、富樫源吉ですね?

 私も、名前の類似性が気になって調べたのですが、どうやら2人は兄弟であるようです。

 兄の源吉が亡くなった3年後、その弟が男塾に入塾してきたわけですね。」

 過去の書類をひっくり返したら、当時の入学願書が出てきたので目を通した。

 それに添付されていた写真で見た限り『富樫源吉』は、弟の『源次』より随分年上に見える。

 亡くなった当時で一号生だったから同い年…いや、入学願書というからには写真を撮った当時は中学三年生で、今の『源次』よりも年下の筈なのだが。

 富樫自体が結構な老け顔だと思っていたけど、まだましな方だったのか。

 …まあ、私が見る限り富樫は多分、30越えて色気が出たら急にモテ始めるタイプだろう。

 或いは十代のうちに初体験を、そのくらいの年齢の大人の女性と迎える事になるか。

 少なくとも現時点で同年代の女性に、富樫の魅力はまだまだ理解できない筈だ。

 …話が逸れた。

 

「…弟?そうか…。」

 独眼鉄の声が震える。

 

「どうかしましたか、独眼鉄?…独眼鉄!?」

「うっ…くくっ……!!」

 見上げた先には、ひとつだけ残っている目から、大粒の涙を零して、嗚咽する大男が居た。

 

 ・・・

 

「…でも、それはあなたのせいではないでしょう。

 あなたは、与えられた仕事を遂行しただけです。」

 嗚咽する独眼鉄を宥めながら話を聞き終えて、私は彼にそう言った。

 話の内容は、現時点では御容赦願いたい。

 そもそも私、誰に向かって話してるのか知らないけど。

 それはともかく一応ここの塾則の中に、『親の葬式でも涙は見せるべからず』とかいうのがあるらしいが、その割にここの男たちは結構泣き虫な気がする。

 それとも私が、男は泣かないものだと思い込み過ぎなのだろうか?

 でも、断片的にしか覚えてはいないものの、今の彼らよりずっと幼かった筈の私の兄は、泣いている姿なんか私に見せた事がない。

 まあ覚えている限りで考えるに、肉体的なハンデからは信じられないくらい、兄が図太い性格だっただけって気がするけど。

 ていうより、現状をそのまんま受け止める事が当たり前になってたんだろうな。

 自分が頑張ったところでどうにもならない事態が多過ぎて、ある意味悟っちゃってたんだろう。

 

『オレは、オレが死んでも、おまえには生きてて欲しい…オレは、光が大好きだから、さ。』

 あれは、どんな場面で言っていた言葉だったろう?

 兄は、自分が死ぬという事を、当たり前のようにあっさり、笑いながら口にした。

 泣く事など、心の片隅にすらないかのように。

 

『てめえは女だ、我慢する事ぁねえ。泣け。』

 私にそう言った赤石は、明らかに自分が泣くのを堪えていた。

 あのまま置いとけば涙の代わりに、自分の身を傷つけて血を流しそうだと思った。

 だから彼を抱きしめて、彼の代わりに私が泣いたんだ。

 うん、そういう事だ。

 男が泣くって、本来それくらい大変な事だ。

 

「…それでも、俺が富樫源吉を殺したのは、変えようがねえ事実なんだ。

 その弟が入塾して、兄と同じように大威震八連制覇に挑んでくる。

 こいつはもう、運命だ。

 俺は、奴の恨みを受け止める。」

 若干まだ鼻をすすりながらも、先ほどより落ち着いた声音で、独眼鉄が言う。

 

「そんな…考え直してください。

 それに、大威震八連制覇は2対2、四組の団体戦です。

 あなたと富樫が戦う事になるかどうかは、わからないではありませんか。」

「いや、恐らくそうなる。

 この大威震八連制覇の組み合わせってな、直前に決まるんだが、運命っていうか縁ってやつが、本当に見事にハマっちまうんだ。

 不思議なくらいな。

 富樫源吉という因縁が、その富樫源次と俺の間に横たわる以上、奴は俺の待つ第二闘場に、間違いなくやってくるだろう。

 そうなったら俺は、運命を受け入れるぜ。

 幸いにというか、俺はこんな悪人ヅラだ。

 ゲスな発言のひとつでもしとけば、奴は遠慮なく俺を殺してくれるだろう。」

 この厳つい風貌は、確かに彼の繊細で優しい本心を覆い隠してくれる。

 悲しいほどに。

 

「…独眼鉄。決意は変わらないのですね?」

 それでも、そうして欲しくなくて、私は確認を促した。けれど。

 

「ああ。…光、この件は他言無用に願う。」

 それはどうやら、決意をより固める結果にしかならなくて。

 泣いてやめてと縋れば、決意を翻してくれるだろうか?

 

「嫌だと言ったら、私を殺しますか?」

 そう思っても、こんな言い方しかできない、可愛くない自分が恨めしい。

 私の言葉に独眼鉄は、少しだけその片目を丸く見開いた後、唇を笑みの形に歪めた。

 

「……やめとこう。全塾生を敵に回しちまう。

 おめえは喋らねえって信じるさ。

 みっともねえとこ見せちまったな。

 勘弁してくれ。」

 そう言って独眼鉄は、その大きな手を私の頭の上に乗せ、軽くぽんぽんと叩いた。

 その温もりが、今は切ない。

 これ以上は、女である私には踏み込めない領域なのだろう。

 男同士の絆というのは、なんとままならないものか。

 自分たちで、勝手に複雑にしてしまっているだけなのだろうけれど。

 もっと楽な方法がある筈なのに。

 それでも彼らは、ままならない道を進んでいくのだ。

 

 だけどね独眼鉄…最後の決意だけは、悪いが受け入れてあげられない。

 私は、あなた方全員を、生き残らせなければいけないのだから。

 そして、そうなったら富樫にも、あなたの話を聞かせなければならない。

 せめてその意地が通るよう、あなたの言う運命の闘いが終わるまでは、口を噤んでいてあげるけれど。

 

 ☆☆☆

 

 桃たちが1ヶ月ぶりに登校してきた。

 この日は豪学連の4人が編入してくる日でもあった。

 天動宮に桃たちが呼び出され(その際呼びに行った三号生が悪ふざけをして危うく廊下が火事になりかけたので虎丸と2人で消し止め、後でほとぼりが冷めてから改めて物理交えて文句言った。つか邪鬼様に進言しなかっただけでもありがたいと思え)、その間に塾長に呼ばれて、塾の門の前で豪学連組を出迎えることになった。

 

「フッフフ、塾長自らのお出迎えとは……。」

 三面拳を従えた素顔の伊達臣人が呟くように言う。

 

「既に入学手続きはとってある…特例を認め、本日をもって貴様達四人は、男塾一号生の学籍に入る。

 何故貴様等がこの男塾に召集されたかわかっておるか…?

 今ならばまだ遅くはない。

 この校門をくぐるか否かは、もう一度心して考えい。」

 そう言った塾長の言葉に、伊達臣人は瞳に力を込めて、塾長を見据えた。

 

「塾長もお年を召されましたな。

 大威震八連制覇……!!

 真の男を極めんとする者、この名を聞き引き返す道はありませぬ!!」

 その言葉を合図に、四人が校門をくぐる。

 やっぱ戦闘狂のケがあるなコイツ。

 などと私が呆れていると、

 

「…!?貴様…!」

 塾長の後ろにいた私に初めて気付いた伊達臣人(しかも二度見しやがったコイツ)が、少し驚いたような声を上げた。

 それと同時に後ろの三人も、一斉に私に注目する。

 …え?なに?

 

「フッ。どうかしたか?こやつは、わしの息子よ。

 訳あって秘書として側に置いておる。」

「息子…?」

 塾長の言葉に、伊達の側にいた月光が、思わずといったていで小さく呟く。

 ん?…この男、目線は私を捉えてはいるが、微妙に焦点が合っていない気がするのだが気のせいか?

 

「…江田島光と申します。

 伊達臣人。そして雷電、飛燕、月光。

 あなた方4名の入塾を歓迎いたします。」

 とりあえず無難に挨拶をしてみた。

 月光は相変わらず焦点合ってなさそうに、伊達は不躾に上から下まで、飛燕はちょっとだけ不審げに、雷電は何やら微笑ましげに、それぞれの視線で私を見ている。

 

 …てゆーか雷電のこの表情ってアレだろ!

 絶対に『お父さんのお手伝いしてるんだ〜、偉いね〜』って感じの事考えてるだろ!

 どう考えても18の若者に向ける視線じゃねえわ!

 …てゆーか、Jと戦ってる間はほぼ無表情で、すごく冷たいイメージだったのに、この男、こんなに優しい顔ができるんだ。

 

 …何だか居たたまれなくなった頃、伊達が話しかけてくれた。

 なんか助かった気がした。

 

「…貴様、俺たちが寝かされてたあの家に来ていただろう。」

「…あれ?気がついていたんですね?

 ずっとうわ言で何かぶつぶつ言っていたから、目は開いてたけど意識はないかと思っていました。」

 …あの時の会話、恐らくはこの三人にも聞かれたくはなかろう。

 というか、私自身のトラウマも少し刺激されたから、私がもう、思い出すと辛い。

 なんだこの前門の虎後門の狼。

 一難去ってまた一難。

 

「…何を言ったかまでは聞いてねえってのか?」

 案の定、伊達が探るような目を向けてくる。

 自分が何言ったか、うっすらと覚えてるっぽいな、これ。

 だとすると、あの時一応会話は成立してたし、私が空惚けてる事はわかってるんだろうから、これ以上つっこまないでいただきたい。

 それとも、そんなに言ってほしいか?

 誰でもいいから側にいてくれって、初対面の私に縋り付いた事。

 私も絆されてついアタマとか撫でちゃったけど。

 

「これでも忙しいので、そんな事までいちいち気にしてられませんよ。

 …少し、髪を切ったんですね?」

 仕方ないので強引に話題を変える事にした。

 それはともかく塾長、ニヤニヤしながら見てるんなら少しでも口挟んで助けてくれませんか。

 

「あ?あぁ…。」

「男前が上がりましたね。

 その方が似合ってます。」

「…フン。俺は元々男前だ。」

 そうきたかこの野郎。

 つっこもうにも本当のことだから始末に負えない。

 まあ、誤魔化されてくれたようなのでいい事にしておく。

 

「あ…その事ですが、光さん…。」

 と、思い出したように今度は、飛燕が話しかけてきた。

 …うん、なんか無意識にきれいなおねえさんみたいなイメージで見てたけど、喋ったらちゃんと男の人だ。

 くっそ、羨ましいくらい美人だな。

 化粧もしてないのに。

 …だからだろうか、彼の他の仲間たちと同じように、制服の前を開けて肌を見せているのがすごく違和感がある。

 学ランの中に着るTシャツとか用意してあげた方が良かったかもしれない。

 制服を用意して箱詰めしてた際センクウに、替えの下着も多めに詰めておいてやれとか言われて、少なからず動揺してたんでそこまで思い至らなかった。

 ついでに言えばその際、横で聞いてた卍丸に、嫁入り前の娘に男の下着なんか揃えさせるなと怒られて、結局2人とも手伝ってくれたけど。

 

「光、と呼び捨てていただいて結構です。

 なんでしょうか、飛燕?」

「恐れ入ります、光。

 …彼の、切った髪なんですが、新聞紙には包んでますが、ゴミ箱に捨てて、そのまま来てしまいました。」

 律儀だなコイツ。

 まあ、それ以外なんか他に言いたい事あるっぽい雰囲気だけど、気付かない事にしとく。

 

「そうでしたか。申告ありがとう。

 どうぞご心配なく。

 あの家を管理しているのは、自分たちの都合であなた方を救助した三号生ですから、清掃くらい彼らで行うでしょう。

 こっちであなた方が入る寮の手配と部屋の清掃は済んでいます。

 伊達がいる事ですし、寮の場所はわかりますね?

 鍵は寮長から受け取って下さい。

 でもまずは三号棟、天動宮へ行ってくださいね。

 そこで三号生筆頭大豪院邪鬼より、『大威震八連制覇』についての詳しい説明がある筈です。」

 場所は校舎裏の東側です、と付け加えて、手で方向を指し示した。

 

 ☆☆☆

 

「伊達殿、あの、光と申す者…。」

「なんだ、月光?」

「私の感覚に狂いがなければ、あの気配、『驚邏大四凶殺』の闘いの最中、ずっとどこかに感じていたものです。

 恐らくは隠れたところからずっと、我らの戦いを見ていたものかと。」

「そうか。

 てめえがそう言うなら間違いねえだろう。

 あのひょろくてちんまいのが、わざわざそんな事をしてたって事は、ヤツにしかできねえ仕事があったって事なんだろうな。

 …十中八九、俺やおまえらの怪我の治療をしたのは、ヤツだろう。

 あの夜中に様子を見に来てた理由も、それで説明がつく。」

「まさか、あのような子供が…!?」

「見た目に惑わされるな、雷電。

 あの者の氣は、決して子供のものなどではない。

 むしろ……」

「…月光?」

「……いや。何でもない。」

「てめえらしくねえな、月光。

 何かヤツの事で、気になる事があるんだろ?

 言え。」

「……あれは子供ではなく、妙齢の女ではありますまいか、と。」

「お、女!?」

「あ…なるほど。

 先程江田島塾長から『息子』と紹介された際、妙な違和感を覚えたのはそのせいでしたか。

 男性にしては、可愛らし過ぎると思っていたんですよ。」

「飛燕、貴様もだ。

 見た目に惑わされるなと言った筈だ。

 あれが女だとしたら、男である場合以上に、とんでもない怪物という事になる。」

「どういう事だ、月光?」

「…あの者、恐らくは年齢の3倍以上の人数を、これまでに殺してきているでしょう。

 そうでなくば説明がつかない凄みが、あの者の『氣』にはある。」

「フッ…そうか。なかなか面白え。」

 

 ☆☆☆

 

 桃たち一号生と邪鬼様との初対面の場は『大威震八連制覇』の説明という建前からは程遠い、なかなかに物騒な展開になっていたらしい。

 というのも、鎮守直廊の試練を桃以外の三人で突破した後、いよいよ邪鬼様と対面って場面で富樫が暴走して、一人で邪鬼様の命を狙い特攻したのだという。

 どうも富樫は兄の死の状況を勘違いしているらしく、兄の仇が邪鬼様だと思い込んでいるらしかった。

 どうしてその時点で否定しなかったか、後で邪鬼様に訊ねたら、

 

「独眼鉄は俺の命令に従ったのだ。俺が仇でも、別に間違いではないだろう。」との事。

 邪鬼様は独眼鉄を庇ったのだろうが、それはそれでどうなのかと思う。

 独眼鉄のあの決意の固さを考えたら、こんな事をしたところで、勝負の場面にいざなれば、彼は自分で言っちゃうんだろうし。

 何はともあれ、豪学連組が桃たちと合流し、決戦は三日後と相成った。

 

 その三日間で、私ができる事ってなんだろう。




雷電の微笑ましげな表情云々て話の時に、入れようとしたが泣く泣く諦めてカットした文章。
自分的にはヒットだったので裏話的に晒す。

『塾長の別宅に居た時期に幸さんが『わたし、この番組大好きなの♪』って言ってて、よく分からぬまま観せられた、小さい子供にちょっとハードル高いおつかい頼んで、その一部始終を撮影するって企画のTV番組で、ゲストのタレントが一様に浮かべていたのと同じ表情じゃねえか!』

…念の為調べてみたら『はじめてのお○かい』はこの時代まだ放送されてなかったよ…。


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6・愚か者たちの夢

「光、ちょうどいいところに来た。

 体調が悪くなかったらでいいんだが、助けてくれないか?」

 豪学連組がちゃんと馴染んでいるかどうか、ちょっと様子を見に一号生の教室の前まで行ってみたら、目ざとく私を見つけた桃に声をかけられた。

 助けて…って?

 

「桃?どうかしたんで…あ、火傷!?しかも両手!?」

 なんでこんな事になってるんだろう。

 桃の両掌が、まるで焼けた鉄の棒でも握ったみたいに焼け爛れていた。

 彼の事だからある程度までは氣でダメージを軽減してるだろうが、それでも限界というものがある。

 

「ああ。大した事ないかと思ってたが、時間が経ったら思ったより病んできた。」

 いやこれを、そもそも大した事ないと思うな。

 

「火傷って、普通の傷より厄介なんですよ。

 しかも掌って、神経が集中してる場所ですから、病むの当たり前でしょう。

 次からはすぐに、私のところに来るように。

 …いつも通り、チクッとしますけど、我慢ですよ。」

 まずは桃の右手を取り、掌に私の指先を当てる。

 

「フッフフ、光が治してくれると思ったら、そのチクッてやつも却って気持ちいいぜ。」

「相変わらず気色悪い事を言いますね桃は。」

「フフ、相変わらずつれないんだな、光は。」

「…はい、今度は左手ですよ。

 いつも言ってる事ですけど、これで完治ではありませんから、無理な使用を避ける事と、睡眠はしっかり取る事。

 いいですね?」

「光が一緒に寝てくれるなら、今すぐにだって眠れるんだがな。

 いつかみたいに。」

「子供か。」

「ん?」

「いえ何でも。」

 軽口の応酬を経て治療を終え、これ以上からかわれたら面倒くさいのでそそくさとその場を去ろうとしたら、なんか驚いた顔してこっち見てる雷電と目が合った。

 …さっきこっそり見た限り、意外にも一番最初に、他の一号生と溶け込んでいたのはこの男だった。

 年齢は塾生より明らかに上なのだろうが、本質的には相当気さくな人であるようだ。

 

「むぅ…光殿のその技は、もしや『橘流氣操術』!?」

「おや…知っているんですか、雷電?」

「うむ、日本に生まれた、氣を用いた治療術の中で最も洗練された技であったと聞く。

 だが、今の世にそれを伝える者が居たとは…!」

 言いたい事はわかるが大往生流がそれ言うな。

 

「…そして私で最後になります。

 私はこの先、自身の子孫に、この技を遺すつもりはありませんので。」

 治療術としては類を見ないほど優秀だし、もはや望むべくもない家族との唯一の血の絆、私の本音としては失われるのは惜しい。けれど。

 

「…それは、暗殺術としての側面を重視しての決断か?」

「…何でも知ってらっしゃるのですね、雷電は。

 その通りです。禁忌を知らずしての治療は事故に繋がりますから、『橘流氣操術』だけを残して、表裏一体の『裏橘』のみを封じる事はできません。

 そしていつの世も、黒い一面に目を向ける者はいるものです。

 一族の同じ過ちを繰り返さぬ為に、すべての因縁を私は、私の代で、断とうと思っています。」

 私の代で『橘流氣操術』が暗殺術になってしまったのは、技を全て修めた時の私が、あまりにも幼すぎたからだ。

 それこそ、善悪の区別も判らぬほどに。

 気がついた時には、私は既に暗殺者だった。

 殺すことが私の存在意義だった。

 …私だけでいい。こんな思いをするのは。

 ましてや自身の子や孫に、そのような事は望まない。

 私だけでいいんだ。

 

「もっとも、伝えるべき子が居なければ勝手に絶える訳で、私がこの先、生涯独身を貫けばいいだけの話ですけどね。」

 橘法視(たちばなのほうみ)直系の子孫は、もはや私だけだ。

 王先生に、子供が産めなくなる可能性も示唆されたし、それならそれでいいだろう。

 こんな血、絶えるなら絶やしてしまえ。

 

「おい、光…。」

 しかし私がそう言うと、何故か桃は、少し焦ったように私に何か言いかけた。が、

 

「それは、却って難しい話であろう。

 光殿ほどの女子(おなご)、世の男どもが放っておく筈がない。」

 それとほぼ同時に雷電が、衝撃的な台詞を、周囲に配慮してかかなり小声で吐いた。

 

「なっ!」

「えっ!?雷電、あなた、何故それを知って…!?」

 私と桃が同時に驚いて、やはり周囲を警戒する。

 幸い、私たちの会話を聞いていた者は居ないようだ。

 

「これは失礼した。

 うちの月光は気配に敏感でな。

 あやつが気付いて我らに伝え申した。」

 え、月光?

 

「…という事は、光が女だと三面拳全員、それに伊達も知っているという事か?」

 桃の問いに、雷電が頷く。まじか。

 

「うぇ……三面拳はともかく、伊達はなんか面倒そうだな…。」

「え?」

「いえ何でも。

 あの…この件は、一部の者しか知らない事ですので、どうか内密に…。」

「御安心召されよ。

 婦女子に危険が及ぶ事、我らも伊達殿も決して望み申さぬ。

 特に伊達殿は、女子(おなご)には優しい男ゆえな。」

 私の言葉に、安心させるように優しく雷電が言うが、

「なんかソレ却って嫌だ…。」

「え?」

「いえ何でも。」

 …なんて言うか、考えてみれば伊達本人にはなんの落ち度もないし、誰に判ってもらえるとも思ってないんだけど、私的には孤戮闘をくぐり抜けてきた男ってだけで、こいつには絶対に弱味は見せられないという感覚になるのだ。

 その相手に一番のウィークポイントを知られている。

 決めた。伊達には極力関わらないでおこう。

 

 ☆☆☆

 

 とりあえず豪学連組にも女だとバレたらしい事を、久しぶりに執務室を訪ねてきた赤石に言うと、

 

「塾長はともかく、俺に剣、J、伊達に三面拳と、あと三号生全員か。

 もういっそのこと、全員に晒して秘密じゃなくしちまった方が、面倒がなくていいんじゃねえのか?」

 という若干脱力するような答えが返ってきた。

 

「忘れてるかもしれないですけど、私がここにいるのは、命を狙われてるからなんですがね。

 忘れてるかもしれないですけど。」

 大事な事なので2回言いました。

 しかもアタマ掻きながら「ああそうか」とか言いやがりましたよこのバカ兄貴。

 本当に忘れてたんですねわかります。

 

「とは言っても、てめえの実家の周辺とか、最初に襲われたっていう塾長の別宅の周辺を、一応まだ警戒させてるが、はじめの頃こそ怪しいやつが姿見せたって報告が何度かあったが、今じゃそんな話は、それこそ忘れるくらいまったく上がってこねえ。

 てめえの元の主人が誰だか知らねえが、いつまでも内輪の事に人員を割いてられるほどの余裕なんぞねえんじゃねえか。」

 警戒『させてる』って…いや、何も言うまい。

 赤石が塾の外にある程度の規模の情報網を持ってるって事はもう判ってる。

 

「…あの時会ったてめえの『弟』は、もっと感情的な理由で、てめえを探してそうだがな。」

 赤石の言葉に、私の胸がチクリと痛んだ。

 

『俺と来い、姉さん。必ず守ってやる』

 そう言ってくれた豪毅の、差し伸べてきた手を、私は拒んだ。

 彼は今、どうしているだろうか。

 やはり私の事を怒っているだろうな。

 

「豪くん……。」

「…もう忘れろ。」

 赤石の大きな手が私の両肩を包む。

 忘れられる筈がない。

 そう言いたかったけど、赤石の手の温もりが優しくて、引き寄せられるままにその胸に顔を寄せ…ようとした瞬間。

 

 コンコン。

 ドアからノックの音が聞こえ、ハッと我に帰る。

 赤石も慌てたように私から手を離した。

 

「ど、どうぞ!開いてます!」

 ノックして入るのは桃かJだ。

 そして桃の場合、ノックした後外から声をかけてくるから、無言でノックしたって事はJだろう…と思ったのだが。

 

「…伊達!?」

「押忍、失礼…………!?」

 入ってきた伊達は、挨拶の途中でいきなり固まった。

 見開いた目の、その視線の先は、私ではなく赤石。

 

「…コイツに用があったんじゃねえのか。」

 少し焦れたように赤石が、伊達に話しかける。

 

「…あった筈だが、アンタの顔見た瞬間に全部ぶっ飛んだぜ。

 まだ男塾(ココ)に居たのか、アンタ。」

「てめえの事件の後に無期停学食らって、この夏に戻らされた。

 未だに二号生の筆頭だ。」

 言いながら赤石が自嘲気味に笑う。

 

『伊達が守ろうとしてた奴らを、俺は全員ぶった斬った。

 本末転倒だ。笑い話にもならねえ』

 そう言った時と同じ表情。

 そうだ、その点で、赤石は伊達に負い目を抱いてる。

 

 …その話、赤石の口から伊達に告げさせたくない。

 何故だか判らないがそう思った。

 そして気がつけば、私は赤石の制服の裾を掴んでいた。

 

「…光?」

「……あ、失礼しました。」

 慌てて手を離すと、何故か赤石がニヤリと、私に向かって笑いかけた。

 

「…俺が心配か?」

「え?…ええ、まあ。」

 よく判らないが適当に返事をする。

 私のその答えに赤石が何を見たかは判らないが、赤石の大きな手は私の頭を掴むと、そのままぐりぐりと揺さぶった。

 

「やめて脳が揺れる」

「伊達、場所移すぞ。ツラ貸せ。」

「押忍……先輩。」

 私が強制的に引き起こされためまいに耐えている間に、二人は執務室を去っていった。

 なんなんだよもう。

 

 うん、私が心配するほど赤石は弱くはない。

 わかってるけど。

 てゆーかそもそも何しに来たんだ、伊達。

 

 ☆☆☆

 

「…フッ。そんな事なら、今更気に病む必要はないでしょう。

 アンタらしくもねえ。」

「そう言ってくれんなら、有難てえな。」

「なんか、丸くなったな、アンタ。

 ……あの女のせいか?」

「…何故そう思う?」

「さっきの様子を見りゃあな。

 ひょっとしてアンタの女か、あれは?」

「死んだ(ダチ)の妹だ。

 そいつの代わりに守ってやると誓った。

 …よもやとは思うが、手は出すな。」

「そいつは約束できませんね。

 アンタの女ってんならともかく、ヤツに俺も若干興味がある。

 年齢の3倍以上の人数を殺してる女ってやつに。」

「!……何故てめえがそれを知ってるかは聞かねえが、それをあいつの前で言ってみろ。

 その瞬間、俺はてめえをぶった斬る!」

「………!?」

「…てめえにも、他人に触れられたくねえ過去のひとつやふたつあんだろうが。

 不用意に逆撫でんじゃねえ。」

「…前言撤回だ。アンタは丸くなっちゃいねえ。

 単に、キレる方向が変わっただけだな。」

 

 ☆☆☆

 

 二号生筆頭と、元一号生筆頭が、そんな会話を交わしていたとは全く知らず、私は桃に、また組手の相手をしてもらっていた。

 少し離れてJも様子を見ている。

 いつも通りの光景だったが、何やら騒がし気な声がして、Jのそばに富樫と虎丸が寄ってくるのが見えた。

 

「お、おい。何してんだ、あいつら!?」

 虎丸がなにか慌てたようにJに問う。

 

「光と桃はよくここで組手をしてるぞ。

 俺も時々混ぜてもらっているが。」

「てゆーかあのチビスケ、めっちゃ強ぇじゃねえか!」

「聞こえとるわ!チビスケ言うなチョビヒゲ!!」

「ぐはっ!」

 …富樫の言葉にムカついて思いっきり靴を投げつけた。

 見事に命中した。当てるつもりはなかった。

 後悔はしているが反省はしていない。

 

 ・・・

 

「…随分身体が動くようになってきたな。

 また何か新しい概念でも入れたろ?」

 虎丸が何故かヤカンに水を持ってきてくれて、桃と2人で回し飲みする。

 お互い口はつけてない。

 ちょっと零したけど、私は上着を脱ぐわけにいかないので、このまま乾くのを待つしかない。

 こういう時、本物の男である彼らを羨ましいと思う。

 ちなみにヤカンを持ってきた後、虎丸は『おれらも、光に負けんよう特訓じゃ──!』と富樫を引っ張ってどこかに連れて行った。

 

「今朝塾長に、合氣の手ほどきをしていただきました。

 それでまた、少し戦い方が、変わったのだと思います。」

「合氣か、確かに光には合ってるかもな。

 相手との身体の大きさとか、体力の差が、弱点にならなくなるわけだし。」

「アイキ…確か、相手の力をも利用しての、受けや返しの技に特化した武術だったな?」

 私と桃の会話にJが反応する。

 まあ、間違いではないが、Jの言う部分はあくまで結果。

 合氣の基本理念は『万物との和合』。

 相手の力や氣と争わないからこそ、それを受け流し、また自身のものとできる。

 もっとも、私もその辺のことは端的に理解しているに過ぎないが。

 というか、精神面での理解が充分に及んだ頃には、私は多分老婆になっているだろう。

 そのくらい奥が深い。

 

「だが、それにしても凄い。

 光には格闘技の才能(センス)があるとは思っていたが、こんなに短期間で、これだけ強くなるとは。」

 Jの言葉に、私は首を横に振る。

 

「桃は、手加減をしてくれています。

 Jだってそうでしょう?

 それでやっとついていけてるんですから、まだまだです。」

「勘弁してくれ。

 光に対して手加減なしでやり合わなきゃならなくなったら、戦場に連れてかなきゃいけなくなる。」

 …それは、桃は何気なく言ったのだろうが、私には傷つく言葉だった。

 私が強くなろうと思ったのは、桃たちに心配をかけないように、自分の身くらい自分で守れるようになろうと思ったからだ。

 そうする事で守られる立場ではなく、彼らと対等になりたかった。

 それは、桃が私を『仲間』だと言ってくれたからだ。

 けど桃は、戦力として頼りになるレベルにまでは、私を強くする気はなくて。

 

「ついて行っては、駄目なんですか?」

「…できれば、待っていて欲しいかな。」

 今回の戦いには、そりゃ間に合わないし、私には私の仕事があるけれど、私だってあなた方を守りたいのに、そこそこの強さじゃ意味がない。

「そんな顔するなって。

 言っておくが、光を信用してないわけじゃない。

 光を危険に晒したくない…いや違うな。

 俺がたとえ死んでも、光には生きてて欲しい。

 あくまでも俺の感情だけだがな。」

 …そしてよりによって兄とおんなじ事言うなこの野郎。

 てゆーか今この瞬間思い出した。

 この台詞を兄から言われた時の状況。

 発作時の、氣による私の対処の効果が段々と落ちてきて、いよいよ限界だと言われ。

 

『わたしの心臓をお兄ちゃんにあげる』

 私が、そう言った時だ。

 それに対する兄の答えだった。

 今考えれば、子供の浅知恵だろう。

 健康な双子の妹から、瀕死の兄への心臓の移植。

 そんな手術を引き受ける医者がいるはずがない。

 だが、兄と離れたくない私が出した答えがそれだった。

 そして、今考えると恐ろしいのは、その時は思いつきもしなかったが、自分の身体を脳死状態にする事なら、やろうと思えば当時の私にだってできたって事だ。

 

「…これは、理屈じゃないんだ。

 ある意味、男の本能みたいなものだ。」

 言い訳のように桃が続ける。

 私だって、私が死んでも兄には生きてて欲しかった。

 そんなの男だけの特権じゃない。

 …男は、面倒な上に、自分勝手だ。

 

「…つまり、桃は光を好きだという事だ。」

 鼻の奥がツンと痛み始めた時、Jが突然思いもよらない事を言った。

 

「は?」

「なっ……J!」

 普段の余裕がなりを潜め、桃が焦ったように叫ぶ。

 心なしか、顔が赤い。

 

「ある男が言った言葉だ。

 守って死ぬ側の感情を突き詰めれば、『I really like you(おまえのことが大好きだ)』ってところに行き着くと。

 …だがな桃。

 守られる側にとっては、それは無責任だ。

 守られて自分だけ生き残るくらいなら一緒に死にたい。

 これも理屈じゃないんだ。

 片方だけの思いを押し付けるのは、公平(フェア)じゃない。」

 …Jの言うある男って、多分だが兄の事だ。

 兄はあの時確かに言った。

 私のことが大好きだと。

 私の兄は肉体は死んだが、赤石やJ、関わった者たちの中に生きて、未だに私を見守ってくれている…そんな感覚に、不意に襲われた。

 

「…今日はいつになく饒舌ですね、J。」

 少し泣きそうになるのを我慢して言う。

 Jは口元に笑みを浮かべて私に問うた。

 

「フッ、少し喋りすぎたか?」

「いいえ。

 私がコイツに言いたくて、見つからなかった言葉を、あなたが代わりに見つけてくれました。

 ありがとう、J。」

 そして、ありがとうお兄ちゃん。

 私は再び桃に向き直ると、腰に手を当てて胸を張って、少し声を張り上げて宣言した。

 

「いいですか、桃。

 もし、あなたが私を守って死ぬような事があれば、私はその場ですぐ、自ら命を断ちますから!

 そうしてあなたの命懸けの献身を、すべて無駄にして差し上げます!」

 私の言葉に桃はまず目を見開いてから、ややあってため息混じりに言葉を発した。

 

「…とんでもない脅迫をするものだな。

 それでは男の面子が丸潰れだ。」

「でしょうね。

 ですが、男の面子だのプライドだの、そんなもの私には関係ありません。

 犬死にしたくないなら何があっても生き残る事です。以上!」

 男は、死に様を重要視する生き物。

 そこを全否定する女の為に、命なんか張らないでくれ。

 そうして何だか呆気に取られたように私を見ている桃に、Jが言葉をかけた。

 

「この平行線を交わらせようと思ったら、ともに戦い、勝ち残る道しかないかもしれんぞ。

 光を本当に守りたいなら、俺たちが強くなるのも勿論だが、光をとことん強くして、そばに置いておくのもひとつの手だ。

 安心しろ。おまえが思っているよりも光は強い。

 そして、光が欲しいのは、守る手よりも携え合う手だ。

 …光が好きなら、叶えてやれ、桃。」

 Jの大きな手が私の頭を撫でる。

 見上げた顔が、フッと優しく微笑んだ。

 

 ・・・

 

「…なんか、Jは大人だなぁ。」

 いつもならばこの後、続けて私とスパーリングに入るJが、そういう空気ではなくなったと見たか『富樫と虎丸の様子を見てくる』と言って、制服の裾を翻して去っていく、その後ろ姿を見送りながら、私はそう独りごちた。

 

「それは、俺に対する当てつけか?」

 ちょっと不満そうに桃が、私を睨む。

 

「そう思うのならば、そうなのでしょう。

 あなたの中では。」

 私が素っ気なく答えを返すと、桃は少し笑って、私の顔を覗き込んできた。

 

「本当、つれないな。また怒ってるのか?

 …あの夜は、あんなに優しかったのに。」

「人が聞いたら誤解するような言い方はやめてください。」

 また人をからかおうとしてるんだろうが、そうはいくか。

 と思ったところで、桃は急に真顔になって、少し怖いくらい強い視線で、私を真っ直ぐに見つめて、言った。

 

「光…俺は、本気だぞ?」

「…はい?」

「本気で、光のことが、好きだ。」

 いや、いきなり何を言うんだこいつは!

 

「Jに先に言われちまったから、若干格好はつかないがな。

 この際だから、ちゃんと言っておく。」

 …話の流れ的にその『好き』は、仲間としての感情だと思っていたのだが。

 

「…桃、私は」

「わかってる。

 今はお互いに、それどころじゃないって事くらいな。

 だから、今すぐに答えが欲しいとは言わん。

 光がなんの憂いもなく女に戻れた時に、俺を男として見られるかどうか、その時に考えてくれりゃいい。」

 そういう事じゃない。

 私は、あなたにそんなふうに、思ってもらえるような女じゃない。

 

「…ならば、まずは生きて帰って来てください。

 話はそこからです。」

 少なくとも、こんな可愛くない事しか言えない女の、どこがいいというんだろう。

 

『大威震八連制覇』開始まで、あと二日。

 

 ☆☆☆

 

『大威震八連制覇』出場闘士達が男塾を出発したであろう朝。

 私は既に長野八ヶ岳連峰にある八竜(ぱーろん)の長城で、(ワン)先生と、そのスタッフと共に、彼らの到着を待っている。

 立ちこめる霧で、湿気を帯びた白装束が、少し重く感じた。

 そろそろ覆面を着ける事にしよう。




赤石先輩の恫喝の部分さ…
構想の段階ではなかった筈なんだ…
やっぱり勝手に動き出すよこの人…


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大威震八連制覇編
1・it's Alright


ヤヴァイw
王大人の台詞書いてたら段々ハラ立ってきたww
てゆーか、原作通りの部分は非常に書きにくい。幕間の方が好き勝手に書ける分気楽www
そしてこの回、光は脳内ツッコミしかしていないというねwwwwww


(わたしは)大威震(だいいしん)八連制覇(ぱーれんせいは)司祭(しさい)王大人(ワンターレン)

 此時(これより)汝等(あなたたちを)冥府魔道(めいふまどう)八竜(ぱーろんの)(みちへ)先導(せんどうする)!!」

 霊柩車を模したバスから降りてきた一号生達に、(ワン)先生が何やら変な口調で語りかける。

 私は王先生のスタッフである白装束組の中に混じって聞いていたのだが、たまたま隣にいたやっぱり白装束のスタッフが小声で、

 

「あれ、飽きたら普通に喋り出すんで気にしなくていいから。」

 と教えてくれた。

 いやそれ、やり始めたなら統一しようよ(ワン)先生。

 ちょっと吹きそうになって堪えたら咳き込んでしまい、慌てて後ろの列に飛び込んだ。

 何せこの白装束の一団の中で、ちっこいの私だけで目立つし、ってやかましいわ。

 

(この)起竜門(きりゅうもんを)潜入前(くぐるまえに)託生石(たくしょうせきの)儀式(ぎしきを)(おこなう)

 大威震(だいいしん)八連制覇(ぱーれんせいは)八人(はちにんの)猛者共(つわものども)其岩(そこにある)周囲集合(いわのまわりにあつまれ)。」

 託生石の儀式。簡単に言えばタッグの組み合わせと順番を決めるくじ引きである。

 岩(まあ、どう見てもコンクリートなんだけど)から出ている8本に見えて実は4本の鎖を闘士達がそれぞれ握り、それから岩を砕いて、同じ鎖の端と端を握る同士がタッグを組む。

 更にその鎖に番号札が付いていて、それが闘う順番となる。

 そうして出来上がった組み合わせは次の通り。

 

 一番手、雷電とJ。

 二番手、飛燕と富樫。

 三番手、月光と虎丸。

 四番手、伊達と桃。

 

 …うん、見事に『驚邏大四凶殺』で戦った同士という組み合わせになった。

 

仕掛何無(しかけなどなにもない)是絶対運命也(これがうんめいだ)

 因果応報。

 戦者(たたかうもの)敵在時(てきであるときも)味方在時(みかたであるときも)常時(つねに)不透視鎖(みえないくさりで)連結(むすばれている)。」

 …独眼鉄が言ってたのはこういう事か。

 

『この大威震八連制覇の組み合わせってな、直前に決まるんだが、運命っていうか縁ってやつが、本当に見事にハマっちまうんだ。

 不思議なくらいな。』

 ハッとして富樫と飛燕の鎖の番号札をもう一度見る。

 何度見てもそれは間違いなく『二』だ。

 

『富樫源吉という因縁が、その富樫源次と俺の間に横たわる以上、奴は俺の待つ第二闘場に、間違いなくやってくるだろう。』

 …確かに、独眼鉄が言ってた通りになった。

 この縁のお陰で三年前、独眼鉄と富樫源吉は闘わねばならなかった。

 そして同じ縁が、今度はその弟を独眼鉄のもとに向かわせる。

 富樫自身は、未だそれと知らぬまま。

 神様が居てこの運命を操作してるとすれば、その神様は相当性格悪いと思う。

 まあいい。その件は後だ。まずは第一闘場。

 Jと雷電を待ち受けるのは、確か卍丸と蝙翔鬼の筈。

 てゆーか、確か鎮守直廊で蝙翔鬼と戦ったのがJだという。

 こんな僅かな縁も拾っちゃうのかよ 、神様。

 

 ☆☆☆

 

 大威震八連制覇第一闘場・磁冠百柱林。

 塩鉄鋼で作られた無数の背の高い柱の上で磁靴(じか)を履き、二対二で闘うというもの。

 そのままでは10万ガウスの磁力により足場に固定されてしまう磁靴の、踵に遮鉛板を差し込む事で磁力が遮断され、その間だけ動く事が可能。

 そして双方に与えられた遮鉛板は一枚ずつ。

 つまり戦闘可能なのは双方一名ずつ、遮鉛板は選手交代の為の鍵というわけだ。

 

「Jとかいったな。鎮守直廊では油断した。

 貴様とまたやれるなんてこんな嬉しいことはねえぜ…。」

 三号生側から、まずは蝙翔鬼が出るようだ。

 空気を読むならこの流れ的にまずJが行くっぽいけど、このステージって『驚邏大四凶殺』の時に、Jが雷電に苦戦したあの闘場と感じが似てる。

 足場に不安があるという点で。

 だとするとあの『灼脈硫黄関』で雷電が見せた、足場の悪さを逆に利用するくらいの卓越した体術。

 あれこそが今必要ではなかろうか。

 できたらここは、雷電で行って欲しいところなのだけれど…。

 

「先にやらせてもらうぜ。

 どうしても俺とやりたくてウズウズしている奴がいる。」

「さあ来い!!

 貴様のマッハパンチか俺の天稟掌波か、今こそ決着をつけてやる。」

 あ、駄目だ。男は、こうなったら止められない。

 Jは他の塾生達より随分大人に見えていたのに、肝心な場面で簡単に相手の挑発に乗っちゃうとか、大人なのに、やっぱりどこか子供なんだ。

 

 

開始(はじめい)!!」

 王先生の合図と同時に、動き出したのは蝙翔鬼。

 

南朝寺教体拳(なんちょうじきょうたいけん)宙空憑拳(ちゅうくうひょうけん)!!」

 襲いかかる蝙翔鬼に向けてJが一撃を繰り出すが、蝙翔鬼はそのJの腕に一瞬手を置いたかと思うと、そこを起点にして身体を捻り、Jの顔面に蹴りを入れた。

 一瞬体制を崩したJに、まるで翼でも生えているかの如き身の軽さで、更に攻撃を加えてゆく。

 対するJは最初に思った通り、一撃必殺を狙って攻撃を繰り出すも、足場の悪さに邪魔されて、得意のフットワークが使えない。

 これでは完全に『驚邏大四凶殺』での、対雷電戦の再現だ。

 ここは雷電と交代して、一旦体制を立て直すべき。

 誰もがそう思い、Jに対してそれを促す。

 だが、どうやら少し頭に血が上っているらしいJはそれに応じない。

 

天稟掌波(てんぴんしょうは)!!」

 蝙翔鬼が繰り出した技は、氣が巻き起こす、刃の如き鋭い風圧。

 それがJの右肩を掠め、その肌を裂く。

 それでもバランスを立て直し、一旦最初に登った柱まで戻ると、そこにいた雷電が無言で、Jの磁靴から素早く遮鉛板を抜き取った。

 たちまちJの足が、磁力で柱の上に縫いつけられる。

 驚いて振り返ったJに、雷電は静かに、だが強く言い放った。

 

「ここは拙者に任せてもらおう。

 一人の力でこの大威震八連制覇、勝利できるものではござらん。

 何よりも大切なのはチームワーク。

 生死を共にする仲間として、お互いを信じ合うことでござる。」

 Jが驚いた顔してるトコ見ると、この二人、出発前の三日間とか出発後の道中にも、特にコミュニケーション取るとかはしてなかったぽい。

 腹割って話したら結構相性良さそうなんだけどな。

 

「しばらく休んでおるがいい……戦いはまだまだこれからだ。」

 雷電は磁靴の踵に遮鉛板を差し込むと、独特の戦闘の構えを取った。

 

「大往生流殺体術の極意、ひさびさに見せるか、雷電…。

 まさに、うってつけのステージよ。」

 という伊達の言葉通り、満を持して。

 …雷電・始動。

 

「フッ、大往生流…いまだその拳法を伝えるものがおったとは……。」

 言って蝙翔鬼は、雷電への攻撃を開始する。

 対して雷電はその攻撃を悉く避け、無数の足場の上を縦横無尽に飛び回る動きを見せた。

 そのうちひとつに、桜の花びらの如くふわりと着地し、指先を『来い』というように動かして、蝙翔鬼を挑発さえする。

 

「逃げ回っているだけでは、俺を倒すことはできねえぜ。」

 その挑発に乗らずにせせら笑う蝙翔鬼に、雷電が吐き捨てるように言い放った。

 

「すでにお前の動きは見切った!!」

 蝙翔鬼の繰り出した手刀を雷電が両手の掌底で挟んで止め、下方から蝙翔鬼の顎に蹴りを放つ。

 それから肘で一撃を加えて間合いを取ると、その爪先から刃を繰り出した。

 その脚から、目にも止まらぬ無数の蹴りが放たれる。

 

「大往生流鶴足回拳!!」

 これは『驚邏大四凶殺』でJと闘った時に使っていた技。

 これには蝙翔鬼も、急所を避けるのが精一杯のようだ。

 蝙翔鬼の肩の、刃の掠った箇所から血が吹き出す。

 それが先ほど、Jが彼の天稟掌波で傷を受けた箇所と同じであったのは偶然か。

 

「フフフ、相変わらず凄まじい技の切れ味よ、雷電…。」

 と、相変わらず無駄に色気のある声で解説とも独り言ともつかない言葉を伊達が呟き、

 

「どうやら拳法の使い手としては役者が違うようだな。」

 それに桃が耳に心地いい深く落ち着いた声で応じる。

 何だこの片隅で密かに行われてる美声対決。

 いやそんな事より。

 たまらず逃げた足場で体制を立て直しながら、蝙翔鬼は一瞬、卍丸の方に目をやった。

 自身では雷電に敵わぬと見て、どうやら選手交代となるようだ。だが、

 

「己の始末は己でつけい。

 奴を倒す以外に、貴様に生きる道はない。」

 え?ちょ、卍丸冷たっ!

 天動宮で会った時は、一番紳士で優しかったのに冷たっ!!

『大威震八連制覇』の勝利の鍵は、チームワークなんじゃなかったの!?

 当てが外れた蝙翔鬼の顔に絶望の色が浮かぶ。

 それでも半ば破れかぶれといったていで繰り出した天稟掌波を、雷電はあろうことか足裏で受け止めた。

 驚愕して一瞬動きが止まる蝙翔鬼。

 その隙を見逃さず雷電は体制を整えると、飛び出して強烈な足技を繰り出し、足場から彼を蹴り出した。

 蝙翔鬼は柱の縁に手をかけ、やっとの事で落下を免れたものの、このままでは落ちるのも時間の問題だ。

 ここで落下に備えて、こちらでは救助組のスタッフが動き始める。だが、

 

「ま、負けた。

 俺の負けを認める。手を貸してくれ。」

 蝙翔鬼は情けない声でそう言って、頭上の雷電に右手を伸ばした。

 その手をためらう事なく雷電は掴み、柱の上へ引き上げる。

 …豪学連組が男塾に編入して三日の間、何度か話をして判ったのは、彼が博識なだけではなく本当に優しい男だという事だった。

 その優しさ、敵にすら与えられるのか。

 何だか心が洗われるようだ。と、

 

「危ない、雷電!!」

 Jが叫ぶと同時に、雷電が掴んでいた蝙翔鬼の右手が…抜けた!?

 

「義手!!」

 気付いた時には遅かった。

 蝙翔鬼の義手の下には刃が仕込まれており、至近距離からその刃が、易々と雷電の背を貫いた。

 

「雷電──っ!!」

 

 

「馬鹿めが、まんまとかかりおったな!!

 生か死か!命を賭けたこの大威震八連制覇の闘いの最中に、命乞いする者に情けをかけるなど、愚かなマネをしおって!!」

 まじか。天動宮で会った時にも、正直あんまり得意なタイプじゃないなと思ってたんだけど、清々しいまでに卑怯モンだこいつ。

 こういうの、邪鬼様はどう思ってるんだろう?

 …単なるやんちゃとしか思ってない気がする。

 あの人無自覚な非常識人だし。

 柱の真下では、どうやら私と同じ事を思っていたらしい虎丸がそれを口にする。

 だが、その虎丸を伊達が制した。

 

「…奴の言うとおりだ。

 まだわからんのか、この大威震八連制覇…三号生と一号生の親善試合だとでも思っているのか。

 生きるか死ぬかの闘いに、汚ねえもヘチマもありゃしねえ。

 ……しかし、これからが見ものだ。

 あの雷電を怒らせたらどういう事になるか…。」

 

 

「かわれ。遮鉛板をよこすんだ雷電。」

「お断り申す。

 勝手を言ってすまぬがこの畜人鬼…こやつだけはなんとしても拙者の手で…。」

 深手は負ったものの、僅かに急所は外したらしい雷電が構えを取り直す。

 それをせせら笑いながら蝙翔鬼はマントの下に左手を入れると、そこから金属製の風車のような形の刃を取り出した。

 ってお前もかこの野郎。

 だからそんな大きなもの、マントの下のどこに隠してた!

 などと心の中で叫ぶ私の心中など知る筈もない蝙翔鬼が、その風車を義手の部分に装着する。

 って外国製掃除機のオプションノズルかっ!

 つっこんだら負けだと判っているのに脳内ツッコミが止まらねえわ!

 

「南朝寺教体拳・賭殺風車拳!!」

 その風車のついた右手から、蝙翔鬼が拳を繰り出す。

 

「な、何──っ!!

 あの風車、拳のスピードで回転しやがる!!」

「あれを食らったら肉も骨も引き裂かれるぞ──っ!!」

 …はい、解説ありがとう、松尾、田沢。

 彼らの言葉通り、風車型の刃が回転し、それが雷電に襲いかかる。

 だがいかに負傷していようとも、雷電ほどの達人に、そのようなものは児戯に等しい。

 捕まえようと手を伸ばした時の桜の花びらのように、腕の動きに従ってふわりふわりと避けられるのみ。

 少し冷静さを失いつつある蝙翔鬼が追撃するも、その風車はとうとう、雷電の脚に捕らえられ、手刀に軸を砕かれる。

 

「人の情けを踏みにじり、男の戦いを汚した罪は重い。」

 言うと雷電は再び、靴の先から刃を出す。

 

「大往生流・飛翔鶴足回拳!!」

 …だが、次の瞬間雷電が、硬直してその場に膝をつく。

 

「フフフ、やっと効いてきたか。

 危ねえところだったぜ。」

 どうやらさっき傷を負った際の蝙翔鬼の刃に毒が塗られていたようだ。

 蝙翔鬼は再びマントの下からオプションノズル…もとい刺突用の武器を取り出すと、やはり義手の部分に装着し、動けない雷電の胸板を、それで刺し貫いた。

 

「雷電────っ!!」

 

 ☆☆☆

 

 私たち白装束スタッフは、救助組と救命組に別れ、それぞれの仕事にかかっていた。

 私は勿論救命組の方に入っている。

 とはいえ『驚邏大四凶殺』の時と違い、闘士たちの目を憚りながらの仕事ではない分かなり楽な筈だ。

 救助組は現時点で落下者に備えて待機中。

 救命組は生死確認の名目で直ちに応急処置を施し、(ワン)先生の『死亡確認』という暗号(サイン)を合図に闘士の身柄を回収して、改めて治療に取りかかるというわけだ。

 現時点で雷電の生死確認の為に、スタッフが数人、柱を登り始める事を検討しているのだが、現時点で柱の上は未だ戦闘中。

 迂闊に近寄ると巻き添えを食う可能性がある。

 とはいえ、雷電が本当に事切れてしまったら取り返しがつかない。

 毒も回っている事だしここはできる限り早めに処置したいところ。

 (ワン)先生は、一定時間内なら死者を蘇生させられるという話を赤石から聞いているが、それだって噂レベルで、実際にできるかどうかは眉唾ものだし…。

 

 そうしているうちに柱の上では、遮鉛板を雷電から受け取れなかったJがその場から動けず、蝙翔鬼が「念には念を」と、そのJの背後に回る。

 

「てめえのような卑怯な野郎……どんなことがあっても生かしちゃおかねえ。」

 Jがこんなに怒っている姿は初めて見る。

 最初に会った時は人違いで笑顔だったし、その後桃と戦った時も、怖そうな表情だとは思ったが、それは怒りによるものじゃなかった筈だ。

 それがここまでの気迫。

 私ならば近寄るのも怖い。

 けどどんなに怒ろうと、磁力に貼り付けられた脚はそこから動かせない。

 蝙翔鬼が高笑いしながら襲いかかってきて、雷電を刺したのと同じ武器を振りかぶる。

 と、その蝙翔鬼とJの間に影が飛来したかと思うと、蝙翔鬼の武器の前に身を晒した。

 それは、倒されたと思っていた雷電。

 驚愕するJに遮鉛板を差し出しながら、雷電は苦しい息の下で囁いた。

 

「おまえなら、必ず勝てる………。

 足場の悪さなど気にするな……。

 ここを、四角いリングの上だと思うのだ…。」

 

 さらば、友よ。

 

 どうして自分を助けたのか、そう問いかけたJに微笑んでから、そう言って雷電は目を閉じた。

 

 三面拳・雷電、闘死……

 於大威震八連制覇、磁冠百柱林闘

 

 

 

 

 

 …ってなんだこのナレーション!

 どっから出てきた!

 絶対私たちが助けるから、余計な事を言うんじゃない!




これさ…
書いてる最中、ずっと思ってたんだけどさ…



うちのヒロイン、一体どこからこの光景見てるんだろう…?


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2・サファイアの瞳

Jのかっこよさは大人になってから完全に理解した。ナイスガイにもほどがある。
イイオトコ過ぎてうちのヒロインみたいな潜在ビッチに引っかかる展開が全く思いつかなくて困る。


「馬鹿な奴よ。どうせ俺に殺られるおまえを、執念で助けおるとは…。」

 さっきまでその『馬鹿な奴』に追いつめられていた筈の蝙翔鬼がせせら笑うのを背中で聞きながら、さっきとはまた違う気迫を身に纏わせて、Jが身を震わせる。

 

「俺の友の悪口は許さねえ…俺が、そのうす汚ねえ口を、永遠に封じてやる……!」

 その気迫に気付いているのかいないのか、蝙翔鬼はまたも天稟掌波を放つ。

 だがJの怒りと哀しみの拳は、それを真正面から受け止め、その衝撃を撃ち砕いた。

 

「雷電、見るがいい。

 これが、おまえへの鎮魂歌(レクイエム)だ!!」

 音速を超える拳(マッハパンチ)の衝撃が、蝙翔鬼の身体を遠くの柱まで吹き飛ばし、その身を撃ちつけた柱の壁をも砕く。

 そうしてから、Jは雷電の倒れた身体を、脱いで置いてあった学ランでそっと覆った。

 その青い瞳に浮かぶのは、新たな決意か、それとも覚悟か、或いは友への勝利の誓いか。

 

 

「不甲斐ない奴よ。

 三面拳のツラ汚しもいいところだ。」

 下では伊達が厳しい表情でそう言い、富樫と虎丸がそれに反応する。

 遂に富樫がその伊達に殴りかかろうとして、直前でその拳を止めた。

 腕を組んだまま掴んだ伊達の上腕から血が滴る。

 それに気付いたからだ。

 紛れもなくこの男の、それが、涙。

 そう、伊達臣人は、仲間に対する情に篤い男だった。

 その死を悲しまぬ筈もなく、まして今目にしているのは、何年も生死を共にし肉親より濃い絆で結ばれた、同士。

 

「ああいう人なんです。

 仲間の死を見るのが何よりも辛い…だからああして、これ以上犠牲を出さぬよう厳しい態度に出る…本当は、優しい人なんです。」

 きれいなおねえさん…もとい、飛燕が穏やかにフォローにまわる。

 この二人は年齢近そうだし、分担的にずっと以前からこういう関係なんだろうなという事を窺わせる。

 なんか本当に伊達のお姉さんみたいだとか思ったのは秘密だ。(多分だけど飛燕の方が少し年上なんじゃないかって気がする)

 豪毅がここにいて似たような事を言ったら、私だっておんなじような事言う気がするし。

 

 は、ともかく。

 こちらでは何とか方針が決まり、雷電の身柄を回収しに、数人が柱を登ることになった。

 何せ、あのままでは生死確認(と治療)のしようがない。

 先頭の一人が予備の遮鉛板と、磁靴を外す器具を腰に下げていく。重そう。

 何せ、雷電は磁靴を履いたまま倒れているので、未だその脚は柱に張り付いたままなのだから。

 

「よせ…!!

 命だけは助けてやったのがわからねえのか。」

 普通なら一撃食らえば終わりだろうJのマッハパンチをもろに喰らいながら、フラフラの(てい)で立ち上がる蝙翔鬼が、Jにまたも背後から襲いかかる。

 だが無論そんな攻撃が、今のJに通用する筈もない。

 あっさりと振り返って、襲いかかる勢いすら利用した、重いパンチを叩き込む。

 さっきほどの衝撃ではないにせよ吹き飛ばされた蝙翔鬼の身体は、やはり柱にぶつかってから、それより低い柱に落下。

 そこは、卍丸が立っている柱。

 つまり、この闘いに於ける蝙翔鬼のスタート地点でもある。

 蝙翔鬼は震えながらも踵から遮鉛板を外すと、それを卍丸に差し出しながら交代を求める。

 それを受け取りながらも、自分の足元に倒れこむ蝙翔鬼を見下ろす卍丸の目が冷たい。

 私は卍丸にはなんだかんだ気を使ってもらっている印象しかないので、このキャラクターのギャップが怖い。

 

「忘れたのか……言ったはずだ、いかなる失態も、それが貴様には死を意味するとな……。」

「お助け下さい、卍丸様!命だけは!

 まだわたしは死にたくないんですぅっ!!」

「見苦しい。」

 言うと卍丸は、蝙翔鬼に軽くぽんと蹴りを入れる。

 それだけで蝙翔鬼の身体が柱の外に蹴り出された。

 跪いていた事が災いした。

 ちゃんと地に足をつけていさえすれば、遮鉛板を外しているのだから強力な磁力がその身体を支えたであろうに。

 柱から離れた蝙翔鬼は、当然のことながらそのまま落下する。

 ところが、だ。落下する事自体は想定の範囲だ。

 だが戦闘中ならばまだしも、まさか味方に蹴り落とされる事態は誰も想定しておらず、救助組の対処が遅れた。

 故に現時点で蝙翔鬼の落下地点には誰も待機していなかった。

 

「嘘ーっ!!」

 結果、蝙翔鬼は頭から地面に激突した。

 いや、これ応急処置程度じゃ間に合わない。

 すぐに私が対処する必要がある。

 目立つ事覚悟で、私はまっすぐ蝙翔鬼に駆け寄った。

 大丈夫、まだ息がある。

 急いで五指に氣の針を精製し、蝙翔鬼の頭と首に撃ち込む。

 ただし、最低限だ。

 

「なんて奴だ。命乞いしてるてめえの仲間を…。」

 まったくだよ!

 虎丸が胸糞悪そうに呟くのに、心の中で同意する。

 今回少し楽できると思ってたのに、いきなり仕事振らないでよ卍丸!

 その卍丸は遮鉛板を踵に挿し入れると、纏っていたマントを脱ぎ捨てた。

 傷跡だらけの肉体と、その上に纏った鋼胴防が現れる。

 あれなら拳銃の弾でもはじき返せるだろうとは伊達の弁。

 …関係ない事だけど、アレひょっとして要人警護の際に、服の下に着込む為の防具なんじゃないだろうか。

 あの人あのヘアスタイルでプロのボディーガードなのか。

 いや本当に関係ないけど。

 その卍丸に対し、戦意を示すようにJは、両手のナックルを撃ち合わせた。

 

 

「死亡確認。」

 塾生達が全員柱の上に注目している間に、蝙翔鬼の身体の致命傷となり得る損傷に対して、最低限死なないだけの治療を施すと、(ワン)先生は打ち合わせ通りの暗号(サイン)を出した。

 心臓に悪い。つか救助組、思ったより使えねえ。

 これなら三号生の方がよっぽどいい仕事してたわ。

 まあ今回のケースで彼らに協力は仰げないけど。

 他の白装束スタッフが、棺桶に蝙翔鬼の身体を横たえて、そのまま治療スペースに運搬していく。

 そっちはもう彼らの仕事だ。

 

「Jと申す者、大分背たけがあるようだが、いくつある?」

 と、突然(ワン)先生が一号生たちに向けて、よくわからない質問をした…てゆーか!

 誰も気付いてないけど普通に喋り出した!

 まだ第一戦も終わってないのに、もう飽きたのか(ワン)先生!!

 

「190㎝はあるだろうが…。」

 虎丸、残念。正解は195㎝。

 ちなみに並べてみたら赤石の方が3㎝くらい高かった。

 あの人絶対純粋な日本人じゃないわ。

 ただ、全部のパーツが大ぶりな赤石と比べて、Jは顔小さめで頭身高いし腰の位置も高いから、並べなきゃJの方がデカく見えるけど。

 そんな事聞いてどうする?という問いに対し(ワン)先生の答えは、

 

「棺桶を用意しておく。」

 …この人、こういう笑えない冗談好きだな。

 などと思っていたら、その(ワン)先生に虎丸が食ってかかり、(ワン)先生は卍丸の実力について語り始め、Jに勝ち目がないと断言した。

 

 其は、魍魎拳百人毒凶を極めし『拳聖』。

 挑戦する者は試合前に遅効性の毒を飲み、十人打ち負かすごとにその毒の解毒剤を十分の一だけ与えられて、100人倒して初めて命が助かるという荒行を、見事成し遂げた男。

 

 …ていうか、私と似たような過去持ってたんだ、あの人。

 打ち負かされた相手は、拳で殺されなくても毒で死んでるだろうし。

 ひょっとして卍丸が私に優しくしてくれたのは、私に自分と似たような匂いを感じたって事なのかもしれない。

 …単に私が女って理由だけかもしれないけど。

 

「質問に答えるが良い、あの者の身長は…?」

 これ、知ってる私が答えるべきだろうか?

 でも教えてしまったら、(ワン)先生が言う事を認めてしまうようでなんか嫌だ。

 

 負けないで、J。

 

 ☆☆☆

 

 卍丸の闘法は、特殊な呼吸法により筋力を増すところから入るようだ。

 恐らくあのマスクはそれを補助するものか。

 もっとも、無くても問題はないんだろうけど。

 単にスタイル?

 とにかく、ひとつ呼吸音が聞こえるたびに、卍丸の筋肉が膨れ上がる。

 

「来いっ!!」

 戦闘態勢が整うと、独特の構えを取る卍丸。

 互いに狭い足場ながらじりじり距離を詰め、Jが右の拳を繰り出す。

 それが命中し、卍丸の身体が砕かれたと見えたのも一瞬。

 卍丸はJの後方で構えを取っており、Jが砕いたのはそこにあった高い柱。

 拳が捉えたと見えたのは、どうやら残像だったようだ。

 

「確かに破壊力はあるようだな。

 しかし蝙翔鬼は倒せても俺には通用せん。」

 言うと卍丸は、そこから更に繰り出したJの左のパンチに合わせ、自分も手刀を繰り出した。

 

「烈舞硬殺指!!」

 …一瞬の静寂。

 次の瞬間、Jの左のナックルが砕け散る。

 そう、J自身が赤石に挑まれた際に、拳で赤石の一文字兼正を砕いた時と、同じ。

 どうやらJは、お株を奪われたようだ。

 ボクシングでいうところの、これは恐らくカウンターだろう。けど。

 マッハパンチを封じられたJに勝ち目は薄い、そう発言した伊達に対して、桃が笑みを浮かべて答える。

 

「Jの強さは俺たちの思っている以上のようだぜ。」

 …Jはインパクトの瞬間、次の手を出していた。

 それこそ目にも止まらずに、左を合わせられたと同時に右で放ったマッハパンチのワン・ツー。

 次の瞬間、卍丸の鋼胴防も、粉々に砕け散る。

 

「それでこそ、俺もやる気が出るというもの……!!」

 …立ち込めていた霧が、なんか徐々に濃くなってきた気がする。

 

 

 …雷電回収隊が、目的を果たさずに戻ってきた。

 まあ仕方ない。

 思いのほか柱の上の戦いが激化してきて、今近寄るのはとんでもなく危険だった。

 これは(ワン)先生の、死者ですら蘇生させられるという噂が真実であることを祈るしかないかもしれない。

 これ以上時間が経つようなら、たとえ今雷電が生きていたとしても、回収した時には既に手遅れになっている可能性が高い。

 

 で。

 その戦いの方だが、卍丸の猛攻が始まったと思えば、その手刀を辛うじてJが避け、かわりに次々と周囲の柱が砕かれていく。

 凄まじいスピードと鋭さを持った指拳は、太い柱を切断し、その先が地上へ、富樫と虎丸のいる場所のちょうど間に落下してきた。

 ちょ!危ないわ!

 下手したら私まで巻き添え食うわ!

 もう私、卍丸を紳士だと思うのやめることにする。

 

「魍魎拳・烈舞硬殺指!

 奴の指こそ、まさに凶器そのものよ。」

 呆然とする富樫と虎丸に、(ワン)先生がコメントする。

 魍魎拳とは、中国拳法史上、最凶の暗黒拳として恐れられた存在であるらしい。

 …なんか聞けば聞くほど、卍丸と私って共通点多くない?

 それはともかく魍魎拳自体は、基本的にスピードに特化した拳法なのだろうが、卍丸は先ほどの呼吸による強化でパワーも補っており、その両方が噛み合って、あの指拳の鋭さを生むのだろう。

 だが、パワーとスピードにかけてはJだって負けちゃいない。

 というかさっきまであれだけ気にしていた足場の悪さを、今度こそ克服したと見え、今はそのフットワークにも迷いがない。

 卍丸の猛攻を躱しつつ、間合を徐々に詰めて、カウンターの一発を狙っているようだ、とは伊達の見解。

 とはいえ、外から見ている伊達や私が見て取れる作戦が、相手取っている卍丸が気づいていないという事はなかろうが。

 そして、その作戦が少しずつ身を結んだか、遂に自身の間合いまで踏み込んできた卍丸の攻撃を躱すと同時に、サイドステップで後をとった。

 

「そこだ!

 マッハパンチワン・ツー攻撃炸裂させろ──っ!!」

 虎丸うるさい!黙って見てろ!

 応援しながらネタバレしてどうするー!!

 好機と見て攻撃に移ったJの右を、卍丸はバック転で躱す。

 更に間髪をいれず繰り出した左に合わせてきた手刀に貫かれた、Jの左拳から血が噴き出した。

 

「Jのマッハパンチワン・ツー攻撃がやぶられた──っ!」

 驚いてるけど虎丸、今のもしかしたらおまえのネタバレのせいだぞ。

 帰ったらJに謝ってジュースの一本くらい奢ってやんなさい。

 ビールの方がいいとか言うかもしれないけどね。

 彼もう成人してるし。

 それにしてもパワーとスピードだけじゃなく、股関節も柔らかいな、卍丸。

 

 それはそれとして、さっきから濃くなり始めた霧がいっそう立ち込めてきて、二人のいる柱の上の方が、下からはほぼ見えなくなってきた。

 夜目とか割ときく方の私の目にさえ、二人の動きは影しか見えない。

 

「あれじゃあお互い姿も見えず、迂闊に手は出せなくなった筈だぞ。」

 富樫が呟くのに、(ワン)先生が答える。

 

「魍魎拳は闇にあってこそ真価を発揮する。

 あの霧は卍丸にとっては魚に水も同然。」

 

 ☆☆☆

 

「おあつらえむきに霧が濃くなってきた。

 貴様に魍魎拳の真髄を見せてやろう。」

 卍丸は含み笑いをしながらそう言うと、霧に溶け込むようにその姿と気配を消した。

 だが奴の方では俺の気配を捉えているに違いない。

 そう思った瞬間、背後に空気の流れを感じた。

 空気の動きを肌で読む…これは、光とのスパーリング後のディスカッションで得た発想だ。

 どんな物体もこの地球上で、空気を動かさずに移動することは不可能だと、相変わらず桜の花びらを掴もうとしては捕まえ損ねて空振りした彼女が忌々しそうに言っていた。

 その表情を脳裏から消しながら俺は反射的に飛び退るも、左の肩に奴の手刀が掠る。

 半分苦し紛れに、その攻撃が来た方向にパンチを撃ったが、奴の姿はかき消えたかのように既に無い。

 濃い霧の中に奴の声だけが響く。

 

「よくぞ今の攻撃を躱した。

 天才ボクサーとしての本能が貴様を救ったようだな。

 しかし、次はそうはいかん。」

 奴の姿を探して周囲に視線を疾らせると、倒れたままの雷電が目に入ってきた。

 その言葉がふと、脳裏をかすめる。

 

『足場の悪さなど気にするな……ここを四角いリングの上だと思うのだ…』

 ……そうか!

 雷電の最後の言葉が、それこそ雷のように俺の心を貫いて、俺は闘場の柱を跳躍した。

 この百柱林の一番端の柱の上に立ち、構える。

 心の奥で、試合再開のゴングが鳴った。

 

「来い。ここが貴様の墓場になる。」

 ここに立てば、後方からの攻撃はない。

 

「ボクシングでいう、ロープザドープというわけだな。

 そううまくいくものかどうか…。」

 奴の呼吸音と含み笑いが聞こえる。

 

 …この後に及んで指摘してやるつもりはないが、正確には“rope a dope(ロープ ア ドープ)”だ。

 モハメド・アリvsジョージ・フォアマン戦で、アリが逆転KO勝ちを収めた時に使った戦法。

 だが、俺は奴が俺への攻撃で消耗するのを待つつもりはない。

 奴が攻撃してくるその一瞬を捉え、その身体にマッハパンチを叩き込むだけだ。

 ふと、霧で見えないその下にいる仲間たちのことを思った。

 特に、俺を負かした男のこと。

 そして、その男が想う少女のこと。

 

『男の面子だのプライドだの、そんなもの私には関係ありません。

 犬死にしたくないなら何があっても生き残る事です。』

 彼女はおまえに、生きて欲しいと言ってるんだ、桃。

 男の死に様もいいが、愛しているなら、思いやってやれ。

 …俺がまたアドバイスしてやれるかなんて、わからねえんだからな?

 

 ここからは霧に隠れて見えないあいつらに、俺は覚えず微笑みかけた。



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3・Sweet Hard Dreamer

正直、原作通りの部分をダラダラ書くのは抵抗がある。
一応主人公視点とかツッコミとか辻褄合わせを入れる事でなんとか誤魔化してるけど、自分の中ではやはり「うーん…」と思う。
けど以前書いてた別の作品で、主人公のいない原作通りの部分の話をメッチャ端折ってたら、感想欄で『場面が飛んだような印象を受ける』とか言われて、それが未だに引っかかってる。
はてさて、どうするのが正しいやら。
とりあえずレバー串うめえ。


「聞こえなかったか……?

 今、Jが俺達に別れの言葉を言った。」

 桃が硬い声で不穏な事を言う。

 

「奴は今、命を賭けた最後の勝負にでた…!!」

 

 ・・・

 

 少し間があって、大気が震えた。

 

「急に雨が降ってきたぞ。」

「…違う、これは雨なんかじゃねえ。

 こ、こりゃあ血だ──っ!!」

「う、上で一体何が起こったんじゃ──っ!!」

 

 ☆☆☆

 

 右か…左か……前か……!?

 俺は構えを取りながら、奴が生む空気の流れを探る。

 どこから来るか。と、

 

「上だーっ!!」

 待ち望んだ空気の奔流は、頭上から巻き起こった。

 

「烈舞硬殺指!!」

「マッハパンチ!!」

 …俺たちの渾身の技がぶつかり合う。

 その衝撃が大気を震わせた。

 次の瞬間、明確に姿を現した卍丸と俺は、互いに互いの胸を貫き合っていた。

 

 相討ち。

 互いにあと1センチ拳が入っていたなら、そこで終わっていただろう。

 だが卍丸は俺から離れると、跳躍して後方の柱に降り立った。

 

「どうやらおまえの力を見くびっていたようだ。

 ならば俺も死力を尽くして戦わねばなるまい。

 この俺を、ここまで本気にさせたのはおまえが初めてよ………。」

 言うと卍丸は、再び霧の中に身を隠す。

 そして次に姿を現した時には、目の前に卍丸が何人もいた。

 1、2、3………全部で十人。これは、一体……!!

 

「魍魎拳・幻瞑十身剥!!」

 十人の卍丸はじりじりと間合いを詰めてくる。

 そのうちの一人が繰り出してきた手刀を躱し、反撃のマッハパンチをその身体に撃ち込むが、俺の拳はその身体をすり抜け、パンチが当たった卍丸がかき消えた。

 こいつら全て幻か…!!だが、

 

「フッ、幻ばかりではないぞ。」

「ぐおっ!!」

 間髪入れずに放った俺のパンチを躱した卍丸が放った手刀が、俺の腹部の表層を切り裂く。

 そうか…!!

 奴は素早い動きで残像をつくり、目を錯乱させている。

 しかもこの霧がスクリーンとなり効果を倍増しているのだろう。

 十人のうち実体はひとり。あとは虚像だ。

 その実体をいかにして見切るか……!!

 考える間にも、再び十人の卍丸が俺を取り囲む。

 不意に、俺と戦った時の桃の事を思い出した。

 

『俺のパンチは、音速突き破るマッハパンチ。

 目で見切ろうっても見切れるもんじゃねえ』

『おまえの言う通りだ。すげえパンチだぜ。

 どうせ見えねえなら……』

 そう言って桃は、額に巻いている布で目隠しをした。

 あの時の俺はそれを、狂気の沙汰だと笑ったが、目隠しだけでは成し得なかったものの、その発想に俺は結局敗れた。

 心の目を研ぎ澄ませて、見えないものを見る。

 見えているものの中から、本物を見極める。

 桃ならば、可能かもしれない。

 だが現実に、奴と相対しているのは俺だ。

 どうせ、見えないなら…?

 そうだ、ひとつだけ。

 この時点で心眼を開く事はできなくとも、ひとつだけ手がある。

 だがそれは…!

 …俺は、右手にはめたナックルを外すと、それを宙に放り投げた。

 

「どういうつもりだ?唯一の武器であるベアナックルを自ら捨てるとは…。」

 奴の言葉に答えず、俺は右腕に力を込め、構えを取った。

 武器は必要ない。

 必要なのは、俺自身の覚悟だけだ。

 

 ☆☆☆

 

 カキィン!

 上から降ってきた何かが、地面に落ちて金属音を響かせた。

 それがJの着けていたナックルである事を確認した虎丸が、驚きと疑問を口にする。

 それを見て、何やら顔を青ざめさせた桃が、誰にいうともなく呟いた。

 

「まさかJの奴、あのパンチを……?」

 …それは驚邏大四凶殺が終わって1ヶ月、つまりつい最近の出来事のようだ。

 休養期間の間にも、桃とJは早朝に、鍛錬の為に校庭を使っていたそうで、その日はたまたま鉢合せをしたらしい。

 その時、Jは同時に5個の卵が落ちる仕掛けを自作して、桃の前で、落下してくる5個の卵を、パンチで一瞬で撃ち抜いたそうだ。

 

 ……思い出したよ!

 確かにこないだ、校庭の鉄棒の前の地面に何故か卵がいくつか割れてるのを見つけて、結構な臭いを放ってたので気持ち悪いの我慢して片付けたんだよ私が!

 おまえだったのかよJ!

 トレーニングはいいけど後片付けくらいきちんとしなさい大人なんだから!

 

 …うん、なんていうかこれが富樫や虎丸の仕業だったりしたら、なんかそんなに腹も立たずに『しょうがないなもう』で済ませちゃいそうな気がするんだ。

 赤石だったら逆に更に激怒するけど。

 

 …さておきそれはフラッシュ・ピストン・パンチといい、本来は同じ要領で十発のパンチを出せたら成功らしい。

 だが過去にそれに挑戦したボクサーは、それにより人間の持つ肉体の限界を超えた結果、一瞬にして腕の筋肉がズタズタになったという。

 おまえなら10個でもできるか?との桃の問いにJは『割れても割れなくても、二度と拳が使えなくなる事は間違いない』と答えたとの事だ。

 恐らくは、それを使う事をJが決意したに違いない事を、桃が告げる。

 そのパンチを撃てば、Jは二度と闘えない。

 ボクシングはJの命、魂。

 それができなくなれば、それはJ自身の死と同じ。

 

「しかし誰にも止める事はできない。

 奴は必ず使うだろう。

 命を捨てても誇りは捨てない……そういう男なんだ!

 あいつは……!!」

 桃の言葉に、その場の全員が息を呑む。

 

 ☆☆☆

 

「実体を見切るかわりに、虚像もろとも全てを一撃で倒そうというのか!」

 俺の意図を読み取ったらしい卍丸が、桃の時の俺と同じように今の俺を嘲笑う。

 まあ仕方ない、可能か不可能か、俺自身やってみなければわからない。

 どちらにしろ最初から『命』を賭けた勝負だ。

 十人の卍丸が一斉に俺に襲いかかってくる。

 その刹那、俺の右腕は、すべての幻を打ち砕いていた。

 

「フラッシュ・ピストン・マッハパンチ──ッ!!」

 

 ・・・

 

 卍丸は俺のパンチの衝撃で吹き飛ばされ、その先の柱に激突した。

 更にその衝撃はそこに止まらず、奴の身体が柱を貫く。

 右腕に引き攣れたような痛みが一瞬走ったが、それでも思ったほどではない。

 もしかしたら、神経までズタズタで、感覚がなくなっているだけかもしれないが。

 

 悔いはねえ……。

 男が勝負に命を賭ける…それがどういうことか、あんたが身をもって教えてくれたぜ、雷電……。

 

「行こう。下でみんなが待っている。」

 ふらつく身体をどうにか支え、雷電を抱えようとした時、異変に気付いた。

 柱にめり込んだ卍丸が、力ずくでそこから抜け出そうとしていた。

 

 ☆☆☆

 

 …白装束スタッフ全員の反対を押し切って、私は柱の縄ばしごを登っていた。

 あんな話を聞いてしまったらもう、正体がバレる可能性とか考えていられない。

 たとえそのパンチを撃ってしまったとしても、私ならば助けられるかもしれない。

 それに、雷電の事も気にかかる。

 さっきこっそり聞いたところ王先生の感覚では、心停止したばかりの段階では、まだ死亡したとは見做さないらしい。

 心停止からの時間が短ければ短いほど、特殊な氣の注入により高い確率で蘇生できるからなんだって。

 だがこのケースの場合、倒れてから時間が経ち過ぎてる。

 状態を見てみなければ、対処のしようがない。

 

 私が柱を半分くらいまで登ったあたりで、なにかが爆発するような音が響いた。

 それはまさしく、音速を超えるJの拳が、それを更に超えた事により巻き起こした衝撃波音(ソニックブーム)

 まさか。

 

 ☆☆☆

 

 めり込んだ柱を粉々に破壊して、卍丸がまた立ち上がる。

 

「貴様がよもや、あのF・P・P(フラッシュ・ピストン・パンチ)を使いおるとは!」

 死天王のひとりとして負けるわけにはいかないと俺を睨みつける奴に、俺は再び構えを取った。

 だが、

 

「今やおまえは羽根をもぎ取られた鳥も同然…俺の最後の死力を、次の一撃にかける…。」

 そう言って、最後の力を全てその手刀に込めて、襲いかかってくる卍丸。

 その、さっきより確実にスピードの落ちた身体に、俺は…

 

 反射的に、()()拳を繰り出していた。

 

「フラッシュ・ピストン・マッハパンチ──ッ!!」

 

 ☆☆☆

 

 更に、二度目の衝撃波音(ソニックブーム)

 どういう事だろうか。

 例のF・P・P(フラッシュ・ピストン・パンチ)とは生涯一度、ボクサーの命であるその拳とひきかえにして撃てるパンチなのではなかったか。

 とにもかくにも、ようやく柱のてっぺんが見えてきて、私は慎重に縄ばしごの最後の一段に手をかけた。

 ここに来て脚を踏み外しでもしたら一巻の終わりだ。

 私が死んだらみんなを助けられない。

 柱のてっぺんに手をかけて、身体を持ち上げようとして、こちらを見下ろして怪訝な顔をしているJと目が合った。

 そして次の瞬間、いきなり手を掴まれて引き上げられた。()()()

 一瞬焦るも、自分が覆面をつけている事を思い出して、なんとか平静を装う。

 Jはどうやら雷電を背負おうと屈んだ瞬間に、登ってくる私を見つけたものだったらしい。

 私は懐から予備の遮鉛板を取り出すと、それをJに示してから雷電を指差した。

 喋ったら私だとバレるので、その程度のボディランゲージが精一杯だ。

 しかしJは私の言いたい事をすぐに理解してくれたと見え、私の差し出した遮鉛板を受け取った。

 それを雷電の磁靴の踵に差し込む。

 そうしてからようやく雷電を背中に背負ったJが、私に薄く微笑んだ。

 …どちらの腕も普通に使えてるようだし、それで大人の男ひとり持ち上げたって事は、懸念した事態は起きていないようだ。

 でも、それならあの衝撃波音(ソニックブーム)はなんだったのだろう。

 まあいい。

 ひとまずはサムズアップを返して、登ってきた縄ばしごを再び降りる。

 Jの腕が無事だというのならば、今私にできるのはここまでだ。

 雷電はこのまま、Jに連れてきてもらおう。

 

「Thank you very much.For your advice.

 Be careful about a step.」

(感謝する。足元に気をつけて行けよ。)

 …言われて、初めてとんでもない高さまで登って来てしまった事に気付いた。

 余計な事思い出させんな馬鹿。

 

 ・・・

 

「死亡確認。」

 慎重にゆっくり降りていき、なんとか地上にたどり着いたあたりで、王先生の声が聞こえた。

 どういう経緯なのかわからないが、卍丸が先に地上に降りていたらしい。

 救命組の何人かがそのまま彼を連れて行く。

 そこに、人ひとり抱えている関係上、私よりもっとゆっくり、慎重に降りて来たJの姿を見つけた虎丸が、泣きべそ顔で指差して皆にそれを告げた。

 

「J──ッ!!」

 

 

「俺だけが勝ったんじゃねえ…ふたりで勝ったんだ……。

 先に、雷電のために祈ってくれ。」

 歓喜して飛びつかんばかりに駆け寄ってきた虎丸と富樫を制して、Jは腕に抱いた雷電の身体を下に降ろした。

 すかさず王先生がその心臓の上に指を置き、氣を注入する。

 

「死亡確認。」

 そしてまた、雷電の身柄は救命組に預けられる。

 やはり心停止していたようだが、今ので蘇生はできたものらしい。

 

 …今、私、本気でこの人に弟子入りしようかと考えている。

 

 

 …JはやはりF・P・P(フラッシュ・ピストン・パンチ)を撃っていた。

 それも二度。

 それは人間の能力の限界を超えるパンチを、Jが完全に己のものにした事を意味する。

 

「どんな苦境に陥ろうとも諦めない…それを雷電が教えてくれたからこそ、F・P・P(フラッシュ・ピストン・パンチ)は完成した。」

 磁冠百柱林闘、男塾一号生側、勝利。

 

 ☆☆☆

 

 次の闘場へと歩き出す途中で、Jが突然倒れた。

 桃がJの上着を捲ると、胸の傷からひどく出血している。

 先ほどまではそうでもなかったのに、歩いているうちに傷が開いてきたらしい。

 

「置いていくがいい。然るべき手当はしよう。

 そのままでは死ぬ。」

 そう言いながら、王先生がチラと私の方を見る。

 実は救命組のスタッフはほぼ他の三人の方に割り振られていて、現時点ではこの場に私しか居ない。

 彼らは救命処置が終わり次第、次の闘場へ向かう手筈になっている。

 

「ふざけるな……俺はいくぜ。

 おまえ達と一緒に……。」

「当たり前じゃ!

 Jをひとりこんな所に置いて行けるか!」

 だが、ここでJに治療を受けさせる事に、本人と富樫虎丸コンビがゴネた。

 

「何を言ってやがる。

 こんなケガ人抱えては足手まといもいいとこだ。

 俺たちの身まで危なくなる。」

 と、伊達がさっきと同じような厳しい表情で相当キツイ事を言う。

 それに虎丸が食ってかかるのを桃が制した。

 こうでも言わなければJは聞き入れないと。

 …さっきから見てると、伊達はフォローしてくれる人がいないと、かなり誤解されやすいタイプかもしれないな。

 この男もまた、一人で生きるには相当危うい。

 もっとも本人がそもそもそれを望まないだろうが。

 だが、やはり適材適所というか、伊達には桃にない厳しさがある。

 時として非情な判断を下さねばならない場合、桃だと思い切れない事を、伊達ならば必要に応じて行なえるだろう。

 これは、いい相性と言えるのではなかろうか。

 

「Jは任せよう。

 だがな…奴の身にもしもの事があったら、あんたにも死んでもらう事になるぜ。」

 厳しい表情で、伊達が王先生を睨みつけながら言う。

 それに対して、

 

「最善は尽くす。」

 と、王先生は全く動じていない声と表情で伊達に答えた。

 救助組のスタッフが急遽2人私に貸し出され、担架でJを運んで、治療スペースへ連れていく。

 その横に付き従って、私は一緒に移動した。

 てゆーか。

 この第一戦めに関して言えば、なんだかんだで私が一番仕事してない?

 気のせい?

 

 ・・・

 

 とりあえず最低限、Jの胸の傷から出血を抑える処置が完了したタイミングで、眠っていると思ったJに何故か手を掴まれ、胸の上まで引き寄せられた。

 

「光…だな?」

「…!?」

 名前を呼ばれて、答えることもできずに固まっていると、Jが目を開けてこちらに微笑みつつ、私の覆面を空いた方の手ではねあげた。

 

「やはりな。

 覆面をしていたところで、背の高さと手で判るさ。

 男塾に来てから何度この拳を、掌に受けてきたと思ってる?

 …大分楽になった。

 さっきの柱での事も含めて、感謝する。」

 と言うことは、柱の上で会った時には、既に私だと判ってたって事か。

 まあでも、楽になったならよかった。

 

「どういたしまして。あの…J。

 私とここで会った事は、他のみんなには」

「ああ。…だが、何故隠れる必要が?」

「私はここに中立の立場で参加しています。

 けれど、一号生は私がいたら、無意識に安心してしまうだろうと、王先生が。

 私もそう思いますし。」

 立場的に中立だが、気持ちはどうしても一号生側に傾いてるのは認める。

 どうしたって、なんだかんだで長く時間を過ごしてる分、それなりに情もわくものだ。

 御前のもとにいた時には知らなかった感情だが。

 ここの男たちの熱い魂は、否応なく私に、人間の感情を呼び起こさずにはいない。

 それらは時に、苦しみももたらすけれど、それも悪くない。

 

「そうだな…確かにその通りだ。」

 言いながらJが、手を伸ばして指先を私の頬に触れた。

 なんか最近、ほっぺ触られる事多いな。

 つかぷにぷにすんなこの野郎。

 

「J、眠ってください。

 私の治療は、睡眠時間がなければ完了しません。」

 小さい傷ならいいが、Jの胸の傷は見た目よりも深かった。

 それを少しの間、手当てもせずに放置して開かせてしまったから、死ぬ事はないまでも状態はあまりよろしくない。

 私の氣の量に不安がなければ、完全に消してやりたかったくらいだ。

 どちらにしろ睡眠は不可欠だが。

 

「フッ、それは残念だな。

 思いもかけず、俺が光を独占できた、数少ない機会(チャンス)だというのに。」

「…あなたもそういう冗談を言うんですね。

 まあ、それが言えるならもう大丈夫でしょう。

 Goodnight(おやすみなさい), J。」

 私が言うと、Jは名残惜しげに私の手を離した。

 …正直、桃みたいな我儘言われたらどうしようかと思っていたが、そこはやはりJは大人だ。

 深く息を吐きながら、目を閉じて呟く。

 

「…Goodnight, sweetie.」

 

 …sweetie(可愛いひと)ときたか。

 こういう冗談がいやらしくないところが、さすがはレディーファーストの国の軍人だ。

 

 さあ、次の闘場へ。

 私も闘士達を追いかけなくては。




というわけで、卍丸先輩がこの時十分身できたのは霧のお陰ですw
本来は五分身が精一杯らしいですwww


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4・悲劇を演じた道化者

 私と他二名の白装束が王先生達に追いついた時、一号生達は先の道が崩れ落ちて行き止まりの長城の上で立往生していた。

 その一号生達のそばまで行こうとしたら、

 

「あ、光ちゃん。オレ達はこっち。」

 と、一緒にいた一人が私の腕を引く。

 てゆーか名前を呼ぶな。

 一号生達に聞かれたらどうする。

 まあとりあえず言われるままに導かれて進んだ先に、洞窟みたいな入り口があった。

 

「抜け道。オレ達はここから向こう側へ渡る。」

「え!?なんでこの事、あの子達に教えてあげないんですか?」

「これ、試練だからね。

 闘士たちだけじゃなく全員の、絆の力を試す為の。

 ちなみに、正解は特になし。

 もし彼らの力でここ見つけたなら、それは有効って事で。」

 まじか。

 

「で、でも、もし無茶な選択して、あそこから落ちたりしたら…!」

「あの下、川だから。

 余程おかしな落ち方しなければ多分死なない。

 その場合オレ達も一応待機するし、大丈夫大丈夫。」

 ……いいのか?なんか納得いかないんだが。

 とりあえずあの子達が、周囲の探索を選択してここを見つけてくれる事を祈るしかない。

 

 その祈りも虚しく。

 彼らが選択したのは、全員の身体で橋をかける事。

 くっそ、あの脳筋どもが。

 こうなったら絶対落ちるなよ。

 

 洞窟と見えた抜け道は、歩きやすいようそれなりに整えてあった。

 そこを通って私たちが向こう岸に着いた時、男たちの命の架け橋が、闘士たちを全員渡しきった直後だった。

 万人橋と呼ばれるこの人橋、故事では渡しきった後、全員力尽きて谷底に落下して死んだという。

 先程の救助スタッフの言葉を信じれば、ここから落ちても彼らが死ぬことはないようだが、闘士達の側からそれは判るまい。

 となると、これから闘いに赴く彼らの心に、甚大なるダメージを与える事は必至。

 彼らがどのようにそこから脱出するのか、固唾を飲んで見守っていたら、田沢の号令を合図に、最初の崖の方にいた塾生が地面を蹴って、連なったまま一瞬宙を舞った。

 そうして反対側の崖壁に、全員が足をつける。

 この状態だと一番上を支える松尾に、全員の体重がかかることになる。

 足で壁を支えるのは、少しでもその負担を軽くする為らしい。

 そしてある程度体制を整えてから、1番下の者から順番にその身体を伝い、上へと登っていった。

 

 だが全員既に体力も限界。

 落ちそうになった1人を、危ういところで、もう登り切る寸前だった田沢が繋ぎ止め、そこから滞りなく脱出劇は進んでいった。

 最後に、全員の体重を支えきった松尾と、切れそうになった流れを繋ぎ直した田沢の二人を残すのみとなったのだが、這い上がる力が出せず少し休んでからと言っている間に、事態が悪い方向に動いた。

 闘士達と、崖壁を登り切った人橋が乗った部分は、ややオーバーハングしていた。

 

 それが、全員の体重を支え切れずに崩れ始めたのだ。

 

 桃が全員を安全な場所まで退避させ、自分は松尾と田沢を助けようと崖を降りる。

 二人は「来るな」とそれを止めようとするが、この場合桃がそれを聞く筈もない。

 このままでは全員崖の崩落とともに落ちる。

 その時。

 

「さらばだ、みんな──っ!!」

「おまえ達の勝利を信じているぞ──っ!!」

 松尾と田沢は自ら、捕まっていた岩から手を離すと、崖下に身を躍らせた。

 

 …呆然と見送る間にも崩落は止まらない。

 

「崩れ落ちるぞ!退け!貴様ら──っ!!」

 伊達が桃の代わりに全員に号令をかけ、安全な場所まで退避させる。さすがは元一号生筆頭の貫目。

 

「奴らの死を犬死ににしたいのかー!?

 あがれ、あがってくるんだ、桃──っ!!」

 …桃が年齢なりの青さを見せるのはまさにこういう場面だ。

 やはり桃には、今の伊達のような存在が近くに必要だと思う。

 

 …崩れ残った崖の末端から、男達の慟哭がこだまする。

 その男達の背中に、先ほど一番最後に抜け道を通って渡ってきた王先生が、感情のこもらない声をかけた。

 

「いつまで悲しんでおるつもりだ?

 第二の闘場では、次の対戦相手が首を長くして待っておる。」

 …いつの間に渡ってきたのかと一号生達が怪訝な表情を見せる。

 うん、ごめん。

 こうなった以上、抜け道があるなんて口が裂けても言えない。

 一応崖下に待機してた救助組からの報告で、落下した二人は川に着水してすぐに川岸に引き上げたとの事。

 落下のショックで気は失ってるけど、特に怪我はないし水も飲んでないから、そのうち目を覚ますだろうってさ。良かった。

 

「大威震八連制覇の道は長く険しい…。

 ここから先も、これ以上の悲しみや苦しみが、おまえ達を待ち構えているだろう。

 どうする…?勝負を捨て敗北を認め、引き返すのも自由だがな…。」

 意地悪言わないであげてよ王先生。

 それでなくとも全員ショック受けてるんだから。けど。

 桃が、崩折れていた膝を立ち上がらせながら、失った二人を偲ぶ言葉を紡ぐ。

 どんなに苦しく辛いシゴキにも耐え、あまつさえその明るさで皆を励ましていた事を。

 

「引き返すだと…そんな仲間を失った俺達に、引き返す道などあると思うのか……!!」

 言って立ち上がった桃の号令に、全員が闘場への道を真っ直ぐに歩いていく。

 それは決意。勝利の誓い。

 誰かが男塾塾歌を歩きながら口ずさみ始め、次々とその声が増えて重なってゆく。

 

 日本男児の生き様は

 色無し 恋無し 情け有り

 男の道をひたすらに

 歩みて明日を魁る

 嗚呼男塾 男意気

 己の道を魁よ

 

 日本男児の魂は

 強く 激しく 温かく

 男の夢をひたすらに

 求めて明日を魁る

 嗚呼男塾 男意気

 己の道を魁よ

 

 嗚呼男塾 男意気

 己の道を魁よ

 嗚呼男塾 男意気

 己の道を魁よ

 

「なんという悲しい唄声よ…。

 まるで魂を引き裂かれるような慟哭よ。

 しかし、その悲しみの中には、嵐に立ち向かっていくような力強さがある。

 この王大人(ワンターレン)、ひさしぶりに心を震わされた……!!」

 王先生が、珍しく感極まったように呟いた。

 

 私が今している事は、やはりあの子達を欺き、裏切る行為なんじゃないかと思う。

 少なくともこの純粋な悲しみを前にして口をつぐみ、無用な涙を流させたまま放っておいている、この状況だけを見ても。

 ごめんね、みんな。

 

 ☆☆☆

 

 天界降竜闘神像。

 雲上から降り立った竜の化身とされ恐れ崇められた闘いの神を模した巨大な像。

 第二の闘場はこの神像の中にあり、既に対戦相手は待っている筈。

 三号生側の二の組は、独眼鉄とセンクウ。

 そういえば鎮守直廊で富樫は独眼鉄と顔を合わせているそうだが、その時は闘ったというよりも、私にもした例の質問に富樫が身体で答えた、というところだったらしい。

 

「あの学帽は懐かしかったが、顔も性格もあまり似ていないな。

 源吉(アイツ)が色々老成してただけなんだろうが、弟の方が直情的で、まったく可愛いもんだ。

 だが、いい答えを出したぞ、アイツは。

 あの根性に応えるべく、俺も精一杯、いいゲス野郎を演じることにするさ。」

 独眼鉄が出発前、そう言って哀しげに笑った顔を思い出して胸が痛んだ。

 中に入るのは闘士のみ、他の者は外で、闘いが終わるのを待つしかない。

 

「情けだ、時をやろう。

 末期の別れになるやもしれん。

 友との別れを惜しむがよい。」

「そんな悠長なこと言ってるヒマがあったら、早く中へ案内してくれや。」

 また意地悪な事を言う王先生に、富樫が迷う事なく答え、その彼を取り囲むように一号生が歩み寄った。

 

「安心しろ。俺たちは負けやしねえ。

 命を張って万人橋を架け、俺達をこの闘場に渡してくれた、松尾や田沢の死を無駄にできんからな……!!」

 言いながら学帽を深くかぶり直す。

 これは本心を隠したい時か気持ちを落ち着かせたい時、つまりはある程度精神的に重圧を感じている場合に出る富樫の癖だ。

 そりゃそうだろう。

 彼だって怖くないわけじゃない。

 けど彼にしてみれば早く自分の闘いを終わらせて、『大豪院邪鬼』のもとへと急ぎたいのだろう。

 だが、本当に彼が目指すべき仇はまさに、これから挑む闘いの中に待っている。

 そこに誤解と嘘と、深い哀しみが横たわっていたにしても。

 像の竜の口から階段が降りてきて、そこから王先生が闘士達を先導する。

 私達はその後ろに並び、虎丸が他の一号生に声をかけた。

 

「じゃあな……いってくるぜ。」

 皆の応援を背に、闘士達は階段を登り始めた。

 

 はあ、はあ、ぜぇ、ぜぇ。くっそ、階段長ぇわ!

 体力がない方ではないが、こいつらと比べると歩幅の小さい私は、どうしても遅れがちになる。

 ってやかましいわ。

 とか思ってたら裾を踏んでしまい、転びそうになったところを虎丸が襟首を掴んで支えてくれた。

 声を出すわけにもいかないので虎丸に向かって一礼する。

 

「気をつけろ。

 ここで足を踏み外したら下まで一気に転げ落ちるぞ。」

 前の方から桃が振り返り、何やら物騒なことを言っている。

 もう一度会釈してから、少し急ぎ足で階段を登った。

 背中の方から桃が、虎丸に話しかける声が聞こえる。

 

「どうした、虎丸?」

「…いや、今のやつ見てたら、ちょっと光のこと思い出した。

 あいつ、今頃なにしてんのかなぁ。」

 ギクッ。

 

 息を切らせながらもようやく追いつくと、何故か王先生は立ち止まってこちらを見ていた。

 ありゃ。心配かけちゃっただろうか。

 だが、先生の視線の先にいるのは、私ではなく富樫だった。

 

「なんだおっさん。

 さっきから…俺の顔がそんなに珍しいか。」

 どうやら王先生は先ほどから、何度も振り返っては富樫の顔を観察していたらしい。

 

「…運命とは皮肉なものよ。

 この大威震八連制覇第二闘場への階段を、兄と同じように三年後の今、その弟が登っていくことになるとはな……!!」

 あちゃー。ここで言っちゃうのか王先生。

 

「なっ…!!し、知っているのか──っ!

 お、俺の兄貴のことを──っ!!」

 案の定、富樫は王先生に駆け寄り、飛びつかんばかりに詰め寄る。

 

「貴様の兄は貴様と同じように三年前、大威震八連制覇男塾一号生代表として、この第二闘場で闘い、敗れおった。

 そしてその対戦相手も、これから貴様が闘う相手と同一だ。」

「な、何……俺の兄貴の対戦相手は、邪鬼ではなかったのか……!?」

 富樫の目が驚愕に見開かれる。

 桃達他の闘士も、なにも言えずに黙り込んだ。

 王先生はもう一度前を向くと、再び歩き出す。

 まもなく大きな鉄の扉が、階段の先に見えた。

 

「着いたぞ。

 この扉の向こうに第二の闘場が待ち受けておる。」

 その重そうな扉が、大きな音を立てて開かれる。

 

「さあ、入るがよい!!

 これぞ大威震八連制覇・竜盆梯网闘(りゅうぼんていもうとう)!!」

 

 ☆☆☆

 

 大威震八連制覇第二闘場、竜盆梯网闘…直径三十(メートル)の大器になみなみと濃硫硝酸を満たし、その上に長さ二十五(メートル)の、老柔(ラオロウ)杉で作られた非常に軽くて脆い梯子を組んで、その上で両軍一名ずつの闘士が闘う。

 この梯子、三名以上が乗ると割れ落ちるように強度が計算されて作られているそうだ。

 あと、この闘場に関しては、何故か濃硫硝酸の器が数カ所で、細めのワイヤーロープで天井から吊り下げられていた。

 そこに王先生が、生きたウサギを投げ入れてのパフォーマンスを行なう。

 …かわいそうとか思う前に『あ、肉、勿体無い』と思ってしまうのは、やはり私が孤戮闘修了者だからだろうか。

 ひょっとしたら伊達も今、おんなじような事思ってるかもしれない。

 

「出場闘士二名以外は後ろへ下がられい。」

 王先生の指示により、私達白装束が富樫と飛燕以外をその場から下がらせる。

 彼らが目印の線より下がったのを見計らって、打ち合わせ通りスイッチを押すと、上から鉄格子の檻が落ちてきて、下がらせた者たちをその場に閉じ込めた。

 

「これで貴様達は、この二名がいかなる窮地に陥ろうとも手出しはできん。」

「フッフフ、随分と念のいったことだぜ。」

 …関係ない事だがこの檻、無駄に体格のいいこの男たちだから閉じ込める事ができるが、多分私ならこの隙間、少し無理すれば通り抜けられる気がする。やらないけど。

 

 と、

 

「危ない、富樫──っ!!」

「んー!?」

 檻の中から桃が突然叫んだと同時に、飛燕が富樫を押し倒すように地に伏せさせ、そのすぐ頭上を巨大なヨーヨーのような武器が通り抜けた。

 その武器は繋がった鎖を巻いて放った者の手元に戻ってゆく。

 

「独眼鉄!

 死天王のひとり、センクウ!

 貴様等とこの竜盆梯网闘で闘うのはこの俺達よ。」

 独眼鉄が固い声で名乗りをあげた。

 

 …今から彼にとって一世一代の演技が始まる。

 せめて精一杯踊れ、道化よ。




この万人橋に関しては詳細はスルーしようかと本気で考えてた。ここをアタシ程度の文章力で中途半端に描写するくらいなら、いっそ書かない方がいいんじゃないかと。それくらい重要なシーンだと個人的には思ってる。
結局書いちゃって正直すまんかった。
そんなわけでルックア・ラ・モードが甘すぎて不味いとか言うやつはおとなしくカレールーでもかじってろ。


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5・世にも悲しい男の物語

なんかよくわからないが、この回すごく描き辛かった…。


「三年ぶりに、懐かしい兄貴と対面させてやるぜ。

 もっとも、地獄での話だがな。」

 …その男の死を辱める言葉を吐くのは、彼にとっては辛いことの筈だ。

 なのに、そんな事をおくびにも出さずにニヤリと嗤いながら、つっかえずにその台詞を言った独眼鉄は、己に課したそのゲス野郎の役を、今や完全に自分のものとしていた。

 その演技は婀禍泥魅威(アカデミー)賞ものだ。

 

「て、てめえ達か…俺の兄貴を殺したのは……!!」

 富樫が身体を震わせながら独眼鉄を睨みつけ、それに独眼鉄が頷く。

 

「その通りだ!」

 …まあ正確にはその時、先発で戦った独眼鉄が、富樫源吉の後にその相棒も倒しており、センクウは戦っていないという。

 それくらい実力差があったのだ。

 その時の挑戦者である出場闘士と、三号生代表との間には。

 

「俺が先だ。文句はねえだろうな、飛燕。」

 王先生に先発を決めろと促され、富樫が上着を脱ぎ捨てる。

 …ほらもう、またあんなところにドス差して。

 転んだ時危ないからやめろって言ってるのに。

 これに限らず富樫は、どこか危なっかしくて見ていられないようなところがある。

 今は特に状況が状況だけに、はたから見たって冷静さを失っているのは間違いないし。

 

「フッフフ、三年前を思い出すわい。」

 ニヤニヤ笑いながら、独眼鉄が梯子に続く階段を登る。

 思い出すも何も、忘れたことなんかなかったろう。

 でもひょっとしたら、この笑みは本物かもしれない。

 今日までの後悔に、ようやく決着がつけられるという喜びからの。

 対する富樫は相変わらず身を震わせながら、階段の1段目に足をかけた。

 

「まずい!富樫の奴、ああ興奮していては……!!」

 檻の中から桃が、私が思っていたのとおんなじような危惧を口にした。と、

 次の瞬間、階段を登る途中の富樫の頭上を飛び越えて、大きな鳥が闘場の梯子の上に降り立った……そのように見えた。

 

 しなやかな手足。

 女性のように柔和で整った美貌。

 そこに浮かべる涼しげな微笑み。

 長くて真っ直ぐな亜麻色の髪を、ヴェールのようにふわりと靡かせ。

 …鳥人・飛燕、降臨。

 

「ひ、飛燕、てめえ──っ!!」

「おっと!気をつけてくださいよ?

 三人以上この梯子の上に乗れば、たちまち砕け落ちることをお忘れなく。」

 振り返ったその涼しげな微笑みを向けられ、富樫が舌打ちをする。

 …てゆーか、えっ!?

 ちょっと待ってお姉さん、いやお兄さんか。

 あなた、ついさっきまで普通に制服姿でしたよね?

 なんで今、拳法着なんですか?

 いつ着替えたんですか?

 私が富樫に気を取られてた間に着替えたにしても早すぎませんか?

 …この人、この特技とこの美貌なら、武闘家でいるよりも舞台俳優かファッションモデルでもやってた方がいいんじゃなかろうか。

 それともこれもまた、つっこんだら負け案件なのか。それはさておき。

 

「そんな、頭に血が上った状態のあなたでは、この勝負勝ち目はありません。

 しばらく頭を冷やしていて下さい……。」

 …えーと。独眼鉄の心持ちを現時点で唯一把握している私からすれば、この行動は、

 

『無いわー。空気読めてないわー。』

 と思わざるを得ないわけだが、まあ確かに普通の状況ならこの判断が正しいのだろう。けど。

 独眼鉄、一瞬唖然としちゃってたじゃん!

 メッチャ素の表情に戻っちゃってたから!

 まあ、すぐに気を取り直して、ゲス野郎のキャラを取り戻したのはさすがというべきか。

 

「…少しはできるらしいが、おまえのような女々しい野郎が、俺に勝てるとでも思っているのか。」

「見かけで人を判断しないほうがいい…死ぬことになる!!」

 確かに。可憐な咲きたてのこの白薔薇は、迂闊に手折ろうとすれば棘に刺されて怪我をする。

 かたや対面のゲス野郎は、心のうちを覗けば少し照れ屋で泣き虫で、けれど情の深い優しい男。

 どちらも見た目に騙されちゃいけない。

 

 しかし、これで状況が若干カオス化してきた。

 少なくとも独眼鉄が富樫に倒されようと思ったら、まずはこの飛燕に勝たなければならないわけだ。

 

 大威震八連制覇第二戦・竜盆梯网闘(りゅうぼんていもうとう)、開始。

 

 ☆☆☆

 

「心配はいらん。

 (つばめ)のように素早く鷹のように鋭い、三面拳のひとり飛燕の鳥人拳…奴の恐ろしさを知ることになるだろう。」

 檻の中から飛燕に声をかけ、心配そうに見つめる虎丸の後ろから、伊達が落ち着いた声で言う。

 その言葉通り、独眼鉄が例の刃のついた巨大ヨーヨーで攻撃するも、ふわりと飛び上がってそれを避ける。

 

「そんなオモチャが、この飛燕に通じると思うのか。」

 言いながら懐から例の針を取り出し、独眼鉄の第二撃をやはり飛んで避けながら投擲する。

 

「鳥人拳・鶴觜千本!!」

 それは戻ってくる巨大ヨーヨーと同じ速度で、それと並行して独眼鉄のもとに向かう。

 独眼鉄はその武器の特性上、戻ってくるそれを受け止めねばならない為、嫌が応にも鶴觜に向けて手を伸ばす事になる。

 そして飛燕の鶴觜が狙うのが、その伸ばされた腕。

『驚邏大四凶殺』の時に富樫に対して見せた攻撃と同じように、三本の鶴觜が一瞬にして、独眼鉄の手首に突き刺さる。

 

「針の穴を通すが如く、貴様の神経節を貫いた。

 貴様の右手はもう使えまい。」

 …そう言ってるけど、それにしてはちょっとおかしい。

 あれ、まともに入ってたら痺れて力が抜ける筈だから、あんな重たい武器とか持ってられないと思うんだけど、それにしては未だに平然と持ったまんまだし。

 私が見た限りでは狙いは正確だし、飛燕が外すとも思えないんだけど。

 

「鶴觜千本十字打ち!!」

 そこに気付いていないのかどうなのかわからないが、飛燕は更に鶴觜を、独眼鉄の身体に放つ。

 

「次はどこがいい…それともひと思いに、心臓を貫いてやろうか。」

 言いながら飛燕が冷たい笑みを浮かべる。

 あ、これも『驚邏大四凶殺』で富樫と戦った時と同じ表情だ。

 どうやら相対している敵に見せて浮かべるらしいその表情は、闘いの最中であっても見惚れるほどに美しい。

 …こりゃ、アレだな。

 この人、自分が綺麗だって事ちゃんと判ってて、その魅せ方も計算してる。

 彼にとっては、その美貌すらも武器なんだ。

 それだもん、顔に傷つけられてあんなに怒るわけだわ。

 …はっ!!

 ま、まさかあの闘いで双方落下した後、気を失ってた富樫が………その、ええと、なんだ、勃起してたのって、まさか……!?

 い、いや止そう。考えるな。

 

「さすがに大威震八連制覇に選ばれただけの事はあるようだな。

 こうでなくては、つまらん。」

 それはさておき、独眼鉄のひとつだけの目に、さっきまではなかった気迫が浮かぶ。

 そして気合の声とともに、その身体に突き刺さった鶴觜が全て、厚い筋肉の力だけで弾き出された。

 それが飛燕の方に飛んでゆくも、さすがに飛燕は小さな動きだけでそれを躱す。

 

「神経節を貫いただと…そう簡単に、この鍛え上げられた鋼並の筋肉を通して、神経節まで届くと思うのか。」

 やっぱり届いてなかったんだ。

 あの鶴觜は投擲武器である事の限界から、ある程度の質量を要する。

 あれより細い針ならばもっと深いところまで届くのだろうが、飛距離は確実に短くなり、その分対象に近寄らねばならないだろう。

 ちなみに私が氣の針で同じ攻撃をしようと思ったら、対象の懐に入って直接触れて行うしかない。

 氣を飛ばして攻撃するのも可能は可能だが、飛距離に従って威力も確実性も落ちる。

 私は所詮闘士にはなれない、ただの暗殺者という事だ。

 

「どうやらおまえを甘くみすぎていたようだ。

 ならば俺も全力を尽くさねばなるまい…。

 仁王流・號賽拳(ごうさいけん)!!」

 独眼鉄が巨大ヨーヨーを投げ捨て、構えを取る。

 それを見て伊達が、底意地の悪そうな笑みを浮かべた。

 

「フッフフ、笑わせやがる。

 あの図体をして、拳法で飛燕に立ち向かうだと…?」

 飛燕が構えると同時に独眼鉄が突進してくる。

 この巨体にして鋭く早い攻撃だが、飛燕はその攻撃の悉くを、微笑みすら浮かべながら躱す。

 どうやらスピードに関しては役者が違うらしい。

 というか、そろそろ判ってきてしまった。

 伊達の言う通り、実力的にも飛燕は圧倒的に独眼鉄を上回っている。

 …ごめん富樫。私、相当おまえの事舐めてた。

 たとえ奇跡にしろこの人と闘って相討ちに持ち込めたって事実、今度からもっと重く見る事にする。

 

「どこに目をつけている。後をとったぞ。」

 その独眼鉄の手刀をすり抜けて、飛燕が独眼鉄の背後に降り立つ。が、

 

「かかったな。

 わざと後をとらせて近づけたのがわからんのか。」

 独眼鉄は振り返ると、飛燕に向けて口から含み針…というには太い棘状の暗器を放った。

 反射的に飛燕の手が顔を庇い、掌にそれが突き刺さる。

 同時に視界が塞がれたその一瞬をついて、なんと独眼鉄の太い脚が、飛燕の首に絡んで絞め上げた。

 そのまま梯子の棒を一本掴み、他の棒を破壊しながら回転する。

 飛燕は首吊り状態に更に遠心力が加わり、その苦しみは相当の筈だ。

 

「これぞ仁王流・錠枷殺(じょうかさつ)大車輪!!」

「飛燕ーっ!!

 この野郎、妙なマネしやがって──っ!!」

 思わず富樫が駆け寄ろうとするも、

 

「馬鹿め、忘れたのか。

 この老柔(ラオロウ)杉でできた梯子は、三人以上で乗ればたちどころに、割れ落ちるように計算されて作られている事を。」

 意訳=『危ないからおまえはまだ来んな』。

 というか遠心力がかかってる時点で、三人分以上の重さ、充分かかってると思うのだけれど、やはりこれもつっこんだら負け案件だろうか。

 

「恐ろしい技よ。完全に決まりおった。

 あれでは死ぬまで耐えるだけで逃れる術はない。」

 王先生が感情のこもらない声で呟くが、本当、なんて恐ろしい技なんだ。

 後頭部に股間押し付けるとかセクハラ過ぎて見てられない。

 いや、そんな事言ってる場合じゃないけど。

 

「ヌワッハハ、苦しかろう。まだ息はあるか。

 その美しい顔が歪むのを見るのはなんとも快感じゃて。」

 ちょっと待て独眼鉄。

 演技に熱が入ってきてるのはわかるけどもうゲス野郎通り越して変態発言ですそれ。

 てゆーか多分だけど、自分の決意に水を差された事で飛燕に腹を立ててるぽい。

 独眼鉄の思いなんかわからないんだから仕方ないし、飛燕にしてみれば相棒を思いやっただけなんだけど。

 それはともかく見てる間に飛燕の顔色が蒼白になってゆき、虎丸が檻の中から必死に声をかけている。

 そして相棒の富樫はというと…腹のサラシに差し込んだドスを抜き、じっとその刃を見つめていた。

 その様子に王先生が、

 

「投げて味方を助けるような真似は許さん。」

 と注意を促すけど、富樫はそんな事考えるような子じゃない。

 大体飛燕ならともかくこの子にそんな技術ない。

 下手に刃物なんか投げたところで、この距離でしかも動く的に正確に当てるなんて出来っこないし、下手すりゃ飛燕に当たる恐れだってある。

 それにあの刃を見つめていた目は、何かの覚悟を一生懸命固めようとしてる、その過程であるように見えた。

 そしてその覚悟は、王先生の言葉により、一気に固まったらしかった。

 

「なめるな…!!

 俺が男の勝負に、そんなチンケなマネするとでも思うのか。」

 言うと富樫は、抜いたドスを逆手に持ち替え……!?

 

 え…ギャ───ッ!!な、何やってんのよアイツ!!

 

 ・・・

 

「ヌワッハハハ、腕の力が弱くなってきたぞ!

 このまま絞め殺されるのと、それとも硫硝酸の池に放り投げるか、どっちがいい──っ!!」

 独眼鉄の錠枷殺大車輪に極められて、飛燕はもはや完全に力を失ったように見えた。

 その飛燕に向かって、富樫が大声を張り上げる。

 

「飛燕──っ!!目を覚ますんじゃ───っ!!

 目ン玉を開け!これが見えんか──っ!!」

 それは、先ほど手にしたドスで、富樫が自らの胸に刻んだ『闘』の文字。

 

「血闘援か……。」

 王先生が呟いて、少しだけ説明してくれた。

 その起源は中国の兵法書の中に残るという、身をもって闘士と苦しみを同じくして必勝を祈願するもの。

 

 …あの傷は、私が介入しなければ残りそうだな。

 友を思う気持ちはよくわかったが、私にかかる負担も少しは考えてくれんかね?

 考えるわけないかそんなもん。

 

「貴様それでも生死を共にすると誓い合った俺の相棒か!

 俺は、そんな情けねえ相棒をもった覚えはねえぞ──っ!!

 これを見ても駄目ならてめえもそこまでの男!

 勝手に死んじまえ────っ!!」

 気持ちはよくわかったが出血が凄い。

 飛燕がもしこれで目を覚ましたにしても、交代は必至だろうから、これからあなたが闘わなければならないのに、その前に自分からダメージ食らってどうする。

 

「何をたわけたことを!!

 そんなマネをしても無駄なことじゃ。

 もうこいつは息をしておりはせんわい。」

 そして相変わらず演技が白熱してる独眼鉄がその富樫に言うも、その台詞がまだ終わらぬうちに、だらりと下がっていた飛燕の両手が上がり始めた。

 その手が首に絡む独眼鉄の脚を掴む。

 先ほどまで苦し紛れにそこにあった手ではあるが、先ほどよりもしっかりと掴んでいるようにすら見える。

 

「フッフフフ、まったくきつい相棒をもったもんだぜ…どうしてもただでは死なせてくれんらしい。」

 恐らくは飛燕が抵抗しなくなったあたりで、脚の締め付けが緩んでいたのだろう。

 そうでなければ首の骨が折れる勢いで、飛燕は独眼鉄の脚を掴んだ手を軸にして身体を大きく揺らすと、上がった脚でそのまま、独眼鉄の顔面に蹴りを放った。

 その華奢な脚で、しかも不自然な体勢から繰り出されたとは思えないほどの一撃に、思わず独眼鉄の口から血と演技ではない声が漏れる。

 飛燕はその状態から空中で体勢を整え、再び梯子に降り立って、構えを取った。

 

「そうだ、それでいい。

 それでこそ俺の相棒だぜ。」

「フッ…余計なマネをしてくれる。

 しかしおまえの血闘援、無駄にはしない…富樫…。」

 だが、飛燕の呼吸はかなり乱れており、ピンチは切り抜けたものの残るダメージは相当なもの。

 檻の中で見守る面々の表情にも不安げな彩が映る。

 対する独眼鉄は、口から折れた歯を三本ほど吐き出し、やはり闘う構えを取った。

 

「フッフフ、やるのう。

 俺の錠枷殺大車輪を破るとは…しかし相当こたえたようだな。

 その身体でまだ戦うつもりか?」

「貴様ごときに後ろを見せるこの飛燕ではない。」

 飛燕がそう言って懐から、例の鷹爪殺を取り出して右手に装着する。

 …この件に関して私はもうつっこまないからな。

 折りたたんで入れてあんのかとか言わないからな。

 飛燕は大きく振りかぶり、その鷹爪殺を独眼鉄の身体に突き立てる。

 それを独眼鉄は避けることもせず、そのまま腹で受け止めた。

 

「その程度の力では、俺の鋼の筋肉を貫けはせん!」

 …鷹爪殺は先端が表層の皮膚を薄く傷つけたに過ぎず、独眼鉄の分厚い腹筋はそれ以上の刃の侵入を許さない。

 独眼鉄の右手がその鷹爪殺を掴み、同時に右脚が蹴りを放つ。

 飛燕はそれを飛び上がって躱したが、その際に鷹爪殺を独眼鉄の手に残す結果となった。

 

「いいものをもらったぜ。」

 嗤いながら手の中に残ったその武器を自分の手に装着し、独眼鉄は飛燕に向けてそれを振り回す。

 飛燕はそれを辛うじて躱しているが、その動きに先ほどまでのような精彩がない。

 やはりダメージが蓄積しているのか。

 かと言って自陣に戻り選手交代しようにもその隙は与えられず、自身の武器である鷹爪殺に道着の胸元を切り裂かれ、更にらしくもなく脚を踏み外す。

 すんでのところで梯子に捕まり落下を防いだものの、安心できる状況ではまったくない。

 

「フッフフ、どうやらこれで勝負あったようだな。」

 梯子からぶら下がっている飛燕のそばにしゃがみ込んだ独眼鉄が、無造作にその指に鷹爪殺の先を振り下ろす。

 

「ぐっ!!」

「ククッ、それにしてもその美しい顔が、苦痛で歪むのを見るのは快感よ。」

 だから、変態発言ヤメロ独眼鉄。

 というかこれ完全に、自身の設定したゲスキャラに、本来の独眼鉄が飲み込まれてる気がしてならない。

 こうまでしなきゃならないのかと、そろそろ見ているのが辛い。

 見ているのが辛いといえば、富樫の胸の傷なんだが、一応今は戦闘に参加していない彼の手当てをしては駄目かと王先生に訊ねたところ、この先の闘いの事もあるから止血くらいなら構わんと答えたので、全員が梯子の上に注目している今のうちに、こっそり背中から富樫に近寄り、脊髄の部分に氣を入れて、止血処理だけ施すことにした。

 これなら使用する氣もほんの僅かで済む。

 ただ、やはり処置の際に一瞬だけ痛みが走ったようで、富樫は驚いたように後ろを振り返った。

 その時には私はもう、他の白装束スタッフの陰に走りこんで姿を隠していたけど。

 チビスケ舐めんな。

 

「フッフフ、快感、快感!」

 そんな事をしているうちに独眼鉄の変態劇場はまだまだ続き、あろう事か飛燕の右頬に鷹爪殺の先を当てて、そのまま横に滑らせた。

 

 …ギャ────!!おま、独眼鉄!

 女性の顔になんて事を!いやわかってる!

 彼が男性だとアタマではわかってるが、私の感情的にはまだ許容しきれていないんだよ!

 あの驚邏大四凶殺の時に富樫につけられた傷でさえ許し難いと思ったのに、これがもし傷跡残ったら今度こそ伊達とお揃いだろ!

 責任とって嫁にもらったって鬼畜の汚名は雪がれんわ!!

 

「あ、あの変態野郎──っ!!」

 虎丸がその場にいた全員の意見を代表した言葉を叫ぶ。

 そんなものにはまったく頓着せずに、独眼鉄は更に鷹爪殺を、今度は飛燕の背中に打ち込む。

 

「おまえの心は、その顔と同じように醜くゆがんでいる。

 ならばそれにふさわしい死を与えてやるまで…!」

 泣き叫べ命乞いをしろと高笑いする彼に、飛燕はその姿からは考えられないほど、強い口調で言い放った。

 その言葉に逆上した独眼鉄が、鷹爪殺を飛燕の頭部に向かって打ち下ろす。

 その瞬間、飛燕は梯子を掴んでいた両手を離した。

 

「潔い奴よ、自ら硫硝酸盆へ飛び込みおったか──っ!!」

「ひ、飛燕ーっ!!」

 自殺したとしか見えぬ飛燕の行動に富樫が思わず叫ぶ。

 だがその飛燕は落下しながらくるりと体勢を変え、頭上に向けて何かを投げ放った。

 ロープ様のそれは梯子に巻きつき、寸でのところで落下を防ぐ。

 こうなれば、空中戦を得意とする鳥人・飛燕に敵はない。

 ロープにつかまりながら反動をつけ、その遠心力で梯子のはるか上まで飛び上がった飛燕は、その勢いで独眼鉄を梯子から蹴り落とした。

 先ほどまでの飛燕と同じように梯子から、しかも片手だけでぶら下がる独眼鉄に向けて、更に空中から鶴觜を投擲する。

 

「鶴觜千本・断神節!!」

 血まみれのその繊細な指から放たれた四本の鶴觜は、独眼鉄の梯子を掴むその指に突き刺さった。

 同時に飛燕の足が梯子の段を踏み、一瞬にして双方の立場が逆転する。

 

「な、何をしやがった。

 体が痺れて動くことができねえ…。」

「自慢の筋肉も、指の甲だけは鍛えようがなかったようだな。

 鶴觜千本、寸分の狂いもなく指の神経節を貫いた。」

 指には、首と繋がる神経がある。

 そして首は脳と身体を繋ぐ重要な箇所。

 うまく刺激すれば、麻酔の如くそこから下の神経を麻痺させる事も、理論上は可能だ。

 飛燕がしたのはまさにそれ。

 とはいえ言うほど簡単な事では勿論なく、しかもそれを投げた針で行なったのは、改めて見るとやはり神業だ。

 

 私がやるなら触れられる距離で直接氣を撃ち込むしかないから、わざわざ指からなんてまどろっこしい事はせずに直接首を狙うけど。

 

「今からおまえの指は一本ずつ、意思とは無関係にはがれてゆく。」

 飛燕が冷たい目で独眼鉄を見下ろしながら、死刑宣告のように言い放つ。

 その言葉通りに、最初に小指が一本立ち上がった。

 

「馬鹿な奴よ。飛燕を本気で怒らせるとは…。」

 その光景を見ながら伊達が呟く。

 彼をよく知る伊達がこう言うのだ。

 飛燕は普段は穏やかでいながら、怒ると怖いタイプなのだろう。

 うん、絶対怒らせるのやめとこう。

 更に、独眼鉄の薬指が立ち上がり、今やその身体を、人差し指と中指のみで支えている。

 私からすればそれだけですごい事だ。

 

「最後だな。

 いくらおまえでも、指一本では支えられまい…。」

 言いながら、飛燕は独眼鉄に背を向ける。

 その(むご)い光景を、せめて目にしたくないとでも言うように。

 

「ちょ、ちょっと待て──っ!!

 お、俺は独眼鉄!

 貴様ごときに負けてたまるか───っ!!」

 彼にとっては、富樫との闘いを果たさぬ前に、その相棒などに倒されるわけにはいかないのだ。

 だが、そんな彼の想いなど誰も知らぬまま、今度は中指が立ち上がり、独眼鉄は悲鳴をあげて、硫硝酸盆へ落下していった。

 

「貴様にはこんな死がふさわしい……!!」

 

 ・・・

 

「ひ、飛燕の奴、あんな優しい顔して、あんな恐ろしい一面があったとは……。」

「どこに目をつけている虎丸。

 もう一度よく見てみろ。」

 独眼鉄が落下する瞬間目を背けていたのだろう虎丸が呟くのに、桃が微笑みながら下を指し示す。

 独眼鉄の身体には、先ほど飛燕が使ったロープが繋がっており、彼は硫硝酸盆に落下する寸前のところで泡を吹いて、あまつさえ失禁すらしてぶら下がっていた。

 

「命だけは助けてやる。

 死の恐怖は存分に味わっただろう。」

 ナイスだ飛燕。

 独眼鉄はほぼ無傷の状態だから、敗退しても手当はしなくて済む。

 飛燕は三号生側の陣に初めて目をやると、そこに控えたままのセンクウに声をかける。

 

「わたしはこの梯网(ていもう)より降りて待っている。

 その間に助け上げてやるがよい。」

 だがセンクウは、必要ないと一言告げ、その場から立ち上がりもせず手を動かす。

 次の瞬間、独眼鉄を繋いでいたロープが切れ、独眼鉄は悲鳴を上げて、今度こそ硫硝酸の中に沈んだ。

 

 ちょっと待て──!

 なんて事するんだよセンクウ!!



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6・Sexy Blaze Storm

「相棒だと……そんな、不甲斐無い相棒をもったおぼえはない。」

 センクウは立ち上がると、纏ったマントを翻し、梯网(ていもう)の上に歩み出た。

 

「外道が……!!」

 敵とはいえ自分が命を助けた筈の者をあっさり殺されて、飛燕が歯噛みをする。

 …まったくだよ!

 ちなみに天動宮で会った時のセンクウは、親切にはしてくれたけど、一方でデリカシーに欠ける面があった。

 まあ男って基本そういうもんだろうし、その点では卍丸が紳士すぎたんだけど。

 なんだかなあ。

 まあだがしかしこの硫硝酸盆には若干の仕掛けが施してあり、戦闘開始から少しずつ、液体の濃度は薄くなっている。

 現時点でなら確かに触れれば結構な火傷はするだろうが、先ほどのウサギの様に一瞬にして骨になる様な事はもうない。

 更に人間が落ちた瞬間に急激に煙を立てて(これは驚邏大四凶殺一の凶・灼脈硫黄関で三号生たちが使ったのと同じ手だ)その間に救出を行なっている筈だから、独眼鉄は今は救命組により迅速な手当てが施されている最中だ。

 

 …私も行った方がいいだろうか。

 王先生は大丈夫だと言っていたけど。

 まあ火傷といっても表層だから、落ち着いてから治療を施しても間に合うとは思う。

 どっちかといえば、心の傷の方が気にかかるが、そっちはそれこそ私にはどうする事もできない。

 

「奴が、独眼鉄をぶら下げていたロープを、あの距離から切った技は……!?

 十(メートル)は離れていただろう。

 しかも刃物を投げたようには見えなかった。」

 檻の中から桃が呟くのを聞いて我に帰る。

 そうだ。私の側からもあの時、センクウの手が微かに動くのが見えただけで、暗器のようなものの存在はおろか、蝙翔鬼の天稟掌波みたいな空気の流れも感じなかった。

 

「もうひとりの相棒とかわるがよい。

 そんな疲れ切った状態で、この俺と戦っても勝負にはならん。

 貴様とは、その後ゆっくり相手をしてやる。」

 センクウは富樫を指差しながら飛燕に向かって言う。

 

「そうだ飛燕!ここは俺にまかせておけ──っ!!

 俺とかわるんじゃ──っ!!」

 それに応ずるように富樫が、やはり飛燕の背中に向かって叫ぶが、その飛燕はどこか呆然としたような表情を浮かべながら、それでもセンクウから目を離さずに言葉を発した。

 

「だ、だめだ富樫……。

 わたしにはわかる。こいつの強さが…。

 拳法を知らぬおまえではとうてい勝ち目はない。」

「な、なんだと飛燕、てめえーっ!!」

 その言葉を聞いて飛燕に食ってかかる富樫。

 その二人の様子に、センクウが含み笑いをしながら呟いた。

 

「フッフフ、わかるか。俺の強さが……。」

  センクウは両手を広げ、不思議な構えを取ったかと思うと、梯子の上から宙へと飛び上がる。

 それから空中で一回転した後、まっすぐ立ったその身体は、何もない空間で静止していた。

 その光景に、闘士たちが驚きの表情を浮かべる。

 

「飛燕とかいったな…。

 確かに貴様の鳥人拳、なかなかのものだ。

 しかし、このセンクウとは、拳法の格が違う。

 戮家奥義(りくけおうぎ)千条鏤紐拳(せんじょうろうちゅうけん)!!」

 見る者の目を眩ますようなゆるゆるとした手の動きから、センクウの掌底が突き出される。

 次の瞬間、飛燕の身体の各所に、一度に鋭い切り傷が走った。

 飛燕の皮膚が、着衣が裂け、血が噴き出す。

 

「ひ、飛燕ーっ!!あ、あれだ!

 独眼鉄のロープを切ったのもあの技だ──っ!!」

 虎丸が驚愕の声を上げる。

 

「戮家奥義・千条鏤紐拳。

 その名の通り貴様は全身を、千条に切り刻まれて死んでいく事になる。」

 相変わらず、氣も風圧も拳圧も、センクウの拳からは感じない。

 だが、もっと物理的な空気の動きは、微かだが感じるようになってきた。

 その正体は未だ掴めてはいないが、暗器か何かである事は間違いなさそうだ。

 飛燕はセンクウを睨みつけながら、懸命に技の正体を探ろうとしているようだ。

 そうしながらほぼ苦し紛れになのか、懐から鶴觜を取り出して、センクウに向けて放つ。だが、

 

「鶴觜千本…。

 こんなものがこの俺に通じると思うか。」

 センクウは胸元に飛んできた鶴觜を無造作に手で捕まえ、あまつさえ親指でそれを曲げてみせる。

 

「さあこい。

 素手ではこの俺に近寄ることもできんのか。」

「武器などなくとも、手刀一本あれば充分だ。」

 言うや飛燕は構えと同時に、センクウに向かって猛攻する。

 飛燕の手刀を、大きな動きで後方に飛び退って避けたセンクウを、更に追おうとした飛燕の動きが突如止まった。

 

「うぐっ!!」

 その喉元にうっすらと、一筋の赤い線が走り、そこにじわりと血がにじむ。

 飛燕は何故か空間に指を滑らせた。

 元々色白な顔が蒼白になる。

 

「こ、これは……!!」

「フッフフ、よく踏みとどまったな。

 あと一歩踏み込んでおれば、貴様の首は胴と離れ離れになっていたものを。」

 ここからではよく見えないが、どうやらピアノ線のような細い鋼線が、いつの間にか張られていたものらしい。

 

「そうか、奴はあのピアノ線みてえな上に乗っていたから、空中に浮いているように見えたんだ。

 さっき飛ぶ前に両手を広げたのは、ピアノ線の端と端を、この房の壁に撃って張るためのものだったのか。」

「戮家奥義・千条鏤紐拳………。

 いまだかつてその技を見切ったものはおらん。」

 王先生の説明によれば、中国拳法暗黒史において、(卍丸の)魍魎拳と勢力を二分した秘伝の殺人拳だという。

 …偶然なのか、それとも邪鬼様が探してきたのか知らないが、両方の暗黒拳の使い手揃えたって凄いな。

 それはさておきそれは、目に見えぬほど細く鋭い鋼線を、指先でムチのように自在に操る技。

 …なるほど、それならば空気の動きがほとんど感じられなかったのも道理だ。

 

「見えるか、貴様にこの鋼線が…。

 しかし、止まっている時はなんとか見えても、攻撃をしかけた時は見えはせぬ!

 次の一撃がとどめとなる。」

 恐ろしい技だ。

 先ほどの飛燕は寸前で踏みとどまったが、下手すれば気付いた時には既に首が落ちている。

 

「死ねい──っ!!」

 見えない糸が放たれたその瞬間、飛燕は自分の髪を一房切り、それを空中に投げ広げた。

 

「フッフフ、考えたな…。

 目に見えぬ鋼線に髪の毛を絡ませ、動きを読むか……。」

 センクウの言葉通り、飛燕の亜麻色の髪が糸に絡んで、その軌跡を明らかにする。

 張り巡らされた糸の場所さえ判れば、飛燕の体術ならば避けて通るのは容易い。だが、

 

「富樫……万が一の時は後を頼む。」

「な…!!」

 やや不穏な言葉に、言われた富樫が息を呑む。

 それに構わず飛燕は、鋼線の間をかいくぐり、センクウに向かって突進した。

 

「鳥人拳飛燕、最後の技を見せてやる!!」

 

 

「飛燕の奴、今、最後の技を見せるとか言ったぞ!!

 最後の技とは一体どういうことだ!!」

「………まさかあやつ、己の命を賭してあの最終拳を……!!」

「最終拳……!?」

 

「フッ、最終拳か……しかし、どうやらそれは見られそうもない。

 鏤紐拳・縛張殺!!」

 センクウは何やら釘のようなものを梯子の枠に指で刺すと、上空に飛び上がり、見えないが恐らくは鋼線を飛燕に向けて投げた。

 それはどうやら飛燕の首に巻きついたらしく、飛燕はそれを、手に持った二本の鶴觜で、首に食い込むのを防ぐ。

 

「間一髪、首が飛ぶのを千本で防いだか…しかし両手を使えぬそのザマではどうしようもあるまい。」

「うぬぬうっ……。」

「このまま貴様が力尽きるのを待ってもいいが、それは俺の流儀ではない。」

 センクウは鋼線を引くその手を緩めぬまま、そこから飛び上がると飛燕に向けて蹴りを放つ。

 

「な、なんだ、奴の踵から鋭いトゲが飛び出しおったぞーっ!!

 あのケリ、まともに食らったら頭蓋骨が粉々だ──っ!!」

 はい、解説ありがとう虎丸。

 虎丸の言葉通り、センクウの靴の踵から鋭い突起が現れて、それが飛燕の頭部を狙う。

 飛燕は咄嗟にその脚に向けて蹴りを出し、センクウの動きを止めた。

 体勢を崩したセンクウが、一旦梯子の上に降り立つ。

 その瞬間に飛燕は、首に巻きついた鋼線を払いのけ、センクウから一旦距離を取った。

 

「フッフフ、やりおる。

 俺の蹴りを足で合わせ、バランスを崩した一瞬の隙を逃さず、たわみを利用して縛張殺から脱出するとは。

 しかし貴様もここまでが体力の限界だろう。

 その状態では勝ち目がないことは、貴様自身もよくわかっているはず。」

 そのセンクウの言葉通り、飛燕は呼吸を乱しており、連戦のダメージと疲労が、側から見ても明らかだ。

 

「確かに貴様は強い…。

 しかしこの飛燕、このままでは終わらん!!」

「出る……!!飛燕の最終拳が……!!」

 伊達が硬い声で呟いた。

 

 

「な、なに──っ!!

 飛燕の奴、自分の腕に千本を突き立ておった──っ!!」

 虎丸が叫ぶそばから、飛燕は両腕の肘裏と、更に両膝の上に鶴觜を突き立て、深く貫く。

 その箇所から激しく出血して、纏った拳法着を赤く染める。

 

「鳥人拳極意、終焉節!!

 この飛燕、この世で最後の拳を見せてやる……!!」

 

 

「一体どういうことだ!説明しろ伊達ーっ!!

 血がどんどん吹き出している!

 あれじゃまるで、出血多量で自殺するようなもんじゃねえか!!」

「わからんか…。

 奴は自分の神経節を寸断したのだ。」

 伊達が言うには、先ほど独眼鉄に対して使った断神節という技と、基本的には同じものらしい。

 主眼は神経節を貫き、相手にダメージを与えたり、思い通りに動かしたりする事にあるわけだが、断つ神経節の場所によっては、一時的に肉体の能力を極限まで高める事が可能だという。

 しかしその神経節は全て大動脈の下にあり、それを突く事は出血多量で死に至る事を意味する。

 ちなみに同じ事が橘流氣操術でも可能であり、その場合出血はしなくて済むが、神経節を寸断する事で一時的なパワーアップは果たせても、鶴觜で突き刺すよりも遥かにボロボロに破壊された神経節は恐らく治療は不可能で、その後確実に廃人と化すと思う。

 勿論やった事があるわけがないので、確かとは言えないが。

 生きているだけマシと捉えるか、逆に(むご)いと見るかは個人の自由だが、どちらにしろ私は御免だ。

 

「己の持つ全ての力を、次の一撃に賭けたのだ…。

 己の命とひきかえにな……!!」

 そう言う伊達は、表情こそ変えはしなかったが、その目には深い哀しみの彩が映っていた。

 

「見事だ……その闘いへの執念…!来るがよい。

 このセンクウ、真っ向から貴様の最終拳、受けて立とうぞ!!」

 …たとえ相討ちになろうとも、私はどちらも助けるつもりではいるが、少なくともセンクウがこの状態の飛燕を見て、彼が力尽きるのを待つ事を選択する人種じゃなかった事にホッとする。

 そう、センクウは、デリカシーはないが卑怯者でもない。

 

「や、やめろ飛燕!死んじゃだめだ──っ!!」

「無駄だ…誰にも止められはしない。

 俺たちに今できるのは、奴の勇姿を俺たちの胸に、刻み付けておくことだけだ………!!」

 檻の中から飛燕に向かって呼びかけた虎丸が、桃に諭されて泣きそうな顔になる。

 近くにいたら反射的にアタマ撫でてしまいそうだ。

 そんな事を思ってる間に、飛燕は空中高く舞い上がると、両方の掌を合わせて、空中で溜めの構えを取った。

 

「終焉節・双掌極煌(そうしょうきょくこう)!!」

 そのままセンクウの懐に向けて落下する。

 軌道の判っている攻撃に対して、センクウがそれに合わせる形で手刀を振り上げた。

 双掌と手刀、拳の刃が、交錯する。

 それはまさしく、一瞬の出来事。

 互いに背中合わせに梯子の上に降り立った二人、先に胸から血しぶきを上げて、倒れたのはセンクウの方だった。

 

「ひ、飛燕……。」

 ホッとしたような表情で富樫が相棒の名を呼ぶ。

 

「飛燕の勝ちじゃ──っ!!

 今ならまだ間に合う、急いで止血して手当てするんじゃ──っ!!」

 更に檻の中で虎丸が、先ほどまでの泣きそうな顔を歓喜に変えて呼びかけた。

 だがその飛燕は、そのどちらにも振り返る事なく、何故か俯いたまま呟く。

 

「富樫………あとは、頼む。

 おまえなら必ず勝てる……必ずな……。」

 その言葉に、富樫が眉を顰める。

 

「あとは頼むだと?そりゃあどういう意味だ…!?」

 その瞬間、時間がスローモーションで流れた。

 

 …ゆっくりと仰向けに倒れ込む飛燕の胸板から多量の血液が噴き出し、その身を真紅に染め上げる。

 その優しげな美貌の下に隠した内なる紅蓮の炎が、嵐となってその身体から溢れ出し、遂にはその身を焦がすかのように。

 けれど、そんな凄惨な姿であっても、或いはそうであるからこそ、その男は信じられないほど美しかった。

 

「飛燕──っ!!」

 …時間の流れが戻ってくる。富樫が叫ぶ。

 その場の誰もが息を呑む。

 

「富樫…おまえの勝利を信じている……。

 わたしが死んでもおまえが勝てば、それはわたし達ふたりの勝利だ…。」

 たのんだぜ…と、富樫の口調を真似たような、あまり似合わない言葉を最後に、飛燕の瞳が閉じられる。

 

「敵ながらたいした奴よ……。

 鳥人拳終焉節・双掌極煌…。

 あと一寸深ければ、俺の命もなかったろう。」

 と、その後ろで、先に倒れたセンクウが、胸の傷から血を流しながらも、ゆっくりと立ち上がった。

 

「俺にこれだけの深手を負わせ、次に戦う貴様の為に捨て石となって、道を開き死んでいきおった。

 貴様もこの男に恥じぬ闘いをするがよい…。」

 胸の傷が痛むであろうに、センクウは飛燕の身体を抱き上げ、富樫の側まで歩み寄る。

 

「本来ならば硫硝酸盆に投げ入れて、勝負の決着とするところだが…。

 これほどの男。手厚く葬ってやれ。」

 言いながら飛燕の身体を富樫に渡し、自陣へと歩いて戻る。

 富樫は黙って受け取ると、一旦階段の下まで降りて、そこに飛燕の身を横たえた。

 涙こそ見えないが、泣いているのだろう。

 自分の膝に置いた手が、力任せに腿を掴んで、その指が肉に食い込みそうになっているのにも気付かずに。

 

 ここから先の彼の闘いは、復讐でも憎しみでもなく、ただ、友に捧げる勝利の為に。



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7・落日の風

「待てい!梯网上の闘いはこれまでだ。」

 手にしたドスを抜き放ち、覚悟を決めた表情の富樫が梯网に上がる階段に足をかけた時、王先生がそれを止めた。

 

「この大威震八連制覇・竜盆梯网闘、両軍一名ずつになった場合は、その様を変える事になっている。」

 王先生が手を挙げて合図を出すと、天井から硫硝酸盆に数多の、短い円柱型にカットされた形の石が落ちた。

 それは水面に浮かんで、小さく泡を立てている。

 

「これぞ竜盆浮敲闘(りゅうぼんふこうとう)!!」

 投げ落とされた石は灰雲岩(かいうんがん)…その性質は酸面に浮きはするが、時とともに大きさが、硫硝酸に溶かされ小さくなる。

 全てが溶けてなくなるまでおよそ15分。

 その間に勝負がつかなければ、全ての灰雲岩を溶かした硫硝酸が体積を増して、盆を支えるロープを溶かし、下に落ちる仕掛けだという。

 さっきも例に出した驚邏大四凶殺の灼脈硫黄関での闘いに似ているだろう。

 Jが苦労した足場の悪さを、今度は富樫が体験するわけだ。

 足場の岩がただ浮いてるだけだから、むしろ状況的にはあれよりも更にタチが悪い。

 そこまで聞いたところで、救命組が『死亡確認』された飛燕を運搬し始めたので、私は一旦それについていく事にした。

 王先生が蘇生はさせたものの出血が酷かったから、直ちに造血の処置をする必要がある。

 今回はプロの救命士達が仕事をしているから、止血の方は彼らに任せればいいが、更にもうひとつ、どうしても気になる事があるので。

 

 ・・・

 

「あ、顔の傷本当に消えた!良かったー!」

「ほんとほんと。

 すごく綺麗な人なのに、もったいないって思ってたんだよー。

 男性だけど。」

 一番の懸念、これで解消。

 何せ万一傷が残ったら今度こそ伊達とお揃いだ。

 その伊達ですらもったいないと思ってるのに。

 なんせ硫硝酸盆の上の梯网上を歩くよりも、パリコレのランウェイを歩いてる方が、よっぽど自然ってくらいの美貌なんだから(なんて事を思っていたら何故か、以前ターゲットの男性が連れて行ってくれたウェディングコレクションのファッションショーの場面が頭に浮かび、更にそのランウェイを腕を組んで歩いてきた男女モデルの顔の記憶が伊達と飛燕で上書きされて、慌ててその光景を頭から追い出した。『うわーメッチャお似合いの二人』とか素で思った事は秘密だ。うっかり言ったら殺されそうな気がする)、私がいる限りこの顔に傷なんて残させない。

 以前やった時と同じように頭部全体に術を施したから、また10センチくらい髪伸びたけど。

 あとは造血の処置をして終了。

 邪鬼様からレクチャーを受けての鍛錬の成果がようやく出てきたのか、驚邏大四凶殺では虎丸と月光の二人に施した途端に倒れた造血処置を行なったにもかかわらず、思ったほど氣を消費せずに済んだので、

 

「…そういえば、独眼鉄はどうしてます?

 火傷、酷いようでしたら治しに行きますけど。」

 と一応申し出てはみたのだが、

 

「いいよいいよ。

 あんなゲス野郎に、光ちゃんの手を煩わせる事ないって。」

 って言われて教えてもらえなかった。

 そうじゃないのに。

 この人たちも事情を知らないまま、独眼鉄の変態劇場だけ見ちゃってるわけだから仕方ないけど。

 命が助かってることは間違いないから、全部終わったら王先生に聞くとするか。

 ならばこれ以上、ここで私の出る幕はない。

 富樫とセンクウが戦っている闘場に戻ろう。

 

 富樫…大丈夫かな。

 

 ☆☆☆

 

 梯网から軽々飛び降りて、足場の浮岩に容易く着地したセンクウを見下ろしながら、俺はゴクリと唾を飲み込んだ。

 

「気をつけろ富樫ーっ!!

 足踏み外しでもしたら骨になっちまうんだぞ──っ!!」

 檻の中から、虎の野郎が余計な事を言う。

 んな事ぁ、言われなくてもわかってるってんだ。

 ビビってると思われんのも癪だから、気合いを入れて飛び降りる。

 飛燕ならば、今のセンクウよりもっと軽々と、まるで羽根でも生えてるみてえに飛び降りてふんわり着地すんだろうが、俺にはそんな体術はねえ。

 案の定、着地した岩が傾いて俺はバランスを崩し、倒れかける。

 危うくブリッジ状に別の岩に手をついたら、今度はその岩まで動き出しやがったから、仕方なく着地した岩から足を離して逆立ちの体勢を取り、手の方の岩に尻餅をつく事で、なんとか硫硝酸の池に落ちんのは免れた。

 ふう。こっから生きて戻ったら、少し体術の方も鍛えねえとな。

 俺も光の野郎と組手でもしてみるか。

 桃とやってた時のあいつは、驚くくらい軽快に動いてた。

 少なくともあれについていけるくらいにはならねえと、戻った後またこんな闘いがあった時、あいつに取って代わられちまう。

 

「光は格闘技の才能があるし、成長力もなかなかのものだぞ。

 体格に恵まれていないぶん、どうしてもパワー不足なのは否めないがな。

 それ以外は、完璧だ。」

 俺と虎丸がタッグ技の案を出し合ってる時に、俺たちの様子を見に来たJがそう言ってた。

 Jはアメリカ人の割には物事を大袈裟に言ったりしねえ奴だ。

 あいつが言うんなら間違いねえだろう。

 腐っても鯛、チビスケでも塾長の息子って事かよ。

 へっ…生きて戻ったら、か。

 そんな事考えられるなんて、俺も余裕のある事だぜ。

 だが負けるわけにゃいかねえ。

 そもそもは兄貴の復讐の為の戦いだったが、今は更に、飛燕のオトシマエもつけなきゃならねえんだからな。

 

 ・・・

 

「富樫、傷はもういいのか?」

 ここに移動する霊柩車型の趣味の悪いバスの中で、編み物なんぞしながら顔を上げ、俺に話しかけてきた、その表情をふと思い出す。

 何のことかと一瞬思ったが、天動宮でのことかとすぐに思い当たった。

 

「おまえに大四凶殺で受けた傷に比べりゃ屁でもねえぜ。」

 俺の答えに、人形みてえに整った顔がフッと笑う。

 敵として対峙してた時も、終始余裕って感じで笑ってやがったが、あの時の顔とは全然違う、あったかみのある、優しそうな笑い方。

 こいつ、本当はこんな顔で笑いやがんのな。

 

「それに、俺たちには光がおるからな!」

 その優しげな顔に騙された他の奴らが間に入ってきて飛燕に話しかける。

 …言っとくけどそいつ、俺に対する第一声が『汚い顔をしている』だった奴だからな?

 単なる挑発だと思うから今は気にしてねえがな。

 …本当に気になんかしてねえぞ?

 

「光というのはあの女性………みたいな顔をした人ですね。塾長秘書の。」

 間違っちゃいねえが、てめえが言うな。

 てゆーか、今の妙な間はなんなんだよ。

 

「そうそう。

 あいつは変わった特技持ってて、あいつが触るとなんでか傷が塞がんだぜ。」

「傷が…塞がる。」

 鸚鵡返しに言いながら、何か考え込むように、飛燕が自分の左頬に指を触れた。

 …あれ?

 そういや俺、そこに結構デカい傷負わせたよな?

 見た感じなんも残ってねえようだが、あれだけの傷が、ひと月でこんなに綺麗に治るもんか?

 …残ってなくて、良かったけどよ。

 自分でした事ながら、ゾッとする。

 俺も傷持ちだが、俺とこいつじゃ、その重さが全然違う。

 

 …いつだったか、光の野郎に傷の手当てをされていた時、不意に顔を触られて驚いた事がある。

「勿体無いなぁ。」とか言って、間近から顔を覗き込んできて…不覚にもちょっとドキッとした。

 

「あ?な、何だよ?」

 落ち着け俺。こいつは男だ。

 

「この傷。

 かなり古そうですけど、いつのものですか?」

「これか。

 俺は覚えちゃいねえが、4才くらいの頃らしい。

 何でか知らねえが屋根から落ちて、そん時そばの樹の枝に引っかけたって兄貴が言ってた。

 眼球じゃなくて良かったって。」

「あー…子供の顔は、特に皮膚が薄いからなあ。

 でも大人よりも細胞の代謝が活発だから、適切な処置さえすれば残らなかった筈なんですよね。

 その際に手当てした人も、眼球じゃなくて安心しちゃったんでしょうね。

 あーあ、その時私がそばにいればなぁ。

 絶対に顔に傷なんか残さなかったのに。」

「へっ。この面相で傷の一つや二つ、あってもなくてもそう変わらねえよ。」

「そんな事ありません。

 私は好きですよ、あなたの顔。味があって。」

 うるせえよ。味があるってそれ褒めてねえだろ。

 てゆーか傷ましげに傷跡に指なんか触れんのやめろ。

 カーチャンかてめえは。

 

『私がそばにいれば、絶対に顔に傷なんか残さなかったのに』

 

 …俺のこの顔ですら『勿体無い』って言う野郎が、こいつの顔の傷見てほっとけるわけねえ。

 気付いちまった。

 俺がつけた飛燕の頬の傷、絶対にあいつが治してる。

 多分今、飛燕の野郎もおんなじ事考えてんだろう。

 

 ………。

 

「そうなんじゃ。

 だからわしらはあいつの事、保健の先生みたいなもんだと思うちょる。」

「そうじゃな。

 塾の中で負った怪我なら、あいつがチャチャッと治してくれるからのう。

『ちょっとチクッとしますよ』とか言って。」

「あと『何をどうしたら、こんな怪我をするんです?』とかなんとか小言も言いながらな!」

「違いねえや。」

 …どうやらこっちでは、光の話がまだ続いてたらしい。

 

「そういやあいつ、出発前の見送りに来てくれんかったな。」

「仕方ない、あいつも忙しいんじゃ。

 なんか自分から仕事抱え込んでる気もするがな。」

「でも、大四凶殺の前には顔出してくれたのに。」

「あん時は虎丸のメシ持ってきただけだろ?

 …ちょっと見ただけでも美味そうだったな、あの唐揚げ。」

 秀麻呂が何気無く呟いた言葉に、虎の野郎が反応する。

 

「光のメシは本当に美味いぞ!

 おれは懲罰房で半年、あいつの作ったメシを食っとったから、今の寮のメシが不味くてかなわん!

 あー、いっその事、光が男根寮の寮長になってくれんかのう。」

 …それは俺も実は、油風呂の時にあいつのメシ食って、その後寮に戻された後に思った。

 だが、もしあいつが寮長だったら、俺なんざ毎日小言を言われ続けてる気がする。

 まあ、そんなもんであのメシを毎日食えるなら安いもんだが。

 

「それいいな!

 あいつを気に入っとる赤石先輩には悪いが、わしは以前から、光が二号棟にも出入りしとるのが面白うなかったんじゃ!

 そうなれば光は完全に、わしら一号生のもんじゃからのう!」

 松尾の言葉に何人かがうんうんと頷いてる。

 

「…光という人は、随分と慕われているようですね。」

 そんな俺たち一号生の会話に、飛燕が微笑みを浮かべながら言う。

 それに椿山が食い気味に答えた。

 

「勿論だ!光さんは素晴らしい漢だ!

 あの人の為なら俺は死ねる!」

「あー、椿山の事は気にしなくていい。

 コイツの光への思い入れは特別だから。」

 唾でも飛ばしそうな勢いの椿山に明らかに引いてる飛燕にそう言って、俺はさりげなくその隣に座り直した。

 

「…そういえば、寮のわたし達の入った部屋に、秋桜(コスモス)の花が飾ってあったのは、ひょっとしてあの人が?」

「秋桜?わかんねえけど、そうかもな。

 あいつ、しばらく男根寮で部屋の掃除とかしてくれてたし。」

 寮長の馬之助の野郎が不精してて、使っていない部屋の清掃が面倒だからと、俺たちは入塾からずっと、狭い部屋に数人まとめて押し込まれてた。

 それを見かねて、せめて二人一部屋くらいにしてはと提案したのが自分だから…と埃と格闘してた光のマスクと割烹着姿を思い出す。

 椿山をはじめ何人かは自主的に手伝いに行ってたな。

 俺もやろうかって言ったら、怪我人は大人しくしてなさいって断られて、何故かアタマ撫でられたけど。

 だからカーチャンかって。

 

「もう少し待ってくださいね。

 部屋割もさる事ながら、TVもちゃんと見られるようにしてあげますから。

 何せあなた方はいずれは、この日本の未来を負って立つ若者たちなんです。

 世の中の情報に置いていかれたら話になりません!」

 だってよ。

 こいつらの部屋の掃除もその作業の一環で、花は歓迎のつもりだったんだろう。

 あいつらしいっちゃあいつらしい。

 らしくねえと言えばらしくねえが。

 

「…そうか。

 ならば、それも含めて、後でお礼を言わなければ。

 最初は敵として現れたわたしたちへの、あの人なりの歓迎のメッセージなのでしょうし。」

「メッセージ?」

「秋桜の花言葉は『調和』です。

 上手くやっていけって意味でしょう。」

「へえ…。」

 花言葉ねえ。

 男塾で生活してるとそうそう聞くこともねえ言葉だ。

 てゆーか、そんな事いちいち考えて花なんて飾るもんか?

 秋桜なんて今の時期、そこらへんの庭とか街路樹の下に幾らでも咲いてるぜ?

 俺が納得いってねえのが顔に出てたんだろう。

 飛燕は薄く微笑んで、肩をすくめて言った。

 

「ある程度は知っておかないと、女性に嫌われますよ?

 こっちが単に綺麗だからと贈った花が、相手からは馬鹿にしてるのかと捉えられる場合もありますからね。

 たとえば、極端な例としては待雪草(スノードロップ)という花。

 単独では『逆境の中の希望』ですが、これを人に贈る場合には何故か『あなたの死を望む』になるのですよ。

 そんなものを贈られたら、どう思われるか想像できるでしょう?」

 なんだよそれ。ややこしいな。

 人に花を贈るなんて機会、これから先の俺に巡ってくるかどうかは知らねえが、わざわざ贈る時にそんな事まで考えなきゃいけねえのかよ。

 見舞いに鉢植えが駄目だって事くらいしか知らねえよ。

 

「……飛燕。擬宝珠(ギボウシ)の花言葉は判るか?」

 と、そんな話をしていたら、反対側で桃と一升瓶傾けてた伊達が、唐突に飛燕に話しかけてきた。

 つかギボウシって何だ?

【挿絵表示】

 

「確か…『沈静』ですが、何故?」

「ぶっ……間違いねえ。

 絶対、知ってて選んでやがる。」

 飛燕の答えを聞いて伊達が吹き出す。

 つか、こんな顔して笑いやがんだな。こいつも。

 そもそもこいつの顔を初めて見たのが天動宮で再会した時なんだが。

 こいつらと闘った驚邏大四凶殺では、あのふざけた鎧カブトと仮面の姿しか見てなかったからな。

 桃が名前を呼んだ事と、他の三人と一緒に居たからこの男を『伊達』だと判断できただけで、単独で現れてたら『…誰?』ってなってた筈だ。

 まあ、そんなことはどうでもいい。

 

「赤石が夏に男塾(ココ)に戻ってきた時も、部屋に花が飾ってあったそうだ。

 それが擬宝珠だったらしい。

 あの男が花の名前なんぞ知ってる事にまず驚いたから、その時は意味なんざ考えもしなかったが…くくっ。」

 赤石先輩に『沈静』か。

 騒ぎ起こすなって意味だろうな、間違いなく。

 願い虚しく、だったが。光よ、御愁傷様。

 

「どうやらあの人、性格は見た目よりも相当(きつ)そうですね。」

 面白そうに笑いながら飛燕が言う。

 だから!その通りだがてめえが言うな!

 敵として相対してる姿を知ってるぶん、俺にしてみればてめえの方がずっと怖ぇよ!

 

 ・・・

 

 その顔のイメージを裏切らない、華麗な技を駆使しながら、顔に似合わぬ壮絶な闘いをする奴だった。

 でも気を許した相手に対する情には篤い奴だった。

 付き合いは短かったが、俺はてめえを忘れねえ。

 飛燕…おまえの死は決して無駄にしねえ。

 おまえの仇、俺が必ず取ってやる。

 たとえこいつと刺し違えてでも、俺は絶対に負けやしねえ…!

 

「いくぞ。」

 言うや、センクウが無造作に足場の石を蹴り、空中に飛び上がる。

 そのまま俺に向けて、さっき飛燕にも見せた、鋭い突起のついた踵の蹴りを放ってきた。

 辛うじて避けるも、次の一撃までの間が驚くほど短い。

 奴はこの足場を、まったく苦にしちゃいねえようだ。くそ。

 

 ☆☆☆

 

 私が闘場に戻ってきた時、二人の闘いはどう見ても富樫に不利な展開となっていた。

 いくら飛燕との闘いでのダメージを差し引いても、かたやセンクウは拳法の達人。

 かたや富樫の武器はドス一本、しかも小太刀や小具足といった刀剣術を修めているわけでもない、単なるケンカ殺法。

 その富樫の気合い声とともに繰り出したドスの一撃を、センクウは当たり前のように難なく受け止める。

 

「チィッ!!」

「フッ、俺と飛燕との戦いで何を見ていた。

 ただガムシャラに芸もなくドスを振り回して、このセンクウに勝てると思うのか。」

 言い終わらぬうちにセンクウの手刀が富樫を襲い、それを辛うじて避けたものの、滑らせた富樫の右足が硫硝酸の池に浸った。

 

「うわちゃ──ーっ!!」

 一瞬にして富樫の右足の、脛から下が焼け爛れる。

 

「と、富樫──っ!!」

 檻の中から虎丸が叫び、桃や他の闘士たちも、その痛々しい光景に息を呑んだ。

 

 …が。良かった。みんな忘れててくれて。

 先ほど言った通りこの硫硝酸の池、戦闘開始の頃と比べて濃度が半分以下まで下がってる。

 もしずっと同じだけの濃度を保っていたとしたら、最初に投げ入れられたウサギ同様、すぐに足を引き上げたところで富樫の足、火傷なんかで収まってる筈もなく今頃骨だけになってるって事を。

 双方怖がって最後まで足元に気をつけて闘ってくれるだろうと踏んでいたから、まさか本当に足を踏み外すマヌケがいるとは思わなくてちょっと焦った。

 桃とか、あと月光もなんか勘が鋭そうなんで、ひょっとしたら気付くんじゃないかと思ったけど、どうやら大丈夫だったようだ。

 

「うぐぐ…!」

 だが、骨にこそならなかったものの富樫のダメージは一目瞭然、靴もズボンも一瞬で焼け溶けて、焼け爛れた足が痛々しい。

 

「貴様の相棒は、俺にこれだけの深手を負わせて貴様に勝利を託し、捨て石となって死んでいった。

 しかしそれはかなわぬ夢だったようだな。」

 呆れたようにセンクウが言い捨て、掌を富樫に向けて翳す。

 戮家奥義(りくけおうぎ)千条鏤紐拳(せんじょうろうちゅうけん)

 あの飛燕すら苦戦した技で、一瞬にして富樫の全身が切り刻まれ、傷から血が噴き出す。

 

「地獄で飛燕に詫びるがよい。」

 …なんて言うかセンクウ、ちょっと怒ってるぽい?

 あれだけ自分に肉薄した飛燕を認めた分だけ、富樫の未熟さ、不甲斐なさが許せないといったところか。

 

 …勝手だな。

 元はといえば、その未熟な奴らと闘う為に、一計を案じたのはおまえらだろうに。

 ふと気づくと、檻の中で相変わらず虎丸が騒いでいる。

 

「も、桃!

 てめえはなんでそんなに落ち着いてられるんじゃ──っ!!」

 と、何故か桃に絡み始めたが、いやおまえが落ち着きなさすぎだよ虎丸。

 というかこの子、驚邏大四凶殺の時には下手すりゃ桃より落ち着いてたのに、なんかキャラ変わってない?

 それともこっちが本来の彼だったのだろうか?

 だが、絡まれた桃はまったく頓着しないかのように、まっすぐ富樫を見つめていた。

 

「フッ…なんて野郎だ。この場に及んで。

 笑っている…富樫の奴は笑っていやがる。」

 は?私は思わず闘場の方を振り返る。

 

「時間もない。

 次の一撃で、この勝負に終止符をうつ。」

 私たちより富樫の近くにいるセンクウが、次の攻撃に移る構えを取る。

 その動きから目を離さぬように、その場にじっと立った富樫の……

 

 その口元は、確かに、微笑んでいた。

 老け顔のくせに、楽しい事を見つけた子供のように。

 

 センクウの身体が跳躍し、突起のついた例の踵がまたも富樫の身体を狙う。

 

「何をそんなに勝負を急いでる。

 溶けて小さくなっていく足場が、そんなに気になるのか……拳法の達人も、勝負より自分の命が惜しいらしいな。」

 言いながらニヤリと笑う富樫の狙いは…

 

「俺の命は最初(ハナ)から捨てておるんじゃ──っ!!

 それが男・富樫源次のケンカ殺法だ──っ!!」

 その、自分に向かってくるセンクウの左足に、富樫は真っ直ぐにドスを突き立てた。




「奥義・和風総本家!」
「な、なにーっ!し、柴犬の仔犬が駆けてくるぞーーっ!!」
「な、なんて可愛いんじゃーーっ!!」
「むう…あれはまさしく和風総本家…」
「知っているのか、雷電?」
「うむ」

…という夢を、書きながらうたた寝している時に見ました。なんかもう色々廃人レベルかもしれません。


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8・挽歌

「お、俺はな…拳法なんて気の利いたものは知らねえが、斬ったはったのケンカに、一度だって塩なめたことはねえんだ。」

 センクウの靴の裏から甲までをドスで貫きながら啖呵を切り、そのまま力任せにその身体を投げ飛ばす。

 

「い、いいぞ富樫!

 その体勢からセンクウの奴は逃げられやしねえ!

 そのまま硫硝酸の盆へたたき込むんじゃ──っ!!」

 相変わらず虎丸の野郎が檻の中で騒いでるが、言われなくてもわかってる。

 

「飛燕、てめえのオトシマエとったぞ──っ!!」

 この瞬間、俺は自分の勝ちを疑ってなかった。

 

 

 なのに。

 

「はいやーっ!!」

 そのまま硫硝酸の中に落ちるかと思われたセンクウは、空中で身体を捻って体勢を整えると、浮いた灰雲岩のひとつに掌底一本で着地した。

 そのまま逆立ちの体勢で、纏っていたマントを脱ぎ捨てる。

 

「富樫とかいったな。

 どうやらおまえを甘く見ていたようだ。

 このセンクウから片足を奪うとはな……!!

 しかし、戮家(りくけ)殺人拳の真髄はここからだ。」

 言いながら、もう片方の手を乗ってる灰雲岩の上に置く。

 その動きである程度の体重移動があったはずなのに、奴の乗るその岩はピクリとも動かねえ。

 なんてぇバランス感覚だ。

 

 

「へっ、何を強がり言ってやがるんだあの野郎。

 片足やられては、いくら拳法の達人とはいえ、今までみてえな動きはできねえぜ。」

「恐ろしい男よ、センクウ。

 ついにその奥義の数々を見せるか……。」

 

 

 その逆立ちの姿勢のまま、センクウは両脚をぴたりと揃える。

 その動きと同時に、奴のズボンの裾が裂けたかと思えば、その下から金属の鈍い輝きが姿を現した。

 

「な、なんじゃあ、センクウの足から刃がでおった──っ!!」

 虎丸の叫んだ言葉通り、それは牙のような形の刃。

 ひとつひとつは小ぶりなそれが三振り、奴の膝から足首にかけての脚の外側のラインの、一直線上に並んでいた。

 

「戮家奥義・踊跳踵刃(ようちょうしょうじん)!!」

 センクウの手が、倒立していた岩を弾くように離れる。

 と、次の瞬間には俺の真ん前の岩に着地し、更に岩につけた腕を軸にして足を扇風機の羽さながら回転させ、俺に向けて蹴りを放ってきた。

 辛うじて避けたものの、俺の顔面ギリギリを、足に付けた刃が通り過ぎる。

 驚邏大四凶殺で雷電がJに対して、これと似たような攻撃をしていたのを思い出す。

 Jだってあれには苦戦してた。

 

「逃しはせん!」

 なんて凄まじい攻撃だ。

 流れるような円の動きから、一瞬の隙も置かず、刃を繰り出してくる。

 …上からの攻撃しか、奴の蹴りに対抗する手段はねえ!

 俺はそう判断してその場から高く飛び上がると、落下速度に合わせてドスを構え、振り下ろした。

 だが、

 

「やはりおまえもそうきたか…。

 しかし、戮家奥義に死角はない…!!

 皆同じ事を考え死んでいった。」

「なっ…ぐがっ!!」

 この攻撃は完全に読まれていた。

 落下中の俺の胸を、センクウは足の裏の面で蹴り飛ばす。

 

「戮家奥義・烈繞降死(れつじょうこうし)!!」

 慌てて空中で何とか体勢を整え、何とかうまいこと下の灰雲岩のひとつに着地しようとしていた俺の背後が、後から飛び上がってきた影にとられる。

 次には俺の四肢は奴のそれに拘束され、俺は受け身を取ることもできずに、灰雲岩に顔面から叩きつけられていた。

 

「な、なんだあの技は──っ!!」

「運の強い奴よ。

 落下したのが灰雲岩の上とはな…。

 しかし、勝負はもはやあったようだな。」

 顔面を下にして倒立した状態から、下半身が倒れかかる。

 

「と、富樫、目を覚ますんじゃ──っ!!」

 虎丸がまた叫んでやがるけど、俺は寝てねえ。

 何とか別の岩に足を置き、その岩の上に立ち上がる。

 

「しぶとい奴よ。

 確かに貴様の言うとおり、ケンカ根性だけは大したものだ。」

『だけは』は余計だ。

 俺は握ったままのドスを構え直すと、刃の根元の(ボタン)に親指をかけた。

 普段は却って扱いにくいが、今はこれが必要だ。

 

 ☆☆☆

 

 …富樫がドスを構え直した次の瞬間、短刀だったその刃が脇差くらいの長さに伸びていた。

 

「伸長自在の仕込みドスとはな…。

 だが、ドスを長くしたくらいで、このセンクウに勝てぬ事がまだわからんのか。」

 いや、つっこむトコ絶対そこじゃないよね!?

 柄の長さの4倍以上の刃、どこに収納してたんだって疑問はスルー?

 ああそうかこれもつっこんだら負け案件か。

 富樫、おまえもかこの野郎。

 おまえだけは信じてたのに。

 なんだかんだで常識人だって。

 だが富樫のドスがそんな構造だったとわかった以上、やはりズボンの中に差すのは絶対にやめさせよう。

 この前みたく、転んだ時危ないんだからね!

 それはさておき、富樫はセンクウに背を向けたかと思うと、闘場の盆の縁の方にある岩まで移動して、盆を吊り下げているロープに手をかけた。

 そのままロープを登りはじめる。

 結構な高さまで登ったところで、富樫は挑発するようにセンクウに向けて言い放った。

 

「もう一度烈繞降死とやら、見せてもらおうじゃねえか。」

「フッ、余程気に入ったらしいな。

 どういう腹か知らんが、貴様の挑戦、受けてやろう。」

 どうやら富樫にはなにか考えがあるようだが、その行動に檻の中の面々が騒つきはじめる。

 

「どういうつもりだ、富樫の奴。

 また頭上から攻撃するつもりだ……。」

「どんな攻撃もあのセンクウには通じん。

 また烈繞降死をくらって、今度こそ硫硝酸の盆に叩っこまれるぞ!!」

「まさか、富樫の奴……!!」

 桃が、何かに気付いたように呟き、顔色を変えた。

 

 ☆☆☆

 

「行くぜい──っ!!」

「おろかな……。」

 さっきと同じように俺がロープから飛び降り、それに対してやはりさっきと同じようにセンクウが俺を拘束する。

 

「とったぞ、烈繞降死!!」

 

 

「や、やめろ!やめるんだ富樫──っ!!」

 桃が叫ぶ声が聞こえた。

 

 

「かかったなセンクウ…。

 俺のケンカに負けはねえ。

 てめえにも地獄に付き合ってもらうぜ!!」

 さらばだ、みんな!

 

「見さらせ──っ!

 これがケンカ殺法真骨頂じゃ──っ!!」

 俺はドスを己の胸に突き立てる。

 この体勢なら絶対に逃げられねえ。

 長く伸ばした刃は俺の身体を突き通し、俺を捉えているセンクウの胸まで貫通した。

 

 

「み、見事だ富樫…。

 男塾三号生として、貴様のような根性のかたまりの後輩を持った事を、誇りに思う…。」

 俺と一緒に串刺し状態で落下しながら、センクウが言う。

 

「俺一人じゃ、あんたを倒せなかった…。

 飛燕の力があったからこそだ。

 飛燕の分も褒めてやって下さいよ…先輩。」

 互いの命を握り合った同士、そして共に死んでいく同士、妙な親近感がこの瞬間、俺とセンクウの間に芽生えていた。

 いい気分だ。まったく後悔はねえ。

 

「礼を言うぜみんな…。

 短い付き合いだったが、俺の人生は貴様等のおかげで素晴らしいものだった…。

 男塾万歳──っ!!」

 

 

 だが、次の瞬間思いがけないことが起こった。

 センクウが、俺の両手首を取ったかと思うと、二人を貫いていた刃を、力任せに抜き去ったのだ。

 

「うっ!?」

「フッフフ、俺を先輩と呼んだ後輩を、このまま死なすわけにはいかん。

 少しは先輩らしい事もしてやらんとな。」

 驚いて振り返ろうとしたが、それは叶わなかった。

 センクウが空中で俺との位置を入れ替えたからだ。

 

「命あったらたまには思い出せ。

 このセンクウの名をな……。」

 そう言って微笑んだ顔が、一瞬見えたのみで、そのまま俺は奴に、空中に向けて投げ飛ばされた。

 

 その瞬間、俺の意識が闇に沈んだ。

 

 ☆☆☆

 

 硫硝酸の池に落下する寸前で投げ飛ばされた富樫の身体は、上の梯网に引っかかっていた。

 それを行なったセンクウは落下して盆の中に沈む。

 

「み、見ろ、あれを…!!

 と、富樫は、富樫は生きておるぞ──っ!!」

 そして、全員の目が富樫の方に向いている隙に、救助組が立てた煙に紛れて、センクウの身柄を回収した。

 あ、ちなみに盆の吊り下げに使用しているロープだが、闘士達には時間切れの場合には酸で焼け切れると説明してあるけど、実際にはそんな事はない。

 そもそもそこに至る頃には液体の濃度が薄くなっていて、とてもそこまでの力はない。

 

「しょ、勝負はついたんじゃ──っ!!

 早くこの檻から出しやがれ、このラーメンのドンブリ頭じじい──っ!!」

 檻の中から虎丸がとても失礼なことを言う。

 つかおまえ、今は知らないだろうから仕方ないけど、この人すごい医者なんだからな?

 

「ラーメンのドンブリ頭………。」

 てゆーか王先生、なんかちょっと傷ついたみたくしみじみ呟いてるんだけど、ひょっとして自覚なかったのか。

 

 一方、梯网から回収した富樫には、最低限の止血処置を行なった。

 傷を治していないから見た目には変化なく見えるだろうが、一応これで大丈夫だ。

 てゆーか、なんでか桃が私の手元をじっと見てるもんだからこれ以上の事ができない。

 おまえあっち行けこの野郎。

 

「この後の手当ては引き受けよう。

 命の保証はせんが最善は尽くす。」

 私がやりにくそうにしてるのを見かねたのか、王先生が口を挟んで助けてくれた。

 

「どうやら、ここはそれしかないようだな。」

 少し考え込んでしまった桃に、伊達が促すように声をかける。

 

「た、頼んだぜ、富樫をーっ!!

 もしものことがあったら、てめえらただじゃ済まねえぞ──っ!!」

 その後の手当てをする為に富樫を運んでいく救命組に向けて、やっぱり虎丸が失礼な事を言う。

 あのね、この人たちも一応、プロの救命士だからね?

 

「それにしてもセンクウという男…。

 落下する時、富樫を梯网まで放り投げる程の余力がまだあった…。

 富樫を助けなければ、自分だけなら助かったはず…。」

 そんな中伊達がしみじみ呟くのに頷いて、桃が感極まったように言う。

 

「自分の命を犠牲にして、富樫の命を救った。

 三号の中にも、あのような男がいたのか…。」

 そのセンクウがどうやら回収できたようなので、私はそっちの方に行こうと思う。

 硫硝酸の濃度は薄まってるとはいえ、あの状況だと全身火傷は免れないだろうし、センクウは最終的には独眼鉄と同じところに運ばれると思うので、やはり彼の様子も見ておきたい。

 

「大威震八連制覇・竜盆浮敲闘(りゅうぼんふこうとう)!!

 生存者、一号生側一名!!

 よって一号生勝利──っ!!」

 王先生が高らかに叫ぶ声が背中から聞こえた。

 

 ☆☆☆

 

 センクウの火傷の治療を済ませ、同じ処置を独眼鉄にも施したいと言ったら、一号生をここに連れてきたのと同じ霊柩車型のバスに案内された。

 ただしこちらは内部が席が全て取り外され、代わりに救護用のベッドが並べてある。

 そこには独眼鉄だけではなく、卍丸と蝙翔鬼も横たえられていた。

 一通りの手当てが済んだら、センクウもここに運ばれて寝かされるのだろう。

 

「うっ…。」

 全身に火傷の処置を施し、飛燕の断神節の効果も解除したあたりで、独眼鉄が呻いて目を開けた。

 

「あ…ごめんなさい。起こしてしまいましたか?」

 ひとつだけの目を見開いて、独眼鉄が私を見つめた。

 ややあってようやく状況が掴めてきたのか、半身を起こして自分の身体を見下ろす。

 

「その声、光…か?お、俺は、生きて…!?

 お、おい!源吉の弟は…富樫源次はどうした!?

 まさか…!」

「御心配なく。

 センクウと刺し違えようとしたところを、そのセンクウに助けられました。」

「センクウ様が…?」

 非情な顔で自分を硫硝酸盆に落とした相棒の名を出されて、不得要領な表情をする。

 わかりやすい。

 

「戦いの中でセンクウは富樫を、その根性を、男として認めたんです。

 ちなみに、彼も無事です。

 じきにここに運び込まれて来るでしょう。」

「そうか…良かった。」

 それは富樫のことか、それともセンクウのことなのか。

 ともあれ、彼が話せる状態ならば、言っておきたいことがある。

 

「いい加減気が済んだでしょう?独眼鉄。

 あなたの舞台は終了です。

 次に富樫に会った時には、役を離れた本当のあなたで、彼とちゃんと向き合ってください。」

 私が言うと独眼鉄は首を激しく横に振った。

 まあ、この反応は予想の範囲内だ。

 

「馬鹿な。まだ終わっちゃいねえ。

 俺は、あいつと戦って殺されなきゃいけなかった。

 それなのに、あのヤサ男が間に入ってきて…」

「それはあなたの勝手な事情ですから、飛燕に当たるのは筋違いです。」

 きっぱりと言い切ってやると、少ししゅんとする。

 ちょっとかわいそうだが、まだ伝えたいことの半分も告げていない。

 

「それに、あなたは富樫に殺されるつもりでいたと私は認識しておりますが、それが彼に対する侮辱だと、まだ気付いていないのですか?」

「な…!」

「言ったでしょう。センクウは富樫を認めたと。

 それはお互い、男と男が命と誇りをぶつけ合った、本気の戦いだったからです。

 あなたは違う。

 己を嘘で塗り固めて、富樫に本気で向き合う事を放棄したあなたには、それは決してできなかった事です。」

 独眼鉄は、思いもよらない事を言われたといった表情で、私を見つめている。

 

「私は一応、あなたの意地を尊重しました。

 だからあなたをあのまま、この闘場へと送り出した。

 ですが、これ以上富樫を侮辱する気ならば、富樫の為、そしてあなた自身の為にも、今度こそは絶対に許しません。」

 敢えて強めの言葉を選んで、この弱り切っている男にぶつける。

 私はひどいやつだ。だが、今更だ。

 

「侮辱など…俺は、考えもしていない。俺は…」

 今にも泣きそうな目をして、独眼鉄がまた首を横に振った。

 うん、もうこれ以上苛めるわけにはいかないだろう。

 

「…わかっていますよ、独眼鉄。

 ただね、私なりに、今わかっている情報だけを頼りに、富樫源吉の心の動きをシミュレーションしてみた結果、どうしてもこれだけはわかるって事があるんです。

 少なくとも、今回のあなたの決断を、彼は決して喜びはしない、という事が。」

「っ……!」

「故人が望んでもおらず、更に故人の大切な唯一人の身内を、侮辱するに等しい行為を、これ以上続けることに何の意味が?」

「………源、吉…っ…!」

「あなたが本当にしなければいけないのは、先程から再三言っている通り、富樫と真正面から向き合って、彼に真実を告げる事です。

 それは、ひょっとしてあなたにとっては、彼に殺される事を受け入れる事よりも、ずっと苦しい事なのでしょう。

 …けど、あなたはそれができる人のはずです。

 そうでしょう、独眼鉄?」

 俯く彼の肩に、そっと手を置く。

 

「うっ……くっ……ううっ………!!」

 …どうやら、決壊したらしい。

 けど、それでいい。今は、泣いた方がいい。

 富樫源吉の為に、彼自身の為に。

 何より二人の、()()()()()()()()()()()

 

「…私も協力しますから、ね?

 大丈夫。大丈夫ですから…。」

 私は子供のように号泣し始めた独眼鉄の頭を抱きしめて、その頭をしばらく撫でていた。

 

 

 落ち着いたのを見計らって、私は独眼鉄にもう少し眠るように言い、救護車から出た。

 そのタイミングで、まだ意識を失ったままのセンクウが、私と入れ替わるように運び込まれる。

 

 …今思えばセンクウは、戦闘中の独眼鉄のキャラが、いつもと違う事には気付いていただろう。

 あの時、飛燕がせめてもの情けで落下から助けた独眼鉄を、敢えてそのロープを切って硫硝酸盆に落としたのは、やはり彼なりの情けだったのかもしれない。

 

「…デリカシーがないなんて言って、ごめんなさい。」

 聞こえるはずもない謝罪を口にしてから、私はそこに背を向けて来た道を戻る。

 すっかり時間を食ってしまった。

 次の闘場へと向かわねば。



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9・Change The Wind

関係ないけどアタシの中では、桃のイメージはすごく若い頃の加藤剛。伊達はやはりすごく若い頃の中村吉右衛門。
本当に関係ないがアタシは小学生の頃、杉良太郎と結婚したいと思っていた。


 大威震八連制覇第三闘場・燦燋六極星闘(さんしょうろっきょくせいとう)

 湖の中央に星型の人工島があり、更にその中央に棘のついた柱が何本も立てられた四角い高台が設けられ、闘士たちが戦うのはその場所だ。

 正確には星型になっている部分は堤防であり、その内側にも水が満ちている。

 そして中央の高台のやや手前に四角い足場があり、一人が戦っている間、もう一人はそこで待つことになるのだが…実はこの湖の水は一面石油。

 戦闘が始まると同時にそれに火矢を放ち、文字通り火の海にすると言うのだから、まったく悪趣味この上ない。

 てゆーか、どうやって選手交代するんだこの闘場。

 移動に使ったボート燃えちゃわない?

 途中の足場で待機してる闘士だって、時間かかったら命の危険があるし。

 

 私が辿り着いた時、さすがに既に戦闘は開始されていた。

 確かここでの三号生側闘士は羅刹と男爵ディーノ。

 対する一号生側は、月光と虎丸……の筈なんだ、けど?

 周囲の石油が燃え盛る炎の中、手前の足場に、なんか不貞腐れた顔して胡座かいて座ってるのは確かに虎丸で間違いなさそうだが、中央の武舞台でディーノと向かい合っている男は、どう見ても月光じゃない。

 私が見る限りだが、三面拳は全員、礼に始まり礼に終わる的なきっちりしたイメージがある。

 相手が完全に戦闘態勢取ってる前でポケットに手ェ突っ込んで、完全に人を舐めくさった態度で突っ立ってるような失礼な奴が月光なわけない。

 大体髪あるし。

 

「あれ、伊達…?」

「ここに来る途中で奴が、組合わせの変更を申し出てきた。

 本来なら一度託生石が示した絆、覆すなど以ての外だが、これまでそのような事を提案してきた者自体がおらん。

 時節が変わりつつあるのだろうと、わしの権限で認めた。

 奴が自ら選び取った未来が、定められた運命に勝つというのなら、それもまた歴史の流れだろうて。」

 …王先生が説明してくれたのだが、ごめんなさいちょっと何言ってるかわからないです。

 とにかくこの闘いは先に決まっていた組合せから一部メンバーチェンジがあり、月光と伊達がシフトされたという事だ。

 まあ、いいんじゃないかな。

 驚邏大四凶殺で死闘を演じた二人という縁はあるものの、虎丸と月光は、現時点であまり相性がいいように思えない。

 というか、4人が編入してきてまだ3日しか経っていないから、私も彼らの事は充分に判ってるとは言えないが、この3日の間観察した限り、普段の月光は沈着冷静、雷電のような気さくなタイプでも飛燕のような優しげに見えるタイプでもないけど、穏やかで理知的なタイプだって事が判った。(銀縁メガネにスーツとかメッチャ似合いそうだ)

 

 同時に、闘いの中でのこととはいえ彼を怒らせた虎丸が、実はとんでもない奴だったって事も。

 

 まあ、だからって伊達ならいいというものでもないけど、伊達の方が意外と面倒見は良さそうなんでまだマシって気がする。

 もっとも伊達が提案してきたのは自身と虎丸との交代であり、この第三闘を気心の知れた月光と組んで闘うのが本来の構想だったようだが。

 

「伊達殿は二人ともを自分が倒し、虎丸を闘わせぬつもりなのだ。」

「まじか。

 でもそれ、虎丸がよく承知しましたね…って、え!?」

 話しかけられて思わず普通に返事してしまったが、後ろから聞こえてきたその声が王先生じゃない事に、一瞬遅れて気付く。

 恐る恐る声の方を振り返ると…月光が、相変わらず焦点合ってないような目で私を見ていた。

 

 …焦ったが、覆面してる事を思い出して、頷いて誤魔化す。

 けど、そういや雷電が「月光は気配に敏感だ」というような事を言っていた筈だ。

 Jの時と同様に、私だと気付かれてる可能性、非常に高い。

 覚えず覆面の下で汗がダラダラ流れる。

 そんな私に、表情を変えぬまま月光が、私にしか聞こえぬくらいの小声で言った。

 

「そんなに警戒しなくていい、江田島光。

 なんの目的かは知らぬが、おまえは我らを助ける為に動いているようだ。

 だが、この戦いに関してはその心配はいらぬ。

 安心して見ているがいい。」

 うわあぁああ名前呼ばれたぁ。

 そもそも私が女だとこの人が最初に気付いたっていうし、やっぱり気配に敏感って本当だったのか。

 いや雷電がそんな事で嘘つく必要ないけど。

 

「…この月光、生来目が見えん。

 代わりに心の目が開いている。

 身を隠そうが姿を変えようが無駄な事だ。」

「えっ!?」

 ちょっと待ってなんか今すごい事聞いた気がするんだけど!

 だが私がそれ以上つっこむ前に闘場では、突っ立ってる伊達にディーノが、柱を砕く破壊力の怒流鞭(どるべん)と呼ぶ鞭を伊達に向けて振るい、捕まえたと思った伊達に背後をとられたところだった。

 

「この趣味の悪いヒゲは、どうにかした方がいい。」

 言いながら背後からディーノのヒゲを摘んだかと思えば、そのままそれを支点にして、ぐるりと身体を逆立ちさせて前へと回り、当然千切れて自分の手の中に残ったディーノのヒゲを、フーッと息を吹きかけて散らす。

 更に怒りの表情を浮かべて振り返るディーノの鼻梁を、デコピンするように指で弾いた。

 それだけの動きがどれほどの威力であったものか、ディーノはそのまま尻餅をつき、上げた顔は鼻血を流している。

 

「気にすんな。おまえが弱いんじゃねえ。

 俺が強すぎるんだ。」

 …どうやら敵として相対する者に対して、とことん底意地悪いのがこの男の流儀であるらしい。

 驚邏大四凶殺の時、最初は桃の事も散々侮ってくれてたけど、あの程度ならまだましな方だったのか。

 ディーノにしてみたらこれほど腹の立つ相手もおるまい。

 しかし、態度はともかく強いのは間違いない。

 

 てゆーか今気付いたけどなんで無手?槍は?

 桃との戦いの時には刀も使ってたけど、今日は拳で戦うつもりだろうか。

 どんだけ引き出し多いんだ、この男。

 この時点では多分、それすら使ってないけど。

 怒りに震えながら立ち上がったディーノが、被っていたシルクハットを伊達に向かって投げた。

 

「何のマネだ、これは……!?」

 小さく首を傾けてそれを避ける伊達の後ろで、飛んで行ったシルクハットの中から、何かが飛び出した。

 それは伊達の周辺を飛び回ると、ディーノの元に飛んでいき、その腕に着地する。

 それは鷹くらいの大きな鳥だった。

 

「死穿鳥拳!!

 このわたしを怒らせた報いを受けるがよい!!

 いけい!奴の喉笛をかっさばけ──っ!!」

 なるほど。鷹匠みたいなもんか。

 ちなみに動物を使った拳法や攻撃手段は、世界には意外にたくさんあると、御前が雇った師範が教えてくれた事がある。

 実際、その師範が集めていた闘士の中に、狼使いの男がいたし。

 

 …あのひとの狼、なんでか私に懐いたけどな。

 こっそり一匹連れて帰って御前の猫ども襲わせてやろうかと本気で思ったくらい。

 何せあの猫ども、私に懐かないどころか何故か顔見るたびに威嚇してきやがったので、本当に憎ったらしかったし。

 マジで群れの中の一番小さいのをこっそり連れて帰ろうとしたら、その狼使いに動物好きなんだと思われて、数日前に生まれたばかりの仔狼とか見せられたけど。

「可愛かろ?」とか言われて曖昧に頷いたけど知らねえわ。

 ちっこいもふもふの毛玉が蠢いてるさまを見て世間一般の女子なら『きゃー可愛い』とか思うんだろうが、正直『食えそうな部分全然無いじゃん』とか思っただけだった。

 …うん、人間的に何かが欠落してたのは自覚してる。

 それでも今はだいぶマシになったんだよ!

 椿山のピーコちゃんは世話するようになってから、それなりに情も湧いてきたし。

 つか椿山とか、コレ目指せばいいんじゃないかな。

 …いや無理か。あの男に育てられたら攻撃手段としては使えないただのペットになるだけな気がする。

 閑話休題。

 伊達は自分に向かってくる死穿鳥の軌道を観察していたかと思えば、少し大きな動きでその攻撃を躱す。

 

「気がついたか。

 その死穿鳥の嘴には猛毒が塗ってある。

 ほんの少しのカスリ傷を受けてもたちまちあの世行きだ。」

 待て。毒が攻撃手段としてアリかどうかは賛否の分かれるところだと思うが、それ以前に鳥には毛繕いの習性があってだな…これ以上は言わなくてもわかるよな?

 誰に向かって言ってんのかホント知らないけど。

 

「死穿鳥にばかり気を取られていいのか?

 死穿鳥拳の真髄は、この鞭と鳥との二段攻撃にある!!」

 わざわざ解説してくれてありがとう。

 つまりは猛禽の素早い動きと自身の連続攻撃で、伊達の移動範囲をある程度狭めていく事で、攻撃を当たりやすくするわけだ。

 言葉通り、死穿鳥の攻撃を躱した先に鞭の先が飛んでくる。

 しかし、伊達の体術も大したもので、地面に片手をついた半ブリッジのような体勢になりつつも、次の瞬間には体勢は整っていて、息も乱してはいない。

 体のバネというか関節が柔らかいというか、多分だがこれは天性のものだろう。

 考えてみればこいつは驚邏大四凶殺で、あのクソ重たそうな鎧カブトであり得ないほど身軽に立ち回り、終始桃を圧倒していた男だ。

 …この才が幼少期から開花していたのなら、孤戮闘に放り込まれたのも頷ける。

 誘拐されたのか売られたのかは知らないが。

 そして躱しながらも鞭と死穿鳥の動きから目を離さず、その軌道を追っているようだ。

 本物の猛禽がそこにいるのに、私は伊達のその目を、『獲物を狙う鷹のようだ』と思ってしまった。

 

 

「や、やべえ、あれではかわすのが精一杯だぞ。」

「まるでひとりで二人の敵と戦っているようなもんじゃあ──っ!!」

 だが、それらの事が見えていないものか、一号生たちが騒つきだし、それに対して桃が薄く微笑みながら、視線は闘場から離さずに言った。

 

「フッ。伊達は、只かわしているのではない。」

「その通り。伊達殿は待っているのだ。」

 それに月光が頷いて答える。

 

「ウム…勝負はもうすぐつく…。」

 この二人にも同じものが見えているのだろう。

 って、月光……いや、つっこむまい。

 

「フッフ、追い詰めたぞ。その後は火炎地獄だ。

 どうした…わかったか、このわたしの実力が。」

 闘場の端で、水面から立ちのぼる炎を背にした伊達に、ディーノがほくそ笑みながら鞭を構える。

 が、

 

「ああ、わかった。

 やはりおまえは俺の敵ではない……。」

 落ち着き払った表情を崩さず、伊達がそう言い放った。

 

「ほざきやがれ──っ!!」

 怒りに任せてディーノが振るう鞭の先が、伊達の胸元に向かって来る。

 背後の頭上には死穿鳥。

 なのに何故か、伊達はその場から動かない。

 

「だ、伊達──っ!!」

 どうも先程から不貞腐れた態度で、時折気がついたようにディーノの方に声援送ったりしていた虎丸が、さすがに焦ったように叫ぶ。だが。

 

「待っていたぞ。

 鞭と鳥が直線状になるこの一瞬をな……!!」

 伊達は二本揃えた指先で、胸元にきた鞭の先を下から突いて軌道を逸らした。

 勢いを殺されぬまま軌道を変えたその鞭先は、頭上から伊達を襲おうとしていた死穿鳥に直撃する。

 驚愕するディーノだったが、その間にも伊達は動いていた。

 貫いた死穿鳥ごとディーノの怒流鞭を掴み、腕を振るう。

 鞭は持ち主を裏切ったようにディーノの身体に巻きつくと、次の瞬間にはその身体に食い込んでいた。

 …伊達はあの蛇轍槍を、己が手足の如く自在に使いこなしていた男だ。

 使う気になれば鞭だって使いこなせるだろう。

 塾長や赤石が言っていた通り、本当に苦手なものなんかないんだ。

 

「次は貴様の番だ、羅刹……!!」

 断末魔のような声をあげるディーノの後方を見据えながら、伊達が呟いた。

 

 

 完全に戦意を喪失して倒れかかるディーノに向けて、落ちていたシルクハットを指先で投げる。

 

「地獄への忘れもんだぜ。」

 それは正確にスポッとディーノの頭にハマり、ディーノはそのまま倒れ込んだ。

 実力の1割も発揮しないまま、伊達臣人、一勝。

 

 

「す、すげえ、伊達の奴──っ!!

 ディーノをまるきり目にしねえで倒しちまった──っ!!」

「いいぞ伊達!

 次の羅刹とかいう野郎も、この調子で頼むぜ──っ!!」

 一号生達が伊達の勝利に盛り上がるが、正直それどころじゃない。

 ディーノを回収しに行きたいところだが、闘場は炎にまかれて近づけない。

 一縷の望みをかけて王先生に、「この闘場には、仕掛けとか抜け道とかないんですか?」って一応聞いてみたけど、あっさり「そんなものはない」って言いやがったしこのドンブリ頭ジジイ。

 こうなったら炎がおさまるか、勝負がついて消火を実行できるまで待つしかない。

 ごめんなさい男爵ディーノ。

 多分死んでないと思うけど手当てはもう少し待って。




伊達対ディーノ戦はほんとあっという間に終わっちゃうから、光が到着するまでの間に終わってた事にしても良かったし、流れ的にはそっちの方がむしろ自然だったけど、実はディーノ戦って伊達がその底意地の悪さを見せた最初のステージな上、
「気にすんな。おまえが弱いんじゃねえ。俺が強すぎるんだ。」
当時高校生だったアタシがズッキュンされたこの名台詞だけは、どうしても入れたかったんだ。
ああ、未だに惜しまれて仕方ない。これを鈴置洋孝さんの声で聞いてみたかった…。


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10・Dark Side Meditation

「じゃかあしい!

 てめえら、伊達、伊達って騒ぎやがって!

 あんな奴俺に比べればたいしたこたぁねえ!!

 こらーっ伊達、今度こそはわしの出番じゃ!

 かわらんか──っ!!」

 

 待機してる足場の上で悔しげに叫ぶ虎丸に、伊達が一瞥をくれただけで黙殺する。

 先ほどの月光の言葉通り、交代する気はさらさらないらしい。

 どうやら虎丸がさっきから不機嫌に見えるのは気のせいではなかったようだ。

 自分の出番を奪われる事で、蔑ろにされたと感じているのだろう。

 けど、今の伊達の闘いを目の当たりにした後では、確かにこの子の出番はないかもしれない。

 むしろ私としてはこのまま闘わずに終わってくれればと思う。

 何せ、これから出てくるのは、死天王のひとり羅刹。

 

「こいや。待ちくたびれたろう。」

 その羅刹に向かって、伊達が声をかける。

 ディーノとの闘いが割と速攻で終わったからそう待ってないとは思うけど。

 それはそれとして、ディーノが動けず船を戻せない状況で、どうやって選手交代する気だろう。

 虎丸も同じ疑問を口にしている。

 羅刹はマントの下に手を入れると、何やら掌大の丸い厚紙?のようなものを取り出した。

 次にはそれを水面に投げて浮かべる。

 燃えないところを見ると、紙ではないのかもしれない。

 ちなみに虎丸はそれを見て『メンコみたいな』と表現したが、私は冷たいグラスの下に置くコースターを連想した。

 それは彼のいる足場と武舞台との間に、きれいに一直線に並んでいる。

 それを確認してから、羅刹は足場の岩を蹴って、前方へ飛んだ。

 そして、先ほどのコースターの上につま先で着地したかと思えば、その瞬間にはまた飛び上がって、次のコースターで同じことをする。

 コースターの枚数分同じ事を繰り返して、羅刹はあっという間に武舞台に飛び降りた。

 忍者だ、忍者がいる。

 

妙活渡水(みょうかつとすい)の法じゃ。

 己の体重を殺し、水面に浮かべた紙片に全体重がかかる寸前跳躍する。

 すさまじい修練と、並外れた気の充実がなければできることではない。」

 王先生が今の羅刹の移動方法について解説している。

 うん、羅刹はあの図体をして、意外と空中戦とかも得意そうだな。

 …それはそうと、羅刹は上半身にマント以外の防具は付けていない。

 という事は、あのコースターを収納していたのはマントの方だったようだ。

 裏側にポケットでも付いているのだろうか。

 想像するとちょっとマヌケなんだが。

 と、私がしょうもないところに目が行っている間に、そのマントを脱ぎ捨てながら伊達を見据える羅刹を見て、月光と桃がため息混じりに呟いた。

 

「あの男の全身から発散される異様な闘気、死天王の中でもかなりの腕だ。」

「ウム…それは伊達が一番わかっている筈だ。」

 …はい、ごめんなさい緊張感なくて。

 正直、天動宮に出入りしていた間、私は羅刹にも世話になっているし、どうぞうちの赤石(バカ兄貴)をこれからもよろしくお願いします的な意味を込めて肩や背中を揉んでやったりもして、結構なコミュニケーションを取っていたから、私の中での羅刹の扱いは『親戚のオッチャン』程度には近くなっている。

 それはそうと、羅刹は絶対30越えてると思っていたんだが、聞けば邪鬼様と同い年で、老け顔だけどまだギリ20代だそうだ。

 完全にオッサン扱いしてましたごめんなさい。

 ちなみに卍丸とセンクウは赤石よりひとつ上だった。

 影慶にだけはなんか妙に距離置かれてて、滞在した三日の最後の晩以外必要以上の会話をしなかったので、彼の事はよくわからないのだが、羅刹の話によれば影慶が死天王に加わったのは実は一番最後で、三年前になんとかいう武道大会の予選に来ていたのを邪鬼様が見込んで連れてきたんだそうだ。

 影慶も邪鬼様と同じくらいかと思ってたが、その話からすると彼も思ってたより若そうだ。

 それはさておき。

 

「見ろ!伊達が初めて構えたぞ──っ!!」

 吐息とともに、伊達が戦闘態勢に入る。

 それは羅刹を、全力で闘うべき相手と認めた証拠。

 ひょっとしてこいつの配下の奴ら同様、どっかから槍出してくるのかと思ったが、そんな事はないらしい。安心した…って、違う!

 マジで槍使わないの!?

 最後まで得物無しで闘うつもりなの!?

 

「その構えは覇極流(はきょくりゅう)活殺拳(かっさつけん)…。

 それも相当の遣い手だ……。」

 羅刹が言うのを聞いて、瞬時に納得する。

 ひょっとして覇極流って武器選ばない流派なんじゃなかろうか。

 槍には槍の、刀には刀の、そして拳には拳の、それぞれの戦闘スタイルに合わせた奥義があるとみた。

 

「ならば俺も、鞏家(きょうけ)兜指愧破(とうしきは)の奥義を尽くして戦うまで!!」

 そして、羅刹もまた戦闘の構えをとる。

 独特な指の構えからすると、羅刹は指拳の使い手のようだ。

 卍丸もそうだったよな。

 死天王の少なくとも半数が指拳使いなのか。

 別にいいけど。

 

 ・・・

 

 だが。

 そこからが長かった。

 

「てめえらやる気あんのか──っ!!

 もう一時間も身動きひとつせず、向かい合って何しとるんじゃ──っ!!」

 ひとり蚊帳の外の虎丸が焦れて叫ぶ。

 まあ一時間は大袈裟だが、伊達と羅刹は互いに構えをとった後数十分、そこから一歩たりとも動かずにいる。

 

「動けないのだ。

 互いに一分(いちぶ)の隙もなく、相手の仕掛けるのを待っている。」

 二人の間に立ち込める、触れれば切れそうなほど濃密な闘気を感じ取った桃が、硬い声でそう言う。

 そこに、一陣の風が吹いた。

 何処からか、炎にまかれずに闘場に舞い込んだ枯葉が、一瞬伊達の視界を塞ぐ。

 その瞬間、羅刹が動いた。

 鋭い指拳が、真っ直ぐ伊達の胸板を狙ってくる。

 伊達がそれを躱すと羅刹の指拳は、そのまま伊達の背後の柱を貫いた。

 柱から引き抜いた指を示しながら、羅刹は伊達に向かって言い放つ。

 

「この世に、俺の指で貫けぬものは存在せぬ。」

 ちょっと待って、その台詞どっかで聞いたよ!

 私の知ってる人に、それとおんなじような事言ってるやつが、少なくともほかに一人いるわ!!

 …そういえば羅刹は赤石に『命の借りがある』とか言っていたな。

 詳しい話を聞きそびれてしまったが、この八連制覇の出場闘士として赤石が参加していたら、託生石は間違いなく、ここに赤石を導いただろう。

 赤石と羅刹がもし闘っていたなら…………………うん、止そう。

 戦闘スタイルが違いすぎて、全くイメージが湧かない。

 けど、素手で闘えとは言わないが、赤石にも刀以外の攻撃手段があってもいいんじゃないかな。

 今、武舞台場で羅刹と対峙してる奴ほどの器用さはなくてもいいけど、刀を奪われたり封じられた際に、闘氣を操る攻撃とかができるとかなり有利だと思う。

 赤石は器用なタイプではないが、素質的に不可能ではない筈。

 というか、私から豪毅を引き離す為に彼に向かって放った、確か烈風剣とかいう技、見た目にはその剣圧で豪毅の身体を吹き飛ばした感じだし、多分放った本人もそのイメージで使ったと思うけど、実際のところあれは闘氣だった。

 あれを意識的に、できればもっと鋭く研ぎ澄ませて操ればいいだけだ。

 少なくともあれだけのガタイがあれば、氣の量的には全く問題ないわけだし。

 

兜指愧破(とうしきは)両段殺(りょうだんさつ)!!」

 さて、私の脳内ツッコミが明後日の方向に向かっている間に、羅刹はその指拳を伊達の胸板に照準を合わせ、真正面から向かってきた。

 伊達はその軌道を冷静に見極め、正確に胸に向かっていた筈の羅刹の指拳を、どのようにしたものかその両手首を己が両脇に挟んで止める。

 そうして両手を拘束した状態から、羅刹の顔面に頭突きを食らわすも、次の瞬間には羅刹の膝がやはり伊達の顔面に飛んできて、二人はそこから一旦距離を取った。

 伊達が体勢と呼吸を整える間に、羅刹は次の攻撃の構えに入る。

 両掌を合わせ、親指、人差し指、小指を立てた状態で、やはり狙うのは伊達の胸板。

 正確にはその下で生命の律動(リズム)を刻む心臓だ。

 

兜指愧破(とうしきは)双指殺(そうしさつ)!!」

 それに対する伊達の反応が遅れた…と、その瞬間誰もが思った。

 

「だ、伊達──っ!!」

 虎丸の叫びが虚しく響き、指拳が伊達の胸に風穴を開ける…そう見えた瞬間、

 

「とったぞ……覇極流(はきょくりゅう)拳止鄭(けんしてい)!!」

 伊達の胸元で羅刹の両手の甲が、伊達の両拳に挟まれていた。

 

 

「きまった──っ!

 覇極流奥義・拳止鄭だってよ──っ!!」

「す、すげえ技だぜ、さすが伊達だ──っ!!」

「あの羅刹の凄まじい指拳を、完全に封じたぞ──っ!!」

 一号生たちが盛り上がるのを見て、待機している虎丸がちょっとムキになる。

 

「ヘッ、何を言ってやがる!

 俺だってあれくれえの事は、やろうと思えばできるんだぜ!!

 こらあ伊達ーっ、俺とかわらんかーっ!

 本当にこのままじゃ、俺の出番がなくなっちまうじゃねえかよーっ!!」

 素質的な事だけ言えば、虎丸は伊達レベルに強くなれる可能性はある。

 それくらいの逸材だ。

 だがそれは、少なくとも同じだけの修行をすればの話。

 それに、その素質を効率的に伸ばす為には、良き師の存在も不可欠で。

 いわば伊達が磨き上げられてカッティングも施された、完成された金剛石(ダイヤモンド)だとするならば、虎丸はうっかり庭の敷石に紛れてしまった原石というところだろう。

 …今、伊達が陥っている窮地に気付いていないというのならば尚のこと。

 

 ☆☆☆

 

「…フッ。中国の古い(ことわざ)に、“一見は真ならず”とあるのを知ってるか?」

 俺の拳止鄭により拳を砕かれた筈の羅刹が不敵に笑う。

 

「なに……!?」

 奴の言葉の真意を問う前に、至近距離で目にしている、羅刹の腕の筋肉が膨れ上がる。

 

「ぬは──っ!!」

「!…ぬっ!!」

 そのまま力を込めた奴の指拳は、真っ直ぐに俺の胸を捉えている。

 手の甲は俺に潰されているのに、指先の鋭さはまだ生きているのだ。

 

「フッ、俺の言った意味がわかったか。

 俺の拳を封じたつもりだろうが、どうやら立場は逆だったようだな。」

 …そういうことか。

 

 ☆☆☆

 

「どうした伊達ーっ!!

 いつまでも睨み合ってねえで、一気に勝負にいかんかーっ!!」

「おう、今までのところ、勝負は圧倒的に伊達が優勢だぜい!!」

「違う……!今、窮地にいるのは伊達の方だ。」

「ん──っ!?ど、どういう事だ桃、それは!?」

「羅刹の指拳はあの体勢から、伊達の胸を貫こうとしている。」

「な、なに──っ!!」

 …桃の言う通り。

 そもそも腕の関節というのは、内側に曲がる構造になっている。

 そして羅刹が力を加えているのが、まさにその曲がる方向なわけで。

 羅刹は真っ直ぐ前だけに力を込めればいいのに対して、伊達がこの体勢のままそれを阻もうとするならば、羅刹の拳を止めている自身の拳だけではなく、関節を固定する為にも力を使わねばならない。

 つまり、その時点で既に力が分散されている。

 現時点で二人が、単純な膂力で互角であるのなら、伊達が押し負けるのは明らかだ。

 

 ☆☆☆

 

 羅刹の指先が徐々に、俺の胸に近づいてくる。

 

「いつまでもこらえきれるものではない。

 貴様の横から押さえる力と、俺の前から押す力、どちらか有利かは、言わずとも知れた事……!!」

 確かに、このままの体勢では確実に俺が押し負ける。

 だがこの体勢から離れたり、足技を繰り出しても、奴の指拳はそれより早く、俺の胸板を貫くだろう。

 この体勢を維持したまま、力で押し返すしかない。

 

「もらったぞ、この勝負……!!」

「くっ!!」

 押し返そうとして脚が僅かに後方に滑った。

 反射的にそれを止めようとした瞬間、奴の指先が、遂に俺の胸板に到達する。

 虎丸が俺の名を叫ぶ声が聞こえた。

 うるせえ黙ってろ、気が散る。

 

「ううっ!!」

 まるで味噌に指でも突っ込むみたいに易々と、奴の指拳が俺の胸を貫いてくる。

 

「しぶとい奴よ。まだこらえおるか。

 しかしあと1cm。

 1cmもすれば、俺の双指殺は心臓を貫く。」

 …無駄に体力を消耗するからやりたくはなかったが、ここは切り札を使うしかないようだ。

 

「貴様に俺を殺すことはできん。」

「なにーっ!!」

 至近距離の訝しげな顔を視界から外すように、俺は瞳を閉じた。

 

闘・妖・開・斬・破・寒

滅・兵・剣・駿・闇

 

「何をブツブツと。最後の念仏でも唱えておるのか。」

 …心が闇のベールに包まれ、無意識の壁を越える。

 奴が何か言っている気がするが、俺の耳にはもう届かない。

 深いところへと、潜っていく。

 

煙・界・爆・炎・色・無

超・善・悪

殺・凄・卍・克・哀・煦

 

 静寂の闇の中、伸ばした心の手が何かに触れる。

 躊躇うことなく、俺はそれを掴む。

 その瞬間、掴んだ拳の中から、眩しい光が溢れ出し、同時に激しくなった血流が、その輝きを全身に押し流し、ゆき渡らせた。

 光が、力が、俺に満ちる。

 そのまま、意識が急浮上する。

 

 膨張した筋肉が、装着していた腕のプロテクターをはじき飛ばす。

 左手首の、かつて見知らぬ誰かの所有物であった証、思い出したくもない紋様が露わになるが、今は気にしている時ではない。

 

「おおっ!!

 

 覇極流(はきょくりゅう)気張禱(きちょうとう)!!」

 

 目の前の羅刹の貌に驚愕の色が浮かぶ。

 肉体の奥に眠っていたその力を腕に漲らせ、俺は胸に突き刺さる奴の指拳を、力任せに引き抜いた。




らせん階段・カブト虫・廃墟の街・イチジクのタルト・カブト虫………

すいませんなんでもないです。


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11・風は吹く花は散る時は流れる

「ぬうっ!

 き、貴様、どこにまだこれ程の力が………っ!!」

 明らかに自身の方が有利であった筈の状況をゼロに戻され、羅刹が驚愕した。

 一方、急にどこからか力が湧き出てきたように見える、伊達の膨れ上がった腕の筋肉に、一号生が歓喜しながらも疑問を口にする。

 

練活気挿法(れんかつきそうほう)の一種じゃ。」

 突然の伊達のパワーアップの理由を、王先生が解説してくれた。

 練活気挿法…簡単に言えば、肉体の持つ潜在能力を、一時的に100%引き出す自己催眠法である。

(人間の肉体は通常時、その能力を最大でも50〜60%程度しか使用しない。それ以上を使うと自身の肉体をも破壊してしまう恐れがある為)

 いわゆる火事場の馬鹿力を任意に引き出すもので、自己催眠に至る方法はそれぞれだが、密九教の呪文を唱えるケースが多いという。

 気張禱(きちょうとう)とはまさしく、覇極流における練活気挿法なのだろう。

 一応、私の橘流氣操術でも、その手の一時的なパワーアップは可能だ。

 というか、以前懲罰房で重石の鎖が切れた際に虎丸に使ったのがそれだ。

 そして私がやる場合、どれくらいの割合で力を引き出すかの調整もある程度は可能だったりする。

 勿論その割合が高ければ高いほど持続時間は短くなるし、更に後からくる肉体の反動も大きいけど。

 あの時の虎丸に施したせいぜい7、8%弱程度の上乗せでも、後で筋肉の修復の為に更に術を使わねばならなかった。

 もっとも虎丸の場合支える重量が半端なかった上、今思えば無駄に潜在能力が高かった故に、その7、8%のパワーアップの値が思ったより大きかったという事もあるのだが。

 だが、この場合は本当に瞬間的な覚醒なのだろう。

 その瞬間を無駄にせず、伊達は自身が止めた羅刹の両手を支点にして地面を蹴り飛び上がると、気合い声とともにバック転で羅刹の背後に飛び降りた。

 

「フッ、やりおるわ。

 よもや貴様が練活気挿法まで体得しておるとはな。

 しかし、気挿法を使った後の体力の消耗は言語を絶すると聞く。」

 やはりそうか。

 どんな方法でも、肉体の限界に到達するパワーアップで返ってくるダメージは大きいようだ。

 

「しかもその出血……既に勝負は見えた。

 一気に決着(ケリ)をつけようぞ!」

 言いながら羅刹が構え直す。

 己の勝利を確信して、今度こそその胸板を貫いてこようとする羅刹の指拳を構えも避けもせず、伊達はその場に立ったまま、それを真っ直ぐに受け止める。

 

「もう動く事もできぬか。」

 だが次の瞬間、意外な事が起こった。

 

「ぐ、ぐああ────っ!!」

 苦痛の悲鳴を上げたのは羅刹の方。

 なんの動作もなくただ受け止めただけの伊達の胸板に、それを貫く筈だった羅刹の指拳は弾かれ、その指の関節が、ありえない方向に曲がっている。

 その状況が信じられず己の右手を見つめる羅刹の目前で、右手の親指以外の指が、折れた関節から血を噴き出す。

 

「気がつかなかったのか。

 自分の指の筋が、先の拳止鄭で粉々に破壊されていたのを。

 自慢の指拳もあまりに鍛えすぎたため、その痛さまでも感じなくなっていたようだな。

 拳止鄭の神髄は、相手の拳を止めることにではなく、使えなくすることにある。」

「なっ!!

 ば、馬鹿な、俺の兜指愧破でこの世に貫けぬものなど存在せん!」

「まだわからんのか。

 今の貴様の拳では豆腐でも貫けはせん。」

 残る左手を振りかぶる羅刹の、その左手も容易く砕いて、伊達の正拳がその顔面にまともに入った。

 

「どうやら、貴様も俺の敵ではなかったようだな……!!」

 面白くもなさそうな表情で、伊達が言い放った。

 

 ・・・

 

 羅刹は見た目よりも、精神的に脆い気がする。

 実際、初めて会った日に、邪鬼様にそんなような事を指摘されてたし。

 動揺しやすい、よく言えば感情が豊かって事なんだけど、今も怒りと屈辱で、すごくわかりやすくぷるぷるしてる。

 …けど、元々はここに居る筈じゃなかった人を、わざわざ引き込んでまで闘いを挑んだのは、元々はあなた方三号生なんだけどな。

 まあそんな事は今はどうでもいい。

 羅刹は、どうやら口の中で折れたのだろう歯をプッと吐き出すと、燃える目で伊達を睨みつける。

 

「やめておけ。その拳ではもう戦えまい。

 今度は命を失うことになる。」

「フッ、貴様の覇極流拳法がこれほどのものとはな…。

 しかし、これしきのことで俺に勝った気でいるのか。

 俺の兜指愧破は指一本あれば充分。

 まだ、親指が生きておる。」

 羅刹は先ほどまでとは違う構えを取り、親指を突き出した拳で伊達に挑みかかった。

 先ほどよりも大きい動きで伊達がそれを避ける。

 それを見て虎丸がまた叫ぶ。

 

「たかが親指一本にビビるこたぁねえじゃねえか!!」

 …庭の敷石は黙ってろ。

 確かに羅刹はダメージを受けてるし、若干キレてもいる。

 けどこの気迫、さっきまでの比じゃない。

 身を躱した伊達の身体があった空間を通り、その後ろの柱を砕いた羅刹の指拳は、その破壊力を増していた。

 それは、感情の昂りが、肉体を強化しているからに他ならない。

 

千麾(せんき)兜指愧破(とうしきは)!!」

 だが伊達は冷静にその動きを見極めていた。

 先ほどは大きな動きで躱したそれを、最小限の動きで捌いていく。

 …もう完全にわかってしまった。

 さっきのディーノ戦での台詞じゃないが、伊達は本当、強すぎる。

 ここまでくると、役者が違うとしか言いようがない。

 桃、あなたどうやってこの化け物に勝てたんですか?

 それともあなた自身、こいつ以上の化け物なんですか?

 

「無駄だ。

 貴様のどんな拳も、俺を倒すことはできん。」

 言うや、羅刹の親指を無造作に掴み、それを支点にして一回転した伊達が、その途中で羅刹の顔面に蹴りを放つ。

 

「どうやら死なねばわからんようだな……。」

 だが羅刹は唐突に、謎に不敵な笑いを浮かべた。

 

「地変われば福に転ず…あたりを見てみろ。

 どうやら勝負の神はまだ、俺を見放してなかったようだな。」

 …石油の湖の炎が、島全体を覆い始めた。

 

 ・・・

 

「油が満ち始めているのではない。

 島が沈み始めているのだ。」

 王先生が状況を説明する。

 そもそもあの闘場を支える島の台座になっている岩は、温度が上がるにつれ溶けていくらしい。

 残されるのは中央に乱立する石柱。

 ここからはその上で闘う以外ない。

 正直、今の今まであの柱の存在意義をわかってなかったけど、そういうことだったのね。

 

「これぞ燦燋六極星闘(さんしょうろっきょくせいとう)炎濠柱(えんごうちゅう)!!」

 

 

 …ここで闘ったのが赤石じゃなくて本当に良かった。

 恐らくあの脳筋なら、この闘いのどっか途中で「…邪魔くせえ!」とか言い出して、全部の柱を一刀の元にぶった斬ってるに決まってる。

 今まさに行われてるかの如く、その光景が目に浮かぶ。

 そして今のこの場面では、二人揃って途方に暮れてる。

 …ここまで容易に想像できるとか、私はあの男に関わりすぎたかもしれない。

 

 …羅刹が柱のトゲトゲを利用して身軽にスイスイ登っていく。

 図体の割に本当に身軽だ。

 このまま下に留まっていては丸焦げになってしまうので、伊達も仕方なく地面を蹴って、柱の上まで飛び上がる。

 柱の上の、ひとまず炎が登ってこないところまで登った二人が、改めて対峙した。

 

「フッ、教えてやろう。

 さっき俺が言った、勝負の神がまだ俺を見捨ててはいなかったという意味をな。

 鞏家(きょうけ)鼯樵橤拳(ごしょうずいけん)滑空殺(かっくうさつ)!!」

 羅刹が、伊達に向かって、()()()

 

 

「な、何を考えてんだあいつ──っ!!

 あんな距離があるのに飛びだしやがった──っ!!」

 虎丸が驚いた通り、羅刹と伊達の間の距離はかなり離れていた筈だった。

 だがその距離をものともせずに、まさに羅刹は両手を翼のように広げて滑空し、武器である親指が伊達の傍を掠める。

 伊達はそれを寸でで躱したが、彼が立っていた柱が、その身の代わりに砕かれた。

 伊達が落下する身体を、その下の足場を掴んで、辛うじて支える。

 羅刹はそのままの勢いと、更に下から吹き上げる熱風の力も借りて上昇し、別の柱の足場に降り立った。

 

「と、飛びやがった………!!

 ま、まるでムササビのように……!!」

「鼯樵橤拳………!!」

 桃が呆然と、羅刹の発した技の名前を呟く。

 それは中国屈指の大樹海地帯『烏慶漢(ウーケイハン)』にて、そこに暮らす少数民族・烏慶族(ウーケイぞく)が、多民族や外敵から身を守るために編み出した拳法だという。

 その特徴は字を見てのとおり(むささび)の動きを模した形象拳で、木立など高所での闘いを得意とするのだそうだ。

 …ひょっとすると羅刹はそこの出身なんだろうか。

 それはないか。と、

 

「鼯樵橤拳・縄縛環(じょうばくかん)!!」

 羅刹は手錠のついたワイヤーのような武器を投げた。

 それが数本の柱に巻き付いた後、手錠の部分が4本、伊達に向かって飛んできたかと思うと、狙い違わず伊達の両手首と両足首を捉える。

 だ・か・ら!それどっから出した!!

 いい加減つっこんだら負け案件多過ぎだろ!!

 

「どうやら勝負あったようだな……!!」

 ワイヤーの端が柱に繋がれ、磔のように拘束された伊達の姿に、羅刹がニヤリと嗤う。

 だが、

 

「フフ…俺はやっと本気になれそうだぜ。」

 伊達はそう言って羅刹を睨みつけながら、やはり挑戦的な笑みを浮かべた。

 …まさかとは思うがお前ら二人とも、頼むからおかしな趣味に目覚めるのだけはヤメロ。

 

 

 四肢の自由を奪われた伊達に、一号生たちが心配げにその名を呼ぶ。

 伊達は恐らく状況を冷静に判断しようとしているのだろう、それ以上無駄に暴れる事も、ましてや叫ぶ事もしない。

 ちなみに羅刹によればワイヤーは1tの重さにも耐え、手錠の鋼環はダイヤモンドより堅い白金鋼でできているという。

 …まあ、男塾(ウチ)塾生()たちの中には、状況さえ許せばその程度簡単にぶち壊せるパワーや技の持ち主、数人おりますがね。

 赤石の斬岩剣ならそのワイヤー程度、寸断しちゃうだろうし、Jのナックル付きでのパンチなら、その手錠くらい粉々に撃ち砕ける。

 問題は、実際にそこに囚われてる状況の伊達に、その方法が存在するかどうかって事だが。

 

「フッ…此の期に及んでも動ぜずか。

 貴様程の男、そう簡単には殺さん…。

 その余裕、どこまで本当のものか試してやろう。」

 言いつつ羅刹が親指を構える。

 何故かその状況を見て、突然虎丸が笑い出した。

 

「ウワッハハ、ざまあねえぜ伊達の野郎──っ!!

 ひとりばっかでいいかっこしおるからそういうことになるんじゃ──っ!!

 あとのことは心配しねえで、心おきなくやられろや──っ!!」

 その言葉に一号生たちが怒りの表情を浮かべる。

 

「と、虎丸!あの野郎なんてことを──っ!!」

「虎丸!

 てめえ言ってる事がわかっておるのか──っ!!」

「じゃかあしい!

 てめえらに俺の気持ちがわかってたまるか──っ!!」

 …子供だな。けど、虎丸は馬鹿じゃない。

 本当は自分でも気がついてる筈だ。

 自分のその言葉が、本心じゃないって事くらい。

 ちょっと拗ねてるだけで、本当は優しい子だから。

 さっきからなんだかんだで伊達を心配してるの、ちゃんと見てるんだからね。

 そんな事にはまったく頓着せず、羅刹が再び跳躍する。

 拘束されて抵抗どころか防御もできない伊達の肩に、羅刹の両親指が突き刺さった。

 

「鼯樵橤拳・激震経破(げきしんけいは)!!」

 そこから再び全身のバネで羅刹が別の柱に飛び移る。

 見てわかるほどに伊達の腕の筋肉が収縮し、その傷から血が噴き出した。

 

「ぐくっ!!」

 らしくもなく、伊達が声をあげた。

 その表情が苦痛に歪んでいる。

 

「な、何をしたんだ、羅刹の野郎は伊達に!」

「出血もひどいが、あの苦しみ方は異常だぞ!!」

 一号生がまだ騒めき出す。

 いや異常でもなんでもねえわ、ど素人は黙ってろ。

 あの部分は腕の中枢神経の集合節で、あの出血を見る限り間違いなくそこまで届いて砕かれてる。

 神経に直接ダメージを受けてるわけだから、痛み自体相当なものの筈だ。

 いやまあ、神経通らない痛みなんてないけどさ。

 

「並の体力と気力の者なら、その痛みだけでショック死してるだろう。

 貴様はその痛みに、のたうちまわりながら死んでいくのだ。」

「やめておけ……俺を怒らせると、楽には死なせんぞ。」

「まだ大口をたたきおるか!!

 次は腹部中枢神経集合節!」

 呼吸を乱しながらもまだ言い返す伊達の、胴のプロテクターをあっさり貫通して、今度は腹部に、羅刹の指拳が突き刺さった。

 

「ぐぬっ!!」

 再び、伊達が苦痛に呻く。

 

「痛かろう、苦しかろう。

 どうだ、素直に負けを認めれば、ひと思いにあの世に送ってやるぜ。」

 だが、羅刹のその言葉に、伊達は荒い息の中、強い瞳で羅刹を睨め付けて、言った。

 

 

「誰にものを言っている…。

 俺の名は、伊達臣人。

 貴様に、この俺は倒せはせん…!!」

 

 

 それは己に対する誇り。

 それなくしては『伊達臣人』そのものの存在が揺らぐほどに、伊達を伊達たらしめている、矜恃。

 このような状況にあってすら、伊達はその闘志を衰えさせてはいなかった。

 

「フッ、まだ強がりを…あきれた奴。

 まさに貴様こそ、阿修羅の如き男よ。

 貴様は、どのような苦痛にも屈せぬらしいな…。」

 地獄の鬼すら喰らうという闘神の名を持つ男が、伊達の尽きぬ闘志を賞賛する。

 

「なんという男だ……!!

 かつてこの王大人、あのようなすさまじい男を見たことがない。」

 更に王先生までもが、その伊達の気迫に息を呑んでいる。

 王先生だけじゃない。

 その場にいる誰もが圧倒されていた。

 私も、桃も、月光も、他の一号生たちも。

 一番近くでそれを見ている虎丸さえも。

 

「ならば一気に地獄へ送るのみ!!」

 だが、伊達が動けない状況に全く変化はない。

 親指の指拳を真っ直ぐに伸ばして、羅刹がまたも飛び立たんとする。

 今度こそ確実にとどめをさすべく、伊達の心臓めがけて。

 だがその動きが、高らかに響いた声に止められる。

 

「待てーっ!!」

 全員が声の方向を注視すると…

 

「な、なんだ虎丸の奴、いきなり──っ!!」

「何をする気だ!!

 越中一丁になって仁王立ちしとるぞ──っ!!」

 …私には説明しにくい状況を解説してくれてありがとう、一号生の皆さん。

 

「ヘッ、伊達…まったくおまえって奴はたいした奴だぜ。

 出番がねえなんてひがんでいた俺が、恥ずかしくなっちまった。」

 照れたように鼻の下を人差し指で擦りながら虎丸が言う。

 が…どちらかというと、今の己の格好こそ恥ずかしいと思って欲しいと思うのは、私が女だからだろうか。

 というかまさか。

 

「しかし俺だって男塾一号生、大威震八連制覇に選ばれた八人の代表のひとりだ。

 このまま相棒が殺されるのを、指くわえて見てるようなタコじゃねえぜ。」

 いやちょっと待って。

 

「今いくぜい、伊達──っ!!」

 気合いとともに、虎丸は飛び込んだ。

 未だ炎燃え立つ、油の湖へ。

 

「アァチャ────ッ!!」

 

 

「フッ、おまえの相棒、気は確かか…。

 この距離を…しかも油面の温度が上がって、テンプラ油のように煮えたぎるこの火の海を、泳いでおまえを助けにくるつもりらしい。」

 羅刹の言葉通り、虎丸は炎の海を泳いでいた。

 だが、虎丸の肉体がどれほどに頑健でも、炎と油が皮膚を焦がすのを止めようがない。

 中ほどの距離まで泳いだあたりで炎に巻かれ、その身体が沈んでいく。

 

「おまえも馬鹿な相棒をもったもんだな。

 もっとも、これで奴を片づける手間が省けたというものだがな。

 …次の一撃が、この戦いの終止符となる。」

 とんだ茶番だとでも言いたげに、羅刹は改めて指拳を構えた。だが、

 

「フフフッ、それはどうかな。

 虎丸の奴は、俺が考えていた以上に、すげえ奴だったぜ。」

「………!?」

 言ってニヤリと笑った伊達に、訝しげな目を向ける羅刹。

 ふと気配が動いた気がして下を見れば、なんと一本の柱の下から黒く焦げた手が出てきて、更に真っ黒な男の身体が、炎の海から上がってくるのが見えた。

 

 まったく、なんて奴だ、おまえは。

 思わず息を呑んで見つめてしまう。

 

「虎丸龍次、参上!!

 いくぜ羅刹!今度は俺が相手だ!」

 

 セリフに反してその姿は、最高にカッコ悪いけど。

 同時に、最高にカッコ良いよ、虎丸。



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12・羽根のない天使のように堕ちる

「と、虎丸…。

 あいつ、あの業火の海を泳ぎきりやがった…。」

 火の海から柱を登ってきた虎丸は、比喩でも誇張でもなく全身真っ黒コゲだった。そりゃそうだ。

 燃えたぎる油を泳いで渡ってきて、全身揚げられたに等しい状態だったんだから。

 髪なんかもすっかり焼け落ちて見る影もないし、下帯が辛うじて残ってるのはきっと神の慈悲だ。

 言葉どおり、羅刹と戦うつもりなんだろうけど、息も上がっているし、肉体のダメージは明らかだ。

 

「やめておけ虎丸…。

 おまえの勝てる相手じゃねえ。」

 四肢を拘束された状態のまま、伊達が言う。

 でも多分、言わなきゃいけないからとりあえず言ってるけど、無駄だって事は分かってる、て感じ。

 

「それが助けに来てもらって言うセリフか。

 まったく口の減らねえ野郎だぜ。

 …見せてやるぜ、猛虎流拳法の真髄をな!!」

 叫んで虎丸が、羅刹に向かって突進する。

 飛び出した勢いに任せて拳を振るうも、その拳は羅刹が背にしていた柱を砕いて穴を開けたものの、肝心の羅刹の姿を見失った。

 

「き、消えた…!!」

「猛虎流拳法だと…。

 そんな流派は聞いたことがない。」

 羅刹は同じ柱の、虎丸の目線より一段高い足場に立って、腕組みすらして見下ろしていた。

 

「あったりめえじゃ──っ!

 俺が考えたんだからな──っ!!」

 ああ、言っちゃったよ。

 言わなきゃある程度のハッタリかませたものを。

 いや、無理か。

 見る者が見れば虎丸の動きは、正式にどこかの流派の師について導かれたものではない事は分かってしまう。

 身体能力が高い上無駄に小器用なせいで、ある程度通用してきちゃったのが、逆に今の彼にとってのマイナスかもしれない。

 そもそも驚邏大四凶殺の時には、月光相手に完全に翻弄されていたし。

 富樫同様、達人クラス相手にはそろそろ頭打ちかもしれない。

 …この戦いが終わって男塾に帰ったら、富樫と虎丸も修行に誘おうかな。

 私がそんな事を考えている間にも、羅刹が虎丸に次々と攻撃を加える。

 蹴りを避けられたと思えば、息つく間もなく指拳。

 虎丸は躱すのが精一杯で、一旦体勢を整えようと柱の陰に移る。が、

 

「無駄だ、それで身を守っているつもりか。」

「ゲッ!!」

 その柱をぶち抜いて羅刹の指拳が頭部を掠め、虎丸はどんどん追い詰められていく。

 実力の差もさることながら、全身火傷のダメージは、確実に虎丸の身体を蝕んでおり、更にこの高所での闘いは、完全に羅刹のステージなのだから、もはや結果は目に見えている、のだが…

 

「フッ、獅子はウサギを倒すにも全力を尽くすという。

 味わわせてやろう、鞏家(きょうけ)兜指愧破(とうしきは)の極意を!」

「な、なにー、この俺をウサギだと──っ!!」

 …なんだろう、この虎丸の動き。

 一見、羅刹の攻撃を躱しながら、闇雲に逃げてるように見えるけど、なんかその注意が一定方向に向かってる気がする。

 

兜指(とうし)関節砕(かんせつさい)!!」

「そんなものが俺に通用するか──っ!!」

 自分に向かって真っ直ぐ飛んでくる羅刹に、カウンターを当てるように拳を突き出した虎丸だったが、その拳が空を切り、羅刹の親指が右肘に突き刺さった。

 

「こ、これは…!?うぐぐ………!!」

「な、なんだ!

 虎丸の腕がおかしな具合に曲がっているぞ──っ!!」

 一号生たちが指差して叫ぶ通り、虎丸の肘から先が、ありえない方向に曲がっており、恐らく現時点で指先の感覚はあるまい。

 

「もはやその右腕では箸をつかむこともできん。

 腕の枢肘関節を破壊して外したのだからな。

 火の海を泳ぎ切った貴様の努力も徒労に終わったな!!

 もう一本の腕ももらうぞ。」

「うおっ!!」

 言うや羅刹は、辛うじて柱の足場にぶら下がる虎丸の左手の、先ほどと同じ部分に指拳を突き刺す。

 

「く、くそ──っ!!」

 その状態で体重が支えられる筈もなく、虎丸の指から力が抜けた。

 

「と、虎丸──っ!!」

「だ、だめだ、落ちるぞ──っ!!」

 だが虎丸は落下しなかった。

 両脚を柱に絡めて、なんとか粘っている。

 

「ヘッ、なめんな…。

 この虎丸様は、そう簡単に殺られやしねえぜ。」

 落下だけは防ぎつつも、攻撃も防御もままならぬ体勢で、それでも虎丸は笑ってみせた。

 

「フッ、貴様の相棒のしぶとさだけは大したものよ。

 しかしあの様では、次の一撃は避けられまい。」

 馬鹿にしたように嗤いながら、羅刹は虎丸ではなく伊達に向かって言う。

 

「…馬鹿が。余計な真似しやがって。

 おとなしく見物していればいいものを……!!」

 溜息のように伊達が言うと、虎丸が何故だか優しげに微笑んだ。

 

「俺にはわかっているぜ。

 おまえがなぜ俺を戦わせないで、ひとり勝負していたか……。」

 瞬間、伊達の瞳が何かの感情に揺れたのが、はたして虎丸に見て取れたかどうか。

 

「やっぱり俺のかなう相手じゃねえ…。

 俺が負けて殺されんのは見えている。

 だからおまえは、自分の身に代えても、俺を戦わせたくなかったんだろう?

 そういう奴だよおまえは。

 口は悪いが、本当は優しい奴だもんな。」

「………馬鹿言ってんじゃねえぜ。

 俺がそんなに甘い男に見えるかよ。」

 そう言って馬鹿にしたように伊達は笑ったが、もはやそれは照れ隠しにしか見えない。

 

「だが俺だってむざむざ殺られに、火の海を渡ってきたわけじゃねえ。

 俺はおまえを助けにきたんだ。」

 急に虎丸が表情を引き締める。

 そして脚に力を込めると、足場をうまく利用しながら、脚だけで柱を登っていく。

 …並外れた筋力と関節の柔らかさがなければできないな、これは。

 この男が化粧まわしを締めて、雲竜型の土俵入りで四股を踏んだら、その姿はとても美しいのだろうなと、ひどく場違いな事を私が考えたあたりで、虎丸の動きが止まった。

 

「なる程な。

 貴様、ただ逃げ回っていたのではなく、その柱を狙っていたか。」

 それは、伊達を拘束している縄縛環のワイヤーが巻き付いている、どうやら中心のようだ。

 

「確かにその柱に巻きついているロープの束を切れば、伊達の体は五体自由になる。

 しかし両腕を使えぬ貴様に何ができる…。

 その鋼鉄製のワイヤーは決して切ることはできぬ。」

「じゃかあしい。

 よーく目ん玉あけて見ていろや。」

 柱に脚を絡めた状態から、腹筋だけを使って身体を起こした虎丸が、息を乱しながら一旦背を反らせる。まさか。

 

「おりゃあ──っ!!」

 気合いの掛け声とともに、頭部を柱に打ちつける。

 どうやら虎丸が選択したのはロープを切る事ではなく、それが巻き付いた柱を破壊する事。

 それも、頭で。

 

「やめろ虎丸ーっ!!

 柱より先に、頭が割れちまうぞ──っ!!」

「フッ、何を馬鹿な。石柱を頭突きなどで……。」

 脚と腹筋の固定に力が分散されている筈なのに、そうとは思えないほどの力が、一撃一撃に加わっているのが、見ていてもわかる。

 常識的に考えれば、頭骨の方が先に砕けるのが当たり前なのに。

 

「み、見ろ!柱に亀裂がはしった──っ!!」

 …まったく、どこまで常識のない奴なんだ。

 

「おおおっ!もう一丁──っ!!」

 馬鹿にして見ていた筈の羅刹の表情にも焦りの色が走る。

 

 

 正直見ていられなくて、思わず目を覆いかけたら、誰かに肩を抱かれた。

 驚いて振り返ると、月光が私の方に顔を向けずに小声で囁いた。

 

「目を背けてはならぬ。

 ここに足を踏み入れた以上、貴様には見届ける義務がある。」

 …ああ、その通りだ。

 驚邏大四凶殺の時に三号生の依頼を受けただけにしても、私が彼らをここに導いたのだ。

 私にはその責任がある。

 月光に向かって頷いてから、再び闘場に向き直る。

 こちらを見てはいないが動きは伝わった筈。

 私を女扱いしないでくれる、月光の心遣いが、今は有り難い。

 

 

「チィッ!そうはさせん!!」

「危ない、虎丸──っ!!」

 羅刹が指拳を構えて飛び出すのと、伊達が思わず叫んだのは同時だった。

 次の瞬間、羅刹の親指が、無防備な虎丸の背に突き刺さり、血飛沫を上げる。

 虎丸の名を呼ぶ伊達の声が、まるで悲鳴のようだ。

 

「なめるな…。

 なめんじゃねえ、この虎丸様を……!!」

 もうこれ以上は保たない。

 そんなタイミングで、虎丸の背が、今まで以上に反らされた。

 そして。

 

「だ、伊達!あとはたのんだぜ──っ!!」

 渾身の頭突き。

 その一撃は、間違いなく柱を粉々に砕き割った。

 

 

 柱が砕かれ、巻き付いていたワイヤーが散る。

 だが虎丸本人は、それを確認できたかどうか。

 

「だ、だめだ虎丸の奴、石柱は砕いたが、脳震盪をおこして意識がなくなってる──っ!!」

「あのまま火の海へ真っ逆さまだ!虎丸──っ!!」

  一号生たちが悲痛に叫ぶ。

 が、次の瞬間、ヒュンと風を切る音が響いた。

 業火の中に落ちる寸前の虎丸の、その足首に、さっきのワイヤーが巻き付いて、落下を止める。

 そのワイヤーを握っているのは……、

 

「だ、伊達──っ!!」

 悲痛の声が、歓喜に変わる。

 かつては敵として現れた、今や頼もしい味方の名を呼んで。

 

 

 四肢の自由を取り戻した伊達は、炙り焼きにならない高さまで虎丸の身体を引き上げると、ロープを足場のひとつに結びつけた。

 

「世話になったな、虎丸。

 しばらくはこれで我慢してくれ。

 …今、おまえの仇はとってやる。」

 前半は、ひどく優しい声で、最後の部分は強い口調で言いながら、伊達は羅刹を睨みつける。

 

「良かったな…。

 寸での所で、相棒のおかげで命びろいできて……。」

 だが、鋼環はまだ残っている。

 どうするのかと思っていたら、

 

「まだわからんらしいな。……見せてやろう。」

 伊達は両手の鋼環を胸の前に揃えて、スッと瞼を閉じた。

 

 闘・妖・開・斬・破・寒

 滅・兵・剣・駿・闇

 煙・界・爆・炎・色・無…

 

「おまえはやり過ぎた…死んでもらうぞ、羅刹!!」

 気合一閃。先ほどと同じように筋肉が膨張し、白金鋼の鋼環が弾け飛んだ。

 

覇極流(はきょくりゅう)気張禱(きちょうとう)の極意か…なる程な。

 貴様にはまだその手があったか。」

 言いながら羅刹が、先ほど伊達に潰された拳を鳴らす…って羅刹、あなた絶対今、その事忘れてましたよね?

 まあいい、武士の情けだ。

 一瞬ちょっと痛そうな顔したのは見なかったことにしよう。

 大丈夫、多分私以外誰も気付いてない。セーフセーフ。

 

「す、すげえ伊達の奴、白金鋼でできた鋼環をぶちこわしたぜ!!」

「しかし、だったらなんでもっと早く、あの気張禱で脱出しなかったんだ!?」

「おうよ。

 そしたら虎丸も、あんなに傷つかずに済んだかもしれないのに!!」

 いや、あの、君たちね…。

 

「わからんのか……。

 伊達は、虎丸の男をたてたのだ。」

 完全に危機を脱した伊達に安心すると同時に、湧いた疑問を口にする一号生たちに、桃が、闘場を見つめたまま答える。

 

「己の危険もかえりみず火の海へ飛び込み、黒コゲになりながらも自分を救出しようとしている虎丸を見て……誰が止めることができる。」

 深く落ち着いた声で、諭すように。

 

「……伊達は心を鬼にして堪えていたのだ。

 虎丸の気持ちを無駄にせぬためにな!!」

 桃の言葉に、皆が黙り込む。

 って、君らそれで納得するんかい。

 いや、しちゃうんだろうな。彼らは男だから。

 一般的には論争を交わす際、女は感情で武装するのに対し、男は理論で武装する生き物だと思う。

 端的には、物事を女は『好きか嫌いか』で判断するのに対し、男は『正しいか間違っているか』で判断するって事。

 女は三界に家無しってくらいで己以外の寄る辺のない生き物だから、自身の内面にこそ自信の在り処を求めるけど、男は己の自信を己の外に求める生き物で、他人からの容認がなければ自己を確立できない。

 それには『正しい』が一番の近道なわけだ。

 だけど、男のプライドとか男らしさを論じる時に限り、何故かそこに感情論が入るってのは、一体どういうわけなんだろう。

 その場合のみ、正しい事が必ずしも正解ではなくなり、己の感覚のみを信じて動く、どちらかというと女性的な行動の方が、男らしいと判断される事が多いのだから。

 この場合正しいかそうでないかで判断したら、その判断は決して正しくはない。

 だけど男らしいかそうでないかと問えば、10人中10人が『男らしい』と答えるだろう。

 突き詰めれば本当は女の方が男らしいって事なんだろうか。

 それって既に『男らしさ』とは言わなくないか?

 うん、まったく意味がわからない。

 いつか独眼鉄に投げかけられた「男とはなんぞや!?」を、私の方が彼らに問いたいくらいだ。

 そうなったらそうなったで人数分の『男』が掲げられて、ますますわからなくなりそうだけど。

 というか、うん。

 実のところ桃の説明も、多めに見積もっても半分しか正解じゃないと思うよ。

 あの気張禱って、連続して使用できるような便利な技じゃない筈だから。

 一瞬とはいえ、下手すれば己の肉体そのものを破壊しかねないほどの力を引き出すんだから、後からその反動が、肉体への負荷という形でこなきゃ嘘だ。

 ひょっとしたら伊達にそういう気持ちも少しはあったかもしれないけど、実際には、ある程度の時間を置かなければ使えなかったってのが本当のところだと思う。

 というか今使えたのだって多分だが奇跡に近いだろう。

 感情の昂りが肉体を強化しているからこそできた筈だ。

 恐らくは後で、立っているのすら辛い状態になる。

 

「フッ……すさまじい殺気だ。

 貴様の怒りの程がよくわかる。」

 その怒りは、誰に向けてのものなのか。

 虎丸を傷つけた羅刹に対してよりも、本来待たせたまま終わらせてやる筈だった虎丸を、ここまで来させてしまった自身への怒りの方が、より強いのではないだろうか。

 

「だが高所にあって、俺の鼯樵橤拳(ごしょうずいけん)滑空殺(かっくうさつ)に敵はない!!」

 言って飛び出した羅刹が、伊達に向かって何かを投げた。

 伊達は首をわずかに動かしたのみでそれを躱す。

 そもそも、当てようとして投げたものではなかったらしいそれは、伊達の背にした柱に当たると、大袈裟な音を立てて破裂した。

 

「むっ!!」

 続けて第2投。

 同じように破裂したそれは、黒い煙を立てて、二人のいる闘場を覆い尽くし、羅刹はその黒煙の中に飛び込む。

「これぞ鼯樵橤拳黒闇殺(こくおんさつ)!!」

 

 ・・・

 

「さすが死天王のひとり羅刹よ…。

 煙幕を使っての黒闇殺とは……!!」

「黒闇殺…!?」

 それは全く目の利かぬ闇夜や暗い屋内での殺傷を目的とした暗殺拳だという。

 この拳を極めた者は、最低でも10m先の距離で落ちた針の気配を察知できるらしい。

 と聞くとなんか凄そうというか、実際凄いんだろうけど…多分だけど、さっき月光が言った、目が見えないって言葉が本当ならば、月光はこれに近い事が日常生活でできてるんじゃないかな。

 注意深く観察すれば、彼の視線が微妙に焦点が合ってない事に気付くかもしれないけど、普段の彼の動きとか身のこなしとか見ている限り、それで目が見えないという結論には至らない。

 ひょっとしたら、他の三面拳や伊達ですら気付いてないかもしれない。

 それくらい所作が自然だから。

 それはともかく、私たちのところからは闘場の動きがほぼ見えなくなった。

 二人の動きだけは空気の動きでなんとなく読めはしても、それ以上の事はわからない。

 

 ☆☆☆

 

 “フッ、見えまい。俺の姿が……。

 しかし俺には、貴様の一挙一動が、手に取るようにわかる。”

 

 “俺は闇にあって、十M(メートル)先で落ちた針の気配さえもつかめる。”

 

 “どこを見ておる。ここだ。俺はここにおる。”

 

 べらべらとうるさい野郎だ。

 気配を絶ってはいても、声でおおよその方向はわかる。

 それを奴もわかっているのか、ある程度は反響の起こる場所だけで声を出しているんだろうが。

 一瞬奴の気配があらわになった場所に、俺は拳を放つ。

 だがそれはどうやらどうやらフェイクだったようで、強烈な殺気が背後から襲いかかってきた。

 寸でで飛んで躱した瞬間、それまで背にしていた柱が砕かれた。

 

 “見事…と言いたいところだが、今の一撃はただの脅しだ。

 俺が完全に気配を絶って攻撃した時はそうはいかん。”

 

 次の瞬間にはまた黒煙に身を隠した羅刹の声が反響する。

 

「笑わせるな。

 こんな子供だましが俺に通用すると思うのか。」

 溜息のかわりにそう言ってやる。

 相手の実力も把握せずに勝ち誇る馬鹿ほどうっとおしいものはない。

 

 “次は、貴様の胸板を貫く!”

 

 できるものならやってみるがいい。

 次に頭上から姿を現した羅刹の攻撃を躱し、奴のお株よろしく、黒煙の中に潜り込み、気配を絶つ。

 一方、奴の狼狽する気配が伝わってきた。

 

 黒闇殺において、十M(メートル)先で落ちた針の気配を察知できるなどというのは最低限の条件だ。

 拳を極めるという事はそういう事ではないだろう。

 常にその上を目指さねば意味がない。

 ガキの頃に地獄を生き残り、送り込まれた先でこの拳を修めた俺は、二十M(メートル)先で落ちた針の動きでもつかむことができる。

 そう言ってやると羅刹の狼狽の気配がますます強くなった。

 そろそろあれを用意しておくか。

 必ず必要になってくるだろうから。

 

「まさかあやつも黒闇殺を…。

 それも俺より上手に体得しているというのか……!!」

 そもそもガキの俺があの組織から逃げ出した時、一番役に立ったのがこの拳だ。

 闇に乗じて気配を消し、施設の大人たちを全員皆殺しにして逃げ出し、右も左もわからぬ山の中で、飢えて渇いて倒れていたところを飛燕に発見されて、奴らの修行する寺に運び込まれたわけだが…まあそんな事は今はどうでもいい。

 

「ど、どこだ、どこにいる──っ!!

 汚ねえぞ、出てきて勝負しろ──っ!!」

 どうやらこいつは、動揺すると注意力が散漫になる質らしい。

 さっきまでの余裕に満ちた態度が嘘みたいに、言葉遣いまで変わってきている。

 

「汚ねえ…!?どこからそんなセリフが出てくる。

 この仕掛けを仕かけたのは貴様の方だぞ、羅刹…。」

 俺が寄ったわけではなく、自分の方から俺のいる柱に降り立ち、勝手に背後を取られた羅刹に、親切にも声をかけてやる。

 冷静さを失ったこの程度の男に俺が負ける道理がない。

 慌てて振り返り俺に向けてきた指拳を払い、顔面を蹴り飛ばす。

 

「どうやら勝利の女神は、まだ俺に味方しているようだぜ。」

 飛ばされた先で、足場に括り付けられたワイヤーを見るなり、羅刹がその側で俺に向かって叫ぶ。

 

「聞けい伊達──っ!!これが見えるか──っ!!

 貴様の相棒を吊ってあるこのロープを外せばどうなるか!!

 姿を見せねえと、貴様の相棒は火の海へ真っ逆さまだ──っ!!」

 やはりそこまでの男か…。

 あまりにも予想通りで笑いがこみあげてくる。

 

「やれよ。おまえの好きなようにしたらいい。」

 そう言ってやると驚いて、俺に不意打ちをくらうかもしれない危険などどこぞに飛んだように、羅刹はワイヤーを引っ張り上げる。

 気配を絶ちながら俺が用意した、柱の破片を縛りつけたロープを。

 虎丸は既に別の柱に括り付けてある。

 仮にも俺を助けようと重傷を負った男を、いつまでも足一本結わえたままの逆さ吊りにしてはおけんからな。

 

「おまえのような男が考える事はよくわかる。

 俺とおまえとでは格が違う。

 あらゆる状況を想定しそれに備える。

 これは闘法の初歩的問題だ。」

 今度は間違いなく羅刹の背後を取り、一段上から声をかけてやる。

 

「クッ、まだわからん。

 勝利の女神がどちらに微笑むかはな……!!」

「女神じゃない…おまえに微笑むのは死神だ!!」

 奴にそう告げた時、何故かあの塾長秘書の顔が頭に浮かんだ。

 なるほど、女神の顔をした死神か。

 我ながら言い得て妙だ。

 その顔を振り払うように、俺は奴の胴に蹴りを放つ。

 柱の足場である大きな棘が、奴の背中に突き刺さるのが見えた。



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13・For The Brand-New Dream

関係ないが、アタシの中での月光のイメージは、完全にマイク・ベルナルド。


 煙幕が徐々に晴れてきて、私たちの側からも目で状況が把握できるようになった頃には、勝負は既についていた。

 

「ど、どうやら貴様の言うとおり、俺に微笑んだのは死神だったようだな。」

 そう言う羅刹の身体に、柱の足場のひとつが背中から突き刺さり、先が腹まで抜けている。

 

「気付くのが遅かったな、羅刹……。

 俺と拳をあわせた時から、貴様はすでに死神に魅入られていた。」

 その光景に歓喜する一号生たちとは裏腹に、私は頭の中でこの後の救命プランをシミュレーションしていた。

 とりあえず、火傷の即時回復は私でなければできないから、虎丸は間違いなく私が担当することになるだろう。

 羅刹のあの傷もほぼ致命傷だから、ある程度まで一刻も早く塞いでしまわなければ命にかかわる。

 ちょっと言いたいこともあるしちょうどいいだろう。

 ディーノは出血が多いが、見たところ急を要する感じじゃないから、あちらは他のスタッフに任せても平気だろう。

 残る伊達は…。

 

「ヘタに動かん方がいい。

 手当てをすれば命だけは助かるかもしれん。」

 そこまで考えたところで、まるで私の脳内シミュレーションを覗き見たかのような伊達の言葉に、私は我に返る。

 

「フッ。

 死天王のひとりこの羅刹も舐められたもの。

 此の期に及んで惜しい命などあると思うか…!!」

 羅刹は呼吸を荒くしながらも、背にしている柱に手をかけると、気合声とともに、自らを貫いている柱からの脱出をはかった。

 

「な、なに──っ!!

 羅刹の野郎、まだやる気だ──っ!!」

 一号生の誰かが叫んだ言葉の通り、指拳を構えながら伊達に突進する。

 だが、肉体のダメージが蝕んでいるのだろう。

 その動きは先ほどまでの、空を泳ぐような動きからは程遠いものだった。

 伊達は羅刹の攻撃を躱すと同時に、その喉元に手刀を突き付ける。

 それは確実に羅刹の喉を突き破れる鋭さを持っていたにもかかわらず、その寸前で止められていた。

 

「な、何故、拳を止めた…?

 何故とどめをさして殺さぬ。

 俺の息の根を止めぬ限り勝負はつかんのだぞ。」

 もはや己の敗北を、嫌という程思い知らされたであろう羅刹が問う。

 

「勝負は既についている。

 それは貴様が一番よく知っているはず。

 ヘタな面子たてるより、早いとこ手当てをすることだ。」

 言いながら手刀を引く伊達に、毒気を抜かれたように羅刹が笑いかけた。

 

「フッ…負けよ。この羅刹の完敗だ…。

 お前の相棒を盾にするなど、見苦しい真似を見せちまったが、許してくれ。」

 そう言った羅刹の表情はむしろ晴れやかだった。

 見苦しい真似をした、というのは、一応自分でもわかってたんだと、少しホッとする。

 ようやく私の知っている羅刹が戻ってきてくれた。そう感じたのもつかの間。

 

「貴様のような男と闘えた事を誇りに思うぞ、伊達臣人よ……!!」

 先ほどまでの動きと同じくらいの鋭さで、羅刹は伊達から離れたかと思うと、そのまま落下する。

 

「羅刹っ!!」

 伸ばした伊達の手が空を掴み…羅刹は燃え盛る炎の海に飛び込んだ。

 

 ・・・

 

「さすが男塾死天王のひとり……最後に男を見せたな。

 伊達がとどめをささぬと知って自ら命を絶ち、伊達の勝利を完全なものとするとは……!!」

 桃が感嘆したように呟き、王先生が高らかに宣言する。

 

「大威震八連制覇第三闘、燦燋六極星闘(さんしょうろっきょくせいとう)!!

 男塾一号生、伊達・虎丸組勝利──っ!!」

 先ほどから徐々に弱ってきていた炎の勢いがほぼ完全に鎮火してきて、一号生たちは闘士たちを迎えるべく、いそいそと船の用意を始めた。

 柱の上では、伊達が虎丸を引き上げて、抱えたところだった。

 

「終わったぜ…虎丸。」

 

 ☆☆☆

 

「たいした奴らよ……男塾三号生、死天王のうち三人までも、ことごとく打ち破り…とうとうここまで来おった。」

「申し訳ありません。

 第四闘に於いてこの影慶、必ずや…。」

「フッ、おまえが謝る必要はない。

 奴等を甘くみたこの邪鬼に誤算があった。

 …第四闘で奴等を待とう。

 もっともそう簡単に奴等、たどり着けんだろうがな。」

 

 ☆☆☆

 

 さて。一号生たちが伊達と虎丸を船に乗せて岸まで渡ってくる間、救助組がディーノと羅刹の身柄を回収していた。

 ディーノの方は救命組の一班が救護スペースに運び、少し回収に手間取った羅刹が、今ようやく担架に乗せられている。

 また一号生側でも「一緒に行く」と暴れる虎丸を縛り上げて無理矢理担架に乗せて運ぼうとしていた。

 気持ちはわかるけど無理でしょ。

 とりあえず気付かれないようにそっと虎丸に近づいて首筋に指を当てる。

 いつかやったのと同じようにして氣の針を撃ち込んでやると、虎丸は一瞬『してやられた』という表情を浮かべて覆面の私に目を向けた後、意識を失った。

 

「俺は大丈夫だ。

 貴様の勝負、この目で見届けてやるぜ。」

 と、後ろの方で、そんな伊達の声が聞こえてきて、心の中で舌打ちした。

 治療はさせてもらえないぽい。ならば、せめて。

 とりあえずの応急処置を施されている伊達と、桃にも気付かれないように戻り、月光の袖をちょいちょいと引いた。

 

「伊達は、後から強い疲労が来ると思います。

 これ、渡してあげてください。」

 私は早口でそう告げて、振り返った月光の手に、懐から取り出したものを握らせた。

 それから急いで虎丸の担架の後を追う。

 とっておきだったんだけどなぁ。仕方がない。

 

 ☆☆☆

 

「伊達殿…。」

「…なんだ、月光。」

「今、この場を離れた覆面の一人が、伊達殿にこれをと。

 奴が言うには、後から強い疲労が来るだろうからと。」

「………?」

 そう言って月光が俺に手渡してきたのは、アメ玉の四角い缶だった。

 …俺にどうしろってんだこんなモン。

 そう思った途端に、全身になんとも言えないような厭な怠さを感じた。

 恐らくは気張禱を二度も使った反動だろう。

 …なるほど。そういうことか。

 俺はその缶の蓋を開けて、中から数個振り出すと、それを口に放り込んだ。

 …クソ甘え。耐えきれずにガリガリと噛み砕いてすぐに飲み込む。

 口の中が甘くて閉口したが、気のせいか少しだけ、身体が楽になった気がした。

 誰かは知らねえが、その心遣いには感謝しとこう。

 …そういや、やけに目につくくらいくるくる動き回ってた、一番小さい覆面が居ねえな。

 

「進めいっ!!

 これより大威震八連制覇、最終闘へ向かう!!」

 そこに王大人の声が響き渡り、俺たちは最終闘場へと歩き出した。

 

 ☆☆☆

 

 虎丸の全身火傷をある程度治療した後、三号生側の救護スペースへ向かった。

 私が着いた時、ディーノが全身包帯ぐるぐるで、恐らくは例の救護車の方に運び込まれるのだろう、再び担架でそこから移動させられるところだった。

 簡易ベッドに横たえられた羅刹を横向きにしてもらい、背中の方から傷を塞ぐ。

 火傷もしていたが思ったほどでもない。

 恐らく火の中に飛び込んだ時点で、鎮火しかかっていたタイミングだったからだろう。

 命に別状ないくらいの範囲までの治療に留め、自身の氣の残量を確認する。

 思ったより大丈夫そうだ。

 道々糖分を補給すれば、残りの4人全員が物凄い重傷で即時治療を施さねば死ぬとかいう状況にでもならない限りは最後まで保つだろう。

 そう思いながら懐に手をやって…あ、そうか。ドロップ、伊達にあげちゃったんだった。

 

「…何か、甘いもの持ってませんか。」

 他の治療スタッフを振り返り、そう声をかけたところで、簡易ベッドの方からプッと吹き出す声が聞こえた。

 振り返ると、横たえられたままの羅刹が、喉の奥でくつくつ笑っているのが見えた。

 

「…その声は、光だな。」

「気がつかれましたか。

 もう少し眠っていてくださればよかったのに。」

 言いながら羅刹の手を取り、潰された拳を治療する。

 おとなしくそれを受けながら、自嘲のように羅刹が呟いた。

 

「…助かっちまったか。いや、助けられたんだな。

 まったく、みっともねえにも程がある。」

 …他のスタッフが、気をきかせるようにその場から去る。

 最後に退出した一人が、軽く手を上げて会釈して出て行った。

 

「…おまえが見ていると知っていれば、人質をとるような、あんな情けない真似はしなかったものを。

 失敗したな。…軽蔑したろう?」

 …黒煙に遮られていたから見えてはいなかったけど、声は聞こえていたので、正直幻滅した。

 赤石が信用していた人だし、私も若干の交流を持って、卑怯な真似はしない人だと勝手に思っていた。

 確かに動揺しやすい人だとは知っていたけど、冷静さを失ったら、ここまでなりふり構わなくなるとは思わなかった。

 けど、それは本人もわかっているようだから、それ以上責めるのはやめる事にする。

 

「ほんの少し。二度とやらないでくださいね。

 でないと…あなたの事、嫌いになります。」

「フッ、それは大変だ。」

 治療の終わった手を離すと、羅刹はその手を伸ばし、私の覆面を跳ね上げた。

 私の顔を改めて確認して…何故か驚いたように目を見開く。

 

「…まずいな。

 光を泣かせたなどと、知られたら俺は赤石に殺されるかもしれん。」

 は?なんでそうなる。

 涙はギリ出てない。筈だ。多分。

 

「…いや、泣いてませんから。」

「そうか?

 目が赤いが、ならそういう事にしておこう。

 この埋め合わせは何がいい?」

「だから、泣いてませんってば!」

 全然そういう事にしてなさそうな羅刹に、私は思わず声を荒げる。が、

 

「若い娘だし、チョコレートパフェでも奢ろうか?

 …俺が、動けるようになってからの話になっちまうが。」

 ぴた。その言葉に、反射的に動きが止まる。

 

「……ホントですか!?それ、食べた事ないんです。

 一度食べてみたいと思っていました!」

 私は同年代の同性の友達など居なかったし、また、ターゲットとデートをする際にそういう店でお茶を飲むことくらいは何度もしたが、メニューを見て気にはなっても、実際に注文するのは憚られた。

 どんな女性像でも役割として演じきれる自信はあるが、私に割り振られるターゲットの特性上、大抵が大人の、或いはそれに近い落ち着いた女性像が求められたから、イメージを崩すような真似は敢えてしなかった。

 そもそも、甘い物を口にしてしまうと、自身の素が出てしまう危惧が、自分の中に少しあったし。

 でも実はちょっと憧れてたんだよね。

 

「決まりだな。

 これで、諸々のことを含めて、赤石には言わずにおいてくれると助かる。」

「了解しました!楽しみにしています!!」

 …あれ?

 なんか、色々誤魔化された気がするんだが。

 まあいいか。

 

 ☆☆☆

 

 羅刹のそばを離れ救護スペースを出ると、私が出てくるのを待っていたのだろう担架が入れ替わりに入っていった。

 これから救護車に羅刹を運ぶのだろう。

 ふと、前方から手招きされ、そこまで駆け寄ると、

 

「この後また塾生たちへの試練に入るから、オレ達は別ルート。

 あと、これは光ちゃんの注文の品ね。」

 と言われ、渡された小さな袋には、多分数人が少しずつ分けてくれたのであろう、飴やらチョコレートやらキャラメルといった、ひと口サイズのお菓子が幾つか入っていた。助かる。

 

「ありがとうございます!」

 早速チョコレートをひとつ口に含む。

 これで今回は最後まで立っていられる、筈だ。

 

 ・・・

 

「ところで、試練って今度はなんですか?」

 案内されてたどり着いた塔の内部で、ふたつめのチョコレートを口に入れつつ、階段を登りながら私が問うと、

 

「最終闘場は、この塔のてっぺんにあるんだけど、塾生たちはこの外側の、螺旋状の道を歩いていくんだ。

 途中で外の様子が見える箇所があるから、覗いてみるといい。

 多分、もう少ししたら始まると思う。」

 と、よくわからない答えが返ってきた。

 それ以上は教えてもらえなかったので、仕方なく黙って登っていくと、恐らくは塔のちょうど中間あたりで、広間のような場所に出て、先行して登っていたスタッフと、王先生が待っていた。

 

「よし、間に合ったようだな。

 ここの小窓から外が見えるから、貴様も見ておくといい。」

 私の姿を確認した王先生は、そう言って私をひょいと持ち上げると、壁の際に30cmほどの高さに積まれた石の上に乗せた。

 いや、この程度の高さなら、言ってもらえれば自分で乗れますから。

 ちなみに王先生も結構背が高いので、この状態でようやく目線が同じだ。

 なるほど、王先生からは、世界はこのように見えているというわけか。滅べ。

 若干敗北したような気分になりつつも、示された小窓を覗いてみると、なるほど、丸く抉られたような形の道を、一号生たちが歩いて登ってくるのが見える。

 と、突然地震のように、床に物凄い振動が走った。

 石から落ちそうになって、思わずそばにいた王先生にしがみつく。

 王先生は微動だにせず私を抱えると、「見よ。」と一言言って、もう一度小窓の方に私を寄せた。

 …振動は、地震ではなかった。

 塔の上の方から、一号生たちが登っている道を伝って、巨大な鉄球が転がってくる、それが為の振動。

 

「中腹よりやや手前にこの仕掛けの機動スイッチがあり、あの人数で歩いておれば、必ず誰かがそれを踏む。

 止めるには、球が充分な距離を転がり落ちてから、同じスイッチをもう一度押せばよく、つまりある程度まで逃げ切れれば再び誰かが踏むか、最悪鉄球が勝手にスイッチを押すことになり、自然に止まる。

 とはいえ、その前に鉄球に轢き潰されるようなら、その時点でそいつは最終闘場へ行く資格はないという事よ。

 最終的には、冷静な判断力、そして闘士たちを他の仲間が守りきれるか否か、それが試される試練というわけだ。」

 いやちょっと待て。

 という事は、スイッチの存在に気付かず、または逃げきれなければ、そこで終わりって事?

 

「まあ、それ以外の方法で生きてここを通り抜けられるならば、それでも良い。

 前回の一号生は全員で押さえて鉄球を止め、闘士たちを先に行かせる事でこの試練を終えたが、残り全員力尽きて、鉄球の下敷きになった。

 それでも正解という事よ。」

 だから待て──っ!!

 

 ・・・

 

「に、逃げろ!全員轢き潰されるぞ──っ!!」

「うわああ!すげえ速さだ──っ!!」

「よ、横へ逃げて側壁にぶら下がったらどうだ──っ!!」

「だ、駄目だ、鉄球と道の縁との間には隙間がねえ──っ!!

 そんなことをしても指が潰されて、結局は真っ逆さまに下へ落ちてしまう!!」

 塾生達は逃げながらも、対処方法を考えてはいるらしい。

 

「ここはこのまま麓まで逃げ切るしかねえ!」

「馬鹿言うな!

 麓までたって五、六キロはあるぞ!

 そこまで保つと思うのかーっ!!」

「だったらどうすればええんじゃ──っ!!」

 …うん、一応はそれが正解。

 現時点では怪力王の虎丸も、壊せないもののない拳を持つJ(あ…どっかで聞いた台詞、ここにも居たわ)も、自称頭脳派の田沢もいないから、奇を衒わずに全速力で、スイッチのある場所まで逃げ切れば助かる。けど。

 

「ぐえっ!!……うわああ──っ!!」

 最後尾の椿山が転んだ。

 その身体のすぐそばまで鉄球が迫る。

 

「つ、椿山──っ!!」

「全員、つづけい!!」

「お、おう!!」

 桃が号令をかけて、全員が鉄球を押しとどめる。

 何とか止めたものの、いつまでも耐えきれるものでもない。

 

「人バシゴで玉の上登って、向こう側に移ることはできるかもしれねえぜ!!」

「桃、伊達、月光!おまえらは先に行ってくれ!!」

 誰かが提案したそれは多分、前回の一号生が取った手段。

 だが、桃の性格上、その提案を受け入れる事はできないのだろう。

 その言葉を聞いても、彼が動く事はなかった。

 恐らく三人が向こう側に渡ったくらいのところで、残り全員は鉄球の下敷きになる。

 それが明らかである故に動けないのだ。

 と、その時一号生たちの後方で、月光が動いた。

 

「ここは、わたしに任せてもらおう。」

 制服の上着を脱ぎ捨て、地面を蹴って跳躍する。

 190cmはある大きな身体で、ひとっ飛びで鉄球の上に降り立った月光は、その上に片膝をついて、指先で何かを探り始めた。

 やがて何かを見極めたように指を止めると、どこからか取り出した(つっこまない、私は絶対につっこまないぞ)突起のついたナックル様の手甲を右手に装着する。

 それで鉄球に一撃するも、それはわずかに穴を穿つだけに終わった。

 だがそれで月光は、「これでいい…!!」と立ち上がる。

 一号生達からその行動に文句が出るのも構わず、月光が球の上から告げた。

 

「次のわたしの合図で全員、鉄球から手を離し、全速力で下へ駆け抜けてくれ。

 全速力でだ……!!」

 その言葉にも一号生達から不信の声があがる。

 だが、

 

「やめろ。ここは月光の言うとおりにするんだ。

 奴を信じるしかない。」

 桃がそれを制し、皆がそれに頷いた。

 

「行けい!!」

 月光が叫び、同時に全員が、言われたとおりに駆け出す。

 支えを失った鉄球は再び転がり始め…上に乗った月光が、なぜかその上で静止していた。えっ!?

 

「な、何で月光、あの上から振り落とされずに立ってられるの!?」

「ただ静止しているのではない。

 あの男、球の上で小刻みに跳ねておる。

 球の上に完全に体重が乗る前にもう飛んでおる故、常にその上で浮いている状態となっておるのよ。」

「まじか。」

 理屈はわかったが人間業じゃねえわ。

 その月光は、鉄球の転がるスピードが上がり始めたタイミングで、その上から大きく飛び立ち、その前に立ちふさがった。

 そのままその場所で、先ほどの手甲で拳を構える。

 次の瞬間。

 

辵家(チャクけ)核砕孔(かくさいこう)!!」

 繰り出された月光の右の拳が、巨大な鉄球を粉々に砕いていた。

 

 ・・・

 

「大した事ではない。

 鉄球のヘソを見切り、転がり落ちる玉のスピードを利用し、拳の威力を倍加したまでのこと…。」

 いや、『大した事じゃない』って言葉の使いどころ、完全に間違ってるし、見切ったっても、あなた目が見えない筈だし、これはアレか。

 つっこんだら負けとわかっていてもつっこませる、私に対する巧妙な罠か。

 ともあれ危機を脱した一号生達は、月光に対する賞賛を叫びながら、再び頂上へと歩き始めた。

 目指すは最終闘場。

 気付けば、空には雷雲が立ち込めてきていた。




長年の疑問が、「暁」の悟空対雷電(次世代)戦を見て、ようやく解答を得られた。次世代雷電にできることが、この世代の月光にできないはずがない。多分。


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14・Gate Of Heaven

…今気付いたんだけどさ…闘士出陣前の、その闘士に対する伊達の解説コメントって、実は結構負けフラグじゃね?


 八連(ぱーれん)返天竜(へんてんりゅう)八闘神像。

 古代中国、人びとを苦しめた八匹の竜を、天へと追い返した八人の拳法家を象り、祀ったとされる巨像。

 それにぐるりと取り囲まれた広場が、今登ってきた塔のてっぺんにあり、その広場はよく見れば、地面に無数の穴があいている。

 雷鳴鳴り響く中(ピカッと光るたび椿山がお腹押さえながらビクッとしていた。ひょっとして雷苦手なのかな、あの子)、ようやく登り着いた一号生たちに、王先生がここで行われる最終闘の説明に入る。

 その前に、この穴だらけの闘場の中に一匹のヤギが放された。

 

「この闘場を囲む各闘神像の頭部には避雷針がついておる。

 そこに雷が落ちた時、どういうことになるか…見るがよい。」

 そう言っている間に、なんかちょっと羅刹に似た闘神像に、雷が落ちる。

 その瞬間、ヤギが歩いていた足元の穴から尖った杭が飛び出てきて、その身体を貫いた。

 

「わかったか?

 カミナリが神像に落ちると、その電力を利用し、800ある地面の穴から100本の槍が突き出る仕組みになっておる。

 槍の出る穴の場所は、カミナリがどの神像に落ちるかで違っておる。

 つまり、闘っておる者にはわからんという事だ。」

 王先生の説明の間に、スタッフの何人かが、ヤギの死体を回収する。

 勿論その間にも、いつ落雷するかわからない為、地面の穴の場所には細心の注意を払いつつ。

 このヤギは、後でスタッフが美味しくいただきます。

 …いや多分だけど。

 

 ☆☆☆

 

「俺が先にやる。

 おまえには大将戦として、邪鬼と戦ってもらう。」

「油断するな。」

「ウム……!!」

 上着を脱いだ月光が、闘場への階段を下りていく。

 その背中に一号生たちが激励の言葉をかける。

 闘場に降り立った月光は、何やら呪文のような言葉を呟き始めた。

 

 ザ・ム・ラ・マ

 ケ・ン・ソ・ニ

 ハ・ン・グ・ラ

 ハ・ン・グ・ラ

 タ・ン・テ

 ス・ン・ソ

 ス・ン・ソ

 ハ・ン・グー・ラ

 

 …唱えながらの特殊な呼吸とともに、月光の闘気が、その身体の裡で膨らむのが、こちらから見てもわかる。

 

辵家(チャクけ)流、闘いの前の精神統一法だ。

 強靭な意志と体力、そして完成された闘技……。

 心配ねえ。月光は負けやしねえ。」

 伊達が完全に信頼しきった表情で言う。

 そういえば、驚邏大四凶殺の時も、 あの時は仮面で表情は見えなかったけど、月光に対する信頼は絶対な感じがした。と、

 

「見ろ、向こう側の神像の下に誰かいるぞ!」

「さ、三号生の邪鬼と影慶か──っ!!」

 一号生たちの騒めきに、彼らが示す方向に、思わず目をやる。

 その言葉通り、そこに居たのは氣の放出を抑えながらも威風堂々と立つ邪鬼様と、その側に侍るように立つ影慶だった。

 

「見事だ。

 よくぞこの大威震八連制覇、ここまで戦い抜いてきた。

 男塾三号生筆頭・大豪院邪鬼、誉めてやろう!!

 だが真の勝負はこれからだ。

 貴様等、生きてはこの塔を降りられん。

 この邪鬼を倒さん限りな………!!」

 邪鬼様のコメントに、一号生たちが静まり返る。

 そりゃそうだ。

 抑えていても、邪鬼様の氣の強大さは、肌を刺すように伝わってくる。

 

「あ、あれが男塾の帝王と言われた邪鬼か…。

 なんだか背中がゾクゾク寒くなってきたぞ。」

 やがて誰かがポツリと言い始めて、ようやく全員の硬直が解けたようだった。

 もっともそれは緊張の緩みを示すものではない。

 

「それに隣にいる男、今まで出てきた死天王の奴等とは格が違うようだぜ。」

 影慶は死天王の中で一番新参であるにもかかわらずその将として、また更に邪鬼様の側近として、その実力を認められている。

 邪鬼様の信頼は最も篤く、邪鬼様への忠誠心もまた然り。

 

「月光はお前にまかす、影慶……。

 死天王最強のおまえに敵はおらん。」

「この世で私の敵わぬ相手…、

 それは邪鬼様、あなただけです。」

 誰も入っていけない、もう相思相愛な雰囲気すら醸し出して影慶が階段を降りていき、闘場で月光と対峙する。

 その刺すような殺気を受け流すように、同じくらい堂々と立つ月光を見て、一号生たちはどうやら気持ちが落ち着いたらしい。

 先ほどまでの凍りついたような雰囲気はどこへやら、月光に声援を送り始めた。

 

 ・・・

 

「影慶……!?」

 一方、本人の姿やその威圧感よりも名前に反応して伊達が呟く。

 

「どうした伊達、奴を知っているのか?」

「やはり、あの影慶か……!!

 人から聞いた話だ。あれは三年前…

 日本全国から、腕におぼえのある一流の格闘家たちが集まって開かれる、喊烈(かんれつ)武道大会開会式最中のことだ。」

 

 

 開会式と言っても参加人数が多い為50人のブロック分けがされていた。

 そのひとつの話だそうだ。

 伊達が言うには、司会の挨拶の途中で口を挟んできた男がおり、その男はその前に行われた予選にはいなかった者だという。

 正式な手順も踏まずに開会式に飛び込んで大口を叩いたその無礼者を、その場にいた手練れの猛者たちが、叩き出そうと襲いかかったのは、まあ当然の流れだった、らしい。

 よくわからないが。

 

 

「それはまさに一瞬の出来事だった。

 あまりの速さに目にもとまらなかったが、やつはヌンチャクのようなものを手にしていたという。

 一分たらずの後、そこには五十人の格闘家達が、血の海に、半死半生の姿で横たわっていた。

 そして男は、自分の名をひと言残して、その場を立ち去ったという。

 その男の名が、確か影慶…。

 この世界では、伝説の男となっている。」

 …三年前に行われた大会って事は、確か邪鬼様が影慶を見込んで連れてきたっていう大会だと思うけど、なんか私が聞いてイメージしてた話と違う。

 なんでかは知らないが影慶は明らかに、私との必要以上の接触を避けていたから、そもそも私は彼の事はよく知らないのだが、その私の浅いイメージでは、影慶は沈思黙考って言葉が似合うタイプだと勝手に思っていた。

 その影慶にそんなやんちゃ(…というにはあまりにも血生臭いけど)なエピソードがあったなんて信じられない。

 三年という時間で人がそんなにも変わるものか?

 それともやはり私がイメージしきれていなかっただけで、影慶は意外と血の気の多い好戦的なタイプだったのか。

 ていうか直感的につっこんじゃいけないポイントじゃないかって気がするけど敢えて言う。

 

 三年前、事件起き過ぎ。

 

 私がそんな事を考えてる間に、影慶が自らの得物を構える。

 

「あれが奴の武器……!!

 なんて恐ろしい形をしたヌンチャクなんだ……!!」

 先ほどの伊達の話を裏付けるような、ヌンチャクに小さな斧とその先に鋭い突起がついた武器に、一号生たちが息を呑む。

 

「月光とかいったな。

 貴様がかなりの腕であることは俺にはわかる。

 しかし十秒だ。

 十秒でこの勝負に終止符をうつ!!」

「………十秒…………。

 おもしろい。その挑戦、受けてたとう。」

 先ほどの手甲型の鉄拳をまた右手に装着して、月光も構える。

 光と影が激突する、それは、兆し。

 大威震八連制覇最終闘・天雷響針闘(てんらいきょうしんとう)、開始。

 

 ☆☆☆

 

「フッ、十秒か…かつて影慶の予告宣言を過ぎて、生きていた者はおらん……!!」

 邪鬼様の信頼を受けて、影慶の武器が閃く。

 

愾塵流(きじんりゅう)犇斧(ホンフ)ヌンチャク!!」

 …熟練しなければ使い手の方が負傷しそうな形状のそれをすごいスピードで振り回しながら、影慶が月光との間合いを詰める。

 右か、左か。上か、下か。

 どこからでも攻撃は可能。

 使い勝手のいい武器とは言い難いが、使いこなせればその動きを見切る事は難しい。

 

「何者も、この動きを見切ることはできぬ。

 十秒とは長すぎたか……!!

 見事それまで持ち堪えることができるか、貴様に!!」

 月光は一旦僅かに身を引いて間合いを外し、拳をヌンチャクの動きに合わせて繰り出す。だが。

 

「ああっ、月光の鉄拳が割られた──っ!!」

 先ほど、巨大な鉄球を粉々に砕いた鉄拳の、突起部分が折られていた。

 

「なるほどな…。

 どうやら貴様、少しは見えるらしいな。

 鉄拳を合わせ、犇斧(ホンフ)を割ろうとするとは……!!

 しかし破壊力でこの犇斧(ホンフ)ヌンチャクに勝るものはない。

 そしてスピードはますます速くなる。

 あと五秒だ!!」

 月光の場合見えるってより、空気の動きを読んでるんだと思うけど。

 影慶の武器の特性上、ひと時も止まっていない故に、それが巻き起こす空気の動きも相当なものだし。

 もっとも読めたからって反応ができるとは限らない。

 やはりそこは、月光はやはり達人だ。

 ちなみに、超人クラスの動体視力とそれに対応できる反射神経、両方備えてるのが赤石だと思う。

 託生石は彼をここには導かないとは思うが、もしこのステージで赤石が出てきていたらこの場面、かなりいい勝負ができてるんじゃなかろうか。

 まあ脳筋だけど、剣さえ封じられなければ、基本赤石は無敵だと思ってる。脳筋だけど。

 大事なことなので二回言いました。

 

「逃しはせん!!」

 大きな動きで間合いから出ていこうとする月光を、影慶が追撃する。

 斧の部分が月光の胸元を掠め、棍の部分が左腕のプロテクターを砕く。

 

「げっ、月光──っ!!」

「だ、だめだ、ヌンチャクは奴のいうとおり、どんどん速くなっている!

 とても人間の目で見切れるもんじゃねえ──っ!!」

「あと三秒!!」

 休むことなく千変万化する犇斧(ホンフ)ヌンチャクの動きに、紙一重で躱す月光が、恐らくは足元の穴に踵を取られたのであろう、僅かに身体がぐらつく。

 

「二秒!!このまま敗れるとはいえ見事だったぞ。

 この俺と戦い、宣言した時間を使い切らせたのは、貴様が初めてだ。」

 …それ、言ってる間に二秒過ぎてる筈だってのは、やはりつっこんだら負け案件だろうか。

 

「一秒!死ねい月光!!」

 犇斧ヌンチャクが真っ直ぐ月光の胸板に向かう。

 次の瞬間、こちらからはその胸板を、犇斧(ホンフ)の先が突き抜けたように見えた。

 二人の動きが一瞬止まり、雷光が二人の間の影を濃くした。

 

「や、殺られた。

 あの三面拳最強とうたわれた月光が、あんなに一方的に……しかも、影慶の予告したとおり、たった十秒で……!!」

「いや、よく見てみろ。

 月光はあのヌンチャクの動きを、ギリギリで見切っていた……!!」

 桃が小さく息を整えながらそう言い切る。

 言われた通り目を凝らして見てみれば、犇斧(ホンフ)は月光の胸を貫いてはおらず、その柄は月光の逞しい腕の、脇の下にガッチリと固められていた。

 

「どうした影慶。十秒たったが俺は生きている…。

 今度は、俺が貴様を十秒で倒す番だ!!」

 三面拳最強の男、月光。雷鳴を背にし。

 静かなるその(おもて)の裡、満ちたるその輝きに、僅か一片の欠けもなし。

 

 ・・・

 

「どうやら貴様の力は、俺の考えていた以上だったらしい。

 貴様には20秒…いや、30秒は必要だったようだな。

 今度は貴様がこの俺を十秒で倒すとな……。

 よかろう、存分にくるがいい。」

 月光が固めていた腕を伸ばし、影慶が一旦間合いから離れる。

 

「さあ、くるがいい!!すでに一秒!!」

 月光が構える。

 

「二秒……三秒!…四秒!!」

 その間にも雷鳴が鳴り響く。

 

「五秒…どうした、かかってこんのか……。

 すでに予告時間の半分は過ぎた。

 もっともこの俺に、踏み込める一分のスキもありはせんがな。

 …六秒!!」

 構えをとったきりピクリとも動かなくなった月光の様子に、一号生たちの間に騒めきが起きる。

 実際にスキが見つからないのは事実のようだが、

 

「……待っている!!

 月光は何かを待っているようだ、何かを……!!」

 桃の見解は、やはり少し違うようだった。

 

「残すはあと三秒!!

 どうやらせっかく与えたチャンスも、何もできずこのまま終わりそうだな。…八秒!!」

 その瞬間。

 

「九秒!!」

 とうとう、神像のひとつの避雷針に落雷した。

 

「!!」

 となると、闘場にはこれに対応した変化が起きるのは必至。

 

「俺にはわかっていた。

 このカミナリがくるのが……。

 それを知らなかったお前には、今一瞬のスキがある!」

 100本の槍の先端が地面から姿を現す。

 それを避けるべく二人とも跳躍するが、一瞬早く飛び上がった月光の方が、影慶より高い位置にいた。

 

「風、火、地、水。自然の利を生かし、相身一体となって、勝機を我が物とする。

 辵家(チャクけ)流拳法の真髄はこれにあり!」

「そうか、月光は稲妻の光と雷鳴の音の到達時間を計算し、神像への落雷時間を予測していたんだ。

 それが十秒……!!」

 …ん?

 ごめん桃。微妙に何言ってんのかわかんない。

 音と光なら光の方が先に来るし、前の雷の音と次の落雷にはとくに時間的な関連は無いように思う。

 多分月光が読んでいたのは大気の微妙な震えかと。

 どっちにしろ神業には違いないけどさ。

 まあそれはともかく。

 

 宣言の10秒目の瞬間、月光はその長い脚を目一杯伸ばすようにして、影慶の顔面に蹴りを放っていた。




ちなみに影慶と邪鬼様のカップリングなら邪鬼様が受けだと思っています(ヲイ
忠誠心がいつしか愛に変わったその溢れる想いに、耐えきれなくなった影慶が邪鬼様を大強引に「やめれ」バシュ!…ドサッ。「ふぅ…お目汚し失礼いたしました。この腐った乙女オッサンは、責任持って私が持って帰りますね。」ズルズル…


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15・思い出さえも息苦しくて

前々回に書いた鉄球の上での静止状態といい、月光は色々不可解な行動が多いわけだが(笑)、その中でも一番物議を醸しているとされる今回の恟透翼のシーン、本当に辻褄合わせに苦労した(爆)。けど、この『月光ほんとは見えてんじゃねえの疑惑』に関して真の説明が為されるのは、現時点で構想してるまま進めば、恐らくは七牙冥界闘(バトルオブセブンタスクス)で生還した後の話になると思う。それすらも「いや、ソレなんぼなんでも無理あんだろ」と盛大につっこまれること必至なわけだが、そんなわけでここでは敢えて曖昧に流す事にするのだった。


 空中に投げ出された影慶の身体が、地面から突き出た槍の上に落下する。

 だが、あわや串刺しという瞬間、空中で体勢を整えた影慶は、次の瞬間、片脚で槍の切っ先に爪先立ちしていた。

 その視線の先で、月光も同じようにして槍の上に立っている。

 二人とも、まったく危うげなく。

 

 …全然関係ないけど、御前の家に来たばかりの頃、豪毅と勉強しながら最後には遊んでいて、アルプス一万尺という歌の中の『小槍の上で』という歌詞について、

 

「槍の上に立つってどういう事なんだ」

 という疑問から入り、

 

「しかも、そこから更に踊るって」

「そもそもアルペン踊りとはなんだ」

 とああだこうだ言い合った後、御前の書庫に潜り込みかなり真剣に二人で調べた事を何故か、今、思い出した。

 このアルプスが日本アルプスの事で小槍はそこにある岩、そしてそんな上で『アルペン踊りを踊る』などという芸当はまず不可能という事実を知った後、ある一冊の本に『拳法の修行者が体術を究めんとしている場面を歌ったもの』という記述を見つけて、ようやく納得した私たちが、

 

「私たちも早くこのレベルに到達して、いつか二人で小槍の上で、アルペン踊りを踊りましょう」

 と、わけのわからん誓いを立て合ったのも、今となっては懐かしい思い出だ。

 けど数年後に御前と書庫で、勉強の為の書物を物色していた際に、御前が件の本を示し、

 

「この出版社が出す武術書は大抵が眉唾ものだ」

 と言っていたのを聞いて、あの日私と豪毅の目から落ちた鱗を返せと思った。

 もっとも私は暗殺者としての本分から、格闘向きの筋肉をつける事を御前に禁じられたので、格闘術の修行はあくまで護身術の範囲内でしかつけてもらえなかったわけだが。

 閑話休題。

 

「フッ……。

 貴様もこの俺を、十秒で倒すことはできなかった。

 どうやらお互い相手をあなどっていたようだな。」

 薄笑いを浮かべながら、影慶が言う。

 

「小手調べは終わった。これからが本番……!!

 犇斧(ホンフ)ヌンチャク、真の威力を見せてやろう。」

 そう言って、また振り回したそれは、先程ですら目に見えないスピードだったものが、更にその速さを増している。

 月光は構えを取りつつ、左手を背中に回すと、恐らくは革の腰当ての内側から、何かを引き出した。

 …うん、そう何度も私がつっこんでやると思ったら大間違いだ。

 攻撃に転じてヌンチャクを振りかぶる影慶の前に、それを水平に掲げ、両腕を横に引く。

 次の瞬間、長さを増した一本の棒に、影慶の犇斧(ホンフ)ヌンチャクは弾かれ、防がれていた。

 

「見せてやろう。覇極流棍法術…!!」

 辵家(チャクけ)じゃなく覇極流なのか。

 やはり伊達の時に思った通り、覇極流は武器を選ばない流派であるようだ。

 もっとも棍は攻撃武器としては原点である故、シンプルだが多様性に富む。

 時には剣、時には槍、更に防御に使用すれば盾ともなり得るわけで。

 覇極流の武術としても原点に位置するのかもしれない。

 

「おもしろい。貴様、棍を使いおるか……。

 ヌンチャクに抗するは棍とは、拳法の定石。

 それを、今の今まで使わずとは大した余裕よ。

 しかし、この俺には通用するかな。」

 そういえば驚邏大四凶殺の時に彼の事を教えてくれた三号生が『なんでも使いこなすけど一番得意な武器は棍』って言ってた筈だ。

 えー待って。

 一般の三号生が調べて知ってた事を影慶が知らなかったのはどういう…いやまあ単純に忘れていたのかもしれない。

 月光の事を侮ってたって、自分で言ってたもんな。

 そんなこんなで裂帛の気合いと共に、影慶の腕の動きが激しくなる。だが、

 

「き、貴様…!!」

 棍を手にした月光の動きは、実際にその腕を目の当たりにして、相対している影慶だけではなく、見ている私たちすらも驚愕せしめた。

 

「す、すげえ月光!!

 あの凄まじい攻撃のヌンチャクを、ことごとく打ち返している──っ!!」

「フッ…。

 棍をつかわせて月光の右に出る者はおらん。」

 なんだか自慢げに伊達が言う。

 そういえば伊達の槍術には節棍の要素もあった。

 ひょっとしたら、蛇轍槍を極める際に、月光に師事した事があるのかも。

 一方、双節棍であるヌンチャクは武器の特性上、跳ね返ってきた部分は受け止めねばならず、自身の予期しない方向に跳ね返れば、その受け止める段階で一拍使うことになる。

 月光は影慶の犇斧(ホンフ)ヌンチャクの目にも留まらぬ攻撃をことごとく跳ね返しながらそれを何度も繰り返し、時には突きの攻撃に転じて、その遅れを蓄積してゆく。

 やがてそこから生み出された一瞬のタイミングを狙った月光は、やはり目にも留まらぬ速さで、棍を真っ直ぐに突き出した。

 影慶の手元で、ヌンチャクがふたつに分かれる。

 

「ヌンチャク唯一の弱点は、その結ぶ鎖にある!!」

 連結する鎖を断ち切られたヌンチャクはただの二本の棒…まあ、この場合小さな斧でもあるから、それとしての使い道はあろうが、少なくともこれまでと同じ動きはこれで不可能だ。

 

「や、やった!

 ヌンチャクを結ぶ鎖を断ち切ったぞ──っ!!」

「これでもうヌンチャクは使えやしねえ!!

 よーし、この勝負いただきじゃ──っ!!」

 一号生たちの歓喜するその声援を背に、月光が棍を振りかぶり跳躍する。

 

「もらったぞ、影慶!!」

 だがその影慶は、二本の斧となった己の武器を投げ捨てると、一旦懐に手を差し入れた。

 

「もらっただと…笑止。

 犇斧(ホンフ)ヌンチャクだけが、俺の全てだとでも思っているのか。」

 そうして再び懐から出した手を、明らかに何かを投擲する動きで振り抜く。

 空中から影慶に追撃せんとした月光の、左の太腿から血が飛沫(しぶ)いた。

 突然の事にバランスを崩して、地に降り立った月光が膝をつく。

 

「げっ、月光──っ!!」

「いったいどういう事じゃ、あれは!?

 あんな離れた距離から月光を──っ!!」

「飛び道具か……。」

「ウム。」

 多分私と同じように見えてはいなかったのだろうが、状況のみで察した桃が呟くのに、伊達が頷く。

 

「フッ、今わかる。」

 影慶は上空を見上げ、小さく左手をあげると、人差し指と中指を立てて、何かを挟んで止めたような動きを見せた。

 

愾塵流(きじんりゅう)恟透翼(きょうとうよく)!!」

 …それは、よく目を凝らして見てみれば、ガラスのように透き通った材質でできたブーメラン。

 しかも薄く鋭い刃のようなそれは、飛行中も風を切る音はほとんど聞こえなかった。

 …てゆーか、扱いを間違えたら自分の手の方が怪我しそうな武器好きだな影慶。マゾかお前。

 

「見えまい、この水晶でできた(よく)は。

 止まっている時は見えても、ひとたび指から離れた時、その速さと回転によって、完全に見えなくなる。」

 ガラスじゃなくて水晶でしたか。

 私がそう思ってる間に、影慶はまたもそれを、月光に向けて投げる。

 まあ、月光はそもそも見えてないんだけど、影慶はそれ知らないから仕方ないよな。

 けど、投げた瞬間は振鳴音が聞こえるが、風に乗るにつれそれも小さくなり、上空からの雷鳴音もあり、音による察知もなかなかに困難な状況。

 懸命に音を追おうとするも、次には月光の左上腕部が裂けた。

 

「次の一投がこの勝負、そして貴様の最後だ!」

 言いながら影慶が、戻ってきた(よく)を手元で回転させる。

 というかあなた自身は見えるんですね、それ。

 

「あ、あの月光が一歩も動けねえ──っ!!」

「だ、だめだ!

 見えねえんじゃあの攻撃は防ぎようがねえ!

 このままでは月光は殺される──っ!!」

 一号生たちがまたも騒めく。

 いいから君達少し静かにしなさい。

 

「死ね──っ!!」

 影慶が右手を振りかぶる。

 その瞬間月光は、今受けたばかりの左腕の傷口に口をつけると、そこから吸い取ったらしい自身の血を、周囲の空間に吹き散らした。

 いや、パフォーマンス系プロレスラーかおまえは。

 私が思わず、そう心の中でつっこみを入れたあたりで、

 

「おおっ!

 すげえぞ月光の奴、血を吹き散らし、翼を浮き上がらせた──っ!!」

 …うん確かに一瞬だけ、透明な羽が回転したのは確認できた。

 けどそれだけ。

 透明な羽はすぐに血煙の中に紛れるし、水晶の光透過は複屈折である為、近くに来ると却って見辛くなる。

 けど、月光としてはそれは関係ない。

 誰も気付いていないが恐らく血飛沫は、ソナー的な意味合いで使ったものだろう。

 何はともあれ翼の正確な位置をようやく捉えた月光が、棍の一撃でそれを叩き落とす。

 それと同時に影慶に向けて突進した月光だが、次の瞬間その動きが止まった。

 雷光が閃き、闘場全体を照らして、二人の間の影が濃くなる。

 

「な……!?どうしたんだ月光は……!?」

「そ、そのまま何故とどめを刺さねえんだ?」

 やがて月光は、そのまま地面に膝をついた。

 よくよく見ればその背中に、先程棍で叩き落としたのと同じ、もう一枚の(よく)が刺さっており、恐らくはその切っ先は、心臓にまで達している。

 

「不覚だった…

 二枚の刃を同時に放ち、前後から攻撃してくるとは……!!

 お、俺の負けだ、影慶……!!」

「安らかに眠れい、月光…おまえの名は忘れない。

 ここまで俺を追い詰めたのは、貴様が初めてだ。」

「む、無念………!!」

 棍を支えに、辛うじて蹲っていた月光の手から力が抜け、その身が地面に倒れこむ。

 

「や、殺られた……!!

 三面拳最強の男と言われたあの月光が…。」

 悲痛な表情を浮かべる一号生たち。

 そして倒れた月光に歩み寄り、その背から(よく)を回収した影慶もまた、何故か同じような表情を浮かべている。

 

「戦いは終わった。安らかに眠れい、月光……!!」

 そう呟いて、月光の目を掌でそっと覆う。

 その手が離れた時、開いたままだった月光の瞼が閉じられていた。

 

「月光──っ!!」

 

 ・・・

 

「見ろ、月光の指先を…な、何か書いてあるぞ。」

「な、なんだと……!?」

 雷光に照らされた闘場を、やけに目のいい一人が指差す。

 更に用意のいい一人が双眼鏡を取り出して覗く。

 どうやらそれは血文字。

 死の間際に月光が書き残したらしいそれは、漢字二文字で『如號(にょごう)』とあった。

 

「常に寡黙で、己の感情を表すことのなかった月光が、この世で最後の力を振り絞って、書き残したのだ…。」

 痛みを堪えるような表情を浮かべた伊達が、誰に言うともなく呟く。

 また腕を握りしめて怪我でもしてるんじゃないかと心配になったが、今は私は何もしてやれない。

 他の一号生達は涙を浮かべており、桃は厳しい表情を浮かべながら、月光が書き残したその言葉を、おうむ返しのように呟いた。

 

「死亡確認!死体を場外へ運び出せい!」

 王先生の暗号(サイン)がなされ、どうやらこっそりと蘇生が行われたらしい月光の側に、救助組が落雷に気をつけながら歩み寄る。

 

「大威震八連制覇最終闘・天雷響針闘第一戦、男塾三号生側、影慶勝利!」

 王先生が右腕を掲げて宣言する。

 同時に上空で雷光が輝いた。

 

 ・・・

 

 勝者である影慶に歩み寄り、王先生が声をかける。

 

「この最終闘は両軍とも、相手の二名を完全に倒すまでの、勝ち残り戦である。

 引き続き第二戦に入るが、先程の戦いで、まだ息も整うまい。

 しばしの休息をとるがよい。」

 だが影慶は、例の恟透翼についた月光の血を、乾いた布で拭き取りながら、表情も変えずに言い切った。

 

「休息など心配無用。

 このまま、すぐに始めてもらおう。」

 …確かに、攻撃を防がれたり武器を破壊されたりしてはいたものの、影慶に肉体的なダメージはないし、息すら乱していない。

 その影慶は自陣に未だ控える将を見上げ、微かに頷く。

 その視線を真っ直ぐに返した邪鬼様が、腕組みをしたまま微動だにせず、言った。

 

「好きにするがいい、影慶。

 たとえ貴様の為に、この邪鬼の出番がなくなろうと、文句は言わん。」

 二人の視線が交錯する。

 うん、無理。もう絶対に入って行けない。

 それは、絶対的な信頼。

 

「ではこれより、大威震八連制覇最終闘・第二戦を行う!

 男塾一号生筆頭・剣桃太郎、いでい──っ!!」

 その空気を振り払うかのごとく、王先生が高らかに呼びかけた。

 

 ・・・

 

「策はあるのか、桃!?

 月光をも倒した影慶の恟透翼、あれを封ずる手だては……!?」

 伊達の問いかけを背中に受けて、桃が振り返らずに答える。

 

「心配するな。

 月光が俺に残した最後の言葉、“如號”…。

 それは昔、中国の戦士達が、合戦で敗れ死ぬ時、後に続く者を信じ、その勝利を祈して、血文字で記したものだ。

 

 俺は、奴の期待を裏切らない!!」

 

 …いずれは私を断罪してくれる予定の男は、闘場へと続く階段を、一歩一歩踏みしめて降りていった。

 その瞳に浮かぶのは、深い悲しみと、そして決意。




文中にある『ある一冊の本』は、勿論あの出版社から発行された書籍です。タイトルは「童謡に見る世界の武術奇譚」。この本によれば、マザー・グースの『Who killed Cock Robin(誰がこまどりを殺したか)』は、古代の権力者が、目に見えない矢によって暗殺された様子を歌ったものだそうです。あと光はそこまで読んでいませんが、『かごめかごめ』の項に死穿鳥拳らしい、鳥を使った拳法の記述があります。
これらの内容、豪毅は蒼龍寺に修行に出される少し前に違うと気付いていますが、光は14、5歳まで本当だと信じていたようです。
ちなみにアタシは『かき氷屋三代記-我永遠に氷をアイス』でようやく嘘だと気がつきました。あの時の衝撃は今も忘れられません。


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16・未来は君の夢を試すだろう

ヤヴァイ…改めて原作読み返したら、桃さんかっこよすぎる…!
アタシの文章力では表現しきれない…!!


 桃の背中を闘場に見送ったあと、私は回収された月光を追いかけ、歩きながら治療した。

 背中から心臓に至る傷も勿論だが、腕と脚の切り傷は、大動脈を切断しているので、それも塞いでおく。

 例の、怒粧墨状態で戦っていれば、ひょっとしたら回避できてたんじゃないかと思うが、恐らくは彼、そもそも怒るって事がほぼないっぽい。

 虎丸と戦ったあの時が特別というか、それだけ虎丸が失礼過ぎたのだろう。

 なんていうか、うん、ごめんなさい。

 なんで私が謝ってんのかよくわからないけど。

 ああでも、あの状態だともしかしたら、繊細な動きとかは逆にできないのかも。

 虎丸の時はあの後からただの乱打攻撃になっていたし、それだったら通常運転で棍を握っていた方が月光は強いのかもしれない。

 何はともあれそれ以上の出血を止める程度に、最低限まで傷を塞いだら少し疲れたので、治療スペースに向かう担架をそこから見送りながら、こっそり覆面の下でキャラメルをひとつ口に含む。

 思ったより使ってしまった氣の残量的に、コレでも少しヤバイかもしれない。

 驚邏大四凶殺の時のように、ほんの数分でも眠る事ができれば、若干の回復は望めようが、現時点ではそんなわけにもいくまいし。

 と、後ろで一号生たちの叫ぶ声が聞こえ、思わずそちらを振り返った。

 その前に一瞬だけ、空気を切り裂く音が聞こえていたから、月光を倒した影慶が、今度は桃に向けて、例の水晶の(よく)を投げ放ったのだろう。

 闘場では影慶と対峙している桃が、左手に刀を鞘ごと腰の位置で構えて、あろう事か、目を閉じている。

 あれ…この体勢ってひょっとして。

 次の瞬間、桃が右手で(つか)を握ったところまでは目視出来た。けど。

 

「無限一刀流・心眼剣!」

 高い衝撃音が、遅れて響く。

 続いて、なにかが割れ落ちる音。

 それは、目にも止まらない居合の技だった。

 それが影慶の投げた恟透翼(きょうとうよく)を、真っ二つに斬り割ったのだ。

 多芸だとは思ってたけど、こんなことまで出来るのかこの男。

『心眼』の方は、Jとの試合の時に会得したやつの、剣技への応用だろうけど。

 居合は、まだ豪毅が修行に出される前に、御前が手づから庭で教えているのを何度も見た事がある。

 あの当時で形がもう出来上がっていると、御前が影で褒めていたものだ。

 

 ……アレ?ひょっとして豪毅、今でも剣技の、基本スタイルは居合だったりとかしない?

 あの時普通に抜けとか言っちゃって、刀抜かせた状態で「桃より落ちるな」とか思ってたけど、居合って抜いた状態ではそもそも終わってるわけで、実際にその攻撃力が最高潮に高まってるのは、確実に抜く前の筈だ。

 豪毅が氣を扱う攻撃ができるかどうかは知らないけど、あの時彼の身体の裡に、充実したそれを確かに感じた。

 あの居合の体勢で練った闘氣を溜めて、抜く際に放出するような技がもし使えたのなら、その攻撃力は比類なきものとなるだろう。

 うわあゴメン豪くん。

 お姉ちゃん多分にあなたの実力見誤ってた。

 

「ざまあみやがれ!

 これであのブーメランは残り一枚じゃ──っ!!」

 ……はっ。

 いかん、桃の剣技に見惚れたせいで、意識が明後日に飛んでいた。

 

「見事な剣さばきだ。

 さすが一号生筆頭と言われる事はあるようだな。

 この(よく)の発する微かな振鳴音で、その動きを察するとは!」

 …影慶が感嘆したように言う。

 けど、物の見方がちょっと浅いな。

「心眼」って耳だけじゃないと思うよ。

 赤石曰く、目に見えないものを心で視ること。

 どんな物体もこの地球上で、空気を動かさずに移動することは不可能。

 その中で、動くものが見えないのならば。

 

 風の鳴る音を聞いて。

 空気の動きに触れて。

 その中の、異質を嗅ぎ分けて。

 動いてきた空気を、味わって。

 

 うまく言えないけど、つまり五感のうち視覚以外を全部使って感じ取るって事じゃないかと思う。

 …私もだてにこの数ヶ月、赤石の明後日言動を見続けてきてるわけじゃないぞ。

 まあ、この場合無駄に目のいい赤石は、ひょっとしたら普通に恟透翼も目で確認して『俺に斬れぬものなどない』とか言ってるのかもしれないが。

 

「ここまでは月光も、目と耳の違いはあるものの、躱しきった。

 しかし、これを雷の落ちる雷鳴とともに投げたらどうなると思う。

 貴様の心眼剣は通用せん!!」

「まずい!

 カミナリの大音響に、ブーメランの振鳴音がかき消されてしまう!!」

 影慶が言うのを聞き、伊達が焦ったように言うけど、だーかーらー音だけじゃないってば。

 …けど、一度あれだけの精神集中が為された直後は、どうしても若干散漫になるのは確かで。

 同じことは、いくら桃でも2回続けてはできないかもしれない。

 

「くるぞ!!」

 雷雲が近いゆえの大気の震えが場を支配して、雷光が闘場を照らす。

 

「お、落ちた──っ!!」

 続く雷鳴が、爆発のように響く。

 

「死ねい──っ!!」

 影慶が見えない刃を振りかぶる。

 瞬間、桃が着ていた学ランを、影慶に向かって投げた。

 それは透明な(よく)を一瞬包み、次にはその回転によって布地が裂かれる。

 

「う、うまい!

 あれで学ランの穴の位置から、ブーメランの軌道がよめる──っ!!」

 その裂かれた部分に向かって、桃が刀を逆袈裟に斬り上げた。

 高い衝撃音が響き、撃ち返されて勢いを殺された(よく)が、どうやら影慶の顔に向かって飛んだらしい。

 影慶は小さく首を傾けてそれを躱す。

 

「フッ…驚いた……。

 俺の恟透翼が、ことごとくうち破られるとはな。」

 学ランを使うってアイディアは初出じゃなく、伊達と戦った時にも使っていたな。

 それはそれとして関係ないが、男塾の授業には、鍛錬系に比べると時間数は少ないが、実は縫製の授業もある。

 何せ、破れるたびにいちいち新調していたら、何着買わなきゃいけなくなるかわからないから当然だが、最初に聞いた時には意外だった。

 なのでこの間富樫の学ランを手に取る機会があり、せっかくなのでよく見てみたら、確かにあちこちに縫い跡があった。

 のだが、それは女の私が敗北感を覚えるくらい綺麗に縫われていて、ちょっとだけ泣いた。

 ちなみに卒業生の中には、和服ブランドを立ち上げて成功している人もいるらしい。

 そんなわけできっと桃も、塾に戻ったら自分であの穴、ちくちく繕うんだろうと思う。

 ちなみに以前邪鬼様に留め具吹っ飛ばされた私の制服は、天動宮で充てがわれた部屋に入ったら、全部きちんと縫い直された状態で置いてあった。

 閑話休題。

 

「驚くのはまだ早い。

 俺が何故(よく)を割らずに、刃峰ではじきとばしたか、わからんのか?」

「なんだと……!?」

 2人の頭上でまた雷光が閃き、その光を空中で何かがキラリと反射する。

 その輝きは回転しながら、影慶の背後から接近して、影慶の左肩に命中した。

 それは、影慶の投げた水晶の(よく)

 桃は刀で弾き飛ばした時、それが回転して戻ってくるルートも計算して、角度と力を調整したものらしい。

 あの一瞬で。恐ろしい男だ。

 (よく)が突き刺さった影慶の左肩から血が溢れ出す。

 どうやら肩の大動脈を切断したらしい。

 それを目にしてか桃が、抜いた刀をおさめる。

 だが影慶は、傷口から更に血が噴き出すのも構わずそれを引き抜くと、刃物を構えるように握りしめた。

 

「何故、剣をサヤにおさめた…!?

 これしきの傷で、この俺がまいるとでも思ったか!!」

 言うや、今度はそれで斬りつけるように振りかぶるも、その動きはやはり出血のせいか精彩を欠き、攻撃は全て桃の、鞘に収まったままの刀に防がれていた。

 なんか、さっきの月光戦の再現みたいだ。

 そして、ようやく桃の刀が再び抜かれたかと思えば、影慶が手にした最後の武器も、その一閃で粉々に砕かれた。

 驚きに硬直したその一瞬で、桃の刀の切っ先が、影慶の喉に当てられる。

 

「ここまでだ…!!

 その出血で今の貴様では、この俺を倒す事はできん。

 死んだ月光も、貴様の死を望んではいまい。」

 そう言った瞳が、やけに哀しげに見えたのは私の気のせいか。

 

「この勝負桃の勝ちじゃ──っ!!」

 一号生たちの盛り上がりをよそに、影慶は間合いをとり、まだ構えを取ろうとする。

 そこに、彼らの頭の上から、突如声がかかった。

 

「奴の言う通りだ、影慶。

 あとは、この邪鬼にまかせるが良い。」

 抑揚のない、冷たい口調。

 彼を知らない者にはそう聞こえるだろう。

 けど、邪鬼様の普段の姿をある程度見ている私には、それはひどく優しいものに聞こえた。

 そこには、自分が信頼する側近に対する、疑いのない信頼と、いたわりが確かに顕れている。だが、

 

「これは、邪鬼様のお言葉とも思えませぬ。

 男塾死天王を束ねるこの影慶が、死を恐れてこのまま引き下がる男でない事は、あなた様が一番御存知のはず。

 …お忘れですか、愾慄流(きりつりゅう)、死の奥義を!」

 影慶のその言葉に、邪鬼様の表情が微かに曇る。

 桃の勝利を確信していた一号生たちが、ブーイング気味に騒ぎだす。

 

「影慶、貴様…!!」

 それを気にも留めず、邪鬼様は相変わらず抑揚のないながら何やら悲痛なものを含んだ声で、闘場に立つ腹心の名を呼んだ。

 雷鳴が、また轟いた。

 

 

「見るがいい、剣!!」

 言うや影慶は、どこからか取り出した竹筒を取り出して、そこから右手に何かの液をかける。

 影慶の手が、黒く変色していく。

 あ、なんかいやな予感しかしない。

 

「愾慄流死奥義、穿凶毒手(せんきょうどくしゅ)!!

 この影慶のこの世で見せる、命を賭した最後の拳を受けるがいい!!」

 いやちょっと待って。

 

 

「穿凶毒手とは、恐るべき男よ、影慶。」

「し、知ってるのか王大人!穿凶毒手とかを!!」

「奴が手にふりかけたのは、巨象をも数秒で倒すであろう劇薬だ。」

 ああ、やっぱり。

 

「中国拳法秘伝中の秘伝…あの毒手で、かすり傷でも負わせれば、そこから血液に毒が入り、たちどころに相手は絶命する。

 しかし仕掛ける側も、毒が直接体内に入ることとの時間差さえあれど、徐々に毒が皮膚に浸透していき、己の命を絶つことになる。

 そして何よりも恐るべきは、死を覚悟した者が、そこから生み出す闘いの気迫!!

 まさに死の奥義よ。」

 …ただ一言言わせて貰えば、影慶は肩に負傷してるから、間違ってその右手で左肩に触れたら即アウトなんですがそれは。

 

 

「もう、この邪鬼何も言わぬ!

 最後まで貴様の戦い、この目で見届けようぞ。」

 邪鬼様が一言、影慶に声をかけ、影慶が振り返ってそれに頷く。

 その影慶の目を見て、気付きたくなかったが気付いてしまった。

 影慶は、その命も力も、その存在は邪鬼様の為だけにある。

 その命を、邪鬼様の為に使って死ねることを、喜びとすら思ってしまっている。

 

 

『オレは、オレが死んでも、おまえには生きてて欲しい…オレは、光が大好きだから、さ。』

 唐突に兄の言葉が、脳裏に浮かんだ。

 愛に溢れていながらそのくせ自分勝手な言葉が。

 邪鬼様は、そんな影慶をどう見ているんだろう。

 

 そんな悲しい愛情なんて、誰も欲しくはない筈なのに。

 与える側に、なぜそれがわからないのだろう?

 邪鬼様は、愛する人を亡くす悲しみを、もう既に知っている。

 その悲しみをもう一度与えてまで、捧げるべき想いなのか、それは。

 

 私は嫌だ、そんなの。だから必ず助けてみせる。




「居合の体勢で練った闘氣を溜めて、抜く際に放出するような技」
…光さん。それアバンストラッシュって言いませんか(爆


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17・罪も痛みも受け止めるよ、誰のためでもなく

…なんだろう。改めて原作を読み返してみると、少なくともこの戦いにおいては、死天王最強にして将である筈の影慶から、小物感しか漂ってこないのは。
き、きっと桃さんがかっこ良すぎるせいだ。うん、きっとそう。


 毒手に関する記述のある本ならば、私も御前のところにいた時に読んだ事がある。

(もっとも後で確認してみたところ、私が読んだその本も御前が『眉唾もの』と言った例の出版社から発行されていたので、若干真偽に不安はあるが)

 本来、毒手拳とは長い年月をかけて獲得するもので、各種毒草、毒薬、毒虫を配合して作成した毒剤を満たした瓶に拳を浸し、その毒に慣れながら徐々にその濃度を増強していく事で完成させるものだという。

 だから、影慶が今使っているそれは、その簡易版というべきもの。

 毒に慣らしていない身体に、浸透性の高い毒液を皮膚に直接振りかけるのだから、時間の経過とともに死に至るのは間違いない。

 だが『死を覚悟した者が、そこから生み出す闘いの気迫』という王先生の言葉通り、この拳で真に恐ろしいのは毒そのものではなく、死を背負った人間の覚悟という事なのだろう。

 ただ…すごくしょうもない事言わせてもらえば、一歩間違えれば自分自身を傷つけるような武器と、先に確実な死が待っている技。

 この、常に己自身を追い詰めるようなセレクトを考えると出てくる答えは。

 恐らくこの男、無自覚なドMだ。

 

「ヘッ、何が毒手だ!」

「おうよ!

 素手で桃の剣をどう躱すというんじゃ!!」

 それはさておき、毒が浸透するどころか皮膚を焼いてるんじゃないかってくらいの感じで急激に色が変わっていく右手を構えながら、轟く雷鳴の中、影慶が桃に挑みかかる。

 真っ直ぐに鋭く突進してくる影慶に、桃が刀を振るう。

 だが、その瞬間を狙っていたのだろう、影慶は自身に向かってくる桃の刀に、纏っているマントを絡ませる。

 それを引き寄せ自身の脚を支点にして、その上から肘を打ち付けると、カランと音を立てて刀が半分から折れた。

 そこから休むことなく、毒の手刀は桃の胸板を、首筋を、喉を狙って襲いかかってくる。

 桃はそれをなんとか躱すが、影慶はその先に更に追いすがってきた。

 

「凄まじい…息をもつかせぬ連続攻撃!

 まさに迫りくる死を背負った気迫よ!!」

 王先生が吐息交じりに言ってる間にも影慶の手刀ラッシュは続いていて、一号生の間からは、もう遠くへ逃げて時間を稼いで、影慶の身体に毒がまわるのを待てばいいという意見が出始める。

 いやあのそれは。

 

「だめだ!そういうことのできる男じゃねえ。

 影慶の死を賭した攻撃に、正面から受けてたつ。

 桃は、そういう男だ。」

 それに伊達が、少し怒ったように反論してくれて、私はなんだか嬉しかった。

 確かに桃は、非情に徹しなければいけない場面でそうできない青さがある。

 だけどそれは、卑怯な事はしないという彼のいいところでもあるわけで。

 だからこそ桃は君たちの筆頭、君たちの桃なんだよ。

 そうでしょ?

 伊達は、桃とは付き合いが長いわけじゃない。

 けど、互いの生命を握り合った同士、深いところでわかりあえている。

 伊達は一号生筆頭だった頃、たった一人で戦おうとしていた。

 けど、桃は違う。

 こうしてわかってくれて、支えてくれる友がいる。

 たとえ桃がいつか、私を殺してくれたとしても、引き上げてくれる手がそこにあるのだから、彼はどこへも落ちていかない筈だ。

 私は安心して、彼に裁いてもらえるだろう。

 …だが闘場の方は、全然安心できない状況になりつつあった。

 これまでなんとか紙一重で、影慶の攻撃を躱していた桃が、例の槍の出てくる穴に足を取られたのだ。

 尻餅をつきそうになるのを、反射的に右手で支える。

 武器を失っている桃にとって、明らかにそれは不利な体勢だった。

 

「もらった──っ!!」

 遂に桃を追いつめた影慶が、毒手を桃に振り下ろす。

 なすすべもなく、それに喉を貫かれるかと思った刹那、

 

「なっ…!!」

 一瞬にして、白い布が影慶の手首に巻きつき、桃への攻撃を寸前で止めていた。

 それは、いつも桃の額に巻かれているハチマキだった。

 

「見事だ。その勝負への執念…!!

 だが俺も負けるわけにはいかぬ!!」

 言いながら影慶を睨みつつ、それで影慶の手首を締めつける。

 そこから逃れようと足技を放ってくる影慶が腕を一瞬引いたと同時に、拘束を解いた桃が身を躱し、間合いを取り直した。

 状況は、これでプラスマイナスゼロ。

 振り出しに戻り、桃が外したハチマキを締め直す。

 …やっぱりそれ、無いと落ち着かないんだろうか。

 確かに見てる側としても、ちょっと物足りない感じだけど、この状況で締め直すとか結構余裕あるよね。

 なんかほぼ無意識にやってる気がするけど。

 

「時間がない。

 拳の毒はそろそろ、俺自身の体にまわり始めている。」

 少し焦ってきているらしい影慶が、脂汗を流しながら次の構えに移る。

 

「見るがいい…穿凶毒手拳(せんきょうどくしゅけん)究極の奥義を!!

 愾慄流(きりつりゅう)穿凶毒手拳幻睨界(げんげいかい)!!」

 言うや影慶は、腕を回し始めた。先程までの攻撃のように目に見えない速さではなく、むしろ見せてやるように、わざとゆっくり動かしているような。

 

「見るのだ、この拳の動きを!!

 もっとも、いやでもこの毒手から目を離すことはできんだろうがな。」

 その動きを観察していた桃が、構えをとったまま立ちすくんだ。

 なんだろう、少し様子がおかしい。

 毒手を振りかざし向かってくる影慶を、棒立ちしてただ見据えている。気がする。

 

 ☆☆☆

 

 なにっ!これは一体……!?

 ば、馬鹿な。奴の拳が渦を巻き、しかも無数に見えてくる!!

 

「フフフ、気付くのが遅かったようだな。

 貴様はすでに俺の術中にある。」

 

 ……これは幻……!!

 そうか。奴は毒手の動きに注視させ、そこから俺を、幻惑催眠にひきこんだのか……!!

 見てはいけない!

 ますます奴の術中にはまっていくだけ……!!

 

「そうだ!毒手拳の実体はただひとつ。

 しかし貴様に、そのひとつの実体が見切れるか。」

 

 殺られる!このままでは……!!

 

「いくぞ──っ!!」

 奴の声とともに、渦を巻いていた無数の毒手が、俺に向かってくるのが見えた。

 

「死ねい──っ!!」

 その瞬間、頭上でまた雷光が閃いた。

 

 ☆☆☆

 

 自分に向けて攻撃してくる相手の動きは、最低限の予想の範囲内だ。

 そこを捉えられてしまえば、攻撃する側にとってのそれはある意味、一番危険な瞬間と言える。

 多分だけど桃は今、目くらまし的な状態に置かれていたんじゃないかと思うけど、敵が自分を殺そうとして攻撃してくるのならば尚のこと、その攻撃がどこに来るかは、急所の部分部分にのみ注意を払っていればある程度察知できる。

 以前Jと例のスパーリングをした後、桜の花びらのように変幻自在の動きで襲いかかって来る敵にどう対処するかと聞かれ、攻撃された瞬間を捕まえて攻撃すると私は答えた。

 その状況が、展開されていた。

 桃は、自分の胸板を真っ直ぐ狙ってきた影慶の毒手の、その手首を捕まえたと同時に、もう片方の手の甲で、影慶の肘を打つ。

 そうして伸びていた肘関節を内側に曲げてやると、桃の胸板を貫かんとした最大限の鋭さを保ったままの毒手が、影慶自身の胸に突き刺さっていた。

 

「な、何故だ……!!

 どうして、あれだけ無数の幻の拳の中から、実体だけを見切った……!?」

「幻は、いくつ見えようがしょせん幻。

 雷が落ちた時、実体だけはその影を地面に映していた……!!」

 相手の拳が自分の身体のどこに来るか、ある程度の目測があれば、視界に余裕ができる。

 桃はその一瞬の余裕を、影に注目していたというわけか。

 

「フッ…な、なんという奴よ……!

 俺の負けだ。一号生筆頭、剣桃太郎……!!」

 薄く微笑み、深く息を吐くように言いながら、影慶がゆっくりと仰向けに倒れる。

 稲妻が、また闘場を照らす。

 

 ……桃の勝ちだ。これで最終闘は一対一。

 

 肉体的なダメージはほぼ与えていないとはいえ、影慶は桃から武器を奪う事に成功している。

 一応は、邪鬼様へと繋ぐ布石を置いたと言えなくもないが、さて。

 

 ・・・

 

「み、見ろあれを!!」

 と、何やら一号生たちが騒めき出し、指差す方向にふと目をやる。

 

「ありゃあ松尾と田沢じゃ──っ!!」

「あ、あいつら生きていたんか──っ!!」

 …ああ、目を覚ましたんだ。良かった。

 なぜかVサインしながらこちらに元気に駆け寄ってくる二人の後ろには、塾長と教官達、更に二号生たちの姿まで見える。

 その二号生の先頭には、遠近法無視も甚だしい大男と、それより若干小さめだがそれでも充分デカイ銀髪の脳筋…あ、やべ、こっち見てる。

 他のスタッフの間に隠れとこう。

 人垣の隙間から観察すれば、一号生たちに松尾と田沢が囲まれて、涙ながらに抱きつかれたりしている。

 

「ヒーローは永遠に不滅じゃ──っ!!」

「わしらがいなくてなんの男塾よ──っ!!」

 まあ、確かに。

 

 ・・・

 

 一方。

 

「どうやら間に合ったな。

 いよいよこの大威震八連制覇も大詰めじゃ。」

 松尾と田沢の登場のインパクトが強烈すぎて、いつもの自己紹介をスルーされていた塾長が、腕組みをして闘場を見下ろしていた。

 

「塾長はこの最終戦、どう読まれます?」

 教官を差し置いて、その塾長の隣に陣取った二号生筆頭が、厳しい表情で訊ねる。

 

「フッ……邪鬼の強さは、ケタが外れておる。

 しかし、強さだけでは勝負には勝てん……!!」

 

 ・・・

 

「苦しいか、影慶…。」

 そして闘場では、今にも息絶えそうな影慶を、哀しげに見下ろして桃が声をかける。

 

「フッ、余計な気をつかうな。

 もうすぐ毒が全身にまわり、俺は死ぬ。

 いい勝負だった……。」

 荒く息をしながらも、影慶は桃に微笑んでみせる。

 それは死天王の将としての、せめてもの意地なのか。

 とにかく影慶の身柄をそこから運び出そうと、王先生以下スタッフが動くのに合わせ、私もそこに混じる。

 

「王大人…既に勝負はついた。

 影慶の手当てを頼む。」

 そう言われて、待ってましたとばかりに私が踏み出そうとしたら、影慶が何故か首を上げて、自陣の方に顔を向けた。

 荒い息の下、懇願するように、主と仰ぐ男に向けて手を伸ばす。

 

「邪鬼様……!」

「わかった、影慶……!!」

 表情は一切変えないまま、悲痛な目をして、邪鬼様が頷く。

 ……って、え?

 い、いやいやちょっと待って!まさか!?

 

「見るがいい。

 邪鬼という男の一端を垣間見ようぞ。」

 そんなもん見なくていいから止めて!

 私の勘が正しければ、この後メッチャ面倒な事になる!

 主に私の仕事的な意味で!

 

「大豪院流・真空(しんくう)殲風衝(せんぷうしょう)!!」

 邪鬼様がその場に立ったまま両腕を広げる。

 

「は、離れるんだ、剣……。

 はやく、この俺から……!!」

 この状況を作った男が、自身を敗った男に避難を促す。

 その間にも、邪鬼様の手の中で、練りに練られた氣が凝縮する。

 無造作に投げるように放たれたそれは風を巻き込み、その風が虚空に渦を巻く。

 その渦の中に真空が生じて…刃と化した真空は、倒れている影慶の腹部に、大きな穴を穿った。

 …とはいえ、恐らくこの場にいる中で、それら一連の流れを理解し得たのは、私と影慶、そして技を放った本人である邪鬼様だけだったろう。

 否、塾長あたりならひょっとしたら見えていたかもしれないが、他の人間には、邪鬼様が腕を振るった途端、影慶の腹部に風穴が開いたという事実しか見て取れなかったに違いない。

 私とてそれが理解できたのは存分に手加減されたそれを一度この身に受けており(初めて天動宮を訪ねた際に制服のボタン全部吹っ飛ばされた時のアレがそうだ。ちなみに渾身でぶっ放すよりもああして力を調整して弱く放つ方が、技術的には相当難しいんだそうだ)、更にそれについての説明もされたからというだけであり、そうでなければまず不可能だったと思う。

 

永遠(とわ)に眠れい、影慶!!」

 一言言い放ち、邪鬼様は身に纏ったマントを脱ぎ捨てた。

 張り詰めた筋肉に覆われた、完璧な肉体が露わになる。

 非情にして、有情。

 豪放にして、繊細。

 揺るぎなく、儚い。

 私はその男から感じるギャップを、いつも美しいと思う。

 其は、帝王。大豪院 邪鬼。

 

 

 腹に風穴を開けられて、動かなくなった影慶を前に、桃が呆然と立ち尽くす。

 

「真空殲風衝…。

 あの大技も、奴の力の一部にすぎん!!」

 …塾長にはやはり見えていたかもしれない。

 

「…それにしても、その名のとおり鬼みてえな野郎だぜ。

 自分の部下にとどめを刺して、顔色ひとつ変えんとは…!!」

「……そうじゃねえ。

 よく見てみろ、奴の足元を……!!」

 田沢が怒りに震えながら言うのに対し、伊達がその方向を指し示す。

 邪鬼様の強く握りしめた拳。

 それは爪が掌に食い込み、傷つけて、そこから滴り落ちた血が、邪鬼様の足跡を濡らす。

 更に、自身すら気づかぬうちに食いしばった歯が唇を噛みしめて、その口の端からも血が滲む。

 紛れもなくその男の、それは涙だった。

 

「な、泣いているんだ。

 心の中で…あ、あの邪鬼が……。」

 そういえば雷電が倒された時、伊達も同じような事をしていたなと、どうでもいいことが頭を掠める。

 

「どんな苦しみ、悲しみも、顔に出す男ではない。

 いくら請われたとはいえ、己を慕い、生死を共に戦ってきた部下に、とどめを刺すのはどんなに辛いことだったか。

 あれが男塾三号生筆頭、大豪院邪鬼という男よ!

 ただ強いだけでは、男塾の帝王として、君臨することはできん!!」

 確かに、邪鬼様は身内と定めた相手には優しい。

 それが故に、三号生は誰もが邪鬼様に心酔する。

 私のことも、何かと気にかけてくれていた。

 

 とはいえ……くっそ。

 今のさえ無ければ、影慶の治療は解毒と造血だけで済んだものを、あの無自覚非常識男。

 という悪態を心でつくくらい、私の立場なら許されるだろう。

 とにかく今、ちょっとすれ違った時にさりげなく王先生が蘇生は済ませてくれたから、あとは私が全力で治療するしかない。

 まずあの腹の傷の治療が最優先だ。

 それから解毒、最後に造血か。

 やる事がひとつ増えたから、氣の残量がかなり心配だけど、やれるだけのことをやるしかない。

 

 …結果としては、成功とは言い難い。

 むしろ橘流の真髄に照らし合わせれば、失敗にカテゴライズしてもいいくらいだ。

 だが、他にやりようがなかった。

 影慶は、命は助けた。命だけは、なんとか。

 

 ☆☆☆

 

 頭がぐらぐらする。けどまだ終わりじゃない。

 他のスタッフに任せても大丈夫なところまで治療を終えて、ふらつきつつも闘場が見える場所まで戻る。

 …不意に、大きな気配を背後に感じた。

 殺気ではなかったので油断して、反応が遅れた。

 次の瞬間、振り向くより前に覆面を剥ぎ取られており、驚いて見上げた先に、癖の強い銀髪が…言わずと知れた二号生筆頭・赤石剛次が、睨むようにこちらを見下ろしていた。

 が、次にその目が驚きに見開かれる。

 

「てめえ…なんで泣いてやがんだ。」

 え?

 言われて初めて、目から溢れてるものに気付いた。

 慌てて拭おうとした自身の拳より先に、赤石の掌が、頬にこぼれたそれを拭う。

 

「赤石…私は」

 その時、私は何を言おうとしたのか。

 次の瞬間、急激な発汗と、激しい目眩に襲われて、言葉は私の口から発せられる事なく、そのまま忘れられて、消えた。

 

「………光っ!?」

 赤石が私を呼ぶ声が、どこか遠くに聞こえた。




えー…とりあえず男塾特有の、なかなか変換で出てこない単語とか、結構wikiとかから拾ってきて、コピーとペースト、メッチャ使ってます。
決して延々と打ち続けてるわけじゃありません…。


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18・疲れた身体を癒す場所は

男が思うほど女は弱くない。
光は多分、その典型。


 あの馬鹿が、大威震八連制覇に同行してるって事はもうわかっていた。

 今思えばあの日、驚邏大四凶殺が終わった後でようやくツラ拝んだ日に、あの(ワン)大人(ターレン)が訪ねて来ていた事が、この事態の伏線だったんだろう。

 一号生の奴らが出発した後、塾長と教官どもからの号令で、二号生も同行するようにと招集をかけられた際、塾長の隣に光が居なかった事で、それを確信した。

 たく、ひとの心配をよそに、どこにでも勝手に首突っ込みやがって。

 …なんて言ったところで仕方ねえ。

 長城から歩きになったその途中で、なんでか川に落っこちてたっていう一号生ふたりを拾って、最終闘場に着いてみれば、王大人に付き従ってる覆面白装束の中に、ちっこいのが一人紛れてる。

 あれだ、間違いねえ。

 そんな中、闘場ではちょうど、剣の野郎が邪鬼の相棒との勝負に勝ったところだった。

 あの影慶って奴は、俺が無期停学くらう少し前くらいに、よくわからんが数週間入院していたらしい邪鬼が連れてきた新顔だった筈だ。

 俺もその更に少し前に大きな怪我をして、その時期は天動宮に囲い込まれており、それが治った後も何だかんだ羅刹に呼ばれて出入りしていたから、顔だけは見知っているが話をする機会はなかった。

 邪鬼が気に入って連れてきた奴だし、実力は誰もが認めるところだろうが、剣はこの俺を下した男だ。

 こんなところであっさり負けてもらっちゃ困る。

 その影慶を、どうやら治療しようとしてちっこいのが近寄った時、邪鬼が自分の技で、影慶にとどめを刺すのが見えた。

 …くそ。

 よりによって女に、なんてモノ見せやがるんだ。

 いや、邪鬼の奴は光がここにいるなんて、思ってもねえかもしれないが。

 幸か不幸か、あいつは血なんざ見慣れてる女だ。

 トラウマになるようなタマじゃねえだろうが、それでもこの光景が、女の目前で展開されるには、凄惨過ぎる事実に変わりはない。

 白装束数人が影慶の死体を運ぶのに、ちっこいのが付き従って行く。

 …ん?何してやがんだあいつは。

 影慶は死んでるんだから、治療の必要はないはずだ。

 だがそういえばさっき王大人が、自分の横を通っていく影慶の死体の上に、一瞬手を置いたのを見た。

 あの男は裏の世界では、「死者でも蘇生させられる医者」として有名だった男だ。

 あれが噂でなかったとしたら…?

 なるほどな。そういう事か。

 よく考えたら驚邏大四凶殺で死んだって言われてた、伊達や三面拳が生きて男塾に入ってきたんだ。

 光は俺にゃ一言も言わなかったが、あの戦いになんらかの形で関わってたのは俺も知ってる。

 …あん時も、そして今も、そういう仕事をしてたってわけだ。

 

 ・・・

 

「来い、剣桃太郎!!

 この邪鬼が貴様に、真の闘いを教えてやろう。」

「望むところ……。

 最後の死力を尽くして戦うのみ…!!」

 闘場では、剣と邪鬼が向かい合っている。

 だが、邪鬼は元々拳法の使い手だが、剣は影慶に刀を折られている。

 それに影慶との闘いを終えたばかりで、若干の疲労もあるだろうし、この勝負、条件的に五分とは言えねえんじゃねえのか。

 

「大威震八連制覇、最終闘大将戦!!

 一号生筆頭・剣 桃太郎対三号生筆頭・大豪院 邪鬼!!

 勝負始めい!!」

 無情にも王大人の号令がかかり、二人は互いに構えを取る。だが、

 

「待てい──っ、その勝負!!」

 唐突に、俺の隣で塾長が、そのよく響く声を張り上げる。

 

「この最終闘は、宙秤攣殺闘(ちゅうびんれんさっとう)によって勝負を決すべし!!」

 王大人が、塾長のその言葉に顔色を変えた。

 

「な、なんじゃあ、奴等は…!!」

 と、一号ボウズの何人かが、反対側の崖を指差して叫ぶ。

 俺がそっちを見ると、50人はくだらない人数の、制服姿の男たちが集まっている。

 幾人かは見知った顔もいた。そうだ、奴等は。

 

「奴等こそ男塾三号生!

 わしが急遽、宙秤攣殺闘の為、非常招集をかけたのだ。」

 腕組みをしたまま塾長が説明する。

 

「本気か平八。

 宙秤攣殺闘、この言葉がどんな意味を持つか、貴様も存じていよう。」

「老いたな、王大人。わしの言葉に二言はない。」

「……致し方あるまい。

 一号生は、全員ついてまいれ。」

 諦めたように、王大人が一号生たちに背を向け、闘神像に向けて歩きだした。

 なんだかわからぬまま、一号生がそれに続く。

 

「塾長、何故(なにゆえ)あって……!?」

 俺は塾長に問いかけたが、答えは帰ってこなかった。

 

 奴等の進んだ先の像の下に、巨大な鉄の檻が置かれている。

 それは、反対側の三号達の前にも。

 その檻は、奇妙なことに下に車輪が付いており、多分移動が可能なようになっている。

 

「入口から中へ入れい。」

 一号どもが戸惑いつつも全員が中に入り、三号たちがこちらは整然と、やはり中に全員収まったのを確認すると、王大人はその入口の扉に鍵をかけた。

 

「押せい──っ!!」

 そうして号令をかけると、覆面白装束が一斉に動いて、檻を塔の外側に押し出した。

 驚き狼狽える一号生が、全員檻ごと地上へ真っ逆さまに落下するかと思われた瞬間、檻の上に繋げられた鎖が滑車に巻かれ、檻は水平は保ったものの、そのまま宙にぶら下がる形となった。

 それは巨大な天秤だった。

 闘神像の指の上に支点が置かれ、反対側にやはり巨大な分銅がぶら下げられたバケモノ天秤。

 

「下は、塔の外へはみ出してる…。

 地上までおよそ500M(メートル)……!!

 落ちたら、このまま全員あの世行きだ。」

「三号生側も、同じく天秤にかけられておる。

 これにて準備は完了した。

 今見ての通り、大天秤は全員の合計体重を計算した、反対側の分銅の重さによって、ぴったり水平を保っている。

 しかし…よく見るがいい、分銅の底を!!」

 言われて見てみれば、分銅の中から少しずつ、砂がこぼれて落ちている。

 このまま放っておいたら、じきにバランスが崩れ、奴等全員お陀仏だ。

 

「あの分銅の中には、砂鉄が目一杯つまっておる。

 砂時計だと思えばよい。

 すべてなくなるまで、およそ30分!!

 双方50人ずつの、仲間を救う道は唯ひとつ…!!

 受け取れい!!」

 言って王大人が二本の鍵を、それぞれの闘士に向けて投げ渡す。

 奴等はそれを取り落とすことなく受け止めた。

 

「今渡したその鍵こそは…それぞれ自分の仲間が吊られている闘神像の、下の壁にある二つの扉の鍵だ。

 自陣の扉をその鍵で開け、階段を登れば像の頭部に出る。

 そこに行けば、仲間を救う手立ては用意してある。

 ただし、手にした鍵はそれぞれ、敵陣の扉を開ける鍵であり、自陣の扉を開けることはできない!

 では…その鍵を、腹の中に飲むがよい!!」

 鍵を、飲むだと…!!

 

「なるほどな。

 相手を倒し、腹の中の鍵を奪わねば、仲間を救う事はできぬということだな。

 宙秤攣殺闘……。

 まさにこの最終闘にふさわしき勝負よ!!」

 躊躇うことなく、邪鬼は鍵を口に入れて飲み込む。

 

「まったく、ひでえ話だぜ。」

 呆れたような声と表情で、剣もそれに続いたのがわかった。

 俺は再び塾長に問いかける。

 

「自分には、塾長のお考えになっている事がわかりません。

 邪鬼が勝とうが剣が勝とうが、大惨事になる事は必至……!!」

 闘いに敗れた闘士だけなら、光が居れば救えるだろう。

 元々その為にあいつは、あの白装束に混じってんだろうから。

 だが、天秤で吊られた奴等が落下すれば、それは光ひとりの手に負えやしない。

 

「それとも、何か深いお考えがあっての事ですかな。」

「フッフフ、わしが男塾塾長、江田島平八である!!」

 …まあいい、最初からこのオッサンに、まともな答えを期待しちゃいねえ。

 それはそれとして、誰も気づいちゃいねえが少し離れた後ろの方から、ちんまいのがフラフラ歩いてくんのが見えた。

 影慶の治療は終わったんだろうか。

 どうも、ひどく疲れてるらしい。

 壁に手をついて息を荒くしてるところに、とりあえず近づいていき、声もかけずに覆面を剥ぎ取る。

 振り返ったその目が俺の姿を認めた瞬間、目尻に大粒の涙が溢れるのを見た。

 

「てめえ…なんで泣いてやがんだ。」

 俺の言葉に、今更気付いて驚いたように目を見開くと、その涙が頬にこぼれる。

 つか、驚いてんのはこっちだ馬鹿。

 思わず掌を押し付けてその涙を拭う。

 …って、なんで俺はこんな事してんだ。

 意味がまったくわからねえ。

 

「赤石…私は」

 微かな声が、俺の名を呼ぶ。

 だがそれ以上の言葉が、その口から出てくる事はなく、まるで糸が切れたように、ちっこい身体が膝から崩折れた。

 

「………光っ!?」

 それが地面に倒れる前に、抱きとめて支えると、ひどい汗をかいているのがわかった。

 熱はないようだが、明らかに様子がおかしい。

 と、白装束が数人、こちらに駆け寄ってきて、一人が俺に支えられている光を、俺の手から受け取ろうとした。

 

「……こいつに触んじゃねえ!」

 俺が睨みながら恫喝すると、そいつはビクッとして手を引っ込めた。

 他の白装束も俺から離れ、遠巻きに俺を囲む。

 そんな奴らに構わず、俺は光を抱き上げると、そのまま歩き出した。

 

 

「そやつは、まだ王に貸しておる。

 勝手に回収されては奴が困ろうて。」

 で、俺が光を連れて塾長の隣に戻った時の、塾長の台詞がこれだ。

 

「…鬼ですか、あんたら。

 この状態の光に、これ以上何をさせる気だ。」

 …思わず語尾が荒くなったのは勘弁してもらおう。

 何が「貸してる」だ。こいつはモノじゃねえ。

 

 

 闘場では邪鬼が先に仕掛け、例の真空殲風衝という技を、剣に向けて放っていた。

 剣が体術でそれを躱す。

 その身体すれすれに通り抜けた拳圧が、岩でできた闘場の壁に大穴を開ける。

 

「俗称『カマイタチ』と呼ばれる、気流の歪みによって起こる真空現象を応用したものだ。

 奴の拳は、その驚異のスピードによって、大気さえ我物としている。」

 塾長の説明に、俺は内心舌を巻く。

 幾ら俺が目が良くても、空気の流れまでは目では見えない。

 

「来い。今度は貴様が仕掛ける番だ。」

 邪鬼が剣に声をかけるが、剣は構えをとったまま動かずにいる。

 

「どうした!?

 この距離では間合いに入ってくることができぬか!

 …ならば、寄ろう。」

 そう言って、構えも取らずに剣の方へ歩み寄る邪鬼。

 それを見て一号生達が騒ぐ。

 

「も、桃は何故攻撃に出ねえんだ──っ!!」

「わからねえか。

 あの邪鬼の全身から立ちこめる、すさまじい殺気が…。

 一分(いちぶ)のスキもねえ。

 ヘタに撃ってでればそれが命とりになる。」

 そこを冷静に見てとれるのは、さすがは伊達と言う他はない。

 

「まだこれぬか。臆したか剣!!」

 …何故かはわからないが俺の目に、一瞬邪鬼の身体が巨大に見え…腕に抱えてるものが、蠢いた。

 

 ☆☆☆

 

 間違えようがない、久々に大仏バージョンまで解放された邪鬼様の氣が肌を刺して、唐突に意識が浮上した。

 

「邪鬼様っ!?………あれ?」

「…気がついたか。」

 目を上げると銀髪の脳筋が私を見下ろしている。

 というか、どうやら私は赤石に姫抱きされてるらしく、彼の制服の下の、むき出しの胸板が頬に当たっていた。

 そういえば、影慶の治療で落ちかけてたあたりで会って、顔合わした瞬間に落ちたんだった。

 なんだろう、この人の顔見たら、それまで張り詰めてた気がいきなり緩んだ。慣れって怖いな。

 

「……………おはようございます、赤石。

 私、どれくらい眠ってました?」

「ほんの数分だ。

 つか、この状況で、ちったぁ色気のある事言えねえのか。

 可愛くねえ。」

「今更私に何を求めるつもりですか。

 それより、一旦下ろして貰っていいですか。

 糖分の補給が必要です。」

「ガキが。」

 なんとでも言え。

 懐から例の袋を取り出し、飴玉を一個口に入れる。

 最後の一個だ。

 ほんの僅かに回復はしたけど、やはりこれじゃ少し不安だ。

 けど…ああ、ここに御誂え向きに、ネギしょったカモがいる。

 

「…申し訳ありませんが、少し分けてください。

 ここで私と氣の相性が、一番いいのは恐らく桃なんですけど、彼に頼むのは現時点では不可能ですし、先程の皮膚接触の感覚をみる限り、多分あなたでも問題なさそうなので。」

「分ける?何を………っ!?」

「失礼します。」

 赤石の返事を聞かずに、私は彼の鳩尾に左の掌を当てた。

 更に、残った右手で赤石の左手を取り、それに掌を合わせて指を絡める。

 外側から、赤石の身体の中心に意識を集中させ、彼の氣を無理矢理操作して、左手の方向に流し込む。

 そうすると、赤石と合わせた掌から、思った以上に力強い氣が流れ込んできた。

 よし。

 若干抵抗される感覚はあるが、これならすぐに抑え込んで、私の氣とも馴染む筈だ。

 急激に身体が楽になる。

 全快まで吸うと赤石の身体に負担をかけてしまうので、まあ半快程度まで吸い取って掌を離すと、赤石が思い出したように大きく息を吐いた。

 少し呼吸が荒い。

 あれ、抑えたつもりだったが、やはり吸いすぎたか?

 

「ごめんなさい。辛いですか?」

「いや、むしろ気持ち良かっ…て、違う!

 今のは一体何だ!?

 腰のあたりから、なんかごっそり持ってかれた気がするぞ!!」

「持っていきました、ごっそり。

 ありがとうございます。とても元気になりました。」

 この方法での氣の交換は、相手が誰でも行えるわけではない。

 私と氣の相性が合わなければ、私は氣の消化不良みたいな感覚を覚えるだけだが、相手の方は腹の中をかき回されるくらいの苦痛を感じる筈だ。

 不用意には行えない。

 

「…くそ。

 ソノ気も無えのに無理矢理引っ掴まれてイかされたみてえな感覚だ。

 とんでもねえ屈辱だぜ…!」

 …なにやらぶつぶつ言い出した赤石の顔が少し赤い。

 

「なに言ってるんですか?」

「なんでもねえ!!」

 よくわからないが、なんか怒らせたらしい。

 

「氣の補充ができたようだな。」

 と、王先生がこちらに歩いてきて、私に声をかけた。

 

「はい!もう大丈夫です!赤石のおかげです!」

「そうか。

 もうしばらくは貴様の出番も来ぬだろう。

 ここでしばらく待機しておれ。」

 王先生が薄く笑って、何故か赤石の前にまわり塾長の隣に立った。

 ちょ、前に立たれたら闘場が見えない。

 その王先生の更に前に移動しようとしたら、赤石に捕まえられ、彼の腕に腰掛けるような形で抱えられた。

 なんでだ。まあ見えるようになったからいいか。

 

 ・・・

 

 闘場では邪鬼様の猛攻が、桃の身体に地味にダメージを蓄積しつつあった。

 何せ、攻撃を躱したと思っても拳圧で吹っ飛ばされ、真空の刃が肌を裂く。

 というか邪鬼様、あのガタイで身軽すぎ。

 攻撃から次の攻撃に移るまでの溜めがない。けど。

 

「なんというすさまじい邪鬼の攻撃。

 それに反して剣は守備一方…。

 やはり奴も所詮、あの邪鬼の敵ではなかったようだな。」

「はたしてそうかな。

 わしはそうは思わんぞ、王大人!

 気がつかんか?

 あれだけの連続攻撃を受けながら、剣の息はまるであがっておらん。

 いやそれどころか、息も動作も、一定のリズムを整えだしている。

 まるで体内の氣を、一身に凝縮しているような…

 氣だ!!」

「氣…!?まさかあの剣と申す者…!!」

 やっぱり塾長は気付いてたか。

 赤石に抱えられたまま、私は二人の会話に口を挟む。

 

「ええ、桃は氣を扱える筈ですよ。

 威圧感とか攻撃性を感じないくらい、普段から自然に身体の裡を流れているから、ものすごく気付きにくいですけど、肉体の倍以上の総量は軽く有しています。」

 ただ、邪鬼様は本気出せばあのガタイの更に十倍以上なんだけど。

 それこそ視覚的に大仏並に見えるくらいの。

 通常レベルで考えたら、無尽蔵と言ってもいい。

 

「な、なんと…!」

「ふむ。

 だとすればこの勝負、壮絶なものとなる!!」

 

 ・・・

 

「何故一撃もうってこん。

 どうやら、何か策があるようだな。」

「……氣は、充分に練れた……!!」

「…氣…!!」

 桃は額からハチマキを外すと、胸の前でそれを張って構える。

 

「その布切れでできたハチマキ一本で、何をしようというのだ。

 貴様はそれで影慶の毒手を封じはしたが、俺には通用せぬ!」

 行くぞ、と邪鬼様が桃に向かって突進し、拳を繰り出した。

 桃はハチマキを構えたまま動かない。

 だが、そのハチマキの布が桃の手から、少しずつ立ち上がりはじめる。

 

「き、氣だ!氣をハチマキに注入している!!

 あ、あれはまさしく……!!」

 王先生が驚愕してる間にもその変化は続き、それは桃の手の中で、一振りの刀の如くなった。

 え?氣って、こんな使い方もできるの!?

 

氣功闘法(きこうとうほう)硬布拳砕功(こうふけんさいこう)!!」

 その、ハチマキだった筈の刃が振り下ろされ、向かってきた邪鬼様の拳を斬り裂く。

 

「よもや貴様が、氣功闘法を体得しておるとはな……!!

 フッ…ひさびさに血がたぎる……!!」

 一瞬で布に戻ったそれが桃の手の動きに従って引かれ、流れた血が舞うのを見つめながら、邪鬼様は唇の端に笑みを浮かべた。




赤石の溺愛っぷりが凄すぎる件。


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19・その誇りを胸に掲げ

「この邪鬼の体から血を流した者は貴様が初めてよ」
「いや、そこでいきなり聖紆塵(ゼウス)様や塾長の事忘れんのやめてもらっていいですか」
というわけでこの台詞カットでお願いします。

で、この回はちょっと短めかも。


 負傷した右の拳をサラシで止血し、残る左手から邪鬼様が、先程までと変わらない威力で拳を繰り出す。

 桃はやはりそれを体術で躱すと、常に氣を孕んで巨大にすら見える拳の上に一瞬手を置いて、それを軸にして、ジャンプして間合いを取る。

 追撃にかかる邪鬼様の拳とカウンターになる形で、ハチマキを握った右手を繰り出すと、再びハチマキが硬質化して邪鬼様の胸元まで伸びた。

 邪鬼様は瞬時に身を躱したものの、胸板が浅く斬り裂かれ血が飛沫(しぶ)く。

 今度は邪鬼様が間合いを離し、そこから掌に凝縮した氣を放った。

 

真空(しんくう)殲風衝(せんぷうしょう)!!」

 氣が再び大気を巻き込んで渦を巻く。

 真空の刃が真っ直ぐに桃に向かってくる。

 だがその桃はといえば悠長にハチマキを締め直し、その間に殲風衝はその胸板を直撃した。

 直撃、した筈だった。

 しかし、先程の影慶のように風穴が空くはずの、桃の胸には傷ひとつない。

 

氣功闘法(きこうとうほう)堅砦体功(けんさいたいこう)!!

 もはや貴様の殲風衝は通用せん!!」

 うん。これは私もよく知る氣の使い方だ。

 体内の氣を一瞬、一点に集中させることにより鋼と化し、その部分のダメージを防ぐ。

 これほどまでに氣を使いこなすには相当の修業を積まねばならないだろうが、実のところ空手の有段者なども、無意識にこれに近いことをやって拳へのダメージを軽減している。

 だって考えてもみてよ。

 いくら割れやすいようにしてあるにしても瓦割りとか、アレ普通にやったら拳の方が普通に潰れるよ?

 とはいえその無意識だって修業の賜物で、一応、私も氣の扱いに長けている方だとは思うが、元々の総量が少ないから、一瞬でも身に纏わせて防御力を上げるとか、布に注入して硬質化するとかは、現時点ではどう頑張ってもできそうにない。

 もっとも邪鬼様に言わせれば私の氣の使い方の方が特殊なんだそうで、『一点への凝縮という部分に関してだけなら、貴様の方が余程技術的には優れている』らしい。よくわからないが。

 邪鬼様が地面を蹴り、高くジャンプした上空から、手刀を構えて桃に躍りかかる。

 桃はその場でやはり手刀を構えると、恐らくは指先に氣を集中させたのだろう、邪鬼様の手刀に合わせて、ボクシングでクロスカウンターを撃つような体勢で拳が交わる。

 邪鬼様が着地して体勢を整える。

 それと同時に、左腕のプロテクターが砕けた。

 

「いいぞ桃──っ!

 この勝負、もうもらったようなもんだぜ!!」

 この光景に檻の中の一号生たちが、桃の勝利を確信して湧き立つ。

 が…ある程度邪鬼様が、桃のこと舐めてかかってたこのあたりで、うまいこと勝負をつけられなかったとなると、そろそろ桃の勝機は危ういかもしれない。

 

「防具に救われたな……来い!

 一気に勝負をつけよう。」

「フッ、何故そう勝負を急ぐ!?

 まだ大天秤は落ちん。

 それとも他に、何か理由があるのか?」

 やはりそうだ。邪鬼様は気がついてる。

 私と同じ事を思っていたのか、上からの歓声に、塾長が呆れたように呟く。

 

「馬鹿どもが…奴等は何もわかっておらん。」

「桃の、氣の残量の事ですよね?

 早々に勝負をつけるか、別な手に切り替えるかしないと、長期戦になれば桃の体力的に相当不利かと。」

「そうだ。

 剣の消耗度にひきかえ、邪鬼の氣はどんどん練れてきておる。」

「デスヨネー。」

 そんな私と塾長の会話に、間に挟まれた赤石が眉を顰める。

 

「邪鬼の氣……!?」

「気がつきません?

 氣の総量に関しては、邪鬼様は規格外の化けもんですよ。

 本人は、特異体質だと仰ってましたけど、正確にはその体質を生かす為に、氣の操り方を修行したって事でしょう。

 生半可な使い手じゃ到底敵いません。」

 それだけの素質を持ってる事と、実際に操れる技術を持っている事はまた別だ。

 素質だけなら、今私を抱えてるこの脳筋にだって充分ある。

 というより、いずれはなんらかの形でその方向に導いてやろうと企んでる。

 多分だがこの男、己の最大の弱点には気付いてそうにないし。

 まあいずれは、だが。

 今は赤石のことより、桃の方が心配だ。

 

「待て。

 てめえ、それ知ってやがったのか?何故…」

「邪鬼様が氣功闘法を極めている事を、事前に桃に教えなかったか、ですか?

 私、この大威震八連制覇では、一応(ワン)先生と同じ、中立の立場ですから。」

「……。」

 顔が怖いです、兄さん。

 至近距離で睨むのやめてください。

 でもとりあえず、そもそもなんでおまえは邪鬼の事は様呼びなんだとか言われてるのはスルーします。

 つか、当然でしょ?

 

 桃の手刀の連続攻撃を、邪鬼様がスレスレで躱す。

 その避ける動きが徐々に邪鬼様を、闘場の壁を背に立つ位置まで追い込んでいく。

 

「追いつめた、その後はない!

 次の一撃で勝負をつける。」

 その桃の言葉に邪鬼様が、ニヤリと嘲けるような笑みを浮かべた。

 

「追いつめた…!?

 勝負をつけるだと……誰にものを言っておる。

 来い!この男塾三号生筆頭・大豪院邪鬼が、うぬのその拳で倒せるものならな。」

 …表情には出さないものの、桃はやはり焦ってる。

 そしてそれは邪鬼様に見抜かれてる。

 わかっていても天秤の上で、自身に命を握られている仲間たちを思えば、その表情にいささかの不安も見せることができないのだろう。

 

「何を負け惜しみを!!一気にやっちまえ桃──っ!!」

 その声援を受けて気合声と共に、桃が真っ直ぐ邪鬼様の胸に向けて手刀を放つ。

 邪鬼様は瞬間、何を思ったか自身の髪に手をやると、無造作に何かを投げ放つような手の動きを見せた。

 次の瞬間、邪鬼様の胸板から血が飛沫(しぶ)く。

 雷光が二人の影を濃くしたその刹那。

 一号生たちからは、桃の手刀が邪鬼様の胸板をまともに貫いたと見えたのだろう。だが。

 足元におびただしい量の血を流し、苦痛の表情を浮かべているのは、桃の方だった。

 その拳は邪鬼様の胸に止まり、尋常じゃないほど流血している。

 渾身の一撃は完全に桃自身に返ってきており、その本来なら人一人の肉も骨も貫くほどの破壊力が、自身の拳を潰していた。

 

「こ、これは……氣功闘法・堅砦体功!!」

「そうだ!

 先ほど貴様が、俺の殲風衝を防いだ技だ。

 それだけではない。

 よく見てみろ、己の体を…!!」

 やや間があって、桃が崩れ落ちるように膝をついたけど…ん?

 ここからじゃ、何がどうなってるのかよくわからないな。

 

「…髪の毛だ。

 剣の肩と胸に、邪鬼の髪の毛が4本、針みてえに真っ直ぐに突き立ってやがる。」

 まじか。

 解説ありがとう赤石。ほんと、目いいよね。

 

「フッ、動けまい。

 いくらあがこうが、その不動金縛りを解くすべはない。

 その四本の髪の毛は、俺の氣により一瞬針金と化し、貴様の四肢の運動神経節を麻痺させた。」

 あー、という事はアレか。

 基本的には、独眼鉄戦で飛燕が使ったのとおんなじやつ。

 しかも、髪の毛を媒体に使うっていう違いはあるけど、氣の針による攻撃って、ひょっとしてこの発想、私の技から得たものだったりしない!?

 …い、いやまさかな。

 

「邪鬼……貴様も氣功闘法を……!!」

「気づくのが遅かったな。

 氣を使いこなすのは貴様だけではない!」

 それは桃とてわかってはいる。

 何せ一号生の身近には私がいるのだし。

 てゆーか、さっきの赤石じゃないけど、やはり邪鬼様の氣功闘法について事前に教えといた方が良かったのだろうか。

 邪鬼様が私の技に近いのを使っているのを見たせいで、ちょっと公平感が揺らぎ始めている。

 

「死ねい──っ!!」

 邪鬼様の拳が桃の頭上から、身体全てを砕かんとするように振り下ろされた。

 

 ☆☆☆

 

 実際以上に大きく見える、邪鬼の拳が俺に迫る。

 負けられない…俺ひとりの命じゃない!

 俺に命を預けた、五十人の仲間の命がかかっている。

 俺の勝利を信じている仲間の命が……!!

 

 …驚邏大四凶殺が終わった後、傷の治療をしてくれた時の、光の泣きそうな顔が不意に頭に浮かんだ。

 

『一号のみんなの手は離そうとしたくせに?

 戦っていたのは、あなた方だけではありません。

 全員があなた方と一緒に、命懸けで戦っていた筈です。

 あなたは彼らの、その手を離そうとしたんですよ?』

 …たく。高飛車で、独りよがりで、我儘な女だ。

 その上、理屈っぽくて、素直じゃない。

 本当は、大きくて深い愛情を持て余してるくせに。

 俺には一人で勝手に死ぬなと怒っておいて、それでいて自分は、守られて自分一人生き残るくらいなら一緒に戦って死ぬとか言い出す。

 どんなダブルスタンダードだ。

 けど、言い方が素直じゃないだけで、冷静に考えれば、言いたい事はひとつなんだとわかる。

 一人じゃ死なせないと、そう言ってる。

 だから。

 俺は死ねない…負けられない!

 もう二度と、俺は間違えない。

 あいつらも、おまえも、絶対に死なせない…!!

 

 邪鬼にかけられた金縛りを解くべく、残り少ない氣を、奴の氣を込めた髪の毛が撃ち込まれた箇所のみに集中させた。

 俺の氣が邪鬼の氣を跳ね除け、針状の髪の毛が俺の身体からはじき出された瞬間に、ようやく動けるようになった身体が、考えるより先にその場を飛び退く。

 俺の体を砕く寸前だった邪鬼の拳が、足元の地面を砕いていた。

 …ここまでの間は、時間にして2秒も無かった筈なのに、なんだかとてつもなく長かった気がする。

 それくらい全てが凝縮された攻防劇だった。

 そして…俺の身体は、全身から大量に発汗している。

 それは明らかに、氣が尽きた事を示す肉体反応だ。

 武器はなく、氣も尽き果て、残るはこの肉体ひとつ。

 それをもって、如何にして戦うか。

 如何にして勝つか。

 俺は邪鬼から間合いを取ると、呼吸を整えながら構えをとった。

 

 負けるわけには、いかない……!!




てゆーか、「大豪院邪鬼」は、ナチュラルに「邪鬼様」か「邪鬼先輩」呼びだよねえ…。


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20・太陽は沈まない

「最後の気力をふりしぼり、邪鬼の不動金縛りから脱出しおったな。

 だが、これで奴の氣は、完全に尽き果てた!」

 塾長が説明のように言い放つのに、私が頷く。

 

「みたいですね。

 ここから見てもわかるくらい、大量に発汗しちゃってますもの。

 間違いなく、氣を使い尽くした合図ですね。

 私だったらああなったら最後、普通に気絶してますから、そうならないだけまだマシかもしれませんが。」

「子を産み育てる性である女の身体は、最低限命だけは守るように出来ておる。

 貴様が氣を使い尽くした時点で意識を失うのは、それ以上肉体に負荷をかけぬ為の防御反応よ。

 どんなに鍛えようが男とは違う。」

 …いや、そこでサラッと秘密暴露すんのやめてもらっていいですか。

 赤石の後ろで江戸川が、えって顔してるんですけど。

 多分、空気読んで黙ってるだけで。あーあ。

 

「…ひょっとしてさっき、てめえの身体触った時に、えらい大汗かいてやがったのはそういう理由か?」

 そしてまた、赤石が私を見つめて問う。

 

「ええ。人は極限まで氣を使い尽くす際、肉体的な疲労に加え、そこに大量の発汗を伴います。

 私も先ほどまで…詳細は言えませんが、一仕事してきた後だったもので。」

 私の言葉に、赤石がなんか不機嫌そうに舌打ちする。

 なんでだよ。もう、すぐ怒るんだから。

 

 

 氣を使い果たし、呼吸を乱しながらも、桃は体勢を整えて構えを取る。

 

「フッ、たいした奴よ。

 かつておまえ程の男は知らぬ。

 その闘志に報いて……見せてやろう!

 俺と貴様の、氣の大きさの違いを!!

 氣功闘法・繰条錘(そうじょうすい)!!」

 そう言って邪鬼様が、巻いた長い針金の先に、先の尖った分銅状の(おもり)のついた武器を取り出したわけなのだが…うん。

 

「だから、どこから出した…。」

「…ん?」

「いえ何でも。」

 つっこんだら負け。つっこんだら負け。

 特にあの人には、常識は通用しない。

 考えるだけ無駄だ。

 私が己に言い聞かせている間に、邪鬼様がその、針金の束を足元に落とし、錘の付いていない方の端を右手の、親指と人差し指以外の三本に巻きつけた。

 そうしてから、そこから繋がる線をつまんで、気合を放つ。

 瞬時に邪鬼様の氣が大きく膨れ上がったかと思えば、すぐに精製されて小さく凝縮され、それは針金を伝って、錘ごと空中に伸びて直立した。

 

「わかるか。

 これが俺と貴様の、氣の大きさの違いよ!!」

 これにはさすがの桃も絶句しかない。

 

「なんという氣力よ……!!

 十mもある条の先端にまで氣を入れ、硬化させるとは……!!」

 その光景に王先生や白装束スタッフたちも、信じられないものを見る目になっている。

 条を握った邪鬼様の腕が振るわれると、直線だった条は螺旋状に動き、錘の部分が桃の身体に向かって飛ぶ。

 それを躱したと思えば、それは桃の身体の周囲を回り、同時に条が桃の身体に巻きつかんとする。

 端を握る邪鬼様の腕が引かれ、あわや拘束されるかと見えた桃の身体が、寸前で宙に逃れていた。

 

「躱したか、ならばこれはどうだ!!」

 今度は錘が真っ直ぐに桃に向かって飛び、桃は難なくそれを躱す。だが。

 

「哈っ!!」

 再び邪鬼様の氣が込められた条は、通り過ぎた桃の身体の後方で一旦止まり、空中で軌道を直角に曲げた。

 桃の右上腕に錘が直撃し、その先端が肉を裂いて血が飛沫く。

 更に休むことなく邪鬼様の腕が動き、またも真っ直ぐに桃に向かった錘は、今度は桃の目の前で停止し、鎌首をもたげた蛇のように、桃の胸板に襲いかかった。

 なんとか表層を掠るだけに留めたものの、その身体が勢いで後ろに倒れる。

 そこに更なる追撃。

 身体を転がして躱したそれが地面をえぐり、岩の破片を周囲に撒いた。

 …あの条の動きは、驚邏大四凶殺での伊達との戦いの時の、彼の蛇轍槍の変幻自在の動きに似ている気がする。

 あの時、桃はあれを、どう攻略していただろうか?

 

「だ、だめだ。

 桃の体力は限界を越えてるし、あの針金は予測できねえ動きで襲いかかってくる!

 あの邪鬼の攻撃を防ぐ(すべ)はねえ!!」

「大天秤も傾いて、あと五分ともたねえ!!

 わしら全員お陀仏じゃ──っ!!」

 一号生たちの悲痛な声が響く。

 

「大威震八連制覇最終闘!!

 どうやら勝負あったようだな。」

 塾長の言葉に、私は誰に言うともなく呟いた。

 

「…桃は、まだ諦めてません。」

 

 ☆☆☆

 

 直線から蛇行、そして螺旋。

 邪鬼の氣に操られる繰条錘という武器は変幻自在の動きで、その錘の先端がまるで北を指す磁石の針の如く、常に俺の身体に向かってくる。

 

「逃げ切れるものではない!

 氣を注入されたこの条そのものが、俺の意志だということを忘れるな!」

 奴のいうとおり、このままではやられる!

 あの先端を封じる手は、唯ひとつ…!!

 左腕を、錘の先端に晒す。

 

「ぐうっ!!」

 それは手首に深く突き刺さり、思わず呻き声をあげてしまう。

 俺を案ずる仲間たちの声が、俺の名を叫ぶ。

 突き刺さったそれを力任せに引き抜き、これ以上動かぬように握りしめた。

 ひとまずはこれで、あの変幻自在の動きからは解放される。

 だが、消耗した肉体には、この出血が思った以上に堪えた。

 すぐに立ち上がることが出来ない。

 

「フッ。腕一本犠牲にして、この繰条錘を受けるとはな…。

 それを武器に使おうというつもりらしいが、所詮悪あがきにすぎん。」

 武器…?

 そんなつもりはなかったが、その発想をもとに、抵抗の手段を考える。

 

「遊びは終わりだ!

 次の一撃が、この大威震八連制覇の、最後の幕を下すことになる。」

 …まずは呼吸を整えろ。そして立ち上がれ。

 

「…貴様は、よくやった。

 これ以上苦しみはさせぬ。

 ひと思いにあの世へ送ってやる。」

 邪鬼の足音が俺に迫る。

 何故かその言葉がひどく優しく響く。

 甘美な、死への誘惑のように。

 

「も、桃……だめだ、やられる…。

 もう、どうにもならねえ…。」

「く、悔いはねえ。

 俺達ゃあ全員一緒に死ねるんだ…!!」

 やめろ。泣くんじゃねえ。

 俺はまだ諦めてはいない。

 諦めるわけには、いかない。

 …天空にはまだ、雷鳴が鳴り響いている。

 力を振り絞り、立ち上がる。一か八か。

 

 俺に力を貸してくれ!雷電、飛燕、月光!!

 

 手に持った錘を、宙に向かって真っ直ぐ投げ放つ。

 

「どこをめがけて投げておる!

 血迷ったか──っ!!」

 言いながら邪鬼の拳が俺に向かってくる。

 瞬間、天から降り注ぐ閃光。

 

「うおっ!!

 雷が桃の投げた針金の先端に落ちた──っ!!」

「か、勝ったぞ邪鬼!

 大威震八連制覇、俺たちの完全勝利だ!!」

「なっ……!?」

 雷が電気であるという証明の為に、ベンジャミン・フランクリンが行なった凧での実験で、彼が命を落とさなかったのは、単に運が良かったのだという。

 はるか古代には神の槍と呼ばれたその天の閃きは、俺が投げ放った錘からそれに繋がる針金を伝い、そしてそれを握ったままの邪鬼の拳から、一気に全身を貫いた。

 

「ぐあああ───────っ!!」

 

 ☆☆☆

 

 桃が空中高く投げた錘に落ちた雷が、邪鬼様の肉体を直撃した。

 呻き声を上げながら仰向けに倒れる邪鬼様を見つめる桃の表情が、どこか哀しげに見える。

 その表情に何故か胸が痛くなる。

 …桃は、優しい。敵に対しても。

 彼はいずれ、私を裁く男。

 だが、直前まで自身を殺そうとしていた敵をこんな目で見つめる男に、はたして私を断罪できるのかという、どこか予感めいた不安が、一瞬私の心を掠め、思わず首を横に振った。

 その私の動きに、赤石が一瞬怪訝な顔をしたが、そんな事は今はどうでもいい。

 

「も、桃──っ!!

 早いとこそいつの腹から鍵をとって、俺達をここから助けてくれーっ!!」

 檻の中の一号生たちが、歓声と共に懇願する。

 ハッとしてそちらを見ると、大天秤はだいぶ傾き、あと少し傾いたら落ちそうだ。

 てゆーか、暴れるんじゃない君たち。

 

「いくらあの邪鬼とて、落雷をまともに受けてはひとたまりもあるまい…。

 それにしても、なんという大逆転……!!」

 驚き呆れた表情で王先生が言葉を紡ぐ。と、

 

「ど、どういうことだ!

 桃は邪鬼の死体を前に、まだ構えておる──っ!!」

 一号生たちの言葉に闘場に再び目をやると、確かに桃は先ほどの場所で、邪鬼様から目を離すことなく、構えを崩していない。

 やがて全身黒コゲの身体を引きずるように、邪鬼様がその身を起こし、それを見る全員を驚愕させた。

 だがどこをどう見ても邪鬼様の身体は限界のはず。

 立ち上がっても、戦う力は残ってはいまい。

 

「ぬうう…。」

 単に手刀を構える動きひとつにも呻き声を漏らしながら、邪鬼様が桃と向き合う。

 

「ぐああ──っ!!」

 だが。繰り出された手刀が向かう先は。

 

「な、なにーっ!!

 邪鬼の拳は、自分の腹を貫いた──っ!!」

 邪鬼様が地面に膝をつく。

 呻きながらも腹の傷口に、更に腕を深く突き込む。

 その凄惨な光景に、誰もが言葉を失った。

 やがてその手がようやく引き抜かれると、

 

「お、俺の負けだ。剣 桃太郎……。」

 そう言って突き出した右手の指に、一本の鍵が握られていた。

「さあ、受け取れ……。

 これを持って早く、仲間を助けに行くがいい。

 フッ…いい勝負だったぜ……。」

 言葉も出ぬまま、ほぼ反射的にそれを桃が受け取ると、その動きだけでも相当な無理を身体に強いていたのであろう邪鬼様が、地面に完全に身を落とす。

 

「は、早く行けい。時間はない…。

 貴様等一号生は勝ったのだ……。」

 それでも邪鬼様の目に迷いはない。

 塾長が溜息をつくように呟いた。

 

「見事な奴よ…男塾三号生筆頭・大豪院邪鬼。

 あれはいわば拳での切腹…。

 敗軍の将として、最後の力をふりしぼり、責任を取ったのだ。」

 そして、その邪鬼様を、桃は呆然と見つめる。

 ああ、これは。桃なら、多分。

 

「おお──い、桃、早くしてくれ──っ!!」

 一号生たちの声が頭上から響く。

 

 

 私は赤石の腕から降りると、王先生のもとに駆け寄った。

 

「王先生、階段下ろして下さい。

 私が鍵を受け取りに行きます。

 桃はともかく、あの子達はもう、精神的に限界です。

 早く助けないと…!」

「貴様は中立の立場だ。

 それをやると一号生の側に立つことになる。」

「でも……!」

 私の予感が正しければ、この後桃は扉まで行くのも困難になる筈だ。

 

「す、すまん。

 貴様等の信頼と、期待を裏切った……。」

 呼吸も荒く、邪鬼様が呟くように言う。

 反対側の檻の中で、もはや死を待つだけの三号生たちは、微動だにせず。

 更に一人が、笑みすら浮かべながら言う。

 

「お供します……邪鬼様!」

 その光景に、一号生たちが息を呑む。

 

「す、すげえ…さすが男塾三号生だ!

 これから死ぬってのに、全員顔色ひとつ変えぬとは…俺達とはえらい違いだぜ!!」

「てなこと言ってる場合か!!

 うわあっ、お、落ちるーっ!!」

「も、桃、何をしてる──っ!!」

「塾長…!!

 このまま三号生を見殺しになさるおつもりですか。」

 赤石が塾長に、少し責めるように言葉をかける。

 

「捨てておけい。これが勝負だ!」

「……!!」

 絶句した赤石と私が、思わず顔を見合わせる。

 赤石はなんとも言えない苦い表情を浮かべているが、多分今は私も、おんなじような顔をしているだろう。

 

「い、行けい、敗者に情けは無用…。

 我等は一連托生。覚悟はできている。」

「そうはいかない。

 勝負が終われば、一号生も三号生も関係ない。

 俺達は全員、男塾の塾生だ。」

 …そう言うと思ってたんだ。

 桃は非情な決断はできない子だし。

 恐らくさっきの邪鬼様のように、自分の腹を…

 

「ぐふっ!!」

「な、なに!桃が自分の腹を──っ!!」

 …私の予想に反して、桃は自分の肘で腹を力任せに打った。

 少しして口元に手をやった桃が、その手の中からとりだしたのは、やはり一本の鍵。

 つか、吐き出せるんかい!

 絶対邪鬼様がやったみたく自分の腹ぶち破って出すんだろうと思ってたからメッチャ心配したのに、なんかホッとして脱力したわ!

 い、いや、つっこんでる場合じゃない。

 しっかりしろ、冷静になれ私。

 

「赤石先輩──っ!!」

 桃はその吐き出した鍵を、赤石に向かって投げてくる。

 

「…ウム!」

 勿論、目のいい赤石がそれをとり落すわけもなく、次の瞬間にはそれは、赤石の大きな手の中に収まっていた。

 

「き、貴様……!!」

「も、桃は三号生も助ける気だ──っ!!」

 当然、そういう判断になるでしょう。

 だって、桃だから。

 赤石が鍵を受け取ったのを確認して、桃が駆け出す。自陣の扉へ。

 

「この高さからでは、飛び降りるわけにもいくまい。」

 王先生が階段を下ろしてくれないから、そこから直接降りる事になる赤石に、塾長がロープを手渡す。

 これ用意していたって事は、この事態をある程度、塾長は予測してたって事だろう。

 

「…塾長!」

 そこに赤石も気がついたのであろう。

 受け取ったそれを江戸川に託して、赤石がイイ笑顔を塾長に向けた。

 

「急げ!」

「私も行きます、赤石!

 邪鬼様は私が行けばまだ助けられる!」

 二号生たちが下げるロープに掴まって降り始めた赤石に、私がそう言うと、赤石は溜息を吐いてから、半ば諦めたような声で返してきた。

 

「…俺の後から来い。ビビって落ちるなよ!」

「はい!」

 この程度の高さで私がビビるとでも思うか。

 Jの戦いの時は、もっと高いところまで登って降りたんだ。

 私がロープに手をかけた時、桃はもう扉の鍵を開けていた。

 降りながら、頭の上で王先生が、塾長に話しかけるのが聞こえた。

 

「あの扉を開けレバーを倒せば、大天秤は自動的に固定する。

 フッ、平八。

 やはり貴様も人の子だったようだな。」

「貴様は何もわかっておらん、王大人。

 いや、貴様だけでなく…剣も邪鬼も、唯ひとりとして…。」

「いったい、なんのことだ……!?」

「この大威震八連制覇…その本当の意味を!!」

 …よくはわからないがひとつだけわかった。

 どうやら一号生や三号生はおろか、王先生とそれに従って動いていた私も、塾長の掌の上で踊らされてたんだという事。

 

 ☆☆☆

 

「や、やった!俺達は助かったんだーっ!!」

「大威震八連制覇、俺達の完全勝利じゃ──っ!!」

「桃、さすがわしらの大将だぜ──っ!!」

 吊り下げられていた檻が下ろされ、そこから解放された一号生たちの歓声を背に、先ほどまで俺と死闘を繰り広げていた男が立ち、反対側の大天秤の方に目を向けていた。

 そちらではやはり檻から解放された三号生と、それを背にして立つ二号生筆頭の赤石剛次が、終わったと手を上げるのが見えた。

 

「おう三号生も全員助かったぞ──っ!!」

 続く歓声を耳にして、俺はひとつ息を吐く。

 たいした奴よ、一号生筆頭、剣桃太郎…。

 礼をいう。これで安心して……

 

「これで安心して死ねるとか思ってます?

 甘いですよ、邪鬼様。まだ死なせません。」

 

 …なに!?

 唐突に傍らから聞こえてきた心地良いアルトに、閉じかけていた瞼を思わず開く。

 

「光…貴様、何故ここに!?」

「あなたがそれを問いますか。

 驚邏大四凶殺で、あなたが先に、私に命じた事ですよ。

 同じ事を、他の人間が考えないとでも?」

 俺の問いに、つっけんどんに答えるその女の言葉に、俺は全てを悟る。

 ああ…そういう事か。

 三年前となにも変わっていない。

 俺は未だに、塾長には敵わない。

 

「少し、チクっとしますよ…失礼します。」

 つっけんどんな口調は変わらないのに、妙に優しく響く声と、腹の傷の周囲に当てられた指先の感触がひどく温かく思えて、俺はそのまま目を閉じた。

 

 ☆☆☆

 

「大儀であった。

 これにて大威震八連制覇、その全ては終了した。

 これより、全員塔を降りる。

 …どうした、そのツラは。

 貴様等一号生は勝ったのだ。

 嬉しくはないのか。」

 私が邪鬼様の治療にかかっている間に、王先生が一号生の勝利を宣言して、塾長が全員に言葉をかける。

 けど…なんというか、わざとあの子達の神経を逆なでする言葉をチョイスしている気がするのは気のせいなんだろうか。

 

「嬉しいだと……誰がこれを喜べる。

 一号も三号も関係ねえ……。

 同じ男塾の塾生が、この戦いで大勢死んだんだ。

 あなたはそれでもなんとも思わないのか。」

 案の定、桃が塾長を睨むように見据えながら言う。

 

「そうだ。俺達もそこを聞きてえな。」

 と、そこに別の声が割り込んできて、全員がその方向に目を向けた。

 富樫。J。虎丸。

 私が最低限の治療しか施していない故に、全身包帯だらけの彼らは、やはり桃と同じような目をして、塾長を睨みつけている。

 

「聞かせてくれ…。

 大威震八連制覇、この戦いの意味を……!!」

「何故ここまで同じ塾生同士、血を流す必要があった……!?

 ことの返事によっては、いくら塾長とはいえ、ただではすまさん。」

「死んでいった奴等のためにも!!」

 そう次々に言い募る彼らと塾長の間に、若干空気読まない雰囲気で、鬼ヒゲ教官が割り込んだ。

 

「き、貴様等!

 恐れ多くも塾長に向かってなんという事を──っ!!

 男塾にあって塾長は、神にも等しい存在なのだぞ──っ!!」

「じゃかあしい、すっこんでろ──っ!!

 神様がてめえんとこの生徒同士に殺し合いさせっかよ──っ!!」

 満身創痍の富樫に殴り飛ばされる教官。

 この時点でもう、腕っぷしでは富樫の方が強いのだろう。

 その鬼ヒゲ教官が足元に転がってきたのを一瞥して、塾長が口を開いた。

 

「よかろう。その問いに答えてやろう。

 全員もそっと前に集まれい。」

 塾長の言葉に、反射的に皆、静まり返る。

 

「聞けい!

 

 わしが男塾塾長、江田島平八である!!

 

 …これが答えだ。行くぞ。」

 

 全員が数瞬、呆気にとられた。

 一番最初に正気を取り戻したのは富樫。

 

「ふ、ふざけんじゃねえ!

 それのどこが答えなんじゃ──っ!!

 もう我慢できねえ──っ!!」

 そう叫んでドスを抜き放ち、塾長に向かって駆け出す。

 その瞬間、眠ったと思っていた邪鬼様が、脇を通り抜けようとした富樫の足首を掴んだ。

 

「よせ…い、今俺にはわかった…天挑五輪……!!

 信じるのだ。じゅ、塾長を、信じるのだ…。」

 言って、再び目を閉じる。

 今度こそ本当に気を失ったようだ。

 

「天挑五輪……!?」

「塾長を、信じる…!?」

 鸚鵡返しに桃とJが呟く。

 その時点で毒気を抜かれたのか、富樫もそれ以上塾長に詰め寄ることもなく、私は少しホッとした。だが、

 

「居やがったな、てめえ!さっきはよくも!!」

 唐突に虎丸の叫び声が聞こえて、その方向に目をやり…

 

「え?ぎゃあああぁぁ───っ!!」

 何故か物凄い怒りの形相で、こっちに真っ直ぐ駆けてくる虎丸に、私は思わず悲鳴を上げた。

 

「あの技受けた瞬間にてめえだとわかったぞ!

 一度ならず二度までも、ひとを気絶させやがって!」

「ご、ごめんなさい──っ!!」

 ひかるは、にげだした!

 しかし、まわりこまれてしまった!

 私はあっさり捕獲され、虎丸の腕に抱え込まれて拉致された。

 

「…邪鬼を頼んだぞ、王大人。」

 どんどん邪鬼様から引き離されていく私を見て、塾長が王先生に言う。

 いや、私がやるから助けてくださいお願いします。

 

「最善を尽くそう。

 中国漢方医術、三千年の秘術にかけて……!!」

 だから!

 私が橘流のすべてをかけて治療するから、助けてくださいってば──っ!!

 

 …その後、桃のところに連れていかれて、彼の手首を治療した後、私は王先生達ではなく、塾生達と一緒に塔を降りる事となった。

 虎丸の手から私を助けてくれた赤石が、やっぱり私を抱えたまま、離してくれなかったせいだ。

 そして私は私で、ぼーっと考え事をしていた。

 

 邪鬼様が口にした「天挑五輪」という言葉に、私は、聞き覚えがあった。




これにて、大威震八連制覇編は終了。
次回からまた暫し、幕間の話に入りますが、何せ登場人物が多い為、結構長くなりそうですw


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雌伏仇讐編
1・運命の轍 宿命の扉


「てんちょうごりん…だいぶかい?」

「父上が四年ごとに開催している武道大会だ。

 去年開催した時、姉さんはまだ居なかったから、知らないのも無理はないな。」

 この9才の義弟は、会った時から妙に大人びた口調で話す。

 そして私が知らない事を自分が知っている際、それを説明する時が一番得意げで嬉しそうだ。

 正直鼻につかないわけではないが、この子を側に置いておけば、ひとまずは私の身の危険は回避されるようだから、適当に持ち上げておく。

 自主的に私を守ろうとしてくれる奴なんて孤戮闘の中には居なかったから新鮮でもあるし。

 

「父上は、いずれ御自分のチームを出場させたいとお考えなのだ。

 俺は、必ずその一人になるつもりだ。」

「頼もしいですね。

 そうなったら、私も必ず応援に参ります。」

「本当に?約束だぞ、姉さん。」

「ええ勿論。…はい、おしまい。

 あとはいつも通り、指先までクリームを塗ってくださいね。」

 彼の爪を切っていた小刀を鞘に収めながら、私は彼に笑いかけた。

 …てゆーか、そんなに嬉しそうな顔をするんじゃない。

 なんだか泣きたいような気持ちになる。

 

 ・・・

 

「…豪、くん。」

「……え?」

 ハッとして取っていた手から顔を上げると、上から顔を覗き込んでくる桃と目が合った。

 例によって例の如く男根寮を訪ね(ただ、いつかのような事になるのを防ぐ為訪問は昼間)、残りの傷の治療をしてやったら、まだ若干左手が動かしづらいから右手の爪を切ってくれと甘えられ、この状態になっていたわけだが、どうやら私は桃の右手を取ったまま、暫し固まってしまっていたらしい。

 

「…ふうん。俺の知らない間に、そんな風に呼ぶほど関係が進展してたってわけか。

 しかも、俺といる時ですら、心を占めているくらい。」

「…は?」

 一体こいつは、何を言っているんだろう。

 

「ゴウくん、って、赤石先輩の事だろ?」

「なんで、赤……………ぶふぉっ!!」

 何を言われているのか瞬時に理解できなかったが、少し考えて思いっきり吹いた。

 

「そうか!

 言われてみれば赤石も『(ごう)くん』ですよね。

 あまりにもイメージと合わなくて、まったく、思いつきもしませんでした!」

 それに『ゴウキ』と『ゴウジ』とか響きまで似ている。新発見だ。

 今度赤石に会った時にネタに…いや、止そう。

 てゆーか、赤石でイメージ合わないのは勿論だが、子供の頃の呼び名だから私の中でしっくりきているだけで、今の豪毅のイメージにだって、本当は合ってないのだろう。

 久しぶりに会った時、かつての線の細さがなりを潜め、本当に精悍になっていたし。

 

「違うのか?」

「違いますよ。私の『豪くん』は弟です。」

「なんだ、そうか……なら、良かった。」

 良かった?なんでだ?まあ別にいいけど。

 

「……あの子、爪が割れやすくて。

 しかも、彼付きの女中さんは、一応あの家の女中頭さんだったんですが、忙しいせいか細かいケアをあまりして下さらなくて。

 爪を自分で切った後に、たまに血なんか滲んでるのを見ていられなくて、彼の爪は、ある程度状態が安定するまで、私が小刀で切ってあげていたんです。

 薄い上にどうも乾燥に弱かったようで、然るべきケアを教えてあげて続けさせて、あと食事にも気をつけてなるべくなんでも食べさせるようにしたら、次第に普通の爪切りでも切れる爪になりましたけど。

 あなたの手を取った時に何となく、それを思い出していました。

 けど、あなたはいいですね、この爪。

 健康そのもので。」

 …それと『天挑五輪』の事をずっと考えていたのもある。

 邪鬼様の言ってたのが、私の知っている『天挑五輪大武會』と同じであるならば、確かに今年はその開催年に当たっていた筈だ。

 四年前の開催時期、私は若干大物のターゲットを相手にしており、結構長い期間その男の祖国に滞在していたので、実際に観ることは叶わなかったが、確かその時の優勝チームは、中国から出場した『梁山泊』とかいった筈だ。

 既にそれで三回連続優勝を果たした強豪なのだと、御前が言っていた。

 

「…そういえば以前、亡くなった兄さんと義理の弟がいるとか言っていたな。

 光は塾長に引き取られるまで、結構複雑な環境で育ったんだな。」

 言いながら、ひとの顔をまじまじと見つめる桃の視線に若干たじろぐ。

 

「…人を殺せる技持ちの女が、平凡な暖かい家庭で育ってるとお思いですか。

 そもそもあなたがひとのこと言えるんですか?

 13、4の歳の頃にはもう、海外に武者修行に出ていたんでしょう?」

「…なんで知ってるんだ?」

「え…いえ、それは…」

 そうだ。その情報の発信源は久我真一郎だった。

 男塾に提出された彼の経歴書には、『海外留学』としか書かれていない。

 

「…まあ、別に隠していたわけではないが。」

 そうだな。潮時かもしれない。

 こんな風に甘えられて、気持ちが緩みかけていたけれど、私はこの男にとって血縁者の仇だ。

 

「……桃。お話ししたいことが」

「あ、いたいた。光!」

「え?」

 と、唐突に部屋のドアを開けて、極小路が入ってきた。

 

「今、寮に電話があって塾長が、用があるから一旦塾に戻れってさ。」

 塾長が?

 わざわざ呼び戻すなんて余程の急用なんだろうか。

 

「…って、なんだよ。

 二人きりで、手なんか握り合って。

 やっぱおまえら、そういう関係なんじゃないのか?」

「なに言ってるんですか。わかりました。

 …桃、ごめんなさい。

 爪切り、明日でいいですか?」

 ニヤニヤ笑いながら言う極小路を軽く小突きながら桃の手を離す。

 

「あ、ああ…大丈夫だ。

 却って悪かったな。その…お疲れ。」

 桃は何か言いたそうな顔に見えるが、問いただす暇はなさそうだ。

 

「お疲れ様です。では、また明日。」

 そう言って二人に向かって一礼し、私は男根寮を後にした。

 

 

「…ん?どうしたんだ、桃?」

「フッ…何やらわからんが恐らくは、聞きたくない話を聞かされそうになってたところだ。

 礼を言うぞ、秀麻呂。」

「……?」

 

 ☆☆☆

 

「光です。」

「入るがよい。」

「失礼いたします……!?」

 ノックして(いら)えを確認して入室した塾長室は、真っ暗な中に白い幕が下げられ、古い映画の回想シーンのような、画質の良くない映像が流れていた。

 それは戦争映画のようだったが、大仰な効果音や音楽などは全くなく、音声は聞こえるものの淡々として、それだけに妙にリアルに進行していく。

 アメリカ軍の…私は詳しくないがプロペラ型の戦闘機?による機銃掃射が、地上にいるまだ明らかに若そうな日本兵に向かい、彼らは次々と倒れてゆく。

 映像が切り替わり、恐らくは並行して飛びながら別の機から撮影されたのであろう、飛行機の操縦席部分を撮影した、若干揺れる映像。

 その中には欧米人の中に混じり、ひとり日本軍の軍服を着た若い男が、下を指し示している様子だった。

 その男の顔が大写しになる。

 

「ご、ぜん……!?」

 私の知っている顔より間違いなく若いが、特徴的な部分はそのまま、私の飼い主であり義父である男そのものだった。

 

「この映像は、昭和二十年四月五日、米軍爆撃機から撮られた、サマン島日本軍全滅の模様を撮影したフィルムだ。

 この凄惨な光景は全て、ここに映っている男の手引きによるもの。

 奴は我が身の安全と引き換えに米軍に情報を売り、それによってわしが率いる部隊は、わし一人を残して全員が命を落とした。

 この時死んだ奴等はこの男塾の前身である兵学校の生徒であり、まだ花も盛り、16〜18までの、前途ある若者達であった。

 この男、名を伊佐武光という。」

 と、まだ映像が続く中、暗闇の中から、塾長の声が固く響いた。

 

「いさ、たけみつ?」

 そんな名前は知らない。でも、この顔は…。

 

「現在の名は、藤堂兵衛。

 こう言えば判るであろう。

 奴は、我が生涯をかけても討つべき仇。」

 瞬間、心臓を鷲掴みにされた感覚があった。

 思わず塾長を見返す。

 普段なら真っ直ぐ見つめ返せるその眼光が私を射抜き、覚えず身体が震えた。

 何も言わずとも、その目は全てを語っていた。

 

「いつから…気付いていたのですか?

 私の『飼い主』が、藤堂兵衛だと。」

 身体の震えが止まらず、呼吸も乱れて、声を詰まらせながらも、私は塾長に問う。

 

「赤石が戻ってすぐの、殺シアムの試合の4日前に、貴様はここの郵便物に混ぜて手紙を出しているな。

 宛先は『藤堂豪毅』。

 藤堂という名が気になり、不躾ながら中を確認させてもらった。」

 あの頃の私は、男根寮以外の男塾の敷地の外に出る事は許可されておらず、外出するのにいちいち事前に許可をもらわねばならなかった。

 私が命を狙われているという事実を重く見ての判断である事も勿論だが、それ以上にそもそも私は、野放しにするには危険すぎる殺人者だった。

 監視する立場である塾長が、ある程度用心するのは当然の事だ。

 

「そうでしたか…でもあの手紙は」

「確かにごく当たり障りのない内容しか書かれておらなんだな。

 だがあの状況で貴様が書く手紙が、その程度のものとも思えなかった上、所々不自然にあった誤字を試しに抜き出して並べたら、それはまさしく日時と場所を示す言葉であった。

 日付は、貴様に外出許可を出した日であったから、その日貴様が、この男に会いに行くのだと推測できた。

 わかってしまえば子供の考えるような稚拙な暗号だが、あらかじめ貴様と『藤堂豪毅』の間で取り決めていたもののようだな?」

 …稚拙言うな。

 実際に子供の頭で、遊びながら考えたものです。

 けど、それにしてはよくできていた筈だし、あの当時、豪毅が私に甘えすぎると目を光らせていた例の彼付きの女中頭さんにも、その前でこれを応用した会話をしても『言い間違い』を指摘されるだけで、その『言い間違い』にこそ潜ませていた本当の意味に気付かれる事はなかった。

 その点では、御前ですら同様だった筈だ。

 あれを、豪毅以外の人間に、簡単に解読されたというなら、それはちょっとショックだ。

 

「…実際にその日同行した筈の赤石に、それとなく訊ねても空惚けられたがな。

 だが、会っていたのであろう?

 その日『藤堂豪毅』に。」

 赤石は辛口高級純米大吟醸酒3本で買収して口止めした。

 届けたら『…本当に持ってくると思わなかった』とか言ってたから、約束も軽く見られてるかと思っていたけど、ちゃんと守ってくれていたようだ。

 けど、この人の前では、そんな小細工は無意味だった。

 溜息と共に、小さく頷く。

 

「後はその住所と、『藤堂豪毅』という名前を調べれば、貴様の出自は簡単に割れたぞ。

 貴様は飼い犬どころか、藤堂兵衛の養女(むすめ)であった。

 貴様が主に忠誠以上の感情を抱いているように見えたのも、これで理解できる。

 そして藤堂豪毅という男は、貴様にとっては義理の弟というわけか。」

 確かに表向きの扱いはその通りだった。

 しかしながら、やはり私は、藤堂家の息子達とは、一線を画した立場だった。

 女だったからというのもあるのだろうが。

 

「奴は先ごろ藤堂兵衛の後継者として、正式にではないが披露はされたぞ。

 弱冠16歳、まだ若過ぎるとの声もあるようだが、大筋では決定事項だとの事だ。」

 やはりそうなったか。

 御前は強さを至上とする傾向がある。

 その点において、11歳の時点で既に豪毅の素質は抜きん出ていたし、あの日久しぶりに会った彼は、身体の成長は勿論の事ながら、修行の成果が肉体の裡に満ちる氣として現れていた。

 勿論強いだけでは、藤堂財閥の次期総帥は務まらないが、あの子は元々頭もいい子だ。

 優秀なブレーンを補佐として付けさえすれば、たとえ若年でその座に就く事になったとしても、充分にやっていけるだろう。

 …御前は私を、自分の後継者の妻にしようとしていたと、獅狼(しろう)が言っていたが、もしかするとそれは、権力の分散を防ぐ目的であったのかもしれない。

 謙遜抜きで、私の知識や語学力があれば、後継者が誰になろうとある程度のサポートはできる。

 女暗殺者としての完璧な教育は、息子のブレーンを育てる教育でもあったに違いない。

 それとなり得る有力幹部の娘など貰って、その幹部に余計な権力を与えるよりも、自前で調達できるなら、その方がずっと都合がいいわけだから。

 だからこそ、私は御前とは養子縁組をされなかった。

 その上で養女として扱われていたし、ましてや息子の嫁候補である以上、御前の手がつく事もなく。

 そして何事もなければ、後継者の…豪毅の妻となっていた。

 この場合、私にも豪毅にも、拒否権と選択権はない。

 豪毅が18歳になると同時くらいに、当然のように婚姻の手続きが為された事だろう。

 

 どのみち私は、藤堂兵衛の娘というわけだ。

 

「…申し訳、ございません。

 まさか御前が、あなたにとっての仇だったなんて。

 …仇の娘の世話を焼かせ、身を守らせていたなんて。」

 自然と床に跪く体勢になりかけたのを、塾長の大きな手に止められる。

 その手が温かいことに、何故か驚く。

 

「貴様が主を…藤堂兵衛を、心の底でまだ捨て切れておらぬ事はわかっておる。

 だが、わかっておるが故に敢えて、貴様にこの事を伝えた。

 わしは伊佐武光…藤堂兵衛を、許すことはできぬ。

 それゆえ、この復讐を諦める訳にはゆかぬのだ。

 …わしか、藤堂か、選ぶのは貴様よ。

 だが貴様には、どちらにしても辛い選択となろう。

 …貴様は、優しい娘ゆえ、な。」

「塾、長…。」

 私は、ごく自然に、塾長の広い胸に縋り付いていた。

 私に触れられる事が死に直結する可能性を知っている筈の男は、その腕をやはりごく自然に、私の背中にまわすと、掌で優しくぽんぽんと叩いた。

 それからもう片方の手を、私の後頭部に乗せて、くしゃくしゃと髪を撫でる。

 優しいのはこの人だ。

 どうしてこんなに優しいのだ。

 私は人殺しの罪人で、この人の仇の娘なのに。

 何もかも知った上で、この人は私を守ろうとしてくれたのだ。

 涙腺が一気に緩み、堪えていたものが決壊して、ごめんなさいと連呼して、子供みたいに声をあげて泣いた。

 ここは私の求めていた胸では確かになかった。

 けど、求めていた温かさは、確かにこれだった。

 

 ・・・

 

 いいだけ泣いてから、ようやく塾長の胸から顔を上げる。

 すごく恥ずかしい。けど、何か吹っ切れた。

 若干鼻をすすりながら、塾長の目をまっすぐ見つめて、言葉を発する。

 

「私は、何をすればいいですか?」

 その私の言葉に、塾長が目を見開いた。

 私が言葉を続ける。

 

「あなたの復讐の、お手伝いを致します。

 私はあちら側の内部事情を、ある程度知っておりますから、お力になれるかと思います。」

 もう、身体は震えない。

 私は塾長を恐れていたのではなく、塾長に憎まれることを恐れていたのだと、今更ながら悟った。

 全て暴かれて、それでも受け入れてもらった今、私の心はひとつだった。

 

「本気か?

 貴様に主を…父親を、捨てられるのか?」

 厳しくも優しい目で見つめられて、私は頷く。

 

「捨てられなくても、捨てねばなりません。

 私も、いつかは自身の業と向き合わねばならない事、わかっていたのです。

 …それに娘として、父の過ちは正さねばなりませんから。

 今が、その時なのだと思います。

 全て、終わったら…」

「ん?」

「…いえ、やめておきます。」

 あなたを、父上とお呼びしてもいいですか…なんて。

 きっと、果たされない約束だ。

 全部終わったらその時、恐らく私は生きてはいまい。

 生き残ったにしても、私は桃に裁かれなければならない。

 

 むしろ、また残りの時間が伸びてしまった。

 私はついさっき、彼に真実を告げようとしたばかりなのだから。




桃さんのいない男塾を見る気にはどうしてもなれなかったアタシ、実は未だに平八伝読んでません。曉は最近ようやく全巻読み終えました。そして実は曉より先に極を読んでました。
うん白状する。アタシは男塾が好きなんじゃなく、桃さんが好きなんだ。うん多分。


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2・EVERYBODY'S GOT A PAIN

 塾長の復讐計画。

 それは御前…藤堂兵衛が主催者である大武術大会、天挑五輪大武會に出場する十六人の闘士を集めて見事優勝し、優勝者の前に姿を見せる藤堂兵衛を、そのタイミングで討つというもの。

 つまり、優勝しなければそのチャンスはないという事であり、だから塾長は長年雌伏の時を耐え、大武會を戦える十六人が揃うのを待ったのだという。

 やはり私たちは全員、塾長の掌の上で動いていた。今更それに腹は立たないが。

 私は何をしたらいいか。そう問うと塾長は、

 

「これまで通り、闘士達の心の支えでいてくれればよい。

 まずは体調を万全に整える、その手助けをしてやるがいい。」

 そう答えて、ニヤリと笑った。

 それから、思い出したように付け加える。

 

「わしが男塾塾長、江田島平八である。」

 この自己紹介、あと何回聞けるだろう。

 

 ☆☆☆

 

 その日の夜、私は男根寮を訪ねていた。

 驚邏大四凶殺後と同様に、重傷者には臨時に一人部屋をあてがっている。

 ちなみに彼らの怪我が完全に治った頃には寮は完全に二人一部屋制となる予定だ。

 私は目的の人物の部屋の前に立つと、ノックをしてから声をかけた。

 

「富樫…起きてますか?」

「え、光?……あっ、ちょ、ちょっとだけ待て。

 い、今開けるから、まだ入るなよ!」

 何だか焦ったような返事の後、少し間があってから、少し開けたドアの隙間から薄く微笑んだ。

 

「…おう。どうした?こんな時間に。」

「怪我してるのに、わざわざ起きて開けてもらわなくても…あれ?

 横になっていなかったんですか?」

 見れば上半身は包帯だけだが、下は制服のズボンをはいて、頭にはいつもの学帽が乗っている。

 眠る為に横になっていたのなら帽子は明らかにおかしいし、寝間着じゃなく制服ってのも不自然だ。

 と思ったのだが、

 

「なってたさ。

 おめえが来たから、慌ててズボンだけでもはいたんじゃねえか。」

 ということは、普段から寝る時も帽子は被ってるって事なのか。

 ひょっとしてツッコミ待ちなのか。

 いやこれは罠だ。

 私は絶対につっこんだりしないからな。

 あと今の言葉で、富樫は寝る時は寝間着などは着用せず、恐らく下帯いっちょなんだろうと推測できたが、それはアタマから追い出すことにする。

 

「…気を遣っていただいたようで、ありがとうございます。

 今、お話いいですか?」

「まあ、と、とにかく入れよ。」

「失礼いたします。」

 言いながら足を踏み入れると、微かに塩素系の匂いがした。

 掃除した時に隅の方に黒カビを発見したので、次亜塩素酸系漂白剤で消毒したのは確かだが、その匂いがこんなに残るもんなのか。

 さぞや居心地が悪かった事だろう。

 申し訳ない事をした。

 

「怪我の具合はいかがですか?

 無茶をするのも程々にしてくださいね。」

 だが私の小言なぞ柳に風と、ニカッと笑って富樫が言う。

 

「無茶しなくなったら俺じゃねえだろうが。」

「…なんで私は、この言葉に納得してるんでしょうか。」

 なんかもういいや。

 しょうがない、だって富樫だし。

 

「それで?話ってな何だ?」

「…あなたの、お兄さんの事で、どうしても耳に入れておきたい事が。」

「…兄貴の!?」

「…ええ。富樫源吉と、独眼鉄との間に起きた、悲劇の話です。」

 今はまだ、独眼鉄は死んだ事になっているので、彼をこっちに寄越すわけにはいかない。

 けど、できれば一刻も早く事実を伝えて、富樫の側の蟠りも解いてしまいたかった。

 …結局、それも私の感情でしかないのかもしれないけれど。

 

「…俺の兄貴は、あいつに殺されたんだ。

 その事は聞いた。」

 ギリ。富樫が、奥歯を噛みしめる音がする。

 

「そうですね。それは間違いありません。

 私も本人からそう聞きました。

 …ただ、そこに至るまでの経緯には、少し複雑な事情があります。

 独眼鉄は、それはあなたには話さないで欲しいと言いましたが、あなたには知る権利があると思いますし、それを知らずに独眼鉄をあなたが憎み続ける事を、富樫源吉は喜ばないと思いましたので。」

 富樫の目を真っ直ぐに見つめて、私は話を切り出した。

 この入り方は自分でも卑怯だと思う。

 けど、ちゃんと聞いてもらえなければ、前に進めない。

 富樫も、そして独眼鉄も。

 

「複雑な…事情?」

 鸚鵡返しに問い返す富樫に、私は黙って頷いた。

 

 ・・・

 

「…生前の富樫源吉と、独眼鉄との間には、年齢を越えた友情がありました。」

「なんだと?どういう事だ!?

 あのゲス野郎と、兄貴が…?」

「そのゲス野郎の仮面こそが、独眼鉄があなたについた最大の嘘だったんですよ。

 彼は、富樫源吉を死なせてしまった己を悔いて、あなたに裁かれたかったんです。

 もっともあの場面に割って入った飛燕が、結局は彼と戦う事になってしまい、それは果たされませんでしたけれど。」

「……続けてくれ。」

「あの年の大威震八連制覇は、その同じ年の年度末に起きた二つの事件…

 当時の一号生筆頭伊達臣人の教官殺害からの出奔。

 それに続く残された一号生の大量傷害事件と、その加害者である二号生筆頭赤石剛次の無期停学…。

 それにより本来想定していた強者が一斉に不在になった、非常に層の薄い開催年でした。

 そんな中で、独眼鉄と富樫源吉は、お互いを認め合い、友情を育んでいた。

 けれど、富樫源吉が大威震八連制覇の出場闘士に選ばれてしまった事で、彼らの友情は引き裂かれることとなってしまった。

 選ばれて、戦う事になった場合、そこに手を抜く事は許されない。

 奇しくも同じ第二闘場で対戦する事となった2人は、互いの全力をもって、戦うしかなかったんです。

 そうして、独眼鉄が勝利をおさめ、富樫源吉は亡くなりました。

 その事を私に話してくれた時の独眼鉄は、子供のように涙をこぼしていました。

 …本来の彼は、そういう人です。」

「…そんな。嘘だ、だって奴は。」

「あなたのお兄さんは、死の間際に、彼の名前を出しましたか?

 私が聞いた限りではあなたは、富樫源吉の対戦相手が、大豪院邪鬼であったと、思い込んでいたという話でしたが。」

「そう、だ。だから、俺は…」

「ここからは、私の推測でしかありませんが…お兄さんは、独眼鉄を恨んではいなかった。

 むしろ、自分と独眼鉄を戦わせる事となった大威震八連制覇と、その開催を強行した大豪院邪鬼を、恨んだのだと思います。

 あなたに彼を恨ませる事は、したくなかったのだと。」

「…………兄貴。」

「ただ、飛燕との戦いの時は、空気を読まずに割って入った飛燕に、独眼鉄が若干苛立っていたのは事実と思います。

 あなたにそう思い込ませる為の『ゲス野郎』の仮面に、その感情が引きずられて、演技過剰になっていたのだと。

 裏を返せば、それくらい役に入り込まなければ平静を保てなかったのでしょう。

 …私の話は、以上です。

 この話を聞いて、あなたがどう思うかは、あなたの自由ですよ。

 あなたに真実を知って欲しいと思ったのは、私の勝手な独断ですから。」

「……………。」

「夜分遅くに、辛い事を思い出させて、申し訳ありませんでした。

 私の話はこれで終わりです。

 おやすみなさい、富樫。」

「待てよ、光。」

「……どうしました?」

「…いや。なんでもねえ。その、ありがと、な。」

「いえ…それではまた。」

 

 ☆☆☆

 

 …俺の知らなかった事情、兄貴の心を聞かされて、多分俺は混乱してたんだと思う。

 でなければ、こんな事思うわけがない。

 いつもは丁寧ながらもどこかつっけんどんな光の口調が、今日は優しく響いたのも、その目が泣きそうに潤んでるように見えたのも、もう癖みてえにアタマ撫でてくるその手が温かくて気持ちよくて、ずっと撫でていて欲しいと思ったのも…そして。

 無性に、あいつの胸に縋り付いて、ガキみてえに泣きたいと思ったのも、きっと混乱してたせいだ。

 けど。

 似ても似つかねえのに、あいつの口から出てくる言葉が全部、兄貴が俺に言い聞かせてるように聞こえた。

 兄貴が、そこにいるようにすら思えた。

 源次。もう俺に捉われるな。

 俺の為に、恨みを抱き続けるな。

 そう言ってるみたいに聞こえた。

 だから、あいつの中の兄貴に、もう一度触れたいと思った。

 自分の中の理性を総動員していなかったら、俺は本当に光に縋っていただろう。

 

 去り際の光を思わず引き止めちまった自分を思い出したら、それだけでも羞恥心で死ねる。

 俺は兄貴の形見の学帽を、深くかぶり直した。

 本当、どうかしてる。

 

 ☆☆☆

 

「…突き詰めれば、俺のせいってわけか。」

 富樫の部屋を出て、ひとつ息をついた途端、予期しない方向から声がして、私は反射的に飛び退った。

 その方向を振り返ると、思ったより高い位置にある顔に、未だ生々しい六条の傷跡を刻まれた男が、腕を組み廊下の壁に凭れてこちらを見つめている。

 

「…伊達?」

 私がその男の名を呼ぶと、男は一度目を閉じて、言葉を続ける。

 

「俺が、あの教官をぶっ殺した事で、赤石は俺が守ったつもりでいた一号生をぶった斬り、この男塾から一時期去った。

 前年度の一号生全員と二号生筆頭を欠いた中で、新しく迎えた一号生は、中途半端に見所があったばかりに、残った二号生を差し置いて、大威震八連制覇に引き出された。

 それで富樫の兄貴が死んで、独眼鉄が自分を責めた。

 面白いくらいに連鎖したもんだ。

 面白すぎて、笑えやしねえ。」

 言い終えてから、再びその目が開かれる。

 私は、自分を見据える伊達の目を、軽く睨んだ。

 

「…盗み聞きなんて、いい趣味とは言えませんよ。」

「この前を通りかかったら、おまえの声が聞こえただけだ。

 おまえの方こそ男の部屋を、夜中に一人で訪ねるなんざ、趣味がいいとは言えねえだろ。

 無防備にも程がある。」

 あれ?これってひょっとして、心配してくれたんだろうか?でも。

 

「…下衆な勘繰りはやめてください。

 富樫は私を男だと思っていますし、そうでなかったとしても、あの子は私に無体を仕掛けるような子じゃありません。」

 そりゃあ、私を一度…その、妄想のタネには使った事があるって言ってたけど。

 でも若干気が咎めてたのか、後になってからわざわざその事私に言って謝っちゃうような子だよ!

 

「あの子、な。子供扱いってわけか。」

 言われて初めて気がつく。

 私、多分日常的に、彼らに対してその言葉使ってると思う。

 

「…弟と同い年なので、つい。」

 悔しいので言い訳してみるが、よく判らないがますます負けた感に支配されて、言ったことを後悔した。

 

「…赤石からは、兄貴がいたとは聞いてるが、弟も居んのか。」

「血の繋がりはありませんがね。

 いろいろ事情が複雑なもので、スルーしていただけると助かります。

 …最近は一号生に関しては、一部の者を除けば弟を通り越して、息子とでも接してる気になってますよ。

 勿論、私に母親の気持ちはわかりませんから、推測するしかできませんが。」

 言いながら、私の脳裏には実の母親ではなく、何故か幸さんの顔が浮かんでいた。

 母だって決して私を愛さなかったわけではなく、単に兄を助けたかっただけなんだが、私の記憶に残っている母は、私を詰った時のヒステリックな表情と、私を御前のもとに連れていった時の冷たい目をした女ってだけ。

 私と一緒に台所に立って『娘が生きていたらこんな感じだったのかしら』と優しく微笑んでいた幸さんの方が遥かに『母親』のイメージだ。

 まあ、薄情な娘って事さ、私は。

 どうせならここでの私の設定も『塾長の昔の女が産んだ子』じゃなく、幸さんの子にしてくれた方がよかったのにと思うんだけど、そういうような事を以前、塾長になにかの届け物をしたついでに私のところに顔を出してくれた幸さんに何気なく言ったところ、

 

「わたしは、旦那様の『女』の中では新参ですもの。

 そのわたしが旦那様の子供を、しかも光さんの配役的に『男子』を密かに産んでいたという事になってしまうと、先輩である他のお妾さんたちの立場がなくなってしまうわ。

 光さんの母上様を敢えて、既に亡い設定の架空の人物にしたのは、旦那様の配慮かと思いましてよ?」

 という答えが返ってきて、なんだか自分には理解できない世界があると感じるとともに、その時はちょっと塾長の事が嫌いになった。

 なんなんだ『他の』『お妾さん』『たち』って。

 …まあそんな事は今はどうでもいい。

 

「…ここの奴らがおまえに懐くのは、恐らくはそういうトコなんだろうな。

 子供扱いはするが、だからって馬鹿にするわけじゃねえ。

 むしろ成長のひとつひとつを、誇らしげに見守るくらいの。

 おまえが女だと知らなくても、奴らはそれを無意識に感じ取ってるんだ。

 男にとって、母親って存在は特別だからな。

 …俺には母親の記憶はねえから、こっちも推測しか出来ねえが。」

 やっぱり、あの地獄に放り込まれた時点で、温かい記憶は忘れたのだろう。

 弱ければ死ぬ。

 戦わなければ死ぬ。

 殺さなければ死ぬ。

 自身が人から生まれた事すら、忘れ去らねばそれは不可能だった。

 親の記憶などあるはずがない。

 

「…ひとつ忠告しといてやる。

 おまえは高圧的に来る相手には強いだろうが、甘えてくる奴には案外、コロッと絆されるタイプだ。

 気をつけろ。」

「え?」

 少し意識が逸れている間に、なんか変な事言われた。

 思わず間抜けな声で聞き返してしまい、その私に向かって、伊達が上から人差し指を向けた。

 その人差し指を私の額に当てて、ぐりぐりと動かす。

 

「甘えて、縋って、場合によっては涙なんかも見せればおまえは簡単に心を、状況次第じゃ身体も開く女だって言ってんだ。」

「なっ……!!」

 唐突にとんでもない事を言われ、覚えず顔に血が上る。

 それは怒りだったか、それとも羞恥だったのか。

 だが、伊達はふざけているわけではなかった。

 

「…もし、さっき富樫がおまえに『寂しくて苦しいからひと晩一緒に過ごしてくれ』って懇願してきたら、おまえ、奴を拒めたか?」

「…っ…!!」

 無理だ。その状況は拒否できない。

 相手は富樫ではなく桃だが、その点で私には前科がある。

 それを伊達が知っている筈はないが…でも、そういえばこの男にも似たような懇願をされた時、思わず絆されてアタマ撫でたんだった。

 うわあ。

 

「となると、おまえが『子供』と思って安心してる奴の方が、むしろ危ねえって事だ。

 …理解できたなら、少しは警戒するんだな。

 オボコはさっさと帰んな。」

 って、赤石みたいな事言うな!

 言い返せないうちに、伊達が凭れていた壁から背中を離して、その背を私に向けて歩き出した。

 …ムカつく。

 なんか知らないが、泣かしてやりたい。この男。

 

「…ひとつ、質問してもいいですか?」

 …気づいたら自分でも何がしたいのか判らぬまま、私は伊達を呼び止めていた。

 

「…なんだ?」

 振り返った大人の顔の、はるか奥にいるであろう少年に向かって問う。

 

「伊達は……寂しいですか?」

「……!?」

「孤独になるのは、耐えられませんよね?」

 あの日、この男は確かに言った。

 俺を一人にするなと。

 

「…やめろ。」

 耐えられなくなったように、伊達が私から目を逸らす。

 その横顔に、微笑みながら言った。

 

「今から、私に付き合ってもらえませんか?

 お見せしたいものがあります。」

 

 ☆☆☆

 

 男塾から、徒歩で30分の距離を、伊達は文句ひとつ言わず、私と並んで歩いていた。

 私も特になんの説明もせずに、ただひたすら歩く。

 目的の、一軒の邸の門の前に立ち、呼び鈴を3回押して、開かれた引戸の内側に挨拶をした。

 

「こんばんわ。具合はいかがですか?」

「光殿!?

 こんな夜遅くに、女子(おなご)一人でここまで!?

 無用心が過ぎますぞ!」

「御心配なく。今日は同行者がおりますので。」

 私を迎え入れようと開かれた戸の内側から出てきた男を見て、伊達がその場に硬直した。

 

「雷…電!?」

「伊達殿!!」

 驚かれた方も、目を丸くする。

 

「どういう事だ、光。」

 伊達が私の肩を掴んで問いただす。

 が、私がそれに答える前に、更に別の声がそれを遮った。

 

「我々は、光に助けられました、伊達殿。」

「月光!」

「ほら、女性をそんなに、乱暴に扱わない。

 あなたらしくありませんよ、伊達。」

 柔らかな声音と綺麗な長い指が、伊達の手から私を引き離す。

 

「飛燕も…おまえたち…!

 そうか、今回もまた、おまえに助けられたってわけか…。」

 伊達の瞳が、ほんの少しだけ潤んだのを、確かに見た。

 …よし、勝った。作戦成功。

 

「私が助けたのではありませんけれど。

 私は、王大人先生に依頼されて、医療チームの一員として働いただけですので。

 ちなみに、この家は塾長の別宅のひとつです。

 三号生も含め我々は…更には王先生までもどうやら、塾長の掌の上で踊らされていたようで。」

「ですが王大人は、あなたの存在がこの計画の決め手になったと言っていました。」

 と言ってるって事は、日中ここに王先生が来たって事か。

 

「いい加減説明しろ、光。

 なぜこいつらが生きて…」

「まあ、混乱しますよね。

 まずは落ち着いてお茶でも飲みましょうか。

 緑茶しかありませんがお淹れしますので、中で座ってお待ちください。」

 そろそろ状況がカオス化してきたし、30分歩いたから私も喉が渇いてる。

 

 ・・・

 

「それにしても、光殿はなぜ、ここに伊達殿を連れてきてくれたのですかな?」

 どこから調達してきたものやら、お茶菓子を振舞ってくれながら、雷電が問う。

 月餅に似てるけど違うな。

『月寒あんぱん』ってなんだ?

 美味しいからいいけど。

 

「そうだな。

 本来は我々の生存は、念の為に当分隠しておくのだと、王大人は言っていた。

 伊達殿をお連れしたのは、光の独断だろう。

 …何故?」

 …うーん、ごめん。

 正直、あんまり考えてなかった。

 ただ、伊達を泣かしてやりたいという衝動に突き動かされただけで。

 

「…伊達があんまりにも寂しい寂しいって言うので思い余って。」

「勝手に話を作るな!

 俺はそんな事ひと言も言ってねえ!!」

 とりあえず冗談でこの場を切り抜けようとしたら、物凄い勢いで反発された。

 その伊達から私をやんわり庇いながら、飛燕が実に美しい微笑みを浮かべて言う。

 

「フフ…伊達が意外と寂しがり屋なのは、我々もよく知っていますよ。

 光は、彼の無言の訴えに気付いたのですね?」

「飛燕、てめえ……いや、もういい。

 てめえに口で勝てねえのは昔からよく判ってる。」

 こんな美人さんにやり込められたらそりゃ勝てないよなー。

 などとしょうもない事を考えつつ、道中考えてきた言い訳を並べる。

 

「…冗談はさておき、伊達にあなた方の存在が必要かと思ったからです。

 然るべき時が来るまで、あなた方の生存を伏せておく方針に基本、変更はありませんが、伊達一人ならば構わないでしょう。

 あなた方が大っぴらに動き回らない事と、伊達が黙っていてくれれば済む話です。」

 その辺は大丈夫だろうと、自分の中で納得した。

 伊達も三面拳も馬鹿な真似はしない。

 

「…まあその件は後日ゆっくりお話ししましょう。

 では、私はこれで。」

 夜中に堂々とお菓子を食べて少しいい気分になったところで、その場から伊達を置いて立ち上がる。

 

「待て。どこに行く気だ。」

「勿論、男塾に戻ります。

 あなたは彼らと、積もる話もありましょうし、朝までに寮に戻っていただければ、問題はないかと思いますよ。」

 玄関に向かいながら、背中を向けて手を振る。

 だが、

 

「馬鹿が。こんな夜中に女一人で帰せるか。

 俺も戻る。」

 なんかすごく真剣な表情で引きとめられて、面食らう。

 

「え?でも…」

「こいつらが生きていると判っただけで充分だ。

 いいから送らせろ。」

「それが良い。先ほども申し上げたであろう。

 女子一人で夜道は危ない。

 我々は後日いくらでも話が出来ようし、それを可能とさせてくれた光殿を、危ない目にあわせるわけにはいき申さん。」

「その通りだ。貴様は我々の恩人ゆえな。」

「伊達、くれぐれも送り狼にはならないように。」

「なるか!」

 …私は一応制服姿で、傍目には女の一人歩きにはならないんじゃないかと思うが、なんなんだこの紳士ども。

 以前この人らを休ませてる家に夜中に行って帰った時は、誰もそんな事言わなかったのに。

 まあ、あの家は男塾から近かったし…よく考えたらあの家の鍵を貸してくれたのはセンクウだった。

 あの男にそんなデリカシーがあるわけがないか。

 …ひょっとしたら私をひとりで行かせた事で、後でまた卍丸に怒られてるかもしれない。

 だとしたら申し訳ない事をした。

 

 ☆☆☆

 

 行きと同じように並んで歩きながら、伊達の顔をこっそり見上げる。

 表情に変化はなかったが、それでいて行きとは明らかに違う。

 

「やはり会わせることにして良かったです。」

 返事など期待せずに呟くと、無駄に色気のある声が高い位置から問いかけてきた。

 

「何故だ?さっきのでは説明になってねえ。」

 ひょっとして、死んだはずの三人と会わせた理由だろうか。

 いや、会えたならいいじゃん。

 深く追求すんなよしつこいなこの野郎。

 すいません言い過ぎました。

 けど。

 

「…心がまた、叫んでいるのが、聞こえたから。」

「…何?」

「恐らくは、孤戮闘に入れられた当時くらいのあなたが、一人にしないでくれと、訴えていたから。」

 思わず口をついて、言葉が出た。嘘じゃない。

 むしろ、これが本音だったと、自分で言って初めて気づいた。

 

「……!?何故、おまえがそれを知って…」

「あなたの左手首を見ました。

 …驚邏大四凶殺の後に。」

「だとしても!

 普通の人間は、孤戮闘の存在すら知らねえ筈だ!

 …てめえ、一体何者だ。」

 探るような目が、私を射抜く。

 これは、口で説明するより、見せた方が早いだろう。

 私は、伊達を真っ直ぐに見上げながら、制服のボタンを外した。

 

「なっ!!馬鹿、いきなり何を………っ!?」

 構わず肩から制服をずり落とし、背中に手を回してサラシの位置もずらす。

 そうして左肩甲骨下部の刺青を、伊達の目に晒した。

 

「……見えました?」

「ああ。………もう、いいから着ろ。

 なるほどな。年齢の、3倍以上か。」

「…なんの話ですか?」

 前ボタンを留めながら、不可解な呟きの意味を問う。

 だが、伊達はそれに答えなかった。

 

「いや、気にすんな。

 俺は赤石に斬られたくねえ。」

 …なんだそれ。

 

「…それよりこれ、俺の他には、誰かに見せたか?」

「塾長と桃には見られてます。

 桃は、その意味するところまでは知らないでしょうが。」

「赤石には?」

「…彼は何も知りません。」

 質問の意図がわからない。

 

「そうか。

 赤石が知れば、今だって充分過ぎる過保護が、明後日の方向に暴走すんのは目に見えてんな。」

「彼は、私の兄の死に対して責任を感じています。

 だから、その役割を肩代わりすると。

 ただ正直なところ私には、孤戮闘以前の記憶は断片的にしかないので、私の中での兄の存在ってそれほど大きくはなくて。

 赤石は明らかに、それ以上のものを背負ってしまっています。自分から。

 だからこれ以上私の事で、あの人に痛みを与えたくはありません。

 まさかとは思いますが、もし彼に言ったら、私はあなたを殺します。」

 言って、伊達を睨みつける。これも本心だ。

 なのに。

 

「……フッ。」

「…何が可笑しいんですか。」

「…まさか二人から、おんなじような脅され方をするとはな。

 おまえら既に、本当の兄妹以上に兄妹なんじゃないか?」

「は?」

 なんかすごく失礼な事言われた気がする。

 

「まあいい。

 下手に同情されんのは俺も嫌いだ。

 俺のコレの事も黙っててくれんなら、俺が殊更に何か言う必要も意味もねえから、安心しろ。

 …そんな、猫みたいに毛ェ逆立てて威嚇しなくともな。」

「誰が猫ですか誰が!」

 さっきからの失礼発言続きに私が言い返すと、伊達は喉の奥でくくっと笑った。

 

「なるほど。

 赤石が構いたくなる気持ちがよくわかった。

 俺は、こんな事は滅多に言わねえし、一度しか言うつもりもねえが。」

「…なんです?」

「…可愛いな、おまえ。」

「………………はぁ?」

 私が思わず間抜けな声を上げたと同時に、伊達の大きな手は私の頭を掴み、髪をぐしゃぐしゃとかき乱した。

 しかも両手で。

 くそ、なんなんだ、一体。

 アタマ撫でられるのは基本好きな筈だが、これは馬鹿にされてるとしか思えない。

 私は猫じゃないって言ってるだろうが。

 てゆーか例の傷のせいで自分の方が猫みたいな顔してるくせに。

 くっそ滅べ。




関係ないけど、この話の中での各キャラの位置付け

剣桃太郎:完璧超人
赤石剛次:脳筋
大豪院邪鬼:非常識人
伊達臣人:フェロモン系ドS
J:大人ナイスガイ
富樫源次:下ネタ担当
虎丸龍次:大器の無駄遣い
月光:矛盾の塊
雷電:癒し系
飛燕:腹黒
影慶:ドM
羅刹:豆腐メンタル
センクウ:デリカシー欠如
卍丸:紳士
男爵ディーノ:不憫
蝙翔鬼:ダブルキャスト
独眼鉄:泣き虫

藤堂豪毅:執着

椿山清美:当て馬


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3・ねじ曲がった自由と歪んだ正義の為に

この辺は割と書き溜め分が多いので連続投稿できますた。


 天動宮に出向くと、いつもならば独眼鉄が鎮座している筈の場所に、一般三号生が何人か立っていて、私に気付いて通路の板を渡してくれた。

 どうやら鎮守直廊組は全員出払っているらしく、彼らは一応代理らしいのだが、

 

「光は、我らにとってはもう仲間だからな。」

 と、私の場合は顔パスでいいらしい。

 ちょっと涙出た。

 

「今日も邪鬼様に呼ばれているのか?」

「いえ、今日は自主的にです。

 お身体の様子を確認するのと、二号生から預かっているものがあるので、それを一応、渡しに…。

 まあ、そろそろ意味ないんですけど。」

 言いながら、下げてきた紙袋の中のものを見せると、その場の全員が一瞬押し黙り、ちょっと待ってろと言われて別室に留め置かれた。

 かなり待たされた後、

 

「我ら三号生が、邪鬼様への気持ちで、二号生に負けるわけにはいかん」

 とか言われて、同じものが入った紙袋をもうひとつ持たされた。

 なにと戦ってるんだおまえらは。

 そろそろ意味ないって先に言ったのに。

 まあ突っ返すのもアレなので仕方なくそれも持って邪鬼様の部屋までたどり着いた。

 ノックをして、声をかけるも(いら)えはない。

 

「あ、れ……?」

「光か。

 邪鬼様に御用なら、出直してくるがいい。」

 唐突に後ろから声をかけられ、一瞬驚く。

 

「影慶…。」

 私がその男の名を呼ぶと、男は相変わらず感情の見えない顔で、無愛想に言い放った。

 

「邪鬼様は今、入浴中だ。」

 見ると、手に……うん、その、まあ衣類を手にしている。

 ちょ、側近ってこんなことまでやらされんの?

 

「…失礼いたしました。

 30分後くらいに、また参ります。」

 私が背を向けて立ち去ろうとすると、

 

「まあ待て。

 一度天動宮を出てまた戻るのも大儀だろう。

 俺の部屋で待つといい。右隣だ。」

 言って、ポケットから鍵を出して手渡される。

 

「え、でも…」

 受け取るのに躊躇していると、邪鬼様の部屋のドアが、内側から開かれた。

 

「その必要はない。何か用か、光。」

「邪鬼様?おはようござ……うわあっ!!」

 私は思わず影慶の後ろに身を隠し、背中にしがみついて顔を伏せた。だって…だって。

 

「…男塾(ココ)にいて男の肌身を、一度も目にした事がないわけでもあるまい?

 なにをそんなに驚く?」

 邪鬼様は、大判サイズのタオルを頭から被っただけで、あとは何も身につけていない。

 腹の傷はすぐに治療したから残っていないし、あの様子だと全身の火傷も、後遺症などはなさそうだ…けどそういう問題じゃない!

 その格好で廊下に出てくるな!

 初めて会った時といい今といいとんだセクハラ野郎かお前は!

 すいません言い過ぎました。

 

「…妙齢の女性の前でお戯れが過ぎます、邪鬼様。

 着替えはこちらにご用意しましたので、身につけたらお声をかけてください。」

「……フッ。」

 どうやら影慶が、手にした衣類を邪鬼様に押し付けて、無理くりドアを閉めたらしい。

 

「…光、もう顔を上げていい。」

「は、はい。あーびっくりした。

 でもぱっと見た感じ、傷も火傷も綺麗に治っているようで、安心しました。」

「おまえの術の効能は確かだろう。

 逆に、失敗することなどあり得るのか?」

「…あなたのケースは、かなりの失敗かと思いますけど。」

「絶対に助からないはずの命が助かったのだ。

 上々だろう。気に病むことはない。

 本来なら、この手を得る為に何年も、手に毒を染み込ませると同時に、耐性をつける為の修行を重ねるのだ。

 その過程を飛ばす事ができたのだから、むしろ有難いくらいだぞ。」

 …私は影慶の身体を、完璧には治せなかった。

 治癒、造血、解毒。

 それら全てがいちどきに必要だった影慶の治療を行うにあたり、一刻を争う致命傷である腹部の傷の治癒を優先した結果、思った以上に浸透性の高かった毒成分を、完全に除去する事ができなかったのだ。

 特に長い時間毒物に晒されていた右手は、洗浄してもその成分が完全に深部まで浸透しており、そのままでは壊死する寸前だった。

 やむなくその場で方針を変え、解毒を諦めて、私の氣を血流に乗せてリンパ球に働きかけ、毒の抗体を作らせる事で、命だけは助ける事ができたが、その代償として影慶の右手は、触れるものを死に至らしめる、文字通りの「毒手」となった。

 彼はこの先一生、例え愛する人ができたとしても、その人に素手で触れる事はできない。

 また、その右手には真新しいサラシを裂いた包帯が巻かれているが、これにも少しずつ毒は浸透する為、最低でも一日に二度、新しいものと替えなければならない。これも一生だ。

 

「そういう問題じゃありません。

 …影慶は、怖くはないのですか?」

「怖い?何がだ?」

「……大切な人を、ひとつ誤れば死なせてしまうかもしれない自分が。」

「…言われている意味は理解できるが、俺にはそもそも、大切な者などおらん。」

 淡々と返ってくる答えは、まるでかつての己と会話しているようで。でも。

 

「…邪鬼様は?」

「あの方は、そもそも俺などが触れられる次元の存在ではない。」

 確かに以前、邪鬼様に氣のレクチャーを受けていた際、何かのついでに聞いた事がある。

『影慶は、俺の影すら踏まん。』と。

 けど、そう言った時の邪鬼様は、少しだけ哀しげだった。

 距離をおいているのは、むしろ影慶の方からじゃなかろうか。

 

「…納得がいっていない表情(カオ)だな。

 そんな経験でもあるのか?」

「………まさか。」

 今何か、嫌なことを思い出しかけた気がする。

 

「…おまえも、同じだ。」

「え?」

「おまえにも、どこか深いところに、邪鬼様と同じ匂いを感じる。

 触れる事など思いも及ばぬ、影を踏む事さえ躊躇うような、そんな匂いだ。

 だが、その方向性は完全に違う。

 そして、その違いの正体がわからぬ分、俺は、おまえの方がよほど恐ろしい。」

 なんか意外な事を聞かされた気がする。

 …というか。

 

「…ひょっとして、以前天動宮に滞在していた間、私のことを避けていたのは、そういう理由ですか?」

 影慶は他の死天王と違い、明らかに私と距離を置こうとしていた。

 だから先ほど「部屋で待て」と言われた時に、鍵を受け取るのに躊躇したのだ。

 確実に、嫌われていると思っていたから。

 

「気付かれていたか…その通りだ。

 それでも邪鬼様に進言して、味方につけるよう促したのは、あの時言ったことも勿論嘘ではないが、敵に回った場合の可能性の予測がつかなかったからだ。

 放っておくと危険だと判断した。

 …もっとも、塾長はこちらが思うよりずっと、おまえの背中を支えていたから、俺の心配など杞憂だったが。」

「そうでしたか…。」

 要するに、やはり野放しにしては危険と判断されていたわけだ。

 なんだか私と影慶のいる廊下に微妙な空気が流れた頃、再び邪鬼様の部屋のドアが開かれて、同時に呆れたような声が、その場を支配した。

 

「そうは言っているが、光。

 影慶は、万が一貴様に俺が、手をつけた時の事を考えて、深入りしないようにしているに過ぎん。

 あまり気にせぬ事だ。」

「邪鬼様!?」

「事実であろうが。余計な気をまわしおって。

 …まったく、可愛いやつよ。」

 言うや、大きな手が影慶の頭部を撫でた。

 ずっと無表情だった影慶の目が驚きに見開かれ、頬に僅かに赤みがさす。

 

「おやめください、邪鬼様!」

 うわあ…あの手にアタマ撫でられるの、ちょっと羨ましい。

 けど入って行けない。

 

「あ、あの、では、私はこれで…。」

 いたたまれなくなりその場を辞そうとしたら、

 

「ん?俺に用があったのではないのか?」

 という声に引き止められた。

 

「あ…忘れてました。

 てゆーか、傷の状態は先ほど見せていただきましたから、私自身の用は済んだのですけど…邪鬼様の療養に、もっと時間がかかると思っていた塾生の皆さんが、コレ頑張って作ってくれてたみたいで…突っ返すのもアレなんで、気持ちだけでも受け取ってあげてくれませんか?」

 そう言って、二つの紙袋を差し出す。

 邪鬼様はその中にあるものを一本つまみ上げると、独り言のように呟いた。

 

「…千羽鶴か。」

 正確には千羽はないだろうが、それに近いくらいはあるだろう。

 とりあえず江戸川の号令で二号生にひとり十羽のノルマで作らせたものを私が持って行ったら、それを見た三号生が急遽折りあげたものが加わった。

 

「しかしこいつを見るたびに思うが、ただ連ねてぶら下げておくなど、いかにも不粋よな。」

「はあ……えっ!?」

 邪鬼様は二、三号生の想いが込められた千羽鶴の白い束を、全て無造作に宙に放り投げた。

 同時に、氣を弱く調整した殲風衝をそれに放つ。

 当然グシャグシャに破れ落ちると思ったそれは、連ねている糸が切れたのみで、一羽一羽綺麗な形を残したまま、部屋の中を縦横無尽に飛び回った。

 

「わ………!!」

 私がそのメルヘンファンタジーな光景に見惚れている間も、邪鬼様は腕を振って風の流れを調整し、鶴はその腕の動きに従って舞っている。

 更に邪鬼様が大きく腕を回すと、折り鶴達は一斉にひとつの方向に向かって飛び、もう片方の手で脱ぎ捨てたマントが床に落ちる前に、全てがその中に飛び込んで、包み込まれた。

 

「…フム。意外と使えそうだな。

 奴らの気持ち、この邪鬼、有り難く受け取ろう。」

 邪鬼様が、薄い唇に笑みを浮かべる。

 私と影慶は思わず顔を見合わせた。

 何に使う気なんだろう。

 まあ、無駄にならなかったようで良かった。

 

 ☆☆☆

 

 天動宮を出て、同じ敷地内の修行場のようなところに行くと、黒い生き物の群れに囲まれている男が、私を見てニヤリと笑った。

 

「…よぉ。」

「こんばんは、蝙翔鬼。あの…」

「こいつらのことは恐れずとも良い。

 俺が号令をかけさえしなければ、貴様に危害は加えぬさ。

 そして、俺には貴様を害する理由はない。

 …まあ、女にとっては気持ちの悪い生き物だろうが、な。」

 彼の周囲を舞っているのは、小型の蝙蝠の群れだった。

 背筋を寒気が走る。

 

「…否定はしません。調子はいかがですか?」

「しばらくは顎が動かなくて、流動食しか口にできなかったが、やっとものを噛めるようになった。

 だが、このへんの肉が落ちたおかげで、若干細面の色男顔になったと思わんか?」

 蝙翔鬼は、磁冠百柱林闘の柱から落とされた際、顎の骨を骨折していた。

 それ自体はすぐ治療したのだが、逆にそれが良くなかった。

 時間をかけて少しずつ回復させ、それとともに周囲の筋肉をそれに対応させて行けば問題なかったのだろうが、怪我をした際にそれを守ろうとして収縮した筋肉が、急激な治療に順応するのに時間がかかったのだ。

 あくまで肉体の反応の問題なので回復の過程に問題はなかったのだが、やはり元通りになるまでは苦痛だったと思う。

 確かに彼の言う通り、その間動かせなかった筋肉がやや落ちて、以前とは若干面変わりしていた。

 

「は、はぁ…。

 ともあれ、快復してきたなら何よりです。」

「…ああ。貴様には感謝している。」

 ストレートにそんな言葉を口にする彼に、驚きを禁じ得ない。

 この人、以前顔を合わせた時には、もっと病んだ雰囲気だった気がするのだが。

 

「どうした?」

「なんか…雰囲気、変わりましたね、あなた。

 あ、いえ、輪郭だけではなく…言い方は悪いかもですが、どこか毒気が抜けた感じです。」

「毒気、ね。まあ、言い返す言葉もないな。」

 少し失礼な私の物言いに、特に気を悪くした様子もなく、蝙翔鬼はフッと笑った。

 それから少し真顔になって、その場に積み上げた石に腰を下ろす。

 すぐ隣に同じものがあり、彼は私にもそれを指し示した。

 座れという事らしい。

 大人しく従ったが、私には少し高めで座ると足が浮いた。

 

「…少し、話をしていいか。

 いや、勝手に話すから、聞き流してくれていい。

 この、俺の右腕な。

 5年ほど前に、男塾と南国の長年の宿敵との闘いのさなか、敵の卑劣な罠に引っかかって、失ったものだ。

 それからの俺は、少し荒れた。

 闘いに際し、手段を選ばなくなり、それを、この腕のハンデがある分仕方ない事と己を正当化して…いつしか己に対して、そんな言い訳さえもしなくなった。

 …気がつけば、俺に卑劣な罠をかけた、あの敵と俺は、同じになってしまっていた。

 あいつらとの闘いを経て、貴様に助けられなければ、俺は未だに、そんな自分に気付かずにいただろうな。」

 そう、淡々と呟く蝙翔鬼の目は、どこか遠くを見ていた。

 

「…気がついた時、苦しかったですか?」

 その後の沈黙に何故か耐えきれず、思わず質問が口に出る。

 

「ん?」

「私は、自分が、真っ黒に汚れていると…もはや、どんなに洗おうとしても、己に染み付いた汚れは雪げないと、自覚した時…苦しくて、居たたまれなくなりました。

 あなたも、そうでしたか?」

「…さあな。忘れちまった。」

 そんなに前の話ではない筈なのに、蝙翔鬼はそんな風に言って、肩をすくめる。

 

「だが、どんなに真っ黒く汚れていても、諦めずに雪ぎ続けていれば、いつかは洗い流せるんじゃないか?

 少なくとも、そう信じて生きる事はできる。

 俺は、それでいいと思ってるぜ。

 少なくともこれからの俺は、この腕を言い訳にはしない。

 それだけは、今、ここで誓わせてくれ。」

 そう言って蝙翔鬼は、私の目を真っ直ぐに見つめる。

 それを見ているのが苦しくなり、私はさりげなく視線を外して、わざと笑ってみせた。

 

「…そうですね。

 確かにそれは言い訳になりません。

 生来目が見えないのに、そんな事をまるで他人に気付かせすらせずに、真っ直ぐに生きている人もいるくらいですし。」

「ん?誰のことだ、それは?」

 …軽く言った言葉に、何故か食いつかれた。

 

「…月光です。三面拳の。」

「本当なのか、それは…?」

「ええ。本人がそう言っていました。」

 言っても良かっただろうか。

 けど、殊更に隠してる様子でもなかったし、別にいいか。

 私の言葉に、蝙翔鬼はなにか考えるように宙に目をやってから、もう一度私に目を向けた。

 

「…一度、サシで話をしてみたいところだな。

 俺たち三号生が生きてるんだ。

 あいつらも生きてるんだろう?」

「…ええ。

 あなたがそう言っていたと、今度訪ねる時にでも、月光に伝えておきます。

 彼はきっと、拒まないと思いますよ?」

「頼む。

 それに、俺と戦った雷電という奴にも、面と向かって謝っておきたいところだな。

 卑怯な真似をして、悪かったと。」

 …あれ?

 ここの塾生は結構意地っ張りな奴らばかりな気がしてたけど、この人ってひょっとしたら、素はすごく真っ直ぐなタイプなのかもしれない。

 …そうか。

 だからこそ、挫折を感じた時に、ひたすら真っ直ぐに落ちていったのだろう。

 

「…それはそうと、大丈夫か?」

「…本当言うと、大丈夫じゃないです。

 そもそも動物自体、あんまり好きじゃなくて。

 その割には、特に群れで行動する習性のある生き物には、高確率で懐かれるので、嫌な予感はしていたのですが。」

 …そう。蝙翔鬼と話をしている間に、私は頭から肩から腕から、ありとあらゆる場所を蝙蝠にとまられていた。

 肩に留まっているやつに関しては、頭を擦り寄せてすらくる。

 気持ち悪い。

 

「俺も、蝙蝠にそこまで懐かれる奴を初めて見た。」

「…笑ってないで、助けてください。」

 私が情けない声を出したのを見て、蝙翔鬼はますます笑った。

 その笑顔は、本当に邪気のない、彼の心からの笑顔だと、私は感じた。

 なんか、彼の心の黒い染みが雪がれる日は、そう遠くないんじゃないかって気がする。

 けど、やっぱり蝙蝠は気持ち悪い。ヤメロ。




天挑五輪大武會での蝙翔鬼先輩は別人です。
演じてる俳優が途中降板して、代役が立てられたんだと思ってます。


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4・雨の肖像(ポートレート)

文中で光が可愛い系の服を着て喜んでる描写に、ある程度賛否両論あるに違いないのは覚悟してます。
とりあえずアタシ的に、光は男っぽい部分はあっても、自身の女性性まで否定するような、バカ女にはしてないつもりです。
むしろ強い男の前では素直に女に戻れるくらい、ちゃんと女でいて欲しいなと。
女に好かれる女なんて、生物学的に負けですから。


 店に入ってから降り出した、冬の前の冷たい雨が、窓から見える街なかを、静かに濡らしていく。

 

「こちら、お下げしてもよろしいですか?」

「ありがとうございます。お願いします。」

 ちょっと可愛いデザインの制服を着たウエイトレスが、食べ終わった後のチョコレートパフェのグラスとスプーンをトレイに乗せ、ごゆっくりどうぞ、と笑顔で去っていく。

 

「満足したか?」

「はい!思った以上にふくよかに甘くて繊細で、すごく感動しました!

 ありがとうございます、ごちそうさまでした!」

 向かい側には、ダークグレーの綿セーター、黒のスラックスといったごく普通な格好の羅刹が座って、私に向かって笑いかけている。

 

「ありがとうを言うのはこっちの方だ。

 やはり、若い娘が嬉しそうに、甘いモン食ってる姿はいいな。

 なんていうか、和む。」

 

 ・・・

 

 日中にまた天動宮を訪ねたらセンクウに、

 

「羅刹とデートの約束したって本当か!?」

 といきなり聞かれ、一瞬何のことかと思ったのだが、どうやら例の第三闘の後の『泣かせた埋め合わせ』の話だったらしい。

 

「よし、来たな。今から行くぞ」

 と奥からこの格好の上にサングラスとグレーのロングコート姿で現れた羅刹に、紙袋に入った洋服一式を渡され、一室を貸されて着替えるように言われた。

 フリルのついた白地に黒の花柄のブラウスに焦茶色のハイウエストのロングスカート、ライトブラウンのショートブーツに、ハーフコートは白。

 

「せっかくのデートに、男塾の制服では台無しだからな。」

 と言われたのだが、いやデートとは聞いてないんですけど。

 まあ、こんな可愛い服着るの初めてだからいいか。

 御前の邸で生活していた頃の普段着は和服だったし、『仕事』で洋服を着る時は、大人の女性が普通に身につけるシンプルかつ落ち着いたデザインのものばかりだったから、なんだか新鮮だ。

 まあ、デザインがシンプルだったのは、私が洋服のファッションセンスに自信がなく、コーディネイトがある程度簡単なものをチョイスした結果でもあった。

 そういう意味では、他人の見立ての方が、自分のセンスよりずっと信頼できる。それにしても。

 …私、意外とこういうの似合うかも。

 ちっこいのがプラスに働く事もあるとか初めて知った。

 鏡で襟を整えながらそんな事を思う。

 贅沢を言えば、ブラウスを着るならちゃんとした胸あてを着けたいところだが、そればかりは現時点ではどうしようもなく、サラシ巻いたままだけど。

 とりあえずそのまま一式身につけて部屋を出たら羅刹とセンクウだけでなく卍丸にまで出迎えられ、センクウがちょっと首を捻ってから、片側に小さなリボンのついた可愛らしいカチューシャを、一旦髪に着けてくれたのだが、

 

「…いや、似合ってはいるが、そこまでするとどう見ても小学生だぞ。」

 という卍丸の意見でそれは外された。残念。

 ちなみにこの服も、センクウが選んでくれたらしい。

 新品ではなく、警護対象やその家族を変装させるときに使う古着の一部だそうで、このサイズはそれほど使用頻度は高くないから、もし気にいるようなら返さなくていいぞと言われたので、ありがたく貰っておく事にする。

 

「でも、よくサイズが判りましたね。

 全部ピッタリでした。ありがとうございます。」

 と私が言うと、

 

「驚邏大四凶殺の後、おまえの制服を洗濯したのは俺だからな。

 着替えさせるのに脱がせた際、身体全体一通り見たから、大まかなサイズは判ってる。」

 ってサラッと言われたのでとりあえずケツを蹴っておいたけど。

 男しか居ない中着替えさせられていた事実、気にはなってたけど敢えて考えないようにしていたのにわざわざ言うな。

 そんな感じで天動宮から送り出されたのだが、出る直前に羅刹に手を引かれた私の姿を見て、センクウと卍丸が、

 

「並んだら親子にしか見えん」

 とゲタゲタ笑っていたのが腹立たしかった。

 やかましいわ。

 …まあ、全員元気みたいで良かった。

 

 ・・・

 

「…今日、俺は1日オフだと言ったろう。

 ……指名!?

 あのな、俺はキャバクラのホステスじゃねぇんだぞ。

 ……わかった…ああ。」

 突然鳴った携帯電話

【挿絵表示】

に、最初は無視を決め込もうとした羅刹を促して出させると、一言発するたびに渋面が濃くなっていくのがわかった。

 なんというか、顔に出やすいというか、この男もたいがい素直なんだと思う。

 

「…すまん光。急な仕事が入った。

 すぐ行かねばならん。」

 と言うからには要人警護の依頼だろう。

 

「そのようですね。

 約束は果たしていただきましたから、私の方は構いません。

 お気をつけて。」

「すまないな。

 雨が降ってるから、おまえは、ここでコーヒーでも追加して雨宿りするか、帰るならタクシーを拾うかどこかで傘を買え。」

 そう言って私に一万円札を握らせ、ブツブツ言いながら店を出て行く羅刹の背中を見送りながら、私はこの後どうしようと考えた。

 考えてみればターゲット以外の男性と、それこそこんなデートのような事をするのは初めてだった。

 以前赤石と外出した時は、まったくそんな余裕はなかったし。

 てゆーか今日出かけると事前に判っていれば、もっと羅刹と並んで違和感のないイメージに、服装もメイクも整えたのに。

 センクウが選んだこの服はあくまでセンクウ的にだが、ど素っぴんの私のイメージだろう。

 これはこれですごく可愛くて好きだが、羅刹とデートするならば、本人は老け顔だがギリ二十代という事だし、こちらもせめて二十代前半くらいでイメージを作るべきだ。

 メイクさえ施せば、顔の印象なんていくらでも変えられる。

 服はその上で選べばいい。

 今のところ借りた和服以外の私服は手元にないが、私は一応事務員として、僅かながら給料は貰っている。

 食費と光熱費は塾持ちでほぼ使う事はないから、必要ならば服くらい買える。

 …そうだな。

 せっかく久しぶりに女に戻って外出したのだから、思い切って服を買おうか。

 塾にいる間は着ることがないかと思っていたが、こんな風に必要になる場合もあるかもしれない。

 そろそろ新しい下着も欲しいし。

 この後の行動は決まった。

 でも、まずは雨が止むのをもう少し待ってみよう。

 私は近くを通った店員を呼び止めた。

 

「キャラメルりんごシブーストを、ポットティーのセットでお願いします。」

 パフェが目的だったけど、実はケーキも気になっていた。

 最近甘いものを食べ過ぎている気がするが、またいつ来れるかわからないのだから、後悔がないようにしておこう…というのは言い訳か。

 

 ・・・

 

 一旦やんだ雨がまた少し降り出していた。

 傘は買ったので今はそれを使っているのだが、帰りは荷物も増えるだろうしタクシーを使うことにしよう。

 一番近くのデパートまで距離があり、歩いていたら何故か、二人の男子学生に行く手を阻まれた。

 避けようとすると、その行く先に回り込んできて、先に進めない。

 見上げると、人を舐めくさったニヤニヤ笑いと目が合った。

 

「…一人?」

「俺たちと遊ばない?」

 ………ええと。

 これはひょっとして、世に言うナンパというやつだろうか。

 それとも私をひ弱なチビと見て、断ったらカツアゲになるパターンか。

 どっちにしろ初めてだ、こんな事。

 まあでも考えてみれば、私は一人で街なかを歩く事自体が多分初めてなんだった。

 

「…もう帰らないといけないので。」

 嘘だけど。

 買い物に行くと言ったらその場でカツアゲに発展しかねない。

 

「じゃあ送ったげるよ。家、どこ?」

 …家ではないが、男塾の門の前まで本当に送らせたらどんな顔をするだろうか。

 いくらなんでもそんなわけにいかないけど。

 

「結構です。間に合ってます。」

「いいじゃん、ちょっとくら…痛ててっ!!」

 次の瞬間、私に向かって伸ばされた男の腕が、後ろから無造作に捻り上げられていた。

 

「な、なにしやがる……!?」

 もう一人の男が振り返り、そして絶句する。

 見上げるとそれは、ナイロン製のパーカー(いわゆるウィンドブレーカーというやつか?私はやはりファッションには疎いのでよくわからないが)のフードを目深に被った、彼らより頭ひとつ大きな男だった。

 

A persistent man is disliked by a woman.(しつこい男は女性に嫌われるぞ)

 低い声が紡いだ英語を、男たちが聞き取れたかどうか。

 腕を捻り上げられた男はすぐに手を離されたが、やはりその大きさに圧倒され、そのまま固まっていた。

 

「お、おい…行こうぜ。」

 そしてもう片方に促され、ハッとしたように動き出して、二人ともそそくさと逃げていく。

 その後ろ姿を見送ってから、大きな男は私を振り返り、言った。

 

I am sorry that I show an unpleasant scene.(嫌な場面をお見せして申し訳ない)

 Please be careful about the way back, (どうぞ帰り道はお気をつけて)Lady.」

 そう言って立ち去ろうとする背中に、思わず呼びかける。

 

「助けていただいてありがとうございます、J。」

 男は立ち止まり、振り返ると、肩をすくめて被っていたフードを上げる。

 

「そこで俺の名を呼んでしまったら、気づかなかったふりが台無しだろう、光。」

 流暢な日本語で私に呼びかけながら苦笑する、青い瞳に短く刈り上げた金髪の見慣れた顔を見上げながら、一瞬なんで?と思った。

 が、すぐに自分が女の格好でいる事を思い出し、自分でも肩をすくめる。

 

「そこまでお気遣いいただかなくても結構ですよ。

 お礼くらい言わせてください。」

「通りがかっておいて無視するのも気が咎めただけだ。

 そもそも光ならばあの状況、自分一人でなんとでもできたのだろう?

 奴ら程度なら10人束でかかっても、今の光には敵うまい。」

 …いや、こんなチビのか弱い女性に何を言うのだこいつは。

 

 ・・・

 

 赤石や邪鬼様を見慣れると普段はそう思わないが、一般の日本人男性の中に入ると、やはりJは背が高い。

 その高い頭のてっぺんが雨に濡れていく。

 フードを被っているとはいえ、それが気になって仕方なくて、差してる傘を差し上げて彼を入れようとして、腕をいっぱいに伸ばしたらいきなり吹き出された。

 

「俺は大丈夫だ、光。その傘は光が使えばいい。」

「でも、濡れちゃいますよ?」

「…日本人が雨に濡れるのを異常に嫌うというのは本当らしいな。

 そういえばあいつもそうだった。

 もっともあいつの場合は、もっと切実な体質の事情だったろうが。」

 僅かに見開いた青い瞳が私の顔をじっと見つめて、独り言のように呟く。

 

「へ?」

「…カールの事だ。おまえの兄の。」

 少しだけ、何か痛いような表情でJが言う。

 あ、もしかすると。

 

「…ひょっとして、赤石に聞いたんですか?

 私は言っていないから、それ知ってるの赤石だけです。」

「ああ。

 …いつかまた会えると思っていたから、死んだと聞いた時はかなり動揺した。」

 やはり知っていた。

 私が『橘 薫』の妹だという事。

 そしてその『橘 薫』が、既にこの世にはいない事も。

 

「…俺がカールと知り合ったのは俺が16、あいつが13の秋で、別れた時はその一年後、俺が17で米国海軍兵学校(アナポリス)に入学した時だ。

 だから、実際のところ俺たちは、そう長い付き合いがあったわけじゃない。

 けど、彼は…俺にとっては、忘れ得ぬ友だった。」

「ありがとうございます。

 …そんな風に思っていただけて、兄も嬉しく思う事でしょう。」

 それを言うなら赤石などは半年ほどの交誼しかなかったそうだけど、どうも私の兄は出会った者悉くに、強い印象を与えてこの世を去っていったようだ。

 …そして、兄の死のきっかけになったのは私の存在だ。

 私が兄の事を忘れてしまっていた間、兄はずっと私に対して生きている引け目を感じていて…私を探した事で、命を落とした。

 こんなにも惜しまれて命を落とした人が探して、守ろうとした私は、もはや生きるには汚れすぎた殺人者だったのに。

 運命とはなんて残酷なのだろう。

 償っても、償いきれない事が多過ぎる。

 

 ・・・

 

「…濡れるのは嫌いじゃなかったのか?」

 気がついたら傘は、持ってる意味がないほどに傾いて、私は髪も肩も顔も濡れそぼっていた。

 Jの手が、そっと頬に触れる。

 その手がやけに温かい。

 …否、私が冷え切っているのか。

 

「まるで、泣いているみたいに見えるぞ。」

「…泣いてません。」

 その頬から、意志を総動員してJの手を引き剥がす。

 そうしなければ、その温かさに溺れそうだったから。

 と、その引き剥がされた手が、私の手から傘を取った。

 

「たまには、傘で雨を避けるのも悪くない。

 一緒に入って帰るか。送っていく。」

 見上げると、白い息を纏わせながら、微笑む顔が見下ろしていた。

 

『それでも、オレは光に生きていて欲しい。

 オレは、光が大好きだから、さ。』

 

 舗道を叩く雨音に混じって、兄の声が、聞こえた気がした。




とりあえず後半は「アメリカ人は傘をささない」という事象を書きたかった筈なのに、なんか違う感じになった。とりあえず光さん泣き虫すぎ。


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5・Rainbow in The Rain

 …結局買い物はできずに塾に戻ってしまった。

 まあ、買い物して荷物を持っていたら、Jに更に世話をかける事になる。

 何せアメリカ人男性は、女性の荷物を持ちたがる習性がある。

 うっかり下着なんか買ってて、男性にそれを持たせるとか私の、主に羞恥心とか羞恥心とか、あと羞恥心とかが焼き切れるし、だからといってこれはダメだと言えば何故かを説明しなければならなくて、やはり羞恥心の限界に挑戦しなければならない。

 うん、却って良かったと思う事にしよう。

 あのままの格好で正面から入る事は出来ないので、裏口でJと別れて三号生側の東の通用口から門をくぐる。

 どちらにしろ制服を天動宮で預かって貰ってるので一度はこちらに戻らねばならない。

 天動宮へ向かう途中、電気系統の業者だろうと思われる人とすれ違い、軽く会釈して通り過ぎようとしたら、何故か振り返って声をかけられた。

 

「光君、こんにちは。

 今日は随分と可愛らしい格好をしていますね。」

「えっ?」

「フフ、わかりませんか?わたしですよ。」

 業者は突然自分の胸元を掴むと、作業着と思っていた布の塊をバサリと私の目の前の空間に広げた。

 一瞬視界が塞がれ、それが晴れた時、目の前に立っていたのは、シルクハットを被り革のベストを着たヒゲの男。

 

「だ、男爵ディーノ!?え?えっ!?今の…!」

「一応こう見えてわたしは、隠密行動のプロですのでね。

 普段奇抜なファッションでいるのも、普段の格好で強い印象を与える事によって、変装時に自身のイメージが重ならないようにする、まあ一種の心理的トリックですよ。」

 …つまり、私が虎丸の懲罰房に通ってた時のちょうど逆って事か。

 あんまり意味なかったけど。

 

「…根っからの変態じゃなかったんだ。」

「はい?」

「いえ何でも。

 …あれ?ひょっとして怪我してます?」

 微かだが血の匂いを感じる。

 大威震八連制覇で伊達に負わされた負傷は、塾に戻った後に治療した。

 今怪我をしているなら、その後に負った傷という事だ。

 

「目敏いですね。大したことではありませんよ。

 御心配なく。」

「気付いたからにはほっとけませんよ。

 見せてください。」

 …仕方なく、といった表情で、ディーノはベストを脱いで背中を向けた。

 これは…刀傷だろうか。

 見たところ範囲は広いが深い傷ではない。

 五指に氣の針を溜めて、指を触れる。

 この程度なら、ほんの数秒もあれば完全に塞げる。

 

「何があったか、聞いても構いませんか?」

 ディーノは数瞬私の顔を見つめた後、小さく微笑んで言った。

 

「…そうですね。

 いずれは塾長から、あなたの耳に入る事です。

 今わたしがお話ししても変わらないでしょう。

 実はね、塾長からの依頼で、かつて●▲町で、鍼灸院を営んでいた一家についての調査をしていまして。」

「それって、まさか…」

「家長の名は(たちばな) 照彦(あきひこ)。妻の名は香子(きょうこ)

 二人の間には男女の双子の子供がおりまして、兄が薫、妹の名が光…つまり、そういう事です。」

 その調査の依頼を受けるにあたり、彼は塾長から、大体の事情を説明されているのだろう。

 

「…わざわざ調べるような内容でもなかったでしょう?」

 その一家は、橘の末裔。

 橘流氣操術という、生と死を同時に司る技を伝える家系。

 けどそういった内容は、たとえ調べたところでまず表に出てこない。

 橘流の古文書の現物は、氣操術も裏橘も既に現存しない。

 それは、医学が日々進歩しているように、継承者が研究を重ねる事で新たな技が増えるからであり、それが更に次の継承者に引き継がれる。

 そうして古文書に次々と書き加えられていった結果、次代のためにそれらを自分で書に纏める事が、継承者となった者の使命となった。

 伝えられた継承者はそれを焼き捨てて、それに自身の研究を加えた新たな書を自分で書き纏める。

 それを繰り返して、私の代まで伝えてきた。

 …けど、それはもう、私の代で終わる。

 父が纏めた書は、約束通り私が焼き捨てた。

 そして私はもう、新たな書を作るつもりはない。

 

「そうでもないですね。

 兄の方が11歳の時に、心臓病の手術の為に海外に行き、その直後に夫婦は亡くなっていますが…どうもその、死因となった事故には、不審な点がある。」

「……!?」

 両親が事故で亡くなったという事実を、私は赤石から聞いていたが、それが事故ではない可能性があるという事なのだろうか。

 

「そしてその直前、夫婦に接触した大物がいる。

 その男の名が…。」

「藤堂、兵衛…。」

 自分で言って、少し声が震えた。

 

「…ええ。

 政財界の黒幕、その権力は時の首相の首をもすげかえ、彼を知る一部の人間からは『昭和の妖怪』『日本の黒幕』『最後の首領(ドン)』といった、様々な呼び名をつけられている男。

 …キナ臭いと、思われませんか?

 少なくとも、わたしは思いましたね。」

 言いながら、脱いでいたベストを身につけるディーノに、私は震える声で訊ねる。

 

「……ひょっとして、これを調べている時に、この怪我を?

 だとしたら、あなたも危険です。

 これ以上は…!」

「おや、わたしの心配をしてくださるのですか?

 嬉しいですね。ですが御心配なく。

 これは、あなたの御実家を調べて訪ねた際に、わたしを怪しんだあなたの彼氏に、付けられた傷ですから。」

「………彼氏?」

 それってまさか。

 

「ホッホッホ、愛されていますねえ。

 治療、ありがとうございます。」

 三号生から、私の彼氏だなどと認識されてるやつなんて、一人しかいない。

 というか、まだ時々あの家を、自分でも監視してくれていたのか、あの人は。

 

 ・・・

 

 なんでそんな事を思ったんだろう。

 天動宮で元の制服姿に戻り、まっすぐ校舎に帰るつもりが、気がつけば二号棟の筆頭室のドアをノックしており、考える間もなく口にしていた。

 

「赤石。いきなりで申し訳ありませんが、頭を撫でてください。」

「あ?」

 うん、実に予想通りの反応だ。

 誰だってそうする。私もそうする。

 

「…ダメですか?」

「構わねえが…ホントに唐突だな。」

 赤石は私の頭に手を伸ばすと、鷲掴んだまま前後に揺らした。

 

「…いや違うこれ違う!

 てゆーか以前何度かコレやられたけど撫でてるつもりだったんですね今初めて知りました!

 もういいですありがとうございます!」

 これ以上やられると脳に損傷を受けかねない。

 

「…いきなり何だってんだ。

 一体、どういう風の吹きまわしだ?

 つか、てめえ甘えんの下手すぎだろうが。

 頼むんならもっと可愛く頼め。」

 そんないっぺんに言われても困る。

 

「可愛く…って、どうすればいいんですか?」

 とりあえず一番最後のやつにだけ言葉を返してみると、赤石がなんだか困ったような顔をして、私をじっと見つめた。何だ?

 

「………」

「……………?」

 暫しお互いの顔を見つめ合っていたら、赤石が大きく溜息をついてから、驚くべき台詞を口にした。

 

「…すまん。俺が悪かった。」

 いや待てや。

 

「…なんか、謝られてるのが逆にものすごい罵倒を受けた気さえするのは気のせいでしょうか。」

「想像したら逆に気持ち悪いと思っただけだ。

 気にすんな。」

「気にするわ!」

 …そうだな。赤石には言えやしない。

 私ゆえに命を落としたのが、兄だけではなく両親もかもしれないなんて。

 ただでさえ赤石は私の、様々なものを自分から背負いすぎてる。

 これ以上は負わせられない。

 

 ・・・

 

 どうして私の実家の調査を依頼したのかと塾長に訊ねてみたら、

 

「わしが男塾塾長、江田島平八である。」

 という返事が返ってきた。

 よくは判らないがそういう事だと思う事にした。

 

 ☆☆☆

 

 全員の体調が整った頃、桃たち一号生闘士が、一ヶ月ぶりに登校してきた。

 同じ日に、天挑五輪大武會の開催本部から使者がやってきて、諸々の口上を述べた後で、出場者十六名の名簿を受け取って帰って行った。

 

 この内容だが、桃を大将、邪鬼様を副将とした、大威震八連制覇の一号と三号両方の出場者だ。

 今回も二号生は入っていない。

 これを作成した際、独眼鉄と蝙翔鬼、または富樫と虎丸を補欠枠に残しておいて、私と赤石を入れる事は出来ないかと塾長に訊ねたが、それはないと突っぱねられた。

 塾長的に赤石は隠し玉のようだったし、私はいくらメイクで印象を変えて偽名などを用いても、向こうには気付かれる恐れがあると言われれば引き下がるしかなかった。

 ただ、赤石は確実に途中から参加させる事になり、それは本人も了解済みだと言ってニヤリと笑った。

 その方法については、正直納得がいかなかったが、そこもきっと深い考えがあるのだろうと無理矢理自分を納得させるしかなかった。

 とりあえず謝っとく。ごめんなさい影慶。

 

 今日登校してきた五名、桃、伊達、J、富樫、虎丸以外の全員を集めて、例のフィルムを見せて状況を説明し、(ワン)先生も一緒に呼んで、別室に待機させた。

 それが終わってから桃たち五名にも放送で呼び出しをかけて同じフィルムを見せた後、待機させていた全員と引き合わせたら、なんでか桃が、私を振り返って苦笑の表情を見せた。

 その「またお前か」みたいな顔やめてください。

 

 ☆☆☆

 

「失礼いたします、光。」

 残りの全塾生に例のフィルムを見せて、全員の士気を高めさせた午後、最近若干滞っていた事務作業を一気に片付けていたら、ノックの音がして、涼やかな風が入室してきた。

 …本当に、そんなふうに感じた。

 

「飛燕?お疲れ様です。どうしました?」

「自主鍛錬中に、伊達が稽古をつけていた富樫と虎丸が負傷しまして。」

「えっ!?」

 思わず椅子から立ち上がる。

 

「あ、傷自体は大した事はありませんので、ご心配なく。

 ただ、彼らがあなたを呼べと言うので。」

 いや、どっちかといえば彼らが負傷した事そのものよりも、伊達が稽古をつけてくれていたというその事の方に驚いた…という事は言わない方がいいだろう。

 やはり面倒見がいいのだな、あの男。

 

「わかりました。

 わざわざ来ていただいてごめんなさい。」

「いいえ…もしご迷惑でなければ、あなたの治療を見学させていただいて構わないでしょうか?」

 ふんわりと優しげな微笑みは、見る人を穏やかな気持ちにさせる…戦っている時の顔を知らなければ。

 

「…それは全然構いませんが、わざわざ見学というからには、何か思うところがあるのですよね?」

「…ええ。

 雷電からは、あなたの使う技は、氣と経絡を使う治療術であると聞いています。

 わたしの鶴嘴千本にも、武器としてだけではなく、治療術の側面がありますから、参考にできる部分がないかと思いまして。」

 確かに、色々共通点があるとは私も思う。

 

「なるほど。

 でも治療に使うには、鶴嘴の針はやや太いのではないでしょうか。

 あの太さは投擲する際の飛距離と威力をもたせる為の、必要最低限度であるかと、認識しましたが。」

「さすがです。その通りですよ。

 普段使用する千本は攻撃用です。

 治療用として使うのは、こちらですね。

 質量が小さすぎて、投げて撃つには向きません。

 近距離ならば可能でしょうがね。」

 そう言って懐から取り出したそれは、髪の毛よりも細い、数本の針。

 

「…細っそ!確かに、これなら…。

 てゆーか、これがあれば後は氣の極小操作さえできれば、飛燕あなた、橘流氣操術使えるんじゃないですか?

 勿論、お教えすることはできませんが。」

 そう言うと飛燕は、それは残念と少し笑って言った。

 ちなみに私今、『極小操作』で若干噛んだ。

 ってやかましいわ。

 飛燕に促されて、富樫と虎丸の元に急いでいたら、なんかやけにすれ違う塾生が振り返る光景を目にした。

 くっそ、この美人さんが。

 …悪口になってないのがツライ。

 

「…そういえば、独眼鉄に謝られましたよ。

 八つ当たりをして、済まなかったと。

 話してみれば、気のいい男ですね。」

 歩きながら、そんな事を言う飛燕は、少し嬉しそうだった。

 全員の絆が深まっていくのは、私も嬉しい。

 雨上がりの空に虹を見た時のような、どこかホッとした気持ち。

 けど、戦いは目の前に迫っている。

 私も覚悟を決めなければならない。

 

 天挑五輪大武會、開会まであと一週間。




天挑五輪大武會の開会は、原作では卯月(四月)一日なんですが……はい、この物語においてはその辺、ガッツリ無視します。
ここでの開会日は師走(十二月)一日。
なのでこの章での時間は霜月(十一月)です。念の為。

多分この章はあと一回で終われる…と思う(爆


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6・雨のち時々流星

よかった…幕間がちゃんと6話という常識的な範囲内の話数で収まった…。


「俺に話、とは?

 …どうも、色っぽい話じゃなさそうだが。」

 ほぼ夜中に通用門をこっそり開けて、迎え入れた私に桃が、そんな軽口で問う。

 昼間はどうしても他人の目があるし、執務室にはノックなしに誰かかれか入ってくる。

 だからといって、鍵をかけていると逆に怪しまれる。

 特に赤石。

 

「とりあえず、冷えますから執務室で、温かい飲み物でもお淹れします。

 どうぞ中へ…」

「…俺は光の、そういうところも嫌いじゃないけどな。

 誘ってるんじゃないなら、やめといた方がいい。

 夜中に男と、室内で二人きりになる状況とか、無防備にも程があるぞ。」

 軽く肩をすくめて、桃がそんな事を言う。

 こないだの伊達とおんなじような事言うな。

 てゆーか、今に始まった事じゃないけど、桃は実年齢の倍くらいは精神的に大人だ。

 それでいて、敵にさえ非情になれない青いところもあるんだから、よくわからない。

 どういう教育をしたらこんな子供が育つんだろう。

 親の顔が見てみたい…とか思ったけど、よく考えたら久我真一郎をターゲットにしたあの仕事の時に、彼が秘書をしていた義叔父、当時国会議員だった剣情太郎の資料や写真も目を通していた。

 なんで最初に桃と会った時に思い出さなかったのか不思議なくらい、顔はよく似ていた筈だ。

 …ともあれ、桃が固辞するので仕方なく、そのまま外で話をする。

 もう冬になるのに、その冷たい空気の中に、未だに桜の香りが混じる。

 お互いに、吐く息が白い。

 

「まずは前提から頭に入れておいてください。

 私は、塾長の子でもなんでもありません。

 元々は塾長の知り合いである総理を殺そうとして、塾長に捕らえられた暗殺者です。」

「…それはまた、衝撃の告白だな。

 まあ、大まかな事は塾長から聞いてはいるが。」

 どうやら塾長は桃にだけ、私の状況をかいつまんで話をしたらしい。

 暗殺者である事実までは聞いていなかったようだが、元は藤堂兵衛の下で仕事をしており、その失敗で今は命を狙われてここにいる、という部分だけ聞かされたのだそうだ。

 

「何故か塾長は私を信用してくれて、更生の場を与えてくださいました。

 ですが、過去に人を殺してきた事実は消えはしません。

 …本題に入ります。

 久我真一郎という男。あなたの従兄ですね?」

 私の言葉に、桃が目を丸くする。

 

「?…ああ。

 だが真兄さんは、2年前に亡くなった。

 それで武者修行中だった俺は、急遽日本に呼び戻されたんだ。

 光は、真兄さんを知ってたのか?」

 桃の質問に、ひとつ深呼吸をする。

 決心したのだから、言わなければならない。

 ここまできてためらってはいられない。

 

「その久我真一郎を殺したのは、私です。」

 桃の目を真っ直ぐに見つめて言う。

 本当は逸らしたいけれど、そうしてはいけないと思った。

 桃は一瞬大きく目を見開いた。

 だが次には、敢えて、とでも言うように唇に笑みを浮かべてみせた。

 ただし、目は笑っていない。

 

「…冗談だろう?

 真兄さんの死因は心不全だったって聞いたぜ?」

 冗談だとしたら、不謹慎すぎるだろう。

 だが、それに縋りたくなる気持ちはわからなくもない。

 そうだったら私自身どんなにいいかと思う。

 

「私が引き起こしました。

 それが私に可能な事、あなたは気付いている筈ですね?」

 桃は実際、私が椿山を殺しかけたのを阻止している。

 

「…何故、と聞いていいか?」

 今度は真剣な表情で、私の目を見返しながら問う。

 

「御前…藤堂兵衛の元に、依頼がありました。

 私は彼に命じられ、それを実行しました。

 そもそもその依頼を誰がしたのか、その理由がなんであるかまでは、私は知りませんし、その必要もありませんでした。

 ですが、手を下したのは、間違いなく私です。」

 桃は、黙って私を見つめている。

 だが、その瞳に少し、悲しげなものが混じった。

 当然だろう。

 

「あなたが彼の従弟だと知ったのは、驚邏大四凶殺が行われる少し前です。

 長い事黙っていて申し訳ありません。

 …私は、あなたに裁いて欲しいと思っています。

 あなたが望むなら、この命差し出すつもりです。

 ですが私にも今一度、生きて果たさねばならない課題ができました。

 天挑五輪大武會が終わるまでこの命、今しばらく私にお貸しください。」

 塾長はそこまで考えてはいない…というより、私にはできない事と思っているだろうが、私は状況次第では、私にできる最大の仕事をするつもりでいる。

 即ち、藤堂兵衛の暗殺。容易い仕事ではない。

 むしろ今まで自分に与えられた仕事の中で、最難関と言っていいだろう。

 私は、この仕事で死ぬかもしれない。

 その時点で真実を知らぬままだったら、桃は血縁者の仇である私の死を、悲しみすらするだろう。

 だから、今言わなければいけない。

 憎んでくれていい。

 むしろ憎まれなければいけない。

 そう思っていたのに。

 

「…待てよ。暴走しすぎだ、光。

 俺がおまえを殺す前提でモノ言うな。

 できるわけがないだろう、そんな事。」

 …正直、これが一番恐れていた事だった。

 桃は優しい。優しすぎるのだ。

 

「でも…」

 その優しさは、今は封じてくれなければ困る。

 だって、そうでなければ…。

 

「いいか、おまえが言った通りだとして、ならば俺が憎まなければならないのは、その依頼をした人間と、それをおまえに命じた藤堂兵衛だ。

 …光は、心を痛めてただろう?

 そうでなければ俺に、裁いて欲しいなどとは言わない筈だ。」

 お願いだから、そんな風に言わないで。

 この人の優しさが、今は、怖い。

 

「私は御前に…藤堂兵衛に、褒めて欲しかった。

 ただそれだけでした。

 ただそれだけの事の為に、何人もの命を奪ってきたんです。

 今それをどれだけ後悔しようと、許されるわけがないでしょう?」

「だったら尚更、光は生きなきゃいけないだろ?

 驚邏大四凶殺の後、俺が死のうとした事を、仲間への裏切りだとあれだけ怒っといて、自分は簡単に命を投げ出すのか?

 それこそ裏切りだ。光が奪ってきた命に対して。

 償いたいんなら、生きて償う事だ。

 ……そうだ。

 そんなに言うなら光の命、望み通り俺が貰おう。

 俺のものなんだから、俺の許可なしに、投げ出す事は許さない。」

 大きな手で、肩を掴まれる。

 

「えっ…。」

「いいな?」

 …よくない。こんな事は絶対よくない。

 

「…………どうして」

「ん?」

「どうして…許せるの?」

 問いながら、なんとか身体を離す。

 桃の手は温かすぎて、苦しい。

 

「光?」

 だって。

 

「私を許したら…真一郎が、可哀想でしょう?」

 覚えず、責める口調になった。

 自分はそんな立場ではない。

 それくらいわかっていたのに。

 その私の言葉に、桃は何故か、痛いような顔をして言った。

 

「……光は、真兄さんが好きだったのか?」

「何を言ってるの?」

「…泣きそうな目をしてるぞ。

 自分じゃ気がついてなかっただろうが、真兄さんを殺したって言ってから、ずっとだ。

 …手を下した時、今とおんなじような顔してたんじゃないか?

 真兄さんが可哀想だって、思ってたんじゃないのか?」

 …何故だろう。身体が震えている。

 ああそうか、ここは屋外だ。

 寒いんだ。そうに違いない。

 

「わ……私は、暗殺者、です。

 仕事に、私情は…交えません。」

 心臓の鼓動がおかしい。息が整わない。

 言葉を紡ぐのにも苦労する。

 

「……ひょっとしたら、殺した後、光は泣いたんじゃないのか?」

 桃のその言葉に、瞬間私はカッとした。

 何を言ってるんだ、こいつは!

 

「違う!そんなことない!

 いいかげんな事言わないでよ!」

「…!?」

「私は…私…は………っ!?」

 言葉を続けようとした、その私の後頭部が、なにか温かいもので包まれた。

 それが桃の大きな手だと気付いた時には、私の頭は、桃の胸元に引き寄せられていた。

 否、頭だけではなく、身体ごと抱き込まれている。

 

「……泣き顔、見られたくないってんなら、しばらくこうしてるぜ?」

「泣いて…ません。」

 それしか言えなかった。

 なんでこんな事になっているのか、理解が追いつかなかった。

 

「なら、顔見ていいか?」

「…桃、きらい。」

 反射的に、そんな事を言ってしまう。

 

「…俺は、光が好きだ。そう言ったろ?」

「もう…ワケわかんない。

 自分の気持ちも、あなたの気持ちも。

 私なんかのどこが好きなの。

 なんでそんなに…優しいの。」

 桃は答えず、私を抱く腕に力を込めた。

 もうそれ以上の抵抗もできず、そのまま桃の胸元に頬を埋め、目を閉じる。

 目から頬を、何かが伝うのが判った。

 …ああ、私はまた泣いていたのか。

 ここの男たちは総じて泣き虫だと思ったが、泣かされることも結構多い。

 出会いはじめの赤石といい、塾長といい桃といい、なんなんだこいつらは。

 私のプライドをよくよく木っ端微塵に叩き壊すのが趣味か、くそ。

 強く逞しい腕と、大きく穏やかな氣が、私を包む。

 温かい手が、頭を撫でる。

 記憶の蓋が、ゆっくりと開かれる。

 自身の中に封じていた記憶が、オルゴールの旋律のように、心の裡に流れる。

 

 …桃の指摘通りだった。

 最初は厭な男だと思っていた久我真一郎は、私と付き合う中で変わっていき、本来はそうであったのだろう真っ直ぐな性質を取り戻した。

 そして、そんな彼に、私も惹かれた。

 それは、厳密にいえば恋ではなかったかもしれない。

 私を心から必要としてくれた人に対する、ある意味庇護欲に近いものだった。

 先日、伊達に指摘された。

 私は甘えて縋られれば、心も身体も開く女だと。

 その通りだった。

 身体まではまだ開かなかったが単純に時間の問題で、心は確実に奪われていた。

 彼が望むならば自身の全てを与えたいと思っていたのは、疑いなく事実だった。

 勿論、それはあってはならないことだった。

 彼を助ける方法がないか、何度も考えた。

 彼となら一緒に逃げて、一緒に殺されるのもいいかとさえ思った。

 …けど、結局私は、御前には逆らえなかった。

 暗殺の決行日時が決定し、私はなんの苦もなくそれを実行して…そして、そこにある事実以外のことは、全て忘れた。

 ごめんなさいと連呼しながら、彼の亡骸を前に流した涙とともに、全て。

 ターゲットは久我真一郎。

 刺客は私。暗殺完了。それだけ。

 他には何もない。

 ………何も。

 

 だから。

 私なんかに優しくしないで。

 二度とあんな思いはしたくない。

 誰も好きになんかなりたくない。

 

 求めなければ、得ることはない。

 得なければ、失うことはない。

 

 だからこれ以上、優しくしないで。

 その優しさを、求めてしまうから。

 もっと欲しいと、願ってしまうから。

 

 本当に好きになってしまうから。

 そんな事は許されないのに。

 

 私は…好きだったひとを、手にかけた女なのだから。

 

 そう思いながらも私は、桃から身体を離せなかった。

 私が少しでも抵抗すれば、この男ならば腕の力を緩めてくれると、判っていたにもかかわらず。

 

「光はもう、暗殺者なんかじゃない。

 二度と、そんな世界に、戻させやしない。

 何も心配しなくていい。

 光の為にも、俺が……、

 俺たちが、藤堂兵衛を討つ。」

 心地よい声が囁いたその言葉は、ある意味最も残酷な裁きだった。

 

 その優しさは……罪だ。

 空に一筋、星が流れた。

 まるで、天空の涙のように。




ようやく次回から天挑五輪大武會編開始です。
多分ですが、次の更新まで若干間が空くかと思われます。


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天挑五輪大武會予選リーグ編
1・孤独という名の滑走路から飛び立つために★


 師走一日子の刻。

 天挑五輪大武會の使者が、出場闘士達を連れて、予選会場へと導く。

 今は全塾生が校庭で、その使者の到着を待っている状況だった。

 今回は会場に行くのは闘士達のみで、他の残りの塾生たちは彼らを見送った後、塾に残り、結果のみを聞かされる事となる。

 私も今回は見送り組の中、正確には赤石の隣で、塾生たちの一番後ろの方で、状況を見守っている。

 この場合私は本来なら塾長の隣に居なければならないところなのだろうが、天挑五輪大武會の使者として来るのは、恐らく藤堂財閥の人間だ。

 私は全員の顔を見知っているわけではないが、藤堂家の養女(むすめ)だった私の顔を、相手は知っているかもしれない。

 だから目に触れないところに引っ込んでいろという、塾長命令だった。

 と、上空から明らかなモーター音が聞こえたかと思えば、これは軍用ではないのかと思うようなヘリコプターが、校庭に向かって降下してきた。

 皆が見守る中着陸したそれの、出入り口の扉が開いて、中から…アラビア風の衣装に何故かサングラスをかけた男が出てきて、モーター音の中でもよく通る声を張り上げる。

 

「迎えに参った!

 男塾十六名の闘士達よ、乗るがよい!!」

 …後ろの方にいて良かった。

 けど一応、隣の赤石の影になるように、微妙に位置を移動する。

 

「あ、あのヘリコプターで、天挑五輪大武會の会場まで行くっていうのか……!!」

「それにしても…なんだあ、あいつの格好……!!」

 あー、うん。

 そこはつっこまないであげてほしい。

 彼、ハッサムさんっていうんだけど、本人は至って真面目な人なんだ。

 ちなみに純日本人。

 本名は知らないけど、なんでも出身地の地名から暗号名(コードネーム)が決められたらしくて、発音の仕方でそっち系の名前に聞こえるからって事で、仕事中はあの格好を強要されてるだけだから。

 あとキャラも若干作らされてる。

 てゆーか奥さんも子供も、介護の必要な御両親もいて、その為に一生懸命働いてる人で遊ぶのやめたげてください、御前。

 え、出身地?

 北海道らしいけどよく知らない。

 

「ヘッ、空からのお迎えとは、なかなかシャレてるじゃねえか。

 大武會の主催者ってのは、よっぽど金持ちらしいな。」

 ええ、そりゃもう。

 海外でしか不可能な心臓の手術費用を、御自分の裁量でポンと出した方ですからね…私の身柄と引き換えに。

 そう考えると、私という買い物は、御前にとってはどれほどの価値であったものなのだろう。

 随分と高く買われた気もするが、御前にしてみればそれほどでもないという気もする。

 どちらにしても、私はその人を、これから裏切ることになるわけで。

 もっとも、ここにいて塾生達をずっと裏切り続けていた私に、そんな事は今更なのかもしれない。

 大体、私が藤堂の養女(むすめ)だという事実は、出場闘士の中でも桃くらいしか聞かされていない。

 恐らく男爵ディーノは、例の調査の段階で、ある程度は勘付いているとは思うけど。

 とはいえ塾長は今度の件で私に、何ひとつ役目を振ってはくださらなかった。

 私の知っている天挑五輪大武會の内側の事を僅かに訊ねたに過ぎないし、私はその辺のことはほとんど知らないに等しい為、大した情報も与えてさしあげられなかった。

 だから、決めていた。

 鍵は確実に途中参加する事になる、私の隣にいるこの男。

 …利用する事になるのは本当にごめんなさい。

 

「ほんじゃあ、行ってくるからよぅ。

 へっへ、わしヘリコプター、まだ一度も乗った事ないんじゃ。」

 虎丸がそう言って手を振る。

 

「行くぞ!」

「押忍ッ、邪鬼様!」

 邪鬼様の号令とともに、三号生が歩き出す。

 それを皮切りに、闘士達が次々と、ヘリコプターに向かう。

 一番後ろについた桃の、振り返った視線が私を捉えた。

 その真っ直ぐな瞳に、心臓がどきりと跳ねる。

 

『光はもう、暗殺者なんかじゃない。

 二度と、そんな世界に、戻させやしない』

 抱きしめる腕の強さと、頭を撫でる手の温かさ。

 心地良い声と、大きく穏やかな氣。

 それら全てに包み込まれた時、強く思った。

 …私は私で、戦うべきだと。

 彼らの隣には立てなくとも、私には私の戦い方が、きっとある。

 

「…手くらい振ってやんねえのか。」

 と、頭の上の方から、呟くような声が聞こえ、そちらを見ると赤石が、腕組みをしたまま、視線だけをこちらに向けていた。

 …私と桃の間に何があったか、この男が知っているわけはない。

 けど、なにか見透かしたような視線に居たたまれなくなり、私は赤石から目をそらすと、言われた通り桃に向けて、小さく手を振ってみせる。

 桃が、微笑んだ気がした。と、

 

「…剣!!」

「!?」

 塾長が桃に、背中から声をかけ、その瞬間にヘリの爆音が響いた。

 

 最後の桃が乗り込んだ瞬間、ヘリコプターは校庭から再び飛び立ち、それを見上げながら松尾がエールを切る。

 

「フレ〜ッ!フレ〜ッ!!男塾十六戦士──っ!!」

「男塾十六戦士万歳──っ!!」

「頑張れよ、必ず勝て──っ!!」

「俺達も後から応援に、必ず行くぞ──っ!!」

 他の塾生もそれに続き、その声援はヘリが見えなくなるまで続いた。

 

「じゅ、塾長。

 先程ヘリの爆音でかき消されましたが、桃に、なんと声をおかけに……!?」

「今度の戦ばかりは、わしの力の及ぶところではない。

 奴等に言えることはひとつ…。」

 

 ☆☆☆

 

 “貴様等の勝利を信ずる!”

 ただ一言告げた塾長の言葉を胸に、俺はヘリの中の座席に腰をおろす。

 あまり座り心地は良くないが仕方ない。

 

「何故、塾長はこんのだ?」

「万が一にも、藤堂に正体を悟られぬため、決勝戦まで来ない。」

「せめて、光の奴が居てくれれば心強いんじゃがのう。」

「本当になあ。

 あいつが居れば、多少の怪我くらいなら気にせず戦えるんだが。

 驚邏大四凶殺の時も、大威震八連制覇でも、影で動いて助けてくれてたっていうし。」

 と、富樫と虎丸が話しているのが聞こえるが、それこそ危険な話だ。

 光は元々藤堂の側にいた人間で、今は命を狙われていると聞く。

 結構な変装の特技を持ってはいるが、むこうもそれを充分知っているから、何をやったところで彼女の正体は見破られるだろう。

 とはいえ、ここでそれを知っているのは恐らく俺だけだろうから、迂闊に説明などできないのだが。

 

「だよなあ。

 つか一週間前塾長室で、死んだと思っていた三面拳と三号生の皆様方に会った時ゃ、俺なんか思わずあいつの顔見たぜ!」

 …ああ。それは俺も同じだ。

 目が合った時、『こっちみんな』みたいな顔をされたが。

 

「そもそも、あの(ワン)大人(ターレン)の役者ぶりが見事でした。

 光も含めあそこにいた白装束全員、彼の抱える救命医療スタッフだったというのですから。

 塾長から命だけは保証するよう厳命されていたようです。」

「光殿は、『全員が塾長の掌の上で踊らされていた』と、呆れたように言っておりましたからな。」

「すべてはこの大武會のために…という事だな。」

 三面拳がそれぞれの表情で感慨深げに言う。

 そこに虎丸が立ち上がり、全員に一通り視線を向けて言い放った。

 

「そうだ、みんなも聞いたろう。

 この大武會の主催者である、藤堂とかいう奴のことを!!

 わしらは必ず優勝して、奴に正義の鉄槌を下すんじゃ──っ!!」

「うるせえ!

 幼稚園の遠足じゃねえんだ、静かにしねえか。」

 おー、とかいう反応を虎丸は期待したのだろうが、実際に帰ってきたのは、卍丸先輩の冷静な一声だ。

 

「あ〜ん?」

「なんにもわかってねえな。

 大武會を甘くみるんじゃねえ。

 そこで優勝するという事がいかに至難か。

 お前は帰った方がいい。」

「な、なんだと──っ!!このハナモゲラ野郎!!」

「ハナモゲラ……!!」

「おう、やるかーっ!!」

 卍丸先輩が構え、虎丸がそれに対峙する。

 その様子を見て、少し心配そうに雷電が俺に声をかけてきた。

 

「…よいのか剣殿。放っておいて。

 今は闘いに向かって、全員一丸とならねばならぬ時。」

「フッ、ほっとけ。

 奴等もヒマと体力を持て余しているだけだ。」

 離陸して五時間。そろそろ夜が明ける。

 どこに連れて行かれるのか見当もつかない。

 このくらいの刺激はあった方が退屈しないで済む。

 と、唐突にそれまで薄暗かったヘリの内部に、外の光が入ってきた。

 思っていたより明るい。

 

「窓が勝手に開きやがった。

 どうやら外を見ろって事らしいぜ。」

 邪鬼先輩がその方向を指で示す。

 それに従って、俺たちは手近の窓から外の様子を、ようやく見る事ができた。

 

「なっ!!なに〜!下は海だ──っ!!」

「一体どこの海なんだ。日本なのか……!?」

 見れば、真ん中に大きな丸と、そこから長く橋がかかって、外側を囲む小さな丸に繋がる形の、人工島が見えた。

 どうやら今は、その真ん中の島に着陸しようとしているらしい。

 島の地表に近づくにつれ、その上の様子がようやく見えてくる。

 

「見ろ、戦っている!!

 島で男達が入り乱れて戦っているぞ──っ!!」

 

 ☆☆☆

 

 キュッ……

 シャワーのレバーを下げて湯を止め、タオルで身体をよく拭いてから浴室を出る。

 脱衣所でもう一度、乾いたタオルで髪と、身体全体を拭きながら、見るともなしに振り返って、洗面台の鏡を覗くと、肩甲骨下部に刻まれた刺青が嫌でも目に入った。

【挿絵表示】

 

 孤戮闘修了者の証として、生き残った子供の身に刻まれるそれは、本来は左手首に施されるものだという。

 確かに伊達と、それからあの少年も、この刺青があったのは左手首だ。

 私の場合は、服の下に隠れる位置でなければ女暗殺者として使えないと御前が強く主張した事で、この位置になったそうだ。

 なら付けなければいいと思わないこともないが、万が一逃げ出した際の目印という事で、そこは譲れなかったらしい。

 無駄だったと思うけど。逃げたし。

 …自分が普通の恋愛も、ましてや結婚もできないと普通に思う理由のひとつがこれだ。

 この刺青の意味を知らなくとも、背中にこんなものを背負っている時点で大抵の人はドン引きだろう。

 桃だって、最初に見た時は素直に驚いたって言ってたし。

 それ判ってるのに私の事、好きだとか……うん、止そう。

 って、今気付いたけど、ひょっとしてセンクウもこれ見たんじゃなかろうか。

 確か驚邏大四凶殺の後、倒れた私の制服を洗濯したって言って、その際一通り見たってサラッと言われたんだった。

 …一括りにするのもアレだが、ここの男どもは意外と、この手の感覚が麻痺してるのかもしれない。

 ともかく、これは私が御前の所有物であり、暗殺者であるという紛れも無い証だ。

 それ以外の生き方は、ないと思っていた。

 物理的な拘束力はないとしても、それは間違いなく、私を縛る鎖だった。

 その鎖を引きずったままの私に塾長が、新しい世界を見せてくれた。

 桃が、私を仲間だと言ってくれた。

 赤石が、支える手ならいつでも貸すと言ってくれた。

 みんなが、私を頼ってくれた。

 私にも翼があると、この人たちが教えてくれた。

 だから私も、望めば空が飛べると思った。

 私の命も力も、それを教えてくれたこの人たちに、あげようと思った。

 けど、私にはまだ鎖が付いたままだ。

 まずはこの鎖を、自分の力で断ち切らなければならない。

 そうできなければ、彼らの隣に立つ資格などない。

 下穿きに足を通してから、新しいサラシで忌まわしい所有印を覆い、女の象徴であるふたつの膨らみも、それで抑えつける。

 その上から制服を身につけ、ベルトを締めて、『江田島 光』が完成する。

 これでハチマキでも締めればより気が引き締まるのかなとふと思って、不意に、戦いの最中に悠長にもハチマキを締め直していた桃の、影慶や邪鬼様と戦った時の事を思い出して少し笑えた。

 

 ・・・

 

 執務室に戻り、短波ラジオのスイッチを入れて、チャンネルを合わせる。

 天挑五輪大武會の予選がもう既に行われており、現時点では基本、結果のみが伝えられるのだが、その中で特に注目された試合などは、その詳細の解説が為されていた。

 予選リーグ第一会場での一回戦では、初出場の男塾が、集団での連携技を得意とする衒蜥流(げんせきりゅう)というチームを、金髪碧眼のボクサーひとりであっという間に倒して二回戦進出を決めたという。

 ちょ、あいつしか居ねえわそんなやつ。

 ただ、一人で対戦相手の十六人全員を倒したチームはもうひとつあり、その狼髏館(ろうろうかん)というチームが、奇しくも二回戦での男塾の対戦相手となるとの事。

 僅かな休憩時間を挟んで、この後試合が始まる筈だ。

 さて、これを聴きながら今日中に塾の事務仕事を一通り終わらせてしまう事にしよう。

 ピーコちゃんは昨日のうちに幸さんに預けた。

 何せ、今日一日かけてこの予選リーグを終え、男塾が無事に勝ち残れば、明日には間違いなく、赤石とともに私は、決勝リーグの戦いの舞台である、あの島へと発つ事になるのだ。

 後顧の憂いを残しておくわけにはいかない。

 

 ☆☆☆

 

 二回戦で俺たちと戦う狼髏館からは、さっき一回戦の試合で、一人で相手チームの全員の首の骨を折って勝利を決めた男が、またも一人で進み出た。

 見れば歳の頃は俺たちとそう変わらない若い男だ。

 それを見て、舐められたと熱くなる虎丸を宥めた飛燕が、やはり一人で闘場に立つ。

 その男の武器は並外れた跳躍力と優れた体術。

 しかし飛燕のそれは悉く、首天童子というらしいその男を上回る。

 だがとどめとばかりに飛燕が腹部に放った正拳突きは、首天童子が服の下に着けていた金属製の、棘のついたプロテクターに阻まれた。

 その一瞬の隙をついて奴が跳躍し、回頭閃骨殺(かいとうせんこつさつ)という例の、首の骨を折る技を、飛燕に仕掛けてきた。

 あわや首を真後ろに回され折られるかと思った刹那、飛燕の手に握られた鶴嘴千本が、首天童子の手に突き刺さっており、その手の動きは止まっている。

 飛燕はその隙に乗じて首天童子の手から脱出すると、同時にその顔面に鋭い蹴りを放った。

 

「お前のその右手は、しびれてしばらくは使うことはできん。

 鶴嘴千本とは、中国二千年の伝統を持つ鍼療医法を応用したもの…。

 その打つツボによって、色々な効果がある。」

 その辺は、氣の操作を含むという違いはあるが少し光の技と似ている。

 というか俺自身の持ち技の中にも、似たような性質を持つものがあるにはあるが、それはあまり思い出したくない。

 襲いかかってくる首天童子に反撃した後、次々と猛攻する飛燕。

 それはダメージを与えるというより、戦意を喪失させる為のものであるように、俺には見えた。

 降参を認めて握手を求めてきた首天童子に応じようと近づいた飛燕に向けて、奴のプロテクターに付いていたトゲが飛び出してきて、飛燕の身体にダメージを与える。

 そこから反撃に出て、片手を奪われたお返しにと両腕の肩を外しにかかった首天童子に、飛燕は口で千本を投げ放った。

 それは奴の首筋に刺さりはしたが、大してダメージは与えていないように見えた。

 その事を嘲笑いながら、再び回頭閃骨殺を仕掛けてくる首天童子に、飛燕がカウンターのように足技を放つ。

 

「鳥人拳・捻頸転脚(ねんけいてんきゃく)!!」

 

 ・・・

 

「まだそんな器用な事ができる余力があったのか。

 俺はこの通り痛くもかゆくもないぜ。」

「そうだ。痛くもかゆくもないだろう。

 さっき貴様の首筋に打った千本はいわば鍼麻酔…

 首の骨を折られて死んでいく者に、苦痛を与えない為のな!」

「どういう事だそれは?俺の首がどうしたと…!!

 さあ行くぞ、今度こそおまえの首を…な、なんだこれは、おかしいぞ。

 ま、まま、前へ行こうとすると後ろへ行ってしまう。

 なにをおまえら驚いている!!」

 自身の首が180度後ろに曲がっている事にまったく気がつかず、海に落ちていく首天童子の姿と、懐から出した布で自分の血を拭う飛燕の、両方を見つめながら、俺たちは一斉に息をのんでいた。

 

「本気で怒らせたらあれ程怖い奴はいない。」

 彼をよく知る伊達の短い言葉が、全てを語っていた。




この章での試合状況は、これまでと違いなるたけ短くまとめるつもりです。
主人公以外の一人称も多くなります。
あと、若干の原作改変が入るかと思われます。
御了承ください。


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2・その掌の上で男は夢を追いかけてるだけさ

…桃視点だとツッコミがぬるい。よくわかった。


「あまりの退屈に体がなまっています。

 久しぶりにこの棘殺怒流鞭(きょくさつどるべん)の威力を見せて差し上げよう。」

 そう言って闘場に歩いていくのは男爵ディーノ。

 その背中を見送りながら伊達が言う。

 

「大威震八連制覇で、この俺を手こずらせたほどの男だ。

 ディーノのおっさんの力をあなどっちゃいけねえぜ。」

 …そうだったか?いや、止そう。

 それよりも、そのディーノ先輩の鞭でのパフォーマンスの後、その前に進み出て来たのは、奴等の先頭にずっと立っていた細い目をした男。

 

「俺の名は鎮獰太子(ちんどうたいし)。」

 名乗りをあげたそいつは、足元の地面に足で自分の周りに円を描くと、そこから出ずにディーノ先輩を倒すと嘯いてみせた。更に、

 

「この円から足を踏み出せば、腹かっさばいて負けを認めよう。」

 とまで。

 だが男のそれはハッタリではなかった。

 ディーノ先輩の繰り出した怒流鞭の乱撃を、上体の動きだけで軽く躱す。

 ならばと、次には投げたシルクハットの中から、やはり八連制覇で伊達に見せた、死穿鳥が飛び出してきた。

 …あの時の鳥は伊達に倒された筈だが、もう一羽居たんだろうか。

 それともあの鳥も光が治療したのか?

 まあ、そんな事はどうでもいいが、その鳥は鎮獰太子が頭を一振りした瞬間、奴が後ろで長く編んだ髪の毛の先に叩き落とされた。

 次に、襲いかかる怒流鞭をバック転で躱したと同時にまた頭を振り、今度はその髪が、ディーノ先輩の首に巻きついてくる。

 

「狼髏館秘儀・辮締旋風大車輪(べんていせんぷうだいしゃりん)!!」

 奴は首の動きだけでディーノ先輩を振り回すと、呼吸を止められて気絶した彼を、こちら側まで投げ飛ばした。

 俺も思わず駆け寄って状態を確認したが、命に別状はなさそうだ。

 ここまで宣言通り、奴は一歩も円の中から出ていない。

 それを見て今度は伊達が、無造作に闘場に歩いて行き、その前に立つと、自分も同じようにして、自身の周りに円を描いた。

 しかも同じようにそこから出たら負けを認めて腹かっさばくとも。

 鎮獰太子は髪の先端に突起を結びつけると、修行で意のままに動かせるという髪の鞭を伊達に向かって放ってくる。

 伊達は体術を尽くしてそれを躱したが、やはり狭い円の中では動ける範囲に限界があり、次第に掠るようになってきた。

 奴は髪の先を一旦自分の円の方に戻すと、その突起を地面に打ち付け、今度は自身が伊達に向かって跳躍する。

 そしてその突起を軸に回転して、繰り出した蹴りが伊達に直撃した。

 だが、その衝撃で円の外にはじき出されたように見えた伊達の体は、ギリギリのところでブリッジ状態で支えられ、地面についてはいなかった。

 

「今度は俺の番だ。」

 体を起こしながら伊達はズボンの左脚の裾を上げ、その下から驚邏大四凶殺で俺を苦しめた蛇轍槍を取り出して、掲げると同時に長さを伸ばした。

 …今なぜか『どっから出すんだよお前!』という光の声が聞こえた気がしたのは気のせいだろうか。

 い、いやそんな事はどうでもいい。

 

覇極流(はきょくりゅう)千峰塵(ちほうじん)!!」

 繰り出してくる無数の突きがどんどんと速さを増し、鎮獰太子の足が少しずつ後ろへ下がる。

 やがて苦し紛れに繰り出してきた髪の鞭の突起の先端に伊達が突きを合わせると、呆気なくそれは砕け散った。

 更に次の動きを許す事なく伊達は地面に槍を突き立てると、棒高跳びのようにそれを支点に跳躍する。

 そのまま飛び降りて鎮獰太子の顔面に蹴りを入れると、鎮獰太子は体勢を崩して円の外に放り出された。

 伊達は再び槍を掴むと、それを伝って元の円の内側に降り立つ。

 鎮獰太子の顔が屈辱に歪むのを見て、伊達は人の悪そうな笑みを浮かべて言った。

 

「勝負がついた。約束だ…!!

 さあ、腹かっさばいてもらおうか。」

 

 ・・・

 

 その約束は、意外な形で果たされる事となった。

 こちらが大将だと思っていた鎮獰太子は、奥から進み出てきた小柄な少年が、彼に向けて指を弾いたと同時に、悲鳴をあげながら自身の手で腹を切ったのだ。

 狼髏館第十五代館主・(そう) 嶺厳(れいげん)と名乗った、恐らくは15歳にはなっていないだろうその少年が使ったのは、幻の秘技、翔穹操弾(しょうきゅうそうだん)

 長さ5ミリほどの銀製の礫を筋肉に撃ち込み、その身体を腱反射により自由自在に操る事ができる技。

 その前に降り立った独眼鉄が、先手必勝とばかりに、飛燕戦で使った巨大ヨーヨー、釽舞大円盤(はくぶだいえんばん)で攻撃したが、宗嶺厳は跳躍してその上に着地、放った独眼鉄先輩の手元に戻ってくるそれに乗って近づいてから、そこから鋭い飛び蹴りを放った。

 軽くつま先が触れただけのように見えた蹴りで、独眼鉄先輩の巨体が大きく吹っ飛ぶ。

 更に宗嶺厳は、どのようにしてか指一本で独眼鉄先輩の身体を持ち上げ、無造作に地面に叩きつける。

 激昂した独眼鉄先輩が再び円盤を投げると、再びそれに飛び乗って攻撃を避けながら、両手の指で例の操弾を放った。

 それは独眼鉄の両肩に当たり、その瞬間、円盤の鎖を握ったまま、両腕が肩の後ろに跳ねあげられ、そのまま動けなくなる。

 独眼鉄先輩は防御もできないまま、自分の手から放たれた円盤が戻ってくる。

 このままでは円盤についた刃で真っ二つだ。

 考える間も無く俺は駆け出し、独眼鉄先輩の体の後ろから腕を伸ばして、円盤を白刃取りした。

 

「ここからは大将戦で勝負をつけさせてもらいます。先輩……!!」

 ある意味、俺にとっても因縁の相手だ。

 

 だが、それで助けたと思っていた独眼鉄先輩を、結局俺は助けられなかった。

 宗嶺厳の「腑抜けの集まり」と俺たちを侮辱する言葉に激昂した彼は、激情のまま奴に襲いかかり、その指先から放たれる操弾の餌食になったのだ。

 背骨を折られ、延髄と脊髄が粉々になった独眼鉄先輩を、助ける事は俺には不可能だった。

 ここに光がいたならまた話は違っただろうが。

 

「俺にとって男塾は、いわば親も同然。

 こんなゴンタクレの俺に、闘うことの厳しさも、友情の大切さも教えてくれた。

 親を馬鹿にされて下を向いてるくらいなら、俺はいつでも男をやめてやるぜ。」

 独眼鉄と富樫の兄貴との友情について、大威震八連制覇の後で俺たちは光と富樫に聞かされた。

 そして三面拳や三号生が生きていると判り、俺たちと顔を合わせた後、この人が富樫と飛燕に頭を下げているのも見た。

 話してみると、不器用だが本当に心の温かい男であるとすぐにわかった。

 その身体が力を失い、地面に完全に伏した時、俺の心は決まった。

 

「待っていろ、独眼鉄。

 おまえの仇は今、俺がとってやる。」

 今度は俺に向けて放たれる操弾を、刀で打ち返す。

 だが打ち返した筈のそれは、地面に跳ね返って俺の大腿部に突き刺さった。

 

「偶然ではない。

 貴様が弾をはじき返す角度と、地面から跳ね返る角度も、計算のうちにあったのだ。

 大腿の主動筋を打ち抜いた。

 もはや動くこともままなるまい。」

 地面に膝をついた俺は、刀を突き立て、それを軸になんとか立ち上がろうとする。

 だが、その俺の手首にまたもや操弾が打ち込まれた。

 これは先程、鎮獰太子が腹を切らされた時と同じ状況だ。

 刀を握ったままの俺の両腕が、俺の意志とは無関係に振り上げられる。

 

「次の操弾が貴様の肩を打ち抜くと、その刃を振り下ろす事になる。」

 防御も躱す事もできず、奴の言葉通りに操弾が肩に打ち込まれ、俺の刀が腹部に振り下ろされる…が。

 身に受けてみてわかった。

 こいつの腕はまだ未熟だ。

 すんでの所で俺は、ベルトのバックルに当たるまでに刃先をずらした。

 …介錯をしてやると歩み寄ってくる宗嶺厳に、いらぬ世話だと言い放ち、立ち上がる。

 

「運のいいやつよ。

 振り下ろした場所に救われたな。」

 俺を嘲笑う宗嶺厳の目の前で、自らの体に打たれた操弾を傷口から取り出し、俺はそれを構えた。

 

「教えてやろう、真の翔穹操弾を!!」

 冷酷無比な、人の命を弄ぶ邪拳。

 かつて、何もわからぬまま教えを受けたものの、その恐ろしさに戦慄し…自らに禁じた技。

 一生使う事はないと思っていた。

 正確無比に狙いを定め、先ほどの俺と同じ体勢にする。

 そして、とどめの部分を撃つ瞬間、独眼鉄の顔が頭を掠めた。

 最後の操弾を俺が放った瞬間、宗嶺厳は、俺を介錯すると言って握ったままだった短刀を、自らの腹に突き立てていた。

 

 

「何故、急所を外して刃を振り下ろすように…?

 おまえの仲間をいびり殺した俺が、憎くないのか……!?」

「おまえを殺しても独眼鉄は喜ばん。

 あいつはそういう男だった…。

 ただ、それだけだ……。」

 俺の言葉に、宗嶺厳は涙を浮かべて、初めて独眼鉄に謝罪し…そして言った。

 

「貴様たちの、勝利を祈っている…。」

 

 勝つ者は、負けた者の思いも背負って、次の戦いに向かう。

 決勝リーグに進むまで、あと二勝。

 

 ☆☆☆

 

「光殿!塾長を止めてください!」

 一通りの仕事を終えて、先日椿山から貰った冬限定だという求肥で包んだバニラアイスをおやつにして休憩しようとしていたら、飛行帽教官がいきなりノックもせずに執務室に飛び込んできた。

 なんだなんだ。

 てゆーか椿山が「少し溶けたくらいが食べごろなんですよ」と教えてくれたのでそれを待っていて、ようやくいい頃合いになった時に。

 仕方なくまた冷凍室に戻すが、ううむ、何という拷問であろう。

 

 ・・・

 

 男塾抛託生房(ほうたくしょうぼう)

 ある程度体の大きい成人男性一人が真ん中に座して、手を伸ばせば四方全ての壁に手が届くくらいの狭い部屋で、上を見ればトゲ付きの吊り天井が下がっており、それは一本の綱が支えている。

 また部屋の壁一枚につき四本ずつ、計十六本の綱が出ていてその下の杭に結び付けられて、そのうちの一本が吊り天井を支えているものなのだが、部屋の中で見る限りではどれがそうであるのかは知る事ができない。

 先ほど狼髏館戦に於いて、独眼鉄が命を落としたとの報が入るや否や、塾長はそこに入り、塾生が一人死ぬたびにそれを一本ずつ切る事で、自身も命を賭けるという決心をした、らしい。

 

 のだが…あーうん。それ、無駄。

 種明かしをしてしまうと、独眼鉄は死んでない。

 一応予選会場には、(ワン)先生とそのスタッフ数人が潜り込んでいて、戦闘不能者が発生した場合、秘密裏に回収して治療する手筈になっている。

 というか、塾長の計画では予選リーグのどこかで、ある一人が死んだ事になり脱落するというシナリオができており、その人物はそのまま決勝リーグが行われる島に移動して、チームを影からサポートするという事になっていたのだが、その移動する方法については若干計画に穴があった。

 私がそれを(ワン)先生に相談したところ、こちらの者が内部に潜入して、死んだ闘士を本土へ輸送すると見せかけて島へ送り込むという策で、その穴をカバーする事になったのだ。

 まさか予選リーグの第二戦で、その人物以外が戦闘不能に追い込まれるとは思いもしなかったが、(ワン)先生が直々にそちらに行っているから、すぐに戦闘に復帰することは不可能でも、間違っても死んではいない、筈。

 もっとも、予選会場から島に移動させる事はできるが、(ワン)先生直属スタッフを予めそちらに潜り込ませるまではできなかったらしい。

 そりゃそうだ。

 あの島は御前の、いわば宝物置場だ。

 大武會開催時以外の時期は、信用のおける者以外の入島を許しはしない。

 逆に言えば大武會開催時ならば、外から堂々と入っていけるルートが存在するわけだが。

 そして、私は元々あちら側の人間で、あの島の地理は熟知している…と、まあその件は後でいいだろう。

 誰に向かって話してるのか知らないけど。

 とりあえずこの騒ぎは、この計画を塾長に伝え忘れたまま予選会場に行ってしまったのだろう誰かさんのせいなのだが、まあ事態を収拾できるのは今、確かに私くらいしか居ない。

 つか、ロミオとジュリエットかお前らは。

 

 塾長の性格からして、一度こうと思い込んでしまったら、ある程度落ち着くまではまともに話を聞いてはくれないだろう。

 だからまずは、その抛託生房(ほうたくしょうぼう)に入る前に、なんとか落ち着かせなくてはならない。

 その為には時間を稼がねば。

 

「塾長!」

「光…貴様もわしを止めるつもりか。」

「いいえ…ですが、このまま今生の別れになるやもしれません。

 せめて、茶の一服なりと立てさせてください。」

 割と苦し紛れに言ったのだが、塾長は少し考えてから、ひとつ息をついて、頷いた。

 

「…良かろう。

 貴様の茶、味わっておくとするか。」

 

 ・・・

 

 …さて、この後どうすべきか。

 真っ向から言えば、逆に不機嫌になるかもしれない。

 いっそ薬でも使って一旦眠らせて…いや、味の違いにこの人は気付いてしまうだろう。

 とすれば、茶碗を最後に傾けた隙をついて昏倒させるか。

 いかに塾長といえど、私の技は通じる筈だ。

 それでいこう。

 立てた茶の茶碗を塾長の前に置く。

 

「頂戴いたす。」

 …相変わらず惚れ惚れするほど堂に入った所作だ。

 豪快ではあるが、生まれ育ちがいいのがよくわかる。

 ああ、いかん。見とれている場合ではない。

 だが、最初の一口を()んだ瞬間、塾長は茶碗を置き、目にも止まらぬ速さで私の側まで来たかと思うと、両手を突然掴んだ。

 

「舐められたものよ。

 貴様がわしを出し抜こうなど100年早いわ!」

 えええ!?

 

「茶の味は嘘をつかぬと言うたであろう。

 今の貴様の考えなど、全て茶の味に現れておるわ。

 …どうせ、教官どもの差し金であろうが、フフフ、どうしてくれようか。」

 …どうやら私は最初から悪手を打ってしまっていたらしい。

 というか、まずい。このままだと危ない。

 私はともかく、主に教官たちが。

 

「申し訳ございません!お許しを…父上っ!!」

 …正直、なんでそんな言葉が咄嗟に口から出たものか、いくら考えてもわからない。

 必死だったのは確かだ。

 だが、そんな事でどうにかなるとは思っていなかった。

 なのに。

 

「今、なんと申した?」

 …なんかよくわからんが食いついてきた。

 

「も、申し訳…」

「その後だ。今、わしをなんと呼んだ?

 もう一度言うてみよ。」

「へ?ち…父、上?」

「フフフ。良い響きよ。

 いつそう呼んでくれるかと待っておったのに、この強情っ張りめが。

 ほれ、どうした。もう一度呼ぶが良い。」

「父上…。」

「よしよし。

 これでまずはひとつ、藤堂めに勝ったわ。」

「父上…父上──っ!!」

 私は塾長の首に腕をからめ、縋り付いた。

 逞しい腕が、私の身体を包む…うん、もうこの体勢になったら、やる事はひとつだ。

 

 

 私は、指先に溜めた氣の針を、塾長の頸部に撃ち込んだ。

 

 

「む…ぬ、ぬかっ……た…!」

 塾長は膝から崩れ落ち、すぐにすうすうと寝息をたて始めた。

 

「ふう…て、手強い相手だった…ん?」

 ふと見ると、私たちの様子をハラハラしながら見守っていた教官たちが、立ちすくんだまま、滂沱の涙を流している。

 まあいい、依頼は果たした。

 後の始末は任せよう。

 あとで詳細を書いた手紙でも、枕元に置いておけばいいだろう。

 

「…とりあえず、塾長を部屋に運んで寝かせてあげてください。

 念の為、抛託生房(ほうたくしょうぼう)の鍵は私が預か…」

「光殿!!今のなさりようはあんまりです!」

 は?

 

「じゅ、塾長のお気持ちを考えると…ぐすっ。」

 えええ?

 

「せ、せっかく、親子の心が通じ合ったと…うううっ!」

 …いや、あなた方に頼まれたから塾長を止めたのに、なんで私、非難されなきゃならないんだろう。

 解せぬ。




「6個しか入ってないのに『ピ◯1個食べる?』って言われたら(あ、これは相当重いお願い来るな)と考えて間違いない思うんだけど『雪◯だいふく1個食べる?』って言われたらもう『消して欲しい人間がいる』とかそういう話になって来るよね」
ってコピペを見たので、とりあえず光に与えてみた→ウマー( °д°)♀「…では依頼を聞こうか」

つか、抛託生房(ほうたくしょうぼう)に入った筈の塾長が決勝リーグ戦の前には部屋で寝てた件、月光が転がる球の上で静止してた件と同じくらい、連載当時から気になってました。付き合ってください。じゃなくて。
はっきり言ってこの辻褄合わせの為に光を予選リーグの間男塾に置いといたくらい言っても間違いじゃないです。


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3・Beyond the Win

ダイジェストするのも難しいです。
どこを残すかって問題にどうしてもぶつかります。
だからってまともに書いたらいつまで経っても予選リーグ終わりません。
仕方ないのよ…ヨヨヨ。


 独眼鉄の遺体を引き上げて自陣に戻る。

 しばし休息を取った後、また次の試合だそうだ。

 独眼鉄の遺体は係員が「然るべき手続きを踏んで本土に送り返す」と言っていたので、任せることにする。

 というか、説明してくれた覆面の係員の声に、聞き覚えがある気がしたのは気のせいだろうか。

 …いや、まさかな。

 次の俺達の対戦相手は、まだ戦っている最中のようだ。

 勝った方が俺達と戦うこととなる。

 見れば、先程のJや、狼髏館の首天童子と同様、一人対全員で戦っていたようで、一人で戦っている男は一輪車に乗って構えている。

 というかよくよく見れば相手の方も、構えているのは一人だけで、あとの全員が柱のように、頭から地面にめり込んでいた。

 その最後の一人が槍で、一輪車の男に突きかかる。

 だが一輪車の男はそれを難なく躱し、槍の男の周囲を、残像すら見えるほどのスピードで回り出した。

 そのままジャンプしたかと思えば、何やらギザギザした輪を、槍の男の体にはめて持ち上げ、その頭を地面に叩きつける。

 それから、どのようにしたものか一輪車ごと体を真横に倒して、男の体にはめた輪のギザギザと、一輪車の車輪に付いているギザギザを合わせて、歯車のように回転させた。

 槍の男の体が、頭から地面にめり込んでいく。

 この『人柱』は、こうやってできたものらしい。

 

「天挑五輪大武會予選リーグ二回戦、淤凛葡繻(オリンポス)十六闘神チーム、勝利!!

 準決勝進出決定!」

 

 ☆☆☆

 

 淤凛葡繻(オリンポス)十六闘神。

 紀元前、古代ローマの皇帝が、武術に秀でた者を直属の親衛隊としていた。

 彼らの技は凄まじいばかりの威力と特異な戦法で人々に恐れられた。

 その技を継承するのが、今登場に立っている奴等だという。

 一輪車の顎翎洙(アキレス)と名乗るその男と戦ったのはセンクウ先輩。

 その猛攻を躱しながら、大威震八連制覇で飛燕と富樫を苦しめた千条鏤紐拳(せんじょうろうちゅうけん)の鋼線を、顎翎洙(アキレス)の周囲に張り巡らせる。

 

戮家(りくけ)奥義・千条獗界陣(せんじょうけっかいじん)!!」

 センクウはマントの下から十数個の、鋭いトゲのついたようなデザインの独楽(コマ)を出すと、その鋼線の上で回らせる。

 …うむ、マントの下の上半身は素肌の筈だから、収納していたのはマントの方に、だよな?

 いかん、なんだか思考パターンまで光のやつに染まってきている気がする。考えるな。

 センクウの指先で意のままに動くというそれは、顎翎洙(アキレス)に一斉に襲いかかったが、次の瞬間奴の身体は土煙に紛れて消え、次には地中から姿を現した。

 その際にセンクウの足首を掴んで持ち上げ、頭を地面に叩きつけんとする。

 だが勿論それをまともにくらうセンクウではなく、そのまま倒立の姿勢になると、膝下からそこに仕込んでいた刃を出して、得意の足技で反撃した。

 これも大威震八連制覇で富樫が苦しめられた技だ。

 あの時と刃の形が変わっている気がするが。

 その攻撃が顎翎洙(アキレス)に手傷を与えることはなかったが間合いを離す事には成功し、センクウは体勢を整える。

 

「海のハイエナといわれる謷葬鳥(ごうそうどり)が、人柱の死臭を嗅ぎつけて集まってきおった。」

 顎翎洙(アキレス)は車輪を回転させて土煙を上げ、恐らくはまた地中に隠れたのだろう、姿を消す。

 ひとまず周囲の人柱を背にし、次の攻撃に備えて構えるセンクウだったが、実はその人柱が奴だった。

 奴は逆さの状態で今度は腕で車輪を回して、脚でセンクウの首を締め上げ、回転する。

 このままでは遠心力で締め落とされると思ったが、センクウは周囲の人柱に鋼線を投げて、それに掴まって脱出した。

 だが肉体のダメージは大きく、奴のスピードに追いつけない。

 遂に奴の手にした刃の一撃を胸に食らって、地面に膝をつく。

 苦し紛れにか、投げた鋼線が奴の身体を掠めて、上空を飛ぶ鳥を捉える。

 そのままとどめに繰り出された顎翎洙(アキレス)の一撃を、なんとか急所を外すも受けてしまい、センクウはもはや抵抗もままならない状態に見えた。

 

「どこを狙ったつもりだ。

 このうえまだこの顎翎洙(アキレス)に、無駄な悪あがきをしようというのか。」

「た、確かに貴様は強い。

 だが古代ギリシャ神話において無敵といわれたアキレスは、唯一、踵が弱点であったため、敗れ去ったという。

 貴様のアキレスの踵…。

 それは自分の力を過信し、思い上がった心が生む油断だ!!」

 再び投げた鋼線の先に付けた(おもり)が、またも上空の鳥に巻きつく。

 それから逃れようと暴れる二羽の謷葬鳥がそれぞれの方向に向かって飛び、その瞬間、いつのまにか顎翎洙(アキレス)の首にも巻き付けられていた鋼線が、鳥に引かれて奴の首を締め血飛沫を散らした。

 

「どうやら謷葬鳥が喰らいたかったのは、貴様の屍だったようだな、顎翎洙(アキレス)。」

 だが顎翎洙(アキレス)の首が千切れる前に糸を切ったらしいセンクウ先輩は、無駄な殺生は好まぬ、と言ってこちらに戻ってきた。

 光に言わせると彼は「デリカシーが足りない」男だそうだが、俺が見る限りそういう風には見えない。

 まあ、女性視点では見えるものが違うのだろう。

 

 ・・・

 

 次に闘場に立ったのは、やはり死天王のひとり、卍丸。

 対する贅魅爾(ジェミニ)と名乗る男は、先の顎翎洙(アキレス)が立てた人柱に凭れ、竪琴など弾きながら登場する。

 その隙だらけの相手に対して、卍丸は何故かまったく動かず、構えたまま驚愕したように立ち尽くしていた。

 やがて贅魅爾(ジェミニ)が立ち上がり、竪琴を弾いたまま、刃物を付けた脚が卍丸を襲う。

 だがその瞬間、卍丸はマスクから針を吹き出し、それは贅魅爾(ジェミニ)の手に突き刺さった。

 些細な攻撃だが、それで贅魅爾(ジェミニ)が竪琴を取り落とした次の瞬間、卍丸はようやく、自慢の鋭い手刀を、贅魅爾(ジェミニ)に向けて放つ。

 

「竪琴の音色を利用した攪音波催眠とは。

 危ないところだったぜ。」

 どうやら卍丸先輩は、竪琴の音色による精神攻撃を受けていたらしい。

 

「どうあがこうと貴方の運命はすでに決まっているのです。

 わたしのブラッディー・クロスによって死ぬことが!!」

 竪琴を拾う事はせず、贅魅爾(ジェミニ)が怪しげな構えを取る。

 それを見て卍丸先輩は何故かマスクを外し、それを地面に投げ捨てた。

 

「運命か…教えてやるぜ!

 運命とは、自分のこの手で切り開いていくものだということを!!」

 

 ☆☆☆

 

 …よし。

 塾長の枕元の水差しの横に、詳細をしたためた手紙を置く。

 念の為、出かける前に教官たちにも言伝ておくことにする。

 あと、今日中に天動宮へ出向いて、一両日中には塾に戻ってくる『死亡者』の身柄の受け取りを、一般三号生にお願いしてこよう。

 この様子だと、予定している一名はともかく、予選リーグでもう一人くらいは戦闘不能者が出る恐れがある。

 私の見立てでは富樫、虎丸、蝙翔鬼のうちの誰か…つか、まさか予選リーグでこいつら全員消えるとかないだろうな。

 予定通りなら、予選リーグのどこかで敗退する一名の代わりに赤石が入って、その一人が裏で闘士達を助け、影から危険を排除したり、状況によっては暗殺に近い事も請け負う手筈になっているのだが、彼以外の敗退者が出たとなると、彼にそこまでの余裕はなくなり、展開次第では正体を隠して闘士としての出場もしなければならない。

 塾長が決勝近くになった頃にあちらに行く事になるが、こちらも状況次第で闘士として出場する事になろう。

 というか、あの性格の人が、最後まで手を出さずに見守っていられるとは思えないんだよね…。

 そして、私。

 達人級の人たちに稽古をつけられていて、正直自分が今、どのレベルにいるのかわからないが、そこそこ戦える程度にはなっている筈だ。

 敵に触れられる位置まで近付けば、暗殺術でもなんとかできるだろう。

 まあ、対戦相手も馬鹿じゃないから、戦えて2戦が限度だろうが。

 とにかく、無理して揃えてこれで四人。

 いやもっと無理すれば二号生の江戸川や丸山…は駄目だな。

 一号生なら松尾や田沢…はもっとないか。

 うん、四人。

 これ以上、少なくとも予選リーグで人数減らされたら対処できない。

 その場合はたとえ勝ち残ったとしても、決勝リーグへの進出は辞退しなければならないだろう。

 耳につけたイヤホンから、大まかな試合結果が流れてくる。

(…ていうか、短波ラジオをイヤホンで聴くって、側から見たら競馬好きのオッサンみたいだと思ってしまうのは偏見だろうか)

 現在まだ試合が残っているのは男塾が戦っている第一会場のみ。

 現在は準決勝、対戦チームは淤凛葡繻(オリンポス)十六闘神というチームだそうだ。

 他の会場では決勝リーグ進出チームは既に決定したとの事。

 三回連続優勝を果たした梁山泊は今回も難なく勝ち残り、優勝候補としてやはり一番に名を挙げられている。

 解説によればこのチーム、割と最近首領が代替わりしたという話もあり、それがどう影響するかというのも見どころのひとつと言われている。

 あと、男塾と同様初出場で決勝リーグ進出した冥凰島十六士というチームがあり、名前からすると間違いなく、主催者である御前の私設チームだろう。

 冥凰島、というのは決勝リーグ戦が行われる島の名前だからだ。

 御前がかねてから希望していた御自分のチームでの出場を、やっと果たせたという事だろう。

 そして塾長の話では、御前は自身の後継者に、まだ正式にではないそうだが豪毅を指名したとの事だから、豪毅は恐らく闘士十六人の中にいる。

 だとするとこの大会の出場そのものが、藤堂財閥次期総帥、藤堂豪毅の正式披露という事になるのだろう。

 

『父上は、いずれ御自分のチームを出場させたいとお考えなのだ。

 俺は、必ずその一人になるつもりだ。』

『頼もしいですね。

 そうなったら、私も必ず応援に参ります。』

『本当に?約束だぞ、姉さん。』

 あの日のやりとりが、昨日の事のように浮かぶ。

 約束、守れなくてごめんなさい。

 あなたが、あなたのお父上の為にそこで戦う間、私は私の『父上』の為に、私の戦いをしなくてはならない。

 ううん、何よりも私の為に。

 私自身の運命を、この手で切り開いていく為に。

 塾長は多分、明日の朝までは目を覚まさない。

 目を覚ました頃には、予選リーグの結果は出ているだろう。

 

「それまでは、どうぞゆっくりお休みください。

…父上。」

 小さく声をかけてから、私はその部屋を出て、音を立てぬように襖を閉じた。

 

 ☆☆☆

 

魍魎拳(もうりょうけん)幻瞑分身剥(げんみょうぶんしんはく)!!」

 五ッ身分身。

 Jの奴と戦った時と違い、ここにはスクリーンになる霧がないからここまでが限界だ。

 それをもって奴を撹乱しながら攻撃するも、奴はギリギリでそれを躱していく。

 放った手刀が一度、奴の頬を掠めて傷を負わせたが、奴は一旦空中に飛び上がって間合いを離すと、なんと俺の上を遥かにいく八ッ身分身で攻撃してきた。

 

淤凛葡繻(オリンポス)スパイラル・エイト!!」

 奴が指先につけた金属の爪が、一斉に俺の体を切り裂く。

 馬鹿な…信じられん。

 体術の頂点を極めたといわれるこの俺でさえ五ッ身分身が限界……!!

 それを八ッ身とは……!

 

「かすり傷とはいえわたしに血を流させたのは貴方が初めてでしたよ、卍丸…!!」

 その言葉でふと気がつく。

 奴の八ッ身分身の中に、俺が負わせた頬の傷がない奴がいる。

 もしや贅魅爾(ジェミニ)というのは……!!

 八ッ身分身が一斉に、トドメとばかりに襲いかかってきた。

 

「伊達や酔狂でこんな頭してるんじゃねえんだ!!」

 髪の中に隠していた刃のブーメラン、龔髪斧(きょうはつふ)を両手の指先で挟んで投げ放つ。

 それは躱されはしたものの『奴ら』の動きが一瞬止まる。

 

「危ない、兄者──っ!!」

 傷のある方が叫び、戻ってくる龔髪斧(きょうはつふ)の軌道からもう一人を庇い、外す。

 動きが止まってみれば、八人いた贅魅爾(ジェミニ)が二人になっていた。

 

「やはり貴様等、双子だったか。」

 ジェミニ=双子座。ひとり四分身で八ッ身ということだ。

 二人対ひとりだったと知り、自陣から後輩が駆け寄ってきそうになるのを制して、俺は櫛で乱れた髪を整える。

 

「こいつらだけは、俺が倒す…。」

「やはり予言は正しかった。

 貴方はわたしたちのブラッディー・クロスで死ぬしかないのです!!」

 なにが予言だ。

 俺は奴らに向けて構えを取るが、やはり先ほどの出血が堪えているのか、体がついてこない。

 奴は肩車状態で輪のついた二本の棒を持ち、それを十字に構える。

 そのまま太陽の方向に跳躍したのをうっかり目で追った俺の目が光で眩む。

 その瞬間棒の先の輪が首と両手首に嵌り、まるで聖者の磔のような格好にさせられて、奴らの爪が、俺の鋼胴防を貫いて、胸が十字に切り裂かれた。

 

「やはり運命を変えることなど、しょせん不可能なのです。」

 そう言って去ろうとする奴らを呼び止める。

 奴らは爪に猛毒を塗って、再び跳躍すると、同じ技をまた仕掛けてきた。

 

「どんな苦境にあろうが、決して希望を捨てず、諦めない…それが運命を切り開くということだーっ!!」

 俺は拘束されていない脚を使って、再び頭から龔髪斧(きょうはつふ)を投げ打つ。

 

『大威震八連制覇でJと戦ってるの見て思ったんですけど、意外と股関節柔らかいですよね、あなた。

 脚上げたら、首の後ろに踵上がるんじゃないですか?』

 天動宮に俺たちの様子を見舞いに来た光のやつが、そんな事を言っていたのを思い出した。

 言われた時はまさかと思ったが、やってみたら意外とできるもんだ。

 それを躱しながら嘲笑う奴らの間を通って、龔髪斧(きょうはつふ)は俺のもとへ帰ってくると、俺の左手首を拘束する輪を破壊する。

 それにより動くようになった手で、俺は毒を塗った爪で胸板を狙ってきた奴らの手首を捉えると、向かい合わせになった奴らの胸を、その勢いのまま互いに貫かせた。

 

「あなたは大した人だ…!」

 自分たちの用いた毒で地面に倒れ、最後に手を取り合おうとしながら力尽きた兄弟の手を、せめてもの情けと繋ぎ合せてやる。

 

「いい勝負だったぜ。」

 

 ☆☆☆

 

 俺達の待つ自陣に戻ってきた卍丸先輩が、怪我の手当てより髪の乱れを優先して直している姿に少し安心した。

 気がつけば陽が落ちてきて、次の戦いは闇夜の中でということになるようだ。




それでも贅魅爾(ジェミニ)戦はどうしても書きたかったんです。
理由は勿論、「伊達や酔狂でしてるんじゃないヘアスタイル」と、ラストシーン。
卍丸先輩紳士説、アタシの中では揺らぎません。


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4・俺の心、泣くように走る

…うん、蝙翔鬼。相手が名乗ってないのに名前知ってちゃ駄目だよ。ということで、「俺の名を名乗る必要もあるまい」というケンタロウくんの台詞はカットです。


「暗夜にあってこそ、水を得た魚の如く、我が南朝寺教体拳の真価は発揮される。

 ここは、この蝙翔鬼に任せてもらおう。」

 次は自分が出ると主張しあう富樫と虎丸を、なんのトリックなのか空中浮遊で驚かせながら蝙翔鬼が闘場へふわりと降り立つ。

 

「中国拳法史上、その怪奇な技で魔性拳として恐れられた、南朝寺教体拳を極めた男、蝙翔鬼。

 フフッ…味方ながら不気味な奴よ。」

 …伊達、それは褒め言葉なのか?いや、止そう。

 例の人柱の遺体が撤去された闘場に、既に上がっていた相手は騎馬だった。

 搴兜稜萃(ケンタウロス)と名乗ったその騎馬の男は、馬にユニコーンさながら、角のような装身具を頭に装着させており、その馬を操って蝙翔鬼を攻撃させる。

 だが蝙翔鬼は、搴兜稜萃(ケンタウロス)が一心同体だと嘯く馬の攻撃を、その卓越した体術で悉く躱し、体勢を()()()整えた。

 

「南朝寺教体拳・乖宙浮遊體(かいちゅうふゆうたい)!!」

 蝙翔鬼の身体は、見間違いでもなんでもなく空中で静止している。

 更に、大威震八連制覇の時には、義手である右腕に着けていた刃のついた風車を、爪先に装着して蹴りを放った。

 搴兜稜萃(ケンタウロス)とユニコーンはそれを躱すが、蝙翔鬼は宙に浮かんだまま、一度も地に足をつけずに攻撃を繰り返す。

 だが、白い月を覆い隠していた黒い雲が風で流れ、青い光が僅かに差した時、搴兜稜萃(ケンタウロス)が…正確にはユニコーンが動いた。

 その馬は首を大きく振ると、首の飾りと思っていた金具から、無数のナイフが飛び出して蝙翔鬼を襲った。

 蝙翔鬼はそれを躱すと、宙に浮いていた脚をようやく地につける。

 同時に、何か黒いものが幾つも、ナイフに貫かれて地面に落ちた。

 

「これが貴様の、乖宙浮遊體(かいちゅうふゆうたい)の正体だ!!」

 それは小型の蝙蝠(こうもり)

 見れば蝙翔鬼の頭上には、無数の蝙蝠が舞っている。

 この蝙蝠の群れを意のままに操り、それが蝙翔鬼の身体を支えて、浮遊させていたということか。

 

「学名レンコクコウモリ、又の名をチスイコウモリという。

 可愛い奴等よ……!!

 五匹も喰らいつけば一瞬にして、人間の体中の血を吸い尽くしてしまう。」

 蝙翔鬼が蝙蝠達に指示を出し、蝙蝠は蝙翔鬼を中心に、螺旋状に回って飛びはじめた。

 

「いけい、友よ!!

 中国三大奇拳のひとつとうたわれた、南朝寺教体拳・煌嗾蝙術(こうそうへんじゅつ)の秘技を見せてやれ!!」

 その動きで撹乱し、搴兜稜萃(ケンタウロス)とユニコーンの血を吸おうと喰いつくのを、搴兜稜萃(ケンタウロス)の手刀が撃ち落そうとする。

 数が多いのもさる事ながら、蝙蝠には超音波を放って敵の動きを察知する能力がある。

 

「還れ、友たちよ!!更なる秘技を見せてやるのだ!!」

 蝙翔鬼は再び蝙蝠に号令をかけると、上げた右手の先に蝙蝠を集めた。

 蝙蝠の群れはそのまま、巨大な一匹の蝙蝠の形をとる。

 蝙翔鬼はその上に飛び乗ると搴兜稜萃(ケンタウロス)に向かって行き、その上から例の風車の爪先で蹴りを放つ。

 その蹴りで搴兜稜萃(ケンタウロス)の頭部から被っていた兜が外れ、地面に音を立てて落ちた。

 更に何故かただ一匹の蝙蝠が、一直線に搴兜稜萃(ケンタウロス)に向かう。

 そしてその目前で翼を目一杯広げて一瞬だけ視界を塞ぐと、その手刀を避けて飛び去った。

 その瞬間、あれほどいた蝙蝠が一匹も、影も形も見えなくなっていた。

 一瞬視界を塞がれた搴兜稜萃(ケンタウロス)だけならともかく、ここで見ている俺たちの目にすらとまらずに。

 

「どこに消えたかわかるまい…。

 これぞ南朝寺教体拳・遮蔽闇體(しゃへいあんたい)!!」

 蝙蝠が身を隠す場所はない筈だが、気配は消えていない。

 迂闊には動けない状況で、蝙翔鬼は例の風車を今度は靴の裏に着けて、最後とばかりに蹴りを放った。

 だがその時、頭上の月の輝きが翳り、搴兜稜萃(ケンタウロス)が地面を見て呟く。

 

「不思議な事もあるものだ。

 月が隠れたにもかかわらず、影がまだ地に映っておるとは…。

 見破ったぞ!この小賢しい蝙蝠どもが!!」

 搴兜稜萃(ケンタウロス)は筒のようなものから液体を地面に撒き散らし、ユニコーンは地面を踏みならして、その蹄から火花が散る。

 撒いたのはどうやら可燃性の液体だったようで、火花がすぐに引火して、奴らの足元からは、火だるまになった蝙蝠が飛び出した。

 機動性を失った蝙翔鬼は馬の尾に首を締めつけられ、振り回される。

 

「殺れい!!ユニコーン」

 その合図で蝙翔鬼の体が宙に投げ出され、無防備になった背中から、馬の頭部に着けられた角が、正確に心臓を貫いていた。

 

「あ、あとは頼んだぞ月光…おまえしかおらん。

 こ奴等に勝てるのは……!!」

 邪魔になる、と言って蝙蝠の死骸を踏み散らす馬の蹄を見据えながら、蝙翔鬼は苦しい息の下でそう呟いて……そこで力尽きた。

 

「へ、蝙翔鬼──っ!!」

 

 ・・・

 

「わかり申した。安心して眠れい、蝙翔鬼殿。

 貴殿の無念、このわたしが必ず晴らそう。

 よくぞ、わたしに託して下さった……!!」

 得意の棍を右手に、月光が闘場へ歩いていく。

 一週間前に塾長室で顔を合わせるまで、生存を隠されていた三号生と三面拳は、俺達にネタばらしをする前に、どうやら光の取りなしで和解していたらしい。

 特に月光と蝙翔鬼はウマが合っていたようだと、確かに後で伊達から聞かされた。

(伊達は俺達より早い段階で光により生きている三面拳と引き会わされたが、その事は口止めされていたと、その時白状した)

 しかしそれだけの理由で、蝙翔鬼が死の間際に、月光に勝利を託したとは思えない。

 

 ☆☆☆

 

 決勝リーグに上がってからならいざ知らず、予選リーグでこれほど1対1の戦いが集中した会場は他になく、男塾がいる第一会場の結果が出るのが他の会場より遅いのは主にそれが原因らしかった。

 というより、初出場の男塾チームがそこそこ舐められており、相手チームの闘士が一人で出てくる場合が多く、そして男塾(ウチ)塾生()達が律儀にそれに合わせてひとりずつ出してくる、くらいのパターンなんじゃないかと思う。

 もっとも、暗殺者時代から強い男達を見慣れている私は、一定のレベルを超えてしまっている相手に対しての、数の有利をあまり信用していない。

 簡単に言えば、強い奴はひとりで充分に強いし、弱い奴は何人集まろうが弱いのだ。

 ならば1対1の戦いの方が一周回って一番効率がいいわけで。

 

 落ちてくる季節外れの桜の花びらに向かって手を伸ばす。

 万物に氣があり、それに等しく合わせ、その時間の先を行く。

 それには思考する事を捨て、その上で集中を高めなければならない。

 それが『合氣(あいき)』という事。

 まだまだその真髄どころか、上っ面を撫でる程度の理解にすら及ばないが、とりあえず感覚には慣れてきた。

 桜の花びらなら、ほぼ100%、指先で摘んで捕まえられる。

 ひょっとしたら私の兄は意外と、この真髄を掴んでいたのかもしれない。

 桜の花びらは手の中に落ちてくるのを待つと、兄は言った。

 それは、桜の花びらの持つ時間の先を行った結果ではなかったのか。

 今こそ、兄と話をしたいと思った。

 その願いは、この桜を何枚集めたところで、決して叶う事はないけれど。

 と、唐突に私に向けられる激しい攻撃的な氣の奔流を感じて、反射的に自身の氣と『合わせる』。

 それは本来なら、私程度なら十数M(メートル)は吹き飛ばせるくらいの突風を巻き起こすほどのものだったが、実際には身体に触れる前に私の氣と混じり合い、私をすり抜けて、周囲に桜の花びらを舞い散らせたのみ。

 現時点ではこれが精一杯だ。

 もっと極めれば、それを放った者に、そのまま返すことができるのだろうが。

 

「チッ。面白くねえ。

 また、妙な特技を身につけやがって。」

「私を殺す気ですか。

 今の烈風剣、めっちゃ殺気篭ってましたよね?」

「気のせいだ。

 大体、隙があるのを見つけたらいつでもやれと言ったのはてめえだろうが。」

 背に負った鞘にそのバケモノ刀を収めながら赤石が微かに笑う。

 確かにそうなんだけど。

 

「…けどやはり、思った通りです。

 あなたの技は基本的には斬撃ですが、無意識に刀に闘氣を纏わせて、切れ味を増していますね。

 大きなものを斬る際は特にその傾向が顕著ですし、今の烈風剣に於いては、その刀身に纏わせた闘氣を少なからず放出している。

 あなた自身は単なる剣圧だと思っているでしょうが、風の発生原理は、蝙翔鬼の天稟掌波(てんぴんしょうは)や、邪鬼様の真空(しんくう)殲風衝(せんぷうしょう)と同じで…むしろ私の見る限り、闘氣の割合が風そのものよりも高いです。」

 目的は自身の修行と、彼の技の検証。

 もうあまり時間もない。

 やれるだけのことはやっておきたい。

 

「…言いたい事はわかったが、そんなもん検証してなんになる。」

 そう言う赤石は、多分まだ、自身の弱点に気がついていない。

 彼は強いから、わからなくもないけど。

 

「赤石。

 もし、刀を奪われたり、使えない状態にされたら、あなたはどう戦いますか?」

「…取り返すか、使えるようにする。

 斬岩剣(こいつ)は俺の命だ。それとも何か?

 俺に、拳で戦えとでも言うつもりか?」

 脳筋が。

 

「…地力はあるでしょうからやってみればそれでもなんとかなりそうですが…あなたの闘氣には『切れ味』が付帯してるようですし、それを使わない手はありません。

 もしそうなったら、あなたは刀を使わずに『斬る』事を考えるべきでしょうね。」

 赤石の弱点。

 それは、刀以外に攻撃手段を持たない事だ。

 桃や伊達のような、器用なタイプではない彼は、さっき言った状況となった場合、間違いなく窮地に陥る。

 

「剣の野郎みてえに、布でも使えってのか。」

「駄目でしょうか…いい案だと思うのですが。」

 氣を布に伝わらせて硬化させて即席の武器にするという発想は、勿論先の大威震八連制覇での桃と邪鬼様の戦いから来ている。

 あれができるようになれば、彼の言う「取り返すか使えるようにする」も、少し現実味を帯びてくると思われる。

 何せ、相手は武器を奪ったと思って油断しているから、一見武器に見えないものを武器にできる事は、かなりのアドバンテージとなる。

 

「布って云うのがどうもな…どうしても、ただの繊維の塊ってイメージしか湧かねえ。」

 なるほど、そこか。

 

「目が良すぎますものね、赤石は。

 なら、むしろ何もない方が、イメージしやすいんじゃないですか?」

「何も…ん?もしかすると、あの…」

「はい?」

 私の言葉に、何か思い出したように赤石が言う。

 

「…一文字流の奥義書の中に、これだけは眉唾モンだろうというのがあった。

斬岩念朧剣(ざんがんねんろうけん)』。

 精神力と肉体が極限状態になった時に真価を発揮する、一文字流最終奥義と言われてる。」

 一文字流最終奥義…!?

 

「それは…どういう?」

「俺が奥義書を見てイメージしたのは、(つか)(つば)だけのものを握って、そこに『念』の刃を顕現させるって感じの光景だ。

 もしそれが可能なら、てめえが言う通り、刀を使わずに敵を『斬る』ことができるな。」

 あるんじゃん刀によらない攻撃手段!

 

「…それ、極めてください!」

 思わずそう言った私を、赤石がすごく嫌そうな表情で見つめた。

 

「…簡単に言いやがる。

 今の今まで眉唾モンだと思ってた奥義だって言ったろうが。

 一朝一夕でなんとかなるモンじゃねえぞ。」

 それはわかってる。

 けど、多分答えは、この人が思うより、ずっと近くにある。

 

「…そもそも『念』ってなんでしょう?

『氣』と同じものだと仮定すれば、それほど遠くない話かと。

 氣の総量は基本的に、身体の大きさに比例するんです。

 邪鬼様みたいな規格外はともかく。

 あなたもその点では、相当な方ですし、さっきも言ったように、無意識に使いこなしてます。

 それを意識的に行なえばいいだけですよ。

 何でしたらこの男塾には、氣の扱いに長けた男が少なくともふたり居ます。

 彼らに頭を下げて、教えを請うてみては?

 その光景、すっごく見たいけど、見ないでおいて差し上げますから。」

 そう言うと、ますます嫌そうな顔で、私を睨む赤石。

 

「やかましい。

 さっきから聞いてりゃどんだけ上から目線だこの高飛車女。

 チビのくせに。」

 うん、知ってた。けど今更だ。

 あと、チビのくせには余計だ。それ関係ない。

 

「…まあ、そいつを俺が本当に極めたら、おまえが俺のものになるってんなら、考えてやらねえ事もねえが。」

「……え?」

「………なんでもねえ。

 なんにせよ、この大武會が終わってからじゃねえと、そんな余裕もねえだろ。

 明日の朝だったな?出立するのは。」

 赤石の言葉に、私は頷く。

 

「予選リーグを無事突破すればの話ですけどね。

 ここで敗退して戻ってくるようなメンバーではないと思いますが、どうやら欠員が二人出てしまったようですから。」

 そう言うと、ポケットに入れたままだった短波ラジオのスイッチを入れ、イヤホンを片方だけ耳に差して、もう片方を赤石に差し出した。

 月明かりの下、二人とも息が白い。




やはり試合直前の伊達のコメントは負けフラグ。お前不吉だから黙れwww


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5・こんなもののために生まれたんじゃない

関係ないけどアタシの中での月光は、自分の部屋に帰ってきたら真っ先にソファーにコロコロかけるイメージ。
いい男だしモテるけど、几帳面すぎて一人の人と長続きしないタイプだと思われます。


 倒れた蝙翔鬼の身体を、脱いだ自分の学ランで覆って、月光は搴兜稜萃(ケンタウロス)を強い目で見据える。

 それから自身の身体を慣らすと同時に搴兜稜萃(ケンタウロス)に見せつけるように、目にも止まらぬ棍さばきを展開する。

 よく見れば影慶と戦った時に使用した棍とは違うもののようで、中心部分に鉤状の突起がついている。

 

「貴様、棍を使いおるか。

 それもかなりの腕のようだ。」

「外道相手に聞く耳も話す口ももたん!」

 その会話を皮切りに、搴兜稜萃(ケンタウロス)の操るユニコーンの角が今度は月光を襲った。

 だが月光はその場から動かず、棍を真っ直ぐに繰り出した。

 

辵家(チャクけ)纒欬針点(てんがいしんてん)!!」

 月光の棍の先端は、ユニコーンの角の先端にピタリと合わせられ、その突進を止めている。

 加わる力は同じでも、触れている面積が小さければ小さいほど一点への圧力は大きい。

 とはいえ、それはユニコーンの側でも同じ筈なのだが、単純な力で勝る筈の馬が、月光の棍を押しあぐねている。

 

「教えてやろう。

 このわたしの辵家(チャクけ)棍法術、単に突く叩くばかりではない事を!!」

 月光は跳躍すると、それまで止められていた力そのままに突進するユニコーンの頭上から、棍を真っ直ぐに突き下ろすと、例の鉤状の突起をユニコーンの角に引っ掛けた。

 突進する力が、引っ掛けた鉤とその接触部分に最大限にかかった瞬間、月光は棍を回転させる。

 瞬間、梃子の原理で角はあっさりと叩き折られた。

 そろそろ俺にもわかってきた。

 月光の技は得物が何であろうと、それは全て精密にして正確なのだ。

 その計算された攻撃はそこで終わらず、月光は折れた角をその勢いのまま反転させ、()()()()()()()元あった場所へと返す。

 

「死ねい、外道馬よ!!」

 先ほどの纒欬針点(てんがいしんてん)という技で再びユニコーンの角を突くと、つい今までそこにあった筈の角に、ユニコーンは額を貫かれて絶命した。

 

「次は貴様の番だ、搴兜稜萃(ケンタウロス)

 非業の死を遂げた蝙翔鬼の為に、わたしはこの勝負、鬼神と化す。」

 馬を殺された搴兜稜萃(ケンタウロス)は「五年ぶりの地だ」などと嘯き、平然としている。

 改めて見ると馬から降り立った搴兜稜萃(ケンタウロス)の、太腿の筋肉の太さが異様だった。

 それは普通の人間の胴回りくらいある。

 赤石先輩もそれに近いくらいあるが、彼は腕も腰も骨格自体が太い。

 光曰く『多分幼少期からの、重い得物に対応する鍛錬の成果でしょう』との事だったが、この搴兜稜萃(ケンタウロス)を、光がここに居たら彼女はどう見るだろう。

 その搴兜稜萃(ケンタウロス)は、月光に負けた愛馬に対し、苦しんで死ねと言い捨てる。

 逆に月光の方がそれに同情して、馬の額に刺さった角を抜いてやっていた。

 そんな事をしている間に、奴の仲間が闘場の縁を囲むように、ぐるりと鉄柱を立てている。

 その仲間の一人から放られた棘のついたサッカーボールのような球を、器用にその棘を避けて操る。

 凄まじいスピードと回転で蹴られた球はユニコーンの死体の首を切り落とし、外側にぐるりと立てられた鉄柱に跳ね返って、奴のもとに戻る。

 それは今度は月光目掛けて蹴られ、月光はそれを棍で撃ち返すも、再び蹴られたそれは鉄柱に何度も跳ね返っては月光のもとに戻ってきて、遂には月光の肩に傷をつけた。

 恐ろしい技だ…!!

 奴は蹴球が鉄柱に跳ね返る角度だけではなく、月光が棍で防ぎはじき返す角度までも、正確に計算して蹴り出している。

 あの蹴球の動きを封じない限り、月光に勝ち目はない…!!

 搴兜稜萃(ケンタウロス)は次に球を高く蹴り上げ、自身もその後を追って飛び上がった。

 そのまま一回転して空中で球を蹴る。

 いわゆるオーバーヘッドキックだ。

 月光はそこから向かってくる蹴球を、鉄柱を背に迎え撃つ。

 それは先ほどユニコーンの角を受け止めた見切り技、纒欬針点(てんがいしんてん)

 蹴球の衝撃は鉄柱を支えにして受け止め、棍の先で球を貫く。

 だが貫かれた球は破裂し、その中に仕込まれていた粉のようなものが月光の目に入ってその視界を塞いだ。

 勝利を確信した搴兜稜萃(ケンタウロス)が、膝の防具についた突起で月光を攻撃する。

 だが月光は焦ることなく、やはり纒欬針点(てんがいしんてん)でその突起を止めて、正確に攻撃を繰り出しては、搴兜稜萃(ケンタウロス)の防具をひとつひとつ破壊していく。

 

「ま、まさか貴様……!?」

「やっと気づいたようだな。

 この月光、生来目が見えん。

 そのわたしに、目つぶしなどとは笑止千万!!」

 どうやら蝙翔鬼がいまわの際に月光を指名した理由がこれだったようだ。

 

「この目は見えずともわたしには、研ぎ澄まされた心の目がある。

 見せてやろう。

 辵家(チャクけ)流拳法、最大最強の秘術を!!」

 完全に精神的優位に立った月光が、指先で弾いた碁石を、棍で宙に打ち上げる。

 重力に従って普通に落ちてきたそれは、搴兜稜萃(ケンタウロス)の額に当たって、地面に落ちた。

 こんなものが当たっても何でもないと嗤う搴兜稜萃(ケンタウロス)を、躱すことができるかと挑発する月光。

 もう一度碁石を打ち上げる月光に、搴兜稜萃(ケンタウロス)はやはり笑いながらその身を移すが、碁石はその移した先に、搴兜稜萃(ケンタウロス)の頭部目掛けて落ちてくる。

 もう一度試しても同じ。

 

「これぞ辵家(チャクけ)奥義、無明察相翫(むみょうさつそうかん)!!」

 それは人間が一定条件下で心理的圧迫を受けた際、誰であろうと同じ行動を起こすという法則の元、それを読むという奥義らしい。

 

「恐怖は恐怖を呼び、今や貴様は迷路に迷い込んだネズミも同然。

 そして碁石を、この穂先をつけた棍にかえた時、どうなるか。

 いくら逃げても無駄なことはわかったはず。」

 そう言って宙に振りかぶった棍を投げ放つ。

 搴兜稜萃(ケンタウロス)は落ちていた馬の首を抱えあげると、落ちてくるものをそれで受け止めた。

 

「貴様の無明察相翫(むみょうそうさつかん)をもってしても、これは予測できなかったようだな。」

無明察相翫(むみょうそうさつかん)とは、そのような浅いものではない。」

 言われてよく見てみれば、馬の首に刺さっていたのは月光の棍ではなく、先ほど折られたユニコーンの角。

 では、棍の方は…?

 

無明察相翫(むみょうそうさつかん)双翼飜(そうよくはん)…!!

 最初に投げた角に気をとられるあまり、あとから投げた棍に気がつかなかったな。」

 次の瞬間、搴兜稜萃(ケンタウロス)の身体は、頭上から落ちてくる棍に貫かれていた。

 

「外道!!貴様にふさわしい死に様だ!

 これで安らかに眠られい、蝙翔鬼殿……!!」

 

 ☆☆☆

 

「全員、気をつけい──っ!!」

 戦いを終えた月光をヘリの救護室に連れて行き、虎丸と富樫が次の出番を争っていたら、突然羅刹先輩が声を張り上げた。

 見るとその側に、邪鬼先輩が立っている。

 富樫や虎丸が「今まで一体どこに?」とか言っているが、ここは海上の人工島で、他に行くところなどある筈がない。

 ヘリの中で休んでいたのは間違いないだろうに、あいつらは一体何を言っているんだ。

 その邪鬼先輩も、「戦況を報告せい。」とか言い出したところを見ると、ひょっとしたら今まで寝ていたのかもしれない。

 呑気な人だ。

 もっとも、光に言わせると『邪鬼様はこの世のありとあらゆる常識が通用しない人ですから、何をしていても驚きません』との事だから、そんなもんなのかもしれない。

 というか、何故あの高飛車女が、あの人の事だけは『様』呼びなんだろう。

 まあいい。報告を求められているのだ。

 素直に従うとしよう。

 

「現在予選リーグ準決勝まで勝ち進み、淤凛葡繻(オリンポス)十六闘神のうち四名まで打ち果たしています。

 しかし我が男塾もこれまで、独眼鉄と蝙翔鬼、二名を失いました…いずれも、見事な最期でした。」

 俺の報告に邪鬼先輩が頷く。

 

「……そうか。惜しい奴等をなくした。

 淤凛葡繻(オリンポス)十六闘神……。

 ということは、大将は聖紆塵(ゼウス)!!

 ならば、この邪鬼みずから行かねばなるまい。」

 気負い込んで出てきたけど、ほんとに寝てたな、この人。

 だが、あの身体中から発散する迫力と威圧感は、さすがに帝王と呼ばれる男の貫目。

 

「知っているのか…邪鬼は聖紆塵(ゼウス)という男を……!?」

 伊達の呟きが、吹き荒れてきた嵐の中に散った。

 

「そうか。貴様が男塾を率いておったとはな。

 フッ…久しぶりだ、邪鬼。」

「貴様、まだ生きているとは思わなかったぞ…聖紆塵(ゼウス)……!!」

 

 ☆☆☆

 

 赤石とイヤホンを片方ずつ使いながら、予選注目カードの中継を聞く。

 

「…顔が近え。もう少し離れろ。」

「仕方ないでしょう。これ以上無理です。」

「…ちったあ意識しろ、馬鹿女。」

 なんでここで罵倒されなきゃいけないんだろう。

 この男のスイッチは未だによくわからない。

 

「ん…雑音でよく聞き取れなかった。」

「どうやらあっちは天候が荒れているようですね。

 淤凛葡繻(オリンポス)十六闘神の大将である聖紆塵(ゼウス)という男は、三年前に別の大会で、邪鬼様と戦い引き分けているようです。

 三日三晩戦い続けて四日目の朝、互いの急所を狙ったままどちらも拳が届かぬまま気絶したと。」

 このカードを密かに楽しみにしていたと、解説者が熱く語っている。

 それにしても、またしても三年前か。

 それにその喊烈(かんれつ)武道大会って、私の記憶に誤りがなければ、影慶が開会式で暴れたっていう大会じゃなかっただろうか。

 それも確か三年前の話だった筈だ。

 …今度影慶に詳しい話を聞いてみよう。

 ひょっとしたら触れちゃいけない事かもしれないけど、私は既に影慶には嫌われている。今更だ。

 

「三年前…そうか、あの時期、邪鬼が入院してたってのはそういう理由だったか。

 そんな二人がこの大会でまたぶつかるとはな。

 まさに、宿命の対決ってわけか。」

 とか言ってるところを見ると、赤石もよく知らないぽいし。

 

「また、壮絶な戦いになりそうですね。

 三年の時間を、お互い無駄にしていなければの話ですが。」

「俺は邪鬼と戦った事はねえが、あの男に関してその心配は杞憂だろうぜ。」

 まあ私もそう思うけど。

 邪鬼様はあれだけの強さを誇っているにもかかわらず、強さを求める事に貪欲だと思うし。

 ちなみに大威震八連制覇で桃に使った、髪の毛に氣を伝わせた不動金縛り、やはり私の技をイメージして使ったものだと、後になって白状した。

 もっとも私が居なくてもあの人なら、あの場面で咄嗟に思いついてもおかしくないけど。

 それはさておき、大将の聖紆塵(ゼウス)が出てこようとしたところで、淤凛葡繻(オリンポス)の残りのメンバーが全員で邪鬼様に襲いかかり、一瞬で返り討ちにされたとの事だった。

 だから、数の有利などあてにはならないというのだ。

 同じレベルの相手ならばともかく、邪鬼様相手に有象無象が何百人集まろうが、相手になるはずがない。

 てゆーか解説者も『そーいうのいいから早く』みたいな態度で実況すんのやめろ。

 いくらなんでもかわいそうだろ。

 有象無象とか自分で言っといて何だけど。

 

「…っくしゅん!」

 と、唐突にくしゃみが出てしまい、慌てて口を両手で覆う。

 勢いで外れそうになったイヤホンの位置を直していたら、赤石の太い腕に肩を抱かれ、胸元まで引き寄せられた。

 …肩に赤石の体温が伝わってきて、自分の身体が冷え切っていた事に、今初めて気がついた。

 

「…あったかい。ありがとうございます、赤石。

 …てゆーかあなた自身が寒くないんですか!?」

 赤石の制服は相変わらず袖なしだし、下にはシャツすら着ておらず、前ボタンは全て開けられたままだ。

 確かに筋肉は熱を作るというし、この体型はそれに事欠かないだろうけど、それにしたってこの格好で、どうしてこれだけ体温を維持できるんだ。

 

「鍛え方が違う。」

 私の問いに、赤石は一言だけそう言ってのけた。

 ちょっと心配したのに、そうですか脳筋め。

 

 ☆☆☆

 

 どうやら伊達の言う通り、邪鬼先輩と聖紆塵(ゼウス)は、かつて戦った事があるらしい。

 最初からお互い真正面から全力でぶつかり合い、その拳は数合交じり合った後、互いに寸分違わぬ箇所の、お互いの身体にダメージを与える。

 互角…二人の力はまったくの互角だ。

 

「どうやらこの三年という歳月を、無駄には過ごしていなかったようだな、邪鬼。」

「貴様もな。」

「このまま続けても、三年前のあの時と同じように、未来永劫勝負はつくまい。」

 聖紆塵(ゼウス)は側近らしい老人に指示を出し、何か小箱を持って来させると、その中から何かを引っ張り出した。

 

「受けられるか、蛇血誓闘(スネークブラッドコントラクト)を!!」

 掴み出したのは、一匹の蛇。

 グリーク・ティナコンダという名の毒蛇で、咬まれるとどんなに強靱な体力の持ち主であっても、20分で全身に毒がまわり、死に至るという。

 助かるにはその20分の間にその蛇の生き血を飲む事。

 ただし解毒作用のあるその血は、一匹の蛇から一人分しか採れないのだとか。

 そう説明すると聖紆塵(ゼウス)は、掴んだ蛇の牙に自らの腕を晒して咬みつかせる。

 そうしてから邪鬼先輩にも促すと、邪鬼先輩もまた、その牙の前に腕を伸ばした。

 その腕に毒牙が食い込んだのを確認すると、聖紆塵(ゼウス)は手刀で蛇の首を落とし、老人が用意した瓶にその血を落とす。

 

「この血を勝利の美酒(ビクトリーワイン)とするのは、貴様か俺か…!!」

 血を絞り出した蛇の身体を投げ捨てながら、聖紆塵(ゼウス)は不敵に微笑んでみせた。




この場にいない光さんのかわりにつっこんでみようシリーズ。
月光「外道相手に聞く耳も話す口ももたん!」
ひじき「なにその三重苦」
ケンタロウ「五年ぶりの地だ」
ひじき「あんたんちの風呂やトイレどんだけ広いんだよ!」

…ヤヴァイ、改めて原作読んでたらこの辺の展開全てが笑えて仕方ない……やめてくださいしんでしまいます。
笑いすぎて執筆が進まないなんて初めてだったよ!


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6・King's Boogie

…あけましておめでとうございます。
昨日から突然もうひとつ連載中の『小石』の閲覧数が増え、お気に入り数がこっちの二倍近くに届かんとしており、少しショックを受けております。
春から連載してた『あさしん』が、たかだか二ヶ月ちょいしか連載してない作品に抜かれるなんて…!
まあそれ言うなら『モブだった件』は実際の連載期間なんて一ヶ月にも満たなかったけどさ!
これはきっとヒロインに魅力がな「やかましいわ」バシュ!

…それはそれとしてとんでもないことに気づいてしまった…ケンタロウ戦は闇夜の戦いだったのに、聖紆塵戦はいつの間にか太陽の下での戦いに…!
ということで、ここでは月明かりに変更してます。月明かりも元々は太陽の光よ…!というこじつけ。


 聖紆塵(ゼウス)も邪鬼先輩も一歩も後に退かず、二人は凄まじい勢いで拳を繰り出し続けていた。

 互いに一通りの攻撃を、全力でぶつけ合った後、同じタイミングで一旦間合いを取り直す。

 やはり二人の実力は互角。

 このままでは蛇血誓闘(スネークブラッドコントラクト)の蛇の毒が、全身にまわり相討ちになる…!!

 その時、それまで吹き荒れていた嵐が突然止み、眩しいほどの月明かりに、闘場一帯が照らされた。

 

「貴様の負けだ、邪鬼。

 どうやらこの勝負、天も俺の勝ちを望んでいるようだ。」

 聖紆塵(ゼウス)はまたも老人を呼び、老人は物凄い速度でまた、何か箱を持って聖紆塵(ゼウス)の足元に跪く。

 

「これぞ我が淤凛葡繻(オリンポス)に三千年の古来より伝わる、戦いの神器。

 幸せ者よ、このような栄誉ある死を与えられるとはな。」

 そう言って老人が開けた箱から取り出したものは、異様な輝きを放つ手甲型の刺突武器だった。

 

淤凛葡繻(オリンポス)シャイニング・ゴッド・ハンズ!」

 それは伝説の超合金で、ダイヤモンドの数十倍の硬度を持つのだという。

 

「オリハルコンだろうがなんだろうが、当たらねば意味がない。」

「そうだ。

 ただ硬いだけなら路傍の石と変わりない。

 だがこのオリハルコンには、もうひとつの特質がある。

 それを今、教えてやろう。」

 そう言って向かってくる聖紆塵(ゼウス)に向かって、邪鬼が万全の構えを取る。

 その向かってくる聖紆塵(ゼウス)の武器が眩しく輝きを放ち、それが邪鬼の脇腹に、浅くない傷を負わせていた。

 

「オリハルコンは光を反射し、一条の強烈な光を発する性質を持っている。

 その眩しさゆえに、見切ることは不可能だ。」

 二人の頭上には、遮るものとてない、煌々とした月明かり。

 これが先ほど聖紆塵(ゼウス)が、天に味方されていると言っていた意味か。

 邪鬼先輩は一旦間合いを取って場所を移動するが、オリハルコンはどんなにわずかな光も収束して増幅するらしい。

 攻撃の瞬間に目を眩まされ、その度に邪鬼の身体に傷が増えていく。

 とどめに向かってきた聖紆塵(ゼウス)の輝く拳を、一旦目を閉じてその光を遮る。

 そして纏っていたマントを脱ぐと、それを聖紆塵(ゼウス)の拳に絡みつかせた。

 光が遮られたと同時に間合いを詰め、攻撃に転じる。

 だが次の瞬間マントの、ゴッド・ハンズに触れていた部分が燃えて穴が開き、そこから再び現れた輝きの拳に、向かっていった邪鬼の肩が貫かれた。

 

「これだけの光を収束すれば、高熱を発し、マントなど燃やしてしまうのはたやすいこと。

 勝負あったな、邪鬼。」

 だが、邪鬼先輩の目はまだ、戦いを放棄してはいない。

 

「誰にものを言っている…。

 お、俺の名は大豪院邪鬼……。

 三号生筆頭…男塾の帝王といわれた男よ…!」

 言いながら、肩の傷口を手で押さえる。

 立ち上がる気配はない。

 

「フッ、流れ出る血をおさえるのに精一杯か。」

 …それでも、あれだけの負傷をしてなお、その氣が膨れ上がった気がしたのは俺の気のせいだろうか。

 二人にはもう時間がない。

 蛇の毒が全身にまわり始めている。

 その戦いに終止符をうつべく、聖紆塵(ゼウス)がシャイニング・ゴッド・ハンズを振りかぶった。

 刹那。

 

「勝負を焦ったな聖紆塵(ゼウス)

 この邪鬼が、これしきの傷をただ意味もなく庇っている男だと思うのか!!」

 言うや邪鬼は肩の傷から手を離し、そこから噴き出させた血で、光を遮った。

 どうやら傷口を押さえていたのは、血を圧縮させていたという事のようだ。

 邪鬼は聖紆塵(ゼウス)に拳を引く間も与えず、手刀で聖紆塵(ゼウス)の手首に一撃を加えた。

 聖紆塵(ゼウス)がその手から武器を取り落す。

 邪鬼はそれを爪先で蹴り上げそれを自身の手に握ると、続けて振りかぶってきたもう片方残った拳を、カウンターで合わせた。

 オリハルコンでできたゴッド・ハンズが、粉々に砕ける。

 

「オリハルコンがこの世で最強の硬度をもつというのなら、それを打ち砕くのもオリハルコンしかあるまい。」

 だがそれは、同じ力でぶつかり合った場合のみだ。

 同じ硬度の同じ武器を持つ場合、どちらかの力が優っていれば、砕けるのは力が劣る方だけ。

 互角の力を持つ者同士だからこそ、両方が砕ける事態となった筈。

 

「この勝負、我が大豪院流必殺の秘術を見せねばなるまい。」

 そう言って邪鬼先輩が、先ほど脱ぎ捨てたマントを拾い上げる。

 それは例のゴッド・ハンズにより穴を開けられた筈だが、邪鬼がそれを一振りすると、その中から何か、白いものが無数に、周りの空間に広がった。

 

「大豪院流奥義・風舞殃乱鶴(ふうぶおうらんかく)!!」

 あれは……折り鶴!?

 

 ☆☆☆

 

「まじか…うわあ、これ、残りの全塾生と一緒に、映像で見たかったなあ。」

「…ん?」

「江戸川は、あなたには頼まなかったと思いますが、元々は彼の発案で、二号生が邪鬼様に持っていった千羽鶴なんです。

 それを三号棟で三号生に見せたら、自分たちもって急遽作ってくれて。

 だから今、この塾に残っている一般二号生と三号生が、邪鬼様と一緒に戦ってるんですよ。

 …なんだか、感激しました。

 そんな素敵な事をしてくださるなんて。」

 邪鬼様の部屋で見せていただいた、あのメルヘンファンタジーな光景を思い出して、思わずうっとりする。

 そういえばあの後、帰ろうとした私にも、

 

『ついでだ、貴様も一羽折って置いていけ。』

 と紙を一枚渡して折らせたので、私が折った分も、その中に入っているのだろう。

 そう思うと、なんだか胸が熱くなった。

 

 ☆☆☆

 

「あれは、塾に残った一般塾生が、邪鬼様の為に折ったという千羽鶴だ。

 思いのほか喜ばれていたので驚いたが、まさか、戦いに使われようとは。」

 影慶先輩の説明によれば、光が預かって持っていったものらしい。

 いわば塾生たちの心を一緒に連れてきていたわけか。

 男塾(おれたち)の帝王は、思ったよりずっと粋なことをする。

 そんな邪鬼の手の動きに従って、折り鶴の群れが意志を持っているが如く、一斉に聖紆塵(ゼウス)に襲いかかっていく。

 これは真空殲風衝(しんくうせんぷうしょう)の応用だ。

 そして鶴一羽一羽の羽根に、ちいさな刃が仕込んであるらしい。

 聖紆塵(ゼウス)はワンショルダーの上衣を引きちぎり、それを使って自身に襲いかかる鶴を、一羽残らず叩き落とした。

 

「どうやら蛇の毒が全身にまわりきったようだ。

 次の一撃が万が一にも相討ちならば、続きは地獄でというところだな。」

 そう言う聖紆塵(ゼウス)が、どこかそれを期待しているように見えるのは気のせいだろうか。だが、

 

「力の均衡は既に崩れた。貴様の負けだ、聖紆塵(ゼウス)

 ベラミスの剣……!!

 貴様も淤凛葡繻(オリンポス)の闘士なら知っていよう。」

 

 ベラミスの剣…

 古代ギリシャ神話時代、永遠のライバルといわれた闘いの神ベラミスとマルスは、その実力においてまったく互角であり、幾多の死闘を経ても決着はつかなかった。

 ある時 マルスは一計を案じ、試合前密かにベラミス愛用の剣を、そっくり同じ形ながらほんのわずか重い剣に取りかえた。

 それと気づかぬベラミスは、ふだんよりわずかに重い剣のためおくれを取り、敗れ去った。

 極限まで互角のふたつの力が競い合う場合、どんなにささいな事であれ狂いを生じれば、そこに優劣が出来てしまうということである。

…太公望書林刊「ギリシャ神話に見る現代人への教訓」より

 

「何をたわけたことを!!死ぬのは貴様だ──っ!!」

(はん)っ!!」

 二人が同時に拳を繰り出す。

 次の瞬間、相手の胸を貫いていたのは、邪鬼の手刀の方だった。

 聖紆塵(ゼウス)の拳は寸前で、邪鬼の身体には届いていない。

 

「な、なぜ…!?拳の速さは全く互角だった筈……!!」

「違う、互角ではない。

 貴様の背には、ベラミスの剣が刺さっている。」

 見ると聖紆塵(ゼウス)の右肩後部に、折り鶴が一羽、嘴部分で突き刺さっている。

 

「その一羽にだけ、嘴にも刃を仕込んである。

 その嘴で貴様の腕の主動筋を突き、拳の速さを鈍らせたのに気づかなかったようだな。」

 邪鬼先輩がそう言って手刀を引く。

 

「な、なるほどな。

 俺のうち落とした鶴はすべて、その為の囮だったというわけか……!!

 ふ、不覚をとったな…。」

「眠れい、聖紆塵(ゼウス)……!!」

 聖紆塵(ゼウス)の身体がゆっくりと、仰向けに倒れた。

 

 

 だが。

 

「お、俺の名は淤凛葡繻(オリンポス)十六闘神主神・聖紆塵(ゼウス)……!!

 これしきの傷で……!!」

 聖紆塵(ゼウス)はまだ、立ち上がってきた。

 だが、万全の状態ならいざ知らず、致命の一撃を受けたその身体に、もはや戦う力は残されていない。

 繰り出す攻撃はすべて防がれ、邪鬼先輩はそのすべてに、悉く全力で反撃する。

 側近の老人が止めるのも振り払い、命と引き換えにしてもと、まだ聖紆塵(ゼウス)が向かってくるのを、邪鬼先輩はその頭上を飛び越え背後に回り、両足でその首を極めた。

 両足をつかみ回転して、頭を地面に叩きつける。

 

「大豪院流・驚天回旌杭(きょうてんかいしょうこう)…これで決まった…!!」

 伊達が、誰に言うともなく断言した。

 

 ・・・

 

「き、貴様、よくも聖紆塵(ゼウス)様を──っ!!

 勝負は既に見えていたというのに──っ!!」

「や、やめろ蜒琉菲(デルフィ)…そうではない…!!」

 老人が邪鬼に食ってかかっていくのを、聖紆塵(ゼウス)が声だけで制する。

 

「わからんのか…最後の死力をふりしぼり、立ち向かっていく俺に、情けをかけ手加減することが、どんなに屈辱感を与えるか…そ、それは俺にとって、死よりも辛いことだ……!!

 だから、あいつは全力を尽くして、俺と戦ってくれた。

 そういう男なんだ…じゃ、邪鬼という男は…。」

 いい勝負だった、そう言って笑う聖紆塵(ゼウス)に邪鬼は、自身が飲むことを許された解毒剤、グリーク・ティナコンダの血清を聖紆塵(ゼウス)の前に突き出す。

 

「飲むがいい、聖紆塵(ゼウス)

 出血はひどいが、急所はすべて外してある。

 今すぐこれを飲み、手当をすれば命だけは助かるだろう。

 …俺のことなら心配いらん。

 この体、蛇の毒ぐらいではくたばりはせん。」

 …俺には邪鬼の気持ちがわかる…気がする。

 今、邪鬼の心にあるのは、勝利の喜びではなく悲しみだ。

 戦いの中で育まれた友情。

 互いの生命を握り合ったもの同士にしか判らない、魂の絆。

 長い死闘の中で二人は互いに認め合っていた。

 そんな友の死を前に、どうして自分だけが助かることができようか。

 …ここに光が居たら、泣きながら怒るところだろうが。

 それは巨象でさえも殺すという毒。

 いかに邪鬼とはいえ、無事で済もう筈がない。

 

「じゃ、邪鬼…貴様という奴は……!!」

 聖紆塵(ゼウス)は立ち上がり、一度唇に笑みを浮かべると、

 

「これでも飲まぬと言うか、邪鬼ーっ!!」

 叫んで、自身の手刀で自らの胸を撃ち抜いた。

 

「これで、俺には血清など必要なくなった……!!

 フッ、よもやこれでも飲まんとは言わんだろうな。

 …さあ、早く飲め!!

 この目でそれを見届けぬ限り、死ぬことはできん!」

 友の魂の叫びを無碍にする事は出来ず、邪鬼は手渡されたそれを飲み干した。

 

「れ、礼を言うぜ、邪鬼。

 貴様こそ、淤凛葡繻(オリンポス)十六闘神主神、この聖紆塵(ゼウス)の、最大の宿敵であり…友だった……!」

 安心したように瞳を閉じ、その場に斃れる聖紆塵(ゼウス)

 

聖紆塵(ゼウス)。貴様の命、この邪鬼と共にある。」

 そう言って邪鬼は杯を割った拳を握りしめ、この先の勝利を亡き友に誓う。

 その背に老人が跪いた。

 

「この先の、あなた達の御武運をお祈り申す!!」

 

 ☆☆☆

 

「お察しします、邪鬼先輩。」

 無言で我々のもとに戻ってきた邪鬼様に、剣が一言声をかけた。

 邪鬼様はその場の全員を一度見渡してから告げる。

 

「次はいよいよ決勝戦。心してかかれい!!」

「…押忍ッ!!」

 一号生達が姿勢を正して答えた。

 

 

 傷の治療の為にヘリに向かう邪鬼様の背に、俺は誰にも気づかれぬよう、小さく声をかけた。

 

「邪鬼様…ひとつ、お伺いしても?」

「…なんだ?」

「あの、『ベラミスの剣』となった最後の一羽…。

 あれは、あの時光に折らせたものでは?」

 俺の問いに、邪鬼様はふんと鼻で笑った。

 

「全部色違いにしてあるならともかく、そんな一羽だけ見分けがつくか。

 考え過ぎだ。」

 …だが、俺はあの時見て知っている。

 あの時光が置いていった鶴が、他のものより一回り小さかった事を。

 渡された紙をただ折っただけだったから、折った本人は気がつかなかっただろうが。

 

 次は決勝戦…俺はそこで、最大の茶番を演じることになる。

 貴方様をも欺くことになる俺を、どうかお許しください、邪鬼様…!

 

 ☆☆☆

 

『ピックアップバトル』を実況し終えた解説者が、二人の死闘と友情に息を詰まらせて一旦休憩に入る。

 ちなみに放送する側は、ここで本当に死者が出ている事を知らない。

 一応世間的には大怪我という形で知らされて、その後情報は藤堂財閥の方でもみ消されるのだ。

 実際に命と命のやり取りである事を知っているのは、この大武會になんらかの援助をしている大物と、出場闘士だけだ。

 

「…次で、ようやく決勝戦か。」

「このペースでは、朝には出発できそうにありませんね。

 一旦寝ておいてください、赤石。

 必要になったら起こしに行きますから。」

 赤石の耳からイヤホンを回収して、私は彼にそう告げた。

 

 ☆☆☆

 

「予選リーグは各会場のほとんどが戦いを終え、各代表が出揃いましてございます。

 あとは第一会場を残すのみ。

 ただいま男塾チームが準決勝を制し、これから決勝戦へのぞむところであります。」

「ほう、男塾……。

 確か、大武會初参加の新参者であったな。

 して、その男塾の決勝での相手というのは…!?」

「はっ……うっ!?

 ………お、おい。

 これは何かの間違いじゃないのか?」

「い、いえ、決してそのような事は…!!」

「貸せい。

 こ、これは……!!

 まさか、奴等がこの大武會に参加しておったとは……!!」

 天挑五輪大武會を主催する藤堂財閥。

 その総帥である老人は、そこに書かれてある団体名を見て、驚きと期待に満ちた目を輝かせた。

 その膝の上で、黒い小柄な猫が、撫でるのを忘れている主人に向かってにゃあと鳴いた。




全部終わるまでリアル連載期間で10ヶ月はかかってる予選リーグは、ここでは多分長くてもトータル1日半くらいの時間経過。
てゆーか原作、何日ぶっ続けで戦い続けてんのよ…食事も睡眠も無しで。
ウソみたいだろ?予選なんだぜ、これで。
ここではそんな事はありません。ヘリの中にトイレもベッドもお弁当も用意されてます。
1日のみの話なんで、お風呂はさすがにありませんけど。


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7・これしかないと思えばもう迷わない

多分天挑五輪からは若干試合描写は飛び飛びになる…そんな風に考えていた時期がアタシにもありました。
サクッとまとめて決勝リーグに入りたいけど、書き始めたら短くまとめるにしてもこれも書きたいアレも書きたいってなる。
そんな執筆のお供はTHE ALFEEと、氷を入れたウイスキー。
時々アイスクリーム。以前はモウか牧場しぼりの二択だったけど最近はパルムがお気に入り。


 厳娜亜羅(ガンダーラ)十六僧…世界の屋根といわれるヒマラヤ山脈の奥地に、アジア全域から選りすぐられた者達だけが集められる、拳法の総本山があるという…。

 その起源は中国唐代に発し、その余りのすさまじい拳の威力に脅威を感じた時の皇帝が、彼らをその地に追放し、下界と接触するのを禁じたことに始まる。

 その修行のすさまじさは想像を絶し、門をたたく者は数多いが、修行を終え下山する者は千人にひとりといわれるほどである。

 肉体・精神を極限にまで鍛え上げ、人間のもつ能力を超越した拳法は「超人拳」と呼ばれている。

 

「し、信じられん……。

 まさかあの厳娜亜羅(ガンダーラ)十六僧が、この眼前に…。」

「知っているのか、雷電!?」

「うむ。」

 ついに予選リーグ決勝戦。

 俺達の相手として示されたそのチームの名前を聞いて、雷電が顔色を変える。

 この男はとにかく博識だ。

 

『なにか知りたいことがあれば雷電に聞いてみろ。

 大抵のことは知ってる。』

 と伊達が太鼓判を押すくらいだ。

 その雷電の説明を受けて一歩踏み出したのは。

 

厳娜亜羅(ガンダーラ)十六僧…!!

 その伝説が真実かどうか、この影慶が見極めてやろう!!」

 そう、死天王の将・影慶。

 負傷してヘリの中で休んでいたメンバーも降りてきて、彼の背中を見送る。

 影慶が登った闘場では、既に一人が坐していた。

 

「拙僧の名は厳娜亜羅(ガンダーラ)十六僧のひとり、囀笑法師(てんしょうほうし)

 冥界極楽浄土へ御案内して進ぜよう。」

 相手の名乗りに答えず、影慶は右手に巻いた包帯を外す。

 

愾慄流(きりつりゅう)毒手拳(どくしゅけん)!!

 坊主、念仏は貴様自身のために唱えるがよい!!」

 外した包帯は邪魔なのか何重にか巻いて首から下げている。

 その手は俺と戦った時のまま、皮膚がドス黒く変色していた。

 彼らが生きているというネタばらしをされた後で『解毒しきれなくて代わりに毒の抗体を作った』と光から説明は受けているが、実際に見るとやはり痛々しい。

 

『…本人は命が助かった事と、毒を染み込ませ身体を慣らす修行過程を飛ばせた事、むしろ有難いと言ってくれましたけどね。

 …ああ見えて情の深い人なので、誰かに触れたいと思った時に、それを悲しむ事になりそうで』

 光がそう、悔しそうに言っていたのを思い出す。

 今思えば、愛する人を手にかけた自分自身を重ね合わせたのではないだろうか。

 本人は否定していたが、光は真兄さんの事を愛していたのだと思う。

 抱きしめた肩の柔らかさが不意に掌に蘇って、その甘さに胸が痛んだ。

 …止そう。今は考えまい。

 この天挑五輪大武會は、光にとっても気持ちの区切りになる戦いだろう。

 それが終わった時に、光の心がどこに向かうかは、彼女自身が決める事だ。

 

 ☆☆☆

 

 邪鬼様と聖紆塵(ゼウス)との戦いの間は煌々と照っていた月がまた雲に隠され、闇夜に戻っていく。

 …邪鬼様の影である俺には相応しい舞台だろう。

 その闇夜の中、俺の対戦相手となる囀笑法師(てんしょうほうし)とかいう坊主は、俺の毒手を前にしても座禅を組んだまま動こうとせぬ。

 構わず毒手による手刀を突き出すと、囀笑法師(てんしょうほうし)はそのままの体勢で移動して俺の拳を躱した。

 追撃するも、やはり滑るように移動して避けられる。

 

「これぞ厳娜亜羅(ガンダーラ)超人拳秘奥義、夢想攀抓體(むそうはんしょうたい)!!」

 どのような技かは知らないが、このままでは埒があかない。

 俺が一旦動きを止めて呼吸を整えると、奴の動きも止まる。

 

「追うことをあきらめましたか。

 それは賢明な考え…。

 無駄な動きはただ体力を消耗するだけです。」

「あきらめたわけではない。

 見せてやろう、我が愾慄(きりつ)流の秘術を。」

 先ほどまで右手を覆っていた、首に巻いて下げていた包帯を、螺旋状に振る。

 

「愾慄流・眩蜻蛉(げんせいれい)!!」

 これは剣と戦った時に使った幻睨界(げんげいかい)とは似て非なるものだ。

 あちらは幻惑催眠にまで引き込む技だが、こっちは単なる目眩し。

 蜻蛉(とんぼ)を捕まえる時に使うような児戯に過ぎぬが、この場合はそれで充分だ。

 布の回転が一番早くなった時、奴はようやくその意図に気づいたようだが、遅い。

 

「もらったぞ、囀笑法師(てんしょうほうし)!!」

 俺は奴の頭上に跳躍し、驚愕して見上げたその胸板を、毒手で貫いた。

 

「ホッホッホ、かかり申したな。

 この身を貫いたその腕、決して抜けはせぬ。

 これぞ夢想攀抓體(むそうはんしょうたい)、真の意味……!!」

 奴の言葉通り、俺は奴の身体から、手を引き抜く事が出来ずにいた。

 そのまま上を見ろという言葉に、反射的に従って見上げる。

 見上げた雲に覆われた空に、黒い大きな凧が浮かんでおり、どうやらそれに人が乗っているようだ。

 それが俺に向かって言葉を発する。

 

「わかり申したか。

 そなたが今まで闘っていたのは、拙僧の傀儡!!

 影慶、そなたはそれに気がつかず、拙僧がこの大凧の上で操る人形(デク)と、必死に闘っていたというわけよ!!」

 見れば俺が身を貫いている人形からは、幾本もの鋼線が伸びて、それは上の凧の上の男に繋がっているらしい。

 口や目までそれで動かしているとは、芸の細かい事だ。

 

「しばしの時をやろう、御仏に祈るがよい。」

 どうやら武器であるらしい数珠を男は構える。

 だが、ネタがわかればどうということはなく、思わず笑いがこみ上げた。

 この手も少し落ち着いて時間をかければ抜けぬ事はない。

 その時間を与えるほど、敵もお人好しではなかろうが。

 

「男塾死天王の将この影慶、神や仏などとは最も縁遠い男…。

 祈りは、自分自身のためにするがいい。」

 凧から飛び降りてくる囀笑法師(てんしょうほうし)の真下で、俺は身を屈めると、左の脛当ての一番下の留め具を外す。

 そこから靴を落とし、倒立して、奴の落下に合わせて蹴りを放った。

 

「これはこれは。

 かすり傷とはいえ、拙僧から血を…」

 薄笑いを浮かべたその顔が凍りつく。

 

「毒手を、ただ(しょう)だけと思い込んでいたのが貴様の過ちだったな。

 拳法とは、己の五体全てを武器として駆使するもの……!!」

 光は俺の身体から毒を完全に除去する事が出来ず、毒の抗体を体に作らせる事でその代わりとして、俺の命を救った。

 つまり同じ毒ならば、それはもう俺の身体には毒たり得ぬ事を意味する。

 足の一本を同じ毒に浸す事、躊躇う理由などあろうはずもない。

 だが本来ならかすり傷ひとつで相手を死に至らしめるほどの毒。

 それを受けて奴が無事でいられるはずもなかった。

 

「おのれの戒名は、地獄へ行ってつけるがいい。」

 背後で倒れる囀笑法師(てんしょうほうし)にそう言い、俺は人形からゆっくりと毒手を引き抜いた。

 

 結末の決まった茶番劇とはいえ、俺が相手を演じてやるべきはこの程度の者ではない。

 男塾の、死天王の…邪鬼様の名を汚さぬ為にも。

 何より俺自身、戦いの血が滾っている。

 こんなものでは到底足りぬ。

 伝説の厳娜亜羅(ガンダーラ)の拳……、

 心ゆくまで、見極めてやろう!

 

 ・・・

 

「俺の名は厳娜亜羅(ガンダーラ)十六僧のひとり、颱眩法師(たいげんほうし)!!」

 二番手に現れた男はそう名乗りを上げて、やはり座禅を組んだその前に、祭壇状に設えた箱庭のようなものを置いた。

 

「これは古来、僧達の間で嗜まれている百景庭といってな。

 この小さな箱の中に小石や草木を使い、花鳥風月四季折々の、自然のありのままの姿を、立体的に表現するというもの。

 この百景庭の風景は、我ら厳娜亜羅(ガンダーラ)寺院近くにあり修行の場でもある王府山(ワンフーサン)をあらわしている。

 …これから貴様とは、この箱の中で闘う事になる。」

 颱眩法師(たいげんほうし)はそう言うと、その箱庭の両横に香炉らしき壺を置く。

 そこから過剰なほどの煙が発生したかと思うと、不思議な匂いとともに、煙が周囲を覆い始めた。

 

「どうだ、この耽幽香の優美な香りは…?

 貴様がいまだかつて経験したことのない世界へ導いてくれようぞ。」

「煙幕のつもりか…?

 だがこんなもので、この影慶の毒手から逃げられはせん。」

「足元に気をつけるがよい。

 一歩足を踏み外せば、真っ逆さまに奈落の底…。」

 おかしな事を言い出す颱眩法師(たいげんほうし)

 その言葉に、そろそろ晴れ始めた煙の間から周囲を見ると…。

 

「な、なにーっ!!」

 俺が立っているのは、尖った岩山の天辺だった。

 周囲には同じような岩山が無数に屹立し、足元を見れば下は千尋の谷。

 この景色は…!

 

「これぞ厳娜亜羅(ガンダーラ)秘奥義・千燼曚聳峰(せんじょうもうしょうほう)!!

 そうよ、ここは先ほど貴様に見せた、百景庭の景色。」

 そう言って立ち上がる颱眩法師(たいげんほうし)の手には、両端に穂先のついた槍が握られている。

 それを使って高く跳躍した颱眩法師(たいげんほうし)を、迎え撃つべく構えた俺は、崩れた岩場に瞬時に足を取られた。

 ほんの僅かに体勢を崩したところに、奴の槍の一撃が肩を貫く。

 

「足場が気になるか。

 無理もない、この高さではな。

 だが俺には長年修行に励んだ、庭も同然の場!!」

 馬鹿な…こんな事があるはずはない。

 これは全て幻…!!

 

「貴様が当然考えるように、幻と思うなら足場など気にせず闘ってみたらどうだ。

 だが、心はそう思っても体は萎縮し、通常の動きは出来ぬ!!

 それが人間の本能というもの!」

 奴の言う通り、滑る足元の不安定さについそれを支える方に筋肉が働き、躱す行動に移れぬ間に、胸に槍の攻撃が入って防具に穴があく。

 …恐らくは先ほどの香だ。

 それがこの幻覚を作り出している。

 そして直前にあの箱庭を見せたのは、幻覚のイメージをこの風景に固定する為だろう。

 この幻覚から逃れる方法は…!!

 意を決して、俺は自ら谷底に身を躍らせた。

 …だが幻は消えず、どこまでも落下していく感覚に、俺の意識は遠のいていった。

 

 ☆☆☆

 

 致命傷を受けたわけでもないのに影慶は、糸が切れたように地面に倒れた。

 颱眩法師(たいげんほうし)はそれに無造作に近づいて、毒手の掌に槍を突き刺す。

 影慶はそれにより意識を取り戻したようだったが、その表情は苦痛に歪んでいた。

 

囀笑法師(てんしょうほうし)を倒した毒脚を用いようとしても無駄なこと。

 もはや貴様の体は耽幽香の効果により、指一本動かすのが精一杯!!」

 やはり先ほどの影慶の状態は、あの香による効果だったようだ。

 

「ゆ、指一本動かせれば充分…。

 この影慶、このままでは殺られん!」

 何かを思い極めた表情で影慶が毒手の右手を持ち上げるも、構わず颱眩法師(たいげんほうし)が突いた槍は、影慶の胸を貫く。

 次の瞬間、影慶が口から吹き出したものが、颱眩法師(たいげんほうし)の首筋を掠って、一筋の傷をつけた。

 

「なっ!!き、貴様、毒手の小指を食いちぎって…!!」

「愾慄流最終秘技・烈指翔(れっししょう)!!

 き、貴様も地獄へつきあってもらうぜ。」

 毒手の小指に傷をつけられた颱眩法師(たいげんほうし)と、その槍に胸を貫かれた影慶は、二人同時にその場に倒れた。

 勝負は、相討ち。

 

 そこに何故か闘着をまとった飛燕が歩いていく。

 何をするかと思えば、倒れた影慶のそばに屈み、その顔を覗き込んだ。

 

「飛燕か…。

 教えてくれ…俺は、奴を倒したのか…?」

「見事でした…。

 あなたの捨て身の烈指翔は奴に、完全な致命傷を与えました。

 ……ごらんなさい、御自身の目で。」

 そう言って影慶の身体を支え、半身を起こしてやる。

 その視線の先には、仰向けに倒れている颱眩法師(たいげんほうし)の姿がある。

 

「あとを、頼んだぞ…。

 男塾に、敗北という言葉はない…!」

 伸ばしてきた影慶の左手を取り、飛燕が頷く。

 それに安心したように、影慶の身体はすべての力を失った。

 その影慶のそばで、飛燕は立ち上がると、影慶と相討ちした筈の颱眩法師(たいげんほうし)の死体に向かって構えをとる。

 

「死んだふりはもういいでしょう。

 感謝します…あなたのお心遣いのお陰で、影慶は心安らかに旅立ちました。」

 飛燕のその言葉に、颱眩法師(たいげんほうし)の死体がむくりと起き上がる。

 

「わかっておったか…。

 凄まじい闘志を持った男であった。

 だがこの俺に毒手などは効かん。

 死にゆく勇者に、礼をもって報いたまでの事。」

 どうやらこの颱眩法師(たいげんほうし)という男、影慶を認めた上で、彼の為に一芝居打ったという事らしい。

 

「礼は言った…だが勝負とは別なもの。

 容赦はせん。」

 どうやら飛燕はこの流れのまま、この男と戦う事になるようだ。

 しかし、さきの戦いで飛燕も若干の負傷がある筈。

 あれからまだ数時間程しか経過していないというのに、あの華奢な見た目に似合わずタフな男だ。

 

「見ての通りだ。

 俺と拳をあわせて生き残った奴はおらん。」

 改めて構え直す飛燕から目を離さず、颱眩法師(たいげんほうし)は倒れた影慶の胸から槍を回収する。

 

厳娜亜羅(ガンダーラ)双龍槍術(そうりゅうそうじゅつ)!!」

 その槍の両端についた穂先が、息つく暇もなく飛燕に襲いかかる。

 さすがに影慶を倒しただけのことはあるという事か。

 飛燕もまた自慢の体術でその悉くを躱し、その頭上へと跳躍して鶴嘴千本を放ち、それは颱眩法師(たいげんほうし)の両肩に突き刺さった。

 

「鶴嘴千本とは中国医術三千年の歴史をもつ針療医法を応用したもの。

 両肩の神経節を貫かれ、貴様の腕はもはや動かす事は不可能。」

「フッ。考えなかったのか…!?

 影慶の毒手が何故、この俺に効かなかったのかということを…!!」

 颱眩法師(たいげんほうし)が筋肉に力を込めると、両肩に刺さった千本がはじき出される。

 

「俺は長い修行の末、筋肉を瞬間、鋼のように硬質化させることができる。」

 そう言って繰り出してくる槍の攻撃は、ますます速さと威力を増してくる。

 いつまでも躱し切れるものではなく、千本が通らなければ飛燕に勝ち目はない。

 攻撃が掠りながらも空中に逃れた飛燕が、苦し紛れにか投げた千本が地面に突き刺さる。

 同時に着地する飛燕に向けて颱眩法師(たいげんほうし)が槍を突き出すと、飛燕はそれを今度は、地に仰向けになって躱した。

 

「秘奥義・飛鳥憭墜乱(ひちょうりょうついらん)!!」

 両脚を合わせて、颱眩法師(たいげんほうし)の胸を蹴って彼を宙に蹴り飛ばす。

 同時に自らもそれより高く跳躍すると、颱眩法師(たいげんほうし)の背後を取って、その両腕を羽交い締めした。

 

「この体勢で俺を、頭から地面にたたきつけようというのか。

 だが無駄だ。」

 しかし落ちていく先の地面には、先ほど飛燕が投げた千本がまだ突き刺さっている。

 それに気がついた颱眩法師(たいげんほうし)は僅かに頭の角度をずらして、額につけた飾りの輪で、千本を受け止めた。

 

「こいつがなければ危ないところだった…。

 どうだ、千本は地中に打ち込んだぞ。」

「…違う。貴様の負けだ、颱眩法師(たいげんほうし)。」

 次の瞬間、颱眩法師(たいげんほうし)の額の飾りは砕け散り、その頭部には飛燕の千本が突き通っていた。

 

「額の麻酔神経節を貫いた。

 一切の苦痛も煩悩もなくあなたは死ぬ。

 …それが、あなたが影慶に見せた思いやりへの、せめてもの礼です。」

 飛燕は死にゆく颱眩法師(たいげんほうし)に背を向けると、影慶の身体を背に負って、こちらに帰ってきた。

 

 しばしの別れを惜しんだ後、影慶は他の犠牲者と同様、係員によって運ばれていく。

 悲しんでばかりもいられない。

 伝説と言われる厳娜亜羅(ガンダーラ)の力、この程度であるとも思えなかった。

 影慶の死を無駄にしない為にも、俺達は次の戦いに、一層気を引き締めて臨まねばならない。

 

 ☆☆☆

 

 …目を覚ました時、俺は薄暗い部屋に横たえられていた。

 周囲の台に何人も同じように横たえられているが、この部屋全体に、まごうかたなき死臭が満ちている。

 どうやらここは死体安置所であるらしい。

 

「気がついたな。」

 生あるものは誰もいないと思っていたところから聞き覚えのある声がして、俺はそちらに目を向ける。

 この男は…王大人(ワンターレン)だ。

 何故ここに…いや、俺は助けられたのだろう。

 そうでなければ説明がつかない。

 

「貴様ほどの男が、不覚を取ったものよ。

 光のやつが平八の計画の穴を懸念してわしに相談せなんだら、貴様はここで死んでおる。」

「面目無い。」

 そう。計画ではどこかで俺は死んだ事にして一度リタイアし、赤石を迎え入れた決勝リーグを、裏に回ってチームを助ける役を担う事になっていた。

 だが…結果として確かに計画通りにはなったが、あれは死んだ真似などではなかった。

 俺は実際に死んだ。

 目の前のこの男が居なければ、俺はここに並べられた、数多の死体のひとつでしかなかったのだ。

 それにしても、また『光』か。

 よくよく最後の1ピースとなる宿命のようだな、あの女は。

 ふと、右手の小指に痛みを感じて思わず目をやる。

 元通り包帯が巻かれているが、食いちぎった筈の小指は元の長さがちゃんとあるようだ。

 

「その指も胸の傷も、2、3日もあれば塞がり元通り動かせるほどになろう。

 光がおれば現時点で、傷も残さず治せておるのだろうが、わしとてこの程度のことなら造作もない。

 さて、貴様の身柄はここから、決勝リーグの行われる冥凰島へと送られる事になるが、まあ残りの奴らが勝ち残らねば話にはならぬでな。

 居心地は悪かろうが、もうしばらくここに隠れておれ。」

 俺が頷くと、王大人(ワンターレン)は音を立てずに部屋のドアを開けて出て行く。

 一先ず俺の舞台は終わった。後は仲間達を信じるしかない。

 

 ☆☆☆

 

「はい…わかりました。すべて、計画通りに。」

 王先生からの連絡を受けて、無事に…ではなかったようだが、とにかく影慶の離脱が成功した事を知る。

 後は、残りのメンバーに勝ち進んでもらったなら、そこから私の仕事が始まる。

 またみんなを騙す事になるだろう。

 けどこれは、私自身の為の戦いでもある。

 …私も、一緒に戦うから。




後から登場する「翔霍」の胸の傷跡を見る限り、どうしてもここでの影慶の敗北が、完全に芝居だったとは思えないんですよね…。
なのでここでは申し訳ないですが、本当に負けちゃった話になりました。
ごめんなさい。


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8・迷える混沌(カオス)を越えて突き進め

「大男、総身に知恵がまわらずという言葉は本当らしいな…!」
いや、遠回しに邪鬼様ディスるのやめてください羅刹先輩(爆


「どうやらあれが次の対戦相手らしいぜ。」

 伊達が言うのを聞いて闘場に目をやると、ゴム鞠のような体型をした男が、こちらに向かって立っていた。

 あまつさえ、さっさと来いと言うように指を動かして手招きをする。

 

「ここは俺にまかせてもらおう。」

 そう言って闘場に歩み出たのは羅刹。

 同じ死天王として固い絆で結ばれていた、死んだ影慶の分まで戦うと言った彼の、その身体から発散される闘気に皆が圧倒される。

 

「だが気になるな、あの対戦相手。

 あのような体型で一体、いかなる拳法を…!?」

 飛燕が闘場を見据えながら呟く。

 確かにこの局面で出てくる以上、生半(なまなか)の相手ではなかろう。

 見た目で判断するのは危険だ。

 

「我が名は牛宝。

 厳娜亜羅(ガンダーラ)三宝聖のひとり…!!

 今こそ我らの真の力を見せてやろう。」

 そう名乗りをあげる相手に答えず羅刹先輩は、淤凛葡繻(オリンポス)搴兜稜萃(ケンタウロス)戦で使われて立てられたままの鉄柱に指拳を構え、それを貫く。

 この世に貫けぬものはないという鞏家(きょうけ)兜指愧破(とうしきは)

 対戦相手の牛宝という男も、耳にしたことはあるようだ。

 

「それがこのわしに通じるかどうか…。

 さあ、来るがよい。

 わしはこのまま、一歩も動きはせん。」

 舐めているとしか思えない言葉に羅刹は戸惑いながらも、兜指愧破(とうしきは)の一撃を奴の丸く膨らんだ腹に浴びせる。だが、

 

(ふん)っ!!」

 牛宝が気合を入れた瞬間、確実に体を捉えていた筈の羅刹の兜指愧破(とうしきは)が、彼の体ごと弾き飛ばされた。

 

「わしの体全体はいわばゴム…。

 筋肉は固く鍛えるばかりが能ではない。

 ゴムのように柔らかく弾力性をもたせることで、拳の衝撃を吸収できるようにもなる。

 兜指愧破(とうしきは)など、わしの体には通用せん。

 今度はわしが見せてやろう。

 この体質を生かした秘術を!」

 牛宝はそう言ってその図体からは信じられないほど高く跳躍すると、空中で身体を丸めて、そのまま羅刹の方に落下してきた。

 羅刹は寸でで躱し、牛宝の身体が叩きつけられた地面が砕けて、奴はスーパーボールのように弾んでまた宙へ戻っていく。

 

「これぞ厳娜亜羅(ガンダーラ)肉毬跳砲(ろうきゅうちゅうほう)!!」

 身体を丸めたまま弾んで、体当たりを繰り返す牛宝は、周囲の柱を使って縦横無尽に攻撃してくる。

 そして遂にその身体が羅刹に当たり、甚大なダメージを負う。

 …ところで、さっきも言ったがあの柱は淤凛葡繻(オリンポス)戦で搴兜稜萃(ケンタウロス)が立てたものの筈だ。

 あれがなかったらあの男、どう攻撃してくるつもりだったのだろう。

 い、いや、それは考えてはいけない事のような気がする。止そう。

 どこから来るか読めず、当たればダメージの大きい牛宝の攻撃を避けるべく、一旦羅刹が地に身を伏せる。

 だがそれは柱を使った横からの攻撃は防げても、先ほどのように地から弾んで落下してくる攻撃は避けられず、寧ろ的になってしまい、羅刹は牛宝の頭突きをもろに食らってしまった。

 肋骨の三本は折れただろうと笑う牛宝を、闘志を瞳に映しながら、羅刹はまだ立ち上がる。

 

「その闘志に敬意を評して、おもしろいものを見せてやろう。

 これは、我が厳娜亜羅(ガンダーラ)一族に伝わる秘薬、膨漢丹(ぼうかんたん)!!」

 腰に付けていたポーチのようなものから、何か薬のようなものを取り出した牛宝は、それを口に入れて飲み込む。

 そして気合を入れると、ただでさえ丸く膨らんだ牛宝の腹が、更に膨らんでふたまわり以上もでかくなった。

 その腹を誇らしげに掌で叩きながら牛宝が笑う。

 

「見たか、秘薬・膨漢丹の威力。

 ただ膨れただけではない。

 これによってわしの体の弾力は数倍にもなった。」

 仕上げと言って奴がまた地面を蹴り跳躍する。

 そして最初と同じように落下して地面で弾むと、一旦跳躍した時より更に高いところまで飛んでいく。

 あの高さから同じ攻撃を、まともにくらったら重量と落下速度が合わさって、とんでもない威力になる事は間違いない。

 だが羅刹は兜指愧破(とうしきは)の指を構えて、奴が落下してくる位置で待ち受ける。

 寸でで体を躱して撃った兜指愧破は、牛宝の腰の膨漢丹のポーチを外して落としたのみ。

 そして再度の落下の一撃は、今度こそまともに羅刹の身体を地面に押しつぶした。

 

「や、殺られた──っ!!」

 

 闘場にものすごい砂煙が舞う中、一度弾んで遠くに着地した牛宝が、腹を叩きながら羅刹先輩を押しつぶした場所へと歩いて戻る。

 その砂煙が晴れたところに、何故か地面に穴が開いている箇所があり、それを覗き込んだ牛宝は、その穴から出てきた指を口に突っ込まれた。

 同時に、開いた口の中に何かをパラパラと投げ入れられる。

 続いて穴から出てきた羅刹の膝蹴りが、まともに牛宝の腹に入る。

 そんなものがダメージになるわけもなかったが、牛宝は明らかに驚愕していた。

 

「貴様が厳娜亜羅(ガンダーラ)三宝聖とやらのひとりなら、この俺も男塾死天王のひとり、羅刹!!

 死んだ影慶の為にも、俺は勝たねばならん!!」

 どうやら羅刹は兜指愧破(とうしきは)で地面に穴を開け、奴の攻撃を防いでいたようだ。

 

「だが二度と同じ手は通用せん!」

 そう言ってまたも上空からの落下攻撃をしようとする牛宝に対し、羅刹先輩は立ち上がって、それを待ち受ける体勢をとる。

 

「大男、総身に知恵がまわらずという言葉は本当らしいな…!!」

「ん〜!?どういう意味だ、それは…!!」

「まだわからんのか。

 さっきおまえが飲んだのはなんだと思う……?」

 羅刹の言葉が終わるか終わらないかのうちに、牛宝の体に変化が起きた。先ほど薬によって膨らんだ腹が、それ以上にみるみる大きく膨れ上がっていく。

 

「多量の膨漢丹のため筋肉は膨張し、弾力の限界まで薄くなり、今や貴様の体は破裂寸前の風船と同じ……死んでもらおう。」

 羅刹の指先が、牛宝の丸い腹を容赦なく貫く。

 牛宝の体は穴の空いた風船のように勢いよく、海に向かって飛んでいった。

 

 ☆☆☆

 

「くれぐれも油断するな。

 超人拳と名乗るだけあって奇っ怪な奴等よ…!!

 次に出てくる奴も只者ではなかろう。」

 戦いを終えた羅刹先輩が言葉をかけたのは、三面拳のひとり、雷電。

 

「相手にとって不足はない…!!

 見せてやろう、大往生流拳法の極意を……!」

 その雷電に、自分たちの出番がなくなると詰め寄る虎丸の頭の上に指先だけで倒立した雷電は、一言気合声とともに登場へと飛んで行く。

 一瞬指が置かれたのみで虎丸の頭部には、恐らく体重など全くかかってはいなかったろう。

 今度はこちら側が相手を待つ形になり、相手の陣から飛んできた何かを雷電が体術で躱す。

 そこにいたのは、三匹の猿を従えた男。

 

「我が名は厳娜亜羅(ガンダーラ)三宝聖のひとり、猿宝!!

 そしてこれに鎮座するは、我が忠実な(しもべ)たち…不見猿(みざる)!!不聞猿(きかざる)!!不言猿(いわざる)!!

 これより貴様に、この現世で体験できる最高の恐怖を味わわせてくれるでごじゃる。」

 その姿に富樫と虎丸は笑い転げているが、雷電と同じ三面拳のひとりである月光が、何故か顔色を変えていた。

 

「…我が拳法の師に、猿を操る、史上無敵と言われた恐るべき殺人拳の話を聞いたことがある。

 よもや、あれが……!!」

 確かに闘場は異様なまでの殺気に満ち、それを発しているのはあの猿の方。

 雷電はそれに気づいているのか、構えたまま攻めあぐねている。

 

「見せてやるのだ、我が忠実な僕どもよ!

 厳娜亜羅(ガンダーラ)秘奥義・三猿耀操術(さんえんようそうじゅつ)を!!」

 猿宝の指示で、三匹の猿が空中高く飛び出す。

 そして空中で手を組んで風車のような形を取ると、雷電めがけて回転しながら突っ込んで来る。

 尻尾の先に刺突武器が取り付けられており、どうやらそれで攻撃するつもりのようだ。

 その攻撃は猿達の名の通りの部分、目、耳、喉を的確に狙っており、雷電はギリギリで急所を外すも、その付近の皮膚が裂かれて血が飛沫(しぶ)いた。

 息をつく間も無く、猿達の攻撃が繰り返される。

 

「たいした猿どもよ。

 この雷電に、この技を使わせるとは……!!」

 雷電は道着の背中から細い竿を出すと、それを地面に突き立てる。

 更に懐から何か、刃のついた円盤を取り出すと、それをその竿の上で回転させた。

 

「見せようぞ、大往生流秘技・輪笙蓮華(りんしょうれんげ)!!」

 円盤の回転とともにしなる竿を、両手と片足を用いて打ち、三枚の円盤を猿に向けて飛ばす。

 猿達は跳躍してそれを躱し、雷電は次々と同じ攻撃を繰り返す。

 だが、雷電ともあろう男が考えるとも思えない単調な攻撃、猿達も見慣れてきたのか、躱す事もせず白刃取りで受け止めて、更にそれを持って踊り出す始末。

 とうとう円盤が最後の三枚となったところで、雷電は猿宝を睨みつけて言った。

 

「貴様も坊主なら、猿の為に念仏を唱えるがよい。

 次の一撃が貴様と猿との、今生の別れになる!」

 そうして放たれたのは、先ほどまでと全く同じ攻撃。

 猿達は同じように白刃取りすべく構えている。

 だがそれを後ろで見ていた猿宝は、突然顔色を変えて叫んだ。

 

「その攻撃を正面から受けてはいけないーっ!!

 に、逃げるんだ──っ!!」

 その忠告も虚しく、円盤は三匹の猿の頭に突き刺さり、猿達は悲鳴をあげて倒れた。

 

 

「や、やはり大きさが違う…!!

 最後に放たれた三枚の円盤だけ、それまでに飛ばしたものより、ひとまわり小さかったというわけか……!!」

 それは錯距効果。

 それまで単調な攻撃に慣らされた猿達は、回転数の違うひとまわり小さい円盤とのスピードの変化に気付かず、白刃取りのタイミングを狂わされたのだ。

 猿を失った猿宝が怒りに身を震わせた。

 

「このわしの怒りと哀しみは、貴様の血をもって償ってもらう。」

 そう言って自陣に合図を送ると、奴等の陣から二人、長い竿を一本ずつ持って来て、それを闘場の地面に深く埋め込んで立て、固定する。

(雷電の方は先ほど使った細い竿は、邪魔なのか撤去したようだ。どこにしまったのかは見ていなかったのでわからなかった)

 

「本来ならば山林竹林にあってこそ、その妙、真価を発揮する技なれど…この平地ではこれで充分でごじゃる!!」

 言うや猿宝は、ロープの先についた爪状の武器を、雷電に向けて投げ放つ。

 

「これぞ厳娜亜羅(ガンダーラ)秘奥義・宙縛架(ちゅうばくか)!!」

 雷電ほどの達人が躱せない筈もなかったが、それはどうやら雷電を狙ったものではなかったようで、ロープは先ほど立てられた竿の一本に巻きついて、猿宝はそれにぶら下がった状態から、遠心力による攻撃をしてきた。

 

「心配はない。

 雷電は三面拳随一、超一流の体術の持ち主……!!」

 その三面拳を束ねる伊達が太鼓判を押す通り、猿宝の息をつかせぬ連続攻撃に全く動じる事なく、沈着冷静に対処する。

 だが、猿宝の立てた竿のうち一本が、まだ使われていないのが俺には気になった。

 あの技にはまだ先があるのでは…そして、その答えはすぐに出た。

 雷電が二本の竿の中央に立った時、猿宝は一度雷電の方に跳躍して、その首に持っていたロープを回す。

 それから反対側の、使っていなかった竿の上に飛んで、自身が掴んでいたロープの橋を、その先端に固定する。

 猿宝がその上から飛び降り着地すると同時に二本の竿はしなり、ロープの両端が引かれて、雷電は首を絞められた状態で宙吊りとなった。

 

「首に巻きついたロープを支える腕の力を弱めたり、片手でも離そうものなら、しなった竿の反撥力でロープが締まり、貴様は一瞬のうちに、絞死を遂げることになる。

 ただでは殺さん。

 この技を使ったのも、貴様をじわじわとなぶり殺しにし、猿どもを殺られたこのわしの怒りと悲しみを晴らすため。」

 猿宝は手にした爪状の武器を、動けない雷電に向けて振るう。

 雷電も一応は自由な脚で反撃を試みるも、さすがにこの体勢からでは無理があり、充分に勢いを乗せるとロープの力を強めてしまう。

 案の定容易く躱され、次の攻撃がまたも雷電を襲う。

 更に目玉をくり抜いてやると宣言する猿宝。

 しかし、そこを狙ってきた手の動きが何故か止まる。

 

「大往生流奥義・髭勾針(しこうしん)!!

 我が大往生流の極意は、髪から足の爪まで、身体髪膚すべてを鍛え上げ、おのれの意のままに武器とすることにあり!!」

 それは、髭。

 驚くべきことに雷電は、己の髭を動かして、その先に予め仕込んでいた針で猿宝の指を攻撃したのだ。

 

「なぜひと思いにとどめをささぬ!!

 男の名誉と命を懸けた勝負を汚す愚か者よ。

 貴様には、大往生の死あるのみ!!」

 自身の首が絞まる危険も顧みず雷電が蹴りを放ち、それは猿宝の顔面にもろに決まって、その身体を地面に打ちつけた。

 

 それは単に、猿宝の怒りに火をつけただけ。

 未だ身動きの取れない体勢から脱出のかなわぬ雷電は、その後の猿宝の攻撃の前に、避ける事も叶わず身をさらし続けるのみ。

 だがそろそろとどめを刺しにかかる猿宝が、雷電の腹を狙ってきた時、その変化は起こった。

 手にした爪を、雷電の腹筋に弾かれたかのように、猿宝が取り落としたのだ。

 その瞬間、雷電の足が猿宝の首にかかり、自身の体勢と同じようにそれを締め上げる。

 

「やっと大往生流奥義・髭勾針(しこうしん)の効果があらわれたようだな。

 針にはトリカブトの毒が塗られていた…!!

 もはや貴様の右手は麻痺し、箸を持つ事も出来はせん!」

 …その、髭に針を仕込んでいたところまでは百歩譲るとして、それに毒まで仕込むのは、若干自分自身にも危険があるんじゃ…い、いや止そう。

 今はそんな事を言っている場合じゃない。

 俺が脳内でそんな葛藤をしている間に、雷電はその体勢のまま、ものすごい勢いで回転し始める。

 

「なるほど。

 猿宝の重みで遠心力を倍加し、柱に結んであるロープをねじ切るつもりだ。」

 と伊達が状況を解説するが、いや待て。

 現時点ではその重さも遠心力も、全て雷電の首にかかっているわけだがそれは。

 俺がハラハラしながら見守っていると、

 

「大往生──っ!!」

 回転とともに、恐らくロープを引く腕にも力を込めたのだろう、雷電が気合声を発すると同時にロープは切れ、空に投げ出された自由な身体を反転させた雷電は、拘束していた猿宝を、一番近くの鉄柱に蹴り飛ばした。

 

「さすが、雷電ならではの体術を生かした大技!!

 猿宝の全身の骨は粉ごなに砕けた…勝負あったな。」

 伊達の言葉通り、もはや猿宝に戦う力などなかった。

 

 ない、筈だった。

 だが三匹の猿の無念を晴らすと言って、最後の気力を振り絞って立ち上がり、先ほど取り落とした武器を拾って構える。

 だが何故か雷電はそれに背を向け、腹のサラシをほどき始めた。

 その足元には…!

 猿宝が背中から襲いかかり、雷電の背中に武器を突き立てるが、雷電は振り返ろうともせずに、作業を続ける。

 即ち、足元に倒れふす三匹の猿の止血。

 

輪笙蓮華(りんしょうれんげ)の円盤には全て刃どめがしてあった。

 見た目には出血は酷いが、生命は助かる!!」

 何故、生きていると言わなかったのかと猿宝が問う。

 言えば宙縛架(ちゅうばくか)の拷問から逃れられたものを、と。

 それに当然のように答えた言葉は。

 

「男の勝負に言葉はいらん。

 ただ、それだけのこと………!!」

 雷電の背中を見つめ、猿宝は満足げに涙を浮かべて息絶えた。

 その身体を、気を失った猿たちの横に並べて寝かせ、雷電は俺たちのところに戻ってくる。

 

「ああいう男よ。三面拳・雷電…!!

 俺たちはいつも奴に、多くのことを教えられるぜ!!」

 ここにいる誰もがそう感じている事だろう。

 

 ☆☆☆

 

 あまりにひとつの会場での試合が長引いた為、短波ラジオの放送が一旦終わってしまったので、塾長の部屋の無線機で試合の詳細を聞いた。

 このペースで試合を消化するのなら、結果が出るのは朝になるだろう。

 そこからあちらに向けて手配をして、本部からの迎えがくるのは恐らく昼過ぎ。

 現時点で欠員は、最初から決まっていた影慶を含めて三人。

 とりあえず、これで全員一通り戦っ……てない子が二人ばかりいるが、それは気づかなかった事にしとこう。

 てゆーか、聞けば飛燕が今日二戦してるらしいんだけど、大丈夫なのかな、あの人。

 また顔に傷なんかつけてなきゃいいけど。

 まあとりあえずは、これ以上の戦闘不能者が出ない事を、今は祈るしかない。

 これまで初出場の男塾を舐めてかかった相手が一人ずつ登場してきて、それに男塾側がやはり一人で戦っていたパターンであるならば、予想に反して連敗を喫した相手側が、そろそろ危機感を感じ始める頃かと思う。

 パターン的には、この辺りで首領以外の全員が出てくる頃か。

 そうなると、男塾(ウチ)の方は……あー、やっぱり一人ずつしか出てこない気がする。

 無駄にプライド高いからな、あいつら。




対猿宝戦での雷電が妙にイケメンなのは何故なんだろう…?
なんとなくだけど、原作読んでる時にアンディ・フグの全盛期を思い出して少し泣いた。
関係ないけどあのひとが生きてたら、あの後のK-1の凋落はなかったんじゃないかと思ってる。


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9・もっと激しくBody install

今回、文章量的にはちょい短め。


「体もなまってきた。

 三宝聖の残りのひとり、俺が相手をさせてもらうぜ。」

 学ランを脱ぎ捨てながら、伊達が闘場へ進み出る。

 自分たちの出番がなくなると富樫と虎丸がその背中に言い募るが、それを飛燕の穏やかな声が引き止めた。

 

「あなた達は決勝リーグの為に温存している切り札…秘密兵器なのですよ。」

 いやそれ、絶対にその場限りの言い逃れなんじゃ…と思ったが、二人はその言葉にあっさり引き下がる。

 掌を返すように応援を始めた二人に、飛燕は満足げに微笑んでいた…伊達が脱ぎ捨てた学ランを拾って埃を払い、さり気なく邪魔にならないところに置きながら。

 …『良妻賢母』って言葉が突然頭に浮かんだが、言ったら殺されそうな気がするので黙っておく事にする。

 

 厳娜亜羅(ガンダーラ)の陣からは大勢が、槍なのか斧なのかわからない、両端に大きな刃のついた長い武器を担いで出てきた。

 

「…俺の相手は、三宝聖のひとりではなかったのか?」

「貴様ごときに竜宝様の手を煩わす必要などない。

 この金剛槍で貴様の体、真っ二つにしてくれるわ!!」

 金剛槍というのか。

 あと、三宝聖の残りの一人は竜宝という名であるらしい。

 …だが、あんなに長くて重そうな槍では、動きが取れずに攻撃を鈍くするだけではなかろうか。

 そう思いながら見ていたら、彼らはその槍の、斧のような穂先を地面に打ち込むと、全員の体を組み合わせて騎馬を組み、人櫓を作って、その巨大槍を持ち上げる。

 その形でそれを振り回して伊達に迫るが、伊達は軽く跳躍して身を躱すと、その巨大な穂先に自分の槍の穂先を合わせて、その動きを止めた。

 

「はったりばかりの、児戯にも等しい技よ。

 こんな事でこの伊達臣人を倒せると思っているのか!!」

 伊達は止めた相手の槍を跳ね返すと、自分の槍の穂先を地面に打ち付け、それで体を支えて跳躍し、人櫓のてっぺんの男の、頭の上に降り立った。

 そのまま、首の骨を折らんばかりに後頭部を踏みつける。

 

「貴様等は俺の相手ではない。

 どうやら竜宝という奴は、貴様等を捨て石にして、俺の腕をはかろうとしているらしいが、無駄なこと…。」

 心底がっかりしたように言う伊達に、奴らはまだ攻撃しようとするが、

 

覇極流(はきょくりゅう)千峰塵(ちほうじん)!!」

 目にも留まらぬ突きで攻撃し、組まれた人櫓が崩れて全員が地に落ちる。

 ここに至るまで、恐らく1分も経っていない。

 

「出て来い、三宝聖・竜宝とやら……!!

 教えてやろう、俺の真の力。

 その目でとくと確かめるがよい。

 この槍に恐れをなし、出て来れぬというなら、俺は引きあげるぜ。」

 

 

 …次の瞬間、奇妙な形の片刃の剣を両手に構えた男が、伊達の背後を取っていた。

 

「我が名は、厳娜亜羅(ガンダーラ)三宝聖の将、竜宝。

 貴様の命は、わしがもらった。」

「フッ…一切の気配も殺気も感じさせず、この俺の背後をとるとは…。

 少しは使えるようだな。」

 竜宝という男の斬撃を、伊達は体術で躱す。

 それで伊達を仕留められるとはそもそも思っていなかったのだろう、竜宝は特に動揺する事もなく、今度は自分の腕を見せる、と近くの石を剣の先で放り投げた。

 それは地面に落ちる前に、まるで豆腐でも斬ったかのように、立方体の形に斬られて、もう片方の剣の上に三個、重なって落ちる。

 

「出来る…!!しかも、あの頭の(もとどり)は、極武髪(きょくぶはつ)!」

 月光が、竜宝の技に息を呑む。

 …この男、目が見えていないなんて嘘だと思う。

 極武髪とは、最高位の段位を示す髪型で、それを許されるのは千人に一人と言われているという。

 

「フッ…座興にしてはなかなか面白い。

 そのまま、その石を俺に放り投げろ。

 俺がもっと面白いものを見せてやる。」

 だが伊達は、薄く笑って竜宝を挑発する。

 その通りに投げられた小さな三個の立方体を、伊達が槍の穂先で数度打ったように見えた。

 それから、落下してくるそれをいちどきに、槍で串刺しにする。

 

「覇極流秘奥義・点鋲鹹(てんびょうかん)!!」

 槍術に心得があればそれくらい、と少し呆れたように言う竜宝に、伊達はその石を投げ返す。

 

「なっ…!?

 三つの石ころすべて、槍の跡が賽の目に……!!」

 俺たちの場所からはよく見えないが、どうやら伊達は竜宝が切り出した三個の立方体を、全部サイコロにしてしまったらしい。

 

「しかしこんな小細工は、実戦においては何の役にも立たん。」

 それを言うならその前に自分がしていた、その石を作るパフォーマンスは…い、いや止そう。

 竜宝は手にしていた剣の刃に何か…油のような液体をかけると、その刃先を地面につけて、短距離競争のクラウチングスタートのような体勢をとる。

 そうして地面を蹴って、走り出すのかと思いきや、竜宝はその体勢のまま、地面をものすごいスピードで滑った。

 片方の刃は地面につけたまま、もう片方の剣で伊達を攻撃する。

 なるほど、あの刀の形状はアイススケートの靴のブレードに似ている。

 これが氷上であれば、もっとスピードが上がるのではないだろうか。

 …そういえば、雪でも降ってきそうなくらい冷え込んできた。

 それはともかく、さっきの油はその代わりというところか。

 その猛スピードで繰り出される攻撃に、伊達は防戦一方に押されているようにも見えるが…、

 

「どうした、もう後がないぞ!!」

 闘場の端まで伊達が移動し、例の鉄柱を背にしたあたりで、竜宝はとどめとばかりに仕掛けてくる。

 

「ただ逃げていたとでも思うのか。

 だとしたら貴様には、極武髪を結う資格はない。」

 突然、滑ってくる竜宝の刃が一段、地に沈んだ。

 どうやら伊達は攻撃を躱しながら地面に溝を掘っていたようで、轍に車輪が取られるように、竜宝はその溝に従って移動する事を余儀なくされる。

 その進行方向には鉄柱があり、このスピードのまま進めば、重大なダメージを負うのは必至。

 だが竜宝は寸前で体勢を変え、鉄柱を足で蹴ってそれを逃れた。

 そこを狙って、伊達の槍が一閃する。

 それは竜宝の頭部を狙った一撃だったが、寸でのところで躱され、二人の間合いが一旦離れた。

 

「危ないところだったぜ。

 だが同じ手は二度と通用しな……なにをしてる、貴様…!?」

 見ると、伊達は戦いの最中だというのに、呑気に靴の埃を払っており、それを見る竜宝の顔色が変わっていく。

 

「こいつは靴ブラシにちょうどいい。

 いかなる闘いの最中であろうと身だしなみには気をつかう。

 それが男のダンディズムというものだ。」

 伊達が手にしていたのは、先ほどの槍の一閃でぶった切った、竜宝の自慢の極武髪。

 実に伊達らしい、痛快なやり口だ。

 まあ光に言わせれば、『底意地が悪い』というところらしいが。

 というか、俺の見る限り、光は伊達の事を、若干苦手に感じている気がする。

 あのおっかない赤石先輩はそこそこ手玉に取ってるくせに、よくわからん奴だとは思うが。

 

「こいつは返すぜ。

 そんなに大事な物なら、ノリでもつけて貼っつけておくんだな。」

 ぶった切られた極武髪を足元に無造作に投げられ、竜宝がここから見てもわかるほど、怒りのあまり身を震わせている。

 

「大した男よ、伊達……!!

 とうとうこの俺に、この技を使わせおるか。」

 などと言っているところを見ると、この男にはまだ切り札があるようだ。

 

「教えてやろう。我が『竜宝』の名の由来を…!!」

 そう言うと、腰に付けてあった小さな筒から、何か黒い粉を振り出して口に入れている。

 

厳娜亜羅(ガンダーラ)絶対奥義・咆竜哮炎吐(ほうりゅうこうえんと)!!」

 竜宝は先ほど飲み込んだ黒い粉を霧状に口から吐き出すと、その霧が晴れぬうちに二本の剣を打ち合わせる。

 それは火花を生じて、途端に竜宝の口から吐き出された黒い霧は、赤い炎となって伊達を襲った。

 同時に、斬撃。

 伊達は跳躍して身を躱したが、躱しきれずに肩から血が飛沫(しぶ)く。

 黒い粉は発火性の高い火薬であるようで、息もつかせぬ炎と剣の二段攻撃となり、伊達の身体の傷が増えてゆく。

 立っているのもやっとなほどの出血と見て、竜宝がとどめの一撃を与えにきた時、伊達は敢えて構えずに背後を取らせた。

 そのままの体勢で槍を振るったと思えば、先ほど切った奴の極武髪を、槍の先に引っ掛けて奴に投げつける。

 それは打ち合わせようとしていた刃の間にうまく挟まり、火花を散らす筈のそれをうまく止めた。

 瞬間、竜宝が動揺した隙を見逃さず、伊達の槍が竜宝に向けて振るわれた。

 だがその穂先は、奴の身体を貫く事なく躱される。

 

「窮余の一策も無駄に終わったな。」

「無駄だと…!?

 この伊達の槍、かつて狙った獲物を外した事はない。

 自分の足元を見てみるがいい、竜宝。」

 言われて見てみれば、奴が先ほど飲み込んだのと同じ黒い粉が、その足元に落ちている。

 どうやら伊達が狙ったのは竜宝ではなく、その腰の火薬の筒だったようだ。

 

「そうか、黒炸塵を切らす事によって攻撃を封じようというのか。

 しかし俺の体内にはまだ残っている!」

 だが、その手が素早く動いたように見えた次の瞬間、伊達は竜宝に背を向ける。

 

「勝負はついた。

 それだけの黒炸塵が、一箇所に集まれば充分だろう。」

 その手には、あった筈の槍がない。

 その事に気付いた竜宝に教えてやるように、伊達は指先を上に向けて指をさした。

 伊達の槍は上から降ってきて竜宝の目前の地面に落ち、穂先が火花を散らす。

 その火花により瞬時に発火した火薬は業火となり、竜宝の身体を炎に包んだ。

 

「その槍はくれてやる。

 地獄の閻魔の手土産にでもするんだな。」

 

 戻ってきた伊達に、てきぱきと傷の手当てを施す飛燕を見て、何故か今、光はどうしているだろうなどと、不意に埒もない事を思った。

 

 ・・・

 

「この勝負、俺に任せてもらおう。」

 俺の申し出に異を唱える者はおらず、俺は闘場へと歩みを進める。

 伊達が勝利を収めた事で、厳娜亜羅(ガンダーラ)は大将ひとりを残すのみ。

 ここを勝ち上がればやっと、決勝リーグへの進出が決定する。

 独眼鉄、蝙翔鬼、影慶…見ていてくれ。

 俺達は、あなたたちの死を無駄にはしない…!

 

 冷えてきたと思っていたら、やはり雪が降ってきた。

 どこか得体の知れない力が闘場全体を覆っているような、奇妙な感覚を覚えながら、俺は向こうから歩んでくる厳娜亜羅(ガンダーラ)の大将を見据えた。

 

「我が名は厳娜亜羅(ガンダーラ)五十七代大僧正・(しゅ) 鴻元(こうげん)!!

 この名にかけて、厳娜亜羅(ガンダーラ)の名誉と伝統は、俺一人で護る!!」

 まだ若いその男は、そう言って俺を見返した。

 まるでその名乗りに呼応するかのように、雪は更に激しく吹雪いてくる。




対竜宝戦は、ディーノ戦で見せていた伊達の底意地の悪さが、キャラとして完全に確立された戦いだったと思ってます。
一通り原作読み返してみれば、こんだけたくさん味方キャラがいても、一人一人がちゃんと立ってるんだからスゴイ。
超展開とかトンデモ理論とかツッコミどころの多さばかりが話題になりがちだけど、「魁!!男塾」という作品は、もっともっと評価されていいと思う!
あとブルボンのチーズおかきうめえ(唐突


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10・白い雪が全てを隠し遠い足跡消して行くなら

 ヒマラヤ山脈…厳娜亜羅(ガンダーラ)総本山。

 一年中絶える事なく雪に覆われるその地に、天空に浮かぶ城のごとく建立された寺院の建物の中、四人の老いた僧たちが、水盆を中心に座していた。

 どのような術をしてか、水面には黒い服を着た若者たちが映し出されており、僧たちはそれを見て言葉を交わす。

 

「信じられん。

 牛宝、猿宝…そして今、竜宝までが……!!」

 それは、この地より遥か遠くで行われている、天挑五輪大武會予選リーグの模様だった。

 テレビカメラも置かれていないその試合経過を、彼らはこの地に居ながらにして、映像でそれを確認していた。

 

「もはや、残るは若様おひとり…!!」

「あのお方の力は、ここにいる長老誰しもが認めるところ…。」

「しかしこの世に唯一、御仏の心以外には、絶対というものなどあり得ない。」

「三千年の歴史を持つ我ら厳娜亜羅(ガンダーラ)一族の、正当後継者である若様に、万が一の事など決して許されん。

 なんとしても若様をお守りせねば…それが、我等の使命じゃ。」

 老僧らはそう言って、何やら物々しい小箱を取り出すと、蓋を開ける。

 その中には、男性の体を模した人形が横たえられており、それにひとりが、頭部に細い布を巻きつける。

 

「…若様は誇り高く、御気性の激しいお方。

 わしら長老達が手を出したとわかれば、烈火の如くお怒りになられようが、この法なら悟られはせん…!!」

 老僧達の周りに立てられた蝋燭の炎が、風もないのに激しく揺れた。

 

 ☆☆☆

 

「名乗れい、貴様の名を!!」

「男塾一号生筆頭・剣 桃太郎!!」

 俺の前に進み出てきた大僧正・(しゅ) 鴻元(こうげん)と名乗った厳娜亜羅(ガンダーラ)の大将は、両手両足の防具に刃物を付けており、それを息もつかせぬ速さで、俺に撃ち込んでくる。

 奴が踏み込んでくるのに合わせて俺も刀を薙ぐ。

 互いの身体が交差した瞬間、双方同じ箇所に傷を受けた。

 どうやら狙いは同じだったようだ。

 さすがに厳娜亜羅(ガンダーラ)大僧正と名乗るだけの腕はある。

 一旦、互いに間合いを離す。

 

「天は俺の勝利を望んでいるようだ。

 この、降り積もる雪が何よりの証!!」

 言うと(しゅ)鴻元(こうげん)はどこからともなく取り出した、大きな布を広げて投げつけてきた。

 一瞬視界が塞がれ、俺はそれを刀で薙いで斬り払う。

 次に視界が開けたとき、雪に覆われた闘場のどこにも、(しゅ)鴻元(こうげん)の姿は見えなかった。

 

「き、消えたーーっ!」

 自陣で虎丸が叫んでいるところを見ると、布は俺の視界を塞いだだけでなく、一瞬奴自身をも覆い隠していたのだろう。

 と、雪の積もる地面から、先ほど奴の両手足に着けられていたのと同じ形状の刃物が5枚出てきて、俺の周囲を取り囲んだ。

 

 “これぞ厳娜亜羅(ガンダーラ)秘奥義・潜敞五方陣(せんしょうごほうじん)!!”

 奴の声が、辺りに響き渡る。

 雪のせいなのか、音の出所が特定できない。

 

 “フッフッフ…我が厳娜亜羅(ガンダーラ)の里は、一年中消えることのない雪に覆われておる!!

 いわば雪原は、我等にとって庭場のようなもの。

 そこに雪を利用した、数々の秘儀が成立したのは当然のこと……!!”

 5枚の刃はそれぞれが独立した生き物の如く、俺に向かって攻撃してくる。

 なんとか躱しはするが雪に足を取られ、跳躍も移動もままならない。

 このままでは、無駄に体力を消耗するのみ。

 やがて刃の動きが変化し、それは俺を中心に円を描くように回転し始める。

 

 “潜敞転回陣(せんしょうかいてんじん)!!

 貴様にこの攻撃を防ぐことが出来るかな!!”

 その刃が一斉に中心、つまり俺に向かってきて、俺は地面に刀を突き立てると、それを支えに跳躍した。

 切っ先が折られ、バランスを崩して一旦地に足をつける。

 その、地につけた足に、刃が掠る。

 なんとか再び跳躍するも、まったく無傷というわけにもいかず、皮一枚で急所を外すのがやっとだった。

 

 “さすがに、男塾の将というだけのことはあるようだ!!

 並の者ならば、今の一撃で真っ二つになっているものを!

 貴様との勝負、もう少し楽しみたいところだが、それはかなわぬ。

 俺はこの後、貴様の仲間全員を片付けなければならぬのでな。”

 (しゅ)鴻元(こうげん)の声がまた響き、俺を取り囲んでいた刃が雪の中に全て沈む。

 同時に一切の気配が消えた。

 

 殺られる、このままでは……!!

 残された勝機はただひとつ……!!

 

 俺は自身の手首を刀で切ると、その血で自分の周囲に円を描く。

 それからハチマキを下げて、敢えて目を塞ぐ。

 

「心眼剣、一之太刀!!

 どこからでもかかってくるがよい!」

 Jとの戦いの時に開眼したのを、あの後俺なりに鍛錬を重ね、影慶との戦いを経て、完全にモノにした。

 今はもう、赤石先輩に瞼の皮一枚斬ってもらわなくとも、目隠しで充分使いこなせる…いや、影慶の時は、目を瞑るだけの方法を試したのだが、あれには『いつでも目が開けられる』という逃げ道があり、効率としては目隠しの方がいいという、俺なりの結論にその後、至った。

 本来はそこを敢えて、目を開けないという選択をする事で、真髄にまた近づけるのだが。

 剣の道は深い。俺もまだまだ、という事だ。

 視覚を塞ぐと同時に、耳だけでなく全身の感覚を研ぎ澄ませる。

 風の鳴る音を聞いて。

 空気の動きに触れて。

 その中の、異質を嗅ぎ分けて。

 動いてきた空気を、味わって。

 それが即ち、心の目。

 自陣から仲間たちの驚く声を、一旦意識の外に追い出す。

 風が変わる。

 血の結界が微かに立てる音と同時に、空気が動く。

 それは、人よりも小さな生き物の動きと、微かな匂い。

 考える事なく、感じるままに、刀を振るう。

 一太刀で、二つの手応えが地に落ちた。

 更に、前後に同じ気配。

 後ろのそれの動きに合わせ、その直線方向に刀を翳し、自分から貫かれにきたそれを斬り払うと同時に、前から来たのを逆袈裟に斬り上げた。

 これで四つ。刃はあと一枚あった筈だ。

 構えを解かずに、最後の気配を探る。

 撒いた血液がまた音を立て、今度は明らかに人間の体積が、俺に向かって来るのが判った。

 

「たいした奴よ。

 長年手塩にかけ、修練を積ませた雪ネズミを、ことごとく失ってしまった…!!」

 既に気配も姿も消してはいない(しゅ)鴻元(こうげん)の声を聞き、俺は目隠しのハチマキを額まで上げる。

 なるほど、訓練した動物を使って攻撃させる技だったか。

 タネがわかってしまえばどうということもない。

 それよりも。

 

「殺ったのは雪ネズミだけではない!

 もう一匹の大ネズミもだ!!

 …あまりに長く雪中にいたため、痛覚が麻痺しているようだな。」

 確かに奴の攻撃をかわした時、同時に加えた攻撃に手応えはあったのだ。

 (しゅ)鴻元(こうげん)は胸に受けた傷に、ようやく気付いて地に膝をついた。

 

  だが。

 

「まさか俺にこれしきの傷を与えたからといって、勝った気ではおるまいな。」

 そう言って(しゅ)鴻元(こうげん)は、脚につけていたプロテクターを外すと、両端を掴んで横に引く。

 どうやら折りたたまれた状態だったそれは板状になり、朱鴻元はその上に足を乗せた。

 

厳娜亜羅(ガンダーラ)秘奥義・雪波単輳艇(せっぱたんそうてい)!!」

 降り積もった雪の上をスノーボードのように滑りながら、(しゅ)鴻元(こうげん)は最初と同じように腕につけた刃物で俺に攻撃を仕掛ける。

 

「己の不幸を嘆くがいい!!

 雪上にあって、我が厳娜亜羅(ガンダーラ)と闘う羽目になった事をな。」

「無駄だ!!貴様に俺を倒すことは出来ん。」

 確かに機動性ではこちらが負けている。

 だが、闘っていて判った。

 こいつは熱くなりやすい。

 

「ぬかせーーっ!!」

 思った通り、俺の挑発に乗ってきた(しゅ)鴻元(こうげん)に、刀で掘った雪を浴びせかける。

 先ほど、奴が俺にしたのと同じようにして視界を塞ぎ……。

 

「な、なにーーっ!!

 こ、今度は桃の姿がどこにも見えなくなっちまったーーっ!!」

「フッ、味な真似を……!!

 俺の技を逆手にとるとはな。」

 そう、これは奴が俺に対して使った技だ。

 

「うまく身を隠したつもりだろうが、血の色が雪に浮かび上がってきているぜ!!」

 奴は、血の滲んだ雪に向かって、躊躇なく刃物を突き立てた。

 

 だが。

 

「こ、これは雪ネズミの死骸…!!」

「もらったぞ、厳娜亜羅(ガンダーラ)大僧正・(しゅ)鴻元(こうげん)!!」

 狙い通り、雪ネズミの血に踊らされ、無防備に晒した背中から、俺は踊りかかり刀を振り下ろす。

 それは必殺の一撃となる筈だった。

 何が起きたか、俺の身体は硬直し、振り下ろされる筈だった刃が止まる。

 全身に激痛が走った。

 

 ☆☆☆

 

 水盆に浮かべられた人形には全身に呪文が書かれ、更に手足に無数の針が刺されている。

 その水盆を前に四人の老僧は印を結び、禅を組んでいる。

 

厳娜亜羅(ガンダーラ)秘伝・彼岸怨呪殺(ひがんえんじゅさつ)…!

 ひと思いに心の臓を貫き殺してもよいが…それでは我等の術がばれ、若様のお怒りに触れようというもの。

 両手両足を怨呪針で封じられ、もはやこの男は動くこともできず、太刀をつかむのが精一杯!!」

 人形の浮かぶ水に、ハチマキを巻いた端正な顔立ちの男が、刀を握ったまま立ち尽くす様子が映っていた。

 

 ☆☆☆

 

「凍傷とは不運だが、やはり天も俺の勝利を望んでいたようだ。」

 違う、これは凍傷などではない。

 だが相変わらず身体は動かぬ。

 それでも襲いかかる奴の攻撃から、一旦背中から倒れこむことで身を躱す。

 刀が半分からまた断ち割られ、衝撃で一瞬手から離れた。

 

「まだ悪あがきをするつもりか!!」

「俺たち男塾には、諦めるという言葉はない。

 どんな窮地にあろうとも、己の力を信じ、勝利をつかむのみ!!」

 痺れて感覚のない手で、それでも折れた刀を掴む。

 動かない手の代わりに、口で刀の(つか)を咥え、とどめを刺しに向かってくる奴の身体の動きに合わせて、その胸に刃を突き立てた。

 

「やすらかに眠れい…故郷の雪原を思いながら……!!」

 

 だが、もはや勝負は決したというのに、それでもまだ(しゅ)鴻元(こうげん)は俺に向かってきた。

 急所は外してある、動かずに手当をすれば命は助かるというのに。

 それは将として、男としての意地。

 死は覚悟しているというのだろう。

 

「奥義・四肢鐺瓏剣(ししとうろうけん)!!」

 俺の最後に繰り出した技で、(しゅ)鴻元(こうげん)の身体が地に伏した。

 四肢十八点、全ての関節を外した。

 こいつはもう一寸たりとも、身を動かす事は出来ない。

 唯一動かせる口で殺せと喚くのを無視して、一先ず腕のサラシを外して、奴の傷の止血をする。

 その外したサラシの下に、覚えのない痣があった。

 俺と同時にそれに気付いた(しゅ)鴻元(こうげん)が、それを見て驚愕する。

 

「その腕の痣は、厳娜亜羅(ガンダーラ)秘伝・彼岸怨呪殺…!?」

 どうやら、奴等の仲間が放ったなんらかの技であったらしい。

 だが、もう戦いは終わった。

 

「なぜだ…なぜ俺の命を助ける…!?」

「貴様ひとりの命ではない……。

 厳娜亜羅(ガンダーラ)三千人の将として、貴様を思う者たちの為にも、生きて還る義務がある。」

 俺が言うと、(しゅ)鴻元(こうげん)は涙を浮かべる。

 

「男塾…。

 決勝リーグでの、貴様達の健闘を祈っている…!!」

 

 夜が明ける。

 たった1日だけしか経っていないのに、ひどく長い戦いだった。

 だが、真の戦いはこれからだ!!

 

 ☆☆☆

 

「じゅ、塾長ーーっ!!」

 無線機から試合経過を確認していた塾長の部屋に、教官達が飛び込んでくる。

 

「しーーっ!静かにしてください。

 今起こしたらまた面倒くさい事になります。」

 奥の和室には、まだ塾長が眠っているのだ。

 さっきの騒ぎを忘れてもらっては困る。

 

「め、面目無い、光殿…!

 し、しかし、やりましたぞ。

 我が男塾、天挑五輪大武會決勝リーグ進出を決定したとの報告で…!」

「聴いていました。驚く事はありません。

 塾長も私も、ここまでは読めております。

 優勝する為に厳選したメンバーなのですから、こんなところで敗退されてはたまりません。」

 と言ってる私も、結果が出た瞬間思わず飛び上がって叫びそうになったのは内緒だけど。

 

「は、ははっ…!?

 …コホン、つ、つきましては大会本部からの指示で、参加十六名のうち、欠員した人数を補充せよとの事であります。

 我が男塾は三名の欠員…一体、だれを…!?」

「その人員も、既に決定しております。

 まあ、秘密兵器とでも言っておきましょうか。」

 一様に不得要領な顔をする教官達に、私は最後の指示を出す。

 

「私は、手続きの為に一度あちらへ参りますので、その準備をしなければなりません。

 塾長には詳細をしたためた手紙をこちらに置いておきますが、後のことはお任せいたします。

 …では、失礼。フフフ…。」

 最後は、自分でも気持ち悪いくらい、勝手に笑いがこみ上げた。

 

「ひ、光殿……!?」

 背後で呆然と立ち尽くす教官達をそのままにして、私は塾長室を後にした。

 

 さて…赤石を起こしに行こう。

 恐らく大会本部からの迎えは、昼前には来るはずだ。




や、やっと予選リーグ終われる…!
次回からようやく主人公出陣(暗躍)。


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天挑五輪大武會決勝リーグ編(対宝竜黒蓮珠戦)
1・BLOWIN’ IN THE WIND


ダメだ…昔読んだ某パロディ漫画のイメージが強すぎて、原作での久しぶりに赤石が活躍するシーンが、笑いすぎてまともに読めない…!
あやしさ大爆発wwwwww


 …厭な夢から醒めた朝、枕元に用意してあった水やら湯のみやらの置かれた盆の横に、したためられていた手紙を読み終えて、江田島平八はため息をついた。

 それから、その表情が不意に引き締まる。

 

「決して人前に姿をあらわすことのない奴の命を、狙うチャンスはただひとつ……。

 それはこの大武會に優勝し、奴自らの手で、表彰が行われる時だけ……。

 心して行けい……!!勝負はこれからが正念場。

 藤堂兵衛…奴に正義の鉄槌を下せるのは、貴様等だけだ。

 決して光に、父殺しをさせるでないぞ。

 ………まったく、あのじゃじゃ馬めが。」

 

 

「また、そんな事を仰って。

 最初からこうなると、判ってらっしゃったのでしょう?」

 傍からの穏やかな声に、苦笑する。

 狭山 (みゆき)という名のその女から、差し出された白湯を受け取り、一口含んで口を湿らせてから、江田島は唇に浮かべた笑みを深めた。

 

「そろそろ、あれの性格も判ってきておるわ。

 女ゆえ、戦いからは極力引き離そうとしても、守られるだけの己に決して納得せぬ。

 あれを娶る男は、さぞ苦労する事だろうて。

 …いや、既に諦めておるやもしれぬな。」

 そう言う江田島の脳裏に浮かんだ男は、はたしてどのような姿であったのか。

 風に靡く白いハチマキか、全てを斬り裂く剛刀か、それとも…。

 

「光さんは、旦那様と似ていらっしゃいますわ。

 強情で自分を曲げないところも、自分が身内と認めた人は、必ず守ろうとなさるところも。」

 その思考に割り込むように言葉がかけられたが、江田島はそれを不快には思わなかった。

 

「フフフ、そう思うか?」

「ええ。本当の親子ではないと言われても、もう信じられないくらいに。」

「…光は、おぬしの子にしてやるべきだったな。

 他の女どもの立場も確かにあろうが、おぬしはそれを飛び越えてもいいくらい、わしと光の為に働いてくれておる。

 元はといえば、たまたま光を運び込んだのが、おぬしに任せていた邸であったというだけだったものを、の。

 そもそも光が、殺す事しか知らなかった己が力で、誰かを守れると知るきっかけとなったのは、おぬしの存在あっての事だろうて。

 おぬしには、感謝してもしきれぬわ。」

 世に言う愛とは違う。

 だが信頼と絆は、確かに結ばれていると、江田島は感じた。

 光と、この女と、そして、自分との間に。

 

「…わたしは、そのつもりでおります。」

「…ん?」

「光さんは旦那様に授けていただいた、わたしの子であると…そう思うてお世話をしております。

 自分の娘の世話を焼いているだけですもの。

 感謝される覚えはありませんわ。」

 幸の言葉を聞いた江田島は、唐突に彼女を抱き寄せる。

 

「あれ…」

「肥えたのう。

 初めて会うた頃からは想像もつかぬわ。」

「まあ、いやな…。」

「褒めておるのよ。

 女は、このくらい肉がついておらねば抱く気も起きぬわ。」

 江田島はそう言って笑うと、先ほど身を起こしたばかりで、未だ敷かれたままの布団の上に、幸のふくよかな身体を押し倒した。

 

 ☆☆☆

 

 予定していたより半日遅れて、決勝リーグが行われる冥凰島へと向かうヘリに、私は赤石と乗り込んでいる。

 

「島に着いて、手続きを終えたら、本当に帰るんだろうな?」

 どうやら他のチームの補充人員も回収して回っているらしいこのヘリが、目的地に到着するのはどうやら朝方になるらしい。

 

「何度同じ事を聞くんですか。帰りますよ。

 …たく、脳筋のくせにしつこいなコイツ。」

「…なに!?」

「いえ何でも。

 というか、メンバー補充の為の現地での雑多な手続きを、あなたが全て引き受けてくださると言うのであれば、私が付き添う必要はないのですけどね。」

 私が言うと、赤石は私を睨みつつも黙る。

 本来なら筆頭がひと通り目を通す筈の学年単位での事務作業、おまえが江戸川に丸投げしてるのを私が知らないとでも思うか。

 まあ、そうでなければこの脅しは効果がなかったわけだけど。ありがとう脳筋。

 

「何度もお答えしている通り、補充三人分の手続きを済ませたら、私は塾に戻りますから、あなたは着いたらそのまま闘場に向かってください。

 その方針に変更の余地はありません。」

 実際のところ、言うほど面倒な手続きが必要なわけじゃない。

 そう言わなければ、私が同行する理由がつけられないからそう説明しただけだ。

 

「…三人って、俺の他には誰が行くんだ?」

 それでもまだ不服そうに、赤石が問う。

 

「その質問に答える許可を、私は塾長からいただいておりません。」

 以前、懲罰房で虎丸に名を問われた時と同じ言い回しで返答を拒否する。これが一番有効だ。

 

「ただ、うち一人は既に島に入っており、残る一人は私たちより後から出発します。」

 嘘は言っていない。

 予定より二人も人員が減ってしまったから、本来裏方に徹して貰うつもりで引っ込めた影慶には、いずれ闘士として出場してもらわねばならないし、彼は既に冥凰島に送られている。

 そして決勝戦には駆けつけるだろう塾長は、絶対に黙って観戦などしてはいないから、結局戦うことになる。

 ならば予定に組み入れた方が一周回って楽だろうとは、私と(ワン)先生との秘密裏の会話。

 というか、これは後から知った事なんだけど、確かに登録上では、闘士は十六名と決まっており、試合が始まってしまえばその時点での補充はできないが、その次の試合開始時点でなら、欠けた人員分の補充はしてもいいことになっており、その為の補欠人員や、必要ならオブザーバー的な人員も、連れていてもいいルールだったようだ。

 私、ついていっても良かったんじゃん!

 まあそれでも、あっちに正体が割れる危険があると、塾長や桃は反対しただろうけど。

 けど、影慶を一旦引っ込めるなどという手を使わずとも、赤石だって最初から連れて行けたわけで…ああでも、赤石が『補欠人員』などという立場に甘んじていられるとも思えないから、それも仕方ないか。

 ちなみに決勝リーグに入ってしまえば、途中からの補充が、ルールに明記されてはいないが事実上不可能になるので、その点でも補欠人員の同行は有利になるといえる。

 …もっとも、男塾(ウチ)には同行させられるだけの余剰人員そのものがいなかったか。

 

「…そのうちの一人がおまえじゃないと、本当に信用していいんだな?」

 おっと、思考が違う方向にずれてきていた。

 慌てて軌道修正し、赤石の質問に答えを返す。

 

「その案は、一応私が自分から出しましたが、塾長に却下されました。

 私としてはいささか不本意でしたが、そういうわけでどうぞ御安心を。」

 私が答えると、赤石は苦虫を噛み潰したような顔をして私を睨み、今日一番ムカつくコメントを放った。

 

「…これっぽっちも安心できねえ。」

 滅べ。

 

 ☆☆☆

 

 赤石を闘場の方へ送り出し、一通りの手続きを済ませたあと、帰りのヘリポートの方に向かう…と見せかけて、監視カメラの死角をうまくすり抜けつつ、事前に連絡をしていたランデブー地点へと移動した。

 思った通り、以前来た時と全く変わらない。

 その時行なった、この島全体を使ったオリエンテーリング形式の修行の際、ここの地理は頭に叩き込んだ。

 もはやここは私の庭のようなものだ。

 私が指定したその場所に、既に立っていた人物に声をかける。

 

「お疲れ様です。影慶。

 これからしばらく、よろしくお願いします。」

「光。…おまえがここの地理を把握しているというのは、本当のようだな。

 ここまで、一人でやってくるとは…!」

 影慶は相変わらずの無表情だったが、声にはどこか呆れたような、それでいて安心したような響きが混じっていた。

 

「島までの移動は赤石と一緒でした。

 彼は、私が彼の参加手続きを終えたら、そこで帰ったと思っている筈です。」

「赤石か。

 元々俺の途中離脱は、奴を加える為の計画でもあったからな。

 他に2人も欠員が出る事は予想外だったが。

 しかも我ら三号生からとは。面目無い。」

「その2人、無事回収して蘇生はできたらしく、あの後天動宮に送り返され、一般三号生が世話をしてくれる手筈になっています。

 が、私が塾に戻れない以上、恐らく大会終了より前に、回復させる事は不可能かと。

 蝙翔鬼と独眼鉄は、感情に流されやすいタイプです。

 こうなる事はある程度予想できました。」

 正確には蝙翔鬼は真っ直ぐ過ぎ、独眼鉄は優し過ぎる。

 結局二人とも不器用なのだ。

 

「…手厳しいな。

 同じ三号生の仲間としては、その実力のみで判断したいところだが。」

 その私のコメントに、少しだけ影慶が、睨むような目を私に向けた。

 …けど、赤石の苦虫噛み潰した顔を見慣れている私が、そんなんでビビるとでも思うか。

 

「確かに実力のみで判断すれば、一号生の富樫や虎丸など、正直足元にも及ばないのですがね。

 ムードメーカーとしての能力は抜群ですが。」

 正直あの子達に関しては、実力はそろそろ頭打ちだと思っている。

 けど、居ると居ないでは恐らく、チームの空気感が全然違う筈だ。

 …もっとも、空気感だけで勝てるのならば苦労などないわけだが。

 

「…私としては彼ら二人か、または独眼鉄と蝙翔鬼を外して、赤石と私をスタメン入りさせて欲しいと、最初に塾長に進言したのですが、聞き入れてはいただけませんでした。

 そうしておけば、わざわざ影慶にお辛い思いをさせずに済んだというのに。

 申し訳ございません。」

 そしてもっと気になるのは影慶自身の心だった。

 彼は己のアイデンティティを邪鬼様の傍に置いている男だ。

 そこから無理に離してまで、こんな事をさせる必要があったのか、ここだけは塾長の判断に疑問を感じる。

 そう思った言葉を素直に発したつもりだったが、何故か影慶は首を横に振った。

 

「…っ!い、いや。俺の事はいい。

 それよりも、奴ら全員闘場に着いたようだぞ。」

 周波数を合わせてある小型無線機から、闘士達の到着を告げるアナウンスが確かに聞こえる。

 全方向モニターも上の方に設置されており、ここからではやや遠いものの、それで映像も見えなくはない。

 イヤホンの位置を直しながら、私は影慶に頷いた。

 

「そのようです。

 戦いたくてウズウズしてた赤石が、出番を譲る事はないでしょうけどね。

 どうやら塾生(あのこ)達が到着する随分前から、闘場に立っていたようですし。」

 闘場も各陣の音声も正確に拾う高性能なマイクが、聞き違えようもない赤石の、顔に合ってない割と繊細な声を伝えてくる。

 

「遅かったな…この勝負、最初(ハナ)は俺がきらしてもらうぜ!!」

 ああ、やっぱり。

 ちょっと頭を抱えてる私を、影慶が不思議そうな目で見つめた。

 

 赤石がそう言って迎えた、決勝リーグ初戦の対戦相手は、宝竜黒蓮珠(ぽーろんこくれんじゅ)というチーム。

 東アジア宝竜半島で発祥したとされ、世界全域に勢力を持つプロの暗殺結社である。

 …思い出した。

 男塾に来る前、幸さんと二人でいる時に襲撃を受け、私が手にかけた簾轔虞衝濤(すりんぐしょうとう)使いの男。

 あいつは間違いなくここの一員だった筈だ。

 その直後に現れた豪毅の兄の獅狼(しろう)が、個人的に雇っていたらしいところから考えれば、かなり下位ランクの構成員だったのだろうが。

 というか、こいつら全員裏の世界の住人だろうに、この大武會という、知る人ぞ知るレベルとはいえ世界の好事家の注目を集める大会に堂々と出場していて、そのアイデンティティに影響はないのだろうか。

 …いや、私が心配する事じゃない。止そう。

 

 ・・・

 

「俺の名は宝竜黒蓮珠(ぽーろんこくれんじゅ)のひとり(チャン) (ホー)!!

 貴様の首はもらった!!」

 闘場へ縄ばしごを使わず、闘場に投げ打ったゴム様のロープを使ってひとっ飛びで降り立った男が名乗りを上げる。

 つか、意味あるのかその行動。いや、止そう。

 

「どうした、抜かんのか?

 背中に背負ったその大層な太刀は、ただのハッタリか……!?」

「この太刀を抜く必要が、あるかないかは俺が判断する。来い!」

「俺に大口を叩くと後悔することになる。

 思い知るがよい。

 この世で最も完成された、黒蓮珠の殺人技の恐ろしさを!!」

 (チャン)(ホー)と名乗ったその男は、地面に投げ打ったままのゴムロープの先の、何やら棘のついた球を掌に乗せ、背中に背負った武器を構…え?

 

宝竜黒蓮珠(ぽーろんこくれんじゅ)閘打烈球(こうだれっきゅう)!!」

 それは、どこをどのように見ても、テニスのラケットだった。

 それで打たれた球は一度真っ直ぐに飛んだ後、ゴムロープで繋がれている為に、打たれた方向に戻ってくる。

 それをまた打ち返す事で、速度が倍加するという事のようだ…が。

 いやあの、これ暗殺術だよね?

 大道芸じゃないよね?

 確かにスピードはものすごいものになってるけど、赤石の動体視力は並じゃない。

 この程度の攻撃など見切って難なく躱せる。

 

「なんの真似だ、これは…!?

 俺に、お嬢様テニスの相手でもしろと言うのか。」

 いや本当に。似合わない事この上ない。

 とか思ってたら、隣で影慶がちょっと咳込み出した。

 

「す、すまん。なんでもない。」

 とか言ってるが、絶対笑い堪えてる。

 …うむ、この鉄面皮を思わず吹かせた事だけは評価してやろう。

 

「フッ、多少腕に覚えがあれば、一個の球からは身を躱せよう。

 だがこの閘打烈球(こうだれっきゅう)の真髄はこれからだ!!

 奥義・閘打無限球(こうだむげんきゅう)!!」

 どこから出したものか、数を増した鋼球が、やはり凄まじいスピードで赤石に迫る。

 それでも赤石はそんなものは難なく見切り、躱しているが、それに焦れたのか(チャン)(ホー)が声を張り上げて挑発してきた。

 

「逃げてばかりでは勝負にならんぞ!!

 これでもまだその太刀を抜かぬつもりかーっ!!

 それともあまりに長すぎて、抜けぬというのではあるまいな!!」

「…余程、この太刀を抜かせたいらしいな。

 貴様ごときに使う太刀ではないが、見せてくれよう、冥途の土産に……!!」

 赤石の剛刀を、完全にハッタリだと決めてかかっている(チャン)(ホー)が、またも鋼球を無数に打ってくる。

 だが、

 

「一文字流奥義・烈風剣!!」

 軌跡すら見せず振るわれた太刀から、剣圧と闘氣が迸り、無数の鉄球を圧し返す。

 更に、

 

「けええ──っ!!」

 気合い声とともに放たれる一閃。

 … (チャン)(ホー)という男の運命はここに決した。

 

「大した迫力。なんという剛剣よ…。

 だがこの俺の体には、かすりもしなかったぜ。」

「…一文字流・斬岩剣。

 この世に斬れぬものはなし。」

 次の瞬間、星型の闘場の一角が斬れて落ちる。

 その上に立つ、(チャン)(ホー)の体を道連れにして。

 

「ま、まさか、おまえが斬ったというのは…!?」

 気付いた時にはもう遅い。

 

「地獄の鬼を相手に、思う存分テニスをするんだな。」

 刀を背中の鞘に戻し、赤石がそう言った直後、隣で豪快に咳き込む声が聞こえた。

 こちらに向けた影慶の背中が震えている。

 どうやら相当ツボに入ったようだ。




塾長と幸さんのシーンは、池波正太郎の「仕掛人・藤枝梅安」とか「鬼平犯科帳」みたいのをおぼろげにイメージしました。
あと、赤石の声はアニメ版じゃなく、ゲーム版の方を採用してます。
合ってないと思いつつ緑川ヴォイスは好きって事と、個人的にアニメの黒髪赤石の偽物感が消えなくて…。


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2・El Cóndor Pasa

 端をチーズのようにすっぱりと切り落とされた闘場から、赤石が宝竜黒蓮珠(ぽーろんこくれんじゅ)の陣地へ、指先だけで手招きをする。

 それを見て富樫や虎丸が、自分の出番だと騒いでいるのを、桃が留めているようだ。

 と、黒蓮珠の陣地から、巨大な猛禽が飛んでくる。

 それは闘場の真上、赤石の頭上をくるくる回り、その背からひとりの男が名乗りを上げた。

 

「俺の名は寇鷲使(こうしゅうし)!!

 宝竜黒蓮珠(ぽーろんこくれんじゅ)殺人技の真の恐ろしさ、骨身に思い知らせてやろう。」

 赤石はそれを、微動だにせず見上げている。

 むしろ驚いているのは自陣の味方たち。

 

「し、信じられねえ。

 あんなにでけえ鷲がいるなんて……。」

「い、いや確かに鳥はでかいが、上に乗ってる奴もえれえチビだぜ。

 …あれ、光よりちっこいんじゃねえか。」

 …ちょっと待て!

 今誰か余計なこと言わなかったか!?

 富樫か!富樫だなあの声は!

 あの野郎、後で覚えてろよ!

 ひょっとしたら私が忘れてるかもしれないけど、ってやかましいわ!!

 

「なるほど。

 近くで見れば見るほど異様な大きさの太刀よ。

 だがその大きさ重さでは、いかに威力があろうとも、そのスピードには限界がある。

 そこが貴様の弱点よ。」

 …このオッサン、さっきの(チャン) (ホー)との戦いを見ていなかったんだろうか?

 見ていれば、この男にそんな常識的な見解が通用しないって、わかりそうなものなんだけど。

 なんて事を思っていたら、寇鷲使とかいう小さいオッサンは、両端が刺又のような形になっている槍を持ったまま、一度鳥の上から逆さに飛び降りた…と思ったら、両足を鉤爪に掴ませ、逆さにぶら下がった状態から槍を振るう。

 

宝竜黒蓮珠(ぽーろんこくれんじゅ)奥義・飛吊襲鎌槍(ひちょうしゅうれんそう)!!」

 その素早く鋭い攻撃が、ギリギリで身を躱した赤石の首筋に傷をつけた。

 

「どうだ!!あらゆる鳥類の中でも最高の速度をもつ大鷲の素早さは!

 この俺の、軽量な体躯があってはじめて可能な殺人技よ!!

 自慢の太刀を抜くことも出来まいが!!」

 確かにそれは凄まじい速さで、赤石の動体視力なら見切る事はできても、若干身体がついていかないらしく、赤石の体に細かな傷が増えていく。

 奴の言う通り、太刀を抜く際のタイムラグが命取りになる可能性も否定できない。

 だが赤石の目は、その鷲よりも鋭い目で敵の動きを見据えており、そこに諦めも焦りも浮かんではいない。

 

「たいした奴よ。

 この絶体絶命の窮地にありながら、顔色ひとつ変えんとはな。」

 寇鷲使がいやらしい笑いを浮かべながら言うのに、赤石は初めて表情を変えた。

 

「フッ……絶体絶命?

 ………笑わせるんじゃねえ、どチビ!

 こんなかすり傷、いくらつけてみたところで、貴様に俺は倒せはせん。」

 …それは、極がつくくらい悪そうな笑み。

 私はもう見慣れてるけど、そうじゃない人が見れば、すごい怖いだろうなと思う。

 けど赤石の言葉を聞いた寇鷲使の顔色は、恐怖とは明らかに別の色に変わった。

 

「ど、どチビ……!

 貴様、俺のことをチビと言ったのか。」

 …どうやら気にしてたらしい。

 うん、その、なんか、ごめんなさい。

 こいつがソレ言い慣れてんの多分私のせいです。

 

「フフフ、気が変わった…。

 貴様には、もっと残酷な死を用意してやろう。」

 顔を引きつらせながら寇鷲使が、もう一度鷲の背に戻る。

 そこにあらかじめ用意してあったらしい(気が変わったとか言ってたけど、多分最初から使うつもりだったよね…)何かの袋を引き上げると、その袋から何か液体のようなものを、空中から撒き始める。

 

「…ガソリンの匂いだな。」

 ずっと黙っていた影慶が、唐突に言葉を発した。

 

「ガソリン!?という事は、まさか…!」

 その目的はひとつしかない。

 火をつけて赤石を焼き殺すつもりだ。

 

「貴様は紅蓮の炎に身を包まれ、悶え苦しみながら死んでいくのよ──っ!!」

 揮発性の強い可燃性の液体であるガソリンは、火をつければその気化したガスにまず引火する。

 その為、直接火をつけようとすれば、着火した瞬間に爆発が起こるから、通常はその時点で一番近くにいる着火者が被害を被る事になる。

 だがこの場合寇鷲使は空中にいて、危険の及ばない場所で着火して、その火を落とせばそれで済むのだ。

 撒く際に鳥や自分の手に付着していない事が大前提だが。

 

「どうだ、貴様に最後のチャンスをやろう。

 地面に頭をこすりつけ、跪いて命乞いをすれば、この殺し方だけは勘弁してやろう。

 さあ、やせ我慢をやめて跪くのだ、ん〜〜?」

 ガソリンの気化ガスが届かない上空でマッチを擦った寇鷲使の勝ち誇った顔を見上げながら、赤石は無表情に言い返す。

 

「ひねたチビの考えそうな事だぜ。

 俺が跪いたからといって、貴様の背丈が伸びるわけでもあるまいに。」

「死ねい〜〜っ!!」

 完全にブチ切れたらしい寇鷲使がマッチを指から離す。

 途端に炎が立ち上る闘場は、まわりが全て断崖絶壁。

 逃げる場所など存在しない。

 

「赤石っ!!」

 全てが炎に包まれ、その姿さえ見えなくなって、私は思わず叫んだ。

 

 ・・・

 

 だが。

 

「残念だったな、チビ。」

 炎が鎮まり、赤石の死体を確認しに降りた寇鷲使の鼻先に、その剛刀は突きつけられた。

 煙が晴れ、その刀を持つ巨躯が立つ地面は、薄い円錐の形にくり抜かれている。

 その中心にいる事で、炎から身を守っていたらしい。

 ホッとして思わず膝が崩れそうになり、影慶に支えられた。

 

「…申し訳ありません。大丈夫です。」

「おまえでも、動揺する事があるのだな。」

「…何か、ものすごい人格破綻者のように思われている気がするのは気のせいでしょうか。」

 それはさておき。

 

「…さっきおまえは俺に、死ぬ前に最後の願いを叶えてやると言ったな。

 だから俺も、願いを叶えてやろう。」

 言うや赤石は、寇鷲使の帽子を刀の切っ先で跳ね飛ばすと、その頭に刀身を振り下ろした。

 …ただし、刃ではなく地の方を。

 

「おまえの願いはこれだろう、良かったな。

 背が伸びたじゃねえか、チビ……!!」

 無駄に優しい声で言いながら、またあの悪そうな笑みを浮かべる赤石。

 殴られて大きなコブを作った寇鷲使が、怒りと屈辱に身を震わせるのがわかった。

 なんかもうほんとごめんなさい。

 

「お、おのれ…!!

 ここまでこの俺をコケにしおるとは……!!」

 寇鷲使は鷲の背に再び乗ると、一度空中高く飛び立ってから、真っ直ぐに赤石に向かって突っ込んでくる。

 

「こ、殺せ翻飛(ファンフェイ)ー!

 おまえの嘴で、奴を串刺しにしてやるのだーっ!!」

 だが、そんな無策な攻撃に、みすみすやられる赤石ではない。

 その背から再び斬岩剣兼続を抜き放つと、相手が突っ込んでくるのに合わせて、それを薙ぐ。

 一見、鷲とその主人は、その攻撃を躱したかのように見えた。

 そもそも、本人たちがそう思っていた。しかし。

 大鷲の、首から下の羽毛が散る。

 飛ぶ為、風を切るための羽根すら残さず。

 大鷲は、調理前のチキンの如く丸裸にされ、もはやその翼に飛行能力などありはしなかった。

 

「と、飛べ!飛ぶんだ翻飛──っ!!」

 落ちていく一人と一羽を見下ろしながら、赤石は刀を背に収めた。

 

「地獄の業火でヤキトリでもつくって、鬼どもにふるまうんだな。」

 …ていうかあの鳥、私が回収しちゃ駄目かな。

 駄目だよね、やっぱり。うん、何でもない。

 

 ☆☆☆

 

 …せっかく来てやったというのに、これじゃウォーミングアップにもならねえ。

 暗殺集団と言っていたが、ひょっとしたらこいつらよりも、光の方が強いんじゃねえのか。

 

「決勝リーグ初戦の相手がこの程度とは。

 あてがはずれたぜ。あとは任せるとするか。」

 俺の出番は、まだ早かったようだ。

 出番を譲れと叫ぶ後輩たちの声に、大人しく従う事にして、俺は自陣に歩を進める。

 …唐突に、首筋に痛みを感じて、思わずそこに手をやると、指先に針のようなものが触れた。

 すぐに引き抜いて、目で確認する。

 こんなものが刺さったところでどうという事もない…これが、ただの針であるならば。

 しかしこいつらは暗殺結社の者たち。

 それが、嫌がらせの為だけに打たれたものとは、さすがに考えられなかった。

 だと、するならば。

 

「仲間が倒されれば地獄の底までも追いつめ、血で償わせるのが、我ら宝竜黒蓮珠(ぽーろんこくれんじゅ)の掟。

 貴様を、このまま帰すわけにはいかん。

 …俺の名は(フー) 椿(チン)

 貴様に倒された二人の者たちと、一緒にしない方が身の為だ。」

 見ればいつのまに闘場に登ってきていたのか、顔を半分から分けるような横一文字の傷跡を持った男が、後ろから声をかけてくる。

 

「今、貴様の首すじに打ち込んだ針について説明してやろう。

 その針には、遅効性の猛毒が塗ってある。

 貴様に残された命は、あと十分……!!」

 …そんな(こっ)たろうと思ったぜ。

 

「だが心配することはない。

 ここに、その毒に対する解毒剤がある。」

 そう言うと、(フー)椿(チン)と名乗ったそいつは被っていた帽子を投げ捨てた。

 その頭上に、液体の入ったグラスが乗せられている。

 

「貴様に残された道はただひとつ。

 俺を倒し、一刻も早くこのグラスに入った解毒剤を飲むことよ。

 十分間、死の恐怖を存分に味わうがいい。

 これぞ悪名高き、不被報死頭盃(むくわれずのショウタオペイ)!!」

 なるほど。この男はこの状態で戦うつもりか。

 これが地面に落ちたりすれば、その時点で俺の死が確定するという事だな。

 

 ☆☆☆

 

「毒……!?」

 (フー)椿(チン)という男の言葉に、私は息を詰まらせる。

 生き残る道と言ってはいるが、これは事実上の拷問だ。

 

「なるほどな。あんな不安定な状態に解毒剤を置かれれば、攻撃の手も弛まざるを得んし、時間が経てばその毒の影響が身体に現れ、ますます不利となるわけだ。

 まったく、厄介な事だな。」

「お前が言うな。」

「ん?」

「いえ、何でも。

 …いざとなれば、一旦あの闘場から脱落させてでも、私が解毒治療を行ないます。

 その際には、彼の身柄の回収は、あなたにお願いする事になるかと思いますが。」

 私が言うと、影慶は相変わらず無表情ながら、力強く頷いてくれる。

 

「…俺は、その為にここにいるのだ。

 必要な時は、遠慮なく使うがいい。」

 

 ・・・

 

「黒蓮珠奥義・敝摯自在銛(へいしじざいせん)!!」

 (フー)椿(チン)は、肩から提げていた金属製のロープのようなものを、赤石に向かって投げてきた。

 それは先端に刺突武器が付いていて、どうやら手元で操作しているらしい。

 最初の一撃こそ赤石は難なく躱したものの、生き物のように変化して襲いかかってくるその先端が、赤石の太い腕を掠った。

 感覚としては、伊達の蛇轍槍(じゃてつそう)とか、邪鬼様の繰条錘(そうじょうすい)みたいなものだろうか。

 桃はどちらも自分の身体に一度当てて動きを止めていたけど、できればそれはやって欲しくない。

 

「フッ、この頭上のグラスが気になるだろう。

 だが、そう心配するな。

 俺の修練を積んだ平衡感覚をもってすれば、そう簡単に落とすことはない。」

 その言葉とともに、変幻自在に襲いかかってくるそれを、最小限の身体の動きで躱しながら、赤石の目が正確にそれを追う。

 やがてそれが真正面から向かってくるのを、その動きを見極め、直接手で掴んで止めた。

 

「ほう、たいしたものよ。

 この自在銛の動きを見切るとは。」

 こんな程度、赤石の動体視力をもってすれば何という事もない。けど。

 

「だが貴様は、自分の立場が、まだわかってないらしい。

 いいのかな、そんな真似をして。

 そんなに強く引っ張ったらあ……おーっとっと!」

 そもそもが、己の命を人質に取られている状態。

 (フー)椿(チン)はわざと頭を揺らし、倒れそうなグラスが、ほんの僅かに水滴を落とす。

 赤石が手を離すと、(フー)椿(チン)は武器を手元に戻しながら、勝ち誇った顔で笑った。

 

「なんて事だ。

 あれでは奴のいいなりになるしかない。」

「外道が……!!」

 自陣から伊達と桃の呟きが聞こえる。

 

「ついでにそのバケモノ刀ももらっておこう。

 貴様の超人的な強さをああも見せつけられては、用心に越した事はないからな。」

 そう言いながら、(フー)椿(チン)がわざとまた頭を揺らす。

 仕方なく、赤石は背中の刀を抜くと、(フー)椿(チン)の後方にそれを投げた。

 その切っ先が地面に刺さる。

 

「これで貴様の死はますます確実なものとなった。

 だが貴様ほどの男!

 仕上げはこの自在銛で切り刻んでやるぜーっ!!」

 

 …その光景に、意識がどこをどのように逃避したか、何の脈絡もなく私は、アーサー王伝説の聖剣を思い出していた。

 選ばれたものにしか抜く事の出来ぬ剣。

 剣に選ばれし者こそ王なり。

 そして斬岩剣は、赤石以外を選ぶ事はない。

 

「ワッハハハ、毒のために目もかすみ、動きもままならなくなってきたろうが──っ!!」

「だ、だめだ!!赤石が殺られる──っ!」

 敵と味方の声が入り混じる。

 

「そろそろ、俺たちが動いた方が良さそうだな。」

 隣から影慶が、私に言葉をかける。

 

 その瞬間。

 

「赤石は、絶対負けません。」

「赤石先輩は、負けはせん。」

 

 全く同じタイミングで。

 私と、桃の声が、重なった。

 

 ・・・

 

「フフフ、どうした。もはや躱す事さえ諦めたか。

 無理もない。

 その傷と、全身に回った毒で、立っているのも精一杯だろう。」

「…男の勝負を汚した罪は重い……!!

 その償いはたっぷりしてもらうぜ。」

 赤石は、言いながら下緒を口で引き、背中に負っていた鞘を、刀を持つようにして構えた。

 

「そんなものが武器として通用すると思うのか。」

 鼻で笑う(フー)椿(チン)に構わず、赤石はその鞘を地面に突き立てると、それを棒高跳びの如く支えにして跳躍した。

 よくぞこの図体で、と思うくらい軽々と、(フー)椿(チン)の頭上遥か上を飛び越えて。

 手にするは愛刀・斬岩剣兼続。

 次の瞬間には、(フー)椿(チン)の頭上にあった解毒剤のグラスが、その(しのぎ)の上に乗せられていた。

 薙いだ軌跡すら見せず、(フー)椿(チン)の頭に傷すらつけず。

 赤石の大きな手がグラスを取り、一旦頭上より高く掲げられてから、中身が一気に飲み干される。

 

「乾杯だ。貴様の確実な死に!!」

 太い首の上で、喉仏が上下に動いた。

 

 ・・・

 

 味方の陣からの歓声を背に、赤石の手から、空のグラスが足元に落とされる。

 地面に当たって割れると同時に、ブーツの底がそれを踏んだ。

 一歩踏み出しただけで、手にした太刀が(フー)椿(チン)の鼻先に突き出され、(フー)椿(チン)はそれを避けて、仰け反るような体勢のまま後ずさる。

 

「どうだ、奈落の底に落ちたいか…。

 それともその身を、真っ二つにして欲しいか…!?

 出来れば、貴様のような下衆の血で、この刃は汚したくない。」

 どうすると問いながらも、赤石は一歩、また一歩と、(フー)椿(チン)を闘場の端まで追いつめていく。

 答えずにいればこのまま、闘場から崖下へ、真っ逆さまに落下するだけだ。

 

「待て、俺の負けを認める。

 だ、だから、命だけは……!」

 そう言いながらも何か動きがおかしいと思ったら、(フー)椿(チン)は袖口から口でなにか、筒のようなものを引き出した。

 それがどうやら、最初に使った毒針を放った吹き矢であったらしい。

 だが、後ろから放たれた先ほどと違い、目の前で吹いてきたそれを、赤石が見切れぬ筈もない。

 無造作に上げた刀の()ではじき返し、悪あがきの返礼に斬り上げる。

 それを跳躍で躱した(フー)椿(チン)は、例の自在銛をまたも、赤石に向けて投げ打ってきたが、それもまた斬岩剣の一閃で返された。

 

「残念だが、貴様は俺の手には負えんようだ。

 貴様の始末は先達の方々にお任せし、俺はひとまず退くとするぜ。」

 縄ばしごまでは距離があり過ぎるが、自在銛を命綱にすれば、ここから飛び降りても自陣には戻れる。

 

「残念だったな、じゃあ、あばよ!!また会おう!」

 そう言って高笑いしながら闘場から飛び降りた(フー)椿(チン)を、軽蔑したように睨みながら赤石が呟く。

 

「……それは出来ない。

 貴様とは、この世で二度と会うことはない。」

 自身で言った通り、飛び降りながら闘場の壁に投げ打とうとした自在銛が、投げた先でバラバラになって宙に散る。

 命綱を張ることができず、勿論先ほどの鳥のような、羽ばたく翼など持ってはいない(フー)椿(チン)は、悲鳴を上げながら崖下に落下していった。

 先ほど赤石の刀に弾かれた際、最初の一閃しか見えなかったが、いつか私の目の前で桜の花びらを細断して見せた時と同じ事が、どうやらここで起こっていたらしい。

 

「一文字流・微塵剣!!

 貴様のような奴を、俺が逃がすと思うのか!」

 背に負い直した鞘に刀をおさめながら、赤石が崖下に向けて言い放った。

 

 ☆☆☆

 

「…赤石の出番は無事終わったようだな。

 少し際どい場面もあったが、初戦としては上々だろう。」

 今度こそ縄ばしごを渡り、他の闘士たちと合流した赤石を見て、影慶が言う。

 

「そうでしょうか?

 あの程度の相手にこの結果では、不覚を取ったと言ってもいいくらいでしょう。

 せっかく、あなたに一時退いていただいてまで呼び寄せたというのに、お恥ずかしい限りです。

 申し訳もございません。」

 本来、実力的には、赤石の足元にも及ばない相手ばかりだった。

 不意をつかれたとはいえ、油断しすぎだ。

 

「…本当に手厳しいな。

 俺はあの男が戦っているところを、まともに見たのは初めてだが、まだ実力の半分も見せては居まい?」

「当然です!こんなもので終わられたら、たまったものではありません!」

 私が思わずムキになって言い返すと、何故か影慶は、唇の端に微かに笑みを浮かべた。

 

「…なるほど。赤石の強さに関しては、全幅の信頼を置いている、という事だな。

 それが故に余計、先ほどのような戦いでは不満と。」

 そう言われて、私は一旦冷静になり、肩をすくめて答える。

 

「……ある一点を除いては、ですけど。

 私としては、その唯一の弱点を、これから戦う敵が、ついてこない事を祈るばかりです。」

「弱点、とは?」

「…言わずにおきましょう。

 今後万が一、あなたが赤石と戦う事になった場合、あなたがそれを知っているのはフェアじゃありません。」

 とはいえ、赤石の選択次第では、邪鬼様がそれを知ることになる可能性がないわけじゃないけど。

 例の「一文字流・斬岩念朧剣(ねんろうけん)」。

 赤石の「弱点」を、逆に武器に変え得る一手。

 得る為には邪鬼様か桃に、『氣』の指南を受けるのが、一番の早道になりそうだから。

 けど…なんとなくだけど赤石は、邪鬼様よりは、その相手には桃を選びそうな気がする。

 …何にせよ、私が生きてそれを目にする事は無いだろうけど。



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3・You’ve Got Me Crying Again

「あの八連制覇の戦いから一年…」
桃さん、それだとメッチャ留年しとりますがな。
ほんとに何ヶ月戦ったつもりでいるんですか。
そんなわけでこの台詞はカット。
この話の中では1ヶ月です。

毒手
①殺そうとする行為。 「 -にたおれる」
②憎むべき悪巧み。悪辣な手段。魔手。

これらの事を踏まえて光と影慶とのやりとりを読んでいただければ、また違う感覚が味わえるかと思います。ある意味光も『毒手持ち』。


「押ッ忍!お疲れ様でした!!」

「いやあしかし、赤石先輩が助っ人に来られるとは、こんな心強い事はありませんぜ!!」

 ずっとうるさく声を張り上げていた後輩二人が、俺に向かって頭を下げる。

 …こっちの富樫って奴は、俺が男塾に戻った日に義呂珍(ギロチン)にかけてやった野郎だ。

 正直実力で言えば江戸川とどっこいってトコだろうに、よくこの場所まで生き残ってたモンだ。

 

『とにかく根性のある子ですから、それが生きる場面で使ってやれれば、爆発力はあるかと思います』

 と、八連制覇の後に光が言ってたし、ひょっとしたら土壇場に強いタイプかもしれねえが。

 つまらない事で負傷してさえなければ、俺もまだまだ戦い足りねえが、この後は譲ってやるとしよう。

 こんな戦い、もしあいつに見られていたら、相当ボロクソ言われそうな気がする。

 

『油断し過ぎですよ、赤石。

 あんな格下の相手に、不覚をとりましたね』

 とかなんとか、物理的には下から見上げながらの上から目線で。

 言ってろ、チビが。

 

「…こちらに向かった助っ人は、確か三名と聞きましたが、あとのふたりは、誰が来るんですか?」

 思考を遮り、俺に新しいサラシを差し出しながら問うてくるのは、剣。

 一号生ながら、大将なんて責任負わされてやがるくせに、そんなプレッシャーなんぞどこ吹く風とばかりに、相変わらず涼しい顔してやがる。

 

「…わからん。俺は、塾長の命令で来ただけだ。」

 受け取ったサラシを、止血に使うべく裂きながら、俺は一言そう告げる。

 ここまで光と一緒だった事を、何故かこいつには言いたくなかった。

 男塾を発つ時、こいつらが互いを見交わした瞳と瞳。

 何かあったなとピンと来たが、それを問う事は出来なかった。

 俺はそこまで野暮じゃねえ…そう自分に言い聞かせて、腹の奥で何かが騒めく、その感覚に蓋をした。

 

 ☆☆☆

 

「…次はどうやら、先程おまえが言った、ムードメーカーの出番のようだぞ。」

「そうですね。だとすれば恐らく今度こそ、私たちの出番でもあります。」

 影慶の言葉通り、次に闘場に降りてきたのは富樫と虎丸の二人だった。

 それまで仲間達の戦いに驚くのが仕事だったのに、ようやく出番が来たのがよほど嬉しかったのか、ただでさえ不安定な縄ばしごの上を走って渡り、虎丸が足を踏み外して、あわや落下する寸前という始末。

 何をやってるんだあの子たちは。

 少し落ち着きなさいまったく。

 一応実力は頭打ちと思ってるけど、君たちが努力してきてるのは、私もよくわかっているから。

 

「我が名は宝竜黒蓮珠(ぽーろんこくれんじゅ)副頭・阿們(あもん)!!」

「同じく黒蓮珠副頭・呍們(うんもん)!!」

 白い拳法着を身につけた二人が、闘場に下りてきてそれぞれ名乗りをあげる。

 先ほど出てきた黒衣の男たちとはまるで違う凄みは、さすが副頭を名乗るだけの事はあろうか。

 二人の拳は二身一体拳、古代中国拳法にあって、幻の必殺拳と恐れられたものだという。

 どうせなら赤石はこっちを相手すればよかったものを。

 脳筋が血気に逸るとこれだから…たく。

 

「知っての通り私は救命は出来ても救助はできません。

 そちらはお任せいたします、影慶。」

「承知した。

 先ずは可愛い後輩どもを、死なせぬ為の準備をしておくとしよう。」

 そう。

 今の私達の仕事は、仲間を死なせない事だ。

 

 ☆☆☆

 

「男塾一号生、富樫源次!!」

「同じく、虎丸龍次!!」

 学ランを脱ぎ捨てながら、二人も名乗る。

 その様子に、相手方はがっかりしたようにため息をつき(まあ、赤石の闘いをじっくり見た後だと確かに見劣りするけど、その態度はあんまりにも露骨過ぎるだろ)、それから、二人同時に構える。

 

「見せてくれよう、黒蓮珠・阿呍拳(あうんけん)!!」

 …その構えからすると、奴らの武器は指拳らしい。

 

「な、なに〜〜っ!!

 二人がピッタリ同じ構えで重なり、ひとつになった〜〜〜!」

「馬鹿野郎、驚くのはもういいんじゃ!

 これは俺達の闘いなんだぞ──っ!!」

 …緊張感ないな、オイ。

 まあ変に構えない方が、この子達らしくていいかもしれないけどね。

 

 ・・・

 

 そして、虎丸もどこからともなく取り出した武器を構える。

 …なんか、ヌンチャクの棍に鎌の刃と…反対側にトゲ付きの鉄球が鎖でぶら下がってる。

 あれ?これに似たようなものをこの間、教室で田沢が一生懸命作っていたけど、ひょっとしたら虎丸からの発注だったんだろうか。

 ただ、あの時見たやつはもっと物騒な形状で、これより鎖がやたらと長い上に、鎌の部分にも同じ長さの鎖がついており、こんなもの振り回したら自分の首切り落としちゃうんじゃないの?という内容の事を力学的な根拠と共に、わかりやすいように図面でも説明したらいきなり気絶したけどなアイツ。

 そういえば今隣にいる男は犇斧(ホンフ)ヌンチャクという、やはり棍部分に斧のついた武器を使っていたけれど…。

 

「ふむ…使いこなせれば強力な武器だが…。」

「納得すんのかよ!」

「ん?」

「いえ、何でも。」

 …この、心の声がうっかりだだ漏れる癖、御前のもとにいた時にはなかったんだけどな。

 そもそも目の前で起こっている事象にツッコミを入れられるほどものを考えてはおらず、大体の事は普通に納得して生きてきた。

 今考えると、人間として不自然だ。

 言うと赤石は怒るだろうが、やはり私は飼い犬だったのだろうと思う。

 …それはさておき、気を取り直して見守っていると、虎丸は気合声と共にそれを、普通にヌンチャクを扱うように振り回す。

 …この子、結構器用だな。と思っていたら、一通りのパフォーマンスを終えて動きを止めた瞬間、鎖の先の鉄球が後頭部に当たった。

 …やっぱりな。色々詰め込み過ぎなんだよ。

 けど、もしかすると影慶なら使いこなせるかもしれない。

 それを持って襲いかかる虎丸に、

 

「阿!!」「呍!!」

 奇妙な掛け声と共に、阿們と呍們、二人の手が同時に動き、次の瞬間、二人の指拳に挟まれた鉄球が粉々に砕かれていた。

 

「まあ、うちにも卍丸と羅刹がおりますから、砕かれた事そのものに驚きはしませんが…。」

「恐るべきは二身一体の絶妙なる阿呍の呼吸。

 それは単独で行なう時の二倍、三倍もの威力となる。」

 私の隣で、影慶も息を呑んでいる。

 虎丸の更なる無策な攻撃は息の合った防御に阻まれ、彼は二本の指拳に両肩を貫かれた。

 

「貴様の全身に、蜂の巣の様に風穴を開けてやろう。」

 それを見て富樫がドスを抜き放ち突進するも、あっさりと跳躍で躱され、ドスの剣先が虎丸を、あわや突き殺すところだった。

 なんとかその刃先を躱した虎丸が、その富樫の背後から肩を貫こうとした指拳から、その身体を抱えて直撃を避ける。

 しかしそれで体勢を崩したところに、またも二つの指拳の追撃が来た。

 その素早さに対抗するため、考えうるベストポジションを取るも、阿們と呍們は背中合わせに倒立して、回転しながら虎丸に襲いかかる。

 どうやらまず、虎丸を先に片付けようとする算段らしい。

 その動きがあまりに速すぎて、富樫は虎丸を助けに行けない。

 そうこうしているうちに虎丸は、闘場の端まで追い詰められた。

 

「虎丸──っ!!」

 ドスを構えて間に入り、なんとかその人間大車輪を止めようとする富樫。

 だがその肩をまた指拳に貫かれたばかりか、回転による衝撃は、あろうことか富樫の体を、虎丸の方に弾き飛ばした。

 富樫は、崖っぷちの虎丸の体にぶち当たり、そのまま二人揃って落下する…と思いきや、富樫は崖っぷちになんとかしがみついており、虎丸はその、富樫の脚を掴んでいる。

 

「…どうやら、落下に備える必要がありますね。」

「心配無用。既に用意してある。」

 見ればいつの間に揃えたものか、無数の大きな布が周囲に張られており、影慶はロープを手にしている。

 どうやらあらかじめこの場所に仕掛けておいたもののようで、このロープを引くことで、闘場の周囲一帯に、一瞬で救命幕を張る仕掛けになっていたようだ。

 

「この武舞台の形状を考えれば、落下は充分考えられる事態だからな。

 このくらいの準備はしてきた。」

 …相変わらず無表情だが、それでもちょっとドヤ顔に見えるのは私の気のせいだろうか。

 だがどうやら影慶は、私が思っていたよりずっと器用なタイプのようだ。

 考えてみれば影慶は邪鬼様の秘書的な存在で…あの人、常識が通用しないから、色々不測の事態もありそうだし。

 塾長の人選はひょっとして、いざという時のフォロー能力を見込んでの抜擢だったのだろうか。

 この人案外、桃と同じくらいの完璧超人なのかもしれない。

 

 

「赤石とかいう男の勝負を見たあとでは、どうしても貴様等が同じ男塾の者とは信じられん。」

 …実はどっちが阿們でどっちが呍們なのか把握してないのだが、とりあえず髪の長い方がそんな事を言って、両腕が塞がれて抵抗できない富樫の、額に向けて指拳を突き出す。

 富樫!負けてもいいから!

 絶対受け止めてあげるから!

 二人とももう落ちてきなさい!!

 全力の祈りも虚しく、富樫は指拳に額を貫かれ…なかった。

 

「まずい指だぜ、便所行って手ェ洗ってんのか?」

 …実際の発音はもっと不明瞭だったが、こんなとこで間違いないと思う。

 どうやら富樫は阿們だか呍們だか髪長い方の指拳に対し、噛み付いてそれを止めたらしい。

 次いで、虎丸に声をかけて身体を振ると、虎丸は富樫の脚を掴んだまま、遠心力で飛び上がる。

 落下を免れ、二人は投げ出されるようにして闘場へと戻った。

 富樫が地面に何かを吐き出す。

 それは、どうやら長髪の、食い千切った人差し指のようだ。

 …そういえば、と隣の男の右手を見る。

 全体が包帯に包まれているが、小指の長さは左と特に変わりはないようだ。

 

王大人(ワンターレン)が接合の処置をしてくれた。

 2、3日もあれば元通り動かせるそうだ。」

 私の視線に気がついた影慶が、右手を持ち上げる。

 無言でその手を取り、手首に氣の針を撃ち込んでやった。

 肝心の傷は包帯の下だから目視はできないが、今ので完全に治癒してる筈だ。

 

「…感謝する。」

「いえ。あなたに万全の状態でいてもらわねば、私が困りますので。」

 …さて、闘場では何やら杭と、ゴムロープのようなものを取り出した富樫と虎丸が何やら準備している。

 余裕なのか呆れているのか、阿們と呍們は、その様子を特に妨害するでもなく見ているようだ。

 

「そっちの準備はいいか、富樫!!」

「おう、完了じゃ!!」

 …見れば、ゴムロープは富樫の両足と虎丸の腰に巻かれ、寝転がった状態で両脚を宙にまっすぐ伸ばした状態の富樫が、地面に打ち付けた杭を掴んで身体を支えている。

 その足首のゴムロープを身体で後方に引いているのが虎丸。

 …なんかわかってきたぞ。

 

「奥義その一、名付けて豭門跳體砲(かもんちょうたいほう)!!」

 二人がやろうとしているのは、どうやらゴムロープの反動を利用して猛スピードで飛んで襲いかかる、人間投石器というべき技であるらしい。

 ゴムロープの張力をいっぱいに使って飛び、虎丸が阿們呍們に鎌で斬りかかる。

 二人がそれを躱して反撃に出る前に、ゴムロープは虎丸の身体を富樫のもとまで戻して、同じ手順で更に追撃。

 今度は指拳で待ち構える長髪の、横っ面を蹴り飛ばす。

 これはこれでなかなかに楽しそうだが、何度も通用する攻撃ではない。

 互いに声をかけ合った後、短髪の方が懐から何かを取り出して弟に投げ、弟がそれを受け取った。

 どうやら二人はピアノ線のような細い金属糸を間に張っているようで、その真ん中に何か…刃のついた円盤の中心にその糸を通してある。

 

「黒蓮珠奥義・輪舞尰僉戯(りんぶしょうせんぎ)!!」

 二人が腕を回して糸と円盤を操り、回転させる。

 そこに第三撃を仕掛けに飛び込んできた虎丸の、体とゴムロープが切り裂かれた。

 

「ぐあ〜〜っ!!」

「と、虎丸──っ!!」

 一瞬にして全身血まみれになり、地面に落下する虎丸に、富樫が駆け寄る。

 

「覚えておくがよい!!

 この円盤はもちろんのこと、この渦を巻いている刃鋼線に触れたが最後、その男のようになることを!!」

 どんどんスピードを増してくるその回転する刃から虎丸を庇い、自らも傷を負ってゆく富樫。

 このままでは二人とも殺られる。

 そこへ、富樫の背中から飛び出した虎丸が、無謀にも真正面から円盤に向かった。

 円盤が虎丸を真っ二つに切り裂くかと思った刹那、富樫が先ほどの豭門跳體砲で使った杭を投げ、刃がそれに突き刺さって止まる。

 

「今だ虎丸、その円盤を押さえ込め──っ!!」

 その富樫の声に従い、虎丸が杭ごと円盤を掴んだ。

 同時に富樫がドスを抜き放ち、長髪の肩を刺し貫く。

 その勢いでそのまま二人は地面を転がり、その身体が闘場の縁から投げ出された。

 

「うわああ──っ!!」

「と、富樫──っ!!」

 

 ☆☆☆

 

「……落ちて来ぬようだな。」

「………あれを!」

 てっきり落下してくると思った富樫の身体は、先ほどの鋼線が巻きついた状態で、敵と二人、崖からぶら下がっていた。

 虎丸が円盤の刺さった杭を掴んで、二人の身体を引き上げようとしている。

 …獄悔房で半年間、200キロの吊り天井を支えていた虎丸だが、上からの力を支えるのと、下からの重みを引っ張り上げるとではやはり違うのだろうか。

 糸の細さと体勢の不安定さも加わって、思うように力が入らないらしい。

 

「て、てめえも手伝ったらどうだ──っ!!

 俺一人で上げられるもんじゃねえ!!」

 双方の相棒が同じ状態で吊り下がっている以上、当然相手も助けに入る筈…と虎丸は思ったようだが。

 

「手伝うだと…どういう意味だ、それは!?」

 短髪は手にしていた鋼線の持ち手を投げ捨てると、両手が塞がった状態の虎丸の、無防備な背中に指拳を撃ち込んだ。

 

「ど、どういうつもりだ…てめえの弟の命もかかっているんだぞ!」

「その未熟者はもはや必要ない。

 傷を負ったその身では、精妙なる阿呍拳をこなすことはできぬ。」

 …そうだろうな。

 兄弟とはいえ、この者たちは暗殺者だ。

 

「むう…非道な。血を分けた兄弟を…。」

 …だが、この場でそれが当然であると感じているのは、どうやら短髪本人以外は私だけであるらしい。

 隣の影慶はいかにも軽蔑するような目をしてるし、弟は兄に、普通に助けを求めて叫んでいるし、虎丸は反撃もできぬまま、短髪の指拳を受け続けるのみ。

 

「もういい、虎丸、離せ──っ!!

 このままじゃおまえまで殺られちまうぞ──っ!!」

 自分の存在が人質同然である事に耐えきれなくなったのだろう、富樫が虎丸に向かって叫ぶ。

 

「ふざけたことぬかすんじゃねえ、富樫!

 おまえひとりを死なせてたまるか!」

 それでも杭を両手で握り続ける虎丸の姿に、富樫がなにかを思い極めた顔をする。

 それから、ドスを握ったままの腕を上げ…、

 

「さらばだ、虎丸……おまえだって、こうするはずだぜ。」

 そう言って、自身に絡んだ刃鋼線を、ドスで切り払った。

 それにより二人の身体が、重力に従って落ちていく。

 

「頼んだぞ虎丸──っ!!

 必ずだ、必ずそいつを倒せ──っ!!」

 いつかのような、神風は吹かない。

 代わりに上昇する谷風が、くたびれた学帽を闘場まで吹き上げた。

 

 ・・・

 

「馬鹿な奴よ、貴様を助けたつもりだろうが…悲しむことはない。

 すぐに冥途で会わせてやろう。」

「ゆ、許さねえ。

 この俺の、煮えたぎる怒りを鎮められるのは、貴様の血だけだ!!」

 

 

 ☆☆☆

 

「フッ。相変わらずだな、富樫…。」

「どうもこの子は、高いところから落下する癖があるようですね。

 驚邏大四凶殺の時といい、大威震八連制覇の時といい。」

 影慶が、用意していた救命幕の上に落ちそこから跳ね上げられた富樫の身体をキャッチして、私の前に連れてきた。

 その傷の具合をすぐに確認する。

 

「…切り傷は多数あるも、致命傷になるものはなし。

 この程度の傷なら、すぐに綺麗に治せます。」

 だが私の言葉に、影慶が首を横に振る。

 

「いや。

 致命傷や余程の重傷であるならともかく、そうでなければ止血と応急処置のみに留めておけ。

 あった筈の傷まで綺麗に治っていたら、奴らはおまえの存在に気づいてしまう。」

 言われてみれば、確かにその通りだ。

 私がいると判れば、あいつら今以上に無茶をしかねない。

 頷いて、簡単な傷の手当てだけをする。

 と、少し離れた場所に、白い拳法着を纏った、長い髪の男が倒れており、その胸が微かに上下するのが見えた。

 …よく見たら胸に書かれてるの『呍』って文字だ。

 ということは、コイツが呍們で、上に残ってるのが阿們って事か。

 まあどっちでもいいんだが。

 

「…コレ、まだ生きていますね。

 念の為、始末しておきましょう。」

 生かしておくと面倒な事になりかねないと判断して、呍們の首筋に手をかざす。だが、

 

「おい待て。

 無抵抗の者を手にかけずとも良かろう。

 ついでに手当てしてやろう。」

 なんだかえらく甘い事を言う声に止められた。

 

「…優しいのですね、影慶は。

 無駄になる気がするので、私はしたくありませんけれど。」

 私が言うと、少し睨むような目を私に向けた影慶が、ひとつため息をついてから、自分で呍們の傷の止血をし始めた。

 

 

 一通り済んで、富樫が戻る為の縄ばしごを掛けてくると言って、影慶が立ち上がろうとした…その時。

 気を失っていた筈の呍們が、影慶の喉に向けて指拳を放った。

 

「っ……!?」

 …だが、それは影慶の身体に触れる事なく地面に崩れ落ちる。

 どうやら後ろにいた私がまったく目に入っていなかったらしい。

 私の指先で、背中から撃ち込まれた氣の針は、脊髄を通り、脳に達してそこで弾け…瞬間、呍們の身体の全ての生命活動が、停止した。

 …何故だろう。気持ち悪い。

 

「…だから言ったでしょう。無駄になると。」

「…そのようだな。俺が甘かったようだ。」

 やや息を乱して、影慶が自身の喉に手を当てながら、倒れた男をじっと見た。

 心配しなくとも、もう起き上がっては来ない。

 

「この者たちは、暗殺者です。

 任務に失敗すれば、どの道生きられはしません。

 この者が仲間の元へ帰ろうとするなら、この場の私たちを殺し、未だ気を失ったままの富樫も始末して、最低限の条件といったところです。

 情けをかけるだけ無駄なんですよ。

 私も同じだったから、わかります。

 蛇の道は蛇、です。」

 私の言葉に、影慶が顔を上げて私を見た。

 それから一瞬だけ、何故か驚いたように目をみはる。

 それが何を意味するか気にはなったが、正直そんな事に構っている余裕はなかった。

 …今まさに死んでいく人間の感触というのは、こんなに気持ち悪いものだっただろうか。

 何度も触れている筈なのに、今までそのように感じたことはなかった。

 

「さあ、一旦この場を離れましょう。

 富樫が目を覚ましてしまいます。」

 その己の中の感覚を何とか誤魔化しながら、私は影慶に声をかける。

 

「あ、ああ。

 …上では、虎丸がまだ戦っているようだな。」

 何かに戸惑った表情のまま、影慶がまた闘場を見上げた。

 

 ☆☆☆

 

「来い…!!

 これ以上、くたばりぞこないの貴様に、かまっている暇はない。」

 残った阿們の言葉を背に聞きながら、虎丸が富樫の学帽を握りしめる。

 

「見ていろ富樫!

 おまえとの約束、必ず果たすぜ!!」

 拳を振り上げ突進してくる虎丸に、合わせて構える阿們だったが、突き出した指拳の腕に一瞬手を置いた虎丸が、それを支点にして蹴りを放つ。

 驚きつつも、目にも止まらぬ速さで反撃の指拳を繰り出してくる相手の、その攻撃すら見切って、更に蹴り。

 富樫を失った怒りと悲しみが、元々高い虎丸の潜在能力を覚醒させたようで、その動きは先ほどまでとは別人のようだ。

 と、阿們は服の下から何か、傘のような形状のものを取り出すと、指拳と共にそれを構える。

 

「なんだか知らねえが今の俺に、そんなものが通用するか──っ!!」

 少し優勢に傾きかけた勢いのまま、虎丸が拳を固めて阿們に向かう。瞬間、

 

「黒蓮珠阿呍拳奥義・傘蔽破(さんぺいは)!!」

 阿們は向かってくる虎丸の前に、それを広げて一瞬視界を塞ぎ、その影から指拳を放ってきた。

 

「確かに貴様は、俺の拳筋を見切っているようだ。

 だが一瞬この傘を広げ、体を隠した時、どこからくりだされるかわからん指拳は防ぎようがあるまい。」

 …どうやら本当に傘だったらしい。

 その傘に一瞬隠れた次の瞬間に、それを突き破って襲いかかる指拳の、その連続攻撃に、虎丸の身体が一瞬で穴だらけになる。

 しかも的確に関節を狙っているようで、文字通り『手も足も出ない』状態にされた。

 それでも唯一の武器である例の鎌を、口に咥えて、阿們を睨みつける。

 闘志の未だ衰えない、その目はまさに虎の目だ。

 

「大した奴よ。

 かつて貴様ほどの闘志を持った男は知らん。

 その根性に敬意を表し、次の一撃で額を貫き、楽にしてやろう。」

「お、おう。よーく狙え……。

 俺を殺すには脳天ぶち抜くしかねえぜ。」

 言いながらなんとか立ち上がり、恐らくは最後の力を振り絞って、虎丸は突進する。

 

「と、富樫──っ!!俺に力を貸してくれ──っ!!」

「死ねい──っ!!」

 阿們の指拳が傘を破り、その向こうで確かに血が飛沫(しぶ)いた。

 

 

 が。

「な、なに〜〜っ!!」

 その血は、指先を潰された阿們の血。

 それが当たっているのは、虎丸が被った富樫の学帽に付いている、男塾の徽章。

 

「もらった──っ!!」

 驚愕して動きの止まった阿們の、今度は首から血が飛沫く。

 それは虎丸が口に咥えた鎌に、首をかき切られた事による事態。

 

「ば、馬鹿な…この俺が、や、殺られるとは……!!」

 その事態が信じられぬまま、仰向けに倒れる阿們。

 

「や、やったぜ富樫…!!

 お、俺達ふたりの勝利だ……!!」

 

 ☆☆☆

 

 虎丸が勝利を収めた後、意識を取り戻した富樫が、影慶の用意した縄ばしごを登って闘場まで戻って行った。

 当然上では大騒ぎになるも、それを喜ばぬ者はおらず、最後には全員の笑い声が、マイクを通さずともここまで届いてきた。

 

「……光。」

 と、なんだか思いつめたような声が、私を呼び止める。

 

「はい?」

「おまえの手を汚させてしまって、済まなかった。」

 …いきなり何だ。

 

「は?そんな事、お気になさらず。

 私の手など元々汚れております。今更ですよ。」

 仕事用の顔で微笑みながら言葉を返す。

 だが影慶は、なにか痛いような表情で、私の目をじっと見つめて、言った。

 

「…おまえは、それが平気なわけではない。

 そばで見ていて、それがよくわかった。

 正直今の今まで、俺はおまえを誤解していた。

 許せ。」

 …誤解があるのは、むしろ今の方だろう。

 

「………私は、暗殺者です。

 人の死になど、慣れて…います。」

 それなのに。なぜか声が震えた。

 言いたくない事を言う時のように。

 

「…だが、あの呍們とかいうやつを手にかけた時のおまえは、今にも泣くのを堪えている子供のような目をしていたぞ。」

「……!?」

 そう言った影慶が、左の手で私の右手を取った。

 この男は、私に近寄る事すら避けていた筈なのに。

 その手の温かさに、何故か驚く。

 

「恐らく、今までもずっとそうだったのだろうな。

 人をひとり殺めるごとに、悲鳴を上げる心を、無表情の仮面の下に押し込めて。

 だが、それはおまえが、おまえ自身をも、少しずつ殺し続ける事だ。

 続けていたら、おまえの心は、本当に壊れてしまう。」

「私、は……!」

 壊れると言うなら、もう壊れていると思う。

 好きだった人を手にかけたあの時には、もう。

 そうでなければ生きていけなかった。

 私の心臓は凍っている。

 人を殺める事に、今更痛痒など感じる筈がない。

 それなのに、どうして。

 何故、こんなに心が……痛い?

 

「必要があるなら俺がやる。

 だからもう、おまえの手をこれ以上汚すな。

 この手は、これから先、癒す為だけに使え。

 いいな?」

 …どうしてこの、握られた手が、こんなに温かいんだろう。

 凍った心臓すら、溶かしてしまいそうなほど。

 

「影、慶……!」

 その握られた手が離され、頭を撫でられる。

 気持ちいい、と思った瞬間、今度は後頭部を掴まれ、頭を胸板に引き寄せられた。

 

「…もう泣くな。」

「…泣いてません。」

 というか、仮に今泣きそうになったとするならば、それは明らかにこの男のせいだと思う。




勘違いされてる方もいらっしゃるかと思いますが、「魁!!男塾」はギャグ→バトル漫画ですが、「婀嗟烬我愛瑠〜assassin girl〜」は恋愛小説ですから!
…いや待て誰だそこで吹いてるやつ。
そんなわけで、影慶、遂にデレるの巻でした。
つか、読んでる方はお気付きでしょうが、影慶が光を嫌っているというのは光の勘違いです。
色んな理由から深入りしないよう接していたのと、どう扱っていいかいまいちわかってなかったってのが本音。
ここのシーン自体は学園生活編書いてた頃には既に頭にあったんで、徐々に影慶の気持ちが変化していく過程をもっと書けたらよかったなあと思ってはいる。
そしてこの回だけ気づいたら思いのほか長くなってたけど(すごくユルい縛りだけど、一応1話につき5000字前後のつもりで書いてる)、このシーンを入れてしまったら、どっかで分断するわけにいかなくなった。
全部一連の流れだもんで、どこで切ってもバランス悪くなるのよ…!


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4・UNCROWNED KINGDOM

黒蓮珠のメンバー、ひとり足りない気がしてたんだけど、よく考えたら副頭がひとり殺してた。
うん間違えてない、大丈夫。
あと、今回漢字コピペの為に参考にした記事、『尰家蛇彊拳』の『尰』の字が『鐘』になってて、投稿直前に気付いて全部入力し直した筈なんだが、直ってなかったら文句はWikipediaに言ってくれ。


「泣き止んだか?」

「…だから、泣いてませんてば。」

 影慶の胸に顔を押しつけたままだったのは、彼が頭を離してくれなかったからだ。

 けど、自分から離れるのがなんだか惜しくて、彼が気付いて手を離すまで、そのままじっとしていようと思った。

 大型の猛獣に懐かれた時のような、怖いけど妙な勝利感があった。

 動物はあまり好きではないが、影慶は人間だし。

 

 ・・・

 

「黒蓮珠の奴等全員、闘場へ降りて来やがったぜ。

 どうやら総攻撃に出るらしい。」

 伊達が呟くのが聞こえ、見るとその通り、控えていた黒装束が何人も闘場への縄ばしごを渡って来る。

 うん、副頭が出てきてそれも倒されて、まだこれだけ人数残ってたから、そろそろそのパターンに入るとは思ってた。

 

「相手は九人か…ここは俺に任せてもらおう。」

 予選リーグ初戦で、ひとりで十六人あっという間に倒したっていう金髪碧眼のボクサーが、またひとりで闘場へと降りていく。

 やっぱりこのパターンかこの野郎。

 Jが闘場へ降り立つと、すぐに相手方の九人が、槍を構えて彼を取り囲む。

 あ、これもう見えた。

 九人どころか百人揃ったって、こいつらじゃJに勝てやしない。

 

「来い…第1R(ラウンド)10秒で全員KOだ。」

 Jもそれ判ってるようだ。

 判ってないのは本人たちだけ。

 

「思い知るがいい!

 黒蓮珠獫槍回転陣(れんそうかいてんじん)の恐ろしさを──っ!!」

 言いながらJの周囲を回転し、うち三人ほどが、中心のJに槍で突きかかる。

 それを、軽く拳を突き出しただけのように見える動きのみで、ひとりの触れてすらいない槍が砕け、それと同時に踏み出してきたJの拳が、そいつの顔面を捉えた。

 

「マッハパンチ・リング・オブ・クライム──ッ!!」

 Jのパンチに飛ばされた男の頭が、別の男の顔面に当たり、それが倒れた先にまた、別の男の顔面があり……暴力的な人間ドミノ、いや、ビリヤードか。

 結果、ただ一発のパンチで、全員連鎖式にKO。

 これは恐らくJが男塾に来た時に、桃たち一号生に撲針愚(ボクシング)の試合で遅れをとった他の米国海軍兵学校(アナポリス)からの留学生に対して、制裁として行われたものの、実戦への応用だ。

 息のひとつも乱すことなく九人全員を地に落としたJが、相手方の陣を見上げ、そこにひとり立つ男に向かって声をかける。

 

「降りてこい。

 こいつらでは、スパーリング相手もつとまらん。」

「我が名は宝竜黒蓮珠(ぽーろんこくれんじゅ)主頭、(とう) 罘傑(ふうけつ)!!

 貴様に第2R(ラウンド)はない!!」

 谷風に赤みがかった長い髪をなびかせて闘場を見下ろす男は、意外にもまだ若く、恐らくは二十歳そこそこといったところだろう。

 顔立ちは無駄に整っており、身体つきもやや華奢なイメージを受ける。

 だがその目は死を日常的に見て生きてきた人間のそれであり、死の匂いに慣れた雰囲気は、その青年の美しさよりも、むしろ不気味さをより際立たせていた。

 …ひょっとして、私も以前はこんな目をしていたのだろうか。

 ターゲットは騙せていたのだから、そうではないと信じたいが。

 

「不甲斐ない部下どもは全員やられた…。

 だが、宝竜黒蓮珠に敗北はない……!!

 俺ひとりで、貴様等全員を倒す……!」

 鄧罘傑はそう言うと少し体をずらす。

 と、背後から彼の身長ほどもある大きな球が、手も触れぬのに動いて、縄ばしごの前まで転がった。

 

「いけい!!」

 彼の合図で、球は縄ばしごの上を猛スピードで転がり、真っ直ぐJに向かってくる。

 Jは、例のナックルを装着して、それに向かって右の拳を放った。

 …拳圧による衝撃波が瞬時に巻き起こり、Jは恐らく、直接それに触れてはいない。

 …それで良かった。

 一瞬、Jのパンチであっさり砕かれバラバラになったように見えたそれが、地面に落ちた後うねうねと動き出して、Jの周りを取り囲んでいたのだから。

 

「な、なに〜〜っ!!蛇だ──っ!!」

 

 ☆☆☆

 

「………蛇!?しかも大群!!?

 ちょ、やめて!見たくない──ー!!」

 私は元々動物があまり好きではないが、これはもうそれ以前の問題だ。

 世間一般の動物好きな女子でも、この生き物が大群で現れたら、普通に悲鳴をあげるだろう。

 蝙蝠の大群には身体にとまられても何とか耐えたが、これは絶対に無理だ。

 動揺のあまり影慶にしがみついて顔を伏せる。

 

「落ち着け、光。

 どうやらあれは毒蛇のようだが、ここにいればなんの害にもならん。」

 確かに蛇はここにいるわけじゃない。

 …けどそういう問題じゃない!

 視覚から来る女の感情的な恐怖を理屈で誤魔化せると思うか!

 しかも毒蛇って冷静に分析すんな余計怖いわ!!

 …ぜえはあぜえはあ。

 

「…俺もとんだ見込違いをしていたものだ。

 これのどこが冷酷無比な暗殺者と…。」

「え?」

「……フッ。なんでもない。大丈夫だ、光。

 万が一ここに来たとしても、おまえの事は、俺が守ってやる。」

 そう言って、また頭を撫でられる。

 うっ…し、仕方ない。誤魔化されてやるとするか。

 

 ・・・

 

咬蠓蛇(こうもうへび)…。

 その猛毒は、ひと咬みで巨象をも倒す。

 この胸の紋章にもあらわす通り、蛇は我等、宝竜黒蓮珠の象徴…可愛い奴等よ……。」

 鄧罘傑が下に向けて手を差し伸べると、一匹がその手を伝って、身体に這い上る。

 

「見せてやろう。

 この世にあって極限の恐怖とうたわれた、尰家(しょうけ)蛇彊拳(じゃごうけん)の秘技の数々を……!!」

 それが顔まで這い上ってきても平然として、いやむしろ笑みすら浮かべる男に、なんかもう背筋がぞわぞわして、言ってることがまったく頭に入ってこない。

 

「な、なんと。あ奴があの蛇彊拳を……!!」

「し、知っているのか、雷電!?」

 

 

 尰家蛇彊拳…中国秦代、暗殺の道具として毒蛇を飼い慣らした事に発し、その確実性から、それを利用した拳法が生まれたのだという。

 だが、その拳と相対して生き残った者は居らず、名が恐怖とともに伝えられるのみで、その実体は謎とされている。

 

 

 というような雷電の説明が聞こえる中、蛇の群れに囲まれてJと対峙する鄧罘傑が、先に動いた。

 と言っても、本人は間合いの外から腕を振っているに過ぎない。

 だがその手の動きに合わせて、周囲の毒蛇がJに襲いかかり、Jはそれをフットワークやスウェーイングで躱す。

 

「フッ、少しは使えるようだな。」

 一通りの攻撃を全て躱された鄧罘傑が薄笑いを浮かべるが、今のJくらいディフェンスに優れたヘビー級ボクサーは世界中に何人も居ないと思う。

 …あ、これ、駄洒落じゃないからな?

 それはさておき、

 

「ならば、これはどうだ!!」

 そう言った鄧罘傑の腕の動きに合わせ、頭上の三方向から毒牙がJに向かう。

 

「SHOT!!」

 だが、その牙がJの身体に届く前に、目にも留まらぬジャブが、その三匹全てを撃ち落とした。

 

「無駄だ。

 この程度のことでは俺を倒すことは出来ん。」

 まったくだ。

 人間が操っているだけで、毒があろうと蛇は蛇。

 あの数で一斉に襲いかかられでもしたら別だろうが、1秒にも満たない時間の中で十発のパンチを出し、しかも全てを標的に正確に命中させられる男が、たかだか三匹の蛇におくれを取ろう筈もない。

 

 というか…

 

「…これ、やはり拳法というよりは暗殺術ですよね。

 こういった闘場でオープンに使う技ではなく。

 単純な戦闘能力ならこの主頭より、むしろ、さっき出てきた副頭達の方が強かったんじゃないでしょうか?」

 …やつらの片方、私が片付けたけどさ。

 所詮、戦いと暗殺、戦闘力と殺傷力は違う。

 私の口にした疑問に、少し考えてから影慶が、逆に問い返してくる。

 

「…単純な戦闘力だけで判断した場合、男塾(ウチ)の大将と副将なら、どちらが強い?」

「……なるほど。納得しました。」

 

 

「大した自信だが、今までのはほんの小手調べ。

 これからが蛇彊拳の真髄だ。」

 言って鄧罘傑は跳躍すると、Jに向けて掌底を繰り出してきた。

 それはいいが、どう見ても彼の間合いより外に見え、明らかに彼よりもリーチは長いJが、カウンターを合わせるのに構えを取る、が。

 

「尰家蛇彊拳殛盎殺(きょくおうさつ)!!」

 鄧罘傑の袖の中から蛇が飛び出してきた。

 ほぼ顔面真正面で牙を剥くそれに、咄嗟に応じるのを諦めたJが身を躱す。

 

「わかるか、この殛盎殺の恐ろしさが!!

 これで俺の拳の間合いは変幻自在、一撃必殺の威力を持つ。」

 ほんの少し牙が掠ったようでJの頬に傷がついたが、どうやら毒が身体の中に入るほどの負傷ではなかったようで、体勢すら崩さないJに、鄧罘傑は追撃を試みる。

 だがJは無造作にその長い脚を上げると、牙を剥く蛇の前にその靴底を晒した。

 勢いのままにそれに咬みついた蛇の動きが一瞬止まり、その瞬間にJの拳が飛んでいた。

 鄧罘傑は辛うじてそれを躱す。

 

「フッ…危ないところだった。

 靴に蛇を咬ませ、躱すとはな。

 だが同じ手は、二度と通用しない。

 …なあ、おまえもそう思うだろう?」

 戯れに、腕に絡みつく蛇に語りかける。

 

「…うっ!!」

 次の瞬間、その蛇の首から上が、血飛沫とともに弾け飛んだ。

 

「次にそうなるのは貴様だ。

 Pray to God for your safety(神に祈れ)!」

 低く圧し殺した声が紡いだ彼の母国語は、言葉だけならひどく優しいものだった。

 

 ・・・

 

「どうやらおまえの力を見くびっていたようだ。

 ならばこの俺も、尰家蛇彊拳の秘術をもって戦わねばなるまい。」

 それでもまだ、蛇はたくさんいるのだ。

 それ故の余裕だろう、鄧罘傑は不気味な笑みを浮かべると、また手の動きで蛇たちに指示を出す。

 指示を受けた蛇たちは一斉に、主の周りを回転したかと思えば、やがてお互いの身体を絡み合わせ、一本の長いロープのようになった。

 

「これぞ尰家秘技・蛇彊結徊歰(じゃごうけっかいしゅう)!!」

 そのまま手の中に飛んできたそれの端を、蛇たちの主の手が掴み、ムチのようにして振り回す。

 

「フッ、言うなれば意志を持ったムチだ。

 その動きは変幻自在……!!

 そしてひと咬みすれば、貴様を確実にあの世へと葬り去る。」

 振るわれたそれが牙を剥き、打ち砕かんとするJの拳をすり抜ける。

 いつしかJの身体は蛇たちが描く円の中にあり、その牙が次々と攻めたて、襲いかかるのを、Jは先ほどまでと同様、ギリギリで躱していた。

 

「フッ、さすがはひとりで我が部下九人を倒しただけのことはある。

 見事なフットワークだ。

 しかし、いつまでも躱しきれるものではない。」

 確かにその通りだ。

 疲労して動きが鈍れば、その時点でThe end。

 だから、その前に勝負をつけなければならない。

 そうしている間にもボクサーの豹の目は攻撃のタイミングを見計らう。そして。

 

「ほう。

 一瞬の間隙を縫い、間合いに入るつもりか。

 だが、よく見るがいい。」

「ぬっ!!」

 完璧なタイミングで攻撃に移った筈のJの動きが止まる。

 

「どうした、撃たんのか……!?

 もっとも、その前にこやつらの牙は、貴様に喰いこんでいるだろうがな。」

 先ほどまで武器として振るわれていた蛇たちが、一瞬にして鄧罘傑の全身に巻きついて、そこから牙を剥いて、その身を守っているのだ。

 彼の言う通り、これではパンチの撃ちようがない。

 パンチのスピードを重視してか、Jは防具の類を一切身につけていないから、躱しきれなければそこでおしまいだ。

 

「頼もしい奴等よ…!!

 我が間合いに入る者あらば、瞬時に盾となってくれる。」

 事実上攻撃を封じられた形となったJに、蛇のムチは更に襲いかかる。

 それを躱しながらJは闘場を移動していた。

 やがて自陣へ通じる縄ばしごを背にした位置で足を止める。

 …縄ばしごもだが、背にしているのは崖もだ。

 影慶が作った救命幕の仕掛けがまだ生きているから、万一落下しても命は助けられるだろうが…。

 

「…Jは、何か策を残しているようだな。」

「あなたもそう思いますか、影慶?

 どうも意図して、あの場に自身を追いつめたような…。」

「ウム。」

 もう少し経過を見守ろう。

 

「どうだ、追いつめたぞ。もはや後はない。

 それとも、縄ばしごを使って逃げていくか?

 …逃げていく者を追ったりはしない。

 命は助けてやるぞ。」

 負けを認めろと言外に含ませながら、鄧罘傑は威嚇するように蛇のムチを振るう。

 

「追いつめられたのは俺ではない。

 貴様は今、死のコーナー・ポストにいる。」

「なんだと……?」

「そこが貴様の墓場だ。

 見せてやろう、俺のニュー・ブロウを!!」

 言うやJは地面を蹴り、空中高く跳躍した。

 

 それを見て、影慶が顔色を変えた。

 

「いかん、光!一旦ここから避難するぞ!!」

「えっ!?」

 状況が飲み込めずにいる私を、荷物のように抱えて影慶が走り出す。

 えっ?えっ??なんなの!?

 

 Jは空中で体勢を変えると、ナックルを着けた右の拳を、落下速度も加えて、真っ直ぐに闘場の地面に撃ち込んだ。

 

F(フライング)C(クラッシュ)M(メガトン)P(パンチ)!!」

 

 …恐怖に精神が錯乱したか、と言う鄧罘傑の薄笑いが、次第に驚愕の色を帯びる。

 地面に撃ち込まれたJの拳を中心に、闘場に亀裂が生じていき、そして……

 

「うわああ〜〜〜っ!!」

 その亀裂に従って闘場全体が崩落し、鄧罘傑と蛇が闘場と運命を共にした時、Jの左手は自陣に繋がる縄ばしごを掴んで、身体を支えていた。

 

「地獄でも寂しくないだろう。

 それだけの蛇どもが一緒なら。」

 

 ・・・

 

 Jは、赤石が(チャン) (ホー)戦で闘場を斬った時、あの闘場が一ヶ所亀裂を生じると、全体の強度が脆くなる性質を持つ阤崗岩(しこうがん)で出来ているという事に気付いたのだろうと、伊達が言っているのが辛うじて聞こえた。けど。

 

「あ、ありがとうございます影慶。

 お陰で命拾いしました。」

「お互い無事で何よりだ。

 仲間を助ける為に待機していて、それを知らない仲間に岩で押し潰されるのは避けたいからな。

 それにしても…」

「……なんです?」

「何匹かは、ひょっとしたら降ってくるかもしれんと思っていたが、落ちては来ないな。」

「え…何がですか?」

「………奴が使っていた蛇だ。」

「ギャ───ッ!!!!」

「居ないと言っているだろう、落ち着け。」

「脅かすな!無自覚ドMの癖にSか!」

「ん?」

「…いえ、何でも。」

 

 ・・・

 

「な、なに──っ!!見ろ、あれを──っ!」

 虎丸が叫んでいるのが聞こえ、反射的にそっちに目をやると、Jが掴んでいる縄ばしごの下に、蛇のロープにぶら下がる鄧罘傑の姿が見えた。

 その蛇を撃ってとどめをさせと言う彼に、構わずそのまま縄ばしごを登るJ。

 

「グローリー・ノーサイド・ゴング……俺の好きな言葉だ。

 どんなに激しくリングで殴り合おうとも、10カウントが数えられれば、そこには怒りも憎しみもない。」

 手を差し伸べてやるほどお人好しじゃない、という、雷電とかが聞いたら耳が痛いだろう言葉を、ぶら下がったままの鄧罘傑にかけ、最後は桃の手を借りて、自陣へと戻るJ。

 

「負けた…完敗だ…。

 男塾…貴様等のこれから先の勝利を祈っている。」

 その背中に向けて鄧罘傑は、どこか嬉しそうに声をかけた。

 そして勝者はまたひとつ、新たに想いを背負って先へと進んでいくのだ。

 

「ところで、さっき誰か悲鳴上げなかったか?」

「いや…何故?」

「…いや、空耳なら別にいいんだ。」

「……?」




Jがかっこいいと爆裂に思えるようになったのは大人になって読み返してみてから。
まさに青い目のサムライ。
しかもこんなプロフィール(海軍所属、悲劇のチャンプの息子)のボクサーいたら絶対ファンになってるわってくらいアタシ好みどストライクな設定。
アタシの中でのイメージはまんまミルコ・クロコップ。

そして天挑五輪の後、新一号生として入ってきたメンバー、Jの相手だった率異様に高いのもポイント高い。
そもそも月光の相手だった蒼傑以外、桃とJで占められてるという揺るぎない事実。


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天挑五輪大武會決勝リーグ編(対王家の谷の守護者達戦)
1・歴史よ、奇跡と呼べ


はい、ごめんなさい。
更新が滞っていたのは、某なろうさんにて悪役令嬢転生モノにハマって読みまくっていたせいです。
私生活が色々大変で、逃避したかったんだよ…!


「はあっ…気持ちいい…!」

 岩山の陰にある天然の温泉に肩まで浸かりながら、至福の吐息をつく。

 ここは島全体を使ったオリエンテーリング形式の修業をした際、偶然見つけたところで、恐らくは私と、その時の同行者しか存在は知らないと思う。

 ここの所有者である御前も、すべての地理を把握しているわけではないようだし。

 一応各闘場の手前に闘士たちが使える簡易休憩所があり、簡易ベッドやシャワー、トイレなどが設置されている他、大武會開催中は必要物資なども運び込まれている。

 男塾(ウチ)のメンバーも今は先の、宝竜黒蓮珠(ぽーろんこくれんじゅ)戦が行われた闘場のところにあるそこに今夜一晩泊まってから、こちらの闘場に来る筈だ。

 こちらの闘場には活火山の噴火口があり、武舞台はその真ん中に置かれている。

 ちなみに周囲を満たして時折硫黄を噴き出しているのは、溶岩のような色をしているが高温の赤酸湖であると、ここを管理していた師範が仰っていた。

 溶岩だった場合には及ぶべくもないが、それでも温度もそうだが強酸性なので、落ちたら大変な事になる。

 …そういえば、今回は御前の私設チームらしきものが出ている筈だが、あの師範もメンバー入りしているのだろうか?

 こんな状況でなければ挨拶しておきたかったが、勿論そんなわけにはいかない。

 この島も広いから、今どこにいるのかもわからないし。

 影慶は現在、その闘場の周囲の岩山に白金鋼線を渡し、もしも闘士が落下したらすぐに救出に行ける仕掛けを施している。

 本当に器用な男だ。

 身を清めてさっぱりしたら、簡単な食事を作って待っておこう。

 …やっぱりあの鳥、脚だけでも切り落として回収しとけば良かったかな。

 猛禽って事は肉食だから、あまり美味しそうではないけど。

 

 ☆☆☆

 

「我等は王家の谷の守護者達(ファラオ・スフィンクス)!!

 そして我が名は、冥界への案内人アヌビス!!」

 昼過ぎに双方、闘場にたどり着いて、相手方の陣から名乗りが上げられた。

 アヌビスとはエジプト神話の神の名で、しばしば犬の顔を持つ男の姿として描かれる。

 その名が示す通り犬の顔を象ったマスクで顔の上半分を覆っており、その足元に棺のようなものが並べられている。

 その棺のひとつを、手にした杖でコンと叩くと、その棺が内側から開かれ、全身を布で覆った男の姿が現れた。

 その姿は、まるでエジプトの遺跡から発掘されたミイラのようだ。

 

「感謝いたします、アヌビス様。

 なみいる勇者の中から、わたしをお選び下さった事を!!

 我が名はジェセル。さあ、来るがよい………!!

 五千年の眠りより目覚めた、偉大なる王家の谷(ファラオ)の守護者達(・スフィンクス)の力、とくと思い知らせてやろう。」

 ……てゆーか、その演出ほんとに必要だった?

 

 王家の谷の守護者達(ファラオ・スフィンクス)…紀元前三千年、世界最古の文明を誇る古代エジプト王朝では、歴代の(ファラオ)は、その富と権力の証として、巨大なピラミッドを構築し、莫大な財宝とともに死の眠りについた。

 そして、この王家の谷と呼ばれる一群のピラミッド地帯を守るため、最強精鋭の闘士を選りすぐり、王家の谷の守護者達(ファラオ・スフィンクス)と名付けた。

 彼等は中国拳法とは異質の、特殊な格闘術を発達させたが、対戦して生き残った者が皆無のため、その技の正体は一切不明である。

 尚、彼等は不老不死の肉体を持ち、五千年を経た現在でも、砂漠の一隅に潜み、その技を伝えているという説があるが確認されていない。

民明書房刊『ツタンカーメンの逆襲』より

 

「五千年の眠りだと〜〜っ!?」

 わけがわからない、と切り捨てる虎丸と富樫をよそに、どうやら雷電が顔色を変えているらしい。

 

王家の谷の守護者達(ファラオ・スフィンクス)…信じられん。

 あの伝説が、本当だったとは……!!」

「知っているのか、雷電……!?」

 桃の問いに、ちょっと誘い受けっぽい感じだが雷電は頷き、説明する。

 伝説では、古代エジプト王朝のピラミッドに埋葬された(ファラオ)や莫大な財宝を守護するのが奴等の役目。

 王家の谷の守護者達(ファラオ・スフィンクス)と呼ばれるその集団は、永遠の肉体と命を与えられ、太古の昔から現在に至るまで、墓を荒らし、(ファラオ)の眠りを妨げる者に、奇妙な技や術をもって誅をくだしたという。

 

「そういえばピラミッド調査のための考古学者の一団が、大きな呪いによって次々と怪死・変死を遂げたというのはよく聞く話だ。」

「それを、陰で実際に遂行していたのが奴等だというのか……!!」

 雷電の説明の後に、飛燕と伊達が息を呑む。

 まあ正確にはピラミッドって、宗教的に信じられていた死者の再生の為の設備であって墓じゃないらしいけどな。

 永遠の肉体と命ってのは、そういった古代エジプトの、神話からなる死生観から語り継がれる伝説じゃないかと思う。

 

「フッ、おもしろい。

 その真偽は、俺が確かめてやろう。」

 そう言って進み出たのは死天王の一人、センクウ。

 しかも、なぜか口に黒いバラの花なんか咥えて。

 

「黒薔薇の花言葉は『彼に永遠の死を』……!!

 奴が本当に、五千年もの間生き長らえてきたのなら、そろそろ休ませてやってもいい頃だ。」

 …そういえばセンクウは驚邏大四凶殺の後、私にピンクのバラの花束をくれたんだった。

 本当は寝ている部屋に飾ろうと思って持ってきたら、私が既に目を覚ましてたからだけど。

 後で数えてみたらちょうど10本あったので、自室と執務室にも飾らせてもらった。

 ちなみにピンクのバラの花言葉は「感謝」、また10本のバラの意味は「完璧」。

 普段の行動にデリカシーがない男なのでてっきり偶然だろうと思っていたのだが、花言葉をちゃんと知っているところを見る限り、彼なりに私を労ってくれていたのだろう。今思えば。

 

「…天動宮の裏手に、センクウが管理しているバラの温室がある。

 今持っているのもそこで咲かせたものだろう。

 武器として使用するものには、切った後で多少の加工を施すらしいが。」

「え?天動宮にそんな場所が!?

 うわあ…見てみたかったなあ…。」

 ひょっとして私が貰ったのも、彼が育てたものだったのだろうか。

 切り花の状態であれだけ芳しいのだから、咲いたままの状態ならばどれほどの芳香だろう。

 ちなみにここの中央部にある訓練施設の中にもバラの温室があった。

 外から見て色とりどりで綺麗だったので近くで見たくなり、管理してる闘士に頼んだら、全部ではないけど毒のある種類のものがあるらしくて『わたしは耐性がありますが、姫には危険です』とか言って中には入れてもらえなかったのだが。

(ちなみにこのひとに『お望みでしたら姫には後日、毒のない種類を選んで大きな花束をお届けいたしますが…今日はこれで御勘弁を』と手渡された薔薇果実(ローズヒップ)のギモーヴがすごく美味しかったので、花束よりこっちの方が嬉しいと言ったら、次から顔合わすたびにバラ由来のお菓子をくれるようになった。香りの強いものは極力避ける私も、バラの香りだけはなにげに好きなのだが、ひょっとしたらこのせいでバラとお菓子のイメージが密接だからかもしれない。今思えば普通に餌付けされていた気がする)

 

「さほど広くはないが、種類は豊富だったぞ。

 俺はあまり詳しくはないが、この大武會が終わって男塾に帰ったら案内してやろう。

 光に見せるのだと言えば、センクウに否やはあるまい。

 むしろ嬉々として開放してくれる筈だ。」

 影慶の申し出に反射的にはいと答えそうになって、慌てて呑み込む。

 …この戦いの後まで、私は生き残るつもりはない。

 桃は私を裁く気はないようだが、私はこれから飼い主に牙を剥く事を決めた出来の悪い飼い犬だ。

 先に処分されるか、地獄まで道連れにできるか…どちらにせよ、先はない。

 私が黙り込んでしまったのをどう解釈したものか、影慶は私の肩を抱き寄せると、

 

「…心配するな。」

 と一言だけ、言った。

 ありがとう。けど、そうじゃない。

 

 ・・・

 

「太古のいにしえより未来永劫、地上にそびえ立つ不滅のピラミッドのように、我が肉体も永遠のもの。

 さあ、どこからでも来るがいい。」

 …太古のいにしえって、武士のさむらいって言うようなもんじゃないのかとちょっとだけ思ったけど、そんな事より。

 全身から白い煙を吹き出しながら、たいした構えもとらずに立つ相手に、センクウは戦闘態勢に入る…倒立した状態で脚の防具から刃を出して。

 

戮家(りくけ)踵刃旋風脚(しょうじんせんぷうきゃく)!!」

 流れるような円の動きから繰り出される、息もつかせぬ脚技の連続攻撃。

 だが相手もギリギリで躱しているあたり大したものだ。

 もっとも躱すだけで攻撃には移れずにいるようだが。

 

「どうした、まだ体が眠りから覚めんのか!?

 ならば今、俺が目を覚ましてやろう!!」

 言うやセンクウは跳躍してジェセルの背後を取ると、脚の刃の一撃をその背中に放つ。

 だがその傷口からは血の一滴も流れる事はなく、ジェセルは平然と振り返った。

 そこから拳を繰り出す…と思いきや、装着された手甲からナイフのような刃が飛び出した。

 それを躱しざまセンクウがまたも脚技を入れ、今度はジェセルの胸を下から切り裂いたが、その傷からも血は流れず、ジェセルは平然と立っている。

 

「まだわからんか。

 永遠の肉体を滅する事など不可能だという事が!!」

「き、貴様……!!」

 センクウの目が、驚きに見開かれた。

 

 ☆☆☆

 

 わからん…!!

 これは幻覚でもなければ、奴は人形(デク)でもない!

 しかし、この世に不死身などありえない!!

 これには何か必ず仕掛けがあるはず!

 奴の攻撃を躱しながら、鋼線の支点に使う釘を地面に刺す。

 同時に、追撃してくる奴の腕に鋼線を巻きつけ、それを引く。

 

「戮家鏤紐拳(ろうちゅうけん)縛張殺(ばくちょうさつ)!!」

 俺の鋼線は奴の腕を切断し、それは呆気なく地面に落ちた。

 相変わらず血の一滴も流れはしないが、切り落としてしまえば攻撃はできまい。

 

「次にそうなるのは貴様の首だ!!」

 だがジェセルはやはり平然として、落ちた腕のそばに屈みこんでそれを拾う。

 次の瞬間、俺は目を疑うものを見ることとなった。

 

「永遠の肉体を滅する事など不可能……!!」

 先ほどと同じ台詞をもう一度繰り返して、奴は落ちた腕を元あった場所に付けると、次には何事もなかったかのように、指をしなやかに動かしてみせた。

 

「これでわかったろう。

 一滴の血さえ流れぬこの不滅の肉体の前に、貴様は万が一にも勝ち目はないのだ。

 往生際よく覚悟を決めるがよい!!」

 言って、突進してこようとした、奴の動きが止まる。

 フン…気付いたか。

 あと一歩踏み込んでおればその首、胴と離れ離れになっていたものを。

 

「戮家奥義・千条獗界陣(せんじょうけっかいじん)!!

 これで貴様は、もはやその場から身動きはとれぬ。

 一歩でも動けば、刃のように研ぎすまされたその鋼線は、おまえの五体をバラバラにする事になる。」

 奴の身体の周りに張り巡らせた細い鋼線に、攻撃用のコマを伝わせて、更に奴の動きを封じ込める。

 糸と同じように俺の指先ひとつで自由自在に動くそのひとつを、逃げ場を失ったジェセルの頭部まで導いた。

 コマは奴の兜を砕き、ドリル状の突起が脳天に食い込む。

 だが、奴はやはり平然と、自身の頭部へと手を伸ばすと、頭に食い込んだコマを無造作に引き抜いた。

 どうやら俺は今、想像を絶する敵と戦っているらしい。

 

「このジェセルを相手に、全ての行為は悪あがきとなる!」

 …顔に巻かれた包帯の下で、まったく唇を動かさずに言葉を発するジェセルの、一挙一動に目を凝らす。

 奴の不死身と嘯くその体には、必ず何か秘密がある筈だ。

 

 ☆☆☆

 

『不死身の肉体』のインパクトがあまりに強くて誰も疑問に思ってないのだろうが、センクウは気付かぬうちに獗界陣の鋼線を張り巡らす為の、あの細い支柱をいつ立てたんだろうか。

 ずっとモニターを見ていたのにまったく目に止まらなかった。

 というか、そもそもどこに持っ…いや、止そう。

 これもきっとつっこんだら負け案件に違いない。

 ちなみに最初に手に持っていた黒薔薇は、マントの襟元にコサージュのように差してある。

 影慶の先ほどの言葉から判断するにあれも武器なのだろう。使ってないけど。

 

「この程度のもの、脱出しようと思えばいつでもできるが、俺が自ら動く必要などはない。」

 少しでも体を動かせばその部分が地に落ちる獗界陣の中で、ジェセルは自分から腕を、鋼線の上に振り下ろす。

 先ほどセンクウの縛張殺に落とされて、何事もなくくっついた腕が、再び地面に落ちた。

 

P(ファラオ)S(スフィンクス)秘承義、カルトゥーシュの使徒!!」

 …それは不気味であると同時に、どこかふざけた光景だった。

 切り落とされた腕が、人差し指と中指を歩くような動きでぴこぴこ動かして、センクウに向かって這いずってくるのだから。

 

「…私は、ホラーは苦手ではありませんけど…。」

「う…うむ。なかなかに、シュールな光景だな。」

 さすがの影慶も、ドン引いた表情だ。

 腕はセンクウの足元で一旦止まると、手甲のナイフの先端を彼に向ける。

 それから、跳躍するように浮き上がったかと思うと、まるで意志を持っているかのように、センクウに向かって襲いかかってきた。

 センクウは体術でそれを躱すが、小さなものゆえかスピードが速い。更に、

 

「いいのか……!?

 その片腕ばかりに気を取られていて。」

 見るとジェセルは、もう片方の腕も肘から下がなくなっている。

 次の瞬間、センクウの足元の地面から飛び出てきたもの…もう一本の手が彼の喉に食い込んだ。

 動きが止められたセンクウの胸を、それまで避けていた刃がとらえる。

 胸元から血飛沫をあげ、センクウは堪らずその場に膝をついた。

 センクウの喉をしめつけていた手がジェセルの方に戻り、本体にまたくっつく。

 

「どうやら急所だけは外したようだな。

 だが、これまでだ…!!」

 その腕の状態を確かめるように動かしながら、ジェセルが言った。

 …それはそれとして、闘いが始まる時に全身から噴き出した煙は、今考えるとなんの意味があったんだろうか。

 今も、足元からわずかに噴き出しているようだが。

 

 ☆☆☆

 

 なんだ、奴の足元から出る水蒸気のようなものは…?

 さっきの煙とは明らかに違う……汗、か!?

 上半身にはまったく汗などかいていないというのに。

 …もしや、奴の不死身の秘密とは……!!

 ジェセルが、残った方の手に指示を出し、それは俺に真っ直ぐ飛んでくる。

 

「戮家奥義・還輾盃(かんてんばい)!!」

 俺はその手に着けられた刃に鋼線を巻きつけ受け止めると、更にそれを操作して反転させ、奴に向けて投げ返した。

 

「おろかな。

 自分の腕に殺られる者がおるとでも……!!」

 奴はそれを易々と受け止めたが、それと一緒に飛ばしたコマの存在には気がつかなかったようで、それは俺の目論見通り、回転したまま奴の足の甲に落ちた。

 ドリルのような先端が、靴もろともその足の甲を抉り、そこから血が飛沫(しぶ)く。

 

「どうやら貴様も生身の人間だったようだな。

 よめたぞ、貴様の正体が……!!」

 

 ☆☆☆

 

 脳天を貫かれても両腕が落ちても平然としていた筈のジェセルが、足の甲を抉り続けるコマを鷲掴むと、それを苛立ちもあらわにセンクウに投げ返す。

 

「この世に永遠の命などあり得ない…!!

 ましてやこの男塾死天王のひとり、センクウの前には……!」

 投げつけられたコマを二本指だけで受け止めながら、センクウは立ち上がった。

 

「頭の時にはまったく無傷だったのに…!」

「どうやらセンクウは、何かを見極めたらしい。

 彼奴も死天王の一人、このままでは終わらぬ。」

 隣でその死天王の将である男が微かに笑みを浮かべる。

 闘場ではジェセルが、どこからかネジ状の突起のついた金属製の器具を取り出し、それを足に履いた状態で地面に埋め込むと、そのまま体を高速で回転させた。

 その状態から体を地面に潜らせ、頭だけ出した状態で、センクウに向かって挑発するように言葉をかける。

 

「さあ来るがよい。貴様の最期だ!!」

 絶対何か企んでいるのはわかっているが、敢えて誘いに乗ってセンクウは歩み寄る。

 

「かかったな、もらったぞ──っ!!」

 と、その背後の地面が盛り上がったかと思うと、首のない身体が現れて、センクウを背後から襲う。

 だがセンクウはそこから倒立の体勢を取ると、脚の間に張っていた鋼線で、その攻撃した腕を切り落とした。

 

「戮家鏤紐拳・縛張脚(ばくちょうきゃく)!!」

 切り落とされた腕はやはり一滴の血も流さなかったが、センクウはその落とした腕を両脚で挟み込み、それに付けられた刃を以って、もう片方の腕も切り落とした。

 更にその落とした腕に刃を落とし、地面に縫い付ける。

 二つの腕は互いを拘束しあい、そこから逃げ出そうともぞもぞと蠢いている。

 頭と両手のないジェセルの身体が、体勢を整えたセンクウとの間合いに立つ。

 

「貴様…知っていたのか!?

 俺が頭だけ残し、土中から背後に回ることを…!!」

「こけおどしはもう通用せん。

 貴様の正体は見切ったと言ったはずだ。」

 …動揺してるとはいえ、頭のない状態で喋っちゃダメでしょう。

 これで私にも、このからくりがどういうものか、なんとなく理解できた。

 わからないのは、切り離されても動く手の方なんだけど…。

 自陣の方では、どうやら虎丸が倒れてるみたいだ。

 あの子、ひょっとしたらホラーやオカルトは苦手なのかもしれない。

 

「こいつはもう要らぬのか?」

 センクウが、足元のジェセルの頭部を、体の方に向けて蹴り飛ばす。

  それを躱して向かってくる体と交差したセンクウは、ジェセルの体を覆う布の、端を掴んで引いていた。

 

「今こそ貴様の正体を、白日のもとに晒してやろう。」

 そう言ってセンクウは、件のコマにその布の端を巻きつけて回転させる。

 それは単なるコマの回転とは思えないほど力強く動き、ジェセルの体をも回転させながら、その布をどんどん解いていく。

 

「この動きって、なんか時代劇の…」

「みなまで言うな。」

 …ごめんなさい。

 

「見よ!これが正体だ──っ!!」

 解かれた布の下から出てきたのは、倒立したひとりの男と、その体をとりまく張りぼての外殻。

 なるほど。張りぼてまではわかったけど、まさか密かに逆立ち対決だったとは思わなかった。

 

「下半身は湯気まで出して汗をかいていた。

 さぞかし中は暑かったろう。

 ましてや倒立をしたままではな。」

 おまえが言うな。

 それから、足元でまだ蠢いている腕に屈みこんだセンクウは、刃の方の手を引き抜く。

 

「やはりな……!!」

 …貫かれた腕の切り傷から、わらわらと何か黒いものが溢れ出している。

 

「むうっ!!あれは甲冑軍隊蟻(かっちゅうぐんたいあり)……!」

 

 甲冑軍隊蟻…学名エジプティアン・キラー・アント。

 体長20ミリ、別名「砂漠のピラニア」とも呼ばれるほどの凶暴性と集団性に特徴がある。

 百匹集まれば駱駝一頭を三分以内で白骨化してしまうという。

 知能も高く、飼育すれば人間の命令に従うようになる為、古代エジプトでは麻性の手袋にこの蟻を詰め、労働力の補助としていた。

 現代でもエジプトでは、忙しくて人手がほしいとき「蟻の手も借りたい」と表現するのはこれに源を発する。

民明書房刊『実用動物辞典』より

 

「……虫も駄目なのか?」

 背中に回り顔を伏せた私に、影慶は少し呆れたように声をかけてきた。

 

「…好きな女はそう居ないと思いますけど?

 蛇と違い、怖いというのではありませんが、あんなにたくさん居るのを見てると、背中がゾワゾワします。」

 ちょっとムッとして私が答えると、影慶は小さくため息をつく。

 

「足元に蛙などが出てきたら卒倒しそうだな。」

「蛙は大丈夫です!

 あ、一応食中毒が心配なので、食用に養殖されたもの以外は食べないようにしていますけど、鶏の柔らかいやつみたいで、結構美味しいですよね!?」

「……。」

 …いや、何なんだ。

 そのかわいそうなものを見るような目は。

 

 

「いい気になるな。

 ミイラのからくりは見破られたが、勝負はこれからだ。」

 言いながら武器を装着するジェセルに、センクウが刃のついた手を投げ放つ。

 それはあっさり躱され、地面に突き刺さった。

 深手を負ったセンクウがもはや体力的に限界と見て、ジェセルはセンクウに躍りかかる。

 だがそのジェセルの心の動揺を指摘したセンクウは、最初で最後の忠告を与えた。

 

「命が惜しければ、今いる己の状況を、冷静に見つめ直す事だ。」

 だが冷静さを失った上、自身が有利と信じて疑わないジェセルの耳には届かなかったらしい。

 先ほど投げた刃の先に括り付けられた鋼線の、反対側の端が己の首に、いつの間にか巻きつけられている事に、彼が気付いた時には遅かった。

 触れれば切れる鋼線は、ジェセルの動きに従いその首に食い込むと、周囲にその血を飛沫(しぶ)かせた。

 

「その首は本物だろうな、ジェセル。」

 

 ・・・

 

 首が落ちる寸前で鋼線を断ち切られ、その場で命を落とすことのなかったジェセルだったが、結局はその命を散らすこととなった。

 

「偉大なるファラオに栄光あれ!!」

 そう一言叫んで、闘場の外の赤酸湖に身を投じて。

 

「哀れなるジェセルよ。

 心安らかに、永遠の眠りにつくがよい。

 貴様の無念はすぐに晴らされるであろう。」

 相変わらず犬面を被ったアヌビスという男は、そう言って再び、杖で棺を打つ。

 

「お呼びでございますか、アヌビス様。」

 そしてまた棺が内側から開き、そこから男が一人飛び出してきた。

 ……だから、その演出、要る!?



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2・メビウスの輪の中から

男塾LINEスタンプのバレンタインバージョン見て吹いた。
一応宮下プロダクション監修だろうけど、まとめた人暗屯子ちゃん好き過ぎでしょ…!


 第二戦目。闘場に降りてきたのは飛燕だった。

 

「あのひと、予選リーグの1日だけで既に2戦してましたよね…?

 なんぼなんでも、戦い過ぎじゃないでしょうか?」

「…恐らくだが、2戦目は俺のせいだ。

 相討ちしたと思った相手に、俺はどうやら負けていたらしいからな。

 あいつも初戦で肩を外されたり結構な深手を負っていた筈なのに、俺が不覚をとったせいで、申し訳ないことをした。」

 そうでした、失言失言。つか、タフだな飛燕!

 …さて、相手側から出てきた男はフード付きのマントで身を覆っており、顔は見えないが、

 

「俺の名は王家の谷の守護者達(ファラオ・スフィンクス)のひとり、ピネジェム。

 貴様の首は、俺がもらった…!!」

 とまあ、なんとも怪しげな名乗りを上げた。

 なんていうか、さっきから見てて思うがこのチーム、演出過多だな。

 名乗りひとつ取っても芝居がかってるというか、大袈裟というか。

 その過多な演出に敢えて乗るように、飛燕は大きく息を吐くと、間合いを取って構えた。

 

「ピネジェムだと…それはエジプト神話の中で、過去と未来を時の舟で航行し、時間を支配する神。

 このわたしを、その舟にでも乗せてくれるというのか…?」

「フフフ、乗せてやろう。

 そして、その行き着くところは死だ……!!

 P(ファラオ)S(スフィンクス)奥義、ギザの聖眼衣(ヒエログリフ)!!」

 ピネジェムと名乗った男は、両腕を上げて纏ったマントを広げ、その裏側に描かれた目のような模様を見せた。

 ……一見すると、羽根広げたクジャクみたいなんだが。

 

「忘却とは、忘れ去る事なり……!!

 だが人は皆、その過去を引きずらずには生きていけぬ、悲しい動物よ…。」

 ピネジェムはそう言うと、腕とその模様を回転させた。

 

 ☆☆☆

 

 なんだ、この異様な感覚は…!?

 まるで、あの回転しているマントの模様に、吸い込まれていくような……!!

 目を離そうとしても、見つめずにはいられない。

 

 “飛燕”

 

 だ、誰だ…わたしを呼ぶこの声は……!?

 あたたかくて、そして懐かしい…。

 そうだ、この声は……!!

 

「飛燕…気がついたか、飛燕。」

「なっ!!」

「わしの突きを躱せず、気を失っておったのじゃ。

 まだまだ修業が足りんな。」

「ば、馬鹿な…あなたは……!!」

 わたしの目の前で微笑んでいるのは、我が拳法の師であった、劉戒老師。

 周りを見渡せば、数百人もいるであろう僧達が、それぞれの修業を行なっている。

 どういう事だ、これは……!?

 ここは、かつてわたしが修業をした天鳳山(てんほうざん)霜林寺(そうりんじ)!!

 なにひとつ変わらん…当時のままだ。

 しかし、すべては過ぎ去った過去…現在わたしは、天挑五輪大武會決勝トーナメント、P(ファラオ)S(スフィンクス)第二の敵との戦いの最中の筈だ。

 ならばこれは、幻の光景……!!

 袖口から鶴嘴千本(かくしせんぼん)を引き出し、全身で最も痛覚の集中する神経節を狙って突き立てる。

 なにかのまやかしの術なのだろうが、これですべては消え失せる……!!

 だが、目の前に広がる光景は変わらず、わたしは過ぎた過去の世界で立ち尽くした。

 

「なにやら身が入らぬようだな、飛燕。

 わしが相手をしてやろう。参るがよい。」

 老師が、見たこともないような形の武器…両端にそれぞれ星と三日月を模った刃が鎖で繋がれた棍を構えて、こちらに歩み寄ってくる。

 …いや、違う。奴は断じてお師匠様などではない。

 この凄まじい殺気……!!

 奴こそがピネジェムの実体だろう。だが……!

 息もつかせぬ鋭い攻撃に翻弄され、体術を駆使して躱し続ける。

 

「逃げてばかりでは勝負にならぬぞ。

 師匠だからといって遠慮は無用!!」

 そうだ、これは幻。躊躇う事などない。

 目の前にいるのは懐かしく慕わしい師ではなく、敵なのだ。

 

 ☆☆☆

 

「…どうやら飛燕は、なんらかの精神攻撃を受けているようですね。

 自分の身体に鶴嘴を突き立てた先ほどの行動を見る限り、自身の状態は把握できているのでしょうけれど、彼にしては動きにいまひとつ精彩がないところを見ると、それをして未だその影響から脱していないのでしょう。」

 おおかたあのマントの模様とその動きに、視覚から脳に働きかけて幻覚を見せる作用でもあるのだろう。

 というような事を言ったら、隣の影慶がなんだか苦虫を噛み潰したような表情を見せた。

 

「どうかしましたか?」

「…俺が厳娜亜羅(ガンダーラ)戦で不覚を取った時と同じ状況かと思ってな。」

 …なんかさっきから影慶の痛いところチクチクつついてしまってる気がする。

 なんぼ影慶がドMだといってもそれは肉体面の事であって精神的な痛手はまた別だろう。

 

「…私、喋らない方がいいですか。」

「何故だ?」

「いえ。

 気にされてないのでしたらいいんです。」

「……?」

 …それにしてもこのピネジェムという男、今『師匠だからといって遠慮は無用』とか言ったんだが、もしかして飛燕に見せているのは、彼の恩師の幻という事だろうか?

 そうか、飛燕の動きにいつもの冴えが見られないのはそのせいかもしれない。

 誰しも、大切な人の面影には、心が揺れずにはいられないもの。

 もっとも彼はその甘い容姿とは裏腹に、敵に対しては幾らでも非情になれる男の筈だけど。

 

 ☆☆☆

 

「鳥人拳秘技・鶴嘴千本!!」

 棍の先の刃に細かく皮膚を裂かれながらも、その攻撃を躱しながら、千本を投げる。

 だがそれは全て弾かれ、逆に反撃で胸元に傷を受けた。

 駄目だ…頭では幻覚とわかっていても、懐かしい姿と声に、心が揺れている。

 このままでは奴の言うとおり殺られる……!!

 

 ・・・

 

「ぐおおっ!痛い痛い、痛いっ!!」

「大袈裟ですよ。少しくらい我慢しなさい!」

「んな事言っても痛いもんは痛いんじゃ!!」

「無理に動こうとするから痛いんです!

 治療の間の5分もじっとしていられないとか、子供ですか、あなたは!!

 …というか、懲罰房にいた頃に比べて、どんどん落ち着きがなくなってくるのは、一体どういう事なんですか。」

 伊達に稽古をつけられてあっという間にボロ雑巾のようになった富樫と虎丸の要請を受け、治療に駆けつけた光は、見学したいと言ったわたしに、快く応じてくれた。

 …そういえば、わたしもよく見ていたわけではないが、驚邏大四凶殺(きょうらだいよんきょうさつ)の時の虎丸は、もう少しどっしりと構えていたような気がする。

 まあしかし元はと言えば治療に入る前に、

 

「私の治療術は、氣の操作をする事で、細胞の活性化を促し、即時治療が可能なわけですが…外側から違う人間の氣を無理矢理注入させるわけですから、一歩間違えると相手の体を、内側から破壊する結果にもなりかねません。

 まあ、この間桃が読んでいた少年漫画のように、内側から破裂するとか派手な事にはなりませんが、下手を打てばなんらかの内臓疾患を引き起こし、最悪の場合死亡します。

 …私の技は、人を救うだけではなく、殺す事も可能な技という事です。

 ここまでは、理解していただけますね?」

 とわたしに向かって言ったその言葉が、今の虎丸の反応の原因になっているのだと思うが。

 

「とはいえ、傷を即時に治療するならば氣の操作が絶対必要ですが、実はツボへの刺激だけで、治癒速度を幾らか速める効果のある組み合わせがあります。

 あなたにならば可能でしょうから、それはお教えしておきますね。

 うまい具合に、ここに実験体(モルモット)が2体居ますから、あなたはそっちを使ってください。」

 彼女の言葉に、蒼ざめて逃げ出そうとする富樫の身体を捕まえる。

 諦めろ。彼女を呼べと言ったのはおまえ達だ。

 

「まず、大人しくさせるにはここ、首筋にあるこのポイントを刺激します。

 私は氣で行いますけど、あなたは鶴嘴で、ただし確実に神経節で止めてください。

 うまく刺激できれば、このように…」

「うっ……!」

 小柄で華奢な腕の中で、虎丸の均整のとれた身体が弛緩する。

 

「…気を失わせて、無力化することができます。」

 それを見て、わたしの掴んでいる富樫の肩がビクッと震えた。

 …心配しなくても、暴れなければやりませんよ。

 

「…なるほど。確かにここは、五感に関わる神経節だ。」

「やはり御承知ですよね。さすがは飛燕です。

 …あと、こことこことここは、細胞の活性化を促すツボで、同時に刺激すれば放置するよりは確実に治癒速度が高まります。

 万が一身体の一部が切り落とされた時でも、すぐに繋げてここを刺激すれば……」

 

 ・・・

 

 先日、光の治療を見学させてもらった時の事が、なんの脈絡もなく思い出された。

 そうだ、残された(すべ)はただひとつ……!!

 首筋の神経節に向けて、千本の先をゆっくりと刺し込んでいく。

 深すぎればそのまま気を失ってしまうが、この攻撃用の千本の太さならば、深く入りすぎる事はない。

 それだけ痛みは激しいが。

 

「またしても己の神経節を突き、この世界からの脱出を試みようというのか。

 このわしを倒さん限りそれは不可能じゃ。」

 師の姿を借りてピネジェムが嘲笑うのが見えるが、その姿も声も、遠くなっていく。

 一瞬、全ての光景が、わたしの五感から消え失せた。そして……!

 

「我が師が死の直前に授けてくれたものが、ふたつある。

 ひとつは、どんな苦境にあってもそれに立ち向かう勇気さえあれば、必ず光明は見えるという言葉。

 そして、もうひとつはこれだ。

 鳥人拳奥義・鶴嘴千本連結衝(れんけつしょう)!!」

 恐らくは動かずにそのまま棍で防御するであろうと見越して、千本をその額めがけて投げ放つ。

 

「まだわからんのか、そんなものが通用するとでも………なっ!!」

 案の定棍に突き刺さる千本に向けて、第二撃、三撃を放つ。

 それは寸分違わず先の千本に繋がるように当たり、最初に棍に突き刺さったその先端を押し出して、ピネジェムの額に突き刺さった時には、わたしの世界は全て、戦いが始まる前に戻っていた。

 

「ぐわあ──っ!!」

 

 ・・・

 

「ば、馬鹿な……!!

 俺の奥義、ギザの聖眼衣(ヒエログリフ)が破られるとは……!!

 現実の世界に戻らねば、俺を倒すことは出来ぬ筈なのに…き、貴様、いつのまに戻っておったのだ……!!」

「戻ったのではない。

 二度目に自ら千本で突いたのは、一時的に五感を麻痺させる神経節だった。」

 一歩間違えれば自滅する、そんな危うい賭けだったがなんとか勝った。

 何故かはわからないが一瞬、『さすがは飛燕です』と言って微笑んだ、あの日の光の顔が浮かんだ。

 そして同時に、お師匠様の顔も。

 

「師を騙り、わたしの思い出を汚した罪は重いが、命だけは助けてやろう。

 千本が刺さった額のその神経節は、命を奪わず気を失わせる為のもの……!!」

 …これでいいのですね、お師匠様。

 あなたは拳の道だけでなく、心の道も教えてくださいました。

 

 ☆☆☆

 

 一勝をおさめた飛燕が自陣へ戻ろうとした刹那、それまで立っていた闘場が地響きを立てて、周囲を取り巻く溶岩のような色の赤酸湖に沈んでいき、代わりに幾本もの杭が浮かび上がった。

 せっかく命を助けられたピネジェムは、恐らくそれに巻き込まれて赤酸湖に沈んだと思われ、飛燕は直前で跳躍すると、そのうちの一本の上に着地し、辛うじて爪先立ちしている状態。

 バランス感覚に優れた飛燕の身体能力ならば苦にはならないだろうが、それでも危うい状況に違いはない。

 

「主催者の気まぐれか……!?」

 というアヌビスの呟きをマイクが拾っていたけど、食いつくのそこなの!?

 

「どうやら、これはこの大武會の主催者・藤堂とかいうじじいの仕業だな。

 なにを考えているのかはわからんが、よほど飛燕をまだ闘わせたいらしい。」

 …確かにこの冥凰島の全ての闘場はそれぞれ2パターンあり、見たい戦いによって好きな方を設定する事がいつでもできる仕掛けにはなっている筈だが、実際に見たのは初めてだ。

 

 てゆーか、なんで今なんですか、御前…!?

 

 ☆☆☆

 

 ー藤堂邸。

 

「何ゆえ、急に第三闘場の模様替えなどを…!?」

「…この男、飛燕と申したな。大した腕よ。

 数ある中国拳法にあっても秘中の秘といわれる鶴嘴千本をこの若さで極め、そして…何より、美しい。

 わしはこの男の若さと美しさが羨ましい、そして、憎い……!!

 この美しい顔が血まみれになり、焼けただれていく姿が見たい。

 ただ、それだけのことよ…!!」

 残酷な笑みを浮かべる老人のその言葉に、側近は思わず背筋が寒くなるのを感じた。




原作の、飛燕が老師に助け起こされるシーン、どう見ても老師が飛燕の服の胸元に手ェ突っ込んでるようにしか見えないのはアタシだけなんでしょうか。
…めっちゃイタズラされとるやん(爆


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3・乱れ咲く薔薇のように紅く

藤堂兵衛はガチで無自覚にアッーな人だと思ってる。
飛燕は虐め壊したくなり、伊達はクローン作るくらい手に入れたくなるとか。
そしてそんな自身の性癖にはきっと一生気がつかない気がする。
そんな御前の嗜虐性を思わず刺激するくらい、ネスコンス戦の飛燕は美しすぎました…!


「あの、煮えたぎる溶岩の池に点在する、不安定な足場で闘えってのか……!!」

「それに、P(ファラオ)S(スフィンクス)陣に続く縄ばしごは残っているが、俺達の縄ばしごはなくなった……。

 これじゃあ飛燕は帰って来れねえぞ。」

 富樫と虎丸の言う通り、この状態では選手交代すらできはしない。

 もっともこの闘場で闘える者が他にいるとすれば、同じ三面拳の雷電か月光くらいのものだが。

 より適任なのは雷電かな。

 彼ならこんな足場、問題にもならなそう。

 あと、溶岩じゃなく赤酸湖だから。

 多分御前も知らないと思うけど。

 

「…どうやら、勝っても負けても、救助は必要になりそうだな。」

 影慶が言うのに、黙って頷く。

 …そういえばこの男も、月光と戦った時、地面から突き出た尖った杭の上に立ってたっけ。

 ここに至るまでの対戦チームを見てきた中でうっかり忘れそうになっていたが、男塾(ウチ)の選抜メンバーも充分に超人揃いだ。

 慣れって怖いなとしみじみ思った。

 

 ・・・

 

 ひと通り闘場の状態が落ち着き、蒸気が晴れてくると、飛燕が立つ杭からそう離れていない別の杭の上に、古ぼけた壺が置かれているのがわかった。

 そして…!

 

「フフフ…俺の名は王家の谷の守護者達(ファラオ・スフィンクス)第三の使者、石壺(クヌム)のネスコンス!!

 飛燕とかいったな。

 ピネジェムを破るとは見事だった……!!

 だが、貴様の命はこれまでだ。」

 名乗る声は、その壺の中から聞こえてくる。

 飛燕もそれに気がついたようで、表情に驚愕を浮かべながら、手にした鶴嘴を壺に向けて投げ放つ。

 命中した鶴嘴にあっさり砕かれた壺の中から…うん、なんというか、全身の関節どうなってんの?と思わず訊ねたくなるような体勢の男が現れ、そいつは一旦その場から跳躍すると、先ほどから少し離れた杭に飛び移り、人差し指1本でそこに着地した。

 なるほど、どうやらこの勝負、完全に体術対決になるようだ。

 

「クックック…この美しき獲物を、(わたくし)めにお与えくださった事を、感謝しますぞ。アヌビス様。」

 …その言葉を聞いてふと、大威震八連制覇(だいいしんぱーれんせいは)の際に独眼鉄が自身に課していた変態キャラを思い出した。

 飛燕ってひょっとして、本人の意志でもなんでもなく、相手の嗜虐心を刺激しちゃうタイプなんじゃなかろうか。

 そんな事を考えていたら、急にストンと腑に落ちた。

 このタイミングで、御前が闘場を模様替えした理由は…()()()()()()()()()()()()()()だ。

 

 

「まずはほんの手始めといこう。」

 ネスコンスはそう言うと、人差し指1本で支える足場から跳躍して、飛び回りながら飛燕に攻撃してきた。

 体術は飛燕もかなりの達人である筈だが、この男のそれはどこか異質で、攻撃パターンも読み辛い。

 …これはひょっとすると、雷電でも苦戦するかもしれない。

 このままギリギリで避けていても埒があかないと思ったのだろう、飛燕が間合いを取り直して攻撃に転じる。

 

鶴嘴千本(かくしせんぼん)三点衝(さんてんしょう)!!

 この距離では、躱すすべはない!!」

 その通り、飛燕の手から放たれた三本の鶴嘴は、まっすぐネスコンスのもとに飛び、ネスコンスはその場から動かなかった。

 …にもかかわらず、鶴嘴はネスコンスの身体をすり抜けて彼の後方に飛び、虚しく赤酸湖の中に落下する。

 ネスコンスの体全体が骨格の構造を無視するかのように動き、鶴嘴を避けて曲がったからだ。

 

「我が名石壺(クヌム)のネスコンスのクヌムとは、古代エジプト語で、酢を入れる壺のこと……!!」

「ぬうっ!!

 今、酢を入れる壺とか言いおったな……!

 ま、まさか奴め、中国拳法でいう、晏迢寺(あんこうじ)軟體拳(なんたいけん)を……!!」

 ネスコンスが言うのを聞き、自陣から雷電の、息をのむ声が聞こえた。

 

 晏迢寺軟體拳…一般に酢が人間の体を柔軟にする成分(ビノドキシン)を多量に含有することは知られている。

 この性質を応用し、特殊な拳法を編みだしたのが、晏迢寺軟體拳である。

 その修業者は、この世に生をうけた時より、酢を満たした大瓶の中で生活・成長し、超柔軟な体質をつくりだしたという。

 その人体構造の制約を超えた拳法は、必勝不敗の名をほしいままにした。

民明書房刊『世界の怪拳・奇拳』より

 

 …本当になんでも知ってるんですね、雷電は。

 その後に続いた話は、なんか覚えてると今後ラッキョウ食べられなくなりそうだったから早々に記憶から排除したけど。

 

「見せてやろう。

 この体質を生かした、世にも怪奇な必殺技を!!

 P(ファラオ)S(スフィンクス)秘承義・アマルナの黄昏!!」

 私の意識がほんの少し別の方向にそれている間に、ネスコンスは杭の上に、両脚を腕で持ち上げて、その状態から爪先立ちをするという、言葉にすると状況がまったくわからない体勢をとっていた。

 

「アマルナとは、伝説の赤い砂漠を意味する言葉…。

 そこに夕日が落ちる時、天と地はすべてを真紅の血の色に染め、そこを通る旅人を、死の世界に(いざな)うという。

 貴様もそのアマルナの黄昏に、全身を真っ赤な血に染めて死ぬのだ!!」

 言って、その体勢のまま高速で体を回転させ、空中へと飛び上がったネスコンスは、そのまま飛燕の頭上に落ちる。

 跳躍して他の杭に着地して躱す飛燕の、さっきまで足元にあった杭が、ネスコンスが着地すると同時に、落下の衝撃と回転の力で砕け散った。

 だが完全に砕ける前に、ネスコンスはもう跳躍しており、同じような息をもつかせぬ攻撃を繰り返す。

 これではさすがの飛燕も防戦一方。

 それでもギリギリで何とか躱し続ける飛燕に焦れたのか、作戦を変えると言ったネスコンスは、そのままほぼ全ての足場の杭を、その技で破壊していった。

 残したのは、自分が着地する為の杭と、飛燕が立っている杭、その二本のみ。

 2人の間の距離は、3メートルはあろう。

 もうそこから動く事は出来ないと笑うネスコンスに、飛燕はそこから鶴嘴を構える。

 

「それは貴様とて同じこと。

 いや、この距離では、並外れた体術を活かせなくなった貴様よりも、千本を持つわたしの方が有利になった。」

「ククッ…そう思うのは当然。

 まだおまえはこのネスコンスの持つ肉体の、真の恐ろしさを知らんのだからな。」

 そう言ってネスコンスは、腰の防具のどこからか、手甲型の武器を取り出して装着し……、

 その腕を、飛燕の胸元まで伸ばした…文字通り。

 

「き、貴様……!!」

 まさかこの距離からの直接攻撃があるなどとは思わず、防御姿勢をとっていなかった飛燕の胸元が、切り裂かれ、血が飛沫(しぶ)いた。

 

「思い知ったか。

 これぞアマルナの黄昏、真の意味!!」

 

 ☆☆☆

 

「俺の肉体は、酢壺の法と長い修練の末、四肢の関節を外し、その長さまでも意のままにする事が出来るようになったのだ!!」

 その言葉通り、ネスコンスの武器を装着した腕が、まるで飛び道具のように襲いかかってくる。

 跳躍して躱しても、それは曲線を描いて戻ってきて、着地の瞬間を狙って、わたしの身体に傷を増やしていった。

 何せ足場はこれ一本。

 一旦避けても、戻る位置はここしかないのだから、攻撃の目標をつけるのは容易いだろう。

 跳躍の軸にしていた方の大腿部を奴の武器の刃が抉り、一瞬体勢を崩すも何とか堪える。

 

「これで貴様は、宙へも逃げる事は出来なくなった筈。」

 嘲笑うネスコンスに向けて千本を放つ。

 奴が武器でそれを弾いたと同時に、驚くべき速さの攻撃が、わたしの全身を切り刻んだ。

 

「どうやらアマルナの黄昏の時は来たようだな。

 今まさにおまえの体は、赤く血に染まり、夕日を浴びているように見える。」

 血…か。どうせ流すのならば。

 どうやらまた覚悟を決めねばならぬらしい。

 わたしは闘着を一旦脱ぐと、裏返して着直す。

 それから自陣を振り返って、固唾を飲んで見守っている仲間たちを見やった。

 ありがとう、みんな…そして、さようなら……!!

 

 ☆☆☆

 

「あれこそは赤薨衣(せきこうい)……!!

 古来、拳法家が己の死を覚悟し、最後の攻撃にうって出るという意をあらわす、いわば死装束…!!」

 飛燕の行動の意図を説明して、この世で最後の必殺技になると言った、雷電の声が震えている。

 

「…最後になんて、させません。」

 思わず私が呟くと、何故か影慶が私の右手を取った。

 そのままくるんとひっくり返し、無意識に握りしめていた私の拳を開かせる。

 …あ。

 どうやら握りしめすぎて、掌を爪で傷つけてしまっていたらしい。

 伊達や邪鬼様の事言えないな。

 慌てて自分の手首に氣を回し、傷の治療をする。

 気付いてくれた影慶にお礼を言おうとしたら、彼の大きな左手に、右手の指を絡める形で繋がれた。

 もう握りしめないようにという配慮なのだろうが、子供扱いされているようで気恥ずかしく、私はそのまま意識を闘場へと戻した。

 闘場の足場の上で飛燕は鶴嘴に自身の血を塗り、それを構えている。

 

「この血塗られた千本が、貴様を冥途の道連れにする。

 見せてやろう…鳥人拳最終極義を……!!」

 

 

「顔に似合わず、何という気丈な奴よ。

 そろそろとどめを刺し、その苦痛から解き放ってやろうと思ったが、気が変わった。

 楽には殺さん。なます斬りにしてくれる。

 どこまでそのやせ我慢が続くかな!?」

 …いやそれ、さっきまでやってたことと変わらないだろう。

 ネスコンスは手に着けていた武器を今度は足に付け替えると、今度は足を伸ばして攻撃してきた。

 飛燕はそれを全く躱す姿勢すら見せずに身体に受ける。

 既に躱す体力すら残っていないと見たネスコンスの連続攻撃は、決して即死しない部分をわざと狙って繰り出されていた。

 これ以上見てはいられないと、富樫と虎丸の悲鳴のような声が虚しく響く。

 だが…妙だ。

 奴の攻撃は間違いなく、飛燕の身体のあちこちを切り裂いているはずなのに、その傷口からは全く出血する様子がない。

 

「飛燕は力尽きたのではない…己の最後の気力と体力とを、極限状態にまで集中しているのだ。」

 まるで私の疑問に答えるようなタイミングで、雷電の声がその状況を説明した。

 もしかすると、集中することによって血流をある程度操作しているという事だろうか。

 私も氣の操作である程度まではそれができるが、だからといって完全に出血を止めるとかまでは到底かなわないし、それだったら斬られた直後に傷を塞ぐ方が余程効率がいい。

 

「目を背けてはならん……!!

 天才と謳われた飛燕が、己の命と引き換えに、この世で見せる最後の技…しっかりと心に刻み込むのだ。」

 

 ・・・

 

「とうとう血さえも流れ尽くしたようだな。

 どこを斬っても、一滴の血さえも流れぬようになった。」

「……尽きたのではない。

 血を溜めているのだ……用意は整った。

 貴様も最期だ、ネスコンス……!!」

 飛燕は気合を込めると、そのしなやかな手を広げた。

 その腕から、信じられない量の血液が噴出し、それが螺旋状に広がる。

 

「鳥人拳最終極義・鶴嘴紅漿霧(かくしこうしょうむ)!!」

 噴き出した飛燕の血飛沫は霧となり、2人の周囲を覆う。

 

「…我が鳥人拳の真髄は、己の肉体全てを意のままにする事にある。

 体内の血を一点に圧縮し、一気に噴出させたのだ。」

 …そういやさっき説明していた人は、髭の先まで自在に動かせる人だった。

 流派の名前は違っても、三面拳の使う技は、源流が同じなのかもしれない。

 

「…そして、ここに血塗られた鶴嘴が3本ある。

 これが貴様に見切れるか!!」

 赤い霧の中で、赤く染まった鶴嘴が、ネスコンスに向けて放たれる。

 真正面から見れば、向かってくる鶴嘴は、赤い点にしか見えぬ筈で、しかも周囲は同じ色の赤。

 だがネスコンスは完全にカンでそれを躱す。

 それに対して全く動揺を見せない飛燕の呟きが聞こえた。

 

「残るは、あと2本……!!」

「み、見なかったのか、今のを…?

 確かに恐ろしい技よ…だが、飛んでくる鶴嘴は見切れずとも、幾多の戦場で養われたカンが俺にはある。」

 続く飛燕の第二撃。

 それも躱したネスコンスが嗤う。

 …それはともかく、鶴嘴の風を切る音に、微妙な違和感を覚えるのは気のせいだろうか。

 真っ直ぐ飛んでいるのではなく、むしろ回転でもしているような…?

 更に最後の一投がしなやかな指先から放たれた時、ネスコンスの身体が宙に舞い、再び綺麗に足場へと着地した。

 飛燕の命を賭けた鶴嘴の最後の一本も、ネスコンスの身体に傷ひとつつけることなく…!

 

 ☆☆☆

 

「これで完全に勝負あったぞ!!

 全ての鶴嘴を外した今、貴様は血を流し尽くして死ぬだけだ!」

「外した……!?

 3本の鶴嘴は、ひとつも外してはいない。

 よく自分の足元を見るんだな。」

 自分の置かれた状況を全く理解せずに高笑いするネスコンスに、現実を突きつけてやる。

 言われて自身の足場に目を落としたネスコンスが、そこに突き刺さっている2本の鶴嘴に、細い目を見開いた。

 

「は、外した筈の鶴嘴が杭に…し、しかも奇妙な形に曲がって……!!」

「そうだ。

 その微妙に曲げた鶴嘴はブーメランと同じ事…!!

 弧を描き目標物に戻ってくる。

 これこそ鶴嘴紅漿霧、真の目的だ。

 3本目が刺さった時、杭は砕け散る……!!」

 わたしがそう言う間に、最後の一投は風を切り、先の2本同様杭に突き刺さる。

 

「うおおおお──っ!!」

 唯一の足場を失ってしまえば、自慢の肉体も役には立つまい。

 足元で煮えたぎる赤い海に落下するネスコンスに、もはや自身を救う術は無かった。

 そして、このわたしも…。

 

 あとは頼みました……!!

 もう一度言わせてください…さようならと……。

 

 もはや自身を支える力すらなく、先ほどの敵同様、赤い海に向かって落ちてゆく。

 自陣の仲間たちを、最後に視界に入れて、呟いた言葉は、声にはならなかった。

 

 ・・・

 

 ……………………………。

 

「お疲れ様です。間一髪ですね。さすがです。」

「ああ、上手くやれた。おまえのおかげだな。

 感謝する。」

「私は何もしておりませんが。

 助け上げる瞬間に煙を立てるというのは、驚邏(きょうら)大四凶殺(だいよんきょうさつ)の際に闘士達の救助を行なった、三号生の皆さんのアイディアです。

 それより、あなたも少し火傷をしたでしょう?

 あちらの川から水を汲んできていますから、あなたも赤酸湖の成分を洗い流してください。」

 

 …なんだ?聞き覚えのある声がする。

 大人の男の声と、子供か、女性のような声。

 正体を確かめるべく目を開けようとした瞬間、何故か全身に冷たい何かが浴びせかけられた。

 どうやら水のようだが、その勢いに目が開けられず、また呼吸も困難で、傷の痛みもあって気が遠くなった。

 ややあって、その痛みが、何かに刺されたようなチクッとした痛みの後、ぽうっと温かい感覚にとって代わり……わたしは、完全に意識を手放した。

 

 ☆☆☆

 

 飛燕の全身に水をぶっかけた際、少し呻いたようだったが、目を覚ます事はなさそうだった。

 先に手を洗った影慶の両手首を取り、氣を撃ち込む。

 それから飛燕に向き直り、火傷の治療と同時に、出血量が多い為大きな傷も塞ぐ。

 私の存在がバレる可能性が高くなったが、仕方ない。

 それにしても…。

 

「火傷の治療は厄介だっつってんだろうが。

 クソジジイが。」

「え?」

「…い、いえ、何でも。」

 かつての私なら絶対に思いもつかなかった御前への罵詈雑言が思わず口からだだ漏れて、私は慌てて口を塞いだ。




影慶と光が結構いちゃついてる件。
苦手な相手ってのは、好意が上昇すると一気に大好きまで駆け上がるもんです。
知らんけど。


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4・嵐よ、叫べ

「真!!男塾」3巻まで読みました…。
男塾の女塾生登場しちゃったwしかも生徒会長ww
そしてオチ付きの恋愛ネタ入ったけど、相手がド天然ゆえになんかこれはこれで将来的には芽がありそうな気がしてならない。
でも何故なんだろう、全然羨ましくないのはwww
むしろ飛燕の方が逆ハー風おや誰か来たようだ。
(この後ひじきは全身穴だらけの状態で発見された)


「…彼にはもう命の心配はありませんが…造血の処置をしましたので、最低でも半日ほどの睡眠が必要でしょう。

 試合が終わったら私たちは移動しなければいけませんが、彼をどうしましょう?」

「…抱えて連れていく訳には行かぬだろうから、置いていくしかなかろうな。」

「そんな…!」

「この男、見た目ほどヤワではない。

 念の為、救命幕の布を少し使ってテントを張って、その中に寝かせておこう。

 幸いにも、ここは地熱が高い。

 体温が下がる心配もあるまい。

 少し薬や包帯も置いていけば、目覚めたら自分で仲間の後を追うことだろう。」

「…わかりました。」

 私と影慶が飛燕の手当てをしている間に、闘場はまた円形の武舞台が赤酸湖の中から浮かび上がり、元の状態に戻っていた。

 足場は1本だけ残して全てなくなったから、あの状態での試合は続行できないだろうし、このタイミングで武舞台の変更が行われた理由が私が推測した通りであるなら、飛燕が戦闘不能になってしまえば、とりあえず御前としてはあっちにこだわる意味はもうなかろう。

 あと、御前とて男塾の試合ばかり集中して見ている筈もなく、自分の私設チームだってある訳だから、この後飛燕が無事桃たちと合流して、つらっと男塾陣営に並んでたとしても、仕留め損ねたと思って再び命を狙われるとかは恐らくないと思う。

 ない………よね!?

 

 ☆☆☆

 

“大分苦戦を強いられているようだな、アヌビス。

 だがおまえが行くほどの事はない。

 P(ファラオ)S(スフィンクス)最強の戦士たるこやつらを遣わそう。

 いでい!!

 ツイン・スフィンクスの左将(レフトアーム)セティよ!”

 奥に控える黄金の棺の中からの声に従い、その手前の二つのスフィンクス像の1体が割れ、中から男が一人姿を現わす。

 

「偉大なるファラオよ。

 このセティ、必ずやあなた様の御心、安んじ奉りましょう。」

 だから、その演出…いや、止そう。

 これが奴らの流儀というならば、私が口出しすべき事じゃないし。

 

 ・・・

 

「ちくしょう、藤堂のクソじじいが。

 好き勝手なマネしくさりやがってーっ!!」

「あ、あいつが闘場を変えたりしなきゃ、飛燕は死ななくても済んだというのに…!!」

 本当に。

 ここに影慶が居てくれなければ、私だけではどうしようもなく、単なる御前の気まぐれで、飛燕は本当に命を落としていたろう。

 身体能力もさることながら、こんなにフォロー能力に優れている人はちょっと居ない。

 まさに理想の嫁…とちょっとだけ思ってしまってから、慌てて頭から打ち消す。

 この人は男でさえなければ、とうに邪鬼様の後妻に収まっているのだろうな…などという考えを。

 

「…今、何かろくでもない事を考えていたろう。」

「なんでバレたし。」

 …さて、次の闘いは、と。

 

「グチを言ってるヒマはねえ。

 どうやら次の敵はもうお出ましのようだぜ。」

 伊達の言葉に相手方の陣を見れば、最初から立っているアヌビスとかいう男のそばで、先ほどスフィンクス像の中から出てきた男が、巨大な弓をこちらに向けて引いている姿が見える。

 次の瞬間、その弓弦から放たれた矢はこちらの崖壁、うちの闘士たちの足元に近いところに突き刺さり、その矢は一本のロープで、向こうの陣と繋がっていた。

 更に矢を放った男が、そのロープの上を『歩いて』渡ってくる。

 下の闘場まで50メートルはある高さから、その不安定で細い足場をまったく気にすることなく、身体をぐらつかせる事もなく中央まで渡りきった男は、そこで足を止めると指先で、男塾側に向かって手招きした。

 一人で曲芸でもやってろという富樫と虎丸に対し、

 

「せっかくのお誘いを断るのは野暮ってもんだぜ。」

 そう言って学ランを脱ぎ捨て、一歩踏み出したのは伊達だった。

 

「どんな状況、いかなる敵であっても、男塾がケツを見せる事はねえ。

 飛燕はそれを、身をもって教えてくれた筈だぜ。」

 声に腹心への哀悼を滲ませて、伊達はロープに飛び乗ると、臆する事なく歩みを進めてゆく。

 余程体幹がしっかりしているのか、やはり身体をぐらつかせる事なく。しかし…、

 

「…みすみす、相手のステージに踏み込むってのも、戦略としてはどうかと思うのですが。」

「俺も以前はそう思っていたが、敢えて相手のステージで戦って完膚なきまでに勝つというのも、逆に爽快なものでな。」

 この戦闘狂が!

 そうだったよコイツあっち側の人間だったよ!

 

「よく来たな。

 その度胸に報いて教えておいてやろう。

 この勝負こそは、我がP(ファラオ)S(スフィンクス)伝統の決闘法!

 本来ピラミッドの間にロープを張り…」

「そんな話に興味はねえ。

 それとも貴様、こんな場所でお喋りに付き合わせるために俺を呼んだのか。」

「フッ、焦るな。まだ準備は出来てはいない。」

 黄金の棺がセティと呼んだその男が口元に笑みを浮かべた次の瞬間、P(ファラオ)S(スフィンクス)側の陣に残っているアヌビスが、先ほどの弓を引き、火矢を放つのが見えた。

 それは伊達の顔の真横を通り抜け、先ほど放った矢のすぐそばに命中したかと思うと、そこに繋がるロープ、即ち今の伊達の唯一の足場に、火が燃え移った。

 

「安心しろ、条件はお互い同じだ。」

 その火矢を放ったアヌビスはそう言って、自らの足元にも火を落とす。

 そちらはセティの足場でもある。

 お互いに炎を背にした状態で、戻る道はない。

 

「この石綿で編まれたロープを走る双方からの炎が、中央まで達するのに、およそ10分……。

 それまでの勝負だ。

 貴様には焼け死ぬか、奈落の底に叩きつけられて死ぬかを、選択する自由がある。」

 いや、なによその二択。

 無茶苦茶なことを言いながら手甲型のナイフのような武器を握るセティを、表情も変えず睨みつけながら、伊達が言葉を返す。

 

「なる程な。これで少しは楽しめそうだぜ。」

 やめろド変態。

 それはそれとして、私の見間違いでなければ確か、さっきロープを渡り始めた時には伊達は靴を履いていた筈なのだが、いつのまに脱いだものか、今は裸足だ。

 あと、下の闘場を使っていない今、男塾側の切れた縄ばしごを、係員がかけ直している最中なんだが、多分上の子たちは気がついていないと思う。

 

 先に仕掛けたのはセティだった。

 細いロープの上を伊達に向かって真っ直ぐ突っ込んできて、手甲のナイフを振りかぶるのを、伊達が槍でいなす。

 その勢いのまま今度は伊達の槍が薙ぐのを、セティが飛び退いて躱した。

 地上まで50メートルあまりの高さの上で、しかも足場は一本のロープのみ。

 だがそんな状況など意に介さぬような、目にも留まらぬ攻防が繰り返される。

 

「す、すげえ。あの2人…。」

「出来るな、あのセティとかいう男……!!」

 セティは、わざわざこのステージを自身で用意したのだから当然だろうが、伊達の動きも瞠目すべきものだ。

 三面拳ならこういうのは得意そうだが、さすがはそれを束ねる男というわけか。

 更に今は飛燕を失ったと思っているのもあり、普段以上の気迫が感じられるのは、私の気のせいではないのだろう。

 一通りの攻防の後、一旦間合いを離したセティが、逆立ちをするような体勢でロープを掴んだ。

 そのまま回転し、凄まじい勢いで伊達に迫ってくる。

 伊達は槍を防御の姿勢に構えたが、その間隙を縫うかのごとくセティは跳躍し、伊達の背後に着地した。

 次の瞬間、伊達の肩から血が飛沫(しぶ)く。

 

「だ、伊達がやられた──っ!!」

 虎丸や富樫が叫ぶも、桃の声が冷静に状況を指摘する。

 

「いや、違う。ただやられてはいない。」

 その通り、一拍後からセティの上腕からも、同じように血が飛沫いた。

 

「フッ、やりおる……!!」

 この一瞬の勝負は相討ちといったところか。

 

「伊達とかいったな。大した男よ。

 槍術もさることながら、このロープ一本上での闘いに、微塵の恐怖も感じぬ、その強靭な精神力。」

 セティの言葉は本気で感心しているように聞こえる。

 

「つまらん世辞を言っている場合か。

 そろそろケツに火がつき始めるぜ。」

「慌てることはない。時間はまだ充分にある。

 だが闘技においてはどうやら互角…これ以上は体力の無駄遣いのようだ。」

 一気に勝負をつける、と言ってセティはどこからか奇妙な道具を取り出す。

 先が広がった筒のような形状のそれを、同時に取り出した瓶の中の液体に付け、一旦引き出してから、反対の端に口を付ける。

 

P(ファラオ)S(スフィンクス)奥義、神獣(カルナック)の泡沫!!」

 どうやら息を吹き込んだらしい筒の先から、伊達に向かって無数の泡の玉が飛び出して来た。

 

「な、なんじゃあ!!

 ありゃあシャボン玉じゃ──っ!」

「無数のシャボン玉が伊達を取り囲みやがった──っ!!」

「フフッ、そうだ。

 だが、普通のシャボン玉とは違うことを、この石つぶてを投げて教えてやろう。」

 そう言うとセティは言葉通り小石を伊達の方に向かって投げ放つ。

 それは伊達の周囲に浮かぶシャボン玉のひとつに当たるとそれを割り、その飛沫が伊達の手首から肘近くまでを覆うプロテクターに降りかかったと思うと、音を立ててそれが溶け始めた。

 

「見たか、これぞ神獣(カルナック)の泡沫の恐ろしさ……貴様を取り囲んだシャボン玉は、岩をも溶かす濃硫酸の液で出来ておる。

 貴様の槍さばきをもってしても、そこから脱出することは不可能……!!

 漂い浮かぶ玉にわずかでも触れれば瞬時に割れ、貴様に硫酸の雨が降り注ぐ事になる。」

 …よくその溶液のついた筒を口に咥えられたものだ。

 絶対に噎せるか何かしそうなんだが、それも訓練の賜物なんだろうか。

 いや、止そう。余計な事を考えるな。

 今現在、伊達は防御すら封じられた状態にあるという事だ。

 逆にセティは伊達の間合いの遥かに外から、小さな石ころだけで伊達を攻撃できる。

 セティの手から放たれたそれが再び泡の玉を割り、その飛沫を避けた伊達の背中に別の玉が当たって、その肌を焼く。

 何度かそれが繰り返され、やがて伊達の槍を持つ手が酸の飛沫に当たり、唯一の武器を取り落とし………た?あれ?

 …そのタイミングで、炎も2人の背後に迫る。

 

「次の一撃を最後としよう。

 この石つぶて全てを投げ、硫酸の雨を全身に浴びせた時、貴様はロープの上に踏みとどまっておれるかな!?」

 どうやら炎が迫ってきたことで、セティにも若干の焦りが出ているようだ。

 

「…伊達の勝ちだな。」

「あなたもそう思われますか。

 あの状況で遊べるとか、ほんと余裕ですね、彼。」

 私と影慶が頷きあう。

 そんな事を知るはずもないセティは、伊達に対し、言い残すことはないかと余裕ぶって訊ねており、それに対して伊達は、実に底意地の悪い笑みを浮かべた。

 

「どうでもいいが貴様の髪型、それはなんとかならんのか。

 鉄腕アトムのおっちゃんよ……。」

 本当にどうでもいいわ。

 鉄腕アトムがなんなのかわからずとも、馬鹿にされたのだという事だけはわかったのであろうセティは、一瞬なんとも言えない表情を浮かべた。

 

「…敗者の世迷い言として聞き流してやろう。

 死ねい──っ!!」

 言葉だけは余裕があるのだが、微妙に怒っているらしい表情で、セティは小石を握った手を振りかぶる。

 が、次の瞬間その表情は、完全に驚愕に塗り替えられた。

 

「な、なに──っ!!ロープの陰に───っ!」

 さっき取り落としたように見えた伊達の槍の、落ちていく軌道が見えなかった事、不審に思わなかったのか。

 大方煙や炎、シャボンの泡といったものに紛れて見落としたとでも思ったのだろうが、それにしたって油断しすぎだろう。

 先程から一歩も動かず、甲部分をずっとロープの下に付けていた伊達の片足が高く蹴り上げられ、そこに隠されていた槍が回転しながら、伊達の手に戻る。

 

「俺の命ともいうべきこの槍を、そう簡単に落とすと思ったか。」

 一瞬にして繰り出された穂先がセティの額飾りを砕き、それが横に振られた時、セティの身体がロープ上から振り落とされた。

 

 ように見えたが、セティもさすがにそこは自分のステージ。

 咄嗟にロープに足を引っ掛けて、再びその上に戻る。

 

「フッ、危ないところだったが、運良く髪飾りに救われた。

 取り囲んだ玉が邪魔をし、自慢の槍も狙いを外したようだな。」

「運良く……!?

 本当にそう思っているのなら、つくづくおめでたい奴だな、おまえという男は……!!」

 言うや、伊達の槍の、目にも留まらぬ突きが繰り出された。

 

 覇極流(はきょくりゅう)奥義・千峰塵(ちほうじん)

 その卓越した槍技が、一瞬にして全ての玉を割る。

 更にその飛沫が降りかかるより先に、伊達は槍の柄をロープに当て、それを支点にして跳躍した。

 そしてそのままポールダンスのように一回転してから、危なげなくロープ上に着地する。

 

「これでわかったろう。

 この程度のもの、いつでも脱けようと思えば脱け出せたのだ。」

 力の差がある故、無駄な血は見たくないと、降参を勧める伊達に、セティは屈辱の表情を見せる。

 だが、伊達はそのセティではなく、彼の背後の陣に目を向けていた。

 

「…どうやら、俺の本当の敵はあいつのようだな。」

 伊達が呟いた言葉に、セティが自陣を振り返る。

 そこには先ほどからずっといるアヌビスの隣に、いつのまにか男がもう1人立っていた。

 例のスフィンクス像の残っていた1体が割れている。

 先ほどのセティ同様、こちらもこの中から出てきたのだろう。

 ロープ上の戦いに気を取られていて気付かなかったが。

 

「ここまで俺が舐められようとはな。

 その思い上がり、今打ち砕いてくれよう。」

 そう言うとセティは再び、例の硫酸の溶液の瓶を取り出すと、先ほどとは違う、先が二股に分かれた形の筒をそれに浸した。

 息を吹き込まれたそれから勢いよく吹き出された泡の玉が、二方向から伊達を再び取り囲む。

 それが一瞬にして弾けたかと思うと、次の瞬間伊達は、ひとつの大きな泡の玉の中に閉じ込められていた。

 

「これぞ神獣(カルナック)の泡沫、究極の必殺形態。

 今度こそ逃げられはせん。

 その大玉が割れたが最後、全方向から一斉に、中にいる貴様に硫酸が降り注ぐのだからな。」

 今度こそ勝利を確信した様子でセティが嘲笑う。

 そのセティに一瞥しながら、呆れたように伊達は吐き捨てた。

 

「やはり貴様は、死ぬしかないようだな。」

「まだ減らず口をたたくか。

 この石つぶての一撃で最期だというのに。

 …死ねい!この大ぼら吹きが───っ!!」

 セティの手から投擲された小石が、伊達を取り囲む大玉に当たる。

 瞬時に泡の玉は破裂し、周囲に硫酸の飛沫が散る。

 

「見せてやろう。

 覇極流槍術奥義・渦流天樓嵐(かりゅうてんろうらん)!!」

 瞬間、伊達は槍を凄まじい勢いで槍を回転させた。

 それは竜巻のように風を巻き起こし、その身に降りかかる筈の硫酸の雨を弾き飛ばす。

 セティはそれに負けじと追撃の泡を飛ばすが、伊達がその回転を前方に向けると、その玉が全てセティの方に返っていった。

 

「さすが伊達殿よ…あれが世に聞く渦流天樓嵐…。」

 男塾の陣から、雷電がこの技の説明をする声が聞こえた。

 

 渦流天樓嵐…

 中国槍術その最高峰にあり槍聖とあがめられた、呂朱根が創始したといわれる幻の秘技。

 槍をすさまじい勢いで回転させることにより小竜巻ともいうべき乱気流現象を起こしその風圧で相手を撹乱した。

 その威力は飛ぶ鳥を落とし頭上で回転させれば傘のかわりをもなしたという。

 ちなみに現代でも突然の雨にあった時雨をやませるまじないとして、棒きれを拾い頭上で回転させる老人の姿がしばしば見られるのはこの名残りである。

民明書房刊『武道達人逸話集』より

 

「かくなる上は、体術で決着をつけるしかないようだな。」

 息を乱しながら、セティが先ほど着けていた武器を再び装着する。

 

「もう一度聞いておく。

 命に未練はないのだな……!?」

「ほ、ほざけ───っ!!」

 もはや冷静さも余裕もないセティが、手甲のナイフを伊達に向け、真っ直ぐに突っ込んでくる。

 

「やはり貴様は俺の敵ではなかったな。

 玉が吹き戻された時、みずからがその中に閉じ込められた事に気付かぬとは……!!」

 そう、先ほど伊達を閉じ込めたシャボンの玉と同じものがセティの周囲を覆っており、その中から前方に飛び出せば、答えは明白。

 

「うぎゃあ〜〜っ!!」

 大玉が破裂した硫酸の飛沫を、身体全体に浴びたセティは、ロープの上から真っ逆さまに、下の闘場へと落下していった。

 

「自業自得だ…!!

 二度も命を助けるほど、俺はお人好しじゃない。」

 

 勝負には勝ったものの、火の勢いは迫っている。

 これは私たちの存在がバレるのを覚悟で、影慶に救出に行ってもらった方がいいかもしれない。

 そう思って、傍の影慶を見上げると、彼は無言で相手方の陣を指差していた。

 ……は?



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5・この空を飛べたら

字数的にはちょっと短いかも。


「な、なんじゃあ、あれは──っ!!」

「でけえ翼に人が乗り、伊達めがけて襲ってくる──っ!!」

 影慶が指差していたのと同じものを見て、男塾陣のアナウンス担当要員が声を上げた。

 ハングライダー様の乗り物に乗って、前後を炎に挟まれたロープ上の伊達に向かってくる、鳥のマスクで顔を覆った男は、先ほどアヌビスの隣にいた奴だろう。

 それが迫ってきて、そのままでは衝突するだろう距離で、伊達は槍をロープに突き立てると一度跳躍した。

 それから今度はその穂先を、ハングライダーの骨に引っ掛ける。

 それで炎の中からの脱出は叶ったものの、ハングライダーはそこから急降下を始めた。

 あわや地面に叩きつけられる寸前で、伊達は体勢を整えて、下の闘場に無事着地する。

 富樫や虎丸はこの所業に憤っているようだが、伊達がこうする事はこの鳥マスクの想定の範囲内だった筈だ。

 むしろ助けられたと私は判断しているのだが。

 

「いかがでしたか、空の旅は!?」

 鳥マスクを外しながら男が言葉を発した。

 …なんか想像してたのと違う、派手なメイクに彩られた顔が、マスクの下から現れる。

 

「わたしの名はツイン・スフィンクスの右将(ライトアーム)、ホルス!!

 ホルスとは、その翼で天空を駆けめぐる鳥人神のこと…。」

 塗りすぎて地の顔が全くイメージできないんだが、男性としてこれはどうなのだろう。

 いや、アイシャドウの発祥はエジプトと言われているから、方向性として間違ってはいないのか?

 確か眼病とか虫除けとか魔除けとかいった、目的は主に(まじな)い的なものだった筈だけど。

 それにしたって紅は要らないと思うんだ。

 しかも相当頻繁に塗り直してなかったら、こんな遠目からでもわかるほどのツヤッツヤでギンギンな赤は維持できない。

 この男ともし知り合いだったとして、いきなりド素っぴんで声かけられたら、絶対誰だか判らない自信がある。

 

「笑わせるな…ハングライダーに乗って飛んでくる鳥人神がどこにいる?」

 そんなホルスの自己紹介に、伊達は冷静につっこ…言葉を返した。

 …うん伊達、私は今初めてお前に、尊敬の念を抱いている。

 正直、この化粧オバケのヴィジュアルのインパクトが衝撃的過ぎて、話の内容が全く頭に入ってきていなかった。

 

「…あやつ、ふざけたなりはしているが、先ほどのセティよりもできそうだな。」

 そして、隣にいる邪鬼様の嫁までもが無自覚に私を更に抉ってくる。

 なんかもう本当ごめんなさい。

 

「ハングライダー?そんな言葉は知りません。

 もう一度、よくご覧になってはいかがです!?」

 ホルスがそう言って指し示す方に反射的に目を向ける。

 と、先ほどホルスが乗ってきた翼の落ちた場所の、地面に埋もれてひしゃげた骨組から、何かが一斉に空へ飛び立った。

 

「御覧にいれましょう!

 P(ファラオ)S(スフィンクス)に伝わる奥義、黒烏魔操術(こくうまそうじゅつ)を!!」

 それは、無数のカラスの群れ。

 ホルスの乗ってきたハングライダーは、その骨組をカラスの群れが掴んで飛んでいたものであるらしい。

 中の一羽がホルスの肩に降りたち、甘えるように嘴を擦りつける。

 

「人はカラスを忌み嫌います。

 死を運ぶ不吉な鳥として……。

 だがこのホルスに言わせれば、これ程賢く忠実で優秀な兵はおりますまい。」

 確かに、積極的にカラスが好きだという人はそうそういない。

 色が不吉な連想をさせるのに加え、そこそこ大きいから可愛くもない。

 しかも電線などにとまっているのを目撃した際、その真下に位置する事のないよう注意して通行しなければ、何故か奴らは高い確率で爆撃してくる。

 あと巣立ちが近い、既に親と変わらない図体のくせにまだ飛ぶ事ができない雛が、通りすがりの一面識もない私に向かって羽根をばたつかせ口を開けたのを見た時には、『私に言うな親にねだれ!!』と本気でつっこんだ。

 だが、きっと今ここにいて伊達の頭上で、ホルスの指示を待つように旋回しているカラス達は、そんな時期に彼の手から餌を与えられていたに違いない。

 

「いけい!!

 天空を支配する黒い恐怖たちよ!」

 そして待っていた指示がようやく主人から与えられたカラス達は、どこから持ってきたものか細長い布を口に咥えて、伊達の身体の周囲を回転するように飛びまわる。

 伊達は槍を振るいながら、流れるようにその輪から身体を移動させる。

 集団対一の戦いは、基本的には自分がその輪の中心にならないように、常に位置を移動し続ける事が重要だ。

 私がそうであったように伊達もまた、孤戮闘の中で早い段階から、生存本能に近い部分にそれを刻みつけたのだろう。

 そうでなければ、私も彼もあの地獄を生き残れてはいない。

 だからその行動自体は間違っていない。

 もし間違いがあったとすれば、そうやって移動した先に、つい今しがた戦っていた相手が落下して横たわっていた事に、注意を払っていなかった事だけだ。

 伊達にしてみればそれは、既に終わった戦いの、敗者の骸であったのだから。

 

「ぐっ!!」

 流れるように移動し続けていた伊達の足が止まる。

 そこにいたのは骸ではなかった。

 全身に火傷を負った上、50メートルの高さから落ちて、あちこちありえない角度に曲がったセティが、伊達の右足の甲を、短剣で地面に縫いつけていた。

 

「ホ、ホルスには誰も勝てぬ。

 奴は、俺とは格が違う…。

 お、お前も俺と、地獄へ行くんだ……。」

「き、貴様!!」

 これにはさすがの伊達も、苦痛にその整った顔を歪める。

 

「フッ、余計なマネを。

 だが安心するがよい、セティ。

 お前の敵は、必ずとってやる。」

 ホルスがそう言う間に、カラス達は動けずにいる伊達の周りを飛んで、咥えた布を伊達の身体に巻きつけていく。

 見る間にぐるぐる巻きの布の塊にされてゆく伊達に、男塾側から悲鳴にも似た声が上がる…けど、なんか変だ。

 

「いくら足掻こうがその堙愀麻(いんしょうあさ)で織られた布を斬る事は不可能……。

 貴方の、神業ともいうべき槍術も役には立ちますまい。

 これぞ黒烏魔操術奥義・シャンポリオンの嘆き!!」

 

 

 闘場で、地面に転がりのたうつ布の塊を見て、隣の影慶が口を開く。

 

「…伊達はどこに行ったんだ?」

「…やはり、そうですよね。

 私の見間違いかと一瞬思ったのですが。」

 こんな時赤石が居てくれれば、もっと正確に状況が掴めているだろうに、肝心な時に隣に居ないんだ、あのバカ兄貴は。

 すいません間違えました。

 赤石は私のオペラグラスじゃありません。

 

「いかがですか?生きながらミイラとなった気分は?

 もっともその姿では、もはやイモ虫のように這いずり逃げ回るだけで、口をきく事も出来ぬでしょうが。」

 ぐるぐる巻きの布の塊は、作成責任者のホルスの言う通り、呻き声を上げながらのたうち回っている。

 

「もうお判りでしょうがその布には、たっぷりと油が滲み込ませてあります。」

 言ってホルスは、どこからか取り出したマッチを擦って火を点けた。

 …発想がえぐいな!あと武術関係ない!!

 しかも、私や影慶が見た通りで間違いないなら、恐らくその、マッチの火から必死に逃げようとしている生ミイラって……。

 

「見苦しいマネを……貴方は骨のある潔い人だと思っていたが。」

『それ』が必死に命乞いをする様を、言葉に反し寧ろ面白そうに見据えて、ホルスは火の点いたマッチを、唇と同じ深紅に塗られた爪の先で弾く。

 

「セティよ。お前の無念は今、晴れた。」

 火は瞬時に布を燃え上がらせ、火だるまになった生ミイラが悲鳴を上げる。

 

「だ、伊達~~っ!!」

 男塾側から、富樫と寅丸の悲痛な叫びが響いた。

 

「騒ぐな馬鹿が。てめえらの目は節穴か。」

「わからんのか…。

 奴の名は、元男塾一号生筆頭、関東豪学連総長、伊達臣人。

 地獄の閻魔の前でも、命乞いなどする男ではない。」

 うちの二号生筆頭と一号生筆頭が、ほぼ同時に言うのが聞こえ、そのすぐ後に火だるまにされ絶叫する男の素顔が、ようやく炎の隙間から見えた。

 

「お、おまえは……セティ!!」

 呑気に手鏡まで出して口紅を塗り直していたホルスが、やっと気付いて驚愕の表情を浮かべる。

 …あ、あれ多分シャネルだ。

 暗殺の為に接触したターゲットからプレゼントされた事が何度となくあるが、私自身は一本も使ったことがなく、貰うたびに藤堂家の女中さんにあげてしまっていた。

 暗殺者視点からすればあんな香料のきつい化粧品なんか使えないし、そもそも男がプレゼントに口紅を選ぶ時って、相手に似合うかどうかを考えず何となく色味だけで選ぶようで、色は明るくて見る分には綺麗だけど、着けたら絶対似合わないってパターンがほとんどだった。

 と、そんな事を考えていた次の瞬間、槍の穂先が背後からホルスの手鏡を砕き、彼の化粧直しタイムを強制終了させた。

 

「何を驚いている。

 火を放ったのはおまえだぜ。」

 鏡の破片が全て地に落ちる前に、無造作に放った槍を引き寄せて伊達がホルスの背後を取る。

 闘場は真っ平らで柱なんかもないのに、どこに隠れていたんだろう、この男。

 あと、足に怪我をしたまま裸足でいるのがやはり痛そうで、できることなら傷の治療に行きたいのに、この時ばかりはこの場にいない事になっている自分の状況が恨めしい。

 

「来い!!

 背中を向けている者を倒すのは俺の主義ではない!」

「ホッホッホ。礼を言います。

 これでセティを火葬場に運ぶ必要がなくなりました。」

 仲間を自分の手で焼き殺した事になんの痛痒も見せず、ホルスは不敵に笑ってみせた。

 

 …それはともかく。

 ちょっと気になる事があって、思わず隣の影慶に訊ねる。

 

「エジプトの埋葬って、火葬でしたっけ?」

「俺が知るか。というかこの場に及んで、疑問に思うのはそこなのか!?」

 …すいませんでした。




何故アタシは、伊達さんのターンには話数を使ってしまうのだろう…。


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6・forget me not

「こんな伝説を御存知ですかな?

 古代エジプト神話において、砂漠のスフィンクスはそこを通る旅人に謎なぞを出し、それに答えられぬ時、喰い殺したといいます。

 そこでツイン・スフィンクスの右将(ライトアーム)・このホルスが、貴方にもひとつ謎なぞを出しましょう。

 この問題が解ければ貴方にも、生きのびるチャンスはあります……!!」

 カラスを肩にとまらせたホルスが、獲物をいたぶって遊ぶような口調で、なにやらふざけた事を言う。

 それはそれとして、さっきセンクウと戦った奴といい、その前の対戦チームの次鋒と大将といい、なんか決勝リーグに入ってから、動物率高過ぎやしないか。

 うちのチームにも動物使いが居るからあまり言いたくはないが、何度も言うようだが私は動物が好きではない。

 カラスは蛇やら虫やら蝙蝠やらよりはマシなので辛うじて今は影慶にしがみつかずに済んでいるが、それでもあの黒いのが群れをなしてるのを見るのは、正直気持ち悪いと思う。

 

「闇から舞い降りてきた黒い悪魔によって、朝の光も夜の闇も見えない永遠の闇の恐怖の中、響き渡る死の調べを聞きながら毒蛇の牙にかかり、もがき苦しみながら死んでいく…

 その人、だぁ〜れ!?」

 そんな事を思っている間に、問題が出されてしまった。

 ごめん、相変わらずヴィジュアルのインパクトが強烈過ぎて、言ってる事が頭に入ってこないわ。

 

「…くだらぬな。

 前提そのものが間違っている謎かけになど、答えようがなかろう。」

 隣の影慶が呆れたように呟く。

 

「どうやら答えは出ないようですね。

 よろしい。

 では答えを教えて差し上げましょう。」

 ホルスの肩からカラスが飛び立ち、それが伊達に向かっていく。

 そのカラスは何か玉のようなものを脚で掴んでおり、迎撃しようとした伊達に向けて、器用にそれを投げつけた。

 伊達はほぼ反射的にその玉を槍の穂先で突く。

 瞬間その玉が、大袈裟に煙を立てて破裂した。

 

「その目つぶしの煙は視神経を麻痺させ、少なくとも一時間は、あなたを失明状態に陥れます。」

 これが闇の恐怖だとホルスは笑い、上空のカラスたちに指示を出す。

 カラスは一斉に伊達に襲いかかったが、伊達は襲い来るカラス達を、1羽1羽、正確にその槍の穂先にかけてみせた。

 

「なめるな……視覚を奪った程度のことで、この俺が倒せると思っているのか。」

 先ほどの綱渡りといい今といい、この男にできない事など本当にないのだろう。

 そう思うしかないほど鮮やかな手並だ。

 

「さすがですね。

 貴方ほどの腕なら目は見えずとも、かすかな音と気配を耳で察知し、戦うことができるでしょう。

 しかし唯一の手立てである、その聴覚までもが断たれた時、どうなるか?」

 言ってホルスは、今度はカラス達に鈴を鳴らさせる。

 響き渡る死の調べとはこの事らしい。

 更に指一本一本に金属の爪を装着して、指先でそれを示す。

 

「そして、仕上げの毒蛇の牙とはこれのこと。

 この爪に塗られた猛毒は、僅かなかすり傷でさえ、貴方を一瞬にして死の世界へと導きます。」

 …てゆーか、こんな事を言ったらまた影慶に呆れられる気がするから言わないが、目の見えない伊達に対して『これ』とか言っても…い、いや、やはり止そう。

 

「これで謎なぞの答えは出たでしょう。

 その答えは伊達、貴方自身です。」

 鈴の音が鳴り響く中気配を消し、毒爪を振りかざしながら、ホルスは伊達に忍び寄る。

 この状態では仲間たちがホルスの位置を教えても、あの鈴の音に声はかき消されるだろう。

 そして遂にホルスは間合いに入ると、伊達に向かって毒爪を振りかぶり…。

 次の瞬間、伊達はホルスの毒爪を槍で弾き、その攻撃を躱して、更に攻撃まで加えていた。

 寸でのところをホルスが体術で躱し、一旦間合いの外に出るが…今、微かに金属音がしたよね?

 

「…また遊んでるし。」

「ああ。伊達の勝ちだ。」

 私の思わず漏らした呟きに、影慶も同意してくれる。

 

「貴様…一体どうして、わたしの気配を……!!」

 自身の策をあっさり破られた事に、ホルスは本気で驚愕している。

 

「わからぬか。貴様のその厚化粧よ。

 それだけ口紅や香料を塗ったくれば、その匂いは相当なものだ。

 ならば匂いによって位置を察知されぬよう、貴様は風下から攻撃にうって出る筈。」

 ああもう、だからシャネルは暗殺者的にはアウトだとあれほど。

 そもそも化粧品は香料どころか原料臭すらない日本製が一番だと、今切々と語りたい。

 てゆーか自分のつけてる匂いって慣れるとわからないっていうし、ホルスが化粧品の香りの事とか気にしないアホだったらどうするつもりだったんですか伊達。

 

「だが次はそうはいきません。

 この香水をカラスどもにふりかけ、嗅覚さえも撹乱して、貴方を葬りましょう。」

「いい加減にしろ。

 今度は俺がおまえに問題を出そう。

 …さっきの一撃の時、己の毒爪を一本折られたのも気づかずまだ勝つ気でいる、厚化粧のオカマ野郎はだーれだ!?」

 いやそれ、問題文に悪意がある!!

 ハッとしたようにホルスが、自身の指を確認した瞬間、伊達の振るった槍が、その頬を掠めて傷をつけた。

 

「正解者への豪華商品は、地獄巡り永遠の旅だ!!」

 その穂先には、先ほどホルスの指からもぎ取った毒爪が光っていた。

 

 自身の使った猛毒にホルスが倒れると、カラス達が一斉に伊達に向かって襲いかかってきた。

 

「覇極流奥義・渦龍回峰嵐(かりゅうかいほうらん)!!」

 既に視力が戻ってきた伊達が不覚をとる筈もなく、その槍技にカラス達は次々と落とされていく。

 これはホルスの指示ではないらしく、むしろ敵わぬからと静止の声をかけ続けるホルスは、その目に涙すら浮かべていた。

 

「あのカラスどもも、伊達殿を倒せるとは思ってはおらん。

 既に命は捨てているのだ。主人と死を共にする為に…。」

 カラス達とホルスの絆の重さに、雷電が感じ入ったというようにしみじみと言葉を紡ぐ。

 雷電は優しいから、思うところも多いのだろうな。

 すべてのカラスが伊達の槍に叩き落された闘場で、とどめを刺せと心臓を指し示すホルスに向けて、伊達は槍を向ける。

 だが、その穂先が貫いたのは、ホルスの心臓ではなく肩口だった。

 

「この上まだ、なぶり殺しにするつもりか…!!」

「頬の傷から入った毒が、大動脈に達し全身にまわる前に、細静血管を断ち切った。

 これで毒はすべて流れ出るだろう。

 命が惜しければ、そのまましばらくじっとしていることだ。」

 そう言って背中を向け、自陣に向かって伊達が歩き出す。

 どうやら先ほどのセティ戦の時脱ぎ捨てた靴はこの闘場に落ちていたらしく、いつの間にか回収して既に履いている。

 その足が、カラスを踏まぬように注意を払っているように見えるのは、私の気のせいだろうか。

 

「ふざけるな!

 この期に及んで命など惜しいと思うか…!!

 わ、わたしに殉じて死んだあいつらを差し置いて、自分だけが助かろうなどと……!!」

 そんな伊達の情けを、むしろ侮辱と受け取ったのだろう、ホルスはまだ毒の影響が残り、ろくに動かせない身体を這わせ、燃える目で伊達を睨みつけた。

 

「…まったく、世話の焼けるオカマだぜ。」

 伊達はため息をついてから、何故か槍を宙に掲げる。

 そして次にはその柄を、足元の地面に叩きつけた。

 

「なっ!?」

 瞬間、死んだと見えていたカラスが、一斉に空へ飛び立った。

 

「すべて当て身で、仮死状態にしておいただけのこと……いい友をもったな。」

 どうやらカラス達の忠義に心打たれたのは、雷電だけではなかったらしい。

 そもそも情の深い男だとは思うが、随分と甘いところもあるようだ。

 

 …本来なら私たちが動かねばならなかった事態なのに、気がついた時には終わっていた。

 自陣に向かって歩く伊達の背に向かって、例のアヌビスという犬マスクが、その手から槍を投げ放った事も。

 伊達がその気配に気付き身を躱すより先に、命を助けられたホルスが盾となって、身代わりにその槍を受けた事も。

 

「何故、俺を助けた…?」

 そう問うた伊達に、

 

「男が、男のために命を捨てる時はただひとつ。

 その男気にほれた時だ……悔いはない。」

 答えて、そのまま力尽きた事も。

 全て遅きに失し、伊達が怒りにその身を震わせるのを、ただ見る事しかできなかった。

 

 伊達は、あのひとを忘れることはできないだろう。

 せめてこの世で最後に、心から認めた男の記憶に永遠に残る事が、ホルスの幸せであってくれたならと、思わずにはいられない。

 

「伊達…おまえの出番は終わった。

 その怒りと悲しみ、この俺が引き継ごう。」

 そう言って闘場へと進み出る桃を遠くから見て、私は改めて、あの場に闘士として立っている男たちを、羨ましいと思った。

 私も、あなた達の為に、戦いたい。

 心の底から、そう思った。

 戦いの間にかけ直された縄ばしごを渡って戻ってきた伊達とすれ違いながら、桃がその想いを受け取るように、頷いたのが確かに見えた。

 

 ☆☆☆

 

 ところで。

 

「…さっきからあっちの隅の方で、何か蠢いている気配がするんですが、捕獲してきて頂いていいでしょうか?」

「ふむ…?」

 影慶に頼んだら、何故か猿を3匹抱えて戻ってきた。

 

「…気配の殺し方に明確な意志を感じたから、てっきり人間だと思っていたのですが。」

「人に飼われていたものだろう。

 主人とはぐれたのではないかな。

 頭部に怪我をしているが手当てされた形跡がある。

 それが治らぬうちに動き回って弱っているようだ。」

 そうか、ぐったりしているのは影慶が何かしたせいではないのか。

 思わず後ずさって少し遠くから話をしていたのだが、抵抗する様子もないようなので、そっと近寄って反応を見る。

 覗き込むと、やけに賢そうな目がこちらを見上げた。

 一匹の頭部に触れたが、やはり抵抗する様子は窺えない。

 諦めているのか、本当に人慣れしているのか。

 的が小さすぎて感覚が判りづらかったが、頭部のツボをなんとか捉えて氣を送り込む。

 体毛で判りづらいが、無事に傷は塞がったようだ。

 残りの二匹も同じように傷を塞いでやると、猿たちは嬉しそうに飛び跳ね始めた。

 

「暴れんな。まず食べろ!そして寝ろ!

 体力回復しなきゃ完全には治らん!」

 それ以上は触りたくなかったので、申し訳程度に携帯していた菓子をいくつか投げてやる。

 猿たちはそれを拾うと、お辞儀のような仕草をして、岩山の影へと消えていった。

 …随分と念のいった躾がされていたらしい。

 人間の食べ物を与えても大丈夫だろうかという懸念はあるが、今は私の氣が作用しているから、悪いものなら排出されるだろう。

 

「何だったんだ一体…けどまあ、無事にご主人に会えるといいですね。」

 闘場の上空では、主人を失ったカラス達が、どこか悲しげに未だ飛び回っている。

 彼らはもう二度と、主人に会う事は出来ないのだから。

 私が小さく呟くと、影慶が私の頭を、軽くぽんぽんと掌で叩いた。

 

 と。

 

「ぜ、全員気をつけ──っ!!」

 男塾の側の陣から、羅刹の大声が響いてきて、思わずそちらに目を向ける。

 

「な、なんだなんだ。」

「…どうやら邪鬼様が、剣にお言葉をかけられるようだ。

 特に決まっている訳ではないが、そういった時、全員に号令をかけるのは大抵、羅刹の仕事だからな。」

 …まあ確かに声も身体も大きいし、それなりに威圧感あるからね彼。

 メンタル豆腐だけど。

 そして男塾の帝王が放つそれ以上の威圧感が、こっちの肌まで刺してくる雰囲気を感じて、私は思わず影慶の腕にしがみついた。

 

「凄まじい殺気だ。それは貴様も感じていよう。

 あの犬男から放たれるものかどうかはわからんが、この邪鬼でさえ未だかつて経験したことのない、異様な殺気を感じる。」

 邪鬼様はマントの内側から、なにかを取り出して桃の方に無造作に放る。

 …あ、あれは先日、この大武会が始まる前に天動宮を訪ねた時、邪鬼様に頼まれて、私が即興で縫った巾着袋ではないだろうか。

 色に確かに覚えがある。

 正直、裁縫に関しては私よりも塾生達の方が上手いので、出来上がりは微妙だと思ったが。

 

「…持っていけい。

 それを開ける時は、貴様が死を覚悟した時……!!

 それまで決して、中を見る事は許さん。

 ……それだけだ。心してかかるが良い。」

「押忍!ごっつぁんです!!」

 答えながら巾着袋を指先で弄んだ桃の表情からは、先ほどまであった硬さが抜けていた。

 

 …ふと、しがみついた腕に微かな震えを感じ、影慶の顔を見上げた。

 影慶は私の視線に気づかぬまま、じっと自陣を…邪鬼様の姿を見つめていた。

 ……ちょ!その目はやめて!

 そんな、主人のところに駆け寄りたいのに我慢してる犬みたいな目をしないで!

 あなたも必ず、主人のもとに返してあげるから!!




ホルスに槍を投げつけた時のアヌビスのセリフに、明らかに使用状況を間違っている『語るに落ちた』という言葉があり、その辺に対する光の脳内ツッコミも書いていたのですが、どう考えてもそこからのシーンのシリアス加減がそれを崩す事を許してくれなかったので、アヌビスのセリフごとカットしました。
一応書いたのはこんな内容です。

「語るに落ちたな。
ツイン・スフィンクス右腕(ライトアーム)のホルスともあろう者が。
敵に情けをかけられるなどとは……。」
いや、『語るに落ちる』って、うっかり自分から隠し事をバラす時とかに使う言葉なんだけど、やはりこの方々は日本人じゃないから、たまに間違うのは仕方ないんだろうか。
というか、何故こいつら全員日本語喋ってるんだろうか。
……いや、これだけは絶対につっこんではいけないポイントである気がする。
ここに踏み込んだらたとえ主人公といえど、世界から抹殺されるくらいのタブー感をひしひしと感じる。止そう。
てゆーか主人公ってなんのことだ。


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7・Who are You

 “アヌビス…ひとつ、余のわがままを聞いてはくれぬか?

 P・S(ファラオ・スフィンクス)最高の戦士たるおまえ程の男が、ただ闘うのを見ても面白くない。

 久しぶりに、あれを見たくなった。

 古より伝わる、わがP・S(ファラオ・スフィンクス)最大の決闘法…ルクソールの憂鬱!!”

「…かしこまりましてございます。

 偉大なるファラオよ。」

 どうやらまた過剰演出が始まる予感である。

 さっきまで被っていた犬マスクを取ったアヌビスが、どこかに控えさせていたらしい闘士ではなさげな男たちに命じて、闘場の上に何か用意させている。

 なにやら石を積んで丸く枠を作ったかと思うと、その中に大量の砂を入れているようだ。

 

「さあ、このアヌビスの相手をしてくれる男塾の勇士よ。

 降りてくるが良い。」

 演出の準備が整ったアヌビスの招きに応じて、縄ばしごを渡って桃が闘場へと歩いていく。

 

「よく来たな。

 まずはこの決闘法について説明しておこう。」

 まあ、先ほどまでP・S(ファラオ・スフィンクス)専属スタッフの皆さんが一生懸命用意してくれていたものから大体の予想はついたが、やはり2人が戦うのはこのお砂場の中だそうである。

 確かに結構な深さがあるから、足も取られて戦いにくいだろうが…。

 

「だが、ただこれだけではない。」

 アヌビスはそう言うと更に指示を出す。

 それに従って2人、何やら箱を抱えて走ってきたかと思うと、その箱の中から何かをお砂場に撒き始めた。

 富樫と虎丸はそれがザリガニに見えたらしいが、雷電がそれを否定して言う。

 

「サ…蠍だ!!」

 …てゆーか、さっきセンクウと戦った奴は蟻だったけど、今度は蠍か!P・S(ファラオ・スフィンクス)虫好きだな!!

 などと心でつっこんでいたら、隣の影慶がこちらを向いた気配がした。

 

「……平気か?」

「ああ、先ほど私が虫も苦手だと言ったから、心配してくださったのですね。

 ありがとうございます、影慶。

 でもあれに関しては、毒のある虫という概念で見れば確かに気持ち悪いですが、そこそこの大きさもありますし、毒針を取り除いてサワガニみたいにカリッと揚げたら、ひょっとしたら美味しいのではないかと思っておりました。」

「…可食か否かの発想からは一旦離れろ。」

 なんでだよ。すごく重要なことだろう。

 おまえいっぺん孤戮闘に放り込まれてみろ。

 まあ、それはともかくお砂場に撒かれた蠍たちは、一斉に砂の中に消えてしまった。

 

「学名ブラインド・スコルピオ。

 我が地では砂蠍と呼ばれておる。

 このように白昼においてはその身を、砂の中にうずめる性質を持つ。

 その尾針にある猛毒は、人ならば三度刺せば、たちまちあの世へ送る威力がある。」

 …うん、なんかもうわかったかも。

 とりあえず二回までは刺されても大丈夫との事。

 …なんだその都合のいい毒の威力。

 

「姿が見えない足元に潜む砂蠍の恐怖の中で、その精神力と技を争う極限の勝負!!

 これぞP・S(ファラオ・スフィンクス)最大決闘法・ルクソールの憂鬱、見事うけてみせるか!」

 

 や は り か

 

「ぬうっ!!まさしくあれは中国拳法でいう……」

「そうだ。蛇墨輒闘(じゃぼくちょうとう)……!!」

 

 蛇墨輒闘(じゃぼくちょうとう)

 数ある中国拳法諸流派の内、その苛烈さで知られる赤狼流総帥選出時に行われる決闘法。

 墨液を膝の高さまで満たした水槽に、全身が黒一色で猛毒を持つ黒咬蛇を放ち、その中で戦う。

 黒咬蛇の見ようとも見えぬ恐怖の中で闘うことは、拳の技量以上に、強靭な精神力が要求されるのは言うまでもない。

民明書房刊『世界死闘決闘百選』より

 

 拒否するのは自由だが、その場合勝負は自分の勝ちだとアヌビスが笑う。

 

「フッ。答えるまでもなかろう。

 俺は貴様を倒すためにここへ来たんだ。

 男塾一号生筆頭剣桃太郎、受けて立つぜ!!」

 それに答えて桃は刀を抜き、靴を脱ぎ捨てて斬りかかる。

 桃は怒りを抑えて出番を譲ってくれた伊達との約束があるし、あのように言われれば受けざるを得ないのは塾生(うちのこ)たちの習性なんだとそろそろわかってきたんだが、こうも相手の土俵ばかりで勝負し続けるのは、いささか不公平である気がしてならない。

 てゆーかやりたい放題だなP・S(ファラオ・スフィンクス)!!

 

 ・・・

 

 ルクソールの憂鬱。

 その勝負が始まると、それは桃の非凡さを披露する舞台と化した。

 まず最初に蠍に刺されたのは桃だったが、どうやらそこから砂上の感覚に身体が慣れたようで、この勝負を仕掛けて来た筈のアヌビスの速度をたちまち上回っていった。

 アヌビスの振るう槍から、まるで幻ででもあったかのように身を躱し、背後を取って斬りつける。

 アヌビスはそれを跳躍して躱したものの、着地した際に蠍の針を食らったらしく、それを腹立ち紛れに蹴り飛ばした。

 その間にも桃は動いており、跳躍から斬りかかった桃の刀をアヌビスは槍の柄で受けたものの、次の瞬間桃の長い足に、顔面を蹴り飛ばされていた。

 たまらず体勢を崩し、思わず地についた手を、また蠍に刺される。

 これで減点二。

 まだ一度しか刺されていない桃に対して、アヌビスにはもう後がない。

 

「どうやらおまえの力を見くびっていたようだ。

 その凄まじいばかりの太刀筋。

 砂中での闘いの勘をつかむ速さ。

 蠍を刺激せぬように、最小限の足さばきで動く身のこなし……!

 まさに並々ならぬ腕よ。

 ならばこのアヌビスも、これを使わざるを得まい。」

 言うとアヌビスの手の中の槍が二本に分かれた。

 更に(ぼたん)ひとつで長さと形を変えたそれは…。

 

P・S(ファラオ・スフィンクス)奥義、ネブケドの鉄馬蹂嵐(てつばじゅうらん)!!」

 ……どうやら日本でいうところの竹馬のようだ。

 地面についている部分が刃という、すごく物騒な形状をしてはいるが。

 

「我が地では鉄馬(ベレン)と呼ばれている。

 本来は川を渡る時、水中に潜む肉食魚や吸血ヒルなどから、身を守るために使われたものだった。

 それが時とともに改良され、我等砂漠の民の究極の戦闘武器として完成されたのだ。」

 あの…すまん。

 今の状況でこんな事を言うのはなんだけどソレ…大人が得意げに乗ってる姿は、はたから見る分にはすっごくマヌケなんだが、気づかなかった事にして流した方がいいんだろうか。

 

「成る程な。それならば足元の蠍を防ぐことは出来るかもしれん。

 だが俺の国では、それは子供のおもちゃだ。」

 言っちゃったよ!さすがは桃だ!

 なんか天の声が言えってうるさいけど、別にシビレないし憧れない!!

 

「愚かな……その嘲笑は貴様の血で償わせてやろう。」

 なんかほんとすいません。

 桃の言葉が癇に障ったらしいアヌビスが攻撃を開始する。

 二本ある鉄馬(ベレン)の一本で身体を支え、もう片方の刃が斬りかかる。

 それを繰り返すが、それが速い。

 やはり得意とする武器なのだろう、一見不自由に見える鉄馬(ベレン)をまるで己が手足の如く振るい、その動きに桃が防戦一方だ。

 と、桃の動きが一瞬止まり、その間隙を突いたアヌビスの一撃が、桃の腕に浅からぬ傷をつけた。

 

「蠍の毒はこれで二対二!!」

 アヌビスが早くも勝ち誇ったように笑う。

 そうか。今、桃の動きが一瞬止まったのは、蠍に刺されていたからか。

 

「この鉄馬(ベレン)がある限り、俺の勝利は不動のもの。

 貴様には万が一にも勝ち目はない!!」

「フッ…そうはいかん。所詮竹馬は竹馬。

 子供のおもちゃに過ぎぬ事を今、教えてやろう。」

 桃はそう言うと、持っていた刀を足元の砂に突き刺す。

 それから何を思ったか刀の鍔に足をかけ、指で(つか)を挟んで固定して、完全にその上に、恐らく物凄いバランス感覚を駆使して身体を乗せた。

 

「見せてやろう、秘承鶴錘剣(ひしょうかくすいけん)!!

 地獄への土産話にするがよい!」

 

 神業が展開されていた。

 先ほどよりも更に速度とキレの増したアヌビスの攻撃を、桃は刀の上に乗ったまま移動して躱している。

 その様子に雷電が息を呑んで呟く。

 

「あれは中国拳法でいう鶴脚閃走術(かくきゃくせんそうじゅつ)…。」

 

 鶴脚閃走術(かくきゃくせんそうじゅつ)

 中国拳法史上、幻とされる三大奥義のひとつ。

 その発祥は、中国版巌流島の決闘として名高い、陳宗明と泰報刻の「台南海岸の決闘」の折、足場の悪さを克服する秘策として、陳宗明が咄嗟に編みだしたとされている。

 この技には強靭な腱力はもちろんのこと、 絶妙なる均衡感覚と、卓越した体術が必要なのは言うまでもない。

 後にこれを発展させた数々の応用技が生まれた。

民明書房刊『中国日本武術交流秘史』より

 

「剣どのは一体いつ、どこであのような神業ともいわれた奥義を……!!」

「フフッ、謎の多い男よ。

 まったく俺達は、恐ろしい大将を持ったもんだぜ。」

 

 ま っ た く だ

 

 伊達の言葉に完全同意して思わず呟く。

 

「十代前半の時期に、武者修行で世界を巡っていた事は確かなようですが…十代のうちにそんな秘中の秘レベルの奥義極めてるとか、あの人やっぱり化けもんですよね…。」

「大半は同意するが、おまえにだけは言われたくないと思うぞ…。」

「どういう意味ですか!」

 影慶とそんな短いやり取りを交わしている間にも攻防は続くが、アヌビスは桃の技の前に、間合いを詰める事すら出来ずにいる。

 

「無駄だ。

 この鶴錘剣の前には、おまえの槍は俺に、カスリ傷ひとつつけることは出来ん。」

「確かに、大した逃げ技よ。

 だがそれではいつまで経っても、俺を倒すことは出来んぞ。」

「逃げ技…!?

 貴様にはまだ鶴錘剣の、真の恐ろしさがわかってはいない。

 いくぞ、アヌビス!これが受けられるか!!」

 言うや、桃は刀に乗ったまま、初めて自分から間合いを詰めた。

 身体のバネを使って高く跳躍し、器用に足で刀を回転させる。

 更に自らもすさまじい勢いで回転しながら、アヌビスに向かって落下していく。

 

「秘承鶴錘剣奥義・轔扇刃(りんせんじん)!!」

 だが次の瞬間、桃は刀に乗ったまま地面へと降り立っていた。

 てっきり防御もならぬまま斬りつけられたと思っていたアヌビスが、自らの無事を確認して、逆に動揺している。

 やがて落ち着きを取り戻したアヌビスが嘲笑うように言う。

 

「大した技よ。

 だがその大技も、不発に終わっては何にもならん!!」

「フッ、不発だと……!?」

 桃は余裕の表情で、その唇には笑みすら浮かんでいた。

 

「斬撃が鋭すぎて、振動も衝撃も伝わらなかったのだろうな。

 剣がその気であれば、奴は斬られた事にすら気づかず死んでいよう。」

「生死を賭けた戦いだというのに、相変わらず甘いこと。

 それが彼のいいところでもあるのですが。」

 一拍のちに、アヌビスの持つ鉄馬(ベレン)は足より上の部分が、まるで筑前煮のゴボウのような形に、バラバラに切り落ちた。

 

「おおお──っ!!」

 一瞬体勢を崩したアヌビスは、それでも鉄馬(ベレン)の残りの部分で、しっかりと地面を踏みしめる。

 だが、その体勢を整えるまでの1秒にも満たない時間を、桃は無駄にしてはいなかった。

 気合い声とともに跳躍し、空中で一回転してから、着地したのは、アヌビスの両肩の上。

 その手には、先ほどまで足場にしていた刀が握られており、その切っ先がアヌビスの眼前に突きつけられた。

 

「ふたつにひとつだ、アヌビス。

 潔く負けを認めれば命は助けよう。

 だが、まだ闘うというのなら、おまえの体はこのまま真っ二つになる!!」

 これにて勝負は決した。

 どちらを選ぼうが、ここにおいてもはや、桃の勝利は揺るがない。

 

「わ、わかった。負けだ。俺の負けを認める。

 無念だが貴様には勝てん。相手が悪かった……!!」

 悔しげな表情を浮かべて、アヌビスが言葉を絞り出す。

 その顔を見下ろしながら、桃は刀を退けた。

 

「…その言葉を信じよう。

 だがひとつだけ言っておく。

 命が惜しければ俺が去るまで、この場で身動きひとつしてはならん。

 …男が男の言葉を信じたのだ。

 この約束を破った時は、死をもって償うことになる。」

 桃の言葉を聞き、アヌビスがぎこちなく頷く。

 

「ああ、わ、わかった。なんでも約束するぜ。」

 …それはいいんだが。

 

「いやあれ、絶対約束守る顔してないですよね?

 むしろ積極的に破る事を、正々堂々と宣誓してる顔ですよね!?」

「…どうやら、それも剣の想定内のようだがな。」

「…えっ?」

 アヌビスの肩から飛び降りた桃は、手にした刀を一旦地面に突き立てて、それを支点にしてまた跳躍した。

 そうしてお砂場を囲う縁石の上に、綺麗に着地する。

 その瞬間、見せた背中に向かって、アヌビスはどこからか取り出したナイフを、投擲する体勢で振りかぶった。

 

「桃っ!!」

「心配するな、光。」

 そして。

 

「な、なに──っ!!」

 瞬間、彼に残されていた足場、鉄馬(ベレン)の残りの部分が、バラバラに切れて砂の上に落ちる。

 そして同時に、アヌビス自身の体も。

 

「やはり約束を守れなかったようだな、アヌビス。」

 先の轔扇刃の一撃の時、切り刻まれていたのは鉄馬(ベレン)上部だけではなかった。

 地面に落ちたアヌビスが、絶叫しながら砂から引き上げた手に、絡まっているのは…。

 

「三匹目の蠍だ。

 地獄で己の愚かさを悔いるがよい。」

 …影慶が『想定内』と言ったのはこういうことだったか。

 もうあいつ一人でいいんじゃないかな。



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8・ZeRoになれ!

 唐突に天体ショーが始まった。

 皆既日食。

 日食とは地球と太陽の間に月が入り、その月の影が落ちた地域で、太陽が見えなくなる現象で、特にその時点での月の視直径が太陽を上回って、太陽が完全に隠れた状態を指して皆既日食と呼ぶ。

 神話において天照大神が天の岩戸に隠れ、世界が闇に閉ざされたのは、この天体現象を指したものだという説が一般的である。

 昼間だというのに真っ暗になってしまった不思議な世界の中、P・S(ファラオ・スフィンクス)の兵士の皆さんが、光り輝く黄金の棺を抱えて闘場に降りてくる。

 それは先ほどからアヌビスが跪いて話しかけていた棺であり、どうやら大将はこの中に入っているらしい。

 

「フフッ…み、見えるぞ。

 貴様がそのハチマキを真紅の血に染め、もがき苦しんで死んでいくのがな……。

 あ、あのお方こそ、天界より舞い降りた闘いの神の化身…!!

 あのお方に勝てる者など、この地上に居りはせぬ…!」

 アヌビスが、そう言葉を残して力尽きる。

 そのアヌビスの身体と砂蠍のお砂場を撤去して兵士さん達がその場を去ると、桃は残された棺に向かって声をかけた。

 

「いつまでもその棺桶の中では息苦しかろう。

 早く出てきたらどうだ。」

 “我がP・S(ファラオ・スフィンクス)の戦士も、もはや余1人を残すのみとなった。

 あとの兵隊どもが束になってかかろうと、貴様には勝てんだろうからな。

 だが、貴様等男塾に勝利はない。

 余自らこの手で全員、血祭りにあげてくれようぞ!!”

 …そういやこのチーム、まだ16人出てないよね?

 チーム登録してるメンバーが、あの兵士さんの中に居たのか、それともうちと当たる前のチームとの闘いで人数が減っていたのか…両方かもしれない。

 そんな事を私が考えていると、仰々しいその棺の蓋が遂に中から押し上げられ、棺以上にまばゆい光を纏った男が中から飛び出してきた。

 

「地獄で語るがいい!!

 王家の谷の守護者達(ファラオ・スフィンクス)正統の継承者たる、余の強さと恐ろしさを!!」

 だが。

 

「隙だらけだぞ、ファラオとやら!

 そんなハッタリは俺には通用せん!!」

 桃はようやく現れたその男を、出てきた瞬間に頭からまっぷたつに両断する。

 …まったくなんの躊躇いもなしか。

 さっきアヌビスに見せた情けはなんだったんだ。

 などと思っていたのもつかの間。

 

「こ、これは…!?」

「これぞP・S(ファラオ・スフィンクス)奥義・永劫(ホレンヘブ)の輪廻核惺!!」

 確かにまっぷたつに切り裂いた男が2人になって、桃の前に立ちはだかる。

 

「フフフ、輪廻核惺とは死して滅びず、前世に倍する生を授かること。」

 それで2人か。笑えない冗談だこと。

 てゆーか、なんのトリックなのか知らないが、これ最初に桃が一刀両断かまさなかったらどうしていたんだろうというのは、つっこんじゃいけない案件だろうか。

 

「…センクウが戦った相手は、腕ぶった斬ったら蟻の塊でしたよね。

 これもそんなようなもんじゃないんでしょうか。

 この世界びっくり人間大集合ショーもそろそろ飽きてきました。」

「おまえは食べ物が絡まないと興味が持続せんのか。」

 決してそういうわけではないが、言われてみれば確かにお腹が空いたかもしれない。

 …そんなことより!

 桃が明らかに戸惑いながらも攻撃を続け、斬られるまま微動だにしないファラオは3人に増える。

 

「わかったか、ひとりがふたり、ふたりが三人、三人が四人…斬れば斬るほど数は増え、貴様は不利になっていく!!」

 言うや、三人のファラオは攻撃に出た。

 攻撃自体はナイフ一本手にしてまっすぐ斬りかかってくる単調なものだが、それが三方向からだから、さすがに躱すにも苦労するのだろう。

 それにしても、ファラオが攻撃するたびに何か、微かに風を切るような音が聞こえるんだが、それがナイフを振り回す音にしては…なんというか、鋭すぎる気がする。

 そんな違和感に私がモヤモヤしているうちに、桃は身体のバネだけで高く跳躍すると、襲いかかろうとしていたファラオのひとりの背後に着地して、太い腕をその頸部に絡めて拘束した。

 

「捕まえたぜ。

 これで貴様の化けの皮ははがれる……!!」

 だが確実に捕らえていた筈の身体は、一瞬光の粒が分散するかのように桃の腕から消えると、すぐに一歩離れた場所にまたその姿を現わす。

 あまりの事に一瞬動きの止まった桃に、次の瞬間そいつのナイフの刃が届いた。

 

「も、桃〜〜っ!!」

 ギリギリで躱した桃の胸元が浅く切り裂かれ、赤い血が飛沫いた。

 

 …やはりそうだ。

 今の攻撃の際にも同じような音が聞こえていたが、近距離からの攻撃というよりは、むしろ飛び道具を投げ放った時のような音である気がする。

 

「…回転はしていない、むしろ目標物にまっすぐ飛ぶ…投げナイフみたいな感じ?」

「どうやら本体は別にいて、この闇に潜んでいるようだな。

 だが奴らが無駄に発光して存在を主張しているだけに、この暗闇では見極めるのが困難だ。

 剣は俺の恟透翼(きょうとうよく)の軌道も見切った男だが、対峙する相手が三人も居ては、心眼の集中もままなるまい。

 だが日食はもうすぐ終わる。その時が勝負よな。」

 天の岩戸の扉は、ゆっくり開かれようとしている。

 女神もこの勝負の行方が気になるのだろう。

 

 ☆☆☆

 

 陽の光が微かに戻り始めると同時に、奴らの動きが速くなってきた。

 感情は読み取れないが、勝負を焦ってきているのか。

 恐らくはこの暗闇の中だからこそ、この技は有効なのだろう。

 やはり奴の秘密は、あの体から発する光にある…!!

 

「貴様の考えていることはよくわかる!!

 日食が終わり陽が戻るまで、なんとか耐えしのごうと思っているのであろう!」

 考えを読まれた。まあ当然か。

 それが奴の秘密であるなら、その弱点も当然考慮に入れているのだろうから。

 奴のナイフが再び体を掠め、別のひとりが間髪入れずに襲いかかるのに、ほぼ反射的に斬りつけた。

 そしてまたひとり。

 俺の目の前に、四人のファラオが立ちはだかる。

 

「感謝するぞ、これで四人になった!!

 貴様はますますその命を縮めたというわけよ!!」

 …素早い動きに惑わされて気づかなかったが、静止した状態で見るとはっきりとわかる。

 奴等は分裂して増えた後、その光が少しずつ弱まっている。

 そして先ほど触れた、熱をもたない光。

 

「イチかバチか…やってみるしかなさそうだぜ!!」

 俺の勘が正しければ、奴等は日食が終わるまでがタイムリミット。

 こうすれば必ず、一気に勝負をつけてこようとする筈だ。

 

 ☆☆☆

 

 桃は何を思ったか、ひとつ息をついてから、四人のファラオに真っ直ぐ斬りかかっていった。

 斬られたファラオは少し驚きはしたようだが、勿論防御体制も取らず、その体はどんどん分裂していく。

 

「いいのか、こんなマネをして。」

「大きなお世話だぜ。」

 言ってる間にもファラオはこま切れにされ、もう何人いるのか数える気にすらならないくらいの人数になった。

 桃が自棄を起こしたのかと心配する富樫や虎丸に、伊達が落ち着いた声音で答える。

 

「どんな苦境に立たされようと、己を忘れる男ではない。

 何か考えがあってのはず。

 …気のせいか、俺の目には奴等の体の光が、弱くなってきたように見える。」

 その伊達の言葉に、赤石の声が続いて聞こえた。

 

「弱くなった、ていうなら、最初に分裂した時からずっとだ。

 分裂するたびに光はどんどん弱まってる。

 それがなんの意味を持つかは判らんがな。」

 …まじか。二人ともよく気がついたな。

 言われてみれば、最初に棺から出てきた時は眩しいくらいだったファラオの身体は、今はうすぼんやりと発光しているのみだ。

 ほんの少し明るくなりかけてきているせいかと思ったけど、赤石が最初からだったと言うなら間違いないのだろう。彼の目の良さは並じゃない。

 

「来るがいい。

 今こそ貴様等の化けの皮をはいでやろう。」

 自身を取り囲むファラオ達をそう言って挑発する桃に、一気に勝負をつけるべく全員がいちどきに向かってくる。

 その中心で、桃は刀を地面に突き立てた。

 

「これが貴様等の正体だ──っ!!」

 桃はその刀の上で倒立すると、そのまま凄まじい勢いで回転した。

 

秘承鶴錘剣(ひしょうかくすいけん)奥義・轔旋風(りんせんぷう)!!」

 その回転から巻き起こされる突風が、何故かファラオ達の体を崩して、それは闇の中に無数の光となってフワフワと舞った。

 

「そうか、よめたぞ!!

 あ、あれはまさしく煇光蛍(こんこうぼたる)…!!」

 

 煇光蛍…

 学名エジプティアン・ネオム・ファイアーフライ

 ナイル川流域に生息し、極めて明るい光を放ち、その集団性と知能の高さで知られる。

 古代エジプトではガラス瓶に入れ、家庭での照明として、各家庭で使用されていた。

 またその特質を利用し、どんな隊形でもとれるよう調教した。

 しかしあまりの乱獲がたたり、7世紀初頭には絶滅が確認された。

民明書房刊「驚異の昆虫世界」より

 

 今度は蛍か!

 おまえら本当虫大好きだな!!

 てゆーかさっき影慶に言ったのは半分冗談みたいなもんだったのに、本質的には正解だったよ!

 全然嬉しくないけどな!!

 まあ、飛んでる姿は綺麗だと思う。素直に。

 

「フッ、考えたものよ。

 まさか蛍で形づくられた分身と戦わされていたとはな。

 そして隙を見ては蛍のナイフに重ねて、背後から本物のナイフを投げていたのだ。

 ……本物の貴様はそこだーっ!!」

 言って桃は、背後の豪奢な棺に向かって刀を投げる。

 先に出てきたまばゆい光を放つ分身に誤魔化されて気づかなかったのだろうが、どうやらずっとその棺の中で半身を起こしていたのだろう影が、指で桃の刀を受け止めるのが見えた。

 それがゆっくりと立ち上がる。

 

「フフッ、よくぞ見破った。

 だが、これはほんの座興にすぎん。

 どうやらおまえには、このファラオの相手となる資格がありそうだ。」

 半分まで姿を現した太陽の光のもとに、ようやく晒された本物の『ファラオ』は、意外にも蛍が作った分身達よりもずっと小柄だった。

 桃との対比で考えると、多分私と同じくらいの身長しかない。

 一見少年のように見える体躯だが、よく見ればしっかりと鍛えられた肉体は、その形が成人として完成されている。

 頭髪は完全に剃り上げられて色すら確認できず、額には大きな宝石が貼り付けられており、また異常に大きな耳にも、太いピアスが下げられている。

 桃が宇宙人かと思ったなどと軽口を叩くが、確かにそうだと言われたら信じてしまいそうな異相だった。

 

「返しておこう。これがなくては闘えまい。」

 そのファラオが、先ほど投げられた刀を桃に投げ渡す。

 

「いいのか?後悔する事になるぜ。」

 それを受け止めながら桃が言うのに構わず、ファラオは後ろに控える兵士達に何やら指示を出した。

 兵士達は大きさの割にやけに重そうな金属の玉と、やはり金属の板を持ち込んで闘場に設置する。

 

「気にすることはない。

 これは、しばらく後のお楽しみだ。」

 いや気になるわ!置いてけぼりか!

 ほんとにやりたい放題だなお前ら!!

 

「それよりももっと面白いものを見せてやろう。」

 言って、どこからか取り出した紐のようなものを示す。

 

「これは、ペナムというナイル川流域特産の、ゴム科の樹の樹液から作られている。

 見かけはこの通り細いが、その強度と伸縮力の点で、比類するものはないだろう。」

 その紐の先には三日月状の刃が付いており、その反対側の端を、ファラオは自身の耳飾りに結びつける。

 

「これを用いて我がP・S(ファラオ・スフィンクス)の偉大なる祖先は、恐るべき必殺技を考案した。

 見るがよい!

 P・S(ファラオ・スフィンクス)奥義・イシュタールの暁星!!」

 そうして結びつけた紐をその状態から回転させる。

 

「人は皆、己の体で一箇所だけ、自由にならぬ筋肉がある。それは耳の括脹筋だ。

 全身の動枢神経が集中するこの括脹筋は、修練を積めば手足同様…いや、それ以上の働きをする。

 俺は、それを可能とした!!」

 ファラオは首をほんの僅か動かしただけだった。

 どちらかといえば、目立つくらい大きな耳の方が、ピクピク動いたのに気がついたくらいだ。

 人間は耳介筋が退化してしまっているが、千人に1人くらいの割合で動かせる人間がいるという。

 そんなようなものだと思っていたが…。

 次の瞬間、回転で勢いをつけていた耳につけた紐が桃に向かって飛んできて、その先端の刃が桃の肩に傷をつけた。

 信じられないことにファラオはそれを、耳の筋肉だけで操作しているらしい。

 凄まじい勢いで襲いかかってくるそれを辛うじて躱し、桃が一旦間合いの外に出る。

 

「フッ、器用な耳だ。おまえはダ○ボか。」

「ダン○……!?

 確かそれは、マンガの空を飛ぶ象の事だったな。」

 エジプトの秘境で密かに闘技を開発している彼らも、ディズ○ー作品は知っているらしい。

 …あ、一応念の為に説明すると、2人ともちゃんと正確に発音はしてる。

 大人の事情で一部伏せさせてもらってるだけで。

 ってどうでもいいわ!!




考えた末、ファラオは最初から小柄体型という事にしときました。
総合的に考えると、逆にちっさい方が彼はカッコいい気がする。


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9・Don't Worry

気付けばP・S(ファラオ・スフィンクス)戦は、光のツッコミ祭りだった気がする…。


「ならば、こんなのはどうだ!」

 空を飛ぶ象と言われた事に触発されてでは勿論ないだろうが、ファラオはその場で高く跳躍すると、桃の上空で一回転し、その位置から更に上空へ飛び上がった。

 それから急降下して、手刀で桃に襲いかかり、躱した桃が反撃の構えを取る間に、再び上空へと舞い上がる。

 空飛ぶ象の飛び方とは違うが、ファラオはまさに空を飛んでいるように見えた。

 

「……なるほどな。」

 自陣ではいつもの子達が驚いているが、どうやら桃は気がついたようだ。

 いつのまにそうしたものかは知らないが、先ほど桃に向かって斬りつけてきた刃物がついていた紐の先端が、今はセティと伊達が戦っていた、互いの陣を繋ぐロープに巻きついている。

 …結局あのロープ燃え落ちなかったんだ。

 しかも小さめとはいえ人一人の体重がかかってもびくともしていないとか、なんかものすごく騙されたような気がしてきた。

 というか…。

 

「地面に対して垂直か平行かの違いはありますけど、やってることは富樫と虎丸が、前のチームの副将たちに仕掛けた技と変わりませんよね?」

「確かにそうだが、上段からの攻撃はやはり有利に運ぶからな。

 その違いは大きいのではないか?」

「なるほど…言われてみれば富樫などはよく私に、真上からチョップを落としてきますが、確かにあれは地味に痛いです。」

「………。」

 …影慶が相手をしてくれなくなったので、仕方なくまた闘場に目を向ける。

 

「無駄だ。

 この程度のことでは俺は倒せない。」

 桃は動揺することなく跳躍でファラオの手刀を躱すと、まっすぐ突っ込んでくるファラオの背後を取った。

 

「もらったぞ、ファラオ!!」

 容赦なく上段に構えた刀を、桃がそのまま振り下ろす。

 だがその刃の下に、ファラオは自ら頭部を晒したように見えた。そして。

 

 ガキン!!

 

 真っ二つになったのは、桃の刀。

 

「ば、馬鹿な。この剛剣がこうも脆く……!!」

 どうやらファラオの額の宝石が、打ちつけた刃を弾いたらしいが、あれがたとえダイヤモンドであったとしても、いくらなんでもあっけなさすぎる。

 桃が明らかに呆然とした隙をついて、ファラオはさっき耳につけていたのと同じ種類の紐を、投げ縄のように桃の首に引っ掛けた。

 

「うぐっ!!」

 いきなり首を締め付けられて桃が呻く。

 その紐を引っ張りながらファラオが、少し呆れたような声で言った。

 

「甘い男よのう。

 命を賭した戦場で、敵の武器をただ返すとでも思ったか。」

「そ、そうか貴様、俺の刃になにか細工を…!!」

 ファラオは鼻で笑ったのみで肯定も否定もせず、紐をぐいぐいと引きながら、先ほどの板と玉のところまで移動する。

 板はよく見ればシーソー状の形に設置されており、支点の部分は中心より玉に近い部分に寄っている。

 

「これでようやく、これが役に立つ時が来たようだ。

 これは一見大した大きさもないただの鉄球だが、実際には砲鬧鉄(ほうとうてつ)という、超質量の物質で出来ており、その重さは200キロもある。」

 200キロというと、懲罰房で虎丸が支えていた吊り天井と同じ重さだよね。

 確かあの玉、P・S(ファラオ・スフィンクス)の兵士が3人がかりで運んでいたし。

 というか玉の上部になっているところに、紐が通せるような突起が付いているのが地味に気になるが、まさか。

 案の定、ファラオはその突起に、桃の首と繋がっている件の紐を、いつの間にか取り付けていた金具で引っ掛けて繋げる。それから、

 

「これが貴様に受けられるか──っ!!」

 叫んで、ファラオは一度空中高く飛び上がると、玉の乗ったシーソーの反対側の端に飛び降りた。

 200キロあるという玉がそのシーソーに弾かれ、スーパーボールのように高く宙に飛ぶ。

 それは一度、闘場の上に張られたロープを飛び越え、その上を通って、再び落下する。

 真っ直ぐに、桃の頭上へと。

 既にその玉の上昇で首を締め上げられていた桃は、たまらずそれを両手で受け止めた。

 …200キロの、落下速度のついた玉を。

 いやどんだけ馬鹿力か!もう虎丸の比じゃねえわ!

 いやいやそんな事言ってる場合じゃない!!

 受け止めてくれて良かったけど、鉄球の紐は上のロープに引っかかっており、反対側の端に、桃の首。

 つまり鉄球を落とせば、桃は首吊り状態になる。

 

「き、貴様、これは……!!」

「これぞP・S(ファラオ・スフィンクス)究極処刑法、オイディプスの煩悶…。

 見ての通り、わずかでもその手を弱めれば、鉄球は落下し貴様の首を瞬時に締めあげる。

 …ただでは殺さん。

 貴様の命を握るのは己自身…存分にこの世の地獄を味わうがよい。」

 …てゆーかあのロープ、燃え落ちなかっただけじゃなく200キロと桃の体重が一点にかかってる状態でも切れないんじゃん!!

 完全に騙されたよ伊達!お前怒っていいよ!!

 なんならセティにあと3回くらいトドメ刺してもいいよ!!

 

「どうだ気分は?絶体絶命とはこのことを言う。

 …ジェセル。

 石壺(クヌム)のネスコンス。

 ツイン・スフィンクスの左将(レフトアーム)セティ。

 同じく右将(ライトアーム)ホルス。

 そしてP・S(ファラオ・スフィンクス)副将アヌビス…。

 全て貴様等男塾に殺られてしまった。

 奴等はあの世で皆、泣いておる。

 その無念を男塾の大将である貴様に償わせてやろう。

 それがP・S(ファラオ・スフィンクス)の将として出来る、余のせめてもの供養よ。」

 

 ・・・

 

「いやいやいや!

 ジェセルはセンクウがトドメ刺さなかったのに身投げしたし、セティにトドメ刺したのはホルスだし、そのホルス殺したの、お前んちの副将だからね!

 うちの子たちみんなメッチャ優しくない!?

 あと、二番手で戦ったピネジェム忘れてる!!

 お前のほうがよっぽど酷いわ!!」

「落ち着け。……というか俺も忘れていた。」

「お前も酷っ!!」

 

 ・・・

 

 私と影慶の会話はさておき。

 

「俺も、この大武會で多くの、かけがえのない仲間を失った……。

 だが奴等は、俺が貴様のようなこんな陰湿な復讐をしても喜ばんだろう……!!

 奴等は皆、己の死に誇りを持ち、後に続く仲間達を信じて笑って死んでいった……!!

 男塾魂とは、そういうものだ……!!」

 息を乱しながらも大将として仲間を誇る言葉を紡ぐ桃の顔面に、ファラオが拳を放つ。

 200キロの鉄球で両手が塞がれ、防御すらできない桃は、ただそれを受けるしかない。

 小柄だがファラオは割と力があるようで、無抵抗で受けたとはいえ、その拳は桃をふらつかせた。

 体勢が崩れれば途端に首が締まる。

 桃はなんとか耐えたが、更にファラオは服の下から、何やら錐のような器具を取り出した。

 

「これは我が地に古来より伝わるトスカという、本来は罪人に罪を白状される為に使う拷問道具だ。

 この先端が筋肉を突き破り、神経に届いた所で、下の刃の傘が開く仕組みになっている。

 むき出しの神経が、この刃の回転でえぐられる、その激痛は想像を絶するものだ。」

 えぐすぎる!しかもやっぱり武術関係ない!!

 そのトスカという器具を、ファラオは躊躇なく桃の身体に突き立て、桃が激痛に声をあげる。

 

「なんとかならねえのか──っ!!

 あのままじゃ桃はなぶり殺しだ──っ!!」

 あの状態から何をしようとしても、手を離そうものなら首のロープが締まる。

 あのロープさえ切れれば助かるが…。

 

「いいことを思いついたぞ!

 首に巻きついているロープじゃなく、この崖と向こう側を結ぶロープを切るんじゃ!!」

 虎丸がなんか言ってるけど無理だわ!

 それさっきまで火がついてた上に更に200キロ支えて、それでも切れないロープだからな!

 絶対、中に白金鋼のワイヤーかなんか入っとるわ!!

 …ああでも、この世に斬れないものなどない男があの中にいるか。

 彼がこの状況で動くとも思えないけど。だって…。

 

「それはこの俺が許さん。」

 言って、後ろから進み出てきたのは副将・大豪院邪鬼。

 なんか三号生全員気をつけの姿勢で固まってるけどそれはさておき。

 

「奴は将来の男塾を背負って立つ男…。

 その真価が今まさに問われているのだ!!

 手を出すことは許されん!!

 奴も、それを望むような男ではない。

 あのままで死ぬなら、所詮それまでの男よ。」

 言うだけ言って、邪鬼様はまた後ろに引っ込んでいく。

 桃が闘場に居る今、彼の発言は絶対だ。

 邪鬼様もそうだろうが赤石も、自分に勝った男がこのまま何もできず敗れ去るなど、我慢できる事態ではないのだろう。

 

「……死んだら、許さないから。」

 

 気づけば私の口から、そんな言葉が漏れていた。

 それが恐らく赤石や邪鬼様の、本心でもある。

 

 ・・・

 

「さあ、いい加減楽になったらどうだ。

 その腕の力を少しでも弱めれば、この苦痛から永遠に解き放たれるのだ。

 おまえの男塾魂とやらは、充分見せてもらった。」

「な、なめるな…ここまではただの根性……!!

 ここからが、男塾魂だぜ。」

 苦痛にその端正な顔を歪ませながらも、桃はそう言い切る。

 それを嘲笑いながら更にトスカを突き刺そうとするファラオに、どうやら腕に巻いたサラシの下に隠していたらしい小柄(こづか)を、口で引き出して桃が投げ放った。

 だが口で投げただけに勢いとスピードが足りず、不意を突いたにもかかわらず、ファラオはそれをあっさりと手刀で弾く。

 

「危なかったぜ。

 そんなところにまだ武器があったとはな。」

 どうやら最後の策としてタイミングを狙っていたのだろう。

 それが外され、桃の目から明らかに、先ほどまでの輝きが失せていた。これまでか。

 

「俺は用心深い。

 だからこそ今まで生きてこれたのだ。

 他にもないか調べさせてもらうぜ。」

 だがファラオはそんな桃の変化に気がついていないようで、桃が身につけているものを調べ始めた。

 そしてお尻のポケットから、小さな巾着袋を引き出す。

 そう、先ほどアヌビスとの戦いの前に、邪鬼様が桃に渡したやつだ。

 …やっぱりもうちょっと丁寧に縫うんだった。

 それを無造作に開けて中を覗くファラオの手元を見て、ちょっと気恥ずかしいものを覚えた。

 …うん、わかってる。そんな場合じゃない。

 

「こんなものが入っておった。

 もはや目も虚ろだろうが、これはなんだ?」

 ファラオが袋から取り出したものは、何やら一枚の紙片のようだった。

 それを桃の目の前にかざして見せる。

 俯いていた桃の視線が上がる。

 その目が一瞬、見開かれた。

 

「…くだらん。

 最期の仕上げは脳天ひと突きで楽にしてやろう。」

 聞いておいて、興味なさそうにファラオはそれを指で弾く。

 

「せ、先輩もきついプレゼントをくれたもんだ。

 それを見せられては、もうひと踏ん張りしないわけにはいかないぜ。」

 唇を笑みの形に歪めた桃に、とどめを刺そうとファラオがトスカを振りかぶる。

 それに向かって、足首のスナップで拾って投げたのは、先ほどの小柄。

 

「馬鹿めが、まだ悪あがきを!!」

 高笑いしながら、額の石でファラオはそれを弾き返す。

 だが返された小柄は、勢いを失わないまま回転して飛び、桃の首と鉄球を結ぶロープを断ち切った。

 

「イチかバチかの賭けだった…。

 貴様の負けだ、ファラオ───っ!!」

 200キロが落下速度を伴う前に、桃の手から離れる。

 それはファラオを直撃し、顔面と身につけた防具を砕いて、倒れたその身体を下敷きにした。

 

「フッ、ごっつぁんでした邪鬼先輩。

 あいつに見られていては無様は出来ませんからね…!!」

 …は?あいつって誰?

 

「な、何故…ひと思いに殺さなかった…?

 貴様は鉄球を投げた時に力を加減した…。

 俺の頭蓋骨をも粉々にする事も出来たはず……!!」

 身体の上の鉄球を足で転がして退けた桃に、ファラオが問う。

 

「力を加減したわけじゃない。

 ただ、血で手が滑っただけのことだ。」

 桃にしてみれば、既に勝負のついた試合。

 だがファラオは納得しないらしく、殺せと桃に向かって訴える。

 その時。

 こちらに向けて飛んできたヘリから、拡声器を通じて聞こえてきた言葉があった。

 

P・S(ファラオ・スフィンクス)、男塾、両チームに警告する!!

 我々は天挑五輪大武會運営本部である!!

 この闘場に於ける闘いは、既に大会規定の時間制限(タイムリミット)をオーバーしている。

 よって大会規約第三条により、この闘場はあと5分で、跡形もなく消滅する!!」

 って、なんじゃそりゃあ〜〜!!

 

「勝利チームは、速やかに次の闘場へ移動すべし!!

 以上、警告した!!」

 …多分だけど、これ御前が飽きたんだと思う。

 闘場の整備するより新しいの作る方が楽だとか考えていそう。

 警告通り、両方の縄ばしごは落ちてしまい、闘場は端から崩れて、欠片は赤酸湖へと沈んでいく。

 桃はファラオのそばに歩み寄り、何やら話をしているらしい。

 既に集音マイクが拾うのはその轟音のみで、2人の声は全然聞こえない。

 

「ちょ、諦めんな、馬鹿…!」

「…上のロープが使えそうだな。

 心配するな光。剣は俺が必ず助ける。

 奴にこんなところで死なれては、奴に負けた俺の面子も立たんからな。」

 影慶が微笑んでそう言って動き出した、刹那。

 

 ☆☆☆

 

「な、何をする気だ、貴様──っ!!」

「俺は大将として、ここは死んでも生き残らねばならん。

 悪いがおまえにも付き合ってもらうぜ。」

 ファラオのちっこい身体を無理矢理背負ってから、さっきのゴムロープを確認する。

 俺の首を締めていた端の方が切れただけで、長さは充分だろうし、俺たちの重さが加わった程度で切れることはなさそうだ。

 それから、まだそれが繋がったままの鉄球をなんとか転がして、先ほどこいつを宙に飛ばしたシーソーの端に乗せた。

 ここまでくれば俺のやろうとしている事がファラオにもわかったと見え、俺の背の上で暴れ出す。

 

「ば、馬鹿な!

 さっきのように鉄球を上のロープまで飛ばし、引っ掛けて這い上がろうというのだろうが、俺を背負ってあそこまで登れると思っているのか!?

 き、貴様だけなら助かるチャンスを、逃して死ぬことになるんだぞ──っ!!」

 …どうやら、しばらく眠っててもらった方がよさそうだ。

 俺は、一度ファラオを背から下ろすと当身で気絶させ、もう一度背負い直すと、その身体をサラシで俺の身体にくくりつけた。

 それからゴムロープの端を、更に2人の体に結びつける。

 

「いくぜ!!」

 身体にかかる衝撃を少しでも少なくするために、身体に結んだロープを手でも握ってから、助走をつけて高く跳躍する。

 そのままシーソーの端に飛び降りると、さっきファラオがやった時と同じ、否、それ以上の勢いで、鉄球は宙へと飛び上がった。

 それに引かれて、俺たちの身体も。

 鉄球は上のロープを飛び越え、落下したと同時に、ゴムロープの中心がそれに引っかかる。

 その接触面が支点となり、一瞬止まった後落下しかけた俺たちの身体は、ゴムロープの伸縮により再び上昇した。

 その勢いで上のロープに手が届き、俺は片手でそれを掴むと同時に、鉄球の繋がるゴムロープを切断した。

 

「つ、剣…貴様という男は……!!」

 どうやら目を覚ましたらしいファラオの、震える声が首の後ろから聞こえた。

 

「フッ、礼には及ばない。

 おまえと地獄までツラつきあわせるのは御免だからな。

 ただそれだけのことだ。」

 後ろから嗚咽が聞こえ、肩に冷たいものが落ちた。

 

 ☆☆☆

 

「と、飛んだ!?」

「なるほど、敵の使用した設備を利用するとは考えたものだ。」

 どうやらファラオも一緒に助け出したらしく、掴まったロープから身柄を仲間たちに回収された桃が富樫に手当てされている横で、ファラオも虎丸に包帯を巻かれている。

 …虎丸は富樫に比べて包帯の巻き方が下手なようだが。

 他の一号生に比べて、授業を半年受けていないから仕方ないのだろう。

 

 ホッとして私がその場にへたり込むと、どこからかひらひらと舞う紙切れが風で飛んで落ちてきたのを、何故か影慶がキャッチして、見た瞬間にフッと笑った。

 

「…どうかされましたか?」

 影慶は答えの代わりに、その紙切れを手渡してくる。

 

「え、これは……!!」

 いつ撮られたものなのか、まったく記憶にない。

 だがそれは間違いなく…男塾の学ラン姿で、腰に両手を当てて仁王立ちしている私の写真だった。

 背景からすると天動宮の修練場かと思うが、本当にいつ、誰に撮られたものなのだろう。

 しかも結構綺麗な字でその上から、

 

死んで楽になれると思うな!!

むしろ死んでも死ぬ気で生きろ!!

───光

 

 と書かれている。なんだこれ?

 

「邪鬼様が戦いの前に剣に手渡された小袋の中身だ。

 ファラオとかいうやつが開けて剣に見せていたろう。

 この字は邪鬼様の筆跡だな。」

 言いながら影慶が、喉の奥でくつくつ笑っている。

 出処から考えればそうだろうね!でもなんで!?

 私、こんなむちゃくちゃな事言った事ないのに、なんでこれが私の言葉みたいになってるんだ。

 混乱した頭に不意に、大威震八連制覇の最終闘が終わった直後、拳での切腹を敢行して、ホッとしたような顔で目を閉じようとした邪鬼様の姿が浮かんだ。

 

『これで安心して死ねるとか思ってます?

 甘いですよ、邪鬼様。まだ死なせません。』

 

 …言った!言い方は違うけど、あの時似たような事確かに言ったよ私!

 あれを邪鬼様はこう受け取ったってことか!!

 くっそ、覚えてろよあの非常識男!!

 死んでも生きろとか意味わからんわ!!

 

 ☆☆☆

 

「のう桃、結局あの紙、なんだったんじゃ?」

「フフッ…秘密だ。

 …結局あの騒ぎでどこかに飛んでいっちまったな。

 回収してお守りにしようと思ったが、残念だ。」




わかりにくいちょっとした変化ですが、この話での桃は最後の闘場崩落の際、原作と違い諦めてません。
諦めてないから、ファラオに鉄球を重石にして自分がジャンプすると案を出される前に、自分で考えて解決できました。
塾長の写真が光に変わった事で、潔い死に様よりも生き残る意志が明確になった、微妙なバタフライ・エフェクトでした。

そして次回からの梁山泊戦では、結構明確な原作改変を予定しております。
嫌にならなければ光の物語にまだまだお付き合いください。


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天挑五輪大武會決勝リーグ編(対梁山泊十六傑戦)
1・今宵はあなたとワインのシャワーを心ゆくまで裸で浴びよう★


読者様が、光のイラストを描いてくれました!

【挿絵表示】

御本人の希望により、描いた方のお名前は出せませんが、幕間・雌伏仇讐編4話で羅刹とデートした時のイメージですね。
女の子らしい服を久しぶりに着てはしゃいでる感に、
「そう!アタシがあの話で表現したかったのはまさにこれだよ!」
という気持ちになりました。
ありがとうございます。
あと、メッセージではあとがきに入れると言ってまえがきに入れてゴメン(爆


 崩壊した闘場から無事、剣どのが脱出してきて、簡単な手当てを終えた後、闘場より手前の簡易休憩所にて、我等は休息を取る事にいたした。

 救急薬や包帯、簡易食料などの備えと、全員が休める布団などの備品が置いてあり、明日も早くから次の闘場へと移動せねばならぬ為、食事を取ってすぐ休む仕儀に至ったのだが…どうにも眠れぬ。

 我等三面拳と伊達殿、その絆は深く結び付き、決して切れることなどあり得ぬ。

 そして伊達殿と我等を結びつけたのは、伊達殿と年齢の近い、飛燕の存在であった。

 …奴は己の死を悔いるような男ではない。

 だが自身より若い彼奴に、このように置いていかれることなど、心のどこかで、ないと思っていた。

 

「…拙者も、修行が足りぬ。」

 仲間たちを起こさぬよう、こっそりと休憩所を出て、夜のひんやりとした空気に物悲しさを禁じ得ずにいると、近くの茂みががさりと動いた。

 気配を隠しもせず、明らかにこちらに近づいてくるそれに向けて構えていると…、

 

「……なんと!

 おぬしら、自分たちの力で、ここまで来たと!?

 しかし、先の戦いの傷もまだ癒えて…おるな。

 …そうか。拙者と共に戦ってくれるというのだな。

 一度は敵として相対した拙者を、そこまで慕ってくれるとは。

 この雷電、おぬしらの心、しかと受け取ろう。」

 戦いとは、失うばかりではない。

 時としてかけがえのない絆を得ることすらある、ということか。

 

 ☆☆☆

 

 準決勝が行われる闘場は、凄まじいほどの急流の、河の中心にある矢印のような形の岩だった。

 しかもそこからほんの少し河が流れた先に、御丁寧にもその急流を一気に落としてゆく大きな滝が控えており、闘場外に落とされればまず間違いなく助からない…私たちが手を出さなければ、だが。

 今、影慶は錘のついた網を広げて、穴などがないか確認する作業を行なっている。

 夜のうちに移動してここまでやってきて、周囲の状況等を考慮した結果、もし落下する者がいた場合、滝の手前で投網で救出するのが一番手っ取り早いという結論に至ったのだ。

 というか、この網とか一体どこから持ってきたんだろうというのは、聞かない方がいいんだろうか。

 本当になんでもできるんだな、この人。

 

「影慶、少し休んでください。

 簡単なものですが、食事ができましたので。」

「ああ、済まない。もう少し点検してから頂こう。」

 私には今のところ、こうして彼の身体を気遣うくらいしかできることはない。

 邪魔はしたくないが、あまり根を詰めるのもやめて欲しい。

 …よし。あまり褒められた事ではないし、今の私はメイクもしていないちんちくりんのチビガキだが、ここはひとつ実践するのは初めてだが暗殺者時代に叩き込まれた、「『今忙しいから後で』と構ってくれない恋人(ターゲット)の関心をこちらに向けさせる可愛い誘惑テク☆その1(監修:藤堂兵衛)」を使ってみよう。

 こちらに向けて座る影慶の大きな背中に、自分の背中をぴとっとくっつけて座り、もたれかかる。

 

「……ん?」

 お、気がついた。当たり前か。

 返事をせずに黙って寄っかかっていたら、影慶は暫し固まった後、また作業に戻ったようだ。

 ううむ、御前の嘘つき。全然反応ないじゃないか。

 

『応用としてもう少しレベルが上の、やはり背中に、胸からもたれかかるという方法もあるのだが、今の貴様では…いや、なんでもない。』

 今更だが、なんで言葉を濁したジジィ!

 当時12歳の少女に、当てる胸なんざ無いのはわかるが、将来的にはわからんだろうにちゃんと教えとけ!

 今もそれほど大きくはないがまったくないわけじゃないわ!!

 もはや己の中で絶対忠誠の呪縛から完全に離れた御前の姿に心の中で文句をたれつつ、腹いせに影慶の背中にぐりぐりと後頭部を押しつけ、体重をかける。

 どうでもいいが固い。

 背もたれには非常に不向きな背中だ。

 けど、肌寒いので体温が伝わるのが意外と心地いい。

 まあでもよく考えたら、影慶にはここで行動を共にするようになってから、なんだかんだでひっつきまくっている。今更というやつか。

 仕方ない、御前がちゃんと教えてくれていないのでどういう感じなのかわからないが、応用編の方を実践してみるか。

 胸からってことは、もたれかかるというより抱きつく感じになるのかな。

 んーでも、制服のままだとボタンが当たって痛そうな気がする…などと思っていたら、

 

「…煽っているのか?いや、まさか…。

 これは俺の理性と忍耐力に対する挑戦か…!

 ば、馬鹿な。俺は毒持ちの身体だぞ。それを…」

 と、何やらよくわからない事をぶつぶつ呟き始めた影慶が、ちょっと背中を震わせている。

 …なんだか少し心配になってきた。

 

「やっぱり、疲れてません?

 少し休憩した方がいいんじゃありませんか?」

「そ、そうだな。そうするか。」

 …よくはわからないが、目的は果たしたのでいいことにしておこう。

 

 ☆☆☆

 

 …目を覚ました時、自分がどこに居るのかわからなかった。

 大きな布で簡単に設置されたテントの中で、半身を起こして自分の身体を確認する。

 毛布に包まれた身体は最低限度のものしか身につけておらず、見たところ傷ひとつない。

 …?いや、そんな筈がないだろう。

 そもそもわたしはP・S(ファラオ・スフィンクス)戦で、溶岩の池に落ちて死んだ筈だ。

 その時に戦っていた敵に身体中を切り裂かれ、また全身の血すら武器として戦って、血も流し尽くした筈。

 だが別に目眩がするわけでもなく、体調はほぼ万全な気がする。

 強いて言うなら、腹が減っているくらいか。

 ほぼ無意識に髪をかきあげて、ふと気がつく。

 …心なしか、また髪が伸びているような。

 この現象は以前にもあった。

 そして、それに関わっていたのは。

 

「…なるほど。」

 確かに、意識を失う直前、男と子供が会話している声を聞いた。

 男の方は誰なのかわからないが、子供の声と聞こえたのは、思い返せば確かに彼女の声だった。

 そういえばその際に『赤酸湖…』云々と聞こえた気がする。

 わたしが落ちたのは溶岩ではなく、それに似た色の酸性の熱湯だったのだろう。

 どちらにしろ全身に火傷を負ったのは間違いなく、その治療を施した際に、選別するわけにもいかず全身の傷を治すしかなかったと。

 水を溺れるほどかけられたのは、その酸性の液体を洗い流す作業か。

 ふと見るとわたしの包まっていた毛布の側に、僅かだが食料や薬などの物資、それから恐らくは洗って干したのだろうわたしの闘着が畳んで置かれていた。

 広げてみると、やはり間違いなくあちこちに穴があいている。

 物資の中を探ると、ありがたい事に針も糸も入っていた。

 男塾の授業の中に、縫製の科目が入っていた事は意外だったが、考えてみれば当然の事だ。

 わたしは刺繍を趣味のひとつとして嗜んでいるので、縫製も難なくこなせるが、そういえば一度わたし達と離れて男塾に入塾し、戻ってきた後の伊達も、決して苦手な方ではなかった。

 もっとも苦手でないというだけで面倒ではあるようで、大抵はわたしに押し付けて寄越すけれど。

 まるで手のかかる弟のような主の不機嫌そうな顔と、主従でありながら子供の頃と同じように互いに言いたいことを言い合うわたし達のやり取りを、一方は微笑ましげに、もう一方は我関せずといったふうに見守る、年長の友であり兄のような存在でもある二人の顔を思い返して、早く戻って安心させてやらねばならないと、わたしは手早く縫い針に糸を通した。

 

 ☆☆☆

 

『ではこれより天挑五輪大武會準決勝、男塾対梁山泊十六傑の勝負を開始する!!』

 昼過ぎにようやく闘場に男塾御一行様がたどり着くと、運営本部のヘリが飛んできて、試合開始を告げた。

 てゆーか、地形をトーナメント表通りにしているのはわかるが、16人程度なら余裕で乗せられるヘリが数機あるわけだし、闘士たちをわざわざ歩かせず次の闘場まで運んであげる方が効率的だと思うんだけどな。

 それはさておき梁山泊といえば、この前三回の大武會を連続優勝しているチームだ。

 それと準決勝で当たってしまうとは。

 

「み、見ろ!

 向こうの岸にいつの間にか、誰か居やがる──っ!!」

 虎丸の叫ぶ声を集音マイクが拾い、対面の岸の方を見ると、左の目に眼帯を着けた騎馬の男が一人、旗を背負い、頭くらいの大きさの酒瓶を傾けている。

 瓶に口をつけずに飲むのは、まわし飲みの習慣があるからだろう。

 見たところ彼一人で、他の闘士の姿は近くにない。

 

「わかったぞ!!

 残りの奴等は、この準決勝に進んでくるまでに、全員殺られちまったに違いねえ!」

 富樫がいかにも納得したように手を打って、虎丸も楽しそうにそれに頷いているが、そんなわけあるか。

 今回も優勝の最有力候補だからな。

 その梁山泊からただひとり姿を見せた騎馬の男は、酒瓶を持ったままの手で口元を拭うと、闘場へと続く縄ばしごを馬で駆け下りる。

 そうして半分くらいの高さまで駆け下りたところで、人馬は宙に飛び、闘場へと着地した。

 そうしてから男が再び酒瓶を呷る。

 

「気ままな奴等だ…俺の仲間達は、いつになったら到着するかわからん。

 だが、それはどうでもいいことよ。

 貴様等の相手は、俺ひとりで充分だ。」

 …もう、最初の一人がこうなのはお約束って気がする。

 挑発を受けて富樫と虎丸が、これもまたお約束のように、自分が行くと言い合っているところへ、

 

「相変わらず、進歩のない人達だ。」

 と歩み出たのは、男爵ディーノ。

 それはいいんだが、いつも見慣れたものと服装が違い、シルクハットはそのままだが革のベストではなく、首元を蝶ネクタイで留めた長いマントを着用している。

 …奇矯なのは変わらないが、前のスタイルより変態度が増した気がするのは気のせいだろうか。

 

「フォッホッホ、目にもの見せてくれましょう。

 地獄の魔術師(ヘルズ・マジシャン)といわれたこのディーノ、久しぶりの闘いに胸がときめきます。」

 そう言って縄ばしごに足をかけようとするディーノに、富樫と虎丸が文句を言って追いすがる。

 ディーノは懐から、フリルのついた白いハンカチを取り出すと、無言で2人の前にそれを広げて見せた。

 

「そ、そのハンカチがどうしたってんだ……!?」

 基本的に素直な子である彼らは、普通に彼の手元に目を奪われている。

 その目の前でディーノがハンカチを空中へと投げたと思えば、投げられた白いものは翼を広げ、一羽の白い鳩となって、どこへともなく飛び去っていった。

 2人だけでなく他の塾生たちがそれに目を奪われている間に、ディーノは音もなくふわりと跳躍して、一気に縄ばしごの中ほどまで降りる。

 

「男塾鎮守直廊三人衆のひとり男爵ディーノ。

 奇妙な男よ…だが奴を甘くみると、命がいくつあっても足りはせん。」

 その背中を見送りながら、卍丸が固い口調で呟くのが聞こえた。

 

「あの人、地獄の魔術師(ヘルズ・マジシャン)なんて呼ばれてるんですね。

 初めて知りました。」

「……俺も初耳だ。」

 まじか!

 邪鬼様の側近で死天王の将である影慶は、事実上三号生のNo.2の筈なんだが、その影慶が知らないとなると…。

 

「自称かよ!!」

「…ん?」

「……いえ、なんでも。」

 まあ、とりあえずこの闘いを見守ろうか。

 

 

「わたしの名は男爵ディーノ。

 どうぞお見知り置きを。」

「梁山泊の酔傑だ。どうだ、貴様も一杯飲らんか?」

 酔傑と名乗ったその男は、手に持った酒瓶をディーノの方に向ける。

 

「いえ、それには及びません。

 わたしが飲むのはワイン、それもシャンピニオン・スペチアーレの白15年物と決めているのでね。」

 ディーノはそう答えながらマントの内側から、一枚のカードを取り出して、間を置かずにそれを酔傑に向けて投げ放った。

 放たれたスペードのエースは酒瓶を持った手の脇を通り抜け、次の瞬間その酒瓶は酔傑の手から落ちた。

 否、正確には酔傑が持った酒瓶の口から下が、切れて落ちた。

 

「なるほどな、おもしろい。

 どうやらカードのへりが、研ぎ澄まされた刃物に加工されているようだな。」

「これぞ本場ヨーロピアン魔殺術(キラー・マジック)、ゾリンゲン・カード!!

 貴様の首も、その酒瓶のようになる。」

 どうやら男爵ディーノは、これまでの猛獣使いスタイルから、マジシャンへとシフトしたらしい。

 その物騒なトランプを空中でシャッフルするように舞わせ、次にはそれを一気に、酔傑に向かって飛ばす。

 

「残念だが貴様のトランプ遊びに、これ以上つきあってるヒマはない。」

 だが酔傑は、ずっと馬の背の横にくくりつけてあった旗を手に取るとそれを無造作に振って、ディーノのトランプを全て振り払った。

 …その動きの邪魔にならないよう、さりげなく馬が首を下げているあたり、よく躾けられている。

 そこから間髪を入れず、酔傑が馬の背から跳躍したかと思うと、何を思ったか馬の尻を蹴るような動きで、脚を突き出して降りてきた。

 馬はそれに向けて後ろ蹴りを放ち、その蹄に酔傑が足裏を合わせた。

 それを足場に、馬の蹴りの力も加わって、先程より高く跳躍する。

 ディーノがそれを目で追ったのは、戦う者の本能として当然のことだ。

 だが、酔傑は適当な方向に飛んだわけではなかった。

 

「死ねい──っ!!」

 太陽を背にして降ってきた酔傑が突き出した例の旗の下に付いていた三日月型の刃は、一瞬目を眩ませたディーノの首を、一撃のもとに斬り落としていた。

 仲間達の悲鳴が響き渡った。

 

 だが。

 

「フフッ、他愛もない。

 俺に、太陽を背にした逆光の位置を、ああもたやすく取らせれば当然の結果…!!」

 笑って言いながらどこからか取り出した、先程よりも小さめの酒瓶を、煽ろうとした手が止まる。

 驚愕に見開かれたその目が見つめる先に、

 

「く、首〜〜っ!!わ、わたしの首はどこだ──っ!!」

 そこには、何か掴むものを探しているように手を彷徨わせる首なしの身体が、ヨロヨロと歩いている。

 

「おおっ、あったあった!!ここにあった!

 わ、わたしの愛しい首よ〜〜っ!!」

 首なしディーノはそう言って落ちた首に駆け寄ると、首ではなくシルクハットを手に取って頭上というか、恐らくはそれが元あった位置まで掲げる。

 次の瞬間、マントの下から迫り上がるようにして首がニュッと飛び出てきて、元通りの男爵ディーノが完成した。

 

 ・・・

 

「…ふざけてますね。」

 一瞬マジで泣きそうになったのに。

 身体の方が喋ったのを見て、大体の状況は理解できたが、同時にちょっと不愉快になる。

 

「…うむ、すまん。」

 なんで影慶が謝るんだろう。

 あれか、三号生を統括する立場というやつか。

 一応トップは邪鬼様だけど、あのひと赤石と同様、事務作業とか苦手そうだし。

 そう考えると、補佐としての副筆頭を置かずに、学号単位の事務仕事を、必要な事は全部自分でこなしてる桃の存在って、実はすごく尊いのかもしれない。拝んどこう。

 

 ・・・

 

「わたしの名前は地獄の魔術師(ヘルズ・マジシャン)・男爵ディーノ。

 貴様はこの死神札(ジョーカー)を引く運命にある。」

「フフッ、面白えとっつぁんだぜ。

 末期の酒は、俺のおごりだ。」

 自失の状態から脱し、薄く笑いながら酔傑は、手の中の酒瓶を再び大きく呷った。




…関係ないけど酔傑さんて、無駄に声とかセクシーだったりしそうなイメージ。
ちょい悪系の意外とモテるタイプじゃないかと勝手に思ってる。


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2・A Kind of Magic

「フフフ、手品、奇術、魔術とは、人の視覚の盲点をつき、心理の裏をかくこと。

 それを恐怖の殺人技として完成させ、もはや芸術とさえ呼ばれるのがこの、地獄の魔術(ヘルズ・マジック)です。」

 地獄の魔術師(ヘルズ・マジシャン)としての華麗なるイメージチェンジを果たした男爵ディーノが、確かスプリングとかいう技法だろうか、華麗な動きでカードを舞わせる。

 あれ、トランプの記号と絵柄のついた刃物なんだけど、あれを危なげなく操る手腕には、素直に感心してしまう。

 

「まったく鮮やかな手さばきよ。

 だが、まだそのカードを使う気か。

 それが俺に通用しないことは、先刻教えてやったはずだ。」

 それを面白そうに見つつ、酒瓶片手の酔傑は、そう言って嘲笑ってみせた。

 

「いえ、カード・マジックこそは、あらゆるマジックの基本ともいうべきもの。

 それだけにその技の種類も多く、千変万化。

 …例えば、こんなのはいかがですかな。」

 ディーノは取り出した三枚のカードを、ただ投げ放ったように見えた。

 

「それがどうしたというのだ?

 この辣絹布(らっけんぶ)で織った旗で、また打ち払ってくれる。」

 だが言うか言わぬうちに酔傑が旗を再び振った瞬間、それは燃え上がる。

 ディーノの放ったカードが空中で発火し、それが当たった旗に燃え移ったのだ。

 大きく上がる炎に一瞬狼狽えた酔傑の隙をついて、ディーノが更にカードを投げる。

 それは今度は発火などせず、酔傑の乗った馬の首に命中し、馬はその身を地に倒した。

 落馬する寸前で馬の背から跳躍して無事に着地した酔傑に、ディーノが説明する。

 

「このカードには、空気との摩擦でも発火する、揮発性の油が塗ってあったというわけですよ。

 何しろ辣絹布といえば、丈夫さには定評がありますが、燃えやすさはこの上なしというものですからね。」

 だが、馬を倒され地に降ろされながらも、酔傑は余裕の表情を崩さず、あまつさえディーノの技を宴会芸と言い切った。

 

「今度はひとつ、俺が見せてやろう。」

 そう言うと倒れた馬の背から、何やら金属の紐のようなものを取り外す。

 

「これは、我が梁山泊に数多く伝わる武器のひとつで、地穿鞭(ちせんべん)という。

 これの使い方が、一風変わっておってな。」

 両手にそれぞれ一本ずつ手にしたそれを酔傑は振り回したと思うと、その先の刃物のついた突起の部分を、振り回した勢いのまま地中に打ち込む。

 てっきりそれで攻撃されると思っていたディーノが、その疑問をそのまま口にした。が。

 

「わからんか。

 この鞭は手もとの動きひとつで、意のままに操れる自在鞭。

 土中にその身を潜め、敵を撃つ!!」

 手にある部分を引いたり緩めたりと、細かい動きを与えられたそれは、ディーノの足元の地面から、まるで槍のように飛び出してきた。

 次の瞬間には出てきたところから姿を消し、離れたところからまた地面を割って現れて、ディーノの身体に傷を作る。

 

「この地穿鞭は伸縮自在、決して逃げられはせん!!」

 更に、それは今度は蛇のようにうねりながら地面から現れ、ディーノの両足首に巻きつくと、その足を地面に固定してしまった。

 

「いくらあがこうが、その状態から脱出することは不可能だ。悪く思うな。」

 酔傑は言いながら、また倒れた馬の背から、何かを外す。

 

「おもしれえ芸を見せてもらった礼に、こいつでひと思いにあの世へ送ってやろう。」

 掲げたのは、持ち手のついた大きな、手裏剣のような形の刃。

 …てゆーかおまえ、その馬にどんだけの武器積んでたんだ。

 いや、そんな事言ってる場合じゃない。

 

「貴様の手品で、地獄のエンマを喜ばすがいい!!」

 その刃を、そこから身動きの取れないディーノに向けて投げ放つ。

 瞬間、ディーノは何を思ったか、マントの下から煙玉のようなものを出して、それで煙幕をたいた。

 だが勿論、煙は何の盾ともならず、刃はディーノの身体を通り抜ける。

 …彼の上半身と下半身を真っ二つに分けて。

 

「っ!」

 思わず上げた悲鳴が声にならなかった。

 次の瞬間には、伸びてきた影慶の手が私の視界を塞いだが、遅い。

 

 だが。

 

「フフフ、やはり心配ですかな。

 万が一にも、先程の首と同じく、これもロウ細工ではないかと…。」

 何故か倒れたディーノに歩み寄り、その顔を覗き込んでいた酔傑に、ディーノの上半身がいつもと変わりない調子で声をかける。

 

「そう、それを確かめずにはおられないのが、人の心理というもの。

 だが、言ったはずですよ。

 魔術とは、人の心理の裏をかくものだと。

 …かかったな!これぞ眩魔切断術(ミラクル・カッター)!!」

 ディーノは土の下に隠していた全く無傷の両足でその場から跳躍すると、酔傑の首に先ほどのカードを投げ打った。

 

「ば、馬鹿な、何故…!?」

 喉に刺さったそれを抜きつつ、信じられないという表情を浮かべる酔傑に、ディーノが御丁寧にも説明する。

 

「煙幕をたき、視界を一瞬遮った時、切断されたと見せかけ、脱け殻の下半身を地上に残して、わたしは上半身だけを地上に出していたのです。」

 腹には御丁寧にニワトリの血の入った血袋を仕込んでいたとの事、なのだが…。

 影慶の手が再び私の視界を遮るが、やっぱり遅い。

 

「わたしの名は男爵ディーノ。

 人はわたしを地獄の魔術師(ヘルズ・マジシャン)と呼びます。」

 マントの下は上半身素肌、下半身は下帯いっちょという変質者そのものの姿で、ディーノはドヤ顔でもう一度名乗ってみせた。いやズボン履け。

 

 ・・・

 

「末期の酒だ…頼む、そこの酒瓶をとってはくれんか。」

 闘場に倒れた酔傑の懇願に、ディーノはお安い御用と応じながら、そんなに深い傷ではないと告げる。

 酒瓶の酒をディーノに含まされ、感謝の言葉を告げた酔傑は、しかし次の瞬間ディーノに向けて、口に含んだ何かを吹き付けた。

 

「顔に似合わずお人好しな男よのう。

 カードの威力を手加減して、俺を殺さなかっただけでなく、酒瓶の中に仕込んであった含み針までも与えてくれるとはな。」

 それはどうやら目に当たったらしく、ディーノが反射的に顔を覆った手を退けたその下で、閉じた瞼の下から血が流れている。

 

「どうやら、勝負は逆転したようだな。

 恨むなら己自身の甘さを恨むがいい。」

 そう言いながら酔傑が、先ほどの地穿鞭(ちせんべん)を手に取り、その穂先でディーノの胸を貫く。

 ほぼ致命傷となるその一撃に、彼を助けようと後輩たちが動き出そうとする。

 だがディーノは這って縄ばしごに近づくと、手にしたカードでその縄を切断した。

 

「お気持ちだけいただいておきますよ。

 こやつだけは、わたしの手で討ちとります。

 …あなた達には、なにもしてやれませんでしたが、これが男塾三号生としてわたしが唯一残せる、さ、さよならのプレゼントです……!!」

 言ってディーノは、先ほど燃やした酔傑の旗の柄であった槍を引っ掴むと、それで酔傑に突き掛かっていった。

 だが目が見えていない状態であるのと、胸の傷の深さが邪魔をして、そのやみくもな攻撃は、酔傑の身体には掠りもしない。

 酔傑はそのディーノの手から、無造作に槍を奪い返すと、槍を手にしたままの拳をディーノの顔面に入れる。

 

「これ以上貴様にかかわりあってる暇はない!!」

 背中から無様に倒れたディーノに向かって、酔傑が槍を投げる。

 その酔傑にディーノはまたもカードを投げたが、それはあっさりと躱された。

 もはや投げられた槍を躱す余裕もなく、それはディーノの口を貫き、後頭部まで抜けて地面に突き刺さっていた。

 

「ディ、ディーノ〜〜っ!!」

 

 

「なんとも無残な死に様よ。

 この俺でさえも目を覆いたくなる。」

 二度騙されたせいで、やはり確認せずには居られないのか、酔傑はディーノの口から流れる血を、人間の血であると確信し、安堵する。

 

「まったくしぶとい男だったぜ……!!

 こんな奴とは、二度と闘いたくはねえもんだ。」

 戦う男にとっては、敵への最大の賛辞であろう言葉を口にして、酔傑はディーノに背を向ける。

 

「フッフッフ。

 またしても引っかかりましたね。」

 そこに、ありえない声がかけられて…!

 

「こ、これぞ地獄の魔術(ヘルズ・マジック)奥義・奇跡の杖(ミラクル・ケイン)!!」

 槍の柄を咥えたままで発音は不明瞭だが、おおよそそういう事だろうと思う。

 立ち上がったディーノは、背中から酔傑の首を腕で極める。

 口から喉を貫いていたと見えた槍は、一部が切り取られてディーノの口に咥えられ、その状態で地面に突き立った槍の柄の上で、死んだふりをしていただけなのだ。

 

「もう種明かしをする必要はないでしょう。

 あなたの槍を使い攻撃したのはこの為…ただ振り回していたのではなく、槍にカードで切り込みを入れていたのです。

 ついでに言えば、この血は舌を噛み切ったものです……!!」

 まじか。まあでも喋れてるって事は、完全に切り離されてはいないのだろうが…えぐいな。

 

「だが、どうするつもりだ!?

 このまま首を絞め上げる余力は残っていまい。」

「絞め上げる必要などありません。」

 ディーノは酔傑の首を極めたまま、闘場の端へと引きずっていく。

 どうやら酔傑を道連れにこの流れに飛び込むつもりであるようだ。

 

「…影慶!」

「わかっている。」

 影慶は私が呼びかけるより先に動いており、用意していた投網を既に構えている。

 なんて頼りになる相棒だ。

 

「よ、よせ、よすんだ──っ!!

 ディ、ディーノ───っ!」

 闘場に向かって、桃が悲痛に叫ぶのが聞こえる。

 大丈夫、絶対に死なせないから!

 

「こ、今度ばかりはタネはありません。

 ほ、本当に、さよならです。

 …諸君達の健闘を祈ります!必ず優勝を──っ!!」

 …一陣の風が、主を失った帽子(シルクハット)を舞い上げた。

 

 ☆☆☆

 

 …滝壺に落ちる前に影慶が引き上げたディーノは、既に死んでいるみたいに見えた。息してない。

 一瞬手遅れかと思ったが、脈はある。

 水を飲んでいるのかと思ったが、さほどの量は飲んでいないようだった。

 ふと、思い出して口を開けさせる。

 思った通り噛み切った舌が辛うじて一端で繋がっており、それがどうやら気道を塞いでいるらしい。

 血で滑るそれをなんとか元の位置に直して、氣の針を撃ち込んで繋げる。

 血が気にはなったが背に腹は代えられず、一応布で拭ってから、鼻をつまんで口から息を吹き入れた。

 隣で影慶がはっと息を呑む気配がする。

 …そういえば驚邏大四凶殺の決着直後、伊達にこれをやった時の一般三号生の反応もこんなだった気がするんだが、一体なんなんだろう。

 数度繰り返すと呼吸を始めたので、念の為氣の針による心肺機能の活性化も施す。

 胸の傷はほぼ致命傷なのでそれも塞いだが、受けてからそれほど時間が経っていなかったせいか、造血の処置まではしなくて良さそうだった。

 最後に目の状態を確認すると、針が刺されたのは眼窩のまわりと瞼の皮膚のようで、眼球には傷がついていない。

 毒などが塗られていたわけでもないらしい。

 ひと通りの処置を行なって息をついた時、風で飛んできたディーノの帽子(シルクハット)を、影慶が回収してきたところだった。

 さすが影慶、アフターフォローも完璧かっ!

 

「いつまでも悲しんでるヒマはねえ。

 どうやら梁山泊の本隊がお出ましのようだぜ。」

 集音マイクが拾った伊達の声に、対岸に目を向ける。

 そこには先ほど見たのと同じような旗を掲げた騎馬の一団がいた。

 

 ☆☆☆

 

「光。」

「はい?」

「奴等は強敵だ。

 状況が許すのならば、俺も一度、戦列に復帰しようと思っている。

 どうにかして正体を隠しての事になるが。」

  比較的平らなところを選んで毛布を敷き、その上に男爵ディーノを寝せた後、影慶が意を決したように私に告げた。

 

「想定内です。

 あなたは補充要員の頭数に入っておりますから。」

 実際、このようにして仲間を助けてもらっているが、彼自身見守ってだけいるのも限界だろう。

 穏やかで冷静なふうにふるまってはいても、その身の裡に滾る戦いの血が、彼を戦場に戻さずにはいられまい。

 ここいらでガス抜きは必要だ。

 だが自分から切り出したくせに、私が了承すると影慶は、どこか納得のいかない表情を浮かべる。

 

「…しかし、一度戻ってくるにせよ、その間おまえを1人で置いておくのも、不安ではあるのだが…。」

 私は子供か。危うくそうつっこみかけたところに、

 

「御心配なく、影慶様。

 光君にはその間、このわたしがついております。」

「えっ!?」

 予期しないところからかけられた言葉に、私と影慶が驚いてそちらを振り返る。

 そこには、今眠らせて横たえた筈の男爵ディーノが、毛布の上で半身を起こしていた。

 

「治療を行なったばかりなので、もう少し寝ていて欲しかったのですが…。」

 私が若干の文句を言うと、ディーノはニヤリと笑みを浮かべる。

 

「こんな面白そうな事が近くで行なわれているのに、眠ってなどいられますか。

 命を助けていただいた礼としては安すぎますが、この程度のお返しはさせていただきますよ。」

 面白いとか言い出したよこの野郎。

 どうしてくれようかと思いつつ私がディーノを睨んでいると、ディーノは私の隣で難しい表情を浮かべる影慶に視線を移した。

 

「影慶様。御存知の通りわたしは元々、裏側での工作や情報収集が本職です。

 このままあちらに戻るよりも、おふた方のお手伝いにまわる方が、お役に立てるかと。」

 そう言って、影慶の前に跪く。

 その言葉に、影慶は少し考えてから、ディーノの目をしっかりと見つめて、告げた。

 

「男爵ディーノ。

 男塾死天王の将・影慶が、貴様に命じる。

 俺が居ない間、光を守れ。」

 その言葉にディーノが、我が意を得たりとばかりに再び、ニヤリと笑う。

 

「御意。光君も、よろしいですね?」

 影慶が認めたのならば、私には口を出すことなどないけれど。

 

「で、でも、あの」

 ひとつだけ、どうしても看過できない問題があった。

 それをどう告げるべきか、とっさに言葉が出てこない。

 

「身体のことでしたら問題ありません。

 おかげさまでちゃんと動けますよ、大丈夫。」

「ええまあ、治療したのは私ですから、完治に睡眠が必要とはいえそこは心配しておりませんが…ええと。

 その、このまま行動を共にするのでしたら、目のやり場に困るので、せめてズボンは履いていただけたら、と。」

「え?…あぁぁっ!わ、わたしとしたことがぁっ!!」




なんと 男爵ディーノが おきあがり なかまに なりたそうに こちらを みている!

なかまに してあげますか?

▶︎はい
 いいえ

男爵ディーノが なかまに くわわった!


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3・ピストル真似た左手で星を撃ち落とせたら

「サラシを泥炭を混ぜた水で洗って染め、それを巻いて覆面としましょう。

 念の為、露出している目の周りにも炭を塗って…」

「待て。それではあまりにあからさまではないか?」

「だからこそ、ですよ。

 彼らはよもや影慶様が、こんなにあからさまな変装をするとは思わないでしょうし、影慶様自身、そう大きく戦闘スタイルを変えるおつもりではないのでしょう?」

「そ、そういうものか。」

「そういうものです。

 仮呼びのお名前も考えなくてはいけませんねえ。」

「…あの、2人とも。

 そろそろ第二戦が始まりますよ。」

 なんか知らないが変装の話で盛り上がってるらしい三号生ふたりに声をかける。

 実は今までどっかの誰かさんがぶった切った縄ばしごを係員が直しに来ていて、その為に次戦の開始が中断されていたのだ。

 ちなみにその間にも互いの陣からの挑発対決みたいのが繰り広げられており、梁山泊側から次の出場闘士らしき弓使いが矢を富樫の学帽の徽章に向けて、しかも4本繋げるようにして放ち、その返礼として月光が、まるでゴルフのスイングのようなフォームから撃ち放った鉄球で、その弓使いが身につけていた大きな耳飾りの玉を砕いたついでに、その後ろに控えていた騎馬の馬を一頭、巻き添えで倒していた。

 そんなこんなでようやく使えるようになった縄ばしごを渡って、月光が闘場へ向かう。

 同じようにして相手側から渡ってきたのは、やはり先ほど矢を放った弓使いだった。

 闘場で向かい合うと、平均身長の高い塾生の中でも、とりわけ大きい方である月光と、変わらないほどの長身だ。

 更に、大きな弓を手にしたその腕の、肩から肘にかけての太さが並外れている。

 顔には額から頬にかけて、Y字を逆さにしたような大きな傷跡が走っており、青みがかったグレーの蓬髪は長く伸ばされて、それが獅子の鬣のように風に揺れた。

 

「我が名は梁山泊十六傑のひとり、蒼傑……!!」

「男塾三面拳、月光……!!」

 闘士たちがそれぞれ名乗りをあげる。

 

「貴様の纏劾狙振弾(てんがいそしんだん)、確かにこの目で見届けた。

 聞きしに勝る凄まじき技よ……!!」

 纏劾狙振弾(てんがいそしんだん)とは、先ほどの挑発対決で月光が繰り出した技の名前らしい。

 …とりあえず、生まれついての盲目っていうのは嘘じゃないかと思ってる。

 実は都合のいい時に見えたり見えなかったりしてるんじゃないかとすら思う。

 …まあそんな事は今はどうでもいい。

 で、そのまま戦いが開始されるかと思った時、蒼傑の方から勝負方法の提案があった。

 

「貴様程の男とこのまま、ただ戦うのも興がない。

 貴様なら知っておろう。双条檄射(そうじょうげきしゃ)の名を……!!

 見事、受けてみせるか。」

 月光の返事を聞かぬうちに、蒼傑は何やら細い布のテープのようなものをどこからか取り出し、両方の手からそれを投げた。

 それは月光の足元まで転がり、2人の間に繋がる道のような形の2本の線を描く。

 

「どうする……!?

 本来ならば、これは弓術にあっての決闘法……。

 恐れをなし、それを理由に拒むのも、今なら貴様の自由だ。」

 今思いついたみたいな流れで言ったけど、そのテープの用意を見る限り、最初からやろうと思ってたよね!

 てゆーか、本来なら弓術のって言っちゃったよ!

 堂々と自分のステージで戦おうとしてるよこの人!

 

「この月光、いかなることあっても敵に背を見せたことはない。

 受けてたとう、双条檄射(そうじょうげきしゃ)……!!」

 そして月光!あっさり乗るな!!お前チョロいな!!

 

「お、教えてくれ雷電!!

 おまえなら知っているだろう、あの双条檄射(そうじょうげきしゃ)というのを──っ!!」

 集音マイクが自陣から、虎丸の声を拾う。

 雷電はとうとう我が男塾において、その扱いが生きた拳法辞典と化したらしい。

 

「ウム。まさかこの目で実際に見ようとは……!!」

 うわ本当に知ってた。雷電によれば、

 

 双条檄射(そうじょうげきしゃ)

 弓術における究極の決闘法。

 免許皆伝に挑戦する二人が互いに十本ずつの矢を持ち、射あって勝負をつける。

 その際、線外に逃げ出したりすれば勿論命を断たれ、両者の矢が尽き、決着のつかない場合には、二人とも自決せねばならぬという。

 即ちこれに臨む者、生か死か、ふたつにひとつ…!!

 

 との事。

 月光の纏劾狙振弾(てんがいそしんだん)を見た上でこの勝負を仕掛けてきた事で、かなりの自信なのだろうと桃と伊達が話しているが、いや騙されるなお前ら。

 いかに月光の対応範囲の広さが異常だからといって、蒼傑が自分のステージに月光を引っ張り込んでる事実は変わらないからな?

 

 ・・・

 

 改めて2本の線の内側で対峙する二人。

 月光の足元には、10個の鉄球が置かれている。

 

「言うまでもあるまいが、お互いに十本・十球以上の矢・鉄球を使用したり、この線の外に一歩でも足を踏み出せば、負けを認めたことになる。

 それはすなわち死……!!」

「委細承知!!」

「いくぞ!!」

 二人が同時に…否、一瞬早く仕掛けたのは蒼傑の方で、月光はそれに合わせて球を打ち出す。

 ふたつの軌跡はぶつかり合って互いの軌道を止め、それを確認するかしないかくらいのタイミングで、蒼傑は素早く矢筒から矢を引き抜いた。

 

「梁山泊闘弓術・三連貫!!」

 十本しかない矢を惜しげもなく、三本同時に放つ。

 

辵家(チャクけ)棍法(こんぽう)旋曲弾(せんきょくだん)!!」

 対して、それに合わせた月光が放ったのは、一球。

 それが一度大きく曲線を描いて回転し、蒼傑が放った三本を全て撃ち落とす。

 私はゴルフについてはほとんど知らないが、本来のゴルフならばフックボールはミスショットに分類されるものだったと思う。

 それを技として成立させてしまうのだから、改めてこの男の技量には感嘆せざるを得ない。

 

「味なマネを!だがこれはどうかな!」

 蒼傑は矢を二本つがえると、やはり先ほどと同様、一度に放つ。

 だがそれは、どのように見ても月光の両側を通り抜ける軌道で飛んできており、本来ならば躱す必要もないものだった。

 だが月光はそれを大きく真上に跳躍して躱す。

 二本の矢はそのまま闘場をはるか通り抜け、私たちのいるのと対岸の方に茂る木々の中に飛び込んで…二本の矢が通り抜けた間にあった太い木が、突然ばっさり切れて、倒れた。

 

「なるほど。

 二本の矢の間に刃鋼線を張っていたというわけですね。

 ホホッ、怖い怖い。よく見切ったものです。」

「あの男は盲目ゆえに、他の感覚が鋭敏なのだろう。

 月光は大威震八連制覇に於いて、敗れはしたがこの俺に肉薄した男。

 あの程度の小技などにかかってもらっては、こちらの面目も立たん。」

 いつの間にか私の両側を挟んだ男たちが、頭の上で会話している。

 くそ、私よりちょっと…いやかなりデカいからって。

 …いや気にするな、これは罠だ。

 ところでこんな時になんだがディーノのズボン問題、影慶が闘士たちの簡易休憩所に、用意されていた着替えを取ってきてくれて事なきを得た。

 ただ、そこへ遠回りして向かう途中、どうやら目を覚まして仲間達を追ってきた飛燕とうっかり鉢合わせそうになったらしく、先ほどのディーノとの変装談義はその報告を受けての事だ。

 それはさておき。

 

「どうやらおまえは、俺の考えていた以上の使い手のようだ。」

 それなりに自信があったのだろう技を見切られながらも、蒼傑が顔色も変えずに言う。

 

「感心している場合か。貴様の矢は残り四本…。」

「四本あれば充分……!!

 見せてやろう、梁山泊闘弓術の極奥義を…!!」

 言って蒼傑は四本のうちの三本を、上空に向けて放った。

 月光は耳を澄まし、上空から自身に向けて勢いを殺さず落ちてくる矢を、三本とも気配を見切って躱す。

 この程度の事、月光ならば容易い。

 ここまで相対した時間の中だけでも、蒼傑にそれが判らない筈はなかろう。

 だが、蒼傑の矢は残り一本。

 ほぼ勝負あったも同然だ。しかし、

 

「今の上空からの攻撃は、貴様との間合いを詰める為のもの……!!」

 蒼傑は弓に何やら尖った器具を取り付けると、それを地面に埋め込んで立て、更に残った一本の矢を、左右に引いて長く伸ばした。

 そうしてから最後の一本をつがえ、両腕で矢の長さいっぱいまで引きしぼる。

 

「無駄だ。

 いくら間合いを詰め、そうして矢の威力を増そうとも、わたしには通用せん。」

「梁山泊闘弓術の極奥義とは、そのような底の浅いものではない!」

 蒼傑が弓を引きしぼった両手を離し、遂に最後の一本が、弓弦から放たれた。

 

 瞬間。そこにいた誰もが、信じられないものを見ることとなった。

 弓弦から放たれる矢と、()()()()()()()、真っ直ぐ月光に向かって飛ぶ、大きな身体。

 それが空中で一回転して月光を飛び越え、背後にまわる。

 太い腕が月光の首をとらえ、その場に羽交い締めで固定する。

 それら全てが、一瞬にして行われて。

 

「見たか、梁山泊闘弓術極奥義・光陰跳背殺(こういんちょうはいさつ)!!」

 飛んでくる矢の前になすすべもなく晒された胸から、血が激しく飛沫を上げた。

 

「げっ、月光──っ!!」

 

 

 地上に立てた弓の反動を利用し、己自身の(たい)も同時に飛ばして、矢よりも早く敵の背後にまわりこむ。

 それぞ梁山泊闘弓術・光陰跳背殺。

 

「この極奥義の前に敵はおらん。相手が悪かったな。

 天に、我が身の不運を嘆くがいい。」

 胸に深々と矢が突き刺さった月光の身体を離し、そこから歩み去ろうとする蒼傑は、もはや勝者としての己を疑っていなかった。

 だがその背中に、月光の声がかかる。

 

「ま、まだだ…まだ勝負はついておらん。

 おのれの不運を嘆くのは貴様だ、蒼傑……!!」

 そう言って立ち上がり、胸の矢を力任せに引き抜く月光。

 

「貴様は十本の矢、全てを撃ち尽くしたが、まだわたしには八発の弾が残っている…。」

 どうやらこの双条檄射(そうじょうげきしゃ)の勝負を、最後まで続けるつもりのようだ。

 …というか、月光の見えない目には、己の勝利が未だ映っている。そんな気がする。

 

「どうやらほんの僅かに、急所を逸らしたようですね…。」

「ああ、そうでなくば矢を引き抜いた瞬間に失血死している。」

「三面拳は全員、己の肉体を不随意筋から血流に至るまで、自在に操る事が可能らしいですからね。

 月光君が心臓自体の位置をヒョイとずらしていたとしても、わたしは驚きませんよ。」

 …いや、それは驚こうか男爵ディーノ。

 残りの球を改めて足元に落とし、月光がスイングの構えを取る。

 だが急所を外したとはいえ、その傷は決して浅くはなく、恐らくは立っているのもやっとの状態であるはず。

 

『目を背けてはならぬ。

 ここに足を踏み入れた以上、貴様には見届ける義務がある。』

 そう言って肩を抱いた、月光の声と大きな手の温もりが、不意に思い出された。

 あれは大威震八連制覇の時、自分で傷ついていく虎丸を見ていられず思わず目を覆いかけた私に、月光がかけてくれた言葉だった。

 言葉の内容は厳しいが、あれは励ましだった。

 そして、私を仲間と認めてくれる言葉だった。

 …認めて、くれたのに。仲間なのに。

 今すぐ駆け寄って行ければ、そんな傷すぐに塞いであげられるのに。

 本当に、いない事になっている自分がもどかしい。

 

 と、不意に影慶に右手を取られ、指を絡めるように繋がれた。

 …なんかこの状況に覚えがある。

 それにディーノも気がついて、おや、という表情を浮かべ、それに言い訳をするように、影慶が口を開いた。

 

「…今のような、思いつめた表情でいる時の光は、たまに気をつけて見ておかぬと、自分の爪で掌を傷つけるほど、握りしめている時があるのだ。

 それをさせない為に、こうしている。」

「…おやまあ。では、反対側の手はわたしが。」

 そう言って空いている左手を、同じようにディーノに繋がれる。

 なんなんだこの状況。

 NASAに捕らえられた宇宙人か私は。

 …けど、これも励ましのひとつなんだろう。

 今の私は、仲間に恵まれすぎている。

 

 私がちょっと混乱している間に、月光は最初の一打を放つ。

 だがそれは蒼傑の弓の胴に弾かれた。

 

「この程度の弾では、俺の体に掠ることも出来はせん。」

 続けて二打…同時に三打。

 

「弾の直後に弾を隠しての二段撃ちか。

 本来の貴様の技量であれば完全なものであろうが、こうも弾に威力がなくては、楽に見切られ、なんの意味もない。」

 それもまた蒼傑は弓の胴を使って弾いてしまう。

 更に四打、五打目は、空中でぐるりと大きく弧を描く。

 

「今度は左右二方向からの旋曲弾か。

 だがこれも、先に俺の三連貫を一撃で落とした時の様なキレがまるでない。残りは、あと三発!」

 六打、七打目は真っ直ぐに蒼傑に向かって飛ぶ。

 それは待ち構えた弓の胴の手前で突然落ちると、地面に当たって跳ね返り、下から蒼傑を襲った。

 

「味なマネを。だが、これも俺には通用せん!!」

 それもまた弾き落とされ、残り一発を残した状態で、先の攻撃で使ったそれは全て、蒼傑の足元に転がっている。

 ………あれ?

 

「そうか、読めたぞ。月光の真の狙いが…!

 遂に見せるか……辵家(チャクけ)棍法術、その秘奥義を……!!」

 自陣の方から、雷電の呟く声が聞こえた。

 …やはりそうか。

 

「さあ、どうした。最後の一発を、早く撃て。

 結果は、やらずとも見えているがな。」

「準備はできた…己の足元を見るがよい。

 あれだけの勢いではじき返した弾が、全て貴様の足元を囲んで、落ちているのはおかしいと思わんか……!?

 そ、それはわたしが、弾の回転を殺し、そうなる様に撃ったからだ……!!

 …いくぞ!辵家(チャクけ)秘奥義・散寇流星弾(さんこうりゅうせいだん)!!」

 最後の一打は、先ほどまでとはまったく別の、力強いフォームから放たれる。それは滑るように地面スレスレに飛び、蒼傑の足元の鉄球をふたつ弾く。

 その弾かれた鉄球は更に別の鉄球を弾き、互いに反発を繰り返す事で威力を増して、最後にそれらが一斉に、蒼傑に向かって襲いかかった。

 

「残念だったな。」

 だがそれも、蒼傑の身体に当たったのは右腕に当たった一球のみで、それは防具に弾かれている。

 月光渾身の最後の秘奥義も、やはり傷が響いているのか、失敗に終わった…と、見ている誰もがそう思った。

 

「恐ろしい技よ。

 本来ならば全身の骨を打ち砕かれ、クラゲのようになっていただろうが、今の貴様では弾の威力がなく、狙いも狂い、俺は全くの無傷だ。

 …全ては、これで終わった。」

 約束通りとどめを刺すと言って、蒼傑は再び弓を地面に立てて、引きしぼる。

 

「二度も我が極奥義・光陰跳背殺にかかり、死んでいくことを名誉と思え!!」

 先ほどと同じように、矢が放たれると同時に飛んできた蒼傑が、背後から月光の首を極める。

 そして。

 

「うおっ!!」

 突然、月光の首をとらえている蒼傑の右腕が、防具が砕けると同時に、ありえない角度にひしゃげて曲がる。

 拘束が解かれた月光はその瞬間を逃さず、そこから跳躍して飛んでくる矢を躱した。

 矢の向かう先は、放った蒼傑自身の胸。

 

「気がつかなかったのか……。

 わたしの首を締め上げていたその右腕が、先程の一撃で打ち砕かれていたことに!!

 …そこが心臓の位置だ、蒼傑。」

 綺麗に着地して振り返りながら、月光は嬉しくもなさそうに告げた。

 

「その矢を引き抜く事はやめておいた方がいい。

 引き抜けば、伸縮機能をもたぬ心臓の横紋筋より多量の血を一挙に吹き出し、瞬時に絶命することになる。」

 立ち上がろうとしつつ、胸の矢に手をかける蒼傑に月光はそう促す。

 それはつまり、命は助けるから手当てを待てという事に他ならない。

 だが、どうやら蒼傑本人は、まだ諦めてはいないらしい。

 

「この蒼傑、このままでは終わらん……!!

 お、終わるわけにはいかんのだ……!!」

 そう言って、砕かれていない左手を前に突き出し、掌を広げて、拳を繰り出すような構えをとる。

 

「み、見事受けて見せるか、月光…!

 これが、お、俺の最後の秘技となろう……!!」

 それを聞いて、月光も無言で構えをとった。

 命懸けの挑戦に応じてしまうのは、闘う男の悪癖だと思う。

 要するに、情にほだされやすいって事だから。

 けど、それを好ましいと思ってしまう程度には、私もこいつらに毒されている気がする。

 

「これぞ梁山泊闘弓術、最終奥義!!」

 蒼傑の砕かれているはずの右手の指が、なにかを弾くような微かな動きを見せる。

 同時に月光が、目にも留まらぬ速さで根を回転させた。

 

辵家(チャクけ)棍法術奥義・扇蔽幕(せんぺいばく)!!」

 蒼傑の目が驚いたように見開かれ、次にはそこに、諦めの色が浮かんだ。

 

「い、今のは一体どうしたっていうんじゃ!?」

「教えてくれ雷電!!おまえならわかるだろう!」

「そ、そうか。今のが世に聞く指撥透弾(しはつとうだん)…!!」

 富樫と虎丸の問いに雷電が答える。

 本当になに聞いても答えてくれるんだな雷電!

 

 指撥透弾(しはつとうだん)

 5本の指を弓に見立て、目に見えぬほど細い、羊の腸で作られた糸を弦とし、これもまた目に見えぬ、鯨のヒゲから削り出した矢4本を同時に放つ。

 この技は暗殺術として最適の為、時の皇帝・貴人の前で、相手に向かって手を開く事は固く禁じられていた。

民明書房刊『中国宮廷儀礼典範』より

 

 …そういえば御前の書庫で豪毅と見つけた、童謡と中国拳法の関わりについて書かれた本に、マザーグースの『誰がこまどりを殺したか』は、古代中国の権力者が見えない矢で暗殺された事を歌ったものだという記述があった。

 あの本の内容は大体眉唾ものだと御前は言っていたが、本当にあったんだ、見えない矢。

 

「み、見事だ、月光……。

 しょせんこれも、貴様を相手には悪あがきに過ぎなかったようだな。」

「いや、ただわたしの運がよかっただけのこと…!!

 本来ならば、今の技は完全に無音のはず……。

 だが、貴様の手についた血の為、矢が放たれた時、微かに弦の音がした。」

 やはり月光の聴覚は並外れているらしい。

 

「気休めはよせ。

 その小さな隙までもを見逃さなかった、貴様が俺よりも一枚上手だったということよ。

 …俺の負けだ、月光……!!」

 蒼傑は自らの負けを認めると、胸に刺さった矢に手をかける。

 決着の始末を、己が命でつけようというのか。

 だが月光はそれを許さず、咄嗟に足元に転がっていた鉄球を撃つ。

 それは蒼傑の腕の間を通り抜け、彼が掴んだ矢をぽっきり折った。

 そうしてから月光は蒼傑に歩み寄り、その顔前に棍を構える。

 とどめを刺されるものと覚悟を決めて目を閉じた蒼傑に、動くなと一声かけて、月光は棍で彼の胸を突いた。

 

辵家(チャクけ)奥義・纒欬針点(てんがいしんてん)!!」

 その正確無比な一撃が蒼傑の身体を貫き…背中から、突き刺さっていた矢が、抜け落ちた。

 

「横紋筋が開くよりも早く、矢を打ち抜いた。

 これで、これ以上出血する事はない。」

 月光はどこからかサラシを取り出すと、男塾仕様の包帯止血法を蒼傑に施す。

 

「き、貴様…なんのマネだ、これは……!?」

「いい勝負だった。

 つまらん意地で、助かる命を落とす事はない。

 …しばらくそのまま動かん事だ。」

 そう言った月光は、微笑んでいた。

 

「…貴様のような男に会ったのは初めてだ……!!

 俺は腕だけでなく、すべてにおいて負けていた……!!」

 そこには、闘いを通じて生まれた友情が、確かにあった。

 

 ☆☆☆

 

 月光が自陣へと戻り、仲間たちの手当てを受けている間に、蒼傑も仲間たちに闘場から引き上げられていった。

 

「武術で、命が救えるんですね…。」

 ふと、思った事が口をついて出ただけだが、私の言葉に、男2人が目を瞠った。ん?なに?

 

「ここにいる中の誰よりも、多くの命を救ってきた奴が何を言う。」

 影慶がそう言って薄く笑ったのを、ディーノがまた、珍しいものを見たような目で見つめていた。

 …けど恐らくはここにいる誰より、多くの命を奪ってきたのも、私だと思うのだけど。

 人を殺せる技で、人の命を救った月光と、人の命を救う為の技で、人を殺してきた私。

 似ているようで、やはり違う。

 こんな私を、それでも仲間と思ってくれる彼らに、これ以上何をすれば、報いる事ができるんだろう。

 与えられたものが、この小さな身にはあまりにも大きすぎる。

 

 ・・・

 

 次の闘いを始めるべく、梁山泊の陣から縄ばしごを渡り、2人が闘場へと降りていくのが見えた。

 背が高めの男と、小男。

 どうやら次の闘いは、タッグ戦となるようだ。

 ていうか別にそんな決まりはなく、1人対大勢だろうと2人に対して1人だろうと、それはそれで構わないわけだが、なんとなく塾生(うちのこ)たちの中では、そういうルールになっていそうだ。

 

「ぬうっ……あ、あ奴等は……!!」

 と、そんな中で突然卍丸が、その男たちを見て呻くように呟く声が聞こえた。

 

「卍丸先輩。

 知っているのですか、奴等を…!?」

 桃の問いかけに、卍丸は何か言いかけるも、それは言葉にならずマスクの下に消える。

 その間に、タッグマッチなら自分たちの出番と富樫と虎丸が盛り上がり、虎丸が喜び勇んで、縄ばしごを半ばほどまで駆け降りたところで、相棒がついてきていないことに気づいたのだろう、訝しげに後ろを振り返った。

 …一部始終を見ていたにもかかわらず、正直、自分の見たものが、私には信じられなかった。

 飛び出すのが遅れた富樫が、一瞬にして卍丸の手によって捕獲され、声を出す間も無く縛り上げられたのだから。

 

「卍丸様は、オモテの仕事の方では優秀なボディガードであると同時に、犯人確保の実績がトップクラスなのですよ。

 あれは、あの方が考案された捕縛術の一端です。」

 まじか!……でも、なんで!?



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4・地獄が見えた、あの日から

梁山泊戦は、この話が一番書きたかったのです!
…けど、卍丸先輩がかっこよすぎて、書きながら原作を読み返す作業の最中に『はにゃん』となってしまう事の繰り返しで、執筆が滞ってました。
しかも自分がそんな状態である事にしばらく気づきませんでした。
フッ、男塾死天王がひとり卍丸、罪な男よ……!!


「あの外道どもは、この俺がこの手で葬る!!」

 私の中では天動宮の良心ともいうべき男が、ここからでも判るくらいに怒りを全身に漲らせて、闘場への縄ばしごを降りていった。

 大して幅もないそこを途中で追い抜かされた虎丸は、困惑顔でそれについて行くしかない。

 卍丸は次の対戦相手のふたりを見知っているようだが、その様子をうかがう限り、決して昔の知人などという穏やかな関係ではなさそうだ。

 

「男塾死天王のひとり、卍丸…!!謎の多い男よ…!」

 息を呑むように桃が独りごちるのが聞こえたが……いや、おまえが言うな。

 

 …ところで、影慶は何やら『準備をしてくる』と言ってどこかへ行ってしまい、この場には私と男爵ディーノが二人で残された。

 

「準備って…何をする気なんでしょう?」

「フフフ、それは後ほどのお楽しみですよ。

 …それにしても、影慶様があれほどノリのいい方だとは、わたしも思いませんでした。」

「…は?」

 

 ・・・

 

「貴様等外道のうす汚ねえ名など、今更聞く必要はない。

 この世で最凶の邪拳、瞑獄槃家(めいごくはんけ)の使い手、頭傑(とうけつ)體傑(たいけつ)!!」

 名乗りを上げようとした相手側の闘士ふたりを、卍丸が遮ってその名を挙げた。

 

「知っておるのか、わしらの名を。

 だがわしらには貴様の顔も名も、とんと思い出す事はできん。

 もっともわしらを恨んでいる者は、星の数ほど多い…それをいちいち覚えていては身がもたんからのう。」

 背の高い長髪の男の肩に乗った小男が、厭な薄笑いを浮かべて言う。

 

「それは今、この拳が思い出させてくれよう。

 貴様等を捜し、倒すために、今日まで俺は生きてきたのだ。」

 卍丸は割と斜に構えたやつが多い男塾の中では、感情を隠さないタイプだと思う。

 それでも彼がここまで、怒りをあらわにしている姿を見るのは初めてだ。

 

「凄まじいばかりの殺気よ。

 よほどわしらは恨まれているらしい。

 では、その恨みを晴らすのにうってつけの、勝負の舞台をわしらから用意してやろう。

 古来、拳の世界において先達たちは、2対2の遺恨試合のために、恐るべき決闘法を考案した。

 その名も冠硫双刻闘(かんりゅうそうこくとう)!!」

 言って小男が背の高い方に指示を出す。

 どうやら立場は小さい方が上らしい。

 指示を出された方は闘場に柱を立てると、その上にガラス製の容器を取り付ける。

 更に同じものを、離れた場所にもう一本。

 てゆーか、結局また相手の言う通りの勝負とか、なんなのこの人たちは。

 

「これで準備は整った。

 では、この冠硫双刻闘(かんりゅうそうこくとう)の作法を説明しておこう。

 この柱の中央についたガラス容器は、砂時計ならぬ水時計となっている。

 つまり液は少しずつ下に流れ落ち、正確に3分すると上は空になり、下部の容器は満たされる。

 ただ、この水時計がほかと少し違うのは、中に水の代わりに極硫酸が入っており、3分経って下に液が満たされた時、その重量で底が抜ける構造になっていることだ。

 お互いどちらか一人は柱についている錠で、その容器の下に固定され、人質となる。

 一方、闘者は常に人質に注意しながら闘わなければならない。

 人質の頭上の容器は、3分間が経つと底が抜け、極硫酸を全身に浴び即死ということになるからだ。

 それを防ぐにはこうすればいい。」

 小男は頭上のガラス容器に手を伸ばすと、上下をくるりと回転させる。

 なるほど、これでまた3分は時間が稼げるということか。

 

「…光君、キミ今、チベットスナギツネみたいな顔になっていますよ。」

 男爵ディーノが横から私の顔を覗き込んで、そんな事を言う。

 チベットスナギツネがどんなのか知らないが、失礼な事を言われているのは何となくわかった。

 まあ、そんなことより。

 

「さあどうする、受ける勇気はあるか?

 無理にとは言わん。

 嫌なら普通に戦っても良いのだぞ。」

「あったりめえだ馬鹿野郎!!

 だれがそんなのにのるかってんだ──っ!」

 虎丸…私は今おまえを心から尊敬している。

 NOと言える勇気、大切です。

 ただ悲しむべきは男塾(ウチ)には多分、その勇気を示せる奴がおまえ以外にいない。

 そして少数派であるが故の弱さで、その勇気が空気読めないと解釈される理不尽。

 虎丸は空気読めない子じゃないから!

 むしろこのメンバーの中じゃトップクラスに読めるタイプだから!

 読めるが故に敢えて読まない時もあるみたいだけどね。

 

「よかろう、その勝負受けてたとう!!」

 そんな断る方向に全力前進だった虎丸を制して、卍丸が勝手に了承する。

 ほらな、やっぱりそうなると思ってたわ。

 

「冗談じゃねえぞ卍丸!

 どうせ俺が柱にくくりつけられる役じゃろが──っ!!

 大体、何があったか知らねえが、奴等との因縁とやらも、俺に一言も教えねえで命を預けろってのか──っ!!」

 そう。虎丸は馬鹿じゃない。

 彼を誤魔化したまま命を賭けさせようなんて無理に決まっているし、虎丸には聞く権利がある。

 それが卍丸にも判ったのだろう、奴等への殺気を消さぬまま、その因縁をようやく語り始めた。

 …魍魎拳の宗主のもとで修行していた、まだ少年とも呼べる年齢だった頃の卍丸が、奴等と出会ったのは7年前のこと。

 

「一手、勝負を所望する!」

 そう言って乗り込んできた2人を、師は一度は帰れと促したが、2人は強引に挑んできた。

 その2人がかりの攻撃を苦もなく捌く師に、敵わぬと悟った彼らは卍丸を人質に取り、無抵抗の師をその手にかけたのだという。

 仇を取ろうと無策に襲いかかるも返り討ちにあい、谷に投げ落とされた卍丸は奇跡的に命を拾った。

 その後、更なる修業を重ね、最後に百人毒凶に挑んでそれを極め、“拳聖”の称号を与えられた卍丸のモチベーションは、彼ら2人を倒し師の復讐を遂げる事にあったのだ。

 

「……って、あいつら聞いてませんね。」

 大きい方は欠伸してて、小さい方に至っては鼻ほじりながら、何事か指示を出してるぽい。

 

「まあ、いいんじゃないですか。

 卍丸様が本気な事はすぐに奴等にもわかる事です。」

 ともあれ、一通り話を聞いた後の虎丸の行動は早かった。

 

「ちくしょう、えれえ貧乏クジをひいちまったぜ。

 俺はいつもこういう役まわりだ。」

 ぶつぶつ言って不満げな表情を浮かべながらも柱の下に胡座をかき、自分から枷を手首にはめたのだ。

 

「そのかわり必ず、あの外道たちを倒せ……!!

 命は、おめえに預けたぜ。」

「……礼を言うぞ、虎丸!!」

 覚悟を決めた目で見上げた虎丸に背を向けて、卍丸は仇と対峙した。

 

「卍丸様ならば、虎丸をそんな目にあわせるような事はないでしょうが、万が一の時の為に、いつでも投げられるよう煙玉を用意しておきましょう。

 その隙に身柄を回収して、あなたに治療していただければ助けられるでしょう?」

「そんなに素早く闘場まで移動できますか?

 硫酸の濃度が濃いようですし、助けるにはスピード勝負になります。

 あと、手に付けられている錠も外さないと。」

「外す必要はありません。

 これで、鎖を切ってしまえば済む話です。

 あちらに移動する方法もございますので、どうぞご安心を。」

 ディーノが手にしたカードを指先でヒラヒラさせながら、悪そうな笑みを浮かべた。

 

「用心するがいい體傑。

 奴には並々ならぬものを感じる。」

 小さい方が言いながら、同じようにして柱の下に腰を落とした。

 大きい方を彼が體傑と呼んだということは、この小さいほうが頭傑ということか。

 

「見せてやろう、瞑獄槃家(めいごくはんけ)秘技の数かず…!!

 この指が、奴の血を吸いたがっている。」

 さっきからやたらとお喋りな頭傑とは逆に無口だった體傑が、初めて言葉を発する。

 構えを見る限りどうやら指拳の使い手らしい。

 だがそれは卍丸も同様だ。

 

「来るがいい、地獄への扉を開くのだ、體傑!!」

 大威震八連制覇において、王先生が『凶器そのもの』と評した指拳の構えを、卍丸も取った。

 それに體傑が僅かに反応する。

 

「その構え…どこかで拳をあわせた記憶がある。」

 おまえ、さっきの卍丸の話聞いてなかったもんな!

 

「思い出させてやろう。

 貴様の命とひきかえにな…!!」

 そのやり取りを皮切りに、2人が同時に間合いに踏み込む。

 目にも留まらぬ拳が交差し、同じタイミングで間合いを離す。

 次の瞬間、體傑は肩の、卍丸は右腕の防具を、互いに砕かれていた。

 

「なるほどな…少しは使えるようだ。

 だが貴様にこれが受けられるか!!

 瞑獄槃家奥義・千掌舞(せんしょうぶ)!!」

 再び飛び込んできた體傑が、無数の突きを繰り出してくる。しかし、

 

「ホッホッホ、卍丸様にスピードで挑むなど、なんと愚かな。」

「デスヨネー。」

 ディーノの言葉に、私も頷く。

 

「笑わせるな、それが奥義だと!!」

 そしてディーノの予想通り、卍丸は體傑の指拳をあっさり見切ると、それをVサインのように出した二本の指で挟んで止めた。

 體傑の目が驚愕に見開かれる。

 師を殺された当時は確かにまだ未熟だったのだろうが、今はどう見てもこの體傑より卍丸の方が強い。

 以前桃に貸してもらった漫画の主人公の台詞を真似れば、

 

『俺を変えたのは執念!』

 とでもいったところだろうか。

 …ところで桃は、この主人公が私に似ていると言って貸してくれたのだが、桃の目には私があの主人公のようなムキムキマッチョに見えているという事なのか。

 い、いやそんな事はどうでもいい。

 

「わかるか、俺のこの七年間の怒りと悲しみが。」

 更に、挟んだままその指に力を込めると、挟まれた體傑の中指が、千切れて落ちる。

 そこに間髪いれず卍丸が攻撃を加えるもそれは躱され、體傑は卍丸から一旦間合いを離した。

 

「来い……!!地獄を見るのはこれからだ。」

 足元に落ちた體傑の指を踏みにじりながら、卍丸が挑発する。

 

「なめたマネを──っ!!

 この程度のことは俺にとって、どうということはない!!」

 どうやら一気に頭に血が上ったらしい體傑が、彼らにしてみれば生意気な若造程度であるはずの卍丸のその挑発にまんまと乗せられて、無策に突進して拳を繰り出す。

 だが卍丸は、霧の中なら十分身できる男なのだ。

 神業ともいえるその卍丸のスピードについていけず、體傑の拳が掠るのは残像のみ。

 あっさりと背後を取られ、その背に手刀を突きつけられて、體傑は明らかに怯んだ。

 

「俺の師は、こうして貴様の指拳で背後より貫かれ、無惨に殺された。

 どうだ、思い出したか。あの日のことを……!!」

 自身が何故殺されるのか教えてやろうというせめてもの情けなのか、卍丸が體傑の耳にその罪を囁く。

 

「そ、そうか。貴様、あの時のガキ……!!」

「フッフッフ、なるほどな。

 確か裏山の谷へ落として殺したはずの、魍魎拳・(げん) 訕嶺(せんれい)の門弟か……!!」

 背後を取られ死の恐怖をリアルタイムで味わっている體傑とは対照的に、頭傑は落ち着き払って情報を整理している。

 そして、虎丸は。

 

「すげえぜ卍丸!早くも勝負あった──っ!!」

 …足で拍手(言葉のチョイスに違和感)している。

 だが、時間はすぐそこまで迫っていた。

 虎丸の頭上の水時計の、底の部分が膨れ始めたのだ。

 

「ま、卍丸〜〜っ!!こ、こ、これ〜〜っ!」

 虎丸の声に卍丸が駆けつけ、素早く水時計をひっくり返す。

 その間に、卍丸の手が離れた體傑もまた、頭傑の水時計をひっくり返していた。

 

「こりゃあ、虎丸の根性なしが──っ!!

 なんで我慢しねえ───っ!

 おまえが騒がなければあとひと息で、體傑の野郎を倒すことが出来たというのに──っ!!」

 自陣から富樫が叫んでいるが…地味にヒドイ。

 

「ふ、ふざけるんじゃねえ、人ごとだと思ってーっ!!

 俺に極硫酸、頭からかぶって死ねっていうのか──っ!!」

 それに虎丸が言い返している間に體傑が、また妙なものを用意し始める。

 それは、先に球がついた棒のようなもので、それの反対側の端を、腹部の防具にはめ込んでいるようだ。

 

「そうじゃ、それを最初(ハナ)から使えばよかったのだ、體傑。

 奴の凄まじいわしらへの執念と気迫に、対するにはそれしかあるまいて。」

 …どうでもいいがこの小さいオッサンの余裕がどうも気になる。

 しかし考える間もなく、體傑の戦闘準備が整ったようで、體傑はその棒を支えに、両腕を広げて地面と平行になる体勢を取った。

 …申し訳ないが、絵面は若干マヌケだと思う。

 

「瞑獄槃家秘奥義・奔睫旋裂球(ほんしょうせんれつきゅう)!!」

 だが體傑はそのマヌケな体勢から勢いをつけると、凄まじい勢いでコマのように回転し始めた。

 両手を広げた状態なので、手刀が回転しているように見える。

 その回転速度がどんどん速くなり、力が充分にのったと思われた頃、それは卍丸と虎丸のいる方向に突っ込んできた。

 その動きを止める事は不可能と見るや、卍丸はその軸を蹴って移動方向をずらす。

 これで動けない虎丸が直撃を受ける事態は一先ず避けられたが、體傑の回転はますます速くなっていくようだ。

 

「旋裂球、またの名を殺人ゴマ。

 この回転力より生まれる素早い移動攻撃から逃げられはせん。」

 今度は卍丸に的をしぼって突進してくるそれを、体術を駆使して躱す。

 だが完全に躱しきれなかったと見え、掠った背中から血が飛沫(しぶ)いた。

 

「今度こそ、貴様の師匠のもとに送ってやろう。」

 言いながら再び向かってくるそれに、卍丸は…、

 

「魍魎拳奥義・龔髪斧(きょうはつふ)無限還(むげんかん)!!」

 髪の中に仕込んでいた刃のブーメランを、両手の指先で挟んで投げ放った。

 あれは、まるで……い、いや止そう。

 あーうん、影慶から聞いてはいたんだよね。

 予選リーグの、確か淤凛葡繻(オリンポス)というチームと戦った時、卍丸が髪の中に武器を隠してたって話は。

 ただ、実際に見てはいないし、ラジオ放送はダイジェストだったしで、実際にどんなものかは、今初めて知った。

 以前天動宮で、『俺はヘアスタイルにはこだわりがある』とか言って絶対に触らせてくれなかったのだが、今思えばヘアスタイルがどうこういう話ではなく、単に危ないからだったんじゃないだろうか。

 だがそれはさておき、卍丸が放ったそれを躱すために一旦體傑の動きが止まり、戻ってくるそれも余裕で躱される。

 

「俺には通用せん!!今度こそ真っ二つにしてやる!!」

 しかし、完全に躱し切ったはずのそれは再び戻ってきた。

 體傑の腹部を支えている棒に当たってそれを折る。

 體傑は無様に地に落ちはしなかったが、その目は驚きに見開かれていた。

 

「驚いた技よ。

 まさかブーメランが一往復半もするとはな。」

「貴様に殺された我が師の形見だ……。

 だが、貴様はひとつ勘違いをしている。

 奥義・龔髪斧(きょうはつふ)無限還(むげんかん)……。

 それは獲物をとらえるまで、何度でも往復する!!」

 卍丸の言葉を聞いて、振り返る暇もなく、龔髪斧(きょうはつふ)は次の瞬間、體傑の背に深々と突き刺さっていた。

 

「ウワッハハ、すげえぜ卍丸〜っ!!

 ウルト◯セブンもまっ青の神技だ〜〜っ!!」

 やめろ虎丸!

 私が敢えて言うのを避けたのに、そこに言及するんじゃない!!



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5・揺るぎのない気高さを

 絶叫して倒れ込んだ體傑(たいけつ)に、卍丸が歩み寄る。

 背の傷の深さは致命傷に近いものであり、立ち上がる事のできない體傑は、それでも這って卍丸から逃れようとするも、それは無駄なあがきに過ぎない。

 卍丸は足元に這いつくばる體傑を見下ろすと、何を思ったか突き刺さっている龔髪斧(きょうはつふ)に手をかけた。

 

「何をしている卍丸!!

 さっさとそいつにとどめを刺しちまえ──っ!

 そうすりゃ残る頭傑の野郎は、放っておいても極硫酸を頭からかぶって死んじまうんだ──っ!!」

 外道たちには相応しい死だと呼びかける虎丸の言葉に、卍丸は一瞬だけ目をそちらに向けた。

 だがすぐに視線を體傑の方に戻すと、背に突き刺さる龔髪斧(きょうはつふ)を、力任せに引き抜く。

 

「虎丸、まだおまえはわかっておらんようだな。

 こやつらが自ら身を危険にさらし、冠硫双刻闘(かんりゅうそうこくとう)の勝負などを、正々堂々と挑んでくる輩だと思うか。」

 どういうことだと問う虎丸に答えるように、卍丸は引き抜いた龔髪斧(きょうはつふ)を、拘束されている頭傑の方に投げる。

 それは頭傑の頭上のガラス容器を割って、それと同時に頭傑は、その小さな身体で空中に飛んだ。

 龔髪斧(きょうはつふ)が卍丸の手に戻るのと、頭傑が綺麗に着地するのとが、同時だった。

 

「フッ、気づいておったか。

 わしの手錠が、いつでも脱出できる仕掛けになっており、しかも頭上の容器の中身は水だということを。」

「なんだと!てめえ、汚ねえマネしやがって!!

 俺には、どうあがいたって外せねえこんな頑丈な手錠しやがってよ──っ!!」

 ぬけぬけと言ってのける頭傑に、虎丸が憤慨の声を上げる。

 なるほど、こいつのさっきからの余裕はそれだったか。

 

「貴様のような者の考える事はよくわかる。」

 いや、それがわかってて虎丸を人質にしたっていうなら、卍丸も地味にヒドイと思うんだが。

 その卍丸は龔髪斧(きょうはつふ)を髪に戻して、あまつさえ呑気に櫛なんか使って髪を整えているが。

 

「さあ来るがいい、頭傑。今度は貴様の番だ!!」

「七年の歳月は腕ばかりでなく、口の方も達者にしたようじゃのう。

 だがわしを、そこに醜態をさらす體傑と、一緒にしない方がいい。」

 頭傑はそう言って、服の背中から、何やら二本の刀のようなものを引き出…って!

 

「その収納は明らかに物理法則を無視しとるわッ!!」

 これまで何度となく『どっから出した』のツッコミを脳内で止めてきた私が、思わず叫んでしまうくらいの無理っぷりだ。

 隣で男爵ディーノがちょっと驚いた顔をしたが、次には目を逸らして多分見なかったふりをされた。

 しかしその一瞬前に合った目が、なにか残念なものを見るような色を帯びていたのが、ちょっとだけ私の心にささくれを生じさせたがそれはさておき。

 勿論ここでの私の叫びが届く筈もなく、頭傑はその二本の刀をなぜか地面に突き立てると、一旦跳躍してその上に乗る。

 一瞬、P・S(ファラオ・スフィンクス)戦で桃が使ったのと同じ技!?と思ったが、よく見ると頭傑が足を置いている部分はサンダルのような形になっており…つまり頭傑はそれを「履いて」いるわけだ。

 

「見せてやろう、瞑獄槃家(めいごくはんけ)奥義・薙笙斬脚(ていしょうざんきゃく)!!」

 頭傑は片方の足を支点にしてもう片方の足の刃を、回転させるようにして振り回す。

 やってる事はさっきの體傑と変わらないかもしれない。

 というか動きは體傑の方が速いと見え、卍丸の体術はなんの苦もなくその攻撃を躱す。

 

「無駄だ。

 その程度のことでは俺を倒す事は出来ん。

 それとも、チビが少しでも背が高くなるため、そんなものに乗っかってるのか!!」

「なんとでも言うがよい。

 今のはいわば、身体をほぐすための準備運動。

 奥義・薙笙斬脚(ていしょうざんきゃく)の真骨頂はここからにある。」

 そう言って頭傑は、バネのついた兜のようなものを、『多分』ズボンの中から取り出して、それを被った。

 

「そのある種の悟りを開いたような目から推測するにキミ、完全につっこむの諦めましたね。」

 隣からそんな言葉がかけられるが…言うな。

 それはともかく、妙ないでたちになった頭傑の姿に虎丸がバカ笑いしているが、

 

「ぬうっ…まさか、あれは……!!」

「ど、どうした雷電。知っているのか!?」

 と自陣では何やら生きた拳法辞典の解説が始まろうとしているらしい。

 闘場では頭傑が一旦跳躍したかと思うと、頭を下にして落下し、頭につけたバネを使って、更に上空高く飛び上がった。

 落下しながら足に履いた刃を、さっきと同じように回転させ、それで卍丸に襲いかかる。

 

「ワッハハハ!見たか、これぞ奥義・薙笙斬脚(ていしょうざんきゃく)、真の恐ろしさ!!

 貴様に空中から繰り出される、この素早い攻撃が受けられるか〜〜っ!!」

 スピードというよりは変幻自在の動きに撹乱されるようで、さすがの卍丸が攻めあぐねている。

 

「やはり、奴が頭につけたのは、中国拳法でいう跳蚤器(ちょうそうき)……!!」

 雷電が低い声で呟くのが聞こえた。

 

 跳蚤器(ちょうそうき)

 中国歴史史上のなみいる英雄・豪傑の中でも勇名をはせた、東門慶将軍が発明したとされる。

 東門慶将軍は背が低かったがそれを補うため、頭上からの攻撃の有利さと敏捷性を得られるこの跳蚤器を考案し、大いなる戦果をあげた。

 当然のことながらこの跳蚤器を自在に使うには、強靭な筋力と卓越した均衡感覚が必要である。

民明書房刊『中国武具ーその創造と継承』より

 

 あと、強靭な三半規管と頚椎な。

 ちょっとでもバランス崩したら首の骨折るわ。

 良い子は真似しちゃいけません、光お姉さんとの約束だよ!

 それはさておき、跳蚤器(ちょうそうき)薙笙斬脚(ていしょうざんきゃく)は確かに相性がいいようで、その凄まじい攻撃は、卍丸の体術をもってしても、浅い傷を負わされ、あまつさえ弾丸すら弾く筈の鋼胴防の胸元が砕かれる。

 

「確かに貴様は強くなった。

 しかし所詮、実戦に実戦を重ねた我が殺人拳の敵ではなかったのだ!!」

 実戦に実戦を…ね。

 確かに普通の道場破りは、勝負した相手を殺したりしないよな。

 どうやらここに、私以上に手の汚れてる奴らがいたようだ。

 殺した人数はどうだか知らないが、内容的には、確実に。

 そろそろとどめを刺すつもりだろう、頭傑がそれまでとは比較にならないスピードで卍丸に向かっていき、それを正確に目で捉えている卍丸が、またも龔髪斧(きょうはつふ)を髪から引き出して投げる。

 

「これは一度だけの必殺技!!

 その正体がわかっている今、このわしに通用すると思っているのか!」

 だが頭傑は空中で身体を捻った程度で躱し、戻ってくるだろうそれを迎撃しようと、着地点で構えを取って待つ。

 …それは、戻っては来なかった。

 例の無限還(むげんかん)ならば、何度でも戻ってくる筈なのに。

 失敗か、と恐らく誰もが思った事を、虎丸が声に出して呟く。と、

 

「う、動くな卍丸!!七年前の再現だ!!」

 もはや呼吸すら整わぬ瀕死の状態で、倒れていた筈の體傑が、虎丸の首に刃物を突きつけた。

 

「ぐくっ、て、てめえ……!!」

「頭傑、そいつはこれで抵抗できん!

 な、なぶり殺しにして俺の屈辱を晴らしてくれ!!」

 …確かにそこから、卍丸は動かなかった。

 むしろ今、彼は動く必要などなかった。

 

「奥義・龔髪斧(きょうはつふ)大旋曲(だいせんきょく)!!」

 状況を理解して頭傑が、體傑に向かって伏せろと叫んだが、もう遅い。

 

「はへえ──っ!!」

 大きく弧を描いて戻ってきた龔髪斧(きょうはつふ)に、後頭部から胸までもを真っ二つに断ち割られた體傑は、奇妙な悲鳴を上げて今度こそ倒れた。

 手元に戻ってきたそれを余裕の(てい)で、卍丸は2本の指で受け止める。

 

「言ったはずだ……!!

 貴様等外道の考えることはよくわかるとな……!

 これでゆっくりと貴様を地獄へ送れる、頭傑…!!」

 一方、人質に取られていた虎丸は、目の前のあまりに凄惨な光景に泡を吹いている。

 まあ、いくら自分を殺そうとしていた相手とはいえ、頭部から真っ二つにされた死体が自分の間近に転がってるとか、確かに刺激は強いよな。

 この話だけ15禁タグつけた方がいいかもしれない。

 ん?今なんか異次元の思考が入ってこなかったか?

 まあいいやそんなことより。

 

「先ほど申し上げました通り、卍丸様は犯人確保の実績がトップクラスなのですが、それは捕縛術といった技術的な事も勿論ありますが、何より一定状況に於ける犯人の行動を読む事に長けている方なのですよ。

 今のも、この状況になればああ動くだろうと予測して、先に手を打っておいたのでしょうね。

 ホッホッホ、恐ろしい方です。」

 なるほど。

 體傑が虎丸を人質にする事を想定して、先に龔髪斧(きょうはつふ)を投げていたらしい。

 ひょっとして卍丸があのマスクを着けているのは、自分が判るが故の、表情という情報を相手に与えない為の手段なのかもしれない。

 大威震八連制覇の後、治療の為に天動宮へ通っていた時、何度か卍丸の喫煙中の顔を見たが、富樫と似たようなチョビ髭は余計だったが唇の形がちょっとセクシーで、色々勿体無いと思っていたのだがそんな事は今はどうでもいい。

 

「悲しむことはない、すぐに地獄で会える。

 貴様も最期だ、頭傑……!!」

 相棒の呆気ない最期に呆然とする頭傑に、卍丸が気迫を込めて言い放った。

 

 ところで虎丸の頭上の水時計だが、結構な量が溜まっていた筈なのに、今見たらまだまだ余裕のある感じに戻っていた。

 どうやら先ほど體傑が彼を人質にした際、底が抜けて間違って自分に液体がかからないように回していたものらしい。

 

「フフッ、ぬかせ!!俺を地獄へ送るだと……!?

 そんなセリフは、この奥義・薙笙斬脚(ていしょうざんきゃく)を破ってからにするがいい。」

 自失の状態からようやく脱した頭傑が再び、頭のバネで跳躍する。

 

「無駄だ……そんな児戯にも等しい技が、いつまでも俺に通用すると思うのか。

 奥義・龔髪斧(きょうはつふ)襲尟界(しゅうせんかい)!!」

 卍丸は手にしたままだった龔髪斧(きょうはつふ)を手から直接投げ放った。

 それは攻撃に入ろうとした頭傑の脇を抜けて、その周囲を囲い込むように回転し始める。

 

「これでは迂闊に跳ぶことは出来……はっ!!」

 その龔髪斧(きょうはつふ)に頭傑が気を取られた一瞬、卍丸は上空高く跳躍、頭傑の頭上から手刀を打ち下ろす。

 次の瞬間、2人は互いに間合いを取り直していた。

 卍丸が構えと同時に、飛んでいる龔髪斧(きょうはつふ)を受け止める。

 失敗かと虎丸が悔しがるが、卍丸はまたも余裕の(てい)で髪を直している。

 ヘアスタイルにこだわりがあるというのはまんざら嘘でもないのかもしれない。

 …なんか、戦いの最中に桃がハチマキを締め直していた姿を思い出した。

 男とは多分、本人にしかわかり得ないこだわりを個々に持つ生き物なのだろう。

 私がそんな事を思っている間に頭傑が飛び上がって、先ほどまで彼が繋がれていた柱の上に、刃のサンダルを履いたまま器用に乗る。

 

「貴様の力には計り知れんものがある。

 これ以上闘いを長引かせることは、わしに不利のようだ。

 ならばこの薙笙斬脚(ていしょうざんきゃく)、最大の威力にして貴様を討つまで。」

 どうやらあの高さから飛んで、バネの威力を最大限に使うつもりであるようだが…。

 

「おやおや、どうやら気がついていないようですねぇ。」

「ええ、これ形の上では思いっきり自滅ですね。」

 私とディーノが頷き合っている事など当然知るはずもなく、頭傑が柱の上から飛び上がる。

 

「これが貴様に受けられるか!

 これがこの勝負、最後の攻撃だ───っ!!」

 頭を下にして物凄いスピードで落下してくる頭傑に、卍丸が指差しながら言い放った。

 

「そうだ。

 それが最後の攻撃となる…貴様にとってな!!」

 瞬間、頭傑の頭の跳蚤器(ちょうそうき)が、破裂するように砕け散る。

 

「な、なに──っ!!うおおお──っ!!

 お、俺の跳蚤器(ちょうそうき)が───っ!」

 頭から落下する頭傑の、その落下速度を受け止めるものは、もはや自身の頭部しかない。

 

「ぎゃがっ!!」

 打ち付けた頭部をほぼ地面にめり込ませ、悲鳴をあげる頭傑の周囲に、血飛沫が舞った。

 

「やはり最期だったな、頭傑。」

 

 

「し、しかし何故、頭傑の頭のバネは、落下の途中でバラバラに砕けたんじゃ──っ!?」

「フッ、気づかなかったか……?

 卍丸が龔髪斧(きょうはつふ)襲尟界(しゅうせんかい)を仕掛け、頭上からの一撃を放った時、奴の指拳で既に跳蚤器(ちょうそうき)は砕かれていたのだ。

 頭傑のあの素早い動きを封じるには、あれしかあるまい。」

 富樫の問いに、桃の声が答えている。

 どうやら桃も気づいていたらしい。

 あの手刀が打ち下ろされた際、明らかにガチッと金属音聞こえてたからね。

 赤石なら恐らく目視できていただろう。

 

「お、おまえの師匠を殺したことは、本当に申し訳なく思っている──っ!!

 だ、だから、命だけは……!!」

 言いながら頭傑が足元の石を、卍丸に向かって投げる。

 それを卍丸が頭だけ捻って避けたと同時に、頭傑は足から脱げた刃のサンダルを手に持って、虎丸に向かって走る。

 そのままポンと跳躍して、虎丸の頭上の容器の上に乗ると、手にした刃をかざしながら卍丸に向けて叫んだ。

 

「この容器を打ち砕けばこやつは極硫酸を浴びて即死だ──っ!

 こ、こやつの命が惜しければ、己の指拳で自らの命を絶つのじゃ──っ!!」

「いい加減にしてくれや、おっさん。」

 だが、それに答えたのは卍丸ではなく、虎丸の圧し殺した低い声だった。

 

「…卍丸に仇を取らせたいが為、今まで何があっても手出しをせず我慢してきたが…そ、それも、もう限界だぜ。

 こ、こんなものは、いつでも………!!」

 怒りの表情で虎丸が力を込めると、彼を拘束していた鎖が、あっさりと千切れる。

 同時に太い腕が柱を掴み、丁寧に埋め込まれていた柱を地面から引っこ抜く。

 

「そりゃあ、卍丸───っ!!」

 最後にその太い柱をブンと振り回すと、上に乗っていた頭傑が弾き飛ばされ、卍丸の方に飛んでいった。

 それに向かって卍丸が構える。

 

「うおお〜〜っ!!た、たた、助けてく…」

 だが、飛んでくる顔面が捉えたのは渾身の拳ではなく、ただ止める為に突き出された掌底だった。

 勢いを殺されて地面に尻餅をつく頭傑を、見下ろしながら卍丸が吐き捨てる。

 

「貴様のような外道、殺すにも値せん。

 師が残してくれた拳を、ドス黒い血で(けが)さん為にもな……!!」

 …卍丸のお師匠様は、とても優しい方だったのだろう。

 頭傑が放り出されて自分の拳の射程内に迫ってくる短い時間、卍丸は『師ならばどうするか』を考えたに違いない。

 …私から見ればこんな奴、殺した方が世の為にはいい気がするんだけど。ソースは私。

 だが卍丸は迷いなく、倒れたままの頭傑に背を向ける。

 

「行くぞ、虎丸。」

「お、おう、それで正解じゃ卍丸──っ!!

 もうこれ以上、こんな奴のツラは見たくもねえ!」

 その背中に付き従う虎丸の表情もどこか晴れやかだ。

 けど、やはり頭傑にはその温情など欠片も通じはしなかったようで、二人の背中に向かって、その震える手で刃を投げる構えを見せた。

 …まあ、投げたところで彼の今の体力では届かなかったに違いないが、その行為を止めたのは、梁山泊の陣から飛んできた一本の矢だった。

 

「はがっ!!」

 後頭部から額までをまっすぐ射抜かれて、頭傑が地に倒れ伏す。

 

「文句はあるまいな、爺。」

「ウム、それで良い。皆も同じ(はら)じゃ。」

 集音マイクが拾った声に相手側の陣に目をやると、先ほど月光と戦った蒼傑が、(たてがみ)のような蓬髪を靡かせ、例の大きな弓を下ろすところだった。

 …あの男、確か右腕を骨折していた筈なのに、よくあの距離から正確に射抜いたものだ。

 今更ながら、月光はとんでもない相手と戦っていたのだと思い知らされる。

 ああいう正々堂々としたタイプ(まあ、無自覚に自分に有利な勝負とか挑んできたけど)もいれば今の二人みたいな外道もいる、なんというか玉石混交なチームなんだなと思っていると、

 

「誇りある梁山泊の名を貶める愚か者どもよ。

 やはり奴らを連れてきたのは間違いだった。」

 と、先頭の小柄な老人が、やれやれというように呟いたのが聞こえた。

 まあ、卍丸のお師匠様の仇がとれて、結果としては連れてきてくれてありがとうというところか。

 

「…けど、卍丸的に、本当にあれで気が済んだのでしょうか?」

「心の機微の細かいところまでは、本人しか知りようがありませんが…卍丸様は、御自分が納得できないような事はなさらないと思いますよ?」

 私がふと呟いた言葉に、ディーノが少し下手くそなウインクをしながら答える。

 ……そっか。



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6・名前のない傷ついた身体ひとつで

自分設定が覆ると若干困るので他作者のスピンオフものはあさしんの連載終わるまでは読まない事にしとこうと思ってたんですが、「(やつがれ)!!男塾」は読んでしまいました…。
しかも届いたのが出勤ギリギリのタイミングで、職場に持っていって空き時間に読んでいた休憩室(バックヤード)で、『男塾名物・影慶(えいけい)毘遺(びい)48毒手会』におもくそ吹いたアタシを、責められる者は誰も居ないと思う(爆


「いよいよとっておきの男を出す時が来たようじゃな。」

 老人の言葉の後、梁山泊の陣から縄ばしごを渡ってきた赤毛の男は、頭傑の死体のそばに歩み寄ると、その力ない腕をひっ掴んだ。

 

「カスめが。見苦しいマネをしおって。」

 小柄な男とはいえ人ひとりの身体を、軽々と片手で、闘場の外の急流に向かって投げる。

 それからそいつは男塾側の陣に体を向け、指差しながら言い放った。

 

「俺の名は、梁山泊十六傑のひとり、蓬傑(ほうけつ)!!

 さあ、来るがよい。男塾の命知らずよ……!!」

 次の対戦相手は、どうやら梁山泊の本気采配。

 こちらも気持ちを引き締めてかからねばならないだろう。

 

「今度こそ俺の出番だ──っ!!

 俺が行って、虎丸とはひと味もふた味も違うところを見せてやるぜ──っ!!」

 と進み出そうとする富樫の台詞に虎丸が食ってかかる。と、

 

「待て…なんだ、あれは……!?」

 驚いた顔で伊達が見つめる先に目をやると、太い流木に乗って急流を下ってくる、覆面の男の姿があった。

 男は闘場の手前数十メートル地点で流木から跳躍し、蓬傑の前に着地する。

 

「だ、だれだ、あいつは──っ!」

 自陣から富樫が叫ぶ声が聞こえた。

 

 ☆☆☆

 

「ディーノ…あれ」

「はい、影慶様ですよ。

 変装とは最初の印象付けが最も大事な部分ですので、思い切り派手に登場してくださいと、一応わたしが提案したのですが。

 フフフ、こうきましたか。」

 やっぱりおまえの入れ知恵か!

 まあ、最初の印象付けに関しては私も同意見だが、それにしてもこれはひどい。

 黒く染めたサラシで頭の上半分を覆い、どうしても露出する目の周りには炭を塗りつけて、人相を分かりづらくしてはいるものの、正体がわかって見ていれば影慶以外の何者にも見えない。

 身につけているのもシンプルなタンクトップだから、立派に整った体格を誤魔化すこともできそうにないし。

 この変装、ディーノが監修したようだが、影慶はこれを納得して受け入れたんだろうか?

 そういえばディーノはさっき、影慶のことを『ノリがいい』と言っていたような。

 なんか私の中での影慶のイメージが、音を立てて崩れていく。

 だが影慶はそんな私の動揺など知る由もなく、蓬傑に向かって構えをとった。

 

「待たせたな。俺が、貴様の相手だ……!!」

 …うん、声は仕方ないにしても、口調もまったく変えてない、普通に影慶だコレ。

 私がターゲットに接触する時は、そのターゲットの好む女性像を入念に調べ上げた上で、それに合わせたキャラクターをかなり細部まで設定したものだ。

 虎丸の前に現れていた『謎の食事係』は、淑やかで儚げな、基本的に男に逆らえない従順な女性(アクシデントでそのキャラが途中で崩れてしまったが)、初めて塾長と会った時に総理の前で演じたのは、どこか翳のある強かな大人の女性、あまり思い出したくはないが久我真一郎の前に現れた水内麻耶は、世間知らずに見えて育ちがよく学もある、少し勝気な女性だった。

 それぞれを完璧に演じ分けるにあたり、メイクや服装、髪型などをそれぞれのキャラクターごとに変えるのは勿論だが、それに合わせてその都度口調なども当然変えていた。

 水内麻耶は幼い頃は京都に住んでいたという設定だったから、少し気を抜くとたまに京都訛りが出るという演技までしていたし。

 男性の場合メイクができない分難しいのかもしれないが、これでは正直『お前正体隠す気ないだろ!』とつっこまれても仕方ない気がする。

 

「まずキャラクター設定が甘すぎる!

 別人になり切る演技力も足りない!

 こんなんプロの仕事じゃねえわ!!

 変装ナメてんのかお前ら!!」

 とりあえず私は、ディーノのマントの蝶ネクタイを引っ掴んで揺さぶっておいた。

 脳が揺れるだろうが知るか。

 

「で、ですが、あの影慶様に、そこまでの演技ができると思われますか!?」

 ………………ソウデスネー。

 私の手が止まったのを確認してディーノは素早く私から離れると、マントの襟元を直しながら説明する。

 

「ですから、変装やキャラクター作りを完璧にするよりも、()()影慶様がまさか、と思わせる演出の方に重点を置いたのですよ。

 一見手抜きな覆面も、派手な登場も、普段は冷静で完璧な影慶様のイメージにはないものですからね。」

 言いたいことはわかった。

 でもなあ…影慶には特定が可能な、すごく大きな特徴があるんだけど?

 

 ☆☆☆

 

「覚えているか、伊達…!?」

 自陣の集音マイクが桃の声を拾う。

 

「塾長はこの大武會決勝トーナメントに、三人の助っ人を送ったという。

 ひとり目は赤石先輩……そして」

「そうです。

 あの人が、男塾第二の助っ人です……!!」

 桃が言いかけたところに、涼やかな声が割り込んでくる。

 それが聞こえた後方を全員が振り返ると…、

 

「ひ、飛燕──っ!!」

 ようやくこの場で仲間に追いつく事ができた飛燕が、微笑みを浮かべて立っていた。

 

「お、おお、お…おまえ生きてたのかよ──っ!!」

「お、俺たちゃおまえが死んだものとばかり思っていたんだぞ──っ!!」

 そう言って飛燕に抱きつく富樫と虎丸の声が震えている。

 その光景を桃の隣で伊達が見つめ、その顔が微笑んでるように見えた。

 大好きなお姉ちゃんが戻ってきて本当なら一番に駆け寄りたかったところだろうに、弟たちに譲って偉いねえ。

 ん?なんか間違ってる?まあいいか。

 

「溶岩の池に、意識を失い()()()()()、今、闘場で闘おうとしているあの人が、どこからともなく忽然と現れて、わたしを救ってくれたのです。」

 飛燕が闘場の方に顔を向けて皆に説明する。

 なんで彼に助けられたと知っているのかはともかく、状況が微妙に誤解されているようで助かった。

 実際には高温の赤酸湖に、落っこちたところを引き上げたからね。

 それでやむなく全身治療したから、正直このひとには私の存在がバレていてもおかしくないとヒヤヒヤしていたから。

 あれは誰だと問う桃に対して、飛燕はわからないと答える。

 

「ただ…わたしにはあの覆面の下の素顔が、わたし達の知っている者のような気がしてなりません……!!」

 富樫も宝竜黒蓮珠(ぽーろんこくれんじゅ)戦で助けられた際に聞いた男の声を以前にも聞いたことがあると言っていたのもあり、皆が一様に息を呑む。

 特にひとつ抜きん出た長身が闘場を凝視しており、なんかこれ早くもバレてんじゃねえのと心の中で思った。

 邪鬼様、こう言っちゃなんですけど……お前の嫁だろ、なんとかしろ!

 あの人、単にドMなだけかと思ったら実は密かに天然ですよ!

 

 あと、見慣れた銀髪の頭が一瞬こちらを見た気がして、なんぼなんでもこの距離で、しかも障害物もある中で気付かれている筈はないと思いながらも、ちょっと狼狽えた。

 

 ☆☆☆

 

 …皆の意識が闘場に集中したところで、わたしは他の者に気付かれぬよう、こっそりとその人に呼びかけた。

 

「…なんだ?

 貴様が俺に話しかけてくるなど、珍しいな。」

「貴方にだけは、言っておくべきかと思いまして。

 ……光が、この島に居ます。

 姿は見ていませんが、意識を失う前に声を聞いたのと、わたしが全身に受けた筈の傷が、完全に治療されているのが、そう断定できる根拠です。

 恐らくは、わたしを助けたあの男と、一緒に行動しているものかと。」

 わたしの言葉に、その人は太い猪首を動かして闘場を見た後、周囲をぐるりと見渡して…それから何か、諦めたような溜息をついた。

 

「…(あいつ)は、補充闘士の登録手続きが必要とか言って、この島まで確かに俺と一緒に来ていた。

 終わった後は、そのまま帰りのヘリで男塾に戻ると言っていたが…やっぱり残ってやがったか。

 素直に帰る訳はないと思ってはいたが…たく、あのじゃじゃ馬。」

 彼はその大きな手で癖の強い銀色の髪をがりがり搔くと、何かに気付いたように、再びわたしの方を見た。

 

「だが、何故それを俺に教える?」

「だってあなたは、彼女の保護者でしょう?」

 間髪入れずわたしがそう答えると、男塾二号生筆頭・赤石剛次は、舌打ちをひとつして、嫌そうな表情を浮かべた。何故だ。

 

 ☆☆☆

 

「かなりの腕だな。その凄まじい闘気…一分の隙もない身のこなし…!!

 ならば、これを使わねばなるまい。」

 蓬傑は腰のベルトに付けていたらしい、短い剣のようなものを取り出した。

 次の瞬間それが長く伸びる。

 その形状は、フェンシングの剣に酷似していた。

 その伸びた先をつまんだ蓬傑は、それをヒュンヒュンとしならせる。

 

「見るがいい。梁山泊奥義・彊条剣殺(きょうじょうけんさつ)!!」

 蓬傑は何やら紙を一枚目の前に放ると、それに向かって無数の素早い突きを放った。

 更に最後のひと突きで紙を、固定するように貫くと、動きの止まったそこには、細かな点で書かれた『滅』の文字。

 

「これが貴様の運命だ。

『滅』…即ちそれは貴様の死を意味する。

 この彊条剣(きょうじょうけん)を使わせれば、俺に敵はおらん。」

 

 彊条剣(きょうじょうけん)

 西洋の剣法として盛んなフェンシングは、ヨーロッパが発祥の地とされていたが、その源流ははるか中国秦代に遡るという説がある。

 この剣は針のように細く鋭利に研ぎすまされている為、わずかの力で素早く相手の急所を突くことができる。

 これを中国拳法と融合させ、数々の秘技を編み出し必殺の武術として完成させたのが、愀家二代目・邊真愚(へんしんぐ)であり、その名が「フェンシング」の名の由来であるという。

民明書房刊『世界スポーツ奇譚』より

 

「奴が、あの幻の剣法と言われる彊条剣(きょうじょうけん)を…!!」

「それも、凄まじい腕だ。」

 ちなみにこのへんの説明は珍しく生きた拳法辞典の口からではなく、桃と伊達によって為されていた。

 スピードと正確さを兼ね備えた剣技は、確かに神技なのだろう。

 だが影k…もとい覆面の男はそれを鼻で笑う。

 

「大した自身だな。面白い芸当だ。

 ならば、俺にその紙を投げてみろ。」

 言われた蓬傑が怪訝な表情を浮かべつつも、言われた通りにそれを投げる。

 

()っ!!」

 覆面男は半月型の刃物をどこからか出して二本の指で挟むように持ち、それを飛んでくる紙に向けて振るう。

 そうしてからフワフワと落ちようとするその紙をもう片方の手で捉え、それを蓬傑に示す。

 

「さっき貴様が言った言葉をそのまま返そう。

 これが貴様の運命だ。」

 そこには、先ほど蓬傑が剣で描いた『滅』の上に、紙が破れ落ちぬよう調整して書かれた『自』。

 続けて読めば、それは即ち『自滅』。

 …こういうキツい洒落は、ちょっと影慶のイメージにはないかもしれない。

 単純に演技力が致命的に足りないだけで、私が思っているよりも、影慶はキャラクターを演じるつもりはあるのだろう。

 何となく、テンションが上がっているだけのような気もするけど。

 後から思い返して、恥ずかしくなって悶絶する程度には。

 

「味なマネを…どうやら貴様とは、面白い勝負が出来そうな気がする。」

 闘場に二人の闘志に呼応するが如く、激しい風が吹きわたった。

 

 

 先ほど紙に字を刻むのに使った刃物はしまって(使わんのかい!)、覆面男が拳の構えを取る。

 

「さあ、どこからでも来るがいい。」

「何の得物も持たず、素手でこの俺と闘う気か。

 どうやら貴様には、この彊条剣(きょうじょうけん)の真の恐ろしさが、まだわかっておらんようだな。」

 舐められたと思ったか、蓬傑はその剣を上空に向けて振るう。

 それは先ほどよりもはるかに長さを伸ばすと、その上空を飛んでいた鳶のような鳥に、その先端が真っ直ぐに向かっていく。

 だがそれは鳥の首元を掠め、ひょっとしたら傷くらいはついたかもしれないが、鳥はすぐに体勢を立て直すと、進もうとした方向に向かって改めて羽ばたき始めた。

 それを見て、虎丸が剣の方に驚きの声をあげ、富樫が鳥が無事だったことに笑い声をあげる。

 だが、その剣先から逃れた筈の鳥は、一拍のちに羽ばたきを止めると、突然全身から血を噴き出させ、そのまま闘場の地面に落ちた。

 

「見たか、伸縮自在のこの彊条剣(きょうじょうけん)の威力を!!

 これならば長さを調節し、常に敵を射程距離に置いて、己の間合いで闘うことが出来るというわけよ。

 貴様ほどの腕ならそれが闘いにおいて、どんなに有利かわかるだろう。」

「なるほどな…そしてその先端からは、毒が出るという仕掛けか…!」

 言わなかった事を見抜かれ、蓬傑が面白そうにニヤリと笑う。

 

「そうだ。

 わずかなカスリ傷からも、三秒後には巨象でさえも、全身の血管すべてを破裂させ、あの世へ送るという毒液だ。」

 言って手元のスイッチを操作し、先端から液体を吹き出させてみせる。

 そこから間をおかず、蓬傑は見事な剣さばきを、覆面男に向けて繰り出してくる。

 覆面男は体術でそれを躱しつつ拳の間合いに踏み込もうとし、蓬傑はその影慶の喉元に向けて、彊条剣(きょうじょうけん)の長さを伸ばした。

 更に体術で躱して、一旦間合いを離したと思いきや、覆面男は蓬傑が剣を戻すのも間に合わぬほどの速度で、蓬傑の間近まで迫ってきた。

 

「これでも間合いに入れぬというか!!」

 言い終わらぬうちに、長い脚から繰り出された蹴りが、蓬傑の顔面を捉える。

 

「き、貴様……!!」

 蓬傑の表情が悔しげに歪む。

 

「梁山泊の切り札という男がその程度か。

 だとしたら、俺の出番ではなかったようだ。」

 常人には使いづらい武器を使いこなし、何より毒手のイメージが今は強いが、影慶は基本、身体能力が高い。

 彼がどんな環境で育ったのかは知らないが、これは鍛錬の成果も勿論あろうが、恐らくは天性のものだろう。

 この闘い、もしかすると正体がバレる決定的な証拠になるアレを出す前に勝負がつくかもしれない。

 

「どうした、桃……!?」

 と、伊達の不審げな声を集音マイクが拾い、何か重いものを舌に乗せたように、答える桃の声が続く。

 

「…あの、身のこなし……!!

 あの動きは確かに、どこかで見た事がある……!!」

 あー…そうか。

 大威震八連制覇で彼と闘った桃には、やはりわかってしまうのだろうか。

 それを言うなら月光もだろうが、恐らく月光との戦いの時には、影慶はまだまだ全力ではなかった。

 って、それ言うなら今もそうか。

 …まあ月光の場合、目が見えない分気配に敏感だから、そっちで気がついてるかもしれないし、私の時みたいに知ってて敢えて黙ってるって事もあり得るけど。

 若干プライドを傷つけられたらしい蓬傑は、今のは肩慣らしだと、再び体勢を整える。

 

「俺の修練を極めた刺突は、瞬きする間に百を数える!!

 これが貴様に受けられるか!!」

 そう言って、目にも留まらぬ高速の突きが嵐のごとく繰り出された。

 さすがの覆面男も全てを躱しようが無く、最後のひと突きが、右腕の手首を貫く。

 その傷口から確かに血が流れているのを見て取り、蓬傑は勝ち誇った笑みを浮かべた。

 

「なすすべもなく、心臓の急所だけを庇ったか。

 確かに生身の手応えはあった。

 その腕に巻かれた包帯の下には、なんの防具も隠されてはおらん。

 貴様の命は確実にあと三秒……!!

 死への秒よみを始めるがよい。」

 それ言ってる間に三秒とか経ってる気がするが、それは言ってはいけない事だろうか。

 あと、効果を聞く限りそこに使われてる毒は恐らく、ある種の毒蛇が持つものであるかと思う。

 ということは…、

 

「フッ…その必要はない。」

 言いながら覆面男は右手の包帯を解…ってコラ待て待て待て!!

  ほぼ指先だけ出たあたりで覆面男はその手刀を、蓬傑の剣を持つ右腕に放つ。

 その腕に浅く浮かぶ一筋の赤い線は、一見大したことのないカスリ傷に見えるが…。

 

「毒手に毒とは、それは愚かなこと……!!

 死への秒読みをするのは貴様だ、蓬傑……!!」

 毒手はありとあらゆる種類の毒を混ぜ合わせた毒液に浸し、それを染み込ませた(しょう)

 それはカスリ傷ひとつで相手を死に至らしめるもの。

 彼のはその簡易版ではあったが私が抗体を作った為、同じ種類の毒ならば、彼の身体にもはや影響は及ぼさない。

 そして、恐らくは毒蛇から採取した出血性の神経毒であろう蓬傑の剣から流し込まれたそれは、間違いなく影慶の毒手を作った毒液の材料のうちのひとつに使われている。

 だからそれに貫かれた傷は、影慶にはカスリ傷に過ぎないが、影慶の手刀でつけられた蓬傑のカスリ傷は、毒の抗体を持たない蓬傑には致命傷に等しい。

 ていうか…出しちゃったよ出しちゃったよ毒手!!

 おまえそれ、名刺渡してるようなモンだろうがぁ──っ!!

 

「影慶───っ!!」

 自陣から、驚きと喜びが入り混じった叫びが聞こえた。

 

 そして私は…

 

「演出とかすっ飛ばす勢いで即バレじゃんっ!!!!」

 隣で若干狼狽えている地獄の魔術師(ヘルズ・マジシャン)のマントの襟元を再びひっ掴み、脳が揺れるほど振り回した。




余計な事ですが原作では包帯ぐるぐるで再登場した飛燕さん、光さんが全身治療してしまった為、ここでは全くの無傷です。


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7・たとえ500マイル離れても

ディーノさんがどんどん不憫キャラになっていく…!
最初から想定してたなんてとても言えないが、実際に動かしてみたら想定以上だったなんてもっと言えない(爆


「い、いやわたしだって、正体を隠そうという影慶様が、最も特定が容易な特徴を前面に出してくるなんて思いませんよ!?

 影慶様は毒手などに頼らずとも、様々な特殊武器の使い手でもあるのですから、どう考えてもそっちだと思うじゃないですか!」

「…ですよね。

 いやもう、あの天然に対して最初に『毒手禁止』の注意を与えておかなかった私にも責任があります。

 八つ当たりをして申し訳ありません、男爵ディーノ。」

「い、いえ。

 わたしも影慶様の完璧イメージに騙されて、最終確認を怠りましたので。

 しかし……まさか、ねえ…?」

 お互いにぜいぜいと息を荒くしながら、私と男爵ディーノはとにかく落ち着こうと必死だった。

 自陣では死んだと思っていた影慶が現れたと盛り上がる中、蓬傑は毒手に切り裂かれた傷口を剣で突いて広げ、そこから血を絞り出して、ある程度の量の血が流れ落ちたところでフゥッと息をつく。

 

「危ないところだったが、これで毒抜きは出来た。」

 …だ、そうだが、その剣からも毒が出る構造なのはノーカンなんだろうか。

 まあ本人がいいならそれでいいんだが。

 

「油断したぜ。

 まさか貴様が毒手拳の使い手であったとはな。

 …そうか、名は影慶というのか。」

 男塾側から散々呼びかけられる名を聞いて、蓬傑が確認する。

 そういえばこいつは最初に出て来た時に名乗りを上げたのに、こっちは名乗っていなかった。

 その、うちの天然がなんかごめんなさい。

 だがその問いに対する答えは意外なものだった。

 

「影慶……!?知らんな、そんな名は。」

 おま!この空気の中でよくそれ言えたな!!

 その心臓、ある意味尊敬するわ!!

 

「俺の名は『翔霍(しょうかく)』。

 …何か、勘違いをしているようだな。」

 しかもちゃんとこのキャラの名前考えてた!!

 てゆーか翔霍って何!?どっから出たのそれ!?

 案の定男塾陣営からは『いやお前普通に影慶だろ!』的なツッコミが飛ぶが、そこを柳に風と受け流し、ぬけぬけと言ってのける。

 

「この世で毒手を極めた者は一人だけではない。

 その、影慶とか申す者も含めてな……!!」

 確かにそうだけど、一生のうちで毒手持ちと出会う確率って、一人だって相当低いと思うよ?

 更に複数の毒手持ちと出会うって、それより明らかに低い確率だからね?

 

「…とりあえず、影慶様が戻ってきたら、どんな顔で出迎えればいいやら…!」

「…何事もなかった顔をしてあげてください。

 そういうのも本分でしょう?地獄の魔術師(ヘルズ・マジシャン)殿?」

「…手厳しいことですね。」

 さあ、闘場に意識を戻そう。

 

「フッ、貴様の正体などどうでもいい。

 俺にとって大事なことは、貴様がカスリ傷ひとつで敵をあの世へ送るという、恐るべき毒手拳の手練れだということだ。」

 そう仰っていただけると助かります。

 一旦そこから離れないと話題がいつまでもループしますから。

 

「ならば使わねばなるまい。

 この蓬傑のもつ最大の奥義を……!!」

 言いながら蓬傑は肩の防具に留めてあったマントを外し、闘牛士のムレータのように構える。

 

「梁山泊秘奥義・奔棘襲銛(ほんきょくしゅうせん)!!」

 それは構えたマントを、ただ振っただけのように見えた。

 だが次の瞬間、そこから大きな銛のような形のものが突然現れて影け…翔霍に向かって飛んでいく。

 

「いかに貴様の並外れた体術をもってしても、これから逃げることは出来ん!!」

 一度躱したそれはものすごい速さで空を縦横無尽に駆け巡り、再び翔霍に向かってきた。

 

「いけい、二の陣よ!!」

 蓬傑がそれに向けて指示を出すと、翔霍に向かってきていたそれは、途中からふたつに分かれ、危うく躱す翔霍のわきをすり抜ける。

 

「三の陣!!」

 戻ってくるそれにまた指示を出し、先ほどと同様に今度は三つの銛が、翔霍に襲いかかってきた。

 それが翔霍の動く範囲を徐々に狭め、ひとつがとうとう翔霍の左の上腕部を掠めて…

 

「こ、これは……!!」

 銛のひとつが掠った傷口が、見る間に大きく腫れ上がった。

 翔霍は尚も飛び回るそれに、改めて目を向ける。

 

「どうやら、バケモノ銛の正体が見えてきたぜ…。」

 そうしている間に、蓬傑は次の指示を出す。

 

「四の陣!!」

 その指示通り四本に分裂して向かってくるそれに、何を思ったか翔霍は、足元の石塊を掴んで投げつけた。

 石はただ投げただけの筈なのに、まるで数発の弾丸のような勢いで、四本の銛に向かって飛ぶ。

 それにより勢いを殺すことはなかったが、どうやら命中はしたようで、真っ直ぐ向かってきていた方向を変え、小さな欠片を落としながら上空へと逃げた。

 その隙をついて翔霍は、その落ちた欠片を指先で拾う。

 

「やはりな……これがその正体だ!!」

 …それはどうやら、大きな蜂のようだった。

 

「そうか…あれこそが世にきく操蜂群拳(そうほうぐんけん)!!」

 雷電が呻くような声で解説を始めた。

 

 操蜂群拳(そうほうぐんけん)

 一般に蜂の特異な集団性は知られるところであるが、中国拳法においては、三匹で刺せば猛牛さえも絶命させるという禽虎蜂(きんこばち)を調教し、利用した殺人拳が編み出された。

 この為これが暗殺に用いられることを恐れた古代中国の時の権力者たちは、蜂を飼うことを厳禁した。

民明書房刊『罦虻流(ふあぶる)昆虫記』より

 

「あー、蜂ですか…幼虫ならバター炒m」

「それ以上言わないでください!」

 …ディーノに涙目で制された。なんでだ。

 まあそんなことより。

 

「フッ、わかったか…だが正体を見破っても、それはなんの意味もない。

 この毒蜂から身を守る術はないのだからな!!

 いよいよ、貴様の最期だ。」

 もはや銛の形を取らず、大軍として周囲を舞う蜂の群れに、蓬傑はとどめとばかりに指示を出した。

 

「行けい──っ!!総攻撃をかけ、文字通り蜂の巣にしてやるのだ──っ!」

 蓬傑の指示を受け、ひとかたまりになった蜂の大群が翔霍に向かって飛ぶ。

 翔霍はそれに背を向けると、闘場の端から、それを取り巻く激流へと身を投じた。

 流されればその先は、例の大きな滝。

 普通に考えれば、落ちた時点で終わりだ。

 

「蜂に刺し殺される恐怖よりも自らの死を選んだか!!

 所詮、俺の敵では……!!」

 嘲笑うように言いかけた蓬傑の視線が、ふと一点を凝視する。

 そこにはいつのまに取り付けたものか金属製の取っ手が闘場の端に打ち付けられており、そこに布が巻き付けられている。

 

「この俺としたことが…見落とすところだったぜ。

 毒手に巻いていた包帯を、命綱にしておるとはな。

 …この俺をたばかれるとでも思ったか──っ!!」

 言うと蓬傑はそこに巻き付けられた布を力任せに引く。

 そうして水の中から現れたのは…一本の丸太だった。

 

「なっ!!」

 それと同時にやはり水の中、蓬傑の背中の側から飛び上がった翔霍は、その無防備な背中に右の手刀を当てた。

 

「背中では毒抜きのしようもあるまい、蓬傑。」

 背に当たる毒手の感触に、蓬傑の動きが固まった。

 

「一度だけチャンスをやる。

 素直におのれの敗北を認めれば、命だけは助けよう。」

 

 ・・・

 

 …私ならここで声などかけず、迷わず息の根を止めるとこだけど。

 そんな事を思ったところで、不意に影慶に言われた言葉と、手の温かさを思い出した。

 

『それはおまえが、おまえ自身をも少しずつ殺し続ける事だ。

 続けていたら、おまえの心は、本当に壊れてしまう。

 必要があるなら俺がやるから、もうおまえの手をこれ以上汚すな。』

 …私の手など、雪ぎ切れないほど汚れきっているというのに。

 本質は優しいのだ、影慶は。

 

「おや、また手を繋いだ方がよろしいですか?」

 と、隣からかけられた言葉にふと我に返る。

 先ほど、握り締めすぎて手に怪我をする可能性を影慶に教えられたから、それを気にしてくれたのだろう。

 

「…御心配をおかけしました。大丈夫です。」

 軽く息を整えてから、形だけ笑みを浮かべてみせる。

 私の表情に、ディーノは何か思うところがあったようだが、それを口に出す事なく、やはり本音の見えない笑みを返してきた。

 

「ホッホッホ、それは残念。」

 何がだ。

 

 ・・・

 

「フフッ、誰にモノを言ってるつもりだ。

 この俺に、敗北などという言葉はない。」

「そうか…では死ぬがいい。」

 翔霍の手刀が、蓬傑の背を貫こうと動いた瞬間。

 重低音の羽音が翔霍の背後から迫り、彼は一瞬にして、殺人蜂の群れに取り囲まれた。

 

「忘れたか、俺にはこの操蜂群拳(そうほうぐんけん)があることを!!

 この秘奥義中の秘奥義に敵はおらんのだ!!

 行けい、旋回蜂陣(せんかいほうじん)!!」

 完全に体勢を立て直した蓬傑が蜂どもにまた指示を出す。

 蜂の群れは翔霍の周りを、渦を巻くような陣形で旋回し始めた。

 どこかに突破口を見つけなければ、あの蜂の輪から脱出するのは不可能だ。

 迫り来る毒針を前に、翔霍は身につけていたタンクトップを脱ぎ、それを振りまわして払い落とす。

 …関係ないがむき出しになった胸の上に、大きな、まだ新しい傷跡がある。

 これはひょっとして、予選リーグで戦った際に負った傷だろうか。

 それなら日数も浅いし、私が治せる気がするんだけど。

 まあそれは今はいいだろう。

 

「どう足掻こうとも全ては時間の問題よ。

 その千匹からの毒蜂の群れから身を守る術はないのだ。」

 そう、ある程度は今のやり方ではたき落とせようが、いかんせん数が多すぎる。

 このまま続けていけば、いずれは翔霍の体力が尽きて動きが鈍り、致死になる三匹どころか、無数の毒蜂の針が彼を襲う事は、火を見るより明らかだ。

 

「なんとかならねえのか、桃──っ!!」

 たまりかねたような虎丸の叫びは、恐らくは返事を期待したものではなかったろう。

 だが桃は低い声で、絞り出すように呟く。

 

「勝機があるとすればただひとつ…それはあの翔霍も気づいているはず……!!

 探しているんだ、千匹の中の一匹を……!!」

 確かに、翔霍の動きは闇雲に布を振り回しているわけではなさそうだ。

 そして、その千匹の中の一匹とは、まさしく…!

 だが、そうしているうちに翔霍の動きが一瞬強張り、振り回したタンクトップの布が手から離れた。

 押さえた左肩に、大きな赤い腫れが見える。

 

「これで貴様は二匹目の毒蜂に刺された。

 いくら毒手使いの貴様とて、三匹目に刺された時は命はない。

 さあ、往生際よく観念するがいい。」

 勝ち誇った顔で嗤う蓬傑に答えず、翔霍はズボンの後ろから筒状のものを引き出すと、その端の金具を口で引く。

 それはどうやら発煙筒であったようで、翔霍の周囲を瞬く間に煙幕が包んだ。

 …いや、あなたさっき水に飛び込んだよね?

 その発煙筒、よく使えたな…いや、止そう。

 彼もきっと邪鬼様と同様、『常識が通用しない』で、全てに説明がつく人種なのだろう。

 そうと思わなければ私の理解力がパンクする。

 事実使えてるんだからそれでいいことにしよう、それがいい。

 

「この状況で煙幕などなんの役に立つというのだ!?

 そんなものに惑わされるな──っ!!」

 蓬傑は嘲笑い攻撃の継続を指示するが、煙は立派に、蜂の巣駆除の際には有効な手段の筈だ。

 調教してあるとはいえ、本能に逆らえるものではない。

 しかし、これで一定時間は蜂の気が逸らせるにしても、それだけだ。

 煙が晴れれば再び蓬傑の指示を実行するだろう。

 闘場の中心は煙に覆われて、外からは状況がわからない。

 

「なるほど…さすがは影慶様。

 くさっt…死天王の将の名は伊達ではありませんな。」

「あなた、今『腐っても』って言おうとし…」

「このガキャアよっぽど命いらんらしいな。」

「すいませんでした。」

 それはともかく、ディーノには翔霍の行動の意味がわかったらしい。

 そうこうしているうちに煙も晴れてきて、その中から翔霍の姿があらわになる。

 

「行けい──っ!!

 とんだ悪あがきをしおって──っ!」

 ここぞとばかりに蓬傑が蜂に指示を出すも、様子がおかしい。

 蜂は命令を無視して、先ほどまでの統制のとれた動きが嘘のように、フラフラと飛び回っている。

 

「あ、なるほど…千匹の中の一匹を、見つけたんですね。」

「その通り。煙を焚いて蜂をパニック状態にし、探しているその一匹のもとまで誘導させたわけです。」

 ようやく私にも理解できた。

 

「フッ、そうか。

 群れを統率する女王蜂を仕留めたらしいな。

 なかなかの着想よ。」

 そう、翔霍が探していた一匹とは、女王蜂だったのだ。

 

「だが、それも手遅れというもの。

 毒がまわってきた今の貴様など、蜂を使わずともこの剣で充分とどめを刺せる。」

 策を破られながらも、蓬傑は自身の優位を疑っていなかった。

 先程の彊条剣(きょうじょうけん)を再び手にして、翔霍に向かって躍りかかる。

 翔霍はその一撃を体術で躱したが、その速度は先ほどに比べると落ちているように見えた。

 このまま連続攻撃を受ければ負ける…が。

 

「…今の一撃で、勝負は既についた。」

 息を吐くような桃の声が、決着を告げる。

 

「つくづくしぶとい男よのう。だが次はない。

 今度こそ、貴様の最期だ。」

「最期なのは貴様だ、蓬傑。

 剣の先をよく見るがいい。」

 言われて、訝しげに動かした視線の先には…!

 

「なに〜〜っ!!こ、これは女王蜂〜〜っ!」

 彼が持つその剣の先には、それに貫かれた女王蜂の無残な姿があった。

 周囲を旋回していた蜂の群れが少しずつ、それに向かって動き出す。

 

「そうだ、貴様が殺したのだ。

 それがどういう意味かわかるな?

 主人を殺された、奴等の怒りは凄まじい。」

 …蓬傑がそれに気づいた時には、もう遅かった。

 それまでは彼の指示に従っていた筈の蜂の群れが、一斉に蓬傑自身に襲いかかってくる。

 

「ヒイッ、や、やめろ──っ!!

 お、俺じゃない!俺が殺したんじゃない──っ!!」

「畜生の悲しさ…蜂はそうは思わん。

 貴様に二度目のチャンスはない。」

 そこからの光景は目にしたくないとでもいうように、翔霍は背を向ける。

 三匹の毒が致死となる毒蜂の、千匹を越える針に一気に刺された蓬傑は、一瞬にして腫れ上がった身体から血を吹き出して絶命する。

 

「あの時、敗北を認めていれば、こうはならなかった。

 …やはり、貴様の運命は『自滅』だったな。」

 その言葉に頷くように、先ほどの紙がふわりと風に舞った。

 

 ☆☆☆

 

 勝負を終えた『翔霍』が、縄ばしごを渡って男塾の陣へと上がってくるのを、塾生たちが固唾をのんで見守る。

 そこを登りきった彼を出迎えたものの、何を言うべきか考えていなかったのか、真っ先に駆け寄った富樫と虎丸が、そのまま固まった。

 

「フフッ。たいそうな歓迎だな。」

 そこはキャラを少しは考えたのか、やや影慶っぽくない軽口から入る『翔霍』に、桃が代表して話しかけた。

 

「…もう、その覆面はいいでしょう。影慶先輩。」

 …だが、『翔霍』は右手の毒手に包帯を巻き直しながら、薄く笑って答える。

 

「何度同じことを言わせるつもりだ。

 …俺の名は翔霍。

 男塾塾長・江田島平八から金で雇われた、プロの助っ人よ!!」

 …なるほど、そういう設定だったんですね。

 しかも全員に正体バレ切ってる状況で、あくまでそれ押し通す気なんですねアナタ。けど…、

 

「…嘘だ。どんな事情かは知らないが、あなたは嘘をついている。」

 自分の仕事はこれまでだとその場を去ろうとする『翔霍』の背に、桃が断言する。

 

「男は金の為などに命を賭けたりしない。

 男が命を賭ける時はただひとつ…!!

 それは、自分の大切なものを護る時だけだ!!

 あなたの闘いがそれを証明している。

 あの死闘は、決して金の為に出来るものではない!!」

 …それでも。

 

「 …俺はプロだ。ただ仕事に忠実だった…それだけのことよ。」

 かつて死闘を繰り広げ、自身を下した男に背を向けて、『翔霍』はその場から歩き出した。

 

 

「ディーノ。私、影慶を迎えに行ってきます。」

「どうしたのです、いきなり。

 ここで待っていれば、影慶殿は戻ってきますよ。」

「…あの蜂の毒は、影慶の耐性にはないもののようですから、一刻も早く解毒をしてあげたいので。」

 嘘はついていないが、それが全てではないことは、影慶の正体と同様バレバレなのだろう。

 けどディーノはそれ以上詮索することなく、

 

「…お気をつけて。」

 と一言だけ言って、送り出してくれた。

 …見られたくはないと思うのだけど、知らないふりはできなかった。

 皆に背を向けた時の影慶が、まるで泣いているように見えた事に。

 

 ・・・

 

 だがその事に気がついた者は、どうやら私だけではなかったらしい。

 覆面のままの影慶を見つけて駆け寄ろうとした時、そのそばに佇む巨漢の姿を見つけて、慌ててその場で気配を消す。

 影慶にとっては唯一無二の主…邪鬼様は、どうやらそこを通る『翔霍』を見極めようと、待っていたらしい。

 その前を、何食わぬ顔で通り過ぎた『翔霍』の背に、邪鬼様は決定的な言葉を投げる。

 

「無意識に、俺の影を踏まずによけてしまったな…影慶。」

 呼ばれた影慶の肩が、判りやすく震えた。

 改めて、彼が演技向きの性格ではないのだという事を思い知らされる。

 

「さ、さて、それは一体どういう意味ですかな…影を踏まなかったのは、ただの偶然に過ぎぬ事……!!」

「この俺の目まで欺けるとでも思うのか!!」

 駄目だ。これ以上は見ていられない。

 私はその場から飛び出して『翔霍』の前に立つと、邪鬼様との間に割り込んで、立ち塞がった。

 

「……光!?」

 なぜ来たとでもいうような眼差しを向ける『翔霍』の呼びかけは無視して、邪鬼様と視線を合わせる。

 

「…やはり、貴様も来ていたか、光。」

「申し訳ありません、邪鬼様。

 けれど今しばらくは何も聞かず、このまま彼を私にお貸しください。」

 …正直気圧されているが、引くわけにはいかない。

 邪鬼様は暫し、私と『翔霍』を厳しい目で見据えていた。

 が、やがてふっと、その視線から圧が消える。

 

「…行くがよい。だが忘れるな。

 たとえ身は離れていようとも、俺たちの魂は男塾の旗の(もと)に、常にひとつであることをな!!」

 …『翔霍』は邪鬼様に軽く頭を下げると私の肩を抱き、そのまま歩き出した。

 

 

「…ごめんなさい。私、余計な事をしましたか?」

 黙って私の肩を抱いたまま歩き続ける影慶を見上げ、そう問いかける。

 影慶は私に視線を向け、一瞬何か言いかけたようだったが、それは言葉として発せられず、首だけが左右に動いた。

 それに納得がいくわけもなく、その目を見つめ続けていたら、不意に視界が塞がれた。

 私の身体は、影慶の腕に閉じ込められ…気付けば、抱き寄せられていた。

 肩に一粒落ちた雫には気づかなかったふりをして、私はそのまま、その胸に身を任せて、目を閉じた。

 

 ・・・

 

「ところで、『翔霍』っていう偽名は、どこから持って来たんですか?」

「今聞くのか、それを!?」




ちなみに、『予選で死んだ時に看取ってくれた男からの連想』という設定です。
つまり『飛燕』。


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8・サムライ

真の最新刊届きました。
なんだかんだで暗屯子さんと万丈丸さんは仲がいいと思う。


「ごらんなさい。

 どうやらあれが梁山泊の新たな敵のようです。」

 飛燕の声に、全員が梁山泊側の陣に目を向けると、縄ばしごの前に、兜をつけた男がひとり立っているのが見えた。

 よく見れば兜の下の目は隻眼で、また酷い傷跡が顔中を駆け巡っている。

 その男が一旦傍に退いて、指示を出すように、後方に向けて手を上げる。

 その指示に従うように何やら大きな玉が3個、縄ばしごを伝って闘場へと転がっていった。

 その後から、兜の男がゆっくりと降りていく。

 

「見せてやろう。

 梁山泊一陣千戮兵法の数かずを……!!」

 その背中を見送る例の老人の声が、感極まったように震えた。

 

「梁山泊軍の守護神であり最強の戦士、宋江将軍…!!

 あなた様の前にあっては鍾馗(しょうき)さえも、泣いて命を乞うでありましょう…!」

 どうやら本気采配の筈の蓬傑が倒されて、梁山泊側にも焦りが出てきたようだ。

 恐らくはあの男、副将クラスなのだろう。

 それを出してきたってことは、そろそろ頭打ちって事だ。

 このチームは過去三回の大武會では連続優勝を果たしている筈なのだが、決勝リーグ開始前の下馬評では、最近首領が交代したばかりの影響が若干の懸念材料とあった。

 やはり新首領がチームをまとめきれていないのか。

 それとも男塾(ウチ)がそれだけ精鋭揃いだからなのか…ふふん。

 さて、闘場に転がってきた玉だが、よく見れば玉状の格子の中に人が入っている。

 多分、どこかが開く構造ではあると思うが、ぱっと見には扉のようなものはどこにあるか見えない。

 その人入りの鉄球を従えた、先ほど老人が『宋江将軍』と呼んだ男が、対岸に向かって指差しながら声を上げた。

 

「男塾の命知らず共に告ぐ!!

 人数は問わん!!束になって来るがよい……!

 貴様等に、真の闘いと地獄を見せてやる。」

 その男、歴戦の猛者である事に間違いないようで、立っているだけで感じるその気迫たるや、それまで出てきていた闘士など、その足元にも及ばないと言っても過言じゃない。

 

「やっと俺にふさわしい相手が出てきたようだ。」

 と、それを受けて男塾側から一歩踏み出したのは。

 

「男塾二号生筆頭・赤石剛次──っ!」

 …紹介ありがとう富樫、虎丸。

 なんか今、君たちと心が通じ合った気がするよ。

 

「おもしれえ。

 見せてもらおうじゃねえか、その地獄とやらを……!!」

 縄ばしごを前に仁王立ちした銀髪の鬼は、闘場にいる男に負けないほどの気迫を込めて、それを睨みつけた。

 

 

「剣……!!」

 そのまま縄ばしごを降りていくかと思われた赤石が、不意に後ろで見送ろうとした桃に声をかけた。

 

「なにか?」

「貴様のダンビラを貸してもらおうか。」

「押忍……!?」

 不得要領な感情をやや声に現しながらも、桃は自分の刀を赤石に渡す。

 自分の武器を相手に貸すって、余程の信頼関係がないとできない事じゃないんだろうか。

 いつの間にそんなに仲良くなったんだ、あの2人。

 刃を交えて生まれた絆ってやつか。

 

「二刀流でもやろってんじゃねえだろうな!?」

 などと富樫が言うのが聞こえたが、なんとなくだが実際に使うというよりは、お守り的な側面の方が強い気がする。

 そんな験担ぎ的な事、普段の彼ならば一笑に付すような行動なんだけど。

 そんならしくない行動を取り、いつもの剛刀は背に負ったまま桃の刀を手にした赤石は、そのまま闘場へと降りていった。

 

「なん人でも束になってかかってこいと言った筈だが、たったひとりで来るとは……!!

 どうやらわしの言ったことが聞こえなかったらしいな。」

 穿った見方をすれば、一気呵成に叩き潰して逆点を計りたかったのだろうが、生憎ウチの子達、揃いも揃って脳筋なんでね。申し訳ない。

 

「気にするな。これが俺の流儀だ。

 …だがあんたと闘うには、先に始末せねばならぬことがあるようだな。」

 玉たちが宋江将軍を守るように、赤石との間に転がってくる。

 

「フフッ、当たり前のこと……!!」

「貴様ごとき若造相手に、我が梁山泊副頭・宋江将軍が、わざわざ労をとられると思うのか。」

「思い知らせてやる。

 宋江将軍直属の指揮下にある我等の恐ろしさを!!」

 玉がそれぞれの決意の程を口にすると同時に、その後ろで宋江将軍は、闘場の地面に胡座をかく。

 

「行けい!!その獲物は貴様等にくれてやろう。」

 その指示が出るが早いか、玉たちは突然動き出し、赤石に向けて突進し始めた。

 

「梁山泊兵法奥義・轢鋲球(れきびょうきゅう)!!」

 真っ直ぐに突っ込んでくるそれを、赤石は跳躍で躱す。

 次に赤石が着地した時には、玉は方向転換して、また赤石のいる方に向かってきていたが、やがてお互い同士がぶつかり合い始める。

 そこでスピードが殺されるかと思ったが、逆にぶつかり合ったそれらはスピードを増し、無軌道に動き回ってはまたお互いにぶつかり合った。

 スピードはどんどん増すうえに、次の動きの予測もままならない。

 

轢鋲球(れきびょうきゅう)の真の恐ろしさは、互いが完全な計算のもとに乱反射しあい、どこから攻めてくるか軌道を見極めさせぬところにあるのだ──っ!!」

 転がり、ぶつかり合いながら玉たちが嘲笑う声をあげる。

 

 ・・・

 

「あの技、目が回ったり、喋る時に舌を噛んだりしないんでしょうか…。」

「光君、今心配すべきはそこじゃないです。」

「心配する相手も間違っている。」

 いや知ってるけど!

 でも人もあろうにあの赤石剛次が、この程度をなんとかできず負けるとも思ってないんだよ私は!!

 

 ・・・

 

「ぬううっ、あれが世にきく轢鋲球(れきびょうきゅう)…!

 げに恐ろしき技よ……!!」

 

 轢鋲球(れきびょうきゅう)

 古代中国戦乱の時代、屈指の名将として名高い周の范公将軍が考案したと言われる機動兵法。

 特に敵が大集団の場合にその威力を発揮し、天下分け目の決戦として知られた黄原の戦いにおいては、范公将軍自らが率いる轢鋲球わずか三騎で、敵である呉軍一千騎を大混乱に陥れたという。

民明書房刊『世界古代兵器大鑑』より

 

 ほら、こうして雷電の解説だって冷静に聞けるし?

 その赤石は轢鋲球(れきびょうきゅう)の動きをギリギリで見切って躱し続けていたが、いつしか闘場の端まで追い詰められた…ように見えた。

 

「早くも勝負あった〜〜っ!!死ねい──っ!!」

 自分に向かって真っ直ぐ突っ込んでくる轢鋲球(れきびょうきゅう)を前に、赤石はようやく…桃の刀を抜く。

 だが次の瞬間赤石の身体は闘場の外、大滝へと続く激流に叩き落とされていた。

 

 ・・・

 

「動かなくて大丈夫、心配ありません。」

「は!?」

 私の言葉に、救出に動こうとした男爵ディーノが目を瞠る。

 

「フッ…なるほどな。

 俺達の想像を絶する人だぜ、あの人は……!!」

 自陣の集音マイクが桃の呟きを拾い、赤石の落ちたあたりをじっと見つめていた影慶が、

 

「ああ…そういうことか。」

 と呟いて、薄く微笑んだ。

 

 ・・・

 

「さあ次の命知らずよ、出てくるがいい!!」

「もっとも、こうも我等の圧倒的な強さを見せつけられては、足がすくんでそうもいかんだろうがな──っ!!」

 轢鋲球(れきびょうきゅう)たちがバカ笑いしながら男塾陣に向けて声をかける。

 

「誰が圧倒的な強さだと?」

 その彼らが見ていた反対側の岸から、地面に突き刺さる刀の金属的な音と、結構な質量が這い上がる水音に混ざって、呆れたような声が響いた。

 

「ほう。まだ生きておったのか。

 そうか、その刀を河底に刺し、激流から身を守ったというわけか。」

 水浸しの長い裾を捌きながらその場に立った赤石が、息のひとつも乱していない事に、気づいていたのは私と桃だけだったのだろうか。

 

「俺の想像が当たっているとすれば…既に奴等三人の運命は決まった……!!」

 大きく息を吐くような桃の声が聞こえ、密かに私もそれに同意した。

 それを知ってか知らずか闘場の上の赤石は、一度引き抜いた桃の刀を、もう一度地面に突き立てる。

 そこから…ちょっと耳に障る嫌な音を立てて、自身の足元にそれで線を描いてみせた。

 

「この線は、この世と地獄の境界線……!!

 この線を一歩でも踏み越えれば、貴様等全員死ぬ事になる。

 それを承知なら、来るがいい。」

 奴らがもう少し冷静だったなら、それが挑発である事はすぐにわかっただろう。

 けれど、既に勝利を確信している彼らは、それに気付かなかった。

 

「何をたわけたことを!

 今度こそ間違いなく地獄へ送ってやるぜ──っ!!」

 なんのひねりもなく真っ直ぐに転がってくる玉たちを、赤石は突き立てた桃の刀を支点にして跳躍し、躱す。

 赤石の描いた線の上を当たり前に通り過ぎた彼らが、気がついた時にはもう遅かった。

 結構な重みのある轢鋲球(れきびょうきゅう)が移動するに従い、闘場が揺れて、傾いていく。

 一文字流・斬岩剣…この世に斬れぬものはなし。

 赤石はあの激流の中で、闘場を支える柱をぶった斬っていた。

 それが振動に従って闘場を傾け…人入りの鉄球はその傾斜に逆らうことなく、激流に転がり落ちていく。その先は…大滝。

 

「これで、あんたとゆっくり勝負ができそうだな。」

「伝説ともいわれる一文字流斬岩剣……!

 よもや、貴様のような若造が体得しておるとはな。

 ならば梁山泊副頭、この宋江自ら手を下さねばなるまいて。」

 確実に30度以上は傾いた闘場の上で、赤石は改めて宋江将軍と対峙した。

 

 

「だがどうするつもりだ、この闘場を!?

 こうも傾いた足場では存分に力を出しきれまい。

 もっともわしは、一向に構わんがな。」

「その心配には及ばん。」

 赤石は足元から、闘場の外へ転がっていかなかった小石を拾い上げると、それを宋江将軍のいる方向の、上空に向けて投げ上げた。

 それは頭上を遥かに通り抜け、地面に当たって音を立てる。

 瞬間、とてつもない地響きと揺れとともに、傾いていた闘場が平らに戻った。

 …ただ、先ほどより明らかに一段低くなっているが。

 

「そうか、赤石先輩は一本の支柱だけではなく、他の柱にも切れ目を入れておいたんだ…!!」

 富樫や虎丸が驚いて騒ぐ声に混じる桃の吐息を孕んだ声が、どこか憧れを含んでいるように聞こえた。

 

 ・・・

 

「…なんで私の方を見るんですか。」

「…光君。君、まったく驚いていませんね。」

「赤石の発想が明後日の方向に飛ぶのなんて、今に始まった話じゃありませんから。」

「………」

 なんでだ。

 

 ・・・

 

「恐るべき男よ。

 わしの長い戦歴においても、貴様のような男は初めてだ。

 だが、若い……。」

 宋江将軍はどこからか防具を取り出すと、肩当てに繋げてむき出しだった胸部に装着する。

 

「貴様にはまだ、兵法というものがわかっておらん。

 それを今、貴様は身をもって悟る事になる。

 さあ、その自慢の太刀を抜くがよい!!」

 その挑発にあっさり乗って、赤石が背の剛刀の(つか)を握った。

 

「そんな甲冑など、今更着けても無駄だ。

 この世に斬れぬものはなし…一文字流・斬岩剣!!」

 抜き放つと同時に躍りかかる刃を、宋江将軍が大きく跳躍して躱す。

 同時に、マントの下の背に隠していたらしい布袋を出したかと思うと、その中身の何やら黒い粉のようなものを、赤石に向かって振りまいた。

 

「なんの真似だ、これは!!」

 目潰しや煙幕の代わりだとしたら、あまりにも稚拙すぎる。

 それから身を躱すべく、一歩引いた赤石の目が、次には驚きに見開かれた。

 赤石の愛刀・斬岩剣兼続。

 常に手入れされ、くもりのない輝きを放つ筈のその刀身に、先ほどの黒い粉がまとわりつき、真っ黒になっている。

 

「かかりおったな。

 これぞ梁山泊奥義・翹磁大撥界(きょうじだいはっかい)!!」

 赤石がその黒い粉を指でつまんで確認していると、親切にも宋江将軍はその説明を始めた。

 

「そうだ、それは磁石粉。

 だがただの磁石粉ではなく、我が梁山泊の地でしか産出されぬ、この世で最も強力な磁力をもつ太極磁石!!

 そう簡単に、ぬぐい落とせるものではない。」

「なるほどな。

 これで俺の剣の切れ味を鈍らせようというのか。

 だがそいつは甘いぜ。

 こんなちゃちな細工をしようと、俺の剣は貴様の骨を打ち砕く威力をもつ!!」

 だが赤石の言葉を聞いて、宋江将軍は不敵に笑った。

 

「果たしてそうかな。やってみるがよい。

 わしはこのまま、一歩も動かぬとしよう。」

 舐められたとみて苛立ったものか、赤石は上段から真っ直ぐに、剛刀を振り下ろす。

 そのままいけば、赤石の力と刀の重さで、兜を割り甲冑も砕いて、宋江将軍は縦真っ二つに分かれている筈だった。だが。

 

「ぐわっ!!」

 振り下ろした筈の刃ははね返され、赤石の体ごと後ろへ弾き飛ばされる。

 

「どうした、貴様の剣はわしに、触れることさえできなかったぞ。」

 嘲笑う顔を睨みつけ、赤石は再び構え、踏み込む。

 今度は真正面から、狙いは顔面。

 だがやはり見えない壁に阻まれるように、構えた剣ごと赤石が弾き飛ばされた。

 

「教えてやろう、この秘奥義・翹磁大撥界(きょうじだいはっかい)の、真の意味を…!!

 貴様の剣に付着したのが太極磁石粉ならば、このわしの身につけている甲冑も、太極磁石で出来ている。

 わしの周りには、強力な磁界が張り巡らされているのだ。

 そして、貴様の剣とわしの甲冑は、同一極の磁力を帯びている!!

 いかに貴様の剣の威力が凄まじかろうが、強大な磁力の反発力により、わしの身に傷ひとつつけることも出来ず、弾き飛ばされてしまうのだ!」

 それはいわば磁力のバリアー。

 この単純明解な理屈に、虎丸一人が「何言ってんだあいつ」とか言ってポカンとしており、それに富樫がツッコミを入れている。

 その横で雷電が、やはり呻くような声で呟いた。

 

「恐るべし…あれが世に聞く、翹磁大撥界(きょうじだいはっかい)…!!」

 

 翹磁大撥界(きょうじだいはっかい)

 中国拳法中興の祖といわれる黎明流、珍宝湖が、自らの秘拳修業の為、玉仙山に籠った時に開眼した、門外不出の秘奥義。

 磁力にはS極とN極があり、異極間には結合力、同極間には反発力が生じる。

 この原理を拳法に応用した、無敵の防御幕である。

民明書房刊『大磁界』より

 

「なんてことだ……!!

 これで赤石先輩の剛刀は使えなくなった…!!」

 呟いた桃の声が切実な響きをたたえている。

 …どうやら、私が一番恐れていた事が、現実になったらしい。

 現時点で、剣以外の攻撃手段を持たない赤石が、その剣を封じられれば、どうなるか…!

 

 だから言ったじゃん!馬鹿兄貴っ!!



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9・You will Survive

原作で羅刹の回想シーン、雪の行軍のくだりを読んだ時にアタシが一番最初に思ったことが、
「赤石先輩、一枚しかTシャツ持ってなかったんだね…」
だったという若かりし日の記憶。


 まだ予選リーグ戦が行われてる最中、男塾の桜の下で交わした会話が思い起こされる。

 あれから一週間も経ってなのに、随分昔の事のようだ。

 刀を封じられた際の打開策として、氣による攻撃技の修得を私が提案したのに対して、赤石が眉唾物だと口にしたのが『一文字流・斬岩(ざんがん)念朧剣(ねんろうけん)』という技の存在だった。

 精神力と肉体が極限状態になった時に真価を発揮する、一文字流最終奥義。

 

『恐らくは(つか)(つば)だけのものを握って、そこに『念』の刃を顕現させるもの』

 その説明に、求めている答えはそれだと確信した。

 なのに。

 

『…それ、極めてください!』

 そう言った私に、赤石が一瞬見せた呆れたような表情が、今更忌々しく甦ってくる。

 

『もし、刀を奪われたり、使えない状態にされたら、あなたはどう戦いますか?』

『取り返すか、使えるようにする』

 私の問いに答えた赤石の答えは実にシンプルでありつつ、その具体策は示されないままで、そんな事はあり得ないと思っているのがありありと見て取れた。

 言わんこっちゃない脳筋!!

 今お前が置かれているのが、まさにその状況だよ!

 

 

「完璧なる防御があってこそ、完全なる勝利がある。

 これが無敵無敗を誇るわしの兵法だ。」

 宋江将軍はそう言って、何やら鎖のついた鉄球を構える。

 

「そしてあとは、これでとどめを刺すのみ!!

 くらえ!!梁山泊奥義・蓮鎖摯(れんさし)!」

 その鉄球が投げつけられ、赤石は恐らくは反射的に、それを刀に当てた。

 この程度のものならば、赤石の膂力なら多少刀の斬れ味が鈍っていようが、打撃力だけで打ち砕ける。

 だがそこで予想外の事が起きた。

 砕かれた球の中から網のようなものが広がり、赤石の大きな身体を覆ったかと思うと、宋江将軍の手元の鎖が引かれて絡みついたのだ。

 それはどうやら金属製の網のようで、動こうとすればするほど、細かく絡みついて赤石の動きを封じる。

 手にしたままの斬岩剣も、その大きさが邪魔をして、動かす事ができずにいた。

 

「いくら足掻こうと、その鋼絲網(こうしもう)から逃れることは出来ぬ!!」

 身動きもままならぬ状態の赤石に、その網を締め上げる鎖の反対側に付いていた銛のような武器を、宋江将軍が投げ打つ。

 全くなんの防御も取れず、それは赤石の身体に突き刺さった。

 

「あ、赤石〜〜っ!!」

 男塾の陣から、悲鳴のような声が彼の名を呼ぶ。

 

「惜しい男よ。だがこれで勝負はあった!!

 貴様の仲間に残す言葉があれば言うがよい!!」

 

 ☆☆☆

 

「ディーノ…あそこまでカードを投げて、あの網を切ることは出来ませんか!?」

「無茶言わないでください!

 この距離では、いかにカードの扱いに慣れたわたしでも、いくら何でも届きませんよ!!」

 一縷の望みをかけて、私はディーノのマントを掴んで懇願するも、あっさりとその望みはぶった切られた。

 それでも試してみては貰えないかと、涙目で見上げ無言で訴えてみる。

 ちなみにこれは「ちょっと無理めなお願い事もウンと言わせちゃう乙女の必殺テク☆(監修:藤堂兵衛)」だ。

 お、ちょっとディーノの目が揺れている。

 これはもう一押しか。

 しかし、ディーノのマントを掴む私の手に、別の手が重ねられた。

 

「無理を言うものではない。

 それに外部からの助けなど、あの男は決して望まぬだろう。

 その事はおまえが一番判っているのではないか?」

 掴んだ手を引き寄せられ、強引に影慶は私を、自分の方に向かせて言う。

 

「…赤石の強さに関して、全幅の信頼を置いているのではなかったのか?

 ならばおまえは信じて見守るべきだ。違うか?」

 通常なら私だってそうしている!

 私は影慶の目を睨むと、できる限り語気を抑えつつ言葉を返した。

 

「その点については、『ある一点を除いては』と言った筈です。」

 ここで反論されるとは思わなかったのだろう、影慶は一瞬固まった。

 それでも次の瞬間に、ハッとしたような表情を見せる。

 

「…赤石の、弱点の事か。今が『それ』だと?」

 影慶の問いに、私は頷く。

 

「私の一番恐れていた事が、今起きているんです。

 ああなったらもう、赤石に勝ち目はありません。」

 こんな事、本当は言いたくなかったのに。馬鹿。

 

「そして赤石は、負けるくらいならば死を選ぶ。

 ……お願いです、()を助けて!!」

 混乱した私の頭は、もはや完全に、赤石と兄を同一視していた。

 私は、()()()()()()()()()()()()()()

 

「…おまえの気持ちはわかる。

 だが赤石は、この勝負に手を出されても、間違いなく死を選ぶぞ?」

 影慶の言葉に、今度は私がハッとする。

 …所詮私は女なのだ。

 闘う男の心には踏み込めない。

 

 ☆☆☆

 

 だが。

 

「き、気の(はえ)え野郎だぜ……!!

 だが、この血は高くつくことになる……!!」

 呻くような赤石の声が怒気を孕む。

 どうやら飛んでくる銛を何とか掴み、心臓に達する直前で止めたらしい。

 だが確実に赤石は傷を受けており、それは決して浅いものではなかった。

 

「強がりを言っても無駄だ。

 今の一撃、急所だけは外したがかなりの深傷(ふかで)の筈。」

 それは攻撃をした宋江将軍が一番よく判っているようだ。

 その手が鎖を引き、その先の銛を引き戻す。

 普段の赤石ならばそれを手放さず次の一手に繋げようとするだろうに、あっさり引き戻されたのは、血で指が滑っただけが理由ではなかろう。

 鎖がヒュンヒュンと音を立てて振り回され、それが一度(まみ)れた赤石の血を撒き散らした。

 

「これがとどめだ──っ!!

 その様でこれを躱せると思うか──っ!!」

 充分に勢いのついたそれが再び投げ打たれ、今度は赤石の脇腹を貫く。

 

「ぐふっ!!」

 赤石の大きな身体が地を這わされ、ここから見ていても呼吸が荒い。

 そもそも赤石が苦痛の呻き声をあげる所など、私はこれまで見たことがなかった。

 

「今の一撃は確実に、貴様の内臓までをも抉った。

 フフフッ、いかに貴様の並外れた体力をもってしても、これで勝負はあったな。」

 もう一度鎖を振り回しながら、宋江将軍の傷だらけの顔が、ニヤリと笑った。

 

 ・・・

 

「駄目だ……!!

 あの傷に加え、斬岩剣を封じられては、鋼絲網(こうしもう)から脱出する術はない。」

「万事休す、か…!!」

 自陣では、桃と伊達すら絶望をその言葉に乗せる。

 

「万事休すだと…奴に、そんな言葉はない!!」

 だが、そこから一歩踏み出したのは、男塾死天王のひとり、羅刹だった。

 羅刹はそのまま自陣の先頭へ進み出ると、何やら赤黒く汚れた布を翳して、闘場に向けて振る。

 

「どういうことだ羅刹──っ!!」

「い、いきなり古い血に染まったボロきれなんぞ翳しおって──っ!!」

 …なるほど。あの布の色は血の色なのか。

 

「教えてやろう、この血染めの布の由来を!!

 これがこの俺を含め、男塾百二十三名の命を救ったのだ……!!」

 

 

 羅刹が語った事によると、赤石がまだ例の事件を起こすより前に、男塾と北国の長年の宿敵との戦いがあったそうで、羅刹が邪鬼様の命を受けて二、三号生を率い、凄まじい吹雪の山道を、トラックで進軍したのだという。

 …いや長年の宿敵って何だよとか色々つっこみたいところだが今はよそう。

 その時、羅刹の指示で赤石がひとり、三キロ先を斥候として徒歩で移動しており…って、仮にも二号生の筆頭にアンタ何やらせてんだよ!

 …あーでも、その役目が必要だとして、一人で行動させた時にある程度、不測の事態に対応できる人材が、二号生の中では赤石しか居なかったのかもしれない…うん、少なくとも江戸川とかじゃ無理だ…多分。

 つっこまずにおこうと言ったそばからつっこんでしまったがそれはさておき、男塾の進軍を察知していた敵が、その先の橋を破壊しており、吹きすさぶ猛吹雪の中、味方のトラックはすぐそこまで迫っていた。

 視界が利かぬ中の一本道、知らずに通れば全員谷底へ真っ逆さま。

 この危機を知らせようと声をあげてもかき消され、あたり一面白一色の世界の中で、赤石がとった行動は、自らの胸を裂いて血で染めたシャツを振る事だったという…。

 …いや、一本道なら戻れば済むことだろ!

 なんでそこで無駄に命を削るかなあの脳筋!!

 何というか、咄嗟の行動が明後日に向かうのはさすが赤石と言う他はないが、とにかくそのお陰で味方は全員谷底への落下は免れて、そこに参加していた者たちは彼に命を救われた。

 …そうか、『雪の行軍』『命の借り』だ。

 初めて天動宮で邪鬼様と対面した時、羅刹が確かにそう言っていた。

 

「万分の一の奇跡に己の命を賭け、不可能を可能にする男……!!

 それが男塾二号生筆頭・赤石剛次という男だ!!

 …奴は狙っているんだ…あの雪の日と同じように、生死の極限まで耐え、万分の一の勝機に賭けて……!!」

 

 

 なんだか居た堪れず、見るともなしに影慶の方を見る。

 

「俺に説明を求めても無理だぞ。

 俺は今でこそ死天王の将という立場だが、その4人の中では…鎮守直廊班の3人を含めても一番の新参だ。」

「この話は邪鬼様が影慶様を連れて来られるより半月近く前の話ですので。

 …あの当時は死天王という名前も役職もなく、三号生をまとめながら邪鬼様の補佐をしていた頃の羅刹様は、いつ休んでいるのかと心配になる程多忙を極めておりました。

 その後、影慶様がいらして邪鬼様関連を担当してくださるようになって、ようやく心身ともに余裕ができたようで…」

 別に説明を求めたわけではないのだが、そうなのか。

 てゆーか、新参の影慶が死天王の将に据えられたの、実力が認められたのは勿論だろうけど、実は一番の面倒事(邪鬼様の側近)を押しつけられただけなんじゃ…!?

 

 ☆☆☆

 

「なんの真似だ、あれは?」

 体力も気力も限界、油断すれば途切れようとする意識を繋ぎとめて、宋江将軍とかいう甲冑オヤジの視線の先を追う。

 あれは…羅刹先輩だが、その手にしているものは、まさか……!!

 

『そんな小汚ねえモン、捨てちまえよ。』

 例の雪の行軍の後そのまま塾へ戻され、天動宮に部屋を与えられて、そこで重傷だった身体の養生をさせてもらってた俺に、羅刹は勝利の報告をした後、俺が信号に使った血塗れのシャツを、譲ってくれないかとわざわざ頼んできた。

 それに対して答えたのが先の言葉だ。

 

『捨てられるものか。

 貴様に救われた命の形であるとともに、貴様を死の淵に立たせた事への俺自身への自戒とするべきものだ。』

 真面目くさった顔でそんな事を言った羅刹に、当時は影慶がおらず邪鬼の補佐をしながら三号生全員を纏めていた男だけに、難儀な性分だなと、その時は思ったのみだったが。

 かつて、味方を救った血染めの旗が、今度は俺自身に呼びかけていた。

 諦めるなと。万分の一の勝利に賭けろと。

 

「苦しかろう…安心するがいい。

 今、その苦痛から解き放ってやる。永遠にな!!」

 甲冑オヤジがニヤつきながら何か言ってるが、んな(こた)ぁどうでもいい。

 

『最後に己を助けるのは過去の己という事よ。』

 一度男塾を去る時に、塾長が俺にかけた言葉が、再び心に甦る。

 まさに今、羅刹を通じて俺の過去が、俺を立ち上がらせようとしている。

 

『刀を奪われたり、使えない状態にされたら、あなたは刀を使わずに『斬る』事を考えるべきでしょうね。』

 と、唐突に、あのクソ生意気な高飛車女の、取り澄ました顔が脳裏に浮かんだ。

 …そうだ!あのじゃじゃ馬は今、あの覆面の男と一緒に、どっかに隠れて俺を見てやがる筈。

 こんなところで無様に倒れたら、後で何言われるかわかったもんじゃねえ。

 俺が死んだら、ひょっとしたら涙のひとつでも見せるかもしれないが、その泣きっ面で罵詈雑言を、俺の墓に向かって吐き続けるくらいのこと、あの女ならやりかねない。

 おい橘…貴様の妹、なにを間違ってああなった。

 いや、そんな事は今はいい。

 まずは、俺の身体の自由を奪っているこの網を何とかすべきか。

 何より身体が動かなけりゃどうしようもねえ。

 打開策を求めて周囲に視線を巡らせると、さっき轢鋲球(れきびょうきゅう)とやらの回避の為に使った剣の野郎の刀が、まだ闘場の地面に刺さったままだ。

 

「死ねい──っ!!」

 先ほど俺の脇腹を抉った鎖の先の銛が再び俺に投げ放たれるのを、その軌道を、目で捉える。

 拳銃の弾道すら見切れる俺の目に、この程度は容易い。

 飛んでくるそれを両脚に挟んで止め、その勢いが死なないうちに、剣の刀の方へ跳ぶ。

 止めようとする奴の手の動きが鎖に伝わる前にそれを握り、身体に絡みついた網を一瞬で切断した。

 

「つくづくしぶとい男よのう。

 だが脱出したとはいえ翹磁大撥界(きょうじだいはっかい)の完璧な防御に包まれたこの俺に、指一本触れる事は出来ぬ。」

 ンな(こた)ぁ判ってる。

 とにかく立ち上がらなけりゃ始まらねえ。

 

『あなたの技は基本的には斬撃ですが、無意識に刀に闘氣を纏わせて、切れ味を増しています。』

『…そもそも『念』ってなんでしょう?『氣』と同じものだと仮定すれば、それほど遠くない話かと。』

『烈風剣という技に於いては、その刀身に纏わせた闘氣を少なからず放出している。

 無意識に使いこなしてるそれを、意識的に行なえばいいだけですよ。』

 簡単に言いやがるぜ、バカ女。

 だが、なるほどな。

 手にしたままの剣の刀を宋江将軍の方に投げ放つ。

 

「なんの真似だ、これは!!

 確かに磁石粉のついていない刀ならば磁界の影響は受けんが、どこを狙っておる!?」

 回転をつけやや上空から落ちてきたそれを避けもせず、ただ落ちていくのを見送りながら、宋江将軍はバカ笑いしていた。

 

「そうだ!!その刀ならば、貴様の磁界を突破する事ができる!!」

 俺は構えを取り、充分に気合いを込めた技を放つ。

 狙うのは奴本人ではなく、回転しながら落ちてくる、剣の野郎の刀。

 

「一文字流奥義・烈風剣!!」

 俺の剣圧と、光が言うところの闘氣により生じた烈風が、刀の切っ先を宋江将軍に向け、鋭い切っ先が奴の兜を砕くと、そのままその額を割った。

 

 ☆☆☆

 

 赤石は諦めていなかった。

 そして現時点で正解に一番近い答えを出した。

 しかし。

 

「駄目だ…今の一撃も奴には通じなかった…!」

 無念さを滲ませた桃の言葉が、今一番残酷な状況を語る。

 さすがは歴戦の猛者というべきか。

 宋江将軍は兜を砕かれた瞬間、咄嗟に僅かに身を引いており、恐らくはそのせいぜい1センチあるかないかの差が、生死を分けた。

 

「フッフッフ、惜しかったな……!!

 最後の奇策に賭けた貴様の剣は、ただ額の皮を斬っただけのこと……!!

 これで貴様の運命は決まった!!」

 重傷を負っている赤石の体力は限界。

 今の攻撃が不発に終わった事で、気力も尽きかけているだろう。

 

「今の貴様なら素手でも倒す事が出来るだろう。

 だがその凄まじい闘志に敬意を評し、とどめはこの金剛槍で刺してやろう!!」

 そう言って宋江将軍は、多分背中のあたりから取り出した短い槍の柄を引いて伸ばす。

 斧と言われても納得できそうなほど大きな穂先が、赤石に襲いかかってきた。

 辛うじて躱すも、躱した先に次の攻撃がやってくるのを、今度は刀の峰で受け止める。

 

「動けば動くほど傷口は開き、貴様はますます不利になる!!」

 赤石は確かに図体の割に動きが素早いが、体術などを駆使するタイプではない。

 身軽な動きは、ほぼそのずば抜けた身体能力だけに依存している。

 つまり、その身体が弱っている今、この凄まじい連続攻撃を避けきれなくなるのは、時間の問題だという事だ。

 その体力が残るうちに勝負をつけようとしたものか、やはり一気にとどめを刺そうと大振りになった穂先から赤石は跳躍して逃れ、宋江将軍の背後を取った。

 ほぼ反射的にそこから太刀を振り下ろすも、それはやはり磁界のバリアーに阻まれる。

 その強い反発力が赤石の身体を吹き飛ばして、赤石は無様に背中を地面に打ちつけた。

 

「忘れたか!!

 いくら反撃に出ようと、この翹磁大撥界(きょうじだいはっかい)の前に、その磁石粉のついた斬岩剣は通じぬことを──っ!!」

 逆袈裟に振り上げた槍の穂先が、地面を砕いたと同時に、その破片に気を取られた赤石の、膝の防具を断ち割った。

 

「あ、赤石──っ!!」

 

 ☆☆☆

 

「膝の垂脹筋を断ち切った……!!

 これでもはや貴様は一歩も動けず、逃げることさえかなわぬ!!」

 奴の言葉通り、立ち上がろうとした脚に全く力が入らない。

 傷を受けた右膝から血が溢れ出し、痛みで気が遠くなりそうになる。

 そんな中で奴の声だけが、やけに鮮明に耳に響いてきた。

 

「貴様に最後のチャンスを与えよう。

 潔く負けを認めれば命だけは助けてやる。」

「寝ぼけたことぬかしてんじゃねえぞ。

 ハゲ頭のおっさんよ。」

 くだらねえ。負けを認めろだと?

 それで命を拾うくらいなら死んだ方がマシだ。

 むしろ死んで死んで死にまくる。

 そのつもりで、刀を地面に刺して立ち上がる。

 頼みの綱だった剣の刀も、一瞬じゃ取れない位置にある。

 今の俺の体力じゃ、あれを使うのは不可能だ。

 つか攻撃しながら奴が、あれを容易に取り戻せないこの位置まで俺を誘導してきたんだろう。

 本当に食えねえオヤジだ。

 精神と肉体の極限状態…今はまさにそれじゃねえかと思うが、さっきの烈風剣の時になんとなく片鱗が見えていたものが、今はぼんやりとして掴めない。

 まだ極限には足りねえってのか。

 いいだろう、一文字流継承者の真の極限、見せてやろうじゃねえか。

 

「…おろかな。つまらん意地で俺の好意を無駄にした事を、地獄で悔いるがよい。」

 

 ☆☆☆

 

「や、やめろ赤石──っ!

 そんな身体で闘えるわけねえんだ──っ!!」

「命あっての物種だ──っ!!

 宋江の言うとおりにするんじゃ──っ!」

 悲痛な声で闘場に呼びかける富樫や虎丸に、桃が首を振る。

 

「無駄だ…そんな言葉が聞こえる人じゃない!

 …俺は、信じている。

 あの人は、万分の一の奇跡を起こし、不可能を可能にする人だ……!!」

 それが、自身の武器を貸せるほどの信頼関係か。

 その武器は今、すぐには手が届かないところに転がっているけれど。

 その言葉が伝わったのかどうかは知らないが、赤石が自陣の方に目を向ける。

 

「忘れるんじゃねえぜ、これから起こる事を……剣よ!

 教えてやるぜ。男塾二号生筆頭の重さを…!!」

 言って浮かべるのは、信じられないくらいいつも通りの、悪そうな笑み。

 それに何かを感じたのか、名指しされた桃が焦ったように叫んだ。

 

「い、いかん、やめるんだ赤石先輩──っ!!」

 そして……

 

 次の瞬間、赤石は自身の腹に、斬岩剣を突き刺した。

 

 ☆☆☆

 

「…そうか。

 俺に負けるくらいならばと、自ら死を選ぶか。

 その意気に答えて、せめて介錯をしてやろう。」

 ハゲがまた寝ぼけた事を言ってやがるが、そんなもんはもう耳に入ってこなかった。

 斬岩剣を腹に突き通し、(つか)から目釘を引っこ抜く。

 そのまま(つか)を引き抜くと、刃は俺の身体を貫いたままで、引き抜いたそれから、光の刃が顕現した。

 

「なっ!?こ、これは──っ!?」

 

「一文字流最終奥義・斬岩(ざんがん)念朧剣(ねんろうけん)!!!!」

 

「ぎゃがあ───っ!!」

 最後に残った力を振り絞り、閃かせた念の刃は、甲冑オヤジを頭から両断していた。

 

 …しかし、ここまで死ぬ目にあわなきゃ使えねえ技ってのも問題だ。

 コイツを極めるには…もっと身を入れて修業を積まねえといけねえな……!

 その時間が、残っていればの話だが…!!

 

「こ、これが男塾二号生筆頭の重さだ……!!

 後は任せたぜ、剣桃太郎……!!」

 奴が倒れたのを確認してから、俺は地面に膝を落とし……。

 そこから先は、闇。

 

 ☆☆☆

 

「行かせてください!

 生きてさえいれば、まだ何とか…!!」

「危険過ぎる。大体ここから、陣を通らずにどうやって闘場へ行くつもりだ?」

「でも…でも!!」

 既に冷静さを遥か彼方にぶっ飛ばした私は、濁流に飛び込もうとするのを、男二人に必死に押さえつけられていた。

 恐らく、赤石はもう死んでいる。

 死んでしまったものは、王先生ならともかく、私の手にはどうしようもない。

 私にだってそれくらいわかる。

 けど、自身の目で確認できるまで、私はそれを信じたくなかった。

 

「どうか落ち着いて、光君。

 ほら、赤石君の身柄が自陣に運ばれています。

 危険ではありますが今からわたしが行って、煙幕でも焚いてその間に、彼の身柄をこちらに運んできましょう!

 影慶様、後はお願い致しますね!!」

「待て、男爵ディーノ!

 この状況で、俺をここに一人で置いていくな!!」

「子供みたいな事おっしゃらないでください!」

 ……阿鼻叫喚。

 

 ☆☆☆

 

「この姿は、あ、あまりに無残すぎる…!!」

 そう言って、赤石の身体を貫いた刃を抜こうとした桃に、厳しい制止の声がかかる。

 進み出てきたのは帝王・大豪院邪鬼。

 

「その手を離すのだ、剣。

 貴様等はまだわかっておらん。

 この赤石剛次という男の、真の恐ろしさを!!」

 邪鬼様は桃を押し退けて、改めて刃に手をかける。

 

「僅かでも手元が狂えばそれまでのこと……!!」

 言いながら、何かを見極めるように、暫し動きを止める。そして。

 

()っ!!」

 赤石の身体から斬岩剣の刃が、彼の血を散らして引き抜かれた。

 

 

 そこから先の光景は、まるで都合のいい夢を見ているようだった。

 既に死んでしまっているように見えていた赤石が、その瞬間、苦痛の呻き声をあげていたのだから。

 

「赤石先輩が、い、生き返った〜〜っ!」

 驚いて腰すら抜かした富樫の驚きの声が響き渡る。

 

「わからんのか…生き返ったのではない!!

 死んではいなかったのだ。」

 そんな中、この事態を一人だけ把握している邪鬼様が、抑揚のない低い声で説明する。

 

「これぞ、一文字流奥義・血栓貫(けっせんかん)!!

 赤石は己の体に網の目のように走る大動脈、…すべての急所を外して、自ら刃を突き立てていたのだ。」

 だからといって、処置が間違っていたり遅れれば出血多量で死ぬ。

 現に今、危うく桃に無自覚で殺されかけた。

 即死しないってだけで、充分に命の危険だったじゃないか。バカ兄貴。

 

「この男にとって、いかに強大な敵であろうと、相討ちなどは敗北であって勝利ではない。

 万分の一の勝機に、すべてを賭けたのだ。

 それがこの男塾二号生筆頭・赤石剛次という男よ…!!」

 もう何でもいい。生きていてくれれば。

 と、隣からレースのついた白いハンカチが差し出された。

 普段ならそのハンカチのデザインと、それを差し出した地獄の魔術師(ヘルズ・マジシャン)との、イメージの違いに思わず吹くところだろうが、今はそれどころではなく素直に受け取って、先ほどから頬を濡らしている熱い雫をそれで拭った。

 

「な、なんだ、そのツラは……!!」

 呻くような声を集音マイクが拾い、一瞬自分に言われたような気がしてビクッとする。が。

 

「赤石先輩……あ、あなたという人は……!!」

 次に聞こえてきた桃の声は、どのように聞いても、震えた泣き声だった。

 だが、そこにほんの僅かに混じった洟をすするような音が、次に聞こえた歓喜の声にかき消された。

 

「や、やった──っ!!

 赤石先輩は生きていた──っ!」

「宋江将軍とは相討ちじゃねえ、勝ったんだ──っ!!」

 

 

「手当てを急ぐがよい。

 それ以上の出血は、本当の命取りとなる!!」

 邪鬼様の言葉が終わるか終わらぬかのうちに、雷電が赤石のそばに膝をついた。

 恐らくは例の包帯止血法を施すのだろう。

 

 ☆☆☆

 

「ごめんなさい…後で洗って返します。」

「お気になさらず。

 男の汗ではなく乙女の涙を吸い込んで、そのハンカチも本望でしょう。」

「涙より鼻水の割合が…」

「言うな。」

「はい。」




そしてこの磁界バリアーのところを読みながら、
「烈風剣じゃダメなんですか!?」とか
「なんで桃の刀あんのにそれ使わないの?」
とも思っていた。
今回の改変でそれを一緒に使わせたのは、アタシの中でのその疑問に、ちゃんと説明をつけて納得する為でもあった。

そんで、決着シーンは大幅に改竄しました。
本来は曉で初出の技ですが、息子にある持ち技がこの時代の父親にあればという想いを形にしたものです。
ただし今回は奇跡的にできましたが、この先いつも出せるわけじゃありません。
恐らく氣の操作技術は父親より息子の方が優れていると思われます。


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10・挫けそうになる気持ちを今、笑顔に変えたら

 赤石の応急処置が済み、一足先にここの簡易休憩所に彼を運んでいった雷電と飛燕が戻ってきたあたりで、自陣からの集音マイクが聞きなれない声を拾った。

 

「ちょっくらものをたずねるけんどよ、天挑五輪大武會準決勝戦の闘場てな、どこかいのう?」

 そちらに目を向けると、恐らくは私より小柄な、編笠を被った恐らくは少年が、うちの屈強な男どもの間を、テケテケと歩いてくるところだった。

 その物怖じのなさに全員が戸惑っているのも構わず、少年は続ける。

 

「この島全体、まるで迷路みたいな道で、さっぱり方角がわからなくなっちまってな。

 知らんかのう!?

 チョビヒゲの、汚い顔したおっさんよ」

 向いている方向からすると、どうやら最後の言葉は富樫に向かって言ったらしい。

 待て!

 富樫は確かに老け顔だがオッサンは止せ!!

 あと、汚い顔は言い過ぎだろ!

 ちょっと大きな傷痕はあるが、あの子は味のあるいい顔だよ!!

 もっと大人になって顔と年齢が釣り合う頃には、独特の色気が出てくる筈だからね!

 …………………多分!!

 なんかちょっと、親バカに近い感情入った気がするけどきっと気のせいだ。

 そして全員がやや硬直気味な中、失礼な事を言われた富樫と、最初に我に帰ったらしい虎丸が少年に摑みかかるが、少年は構わない調子で富樫を突き飛ばすと、反対側の敵陣を指差して叫ぶ。

 

「ああっ、いたいた──っ!!

 あんちゃん達はあんな所に〜〜っ!!」

 見れば相手側の陣では、それまでそこにいた老人以下全員が、2人の男を囲んで跪いており、その2人は男塾側を見つめている。

 …というか、先ほどから集音マイクが拾ったあちら側の会話を聞く限り、三首領と呼ばれるうちのふたりが、その立っている男たちらしい。

 ということは、それを兄と呼んだこの少年こそ…。

 

「俺の名前は梁山泊三首領のひとり、泊鳳!!

 どうやらあんた達は、俺の敵だったみてえじゃな。」

 編笠を指先で押し上げながら、少年は白い歯をむき出してニヤッと笑う。

 その顔は大目に見積もっても13歳より上には見えない。

 というか11歳の頃のうちの豪毅の方が顔立ちは大人びていたし、体格ももう少し大きめだったと思うし、成長してからはなかなかのイケメンだし…止そう。

 その少年に何故か殴りかかった富樫の拳は空を切り、次の瞬間彼のちいさな身体は、闘場の真ん中にあった。

 

「おーい、早く降りて来いや──っ!!

 俺が相手になるぜい───っ!

 言っとくが、俺はとてつもなく強いぞ──っ!!」

 その闘場の上から、男塾に向かって呼びかける泊鳳少年。

 その挑発に、先ほど拳を躱された富樫が降りていこうとするのを、別の声が止める。

 

「貴様のパンチが通用する相手ではない。

 …さあ、ゴングを鳴らしてもらおうか!!」

 そこには蒼い目をしたサムライが、己の両拳を打ち合わせていた。

 

「J───っ!!」

 

 ・・・

 

「相変わらずの奴よ。」

「フッ、だがわたし達は恐ろしい弟をもちました…。

 泊鳳と戦い、命があった者は未だかつておりませぬ。」

 相手側の陣に立っている偉丈夫と美丈夫が物騒な事を言うのを集音マイクが拾う。

 美丈夫の『わたし達』というもの言いからすると3人は兄弟であるらしい。

 だが偉丈夫の方が『相変わらず』と言ったところを見ると、ひょっとしたら最近は顔を合わせていなかったのかもしれない。

 そして話題の中心である弟はというと、Jが縄ばしごをゆっくりと降りていくのを待つ間、登場に座り込んで弁当をつかいはじめた。

 その箸の動きが止まる。

 どうやら視界の端に、降りてくるJの姿をようやく捉えたらしい。

 

「おお───っ!!

 出て来たな、この命知らずが───っ!

 カッカカ、仲間としっかりこの世の別れの、挨拶は済ませて来たろうな──っ!!」

 このチームさっきからこの『命知らず』って表現好きだな。別にいいけど。

 それはそれとしてこの子、三首領のひとりというからには、少年といえど侮ってはならないだろう。

 少なくともJがこれまで戦ってきた相手の中には、このタイプは居なかったと考えていい。

 ボクシングを戦闘スタイルにとる彼は、そもそも体格に差がある相手との戦闘経験自体が少ない筈だし。

 

 …一番近いのが、私かもしれない。

 ってやかましいわ!

 

 ・・・

 

 Jが完全に闘場に足を踏み入れた事を確認して、泊鳳が立ち上がり、パンパンと腹を叩く。

 

「さーて、食後に軽く、腹ごなしの運動でもするか。」

 空の弁当箱は足元に置いたまま、何故か箸だけは離さずに、戦闘態勢をとるJを指さす。

 

「その構えは西洋でいう、ボクソングとかいう奴だべ。見たことあるぞ。」

 …ひとの戦闘スタイルをなにか音楽のジャンルみたいな響きの言葉にするんじゃありません。

 

「俺をなめない方が身のためだ。

 相手がガキだからといって手加減はせん。」

 いつもは冷静で大人対応なJが、今ので若干キレたかもしれない。

 深く踏み込み、パワーもスピードも充分に乗った左のストレートが泊鳳の顔面に向けて放たれ…た次の瞬間、信じられないことが起きた。

 

「なっ!?」

 泊鳳が先ほどまで弁当を食べるのに使っていた箸を、ひどく無造作に顔の前に出したと思うと、その華奢な二本の棒が、すべてを砕く筈のJの拳を、挟んで止めたのだ。

 しかもどうやらそこに相当な力がかかっているらしく、拳を引き戻そうとしたJの左腕の筋肉が大きく盛り上がっているにもかかわらず、それはそのまま動かず箸の間にある。

 それでも次に至近距離から右の拳をくり出すJ。

 

「おっと!」

 瞬間、泊鳳のちいさな身体は宙に跳び、一瞬その姿をJは見失う。

 

「どこに目ん玉くっつけてんじゃーっ!!

 俺ならここにおるぞ───っ!!」

 目にも留まらぬ速さでJの拳から逃れた泊鳳は間合いの遥か外、10メートルは離れた場所で、短い手足を振り回していた。

 

 …この相手ならJよりも雷電や飛燕、或いは卍丸といった、スピードや体術に秀でているタイプが出ていた方が戦いやすかった気がする。

 相手がどう出てくるか読みにくいタイプだから、気配に敏感な月光もいい勝負ができそうな気が。

 まあ、卍丸や月光は今日は既に戦っていてそこそこ負傷もしている(月光に至っては急所は外したとはいえ胸に矢を受けている)から、また出すわけにはいかないだろうけど。

 さっきの赤石といい、常に人選とタイミングが悪いというか。うーん。

 

「どうもこれじゃやりにくいのう、あんちゃん。

 こうも闘場がだだっ広いと俺の素早い動きにはついてこれず、勝負にならんじゃろう。

 …そうじゃ、いい考えを思いついたぞ!」

 泊鳳がそう言って、拾った石で地面に線を引き始める。

 この年齢の男の子が言う『いいこと考えた』は大抵ろくなことではない、というイメージは偏見だろうか。

 あ、豪毅はそんな事なかったよ。

 戦い方とか荒っぽい事を仕込まれていても、あの子には育ちの良さというか品があった。

 それはさておき即興で引いたにしてはまっすぐな、恐らく6メートル四方くらいの四角形を描いた泊鳳は、少し息を切らしながら、その真ん中で短い両腕を広げた。

 

「ボクソングのリングってな、こんくらいの広さじゃろが!

 俺はこの中から一歩も外に出たりせん!!

 一歩でも足を踏み出した時は、負けを認めて腹かっさばくぞね!」

 言って自分の胸を叩く泊鳳を、Jが呆れたように睨む。

 

「いいのか、そんな大口をたたいて。

 自分で自分の首をしめ、地獄で後悔することになる。」

「フッフッフ、そうかな……!?」

 編笠の陰になった泊鳳の瞳が、少年とは思えない好戦的な輝きを放った。

 

 Jは少し考えてから、その挑戦を受ける事にしたようで、黙ってその即興リングの中に足を踏み入れる。

 そして得意のフットワークを使い、泊鳳に照準を定めながら、その動きを正確に追っていく。

 

「こ、これはたいした足さばきじゃ。

 いくら逃げてもジリジリと追いつめられていくぞね。」

 やけに説明的な台詞を吐きながら、泊鳳は次第に動きを狭められて線の端、ボクシングでいうならロープ際まで追いつめられていった。

 

「ああっ、いかん!早くももう後がないーっ!!」

 自身の引いた線の際で、ぐらつかせた泊鳳の上体に向かって、Jの右のストレートが放たれる。

 

「と、思いきや」

 逸らした上体がバネの如くしなり、下半身を上にした状態で跳躍した泊鳳の脚が、Jの右腕を脚で挟む。

 そのままくるりとJの太い腕の上に乗った泊鳳は、両手の指で下まぶたを引っ張って、あかんべえをしてみせた。

 

「全然、ピンチじゃなかったりして♪」

 明らかに苛ついた様子でJが腕を振り払うと、泊鳳はやはり宙返りをするようにそこから跳躍して、逆立ち状態で地面に降り立つ。

 そこに休ませぬ勢いで駆け寄ったJのパンチが飛ぶも、やはり猿のように素早い動きでそれは躱された。

 Jはそこから休むことなく攻撃を繰り返すが、そのことごとくが掠りもせずに空を切る。

 

「あの体術は確かに見事だが、それ以上に、Jの動きが読まれているようだな。」

 影慶が呟くのに、私やディーノが頷く。

 その事にJ自身も気がついたようで、その表情に焦りの色が見えた。

 

「どうやら気づいたようずら。

 いかにも俺は、體動察(たいどうさつ)の法を会得しておるんじゃ!!」

體動察(たいどうさつ)の法……!?」

 思わずといった体でJが足を止め、泊鳳もそこに攻撃をする事もなく、二人の攻防が一旦停止する。

 

「知らぬなら教えてやろう。

 人間の体というのはその肉体を駆使する寸前、必ず筋肉・表情・呼吸に、微妙な変化が現れる。

 俺はそれにより、貴様の動きを完璧に予見するというわけずら。」

 泊鳳の説明を聞き、うちの拳法辞典が呻くような声で呟く。

 

「ぬうっ、恐るべき奴……!!

 よ、よもやあのような年端もいかぬ者が、體動察の法を極めるとは……!!」

 

 體動察(たいどうさつ)

 肉体には運動を起こす時、大脳から意志を伝達する運動神経の中継機能を持つ體動点がある。

 この全身に張り巡らされた體動点の変化を見極める事を拳法に応用し、完成させたのが體動察である。

 ちなみに目の周りには特に體動点が集中し、古来より諺にある「目は口ほどにものを言う」というのは、このことを証明するものである。

民明書房刊『医学的見地より考察した中国拳法』より

 

 つまりはJの攻撃は全て彼の予測の範囲内。

 勝てるとしたら、わかっていたとしても避けようのない圧倒的なスピードやパワーで対抗するしかない。

 だが現時点ではそれは絵に描いた餅だ。

 

「あんちゃんのパンチも、当たれば相当の威力がありそうだけんど、俺も負けちゃおらん。」

 泊鳳がそう言って、手近にあった大きな石、というよりは重そうな岩を宙に放り投げる。

 それほど高くは上がらず、すぐに目の前に落ちてきたそれに、彼は掌を合わせた。

 

「梁山泊奥義・掌羝破(しょうていは)!!」

 次の瞬間、岩は粉々に砕け散る。

 

「ただの掌底突きではない…!!

 奴は、氣功法をも体得しているのか……!!」

 それを目の当たりにした桃がひとりごちる。

 身体がちいさい分その総量が少ないものの、その練り方は洗練されているようだ。

 というか少ない量を密度を圧縮して解き放つ氣の運用の仕方は、私の使い方に極めて近い。

 

「行くずら──っ!!」

 守勢にまわっていた泊鳳が攻撃に転ずる。

 先ほどの岩を砕いた掌底が連続で突きかかってくるのをJはフットワークで躱す。

 その勢いでつんのめる形になった瞬間、

 

「横へ躱すと見せかけて、実は背後へ回る。」

 まさにその通りの動きをするかしないかのうちに言い当てられ、Jは振り返った相手と真正面から向き合う形となった。

 それでも間を置く事なく、右のストレートが繰り出される。

 

「この右のパンチはフェイントで、本当は左で俺の顔面を狙うつもりだ。

 …全ておまえの動きはわかってるといったはずじゃ──っ!!」

 音速を超えるワンツーの隙間をあっさりかいくぐり、泊鳳はガラ空きになったJのボディに、掌底突きの一撃を食らわせた。

 

「がはっ!!」

 少年の細腕から繰り出されるとは思えないほどの威力が、体重なら彼の倍はあるだろうJの身体を吹っ飛ばす。

 

「ノックダウン──っ!!カウント開始──っ!!

 ワン!ツー!スリー!……」

 恐らくは肋骨の1、2本は折ったのだろう腹部を押さえつつJがそれでも立ち上がったのは、カウントを数えられたボクサーの習性だろう。

 口の中を切ったものか口から血を吐き出し、それからポケットに手を入れて、愛用のナックルを装着する。

 

「どうやら貴様の大口は、ただの思い上がりではなかったようだ…!!

 この俺をマットに沈めたのは、貴様が初めてだ……!!」

 …確かに、桃の時はリングの外まですっ飛んだからね。

 いや、そんな事言ってる場合じゃないけど、私が知る限り、Jがここまで追い詰められるのは、ハッタリでもなんでもなく初めてだと思う。

 桃の時も、雷電や卍丸と戦っていた時ですら、もっと表情に余裕があった筈だから。

 今更ながら、確かに恐るべき敵だ。

 今の年齢でこうなら、成長して身体ができてきたら、どれほど強くなるものか。

 あちら側で見ている兄たちがどれほどの強さであるかはわからないが、この子が持つ天性の才は、兄弟の中でもずば抜けているのではなかろうか。

 不意に、またも御前に居合の稽古をつけられていた頃の豪毅の顔が浮かぶ。

 あの子はとにかく真面目な性格だったから、泊鳳と同じくらいの年齢だった頃にも、戦いながら遊ぶような真似はしなかったと思うけど。

 それにしても、この泊鳳が別れた頃の豪毅と年齢が近いせいか、先ほどからやけにあの子のことを思い出している。

 …そういえば御前のチームはどこまで勝ち進んだだろう。と、

 

「フッフフ、そうだ、それでいい。

 この俺の掌羝破(しょうていは)をくらって、立ち上がって来たのもおまえが初めてだ……!!」

 楽しい遊び道具を見つけたような、少年特有の残酷さを孕んだ笑みを、泊鳳はその幼い顔に浮かべた。

 

 

 だが立ち上がったものの、現時点でのJに決定的な打開策はない。

 

「まだわからんとね!!

 いくらパンチを繰り出そうと無駄だということが!

 あんちゃんの動きは、體動察(たいどうさつ)の法ですべて、手に取るようにわかるぞね!!」

 Jはひたすらにパンチを繰り出しては、まるで桜の花弁のような泊鳳の動きにひらひらと躱され、その合間を縫って攻撃が入る。

 またダウン。Jにとっては屈辱なのだろう。

 いつもの冷静さを完全に失っている。

 

「くうっ!!」

 Jはカウントの声に再び立ち上がると、間髪いれず左のパンチを放った。

 だがその腕をまた泊鳳の脚が挟み、ぶら下がった形のまま、例の掌底がJのボディを打つ。

 

「梁山泊奥義・吊連(ちょうれん)掌羝破(しょうていは)!!」

 その、岩をも砕く掌底突きが連続で入る。

 逃れようにも、泊鳳はJの腕からぶら下がってこの攻撃をしているのだから避けようがなく、Jが滅多打ちにされる。

 その最後の一撃が顎に入ると同時に泊鳳はようやくJの腕を離し、その勢いで飛ばされたJの身体が、みたび地面に倒れた。

 

「今度はカウントを取るまでもあるまい。」

 終了だ、と言いかけて泊鳳が倒れたJを見やる。

 

「タフな奴よ。まだ息があるとは……!!

 アバラ骨すべてを叩き折ったというのに…!!」

 何本かは確実に折れたと思ったけど全部かよ!

 やっぱり大人と違って子供は容赦ないな!!

 あと今は関係ないけど女も。

 女が本気で攻撃する時は、基本、息の根止めるまでやめないんだよね。

 弱い生き物故に、手加減したら自分が死ぬって本能で判断するからね。

 やる時は殺る。やられる前に殺る。これ鉄則。

 …それはおまえだけだって?

 いやいやそんなわけないでしょ。

 誰と話してんのか知らないけど。

 

「さ、さすが梁山泊三首領のひとり…やはりただ者ではなかったな…!!

 出来ることなら、使いたくはなかった。

 だ、だが、そうも言ってはおれんようだ。

 …見せてやろう。俺のニュー・ブロウを……!!」

 …比べると、男にはいざという時の甘さがある。

 この期に及んで隠し玉を温存していたというなら、Jは容赦しないと言いながらも、この子を殺してしまう可能性を避けたかったのだろう。

 

「ま、まさか…あのパンチが完成したというのか……!!」

 息を呑んだような桃の声が聞こえ……。

 

 ・・・

 

「……いや、どれだよ!」

「…え?」「はい?」

「あ、いえ、何でも。

 …その、Jは普段から研究熱心なボクサーでして、割と時間がある時にはトレーニングのかたわらニュー・ブロウの開発をしているので、未完成だった技が幾つかあったのを知っているものですから、つい。」

 

 ☆☆☆

 

 私には幾つもありすぎて特定できなかったJのニュー・ブロウの桃の心当たりは、この天挑五輪大武會が始まる前の事らしい。

 私がいつもの桜の下まで来ると、先にJがトレーニングを始めており、桜とともに舞い散る落ち葉を打っていた時があった。

 私がここで彼や桃と顔を合わせるのはいつもの光景なのだが、その日は珍しく、田沢や松尾、極小路が、少し離れたところから、その光景を見守っていた筈だ。

 

「ありゃなんのトレーニングじゃ?

 さっきからずっと落ち葉を打っているが。」

「アメリカにいた頃からやっていたトレーニングだそうですよ。

 スピードを高める為だと聞いておりますが。」

「相変わらず練習熱心じゃのう、Jは。」

 彼らに混じってそんな会話をしていた時、校舎の方から桃が歩いてきたのを見つけて、手を振った。

 その瞬間。

 それまでとはやや違う角度から放たれたJのパンチは落ち葉に命中せず、その落ち葉が彼の拳の周りを、渦状に回転するのが見えた。

 単にパンチの風圧で飛んだのではない。

 

「J、今のは一体……!?」

 それに興味を惹かれたのだろう、桃が歩いてきて問いかけ、私たちもJのそばまで駆け寄った。

 

「…スパイラル・ハリケーン・パンチ!!

 文字通り凄まじいパンチの威力で、大気中に竜巻を起こすというものだ。」

 そんなにわかには信じがたい話に、思わず一番目線の近い極小路と顔を見合わせると、まだまだモノには出来んがな、とJが微かに笑う。

 

「…こんな話がある。

 昔、157戦157KO勝ちという、ボクシング史上無敵最強とうたわれた、K(キング)・バトラーというチャンプがいた…。」

 

 

 Jの話によれば、彼がニューヨークに滞在した際に、ホテルが大火災に見舞われたという。

 最愛の一人息子と共に最上階に泊まっていた彼は逃げ遅れ、部屋を出た時には、廊下は火の海。

 非常階段は廊下の10メートル先で、業火の中ではそこまでたどり着く前に、二人とも焼け死ぬのは明らかだった。

 チャンプは怖がる息子に言ったという。

 

『わたしの合図と共にこの廊下を、非常階段の扉まで一気に駆け抜けろ』

 そして…奇跡は起きた。

 合図と共に駆け出す息子の背中から、この世で最後にチャンプが放ったパンチが、火の海を斬り裂き、突風のような竜巻を起こした。

 少年はその中を駆け抜けて命を取り留め、チャンプは死んだ…。

 

「だが、そのパンチは伝説として名を残した…それがS(スパイラル)H(ハリケーン)P(パンチ)だ……!!」

 

 ☆☆☆

 

S(スパイラル)H(ハリケーン)P(パンチ)……!!

 それは肉体も気力も極限状態となった時、初めて打てるとJは言った……!!」

 桃がその話をそう締めくくる。

 Jにとっては今がまさにその時ということか。

 

 ちなみにJからその話を聞いた時、理由の判らない違和感を禁じ得なかった事を思い出す。

 Jの話を信じていないわけではなかったが、何かピースがひとつ足りない感じ。

 

 ・・・

 

「フッフッフ、伝説のパンチだと〜っ!!

 おまえの仲間の話はよう聞こえたぞね。

 そんな伝説なんて、つくり話に決まっとるぞね──っ!!」

 馬鹿にしたように笑いながら、さあ来いと泊鳳が、小さな手で手招きをした。

 

「見せてやろう。偉大なるチャンプから引き継いだ遺産を……!!」

 満身創痍の状態で立ち上がりながら、Jがファイティングポーズをとる。そして。

 

「我が名はK(キング)・バトラーJr!!

 くらえ、S(スパイラル)H(ハリケーン)P(パンチ)〜〜っ!!」

 何をしようとしているか、事前にわかっていたところで避けようのないほどの、強力な一撃。

 Jが放ったパンチは、まさにそれだった。

 Jの拳から生み出された竜巻は、真っ直ぐ泊鳳へと向かい、その小さな身体を宙空に吹き飛ばす。

 

「ぎゃわっ!!」

 次の瞬間おかしな悲鳴をあげた泊鳳は、自陣の崖に頭から突っ込んでいた。

 

「Thanks, daddy…!!」

 どこか震えたような小さな声で、Jが呟いた。

 

 

 …泊鳳は見た目に反してとてもタフだった。

 死んでいてもおかしくない、崖の岩壁に頭から埋め込まれたような状態から、崖に手をついて力任せに頭を抜く。

 それから縄ばしごに飛び移り、再び降りてこようとして、足を滑らせて転がってくる。

 頭からひどく出血した酷い姿で、それでも立ち上がった彼に、Jは絶対に乗り気ではないだろう表情で、それでもファイティングポーズをとった。だが。

 

「ま、負けじゃ。俺の負けじゃ。」

 悔しそうな顔をしながらも、少年はその場に跪く。

 

「あんなすげえパンチが本当に存在したなんて…!

 な、なのに俺は、あんちゃんの親父さんを、馬鹿にするような事を言っちまって……!!

 ゆ、許してくれ……!!」

 どうやら、これが言いたいが為に戻ってきたらしい。

 それは、真に誇り高い戦士の言葉。

 なりは小さくともこの子はやはり、一軍を率いる長のひとりなのだ。

 それを認めるようにJも膝をつき、大きな手で泊鳳の手を掴む。

 

「いい勝負だったぜ。

 おまえの強さは想像以上だった!!」

 握手を解いて立ち上がり、自陣に戻ろうとするJの背中に、泊鳳が声を震わせながら叫ぶ。

 

「次会う時はこうはいかねえぞ──っ!!

 もっと強くなって必ず、あんちゃんにリターン・マッチを申し込むけんのう──っ!!」

「ああ、楽しみにしてるぜ。」

 振り返ったJの顔は、何故か嬉しそうに微笑んでいた。

 

 ☆☆☆

 

「なるほどね…先ほどのお話は、J君のお父上の話だったのですか。

 不思議だと思ってはいたのですよ。

 当事者しか知り得ないはずのそのパンチの打ち方を、何故J君が知っているのかと。」

「それだ!」

 男爵ディーノの言葉で、私は自分がモヤモヤしていた部分の正体にようやく気がついた。

 Jと初めて会った時、私を兄と間違えて声をかけた彼は、あの時確かにそう名乗ったではないか。

『キング・バトラー・ジュニア』と。

 足りないピースがようやくハマった気がして、なんだかとてもスッキリして、思わずディーノの右手を握手のように握り、ぶんぶん上下に振り回した。

 …隣で影慶が、なにか残念なものを見るような目をしていたのは気づかなかったことにする。




光、桃、Jの3人をトレーニング仲間にしておいたのは、ここの回想シーンに混ざりたかったからって理由が一番だったのです。
光を強くする目的が最初からあったわけじゃありませんでした。


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11・麗人

「これで梁山泊三首領のうち、残すは二人…!!」

「だがJがあのチビにさえ、あれだけ苦戦を強いられたのだ。

 次の対戦相手も、かなりの強敵の筈。」

 雷電と伊達がそんな事を言っているのをよそに、『次は俺が出る』『いや俺が』のもはや様式美と化したやり取りを虎丸と富樫が交わし始める。そこに、

 

「退けいっ!!

 もはや貴様らが出る状況ではない!!」

 と進み出てきたのは死天王がひとり、羅刹。

 なんかかっこよくマント脱ぎ捨てて登場したのはいいけど、気のせいかさっき赤石の古いシャツを持ってきた時と、身につけている防具が変わっている気がする。

 わざわざ着替えてきたのか、このお洒落さんが。

 もっとも、この男たちほぼ全員、何を着けていようが肝心の急所は一切守られていないわけだし、防具なんて単なる装飾品でしかないんだろうけど。

 そういや赤石が初めてJと会った時、彼の着けているナックルを見て『男のアクセサリーにしちゃ派手すぎだ』なんて言ってたけど、そういう自分は戦いを重ねるごとに無駄に派手なデザインの防具増えてるじゃんと小一時間問い詰めたい。

 Jなんか武器であるアレ以外はズボンだって制服のまんまで、シンプルこの上ないぞ。

 それはさておき、押し退けられた解説組が『いくら先輩でも聞き捨てならない』とか言って詰め寄るのをひと睨みで黙らせて(無駄に貫禄あるからねこのひと…メンタルは豆腐だけど)、どうしてそこにあったのかよくわからない大きめの岩を掴んで宙に放ると、それに向かって指拳を撃つ。

 勢いで落ちてきたそれを受け止めた虎丸の手の中で、岩からチョーク様の形の石が飛び出したかと思うと、その飛び出した部分に穴があいていた。

 

 鞏家(きょうけ)極意、兜指愧破(とうしきは)

 すべてを貫くというその指拳の鋭さを目の当たりにした後輩たちが、いってらっしゃいとその背を見送る。

 闘場に降りていった羅刹を迎えたのは、先ほどあちらの陣に立っていた、泊鳳が兄と呼んだ男たち2人のうちのひとり、何やら日本の平安貴族みたいなデザインの着物を身につけた美丈夫だった。

 この人たち、中国人じゃなかったんだろうか。

 まあ、日本語喋っ……いや、これ以上はこの世界の禁忌に踏み込みかねない、止そう。

 それはそれとしてこの青年、やたらと綺麗な顔はしているのだが、何か全体的にそこはかとない不気味な雰囲気を漂わせている。

 同じ美人さん枠でもうちの飛燕とは大違いだ。

 ちなみに塾近隣の女子高生や女子大生の間で飛燕は評判になっているらしく、他の塾生達のことは恐いのか近寄っていかないようだが、私などは近所に買い物に行こうとして校舎の門を出た途端に『飛燕さんに渡してください』と手紙やら手作りのお菓子やらを渡される事が(お菓子は時々『これは光君の分』とついでに貰える事も)結構あるのは、彼が割と爽やか系の、親しみやすい美人さんだからだろう。

 こっちの美丈夫が男塾に居たとしても、そういう現象は起きないと思う。多分だけど。

 

「わたしの名は梁山泊三首領、山艶!!

 …フッ、出来の悪い弟を持つと苦労するものです。」

 いやアンタさっき泊鳳の事、恐ろしい弟をもったとか言ってたじゃん…。

 ていうかこの三人、兄弟って割に全然ひとりも似てないんだけど、泊鳳がもう少し成長したら上のどっちかに似てくるんだろうか。

 関係ないが私と兄は男女の双子のわりには似ていると言われていたが、Jには『顔はそっくりだが、笑った顔ひとつ取っても表情の作り方が全然違った』、赤石には『今思えばあいつの方が、おまえよりよっぽど色気があった』と言われた。

 赤石にはとりあえず大雨の日に深い水たまりに足突っ込んで靴は無事なのに何故かくつ下だけビッショビショになる呪いをかけておこうと思う。

 まあそんな事より、

 

「その構えは、鞏家(きょうけ)兜指愧破(とうしきは)……!!

 それもかなりの使い手とお見受けしました。」

 羅刹が人差し指と小指を立てた独特の戦闘態勢を取ると、それを見て山艶が、そこだけで私ならばブラウスの2枚は作れそうなたっぷりとした(たもと)から、扇子のようなものを数本取り出した。

 

「だがその自慢の拳も、わたしの体に触れることさえ不可能……!!

 あなたは全身を血に染め、斬り刻まれて死んでいくのです!!」

 言いながらその扇を全て開き、羅刹に向かって投げ放つ。

 

「梁山泊奥義・鶻宙(かっちゅう)扇舞殺(せんぶさつ)!!」

 …取り出した数と投げた数が合わない気がするのは気のせいだろうか。

 まあそんな事はどうでもいい。

 羅刹はブリッジ状に体を反らせてその無数の扇を避けるが、それは羅刹の周囲を舞うように回転しながら飛んでいるだけだ。

 

「…なんの真似だ、これは。

 どうやら扇には刃が仕込まれているようだが、舞うだけで攻撃をかけて来ねば、なんの意味もない!!」

 一応は警戒の体勢は取りつつも羅刹が言うと、山艶はどこか蠱惑的な笑みをその唇に浮かべる。

 

「フフッ、そうです。

 その扇たちは、ただあなたの周囲を舞い続けているだけ……!!

 だが当然、これだけではないのです!!」

 言うや、山艶は地面を蹴り、身体を反らして一回転しながら跳躍すると、羅刹の周囲を舞い続ける扇の上に、()()()

 

「なっ!!」

 その扇が重さで落下するより前にそれを蹴り、次の扇の上に乗って…それを、繰り返す。

 

「おわかりになられましたかな。

 これぞ扇舞殺(せんぶさつ)、真の意味!!

 もはやあなたに、逃れる術はありません!!」

 

 

「ぬううっ!!恐ろしい男よ……!

 あれはまさしく鶻宙身(かっちゅうしん)の法!!」

 ここでまた雷電の説明が入る。

 

 

 鶻宙身(かっちゅうしん)の法…

 数ある中国拳法秘奥義の中でも、最高峰に位置する技。

 この技の真骨頂は、ある一点に着地する時、その全体重がかかる寸前に、次の一点に素早く連続移動し、一点あたりにかかる負荷を無に等しくすることにある。

 この究極の身軽さを得るには、指一本で倒立し、地に並べた卵を潰さずに移動し続けるだけの修練が必要である。

 この鶻宙身(かっちゅうしん)の法を応用した、最大の秘奥義が鶻宙(かっちゅう)扇舞殺(せんぶさつ)である。

民明書房刊『独習中国拳法』より

 

 …確かにすごい技なんだろう。

「人間技じゃねえ」とか富樫が叫んでるし、雷電が説明しながら息を呑んでるのもわかる。けど…。

 

「…水の上でなら、羅刹も似たような技を持ってましたよね?

 確か、妙活渡水(みょうかつとすい)の法でしたっけ。」

 まあ、水には表面張力というものがあるから、空気とは違うのかもしれないけど。

 

「あと三面拳も、やろうと思えば似たような事、できる気がするんですけど。

 私、大威震八連制覇の時、転がる大きな鉄球の上に乗って静止してる月光を見ましたし。」

「……は?転がる球の上で?

 それは、物理的に不可能では?」

(ワン)先生が仰るには、静止しているように見えるくらい小刻みに、上で跳ねていたらしいです。

 あの3人は体術に於いて抜きん出ておりますし、月光があの図体でできる事を、雷電や飛燕ができないとは思えません。」

 身軽さは体重そのものではない、私にもそのくらいの事はわかるが、同程度の技量を持つ者同士ならば、体格差はそれなりに影響する気がする。

 

「…俺は、どうやってあの男に勝ったんだ…?」

「そこで己の勝利を疑うのはやめてください、影慶。

 月光に対して、失礼です。」

「む……そ、そうだな。」

 うん、まあ、そんなことよりも。

 

「いくぞ!!」

 山艶が降り立った扇のひとつを、刃のついた部分を羅刹に向けて、また飛びたつ。

 恐らくは反射的に、それに向けて攻撃してしまったのだろう羅刹の、左手の小指が、次の瞬間、落ちていた。

 そこからの出血を一時止めるべく、羅刹は裂いたサラシを、無事なもう片方の手と口を使い、素早く巻きつける。

 その間にも山艶は扇の上を移動し続けており、あんな重たそうな衣を身につけているくせに、まるで体重など存在しないかのようだ。

 

「この技にかかり、未だかつて生きながらえた者はおりませぬ!!

 さあ、潔く覚悟をお決めになることです!!」

 弄うように次々と扇に飛び移る山艶に、羅刹が兜指愧破(とうしきは)で攻撃するものの、彼が追う山艶はほぼ残像だ。

 正直、羅刹にとっては相性的に最悪の相手じゃなかろうか。

 羅刹にスピードがないとは言わないが、彼の身軽さは主に高所での闘いで生かされるものであり、基本的にはパワー特化型だと思う。

 そうして羅刹が攻めあぐねているうちに、山艶はやはり袂に仕込んでいたらしい手甲型の刃物を装着していた。

 

「次は小指では済みません!」

 扇の上から斬りかかっては離れて、離れてはまた斬りかかる。

 抵抗も防御もままならず羅刹の身体が切り裂かれていき、ひとつひとつの傷はギリギリ急所を避けているものの、このまま体力を削られ続けてはいずれ殺られる。

 

「卍丸にセンクウ──っ!!

 あんた達はよくもそんなに冷静でいられるな──っ!」

 と、自陣の方から虎丸が、なにか苛立った声で叫んでいるのが聞こえてきて、思わずそちらに目を向ける。

 ほぼ八つ当たり気味に怒りを向けられた2人は、それでも眉ひとつ動かさずに闘場を見つめていた。

 

「貴様らは、わかっておらんのだ…!!

 羅刹という男の、真の恐ろしさが……!!」

 声音にも動揺を何一つ滲ませずそう言ったセンクウに、卍丸が頷いて続ける。

 

「これから起こることを、目ン玉ひん剥いてよく見ておくがよい。

 鞏家(きょうけ)兜指愧破(とうしきは)、最大の奥義を……!!」

 その言葉に虎丸だけでなく、他の闘士達も息を呑む。

 ふと、隣に目を向けると、彼らもまたセンクウや卍丸が羅刹に向けるそれと、同じ目をして闘場を見つめている。

 羅刹はこのまま負けはしない。

 それは揺るぎない信頼からの、確信だった。

 

 

「大したお人です、貴方という方は!!

 これだけの攻撃を受けながらも、急所は全て庇っている!!

 だがこれ以上貴方が血を流して苦しみ、むごたらしく死んでいく様を見るのは耐えられない…次の一撃でひと思いに楽にして差し上げるのが、せめてものわたしの思いやりです。」

 まるで何人もいるかのようにすら見える山艶が、いかにも哀しげにそう言ってのける。が、

 

「せめてもの思いやりか…言い方もあるものだな。

 本音は、舞っている扇の滞空時間が限界に達し、早くに勝負をつけたいのだろう!!」

 うん、さっきに比べると、飛び回る扇の位置が低くなってきていると、私も思っていた。

 より高い位置からの攻撃が有利なのは、闘いにおいての鉄則、らしいからな。

 

「……そこまで読んでおられるとは!!

 おっしゃる通りです。

 だが、わかったところで貴方に打つ手はない。

 死んでもらいます!!」

 本当に複数いるかのように四方八方から襲いかかってくるように見える山艶を、羅刹は睨みつける。

 

「待っていたぞ、この時を!!」

 たとえ分身して攻撃したにしても、攻撃対象の羅刹は1人だ。

 つまり一斉攻撃の瞬間、攻撃者のいる位置が狭い範囲に特定される。

 その瞬間に攻撃するつもりなんだろうと、私は思っていたのだが…違った。

 羅刹はその場から大きく跳躍して山艶の刃を躱すと、空中で体勢を変えて頭を下にし、例の攻撃の構えのまま両掌を合わせる。

 

「見るがいい!!

 鞏家(きょうけ)最大奥義、兜指愧破(とうしきは)土錐龍(どすいりゅう)!!」

 羅刹はとんでもない勢いで回転しながら、山艶に向かって落下する。

 だが山艶はそれに気付いてすぐさま跳躍して身を躱すと、羅刹の体重と回転と落下の衝撃で、山艶がそれまでいた場所の地面が砕けた。

 土塊が周囲に散って、一瞬その場所の視界の一切を遮る。

 次の瞬間、ふわりと地面に降り立った山艶は、勿論かすり傷ひとつ負ってはいない。

 

「フッ、残念でしたね。

 確かに大した威力の、上空からの攻撃……!!

 だが、それも躱されては何の意味も……っ!!」

 だが、余裕の笑みを浮かべていた山艶の目が、次には驚きに見開かれる。

 そしてそれは、私たちや味方の闘士達も同様だった。

 

「ど、どうなってんじゃ、あれは…!?」

「消えた…じ、地面への落下と同時に、羅刹がいなくなっちまった……!!」

 そう、落下により地面が砕けた、その土煙が晴れた闘場の上に、羅刹の姿はなかった。

 そればかりか、気配すら完全に消している。

 その辺は、黒闇殺(こくおんさつ)を極めた羅刹にとっては朝飯前の筈だ。

 大威震八連制覇の時は、同じ技をより上手(うわて)に極めていた伊達にお株を奪われた形になったが。

 

「恐ろしい技よ…これからあの山艶とやら、凍てつくような恐怖を味わう事になる……!!」

 恐らくはその全貌を知っているのであろうセンクウの言葉が、自陣に重く響いた。

 

 “どこを見ている!!俺はここだ…ここにいる…!!”

 あの時、伊達にかけたのと同じような言葉で、羅刹は山艶を挑発する。

 違うのはあの時の伊達とは違い、山艶が明らかに狼狽えている事か。

 その山艶がハッとして足を止めた瞬間、それはいきなり地中から現れた。

 

「ぬおっ!!」

 辛うじて直撃を避けたものの、山艶の大腿部からは血が滴り、衣を染めている。

 

「な、なに……!!」

 呆然と見下ろしたそれに、信じられないと言った風に山艶が表情を歪める。

 それは、地面から突き出た羅刹の太い腕。

 これにはこちら側も驚きを隠せない。

 ていうか、軽いホラーだ。

 

 “これぞ兜指愧破(とうしきは)土錐龍(どすいりゅう)、真の意味!!

 土錐龍(どすいりゅう)とは、古代中国伝説の、地に潜むという魔物のこと……!!”

 あ、やっぱりホラーなのか。

 てゆーかさっきから天の声が『仲間は呼びません』とか言ってるが何の話だ!

 

「き、貴様──っ!!」

 確実に冷静さを失った山艶の持つ刃がその腕に向かって振られるが、羅刹の腕はそれよりも早く地に潜る。

 

 “どうした、先ほどまでの余裕は…?

 顔つきや、言葉遣いまで違ってきたぞ!

 貴様には俺がどこにいるかわからんだろうが、俺には貴様の動きが、手に取るようにわかる!!”

 やはり伊達と戦った時に言ってたのと同じような台詞の後、どこから来るとも知れない攻撃に、今度は山艶の方が翻弄され始めた。

 次々と地面から突き出て襲いかかる指拳を、ギリギリ避けるだけで精一杯のようだ。

 更に時々少し離れたところに音を立てて、フェイントも交えているらしい。

 

「つ、土の中、動きは知れて……ぐはっ!!」

 移動速度はそれほどでもないと見て、山艶は防御より広範囲への移動を試みる。

 だが思いのほか羅刹の移動速度が速く、身を低くして駆け抜けようとした山艶の胸に、浅からぬ傷をつけた。

 

「そ、そうか、兜指愧破(とうしきは)の鋭い突きで、地中をかき進み攻撃しておるのか──っ!!」

 現場の富樫さん、実況ありがとう。

 

「フッ、さすがだ羅刹とやら。

 だが貴様はひとつ、重大な事を忘れている。

 …俺にはこの、鶻宙(かっちゅう)扇舞殺(せんぶさつ)があることを!!」

 言って山艶は、足元に全て落ちきっていた扇を拾って、再び飛ばす。

 一応考えてここまで移動してきたわけか。

 ていうか、さっき羅刹が指摘した通り口調が変わって、一人称まで『俺』になってる。

 恐らくはこっちが素なのだろうな。

 まあそんな事よりも。

 

「…気付いていませんね。」

「そのようだな。」

 山艶は高く跳躍して、先ほどと同じように扇の上に乗る。

 

「いくら貴様とて、そう土中で息が続くものではあるまい!!

 俺はまたこの法で空中にて、貴様が息つぎをする為出てくるのを待てば良いのだ!!」

 だが先ほどとは違い、体重などほとんどかからぬ筈のその脚が乗ると同時に、扇は傾き、地面に落ちる。

 次の扇に移ろうにも最初の足場を失った山艶の足も、同じように地に着くしかない。

 

「どういう事だ…お、扇の浮力が……!!」

 “貴様が宙へ逃げる事は読んでいた……!!

 扇には、すべて風穴を開けてある”

 そう、先ほどまでずっと地面に接していた扇は、羅刹が地中に潜っている間に、兜指愧破(とうしきは)の餌食になっていた。

 その事実に呆然となり、一瞬動きの止まった山艶の前で、隙を逃さず土の中から現れた巨体は、その鋼の指をもって、山艶の首筋から胸までもを斬り裂いた。

 

 

 地面に膝をついた山艶は、それでもなお立ち上がろうとする。

 

「今の一撃、寸前で急所を外したのは見事だった。

 貴様ほどの男、出来る事なら殺したくはない。」

 だから降参しろと促す羅刹に、彼を睨みつけながら山艶は、手の刃を振り上げた。

 

「笑止…この梁山泊三首領のひとり、山艶に向かって……!!

 真の勝負はこれからだ──っ!!」

 その攻撃は破れかぶれのようにしか見えず、羅刹はため息をひとつついた。

 

「やむを得まい…!!」

 突き掛かってくる刃を躱して羅刹は跳躍すると、再び先ほどの土錐龍(どすいりゅう)を放つ。

 やはりそこから身を躱した山艶は、羅刹が地中に潜ったと見るや…何故か、嗤った。

 

 

「なんだ、今の笑みは……!?

 まるで羅刹に、土錐龍(どすいりゅう)を仕掛けてこいとばかりの余裕……!!」

 気がついたらしい桃の声が、やけに緊迫して聞こえた。

 

 なんていうか、うん。

 戦う男の悪い癖が出たんだと思う。

 強い男ほど、そこに甘さが出る。

 必勝を期するなら、降参すれば命は助けるなんて余裕かましちゃ駄目だよなと、そう思ってしまうのは、私が女だからなのかもしれないが。

 本来ならあれで終わっていた筈の勝負が長引いた事に不安しか覚えず、気がついたらディーノのマントの端を、私は握りしめていた。



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12・何を犠牲にして、裏切っても

『アンタんとこ大丈夫ー?』
「停電にはなってるけど水もガスも出るし特に被害はないよ」
『良かったー。うちも、モノ落ちてきて旦那が頭から血ィ出てるけど大丈夫ー』
「いやそれ大丈夫じゃねえわ!」
…以上、地震後に電話きた下の姉との会話。


 “まだわからぬか。

 数ある中国拳法にあって、奥義中の奥義といわれる、この鞏家(きょうけ)土錐龍(どすいりゅう)!!

 未だかつてこれに挑戦し、命のあった者はおらぬのだ……覚悟はよいか!!”

「ならばわたしが、その最初の者として名を刻むことになる……!!」

 深い傷を負いながらも笑みを浮かべ続ける山艶が、服の袂から何か、拳大の黒い玉のようなものを取り出して、地面に投げ放つ。

 

「フッフッフ…土錐龍(どすいりゅう)、敗れたり…!!」

 それは真っ黒な煙を発生させ、彼の姿はその中に消えた。

 …同じ地上で相対している状態であれば、煙幕で身を隠すという戦略もありかもしれない。

 だがそもそも、地中にいる羅刹は山艶の姿を目では捉えておらず、気配で察知しているわけだから、この行動に何ら意味があるとも思えない。

 そして、それほど時間も置かずに風で晴れてきた煙幕の間から…現れたのは、鬼女。

 

「梁山泊秘奥義・凶獬(きょうかい)面閶殺(めんしょうさつ)!!」

 …もとい、鬼女の面を着けた山艶だが、それ以外に何ら変わった様子はない。

 

 

「さ、山艶が化物に変身しやがった──っ!!」

「違う、よく見ろ!!

 奴は、般若の面を着けただけだ!!」

 うちの陣でギャラリーが騒いでいるが、正確には般若通り越した真蛇ってやつだね。

 一般的に能面でいう般若というのは嫉妬に狂って鬼となった女の顔と言われているが、鬼のランクとしてはまだ先がある状態だったりする。

 ちなみにその手前は生成(なまな)りと呼ばれ、その状態ではまだ女性としての面影が残っているのが特徴だ。

 完全に恨みきるのにまだ迷いがある、女性らしい葛藤や哀しみを感じられる痛々しい姿といえよう。

 般若と真蛇の見分け方は、耳があるかないか。

 完全に鬼になりきった真蛇の状態では、もはや人の言葉など聞く耳を持たない、という意味だそうだ。

 …と、随分前に私が手にかけたターゲットに、能の家元の次男というのがいて、彼と交際している時に教えてもらった。

 まあ、そんな事は今はどうでもいいけど。

 

「さあ、どこからでも来るがよい、羅刹。」

 …見た目より通気性の高い面であるのか、思ったよりくぐもっていないクリアな音声で山艶が言いながら構えを取る。

 

 “凶獬(きょうかい)面閶殺(めんしょうさつ)だと…?

 なんの真似だ、それは……!?

 その面を被るために、わざわざ煙幕をたいたというのか……!?”

 どこか拍子抜けしたような響きをもって、羅刹の声が問うた。

 

「フッフッフ。気になるか、この面が……!!

 さあ、どうした?」

 勿論それに答えることなく、山艶は羅刹を挑発する。

 

 “そんなハッタリなど、俺には通用せん”

 その声とともに羅刹の攻撃が開始され、先ほどと同様……否、胸に負った傷のせいなのか先ほどよりもやや緩慢に見える動きで、それでも山艶はそれを躱している。

 正直、羅刹が無駄な余裕かました先ほどからいやな予感しかしないのだが、私の考えすぎなんだろうか?

 

「なんのつもりだ、あの般若面はよ──っ!!」

「顔に傷つけられるのを恐れてガードしてんじゃねえのか!!

 一気に勝負をつけちまえ──っ!」

 などと呑気な事を笑いながら富樫や虎丸が言う傍ら、

 

「気づかんか、桃…!!

 おかしい、山艶の動きが何か変だ……!」

 伊達が、どこか不安げに呟いたのに、桃が頷く。

 それは、何かおかしいというのはわかっているものの、何がと言われると答えられないもどかしい感覚。

 そうしている間にも羅刹の攻撃は激化しており、それに対応する山艶は防戦一方に見えるのだが…。

 

「般若の面とは、人間のもつもうひとつの顔を象徴しているとききます。

 それは、決して人目には晒されることのない暗黒面…。」

 どこか暗示するような飛燕の呟きに、桃が何かに気づいたように声を上げた。

 

「い、いけない羅刹──っ!!

 や、やめろ──っ、その山艶は──っ!」

 

 

 どこから出て来るか判らない羅刹の腕を避け、それに攻撃する為に山艶が刃を構えた瞬間、その仮面の背後の地面を割って、羅刹がその姿を現わす。

 

「これで決まったな。

 完全に後ろを取った!!山艶、貴様の負けだ!!」

 言いながらその鋭い指拳を山艶の背に突き立て…

 

「フフッ、かかりましたね…!!

 負けは貴方です、羅刹!!」

 次の瞬間、刃を着けた山艶の右腕が、あり得ない角度で後方へと向かい、羅刹の胸板を貫いた。

 自身に起きた事が信じられないといった表情で体勢を崩す羅刹の前で、後ろを向いたままの山艶の左腕が、またもあり得ない角度に曲がる。

 

「わたしの背後を取ったと思ったのが、貴方の不運…これぞ凶獬(きょうかい)面閶殺(めんしょうさつ)、真の狙い!!」

 人体の構造的にあり得ないほど後ろ側に上げられた山艶の左手…いや、よく見ればそれは、親指の位置からすると右手のようだ…が、その後頭部の長い髪をかき上げると、そこから山艶の綺麗な顔が現れた。

 

「おわかりになりましたか。

 凶獬(きょうかい)面閶殺(めんしょうさつ)の極意は、己の五体の関節を外し、表裏を逆にしても動きを可能にすることにあります。」

 山艶がそう言いながら、手足の逆向きになった関節を戻していく…が、その光景は、実に気色悪かった。

 せっかく綺麗な顔してるのに台無しだ。

 

「あの煙幕の中で、それと同時に着物も逆にし、後頭部に面を着けたのです。

 そして貴方が背後を取り、一瞬の油断が生じるのを待っていたというわけです。」

 戦いに如何にも不向きそうな、袂や裾に余裕がありすぎる衣をわざわざ身につけていたのはこの為だったか。

 てゆーか、一応騙し技なんだけど本人は真正面から堂々と敵と相対してるってあたり、卑怯なんだかそうでないんだか今ひとつわからない技だな!!

 

 凶獬(きょうかい)面閶殺(めんしょうさつ)

 中国拳法屈指の奇襲策として知られるこの技の発祥は、秦代末期の()筴振(ばしぶる)と陳栄公による『紅原の決闘』にある。

 はるかに技量の勝る陳に対して、李は己の甲冑すべてを表裏逆に着用して後ろを向いていると錯覚させ、油断して近づいてきた陳を、一撃のもとに倒したという。

 後に、関節を逆にするまでにそれを発展させ、完成したのが凶獬(きょうかい)面閶殺(めんしょうさつ)である。

 ちなみにこの噂はシルクロードを通じて西欧にまで伝わり、現代英語で表裏自在を意味する『リバーシブル』は、()筴振(ばしぶる)の名が語源である。

太公望書林刊『シルクロードの彼方』より

 

「ま、負けん…負けるわけにはいかんのだ……!!」

「羅刹…貴方の名は忘れません……!!」

 勝負への執念を見せながらも、その身体と共に地に落ちる羅刹の指拳を見下ろして、山艶がどこか哀しげに言葉をかけた。

 

「奴の闘いは、まだ終わってはいない……!」

 どうして平然としていられるんだと、号泣しながら詰め寄る虎丸に、卍丸が闘場を見据えたまま呟く。

 それに隣のセンクウが頷いて、どういう事だとでも言いたげな後輩たちの為に、その先を続けた。

 

「奴の名は男塾死天王、羅刹……!!

 あの三日三晩の地獄の拷問をも生き抜いた、不死身の男だからよ……!!」

 なんの話か問おうと影慶の方を見ると、私と同じことを思っていると何故かはっきりわかる表情で、影慶が男爵ディーノの方を見ているのが目に入った。

 …さっきの赤石の話と同様、影慶が男塾に来る前の話ってことね。

 

「どうしました、わたしの次の対戦相手はどなたですかな。」

 だがディーノが口を開く前に、素早く衣の前後を元通りに直した山艶が、男塾の陣に向かって声をかけた。

 臆病風に吹かれて出てこれないのかと薄く笑った、その表情が固まる。

 その視線の先で、倒れていた羅刹の手が上がり、独特の指拳の型をとる。

 刃に貫かれた胸から多量に出血しながらも、羅刹はその大きな身体を、ゆっくりと立ち上がらせていた。

 その瞳に闘志を漲らせたまま。

 羅刹は、まだ諦めてはいない。

 豆腐メンタルとは何だったのか。

 その強い意志だけが今、彼の瀕死の身体を動かしている。

 

「どうやらわたしは、とてつもない相手と闘っていたようですね。」

 言って山艶は再び、先ほどの手甲の刃を装着する。

 それを視線で牽制しつつ、羅刹は腰の防具の背中から…多分そうだ、絶対ズボンの中からじゃない…、なにを思ったか、ひとふりの短剣を抜き出した。

 まあ、相手が武器を所持している以上、条件的に対等ではあるが、正直こんな貧弱な武器よりも、羅刹の指の方がよほど殺傷力があると思う。

 そんな私の心の声が届いたわけではあるまいが、羅刹はその短剣を何故か口に咥えて、手は兜指愧破(とうしきは)の構えを取る。

 

「なんの真似ですから、それは!?

 …まあよいでしょう、もう一度、地獄へ送り返すのみ!!」

 それを訝しげに見ていた山艶だったが、自身の優位は揺るがぬとみてか、真正面から羅刹に斬りかかった。

 その切っ先を跳躍で躱し、空中で整えた体勢から繰り出した羅刹の技は。

 

「あ、あれはまたもや鞏家(きょうけ)最大奥義、兜指愧破(とうしきは)土錐龍(どすいりゅう)〜っ!!」

 全部言ってくれてありがとう、富樫。

 だが山艶は余裕の表情のまま、最初の落下からの一撃を躱す。

 

「なんという勝負への執念……!!

 どこにまだそんな体力が残っていたのか。

 良かろう、どこからでも来るがいい。」

 驚きながらもどこか面白そうに笑う山艶が、全方向に対応する構えをとった。

 

「貴方の最後の気力と体力を振り絞って仕掛けた土錐龍(どすいりゅう)…!!

 もっともわたしには、自らの墓穴を掘ったとしか思えませんがね!!」

 そう、今の羅刹にとってはこの技はおろか、単に気配を殺すだけでも、相当な身体の負担になっている筈。

 このまま時を経ればそれだけで死んでしまうのではないかとすら思うほどに。

 

「教えてください先輩…さっき言った、三日三晩の地獄の拷問とは……!?」

 そんな中、桃が先ほどのセンクウの言葉の意味を問うた。

 いやそれ今聞くのとちょっとだけ思わなくもなかったが、私も聞きたかったからつっこむのはやめておく。どうせ聞こえないし。

 

「良かろう、聞くがよい。

 あれは貴様等一号生が男塾に入塾する数年前のこと……!!」

 

 

 センクウが語るところによると、その頃男塾は西国の長年の宿敵との闘いに決着をつけるべく動いており…って男塾、長年の宿敵多過ぎだよね!?

 さっきの赤石の時に聞いた話もそうだし、確かこの大武會が始まる前にも、そんな言葉を蝙翔鬼からも聞いた気がするよ!!

 それはさておき、敵地奥深くに陣を置いて、最後の戦期をうかがっていた時に、その事件は起きた。

 偵察に出ていた羅刹率いる小隊が、部下の不注意からその存在を敵に感付かれ、羅刹共々囚われの身になってしまったのだという。

 痛めつけられ半死半生となった部下たちの身体はロープで括られて、崖の上の大きな木に吊るされ、その端を羅刹が握らされた。

 手を離せば部下たちは崖下へと、真っ逆さまに落下する。

 手足も満足に動かないほど痛めつけられた上、ロープで一纏めに括られた部下たちが、谷底へ落とされればひとたまりもない。

 自身の部下の命を自分が握る事となり、反撃も抵抗もできぬまま、羅刹は男塾の本隊の居場所を吐かせようとする敵の拷問を受けた。

 生爪を剥がされ、身を削がれ、焼いた鉄の棒を身体に押し付けられ。

 自分たちの為に、人が考え得るありとあらゆる拷問をその身に受ける羅刹の姿に、もう手を離して反撃してくださいと部下たちが懇願しても、羅刹はロープを離さぬまま、三日三晩耐え続けた。

 そのうち何をしても呻き声も上げず、反応すら示さなくなった羅刹に、敵は死んだと判断した。

 ロープを離さないのは死後硬直のせいと判断され、近寄ってきた敵兵が、握りしめた彼の指を開かせようとする。

 その油断が彼らの命取りだった。

 羅刹は待っていた、その瞬間を。

 動けない自身の手の届く位置に、無防備に全員が立ったそのタイミングを。

 意識も肉体もほぼ朽ち果てた状態で、羅刹はロープを口に咥えて支え、片方自由になった左手の指が、一瞬にして敵兵全員の額を貫いた。

 

「…そして奴の位置を把握し、ようやく救出のために駆けつけた我々が見たものは、まさにインド神話の、鬼を喰らって生きるという鬼神『羅刹』の姿……!!

 敵を全滅させ、血の海に仁王立ちしながら、まだロープを離さない、奴の姿だったのだ……!!」

 絶体絶命の窮地からも死線を超越する程の、あくなき勝利への執念…それが羅刹という男だと、絶対の信頼をもって卍丸がその話を締めくくる。

 その凄まじい話に、その場の全員が息を呑んだ。

 

「フフッ、どうしました。

 まさか、そのまま地中で死んでしまっているのではないでしょうね。」

 違うと信じたいが、そうなっていてもおかしくないくらい、羅刹は重傷なのだ。

 声をかけてから山艶が、何かに気付いたように地面の一点に目をやる。

 どうやら土に羅刹の血が滲んでいたようで、山艶は羅刹が攻撃を仕掛けてくる位置を特定してしまったらしい。

 果たして、地面から突き出してくる羅刹の太い左腕を難なく躱し、カウンターのように手甲の刃を、羅刹の身体があるとおぼしき位置に向けて、躊躇なく深く突き立てた。

 

「ラ、羅刹──っ!!」

 

 

 その瞬間、信じられないことが起きた。

 

「か、かかったな…山艶……!!」

 地面から突き出た腕はそのまま、羅刹の身体が山艶の背後の地面から現れる。

 攻撃直後の完全に無防備な背後を取られ、山艶が反応するも、それは一瞬遅かった。

 何とか振り返り、羅刹に向き合ったその胸板が、鋭い指拳に貫かれる。

 

「うおお──っ!!」

 自身に何が起こったか理解できず、絶叫する山艶の胸から、吹き出した血が飛び散って、闘場の地面を染めた。

 

「な、なんだと…貴様、そ、その腕は…!!

 地中へ潜る時に持っていた短剣は、そ、その為に……!!」

「腕一本……勝利の為なら惜しくはない……!!」

 言いながら苦痛に顔を歪ませる羅刹の左腕の肩から先に、あるべきはずのものがなく、それは未だに地面から突き立ったままだ。

 

「な、なんという男よ……羅刹。」

 左腕一本切り落として囮にするなど、誰が考えるだろう。

 もはや闘う力もなく、あとは倒れるがままの山艶は、だがその美しい顔に、どこか満足げな笑みを浮かべた。

 

「貴方ほどの男に負けたのなら、悔いはない……!!」

「そのセリフは、そのまま貴様に返そう。

 俺も、貴様になら負けても悔いはなかった…!!」

 それは、互いの命を握り合った同士、互いにしか判り得ない絆だったのだろう。

 満足げに倒れた山艶の骸を見下ろした羅刹の表情には、厳しいながらもどこか優しげな色が混じっていた。

 

「あれが男塾死天王・羅刹という男よ……!!」

 そう呟いたセンクウの声が、震えて聞こえた。

 

「大したことはない、カスリ傷だ。」

 歩いて自陣に戻ってきた羅刹が、心配して駆け寄る仲間たちに向かって、一番に発した声がこの言葉だった…馬鹿かお前は!!

 

 ☆☆☆

 

「…ん、何を……!?」

「じっとしていてください。

 肉体の欠損に対する処置を、光から教わっています。

 …申し訳ありませんが、先輩方、手伝っていただけますか。

 腕と、指を、落ちないように、しっかり固定してください。

 そして、ここと、ここに……!!」



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13・僕のいくところへついておいでよ

ようやく書きあがって投稿したら、間違って小石の方に投稿してた。
よ、予約投稿で良かった……!!


「…この準決勝に勝ったら、本当ならすぐに私たちは次の会場へと移動しなければいけないのですが…私はその前にこっそり簡易休憩所に忍び込んで、負傷者の治療をしようかと思います。

 治癒を早める応急処置の方法を飛燕に託していますし、彼ならば恙無く行なっていてくれるでしょうが、今回は先の闘いと比べても多くの重傷者が出ていますから。」

「確かにねぇ。

 今の羅刹様は言うに及ばず、J君は肋骨全骨折、赤石君は急所は外したものの出血多量で更に膝の腱を斬られており、月光君も胸に一度は矢が突き刺さってますものねぇ。

 ある程度軽傷で済んだのは卍丸様、虎丸ペアと、影慶様扮する『翔霍』だけで。

 極めつけにはこのわたしなど、死んでしまいましたからねぇ。フフッ。」

「茶化さないでください。

 あなただって重傷だったんですよ。

 本当は傷を完璧に治す為にも、眠ってくれなくては困るんですからね。

 あちらに着いたら、問答無用で寝てもらいますから。」

「あなたが言うと、違う意味で眠らされそうですね。」

「…そっちの意味で眠らすくらいなら、最初から助けてはおりませんが。」

「そうですね。

 フフフ、感謝しておりますよ、勿論。」

「…あちらの陣から、闘士が降りてくるぞ。」

 私と男爵ディーノがしょうもないやり取りをしているところに(いや、しょうもなく返してきたのはディーノであって、私はごく真面目な話をしていた筈だ)影慶が声をかけてきて、私たちはそちらに目を向けた。

 影慶の言葉通り、背の高い若い男がひとり、梁山泊側の縄ばしごを渡ってくる。

 先ほど泊鳳が兄と呼んだ2人の残りひとりの、偉丈夫の方だ。

 先ほど集音マイクが拾ったあちら側のやり取りから、どうやら梁皇という名であるらしい。

 彼は先ほど、自陣側に引き上げた山艶の遺体を崖下に蹴り落とし、あまつさえ失言した配下の闘士を一人血祭りにあげている。

 …生きて戻った泊鳳は無事なんだろうか。

 あの様子では、無様に生き恥を晒すくらいなら死ねとか普通に言いそうなんだけどあの男。

 まだ子供だからと大目に見てくれている事を願うばかりだ。あれだけの素質の持ち主だし。

 まあ、そんなことは今はどうでもいい。

 今重要なのはあの男が、三首領と呼ばれる最後の一人という事だ。

 

「ここは、拙者に任せてもらおうか!!

 大往生流の極意、とくと御覧あれ!!」

 そう言って前に進み出たのは、我が男塾きっての博識、三面拳・雷電。

 それが何故か傍に大きな、張りぼてのような球を持ってきており、富樫にこれが何かと問われると、何やら企んだような顔で、それを撫でながらにんまりと笑った。

 

孚孚孚(フフフ)…。」

 その表情に全員が呆気にとられている間に、雷電がその球を縄ばしごの上に置くと、それは横に滑り落ちる事もなく、そのまま闘場へと転がっていった。

 それを確認してから、雷電自身もその後を追うように縄ばしごを降りていく。

『雷電が笑った』と富樫と虎丸は驚いているが、雷電は元々結構気さくで、割とお茶目なところもあるんだけどなぁ。

 見た目は怖いのに性格は可愛い、というギャップが女心を捉えるのか、近隣住民の奥様やおばさま達に、最近密かに評判なのを私は知っている。

 近所のおばあちゃんの荷物持って手を引いて、横断歩道渡ったりしてんの見た事あるし。

 男塾のイメージアップに貢献してくれて、ありがとうございます。

 それはさておき、なので今回のこれは、計算の中にも遊びを入れた何かじゃないかと、勝手に思うんだがどうなんだろう。

 

「どうやらこいつは只事じゃなさそうだぜ。」

「中国拳法最古の歴史を持つ大往生流の奥義を極め、その他あらゆる拳法に精通し、わたし達三面拳を束ねる男、雷電……!!

 あの人の奥の深さは、わたし達にもはかり知れません。」

 彼をよく知る伊達や三面拳の飛燕が、その背中を見送りながら言うのが聞こえ…。

 そして、闘いは始まった。

 

 ☆☆☆

 

「まずは、この目障りな玉からぶった斬ってやろう!!」

 雷電と向き合い、その横の玉に不審な目を向けた梁皇が、背に負った曲刀を抜いてそれに斬りつけてきた。

 だが梁皇の剣は、そこに置かれていただけの張りぼての玉にかすりもせず、刃が地面に叩きつけられる。

 否、それは確かに、剣の切っ先を避けて動いた。

 感覚としては桜の花弁に手を伸ばした時に、その手で動いた空気によって、花弁が指を避けていく動きに似ていただろうか。

 

「いかがした?

 貴公の剣は地にあるものさえ斬れぬのかな?

 それでは拙者と闘う以前の問題でござる。」

 彼にしては珍しく、雷電が敵を挑発する。

 梁皇は小さく息を整えると、玉に向けてもう一度剣を構えた。

 先ほどとは違い、今度は真横に剣を払うも、やはり不発。

 もう一度上段、続けて逆袈裟に、流れるように振るった剣の軌跡が、虚しく空を切る。

 そしてさっきはふわりと移動していたように見えた玉は、今度は鋭く回転して、凄まじいスピードで梁皇の周囲を回り始めた。

 先ほどから、雷電は玉に指一本すら触れてはいない。

 それなのに玉はひとりでに動いて、梁皇を翻弄している。

 

「驚くのはまだ早い。

 これからがその玉の真の意味だ!!」

 雷電がそう言うや否や、玉は唐突に梁皇に向かっていく。

 

「ぬうっ!!」

 上段から振り下ろした梁皇の剣は、先ほどまでとは違い、あっさりと玉を両断した。

 割れた玉から、煙が立ちのぼる。

 それが晴れた時、そこに全員が、信じられないものを見た。

 

「わ、割れた玉の中から、雷電がもうひとり出てきた──っ!!」

 そう。煙の晴れた闘場に今、梁皇の前に、ふたりの雷電が立っていたのだ。

 

「これぞ大往生流極奥義、槃旒双體(はんりゅうそうたい)!!

 これにて、貴殿の大往生間違いなし!!

 さあ、来るがよい、梁皇とやら……!!

 まずは拙者の分身、すなわちこの影が、貴様の相手をしてくれようぞ!!」

 喋っているのは後ろの雷電だから、まず間違いなくこっちが本物なのだろう。

 その声に従って、前にいる雷電が黙ったまま構えを取る。

 

「笑わせるな、影だと……!!

 だが、どんな小細工を弄したところで、この俺をたばかれるか──っ!!」

 苛立った表情で振り回してくる梁皇の剣を、『影』が体術であっさりと躱す。

 あまつさえ彼の額に指を立てて、そこを経由した形で地上に降り立った『影』は、そこで表情を全く変えぬまま、二本指を梁皇に向けて立ててみせた。

 所謂、Vサインというやつだ。

 雷電の顔でこれをやられ、これには味方までもが呆気にとられる。

 いつも無駄に引き締まっている桃のポカン顔が見れたのは貴重な気がするが。

 勝利のサインを向けられた梁皇が、再び『影』に向けて、真横に剣を薙ぐ。

 それを跳躍して躱した『影』は、あろうことかその刃の地の上に、まるで体重を感じさせないふうに、ふわりと降り立った。

 その上でおかしなポーズを取ったと思えば、梁皇に向けたお尻を叩いてみせ、更に振り返って舌を出す。

 

「き、貴様…この俺を愚弄するか──っ!!」

 とうとう梁皇がブチ切れて、人ひとり乗った刀をぶん回すと(恐らく大威震八連制覇の月光の大玉の時と同様、刀の上で静止しているように見えて、体重を感じさせないほど細かく跳ねていたのだろうが)、『影』は初めて梁皇から間合いを大きく離した。

 

「その影は、拙者と違って剽軽者(ひょうきんもの)でな。

 人を怒らす悪いクセがある。」

 あくまで落ち着き払って、本物の雷電が言う言葉に、踊らされたと思ったものか梁皇は一瞬口を噤む。

 まあここまでおちょくられたら普通は怒るから別に恥ずかしい事は無いと思うがね。

 

「わかったぞ!あのもう一人の雷電の正体が!

 ら、雷電には双子の兄弟がいたんだ、それも性格の明るい──っ!」

 自陣では虎丸がしょうもない事を叫び、それに富樫まで同意している。

 それに対して、

 

「そんな事は聞いたことがないし、どう考えてもあり得ない!!」

 と伊達が否定するが…お前も知らんのかい。

 

「…もし三面拳がふたりずつ居たとしたら、伊達は豪学連時代に、この日本を征服できましたね…。」

 思わず私がそう呟くと、影慶に無言で頭をはたかれた。なんでだ。まあそんな事より。

 

「それにしても、並の体術ではない。

 あの梁皇の凄まじい剣さばきを、まるで問題にしないとは!!」

 闘場を見つめながら、桃が息を呑んだように呟くのが聞こえた。

 そう、動き自体は本物の雷電とは明らかに違うが、体術の冴えとその俊敏さは決して負けていない。だが、

 

「素早さだけで、この俺からいつまでも逃げ切れると思うのか!!」

 梁皇はどこからか分銅のついた鎖を取り出すと、それを『影』に向けて投げた。

 それは『影』の脚に絡まり、間髪入れずに梁皇の手に引かれ、バランスを崩してその身が地に落ちる。

 

「もらった──っ!!」

 次の瞬間、振り下ろされた梁皇の曲刀が雷電の…もとい『影』の胴を真っ二つに斬り分けた。

 

「ら、雷電2号が殺られた──っ!!」

 

 

「これで、影とやらは死んだ。

 さあ、次は貴様がああなる番だ!」

「さて、それはどうかな。影は影……!

 湖面に映った月の影が、決して斬れぬのと同じこと……!!」

 謎めいた雷電の言葉と、恐らく気配を感じたのだろう、梁皇は後ろを振り返った。

 

「馬鹿な……!!」

 梁皇は目の前で起こっていることが信じられないと言った目で、それを見つめていた。

 まあ、私たちだって信じられない。

 先ほど胴から真っ二つにされて落ちていた筈の『影』の下半身が、震えながらも自力で立ち上がろうとする姿とか、更に雷電の足元に、それとそっくりな顔をした上半身まで、腰だけで立ち上がって、またもVサインをしている姿とか。

 見ている全員が驚いている間にも、下半身は上半身に向かって歩いていき、ある程度の距離まで近づいたところで、上半身が飛び上がって、下半身の上に着地した。

 服は、切られたところから真っ赤に染まっているが、後は元どおりにくっついているようだ。

 

「ホッホッホ、あれ、よく見れば血じゃありませんねえ。」

「かなり似せて調合してはいるようだがな。

 恐らくは絵の具か塗料の類だろう。

 …無駄に、芸が細かい。」

 無駄言うな。とりあえずあの雷電2号(命名:富樫源次)が、生身の人間じゃないことだけはよくわかった。

 何となく昨日のP・S(ファラオ・スフィンクス)の奴らを思い出してしまうのは私だけだろうか。

 

「…ほう、影め。

 今度は攻撃にうって出るつもりらしい!!」

 無表情ながらも、どこか楽しそうに雷電が言い、それに答えるように『影』が、踊るような動きで構えを取っている。

 …雷電はこの『影』を『剽軽者(ひょうきんもの)』と評したが、私にはどうにも『お調子者』に見える。というか…、

 

「あの動き、なんだかつい最近、似たような感じのものを目にした気がして仕方ないのですが…?」

 なんか妙にノリノリになってきた『影』の動きに、私は妙な既視感を覚えていた。

 

「……俺もだ。まさか、あの『影』とは…」

 私の言葉に影慶がまさかの同意を示し、何か言いかけて口を閉ざす。

 

「影慶には、心当たりがあるのですか?」

「……あるにはあるが、あまりにも突拍子がないので言いたくない。」

 …そんな嫌そうな顔しなくても。

 それ以上聞くことが憚られ、一瞬ディーノと顔を見合わせ、互いに肩をすくめて、改めて闘場に目を戻す。

 私と影慶がそんなやりとりをしている間に、梁皇は先ほど雷電2号をぶった切った己の剣をじっと見つめていた。そして。

 

「フッ。俺としたことが……!!

 読めてきたぞ。そのバケモノの正体が!!」

 何かを見極めた様子で、梁皇がニヤリと笑う。

 それに向かって突進してくる雷電2号の攻撃を避けながら、梁皇は背中から竹筒のようなものを出し、背に回した手のまま中身の液体を地面に撒いた。

 

「その素早さも、もはや通用せん!!」

 ギリギリまで引き寄せて躱した雷電2号の足が、液体で湿った地面を踏む。

 そのタイミングで梁皇は、どこからか取り出したマッチを自身の防具で擦って火をつけると、それを地面に向かって放った。

 液体はどうやら可燃性の油のようなものだったと見え、マッチの火がそれに移って燃え上がる。

 その炎に、雷電2号の動きが一瞬止まった。

 

「やはり、火には怯んだな!!

 いくら修練を積んだとはいえ、畜生の本能までは隠せはせん!!

 これが、貴様の正体だ──っ!!」

 動きの止まった雷電2号を、梁皇の剣が唐竹割りした。

 雷電そっくりの顔の面が、ふたつに割れて地に落ちる。

 着ていた拳法着も真っ二つに裂かれて風で飛び、その下から現れたのは……!

 

「さ、猿!?」

 三匹の猿が肩車をした状態で連なっており、手と足の模型が棒の先についたものを手に持ち、また足に着けていた。

 身長やリーチはこれで補っていたわけか。

 

「な、なに──っ!!あのエテ公どもは──っ!」

 驚く虎丸の声が響いて聞こえてくる。

 

「影慶。あの子達、ひょっとして…!」

「昨日、俺が捕獲しておまえが治療した、あの三匹に間違いなかろう。

 俺も、よもやとは思ったが…!」

「しっかり躾がされているとは思いましたが、まさか雷電が飼い主だったなんて…!」

 私と影慶が驚いていると、横から男爵ディーノが冷静に解説してくる。

 

「正確には予選リーグ決勝の対戦相手であった厳娜亜羅(ガンダーラ)というチームとの闘いで、雷電君が倒した敵が使っていた猿たちです。

 たかが猿と侮るなかれ、あの雷電君があわやというところまで苦しめられたほどの手強い敵でした。」

 予選リーグ決勝戦の相手?

 あの辺りはダイジェスト放送で結果しか聞いていない私では、確かに詳細は掴めていないのだが…なんとはなしに影慶の方に目をやると、私と目があった影慶は小さく首を振った。

 

「影慶様が退場なさってからの話ですから、御存知ないのも仕方ありません。

 もっともわたしとて、彼があの猿どもを手当てしたところまでは見ておりましたけれど、主人を亡くしたあやつらを手懐けていたとは思いませんでした。」

 私たちのそんな無言のやりとりにディーノがフォローを入れてくれる。

 そういえば私が治療してやったあの傷には、手当てされた形跡が確かにあった。

 そして、私たちが見つけた時に若干弱っていたところを見ると、雷電がここまで連れてきたわけではなく、どのような手段でかは知る術も無いが、恐らくは勝手に追いかけて来たのだろう。

 だとしたら、合流したのは昨日の夜か。

 よくあれだけ息が合うよう仕込んだものだ。

 雷電は優しいから、普通に受け入れたのだろうが…彼の足を引っ張る事がなければいいのだが。

 

「今のはほんの挨拶がわり!!

 今度は拙者自らお相手いたす!!」

「この身の程知らずどもが…ひとりと三匹、まとめて地獄へ葬送(おく)ってやろう!」

 ようやく闘う構えを見せる雷電の後ろで、応援するように飛び跳ねる猿たちを一瞥して、梁皇がニヤリと厭な笑みを浮かべた。



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14・憎みきれないろくでなし

大往生流(だいおうじょうりゅう)鶴足回拳(かくそくかいけん)!!」

 先手を取ったのは雷電だった。

 靴の爪先に仕込んだ刃物を使った蹴り技。

 正直鳳鶴拳(ほうかくけん)とどう違うのか私には判らないという事実は内緒だが、切れのある体術により凄まじい回転を伴う変幻自在のその攻撃を、梁皇は最低限の動きだけで躱す。

 なるほど、確かにたいした手練れだ。

 素早さは泊鳳や山艶の方が優れている気がするが、それは恐らく体格差による違いだろうし、恵まれた体格による膂力などを合わせればそれを補って余りある。

 それでも山艶も背丈はあった方だし、今は小さいが泊鳳もいずれ、あれに近いくらいの体格になるのだろうが。

 

「……滅べ。」

「え?」

「いえ、何でも。」

 …そうこうするうち、雷電が次の攻撃に移る僅かな間を見切り、梁皇は持っていた剣の刃を一旦口に咥えると、次に襲いかかってきた雷電の爪先の刃を、あろうことか両手の人差し指で挟んで止めた。

 

「梁山泊秘伝・指錯刃(しさくじん)!!」

 その指先にどれほどの力が加わっているものか、雷電の足は退こうとしているがそこから動かせずにいる。

 

「これが中国拳法最古の歴史を持つという大往生流か…既に絶えて久しいと思っていたが、こんな古ぼけた流儀を、まだ伝える者がおったとはな。」

 言いながら剣を再び梁皇は手にし、それにより片脚が拘束を解かれた雷電が僅かに身体のバランスを崩した。

 その瞬間をついて、梁皇の剣が閃くが、そこはさすがに雷電、寸でのところで跳躍で躱して、一旦間合いを外す。

 

「貴様ひとり相手に、これ以上関わっている時間はない。

 俺は貴様の仲間全員を、血祭りにあげねばならぬのだ。」

 このままでは同じ展開の繰り返しになると判断したか、梁皇は剣を地面に突き立て、それから手を離した。

 そうして空になった両手を身体の前で交差させ、奇妙な構えを取る。

 

「見せねばなるまい!!

 この梁皇、最大の必殺技を!!

 梁山泊秘奥義・枯渇噴血霰(こかつふんけつせん)!!」

 梁皇はその奇妙な構えから両手を広げたようにしか見えなかったが、瞬間何かを感じたのか、雷電はその場から一旦跳躍した。

 にもかかわらず一拍より後、雷電の右腕の上腕が、噴水の如く多量の血液を噴き上げる。

 

「ぬぐぐっ、こ、これは……!?」

「フフッ、無駄だ。

 いくら止血しようとも、その流れ出る血を止めることは出来ん!!

 貴様は体中の血を一滴残らず流し尽くし、ミイラのようになって死んでいくのよ!!」

「な、なに……!!」

 梁皇の言葉通り、手で抑えても止まらない出血が、雷電の顔色を見る間に消していった。

 

 ・・・

 

「暗器…ですかね。投擲型の。

 投げ打つ瞬間目に止まらぬくらい小さいか、細いもの…?」

「…或いは、動いている間は見えなくなる、透明な武器か、だな。」

「ああ、あなたの恟透翼(きょうとうよく)のような。」

「どちらにしろ、雷電君のあの出血は異常です。

 見えない理由はさておき、特殊な暗器であることは間違いないでしょう。」

 私と影慶、男爵ディーノが、それぞれの意見を述べる。

 と、まるでそれを聞いてでもいたようなタイミングで、

 

「…針みてえなモンを投げてやがるな。

 それで、どうしてああなるかまでは判らねえが。」

 という赤石の呟く声を集音マイクが拾い、思わず3人で顔を見合わせた。

 あの人、拳銃の弾道すら見切る男ですから。

 てゆーか、重傷で手当てされてた筈がいつ戻ってきたんだ。

 

 ・・・

 

 同じ構えから更に二撃、見えない攻撃を受けた雷電の左肩と左大腿から、やはり同じように血が噴き出る。

 

「知っておろう、人は全身の1/3の血液を失えば死に至るということを!!

 意識も既に朦朧としてきただろう。

 貴様の運命は早くも決まったのだ!!」

 …それは恐らくは最後の攻撃にするつもりで放ったのであろう、その梁皇の枯渇噴血霰(こかつふんけつせん)という技、しかし受けたのは雷電ではなかった。

 

「なっ!!」

 目には見えない攻撃から、雷電の身体を覆うようにして庇い、代わりにその身に受けたのは3匹の猿たち。

 

「は、馬鹿な…!!

 その気持ちは嬉しいが、い、一度だけの攻撃を躱したところで………っ!?」

 身体のあちこちから血を吹き出して地に落ちる猿たちを悲しげに見下ろした雷電の、震える声が途中で止まる。

 猿たちはただ倒れ伏してはいなかった。

 1匹がどこから持ってきたものかは知らないが短刀を手にしており、それを未だ出血の止まらぬ己の傷に突き刺して、傷を広げているように見える。

 ひょっとして身体に突き刺さっている暗器を取り出そうというのだろうか。

 更に別の1匹がその傷を覗き込んで何かしたようだったが、それ以上の事はこの距離と、雷電の身体の陰になった事で見て取る事は出来なかった。

 

「随分と忠義な子分を持ったものだな。

 これでその猿どもを殺す手間が省けたというものよ。」

 今度こそ邪魔するものもなくとどめを刺そうと、またも梁皇が技の構えを取る。

 

「貴様等の命を賭した行為を無駄にはせん!!」

 どうやら猿たちから受け取っていたらしい短刀を、雷電が梁皇に向けて投げ放ち、それを梁皇が避けた隙をついて、雷電の手刀が襲いかかった。

 だがそれは咄嗟に躱した梁皇の行動により空を切り、バランスを崩した雷電の身体が無様に地面に転がる。

 やはり出血によるダメージが大きいのだろう。

 先ほどの攻撃は、通常時の半分のスピードも出ていなかった。

 

「この期に及んで、まだ悪あがきなどを!!」

 立ち上がることさえままならない雷電に向けて、もう一度梁皇の腕が例の構えを見せる。

 だが、次にはその手が、何かを探すように腰のあたりを彷徨った。

 

「さ、探しているものはこれか……!?」

 未だ膝をついたまま、雷電が掲げた手には、何やら筒のようなものが握られている。

 その筒から、雷電の顔に似合わぬ繊細な指が、何やら取り出したものは最初、私たちの目には見えなかった。

 だが次の瞬間それは陽の光を受けてキラッと輝き、透き通る針のような形状のものと知れる。

 

「これが、枯渇噴血霰(こかつふんけつせん)の秘密よ!!

 中国医療で用いる噴血針(ふんけつしん)………!!

 透き通るガラスで作られたこれを、目にもとまらぬ速さで投げていたというわけよ。」

 

噴血針(ふんけつしん)

 古代中国医術で用いられた医療器具。

 これを体内に打ち込み、血液のもつ浸透圧の差を利用することにより、体内に溜まっている悪い血や膿を、体外に排出させる。

 すなわち現代医学でいうタンジェリン・カテーテルである。

 数千年もの昔にこのような現代最先端の医療原理が存在した事は驚嘆のほかはない。

民明書房刊「中国古代吃驚医学大鑑」より

 

「猿は、人の10倍もの動体視力をもつという。

 なればこそ、貴様の枯渇噴血霰(こかつふんけつせん)の正体を見抜くことが出来たのだ。」

 言った雷電の手から、その噴血針(ふんけつしん)の筒が地面へと落ちる。

 それを奪われた梁皇の手が、傍の地面に突き刺した剣へと伸びた。

 

「クックックッ、小賢しい猿どもよ。

 ならばこの剣で、素っ首落としてくれるまで!!」

 言葉だけは余裕の体を装いながら、表情が伴わない様子で躍りかかる梁皇へ、雷電が何かを投げ打つ動きをとる。

 

「なっ!!」

「捨てたのは筒だけだ……!

 い、いかがかな。己の技の切れ味は……!!」

 次の瞬間、梁皇の身体から噴水のように血が噴き出る。

 雷電が投げたのは、先ほど梁皇から奪い取った噴血針(ふんけつしん)だった。

 

「き、貴様、味なマネを……!!」

 己の用いた武器をその身に受けて、梁皇が苦痛に顔を歪ませる。

 暗器を用いる技とはいえ、道具さえあれば簡単に模倣ができるというものではない。

 その細くて軽い針を、投擲して相手の身体に打ち込むには、それ相応の高い技量が必要となる。

 とりあえず自陣の後ろの方で、息を呑んだような顔で闘場を見つめている美人さんなんかはそれの専門家な訳だが、もしかすると雷電も鶴嘴は使えるのかもしれない。

 まあそんな事は今はどうでもいいか。

 相手にようやくダメージを与えたとはいえ、雷電も猿たちも重傷である事は間違いない。

 これで勝負は振り出しに戻ったというところか。

 

「だ、だがこの程度のことで、俺を倒すことは出来ん!」

 梁皇が、未だ血を噴き出す受けたばかりの傷口に、手にした剣の切っ先を当てる。

 先ほど猿たちがやっていたように、傷口を敢えて広げてそこから噴血針(ふんけつしん)を摘出するようだ。

 見た感じ胸とか腹とかにも刺さっていてかなり勇気がいる行動だが、まあ背に腹は代えられないのだろう。

 苦痛を表情に浮かべながらそれを行う梁皇が、ふと目をやった雷電に問う。

 

「…どうした?貴様は体内に埋まった噴血針(ふんけつしん)を取らぬのか?

 それとももはや、その気力さえ失せたか!!」

「…それは要らぬ世話というもの。」

 …うん。梁皇が気づいているかどうかわからないが、雷電の身体からは、先ほどまでの吹き出すような出血は収まっているようだ。

 止血しても止められないと、技を放った本人が言っていた筈なのに。

 

「…確か三面拳は全員、己の肉体を不随意筋から血流に至るまで、自在に操る事が可能でしたよね?」

「そうですね…雷電君はあの猿たちの主人と戦った時、あの髭も動かして攻撃手段としていましたし。」

「あ、それこの大武會より前に、塾で見せてくれたことあります。

 変わった特技だなぁと思って見ていました。」

「待て。人体の構造を知り尽くしたおまえが、それを『変わった特技』で片付けたのか!?」

 毒手に言われたくない。

 

 …さて、闘場の上では梁皇が噴血針(ふんけつしん)をすべて取り除いたタイミングで、雷電が再び構えを取る。

 

「さあ、来るがよい!!」

「…ここまでこの俺を熱くさせたのは貴様が初めてよ、雷電……!!」

 まるで愛の告白のような台詞を吐きながら、それには全く似つかわしくない悪人顔で、梁皇は手にした剣に舌を這わせた。

 改めて構え直したそれを振りかざし、雷電へと躍りかかる。

 確かに手負いとは思えぬほど鋭い斬撃ではあるが、この2倍以上の重さと長さのある刀を自在に振り回している赤石の方が、今のこの男よりスピードは優っていると思う。

 案の定、雷電の体術はそんなものを問題にせず、余裕でその攻撃を躱す。

 そういえば以前Jが、敵として相対した時の雷電の体捌きは、まるで舞い散る桜の花弁のようだったと言っていたっけ。

 

「見せてくれよう。

 大往生流殺体術の秘技……!!」

 一瞬動きの止まった雷電の頭上から、逆上する梁皇の刃が振り下ろされ、雷電はそれを両掌で挟んで止めた。

 先ほど鶴足回拳(かくそくかいけん)を受け止められた時と同様、梁皇が引こうとした剣はそのまま固定され、恐らくは梁皇が剣から手を離さぬ限りその距離は離れない。

 

「これが大往生流秘技だと……!!

 笑わせるな、何かと思えばただの真剣白刃取り。

 これがなんだというのだ。」

「大往生流殺体術の妙は、勁の呼吸法により、己の筋肉を意のままにすることにあり!!」

 一瞬、刃を受け止めたままの体勢の雷電の全身に、氣が満ちるのがわかった。

 気合の声を発すると同時に筋肉が一瞬にして膨れ上がるのが、ゆったりとした拳法着の上からでも、はっきりと見て取れる。そして。

 

「大往生流秘奥義・脹隴筋弾(ちょうりょうきんだん)!!」

 その筋肉に弾かれて、今の今まで突き刺さっていた例の噴血針(ふんけつしん)が、すべて雷電の身体から飛び出したと同時に、真正面に立っていた梁皇の身体を貫いた。

 

「ぐわっ!!」

 例によって例の如く、その傷口から血が噴き出す。

 それを押さえて立ち上がろうとする梁皇に、雷電の鋭い蹴りが飛んだ。

 

「観念されい!!

 もはや貴様には大往生あるのみ!!」

「どうやら貴様の力を侮っていたようだ。

 だ、だが俺は、貴様の弱点も見抜いておる!!」

 大量の出血と雷電の攻撃に、どうやらまともに立っている事もままならず、息を乱しながら梁皇が、腰のマントからの分銅鎖?のようなものを取り出す。

 まだ攻撃を続けるつもりなのか、と思った刹那、梁皇がそれを投げ放ったのは雷電ではなく、3匹の猿たちだった。

 それは一瞬にして猿たちを捕らえ、ひとまとめにして拘束する。

 

「キイッ!?」

 よく躾けられた賢い猿たちだった筈だが、この状況で自分たちに攻撃が来るとは思っていなかったのだろう。

 あっさり捕らえられた3匹は、悲鳴をあげながらも抵抗もできず、闘場の外の濁流に放り込まれた。

 

「なっ!!」

 激しい水の流れは猿たちの小さな体を押し流そうとするが、それは辛うじてその身を縛る鎖によって止められており、その端は梁皇の手が握っている。

 

「き、貴様!なにを──っ!!」

「動くなっ!!

 俺がこの手を離せば、この三匹は瞬時に激流にのまれ、あの世へ直行することになる!」

 その梁皇の言葉に、雷電の動きが止まった。

 

「馬鹿か、奴は──っ!!

 そんなエテ公どもがどうなろうと知ったこっちゃねえや!!」

 自陣から囃し立てる虎丸や富樫の声に、一応はそうだろうと納得する。

 普通はそう考えるし、そうでなくてはいけない。

 

『獣の群れのリーダーとなったからには、こ奴らと対等であってはいかんのじゃ。

 時には非情に徹して、数頭の仲間を切り捨てても、己は生き延びにゃあならん。

 それがひいては、群れ全体を生き残らせる結果に繋がるんじゃからのう。

 強いリーダーとはそういうもんじゃ。

 それが頂点に立った者の責任ちゅうやつでな。』

 

 以前、この島へ修業に来ていた時に、私を可愛がってくれていた狼使いの男が、そう言っていたのを思い出す。

 例えば、昨日の伊達が戦ったあのカラス使い。

 あの男は伊達に全滅させられそうになったカラス達の姿に涙すら見せたが、その前に数羽が伊達の槍にかかった時にはそれほどの感情を見せなかった筈だ。

 あの男もきっと、それをわかっていた。

 つまりは、そういう事。

 そうでなくては、いけない。

 

 

 けど。

 

「ち、違う…雷電という男は、そういう男ではない……!!」

 桃が呟く言葉が聞こえて、きっとそうなのだと思ってしまう。

 たとえそれが正しくても、雷電はそれを決断できない。

 その優しさが彼の強さであり、同時に弱さでもある。

 

「いくら貴様がこの窮地から、反撃の隙を見つけようとしても無駄なこと。

 それより早く、俺はこの命綱を離す!!」

 梁皇が自身の身体から摘出した噴血針(ふんけつしん)を拾い集めて構える。

 その指先からそれが放たれても、雷電は身動きひとつ出来ずに、まともに身体で受けるしかない。

 

「フフッ…そうだ。貴様はそういう男だ。

 安心しろ。貴様さえ倒せば、あの三匹の命は保証しよう。」

「その言葉、よもや二言はあるまいな……!!」

「ああ!!」

 もはや首領の器の欠片さえ見えなくなった梁皇が、大嘘と書かれた顔で雷電に頷く。

 気が晴れてきたと言いながらもまだ投げ打たれる噴血針(ふんけつしん)が、残り少ない雷電の血を身体から奪っていく。

 反撃して戦えとかけられる自陣からの声に、雷電は首を横に振った。

 

「お、男と男の信義でござる…!!

 こ、これを違えるわけにはいかぬ……!!」

 

 

 …どうやら敵であった猿の元の主人から、あの3匹を託された、ということだったらしい。

 それにしても、敵を信じ過ぎだ。

 この梁皇という男、絶対に約束を守る気なんかないと断言できる。

 つまり、雷電が死んでしまえば、もう猿たちは助からない。

 それでも雷電にとってはその信義が、己の命よりも重いというのか。

 

「光!治療が連続しているが、氣の量に不安はないか!?」

 …私の両側では男たちが、それぞれに投網の準備をしている。

 

「大威震八連制覇の時、あの1日で何人治療したと思ってるんですか?

 邪鬼様のお陰で、今はあの時よりも総量が増えています。

 この程度、なんて事ありません!」

 今ここで闘い、或いは救わんとしている男達。

 それぞれに命を賭けている、それに比べたら。

 

「おのおのがた…あ、あとをお任せ申す……!

 こ、この畜生鬼、必ずや……!!」

 もはや力も尽きかけて、いくら雷電といえども、己の血流を操る技も使えないのだろう。

 覚悟を決めたような言葉を発したのが聞こえて、私の隣の男達の緊張が高まる。

 

「死ねい──っ!!」

 とどめの一閃がひらめくと同時に、雷電の身体が軽々と、激流の中へ落ちた。

 

「ら、雷電──っ!!」

 

 

「甘い奴よ。

 あれほどの腕を持っていながら……!!」

 濁流に流され飲み込まれていく雷電を一瞥し、フンと鼻で笑いながら梁皇は、掴んでいた鎖から手を離した。

 

 ☆☆☆

 

「まったく…何をしてるんでしょう、この人は。」

 助け上げられた雷電の身体はすっかり血の気を失っていた。

 まずは、全身にあけられた穴という穴をひとつひとつ確認しながら、要所に氣の針を撃ち込む。

 傷口から噴血針(ふんけつしん)がひとりでに抜けて、更に傷がみるみる塞がっていく様子を見て、まだ彼が生きている事に安堵したら、つい愚痴のような言葉が出てしまった。

 

「そう言うな。この男なりの矜持の問題だ。」

 そんな私を宥めるように影慶がかけてくれた言葉も、私を納得させてはくれなかった。

 

「男のプライドとか信義とかクソくらえです!

 私には雷電の命の方が大切ですから!!」

 最後に造血の処置を終えて、身体がこれ以上冷えないように巻きつけた毛布の上から、私は雷電の身体をぎゅっと抱きしめた。

 猿たちを引き上げてきた男爵ディーノが、そんな私と影慶に交互に目を向けたあと、意味ありげににんまり笑っていたのは見なかった事にする。

 

 ☆☆☆

 

「なんて奴だ…!

 雷電が命と引きかえに守った猿どもを!!」

「奴に人の血は通っちゃあいねえ……!!

 俺が、最も相応しい死を与えてやる!!」

 激昂のあまり泣き叫ぶ富樫や虎丸よりも、もっと激しい怒りの感情を全身から氣として漲らせながら、三面拳を率いる男・伊達臣人が一歩前へと踏み出した。



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15・星空に手を伸ばせばカシオペアさえも掴めた

 雷電の身体に造血処置を施して、ようやく安心したところで闘場に目を向けると、縄ばしごを降り切った伊達が、梁皇と向き合っているところだった。

 

「おまえか、次の獲物は!!

 まずは、名を聞いておこうか!!」

「貴様の様な外道に、聞かせる名はもたぬ!!

 貴様は死ぬしかないのだ!」

 …梁皇に向かって槍を構える伊達の、怖いくらいの怒気がこちらにまで伝わってくる。

 対峙している梁皇がそれに気付かぬ筈はないのだが、雷電を倒した事で気が大きくなっているのだろう、全く動じた様子もなく、その伊達に向かって剣を構えた。

 

「俺に大口を叩くと後悔することになる。

 おまえも、雷電とかいう男の二の舞よ!!」

 その瞬間、伊達の裡から滲み出していた闘気が、一気に膨れ上がった。

 

 ☆☆☆

 

 不意に息苦しさを覚えて、私は思わずその場にしゃがみ込んだ。

 

「…光君?どうされました!?」

「だ…大丈夫です。ただ、ちょっと…」

 自身の状態を説明しようとして上げた頭の上に、ぽんと温かい手が乗せられる。

 

「…伊達の『闘氣』にあてられたな。

 邪鬼様を初めて見た時、俺も同じような状態になった。

 抵抗せず氣を合わせろ。できるな?」

「はい…ただ、伊達の氣は若干、私と相性が合わなそうです。

 …少し、分けてください。中和します。」

 返事も聞かないうちに頭の上の影慶の左手を右手で取って、それに掌を合わせて指を絡め、彼の鳩尾に左の掌を当てる。

 その身体の中心に意識を集中させ、影慶の氣を外から操作して、ほんの少しだけ、左手の方向に流し込んだ。

 合わせた掌から、影慶の力強い、それでいて穏やかな氣が、私に流れ込む。

 散々触れていた時に思っていた事だが、影慶の氣は、実は少し桃とタイプが似ている。

 大威震八連制覇最終闘で赤石にこれをやった時、赤石の氣は私に少し抵抗したが、影慶のそれは素直に私の氣と馴染むようだ。

 それと同時に、伊達の突き刺すような闘氣を自身の氣の流れに合わせると、急に身体が楽になった。

 

「…もう大丈夫です。

 ありがとうございます、影慶。」

 お礼を言いながら、影慶の身体から手を離す。

 瞬間、影慶の口から、は、と息が漏れた。

 それほど量を取っていないから身体に影響はない筈だが…。

 

「……光。これは、男にはやらん方がいい。」

 何故か少し言いにくそうに、影慶がそんな言葉を口にした。

 何故だろう、少し視線が泳いでいる。

 そういえば大威震八連制覇の時、赤石に氣を分けてもらった時にも、彼に微妙な顔をされたが。

 しかしそれは困る。

 環境的に私の周囲には男性しかいないのだが、もし氣が足りなくなってすぐに調達しなければならない時はどうしたらいいのだろう。

 

 ・・・

 

「…影慶様?」

「何も聞くな……男として、何か大切なものを失った気がする。」

「はぁ???」

 

 ☆☆☆

 

「あの人が、あんなにも感情を露わにするとは…!!

 まるで全身から、復讐の炎が立ちのぼっているような……!!」

 闘場を見下ろして飛燕が息を呑む。

 伊達は、己が懐に入ってきた者に対しての情は深い。

 まして三面拳は伊達に最も近い存在で、肉親よりもその絆は濃いのだと以前言っていた。

 そもそも雷電って、意外なんだけど気がついたら、話をしている相手の警戒心を解いちゃってるようなところがあるし。

 初見では恐ろしい男のように見えても、その人となりを知れば、誰もが雷電を好きになる。

 ずっと近くにいる伊達など言わずもがな。

 彼を失ったと思っている今、その怒りと悲しみは、私達の想像を絶するものだろう。

 それ故の、私が息を詰まらせたほどの闘氣であろうし、それが証拠に全力で踊りかかってくる梁皇の剣など、まるで子供扱いにして余裕で捌いている。

 その事にすぐに気がついたのだろう、互いの距離が詰まった瞬間、梁皇が不自然な動きを見せる。

 

「くらえっ!!梁山泊奥義・髪針斃射(はっしんへいしゃ)!」

 それはどうやら髪に仕込んでいた無数の針を、伊達の顔面に向けて発射したものであったらしい。

 だが伊達は表情ひとつ変えず、槍をくるりと回転させただけで、それを全て凌いで見せる。

 

「こんな小細工が俺に通用すると思うのか!!」

 …うん、しょぼい。しょぼすぎる。

 なんというかこの男、さっきの枯渇噴血霰にしてもそうだが、タネがわかってしまえば対策のしようがいくらでもある、小手先の技ばかり先行している気がする。

 雷電と闘っていた時の体捌きは見事だったし、身体能力的にも恵まれているだろうに、何故それを生かす方向に技を極めなかったのか。

 実に勿体無い。

 あと梁山泊奥義、ピンキリ過ぎ。

 

「覇極流奥義・千峰塵(ちほうじん)!!」

 と、今度は伊達が攻撃に移る。

 目にも留まらぬ無数の突きが梁皇に向けて放たれ、梁皇は跳躍でそれを躱した。

 …躱した、つもりだったろう。

 だが一旦の間合いを取った位置に着地した梁皇の胸の防具には、無数の小さな穴が空けられており…その穴は、ある三文字の漢字を形作っていた。

 

 “ 大 往 生 ”

 

「それが雷電の意志だ。ただでは殺さん!!

 貴様にも、雷電の苦しみを味わせてやろう!!」

 胸に描かれるその明晰な文字は、本気であればそのまま、その胸を貫けたという事。

 

「馬鹿な奴よ。

 唯一のチャンスを、小手先の技をひけらかす為に逃すとは……!!」

 小手先の技って、こいつにだけは言われたくないと思うのだが、伊達にしてみればそれこそが、この男に対する皮肉なのだろう。

 

 …でも皮肉って、相手に通じなければ意味ないんだよ!

 多分伊達も、すぐにそれに気付いたのだろう。

 …だからきっと、もっと明確な形で、その底意地の悪さを発揮する事にしたのだろうし。

 

「……ならば、これがおまえに受けられるか!!

 覇極流奥義・無限(むげん)追顕槍(ついけんそう)!!」

 伊達は長い脚を伸ばして上げ上半身を捻った、まるで野球の投球フォームのような体勢から、手にした槍を全力で投げ放った。

 見事にパワーもスピードも乗った槍の勢いは凄まじいが、その直線的な動きを、梁皇は難なく躱す。

 

「なにが無限(むげん)追顕槍(ついけんそう)だ〜〜っ!!

 唯一の武器を放ってしまってどうするつもりだ──っ!!」

 バカ笑いしながら、改めて剣を向ける梁皇に、伊達は表情を変えずに言い放った。

 

「……読んで字の如し。

 その槍は、地獄の果てまで獲物を追いつめる!!」

 恐らくは風を切る音を耳にして、反射的に振り返ったのだろう。

 その梁皇の目にしたものは、完全に躱したと思っていた槍の穂先が、伊達の手から離れてもなお、自身に向かってくる光景だった。

 

「な、なに──っ!!

 こ、これは一体──ーっ!!」

 

 ・・・

 

「…投げた瞬間と違って、あの程度のスピードならば、たとえ身体に当たったところで、防具に阻まれる気がします。」

「それにすら気がつかないほどに、あり得ない事に動揺しているのだろう。

 そもそも伊達と対峙した時から、平静を装ってはいるが、実力の差はひしひしと感じていよう。」

「…それにしても、やり口が実に伊達君らしいといいますか…彼と一度戦ったことがあるわたしとしては、あの梁皇という男につくづく同情します。」

「言いたいこと、わかります…ほんと、底意地悪いですよね、あのひと…!」

 

 ・・・

 

 どの方向に躱しても、槍の穂先が自身の方向に向かってくるその不可思議な現象に、身体能力だけで身を躱し続けながらも、梁皇は半ばパニックに陥っていた。

 槍を放った伊達はそれを、腕組んで眺めているだけだ。

 

「し、信じられねえ!!

 ありゃあどうなってんじゃ──っ!」

「伊達の投げた槍が、まるで意志をもっているかのように、どこまでも梁皇の野郎を追い回している〜〜っ!!」

 実況、解説は虎丸さんと富樫さん。その横で、

 

「…追いつめられた獲物は恐怖が恐怖を呼び、冷静な判断力を欠く!!」

 と桃が呟いたところを見ると、彼にはもうこの状況が判っているらしい。

 もう少し楽しむのかと思っていたが、伊達は徐ろに足元から石を拾うと、梁皇に向かって投げつける。

 それは容易く梁皇の足に当たり、それによりバランスを崩した梁皇は、無様に背中から地面へ倒れ込んだ。

 無防備になった真正面に、飛んでくる槍の穂先が迫る。

 それに対して梁皇は、明らかな恐怖の叫び声をあげた。

 

「ヒイイ──ッ!!」

 だが、槍はその目前で動きを止め、重力をようやく思い出したように地に落ちる。

 なにが起きたか判らず呆然と、地面にへたり込んでいる梁皇に伊達は歩み寄ると、その足元に落ちた槍を拾いながら言葉をかけた。

 

「まだ判らぬか!?よく見ろ!!

 この穂先には、細い鋼線がついている。」

 こちらからでははっきり見えないが、伊達の手がなにかを引く動きをする。

 その動きに伴って、梁皇の襟元から、大きめの釣り針のようなものが、伊達の手元に引き寄せられるのが辛うじて見えた。

 

「そしてこの鋼線は、貴様の体に結ばれていた。

 貴様はそれに気づかず、槍がひとりでに追いかけてくるものと思い込み、逃げ回っていただけのことよ!!」

 …止まっていると判らないが、梁皇ががむしゃらに動き回っている時には、時々キラッと光を反射していたので、注意して見ていればすぐに気がついただろう。

 タネがわかってしまえばなんて事のない、小手先の技。

 散々自身が弄してきたのと変わらないそれに翻弄された梁皇は、状況が判った途端ブチ切れた。

 真正面から伊達に向かって斬りかかっていくも、冷静さを失っている事に関しては槍から逃げ回っていた時と変わらず、私が見ても隙だらけだ。

 そこに伊達が無造作に突き出した槍の穂先が、梁皇のお団子に纏めた髪に突き刺さる。

 

「…少しは感じてきたか、死への恐怖!!」

 伊達という男の元々の底意地の悪さもあろうが、こうしてじわじわ追いつめるのは、雷電が受けた苦痛を思ってのことなのか。

 

「そろそろ覚悟を決めるがよい!!」

「待ってくれ!!

 ま、負けを認めよう!!だが、その前に……!!」

 だが、こうして結果が明らかな勝負を引き延ばした事は、この男に対して得策とは言えなかった。

 命乞いをしながら梁皇が背中に右手を回した直後、轟音と共に伊達の左肩から血が飛沫(しぶ)く。

 

「!!」

 その衝撃と苦痛に、伊達の身体が揺らいだ。

 例の噴血針がまだ残っていたのかと思ったが、今の伊達の出血の仕方はそれとは違う。

 

「フッ。雷電との勝負でなにを見ていた。

 この梁皇、勝つためには手段は選ばぬ。

 これが俺の、最後の切り札よ。」

 そう言って梁皇が右手で差し上げたのは、大ぶりの拳銃のような武器。

 

「無論、この大武會において銃器の使用は禁じられているが、そんな事は関係ない。」

 いや関係あるわ!

 禁則事項が破られたと同時に無効試合か反則負けだから!!

 もはや彼にとっての最重要事項はこの大会での勝利ではなく、この死闘を制する事に目的がすり替わっている。

 それだけ追いつめられているという事だろう。

 恐らくは…ここで生き残ったとしても梁皇は、この先己の率いる梁山泊での、その立場が危うくなる事となろう。

 現時点で、末弟の泊鳳が生きているのだから余計に。

 何せ、梁山泊というその名に誇りを持つ彼らは、それを汚す行いを許さない。

 それは卍丸の師の仇と言っていた、頭傑という男の最期を考えてもわかる事だ。

 あちら側から矢が飛んでこないのは、ひとえに彼がまだ現時点では首領であるから、というだけの理由でしかない。

 梁皇がこれまで通り首領としてあり続ける為には、まずこの場を生きて切り抜けるのは勿論のこと、自身に刃向かうことへの恐怖を、この戦いで下の者に見せつける事が唯一の道なのだろう。

 それさえ薄い線なのだが、なりふり構ってはいられないという事に違いない。

 

「どうやら貴様の根性は、ゴミよりも腐っているようだな。」

「なんとでも言うがいい。」

 伊達の言葉に梁皇は眉ひとつ動かさず、構えた拳銃の引金を引く。

 弾丸は今度は脇腹を掠め、伊達の身体が地に落ちた。

 

「言い残すことがあれば聞いておいてやろう。

 今までのはカスリ傷で済ませたが、次は貴様の額をぶち抜いて、この勝負に幕を引く!!」

 だが伊達は槍を支えに立ち上がり、まだ戦う意志を見せる。

 

「無理だ。貴様に俺を倒すことは出来ん!!」

 言うや、下から上へ斬り上げるように振り上げた槍は、やはりダメージが大きいのかいつもの速度が見られずに、梁皇は余裕で跳躍して躱した。

 

「フッ、まだそんな悪あがきを。」

 間合いを離して着地する梁皇が嗤う、が。

 

「…なんだ、いきなり背を見せて!!」

 そう、伊達は先ほどの攻撃を最後に槍を引いて、梁皇に背を向けて歩き出していた。

 

「…勝負はついた。

 貴様のような奴の死に様など見たくはない!!」

 その伊達の背に躊躇うことなく拳銃を向けた梁皇が、ふと伊達の槍に目をやる。

 そこに当然あるはずのものがない事に、彼はようやく気付いたようだ。

 

「貴様…その槍の穂先は!?」

 そう、今、伊達が握っているのは柄のみ、この状態ではただの棒だ。

 

「言ったはずだ。

 俺の槍は、貴様を地獄へ追いつめるとな!」

 伊達が無造作に左手で上を指差す。

 その方向を多分反射的に見上げた梁皇が、落下してくる穂先に気付いた時には、その切っ先が彼の額を貫いていた。

 …先ほど彼自身が、伊達に宣言した終わりの通りに。

 

「外道には、そんな死がふさわしい!!」

 その光景を振り返って確認すらせず、伊達は自陣へと歩を進めた。

 あ、穂先回収しないんだ…。

 

 ・・・

 

「た、たいした奴等ですわい…。」

 梁山泊の陣では件の老人が、どこか呆れたような声でそう呟いていた。

 その横に立つ若き首領は、相当なダメージを受けていた筈だが、ちゃんと適切な手当をされたようで、その立ち姿に危なげがない。

 

「ああ。完膚なきまでの敗北だ。

 だが奴等に負けたのなら悔いはねえずら。」

 その小さな首領の言葉に、その背を守るように立つ弓を持った大男も、微かに頷いたように見えた。

 

「…おーい!

 貴様達の勝利を祈っておるぞ──っ!!

 必ず決勝戦に勝って、この大武會の覇者となるずら──っ!!」

 この先、たった1人で梁山泊を立て直す事になるであろう若き将は、今だけは少年の顔で、先ほどまで戦っていた相手のいる向かい側の陣に向かって声を張り上げた。

 

 ☆☆☆

 

 未だ目を覚まさない雷電を連れていくわけにもいかないので、昨日の飛燕と同様に、簡易テントを組んでそこに彼を寝かせておく事にした。

 ディーノに雷電をみていてもらい、骨組の材料として手頃な木を伐採する影慶を手伝っていたら、ちょっと嫌なものを見つけてしまった。

 思わず影慶に駆け寄ってしがみつく。

 

「…ん?どうした?」

 口で説明したくなくて、そちらの方向を指差すと、ああ、と影慶が頷いて、そしてどこか痛いような表情を浮かべた。

 

「…あれは、羅刹と闘った、確か山艶とかいう三首領のひとりだったな。」

 どうやら梁山泊側の陣に随分と近づいていたようで、確か兄弟である梁皇に蹴り落とされていた山艶の死体が、密集した木々の枝に引っかかっている。

 

「…このような場所に落とされ、その死を穢されるとは、敵だったとはいえ哀れなことだ。

 見つけてしまったのも何かの巡り合わせだ。

 せめてもの情け、手厚く葬ってやろう。」

 放っておいても誰も咎めはしないだろうに、影慶はやはり優しい。

 先日、宝竜黒蓮珠(ぽーろんこくれんじゅ)の副頭のひとりを手にかけて以来、私はどうも人間の死の感触が気持ち悪い。

 これまで数限りない死体の山を築いて生きてきたくせにと思うけど。

 だから、影慶がその死体を木の枝から下ろすのを、少し離れたところから見守る。と、

 

「むっ?」

「……どうかしました?」

 山艶の死体を地面に下ろした影慶は、少しの間それをじっと見つめていた。

 その顔が、ゆっくりと上がって、私を見る。

 

「…光。この男、まだ生きている。」

「ええっ!?」

 影慶の言葉に驚き、あまり考える事なく側に駆け寄る。

 その傍に跪き、全身の状態を確認してから、五指に氣の針を溜めた。

 

「…どうするつもりだ?」

「私ひとりなら見捨てていくところですが、そうするとあなたが気に病むのでしょう?」

 羅刹の腕に貫かれた腹部の傷を治療するのみにして、全身の擦過傷は無視しよう。

 何せ私はこの後、その羅刹を含めた仲間達の治療をしなければならない。

 氣の針を、対応するツボに撃ち込んでやると、血まみれの破れた衣の下で、抉られた傷を補うようにもこもこと肉が盛り上がって、傷を塞いだ。

 もう大丈夫だ。

 

「…これでよし、と。」

 ふう、と息を吐いて山艶から手を離すと、その手を何故か、影慶が取った。

 

「…ありがとう、光。」

 その言葉と行動の意味がわからず、問いかける。

「…何故、礼など?」

「おまえは今、俺の心を慮ってくれた。

 その事に対する礼だ。」

 こつん、と影慶の額が、私のそれに当てられた。

 いや、熱はありませんが…そういうことではないか。

 

 ・・・

 

「…ま、待て……!」

「…っ!?」

 ここから先の責任までは取れないと、治療を終えた山艶を置いて立ち去ろうとしたら、背中に声がかけられる。

 振り返ると、まだ傷のあった場所が動くと少し痛むのだろう、眉間に皺を寄せた山艶が、こちらを睨むように見据えていた。

 その視線から私を守るように、影慶が私と山艶の間に、さりげなく移動する。

 

「何故…俺を助ける……!?」

 …うん、やっぱりこの男、こっちの口調が素のようだ。

 それはともかく、返事をする義務などないが、気付けば口から言葉が出ていた。

 

「助けた理由というのならば、特にありません。

 けど、助けない理由もありません。

 命を拾った事に、なんらかの理由が欲しいのだとしたら、それはあなた自身が見つけるものであって、私が教えてやれる事ではないと思います。」

 言って、そのまま立ち去ろうとし…少し考えて、立ち止まる。

 そして振り返らずに、心に浮かんだ言葉を口にした。

 

「…強いて言うなら、あなた達梁山泊は、これから、嵐の時代に入るでしょう。

 元通りに立て直すには、時間がかかる。

 あなたの弟は、いずれはそれを成し遂げるでしょうが、今のあの子はやはりまだ幼い。

 支えてあげられる存在が必要です。

 …何より、あなたが生きて戻れば、彼は素直に喜ぶと思いますよ。」

 

 …こんな事を言ってしまったのは、やはり泊鳳の立ち位置が豪毅と重なったからだろう。

 …憎まれているだろう事はわかっている、けど。

 

 

 

 

 今、なんだか無性に、豪くんに会いたい。



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幕間
1・絵空事の理想などいらない


伊達vs梁皇戦はあっさり勝負がついたイメージがあったので字数も短く済むと思い、本来は同じ回に入れるつもりのエピソードでした。
緩いながらも1話に一万字使わない縛りを入れていますので(やむを得ない場合は超えることもあるけど)、思ったより字数を使ってしまった事で、要するにはみ出た部分です。
多少バランス悪いのはご了承下さい。


 夜が更けるのを待って、今夜闘士達が過ごす簡易休憩所まで行くと、全員もう休んでいると思ったのに、何故か小屋の前に人影が見えた。

 慌てて周囲の木の陰に身を隠す。

 そうしながら様子を伺っていると、その人影が不意に、柔らかな声音を発した。

 

「どうぞ、出ていらして下さい。

 …お待ちしていましたよ、光。」

「……飛燕!?え、待っていたって…どういう」

 思わず声を返してしまい、慌てて口を噤む。

 だがすぐに、存在を気付かれている以上無駄だとの結論に達し、人影にゆっくりと歩み寄った。

 よもやこのひとが、私に危害を加えることはあるまい。

 お互いの顔が認識できる距離まで近づくと、綺麗な顔がふわりと、けぶるように微笑む。

 

「今回は重傷者が多かったので、心配されているだろうと思っていたのですよ。

 きっと来てくださると思っていました。」

 それは完全に、あなたの善意を疑っていませんという笑顔。

 雷電のような天然の人誑(ひとたら)しと違い、実は完全に計算された顔なのだが、それが判っていても威力は大きい。

 

「…私がいる事に気づいていたんですね。」

「ええ、勿論。」

 きっぱりと言い切られ、少しだけ悔しい思いをしながら、飛燕の長い睫毛に縁取られた瞳から微妙に視線を外す。

 …直後に、それすら負けを認める行為である事に気付いて、もう諦めることにした。

 多分私はこの男に、女としてのすべての要素で負けている…ってくっそやかましいわ。

 

「助けられた直後に声を聞きましたし、自分が満身創痍で失血死寸前の状態だった事も理解していますから。

 それが助かっている状況を考えれば、それが可能なひとを、わたしは他に知りませんよ。

 …わたしも武に生きる者のひとり、闘いの中でいつでも命を落とす覚悟はしているつもりですが、無念と思わなかったわけではありません。

 助けていただいて、ありがとうございます。」

 真摯に頭を下げられ、恐縮する。

 軽く息を整えて、改めて飛燕と向き合い、一番気になる事を聞いてみた。

 

「…私がいる事、他の者には?」

 邪鬼様には知られているけど、彼は誰にも伝えていないだろう。

 私の問いに、飛燕は小さく肩をすくめてから答える。

 

「あなたの保護者である赤石先輩には、一応。」

 誰が誰の保護者か!!

 てゆーか、よりによって一番言っちゃいけないやつに!

 

「確実に人選を間違えとるわ!!」

「は?」

「…いえ、なんでもありません。」

「…よくは判りませんが、他の者には伏せておきました。

 特に、桃の反応が、一番心配でしたし。

 …あまり心配をかけてはかわいそうですよ。」

 …それは赤石と桃、どちらに対してだろう。

 けどなんかもう色々、諦めた方が楽な気がする。

 

 まるで当たり前のように飛燕が私の肩を抱いて…というよりは軽く背中に手を当てて、簡易休憩所の扉を開けてくれる。

 

「あの…私がここに入っても大丈夫ですか?」

「ん?

 治療に来てくださったのではないのですか?

 入らなければ治療はできないでしょう?」

 そう言って私の顔を覗き込んだ飛燕が、不意に何か、悪戯を思いついたような笑みを浮かべた。

 

「…それとも、別な心配ですか?

 わたしが、あなたに無体を仕掛けるとでも?」

「あ、そこはまったく心配しておりません。」

 三面拳は皆一様に紳士だ。

 だがその私の言葉に、何故か飛燕が吹き出す。

 

「…いや、失礼。

 そう言い切られるのも、男として複雑ではありますがね。

 フフッ、まあ、信用して頂いていると、素直に解釈いたしましょう。」

 肩をすくめて笑う飛燕に改めて案内され、私はその小屋の中に足を踏み入れた。

 中は意外と広く、大人数が寝袋で雑魚寝している大きな部屋の他に、小さな部屋がひとつあるようで、入口からほど近いそこのドアを開けると、中に3台並んだ簡易ベッドの上に、それぞれ1人ずつ横になっている。

 

「重傷者はこちらにまとめて寝かせてあります。

 以前、あなたに教えられた応急処置をひと通り施しており、食事を取った後で傷の様子を確認するふりをして、千本でこっそり針麻酔を施してあります。

 何をしても朝まで目を覚ましませんよ。

 御心配なく。」

 つまり、私が治療に来る事を予想して、仕事がやりやすいよう下準備をしておいてくれたという事だ。

 感謝の意を込めて小さく頷いてから、まずは、羅刹を診る事にする。

 たく…腕一本斬り落とすとか、こいつもどんな脳筋だよ。

 

「……ハゲればいいのに。」

「えっ!?」

「…あ、いえ、何でも。

 あ、これはいい状態に応急処置してくださいましたね。

 このまま置いて自然治癒させても、恐らく切断の後遺症は残らないくらい。」

 飛燕の手を借りて羅刹の上半身を少しだけ起こし、注意して包帯を外したところ、切り傷は未だ生々しいが、一度切断されたとは思えないような状態に、感嘆の声が思わず漏れる。

 

「以前、治療を見学した際に教えていただいた、肉体に欠損が生じた際の処置です。

 初めて行ないましたが一時間後には、縫合したのと変わらないくらいにくっついている事に驚きましたよ。」

「それは、その際のあなたの施術が完璧だったのですよ。

 例え事前に教えていたところで、普通はここまで綺麗には繋がりません。

 …あなたが医者ではなく武術家である事は、ひょっとしたら医学界にとっては大変な損失なのかもしれませんね。」

 まあ、人体の構造を理解しているのは、彼の修める武術の特性上、不可欠だからなのだろうけど。

 私の言葉に、何故だか飛燕は、少し考え込むような表情を見せた。

 だがそれもほんの数瞬のこと。

 

「…恐れ入ります。

 あ…傷がなくなりましたね。お見事です。」

 本来なら重傷なのだが、飛燕が処置をしていてくれたお陰で、ほんの僅かな氣の操作だけで治療が完了した。

 だから飛燕の褒め言葉に、なんとも言えない感覚を覚える。

 

「これが橘流の本分ですから。」

 その感覚を無理矢理わきに追いやって、隣のJの方へ移動すると、飛燕は、さらにもうひとつ先のベッドに寝かされている、銀髪の方を指し示して言った。

 

「赤石先輩を先にしては?

 急所は外しているとはいえ、あの剣が身体を貫通したので、出血量が多かったのですよ。」

「いやいや、元々血の気が多過ぎるんで。

 ちょっと抜いたくらいで丁度いいんですよ、あのバカ兄貴には。」

 確かにあの技は、精神と生命の極限を知らなければ極められないと彼は言った。

 だがその為に取った手段が切腹とか馬鹿か。

 こいつもハゲればいいのに。

 

「保護者が、酷い扱いをされている…!」

 小さな声でなんか呟いた飛燕を睨むと、彼は何事もなかったかのように、Jの包帯をはずし始めた。

 

「…Jは肋骨を全て骨折していました。

 あの泊鳳とかいう少年、見た目の割にとてつもない腕で。」

「ええ。私も見ておりました。

 Jをあそこまで追いつめるとは、年齢的な将来性も考えると、実に恐ろしい相手でしたね。」

 彼はこの先の梁山泊を背負う事になる。

 大変だろうが、プレッシャーに負けず真っ直ぐに成長してほしいものだ。

 兄のひとりは生かして返してやったが、あの男は上に立つ者の器じゃない。

 むしろこれまで同様、No.2の位置で実力を発揮するタイプに違いない。

 彼がその分を弁えて弟を支え、導いてくれれば、そう長くない期間のうちに、組織の建て直しは叶うだろう。

 それにしても、末っ子が一番の素質持ちって、本当に藤堂の家と被るなあ。

 次期総帥を豪毅に決めたのは御前の判断で間違いないだろうが、彼の上の兄たちは、その決定に素直に従ったのだろうか?

 上の3人とは会ったことがないから判断しようがないが、獅狼などはかなりゴネたんじゃないかと思うけど。

 あの男、豪毅を未熟者のガキといつも見下した発言をしながらその実、御前に素質を見出されていた彼に対し、コンプレックスを抱いていたのは明らかだったから。

 まあいい。それは今考えても仕方ない。

 軽く指を触れて、骨のズレなどがないか確認してから、氣の針を撃ち込んで修復する。

 

「…はい、これで大丈夫。

 Jの怪我も、あなたの手当てが適切でしたね。

 肋骨の場合、下手を打てば肺に刺さる事もありますけど、そうならず位置もズレてはいませんでしたから、明日には痛みもなく普通に動き回れる筈です。

 …ところで月光と伊達はここには居ないのですか?

 彼らも結構な重傷だったように思いますが?」

 月光は、急所は外れていたとはいえ胸に矢が刺さったし、伊達は拳銃の弾丸を二発食らっていた。

 

「ええ、彼らだけは、わたしの処置のみで済ませ、あちらに皆と共に休ませています。」

「何故?もう2人くらい増えたところで、治療に問題ありませんよ?」

 私のその問いに、飛燕が何故か苦笑しながら答える。

 

「…恥を申しますと、あの2人はわたしの事をよく知っていますから、『こっそり』針麻酔を施す事ができなかったのです。

 いつもと違う行動を取って気付かれれば、理由を説明しなければならない。

 …特に月光は面倒というか、バレると後が厄介というか…説教が始まるとネチネチ長くなるし。

 完璧主義といえば聞こえがいいのですが、あれで何事にも細かいんですよね。

 いっそ意識を失っていてくれればそれも可能だったのでしょうが。」

「待って!

 微笑みの爽やかさと裏腹に発言がドス黒い!

 私はいいけど女性ファンの夢を壊さないで!!」

「はい?」

「…な……なんでもないです。」

 …何が怖いってこの一連の会話の中で、飛燕の微笑みがまったく崩れない事だ。

 多分、これ以上触れちゃいけない。

 

「さあ、そんな事よりも、赤石先輩の方を。

 何だかんだ言っても、一番心配だったのでしょう?」

 それにしてもどうしてコイツは、私に赤石の治療を優先的にさせようとするのか。

 いや、勿論やぶさかではないのだが、なにかが引っかかり、小さく抵抗を試みる。

 

「いや、こいつはマジで寝込んでるくらいの方が大人しくていいんじゃ…。」

「…なるほど。

 心配過ぎてこれ以上彼を闘わせたくないと。」

 どうしてそうくるかな!

 ああ、もういいよ!認めるよ!

 はい、私は赤石の事が心配でした──!!

 

「…以前赤石には氣を貰ってますし、ここらで返しとくのもいいかもしれませんね!!」

「フフフッ…!」

 負けた。なんなんだこの腹黒美人。

 

 ひと通り赤石の身体を診て、本当に命に関わる重要な血管だけを避けている事に改めて驚きながら、腹部と膝の傷を治す。

 出血多量との事だが、造血の処置はしなくていいだろう。

 あの後、飛燕の手当てだけで戻ってきて動き回ってたし。

 

「…馬鹿兄貴。あなたにはまだ、言ってやりたい事がたくさんあるんですよ。

 こんなところで斃れるなんて許しませんから……この脳筋。」

 ひとまず傷が塞がって安心したら、思わずそんな言葉が勝手に口から漏れた。

 

「………ほう。

 ならば、聞かせてもらおうじゃねえか。

 今度、二人きりで、じっくりとな…。」

「えっ!?」

 返ってくると思わなかった返事に、赤石の顔をガン見する。

 今まで閉じられていた目が開かれており、それはまっすぐ私を見ていた。

 思わず飛燕を振り返ると、驚いたような表情で首を横に振る。

 どうやら彼にも思いがけない事態らしい。

 

「てか、誰が脳筋だコラ。」

「……あなた以外の誰が居ると。」

 答えながら、声が震えそうになるのを必死に抑えた。

 この冥凰島に一緒に入り、ヘリポートで別れてから、まだ4日ほどしか経っていない。

 にもかかわらず、ずいぶん久しぶりに会った気がする。

 

「……塾に戻ったら、覚えてろよ。」

 だが赤石は、それだけを言って、また再び眠りに落ちた。

 どうやら飛燕の針麻酔から、完全に脱したわけではなかったらしい。

 安心すると同時に、それを寂しいと感じる気持ちもある事を、私は自覚していた。

 

 ・・・

 

 入った時と同じように、飛燕に隠されるように小屋の外に出る。

 

「お疲れ様でした。

 わざわざ来てくださって本当にありがとう。」

「いえ。

 こちらこそ手引きしていただいたお陰で、仕事がすんなり運びましたので助かりました。」

 お互いに礼を言い合って、飛燕の手が私から離れた。

 その手が一瞬、空を彷徨う。

 そして唇が、少しだけ辛そうに、言葉を紡いだ。

 

「あの…もしかして…」

「……雷電の事でしたら、彼は無事です。」

 その言葉の先を聞く前に答えると、案の定揺らめいていた瞳に輝きが灯る。

 

「…本当ですか!?」

「ええ。

 回復に少し時間がかかりそうですが、明日にはあなた達に合流できるかと。

 男爵ディーノも無事ですが、彼は本人の希望で、こちらに協力していただいております。

 …ですが、この件は、しばらくは」

 まだ内密にしていてほしいと、私がすべてを口にする前に、飛燕は頷いた。

 

「わかってますよ。わたしは何も聞いてません。

 そもそも誰かに喋ったところで、それをなぜ知ったと聞かれても説明できませんから。

 本当のことを説明したら、なぜあなたを捕獲しなかったかと、全員から責められます。」

 捕獲言うな!私は野生動物か!!

 

「道中、お気をつけて。

 あと、『翔霍』殿にも、よろしくお伝えください。

 助けていただいて、感謝していますと。」

 そう言った飛燕は恐らく、『翔霍』の正体にも、薄々気付いているのだろう。

 いやまあ、あれは飛燕でなくともバレバレだけど!

 別れの挨拶を告げて、ふと見上げた星空が、まるで手に取れそうな気さえした。

 

 ☆☆☆

 

「影慶。男爵ディーノ。ひとつ提案があります。」

 休憩所から戻ったら、雷電の為に雨露をしのぐテントを立て終わっていた2人に向かって声をかけた。

 

「…言ってみろ。」

 影慶に促されるその言葉に、また何かろくでもない事を考えているだろう、と言いたげなニュアンスを感じるのは敢えて無視する。

 

「ここで、二手に分かれませんか?

 影慶は一旦ここに残り、雷電が目を覚ましたら彼と共に移動して、決勝会場で桃たちと合流。

 私と男爵ディーノは、これまで通りの後方支援という事で。

 この準決勝ですら、あれだけの負傷者が出たのです。

 決勝戦での相手は、単純に考えれば、それ以上に強いという事ですから。

 闘士としての影慶の戦力が、絶対に必要になると思います。

 本来なら返すべきですが男爵ディーノだけは、置いてってもらわないと、私1人では何もできませんので…。」

 しつこいようだが、私は救命はできても救助はできないのだ。

 

「…だとすればむしろ、ここから先の後方支援の方が不要ではないか?

 というよりも、そんな余裕はあるまい。

 決勝戦は我らの全戦闘力を結集してかからねばならぬだろう。

 俺、雷電、男爵ディーノは闘士として登録されたメンバーだし、もとよりオブザーバー人員の同行はルール違反ではないのだから、光が一緒でもなんの問題もなかろう。」

 …あ、影慶的にはそうなっちゃうのか。

 まあそれも確かに、ひとつの案ではあるのだが…しかし。

 私が言い淀んでいると、黙っていた男爵ディーノが、片手を上げて発言し始めた。

 

「…僭越ながら、影慶様。

 我々の目的が、大武會の優勝そのものではなく、そこに必ずや姿を見せるであろう主催者の藤堂兵衛を、表彰式にて討つ事だという事を、お忘れではありますまい。」

 …って今、『あ』みたいな顔したところ見ると、影慶。

 あなた、もしかして本当に忘れてましたね?

 ……これだから天然は!!

 

「光君は元々藤堂側の人間で、今はそのかつての主人から、命を狙われているのです。

 こうして男の姿をさせていたとしても、彼女を知る者には気付かれる恐れがあります。

 光君を表に出して良いのであれば、塾長は最初からそうしていましょうし、そうであれば、わざわざ貴方様を一度殺してまで、後方支援に回らせる必要もなかった。

 彼女の存在は、いわば隠し持ったジョーカーのようなもの。

 隠せるうちは、隠し通すべきです。」

「しかし…!」

「貴方様が命令なさった事ですよ。

 自分が居ない間、光君はわたしが守れと。」

 雷電がこの会議に参加できない以上、ここは2対1。

 影慶は最後まで渋っていたが、結局私の案が採用されて、私と男爵ディーノは一足先に、決勝会場のある中央塔へと、出発する事になった。

 ……表向きは。

 

 ☆☆☆

 

「さて…ようやく2人きりですね、男爵ディーノ。」

「…その台詞に、まったく色っぽいものを感じないところを見れば、やはりここで二手に分かれる提案をしたのは、なにか別の考えがあっての事ですね?」

「はい。あなたの協力が得られた時から朧げに考えていましたが、闘士たちの様子を改めて近くで見てきて、ようやく決心がつきました。

 影慶に言えば反対されたでしょう。

 …これから私がしようとしている事に、反対せずに協力してくれそうなのは、あなたを置いて他にはいません。

 …どうか私と来てください。男爵ディーノ。」

「……具体的には、何を?」

「それは、今はまだ。

 ですが私はこれから、私個人の独断で、懸念材料をひとつ、潰しに行こうと思っております。

 状況によっては御前…藤堂兵衛本人と鉢合わせすることになるかもしれませんし、その場合は私の手で、あの方を討つ覚悟もあります。

 勿論容易く行えることとは思っておりませんし、返り討ちにあう可能性の方が高いでしょう。

 あなたならば、最悪の事態が起きた場合でも情に流されずに、最善の行動を取ってくれると、私は信じています。」

「…その言い方は、実に卑怯ですね。」

「知りませんでした?

 プロの暗殺者はターゲットを確実に仕留める為なら、手段を選ばないんですよ?」

 影慶は私に、この手を汚すなと言ってくれたけど、私の本分はやはり暗殺者としてのものなのだろう。

 差し伸べられた温かい手を振り払っても、私には、為さねばならない事がある。

 最初から、そのつもりでここに、足を踏み入れたんだもの。

 

 ふと、先ほどの赤石の顔が頭に浮かんだ。

 それと同時に、最後にかけられた言葉も。

 

 “塾に戻ったら、覚えてろよ”

 

 その約束が果たされることは、恐らくは、ない。




死ぬ死ぬ詐欺は、生存フラグ(爆


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2・時には天に運を任せて右か左か決めてもいい

 おかしいなとは、少し思っていた。

 トーナメント表のようなつくりの道が、徐々に島の中央に向かっている事。

 前回の大会までは、決勝戦だけは観客の前で戦わせる為、私たちが入島したヘリポートのある島の外れとは反対側の海岸付近(ちなみにこちら側にはヘリポートの他に小さめだが飛行場もある。招待した観戦者が自家用セスナを持っている事も珍しくないからだ)に建てられた、古代ローマのそれを模した闘技場(コロシアム)が決勝会場だった筈だ。

 だから、進むべき方向は島の中央ではなく、最終的には横断若しくは半周する形で、そこに向かっていなくてはおかしいのだ。

 私の知っている限り、この島の中央にあるのは、闘士たちの訓練施設のみ。

 私が、護身術程度の拳法の修業をする為に、少しの間滞在したのもここだった。

 新たなる武術の総本山となるべく世界中から闘士を集め、それを更に強くする為の、最適な環境を整える最新鋭の技術も整えている。

 なのでそれなりに武舞台のバリエーションも揃っているわけだが、あくまでも訓練の為の施設故に、観客を入れる場所などない。

 というか、中央付近は大きな赤酸湖が常に沸騰しながら、かなり強烈な硫黄の匂いを漂わせており、中央塔(私たちはこう呼んでいた)はこの赤酸湖のど真ん中に建てられているので、鍛え抜いた闘士達ならばともかく、一般人よりヌルい生活に慣れ金と権力を持った主に高齢者に足を運んでもらうには、ここは若干環境がやさしくないのだ。

 私の知らない間に、中央塔に観客を入れる環境が整った…というわけではないだろう。

 だからといって、世界各国の名士との繋がりが持てる機会であるこの大武會への招待を、今回からは取りやめたという事でもないだろうし。

 これは中央塔にある多種多様な武舞台を使う事で各試合にバリエーションを与え、代わりに観戦は闘技場(コロシアム)に設置された巨大モニターで、というあたりに落ち着いたのではなかろうか。

 だとすれば、御前は観客の相手をする為に闘技場(コロシアム)の方にいて、たとえ優勝チームが決定しても、決勝会場の方に姿を現さない可能性がある。

 私たち男塾が、この大武會の優勝を目指す目的が、御前を討つ為であるのに、それでは全く意味がない。

 

「…それで、どうされるおつもりですか?」

 私がそこまで説明したところで男爵ディーノが問うのに対し、私は簡潔に言葉を返した。

 

「観客が会場入りする前に闘技場(コロシアム)を爆破します。」

「なんかまた変なこと言い出したこの子!!」

 なんだ『また』って!

 まるで、私がいつも世迷い言ばかり言ってるみたいじゃないか!!

 そう言いたいが、言ってしまうと負ける気がして、私はディーノを睨みつける。

 私程度の視線に全く動じた様子もなく、ディーノをはため息をひとつ吐いてから、なんというか嫌そうな表情で問い直した。

 

「…失礼。

 ですが爆破といっても、あの規模の建物を破壊できるほどの爆薬など持ち合わせはありませんよ。」

「心配ありません。

 あの建物にはいざという時の為にと、爆破装置が設置されていると、御ぜ…藤堂兵衛からは聞いております。」

「…いざという時って、どういう事態を想定していたんですか?」

「それは私も疑問に思って尋ねたところ、聞いても今ひとつ意味がわかりませんでしたが…本人の言葉をそのまま述べると、『思い入れを込めて作ったものに敢えて自爆装置をつける事こそ男のロマン』と…。」

「なんで聞いた俺!一瞬前の自分を殴りたい!!」

 とか叫びつつ頭抱えたところを見ると、私には全く意味がわからなかったこの御前の言い分を、ディーノは同意は絶対できないまでも、ある程度理解はできている気がするけど。

 でもまあ、なんか本能的にその辺追求したら危険な気がするので余計な事は言わない。

 

「ちなみに、あるとは聞いていても、実際のその場所がどこかまでは聞いていないので、潜入して探さねばなりませんが。」

「ザ・無計画!!」

 …うん、そこは自覚してる。

 

 

 けど。

 実際の私の誤算は、その爆破装置の場所を探すのに手間取った事ではなく、まだ決勝()()である筈の深夜にもう、観客の会場入りが始まっていた事だった。

 全席が自由席で、いい席を取ろうと思ったら早く入らねばと思うのもわかるが、古代ローマの遺跡をもとに作られた会場の観客席は、実際座り心地がいいとは言えない。

 そこに少なくとも半日陣取っていようとか、金持ちは暇なのか、余程娯楽に飢えているのか。

 …まあ両方だとは思うが。

 とにかく、少なくとも藤堂財閥に無関係の人間がここにいる以上、爆破という手段は諦めざるを得ない。

 正直、ここに招待される有力者など、御前の所業などまだ可愛いと思えるほど後ろ暗い人間ばかりで、ここでまとめて始末できればどれほど世の中が綺麗になるかと思わなくもないが、それを是とするならば、塾長はそもそもこの復讐を成し遂げようとは考えなかったはずだ。

 それをやってしまえば、例え私の暴走だとしても、塾長は仇と憎む御前と、その時点で同じ存在となってしまう。

 だから、無関係な犠牲者はここで出してはならない。

 だとするなら、答えは1つしかなかった。

 藤堂兵衛は、ここで討つ。

 

 ・・・

 

「こんな事態に巻き込んでしまって申し訳ありません、男爵ディーノ。」

 侵入者の存在を告げるサイレンが鳴り響く中、私はメイド服姿で、隣で一緒に走っている作業着姿の男に声をかける。

 実際には二人共、それと見せかけたマジシャンのマントなのだが、どういう仕組みかは追求しない。しないったらしない。

 それにしてもディーノはこうして見ると、一見なんの特徴もない、本当にただの作業員に見える。

 裏工作や情報収集のプロと自身で言っていただけあって、その擬態は完璧なようだ。

 …それがなんで影慶へのプロデュースがああなった。

 むしろ『翔霍』もこの男が演じていれば、まったくの別キャラクターとなっていたろうに。

 まあそれは今はいい。

 問題なのは、彼の服の下から今も、少なくない量の出血が続いているという事だ。

 ほんの少し立ち止まれるだけの時間の余裕があれば治療してやれるが、今は無理だ。

 

「何を今更…君についていくと言ったのはわたしですよ。」

 ありがたい事を言ってくれる。

 しかし、それに感動している暇すら今はない。

 

「…ところで、少々確認したい事があります。

 昨日、拘束された虎丸を救出する為に、移動手段があると仰ったのは、なんらかの長距離跳躍か飛行の手段が取れると解釈して間違いないでしょうか?

 そしてそれは、今でも使用可能ですか?」

「え、ええ、その通りですが…それが?」

「良かった…助けるつもりで殺してしまっては、なんの意味もありませんから。」

「……は?」

 追っ手が、逃げ道のない方へ私たちを誘導しているのはわかっていた。

 なにせ、私はここの構造を熟知している。

 それでも敢えて乗ってやったのは、私たちを追い詰めたと思っている相手に、万が一の策を取らせない為だ。

 

「ここは…!」

 追われるままたどり着いたそこは、外へ張り出した回廊の上で、その先は行き止まりとなっていた。

 地上からの距離は約50メートル、そこから落ちたら、まず助からない。

 そして今、追っ手の手から逃れようと思ったら、そこから飛び降りるしかない状況だ。

 だから。

 躊躇うことなく男爵ディーノの背中を、渾身の力を込めて、押した。

 

「なっ!ひ、光君っ!?」

 

 ・・・

 

 意味がわからなかった。

 だが、自分の身体が、何もない宙空に投げ出されたと知った瞬間、ほぼ反射的に首元から、蝶ネクタイを引っ張り出した。

 

威硫時穏(イリュウジオン)罵多怖雷(バタフライ)!!」

 そこから飛び出した無数の蝶たちが、落下しようとするわたしの身体を支える。

 

「逃すかっ!!」

 追っ手の男が、手にした鞭を振るおうとするのに、光がその顔面に向けて、纏わせていたマジシャンのマントを投げつけた。

 一瞬にして可愛いメイドが、いつもの小柄な少年のような姿に戻る。

 あの格好、似合っていたのに…などと心の片隅に浮かんだことは内緒だ。

 

「行って!私は、恐らく殺されません!!

 邪鬼様や影慶には、そうお伝えください!!」

 今、彼女を助けに戻っても、手負いのわたしではきっと役に立たない。

 だからせめて、彼女が作ってくれた逃げるチャンスを無駄にしない為に…わたしは、蝶たちと自らの身体を、夜の闇の色に同化させ、全速力で、飛んだ。

 

 ・・・

 

 以前この島に修業に来ていた時は、まだ13歳の子供だった上、髪も長かったから、今より少し女の子らしい風貌に見えていた筈。

 だからだろう。

 鞭の男に捕らえられた後、身柄を引き渡された顔見知りの筈の係員が、男塾の制服を着た私を誰か判らなかったのは。

 まあ私が捕らえられてから言葉を発しなかったのは、別に自分の事を覚えててもらえなかった事でふてくされた訳でも、ましてや捕らえられた際に、

 

「ここで何をしていた、チビガキ。」

 などと言われたからでもない。

 そもそも私は首相暗殺に失敗して始末されかかったこちら側の暗殺者な訳で、私と気が付かれないならその方がいいと思ったまでだ。

 だが、判らないまでも見覚えはあると思われていたようで、すぐに私の身分はあっさり割れ、何故か物凄い勢いで謝罪された。

 ここの係員たちにはどうやら、暗殺失敗の件は伝わっていないようだ。

 けどその後、手足は拘束されたままでひょいっと抱き上げられ、

 

「…御不自由をおかけして申し訳ございませんが、姫には枷を外さずに、暫くお待ちいただけとの命令でございます。

 どうか、お許し下さい。」

 と、せめてもと殺風景だがそれでも暖かい部屋に移されて、椅子も少し座り心地の良いものに替えられた。

 多分今私、闘技場(コロシアム)で席を取ってる観客よりいい待遇を受けていると思う。

 背の高い椅子だったので座らされたら足がつかなかったけど、ってやかましいわ。

 

 ☆☆☆

 

「おかえりなさいませ、若。」

 準決勝までを、誰一人として一滴の血すら流さず終えて、この中央塔へと戻ってきた俺たちを、ここの責任者である男が出迎えた。

 他の者は、今期の大武會で名実ともに父の後継者となる俺を既に『総帥』と呼ぶが、この男だけは未だに『若』と呼ぶ。

 そこに若干の引っ掛かりを覚えないわけではない。

 

「御苦労。」

 …が、それをいちいち指摘するのも、却って奴の子供扱いを助長しそうな気がして、まったく気にしていない素振りで、一声だけかけて側を通り過ぎる。

 と、別の職員が前に進み出て、案内を買って出た。

 

「総帥、次の対戦相手のデータが用意出来ております。こちらへどうぞ。」

「データだと?

 梁山泊十六傑ならば、奴らの詳細は頭に叩き込んである。今更…」

 だが、俺の言葉を遮って職員が発した言葉は、俺にとっては予想外のものだった。

 

「今年はその梁山泊が、準決勝で敗れました。

 決勝で闘うのはそれを下した、『男塾』という今期初出場のチームになります。」

 梁山泊十六傑とは、前期を含め三連続で優勝している強豪チームであり、満を持して初参戦した俺たちが、途中で当たる事を最も警戒していた相手だった筈だ。

 それが、準決勝で対戦したチームに敗れた…しかも、俺たち同様、今期初出場のチームにだと?

 

「なるほど…わかった。」

 ここに来て俺たちが負けるとは思わぬが、情報の整理は重要だ。

 俺は職員の男に促されるまま、モニタールームへと足を踏み入れ、備えつけの椅子に腰を下ろした。

 手元のボタンを操作して、モニターを切り替える。

 すぐに職員が準備していたデータがそこに映し出され、全員がそれに目をやった。

 この塔こそが我らの本拠地であり、ここには科学の粋を極めた最新の設備が整っている。

 まさに世界最強の男たちを養成する、世界中のあらゆる格闘技の、新たなる総本山となる場所なのだ。

 

「男塾…。

 満身創痍の者どもが、合わせて十二名か。」

 こちらがひとりの欠けすらなくここまで勝ち上がってきたのに対して、この惨憺たる状況。

 今期の梁山泊には不安材料もあった事だし、それに勝った奴らとて、警戒する事もないのかもしれぬが…。

 

「……ん?」

 映し出される映像を切り替える手が、止まる。

 …そこに映し出された男に、俺は確かに見覚えがあった。

 

『彼はこのまま帰してあげてください。

 元々この人とは、全てを見届けてそのまま帰れと、最初から約束をしています。』

 身動きを取れないようにしたその男に、その時、彼女は確かに、優しげに笑いかけた。

 そして同時に、彼女の殺気が俺に向かった。

 

『刀を抜きなさい、豪毅。

 でなければ、私があなたを殺します!

 …死にたくなければ、私を殺すしかない。』

 共に暮らしていた頃、彼女が既に、人を殺める仕事を父から受け、何度もそれを遂行していた事、知らないわけではなかった。

 だが、その手が俺に向けられる事があるなど、その瞬間まで考えもしなかった。

 俺にとっての彼女の手は、優しく温かいだけのものだったから。

 熱を出した時に、縋りついた手を握ってくれた時も、爪切りだとすぐに割れる爪を小刀で丁寧に切ってくれた時も、指先で梳くように髪を撫でてくれた時も、いつも。

 

『見届け人、といったところでしょうか。

 空気だと思っていてください。』

 彼女は同行してきた男の名を、決して俺に告げようとしなかった。

 13歳だった最後に別れた年の頃とあまり変わらない声が紡いだのは、そいつを庇う言葉。

 その声も、微笑みも、かつては俺に向けられていた筈だ。

 それが、何故。

 

 …あの後、密かに手を回したものの、彼女の行方を知る事は出来なかった。

 俺自身が動ければ少しは違ったのだろうが、父から彼女を守る為には秘密裡に動かねばならず、あの後すぐに父の後継者として正式に決定して、以降の行動が管理されていた俺には不可能だった。

 だが。ようやく見つけた。

 この男なら、彼女の居場所を知っている筈だ。

 

「いかがなされました、総帥?」

「…いや、なんでもない。」

 モニターから目を離さずに、俺はそう答える。

 内心の動揺は、表に出ていなかっただろうか。

 そこに映し出されていたのは、銀髪の男と、その男に関する情報を示す、文字の羅列。

 

 DATA

 赤石剛次

 男塾二号生筆頭

 一文字流斬岩剣の使い手

 決勝リーグ第1戦より追加人員として参戦

 etc…

 

 赤石剛次。

 間違いなく、あの時の『見届け人』だ。

 そこに並べられた文字を一通り頭に叩き込んでから、俺はモニターの映像を、別の闘士のデータへと切り替えた。

 

「男塾、か……!!」

 俺から光を奪ったのが、奴らだというならば、叩き潰すまでだ。

 上の兄たちをたたっ斬り、父の…藤堂兵衛の後継者と俺が認められた以上、あの女はもう、俺のものなのだから。

 

 ☆☆☆

 

 目を覚ました時、一人ではなかった。

 気がつけば、優しげに微笑んでこちらを見る、知った顔があった。

 

「…気がついたな、雷電。」

「……影慶殿!?」

 慌てて飛び起きて、その男の名を呼ぶ。

 

「やはり、生きておられた…いや待て、ひょっとして拙者が死んだのか…!?」

「落ち着け雷電。あの世ではない。

 …猿たちも無事だ。」

 影慶殿がそう言ったその後ろから、小さな影がひょいと顔を出す。

 わらわらと寄ってきて、肩や腕に縋り付いてくる猿どもは、その体の大きさを考えれば大変な重傷を負っていた筈だが、動きなどを見るにその影響はないらしい。

 拙者を追ってここまで来た時、既に前の闘いの傷が癒えておった事といい、この猿どものなんとタフな事よ。

 いや、そんなことよりも。

 

「…そうか、やはり『翔霍』は影慶殿であったのだな。

 貴殿が、拙者を助けてくださったか。

 誠にもって、かたじけない…む?」

「…どうした?」

 頭を下げようとして、ふと気づく。

 猿たちだけではなく、自分自身もまた、負った傷の痛みのひとつも、感じていない事に。

 否…痛みどころか、そもそも傷などどこにも見当たらぬ。

 あれは、夢だったのだろうか…いやいや、そんなわけはない。

 

「傷が…それにあれほど出血したにもかかわらず、失血どころか目眩のひとつすら起きぬとは…ふむ…。」

「…おまえに隠し立てしても仕方あるまい。

 俺は少し前まで、光とともに行動していた。」

 ひとつの可能性に思い至ると同時に、それを口にする前に、影慶殿が種明かしをする。

 

「やはり、そうであったか。」

 …実は飛燕が無事に帰ってきたのを見て、よもやとは思ってはいた。

 しかし、本人も気づいていなかったわけではなかろうに、それでも黙っているとは、あやつもなかなかに人が悪い。

 そこまで考えたところで、またもや気づく。

 

「…しかし、少し前まで、とは?

 光殿は今、こちらにはおられぬのか?」

 そう、ここにいるのは拙者と、影慶殿と、猿どものみ。

 おなご一人で広範囲を動けるはずもないであろうから、影慶殿がここにいる以上、遠くには行っていない…、

 

「先に救出した男爵ディーノと共に、夜のうちに出発した。

 俺は、おまえと共に戦列に復帰しろと、ほぼ強引に置いていかれた形だ。」

 …わけではなかった。

 まあ確かに、無茶をしがちな御仁ではあるが…。

 

「ディーノ殿も御無事か。それは何よりでござる。」

 とにもかくにも、かの人が今、一人ではないらしい事に安堵する。

 しかも、先の闘いでてっきり亡くなったと思っていた御仁も生きている。

 これは充分喜ばしい事だ。

 

「…雷電、身体の調子はどうだ?

 動けるようであれば、今から俺と共に決勝会場へ向かって欲しい。」

 若干の現実逃避が入っている拙者に、影慶殿が言葉をかける。

 その申し出に、拙者に否やがある筈もなく。

 

「無論、承知致す、影慶殿。」

 どうやら、陽もすっかり昇っているようであるし、残る仲間達もとうに出立した後であろう。

 先の闘いに於いての無様、この雷電の不徳の致すところ。

 この上は一刻も早く追いつき、その不名誉を雪ぎたいところでござる!

 

 ☆☆☆

 

「先ほど闘技場(コロシアム)にて侵入者を発見いたしましたので、捕らえてあります。

 いかがいたしましょう?」

「侵入者だと?」

「はい。それが、どうもそちらの会場でこれから闘う、男塾とやらの仲間ではないかと。

 出場闘士のメンバーとしてのデータはありませんが、同じ制服を着ておりますし、補充人員として途中参加した赤石という者と共に冥凰島入りしたのを、係員が確認しております。

 その後、闘士の代わりに手続きを済ませ、帰りのヘリに乗り込んだところもカメラには映っているのですが、離陸後のヘリ内には姿が確認できておらず、どうやら直前で下りて、この冥凰島に留まっていたものかと。」

「監視カメラに映らずにヘリポートから出て、島を横断して、闘技場(コロシアム)に侵入したと?

 まさか、内部の事を熟知している者でもなければ、そのような真似ができよう筈がない。」

「…実は、係員の一人が、見た事のある顔だと申しております。

 どこで見たかまでは思い出せないというので、できれば確認していただけたらと。」

「わかった。映像をこちらに寄越せ。」

「はい。この者です。

 見たところまだ、年端もゆかぬ少年のようなのですが、捕らえてからまだ、一言も言葉を発しません。」

「これは…も、もう少し映像を拡大してくれ!」

「は、はい!?」

「…間違いない、これは姫…光様だ!

 おい、無礼な真似はしていないだろうな!?」

「光…さま?」

「その方は御前の御養女、豪毅様の義姉(あね)君だ!」

「なっ…なんと!?」




次の章に移る前に、念頭に置いておいてほしい出来事を、駆け足で詰め込みました。
次章開始からしばらくの間、光は恐らく登場できません。
ご了承ください。


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天挑五輪大武會決勝中央塔編(対冥凰島十六士戦)
1・君が、ココロ、狂わせる


資料として原作読みながら『…あれ?この時代にもう、ネイティブアメリカンって表現あったっけ?』とふと思い、コンビニコミックより発行年数が古い文庫版の方を確認したら、やはりそっちは『アメリカインディアン』表記だった。
まあ基本は文庫より大きくて見やすいコンビニコミック版で確認しながら書いてるんで(老眼)、違和感はあるがこっち表記でいく。
つか赤い稲妻(レッド・サンダー)とか、そーいやこんなやつ居たな程度の記憶認識だったわ…。


「ここが、天挑五輪大武會決勝戦闘場…準決勝の時と同じようにこの縄バシゴを渡って、あの平らなところまで出ていって闘うわけだな。」

 準決勝を勝ち残った俺たちが、トーナメント表の形をした道の通りに進んで、たどり着いたのは大きな人面が彫られた塔の前だった。

 俺たちの側から見て向かい側に、今俺たちがいるのと同じような高台がせり出しており、そこは間違いなく相手チームが通ってたどり着く筈の道なのだが、何故かそちらからは、縄ばしごが渡されていない。

 

「敵のチームはまだ着いていないようだな。」

 あちら側に人影の一人も見られないことからそう判断して口に出すと、隣の伊達が頷く。

 

「それにしても、なんだ。

 あんなところに、偉そうな不細工な面など掘り込みやがって。

 あれがこの大会の主催者の、藤堂ってヒヒじじいだろ!」

「古今東西、生きてる間にてめえの像なんかおっ立てた奴に、ろくなのはいねえぜ!!」

 言いながら富樫と虎丸がバカ笑いする。

 俺たちが塾長室の映像で見せられたのは、その男の若い頃の姿だけだったが、確かに塔の正面に彫られた人面像は、その若い男の特徴的な部分はそのままの、歳をとった顔が浮かび上がっている。

 そこから判断するに、この塔が作られたのはごく近年の事なのだろう。

 などと思っていたら虎丸が、その藤堂の像の目がこちらを睨んだと言い出した。

 そんなわけはないと富樫が虎丸の頭を小突いたが、言われてみれば塔の像が、確かにこっちを見ているように見える。

 昔の寺院の天井画などにある、どこから見てもこっちを見ているように見える龍の絵などと、同じようなものなのではないだろうか。

 

 と、その人面の顎の下あたりから闘場へと伸びているやけに急な階段を、男が一人降りてきた。

 …あの階段、実は先程から気になってはいた。

 

「俺の名は、冥凰島十六士一番手・赤い稲妻(レッド・サンダー)!!

 さあ来るがよい、男塾の勇者よ。」

 その男が身につけた、鳥の羽根をふんだんに使った頭飾りは、昔の西部劇に登場する、インディアンの族長を彷彿とさせる。

 しかし…冥凰島十六士というのが奴らのチーム名か。

 冥凰島とは、この大武會が行われているまさにこの島の名ではないか。

 つまり、ここは奴らの庭場(ホーム)

 一番手というあの男から、冷静に奴らの力を計らねばならないだろう。

 

「冥凰島十六士…奴らの力がどれ程のものか…!

 まずは、俺が先陣を切らせてもらうぜ!!」

 本来なら、大将である俺は、他の誰かにその役を任せるべきなのだろうが…闘いに身を置く者としての血の滾りが、今の俺を後方にじっとさせていてくれない。

 光がこの場にいたら、『馬鹿ですか、あなたは』とバッサリ斬り捨てられそうだが、縄ばしごを渡る俺の背中にかけられたのは、仲間たちの応援の声だった。

 

「頼んだぜ、桃〜〜っ!!」

 

 ・・・

 

「男塾大将、剣 桃太郎!!」

「フフッ、初戦から大将のお出ましとは。」

 闘いの前の名乗りを俺が上げると、それを茶化す…と言うには硬い声が、頭上から響いてきた。

 見上げれば先ほど、赤い稲妻(レッド・サンダー)と名乗った目の前の男が降りてきた階段の上に、学生服姿のまだ若い…恐らくは俺と同じくらいの年齢だろう…男が、数人の配下と見られる者を従えてこちらを見下ろしている。

 その目は冷たく、感情がまったく読み取れない。

 

「この天挑五輪大武會、決勝戦の火蓋を切る前に、自己紹介しておこう。

 俺の名は、藤堂豪毅!!

 史上最強の戦士の集団、冥凰島十六士を束ねる男だ!!」

「藤堂……!?」

 その男が名乗った姓は、この大武會の主催者と同じもの。

 その事に気付いた仲間たちもそれを口にする。

 

「ほう、知っておったか。親父の名を。

 下衆どもの分際でよく知っておった。

 いかにも俺は、日本の首領(ドン)とも呼ばれる藤堂兵衛の息子……!!」

 この大武會は存在自体が知る人ぞ知るものであり、主催者の名も、出場闘士には公開されていない。

 その顔と名を知るのは優勝チームが、表彰式に臨んだ時のこととなる。

 後から聞いた事だが昨日戦った梁山泊は、前大会含め連続三期の優勝を果たしたチームだったらしいから、彼らならば知っていただろうが。

 大会主催者の息子と名乗る、藤堂豪毅という男。

 彼が率いる冥凰島十六士というチーム名。

 そこから導かれる答えは。

 俺たちの決勝の相手はどうやら、主催者・藤堂兵衛が組織したチームであるらしい。

 だから、あちら側の縄ばしごを設置せず、塔の中からの登場となったわけだな。

 

「いずれ俺は親父の権力・財力、その全てを引き継ぐ事になる。

 この大武會出場も、親父が俺に課した帝王学の、一環というべきもの……!!」

 言って、その男はニヤリと笑う…が、冷たい目をしていながらも、俺は奴のその表情に、どこかぎこちないものを感じた。

 恐らくはこの男、こういった嘲るような表情もその言い回しも使う事に慣れてはいない。

 後継者として立ったのも、ごく最近の話なのではなかろうかと、埒もないことをふと考えた。

 

 ☆☆☆

 

 剣の野郎が闘場で、最初の対戦相手と向き合った時に現れた、相手側の大将を見て俺は愕然として、一瞬馬鹿みたいにその場に棒立ちになった。

 

「藤堂……豪毅、だと…!?」

 思わず呟いた言葉を、たまたま近くに居た柔らかな声音が拾う。

 

「赤石先輩?

 知っているのですか、あの男を?」

 …そいつの顔を見た瞬間、昨日の夜に傷の痛みのせいなのか、朧げに見た妙な夢を思い出して、思わず小さく舌打ちした。

 いや、こいつには何一つ非はない。

 俺自身それはわかっている…夢に出てきた光の隣に、何故かこいつが居たことに、何か抜けない棘のようなスッキリしないものを、俺が勝手に感じているだけだ。

 飛燕というその男の問いに直接は答えず、俺は闘場に向けて呼びかけた。

 

「剣!!」

「……はい?」

 呼ばれた声に俺を見上げる剣のヤサ顔に、伝えるべき言葉をかける。

 

「あいつは、光の弟だ!」

 俺がそう言うと、剣は一瞬目を見開いて、それからもう一度、階段の上の『藤堂豪毅』を見上げた。

 その『藤堂豪毅』がこちらを、視線で射抜かんばかりに睨みつけてきたのがわかった。

 あの男…以前に顔を見た時は、もう少しガキっぽかったというか、目にも表情にも、どこか甘さがあった筈だ。

 それが…今はない。

 そしてあの冷たい目は、自ら望んでひとを斬る事を知っている目だ。

 これも、あの日には見られなかったもの。

 あの出来事の後、ヤツの中の僅かに残っていた甘さを消しとばす、何かがあったのは間違いない。

 そして、そのきっかけを作ったのが、あの出来事であったのもまた、間違いないところだろう。

 …どうやら光のせいで結果として、手強い敵を一人作っちまったらしい。

 

 光…てめえの弟の『豪くん』は、恐らくはもう、居ねえぞ。

 

 ☆☆☆

 

 赤石先輩の言葉に、以前光が話してくれた、血の繋がらない弟がいるという話を、ようやく思い出した。

 その弟を、光は『ゴウくん』と呼んでいたのだ。

 赤石先輩の事をそんな風に呼ぶほど関係が進展したのかと思って、あの時は少し心が騒めいたから、よく覚えている。

 藤堂豪毅…確かに、『豪くん』だ。

 

『……あの子、爪が割れやすくて、私が小刀で切ってあげていたんです。

 食事にも気をつけて、なるべく何でも食べさせて。』

 そこに立つ青年に、光から聞かされていたような虚弱な印象は欠片も伺えない。

 むしろ体格は人並以上、姿勢も良く、ただ立っているだけでもその身の裡に、充実した氣を確かに感じる。

 …その氣に、僅かに覚えのあるものが窺えるのは、俺の気のせいだろうか。

 2歳ほどしか歳も離れていない光に、どこか母親めいた空気を感じるのは、この弟の世話を焼いていたせいか。

 共に暮らした思い出を語る声の響きからは、自分の指導や体調管理によって、徐々に虚弱な弟の体力が上向いていく事を、無意識にでも喜びとしていた様子がうかがえた。

 あの女のどこが、冷酷な暗殺者なんだ。

 そうか、光は藤堂兵衛のもとで育った。

 その彼女にとっての『弟』が、藤堂兵衛の子である事に、何故これまで思い当たらなかったのか。

 

 冷たい目が、一瞬射抜くように赤石先輩を捉えた。

 だが次にその視線は、俺の向かいの男へと向かう。

 

「数あるネイティブアメリカンの部族にあって、最も勇猛で誇り高いホウ族の血をひく赤い稲妻(レッド・サンダー)よ。

 思い知らせてやるがよい、貴様の力を!!」

「言われるまでもなく!!」

「任せたぞ。」

 藤堂豪毅はそう言って背を向け、塔の中へ戻ろうとする。

 その足が一瞬止まり、振り返ったその視線が、今度は俺を捉えた。

 

 …やはりそうだ。

 奴の氣は、どこか俺と似たところがある。

 

 思いもかけず、俺と奴の視線が絡み合う。

 それは時間にして3秒もなかった筈だが、奴の配下が違和感を覚えるのには充分な時間だったろう。

 

「いかがなさいました、総帥?」

「いや、なんでもない!!」

 …奴も、俺と同じことに気付いたのだろうか。

 だが、それを確認する前に、うっかり注意が逸れていた赤い稲妻(レッド・サンダー)が投げてきた鎖が、俺の手首に絡みついた。

 …否、それは手錠のような、金属の輪のついた器具。

 それが俺の左手首に嵌まると同時に、鎖のもう片方の端についた同じものを、奴が自身の左手首に嵌める音が響いた。

 

「見事、受けてみせるか!!勇者の血鎖(ブレーブ・ブラッディ・チェーン)

 これぞ栄光ある我が部族に伝わる究極の決闘法!!」

 なるほど。西部劇の映画にありそうな展開だ。

 この状況から決着がつくまで、どんな窮地に陥ろうと、お互い逃げることができない。

 

「俺から仕掛けた事だ。

 今なら、受けぬのも貴様の自由だ。」

「フッ、上等だ。

 だが、こんな事をして泣くことになるのは貴様だ!!」

 そう、お互いに、だ。

 俺が逃げられないのと同様、この状態は奴にとっても逃げ場はない。

 

「その言葉が、ただの思い上がりでない事を期待する!!」

 躍りかかってくる赤い稲妻(レッド・サンダー)の手斧を、刀の峰で受け止めて、そこから戦いの火蓋が切られた。

 

 ・・・

 

 互いの腕が鎖で繋がれた状態で、互いに絶え間なく攻撃を繰り出す。

 何せ一定距離以上退くことができないのだ。

 どうしても接近戦にならざるを得ず、互いの手数は多くなる。

 致命傷を避けようと思えば相手の動きを見切らねばならないし、それをさせない為に、攻撃のスピードを上げるしかない。

 互いにギリギリの一進一退の攻防を繰り広げ、一旦鎖の距離いっぱいまで間合いを取った赤い稲妻(レッド・サンダー)が、構えをとったまま動きを止める。

 

「どうやらさっきの言葉、思い上がりばかりではなかったようだ。

 これで少しは楽しめるというもの。

 だが、これが貴様に受けられるか!!

 冥凰島奥義・葬者の羽根(ウイング・オブ・ザ・デッド)!!」

 そう言って赤い稲妻(レッド・サンダー)が振りかざしたのは、それまで攻撃に使っていた両刃の手斧ではなく、背中までを覆うように垂らした羽根の頭飾りだった。

 鞭のようにしなるそれから、無数の羽根が飛び出して、一斉に俺に向かってくるのを、咄嗟に足元に脱ぎ置いていた学ランを拾って、それで受ける。

 俺の学ランに突き刺さった無数のそれには、先に鋭い針がついていた。

 …ここに光がいたら間違いなく『…◯い羽根共同募金?』とか、あの澄ました顔で言ってそうだと、心の片隅で呑気にも思ってしまう。

 当然だが、その羽根は募金で配られるものよりも大きく、針も長くて細く鋭い。

 

「安心するがよい、毒などは塗っていない!!

 それは俺の闘義に反すること!!

 だが急所を撃ち抜けば即死することは間違いない!!」

 赤い稲妻(レッド・サンダー)は再び頭飾りを振るい、羽根を飛ばす。

 飛燕の千本のように正確に急所を狙うわけではなくあくまで数頼みであるようだが、それだけにこの至近距離では躱すのも至難だ。

 そして遂に俺の右手に、一本の羽根が突き刺さった。

 

「くっ!!」

 瞬時に指に痺れが走り、刀を握る手から力が抜ける。

 

「も、桃が刀を落とした〜〜っ!!」

 自陣から、悲鳴のような富樫の声が聞こえた。

 

「これで勝負はあった。その手はしばらく麻痺して、剣を握ることさえ出来ん。」

 刀を手放した俺に向かって、鎖を引きながら赤い稲妻(レッド・サンダー)が言う。

 だが、油断するのはまだ早いんじゃないか。

 

「そいつはどうかな。

 遠慮することはない、試してみたらどうだ!!」

「…我が部族の古い諺にある。

 死にゆく野牛は鳴き声を上げず……とな。

 死ぬ時は、潔く死ねということだ──っ!!」

 勝利を確信してか、距離を詰める赤い稲妻(レッド・サンダー)は、ひとつミスをした。

 この状況であれば、距離を詰めるならば鎖を引いて、俺の身体の方を引き寄せていれば、俺の策は不発に終わっただろう。

 だが、こいつがこう来る事はそこそこ読めていた。

 

「気づかんのか…!

 剣は落としたのではない、置いたのだ!!」

 だから、完全に指が力を失う前に手を離し、届かない場所に弾かれるのを防ぐべく、足元に『置いた』。

 それを爪先で跳ね上げ、奴が距離を詰めて緩んだ鎖で、絡め取る。

 更に鎖を引いて切っ先の角度を調整し、踏み込みで緩んだ鎖を鞭のように振るうと、俺の刀は真っ直ぐ赤い稲妻(レッド・サンダー)の右手、先ほど俺が羽根を受けたのと違わぬ箇所を貫いた。

 奴の手から、武器である手斧が落ちる。

 

「日本の古い諺にある!死中に活ありとな!!」

 …全部同じことをやり返すというのは、少し大人気なかったかもしれない。

 

「勇者よ、貴様は久々に俺の血を滾らせた!!」

 まあ、お気に召したようで何よりだ。

 鎖をもう一度引いて、俺は自身の刀を回収する。

 刃が引き抜かれその手の甲に、赤い稲妻(レッド・サンダー)は、どこからか取り出した水筒のような容器から水をふりかけた。

 その水が、傷から溢れ出る血を洗い流す。

 

「我が故郷、母なるリムゾン河の聖なる水だ。

 この聖水が傷を癒し、怒り煮えたぎる心を鎮めてくれる!!」

「フッ、便利な水だな。

 まるでラグビーの魔法のヤカンだ。」

 奴の行動にそんな軽口で返した瞬間、いつだったか、塾の校庭の桜の下で組手をした後の、光のやや上気した顔が不意に思い出された。

 

 ☆☆☆

 

「いつもお水を持ってきていただけるのは有難いのですが、何故毎回ヤカンなんですか?

 水筒とか、コップとかではなく?」

 やや飲みにくそうにしながら水分補給を終え、やはり少しだけ制服を濡らしてしまったらしい光が、それを差し出してきた虎丸に問う。

 

「は?何を言うちょるんじゃ光は。

 こういう時は魔法のヤカンと、相場が決まっとるじゃろうが。」

 思いがけないことを尋ねられたせいか、普段はあまり出ない、どうやら出身地の言葉らしい口調で虎丸が返す。

 

「マホウノヤカン?」

「ごめんなさい。

 言われている意味がわかりません。」

 それに対して、光からだけでなくJにまで怪訝な表情をされてしまい、虎丸が困ったように俺を見た。

 

「…主にラグビーの試合や練習で倒れた選手に、気つけにヤカンの水をかける習慣があるんだ。

 医学的根拠はまったくないし、中に入れるのも普通の水なんだが、それで不思議と一応、選手は目を覚ますんで、割と頻繁に用いられてる…筈だ。」

 俺がそんな、説明にもなっていない説明をすると、光のただでさえ大きな目が、溢れ落ちそうなほど見開かれ、俺を見上げてキラキラ輝いた。

 

「なるほど…それが『魔法のヤカン』…!」

「Oh……まさに、日本が誇る奇跡…!」

 いやJ、その認識はおかしい。

 

「そう言われてみれば、なんだか元気が出てきました!」

 そして、暗示にかかりやす過ぎだ、光。

 

「凄いです魔法のヤカン!

 J、今度はスパーリングをしたいのですが、相手をしていただけますか!?」

「OK. I feel honored.」

 まるでダンスの相手でもするように、Jの大きな手が光に向けて差し伸べられ、光が躊躇うことなくその手を取る。

 その笑顔を見て、ふと胸の奥がチクリと痛んだ。

 …俺以外の男の前で、そんな無防備な顔すんな。

 

 …なんだか空気感がおかしなことになってきたのを察してか、その場にいた富樫がなにやら理由をつけて虎丸を引っ張って行った。

 おい待て、この状況で俺を一人にするな。

 勿論ダンスではなく寸止めのスパーリングという、傍目にはまったく色っぽくない光景を見守りながら、暫し悶々とした気分を味わう事になったのは、まだ新しい記憶だ。

 魔法のヤカンの水も、俺のこんな気分を洗い流してはくれなかった。

 

 ☆☆☆

 

 俺の揶揄を無視して、その有難い水筒を地面に放り投げた赤い稲妻(レッド・サンダー)が、改めて拾い上げた斧でまた攻撃をしてくる。

 だが、ウォーミングアップは終わりだ。

 先ほどに比べて身体がよく動くようになり、そのスピードに対応しきれなくなってきたらしい奴の攻撃を、躱したついでに背後を取り、振り返った胸に幾条も浅い傷をつける。

 

「き、貴様!!」

 埒もないことを思い出したせいで、少しばかり八つ当たりのような状況になったのは勘弁してもらおうか。




メインヒーロー3人、ここでようやく揃い踏み。
敵キャラの名前から適当にタイトルを付けた挙句、テーマを『男の嫉妬』に持っていった己が強引さを今日は褒めてあげたい。


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2・優しさだけを振りかざしても何も掴めない

…電気ウナギは間違いなく体から電気発しますが、電気クラゲのはそれに似た毒の効果で、実際に発電してるわけじゃありません。
民明書房の知識を胸張って披露するのはやめましょう。
「光お姉さんとの約束だよ!」


 俺の攻撃を辛うじて致命傷だけは避けた赤い稲妻(レッド・サンダー)が、防具の肩当てを片方砕かれて歯噛みする。

 

「どうする、まだ闘うつもりか!?

 出来ることなら、命まではとりたくない。」

 先ほどより刃を交えて、この男は誇り高い戦士だと、肌で感じていた。

 だからと思った事を口にしたが、それはこの男の誇りを、傷つける言葉と受け取られたらしい。

 

「……何を、たわけたことを…!

 見るがいい…我が部族、天空の神より授かった、この偉大なる力を!!

 この技がこの赤い稲妻(レッド・サンダー)、俺の名の由来よ!!」

 奴はそう言うと、武器としていた手斧の柄を口に咥え、しゃがむ姿勢に腰を落とすと、両拳を前に突き出す構えを取った。

 そうしてから俺と繋がる鎖を握りしめ、それを張るように引く。そして。

 

「冥凰島奥義・悪魔の赤い稲妻(デビルズ・レッド・サンダー)!!」

 奴の身体が、強く輝いたように見えた。

 次の瞬間、鎖で繋がれた左手に、そして全身に、衝撃と激痛が駆け巡った。

 まるで奴の指先から鎖を伝わり、迸った何かが、全身を貫いたような。

 それにより硬直した間隙をついて、斧の攻撃が、俺の身体に浅くない傷を負わせる。

 

「思い知ったか…悪魔の赤い稲妻(デビルズ・レッド・サンダー)の威力!!

 今ふたたび味わうがよい!!」

 同じ技の第二撃が、またも俺の全身を貫く。

 反射的な筋肉の緊張、直接神経を刺激したような痛み、肌の表面が焼けるような感覚…これは。

 

「ぐはっ!!」

 動きの止まった俺の今度は脇腹が、手斧の刃で抉られる。

 覚えず膝をついた身体を、辛うじて刀を地に突いて支えた。

 

「そ、そうか。どうやら読めたぜ……!!」

 悪魔の赤い稲妻(デビルズ・レッド・サンダー)、その技の正体、それは。

 

「そうよ…(いかずち)こそ我が力なり……!!

 もはや、貴様にあるのは確実なる死…!!」

 そう、俺が二度浴びた衝撃は電撃。

 全身を貫いた激痛は、まさに感電の症状だった。

 

「ま、間違いない。

 まさしくあれは中国拳法でいう髐撥雷神拳(きょうはつらいじんけん)……!!」

 自陣から、息を呑んだような月光の声が聞こえてくる。

 

 髐撥雷神拳(きょうはつらいじんけん)

 自然界には電気ウナギ・電気クラゲのような、体内に発電器官を持つ生物が数多く存在する。

 人間の血液にも、微量ながら電流を帯びたイオン質が含まれている。

 それを修練により増幅させ強力な電流として、その刺激で敵を怯ませ倒すのが、中国拳法秘中の秘といわれる髐撥雷神拳(きょうはつらいじんけん)である。

 その開祖・司埤麗(しびれい)は、身の丈十尺以上の熊に銅線を巻きつけ、一撃のもとに感電死させたという。

 ちなみに現代でも、感動した時などに「しびれる」というのは、この司埤麗(しびれい)の名に由来するという。

民明書房刊『中国電化大革命史』より

 

 電気ウナギは、自らの発した電撃で感電しないわけではないと、俺も何かで読んだことがある。

 厚い脂肪組織で遮ることで深刻化しないだけだと。

 イチかバチか…傷の痛みを堪えながら、俺は何とか立ち上がり、奴の脚を斬りつけた。

 

「その傷ではいくらあがこうと無駄なこと!!

 今の一撃で貴様が斬ったのは靴だけだ。

 おかげで靴が使いものにならなくなった。」

 身体に傷を付けるに及ばなかった俺の一撃を嘲りながら、奴が、俺の刀がベルトを切り裂いたグラディエーターブーツを片方脱ぎ捨てる。

 その目が一瞬、完全に俺から離れた。

 次に、奴の素足が地面を踏みしめると同時に、その閃いた左手が鎖を操る。

 それは俺の身体に巻きついた。

 そうしてみたび、例の構えを取る赤い稲妻(レッド・サンダー)が、高らかに言い放つ。

 

「覚悟はいいか!!

 俺のもつ最大限の力を放出し、貴様をこのまま葬ってやろう!!」

 鎖を巻きつけたのは、広範囲に電流を流す目的か。

 次の一撃への奴の本気を、自陣の味方も感じたものか、鎖を斬れとの声が聞こえる。

 拘束されているのは上腕部のみで、肘から下は動かせなくもないから、不可能ではない。が。

 

「そういうわけにはいかない…一度受けた決闘法だ。

 最後までこれで決着をつけるぜ!」

 男塾魂とはそういうものだ。

 

『男の面子だのプライドだの、そんなもの私には関係ありません。』

 いつか、光が言った言葉が、不意に脳裏に蘇った。

 彼女ならきっと、今の俺の言葉に呆れた顔で『馬鹿ですか、あなたは』とでも言うんだろう。

 だが、男である限りどうしても譲れない線があり、そこは彼女には理解し得ない感覚なのだろうし…その必要もない。

 

『死んで楽になれると思うな!

 むしろ死んでも死ぬ気で生きろ!』

 あれは、写真に書かれていた言葉だったか。

 字からして彼女が書いたものではなかろうが、妙にあいつらしい言葉だった。

 ……わかってるさ。

 俺だって、潔く死ぬつもりでこの勝負を受けると言っているわけではない。

 

 切り札は既に、俺の手の中にあるのだから。

 

「よく言った、では死ぬがいい──っ!!」

 奴の手から紫電が閃き、その身体が先程とは比べ物にならない輝きを放つ。

 瞬間、後ろ手に隠し持っていたその切り札を、躊躇なく()()()

 

「こ、これで俺を倒す事は出来ん。

 よく足元を見るんだな。」

 この切り札は、俺自身無傷というわけにはいかない。

 むしろ奴の技をそのまま受ける事になる。

 それを耐え切るまでが勝負だ。

 

「なに!?……なんだ、この水は!!」

「貴様の持っていた聖水とやらを地面に撒いたのだ。

 わかるか、これがどういう意味か!!」

 例の魔法のヤカンならぬありがたい水筒は、結構な中身を残したまま足元に転がっていた。

 さっき立ち上がる時ついでに拾ったそれを傾け、中身を全部足元にぶちまけると、それが俺と奴の足元を充分に濡らしており…

 

「わ、忘れていたようだな!

 水が電流を伝えるということを!!」

 それはただの水。されど水。

 赤い稲妻(レッド・サンダー)の放った電流は、俺の身体から足元の濡れた地面へ伝わり、その水の流れのままに、それをまた奴のところへと返す。

 奴自身も全く感電していないわけではないところへ、同じだけの電撃を自身の身体に浴びた、その衝撃は如何許りのものだったか。

 

「うごお〜〜っ!!」

 奴自身の身体に返った衝撃は、まるで内側から爆発したように、一瞬でその肉体を焼き、身につけた防具と鎖までもを焼き切った。

 

「とんだ聖水だったな。

 文句はリムゾン河の神様に言ってくれ!!」

 

 …その神の怒りではなかろうが、急に空模様が荒れ始めた。

 今、ここに倒れている男が発していたのと同じ光が、天の上で輝き、次に凄まじい音を轟かす。

 

「おーい、桃!!

 勝負はついたんじゃ、早く返って来いや──っ!」

 俺の受けた傷を心配して、闘場に仲間の声がかかる。

 それに頷いて戻ろうと、倒れた赤い稲妻(レッド・サンダー)に背を向けた瞬間、僅かな空気の動きを感じた。

 

「ぐっ!!」

 次の瞬間、切れたはずの鎖が飛んできて、俺の足首に絡みつく。

 更にそれを引かれてバランスを崩し、地面に近いところから見上げた先で、黒い空が一瞬輝き、全身からまだ煙を漂わせた男の姿を浮かび上がらせた。

 

「俺の守護神は天空の(いかずち)……!

 その神がエールを送ってきたのだ…!!

 闘え、赤い稲妻(レッド・サンダー)…殺せ、貴様をとな!!

 いくら大電流とはいえ、おのれが発したもの。

 油断したな。身動き取れまいが!」

 まったく、タフな野郎だ。

 赤い稲妻(レッド・サンダー)は頭飾りを再び振り回すと、先ほどのように無数の羽根を飛ばしてくる。

 羽根の頭部分は少し焦げてはいたが、使用には問題ないらしく、鋭い針がついたそれを、俺は見切って刀で斬り払った。

 奴の身体が万全でないからなのか、速度も勢いも先ほどのそれより明らかに劣っている。

 だが、赤い稲妻(レッド・サンダー)は俺の脚に巻きついた鎖を再び引いて、俺はまたも体勢を崩される事になった。

 身体を支えるのに費やした一瞬の隙をついて、羽根の一本が腕に突き刺さる。

 だが、それだけの事だ。

 急所に刺さったわけでもない、たかだか一本。

 やけに嬉しそうにニヤリと笑った奴の顔に、不審を抱きつつもそう思って、口で引き抜いたのも束の間だった。

 まるで先ほどの電撃を浴びた時のように、激痛が全身に走り、筋肉が硬直する。

 立っていられずに崩れた膝が地についた。

 これは…まさか。

 

「悪く思うな。

 これも冥凰島十六士の勝利のため……!!

 俺の主義には反するが、羽根に毒を塗らせてもらった。」

 この男…いつの間にと思うのもそうだが、先ほどは確かに、毒は使わないと言っていた筈だ。

 毒自体は卑怯な事ではないが、自身の言葉を自身で翻すとは。

 この男を誇り高い戦士と思っていたのは、俺の見込み違いだったようだ。

 毒の強さ自体は、命にかかわるものではないようだが、恐らくは神経に作用するもので、筋肉の硬直が続いている間は、体の自由がきかない。

 

「これで、勝負は完全に逆転した──っ!!」

 そうして動きの鈍った俺に、容赦なく奴の斧が襲いかかる。

 情けないが、致命傷を避けるだけで精一杯。

 

「汚ねえぞ!

 羽根に毒は使わねえなんて言っておきながら──っ!!」

「それも時と場合によりけりだ──っ!!」

 俺の仲間の言葉に、ムキになって言い返すあたり、己でも闘技に反した行いを恥じてはいるのだろうが。

 

「所詮、身から出たサビよ。

 俺が死んだと思い込み、生死も確かめずに背を向けるとはな!!」

「…貴様が生きていたのは知っていた。

 で、出来ることなら、殺したくはなかったのだ……!!」

「なんだと……!!」

 それは、奴が最初に示していたその誇りに、敬意を評していたから。

 だがそれを捨てた今、こいつにその価値はない。

 やはりその死をもって、この勝負に幕を下ろすしかないようだ。

 ズボンの内側から、脚に添わせていた脇差を左手で引き抜き、鞘を落とす。

 そうして右手の太刀と共に、二刀流の構えを取った。

 

「とんだ悪あがきを。

 毒がまわり、深手を負ったその状態で、それがなんになるというのだ。」

 勝利を確信して襲いかかる赤い稲妻(レッド・サンダー)の斧をいなし、力を逸らすことで、ギリギリ致命傷は回避する。

 毒の量が微量だったせいか、出血でその影響からは脱しつつあるが、やはり出血の分だけ、体力の消耗が激しい。

 だが、今はそれでいい。

 ある程度動けさえすれば、機会は必ず訪れる。

 俺は待った。その瞬間を。そして。

 

「観念せい。これで完全に勝負あった。」

「観念するのは貴様だ、赤い稲妻(レッド・サンダー)!!」

「たわけたことを!

 俺に天空の守護神がついている限り、敗北はないのだ──っ!!」

 とどめを刺しに向かってくる赤い稲妻(レッド・サンダー)に、俺は左手の脇差を投げ打つ。

 すぐにそれに気づいた赤い稲妻(レッド・サンダー)は、反射的に自身の左腕でブロックして、刃がそこに突き刺さる。

 

「ホウ…小刀(しょうとう)を投げるとは。

 だがこんなものは、蚊に刺されたに等しい…ん?

 ……なんだ、このヒモは……!?」

 まあ、気がつかぬほど目が曇ってはいないか。

 しかし、遅い。あの雲の感じなら、そろそろだ。

 

「その鋼線は、この大刀と結ばれている……!!」

 言って、大刀を上空へと投げ放つ。

 そこに降る、天からの閃光。

 

「ぎゃごお〜〜っ!!」

 邪鬼先輩と闘い勝利した時と同じように、今再び天の怒りが俺の刀を伝って、それを守護神としていた筈の男の身体へと降り注いだ。

 

「…いかに貴様でも、それには耐えきれまい。」

 自身が発するよりもはるかに強い電撃に、今度こそ全身を焼き尽くされ、赤い稲妻(レッド・サンダー)の身体がゆっくりと地に落ちる。

 

「ううっ…ば、馬鹿な……な、なぜ俺の守護神である(いかずち)が……!!」

 自身に起きたことが信じられずに、死を待つばかりのその男に、どこか哀れを誘われながら、俺はその姿に背を向ける。

 

「貴様は見放されたのだ。

 その守護神とやらに…!!

 己の信念を曲げ、羽根に毒を塗った時から……!!」

 その惨たらしい最期までは見るに耐えず、俺は自陣へと続く縄ばしごに足をかけた。

 俺に使われた毒が直接命を奪うものでなかった事が、彼の最後の誇りであったことを、せめてと願いながら。

 

 ☆☆☆

 

「…油断しおったな。

 赤い稲妻(レッド・サンダー)ともあろう者が。

 二本の刀で雷を導くなどという苦肉の策に、土壇場で引っかかりおるとは。」

 完全勝利に早くも土がついた事もさる事ながら、配下の闘士たちがつまらぬ事を言い出して、若干苛つく。

 

「苦肉の策だと…貴様らの目は節穴か。」

 剣と名乗った、男塾の大将。

 あの男なら、最初から二刀流で闘って、赤い稲妻(レッド・サンダー)を倒す事も出来ただろう。

 そうしなかったのは、俺たちの目を意識して、実力の全てを見せぬ為。

 それだけの実力を持っている事、先ほど目を合わせた時に既に判っていた。

 そして、その秘めた力の中に、どこか俺と似通ったものを感じる事も。

 それに先ほど、あの銀髪の男が俺を、『光の弟』と告げた瞬間に見せた、あの微かな動揺。

 あの瞬間に、奴の光への感情を見た。

 それは、下手するとあの銀髪よりも、むしろ…!

 

 いや、今は考えまい。

 これで光が、奴らのもとにいる事ははっきりした。

 出場チームとして、奴らの完璧なデータは既に揃っている。

 ここで奴らを皆殺しにしてから、ゆっくり取り戻せばいいだけだ。

 

 ・・・

 

「…姫の事、総帥には?」

「まだ言わぬ方が良かろう。

 若は冷静に見せて、まだまだ歳相応の青いところがおありだ。

 姫は、あの方にとって、ある意味そのお心の全てを寄せる存在。

 闘技場(コロシアム)に居ると判れば、この先の闘いを放り出して、取り戻しに行かれてもおかしくはない。

 それをやられては、他の闘士たちの士気にもかかわるゆえ、な。」

「……心得ました、洪師範。

 では、わたしは総帥の怒りを鎮めるべく、次の闘いに出ることにいたしましょう。

 …久しぶりに、姫にお会いできないのは、わたしも残念ですが。」




桃がズボンから出した小刀(しょうとう)、その収納に関して、今回光のツッコミがないのが惜しくて仕方ないよ…!


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3・花束を抱きしめるように、そっと

うちの兄と他愛のない会話をしていると、よく歴史の話になります。
特にフランス革命頃の王制とか、王妃とか愛人とかの女性史にやたら詳しいのです。
多分、奴はひそかにベルばら読んでます(爆


 一時はどうなるかと思ったものの、さすがは俺たちの大将。

 初戦を勝ち残り、無事に戻ってきた桃を迎えて、飛燕が傷の手当てしてる横で、赤石先輩が三号生に囲まれていた。

 

「…さて、赤石。状況を説明してもらうぞ。

 藤堂の息子が『光の弟』というのは、本当のことなのか。」

 羅刹先輩が代表してそう問いかける。

 そうだ。確かにそう言っていた。

 だがそこにつっこむ前に、桃とあのインディアン野郎との闘いが始まっちまったんだ。

 

「奴が光の弟なら、藤堂兵衛は光の父親という事になる。」

 羅刹先輩の声に頷くように、センクウ先輩がそう続けたが…ん?

 光は、塾長の息子じゃねえってことか?

 まあ、確かに全然似てねえとは思ってたけどな。

 その場の視線を一度に受けて、全く動じることなく、赤石先輩がひとつ、息をついてから答える。

 

「…塾長とも藤堂とも、血は繋がってねえのは確かだ。

 それ以上の事ぁ、俺もよくは知らん。

 俺も藤堂豪毅という名を、さっき聞いて驚いたんだ。

 光に付き合わされて奴と顔は合わせたが、それが誰かって事だけは、どんだけ問い詰めても、光は頑として口割りやがらなかった。

 俺の(ダチ)だった双子の兄貴が、1人の独断とはいえ、奴の仲間に殺されたってぇのに…!」

 そう言って赤石先輩が舌打ちした。

 …そうか、男塾に戻ってきた直後から、やけに赤石先輩が光に肩入れしてると思ってたら、そういう事情があったのか。

 てっきり、その…俺たち一号生とおんなじように、先輩も光に絆されたんだとばっかり思ってた。

 

「…藤堂に引き取られた後の光が、心の支えにしていたのがあの『弟』だったようですから。

 兄さんには気の毒な事ですが、彼に対する思い入れの方が深いのではと思います。」

 と、そこに手当ての済んだ桃が入ってきて、俺たちの視線が全員、今度は桃に集中した。

 

「…光は、藤堂兵衛の子飼の暗殺者でした。

 暗殺に失敗して塾長に捕らえられ、その塾長が男塾に匿ったと…俺は、この大武會が始まる前に塾長に、更に出発前夜に、光本人からそう聞いてますよ。」

 …暗殺者ぁ?あまりに突飛な言葉に、俺は思わず虎丸と顔を見合わせた。あいつが!?

 飛燕の例もあるから、あんな優しい顔をして、なんて事言うつもりねえが…普段、取り澄ましたつっけんどんな態度でいながらも、時々アタマ撫でてくるあの手の優しさとあったかさを思い出すと、それがひとの命を奪うなんて、どうしたって思えなかった。

 けど、そういや確かに大武會の前、俺たちの傷の治療をしながら、飛燕に言っていた。

『私の治療術は、人を救うだけではなく、殺す事も可能です。』と。

 あいつが暗殺者ってのが本当なら、それはむしろ、『可能』なんてモンじゃなく……!

 

「…光の、もとの雇い主が藤堂であり、光と会わせない為に、それを探していた(カール)を殺したと言うのなら…!」

 と、背後から凍りつくような、押し殺した声が響いてきて、反射的に振り返ると、Jがなんかおっかねえ顔で、あっち側を睨んでるのが目に入った。

 そのJの言葉の続きを、赤石先輩が引き取る。

 

「…そうだ。藤堂兵衛は、橘の仇でもある。

 叶うならば、俺のこの剣で、必ず…!!」

 その気迫に、一瞬腹の奥がギュッと鷲掴まれた感覚が走った。

 

 

 その時、例の塔の扉が開かれ、闘士がひとり階段を降りてきて、それを指差した虎丸が叫ぶ。

 

「み、見ろ──っ!!塔の中から誰か出てきたぞ──っ!」

 さっきのインディアン野郎の次は、どんなごついのが出てくるのか。

 そう思って目を凝らし、姿を確認できたのは…!

 

「わたしの名は冥凰島十六士・黒薔薇のミッシェル。

 わたしの相手をしてくれるのはどなたですかな?

 男塾の方がた……!!」

 それは、なんたら言うフランス革命の時代が舞台の少女漫画に出てきた、男装した女みてえな野郎だった。

 …いや俺は読んだ事ぁねえからあくまでイメージだが。

 でも確か田沢の野郎が『歴史の勉強だ』とか言って読んでたよな、そーいや。

 身につけた衣装もそれっぽい、舞台衣装かってくらい派手なやつだ。

 それに負けねえくらい鮮やかな真っ赤な長い髪が、マントと共に風に靡く。

 あんなのが次の闘士だと!?けど…、

 

「よっしゃあ!ここは俺に任せてもらうぜ!!」

 あいつの姿のインパクトに笑い転げてる虎丸と、絶句してる他の全員がまだ立ち直ってこねえうちに、俺が次の闘いに名乗りを上げた。

 俺も虎丸も、ただ驚く為だけにここまで来たわけじゃねえんだ。

 ここいらで俺の実力を見せつけねえとな!

 

「見てろよ、5分だ!!

 5分で決着(ケリ)つけてきてやるぜ──っ!」

 また出番を横取りされねえうちにと走って縄ばしごを駆け下りつつ、ちょっとだけ振り返ると桃の野郎が、なんか知らんが生ぬるく微笑んでるのが見えた。

 …あいつ同い年だよな?

 つか誕生日は俺の方が半年早かったよな!?

 なんなんだよその、幼い弟や息子を微笑ましく見守るような目は!

 おまえ、光に影響され過ぎじゃねえのか!?

 

 そして、見た目の強烈さに誤魔化された、その黒薔薇のミッシェルとかいう男の戦闘力に、俺が息を呑むことになるまで、あと5分。

 

 ってやかましいわ!

 

 ☆☆☆

 

「美しいバラには棘があるとはよく言ったものよ…。

 由緒あるフランス貴族の血をひく誇り高き男、黒薔薇のミッシェル。

 あの顔で、これまで数知れぬつわもの共を、非情に葬り去ってきたとは……!!」

 俺の率いる冥凰島十六士の中でも、上位の実力を持つ男の顔が、巨大モニターに映される。

 奴は、俺が親父の後継者と決定し、与えられたこの施設に俺が初めて足を踏み入れた時、責任者である洪師範と共に、最初に挨拶をしてきた者だ。

 

『姉君である光姫様がこちらに滞在された折には、親しくさせていただきました。』

 などと言われた時には不快に思いはしたものの、十歳近く年下の俺に対しても敬意を崩す事のない、その節度ある対応は気に入った。

 むしろ、俺をどこか子供扱いしている洪師範よりも好感を持ったとも言える。

 その男が、赤い稲妻(レッド・サンダー)敗北の結果を受け、次は自分が行くと申し出てきた時は、舐めてかかれぬ奴らとはいえ、今出すには少々強すぎる駒ではないかと思った。

 この天挑五輪大武會、予選からただの一度も闘わずにここまで来てしまったのもあり、退屈していたのだろうが。

 その点に関しては俺も同様であるだけに気持ちは判る。

 

「面白いものをお目にかけましょう、総帥。」

 そのままモニターを眺め続けていた俺に、職員の1人が声をかける。

 

「このコンピュータに、あの富樫という者の今までの闘いを元にした戦闘能力がインプットされております。

 そして、これとミッシェルの戦闘能力を比較し、分析させますと、闘いの結果が出ます!!」

 職員は言いながらコンピュータを操作して、最後になにかのボタンを押す。

 そこにあった電光表示板に、9という数字が5つ並んだ。

 

「99.999%!

 これがミッシェルの勝つ確率です。

 つまり、あの富樫とか申す者には、十万分の一しか勝機はないということであります。」

 そう言った職員は、どうだという表情を浮かべていたが、俺はそれに眉をひそめた。

 

「……気に入らんな。なぜ100%の確率とならん。

 残り十万分の一の不確定要素とはなんなのだ!?」

 俺の問いを受けて、職員は少し動揺したようだったが、すぐに気を取り直して答える。

 

「さあ、そこまではさすがに…?

 ですが、ミッシェルの勝利はそれによって微動だにするものではありません!!」

 そんな当たり前の事を聞きたいのではない。

 もうそれ以上は時間の無駄だと判断して、俺は再びモニターを見上げた。

 

 ☆☆☆

 

「男塾一号生、富樫源次じゃ〜〜っ!!」

 闘場にたどり着く直前に蹴躓いて、転がって背中をしたたかに打ち付けたが、気を取り直して立ち上がり、ドスを構えながら名乗りをあげる。

 改めて対峙したミッシェルは、女みてえな顔はしていても、背も高く身体つきは確実に成人した男のそれだ。

 全体的にちっこい光や華奢な飛燕と違って、きっとこいつは女装したら逆にゴツく見えるんじゃねえかな。

 心の片隅でそんな事を思いながらそいつを睨むと、奴は何故かがっかりしたような表情で、ため息をついた。

 

「下品で粗暴…そういう人をわたしは好まない。

 貴方にはそれに相応しい、醜い死を差し上げましょう。」

「じゃかあしいやい!このキザ野郎が──っ!!

 勝負はツラや口でするもんじゃねえぜ──っ!!」

 先手必勝、俺はドスを構えて奴に突進する。

 休む間も与えず次々と攻撃を繰り出したつもりだが、ミッシェルは俺の攻撃を、さして焦る様子もなく、ふわりふわりと躱していった。

 これ、光の野郎がよく言う、『桜の花びらに攻撃した時』の動きに似てやがる。

 

『あなたの動きは力任せなんですよ。

 それじゃいつまでたってもあなたの刃は、花びらに触れることさえ出来ません。』

 うるせえよチビスケ。

 その時の呆れたような表情が、目の前の男と被る。

 

「貴方には下品で粗暴のほかに、もうひとつ付け加える言葉があるようです。

 …それは『未熟者』とね!!」

 ミッシェルは俺から間合いを取り、ようやく腰の剣に手をかける。

 だが、それを抜く瞬間は()()()()()()

 見えないながらもその腕が動いたのを知り、反射的に身を躱す。

 …躱したと、思っていた。だが。

 チャッ、と音を立てて、ようやく見えるようになった剣が、鞘に納められる。

 

「な、なに──っ!!」

 次の瞬間、履いていたズボンがバラバラと、細切れの布になって足元に落ちた。

 褌だけキレイに無傷で残されてるところに、奴の剣の冴えと良心を感じさせるが、逆に悪ふざけのようでもある。

 

「…我らの可愛い姫が、このような者達の中で半年以上を過ごしたなどと、まったくおいたわしい事だ。

 しかも小汚ない男物の服を着せられ、黒曜石のように艶やかで美しかった黒髪をあんなに短くされて。

 いや、あのような拵えにでもしなければ、お美しく成長された姫では、到底その身を守ることが叶わなかったのだろうが、わたしどもを頼ってきてくだされば、たとえ失敗の末であっても皆で御前を説得して、なんとしてでもお助け申し上げたものを…!」

 いかにも残念だというように、ため息混じりにミッシェルが呟く。が…。

 

「…どういう意味だ、そりゃあ?姫って?」

 自慢じゃねえが、女なんざここしばらく見た事すらねえぞ。

 …くっそ、本当に自慢じゃねえ。

 だがミッシェルは俺の質問には答えず、嫌な笑みを浮かべる。

 

「これ以上は時間の無駄というもの。

 それにその不潔極まりない下着姿も、これ以上目にしたくありませんしね。」

 自分でやっといてなんつー言い草だ。

 

「本来なら貴方ごときに使う技ではありませんが、敢えて見せて差し上げましょう!!

 冥凰島奥義・殺薔薇棘薫(キリング・ローズ・フレグランス)!!」

 剣を収めたミッシェルの両手が閃き、マントが翻る。

 そして次の瞬間、視界が紫色に染まった。

 次に、やけに鼻につく甘ったるい香り。

 それは無数の…紫色の、バラの花だった。

 

「へっ、なにかと思えば、こんなもんがなんぼのもんじゃ!!」

 一瞬怯んだものの、俺に向かってくるそれを、ドスで切りとばす。

 

「こんなものが奥義とはな。

 俺はこの通り、カスリ傷ひとつ受けちゃいねえぜ。」

 このバラに刃物でも仕込んであるんだろうが、それはセンクウ先輩だってやってた事だ。

 最後の一輪を叩き落としたあたりでやけに息が切れるとは思ったが、それは些細な事だと思っていた。

 

「フフッ…貴方はそのバラの本当の意味を知らない。

 紫のバラ…それは、死の香り……!!」

 だが全部のバラをはたき落とされて、ミッシェルは笑ってそう言った。

 

「な、なに…!?」

 …バラの意味?花言葉ってやつか?

 そーいや以前、飛燕に言われてたな。

 花言葉くらい知っといた方がいいって。

 とりあえずあの後一度光に、

 

『桜の花言葉*1ってなんだ?』

 って聞いてみたら、

 

『……熱でもあるんですか?』

 って返されたから、それ以来誰にも聞いたり調べたりもしなかったが。

 と、そんな事をふと考えた瞬間、なんだか視界がぐらりと回った。

 花を切り刻んだせいなのか、さっきよりバラの香りがきつく感じる。

 その香りを鮮明に感じ始めるに従ってめまいがより酷くなり、手足が徐々に冷たくなって、震え始めた。

 これは…まさか。

 

殺薔薇棘薫(キリング・ローズ・フレグランス)は、これが本来の目的。

 その香りはあなたを、黄泉の国へ(いざな)ってくれます。

 あなたに残された命は、あと1分……!!

 その1分で、わたしと闘うことになった、己の不運を嘆くのです!!」

 なんてこった…まさか、バラの香りが毒だったなんて。

 呼吸まで苦しくなり、バラの香りにむせそうになる。

 力の抜けた膝を折り、不本意にも地につけながら、俺は目の前のキザ野郎を睨みつけた。

 

 綺麗な顔して闘い方がえげつないなこの野郎!

*1
精神の美




よく考えたら、塾生が持ってる光情報、それぞれに断片的なんですよね。
全部把握してるの、塾長だけだったり。
それ以外のメンバーだと、
刺青→桃、伊達、一応センクウも着替えさせた時に見て知ってる。
けど、意味まで知ってるのは伊達と塾長のみ。
暗殺者の過去→桃、赤石、影慶と邪鬼様。
蠢闇胎動編3話での会話、影慶は邪鬼様以外には話していません。
藤堂家との関係→桃、あと男爵ディーノが、塾長の依頼で調査した結果から推測して自分で正解引き当ててるのと、そのディーノとの会話で影慶も知ってる。
光のお兄さんを直接知っているのは赤石とJのみ。
最後に、ここにいるメンバーで光が女だと知らないのは富樫のみで、虎丸は何とな〜く気づいているけど知らないふりしてます。
そのへんのすり合わせを、今回はしておきたかったんですが、これがなかなか難しく、さすがに全部は無理だった…!

恐らくは、今年の投稿はこれが最後になるかと思われますので、ここで言っときます。
皆さま、良いお年を。


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4・Flower Revolution

 わたしが管理しているバラの温室を、中に入って見てみたいと申し出てきたその少女は、13歳という年齢より幼く見えた。

 

『…姫のたってのお望みとあらば、是非叶えて差し上げたいところですが、どうか、それだけは御容赦願います。

 全てではありませんが、香りに毒のある種類のものがありまして…わたしには耐性がありますが、姫には危険です。』

『…毒?香りが?……そうですか。

 それは、とても残念です…。』

『S'il vous plaît ne pleure pas, Petite princesse.

 お望みでしたら姫には後日、毒のない種類を選んで大きな花束をお届けいたしますが…今日はこれで御勘弁を。』

『これは…?』

薔薇果実(ローズヒップ)のギモーヴです。

 手慰みにわたしが作ったもので、お口に合えば良いのですが。』

『ギモーヴ…あ、マシュマロだ。

 …なにこれすっごく美味しい!』

『果実だけでなく、香りづけに食用バラの花弁を使用してあります。

 色付けと隠し味としてハイビスカスも少し。

 …世の中には食べられる花もあるのですよ、姫。』

『…なんと、美しい上に食べられるなんて。

 まさにこの世の至宝ではありませんか…!

 なんだか世界が一気に広がった気がします!

 そして私は甘いものが大好きなので、花束をいただくよりもこちらの方がずっと嬉しいです!!

 ありがとうございます、薔薇の闘士様!!』

『…こちらこそ、素敵な呼称をありがとうございます、姫。

 わたしの名は黒薔薇のミッシェルです。

 どうぞ、お見知りおきを。』

 

 甘いお菓子を嬉しそうに口にして無邪気に微笑んだまだあどけないその少女が、幾多の要人をその手にかけてきた暗殺者と知らされたのは、彼女が訓練施設の滞在を終えて、しばらく経ってからの事だった。

 そう聞かされても不思議とは思わなかったが…痛ましい、とは思った。

 その指がどれほどの屍を積み上げてきたにしても、あの邪気のない笑顔は本物だったから。

 あの子はまさに、毒のあるバラのような娘だったのだ。

 どれほど危険であったとしても、咲きたての花の無垢な美しさに、ひとつの偽りもありはしない。

 

 ☆☆☆

 

「まさか、こちらでまた、姫様のお世話ができるとは思いませんでした。」

「…私も、こんな状況で再会するとは思っていませんでしたよ。

 あなたもお元気そうで、何よりです。」

 両手首に枷を付けられた状態で交わすには平和すぎる再会の挨拶を顔見知りと交わしながら、私は内心どうしたものかと思っていた。

 

「…藤堂の家では、私のことは、どのように?」

「いつも通り、短期留学と聞かされておりましたわ。

 今回はあまりにも期間が長いので、いつ頃お戻りになられるのかと思っていた矢先に、私はこちらへ配置換えになりましたの。」

 彼女は清子(きよこ)さんといって、藤堂の家にいた時の私付きの女中だった人だ。

 今気がついたが、もっと太ったらちょっと(みゆき)さんに似ているかもしれない。

 彼女の方が幸さんより10歳くらい若いと思うけど、どこか幸薄そうなあたりが、特に。

 実際、彼女は以前同棲していた相手が既婚者で、騙されていたという過去持ちだ。

 タチの悪い事に、男は彼女と妻との間で二重生活を送っており、事態が発覚した時、彼女には男との間に生後8ヶ月の娘がいたという。

 その時の彼女がまだ若かったこともあり、紆余曲折の末に子供は相手方に引き取られ、彼女は幾ばくかの慰謝料を貰って別れたそうだが、

『自分の男を見る目が信じられなくなりましたので、カスを掴むくらいならば、一人で生きる方がマシです』

 と笑い話のように以前言っていたのは多分ほとんど本気だったと思う。

 話が逸れたが、『短期留学』は私が『仕事』で家を空ける際に、使用人に対して為される定番の言い訳だった。

 今回こうして、男物の制服姿で顔を合わせてしまった以上、それが嘘であると彼女には知られてしまったわけだが、幸いな事に、明らかに異常なシチュエーションでの再会であるにもかかわらず、彼女はそれ以上何も聞いてはこない。

 

「枷は外さずに、とのご命令なので、それだけは御勘弁いただきますが、他のことでしたら遠慮なくお申し付けくださいね。

 その……例えば、お手洗い、とか。」

 そこだよ!

 今は足だけ自由にされているが、手が使えないので、その場合ベルトを外してズボンや下着を下ろすところまで介助されなきゃいけないとかなんという恥辱。

 向こうもそこらへんの事情を鑑みて、見張り兼世話係を女性にしたのだろうけど、やはり飲み物(ストロー付き)に手をつけていないのはあまりにもあからさま過ぎただろうか。

 つか私の正体が割れた後、この指示を出した人物は、明らかに私の能力を正確に把握しているだろう。

 両腕を自由にしてしまったら、見張りの人間が危険だと判断しての『枷は外さずに』だろうから。

 だとすれば豪毅ではない。

 彼は私が御前から仕事を受けている事は知っていたと思うが、それをどのようにして実行していたかまでは、私が極力知らせないようにしていたから。

 いや、だって10代前半の少女が、殺す相手とはいえ大人の男に誘惑の限りを尽くしていたとか、教育に悪いにもほどがあるでしょう。

 再会したあの日、私の技を受けかけたにせよ、あれだけでその全貌を知ってはいまい。

 けど御前だとしたら、私をさっさと始末せずここに置いておく意味がわからないし。

 

 …ただ言わせてもらえば、私は女性を手にかけた事はこれまでにない。

 あてがわれるターゲットが男性しかいなかったというのもあるが、もし女性のターゲットを指示されていたら、御前に泣きついて断っていたと思う。

 その場合、私の評価はそれまで通りのものではなくなっていただろうが、できないというものを無理にやらせるよりは、御前はできる人間を代わりに選ぶだけな気がするので、結局は私にその経歴が付くことはなかった筈だ。

 ましてや、ここにいるのは11歳で藤堂家に来た翌日から私の身の回りの世話をしてくれた人。

 たとえ両腕を封じられていなくとも、彼女に危害を加えるなど、私に出来るはずもない。

 私にだってその程度の情はあるのだ。

 

「…今、中央塔の方はどうなっているんでしょう?」

 お手洗いの介助を頼む代わりに、気になっていることを口にする。

 

「モニターの用意ができますけれど、ご覧になります?

 豪毅様のチームと共に、決勝戦に勝ち進んで来たのは、姫様の御学友のチームとうかがっております。

 姫様としては、どちらを応援すべきか、迷うところですわよね?」

 ちょっと待て!学友って!?

 彼女には私の状況、一体どういう形で伝えられているんだ!?

 確かに今同じ制服を着ていて、当たらずも遠からずだけど、むしろ女の私が同じ制服を着てるってところに疑問は感じていないのか!?

 …と、思わずつっこみそうになったものの、

 

「……お願いします。」

 気になるのは間違いないので、素直にそう答えた。

 そうだ。今一番必要な情報はそこじゃない。

 そして私の要求が予想されていたかのように手早くモニターが置かれ、映像が浮かぶや否や、清子さんは甲高い声をあげた。

 

「きゃあぁぁ!!黒薔薇のミッシェル様だわ!

 私、この方のファンなんですのよ!!」

 …そこに映し出されたのは、13歳の私に会うたびにお菓子をくれたおにいさんの、端正な美貌の大映しだった。

 

『姫との逢瀬は、このむさ苦しい訓練施設での、癒しの時間でしたから、こちらが御礼を申し上げたいくらいです。

 …いつか、またお会いできる日を楽しみにお待ちしております。

 その時、お美しく成長された姫に、今度こそ花束を贈らせていただきましょう。』

 修業を終えて帰る日、世話になった人に一通りの挨拶をして、最後に彼のもとを訪れて、こんな言葉を聞いたのが、言葉を交わした最後だった筈。

 もう5年なのか、まだ5年なのか。

 かの人の艶やかさは全く変わってはいない。

 

 てゆーかファンって、そんなスター選手みたいな…と思ったら、私がいるこの闘技場(コロシアム)は、今年の夏頃から観客を入れた闘技会を定期的に開いているのだそうで、その中でも彼の出場する試合はキャンセル待ちが出るほどの人気であるそうだ。

 …古代ローマのそれを模した闘技場(コロシアム)が、その通りの使われ方をしているなんて初めて知った。

 恐らくは彼女のような従業員は、そこでの試合が本当に命をやり取りするものだという事実は知らないのだろうけど。

 

 ていうか…次に、その対戦相手が映し出されたのは当然として…富樫!?

 おまえ、なんで下帯いっちょなんだよ!!

 

 ☆☆☆

 

「て、てめえ…ふざけたマネしやがって!!

 こうなりゃてめえも道づれじゃ──っ!!」

 毒で呼吸もままならず、手足の自由も効かない状態で、俺はドスを構えて奴に突きかかる。

 せめて身体が動くうちに、奴の身体にこいつを突き立ててやるぜ。

 

「フッ、そんな状態では、いくらあがこうと無駄なこと。」

 だがそんな俺の渾身の一撃も、軽く出されたミッシェルの長い脚にあっさり蹴躓き、不発に終わる。

 ただでさえ褌一丁の情けない姿なのに、その上更に無様に、俺は地面に転がされた。

 動いたことで更に毒が回ったものか、身体はますます痺れ、呼吸が苦しくなる。

 このまま何にもできずに死ぬとか、絶対に御免だ。

 

「だがわたしにとっても、こうあっさり勝負がついてしまっては、あまりにも味気ない。

 貴方に、一度だけチャンスを差し上げましょう。」

 と、なんとか気力だけでもう一度立ち上がった俺に、ミッシェルは涼しい顔のままそう言うと、マントの内側から何かを取り出した。

 

「これが貴方を救う、唯一の鍵です。」

「な、なんだと……!?」

 それは、直径15、6cmほどもある、なにやら装飾が施された鉄の球…なんだが、アレ?

 あのマントの裏側に、これ隠してたのか?

 どうやって持ってたんだ?

 ……い、いや、今はそんな事考えてる場合じゃねえ。

 

「この鉄球の中に、貴方が吸った毒香に対する、解毒剤が入っています。

 つまり貴方は、これを飲めば助かるというわけです。

 さあ、これを差し上げましょう。

 …もっとも厚さ5cmもあるその鉄球、そう簡単に砕くことは出来ませんがね。」

 そう言ってバカにしたように笑うその顔に、到底不可能だろうという嘲りが見える。

 だが、男塾魂をなめんじゃねえ。

 生きる方法があるなら、まずはそれを試す。

 

「ぬおお──っ!!

 く、くそったれが──っ!!」

 地面にこれ見よがしに落とされたそれを拾い上げ、闘場の固い地面に叩きつける。

 

「な、なんちゅう硬さじゃ、この鉄球は!!」

 …冷静に考えれば、岩に叩きつけたくらいで鉄の球が割れるわけもない。

 普段、桃やJみたいな規格外と一緒にいて、俺も相当、普通の基準がおかしな事になってるとは思う。

 

「さあ、どうしました。

 死への秒読みは既に始まっているのですよ。」

 とにもかくにも、割らなきゃ命はねえ。

 唯一の生に向けて足掻く俺に、ミッシェルはニヤリと厭な笑みを浮かべる。

 

「なんて奴だ。あのミッシェルとかいう野郎。

 奴はチャンスを与えたんじゃねえ……!!

 富樫の、命を賭けた必死の行為を楽しんでいやがるんだ。」

 自陣で伊達が苦い声で呟くのが聞こえた。

 ああそうだろうぜ、薄々判ってた。

 

「聞いたことがある……!!

 ラ・メルヴェルという拷問法を……!」

 それに続き、息を呑むような桃の声が聞こえた。

 

 ラ・メルヴェル…

 17世紀フランスブルボン王朝では、貴族政治の退廃は極限に足していた。

 彼らは退屈を紛らわすべく囚人相手に、恐るべき拷問法を考案した。

 それがラ・メルヴェルであり、毒を飲まされた囚人が解毒剤を求め、割ることの不可能な鉄球相手に、もがき苦しむのを見て楽しんだという。

 ラ・メルヴェルとはこの鉄球を意味し、現代でもフランス各地の博物館に現存する。

 

民明書房刊『西欧文明ーその爛熟と退廃ー』より

 

 …こういう説明は、雷電がいれば奴の役目なんだろうな。

 やばい、走馬灯が見えてきた。

 しみじみ思い返してる場合じゃねえんだ。

 

「と、富樫、根性じゃ──っ!!

 気合いだ、もっと気合いを入れろ──っ!」

「くりゃあ──っ!!」

 自陣から叫ぶ虎丸の声に引き戻されるように、砕けた岩の尖ったところを、渾身の力で叩きつける。

 だが、その瞬間に俺の手の中でその岩は砕け散り、ついでに打ちつけた拳が、意外なほど痛みを感じない事に逆に呆然となった。

 感覚すら麻痺するほど毒は回っており、恐らくもう一刻の猶予もない。

 

「フッ、どうやら諦めたようですね。

 残す時間もほとんどない事ですし。」

「な、なめるな……!!

 この男塾一号生・富樫源次。

 あ、諦めるなんて言葉は知らねえぜ。」

 この策が破れたら、後はない。

 やらなきゃどのみち死んじまうんだ。

 俺は球を持ち上げると、奴が下りてきた階段の下にそれを落とした。

 それからその急な階段を駆け上がり、今は閉じられている扉を通り越して、藤堂ジジイの像によじ登る。

 なんか、つくづく俺は、高いところに縁がある気がするな。

 ナントカと煙は高いところってか。

 ってやかましいわ。

 改めてそこから下を見ると、その相当な高さに目眩がしそうになる。

 いや、この目眩は毒のせいか。

 そう思えば、多少ビビってるのも、自分自身に対して誤魔化せる。

 兄貴の形見の学帽の鍔を後ろに回して、深呼吸。そして。

 

「いくぜい──っ!!」

 そこから足で空中へ蹴り出し、俺は頭から飛び降りた。

 目指すは、解毒剤の入ったあの鉄球。

 真っ直ぐに落下した俺の頭が、正確に脳天にぶち当たる。

 頭の中でぐわんぐわんと鐘が鳴ってるみたいな感覚のあと、俺の体は地面に叩きつけられた。

 

「ああっ!!だ、だめだ──っ!

 玉はビクともしていねえ──っ!!

 と、富樫の決死のダイビングも通用しなかった──っ!!」

 虎丸が叫ぶ声がまた聞こえるが…少し黙れ、アホ。

 今大声出されると割とキツい。

 だが…手応えは、あった。間違いない。

 

「フフッ…愚かなことを。

 そんな馬鹿な方法で鉄球を割ろうなどとは…!!」

 呆れたようなミッシェルの声とともに、傍の鉄球から、ピシッという音がする。

 次に、小さく生じた亀裂が広がり、粉々に砕けた球から、ガラスの瓶が転がった。

 それを引っ掴んで、口に持っていき、口でコルクを引っこ抜いてから、中の液体を口に流し入れた。

 

「馬鹿な方法だと……!?

 ヘッ、確かにいただいたぜ、解毒剤……!!」

 ここまでさせて解毒剤が偽物だったりしたら完全に終わりだったが、そんな事もなかったようで、手足の痺れが徐々に消えてくるのを感じる。

 肺の機能も戻ってきて、息苦しさも無くなったところで、俺は立ち上がりながら、奴に向かって笑ってみせた。

 

「これが本当の石頭、なんちゃってな……!!」

 言いながら帽子の中に仕込んでいた石を地面に振り落とす。

 

「うおおっ!!やったぜ富樫ーっ!!」

 …そしてうちの相棒は、喜ぶ時も嘆く時もよく叫ぶ。

 

 ☆☆☆

 

「馬鹿かお前は!」

「…姫様!?」

「……すいませんなんでもないです。」

 用意されたモニターを清子さんと一緒に見ていて、男塾に身を置くようになってからついた、心の声がだだ漏れる癖が思わず出てしまい、慌てて口を噤む。

 影慶やディーノと一緒にいた時なら堂々とつっこんでいたが、さすがに女の人の前では自重したい。

 けど、ついその言葉が口から出てしまった私の気持ちだけは、理解してもらえると思う。

 

 富樫…お前それ、一歩間違ったら普通に自滅だからな!!

 これは多分、最初にミッシェルが発言した、『簡単に砕くことは出来ない』といういわば誘導に、あっさり引っかかってしまったのだろう。

 確かに『砕く』事は普通には出来ない。

 分厚い鉄で出来ているのもさることながら、球体というのは受けた衝撃を散らす形状だ。

 けど、中にものを入れる構造になっている以上、『開ける』事は出来るはずなのだ。

 だとすれば恐らく、球の表面に施された装飾は鍵のようなものか、或いは継ぎ目を覆う為のものだろうと推測できる。

 ならば、その継ぎ目を見つけドスの刃を隙間に差し込んでこじ開けるとかすれば、簡単ではないだろうが、富樫の力なら不可能じゃない。

 少なくとも、あのとんでもない高さから飛び降りて頭突きで破壊するとかよりは、確実で安全な方法だったと思うぞ私は。

 おまえは発想が脳筋すぎる。

 

 というか今更だけど、解毒剤って事は毒を使われていたわけだよね。

 闘場の2人の足元に、紫のバラがたくさん落ちているところを見ると、あれが例の毒香のバラなのか。

 縄ばしごの向こうには影響がなさそうな事を考えれば、ある程度空気に触れれば分解される成分じゃないかと思うけど。

 とりあえず富樫が、無事かどうかはさておき生きてることに、密かに安堵の溜息をついていると、塔の方からスピーカーを通じて、男の声が闘場へ響き渡った。

 

『いつまで遊んでいるつもりだ、ミッシェル。

 いい加減に決着(ケリ)をつけんか。』

 …なにげに御前の像の方から聞こえてくるせいで、御前が言っているような感じになっているのだが、これは…!

 

「あら、この声は豪毅様ですわ。

 …あ、姫様は、帰国された豪毅様には、まだお会いしていませんでしたね?

 豪毅様、すっかり大人になられたのですよ。

 …あの時、菊乃さんのやり方に異を唱えて、姫様がお世話を買って出てくださらなければ、豪毅様は恐らくこの歳まで生きられなかったでしょう。

 今の大きくなった姿を、豪毅様自身も、早く姫様に見ていただきたいと、きっと思っておりますわ。」

 と、清子さんがなんかしみじみ言いだしたけど、大きくなった豪毅には私は既に会っている。

 まあ、その事を言うわけにはいかないが…確かに、久しぶりに会って大きく育った彼を見て、言葉にできない想いを抱いたのは確かだ。

 ちなみに菊乃さんとは当時豪毅付きだった女中さんで、藤堂家の女中頭だった人だ。

 三男の乳母として雇われて、一応上の4人一通り面倒を見てきた人であるらしいが、明らかに虚弱で他の子供より手をかけなければいけない豪毅のケアをあまりしてくれず、見かねた私が色々世話を焼くたびに『甘やかし過ぎ』と小言を言われていた。

 今思えば、どこの馬の骨ともわからない、養女として扱われていても養子縁組もされていない私は、完全に侮られていたのだと思う。

 最終的には言い合いになって、『どうせ手を出さないなら口も出すな』と一喝してからは、あまり顔を合わせることもなくなったのだが、まあつまり私とは、相性がとても悪かったわけだ。

 女中頭である彼女に最初逆らえなかった清子さんも、その件があってからは私に協力してくれるようになった。

 こうしてあの子が立派に成長して、御前の後継者に指名されるまでになったという事は、私の方が正しかった証明だと思う。

 本当に、よくここまで育ってくれた。

 

『おまえには、まだ働いてもらわねばならぬ。

 そんな下衆なフンドシ野郎相手に、無駄な時間を費やすことは許されん……殺れい!!』

 …けど口は悪くなったよな!そうだよね!

 男の子は大きくなると可愛くなくなるよね!!

 なんぼなんでもフンドシ野郎は止せ!!

 なんであんな格好(下帯いっちょ)になってるのか私も知らないけど、富樫は好きでやってるわけじゃない、と思う…多分だけど。

 割とデリカシーはあるタイプだし、あの子。

 

「かしこまりました、総帥。」

 けど、その言葉を聞いたミッシェルは、塔に向かって騎士の礼を取る。

 

「次の、赤いバラの棘や茎の先には、カスリ傷でも敵を倒す、即効性の猛毒が塗ってあります。

 もう香りで殺すなどとまわりくどい事をせず、これで一気に勝負をつけさせてもらいます!!」

 言って、マントの下に一旦腕を引っ込めたミッシェルに、富樫はドスを構えた。

 

「おおっ!!来いや、上等だぜ!」

 その手が震えているように見えるのは、やはり脳天へのダメージが尋常じゃないからだろう。

 ほんと無茶苦茶しおってからに。

 

「冥凰島奥義・殺薔薇棘薫(キリング・ローズ・フレグランス)!!」

 と、マントが翻ると共に、そこから無数の赤いバラが放たれた。

 

「キャ──ッ!これですわこれ!!

 ミッシェル様の試合は、攻撃のたびに闘場一面にバラの花が散りばめられて、彼の美しい容貌とも相まって、まるで幻想世界のような美しさなのですわ──っ!!」

 …なるほど。恐らく観客を入れる闘技場(コロシアム)では毒香バラはさすがに使わないだろうが、彼が闘いで放つ色とりどりのバラの乱舞は、確かにこれは人気になるだろう。

 

「猛毒、とは言ってますが舞台上の演出ということで、実際には痺れ薬だそうですわよ。」

 既に私より身を乗り出してモニターを眺めて、そう説明してくれる清子さんだが…うん、多分それ、一般人である使用人に対しての無難な説明なんだと思う。

 実際には古代ローマの剣闘士の闘いさながら、命のやり取りは行われている筈だ。

 仮にも藤堂財閥が行うイベント、そんなヌルいものであるはずがない。

 

「そりゃあ──っ!!

 こんなものがナンボのもんじゃあ──っ!!」

 …対する下帯いっちょのむさ苦しい学帽男は、自身に向かってくるその無数の深紅のバラを、ドスで次々と斬りはらう。

 たとえはたき落とされても、舞い散る深紅の花びらがこれはこれで美しく、富樫の単なる防御の為の行動が、まるで幻想世界の演出のひとつにされてしまっている。

 けど……あれ?

 今なんか一瞬、富樫の腕の動きがおかしかった気がする。

 そんな違和感を覚えた瞬間、唐突にバラを放つミッシェルの動きが止まった。

 

「あーん?どうした、もう弾切れか?

 それとも、俺にいくら毒バラを投げても無駄だと悟ったか!!」

「愚かな…躱すことに注意が集中し、痛さにも気がつかないとは。

 よく見てごらんなさい、御自分の背中を。」

「な、なんだと……!?」

 そう言われて、富樫は肩越しに自分の背中に目をやる。

 まあ普通、自分で自分の背中は見えないけど、幸いなことにというか、それは背中というより肩、左肩甲骨の腕側の上部に、真っ直ぐに突き刺さっていた。

 …カスリ傷でも死に至る即効性の猛毒が塗られた赤いバラが。

 

「うおお──っ!!」

 今ようやく気がついたと同時に苦痛までも感じ始めたのか、富樫は断末魔をあげて、ミッシェルの足元に倒れこんだ。

 

「と、富樫が殺られた〜〜っ!!」

 その光景に、泣きそうな声で虎丸が叫ぶ。

 

「…所詮わたしと貴方では、格があまりにも違いすぎたのです。」

 自分の足元に倒れた富樫を一瞥してそう呟いてから、ミッシェルは男塾の陣を、大きな動きで振り返った。

 …その動きすら、まるで舞台のワンシーンのようだ。

 

「さあ、どなたですかな?

 次にわたしのお相手をしてくれるのは!?」

「…そいつは、ちょっと気が早えんじゃねえかい?」

 だがその一幕は、足元からの声に遮られた。

 更に、次に起こった事に、その場の誰もが息を呑む。

 

「うおおっ!!」

「ヘッヘッヘ…まんまと引っかかりやがって。

 よく見るんだな、俺の背中に刺さったバラを…!!

 こいつは最初におめえが投げた紫のバラを、血に染めて赤くしたもの。

 つまり、こいつは俺が自分で刺したんだ……!!

 それをおめえは今、自分が投げ刺したものと勘違いし、油断したってわけよ。」

「き、貴様……!!」

 ミッシェルの綺麗な顔が屈辱に歪む。

 …なるほど。さっき富樫の動きに違和感を覚えたのは、そんな事をしていたからか。

 恐らく、次に来るのが赤いバラだとミッシェル本人が言ったあたりで、足元のバラを拾って用意していたのだろう。だが…。

 

「さあどうする、ミッシェルちゃんよ…このまま、その顔には似合わねえごっつい息子さんを握りつぶされてえか?

 それとも泣きを入れて、負けを認めるか…ふたつにひとつじゃ〜〜っ!!」

「うぐおお───っ!!」

 ミッシェルの背後から股間に手を入れ、()()をしっかり握りしめている富樫の姿に、私は思わずモニターから目をそらした。

 いや、私には()()はないから、実際の苦痛は知るべくもないが、一応人体の構造を知る者として、その痛々しさは見るに耐えないものがある。

 

「ま、まあぁ、なんて羨ま……いえ、下劣な…!」

 …清子さん、アンタ今変なこと言わなかったか?



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5・抱きしめても消えた夢、振り切れないで

「ち、違いますのよ、そういうことではなく…」

 若干顔を赤らめた清子さんが、なにやら言い訳をしようとするが…私は、出来ることなら早々に忘れたいと思った。

 

「…深く追求する気はありませんので、どうぞ気になさらず。

 それより暖房が効きすぎているので、少し設定温度を下げていただけないでしょうか?」

「そ、そうですわね少し暑いですものねホホホ」

 …なによりも顔が熱い気がするのは室温よりも、モニターに映し出された刺激の強い映像のせいだとは思うが、そこは今触れてはいけない案件なのだ。

 私は女ではあるが、男塾に身を置くひとりとして、女性に恥をかかせるような事はすべきではない。

 

 ☆☆☆

 

「お、愚かな…こんな事でわたしを倒せると、本気で思っているのですか?」

 与えられる苦痛に息を乱しながらも、ミッシェルはそう言って、懐から一輪、先ほどのものよりも濃い赤のバラを取り出して上方へ投げ放った。

 それが急カーブの放物線を描いて落下すると共に、富樫の肩に突き刺さる。

 

「うっ!!な、なんだあ、こいつは!?」

「そのバラの茎には、筋肉の弛緩剤が塗ってあります。

 貴方の握力は既にない!!」

 言うやミッシェルは地面を蹴って跳躍し、富樫から離れて向き合った。

 今にも握り潰されんとしていたそこから、富樫の手を引き剥がすのに成功したようだ。

 だが息を整えながらも、富樫を睨みつけるミッシェルのその瞳は、怒りと屈辱の色に染まっていた。そして。

 

「冥凰島奥義・殺薔薇棘踊(キリング・ローズ・ダンシング)!!」

 独特の構えからまたもミッシェルの手から放たれた真紅のバラが2本、富樫の両脚に突き刺さる。

 

「うおっ!!」

 富樫は衝撃で一瞬バランスを崩し転倒するも、すぐに立ち上がって、脚に刺さったバラを抜いた。

 

「またも懲りずにバラ攻撃かよ。

 今更、こんなものが足に刺さったからって、どうってこたぁねえぜ!!」

「…由緒あるフランス貴族の血を引くこの黒薔薇のミッシェル…かつてこれほどの屈辱を味わったことはない。

 ただでは殺しません。

 貴方には最も残酷な死を与えましょう。」

 ああうん、そうだよね。ほんとごめんなさい。

 思わず心の中で謝ってしまうほど、その綺麗な顔に浮かんだ怒りの形相は凄まじかった。

 こんな表情、私の知る限り特に彼と相性が悪かった狼使いの前でだってした事がない。

 もっとも『わしは、その少女漫画の権化のようなてめえのオカマ面が、気色悪くて仕方ないんじゃ〜!』と、狼使いの方が一方的に突っかかってた気がするけど。

 

「…御存知ですか、魔の赤いトゥシューズを履いた踊り子の話を……!!

 バレエのプリマドンナを目指す少女が、魔女から己の魂と引き換えに手に入れた、赤いトゥシューズ…それを履いて少女は夢を叶えましたが、その靴は二度と脱ぐことが出来ず、少女は死ぬまで踊り続けたそうです。

 そう、死ぬまでね……!

 フフッ、貴方は今、その魔の赤い靴を履いたのです!!」

「な、なんだと…うおおっ!!?」

 ミッシェルの話が終わるや否や、富樫が唐突にバタバタ音を立てて足踏みを始めた。

 

「な、なにーっ!!

 あ、足が勝手に動き出した──っ!!」

 叫びながらミッシェルの周囲を走り回る。

 それはどうやら本人の意志によるものではないらしい。

 

「ど、どうしたらいいんだよ、こりゃあ──っ!!」

 無軌道に走り回る足を止めようと、腕で足を押さえてみるが、その腕を跳ね除けても、足は動き続ける。

 …私が知っている話は、赤い靴の美しさに囚われるあまり傲慢の罪を犯した娘が、靴に踊り続ける呪いをかけられて、首切り役人に両脚を切り落としてもらうという展開だったが。

 確かアンデルセン童話だった気がする。

 

「フフッ、おわかりになりましたか?

 さっき足に刺さったバラには、筋肉の中枢神経を混乱させる薬が塗ってあったのです。

 もはや貴方は、そのまま死ぬまで踊り続けるしかない!!」

 踊るというよりはドタバタと走り続けているだけだが、そうしながら塔の壁に思い切り激突したり、蛇行しながら猛スピードで闘場を横断したり、全く止まる気配が見えない。

 薬の効果はすぐに切れるだろうが、問題はこの闘場の外が高い崖になっているということだ。

 足を踏み外せば命はない。

 

 今は影慶は彼らに合流する為に、雷電と共にあちらの陣へ向かっている最中だ。

 ディーノもうまく逃げ切れれば、遠からず合流するだろう。

 私もここにいる以上、落下しても誰も助けてやれない。

 そうしてハラハラしている間に、案の定富樫の暴走した足は闘場の端、今の彼にとっての死の淵へと向かう。

 為すすべもなくそのまま駆け出していくかと思った刹那、富樫は握っていたドスを、咄嗟に地面へと打ちつけた。

 それを軸にして身体を浮かせ、一旦背中を地につける。

 足はバタバタとまだ動き続けているが、それはただひたすら空を蹴るのみ。

 少しして動き続ける足が、彼の身体をうつ伏せにして、その足が再び地面を蹴り始めるも、富樫の手はドスを握り続けていた。

 

「ど、どうだ、これで」

「考えましたね。

 ドスを地面に打ちつけて動きを止めるとは。」

 だがこれでは、富樫は薬が切れるまでその場からは動けないことになる。

 それを見て取ってかミッシェルは、私が見る限りそれまで使っていなかった腰に提げた剣にようやく手をかけた。

 

「…貴方の無様な姿を見て、わたしの怒りも晴れてきました。

 これ以上は見苦しいだけです。

 この剣でひと思いに、苦痛から解放して差し上げます。

 それが騎士道精神というものです。」

 そう、このひと本来は西洋剣術の達人なのだ。

 出来るなら富樫ではなく桃と戦って欲しかったくらい。

 この状況では、その腕の示しようもないのだけれど。

 

「くそったれが。なにが騎士道精神じゃ……!!

 お、男塾魂は、そんなものに負けやしねえ…!!

 まだ、このドスがある限り……!」

 どうやらそろそろ薬の効果が切れてきたらしい富樫の足がゆっくりになり、制御が効くようになったそれで、しっかり地を踏みしめた富樫の、一瞬力を込めた動きが、止まる。

 

「な、なんだ!?抜けなくなった!!」

 まあ、刺した時は簡単に抜けては困る状況だったからだろうが、唯一の武器が使えない状況に、富樫の顔色が明らかに変わった。

 

「死ねい──っ!!」

 そうしている間に、ミッシェルの構える剣先が、富樫の首めがけて落とされる。

 

「ぬがあっ!!」

 咄嗟に出たのであろう掌が、次の瞬間剣に貫かれた。

 その甲から突き出た刃先を、もう片方の手で握りしめた富樫は、そのまま剣の軌道を逸らし、ミッシェルの体勢を崩そうと試みる。が。

 

「この剣は貴方に差し上げましょう。」

 こだわりなく、ミッシェルは剣を握った手をあっさりと離した。

 そうなると、渾身の力を込めていた富樫の方が体勢を崩し、元々崖っぷちに立っていた足を、その外へ滑らせる。

 

「うおお──っ!!」

「や、殺られた──っ!!」

 富樫と虎丸の悲鳴が、その場に同時に響き渡った。

 

 …あの子はよくよく高いところから落ちるが、今度こそ助かりそうにない。

 こんな事なら私は大将首なんか狙いに行かず、今まで通りディーノとあの場に待機していれば良かった。

 そうすればディーノにあんな怪我をさせずに済んだし、富樫だって助けられたかもしれないのに…!

 私の、せいだ……!!

 

 ・・・

 

「フフッ、最後の最後まで悪あがきを…。

 だがここから落ちて、助かる術はありません。」

 呟いて、そこから立ち去ろうとしたミッシェルが不意にその足を止めた。

 何を思ったか、先ほどまで富樫が立っていた場所に膝をつき、彼が落ちた先を覗き込む。

 そこにまた、先ほど聞こえた豪毅の声が響いた。

 

『やっと勝負がついたな、黒薔薇のミッシェル。

 なんとも貴様らしくない闘いよ。

 奴のようななんの技もなく、時代遅れの精神主義一点張りで挑んでくる未熟者の下衆に、こうも手間取るとは。』

 豪毅……あんたはもう少し、歯に衣着せる事を学んだ方がいい。

 否定はできないがいろいろ言い過ぎだよ!

 

『どうせ貴様のことだ。

 遊んでおったとでも言いたいのであろうが…』

「……総帥。

 お言葉ではありますが……富樫とかいう男、決して未熟者でも下衆でもありませんでした。」

 豪毅の言葉にそう返して、ゆらりと立ち上がったミッシェルの身体が、そのまま後ろへと傾いでいく。

 先ほどのバラよりも鮮やかな鮮血が、ミッシェルの胸に突き立った剣を赤く染めていた。

 その光景に、私のそばでモニターを見つめていた清子さんが、小さく悲鳴を上げる。

 

「た、たいした男です……ドスが抜けなくなったと見せかけ、それに命綱を引っ掛けておくとは……み、見事、です。」

 ズームアップされたその闘場の端、地面に刺さったドスが、何故か白い布を絡ませている。

 その布の先に、逆さまにぶら下がる富樫の姿があった。

 え…つまり、この布の正体は…。

 

「ば、馬鹿野郎。なにを勘違いしてやがる!!

 ほ、本当に抜けなくなったドスに、偶然フンドシが引っかかっただけじゃい!

 し、しかし運も実力のうちだぜ!!」

 やっぱりか!

 起死回生の勝利を上げた男とは思えぬほどマヌケな言葉とその姿に、私は深いため息をついた。

 

「さ、さあ早く上がってこい、富樫──っ!!」

 虎丸が叫ぶ声に応え、若干解けかかっているそれを伝って富樫が崖をよじ登る。

 だが、それはやはり、命綱としてはあまりにも脆弱だった。

 

「うおおっ!ちくしょう、なんてこった──っ!!」

 ドスに絡みつけた布が、富樫の体重を支えきれずに悲鳴をあげる。

 それが裂けてしまう前に急いでよじ登ろうとするも間に合わず、富樫の身体は再び、重力に従って落下した。

 

「あ、あとは頼んだぜ〜〜っ!!男塾万歳──っ!!」

 ………筈だった。

 

「さ、さあ。

 は、早く上がってくるのです、富樫……!!」

 重力に逆らうすべもなくただ落ちていく筈だった富樫の身体を引き止めたのは、まさかの敗北を喫したミッシェルの、切れた布の端を握る手だった。

 

 ☆☆☆

 

「血迷ったか、ミッシェルの奴。

 あんな下衆の命を救うとは!!

 これは重大なる裏切り行為ですな、総帥。

 ミッシェルの処分は私にお任せを!!」

 俺の後ろで大型モニターを眺めていた部下の1人が、そう言って進み出て、操作パネルのいくつかのボタンに触れる。

 それはどうやら狙撃用の銃器のスイッチであったらしく、操作する操縦桿のようなものが出てきて、男はそれを握った。

 モニターに完全に背を見せているミッシェルに照準を合わせる。

 

「死ねい、裏切り者めが──っ!!」

 発射のスイッチを押そうとするその無駄に嬉々とした顔が見るに耐えず、俺は構えると同時に刀の鯉口を切った。

 …奴の両手首から先が床に落ちる音よりも先に、俺の刀が鞘に納まる。

 

「う…うおおおっ!

 な、なにをなされますか、総帥──っ!!」

 まったく。喚く声すら聞き苦しい。

 

「下衆は貴様だ!!

 命を賭して闘う男の、誇りと気概がわからぬ貴様に、冥凰島十六士たる資格はない!!」

 少なくとも、あの誇り高いミッシェルが認めた男なのだ。

 ならば奴を評価するのと同じだけ、認めない訳にはいくまい。

 

 ☆☆☆

 

 …俺を引っ張り上げた時には、ミッシェルは既に虫の息だった。

 最後の力を、俺を助ける為に使ったのか。

 

「何故だ……何故、この俺を助けた……!?」

 さっきまでは間違いなく、こいつは俺を殺す気でいた筈だ。

 俺の問いに、今にも途絶えそうな息の下で、それでもうっすらとミッシェルが笑う。

 

「わ、わたしにもわかりません…けど、貴方がわたしと逆の立場でも、きっと同じことをしたでしょう?

 わ、わたしには、それがわかります…。

 …お行きなさい、胸を張って。

 貴方は、この黒薔薇のミッシェルに勝ったのですから……!!」

 …なんでか無意識に差し伸べちまった俺の手を、きれいな指が握りしめた。

 

「悔いは…ありません。

 貴方の様な人と、闘えたことを、誇りに……」

 その言葉を最後まで言い終えず、それでも満足げに微笑んで、ミッシェルの指から力が…抜けた。

 

 …黒薔薇の花言葉は『彼に永遠の死を』だったか。

 確かセンクウ先輩が言っていた。

 そういや、あの人と闘った時も、最後は助けられたっけ。

 あん時は、『命あればたまには思い出せ』なんて言われたよな。

 

 闘場一面に撒かれたバラの花をかき集めて、ミッシェルの身体をそれで覆ってから、俺は闘場を後にした。

 

 …たまにどころか、絶対に忘れねえ。

 ミッシェル…おまえは真の男だったぜ…!!

 

 ☆☆☆

 

 …覚悟はしていた筈だった。

 少なくとも、御前を自身の手にかける決意は固めていたし、豪毅にならば殺されてもいいと思ってきた。

 けれど、私はまだまだ甘かったのだ。

 かつて所属していた組織と敵対するという事は、今でもそこにいる、心通わせた人達とも、殺し合わなければならないという実感に、今になってようやく到達したのだから。

 お菓子ではなく花束を受け取る約束をした5年前のあの日が、結局は今生の別れだったという事だ。

 

 ・・・

 

 部屋のドアがノックされ、対応に出た清子さんが、声を弾ませて戻ってくる。

 

「姫様、姫様!

 中央塔から、こんなに大きな花束が届きましてよ!

 贈り主は、黒薔薇のミッシェル様ですって!!」

 差し出されたそれは、大輪の赤いバラと、その中に一本だけ白いバラが混ざった花束だった。

 …確かこの組み合わせは『打ち解けた仲』みたいな意味だった気がする。

 何本あるかまではさすがにひと目ではわからないが。

 

「このタイミングで届いたという事は、試合が始まる前に御用意されて、届けさせたのですね。

 …試合に負けてしまったのは残念ですけれども、やはり素敵な方ですわねぇ。

 ……姫様?」

 ここに私がいると知って、あの日の約束を果たしてくれたその人に、もはや二度と会うことはない。けど。

 

「なんでも…ありません。」

 今、私は後悔することも、泣くことも許されない。

 私はもう、お菓子を貰って無邪気に喜んでいたあの日の子供じゃない。

 今こうして、慕わしい歳上の友の死の悲しみに押し潰されそうな現実が、私が選んで進んだ道の結果のひとつである以上、それを間違いにしてしまうわけにはいかない。

 

 富樫を最後には認めてくれたあの気高い騎士を、間違った選択で死へと導かれた間抜けにしてはいけないのだから。

 

S'il vous plaît ne pleure pas, (どうか、泣かないで)Petite princesse.(小さな姫君)

 あの日の彼の優しい声が、今再び耳に蘇って、私は涙が溢れないように目を閉じた。




頑張って、綺麗に書いたつもりです…。


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6・私の想いをジョークにしないで

「真」には乱凶院光秀という、とんでもなくふざけたデザインのキャラが登場する。
しかしデザインはふざけているが中身は至って真面目なキャラだ。
彼を見たときに悟った。
豪毅のマユゲやモミアゲなんて大した問題じゃなかったんだな、と。
…だから何だってわけじゃないけど


「そういえば、姫様は菊乃さんの話、お聞きになられました?」

 ひとつの花瓶に収まらず部屋のあちこちに飾られた芳しいバラの香りの中、女性と会話をするとよくある唐突な流れで聞かされた話に出た例の女中頭は、私が藤堂の家に来た当時で35は越えていた筈だ。

 この時の私には兄の記憶はなかったが、ないなりに体に染み付いていただろう病人への補助経験が、明らかに他の子よりも手をかけなくてはいけないのにその手が足りていない豪毅を、放っておく事を許容しなかったのだろうと、今ならば思う。

 素質だけは充分なのに身体が訓練に耐えられない彼の体質改善は、まずは充分に栄養を摂取させる事から入った。

『少食な上に好き嫌いが多い』と彼女は零していたが、私なりに観察した上での判断は、彼女の料理が豪毅の口に合わないという事だった。

 いや、そりゃ大人だったら『まあ、野菜の色が鮮やかに残って綺麗な煮物ですね!』てなるかもしれないけど、子供がソレ見て『うわあ美味しそう』とはならないよ多分。

 あ、私は例外ね。

 飢えて渇いて死にそうになった経験がまだ記憶に新しいあの頃、味なんかよほど極端じゃなければ、食べ物は食べ物として有り難くいただき、残すなんて罰当たりな事はできませんでした。

 とはいえその上品そうな煮物、そんな私の口にすらあまり美味しくはなかったけど。

 完璧な暗殺者として御前に『誰もが欲しがる女性』を求められた私は、その訓練としての最低限の家事をすることがもとより許されていたから、その訓練がてら、という理由で豪毅の口にするものを私が作る許可を得るのは簡単だった。

 この時期に私の料理の腕が急激に上がったのは、ほぼ間違いなく彼の為だ。

 そもそも豪毅が初対面から私に懐いていた事もあって、彼は私が作ったものであれば、多少苦手な食材であっても躊躇いなく箸をつけるようになった。

 茶碗蒸しが好きだと聞いて、作ってしまった後で『鶏肉とシイタケが苦手』と聞かされ途方にくれた私に、『姉さんが作ってくれたものだから』と言って涙目になりながら完食してくれた思い出は未だ忘れられない。

 結局、鶏肉は煮たものがあまり好きではないだけで揚げたり焼いたりするのは問題なく食べていたし、シイタケは『美味しくはないけど食べられなくもない』あたりまで持ってくることができた。

 そもそも彼の好き嫌いは調理法を変えれば克服できるものがほとんどだった。

 どんだけ煮物しか作ってなかったんだあの人。

 そして食べる量が増えると同時に筋肉量も増えて、御前がつける稽古に耐えられるようになってくると、その素質の素晴らしさに誰もが瞠目した。

 …上の兄達が15、6で出された修業に、11歳の時点で出されてしまうほどに。

 その辺は御前の豪毅への期待もさることながら、私と豪毅の仲が良すぎると、菊乃女史が事あるごとに、御前に苦言を呈していたのもあったのだろうが。

 それでも豪毅が修業に出てからはあまり顔も合わせなくなっていたので、正直今の今まで、存在すら忘れていた。

 

「あの方、三男の燦夜(さんや)様の乳母だったというお話でしたが、本当は実のお母上だったそうですわ。

 まあ、その…つまりは、御前のお相手を務めた事がおありという事ですわね。」

 そうだったのか。

 女中頭なんて中途半端な立場にしては、いやに態度が大きいとは思っていたのだが、事実上の愛人だったのか。

 まあ塾長にだって女の人複数いるらしいし、そこら辺は私がどうこう言うことじゃない。

 てゆーかあの当時はまったく関心を抱かなかったが、あの家には奥方の存在はなかった。

 恐らく、豪毅を含め他の兄弟たちの母親も、それぞれ違う女性の子なのだろう。

 だとすると、他から連れてきて養子縁組もされずに邸に置かれた私のことを、彼女はひょっとして新しい妾の候補だとでも思っていたのかもしれない。

 実際には息子の嫁にするつもりだったわけだが。

 

「あの方、御兄弟のなかでただひとり遺された豪毅様を、人殺し呼ばわりして掴みかかったんですのよ。

 御兄弟を一度に亡くされた豪毅様だって、お辛い事に変わりはないでしょうに。」

「……は?

 それ、豪毅の上のお兄様、4人とも亡くなったって事ですか?一度に?」

「あ、それもご存知なかったのですね。

 そうなのです。

 私どももどういう事情かは詳しく聞かされてはおりませんが、豪毅様以外の4人が、全員修業先の事故で亡くなられたのですよ。

 姫様がお邸を空けられて間もなく、一度皆様全員が留学先から帰国なされたのですけど、4ヶ月ほどこちらに滞在された後、また戻られたのです。

 …皆様の訃報が届いたのはそのすぐ後くらいの事でしたわ。」

 …確か、私が塾長に捕まったのが3月の終わりで、私が豪毅と会ったあの日は7月のはじめだった。

 つまり豪毅はあれからすぐに修業先へ戻ったのだと考えて間違いない。

 という事は、豪毅は御前の後継者として、5人の中から選ばれたのではなく、上の4人が亡くなった事で、唯一生き残ったから決定したというだけなのだろうか。けど…。

 

「どうも御前もその時、そちらにおられたようで、御葬儀は修業先のお寺で済ませたらしく、全て終えてお二人で帰国なされた時に、菊乃さんが豪毅様に…。

 御自分の子が亡くなられてお気が触れられたのだと、後で説明を受けましたが、取り押さえられて引き剥がされるまで、確かに正気とは思えないようなことを叫んでいました。

 私は、その後すぐにこちらに配置換えされて、その後の事はわからないのですが、聞いたところによれば、今は藤堂財閥の関連の病院にいらっしゃるそうです。

 私はあの方が好きではありませんでしたが、そう思えばお気の毒な事ですわね…。」

「豪毅を『人殺し』と呼んだのですよね?

 …他にはどんな事を?」

「他に…ですか?

 私も全部を覚えているわけではないのですが、そうですね…『正当な血筋でもないくせに』とか、『あの時、本当に殺しておけばよかった』とか、『あの娘さえいなければ』とか、そんな事だったように思いますわ。

 …正式な奥方の子供でないというなら、ご自分のお子だって同じでしょうにねぇ。」

 …なんとなくだが、わかってしまった気がする。

 気が触れて豪毅に掴みかかって、藤堂家ゆかりの病院に入れられたという菊乃女史、怒りと悲しみで冷静さを失い暴挙に至ったが、決して気が触れたわけではなく、彼女の言った事はほぼ事実だという事が。

 多分孤戮闘で私に起きたのと同じ事が、この藤堂兄弟の身の上に起きたのだろう。

 いちどきに亡くなったという4人の兄達を手にかけたのは…恐らくは、豪毅だ。

 彼女より短い期間ながらずっと御前の傍にいた私の視点では、それはどう考えても御前の発想だった。

 …正当な血筋発言だけはよくわからないが。

 

 そして、私はその燦夜という人を知らないが、恐らくは豪毅がいなければ後継者となり得た素質の持ち主だったのだろう。

 彼の母親としてそれを狙っていた菊乃女史は、素質はありながら、体質の弱さがネックになっていた豪毅を、直接手は下さないまでも、死んでもおかしくない状況に故意に置いていた。

 そうであれば彼女にとって、私の存在は邪魔でしかなかっただろう。

 まだ完全に体が出来ていない豪毅を、私から引き離して修業に放り込めた時、彼女は『これできっと死んでくれる』と思ったに違いない。

 けど結果的に、最後に残ったのは豪毅だった。

 

 全て推測でしかない。けど。

 それが真実だと、私は確信していた。

 

 ☆☆☆

 

 …なんて会話を交わしていたのも、ミッシェルの遺体を運び出してバラを片付けた闘場に、次の闘士が出てくるまで時間がかかっていたからだ。

 だがやがてモニターを通じて、塔の方から巨大なものの足音のような音が聞こえ、私たちはそちらに目を向けた。

 ていうかこの音から私はてっきり、あの塔が変形してとうとう巨大ロボットか何かになったのかと本気で思った。

 しかも私の頭の中の映像では、塔の御前の顔の部分が何故か胸部にあり、頭部に搭載された操縦席から豪毅が『最初に言っておく!胸の顔は飾りだ!!』とか言っていたが、我ながら意味がわからないので忘れることにする。

 それはさておき、塔の壁と完全に同化してカモフラージュされていた階段横の大扉が姿を現し、それが開く。

 そこから姿を現したのは一匹の象と…その背に跨る褐色の肌の男だった。

 この男は見たことがないので、恐らくは私がここを去った後から入ってきた者だろう。

 

「我が名は冥凰島十六士、ラジャ・マハール。

 いでい!!男塾次なる戦士よ!」

 …ラジャ、というのは王という意味ではなかっただろうか。

 マハールは宮殿を意味する言葉だったような。

 まあきっと本名がメッチャ長いとかで、比較的日本人の耳にわかりやすい部分のみ残してあと全部取っ払ったくらいのとこなんだろうが。

(例の狼使いの男が、本名が長いからと姓以外省略させられたって言ってたから)

 あとやたらと露出度の高い格好で頭にターバンを巻いているのが、布を使う部分を間違っているんじゃないかという気がしなくもない。

 

「マハール様は最近になってから、(ホン)師範がスカウトして来られた闘士ですわ。

 ミッシェル様の人気が出た事で、闘技会で人気になるのがパフォーマンス性の高い試合であるという運営側の意向を受けての事らしいです。

 なんでも、インドには象を使った戦闘術があるのだそうで、彼はその使い手なのだとか。」

 ああ、なるほど。

 要は二匹目のドジョウ、インパクトの強い試合のバリエーションを増やそうという意図ね。

 ここに出せるくらいだから、実力は間違いなくあるという事だろうけれど。

 というか、一応は説明してくれてるけど、実のところあんまり興味ないですね清子さん…。

 まあ私も動物はあまり好きではないが。

 象なんて食えないし。

 

 ☆☆☆

 

「冗談じゃねえぜ。だ、誰があんなのと…ライオンでもかなわねえっていう、史上最強の動物の象を相手にするなんて……!!」

 闘場に現れた相手を見てそう言葉を漏らす虎丸に、答えて一歩踏み出したのは、我ら三面拳がひとり、月光だった。

 

「それは許されぬ。

 いかなる勝負であろうと、敵に背を見せれば、それは敗北を認めたこと……!!」

 既に愛用の棍を手にして、縄ばしごの前まで進み出た彼の足が、一旦止まってこちらを…わたしの方を振り返る。

 

「飛燕よ…貴様にこれを託す。」

 こちらに差し出された手から下げられていたのは、細い二本の鎖…その先に付いた、勾玉のような形の金属片が、小さく揺れている。

 これは……!

 

「ひとつは私のもの。

 もうひとつは死んだ雷電が闘いの前に、私に託していったもの。

 …わかるな、この意味が。」

 問いではなく確認の言葉に、自分より随分上にある、兄とも慕う年長の同士の瞳を見上げる。

 そこに表われていたのは、紛れもない覚悟。

 …たまに小言がうるさいと感じはしても、わたしとて本気で彼を疎んじた事などない。

 動揺してしまったわたしの態度をどう解釈したものか、月光はわたしの手にそれを握らせると、再び背を向けて縄ばしごを渡っていった。

 いつだって落ち着いて、わたしの背を押して、送り出してくれた月光を、今度はわたしが送り出すことになるのか。

 思えば彼はわたしや雷電の背中を、いつもどんな気持ちで見送っていたのだろう。

 

「な、なんだよ飛燕。

 その、月光が渡したペンダントのようなものは…!?

 それにおまえ、えらく顔色が悪いぞ!!」

 …気がつけば隣に来ていた富樫が、心配そうにわたしの顔を覗き込んでいる。

 彼はひとの心の機微に、割と敏感だ。

 手の中のそれと並べるようにして、自身の懐から、同じものを取り出して、その場の全員に見せる。

 伊達と知り合う前に互いに贈り合ったものだから、彼も知らない話だ。

 

「…これこそは、わたし達三面拳の生死を誓い合った、契りの証……!!

 これを託したという事は、たとえ死んでもわたし達は、いつも共にあるという事……!!」

 それが彼なりの決死の覚悟であると、わたしにはわかっていた。

 

 ☆☆☆

 

「男塾三面拳・月光!!」

 闘場に立ち、臆する事なく棍一本構える月光と比べると、その象が標準的なインド象と比較してもかなり巨大である事がわかる。

 何せ、デカブツ揃いのあの連中の中でも月光はかなりの長身なのだ。

 その月光の姿を見て、ラジャ・マハールと名乗った男は、『無謀なる勇気』と評する。

 その表情には、呆れたような色があった。

 

「闘いの前に、ひとつ教えてやろう。

 見るがいい!

 この象、パンジャブの額に刻み込まれている印を!!

 これこそはパンジャブの、すさまじい戦歴を物語る勲章というべきもの。」

 言われて見てみれば、確かに象の額に、何やら点のような印が無数に刻まれているのがわかる。

 

「現在、印の数は百七個……!!

 つまり、これまで百七人の敵を葬ってきたことを示す。

 そして新たにもうひとつ、百八個目の印を刻み込むことが出来る…貴様のお陰でな!」

 百八って仏教でいう煩悩の数だけど、おそらく関係ないんだろうな…などと私が考えている間に、

 

「能書きはそれくらいにして来るがよい!!」

 と月光が一刀両断にぶった斬る。

 その言葉に従ったわけではないのだろうが、マハールは象に指示を出し、その巨体が月光に向かっていった。

 

「いけいパンジャブよ!

 密林の悪魔と呼ばれたお前の力を見せてやるのだ!!」

 その声が終わるか終わらないうちに、象の手とも言える筋肉の塊のその長い鼻が、月光に向けて振るわれる。

 月光の卓越した体術はそれを難なく躱したが、一旦間合いを離した彼が再び闘場の床を踏んだ時には、象の巨体は月光の背後を取っていた。

 再び、象の鼻が振るわれるのを間一髪で避ける。

 

「驚いたか!!

 この巨体だからといって、動きが鈍いと思うのは間違いだ!!」

 そこから更に間合いを離した月光に、突進するひとりと一匹。

 月光はそれに向かって構えるが、真っ直ぐに向かって来ると思われた象の頭が一瞬下を向き、その鼻が地面に伸びた。

 それと同時に象の四肢が地面を叩き、その巨体が軽々と宙へ飛ぶ。

 

「な、なに──っ!!」

 はるか上まで飛び上がった巨体を見上げる(…このひと、絶対に目が見えてないなんて嘘だよな)月光の上で、象は空中で体勢を整えた。

 後肢が先に地に着くように落下し、そのまま己が体重と落下速度で、月光を押し潰す腹らしい。

 咄嗟に身を躱して月光はプレスを免れたが、彼がそれまでいた場所の地面は抉れ、整備された床が粉々に砕けていた。

 …これは、相当に修練を積ませた獣であるらしい。

 しかも操る側との呼吸が完璧だ。

 一般に象は温和な生き物と思われているが、知能が高いだけに、珍しく戯れに他の生き物を殺す事のある動物だ。

 本当に予想もつかない時にその気まぐれを起こすので、世話をして慣らしたはずの象に人間が殺されるといった事故も後を絶たない。

 恐らくは普段大人しく従っているものの、ある瞬間に突然気がつくのだと思う。

 自分の方が強いはずなのに、なぜこんな小さくひ弱な生き物に従っているのかと。

 この主従はある程度、世話をしたりなんだりを経て日々の絆を培ってきてはいるだろうが、それ以上に人間の方が、その強さを示していかないとこうはいかないように思う。

 

「ま、間違いない。

 あれこそは古代インド幻の秘闘法と言われた、操象(そうぞう)戮狟(りくかん)闘法(とうほう)…!!」

 その間にも男塾側の陣の声を集音マイクが拾っており、呻くような声で羅刹が呟くのが聞こえた。

 

 操象戮狟闘法(そうぞうりくかんとうほう)

 陸上最大の生物・象は、最大の破壊力をもつことで有名である。

 象の欠点として鈍重な動きがあるが、それを特殊な訓練法により、恐るべき敏捷性を身につけさせ、これを数々の秘技を持つ戦闘法として確立させたのが古代インド人である。

 古代インドでは戦争の時、象の多寡で勝敗が決するとまで言われた。

 ちなみに英語で象をエレファントというが、これは当時象の訓練を、インド洋上のエレファン島で行なっていたことが語源と言われる。

民明書房刊『戦う動物大百科』より

 

 …それにしても、男塾側には集音マイクが置かれているのに、あちらは塔を使っているため、向こうの声が拾えないのはちょっとズルイと思う。

 それはさておき。

 

「よくぞ躱した、今の一撃。

 だが、次はそうはいかん!!」

 主人の言葉に呼応するように象は再び飛び上がる。

 同時にその鼻から、ホースのように水を吹き出して、月光に浴びせかけた。

 予期しない行動に一瞬、月光の回避行動が遅れる。そして。

 

 ドカアッ!!

 

 象の大きな前脚の下から轟音と床が砕けた砂煙、そして血飛沫が同時に上がった。

 

「殺られた──っ!!月光が踏み潰された──っ!」

 更に悲鳴のような声が自陣から上がる。

 そう、誰もがそう見てもおかしくない状況だったろう。

 

「フッ、他愛もない。

 だがこれでおまえの額に、百八個目の印を刻みこめるというもの……!!」

 だが砂煙が少しずつ晴れる中、踏み込んだ象の足がわずかに揺れたのに、上に乗ったマハールが気づかぬはずもなかった。

 

「……どうした、パンジャブ!?」

 怪訝に思い下を覗き込む。

 砂煙が去った後の象の足の下で、そこと地面の間に棍を突き立てて、自身の身体の間に、渾身の力で隙間を作っている、月光の姿がそこにあった。

 

「確かにこの象の額の印はひとつ増える事になる!!

 だがそれはわたしではなく、貴様の分だ、マハール!!」

 象の足裏は見た目と違い敏感であるという。

 そこに傷を負わされた巨象は、痛みとそれを与えた者への怒りに、激しく咆哮した。




改めて、アタシはマハール戦に思い入れがなかったんだなと思い知らされる。
むしろ以前読んだ裏夢にあった、自分に負けた女闘士をその体質駆使して嬲り倒すみたいなイメージの方が強烈に残ってる。
ごちそうさまでした(違


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7・夢に追いつけない若さが哀しくて

意外と飛燕視点って、光に近い視点でつっこめる事に気付いた。


 モニターから流れる月光の戦いを清子さんと2人で見ていたら、突然部屋のドアが開けられた。

 2人してハッとそちらを振り向くと、見覚えのある顔の男が、無遠慮にずかずか部屋に入り、こちらへ歩み寄ってくるのが見えた。

 その顔を見た瞬間、思わず「げっ」とか声を上げてしまう。

 清子さんが進み出て、その男と私の間に立ち塞がり、相手を睨みつけた。

 

「ノックどころか一言許可を得ることもせず、姫様のお部屋に入って来られるなんて無礼でしょう!!」

「黙れ。使用人風情が。この女は捕虜だ。

 礼など尽くす必要が、どこにある。」

 それは、プラチナブロンドの長い髪にブルー・グレーの瞳、白い肌の、北欧系の綺麗な顔をした若い男。

 私が最後に会った頃より背が伸びて体格も逞しくなっているけど、初めて会った時には既にそうだったように、表情にはどこか卑屈な部分が見え隠れしていて、それがこの青年の美しさを台無しにしている。

 

「…大丈夫です。下がっていてください。」

「でも………!!」

「いいから。あなたに何かあったら、離れて暮らすお子さんに申し訳が立ちません。

 一旦部屋の外に出ていただけますか?」

 ある程度の体格のある男相手に、噛みつかんばかりに威嚇を続ける清子さんを宥め、退室させて彼を見上げる。

 逆に私を見下ろしてその男は、よく見なければわからないくらい微かに、口角を上げた。

 

「…のこのこ自分から戻ってきて捕まったと聞いて、同じ孤戮闘修了者のよしみで、顔を見にきてやったぞ。

 任務に失敗して行方を眩ましたと聞いていたが、よもや男塾などという処に潜り込んでいたとは、見つからない筈だ。

 藤堂の御前に目をかけられていながら、所詮は女。

 実力も忠誠心も、その程度だったという事よな。」

 …この男は、私より一年前に孤戮闘の試練を生き延びた、私と同じ御前の子飼いの暗殺者だ。

 私同様変装の特技を持ち、仕事の際は完璧に正体を隠してターゲットに近づく事ができて、終了後は存在の痕跡を残さず消えられる。

 違うのは、私が一から設定を練った架空の人物を演じるのに対し、彼は実在の人物を模倣して、完全になり代われるということだ。

 素がこれだけ目を惹く外見をしているにもかかわらず、人種年齢を問わず模倣できる…筈だが、今は背が伸びてしまったようだから、子供の役だけはもうできないだろうけど。

 確か最後に会った時期は、中東で内乱の起きた某国の将軍の暗殺を終えたばかりで、当時14歳だった彼が演じたのはターゲットの7歳の息子だった筈だ。

 また、荒事に対応できるようありとあらゆる武器の扱いを極めており、そのすべてに高い技量を持っている。

 それは、最初から技持ちで、暗殺者としての心得事のみを御前手づから教え込まれていた私と違い、日夜苛烈を極める修業に明け暮れた結果だ。

 

「どういうわけかこの顔と体で、男を誑かすのだけはお手の物のようだが。」

「ええ、さすがのあなたも、これは真似できないでしょうからね。

 お久しぶりです、紫蘭。相変わらずですね。

 お元気そうで、ある意味安心しました。」

 その目をまっすぐ見返して、唇に形だけの笑みを浮かべてそう返すと、形のいい眉がひそめられた。

 …いや、先に喧嘩売ってきたのお前じゃん。

 カタカナ名前の方が似合いそうなこの男の『紫蘭』という名は、孤戮闘を修了した後、本当の名前を忘れた為に付けられた…と、この島でのオリエンテーリング形式の修業で組まされた際に聞いた。

 というか別に聞いたつもりはないがコイツ不幸自慢する癖があり勝手に喋ってた。

 彼にしてみれば後から来たくせに御前の娘扱いの私を見て、女が楽をして御前に取り入っているように見えるのも仕方ない事だったのだろうが、男で私なんかより強いのははっきりしてるのに何かと私と張り合おうとし、顔合わせるたびに『女のくせに』だの『所詮女』だのと言われ続け果てはビッチ呼ばわりされた為、私はコイツが大嫌いだ。

 その認識は今も変わりはないらしい。

 …本人は悪くないのに私が何となく伊達のことを苦手に思うのも、多分同じ孤戮闘修了者として、イメージが重なるせいだろう。

 …いや、ひょっとしたら伊達で作ろうとしていたタイプの戦士を、改めて同じ過程で作り直したのが紫蘭だったのかもしれない。

 この男の卑屈で嫌な性格に、伊達の底意地の悪さが加わったらと思うとゾッとする。

 あと、私と紫蘭は年齢が近い為か、この島で修業した際、結構な頻度で組手もさせられたが、彼が何故か私の手を真似てくるのに腹が立って、これだけは真似できまいとその時たまたま見ていた例の狼使いの男に駆け寄って、首筋に抱きついてほっぺにちゅーしたら、

 

『ガッハハハ!これは確かに男には真似できん技じゃ。一本取られたのう、ボウズ?』

 とか言われててめっちゃワナワナしてて面白かった。けど、

 

『…この(ホン)礼明(リンメイ)、姫の身の安全も任されておりまする。

 その身に万一の事あらば、御前に申し訳が立ち申さぬゆえ、軽々しい真似はおやめくだされ。』

 と(ホン)師範に後で懇々と説教された。

 ちなみに本当に余計な情報だが、これが私のファーストキスである。獣臭かった。

 

「相変わらずふざけた女だ…!」

 眉間に皺を寄せて、紫蘭が低く呟く。

 

「ええ、お互い様です。

 その態度を見る限り、私が居なくなってからは、しっかりと御前の歓心が買えたようですね?

 せいぜいその立場、奪われないように精進してください。

 私はもう要りませんから。」

 認めるのも悔しいが実力は折り紙つきだ。

 私は14歳の頃の彼しか知らないが、あの頃で既に(ホン)師範の直属の弟子たちくらいなら、秒単位で余裕で倒せた。

 今はあの頃より体格も良くなっているし、あれより弱くなっている事はあり得ないだろう。

 

「黙れ!」

 その私の言い方が気に障ったらしく、紫蘭は右手を、どう見てもビンタする角度に振り上げた。

 拘束されて防御もできない私は、思わず身をすくめる。

 だがその手首が、振り上げた先で別の手に掴まれ、止められた。

 

「…捕虜に暴力を振るうな、紫蘭。

 今はまだ尋問の時間ではない。

 それより、逃げた男の行方が掴めた。

 俺は今から追うゆえ、貴様は藤堂様の傍に戻れ。」

 そこに居たのは、私を捕らえた鞭の男だった。

 清子さんがその後ろに立っているところを見ると、私たちが会話をしている間に呼んだらしい。

 紫蘭は私とその男を交互に見てから、掴まれていた手首を振りほどいた。

 

「……フン。」

 興味を無くしたように、紫蘭はその場を去る。

 鞭の男は私を一瞥した後、黙ってそれに続いて部屋を出た。

 

「スパルタカス様、ありがとうございます。

 来ていただいて助かりましたわ!

 ああ姫様、ご無事ですか!?

 無抵抗の姫様に手を上げようとするなんて、本当にあの紫蘭という男、最低だわ!!」

 清子さんが鞭の男の背中に頭を下げた後(スパルタカスと呼ばれた鞭の男は清子さんの声に、振り返らずに少し上げた手を軽く振った。侵入者である私やディーノの目にはとても恐ろしく見えたが、従業員達に対しては意外と気のいい男なのかもしれない)、憤慨しつつ私を抱きしめてきたが、私はそれどころではなかった。

 逃げた男って、男爵ディーノ?

 あのひと、まだ味方と合流してないの!?

 せめて、影慶たちとは合流していてほしいけど。

 …てゆーか紫蘭、なんか清子さんにメッチャ嫌われてるな。一体なにをしたんだ。

 多分、今の私の件だけじゃないぞ、この反応。

 

「あのくそガ…紫蘭様は、姫様が御不在の間、御前がお邸に連れてこられていたのですが、離れの姫様のお部屋にずかずか踏み込んで、ここが気に入ったと勝手にあちらで寝起きしていたんですのよ!

 ここは姫様のお部屋だからと私が必死に守ろうとして、御前に訴えましたけど全く聞き入れられず、その後すぐに私はここに異動させられたのです!

 あの男、私の邪魔が入らなくなった後に、こっそり姫様の肌襦袢や腰巻を広げてハァハァしてたに決まってますわ、ああ汚らわしい!!

 確かに顔は綺麗かもしれませんが、あんなゲス野郎、私は大嫌いです!!」

 どうどう、落ち着け。

 最初くそガキって言おうとしたよね。

 最終的にゲス野郎になりましたね。

 てゆーか、あの邸に戻ることはもうないとは思うけど、ちょっと私それ聞きたくなかった。

 うんでも紫蘭は私の下着にハァハァはしないと思うよ。

 蛇蝎の如く嫌われてたからね、私。

 とりあえずは……、

 

「……私もです。」

 一言だけ、清子さんの言葉に、そう返しておいた。

 てゆーか、モニターから目を離してたけど月光どうなった?

 なんか富樫や虎丸が叫んでる声が聞こえるけど。

 …って、それはいつものことか。

 

 ☆☆☆

 

「怒りを鎮めるがよい、パンジャブよ。

 むしろ喜ぶべきこと…!!

 久しぶりに、これをおまえに使わせる男に出会ったのだからな!」

 月光の反撃に一瞬ひるんだものの、自身が攻撃されたわけではないマハールは、余裕の笑みを崩さぬまま、象の耳の裏側から何かを取り出す。

 どうやらその辺りに道具袋か何かを下げているようだが、わたし達の側からはよく見えない。

 そうして取り出したものは三又に別れた槍の穂先のような金属製の突起で、マハールはそれを自身の目前まで持ち上げさせた象の鼻先に装着した。

 あれだけの大きさの金属の武器を、あの不安定な象の背に座りながら、よくぞ持ち上げたものと思う。

 一般の鍛えていない者がやれば確実に腰を痛める案件だろう。

 ……いや、別に心配はしていないのだが。

 

「無駄だ。

 たとえ武器をつけたところで同じこと……!!」

 そう言って構えを取る月光を、突進してくる象の背の上でマハールが笑う。

 その武器をつけた象の鼻が振るわれるも、先ほどのように月光は体術で躱し、鼻の攻撃の間合いの外まで、充分に距離をとった。

 ……その、筈だった。

 次の瞬間、予想をはるかに超える距離を飛んできたその武器が、月光の厚い胸板を切り裂いて、更にその衝撃に、月光の身体が弾き飛ばされた。

 

操象戮狟闘法(そうぞうりくかんとうほう)奥義・晨襣張(しんびちょう)!!」

 それは武器を投げたわけではなく、象の鼻がありえない長さまで伸びて、月光を攻撃してきたものだった。

 

「普通の象の鼻が、倍程度なら瞬間的に伸ばせることは知っていよう。

 だがこのパンジャブの場合、天性の素質と修練により十倍の長さまで伸ばせ、それをいつまでも維持できるのだ。」

 相変わらず象の上から自慢げに説明をするマハールを睨みながら、月光が棍を構えて立ち上がる。

 

「ぬううっ!!来るがよい、化物が!」

 だが月光のダメージは相当なもののようで、立て続けに襲いかかる鼻の攻撃を躱す体術に、先ほどまでのキレがない。

 更に伸縮自在のその鼻は、躱した先から更なる攻撃を細かく当ててきて、月光の肉体のダメージを蓄積させる。

 避け続けて闘場の端まで追い詰められた月光を、人馬ならぬ人象が更に追い込んだ。

 もう三歩下がれば、底の見えない高い崖。

 そこに落ちるか、鼻の武器に切り裂かれるか、それともその巨体に踏み潰されるか。

 三通りの結末しかないかと思われた刹那、月光が手の中の棍を握り直した。

 瞬間、その長さが倍以上に伸びて、それを使って棒高跳びのように、月光の身体が宙を舞う。

 月光の使う棍にはいくつか種類があり、この闘いに選んだのは、(ぼたん)操作で伸縮が可能な自在棍であったようだ。

 いつもながら、彼の勘の鋭さには舌を巻くしかない。

 闘いの前に、これが必要になると判断できる基準はどこにあるのだろう。

 そして象の巨体の遥か上を飛び越えた月光は、文字通り崖っぷちからの窮地を脱して、象の背後に着地した。

 

「この期に及んで、そんなものは悪あがきにすぎん!」

 そう、一旦はそれで窮地を脱したにせよ、状況自体はさほど変わらない。

 この象の鼻が十倍にも伸びるというのであれば、この闘場の範囲内では、どこに居てもその攻撃の届かない場所などないことになる。

 動ける範囲がせいぜい立体化した程度のことで、案の定再び上空に逃れた月光は、マハールの投擲したナイフに阻まれ、身を躱したところを、象の鼻の武器に脇腹を抉られて地に落ちる。

 

「このままじゃ完全に月光が殺られちまう!」

 自陣で富樫や虎丸が悲痛に叫ぶ声が響く中、桃の呟く声が、何故かそれよりもはっきりと聞こえた。

 

「違う…あの長くした自在棍には、なにか他の意味がある。

 月光には、なにか秘策があるのだ!!」

  そうであるように、わたしも思う。

 だがそれは、命を賭したものである気がしてならなかった。

 

「どうやらこれで勝負あったな。

 今の一撃、かなりの深手。

 もはや満足に動く事も出来まい。」

「この程度のことで、この月光を倒すことは出来ん……!

 観念するのは貴様と、その化物象だ……!!」

 答えは、すぐに出た。

 

「見るがよい…辵家(チャクけ)流奥義・暁闇(ぎょうあん)紅漿霧(こうしょうむ)!!」

 それは、準決勝P(ファラオ)S(スフィンクス)戦に於いて、わたしが石壺(クヌム)のネスコンスと闘った時に使った、鳥人拳鶴嘴(かくし)紅漿霧(こうしょうむ)と、基本的には同じ技。

 わたし達三面拳は全員、己が肉体の不随意筋から血流に至るまでを、己の意志で自在に操れる。

 それを用いて血流を操り、負った傷から噴き出させた血が、霧となって闘場を包んだ。

 先に結構な深手を負い出血している月光にとって、その身体への負担は生半(なまなか)ではないだろう。

 不発に終われば、完全な自爆技だ。

 そうして見る間に月光の身体は、真紅の霧に覆われて完全に見えなくなった。

 

「なにかと思えば…その霧状の血煙に身を隠し、攻撃を躱すつもりとはな!!

 そんな子供だましが通用すると思うのか──っ!!」

 マハールに指示を出されて、鼻先から武器を外した象が、そこからすさまじい勢いで息を吹き出す。

 それにより吹き飛ばされて血煙が晴れ、隠されていた月光の姿が露わになったが…何かおかしい。

 だが、わたしが感じた違和感は、マハールと象には感じられなかったのか、或いは取るに足らないことと切り捨てたのかは知らないが、勝利を確信した彼らは、ただそこに立ち尽くす月光の身体を踏み潰さんとばかりに突進した。

 

「死ねいーっ!!愚か者めが──っ!」

「逸ったな。愚か者は貴様達だ!!」

 瞬間、月光へと向かう象の足が、その手前4メートル程の位置で傾いだように見えた。

 その巨体が動かした空気が、周囲の血煙を完全に晴らし…

 

「な、なに──っ!!地面が──っ!」

 象の足が踏み込んだのは、闘場の端よりも外側。

 月光は長く伸ばした自在棍を、闘場の崖の壁に突き刺しており、その端に綱渡りのように乗って、ただ立っていた。

 だがそれも一瞬のこと。

 月光はそこから跳躍し、素早く棍を回収して闘場へと戻る。

 何もない空間に全体重をかけて踏み込んだ象の足が、自重と落下の勢いに抵抗できるはずもなかったが、落ちていく象はその間、必死に重力に抵抗した。

 

 …尚、背に乗っていた主人はどこからか(今更、どこからと問うのは愚の骨頂だ)取り出した鎖を投げ、恐らくはその先に取り付けられた突起を崖の壁に打ちつけており、それに捕まる事で落下を免れている。

 悲鳴のような咆哮を上げて、底すら見えない崖下へと落ちていく相棒を呆然と見下ろすマハールに、月光は棍の長さを戻しながら言った。

 

「さしもの化物象も、ダ○ボのように空を飛ぶことは出来なかったな……。」

 …念の為に言っておくが、大人の事情で表記上は一部伏せさせてもらっているものの、月光はそのキャラクターの名前を正確に発音はしている。

 

「ゆ、許さん…貴様よくも……!!

 こ、この無念はインド最高のラーマ・ヨガの秘術をもって晴らす!!」

 闘場へと戻ったマハールは、その目に怒りを滾らせて月光を睨みつけた。

 この男、象だけではなく、まだ引き出しがあるというのか。

 ……手の中の絆の証が、一瞬震えたような気がした。

 

 ☆☆☆

 

「奴らは何も知らないのです。

 マハールにとって操象戮狟闘法(そうぞうりくかんとうほう)など、ほんの座興にしか過ぎません。

 奴こそは世界の奇跡、肉体の極限ともいわれるインド、ラーマ・ヨガの頂点を極めた男。

 これから私達は、その奇跡を目の当たりにすることになります!!」

 

 闘場を見下ろす塔の内部。

 巨大モニターを真正面に見る、1人掛けの無骨な椅子に足を組んで座る若い男に、説明をする小太りの黒眼鏡の男は、やけに嬉しげに断言した。



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8・明日の分の涙を今日流してしまえばいい

実は密かに、事態が同時進行している模様。


 仕込んでいた蝶たちも完全に力尽きた為、脇腹の疼くような傷の痛みに耐えながら、男爵ディーノは歩き続けていた。

 方角と飛行してきた距離からすれば、仲間たちの場所にだいぶ近づいている筈だ。

 必ず彼女を守ると豪語しておきながら、実際には庇われたこの体たらく。

 それでも、彼女が助けてくれたこの命、無駄に散らすわけにはいかない。

 

 彼は気付いていなかった。

 映像中継の為のヘリに混じって、闘技場(コロシアム)から飛ばされた追跡用のヘリが、この冥凰島上空を飛んでいる事。

 その一基が、傷を負った身体を引きずって歩を進める彼の姿を、上空から捉えていた事。

 そして連絡を受けた恐るべき追跡者が、今まさに動き始めた事に。

 

 ☆☆☆

 

「哀れなるパンジャブよ……!!

 おまえの無念は、こやつの五体切り刻んで晴らしてくれよう。」

 ようやく闘場に二本の足で立ったラジャ・マハールは、何処からか取り出した短い棍…いや、どちらかといえば密教の法具にある独鈷杵のような形状の武器を一対、両の手に構えた。

 そのままの位置から助走もつけずに高く跳躍する。

 言うだけなら簡単だが、相当な身体能力がなければこれは容易くできることではない。

 マハールはそこから落下のスピードを利用して、その武器で襲いかかり、だがその刃先は月光の棍に阻まれる。

 

「それがインドに古来より伝わる、キプチャクという武器か。」

 独鈷杵ではなかったか。

 まあ法具にしては装飾の少ないシンプルな形状だとは思ったけど。

 けど、今は法具とされている独鈷杵を含めた金剛杵の類も、元々はインドの神々が戦う時に使用した武器とされているものだ。

 きっと源流は同じものだろう。

 それにしても、雷電は言うに及ばないが月光も割と物知りだ。

 というか三面拳は、脳筋揃いの男塾の中では多分ダントツで頭脳派なんだと思う。

 あ、桃は例外ね。あれは文武両道通り越した完璧超人だから。

 

「だが貴様の腕はまだ未熟。

 確かに凄まじい攻撃だが、防御が甘く隙だらけだ!!」

 月光の言葉通り、マハールは地に降りてから間髪を入れず、凄まじい勢いで連続攻撃を繰り出してきていた。

 だが月光はその悉くを、棍で受け流していたのだ。

 機械のように精密な月光の動きには一分の隙もなく、攻撃の瞬間ガラ空きになった腹部へ、気合いとともに突き込まれた一撃で、勝負がついたと思われた。が。

 

(はん)っ!!」

 瞬間、ありえないことが起こっていた。

 マハールの身体が、人体の骨格構造を完全に無視して、突き入れた月光の棍を避けるように曲がったのだ。

 見ていた誰もが己の目を疑ったのは当然のことだろう。

 というか……この光景に既視感を覚えるのは私の気のせいだろうか。

 

「フフッ…防御が甘いだと……!!

 ならば、俺はここから一歩も動かぬとしよう。

 さあ、もう一度試してみるがよい。」

 そのマハールの言葉が終わらぬうちに、月光は同じ箇所に棍を繰り出す。

 だがその攻撃は擦りもせずに、マハールの脇腹部分がぐにゃりと曲がって、棍の先端が空を切る。

 更に上腕、大腿へと、先ほどのマハール以上に間髪入れず突き入れる棍を、その部分だけが別の生き物であるかのように動いて、避けていく。

 最後に顔面を貫くべく放った突きすらも、まるでふざけた粘土細工のように頭部そのものがぐにゃりと曲がって、傷一つつかずに立ったままのマハールを、月光は呆然と見つめることになった。

 

「これでわかったか。

 三千年の歴史を持つ我がラーマ・ヨガの真髄は、筋肉だけではなく骨までもを、己の意のままにすることにあるのだ!!

 完璧な防御と攻撃!

 この俺に死角などない!!」

 そう説明するマハールの筋肉が、その下に別な生き物でも隠しているかのように、モコモコと蠢く。

 …思い出した。

 確かP(ファラオ)S(スフィンクス)戦で、飛燕と戦った2人目の闘士が、身体を酢に漬けて修業をしたとかで、これに似た防御で飛燕を苦しめていた筈だ。

 どうやら、理屈は全く違うようだけど。

 

 ラーマ・ヨガ…

 一般にインドに伝わるヨガの神秘性は広く知られるところであるが、その中でも別名『黒ヨガ』と呼ばれ、その奇跡に近い数々の秘奥義で恐れられるのが、このラーマ・ヨガである。

 その特異性は骨の骨細胞組成さえも変え、自由自在に変形させることを可能にすることにある。

 そして黒ヨガと別称されるように、驚異の殺人格闘技として発達した。

 ひとりで千人の兵にも匹敵する戦闘力の凄まじさ故に、時の藩王(マハラジャ)達に弾圧され、継承者は絶えたと伝えられている。

民明書房刊『インド人も吃驚(びっくり)!ヨガの奇跡』より

 

 あまりのことに硬直してしまっていたのだろう、例のマハールの持つキプチャクとかいう武器が、容易く月光の上腕の皮膚を裂き、月光の身体が傾いだ。

 先ほどの失血によるダメージがやはりまだ残っているのだろう。

 これ以上のダメージは命にかかわる。

 本人もそう判断したものか、月光は一旦間合いを外して距離を取ると、棍を足元に突き立てた。

 それから、先ほどのように長さを伸ばし、宙へと逃れてから、見事なバランス感覚で、その細い棒の先端に乗る。

 

「たまらず宙へ逃げたか。

 なるほど、そこなら俺の攻撃は届きはしない。」

 マハールのキプチャクは近距離用の武器だ。

 投擲するなら話は別だが、それだって真上にいる相手に向かって投げるのは、重力がかかる分確実性に欠ける。

 しかし、唯一の武器を足場に使ってしまっている月光にしても、攻撃できない点では同じだろう。

 それにたとえこの状況で武器による攻撃が届かなくても、地上にいるマハールには、もっと確実な方法が取れる。

 その事に気付かぬ筈もなく、マハールはゆったりとした足取りで、地に突き立てられた棍に近づくと、脅すようにそれを揺らした。

 

「この棍を、俺が倒したらどうするつもりだ?」

「かかったな、マハール。

 己の足元をよく見てみるがいい。」

 思いもかけずかけられた月光の言葉に、マハールは反射的に下を向く。

 

「なっ!?こ、これは!!あ、足がとれぬ──っ!

 貴様、地面にトリモチを仕掛けておくとは!!」

 どうやら棍を突き立てたと同時に、そのような細工をしておいたらしい。

 マハールは地面に足を縫い付けられた形になり、慌てて足を剥がそうとするが、その強力な粘着力が、彼をその場から動けなくしている。

 けど…。

 

「宙にいる俺を地上に降ろそうとすれば、棍に近づくのは当然のこと。

 己の力に慢心し、油断したな。

 悪く思うな、これが勝負というもの!!」

 月光は棍の上で例の(ぼたん)を操作し、一瞬にして長さを戻すと、落下速度をつけて、マハールの身体に棍を突き立てた。

 

「うあおおっ!!」

 棍はマハールの後頭下部から背中に向かって突き刺さっており、そこから大量の血飛沫が上がる。

 その褐色の身体が痙攣しながら地に倒れるのを確認して、月光は掌と拳を合わせる礼をとった。

 

「眠れい、心安く……!!」

 自身を苦しめた強敵に最高の敬意を表してから、月光はその亡骸に背を向けた。

 

 ・・・

 

「…あのひと、裸足でしたよね…?

 素足で踏んだトリモチに、指摘されるまで気付かないとか、あるんでしょうか?」

「演出ではありませんか?

 マハール様の試合には、ああいった小道具が使われることも多いのです。

 今もそうですけど、派手に出血したように見せるための血袋とか。

 私はあまり好きではないのですが、観客の皆様は、それで興奮されるようですし。」

「………えっ!?」

 

 ☆☆☆

 

 …パキリ。

 今度こそ間違いなく、手の中で震えた感触に、わたしは戦慄した。

 彼の無事な姿が見えているのに。

 今、戦いに勝って、こちらへ向かってきているというのに。

 それなのに…この胸騒ぎは、どういうことだ?

 

「…どうした飛燕、浮かねえ顔して!!」

「えらく心配してたが、ああして月光は大勝利!!

 万が一の形見のペンダントも返すことが出来るじゃねえか!」

 わたしの動揺に気付いた富樫と虎丸がそう声をかけてくるが…自分でも気付きたくなかったその手の中の感触に、彼らの目前にその指を開く。

 …先ほど月光から預かったそれが、掌の上で砕けている事に、それを目にした仲間たちが驚愕する。

 当然だ。ただ手に握っていただけで、普通はこのような事にはならない。

 不吉な予感に全員が息を呑んだ瞬間、あり得ないその声が闘場に響く。

 

 “この一瞬を待っていた。

 今まで一寸の隙さえも見せなかった完璧な貴様に、やっと隙が出来たな。”

「な!!」

「返すぜ、貴様の棍だ!!」

 見れば死んだ筈のマハールが闘場に、土下座のような形で跪いている。そして。

 

「ラーマ・ヨガ奥義・張発(ちょうはつ)筋彪射(きんぴょうしゃ)!」

 その褐色の背中に撃ち込まれていた棍は、そこから凄まじい勢いで飛び出して…持ち主である月光の胸板を、真っ直ぐに突き貫いた。

 

「ぬはっ!!」

「げっ、月光───っ!!」

 確実に勝ったと思ったところからの逆転劇に、全員が色を失った。

 

「フフッ。

 かかったのは貴様の方だったというわけよ。

 トリモチを踏んだのもすべては計算のうち。

 言ったはずだ。ラーマ・ヨガの秘法を極めたこの肉体は、全てを意のままに出来るとな。

 貴様の棍を背に受けた時、俺は咄嗟に棍の形状に合わせて筋肉を変化させ、棍が突き刺さったと思わせたわけだ!!」

「ぬ、ぬかったわ…その血も、血袋か……!!」

 自身の武器が貫いた傷はもはや致命傷。

 先ほどの紅漿霧(こうしょうむ)による失血もあり、月光にはこれ以上立ち続ける力はなかった。

 無念の表情でその場に膝をつき、わたしたちの方に顔を向ける。

 否……わたしに、だ。

 

「げ、月光死すとも男塾は死せず………!

 あとは、た、頼んだ………!!」

 言って仰向けに倒れていく月光を、わたしは直視できなかった。

 

 …当然といえば当然ではあろうが、この時、わたしは冷静さを欠いていた。

 前日彼女と話をして、雷電が生きていることを知らされていた筈なのに、その事実がすっかり頭から抜け落ちていた。

 そもそも彼女の存在すら、頭の片隅に無かった。

 だが、それが却って良かったと思う。

 下手に思い出して希望を抱き、後になって、彼女がここにいない事を知って再度、月光の死を悲しむ事にならずに済んだのだから。

 だが、この時のわたしに、そこまで考えが至るわけもなく。

「次の闘いの邪魔になる」と、月光の亡骸を引きずり、崖下に投げ落としたマハールに対する、怒りと哀しみの感情が、闘志として体の奥から湧き上がってくるのを、抑えることが出来なかった。

 

 桃はわたしのその状態に真っ先に気付いたのだろう。

 やはり怒りに任せて虎丸が飛び出して行こうとするのを制し、次に闘う者は決まっていると、わたしの前に道を開いてくれた。

 彼自身、月光が倒れた時には歯嚙みをして、その身を怒りに震わせていたにもかかわらず、だ。

 

「ありがとう、桃……!!」

 だから。

 わたしは、その想いに応えるべく、躊躇うことなく足を前に踏み出した。

 男塾三面拳最後のひとりとして、その名に恥じぬ闘いを。

 ひとつ砕けた絆の証を、服の内側にしまい込んで、仲間たちの視線を背に受けて。

 

 わたしは、闘場へと続く縄ばしごに、足をかけた。

 

 ・・・

 

「貴様か、次の獲物は。

 とんだ優男が出てきたものだ。」

 登場の真ん中に無造作に立ち、腕を組んで待ち構えていたマハールは、呆れたような響きでそう言ってため息をつく。

 悪いが、この手の嘲笑は聴き慣れている。

 そして、見かけで判断して侮った者には、それ相応の結末を迎えて貰うと決めている。

 むしろこの外見すらも、わたしにとっては武器のひとつですらある。

 

「来るがいい、マハール。

 月光の仇は、わたしが取らせてもらう!!」

 ふつふつと湧き上がる闘志が呼吸を乱れさせるのを必死に抑えながら、わたしは間合いに入り構えをとった。




原作と違い飛燕さんはこの時、体調は申し分ないわけですが、何故か原作よりも精神的な動揺が表に出ています。


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9・やさしさが生きる答えならいいのにね

かつてこの辺の飛燕と月光で、腐った妄想をしたことを今思い出しました。
「この戦いが終わったら結婚しよう」
みたいなノリでペンダント渡されて死亡フラグになる流れのアレ。
今思えば腐った悲恋ってどこに需要があるんだ…。
ちなみに勿論後日生き返って、その時には飛燕は富樫とくっついてて、ここから昼ドラ展開突入ですが何か。


 ……私には私の事情があったとはいえ、やはり一足飛びに大将首など狙いにいくのではなかった。

 これまで通りあの崖下で影慶やディーノと待機していれば、月光を助けられたかもしれないのに。

 闘場の上で既に事切れていたとすれば、私にもどうにもならないけど。

 少なくともこんな場所で動けずに歯嚙みするしかない状況よりはずっとマシだった。

 御前を()るどころか、こんな状態で捕らえられて、仲間の一人も助けられず。

 

「大丈夫ですわ、姫様。

 あの崖下には落下に備えて、救助の人員と医療班を待機させているそうですもの。」

 清子さんはそう言って、呆然とする私の背中をぽんぽんと叩いてくれた。

 けど、それは恐らく従業員向けの方便だ。

 

「次の闘士の方が出ていらっしゃいましたわね。

 まあ…この方も、姫様の御学友ですの?

 ……お綺麗な方ですわねえ。

 それに目が澄んでいて、爽やかそうですわ。

 ええ、やっぱり性根は目に出ますわよね。

 無抵抗の女性に手を上げようとするようなどこぞのくそガキのように心が腐っていては、いくら顔が綺麗でも、まったく魅力的に見えませんものねぇ。」

 その声にモニター画面に目をやると、そこに映っていたのは飛燕だった。

 …清子さんが吐いた毒が誰に対してのものかはさておき、そうか、三面拳の一人として、月光の敗北は彼が雪ぐということか。

 昨日話をした時には、月光に対しての不満を口にしていたが、あれも恐らくは心を許した相手だから出てくる、ある種の甘えなのだろうと思う。

 月光も雷電も、多分彼にとっては兄のようなものだろうし。

 伊達に対してはなんとなく弟っぽい目で見てる気がするけど。

 兄……胸の奥がつくんと痛む。

 私は、実の兄の記憶は未だに断片的だ。

 大事に思っていたという()()はあるが、申し訳ない事にそれだけだ。

 恐らく身内としての情というのであれば、私にとっては豪毅に対しての方が深いだろう。

 それすら手離さなければならない自分は、一体どこに立つべきなのか。

 彼らの確かな心の絆と、それ故に怒れるモニター越しの飛燕が、今の私には酷く眩しく見えた。

 

 ☆☆☆

 

「…隠しているつもりだろうが、呼吸に微妙な乱れがある。

 激した感情を抑えきれていないようだな。」

 やけに下卑た笑みを唇に張り付けて、マハールは例の、キプチャクという武器を構える。

 

「月光とかいう男、ひょっとして貴様の情人(いろ)だったか?

 そいつは悪いことをした。

 お詫びに貴様も、すぐに後を追わせてやる。」

 …その妙な笑みはそういう意味だったか。

 その手の事も全く言われたことがないわけではないが、不快である事は間違いない。

 ギリッと音が鳴るくらい奥歯を噛みしめ、先にマハールが仕掛けてきた攻撃を、間合いを外して躱す。

 ……躱したつもりだった。

 鞭のような動きで伸びてきた腕が、あり得ない角度と長さに伸びて、その手に握られた武器が肩を掠る。

 

「くっ!!」

「フフッ、先ほどの俺と月光との闘いを見ていなかったのか?

 俺の身体は骨や筋肉、全てを意のままにできる。

 この程度の事など造作もない!!」

 …そうだった。

 これはP(ファラオ)S(スフィンクス)戦でわたしが一時の戦線離脱を余儀なくされた、ネスコンス戦での戦法に似ている。

 通常の間合いを基準に考えていてはいけない。

 そしてパワーやスピードに至ってはネスコンスの倍以上だ。

 これを余裕で捌いていた月光の技量に感嘆を禁じ得ない。

 

「死ねい──っ!!」

 縦横無尽に繰り出される攻撃を、一旦跳躍で躱す。

 避けたキプチャクの先端を爪先で蹴って、更に宙空へ。

 

「ぬっ!!」

「鳥人拳奥義・鶴嘴千本!!」

 奴の視界から逃れたその一瞬の隙を逃さず放った千本は、的確に胸部にある神経節のいくつかを貫いた。

 宙へ逃れたわたしを視線で追おうとして頭を上げ、それ故に動きが止まったタイミングだ。

 外すわけもない。

 …だというのに、地に降り立ったわたしを視界に捉えたマハールは、唇に不敵な笑みを浮かべる。

 

「…まだわかっておらんらしいな。

 肉体の奇跡ともいわれる、このラーマ・ヨガの恐ろしさが……!!」

 次の瞬間、動く事など不可能な筈の両手の指を軽く組み、頭上に上げた体勢から、奴の身体に突き立った千本が、すべてわたしに向かって飛んできた。

 わたし自身が投げたものよりスピードは劣るものの、すべてを避ける事は叶わず、うち一本が肩に突き刺さる。

 

「フッ、鶴嘴千本とかいったな。

 確かに貴様の投げたその長い針は、寸分の狂いなく俺の致死点をめがけて飛んできた。

 だが俺はそれを、微妙な筋肉の動きだけで、ことごとく躱したのだ。

 一滴の血も出ることのない無痛点で受けてな!!」

 …今更ながら、恐ろしい敵だ。

 わたし達三面拳も、不随意筋や血流などを自在に操る(雷電に至っては髭すら動かせる)事ができるが、これほどに人体構造の範囲を逸脱した動きは不可能だ。

 そして自分たちに可能な事だけでも、そこに至るまで並大抵の修業でなかった事を思えば、奴のその凄まじさは想像を絶するものだろう。

 

「もはやこれ以上貴様ごときにかかわっている暇はない。

 見せてやろう、ラーマ・ヨガの更なる秘力を……!!

 地獄への土産話にでもするがよい!!」

 マハールは何故か巻いていたターバンを解き、やや前傾姿勢を取る。

 その身体に僅かに氣が動いた瞬間、本能的に身体が動いていた。

 

「ラーマ・ヨガ極奥義・如意(にょい)驍髪襲(きょうはつしゅう)!!」

 次の瞬間、信じられない事が起きていた。

 ターバンの下から現れたマハールの、短く刈りそろえられた髪が、奴の気合とともに長く伸びて、それが無数の針となって、わたしの身体に襲いかかったのだ。

 咄嗟に身を引いて致命傷は避けたものの、躱しきることは出来ずに、一瞬にして貫かれた無数の傷から血が飛沫(しぶ)く。

 

「ひ、飛燕──っ!!」

 勢いで背中から闘場に倒れこむわたしの耳に、悲鳴のような仲間達の声が響いた。

 

 ☆☆☆

 

「意外!それは髪の毛ッ!」

「姫様!?」

「あ、いや天の声が言えって…」

「は?」

「……何でもありません。」

 …それはさておき、とんでもない奴がいたものである。

 髪の毛に氣を注いで硬質化するのは邪鬼様もやったことだけど、あれはあくまで飛び道具としてだし、これ多分氣の操作は最初だけで、後は肉体そのものの能力ではないかと思う。

 尻尾を持たない私達人間はその振り方を知らないし、長い鼻もないから象のように鼻でものを持つこともできない。

 彼にとってのそれは、私達からみた尻尾や象の鼻などと同じように、あるから使えるという能力なのだろう。

 それを引き出す為に、とてつもない修業を積んだ事は間違いないだろうが。

 例えば桃と戦ったP(ファラオ)S(スフィンクス)の大将は、耳朶の筋肉で武器を振るっていた。

 なんとなくだが、ああいったことじゃないかと。

 

「ラーマ・ヨガの真髄は己の肉体全てを意のままにし、武器と化すことにある!!

 俺は髪の長さを自由にすることだけでなく、鋼のように硬質化する事も出来るのだ!!」

 そう言うマハールの、身長以上の長さまで伸びたその髪の毛は、重力に逆らって50センチくらいまで立ち上がって、その先はウネウネと蠢いており、なんとなくイソギンチャク的な海の生き物を彷彿とさせる。

 髪の毛一本一本の穿つ傷はさほどの大きさではないだろうが、さすがにそれが身体中となれば、かなりのダメージであるようで、飛燕は倒れた闘場の地面から、身を起こすのにも呼吸を乱している。

 

「…たいした奴よ。

 生まれもった天賦の勘ともいうべきか。

 今の一瞬の攻撃を、僅かに身を引いて即死を免れるとはな!!」

 だがそれもマハールには意外であったようで、立ち上がろうとしている飛燕に、少し驚いているようだ。

 次はこうはいかん、とうねるマハールの髪が、再び飛燕へと向かう。

 立ち上がる事に意識を持っていかれていた飛燕は、その攻撃に対処するのが遅れた。

 咄嗟に喉や胸などの急所を庇った腕に、マハールの髪の先が巻きつく。

 それはまるで、いつだったか田沢が貸してくれた少女漫画の、悪役が主人公の両手首を掴んで無理矢理壁に押し付ける時のような動き(ちなみにここでヒーローが颯爽と現れて主人公を助ける)で飛燕の腕を封じ、庇っていた身体の前部分を完全に無防備な状態にした。

 飛燕のガードの外れた胸元に向けて、マハールの手からキプチャクが投げ打たれる。

 

「ぐはっ!!」

 その先端部分は狙い(あやま)たず飛燕の心臓を捉えており、飛燕の華奢に見える身体が再び地に落ちた。

 心臓を貫かれ即死…誰もがその瞬間、そう思っただろう。

 一番近くにいる、それを行なった者自体、そう思っていたのだから。

 

「全く他愛のない…もっと歯ごたえのある奴はおらんのか!!」

 だから、彼が倒れた飛燕に背を向け、男塾側の陣を指差しながらそう言った事は、全くの迂闊であったとは言い切れない。

 だが次の瞬間に、死んだと思った相手から自身の武器を投げ返されるという、先ほど月光に対して自身が行なったのと同じ事態が自分にも起き得る事を想定しなかったのは、やはりマハールの油断であったろう。

 

「ぐっ!!」

 背後から自身の肩に突き刺さったキプチャクを呆然とした目で見つめ、それからゆっくりと、本来ならそれが心臓に突き刺さっている筈の相手の方に視線を移動させる。

 

「何をそう急いている……!!」

 勝負はまだついていないと言わんばかりに、身を震わせつつも立ち上がる飛燕の目から、闘志は一片すら失せておらず。

 

「ば、馬鹿な、貴様……!!」

 確実に殺したと思っていた敵が、自分に傷を負わせた事がまだ信じられないのか、思いのほか肩に深く突き刺さったキプチャクを引き抜こうとするマハールの手がおぼつかない。

 

「こ、これがわたしを救ってくれた。」

 恐らくはそのキプチャクが裂いたのであろう、拳法着の胸元の破れ目から、飛燕が何かを引き出す。

 そこから細い鎖と、砕けた石のようなものが、ガシャリと音を立てて地に落ちた。

 それは先ほど、月光が自陣から闘場へ出て行く際に、飛燕に預けていたものか。

 

「…雷電が、月光が見ている。

 三面拳の名にかけて、わたしは負けるわけにはいかんのだ!!」

 甘い外見に似合わぬ鋭い眼光でマハールを()め付けながら、飛燕は改めて闘う構えをとった。

 

 ☆☆☆

 

「…飛燕とかいったな。

 ラーマ・ヨガの秘行を極めて以来、この俺に血を流させたのは貴様が初めてだ。」

 肩に刺さったキプチャクをようやく抜いたマハールはそれを投げ捨てると、両掌を合わせて奇妙な構えを取る。

 傷を負わせたことによる怒りも伴ってか、凄まじい殺気が、奴の身の内で膨れ上がるのがわかった。

 今度は髪の毛による攻撃は使わぬ気なのか。

 だがキプチャクを投げ捨てた今、他に何か武器でもあるというのか。

 …答えはすぐに出た。

 

「貴様にこれが受けられるか!!

 ラーマ・ヨガ超奥義・藭嵐(きゅうらん)伸爪貫(しんそうかん)!!」

 マハールはその場から一歩も動かずにわたしに向けて手を伸ばすと、その指先から放たれた鋭いものが、先ほどの髪の毛よりも強く、深くわたしの身を貫いた。

 それは……爪。

 髪を伸ばし硬質化できるのと同様、指の爪までも同じように使えるらしいと、理解した時にはもう遅かった。

 更に、深く刺し貫かれた傷を抉るように、その指が動く。

 それはどうやら刺したものを抜き出す動きであったようで、それが身体から離れた時、支えを失ったわたしの体は、再び背中から地に落ちた。

 身体中から力が抜ける。

 死の危険に瀕した事は数えきれぬほどあるが、自分が死んでいく感覚を、これほど明確に覚えたのは今が初めてだ。

 

「これで、全ては終わった……!!

 もはやとどめを刺す必要もあるまい。

 あの世で、月光との再会を喜ぶが良い。」

 月光……すまぬ。

 逸ってこの場に立っておきながら、仇をとるどころか、三面拳の名を守ることもできない。

 首の力が抜けて横向きになった視界に、引きずったような血の跡が映る。

 それはこの場所から、闘場の端へと続いている。

 奇しくも今自分が横たわるその場所は、月光が最後に立ち、そして倒れ伏したのと同じ場所だったらしい。

 何という有難くない偶然か…そう思いながら閉じかけた目に、それとは違う微かな血の跡が、一瞬文字のように見えて、反射的に目を凝らした。

 

「こ、これは……!!」

 ように見えた、ではなく明らかにそれは文字だった。

 

 “無明透殺”

 そう書かれた血文字は明らかに月光の筆跡。

 自身の棍に貫かれ倒れたあの時に、次に闘うのがわたしだと予測して、これを咄嗟に書き残したというのか。

 ……そうか、無明透殺…!!

 まだ死ねない。まだ終われない。

 わたしにはまだ、やれる事が残っている……!!

 

『それでも生死を共にすると誓い合った俺の相棒か!

 俺は、そんな情けねえ相棒をもった覚えはねえぞ──っ!!』

 不意に大威震八連制覇の時の、富樫の言葉が脳裏に蘇った。

 ああ、そうだった。

 どうやら限界の手前で諦めそうになるのがわたしの悪い癖らしい。

 服の内側にしまってある()()を引き出して、先に自身の身体の数箇所を同時に突く。

 痛みは残るが、出血は幾らか治まったようだ。

 それらは単体で使用する分には疲労回復や炎症を抑える程度の効果しかないが、同時に刺激する事で細胞の活性化を促し、治癒速度を高めるツボ…この大武會が始まる前に、光から教わった方法だ。

 そして()()は、この後の切り札にもなり得る筈だ。

 

「…しぶとい奴よ。まだ生きておるのか……!!」

 わたしが動いたのがわかったのか、先ほど投げ捨てたキプチャクを、マハールは拾って握りしめた。

 やはりとどめを、と近づいてくるその前に、少しふらつきながらも再び立ち上がる。

 負けるわけには…いかない。

 男塾三面拳の名は、わたしが護らねばならぬのだ……!!

 

「信じられぬ。

 その華奢な体の、一体どこにそのような闘志が……!!」

「月光が教えてくれた。

 おまえを倒すにはこれしかないとな……!!」

 呆れたように呟くマハールを前に、わたしは最後の賭けに出た。

 

「鳥人拳極奥義・鶴嘴(かくし)千本(せんぼん)無明(むみょう)透殺(とうさつ)!!」

 

 ☆☆☆

 

「見えるか……この手に握られた、髪よりも細い千本が……!!」

 そう言ってマハールに向けて突き出した飛燕の拳には、何も握られていないように見える。

 けど、飛燕が治療用に細い鶴嘴を持っている事は知っているので、きっとそれなんだろうなと解釈できる。

 けど、あれは投擲には向かない筈だ。

 普段攻撃用に使っているものは、ある程度の飛距離と威力を持たせる為に必要な、最低限の重さがあの太さなわけだから。

 少なくとも今の2人の間合いで、あれを正確に必要な箇所まで飛ばせるとは思えないのだが、もしかすると違うものなのだろうか。

 それとも、飛燕の技量をもってすれば、それも可能なのだろうか。

 んー、でも以前聞いた時にはそうは言ってなかったし……んー?

 

「フッ、何をたわけたことを…死の恐怖のあまり気でも触れたか!」

「ないと思うのは貴方の勝手だ!!」

 マハールの嘲りに、飛燕は大きく腕を振るう。

 それはまさしく、鶴嘴を投げ放つ時の動き。

 

「こうして避ければ満足するのか?」

 遊びに付き合ってやる、くらいの余裕でマハールは、恐らくは飛燕がそれを投げたであろう方向から僅かに身をそらし……その背後で、なにかが落下する音が、確かにした。

 まさか本当に何かが飛んできたと思わなかったマハールが、驚愕の表情で振り返る。

 

「髪より細くても威力は同じ。

 致死点を貫けば、貴方は死ぬことになる。」

 その言葉すら終わらぬうちに、飛燕はそれの第二撃を放つ。

 その軌道に大まかな見当をつけて避けたマハールの背後に、またも落下音が小さく鳴った。

 

「恐れおののくがいい!!眼に見えぬ恐怖にな!」

 第三撃。終始余裕の表情を浮かべていたマハールが、徐々に顔色を変える。

 

「ば、馬鹿な……信じられん!

 激流にある一本の針でさえ見極めることの出来るこの俺の眼に、奴の千本が見えぬとは……!!」

 第四撃。今度は飛燕がその場を動くことなく、飛び跳ねるように見えない鶴嘴を避けるマハールのはるか後ろで、闘場の地面の岩に当たった何かが跳ねる。

 

「す、すげえぞ飛燕!!」

「超人的な防御力を持っていても、見えねえもんは躱しようがねえ!!」

 自陣では虎丸と富樫が、突然訪れた飛燕の優位に盛り上がる、が。

 

「…いや、だめだ。

 奴は飛燕の腕の角度と間合いから千本の軌道を見切り、躱している。」

 そこに非常に冷静な桃の声が、2人の浮き立った状態に水を差した。

 …というか、やはりおかしい。

 あの飛距離、どう考えても以前見せてもらった、治療用の細い鶴嘴で出せるはずがない。

 やはり、細い鶴嘴という共通点だけで、この技に使うのはあれとは違うものなのだろう。

 そんな事を考えている間にも2人の攻防は続いていたが、第五撃を躱した直後、続けて投げ撃たれた鶴嘴を、マハールは今度は避けなかった。

 それでも背後に落下音は鳴り、マハールは含み笑いを漏らす。

 

「…なるほどな。とんだ子供だましを……!!

 やはり見えぬ千本などありはしなかったのだ!!」

 言いながら、マハールは飛燕を指差す。

 …正確には飛燕の足元を、だ。

 それに伴いクローズアップされたモニター画面では、飛燕の靴の踵が、何か小さな板のようなものを踏んでいるのがわかった。

 

「貴様はただ、投げたふりをしていただけ!

 足で小石を飛ばし、落下音まで出す念の入れようでな!!」

 なるほど。実際に投げないのならば、飛距離が確保できないとかは関係なかったわけか。

 しかしだとしたら、そんな事をする理由がある筈なのだが。

 飛燕は、ただ脅す為だけに、こんな意味のない行動はとらない。

 だが私たち仲間と違い、飛燕の性格を知らないマハールは、そこまでに考えは至らなかった。

 

「もっとも貴様の手元ばかりに気を取られ、それに気づかなかった俺も迂闊だったがな。

 …さあ、覚悟するがいい!!

 ネタがわかった以上、見えぬ千本を躱す必要もない!!」

 キプチャクを振りかざし、もはやバカ笑いしながら真っ直ぐ突進してくるマハールは、その瞬間勝利を確信していた。

 だから、先ほどと同じように大きく振られた飛燕の腕の動きを、悪あがきだと判断して気に留める事をしなかった。

 ……次の瞬間、マハールの褐色の額から、真っ赤な血が飛沫(しぶ)いた。

 それは、そこに突き立った細く長い針を染めて、その存在を明らかにする。

 

「うおおっ!!こ、これは!」

「それが鶴嘴千本無明透殺……!!

 寸分狂わず、貴方の脳の致死点を貫いた。

 …貴方ほどの男、たとえその、目には見えぬ千本を正面きって投げたところで、躱してしまうだろう。

 だから、そんなものは存在せぬと思わせたのだ……!!

 そして、貴方は無防備に突進してきた……!」

 小石を飛ばした小細工もその演出。

 そして飛距離の出ない治療用の鶴嘴も、あれほど近くまで敵が接近していれば、投げ打つ事も容易だろう。

 相対していた儚げな青年が恐ろしい敵であったと、その場に倒れたマハールはようやくに気づいたようだ。

 自陣では相変わらず、信じられない大逆転劇にいつもの子達が盛り上がる中、闘場の上で勝者と敗者は、何故かお互いに見つめ合っていた。

 

「気が晴れたか……お前の仲間、月光の仇が討てて……。」

「…いや。貴方も最愛の象パンジャブを失った。

 わたし達に憎しみはありません。

 いい勝負でした…ただ、それだけです……!」

 飛燕のその言葉を聞き、死を間際にしたマハールの顔に、先ほどまでとは違う、邪気のない笑みが浮かぶ。

 

「おまえは…いい奴だな……!!」

 そう言って闘場に横たわったマハールは、恐らくはそのままこと切れたのであろう。

 彼に背を向けて自陣に戻る飛燕の表情は、少しだけ悲しげな、それでいて凛とした、決意を新たにした表情を浮かべていた。

 

 冥凰島の陽が、沈もうとしていた。




まあ、月光と飛燕2人分とはいえ、マハール戦にこんなに話数を使った事がなんだか悔しい。
さあ、次回は遂にお待ちかね、皆さん大好きなゴバルスキー戦だよ!(え


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10・野性と理性のボーダーラインで

光は基本、動物が好きではないのですが、嫌いなわけでもありません。
むしろ人間以外の大体の動物に対し、最初に『肉』ととらえてしまう自分がちょっとイヤだと思ってます。


「この闇夜で敵の動きをとらえられるのは、ボクサーの豹の目だけだ!!」

 先の戦いからまた少し時間が経過し、すっかり真っ暗になってしまった闘場に歩を進めたのはJだった。

 …この訓練施設は最新鋭の設備が整っているにもかかわらず、闘場への照明は設置されていないらしい。

 一応モニターに映し出される映像は暗視カメラで撮らえられているようで、見ているぶんにはなんの問題もないが、実際に戦っている闘士は、現時点では完全に闇中での戦いになる。

 

「……この方、昔、私の兄がファンだったボクサーにちょっと似てますわ。

 名前は…なんていったか忘れましたけど。」

「…ひょっとして、『キング・バトラー』ですか?」

「それです!よく御存知ですのね。

 兄がファンだった全盛期の頃は、姫様はまだよちよち歩きの頃でしょうに。」

「…彼、その方の息子さんなんです。

 アメリカ海軍兵学校の学生で、今は男塾に、留学という形で滞在しています。」

「そうでしたの!

 …というかキング・バトラーさん、亡くなられていたんですのね。」

「ホテルの火災に巻き込まれたらしいですよ。

 息子を脱出させるのに逃げ遅れたのだとか」

「まあ…そんな事が。

 けど、アメリカの兵学校という事は、学生でも既に軍籍にあるという事ですよね?

 どうしてお父様と同じプロボクサーを目指さなかったのかしら?

 ここに闘士として名を連ねるお一人という事は、この方もお強いのでしょう?」

「相性はあると思いますが、今現役のヘビー級ボクサーの中で、彼ほどのフットワークとハードパンチの持ち主は、世界を探しても3人といないと思いますよ。

 個人的には最強のボクサーだと思っていますが。

 私も本人から聞いたわけではないのですが、恐らくは10代のうちに身内を亡くして、生活と将来の為の、一番堅実な選択だったのではないでしょうか。

 海軍兵学校(アナポリス)は入学金・授業料免除の上、軍人として給与も支給されるはずですから。

 所謂アメリカ人男性のイメージにあるチャラついたところは欠片もない、とても真面目な男なんです、Jは。」

「まあ…それは素晴らしいわ!

 ルックスもいいことですし、『悲劇のチャンプの忘れ形見』とでも言って売り出せば、この方、絶対に人気闘士になれましてよ!!

 これは是非とも、御前に上申してスカウトを…!」

「…うちの塾生引き抜くのやめてもらっていいですか。」

「あら、残念。

 …実は闘士の情報を提供してスカウトに成功した場合、情報提供者に若干の手当が支給されますの。

 それ、ちょっと狙ってたんですけど。」

「…そもそも留学期間終了したら、このひと海軍兵学校(アナポリス)に返さなきゃいけないので。」

 清子さんとそんな会話を交わした後、視線を戻した画面の中で、Jが立った闘場を、ようやく雲が晴れて現れた月明かりが照らした。

 そこにいつのまにか立っていたのは、動物の耳のような頭飾りを付けた髭面の大男と、それを取り囲む凶暴そうな獣の群れ。

 

「あ……!」

 見覚えのあるその顔に、思わず声をあげる。

 

「わしの名は冥凰島十六士・シベリアのゴバルスキー!!

 貴様はこの、血に飢えた悪魔どものエサとなるのだ!!」

 それは、私がこの島に滞在していた間、ミッシェルと同じくらい私を可愛がってくれていた狼使い。

 そして彼を守るように取り囲む獣の群れは、彼が統率するシベリア狼たちだった。

 

 ・・・

 

 私がその男と最初に会話をしたのは、(ホン)師範の指導のもと紫蘭との組手という一番憂鬱な時間を終えて、いささか虫の居所が悪かった時の事だった。

 訓練を終えて滞在する私室に帰ろうとしていた私を、通りがかりに取り囲み、唸り声を上げた獣の群れを、私は大きな犬と認識した。

 その、今にも飛びかからんとする奴らを『氣迫』のみで退けると、震えながらきゅんきゅん鳴いて許しを乞うてきたので、腹いせに1匹残らずおすわりお手おかわりを仕込んでやったのだ。

 

 ちなみに御前の邸では警備の一環として、10匹以上のドーベルマンを飼っているのだが、初めて御前の存在なしに庭に出た時にやはり奴らに取り囲まれ、その時にも同じことをしてしっかり上下関係を教え込んでいる。

 最初は恐怖支配をするだけだが、その後芸を仕込んで、ちゃんとできたら褒めてやるという過程を経ることにより、恐怖による服従から信頼による忠誠へとシフトチェンジさせる手法だ。

 動物が好きではない割に私は動物に好かれやすいのもあるので、この方法が他の人間にも可能かどうかは知らないが。

 あと、試しに御前の猫たちで同じことをしたらものすごい勢いで逃げられ、次から顔合わすたびに威嚇されるようになった。

 

『…貴様、わしの猫どもになにかしたのか?』

 とその光景を見て訝しげに訊ねてきた御前に、

 

『人類の威厳を示そうとして失敗しました。』

 と答えたら呆れられた。

 それはさておき、そろそろあいつらも老犬になって代替わりの時期だから、私がいない間に凡そ入れ替わったかもしれないが、少なくとも私がいた時期に飼われていた奴らは全員、私が指差して『ばん』と言っただけで死んだふりができた。

 中に1匹演技過剰な奴がいて、その際に痙攣までしてみせてくれていたが、アイツは私があの邸を出る半年前に天寿を全うした筈だ。

 正直興味がなかったので大まかにしか個体識別をしていなかったから、本当にアイツだったかどうか今ひとつ自信がないが、御前の側近の方の1人から、1匹死んだと何故か私に報告され、それから過剰演技するドーベルマンを見なくなったので多分間違いないと思う。

 

「…ほお。嬢ちゃんは、狼を怖がらんのじゃな。

 通常、人には馴れぬ狼が、嬢ちゃんには懐いとるしのう。」

 号令ひとつで全員が軍隊の行進の如く、一糸乱れず左右の前脚を交互に上げる事ができるようになったのを確認した私のその背中にかけられたのは、なんだか戸惑ったようなダミ声だった。

 

「…狼?これは犬ではなかったのですか?

 メッチャ手入れと躾の悪い、シベリアンハスキーかアラスカンマラミュートだとばかり思っていました。」

「…残忍で凶暴なシベリア狼も、嬢ちゃんにかかると形無しじゃな。」

 普通の子供なら見ただけで泣き出しそうになるほど恐い顔に、苦笑っぽいものを浮かべた男はゴバルスキーと名乗り、自分がこの狼の群れのリーダーであると言った。

 

 狼が認めたからと、滞在中はちょくちょく私の世話を焼いてくれた彼は、たまに食事時に顔を合わせた時には付け合わせの野菜を分けてくれたりした。

 まあこれはポテトサラダ以外の野菜サラダがあまり好きではないだけだったらしいが、

 

「腹にたまらんモンは食うた気がせんわい。」

 とのたまう彼に、適度な食物繊維の摂取により飢餓感を抑えられる事と、またそういった食物は自ずから咀嚼回数が多くなる事で、少量でも満腹感が得られるという、孤戮闘内で得た経験による知識を教えてやったら、

 

「いっぱい食うて、早よう大きゅうなるんじゃぞ!」

 と何故か涙目で野菜だけでなく肉のおかずまで半分くれようとしたので、気持ちだけいただいて丁重にお断りした。

 

 そんなこんなで私にとっては、『気のいいおじさん』だったゴバルスキーだが、モニター画面を通して見たその姿は、かつて見たことがないような残酷な笑みを浮かべていた。

 これが闘士としての彼の、恐らくは本来の姿なのだろう。

 運良くこの男を味方につけられた当時の私は、実はとてもラッキーだったのだと、今ならば判る。

 

 ・・・

 

「そういえば姫様は、ゴバルスキー様ともお知り合いでしたわね。

 こちらに異動になったばかりの頃、慣れない環境で戸惑っていた私に、とても親切にしてくださいましたの。

 姫様があちらの訓練施設に滞在されていた頃のお話も、聞かせていただきましたわ。

 ……で、その、実は私、そのゴバルスキー様に、先日プロポーズされたのですが。」

「えっ!!?」

「…御本人の事は別に嫌いではないのですが……私、大きい犬が、昔から苦手で…。」

「あ〜〜〜………。」

 そういえば清子さんは、私がドーベルマン達を躾けている間は、絶対に近寄ってこなかったっけ。

 しかも犬よりもっとデカイ狼だし。

 ……うん、御愁傷様でした、ゴバルスキー。

 

 ☆☆☆

 

「まずは貴様の腕を見せてもらおうか!!

 三匹もおれば十分だろうて。」

 そう言って悪役顔でゴバルスキーが笑い、何らかの指示を出されたのであろう狼が、その言葉通り3匹、彼とJの間に躍り出た。

 その目がギラついて見えるのはきっと気のせいじゃない。

 以前聞いた話では、闘いの前は狼をわざと飢えさせておくのだそうで、それにより攻撃性を高めておくらしい。

 お腹を空かせた状態で充分に動けるのか疑問に思って聞いたところ、野生の状態ならば餌が獲れない事の方が多いから問題ないし、必死になる分逆に動きは良くなると言っていた。

 そうして闘いを終えた後にはしっかり食べさせてやる事で、頼りになるリーダーの地位を常に確立させるのだとか。

 …言われてみれば孤戮闘の子供たちは、飢えた中で生きる為に必死に戦っていた。

 つまり、生き残った子がある程度落ち着いた頃にお腹いっぱいご飯を食べさせて、それを与えてくれた御前へ忠誠心を抱かせるところまでが孤戮闘だったというわけか。

 というような事を言ったら、

 

『家に帰るまでが遠足みたいな言い方するな。』

 と横で聞いてた紫蘭につっこまれたけど。

 

 そんな事より、ゴバルスキーの指示で前に出てきた3匹の狼に、Jが迎撃の構えを取る。

 3匹はまったく同時に地面を蹴って高く跳躍すると、空中で互いの尾を咥えて円になり、その状態で回転しながら、Jに向かって落下してきた。

 

「ぬうっ!!」

 Jが拳を振りかぶり、同時に狼達がパッと離れる。

 次の瞬間、Jの右肩から鮮血が飛沫(しぶ)き、それを見てゴバルスキーがニヤリと笑う。

 

「今のは狼蒼拳(ろうそうけん)三転(さんてん)狼巴(ろうぱ)!!

 今の一撃が、その程度の傷で済んだとは、少しは出来るようだな。」

 

 狼蒼拳(ろうそうけん)

 一般に狼の絶大な戦闘能力は知られるところであり、それを拳法家達が見逃す筈はなかった。

 だが狼は極端に警戒心が強く人に馴れぬ為、生後3ヶ月の男子を狼に育てさせ、それを克服するという方法をとった。

 現代でも時々、狼少年発見の報道があるが、これはその修業過程の少年を、それと知らず人間社会に連れ出したものである。

太公望書林刊『狼少年ー拳ー』より

 

 …まあ狼と共に生活していても、最後にボスになれなければ群れを自在に操る事は出来ないので、かなりの運任せである事実は否めないわけだが、これ以上つっこむのはやめておこう。

 

「だが、二度目はそうはいかん。

 さあ、奴の喉笛を、その鋭い牙でかき切ってやるのだ!!」

 ゴバルスキーはそう言って、先の3匹に同じ指示を出す。

 

 …だがゴバルスキーは知らなかったのだろう。

 彼が今対峙している男はこの大武會に於いて、闘った殆どのカードを一対多数のシチュエーションで制している事を。

 そして常にニュー・ブローの開発に余念がなく、ありとあらゆる状況に対応できうる引き出しを持っている事を。

 

 指示を出された3匹は、その場で呼吸を乱しながら立ち尽くして、指示された行動を取ろうとしない…否、出来ないのだ。

 いつまで待っても攻撃に移ろうとしない3匹の様子がおかしい事に、ようやく気づいたゴバルスキーに、Jが告げる。

 

T(トリプル)B(ブレード)J(ジャブ)S(スペシャル)!!

 ……見えなかったのか!?

 俺のパンチはこの傷の代償に、その三匹のアゴを粉砕した!!」

「なにっ!?」

 Jの言葉が終わるか終わらないかのうちに、牙と顎の骨を砕かれた狼たちが、悲鳴を上げて、主であるゴバルスキーのもとに駆け戻る。

 

「遊びは終わりだ!!獣相手に容赦はせん!!

 次は貴様とその狼どもの脳天を打ち砕く!!」

 その本気の意志を示すが如く、Jは拳に愛用のナックルを装着した。

 

「いけいっ、兄弟達よ!

 その愚か者を八つ裂きにしてやれい──っ!!」

 ゴバルスキーがその表情に怒りを漲らせて、狼達に指示を出す。

 それに従い四方八方から、狼達がJに向かっていくが、Jは1秒以下の時間の中で十発のパンチを出せる男。

 闇雲に襲いかかってくる獣などに遅れをとる筈もない。

 いちどきに襲いかかってくる数だけを見れば、宝竜黒蓮珠(ぽーろんこくれんじゅ)の主頭が操っていた蛇の方が数が多かったろう。

 あれですら、Jは全ての毒牙をフットワークやスウェーイングで難なく躱していたのだ。

 防具の類は装備せず、武器は己の両拳のみである男の、驚くべき強さを目の当たりにして、ゴバルスキーの表情に焦りの色が表れる。

 

「…だが貴様は知らんのだ。

 狼は本来、群れをなして行動するもの。

 その力が結集された時こそ、真の力を発揮するという事をな!!

 見せてやれい!!狼蒼拳(ろうそうけん)の真髄を!」

 ゴバルスキーの新たな指示を受けた狼達は、一旦Jのそばを離れると、そのJを三方から囲むような位置に陣を敷いた。

 それから、先頭の3匹の背中の上に次々と乗り、まるで組体操のように重なって立つと、その身で3本の柱を形成した。

 

「ウワッハハ、これぞ狼蒼拳(ろうそうけん)奥義・塔群(とうぐん)三柱聳(さんちゅうしょう)!!」

「なる程な…これで頭上三方から、一斉に急降下して攻撃を仕掛けようというのか……!!

 だが、無駄だ。

 この程度の事で、俺を倒す事は出来ん!!」

 その狼達が形作る柱を見上げてJが言うと、ゴバルスキーはフフッと小さく含み笑いを漏らす。

 ここまできて、Jの実力を見極められない男ではない筈なのだが……?

 

「このままならば、わしもそう思う。

 貴様には完璧なフットワークを駆使した防御力があるからのう。

 だがその足さばきを、封じられたならどうなるか!!」

 ゴバルスキーの言葉が終わらぬうちに、1匹の狼が、Jに頭上からの攻撃を仕掛けてくる。

 Jはその牙と爪を難なく躱したが、それは本気の攻撃ではなかった。

 

「うっ!!」

 ガシャン!!

 瞬間、Jの足元で金属音が響き、トラバサミのような金属の罠が、Jの足首に食い込んだ。

 

「まんまとかかったな、愚か者めが!!

 これで貴様は、得意のフットワークが使えなくなった!!殺れい──っ!!」

 ゴバルスキーの号令で、三方向の頭上から、狼達が一斉にJに向かってその牙を剥く。

 その場から動けないJは、せめて両腕でガードを固めて、急所を庇うことしかできない。

 先ほどまでとは比べ物にならない密度に攻撃が集中した現状では、反撃をする間に、急所である喉笛に食いつかれる恐れがあるからだろう。

 だが、辛うじて急所は庇ったものの、100匹はゆうにいる狼の一斉攻撃は、Jの身体に浅くない傷を負わせて、その出血は誇り高い彼の膝を地につかせる。

 

「さあ兄弟達よ、引き上げてくるがよい。

 皆で奴の死に様を、ここから楽しもうぞ。

 …戦う気力も失せ、全身の血を流し尽くして死んでいく、哀れな男の末路をな……!」

 もはや勝負はついたと、とどめも刺さずに余裕の態度で、狼達を呼び寄せたゴバルスキーの言葉には、ひとつだけ誤りがあった。

 …Jの目からは、戦う意志は一欠片も失せてはいない。

 常人ならばショック死していてもおかしくないほどの咬傷と出血にもかかわらず、Jはまだ立ち上がろうとしていた。

 

「……別れを言うがいい。

 その、薄汚い兄弟達にな…!!」

 闘志を漲らせた青い瞳は、氷の色ではなく完全燃焼する炎の色だ。

 触れたが最後、跡形もなく焼き尽くされてしまうほどの。

 その炎の熱さに、自身の勝利を確信していたゴバルスキーは、すぐには気がつかなかった。

 

「…畜生ども相手に使いたくはなかったが、そうも言ってはいられんようだ。

 見せてやろう……俺のニュー・ブロウを……!」

 そして、群れのリーダーがその危険を察知できなかったことが、狼達の運命を決めた。

 

J(ジェット)S(ソニック)M(マッハ)P(パンチ)!!」

 

 ・・・

 

「ワッハハ、ざ、残念だったのう!!」

 Jが渾身の力で放ったその一撃は、当たればゴバルスキーの身体などはるか彼方へと吹き飛ばしていたに違いない。

 だがそれは実際には、彼のすぐ脇をすり抜けていった。

 

「確かに凄まじいばかりの威力!!

 しかし、外したのでは何の役にも立たんわ──っ!」

「……外してはいない……!!

 パンチが音速を超えた時、切り裂かれた大気は凄まじい衝撃波を生む!!」

 次の瞬間。

 中央塔に刻まれている御前の顔の像がひび割れた。

 Jのパンチにより砕かれたその下半分が、重量に耐えきれずに、崩れて落ちる。

 ゴバルスキーと、狼達の頭上へと。

 

A perfect tombstone for you(それが貴様等の墓石だ)!」

 

 ……破片といえども充分に大きいそれの下敷きになっただろう、かの人の姿が見えなかったことは、私にとっては僅かな救いだった。

 

 

 

 そう、思ったのに。

 足にはまったままのトラバサミを外しているJの後ろで、一番大きな岩の塊を持ち上げて立ち上がったゴバルスキーの姿に、どこか心の奥で安堵してしまった私は、結局未だに覚悟が足りなかったのだろう。




光の軍隊式お手おかわりを教え込まれた狼たちは、主の命令に原作より従うようになっており、『主はやめろって言ってたけどお腹空いたから食べちゃった☆テヘッ』事変が起きませんでした。
なのでマハールの死体はJが闘場に降りる前に係員がきちんと回収してます。

そしてこの狼との回想シーンがもし当時のノリでアニメ化されたら、光は狼にお手おかわりさせながら『よっ、ごれっ、ちま〜ぁた〜、か〜な〜、し〜み〜、に〜♪』って歌ってると思います。
(アニメのOPで桃が風車投げる前の、塾生たちが踊ってるアレみたいなイメージ)


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11・月に吠える夜

令和元年、最初の投稿がこれとか…いや、言うまい。


「き、貴様…よくも……よくもわしの、愛しい兄弟たちを皆殺しに……!!

 うぬぬぬっ!!ゆ、許さんぞ──っ!」

 涙を浮かべながら抱え上げた巨大な岩塊を、力任せにJに向かってぶん投げるゴバルスキーに、私は確かに『無事でよかった』という感想を抱いていた。

 一番大きいのは受け止めたとはいえ、あれほどの岩の崩落を受けて、少し頭から出血した程度で済んでいるあたり、むしろ驚異的な頑丈さだと思うけど。

 

 だが勿論、戦いが終わったわけではない。

 それを示すように、Jの右拳が投げられた巨大な岩を粉々に砕き、石飛礫が周囲へ降り注ぐ。

 

「無駄だ。貴様にこの俺を倒すことは出来ん!!」

「フフ…このわしも舐められたものよ……!

 だが、それは大きな間違いだということを今、教えてやろう!!」

 ゴバルスキーはその場で腰を屈め、何かを拾うような仕草をする。

 それまでは気がつかなかったが、どうやら地面に落ちている鎖のようだった。

 否…それは落ちているというより、端の1、2メートルほどが表に出て、後は地面に埋め込まれているらしい。

 

「見ろ…この鎖がどういう意味をもつか判るか!?

 こんなこともあろうかと用意しておいたのだ!!」

 …って、なんの仕掛けなのかはわからないが、いつそんなもの用意したのだろう。

 それを言うなら、未だにJの脚を捕らえているトラバサミもそうだが、少なくともマハールが戦ってた時点では無かった筈だ。

 間違って象が踏んだりしたら、せっかくの仕掛けがパァだろうし。

 …ああうんわかってる。つっこんだら負けね。

 

「ふんっ!!」

 …私が若干悟りに近いところを彷徨っていた間に事態は動いた。

 ゴバルスキーが力任せにその鎖を地面から引っ張ると、埋まっていた部分がその動きに従って浮き上がって…その一番端の部分が、Jの脚を挟んだトラバサミと繋がっていたのだ。

 

「うっ!!」

 捕らえられたままの脚を鎖に引かれ、当然Jがバランスを崩す。

 だがそれだけではおさまらず、ゴバルスキーの剛腕は、引いた鎖をそのまま、Jの身体ごと振り回していた。

 

「これぞ狼蒼拳(ろうそうけん)奥義・罠鎖(びんさ)回驤砕(かいしょうさい)!!」

 そうか。さっきJに大岩を、なんの策もなく、ただぶん投げたのは、別にあれで攻撃をするつもりだったわけじゃない。

 ダメージを受けてくれれば儲け物だったろうが、一番の目的は、あの時トラバサミを外そうとしていたその動きを、止めるためのものだったんだ。

 てゆーか、これもつっこんだら負けなんだろうけど、敢えて言わせてほしい。

 

「いや、もう狼蒼拳(ろうそうけん)関係なくない!?

 奥義とか絶対嘘だよね!!」

「姫様!?」

 我慢できずにつっこんだ私の隣で清子さんが驚いてるけど、どうしても納得いかない。

 …まあ、私がどう思おうが現実に、Jは鎖に繋がれたままぶん回されており、そろそろ遠心力で血が頭に集まってる頃だ。

 

「そりゃあ──っ!!」

「ぐはっ!!」

 そして、ゴバルスキーが気合声を上げたと同時に、Jの身体が塔の壁に叩きつけられる。

 更に体勢を立て直す間も与えられず、何度も何度も。

 

「ぬがっ!!」

「ウワッハハ、どうだ思い知ったか──っ!!

 これでわしの気持ちも、少しは晴れてきたというものよ!!」

 このまま繰り返されればいくら頑丈なボクサーの肉体でも、全身の骨が粉々に砕かれてしまう。

 

「うおおっ!!めった打ちだ──っ!

 Jが殺られる───っ!!」

 まるで自身がそうされているかのような痛みを表情に浮かべた虎丸の叫び声が響いた。

 

 ・・・

 

 何度目かの壁への激突の後、もはや呻き声すら発する事なく地面に落ちたJを見て、ゴバルスキーは含み笑いを漏らした。

 

「フッ。これで決まったな。

 もはや意識もあるまい。」

 そして、何をどうやったかはわからないが、鎖を軽く引いたような動きだけでJの脚からトラバサミを外して、鎖とともに手元に回収する。

 受け身も取れずに地面に倒れたJは、ゴバルスキーの言う通り意識を失っているようで、起き上がる気配は見られない。

 と、瓦礫の陰の方で何かが動いた。

 そこから3つの影が、真っ直ぐにゴバルスキーのもとへ駆けていく。

 

「お、おう、おまえ達は生き延びおったか──っ!!

 よかった、よかった──っ!!」

 それは、瓦礫の下に埋まらずに済んだ、生き残りの狼たちだった。

 

『獣の群れのリーダーとなったからには、こ奴らと対等であってはいかんのじゃ。

 時には非情に徹して、数頭の仲間を切り捨てても、己は生き延びにゃあならん。

 それがひいては、群れ全体を生き残らせる結果に繋がるんじゃからのう。

 強いリーダーとはそういうもんじゃ。

 それが頂点に立った者の責任ちゅうやつでな。』

 彼は確かにかつて、私にそう言った。

 だから、群れ全体に対しての責任感はあっても、それぞれの個体に対する愛着は、なるべく抱かぬようにしているのだと。

 その彼だが、特に可愛がって名前をつけている狼が2頭だけいる。

 彼が赤子の頃に放り込まれた群れ(パック)の当時のボスの直系子孫である、ロムルスという雄とレムスという雌で、まだ生きているならこの2頭が群れの中で最年長となる。

 私があそこにいた頃には、ゴバルスキーはこの2頭は繁殖が主な仕事だと、今は戦いには参加させていないような事を言っていた筈だ。

 だからこの闘場に、あの2頭はいない筈だし、ましてやあの3頭のうちのどれかがそうだというわけもない。

 

 ところで狼の群れにはきっかりとした序列が存在し、雄雌一頭ずつの最上位のペアはアルファと呼ばれる。

 彼の統率する群れ(パック)に於いては、本来はこの2頭がアルファペアとなるのだが、この場合雄のアルファの地位にゴバルスキーがいる為、必然的に雄のロムルスは次点のベータという事になる。

 そして繁殖に携わるのは基本アルファのペアのみであり、下位の狼たちは子育てに協力するという形でのみ関わることが許されるわけだが、勿論ゴバルスキーでは狼の雌を孕ませる事は出来ないので、それだけは本物の狼、つまり下位の雄に頼らざるを得ないのである。

 だが狼は犬とは違い近親交配を可能な限り避ける習性があり、ロムルスとレムスは同じ親から生まれた兄妹である為、次点のロムルスもまたレムスの相手にはならない。

 故にレムスは更に下位の雄を繁殖相手に選び、それは大体仲間に引き入れた他の群れ(パック)から離れた雄で、またロムルスも本来ならトップに立っている筈の雄である故、やはり下位の雌と交配する事になる。

 こうして繁殖期には2つのペアが同時に子育てを行う為、ゴバルスキーの群れ(パック)は他に比べて頭数が多くなるというわけだ。

 これは狼蒼拳(ろうそうけん)の性質上、戦力にする為に必要な事であり、またその為には一頭一頭思い入れていては、群れ全体を守る事はできない為、ある程度の切り捨てはどうしたって必要になるわけで。

 …何が言いたいかというと、どうもこの反応を見る限り、ゴバルスキーと狼たちの距離感が近過ぎな気がするのだ。

 これだといざ切り捨てる時に互いに軋轢が生じるのではないか…そんな事を思ってしまうのは、私がまだJの勝利を諦めていないからなのだろうか。

 

 …ひとしきり再会を喜びあったゴバルスキーと狼たちは、ある程度の盛り上がりから少し冷めたところで、倒れているJにようやく目を向けた。

 …まさかとは思うが、一瞬忘れてたとかじゃないよな。

 

「見ろ、憎っくき我等兄弟の(かたき)はあのザマだ。

 行って、奴の肉を喰らうがいい。

 殺された兄弟達の分まで、存分にな……!!」

 ゴバルスキーに指示を出され、狼はゆっくりと、Jに向かって歩き出す。

 戦闘に駆り出される狼たちは飢えさせられている。

 このままでは本当に、Jは狼のご飯になってしまうだろう。

 赤ずきんちゃんじゃないのだから、丸呑みされて腹を割かれて出てくるとかは、現実としてあり得ない。

 

「目を覚ますんだ、J〜〜〜っ!!」

 必死に訴えかけるような桃の叫び声が、闘場に響いた。

 

 ☆☆☆

 

 夢を、見ていた。

 

 …………………

 

「やあ、ジャック。今日は遅かったんだね。

 いつもはこのくらいには来ているのに、今日に限って居ないから、体調でも崩したのかと心配したよ。」

 いつも俺がトレーニングに使っている木の側に立って、俺に向かって笑いかけた日本人の少年は、何故か今日は1人ではなかった。

 ……否、『人数』を数えたら確かに1人なのだが、屈んだ彼の手に腹を撫でられるに任せて転がっているいかにも雑種の大型犬と、彼の両脇に座っている、それの血縁であろうやはり大きな犬が2匹、計3匹の大型犬に囲まれている。

 その、座っていた方の1匹が、俺が近づくと立ち上がって、身を低くして唸り声を上げた。

 

「こら。

 彼はオレの友達なんだから、唸っちゃダメ。」

 だが彼が決して厳しくはない、むしろ優しげに一声かけただけで、犬は唸るのをやめて彼の傍に伏せ、その顔を見上げて、媚びるような鼻声を上げる。

 彼の手がその頭を撫でると、そいつは嬉しそうにその手に鼻をこすりつけた。

 

「カール……こいつらは」

「最近、この公園の周囲を活動範囲にしてる野良犬だよね。

 頭のいい子たちで統制が取れてて、捕獲の罠とか引っかからなくて、困ってるって管理人が言ってた。」

 事も無げにそう言った彼の言葉に、俺は頷く。

 この公園は、休日には家族連れが憩いにやってくる場所だが、最近はこいつらがうろついている事で、そういった人出が途絶えている。

 被害は今のところ出ていないが、大人の男に退く事なく威嚇する様子に、子供が襲われたりしたら大ごとだと、一応捕獲する為の策が講じられているのだが、今のところ全て失敗に終わっているのが現状だった。

 …そいつらにこの小柄な少年が、何故こんなに懐かれているのだ。

 

「…多分虐待の末に捨てられた子たちだね。

 大人の男性だけに威嚇行動するところを見ると、前の飼い主は割と身体の大きな男性だと思う。

 オレの事は警戒しなかったから、恐らく家に子供もいて、その子には可愛がられてたんじゃないかな。

 切れかけてたけど、古い首輪が首を圧迫してたから、さっきそれは外してやったトコ。

 手がかりになるか解らないけど、虐待の証拠品として後で管理人に預けて、警察に届けてもらうつもりだよ。

 こうして見る限り、人間の事は恐がってるけど、根本的には嫌いじゃなさそうだから、適切に保護して愛情を受ける事に慣れさせれば、子供のいる家でも、いい子で暮らしていけると思うよ。

 ただ、見た通り身体が大きいからね。

 引取先を探すのに難航するとは思うけど。

 それに、どうしても無理なら仕方ないけど、離れ離れにするのも可哀想だし」

 …いやそういう事じゃなく。

 普通、子供ならば威嚇しないと判断する前に、普通の子供は大人に唸ってる大きな犬に、近寄ることすらできないと思うぞ。

 おまえは猛獣使いか。

 色々混乱しつつ、『犬が好きなのか』とだけ俺が問うと、カールはうーんと少し考えてから、ややあって答えを返した。

 

「…好きとか嫌いよりも、病気だった頃、動物と接してる時は割と発作が治まってたから、未だにその感覚で安心するんだと思う。

 妹は『私が看病するより効果が高いとか腹立つ』とか言って、面白くなさそうにしてたけど。

 でも動物を懐かせるのは妹の方が得意だったよ。

 彼女が言うには『猫は自分に無関心な人間の方が好きだから勝手に寄ってくるし、犬は体力的なことを考えたら服従訓練は絶対必要だけど、基本褒められるの大好きな生き物だから、優しくしてやれば大概懐く』って。

 …あの子の真似しただけだけど、意外とうまくいくものだね。」

 いや、それは多分おまえと妹だけだ。

 他の奴が真似しようとしたら絶対に怪我をする。

 Don't try this at home(良い子は絶対真似しないでね).

 

 ……結局、3匹は公園の管理人が預かる形になり、彼に世話をされているうちに大人の男に威嚇する事もなくなった犬たちは、俺の海軍兵学校(アナポリス)への入学が決まった頃には、公園のマスコットとして、皆に可愛がられる存在になっていた筈だ。

 そしてカールはその犬たちに、日本語で指示を出して、簡単な芸を仕込んでいた。

 当時はわからなかったが、今の俺なら、その単語の意味がちゃんとわかる。

 

『お座り』『お手』『おかわり』あと、確か……もうひとつ。

 

 …後になって考えると、なぜこの時にこんな事を思い出していたのかわからない。

 だが俺は気がつけば、それを口に出して言っていた。

 

 

「ばん。」

 

 

 とすん。

 …身体の横で何かが倒れた気配がして、ふと目を開ける。

 何故か狼が3頭、俺のすぐ近くに横たわっていた。

 傷ついている様子ではない。

 大体俺は何もしていない。

 そして狼は、次の指示を待つように、その状態で俺を見つめている。

 ………なんだと?

 この狼たち、まさかカールが躾けた犬と、同じ芸を仕込まれている!?

 

「…おすわり。」

 試しに日本語でそう言ってみる。

 発音が違うと指示が判らないらしいので正確に。

 狼たちは揃った動きでくるりと一度立ち上がると、前足は立てて腰だけを落とした、三角の形に座ってみせる。

 

「お手。」

 3匹はやはり綺麗に揃った動きで左前足を上げる。

 

「おかわり。」

 今度はその上げた左前足を下ろし、右前足を上げた。そして。

 

「ばん。」

 指差してそう言うと、奴らはさっきと同じように転がった。

 もう間違いない……だが、何故だ!?

 

「き、貴様…それは嬢ちゃんが教えた合図の筈…何故それを貴様が知っとるんじゃ!!?」

 嬢ちゃん…?そうか、光だ。

 光は、元々はあちら側の人間だった。

 そして動物を懐かせるのは光の方が得意で、カールはそれを真似したんだと言っていたではないか。

 

 ☆☆☆

 

 いやほんとに。

 なんで私が仕込んだ芸のキーワードを、Jが知ってるんだろうか。

 しかも『おすわり』『お手』『おかわり』まではゴバルスキーの指示でも従ったが、『ばん』は最後まで実行させられなかったというのに。

 というのも、私は単なるキーワードとして言葉を発していたから、すごくシンプルに発音していたのに、私が最初にこれは銃声の擬音だと説明したのが悪かったのか、ゴバルスキーが発音すると必ず芝居掛かった『ばあ〜ん!』になってしまっていた為だ。

 今Jが発音した『ばん』は、私と同様単なる指示としてのシンプルな発音だった。

 だから狼たちは、何を言われているか理解できたのだろう。

 アメリカ人のJこそ、表現がオーバーになりそうなものなのに。

 

「頼りにならんバカ狼どもが!」

 褒められると思って期待していたのに叱られた狼たちが、建物の陰へと走って逃げていく。

 

「そもそも貴様、一体どうなっているのだ……!?

 わしの回驤砕(かいしょうさい)の攻撃をあれほどくらい、立ち上がってくるとは…!!」

「俺に10カウントは聞こえない……!!

 死へのカウントを始めるのは貴様だ!!」

 そしてゴバルスキーは、改めてJと対峙して、明らかに戦慄していた。

 それこそ、獣が自身より強い相手と出会ってしまった時のように。




どうしてこうなった。


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12・Midnight runner, Hold on baby

原作だとJが闘場に立ったのが日が沈んだ直後で、ゴバルスキー戦が終わってすぐ日が昇って来てたけど、それだとするといくらなんでも、この闘いが始まってから終わるまでの時間が長すぎると思うの♪


「…来るがいい。

 貴様にあるのは、死への一本道だ……!!」

 ボクサーの習性のように、立ち上がると同時にファイティングポーズを取ったJは、先程の攻撃によるダメージが大きい筈だが、それでも立ち姿に危うげがない。

 一旦は逃げたものの、改めて横に並んで構えようとする3匹に、ゴバルスキーが言い放つ。

 

「このバカタレどもが!!

 貴様等なんぞにもう用はないんじゃ!!

 役立たずは隅っこで尻尾巻いて震えておれ!」

 どこか哀しげにきゃうんきゃうん鳴いて、彼に縋り付こうとする狼達を、足で蹴って乱暴に追い払う。

 

「兄弟達ではなかったのか……?」

「し、所詮はケモノよ。

 わしにとっては武器のひとつ。

 弱いやつは切り捨てるのが野生の掟よ!!」

 …非情な台詞の割には何か言い澱むように、歯切れ悪くそう言いながら、ゴバルスキーは纏っている毛皮のベスト様のものの下から、角の生えた兜のようなものを引き出す。

 …うん、どうやって収納してたとか、この辺はつっこんじゃ駄目な気がする。

 それまで着けていた耳の頭飾りを外して、それを装着したゴバルスキーは、両手を地につけて身を低く構えた。

 

狼蒼拳(ろうそうけん)奥義・双角(そうかく)藐攻(びょうこう)!!

 我が狼蒼拳(ろうそうけん)の真髄はただ狼どもを操るだけのことではなく、狼の素早い動きを、その凶暴な攻撃性を模して体術とした形象拳であることを、その身をもって教えてやろう!!」

 言うやゴバルスキーは、四つ足でJに向かって突進した。

 兜のその大きな角を、明らかにJの胸板に向けて。

 先程までの枷がなくなったJは、フットワークで難なくそれを躱し、反撃に左のパンチを撃ち込む。

 だが、当たれば重いそのパンチをあっさりと躱したゴバルスキーの動きは、人間が四つ足で動いているとは思えないほどに、俊敏性の高いものだった。

 その、まるで分身したかのような素早い動きに、さすがのJもついていけずに棒立ちになる。

 

「ワッハハ、どうだ!目にも留まらぬこの動き!!

 これが狼蒼拳(ろうそうけん)の真髄よ!!」

 …そう。このオッサン、本気出すとあのデカい図体で、信じられないほどの俊足を叩き出す。

 野生に研かれた身体能力は通常の人間を遥かに凌駕するものであり、本人1人でも充分に強いのだ。

 まあ、そうでなければ狼の群れのリーダーを、長く続ける事は出来ないだろうが。

 

「くりゃ──っ!!」

「ぐっ!!」

 そうこうしているうちに背後を取られたJが角の一撃をくらい、反撃する間もなく射程外に離れるゴバルスキーを、目で追うのがやっとの状態。

 ヒットアンドアウェイ。

 奇しくもこれは、主にボクシングで使われる戦術だ。

 これに翻弄されるのは、Jとしては屈辱の極みの筈。

 

 ……ゴバルスキーは欲を出したのだと思う。

 そのままヒットアンドアウェイの攻撃を続けて体力を削っていけば、Jはいずれは躱しきれなくなり、致命的な一撃に倒れていただろう。

 だが、その時のゴバルスキーの攻撃はそれまでとは違う、明らかにとどめを刺しに狙ってきた一撃だった。

 だからこそ、Jはそれを捉えきれたのだ。

 突き出してきた角の前に、躊躇いなく左腕を晒す。

 貫かれた左腕はゴバルスキーの突進を一瞬だけ止め、Jはすかさず右の拳から…恐らくは数発のパンチをくりだした。

 

「おっと!!」

 だが、ゴバルスキーはすぐに、Jの腕から角を引き抜き、素早く体勢を整えて、間合いを離す。

 

「考えたな!

 左腕一本犠牲にして角の動きを一瞬止め、右のパンチを放つとは!!

 だがそれも最後の悪あがきよ!!

 わしの身体にはカスリもしなかったわ──っ!」

 そう、Jのパンチはゴバルスキーの()()にはまったく触れてはいない。

 

 …いつかスパーリングの際にJは言っていた。

 異種格闘技戦に於いては、あらゆる状況や攻撃に対する心構えが必要になってくると。

 敵の攻撃を予測すると共に、闘う状況を瞬時に見極め対策を決める。

 それに対応する引き出しを常に用意して備え、ありとあらゆる状況に対応する。

 Jがニュー・ブロウの開発に余念がないのは、その引き出しをひとつでも多く用意する為だ。

 

「今度こそもらった〜〜っ!!

 狼蒼拳(ろうそうけん)奥義・双角(そうかく)放宙殺(ほうちゅうさつ)!!」

 ゴバルスキーはJの身体を角で引っ掛け、それを空中高くぶん投げる。

 そうしてから自由落下してくるJの身体を、兜の角で待ち受ける。

 あとは、落ちてきたJの身体が、その2本の角で串刺しにされるのを待つばかりだ。

 

 …Jは驚邏大四凶殺での桃と伊達の闘いを、直接は目にしていない。

 だが、研究熱心な彼のこと、あの後いくらでも、当事者に訊ねる機会はあったろう。

 そして、『角のついた兜』で攻撃してくるゴバルスキーに、その時の伊達の戦法を、連想しなかった筈がないのだ。

 つまりそれは、Jの予想し得る範囲の中に、ゴバルスキーのその攻撃は、既にあったという事に他ならない。

 

「そいつはどうかな!!

 俺が左腕を犠牲にして、右のパンチで狙ったものは、貴様自身ではなかった!!」

 そう言ったJが空中で体勢を整える間に、彼の施した仕掛けの結果が出た。

 Jの身体を刺し貫くべく待ち構えていたゴバルスキーの2本の角が、粉々に砕け散る。

 だがゴバルスキーには、それを驚いている時間すら与えられなかった。

 

「貴様の負けだ!F(フライング)C(クラッシュ)M(メガトン)P(パンチ)!!」

 落下速度を加えたJの必殺の右拳が、真上からゴバルスキーの脳天に直撃した。

 

 ・・・

 

「たいした石頭だな。」

 頭だけ出した状態で地面にめり込んだゴバルスキーを見下ろして、Jが呟く。

 …このパンチ、確か宝竜黒蓮珠(ぽーろんこくれんじゅ)の主頭と戦った時にも、その決着となった技であり、あの時は闘場自体を崩落させたほどの威力を持つスーパー・ブロウだった筈だ。

 この場合、闘場を壊すわけにはいかず多少は破壊力を加減したかもしれないが、それでもあれを直接脳天に撃ち込まれたゴバルスキーが、生きているのは奇跡に近い。

 

「ぬううっ!!な、なめたマネを……!?」

 呻くように言ったゴバルスキーの言葉が途中で止まったのは、先程足蹴にした3匹の狼が、彼を取り囲んでいたからだ。

 3匹は身を低くして唸りながらJを見上げているが、その四肢は震え、尻尾が後肢の間に入ってしまっている。

 

「な!おまえ達──っ!!ば、ばかな!!

 おまえ達を切り捨てようとしたわしを庇おうと……!?

 や、やめろ!おまえらの敵う相手ではない──っ!!」

 ゴバルスキーは半泣きになりながら狼達を追い払おうとするが、地面に埋まって文字通り手も足も出せない彼には、その手段すらない。

 雲の切れ間から姿を現した大きな月を背負うように、Jが3匹とゴバルスキーに歩み寄る。

 

「や、やめてくれ、頼む!

 わしはどうなってもいいから、こいつらの命だけは……!!」

 ゴバルスキーの懇願を聞いているのかいないのか、Jは右の拳を構え……、

 

「ばん。」

 

 こてん。

 とすん。

 ぱたん。

 

 3匹の狼はゴバルスキーの周りで、一斉にその身を倒した。

 その姿に、地面に埋まったままのゴバルスキーが、呆然とJを見上げる。

 

「…優しい兄弟達だ。大事にするんだな。」

 その視線を受けながら微笑むと、Jはそこから背を向けて、悠々とした足取りで自陣へと戻っていった。

 

 まるで遠吠えのようなゴバルスキーの号泣が、闘場に響き渡った。

 

 ☆☆☆

 

 時刻は真夜中になり、やはり照明施設がない事にそろそろ不都合が生じてきたのか、対戦は朝まで一旦中断の運びとなった。

 男塾側の闘士達は、係員に簡易休憩所まで案内され、そこで食事と睡眠を取るようだ。

 

 私はというと、やってきた係員に、ここに来た時と同じように抱き上げられて別の部屋に運搬され、そこに既に用意されていた食事を清子さんにあーんで食べさせられた。

 その食器が片付けられたところで、ずっと様子を見ていた係員が、初めて口を開く。

 

「外から鍵はかけさせていただきますが、この部屋の中ならば、自由にしていただいて構いません。

 森田は一旦下がらせますが、何かご用があればそちらのボタンでお呼びください。」

 係員の説明の後、清子さんが一礼する。

 ちなみに森田というのは清子さんの姓だ。

 その後係員は一旦退出し、清子さんが渡された鍵で、私の枷を外してくれた。

 

「おやすみなさいませ、姫様。

 明日の朝、また参りますわ。…あ、それと。」

「……?」

「…姫様。

 私、大型犬への恐怖を克服しようと思います。」

「え、それって……」

「……内緒ですわよ。」

 頬を薄っすらと染めながら退出した清子さんは、部屋を出たところに待機していたらしい係員に枷と鍵を渡してから、もう一度一礼して部屋の扉を閉めた。

 外から施錠される音がしたが、直前に聞かされた言葉に呆然としていた私は、その事に気を悪くする余裕などなかった。

 

 清子さんはゴバルスキーにプロポーズされていた。

 大型犬が苦手な清子さんは、自分には無理だと思っていた。

 けど、それを克服する事を決意した。

 清子さんはゴバルスキー本人は嫌いではない。

 つまり………!

 

「な、なんだって───っ!!」

 ひとり残された部屋で、私は今更絶叫した。

 

 ……まあ、ゴバルスキーは顔は恐いがとてもいいひとなので、それをわかってくれる女性がいるのはとても嬉しい事だと思う。

 ただ……清子さんあんた、男見る目に自信ないとか言ってたよね!?

 あのひとで本当にいいの!!?

 確かにいいひとだけどいい男ではないというか、基本的には獣臭くておとなげないオッサンだよ彼!!

 

 まあでも、長年染み付いた恐怖心とかなかなかすぐに消えてくれるものではないし、時間がかかるとは思うけど。

 清子さんが努力するその間にゴバルスキーもどれだけ男を磨けるか…頑張って欲しいものである。

 

 しばらく我を忘れて取り乱していたが、とりあえず自由にしていいと言われたので、お言葉に甘える事にした。

 どうやらここは観客を泊める客室のひとつであるようで、まあ武器になりそうなものは徹底的に排除されてしまっているけど、ホテルの部屋のようにある程度必要なものが揃っている。

 端的にはトイレや浴室、ベッドといった設備。

 しかもベッドは天蓋付きで、サイドテーブルの上には替えの下着と、なんかメッチャ乙女ちっくなデザインの夜着が畳んで置かれている。

 誰が用意してくれたんだろう…いや、考えまい。

 とりあえず着替えがある事に安心して、まずはお風呂に入らせてもらう事にする。

 この島には天然の温泉があちこちにあって、お湯に浸かることはできても、石けんが使えないのを若干不満に思っていたから、ちょっと嬉しい。

 

 …この夜がとても長いものになる事を、この時の私はまだ、知らない。

 

 ☆☆☆

 

「J、やっぱりおめえは、俺達が思ってた通りの男じゃ──っ!!」

「おお、ただ強いだけじゃなく優しさも兼ね備えた、まさに真のチャンピオンじゃ──っ!」

 簡易休憩所に既に人数分用意されていた食事をとりつつ、虎丸や富樫が口々に言うのは、先程の戦いで、ゴバルスキーや狼達の命を奪わなかった事だろう。

 甘い事だと思わんでもないが、それも強者の嗜みって奴だ。

 ……俺は一度、奴に負けている。

 折られたのがうち損ねの刀とはいえ、負けは負けだ。

 そのJは、先ほどまでの闘いで見せた表情とは別人のように、穏やかに微笑んで答えた。

 

「…光が手をかけた狼達だと思ったら、殺したくなくなっただけだ。」

「光?」

 唐突に意外な名前が出てきた事に、思わずその名を復唱した富樫だけではなく、その場の全員が、奴の言葉の先を待つ。

 

「ああ。

 ゴバルスキーが、狼に芸を教え込んだと言っていたのは、まず間違いなく光の事だ。

 …俺は光の兄が、あれと同じ芸を野良犬に教えているのを見たことがあった。

 思い出したのは偶然だが、あれに助けられたようなものだ。」

 橘、か。

 俺もそうだがこいつもまた、あの男に絆されたひとりだということを、改めて思い出す。

 …この闘いは、あいつの仇をとる為でもある。

 俺がそんな事を考えていると、

 

「な、なあ。

 ほんと、自分でもバカな事言うと思うから、笑ってくれてもいいんだけどよ…!」

 と、富樫の奴が挙手しながら、妙に歯切れ悪く言葉を発して、皆がそれに注目した。

 

「…俺と闘った黒薔薇のミッシェルは、俺たちと半年以上、『姫』が行動を共にしたと言ってたんだ。

 さっきのゴバルスキーも、狼に合図を教えたのは『嬢ちゃん』だと言ってたよな。

 …その、まあ、なんだ……つまり。

 ……実は、光の奴、女なんじゃねえのかな?」

 ………一瞬の沈黙。そして。

 

「……………………富樫。

 おめえ、まさか、今の今まで気付いてなかったのかよ?」

 呆れたように最初に言葉を発したのは、その富樫の相棒であると皆が認識する虎丸だった。

 

「へっ!?」

「まあ、今、塾に残ってる他の一号生は、全員知らねえみてえだったし、あいつも隠してるつもりらしかったから、俺もそのつもりで扱ってたけどよ。

 少なくともここにいる闘士は全員、知ってるもんだと思ってたぜ?なあ、桃!?」

 唐突に話を振られ、剣の野郎がほんの僅かに動揺する。

 だがすぐにいつもの余裕のある笑みを浮かべ、答えを返す。

 

「…俺も、誰がそれを知っていて誰が知らないのか、正確には把握してなかった。

 あいつが困る事はしないと約束したから、下手に確認してボロを出すことも避けたかったんだ。

 黙ってた事は悪かった、富樫。」

 こいつに頭を下げられたら、富樫もそれ以上は何も言えないだろう。

 ちょっと呻くような声出してんのが面白くて、俺も口を挟む。

 

「光から聞いたところによれば、三号生は全員承知のようだぜ。

 二号生は俺と、江戸川も塾長がうっかり口を滑らせて知って、後から俺が口止めした。

 一号生で知ってるのは光も俺も、元豪学連勢を除けば剣とJだけだと思っていたがな。」

 虎丸が気付いていたとは思わなかったと、言外に告げる。

 これまでその素振りすら見せなかったことに、実は密かに驚いた。

 しかしまあ、虎丸(こいつ)は半年近く、(アイツ)に餌付けされてきたんだ。

 こいつにとってみれば、光が男か女かなんて、気付いたところで関係なかったのかもしれん。

 そういや光の執務室に入り浸るようになって最初の頃、夕方近くになるといつも、『トラマルにご飯をあげなきゃいけないから出てってください』と追い出されていて、ある日、『猫でも飼ってんのか』と聞いたら、少しの間ぽかんとした後でいきなり吹き出し、『カナリアの世話してるのに猫なんか飼えるわけないでしょう。そもそも、動物はあまり好きではありません。けど確かに言われてみれば、トラマルって猫っぽい名前ですね!?本人は、どっちかというと犬っぽい子ですけど』と、物凄く笑われたんだった。

 

「…なんだよ、俺メッチャ悩んでたのに。」

「何をだよ。」

「それは、その……。」

「男の光が可愛く見えるとか、大方そんなところだろう?

 良かったな富樫、おまえは正常だぞ?」

「センクウ先輩、デリカシーなさ過ぎ!!」

「デリケートってよりもバリケードみてえなツラしてるくせによく言うぜ。」

「何だと!?」

 …結局、虎丸の軽口に富樫が突っかかって、いつもの騒がしい流れに戻る。

 飯を食い終わり、眠るにはまだ中途半端に気持ちが昂りすぎていて、俺は夜風にあたろうと、その場から立ち上がった。

 

 光……あいつはまた、どこかで俺たちを見てやがるのか。

 昨日の晩に夢でみたあいつの、どこか泣きそうな表情を、やけにリアルに思い返して、俺は首を横に振る。

 

 ……不意に夜風に、鉄の匂いが混じった気がした。

 違和感と、本能に突き動かされるまま、風上に向かって、気がつけば俺は走っていた。

 

 ☆☆☆

 

「見つけたぞ、侵入者……!!」

 後もう少しで、決勝会場であるという中央の塔にたどり着くだろうというその場所で、わたしは最悪の場面を迎えていた。

 目の前に立ちはだかるのは、二頭引きの騎馬戦車の上に立つ男。

 派手な兜を被っているが、間違いなく昨晩、潜入には成功したあの闘技場(コロシアム)で、わたしと彼女を追い詰めた鞭の男だ。

 

「冥凰島奥義・赤鞭斬(レッド・ウィップ・ジェノサイド)!!」

棘殺(きょくさつ)怒流鞭(どるべん)っ!!」

 男が繰り出した鞭の攻撃を、わたしも自分の鞭を取り出して受ける。

 2本の鞭が絡まり、互いに引き合う。

 だが…次の瞬間、わたしの怒流鞭(どるべん)はバラバラに切断され、地に落ちた。

 

「なっ!!」

「無駄な抵抗を。

 赤鞭斬(レッド・ウィップ・ジェノサイド)の威力は、昨晩その身で味わった筈。」

 

 

 赤鞭斬(レッド・ウィップ・ジェノサイド)

 帝政ローマ時代、奴隷達を処罰する為に用いられた武器。

 この鞭の特徴は、鋭利な刃物が間隔を置いて仕込まれており、その為ひねりやしなりが自由自在という点にある。

 赤鞭(レッド・ウィップ)の名は、常にその皮部分が、人の血の色に染まっていた事に由来する。

民明書房刊『世界拷問史』より

 

 

 …そう。変装して闘技場(コロシアム)の内部を探り、主催者である藤堂兵衛の居場所に当たりをつけたものの、そこにたどり着く前にこの男に発見されて、わたしはこの鞭の一撃を脇腹に受けたのだ。

 

「…今度はその程度では済まさん。

 貴様の身も、今の鞭のようになる運命だ。」

 恐ろしい武器だ。

 そしてそれを自在に操るこの男の力量も。

 だがわたしも、むざむざこの男の手にかかるわけにはいかない。

 彼女が、光があちらに捕らえられてまでわたしを助けようとしたならば、わたしは生きて仲間の元へたどり着かねばならないのだ。

 そのあとでならば死んでもいい。

 …お姫様を助けに行くのは、彼女の騎士と相場が決まっている。

 

 油断しているその喉元に向けて、カードを投げ打つ。

 せめてこの敵だけは討取らなければ。

 だが次の瞬間見た光景は、既に充分弱り切ったわたしの身を、戦慄させるに足るものだった。

 戦車を引く2頭の馬の間から、何やら突起が突き出てきたかと思うと、一瞬にして傘のように展開したそれが、わたしの投げたゾリンゲン・カードを、一枚残らず弾き落したのだから。

 

「……くっ!!」

「そんな小細工など何の役にも立たん。

 本来この盾は、弓矢の嵐から身を守る為のもの。

 この独特の形状は、飛んでくるありとあらゆるものの力を緩衝し、角度を変えて弾き飛ばすよう計算され、作られている!!

 この騎馬戦車スコルピオンの上にあり、赤鞭(レッド・ウィップ)を手にした俺に敵はない!!」

 そう言って振るわれた鞭が、再びわたしの身に襲いかかる。

 だが先程よりも速度が遅いそれの先端が、球状になっていると気付いた次の瞬間、奴の手からもう一本の鞭が放たれて、そちらは鏃状の先端が、先に放たれた球に追いついて、それに当たる。

 その砕かれた球から何かが広がったと、思った時には既に遅かった。

 

「かかったな!

 これぞ冥凰島奥義・赤鞭縛網(レッド・ウィップ・メッシュ)!!」

 …それは金属でできた目の細かい網だった。

 それがわたしの身体を覆い、自由を奪う。

 

「き、貴様!!」

()っ!!」

 更に息つく間もなく、先程の鞭の突起のついた方が、身体の中心部に向かってくるのを、わたしはどこか冷めた目で見つめていた。

 

 だが。

 

「なっ………!」

 襲い来る筈の衝撃も痛みもないまま、鞭の先端が千切れて、明後日の方向へ飛ぶ。

 

「…男爵ディーノ。あんたが生きてたとはな。

 あんたも飛燕が言ってた通り、光とあの翔霍とかいう男に助けられたクチか?」

 そう言って、わたしと騎馬戦車の間に立ったのは、銀色の頭髪をもった長身の男だった。

 

「あ、赤石君!!」

 わたしがその名を呼ぶと同時に、わたしを捕らえていた金属の網が、バラバラと細切れになって、地面に落ちる。

 

「…まあ話は後だ。傷を負ってるな?

 簡易休憩所は、こっから目と鼻の先だぜ。

 他の奴らもそこに居る。」

 太く長い脚でしっかりと地面を踏みしめ、やはり太く長い逞しい腕が、背に負った身の丈ほどもある剛刀をすらりと抜く。

 

「かなりの腕だな……!!

 俺は、貴様のような男に会うと血が騒ぐ。」

「おもしれえ。退屈してたところだ。

 ちっとばかり付き合ってもらうぜ。」

 二号生筆頭・赤石剛次は、彼の代名詞とも言える剛刀を構え、月明かりの中で、不敵に笑った。




かつて光に狼を取られそうになっていたゴバルスキーは、狼との精神的な距離を縮めることにより、その事態を回避しています。
これにより狼とゴバルスキーの間に通う情が原作より濃くなっており、結果ゴバルスキー戦のラストが変化しました。
…てゆーか、ここでの発言と七牙での狼との仲良しっぷりに統合性を与えたかっただけですが。

そしてやはり光とディーノという、この場面で原作にいない筈コンビが余計なことやらかした結果、原作には起こらなかった対戦がひとつ実現します。


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13・揺らめく影は蘇る悪夢

「我が名はスパルタカス!

 藤堂兵衛様の敵を闇に葬る、3人の死刑執行人の1人よ!!」

「男塾二号生筆頭、赤石剛次!」

 闘場でもない場所で出会ったにもかかわらず、大仰な名乗りをあげるそいつに、敢えて合わせて俺も名乗る。

 

「貴様にはこの騎馬戦車スコルピオンで相手になろう。

 帝政ローマ時代、その一台が千人の兵に匹敵するとも言われた、この無敵戦車でな!!」

 スパルタカスと名乗った男が、俺のいるところからは見えなかったが恐らくなんらかの操作をしたのであろう、奴の乗る騎馬戦車の車軸から、歯車のような刃が出る。

 あれをどこに収納…いや、それは考えずとも良い事だ。

 

「行くぞ───っ!!」

 そして握った手綱から馬に指示を出し、こちらに向かってくるのと同時に、車軸の刃が、凄い勢いで回転しだした。

 移動速度は当然としても、思っていたよりも小回りの効く動きで、俺の躱す方向についてくる。

 

「ぬうっ!!」

 いくら広めに作られているとはいえ、切り立った崖の上にある道、大きく動けばその道の端から足を踏み外しそうなものだが、さすがにそんなヘマはしてくれんらしい。

 人馬一体の、息をもつかせぬ攻撃。

 たく、よく躾けられてやがる。

 そしてあの車軸の刃は、足なんぞ引っ掛けようものなら腱の1本や2本、簡単に引き裂かれるだろう。

 

 

 騎馬戦車スコルピオン…

 古代ローマの英雄カエサルが考案し使用した伝説の兵器。

 その威力は絶大で、ラビオーリの戦いでは、敵国メルビアの兵一万を、このスコルピオンと名付けた騎馬戦車僅か十両で壊滅させたという。

 その秘密は驚異的な装備・仕掛けにあり、まさに当時の超近代兵器だったわけである。

 ちなみに二十世紀の戦車設計にも、そのアイディアは数多く取り入れられている。

民明書房刊『世界史にみる現代兵器の源泉』より

 

 

 ……ある程度の間合いが必要だな。

 このスピードで迫ってくる相手から間合いを離すのはかなりハードルが高いが。

 油断すれば容赦なく身を削ってくるであろう車軸の刃から、スレスレで身を躱しながら、俺は状況を見極める。

 昨日、梁山泊の副将に断ち切られた膝の腱は、もうすっかり元の通りらしい。

 飛燕が処置の方法を光から教わっていたそうだが、まるで光本人が治療したかってくらいの回復ぶりだ。

 もっとも、俺があいつの治療を受けたのは殺シアムで剣の野郎に負けた時だけの話だから、そう詳しくは知らないが。

 そういや羅刹先輩に至っては腕一本斬り落としたにもかかわらず、直後の処置だけで朝になったら動かせるほどまで回復していて、その処置を行なった飛燕を大絶賛していたのだが、それに対してヤツの微笑んだ顔が妙に引きつっていたのは何故なんだろう。

 まあ、そんな事はどうでもいい。

 当たり前に動く脚で地面を蹴り、高く跳躍する。

 空中で体勢を整えて、ようやく僅かにだが掴めるようになった感覚を、俺は研ぎ澄ました。

 

「むっ!!」

「一文字流奥義・烈風剣!!」

『闘氣』を意識せずに放っていた時には、剣圧で斬る技だったそれは、今は可視するほど確かな質量をもって、対象へと襲いかかる『氣』の刃と化し、その破壊力と斬れ味を倍以上に増している。だが、

 

「無駄なことを!!」

 次の瞬間大きな傘が開いて、奴の姿を覆い隠す。

 これはさっき、男爵ディーノのカードを弾き落とした盾で、あらゆる攻撃の角度を変えて弾き飛ばすというものだった。

 

「一文字流・斬岩剣…この世に斬れぬものはなし。

 その駄馬どもに別れを言うんだな!」

「なんだと…!?」

 初見であったならば驚き、次の一手に惑っていただろうが、こう来る事は計算のうちだ。

 続いて来たであろう激しい振動に、俺に向いていた視線が進行方向へ移行する。

 

「な、なに〜〜〜っ!!」

 奴が傘のようなその盾で散らした俺の剣撃は、きっかり斜め45度に奴らの進行方向の地面へ流れて、崖の上の平らな道だったそこを、すぱりと斬り落としていた。

 その落ちた先は……奈落。

 

「と、止まれ──っ!!

 止まるんだ、おまえ達──っ!!」

 などと言ったところで、それまで猛スピードで走っていた馬たちが、ここまでの角度のついた下り坂の途中で止まれるものではない。

 このままでは戦車や馬たちと共に自身も崖下に落下してお陀仏と、ようやく判断したスパルタカスが、落ちかかる戦車の上から跳躍して、平らな地面に降り立ったと同時に、俺も奴と対峙する位置に着地した。

 

「かつて戦場においてこの俺を、騎馬戦車(スコルピオン)から地に下ろした者はおらん…!

 貴様が初めてだ………!!」

「そうかい。ケツに痕がつかねえうちに立ち上がれたようで、何よりだ。」

「この屈辱の代償は高くつくことになる!!」

 そうだろう、この程度で終わられちゃあ、がっかりもいいところだ。

 

 もっと、もっと楽しませてもらうぜ。

 

 ☆☆☆

 

 ……かつて藤堂邸で夜這いを撃退したあの夜から、私は眠る時も部屋の灯りをすべて消すことはしない。

 闇は自身の行動を隠してくれるが、敵にとってもまた同様だからだ。

 まして睡眠中という無防備になる時間に、なにも見えない状態になるなど、考えるだけでも恐ろしい。

 もっとも、『氣』を使い果たして気絶した場合は別だが、そもそも私は熟睡はほぼしない質だ。

 記憶にある中で無防備に熟睡したのは、桃の腕の中で寝かしつけられたあの2回だけ…考えると若干赤面ものだが。

 

 …だから、まったくの無音で眠っている部屋のドアが開けられた事も、それを成した者が真っ直ぐ、私のいるベッドに近づいて来ている事も、殊更に気配を消しながら天蓋の薄いカーテンに手をかけた事も、私が気づかぬ筈がなかった。

 だからその瞬間、掛け布団を跳ね除けて相手の視界を一瞬塞ぎ、それが落ちた時には、その喉に、私の指先が突きつけられていた。

 頭頂部は禿げ上がっているがその下の白髪を長く伸ばして垂らし、質素だが質のいい和服に身を包んだ老人が、そこに刻まれた皺を更に深くして、嗄れた声で囁く。

 

「よくぞ帰ってきた、光。わしの可愛い娘よ。」

 …その言葉に何ら動く事をせず、むしろ返答次第では『氣』を撃ち込む事も辞さない意志を視線で示しながら、私は相手に向かって呼びかけた。

 

「…一体これはなんの茶番ですか、紫蘭。」

 目の前の『御前そっくりの男』が、私の言葉に眉間に皺を寄せる。

 それから、腕で軽く顔を擦ると同時に被っていた特殊素材の鬘も剥ぎ取って、こちらを睨みながら、先ほどとは違う地声で呟いた。

 

「……何故俺だと判った。」

 たった今老人だった、今は北欧顔の美青年が、いかにも心外だという表情を浮かべている。

 

「見た目の印象をそっくり真似ても、纏う『氣』が若過ぎますから。それに、身体も。

 …確かに御前は脱いだら凄いタイプの年齢詐欺ですけど十代の若い男のピッチピチの肌とはやはり質感が違いますしあの方の『氣』には枯れていながらも妙に生臭いリアルな色気が…」

「それ以上言わなくていい、売女が!!」

 コイツ、ひとをビッチ呼ばわりする割には、昔からこの手の返しに弱かった。

 

「それで?

 どうして私の寝込みを襲うような真似を?」

「寝込っ……!!」

 この程度で、薄闇の中でも薄っすら頬が赤いところを見ると、しばらく会わずにいた間にもそれは変わらなかったらしい。

 フン、童貞が。…まあ、私も処女だけどな。

 などとどうでもいい事を考えていたら、予期しない方向から、先ほど聞いたのと同じ嗄れた声が、私たちの間に割って入った。

 

「それはわしから説明しよう。

 紫蘭、下がれ。わしの勝ちだ。」

 …今度こそ、気配を感じ取れなかった。

 間違いなく本物の、彼が、藤堂兵衛その人だった。

 紫蘭が、渋々といった様子でドアの外に出る。

 

「御前……!」

 まさか向こうからやって来るとは。

 ベッドの上で体勢を整えながら、距離を測る。

 …やはり無理だ。

 私の能力を熟知してそれを己が手足として使ってきた男は、一拍で仕留めきれない微妙な距離を保って、私に向かって微笑んでいる。

 …こんなに厭な笑い方をするひとだっただろうか。

 いや、表情の作り方は以前と変わらない。

 それを受け止める、私の心境が変わってしまったのだ。

 その厭な笑みを浮かべながら、御前が面白そうに言葉を発する。

 

「よくぞ帰ってきた、光。わしの可愛い娘よ。」

「なんであなたまで紫蘭のおふざけに付き合って、心にもない事を仰ってるんですか。」

 …そもそも以前の私ならば、ここで御前につっこむなんて、考えもしない事だったのだから。

 案の定、初めて私につっこまれた御前が、なんとも言えない表情で私を見返す。

 

「…おふざけと貴様は言うが、あれとて貴様だから見分けられたのだぞ。

 常人ならば完全にわしだと思い込んでおるわ。」

 それはそうだろう。紫蘭の擬態は完璧だ。

 ただ、生物には超えられない壁があり、私にそれを見分ける目があったというだけの話。

 

「……それで、この茶番の意味は?

 あと、勝ち、とか仰っておられましたね?」

「フフッ。なに、わしが貴様に会おうと言ったらやけに止めようとするので、ならば奴がわしに化けて貴様が気付かなければ、そのまま好きにしていいと賭けをしたまで。

 まあ、負けるはずのない勝負ではあったがな。」

 …好きに、ね。

 これが他の者であれば貞操の危機を乗り越えたと思うところだろうが、紫蘭相手にそのイメージはどうしたって湧かない。

 アイツは私を、蛇蝎の如く嫌っているのだ。

 好きにしていいと言われたら、迷わず殺しにかかるに違いない。

 

「…そうでしたか。」

 表情から全ての感情を消して、頷く。

 つまり紫蘭は、いわば最後の刺客だったという事だろう。

 

「怒らぬのか?」

 私の無表情をどのような意味に取ったものか御前はそんな事を問うてくる。

 そもそも私があなたに対して、怒ったことなどなかったでしょうに。

 

「…私は、あなたに命じられた仕事に失敗して逃亡した身ですので、こうして捕らえられた今、どう扱おうが貴方の自由です。

 むしろこの瞬間まで、あまりにも丁重にもてなされ過ぎて、どう反応していいか困っておりました。

 どうぞ、ドアの外で聞き耳を立てている奴にお命じください。裏切り者を、殺せと。

 もっとも私も最大限の抵抗はさせていただきますが。」

 紫蘭の気配は、ずっとドアのすぐ外から動いていない。

 御前が命じさえすれば、或いは私が御前に何らかの攻撃を仕掛ければ、すぐに飛び込んでくるだろう。

 むしろ敵意をもって襲いかかってきてくれた方が、攻撃がしやすいというものだ。

 

「フフフ、何をバカな。

 わしが、手塩にかけた可愛いお前に、そのような事をする筈が無かろう?

 金と時間、そして使える手を惜しみなく使って手に入れたその力、たかだか一度の失敗で捨てるなど、ある筈もないではないか?ん?」

 …………………は?

 

「…では、私に差し向けた刺客は。」

「わしの意を汲み違え、勝手に動いた馬鹿も居たのだろうが、わしは貴様を殺せとは誰にも、一言も命じたことはないぞ。

 信じる、信じないは勝手だがな。」

 その馬鹿はあなたの息子のひとりですが、とも言えずに私は黙り込んだ。

 それを見て御前は、喉の奥で謎に笑い声をあげる。

 

「ちょうどいい。

 久しぶりに顔を合わせたのだ。

 少し昔話でも聞かせてやろうか。」

 そして、何やら唐突にそんな事を言い出して、私は思わず首を傾げた。

 

「昔話……?」

「そうよ。ある女の話だ。

 そやつはさる富豪が、使用人の女に手をつけて、生ませた娘だった。

 母親が出産と同時に死んだので、父親はその娘を引き取り、正妻の子と同様にとはいかぬまでも、家の力となるよう、いずれは有力政治家か資産家の元に嫁がせるべく、淑女としての教育を受けさせた。

 だが嫁ぎ先を決める前に父親は死に、父親の持つ権力と資産は、娘にとっては歳の離れた腹違いの兄である、正妻の息子が受け継いだ。

 そして兄が決めたその嫁ぎ先は、政治家でも資産家でもない、市井の鍼灸師だった。

 女はその事に不満は抱いたものの、兄の意向に逆らうことは出来ず、言われるままその男に近づいたのだ。」

 

 …とある富豪の、妾腹の娘。

 後を継いだ兄が見込んだ、市井の鍼灸師。

 

「……それ、まさか。」

「兄は、既に金も権力も持っていた。

 それより欲しいものが、物理的な力だった。

 兄が目をつけた鍼灸師の男は、生と死を司る力を、代々伝える一族の末裔だったのだ。

 女は兄から、男を籠絡する手管を習い、それを使って見事、鍼灸師の妻におさまった。

 そして…男女の双子を生んだ。

 ……フフフ。もう、なんの話をしているのかが判ったという顔だな。」

 …ここまで聞いて、わからない方がどうかしている。

 御前の言うその女は、間違いなく私を生んだ母の事だ。

 そして、その女を父に近づけた、彼女の腹違いの兄とは…!

 

「フフフ、そうだ。

 その女とは、貴様の母親である伊佐(いさ)香子(きょうこ)

 …いや、()して(のち)の姓は橘だったな。

 光、貴様と兄である薫、2人の母親は、わしの腹違いの妹よ。」

 ……つまり、御前は私たちの、血の繋がった伯父だったという事だ。

 かつて私に、赤い車の模型を買い与えてくれた時、『親戚のおじさん』だと名乗ったのは、まったくの嘘ではなかったという事か。

 

「わしは香子が嫁す時、こう命令していた。

 必ず男児を産み、その子が橘の一族に伝わる秘術を継承して(のち)に、それを連れてわしの元に戻れと。

 わしは橘の血とその秘術が、喉から手が出るほど欲しかったのだ。

 香子は命令に従い、間違いなく男児は生まれた。

 …その男児が生まれつき、秘術の継承に耐えられぬほどの病を抱えてさえいなければ、全てが上手く運んだ筈だった。

 或いは、同じ時にその男児に、双子の妹さえ生まれていなければ、その子が無理でも、次の子に賭ける事も出来た筈だった。

 だが、生まれた双子の兄が病弱、妹が健康体であると判った時、香子の夫である(たちばな)照彦(あきひこ)は、妹の方に秘術を継承させる事を決めたのだ。

 これは香子にも、わしにも予想外だった。

 …そして、更に予想外だった事は、継承者となった妹…つまり貴様に、一族の中でも類い稀なほどの天賦の才があり、(よわい)十にも満たぬうちに、その秘術の全てをものにした事と、それが故にか香子が病弱な息子に、過剰に思い入れた事だ。

 その力を用いて兄を何度も死の淵から呼び戻した貴様を、香子は兄とひとときも引き離せないと、貴様と共に戻る事を拒んだ。

 だがいよいよ貴様の力でも及ばぬほど、兄の病状が進んだ頃、香子はわしに懇願してきた。

『娘は渡すから、息子の手術費用を出してほしい』とな。」

 …確か赤石が言っていた。

『妹は、手術費用の為に金持ちに売られた』兄が、そう言っていたのだと。

 だが私と兄が生まれたのさえ、言ってしまえば御前の掌の上での事だったのだ。

 御前にしてみれば預けてあるだけの自分のものを、莫大な金で買い取れと言われたも同然だ。

 さぞ業腹に感じた事だろう。

 それが普通に理解できるくらい、私は御前の近くにいて、このひとの性格を把握している。

 

「…そして、わしは貴様ら兄妹と接触した。

 発作に苦しむ兄を、何度も死の淵から救い出していた貴様を見て、わしはそれまで以上に、貴様が欲しくなった。

 だから、腹の立つ事なれども、香子の要求を呑んだのだ。

 …だが、夫の橘照彦がここに来てようやく、わしと香子の思惑に気がついた。

 というよりも、香子がわしのもとに貴様を連れてきた後で、その罪の意識に耐えきれなくなり、夫にそれを告白したのだという。

 そして、自分は娘を売ったつもりはないと、貴様を返すよう、わしのもとを何度も訪ねてきた。

 ……兄の薫の手術が終わってしまった後になって、だ。」

 人道的な事を抜きにすれば、確かにそれは筋の通らない話だ。

 だが多分、その頃私は孤戮闘の真っ最中だ。

 母がその事を知っていたとして、それを父に話したとすれば、一刻も早く取り戻さなければ私の命が危ないと、そう思ったとしても不思議ではない。

 

「わしの作り上げた、無垢なる刺客。

 高い金を払ってまで取り戻したものを、またわしから奪い返そうなどと、許しておける筈もない。

 まして香子は、わしを裏切ったのだ。

 ……そして後日、2人は車で峠を走っていた際、追い越しをかけてきたトラックに追突され、ガードレールを突き破って車ごと崖下に転落した。

 トラックはそのまま逃走。

 目撃者も居なかった為、そのまま事故として処理されて、今に至る。

 ……昔話は、これで終わりよ。」

 御前はそこまで話し終え、また厭な笑みを浮かべる。

 …そうだ、男爵ディーノが言っていたではないか。

 私の両親の死に、不審な点があると。

 

「……目撃者がいなかったのに、トラックが追突して、それが逃げた事を、何故あなたが知っているのですか?」

 声に感情を込めずに、言葉を絞り出す。

 御前は、喉の奥で笑った。

 

 それが、答えだった。

 

 ・・・

 

「……それで?何故私にその話を?」

 正直意外でも何でもなかったとはいえ、やはり実際に本人の口から聞くのはショックが大きい。

 

「妙な事を聞くものだ。

 やっと手元に戻ってきた可愛い娘と、今度こそ隠し事なく、共に暮らしたいと思うておるのに?」

「いや、今のお話をうかがって、まだ私があなたのところへ、元通り帰って来るとお思いですか?

 それが本当ならあなたは、私の本当の両親の仇でもある筈です。

 ついでに言えば兄が死んだのも、あなたの意図したところではないにせよ、あなたの部下の不始末ですよね?

 それらは、私があなたを憎む理由になっても、改めて忠誠を誓う材料には間違ってもならないということがわかりませんか!?」

 そう、私にもう一度戻って欲しいというのならば、むしろその事実は伏せるべきではなかったのか。

 

「……これほどまでして、わしが貴様を欲しかったのだと、そう言いたかったのだが、判っては貰えなかったようだな。」

「いいえ、感謝いたします。

 ……これで心置きなく、あなたに牙を剥くことができる。」

 ここまできて、私は未だに迷っていたらしい。

 だが、その迷いも晴れた。

 目の前にいるのは、塾長にとっては勿論、私にとっても、家族の仇だった。

 

「……ほほう。

 義父(ちち)であり実の伯父でもあるわしに、あくまで逆らうつもりだと?

 ……これを見ても、まだそう言えるか?」

「え………?」

 唐突に、先ほどまで清子さんと眺めていたのと同型のモニターの電源が入る。

 闘場ではない、何か病院の手術室のような場所で、手術台に横たわる男を、数人の白衣が囲んでいた。

 その横たわる男の顔が、大映しになり……、

 

「……月光!!?」

 そう。それは間違いなく先ほどのマハール戦で敗北を喫し、死んで闘場の外に投げ落とされた筈の、月光だった。

 

「先の戦いで崖下に落とされたのを、わしの手の者が救出した。

 …だが、負傷と失血が見た目以上で、今は辛うじて生きておるが、このままでは遠からずのうちに死ぬであろうな。」

「……!

 お願いです!彼の治療をさせてください!!

 まだ息があるなら、私なら……!」

「可愛い我が娘の頼みだ。

 聞いてやらんこともない。だが……」

「………御前…!!」

「…光よ、よくぞ帰った。」

 …暗殺に成功して戻ってきた時には、ついぞ聞いたことのなかった台詞を、御前は私に向けて口にした。そして。

 

「…………………はい。

 ただ今戻りました、御前。」

 私は………そう言って、その足元に跪いた。

 

 ☆☆☆

 

 …胸が、痛む。

 同時に何か、温かな感触がある。

 そこから、冷たくなった手足に、指先に、熱が満ちる。

 息を吸い、そして吐く。

 そうして、見えない目を開いた時、息を呑むような声が俺の名を、呼んだ。

 

「月光!?」

「……その声は…光、か?」

 声の聞こえた方へ、思わず手を伸ばす。

 その手を、小さな両手が包む感触があった。

 

「もう大丈夫です、月光……ごめんなさい。」

 いつもはつっけんどんな敬語で話す声が、僅かに震えているのがわかった。

 

「……なぜ、謝罪など?」

「もしかすると私はあなたに、死ぬよりも辛い生を、与えてしまったかもしれない。

 ……でも、私はあなたに、生きていて欲しい。」

 頬に、生温い雫が落ちて、流れ落ちる。

 これは…涙?まさか、泣いているのか?

 

「………光?」

「…生きて。お願い。」

「光っ………!!」

 …次の瞬間、額に触れた柔らかな感触が、彼女の唇であると気がついたと同時に……俺の意識は再び、闇に落ちた。




冒頭になりますがスパルタカスさんの言う「3人の死刑執行人」とは、スパルタカス本人と紫蘭、そして光の事です。
ですが本人もよく判っていない事ですが、藤堂の側近中の側近(対外的には娘)で、通常の暗殺業務のほかに裏切り者や失敗して逃亡した暗殺者の抹殺も請け負っていた光は、一部の者にしか暗殺者としての側面を知られてはおらず、大部分の者には『3人目』の存在は半ば伝説と化しています。
藤堂に直接雇用されて訓練施設を使うことがなかったスパルタカスさんは基本闘技場(コロシアム)の方に常駐しており、訓練施設に滞在した光に会うこともなければ『藤堂の姫様』と顔を合わせる機会もなかった為、どちらの顔も知りませんでした。
ましてや『藤堂の姫様』=『存在しか知らない子飼いの暗殺者』=『3人目』とは夢にも思っていません。
(紫蘭はたまたま同じ時期に訓練施設に居たから知ってたわけですが、スパルタカスに対し特に説明はしてませんでした)
自分の捕らえた男装の少女が『姫様』だと後から聞かされ、深窓のお嬢さんが男に誑かされたんだな的な解釈をしており割と同情的です。
男爵ディーノを執拗に追ったのはつまりそういうわけだったりします。
作中でもちょっとだけ触れましたが、この世界のスパルタカスさんは敵に対しては冷酷ですが女子供には比較的紳士です。

…けど、本質がバトルジャンキーである為、目の前に立ちはだかった赤石を見た瞬間、戦いの血が騒いで細かいことは全て忘れました(笑


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14・Night Games

「……これは?」

 傷を塞ぎ、造血処置を施した月光の身柄がどこかへ運び出され(『素晴らしい素材が手に入った』と、なんか気色悪い白衣のジーサンにお礼言われた。いや、お前にやるとは言っとらんわ!返せ!!)、闘技場(コロシアム)の闘士の控え室みたいな場所へ連れていかれて、着替えるように言われた全身タイツのような服に、思わず男爵ディーノ言うところのチベットスナギツネの顔になった。

 …ぴったりと首から下を覆うそれは、どう見てもボディーラインがしっかり出る作りな上、下着を着けたらその線までバッチリ浮き出てしまうであろう事必至。

 だからこれは本来、素肌に直接着けるのが正しい着方なのだと思う…けど。

 

「いやこれ、裸になるのと同じくらい恥ずかしいんですけど!!」

 辛うじて極小の下穿き(布の面積が少ない上、サイドと後ろ側は平紐の、穿くとヒップが丸見えなやつ。しかも色はベージュ)が用意されてはいるが、この紐のラインでもきっと浮いてしまう。

 そもそも私の凹凸の少ないボディーラインとか誰得なんだ。

 

「まあそう言うな。

 わしと直接、専属契約を結んでいる企業が開発した、新素材の試作品でな。

 せっかくだから貴様に試してもらう。

 ……よもや、わしに逆らいはすまいな?」

「………っ!」

 …くそ。

 月光は、命は助けたがその身柄は未だ御前の管理下にある。

 彼の生殺与奪は、御前に握られているのだ。

 そしてそれは、私の返答と行動次第で、どちらにも転がり得る。

 今の私に選択の余地はない。

 

 にやにやと笑う御前を睨みつけながら、ガウンを羽織った乙女ちっくな寝間着の胸のリボンと前ボタンを外す。

 そのままガウンも一緒に思い切ってばさりと脱ぎ捨て、念の為ゆるく巻いていたサラシに手をかけたところで、御前は少し驚いたような表情を浮かべ、一旦手で私を制すると、

 

「……着終わったなら、声をかけよ。」

 と言い置いて、ドアの外へ出てくれた。

 私は御前に女として手をつけられてはいないが、任務を割り振る対象を決める必要上、ある程度大きくなるまでは身体の成長を逐一チェックされていた為、実は何度となく裸は見られている。

 御前は完全に枯れているわけじゃないけど、女性への関心は極めて淡白なひとだ。

 子供が5人居たのは恐らく必要だっただけで、母親である女性たちに思い入れたからではないのだと思う。

 むしろ女性の身体なんぞよりも強い男たちの闘いに興ふ………がふんげふん。

 そこら辺は、塾長とは正反対と言えるだろう。

 塾長は基本紳士ではあるが本質は好色なたちだ。

 その塾長が否定も肯定もしなかった私の身体ごとき、今更どうという事もないだろうに、突然見せられた気遣いに、ほんの少しだけ気が抜けた。

 …まあ、その私の身体も藤堂の家を出た頃より、どことは言わないが幾らかは育っていて、多分御前が知っているそれよりも女性的なラインになっていたからだろうが。

 それにしたってそんなに大きくもない…ってやかましいわ。

 和服を着る分には凹凸がない方がすっきりしていいんだよ!

 大きすぎるのは減らせないけど、無ければ足せばいいだけだからな!!

 ………止そう。これ以上考えたら泣く。

 

 そのクソ恥ずかしい全身タイツは、着る前はピチピチで窮屈かと思ったが、着てしまえば意外にも動きを妨げないものだった。

 …むしろ何かを着ている感覚自体がないのでそれが落ち着かない。

 ボディーラインどころか、薄っすらお臍の窪みとかまで判るし、胸あてが着けられないからさっきまで虐げられていた胸の、先端のでっぱりが若干自己主張しており、これ、もう少し時間を置かないと引っ込まないと思う。

 さっきは裸と同じくらい恥ずかしいと言ったが、訂正しよう。

 むしろ全裸よりエロい。普通に痴女だ。

 とにもかくにもそれを身につけ、何故か一緒に置かれていたオペラ座の仮面みたいのも着けて、深呼吸してからドアの外に向かって声をかけた。

 

「フフフ、なかなか似合うぞ、光。」

 …記憶にある限り、任務を遂行して帰ってきた時にすら、終ぞかけられた事のない御前の褒め言葉だった。

 かつてはあれほどに欲したものが、今はまったく嬉しくないのは何故なんだろう。

 

「……いや、今より貴様のここでの名は【綺薇(キラ)】だ。」

 しかも、なんだそれ。

『光』の擬音か、それとも『killer』ってことか。

 両方な気がする。ネーミングセンスとは。

 

 ……この後、『この時間までまだ興奮が冷めやらぬお客様の為に、特別にミッドナイト・ショーを開催致します』との声と共に集まってきた観客の前、ライトアップされた闘技場(コロシアム)へと連れていかれた。

 轟くような歓声の中で、私が入ってきたのと逆側にある扉から、巨大な猛牛が現れて、まるで肉食獣のような咆哮をあげる。

 武器どころか布の一枚すら与えられずに、闘牛士の真似事をしろというのか。

 ……とりあえず肉は硬そうだ。

 

 ☆☆☆

 

騎馬戦車(スコルピオン)を落としたからと言って、よもや勝った気ではおるまいな!?」

 スパルタカスはそう言うと、先ほど男爵ディーノに対して使っていた鞭を再び手にして、なぜかそれで地面を打った。

 

「奥義・赤鞭砂塵(レッド・ウィップ・サンドストーム)!!」

 鞭は地面を砕き、砂埃を生じさせる。

 何のことはない、煙幕だ。

 その煙幕の間から、例の鞭の先が飛び出してきて、俺の身体を掠る。

 だが、それだけのこと。

 奥義というから期待したが、とんだ子供だましだ。

 次々襲いかかるそれを、身を逸らして躱す。

 一度状況を理解してしまえば、俺の目はその軌道を捉える事ができ、もはや掠る事すらない。

 間髪入れずに、再び烈風剣を放つ。

 剣圧が砂埃を吹き散らし……奴の姿も、同時にかき消えた。

 

「……むっ!?」

 馬鹿な。身を隠す場所などどこにもない筈だ。

 ふと、背後にカチリという微かな、小石を踏むような音が聞こえた。

 反射的に振り返る。と、

 

「かかったな、赤石!!」

「なっ!?」

「もらった───っ!!」

 …奴が現れたのは俺の足元の、地面からだった。

 握られた短剣の切っ先が真っ直ぐに俺の胸元に向かい……。

 最初に感じたのは、熱。

 

「ぐはっ!!」

「フッフッフ、呆気ないものよ。

 俺の短剣は確かに、貴様の心臓を完全に貫いた!」

 一拍遅れて、鼓動とともに強くなってくる痛みに、俺は地面に膝をついた。

 

 ・

 ・

 ・

 ・

 ・

 

 だが。

 とどめを刺す必要もあるまいと背を向けようとしたスパルタカスの兜を、俺の剣圧が飛ばす。

 

「なっ……なに〜〜っ!!!!」

 刀を構えている俺を二度見するように振り返り、改めて視界に入れたスパルタカスは、驚愕のあまり棒立ちになった。

 

「…まさかこの程度で、俺を倒したつもりじゃねえだろうな?」

「馬鹿な……信じられん!!

 貴様の身体は、一体どうなっている……!!」

 確かにこの状況では、確実に倒したと判断したところで不思議じゃあねえが。

 

「フッ…企業秘密ってやつだ。」

 溢れてくる血を申し訳程度に手で抑えつつ、俺は笑いながら立ち上がってみせた。

 

 ……まさか2日連続で、この奥義に助けられる事になるとはな。

 一文字流奥義・血栓貫(けっせんかん)

 奴の短剣の軌道を視界に捉えた瞬間、俺は僅かに身を躱して刃先を逸らし、間一髪で致命的な急所を外した。

 しかも、昨日のは俺の刀(斬岩剣兼続)だったから、それだけ出血も避けるべき範囲も大きくなったが、この短剣程度なら造作もない。

 勿論、正確な見切りと同時に、俺の動体視力があればこそ可能な技だったのは言うまでもないが。

 

「……このバケモノが!!

 まだそんな力が残っておるとは驚きだが、ならば今度こそ地獄へ送ってやろう!!」

「そいつは不可能だ。」

「なにっ!!?」

 次の瞬間、奴の手にした鞭が、バラバラと細切れになって足元へ落ちる。

 一文字流奥義・微塵剣。

 さっき兜を飛ばしたのは、俺があの一瞬に放った剣撃の、ほんの一閃に過ぎない。

 

「なんだと!?俺の赤鞭(レッド・ウィップ)が……!!」

「最期だ、スパルタカス!!」

 そして。

 

 

「けえええ─────っ!!」

 

 

 斬。

 

 

「ぐぐっ……!!

 な、なんという男よ、貴様という奴は………!!」

 言いながらスパルタカスは、逆袈裟に真っ二つの状態で、地面に落ちる。

 奴が息絶えるのを確認して、俺は再び地面に膝を落とした。

 

「赤石先輩!」

 俺を呼ばうそれが、剣の野郎の声だと気がついて、俺は斬岩剣を地に突き立て、それを支えに何とか立ち上がった。

 

 ・・・

 

 簡易休憩所に辿り着いた男爵ディーノが、気を失う前に話した事を一言でまとめると、光の馬鹿がやらかしてとっ捕まったらしい。

 

「ほんとに一言でまとめましたね…。」

 やかましい心を読むな剣。

 自分は殺されることはないからとディーノを逃し、そのディーノを追ってきたのがさっきのスパルタカスだったというわけだ。

 

「どうして、おとなしく待っているという事ができないんだ、あいつは……!!」

 剣の野郎が呟いた言葉は、この場の全員の思いだったろう。

 諦めろ、剣。俺はそろそろ諦めた。

 

 ☆☆☆

 

 …猛牛との闘いは呆気なく勝負がついて、更にデカいのをもう1頭倒しても時間が余ったせいか、このやたらと身体は動きやすいけど間違いなくエロい格好のまま、10人余りの剣闘士(グラディエーター)みたいな衣装を着けた男性達と更に闘わされた。

 なにげに以前富樫に無理矢理押し付けられて読んだ、全裸に仮面だけ着けて戦う女の子が主人公の漫画を思い出しながら(隠すトコ絶対間違ってると読んだ時は思ったが、顔が見えないというだけで羞恥心が目減りするのを、知りたくなかったが実感した。今ならば、意外と『翔霍』にノリノリだった影慶の気持ちも理解できる。私はもっとキャラは変えようと思うけど)、最後の1人を気絶させたところで、ようやく終了の鐘が鳴った。

 へとへとに疲れ果てたのもさることながら、若干の不都合を覚えながら部屋に戻され、さっき着てた寝間着と下着を渡されて『綺薇』の衣装は回収された。

 

『衣装の使い心地はどうだった』と御前に訊ねられたので、

 

『身体の動きを全く妨げず俊敏性は申し(ぶん)ないのですけど、激しい動きが続くと乳首が擦れて痛いです』と正直に言うと、

 

『…開発担当者に伝えておく』と、少し気まずい顔をして去っていった。

 

 ようやく休むことができた私は、ベッドに横になると同時に、気絶するように眠った。

 というか、汗が酷いけどシャワーを浴びる余裕すらなかった事を考えれば、氣の消耗でほぼ気絶していたのだと思う。

 

 ☆☆☆

 

「…御前、報告いたします。

 侵入者を捕らえに行ったスパルタカスが、男塾の陣の手前で倒されました。」

「なに!?………そうか。

 小虫など放っておけと言ったものを、油断しおって。…まあよい。

 ヘリを、いつでも飛ばせるよう準備しておけ。」

「御意。」

 

 ……夜明けまであと3時間あまり。

 次に目を覚ましたとき、更なる地獄に直面することを、この時の私は知らなかった。




作中で光が何度か指摘してますが、基本的に塾生たちは相性の悪い敵とか、或いは相手の得意ステージで戦うというのがもはや仕様です。
まあその方が話が盛り上がるというのも事実なんでしょうけど(メタ感
梁山泊での赤石対宋江将軍戦とかそれの最たるもので、あれ赤石じゃなく伊達だったら、あっさり勝てたとまでは言えなくても、あれほどの苦境に立たされる事はなかったと思うのです。
(もっとも、伊達が苦境に立たされるところとかそもそも想像つかないですけど)
今回のスパルタカス戦は、アタシのそんな想いが反映されており、割と呆気なく勝負がついたのはその為です。
ここで重要なのは原作で邪鬼様と相討ちしたスパルタカスさんに赤石があっさり勝ったとしても、だから赤石が邪鬼様より強いという事ではなく、相性の問題がそれだけ大きいという話なのです。
つか一番最初の構想ではスパルタカスさんは、ただの小娘と侮って完全に油断したところを光にサクッと殺され、『高須(たかす)(すばる)くんなんて居なかったんだ、いいね』的な不憫な展開になる予定でした。
これは無いなと思い直して考えた末に赤石と戦ってもらう事になりましたが…ええ、つまりは原作にある『邪鬼対スパルタカス』という対戦カードが、『婀嗟烬我愛瑠〜assassin girl〜』に於いて消滅することは、最初から決定していました。
あの対戦に思い入れがあった方には申し訳ありません。
邪鬼様には別な相手を用意していますが…こっちは『ある意味相性最悪じゃね?』くらいの感じになる筈です。
もう皆さん、大体予想できちゃってるとは思いますけどね…。
けどできれば感想欄に予想書くのは遠慮していただけたらと思います。

そして光の闘技場(コロシアム)での闘いは敢えて結果のみを書き、その詳細を省いてあります。
『綺薇』の衣装は『曉』の時代に登場する零坐零差(れいざれいさ)の、開発段階での試作品。
既に完成度は高いもののまだまだ細かい課題が残ってるようですw


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15・Show must go on

ただでさえ思い入れのない蒙古(モンゴル)凶撰(きょうせん)戦の、一番思い入れのないキルギスカーン戦。
これを2話続けるのは耐えられそうにないので、出来るだけ短くまとめて1話にしました。
ごめんな、虎丸。


 夜が明けた。

 眠っている間にいつの間にか運び込まれていた食事をとり、身支度を整えた後、係員の誘導に従い、再び闘場を臨む自陣へと戻る。

 Jの闘いで闘場に散らばった瓦礫はまだ片付けられていないが、埋まったゴバルスキーは掘り出されたようで、さすがにもうそこには居なかった。

 

「なんだ、奴らまだ寝てんのか?

 次の対戦相手が出て来ねえじゃねえか。」

「いや、奴等は既に来ている!!」

 欠伸をしながら富樫が言うのに、伊達が闘場よりも目線を上に向けて答えた。

 その目線を追った先には、昨夜Jに下半分を破壊された藤堂の像の頭の上に、3人の男が立っているのが見える。

 そのうちの、身長はさほどでもないが横幅が他の2人の倍はあろう男が、立っていた像から脚を蹴り出すと、その巨体からは信じられないくらいふわりと、音もなく下の闘場へ着地した。

 

「わしの名はキルギスカーン!!

 冥凰島蒙古(モンゴル)凶撰(きょうせん)のひとり……!!

 この勝負のために、面白い趣向を用意してある!!」

 キルギスカーンと名乗ったその男は、そう言って片手をあげる。

 それが合図だったようで、ガガッという若干耳障りな音とともに、闘場の淵から何やら円形の…縁を俵で囲んだ相撲の土俵のような(ただし、徳俵にあたる部分はない)、小さなもうひとつの闘場が現れた。

 

「ま、まさかあのキルギスカーンとかいう野郎、あそこで闘おうってのか──っ!!」

「フフッ、なにも驚く事はあるまい。

 貴様等の国の国技にも、相撲というものがあるではないか。

 もっともその源流が我が故郷の、モンゴル相撲にあることは知らぬだろうがな。」

 …やはり相撲なのか。

 だが日本の相撲と違い、これでは土俵の外に出されれば谷底に落ちて一巻の終わり。

 

「さあ、どうした!!

 一歩足を踏み外せば奈落の底へ真っ逆さまのこの地獄相撲(チャガ・ボルテ)、受けてたつ者はおらんのかーっ!!」

 その土俵の真ん中に進み出て四股を踏みながら、キルギスカーンはこちらを睨みつけてきた。

 

 

 地獄相撲(チャガ・ボルテ)

 世界各地に日本の相撲に類似した格闘技が点在するが、特に有名なのはモンゴル相撲である。

 その歴史は古く、ジンギスカーンの時代まで遡るという。

 勇猛果敢な騎馬民族である彼等は、戦闘訓練の一環として、好んでこれを行なった。

 中でも17世紀に時の暴君・ジミヘカーンによって発案された地獄相撲(チャガ・ボルテ)は、地上15メートルの高さに土俵を作り、そこで生死を賭けて戦うという、凄まじいものだった。

 ちなみに現代の日本の相撲で使う『どすこい』という掛け声は、この地獄相撲(チャガ・ボルテ)最強の戦士として知られた『ドスコイカーン』の名に由来するという説もある。

民明書房刊『相撲人生待ったなし』より

 

 

 先ほどの像の上から飛び降りた時の身のこなしから見て、奴は見た目通りの怪力だけの男ではあるまい。

 あの地獄相撲(チャガ・ボルテ)という闘いに関して、並々ならぬ自信があるのだろう。

 男塾の授業の中にも、かなりの割合で相撲の実技の時間があるが、少なくとも今回のような、命をかけて戦うような内容のものでは勿論ない。

 そもそも日本の相撲は、元々は格闘技ではなく五穀豊穣を願う神事だ。

 

「…誰が行く?

 あの狭い土俵の上では、使う技は限られてしまうだろう。」

 昨晩、予定外の闘いに身を投じて負った傷がまだ新しい赤石先輩が、その土俵を睨みながら全員に声をかける。

 ちなみに赤石先輩が倒した奴が追ってきた男爵ディーノは、飛燕の針による応急治療を受けた後、今は簡易休憩所で休ませている。

 

「…クックック。

 どうやら、やっと俺の出番が回って来たらしいな。」

 と、内心の歓喜を抑えるような呟きが背後から聞こえ、反射的にそちらを振り返る、と。

 

「と、虎丸〜〜っ!!」

 富樫が指差した先に、いつの間にか締め込みを着用し、蹲踞の姿勢から雲龍型土俵入りの構えをとる虎丸の姿。しかし……

 

「相撲と聞いちゃあ黙っちゃおられんぜ!!

 ここは男塾一の力自慢、この虎丸龍次様に任せてもらおうか!!」

「いやそのマワシ、豭門跳體砲(かもんちょうたいほう)で使ったゴムじゃねえか!!」

 …そうなのだ。

 ぱっと見には問題ないように見えるのだが、布で作られた本物の締め込みと違い一本の幅が細いので、動くたびに下の肌の色が隙間から覗いており……その、詳しくは言わんが、若干危うい気がしてならない。

 

「そんなこと構うもんかよ!任せておけって!!」

 いやそこは構え。

 まあしかし、あの小細工の通用しない武舞台は、確かに虎丸の純粋な『力』が生きる、格好の場になるだろう。

 …そう気を取り直して、縄ばしごを転がるように駆け出していく虎丸の背を俺は見送ったが、隣で富樫が、どこか不安げにそれを見つめているのに気がついた。

 

「…心配するな、富樫。

 最良の相棒であるおまえが、あいつを信用できないのか?」

「…そうじゃねえ。最良の相棒だから判るんだ。

 奴は無理して空元気出しているが、決死の覚悟で出ていきやがった………!!」

 富樫の呻くような呟きに全員が息を呑む中、転がる『ように』駆け出していった筈の虎丸は、途中から本当に転がって闘場へたどり着いた。

 それでもすぐに体勢を立て直して身を起こす虎丸に、キルギスカーンが声をかける。

 

「早く渡って来るがいい。

 もっとも、考え直すなら今のうちだがな。」

「な、なんだと──っ!!」

 …それが挑発だと、気付かなかったのは虎丸本人だけなのだろうか。

 

「か、覚悟はいいかこの野郎!!」

 太い二本のポールで支えられた狭い土俵の上で、双方が立合う。

 日本の相撲なら、ここで行司が開始を告げて取組が始まるのだが、ここには行司にあたる存在はなく、自分たちでタイミングを計るしかないらしい。

 

「行くぜ───っ!!」

 そして、虎丸が気合声と共にキルギスカーンに組みつき、勝負が始まった。

 

「よっしゃあ!見事な立合いじゃ──っ!!

 気張ったれや虎丸───っ!

 村相撲で横綱をはっていたという実力を、そのブタ野郎に思い知らせてやるんじゃ──っ!!」

 ……村相撲?

 それ、やっぱり神事なんじゃないのか……?

 

 ・・・

 

「うおお〜〜っ!!」

 

 ……

 

「ぬりゃ──っ!!」

 

 ……………

 

「ぐお〜〜っ!!けえ──っ!!どすこ──い!!」

 

 ………………………

 

「そりゃ〜〜〜〜っ!!」

 

 …土俵上で、自分より一回り大きなキルギスカーンに組みついた虎丸は、掛け声は大きかったものの、それ以上まったく動くことはなかった。

 否、動けないのだ。

 まるで、足に根が生えているようだと、虎丸が押しながら呟く。

 そんな虎丸を嘲笑うように、キルギスカーンは虎丸のゴムの締込みを掴んでヒョイと持ち上げながら、この闘いのルール説明の補足を始めた。

 

「この地獄相撲(チャガ・ボルテ)、何度地に倒されようが関係ない。

 この土俵から、奈落の底へ放り出されぬ限りはな。

 そして、どんな相撲の禁じ手を使う事も自由だ。」

 そう言って、その太い脚が虎丸に入れた蹴りは、易々と彼の身体を、土俵際まで弾き飛ばす。

 更に、バランスを崩して落ちかかる虎丸に、とどめとばかりに食らわした張り手は、寸でのところで躱された。

 一度見極めがついてしまえば、虎丸は基本、身体能力が高い。

 以前鎮守直廊で男爵ディーノの仕掛けに立ち向かった時には、オリンピック級の俊足を披露したほどだ。

 その素早さを駆使して、狭い土俵の上、次々に襲いかかる嵐のような張り手を躱し続ける。

 追いかけるキルギスカーンは、ここから見ていても判るほどに、滝のような汗をかき始めた。

 その異常な発汗は土俵一面に溜まり、虎丸が滑って尻餅をついた。

 そこから立ち上がったと同時に繰り出された張り手を躱し、再び滑る。

 そこに来て初めて虎丸は…そして俺たちも、事態の異常さに気がついた。

 

「ううっ……こりゃあ一体……!?」

「これぞ蒙古(モンゴル)凶撰(きょうせん)奥義・浹滑(しょうかつ)溜汗(りゅうかん)!!

 土俵一面を覆い尽くしたわしの汗は、多量の脂分を含んだ特殊なオイルのようなもの。

 これで貴様は身動き取れなくなったということよ!!」

 そして、自分は大丈夫だと足の裏を見せる。

 ここからではよくわからないが、どうやら吸盤のように地面に張り付くような形状になっているらしい。

 これが生まれつきのものならば、まさに相撲の為に生まれたような男だ。

 …身体から脂はともかくとして。

 

「…おめえはてっきりブタだと思っていたが、どうやらガマガエルだったらしいな。」

「ぬかせ──っ!!」

 虎丸の挑発に怒りの形相を浮かべて、キルギスカーンの張り手が飛ぶ。

 虎丸はまたもそれを躱したものの、みたび足元の油に足を滑らせて、宙に浮いたその足首が、キルギスカーンの手に掴まれた。

 そしてそのまま、力任せに土俵に叩きつけられる。

 

「ブタだガマガエルだと言いたい放題、人の一番気にしてることをぬかしおって!!

 わしゃ、至って傷つきやすい性格でのう!!」

 …あ、気にしていたのか。

 まあそうだろうな。なんか、すまん。

 それはともかくキルギスカーンは、気絶しかけている虎丸を足で地面に転がした。

 そうして、あの大きな身体を信じられないほど高く跳躍させ、その重さと落下速度を充分に乗せて、虎丸の腹に、肘を叩き込む。

 息も絶え絶えになり、抵抗もままならない虎丸の身体は、再びキルギスカーンの手に足首だけを掴まれて、土俵の外に吊り下げられた。

 

「…わしは蒙古(モンゴル)凶撰(きょうせん)の中でも、仏のキルギスカーンと言われるくらい慈悲深い男だ。

 さっきの暴言を取り消せば、命まで取ろうとは言わん。」

 どうする?と睨みつけられ、虎丸は苦しい息の中で声を発した。

 

「あ、ああわかったぜ……ブタでもガマガエルでもねえ……よく見りゃ、てめえのツラはイボイノシシそっくりだぜ!」

「地獄の果てまで飛んでいくがいい──っ!!」

 途中まで聞いて浮かべた笑顔が一瞬で鬼の形相に変わり、キルギスカーンは虎丸の身体を、力一杯土俵の外にぶん投げた。

 

「と、虎丸──っ!!」

 その光景に、富樫が力を落として膝をつく。

 だが………!

 

「どうした、その涙は。富樫!?

 男塾一号生、虎丸龍次…やはり奴は只者じゃなかったぜ!!」

 一番近くでその身に触れていたキルギスカーンが何故気付かなかったかは謎だが、虎丸はその腕に吊り下げられてる間も、決して諦めてはいなかった。

 足元が自分の動き以外の振動で揺れている事にようやく気付いて、キルギスカーンが土俵の下を覗き込む。

 土俵を支える太いポールに、黒い紐のようなものが結び付けられており、それが何もない土俵の外に張りつめられている事に、気付いた時には遅かった。

 

「馬鹿たれが──っ!!

 崖っぷちで吊るされてた間、このゴムのフンドシを結びつけてたのに気づかなかったか───っ!!

 地獄へ堕ちるのてめえだぜ〜〜っ!!」

 キルギスカーンが投げた力の勢いを、そのまま受けたゴムの伸縮力で、飛んで戻ってきた虎丸の蹴りが、仕返しとばかりにキルギスカーンの、重い身体を土俵の外に蹴りだした。

 

「うおおお───っ!!」

 

 ・・・

 

 だが。

 キルギスカーンはさっきの虎丸同様、隠し持っていた鉤のついた鎖を、落ちる前に土俵の端に引っ掛けていた。

 負けを認めると言われて、引っ張り上げた直後にやはり攻撃されかけたが、それは一個の石礫により阻まれる。

 その一瞬の隙をついて、虎丸は今度こそ、キルギスカーンの巨体を奈落の底に蹴り落とした。

 

 まったく、ハラハラさせる奴だ。

 そう思いながら、見ていただけで荒くなった息を整えながら、ふと本来の闘場に目を向けると、例の塔の階段のすぐそばで、壁に寄りかかっている覆面の男の姿が目に入った。

 

「男塾第二の助っ人・翔霍───っ!!」

 あの男、いつのまに闘場へ……!?

 だが、虎丸を助けてくれた事は間違いない。

 

 藤堂の像の上に立ち、ずっと闘いを見ていた男たちの一人が、その翔霍を睨みつける。

 

「どうやら、おまえが次の対戦相手らしいな……!!」

「そうだ……この翔霍が相手になる!!」

 

 ショーは続く。第二幕の始まりだ。

 

 ☆☆☆

 

 …………身体が熱い。

 肌を伝う感触が、くすぐったいような、むず痒いような、おかしな感覚を呼び起こして、意味もなく手足をばたつかせたくなる。

 身体の奥が熱をもち、それが出ていかない状態がもどかしい。

 

「ふうっ…はあっ……くあっ………!!」

 たまらず吐いた息に、悲鳴のような小声が混じる。

 駄目……我慢出来ない………!!

 

「お願いです……脱がせてください…!」

 そう訴えると同時に、周囲が明るくなった。

 

 ・・・

 

「……そんなに不快だったか?」

 簡易トレーニングルームの片隅に臨時に置かれた間仕切りカーテンから顔を出した私を、御前がため息をつきながら見下ろした。

 側近の方々に割と体格のいいひとが多いのであまり目立たないが、御前はこの年齢にしては長身だ。

 

「…これでしたら、最初のものの方がまだ楽でした。

 肌に当たる感触はこれの方が柔らかいですが、通気性と吸湿性がまったくないので暑く、動いて汗をかくとそれが肌を伝って、とにかく気持ち悪いのです。

 あと、背中ファスナーというのも地味にマイナスポイントかと。

 これでは一人で脱ぎ着できませんから。」

 タオル地の長いバスローブを包まるように身につけて、清子さんの手を借りて今脱いだばかりのスーツを御前に返しながら、私はその使用感を訴える。

 あれから5時間ほどの睡眠の後、清子さんに起こされて寝ぼけ眼の状態で、気がつけば歯磨きや入浴の世話をされていた。

 それから結構しっかりした朝食を与えられて(豪毅と一緒に暮らしていた頃はしっかりと食べさせる為に、バランスの取れた和朝食を私が作って一緒に食べていたが、彼が修業に出てしまってからは、お粥とかお雑炊とかの軽めのものを作ってもらって食べる習慣にシフトしていた。男塾で生活するようになってからは自分で作ってはいるが、やはり朝はそういった軽いものだったので、朝からしっかり食べたのは久しぶりだ)、その後やってきた係員にすごく謝られながら両手にまた枷をつけられて、抱っこで運ばれた部屋に、また御前の姿があった。

 そこで枷は外されて、仮面の方は免除されたが昨夜のアレとはまた違うスーツを渡され、結構ハードなトレーニングを強要されて、今の状態になっているわけだ。

 どうやら、昨日の結果に企業の開発部が納得いかず、別の試作品を持ち込んだらしい。

 熱源を少しでも排除する目的で部屋が薄暗くされていたせいで気がつかなかったが、いつの間にか御前以外にも複数の男性がおり、不躾に私を見つめている。

 恐らくはその開発研究員達であろうが、なんでもいいが取り囲まないで欲しい。恐い。

 

「失礼いたします。

 女性視点から申し上げますと、やはり『擦れない』素材に拘るよりも……その、部分を保護する対策を取る方がいいように思えます。

 どちらにしろ、生地自体が薄手のようですし、見た目としても。

 …姫様のお嫁入り前の身体が、お身内以外の男性の無遠慮な視線に晒されるというのは、ずっとお世話をしてきました私としましては、やはり問題に思えてならないのですわ。」

 そして私の前に進み出て挙手した清子さんが、男性たちの視線から私を庇い、その目をそれぞれ見返して言った。

 私を見つめていた男性たちが、それにより一斉に明後日の方向を向く。

 

「ふむ……光。貴様自身の意見は?」

 一人だけ清子さんの強い視線から逃れていた御前が(清子さんから見れば、義理であっても私の父親なので)、顎を摩りながら私に発言を促す。

 

「…こういったことは、男性に言ってもわかってもらえない気がしたので、口にはしませんでしたが、正直、乳首の形がはっきり見えるのは恥ずかしいと思っていたので、清子さんに言ってもらえてホッとしています。

 闘着の性能としては、昨日のものの方が格段に優れていますから、私としてはあれで、胸だけは絆創膏的なもので保護すれば問題はないように思うのですが。」

 私がそう言うと、どうやらスーツの開発担当と思われるひと達が、こちらから離れて話し合いをはじめた。

 それに合わせたかのように、別の数人が代わりに前に出てきて、代表者であるらしい一人が、私に直接、一礼してから話し始める。

 

「…絆創膏では、粘着剤で肌が荒れたり、汗で剥がれたりといった問題が生じるでしょう。

 そこでですね、実は当社からも、ひとつ、お嬢様に試していただきたいものが…」

「……これは?」

 そう言って手渡されたそれは、卵形をした深皿状の、何やらぷるんとした感触のものだった。

 それが2枚。どうやら一対のもののようだ。

 

「特殊なシリコン素材で作られた下着です。

 我々は仮称として『脱浮舞楽(ぬうぶら)』と呼んでおります。

 肌に張り付けて使うものですので、通常の動きであればずれ落ちる心配はなく、お嬢様のお胸を保護する役も果たせるかと思います。」

 ということは、これは胸あてなのか。

 確かに言われてみれば、端にブラジャーのフロントホックのようなパーツが付いている。

 ただ本体は厚みのあるカップのみで、ベルトやストラップに相当するものがない。

 肌に張り付けると言っていたが、落ちてしまわないものなのだろうか?

 

「ただ、こちらもまだ試験段階ですので、どの程度の動きに耐えられるかは未知数です。

 ですのでこちらも、是非テストをお願いしたいのですが…。」

 その言葉で、今度はそれを装着した上に昨日のやつを身につけて、再びキツいトレーニングを開始する流れとなった。地獄だ。

 

 ・・・

 

 数十分後。

 

「……これ、凄いです!」

 …勿論先端のでっぱりはおろか下着のラインが出ないことも、激しい動きでも汗でもずり落ちない密着感も、それでいて肌になんら不快を与えない感触も、全てが理想的だったわけだけども。

 

「この私の胸がひとまわり大きく見えます!!

 発売されたら、絶対に数本まとめ買いします!」

 厚手のシリコンパッドに覆われたその上から服を着てしまえば、下着のラインが出ない事も相まって、見たことのない豊かなラインが、自然にスーツの胸元を押し上げている。

 その初めての感動にうち顫える私の耳に、開発研究員が思わず呟いた『そこじゃねえよ』という声は、残念ながら届かなかった。



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16・面影も、影もない夢のなか

 恐らくは追い討ちをかけられぬようにとの配慮なのだろう。

 先の戦いに勝利を収めた虎丸に陣へ戻るよう促した後、翔霍は像の上に立つ2人を睨みつけていた。

『金で雇われただけのプロの助っ人』と自分で言った割に、温情を隠しきれていない。

 

「不思議な男だ…。」

 俺が心で思ったことを読んだように伊達が呟く。

 だが未だ覆面の下の素顔は隠されたままだが、その熱い魂とともに、今度こそその正体も、それを隠す理由も明かしてくれるだろうという確信が今はあった。

 俺の考えが正しければ、やはり、彼は…!

 

「さあ、俺の相手はどっちだ。

 なんなら2人一緒でも構わん……!!」

 と、虎丸が縄ばしごを渡り終えて戻ってきたのを確認して、翔霍は男たちに声をかける。

 残った2人のうち1人が、そこから飛び降りると同時に翔霍に手刀を放ち、翔霍はそれを迎え撃った。

 双方、相手に触れられぬまま交差した2人は、互いに間合いを取る。

 

「俺の名は蒙古(モンゴル)凶撰(きょうせん)・フビライカーン!!

 その思い上がった口は、永遠に閉ざされる事になる!!

 …だが、少しは使えるようだ。」

 どうやら次は翔霍と、このフビライカーンという男との戦いとなるようだ。

 あの翔霍の隙のない身のこなしを見て『少し』と言えるあの男、言葉通りの達人か、それともそれこそ思い上がりなのか。

 

「見事、受けてみせるか!!」

 そう言ってフビライカーンが片手を上げて、何か合図をしたと同時に、闘場の地面に地割れが走る。

 一瞬バランスを崩しかけた翔霍が飛び退き、それと共にフビライカーンの足元がせり上がった。

「これぞ究極決闘法・水龍(すいろん)淎球(ぽーきゅう)!!」

 

 地面の下から出てきた、奴が立っているそれは、巨大な台座のついたガラス球のような、どうやら水槽であるらしい。

 

「既に察しはついているだろう…ここからは水中での闘いだ!!

 空気孔は天井にただ一箇所のみ…闘いの最中は、ここで息をつぐしかない。」

 それは奴の足元に四角く空いた、それほど大きいとは言えない穴だった。

 フビライカーンはその狭い穴から、やや身体を縮めるようにして、丸い水槽へと飛び込む。

 

「さあ、どうする!?」

 それは闘いの舞台への(いざな)い。

 受ければまたも相手のフィールドに、文字通り飛び込んでいく事になる。

 

 

 水龍(すいろん)淎球(ぽーきゅう)

 古今東西、武道家同士がその雌雄を決すべく行なう決闘法は数あるが、中でもモンゴルに伝わる水龍(すいろん)淎球(ぽーきゅう)は、最も過酷なものとして有名である。

 後に硝子工芸の発達によりガラス球が使用されたが、当初は7メートル四方の木槽に水を一杯に満たし、その中でどちらかが死ぬまで闘った。

 水中では当然、闘う時間は限定され、しかも水の抵抗により、動作に通常の3倍もの体力を消耗する為、その苦しさは想像を絶した。

 ちなみにこの決闘で負けた者を、モンゴル語で『ドザイ・モーン』(水死の意)と言い、日本で溺死体を『土左衛門』と呼ぶのはこれが語源である。

 

民明書房刊「泳げ!騎馬民族」より

 

 

「バカタレが──っ!!

 金魚じゃあるめえし、誰が好き好んでそんな勝負するかってんだ───っ!」

 

 富樫とともに、戻ってきて早々に着替えを終えた虎丸が、『そんな口車に乗るな』と翔霍に声をかける。が。

 

「フッ…おもしろい。受けたぞ、この勝負!!」

 翔霍は軽々と跳躍すると、ガラスの水槽の上に飛び乗る。

 そしてフビライカーンが入ったのと同じ穴から、水中へと身を躍らせた。

 

 ☆☆☆

 

「見せてやろう、蒙古(モンゴル)水中闘法秘技の数々を!!」

 フビライカーンと名乗ったその男が用意した水中戦の舞台に飛び込みながら、何故か一昨日まで一緒に行動していた女の顔が、一瞬だけ脳裏に浮かぶ。

 

『…みすみす、相手のステージに踏み込むってのも、戦略としてはどうかと思うのですが』

『俺も以前はそう思っていたが、敢えて相手のステージで戦って完膚なきまでに勝つというのも、逆に爽快なものでな』

 2人で影から仲間たちのサポートをしていた間、光とそんな会話をしたのは、確かP(ファラオ)S(スフィンクス)戦の時だったように思う。

 俺の答えに、どこか呆れたような表情を浮かべていた彼女が、先程ようやくたどり着いた簡易休憩所の中に一人で休ませられていた男爵ディーノの話から、ここに居ない事は知っている。

 俺の姿を見て負傷をおして跪こうとした彼奴を制し、『拙者がディーノ殿より詳しく話を伺い申す。後から参りますゆえ影慶殿は先に闘場へ』と雷電に言われてここに来たが、俺としては男爵ディーノを責める気など毛頭なかった。

 あの時…梁山泊戦の後、重傷者をこっそり手当てしに行って戻ってきた光が、『二手に分かれよう』と提案した時、何か思いつめた表情をしていた事には気がついていた。

 それでもあいつを止める事ができなかったのは俺の力不足のせいだ。

 …それほど長くもない時間の中、行動を共にして判った。

 あいつは己が手にかけた命に、全く罪の意識を感じていないわけではなかったという事。

 むしろその罪の意識ゆえに、この闘いに飛び込んだという事。

 共に行動して最初の日、俺に向かってきた黒蓮珠の副頭を躊躇いなく手にかけておきながら、直後に泣きそうな顔をしたのを、柄にもなく抱き寄せて宥めた。

 それから手を携え言葉を交わして、最後の日にまだ息のあった梁山泊の首領のひとりを、あいつが自ら進んで命を救った時に、その冷え切った心に、僅かな灯りを、俺が点す事が出来たのだと自惚れた。

 …今ならば、それでもまだあいつには足りなかったのだと判る。

 いやむしろ、中途半端に温かい感情を呼び起こした事が、この事態に繋がったともいえよう。

 あいつは…これ以上仲間たちが傷ついていくのを、ただ見ている事に耐え切れなくなったのだ。

 だが、まさか一足飛びに大将首を狙いにいくなど思いもよらなかったが。

 

 ……起きてしまった事態はもう仕方がない。

 今は、目の前の闘いに没入しよう。

 男塾死天王の将ではない、3年前に邪鬼様と出会う以前の、ただ一介の闘士として。

 

「闘いの前にひとつ言っておく。

 俺を相手に、生きてこの水龍(すいろん)淎球(ぽーきゅう)から脱出できた者は、かつて一人もおらん!!

 考え直すなら今のうちだ!!」

 飛び込んだガラスの水槽の中で対峙したフビライカーンは、そう言って俺の闘いの意志を再確認してきた。

 

「ならば俺も言っておく。

 この毒手にかかれば、たとえカスリ傷であっても、たちまちあの世へ直行する事になると!!」

 右手に隙間なく巻いた、サラシを裂いた包帯を外しながら、俺は完全な戦闘態勢に入る。

 

「笑わせるな、毒手だと……そんなものが、この俺に通用すると思うか──っ!!」

 言うやフビライカーンが水中を、螺旋を描いて飛ぶように泳ぐ。

 一瞬その動きに翻弄された次の瞬間、水中とは思えないほどの威力で回し蹴りが放たれ、その脚に向けて俺が放った手刀は、易々と躱された。

 

「無駄だ、いくら手数を出そうが、そんな緩慢な拳ではカスリもしない!!

 水の中では地上での力の、一割も発揮できなくなる!!」

 確かに水中で動けば、当然身体に水の抵抗がかかる。

 曲線的な奴の動きは、その抵抗を散らす為だろう。

 だがそれにしても、奴の動きは速すぎる。

 

「この俺は違う!!

 水中にあっても陸と同様の動き!

 それが蒙古(モンゴル)水中闘法の極意だ!!」

 ここは奴に有利な舞台であると同時に、思った以上に俺に不利な舞台でもあったのだ。

 俺が体勢を整えなおす前に、再びフビライカーンの蹴りが、俺の身体を水槽の壁に叩きつける。

 ……またも一瞬『だから言ったでしょう』とでも言いたげな、光の呆れ顔の幻が見えた気がした。

 俺とてまったくなんの考えもなしに飛び込んだ訳ではないのだからそんな顔をするな。

 …と、これはあくまで俺の想像の中の光だった。

 何を言い訳する必要があるのだと思い直し、慌ててそれを振り払う。

 

「驚くのはまだ早い。

 この程度のことは、体を慣らすための基本運動に過ぎん…見るがいい!」

 そう言ってフビライカーンがどこからか取り出したのは、2本の剣だった。

 いや…剣、にしては、妙な角度に反りの入った、変わった形をしている。

 フビライカーンはそれを両手に握った状態で、猛スピードで身体を回転させた。

 

「なっ!!」

蒙古(モンゴル)水中闘法奥義・渦蕉(かしょう)魚雷刃(ぎょらいじん)!!」

 回転しながらこちらに向かってくるその動きは、まさに船のスクリューのようだった。

 ただ泳ぎ回るだけでもこの男のスピードは常軌を逸していたものを、その回転により更に凄まじいスピードでの水中移動を可能にしている。

 更に、避け切れなかった回転する刃が俺の腕を切り裂き、こちらから攻撃に転じようとする間にもう間合いの外へと逃れて、再び同じように向かってくるのを、辛うじて避けた。

 ……そろそろ、無呼吸での活動も限界だ。

 だが、それは奴にとっても同じ筈…!

 

「フッ、貴様は俺が息継ぎをする為に上昇した時、出来る筈の隙を狙っているのだろう。

 これだけの動きをすれば当然、自分より早く息が苦しくなると予想してな。

 だが、それは大きな間違いよ。

 俺は想像を絶する修練により、十分間は息継ぎなしで、この攻撃を続けることが出来る!!」

 ……読まれていた。しかも十分とは。

 さすがに、俺ではそこまでを耐える事は不可能。

 それどころか今は一刻も早く呼吸をせねば、そのうち動くことも出来なくなる。

 だが、その唯一の空気孔の前に奴は待ち構えて、いつでも次の攻撃に移れる態勢だ。

 ならば、残された術はひとつ…!!

 首から提げ服の下に入れていた革袋を引き出して、その中身を周囲の水に撒き散らせば、たちまち水が黒く変色する。

 それは水槽全体に広がり、俺の姿を覆い隠した。

 

「ぬううっ、これは黒染料!!」

「敵がしつらえた未知の決闘法に、なんの策もなく飛び込むほど愚かではない。

 これくらいの用意はしてきた。」

 もっとも、正確にはこの覆面を着用するにあたり、サラシを染めるのと目の周りに塗る為に、この島で採取した泥炭だが。

 まあ目の周囲に塗りつけたものは、既にこの水槽に飛び込んだ時に落ちてしまっていようが。

 …だが一昨日この姿で戦った際には、気分が幾らか高揚していて気にならなかったが、後で冷静になって思い返すとやらかした感が半端なく、今は流れでこの格好をしてきてはいるものの、そろそろ潮時だと思っている。

 

「フッ。だが所詮悪あがきに過ぎん。

 貴様はいくら身を隠そうとも、この空気孔に来ないわけにはいかぬ!!

 ここを俺が押さえている限り、貴様に望みはないのだ!!」

 ……そう。本来なら奴はそこで、俺が溺れ死ぬのを待てばいいだけだったのだ。

 俺はその時点で限界は超えていたのだから。

 だが、奴はそこで勝負を焦った。

 だから、俺の仕掛けにまんまと引っかかったのだろう。

 

「見つけたぞ!!

 確かにあの位置から、気泡の漏れる音がした。」

 フビライカーンは鮮やかな泳ぎでその場所へ移動すると、寸分違わぬ箇所へ剣を撃ち込む。

 

「もらった──っ!!」

 だが次には、明らかな手応えの違いに気付いて、引いた剣の先には、俺の仕掛けが突き刺さっている。

 即ち、俺の肺に残る最後の息を吹き込んだ、先ほどの染料を入れていた革袋。

 そして、俺は……、

 

「フフッ…空気がこんなにうまいものだとは知らなかった。」

 たどり着いた水槽の天井の穴から顔を出して、目一杯肺に空気を吸い込むと、薄らぎかけていた意識がはっきりするのが判った。

 

「き、貴様!よくもこのフビライカーンに、こんな子供だましを!!

 今度こそ刻み殺してやる──っ!!」

 逆上して、また先ほどの技を仕掛けて来ようとするフビライカーンに向けて、覆面に使用したサラシを解いて巻きつけ、その動きを止める。

 

「貴様の負けだ、フビライカーン!!」

 どうやら底の方に濾過装置が付いているらしく、少しずつ晴れてきた視界に、薄っすら見えてきた姿の、その胸元に、俺は毒手の手刀を叩き込んだ。

 

「ば…馬鹿な。

 この俺が、水龍(すいろん)淎球(ぽーきゅう)の決闘法で敗れるとは………!!」

「わからぬか……。

 貴様はその、自分自身の驕りに負けたのだ…!!」

 受けた傷に加え、徐々に浸透していく毒の効果で、力を失い沈んでいくフビライカーンを振り返ることをせず、俺は水槽から己が身体を引き上げた。

 

 ☆☆☆

 

「影慶──っ!!

 やっぱり影慶だったんだ──っ!」

「どうりで強いはずだぜ!!」

 突然黒く濁った水の中で何が起きていたかわからないまま、そこから上がってきた男を見て、富樫や虎丸が嬉しげに叫ぶ。

 先ほどまで顔の上半分を覆っていた覆面はそこにはなく、晒された素顔は、思い描いていた通りの顔だった。

 やはり皆が思っていた通り、翔霍とは男塾死天王の将・影慶の仮の姿だったのだ。

 生きていたのに何故正体を隠していたのか……いや、隠しきれてはいなかったがそれはさておいて、今度こそ話してくれるだろう。

 

 だから、彼が自陣に戻ってくるのを、俺たちは待った。



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17・とてもよく似た痛みを知ってるよ

影慶先輩の脚を掴んで引きずり込んだ時のフビライカーンさんの手、すごく際どいトコ触ってるんですけど、あれセクハラじゃないでしょうか(違


 自陣の方から俺の名を呼ぶ声に頷き、丸い水槽から降りようと半歩踏み出した時、上げかけた脚を掴まれて、一度は上がった水中に再び引き込まれた。

 咄嗟の事に水を飲みかけて、慌てて止めながら、脚に絡みつくそれを見下ろす。

 

「影慶とかぬかしおったな……!!

 こ、この水中の王者フビライカーンを、そうたやすく倒せると思ったか。」

 …どうやら毒手を受けた傷口を、そこから毒が回る前に先ほどの剣で抉り取ったらしい。

 凄まじい執念だ。

 敵ながら見事と言わざるを得まい。

 

「本当の勝負はこれからだ──っ!!」

 先程はたどり着かなかった底の方まで引き込まれた脚がようやく離されたと同時に、底に置かれていた例の剣で、フビライカーンは斬りかかってきた。

 が、その動きに先程までのスピードはない。

 やはりダメージは相当なようで、今ならば容易く躱す事ができる。

 間合いを離して体勢を整え、改めて戦闘態勢に入る。

 

「だが、既に勝負はついている!!

 その出血では、貴様の水中闘法ももはや使えまい!」

「フフッ…はたしてそうかな。

 俺には、この最後の切り札がある!!

 いでい!!水中の悪魔どもよ!」

 見れば水槽の底に、それまで気付かなかった箱のようなものが置かれている。

 その重そうな蓋をフビライカーンが開くと、中から何か無数の生き物が飛び出してきた。

 

「こ、これは………!!」

 独特の丸いフォルム。金と銀の鱗。

 突き出た下顎と鋭い牙。

 

「ピ、ピラニアだ───っ!!」

 そう。後輩たちが叫んだ言葉通り、主にアマゾン川などに生息する獰猛な肉食魚として有名なピラニアの群が、俺を取り囲んでいた。

 

 

 モングール・ピラニア…

 一般にピラニアの獰猛性は知られているが、中でも蒙古(モンゴル)・オリノル川に生息するモングール・ピラニアは、体長も大きく特に凶暴で、土地の人々には『水中の悪魔』として恐れられている。

 その牙は百匹も集まれば、水浴びに来た水牛をものの十数秒で白骨だけにしてしまうという。

 ちなみにその肉は大変な美味とされ、燕の巣・熊の手と並ぶ満漢全席三大珍味のひとつとされている。

民明書房刊『喰うか喰われるか!!世界食通事情』より

 

 

 …馬鹿な。こういった肉食魚は、血の匂いで興奮状態になるという。

 今、俺もそうだが奴もまた負傷しており、この状況は普通に考えれば自殺行為でしかない。

 だが。

 

「殺れい──っ!!」

 フビライカーンが腕を振ると同時に、ピラニアの群が一斉に俺に向かってくるではないか。

 俺の身体など、食った途端に魚は死ぬだろうが、その時には勿論俺の命もない。

 襲いかかってくるそれを片っ端から手刀で払い落とすが、数が多過ぎる。

 

「ワッハハハ!どうだ思い知ったか──っ!!

 いくらあがこうがこれだけの数、全てたたき殺せるわけはなかろうが───っ!!」

 そう言う奴の周囲にピラニアは一匹も近寄ることはなく、魚群は全て俺に向かって来ている。

 何故だ…何故、奴にこいつらは襲いかからん!!

 俺も奴も、流血している事に変わりはない。

 そして魚に、己が主人である事を教え込むなど不可能。

 何か、タネがあるのだ。

 相変わらず追いすがってくるピラニアの牙から身を躱しつつ、こちらを笑いながらただ見ているフビライカーンを、逆に観察する。

 

 あれは…もしや……!!

 ならば、打つ手はただひとつ……!!

 

 状況に反して随分と慣れてきた水中での動きを駆使して、動く方向を奴の方へと定め、手刀を振りかざす。

 

「逃げ回るのを諦め、最後の勝負にうって出たか!!

 だが、無駄だ!!

 満身創痍の貴様に、この俺が倒せるか──っ!」

 言って、奴は手にしたままの刃を横に薙ぐ。

 その鋭い刃先が俺の腿を擦り、ピラニア達を刺激する赤い液体が、煙のように漂って周囲に広がっていく。

 だが、もうそれを気にする必要もない。

 

「さあ、存分に喰らうがいい!!」

 勝利を確信したフビライカーンがそう言うも、それまでは一斉に俺に向かっていたピラニアが、徐々に俺を遠巻きにして泳ぎ始めた。

 事態にようやく気付いたらしいフビライカーンが、ハッとして胸元に何かを探すように手をやる。

 

「な、ない!!」

「貴様が探しているのはこれか!?」

 慌てるフビライカーンに、手の中のものを示してやる。

 それは先ほどの一撃の際に俺が奴から奪い取った、奴の防具に付けられていた飾りだが、この場合単なる装飾品以上の意味があった。

 

「貴様のこの首環は結晶岩塩で出来ている。

 淡水魚であるピラニアが、これが水に溶け出し発する塩分を、嫌うのは当然のこと……!!

 だから貴様には、ピラニアどもが近づかなかったのだ。

 これで、立場は逆転した!!」

 それが、最初に目にした時よりもいくらか小さくなっている事に、気がついたのは幸運だったといえよう。

 

「…恐るべき男よ、影慶……!

 どうやらこうなっては、観念するしかないようだ。」

 一転して、ピラニアの群に襲いかかられるフビライカーンの悲鳴を背中に聞きながら、俺は空気孔に向かって浮上した。

 

「…自業自得とはその事だ。」

 呟いた言葉が、まるで言い訳のように自分自身の耳に響いた。

 

 ……………。

 

『…優しいのですね、影慶は。』

 富樫と一緒に落ちてきた宝竜黒蓮珠(ぽーろんこくれんじゅ)の副頭のひとりをついでに助けてやろうとしたら、決していい意味で言ってはいない表情でそう言われ、正直あの時の俺はムッとした。

 だが、無抵抗の状態で手にかけることの是非はともかく、結果として完全に不意を突かれその男に殺されかけた俺は、光に助けられる事になった。

 そしてその時、俺の甘さが、彼女の心の柔らかい部分に、傷をつけてしまった事を悟った。

 

 …なのに。

 

『私ひとりなら見捨てていくところですが、そうするとあなたが気に病むのでしょう?』

 羅刹の兜指愧破(とうしきは)に腹部を貫かれ、自身の血を分けた兄に谷底へと蹴り落とされて、奇跡的にまだ息があった、梁山泊三首領のひとり山艶という男の傷を、その、数多の者の命を奪ってきた筈の手で癒して。

 

『…影慶は、怖くはないのですか?

 大切な人を、ひとつ誤れば死なせてしまうかもしれない自分が?』

 この天挑五輪大武會が始まる前、天動宮で顔を合わせた時の彼女の言葉が、不意に思い起こされる。

 今思えばやはりあいつは、自身の殺す手と俺の得た毒手を、重ね合わせて見ていたのだと思える。

 判ってしまえば、俺たちは似た者同士だった。

 

 そんな事を、わけもなく思い返して、水槽から身体を引き揚げた俺は。

 

 ………まだ手の中にあったそれを、水の中に投げ入れた。

 結晶岩塩でできた、例の首飾り。

 急所に食いつかれでもしていなければ、これがあれば命だけは助かるだろう。

 

「フッ……確かに、俺は甘いな……!!」

 だが光は最終的に、俺のそんな甘さを受け入れてくれたのだ。

 ならば、おまえの手がひとを癒せるように。

 俺の毒手とて、おまえを守ることくらいできよう。

 おまえの心が壊れぬよう。

 おまえが無表情の仮面の下で泣かないよう。

 

 そう思えば気分は先ほどよりも晴れ晴れとして、俺は今度こそ水槽の上から、闘場の地面に向かって飛び降りた。

 

 ☆☆☆

 

「久しぶりだな……!!」

 縄ばしごを渡って自陣に戻ってきた(というか本当にどうやって、俺たちに気付かれないうちにあちらに渡っていたのだろう…?)影慶先輩は、滴る水滴を手で拭いながら、俺たちに声をかけた。

 正確には一昨日、準決勝の会場で顔を合わせているが、あの時は『第二の助っ人・翔霍』としての彼だ。

 

「影慶先輩…どうやら、やっと話してもらえる時が来たようですね。

 何故今まで貴方が、その素顔を隠さねばならなかったかを……!!」

 俺が、皆を代表してそう促すと、影慶先輩は右手の毒手を元通り包帯で覆いながら頷く。

 だがその後の言葉は、意外な声に遮られた。

 

「いや、それは、拙者の口から御説明致し申す。」

 ……その、聞き覚えのある声と、特徴的な言葉遣いに、まさかと思いながら振り返ると。

 

「御心配おかけ申した。」

「ら…雷電っ……!!」

 そう、そこにいたのは確かに、梁山泊三首領のひとり、梁皇との闘いで、卑劣な手にかかって死んだはずの雷電。

 己が見ているものがすぐには信じられず、思わずふらふらと歩み寄る。

 夢を見ているのか、と呟いて倒れそうになる富樫や虎丸の後ろで、『あ、忘れてた』と飛燕が小さく呟いていたその言葉の、真意を質す余裕も俺にはなかった。

 

「夢でも、化けて出たのでもござらん。

 この通り、足もついてござる。」

 冗談めかしてそう言う彼の足を、まとわりつく3匹の猿たちが『ほら、これ』とでもいうように指差す。

 猿たちとの意思の疎通が完璧にできているのも凄いが、恐らくは日本人ではないだろう雷電が、日本に特有の『足のない幽霊』の概念を知っており、それにまつわる冗談を言ってのけるのも、実は密かに驚くべき事態だ。

 この博識、彼は本物の雷電に間違いない。

 

「拙者も富樫や飛燕、ディーノ殿同様、命を救われたのでござる。

 そこにおられる影慶殿と……光殿に。」

 目が覚めたとき、光とディーノは既に出発した後で、目が覚めるのを待っていてくれた素顔の影慶先輩と共にここまで来て、先に着いた簡易休憩所で、休ませていた男爵ディーノの話を聞いてから雷電はこちらに来たのだという。

 光が『翔霍』と行動を共にしており、負傷者を陰で助けていた事は、昨晩生きて現れた男爵ディーノから聞いて知っている。

 もっとも彼は詳細を話す前に、出血多量で気を失ってしまったから、それ以上の事は判らなかったが、少なくとも大将首を取りに行って捕まった事は判っている。

 ……だとすれば、雷電はこうして現れたが、昨日のマハール戦で谷底に落とされた月光はやはり無理だろうと、判っていた事なのにひどく落ち込む自分に驚いた。

 光が近くで見守っていてくれたという事実は、思っていた以上に俺の中では、安心材料になっていたようだ。

 

「これは全て、塾長のお考えになった事……!!

 俺と光は、塾長の密命を受け行動していたのだ!!」

 雷電が言うのに続き、包帯を巻き終えた影慶先輩が口を開く。

 この天挑五輪大武會の出場が決まった後日、ひとり塾長室に呼ばれた影慶先輩が、最初に命じられたのは『死ね』だったそうだ。

 それは勿論本当に死ねというものではなく、一旦予選リーグで姿を消し、後方支援にまわれという事で、その目的のひとつは、赤石先輩を参加させる事にあった。

 もっともその予選リーグで、自分以外に2人も戦線離脱者が出るのは予想外だったそうだが、実はあの予選会場には(ワン)大人(ターレン)とその医療チームが既に送り込まれており、あの場で戦線離脱した独眼鉄と蝙翔鬼は、生きて日本に送り返されているらしい。

 ともあれ、その2人の抜けた穴は埋めなければならず、結局は闘士としても戦闘に加わる必要が出てきて、また自身も後方支援だけでは気持ちが収まらなかった事もあり、光がオーケーを出した事であの『翔霍』に繋がったのだそうだ。

 ちなみにあの変装の案を出したのは男爵ディーノだったそうだが、例の蓬傑との闘いの後、毒手で闘った事について、2人からは若干の文句を言われたらしい。

 ……う、うむ。そうだろうな。

 

「ところで光に言われたのだが、『天然』とはどういう意味だ?」

 ……答えにくい質問やめてください先輩。

 光も、難しい宿題を置いていくんじゃない。

 

 …俺たちと一通り話をした後、影慶先輩の視線が俺たちの後方に向けられ、その目が何か眩しいものを見るように細められた。

 その視線の先にある存在を皆が見て取るや、その間の人垣が割れる。

 

「全員、気をつけ──っ!!」

 羅刹の号令が響き、皆が姿勢を正す中、影慶先輩はそこを通って5歩ほど足を進めると、跪いてこうべを垂れ、はっきりと言葉を紡いだ。

 

「邪鬼様。

 影慶、ただ今戻りましてございます。」

「御苦労だった。」

 男塾の帝王・三号生筆頭大豪院邪鬼は、ただ一言、そう言葉をかけた。

 影慶先輩の肩が、一瞬小さく震えた。

 だがその足元に雫が数滴落ちたのは、直前まで彼が水中戦を行なっていた為だと思う事にした。

 

 ☆☆☆

 

「ぎゃあああ───っ!!」

 と、闘場の方から魂消るような絶叫が聞こえ、例の藤堂の像の上から、炎に包まれたフビライカーンが落下していくのが見えた。

 あの男、負傷をおしてわざわざあの像の上まで登ったのか…という事はさておき、見ていた限りでは像の上に立っていた男の手をフビライカーンが掴んだと同時に、その身体が炎に包まれたように見えた。

 

「男塾……貴様等、誰一人として生かしてはおかん!!」

 そしてそれを為したであろう、像の上の隻眼の男は、そう言って俺たちの陣を睨みつけた。




モングールピラニアの記述は原作通りなんですけど、『大型』って書いてある割には体長18センチとかいうイラストがあって、それだとピラニアのサイズとしては小さい方になってしまうので、その辺だけは書かずにぼかしてます。
ピラニアにも種類があり、大型のものになると50センチくらいになるそうなんで。
ここでのモングールピラニアさんたちは、ふわっと平均30センチ前後くらいに設定してます。


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18・Cool Eyes Sensation

……既に1年半以上天挑五輪大武會やってるから、そろそろ皆さん忘れてると思いますが、





作中の季節は12月です(爆


 像の上に立つ隻眼の男が、手の動きのみで何やら指示を出し、それに従って例の球状の水槽の周囲の地面が、円形の扉のように左右に開いた。

 ぽっかりと丸い穴の空いたそこに、水槽は引っ込んでいく。

 これ確かさっきは地面を割って出てきた筈なんだが…いや、考えるな。考えたら負けだ。

 とにかく引っ込んだ水槽の代わりに、何やら透き通ってキラキラと光を反射する木のような形状のものがせり上がってきた。

 更に、それを支える台座は巨大な皿状になっており、その中で液体が、蒸気と泡を立てている。

 それが上がりきったと同時に、男は像の上からそちらに跳び移った。

 

「これぞ蒙古(モンゴル)超極決闘法・硫陿(りゅうきょう)氷樹(ひょうじゅ)!!

 …わかるか?これは氷だ!!

 全て、氷で出来た樹だ!」

 …もう説明は要らん。

 俺の心の声など知る由もなく、隻眼の男は枝の一本を無造作に手刀で叩き落とし、その脆さをアピールする。

 

「そしてこの下の受け皿は、濃硫酸の液で満たされている。

 落ちれば、骨さえも残らんだろう…さあ誰だ!!

 ここで、このシャイカーンの相手となる者は!?」

 やっぱりな。そんな事だろうと思った。

 

 

 硫陿(りゅうきょう)氷樹(ひょうじゅ)

 その起源は蒙古(モンゴル)中央部で盛んに行われていた陿氷闘(きょうひょうとう)である。

 これは厚さ約1cmという薄い氷の張った湖沼を選び、そこでいつ氷が割れるかもしれぬという、恐怖の中で闘うというものであった。

 当然、薄い氷を割らずに動くには、卓越した体術が必要とされた。

 後に製氷技術の発達と共に、三次元的動きを加味する為、樹を模した氷の上で闘うようになったのが、硫陿(りゅうきょう)氷樹(ひょうじゅ)の決闘法である。

 ちなみに現代でも恐怖で身の縮む様を『薄氷を踏む思い』というのはここから発する。

民明書房洋書部刊『SKATER'S WALTZ』より

 

 

「おもしろい。

 この勝負、地獄より舞い戻った拙者が受け申す!!」

 そして、シャイカーンと名乗った男が用意した決闘法に、参戦の名乗りを上げたのは、今合流したばかりの雷電だった。

 前の闘いの傷は大丈夫なのかと富樫や虎丸が問うのに対し、

 

「光殿の治療を受けた故、体調は万全でござる。

 むしろ(なま)った体に喝を入れるにはちょうど良い!!

 この勝負、拙者におまかせあれ!!」

 そう答える雷電の足取りに危うげは感じられない。

 そう言われてしまえば、ここは任せるに吝かではない。

 それにあの決闘法に於いては、間違いなくあちらが有利なのだから、確かに雷電ほどの体術の持ち主でなければ勝負にはならないだろう。

 彼が闘場へと続く縄ばしごへ歩を進めるのに、猿たちが当然のようについて来ようとする。

 その猿たちを、雷電は振り返って制止した。

 

「ならぬ!!

 この勝負、貴様等を連れていくわけにはいかん!

 ここで待っておるのだ!!」

 雷電の言葉を完全に理解しているらしい猿たちが、それを聞いて『ガーン』という擬音でも出ていそうな顔をする。

 どうにか考え直して欲しいとでも言うように、その足や裾にすがりつくも足手まといだと、厳しく冷たい目が3匹を睨みつけた。

 

「では、おのおの方!!」

 人間に比べれば表情筋が発達していない猿とは思えないくらい、がっかりした顔で固まる猿たちを振り返ることなく、雷電は縄ばしごの上を飛ぶように、闘場へと降りていった。

 

 …それにしても、この猿たちの知能と表情の豊かさは、訓練の賜物とはいえ実に驚異的だ。

 そういえば梁山泊の梁皇戦では、親指と人差し指で物をつまむという、本来なら猿にはできない筈の動作までしてのけていたではないか。

 

「…なにも、そうしょげかえる事はないぜ。」

 …だからだろう。

 動物相手に、こんな慰めるような声をかけてしまったのは。

 

「雷電は本心でおまえ達を、足手まといだなんて思ってはいない。

 おまえ達のことを思えばこそ連れて行かないんだ。」

 敵にすら情けをかけるその優しさが、そのまま雷電の弱さでもある。

 だが、それがあったからこそ、この3匹はここにいるのだ。

 

 …慰める言葉で却って決壊したのか、猿達が泣きながら(誤字ではない)抱きついてきた。

 重い。

 

 ・・・

 

「体術にはかなりの自信があるらしいな。

 この硫陿(りゅうきょう)氷樹(ひょうじゅ)の決闘に臆さず出て来たのも、その裏づけがあってのことか。」

 氷の樹に凭れたシャイカーンが、縄ばしごをほんの4、5回ほどしか踏まずに闘場に着き、そこから更にひとっ飛びで枝に飛び乗った雷電を見て、感心したように言う。

 

「ひとつだけ言い忘れたことを言っておく。

 この樹氷は時と共に溶け出し、足場が脆く不安定になっていくという事をな。

 …10分が限度であろう。その間の勝負だ!!」

 そう言っている間にも、よく見れば氷の樹は、もう枝から水滴を滴らせている。

 

「委細承知!!」

 そして雷電はそれを聞いても表情ひとつ変えずに、闘着の下から鎖鎌を引き出すと、鎖の先の分銅を枝の一本に投げてそれを巻きつけた。

 

「参るっ!!大往生流・月鎖刃(げっさじん)!!」

 鎖を右手で掴んで左手に鎌を持って、だが雷電の最初の攻撃は蹴りだった。

 いつもの雷電であれば、この蹴りの足先に刃物のついた、確か鳳鶴拳(ほうかくけん)という技だったか、あれを繰り出しているところだろうが、例の梁皇戦でよりによって指で白刃取りのような事をされた事もあり、恐らくはこの一撃は様子見といったところなのだろう。

 

 ☆☆☆

 

「……それで、この後私は何をすれば良いのですか?」

 激しい運動にどこまで耐えられるか、主に脱浮舞楽(ぬうぶら)性能の限界(ポテンシャル)を見極めるトレーニングとして、出来るだけ実戦形式が望ましいと、私は久々に紫蘭と組手をして、先ほどそれが終わったところだった。

 テスト品を全て脱いで、下着一枚で清子さんに汗を拭いてもらいながら、間仕切りカーテンの外に向かって話しかける。

 

「…俺が知るか。」

 先ほどまで組手の相手をしてくれていた紫蘭の声が、答えになっていない答えを返してきて、清子さんがムッとした顔をしたが、抑えるよう手で指示を出した。

 

「御前は、そちらにはいらっしゃらないのですか?」

「隣の部屋で、開発担当者達と話をしている。」

「そうですか。それで、何故あなたは?」

「決まっているだろう。貴様の監視だ。」

「そうでしたか。御苦労様です。」

 下着の上からバスローブを身につけ、カーテンの間から顔を出すと、こちらに背を向けていたプラチナブロンドが振り返って、こちらに無造作に、ストローのついたボトルを渡してくる。

 受け取って吸ってみると、どうやらスポーツ飲料だとわかった。

 汗をかいた後だからかスーッと入っていく気がする。

 ありがとう、と一言口にすると、紫蘭がどこか呆れたような声を発した。

 

「…渡した俺が言うのもなんだが、夜襲をかけてきた男が渡してきた飲み物を、無警戒に口にするのはどうかと思うぞ。」

「今の時点で、あなたが私を害するメリットがあるとは思えません。

 むしろ昨夜とは違い、下手な手出しをすれば咎めを受ける状況でしょう?

 少なくとも今のあなたは、私にとって『安全』です。」

 そう言って、ストローを再び口に含むと、なにが気に入らないのか、紫蘭は舌打ちをひとつした。

 どうせ一緒にいたところで不協和音しか奏でない組み合わせなのは判っているのだから、そろそろどっか行って欲しい。

 いや、監視って言ってたか。

 ならば、立ち去るのが無理なら、せめて話しかけないでくれないだろうか。

 私とて、自分じゃどうしようもない事で嫌われている事実に傷つかないわけではないのだ。

 …ただ、直前まで私の後ろで紫蘭を威嚇していた清子さんは、どうやら私の言葉に納得がいったらしく、姫様の着替えを取ってきます、と言って一礼してそばを離れた。

 出て行く時に、紫蘭を睨むのだけは忘れなかったようだが。

 

「……昨夜の話は、本当なのか。」

 清子さんが出ていき、2人きりになったのを確認してから、呟くように紫蘭が問いかけてきた。

 その意味が解らず、私は反射的に問い返す。

 

「昨夜?」

「…藤堂様が話されていた事だ!

 貴様が、藤堂様の実の姪というのは…。」

 ああ、とようやく思い出す。

 紫蘭は昨日、私と御前が話をしている間、部屋のドアの外で聞き耳を立てていた筈だ。

 盗み聞きとかいうのではなく、あくまで私が御前に危害を加えようとしたり、逃亡しようとした場合、即座に対応できるようにだ。

 それは彼の立場ならば当然のことであるが故に、その事に私が何かを感じる事はない。

 

「…本当か、と私に訊かれましてもね。

 私自身、そう聞いたのはあの時が初めてでしたし、御前が嘘をついていたとしても、私にはそれを証明できませんし。

 ですが、御前がこんな突飛な嘘をつくとも思えません。

 十中八九、本当のことなのでしょう。

 ……けど、何故、そのような事を?」

「…それが本当であれば、俺が貴様に対して取っていた態度は、見当外れの八つ当たりでしかなかった事になる。」

 今までは八つ当たりだと思ってなかったんかい。

 そう言おうとして、言葉を止める。

 私を見下ろしたそのブルー・グレーの瞳に、それまでに見たことのない彩が顕れていたからだ。

 

「…俺と貴様は、どちらも孤戮闘の地獄を生き残った。

 ゆえに、俺たちの間に、大した違いはないと思っていた。

 違うのはただ1年の年齢と性別の差だけだと。

 それだけの違いで、俺は単なる駒のひとつであるのに対し、貴様は藤堂様の娘扱い。

 ほんの少しの違いで、あの家のあの離れの部屋に暮らしていたのが、貴様ではなく俺だったかもしれないと、何度殺して成り代わろうと思ったか判らん。」

 …つまり清子さんが言っていた、彼が私の部屋で寝起きしていた理由は、私に成り代わる事の代償行為だったという事だろう。

 実際にやっていたら、藤堂家の息子たちの誰かと結婚する事になって、それはそれで面白……困った事になっていただろうが。

 隣の芝生は青く見えるとはよく言ったものだ。

 

「だが、貴様が藤堂様の、今となってはただ1人の血縁者というのであれば、俺では代わりは務まらん。

 むしろ、俺と同じ地獄を経験した事そのものが、貴様にとっては理不尽な事だった。

 俺は…そもそも手に入るべくもないものを求めていたという事だ。

 貴様……いや、姫、あなたには不愉快な思いをさせた事と思う。申し訳ない。」

 要するに掌返し宣言かとか、結局はいつもの不幸自慢じゃねえかとか、逆に気色悪いからやめろとか、とりあえず色々言ってやりたかったが言えなかった。

 その前に紫蘭の発言にひとつ、気になる点があった。

 

「…ただ1人、ではないでしょう。

 他は全員亡くなられたそうですが、御前にはまだ、豪毅という立派な息子がいます。」

「なんだ、知らなかったのか?

 豪毅殿は藤堂様とは血が繋がってはいない。」

「えっ!?」

 唐突にサラッと明かされた衝撃の事実に、驚いて頭ひとつ分より上にある北欧顔を見返す。

 紫蘭が言うには豪毅は元々は捨て子で、藤堂財閥の管理下にある孤児院(主にイメージアップと税金対策の為だけの存在)に居たところを、幼少期に引き取られたのだそうだ。

 

「御前と豪毅には、結構似たところがあると思っていたのに…。」

「幼くして素質の片鱗は見せていたのだろうが、藤堂様としてはそれも気に入った理由のひとつなのだろう。

 あの方には、そういった気紛れなところもおありになる。」

「知ってます。」

 そもそも私の存在自体が、ある意味その気紛れによって生み出されたようなものだし。

 ひょっとして、強くさえあれば実子でなくとも問題ないと思ったのも、その頃には私を引き取る事が、御前の中で決まっていたからかもしれない。

 私と(めあわ)せれば、ギリギリ血統は保たれる。

 そうか、清子さんに聞いた、女中頭の菊乃が豪毅に『正当な血筋でもないくせに』と、人殺し呼ばわりと共に言ったというのはこの事だったんだ。

 …まあ私に対する態度を考えると、私がその『正当な血筋』だということは、聞かされていなかったのだろうけど。

 

「…ですが、あなたは誰から、その事を?」

「藤堂様からに決まっているだろう。

 そもそも、3番目の御子息の母親という女中頭に刺されかけたのは、豪毅殿ではなく俺だからな。」

「えっ!?」

「藤堂様が帰国される直前、執事からあの女に不審な動きが見られるとの連絡を受けて、急遽俺に、豪毅殿に化けて自分と共に邸の門をくぐれと命令されたのだ。

 その時点で豪毅殿は、まだ修業先の寺に留まっていたから、あの騒動の事は知らぬだろう。」

 いや待って。

 確かに正式に後継者と決まった豪毅の身を守る為に、護衛や影武者を立てるのは不思議な事じゃない。

 けど、今聞かされた情報の中に、明らかに聞き流せないものがひとつだけある。

 

「…私が聞いたのは、女中頭が豪毅に『掴みかかって』暴言を吐いたという話でしたが…今、刺されかけたと仰いました?」

「ああ。他の者には見えなかっただろうが、俺が取り押さえた時、あの女は確かに、手に小さな刃物を握っていた。

 意味のわからない暴言を喚き始めたのは取り押さえられてからで、俺が事情を聞かされたのはその後………ん?」

「……………っのクソ(アマ)ぁ!

 よりにもよって豪毅を刺そうとしてやがったのかあ!!

 実際には紫蘭だから刺されたとしても困らないけど、私の豪くんを害そうとしただけで、その罪万死に値する!

 次に私と相見えた日が貴様の最後と知れえ!!」

「若干つっこみたい部分はあるが落ち着け。

 恐らくはそんな日は永遠に来ない。」

 じたばたと暴れる私を紫蘭が宥めている間に清子さんが戻ってきて、クリーニングされアイロンと糊まで施された私の制服を持ってきてくれたので、私は再びカーテンの奥でそれに着替える事にした。

 サラシは返してもらえず、代わりにスポーツブラとTシャツが与えられたが、逆に快適だ。

 というか、この制服を身につけて妙に落ち着いたのは、きっと気のせいじゃない。

 塾に戻された独眼鉄と蝙翔鬼は、大人しく静養しているだろうか。

 白衣のオッサンにお持ち帰りされてしまった月光は無事でいるだろうか。

 影慶と雷電は、桃たちと合流できただろうか。

 男爵ディーノに追っ手がかかっていた筈だが、彼は無事だろうか。

 

『忘れるな…たとえ身は離れていようとも、俺たちの魂は男塾の旗の(もと)に、常にひとつであることをな!!』

 邪鬼様の言葉が不意に脳裏に蘇り、私は制服の胸元をぎゅっと握りしめた。

 

 ・・・

 

「紫蘭よ、共をせい。中央塔へ出向く。

 ……光は、ここで待機しておれ。」

 程なくして、御前が隣の部屋から戻ってきて私たちにそう告げると、紫蘭を連れて出て行った。

 …そういえば私がこんな妙なトレーニングに忙殺されていた間に、もうとっくに決勝戦の続きは始まっているはずだ。

 

 ☆☆☆

 

 鎖鎌を使い、それにぶら下がって振り子のような動きで、雷電は連続攻撃を仕掛けていく。

 間違っても使い勝手のいい武器ではないだろうに、彼は本当に器用な男だ。

 

「フッ、やりおるわ!!

 この勝負、もう少し楽しみたい所だが、そうも言っておれんようだな!!

 ならば、我が秘奥義をもって、一気に勝負をつけるのみ!!」

 そう言うとシャイカーンは、氷の枝を掴んで身体を上へと持ち上げると、その勢いのまま、その幹の上を跳ぶようにして駆け上がった。

 あっという間に樹のてっぺんに立つと、どうやらあらかじめ取り付けてあったらしい器具の上に立つ。そして。

 

「この硫陿(りゅうきょう)氷樹(ひょうじゅ)の決闘で、俺に挑んだ事の愚かさを嘆くがいい!!

 これぞ、蒙古(モンゴル)凶撰(きょうせん)奥義・砕氷(さいひょう)凍界(とうかい)!!」

 その器具を掴んで逆立ちした状態で、シャイカーンが凄まじい勢いで身体を回転させる。

 器具はどうやら氷を細かく砕いているらしく、それはまるで雪のように、下にいる雷電に降り注いでいく。

 

「貴様はこの砕け散る氷の中で、凍てつき凍え死んでいくのよ!!

 その吹雪の中の温度は零下30度。

 そろそろ体が麻痺し、動かなくなってきた筈…!!」

 

 

 砕氷(さいひょう)凍界(とうかい)

 蒙古(モンゴル)究極の決闘法・硫陿(りゅうきょう)氷樹(ひょうじゅ)の伝説的な名人カクゴールが編み出した秘技。

 この技の原理は、高速回転によって生み出された細かい氷片のヘルベリン冷凍(フリージング)効果により、周囲の温度を零下30度にまで下げ、相手の体温を奪い凍結させることにある。

 ちなみにこのカクゴールは、氷の王者の象徴として、常に『氷』一文字の旗を背負っていた。

 現代日本でも夏の巷に見られるかき氷屋の旗はこれに由来している。

民明書房刊「かき氷屋三代記ー我永遠に氷をアイス」より

 

 

 雷電は身にまとわり付く氷片を、最初は何とか払おうとしていたが、それが全く功を奏していないと、見ていた俺たちにも判った。

 そうしている間にも雷電の身体には氷の粒が付着していき、それがどんどん厚みを帯びる。

 そんな中、なにかを決したように動きを止めた雷電は……身につけた闘着の上衣を、なにを思ったか脱ぎ捨てた。

 最初は、氷まみれのそれを払う為に、一時的に脱いだものかと思っていたが、それすら間に合わぬほどの勢いで、今度は直接雷電の肌を、氷片がどんどんと覆っていく。

 

 これくらいでいいだろう、とシャイカーンが動きを止め、自らが作り上げた吹雪に飲み込まれる雷電の側まで降りてくる。

 

「しょせん貴様は、俺の敵ではなかったのだ!!」

 その言葉の間に晴れた吹雪の中から、表面がキラキラ輝く彫像のような姿が浮かび上がってきた。

 

「ら、雷電〜〜っ!!」

 誰もがその姿に、雷電の身体が完全に凍りついたと思っていた。

 とどめを刺してやると、手近の氷の枝を武器として折り取った、一番近くにいるシャイカーンですら。

 

「死ねい──っ!!」

 だが次の瞬間、喉元に突きつけられた鎌の刃先により、その手は止められる。

 それを握っている雷電の手から身体全体を見れば、鎖が全身に巻きついているのがわかる。

 その身体から白く立ち上っているのは、冷気ではなく湯気。

 

「な、なに──っ!!」

 なにが起きているのかわからないといったシャイカーンに、雷電は手元の鎖を持ち上げるようにして示す。

 

「わからぬか?

 拙者の体に巻いてあるこの鎖の行方を見るがいい!!」

 その言葉の通りに鎖の先を見ると、下の盆に溜められた濃硫酸の中にその先が沈められている。

 

 そうか。濃硫酸に水を加えると発熱する。

 この場合、氷のままで加えるとさらに冷えるという現象が起きてしまう為、あくまでも水でなければならないのだが、恐らくは氷に包まれたさっきの闘着、完全に凍りつく前に最後の体温でそれを溶かして(三面拳は不随意筋などもある程度意のままに動かす事が可能だ。それで一時的に体温を高めたものと思われる)、恐らくは水をたっぷり含んだ状態で投げ入れたものなのだろう。

 その熱が鎖を伝わり、雷電の体の凍結を防いだというわけだ。

 

 突きつけた鎌が一瞬、横に薙いだように見え、次の瞬間シャイカーンの長い頭髪の頭頂部が、剃髪したように消えていた。

 

「大往生……!!

 だが、命まで取ろうとはいわん……!!」

 敵にすら向けられる優しさは、彼の強さではあるが、同時に弱さでもある。

 それが何度もその命を危険にさらしてきた筈なのに、それでもそれを失わない、雷電はあくまで雷電だった。




かき氷食べたい。

アタシが民明書房にようやく疑いを持ったのはこの回でした。
純粋だったんですよう……!!


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19・稚くて愛を知らず

…アタシの中で、この中央塔戦で書きたかったのはミッシェル戦とゴバルスキー戦だけだったんだなと、ひしひしと実感。
早くコロシアムに移りたい。

最初の構想では、好きなところだけ書いて他は省略しようと思ってたんだけど、それぞれの闘いに、思い入れがある人がひょっとしたらいるかもという気持ちと、それを踏まえた上でアニメ版大威震八連制覇伊達戦の無念を思うと、どうしてもショートカットできなかったんだよ…!


 あと少しで芯まで凍りつく冷凍地獄をくぐり抜けての大逆転に、雷電の猿たちがぽんぽん飛び跳ね、そのすぐそばで同じテンションで、富樫と虎丸が歓喜の声を上げた。

 

「おぬしが潔く負けを認めるなら、命まで取ろうとは申さん!!」

 どうする、と雷電はシャイカーンの喉元に鎌の刃先を突きつけ、選択を促す。

 …それは、確かに雷電の優しさから発せられた言葉なのだろう。

 だが、俺たち自身がその選択を問われれば、間違いなく侮辱として受け取った筈だ。

 

「雷電とかいったな。

 貴様の力を侮っていたようだ。負けを認めよう。

 貴様には到底勝てそうもない。」

 だからそう言いながら笑みを浮かべ、あまつさえ剃られた頭頂部を髪を分け直して隠すといった、余裕の態度を崩さないシャイカーンに、一抹の不安を覚えたのは俺だけではないはずだ。

 

「だから、もうこいつはいいだろう。」

 そう言って喉元の鎌を退ける仕草をしたシャイカーンの右手がその刃を握り、次の瞬間火を噴いた。

 ……いや、比喩ではない。実際にだ。

 

蒙古(モンゴル)凶撰(きょうせん)超奥義・灼炎(しゃくえん)畷掌(ていしょう)!!」

「うぐおっ!!」

 その手から噴き出した炎は鎖鎌を伝い、それを持つ雷電の右腕を瞬時に包んだ。

 …鎖鎌の柄に炎が伝いきるより、一瞬早く雷電が手を離していなければ、右腕だけでなく全身に、炎は襲いかかっていただろう。

 

「ぬううっ、これは……….!!ひ、卑怯な。

 貴様、一度は負けを認めたはず……!!」

「勝負に卑怯もクソもあるか!!

 貴様は灼熱の炎に焼かれ、死んでいくのよ!!」

 …悔しいが奴の言う通りだ。

 俺の隣で伊達が舌打ちして『あれが雷電の悪いクセだ』と小さく呟いているのは、彼を盟友として慕っているからだろうが。

 それにしても今の技…おそらく先ほど、フビライカーンをその手にかけた技だろう。

 

 

 灼炎(しゃくえん)畷掌(ていしょう)

 人間の平熱は36〜37度であるが、その発する総熱量は、およそ10万キロカロリーにも及ぶ。

 その熱量を、均等に人体に配分する働きを持つのが柱脊神経であるが、想像を絶する修業によりそれを自在に操り、熱を人体の一点に集中することを可能にするのが、灼炎(しゃくえん)畷掌(ていしょう)要諦(ようたい)である。

 この時、その温度は850度にも達し、これが相手の皮膚の分泌物である脂・リン・油汗などを、一瞬にして発火させるわけである。

 ちなみに闘志溢れる様をたとえていう『燃える闘魂』『燃える男』という表現は、無意識のうちに柱脊神経を活動させている状態を指す。

民明書房刊『人体ーその代謝機能の神秘』より

 

 

「…なるほど。聞きしに勝る恐るべき拳……!!」

 大火傷を負っているだろうその腕を、氷で冷やしながら雷電が呟いたところを見れば、これも彼の知識の中にあるものらしい。

 

「だが、それもこの身に触れさえしなければ、二度は通用し申さん!!」

「確かに貴様の体術、並々ならぬものがある。

 だがこれならどうかな!!」

 シャイカーンは雷電から奪った鎖鎌を、高い位置の枝に投げてそれを巻きつけると、炎を纏った手刀で、ほぼ全部の枝を叩き落とした。

 残したのは彼が鎖鎌を巻きつけた1本と、雷電の立っている1本の、計二本のみだ。

 

「これで貴様の体術は使えなくなった。

 しかも既に氷は溶けだし、そこから他へ移動することは、滑って不可能だ。

 あとは貴様のこの鎖を使って料理するだけよ!!」

 時間の経過もさることながら、皮肉なことに、先程冷凍地獄から脱する為に雷電のとった策もまた、この状況を後押ししていた。

 シャイカーンが、先程までの雷電と同じように、鎖を命綱にして振り子のように動きながら、一つしかない足場の上だけで回避するしかない雷電に連続攻撃を加える。

 二度までは上半身の捻りのみで躱した雷電だったが、遂に足場の枝の溶けた水に足を滑らせ、一撃を受けてしまった。

 咄嗟に傷を庇うと同時に足元の安定に気を取られた結果、それが隙となり、更なる手刀の一撃が、雷電の胸板を大きく切り裂く。

 傷の大きさに比べて出血量が少ないのは、切ったと同時に焼かれているからだろう。

 ダメージの大きさは変わらない筈だ。

 そして。

 

「うおおっ!!」

 遂に、ただひとつの足場から雷電の足が離れ、その身が真っ逆さまに、濃硫酸の池へ……

 

「……!?お、おまえ達………!!」

 …落下すると思われた雷電を止めたのは、氷の幹にしがみついた猿たちの、1匹が巻きつけた尻尾だった。

 どこで調達したものか、雷電と同じ色合いの拳法着を纏った彼らは、何とか引き上げた雷電の身体を、氷の幹に押しつける。

 どうやら幹の僅かな凹凸を何とか足場にしているらしく、雷電の身体は辛うじてそこに留まっているが、勿論この状態では、そこから一歩も動くことはできないだろう。

 猿たちは身軽であるゆえ、雷電よりは自由に動き回れているようだが。

 

「フフフ、なんだその猿どもは!?

 畜生が、主人の仇を討とうとでもいうのか。」

 鎖にぶら下がってその光景を見ながら嗤うシャイカーンを、猿たちは一斉に睨みつける。

 そうして、雷電を傷つけられた怒りとばかりに飛びかかってくる3匹に、例の炎の手刀を浴びせた。

 

「や、やめろ──っ!!

 おまえ達の敵う相手ではない──っ!!」

 なにも出来ず制止の声を上げる雷電の言葉に違わず、闘着の裾を燃やされた猿たちが、慌てたように幹の反対側に身を隠す。

 …とはいえ、所詮は氷の樹。

 透き通ったその幹は、猿たちの影をはっきりと映していた。

 

「いくら拳法を仕込んであるとはいえ、獣は獣。

 火を恐れるのは当然のことよ。

 これ以上貴様等と遊んでいる暇はない。

 主人より先にあの世へ送ってやろう。」

 その様を雷電に見せつけるように、シャイカーンの炎の拳が樹氷を、その裏の猿たちの影を貫く。

 誰もがその瞬間、猿たちが殺られたのだと思っていた。

 その下で、正視出来ずに思わず目を伏せた雷電は尚更のこと、離れて見ている俺たちまでもが。

 

「…なるほどな。ふざけているとばかり思っていたが、あの闘着も武器だったってわけか。

 畜生ながら、やるじゃねえか。」

 と、何故か妙に冷静な赤石先輩の声が耳に届き、ようやくそこで、シャイカーンの様子がおかしい事に気がついた。

 水蒸気なのか冷気なのか既にわからない白煙の中、幹を貫いたシャイカーンが、自身が貫いた幹の裏側へと回る。

 

「こ、これは──っ!!」

 そこにあったのは、中身のない闘着のみ。

 そして驚くシャイカーンは、次の瞬間、多大な精神的ダメージを頭に食らうこととなった。

 先程雷電に剃り落とされた頭頂部に落下してきた茶色の塊は……いや、止そう。

 そして、落下物を認めた場合、誰もが取る行動として、真上を見上げたシャイカーンの視線の先には、彼の身体を支えている鎖鎌が絡んだ枝を、鋸で切り落とそうとしている3匹の猿の姿があった。

 

「貴様等、最初からこれを狙って……!!」

 気がついた時にはもう遅く、頭上で行われている事を止めるすべもないまま、次の瞬間シャイカーンは真っ逆さまに、濃硫酸の盆へと落ちていった。

 

「大した者たちでござる。

 この拙者が救われ申した……!!」

 胸を張って縄ばしごを渡って戻ってくる猿たちの後ろから歩いてきた雷電は、誇らしげに微笑んだ。

 確かに、敵にすら向けられる彼の優しさは、弱さに繋がるのかもしれない。

 けど、それがなければ雷電は今、こうして無事に帰っては来なかったのだと、手当てを受けながら飛燕と伊達に小言を言われている雷電の背中と、富樫や虎丸と諍いを繰り広げる猿たちを見ながら、俺は思っていた。

 

 ☆☆☆

 

「…もう!私のことはいいんですのよ!!

 それより姫様にこそ、そろそろいい方がいらっしゃるのでは?」

「い、いい方って…」

「今、あちらで豪毅様のチームと闘ってらっしゃる御学友の方々、素敵な方も何人かいらっしゃいましたわよね?

 あの方々と一緒に学校生活を送っていて、ときめいたりはなさいませんでしたの?

 ほら、ゴバルスキー様と闘っていた、悲劇のチャンプの息子さんとか、マハール様と2人目に闘われた長い髪の綺麗な方とか、ミッシェル様と闘われた方…はさておいて。」

「…そこでさておかれると富樫が可哀想なんで、形だけでも言ってあげてくれませんか。

 あの子は多分30越えてからが勝負だと思うのです。

 年齢を重ねて相応の陰が出たら、急にモテ始めるタイプじゃないかと睨んでいるのですが。」

「あ、それなんとなくわかる気がしますわ。

 けど、姫様の年齢でそれがお判りになるのは逆にすごいと思いますけど。

 私が同じくらいの頃でしたら…そういえば、待機している皆さんの中心にいて、一番よく映っていたハチマキの方とか、ああいうわかりやすく格好良い人が、やっぱり気になっていたと思いますもの。」

「……!」

「あ!姫様、ちょっと反応しましたわね!?」

「え?い、いや別に、私はそんな」

「私にごまかしは効きませんわよ、姫様!

 何年姫様に付いていたと思ってるんです!?

 さあさあさあ、白状なさいませ!

 姫様の本命はあの方ですの!?」

「だから、そういうのじゃないんですってば!

 ………その…好きだ、とは言われましたが。」

「あ〜、そっちでしたのね〜。

 判りますわ、そうですわよね〜。

 言われたらさすがに意識しますわよね〜。」

「…清子さんも、ゴバルスキーに好きだと言われて、意識し始めたのですか?」

「そうですわね…あの方は、『キヨちゃんはいつも一生懸命だな』と会うたびに褒めてくださって、優しい方だと思っていたところに……って、だから!

 私のことはいいって言ってるじゃありませんか!!」

 ちょっと顔赤くして叩くマネしてくる清子さんが可愛い。

 このひと30過ぎてる筈だけど可愛い。

 というか、なんでこんな話題になったのか、私たち自身もよくはわからないのだが、気がつけば女同士の、いわゆる恋バナというやつである。

 と言っても私には提供できるネタがないので、清子さんの話をじっくり聞かせてもらいたかったのだが、清子さんは私の男塾での立ち位置を想像して、絶対にロマンスがあったに違いないと聞き出そうとしてくる。

 油断できん。

 いや、本当に私にネタはないのだから、引き出されるロマンスも何もないわけだけど。

 

「…では、あちらの方々はともかくとして。

 でしたら、豪毅様の事は?」

 と、少し構えながら聞いていたら、清子さんが割と思いもよらないところから入り直して来て面食らう。

 

「……は?豪くんは、弟ですよ?」

「血は繋がっていらっしゃらないのでしょう?

 私は姫様のお側に仕えておりましたから、あのお邸で御一緒に暮らされていた2年間は、当然豪毅様の事もよく見てきました。

 …少なくとも豪毅様の方は、姫様を姉上様とは、最初から思ってらっしゃいませんわ。」

「えっ……!?」

 可愛い弟に慕われているとばかり思っていたのに、そう言われて軽くショックを受ける自分に呆れる。

 …最後に会ったあの夏の日、彼に私を殺させる為に、わざと憎まれるように仕向けたくせに。

 憎まれて当然だと、判っている筈なのに。

 …だが、清子さんが言ったのは、私が思っていたような意味ではなかった。

 

「いつか必ずお嫁さんにするのだと、誰にも渡せないからと言って、頑張ってらっしゃいましたから。

 豪毅様にとって姫様は、出会った時からずっと、ひとりの『女性』なのですわ。

 真面目で一途な方ですから、5年で御心が変わる事など考えられません。

 そもそも姫様は養子縁組をしない代わりに、藤堂家の後継者の奥方になられるのだと、私たちは貴女をお迎えした最初の夜に聞かされておりましたし、それが豪毅様と決定した以上、このまま行けば豪毅様が18歳になられると同時に、おふたりは婚姻の儀を執り行う事になります。」

 ……そうだった。

 判っていた筈なのにピンと来てなかったが、私はあのまま藤堂の邸で暮らしていたなら、今頃は豪毅の『姉』ではなく、『婚約者』という立場だったのだ。

 というか、当事者の1人である豪毅はまだしも、清子さんら使用人すら知っていた事を、私だけは聞かされていなかった事になるわけだがそれはどうなんだ。

 実際、獅狼が私を殺しに来なければ、未だに知らなかった筈の事実なのだから。

 あと、私を迎えた最初の夜って、獅狼に夜這いをかけられて撃退したあの日だと思うのだが、獅狼や豪毅や使用人の皆が私を『後継者に与えられる娘』と知ったのは、あの出来事よりはたして前なのか後なのか。

 …そして、恐らくは兄たちを手にかけたであろう豪毅の中で、御前の後継者になる事と、私を手に入れる事、どちらの比重がより重かったのだろうかと、埒もないことを考えて、胸の奥が訳もなくつくんと鳴った。

 

「……けれど、もし姫様が、ほかにお好きな方がいらっしゃるというのであれば、それを()して豪毅様と夫婦(めおと)となっても、姫様は幸せにはなれませんわ。

 ですから、後戻りができなくなる前に、ご自分のお気持ちを確認して欲しかったのです。

 …そこでどのような結論を出したとしても、私は姫様の味方ですから。

 姫様のお心を、全面的にバックアップ致しますから、どうか姫様は安心して、一番好きな方の胸に、飛び込んでくださいね…?」

 興味本位で聞いているだけかと思ったら、清子さんは思いのほか真剣に、私のことだけを考えてくれていた。

 それに目頭が熱くなるのを必死に堪えながら、それが私に許される筈がない事も判っていた。

 私の手は、汚れきっている。

 清子さんは、その事を知らない。

 

 けれど、もし。

 もし本当に、私にもそれが許されるなら。

 誰かと一緒に生きる道を、選んでいいのなら。

 

 私は……………、




最初の分岐に近づいて来ているので、そろそろ光さんにも恋心を自覚して貰わないといけません。
何度も言うようですが、これは恋愛小説なのです(爆


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20・俺たちに明日はある

(ホン)師範本人はともかくその弟子とか、なんぼなんでもこの闘いに思い入れあるひとは居ない気がするので、思い切ってあっさり流す事にしました。
ちなみに、アタシは勿論ありません。


「…もしかしたらと思って昨日は聞けなかったのですが、姫様が御髪(おぐし)を短くされたのは、別に傷心的な理由ではありませんのね?」

「…は?ああ、失恋して髪を切るとか、そういう話ですか?違いますよ。

 …正直、今考えると敢えて切る必要はなかったのですが、なんとなく勢いで。」

「艶のある、真っ直ぐで綺麗な御髪でしたのに。」

 …そういや切った時、幸さんに泣かれたっけ。

 (かもじ)で長さを出して結ってもらった時、本物で結いたかったと残念そうに言われたし。

 髪を結ってもらうといえば、あの中央塔に滞在していた際、毎日(ホン)師範に髪を整えてもらっていた。

 あの人はやたらと指先が器用な人で、私が自分でやるよりも綺麗に整う上に、どういうコツがあるのか知らないが激しい動きでも絶対に緩んだりましてや解けたりしない編み込みを、私がすごく気に入ったからだ。

 まあ、今思えばあれほどの拳の達人になにやらせてるんだと思わなくもないわけだが、彼は男ばかりのあの場所で、万が一にも間違いが起きぬよう、他の闘士を必要以上私に近寄せなかった。

 私の方から近寄ってしまったミッシェルや、ゴバルスキーは結果的に眼鏡にかなったようで、特に何も言われなかったが。

 

『…この(ホン)礼明(リンメイ)、姫の身の安全も任されておりまする。

 その身に万一の事あらば、藤堂の御前に申し訳が立ち申さぬ。』

 そんな責任感の強いあのひとは、昨日までの勝負の結果を見て、心を痛めているだろう。

 

 …それでも私達は、負けるわけにはいかないのだけれど。

 

 ☆☆☆

 

「ん……なんだ、この音は!?」

 相手側の闘士が出てくるのを待っていて聞こえてきた唸るような、空気を切り裂く轟音を、最初はまた相手方のパフォーマンスかと思っていた。

 しかしよく聞けば、音は闘場よりずっと向こうから聞こえて、しかもそれはどんどん近づいて来ている。

 猿たちと諍いを続けて、最初はその音に構わなかった富樫や虎丸も、ようやく事態の異様さに気がついて立ち尽くして。

 …果たして、音の発生源はすぐに知れた。

 それは俺たちの頭上スレスレを通り過ぎた後、一旦浮上して迂回していく。

 …第二次世界大戦中の日本海軍零式艦上戦闘機、通称(ゼロ)戦。

 開発当時は卓越した運動性能を誇っていたが、一方では極端な軽量化により安全性や耐久性には欠ける機体でもあった。

 まして現代においては過去の遺物、戦争の負の遺産。

 何故、そんなものがここに飛んできているのか。

 望めば最新鋭の戦闘機すら手に入れられるだろう藤堂兵衛が、このようなアンティークにしかならないものをわざわざ持ってくるわけもないだろうから、これは恐らく奴らのものではない。

 

「お、おい!あの(ゼロ)戦、機体から黒い煙吐いとるぞ──っ!!」

「ど、どこかエンジンの調子が悪いんじゃ──っ!!」

 …そして、それは富樫や虎丸の焦ったような叫び声に裏打ちされる。

 どうやらあれは、アンティーク通り越したポンコツだったらしい。

 そしてそれは操縦者の制御が及ばないようで、真っ直ぐに塔へと向かっていき、寸前でギリギリ迂回……する事なく、そのまま壁に激突して、闘場へと墜落した。

 …もしかすると翼もプロペラもひしゃげた状態で墜ちたそれより、あれに激突されてまったくの無傷でそこに建つ塔の頑丈さの方に驚くべきなのかもしれない。

 だが、実際には墜落した(ゼロ)戦のコックピットから、黒煙の只中、降りてくる人影の方に、俺たちは驚愕する事となる。

 

「わしが男塾第三の助っ人である──っ!!」

 それは……槍を手にした鎧武者だった。

 半月の飾りのついた兜は、何故か伊達がかつて身につけていたものと同じデザインだったが、そんな事よりも、あの名乗りと声、そしてその兜の下から見える顔は、紛れもなく…

 

「じゅ、塾長──っ!!」

 …そう。それは男塾塾長、江田島平八その人だった。

 

 ☆☆☆

 

「年寄りの冷や水だと?

 何をたわけたことを……!!

 貴様等全員、束になってかかっても、敵う相手ではない!」

 どうやらあれで正体を隠しているつもりであるらしい塾長は、いつものように自身の名を名乗らず、相手の闘士が出てくるのを待つ間、闘場の真ん中に座り込んでいた。

 それを見て富樫や虎丸が心配げな声をあげ、それに対して答えたのが、邪鬼先輩の先の言葉だ。

 

「その強さは、この俺が一番よく知っている!!

 この身をもってな……!!」

「す、すると、あなたは塾長と……!!」

「そうだ!!

 あれは、貴様等一号が入塾する、三年も前のこと……!!」

 邪鬼先輩が言うには、かつて本気で男塾の支配を目論んだ彼は、ふたつの頭は要らぬとばかりに、塾長に決闘を申し込んだという。

 体格差も若さも、氣の総量に於いても勝る自分の勝利を、彼は疑っていなかった。

 だが勝負を仕掛けてから僅か数秒で、それが思い上がりであったと思い知る事となる。

 防御もしていない顔面に、まともに入った渾身の拳は、なんのダメージも相手にもたらさず。

 常人ならば目視すら叶わぬ筈の蹴りは、無造作に足首を掴んで止められ。

 ひとつ攻撃する度に倍になって返ってくる技の切れ味、破壊力は、全てが邪鬼のそれを上回っており。

 舞台として選んだ砂浜についた無数の足跡が、己のもののみであり、塾長がそこから一歩も動いていないと気がついた時、彼はプライドをかなぐり捨てて、隠し持っていた刃物を抜いたという。

 

 だが、そこで邪鬼は、それまでの塾長が全く本気ではなかった、むしろ遊びの範囲内であったという、気づきたくなかった事に強制的に気付かされる。

 上半身を(はだ)け、気合いとともにいつもの名乗りを上げただけで、塾長の身体がとてつもなく巨大に見えた。

 生まれて初めて感じる恐怖と共に、自分が何に闘いを挑んでいたかを悟り、そして死を覚悟した。

 だが、塾長はその拳を寸前で止め、『いい勝負だった』と嬉しそうに笑い、またいつでも相手になるとその場を去ったという。

 

「…つまらん恥を晒してしまったな。」

 それだけ言って、邪鬼先輩は再び後方へ下がっていく。

 そんな事をやっているうち、相手の準備が整ったと見え、例の急な階段を降りてきたのは、丸いサングラスをかけた小太りの、恐らくはいっていても40代半ばくらいの男と、長身の若い男の2人。

 

「お待たせ致した。

 貴殿のお相手はこの冥凰島師範・(ホン)礼明(リンメイ)が致し申す。」

 名乗りを上げたのは小太りの男の方だ。

 どうやら今の邪鬼先輩の話を、この目で確かめられそうだと、俺たちはこの勝負の行方を見守る事にした。

 

 ・・・

 

 …先に名乗りを上げた師範を制して、その手を煩わすまいと出てきたどうやら弟子らしい男は、繰り出そうとしていた奥義の名すら出せずに、ただの一撃で闘場の外へ吹っ飛ばされた。

 次にその兄だという男が出てきて石頭対決となったが、その際卑劣な手を使ったそいつは、アゴを外した塾長に脳天から食いつかれた後、やはり弟と同じようにして、剛拳に吹っ飛ばされる結果となった。

 規格外過ぎて、強さの基準がまったくわからない。

 

「弟子達の数々の不調法、師であるこの私からお詫び致し申す。

 だが、貴殿に呆気なく倒されたあの二人の名誉の為に言わせてもらうなら、あの二人が非力だったのではなく、貴殿の強さがあまりに並外れているということ……!!」

 ようやく進み出てきた(ホン)という男は、そう言って上衣を脱ぎ、サングラスを外す。

 薄く開いたその目には瞳が見えなかった。

 

「貴様、眼が……!!」

「御安心を。この眼は見えずとも、心の目はしっかりと開いており申す!!」

 そう言った(ホン)師範に、塾長が槍の一撃を繰り出す。

 恐らくは様子見であったのだろうが、それでもパワーもスピードも共に申し分のない一閃だったにもかかわらず、(ホン)師範はふわりと跳んでそれを躱した。

 …躱した、だけのように見えた。だが。

 間髪入れず次の一撃に移ろうとした槍が、キュウリのように寸断されて地に落ちる。

 どうやら躱すと同時に、手刀を繰り出していたらしい。

 恐ろしいまでの手練れ。

 師範と名乗ったのは伊達ではないようだ。

 

「フッ、味なマネを。ならばこの拳はどうだ!?」

 だが塾長は、むしろ楽しそうな表情で(ホン)師範へと向かっていき、塾長の剛拳と(ホン)師範の手刀が、交差する。

 そして次の瞬間、塾長の身体を覆っていた甲冑が、粉々に砕けて落ちた。

 最初から邪魔でしょうがなかったと肌着までもを脱ぎ捨てて、塾長は改めて(ホン)師範に向けて構え、そして本当に嬉しそうに笑った。

 

 それにしても、あの身のこなし…どうも見覚えがある気がする。

 そんな事を思っていたら、斜め後ろのJが呟いた。

 

「あの男の動き、少し、光に似ているな…。

 護身術程度の拳法を嗜んだと言っていたが、ひょっとすると教えたのはあの男かもしれん。」

 …あ、そういうことか。

 あれほどの手練れに教授されたというなら、俺に空手の手ほどきをして欲しいとお願いしてきた時点での光が、既にそこそこ強かった事も納得できる。

 もっとも男塾に来てから俺やJ、邪鬼先輩や塾長にも教えを請うて、持ち前の素質でたちまち吸収していたから、割と色々混じってはいると思うが。

 

「今、その甲冑を脱いでもらったのは、いささか訳があり申す。

 それは、これよりお目にかけるこの秘技の為!!」

 (ホン)師範がそう言って地面を蹴って跳躍した、そのほぼ同時にそれまで立っていた場所から、地面を砕いて高い鉄柱が飛び出してきた。

 一体この闘場の下にどれだけの仕掛けが埋まって…いや、止そう。

 これは考えたら負けな気がする。

 それはさておき、その身体に似合わぬ身軽さで、その鉄柱の半ばあたりに据えられている足場に飛び乗る寸前、塾長に向けて無数の、恐らくは針のようなものを投げ放った。

 数本かは避けたのだろうが、広範囲にわたる無数の物体を避け切る事は不可能で、殆どが塾長の身体に当たる。

 

「これぞ冥凰島超奥義・傀儡(くぐつ)窕彭糸(ちょうほうし)!!」

 見れば塾長の身体のあちこちから糸のようなものが出ており、その端はどうやら鉄柱の台座の上に立つ(ホン)師範の手元に集まっているらしい。

 

「既に貴殿の運命は決まり申した。

 この鋼糸の先に結ばれた針は、貴殿の神経節を、悉く貫いており申す。

 もはや貴殿は、私の忠実なる操り人形……!!」

 こんなものは痛くも痒くもないと、その細い糸を引きちぎろうとした塾長の手が止まる。

 突然、己の意志とは無関係に振り上げられた腕は、拳を固く握り、その拳が塾長自身の横面を打った。

 

「これでおわかりになり申したかな?

 頭の先からつま先まで全て、貴殿の体はこの指一本で、どうにでも動かせるのです。」

 糸を切ろうとしたところで、指先に伝わる微妙な振動を指で感知して阻止できると、(ホン)師範は短い腕を前方に翳しながら豪語した。

 

 

 傀儡(くぐつ)窕彭糸(ちょうほうし)

 人体の筋肉運動を命令するのは脳であるが、その脳と筋肉各部の中継点となるのが神経節である。

 ここに糸のついた極細の針を打ち込み、糸の微妙な操作によって刺激して、相手を自在に操るのが、この技の要諦である。

 その発祥は中国秦代、金の採掘で知られる華龍山とされ、他国から攫ってきた奴隷達を効率的に働かせる為に使われたという。

 これに当時の拳法家達が目をつけぬ筈はなく、長年の時を経て完成したのが、傀儡(くぐつ)窕彭糸(ちょうほうし)である。

民明書房刊『中国拳法にみる東洋医術』より

 

 

「さあ、存分に味わっていただきましょう。

 己の剛拳の味を……!!

 貴殿の様な豪傑を討ち倒す事が出来るのは、貴殿自身のほかにおりますまいて。」

 その言葉通り、(ホン)師範がほんの僅か指を動かすだけで、塾長の拳が、膝が、全力で自身の顔面を打ち続ける。

 このままいけば、塾長は自分自身にKOされて、そのまま命を落とす事になったろう。

 …そう、このままならば。

 恐らく(ホン)師範は欲を出したというより、武士の情けをかけたのだろうと思う。

 このまま嬲り殺しにするよりは、次の一撃で終わらせてやろうと。

 遊びはここまで、とそれまで行なっていた自身への攻撃をやめさせ、全身の動きを封じる。

 それから、独鈷杵のような形状の武器を投げ落とし、地面に突き立てた。

 

「その位置から倒れると、地面に突き刺さった刃が、ちょうど貴殿の喉笛を貫くことになり申す。」

 そう言って指を微かに動かすと、その言葉通り硬直したままの塾長の身体が、地面へと無防備に倒れていく。

 その光景を上から確認して、ようやく台から降りてきた(ホン)師範は、倒れた塾長の背中に、まるで見えているように、どこか痛ましげに声をかけた。

 

「…さしもの怪物も、呆気ない最期であったな。」

「フフフ…誰が最期だと……!?」

 あり得ない声に、俺達も驚いてその声の主を見やる。

 

「貴様はわしの身体にまだひとつだけ、意のままにできる部分を残していた……!!」

 よく見れば、完全に地面に倒れていると思われた塾長の身体が、()()()()を支えに少し浮いていた。

 …それが、どこであるかは敢えて明言しないが。

 

「わしの肉体はこれ全て武器!!

 己の常識で物事を判断すると墓穴を掘る事になる!!

 わしが男塾第三の助っ人である──っ!!」

 塾長は()()()()を軸にして動かぬ身体を回転させると、揃ったままの両脚が(ホン)師範の横面を張り飛ばし、その丸い身体がすっ飛んで背中から倒れた。

 その際に(ホン)師範の指から全ての糸が離れたらしく、その指の支配から逃れた塾長は、全身に刺さった針を無造作に糸を掴んで引き抜く。

 

「フッフッフ、親孝行な()()()じゃて。

 もっともあと1㎝、あの刃が長ければ危なかったがな。」

 …いやその、『それ』は確かに男にとっての『武器』だとは思うが、それが文字通りの意味で使われると、誰が思うだろう。

 あの人の闘いは、俺たちの想像をはるかに超えている。

 スケールの大きさが、俺たちとはなにもかも違うのだろう。

 

「…でけえ。」

 ………富樫。

 言いたい事はわかるがその発言は、このタイミングでは若干違うことを連想させるから止せ。




活動報告に、塾長の闘いを今回で終わらせて次回からコロシアム編に移りたいと書きましたが、やっぱり終わらせられませんでした。
恐らく次の話でようやく中央塔編を終えて、その次からコロシアム編になります。
ええ多分。


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21・ヘヴィ・メタルのボディの中に

「…なんというお人よ……!!

 だが勝負はここからが真の佳境!!

 傀儡(くぐつ)窕彭糸(ちょうほうし)の秘術は破れ申したが、私が師・(ちん)京彊(けいきょう)より授かった奥義は、これだけではありませぬ!!」

 呆れたように言って立ち上がった(ホン)師範が、肩をほぐすように腕を回す。

 

「なに、(ちん)京彊(けいきょう)だと……!?」

「フッ、御存知か。陳老師の名を。

 もっとも貴殿ほどのお方なら、知っていてなんの不思議もござらぬがな。

 残念ながら既に他界され申したが、技量・人格なにをとっても、中国拳法史上、あのお方の右に出る者はおりますまい。

 ……そして私こそは、陳老師最後の弟子!!

 その偉大なる師の名に懸けて、負けるわけにはいき申さん!!

 お見せしよう、師より直伝の奥義中の奥義を……!!」

 塾長から広めに間合いを離して、短めの両脚を開いた状態で深く腰を落とし、片手の手刀を前に出して構えた(ホン)師範は、その姿勢で独特の呼吸を始めた。

 あれは……恐らくは氣功法の呼吸のひとつだ。

 色々とやり方はあるが、基本的には深く呼吸することで、新しい外氣を取り入れて、逆に古い内氣を体外に出す。

 同時に身体の内側にいくつもの風車をイメージして、外から取り入れた息でそれを回す。

 それを何度か繰り返すと、内側の澱みが消えて氣が澄んでくる。

 これが氣を練るということだ。

 ……いや、イメージを言葉にしてしまうと相当意味がわからなくなるのだが。すまん。

 誰に謝っているのかは知らないが。

 ともあれ、塾長はこの闘いに入って初めて、まともに構えをとった。

 ……表情が、変わる。

 それは、これから来る技の脅威を、肌で感じているからに違いなかった。

 

「参る!!冥凰島至極奥義・千歩(せんぽ)氣功拳(きこうけん)!!」

 …(ホン)師範は、そこから一歩も動いてはいない。

 だが俺達の目には、幾本もの手刀が飛び出して、それが塾長の身体のあちこちを切り裂いたように見えた。

 ただでさえ(ホン)師範は手足が短いところにこの間合いで、そこに立ったままで届くはずがないのだが。

 

「タネも仕掛けもござらぬ。

 私の発した氣の塊が手刀の形を成し、貴殿の皮膚を切り裂いたのです。

 数ある陳老師の弟子にあっても、この技を極めた者はごく僅か!!

 そのひとりが、この私であり申す!!」

 

 

 千歩(せんぽ)氣功拳(きこうけん)

 離れた所から氣功法によって発する『氣』という人体エネルギーだけで敵を倒す『百歩神拳』は広く知られているが、これを更に強大にしたのが千歩(せんぽ)氣功拳(きこうけん)である。

 数ある中国拳法奥義にあって至高の技であり、拳を志す者は誰もが修得を夢みるが、その修業は想像を絶するため、極めた者は数少ない。

民明書房刊『氣の科学』より

 

 

 一度溜めたあとならば、次の手に移るまでにそれほど間を必要としないのか、(ホン)師範はすぐに同じ技の第二撃を放つ。

 続けて第三撃。

 数多の手刀にあっという間に皮膚を裂かれ、塾長の身体があっという間に血塗れになった…が、何か不自然だ。

 

「何故少しも躱そうとなさらん!?」

 (ホン)師範も同じ事に気がついたのだろう、技の構えを取りながら塾長に問う。

 そう。なぜか塾長はその場から動いていない。

 いくら手刀の形を取った氣の、その数が凄まじいものとはいえ、塾長ほどの者であれば、防御程度は及ぶはずなのに。

 

「もはやこの最大奥義の前に、悪あがきは無駄と悟り、観念なされたか!?」

「フフッ、躱す必要などない。無駄じゃ!」

 そして塾長は、兜の下で口角を笑みの形に吊り上げていた。

 

「もうそのくらいでやめておけ。

 少しは期待したが、そんなナマクラ拳でいくら擦り傷を負わせようと、このわしを倒すことは出来ん!!」

 言いながら、筋肉をほぐすように肩を回す塾長は、確かに出血は酷く見えるが、さほどのダメージを負っているようには見えない。

 

「…貴様の千歩(せんぽ)氣功拳(きこうけん)は、氣が充分に練れておらんのじゃ。

 だから威力に欠け、数に頼らなければならなくなる…教えてやろう!!」

 そう言って塾長は、先程の(ホン)師範と同じ構えをとった。

 更に、やはり同じように氣功の呼吸法も。

 それと共に氣の圧力が膨らんでいく様が、(ホン)師範の見えぬ目にも明確に『見え』たのだろう。

 同じ構えをとったまま、次の手を出す事も出来ず呆然とする。

 

「陳老師は言ったはずだ。

 この千歩(せんぽ)氣功拳(きこうけん)は、氣の練りと集中が全てだとな!!」

 …その言葉がまるで、同門の高弟が弟弟子に稽古をつけるような、どこか温かみのある口調だと感じたのは、俺の気のせいだっただろうか。

 

「ち、陳老師を、その名だけでなく知っておるのか……!

 ま、まさか、陳老師がかつて仰っていた、この技を三ヶ月で極めたという日本人とは……!!」

 その言葉を、全てを言い切る間はなかった。

 

「これが、真の千歩(せんぽ)氣功拳(きこうけん)じゃ───っ!!」

 次の瞬間、完璧に圧縮され練成された氣が形作ったのは、先程見たような無数の手刀ではなく、巨大な一個の拳だった。

 その圧力は、まともに当たれば人の身体など、肉も骨もひしゃげて潰れるものだったはずだ。

 実際、(ホン)師範の顔の真横を通り過ぎた巨大な氣の拳はその背後の、先程(ゼロ)戦が激突してもビクともしなかった塔の壁に、クレーターのような穴を穿ったのだから。

 …それにしてもあの壁、あんなに厚かったんだな。

 多分だが、3メートル余はあるだろう。

 確かにあれでは、激突した(ゼロ)戦の方が壊れるのは当然だろう。

 背後で砕けた壁の大きな欠片が、ガラガラと音を立てて落ちる音を聞きながら、(ホン)師範は恐らく腰を抜かしていたに違いない。

 それを見下ろしながら、塾長はパチンと指を鳴らす。

 

「チッ。あまりにも久しぶりの拳で外してしまったわ。」

 …いや、それを誰が信じると思いますか。

 

「ち、違う!

 あなたは…こ、故意に外されたのだ……!!

 私の…私などの及ぶ所ではございませぬ…!!」

 力の入らぬ足をなんとか動かし、その場で膝をついた(ホン)師範は、そう言って両手と頭を地につけた。

 

「陳老師がよく言っていた…拳の道を極めるとは、拳の心を知る事だとな!!」

 ということは、やはり(ホン)師範の師であるという陳老師という人に、塾長は教えを受けていたのだ。

 そして二人にとってその人は、真に尊敬に値する人格者であったのだろう。

 

 ・・・

 

「あ、貴方が陳老師一門の高弟であり、私の兄弟子にあたるお方だったとは……知らぬこととはいえ、御無礼を……!」

「フフッ、いい加減におもてを上げい。

 いい勝負であったわ。

 わしの仕事はここまで。もう行かねばならん!!」

 解いたサラシで身体を拭きながら、今日初めて会った弟弟子へ、やはり労わるように言葉をかける。

 …彼の動きが少し光と似ていたことも、その要因のひとつである気がするのは考えすぎだろうか。

 そうしてから、塾長はまた肩をほぐすように腕をぐるぐる回すと、なぜか先程乗ってきた(ゼロ)戦へと足を向けた。

 何をするかと思えば、ひしゃげた翼やプロペラを、力任せに真っ直ぐに戻している。

 とはいえ、モノは金属であり、一度曲がったそれが元どおりになる筈もなく。

 …大体、そんなものを形だけ直してどうなるものでもないと思うのだが。

 だが、その作業を一通り終えると、塾長は闘場から、俺たちの陣を見上げて、声を上げた。

 

「あとは任せたぞ!!

 この大会もいよいよ正念場!

 心してかかるがよい!!」

 …あ、俺たちの存在、忘れられてなかったんだな。

 それはともかく、そう声をかけたと同時に、塾長は先程形を直した(ゼロ)戦のプロペラを、叩いて回転させる。

 ここまでくれば、一番近くにいる(ホン)師範には、彼が何をしようとしているか理解できたらしく、その表情が驚愕に彩られた。

 

「ま、まさか貴殿、その機に乗って帰られるおつもりか!!」

 …信じたくなかったが、やはりそうなのか。

 

「フフッ、気合いで飛んでいくわい。

 …さらばだ!!わしは貴様達のような塾生をもって、誇りに思うぞ!!」

 あとの言葉は、俺たちに向けてかけられた言葉だ。

 その言葉を聞いて、富樫と虎丸が顔を見合わせる。

 

「あ、あの塾長が、俺達のことを初めて褒めおった……!!」

 …言葉としては初めてだろうが、認めてくれている事は、この大会に送り込まれた時点でわかっていた事だ。

 だがそれでも、『誇りに思う』というその言葉は、ここまでを戦い抜いてきた俺たちにとって、強く胸を打つ言葉だった。

 ……一瞬、塾長が今やろうとしている無謀を忘れるほどに。

 

「発進〜〜っ!!」

 俺たちが一瞬感動している間に、どう見ても壊れている(ゼロ)戦に乗り込んだ塾長は、どのようにしたかは知らないが、エンジンを動かして離陸を試みる。

 だが、最初からエンジンの調子が思わしくなかった上にあの破損状況、更に滑走距離が短い事もあり、機は躓くような格好で、先端を下にして下降した。しかし。

 

「どりゃあ──っ!!ワッハハハ、わしが男塾第三の助っ人であるーっ!!」

 …本当にどのようにしたものなのか、確実に落ちていた機体はすぐに上昇を開始して、そのあとは黒い煙を吐きつつ、更に何度も下降、上昇を繰り返すようにして、その姿はどんどん小さくなっていった。

 

「い、いっちまった……!!

 本当に大丈夫なんかよ、あんなんで……!!」

「あの人に不可能なんて言葉はねえんだよ!

 ひょっとしてスーパーマンみてえに空を飛ぶ事だって出来るかもしれねえ!!」

 そう言った富樫の言葉は、単に不安を打ち消す為のものだっただろう。

 だがそう言われると、本当に塾長ならば、あの状況も何とかしてしまいそうな気がする。

 …(ゼロ)戦は当時開発された戦闘機の中でも飛行時間はそこそこ長い筈だが、それでもヘリで結構な時間がかかった筈の距離を往復で飛んで、燃料は大丈夫なのだろうかとか、少し気にはなるが。

 とにかく、塾長のお陰で俺達は優位に立った。

 問題はあの男…藤堂豪毅という大将。

 光の義弟(おとうと)でもあるあの男の実力は、最初に顔を合わせた時に見た限りでは相当なものであるように感じる。

 俺は最初に闘ってしまっているから、奴の相手となるのは、ここまで温存してきた副将の邪鬼先輩になるのだろうが…。

 

「……見ろ。なんだあれは!?」

 と、赤石先輩が示した方向、塾長が向かったのとは反対の方角から、飛行機の編隊がこちらに向かってくるのが見えた。

 どうやら先程見送ったものとは段違いの最新鋭のジェット戦闘機が、一機のヘリを護衛するように飛んでいるらしい。

 どうも塔の後方に着陸する為の滑走路があるようで、そちらに向かっているようだ。

 これだけの大編隊に護衛される存在とは、まさか、あのヘリに乗っているのは……!!

 

 ☆☆☆

 

「申し開きは一切致しませぬ!!

 冥凰島十六士の師範として、敗北の責任をとり申す。

 この首にて、お許しを!!」

『第三の助っ人』と名乗ったふざけた鎧兜の男に敗北して、戻ってきた(ホン)がこちらに背を向けて跪くのに、藤堂豪毅はもはや癖のように手にしている刀の鯉口を切る。

 そして、座していた椅子から立ち上がると、鞘から引き抜いたそれを振りかぶり……次に振り下ろされたそれは、しかし、(ホン)の首を落とす事なく、その肩に触れぬ寸前で止められていた。

 自身が生きている事が信じられず、恐る恐る落とされなかった首を回すと、どうやら若き未来の総帥が、一度引き抜いた刀を鞘に納めるところであるようだった。

 

「…今更、貴様の首を貰ったところで仕方あるまい。

 死ぬことだけが、責任を取る方法ではない!!」

「若……!!」

 恐らくはその身の内側で感情が激している筈のその青年に、確かに指導者としての器を感じて、(ホン)は胸の内が熱くなるのを感じた。

 こうなれば、一度死んで生まれ変わったものとして、この青年に己が一生をかけて仕えようと、その瞬間に決意した。だが。

 

「ぐはっ!!」

 次の瞬間、立ち上がろうとした(ホン)の四肢の腱が、先程彼自身が放ったのと同じ、手刀の形をとった氣の塊によって、一瞬にして切り裂かれた。

 その身体を支える事が出来ずその場に倒れ臥す彼の目に、『(あるじ)』の驚愕の表情が映る。

 苦痛に顔を歪ませながらも、それを行なったのが『(あるじ)』でなかったことに、(ホン)は安心した。

 

「何奴!?」

「甘い…甘いぞ、豪毅よ!

 そんな事で指導者として、このわしの後を継ぐことなど、出来ると思うか!!

 なんたる重ね重ねの醜態…この藤堂兵衛、居てもたまらず自ら乗り込んで来たわ!!」

 振り返った藤堂豪毅は、長い睫毛に縁取られた切れ長の目を見開いた。

 そこに立っていたのは、彼の義父。

 そしてこの大会の主催者である藤堂兵衛その人であった。

 その斜め後方に控える白金の髪の青年に豪毅は見覚えがなかったが、先程(ホン)のとったのと同じ構えをとっている事から見て、今のはこの青年が為した事であるようだ。

 

「し、紫蘭……!!」

「敗者が、気安く名を呼ばないでもらおう。

 今の私は、藤堂兵衛様の懐刀。

 貴方の指示は一切受けぬ。

 …せいぜい、そこで這いつくばって、かつて片手間に教授した者達が、貴方より上に立つ様を見ているのだな。」

 それは、むしろ殺すよりも残酷な仕打ちではなかろうかと、豪毅は先程情けをかけ、命を奪わずにおいた事を、心の中で(ホン)に詫びた。

 

「気になることがひとつある。

 ヘリのモニターで見ていたが、あの男塾第三の助っ人とかいう男…どこかで見たような気がするのだ。」

 そんな状態にも御構い無しに、義父は足元に転がる男に訊ねる。

 一瞬何を言われたのか理解できずに(ホン)が一瞬口を噤むと、藤堂兵衛は深く考えるように眉を顰めた。

 

「そして奴には、このわしを畏怖させる何かがある!!」

「…かしこまりました。

 父上が気になるならば、追手をかけましょう。」

 と、問われた(ホン)を庇うように、豪毅がそう口にすると、藤堂兵衛は薄く笑って首を横に振った。

 

「その必要はない。既に追手は出してある。

 撃墜するように命じてな!」

 それを聞いて(ホン)はハッとしたが、その様子は幸いにも、藤堂兵衛に気取られる事はなかった。

 それから間もなくして、報告にやって来た男の耳に響く大声が、『命令通り撃墜した』と報告してきたからだ。

 それを聞いて満足気に頷いた藤堂兵衛は、死んだ男に既に興味をなくしたらしく、座っていた『(あるじ)』の椅子から立ち上がる。

 

「では、わしらもそろそろ出発するとしよう。」

 それを聞いて豪毅が、怪訝な表情を顕にする。

 

「出発とは…!?

 この後の闘いを見ずに帰られるおつもりか!?」

「フフッ、そうではない、豪毅よ。

 闘場を移すという事じゃ。

 この紫蘭と、もう一人あちらに控えさせておる、わしのあらゆる敵を闇へと葬ってきた影の死刑執行人。

 この者たちにかかれば、男塾など物の数ではない!

 この状況を一気に逆転する為に、特別に貸してやろう。

 これから行く場所がこの天挑五輪大武會、真の決勝闘場よ!!

 外部へのマイクを寄越せ!!」

 

 ☆☆☆

 

『聞こえるか、男塾の勇者諸君!

 わしはこの天挑五輪大武會の主催者・藤堂兵衛である!!』

 (ホン)師範を塾長が下してからかなりの時間が経っているというのに、次の闘士が一向に姿を見せないと訝しみ始めたところで、塔からその声が響き渡った。

 藤堂兵衛、やはり先程のヘリは、奴が乗ってきたものだったのだ。

 

『当大会初参加にもかかわらず、諸君等の健闘、まっこともって見事である!!

 この藤堂兵衛、深く感じ入った!!

 そこで諸君等には、これより真の決勝闘場へと移動してもらう!!

 すなわち、ここでの勝負はこれまでだ!!』

 その声とともに俺たちの陣に、コンテナのついたトラックが乗り入れられた。

 これに乗れば、目的地へ連れていくという事で、仲間たちに不安の色が広がるが、主催者の意向となれば、俺たちに選択肢はない。

 コンテナの後方にある入口が開かれ、俺たちは指示通りにそれに乗り込んだ。

 

 ☆☆☆

 

(ホン)師範。ひとつ答えるがいい。

 貴様、先程の男を知っていたのか!?」

「…お目にかかったのは今日が初めてです。

 あの方は、私の兄弟子に当たる方でした。

 私が入門するより前に、私が十年かけて修得した奥義を三ヶ月で極め、更にその他の修業も一年で成し遂げたと聞かされております。

 亡くなった師がお教えくださったその名は、確か『江田島』と……!」

「……そうか。

 ここの者に手当を命じておく。

 貴様は今は無理をせず、傷を労うておくがいい。」

「若……いえ、総帥…!」

 かけられた温情に涙ぐみながら、(ホン)は自身の新たな主の足音が、遠ざかっていくのを見送った。

 

 …ふと、先程闘った自身の兄弟子が、『撃墜された』という言葉を思い出したが、あの男ならば大丈夫だと思い直すに至った。

 その確信に理由はなかったが、それが真実であると、彼は疑わなかった。




(ホン)師範については、すごく悩んだのです。
というか、光とかつて交流のあった藤堂側の闘士の死について、アタシ的にはミッシェルの話を書き終えた後に、思ってた以上にダメージ来まして。
まあ、ミッシェル戦は割とその傷ましい感覚があったからこそ、自分の中でベスト5の中に入るくらいの好きな話になってはいるのですが(基本的に悲恋も好みなんで)、まあつまりはぶっちゃけ、出来る事なら殺したくないなと。
原作で(ホン)師範の首を落としたのは恐らくは御前なんでしょうが、その武器が何であるかの描写はなかったので、アタシの中であれはスパルタカスさんの赤鞭(レッド・ウィップ)であったのだと(無理矢理)解釈しました。
そしてこの物語ではスパルタカスさんは既に…!
つ、つまり、これも光とディーノが動いた事によるバタフライエフェクトなのです…!
…いや強引とか言うな。

そんな訳で、中央塔編はこれにて終了。
次回からはコロシアム編となります。


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天挑五輪大武會決勝コロシアム編(優勝決定戦)
1・Final Wars!


 トラックが走り出して2〜3時間は経過した頃。

 急停車したトラックから降りた俺たちが目にしたのは、古代ローマで剣闘士が闘った舞台を模した、巨大な建物だった。

 男爵ディーノが雷電の手を借りながら、一番最後にトラックから降りるや否や、それを見上げて驚きの声を上げる。

 

「ここは…一昨日の晩にわたしと光君が乗り込んだ闘技場(コロシアム)

 わたし達は、昨晩の追っ手にあの上の回廊へ追い詰められ、彼女にあの上から突き落とされて、わたしだけがあの男の手から逃れたのです……!!」

 確かに昨日、状況を説明された際にも闘技場(コロシアム)と言っていたが、どうやらあれは比喩でもなんでもなかったらしい。

 ということは、光は今、捕らえられてここにいるのだろうか。

『自分は殺されないから』と言っていたらしいから、無事であることを信じたいが。

 …というか今サラッと『突き落とされた』と言っていた気がするんだが、それは助けた事になるのか?

 ディーノ先輩が指差したあたりから地上まで、ゆうに50メートルはあるんだが。

 ……止そう、考えるな。

 何であれ、ディーノ先輩は今、生きてここにいる。

 

 とにかく、中に入るしかなさそうなので、俺たちは目の前の入口から建物の中に入った。

 瞬間。

 

『皆様!男塾チームの入場であります!

 盛大な拍手でお迎えください!!』

 という突然のアナウンスと、割れんばかりの拍手と歓声に、俺たちは包み込まれた。

 

「こ、これは一体……!」

「観客がいやがる……!!」

 どういうことだ、これは……!?

 

 外観に違わず内部も、かの建造物を模してあるようで、闘場をぐるりと囲むように観客席があるのは当然だが、実際にそこが観客で埋め尽くされている光景は、現代において本物のローマのコロシアムでは見られないだろう。

 更に違うのは俺たちが入ってきたのとは反対側の観客席の後方に、さっきまで闘っていた塔に刻まれていたのと同じ、主催者・藤堂兵衛とおぼしき男の像が刻まれた柱が立っていること。

 ………センスってなんだろう。

 

 ☆☆☆

 

 “『綺薇(キラ)』のスタンバイをしておくように”

 との指示が、御前からの連絡だと係員からもたらされたのは、またも結構しっかりしたお昼ご飯を済ませた直後のことだった。

 同時に、昨夜闘技場(コロシアム)で闘った時と同じ一式、プラス脱浮舞楽(ぬうぶら)が手渡される。

 またこれを着なければいけないのか。

 いや、乳首の件は脱浮舞楽(ぬうぶら)でクリアできたからいいのだが、今このタイミングはやめて欲しかった。

 何が嫌って、割と胃下垂気味の私は、食べた後は若干、下腹が出る。

 

「クッ…裏技を、使うか……。」

 丹田に僅かに氣を撃ち込んで、周囲の筋肉に刺激を与えると、腹筋と内臓の筋肉が徐々に締まっていき、ポッコリ出ていた下腹が、収まるところに収まってスッキリとなった。

 ついでにウエスト周りの皮下脂肪を少し、胸とお尻に移動させる。

 よし、少しだがメリハリのある体型になった。

 もっとも1日しか保たない上に、明日は確実に筋肉痛だけどな!

 

 …ところで私はまた、恐らくは大武會の合間時間に、闘技場で闘う事になるのだろうが、綺薇(キラ)のキャラクターはどうすべきだろう。

 私は影慶とは違うので、やるからにはキャラクターを細かく設定し、完璧に演じるつもりなのだ。

 女性闘士のキャラとしては、無口な方がいいだろうか。

 バックグラウンドは…たとえば女手一つで育ててくれた母親が最近亡くなり、生まれつき病弱な弟を抱えて、その治療費を稼ぐ為に闘士となった。

 年齢は17歳。

 仮面は幼い弟に、自分が日々金の為に闘っている事を知られない為。

 …うん、いいな。これでいこう。

 私自身の体験もほんの少し混ざってる分、よりリアルに演じられる筈だ。

 仮面を着けるならメイクは要らないか。

 いや、顔下半分は出ているから口紅くらいはつけた方がいいだろう。

 あまり派手すぎず、けど控えめすぎない、程々に主張する色がいい。

 

 とか色々考えて、清子さんにメイク道具をお願いしたところ、清子さんは何故か一緒に(かもじ)的なものまで持ってきて、後頭部に一本でまとめた三つ編みを作られた。

 うむ、確かにこの方が格闘家っぽいかもしれない。

 …などと呑気にしていた時の私は知らなかった。

 

 私と清子さんの共同作業で『綺薇(キラ)』を完璧に仕上げて、2時間ほど待機していたら、闘士の控室に来るようにとようやく呼び出しがかかった。

 清子さんに『行ってきます』と手を振り、両側に係員を従えて歩く。

 その係員の一人に開けてもらった扉をくぐると、部屋の中に紫蘭と……中央塔で決勝戦を行なっている筈の、豪毅がいた。

 

 …この瞬間まで、私は知らなかったのだ。

 まさか私が戦う事になるのが、(ホン)師範までもを破ってここに招かれた、男塾の仲間達だったなんて。

 

 けど、それ以外は昨日、男爵ディーノと共にここに乗り込んだ私の思っていた通りになった。

 もう少し早くに気がついて、この闘技場(コロシアム)を爆破する事に成功していたら、こんな事にはならなかったのかと、私は仮面の下で自身の不手際を悔やんだ。

 

 ・・・

 

「………女だと?」

 入ってきた『綺薇(キラ)』を、豪毅の氷のように冷たい目が見据える。

 それが姉の『光』である事に、どうやら気がついていないようだ…けど。

 豪毅の目に、以前会った時には見られなかった、陰のようなものが見て取れて、私は僅かに動揺した。

 それは紛れもなく、己の意志でひとを手にかけた者が持つ陰。

 自分の手でひとつの命が消える、その感覚を知る者だけが持つ、決して拭い去れない血の穢れだ。

 やはり、清子さんの話を聞いた時に思った事は間違いではなかった。

 豪毅は、兄達をその手にかけている。

 少し生意気だけど優しかった彼の、少年の頃の顔を思い出して、胸がつくんと痛んだ。

 

「何をしに来た。入る部屋を間違えたならば、早々に立ち去るがいい。」

 …そしてその豪毅は、割と失礼な事を言う。

 

綺薇(キラ)、ここだ。俺の傍に居ろ。」

 対して紫蘭は一瞬で事態を察したのか、または事前に御前から説明を受けていたかは判らないが、その豪毅の視線をさりげなく遮るように間に立ち、エスコートの如く手を差し伸べた。

 導かれるままに、その手を取って傍に立つ。

 私の居場所を確保し終えた紫蘭は、一旦私から手を離すと、豪毅の方へと向き直った。

 

「…では、親父の言ったもう一人の懐刀とは、そのチビの女のことなのか。」

 驚きを押し隠すように声を抑えて豪毅が呟く。

 

「…口を慎むがいい、豪毅殿。

 私達の主は、藤堂兵衛様であって、あなたではない。

 私もこれなる綺薇(キラ)も、あなたの指示は一切受けぬということだ。

 そのことを、お忘れなきように。」

 …昨日私を感情に任せて()とうとした男とは思えぬくらい冷徹に、紫蘭が豪毅に言い放つ。

 その豪毅から小さく舌打ちが聞こえた。

 ……お行儀悪いですよ、豪くん。

 つかチビ言うな天パ。

 すいません言い過ぎました。

 

『皆様、ロイヤルボックスに御注目ください!

 当天挑五輪大武會主催者・藤堂兵衛より、御挨拶申し上げます!!』

 と、闘技場(コロシアム)全体にアナウンスが響き、歓声が一際高まる。

 それが一通り落ち着いたタイミングで、マイクを通した御前の嗄れた声が、軽い咳払いの後に言葉を紡いだ。

 

【御来場の紳士諸君。

 遠路はるばるこの冥凰島へ、今年もようこそいらっしゃった!!

 ここに世界各国からお集まりの皆様は、ありとあらゆる物を手に入れ、全ての快楽を知り尽くし、金では買えぬ楽しみを求めて来た方々ばかり!!

 実に困った人たちです。

 もっともこの大会の主催者である私が、そんなことを言える立場にはありませんがね。】

 チクリと刺すようなブラックユーモアが会場を一旦沸かせる。

 御前は確かに褒められた事をしてきたひとではないが、その権力や財力だけではない、人の心を掴む魅力が確かにあるのだ。

 そうでなければ世界の要人や、暗黒街の大物ばかりのこの観客が、いかに招待されたとはいえ、これほどに集うことはあり得ないだろう。

 そしてその人脈は、御前の力を更に強大にしていく。

 

【それでは今回の天挑五輪大武會、決勝戦のルールについて御説明しよう。

 既に予備決勝戦は冥凰島十六士と、男塾とで終了した。

 だが、双方の力はまったくの互角。

 そこでこの会場で両軍三人ずつ、精鋭を選び出して、雌雄を決することにした。

 つまり、相手三人を倒した方が、この大武會の優勝となるのだ!!】

 事前に思っていた通り、これは完全に御前の横車だ。

 少なくとも昨日まで私が見ていた限りでは、マハールに敗れた月光を除けば、他は全勝だった筈だ。

 案の定、男塾側(主に2人)からは不満の叫び声が上がっているが、どうやら桃が制したらしい。

 それにしても、あの中央塔での闘いが、ほぼ無かった事にされるのは、些か解せない。

 それは闘士達にしても同じだろう。

 亡くなった闘士たちはどうにもならないにしても、少なくともゴバルスキーは、この事を聞けば御前のもとを離れるのではないだろうか。

 あのひとはいい加減に見えて、芯には一本筋の通ったひとだから。

 

 

 

【では冥凰島十六士、三人の戦士を紹介する!!】

 その瞬間、控えの間のゲートが開いた。

 豪毅が先に出て、紫蘭と、彼にエスコートされる私が後から続く。

 闘場の中程まで進んだあたりで私たちは足を止めると、心得たように観客の声が一旦静まった。

 

 

【紫蘭!!】

 

 

 御前に名を呼ばれ、私の手を離した紫蘭が、マントを翻して騎士の如く恭しく一礼する。

 会場から盛大な拍手が送られた。

 

 

綺薇(キラ)!!】

 

 

 次に名を呼ばれた私は、とりあえず右腕を真っ直ぐに上げ、観客に向かって軽く振ってみる。

 どうやら昨夜のミッドナイトショーを見ていたのであろう観客が『綺薇(キラ)』に声援を送ってくる。

『昨日より髪長くないか?』という声も聞こえたが、デビューしたてでキャラが決まってなかった故の御愛嬌です、お客様。

 そして、

 

 

【藤堂豪毅!!】

 

 

 最後に紹介された豪毅は、特に声援に応えるでもなく、胸を張ってただ立っていた。

 それだけで王者の風格が漂うように見えるのは、姉の贔屓目ではないだろう。

 

【フフッ、ちなみに豪毅はわしの子にてござる。】

 御前のその言葉に、会場からまたも歓声が上がる。

 男塾も三人の闘士を選べと言って主催者のお言葉は終了し、男塾は一旦、係員が反対側の控え室の方へ誘導していった。

 

 ・・・

 

 そして再びその扉が開かれ、出てきたのは桃、伊達、邪鬼様の3人だった。

 桃はこのチームの大将だし、邪鬼様は副将なのでここまでは予想の範囲内なのだが、私としては筆頭つながりでもう1人は赤石ではないかと踏んでいたのだが、なんで伊達なんだろう。

 …というか、桃は大将同志で豪毅と戦うだろうけど、今更だけど私、伊達か邪鬼様のどっちかと闘うって事だよね!?

 

「…紫蘭。先に聞いておきたいのですが、私とあなたでは、どちらが先鋒になるのでしょうか?」

 お互いにしか聞こえない音量で、ここで唯一事情を聞ける男に、私は訊ねる。

 

「俺に決まっているだろう。

 豪毅殿の姉のあなたは一応、立場的に副将だ。」

 つまり、私の相手は邪鬼様で決定という事だ。

 

 …常ならば『あ、死んだ』と思うところだけど。

 何故か、それを聞いた時の私は、不思議と血が騒ぐのを感じていた。

 男塾に於いて彼や桃、J、そして塾長にと、それぞれから教えを賜ってきたが、自分の強さがどれほどのものか、あの場では実感できていなかった。

 誰も私と本気で闘おうとする者は居なかったし、思えばこの『師』たちが揃って規格外だったことも、その要因ではあるだろう。

 だから昨日、この格好で闘技場に引っ張り出され、いきなり凶暴な猛牛と対峙させられた時に、自分の身体が思った以上に動く事に驚いた。

 そして猛牛2頭を片付けて、10人余の男たちを沈めている間に、自分は相当に使える事を初めて実感した。

 

 こんなものでは、足りない。

 本当に強い者と、闘いたい。

 その欲求が湧き上がってくるのに、気がついていたから。

 

 ☆☆☆

 

 両軍3名ずつの闘士が闘場の中心に進み出て、改めて闘士たちの名が告げられる。

 

 男塾。

 大将・剣桃太郎。

 大豪院邪鬼。

 伊達臣人。

 

 冥凰島十六士。

 大将・藤堂豪毅。

 綺薇(キラ)

 紫蘭。

 

 以上6名により、この最終決戦が闘われる。

 会場が興奮と熱気に包まれる中、豪毅が桃の方へ一歩踏み出して、言葉を発した。

 

「親父のやり方にはこの俺から詫びておこう。

 しかし勝負には一切容赦はせん!」

 その目は射抜くように桃を睨みつけている。

 

「フッ、気にすることはない。

 これだけの観客がいれば俺達も燃えるってもんだぜ。」

 が、なんだか久しぶりに顔を合わせる気がする桃は、相変わらず飄々と微笑んで、その視線を受け流していた。

 …あ、まずい。

 多分だが、ここしばらくは見られなかった桃の悪癖、ひとをからかって遊ぶ癖が発動してる気がする。

 案の定、豪毅がちょっとムッとしたように、その視線の鋭さが増した。

 それを逆撫でするように、豪毅に向かって、桃の右手が差し出される。

 

「…なんの真似だ?

 親善試合でもするつもりでいるのか。」

「おまえは光の弟だと聞いた。

 彼女には世話になっているし、もしかしたら将来は兄弟になるかもしれんからな。」

 桃…お前は何を言っているんだ。

 …そして次の瞬間、2人の間の空間が、切り裂かれたような感覚を何故か覚えた。

 豪毅の手の、鞘に収まった刀が、何故か鞘走りのような音を立てる。

 

「残念ながら、その可能性は万に一つもない。

 …弟、だと?違うな。

 光は、俺の許嫁……俺の女だ。」

 そして豪毅が、怒りを抑えるような押し殺した声で、桃に言葉を返す。

 改めて本人の口から出てきた言葉に心臓が跳ねた。

 さすがの桃が、驚いたような表情になる。

 

「引き取られた時点で、親父の後継者の妻になる事を定められた女だ。

 それが俺と決まった今、あの女は俺のものだ。」

 そう言い捨てて豪毅が踵を返し、私たちは慌ててその後に続いた。

 

 ☆☆☆

 

「…どうやら、あの男は光が捕らえられている事には無関係のようだな。

 人質を取るような性格でないことは、初見で判っていたが…。

 …フッ、それにしても恐ろしい奴よ。」

 先程、揺さぶりをかけた際、あいつが抜く手も見せずに繰り出してきた居合が俺の右の袖口を斬り、ただの輪となって手首にぶら下がっている。

 ちなみに、俺の手首には傷ひとつない。

 

「なに、おまえの居合もなかなかのもんだぜ、桃。」

 どうやらあの瞬間の攻防が見えていたらしい伊達が、喉の奥で笑いながら言った。

 

 ☆☆☆

 

「…!あ奴…」

 何故か一瞬立ち止まり、呻くように声を発した豪毅が、右手を僅かに持ち上げる。

 その手首に、何故か黒い布の輪がぶら下がっていた。

 それが豪毅の学ランの袖口の布だと気付くのに、一瞬の間を要した。

 ……何やってるんだ、お前ら。




この世界の人は、顔半分隠れたら人相がわからなくなるようです。
ソースは影慶(翔霍)ってことで、ひとつ。


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2・Wind of Time

最初(ハナ)はこの俺が行く。

 奴等の力がどの程度のものか見てやろう。」

 そう言って一番手に名乗りを上げたのは伊達だった。

 闘いの為に脱いだ上着を無造作に俺に渡して、愛用の槍を手に闘場の中心に歩を進めていく。

 一番手の闘士以外は控え室のような場所に案内され、一旦そこと闘場が鉄柵で仕切られた。

 鉄柵の内側で各々が自身の居場所を確保すると、俺の手から飛燕が自然な流れで、伊達から預かった学ランを受け取って、邪魔にならない場所に畳んで置いた。

 これ、寮だったら間違いなくアイロンでもかけ始めてるところだろう。

 ちなみに男根寮には洗濯機はないくせに、何故か共用で使えるアイロンとアイロン台はあるのが謎だ。閑話休題。

 

「頼んだぜ、伊達──っ!!」

「くれぐれも油断すんなよ!!」

 閉じられた鉄柵の中から、富樫と虎丸が、伊達の背中に声をかけるのを聞きながら、俺は相手の陣へ目を向ける。

 

 真ん中にいた闘士…確か、綺薇(キラ)と呼ばれていたが、どう見ても女性というか、体格からするとまだ思春期前半の少女のようだ。

 観客席の反応からすると人気闘士であるようだし、ここで出てくるからには、相当な手練れである事は覚悟すべきだろうが…。

 

『ついて行っては、駄目なんですか?』

『…できれば、待っていて欲しいかな。』

 不意に『大威震八連制覇』の前に光と交わした会話、更にその時浮かべた不満そうな表情を思い出した。

 ここで、女性が闘う事が当たり前にまかり通っていたのであれば、確かに俺の答えは、彼女にとって納得のいくものではなかったろう。

 

『光を本当に守りたいなら、俺たちが強くなるのも勿論だが、光をとことん強くして、そばに置いておくのもひとつの手だ。』

 あの時のJの言葉が今頃腑に落ちて、連れて来なかった事を、初めて後悔した。

 

『光は、俺の許嫁……俺の女だ。』

 藤堂豪毅のさっきの言葉が、俺の耳にまだ残っている。

 守られるより、共に戦う事を望む女。

 脳裏に浮かぶ、その隣にいるのは、話の中では素直じゃないながらも可愛がっていた様子の『弟』。

 相手側の陣に向かう綺薇(キラ)の小さな後ろ姿に、ほぼ無意識に光を重ねる。

 彼女がその藤堂豪毅の傍に寄り添うように立ったところで、あちら側の鉄柵が下された。

 

 光、おまえはそいつを選ぶのか。

 そいつの手を取るのか。

 本当にそれが、おまえの望みなのか。

 

 …不意に、鉄柵の間から手をのばしかけて、そんな自分に気がついて慌てて止めた。

 あれは光ではない。

 なのに、光が奴の隣を選んだような気がして、俺は雑念を振り払うように首を振った。

 

 今は、伊達の闘いを見守らなければ。

 もっとも、あいつの力は全面的に信頼している。

 これから闘う相手が藤堂豪毅本人であるならまた別だろうが、残りの2人のうちどちらが出てくるにしても、今の伊達が遅れを取るような事態にはまずならないだろう。

 

 ☆☆☆

 

 槍を携えて闘場の中心に進んできた伊達を見て、紫蘭は控え室に並べてある武器の中から、同じくらいのリーチの槍を選んで、闘場に進み出た。

 それを確認してから、私たちの前にも鉄柵が下りる。

 

「…槍使い同士の闘いか。」

 誰にいうともなく豪毅が呟いたのを耳に留め、その義理はないが少しだけ紫蘭のフォローをしてやる事にした。

 

「紫蘭は、あらゆる武器を達人級に扱えます。

 苦手はありませんし、相手の武器が何であろうと、紫蘭には関係ありません。

 相手が槍使い故に、槍を選んだだけのこと。」

 もっとも、伊達は槍が『一番得意な武器』なだけであって、その気になれば刀も拳も使えるけど。

 三号相手に拳で2タテした男だし。

 

 それはさておき、私が説明してやると、豪毅はどこか驚いたような顔で、私をまじまじと見つめた。

 …ひょっとして、声で私が光であるとバレただろうか。

 仮面越しに豪毅の鋭い目を見返しながら、動揺を隠しつつも背中に冷たい汗が流れるのを感じる。が、

 

「…貴様、喋れたのだな。」

 豪毅が発した言葉は、思わず脱力するものだった。

 あまりにもあまりなコメントに、心の声が口からだだ漏れる。

 

「ホントさっきから失礼だなお前……!」

「何?」

「…いえ、何でも。」

「………とにかく、俺は貴様等を、親父の懐刀であるとしか聞いておらん。

 その腕、しっかりと見せてもらうとしよう。」

 …気を取り直して、最初の闘いを見守ることにするか。

 私の見立てが確かならば、まともに闘えば伊達に勝ち目はない。

 確かに伊達の槍術は神技ともいうべきものだし、男塾の中でもこれほど穴のない強さを持つ男は居ないだろう。

 だがこの場合はその強さが、逆に伊達を窮地に追い込む事になる。

 何故なら……、

 

 ・・・

 

『男塾・伊達臣人。

 冥凰島十六士・紫蘭。

 両先鋒、闘場中央へと歩み寄りました!!

 ……勝負開始であります!!』

 アナウンスが戦闘の始まりを告げ、観客が歓声を上げる。

 紫蘭が纏っていたマントを脱ぎ捨て、それがふわりと舞って落ちたのを、係員が回収した。

 

「行くぜ!!」

 伊達がまずは攻撃と防御、どちらにも移れる構えを取ると、それに対して紫蘭がとったのは、伊達と全く同じ構えだった。

 伊達本人もその事に気がついたのだろう。

 次に、攻撃に入る構えをとると、やはり紫蘭も同じ動きをする。

 

「…どういうつもりだ!?

 俺に合わせて同じ構えをとるとは…!!」

「私は、鏡に映るあなたの影…!!

 あなたは、あなた自身と闘うのだ!!」

 殊更に芝居掛かった口調で、紫蘭が答える。

 

「何を、わけのわからぬ事を──っ!!」

 そして、伊達がとうとう攻撃に移ると、やはりそれに合わせた紫蘭の槍の先端が、寸分違わず伊達のそれと合った。

 

「ならばこれならどうだ!!覇極流千峰塵(ちほうじん)!!」

 それは既に伊達の代名詞ともいうべき、目にも留まらぬ無数の突き技。

 だが、紫蘭はそれすらあっさりと模倣してみせ、全ての突きをひとつ残らず、槍の先端で合わせて止めた。

 神技とも呼ばれる己の技を完全に模倣され、さすがの伊達も驚愕の表情を浮かべる。

 

「おわかりになったかな?

 これぞ奥義・千日(せんにち)颮鏡(ほうきょう)!!」

 ……そう。これこそが紫蘭の、もっとも恐るべき戦法なのだ。

 

 

 千日(せんにち)颮鏡(ほうきょう)

 この技の要諦は、集中力・反射神経を極限まで研ぎ澄まし、相手の動作を寸分違わず、一瞬にして模倣することにある。

 その修業法は数あるが、代表的なものは氷柱の下で、滴る水滴を反射神経のみにより、無意識のうちにかわすことが出来るようになるまで、禅を組むというものである。

 もちろん、卓越した体術が必要なのは言うまでもない。

 ちなみに現代でも残る格言に、『人のふり見て我がふり直せ』とあるのは、この修業訓の名残である。

 民明書房刊『中国の奇拳ーその起源と発達』より

 

 

「将棋の世界に、禁じ手とはされているが『模写矢倉』という戦法がある。

 これは相手と全く同じ駒の手順で指していき、最後には相手の王を詰めてしまうというもの。

 人の心理とは脆いものだ……!!

 こうして徹底的に同じ動きをされていると、焦燥感ばかりが募り、いつしか必ず隙が生じる…!

 私は、そこを狙えばいいわけだ。」

 紫蘭の『特定の誰かに化ける』という特技は、この奥義を極めた事によるものだ。

 最初の頃は、普通に闘っても充分強いのに、なんでコイツ私の手を真似てくるのかと本気でイラついたのだが、要は修業により身につけた集中力と観察眼により、相手の動きの癖や呼吸の取り方などを一瞬にして見極めて、それを模倣することが可能となったわけだ。

 もっとも、一度見なければ真似ることは出来ないため、私の技はまだ使用不可能である…筈だ。

 

()っ!!」

 と、そうこうしているうちに、伊達はなんとか活路を見出そうとして、自身の持つ技を繰り出しているも、技の型だけでなく身体の使い方まで全く同じに返されている。

 そして同時に繰り出して交差した蹴りが、紫蘭には掠りもしなかったにもかかわらず、伊達にはヒットしていたようで、彼は僅かに唇の端を切っていた。

 

「何をしようが、全ては悪あがき……!!

 かつてこの奥義から逃れた者はいない。」

 綺麗な顔に不敵に笑みを浮かべて、紫蘭が伊達を振り返る。

 

「おもしれえ……!!

 ならば俺が、その最初のひとりになってやる!!」

 同じように紫蘭を振り返りながら、御自慢の男前な顔に、こちらは苦々しげな表情を浮かべた伊達は、そう言って身の内に殺気を漲らせた。

 

 ・・・

 

「つまり…相手の動きを完全に真似て、動揺を誘う技ということか?」

「表面的にはそれで間違いありませんが、それだけの浅い奥義ではありません。

 この技の真に恐ろしいところは、自身が強ければ強いほど…繰り出す技が強力であればあるほど、その強さが全て自身に返ってくるところにあります。

 ……想像したら、恐くありませんか?

 貴方ほどの闘士であれば、特に。」

 問われて答えた私の言葉に、豪毅は眉を顰めて黙り込んだ。

 まあお前、一度化けられてるけどな…とは勿論言わない。

 …考えてみれば昨夜、彼が化けたのが御前だったから見分けがついたわけだが、もしあれが豪毅の姿で現れていたとしたら、ひょっとしたら騙されていたかもしれない。

 今は騙す必要がないから、相手の手をそっくりそのまま模倣しているが、暗殺の際には、ターゲットの大切な者に擬態して実行するわけだから、相手が最も無防備になる瞬間をつく事ができる。

 …昨夜は人選を間違えただけだ。

 もっとも、あれも御前の指示だったのかもしれないが。

 負けないとわかっていたと言っていたし。

 

 ・・・

 

 さて。

 スピードを上げてもパワーで押しても、どちらも同じだけ上げてくる紫蘭に、さすがの伊達にも焦りが見えてきた。

 その辺の心理も把握済みなのだろう、伊達の猛攻に対し、それまでは受けて、流していた紫蘭が、遂に反撃に出る。

 と言っても自身から動くのではなく、伊達の攻撃に対して、完全な見切りでもって、同じ威力をカウンターで返すという方法でだ。

 先に撃って出た伊達の勢いを逆に利用して返す事で、単純計算で伊達自身に倍の力が返ってきて、三又に分かれていた伊達の槍の穂先は、綺麗に合わされた紫蘭のそれに、両端の2本を折られてしまった。

 伊達の槍はこれ1本ではない筈だが、それによる精神的な動揺は計り知れないはずだ。

 

「どうやら身も心も、かなり消耗してきたようだな。

 おまえがこの地獄に耐え切れず自滅するのは、もはや時間の問題……!!」

 明らかに余裕がなくなってきた伊達に、紫蘭がニヤリと厭な笑みを浮かべた。

 …いつも思うが、こういう表情がこの男の、せっかくの美貌を台無しにしている。

 無理矢理好意的に解釈するなら、感情が素直に出るわかりやすいタイプと言えなくもないが、とにかくいろいろ若いのだ。さすが童貞

 せっかく綺麗な顔をしているのだから、どうせならうちの飛燕みたいに、その美しさすらも自身の武器にしてしまえばいいのに。

 あのひとはあのひとで結構な腹黒だけど。

 いや羨ましくなんかない、絶対。

 私だって世間の平均から見ればそれなりに美人である筈だ…それなりに。

 ……クッソ腹立つ。

 

 …は、いいんだが、モニターに時々映し出される御前の表情が、伊達が猛攻をかけ始めてから変わったような気がする。

 余裕のある笑みが崩れ…たのはまだしも、なんか頬が紅潮して鼻が膨らんで、心なしか呼吸も荒い。

 ああうん、ぶっちゃけ結構な興奮状態ですよ側近さーん!

 倒れないうちに、何か飲み物でも差し上げてくださ〜い!!

 ……って、よく考えたら私たちは、あのひとを討ちにきてるんだった。

 いやいやでも、天誅を下す前に血圧上がって死なれたらなんか逃げられた感が凄いし、何の為にここまで勝ち上がって来たのか判らないからね!

 …そういう事にしておいて欲しい。

 てゆーか、薄々気がついてたけど御前ってやっぱり…いや、止そう。

 

「いい加減にしねえか──っ!!」

 いつもなら敵に感情を乱される事のない伊達が、怒りもあらわに更に激しい猛攻をかける。

 

「フフッ、それでいい。

 どんどん頭に血を昇らせるのだ。

 怒りと焦りは正確な判断力を失わせ、技を鈍らせる。

 そしておまえは自らの墓穴を掘るのだ!!」

 対する紫蘭は余裕の(てい)で、その強引な連打を全て見切ってあしらっているが……何か、不自然だ。

 というか、私は先日の梁山泊戦で雷電を失ったと思った直後に、怒りを爆発させた伊達を見ている。

 あの時に私が胸を詰まらせたほどの氣の圧力を、今の伊達からは感じない。

 状況があの時とは全く違うとはいえ、こんな事があるだろうか?

 あれほどに我を忘れているように見える伊達から、私は本気の怒りを見て取る事ができなかった。

 そう見ていたら、伊達はいきなり足元の、互いの攻撃により抉れた闘場の床の欠片に足を取られ、動きが一瞬止まる。

 その隙をついて紫蘭が放った突きの一撃は、反射的に防御の為に構えた槍の柄をあっさりと貫き、その右胸に到達した。

 

「ぐふっ!!」

 それは急所を避けてはいても、伊達本人が放った技と同じくらい、深くその胸を抉っており、苦悶の声をあげた伊達は、それが引き抜かれたと同時に、息も荒くその場に膝をついた。

 

「これで勝負あったな。

 その傷と折れた槍では、もはや闘うこともできまい。

 さあ、覚悟を決めるがいい!!」

 その穂先に塗れた血を振り払うように振りながら、紫蘭が伊達を見下ろす。

 その目を睨みつける伊達は、一見身動きも出来ずにいるように見えるが…、

 

 ☆☆☆

 

「違う。伊達は今の一撃、わざと撃たせたのだ。

 どんな窮地にあろうと、小石に蹴躓いてやられるような男ではない。」

 俺は一度闘って、奴の強さは身にしみて知っている。

 そして今の伊達は、あの時よりも更に強くなっている。

 そして何より、闘いにもある程度のスタイリッシュさを求める傾向のある男が、あんな無様を考えなしに晒すはずがない。

 それに、あの目。

 敢えて激情に駆られているように見せて、あれは冷静に、鷹が獲物を狙う目だ。

 何か策がある……あいつは、そういう男なのだ。

 

 ☆☆☆

 

 とどめを刺すべく構えを取ろうとした紫蘭に、抵抗すべく伊達が立ち上がり、観客席の歓声が高まった。

 

「フフッ、まだやる気か。

 おとなしくとどめを刺されれば良いものを。」

 嘲るように嗤う紫蘭に対し、残る力を振り絞って、伊達が折れた槍を手に取る。

 そこから身を低く、しゃがんだ態勢から、構えた槍を背に隠すような構えを取ると、紫蘭をキッと睨みつけた。

 …この態勢だと、まるで歌舞伎の舞台のようだ。

 それが絵になるあたり、こんな時でもこの男はカッコつけなのだなと、頭の片隅で思った。

 

 …モニターに映された御前が、側近の方から湯呑み茶碗を受け取っているところが映る。

 どうやら私の心の叫びを聞き届けてくれた人が居たらしい(絶対違)。

 

「見せてやろう……覇極流超奥義・宇呂(うろ)惔瀦(やけぬま)!!」

 そして伊達は、どうやら最後の力を振り絞って、一撃必殺を狙うつもりらしい。

 

「まだわからんのか。

 この期に及んで繰り出すからには、かなり高度な奥義であろうが、俺の千日(せんにち)颮鏡(ほうきょう)の前には、なんの意味も持たんことが!!

 まあ、来るがいい。

 それが最後の悪あがきとなる!!」

 相変わらず余裕の(てい)を崩さずに、紫蘭がまたも伊達と同じ構えを取るが…どうやらここで最後の抵抗を試みた伊達に、内心圧倒されているらしい。

 それが証拠に、さっきまでキャラ作って『私』だった一人称が、本来の『俺』に戻っている。

 まあ、これは私だから判ることだろう。

 表面上、紫蘭の表情には、なんの(いろ)も現れてはいない。

 ある程度の溜めの時間のあと、伊達の氣が動く。

 この間にも紫蘭の目には、伊達の筋肉の微妙な動きが観察されているだろうが、さて。

 

「行くぜ!!()っ!!」

 …そうして繰り出された技は、手にした槍を上空へと投げ放っただけ。

 筋肉の動きまで模倣して、同じようにして槍を投げた紫蘭が、見上げた視線を伊達に戻して、嗤う。

 

「…これは一体なんのつもりだ!?

 超奥義・宇呂(うろ)惔瀦(やけぬま)とやらは、手でも滑ってしくじったのか?」

「…これでいいのだ。

 宇呂(うろ)惔瀦(やけぬま)なんて奥義は存在せんのだからな!!」

 その言葉に、紫蘭が形のいい眉根を寄せた。

 …あ、なんかすごく嫌な予感がする。

 私の勘が正しければ、今この瞬間、伊達の底意地悪さが炸裂している気しかしない。

 

宇呂(うろ)惔瀦(やけぬま)を逆さに読んでみるがいい。」

 ……やっぱりか!うん知ってた!

 コイツってそういう奴だよな!!

 

宇呂(うろ)惔瀦(やけぬま)……ウロヤケヌマ……!

 マ・ヌ・ケ・ヤ・ロ・ウ………!」

 そして言われた紫蘭が、クソ真面目にその通りに逆さ読みをして…

 

「マヌケ野郎だと──っ!?」

 自分で言って自分で怒るという、まさにマヌケな状態になってしまっていた。

 

「そして、落ちてくる槍をよく見るんだな!!」

 更に、上空に投げ放たれた二本の槍が、落ちてくる方を伊達が指差す。

 それは片方は真っ直ぐ地面に突き刺さったが、もう片方はカランとそれこそマヌケな音を立てて、地面に当たると同時に転がった。

 

「なっ!!あ、あれは……!!」

 地面に突き刺さった槍は紫蘭のもの。

 そしてもう片方の、地面を転がったのは、先程折られた槍の柄だけだ。

 ならば、穂先の付いている方は……!!

 

千日(せんにち)颮鏡(ほうきょう)、敗れたり!!

 相手と同じ武器を持たねば、その奥義は成り立たん!!」

 どうやら背に沿わせて隠し持っていたらしい、短くなった槍を構えて、伊達が宣言した。

 自身も槍を構え直そうにも、それは一瞬では手の届かない場所にあり、そこにたどり着く前に、伊達の攻撃を食らってしまうだろう。

 そう判断してか、紫蘭は防具の中に隠し持っていたらしいナイフを取り出し、それを構える。

 

「やめろ…もはや貴様に勝ち目はない。」

「ぬかせ〜〜っ!!」

 初めて自分から仕掛けた紫蘭の攻撃は、あっさりと伊達に躱される。

 その身体が交差した瞬間、自身が飛び込んだ勢いそのまま、伊達の槍に胸を貫かれていた。

 …先程、彼が与えた傷と、寸分違わぬ場所を。

 

「己を見失い自滅したのは、貴様自身だったな!!」

 それは我を忘れてなどいない、実に伊達らしいやり口だった。

 …つか、底意地の悪さで勝敗が決まるとか。

 

 ☆☆☆

 

「御前……!!」

「フッフッフ、何も案ずることはない。

 …このままで終わることはない!!

 奴はこのわしが手塩にかけて造り上げた、敵を倒す事だけを至上の目的とする男……!!」

 貴賓席でその闘いを見つめていた大会主催者は、彼の為にぬるめに入れられた茶を一気に飲み干し、その湯呑みを側近に返しながら、不敵に呟いた。



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3・Diamond Dandy

「ぐくっ!!」

 自身の胸に突き刺さった槍を、紫蘭は何を思ったか力任せに引き抜いた。

 通常こういった場合、刺さったものを抜いてしまうと、遮るもののなくなった血管から容赦なく出血して危険なのだが、紫蘭のその傷もまた例外ではなく、槍の穂先を抜き去った箇所から血が吹き出して、彼はその勢いに負けるように仰向けに倒れた。馬鹿かお前!

 急所は外れているから、抜かずにそのまますぐに手当てすれば命に別状はなかったのに、この状態では即死しないまでも失血死の危険が充分にある。

 こうなっては、戦闘の続行は不可能だろう。

 だが、己の勝利を確信し、それ以上は見たくないとでもいうように、紫蘭に背を向けて自陣へ戻り始めた伊達の背に、紫蘭がよろめきつつも立ち上がって言葉をかけた。

 その手にはまだ、手にしたナイフが構えられたままだ。

 

「お…おまえをこのまま帰しはせん!!」

「無駄だ。勝負は既についている。」

 伊達の言葉には言外に、命まで落とすことはないといった意味が含まれている。

 彼は底意地悪いくせに、変なところで情のある男なのだ。

 だが、失血死寸前で気力だけで立っている紫蘭は、そこに気付かないか敢えて見なかったかは判らないが、伊達の言葉に唇を、嫌な笑みの形に歪めた。

 

「お、己の肩の傷をよく見てみるがいい!!

 この一撃を食らった時、俺のナイフもおまえの体をかすめていたのだ!」

 言われて伊達が自分の肩を見る位置に首を巡らすと、分厚い三角筋で盛り上がったそこに、確かに一筋の切り傷が走っており、そこから出血している。

 だが、普通に生活していればそこそこ大きな切り傷であるそれも、闘いに身を置く者からすれば、かすり傷の範囲内だろう。

 これが一体なんだと言うのか…?

 と、不意に伊達の身体が僅かに傾いだ。

 

「それはただのかすり傷ではない!!

 このナイフには中国秘伝の、蛇漢草という猛毒が塗られている!!」

 毒か!

 私のように独自の手段を持っていればまた別だが、暗殺者にとって痕跡の残らない毒の知識は不可欠だ。

 私は詳しくないのでよく知らないが、これもそのひとつなのだろう。

 

「致命傷にはならなかったが、この毒は少量でも体内に入れば、一時的に視神経を冒す性質がある!!

 …フッ、どうだ?まだ見えるか、俺の顔が!?」

「き、貴様……!!」

「この俺が、そう容易く倒せると思ったか〜〜っ!!」

 続けて攻撃してきた紫蘭の動きが、その気迫に反して明らかに先ほどより緩慢であるにもかかわらず、伊達は完全に躱しきることができなかった。

 反射神経のみで逸らした胸板が切り裂かれ、小さくない傷が刻まれる。

 P(ファラオ)S(スフィンクス)戦でホルスと闘った際も、いっとき視覚を奪われる闘いを強いられたが、その時は一斉に襲いかかるカラス達の攻撃を、なんの支障もなく捌いていた彼が、だ。

 どうやら視神経の麻痺とともに、若干の身体の痺れもあるらしい。

 

「フッ、そろそろ毒がまわってきたな。

 どうやら完全に見えなくなったか!

 これで立場は五分と五分!!

 貴様が先か、俺が先に死ぬかだ──っ!!」

 最後の力を攻撃のみに振り絞り、死を目前とした紫蘭の気迫は、肉体のダメージを凌駕しているらしく、伊達の身体にひとつ傷を刻むたびに、その勢いが増していく。

 瞬きする間に紫蘭の振るうナイフに、伊達の身体が切り裂かれていく。

 新たに傷が増えても血が流れれば毒も流れていくため、その効果も長くはなかろうが、それまでに致命傷を受けてしまえばそこで終わりだ。

 その致命傷をギリギリで何とか避け続け、間合いを取り直した伊達が構えると、紫蘭が大きく息をついた。

 呼吸を整えるかわりに、先ほどよりは落ち着いた声音で、伊達に語りかける。

 

「冥途の土産に、面白いものを見せてやろう。

 と言っても、その目で見ることは出来ぬだろうが。」

 言って、左手首に巻いたサラシを外す。

 その紫蘭を見て、私は思わず心の中で呟いた。

 

 …出たよ、不幸自慢癖。

 

 コイツの左手首…と言えば、見せたいものは判り切ってる。

 伊達は仕方ないにしても、私のそれを知ってても意味は知らない桃には、最後まで知らせずに置きたかったんだが。

 

 ☆☆☆

 

「この腕の刺青こそは、孤戮闘修了の証!!」

 伊達と戦っている紫蘭という男が、そう言って晒した左手首に、俺の目は釘付けになった。

 思いもかけず湯けむりの中で、お互いに無防備な状態で光と顔を合わせてしまった、忘れようにも忘れられないあの日。

 背を向けて話そうと言いながらも、内心ドキドキしつつこっそり振り返って見てしまった小さくて真っ白な背中の、その左肩甲骨下部に彫られていた文様。

 それと、今晒された紫蘭の左手首に刻まれたものが、同じだったから。

 

「孤児だった俺は、藤堂兵衛様に買い取られ、中国拳法極限の養成法、孤戮闘の修業に出されたのだ。」

 …紫蘭が語るその内容は凄惨だった。

 それは、まさにこの世の地獄。

 年端もゆかぬ子供を百人集めて、脱出不可能な谷底に置き、一週間程飲まず食わずの飢餓状態にする。

 そしてそこに五十人分の食料を投げ込み、殺し合いをさせるのだという。

 そこから再び時を置き、生き残った人数の半分の食料を投げ込み、同じ事を繰り返す。

 そうして最後まで生き残ったひとりに、更に厳しい修業を課すのだと。

 そうして出来上がるのは、喜びも悲しみも、一切の感情を捨て、ただ敵を倒す事だけを宿命とした戦士。

 そしてあの刺青は、その証。

 

「親の顔も知らず友もなく、命令通りに闘う殺人マシーン!!

 それが、この俺だ──っ!!」

 そう叫ぶ紫蘭の表情には、深い悲しみが表れていたが、その事にきっと本人は気がついていないのだろう。

 

 …………光は?

 彼女は藤堂兵衛の養女であり、子飼いの暗殺者。

 顔から一切の表情を消しているくせに、今にも泣きそうな目をしながら、俺の従兄を殺したのだと告白した。

 他にも数えきれないほどの人間を手にかけてきたと。

 それだけで、既にあの薄い肩で背負うには、重すぎる業であろうというのに、更にそこに至る前に、そんな経験をしてきたというのか?

 年端もゆかぬ少女の頃に、あれよりもっと小さな身体で。

 

『私は、あの方に褒めて欲しかった。

 ただそれだけの事の為に、何人もの命を奪ってきたんです。

 今それをどれだけ後悔しようと、許されるわけがないでしょう?』

 …俺は、あいつの背負ったものを、少し軽く見積もっていたのかもしれない。

 あいつは、この先どれほどの他人の傷を癒そうと、自身では癒せない深い心の傷を抱えて生きてる。

 今すぐに、あいつを抱きしめたいと思った。

 心に負ったその傷ごと抱きしめて、頭を撫でて、おまえは悪くないと言ってやりたかった。

 恐らくは、あれを彼女が持っている事を、知っているのは俺だけで……

 

「…あれ、光の背中にあったのと同じだな。」

 は?センクウ先輩…今なんと!?

 さすがに聞き捨てならないその発言に、卍丸先輩が食いつく。

 

「おい!ちょっと待て!!背中って!?

 なんでテメエが、ンな事知ってんだ!?」

「驚邏大四凶殺の後、氣を消耗して汗びっしょりになってたあいつの制服を、洗濯したのが俺だと知ってるだろう?」

「それは知ってるけどよ!じゃ何か!?

 嫁入り前の娘の、下着まで全部剥いたのか!?」

「剥かなきゃ洗濯できんだろうが。

 新しいサラシは用意してやったし、下穿きだけはさすがに残したぞ?」

「お〜ま〜え〜な〜〜っ!!」

「その下穿きだって、ヘソまですっぽり覆うくらいの色気のまったくな」

「それ以上言うな!!」

 卍丸先輩が、センクウ先輩のマントの首元を引っ掴んで、脳が揺れるほど振り回している光景から、俺は目を逸らした。

 ……うん、俺は、何も聞いていない。

 

 そして、光。

 それがあろうがなかろうが、おまえが俺たちの仲間であることは変わらない。

 必ず取り戻してやるから、俺たちを信じて待っていてくれ。

 ……絶対に、早まるな。

 

 ☆☆☆

 

 紫蘭にとってこの不幸は、己を語る唯一のファクターである。

 私にはこれが耐えられなかった。

 境遇が似ていて、思うところが理解できるからこそ、コイツのそのスタンスに嫌悪感を抱いた。

 そうでなければ、私たちは互いに依存関係になっていてもおかしくなかった筈だ。

 伊達は…どう感じるのだろう。

 私たちと同じでありながら、まったく違う彼は。

 

「貴様にこの苦しみはわかりはしない!!」

 どうやら話している間に感情が昂ってきたようで、再び紫蘭の猛攻が再開された。

 わかるわけがない、と思っても、心の底ではわかってほしい、そんな心理が丸わかりだ。

 伊達が先ほどより少し冴えた動きで、それを躱しているところを見ると、少しずつ毒の影響からは脱しているようだが、それでも紫蘭の勢いに押され、反撃までは及ばない。

 と、連続攻撃を悉く躱したところで、何に足を取られたものか、伊達の身体が傾いて、そのまま尻餅をつく形となった。

 

「死ねい!!

 これが貴様と俺の最期だ──っ!」

 まるで無理心中か何かのように、倒れかかる伊達の胸に向けて、紫蘭がナイフを振り下ろす。

 その動きが、唐突に止まった。

 

 ……伊達は、何をしたわけでもなかった。

 むしろ、何もせずにただ、紫蘭を見つめていた。

 ………そう、()()()()いたのだ。

 

「貴様……目が見えるようになったのか。

 ならば何故、躱そうとも攻撃をしようともしない……!!

 憐れみをかけているつもりか…!?」

 多分だが、紫蘭が圧倒されたのは伊達の、どこか哀しみを孕んだ視線だった。

 それを見返しているうちに、紫蘭の表情が屈辱に歪む。

 

「ふざけるな、憐れみなどいらん!!」

「憐れみではない。

 俺には、貴様の気持ちがよくわかる!」

 紫蘭が振るったナイフの一撃に、伊達が左腕のプロテクターを、合わせるようにしてその先に当てた。

 瞬間、それが砕け、その下に隠された左手首が露わになる。

 ……私たちが持つそれと、同じ文様が。

 それを目にした紫蘭の目が、驚愕に見開かれた。

 

「なっ!!ま、まさか、それは……!!」

「そうだ。これは孤戮闘修了の証!!

 俺も時こそ違え、あの地獄をくぐり抜けてきた。

 ……おまえや、光と同じように。」

 言っていることは事実だけであるのに、まるで心に寄り添うようなその言葉に、紫蘭だけでなく、私までが胸を突かれた。

 紫蘭はすっかり戦意を喪失したようで、その手からナイフが滑り落ち、足元に落ちる。

 …元々、身体は出血により限界を超えており、最後の気力だけで闘っていたのだ。

 もはや紫蘭に、攻撃をする力は残っていなかった。

 

「…安らかに眠るがいい。

 紫蘭という手強い敵がいた事を、俺は忘れない。」

 伊達は崩折れる紫蘭に、この男にしてはひどく優しげに声をかける。

 その伊達を見上げる、紫蘭の目から涙が溢れた。

 

「……伊達臣人。礼を言う。

 おまえは俺に初めて、優しさというものを教えてくれた……!!

 今度、生まれてくるときは……」

「ああ。桜咲く男塾の庭で待ってるぜ。」

 その言葉を、紫蘭は聞き取れたかどうか。

 言いながら踵を返し、自陣へ歩き始めた伊達に、それを確認する術はなかった。

 

 ・・・

 

「…少々、失礼させていただきます。」

「どこへ行く。次は貴様の出番だ。」

「ご心配なく。すぐに戻りますので。」

 豪毅にそう言い置いて、私は係員たちに運び出される紫蘭の身柄を追った。

 

 ☆☆☆

 

 係員に指示を出し、別室に運び込んだ紫蘭の心臓がまだ動いているのを確認して、その身体の傷を塞いで、造血の処置を行なった。

 あとは暫く眠ってくれれば、元どおり動けるようになるだろう。

 だが、その心はきっと、今まで通りではない。

 …だから、どうしても聞いてみたかった。

 今の、紫蘭の心の在りようを。

 少しだけ氣を操作して、覚醒を促す。

 閉じていた瞼が開いて、紫蘭のブルー・グレーの瞳が現れた。

 

「…気がつきましたか?」

「……光…?

 俺は……生きている、のか?何故……!?」

「治療が間に合いましたので。

 あ、しばらくそのまま、動かないように。」

 起き上がろうとした紫蘭の身体を制し、注意を促すと、紫蘭は私の目を睨みつけた。

 

「そういうことではない!

 何故だ…何故、貴様が、俺を助けた…!?」

 少し混乱しているのだろう。

 しばらく『あなた』だった二人称が『貴様』に戻っている。

 

「その質問に答える前に。

 あの男と、伊達と闘ってみて、あなたはどう思いましたか?」

 睨みつけてくる紫蘭の目を見返しながら私が問うと、紫蘭はどういう意味かと問うように瞬きをした。

 言葉にはしなかった問いに答えるようにして、私は言葉を続ける。

 

「彼は…恐らくは、()()()()()()()()()()()です。

 あなたより1年ほど前に孤戮闘を生き残った後、誰かのものとして生きる事を良しとせず、逃げ出して『伊達臣人』の人生を勝ち取った。

 同じく1年後に孤戮闘を出てきた私には、嫉妬と憎しみを向けたあなたは、彼をどう見ましたか?」

 そう。それをどうしても、聞いてから闘いに臨みたかった。

 その理由は自分でも判らないが、それが必要だと思った。

 

「………違う。」

 だが紫蘭は、少しの間考えこんだ後、そう呟く。

 

「え?」

「あいつは…()()()()()()()()()などではない。

 ()()()()()()()()()だ。

 …あいつの輝きは、本物のダイヤモンドだ。

 偽物(ジルコン)ばかりを演じ続けてきた俺とは……違う。」

 羨望と憧れ、更にほんの少しの嫉妬を籠めた言葉を、紫蘭が紡ぐ。

 その紫蘭の目を見下ろして、私は頷いた。

 

「……そうですね。

 伊達は、運命に立ち向かって、闘って未来を手に入れました。私()()と違って。

 ……けど、紫蘭。あなた知ってました?

 ジルコンはジルコニアと違って、天然の鉱物なんですよ。

 ダイヤモンドとは全く違う成分の。

 単にダイヤモンドと似てるからって、偽物扱いされてますけど、ジルコンにもし意志があるとしたら、これ怒っていい案件だと思うんですよね。

 自分は偽物のダイヤモンドじゃなく、本物のジルコンだって。

 自分の輝きだって、本物だって。

 …あなただって、同じですよ。

 誰かの偽物を演じるのではなく、紫蘭として生きることができる筈。

 ……生きてみませんか?」

 私はこの後、紫蘭は死んだと、豪毅と係員に報告するつもりだ。

 男塾がこの闘いに勝利できれば、表彰式は御前を討つ場となるはずで、全員の目がそちらに集中するだろう。

 その間に彼はここから出ていけばいい。

 …本物の、彼の人生を始めるために。

 

「……それが、俺を助けた理由なのか。」

「あ、その話まだ続いてたんですか?」

「俺は、貴様のそういうところが嫌いだ。」

 改めて言わなくても知ってるし。

 ちょっとムッとして、言い返す。

 

「私も、あなたの事は嫌いです。

 …けど、死んで欲しいわけでもありません。

 助けた理由があるとすれば、その程度の事です。

 ……あと」

「ん?」

「私はもう飼い犬でも、暗殺者でもないのですよ。

 そう言ってくれた人たちが、いるのです。

 私にも、自由に羽ばたける翼があると、教えてくれた人たちが。

 私の手は殺す手ではなく、癒す手なのだと、教えてくれた人たちが。」

 そう言って、多分初めて心から、私は紫蘭に向けて微笑んでみせた。

 なのに紫蘭は、私の言葉に眉根を寄せる。

 

「それが……奴等なのだな。

 だが、貴様はこれから、奴等と敵対せねばならんのだぞ?」

「はい。私がこれから闘う男は、男塾(あそこ)での師の一人なのです。

 あのひと相手に、自分がどれほど使えるか、本気で闘うあの人がどれほど強いのか、自分の肌で確かめてみたいのです。

 ……とても、楽しみです。」

 私は、この闘いで命を落とすだろう。

 けど、彼らと共に過ごした日々を、私は死んでも忘れない。

 

 今度生まれてくる時は、また男塾の桜の下で。



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4・KILLER QUEEN

※ここで言うところの『合氣』はアタシの創作であり、現実の『合気道』とは異なります。
というか、アタシにその知識がまるでないもので。


「し、知らなかったぜ。

 伊達にあんな過去があったなんて…そ、それに光にも……!?」

 自陣に引き上げてくる伊達の姿から目が離せず、虎丸が呟くのをただ耳で聞く。

 どうやら伊達も、光が同じ文様を背負っていることを知っていたようだ。

 彼女が、自分で教えたのだろうか。

 だとしたら2人の間には、言葉にしなくてもわかりあえる絆が……

 

「くだらねえ事考えてねえだろうな、桃。」

 そこまで思考が進んだあたりで、いつのまにか近くに来ていた伊達に、すれ違いざまに言葉をかけられた。

 

「…俺たちは確かに、想像を絶する地獄をくぐり抜けてきた。

 俺たち同士にしかわかりあえない事も、確かにあるだろう。

 だが、さっきの、紫蘭のやつを見たろ?

『わかる』と言ってくれる奴が一人いて、それだけで、奴は救われた。

 ……俺も、同じだ。

 生き残る為、自らの手で一人にならざるを得なかった俺たちにとっては、この世に一人でないと理解できたら、それで充分なのだ。

 ………俺も、そして恐らくは、光もな。」

 俺は伊達のその言葉を、実のところ半分も理解できてはいないだろう。

 だが、本来なら口にしたくもない筈の、その心情の一片だけでも俺に告げてくれた事に、伊達という男の思いやりを、感じずにはいられない。

 だから、それ以上何も聞かず、俺は黙って頷いた。

 振り返れば闘いの前に脱ぎ置いていった学ランを飛燕の手から受け取り、バサリと音を立てて袖を通す、広い背中が目に入る。

 そうしてから振り返ったその目が、俺のそれと交差して……奴はいつも通り、人の悪そうな顔で、笑った。

 

 …こいつとは一生友として付き合っていくのだろうな、という確信めいた思いが、何故かその瞬間、心を()ぎった。

 

 ☆☆☆

 

「…お待たせいたしました。」

「遅い。

 奴等は既に、次の闘士が出てきている。」

「…申し訳ありません。

 紫蘭は、やはり助かりませんでした。」

 紫蘭を寝かせた部屋に、しばらく誰も入らぬよう手配をしてから戻った控え室で、腕組みをした豪毅に仏頂面で迎えられ、少し気分を害しつつも、闘場に目を向けた。

 やけに綺麗に整えられ、先ほどの紫蘭や伊達の血の跡すら拭き取られたらしい闘場の中心に、観客席からの野次や歓声に臆する事なく立っているのは、思った通り男塾の帝王、大豪院邪鬼。

 

「判っていると思うが、あの紫蘭という男が敗れた以上、これ以上の敗北は許さん。」

「……承知しております。

 私は、紫蘭とは違いますので。」

「……そう願いたいものだ。」

 まったく期待していなさそうな義弟の冷たい視線を背に感じて、私は闘場へと足を進める。

 背中で鉄柵の下りる音がして、歓声が高まった。

 

 ・・・

 

 無口な女闘士である綺薇(キラ)のキャラクターに従って、黙ったまま淑女の礼をとり、それと同時に氣を整える。と、

 

『昨夜行われたミッドナイトショーにおいて、鮮烈なるデビューを果たした綺薇(キラ)

 試合の前に、そのデビュー戦の一部を御覧くださいませ!』

 唐突なアナウンスと共に、巨大モニターに映し出されたその映像を見て、『やめろ!!』と大声で叫ばなかった私を誰か褒めて欲しい。

 遠目の映像では乳首や下着の線はそれほど目立っていないものの、身体の線はばっちりと現れており、こうして見ると私、それほど貧乳じゃないけど、スタイルがいいと称するにはウエストのくびれが明らかに足りない。

 

 …けど、観客が盛り上がったのは勿論そこではなく、かつて闘牛用に育てられこれまでに15人殺してきたという突進してくる猛牛と、相対した綺薇(キラ)が滑るような動きでその横をすり抜け、その瞬間、猛牛の首が進行方向の90度右に曲がって、そのままの勢いで闘場の壁に、身体を激突させた瞬間だった。

 それと同時に綺薇(キラ)は、風に舞う花びらのようにふわりと跳躍して、壁に激突する牛の巨体に巻き込まれるのを容易く避ける。

 綺薇(キラ)を見失い、更に一瞬脳震盪を起こしかけた猛牛は、それでも再び立ち上がって、着地した綺薇(キラ)に向かってまたも突進した。

 それを真正面に迎えた綺薇(キラ)は、今度は跳び箱を飛ぶように、猛牛の頭に両手をついてそれを飛び越えた。

 次に、その猛牛の頭が下を向き、一瞬躓いた体勢になった牛は、まるで前転をするようにくるりと回って、今度はその背が、地面に打ちつけられた。

 自らの体重と慣性、そして遠心力で、強かに打ち据えられた猛牛は、ひっくり返ったままピクピクと痙攣している。

 ……我ながら、鮮やかな手並みだと思う。

 歓声が再び上がったところで映像が終わり、

 

『続きは、実際の闘いで御覧ください。』

 というアナウンスによって、観客の視線が闘場に戻った。

 

「…牛は、ほかにはおらんのか?」

 と、私の映像を黙って見ていた邪鬼様が、表情も変えずに私に問う。

 昨日ショーに出した2頭は殺してはいない筈だが、今映像に出てきた方は、後で聞いたところによれば、あの後怯えて使い物にならなくなってしまったらしい。

 出すとしたらもう1頭の方だが…別に、あなたまでこんな前座ショーに付き合わなくてもいいですよ!

 どんだけノリいいんですかよく判りました!

 影慶(よめ)のアレはあなた(だんな)の影響なんですね!!

 …けど、係員がオッケーの合図をしてきたので、仕方なく頷く。

 ややあって、昨夜と同じ扉から、案の定映像のよりも、ひとまわり大きな闘牛が進み出てきた。

 アナウンスによればこっちは、同じような経歴で55人殺してきている牛だという。

 

 それが、私の姿をその目に捉えたと同時に咆哮を上げ、明らかに私に向かって突進してくる。

 どうやら私はコイツに敵認定されたらしい。

 昨日のショーではさっきのと同じようにして倒したが、コイツは自重が災いして、時間にすればさっきのアレより遥かに短い時間で気絶したので、恐怖を刻みつけるには時間が足りなかったようだ。

 

 と、邪鬼様は私の前に進み出ると、突進する猛牛と真正面から向き合った。

 そうして、軽く腰を落として構えを取る。

 

「大豪院流奥義・真空(しんくう)殲風衝(せんぷうしょう)!!」

 瞬間、その掌から放たれた圧倒的な氣の奔流に、牛はそれでも動きを止める事はなかった。

 邪鬼様は、猛牛の角があわやその身に到達するかというところで高く跳躍して、猛牛の背を飛び越えて着地する。

 ……飛び越えた巨体は、頭部以外肉を纏っていなかった。

 一瞬で皮も肉も剥がされた猛牛は、骨だけになりながら少しの間走り続け、最後は闘場の壁に激突して、バラバラの骨になって落ちた。

 

「女といっても、容赦はせんぞ。

 貴様の身も、こうなる運命にある!!」

 邪鬼様がそう言って、『綺薇(キラ)』を睨みつける。

 その『綺薇(キラ)』の中の人たる私は、実のところその迫力だけで割とちびりそうなんだが、一方で自身の命と引き換えてでも、この闘いを楽しみたいと思う自分も確かにいた。

 …結局、彼らのことを笑えない。

 私も結構なバトルジャンキーだ。

 というか、私をこんな女にしたのはこの男たちなのだから。

 

 あまりの事に呆気にとられ、静まり返っていた(ドン引きしていた)観客から、再び歓声が上がった。

 

 さあ、始めましょうか…私たちの『死合い』を。

 

 ☆☆☆

 

 俗にカマイタチと呼ばれる、大気の歪みによって起こる、超真空現象。

 氣の操作によりそれを意のままに操ることが出来る邪鬼先輩のあの拳は、かつて大威震(だいいしん)八連制覇(ぱーれんせいは)で俺と戦った時よりも更に威力が研ぎ澄まされて、象ほどもある巨大な猛牛の皮も肉も、一瞬にして削いでしまっていた。

 ただでさえ巨漢の邪鬼先輩にあの拳の凄まじい威力、対する小柄な少女にはどう見ても勝ち目がないように見える。

 だが、彼女は目の前で繰り広げられたその光景に全く動じる事なく立っていた。

 

『男塾・大豪院邪鬼。

 冥凰島十六士・綺薇(キラ)

 両副将の勝負、これより開始であります!!』

 アナウンスが勝負の開始を告げ、邪鬼先輩が自身の間合いで構えをとった。

 一拍あって、邪鬼先輩が訝しげに問う。

 

「……何故、構えぬ?」

 邪鬼先輩の言葉通り、綺薇(キラ)は普通に立ったまま、なんの構えも見せていなかった。

 ほんの数瞬の間があり、ひょっとしてこの少女は声が出せぬのだろうかと思った頃、ようやく答えが返ってくる。

 

「…別段、必要ありませぬ故。」

 ここに来て初めて発せられた綺薇(キラ)の声は、想像していたよりも落ち着いたものだった。

 光同様、見た目よりもいくらか年上なのかもしれない。

 それにしても、邪鬼先輩を相手に、この余裕の態度は。

 さっきの映像を見る限り、闘うというより、相手の自滅を誘う戦法のようだが、邪鬼先輩に同じような手は通用しないと思うのだが。

 

「上等!ならば、こちらからゆくぞ!!」

 挑発されたと受け取ったものか、邪鬼先輩は綺薇(キラ)の細い身体に向けて、丸太のような蹴りを放つ。

 邪鬼先輩としては様子見程度の一撃だが、あの少女がそれをまともに喰らえばどうなるかは想像に難くない。だが。

 

「なにっ………!?」

 瞬間、なにが起きたのかわからなかった。

 綺薇(キラ)はその場から一歩も動いてはいない。

 であるのに、邪鬼先輩の脚は明後日の方向の空間を蹴っており、目標物を見失った邪鬼先輩の身体が一瞬バランスを崩しかけ、危うく着地してなんとか向き直る。

 

「貴様……!今、何を…!?」

 状況が判らずに邪鬼先輩が問うのに、綺薇(キラ)は軽く首を傾けるのみ。

 俺たちの目には、邪鬼先輩の蹴りは確かに真正面に綺薇(キラ)に向かっていたはずが、何故か途中から方向が変化して、彼女の横をすり抜けたように見えていた。

 

「ま、まさか…あれは!」

 と、斜め後ろから呻くように呟く声がして、その方向を振り返る。

 

「…知っているのか、雷電!?」

「うむ…あれはまさしく、合氣(あいき)無為(むい)無縫(むほう)術…!!」

 

 

 合氣(あいき)無為(むい)無縫(むほう)術…

 一般に合氣とは『万物との和合』を基本理念とし、相手の力や氣と争わない事により、その力をも利用しての受けや返しに特化した武術として知られる。

 その合氣を突き詰めて、相手の『氣』を己のものとする事で、自然に相手の動きを操るのが、合氣(あいき)無為(むい)無縫(むほう)術である。

 その修業法には様々なものがあるが、代表的なものは向かい合って互いに指差しあいながら、その指の向く方向に相手の顔を向かせるというもので、祇園の芸者遊びから発祥したとされる『あっち向いてホイ』というゲームは、この修業風景を模したものという説が支配的である。

民明書房刊『芸者とは武芸者の意なり』より

 

 

「し、しかしあのような若い女子(おなご)が、幻とも呼ばれるあの技を…!!」

 言って雷電が息を呑み、皆の意識が再び闘場の方へと向かった。

 

「ぬううううっ!!」

 次々と繰り出される邪鬼先輩の拳が、(きゃく)が、手刀が、全て綺薇(キラ)の身体に触れる事なく、明後日の空間に放たれていく。

 よく見れば綺薇(キラ)はその場から一歩も動いてはいないが、攻撃を受けるたび、開いた(しょう)をひらひら動かしており、どうやらその動きで、邪鬼先輩の攻撃の方向を逸らしているらしい。

 

「小賢しい…!ならば、これはどうだ!!」

 さすがの邪鬼先輩も焦れたようで、嵐のような連続攻撃を一旦止めると、間合いを大きく離した。

 それから腰を浅く落として、深く呼吸をする。

 そして。

 

真空(しんくう)殲風衝(せんぷうしょう)──っ!!」

 まともに当たれば、それはこの少女の肉どころか、骨までも粉々に砕いてしまう一撃だった。

 その光景を見ていられず、目を逸らした者もいたようだ。

 だが、現実にはそれは綺薇(キラ)の頭髪を、一瞬ふわりと揺らしただけに過ぎなかった。

 ……否、その拳の衝撃は確かに、闘場の地面を削り、また向かい側の壁に穴を穿ち、その破片が客席にまで飛び散っている。

 にもかかわらず、綺薇(キラ)だけがその場に、まったくの無傷で立っていた。

 まるで、そよ風にでも吹かれたように。

 

「…万物に、氣あり。

 氣を合わせ、氣と争わぬ限り、どのような『氣』も、私の身を傷つける事は叶いませぬ。」

 落ち着いた声音が、歌うようにそう告げた時、俺は我知らず呟いていた。

 

「……最悪の…相手だ。」

 それは、邪鬼先輩にとっての、だ。

 

 ☆☆☆

 

 …最初に見た時から、何か引っかかっていた。

 だがあの綺薇(キラ)という女が、邪鬼の真空(しんくう)殲風衝(せんぷうしょう)を、涼風みたいにやり過ごしてみせた瞬間、俺の中の記憶とその女の姿が、パズルのピースみたいにパチリとはまるのを感じた。

 

 それはこの天挑五輪大武會の、予選が行われていた間。

 俺が男塾を発つ前日に、あの桜の樹の下でのこと。

 

『面白くねえ。

 また、妙な特技を身につけやがって。』

『私を殺す気ですか。

 今の烈風剣、めっちゃ殺気篭ってましたよね?』

『気のせいだ。

 隙があるのを見つけたらいつでもやれと言ったのはてめえだろうが。』

 俺の技を検証したいからいつでも仕掛けてこいと、最初に言われた時は、舐められてるのかと思った。

 だが俺の烈風剣を、今と同じように涼風みたいにいなされたのを見て、一瞬全身に鳥肌が立った。

 ……そう、今と同じように、だ。

 

「邪鬼先輩!」

 気がつけば、俺は闘場に向かって叫んでいた。

 

「止めろ…そいつを殺すな!!

 そいつは…その女は、俺たちの……!!」




「そいつは…その女は、俺たちの……!!」
実はこの台詞を書きたかっただけ。
綺薇(キラ)さんの仮面はオペラ座ではなく、天狗面にした方が良かったでしょうか。


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5・Crisis Game

…なんていうか、オリジナル戦闘で苦労するのは、『男塾らしさ』をどこまで表現できるかって部分なんですよね。
赤石の時もそうでしたけど、光の戦闘スタイルがこの世界にちゃんと馴染んでるかどうかは、読者の方々の判断に委ねるしかないですな。


『万物に氣があり、それに等しく合わせ、その時間の先を行く。

 それには思考する事を捨て、その上で集中を高めるのだ。

 それが合氣(あいき)という事よ。』

 私にその手ほどきをしてくれたのは塾長だ。

 私が桃に空手の指南を受けていることを知り、最初は小太刀を教えてくれると言っていたのだが、どうも(ワン)先生が『(あれ)は剣よりも拳の方に才能がある』と助言した事により、ならば体格が不利にならぬものをと選んだのが合氣(あいき)だったらしい。

『氣』による攻撃は暗殺の際に使用しているが、あれはあくまで暗殺であり闘いではない。

 桃や邪鬼様、あと塾長や(ホン)師範のように、物に流し込んで武器を強化したり、直接『氣』をぶつけたり、身に纏わせて防御したりといった使い方は、身体が小さい分氣の量もそれだけ少ない私だと、すぐに消耗してしまう。

 故に私の場合、なるべく自分の氣を使わずに、それらのことを行う技術が必要になってくるので、『相手の力と争わずにそれを己のものとして使う』という合氣(あいき)は、私の闘いに一番必要な技術だったというわけだ。

 まだ上っ面を撫でる程度の理解しか及んでいないものの、私なりの解釈で、実戦に対応できるまでには昇華させ…その結果、相手の『氣』の方向を逸らす事だけはできるようになっていた。

 もっとも、それを実感できたのは出発前日、彼らがまだ予選リーグを闘っていたあたりの事だ。

 だから、その時会場にいた彼らは、私がある程度強くなっているとは思っていても、ここまでの事ができるとは知らない筈だった。

 ……知っているのは、その時会場におらず、私と一緒に技の検証をしていた、1人だけだ。

 

 その男が鉄柵の向こうで、こちらに向かって何か叫んでいる。

 だがその声は、観客の歓声にかき消されて、届かなかった。

 

 赤石は目がいい。

 多分『綺薇(キラ)』の正体に気がついたのだろう。

 だが、この闘いを誰も止められはしない。

 水を差す事は、誰であっても許されない。

 

 私は今、純粋に、この闘いを楽しんでいた。

 

 ☆☆☆

 

「そいつは…その女は、俺たちの……!!」

 赤石先輩の言葉は、闘場の邪鬼先輩には届かなかったようだが、近くに居た俺たちの耳には確かに聞こえた。が、

 

「…それを邪鬼様に告げて、なんとする?」

 続きを聞く前に、後方から聞こえてきた声に、俺たちは一斉にそちらを振り向いた。

 

「影慶……!」

 その男の、静かだが重苦しいほどの覇気を纏った視線が、赤石先輩を射抜くように捉え、さすがの赤石先輩が息を呑んだのがわかった。

 

「我らの目的は、この大武會にて優勝を果たし、藤堂兵衛を討つこと。

 その目的の前に立ちはだかるのが誰であれ、撃ち倒して先に進むのみであろう。

 あの場に立っている以上、彼奴にはその覚悟がある筈。」

 どうやら影慶先輩には、赤石先輩が言わんとしていた事がなんであるか判っているらしい。

 赤石先輩が奥歯を噛みしめ、闘場と俺たちを隔てる鉄柵に手をかける。と、

 

「……それとも、失格を覚悟でこの鉄柵を斬り、間に入って真剣勝負を汚すか?

 それを、彼奴自身が望むと思うのか?

 彼奴は、貴様を信じているというのに!?」

 背中にかけられた鋭く斬りつけるようなその言葉に、赤石先輩の肩が揺れる。

 

「…それに邪鬼様には、既に御見通しであろう。

 我らは、結果を見届けるしか、できる事はない。

 あの方を……どうか、信じてくれ。」

 影慶先輩はそう言って闘場を……彼が心酔する主の背中を、完全に信頼した目で見つめていた。

 

「くっ……!!」

 赤石先輩は、一瞬人も殺せそうな視線で影慶先輩を睨みつけた。

 だがすぐにもう一度背を向け、闘場の方に目を向ける。

 

「ど、どういうことなんだよ…!」

「わ、わからねえ…なんだったんだ一体……!?」

 富樫と虎丸が周囲に説明を求めるが、当の赤石先輩をはじめとして、誰もそれに答える者は居なかった。

 

 …しかし俺も、ここまでのやり取りで、どういう事なのか、さすがに理解してしまった。

 つまり……そういう事か。

 

 一瞬口の中に、鉄の味が混じった気がした。

 

 ☆☆☆

 

 拳、(きゃく)、手刀、次々に繰り出される攻撃を、その力の方向を逸らして、躱す。

 邪鬼様は牛とは違い、勢いを逸らされても身体が泳がない為、その力を利用して転がしたり、壁に叩きつけるのは難しそうだ。

 けど、先ほどの真空(しんくう)殲風衝(せんぷうしょう)を受け流した事で、かなりの精神的動揺を与えられたと見て間違いはないと思う。

 …闘いには、相性というものがある。

 それは、実力とはまた別のものだ。

 うちの脳筋たちは意外と理解していないようだが、時として相性は実力の差を覆す。

 例えば、梁山泊戦の副将・宋江将軍。

 彼は赤石にとって、相性最悪の相手だった。

 或いは同じく梁山泊戦、泊鳳。

 最悪とはいかないまでも、ああまで体格差のある相手は、ボクサーであるJにとっては、相当やりにくい相手だった筈だ。

 その点において、私は恐らく邪鬼様にとっての、最悪の相手である自信があった。

 実際、一撃でも食らえば、私ならそれだけで致命傷になるほどの威力を持つ邪鬼様の攻撃が、現実には私の身体に、ひとつも当たっていないのだ。

 

「小賢しい…だが、避けるばかりではこの俺は倒せぬぞ!」

 知ってます。けど攻撃とは、一番効果的なタイミングでするものなのですよ。

 そして、ここに至るまでの間、数多の闘士たちの闘いを目にしてきた。

 それは私の闘いの経験値をそれなりに上げるもので。

 最も参考になったのは、一番体格の近い梁山泊の泊鳳の闘いだった。

 小兵はやはり、速度で勝負すべきだ。

 そして、私の身に付けているこの戦闘用スーツ、ただ薄くて軽いだけではなく、皮膚との接触面から、装着者に感じ取れない筋肉への微細な刺激を与える事により、速度を倍加させる機能をもっているのだ。

 更に、防御性にも優れており、余程の衝撃でなければその下の肉体にダメージを負わない。

 試作段階で目指すところはまだまだ上であるらしいが、研究者の方々はこれが完成すれば闘着の革命と呼ばれる事になると言っていた。

 これに『氣』の防御が加われば、私を傷つけられる者など、もはやこの世にいないだろう。

 

真空(しんくう)殲風衝(せんぷうしょう)──っ!!」

 それを身に付けた私に、懲りずにその技が向かってくるのを、今度はわざと逸らさず、その巻き起こす旋風に身を任せる。

 ふわりと泳ぐように風の流れを伝って、それが発せられた源に向かう。

 それは、邪鬼様の大きな手。

 更に()()()()()()()()()()()ものだ。

 

「なっ……!!」

 吹き飛ばされるどころか距離を詰めてきた相手に、明らかに戸惑ったのだろう、邪鬼様が一瞬目を瞠る。その顔面に、

 

「覇ッ!!」

 渾身の蹴りを、私は叩き込む。

 

「ぐはっ!!」

 呻き声と共に、邪鬼様の大きな身体が、ボールか何かのように、闘場の壁に激突した。

 

 観客席の、一際高まった歓声が、綺薇(キラ)の名を叫んだ。

 

 ☆☆☆

 

「な、なに───っ!!

 キ、綺薇(キラ)が蹴り一発で邪鬼先輩を、闘場の壁に叩きつけた──っ!!」

「あ、あんな細い身体のどこにあんな力があるんじゃ、あの女は──っ!!」

 富樫と虎丸が驚愕の声を上げるのに、俺が答える。

 

「違う…綺薇(キラ)のあの攻撃は、彼女自身の力ではない!」

「な、なんだと……!」

「あれは、邪鬼先輩自身の『氣』…!!

 真空(しんくう)殲風衝(せんぷうしょう)を放つ際に、旋風を巻き起こしそれを操るための『氣』を、綺薇(キラ)は己のものとし、それを纏って蹴りを放ったのだ!!」

 つまり、邪鬼先輩が放つ『氣』の量が多ければ多いほど、綺薇(キラ)の力は強まるという事だ。

 さっきの紫蘭もそうだったが、自身の強さが逆に仇になる相手というのは厄介極まりない。

 

「くっ……なるほどな。

 俺の『氣』を、逆に取り込んだというわけか…!!

 ならば、これはどうだ!!」

 叩きつけられた壁の、砕けた欠片を振り落としながら、立ち上がった邪鬼先輩は、纏っていたマントを引いて外すと、それを振るようにして投げ捨てた。

 そこから、無数の白いものが現れる。あれは…!

 

「大豪院流奥義・風舞(ふうぶ)殃乱鶴(おうらんかく)!!」

 そう、この大武會予選リーグ準決勝で当たった淤凛葡繻 (オリンポス)十六闘神チームの、大将であった聖紆塵(ゼウス)との闘いで使った、羽根に刃を仕込んだ折鶴だ。

 それがふわりと舞い、綺薇(キラ)の周囲を飛び回った。

 これは真空(しんくう)殲風衝(せんぷうしょう)の応用技だが、どうやら氣の量を小さく、しかも微細に調整しているらしく、聖紆塵(ゼウス)戦で見せたときのように、一斉に襲いかかっていくような鋭さはない。

 むしろ鶴の1羽1羽が意志を持っているかのように、次から次へと綺薇(キラ)に向かっていくような動きだ。

 

 だが、反撃の威力を抑えることはできても、これでは決定打にはならないだろう。

 邪鬼先輩はここから、どう動くつもりなのか…?

 

 ☆☆☆

 

 …これは予選リーグで、赤石とイヤホンを片方ずつ使い2人で短波ラジオの中継を聞いていた時に、実際に見てみたいと思っていた技ではないだろうか。

 実際に見るどころか、まさか自分が受けることになろうとは、あの時は想像すらしていなかったが。

 しかも大威震八連制覇の後日、この鶴を邪鬼様に渡した時に見せてもらった動きとは違って、刃を仕込まれた鶴たちはそれこそ桜の花びらが襲いかかってくるような動きで、ちまちまと地味に攻撃してくる。

 こんなもので私の身体はダメージを負わない。

 確かに、一気に叩きつけられる『氣』と違い、これだけ無数に分散されては、そのすべてをさばくのは不可能なのだが、私はこのスーツを着ているので、この程度ならば露出している顔や手の先だけを庇っていれば済む。

 故に、そこを攻撃してくる鶴を狙ってその氣を捕らえ、放った邪鬼様に氣ごと返してやると、割と簡単に邪鬼様の身体に、細かい切り傷が刻まれていった。

 向こうも大したダメージではないだろうが、私が全く無傷である事を考えれば、こちらの方が優位に立っていると思って間違いないだろう。

 ……けど、これではいつまでたっても勝負がつかないので、跳ね返す鶴に、初めて私自身の氣を僅かに仕込む。

 暗殺の場合と違い、直接触れない飛ばし攻撃では、威力も精度も下がるわけだが、鶴が刻む傷から少しずつ、邪鬼様の身体に私の氣を打ち込んでいき、ある程度まで蓄積させて、要所に留まらせることで、運動能力を徐々に奪っていける。

 やったことないから確かではないが、理論上は。

 

「……っく、はあ、はぁっ……!!」

 そうして、静かな攻防を繰り返していくうちに、邪鬼様の呼吸が乱れ始めた。

 私の氣が作用して、邪鬼様の運動機能を阻害し始め、極度の疲労感を覚え始めている筈だ。

 ただでさえ一気に放出するよりも難しい氣の微調整が覚束なくなり、半数以上の鶴が邪鬼様の氣の支配を逃れ、重力に従って地面に落ちている。

 

「くっ……ベラミスの剣を、投げ返されたか…!」

 どうやら邪鬼様はようやく、自分の身に何が起きたか気がついたらしい。

 けど、もう遅い。

 今の邪鬼様ならば、私の素の攻撃でも、かなりのダメージを与えることができる。

 

()ああっ!!」

 膝ががくりと落ちかけたタイミングで私は跳躍すると、捻った身体全体をバネにして、邪鬼様の側頭部に向けて、渾身の回し蹴りを放った。

 邪鬼様の身体が傾ぎ、そのまま地面に倒れ…

 

真空(しんくう)殲風衝(せんぷうしょう)!!!!」

 …る直前に放たれたそれに、咄嗟に対応したのは、ほぼ生存本能によるものだった。

 全身の氣を薄皮一枚ながらも纏い、血肉を剥ぎ取らんとする空気流をいなす。

 本当に間一髪のところで、私は生を拾った。

 ……対して邪鬼様は、どうやら今のが残りの氣すべてを込めた攻撃であったようで、辛うじて倒れてはいないものの、地面に膝をついたまま立ち上がれずにいる。

 この時、私は自身の勝利を確信していた。

 実際のところ、咄嗟に使った氣の消耗は激しかったが、身体をふらつかせることもなく、大きく息をつく。

 

「これで終わりですか?私は全くの無傷ですよ?」

 ちょっと嫌味ったらしく前髪なんかかき上げながらそう言うと、何故か邪鬼様は、私を見上げて、フッと笑った。

 

「…だろうな。だがその姿で、まだ闘えるか?」

「……は?」

「…ふむ。以前サラシ越しに見た時より、随分立派になったと思っていたが、どうやら上げ底だったらしいな……光よ。」

 言われて、反射的に顔に手をやる。

 案の定、そこにあるはずの仮面が指に当たらず、先ほどより広がった視界の端に、銀色に輝くそれが、まっぷたつに割れて落ちていることにようやく気づいた。

 一緒に、編み込んでいた付け毛も取れてしまっているらしい。

 更に、肩口にスーツの色とは異なる肌色を視界に捉え、いやな予感に恐る恐る、自分の身体を見下ろす。

 

 

 …確かに、私の身体には傷ひとつ付いていなかった。

 それが、誰の目にも明らかな状況がそこにあった。

 

 

 さっきまで確かに身につけていた戦闘用全身スーツも脱浮舞楽(ぬうぶら)も、今はその身に、ひとかけらも纏っていない。

 奇跡的に…否、恐らく最後の良心として意図的に残されただろう下穿きは無傷だったが、それとて極小である為、覆う面積は最小限だ。

 恐らくはあの鶴たちの刃、ひとつひとつは特殊素材のスーツに、それほどのダメージは与えなかったが、無数の見えない傷を、浅く細かく刻まれていた。

 それが素材の耐久力を弱め、最後の真空(しんくう)殲風衝(せんぷうしょう)によって細かく千切れ、弾き飛ばされて……、

 

 

 そう、私は今、ほぼ全裸の状態なのだ。

 

 

「……んぎゃあぁああ〜〜っ!!!!」

 

 一拍遅れて観客席から歓声が轟いたと同時に、私は悲鳴をあげて両腕で身体を抱きしめ、その場に座り込んだ。

 三号生と初めて会った時とか、御前の前で着替えた時のように、ある程度覚悟を決めて自分で脱ぐのと、不特定の大勢の前でいきなり剥かれてるこの状況は、同じなようでまったく違う。

 顔も晒されてる状態で、こうなると羞恥心で動けない。

 

 と、次の瞬間身体が、何か黒い布に包まれた。

 布から微かな汗の匂いと共に、藤堂家に入ったばかりの頃に使っていた海外製の蜂蜜石けんの香りが鼻腔をくすぐる。

 使用感も香りも割と気に入っていたけど、万が一香りが肌に残ると仕事に支障が出るので、泣く泣く私の使うものだけ国産の無香のものに替えて貰ったのは、確か豪毅と一緒に風呂に入って清子さんに叱られた後の話だ。

 匂いが記憶に直結するというのは本当のようで、懐かしい記憶に一瞬トリップしていたら、包まれた布ごと強い腕に抱き込まれ、更にそれは私を軽々と抱き上げた。

 

「見るな!」

 頭の上から豪毅の声が響き、私はその顔を見上げる。

 その豪毅が上半身裸であるところを見ると、今私の身を包んでいるこの黒い布は、豪毅の学ランであるらしい。

 …ってコイツもうちの塾生同様、中にシャツも着けず直接学ラン着てたのか!!

 

「双方、戦闘は続行不可能!

 この勝負、引き分けでいいな!?」

 さっきまでの冷たい表情とは打って変わった、少しだけ焦ったような顔が、それでも真っ直ぐ邪鬼様を睨みつけている。

 そして、その豪毅を何か面白いものでも見るような表情で見返しながら、邪鬼様はその薄い唇を、微かに笑みの形に歪ませた。

 

「……構わん。

 可愛い弟子の成長も見れた事だしな……!」

 いや、今の台詞、ニュアンス的に絶対『成長(笑)』みたくなってたよね!?

 私は涙目で邪鬼様を睨みつけていたが、膝をついているその大きな身体が、一瞬傾いだように見えた。

 

「邪鬼先輩!!」

 そのまま地面に倒れた邪鬼様を、飛び出してきた桃たちが抱えて、自陣に運んでいく。

 視界の端でその桃が一瞬、振り返ってこちらを見たような気がしたが、すぐに私も豪毅に抱き抱えられて運ばれた為、本当にそうだったか確認することは出来なかった。

 

 ☆☆☆

 

 回収した邪鬼先輩がすぐに目を覚ました事にひと安心して、俺たちはホッと胸を撫で下ろした。

 光のことは気にはなるが、今はこの闘いに勝つことだけを考えなければならない。

 

綺薇(キラ)が、まさか光だったなんてな…!」

「ああ、驚いたぜ…つか、あいつあんなに強かったんだな…」

「ああ。俺は出発前日に、あいつと手合わせをして、あいつが俺の烈風剣を、さっきみたいにいなしたのを見たんだ。

 邪鬼先輩…アンタ、いつから気がついてた?」

 赤石先輩の問いに、運び込まれた簡易ベッドに横たえられていた邪鬼先輩が答える。

 

「侮るな。ひと目でわかったわ。

 俺はあいつに、闘いにおける『氣』の使い方を教えていたのだぞ。

 ……フフッ、それにしても………」

 答えながら、邪鬼先輩は何か我慢できないというように、くつくつ笑い始めた。

 

「………あいつ、尻尾踏まれた猫みたいな悲鳴上げてたな。」

「注目するトコそこですか!!」

 思わずつっこんだ俺は悪くないと思う。




結論。
おとんには敵いませんでしたとさ。
結果は相討ちだけど、勝負には負けた感。

邪鬼様の壮絶な死にざまに思い入れのあった皆様には、本当申し訳ありません。
ですが邪鬼様だけはどうしても『天より』時空に繋げたかったのです。
そんなわけですので煌鬼さん。
鐘の中での修業フラグ折れましたので、冥王炸裂破は自力でなんとか修得してください(爆


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6・激しく揺れる振り子のように、時間が情熱に変わるとき

>大豪院邪鬼の偉大な伝説
美少女を公衆の面前で剥いた。
尚、観客は大喜びした模様。


「剣よ……!!受け取るがよい。」

 ひとしきりツボに入ってたのがようやく落ち着いて、簡易ベッドから半身を起こした邪鬼先輩が、闘場に向かおうとした俺を呼び止めて、何か細長い包みを突き出した。

 

「これは……!?」

 反射的に受け取りながら問うと、邪鬼先輩は、何か吹っ切れたような笑みを浮かべる。

 

「…その中には、男塾に代々伝わる総代継承者の証が入っている。

 ……わかるな、この意味が。」

「な…なんですって……!!」

 今この時、それを手放すということは、自身は総代を降りるという意思表示に他ならない。

 そして、それを俺に渡すという事は……!

 

「そうだ。今より名実ともに大将として、この闘いに挑んでいくがよい。

 ……俺は、弟子と相討ちした男だからな。

 この辺が潮時ということであろう。」

 そう言って、邪鬼先輩はニヤリと笑って……その後、ブフォと何故か吹き出して、顔を背けて咳き込んだ。

 どうやらまだツボから抜けていなかったらしい。

 

 ……だが、彼がたとえ男塾を去っても、俺たちはその伝説を忘れない。

 男塾の帝王と呼ばれた、大豪院邪鬼という、偉大な男がいたことを……!!

 

『さあ、天挑五輪大武會、決勝戦もいよいよ大詰め!!

 大将戦を残すのみとなりました!!

 出場選手は速やかに闘場へとお進みください!!』

 アナウンスの声が出番を告げて、俺は自分の刀を手に取った。

 

「き、気をつけろ桃──っ!!

 相手は藤堂のヒヒじじいのひとり息子だ!

 何をするかわからねえ──っ!」

「くれぐれも用心してな──っ!!」

 虎丸と富樫が俺の肩を掴みながら、そんな言葉を口にする。

 …勘でしかないが、あの藤堂豪毅という男、芯は真っ直ぐな気がするのだが。

 まあ、闘ってみればわかることだ。

 

「ああ、俺は勝つ……!

 必ず勝って、この大武會を優勝し、藤堂兵衛を討つ!!」

 仲間たちにそう言って、俺は刀の下緒を締め、闘場へと歩みを進めた。

 

 泣いても笑っても、これが天挑五輪大武會、最後の一戦だ。

 負けるわけにはいかない。

 俺たちの勝利は、優勝の更に先にあるのだから。

 

 ☆☆☆

 

「…なんだ、この(なり)は。

 これではまるで、少年(こども)ではないか。

 誰が、髪を切っていいと言った。」

 …そういえば前に会った時は、和服姿で(かもじ)を付けていたし、先程も付け毛を編み込んでいたから、彼が短髪の私を見るのは初めてだ。

 てゆーか、たかだか髪を切るのに豪毅の許可が要るとか初めて知ったんだが。

 自分の学ランを着せた私を、控室の奥に一旦座らせ、豪毅はこちらに手を伸ばすと、指先を私の髪に、くしけずるように触れた。

 剣だこはできているが意外に綺麗なその指は私の耳の後ろを通り、襟足の短い毛先に触れた。

 

「んっ…!」

 その感触が少しくすぐったくて、思わず声をあげてしまう。

 私の反応に、豪毅の指がそこで止まった。

 

「…どこか痛むのか?」

 子供の頃とは全然違うのに、何故かその声に懐かしさを覚えて、私は彼を見上げ、微笑んで首を横に振る。

 

「いいえ…少しくすぐったかっただけです。

 心配してくれてありがとう、豪くん。」

 私の視線を受けて一瞬だけ豪毅の瞳が、何かの感情に揺れた気がした。

 だが、あまりに一瞬の事だった為、それがなんであるか、私には読み取ることはできなかった。

 次の瞬間には、私が綺薇(キラ)であった先程までと同じ、氷のように冷たく鋭い輝きがその瞳に戻る。

 

「…迂闊だった。

 まさか親父に先に確保されていたとはな。

 身を隠すために、奴らのもとに居たのだろう。

 何故戻ってきた。」

 先ほどまで見えていた彼の優しさの片鱗が、その瞳の奥に完全に隠されてしまったことを残念に思いながらも、それでも私はその目を、まっすぐに見て答えた。

 

「…自分自身の罪に、決着をつけたくて。

 己の、血塗られた宿命を終わらせる為に。」

 男塾は殺人マシーンだった私を、人間に戻してくれた。

 彼らの熱い魂と接することで、凍っていた私の世界に血が通った。

 だから、この人たちの為に死ねるならば、それが幸せだと思ったのだ。

 塾長の復讐計画は、ある意味私に一歩を踏み出させる契機だった。

 

 …けど、彼らの闘いを陰で見守り、時には手を差し伸べていくうちに、この人たちと生きたいと、いつのまにか思うようになっていた。

 

「…知らなければ、それで幸せだったのかもしれない。

 でも、知ってしまったんです。

 私にも、翼がある事を。

 その翼で羽ばたく為、まずは己を縛る鎖から、己を解き放たなければ。

 …今が、その時なんです。」

 だから、私の手で終わらせようと思った。

 彼らと並んで歩く為には、私には背負ったものが多すぎる。

 まずはそれを下ろさねばならなかった。

 

 …まさか、その彼らと闘わされる事になるなんて、思いもよらなかったけれど!

 そして思いのほか私は、その状況を楽しんでしまったのだけれど。

 うん、もう何がしたかったのか、自分でもわからない。

 というか多分、私の望みはひとつじゃなかったんだろう。

 彼らのために死ぬこと。

 彼らと一緒に生きること。

 共に戦うこと。その為に強くなること。

 強くなった自分を認めてもらうこと。

 それら全部が、私の望んだことだった。

 私という人間は、なんと欲張りなのだろう。

 

「殺されるとは、思わなかったのか。」

 硬い声で、豪毅が問う。

 

「思いましたが、そうなればそれも決着のひとつでしょう。

 無念ではありますが、籠の中に戻って生きるくらいなら、大空を夢見て死ぬ方がいい。

 殺されても、ここに来なければ何も変わらない。

 そう、思いました。」

 ……瞬間、豪毅の冷たい目に、怒りのような感情が、唐突に現れた。

 

「……許さない、と言ったら?」

「え?」

 髪に触れていた指が離れ、その掌が、私の後頭部を掴む。

 次には鼻先が触れるほど、顔が近づいた。

 

「光…おまえは俺のものだ。

 もう二度と離しはしない。

 この髪、瞳、唇…その身体の、頭から爪先までも、命すら全て、俺だけのものだ。」

 豪毅はそう言って、私に着せていた学ランに手をかけた。

 むき出しの胸元が晒され、ひんやりとした空気が肌に直接触れる。

 豪毅は私の肩を掴むと、鎖骨の上の首筋に、噛みつくように唇を当てた。

 一瞬、チクッとした痛みが、くすぐったさと同時に肌の上を走る。

 頭を掴んでいたもう片方の手が離れ、その掌が、私のささやかな胸に触れた…ってやかましいわ。

 身体の大きさとの対比で考えたらそんなに小さくないわ。

 …いや、そんな事は今はどうでもいい!

 

「豪……くん?」

 痛みとくすぐったさと恥ずかしさで思わず身を捩ったが、勿論そんな事で、私を押さえる豪毅の腕は弛まない。

 それは時間にして10秒もなかっただろうが、私にはひどく長く感じられた。

 やがて豪毅はゆっくりと、私の首筋から顔を上げると、今唇を当てていた部分に指を触れた。

 

「…俺の、ものだ。」

 もう一度呟くように言って、指を離す。

 …ここに鏡はないし、あってもこの状態で見られるわけもないから確認のしようがないが、恐らく今その部分、鬱血して跡が付いている気がする。

 所謂キスマークというやつ、本来なら情を交わした男女の間の所有印となる行為だ。

 子供だった頃、私の後をついて回った、泣き虫だった少年。

 私の可愛い『おとうと』。

 

 それが……どこでこんな事覚えてきた!?

 突然の事に顔に血が上り、頭がくらくらした。

 動揺して、口をぱくぱくさせるしかできずにいる私に、豪毅が吐き捨てるように言う。

 

「俺のそばで生きるのが、おまえの変えられない宿命だ。

 どうあってもそれに逆らって飛び立とうというなら、そんな翼など俺がもぎ取ってやる。

 おまえが奴らのもとで生きたいと言うのなら…俺がこの手で奴らを、皆殺しにしてくれる!」

「……豪くん!!?」

「いい機会だ。

 そのままここで、奴ら全員の死を見届けろ。

 俺を裏切ったおまえへの、そして俺からおまえを奪った奴らへの、それが罰だ。

 そして全てが終わった後、奴らの血に染まった寝台の上で、俺に全てを捧げるがいい。」

 言いながらニヤリと笑う豪毅の、その表情は憎しみと狂気に彩られていた。

 

 

 違う。

 この子は私の『豪くん』じゃない。

 

 

 呆然として見送った大きな背中が、下りてきた鉄柵の向こうに消えた。

 

「豪毅……!!」

 歓声にかき消されて、呼びかけた声はもう届かない。

 彼を狂わせたのは…きっと、私だ。

 

 ・・・

 

 駆けつけてきた清子さんが制服と新しい下着を持ってきてくれて、ようやくいつもの『江田島 光』に戻ったタイミングでアナウンスの声が響き渡り、観客が再び歓声を上げた。

 

『冥凰島十六士大将・藤堂豪毅対男塾大将・剣桃太郎!

 これより天挑五輪大武會、最終決闘戦を開始致します!!』

 

 ・・・

 

「貴様等の奇跡もここまでだ!!」

 豪毅が冷たい表情のまま刀の鯉口を切り、そう言い放つのに、

 

「待っていたぞ、この時を……!!」

 何故か、妙に嬉しそうな顔で、桃が答えた。

 

 ☆☆☆

 

 桃と豪毅。

 闘場の真ん中で対峙した2人は、互いを見据えたまま、ピクリとも動かなくなった。

 …否、2人の間には、触れれば切れるほどに凄まじい闘気がほとばしっており、彼らは身体こそ動かしていないが、その闘いは既に始まっているのだ。

 

「いつまで睨めっこを続けるつもりだーっ!!」

 だが、それがわからない観客がヤジを飛ばすのみならず、呑んでいた酒の空瓶を闘場に投げ入れた。

 ここにいるのは世界各国の上流層の人間だと思っていたのだが、こんなマナーの悪い客がこの会場に招待されているとは。

 …だが、その瞬間、状況が動いた。

 その瓶が間に落ちた瞬間、対峙していたふたつの身体が、交差する。

 互いの姿を一瞬隠したその瓶を、綺麗に上下真っ二つに斬ったのは、どちらの抜いた刃だったのか。

 交差した身体は同時に振り返り、先に振りかぶったのは豪毅。

 その鋭い斬撃を、しかし桃はその脇をすり抜けて躱しており、空の空間を切りつけた体勢でがら空きになった背中に、桃の一刀が振り下ろされる。

 だが、早くも決まったと思われたその一撃を、豪毅は素早く背中に回した自身の刀で受け止めており、体勢を整えながら薙いだ剣先が桃の肩を切り裂いて、その傷口から血が飛沫(しぶ)いた。

 

「も、桃〜〜っ!!」

 相手側から聞こえてきた叫びは虎丸の声だろうか。

 だが次の瞬間、豪毅の二の腕からも血が飛沫(しぶ)き、そこに刻まれた一条の刀傷が顕になる。

 恐らくは豪毅の上からの攻撃と同時に、桃も下段から一撃を放っていたのだろう。

 ここまではどうやら相討ちのようだ。

 

「おもしろい……!!

 貴様は、俺と闘うに相応しい男のようだ!!」

「フッ……そのセリフはそのまま返すぜ!!」

 豪毅が言うのに、桃はやはり謎の嬉しそうな笑顔で答えた。

 

 ・・・

 

「強い……!」

 私は、思わず呟いていた。

 いや、男塾で過ごしたこの半年以上で、桃の強さはよく判っている。

 けどその桃と、互角に斬り結んでいるこの男は、一体誰だろうか。

 お互いに様子見である筈のこの一連の刀のやり取りで、一瞬でも気を抜けば命取りになるのを、桃は本能的に感じているだろう。

 顔だけは笑みを浮かべているけど、それが示そうとしている余裕が、あまり感じられない。

 本当にこれが、豪毅なのか。

 180越えの長身、太い猪首、分厚い胸板、太く逞しく長い手足。

 引き締まった(おもて)は男らしく精悍で、かつての虚弱で愛らしかった頃の面影は、そこにはない。

 私が手をかけ、体質を変える為に食事を作って食べさせ、乾燥に弱い手指のケアを教え、熱を出した時は手を握って一緒に眠り、時には一緒に勉強もして、5年前に別れた時にはうっすら涙など浮かべたあの線の細い義弟(おとうと)は……きっと、もう、居ないのだ。

 あの闘場で闘っているのは、若き藤堂財閥次期総帥・藤堂豪毅という男。

 

「豪毅様は、姫様の為に強くなったのです。

 姫様がどなたを選ぶにしろ、どうか目を逸らさずに、ご覧になってあげてください。

 今のあの方は、姫様が作られたのですから。」

 そう言って清子さんが、私の肩を優しく抱いてくれ、その時初めて私は、自分が震えていることに気がついた。

 …同時に、先ほど豪毅に付けられた、服の下に隠れた唇の痕が、ちくりと痛んだような気がした。




光を藤堂の義娘に設定した瞬間に、今回の豪毅とのシーンが浮かんでました。
初恋とシスコンこじらせた脳内妄想、長かったです。


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7・Born to be kings, princes of the universe

「貴様の力がわかった以上、もはや無駄な闘いはしない!

 剣の道にあって究極の秘剣といわれた、この奥義で勝負をつける!!」

 豪毅はそう言って構えをとりかけ…何を思ったかその構えを一旦解いた。

 

「……この秘剣で貴様を葬る前に、ひとつ面白い話を聞かせてやろう。」

 豪毅が語るには、彼が修業の為に預けられた蒼龍寺は、武術界において、東の王虎寺(わんふうじ)と並ぶ、拳法・武術あらゆる格闘技の西の総本山であり、選ばれた者が集まり、極限の修業に励む事で、最強の男となる事を目指す場所らしい。

 

 …ところで西と東、間違ってないだろうか。

 確か中国の四神の考え方でいえば、龍が東で虎が西だったと思うんだが。別にいいけど。

 

 そこですべての修業をおさめ、皆伝者と認められた豪毅は、同じように皆伝者となった4人の兄たちを倒した。

 それは御前に命じられたからであったが、彼等の師であった男はそれに怒り、豪毅を破門しようとした。

 師は免許皆伝を彼等に与えたが、寺に伝わる最後の奥義だけは誰にも伝授しておらず、故に豪毅を寺から追い出せば、それで済むと思っていた。

 だがその時豪毅は、隠されていた極意書を探し出してそれを既に目にしており、それまでに身についた修業の成果と天性の才能で、一度目を通しただけで、それを己のものとする事ができた。

 そして豪毅はその奥義をもって、己を破門にしようとした師に挑み、見事それを討ち果たしたのだという。

 

「……その瞬間、見極めたのだ。

 この奥義を身につけた俺に、もはや敵はおらんと。

 …その秘剣こそ、これから見せるこの技だ。」

 言うと、豪毅は両脚を開き片膝を曲げて、深く腰を落として、刀を下段に構えた。

 …瞬間、桃が何かに気付いたような表情を見せた事に、気がついた者はいたかどうか。

 そしてその間にも、豪毅の逞しい肉体の裡から、凄まじい氣が、みるみる刀を握る手に集中していく事も。

 そして。

 

「………くらえっ!!

 蒼龍寺超秘奥義・暹氣(しんき)龍魂(りゅうこん)!!」

 逆袈裟に斬りあげるように振り上げた刃から、瞬間、青白い炎が吹き出したように見えた。

 炎は、次の瞬間には龍の形をとり、それが真っ直ぐ桃に向かって飛ぶ。

 それは間違いなく物理的破壊力を持つ『氣』の奔流であり、まともにぶつかれば命はないだろうと、先ほど邪気様との闘いを経験した私ですら、思うほどのものだった。

 

 だが、桃はそれを、動かずに真正面で迎え撃った。

 目を閉じて、長い両脚を開き、片膝を曲げて腰を落とし……え!?

 

「極意書にいわく……この秘剣の要諦は、肉体内にて極限まで圧縮され、刃先より発せられる氣にあり……!!

 その時、氣は微量のリン分を含み、青白き炎となりて、異形を成す………!!」

「なっ!!貴様、それを何故…!?」

 豪毅の問う声が終わるか終わらぬかのうちに、桃は閉じていた瞼を開くと、その瞳が豪毅を捕らえた。

 

「東に王虎寺(わんふうじ)あれば、西に蒼龍寺あり。

 その源流はひとつ……故に、その奥義も……!」

 先ほど豪毅が取ったのと同じ体勢から繰り出された桃の刃から、噴き出した青い炎が、巨大な虎の形をとって、豪毅の龍へと襲いかかっていた。

 

王虎寺(わんふうじ)超秘奥義・ 暹氣(しんき)虎魂(ふうこん)!!」

 

 龍虎が激突し、青い炎が宙空で弾けた。

 

 

 暹氣(しんき)(りゅう)((ふう))(こん)

 中国拳法において、人体最後の神秘とされる『氣』エネルギーを利用した技は数あるが、中でもその最高峰とされるのがこれである。

 この技の要諦は『氣』を刀身に集中し、龍(虎)の形をした衝撃波として繰り出すことにあり、その圧倒的な破壊力に比例して消耗度も大きい為、短時間に連続して撃つことは不可能とされる。

 ちなみに、同等の実力をもつ者同士が闘うさまを『龍虎相搏つ』と表現するのは、これが源である。

民明書房刊「中国秘拳満漢全席」より

 

 

「き、貴様……!!」

 …互いの『氣』がぶつかり合って消えるさまを、豪毅が信じられないモノを目にしたような目で見ていた。

 そりゃそうだろう。その秘剣を己のものとした事で、自分は最強となったと、つい今し方まで思っていたのに、満を持して放ったそれを、同じ奥義で返されたのだから。

 大きな『氣』の消耗の為か、呼吸を荒くしながら、その視線をゆっくりと桃へと移す。

 そんな豪毅の視線を受け、桃もまた肩で息をしながら、挑発するような笑みを浮かべた。

 

「そうだ…俺は王虎寺(わんふうじ)の奥義皆伝者…!!

 もっとも俺は貴様のように、極意書を盗み見るなどという、卑劣なマネなどしなかったがな!!」

 …いや確かにそこは問題だと私も思うけど!

 あの、でも考えてもみて!?

 たとえその極意書とやら、見られる状況にあったとしても、書いてあるものを一読しただけで、普通は使えるようにはならないと思うよお姉ちゃんは!!

 手段は本当に自慢できるもんじゃない事はわかってる。わかってるけど!

 逆にいえばそれだけで、秘匿されてる奥義を修得できちゃった、豪毅の才能が凄いと思ってもらえ……ないよね!うん知ってた!!

 それにしても…と思う。

 桃という男の特殊さを、ここにきて改めて思い知る。

 彼は一体いくつ、切り札を隠し持っていることやら。

 というか、邪鬼様と闘った時とかこの技出してれば、もっと楽に勝てたんじゃないの!?

 …あ、あの時は刀を影慶に折られていたんだっけ。

『氣』というものの性質上、発動しやすい形はあっても、理論上は拳からでも繰り出せそうな気はするんだけど。

 物理的破壊力を持った『氣』の塊を、拳の形にして出したひとを私は知っているし。

 …思えばあの日からせいぜい8ヶ月ほどしか経っていないというのに、これまでの一生分に匹敵するほどの濃い経験を、私はしてきている気がする。

 

 …少し息が整ったのか、豪毅が再び技の構えを取る。

 

「フッ……もう一度試してみる気か?」

 桃もまた、口元に笑みを浮かべながら同じ構えを取り、2人の肉体に氣が満ちるのがわかる。

 

「ぬんっ!!」

()ぁーっ!!」

 そして。

 再び現れた龍と虎は、先程のようにぶつかり合わずに(さっきのは桃が合わせにいった形だったからだが)、同時に身を躱した2人の脇と頭上を抜けて、観客席の塀に大穴を開けた。

 互いの背後で、石壁が崩れ落ちる。

 そして、これだけの技を続けて二度放った事は、その身体に想像以上の負担をかけていると見え、2人とも先ほどよりも激しく肩で息をしていた。

 

「…これでお互い氣が充実するまで、しばらくは奥義を使うことは出来ない。

 刃だけの勝負だな。」

 それでも刀を振り回せる余裕はあるらしい。

 2人の刃がぶつかり合い、激しい攻防が展開される。

 三合目を打ち合って、互いの身体が交差し、振り返った瞬間に、双方の、刀を握る右腕から血が飛沫(しぶ)いた。

 

「また相討ちだな。

 どうやら互角なのは、奥義の氣の力だけではないようだ!!」

 何故だかまた嬉しそうに笑みを浮かべて桃が言う通り、2人の力量はほぼ拮抗していた。

 四合目を鍔迫り合う刃を、豪毅がなんとか振り払って、一度間合いを取り直す。

 …その視線が一瞬こちらを向いた後、何故か微妙に身体の角度を、私の見ている真正面から逸らした気がした。

 

「…確かに技においては互角かもしれん。

 だが貴様と俺では、決定的に違うところがひとつある!!

 その違いを今、教えてやろう!!」

 言って豪毅が、例の奥義の構えをとる。

 

「氣は既に満ちた!!

 奥義・暹氣(しんき)龍魂(りゅうこん)で勝負をつける!!」

 いや早いな!氣の回復早すぎだろ!

 私だったらとっくにぶっ倒れてるよね!!

 塾長の言葉によればそれは私が女だからだそうだが。

 

「望むところだ!来るがいい!!」

 そして桃も三たび、同じ構えをとる。

 …邪鬼様と闘った時はもっと短時間で氣が尽きてたし、回復も遅かった筈なのに、あれから彼なりに鍛え直しでもしていたのだろうか。

 ひょっとしたらあの頃はまだ、この奥義を使うと一発で氣が尽きてしまうくらいのレベルだったのかもしれない。

 それにしたって成長早すぎだと思うけど。

 

 …どうでもいいが、2人の対峙する位置が、極端にあちらの陣に近いのが少し気になった。

 多分あちらの鉄柵の内側からは、豪毅の背中しか見えないんじゃないかってくらい。

 

 ……私のわずかな疑問の答えは、すぐに出た。

 

「蒼龍寺奥義・暹氣(しんき)龍魂(りゅうこん)!!」

 豪毅のふるう白刃から、青き龍が、桃へと襲いかかる。

 

王虎寺(わんふうじ)奥義・ 暹氣(しんき)(ふう)………っ!!」

 だが、それに合わせて自分も奥義を放とうとした桃の動きが、唐突に止まった。

 一瞬固まって無防備となった桃の身体を、龍の形の氣の塊が容赦なく貫いて……桃は全身から血飛沫を上げて、その場に崩れ落ちた。

 

「ぐわっ!!」

「も、桃──っ!!」

 豪毅の背後の鉄柵の内側から悲痛な叫びが上がる。

 桃ほどの男が、ほぼ同じ力量を持つ相手から、まともに技をくらうとは恐らく思っていなかったのだろう。

 

「……わかったか!?

 これが、貴様と俺との決定的な違いよ!!」

 倒れ込んだ桃を、冷たい瞳で豪毅が見下ろす。

 

「貴様は、俺の一直線上後方にある仲間達のオリが目に入り、奥義を撃つのを躊躇ってしまった。

 外れた場合、己の技が仲間達を直撃するのを恐れてな!

 …その甘さが命取りだ。

 俺が貴様ならなんの躊躇もなく、仲間を犠牲にしたろうに。」

 そう言って豪毅は、嘲るように口角を上げた。

 ……それが似合ってないと思うのは、彼の男の顔を見てしまって尚、可愛らしかった弟の面影を、どこかに見出そうとする私の、無意識が見せる幻想であったろうか。

 だが。

 

「それは……嘘だな。」

「………何だと!?」

 思っていたよりもしっかりとした桃の声に、豪毅は明らかに驚いたように目を(みは)った。

 桃は全身から少なくない量の血を滴らせながらも、地に刺した刀を支えに立ち上がる。

 

「ばかな。暹氣(しんき)龍魂(りゅうこん)をまともにくらい、立ち上がるとは…」

「…まともにくらってはいない。

 俺の側からは、技を放たぬ以外避ける術はなかったが、貴様は光に技がいかぬよう、微妙に角度をずらしていた…!」

 その桃の言葉に、ハッとする。

 私はどうやら守られていたらしい。

 豪毅は私に技を当てぬようにしていたというし、まともに当たってはいないと言っているものの、桃が無防備にあの奥義を身に受けたのも、案外私のせいではと思い至る。

 そんな思考が一瞬脳裏に浮かんだものの、豪毅が一瞬絡んだ私の視線を、振り払うように首を振るのを見て我に返った。

 

「…それでも、その出血ではこの勝負、決したも同然であろう。

 下手に立ち上がれたが故に、苦しみが長引くのも不憫。今、楽にしてやろう!!」

 改めて刀を握り直して、豪毅が一歩、桃へと踏み出す。

 対する桃は、辛うじて立ち上がりはしたものの、ダメージの甚大さは明らかだ。

 

 

 だが……その時。

 闘技場(コロシアム)全体を揺るがすように、太鼓の音が響き渡った。

 恐らくはその音の源たる方向に、その場の全員が目を向けた筈だ。

 そこには……

 

 

「フレー!フレー!桃───っ!!」

 

 どこから現れたものか。

 男塾一号生の面々により結成された大応援団が、松尾のエールを皮切りにした大鐘音を、会場全体に轟かせていた。

 

「……愚かな。今更寄ってたかってがなり立てたところで何になる。」

「貴様にはわかるまい……!

 男塾大鐘音……それは、俺の勝利を願う仲間達の魂の叫び。

 あの声が耳に届く限り、俺に敗北という言葉はない!!」

「この期に及んで戯言を!!」

 一瞬は呆気にとられたものの、豪毅はとどめとばかりに刀をふるう。

 その軽くない一撃を、桃は自身の身を支えていた刀で受け止めると、すぐに返す刀で下段から斬り上げる更なる一撃を、跳躍して躱した。

 そのまま豪毅の背後をとり、着地すらしないうちに、上段から振り下ろした刃が、豪毅の肩口を斬りつける。

 瞬間、それまで決して崩れなかった、豪毅の体勢が大きくぐらついて、斬りつけられた肩から血が飛沫(しぶ)いた。

 

「ど……どこにまだそんな力が………!!」

「言ったはずだ……俺にはあの仲間達がついている。

 どんな苦境にあろうと、奴らのあの声が、俺を奮い立たせるのだ!」

 その瞬間、桃の強い視線は、明らかに豪毅を圧倒していた。

 

 …ああ、私はここで何をしているのだろう。

 自分では何ひとつ成せない弱い身のくせに、ちょろちょろ動き回って、結局邪魔になっていただけではないのか。

 

 …大鐘音は、変わらず闘技場(コロシアム)を揺るがし続けている。




というか光さん。
男に対して『早い』は禁句だ(爆


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8・今があしたと出逢う時

前の話の投稿の次の日、編集中の書き溜め話を間違えて一旦投稿するというポカをやりました。
すぐに削除しましたが、投稿から削除までの1分ほどの間に、ひょっとしたら読まれた方もいらっしゃるかと思われます。



…………………………忘れるんだ、いいね。



「…貴様のその言葉、信じざるを得まい。

 この勝負、貴様を仕留めるにはまだ時間がかかるらしい。

 だがそれは、俺の性に合わぬこと…。

 受けてみるか、究極の決闘法を!!」

 豪毅はそう言うと、こちら側に向かって何か合図をした。

 

「姫!失礼いたします!!」

 ややあって奥の扉から、双子なのかってくらいそっくりな男たちが、何やらデカイ甕を抱えて控室に入ってきて、私に一声かけてから、同時に開いた鉄柵の下を潜り抜け、闘場へと走り抜けて行った。

 

「…姫様、私も一度失礼させていただきます。」

 更に、何かを察した清子さんがそう言って一礼し、控室を出ていく。

 双方を呆然と見送る私の前で鉄柵は再び閉じ、男たちは持ってきた甕を、それぞれ豪毅と桃の前に置いた。

 

「この匂いでわかるだろう。

 この壺は、瞬燃性の油で満たされている。」

 豪毅はそう言うと何故か、持っていた刀の峰の部分を歯で咥えた。

 それから空いた両手で重そうなその甕を、軽々と頭上まで持ち上げたかと思うと、躊躇う事なくその中身を頭からかぶる。

 

 ……もうこの時点でいやな予感しかしない。

 

 それなのに、甕を持っていった男は更に、何か箱のようなものを、豪毅の前に差し出しており、豪毅はその箱から、指先で中身を掬い取って、それを改めて手にした刀の刀身に塗り付けた。

 

「…松ヤニだ。これを刀身に塗り…着火する!!

 もう、説明の要はあるまい!!」

 最後に、恐らくはライターのようなもので火をつけた男が素早く豪毅から離れ、それと同時に豪毅の刀が、文字通り火を噴いていた。

 確かに説明は要らないが正気の判定は必要だ!

 さっき変なテンションで邪鬼様と闘ってた私が言う事じゃないけど!!

 

「わずかでもこの刀身の炎が体に触れれば、一瞬にして火ダルマ…助かる術はない!

 これぞ究極の決闘法、炎刀(えんとう)嗋油闘(きょうゆとう)……!!」

 そう言った豪毅の表情には、明らかな狂気が浮かんでいる。

 

「上等だ……受けてやるぜ、その勝負!!」

 …そしてお前も乗るんじゃない桃!

 だが私の心の叫びも虚しく、桃は豪毅と同じようにして頭から油を浴びると、やはり差し出された松ヤニを指で塗り、ライターを持つ男の手に、その刀を寄せた。

 その刀にもまた、豪毅のそれと同じように炎が点る。

 

「さあ、来るがいい!!」

「そうだ。それでいい……!!」

 いやまったく、全然よくねえわ。

 ……ただ、なんというかこの辺の流れ、そこはかとなく男塾名物臭がするというか、下手したらこの大武會から桃達が帰った後、教官がたが嬉々として授業に取り入れそうな気さえするのは、私の気のせいなんだろうか。

 そうこうしている間に、先の男達は残った油を周囲に撒いている。

 2人の、半径3メートル強ほどの周囲を囲うように、一通り油を撒き終えると、1人がそこに、火のついたマッチを投げ入れた。

 瞬間、炎が燃え広がり、火をつけた男達は、再び鉄柵を上げられたこちらに、急いで飛び込んでくる。

 

「姫!この後、御婦人の喉にここの空気は、若干お辛くなろうかと思います!

 ご案内いたしますので、安全な場所に避難を!!」

 そう言われて何故かひょいと抱き上げられ、それまでいた控室から運び出された私が連れて行かれたのは、よりにもよってロイヤルボックス席の、御前の隣だった。

 清子さんは先に来ており、どうやら私の席を整えてくれていたらしい。

 上質なクッションを敷かれた椅子に、ぽすんと置かれ座らされたと同時に、清子さんから飲み物を差し出され、受け取るとグラスの中で、チリンと氷が音を立てた。

 そういえば喉が渇いている。

 ストローに口をつけて吸うと、ほのかな白ぶどうの香りと甘い味、シュワシュワとした炭酸の口当たりが、心地良く口中と喉を抜けた。

 うん美味しい。

 さすがに私の世話をずっとしてきた彼女は、私の好みを熟知している。

 

「御苦労だった、光よ。

 貴様の夫となる男の闘い、ここでゆったりと見物しておるが良い。

 なかなかに見せてくれるぞ、わしの息子は。」

 私が落ち着いたところで、何故か妙に機嫌のいい笑顔で、御前が言葉をかけてきた…が。

 

「…それなのですが、御前。

 私がその件を最初に聞かされたのは、命を狙ってきた刺客の口からです。

 清子さんによれば藤堂家に来た時点で、私が次期当主の妻になる事が既に決まっていたとの話ですが、何故、当人である私にだけは知らされていなかったのですか?」

 なんとなく今でないと聞けない気がして、自分の中で気になっていたことを問いかける。

 

「……ん?言っていなかったか?」

 …だが御前から返ってきたのは、あんまりにもあんまりな答えだった。

 

「…聞いておりません。」

 思わず半目になりながら御前を見上げ、やっとのことでそれだけ口にすると、御前は些細なこととでも言うように、嫌な笑いを浮かべた。

 

「フフッ、ならば改めて命じるとしよう。光よ。

 この大武會が終わり次第、豪毅と夫婦(めおと)となり、奴の子を生め。」

 さも当然というように言って、闘場に視線を戻した御前は、もう私の方など見てもいなかった。

 

 ☆☆☆

 

「火の囲いを作り、土俵を小さくした。

 これでそう逃げ回る事も出来んというわけだ。」

 火を放たれた闘場の真ん中で、炎を纏った刀を振りかざして、先に仕掛けたのは豪毅だった。

 対する桃は防戦一方、やはり先ほどの技のダメージが効いているようだ。

 

「やはり貴様は、とうに限界を越えているな!!」

 まだ体力に余裕のある豪毅は、動きも冴えず息が上がっている桃に向けた刀を、横に薙ぐ。

 それを受け止めた桃の刀が、ガキンと嫌な音を立てて、半ばから刀身が折れ落ちた。

 

「フッ、これで勝負あった。完全にな!!」

 足元に落ちて、未だに炎を纏うその刀身を、豪毅は靴で踏みつける。

 無情にも炎は消えて、精も根も尽きた状態の今の桃は、頼みの氣の集中もままならない筈だ。

 

「往生際良く観念せい!!」

 己が勝利をもはや確信した豪毅が猛攻をかけ、それを身体能力だけで何とか躱している桃は、だがそれでもその目から、闘志を失ってはいなかった。

 掠めた刃先から身を躱し、屈めた体勢から、桃は何を思ったか折られた刃先を拾うと、そのまま転がって間合いを離す。

 それから素早く額のハチマキを解き、折れた刀をそれで繋げた。

 

「なんのつもりだ?それで闘えるとでも思っているのか!?」

 

 その状態で構えを取った桃を、豪毅が嗤う。だが。

 

「来い……!!」

 それでも構えを崩さない桃に、侮られたとでも感じたか、豪毅が刀を振りかぶった。

 その豪毅に向けて、桃は手にした刀を投げ放ち、それは回転しながら豪毅の方へと飛ぶ。

 

「その程度のことが読めぬとでも思ったか──っ!!」

 だが、どうやらその桃の行動は予想の範囲内であった。

 豪毅は、それを難なく屈んで避ける。

 体勢を崩すことなくすぐに立ち上がり、そのまま向かってくる豪毅に、桃は口角を笑みの形に上げた。

 

「…油の染み込んだハチマキで結んだ刀には、ある角度をつけておいた。

 俺に勝利の女神が微笑むなら、それは炎をともない再び帰ってくる!!」

「なっ!?」

 …おかしいとは思っていた。

 相手に当てるつもりで投げ放たれた刀が、回転を伴っていた事。

 手元が狂ったかと思いはしたが、それにしてはそれを投げた時の、桃の手の動きは確かなものだった。

 …答えはすぐに出た。

 周囲の炎の壁の中から、ブーメランのように回転しながら戻ってきた桃の刀は、そうなる為の角度をつけて結んだハチマキに炎を纏わせて、その炎が豪毅の肩を掠めた。

 

「うおおおお───っ!!」

 瞬燃性の油を全身に纏った豪毅の身体にハチマキの炎が燃え移り、豪毅の身体全体が、一瞬にして炎に包まれた。

 

「ご、豪毅──っ!!」

 さすがの御前が立ち上がり、防護柵の外まで身を乗り出す。

 私もまた、あげかけた悲鳴を押し戻すように自分の口を手で覆った。

 …だが、それも一瞬のことだった。

 

王虎寺(わんふうじ)秘奥義・ 暹氣(しんき)虎魂(ふうこん)!!」

 それは確かに必殺の奥義の筈だったが、全力で放たれたにしては威力の小さいものだった。

 明らかに先ほどまでより小さな青い虎は、豪毅に向かって襲いかかりはしたが、それは彼の身体を覆う炎を、まるで食うように取り込んで、豪毅の身体をすり抜けていった。

 

「ぐおっ!!」

 勿論、まったくのノーダメージとはいかなかっただろう。

 だが、炎に灼かれるよりはるかに少ないダメージで、技の衝撃にはじき飛ばされた豪毅は、一拍のちに自身に何が起きたのかを悟ると、信じられないものを見るような目で桃を見上げた。

 

「き、貴様……なんのマネだ、これは……!?」

「わからんか……火をつけた刀のブーメランが帰ってきたのは、一か八かの賭けに勝っただけのこと。

 それでは本当に貴様を倒したことにはならん!」

 その桃は、何故か戻ってきた刀から、ハチマキの燃え落ちなかった部分を回収したようで、既にそれを額に結び直している。

 折れた刀は足元に落ちており…いや待って!

 あなた武器よりハチマキが大事なの!?

 

「さあ、来るがいい!!

 貴様との真の決着をつけるのは、この拳だ!!」

 既に肉体は限界を越えていながら、やはり桃は桃だった。

 

「……馬鹿めが!後悔させてやるぜ!!」

 再び気迫を漲らせて、2人が間合いを取り合い、構えをとる。

 …どうでもいいが2人とも、穿いているズボンとかもうボロボロで、辛うじて腰のあたりは覆っているものの、そこから下は布が繋がってるのが奇跡ってくらい、太腿から膝からふくらはぎから、その下の脚があちこち露出していて、ここまでくるとむしろ穿いてないほうが潔いんじゃないかって気さえする。

 てゆーか桃は、そのズボンの裂け目から見える筋肉質な太腿に、間違いなく小脇差を添わせてるんだが、どうやら使う気はないらしい。

 というか、以前富樫にも注意した事がある気がするが、男塾(ココ)の男どもはズボンに武器を入れておくのが嗜みなのだろうか。

 だとしたら富樫には悪いことをした。

 

「……フフッ。どうやらあの剣とかいう男、役者が豪毅よりも一枚上手らしい。」

 ふと、隣で席に座り直した御前が、いつのまにかそばに来ていた側近の黒服さんに、何やら指示を出していた。

 ……いやな予感しかせず、御前の横顔を見つめていると、私の視線に気づいたものか、御前の顔がこちらを振り返る。

 

「…わしの可愛い一人息子じゃ。

 親のわしが、このまま指をくわえて見ているわけにはいかんからのう。」

 …絶対思ってもいないだろう言葉を紡ぐその口に絆創膏を貼り付けたいと、この瞬間ほど思ったことはない。

 

「…どうした?剣を使わないのか!?」

 自分と同じように、使えるはずの刀を取らずに拳の構えをとる豪毅に、桃が問いかける。

 

「なめるなっ!!貴様ごとき、素手で倒せぬこの俺だと思うか──っ!!」

 どうやら少し頭に血が上っているらしい豪毅の繰り出した拳には、確かに凄まじい気迫がこもっていた。

 だが、やはり違う。

 私は男塾で、桃に稽古をつけてもらっていた。

 それは彼の実力の一片にも満たない情報であったろうが、それでも私はその片鱗を、近くで見せてもらっていたのだ。

 だから、判る。

 こと、拳だけの勝負となれば、豪毅の実力は桃に及ばないと。

 桃は、豪毅の鋼のような拳を掻い潜ると、向かってくる勢いも利用して、豪毅の顔面に己の拳を入れた。

 続けて第二撃。更に第三撃。

 豪毅が体勢を整える前に、脚で第四撃までもがまともに入る。

 桃の拳は、基本は空手ベースで間違いない。

 そこに中国拳法のアレコレや体術なども混じり、それらを総合して桃にとって一番効率の良い形にまとまったのが今の桃の拳になってるんじゃないかと、私は勝手に思っている。

 考えてみれば、正式なボクシングのルールではなかったものの、彼はボクサーにすら拳で勝っているのだ。

 対して、豪毅は赤石ほどではないが、才能が剣技に偏っているタイプだ。

 もっとも、それが通常の人間で、桃みたいに能力値が全方位に高ポイントで振り分けられてる天才肌なんて、そうそう居るもんじゃない。

 強いて言うなら伊達はそれに近いタイプかもしれないが、ほぼ全方位に高ポイントを振り分けつつ、彼は槍術に特化している。

 桃に関して言えば、苦手なものはないと思っていいと思うけど、逆に一番得意なものがなんなのかが本当に判らない。

 …それはさておき。

 拳の勝負となってからは、完全に桃が優勢となり、豪毅が倒れるのは時間の問題と思われた。

 ……が、そろそろノックアウトというタイミングで、桃の動きが一瞬止まり、唐突にその身体がぐらついた。

 

「…フ、フフッ………!

 どうやら今までの疲労が、一気に来たようだな!」

 それにより体勢を立て直す余裕を与えられ、防戦一方だった豪毅が、そこから反撃を開始する。

 桃よりスピードはないが一撃が重そうな拳が、先ほどまでのお返しとばかりに、やはり顔面に叩き込まれた。

 続けて脚の第二撃。再び拳での第三撃。そして。

 

「蒼龍寺・千烈拳!!」

 目にも止まらぬ速さの拳の連打がほぼ全身に叩き込まれ、桃は弾き飛ばされ、地面に転がった。

 

「…フフッ。

 象を捕獲する為の麻酔銃をくらっては、立っていられただけでも不思議というもの。

 これで豪毅の勝利は不動のものよ!!」

「いや待てやハゲ」

「……なにか言ったか?」

「………何でもありません。」

 ああそうかつまりさっきの黒服さんへの指示はそういうことだったんだね!!

 …けど、これで勝ったと知ったときの、豪毅の心はどうなるんだろう。

 根っこは真っ直ぐな子だから、すごく嫌な気持ちになるのは間違いないと思う。

 もっとも御前にとっては、豪毅の感情がどうあろうと、頓着するに値しないのだろう。

 私同様、豪毅もまた、御前にとっては駒でしかないのだ。

 

「これで勝負はあった。」

 もう何度目かってくらい聞いたような気がするその台詞を口にしながら、豪毅が倒れた桃を見下ろす。

 

「とどめはこの太刀で、ひと思いに決めてやろう。

 それがここまで俺を苦しめた貴様への、せめてもの餞よ!!」

 言って、地面に刺していた自分の刀を抜き、その白刃を桃へと向けた。

 介錯、とでもいうところだろう。

 だが、桃はその豪毅を睨み返しながら、残る力を振り絞って立ち上がる。

 

「ま、負けん…俺は、男塾総代・剣桃太郎……!!

 ま、負けるわけにはいかんのだ…負けるわけにはいかんのだ───っ!!」

 振りかざしたのは、ただの拳。

 だがそこに、彼の残りの氣のみならず、その命、果ては全塾生の心すら乗せられている事に、豪毅は気がついたかどうか。

 

「死ねい──っ!!」

 真っ直ぐに向かってくる桃の、腹部に向けた切っ先は、ガキンと音を立てて何故か砕けた。

 そして……!!

 

「ぐわっ!!」

 全てを込めた最後の一撃、桃の渾身の拳が、豪毅の胸を貫いた。

 

 瞬間、闘技場(コロシアム)の時間が、止まった。

 

「な、何故だ…俺の剣は何故、折れた……!?」

 自らに起きた事が信じられないという表情で、豪毅が胸に突き刺さる桃の腕を掴む。

 

「これが…俺を救ってくれたのだ……!!」

 問われて答える義務はなかったろうが、桃は震える手で、腹に巻いたサラシの間から、なにかを摘んで引き出した。

 それは、八角形の形をした、金属のペンダントのようなものだった。

 

「先に闘った邪鬼先輩から授かった、男塾総代継承の証……俺は、全塾生の命と願いを背負って闘っていたのだ…!!」

 邪鬼様がそれを桃に渡した瞬間、彼は名実ともに男塾の頂点に立ったという事なのだろう。

 誇り高い帝王にそれを決心させたのに、先ほどの私との闘いも要因として含まれている気がするのは、些か自惚れすぎだろうか。

 と、一瞬悔しげに歪みかけた豪毅の表情に、再び驚愕が浮かぶ。

 

「ま、まさか、その銃創……お、親父の仕業か……!!」

 どうやら父親の所業に気付いてしまったらしい。

 すぐにその発想に至るあたり、彼もそもそもわかってはいるのだろう。

『藤堂兵衛ならやりかねない』と。

 

「ああ…ま、麻酔弾の類だろうな……。」

「そ、そんな状態で俺と戦っていたというのか……しかも、その事は一言も言わずに……!!」

 そう呟く豪毅の瞳が揺れる。

 短い時間のあいだに、憎しみと狂気が(おもて)から消え、冷たい瞳に熱と、どこか寂しさと孤独を湛えた色が蘇る。

 豪毅は、自身の胸を貫いている桃の拳を引き抜くと、私がよく知っている優しい笑みを浮かべ、その腕を勝利者を讃えるかたちで掲げた。

 

「負けたぜ……剣。

 この天挑五輪大武會…貴様等、男塾の優勝だ。

 悔いはない……き、貴様に負けたのなら……!!」

 豪毅はそう言って、その場に崩れ落ちる。

 場内アナウンスが、男塾の優勝を告げ、桃が腕を上げたまま、涙ぐんでいるのが見えた。

 

「よくも、わしの息子を……!!

 殺せ!奴等男塾……ひとりたりとも生かしては……む!?ま、待て!!」

 怒りに身を震わせた御前が、その表情に驚愕の色を乗せる。その瞬間……

 

「…姫様!?」

 私は、ロイヤルボックスを飛び出していた。

 

 ☆☆☆

 

 傍に倒れた、今の今まで死闘を繰り広げていた男の側に膝をつく。

 巻いていたサラシを一部解き、彼の傷口に巻いて止血をした。

 攻撃の際、ほんの僅かに急所を外したから、即死する事はなかった筈だ。

 その身体を抱え起こしてやると、藤堂豪毅の口から、微かな呻き声が聞こえた。

 運が良ければ、命は助かるだろう…。

 

「豪毅──っ!!」

 と、開けられたあちら側の鉄柵の内側から、小さな身体が飛び出して、こちらに向かって駆けてくる。

 その、涙でぐしゃぐしゃになった頬に、ほんの僅か、胸の奥に痛みを覚えた。

 

「豪くん、豪くんっ!」

 光は駆け寄ると、その男の傍に膝をつく。

 そして、その胸元に手を伸ばしてから、俺の顔を見上げ……涙に潤んだ瞳が、真っ直ぐに俺を捉えた。

 同じ泣き顔を腕の中に抱きしめたあの夜から、それほど経っていない筈なのに、随分久しぶりに絡んだ視線は、どこか、遠く見えた。

 

 ☆☆☆

 

 胸を拳で貫かれた…正確には拳に纏った氣が突き抜けた状態の豪毅の胸板には、既に男塾仕様の血止めが為され、恐らくは完璧な応急処置が施されている。

 あのまま置かれていればすぐに出血多量で豪毅は死んでいただろうが、すぐに止血されたこの状態ならば、最悪このままでも死ぬ事はない。

 桃が、豪毅を助けてくれた。

 直前まで、殺し合いをしていた筈の相手を。

 見上げた顔が、微かに微笑んだ気がした。

 だが視界が再び涙で曇り、それを確認できない。

 袖でぐっと拭って、五指に氣を集中させる。

 そうだ、今は豪毅の治療を優先させなくては。

 対応するツボに指を当てて、そこから氣の針を撃ち込む。

 傷口がみるみる塞がっていくのを確認して、増血の処置もしてから、傍に立ったまま見守っていた桃の顔を、もう一度見上げた。

 

「……桃。

 どうして、豪毅を助けてくれたんですか?

 あなた方にとっては、彼も藤堂兵衛も、同じ穴のムジナでしょう?」

「…光に、似ていたから、かな。」

「え?」

「…この男の狂気と憎しみに燃える目の奥に、たとえようもない哀しみと孤独が、闘いながら俺には見えていた。

 それは、光の中に俺が見たものと同じ色だった。

 光と闘っているようにすら、思えていたかもしれない。

 …だからだろう。俺は、この男を殺せなかった。」

 そう言って、私を見つめてくる桃の鳩尾に、氣の針を溜めた指を当てる。

 

「……!!」

 ほんの少し痛みがあったのだろうが、それまでの戦いに比べたら僅かなものだったに違いない。

 露出している部分から見える傷が塞がる。

 ついでに解毒も施しておいたので、今は多少ふらついているが、それもじきに治まる筈だ。

 その身の裡に満ちてきた氣は、相変わらず優しく穏やかで、うっかり縋りつきたくなるのを理性を総動員して耐え、指を離した。

 

「……あなたの温情に、感謝致します。

 今は姉の私から、この程度のことしかできませんが、いずれ本人からも御礼に向かわせますので、申し訳ありませんが、一旦失礼させていただきます。」

「光っ……!」

 タンカで運ばれていく豪毅の後を追いかける私は、背中から私を呼ぶ声に、敢えて振り返らなかった。

 

 ・・・

 

「勝負にも、そして男としても…すべてに於いて、俺の負けだ…。」

 運び込まれた部屋で目を開け、吐息とともに言葉を紡いだ豪毅が、微かに涙ぐんでいるのがわかった。

 

「…泣き虫ですね、豪くんは。

 こんなに大きくなったのに、そういうところは変わらないんだから。

 生きていれば、いずれまた挑めるでしょう。

 今度は、横槍の入らない条件下で。

 …だから、今は休んでください豪くん。

 目が覚めた時には、すっかり身体は元どおりに治っている筈です。」

「行くな…行かないでくれ、姉さん…!

 俺の、そばに……」

 …幼い頃と同じように、だがあの頃より遥かに大きな手が、私に向けて、伸ばされる。

 それを反射的に取ろうとして…だが、豪毅の綺麗な指先は、私のそれに軽く触れたのみで、止まった。

 

「…すまない。卑怯だったな。」

「えっ……?」

「こうして…弟の顔をして泣きついて、縋ってしまったら…光は、俺を拒めない。

 そんな事、一緒に暮らしていたあの頃にはもう、知っていた筈だというのに。」

 豪毅の言葉に、私は声を失う。

 

『おまえは高圧的に来る相手には強いだろうが、甘えてくる奴には案外、コロッと絆されるタイプだ。

 甘えて、縋って、場合によっては涙なんかも見せればおまえは簡単に心も身体も開く。』

 それは以前、伊達に指摘された事だ。

 

「…自覚はあったらしいな。

 だが、なぜ俺がそれを知っているのか、という顔だ。

 …判らぬ筈がないだろう。

 共に暮らしたのは2年ほどの間でしかないが、俺は一番近くで、ずっとおまえを見ていたのだから。

 初めて会った時から、ずっと好きだった。

 藤堂家の後継者の座などどうでもいい、ただ、光だけが、俺は欲しかった……!!」

「豪くん……。」

 その、血を吐くような告白に胸が痛んだ。

 思わずその手を取りかけたが、豪毅は私の手を避けると、首を横に振る。

 

「…それは、おまえの望みではあるまい。

 光。おまえは自由だ。

 今ようやく羽ばたく事を知った翼で、心のままに飛び立っていくがいい。」

「……ありがとう。ごめんなさい、豪くん。」

 そう、私は知ってしまった。

 もっと、もっと自由に羽ばたける事を。

 籠の中には、もう戻れない。

 その為に、今はやらなければならない事がある。

 

「…豪毅を、お願いします。」

 後ろに控えていた係員に一言声をかけ、私は立ち上がる。

 

 駆け出した脚が、空を飛ぶように軽く感じる。

 私が帰るのは、あの大空だ。

 流れる雲のように穏やかな、今別れたばかりの桃の氣が、それと重なった。



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分岐1 ・豪毅エンド
願いは、透明なままで


最初の分岐です。
決勝戦が桃の勝利で決着した後、光が治療した豪毅のもとにとどまった場合はこのルートになります。
ある意味、光らしいラスト。


「行くな…行かないでくれ、姉さん…!

 俺の、そばに……」

 …幼い頃と同じように、だがあの頃より遥かに大きな手が、私に向けて、伸ばされる。

 その手が一瞬躊躇ったように見えたが、私は構わずそれを掴んで、握りしめた。

 …瞬間、その滑らかな感触に驚く。

 髪に触れられた時にも、意外に綺麗な指だと思っていたが、剣を握る男の手とは思えないほど柔らかなそれに、私は心の奥から愛おしさが溢れてくるのを止められなかった。

 間違いなく彼は、かつて私が教えたハンドケアを、今も続けているんだ。

 その手に繋がる逞しい腕、厚い胸、太い猪首、その上に乗る頭まで目をやると、戸惑ったような視線が私のそれと合い、その表情が幼かった頃と、重なった。

 

「……私の、豪くん。そばにいますよ。ずっと。」

 私がそう呟くと、豪毅はハッとした顔をして、それが徐々に、泣き笑いのような表情へと変化した。

 それがまた、愛おしさを加速させていく。

 

「眠って、豪くん。

 あなたが目覚めた時、一番最初におはようと言ってあげますから。」

 その手を握ったまま、額に唇を落とすと、豪毅はようやく安心したように目を閉じた。

 

 程なく、規則正しい寝息が聞こえてきて、精悍であるくせにまったくの無防備な寝顔を覗き込んで、思わず笑みが零れた。

 今わかった。私は彼を置いては行けない。

 愛おしいのは当たり前だ。

 この男のすべては私が作ったのだから。

 

 ☆☆☆

 

 天挑五輪大武會が終了し、御前が桃に討たれた後、私は男塾へは帰らなかった。

 代わりに豪毅が男塾へ、塾生として入ることとなり、私は藤堂家で留守を守るよう言いつかった。

 何せ、次期総帥として御披露目が済んでいるとはいえ豪毅はまだ若く、そして旧御前派の中には、彼の総帥としての能力を不安視する者も多かったのだ。

 その不穏分子が、彼の不在の間に事を起こさぬとも限らなかった為、『姉』の私が牽制する必要があった。

 豪毅としては、この期に及んで私を『姉』として藤堂家に置くのは不本意だったらしいが、『婚約者』よりも『姉』でいる方が、発言力が大きいのだから仕方がないだろう。

 彼が18歳になったらすぐに『妻』にしてもらうから、と言いくるめ含めて、自分から言いだしたくせに出発を渋る豪毅の背中を押して、男塾へ送り出した。

 その際、何故か『自分も男を磨きに行く』とゴバルスキーもそれについていき、私付きとして藤堂邸の勤務に戻された清子さんと、暫しの別れを惜しんでいた。

 

 また、御前が手がけていた裏の事業には、豪毅の知らないものも多く、そちらについては私の方が詳しいくらいだった。

 …次期総帥に任命したとはいえ、御前は、豪毅に私が見てきたような、汚い世界を見せるつもりはなかったのだろう。

 実の姪である私には向けられなかったものだが、血が繋がらないとはいえ息子に対する愛情は確かにあったようだ。

 

 …………………………。

 

 …てなことあのひとが思うわけなかった!

 ちょっとしんみりして一粒だけ流した涙を返せ!!

 

 御前の裏事業について、豪毅より詳しいとはいえ私もすべてを把握しているわけではなかった為、一先ず孤戮闘を行なっている組織から潰していこうと決めた。

 私のいた暗殺チームを足がかりにこちらでの調査を進め、それと同時に、男塾を卒業して事業に専念していた邪鬼様に連絡を取って、男爵ディーノを指名で借り受け、天挑五輪で謎の白衣に持ち帰られて以来行方不明の月光の行方も捜してもらっていたところ、棚からぼた餅方式で、なんと御前の生存が確認されたのだった。

 御前を救出、蘇生させたのは、御前が抱える裏組織のひとつ、『闇の牙』に所属する医師、エーベルシュタインという男だった。

 またその特徴を聞く限り、月光をお持ち帰りした白衣の男と同一人物である可能性が浮上した。

 

 それらの情報を豪毅に伝えようと、男塾に連絡をした時は事態は既に動いており、豪毅は桃達男塾の精鋭と共に、その『闇の牙』が運営する『七牙冥界闘(バトル・オブ・セブン・タスクス)』という闘いに乗り出していった後だった。

 連れ去られたという塾長の代理として塾に残っていた(ワン)先生に事の次第を説明すると、『あい判った。後は任せろ』と返事をして、それ以上私がこの件に介入しないようきつく言い渡された。

 

 …果たして藤堂家で一週間ほど待機していたら、事態の終息の連絡が来た。

 その闘いの最中に月光が戻り、逆にゴバルスキーが亡くなったという報が一旦入って、悲嘆にくれて何も手につかなくなった清子さんを慰めるのに手一杯でいたら、ゴバルスキーの死は誤報だったとの連絡が後日再び入って驚愕した。

 

「……姫様、申し訳ございませんが、1日お休みをいただきますわ!!」

 そう言って怒りの形相で飛び出していった清子さんが、その日どこに行っていたか私は知らない。

 だが帰ってきた時には何だかツヤツヤした顔をしており、

 

「ねえ姫様、信じられます!?

 あの人、3年間も洗わずに同じ下着を身につけていたらしいんですのよ!!

 ええ勿論、剥ぎ取って洗って差し上げました!

 真っ白にするのはすごく大変でしたわ!!

 ついでにお風呂にも放り込んで全身丸ごと洗って、心配させられた腹いせにあの人の頭から足先まで、何処を嗅いでも心安らぐフルーティフローラルの香りしかしないようにしてきましたの!!

 最低でも2日は狼達に、微妙な反応をされるといいのですわ!ホーッホホホホッ!!」

 と、なんだかえらく上機嫌な感じで報告された。

 あの、下着を剥ぎ取って洗濯してお風呂にも入れて……その一連の行動を行なったの、まさか塾敷地内じゃありませんよね?

 あれ、ゴバルスキーが他の塾生達からの『リア充滅べ』攻撃に晒されてる光景がありありと浮かんでくるんだけど、これ私にしか見えない幻覚(マボロシ)かな。

 

 …それはともかく、男塾に捕獲された御前が戻されて、強制的に隠居に入らされた事で、私の役目に御前の監視という項目が加わった。

 私は御前にある程度の自由を約束する代わりに、私を養子縁組するよう説得し、後日私は正式に『藤堂 光』となった。

 いずれ豪毅と結婚すればそうなるのだが、豪毅が戻ってくる前に彼の足場を固めておきたく、その為に藤堂の名を欲したわけだが、結果的にはそれは悪手だった。

 私の意図が豪毅に伝えられる途中で故意に捻じ曲げられ、豪毅的にはどうやら私を人質に取られた形になっており、私の知らないところで親子のみで話し合いがなされた結果、藤堂財閥の表の事業を全て豪毅に譲渡する代わりに、裏には目を瞑る約束を取り交わして、後日御前は彼に仕える一派と飼い猫と共に、邸から行方を眩ましてしまった。

 

 せめてもの幸いは孤戮闘を行なっていた組織は既に潰し、継続中のそれから救い出した孤児達を親元に返す、または支援施設に入れて生活の保証をする事ができた事くらいだ。

 そこからは他の組織についても、全く手がかりを掴む事が出来なくなり、個人的に使える資産も底をついて、私は御前の裏組織の調査を諦めざるを得なくなった。

(私も暗殺者時代に一応報酬が出ており、使う事がなかった為かなりの額が口座にあったのだが、暗殺の仕事を受けなくなってからは当然それが発生せず増える事がなかった為、調査やそれに伴う実費などをそこから出していたら、無くなるのはあっという間だった)

 塾長の長年の宿願を無駄にする事になってしまった己の過失を、とにかく詫びる為に男塾に久し振りに出向いたところ、塾長は割とあっさり、気にしなくていいと言ってくれた。

 

「天挑五輪で奴を討ったと思った時には感じなかった達成感を、奴の口から『悪かった』という言葉を引き出した瞬間に感じることができた。

 たとえ命惜しさから出た言葉であろうと、それはわしが、そしてあの日サマン島で命を落とした者達が、最も欲しかったものだ。

 あの瞬間に、わしらは復讐の輪から解き放たれたのだ。

 だから後のことは、わしら自身が追い追い考えてゆくでな。」

 そう言って私の頭を撫でる塾長に、うっかり溢れかけた涙を堪えて、頭を下げた。

 

「どうか、豪毅をよろしくお願いします。

 藤堂財閥だけでなく、この日本を負って立つひとりとして、恥ずかしくない男に育ててください。」

 塾長は微笑んで頷いてくれた。

 

 ところで。

 その時に初めて聞いたのだが、例の七牙冥界闘(バトル・オブ・セブン・タスクス)に於いて瀕死の重傷を負った赤石が、その時点で3ヶ月以上も昏睡状態で入院中だった。

 他の事は割と詳細に情報が入ってきていたのに、それだけが私の耳に届かなかった事実に、何か作為的なものを感じて豪毅を問い詰めたら、やはり赤石の件だけ情報を伏せていたのはコイツの仕業だった。

 

「あいつがそんな状態と聞けば、光があいつの所へ行ってしまうのではないかと思った。」

 と、切なげな目で訴えてくる豪毅に、そんなに心配なら同行しろと連れ出して、入院中の赤石の様子を見に行った。

 そこで世話をしてくれていた男性に、話しかけてやって欲しいと言われて、赤石の手を取って呼びかけてみたら、あっさり目を覚まして驚いた。

 でももっと驚いたのは、その世話をしてくれていた男性が、マスクを外したら私にすごく似た顔立ちをしていた事だ。

 それは死んだと思っていた私の兄だった。

 後のことは任せてくれと言った兄は、最後に私に幸せかと問うた。

 私は傍の豪毅の指に自分の指を絡ませながら、笑って頷いた。

 

 ☆☆☆

 

 ……3年後、男塾を卒業した豪毅が藤堂邸に戻った翌日に、私たちは婚姻の儀を執り行った。

 というか、豪毅が帰るまでの間に身形を整えていようと、先ずはお風呂で全身を清めていたら、思っていたよりずっと早く帰ってきた豪毅に風呂場にいきなり踏み込まれて押し倒され、本来なら初夜までとっておくべきものを強引に奪われた。

 どうせ式が終わった後には初夜を迎えるのに、1日くらい待てなかったのかと、事後に懇々と説教した。

 どうやら豪毅は、私が処女だと思っていなかったようで、若干乱暴にした事は謝ってくれたのだが、

 

「…俺の為に磨き上げてくれているのだと思ったら、抑えがきかなかった。」

 とか言って微妙に緩んだ顔にまったく反省の色が見られなかったので、夫婦になってからも自分たちだけの時は『姉さん」と呼ぶ事を強要した。

 豪毅はすごく嫌そうな顔をしたが、呼ばなければ今後指一本触れさせないと脅したら渋々承諾した。

 

 結婚して数年後、ちょっとした体調不良が続き、もしやと思って行った病院で検査した結果、私は子供をつくる事が、不可能ではないが非常に困難な身体である事が発覚した。

 子宮の状態は正常だが、なんでも卵巣が10歳前後の状態で成長が完全に止まってしまっているそうで、正常な卵子は数万分の一の確率でしか排出されないだろうとの事。

 なのでたとえ受精しても着床できない可能性が高く、自然妊娠はほぼ絶望的だった。

 以前(ワン)先生が危惧していた事態が、現実になってしまったわけだ。

 ちなみに体調不良の原因は寝不足と、食べ過ぎによる胃もたれだった。滅べ。

 

 橘流(たちばなりゅう)氣操術(きそうじゅつ)の伝承は自分の代で止める事を決意していたから、自分の子が生めない事はそれほどショックではない…と思っていた。

 だが豪毅の目から見ると、私は今までに見た事がないくらい打ちひしがれていたらしい。

 今までずっと私付きでいてくれた清子さんが結婚退職し、ロシアの外交官となったゴバルスキーについて行ってしまった事もあり、私は女性にしか判らない自身の心の動きが、自分でよくわからなくなっていた。

 

「私でよろしければ、代理母になりましょうか?」

 新しく私付きになった若い女中がそう囁いてきた時に、私はこれだと思ってしまった。

 私は自分の子が欲しいわけではなく、豪毅の子が欲しかったのだ。

 一も二もなく頷いて豪毅にそれを伝えると、最初は渋っていたものの、『光がどうしてもというのなら』と、同意を取り付けることに成功した。

 だが豪毅が、直接彼女を抱くことだけは頑なに拒否した為、人工授精させた卵子を再び彼女の子宮に戻す方法が取られた。

 …今思えば、私は子宮は正常だったのだから、成功率は下がるだろうが卵子だけ提供してもらって、自分の腹から産めば良かったのだ。

 何度目かの挑戦の後、ようやく着床が確認できてから生まれるまでの間、私は彼女の体の変化を見て、自分も同じようにボディメイクをして、妊婦らしく振舞った。

 それは周囲の目の事も勿論あったが、私自身の母親としての自覚を育てるためでもあった。

 …当時を思い返して、豪毅がしみじみと言った事は、『あの頃は、俺たちみんなが狂っていた』という事だ。

 だが、それを過ちと思う事はできないくらい、私たちにとっての究極の至宝が、やがてこの世界に誕生した。

 

 ……生まれたのは、女の子だった。

 しかも生まれた直後には判らなかったが、数日もするとしっかりしてきたその顔だちは、信じられないほど美しい赤ちゃんだった。

 なんだ女神か。

 うん、夜明けに生まれたから曉の女神(アウローラ)だ。

 この子はきっと、その化身に違いない。

 

 ──娘は(あきら)と名付けた。

 安直とか言うな。

 

 豪毅は、その小さく美しい生き物に、最初はどう触れていいかも判らず戸惑っていたが、日に日に自分に似てくる娘に、最終的にはメロメロになった。

 帰宅して私が(あきら)を抱っこしているのを見て、

 

「ここは天国(ヘヴン)か、それとも楽園(エデン)か…聖母が、天使を抱いている…!」

 というキャラ崩壊確実の台詞を吐いた時には、思わず背中にチャックを探した。

 

 (あきら)の反抗期が徐々におさまってきたくらいの秋、幸さんが癌で亡くなった。

 豪毅に車で送られて(あきら)を連れて駆けつけた時、かつてはふくよかだったその身体は、ガリガリに痩せてしまっていたけど、それでも私と、(あきら)の手を引く豪毅を見て、

『よかったわね』『しあわせにね』と苦しい息の下で微笑んだ。

 その顔を見た瞬間、それまでに感じたことがない感情が込み上げてきて、なぜか次の瞬間、幸さんの手を握り締めながら『おかあさん』と呼びかけて号泣してしまった。

 幸さんはそんな私に驚くでもなく、何故か幸せそうに微笑んで『ありがとう、光』と呟いた後、そのまま静かに息を引き取った。

 

 代理母になってくれた女中は(あきら)の乳母として、乳離れが済んでからは専属の女中として働いてくれていたが、そのことを豪毅は最初から懸念していた。

 

「あの女は、充分な退職金を積んで辞めさせた方がいい。」

 何度もそう忠告されたが、その時を迎えるまで、私はその意味に気付かなかった。

 欲しいものが手に入った幸せに浮かれきっていたのだ。

 身近に迫る悪意にすら気がつかないほどに。

 

 ある時、(あきら)が庭で火遊びをしているのを見て、危ないと思わず声を荒げ、持っていたものを奪い取った。

 それはグリム童話の本だった。

 4歳にして小学生の読むような児童文学を既に読み始めていた彼女のお気に入りの本だったのに、それを燃やそうとしていた事に、何故かと問うと(あきら)は『恐いから』と答えた。

 どうしてと聞いても、それ以上答えようとしなかった。

 本は私が預かる事になった。

 

 事件が起きたのは、(あきら)が5歳になった夏だった。

 私は、娘は私立の名門女子校に通わせたいと考えており、その付属幼稚園の受験の為に、色々と準備をしている間に、件の女中が(あきら)を連れて、藤堂家を出奔した。

 藤堂家の総力をもって大々的に、けど秘密裏に捜索を行ない、何故か事態を聞きつけてきた御前の一派までもが協力してくれた結果、すぐに女中の居所は割れて、(あきら)の身柄は無事確保できたが、丸一日怖い思いをした彼女は、涙すら流せないほど憔悴しきっており、それを見てまず、豪毅が暴走した。

 

「己の身すら己で守れぬようではこの先、どのみち生きてはいけん。女の身であれば尚更だ。

 今日より貴様が女であること、俺は忘れることにする。」

 誘拐のショックから抜けきらない娘に、なんということを言うのかと思ったが、(あきら)は見た目よりもタフだった。

 その日から、良家の令嬢(しかも幼女)にとっては地獄のような修業を父親に科されながら、彼女は数日後には常を取り戻していた。

 どうやら誘拐で刻まれた恐怖は、その時の父親の地獄の修羅のような表情への恐怖に上書きされたらしく、しかもこの聡明な幼女は本能的に、それが父親の愛情故であることを理解したらしい。

 そして私も、この子がミニ豪毅であることをその時理解した。

 

 …件の女中は、自分を私だと思い込んでいた。

 本来豪毅の妻だった自分が、何故か女中と入れ替わってしまったのだと…私が彼女になり変わって豪毅の妻の振りをしていたと、本気で信じていた。

 …そういえばグリム童話の『鵞鳥番の娘』がそういう話だったと、今更思い出しゾッとした。

 

 彼女の証言により、(あきら)を連れ出すのに邪魔だったから毒殺したという飼い犬の死体が、庭の片隅に埋められた状態で発見された。

 それは御前の代から警備の一環として飼っていたドーベルマンの最後の一頭で、(あきら)が…というより(あきら)の事を可愛がっていた。

 隠して作業していた筈なのにいつのまにか現場に来ていて、その遺体を目にしてしまった(あきら)は、声を出さずに号泣した。

 さながら『鵞鳥番の娘』に登場した喋る馬の最期のようだと気付き、彼女は二度とあの本を手に取ることはないだろうと、心の片隅で思った。

 私は、(あきら)が泣き疲れて眠るまで、せめて抱きしめ続けることしかできず……

 

 ……こちらでの聴取を済ませた後に事件を通報して、警察が来た時には、我が家で確保していた女は、施錠していた部屋で事切れていた。

 検死の結果、心筋梗塞による突然死であると診断された。

 実際その通りである。

 彼女の本当の死因…私の『氣』が脳からの神経伝達を阻害して、心臓を止めたなどという事実が、警察にわかるはずがなかった。

 

 許せなかったのだ。

 まだ幼い(あきら)の心を傷つけたあの女のことが。

 それがたとえ、実の母親であったとしても。

 藤堂家令嬢誘拐事件は世間には伏せられ、被疑者死亡のまま送検という決着を迎えた。

 …けど、この事件は自分で思っていた以上に、私の心に深く爪痕を残すこととなった。

 

 私は、(あきら)に触れる事ができなくなった。

 娘の血を分けた母を手にかけた、その穢れた手で娘に触れるのが、堪え難かった。

 清らかな彼女を穢してしまう気がした。

 …幸い、可憐な少女でありながら中身はミニ豪毅である(あきら)は割と豪胆で、毎日父親から付けられる修業に、自分が意外とついていけると判ると、己の強さを極める事にのめり込んでいき、私との接触が極端に減った事に気付いた様子はなかった。

 

 …豪毅は、私のした事に、恐らくは気付いていただろう。

 それ故に、(あきら)に対して罪の意識を、私が感じていることも。

 自分が(あきら)の修業に出来るだけの時間を割く分、私に自分の仕事を割り振ってくれるようになったのは、だからだろうと思う。

 私は彼の名代として出る事が多くなり、そんな毎日に慣れていった。

 

 …それは、(あきら)が9歳の年の事だった。

 史上最年少で内閣総理大臣に就任した桃が、乗っていたセスナ機の墜落により行方不明となり、その生存が絶望視された。

 これは彼の政敵とも繋がりのある国際的な麻薬組織による暗殺であり、塾長とその秘書を務める富樫により男塾OBが招集されて、うちの夫は勿論だが既に結構な社会的地位の上に立っている面々が多く居るにもかかわらず、彼らは全面抗争を決めた。

 私も微力ながら協力を申し出て、藤堂財閥が主催する新聞社のビルで、敵の存在と藤堂財閥がどのように戦っていくかを幹部達に説明していたその時、最上階の会議室の窓に、軍用ヘリの姿が見え…その後のことはまったく記憶にない。

 

 私はヘリからの銃撃を受けて、同じ室内にいた幹部たちと共に、病院へ運ばれたらしい。

 私たちが運び込まれたのが、飛燕が理事を務める病院であった事が幸いして、生死の境を彷徨った私たちは一命を取り留めた

 同じ頃、富樫や虎丸も爆弾テロの被害にあって同じ病院に運び込まれており、私の出席していた会議が、直前まで豪毅が出る予定だった事を考えても、剣首相暗殺の報復を恐れて、男塾OBを狙った犯行であるのは明らかだった。

 新聞社ビルの銃撃と富樫や虎丸の件があった事で、自分も狙われていると判断した豪毅は、誘拐の可能性も考慮して学校から(あきら)を回収し、その身柄を無事保護してから、街なかで捕まえたタクシーで私のいる病院へ向かい、うちの夫と娘は無事だった。

 後日わかった事だが、やはり我が家の自家用車にも、エンジンをかけたと同時に起爆するようセットされた爆発物が仕掛けられていたらしい。

 豪毅がその危険に配慮して行動してくれていなかったら、娘まで危険な目にあっていたかと思うと、未だにはらわたが煮え繰り返る。

 …けど敵にとっては、そこから先は悪夢だったと思う。

 というのも、私はまったく知らなかったのだが、この件に私が巻き込まれた事で、元塾生達がそれまで以上に奮起して、総力を挙げて敵の本拠地を割り出し、あっという間に叩き潰したのだという。

 伊達とか、自分の家に攻め込んできた戦車に槍一本で勝ったと後で豪語したけど、さすがに嘘だよね……と、笑い飛ばせないのが嫌だ。

 あいつならやりそうなんだもん。マジで。

 しかも死んだと思われていた桃も生還して、終わってみればめでたしめでたしなのだが、私はといえば痛い思いをした挙句、娘には泣かれるは、夫には自分の身代わりでこんな事になったと落ち込まれるはで散々だった。

 死なない限りはかすり傷だと言ったら、父娘おんなじ顔でダブルで睨まれた。

 …(あきら)のその顔を見た瞬間『あれ、ひょっとしたらもう大丈夫かも』と唐突に感じて、(あきら)のぷりぷりのほっぺに触ってみたら、なんか知らないけどぎゅーって抱きつかれた。

 萌え死にそうになった。

 

 以降、完全復帰した私は、外国語ができたこともあり、海外業務を一任された。

 未だ力をもつ御前への牽制として豪毅は日本を離れられないと言われたら従わざるを得なかったが、私が二度と代理として立つ事がないようにという配慮であることはわかっていた。

 その業務が意外と多忙を極め、なかなか日本へ帰れなくなり、夫とも娘とも年に2、3回ほどしか会えなくなった。

 (あきら)とは頻繁に電話で話をしていたが、その僅かな交流の中で、母親が近くにいない状態で自分そっくりの父親だけを見て育つ娘が、令嬢としてどんどんポンコツになっていく事に気がついた。

 何の為に高い金を出して、私立の名門女子校に入れたと思ってるんだ。

 私は豪毅には内緒で使える限りのコネを使い、ローティーン雑誌のモデルにこっそり娘を推薦してスカウトさせ、それに乗っかってきた(あきら)はすぐに売れっ子になった。

 

「将来は女優になりたいの。」

 電話の向こうで女の子らしい夢を語るようになった娘に、私はようやく安心した。

 

「絶対に、スタントの要らないアクション女優になってみせるわ!!」

 と、その後に続けられた言葉には頭を抱えたけど。

 芸能界は上下関係や礼儀作法に厳しい。

 女の子としての猫の被り方くらい学んでくれるだろう。

 彼女はいずれ藤堂家に、それを背負って立つ婿を迎えなければならないのだ。

 少しでもいい男を見つける為にも令嬢力は大事だ。

 

 …そう思っていたが、どうやら豪毅の考えは違ったらしい。

 

「藤堂家の時期当主は(あきら)だ。

 どんな男を連れてこようがそれは覆らん。

 男を立てる女らしさより、己の力で立てる強さこそ、あいつには必要なのだ。

 故に、自由にさせるのは15歳までだ。

 そこから先は、俺に従ってもらう。

 あいつが、俺を納得させるほどの強さを示せたなら、その限りではないが、な……!!」

 そう言って、物凄く悪そうな顔で笑った、久しぶりに顔を合わせた豪毅を見て、私は何だか判らないが何かを確実に諦めた。

 

 ☆☆☆

 

「……そんな顔をするな。

 俺は(あきら)に、本当の自由を与えたいだけだ。」

「本当の自由……ですか?」

 私が鸚鵡返しに問うた言葉に、豪毅が頷く。

 

「そうだ。

 真の自由とは、強者だけに許されるもの。

 弱者に選び取れるのは、結局は強者が取らなかった残りだけだ。

 本当に欲しいものを己の手で選び取るには、まずは選ぶ権利から得なければならない。

 …俺は(あきら)に、本当に好きな男と一緒になって欲しいのだ。

 俺は強くならなければ、この世で唯一欲した女に、手を伸ばす権利すら与えられなかったのだから。」

 そう言って豪毅が私の身体を、その逞しい腕に抱く。

 それは、彼が兄たちを討ち果たした時のことを言っているのだろうが、実際にはそこは出発点でしかなかった筈だ。

 

「違いますよ、()()()。」

 まるで私が賞品であるかのような豪毅の言葉に、私は唇を尖らせ、夫となってからは封印してきた呼び名で彼を呼んだ。

 

「私が、あなたを選んだんです。」

 …豪毅は私の言葉を聞いて、喉の奥で笑った。

 

「ああ知ってる。光は、この世で最強だからな。」

 そう言って、ますます強く私を抱きしめる腕の中で、私はため息をついた。

 そうだな。もう諦めるしかない。

 私が、豪毅をこう育てたのだ。

 その豪毅が育てたミニ豪毅を、今更それ以外に育てられる筈がない。

 

 童話のお姫様は、助けられるのを待つだけだった。

 けど私たちのお姫様はきっと、茨に四苦八苦する王子様の前でそれを斬り払って、自分から迎えに行ってしまうんだろう。

 

 それも幸せな未来なんじゃないかと、私は豪毅の腕の中で、目を閉じた。

 

 豪毅エンド・完

 


 

おまけ

 

 

「まあいい、てめえは人質だ!

 俺をこんな頭にした奴が出て来ねえならてめえをぶっ殺す!!俺は、マジだからな!!」

「承知した。その言葉を覚悟と受け取ろう。」

 次の瞬間、抜き放たれた刃の居合の軌跡が、突きつけられた拳銃の、その銃口を斬り飛ばした。

 

「……刀も銃も同じ事。

 抜いた瞬間、そこから(タマ)()り合いだ。

 殺される覚悟もない奴が、安易に『殺す』などと口にするな!!」

 その美しい(おもて)に気迫を漲らせ、そう言い放ったその塾生は、閃かせた刃を、静かに鞘に収めた。

 

 ・・・

 

「…あの神々しいばかりの美青年は、いったい誰ですか?」

「どう見ても(あきら)だろう。

 しばらく見ないうちに、娘の顔を忘れたわけでもあるまい?」

「やはりそうですよね。どうしましょう豪くん。

 うちの娘がイケメン過ぎます。」

「落ち着け光。」

「だって!私があれを着ていた時は、サイズが合っているにもかかわらず、子供が大人の服を無理して着てるみたいだったのに!

 何であの子が着るとあんなにカッコいいんですか!!

 世の中不公平です!」

「落ち着けというのに。

 ……だが、言うようになったものだ。

 先が、楽しみだな。」

 車の中で暴れる私を抑えながら、豪毅は悪そうな顔で、微笑んだ。




豪毅エンドは、別立てで連載中の『亜琉帝滅屠麗埿偉〜ultimate lady〜』と、一応リンクする流れにはしています。
但し、光が豪毅以外のルートのエンディングを迎えた場合にも、豪毅はその後に出会った、どこかに光を思わせる要素のある女性との間に(あきら)をもうけますので、あるてめにおける(あきら)の母親が光かどうかはわかりません。
あくまでもこの話が光の豪毅ルートってだけ。
あとちょっと番外編の『硝子の少年』とも、少し。


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天挑五輪大武會表彰式編
1・Bad Girl


…なんか、豪毅エンドへの分岐があった事で、光争奪戦に豪毅がこの時点で敗退したみたいなイメージを感想欄で感じましたが違います。
あれは豪毅が勝利した時空なのです。
ここからはまた別な流れの時空を描いていくだけで、あれもひとつの結末なのです。


「…フフッ、味なことをしよるわい。

 これでは奴等の優勝を認めぬわけにはいかんじゃろう。」

「御前!大変であります!!

 こ、これをごらんください!!

 あの男塾とかいうチーム、どうも気になるところがあり、調査させていた結果……!!」

「こ、これは……!!

 ククッ…やはり奴等全員、死ぬ運命にあったようだな…!!」

 

 ☆☆☆

 

「どこへ行く!?」

 部屋を出て少し走った先の角を曲がったと同時に、作業着を身につけた係員に、私は唐突に腕を掴まれた。

 反射的に指に氣を集中…しようとしたところで、その手がパッと離される。

 

「俺だ、光。…今、何かしようとしたろ?」

 よく聞けば覚えのある声に相手の顔を見上げると、日本人には有り得ないブルー・グレーの瞳と合った。

 

「紫蘭!?あなた、こんなところで何を…」

「その質問、そっくりそのまま返させてもらう。

 ……俺の特技でもあるしな。」

「やかましいわ。」

 相変わらず憎ったらしい笑みを浮かべて、若干自虐的な事を言う紫蘭に、思わず言い返す。

 …だが、この彼の表情に、これまであったどこか卑屈なものが見えない気がするのは気のせいなんだろうか。

 

「…人を探しているのです。

 彼の無事が確認できなければ、私は御前に逆らえないので。」

 なんとなくだが、この期に及んで月光が殺される事はないような気がするが、あくまで私が思うだけで思い込みは危険だ。

 それに生きているならできるだけ早くに、身柄を確保して仲間たちのもとへ返してやらないと。

 

「一応まだ、逆らうつもりだったのか…。」

 だが、そこで話を終わらせるつもりだった私に、紫蘭は呆れたような目を向けて、まだ会話を続けてくる。

 

「…御前はあれで、用心深い割には身内に甘いところもありますので、身内ヅラをしておけば油断するかなと。」

 そして若干イラッとしつつ、それに言い訳めいた言葉を返してしまう程度には、私も以前よりはこの男に、親しみを覚えているのだと思う。

 

「そうか。てっきり、状況を楽しんでるもんだと思っていた。」

「ち、違うし!

 目的を途中で見失いかけたとか、実際ちょっと面白かったとか思ってないし!!

 …で、あなたは私の邪魔をするつもりですか?」

 ちょっとつつかれたくない部分に触れられて、慌てて誤魔化したものの、なんか墓穴を掘った気がしてならない。

【悲報】光さん、語るに落ちる。

 そんな私に、紫蘭の意地の悪そうな笑みがますます深くなった。

 

「いや?むしろ、かぶりつきで見せてもらおうかと思ってる。面白そうだし。」

「面白いとか言ったコイツ!」

「まあまあ。

 …で、探してるのはひょっとして、剃髪の背の高い男か?

 ここに、インドのビンディみたいな、丸い金属の飾りを着けた。」

 自分の眉間を指しながら紫蘭が言うのに、ハッとして彼を見つめた。

 ビンディは女性がつけるものだから違うだろうが、凡その特徴は一致する。

 

「…どこで見ました!?」

「一足遅かったな。

 エーベルシュタインがヘリに乗せて連れて行った。

 今頃は空の上だ。」

「……誰ですって?」

 聞いたことのない名前に思わず問い返してから、重要なのはそこじゃなかったと後悔する。

 

「ドクター・エーベルシュタイン。

 俺も名前しか知らないが、藤堂様の抱える組織のひとつに所属する医師だと聞いた。」

 だが、紫蘭が答えた内容で、訊ねた事を後悔したのが、思ったより重要な情報だった事を理解した。

 エーベルシュタインというのは、恐らくはあの白衣のオッサンの名前だ。

 

「…組織の名前は?」

「知らん。」

「使えねえ!しかもちょっと駄洒落入ったよね!?」

「気のせいだ。

 だがこの場合、藤堂様の手は離れているのだ。

 すぐに始末される事はないのではないか?」

 まあいい。

 名前が判っただけでも調べようはある筈。

 それに、紫蘭の言うことにも一理ある。

 だとすると、今やらなければいけないのは……、

 

「オンッ!!」

 と、唐突に聞こえた不可解な声に集中が妨げられ、反射的にそちらを振り返ると、灰色の毛並のデカイ犬が三匹、こちらに向かって駆けてくるところだった。

 ……犬?いや違う、この手入れの悪いアラスカンマラミュートっぽいやつは……!

 

「ばん。」

 こてん。

 とすん。

 ぱたん。

 私が指差して一言そう言うと、こちらに飛びかからんばかりに駆けてきた獣たちは、一斉にその身を倒した。

 

「やっぱり、これはゴバルスキーの狼です。

 ……しかし、コイツらが何故ここに?」

 呆気にとられている紫蘭に構わず、どうやら私を忘れていなかったらしい狼たちの頭を撫でる。

 小汚いのであまり触りたくはないのだが、指示に従ったのだから、褒めてやらないわけにはいかない。

 …そして、疑問の答えはすぐに出た。

 

「狼が急に走り出して、何事かと思えば……嬢ちゃんか!!」

「えっ!?」

「久しぶりじゃのう〜〜!!」

「ぎゃあああぁ────っ!?」

 聞き覚えのある声に記憶が反応するより先に、私の身体は何か大きなものに抱き上げられ、締め上げられていた。

 

「ギブ、ギブ!苦しい!!しかも狼より獣くさい!!」

 自分をぎりぎり締め上げるその腕を掌でばんばん叩くが、その太い筋肉はその程度ではびくともしない。

 

「……おい、光を潰す気か。」

 見かねて、私を締め上げるその男に紫蘭が声をかけるが…結果としてそれは、私にとどめを刺したに等しかった。

 

「んん?おおっ、誰かと思えばしー坊か!

 おまえも大きゅうなったのう!!」

「ぐふっ……!」

「…その呼び名は止せ。

 それと、少し緩めてやれ馬鹿力。

 光が酸欠で落ちかけてる。」

「おおっ?うっははは、すまんすまん!!」

 …私が酸欠なのは、ゴバルスキーから紫蘭への『しー坊』呼びがツボったからなのだが、今笑ったら怒られそうなので必死に我慢する。

 とりあえず、ようやく身体が自由になり、下ろされた床を踏みしめながら、私は目の前に立つ獣臭いオッサンを見上げた。

 

「…コホン。お久しぶりです、ゴバルスキー。」

「おう、嬢ちゃんはすっかり娘らしくなったのう。」

「ありがとうございます。」

 大きくなったとは言ってくれないのだなと思いつつ、形式的に礼を述べると、紫蘭が割と余計なツッコミを入れてきた。

 

「…どこがだ。

 どちらかといえば少年化してるぞ、コイツ。」

「フフッ。おなごの成長は男とは違うもんじゃ。

 しー坊も女を知ればいずれ判ることよ。」

「誰が童貞だ!」

 いや言ってないし。思ってるけど。

 

「それに、ここに来るのに使ったトラックにモニターが搭載されておったから、運転の合間にゃなったが、嬢ちゃんの闘いは見ておったしの。

 服の下のは上げ底だったようで、まだ若干肉付きは乏しいものの、初めて会うた頃に比べたらちゃあんと育っておるわい!」

「そんな事よりゴバルスキー!!

 …あなたは中央塔に居たと思っておりましたが、何故ここに?」

 私にとって凄く嫌な話題に触れられそうになったので、慌てて話を逸らす。

 

「…うむ。実は藤堂様のもとからは、今回限りで離れようと思うちょるんじゃが、その前に…」

 ……あぁ、やはりそうなったか。

 ならば、そう決断したゴバルスキーの、心残りになるものと言えば…。

 

「…森田清子さんに会いに来たんですか?」

「っ!?し、知っちょったか……!

 いやその、一度振られてはおるんじゃが…のう。」

 ほんの少し赤らめた頬を掻いて、ゴバルスキーが言い淀む。

 普段なら、オッサンが照れても可愛くないと思うところだが、ゴバルスキーのそれには妙な可愛げを感じた。

 思わず、笑みが溢れてしまう程度には。

 ただし、それは純粋に微笑ましいという気持ちだけじゃない。

 

「…今は、前向きに検討する方向で考え直しているようですよ?

 中央塔でのあなたの闘いに、何か感じるものがあったようで。

 元々、好意は抱かれていたようですし。」

「な…ほ、ほんとか、それは!?」

 本当は私が言うべきことではないだろう。

 だが、ゴバルスキーの清子さんへの気持ちすら、利用できるならば利用しよう。

 そう、私は元々そういう人間だ。今更なのだ。

 

「お願いしたい事があります、ゴバルスキー。

 彼女を連れて、この島から避難してください。」

「なに!?」

 私の体はひとつしかないから、複数のことを同時にはできない。

 だから、可能であれば手を分けるのは当然だ。

 

「今から、優勝チームへの表彰式が行われますが、男塾はそこで、藤堂兵衛を討つつもりです。

 ですが御前が易々と、彼らの手にかかるとも思えません。

 私は彼らの人質になり得ますし、清子さんは私の人質になり得ます。

 まずは私が、御前の言いなりにならない下地を作りたいのです。」

 私がそう説明すると、ゴバルスキーだけでなく、紫蘭までもが目を瞠る。

 だが2人とも話の腰を折るような真似はせず、黙って続きを促した。

 

「ここには自爆装置の設備があり、どこかにそのスイッチがある筈なのです。

 私は御前の行動パターンを、恐らくはここにいる誰よりも的確にシミュレーションできると思います。

 その私の脳内シミュレーションの結果、御前は追い詰められたら、この闘技場(コロシアム)を爆破しかねないという予測が立ちました。

 なので私はそのスイッチを探し、それを起動できないよう破壊しようと思っています。」

 ここに来た時には使う気でいたものを、今は使わせない為に動くことになるのは、なんだかおかしな気分だけど。

 

「…ですが、現時点では場所が判らない以上、間に合わない可能性が高いのです。」

「ザ・無計画!!」

 …ってなんか以前にも誰かに言われたような気がするが、今は紫蘭だから無視しよう。

 

「…観客がいる以上、避難できる時間の余裕はあるでしょうが、万が一という事もあります。

 なのでできれば事が起こる前に、せめて彼女だけは、安全な場所まで連れていってほしいのです。

 清子さんは私にとっても大切なひとですから。」

 正直、ここで再会するまでは、彼女がこんなにも私のことを思ってくれているなんて考えたこともなかった。

 私が今、彼女を守れない以上、守ってくれるであろう人に委ねるのがいいに決まっている。

 

「な、なるほど…じゃが、実は今、わしは1人ではないんじゃ。

 怪我人と、ここに来る道中で拾った奴らが、同行者として、おってのう…。」

「同行者?」

 あちらの塔から連れてきた仲間がいるのか。

 しかし途中で拾ったというのは一体…?

 と思った刹那、

 

「怪我人は、光に任せれば大丈夫だ。

 ついでに俺たちの治療もしてもらえると助かる。」

 聞き覚えのある、だがそこにいるはずのない者の声を聞いて、私は考える間もなくそちらを振り返った。

 

「は?………ええぇっ!?あ、あなた達…!!」

「よう、光。会いたかったぜ。

 といっても俺達も、おまえの闘いは見せてもらってたがな。」

 そこにいたのは、どこか病んだ雰囲気と鍛えられた身体がまったく合っていない長髪の男と…、

 

「久しぶりだな。

 まだ薄ぼんやりとしか顔が見えねえのが残念だが。

 おまえがあらかじめ手配しててくれたおかげで、俺たちは助かったんだってな。

 礼を言いに、痛む体を引きずってここまで来たぜ。

 ありがとうな、光。」

 そして、隻眼のいかつい巨漢だった。

 

「蝙翔鬼!独眼鉄!!」

 最後に会ってからそれほど日数も経っていない、予選で撤退した2人の顔がやけに懐かしく思えて、少し警戒したふうに私を引き止めようとする紫蘭の手を振り切って、私は2人に駆け寄った。

 

「お二人とも、よくご無事で…」

「何とか自力で中央の塔へ行ったんだが間に合わなくてな。

 仕方なく闘技場(こっち)に向かってる最中に、やはりここに向かうトラックに運良く拾ってもらって、ここまで来れたんだ。

 ……で、まずはこの男の治療をしてやってくれんか。」

 そう言って独眼鉄が、その逞しい背中から下ろしたひとの姿に、私は目を瞠る。

 

(ホン)師範!?」

「ひ、姫……!」

 それは、私が中央塔に滞在していた13歳の一時期に、護身術の稽古をつけてくれていた恩師だった。

 どうやらほとんど動けないらしく、おろされた床に、割と短めの手足がだらんと投げ出される。

 

「うむ、わざわざ運んでもらってすまんかったの。

 嬢ちゃん、わしからも頼む。

 何でこうなったか、聞いても言おうとせんのじゃが、手足の腱が切られとるんじゃ。」

 そこにゴバルスキーが寄ってきて、彼の背を支えた。

 傷口に巻かれている包帯の巻き方が男塾仕様であるところを見ると、これを巻いたのは蝙翔鬼か独眼鉄のどちらかだろう…独眼鉄が今、あまり目が利かないらしいところを見ると、蝙翔鬼である可能性が高いか。

 状態を見るために外させてもらうが、血止めは完了しているらしいから、増血処置の必要はない気がする。

 

「…いけません、姫のお手が汚れまする。」

「そんな事言ってる場合ですか!

 じっとしていてください…あれ?これは……!?」

 そうして傷を診たところ、刃物ではなく鋭い拳圧による裂傷のようだ。

 というか正直これは、かつて見たことのある彼自身の技で付けられたそれに、一番近い気がするのだが……そんな事があるだろうか?

 

「…ん?どうしたんじゃ、しー坊?」

 と、ゴバルスキーの発した声に反射的に振り返ると、何だかやけに気配を消した紫蘭が、こちらに背を向けて立ち去ろうとしているところだった。

 

「紫蘭……!」

 何か哀しげにその名を呼ぶ(ホン)師範。

 それを気まずそうに見下ろす紫蘭。

 コイツが得意とするのは、相手の技の模倣。

 その紫蘭のこの態度……そして、自身の技で傷つけられた師。

 この状況が示すものは。

 

「…………犯人お前かあぁ──っ!!!!」

 全て解けた謎に、私は紫蘭の襟首を引っ掴んだ。

 

「恩師に何つー事すんのよ、アンタわぁ──っ!!」

「俺にとっては怨みしかない『怨』師だ!」

「ハァ!?何それ?これだから童貞は!!

 このひとは確かに厳しかったけど、それは後々のアンタの事を、充分考えてのことだったでしょうが!」

「どどど童貞ちゃうわ!!つかそれ今関係ない!!」

 とりあえずピンポイントでメンタルを削った後、脳が揺れるほど揺さぶっておく。

 

「俺の見立てではあいつも生娘なんだが。」

「同じく。」

 私が紫蘭に制裁を加えている間、その後ろでなんか言ってる奴らがいたが、それはとりあえず無視した。

 

「いやあ、相変わらず仲がええのう。」

「「どこがだ!!」」

 だがゴバルスキーが発した空気読めない一言には、私と紫蘭は思わず同時につっこんでいた。

 なんだこの状況。

 

 ・・・

 

「…それはそれとして、姫。

 自爆装置のスイッチの場所なら私が知っておりますが…気付かれずにそこに行くのは不可能でしょう。」

 この場の怪我人の治療をひと通り済ませて落ち着いた頃、(ホン)師範が、硬い声でそう告げるのに、私は問い返した。

 

「……それは、何故?」

「闘場の真下に、いざという時の脱出ポッドがあり、スイッチの場所がその操縦席の中だからです。

 しかもその出入り口を開く為にも別なスイッチがあり、それは藤堂様が持つコントローラーただひとつ。

 事実上、そこへ到達できるのは藤堂様ただお一人ということになりまする。」

【悲報】私の計画、割と最初の時点から既に無理ゲーだった件。

 

「まじか。

 …確かに、用心深いあの方の考えそうな事ですね。」

 だとすればもう諦めて、避難を優先させた方がいいのかもしれない。

 

「……(ホン)師範、申し訳ありませんが、今からあちらの医療スタッフへ指示をして、豪毅をこの会場から避難させてくれませんか。

 治療は済んでいるのですが、少しばかりダメージが大きいので、今の段階で自力で歩かせたくはないのです。

 その時、ついでに森田清子さんを呼ぶように指示を出して、一緒に連れていくといいでしょう。

 なのでゴバルスキーは、彼と同行してください。」

 御前は表彰式で闘場におり、護衛はそちらに集中する。

 基本、冥凰島(ここ)の闘士たちを束ねる立場にいる(ホン)師範の指示なら、怪しまれず速やかに実行される筈だ。

 私がそう頼むと、(ホン)師範はどこか苦いものを含んだような表情で微笑んで、頷いてくれた。

 

「御意に、姫。

 …私はこの先の私の主を若と……否、豪毅総帥と定めておりまする。

 一度死んだも同然の身で、あの方のお役に立てるのであれば、もはや本望というもの。

 ……できれば姫にも、あの方を隣で支えて頂きたいものですが…難しいのでしょうな。」

 …まるで先ほどの私と豪毅のやりとりを知っているかのような(ホン)師範の言葉に、一瞬どきりとする。

 このひとは目が見えない分、やけに勘の鋭いところがある。

 

「…申し訳ありません。」

 多くは口にせず、ただそれだけを言うと、(ホン)師範は何故か、私の頭を撫でた。

 

「私などに謝り召さるな。

 貴女は、御自分が信じる道をお行きなされ。」

「…ありがとうございます、(ホン)師範。」

 私のことなど見えていないその目を、それでも見返して一礼し、ゴバルスキーにも目配せをする。

 ゴバルスキーは私に頷くと、紫蘭の肩を鷲掴むようにして引っ張った。

 

「しー坊もこっちに来るんじゃ!」

「……なんだと?」

「状況によっちゃあ、観客の避難誘導が必要になるかもしれん。

 その時にゃ、経路をちゃんと知っとるやつが必要なんじゃ!」

「ま、待て!俺は……おいっ!!」

 ……何故かこっちに助けを求めるような目を向ける紫蘭が、ずるずる引っ張られていくのを見送ってから、私は蝙翔鬼と独眼鉄に向き直る。

 

「…あなた達は私と共に、闘場にいる闘士達と合流しましょう!」

「いや、あいつの訴え無視なのか!?

 絶対、おまえと一緒に来たがってたよな!?」

「…逆に可哀想だから触れてやるな、独眼鉄。」

 …って、なんか2人からひとでなしを見るような目を向けられているのは何故なんだろう。解せぬ。

 

 ☆☆☆

 

 私たちが闘場にたどり着いた時には、既に表彰式は始まっていた。

 

「さあ、受け取れい!

 まこともって見事な闘いぶりであった!!」

 闘場へと降りてきたこの大武會の主催者は、先ほどまで熾烈な闘いを繰り広げた優勝チームの大将に、名誉の証としての優勝旗を差し出す。

 

「そして、願いごとを言うがいい!!

 褒美として貴様等の望むこと、なんでも叶えてやろう。」

 恐らくは。

 御前の、ここに至るまで数々の、素晴らしい闘いを見せてくれた闘士に対する、尊敬の念だけは真実であると思う。

 強い者たちが闘う姿を見ることが、生きがいというくらい好きなのが、御前というひとなのだ。

 だから、今この場で桃に見せている敬意は、きっと彼の本心だ。けど。

 

「身に余る光栄……欲しいものがひとつある!!

 それは、貴様の命だ──っ!!」

 そう。彼らはこの瞬間の為に、命がけで闘ったのだ。

 絆されるわけにはいかぬだろうし、絆される筈もない。

 桃は破れたズボンの下の、ずっと太ももに添わせて持っていた小脇差を抜き放ち、御前へと肉薄する。

 その鋭い剣撃は、そのまま振り下ろされたなら、御前の頭から足先まで、真っ二つにしていてもおかしくないほどの威力であった筈だ。

 しかし。

 

 

「馬鹿め!!」

 

 

 ───ガキィン!!

 

 

 御前はその場で、微動だにしなかった。

 にもかかわらず、振り下ろした桃の小脇差は、見えない力に弾かれ、その刀身が半ばから折れて、次の瞬間には地面に落ちていた。

 

「フフッ……愚かな。

 わしには指一本、触れることはできんのじゃ。」

 予めこの事態を予想していたかの如く、なんの動揺も見せずに表彰台から降りた御前は、質素でありながら上質な袷仕立ての紬の、胸元を(はだ)ける。

 

「見るがよい!

 この装置は米国国防総省が、要人警護のために開発した、B(バリアー)J(ジャケット)S(システム)といってな。

 半径一メートル以内、目には見えぬ特殊な電磁波がわしを包み込み、バズーカ砲さえもはじき返すようガードしているのだ!!」

 …恐らくは、塾長すら誤解している事だと思うけど。

 藤堂兵衛という男は、今の立場を得る為に踏み台にしてきた命を、決して軽視してはいない。

 むしろそれ故にこそ、己が生に執着するのが、彼の信念だった。

 奪ってきた命に生かされているなら、それを易々と奪われるわけにはいかないと、強く信じていた。

 

 だから。己が命を守る為の備えは怠らない。

 それが、藤堂兵衛という男だ。

 

 ……今、私たちは、その信念を見せつけられたも同然だった。



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2・太陽が燃え尽きる前に、暗闇が君を抱きしめる

更新に時間がかかってしまい、申し訳ありません。
親の死という人生でも5本の指に入るであろうイベントを通過した後、ものを書くまで気持ちが上がるのに、やはり時間がかかったみたいです。


 瞬く間に塾生達は、御前があらかじめ配置させていた、マシンガン装備の黒服のボディーガードたちに、一瞬にして取り囲まれていた。

 

「く、くそったれが!!」

「どうやら俺達の目的は見破られていたようだな!!」

 伊達がそう言う通り、この事態を想定していなければ決して成し得ない迅速さだ。

 身につけたB(バリアー)J(ジャケット)S(システム)という防具(?)の存在を考えても、私がロイヤルボックスを離れてから、御前が表彰式の為にこの闘場へ降りてくるまでの、長くはないが短くもない時間のうちに、なんらかの情報が御前にもたらされたのは間違いない。

 …用心深い割には、身内にはユルいところのある御前の性格を考えたら、男塾の目的に気付いていながら、それをそばにいる私に、隠し通すなどという腹芸ができるとも思えないからだ。

 一度(はだ)けた胸元を直しながら、御前は厭な笑みを浮かべる。

 

「フフッ、わしも驚いたわ。

 貴様等が、まさか江田島の教え子達だったとはな。

 素晴らしい闘士達であったが、つく相手を間違えたが不運。

 全員仲良く地獄へ送ってやろう!!」

 マシンガンの数は十挺。

 この至近距離でそれが一斉に火を吹けば、いかな屈強な彼らとてもひとたまりもない。

 そして、その指示が今、出されようとしている。

 だから。

 一緒に走ってきた蝙翔鬼と独眼鉄を追い越して、その指示が御前の口に上る前に、彼らの前に立ちはだかった。

 

「光!?」

 背後から私を呼ぶ、驚いたような桃の声が聞こえる。

 

「姫っ!!」「光様!?」

 同時に黒服たちの、マシンガンを構える手が揺れるのがわかった。

 全員の顔を見覚えていたわけではなかったが、私は御前の側近の方達には、割と可愛がられていたから、牽制の効果は充分あるはずだ。

 

「……光よ。こちらへ来るが良い。」

 その護衛たちの反応を見ての事だろう、御前が私を手招きする。

 私はその御前の目を真っ直ぐに見返して、首を横に振った。

 

「御前。私はもう、あなたの籠の鳥ではありません。

 どちらの側に立つかは、私自身の意志で決めます。」

 私の言葉に御前は、一瞬目を(みひら)いた。

 私が自分の命令を拒むなど、考えたこともないのだろう。

 だが次には再び、口の端にあの、厭な笑みを浮かべる。

 

「…わしに逆らう気か。

 あの男の命がどうなっても構わぬのか?」

「月光が今、あなたの手を離れている情報は既に把握しております。

 今から殺せと命令したところですぐには実行されないでしょうし、恐れながら、彼を連れて行ったあの男の反応からすれば、命令が届いていても無視する可能性が高いかと。」

 正直、半分はハッタリだけど。

 一応は効いているようで、御前の口から小さく呻き声が漏れる。

 あと背中の後ろで塾生たちがちょっと騒めいてるのは、月光の名がここで出たからだろうが、そこ反応したら話が進まないので無視させてもらう。

 更に、何か言い返そうとした御前の言葉に先んじて、私は高らかに宣言した。

 

「清子さんや豪毅も、既にこの島を出発する段取りを整えました。

 私があなたの命令を聞かねばならない理由は今はありません!」

 …私は、ずっとこのひとの一番近くにいた。

 だから、私は御前(このひと)の行動パターンを、恐らくはここにいる誰よりも的確にシミュレーションできる。

 その私の予想通り、苛立ったように、御前は私に向かって声を荒げた。

 

「貴様は我が養女(むすめ)であり、同時に血の繋がった姪でもあろうが!

 いいからこちらに来るのだ、光!!」

 こんなことは勿論初めてだ。

 私はこれまで、このひとに逆らったことなどないのだから当然の事だが、その初めてのことに、()()()()()()()()()さすがに私は一瞬怯んだ。が。

 

「その養女(むすめ)に、貴様は何をした?」

 その御前の怒気から私を庇うように、私より更に一歩前に進み出たのは、桃だった。

 

「光の背中に、伊達や紫蘭と同じ孤戮闘の証があるのは、さっきの闘いで俺達だけでなく、ここの観客さえも目にしたことだ。」

「乙女の尊厳が御臨終の危機!

 敢えて忘れてたのに思い出させるんじゃない!!」

 多分、桃はそういうことを言いたいんじゃないんだとわかってはいるが、思い出したくないことを蒸し返され、思わずつっこんだ。

 

「…フッ、フフフッ……!」

 それがウケたわけではないだろうが、そこで思いがけず御前が含み笑いを洩らす。

 

「わしとした事が…思い出したぞ、剣とやら。

 貴様、元国会議員の剣情太郎の息子だな。

 教えてやろう。

 奴の後継と目されていた、甥であり秘書であった久我真一郎は、貴様の従兄でもあろう。

 出馬の話が本格化した直後に急死したあの男を殺したのは、今、貴様が庇い立てしておるその女だぞ。」

 …それもまた、触れて欲しくなかった事だ。

 桃と影慶は知っているが、思いもかけず自身が、その言葉に傷ついたのが自分でわかった。だが。

 

「…知っているさ。

 この大武會への出発前夜、光が自分から打ち明けてくれた。

 俺に殺される覚悟をしてまでな。」

「なっ……!」

 桃を動揺させようと発した言葉が武器とならなかったことに、御前は再び驚きに目を(みひら)く。

 

「光は……苦しんでた。

 これまで、自分の手で奪ってきた命の、その重さに。

 愛した者すら、命令次第で殺さねばならない業に。

 それもなにもかも全て、彼女自身の意志ではないにもかかわらず、だ。」

 桃の言葉に、目の奥がじわりと熱くなる感覚があった。

 あの日…闘士達が塾を出立する前夜、校庭で己の罪を彼に告白した時は、私は赦されようなどとは考えていなかった筈だ。

 むしろ、憎んでくれればと思っていた。

 それなのに……

 

「あの日、約束した。そんな世界に戻させはしないと。

 光を、その罪に縛る鎖を断ち切り、解き放つ為にも、俺達は貴様を討たねばならん。

 光は俺達の仲間だ!俺達の……光だ!!」

 桃はそう言って、私の肩を抱き寄せた。

 

「桃……!」

 その手が大きくて、温かくて…その包み込まれる感覚に、一瞬帰るべき場所にたどり着いたような気がした。

 赦されていいと、その胸に飛び込んでもいいのだと。

 ……無論、錯覚だと判っている。それでも。

 ぐぬぬ、と御前が微かに呻いたのが聞こえた。

 

「このような奴らに、易々と誑かされおって!

 ならば貴様もこやつら共々片付けてくれるわ!

 撃ていっ!!」

 そして……恐れていた言葉が遂に、御前の口から発せられる。

 だが、黒服達の手にしたマシンガンは、どれひとつとして火を噴くことはなかった。

 

「貴様等……何をしている!?」

 苛立ったような声をあげる御前に睨まれながら、黒服達が首を横に振る。

 

「お、恐れながら……!」

「も……申し訳ありません、御前っ!!

 わ、我々に、姫を撃つなど、とても……!!」

「御前とて、そのような事をお望みではない筈!」

「憚りながら申し上げます……どうか、どうかお考え直しを!!」

「姫!貴女様もお考え直し下さい!!

 お父上は寛大なお方、今お戻りになればお許しくださいます!」

 最後の1人の言葉が何故か私の方にも向かってくるが、とりあえず無視した。

 それができるならそもそも今、こんな場所に立ってはいない。

 

「ぐぬぬぬっ!

 使えぬ奴らよ!!よい、わしがやるっ!!」

「御前っ!!」

 そして、待っても埒があかない状況にとうとう痺れを切らした御前は、一番手近にいた黒服から、マシンガンを奪い取った。

 触れていた桃の手を振り切って、私は御前のもとへと駆け出す。

 間に合わなくてもいい。

 至近距離で受けさえすれば、私のこの小さな身ひとつでも、彼らを守れるだろう。

 

「光っ!!」

 私を呼ぶ桃の声と、

 

「死ねいっ!!」

 御前の短い言葉が重なる。

 それが終わるか終わらないかのうちに、遂にマシンガンが無数の弾丸を放った。

 ───刹那。

 

 …襲ってくる筈の痛みは訪れず、覚悟を決めた私の耳に、何か大きなものが風を切る音が聞こえた。

 次に、無数の礫が当たったような金属音。

 

「えっ………!?」

 私と御前の間に突然に現れた、目の前の大きな壁が、丸い形をしているのが辛うじて見て取れた。

 それは私の前を通り過ぎて、次には来た方向へと戻っていき……巨大な円盤を、逞しい手が受け止める。

 

「……男とは、なんぞや?」

 そう言う野太い声と同時に、ひとつしかない目が、笑うように細められた。

 

「独眼鉄!?」

「俺の答えは、単純だぜ?

 男とは、女と誇りを守るもの。

 それがこの独眼鉄の『男』よ!!」

 言って呵呵大笑する独眼鉄に、黒服がマシンガンを向けるのが、視界の端に見える。

 

「危な…」

天稟(てんぴん)掌波(しょうは)──っ!!」

 

 私が警告の声を上げようとした瞬間、別の方向から氣を纏った旋風が、独眼鉄を狙った黒服の肩に、浅くない裂傷を刻んだ。

 

「う、うわあっ!!」

 叫んだその腕からマシンガンが落ち、地面に当たって音を立てる。

 

「蝙翔鬼!」

「死に逃げるのは、おまえが一番嫌う事だろう?

 その手がどれほど汚れていようが、諦めずに雪ぎ続ければいずれは綺麗になると、俺は言った筈だ。

 …生きてなければ、それも出来んぞ?」

 更にまた、蝙翔鬼のその言葉が終わらないうちに、他の黒服達の手からもマシンガンが落ちた。

 

「うおっ!?」

「ぎゃっ!!」

「ぐああっ!!」

 連続する短い悲鳴にそちらへと目をやれば、素手となった黒服達の手の甲には、一様にトランプのカードが突き刺さっている。

 

「…まだ、貴女を守るという誓いを、果たせてはおりませんでしたのでね。」

 そう言ってシルクハットの男はニヤリと笑ってみせた。

 

「男爵ディーノ!」

「フフッ、手負いのわたしとて、この程度のことはさせていただきますよ…!

 ちなみにわたしのこの傷の仇は、赤石くんが取ってくれたので御心配なく。」

 …仇というのは、あの鞭の男のことだろうか。

 などと、割とどうでもいい事を一瞬考えた私の傍を、一陣の疾風が吹き抜けた。

 

「大豪院流・ 撞球(どうきゅう)反射馘(はんしゃかく)!!」

 それは、先程の蝙翔鬼の天稟(てんぴん)掌波(しょうは)と似てはいるが、それより明らかに暴力的な氣により巻き起こされた空気流が、黒服達が拾おうとしていたらしいマシンガンを、その手の届かぬところへと弾き飛ばし、それが回転しながら滑った先で、また別のそれを弾き飛ばしてゆく。

 

「……邪鬼様っ!!」

 振り向けば、先程の私との闘いで氣を使い果たしていた筈のその男が、その大きな手を前に突き出して、全く危なげもなく仁王立ちしている姿が見えた。

 ……何故だろう。

 天動宮に通って氣のレクチャーを受けていた時に何度も感じた、正体のわからない『儚さ』を、今の彼からは微塵も感じないのは。

 帝王と呼ばれたその男は、自身の背後を振り返ると、声高らかに戦闘開始を告げた。

 

「貴様等!

 男がこれだけ雁首揃えておるのだ!!

 女の一人くらい、守り切って見せるがよい!!」

「「「押忍ッ!!!!」」」

 そこにいる闘士全員が、帝王の言葉に応えたと同時に……全ての武器が、黒服達へと向かうも…

 

「ヒ、ヒイィイィ〜〜〜ッ!!!!」

 素手になった時点で戦意喪失していた彼等は、全員情けない悲鳴を上げて、抵抗する事なく逃げ出した。

 ……正直、彼等が命を落とすところを間近で見たくはなかったから、少し安心した…などと思うのは、私が男塾での生活に染まりすぎたせいだったろうか。

 

「さあ、これで残るは藤堂兵衛ただ一人!」

 影慶の声がそう告げた事に、我に返ってあたりを見渡すと、怒りに身を震わせる御前の目が、明らかに私を睨みつけているのを、確かに見た。




光。3人の鎮守直廊。更に邪鬼様。
原作ではここに居ないはずのやつが5人も居るせいで、本来あった筈の死天王の見せ場がどっかいきました。
というか、この5人をこの場で動かした上で、死天王の 壟義(りょうぎ)盾行(じゅんこう)に繋げることが、アタシの貧弱な脳内でどう動かしても無理でした。
すごく悩んだ末、開き直りました。
アタシは悪くない(ドヤァ


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3・シュプレヒコールはロックンロール

「…貴様の最期だ、藤堂兵衛!!」

 真っ直ぐに睨みつける御前の視線から私を庇うように、桃が折れた刀を構える。だが。

 

「フフッ、若造が。なにをたわけたことを!!

 貴様等ごときに討てるこのわしだと思っているのか!」

 …そう。マシンガン装備の護衛達を引き剥がしたところまではいいが、御前には例のB(バリアー)J(ジャケット)S(システム)があり、直接攻撃は届かないのだ。

 もっとも先ほどから観察する限りこのB(バリアー)J(ジャケット)S(システム)、どのような仕組みかはわからないが確実に相手側から、一定以上のスピードと威力で向かってくるもののみを弾き返すのだろうと推測できるので(そうでなければモノの受け渡しなどできない筈だから、先ほど側近から奪い取ったマシンガンとか、手に取る前に弾かれている筈)もしかしたら私が歩いて近寄って、氣を撃ち込む方法ならば攻撃は可能かもしれない。

 

 よし、そうしよう。

 そう思って一歩踏み出す足の前に、障害物が立ち塞がる。

 いつの間にか私の周りは今、何故か死天王がしっかりと囲んでいた。いや退けお前ら。

 口には出さなかったがそう考えた瞬間、まるで心の声が聞こえたかのようなタイミングで、鋼胴防の上のモヒカン頭が、振り返って私を見下ろした。

 

「…何考えてるか大体判るが、邪鬼様の御命令だ。

 そして死天王の総意でもある。

 おまえをこの先へ行かせるわけにはいかん。」

 …そういえば卍丸は相手の心理を読む事に長けていると、男爵ディーノが言っていたっけ。

 考えてみればこのひとは腕利きのボディーガードで、私は暗殺者だ。

 その私の考える事などお見通しというわけか。けど。

 あくまで御前の耳には届かないであろう声量で、私は彼らに説得を試る。

 

「…退()いてください。私は【本職】ですよ?

 この場面は明らかに、あなた方ではなく私の領分です。

 素人の出る幕ではありません。」

 そう、同じ命のやり取りであっても、これまでの彼らが積み重ねてきた【闘い】とは違う。

 形の上でこれは歴とした【暗殺】なのだ。

 なのに。

 いつの間にか右側に立っていた影慶の言葉が、いつになく熱がこもって耳に響く。

 

「……俺はあの時言った筈だぞ。

 これ以上おまえの手を汚させんと。

 その手はこの先、癒す為だけに使うものだと。

 他の誰でもない、おまえ自身の為にだ。」

「俺の腕を繋げたのは、飛燕ではなくおまえだったのだな?」

 そして影慶の居る反対、左側から伸びてきた手が、私の頭をわしゃわしゃと撫でる。

 

「ならば、この手はおまえを守る為に使おう。

 この俺の腕が広がる範囲にいるうちは、この羅刹、誰であろうとおまえには指一本触れさせん!!」

 言いながら羅刹が一度は切り落とした左手を、私の目の前に持ってきてグーパーして見せた。

 更に後ろから、センクウの声もかかる。

 

「俺の温室で、影慶とデートする約束したんだろ?

 ここに来る道中のトラックの中で、一緒に行動してた間の事を色々聞き出したぞ!」

「なっ!俺はただ、おまえのバラの温室を光が見たがったと言っただけで…!!」

「案内してやると言ったのだろう?

 手近な場所で済ますのはどうかと思うが、堅物にしてはよくやった方だ。

 …そういうわけで、光。

 影慶の精一杯の努力を無駄にしない為にも、おまえには生きてもらわねばな。」

 …話の入り方は相変わらずデリカシー皆無だが、これがセンクウなりの優しさであると、今は私にも判っている。

 こいつらは私に、親殺しをさせまいとしているのだと、嫌でも判ってしまう。

 

 …だが、これでは現実問題として、誰も御前に手を下せないではないか。

 睨み合い、膠着状態となっている私たちの頭上から、モーター音が近づいてくる気がする。これは…!

 

「ここは一時退かねばなるまいて。

 今度会う時まで、その首を洗って待っているがよい!!」

 恐らくは同じ音を耳にしたのであろう、御前が無防備に私達に背を向ける。

 

「ふざけるな!

 この期に及んで見逃すと思うか──っ!!」

 桃がその背に向けて駆け出…そうとした瞬間、それは起きた。

 

「うっ!!」

 瞬間、上空から放たれた無数の銃弾の嵐を、桃は本当に奇跡的に避けた。

 

「な、なに──っ!!ヘリだ───っ!」

 虎丸の叫ぶ声の通り、上空に現れたのはヘリコプター。

 私や彼らがこの島に来た時のような大きなものではない、割と一般的な形のそれの側面の扉が開いており、そこにマシンガンを手にした者が立っている。

 どうやら銃弾はそこから放たれたらしい。

 一度地面に身を倒して、立ち上がった桃の行く手を、再び銃弾の嵐が遮る。

 

「くうっ!!」

「さあ御前様、早くこれに!!」

 マシンガンの男の横から、ばらりと縄ばしごが下げられた。

 その端が完全に地面に落ちるのを確認してから、御前の手がそこに伸びる。

 …やはり、自分から近づくぶんには、B(バリアー)J(ジャケット)S(システム)は反応しないらしい。

 

「と、藤堂のじじいめ!

 あのヘリで逃げる気だ〜〜〜っ!!」

「フフッ、では、またな。」

 明らかに勝ち誇った顔で、御前は一瞬、こちらを振り返る。

 実際、この場で御前を取り逃したならば、男塾にはこの先二度と、彼を討つ機会は訪れまい。

 むしろこの場を逃れた御前は、己が権力と人脈の全てを使って世論を動かし、男塾を反社会的組織として潰す行動に出るに違いない。

 男塾は反社会的組織ではない!と、胸張って言い切れないところが辛いところだがそれはさておき。

 

「ま、待て──っ!!」

 そもそもここで逃げられては、ここに至るまでの苦労が水の泡。

 桃が必死に追いすがるも、その動きはまたも上空から、マシンガンの乱射によって阻まれた。

 しかも、致命傷にはならないまでも今度は少し掠ったらしく、先ほど私が治療した桃の身体から血が飛沫(しぶ)く。

 マシンガンの男も、恐らく桃を殺そうとまではしておらず、御前に攻撃を加えようとするその動きを、牽制する目的で撃ってきているのだろうが、割とその狙いは正確で、桃がその場から動けずにいる間に、縄ばしごに掴まった御前の身体は、ヘリが動くとともに少しずつ地面から離れていった。

 

「だ、だめだ、逃げられちまう───っ!!」

 だから、私が行くと言ったのに。

 この期に及んで未だに私の周囲を固めている4人を睨みつつ、私は歯噛みする。

 

 …だからか、その時ヘリのモーター音とは違う、大きなものが風を切って飛んでくる音に、私は最初、気がつかなかった。

 それは小型の飛行機…私はそれほど詳しくないので、機体の種類までは判らないが、恐らくはジェット戦闘機というやつだと思う。

 物凄いスピードで向かってきたそれは、姿を確認できたその時には、御前を吊り下げて上昇しようとしていたヘリに突っ込んでおり、諸共にその機体を大破させていた。

 

「な、なに──っ!!」

 縄ばしごに掴まったまま、引き上げられるのを待っていた御前の身体が、重力に従って地面へと引き戻される。

 

「あ、あれは……まさか──っ!!」

 …その時、御前に目を向けていたのは、どうやら私だけであったらしい。

 桃の声にはっと我に返り、上空へと向けられたその視線の先に、反射的に自分も目を向ける。

 バラバラになって落ちたヘリと戦闘機の残骸が未だに上げる黒煙の中、ゆっくりとなにかが降ってくるのが見えた。

 徐々に近づいてくるそれは、パラシュートで降りてくる人の姿だった。

 その人物が、地面に足をつけ、膨らんだ布が、倒れるように地に落ちる。

 降り立つと同時に素早くパラシュートを外したその禿頭(とくとう)に、思わず私は叫んでいた。

 

「塾長───っ!!」

 

 ・・・

 

「……光。塾を発つ前に貴様がわしに何をしてくれたか、わしは忘れてはおらぬぞ?」

 全員が茫然と立ちすくむ中、こちらを振り返った塾長が、ギロリと私を睨みつける。

 

 え……私、何かしたっけ?

 一瞬、ほんとにそんな事を思ってから、はたと思い出した。

 このひとと最後に話をしたのが、例の抛託(ほうたく)生房(しょうぼう)に入ろうとしたのを止めた、あの時だったということに。

 いや、あの後教官達に泣きながら説教されたし、無駄に命を賭けずに済んだんだから別にいいじゃん…とは、さすがに言えない。

 ていうか、なんかこの場の全員の視線が私に、『おまえ一体何したんだ』と問いかけている気さえして、なんだかとてもいたたまれない。

 赤石にだけは、行きのヘリの中で説明していたから、忘れてなければ彼は状況を知っていると思うが。

 

「うっ……そ、その件は、大変申し訳なく…」

「…わしの事をちゃんと呼べたなら、特別に許してやらんでもないが?」

「は?………あの、塾ちょ」

「もう忘れたか?わしが、貴様にだけ許す呼び名が他にあるであろうが?」

 言って塾長は、何故か自分の首筋を、指でとんとん叩いてみせる。

 そうだった。確か、あの時は……

 

「申し訳ございませんでした……………父上。」

 ……御前の目の前でその呼び名を口にする事に、胸の深いところがちくりと痛んだが、私がそう呼びかけると同時に、塾長は満足気にニヤリと笑った。

 

 ☆☆☆

 

「……久しぶりだな、藤堂。

 いや、元サマン島副司令、伊佐武光。」

 そんなやりとりが無かったかのように、塾長はすぐに表情を引き締めたかと思うと、強い視線を御前に向ける。

 

「…フフッ、江田島よ。

 よもや貴様が、この小童どもの親玉だったとはな。」

 塾長が現れた事に、完全に度肝を抜かれていた御前は、どうやら今の私たちの会話の間に平静を取り戻していたようで、ニヤリと厭な笑みを浮かべた。

 

「終戦後、時の合衆国大統領に『EDAJIMAがあと10人いたら、アメリカは日本に負けていただろう』とまで言わしめ、一度は内閣総理大臣の地位すら手にした貴様が今、なぜ名も知れぬ私塾の塾長などを。

 ……聞いたところで、詮無きことか。

 貴様の行動原理など、わしには一切理解できぬ。

 まあ、()()()()を預かっていてくれた事には、礼を言う事にしよう。

 恥ずかしながらそやつは、男を誑かすのが得意でな。」

 恐らくはこっちを動揺させる為だったのだろうが、その言い分に、思わずカッと顔に血が上る。

 間違っちゃいないけど!

 その手管は全部あなたに教わった事じゃないですか!!

 

「くだらん。

 女に誑かされるのも、男の甲斐性であろうが。

 …この辺の機微は、所詮貴様には判らぬ事よな。」

 だが塾長は軽く肩を竦めたのみで、御前のその言葉を一蹴した。そして。

 

「退がっておれ、光。

 貴様等も、一切の手出しはまかりならん!!

 観念するがいい藤堂!!

 貴様の体、肉片ひとつ残さず地獄へ葬送(おく)ってくれるわ!!」

 言って身につけていた単を羽織とともに、引きちぎらんばかりに脱ぎ捨てた塾長の、銃創痕が浮き出た上半身から迸る闘氣が一瞬、私の肺を圧迫した。

 

「おもしろい。

 このわしと、サシで決着をつけるというのか。」

 その瞬間、本当に面白そうに御前は笑った。

 孤戮闘を出て藤堂家に引き取られて以来、恐らくは息子達以上に身近に彼の側に置かれていた私ですら、そんな表情を見たのは初めてだったかもしれない。

 

「世間の奴等は誤解していよう。

 わしのことを、金と権力だけを笠に着る、ヨボヨボのひ弱な年寄りだと。

 だが、それは大きな間違いだ!」

 言いながら御前が、塾長に倣うように袷と羽織を脱ぎ捨てる。

 更にB(バリアー)J(ジャケット)S(システム)までもをその身から外すと、老人の顔に不釣り合いな、鍛え抜かれた筋肉が現れた。

 

 …年齢の割に柔軟な筋肉としっかりとした体幹を持つ御前でなければ、先ほどヘリの縄ばしごが切れて上空から落下した際、咄嗟に身体にかかった落下速度と衝撃に耐えて、二本の足で地面に降り立つ事など、恐らくはできなかっただろうと思う。

 只人ならば降り立てたとしても、最低でも足首の骨折は免れなかった筈だ。

 先天的な身体能力自体が相当なものであり、またそれを鍛え上げて更に能力を高めている御前の肉体は、いつも身につける質素だが上質な和服の上からでは解りにくいが、実は相当な年齢詐欺なのだ。

 

「わしの最大の武器は、この肉体だ!!

 返り討ちとなるのは貴様よ、江田島!!

 さあ、どこからでも来るがいい!!」

 その年齢詐欺の肉体を見せびらかすように構えをとった御前は、塾長を睨みつけながらも、その目には余裕と興奮が同時に現れており、この闘いを楽しむ気である事が、はっきりと見てとれた。

 

 ……なんとなく、邪鬼様と戦う事になった時に覚えた自身の感情…やけに気分が高揚したわけが、今になってようやく判った気がした。

 なんだかんだで私の身体にも、このひとと同じ血が流れているのだ、という事実が。



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4・閃光

今からそいつを、これからそいつを。


「よく言った───っ!!」

 積年の仇敵に向けて塾長が振り抜いた拳は、素手とはいえその年齢の男性が繰り出すものとしては決して非力なものではない。

 否、むしろスピードもパワーも闘氣さえも完璧に乗った、一撃でも食らえば全身粉砕間違いなしの剛拳………の筈だった。

 

 ………当たりさえすれば。

 

 その渾身の拳が貫いたのは…虚空。

 そこは確かについ一瞬前には、御前の身体があった空間だ。

 真正面から向かっていった筈の目標物を見失い、塾長が周囲を見渡したのと、

 

「フッフッフ、どこに目をつけておる。

 わしならここにおるぞ?」

 と、御前が塾長のはるか後方から、そう声をかけたのと、どちらが早かったろうか。

 

「な、なに───っ!!なんじゃあ今のは──っ!」

「藤堂のじじいめ、ま、まるでテレポーテーションのように、一瞬にしてあんなに遠くまでいっちまった───っ!!」

 富樫や虎丸が驚愕の声を上げた通り、御前は文字通りの目にも留まらぬ速さで滑るように移動していた。

 

「むうっ!!おおお───っ!!」

 その御前に向き直り、改めて拳を構えて突進する塾長の動きも、常人と比べれば充分に速いものだったろう。

 そのスピードも加えた、先ほど繰り出したものより更に強力であろう拳が、またも空を切り…

 

「たいした剛拳よ。

 だが、わしの体に触れる事さえ出来はせん。」

 またしても消えるように塾長の拳を避けた御前の、技術のある職人にしっかりと脚に合わせて作らせた最高級の雪駄を履いた足が、ふわりと着地したのは、あろうことかその拳の上だった。

 驚きながらもその腕を振り上げた時には、またもふわりと跳躍した御前は、既に10メートルは離れた地点に着地している。

 …恐らくは。

 一撃の破壊力に関してならば、御前は塾長には敵わないのだと思う。

 というかその点に於いては、例の奥義を含まずに考えても、息子の豪毅にさえ及ばないだろう。

 だが、その一撃が当たらなければ意味はないのだ。

 先ほどの、私と邪鬼様の闘いのように。

 

「フッフッフ。

 我が拳法の極意は、この極限ともいうべき身の軽さと素早さにある!!

 今から貴様に、その真髄を見せてやろう。」

 言った御前の指先には、何やら丸い手裏剣のような形状の刃が挟まれている。

 ……多分、腕につけた防具の隙間に仕込んであったんだろう。

 その防具自体、いつ身につけたのかわからないけど。

 うん、少なくともロイヤルボックス席で隣に座ってた時には、着物の袖から覗く腕にそんなものは見えなかったと思う。

 それはそうと、よく見れば材質は違うがデザインがさっき豪毅が着けてたやつとほぼ同じなんだが……うん、考えない事にしよう。

 割と男性全般に言える事なのかもしれないが、御前には歳の割に子供っぽいところがある。

 

「この刃には、巨象をもカスリ傷で即死させる猛毒が塗ってある!!」

 いや危ないわ!そんなもん防具に仕込んでおくな!!

 ちょっとした加減でうっかり先端が出ていて、掠ったら一巻の終わりじゃねえか!!

 私が心の中で盛大なツッコミを入れている間にも、御前と塾長の闘いは続いており、御前が指に挟んだそれを、腕を振り抜いて塾長に向けて投げ放つ。

 

「貴様にこれが躱せるか───っ!!」

「なにをたわけたことを!!

 この程度のもの、眼を瞑ってでも躱せ……っ!!?」

 それを僅かに首を捻っただけで躱した塾長の言葉が止まったのは、今目の前にいた筈の御前の身体が、次の瞬間には背後に回っていたから……だけではなかった。

 それと同時に、今己が投げ放ったその刃を、先ほど投げる前と同様に、両手の人差し指と中指で、挟んで止めて見せたからだ。

 

「ワッハハハ、これぞ黒兜流(こくとうりゅう)極奥義・瞬噭(しゅんきょう)刹駆(せっく)!!」

 御前はそこで止まらず、更に次の瞬間にはそれをまた投げた。

 今度は身体を捻ってそれを躱した塾長の背後で、再び受け止めて、また放つ。

 

「いつまでもこの連続攻撃が躱せると思うのか!!

 カスリ傷ひとつであの世に直行だということを忘れるな──っ!!」

 …そういえば準決勝で闘った梁山泊というチームには、己が放った矢を追い越して敵の背後に回り、羽交い締めができる巨漢の弓使いがいた。

 この場合、あれをやられたら塾長は確実に死ぬ。

 御前にその発想がなくて良かった。

 というか改めて思い出すと、アレって物凄くえぐい技だったんだな!!

 …けど御前の言う通り、いくら塾長が体力の化け物だとしても、いつまでも躱し続けられるものじゃない。

 これが赤石であれば躱すのではなく瞬時に見切って、刃自体を両断してしまえるだろうし、影慶ならば毒など気にすることなく対処できると思うのだけれど、私も塾生たちも先ほど塾長に『手を出すな』と命じられている。

 その命令に背ける者は、この場には居ないだろう。

 …やはり闘いに相性というものは大事だと私は思う。

 

「あ、あれが世にきく瞬噭(しゅんきょう)刹駆(せっく)………!!

 まさか、奴がその極意を極めていようとは………!!」

 私の周囲の死天王ガードの横から、雷電の呻くような声が聞こえた。

 

 

 瞬噭(しゅんきょう)刹駆(せっく)

 素早い動きを基礎とした秘奥義は中国拳法にも数あるが、中でも最高峰とされているのがこの瞬噭(しゅんきょう)刹駆(せっく)である。

 この技の修業法は、硫酸池に浮かべた不溶性の紙片の上を驚異的速さで駆け抜けるというものであり、失敗すれば即死の恐るべき荒業であった。

 これを成し遂げ達人の域に達した者は、瞬きする間に二十間(約36m)を移動したという。

 余談ではあるが我々が親しんで食べている『かけそば』は、当時修業者達が座して食べる間を惜しみ、器を持って駆けながら食べた蕎麦がその名の由来である。

太公望書林刊『貴方にも出来る!*1中国拳法修業百科』より

 

 

 このままでは勝ち目がないと、塾長も判断したのだろう、飛んでくる刃を避けたと同時に方向転換し、何故か墜落したヘリの残骸に向かって走り出す。

 

「フッ、そんなところに隠れても無駄だ。」

 壊れた機体の側に屈み込む塾長にそう言って、御前が受け止めた刃を再び放とうとしたその時。

 塾長は驚くべき行動に出た。

 ヘリのプロペラを叩いて回転させたかと思うと、壊れた機体からその軸を引っこ抜く。

 それからその軸にしがみつくと、なんとプロペラの回転により、塾長の身体が、宙に浮かんだ。

 

 ……そういえば以前、田沢に見せてもらった『漫画でわかる科学』とかいう本に、ヘリコプターの回転のしくみでは、プロペラの回転だけで浮き上がった場合、機体が反作用でプロペラの動きとは反対向きにゆっくり回転してしまうところを、テールローターの力によりそれを防いでおり、だからそれによれば某ネコ型ロボットの所持する頭につけて飛ぶ飛行器具は、着けている本人が飛んでいる最中にくるくる回っていなければおかしいという内容の事が書かれていた。

 …などという場違いな事をつい思い出してしまったのは、上昇していく塾長がやはりゆっくりと回転していたからなのだが…まあそんな事は些細な事だろう。

 とにかく、皆が驚いて見つめる中、塾長ははるか高くまで上昇すると、普通の人間なら絶対にやらない、パラシュート無しでのダイビングを決行した。

 要するに、手を離して飛び降りた………頭から。

 当然自由落下に従い、加速度をつけて落ちてきた塾長は、一瞬地面に突き立って…そのままゆっくりと、その身体が倒れた。

 

「…フフッ。まったく、なにを考えているのやら。」

 その様子を茫然と立ち尽くして見ていた御前が、息を()きながらひとりごちる。

 

「昔から少しも変わっておらんな。

 この男の常軌を逸した行動は理解できなかった。

 ……これで判ったろう、光よ。

 このような者たちに入れ込む事の愚かさを。

 さあ早く、こちらに戻ってくるが良い!」

 そう言って、こちらに一歩踏み出した御前の行動に、私の周囲を取り囲む死天王が、改めて迎撃の構えをとった。だが。

 

「あ、安心しろ。

 今度ばかりは貴様にもよく理解できるだろう。

 己の足もとをよく見るがいい………!!」

 倒れた塾長が、うつ伏せたまま、しっかりした声で告げるのに、御前はほぼ反射的に、言われた通り足元に目をやる。

 

 瞬間、立っていた御前の足元に亀裂が走り、砕けた地面に、長身の御前の身体が肩まで埋まった。

 

「こ、これは──っ!!」

 そこから這い上がろうとするも、足場が崩れてもがく御前のもとに、塾長は腹這いで近寄っていく。そして。

 

「捕まえたぞ!念仏を唱え始めるがよい、藤堂兵衛!!」

 長く伸ばした後ろ髪を鷲掴み、引きちぎらんばかりに持ち上げた塾長の手の動きに合わせて、埋まりかけた御前が地面から掘り出された。

 更にその身体を、地面の割れていないところへびたんと叩きつける。

 

「覚悟を決めるがよい!

 貴様の行なってきた極悪非道の数々。

 その全てに終止符を打つ時が来たのだ!!」

 すぐには立ち上がれずにいる御前に、拳を固めてのしのしと歩み寄る塾長だったが、私はこれを甘いと感じていた。

 殺すつもりであるならば、動けずにいるところに手を下せば良いものを。

 …けど、それは塾長としては、そしてここにいる塾生にしても、良しとしない事であるのだろう。

 私は、彼らのその甘さが、嫌いではない。

 …しかし、それが通じない相手というのはいるもので、塾長が今目の前にしているのも、その類の相手である事を、塾長はわかっていただろうか。

 

「ま、待て!!待ってくれ江田島──っ!

 わ、わしの言い分も少しは聞いてくれ──っ!!」

 懇願する御前の言葉に、塾長は一瞬だけ動きを止める。

 その瞬間、こっそり背中に回した御前の手が、そろそろボロ布と化しつつあるズボン様の袴の下で身に沿わせていたらしい、45口径の拳銃を手にしていた。

 

「死ねい──っ!!」

 躊躇う事なく御前の指がその引き金を引き、塾長の銃創痕だらけの身体に、新たな傷を刻む。

 だが、塾長は倒れるどころか身体に力を込め、その筋肉を膨れ上がらせた。

 

「わしを倒したいなら、核ミサイルでも持ってくるがいい──っ!!」

 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、身体に撃ち込まれた数発の銃弾が、その傷口から弾き出される。

 …ぶっちゃけこの光景を見る限り、核ミサイルでも倒せる気がしないのは気のせいでしょうか。

 

「くうっ!化け物めが!!」

 そう言った御前の言葉は、多分その場にいる全員の総意だったと思う。

 塾長が飛ばした弾丸を避けながら、だが御前は素早く塾長から、7、8メートルの距離を取った。

 

「仕方ない!

 こうなっては最後の手段をとるしかあるまいて!!」

 そして…完全に追い詰められた御前は、遂に私が恐れていた通りの行動に出た。

 拳銃と同様袴の下から取り出した、四角い機械に付けられたスイッチを押す。

 次には、塾長との間の地面が、自動扉のように開く。

 更にそこから、巨大なものが迫り上がってくる光景に、皆が一瞬目を奪われた。

 それは、ロケットのような形状……あれが(ホン)師範が言っていた、脱出ポッドなのだろう。

 それが、この場面で出てきたという事は。

 

 ……誰もがそれに目を奪われていた、その一瞬。

 私は死天王ガードをすり抜け──走った。

 

「御前!御覚悟っ!!」

「光っ!!?」

 背後に誰かの呼ぶ声を聞きながら、私は御前に向かって、跳ぶ。

 氣の針を溜めた指先が、もう少しでその身体に届く、その瞬間。

 

 私の意識は、御前の手刀によって、刈り取られた。

*1
出来ねえわ!




多分0時に続きを更新します。


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5・添い寝して永遠に抱いていてあげる

21時にも前話投稿しております。
念の為確認の上お読みください。


「ひ、光───っ!!」

 今まさに討ち取らんとした宿敵の腕の中に、ぐったりとした小さな身体がすっぽりと収まり、俺たちは一様に声をあげた。

 

「…フフッ、どうした貴様等。

 そこから一歩でもわしに近づいてみよ。

 討とうとした敵の娘の命、どうなろうと構わぬであろう?」

 嘲笑う声に、思わず歯噛みする。

 これでは、俺たちは動く事ができない。

 藤堂兵衛が光を腕に抱いたまま、悠々と扉の開かれたロケットの内側に入る。

 ビシッと音を立てて扉は閉められ、次にはスピーカーを通した奴の声が、会場全体に響き渡った。

 

「ワッハハハ、聞けい江田島!

 そして、男塾の若造どもよ!!

 この闘技場(コロシアム)は10分後に爆発する!」

 その宣言に、俺たちだけでなく、会場に残っていた観客たちも騒めき始めた。

 ……が、何故だろう。

 次には整然と移動が始まり、見れば制服を着た係員が、避難誘導を行なっている。

 その近くに、見覚えのある耳付きの頭飾りを着けた男が居たのは気のせいだろうか。

 いや、そんな事を気にしている場合じゃない。

 

「フッフッフ、さらばだ!!

 この屈辱は必ず晴らす!!

 それまで首を洗って待っているがよい!」

 そこでマイクの音は消え、かわりにロケットの噴射口から煙が立つ。

 あと数十秒もすれば推進力が充分に溜まり、この大きな金属の塊は宙へと飛び立っていくだろう。

 そうなればここまで闘い抜いてきた、すべての過程が無駄になってしまう。

 

「剣っ!」

 と、駆け出そうとした背後から呼び止められ、振り向いたと同時に、飛んできたものを反射的に掴む。

 

「そいつを使え!貴様ならば見事使いこなせる筈!!

 いいな、必ず取り戻せっ!!」

 ずしりと手にかかる重みを改めて握り直すと、何をとは問わず、俺はその人に頷いた。

 

「押忍!ごっつぁんです、赤石先輩!!」

 

 ☆☆☆

 

「フフッ、まったく冷汗をかかせおって。

 だが、この次会った時が奴等の最期よ。」

「この次はございません…今、全てが終わります。」

 その膝の上で閉じていた瞼を開いた私は、養父(ちち)であり血の繋がった伯父でもあるそのひとの逞しい腹筋に、そっと指を置いた。

 

「なに!?か、身体が……!!」

「油断されましたね、御前。

 私のやり方は御存知でしょうに。

 全て、貴方に教わった事ですよ?

 …もっとも私の方も、貴方の行動パターンは把握しておりますが。」

 御前に向かっていく中で氣の針を五指に溜めたのは、御前を討つ為ではなかった。

 ああしてわざわざ『御覚悟!』などと声に出して向かっていけば、御前は迷わず私を無力化し、塾生達に対する人質として使う事がわかっていた。

 だから予め自分に氣を撃って、『目覚ましタイマー』をかけておいた。

 御前は無抵抗の私ならば、手の届く場所に置くだろうし、また幸いにもこのロケットのコックピットはそれほど広くもなく、目覚めた時に離れた場所に転がされていることもなかった。

 

「光!き、貴様……。」

 どうやらマニュアル操縦をしていたらしく、御前が操縦桿を握れない状態のロケットは、右に左に傾き出す。

 このままでいい。

 このまま飛行を続ければ、いずれ燃料の尽きたロケットは海へと落下する。

 

「…正直、今、私は貴方に、どのような感情を抱けば良いのかもわかりません。

 私の本当の両親は、貴方によって命を落としました。

 兄も、暴走とはいえあなたが差し向けた監視役に殺されました。

 けれど私にはもはや、家族の記憶はあやふやで。

 むしろ私は、貴方を父と呼びたかった。

 それができる豪毅が羨ましかった。

 貴方を娘としてお慕いしていたのは、紛れも無い事実ですよ。御前。」

 だから。最後の最後に私は、今まで心に抱いてきた想いを、御前に打ち明けた。

 子飼いの暗殺者として側にいた私は、決して感情を持たない人形ではなかった。

 褒めて欲しかった。愛されたかった。

 心の中なんて見えないのだから、嘘でもなんでも構わないから、抱きしめて欲しかった。

 

「な、ならば、これはなんのつもりだ…!

 貴様、『父』であるわしを殺すつもりか。

 この…親不孝者が!!」

 だが、その私の精一杯の告白も心に届かぬように、御前は声を荒げる。

 その言葉に、私は苦笑するしかなかった。

 

「…そうですね。親不孝です。

 本当の親を忘れ、親になろうとしてくれた人を欺き続け、親になって欲しかった人を手にかける。

 でもね御前。親と思えばこそ、我が手でと。

 娘として、せめて貴方が望んだ、暗殺者である私の手で、冥土へとご案内いたします。

 …ねえ、共に参りましょうよ、『ちちうえ』。

 親不孝な娘ですが、せめて地獄までお供させてください。」

 正直、無念ではある。

 本当は、もっと生きたかった。

 だけど、豪毅にも言った通り、籠の中に戻って生きるくらいなら、大空を夢見たまま死ぬ方がずっといい。

 むしろ死の前に『もっと生きたい』と思える事こそ、この1年たらずの短い時間で、自身でもそれと気付かぬままに闇の中を歩いてきた私の人生が、輝きのあるものに変わった証左だ。

 四肢の麻痺した御前の、老人とは思えぬほど逞しい胸に頬を寄せ、目を閉じる。

 ああ、本当に、ずっとこうしたかったのだ。

 最後の最後に、望みが叶った。悔いはない。

 

 …………本当に?

 

「…う、うおお───っ!」

 …だが次の瞬間、信じられない事に御前は、麻痺していた腕を振って、私の身体を突き飛ばした。

 以前赤石も、私の氣の拘束を意志の力で打ち破ったが、それと同じ事を御前にもされるとは思っていなかった。

 私に甘えられるのがそんなに嫌だったのか。

 わかっていた事ではあるが少しショックだ。

 と。

 

 ───ガシィ!!

 

「!?」

 再び操縦桿を握ろうとしていた御前の目前に、大ぶりの刃が下りてきた。

 これは…赤石の斬岩剣!まさか、赤石が!?

 

「なにっ!!き、貴様、い、いつのまに〜〜っ!!」

 だが見上げた上に、突き立てた刀で身体を支えている男は、赤石ではなかった。

 

「も、桃っ!?」

「男塾一号生剣桃太郎、貴様の命もらいうける!!」

 私が名を呼んだ男が名乗りを上げ、御前の右手がそれに向けて上がる。

 

「こ、この若造が!!」

 手にしていたのは、先ほど塾長に使用した拳銃。

 だがそれが放たれる事はなかった。

 

「天誅!!」

 瞬間、私の見ている前で御前の身体が、ロケットの先端とともに、真っ二つに切り裂かれた。

 

「ぐわああ─────っ!!」

 断末魔と共に、御前だったその二つの塊は、血飛沫を撒き散らしながら宙空へと投げ出された。

 

「御前───っ!!」

「貴様には地獄すらも生ぬるい!!」

 そう呟いた桃の声が、私の耳元で聞こえた。

 

 

 ああ、そうだ。これは私にとっても断罪の声だ。

 艶のあるその声が、やけに甘美に耳に響く。

 

 

 風圧と重力が私の身体を捕らえ、それに抵抗する事なく、私は目を閉じて、御前だったものを追いかけるように共に落下する……

 

 筈だった。

 

「……!?」

 次の瞬間、胸元に強い負荷がかかり、身体を何か、大きいものに包まれた。

 驚いて閉じていた目を開ける。

 確認しなくてもわかっていた。

 大きく、強く、それでいて穏やかな氣。

 

 私は背中から、桃の腕に抱きとめられていた。

 

「………離して、桃!

 約束したの、一緒に死んであげるって!!

 あんな人でも、あの人は、私の…!」

「塾長は!?あの人はお前の親じゃないのか!?」

 どきん。

 その問いかけに、心臓が痛むのを感じた。

 

『すべて終わったら…』別れ際、言いかけて止めたあの言葉。

 結局脅されて無理矢理呼ばされはしたが、本来ならあの人を父上と呼ぶのは、私の中で御前との決別を、本当の意味で果たしてからだった。

 それは同時に私自身の死をも意味するものであり、だからその未来は、永遠に来ない筈だった。

 けど、私はそれを、心の底では望んでいなかっただろうか?

 

「!…で、でも義理とはいえ私は、あの人の仇の娘なのよ?

 それに、あなたの身内の仇でもある。そんな私に…」

 けど、なけなしの意地と罪悪感で、つい抵抗してしまう。

 なのに、私を抱きとめる桃は、それを力強い言葉であっさり一蹴した。

 

「おまえが誰であろうと、俺たちの光である事に違いはない!」

 俺たちの光。そういえばさっきも言われた。

 

「…それに、約束したろ?

 おまえの命は、俺のものだ。

 勝手に投げ出すのは、許さないって。」

「でも…だって」

「…光は、何にも悪くないんだ。

 光が責任を感じてる事は、何ひとつ光のせいじゃない。

 おまえが望んでした事なんか、何ひとつないんだからな。

 むしろ、これまでなにかを望んだ事なんか、なかったんだろう?

 望んだ事も、愛した人も、すべて諦めてきたんだろう?

 …今、光は何を望む?

 全ての責任を取って死ぬ事が、本当に光の望みか?

 …それだったら、それでもいい。

 そうであるならば、俺も一緒に死んでやる。」

「…!?」

 私を抱く腕の力が、強くなる。

 気が遠くなるほど強く、抱きしめられる。

 待って…今、なんて言った?

 一緒に死ぬって、そう言ったの?

 

「普段は結構我儘なのに、こんな時に遠慮しても仕方ないだろ?

 言えよ…光の今の、本当の望みは?」

 私の、望み?それはなんだろう?

 自由な翼で、私はどこに行こうとしたんだろう?

 この人は、私が望むなら、一緒に死んでくれると言った。

 それは、確かに強烈な誘惑だった。

 けど、私の望みは、多分それじゃない。

 私は…私が本当に望むことは……!!

 

 一瞬、桜の香りを嗅いだ気がした。

 心の中で、さらさらと、桜の花びらが散った。

 周りを見渡せば、塾生たちの笑顔。

 誰かが、私の名を呼ぶ。差し伸べられる手。

 見上げた先で、微笑むのは……、

 

「…塾の、校庭の桜を、もう一度見たいです。

 生きて、みんなに会いたいです!

 …帰りたいです!あなたと、塾生(みんな)と一緒に!!」

 心からそう叫んで、桃の身体にしがみつく。

 溢れた涙が、風圧で散る。

 安心したような桃の吐息が耳をくすぐった。

 

「…ああ。帰ろう、男塾へ。

 俺たちには、次の戦いが待っている……!!」

 そう言うと、桃は私と斬岩剣を抱えたまま、未だ飛行中のロケットの上から、海へとダイブした。

 

 ・・・

 

 落下スピードと、二人ぶんの重さ、プラス赤石の斬岩剣。

 私たちは海中の、かなり深いところまで沈んだ。

 私はここに至るまで水泳だけは経験がなかった。

 主に刺青のせいで水着が着れなかったという事情で。

 それを知っていたわけではなかろうが、桃は私を抱えたまま、海面まで泳いで浮かび上がろうとしていたが、やはり時間がかかる。

 私は意識が朦朧としてきた。

 桃の身体にしがみついていた手から、力が抜ける。

 そのまま離れ、再び沈みそうになる刹那。

 何かに身体を掴まれたと思えば、唇に熱いものが当てられ、肺の中に空気が入ってきた。

 閉じかけていた目を開ける。

 視界いっぱいに、桃の顔があった。

 驚いて思わず、息を吐いてしまい、気泡が上へと上がっていく。

 離れかけていた桃の顔が再び近づき、唇が彼のそれに塞がれた。

 もう一度肺に空気を注がれ、私はやっと、この行為の意味を理解した。

 

 ☆☆☆

 

「も、桃よ〜〜!!」

「フフッ、呼んだか?」

「も、桃〜〜っ!!」

「俺より、光を。大丈夫だ、死んじゃいない。」

「光っ!」

 …頭の上で会話する、どこか懐かしい声に、再び薄れかけていた意識が急激に浮上する。

 同時に身体が引き上げられ、固いものの上に転がされる感覚があった。

 

「ウッ…ゴホッゴホッ、ゴホッ!」

「大丈夫か?」

 そう誰かが問う声に、転がったまま視線を上げると、やけに嬉しそうに微笑んだ桃と目が合った。

 

「ハァ、ハァ…も、桃っ!

 なんて、無茶、するんで……ゴホッゴホッ!!」

「そう言うな。二人とも助かったんだ。」

「というか、なんであなただけそんな涼しい顔してるんです!!」

 助けてもらって理不尽と自分でも思うが、いつも通りの桃の表情に若干ムカついて、ちょっと文句を言ってみる。

 …さっきのアレは人工呼吸だから、別に何という事じゃない。

 人工呼吸ならば伊達や男爵ディーノにもしてる。

 意識するだけ無駄だ……うん、気にするな。

 

「うん、大丈夫みたいじゃな。」

「ああもう腹立つこいつら全員。」

「え?」

「……いえ、何でも。」

 けど、心配そうに次々と私を見下ろしてくる一号生達の顔を見ていたら、考えてるのも若干アホらしくなり、私はそこからゆっくり起き上がった。

 富樫が手を貸してくれ、周りを見ればどうやらデカいボートに帆を付けたような簡単な船の上。

 と、周囲を囲んでいた人垣が分かれ、塾長が私と桃の前に歩み寄ってくる。

 

「一号生筆頭・剣桃太郎。

 藤堂兵衛、この手にて確かに討ち取りました。

 首級(しるし)はありませんが、光が証人です。」

 桃が私の肩を抱き、確認するように塾長が私に視線を移してきたので、黙って頷いた。

 瞬間、全員の声がわっと沸く。

 一瞬、塾長の顔が少しだけ切なげに曇ったことを、私以外に気付いた者はいただろうか。

 だが、次の瞬間には憂いは消え、その唇に笑みを浮かべた塾長が、力強く言い放った。

 

「光。剣。そして皆も御苦労であった。

 わしが男塾塾長、江田島平八である!」

 いつも通りの自己紹介で締めくくられた塾長のお言葉に、皆の顔に安堵の色が浮かぶ。

 それに答える皆に、気付けば私も声を合わせていた。

 

「押忍ッ!!」

 

 ───帰ろう、男塾へ。




これにて、天挑五輪大武會編終了になります。
この後若干のオリジナルエピソードを挿入した後で、七牙冥界闘(バトル・オブ・セブン・タスクス)編へと入りますが、多分次話までは少しお時間をいただくことになろうかと思います。
御了承ください。


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孤戮凶走編
1・思い出だけをそっと着替えて


 行く時はヘリで半日足らずだった冥凰島から、私たちが船で20日ほどかけて帰ってきてから、今日で一週間あまりが経った。

 冥凰島に来ていた一般塾生は一号生のみであり、彼らは塾に戻ってすぐに通常の生活に戻る事となったが、闘士として出場していた者には特別休暇が与えられ、大体の者はそれを静養に使っている筈だ。

 …伊達と飛燕と雷電は、片付ける用事があるとかで外泊許可を取ってどこかへ行っており、今は寮には居ない筈だが。

 もっとも船の上にいた間、負傷していた者は私が治療をしたから問題はない。

 どちらかというと航海の疲れの方が体調に影響していると思うのだが、そう考えると一般塾生たちの方が、体力的には辛いかもしれない。

 

 先の天挑五輪大武會、表彰式が無茶苦茶な事になったにもかかわらず、優勝したのは男塾であるという結果のみが世間には伝えられていた。

 御前の死は現時点では伏せられているらしく、それらしい報道は未だない。

 多分だが豪毅の正式な総帥就任も難航しているのだと思う。

 御前の影響力が絶大だった事で、まだ若すぎる豪毅が、そこそこ侮られている事は想像に難くない。

 …『姉』の私がそばに居れば、ある程度のフォローはしてやれたのだろうが。

 一応、御前の養女として常に側にいた私は、対外的には御前の最側近扱いで、他の側近の方や幹部からは、ずっと海外留学という態で修業していた豪毅よりも私の方が信用があった筈だから。

 

 そうそう、私が女であるという事実は、全塾生の知るところとなった。

 というか海からあげられて濡れた服を、脱ぐわけにもゆかずそのまま着ていたらすっかり身体が冷えて、くしゃみを2つほどしたあたりで椿山にメッチャ心配されてしまい、桃や他の闘士たちが止める暇もなく無理くり上着を剥ぎ取られて、制服の下がサラシじゃなく、清子さんに用意されたTシャツとスポーツブラだったことで(しかもこちらも濡れていた為、Tシャツが肌に張り付いて透けてしまっていた)誤魔化しが利かず、結果白日のもとに晒された。

 ちなみに直後、椿山には塾長から愛のげんこが落とされ、思わず私の身体を凝視してしまった塾生たちはやはり塾長のひと睨みで一斉に背中を向けて、私は剥ぎ取られた制服が乾くまで、塾長の羽織にすっぽり包まれることになった。

 そして塾に戻ってから、何故か塾長室に『光を女に戻してやって欲しい』という嘆願書が寄せられ、「服を買いに行ってこい」と塾長から厳命されて幸さんを監督につけられ、デパートに連れ出されて、女性物の服を数点選ばされた。

 別に値段を気にしたわけでもなんでもないのだが、それでもブラウス1枚選ぶにも何を買えばいいのか判らず選びあぐねていたら、幸さんが私の悩みの根本的な部分に気がついてくれて、

 

「光さんは、和服の方が馴染みがあるのね?

 なら、以前お持ちしたものは単衣仕立てで、今の時期ではまだお寒いでしょうから、わたしの着ていたものですが(あわせ)のものを、巾をすこし直して後日お持ちするわ。

 お世話になり始めた頃に旦那様にいただいたものが、このように太ってしまったせいで似合わなくなってしまって、それでも季節ごとに手入れと虫干しをしながら、大切に箪笥にしまってあるの。

 あれならきっと、光さんに似合うと思うわ!」

 と、最後らへんは拳握りしめて力説しだしたので、そんな大事なものをと辞退しようとしたら、

 

「…自分のお下がりを、大きくなった娘に着てもらうというのに憧れていたの。

 わたしが袖を通したものが嫌でなければ、着てもらえたら、わたしは嬉しいわ。」

 と少し哀しげに言われてしまい、断ることはもう私にはできなかった。

 その後、なんとか申し訳程度に選んだ洋服を数着購入し、更に別の階で和服用の下着や半襟、帯紐などを選んだが、こちらはすんなりと決めることができた。

 

「領収書は旦那様に回しておきますからご心配なく。」

 とか言われたが、まさか塾長は私の服を経費で落とすつもりなのだろうか。

 

 …結果、その時買ったスカートやブラウスよりも、後日本当に届いた幸さんのお下がりの和服2枚の方がヘビーローテーション化して、これまでは制服で歩き回っていた校舎内を時にはタスキ掛けで、和服姿で闊歩する私は、きっと相当浮きまくっているんだろう。

 いいのだ、これは私と幸さんのラブラブ母娘の証なのだ!

 最初の頃に廊下で会った一号生に、

 

「いや、俺らが求めてたのはもっとこう……揺れるスカートの下からチラリと覗く太ももとか、ハイソックスから上の素肌のラインとかそういう…」

 などと意味のわからないことを言われたが知るか。

 あと、一号生関連の事務手続きのちょっとした打ち合わせで男根寮に桃を訪ねて行った際、富樫が私のその姿を不躾に上から下までじろじろ見た後、

 

「…なあ。

 女が着物着る時って、下着着けないって本当か?」

 と、更に意味のわからない質問をしてきたので、

 

「どこでそんなこと聞いてきたんですか。

 ちゃんと着けてますよ、肌襦袢も、腰巻も。」

 と答えたら、自分で聞いたくせに顔真っ赤にしていた。

 

「じゃ、じゃあやっぱりその下ってノー」

「止せ富樫。それ以上はセクハラだ。」

 と何か言いかけたあたりで桃に止められてたけど、そもそも女に下着事情を聞いてくるってなんなんだ。

 

 …しかしまあ、だからといって今のところ何が変わったということもなく、塾生達は以前と変わらず接してくれるし、彼らの世話や事務作業で忙しいのは私も変わらず…とも言い難い日々を送っている。

 というのも大武會終了直後から、男塾には入塾希望の問い合わせが殺到しており、私と塾長は帰ってきてすぐ、その業務を教官達から丸投げされ、ぶっちゃけ仕事が増えたからだ。

 私たちが不在の間、教官たちがその対応にてんてこ舞いで、そのせいで授業をしている余裕がなかったらしい。

 これを受け塾長は、新年度に新入生を受け入れ、全塾生の進級を決定した。

 

 …当たり前のことじゃないかと思うだろう。

 少なくとも私は思った。

 しかしその後聞いたところによれば、男塾における進級や卒業は、原則は1年ごととなっているものの実際には塾長の胸ひとつで決まるものらしく、ここ3年はまったく動いていないのだそうだ。

 というか今の一号生が入ってくるまで三号生は、共通の敵に立ち向かう時以外の場面では、ほぼ独立した自治的存在になっていた為、実質の塾生と言える存在は二号生しかいなかった。

 …その下を赤石が全員ぶった斬って再起不能にしてたこともあり。

 つまり、それを進級させてしまえば、ある意味男塾側の全戦闘力を、当時は冷戦状態にあった三号生に取られてしまう事になる為、動かすことができなかったというのが事実だともいう。

 ちなみに入塾希望者がそもそも少なかった…基本、余所の一般的な高校からなんらかの理由で弾かれた生徒を受け入れていた状態が主な入塾層であったから、希望者もある程度溜めてから受け入れるのが通年のやり方だったらしい。

 中には最長2年待たされていた者もおり、田沢が待ち組のひとりであった事も今回初めて知った。

 彼は地元の工業高校を中退して編入の願書を出した後、半年待たされて入ったそうだ。

 ……中退というのは表向きで、本当はアホ天才過ぎて追い出されたんじゃないのかと、一瞬思ったのは内緒だ。

 それはそれとしてそう聞いて思わず、保管してあった富樫の入学願書の日付を確かめてみたが、彼はお兄さん絡みの目的があったせいか、中学卒業時にすぐに願書を出して通ったクチだった。

 まあ老け顔だけど、やってる事は年齢相応で可愛いからな、アイツ。

 

 まあそんな事はどうでもいいのだが、そうなると困るのは三号生の事だった。

 本来ならば『卒業』という形になるところだが、天挑五輪参戦闘士の半数が三号生だった事もあり、それを卒業させてしまうと、メイン戦闘力が事実上半減する事になる。

 基本脳筋で戦闘力でもっているこの男塾にとってはゆゆしき問題であり、また入塾希望者にとっての彼らは憧れの存在でもある。

 言い方は酷いが客寄せパンダ的な意味で、見えるところに置いておきたい打算もあった。

 そもそも授業料をまともに納めているのが三号生のみである事から、ただでさえお金がないところに更なる財政難に陥る可能性もある。

 つかそこは新年度からは、間違いなく徴収するべきだと思うけど。

 塾生の中には名家の出の子も意外とおり、そういう子の親は、子供がここに入る事になった事情によっては、寄付金を出してくれる事もあるそうなので、今回はともかく来年以降からは、そういう富裕層にアプローチするのも手かもしれない。

 

 ともあれ私と塾長だけでは結論が出なかった為、邪鬼様を呼び出して三者面談をすることにした。

 制服姿で(こちらに来る時には必ず着るようにしているのだそうだが私は初めて見た)こちらの校舎に足を踏み入れた邪鬼様と、唯一応接設備のある私の執務室で話をした結果、邪鬼様以下三号生は全員卒業という扱いとなるものの、敷地使用料を支払っても天動宮を使用したい旨は変わらない為、事実上彼らは男塾に居続けることとなった。

 総代を退いた邪鬼様は事業に専念するが、戦闘力が必要な場合には、優先的に人員を派遣してくれるという。

 その場合、状況によっては塾生としての身分が必要になる場合もある事から、臨時に『特号生』というポジションを用意し、死天王と鎮守直廊には、そこに所属してもらう事になった。

 これは事実上は臨時職員待遇であり、必要な時には彼らの判断で出撃または人員の貸し出しを行なってくれるらしい。

 

 一号生と二号生はそのまま進級する事となり、赤石は三号生の筆頭を務め、桃は二号生筆頭と男塾の総代を兼任する運びとなった。

 というか最初、塾長は何故か江戸川だけは二号生に据え置きする旨の発言をしたのだが、『江戸川のサポート無しで赤石に筆頭の業務が務まるはずがない』と私が必死に説得した。

 まったく冗談じゃない。

 そんな事になったらあのバカ兄貴、私に学号単位の事務処理アレコレを全部丸投げしてくるに決まってる。

 ただでさえ教官がたの事務処理能力が皆無で、塾全体の事務仕事を、私と塾長が7:3の割合で受け持ってるのに、これ以上仕事を増やされてたまるか。

 というか、現時点で筆頭は、その学年で一番強い者を何となく選んでいる形のようだが、やはりこの先の日本を背負って立つ人材を育成するというコンセプトを掲げている以上、将来的にはある程度、事務処理能力や牽引力を重視して選んでいく形にシフトしていって欲しいところだ。

 ……そう考えると、それでも桃のトップが揺るがないあたり、彼の嫌味なほどの完璧超人ぶりが改めて判る。

 船の上にいる間、何かの会話の折に、苦手な事は何かないのかと聞いてみたところ、少し考えてから『朝』とか答えてたけど。なんか腹立つ。

 

 …それはさておき寮の部屋については男根寮にまだ余裕がある事もあり、今年は移動させない事にした。

 これにより塾敷地内にある二号寮は今年から三号寮となり、二号生までは男根寮で生活して、三号生に進級する時には三号寮に移動してもらう形になる。

 

 新年度からの方針が固まったところで、毎日届く入学願書を塾長と2人、職員室の端で手分けして捌いていたところ、塾長が、

 

「今年は入塾試験をとり行う!準備をせいっ!!」

 といきなり宣言した。

 本来なら来るものは拒まず逃げる者は地の果てまでも追っていく筈のこの男塾だが、異例の募集倍率1.5倍くらいになったあたりで、ぶっちゃけめんどくさくなったんだと思う。

 とりあえず願書の受付は締め切る事にして、この日までに願書を出してきた全員に、教官たちにも協力してもらって試験日程を通知した。

 その日は教官たちの手も取られる為、授業は休みだ。

 試験前日、塾長の指示で塾長室の床に、何故かブルーシートを敷きつめる作業を、私も教官達と一緒に行なったが、肝心の試験に私は立ち会うことを禁じられ、一日自室に閉じこもっているか、校舎から出ていろと命じられた。

 

「男が小便漏らすところをおなごに見られるのは恥辱の極みであろうて。

 せめてもの情けという奴よ。」

 とか言われたがまったく意味がわからなかった。

 ていうか漏らす前提なのか。

 面接試験だけだと聞いていたのだが違ったのだろうか。

 

 ともあれ、新塾生の入る部屋を整えておく為に、その日は権田寮長に申し出て、男根寮の清掃を行うことにした。

 以前は割と掃除をするのをめんどくさがっていた寮長が、今回は私の手の届かない高いところの窓とか、自分から進んで拭いてくれて驚いた。

 塾生達も授業が急に休みになった為、外に出ている子もいたが桃たち静養組も含めた大半は寮に残っており、かなりの人数が自主的に手伝いに来てくれて、とても助かった。

 それで思ったより早く済んでしまい、寮長に確認したら試験がまだ終わっている様子ではなかったので、ここでお昼をいただくことにして、手伝ってくれたお礼がてら、簡単なものだが塾生たちと寮長の分も、お昼ご飯を用意した。

 

「メシが……メシが輝いて見える!!」

「気のせいです。発光体は入れていません。

 馬鹿な事言ってないでさっさと自分の分を盛り、次の者に杓文字を渡しなさい。」

「これが光の唐揚げ!一度食ってみたかった!!」

「まるで私が揚げられてるみたいな言い方はやめてください。

 これはひとり二個取って、汁碗も取ったら席につきなさい。」

「ひとり二個かぁ。わしら育ち盛りの青少年にはいささか物足りんのう。」

「私に喧嘩売ってるんですか?

 それ以上育ってどうする気ですか。

 今はもう遅い昼ごはんですし、食べすぎたら権田寮長のつくる夕ごはんが入らなくなりますよ?」

「それはむしろ入らなくしたいんだが。」

「とにかく!

 足りない分はこの…なんだかわからないけど野菜庫の中に大量にあった、念の為齧って確認したところ毒ではなかった青菜を、とりあえずごま油とオイスターソースで炒めましたので、こちらもどうぞ召し上がってください。」

「いや、多分それ野草…」

「つか、齧って確認したんだ…。」

「なんだその『煮えたかどうだか食べてみよう』方式。」

What do you mean(どういう意味だ)?」

「うまけりゃなんでもいいわい!!

 俺は半年間、光のメシに生かされてきたんだからな!

 光の作ったモンはなんでもうまいぞ、保証する!!」

「光さんの手料理ならば俺は、たとえ毒であっても完食します!」

「毒ではないと言っているでしょう。失礼な。

 はい、席についたら両()を合わせて、みんな一緒に、いただきます!」

「押忍ッ!いーたーだーきーますっ!!」

「小学生か!」

 ……船の上では調理したものが食べられなかった為、万が一食あたりなどで皆が一度に倒れる事態を防ぐ為、食事は数グループに分かれ時間をずらして取っていたから、こんなに大勢で一緒に食事をとるのはこれが初めてだ。

 美味い美味いと周囲から声が上がり、私の作ったものならば苦手なものでも涙目で完食してくれた、少年だった日の豪毅を思い出して、そういえばあの子は煮物の鶏肉は食べられるようになったのだろうかと、埒もない事を考えた。

 

「…のう、光どの。」

「なんですか権田寮長。お口に合いませんでした?」

「いやいや、実に美味しくいただいております。

 …しかし、あれですな。

 カエルもこうして揚げてしまいますと、鶏肉とほとんど変わりませんな。」

 まあ、前に一度あなたに私、小鳥と偽ってカエル食わせた事ありますからね。

 孤戮闘で学んだ、私にとっては当たり前だった事実を感慨深げに呟いた権田寮長の言葉に、周囲の数人が咳き込んだ。

 

 ☆☆☆

 

「確かに親父の構想では、俺が財閥総帥として立つのはもっと先の話だったし、裏事業については、それすら俺に譲り渡すのはそれより更に先、己が満足に動けなくなってからのつもりだった筈だ。

 …だが、これほどまでに実態が隠されているとは思わなかった。

 親父の手掛けていたそれの範囲がどこまでのものだったか、それが把握できないうちは、管理など夢のまた夢だ。」

「用心深い御方でいらっしゃいましたからな。

 御自分の目の届かないところに、他の人間の判断が入ることを嫌ったのでございましょう。

 たとえそれが、後継者である貴方様であっても。」

 藤堂家当主の書斎で、毎日上がってくる書類の山を片付けながら、愚痴ともぼやきとも取れる言葉を口にする主人(あるじ)の声に、側に控えた小太りの男が穏やかに答える。

 見えない目に、それでも主人(あるじ)の苦虫を噛み潰した顔が見える気がして、彼は少しばかり意地悪な軽口を叩いた。

 

「…恐れながら。

 姫を…義姉(あね)上様を手放したのは、総帥の最大の失策ですな。」

「それを言うな、(ホン)師範。

 たとえ光が俺を選んでいたとしても、藤堂家の暗黒面に、これ以上踏み込ませるつもりは元よりなかったのだ。

 …ともあれ、天挑五輪大武會の、今後の開催は未定とする。」

「……御意に。」

 多少は気分を害しただろうがその声音に、怒りの色は現れていない。

 代わりに深い信頼を感じ取り、強い忠誠を新たにする。

 元冥凰島師範・(ホン)礼明(リンメイ)は、自らが支えると決めた若き主人(あるじ)、藤堂財閥現総帥・藤堂豪毅にむけて、答えながら深々と頭を下げた。



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2・暁のパラダイス・ロード

「ごめんなさい…卒業したら、返してあげる約束だったのに…。」

 一番大きな桜の木の下で、今作ったばかりの土饅頭を見下ろしながら、私は頭を下げる。

 だが、すぐにむにむにした肉厚な手が私の肩に置かれ、いま下げた頭を上げさせられた。

 見上げた丸い顔が横に振られる。

 

「……この子ね、俺の6歳の誕生日に、親が買ってきてくれたんです。

 雛の頃から俺が育てて、大きくしたんですけど、そろそろ寿命だったんですよ。」

 …昨日の晩はまだ綺麗な声で鳴いていたピーコちゃんが、鳥籠の底で止まり木の下に落ちて横たわっているのを発見したのは今朝早くの事だった。

 慌てて籠を開けて中から掴み出したその身体は、体温の高い小鳥にはあり得ないほど冷たくなっており、既に息がないのは明らかだった。

 恐らくは男根寮の朝食が終わっただろう時間まで待って寮に電話をし、椿山を呼び出してもらって事情を説明して、今日は少し早めに登校して授業の前に私の執務室に来てもらえるよう頼んだところ、息を切らしてその10分後にはもう来ていて、私の身支度が整わないくらいだった。

 執務室で合流した椿山にピーコちゃんの最後の顔を見せ、白いハンカチに包んでこの桜の下に葬ったのがつい先ほどのこと。

 お線香などは用意できなかったので、せめて二人で土饅頭に手を合わせ、ほぼ同時に手を下ろした椿山と顔を見合わせた瞬間、つい謝ってしまったのが、冒頭からの流れである。

 

「俺もピーコちゃんも、光さんにはむしろ感謝してるんですから、謝らないでください。

 だって光さんに助けてもらわなかったら、ピーコちゃんはあの時に死んでたんですよ?

 それがこうして寿命を全うできたんですから、万々歳なくらいです。

 ありがとうございます、光さん。」

 傍に置かれた空の鳥籠を持ち上げた椿山は、そう言って太い首をすくめ、唇に笑みを浮かべた。

 

「…泣いても、いいんですよ?」

 やけに穏やかな表情を浮かべる椿山に、私はついそんな事を言ってしまう。

 確かに以前に比べれば泣かなくなった椿山だが、それでもピーコちゃんはずっと彼の心の支えだった筈だ。

 あの竹林剣相撲の後、豪快キャラを一時的に演じていた彼だったが、虚勢をはらなければ悲しみに潰されそうだったからだと、後になってから聞いた。

 だとしたら、今回もそれが必要なんじゃないかと思うんだが、今を見る限りそうなっていない分、逆に彼の繊細な心が心配になった。

 

「光さんが我慢してるのに、その目の前で男の俺が、泣くわけにいかないでしょ?」

 …だが、返ってきたのは意外な言葉だった。

 少し低めの落ち着いた声音に、思わずドキリとする。

 なんというか、すごく痛いところを突かれた気がして、思わず顔を背けた。

 

「そんな、事」

「目、腫れぼったいですよ。少し泣いたんでしょ?」

 だが、椿山のぷっくりした掌が、頬に当てられたかと思うと、背けた顔をまた真正面に向けられた。

 ……これ以上隠すことはできそうにない。

 

「…出来れば、気付いて欲しくはなかったのですが、ね。」

 ここに来る以前の私であれば、小動物が死んで泣くなんて考えられなかった事だ。

 ちょうどあのくらいの大きさのスズメの丸焼きだって、ターゲットとのデートで連れて行かれた焼き鳥屋で食べたことがある。

 スパイスや油たっぷりのフライドチキンなんぞより、こちらの方が好みなくらいだ。

 もっとも、平気な顔で頭から丸かじりしたらターゲットに、自分で勧めたくせにドン引きされた。

 一般的な女の子はこれに一旦は躊躇しなければいけないのだとその時初めて知った。

 …それはさておき、多分私と寮長の、あの時点での『小鳥』に対する意識に、大した違いはなかったと思う。

 ただ、私には椿山に対して何も含むところはなかった上に、あの時私に縋り付いて助けを求めてきた塾生の、あまりにも哀れな様子に絆されただけで。

 その私が、毎日餌や水を与え籠の掃除をして、自室を長く空ける時は幸さんに預けたりもしたが、基本この1年足らずの期間世話をした事で、自分が手をかけなければ生きられない存在というものに、いつの間にか情を移していた。

 そして、なんの前触れもなくその死に直面した時、先の天挑五輪の中で死というものに嫌悪感を覚えてしまった事もあり、気がついたら涙が溢れてしまっていた。

 …私からの呼び出しに対し、思ったより早く来てしまった椿山に焦った私は、白目の充血だけはツボ押しと目薬で引かせたものの、腫れたまぶたを誤魔化すメイクをするだけで精一杯だった。

 もう少し時間があれば冷やすなり強制的にリンパを流すなりなんなりもできたのに、その時間がまったくなかったのだ。

 

「あなたには及ぶべくもありませんが、私も1年近く、この子と一緒にいましたからね。

 少しだけ、情が移ってきていたようです。」

 しなくてもいい言い訳をしてしまう私に、椿山はフッと笑いかけた。

 しかし次の瞬間、妙に真剣な表情になって、つぶらな目が私をじっと見つめる。

 

「……俺も1年近く、光さんを見てきたんですよ?

 気付かないわけがないでしょう。

 …改めて言います、光さん。俺は、あなたのこt」

 

 ブォン!

 ブォンブォンブオォン!

 ブオォンブォンブォンブォン!!

 ブォ──ンブォンブオォ──────ン!!!

 

 …何か言いかけた椿山の言葉を遮ったのは、唐突に轟いたバイクの空ぶかしの爆音だった。

 

「だ────っ!やっかましいわ────っ!!」

 その公害とも言える騒音に一瞬にしてブチ切れた私は、椿山を突き飛ばすようにしてその場を離れると、その騒音の発生源に向かって駆け出した。

 ……まあ、和服姿なので早足程度だ。

 

「ひ、光さん〜〜!!」

 後ろの方から椿山の、泣くような叫びが聞こえてきたが、気のせいだと思うことにした。

 今や最愛のピーコちゃんが死んでも泣かなかった男が、私に突き飛ばされたくらいで泣くわけがない。

 

 ☆☆☆

 

 音を頼りにたどり着いた広い校庭の中ほどに停まった大きな一台のバイクは、それにまたがった学帽の男によって、騒音と共に排気ガスを撒き散らしていた。

 学帽の襟足から長い髪が垂れており、後ろ姿から一瞬富樫かと思ったが、よく見ると学帽はまだ新しいし、身につけている上衣はうちの制服ではなくレトロな学生マントだった。

 履いているのも靴ではなく下駄のようで、所謂蛮カラと呼ばれるファッションに近い。

 …こんなのを着てバイクに乗って、裾が巻き込まれないのかとつい余計な心配をしてしまったが、今は他に言わねばならない事がある。

 

「ちょっと!そこのひとり暴走族!!

 どっから入ってきたんですか!」

「…誰がひとり暴走族だ。」

 ビシッと指差してその背中に声をかけると、男はアイドリングを止めて、ゆっくりと振り返った。

 目深に被っている帽子の庇を上げて、一瞬目を瞠いたその顔は、精悍だがどこか幼さも残した、レトロファッションに似合わぬ今風のイケメンだった。

 …ううむ。髪を切ってもっとすっきりとした服装をすれば相当モテるだろうに、実に勿体無い。

 うちの豪毅の圧倒的な清潔感を見習うといいと思う。

(注:あくまで光の基準と好みと姉の欲目です)

 それはさておき、

 

「ここは男塾の敷地内で、関係者以外立ち入り禁止です!

 直ちに出て行きなさい!!あと近所迷惑です!!」

「俺は男塾の塾生だ。といっても春からだが。」

 私の告げた要求に対して、青年がめんどくさそうに返してきた言葉に、私は一瞬固まり、意味を理解するのに数瞬の間を要した。

 そういえば先日、入塾試験を行なっており、合格者に対して、改めて入塾に関する要項をまとめた書類を、昨日各自の自宅宛に郵送したばかりだ。

 

「……なるほど。新学期からの一号生でしたか。

 入塾試験、お疲れ様でした。

 私はここの職員で、塾長秘書兼事務員の、江田島光と申します。」

 …あとから聞けば、試験は阿鼻叫喚を極めたものであったという。

 内容は、リボルバー式の拳銃に1発だけ弾丸をこめて、自分の頭に向けて引鉄を引く、所謂ロシアンルーレットだった。

 ちなみにロシアンルーレットの正式ルールでは、弾丸が出そうな予感がした時のみ、誰にも当たらない宙に向けて撃ってもいいことになっている。

 その場合、予想通り弾丸が発射されたなら、判断が正しかったとしてその者の勝ちとなるが、発射されずにシリンダーが回ったら、単に怖気づいただけであるとして負けという判断になるのだ。

 大体の子は引鉄すら引けずに逃げ、または宙に向けて撃って弾丸が出ずに不合格となったそうで、死者はひとりも出なかったらしいが、1人だけ宙に向けて撃ったそれから弾丸が発射され、そのまま立っておれば合格だったものを、驚いて逃げ出してしまい不合格となった者がいたらしい。

 気持ちはわかるが勿体無い事だ。

 勿論、合格者はまともに頭に当てて引鉄を引き、無事生き残った者のみで、結局受験者のうち1/3程度しか残らなかったそうだが、どうやらその中にひとり、とんでもない奴がいたらしい…、

 

「なんで男塾に女がいるのかと思ってたら事務員だったのかよ。

 けど試験の時にゃ見なかったな。」

 と、塾長や教官に聞いた話をそんなところまで思い返していたら、青年が訝しげな視線を私に向けて言ったのが耳に入ってきた。

 慌ててその目を見返し、答えを返す。

 

「その日は、あなた方新入生の入る寮の清掃をしておりました。

 そういった雑用も時折受け負っておりますので。

 …ついでに言えば、先ほどのような近所迷惑が生じた際に、近隣住民のお宅に謝罪行脚を行なうのも、大体私の仕事です。」

「…そりゃ悪かった。」

 私の嫌味に対して、青年は意外にもそう言うと、跨っていたバイクから降りて軽く頭を下げた。

 思ったより素直なその態度に、少し笑いそうになって慌てて表情を引き締める。

 

「…ところで、今日は何をしにここへ?

 まだ授業開始前ですが、下見でしたら後日に願います。

 昨日、入塾及び入寮に関する案内状を御自宅宛てに郵送させていただいてますので、早ければ今日にでも届く筈です。

 その中に寮の事前見学可能な日程も記載されておりますので、希望するのであれば内容に従って、電話または郵送で希望日程の申し込みを行なってください。

 尚、FAXでの申し込みは受付けておりません。

 というかうちFAX無いんで。

 ちなみに一、二号生の入る男根寮は、ここの2丁向こうの建物で、近くまで行けばすぐに判ると…」

「寮の見学なんざどうでもいい。

 俺は、総代に会いに来たんだ。

 この男塾の頂点(アタマ)張る為にな。」

 だが、春からピカピカの新一号生になる青年は、次にはなかなかに大それた事を言い出した。

 

「総代に、挑戦するということですか?」

 思わず問うと、見上げた顔が微かに頷く。

 

「……ならば、新学期が始まってからの方が。」

 なので、現実を教えるべく私はそれを告げた。

 青年が再び目を瞠く。

 

「…何故だ?」

「桃……総代は先の天挑五輪の流れからの休養期間中で、ここで待っていても登校してきませんから。」

「……………!」

 私の言葉に、青年は背後に『ガーン』という書き文字が見えるような表情を浮かべた。

 やっぱり、待っているつもりだったらしい。

 わかりやすいというか、ちょっと可愛いなコイツ。

 

「それに、これは本人に確認しなければ判らないことですが、現時点では入塾前、『合格内定』でしかないあなたの立場では、挑戦を申し出ても断られる可能性があります。

 正式に『塾生』となってからであれば、総代がそれを拒むことは許されなくなりますので、逃げ道を塞げる分面倒がな……いえ、確実かと。」

「今、面倒がないとか言おうとしたよな!

 ……まあいい、判った。」

 青年は一旦はつっこんだものの、次には明らかにがっかりして肩を落とした。

 多分、すごく気合入れて臨んでいたに違いない。

 なんだか可哀想になってきた。

 

「失礼ですが、あなた、名前は?」

「……東郷、総司。」

 とうごうそうじ。

 なんか最近聞いた響きであるような気がする。

 けどちょっとうちの弟の名前、『とうどうごうき』と音の響きが被る事もあり、私の中に生じたのがどっちの感覚であるのか、瞬時には判断できなかった。

 …ので、私はそのどちらをも、頭から締め出す事にした。

 

「覚えておきます、東郷。

 ……ところであなた、今日この後に、なにか予定はありますか?」

 男塾総代に決闘を申し込むつもりでいたのであれば、その後に用事を入れる事はないだろうが、念の為確認しておく。

 

「……は?」

「もしただ帰るだけならば、商店街の近くまで乗せてってもらえないかと思って。

 帰りまで送れとは言いません。

 置いていっていただければ充分ですから。」

 今の時間なら、ここから乗せてもらう事ができれば、開店時間ぴったりくらいに着けると思う。

 そこから買い物して歩いて帰っても、私の勤務開始時間を、そうそう過ぎる事はない筈だ。

 

「…ここいらの商店街ってのは、確か駅の方に向かう途中にあるやつだな。」

「はい。仏具屋さんで、お線香と蝋燭を買いたいのです。」

「線香と蝋燭?墓参りにでも行くのか?」

「似たようなものですね。駄目でしょうか。

 無理なようでしたら諦めますが。」

「……別に構わねえが、その格好でバイクに乗れるか?」

「すぐ着替えてきます!よろしくお願いします!!」

 …かくして、久しぶりに男塾の制服に身を包んだ私は、彼のバイクの後ろに乗せてもらって買い物へ向かう事になったのだが。

 

 ……この後にまさかあんな事になるなんて、無関係の人を巻き込んでしまう事になるなんて、私は知らなかったのだ。




というわけで、原作よりひと足先に東郷くん登場です。
正規の手順を踏んで入塾した新入生であるという事で、この作品の彼は、原作よりも若さを強調した年下キャラになってます。
ご了承ください。


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3・遠い日に置き去りにした物語を

 ・・・・・・・・・・

 

「…光。なんか、俺のこと避けてないか?」

 …それは、船の上で簡単な食事と水分補給を行なっていた私の背中にかけられた声だった。

 

「……避けてなどいませんが、何故ですか?」

 確かに避けてはいないものの、正直あまり目を合わせたくなくてのろのろと振り返ると、かがみ込んだ涼しげな顔がえらい間近にあった。

 …どうやら、逃さないと言われてるぽい。

 

「ここまでしないと全然目が合わないし、こっちに誘導しようとしても、なかなか俺の側に寄ってこないからな。

 理由があるなら、聞いときたいんだが?」

 くそ。相変わらず、鋭くて嫌になる。

 避けているというよりは、対面で話をしたくなくて、出来るだけ他の皆と一緒に行動していただけの事で、話しかけられれば会話くらいはしていたというのに。

 

「ひょっとして、また何か怒っているのか?」

「その言い方では、私がいつも怒っているみたいじゃないですか…。」

 あんまりにもあんまりな言い種に、思わず半目になる。

 …けどまあ、悩んでいても仕方ない。

 せっかく向こうから水を向けてくれたのだ。

 この機会は有効に活用させてもらおう。

 

「…怒っているわけではありませんが…あなたの行動に、どう考えても腑に落ちない点が。」

「腑に落ちない点?」

 そう。気になって仕方ないことがひとつある。

 本人に問いただすのが一番早いと判ってはいても、気まずさが先に立ってしまい、モヤモヤしたまま数日経ってしまった。

 多分、あれに他意はなかったと…思いたいのだが。

 

「………あの、海の中での話ですが。」

「…ん?」

「あれは、人工呼吸ですよね?」

 こちらを見つめてくるその強い瞳を、なんとか見つめ返しながら問いかける。

 私のその問いに、桃は一瞬だけ目を(みひら)いた。

 だが、すぐに元通りの笑みをその唇に浮かべて、頷く。

 

「……ああ、勿論。

 なんだ、ひょっとして照れていただけか?」

「いえ、人工呼吸であればそれはあくまで救命行為ですので、別段気にはなりません。」

「…そう言い切られるのも複雑なんだが。」

 誰かと唇を合わせるのは初めてのことじゃないし、むしろ暗殺者時代は一番効果的に相手(ターゲット)に近づく手段として利用していた。

 人工呼吸は、同じ『唇を合わせる』でも普通にノーカンだ。

 前者は死を、後者は生をもたらすもので、私にとって重要なのは前者であったからだ。

 つまり、それがどっちであるかは、私の中では割と重要なのだ。

 

「…ですがあの場合、はたして舌を入れる必要があったのかと、考えれば考えるほど思考がループにハマりまして。」

 …そう問いかけながら見上げた桃の顔には、相手をからかって遊ぶ悪い癖が出ている時の、人の悪い笑みが浮かんでいた。

 

「…フッフフ、バレていたか。

 意識が朦朧としてた感じだったから、気づかないかと思ったんだが。」

「桃っ!」

 やっぱりか!変だと思ってたんだ!!

 だって舌だよ?フレンチ・キスだよ!?

 あ、ちなみに日本語では軽いキスの事をそう呼ぶ傾向があるけど、本来は正反対の意味で『フランス映画のような情熱的なキス』の事だからね!

 

「責任を取れというなら、喜んで取らせてもらうが?」

 そして、その人の悪い笑みを浮かべたまま、更に桃はふざけたことを口にする。

 その顔を見ていたら徐々にムカついてきて、私は彼を睨みつけながら、思わずこんな言葉を発していた。

 

「…そんなものは要りませんが、代わりにあなたの弱点を私に教えなさい。」

「弱点?」

「そうです!

 苦手な事のひとつくらい無いんですか!?」

 ビシッと指差しながら割と情けない事を言った私に、桃は自身の顎を摘みながら、考えるような仕草をする。

 数瞬、眉根を寄せて視線を上げていた桃が、再び私に視線を戻して、もう一度笑みを浮かべながら言ったのが、これだった。

 

「………朝、かな。

 寝て起きるのが、割と苦手だ。」

 殴りたい、この笑顔。

 

 ・・・

 

 思い返しても他愛のない、あの時のことを夢にみたのは、商店街までちゃんと送り届けてくれたバイク乗りの蛮カラ青年(アンチャン)に、総代がどんな男なのかを、短い道中に訊ねられたからかもしれない。

 

「男塾に入ろうと決めた時点では、総代は大豪院邪鬼という男だと聞いていたから、その男については調べていたんだが、まさか天挑五輪大武會の間に交代してたなんて、入塾試験を受けにきた時まで知らなかったんだ。

 10年在籍してたってやつが、まさかいきなり居なくなるなんて思わねえじゃねえか。」

 …逆に邪鬼様が10年塾生をやっていることに対しては、疑問を抱かなかったのだろうか。

 しかしまあ、男塾に関して世間の常識は通用しないというのが、今となっては逆に世間の常識なのだ。

 

「それはそれは。

 ですが、逆に良かったではありませんか。

 大豪院邪鬼に挑む状況であれば、まずは鎮守直廊3人の門番に挑んだあと、更に死天王を納得させなければ、恐らくは顔も見せては貰えないでしょうからね。

 桃…剣桃太郎であれば、その心配はありません。

 彼は良くも悪くも、闘いに関して()真っ直ぐなのです。

 本人に挑む前に消耗しているような闘いには、決してなりませんので、その点は御安心を。」

 まあ、正確には邪鬼様にも、一応拠点が塾敷地内にあるのだから、挑戦したいと思えばそうすることは可能だろうが、その場合は桃に挑むよりハードルが高いことになるのは間違いない上、たとえ勝っても得られるものはない。

 

「……別に、そうであったとしても、挑むことに変わりはねえ。」

 おやまあ。勇ましいことだ。

 

 

「…本当に、帰りは送らなくていいのか?」

「充分です!ありがとうございました!

 では、東郷。新学期にまたお会いしましょう!!」

 商店街のアーケード内にバイクや自転車の乗り入れができない為、その手前で下ろしてもらい、そんな挨拶で彼と別れた、すぐ後の出来事だった。

 多分だが小路に入った瞬間、なにか薬品のような匂いのする布を鼻と口に当てられ、すぐに意識が遠のくのがわかった。

 

 ☆☆☆

 

「…ほう。これが藤堂家の深窓の姫君か。

 …………その、本当に…コレなのか?」

 意識を完全に失う直前、自身に氣の針を打ち神経に対して薬品の効果をブロックする作用の処置を施した私は、数分は確かに落ちたものの、僅かに夢を見た程度で目を覚ましており……そのまま担がれて運ばれた場所の埃臭いマットレスか何かの上に横たえられながら、聞こえてきた何やら失礼ぽい言葉につっこみたい衝動をぐっと堪えて、敢えて気絶したフリをし続けている。

 

「はい。間違いございません。

 もっとも、基本的に離れで生活されていましたので、私のような下っ端が本邸でお目にかかることは滅多にありませんでしたが、それでもお顔は存じております。

 何故このような格好をして、あんな男ばかりの私塾に出入りしているかまでは、さすがに存じ上げませんが…」

「わかった。ならば、受け取ろう。

 …むしろ偽物で騙す気であれば、もっとそれらしいのを用意するだろうからな。」

 失礼な台詞に答えたもう1人の男の声には、聞き覚えはあるようなないような微妙な感じだったが、まあそこはこの際どうでもいい。

 つまりは、藤堂家に勤めている、或いは過去に勤めた事のある人物が、私をそれと知ったうえで捕らえ、今はもう1人に引き渡すところだという事だ。

 更に、相手がどうやら私の顔を知らないらしいところを見ると、先の天挑五輪大武會の、少なくとも優勝決定戦を見ていた層の人間でない事は確かだろう。

 目を閉じているので確認はできないが、気配を探った限り少なくとも、半径5、6メートル圏内の範囲には、この2人以外の人間はいないようだ。

 

「で、では…息子を返」

「ご苦労だった。」

「ひっ!?」

「驚く事ではなかろう?

 裏切りの末路などこのようなもの……っ!?」

 男の声が一瞬止まったのは、もちろん本人の意志によるものではなく、私に全く警戒していなかったその男の手首を捉え、氣の針を撃ち込んで全身を麻痺させる処置を施したからだ。

 私に腕を取られたままぐらりと崩折れたその身体を、先ほどまで自分が横たえられていたマットの上に導いてやる。

 一応、手から落ちた小型の拳銃を、回収しておく事も忘れない。

 そうしてからもう1人のほうを振り返ると、その声の印象同様、見たことあるようなそうでもないような蒼ざめた顔が、呆然とこちらを見つめていた。

 

「ひ…姫……!?」

「…事情をおうかがいする前に、まずはこの人の拘束を手伝ってください。

 殺してしまうのは簡単ですが、先ほどまでのやりとりをうかがう限り、貴方も私と同様、この人から聞かなければならない事があるのでしょう?」

 先ほどの会話から判断して、人質を取られている状態らしいその男を落ち着かせるべく、なるべく穏やかに声をかける。

 男は一瞬ハッとした表情を浮かべた後、壊れたおもちゃみたいな動きで、かくかくと首を縦に振った。

 …首肯はしたものの、これは役に立ちそうにないなと判断して、何か縛るものはないかと周囲を見渡す。

 幸いにも…というか多分私に使うつもりであっただろう手錠のようなもの(形状は確かに手錠なのだが、何故か肌に当たる部分の金属の芯が、フェイクファーみたいな布で覆われている)があったので、後ろ手に回した手首にそれを填める。

 鍵がないかと男の上着のポケットを探り、身体の向きをこちらに向けた時に、初めてその男の顔をまともに見た。

 

 ずくん。

 瞬間、心臓の奥の部分が、痛みを伴い激しく跳ねる。

 そこからじわじわと、黒い感情が湧き上がるのがわかった。

 それが怒りであることを、数瞬遅れて理解した。

 

 かつて孤戮闘を生き残った私は、最初に降りてきた男に襲い掛かろうとして、指が届く寸前で網をかけられて捕縛され、その後、薬で無力化された。

 意識だけははっきりとしているのに身体を動かす事が出来ず、そのまま数時間放置され……あまり言いたくはないが、その間に若干の粗相をした汚れた服を剥ぎ取られ、まるでモノでも扱うように身体を洗われた後、背中に例の、孤戮闘修了の証の刺青を施されたのだ。

 その時、部下たちに事細かに指示を出していたのが……まさに今、ここに倒れている男だった。

 

 ………この男、私の顔を覚えてなかった。

 あれほどの屈辱と苦痛を私に強いておきながら。

 

 まだ呆然としつつ、へなへなとその場に座り込んだもう一人の男に先ほど言った、情報を聞く為に殺さずにおくという言葉を一瞬後悔してしまった自分に気がついて、私は慌てて己が殺意に蓋をした。

 

 ☆☆☆

 

「…商店街で降ろしたのは、確かなんだな。」

 光が姿を消してまる1日経った朝、彼女と一緒に塾を出たという新塾生を、塾長に頼み込んで特別に見せてもらった入学願書から、椿山の証言をもとに割り出して、俺はその自宅を訪ねていた。

 その椿山は、『アイツが光さんを攫ったに決まってる!』と憤慨していたが、状況を説明して事情を聞いたところ、明らかに驚いた様子で、名を名乗った俺に何か含むような目を向けたものの、その目は嘘をついているようには見えなかった。

 

「ああ、間違いねえよ。

 帰りも送ろうか聞いたら要らないって言うから、そのまま別れて俺は帰った。

 ……チッ、だから言ったんだ。

 あの女、初見から危なっかしい感じがしてた。

 こんな事なら、無理にでも付き合って帰りまで送ってやるんだった。」

 そう悔しげに独りごちるその様子からは、むしろ、真っ直ぐな印象しか受けない。

 この男は信用してもいいと、俺は判断した。

 光もそう思ったからこそ、会って間もないコイツのバイクに乗ったのだろうし。

 

「いや…光がどんなトラブルに見舞われたかは判らんが、そうしてたらおまえまで巻き込まれていただけだろう。

 光はあれで、その辺の男程度に引けをとるような女じゃない。

 …最後の足取りが判っただけでも、今日おまえに話が聞けて良かった。」

 相性の問題が大きかったとはいえ、光はあの邪鬼先輩と互角の闘いを繰り広げた女だ。

 その彼女が巻き込まれたのが、生易しい事態である筈もない。

 ともあれ、これ以上こいつから、得られる情報はないと思っていいだろう。

 

「朝早くに訪ねて、済まなかったな。

 新学期にまた会えるのを楽しみにしてる。」

 まともに対応してくれた事への謝意を示しつつ、春から後輩になる男に軽く頭を下げる。

 忙しい早朝に、明らかに面倒ごとを持ち込んだ自覚くらいはあるつもりだ。だが、

 

「……待てよ。」

「…………ん?」

 その場を辞すつもりで向けた背中に、固い声がかけられる。

 振り返るとその声の主が、真新しい学帽を頭に乗せているところだった。

 

「あの女を探すなら、俺も付き合う。

 どっちにしろ最後に会ったのは俺だ。

 何かあったら寝覚めが悪いし…何より、このまんま結果だけ待ってるなんざ、性に合わねえからな。」

 更に、玄関のフックに掛けられていた黒い上着を、ばさりと音を立てて羽織る。

 上着と見えていたそれはマントのようで、どうやら大正〜昭和初期の、蛮カラと呼ばれるファッションを模したものらしい。

 …その下に学生服を着るのが本式だろうに、素肌に直接身につけているのは何故だろうと思わなくもないが、その点はひとのことは言えないので黙っておく事にする。

 というか、『やっぱりサラシを巻いた上から直接制服を着るより、下にTシャツの1枚でも着る方が、汗も吸うし暑ければ脱げるぶん快適です!』と、冥凰島からの船の上で光が力説していたのを急に思い出して、場違いに笑いそうになるのを慌てて堪えた。

 …塾に戻ったら、俺もそれに倣うことにしよう。

 

 ・・・

 

「ひとつ答えろ、総代。

 ……あれは、アンタの女か?」

 気がつけば何故かバイクを押して俺と並んで歩いていた、東郷総司という名のその男は、学帽の庇の下から、射抜くような鋭い視線を俺に向けて問うてくる。

 

「だとしたら、どうする?」

 唐突なその問いに、なんとはなしに否定するのも癪な気がして、俺は曖昧に問い返した。

 

「……別に。

 だがこの件が済んだら、男塾の総代の名を賭けて俺と勝負すると、約束しろ。」

 学帽を深く被り直しながらそう言うそいつが、入塾試験で弾丸5発入りのロシアンルーレットを見事生き残った上、男塾を制覇すると宣言した男だと、塾長から聞かされた事を思い出した。



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4・キミ・ハ・ムテキ

なんかスランプに陥ってしまい、気がつけば前の更新から半年近くもお待たせしてしまいました。
まだまだ復活したとは言い難いですが、少しずつ上向いております。

多分(ヲイ


「……つまり、私を人質にして藤堂財閥に、孤戮闘の資金を加増するよう訴えるつもりであったと。

 それは、随分と杜撰な計画ですね。

 それで豪毅を動かせると思ったのだとすれば、随分と馬鹿にした話ですが。」

 捕らえた男を目覚めさせて、どういうつもりでこんな事をしたのかを吐かせてみたところ、なんともいえず微妙な答えが返ってきて、私は半目になりながらも状況を整理した。

 ちなみに今いるこの場所だが、商店街から程近くに倉庫が並ぶ一角があり、その中のひとつであるらしい。

 

「人質だなどと!

 一応は交渉材料として使わせてもらうつもりでいたが、こちらには貴女を傷つけるつもりはまったくなかった!!」

 私が聞いた情報を端的に纏めた言葉に、なんだかわからんけどムキになって返してくるのは、例の孤戮闘の男。

 まあ用意されていた手錠(今はこの男に対して使用している)に巻かれていたフェイクファーの布の存在も、万一にも私を傷つけない配慮だったと思えば、百歩譲って納得はいく。

 けど交渉に使うつもりでって…世間一般ではそれを人質って言うんですけどねえ。

 

 …それはさておき状況はこうだ。

 孤戮闘を運営しているのは藤堂兵衛直轄の裏組織だが、実際に管理しているのはそれを委託された別組織らしく、男はそこの幹部であるという。

 そんな彼らが例年通り、今年も候補となる子供の人数が集まって、開始できる運びになったところで、今回の突然の総帥交代。

 開始の連絡を入れたものの、それからはや一ヶ月、資金の振込どころか了承の連絡すら来ず、このままでは孤戮闘だけでなくそこに関連する全ての事業から全面撤退せざるを得ない状況なのだそうだ。

 どんだけ自転車操業なのよ…と思ったが、そもそも孤戮闘には候補を集めるところから修了者を闘士として育てるまでに莫大な資金がかかっており、毎年開始時期に数億を超える金額が振り込まれるものの、その資金総額を考えれば、彼らのもとに利益として残るのはその3割にも満たないらしい。

 それすら今回は期日を過ぎても一向に入ってくる気配がなく、仕方なく催促の連絡をしてみれば、現当主に会わせてもらうどころか門前払いされ、そもそも現当主である豪毅まで話が行っているかすら疑わしい状況だという。

 こうなればせめて当主に会ってもらう状況を作らねばと焦っていたところに、たまたま見知っていた藤堂家に勤務する男性の、子供を誘拐しそれを人質に、藤堂家の情報を吐かせて存在を知った、私の拉致を命じたという事らしい。

 世間的には、御前の死亡はまだ公表されてはいない。

 なのであわよくばこの件によって豪毅を退任に追い込み、藤堂兵衛を再び総帥に戻せれば、それがベストだと考えてもいたのだろう。

 

「…まさか『藤堂の姫様』と呼ばれて、奥にしまい込まれた深窓の令嬢が、我々が送り出したひとりであったとは、まるで思いもしなかったが。

 随分と『出世』していたようで、何よりだ。」

 恐らくは仲間意識に訴えようとして無理矢理浮かべたのだろう、気安げな表情が男に浮かぶ。

 この様子では、私が孤戮闘修了闘士であった事には気がついたものの、その時私に何をしたかは覚えてもいないらしい。

 全身がぞわりとする感覚を覚えながらも、それに耐えて私は男を睨みつけた。

 

「私は藤堂家からの『持込み』だった筈です。

 あなた方は、言ってしまえば私に箔をつける舞台を用意しただけ。

 そして勝ち残った後も、私は特別に御前自らの手で修行の仕上げを施されて、あなた方の薫陶など何ひとつ受けてはおりません。

 まるで私を、自分たちの手で作り上げたような言い方はやめていただけますか。」

 この期に及んで、自らを藤堂家の者とする発言もどうかとは思ったが、こいつらにとって私は未だ『藤堂の姫様』なのだ。

 余計なことを言えば話がややこしくなるだろう。

 私のひと睨みが効いた訳ではなかろうが、彼がその軽い口を閉ざすと、もう一人の方が顔を青ざめさせたまま、私に向かって言葉を発してきた。

 

「わ、私は協力しなければ、息子を孤戮闘に放り込むと言われて、仕方なく…!」

 どうやら言い訳をしたかったようだが、勿論私がそれに納得する筈もなく。

 

「どうしてその時点で、豪毅にそれを訴えなかったんですか?

 彼を侮ったという点では、あなたもそこの男と同じです!」

「うっ……!」

 …つまりはこれら一連、新当主としての豪毅の足元の地盤が、未だ固まっていないという典型的な事例なのだろう。

 彼の義姉(あね)である私としては、確かに気になるところではあるが…

 

「…まあ、今はそこは置いておきましょう。

 貴方、お名前は?」

「は……わ、私は藻部(もぶ)と申します。」

「では藻部さん。

 今から手紙を書きますので、貴方はそれを藤堂家の、森田清子さんに届けてください。」

 清子さんがコロシアムから藤堂邸の勤務に戻されたという話は、先日豪毅から届いた手紙で伝えられて知っている。

 

「くれぐれも誰かに託す事なく、本人に直接お渡しして、用件が済んだら速やかにこちらに戻って来るように。

 私はここでお待ちしています。

 …まさかそんな事は考えないでしょうけれど、このまま逃げようなどとは思わないでくださいね。」

 言いながら、制服の内ポケットから懐紙とボールペンを引き出す。

 

「も、勿論です!

 私も、息子の命がかかってますので。」

 藻部と名乗った男は、私の言葉にこくこくと肯いた。

 その反応を視界の端に捉えながら、私は紙の上にペンを走らせる。

 その途中で、一度だけ孤戮闘の男の方に視線をやり、呟くように告げた。

 

「そちらの貴方は、彼が戻るまでの間、ここで私と待機です。

 戻った彼の報告を伺い次第、貴方の組織の…恐らくはこの計画の結果を待っている人たちのところまで、私達を案内してもらいます。

 彼はともかく、私に対しては元々そのおつもりだったのでしょうから、問題はありませんよね?」

 そんな私の言葉に、男は驚いたように目を瞠く。

 脅されていた藻部を送り出して、孤戮闘の男と2人きりになった私は、彼が抵抗を試みた場合すぐに対処できる距離をキープしつつ、待機の体勢を整えた。

 

 ・

 ・

 ・

 

「…貴女はどうやら我々の組織に乗り込むつもりらしい。

 ですが、それをしてどうされるおつもりですか?

 我々を敵に回して無事でいられるとでも?」

 そうやって過ごして1時間半ほどが経過した頃。

 それまで黙っていた孤戮闘の男は私に問いかけてきた。

 

「…あなたは組織の、少なくとも幹部のひとりでしょう。

 あなたを人質に乗り込んでいけば、ある程度まではどうにかなると踏んでいますが、違うでしょうか?

 ……答えなくて結構。

 この状況であなたが口にする言葉が、どこまで信用できるかなんてわかりませんものね。」

 私がそれを決めたのは、現時点で候補が集められているという情報が気にかかったからだ。

 それは下手すれば既に孤戮闘開始の前段階、子供たちを飢えさせる過程に入っている可能性があるという事であり、つまりはこのまま彼らが孤戮闘事業の撤退を決めてしまうと、その状態のまま子供たちが、見捨てられる状況になりかねない。

 一時でも豪毅を裏切ろうとした藻部の息子の事とか正直どうでもいいし、積極的に助けなければならない義理はないが、聞いてしまったからには無視もできまい。

 何より、こんな非人道的な事業と、これから豪毅が背負って立つ藤堂財閥を、この先も関連させておくわけにはいかない。

 あの子は明るい世界を、堂々と渡っていくべきなのだ。私と違って。

 …半分は私自身の恨みの感情も入っているが、とにかくこいつらは私の手で、何がなんでも潰しておかなければならない。

 

「…ただ、これだけはお忘れなく。

 私はいつでもあなたを殺す事ができる。

 下手な事はなさらないのが身の為です。」

 目を合わせるのも嫌だったが、敢えて男を真っ直ぐに見返しながら、私は言葉を返す。

 私の能力を身をもって体験した筈の男は、なぜかそれに対して厭な笑みを浮かべた。

 

「そもそも、乗り込む事ができるとお考えでしたら、いささか甘いと申し上げていますが?」

「……なんですって?」

「貴女の仰る通り、私は幹部のひとりです。

 その私の動向を、組織の上部が把握していないとでも?」

「それは、どういう意味ですか?」

 私が問うと、男は馬鹿にしたように喉の奥で笑う。

 

「私の位置情報は、我が組織が古来より守り続けてきた秘技により、常に組織に把握されているのですよ。

 そして一定時間以上連絡も無く、同じ場所に留まっていれば、その状況は不自然なものと判断され、その時点で私の現在位置へ、人員が派遣される手筈になっています。」

「それは…まさか!!」

 

 

 自居飛韋得守(じいひいえす)

 古代中国の軍隊で密かに開発された、互いの氣を同調させる事で、離れた相手の居場所を確認できるという秘技。

 これによりはぐれた仲間を見つけ出す事や、裏切りの証拠を押さえる事などが可能となる為、時の将軍はこの技を全兵士に修得させる事を推奨したが、軍全体の兵士の氣を全て同調させる事が事実上不可能であった為、その有用性も次第に廃れていったという。

 現代において衛星を使った位置情報システムをGPSと呼ぶが、その発想がこの技からのものであることは言うまでもない。

民明書房刊『氣-その効用と実践』より

 

 

「…そして、その一定時間はとうに過ぎている。

 先ほどからうちの兵隊の氣がこの近くまで来ている事を考えれば、ここに辿り着くのも時間の問題。」

 そう言って笑みを深くする男を、私は睨みつける。

 

「……へえ。で、それが何か?

 私は今この瞬間にはあなたを殺す事ができます。

 それこそあなたのお仲間が、私たちを見つけるよりも早く。」

「御気丈な事だ。

 だが私を殺したところで状況は変わらず、多勢に無勢で、結局は貴女は捕らえられる事になる。

 孤戮闘修了闘士である藤堂の姫君とて、一人でこの局面を打破できるとは思いますまい?

 …先ほども申し上げた通り、私は貴女を傷つけるつもりはない。

 大人しく捕まってくだされば当初の予定通り、藤堂財閥の総帥への、交渉材料として使わせていただく為、穏便に本部へお連れいたしましょう。

 貴女自身、そのおつもりだったのでしょうから、問題はありませんよね?」

 先ほど私が言った言葉をそのまま真似して、孤戮闘の男は勝ち誇ったように笑った。そして。

 

 バンッ!!

 

 閉じられていた扉が開かれ、申し訳程度の灯りしかなかった倉庫内に、一気に入ってきた外の光に、目が眩む。

 辛うじて見えた数人の人影が、真っ直ぐこちらに向かってきて……次の瞬間起きた事を、私はすぐには把握できなかった。

 

「…ただいま戻りました、姫。」

「へ?……あ、お疲れ様です。」

 目を眩ませる光をさり気なく遮るように立ち、私の顔を覗き込んで声をかける男の顔は、先ほど送り出した藻部と名乗った中年男の顔だ。

 

「…あの、藻部さんには、文使をした後ここに戻るよう言ってあった筈ですが。」

「ええ。その通りに戻って参りました。」

「では、本物の藻部さんはどこに?」

 私の問いかけに、戻ってきた男は一瞬固まった。

 それからわざとらしく肩をすくめて、息をひとつ吐く。

 

「……一目で見破ったか。

 おまえ、実は結構、俺のこと好きだろ。」

 くだらないことを言いながら、男は自分の頭に手を持っていくと、頭頂部の髪を無造作に掴んだ。

 躊躇いなく根本からむしり取った鬘の下から、プラチナブロンドの長髪が現れる。

 更に懐から取り出したハンカチで顔を拭い、瞳を覆っていたカラーコンタクトレンズも外す。

 艶のない肌が若くハリのある、更に日本人にはあり得ない透き通るような白肌に、黒かった瞳も本来のブルー・グレーに戻り。

 最後にぐっと関節を伸ばすと、先ほどまでのしょぼくれた中年男性の姿はなく、そこに居るのはすらりと細身で背の高い北欧系の、私にとっては顔馴染みの美青年だった。

 

「あなたもそういう気色悪い冗談を言うんですね、紫蘭。」

「気色悪いは余計だ。」

 私の軽口に、紫蘭はいつも通り嫌そうに言葉を返してくる。

 ようやく落ち着いて周囲を見れば、先ほどまで孤戮闘の男を置いていた場所に、3人ほどの人影が立っており、そちらは光が届いておらず顔は見えない。

 だがその足元には意識を奪われたらしい孤戮闘の男と、外から引きずってきたらしいその仲間たちが、まとめて拘束されて横たわっていた。

 

「おまえが寄越したあの文使は、森田がおまえの頼んだものを取りに行っている間に、俺が捕縛して(ホン)師範に預けてきた。

 今頃は改めて事情を、豪毅総帥の前で吐かされている頃だろうな。

 どちらにしろおまえをそいつに引き渡せば、あとは用済みで始末されるだけの男だろうが。

 いや、そうなりかかったのをおまえが助けた、くらいのところか、今は?

 所詮その程度の男、おまえと一緒に行動しても足を引っ張るだけだ。

 …俺たちの方が、頼りになるのではないか?」

「俺『たち』……?」

 問い返しながら、見るともなしに先ほどの人影の方に目を移す。

 その人影が、こちらに歩み寄ってきて、先頭の人物が頭を下げた。

 

「光どの。無沙汰を致しております。」

「……え?」

「こんにちは。御無事で何よりです、光。」

「フン…どうやら、また妙なことに巻き込まれてやがるみたいだな。」

「またってどういう意味ですか人聞きの悪い!

 ……それよりもあなた方、どうしてここに?」

 最初に言葉を発したのは三面拳・雷電。

 更に同じく三面拳・飛燕。

 最後に何か失礼なことを口にしたのが彼らを束ねる、伊達臣人。

 天挑五輪大武會後の休養期間、外泊許可を取って塾を留守にしていた筈の、塾生(おとこ)たちだった。



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5・HARD FUNKY NIGHT

長らくお待たせして申し訳ありません。


 私同様、御前の子飼いの暗殺者だった紫蘭と、伊達と飛燕と雷電。

 つか、なんだこの面子。

 何故この4人がこの場に集まっているのだろう。

 そんな私の問いに答えたのは、雷電だった。

 

「光どのが寄越した文使が森田女史を訪ねて来られた時、我らも藤堂豪毅を訪ねておったのですよ。

 貴女の置かれた状況を聞いて、さすがに肝が冷えましたが、いや、間に合って良かった。」

 心底安心したような声で、その強面を微笑ませる雷電に、何故か紫蘭がツッコミを入れる。

 

「心配するほどの事ではないと言ったろう。

 この女は、見た目よりもずっと強かだ。

 現に、あの文使の話を聞いた時点で、どっちがどっちを誘拐したのかもう判らない状態だったろうが。」

 その、割と当たってはいるが失礼な事を言った紫蘭をまるっと無視して、私は雷電に問いかけた。

 

「あなた方が、豪毅に?何のために?」

 だが更なる私の疑問に、今度は伊達が、馬鹿にしたように言葉を返す。

 

「月光が生きてて、藤堂兵衛の下部組織に連れ去られたと、おまえが言ったんだろうが。

 俺たちが奴の行方を探すのは当然だ。」

 私が闘士としてあの場に出る事になった経緯は、あの帰りの船の上で話したから、私が月光を治療した事は、彼らもその時に聞いて知っている。

 言われてみれば確かにと思う答えを返してきた伊達は、『そもそも、なんでそれを聞かれるのかが理解できない』的なニュアンスだだ漏れさせており、私と伊達の間に微妙な空気が一瞬流れた。

 

「…思った以上に難航しているのですがね。

 どうやらあなたの弟さん、藤堂財閥の裏事業に関しては、まったくタッチしていないようで。」

 そこに涼やかな風が…とも思える、柔らかな声が割って入る。

 その声の主である飛燕が、軽く肩をすくめながら言った言葉に、私はどこかホッとしていた。

 

「…やはりそうだったのですね。

 私もそんなような気はしていました。

 …次期総帥に任命したとはいえ、どうやら御前は豪毅に、私が見てきたような汚い世界を、見せるつもりはなかったようですね。」

 御前は身内には割と甘いひとだったものの、その温情は私には与えられなかったものだ。

 豪毅が裏の世界に染まらずに済んでいることに安心する一方で、彼に対する一抹の嫉妬も感じている自分に気付く。

 それを振り払うように、私はため息と共に、頷いた。

 だが、そんな私の複雑な思いに、即座に水を差す輩が約1名。

 

「あの方がそんな甘いお人でなかった事は、おまえが一番わかっていると思っていたがな。」

 どこか呆れたようにこちらを見下ろすブルー・グレーの瞳と視線が合い、考える間もなく言葉を返してしまう。

 

「黙れ童貞。」

「ソレ今関係ないだろ!!」

 だが、

 

 

「否定はしないんですね。」

 

 

 私と紫蘭のやりとりに冷静に飛燕がつっこみ、一瞬紫蘭が固まった事で、私たちの言い合いはあっさり終わる。

 この醜い争いをただの一言で綺麗に収めた形になって、飛燕は勝ったとばかりに微笑んだ後、こちらに背を向けた。

 その一見華奢だが無駄なく鍛えられた飛燕の背中と、ヴェールのようにその動きに従って揺れる真っ直ぐでツヤツヤでサラッサラな亜麻色の髪(今気付いたが紫蘭のプラチナブロンドの長髪は、これはこれで綺麗だが飛燕に比べると明らかに手入れが足りないだろうコシのない猫っ毛だ。コイツは将来禿げるに違いない。いやむしろ禿げろ)を、横目で見ながら紫蘭がコソッと耳打ちしてきた。

 

「…あいつ、綺麗な顔してる割に結構な毒吐くな。」

 オマエが言うな。

 

「……とはいえよもや紫蘭と、あの場で会うとは思っていなかったがな。

 あの時おまえが闘技場(コロシアム)にいた事を考えたら当たり前の話だったが。」

 と、そこに再び言葉をかけてきた伊達の口元に、柔らかな笑みが浮かんだ。

 男らしく整ったかなり(きつ)めの顔だちが、こんな優しい表情もできるのか…と、私は一瞬固まったが、伊達のその表情を直接向けられた紫蘭は、若干気まずそうに顔を逸らす。

 まあ、あんな大仰な『来世の約束』をした相手と、こんなに早く生きて再会してしまった上、紫蘭にとっての伊達はある種、憧れの対象の筈だからな。

 ほんの少しだけ頬が赤いのは、私の気のせいではないだろう。

 そんな紫蘭の淡い想い*1を知ってか知らずか、伊達は何故か紫蘭から視線を外して、またもこちらに向き直ると、大きな手を私に向けて伸ばしてきた。

 その手が、ぐしゃぐしゃと私の髪をかき回す。

 やめれ、髪が傷む。

 

「目の前で弱ってるやつに絆されんのは光の悪い癖だが、まあ今回ばかりは褒めてやる。よくやった。」

「…わかったような事を言わないでください。」

 そんな、馬鹿にされてるとしか思えない行動にムカついて、私はその手を掴むと、ぺいっと投げ捨てるように払った。

 その私の行動も、予想の範囲内とでもいうように伊達が浮かべた笑みは、先ほどまで紫蘭に向けていたのとは違う、底意地悪いいつもの顔だ。

 なんだこの扱いの違いは。

 

「相当わかってると思うがな。

 そもそもが、あの闘技場(コロシアム)でおまえが闘士として立たなければならなくなったのも、月光を人質に取られた結果だろう。

 …聞いた状況であれば、藤堂と対峙したおまえはまず、ヤツを殺す事を考えた筈だ。

 不可能ではなかったのだろうが、そうなると自分も無事では済まん。

 その時点で自分が死ねば、月光を助けられんから、おまえはヤツの軍門に下るしかなかった。

 …その状況でのおまえの心の動きを、俺なりにシミュレーションしたら、こんなところに落ち着いたが、どこか間違ってるか?」

「ぐぬぬ……!!」

 間違ってるどころか全部正解で、反論すらできずその憎たらしい笑みを睨んでいたら、再びそばに寄ってきた飛燕が、ぐしゃぐしゃの私の髪をササッと手櫛で直してくれた。

 少し離れたところで雷電が『おなごの御髪にそう気やすく触れるものでは…』とか呟いているが、なんかそうこうしているうちに色々どうでもよくなった。

 呼吸を整え、伊達はガン無視で紫蘭に向き直る。

 

「…そんなことはさておき、紫蘭。

 あなたはてっきり、藤堂家を離れたものと思っておりましたが。」

 私は豪毅に紫蘭は死んだと報告したし、彼自身も御前亡き今、自由に己の生きる道を模索しているものとばかり思っていた。

 私の問いに、紫蘭はやはり嫌そうに私を睨みつつ答える。

 

「俺だけではなく、ゴバルスキーの奴もまだあちらに居る。

 俺もあいつも(ホン)師範に引き止められたからな。」

 …彼は以前、(ホン)師範のことは『恩師ならぬ怨師』だと言っていた筈だ。

 その相手の求めに応じたという事は、全てではないにせよ、ある程度の蟠りは解消したと思っていいのではなかろうか。

 彼は今、自由なのだから。

 

「あいつの場合、森田があの家の女中頭になった事もあって、離れるに離れられなかったようだが。

 …俺が藤堂の邸に詰めるようになったのと入れ替わりに、闘技場(コロシアム)に異動した森田にあいつが一目惚れしたと言って、口実をつけては世話を焼きに行ってたのは、色々な伝手で聞いて知っていたんだが、まさか本当に付き合い始めるとは思わなかった。」

 そして、清子さんとゴバルスキーはどうやら順調に交際しているらしい。

 更に、そんな同僚の近況などを、紫蘭の口から聞けた事も、自身の不幸にしか興味のなかった彼の中に、小さな変化が生じた証だとふと思い至る。

 この中でそれに気付けるのは私だけだとは思うが。

 そういえば今の紫蘭からは、私が一番嫌いだった、顔の造作は綺麗なのにどこか卑屈だった表情が消えている気がする。

 私がそんな事を思いながら、つい彼の顔をまじまじと見つめてしまっていると、紫蘭は何故か舌打ちしつつ、私から一度顔を逸らした。

 それから、思い出したように服の内側に手をやって、そこから何かを取り出す。

 

「それはそうと、その森田から預かってきた物だが…藤堂家に囚われてる文使の男の、息子の身代金でも払ってやるつもりだったのか?」

 そう言って手渡されたのは、私が暗殺者時代に得た報酬の入った銀行口座の通帳と、印鑑とカードが入ったポーチだった。

 御前が私に振り分けた依頼には、一応報酬が発生しており、藤堂家で暮らす間は使うこともなかった為、結構な額が口座に入ったままだ。

 …正確に言えば、あの男の息子ではなく、私自身の身代金のつもりであったが、実際に払う意志があったわけではなく、あくまで油断を誘うための『見せ金』として持っていくつもりだったそれを、私は服の内側にしまい込む。

 

「一応藤堂家の代表として彼らの本部にお邪魔する為に、手土産くらい持って行かなければと思ったのですが…この状況では必要なさそうですね。」

 まあ今回はともかく、今後必要になる事もあるかもしれないので、このお金は手元に置いておく事にしよう。

 

「高い手土産になるところだったな。

 使わずに済んで何よりだ。

 ……というか、本部にお邪魔するとか言ったか?」

「ええ。そう言いましたが、何か?」

 私にとっては至極当然の答えに、だが何故か紫蘭は死んだ目になった。

 

「一人で乗り込んでどうするつもりだったんだ…。」

 頭痛を堪える仕草で、眉間に寄った皺に指を当てた紫蘭に、同調するように雷電が、ため息混じりに言葉を漏らす。

 

「うむ、偶然我らがあの場に居なければどうなっていたことか…。

 いや、これは月光の導きであろうか…!」

「縁起でもない発言はやめてください、雷電。

 月光は死んではいませんから。」

 その雷電に冷静にツッコミを入れる飛燕は、笑みこそ浮かべているもののちょっと恐い。

 

「私は、ここの組織そのものを潰したいのです。

 私個人の私怨は勿論ですが、これから先も、私たちのような存在が、子供達の新たな屍の上に生まれてくる事を、許すわけにはいきません。」

 それについては、今の私がある為に作り出し、踏み越えてきた彼らの命を、否定することではあるけれど、それでも。

 

「…ましてや、これから豪毅が背負って立つ藤堂財閥に、こんなゴミをいつまでも付着させておくわけにはいかないのです。

 ……私は、あの子の『姉』ですから。」

 別れ際の豪毅の、切なげに揺れた瞳を思い出して、胸がつくんと痛む。

 豪毅は私を、ひとりの女として求めてくれた。

 私を得るためだけに、過酷な修業に耐えて、最強とも言えるレベルにまで登りつめたのだと。

 なのに私は、その想いに応えてあげられなかった。

 ならばせめて『姉』として、彼を守ることくらいはしておきたい。

 気持ちに応える事はできなくとも、豪毅が私にとって大切な『弟』である事だけは、決して変わる事はないのだから。

 

「まあいい。

 乗りかかった船だ。俺も一緒に行ってやる。

 奴らに恨みを抱いているのは俺も同じだ。」

 そんな事を思っていたら、紫蘭がどさくさに紛れて示してきたすごく要らない提案に、うっかり頷きそうになった。

 慌ててちゃんとした返事を返す。

 

「結構です、間に合ってます。」

 そんな私の答えに、紫蘭は舌打ちをしつつ、こちらを睨んでくる。

 

「おまえ、本当に俺のこと嫌いだよな…!」

 睨みながら、意外にも傷ついたような顔をする紫蘭に、ちょっとだけかわいそうになった私は、慌ててそれを否定した。

 

「そんなことは…まあ、以前は確かに大嫌いでしたが、今はあなたにそこまでの関心自体ありまs」

「はい、逆に可哀想ですからそれ以上はお口にチャックですよ、光。」

 だが、全部言い終わらないうちに飛燕の掌が私の口を塞ぐ。

 

「色々つっこみたい部分はあるが、奴らに殴りこみをかけにいくってのは賛成だ。」

 と、そこに割り込むようにパンパンと両手を叩く音と共に、伊達がそう言って場を制した。

 

「奇遇にもここに3人、奴らに地獄を見せられた面子が揃ってるんだからな。

 積年の恨みってやつを、晴らしに行ってやろうぜ。」

 そう言い切って、何でか悪そうな顔で嗤う伊達の反対側から、雷電と飛燕がなんか悟り切った表情になるのを、私はこの瞬間確かに見た。

 

 

 …気絶させていた敵兵と幹部を叩き起こし物理的に説得して、彼らが隠していた、本拠地へ向かうヘリに乗り込んだ時には、その日の夕方をとうに過ぎていた。

 

 ☆☆☆

 

 どう見ても塾生ではないその青年が、堂々と校門をくぐって塾の玄関に踏み込もうとしたのを、最初に咎めたのは教官の鬼ヒゲだった。

 尊大な態度で塾長室の場所を問う青年に、大人への礼儀を教えようと、腰に佩いた刀に手をかけた。

 次の瞬間、目の前に突きつけられていた白刃が、鞘から抜かれた瞬間を、鬼ヒゲは見ていない。

 

「……もう一度訊く。塾長室はどこだ?」

「は、はい!ここを入って右手側の、突き当たりの階段を上って、そこから3つ目の…ご、ご案内しましょうか?」

「不要。…むしろ、その格好では歩けまい。」

 青年がそう言って、広い背中を向けた瞬間、鬼ヒゲの着ていた軍服が、一瞬にして細切れの布きれと化した。

 

「な…なんじゃ、あいつは……!!?」

 

 ・・・

 

「あれが教官だと…?

 あの程度の男からなにを教わって、あれほどの男が出来たというのか……?」

 癖のように左手に持ったままの刀を抜く手も見せぬ居合で、一閃して丸裸にした男に教えられた通りの道順を辿りながら、藤堂豪毅は眉間に皺を寄せながらため息をついた。

*1
賢明な読者諸君は既にお分かりであろうが、光さんの発想がやや腐ってるが故の勘違いである。




そして話は進んでないという。


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6・今日の続きが未来(あした)になる

『平八伝』を見る限り、若い頃の御前は、血が繋がっていないのがなんかの間違いってくらい豪くんに似たイケメンだと思うけど、いつもキリッとしてる豪くんと違い御前はイケメンがしちゃいけない顔を平気でするので御前の勝ち(何故


「【伽瑪髏徒(キャメロット)】とな…そやつらが、光を連れ去ったと?」

「間違いない。

 もっとも、文遣いの男の話では、すぐに主導権は奪い取ったらしいが。」

 光を探し、結局なんの手がかりも得られぬまま、一度塾に戻った俺が、突然塾内アナウンスで呼び出され、何故か本人不在の秘書執務室で顔を合わせたのは、俺にとっては1ヶ月と少し前くらいに、文字通りの死闘を繰り広げた相手だった。

(来客の対応をここでする事自体は、単にこの部屋以外に応接設備がないからだろう…以前そんな事を光が口にしていた気がする)

 

「…1人ではそれも長く保つまいと思い、たまたま手近にいた者を迎えに行かせたが、それも帰ってこぬようなのでな。

 力及ばず連れ去られたか、己の意志でなのかはわからぬが、奴らの本拠地へ向かったのは間違いない事と思われる。」

 言いながら一旦、前に置かれた茶器を取って、口を湿らすように傾け、卓に戻す。

 ただそれだけの一連の仕草に、疑いようもない人品の良さが見てとれて、改めてこの男が、この国に於ける上流階級の、更にほぼ最高位の家に育った事実を思い起こさせた。

 

 藤堂豪毅。

 この国の政治・経済を陰で支える藤堂財閥の御曹司…否、これまでその頂点に立っていた父親の後を継いで、今や若き総裁である。

 その男が、何故か『父の仇』である筈の男塾を訪れ、塾長との面会を求めてきて、更に何故かその場に、実際に手を下した俺も、立ち会わされているという次第だ。

 なんだこの地獄。

 しかも散々探して見つからなかった光の行方の、その手がかりとなる情報がここでいきなり出てきたことで、今俺は正直、どうリアクションをとっていいかわからないでいる。

 

「実に不愉快だが、絶対君主であった親父の時とはうって変わり、今はこの俺を若造と見て、隙あらば追い落とそうとする輩も少なくない。

 総帥としての職務は今日のところは側近の者に任せてはいるが、俺の不在が知られれば、奴らはその機に乗じて手を打ってこよう。

 隠し通せるのも、まる二日ほどが限界だ。

 となれば、端的に言って俺一人の手に余ると判断し、貴様ら男塾に協力を要請しようと、こうして俺自ら足を運んだというわけだ。」

 豪毅が話したところによれば、【伽瑪髏徒(キャメロット)】とは例の天挑五輪大武會で伊達と戦った紫蘭の語った、孤戮闘を運営する組織であるらしい。

 藤堂財閥の裏の運営は全て、前総裁である藤堂兵衛の管理下にあった為、息子である豪毅には詳細を知らされていなかった。

 彼の此度の総裁襲名は、父親の死によってもたらされたものであるが、その死は未だ公にはされておらず、また正式な引継ぎが為されずに交代に至った為、裏組織については今回のことがなければ、その一端すら未だ掴めずにいたらしい。

 その件については光の方がまだ詳しいだろうが、その光ですら全てを把握はしていないだろうとの事。

 ともあれ、豪毅が存在すら知らなかったが故に放っておかれた末端組織が、痺れを切らして接触してきたその手段が『藤堂の姫様』の誘拐であったのだそうだ。

 …誘拐を企てたその御令嬢が、自分達が藤堂の依頼を受けて作り上げた暗殺者だったということは、本人の顔を見てもすぐには気づかなかったらしいとの事。

 …杜撰すぎやしないかと思うが、それだけ相手も切羽詰まっていたという事なのだろうか。

 まあ、これに関しては、標的にする相手が悪かったということもあるだろう。

 光はこの状況で、大人しく助けを待つということができる性格の女じゃない。

 

「姉がこのような突飛な行動を取るようになったのは間違いなく、この1年ほどの期間を共に過ごした、貴様らの影響であろう。」

 …と、まるで俺の考えていたことを読んだかのようなタイミングで豪毅が言う。

 光のあの性格は、元来のものではないということなのか。

 少なくとも豪毅の知っている光の行動ではないのだろうが…。

 

「そういうことで、責任は取ってもらう。

 光を、奴らの元から取り戻すこと。

 それが、此度の藤堂家当主から男塾への依頼だ。

 …なにも只働きをしろとは言わん。

 ここで姉の身柄を保護してもらっていたのは事実。

 藤堂家としては姉の滞在費用も含めた謝礼を、経費含めて支払わせていただくゆえ、一先ずはこれで引き受けていただきたい。」

 豪毅はそう言って1枚の…恐らくは小切手であろう紙を指で滑らせて塾長の前に置く。

 俺の方から金額は読み取れなかったが、塾長はそれを一瞥すると、ふんと鼻を鳴らした。

 

「…依頼内容はともかく、光の滞在費というのであれば、それを受け取る気はない。

 ここで生活させておったのは我が娘『江田島光』よ。

 自分の娘の生活費を、藤堂家に支払わせる謂れも、義理もないわ。」

 にべもなく言い放つ塾長の言葉に、豪毅の眉が不快そうに動く。

 その反応を目に留めた塾長の唇の端が、ニヤリと笑ったのを、俺は確かに目にした。

 そして。

 

「…だが、『藤堂豪毅』の入塾に伴う学費及び寄付金という形であれば、当塾として受け取るにやぶさかではないぞ?」

 言って、ようやくその紙を指先でつまみ、殊更にヒラヒラとさせて否やを問う塾長の顔は、どこか悪戯を成功させた子供のような表情に見えた。

 

「…そいつは随分と高く吹っ掛けてきたものよ。

 この俺に、男塾(ここ)の塾生になれと?」

 数瞬、やや呆然としていた豪毅は、次には浅く息をひとつ()くと、改めて表情を引き締めた。

 そうしてから、睨むように塾長を見据える。

 あ、と思った。

 これは、驚かせた時の光と同じ反応だ。

 あいつも、軽く動揺した後は表情を取り繕おうとして一瞬睨むような目をする。

 姉弟として共に暮らすと癖まで似てくるものなのか。

 それともこいつが光の影響を少なからず受けているのか。

 ……逆もあり得るか。両方かもしれない。

 

「貴様の父である藤堂兵衛は、確かにわしにとっての仇であり、宿敵であった。

 だがその業を、息子である貴様にまで、負ってもらう気はないのでな。

 むしろ、将来は間違いなく、この国を背負って立つ1人となるべき貴様を、この男塾の旗の元で、真の男として完成させれば、藤堂の奴が草葉の陰で、大いに悔しがろうて。

 …無論、貴様が否と言うのであれば強制はせぬが。」

 その、豪毅の視線をまともに受けるように、というよりは射返しながら塾長が言う。

 その本意を確かめるように、豪毅は無言で塾長を見返している。

 

 …間に入れば切り裂かれそうな空間を、先に和らげたのは豪毅の方だった。

 

「…いいだろう。俺自身、興味はあった。

 これほどの男を育てた、この男塾に。」

 そう言って豪毅が、俺の方を振り返る。

 瞬間交わしたその視線には、いつか見た殺気はこもっていなかった。

 

「……が、すぐにというわけにはゆかぬ。

 先ほども言ったが俺も今は、不肖の父親の不始末を片付けている最中で、長くは邸を空けておられぬからな。

 この件が片付き、部下に当面の仕事の引き継ぎをし終わったら、その時には再びこの男塾(まなびや)の門をくぐることとする。」

 それで良いか、と豪毅が問い、塾長は頷いて、その紙を懐に仕舞った。

 

「然らばこれは、ありがたく受け取らせて貰う。

 藤堂豪毅よ。

 貴様の入塾、楽しみにしておるぞ。」

 言って、次には表情を引き締めた塾長が俺に向き直る。

 

「そして男塾は、此度の藤堂豪毅の依頼により、伽瑪髏徒(キャメロット)とやらの討伐と、光の救出に向かう!

 男塾総代・剣桃太郎よ。

 今よりこの闘い、貴様に全権を委ねる!!

 心してかかるが良い!!」

 その言葉に対する、俺の答えはたったひとつだった。

 

「押忍ッ!!」

 

 ・・・

 

「豪毅……!」

 あの後、客人を校門まで見送るようにと塾長に命じられた俺は、玄関口より前で、ここでいいと言って、先に立って歩き出した豪毅の背中に、思わず呼びかけた。

 …『藤堂』ではなく下の名前の方を、心の中で呼んでいたのは、ヤツの父親と区別する為だった。

 あくまで俺自身の事情であり、本人がそれを知るはずがない。

 呼んでしまってから『馴れ馴れしい』と思われる可能性に気がついて、一瞬息を呑んだ。が、

 

「なんだ?」

 頓着した様子もなく俺を振り返り、(いら)えを返すその反応にホッとしつつも、確認せねばならぬ事に、俺は気を引き締めた。

 躊躇いながらも、その言葉を口にする。

 

「…男塾への入塾は歓迎する。

 だが、俺は…おまえの親父を……!」

「俺は、もとは孤児だ。

 藤堂兵衛(あの男)とは、血の繋がりなどない。」

 だが豪毅は、俺が何を言わんとしていたかをまるで予期していたかのように、まだ言い終わらぬ言葉尻に、被せるようにして言葉を返してきた。

 しかも、思いもよらない事実まであっさりと告げてくる。

 

「藤堂財閥が運営する孤児院にいた俺が、あの男の目に留まり引き取られたのは、6歳になるかならないかという年の頃だ。

 以来、光や、のちに俺が斬った上の4人の兄達と同様、奴の最も信頼のおける者…といえば聞こえはいいが、言わば道具となるべく育てられた。

 兄達の中には、奴の実の子もいたし、光は血縁上は姪にあたるが、奴にとっては血の繋がりなど些細なことで、役に立つか立たぬかどちらかでしかなかった。」

 …ちょっと待て。

 これは俺が聞いていい話なのか?

 確か豪毅はさっき、財閥の総裁としての実権を完全に握りきれていないと言っていた筈だ。

 藤堂の実子ではないというのが事実であるなら、それはこいつを追い落とそうとする勢力にとっては、その口実になりうる事態ではないのか。

 養父である藤堂兵衛自身が、血縁に拘っていなかったとしても。

 

「…そんな男を、父親などと思ったことは一度もない。

 光と出逢わせてくれた事だけは感謝するが、その光を裏の世界から救う為にも、また俺自身が奴に使い潰されぬ為にも奴の命、いずれは絶たねばならぬと思っていた。」

 そう言って笑みを浮かべたその表情に、微かに哀しみがたたえられているのを、俺は見た。

 …それは、藤堂兵衛を俺が討ち取った後、男塾に戻ってからの光が、日々の忙しさの中に覆い隠そうとして、隠しきれていないそれと同じ(いろ)をしていた。

 

『…光に、似ていたから、かな。』

 何故助けたのかと光に問われ、答えた己自身のその言葉を反芻しながら、やはり、と改めて納得する。

 

 豪毅(こいつ)と、光は似ている。

 血の繋がりはなくとも、二人は姉弟なのだ。

 

「おまえが斬らねば、遅かれ早かれ俺がぶった斬っていたのだ、気にすることはない。」

 だから……光同様この男もまた、俺には決して見せまいとするその(いろ)に、俺は敢えて気づかなかったふりをした。

 

 ・・・

 

 …数時間後。

 

「あの天挑五輪大武會から1ヶ月。

 またこのヘリに乗る事になるとはのう。」

「ああ。

 あの藤堂財閥総帥様から直々の依頼って事だからな。」

「ここに伊達や飛燕、雷電がいれば、もっと心強かったのだが。」

「居ねえモンは仕方ねえ。

 それに依頼内容はあくまで、あのじゃじゃ馬の回収だ。

 ゾロゾロ何人も行ったところで邪魔なだけだろう。」

「ええ。志願した者は多かったのですが、そう思って面子は厳選させて貰いました。

 …付き合っていただいてありがとうございます、先輩。」

 藤堂家から差し向けられたというヘリで、伽瑪髏徒(キャメロット)の本拠地へと向かうのは、俺と富樫、虎丸、J、そして赤石先輩の5人だった。

 

 ☆☆☆

 

「…わたしが見つけた時、はじめは死んでいるのかと思ったんですよ。

 なにせ深い山の中で、全身血まみれで倒れていたんですから。

 …後になってそれが全て返り血で、本人はほぼ無傷であるとわかりましたが。

 ともあれよくよく見れば息はしているし…どちらにせよそのまま置いておくわけにもいかず、困った末に月光と雷電を呼びに行ったのです。

 わたしも子供で、1人では彼を、辛うじて背負うことはできても、寺まで運ぶことは出来なさそうでしたので。」

 丸い木枠で張られた布地に、細かく針を通してゆくその綺麗な指の動きは、話をしながらいささかも揺らぐことはなく、繊細かつ鮮やかな模様を、その枠の中に描いていく。

 なんとなくそれに目を奪われていると、反対側からフフッと笑う声がして、反射的に視線をそちらに移した。

 

「…拙者も、あの日のことはよく覚えており申す。

 何せ、修行寺にやってきて数日も経った頃には既に、10年もおる如き顔をしておったような、繊細な顔にも似合わぬ豪胆な()が、見たこともないくらい血相を変えて、拙者らを呼びに来たのですからな。」

「わたしとて動揺くらいします。

 …って、わたしの話はいいじゃないですか。」

 懐かしげに微笑みながら答える声に、手を止めて顔を上げたその微笑みが、少しだけ拗ねたような色を帯びている気がしたのは私の気のせいか。

 この人もこんな顔をするのだな。

 

 …飛燕と雷電が懐かしげな顔で話しているのは、彼らと伊達が初めて出会った時の話だ。

 話の中心人物は、座席にもたれかかって腕を組んだまま目を閉じており、一見眠っているように見えるが、入眠していないことは気配でわかる。

 

「まあそんなわけで寺に連れ帰ったものの、しばらくの間は警戒して、全く懐いてくれなくてですね」

「…ひとを拾ってきた猫みてえに言うな。」

 と、飛燕の言葉が終わるか終わらないかのうちに、その伊達の方からツッコミが入る。

 振り返ると、窮屈そうに丸めていた背中を伸ばして、こちらをちょっと睨むような目で見ている伊達が目に入った。

 その無駄にキツい目つきに、私の隣に座る紫蘭がちょっとビクってなったが、そのツッコミ入れられた本人は、けぶるような笑みを浮かべながら、穏やかに言葉を返す。

 

「おや、これは失礼。起きていたんですね。」

 絶対わかって言ってただろうと明らかにわかる返しに、伊達が小さく舌打ちするも、飛燕は全く動じずに、再び手元の木枠に視線を落とした。が、

 

「そんな事より、高度が下がってる。

 そろそろ目的地に着くみてえだぞ。」

 伊達の言葉に、今乗っている軍用ヘリの小さな窓から外を覗くと、眼下に広がる大海原にぽつんとひとつ、小さな島があるのが見えた。

 それがどんどん近づいてくるところを見ると、それが目的地であることは疑いようがない。

 

「あれが我々【伽瑪髏徒(キャメロット)】の本拠地です。

 ……本当に行かれるつもりなのですか?」

 念の為案内役と人質的な役割として連れてきた幹部の男がそう問うのに答えず、私たちはヘリの着陸を待った。

 

 …それはさておき伊達が猫っぽいという印象は、どうやら私だけが抱いていたわけではなかったらしい。




光も豪毅も、御前の死に対する思いは一つではありません。
光は特にですが豪毅もまた、父親としての愛情を御前に求めていた時期もあれば、それが叶わず絶望の思いを抱いた事もあるわけで、その絶望がどんなに深くても、それを理由に御前を憎み切ることは未だにできていないのです。
故に『あの男は死ぬべきだった』と思ってはいても、同時にそれを悲しむ気持ちも心の片隅に秘めています。


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7・素直な気持ちでその愛を語れ

何故か紫蘭視点。
ちょっと短いです。
つか、3000文字未満で更新したの、多分赤石編の最初の頃の話以来かと…。


「侵入者ども。

 我らの仲間のヘリを奪ったばかりか、正門から堂々と乗り込んでくる、その度胸は褒めてやろう。」

 

 伽瑪髏徒(キャメロット)という、いわば今の俺たちを作った組織の、本拠地だという島に乗り込んだ俺たちは、入り口でまず門番だという5人組に阻まれた。

 

「だが、すぐにその度胸は無謀へと変わる。

 我ら門番(ゲートキーパー)五人衆の変幻自在の、触れれば巨象さえ一撃で昏倒する電気鞭の攻撃の前に、貴様らごとき数秒でひれ伏させてやろう。」

 そう言って先頭の男が、手にした鞭をピシリと鳴らす。

 それに続いて他の者も、俺たちに歩み寄りながら、同じ音を響かせた。

 

 とはいえ、俺たちも人数は5人。

 1人ずつ相手をすれば、この程度の面子ならば秒で片付く。

 そう思い、身構えた瞬間に、

 

「ここは私に任せてください!」

 割とその場には不似合いなその声が響いたのだ。

 俺の胸元より低い位置から、傍で元気に手を上げたのは、初めて会った時から俺に、複雑な感情を抱かせ続けてきた女だった。

 

「この程度の雑魚、あなた方の手を煩わせるまでもないでしょう。

 私1人で充分です!」

 いやいや待て待て。

 止めに入ろうとした俺の肩が、後ろから引かれる。

 反射的に振り返ると、俺の頭ひとつ分も高い位置に、なんとも言えない表情を浮かべながら首を横に振る、かつて敵として戦った男の傷顔(スカーフェイス)があった。

 …え?どうして俺を止める?

 こいつが止めねばならんのは俺ではなくあの女だろう?

 

「ふむ。

 今の光どのならば、お任せしても大丈夫であろうな。くれぐれもお気をつけあれ!」

 だが、額に『大往生』という文字の刺青をした、所謂泥鰌ヒゲの男がそれを後押しする。

 俺は『いやおかしいだろ!』というツッコミを寸前で飲み込んだ。

 

「…光の実力は、あなたの方が知っているのでしょう?

 ここは信じて見守る場面ですよ。」

 …さっき、ただ一言だけで俺の精神に結構なダメージを食らわせてきた、顔だけはそこいらの女より綺麗な男が、柔らかに微笑みながら、妙な圧をかけてきたからだ。

 はっきり言おう。

 なんだかよくわからんが、恐い。

 

 正直言うと、俺と手合わせをする際、(コイツ)は本気の技を出したことがない。

『アンタに見せて模倣されると悔しいから』と、いつも洪師範に教わった基本の技以外は使ってこなかったから、俺も本気を出すことができず、また大武會のときの闘いは、俺は直接は目にしていない。

 例の特殊素材スーツのテストの際の組手で、かつて思っていたよりはるかに使えると感じてはいたが、そんなわけでコイツの実力など俺は知らん。買い被りすぎだ。

 …とあくまで心の中だけで反論した。

 だって恐いし。

 

「さあ、5人全員でかかってきなさい!!」

 そして。

 その女が声高らかに、敵に向かって言い放った言葉に、俺はもうどうにでもなれと思った。

 

 ・

 ・

 ・

 

 …で。

 俺たちは一体何を見せられているのだろう。

 煽られた5人が、それぞれに繰り出した電気鞭の攻撃を、光はなにやら手をひらひらさせながら、紙一重で躱す。

 ……否、実際には光は最小限の動きしかしておらず、よくよく見れば鞭の方が、光の身体を僅かに避けている。

 

「ほう、一番手に名乗り出るだけあって、素早さだけはあるようだな小僧!」

 だが、どうやらそこまでは見えていなかったらしい敵の1人が、それでも余裕の表情で、次の攻撃を繰り出す。

 更に、それを合図としたかのように他の4人が動き、光は円の陣形に取り囲まれる形になった。

 

「だが、この円陣から、縦横無尽に繰り出される我らの鞭の攻撃を、いつまで避け続ける事ができるかな?」

 …多数を1人で迎え撃つ場合、絶対にその中心に立たぬように位置取るのは、格闘の基本中の基本だ。

 取り囲まれてしまうと、どうしても後方に死角が生じる。

 全員が視界に入る位置で戦えば、複数であろうと見える範囲にだけ集中すればいい。

 洪師範による格闘訓練の際に、こいつも俺と一緒に座学を聞いていた筈だが、それを忘れるとは。

 やはりこいつは戦闘に関しては素人なのだと、俺は足を一歩前に踏み出した、が。

 

 全員の攻撃が一度に自身に集中した瞬間、光はその場で高く跳躍すると、空中で一回転し、1人の頭の上に、桜の花びらのようにふわりと降り立った。

 

「なにぃっ!?」

 更に次の瞬間、その後頭部を蹴って、円の外側に着地する。

 

「はうっ!?」

 次の瞬間、前につんのめった男が、床にしたたか顔面を打ちつけたのは、その光の攻撃によるものが全てではなかった。

 

「なっ…!?これは……!!」

「ば、バカな!鞭の先が全部結ばれ…!?」

「な、なんだと!?これでは攻撃ができん!」

「こ、こら!引っ張るな!」

「おまえも引くな!

 落ち着け、先ずはこれを解かねば…」

 突然の事になにが起こったかわからず、慌てふためく男たちに、光は着地した地点から一歩も動かずに声をかけた。

 

「あ、そのままで結構。

 すぐに解いて差し上げます。はい」

 ふわ、と空気が僅かに動いた感覚があり、次の瞬間、男たちが全員、()()()()()()()()、顔面を叩かれていた。

 

「「「「「ぐあああぁぁっ!!!!」」」」」

 

 …確か、『触れれば巨象さえ一撃で昏倒する』だったか。

 綺麗に円形の放射状に倒れた5人の男たちは、身体を痙攣させながら、その言葉通りに昏倒した。

 なんだこの地獄絵図。

 

「そんな…いくら孤戮闘の修了闘士とはいえ、あんな小娘に…!

 これまで伽瑪髏徒(キャメロット)の城門を守り、ネズミ一匹侵入を許したことのなかった門番(ゲートキーパー)が、こんな数秒で倒されるとは…!」

 呆然と呟いたのは、この島までの案内役として連れてきた、幹部の男。

 

「そりゃあ、ネズミは戦うより逃げる方を選択しますからね。

 お疲れ様です、光。怪我はありませんね?」

 綺麗な顔の恐い男は、その幹部の男に地味にダメージを与える言葉をかけてから、光に歩み寄る。

 

「さすがは光どのの『合氣無為無縫術』。

 実に鮮やかな手並、この雷電、感服いたしました。」

 続いて『大往生』の男が言葉をかけると、光のそれまでの取り澄ました顔に笑みが浮かんだ。

 

「ありがとうございます。

 私も今見て初めて気がついたのですが、どうやら電気も自然界の『氣』の一部というか、氣を流し込む媒体として優れているようなのです。

 氣の操作で鞭の方向を操り、全員の鞭を絡ませるところまでは、最初の段階で想定していましたが、あんなにあっさり片付けられたのは、あれが電気鞭だったからです。

 通常なら遠隔操作では威力が弱まるところを、電気に乗せて氣を流すと、通常より通りが良いようでしたので、咄嗟に利用させていただきました。

 武器である電気鞭の威力もあるでしょうが、そこに私の氣を乗せて一緒に流したので、多分まる1日はこのまま、目が覚めても身体を動かすことは叶わない筈です。」

「ほほう、なるほど…いわば、電“氣”というところですかな。」

 つまり、あれらは全て『氣』の操作による戦法だったということだ。

 氣の攻撃に関してなら、俺は洪師範の『千歩氣功拳』も模倣する事ができるのだが…あいつのは、やってやれない事もなかろうが細かすぎて逆に難しい。

 

「…片付けは任せた。俺たちは先に進むぞ。」

 俺が若干放心している間に、伊達が例の幹部の男に言葉をかけており、返事を待たずに歩き出したその背中を、俺は慌てて追いかけた。




光の『合氣無為無縫術』の詳細についてはこちらを御覧ください。
https://syosetu.org/novel/118988/124.html
なにぶん間が開きまして、忘れてる方も多いかと思われますので。


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