7Game (ナナシの新人)
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game1 ~条件~

実況パワフルプロ野球とワンナウツの渡久地(とくち)東亜(トーア)を始めとしたクロスオーバーになります。
※現在、誤字脱字、地文字の「ファール」表示を「ファウル」への統一作業を行っています。


『同率で並んだ優勝決定戦。さあ、ついに、ついにこの時がやって参りました! 9回ツーアウト! バッターボックスには千葉マリナーズが誇る天才バッター、高見(たかみ)!』

 

 超満員のスタンド、沸き上がる歓声。

 

『さあ、ピッチャー追い込んだ! 次の一球で、リカオンズが悲願のリーグ優勝を決めるか!? それとも、高見(たかみ)が繋ぎ試合は続くのか!? 運命の一球です!』

 

 リカオンズベンチから大柄な選手が、グラウンドの戦況を祈るように見守っている。

 

「あと一つだ、頼むぞ......!」

 

 マウンドのピッチャーは、キャッチャーのサインにうなづき、ワインドアップから目一杯体を捻る。

 

『ピッチャー、豪快なトルネード投法からラストボールを投げた!』

   

「(ややインコースの寄りのストレート。ボールは見えてる、いくら速くても打てないボールはないんだ......!)」

 

 ピッチャーの右腕から放たれたボールは唸りを上げ、真っ直ぐキャッチャーミットへ向かって飛んでくる軌道に合わせて、バットを振った。しかし、バッターのスイングはボールを捉えること無く、虚しく空を切り、キャッチャーミットが乾いた音を響かせた。

 

「ス、ストライークッ! バッターアウット、ゲームセーットッ!」

 

『た、高見(たかみ)、空振り三振! この瞬間リーグ連覇の夢は散り! そして、リカオンズが悲願のリーグ優勝を決めましたー!』

 

「や、やった......やったぞ! 優勝だー!」

 

 ベンチを飛び出し、全員で喜びを分かち合う。その時、ふと輪の中心に居た大柄な選手は、無人になったベンチを見つめた。

 本来なら、そこに居るハズの、もう一人の選手の姿を思い浮かべながら――。

 

           *  *  *

 

 リカオンズが、リーグ制覇を成し遂げてから数ヵ月。

 沖縄県内とある野球場。大勢の観客がバックネット裏から見守る中、体格の良い米兵がバッターボックスで木製のバットをまるでおもちゃのプラバットの如く軽々と振り回し、マウンドの投手に向けて挑発を繰り返している。

 

「Hey! Come on Boy!」

 

 対してマウンドに立つ男は、逆立った金髪で白い肌に痩せた体格。屈強な肉体のバッターとは対照的な線の細い身体つきをしている。

 だが、その圧倒的な体格の違いに臆する様相は微塵も見せることなく、不敵な笑みを浮かべながら身体の前で右手でボールに回転をかけて放り、鋭い眼光で米兵の素振りをじっくりと観察、放るのを止めてボールを握り直す。プレートに足を乗せ、大きく振りかぶった。

 

「お疲れさん」

「ああ、あんたか」

 

 マウンドにいた男が、野球場を少し外れた場所にある自販機のベンチでタバコを吹かしていると、かっぷくの良い黒人の女性が彼に話しかけた。

 

「らしくないねぇ。自慢の制球力はボロボロ、なんとか緩急で誤魔化してはいたけど。このままじゃいずれ敗けるよ、あんた」

 

 女性は、先の勝負の感想を述べた。歯に衣着せぬ厳しい指摘だが、男もそれは感じていた。実際、先の勝負には勝ったものの実戦の当たりでいえば、ゴロでレフト前に抜けていた打球。

 しかし、それでも勝負は投手の勝ち。何故なら――。

 

「『ワンナウト』だから勝てたようなもんだね、あれは」

 

 女性が言葉にしたワンナウトは、投手と打者による一騎討ちの賭け野球。

 ルールは、単純。

 打者はどんな打球でもノーバウンドで外野のフェアグラウンドへ飛ばすことが出来れば勝ち。逆に、三振か内野ゴロに打ち取れば投手の勝利となる勝負。

 

「どんな結果(かたち)でも、勝ちは勝ちさ」

 

 男の言うように実戦ではヒットであっても、インフィールドに転がった時点でワンナウトルールでは投手の勝利。女性はひとつ息を吐き、タバコに火を点けた。煙りと一緒に、どうしようもないやるせない気持ちを夜空に吐き出す。

 

「店に来な。今日は、奢ってあげるよ」

 

 二人は、彼女が経営するバーに場所を移動した。薄暗い店内には50年代を中心としたジャズが流れ、ヴィンテージ物の装飾など一昔前のアメリカを思わせる雰囲気を漂わせている。

 二人は、客とオーナーとしてカウンターを挟む。

 米軍基地の近くに店舗を構えていることもあり、客層は主に軍関係者が多く、バーのオーナーである女性は、ビックママと呼ばれて親しまれている。

 

「それで、実際のところどうなんだい?」

 

 グラスに注がれるウイスキーで動いたロックアイスが、カランッと小気味良い音を奏でた。

 

「あの魔法の様なトーアの投球術は、もう見れないのかね?」

「さあな」

 

 トーアと呼ばれた男は静に、グラスを口に運んだ。

 彼の名は――渡久地(とくち)東亜(トーア)

 針に糸を通す如くの抜群の制球力と、相手の心理を完璧読みきる観察眼を持ち。賭け野球『ワンナウト』で連勝を積み上げた稀代の勝負師。

 しかし、499連勝で迎えた500戦目。現役プロ野球選手――児島(こじま)弘道(ひろみち)との対決。

 二人は互いに現金以外のモノを賭けて戦った。

 東亜(トーア)は右腕。児島(こじま)は現役引退を賭けた勝負。

 結果は――デッドボール。

 追い詰められた児島(こじま)は、ルールの盲点を突いた奇策を用いて勝利を収めた。敗北を素直に認めた東亜(トーア)は、躊躇なく自身の右腕を差し出したが、その腕は砕かれることなく、腕を取った児島(こじま)は懇願した。長年低迷を続ける自身が所属するチームのペナントレース優勝のために力を貸して欲しい、と。

 勝負師・渡久地(とくち)東亜(トーア)にとって、勝者の言葉は絶対。児島(こじま)のチームに所属することになり、腐敗しきっていた内外からの妨害工作を受けるも、投手として40勝近い勝ち星を積み上げ、見事チームをペナントレース優勝に導き、児島(こじま)との契約を果たした。

 あれから数ヵ月、数十年ぶり悲願のリーグ優勝と同時に姿を消した東亜(トーア)は沖縄に戻り、再び賭け野球「ワンナウト」に興じた。だが、ペナントレースの無茶な登板の連続。シーズン最後の登板で異例の232球を投げきった完投が引き金になり、彼は右腕に大きなダメージを負ってしまった。

 医者にはメスを入れる必要があると診断されたが、たとえ手術をしたところで元のピッチングが出来る保証はなく、その場しのぎの保存治療で誤魔化していた。

 東亜(トーア)は呑み終えたグラスを置いて、静かに席を立つ。ドアのぶに手をかけたところで、ビックママは彼の背中に声をかけた。

 

「またいつでも来な」

「ごちそうさん」

 

 閉まったドアを見つめ、タメ息をつくビックママ。

 

「ごちそうさま。お勘定ここに置いておくわね」

「あ、はいよ。ありがとね」

 

 東亜(トーア)と同じカウンターの隅で一人、アルコールを足しなんでいた白衣を羽織った女性が店を出る。

 

「おや......」

 

 ビックママは、彼女のグラスを片付けようとしたとき違和感を感じた。女性のグラスには口をつけた形跡は無く、アルコールも減っていなかったから。

 

 ――潮時だな。

 

 回復具合を確かめるために再び行ったワンナウト。故障した肩の回復は見込めない。ビックママの言うように、次はもう勝てない。それを悟った東亜(トーア)は、潮と油の臭いが混ざる港のベンチでタバコを口にくわえ、ポケットをまさぐる。するとそこへ突然、横から火が出てきた。

 ライターを差し出したのは、先ほどバーに居た白衣姿の女性。

 

「はい、どうぞ」

 

 東亜(トーア)は素直に火を貰い、冷たい夜風を感じながら一服してから彼女に問いかける。

 

「で、あんたは?」

「わたしは、加藤(かとう)理香(りか)。見ての通り、医師よ。あなた、リカオンズの渡久地(とくち)東亜(トーア)選手よね?」

「だったら」

「キミの右腕を完全に元の状態に完治出来る医師を、手術費も通院費もすべて無償で紹介してあげる。どう?」

 

 加藤(かとう)理香(りか)の言葉に、東亜(トーア)は笑みを浮かべた。見ず知らずの女性から聞かされた不可能と思われていた故障の完治の可能性ではなく、その先に語られるであろう話に興味を持ったため。

 

「上手い話には裏がある。条件は?」

「さすが噂に聞く勝負師、話が早いわ」

 

 彼女はの隣に座り、医者を紹介する条件を提示した。

 その条件とは、理香(りか)が保健医師として勤めている学校の野球部を甲子園大会へ導くこと。出された条件に対して、東亜(トーア)の答えはただひと言――断る、拒否の返事だった。



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game2 ~契約~

渡久地(とくち)!」

「あん?」

 

 名前を呼ばれて、振り向く。彼を呼び止めたのは、かつてのチームメイトでバッテリーを組んでいた捕手、出口(いでぐち)

 東亜(トーア)は今、沖縄を離れ自身がオーナーも務めた「彩珠リカオンズ」の球団事務所へ数ヵ月ぶりに訪れていた。彼の訪問を球団職員から知らされた出口(いでぐち)は、キャンプ前の自主トレを切り上げて会いに来た。

 

「お前、今までどこにいたんだよ。優勝が決まる直前にベンチから居なくなりやがって。日本シリーズにも顔を出さねぇしよー」

「どうでもいいじゃねーか。俺抜きで勝ったんだから」

「そういう問題じゃ......まあ、いいや。ここに来たってことは、リカオンズに復帰するんだろ?」

「その逆だ。正式に引退の手続きを済ませたところだ」

「......は? はぁーっ!? 引退!?」

 

 引退と聞いて、出口(いでぐち)は盛大に取り乱す。

 

「ちょっ、なんでぇー!?」

「何を騒いでいるんだ」

 

 東亜(トーア)をプロ野球へ引き込んだ張本人――児島(こじま)が、騒ぎを聞き付けやって来た。

 

「久しぶりだな。渡久地(とくち)

「ああ、しばらく」

児島(こじま)さん、聞いて下さい! 渡久地(とくち)のヤツ――」

「ああ、聞いてる。正式に引退するんだってな」

 

 球団トレーナーから事前に引退の話しを聞いていたため児島(こじま)は冷静に、出口(いでぐち)をなだめる。落ち着いたところで出口(いでぐち)は改めて、東亜(トーア)に引退の真意を伺う。

 

「だけど、どうして今さら手続きに来たんだ?」

「必要になったから来たまでさ」

「いや、わけわからん......」

 

 困惑する出口(いでぐち)に対して軽く鼻で笑うと身を翻して、球団事務所を後にした。入口を出たところで、あとを追いかけて来た児島(こじま)が問いかける。

 

渡久地(とくち)! お前、野球は――」

「さーな。まあ、そのうちわかるさ。じゃあな」

 

「楽しみにしていろ」と言わんばかりに不敵な笑みを浮かべて言った東亜(トーア)の遠ざかっていく後ろ姿を、児島(こじま)はただただ立ち尽くして見送ることしかできなかった。

 

渡久地(とくち)......」

「こ、児島(こじま)さーん!」

出口(いでぐち)、どうした?」

「こ、これを見てください!」

 

 息を切らせた遅れてきた出口(いでぐち)の手には、A4サイズの一枚の資料。資料を受け取った児島(こじま)は、書かれている内容に目を丸くする。

 

「あの野郎......」

「本気、ですかね?」

「アイツが、今まで本気じゃなかったことがあるか?」

 

 東亜(トーア)はどんな無謀な状況下であっても必ず有言実行を貫き、二人はそれを間近で見て、共に戦ってきた。だからこそ、この資料に書かれていることも必ず成し遂げると確信をしている。

 

「ですよね。あいつ、本気で......」

「行くぞ、出口(いでぐち)渡久地(とくち)が動き出したんだ、俺たちもうかうかしていられないぞ!」

「は、はい!」

 

 児島(こじま)は持っていた資料を握りしめ、出口(いでぐち)と共に室内練習場へ戻っていく。

 

「(待ってるぞ、渡久地(とくち)。お前の教え子たちが、プロの世界へ殴り込んでくる日を......!)」

 

 資料の内容は、東亜(トーア)が提出した学生野球研修参加申請書のコピーだった。

 事務所を出た東亜(トーア)は、駐車場に用意された車の助手席に乗り込む。運転席に座っているのは、加藤(かとう)理香(りか)

 

「やっぱり時間かかったのね」

「いや、少し立ち話をしてた」

「そう。じゃあ行きましょ」

 

 車は埼玉県から東京都へ向かい走り出した。

 

「で、どうだった?」

「あんたのお望み通り納得させたさ」

「よくすんなり行ったわね」

 

 プロアマ規定――。

 一度でもプロ野球に所属した者は、一定の研修を受けなければ学生野球の指導者になれない制度がある。

 これが、理香(りか)にとって一番の懸念だった。

 現役時代プロ野球会のドンと呼ばれる人物に喧嘩を売った東亜(トーア)の研修参加拒否は十分ありえると思っていたため。

 そして、彼女の懸念は当たっていた。だが、東亜(トーア)はリカオンズのオーナー権利を放棄して正式に辞任。そして今後、二度とプロ野球界に復帰しないことを条件に研修参加を認めさせた。

 

「俺の方は条件を果たした。次はあんたらの番だ」

「分かってるわ。すで理事長も了承してるし、各方面への根回しも済んでいるわ」

「ずいぶん仕事が早いな」

「キミなら、どんな手を使っても認めさせると信じていたからね」

 

 一度要請を断わった東亜(トーア)が、なぜこんな話しになっているかと言うと。

 それは数日前のあの日に遡る――。

 

 

           * * *

 

 

 ――断わる。

 理香(りか)の条件に対する東亜(トーア)の返事は拒否。

 

「......理由は? 野球に未練はないの?」

 

 東亜(トーア)は目をつむり、やや面倒くさそうにタメ息を吐く。数秒の間を開けてからベンチを立ち、理香(りか)に背を向けた。

 

「ギャンブルは、ワンナウトだけじゃない」

 

 東亜(トーア)にとってワンナウトは数多くある選択肢の中の一つでしかなかった。手術を受けず保存治療を選んだのも、ワンナウト以外のギャンブルに支障をきたさないため。仮に手術を受けた挙げ句、指先の感覚にわずかでも狂いが生じれば、ギャンブラーとして致命的となる。

 

「ふふっ、そんなこと言って自信がないんでしょ? 稀代の勝負師と謳われるわりには勝てる勝負しかしない臆病者だったのね」

 

 理由を聞いた理香(りか)は笑って、東亜(トーア)を挑発。足を止めた東亜(トーア)は、軽く鼻で笑う。

 

「フッ、臆病者(チキン)か」

 

 やる気にさせるための安い挑発。東亜(トーア)はもちろん、挑発の意図を理解していた。通常であれば乗るわけもない、とるに足らない下らない戯れ言。しかし、この挑発(セリフ)を無視しなかった。売られた勝負から逃げることは、ギャンブラーとしての性分がそれ許さない。

 

「いいぜ、受けてやる」

「そう来なくちゃっ!」

「ただし、条件がある」

「条件? 何かしら?」

 

 東亜(トーア)から出された条件。

 ――俺のやり方に一切口を出すな。

 この条件を二つ返事で飲んだことで仮契約が成立。二人が乗る車は今、理香(りか)が保健医を勤める学校へ向かっている。

 

「これ、一応目を通しておいて」

「なんだ、これ?」

「学校案内と野球部関係の資料」

「要らねーよ」

 

 渡されたファイルを後部座席へ放り投げた東亜(トーア)は、シートを倒した。

 

「寝る。着いたら起こしてくれ」

「はあ~......。はいはい、おやすみなさい」

 

 高速道路を走ること数時間後、駐車場に車を停めた理香(りか)は、隣で眠っている東亜(トーア)の体を揺さぶった。

 

「起きて、着いたわ」

「......ああ」

 

 二人は車を下車。東亜(トーア)は首を二、三度傾けて音を鳴らしてから建物に目を向けた。

 赤レンガ造りのスタイリッシュな新しい校舎。

 ここが東亜(トーア)が指導者として着任する高校――恋恋(れんれん)高校。

 二年前まで女子校だったため男子生徒が極端に少なく、野球部の部員もギリギリの状態。昨年とある事件により一時的に公式戦出場停止に追い込まれたが、ルール改正により処分が解かれた。

 

「こっちよ」

 

 理香(りか)の後に続いて校内へ。理香(りか)は、一際豪華な造りの扉の前で止まりノックをした。

 ――どうぞ。と渋みのある返事があり、二人は室内へ入る。

 部屋の奥の机に白髪混じりで気品のある初老の男性が座っていた。

 

「失礼します。理事長先生、連れてきました」

「ご苦労様。キミが話しに聞いた、渡久地(とくち) 東亜(トーア)くんだね。まあ座ってくれたまえ」

 

 洒落たガラステーブルを挟んでソファーに座る。

 

「理事長の倉橋(くらはし)です。さっそく契約の話しをさせてもらうよ。加藤(かとう)くん」

「はい」

 

 理香(りか)は契約書をテーブルに置いた。

 契約の話しは事前に取り決めていたこともあり、東亜(トーア)は目を通すことなくサインした。理事長は契約書を確認して頷いた。

 

「うむ。これで契約成立だ」

 

 理事長は立ち上がり握手を求めるが、東亜(トーア)はそれに応じない。理香(りか)は焦りを見せたが、理事長は愉快そうに笑う。座り直して、東亜(トーア)に訊いた。

 

「それで実際どうかね? 甲子園は......」

「さあな」

 

 適当に答え。若干前屈みで理事長を見据える。

 

「だが俺は、最終的に勝ちで終わらせてきた」

「......なるほど、十分な回答だ。ようこそ恋恋高校へ、我々はキミを歓迎する」

 

 こうして、東亜(トーア)は正式に恋恋高校の野球部の指導者として着任する事となった。

 

 契約内容。

 東亜(トーア)に野球部の全権を委任。

 野球部関連の要求には可能な限り務める。

 契約期間は今年度の4月の初めから6月末の三ヶ月。

 

 以降この契約を三ヶ月(ワンクール)契約と定める。



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game3 ~試合~

3話目です。
※パワプロくんのポジションに――鳴海(なるみ)というオリキャラが入ります。
P.S.
※アプリに同姓のキャラが居ることを素で忘れていました。(実装前にサクスペの方へ移行したため)。今から変えるのは大変なので鳴海(なるみ)のまま進行します。ご了解のほどお願い致します


 三ヶ月(ワンクール)契約を交わしてから約一月後の三月下旬。新年度を数日後に控え、他の教師と共に入学式の準備をしていた理香(りか)のスマホに、東亜(トーア)からメッセージが届いた。

 

「またいきなり無茶な注文をしてくれるわね......」

 

 頭を抱える、理香(りか)

 東亜(トーア)との契約は4月からなのだが、要求内容が新学期初日の放課後のため動かざるをえない。用事で席を外すことを告げて職員室の自分のデスクに座り、参加校の名簿を確認して片っ端から電話をかける。

 

「お忙しいところ申し訳ありません。わたくし、私立恋恋高校の野球部の......」

 

 東亜(トーア)の要求は――活動初日に練習試合を組め、と云うもの。さらには、去年の秋季大会ベスト8以上の学校という条件付き。

 

「そうですか......。いえ、お忙しいところありがとうございました、失礼します」

 

 受話器を置いて大きなタメ息をついた。結果は、全滅。無理もない。再建したばかりの弱小校の相手をしてくれる物好きな名門・強豪学校などそうありはしない。理香(りか)はスマホを手に取り、東亜(トーア)にメッセージを打ち送信をタップしようとしたその時、デスクの電話が鳴った。スマホを置いて、代わりに受話器を取る。

 

「はい、恋恋高校です。はい、わたしがそうですけど。ええ、えっ? ありがとうございます! はい、お待ちしています。失礼します」

 

 受話器を置いて、小さくガッツポーズ。

 

「さっそく打ち直しね!」

 

 ――練習試合の相手が見つかった、と打ち直してメッセージを送信。先ほどの電話の相手は、二番目にかけたパワフル高校の監督。一度断られたが、所属する選手たっての希望で練習試合が決まった。日時は入学式の午後、恋恋高校のグラウンド午後2時プレイボール。

 

           *  *  *

 

「連絡は以上だ」

「起立。礼」

 

 恋恋高校三年A組。

 始業式後のホームルームが終わり、各自移動を開始。帰宅する生徒、委員会へ向かう生徒、図書室や塾で受験勉強に励む生徒。そして、部活動を行う生徒。

 このクラスには、野球部員が三人籍を置いている。

 

「部活だ! 部室に行くよ、矢部(やべ)くん!」

 

 気合い十分で立ち上がったのは、野球部のキャプテンを務める男子――鳴海(なるみ)

 

「ちょっと、待って欲しいでやんすー!」

 

 常に「やんす」と特徴的な語尾をつけて話し、瓶底眼鏡をかけた男子――矢部(やべ)明雄(あきお)

 

「ほらっほらっ、早くっ!」

 

 もたついている矢部(やべ)を急かす、おさげの女子生徒――早川(はやかわ)あおい。

 

「気合い入ってるね、あおいちゃん」

「当然だよ、今年の夏は堂々と甲子園を目指せるんだからね!」

 

 彼女は、恋恋高校野球部が公式戦出場停止の原因となっていた女子部員の一人。マネージャーではなく、選手として予選大会に選手登録してしまったため、男子生徒以外出場してはならないというルールに反してしまった。

 事態を重く受け止めた連盟は、公式戦出場停止処分を科した。

 後に処分は解かれたのだが、結局女子選手の出場は認められず。納得のいかなかった恋恋高校野球部は署名活動を行い、女子部員が所属する野球部がある学校を始め、全国へと広まっていった。

 そして、去年の冬。長年の歴史が動き、遂に女子選手の出場が認められることとなった。

 

芽衣香(めいか)、部活行こー!」

「オッケー!」

 

 隣の三年B組。あおいは、ドア付近から声をかける。

 芽衣香(めいか)と呼ばれた赤み掛かったミディアムヘアの女子生徒――浪風(なみかぜ)芽衣香(めいか)。彼女もまた、あおいと同じく選手登録したもう一人の女子選手。芽衣香(めいか)は、スクールバッグとバットケースを持って教室を出る。

 

「お待たせー」

 

 迎えに来たあおいと合流して、グラウンドに併設される部室へ向かう。部室には既に、マネージャーを含めた部員全員が揃っていた。あおいと芽衣香(めいか)は、着替えを済ませた男子を追い出して着替えを始める。

 

「でも、このユニフォームを着て試合に出れるなんて......。ボク、まだ信じられないよ」

「ふーん。じゃあ、ほっぺつねってあげよっか?」

「い、いいよっ、いいよっ!」

「二人とも遊んでいないで急いでくださいね」

 

 いたずらっ子の様な表情(かお)であおいに近寄る芽衣香(めいか)を止めた野球部の女子マネージャー――七瀬(ななせ)はるか。彼女は、あおいと中学時代からの大親友。高校に入学してからは、芽衣香(めいか)とも仲が良い。

 

「よっし、準備オッケー。あおいは?」

 

 芽衣香(めいか)は、愛用の木製バットを片手に訊ねる。

 

「ボクも準備出来たよ。さあ行こう」

「はい、行きましょう」

 

 三人は揃って部室を出る。ベンチ前に集まる部員たちの元へ向かう芽衣香(めいか)とはるかの後ろで、あおいは一人立ち止まる。

 明るく爽やかな日差し、空は雲一つなく澄みきった青空。部室脇の桜の木は満開に咲き誇り、散り始めた薄紅色の花弁がグラウンドに舞う。

 ゆっくり一呼吸して、駆け出した。

 

「よーしっ。みんな、お待たせ!」

「さあ、練習を始めよう。ジョギングから!」

 

 キャプテン鳴海(なるみ)の号令で練習開始。グラウンドの外周をゆったりペースで走り、キャッチボール。部員は、マネージャーを含めて10人ちょうど。鳴海(なるみ)矢部(やべ)ともう一人で組む。

 

「新入部員は何人いるんだろうなぁー」

「さあ、どうだろう。でも、たくさん来て部レベルが上がるといいな」

「オイラは、かわいい女子部員を希望するでやんす! 手取り足取り個人指導......ムフフッ! でやんす」

「おいおい......」

 

 呆れ表情(がお)鳴海(なるみ)。もう一人の部員――奥居(おくい)紀明(のりあき)は、矢部(やべ)に危機感を煽る。

 

「そんなこと考えてると、一年にポジション奪われてベンチだぜ? 矢部(やべ)

「最後の夏をベンチから応援かぁ、よろしくね」

「じょ、冗談でやんすー!」

 

 二人の笑い声がグラウンドに響く。

 そこへ、一人の少年が近づいった。

 

「ずいぶん楽しそうだね。鳴海(なるみ)

「えっ?」

 

 後ろから声をかけられ、振り向く。

 

「あっ、お前は――スバル!?」

「やあ、久しぶりだね」

鳴海(なるみ)くんの知り合いでやんすか?」

「えっと。子どもの頃からの友達」

 

 彼の名は――星井(ほしい)スバル。

 鳴海(なるみ)とは子ども頃、共に甲子園を目指そうと約束した少年。転校して離ればなれになってしまったが、中学時代に才能を開花させ、甲子園の常連校覇堂(はどう)高校へ進学した。

 そして今日の試合は、彼が監督に懇願し実現した。

 

「どうして、スバルが? それに、そのユニフォーム......」

「親の都合で転校したんだよ。キミたちは聞いてないのか? 今日の練習試合のこと」

「練習試合?」

 

 頭にクエスチョンマークを浮かべる三人。理香(りか)は、式典の準備で忙しく春休みの間部活に顔を出せず、部員に練習試合のことを話せていなかった。

 

星井(ほしい)先輩、集合ッスよ!」

「ああ、今行く。じゃあお互いベストを尽くそう」

 

 星井(ほしい)は、話をしている間にグラウンド裏からベンチ前に集まった選手の輪に加わる。

 

「みんな集合して!」

 

 反対側のベンチからユニフォーム姿の理香(りか)は恋恋高校の部員を集めた。鳴海(なるみ)は、理香(りか)に問いかける。

 

「監督、これはいったい――」

「急でごめんなさいね。見ての通り、今日は練習試合を組んだわ。相手は、パワフル高校よ」

「パワフル高校って......秋季大会ベスト8の!?」

「え......ええーっ!?」

 

 驚きと戸惑いが入り交じったどよめきが起こった。理香(りか)は、パンパンッと手を叩き落ち着かせる。

 

「はいはい静かに。こんな機会めったにないんだから全力で胸を借りましょう。じゃあ、ポジションを発表するわね。まず先発――」

 

 恋恋高校がポジションを発表している時、パワフル高校側もスタメン発表が行われていた。

 

「では、先ず先発だが......」

「監督。今日の試合、ボクに先発させてください」

 

 星井(ほしい)が手を上げて、直談判。その言葉に反応する選手がいる。秋季大会エースナンバーを背負って投げた、松倉(まつくら)

 

「ちょっと待てよ。オレは、マウンドを譲る気はないぜ!」

松倉(まつくら)......! 監督、お願いします!」

「うむ......」

 

 監督は悩んだ末に答えを出した。

 

星井(ほしい)、お前が先発だ」

「ありがとうございます!」

「松倉、お前は先週の練習試合で完投している。今日は、6番でライトに入ってくれ。もちろん、展開次第では出番もあるぞ」

「ちぇ~、わかりましたよ。星井(ほしい)、打ち込まれたらいつでも代わるからな」

「悪いけど譲る気はないよ。エースナンバーも、ね」

 

 星井(ほしい)松倉(まつくら)は、バチバチと火花を散らす。

 パワフル高校の秋季大会ベスト8は、投手よりも打撃陣による得点力が大きな要因だった。しかし、星井(ほしい)の加入により、投手陣においては一強であった松倉(まつくら)に火がつき日々競いあっている。競争があるチームは強い。これは全て強豪校の共通点。

 そして今年は、パワフル高校の急所であったセカンドに有望選手――駒坂(こまさか)が加入。一気に優勝候補へ名を連ねている。

 一方、恋恋高校は......。

 

「以上よ。さあ、思いっきり戦ってきなさい」

「はい! みんな円陣を組もう」

 

 鳴海(なるみ)たちは、ベンチ前で円陣を組んだ。

 

「久しぶりの試合だね。相手は、強豪......正直難しいと思う。だけど、勝負するからには全力でぶつかって行こう! 恋恋ファイッ!」

「オオーッ!」

 

 大きな掛け声。グラウンドへ駆け出した。

 お互いに向かいあって整列。

 

「それでは恋恋高校対パワフル高校の試合を始めます。先攻、恋恋高校」

 

 ――お願いします! と礼をして、パワフル高校の選手がグラウンドへ散らばる。パワフル高校の先発は、星井(ほしい) スバル。

 

「行くよ、香本(こうもと)くんっ」

「オッケーなんだな~」

 

 捕手は、鈍足だが巧みなインサイドワークとチャンスに強い打撃が売りの、ぽっちゃり体型の捕手香本(こうもと)星井(ほしい)の右サイドハンドから放たれるボールは、パシンッ! と小気味いい乾いた音をグラウンドに奏でる。

 

「さすがスバル、投球練習なのに速い......。矢部(やべ)くん、頼むよ!」

「任せるでやんすー!」

 

 一番バッター、センター矢部(やべ)が右バッターに入り構える。

 

「プレイボール!」

 

 球審の右手が上がり、試合が始まった。



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game4 ~反撃~

恋恋高校スターティングメンバー。
 一番(中)、矢部(やべ)
 二番(一)、甲斐(かい)『オリ』
 三番(右)、奥居(おくい)
 四番(遊)、鳴海(なるみ)『オリ』
 五番(三)、葛城(かつらぎ)『オリ』
 六番(捕)、近衛(このえ)『オリ』
 七番(二)、真田(さなだ)『オリ』
 八番(左)、浪風(なみかぜ)
 九番(投)、早川(はやかわ)

パワフル高校スターティングメンバー。
 一番、駒坂(こまさか)(二)
 二番、小田切(おだぎり)(遊)
 三番、東條(とうじょう)(三)
 四番、宇渡(うど)(一)
 五番、香本(こうもと)(捕)
 六番、松倉(まつくら )(右)
 七番、星井(ほしい)(投)
 八番、鈴木(すずき)(中)『オリ』
 九番、松井(まつい)(左)『オリ』

『オリ』は、原作には登場しないオリジナルキャラです。以上です。それでは、本編どうぞ。


 球審は、右手を大きく上げて判定をコール。

 

「ストラーイクッ!」

「やんすっ!?」

 

 外角低め構えたミットに、ストレートが突き刺さった。サイドハンドからのクロスファイアー、右打者の矢部(やべ)にはより遠く感じるボールで、カウント0-2と開始二球で追い込んだマウンドの星井(ほしい)は、出されたサインにうなづき三球目を投じる。

 

「ボール!」

 

 三球勝負はせずに一球大きく外角へ外し、カウント1-2。続けて四球目を投じる。ストライクゾーンから、ボールゾーンへ滑るスライダー。

 

「ストライク! バッターアウッ!」

 

 外へ逃げるスライダーに泳がされ、一球も当てることも叶わず空振り三振。肩を落とした矢部(やべ)は、とぼとぼと意気消沈でベンチへ戻った。

 

「申し訳ないでやんす......」

矢部(やべ)くん、ドンマイ!」

「そうだよ、次の打席でリベンジすればいいんだから。落ち込んでる暇なんてないよ!」

「そ、そうでやんすね。甲斐(かい)くん、頼むでやんす!」

 

 鳴海(なるみ)とあおいに励まされ立ち直った矢部(やべ)は、声を張り上げエールを送る。頷いた二番バッターの甲斐(かい)は静かに闘志を燃やし、バッターボックスへ向かう。

 しかし、闘志は実らず、矢部(やべ)と同じく簡単に追い込まれ、カウント1-2からのアウトローへのストレートを見逃し三振に倒れてツーアウト。

 続く三番奥居(おくい)もカウント2-2から外のスライダーを打たされて、セカンドゴロ。セカンドの駒坂(こまさか)がキッチリ処理して、スリーアウトチェンジ。

 

「三者凡退か。あおいちゃん、頼んだよ」

「うんっ!」

 

 一回の裏、恋恋高校が守備に着く。

 ポジションは東亜(トーア)の指示ではなく、去年の夏予選前に部員たちで全員で決めたオーダー。

 

「まったく、どこで油売ってるのよ......」

 

 理香(りか)は、スマホを見ながら呟く。液晶画面には、東亜(トーア)からのメッセージ「後で行く、先にやってろ」と一言だけ表示されている。

 

「プレイ!」

 

 パワフル高校の一番バッターの駒坂(こまさか)が右打席で構え、主審のコール。

 サインに頷いたあおいは、ノーワインドのモーションからぐっと体を沈め投げる。地面すれすれの低い位置からのアンダースローで放たれたボールは、まるで糸を引くようにインローギリギリに構えられたミットへ吸い込まれた。

 

「ストライク!」

「いいよ、あおいちゃん! その調子その調子!」

 

 鳴海(なるみ)が、ショートのポジションからマウンドへ声をかける。あおいは一瞬笑顔で答えると、真剣な表情(かお)で構え直し、二球目を投じるためモーションを起こした。0-1からの二球目。打ち取った当たりは、サード正面へのやや弱いゴロ。バウンドを合わせて捕球、一塁へ投げるも――送球がファーストへ届く前に、バッターランナー駒坂(こまさか)は持ち前の俊足をとばして一塁を駆け抜けていた。

 

「セーフ!」

「ふぅ、危なかった」

 

 ファウルゾーンからファーストベースへ戻り、小さく息を吐く駒坂(こまさか)。サードの守備は決して上手いとは言えなかったが、ミスはなかった。完全に駒坂(こまさか)の足が、サードの守備(それ)を上回った結果の内野安打。

 

「(いきなりランナーを出しちゃった、けど......!)」

 

 あおいは、不安を消し去る様に深く呼吸をしてセットポジションに構える。

 パワフル高校の二番の小田切(おだぎり)は、守備と小技に定評のある選手。スイッチヒッターのため右投げのあおいに対して左打席に立つとさっそく、バントの構え。

 あおいはバントに備え、ファーストランナーを目で牽制をしてから第一球を放る。モーションの途中で一塁ランナーの駒坂(こまさか)が、スタートを切った。小田切(おだぎり)は、しっかりバントをしてボールを転がす、勢いを死んだ打球はピッチャー前へ転がった。マウンドを降りて打球を処理したあおいは、キャッチャーの指示を聞き、すかさず一塁へ送球。

 

「アウト!」

「サードッ!」

 

 塁審のコールとほぼ同時に、鳴海(なるみ)が叫ぶ。「えっ?」と小さく声をあげたあおいが振り向くと、駒坂(こまさか)が二、三塁間を駆けていた。

 

「ダメだ、投げるな!」

 

 サードが腕をクロスさせ「×」を作る。投げてもタイミングはセーフ、ファーストは投げるのを諦め、滑り込んだ駒坂(こまさか)は見事三塁を落とし入れた。

 秋季大会では見られなかった、足を絡めた攻撃。新入生駒坂(こまさか)の加入は守備面だけではなく、攻撃のオプションも拡げた。策が上手くいき満足げに腕を組むパワフル高校の監督。鳴海(なるみ)はタイムをかけて、内野陣をマウンドに集めた。

 

「すまん、俺の指示が......」

「ううん。近衛(このえ)くんのせいじゃないよ。ボクが――」

「誰も悪くない。今のは相手が上手かっただけだよ」

 

「ボクが、簡単にバントをさせちゃったせいで」と言おうしたあおいの言葉をさえぎり、鳴海(なるみ)は言った。

 

「それより問題は、次の......」

 

 全員がチラッとネクストバッターに視線を移した。

 長い髪を赤い髪ゴムでまとめたクールな少年が、打席に立つ準備をしている。

 ――東條(とうじょう)小次郎(こじろう)

 秋季大会での成績は、23打数12安打。打率0.521、本塁打4本、18打点をマーク。パワフル高校をベスト8、強豪校へと押し上げたのは彼と断言しても過言ではない。

 

「公式戦なら敬遠だけど......」

「勝負するよ。ううん、勝負させて。お願い!」

「......わかった。サードランナーは無視して、バッターオンリーで深めに守ろう」

「おう」

早川(はやかわ)、任せとけ。ぜってー取ってやるからな!」

「何言ってるの? ボクは三振を狙いにいくよ。ね、近衛(このえ)くん」

「あ、ああ、そうだな。勝負するからには獲りにいくぞ!」

 

 それぞれポジションに戻り、キャッチャー近衛(このえ)が指示を送る。東條(とうじょう)の長打に備え、内外野共に深く下がっていく。内野は定位置から二メートル後ろで、外野に至ってはフェンス手前にポジションを取り。あおいは、左バッターボックスで悠然と構える東條(とうじょう)に全力で挑む。初球は、内角へのストレート。球審の右手が挙がった。

 

「ストライークッ!」

「ほう。あいつと勝負するのか」

 

 パワフル高校の監督は、感心していた。秋季大会後、練習試合を申し込まれる頻度が増え、遠征試合を何度も行ったが、東條(とうじょう)とまともな勝負をする投手は数えるほどしかいなかった。クサイところを突き、カウントが悪くなれば歩かせる。ただ、それだけだった。

 

「フッ......」

 

 東條(とうじょう)は少し口角を上げて想う「この投手の方が、今までの相手よりずっと男らしい」と。

 あおいの、二球目。投げられたボールはキャッチャーミットへ収まることなく小気味良い金属音を残し、ライトのフェンスを軽々越え、通路を隔てた先のテニスコートに着弾。東條(とうじょう)の先制ツーランホームランで、パワフル高校が先手を取った。

 ホームランを打った東條(とうじょう)はゆっくり、ダイヤモンド一周してベンチへ戻り、仲間が求めるハイタッチにクールに答えた。普段群れない彼には、とても珍しい光景だった。

 

「初回に先制点を取られてしまいましたな。行かなくてよろしいので?」

「織り込み済みだ。それに、ここからの方がよく見える」

 

 校舎二階に構える理事長室。グラウンドをセンターから正面に見えるこの部屋に、東亜(トーア)と理事長は居た。理事長は窓際に立ち戦況を見つめ、東亜(トーア)はソファーに深く腰掛けている。

 

「さて、この先どうなりますかな」

「さてね」

 

 テキトーに答えた東亜(トーア)であったが、彼は既にこのゲームの結末(シナリオ)を描いていた。

 グラウンドではあおいが四番の宇渡(うど)、五番の香本(こうもと)にいい当たりをされるも、バックの好プレーに救われてどうにか踏ん張り、二失点で初回を切り抜けた。ベンチに戻ると、芽衣香(めいか)が元気よく大きな声でベンチを盛り上げる。

 

「さあ、気を取り直して攻撃するわよ!」

「おおーっ! 打てよ、鳴海(なるみ)!」

 

 気合いの入った声援を背に受けて、四番の鳴海(なるみ)が左打席に立ちバットを構える。

 

「よし! スバル、勝負だ!」

鳴海(なるみ)、打たせないよ!」

 

 星井(ほしい)も気合いでは負けていない。

 それもそのハズ。子どもの頃とはいえ、星井(ほしい)鳴海(なるみ)との勝負に負け越していた。実力をつけ、数年越しのリベンジの機会。東西で予選地区の分かれる二人にとって、この試合が最後の対決になることが濃厚。一度首を振った星井(ほしい)は二度目で頷いて、投球モーションを起こす。

 

「ストライクッ!」

「くっ......」

「よしっ!」

 

 初球は、対角線へ食い込むクロスファイアー。左バッターの鳴海(なるみ)には膝元へ食い込んでくるストレート。打ってもファウルになる確率が高い完璧なコースへ決まった。

 二球目は、外へ滑り落ちるシンカーを空振り0-2。鳴海(なるみ)は、二球で追い込まれてしまう。星井(ほしい)は、一球高めに釣り球を投げてから四球目を投げる。ほぼ真ん中から低めへ落ちるフォークボールで空振りを奪った。

 

「よしっ!」

「くそ......」

 

 マウンドで大きくガッツポーズをして、鳴海(なるみ)を指差して微笑む。この三振で勢いに乗った星井(ほしい)は、続く五番、六番も連続三振に切って取った。

 そして、二回の裏パワフル高校の攻撃。恋恋高校はヒットとエラーで一点を失い、3対0とリードを広げられてしまう。その後も回を追う度に失点を重ね徐々に点差が広がり、6回裏パワフル高校の攻撃。バッターは、こここまで二打席連続ホームランを含む三打席三安打の三番東條(とうじょう)

 

「フッ!」

「あっ......」

 

 快音を響かせた打球は、ライトの上空を飛んでフェンスの外へ消えるも、一塁塁審は両手を挙げる。

 

「ファウル!」

「タイム!」

 

 鳴海(なるみ)がタイムをかけ、初回と同じように内野陣がマウンドへ集まった。

 

「あおいちゃん、代わろう」

「絶対にイヤ! ボクは投げれるよ!」

「だけど......」

 

 彼女は肩で息をしている。無理もない、ここまで一人で投げ球数は既に100球を越え、6回までに13失点。心が折れていないのが不思議なくらい。それに、彼女以外に本職のピッチャーは居ない。交代したところで更に悲惨な結果になることは目に見えていた。

 

「はぁはぁ......」

「わかった。だけど、次打たれたら即交代だからね?」

「――うんっ!」

 

 各々ポジションに戻り、試合再開。仕切り直しの二球目、外へのシンカー。東條(とうじょう)はコースに逆らわず流し打ち、理想的な角度がついた打球はレフト上空へ。

 

「ファウル!」

 

 二球連続の特大ファウル。結果的にファウルではあったが、タイミングは確実に合っていた。あおいは、東條(とうじょう)の威圧感に気押されてしまい、ストライクゾーンにボールが入らず、三球連続ボールでフルカウント。

 眼光鋭くマウンドのあおいに睨みを利かせる、東條(とうじょう)鳴海(なるみ)は、彼女に声をかけた。

 

「あおいちゃん! 歩かせていいよ!」

「(いやだ......絶対に逃げたくない......でも)」

 

 多少ボール球であろうが叩き込む。バッターボックスの東條(とうじょう)は、そんな気迫を感じさせる眼をしていた。

 あおいはセットポジションで構える。キャッチャーのサインは外のシンカー。

 

「(絶対打たれたく......ない!)」

 

 勢いよくアンダースローから放たれたボールは、アウトコースのやや甘めに入った。捕手の近衛(このえ)は、すぐに異変に気がつく。

 

「(変化しない!? 抜けた!?)」

「(外の真っ直ぐ、もらった――)」

 

 甘いコースを狙い撃ち。東條(とうじょう)は迷いなく振り抜いた。しかし、そのバットは快音を響かせることはなく、打ち抜いたハズのボールはバックネットへ転がっていた。

 

東條(とうじょう)、振り逃げだ!」

「くっそー!」

 

 キャッチャーはマスクを投げ捨て、必死にボールを追う。

 

「えっ? ......ファースト」

 

 ファーストへ送球――アウトが宣告された。東條(とうじょう)は、バッターボックスからあおいを見つめたまま走っていなかった。球審に促されて、ベンチへ戻る。

 

「(最後のボール......今のは、シンカーか?)」

 

 東條(とうじょう)の考察は当たっていた。

 あおいが投げたボールは、間違いなくシンカー。ただし、打たれたくないという思いから普段シンカーを投げるときよりも強く腕を振った結果、二球目のシンカーよりも速く手元で鋭く変化する高速シンカーに変わった偶然の産物。ストレートと勘違いした東條(とうじょう)も、捕手近衛(このえ)もついていけず振り逃げ。

 

「や......った」

「あおいちゃん、ナイスピッチ!」

「ありがとっ」

 

 グラブタッチをして意気揚々とベンチへ戻る。しかし、好打者を三振に切ったものの点差は13点。この回六点以上取らなければ、コールドゲームが成立してしまう。

 しかも――。

 

「ナイスボールなんだな~」

 

 パワフル高校先発の星井(ほしい)は、ここまで被安打四死球共にゼロ――つまり参考記録ながら6回終了までパーフェクトピッチングを継続中。

 

「行ってくるでやんす!」

「矢部くん! 頼むよ!」

矢部(やべ)、打ちなさい!」

 

 七回表、一番バッター矢部(やべ)がバッターボックスで構える。

 

「プレイ!」

 

 気合いを入れて挑んだ矢部(やべ)だったが、ストレート二球で簡単に追い込まれた。140キロ近い球速のストレートにタイミングが合っていない。投手からすればこのまま勢いに任せて三球勝負へ行きたくなる場面だが、バッテリーはペースを乱さず三球目をアウトコースへ外す。

 

「――や・ん・すッ!」

 

 矢部(やべ)は、その外したボールに食らいついた。左手一本でバットの先に当てる。スピンのかかったボテボテのゴロがファースト方向へ転がった。矢部(やべ)は全力で走る。ファースト宇渡(うど)のスタートがやや遅れた、グラブでは間に合わないと判断して素手で捕球。

 

宇渡(うど)!」

 

 ベースカバーの星井(ほしい)へのトスが逸れた。不規則なスピンのかかった打球を握り損ねた結果の暴投。星井(ほしい)は飛び付いて何とか捕球したが、矢部(やべ)は気迫のヘッドスライディングでベースへ到達。記録はエラーながら、恋恋高校は初のランナーを出した。

 

「ナイス、矢部(やべ)くん!」

「続け続け!」

 

 続く二番、甲斐(かい)の打席。初ランナーを出した星井(ほしい)は、矢部(やべ)の足を警戒して、二球連続で牽制球を投げる。

 そして、バッターへの初球。甲斐(かい)は意表をついてセーフティバント。しかし、打球はやや弱めにピッチャーの正面へ転がってしまう。

 

一塁(ひとつ)なんだな」

「いや、二塁(ふたつ)行ける!」

 

 星井(ほしい)香本(こうもと)の指示を聞かず、セカンドへ送球、矢部(やべ)の足を封じに行くも。

 

「セーフ!」

「くっ......!」

 

 選択は裏目、フィルダースチョイス。

 無死一二塁のチャンス。今の一連のプレーを理事長室から見ていた東亜(トーア)が、ソファーから立ち上がった。

 

「どちらへ?」

 

 倉橋(くらはし)理事長の問い掛けに答えず鼻で笑った東亜(トーア)は、理事長室を出ていった。

 

「アウトッ!」

 

 グラウンドでは、三番バッター奥居(おくい)が捉えた痛烈なライナーを、ショート小田切(おだぎり)がジャンプ一番で捕球し、ワンナウトが取られたところ。

 

「惜しいわね、あともう少し逸れていたら......」

「やってるじゃねぇか」

「えっ?」

 

 険しい表情(かお)でグラウンドを見守る理香(りか)に、降りてきた東亜(トーア)が声をかける。

 

「遅いわよ、どこで油を売っていたの? もう終盤よ」

「まあ、別にいいじゃねぇか。おい、お前次のバッターだろ」

「え? あ、はい」

 

 見知らぬ金髪の男に声をかけられ戸惑いながらも、鳴海(なるみ)東亜(トーア)の元へ。

 

「ねぇ、誰あれ? 何かどっかで見たことあるような気がするんだけど」

「オレもだ、どこだっけ?」

 

 などなど......ベンチ内に疑問の声があがる。それらを気にする様子もなく、東亜(トーア)は要件を伝えた。

 

「三球目、外から入ってくるスライダーを狙え」

「えっ?」

「お前に勝機があるとすれば、その一球だけだ。ほら、思い切り振ってこい」

 

 鳴海(なるみ)はバッターボックスへ。東亜(トーア)は、そのままベンチの空いている席に座って足を組む。

 

「今のどういうこと?」

「フッ、まあ見てればわかるさ」

 

 星井(ほしい)は、ランナーを警戒しながら投げるも初球、二球目と共にボール。そして三球目、キャッチャーのサインに頷いて投げた。

 

「(――本当に来た!)」

 

 鳴海(なるみ)は、東亜(トーア)の指示通りボールから入ってくるスライダーを完璧に捉えた。打球は快音を響かせ、レフト上空へグングン伸びて飛んで行く。

 

「抜けろー!」

 

 ベンチが沸き上がる。

 

「狙った球だ、余裕でフェンスを越えるさ」

 

 東亜(トーア)の予告通り、打球はフェンスを越えて駐車場付近で跳ねた。

 まさかの特大の一発にマウンドで茫然とする星井(ほしい)。ノーヒットノーランを打ち砕いた一撃は、反撃の狼煙を上げるスリーランホームラン。

 

「さあ、反撃開始だ」

 

 3-13。点差は10点。

 ここから、恋恋高校の反撃が始まる。



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game5 ~結末~

 七回の表、四番鳴海(なるみ)の反撃の一打で10点差まで追い上げた。

 しかしまだ、七回コールドゲーム圏内。あと四点奪うことが出来れば、次の守備に望みを繋げることが出来る。東亜(トーア)は続く五番、葛城(かつらぎ)を呼びつけ直接指示を与えた。

 

「一球ストライク取られるまで待って、セーフティバントの構えを見せてやれ。あとは突っ立ってりゃいい」

 

 やや戸惑いながら頷いた葛城(かつらぎ)は、バッターボックスへ向かう。指示が終わるのを待っていた理香(りか)はさっそく、鳴海(なるみ)の打席について尋ねる。

 

「どうして、球種とコースがわかったの?」

 

 会話が届かない遠い者たちが大声でバッターへ声援を送る中、実際に指示を受け、見事ホームランを打った鳴海(なるみ)本人を含めた近くに座る選手たちも顔と耳を傾けている。

 

「おい、三番打ってるヤツ」

「おいらっすけど」

 

 三番バッターの奥居(おくい)が、挙手。

 

「お前の打席の球種は、シンカー、ストレート、スライダー、ストレート、フォーク。ボール、ファウル、ストライク、ボール。そして、高めに抜けたフォークをショートライナー。二球目のストレート、ボール球だっただろ」

「は、はい」

 

 スコアブックも見ずに言い当てられた奥居(おくい)は、目を丸くして頷く。

 

「それが、どうしたの?」

「簡単なことさ。アイツ――」

 

 マウンドの星井(ほしい)をアゴで指す。ちょうど打席結果が出たところだった。結果は、打者有利の3-1から高めのストレートを見送りフォアボールを選んだ。バットを置いて一塁へ向かう葛城(かつらぎ)も、鳴海(なるみ)と同じく指示を守り、一度セーフティバントの構えを見せただけで、後は一度もバットを振ることなく出塁していた。

 

「メンタルが弱いんだ」

「え......ええーっ!?」

 

 話しを聞いていた全員が、揃って声を上げた。

 今まで散々苦しめられてきた投手が精神的に脆いと聞いて、選手たちは戸惑いと驚きを隠せない。

 

「だ、だけど俺たち、スバルに6回まで完全試合を......」

「崩れるのには一定の条件があるのさ。この回先頭のメガネがエラーで出塁した際、取り立てて大きなリードをとってないにも関わらず、落ち着きなく二度も連続で牽制球を投げた。そして、キャッチャーの指示を無視して、二塁へ送球。結果は、フィルダースチョイス。そこで確信した。アイツは、ランナーがスコアリングポジションに行くことを極端に嫌っている、とな」

 

 星井(ほしい)は、ピンチの場面を苦手としていた。それを裏付けるように、三振こそ二桁の11個取っていたが。たとえ二球で追い込んでも度々サインに首を振り、安易に三球勝負へは行かず、必ず一球外し(釣り球も含む)丁寧に勝負球を低めへと投げ込んでいた。しかし、スコアリングポジションにランナーを背負うと一転突如制球を乱し、ストライクとボールが極端になってしまっていた。

 

「思うようにボールが行かない中、三番相手に唯一構えたところへ投げられたのがスライダーだったのさ」

 

 奥居(おくい)を打ち取り、ダブルプレーで切り抜けられる状況になったバッテリーは、低めへの投球で内野ゴロを狙う。しかし、思うようにストライクは入らず、スリーボールにはしたくない。そこで、唯一狙い通りストライクを取れたスライダーを選択した。

 

「お前、もし俺が指示しなかったらこう思ったんじゃないか? 最悪でもランナー進める」

 

 東亜(トーア)のこの言葉で、鳴海(なるみ)は気がついた。

 

「......そうか、だから外だったんだ!」

「どういうこと? 鳴海(なるみ)くん」

「俺が左打ちだからだよ。たぶん、あおいちゃんや芽衣香(めいか)ちゃんが相手なら、バッテリーは内角のスライダーを選択していた」

 

 自身の意図を理解した鳴海(なるみ)に、東亜(トーア)は小さく笑みを浮かべる。

 

「そう。左打ちにとって内角は引っ張るのに最適。だからあの場面は、外から入ってくるスライダーしかなかったんだ」

「(そんな些細なことから......これが伝説の勝負師、渡久地(とくち)東亜(トーア)の読みなの......?)」

「さてと、次だ」

 

 東亜(トーア)は、六番バッター近衛(このえ)を呼び寄せ指示を与える。右打席で構えた近衛(このえ)は、タイミングを逃さないようにしっかりとピッチャーを見据える。フォアボールのランナーを背負った星井(ほしい)はランナーを警戒して、近衛(このえ)への初球――。

 

「タイム!」

「えっ!?」

 

 足を上げた直後の近衛(このえ)のタイム要求に、星井(ほしい)はモーションを途中で止めてしまった。球審は手を広げ、セカンドベースを指す。

 

「ボーク! テイクワンベース」

 

 投手は、投球モーションに入ったあと止めていけない。違反した場合投球はボークとなる。因みに投球モーションに入ったあとタイムを要求しても、球審が認めない限りタイムは認められない。

 

「はっはっは、相当動揺してるな、アイツ。こんな初歩的な手に引っ掛かるなんて」

「スバル......」

 

 パワフル高校の内野陣がマウンドに集まり、ベンチから伝令が走る。袖で額の汗をぬぐって呼吸を整える、星井(ほしい)

 

星井(ほしい)、大丈夫か?」

「あ、ああ......ごめん。今ので、頭は冷えたよ」

「ベンチの指示は?」

 

 東條(とうじょう)は、伝令に指示の内容を話すように促す。

 

「あ、悪い。点差はあるから、ランナーは無視でいいって。先ずは、ストライクをひとつ取ること」

「わかった」

 

 伝令はベンチへ戻り、内野も元のポジションへ散る。仕切り直しの一球目、キャッチャーはベンチの指示通り、真ん中付近にミットを構えた。そして星井(ほしい)も、そこへ投げ込んだ。

 しかし、この一球を近衛(このえ)は待っていた。

 

「クックック......アホな監督(ベンチ)だな。そいつだ」

 

 制球重視で球速を落とした、ほぼ真ん中のストレート。

 近衛(このえ)への指示は、タイムのタイミングと伝令が出たあとの初球を狙え。近衛(このえ)は、力むことなく綺麗にセンター返し、一死一・三塁とチャンスを拡げる。

 続く七番真田(さなだ)は、初球セーフティスクイズ。点差があるため守備陣形は当然定位置、完全に意表をつかれオールセーフ。1点を返され、なおも一死一二塁のピンチ。

 

「おい、金属使え」

「ヤダ!」

「あん?」

「このバットは、おじいちゃんの魂が籠ったバットなんだからっ!」

 

 芽衣香(めいか)の祖父は元バット職人。既に引退しているが、芽衣香(めいか)は祖父の作ったバットに誇りを持ち、祖父の作った木製バットで甲子園で活躍すると誓っているため。

 

「あっ......!」

 

 根本に当たり、バキッとバットが折れた。だが、いい感じに打球が死にサードへの内野安打。一死満塁。

 

芽衣香(めいか)ちゃんがバット折ったの、これで何本目だっけ?」

「さあ? ボクも、もう数えてないや」

「通算31本目ですよ」

「本当に大事にしてるのか? アイツ」

「あ、あはは......」

 

 東亜(トーア)の疑問に、あおいたちは苦笑いをするしかなかった。そして次は、そのあおいの打順。

 

「二球目をスクイズだ。高めをサードへ転がせ」

「はーい」

 

 自分のバットでランナーを返したかったあおいは、しぶしぶバッターボックスへ向かう。

 

「転がすなら一度ミスをしてるファーストじゃないの? 東條(とうじょう)くんは、守備も上手いわよ」

「スクイズってのは、送球とランナーが交錯するサードの方が決まりやすいのさ。特に満塁だとな」

 

 あおいへの初球――外のスライダー、ストライク。

 理香(りか)からスクイズのサインが送られたランナーは、それぞれ頷く。そして二球目、あおいはバットを寝かせた。

 

「(またスクイズか!? くっそ、もうこれ以上はっ!)」

 

 不甲斐ないピッチングを続けている星井(ほしい)は、投球モーション中にストレートの握りを強引に変えた。投球は高めに浮いた。

 

「(来た、高め!)」

 

 しっかりと見て、バットを軌道に乗せたが。

 

「えっ......?」

 

 バットにボールは当たらなかった。空振り、スクイズ失敗。球審がストライクを宣告。しかし、ホームベースに当たって大きく逸れたボールは一塁側ベンチ方向へ転々と転がっている。

 

「みんな走って!」

 

 逸らしたボールをキャッチャーとファーストが追う間に三塁ランナー、続けて二塁ランナーも生還。一塁ランナーも、サードへ進塁。5-13、点差は8点。

 

「ナイスラン!」

「あと二点だ! 行ける行ける!」

 

 戻ってきたランナーをハイタッチで出迎える。ベンチで大騒ぎしている中、東亜(トーア)と暴投した張本人の星井(ほしい)は、まったく別のことを考えていた。

 

「ふーん」

「(今のは、あの時と同じ......)」

 

 球審から新しいボールを貰った星井(ほしい)は、手の中でボールの感触を確かめながら握りを模索している。

 

「ピッチャーいいかね?」

「あっ、はい。すみません」

 

 マウンドで構えるとサインを見ず、サードランナーの存在も無視して投げた。先ほどの暴投と同じような高めに抜けたボール。

 

「ボール」

 

 二球目、三球目、四球目もボールでカウント3-1。

 

「次は、もうちょっと広げてみるか」

 

 ボソッと呟いて、五球目を投げる。インコース高めからやや曲がり、真ん中高めに来た。

 

「ボール! ボールフォア」

 

 あおいは一塁へ歩く。フォアボールを出した星井(ほしい)表情(かお)は先ほどまでとは打って変わって、どこか楽しんでいるようにも見えた。

 

「よし、今の感じだ。次は、もっと......」

「タイム!」

「えっ?」

 

 パワフル高校のベンチがタイムを要求し、この回二度目の伝令がマウンドへ送られた。

 

星井(ほしい)、交代だ」

「ちょっと待って、もうちょっとで!」

「監督の命令だよ」

「そんな......」

 

「あと、もう少しで掴めそうなのに!」と、懇願するように星井(ほしい)はベンチを見つめる。監督は立ち上がり、ライトの松倉(まつくら)を呼びつけていた。指名された松倉(まつくら)は、待っていたとばかりに走ってマウンドへ。

 

「お疲れ。ほら、ボールくれよ」

「......嫌だ」

「はあ? なにふざけてんだよ!」

「ふざけてない。代わらないって言ったんだよ」

 

 二人は、マウンドで言い争いを始めた。チームメイトは止めに入るも、どちらも引かない。球審や、二塁塁審も止めに入る。

 

「代わるのかね、代わらないのかね?」

「すいません。すぐに代わります」

「代わりません。すぐに戻ります」

「おい! 星井(ほしい)、テメェ! いいかげんにしやがれ!」

 

 松倉(まつくら)が、胸ぐらを掴み上げた。

 それでも星井(ほしい)は引かず、腕を払いのける。

 

「キミたちいいかげんにしなさい! 退場にするぞ!」

星井(ほしい)! 松倉(まつくら)と交代だ!」

 

 パワフル高校の監督がベンチから直接交代するように告げる。

 やり取りを見て東亜(トーア)は、グラウンドにまで聞こえる声で笑った。

 

「あっはっは!」

「ちょっ、なに笑ってるのっ?」

 

 東亜(トーア)に注目が集まる。理香(りか)は慌てて黙ように言うが、東亜(トーア)は完全に無視を決め込み笑い続けた。

 

「何が可笑しい!?」

 

 痺れを切らせたパワフル高校の監督が怒鳴る。

 

「ククク、何ってそりゃ可笑しいのはお前だろ? 秋期大会ベスト8ね、聞こえはいいが、指導者がヘボいからベスト8止まりだったんじゃねぇか?」

「なんだと......」

「ちょ、ちょっと渡久地(とくち)くん! すみませんっ、ほら謝ってっ!」

 

 もちろん、東亜(トーア)は無視して話を続ける。

 

「本気でわからねぇのか? せっかくピッチャーが、きっかけを掴みかけているのに気づかねぇのかねぇ。どうせ練習試合だ、俺なら結果度外視で一皮剥けるのを期待して投げさせ続けるけどなー。フッ、ここまで言っても気づかねぇのなら。マジでポンコツだな、あんた」

 

 パワフル高校の監督は、拳が手のひらに食い込むほど強く握り締めたまま黙り込む。東亜(トーア)の言葉は彼自身感じていた。

 ベスト8とはいっても、采配で勝ったわけではなく。やはり、東條(とうじょう)の力が大きかった。ベスト4をかけて戦った準々決勝で、徹底マークされた東條(とうじょう)はまともに勝負してもらえず、疲れが見えはじめた松倉(まつくら)を続投させたあげく決勝点を献上してしまうなど、采配もことごとく裏目。

 その時の事が、東亜(トーア)の言葉でよみがえり、反論することもできなかった。

 球審が、恋恋高校のベンチまでやってくる。

 

「キミ、これ以上罵倒を続けるなら没収試合にするよ」

「ああ~、はいはい。すみませんね」

 

 球審は反省の様子を見せない東亜(トーア)の態度に釈然としない表情(かお)見せつつも、パワフル高校のベンチへ行く。

 

「どうしますか?」

「......続投でお願いします」

「よろしいんですか?」

「......はい、ご迷惑おかけしました」

「わかりました。では」

 

 監督は、松倉(まつくら)にライトへ戻るように告げ試合は再開された。

 

           *  *  *

 

「13対10、パワフル高校」

「ありがとうございました!」

 

 礼をして、互いのベンチへ挨拶に向かう。

 

「あの、ありがとうございました!」

 

 星井(ほしい)は、東亜(トーア)に頭を下げた。

 

「礼を言われる覚えはねぇよ」

「ごめんなさいね。この人素直じゃないから」

「いえ、失礼します」

 

 試合の結果は、パワフル高校の勝ち。

 しかし、試合は九回まで行わず七回表の攻撃を終えた時点でコールドゲームとなった。理由は意外にも東亜(トーア)の進言によるもの。理香(りか)、マネージャー、そしてナインは一人を除いて納得。その納得しなかった一名は......。

 

「あおい、そろそろ機嫌を直してください」

「ふんっ!」

 

 ピッチャーのあおいだった。

 投げられると散々駄々をこねたが、10-1と賛成多数で決定。これ以上の投球は、互いの投手の故障に繋がるとパワフル高校側もすんなりとも納得してくれた。

 

「あっ。あおい」

「......なに。あっ!」

 

 東條(とうじょう)が、あおいを近くで見つめていた。

 

「あんた、名前は?」

「ボク? 早川(はやかわ)あおいだけど」

「......早川(はやかわ)。借りは、甲子園で返す」

「へっ?」

 

 踵を反し、ナインが待つ駐車場へと歩いていく東條(とうじょう)。突然のことに呆然と立ち尽くすあおい。

 

「なに? 今の......」

「ふふっ、ライバル誕生ですね」

 

 一方、パワフル高校のマイクロバスの前では鳴海(なるみ)星井(ほしい)が話をしていた。

 

「次は負けないぞ。スバル」

「今度もボクたちが勝つさ。鳴海(なるみ)、甲子園で会おう」

「ああ!」

 

 二人はガッチリと握手を交わし、再戦の誓いを交わした。

 

           *  *  *

 

 試合後、東亜(トーア)理香(りか)はバーに来ていた。ジャズの弾き語りが流れる店内のカウンターでアルコールをたしなむ。

 

「最後の攻撃わざと追い付かないようにしたでしょ?」

「フッ、気づいていたのか」

 

 理事長室で東亜(トーア)が描いていた結末は、コールドゲーム。

 

「まあね。星井(ほしい)くんのボールはコースに決まり始めていたけど、甘いボールも多かったし。勝負師のあなたらしくないんじゃない?」

「言っただろ、ただの練習試合だからさ。ペナントとトーナメントは違う」

 

 143試合という長い戦いの末、勝率で優勝を決めるペナントレースと一発勝負のトーナメントとは大きな違い。

 それは、捨てゲームの存在。

 大差がつき勝敗が決した場面で主力を休ませたり、控え選手を試せることが出来るペナントレースと違い、常に勝ち続けなくてはならないのがトーナメント。

 

「練習試合の勝敗なんてどうでもいい。本番の七試合を拾えばいいのさ」

「......そう。ねぇ、勝てるかしら?」

「さあな」

「わたしは、あの子たちに夢を見せてあげたいのよ......」

 

 カランッ、とグラスの氷が音を奏でる。

 

「まあ、俺は負けるつもりはねえよ」

「頼もしいわね。乾杯しましょ。マスターおかわりちょうだい」

「はい、かしこまりました」

 

 二人は新しいグラスを受け取り、軽く合わせる。

 

「頼んだわよ。勝負師さん」

「フッ......」

「乾杯」

 

 甲子園への長い道のりが始まった。



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game6 ~始動~

 練習試合から一夜明け、翌朝。

 キャプテン鳴海(なるみ)たち野球部員が三人在席する3-Aの教室は、とても騒がしかった。

 

「フッフッフ、全てはオイラの気迫溢れるプレーから始まったんでやんす!」

矢部(やべ)くん、すごーいっ!」

 

 騒ぎの中心にいたのは、矢部(やべ)

 昨日のパワフル高校との練習試合あと一歩というところまで追い詰めた話しは、知らぬうちに学校中へ広まり、登校して来た途端に話題の中心に上がった。

 

鳴海(なるみ)くんは、ホームランを打ったんだよねー?」

「う、うん。まあ、試合は負けちゃったけどね」

 

 あおいたちと今後の野球部の練習方針について机を囲んで話していた鳴海(なるみ)にも飛び火したが、鳴海(なるみ)は自身の力ではなく、東亜(トーア)のアドバイスによりもたらされた結果であることから、おおっぴらには喜んではいない。

 

「つまり、全てはオイラの力! このまま甲子園まで突っ走るでやんすー!」

「キャー! 矢部(やべ)くん、かっこいいー!」

「なーに調子いいこと言ってるんだよ、矢部(やべ)。お前は、イニング三つのアウトの内二つも献上したじゃねーか」

 

 クラスの女子に囲まれ、いい気になって自分の活躍を盛りながら話す矢部(やべ)に、二つ隣のクラスで同じ野球部の奥居(おくい)が無慈悲にも真実を告げる。

 

奥居(おくい)くん、それは言わないで欲しいでやんすー!?」

「ええ~、そうなの~? 矢部(やべ)くん、かっこわる~い」

「うぅっ......ぐすん、......でやんす」

 

 真実を知ったクラスの女子に手のひらを返され涙ぐむ矢部(やべ)を呆れ顔で見ながら、あおいはタメ息を漏らす。

 

「はぁ~、バカみたい」

「あはは......。まあまあ、ところでさ、昨日の人だけど」

「ああ~、あの金髪の?」

「そうそう。あの人、結局なんだったんだろう? どこかで見たことがあるような気がするんだけど。あおいちゃん、心当たりない?」

「う~ん、ボクも見たことあるような気がするんだよね」

 

 二人が、東亜(トーア)ことをよく知らない理由。

 去年の春は選手が9人集まり、夏の大会へ向けて夜遅くまで練習をする日々。夏以降になると、女性選手の公式戦出場を認めさせる署名集めに明け暮れた。ニュースはおろか、プロの野球の結果さえも満足に見ることはなかった。

 更に、東京という立地にも問題があった。

 東京は、東亜(トーア)と対立していた球界のドンがオーナー勤める日本屈指の人気球団が存在し、地上波放送はほぼ全て独占状態。東亜(トーア)が所属していた彩珠リカオンズとは別リーグ、更に親会社が新聞社ということも相まって、リカオンズに関する記事の扱いを悪くするなどの工作を行っていたため、彼らの目に写る機会が少いことも理由だった。

 

「う~ん......采配は的確に当たるし、読みも凄い説得力があった」

加藤(かとう)先生の知り合いみたいだし。部活の時に聞いてみよっか?」

「そうだね」

 

 始業を知らせるチャイムが鳴り響いた。

 矢部(やべ)をイジっていた奥居(おくい)は、おお慌ててで自分の教室へ。あおいも自分の席へと戻っていった。

 その頃――話題に上がっていた東亜(トーア)は、宿泊先の都内のホテルから電話を掛けていた。電話の相手は、理香(りか)

 

『あのね。わたし、学校なんだけど?』

「朝っぱらから、保健室に駆け込むヤツなんて稀だろ」

『それは、そうだけど』

 

「はぁ......」と、諦めたように小さくため息をついた理香(りか)は、改めて用件を伺う。

 

『それで、用件はなに?』

「野球部のトレーニング器材はどうなってる」

『部が発足した時に揃えから一通りはあるはずよ』

「ピッチングマシーンの型は?」

『えーっと。確かローター式だったと思うわ』

「そうか、分かった。じゃあな」

『えっ? ちょっと!』

 

 ツーツーツー......と、通話が終わった事を知らせる連続した機械音が受話口から虚しく鳴り続ける。

 

「もう、なんなのよっ!」

 

 要領を得ない用件に理香(りか)は、終了ボタンを押して少し乱暴にスマホを白衣のポケットにしまった。一方通話を終えた東亜(トーア)は、スマホをベッドへ放り、テラスへ出てタバコを吹かしながら、眼下へ広がる都心の街並みを眺め、のんきに朝のひとときを満喫していた。

 

「さて......」

 

 吸い殻を灰皿に捨て、上着を羽織り部屋を出た。

 

           *  *  *

 

 昼休み、あおいとはるかは教室で弁当を食べながら話しをしている。

 

「あおい、肩は大丈夫ですか?」

「平気だよ。ありがと」

「そうですか、よかったです」

 

 あおいは軽く腕を回して、心配いらないことをアピール。

 練習試合の後、あおいの右肩と肘に厳重に装着された大掛かりなアイシングに心配をしていたはるかは、ホッと胸をなで下ろした。

 

「新入部員来てくれるかな?」

「昨日の練習試合を見てた新入生もいたみたいですし、きっと来ますよ」

「そうだよね。放課後が楽しみだなぁ」

 

 そして放課後、部活の時間。

 男子部員は先に着替えてグラウンドでキャッチボール。鍵を掛けた部室で着替えをしていたあおいと芽衣香(めいか)も支度を済ませて出てきた。

 

「みんな、集合して」

 

 白衣をまとったままの理香(りか)が、部室の前にナインを集める。

 

「昨日はお疲れさま。疲れは残っていないかしら?」

「はい!」

 

 声を揃えて答える。返事を聞いた理香(りか)は笑顔で頷き、彼女の後ろに並ぶジャージ姿の生徒たちを紹介。

 

「待望の新入部員よ。まだ仮入部期間だからジャージだけどね。さあ、自己紹介してちょうだい。先ずは一番右のキミからお願いね」

「はい! 今年入学しました、一年の――」

 

 順番に自己紹介、計六名の部員が新しく恋恋高校野球部に仮入部。

 

「はい、ごくろうさま。じゃあ分からないことは、キャプテンの鳴海(なるみ)くんに訊いてね。それと――」

 

 ナインたちから視線を外して、ベンチに顔を向けた理香(りか)は、面倒そうにベンチに座る金髪の男に向かって声をかける。

 

「紹介するから、こっちに来て!」

「あん?」

 

 面倒くさそうに、部室の前に行く。

 

「あっ、昨日の人......」

 

 東亜(トーア)を見たあおいが、小さく声をあげる。どういう訳かとざわつく部員たちの中、新入部員は少し違った反応をしていた。

 

「はいはい、静かになさい。今、紹介するから」

 

 静かになったところで理香(りか)は、改めて東亜(トーア)を部員に紹介。

 

「この人は、渡久地(とくち)くん。今日から正式に野球部のコーチとして、あなたたち指導してもらうことになったわ」

「ど、どういうことですか? 加藤(かとう)先生」

 

 驚き戸惑う中、代表してキャプテンの鳴海(なるみ)が訊く。

 

「本気で甲子園を目指すのなら素人のわたしよりも、プロに指導してもらった方がみんなのためになるでしょ?」

「プロ?」

 

 新入部員に一度目を向けてから前を向き直して、小さく微笑む。

 

「ふふっ、何人かは気づいているみたいね。そう、彼は昨シーズン開幕11連敗を喫した彩珠リカオンズを奇跡の逆転劇で、ペナントレース優勝。そして、日本シリーズ制覇へと導き。自身も最多勝、最多奪三振など多くのタイトルを獲得し、突如姿を消した伝説の投手――渡久地(とくち)東亜(トーア)よ」

 

 突然のことに理解が出来ずに固まる。しばしの間が空いてから彼らの感情が爆発した。

 

「えっ......? ええーっ!?」

「元プロ野球選手!?」

「み、みなさん! こ、これを見てください!」

 

 驚く鳴海(なるみ)たちにマネージャーのはるかは、スマホを見せる。液晶画面には、目の前にいる渡久地(とくち)東亜(トーア)その人が、試合で投げている動画が映し出されていた。

 

「ほ、本物の渡久地(とくち)選手だ! 俺、実家にユニフォームを飾ってあるんだぜ!」

「マジかよ!?」

 

 新入部員の中にリカオンズが本拠地を構える埼玉県出身の生徒が居たため、更に騒ぎが大きくなった。何を言っても無駄だと判断した理香(りか)は、騒ぎが収まるのを待って改めて伝える。

 

「そういう訳だから。今日から、渡久地(とくち)コーチの指示の元練習メニューを組むことになったわ」

「あの、加藤(かとう)先生は?」

「もちろん、わたしも野球部に残るわ。今まで通り飾りの監督で、サポート役だけどね」

 

 理香(りか)は一通りの質問を全て答えたのち、あとを東亜(トーア)に委ねた。

 

「それじゃあ渡久地(とくち)くん、よろしくね」

 

 緊張感から数人のゴクッと生唾を飲み込む音が聞こえてくる。

 そんな中、東亜(トーア)は初めての指示を出した。

 

「俺がいいと言うまで、お前ら全員走れ」

「は、はい! みんな、道具を片付けてジョギング行くぞ!」

「おおーっ!」

 

 大急ぎでバット、ボール、グラブを片しグラウンドの外周を回り始めた。

 

「さて、出てくる。水分補給のタイミングはあんたに任せる」

「わかったわ。みんな、最初から飛ばしすぎないようになさい」

 

 理香(りか)に許可をもらいグラウンドを後にする東亜(トーア)は、気合いを入れて練習に取り組むナインたちを見て笑みを浮かべ小声で呟いた。

 ――さーて、何人生き残るかな、と。



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game7 ~平均~

 恋恋高校を後にした東亜(トーア)は、都内のとある個人経営のカフェに入店。店内を左から右へ見渡し、窓際一番奥の席に座る白髪混じりでスーツ姿の男性の正面の席に腰を掛けた。

 

「悪いな。東京まで呼び出しちまって」

「いいや、いいんだ。私も、オーナー会議があったからね。これを、例の物だ」

「サンキュ」

 

 男性から、ディスクケースを複数枚受け取る。

 この男性――及川(おいかわ)は、かつてリカオンズの広報部長務めていた人物。

 東亜(トーア)がオーナーに就任する前のリカオンズは、前任の元オーナーのワンマン経営。職員は全て前オーナーの命令の絶対服従の犬だったが、チームの勝敗を度外視した球団の利益のみを追求する前オーナーの経営方針に疑問を抱いた彼は、前オーナーの妨害工作を東亜(トーア)にリークするなど、つねにリカオンズの勝利の為に働いていた野球好きの気の良い男性。児島(こじま)たちの嘆願を受け、定年間際だった彼が、東亜(とうあ)が姿を消して以降不在となっていたリカオンズの新オーナーに就任した。

 

「いやはや、今のところどうにか上手く回ってはいるが、はたしてこのまま私にオーナー職が務まるかどうか......」

「あんなもん今まで通りやれば猿でも黒字経営できるさ。さて」

「もう行くのか? リカオンズの近状でも――」

「あいにく終わった事には興味無いんでね」

 

 素っ気ない返事をして席を立った東亜(トーア)は伝票の支払いを済ませて、店を出る。

 

「終わったこと、か......。渡久地(とくち)、お前にとって、リカオンズはその程度のモノだったか......」

 

 一人残された及川(おいかわ)は淋しそうに呟き、しばらく東亜(トーア)が出ていったドアを見つめていた。

 その東亜(トーア)はタクシーを拾い、スポーツ用品最店大手のミゾットスポーツ本店が入るビルの前で下車し、店内へ入る。東亜(トーア)の来店に気がついたスーツ姿の大柄な男性が、急いで駆け寄って来た。

 

渡久地(とくち)様。お待ちしておりました」

「注文した品は?」

「はい。既にご用意出来ています。こちらへどうぞ」

 

 エレベーターで、ビルの地下へ降りる。ミゾットの職員は中型トラックの運転席に乗り、東亜(トーア)が助手席に座るとエンジンを回した。

 

「それでは、お届け先の恋恋高校へ向けて出発致します。搬入口で少々揺れますので、お気をつけください」

 

 機材を積んだトラックは、恋恋高校へ向けて動き出した。

 ビルを出て約15分、恋恋高校へと続く直線道路を進んでいると、窓を開けて車窓から風景を眺めていた東亜(トーア)の気を引くものが目に入った。

 

「ふ~ん......」

「どうかなさいましたか?」

「いや、何でもねぇよ」

 

 ミゾット職員は不思議に思いながらも、運転に集中しなおした。

 一方、目的地の恋恋高校のグラウンドでは。

 

「はぁはぁ......、どれくらい走ってるでやんすか......?」

「かれこれ二時間弱、かな?」

「てゆーか、お腹の横ちょー痛い......最初に飛ばしすぎたわ」

「オイラ、もう限界でやんすー!」

「......大声出す元気があるじゃねぇか」

 

 東亜(トーア)の指示を守り、グラウンドを走り続けていた。理香(りか)の指示で休憩を挟みつつではあるが、走った距離にして10kmを通過したあたり。彼らの体力は限界に近づきつつあった。そこへ、理香(りか)の声。

 

「みんな、集合ー!」

 

 ナインは助かったと思いつつ、ベンチ前に集合。

 出かけていた東亜(トーア)はいつの間にか戻り、ベンチに座っている。全員が息を切らせているのを見て鼻で笑った。

 

「おいおい、アップでそんなことじゃ先が思いやられるなあ」

「ア、アップ......?」

「フッ、次はそいつだ」

 

 困惑する部員をよそに親指で、部室前を指す。そこには、先ほどミゾットスポーツで購入した大量の筋トレ器具が準備されていた。

 今朝、理香(りか)が言っていように一通りは揃っていたが、部員が増えたことで足りない分を補充し、さらにはアスリート仕様の物もいくつか導入した。

 

「使い方は、あのおっさんに訊け」

「恋恋高校野球部のみなさん、どうぞこちらへ!」

 

 ナインは重い足取りで部室の前へ行き、ミゾット職員の説明を聞きながらサーキットトレーニングを始める。筋トレを開始して約一時間が経ち日が傾き始めた頃、理事長がグラウンドへ顔を出した。

 

「やってますな」

「理事長先生。みんな――」

「いや、構わずに。集中しているようですし、そのままで結構」

 

 ナインたちを集めようとした理香(りか)を制止し、東亜(トーア)の隣に腰を掛ける。

 

「どうですかな?」

「どうもこうもねぇよ」

 

 今のままでは甲子園はもちろんのこと、地区予選三回戦突破すら危ういと東亜(トーア)は確信していた。

 

「さて、マネージャー」

「はい、なんでしょうか?」

 

 はるかに声をかけて、立ち上がる。

 

「アガリの準備をする。暇ならあんたらも手伝え」

 

 理香(りか)と理事長も呼びつけて、特製ドリンクの準備に取りかかり準備が済んだところで、理香(りか)は部員を集める。

 

「みんな、お疲れさま。今日の部活はこれで終わりよ」

「気をつけ。礼」

 

「ありがとうございました!」と頭を下げる同時に座り込んだ部員の元へ、用意した特製ドリンクを持ったはるかがやって来た。

 

「みなさん、お疲れさまです。どうぞ~」

「ドリンク?」

「はい、渡久地(とくち)コーチ考案の特製ドリンクですよ」

「ってことは......プロ仕様!?」

「さっそくいただくでやんすー!」

 

 矢部(やべ)は、机に置かれたコップを見て手を止めた。それを不思議に思ったあおいが訊く。

 

「どうしたの? 矢部(やべ)くん」

「色が違うでやんす」

 

 ドリンクは、白濁色、赤、紫の三色類が用意されていた。

 

「中にアタリが含まれてるのさ」

「だそうです。早い者勝ちですよー」

「オイラ、これでやんす!」

 

 複数ある中で、ひとつだけしかない白濁色ドリンクをかっ攫った。

 

「ズルいぞ、矢部(やべ)!」

「早い者勝ちでやんす!」

 

 抗議する奥居(おくい)を後目に――ゴキュゴキュ、と音を立てて一気飲み。

 

「ゴブッ! ま、不味いでやんすー!?」

「はっはっはっ、そいつが当たりだ。おめでとさん」

矢部(やべ)くん、流石だね。一発で引き当てるなんて」

「うれしくないでやんす......」

 

 涙目で残りを飲む矢部(やべ)に対して、他の部員たちは。

 

「あっ、おいしい。これリンゴかな? 芽衣香(めいか)のは?」

「あたしのはベリー系の味だね。飲んでみる?」

「いいの? じゃあボクのも――」

 

 お互いのコップを交換して味の違いを楽しんでいた。飲み終えたコップを回収して解散。バックを肩にかけ帰り支度を始めた鳴海(なるみ)に、東亜(トーア)及川(おいかわ)に貰ったディスクケースを渡す。

 

「おい、これに目を通しておけ」

「は、はい。分かりました」

 

 受け取ったディスクケースをバックにしまい、家路を歩く。

 

「はぁ。結局筋トレだけで、ボールすら触らせてもらえなかったね」

「うん。ボク、練習でボールを触らなかったの初めてだよ」

「あたしも。よーしっ、帰ったら素振り! って、体力も流石に残ってないわ......」

 

 ジョギングと筋トレで全員疲労困憊。普段10分もかからない通学路だが、半分を過ぎたところで既に10分以上かかっている。

 

「ところで鳴海(なるみ)、さっき、コーチに何をもらっていたんだ?」

「ん? ああ......DVD。中身はわからないけど見とけって」

「ふーん」

 

 奥居(おくい)鳴海(なるみ)の会話を数歩後ろで聞いた矢部(やべ)は、駆け足で隣に来た。

 

「ムフフッ、なヤツでやんすかっ? オイラにも見せてほしいでやんす!」

「いや、知らないけど......」

「女の子が居るのにそんな話しするなんて、クズね」

「サイテー」

 

 やらしい期待をする矢部(やべ)にドン引きする芽衣香(めいか)とあおいだった。

 鳴海(なるみ)は、家に着くと夕食と風呂を済ませて東亜(トーア)に命じられた入浴後のストレッチをしながらDVDを再生させる。

 

「これは......」

 

 テレビ画面に写し出された映像は、昨年度のリカオンズの試合中継だった。

 

           *  *  *

 

「あいつらは、戦う体ができていない」

 

 先日と同じバーで東亜(トーア)理香(りか)は、今日の部活についての話をしていた。

 

「リカオンズは10年連続Bクラスの弱小球団だったが、曲がりなりにもプロだ。精神・意識(メンタル)において劣っていただけで、プロで戦うだけの体はあった」

「あの子たちは甲子園を目指せる体じゃないってこと?」

「簡単に言えばそうだ。鳴海(なるみ)は、星井(ほしい)からホームランを打ったが、球種がスライダーだから打てたのさ」

 

 パワフル高校との練習試合、星井(ほしい)がストライクを取れた球種がスライダーではなくストレートであったなら、良くてレフトフライだった。

 その理由は、単純な物だった。

 あの試合、鳴海(なるみ)を含め全員がストレートに振り遅れていた。星井(ほしい)はメンタル面に脆さはあるが、名門覇堂(はどう)高校でエースナンバーを争っていた程の投手。体の鍛え方が根本的に違う。それに加え、署名活動に時間を割いていたことで満足に練習を行えず、体力的なアドバンテージもあった。

 

「120キロ半ばのスライダーだから打てた。あの場面140キロのストレートなら球種を読めていても打ち返す能力がない」

「それが、今日の基礎体力作りに繋がるわけなのね」

「ま、そういう訳だな」

 

 とにもかくにも、先ずは体力強化。

 今のままでは、采配でどうにかなるレベルではない。それが、東亜(トーア)の見解だった。

 

「これを見ろ」

「これは?」

「今年の春の覇者アンドロメダ学園の選手データを、俺なりに八段階に査定した表だ。Gが最低でSが最高。A以上はプロでもやっていけるレベル」

「アンドロメダ学園。ほとんどの選手が平均C前後、エースの大西(おおにし)くんに至ってはAランクに迫るレベル」

「で、これが恋恋高校」

 

 もう一枚の表を理香(りか)に渡す。

 

「......平均F以下、か」

 

 名門との力の差があることは承知していた理香(りか)だが、あまりにも大きな差にさすがにタメ息を漏らした。

 

「都大会決勝までに平均Dくらいに持っていってやるさ。でだ、今週末また試合を組め」

「またベスト8以上?」

「いや、どこでもいい」

 

 東亜(トーア)は、グラスのアルコールを口に運んでから言った。

 ――どうせ、勝てねぇんだからな、と。



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game8 ~危機感~

 昼休み。3-Aの教室では鳴海(なるみ)、あおい、芽衣香(めいか)、はるかの四人が机を囲んで、昼食をとっている。同じクラスの矢部(やべ)と、別のクラスの奥居(おくい)は来る余裕もないほど昨日のトレーニングでヘタレ込んでいた。

 

「球速は、平均120キロ前後。球種もストレートだけなのにバンバン空振りを奪って、奪三振の山を築いていくんだ」

「すごいね!」

「俺、気がついたら一時過ぎまで観てたよ」

鳴海(なるみ)さん、ちゃんと休まないとダメですよ」

「はい、気をつけます」

 

 練習の疲労があるにも関わらず夜遅くまで動画に見入っていたことをはるかに咎められた鳴海(なるみ)は、素直に頭を下げた。

 

「でも、コーチはなんで、鳴海(なるみ)にだけ渡したんだろ?」

 

 芽衣香(めいか)の疑問に、三人は首をかしげる。

 

「確かに。(オーバー)(アンダー)、ピッチングフォームの違いはあるけど。内野手の俺よりも、投手のあおいちゃんの方が絶対参考になるよね」

「プロ野球で活躍された方ですから、何か意味があるのではないでしょうか?」

「何か、か。う~ん......」

 

 何だろう、と鳴海(なるみ)は腕を組んで、東亜(トーア)の思惑を考えてみるも答えは浮かんでは来ない。

 

「あおいも見せてもらったら? 参考になるかもよ」

「そうだね。今度、ボクに見せてくれる?」

「じゃあ今度、見終わったのを持ってくるよ」

 

 あおいと約束をして、午後の授業。そして、放課後がやって来た。

 

「今日もまた、二時間走らされんのかな?」

「そうだったらオイラ、病院送りになる自信があるでやんす......」

 

 奥居(おくい)矢部(やべ)共に酷い筋肉痛に見舞われている両足を引きずりながら、グラウンドへ重い足を動かしている。

 

「もぅ、二人とも大げさ過ぎだよ」

「ホント情けないわね」

 

 二人の先を歩き振り向いて苦言を言うあおいと芽衣香(めいか)に、鳴海(なるみ)は二人は平気なのかと訊ねた。

 

「普通に痛いけど、練習に支障がでる程じゃないよ」

「根性よ、根性!」

「あははっ」

「あんたは辛そうじゃないわね?」

「俺も痛みはあるよ。ビデオを見ながらずっとストレッチしてたから、ちょっとマシなのかも」

 

 そんなことを話しながら、グラウンドに到着。

 他の部員は既に来ていたが、矢部(やべ)たちと同様全員辛そうな表情(かお)をしている。

 そして、仮入部の新入部員たちはというと――。

 

「ほう。全員残っているじゃないか」

 

 少なくとも二、三人。最悪全滅もありえると考えていた東亜(トーア)にとって、全員生き残るという意外な結果。

 

「あ、渡久地(とくち)コーチ。みんな整列!」

 

 鳴海(なるみ)は、東亜(トーア)が来たのを確認するとすぐに部員を集めて挨拶。少し遅れてやって来た理香(りか)にも同じように挨拶をして、速やかに着替えを済ませると再び整列。

 

「じゃあ、先ずは走ってもらうか」

「はい! 行くぞ!」

 

 鳴海(なるみ)を先頭に走り出した。

 

早川(はやかわ)。お前は、コレを付けて走れ」

 

 東亜(トーア)があおいに渡した物は、パワーアンクル。

 あおいの投球フォーム、アンダースローはオーバースローに比べてはるかに足腰にかかる負担が大きいため、下半身をより鍛える為の処置。下半身の安定は、スタミナ強化はもちろん、球速や制球力の向上に繋がる。

 

「うっ、けっこう重いかも」

「片方2キロ、計4キロ。まあ、最初はそんなもんだ」

「さ、最初は......?」

 

 ――わかってるだろ? と意地悪な笑みを見せる東亜(トーア)に、あおいは諦めて走り出した。ナインが走っている間に東亜(トーア)は、理香(りか)とはるかを連れて次の準備を始める。

 

「コイツを等間隔に固定しろ」

「プラスチックの棒ですか?」

 

 長さ10㎝厚さ1㎝ほどの白いプラスチック棒を、空き教室の机の両端に固定して、棒の先端に目印に赤いシールを貼り付けて完成。

 

「これは、どう使うのですか?」

「椅子に座って、アゴを机につけてみろ」

「こうですか?」

 

 はるかは、言われた通りに椅子に座る。

 

「それでいい。そのまま顔を動かさずに眼だけを動かし、棒のシールに交互にピントを合わせる」

 

 アゴを机に固定し眼だけを左右に動かし、左右の棒の赤いシールに連続してピントを合わせることで、眼球運動を鍛えるトレーニング。

 今行っている基礎体力トレーニングで体が動くようになったとしても、予選を勝ち上がるには150キロ以上のボールについていける高い眼球運動能力が必要。これは、そのためのトレーニングの一部。

 

「思った以上に大変です。目が疲れます......」

「体と同時に眼も鍛える必要があるのさ」

 

 目をこするはるかに、東亜(トーア)は用意して置いた目薬をひとつ机においてから、理香(りか)に指示を出した。

 

理香(りか)。ランニングが終わったら、サーキットトレーニングを3セット、ドリンク。このトレーニングを一時間したあとは全員に目薬をさすように指示を出せ」

「ええ。出るの?」

「調達するものがある。あとは任せる」

 

 空き教室を出た東亜(トーア)は、恋恋高校を出て昨日興味を持った場所へ向かい歩きだした。

 恋恋高校の正門を抜けてから数分で目当ての場所に到着。

 そこでは一定のテンポで金属音が外まで響く、バッティングセンター。

 

「いらっしゃいませー」

 

 店内に入り、カウンターで1ゲーム分の支払いを済ませる。バッティングゲージに入ることなく、ベンチでタバコを吹かしながら客のバッティングを眺めていた。

 一番左の80キロゲージには男子小学生。彼から三つ飛んで120キロには中学生くらいのこれまた男子学生。ソフトボールゲージで構える女性など数人の客がバットを振っている。

 

「ふっ!」

 

 東亜(トーア)が眺めているのは彼らではなく、その二つ隣このバッティングセンターの中でも難易度の高い、最速140キロから最遅100キロまでランダムで放たれる硬球のゲージで快音を響かせている客。

 

「ふーん」

 

 最速のボールはカットするか、見逃して、打てる遅いボールを当たりはともかく的確に前へ打ち返している。その後も同じゲージでバッティングを続けて、2ゲームを終えたところでメダルが尽きたらしく、財布を持ってゲージの外に出てきた。

 

「やるよ」

「えっ?」

 

 東亜(トーア)は、出てきた客にピンッ! と親指でコインを弾いて渡す。それを慌てながら両手で受け取る。

 

「あ、あの――」

「いいもん見せてもらった礼だ」

 

 背中を向けたまま店の外に出ていく東亜(トーア)の背中を見ていた客は、恋恋高校の制服を身にまとった女子生徒。その頃ナインたちは、サーキットトレーニングを行っていた。

 

「ランニングのあとの筋トレは地獄でやんす......」

「さすがのおいらも限界だぜ」

「あとワンセットだ、みんな頑張ろう!」

 

 キャプテンの号令で誰一人脱落することなくサーキットトレーニングをやり終えて、運命のドリンクタイムがやってきた。マネージャーのはるかは、昨日と同じようにベンチ前に机をセットして、人数分のドリンクを並べて置く。

 

「みなさん、おつかれさまです。特製ドリンクですよー」

「あのー、はるかちゃん」

「はい、なんでしょうか?」

 

 鳴海(なるみ)は、恐る恐る手を上げてはるかに訊く。

 

「今日もアタリという名のハズレはあるのでしょうか?」

「もちろん用意してありますよ」

 

 ニコッと微笑みを見せるはるか。

 

「フッフッフ......でやんす」

「なによ、矢部(やべ)。その気持ち悪い笑い方」

「オイラはもう、ハズレドリンクの色を見切っているでやんす! お先にでやんす!」

「あっ! ちょっと待ちなさい!」

 

 止める芽衣香(めいか)を無視して矢部(やべ)は、一番乗りでドリンクに手を伸ばした。

 

「こ、これは......でやんす」

 

 しかしその手は、ピタッと止まった。不思議に思った奥居(おくい)が、矢部(やべ)の隣へ行く。

 

「どうしたんだ? 矢部(やべ)

「ふ、フタがしてあるでやんす......!」

「ふふっ、色で判断できたらつまらないと思いまして」

 

 東亜(トーア)の指示ではなく、はるか個人の案でコップにはホットコーヒーに付ける物より飲みやすいように少し口がひろめの白いふたが装着され、外からではドリンクの色が分からなくなっていた。

 これにより矢部(やべ)の必勝法は崩れ、全員が横ばいの選択。各々が恐る恐るコップを取っていき口に含む。

 

「――セ、セーフでやんす!」

 

 ゴクゴクッと飲む矢部(やべ)の隣で、奥居(おくい)が膝をついた。

 

「ぐはっ......お、おいらが引いたぜ......」

「ふふ~ん、これで残りは全部セーフな訳ね! うっ、ゴホッゴホッ......な、なによこれーっ!?」

「ふふっ。アタリは一つとは言ってませんよ?」

 

 奥居(おくい)がハズレを引いたことで安心しきっていた芽衣香(めいか)に不意打ち。

 これもはるかの独断。

 天使のような笑顔のはるかだがこの時、彼らにとって彼女は悪魔にしか見えなかったという。

 

「はぁはぁ......」

「大丈夫ですか? あおい」

「うん。大丈夫だよ......」

 

 足に重り付けてのトレーニングにより膝に手をついて呼吸を整えるあおいを心配するはるかは、ドリンクを渡して耳元で言った。

 

「あおいのは、特別おいしいの作ったから安心してくださいね」

「ありがと、はるか」

 

 休憩を済ましたナインは、理香(りか)の指示で空き教室へ移動。眼球運動を鍛えるトレーニングを終えた時ちょうど東亜(トーア)が戻ってきた。

 

渡久地(とくち)くん、全部終わって目薬をさしているところよ」

「ふーん」

 

 興味無さそうに返事を返して時計を見た。

 

「予定通りだな」

「あっ、コーチ。次は何をすればいいですか?」

「終わりだ」

 

 今日の練習は終わり。東亜(トーア)の言葉を聞いた鳴海(なるみ)は、ナインに呼び掛ける。

 

「そうですか......。じゃあみんな――」

「体の運動はな。今から頭の運動をしてもらう」

「頭、ですか?」

 

 予想外の台詞に鳴海(なるみ)は聞き返した。

 

「オイラ、勉強は苦手でやんす......」

「おいらもだぜ......」

「安心しろゲームだ」

 

 東亜(トーア)は笑みを見せ、15人いる部員を5人ずつ3つのグループに分け机に座らせてトランプを配る。

 

「今からトランプをしてもらう。ゲームは『ババ抜き』と『大富豪』の二種類、ローカルルールはなし。ただし、ポイント制でグループ内の下位二名には、グラウンド整備を行ってもらう」

 

 筋トレで疲れている身体に更に少人数でのグラウンド整備がかかっていることで真剣にゲームを始めた。

 

「あの~、これはどういう練習なのでしょうか」

「見てみろ、アイツらのマジな表情(かお)を」

 

 腕を組んだまま、アゴでナイン指す。

 

「相手の顔色を伺いつつカードを切る。読み合い、騙し合いだ」

「さしずめ、勝負勘のトレーニングね」

 

 はるかの横で、理香(りか)が言う。

 

「まーな。こういったもんは危機感がないと意味がない」

「なるほど、それでバツゲーム付きなんですね」

 

 時間にして一時間弱だが本気の勝負をして神経を擦りきらせた今日の部活は解散となった。

 

「うぅっ......。足、パンパン......」

芽衣香(めいか)、おつかれさまっ」

「くっそー、明日は負けないからっ!」

 

 鳴海(なるみ)たちのグループは芽衣香(めいか)奥居(おくい)の負け。二人ともドリンクもハズレを引くという災難をすべて引き受ける形になった。

 いつもの交差点で六人は別れる。

 帰り道があおいと同じの鳴海(なるみ)は、タメ息をついた。

 

「はあ......」

「どうしたの? 鳴海(なるみ)くん」

「今日もボールを触れなかったな~、って」

「そういえばそうだね」

「俺たち、こんなことで大丈夫なのかな?」

 

 日は暮れて星が見える空を見て言った鳴海(なるみ)に、あおいは名案とばかりに提案を持ちかける。

 

「ねぇ、キャッチボールしよ!」

「えっ?」

「ほら、ちょうど公園があるし。行こう!」

「えっ? ちょ、ちょっと......!」

 

 あおいは鳴海(なるみ)の手を取って近くの公園の街灯の下へ行き。そこで二人は二日ぶりのキャッチボールを楽しんだ。

 

「練習試合の相手が決まったわ」

「ふーん」

 

 いつものバーでアルコールをたしなむ東亜(トーア)は、また興味が無さそうに返事を返す。

 

「もう。ちょっとは興味を持ちなさいよ」

「どうせ本番じゃねえからな、で相手は?」

 

 理香(りか)は、東亜(トーア)を見下すように笑みを見せる。

 

「聞いておどろきなさい。相手は――」

 

 理香(りか)の口から語られた練習試合の相手。

 それは――春の覇者、アンドロメダ学園。



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game9 ~挑発~

 東亜(トーア)がコーチに着任して、初めての週末を迎えた。

 空き教室では恒例のグラウンド整備をかけたトランプ勝負(今日はポーカー)で、三位と四位を競う矢部(やべ)奥居(おくい)は、最後の大勝負をしていた。

 

奥居(おくい)くん、行くでやんすよ?」

「来いよ、矢部(やべ)!」

「覚悟でやんす!」

 

 矢部(やべ)の出したカードの役は、キングのスリーカード。

 対する奥居(おくい)は――。

 

「ストレートだぜ!」

「ギャーッ! でやんすー」

 

 大袈裟にバタッ! と机に崩れ落ちる矢部(やべ)。勝者の奥居(おくい)は勝ち誇った表情(かお)で堂々と勝利宣言をした。

 

「おいらに勝とうなんて、10年早いぜ!」

「通算成績はオイラの方が上でやんす!」

 

 むくっと起き上がった矢部(やべ)が抗議して言い合いが始まり、それを別のグループから見ていた芽衣香(めいか)は頬杖をつきながら、呆れ表情(がお)でタメ息をついた。

 

「まったく、アホね」

「あははっ。まあまあ、元気があっていいじゃない」

 

 あおいは笑いながら、芽衣香(めいか)を宥める。

 そこへ、理香(りか)が手を叩いて空き教室内を静めて注目を集めた。

 

「はい、注目。練習はここまで。今日のグラウンド整備は、みんなでするわよ」

 

 練習後のバツゲームが恒例になっているため「どうしてですかー?」と質問が飛ぶ。

 

「明日の午後に試合を組んだからよ」

「試合......?」

 

 理香(りか)が微笑んで頷くと一瞬の間が開いて「試合だぁーっ!」と、空き教室は大騒ぎになった。グラウンド整備を終えた帰り道。

 

「けど試合かぁー、楽しみね!」

「オイラ、ボール触るの久しぶりでやんす」

「おいらもだぜ」

 

 毎日基礎体力強化ためボールもバットも触らないトレーニングを続けている彼らにとって明日の試合は、楽しみ半分、不安半分といったところ。

 

「ねぇ、バッティングセンターに寄っていかない?」

「さんせー!」

 

 不安を少しでも払拭するため、芽衣香(めいか)の提案で六人は、バッティングセンターへ寄り道。下校中の生徒も多く通る大通りにあるバッティングセンターの自動ドアを潜ろうとした時、ちょうど店の中から東亜(トーア)が出てきた。

 

「あっ、コーチ!」

「あん? なんだ、お前らか」

「あの、今から打っていこうと思ってるんですけど見てもらえますか?」

 

 カウンターで支払いを済ませて、ゲージでバットを構える。

 

「この感触......燃えるぜ!」

「1ゲームずつ交代でやんすよ」

「わかってるって。よーし、こーいっ!」

 

 感覚を取り戻すため男子三人は130km/hのゲージで交代で、女子は二ヶ所ある120km/hゲージでバッティングを始める。

 

「ああ~ん、また折れたぁ......」

「これで、通算32本目ですね」

「うっさわねー。何で折れるんだろ?」

 

 初球でバットを折った芽衣香(めいか)ははるかの指摘に可愛らしく口を尖らせつつ、新しいバットを取り出すと、改めて打席立って構える。

 

「よーし、今度こそ~」

「素直に金属で打てばいいじゃねーか」

 

 ベンチに座ってタバコを吹かす、東亜(トーア)が言う。

 

「ヤダ! あたしは、このバットで甲子園に行くの!」

「フッ、強情だな」

「ふんっ、強情で結構よ!」

「貸せ」

「えっ?」

 

 タバコを灰皿に押し付けた東亜(トーア)は、芽衣香(めいか)の居るゲージに入って木製バットを受けとると打席で構えた。

 芽衣香(めいか)は外に出て、鳴海(なるみ)たちと一緒に東亜(トーア)のバッティングに注目。

 

「お前は、手首の使い方が悪い」

「手首?」

 

 首をかしげる芽衣香(めいか)に、手本を見せる。

 東亜(トーア)がオーナーを勤めたリカオンズはDH制(指名打者)のリーグに所属しているため、投手が打席に立つ機会は基本的にないが。前オーナーの嫌がらせや、自身の作戦上バッターボックスに立つことが多々あり、長打こそないものの得意の読みでタイムリーヒットを放ったことも。

 

「木製バットは金属に比べて脆く反発力が小さい。軟球なら折れることは稀だが、固く重い硬球は芯を外すと極端に折れやすくなる。そこで――」

 

 ピッチングマシーンから放たれた120km/hのストレートを捉え、バットを折ることなくキレイにセンター方向へ弾き返した。

 

「インパクト時に手首をしぼり、ボールに逆回転をかけるイメージで打ち返す」

 

 接地面が大きくなるほど圧力は分散され、バットも折れにくくなる。身近な例だと、同じ大きさ同じ硬さの石でも先端が尖っている物の方が圧力が集約されているため踏んだ時により痛みを感じる。極論では、走行中の車のタイヤに足を踏まれるよりも、一点に体重がかかるハイヒールに踏まれる方が圧力が集約されているため比べ物にならないほど痛い。

※実際満員電車のブレーキで揺れた車内でふいに踏まれ、酷い場合は皮膚を貫通し出血、骨折した事例も実際にあるそうです。気を付けましょう。

 

「手首を使う......」

「俺もバッターとしては非力だ。だが、一度もバットを折ったことが無い」

 

 芽衣香(めいか)にバットを返して、東亜(トーア)はゲージを出た。

 

「まあ、できるかはお前次第だけどな」

「......よーし、やってやるわ!」

 

 気合いを入れて東亜(トーア)の打撃術を実践する芽衣香(めいか)の隣で、ホームランを知らせるメロディーが連続で響いた。

 

「2本連続だぜ!」

奥居(おくい)さん、すごいですっ」

「へへっ」

 

 はるかに褒められて調子に乗った奥居(おくい)はその後も快音を連発し、矢部(やべ)と交代。

 一通りの打撃を見た東亜(トーア)は先に帰り、鳴海(なるみ)たちも切りいいところで終えていつもの交差点でそれぞれ帰路へついた。

 

「さ、今日もやろっ」

「え? 明日試合だよ?」

「だからやるのっ。ほらほらっ!」

 

 鳴海(なるみ)の背中を押して近所の公園へ入り、互いにグラブをつけてキャッチボール。これが、練習後の二人の日課になっていた。

 

「明日の試合、相手はどこなんだろ? 監督は楽しみにしてろって言ってたけど」

「さあ? ボクは、どこが相手でも全力だよ」

 

 そう言ったあおいだったが、先日都大会ベスト8のパワフル高校との試合で打ち込まれた記憶が彼女の頭を過った。頭を数回振って悪いイメージを振り払って顔を上げる。

 

「ねえ、座ってもらえる?」

「オッケー。ちょっと待ってね」

 

 バックから出したキャッチャーミット(ブルペン捕手用の野球部の備品)に着け替えた鳴海(なるみ)は、軽くミットを叩いて中腰になって構える。

 

「いいよ」

「いくよっ!」

 

 しなやかなアンダースローから放たれた低めのボールが乾いた音を鳴らし、ミットに突き刺さる。

 

「オッケー! ナイスボールッ!」

「よーし、どんどんいっくよー!」

 

 30球ほどピッチング練習後、二人が家路についた夜、東亜(トーア)理香(りか)は、いつものバーで明日の試合について話をしていた。明日のスターティングオーダーが書かれたメモをテーブルに置いた東亜(トーア)はグラスを口に運び、理香(りか)は眉をひそめる。

 

「これ、本気なの?」

「当然だろ」

「いくら負けてもいい練習試合でも、これは......」

 

 パワフル高校戦とガラリと変わったオーダーに不安を隠せないでいる。

 

「勝ち上がるためには必要になるのさ。特に、コイツがな」

 

 置いたグラスの氷がカランッと音を奏でる。

 東亜(トーア)は、オーダー表の捕手を指差した。

 

「どういうこと?」

「フッ......」

 

 意味深な笑みを見せる。

 

「しかし、よく春の覇者と組めたな」

「ちょっとコネがあってね」

 

 お返しと言わんばかりに意味深に微笑む理香(りか)

 

「けど、無理を言って組んでもらったから相手は一年生。と言っても将来のレギュラー候補だからレベルは高いわ」

「つけ込めるな」

 

 咥えたタバコにライターで火をつける。

 

「気が変わった。明日は勝ちにいく」

「えっ? なら、なおさら無謀じゃない」

「まあ、楽しみにしてろよ」

 

 そして、試合当日。

 アンドロメダ学園が到着する前に恋恋ナインは、ボールやバットを使った久しぶりの練習に汗を流している。

 

「みんな、集合して!」

 

 アンドロメダ学園のバスが到着する前に理香(りか)はナインを集めて対戦相手を告げた。

 

「今日の相手だけど、アンドロメダ学園よ」

「ア、アア、アンドロメダ......?」

「安藤梅田学園? 変わった名前でやんすね」

「なに惚けたこと言ってんのよ、矢部(やべ)! アンドロメダよ!」

 

 春の覇者の名前を聞いて動揺を隠せないでいる中、のんきな矢部(やべ)芽衣香(めいか)が詰め寄る。

 

「アンドロメダ学園って言ったら、春の甲子園優勝校じゃない!」

「あ、あのアンドロメダ学園でやんすかっ!?」

 

 事の重大さに気づいた矢部(やべ)は、絵に描いたように取り乱す。

 

「無理無理、無理でやんす!」

「はいはい、少し落ち着きなさい。アンドロメダ学園と言っても相手はレギュラーじゃないわ」

「レギュラーじゃない? どういうことですか?」

 

 鳴海(なるみ)が、代表して理香(りか)に訊く。

 

「別の学校に遠征が決まってるところを頼んだから。さてご到着ね。みんな立って」

 

 アンドロメダ学園のナインが40代くらいの男性と共にベンチ前までやって来た。

 理香(りか)は、男性に頭を下げる。

 

「アンドロメダ学園野球部部長の佐藤(さとう)です」

「恋恋高校監督の加藤(かとう)です。本日はお忙しいところ、ご足労くださりありがとうございます」

「いいえ、こちらこそお招きいただいて。みなさんには申し訳無いですが、レギュラーは先約の遠征がありまして。我々は一年生になりますが......」

「いえ、無理に頼んだのはわたしたちですから。お気になさらずに」

「そうですか。それでは本日はよろしくお願いします」

「お願いします!」

 

 帽子を取り挨拶をするとキビキビと練習を始めた。

 

「一年......?」

「一年生相手なら、どうにかなりそうでやんすねっ」

 

 一年生と聞いて眉尻を上げる鳴海(なるみ)と気が緩む矢部(やべ)

 東亜(トーア)はこの時を待っていた。ナインに向けて言う。

 

「お前ら、舐められてるのさ」

「ちょっと、渡久地(とくち)くんっ?」

「舐められてる?」

「フッ......考えてみろよ。レギュラーと言っても全員連れて行く訳じゃない、ベンチを含めれば20人前後。どういう意味わかるか?」

 

 東亜(トーア)の問いかけに顔を見合わせる。

 

「アンドロメダは名門だ。二年三年を合わせてそんなに部員が少ない訳がない」

「まさか......!?」

 

 東亜(トーア)の言葉をいち早く理解した鳴海(なるみ)は、練習中のアンドロメダナインを睨み付ける。

 

「お前らにはレギュラーはもちろん。二年の二軍すら出す価値もねぇって事だな」

「むっ......、言ってくれるじゃない」

「オイラもムカついてきたぜ......」

 

 狙い通り東亜(トーア)の挑発的な解釈にナインの気合が入った。

 

「そこでだ。今日はコールドで終わらせる」

「コールド......」

「所詮は一年生坊主。力で言えばお前らが追い詰めたパワフル高校以下だ、余裕だろ?」

 

 力強く頷く。

 

「はい! やるぞみんな!」

「オオーッ!」

 

 キャプテンの号令で一つになった。

 そして、スターティングオーダーを発表。

 

「あたしがセカンド?」

「オイラ、三番でやんす!?」

「オ、オイラが四番。しかもショート!?」

 

 ガラリと変わったオーダーの中で最大のサプライズ。

 

「俺が......」

鳴海(なるみ)くん、大丈夫」

 

 動揺する鳴海(なるみ)をあおいが心配する。

 八番キャッチャー――鳴海(なるみ)。 

 

「コーチ。俺、キャッチャーなんて......」

「問題ねえよ。近衛(このえ)、お前が簡単に教えてやれ」

「は、はい。いいか、鳴海(なるみ)

「あ、ああ。頼むよ」

 

 正捕手だった近衛(このえ)から説明を受けてグラウンドへ向かう。

 

「それでは試合を恋恋高校対アンドロメダ学園の試合を始めます。先攻――アンドロメダ」

「お願いします!」

 

 恋恋高校ナインが新しいポジションに付く。

 マウンドでは鳴海(なるみ)とあおいがグラブで口を隠しながら話をしていた。

 

「じゃあ、サインはこれで」

「うんっ。鳴海(なるみ)くん、頑張ろうね!」

「ああ!」

 

 鳴海(なるみ)がホームへ戻り、一番バッターが構える。

 球審が手を上げて宣言。

 

「プレーボール!」

 

 試合が始まった。



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game10 ~夢~

 恋恋高校先発あおいの初球は、アウトローへのストレート。

 この試合で初めてマスクを被った鳴海(なるみ)のミットへ吸い込まれた。練習後のキャッチボールの延長で受けていたボールとは比べ物にならない球威。

 

「つぅ......」

「ストライークッ!」

 

 球審のコールを聞いて鳴海(なるみ)は、ようやく一つ落ち着くことができた。

 

「(あおいちゃん、気合い入ってるな。よし、俺も!)」

 

 利き手に持ち替えて、元気よく投手にボールを投げ返す。

 

「ナイスボール!」

「うん!」

 

 返球を受け取ったあおいはサインにうなづき、再びモーションに入る。二球目も同じコース。外のストレートで空振りを奪い、カウント0-2。二球で追い込んだバッテリー、鳴海(なるみ)のサインに頷いたあおいはモーションを起こす。

 三球目――釣り球、真ん中高めのストレート。

 

「ストライク、バッターアウトッ!」

 

 オーバースローとは違うアンダースロー独特の浮き上がる様な軌道のストレートで、先頭バッターを空振り三振に切った。

 このワンアウトは鳴海(なるみ)はもちろん、ナイン全員を落ち着かせるアウト。

 

「オッケー、ナイスピーッ!」

「ナイスリード!」

 

 グラウンドのナインだけではなく、ベンチの新入部員たちも大きな声を出して盛り立てる。

 

「ふふっ、うまく焚き付けられたみたいね」

「単純なもんさ」

 

 昨夜バーで二人は、アンドロメダ学園に勝利するための作戦を話し合っていた。

 

「勝つためには絶対条件がある」

「絶対条件?」

「5回10点差コールドゲームで終わらせることだ」

「5回コールド?」

 

 相手がいくら一年生だけだとしても、さすがに無茶。だが、東亜(トーア)は5回で終わらせられなければ勝てないと確信を持っていた。基礎体力強化を初めて一週間、今が一番疲労のピークに達する時期。これが、対戦校がアンドロメダ学園に決まる前に『どうせ勝てない』と言った理由。

 本番では勝ち上がる度に日程が詰まっていき、疲労が蓄積され体が思うように動かなくなっていく。女子の参加が認められるのは夏の予選からのため、春大会は辞退。そのため、本大会に近い条件下での経験を一度させることが試合の本来の目的だったが、状況が変わった。相手が春の覇者アンドロメダ学園と決まったことで付加価値が生まれた。

 

「でも、あの子たちは『勝ち』を知らないわ。アンドロメダ学園が相手だと知れたら......」

「だから臆せず戦わせる必要があるのさ。お前にも協力してもらう」

 

 その奮起方法は、東亜(トーア)理香(りか)の芝居。

 東亜(トーア)が挑発的な解釈を言い、慌てて理香(りか)が止めに入る。これにより東亜(トーア)の言葉の信頼性が増し、そして狙い通りナインの奮起を促した。しかしこれは、パワフル高校と互角に戦えたという自信があってのこと。

 そして、昨晩の会話数日前から東亜(トーア)は、理香(りか)にアンドロメダ学園の日程を調べてもらい足を運び続けていた。仮に負けても、ある程度善戦するために。

 現役時代は、事前に対戦データを集めることはほとんどなかったが、今は自らマウンドに立つことが出来ないための苦肉の策。

 

「スリーアウトチェンジ」

 

 恋恋高校初回の守りは大きなミスもなくきっちりと三人で抑えてベンチへ戻ってきた。

 

「自信無さげだったわりには、無難にこなすじゃないか」

「いえ、必死ですよ」

 

 苦笑いの鳴海(なるみ)は、ベンチに座って額の汗を拭う。

 そこへ、パワフル高校戦で正捕手を務めた近衛(このえ)が隣に座り、守備位置のサインの確認などを話し合う。

 

「相手の先発は、渡久地(とくち)くんの読み通り嵐丸(あらしまる)くん」

嵐丸(あいつ)しか居ないだろうからな」

「ブルペンだけど最速140km/hのストレートにスライダー、カーブ、フォーク、シンカー......。とても一年生とは思えないわね」

「その辺の学校なら一年でも十分エースを張れるレベルだ。だが――」

 

 マウンドで投球練習をしている嵐丸(あらしまる)見て、東亜(トーア)は意味深な笑みを浮かべた。

 

「所詮は一年だ」

 

 後攻の恋恋高校の攻撃は、矢部(やべ)に代わりに一番へ入る真田(さなだ)がバッターボックスで足場をならす。

 

「よっしゃー! こーい!」

真田(さなだ)ー、打てー!」

真田(さなだ)くーん!」

 

 名門アンドロメダと言う名に臆することなく構える。

 キャッチャーのサインにうなづき右のオーバーハンドから嵐丸(あらしまる)の第一球。

 

「ボール」

 

 初球は外のカーブがボール一個分外れてカウント1-0。二球目は同じコースからのスライダーを引っ張って、ファウル。三球目は、インコースやや甘めのストレートを一塁線へのファウル。

 四球目カウント1-2からの外のシンカーを走り打ち、平凡なショートゴロを打たされるも際どいタイミングでのアウト。

 

「ちっ。間一髪か」

「惜しい惜しい!」

「ドンマイでやんすー!」

「おう。浪風(なみかぜ)、球種は多いけどコーチの言った通りだ。変化球もストレートも、星井(ほしい)ほどじゃない」

「オッケー」

 

 ベンチに戻ってきた真田(さなだ)は二番に入る芽衣香(めいか)に、嵐丸(あらしまる)の情報を伝達。

 芽衣香(めいか)は、ベンチの声援に手を振って答え、東亜(トーア)に指摘されたことを小さく声に出して二度素振り。

 

「......手首を使って打つ。よしっ」

 

 芽衣香(めいか)は、初球の甘く入ったストレートをライト前へキレイに打ち返し、ファーストベース上で笑顔を見せて、ベンチに向けて拳を上げた。

 

「まずまずだな。さて......」

 

 東亜(トーア)は、矢部(やべ)の打席の最中にスマホで電話をかける。

 

『はい』

「どうだ?」

『はい、順調に増えています』

「そうか。そのまま続けてくれ」

 

 電話を切るとちょうど矢部(やべ)がベンチへ戻ってきた。打席結果はライトフェンス付近への大きなファウルフライ。一塁走者の芽衣香(めいか)はタッチアップでセカンドへ進塁し、二死二塁先制のチャンスで今日四番の奥居(おくい)

 

「いくぜ!」

 

 嵐丸(あらしまる)はピンチになると脆さを見せた星井(ほしい)とは異なり、落ち着いた様子で二塁走者芽衣香(めいか)を目で牽制してモーションに入る。

 

「ストライク!」

「よし」

 

 外へ逃げるカーブで一つ空振りを奪う。

 二球目、真ん中から落ちるフォークを見逃して0-2と追い込まれた。奥居(おくい)がタイムを要求して、一度打席を外した。

 

「(カーブにフォークか。真田(さなだ)にも、矢部(やべ)も勝負は変化球だったな......)」

 

 配球を思い返しながら足場を整えて構え直す。

 

「プレイ」

 

 球審のコールで試合再開。

 嵐丸(あらしまる)は、一度サインに首を振ってからセットポジションに入る。バッテリーの選択は、変化球が来ると予想していた奥居(おくい)の裏を突く真っ直ぐ(ストレート)

 

「(――真っ直ぐ、ヤバい、差し込まれたッ!)」

「よし、ライト!」

「オーライ、オーライ!」

 

 やや振り遅れた打球は、ライト上空へと上がった。ライトはグラブを掲げながら余裕を持って徐々に後ろへ下がって行く。そして、その足が止まる。フェンスに当たって――。

 

「えっ......?」

「うっそ!」

「あれ?」

 

 つまったと思われた打球は予想外に伸び、ライトフェンスをギリギリで越えた。今日四番に座る奥居(おくい)のツーランホームランで、恋恋高校が幸先良く先制点を奪った。

 

「キミ、ホームランだよ」

「あっ! はい!」

 

 自らが放った打球に戸惑っていた奥居(おくい)は、球審に指摘されるとバットをファウルゾーンへ放り投げ、駆け足でダイヤモンドを一周。五番打者の近衛(このえ)とハイタッチを交わしてベンチへ戻った。もちろんベンチでも手荒い歓迎を受ける。

 

「ナイスホームラン! 凄かったよ奥居(おくい)くんっ」

「ほんとやるじゃない、見直したわ!」

「へへへっ」

 

 あおいと芽衣香(めいか)に褒められて奥居(おくい)は、照れくさそうに鼻の下を指で擦りながら鳴海(なるみ)の隣に座った。

 

「今の打球、すごい伸びたな」

「おおっ、オイラも驚いたぜ。差し込まれたと思ったんだけどなぁ~」

 

 二人の話しを聞いて理香(りか)は、東亜(トーア)に訊く。

 

「これが、奥居(おくい)くんを四番に置いた理由なの?」

「まあな。自分じゃまだ気づいていないが、高見(たかみ)に匹敵――いや、それ以上の潜在能力を秘めてる」

高見(たかみ)って......。去年のリーディングヒッターの、あの高見(たかみ) (いつき)っ?」

 

 高見(たかみ)(いつき)

 投手の投げるボールの回転を見極められるほどの驚異的な動体視力と巧みなバットコントロールを持ち。常に打撃三部門の上位に位置し打率に関しては4割に迫る成績を残し、さらには頭脳戦にも丈、東亜(トーア)を唯一苦しめた天才バッター。

 

奥居(おくい)くんが......」

「うまく育てばな」

 

 東亜(トーア)が、奥居(おくい)の才能に気が付いたのはバッティングセンターで打撃を見たとき。

 連続ホームラン以上に広角へ打ち分けることが出来る打撃センス。そして何より、高見(たかみ)と同じく目で打てる才能を持っていた。

 

「だが、奥居(おくい)の適正は三番だ」

鳴海(なるみ)くんの守備負担を考えてってことなのね」

「さてな」

 

 惚けて濁す東亜(トーア)のスマホに着信。

 

『先ほどの奥居(おくい)さんのホームランで一気に観覧数が増えましたわ』

「そうか。SNSにも動画を上げておけ」

『わかりました。では失礼します』

 

 スマホを置く。

 

七瀬(ななせ)さん?」

「ああ、明日から忙しくなる覚悟しておくんだな」

「ふふっ。望むところよ」

 

 理香(りか)の視線の先は、理事長室。野球部のマネージャーはるかはそこで、カメラとパソコンを使い、この試合の様子を生配信していた。

 

「どうかね?」

「あ、理事長先生。渡久地(とくち)コーチのおっしゃった通りの展開です」

「そうか」

 

 机ははるかが使っているため理事長は、来客者用のソファに座りグラウンドを眺める。

 

「さすがは伝説の勝負師。期待通りの働きをしてくれているようだね」

「理事長先生は渡久地(とくち)コーチのこと詳しいんですか?」

 

 はるかの質問を聞いて、理事長は目を閉じて微笑んだ。

 

「私が加藤(かとう)くんに、渡久地(とくち)くんを野球部へ迎え入れようと提案したのだから」

「理事長先生が?」

「私は、埼玉の片田舎出身でね」

「埼玉県? あ、コーチの......」

「うむ。息子がまだ小さな子どものころに、リカオンズの試合に連れて行ったことがあった。あの年は強くてね、連勝連勝で勝ち続けリーグ制覇を成し遂げた。しかし、徐々にチームは低迷して行き万年Bクラス。近年では三年連続の最下位に沈んでしまった。だが、そこへ救世主が現れた。それが彼だ」

 

 ベンチに足を組んで座る東亜(トーア)へ目を向ける。

 

「あの風貌と態度。最初はとんでもない選手が加入したと思ったものだが、彼のプレーでリカオンズは変わった。強かったあの頃のリカオンズが戻ってきた。優勝を決めた試合は球場で昔馴染みと共に年甲斐もなくは騒いでしまったよ」

 

 はっはっはっ、と声を出して豪快に笑い。ふぅ......、と一つ息を吐いて仕切り直してから続きを話す。

 

「ちょうどその頃だった。野球部と関わりの無い孫娘が女子選手の公式戦出場を認めさせるための協力を頼んできたんだ。そして、それが公式に認められた時私と同じ事を考えていた加藤(かとう)くんに、プロ野球会から突如姿を消した渡久地(とくち)くんを招聘しようと提案した。彼ならきっと、あの子たちに『夢』を見せてやる事が出来る、と想ってね......」

「理事長先生......」

「ははは......。さて、じゃあ私はそろそろ行くよ」

 

 ――これから本社で会議があってね、と理事長は席を立ち部屋を出ていった。

 

「ありがとうございます。よーしっ」

 

 はるかは、閉じられた扉に頭を下げてお礼を言ってからパソコンに目を戻して奥居(おくい)の先制ホームランを恋恋高校公式のSNSにアップする作業を始める。

 グラウンドでは三回の攻防が終了。

 あおいは、捕手鳴海(なるみ)のミスやアンラッキーな当たりでランナーを出しながらも無失点でしのぎ。対するアンドロメダの嵐丸(あらしまる)は、奥居(おくい)以降のランナーを被安打2本四死球1と抑え徐々に尻上がりに調子を上げ行った。

 そして、2-0のまま五回表ワンナウトからヒットでランナーを一人出した場面で東亜(トーア)が動いた。

 

理香(りか)ピッチャー交代だ。近衛(このえ)をマウンドへ上げろ」

近衛(このえ)くんを!?」

「ああ。あおいはライト。甲斐(かい)はファーストへ」

「......わかったわ」

 

 理香(りか)は、新入部員の一人に伝えて伝令を出し選手交代を球審に告げた。

 捕手の近衛(このえ)が投手として交代を告げられ混乱しているマウンド上を見て東亜(トーア)は伝令を走らせる。

 

藤村(ふじむら)伝令だ。マウンドに行って近衛(このえ)に伝えろ。ド真ん中でねじ伏せろ」

「は、はい。わかりました!」

 

 女子新入部員の藤村(ふじむら)が伝令へ向かう。

 

渡久地(とくち)コーチからの伝令です。真ん中のストレートでねじ伏せろだそうです」

「マジかよ......」

「ファイトです、せんぱいっ!」

 

 頭を下げてベンチへ戻る。

 

「俺、ピッチャーなんてやったこと無いんだぜ...…?」

「まあコーチが言うんだし、何か確証があるんだろうさ」

「そうだよな?」

「ああ、だから俺のミットめがけて思い切り投げ込んで来い! 絶対捕る!」

「おう! 頼むぜ」

 

 ポジションに戻って試合再開。

 四回表一死一塁バッターは嵐丸(あらしまる)

 初マウンドの近衛(このえ)のセットポジションからの初球は東亜(トーア)の要求通り、ど真ん中の全力ストレート。

 

「っ!?」

 

 手元で内角へ食い込んだ。バットの根元に当たった嵐丸(あらしまる)の打球はサードへのゴロ。

 サード葛城(かつらぎ)からセカンドの芽衣香(めいか)へ渡りファーストの甲斐(かい)へ送球。バッターランナーもきっちり仕留め5-4-3のダブルプレーで乗り切った。

 

「ナイスだぜ近衛(このえ)!」

「スゲーな!」

「いてっ、いてっ。俺が一番驚いてるっての!」

 

 近衛(このえ)がベンチで手荒い歓迎を受ける。

 

近衛(あいつ)な、全力で投げるとシュート回転するクセがあるんだ。しかもそいつがなかなか厄介で、途中まではストレートの軌道で結構手元で食い込んでくる」

「それで、真ん中に投げさせて右打席の嵐丸(あらしまる)くんにわざと打たせた訳ね」

「それだけじゃねえよ」

「えっ?」

 

 東亜(トーア)は、うつむきながらベンチへ戻る嵐丸(あらしまる)を見てあとライトフェンスの方を見てな笑みを浮かべて言った。

 

 ――来たか。さて、そろそろ潰すとするか、と。

 



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game11 ~重圧~

 四回裏の攻撃に入る前に東亜(トーア)は、ナインを自身の前に集めた。

 

「五回コールドゲーム覚えてるか?」

「はい!」

 

 力強く頷いた。

 前の回をダブルプレーという良い形で守備を終えた事で、ナインの士気は高い。

 

「攻撃は後二回だ、そろそろ追加点を取りに行く。近衛(このえ)、初球の高めに抜ける球を振り抜け」

「は、はい!」

「あとは、そのつど指示を出す」

 

 六番バッターの甲斐(かい)鳴海(なるみ)を横に残して、試合再開。

 

「プレイ!」

 

 球審が右手を上げてコール。

 アンドロメダバッテリーはサインを交換を行い、ピッチャー嵐丸(あらしまる)は投球モーションに入る。ワインドアップから放たれた近衛(このえ)への初球は、東亜(トーア)の読み通り、高めに浮いたカーブ。

 狙い通りの甘いボールをミスショットせず叩き、レフトフェンス直撃の二塁打を放ち、ベース上でガッツポーズ。

 

「いいぞ、近衛(このえ)!」

「ナイバッチ!」

 

 いきなり無死二塁のチャンスを作った。

 

「セーフティバント。確実にピッチャーに取らせろ」

「わかりました」

 

 甲斐(かい)に指示を出した東亜(トーア)は、鳴海(なるみ)に尋ねる。

 

「さて、質問は?」

「初球の変化球は分かります」

 

 鳴海(なるみ)は、嵐丸(あらしまる)に顔を向け――変化球が多いですからと言い、東亜(トーア)に向き直す。

 

「でも、どうして高めに浮くまで......」

「わたしも気になるわ。近衛(このえ)くんの登板は、ダブルプレー狙いだけじゃないのよね?」

「答えは、甲斐(あいつ)の打席で分かる」

 

 六番バッターの甲斐(かい)も、高めに浮いたボールをセーフティバントでキッチリピッチャーの前へ転がした。素早くマウンドを降りた嵐丸(あらしまる)は、捕球と同時にサードを見る。間に合わないと判断し、ファーストへ送球。

 

「うっ......!」

「うわっ!」

 

 送球は大きく逸れて一塁側フェンスに直撃。ライトが暴投に追いついた時には既に、セカンドランナーはホームに生還、バッターランナーもセカンドへ進塁していた。嵐丸(あらしまる)のエラーで3-0とリードが広げ、なおも無死二塁のチャンスが続く。

 

「暴投!? あんな余裕のある場合で......」

「そう言うことか......あの子、右手をケガしたのね」

「ケガっつうより痺れだな。近衛(このえ)の全力投球は、盗塁阻止の時と同様にシュート回転するクセがある。その上球速もそこそこあるから内角をたたみ切れなかった。なおかつ、自らのダブルプレーでチェンジ。痺れた右腕を癒す時間もなく投球練習」

 

 内野がマウンドへ集まる中、嵐丸(あらしまる)は手を振ってどうにか痺れを取ろうと試みているが、東亜(トーア)はそのしぐさを見て笑みを浮かべる。

 

「そう簡単には終わらせねえよ。最低13点取るまではな」

「13点? コールドならあと7点でいいんじゃない?」

「必要なんだよ。五回コールドで終わらせるため」

 

 芽衣香(めいか)と一緒に応援するあおいを見ながら東亜(トーア)は言った。

 その後も七番葛城(かつらぎ)、八番鳴海(なるみ)が連続ヒットで繋いで4-0無死一二塁で九番あおいの打席。

 

「おい。次の回頭から投げる気あるか?」

「......はい、投げます!」

「なら、バッターボックスの一番外に立って初球をバントでファーストへ転がせ」

 

 あおいは頷いて、バッターボックスへ。更に東亜(トーア)は、理香(りか)にダブルスチールのサインを出させた。

 

「だけどファーストって、ちょっと無謀じゃないの?」

「100%決まるさ。初球は、真ん中付近のストレートだからな」

 

 理香(りか)の言うようにサードがタッチプレーではなく、フォースプレーになるこの場面では、ファーストへ転がすことはサードでのアウトの確率を上げてしまう。

 しかし、東亜(トーア)には絶対の確信があった。

 外に立ち打ち、まったく気を見せないあおいに対して、嵐丸(あらしまる)は初球を真ん中へ投げた。ランナーは投球と同時に、二人ともスタートを切る。あおいは踏み込んで、バントをファーストへ転がした。

 ダッシュして来たファーストは、捕球後サードを見る。

 

「ダメだ! 投げるな、間に合わない!」

「なら!」

「こっちもダメだ!」

 

 重盗が功を奏し、サードセカンド共に間に合わないと手でバツマークを作る。

 

「ファースト......?」

 

 捕球したファーストは一塁を見て固まった。何故なら誰も居なかったからだ。

 セーフティバントで「投・一・三」は打球へ向かいチャージ。ダブルスチールで遊撃手はサードへ、二塁手はセカンドベースのカバーリング。気づいた投手の嵐丸(あらしまる)がベースへ向かうも、一度打球へ行っていた事で生まれた僅かなタイムロスでベースカバーは間に合わず、あおいが駆け抜けた時にはファーストベースはがら空きになっていた。セーフティバントが成功し、オールセーフ。無死満塁のチャンス。

 

「完全に連携ミスね」

「所詮は一年だからな。名門と言っても新年度が始まって一週間そこそこ、一年の連携にまで手は回っていなかった。まあ仮に回っていたとしてもタイミングはセーフだ」

 

 打ち気の無いあおいを見て置きに行ったストレートは、通常と比べると球速・球威ともに出ていなかったためバントは容易い。しかも、右打席のあおいは左足を踏み込んでのセーフティーバントになったことで当たった瞬間には走り出せているという二重の策を仕掛けていた。

 この回二回目の伝令を使い、アンドロメダベンチは慌ただしくなり、ようやく控え投手がブルペンで肩を作り出した。

 

「追加点を許したら代えるって雰囲気ね」

「代えねえよ。まあ代えてくれた方が楽だけどな」

 

 嵐丸(あらしまる)は間違いなく一軍ベンチ入り出来るレベルの投手。今回も一軍の遠征へ帯同予定だったが、実戦を経験させるため急遽恋恋高校との試合へ参加。今は手が痺れ思うような投球が出来ないでいるとは言え、他の控えの一年生投手たちとは数段格が違う。

 その嵐丸(あらしまる)に対する想定外の連打に、正規の監督ではない野球部部長には、代える決断が出来ないでいた。

 そして、その迷いが傷口をさらに広げていく。

 犠牲フライで一死は取ったが、四死球と暴投が重なる。手の痺れは取れるも今度は味方のエラーや連携ミス等でさらに3失点を献上。ここでようやく交代を告げるも余りにも遅すぎた。

 嵐丸(あらしまる)以下の投手には勢いに乗った恋恋打線を止める事は出来るハズも無く。この回13点得点15-0とリードをして、5回表のアンドロメダ高校の攻撃。

 ここで6点以上取らなければ、東亜(トーア)の予告通り5回コールドゲームが成立する。

 

「この回抑えて終わらせるぞー!」

「おおーっ!」

 

 気合いを入れてベンチを出て行く恋恋ナイン。

 東亜(トーア)はその中の一人、鳴海(なるみ)を呼び止めた。

 

「五点余裕があることを忘れるな」

「え? あ、はい」

 

 少し首をかしげながらキャッチャースボックスへ向かう。

 

「もう遅いよっ」

「ごめんごめん。いいよ」

 

 気合いを削がれ形の鳴海(なるみ)だったがマスクを被り気合いを入れ直した。

 

「ナイスボール!」

 

 あおいの球威はまだ衰えていない。ミットの手応えを感じながら頷いてボールを投げ返す。

 

「調子は変わってないみたいだけど、点取られるの?」

「今のままならな」

 

 四回表のアンドロメダの攻撃。

 ダブルプレーで切り抜けたとは言え、二巡目に入りアンダースローの球筋に対応してきた。

 

「まあ問題があるのは鳴海(あいつ)の方だな」

「急造キャッチャーの鳴海(なるみ)くん、か......。近衛(このえ)くんに代えないの?」

「無駄だ。あいつは、いくら普段と球速が違うとは言え東條(とうじょう)から空振りを奪った高速シンカーに触れることすら出来なかった。自らシンカーを要求してたのにも関わらずだ」

鳴海(なるみ)くんなら、あのシンカーに反応できる......?」

「キャッチャーであることを意識しなければ」

 

 アンドロメダの攻撃。

 ここまで打ち崩すことが出来ないでいたあおいのピッチングに、ツーストライクと追い込まれてからストレートを流し打ちで一二塁間を破り、ノーアウトからランナーを出した。

 次の打者も追い込まれてからヒットで出塁。無死一二塁。

 

「連打っ。それもどっちも追い込んでから......!」

「さすがは名門校。気づいたようだな」

 

 ――さて、ここからどう対処するか見物だ。

 今までとは明らかに違う攻撃にたまらずタイムを取り内野をマウンドに集める鳴海(なるみ)を見て、東亜(トーア)は笑みを見せる。

 

鳴海(なるみ)、追い込んでからのストライクを狙われてるぞ!」

「しゃんとしなさいよ!」

「ああ、わかってるよ」

 

 一塁に入り鳴海(なるみ)にアドバイスを続けていた近衛(このえ)の指摘。

 追い込んでから振り逃げやワイルドピッチを怖れての配球。球筋に慣れていない一巡目は、それでも打ち損じてくれたが二巡目はそう簡単には行かない。

 

「あおいちゃん、低めの変化球を使おう。絶対捕るから」

「うんっ」

 

 ポジションに戻り試合再開。

 あおいは、目で牽制しての投球。

 見逃し四つでカウント2-2と追い込み、勝負球は狙われているストレートでは無く膝元へ落ちるシンカー。

 

「スイングアウト!」

 

 バッターはワンバウンドした投球に、空振り三振。一塁が埋まっているため振り逃げは無効だが、鳴海(なるみ)は投球を捕球することは出来ずミットに当て大きく弾いてしまい、一死二三塁とピンチを広げてしまった。

 

「ゴメン......」

「ううん。それよりワンナウトだよっ、あと二人抑えようっ」

 

 一死二三塁から四番の打席、追い込む前の変化球を後逸し1点を返され15-1なおも一死三塁のピンチ。

 カウント1-1からファウルで追い込み四球目。

 

「――あっ!」

「フンッ!」

 

 甘く入ったカーブを捉えられ、ツーランホームランを打たれた。15-3と追い上げられ、さらにヒットと連続フォアボールで塁が埋まり一死満塁のピンチを迎えた。

 

「タイム!」

 

 頭が真っ白になりタイムを要求しない鳴海(なるみ)に代わって、近衛(このえ)がタイムを要求してマウンドに内野を集めた。

 

「満塁......指示してあげないのっ?」

 

 心配そうな表情(かお)理香(りか)に、東亜(トーア)は一つ息を吐いた。

 

「長引かすのも面倒だし仕方ねぇな。おい、お前伝令だ。鳴海(あいつ)に伝えろ『ビデオを思い出せ』」

「はいっ」

 

 伝令はマウンドで東亜(トーア)の指示を伝えてベンチに戻る。

 

「ビデオ?」

「あれじゃない。コーチに渡されたやつ」

「あ、ああ~......」

「きっとビデオの中にヒントが有るんだよ」

「ヒント、か......」

 

 ――もう、いいかね? 

 球審がマウンドに行き急かす。

 

「あ、すみません! すぐに戻ります!」

鳴海(なるみ)早川(はやかわ)、とにかく点差は気にせず一個づつ取っていこう」

「俺ら絶対守るからさ!」

 

 内野陣は、バッテリーを励ましポジションへ戻った。鳴海(なるみ)とあおいも一言言葉を交わしてポジションへ戻る。

 

「(ビデオを思い出せ、か......。確か満塁の場面も何回か。そうだ、コーチや出口(いでぐち)選手はランナーが居ない場面でも必ず......)」

「ふぅ......」

 

 目をつむっていた鳴海(なるみ)は、顔を上げて打者に目を向ける。バッターは短い呼吸を繰り返し、緊張で強ばった表情(かお)をしていた。

 

「(......そうだ。この場面一番緊張するのは、相手(バッター)なんだ!)」

 

 鳴海(なるみ)の考え通り、この場面で一番緊張していたのはバッター。内野ゴロを打てば前の回と同じくダブルプレーのリスク、それも今度はゲームセット、コールドゲームがかかる場面。

 名門校が弱小校相手にコールドゲーム回避は当然のこと、絶対に勝たなくてはならないという重圧(プレッシャー)が、入学間もない一年生の肩に重くのしかかっていた。

 

「(ランナーも同じだ)」

 

 それぞれの塁上ランナーたちも一歩でホームに近づきたいがためリードが大きい。

 

「(よし。なら先ずは、これで!)」

「(えっ!?)」

 

 鳴海(なるみ)のサインに驚いたあおいは目を見開いた。

 それでも、さっきまでとは違う鳴海(なるみ)の迷いの無い目に頷いてセットポジションで構える。

 

「ふぅ~......、んっ!」

 

 息を整えて、モーションを起こして投げた。

 初球は、真ん中への緩いボール。

 

「(――遅い! カーブだ!)」

 

 遅く山なりのボールをカーブと読み外角狙いで振った。

 ――ブンッ! と高い金属音は響かず、その代わりに風を切るスイングの音がホームベース上で鳴る。

 

「えっ......?」

「ストライク!」

「サード!」

 

 ど真ん中のスローボールを捕球した鳴海(なるみ)は、すぐさまリードの大きいサードへ送球。きわどいタイミングのタッチプレーになった。三塁塁審が判定をコール。

 

「セ、セーフッ!」

「ふぅ~、さすがに無理か」

「ナイス牽制! おしいおしい!」

 

 葛城(かつらぎ)は、あおいにボールを投げかえしてサイン交換。相手の顔面蒼白の表情(かお)を見て冷静さを取り戻した鳴海(なるみ)は、シーズン後半戦の出口(いでぐち)のリードを参考にして配球を考え始めた。

 

「(スローボールじゃあさすがに無理か......。空振りを取りつつサードを刺すことは今の俺には出来ない。それなら一点は捨ててゴロで一つアウトをもらおう)」

 

 初球と同じコースからのカーブでファウルを打たせ、カウント0-2。内野に左に動け、とブロックサインを出し、あおいには内角のシンカーを要求。やや甘いコースから内角へシンカーにバッターは食い付き、狙い通りショートゴロを打たせた。

 

「ホームは無視でいいよ! サード!」

「あいよッ!」

「アウト!」

 

 あと二点余裕があることを頭に置いての冷静な判断で、サードで確実にひとつアウトを取った。15-4と1点を返されるも、これでツーアウト。

 

「今の判断は、冷静だったわね!」

「まあこんなもんか」

 

 あとアウト一つで勝利となる場面ではしゃぐ理香(りか)とは対照的に、東亜(トーア)はやや不満気に大きなタメ息をついた。

 打席では、ラストバッターになるかも知れない選手が額から油汗を流している。ボール球二つを振らせてツーストライク。

 

「(これで決めよう)」

「(うん!)」

 

 こくっ、とサインに頷いてラストボールを投げた。

 あおいの投げたラストボールは――ど真ん中のストレート。

 バッターのバットは快音を響かせるどころか重圧(プレッシャー)と想定外のど真ん中にバットを振ることも出来ず。

 あおい渾身のストレートは鳴海(なるみ)のミットへ収まり試合を締めくくった。

 

 



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game12 ~新戦力~

 アンドロメダ学園との試合が終わりグラウンド整備後理香(りか)は、はるかが理事長から戻ってきたのを確認してからナインをベンチ前に集めた。

 

「みんなおつかれさま、今日の部活はこれで終わりよ。鳴海(なるみ)くんと仮入部の子はちょっと残ってね。キャプテン挨拶をお願い」

「はい。全員整列、礼!」

 

 ――ありがとございました!

 声を揃えてグラウンドへ頭を下げて解散。鳴海(なるみ)と新入部員は言われた通りベンチ前に残る。

 

加藤(かとう)先生、これを」

「ありがとう。ごくろうさま」

「いいえ、それでは失礼します」

 

 試合の配信に使っていたパソコンやカメラを受け取り、部室に片付けてからベンチに戻る。

 

「お待たせー」

「いえ、それで何の用事でしょうか?」

 

 部室から紙袋を持って戻ってきた理香(りか)に、鳴海(なるみ)が代表して訊く。

 

「ふふっ、これよ!」

「お、おおーっ」

 

 紙袋からビニールに包まれた真新しいユニフォームとアンダーシャツをベンチに並べて置いた。

 

「みんなのユニフォームよ。あなたたちも明日からは、このユニフォームで練習に参加してね」

 

 パチッとウインクをした理香(りか)

 仮入部から一週間、練習という名の過酷な基礎体力強化(筋トレ)に耐え抜いた新入部員たちは、ようやく恋恋高校野球部の一員と認められた事に感動した様子で新しいユニフォームを手に取った。

 

「ダサいユニフォームだよな」

「いきなり冷や水かけないであげて」

「あはは......」

 

 白地に高校野球では珍しいピンクを基調とした個性的なユニフォームに素直な感想を述べる東亜(トーア)理香(りか)は咎め、鳴海(なるみ)は苦笑いでやり過ごす。

 

「失礼します!」

「はい、おつかれさま」

 

 新入部員たちは挨拶をして帰宅。

 ベンチには東亜(トーア)鳴海(なるみ)理香(りか)の三人が残った。

 

「あのもう一着は?」

「ああ、これ? 渡久地(とくち)くんの分よ」

「んなもん着ねえよ」

「あら、テレてるの?」

 

 東亜(トーア)は、理香(りか)を無視して本題に入る。

 

「さて、今日の総括といくか。打撃は70、守備は40ってところだな」

「40点ですか......」

 

 最終回のドタバタ劇にある程度厳しい評価を覚悟していた鳴海(なるみ)だったが、予想通りの低い点数に若干落ち込む。

 

「4点目は要らない点だったな。あの場面で左に打たせサードランナーを無視するのであれば、一つ前の牽制はファーストへ投げるべきだったな。お前、楽な方を選んだだろ?」

「うぐっ......」

 

 図星を突かれて顔をそむけた。

 最終回サード牽制を入れた場面。

 各ランナーのリードが大きく牽制を投げると決めた鳴海(なるみ)は、サードランナーとファーストランナーのどちらに牽制球を投げるか迷い、最終的にサードランナーを選択した。

 その理由は二つ。

 一つはサードランナーの存在価値。ヒットは勿論、暴投、ボーク、エラー、四死球でも失点に繋がる。さらにリードが大きければ内野ゴロを打たせた場合であっても失点の確率が上がる。そのため牽制を挟みホームに近いサードランナーのリード小さくさせる狙いがあった。

 そして二つ目は、鳴海(なるみ)が本来ショートである事が影響していた。

 ショートは基本的にファーストセカンドへの送球が多くサードへ投げる事は稀で中継プレー以外では一試合に一度有るか無いかくらいの割合。

 この送球方向を捕手のポジションに当てはめた場合セカンドサード方向への送球には慣れているが、ファーストへの送球はショートからサードへの送球に近い感覚になるためサードランナーと送球が重なるリスクをおかしてまで送球に自信のあるサードへの牽制を選択した。

 

「あの場面の牽制は本気で刺す必要は無い。ファーストに投げリードを小さくさせておけば、あのやや深めの位置での捕球でも奥居(おくい)の肩であれば十分ゲッツー狙いで勝負出来た」

 

 やや厳しく言った東亜(トーア)だったが、小さく口角を上げる。

 

「だが、あれでいい」

「えっ?」

「お前は、余裕のある5点目をやらなかった。結果を出した、それでいい。理香(りか)

「はいはい。鳴海(なるみ)くん、これ」

「キャッチャーミット?」

 

 理香(りか)鳴海(なるみ)に渡したのは、新品のキャッチャーミット。

 

「お前には本格的にキャッチャーへコンバートしてもらう」

「キャッチャー......」

「部の備品じゃ手に馴染まないでしょ? 因みにそれ、渡久地(とくち)くんのポケットマネーだから」

「え!?」

 

 手に持ったミットを見つめていた鳴海(なるみ)は、東亜(トーア)のポケットマネーと聞きブンッ! と音が出そうな程の勢いでベンチに座り足を組む東亜(トーア)に向き直す。

 

「フッ......」

「期待されてるわね」

「えっと、ありがとうございます」

 

 鳴海(なるみ)は頭を下げて、先に校門で待つ五人の元へ走っていった。

 

「じゃあ先に行ってるわ」

 

 理香(りか)も部室に置いたパソコンとカメラを持ち校舎で帰り支度。

 一人ベンチに残った東亜(トーア)はタバコに火をつけ、誰もいない空間に向かって問いかける。

 

「お前から見てどうだ? あいつは」

 

 返事の代わりにベンチの裏から恋恋高校の制服を身にまとい髪をツインテールにまとめた少女が姿を現した。

 

「才能はあると思います。正直、あの回はもっと点を取られると思いました」

 

 少女は最終回の鳴海(なるみ)の守備を振り返りながら答える。

 

「あの状況であそこまで開き直れる人はそうは居ないですから」

「まあな。でだ、賭けは俺の勝ちなわけだが」

「......わかってますよ。野球部でお世話になります」

 

 少し納得いかない表情(かお)だが少女はしぶしぶ頷いた。

 東亜(トーア)は、残ったユニフォームを少女に放り投げる。

 

「素直じゃあねぇな、まあいいさ。そう言えばまだお前の名前を聞いてなかったな」

瑠菜(るな)です。十六夜(いざよい) 瑠菜(るな)

 

 東亜(トーア)瑠菜(るな)が出会ったのは、恋恋高校近くのバッティングセンター。メダルを渡した恋恋高校の生徒が瑠菜(るな)だった。

 瑠菜(るな)のバッティングにセンスを感じた東亜(トーア)は、アンドロメダ学園との試合が決まったあと瑠菜(るな)を野球部へ勧誘したのだが、彼女の返事は「いまさら入れない」と言う答えだった。

 

「勝負?」

「一打席勝負。俺が勝てばお前は野球部に入る。俺が負けたら......まあ何でもいい。値段を問わず好きな物をくれてやるよ」

「わかりました」

 

 瑠菜(るな)は、東亜(トーア)から挑戦を迷うこと無く二つ返事で受け入れた。だが、彼女は特定の欲しいものがあった訳ではなく『リカオンズの渡久地(とくち)東亜(トーア)』と勝負できる事が嬉しかった。

 二人はバッティングセンターを出て、近くの公園へ場所を変える。

 

「で、どっちでやる?」

「えっ?」

「お前、投手だろ?」

 

 一瞬で見抜かれた瑠菜(るな)は、目を大きく開く。目を閉じて胸に手を添えて息を整えてから顔を上げた。

 

「バッターで、お願いします」

「オーケー」

 

 プロ野球の並み居る強打者を手玉に取り勝ち星を積み上げた伝説の投手との勝負を選んだ。

 

「ハンデをくれてやる」

「いりません!」

「そう言うなよ。勝負を成立させるためだ」

 

 元プロと素人との差を埋めるため提案。

 バント以外でインフィードに飛ばせさえすれば瑠菜(るな)の勝ち。

 

「さあ行くぜ」

「............」

 

 大きく振りかぶる東亜(トーア)に対し、バットを握る両手にグッと力を込める。

 東亜(トーア)は、それを見越したように初球のスローボールを真ん中高めに放った。

 タイミングが合わず見逃してストライク。

 二球目は110km/h程のストレートを真後ろへのファウルで追い込んだ。

 

「ふぅ~......。んっ!」

「ふーん」

 

 ――こりゃあ打たれるな。

 空振りを取る予定だった二球目にタイミングを合わせてきたのを見て、細かいコントロールが出来ない今のままでは打たれると、東亜(トーア)は感じた。

 それでも構わず振りかぶる。瑠菜(るな)は、球種を絞らずに素直に東亜(トーア)の投球モーションにタイミングを合わせた。

 

「――か」

「っ!?」

 

 コーンッ!

 東亜(トーア)の右腕から投じられたボールは、アスファルトを転々と転がる。東亜(トーア)の言葉に動揺した瑠菜(るな)は、真ん中を通ったストレートを見逃した。

 

「俺の勝ちだ」

「............」

 

 頬を染めて東亜(トーア)を睨む。

 

「まあ今のは無効にしてやる」

 

 笑みを見せた東亜(トーア)は、新しい賭けを持ち掛けた。

 それは週末のアンドロメダ学園との試合に勝利することだった。

 

 

           * * *

 

 

「そのミットどうしたの?」

「コーチに貰った」

 

 いつもの十字路で四人と別れ、あおいと二人で歩いていた鳴海(なるみ)の足が止まった。

 

「......本格的にキャッチャーになれって言われたよ」

「ふーん、そっか~」

「俺、キャッチャーなんて......」

 

 あおいは数歩先に歩いてから振り返る。

 

「でもボクにはショートの時より楽しそうに見えたよ、マスクを被ってる時の鳴海(なるみ)くん」

「えっ?」

 

 うつむいていた顔を上げると、あおいは笑顔を見せた。

 

「さあ帰ろっ?」

「あ......うん。そうだね」

 

 二人は、最終回のリードについて話をしながら家路を歩いた。

 

 

           * * *

 

 

十六夜(いざよい)さんの勧誘はうまくいったの?」

「ああ、明日から練習に参加する」

「そう。それにしても無謀に思えたけど本当にコールドで終わらせられるなんて......」

 

 理香(りか)は、グラスを口に運ぶ。

 今日も東亜(トーア)理香(りか)はいつものバーに来ている。練習後の日課になりつつあった。

 

「ふぅ、おいしい。そうだ、キミの狙い通りさっそく試合の申し込みが多数きてたわよ」

「そうか」

 

 これが東亜(トーア)が言ったアンドロメダ学園にコールドで勝つことで生まれる付加価値。試合をリアルタイムでネット配信したことで動画を見た人間がネット上で拡散してくれた。

 この宣伝効果は抜群。

 他校の野球部関係者の目に止まりさらに一年生相手とは言え、春の覇者アンドロメダ学園にコールドで勝利したことで狙い通り練習試合の申し込みが殺到した。

 

「他県の強豪校からもきてるわよ」

「そうか。毎週末土日に試合を組め」

 

 投手が二人になったことで連戦を組めるようになったことが今回の試合の一番の収穫とも言える。

 

「日曜は遠征でもいいわよね」

「ああ。対戦校の選定はお前に任せる好きにしてくれ」

「オッケー」

 

 理香(りか)はスマホを起動させパソコンから転送したメールを確認しながら、東亜(トーア)に訊いた。

 

「ところで近衛(このえ)くんはどうするの?」

「あいつはライトと抑えの二刀流で行く。早川(はやかわ)瑠菜(るな)も完投できるスタミナはねえからな」

「納得してくれるかしら?」

「させるさ。それよりも問題はお前だ」

「わたし?」

 

 なんのことか分からず首をかしげる。

 

「練習試合は鳴海(なるみ)の実戦経験と、お前の采配を養うことが目的だからだ」

「......契約、8月まで延長しない?」

「公式戦一試合につき100万で引き受けてやるよ」

「はあ~、意地悪ね。一雇われ保健医師に700万円も払えるわけないじゃない」

「なら必死に身に付けることだな」

 

 頬杖をつく理香(りか)東亜(トーア)はせせら笑い、グラスを口に運んでから今後のスケジュールについて二人はしばらく意見を交わした。

 



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game13 ~深紅の旗~

 朝の教室。昨日のアンドロメダ戦の話題をSNSで知ったクラスメイトたちでパワフル高校戦後よりも大騒ぎになっていた。この騒ぎは朝だけのことではなく休み時間になる度、教室には学年問わず訪問者が訪れ中にはプレゼントを持ってくる生徒も数人居た。

 

「名門と言えど一年生投手なんて既にオイラの敵ではないでやんす」

「きゃーっ、矢部(やべ)くんカッコいい~!」

「野球部、マジでスゲーなぁ」

「ムフフッ、でやんす。このまま深紅の旗まで一直線でやんすー!」

 

 昼休みには調子に乗り舌好調(ぜっこうちょう)矢部(やべ)が教壇で演説。

 

「はぁ~......えらいことになったわね......」

「あはは、ほんとだね~」

 

 タメ息をつく芽衣香(めいか)と困った表情(かお)を見せるあおい。

 その訳は彼女たちの机にあるプレゼント(お守りが多め)。その大半が後輩の女子ということもあり好意を無下には出来ないでいた。

 

「......た、ただいま」

「わぁっ! 鳴海(なるみ)くんっ」

「ちょっと大丈夫なのあんた?」

 

 ボロボロになった鳴海(なるみ)が昼食を摂りに教室へ戻ってきた。

 なぜ、こんなことになっているかと言うと三十分前に遡る。

 

『3-Aの鳴海(なるみ)くん、至急グラウンドへ来てください』

「今の声......、加藤(かとう)先生だよね?」

「うん、ちょっと行って来るよ。先に食べてて」

 

 昼休みに入ってすぐ鳴海(なるみ)は、校内放送で理香(りか)に呼び出された。あおいたちとの昼食を諦めグラウンドへ急ぐ。

 

「お待たせしました」

「来たわね。ごめんね、お昼前に呼び出しちゃって」

「いえ。あの、それで?」

 

 ベンチの前で鳴海(なるみ)を待っていたのは、東亜(トーア)理香(りか)。そして、制服姿(スパッツ着用済み)の瑠菜(るな)の三名。

 

「ほらよ」

「えっ? これって......」

「金属バットよ」

「それは分かりますけど」

 

 東亜(トーア)に渡されたバットを持ち、鳴海(なるみ)は呆然としたまま。

 

「そいつがお前の実力を知りたいと言うんでな。勝負してやれ」

十六夜(いざよい)瑠菜(るな)よ」

「あ、はい、鳴海(なるみ)です」

 

 簡単な自己紹介を済ませるとマウンドに向かった瑠菜(るな)は足でならし、鳴海(なるみ)は左バッターボックスで構える。

 

「ワンナウト勝負。四死球及び打球をノーバンで外野へ飛ばせば、バッターの勝ち。三振や内野ゴロならピッチャーの勝ちだ。ストライク判定は俺がする」

 

 東亜(トーア)理香(りか)はバックネット裏へ回り、二人の勝負を見守る。

 

「いくわよ?」

「どうぞ」

 

 右手にグラブを付けた瑠菜(るな)は、ノーワインドモーションから右足を上げた。東亜(トーア)の隣で理香(りか)は、スピードガンを構える。

 

「ストライク」

 

 左のスリークォーターから放たれた綺麗な回転のストレートはアウトコースのストライクゾーンを通過し、フェンスに直撃した。

 

「スピード」

「106キロよ」

 

 初球のストライクを見逃した鳴海(なるみ)は打席を外し、タイミングと軌道を思い返しながら素振り、イメージを固めて構え直す。

 

「フゥ――よし!」

「いくわっ」

 

 二球目もストレート、コースも同じ。しかし、差し込まれて三塁ベンチ前へのファウルフライ。

 

「ファウル、ツーストライク。さあ、追い込まれたな」

「わ、わかってます!」

 

 鳴海(なるみ)は、実際ならファウルフライでバッターアウトになる当たりに焦りを感じていた。

 

「(くそっ、思った以上に差し込まれてるし。ボールの下、ノビがあるんだ)」

「スピード」

「108km/h。早川(はやかわ)さんより若干劣るけど数字以上に速く感じるわね」

「間接が柔らかく、可動域が広い」

 

 女性特有とも言えるしなやかな腕の振り、球持ちの投球でリリースポイントが見にくい。その効果で瑠菜(るな)のストレートは数字よりも速く感じ、バッターからはタイミングを取りづらい癖のある投球。三球目は、カーブ。曲がりは小さく、やや高めに外したボール球でカウントを整えた。

 そして、決着の時を迎える。

 

「あっ! くっそ~......」

 

 鳴海(なるみ)はカウント1-2からの四球目のストレートを打ち上げた。高く緩く上がった打球は、サードの後方レフト定位置よりもやや手前で弾んだ。

 

「勝負あり。バッターの勝ち」

「でも、今のポップフライですけど?」

「関係ねえよ。内野を越えた時点でお前の勝ちだ。異論は?」

「私はありません」

 

 鳴海(なるみ)は打ち取られた当たりをヒット判定されて戸惑ったが、ワンナウトと特有のルールにより勝負は鳴海(なるみ)の勝利で終わった。

 バックネット裏からグラウンドへ戻った東亜(トーア)は、鳴海(なるみ)にキャッチャーミットを放り投げる。

 

「これ、俺のミット?」

「教室移動の間に、お前のバッグから抜いておいた」

「ええー!?」

 

 鳴海(なるみ)が驚いている間にピッチングマシーンとプロテクターを倉庫から持ってきた理香(りか)は、プロテクターを鳴海(なるみ)に渡し瑠菜(るな)に手伝いを頼む。

 

十六夜(いざよい)さん、手伝ってくれるかしら?」

「はい」

 

 マウンドとホームの間にピッチングマシーンをセットして、瑠菜(るな)は運んできたボールのかごをマシーンの隣に置く。

 

「準備できたわ」

「こちらも用意できました」

「じゃあ始めるとするか。鳴海(なるみ)、キャッチャースボックスで構えろ」

「は、はい......」

 

 おそるおそるミットを構える。

 

「そう怯えるなよ、球速は80キロだ」

「でもマウンドの半分だから、体感だと160キロですよね!?」

「安心しろ。全部ワンバウンドだ」

「まっすぐ来ない分タチ悪いですって!」

「知らねえよ。ほら、行くぞ」

 

 無慈悲にスイッチが押され、ピッチングマシーンから放たれたボールはホームプレートに当たり大きく跳ね上がりキャッチャーミットの上をすり抜けて、バックネットへ直撃して跳ね返る。

 

「あーあ、サードにランナーが居たらワイルドピッチで楽に一失点だな」

「うっ......」

理香(りか)、続けろ」

「オッケー。いくわよ、鳴海(なるみ)くん」

「は、はい! お願いします!」

 

 放課後の練習(基礎体力トレーニング)後では時間が足りない為の個人練習。東亜(トーア)は、瑠菜(るな)を呼ぶ。

 

「感想は?」

「空振りを取れなかったことが悔しいです」

「あいつらは動体視力を鍛えるトレーニングを積んでいる」

 

 東亜(トーア)は、鳴海(なるみ)に目を向ける。

 

「もう一球お願いしますー!」

 

 始めてまだ一週間とはいえ、眼球運動を鍛えるトレーニングの成果なのか、砂まみれになりながらも必死にショートバウンドを捕る練習を繰り返し、徐々にではあるが確実にミットに当たる回数が増えてきた。

 

「お前ならすぐに追いつけるさ」

「――はい!」

 

 頷いた瑠菜(るな)の瞳は、とても力強かった。

 

「と、言うことがあったんだよ......」

「だから、汚ない訳なのね」

「そうなんだ、大変だったね」

鳴海(なるみ)さん、どうぞー」

「ありがとう、はるかちゃん」

 

 グラウンドから教室に戻ってきた途端に机へ突っ伏した鳴海(なるみ)に、はるかはスポーツドリンクをコップに注ぐ。

 

「けど、十六夜(いざよい)さんかあー。確か3-Dだったよね?」

「そ、男子にスッゴい人気があるって話だけど。確か奥居(おくい)が同じクラスだったハズね。ねぇ奥居(おくい)ー」

「なんだー?」

 

 芽衣香(めいか)は、背もたれに寄りかかりながら矢部(やべ)と弁当を食べていた奥居(おくい)に訊く。

 

十六夜(いざよい)さんって、どんな子?」

十六夜(いざよい)? 十六夜(いざよい)瑠菜(るな)のことか?」

「そうそう、あんた同じクラスっしょ?」

「おおよ。瑠菜(るな)ちゃんはクラスで一番の超美少女だぜ!」

「へぇーそうなんだー。あたしとどっちがかわいい~?」

「......へっ」

 

 猫なで声で訊く芽衣香(めいか)は、蔑む様に鼻で笑った奥居(おくい)に対して眉毛をキリッと吊り上げる。

 

「むっ。何よ、そのバカにした笑いは!」

「なあ矢部(やべ)、今週のガンダーロボだけどさー」

「さすが奥居(おくい)くん、分かってるでやんすね! オイラとしては――」

 

 矢部(やべ)が好きなロボットアニメの話題を振って芽衣香(めいか)の追及をやり過ごす。

 

「無視すんなー! もぅ失礼しちゃうわねっ」

「あははっ。それより早く食べちゃわないとお昼休み終わっちゃうよ?」

 

 あおいの忠告を聞いて急いで昼食を済ませて午後の授業。そして部活動の時間、放課後がやって来た。ナインがベンチの前に集まると、理香(りか)は新入部員の瑠菜(るな)を紹介。

 

「今日から新しく入部する、十六夜(いざよい)瑠菜(るな)さんよ」

十六夜(いざよい)瑠菜(るな)よ。みんなよろしくね」

 

 瑠菜(るな)は、ニコッと天使のような笑顔でナイン(男子)を一瞬で魅了。

 

「うっひょー! 春の予感でやんすー!」

瑠菜(るな)ちゃん、マジで野球部に入るのか?」

「ええ、よろしくね。奥居(おくい)くん」

「おうっ、気合い入るぜー」

 

 テンションだだ上がりの男子部員たちとちやほやされている瑠菜(るな)を見て、芽衣香(めいか)は面白くなさそうに口を尖らせる。

 

「悔しいけどホントかわいいわ、スタイルも良いし......」

「うん、だね......」

「あおいも芽衣香(めいか)も負けてませんよっ」

 

 はるかはフォローするも二人には、むなしく聞こえるだけだった。

 気を取り直し練習開始。初参加の瑠菜(るな)もあおいと同様にパワーアンクルをつけてのランニング。基礎体力強化が行われている間に東亜(トーア)は、はるかと理香(りか)を連れて眼球運動強化とカードゲームを行う空き教室へやって来た。

 

「今日から新しいトレーニングを追加する」

「これは振り子ですね」

 

 新しく導入するトレーニングは振り子を利用したフォーカス強化トレーニング。

 今までは止まっている物にピントを合わせるだっただが今回は、動いている物体に貼られたシールにピントを合わせるためより素早く正確に捕らえる力を身につけさせることを目的としたトレーニング。

 

「最初は目で追うが最終的に、目を動かさず死角から入ってきた振り子を正面で捉える」

「......まったく見えませんわ」

「また無茶なことを求めるわね」

「別に出来るなんて思っちゃいないさ。だが、それくらい気持ちがなけりゃ届かねえよ」

 

 ――深紅の旗にはな。

 

十六夜(いざよい)さんは、いつから野球を始めたの?」

瑠菜(るな)でいいわ。本格的始めたのは、去年の5月頃からね」

「じゃあ一年弱か、もっと早く入れば良かったのに」

「野球は好きだけど、女子は公式戦に出られないってわかってから。それに、自信もなかったのよ」

 

 一連のトレーニングを追えたナインたちは、瑠菜(るな)に質問をしながら帰宅の途へ就いた。

 

「対戦相手が決まったわ。相手は、大筒高校。県下屈指の打撃陣で春の地区大会はベスト16。甲子園出場経験もある伝統校よ。先方が出向いてくれるわ」

「県下屈指の打撃陣でベスト16ねぇ」

「主力選手が出られなかったのよ。冴木(さえき)さん、女の子だけど実力は男子以上。洞察力にも優れていて秋、春大会ではマネージャー兼作戦参謀を務めたそうよ。はいこれ、彼女のデータ」

「要らねえよ。お前が目を通しておけ、監督さん」

「ハア、相変わらずね」

 

「せっかく調べて来たのに」と選手データが入ったファイルをテーブルに置いて、代わりにグラスを持つ。

 

「土曜の試合。先発は、瑠菜(るな)で行く」

「いきなり先発させるの?」

「少々気になる事がある。三回まで持てばいい、その間に見極める」

「そう。まあ、いいけどね」

 

 一週間新しいトレーニングを積み。

 そして、週末を迎えた。



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game14 ~高等技術~

アプリに登場したキャラを追加して書き直しました。
今話と次話、二話続けて修正してあります。


 週末の土曜日、大筒高校をグラウンドに迎えての練習試合。

 恋恋高校の先発は予定通り新戦力の、瑠菜(るな)。アンドロメダ戦に続いてマスクを被る鳴海(なるみ)と、ベンチ横に二ヶ所あるブルペンのひとつでサインの確認をして、本格的に肩を作る。

 左スリークォーターのしなやかな腕の振りから放たれた綺麗なスピンがかかったストレートは、乾いたいい音をキャッチャーミットに響かせる。

 

「ナイスボール! 走ってるよ」

「ありがと」

近衛(このえ)くん、こっちも行くよー!」

「おおよ!」

 

 隣では今日、控えに回ったあおいが「いつでも行ける」とアピール。瑠菜(るな)に負けじと気合いを込めて、近衛(このえ)のミットに向かって投げ込む。

 そして、大筒高校のウォーミングアップが終わり、両校ナインは各ベンチ前に集合、直前のミーティングを行う。

 

「スタメンは、さっき発表した通りよ。キャプテン」

「はい。みんな、今日も全力で勝ちに行くぞ! 恋恋ファイ――」

「オオーッ!!」

 

 円陣を組み、気合いを入れてグラウンドへ駆け出した。

 両校のナインが、グラウンド中央に整列。

 

「恋恋高校野球部諸君、今日は試合を引き受けてくれてありがとう。お互い良いプレーをしよう」

「ああ、よろしく!」

 

 大筒高校主将冴木(さえき)と恋恋高校主将鳴海(なるみ)はお互いの健闘を祈り、ガッチリ握手を交わした。

 二人の行為を見届け頷いた球審は手を上げて、試合開始を宣言。

 

「先攻、大筒。礼!」

 

 恋恋高校は自身のポジションに散り、大筒高校は先頭打者を残してベンチへと戻った。先発の瑠菜(るな)はマウンドの感触を確かめながら、球審と会話する鳴海(なるみ)を待って行った投球練習が終わり、大筒の先頭バッター井伊野(いいの)嘉元(よしもと)が左打席に入った。

 

「プレイボール!」

「よっしゃ! 来いや!」

「(構えが大きいなあ。とりあえず、これで)」

 

 前回の試合の最終回の反省を活かして注意深く打者を観察し、初球のサインを出す。うなづいた瑠菜(るな)はモーションを起こして、初球を投じる。

 

「ストライク!」

 

 恋恋バッテリーの選択は、アンドロメダ戦では投げなかった瑠菜(るな)のボールを見定めるようなことはせず、膝元に沈む内角のカーブを豪快に空振り。悔しそうに軽く舌打ちをした井伊野(いいの)は構え直して、二投目に備える。

 その様子を大筒ベンチでバッティンググローブを着け、自分の打席に備える冴木(さえき)は、どこか嬉しそうに小さく笑った。

 

「(大事な初球を変化球から入ってきた。井伊野(いいの)の打ち気を誘われたか? だとすれば、アンドロメダ戦は素人に見えたあの捕手もなかなかやる)」

 

 二球目、外角のきわどいコースのストレート。振り抜かれた打球は、サード葛城(かつらぎ)の正面。やや強い当たりのゴロを上手く捌き、今日、ファーストに入っている甲斐(かい)のグラブに余裕を持って収まった。打ち取られた井伊野(いいの)はベンチへ戻る途中、次の打者に具体的な指示を出した冴木(さえき)に問いかけられる。

 

「どうだ? 彼女のボールは」

「アネさん、どうもこうも遅すぎですよ」

「差し込まれていたように見えたけど」

「前がもっと遅い変化球だったんで、ちょっとタイミングがズレただけです。次はきっちり、リベンジ決めてやりますよ!」

 

 気楽な感じの井伊野(いいの)の態度にひとつ息を吐いた冴木(さえき)は、ネクストバッターズサークルに入るとヘルメットを被り、片膝を付いたまま、瑠菜(るな)のピッチングを注視。彼女の指示を受けた二番打者の小柄な女子、宇佐崎(うささき)詠子(えいこ)は打席で粘っている。

 

「(あ! 甘いボール来た――あれ?)」

「今度は引っかけた?」

 

 金属バットのヘッドの先っぽに当たったボテボテのゴロがファーストへ転がる。ファーストの甲斐(かい)が捕球、ベースカバーに入った瑠菜(るな)にトス。幸先よくツーアウト目を取った。

 

「どうだった?」

 

 先頭バッターの時と同じように討ち取られて戻って来た宇佐崎(うささき)にも、打席での印象を訊ねた。

 

「スピードはバッティングセンターくらいですけど、なんだかすっごく打ちづらかったです」

「そうか。わかった」

 

 主審へ礼儀良く頭を下げてから左バッターボックスに立ち、マウンドの瑠菜(るな)を見据える。

 力自慢の部員が軒を連ねる中もっとも非力な宇佐崎(うささき)が粘りを見せたことで、大筒ベンチにやや余裕のムードが広まる中、彼女だけは冷静に戦況を見ていた。

 

「(遅いのに差し込まれる、そして、打ちづらさ。そのカラクリ、私が見極めさせてもらうぞ)」

「(冴木(さえき)(はじめ)さん。確か加藤(かとう)監督の話だと、女子だけど大筒高校で一番センスがあるって言ってた。先ずはこれで、様子を見よう)」

「――ん」

 

 サイン頷き、冴木(さえき)へ初球を投じる。ストライクから外のボールゾーンへ逃げる縦のカーブ。冴木(さえき)はやや反応を示すも余裕を持って見逃し、ワンボール。二球目は一転、速いストレートとは言っても、冴木(さえき)にとってもやはり遅く、待ちきれずにライト方向へファウルを打ち、カウント1-1の平行カウント。

 

「(想像以上に来ない、これが打ちづらさか? 次は、カウント的にクサイところを突いてくる可能性が高い。おそらく、内ならストレート。外は、変化球――)」

 

 バットを握る手に力が入ったのを見て、鳴海(なるみ)はサインを出した。

 

「ふーん」

「なに?」

「いや、別に。さて、どう出るかね」

 

 ベンチに寄りかかり退屈そうにしていた東亜(トーア)が、戦況に興味を示した。平行カウントからの瑠菜(るな)の三球目は、インコース。

 

「(内――真っ直ぐ......スライスした、シュートか!)」

「よし!」

 

 バッテリーの選択は、待ちきれなかった速球に対応するため手元に呼び込んでコンパクトに叩こうとしていた冴木(さえき)の裏をかく、内角にやや食い込むシュート。このまま振り抜けば、高確率でファースト方向のゴロに打ち取れる、だが――。

 

「ショート! サード!」

 

 冴木(さえき)が捌いた打球は、痛烈なゴロで三遊間へ飛んた。

 

「おいらたちかよっ!?」

「クソーッ!」

 

 横っ跳びしたサード葛城(かつらぎ)のグラブの先に当たって二塁方向へ流れた打球を、ショートの奥居(おくい)がすぐにカバーするも、冴木(さえき)は既に一塁ベースを駆け抜けていた。

 

「やられた、打ち取ったと思ったのに」

 

 鳴海(なるみ)の視線に気がついた冴木(さえき)はベース上で、してやったりとやや笑顔を覗かせる。

 

「なかなかやるじゃないか、あいつ。理香(りか)、データ」

「あら、要らないんじゃなかったのかしら」

「マネージャー」

「はい、どうぞ」

「あっ、ちょっと!」

 

 優位に立ち調子に乗った理香(りか)を無視して東亜(トーア)は、はるかから冴木(さえき)のデータを受け取り目を通す。

 

「練習試合のデータのみだが、打率は三割後半。出塁率に至っては四割超え」

「敬遠も多いスラッガータイプの東條(とうじょう)くんとは違うアベレージタイプだけど、どっちも驚異的な数字ね」

「道理で今のを流せた訳だな」

 

 打率、出塁率の高さから、先ほどの冴木(さえき)のバッティングに納得した様子の東亜(トーア)。その間にも試合は進み、四番テキート・ヤールゼンと対峙。先頭バッターの井伊野(いいの)と同様、きわどいコースであろうとお構いなしに手を出してくる。

 

「ライト!」

「任せろ」

 

 ライトでスタメンの近衛(このえ)がフェンス際、ファウルゾーンでギリギリキャッチ。ランナーをひとり出したものの四番を討ち取り、上々の立ち上がりでベンチへ戻って行く。

 

瑠菜(るな)ちゃん、ナイスピッチだぜ!」

「ドリンクをどうぞ!」

「タオルをどうぞ!」

「ありがと」

奥居(おくい)~、あたしもドリンクほしいな~」

「あん? 給水機(ピッチャー)があんだろ?」

「ムキーッ! 納得いかないわっ!」

 

 瑠菜(るな)は言い合う奥居(おくい)芽衣香(めいか)の前を通って、東亜(トーア)の横に座る。

 

「どうでしたか?」

「まずまずだ。冴木(さえき)の打席は気にしなくていい」

「あれ、なんで打たれたんですか? 俺、絶対打ち取ったって思ったんですけど」

 

 先頭バッター矢部(やべ)の打席を見ようともせず、鳴海(なるみ)も近くに来て座る。インコースを流し打たれたことが同じ投手として気になったあおいもやって来た。

 

「インパクトの直前、軸足を流したんだ」

「軸足を流す......?」

「聞くより見た方が早いな。鳴海(なるみ)、バットを持って構えてみろ」

 

 言われた通りに構え、インコースにボールが来たことを想定してゆっくりスイングを開始。

 

「そこだ」

 

 バットのヘッドが身体と平行になったところで、東亜(トーア)が止める。

 

「そのまま振ればヘッドが返り、凡打もしくはファウルになる確率が非常に高い。そこで軸足の踏み込みを捨て、外へ流す」

 

 バッティングは腕の力だけではなく、下半身の力も重要な要素。特に軸足は体重を乗せ、インパクト時に前へ踏み込み、獣心を前方へ移動させることにより強い力を産み出し、飛距離を伸ばす。

 冴木(さえき)は逆に軸足を途中まで踏み込んでいた軸足を浮かせ、外へ流す(右打者なら三塁側。左打者なら一塁手側)ことにより、ヘッドと腰の回転を抑えて瞬時にミート重視の打法に切り替えて、インコースのシュートを流し打った。

 

「プロ野球でも滅多にお目にかかれない高等技術だ」

「俺、流し打ちはアウトコースを打つためのものだと思ってた」

「ボクも。そんな打ち方があるなんて」

「さて――」

 

 解説を切り上げ、試合の方に目を戻す。

 先頭の矢部(やべ)、二番の真田(さなだ)と共に、先発ヤールゼンの角度のある速球に苦戦して、三振、ショートゴロに討ち取れて、三番奥居(おくい)の打順。追い込まれてからやや甘く入ったストレートを逆らわず弾き返し、ライト前ヒットで出塁するも。続く四番近衛(このえ)は、力のあるストレートに差し込まれ、ライトフライでスリーアウトチェンジ。

 

「わりぃ、打ち上げちまった」

「惜しかったよ。角度もよかったし。さあ、守ろう」

「よっしゃ、行くか!」

「頼むぞ、強肩!」

 

 前捕手近衛(このえ)と現捕手鳴海(なるみ)は軽くグラブタッチをして、グラウンドへ走っていった。

 

「ふふっ、うまくいってるみたいね」

「単純だからな」

 

 試合前日のこと。

 東亜(トーア)近衛(このえ)鳴海(なるみ)を呼び出し、今後の方針について伝えた。

 

「お前には、ライトにコンバートしてもらう」

「......ライトですか?」

 

 アンドロメダ戦の件もあり、ある程度の覚悟をしていた近衛(このえ)だったが、小学生の頃から捕手一筋でやってきたためショックを隠せないでいた。

 

「それともう一つ、お前には重要なポジションを務めて貰いたい。リリーフだ」

「リリーフ?」

「考えてみろよ。あおいと瑠菜(るな)、投手が二枚揃ったといっても長いトーナメント戦だ。疲れは溜まり、ピンチは必ず訪れる」

 

 鳴海(なるみ)近衛(このえ)東亜(トーア)の話から、頭の中でシミュレーション。

 

「一点差、一打逆転の場面。ライトからマウンドへ颯爽と駆けつけ、ピンチの芽を刈り取り、何事もなかったかのように平然とベンチへ戻っていく。沸き上がる歓声、逆に相手はチャンスを逃し意気消沈。さらに外野の守備においてお前の肩はエンドランなどで、ランナーのサード進塁の抑止力になる。つまり守備の要でもあり、守護神でもあるということだ」

「――守護神。コーチ、俺......やります! 絶対優勝しようぜ!」

「おう! キャッチャーのこと教えてくれ!」

「任せろ! 覚悟しろよ、俺の全部叩き込んでやるからな!」

 

 こんな感じで、東亜(トーア)の口車にまんまと乗せられた近衛(このえ)だった。

 試合はその後、両校共に得点は上げられず二巡目に突入。四回表大筒高校の攻撃は冴木(さえき)からの打順、カウント2-2からの五球目。

 

「(来た、思った通りだ!)」

「あっ!」

「フェア!」

 

 塁審はフェアグランドを差して、コール。

 前の回井伊野(いいの)にコースヒットを許したものの、ここまで自慢の打撃陣が内あぐねていたストレートを完璧に弾き返した。俊足のレフト真田(さなだ)は最短距離で打球に追い付くも、冴木(さえき)は既にセカンドへ到達。

 両チーム通じて初の長打は、ツーベースヒット。

 無死二塁の先制点のピンチで前の打席、ボール球をライトのフェンス際まで運んだ四番ヤールゼンを迎えた。



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game15 ~迷彩~

「ノーアウト二塁で四番!」

「くっくっく、さーて、この場面どう凌ぐか見物だな」

 

 恋恋高校は四回表、大筒高校先頭バッター三番冴木(さえき)に三塁線へのツーベースヒットを打たれ無死二塁。先制点のピンチを迎えた。続くバッターは四番、一発のあるヤールゼン。第一打席はライトのファウルフライに打ち取ったが、打球はフェンスの手前まで運ばれた。一歩間違えれば、多少のボール球でも長打に出来る力のある打者。

 

「(冴木(さえき)さんは仕方がない。ここからしっかり抑えればいいんだ)」

 

 鳴海(なるみ)はバッターに目をやり、じっくりと観察してからサインを決める。

 

「(スタンスは第一打席よりもややオープン。インコース狙いかな? でも、外は届く。左打者だし、膝元のカーブで反応を見よう)」

「......んっ」

 

 サインに頷いて瑠菜(るな)はセットポジションで構え、鳴海(なるみ)は内側へミットを構えた。これを、冴木(さえき)は見逃さない。

 

「(攻め方は正しいが、甘い。このチャンスは確実にいただく!)」

「走ったわよ!」

「えっ!?」

 

 瑠菜(るな)がモーションを起こすと、冴木(さえき)は躊躇なくスタートを切った。ヤールゼンは膝元の変化球を空振り。緩い変化球だった上に大きなスイングの影響もあり、送球することすら出来ずに三塁を奪われてしまった。

 

「初球、三盗! やられた......」

 

 無死三塁にピンチが広がる。

 鳴海(なるみ)瑠菜(るな)にボールを投げ返し、キャッチャースボックスで腰を落とし、深く思考を巡らせる。

 

「(まさか、初球で走られるなんて。でも狙い通り、ストライクをひとつ取れた。切り替えよう。この場面一点は仕方がないから、ランナーを残さないように――)」

 

 オープンぎみのスタンスのヤールゼンに対し外中心の配球で追い込み、スタンスが元に戻ったところで勝負球。

 

「(よし、ナイスボール!)」

「(お、マジ言った通りじゃん!)」

 

 バッテリーとしては意識が外に向いた打者の裏を突く、内角低めの絶妙なコースへ狙い通りのストレート。見逃し三振......と思われたが、引っ張った打球はライナーでライトのフェンス直撃のタイムリーツーベースヒット、サードランナーの冴木(さえき)は楽々ホームに還って、先制点を献上。

 

鹿莫(ろくば)、続けよ」

「うん。よーし、やるぞー!」

 

 続く五番鹿莫(ろくば)翔太(しょうた)にも長打を打たれ、連続タイムリーで二失点目。なおも無死二塁とピンチが続く。

 

「クリーンナップ相手に三連打、それも全部長打だなんて。県下屈指の重量打線は伊達じゃないわね。でも、どうして急に」

「気付いたのさ。二巡目、まあ、こんなところか」

「何に?」

「おーい、香月(こうづき)

 

 同級生の藤村(ふじむら)と一緒に声を張り上げて応援している香月(こうづき)を呼び、東亜(トーア)は指示を与えた。

 

「行け」

「はい! 伝令です、お願いしますっ!」

「うむ。タイム」

 

 内野はマウンドへ集まり、伝令の香月(こうづき)東亜(トーア)からの指示を伝える。

 

鳴海(なるみ)先輩、周りをよく見ろ。だそうです」

「原因は、俺なんだね。周りをよく見る?」

「それから、瑠菜(るな)先輩にも。マネは結構だが読まれているぞ」

「......そう。わかったわ」

 

 香月(きうづき)は一礼して、ベンチへ戻る。

 

「それで、どうすんのよ?」

「簡単だぜ。全部おいらんとこに打たせればいいんだからな」

「何言ってのよ。そこはあたしっしょっ! 華麗な守備を見せてやるわっ!」

「あはは......ええっと。ここからは下位打線だし、とりあえず定位置で」

 

 各々ポジションに戻り、六番バッターに備える。

 

「(周りを見ろ、か......見てるんだけどなあ)」

 

 確かに鳴海(なるみ)はバッターだけではなく、ランナーの仕草も注意深く目を配っている。しかし、彼にはひとつだけ盲点があった。「敵は味方にいる」ということ、まだそれに気づけないでいた。

 

「(とにかく、1球1球注意して見るしかない。まずは、これで様子を見よう)」

 

 出されたサインに頷いた瑠菜(るな)の、六番バッターへの初球はストライクからボールゾーンへ流れる外のシュート。

 

「(――踏み込んだ!?)」

 

 踏み込んで打った打球は痛烈な当たりで一塁線を襲った。

 ファースト甲斐(かい)のダイビングは届かなかったが、打球はラインをギリギリ逸れて、判定はファウル。

 命拾いしたが、初球の変化球を。それもボール球を躊躇なく踏み込んで打たれたことに、鳴海(なるみ)は混乱していた。

 

鳴海(なるみ)くん!」

「えっ、あっ、タイムお願いします!」

「タイム」

 

 瑠菜(るな)が、鳴海(なるみ)を呼びつけた。

 

「今の、どう見た? 完全に狙い打ちされた気がしたけど」

「俺もそう思う。そうじゃなきゃ、初球からボール球に踏み込んで打つなんて出来ないよ」

「そうね。他に気がついたことある?」

「それが......」

 

 鳴海(なるみ)は首を振って、否定。

 

「コーチの指示通り全体をよく見てたけど。ベンチからも、ランナーからも、何かしらのサインが出た様子はなかった」

「そう......」

 

 話し込むバッテリーに、奥居(おくい)芽衣香(めいか)が大きな声をかける。

 

「さっきから何を話してんだー?」

「そうよ、早くしないと怒られるわよー」

「ああ、うん。分かってるよ」

「そっ? なら、いいけど~。それより、そんな慎重にならないであたしたちに任せなさいっての、読みは合ってるからさ」

「そうだぜー」

 

 芽衣香(めいか)奥居(おくい)は自信満々と言った様子で、自分のポジションでグラブを構えている。

 

「あの二人、凄い自信ね」

「今日は、いいプレーを連発してるし。多少調子に乗って......る?」

 

 この時「周りをよく見ろ」という東亜(トーア)のこの言葉が、鳴海(なるみ)の頭をよぎった。

 

「どうしたの?」

「そうか、もしかして。ねえ瑠菜(るな)ちゃん、お願いがあるんだ」

「なに?」

 

 鳴海(なるみ)瑠菜(るな)に意図を伝えていると、球審は練習試合とはいえ時間がかかっていることをやんわり注意をするため、マウンドへ歩いてくる。

 

「じゃあ、当たってたらサインを出すからお願い!」

「ええ、わかったわっ」

「もういいかね?」

「はい! すぐ戻ります!」

 

 ポジションに戻り、座ってサインを出す。

 瑠菜(るな)は頷いて、セットポジションで構え目でセカンドランナーを牽制したから投球モーションに入った。

 

「(俺の考えが正しければ......!)」

 

 二球目は、インコースへのストレート。

 

「ボール!」

 

 普通ならデッドボールを恐れて退けぞるようなコースのストレートをバッターは平然と見送り、鳴海(なるみ)は捕球と同時にすぐに顔を上げて周囲を確認。

 

「(もう一度だ。今度はこっちで......!)」

 

 次は真ん中高めのボール球を要求。続けてアウトコース、更にもう一度インコースへ外した。

 

「(そうか、やっぱり......コーチの言っていたのはこれだったんだ!)」

「ボール! ボールフォア! テイクワンベース」

 

 六番バッターはファーストへ歩く。鳴海(なるみ)はボールを瑠菜(るな)へ投げ返し、ミットをバンバンッと二回叩いてサインを送った。それを見た瑠菜(るな)はニコッと笑顔を見せ。同じく、東亜(トーア)も軽く笑みを浮かべた。

 

「ようやく気づいたらしいな」

「さっき教えてあげればよかったのに。意地悪ね」

「伝令は回数制限がある。結局のところ何か問題が起きた時、グラウンドで戦うアイツらが自力で解決法を確立できなければならない場面が必ず訪れる。まあ、今回は練習試合だからヒントをくれてやったけどな」

 

 気合いを入れて、座り直し、サインを出す。

 瑠菜(るな)がモーションを起こすと同時に、ランナーはバッターが確実に右へ打つと確信したように、二人とも大きく離塁した。

 

「(外だ!)」

 

 バッターは踏み込んだ。しかし投げられたボールは、インコースのシュート。

 

「えっ......うっそ、何で!?」

「(よし、かかった!)」

 

 外狙いから修正したバットの軌道が芯のやや内側に当たり、ライン際を締めていたサードの正面に飛んだ。

 

「5-5-4-3!」

「オーライ!」

 

 サード葛城(かつらぎ)はワンバウンドで捌き、自らサードベースを踏んで二塁へ送球フォースアウト、しかしファーストは間一髪でセーフの判定。三重殺とはいかなかったが、ダブルプレーでたちまち二死一塁。バッテリーは次の打者の裏を突き三振に切って取り、二失点でこの回を切り抜けた。

 

「あの場面、あえてミートさせてトリプルを狙うに行くとは。いい性格してるな、お前」

「それ、喜んでいいんですか......?」

「くっくっく、さあな。それより、アイツらに教えなくていいのか?」

 

 奥居(おくい)芽衣香(めいか)をアゴで指した。

 

「......二人には悪いですけど、この試合は利用しようと思っています。ダメですか?」

「いや、俺も同じことをする。騙している自覚が無いヤツが騙す。それこそが最強の迷彩(ステルス)

 

 東亜(トーア)は、追加点をやらずピンチを切り抜けてベンチに戻ってきた鳴海(なるみ)を珍しく褒めた。

 大筒高校のクリーンナップ三連打の秘密は、二遊間の守備の綻びを突いた攻撃。奥居(おくい)芽衣香(めいか)の二遊間は、実戦経験が圧倒的に少ない。球速がない分制球力のある瑠菜(るな)のピッチングは、コースなり打球が飛んでくる確率が高く。鳴海(なるみ)が構えるキャッチャーミットを見て、投球モーションに入る前にシフト変更を行うミスを犯してしまっていた。

 相手バッターにしてみれば、コースを教えてもらっているようなもの。コースが分かれば、球種もだいたいの予測がつく。 東亜(トーア)の助言もあり、それに気づいた鳴海(なるみ)は二人の欠点を逆に利用し、瑠菜(るな)に意図して逆球を投げるサインを織り交ぜ、ピンチを切り抜けることに成功した。

 

「さて、そろそろ打ちに行くか。理香(りか)

「オッケー。相手投手ヤールゼンくんは見ての通り、サウスポー。常時140キロ超のストレートが武器の速球派。春大は実に投球割合の九割近くがストレート、この試合も殆ど変化球を使っていないわね」

「だそうだ。実際対戦してみた印象はどうだ?」

 

 一番打席の多い矢部(やべ)が手を上げる。

 

「角度があるストレートが厄介でやんす」

「だな。左だからってのもあるけど、つい手が出ちまう」

「でやんすね」

 

 対戦経験の少ない長身のサウスポー相手に右バッターの矢部(やべ)だけではなく、後ろを打つ左の真田(さなだ)も同じ感想。しかし、奥居(おくい)は違った感想を口にする。

 

「カウントが悪くなると、甘いコース来るぞ」

「そもそも俺たちは、相手のストレートを捉えきれていない。コースが甘くても差し込まれる。相当手元で来る感じです」

「あたしには変化球も使ってきたわよ」

「私にもです。ただ、変化球は手も足も出ないようなボールじゃないです」

 

 全員の意見を統括すると、ストレート中心ながらもカウント悪くなると甘く来る傾向があり、下位打線の芽衣香(めいか)瑠菜(るな)を相手にする時は変化球を使う割合が増える。

 

「そこまで来たんだ、もうやることは判るだろ」

「えっと......」

「ふぅ、追い込まれるまで手を出すな。ベンチから見ても、ヤツの制球はアバウト。特にストレートは顕著だ。球威がある分、コースを突くコントロールはない。やたら無闇に手を出して相手を助けるな。狙い球は?」

「......カウントが悪くなった時に来る、甘いコースのストレートと変化球?」

「ストレートは捉えられないんだろ。なら、変化球に絞ればいいだけだ。どれも決め球にあるような大した球じゃない。引き出せるか否かはお前次第だけどな。まあ、所詮ベスト16止まりのチーム、必ず綻びはある」

「は、はい!」

 

 四回裏、恋恋高校の攻撃。塁に出たのは初回の奥居(おくい)以降ゼロ、二番真田(さなだ)からの好打順。

 

「行くぞ」

「いいよ!」

 

 ヤールゼンは、捕手鹿莫(ろくば)を相手にイニング間の投球練習中。

 

「(よく見れば、投球練習でも荒れてるじゃん。これなら行けるぞ......!)」

「バッターラップ」

「お願いします!」

 

 真田(さなだ)は初球、二球目共に出そうになったバットを堪え、初めて自分に有利なカウントを作った。二塁の守備につく冴木(さえき)は、瞬時に勘づいた。

 

「(マズい、あからさまに待球策を講じてきた。声をかける......いや、今、声をかけても逆効果になりかねない。何より、ヤールゼンにだけ声をかけても仕方がない)」

冴木(さえき)さん? どうかされました?」

「いや、なんでもない。宇佐崎(うささき)、集中どころだ。気を引き締めて守るぞ」

「はい! 冴木(さえき)さんと一緒ならどんな打球も止めてみせます!」

 

 実際ストレートのサインを出し続けているのは、捕手鹿莫(ろくば)。実は、大筒高校は九九を覚えることすら苦手な部員が多い。ストレート中心なのも単純にバッテリー間で投げるのも、捕るも楽だからという側面もある。

 

「ボール! ボールスリー」

「やべぇ。ま、いいか。どうにかなるっしょ」

「おーい、しっかり頼むよー」

 

 投げ返し、出したサインはやはりストレート。

 甘いコースを見逃し、ひとつカウントを戻した大筒バッテリー。

 

「(マジで置きに来た。サードは定位置、これなら行ける――)」

 

 五球目――セーフティバントを試みるも、転がせずにバックネットに当たってファウル、フルカウント。

 

「(くそ、転がせなかった。やっぱり、甘いコースでも真っ直ぐには力があるんだ)」

「うーん」

 

 決まらなかったもののセーフティバントをされたことで、鹿莫(ろくば)の中に若干の迷いが生じた。そして、選ばれた勝負球は――。

 

「ストライク、バッターアウト!」

 

 最後はチェンジアップにタイミングが合わず、空振り三振に倒れた。

 

「すみません......」

「あん? 何を謝る必要がある。引き出したじゃないか、狙いの変化球を」

「あっ!」

 

 今の1球は、大きな意味を持つ1球。

 

「さてと、あとは任せた」

「えっ?」

「言っただろ。これは、理香(おまえ)の実戦練習でもある。じゃあな」

 

 理香(りか)に采配を預けた東亜(トーア)は、とある場所へ向かうため恋恋高校グラウンドを後にした。

 

           * * *

 

「試合は6-6の引き分け。十六夜(いざよい)さんは6回まで投げて3失点。9回に近衛(このえ)くんが、井伊野(いいの)くんに甘く入ったストレートを打たれて失点。その裏に奥居(おくい)くんが同点タイムリーを打って終わったわ」

「まずまずだな」

 

 いつものバーで大筒高校との試合結果を聞きながら、アルコールを静にたしなむ。

 

早川(はやかわ)さんが、ずっと面白くなさそうな表情(かお)をしていたわ」

「どうせ、明日先発するんだから問題ねえよ。すぐに機嫌を直すさ」

「ふぅ、それより何処に行ってたのよ?」

 

 理香(りか)に行き先を訊かれた東亜(トーア)は、薄暗い照明の光をグラスの中で反射し輝く氷を見ながら答えた。

 ――千葉マリナーズ、と。



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game16 ~悩める天才~

今回は、マリナーズの高見の話が中心となります。



『さあ、ツーアウトまで来ました! 北海道フィンガーズ河中(かわなか)、今シーズン初完封まであと一人です!』

 

 千葉マリナーズの本拠地で戦うマリナーズ対フィンガーズの二回戦。

 昨シーズン、球界のドン・田辺(たなべ)の策略により、各チームの主力をマリナーズへトレードさせ、何としてもリカオンズの優勝を阻むという禁手を敢行したが結果は振るわず。東亜(トーア)が球界から姿を消したシーズン終了後、経営不振で親会社が変わった前所属球団への再トレードが行われた。

 フィンガーズの投手・河中(かわなか)もその中のひとり。MAX160キロのストレートと、消えると称されるフォークボールを武器にする日本屈指の左腕。

 そして、バッターボックスで対するは球界を代表する天才打者、高見(たかみ)(いつき)。昨シーズンは、打率4割に迫る驚異的な数字を残したが。今シーズンはここまで打率2割ちょうど、ホームラン0本という本来の力とはかけ離れた低い数字。

 

『ストライク! バッターボックスの高見(たかみ)、二球で追い込まれてしまいましたー!』

 

「(くそっ......。分かっているが、どうしてもフォームが崩れる)」

 

 優勝決定戦の五試合前、東亜(トーア)最後の登板で36得点と圧倒的な数字で攻略したマリナーズだったが。それは全て東亜(トーア)の策略。厳しいコースを打たされ続けたマリナーズの選手たちは、本来のバッティングフォームを崩され、短期間での修正も出来ず、リカオンズに四連敗を喫し、リーグ連覇を逃した。

 そして、その余波が今なお、高見(たかみ)を苦しめていた。

 

河中(かわなか)、振りかぶってラストボールを......投げましたー! ストライク! バッターアウト!』

 

 高めの浮き上がるようなストレートに手を出し、空振りの三振。

 マウンド上で、クールに小さくガッツポーズを見せる河中(かわなか)に対し、遂に打率2割を切ってしまった高見(たかみ)は肩を落とし、顔を隠すようにタオルを頭から被って、ベンチで唇をかむ。

 

高見(たかみ)

「......監督」

 

 顔を上げた先にはマリナーズの監督を務める忌野(いまわの)が、腕を組んで険しい表情(かお)をしていた。

 

「しばらく、下でフォームを固めて来い」

 

 登録抹消、二軍降格通告。

 ロッカールームの荷物を片付け、重い足どりで球場を後にする。

 

「天下の高見(たかみ)(いつき)が情けねぇ表情(かお)をしてるな。二軍行きでも通告されたか?」

「――と、渡久地(とくち)......!」

 

 ルーキーイヤー以来の二軍降格にショックを隠せないでいた高見(たかみ)の前に因縁の相手、渡久地(とくち)東亜(トーア)が姿を現した。

 

「......なぜ、お前がこんなところに居る!?」

「図星か。悩める天才にアドバイスをしてやろうと思ってな」

「アドバイスだと? ふざけるな! 敵のお前からの情けなど受けない!」

「そう邪険にするなよ。俺は既に、リカオンズとは縁を切った身だ。プロ野球界にも二度と復帰しないと契約した。つまり、お前とは二度と勝負する事は無いんだ、もう、敵も何もねぇだろ?」

 

 ――損はさせない。まあ話だけでも聞いてみろよ。

 東亜(トーア)の言葉を渋々受け入れた高見(たかみ)は、球場近くのレストランの個室で夕食を摂りながら話を聞いた。

 

「お前は打席で考えすぎている。フォームの崩れを極度に恐れ、本来の自分を見失っている。確かにお前は天才だ、この先お前以上の打者はそうそう出てこないだろう。だが、今のままなら消えるぞ」

 

 高見(たかみ)は、注文した料理に一切箸をつけずにただ黙ったまま東亜(トーア)の目を逸らさずに言葉を噛み締めている。

 

「精密機械ほど故障した場合の復旧は難しい。だが、俺としてもお前程の才能がこのまま消えるのは忍びない」

「......何が言いたい?」

「取引だ」

 

 東亜(トーア)は、やや前のめりになり高見(たかみ)に取引を持ち掛けた。

 翌朝10時。恋恋高校初遠征試合の采配を理香(りか)に一任した東亜(トーア)は、恋恋高校野球部のグラウンドに居た。

 

「さて、始めるとするか」

「フン」

 

 マウンドとバッターボックスで東亜(トーア)高見(たかみ)の二人が対峙。東亜(トーア)はマウンドにピッチングマシーンをセットし、二軍戦を欠場した高見(たかみ)はバッターボックスでバットを構える。

 

「お前が投げるんじゃないのか?」

「本来なら俺が投げたいところだが、生憎肩を故障しているんでね」

「故障だって?」

「お前らとの試合でぶっ壊れたって訳さ。今の医学じゃ完治は出来ない。まっ、そう言う事だからコイツで我慢して貰う。行くぞ」

 

 ボールをセットして、スイッチを押した。

 マウンドよりも数メートル後方にセットされたピッチングマシーンから放られたボールは、一度視界から消える緩い山なりの超スローボール。

 

「くっ......!?」

 

 打ち損じた打球はバックネットに直撃し、転々とファウルゾーンを転がる。

 

「次、行くぞ」

「ああ......」

 

 二球目も同じ山なりの軌道の超スローボール。

 高見(たかみ)は、再びファウルチップを叩いた。

 

「くそっ......!」

「左肩が突っこみすぎだ。そんなアッパースイングじゃ打てるモンも打てねぇぜ」

「......次だ、来い!」

 

 気合いの入った表情で自身を見据える高見(たかみ)を見て、東亜(トーア)は笑みを浮かべた。しかし、次もファウル。気合いだけで克服出来るほど甘くはない。

 三度目のファウルチップを叩いた高見(たかみ)は、バッターボックスを外し、軽く素振りをしながら考える。

 

「(――遅い。渡久地(とくち)の低速低回転ストレート以上に来ない。いや、それ以上に山なりの超スローボールを打つことに、どんな意味ある?)」

 

 横目で、東亜(トーア)を見る。

 

「(だが、あの渡久地(とくち)だ。必ず意味はある)」

「どうした? もう、ギブアップか」

「まさか。続きだ、来い!」

「フッ、そう来なくっちゃな」

 

 このあと二時間ぶっ通しでバッティング練習を続けた。

 時計は12時を回り区切りを入れるため最後の一球。

 

「フンッ!」

 

 ――カィーン! と、ようやく良い当たりがレフト前へ飛んだ。近くのコンビニで昼食を買い休憩を入れて、13時から再び練習を再開。

 

「フゥ......」

「悩んでるって感じの表情(かお)だな」

「......打球が飛ばない」

 

 良い当たりも増え、狙って左右に打ち分ける事も出来るようになったが、致命的に打球が上がらず飛距離は伸びない。

 

「飛ばなくて当たり前だ。簡単に飛ばさせないために、超スローボールに設定しているんだからな」

「なに?」

 

 遅いボールは反発力が小さく飛び難い。たとえ金属バットでも、しっかりと振り芯で捉えなければ外野を越すことは困難。金属よりも遥かに反発力の小さな木製バットでは、なお更に難しい。

 つまり、スローボールを遠くへ飛距離を伸ばす為には打者の力量がもろに試される事となる。

 

「ボールの芯とバットの芯を両方しっかりと捉え、なおかつ打球に力を乗せる事が出来なければ、この超スローボールを飛ばすことは出来ないのさ。逆に言えばこいつを柵越え出来た時こそ理想的なフォームの完成って事だな」

「......続けてくれ」

 

 高見(たかみ)は、一心不乱にボールを打ち続けた。そして結局、この日は一度も打球をフェンスに当てることは出来なかった。

 

「しかし、お前が高校野球のコーチとはね。どういう風の吹き回しなんだ?」

「ただのギャンブルさ」

「ギャンブル?」

 

 二人は、バーで酒を呑み交わしながら会話をしていると、そこへ理香(りか)がやって来た。

 

渡久地(とくち)くん、お待たせ......。って高見(たかみ)選手っ?」

「どうも」

 

 東亜(トーア)は遠征へついていかない理由を理香(りか)の経験を積ませるためと言い。高見(たかみ)のバッティング練習をしていた事を知らせていなかった。

 

「そうだったのね。教えてくれてもいいのに」

「あはは」

「フゥ......。で、スコアは?」

「6-2で負けたわ......。はい、これ」

 

 スコアブックを東亜(トーア)に渡す。隣の高見(たかみ)も覗き込んだ。

 

「女子選手が多いんだな。先発も女の子か」

「ああ、一応二枚居るが。二人とも一巡目は特殊な軌道で乗り切れるが、どちらも二巡目で掴まる傾向が高い」

「理由は?」

「最速110キロ程度、どちらもこれといった決め球が無い」

「球筋に慣れられると厳しいってことか。なるほど合点が云った。それで()()が必要な訳か」

「まあ、()()はキャッチャーのためだけどな」

 

 小さく笑みを浮かべグラスを口に運ぶ二人に、訳もわからず理香(りか)は首をかしげた。

 

「なんの話?」

高見(たかみ)が、一軍に上がれば分かるさ」

「それは責任重大だね。ところでコーチを引き受けた理由がギャンブルって?」

渡久地(とくち)くんの右腕の治療と引き換えに、甲子園出場を条件に引き受けてもらったの」

「えっ......治るのか?」

「ええ、間違いなく治るわ。わたしの紹介する博士ならね」

「そうか......。これは早く克服しないとね」

 

 東亜(トーア)から完治不能と聞いていた高見(たかみ)は、どこか嬉しそうな声だった。

 翌日からの高見(たかみ)の集中力は、初日とは比べならないほど研ぎ澄まされていた。試行錯誤を繰り返し、徐々にだが確実に飛距離を伸ばしていく。

 そして、この練習は恋恋高校の部員たちに良い影響を与えてくれた。プロアマ規約があるため、高見(たかみ)から直接の指導は無かったが彼のバッティング練習を間近で見れることは相当な経験となり、ナインたちの参考になった。

 特に力を伸ばしたのは、以前東亜(トーア)高見(たかみ)以上の可能性を秘めていると称した奥居(おくい)高見(たかみ)の無駄の無いスイングをモノにし、広角へ打ち分けるコツを掴んだ。

 そして、恋恋高校でバッティング練習を始めてからあっという間に十日と言う日々が過ぎ去った。

 

『さあ、やって参りました。千葉マリナーズ対大阪バガブーズの一戦! 実況担当は(わたくし)熱盛(あつもり)宗厚(むねあつ)でお送り致します。そしてマリナーズのスターティングメンバーには彼の名前があります! 戻って来た天才、高見(たかみ)(いつき)ー! ん~っ、私興奮を押さえきれません!』

 

 二軍落ちから最短の10日で一軍復帰を果たした高見(たかみ)は、落ち着いた様子でベンチに座り戦況を見つめている。

 一回の攻防を終え、二回の裏。高見(たかみ)の復帰第一打席が回って来た。

 バッティンググローブを着け右バッターボックスで構える。

 

『ピッチャー振りかぶって第一球を投げました! 指にかかったストレートがアウトローへ突き刺さります! ワンストライク。バッターはピクリとも動きません』

 

 高見(たかみ)は笑みを見せて、バットを握り直し再び構えた。

 

『ピッチャー振りかぶって第二球を投げました! 際どい所へのインコース!』

 

 高見(たかみ)がバットを振った瞬間――パーンッ! と甲高い音が球場に響き渡り、打球は一瞬でバックスクリーンのスコアボードに直撃。復帰第一打席の一撃は、時を止め。一時の静寂の後、歓声が沸き上がった。

 

『は、は、入りましたーッ! 高見(たかみ)(いつき)、復帰第一打席は復活を告げる第一号特大の先制ホームラーンッ!』

 

 高見(たかみ)は、噛み締めるようにゆっくりとベースを回りホームベースを踏むと大きく右腕を天に向かって突き上げた。

 

『放送席、放送席。ヒーローインタビューです! 本日のヒーローはもちろんこの人。四打数四安打二本塁打五打点を上げたマリナーズ、高見(たかみ)選手です!』

 

 お立ち台の上で帽子を取り歓声に答える。

 

『いやー。実に見事なバッティングでした』

『ありがとうございます。僕自身が一番驚くほどの出来です』

『完全復活と言ってもよろしいのでしょうか?』

『そう言ってもらえるよう、今日のようなバッティングを続けていければ思います』

『今後の活躍を期待しています! それでは球場のファン、画面の向こうで見ている多くのマリナーズファンに一言お願いたします』

『今まで足を引っ張っていましたが、ここからチームを引っ張っていける活躍をします、応援よろしくお願いします!』

 

 カメラのフラッシュが炊かれ、更に歓声が大きくなった。

 

『う~んっ、力強い宣言ありがとうございます。期待しています! それでは......』

『あ、マイクいいですか?』

『え? ああ、はい。どうぞ』

 

 インタビュアーからマイクを受け取った高見(たかみ)が何を話すのか球場中の注目が集まる。

 

『この十日間、僕の練習に付き合ってくれた奴がテレビの向こうで見ているか分からないが。この場を借りて彼に一言言わせて貰います』

 

 テレビ中継のカメラを力強い目で見つめる。

 

『お前とはプロ野球で戦うことは叶わない。だけど、僕はもう一度とお前と勝負をしたい』

 

 一度目をつむってから、ゆっくり開いて言った。

 

『いつの日か、海の向こうで勝負だ!!』

 

 まさかの発言に球場全体がどよめきざわついた。

 

高見(たかみ)さん! 今の発言は海外挑戦表明と捉えてよろしいのでしょうか!?」

「勝負の相手は!? 一言お願いします!」

 

 カメラのフラッシュは高見(たかみ)の姿を消し、各記者が真意を求めてマイクを向ける。

 

 悩める天才の復活よりも、この発言が明日の紙面を賑わせたのは言うまでもない。



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game17 ~決意~

 東亜(トーア)高見(たかみ)の練習に付き合っている間の対外試合三試合目。恋恋高校は7-3で千葉県の強豪校に敗れた。対外試合はこの試合で通算1勝3敗2分。

 東亜(トーア)が采配をしていない試合に関しては2敗1分(大筒高校戦を含む)と未だ未勝利。理香(りか)の采配はさほど大きな問題はなく、無難にこなしていたが二人の間には明確な差が存在していた。

 その理由は渡久地(とくち)東亜(トーア)という存在にあった。

 元プロ野球選手それも異次元の成績を残した選手がベンチに居ることで安心感を与え、更に試合では的確な指示により結果を残し自信に繋がっていた。

 しかし、逆に言ってしまえば東亜(トーア)の不在は精神的な弱さを浮き彫りにしてしまう結果になっていた。

 

『入りましたーッ! マリナーズ高見(たかみ)(いつき)! これで一軍復帰から三試合連続のホームラン! 彼本来の実力をいかんなく発揮してくれています! うーんっ、(わたくし)の興奮も最高潮を向かえています、それではテレビの前の皆さんご一緒に――いらっしゃいませぇーッ!』

 

「相変わらずハイテンションな実況だな」

 

 マリナーズ戦のテレビ中継をスマホで見ながらベンチに座る東亜(トーア)の元に一人の野球部部員がやって来た。

 

渡久地(とくち)コーチ」

瑠菜(るな)か、なんだ?」

 

 イヤフォンを外して、瑠菜(るな)話を聞く。

 

「私に、コーチの()()()()()を教えてください。お願いしますっ」

 

 大きく深く頭を下げて東亜(トーア)に教えを請う。

 瑠菜(るな)のいう“あのボール”とは、東亜(トーア)のピッチングの生命線『低回転ボール』のこと。東亜(トーア)が投げる通常のストレートは、マウンドからホームベースまで18回転前後だが。低回転ボールは、通常のストレートと同じ腕の振りで、ベース到達までに3回転前後しかしない特殊なストレート。

 同じストレートでも回転数の違いでノビやキレに影響が出る。特に東亜(トーア)のピッチングはストレートオンリーのイメージが固まっているためバットはボールの遥か上を通り空を切ることとなる。

 しかし、それは高見(たかみ)に見破られ、後に攻略法までも確立されてしまった。しかも、ただ投げるだけではなく心理的駆け引きを駆使して使用するため、東亜(トーア)以外の投手が覚えたところで良くてタイミングを狂わすチェンジアップ。最悪ただのホームランボールになってしまう。

 事実大筒高校の試合では東亜(トーア)のマネをしたが、腕の振りの違いを冴木(さえき)に看破され、連打を許し失点をしてしまった。

 

「あんなもん覚えたところで役に立たねぇよ」

「......でも、武器が欲しいんです。今の私の力じゃあどうしても四回以降に掴まってしまうんです......」

「ふーん、武器ねぇー」

 

 実は、東亜(トーア)瑠菜(るな)に低回転ボールを教えるつもりでいた。

 高見(たかみ)と取引で彼が東亜(トーア)攻略に使用した特注のピッチングマシーンを譲り受ける事となっていたのだが。復帰戦翌朝、高見(たかみ)から電話がかかってきた。

 

渡久地(とくち)、今からうちの練習場へ来れるか!』

「なんだよ。ずいぶん慌ててるじゃねぇか」

『見つけちまったんだ。お前が瑠菜(るな)ちゃんに教えようとしている『低回転ボール』の致命的欠点をな......!』

 

 高見(たかみ)に知らせを受け急遽、マリナーズ室内練習場へ|足を運ぶことになった。

 

「さて、さっそく見せてもらおうじゃねぇか。致命的欠点ってヤツをよ」

 

 高見(たかみ)は、バッターボックスでバットを構える。

 マウンドにあるのは、彼が東亜(トーア)を攻略するために自費で6000万円を費やして開発した、疑似渡久地(とくち)ピッチングマシーン。

 

「行くぞ、(いつき)

「ああ、頼む」

「(構えは普段と変わらないな)」

 

 マリナーズの三番を打つ走攻守三拍子揃った助っ人外国人――トマスが、マシーンを作動させると練習場にモーターの回る音が響く。

 ボールが発射される直前に高見(たかみ)は、通常の構えから目いっぱい軸足を下げ、クローズドスタンスに変えた。

 

「フッ......!」

 

 強制的に頭の位置が下がるこのフォームであれば、向かってくるボールを斜めから引きぎみに見ることができ、ボールの軌道に奥行きが生まれ、球筋を見極めてからバットを振りだすことが出来る。マシーンから放たれる東亜(トーア)のピッチングを完璧に再現しているランダムボールをミスショットすることなく、次々と打ち返した。

 そして、最後の一球も球場であれば、確実にホームランであろう大きな当たりをライトへ放った。

 

「ふーん、まさかこんな打ち方があるなんてね」

「正直、この打ち方を見つけたのは偶然だった。マシーンの調整を行っている時にふと閃いたんだ。お前のボールは端からみたらなんの変鉄もないボール。だったら、(よこ)から見て打てばいいってことに......!」

 

 高見(たかみ)と入れ替わり、トマスが打席に立つ。今度は、最初からバッターボックスの一番外側で構えて、思い切り踏み踏み込んで打つ。逆方向への良い当たりを連発した。

 

「前の攻略法。周辺視を利用したバスターからのヒッティングは、バッターによって不得意の差が大きかったが。クローズドスタンスや、最初から外側に立って踏み込むバッティングフォームなら、お前のボールを大の苦手としていたトマスも、この通りだ。ただ、センターから逆方向へしか強い当たりが打てないと言う欠点もあるが......」

「シフトを敷いたところで遅いボールを引っ張り、シフトで空いた穴を突くことは容易い」

「ああ、そうだ。引っ張るには当てるだけいい」

 

 両目でしっかりとボールを捉え、ボールの軌道を見極めてから打つ正攻法とは、まったく正反対の攻略法。

 

「この攻略法がもっと早く見つかっていたら、オレたちが優勝してただろ?」

 

 ベンチに座る東亜(トーア)にトマスが訊く。東亜(トーア)は、目をつむり笑みを見せた。

 

「関係ねぇよ。お前らのバッティングフォームをぶっ潰すのが少し早まっただけだ。しかも一度じゃなく、気づかないほど徐々に崩し、復調の兆しさえ与えず引退を意識させる程にな」

「鬼か!」

「当たり前だ、それが勝負の世界だろ。甘っちょろい考えじゃあ死ぬぞ?」

 

 二人は、東亜(トーア)の本気の目と声に恐ろしい人間だと改めて感じた。

 

「それでどうする? 低回転ボールを......お前の投球術をマスターすることが出来れば、高校生相手にならそう簡単には打たれないと思うけど。持っていくか?」

「ああ、持っていく。教えるかどうかは別としてもキャッチャーのキャッチング技術の向上にはもってこいだからな。コイツは」

「そうか、オーケー。じゃあ、配送業者を手配する」

「まあ確かに、オレも捕球は苦労した。初日で完璧に対応できたのは、天海(あまみ)くらいだったし」

 

 ――天海(あまみ)

 北海道フィンガーズに所属する日本を代表する大打者。来たボールに柔軟に対応出来る天性のバッティングセンスを持つ。高見(たかみ)とは、また別タイプの天才打者。

 

 特注のピッチングマシーンを千葉から東京の恋恋高校へ持ち帰り以降、練習後の鳴海(なるみ)のキャッチング練習に使われる事となった。そして三日後の今日、瑠菜(るな)東亜(トーア)の元を訪れた。

 

「低回転ボールは、打者の心理を読み裏を突く必要がある」

「大丈夫です。私、練習後のカードゲームで一度も負けていません」

 

 自信あり、と瑠菜(るな)の目には力強さがある。少しでも弱気を見せれば教える気は無かったが。ここまではっきりと返事を返したため教えることにした。一番の理由は、教えて損はないと言うこと。

 二人はグラウンドへ移動し、他のナインが帰り仕度をしている中照明を灯しマウンドにピッチングマシーンを設置して、特訓が始まった。

 

鳴海(なるみ)

「はい!」

 

 ベンチから鳴海(なるみ)が、二人の下へ走る。

 

「今から瑠菜(るな)に、ピッチングマシーン(コイツ)の本当の性能を見せる。お前、受けてみろ」

「わかりました! 準備してきます!」

 

 プロテクターを着けている間にピッチングマシーンの設定を変更する。瑠菜(るな)は、バットを持ってバッターボックスに立ち、鳴海(なるみ)がキャッチャースポジションでミット構える。

 

「とにかく全部振れ。行くぞ」

「はい、お願いしますっ!」

 

 ピッチングマシーンから東亜(トーア)の投球を完璧再現したボールが一定の間隔で連続して放られる。初球は、真ん中のストレートをセンターに打ち返したが、二球目からは何球かに一度ファールや凡打は出るが七割以上は空振り。最後の一球も、空振りに終わった。

 

「感想は?」

「......スゴいです。まるでボール生きているみたいに自分からバットを避けるみたいな感じ......」

「まあ悪くない感性だ。でだ、何球まともに捕球できた?」

「うっ......、よ、四割......?」

「三割にも届いちゃいねーだろ、くだらん見栄を張るな。別に怒りゃしねえよ。初見じゃ、マリナーズのトマスやフィンガーズの北大路(きたおおじ)ですら二割未満だったそうだ」

 

 北大路(きたおおじ)

 天海(あまみ)同様北海道フィンガーズに所属。俊足好打に加えホームランを打てるパワーも兼ね備えた巧打者。

 リーグトップクラスの実力者も自分とほぼ変わらないことにほっとした鳴海(なるみ)

 

瑠菜(るな)、お前の言う『低回転ボール』ってのはな。一球が特別なボールって訳じゃない。その全てのボールが勝負球だ」

 

 低回転ボールとは、特定の球種を表すモノではない。例に上げれば120km/hの球速で20~3回転、110km/hでも20~3回転、100km/hでも20~3回転と言うように、ありとあらゆる球速で回転数を投げ分けるボール。

 つまり同じスピードのストレートでもホームベースに届くまでの間にまったく違う軌道を描くことがバッターの予測した軌道に反し、強烈なまでの打ちにくさを生んでいた。

 

「相手の狙いの裏をつく以前に、狙い通りに投げられなければ成立しない。指先の感覚を身に付けることが最重要課題だ。だが、これは教えて出来ることじゃない。お前自身が、自らの身体で覚えるしかない。それでもやるか?」

「......はい、やります!」

「そうか。なら、これを持っていけ」

「硬球?」

「寝転がった状態で回転を意識させながらボールを天井へ向かって投げる。家で出来るボールコントロールのトレーニングだ」

「はいっ」

 

 グラウンド整備をしてナインたちは帰宅の途につく。いつもの交差点で別れ、あおいと鳴海(なるみ)は公園でキャッチボールをする。

 

「ねぇ、鳴海(なるみ)くん」

「なに?」

「実際にボールを受けて見てどんな感じだったの?」

「うーん。とにかく捕り難いかな? 予想外の軌道で飛んでくるし」

「そっか~。でも、それって――」

 

 あおいは、受け取ったボールに目を落として手の中で転がす。

 

「打ちにくいってことだよね?」

「うん、そうだね。じゃなきゃ120km/h前後のストレートだけでプロで戦うなんて無理だよ」

「......だよね。瑠菜(るな)は、そんなスゴいボールをマスターしようとしてる」

 

 グッと力を入れてボールを握り投球フォームに入る。鳴海(なるみ)は慌ててしゃがんでミットを構える。

 

「だから、ボクも......!」

 

 アンダースローから放たれたボールは綺麗な軌道を描きながら鳴海(なるみ)のミットに突き刺さり、二人以外誰も居ない静寂の夜の公園に乾いた音を響かせた。

 

瑠菜(るな)に負けない、新しい決め球を覚えるんだ!!」

「あおいちゃん......」

 

 決意を口にしたあおいを見た鳴海(なるみ)は――頑張れ、と心の中でエールを送った。



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game18 ~合宿~

「投手経験者は、藤村(ふじむら)片倉(かたくら)の二人か」

「ええ、藤村(ふじむら)さんは中学の軟式。片倉(かたくら)くんは、地元のシニアで二番手投手を務めていたみたいね」

 

 理香(りか)は、入部届けに書かれた新入部員の履歴を確認して言い。ベンチに座る東亜(トーア)は、普段よりも気合いの入った様子でグラウンドを駆けるナインたちに目を向けた。

 

「ショート! 二つ!」

「よっしゃー! ほいっ」

「ナイストス! ファースト」

 

 五月初旬。恋恋高校野球部一行は、海の近くにのれんを構える旅館で短期合宿を張ることとなった。

 合宿所近くのグラウンドでは、鳴海(なるみ)を中心とした内野の連携。ブルペンでは投手経験のある四人が順番に投げ込み。新年度以降初めてのボールを使った練習を行っている。

 

「しかし、よくもまあ全員生き残ったもんだ」

「それこそ渡久地(とくち)くんの存在でしょ?」

 

 この一月、仮入部を経て正式に野球部の一員となった新入部員6人は試合前や試合中に、三年生のキャッチボールの相手をする以外ボールに触れる機会はほとんどなかったが、誰一人として腐ることなく練習(基礎体力トレーニング)に参加していた。

 

「いい意味での誤算はコイツだ」

新海(しんかい)くんね。控えだけど中学時代は捕手。近衛(このえ)くんをリリーフに回すから、正捕手(なるみ)くんの控えが必須って言ってたもんね」

「まあな。一応ひととおり見てみて適性を見極めるさ」

 

 そうは言ったが、夏の予選開始まであと二ヶ月。

 鳴海(なるみ)の場合は、もともと捕手としての才能がある程度あったためマシーンを使った無茶なショートバウンドの捕球練習。マリナーズの高見(たかみ)から譲り受けた東亜(トーア)仕様のピッチングマシーンで捕球力を重点的に鍛え上げたが、さすがに今から未経験者をキャッチャーに育てることは時間的に厳しい。

 

「ナイスボール! いいぞ早川(はやかわ)!」

「まだまだだよっ。次行くよー!」

新海(しんかい)くん、行くわよ......!」

「はいッ!」

 

 あおいは元正捕手の近衛(このえ)と、瑠菜(るな)新海(しんかい)と組み。新入部員の二人はキャッチボールをしながら順番に備えている。

 グラウンドでは内野守備から外野守備練習に変更、センターの矢部(やべ)を中心に高いフライボールの捕球練習。鳴海(なるみ)近衛(このえ)と入れ替わり、ブルペンへ向かう。

 

「あいつ、中々の打球勘だ」

香月(こうづき)さん。彼女はソフトボール部出身で、ポジションは主にセンターを守っていたみたいね」

 

 真正面のセンターフライの落下点へいち早く入り、捕球体制を取った。外野で一番難しいポジションはセンターと言われている。特に真正面の打球は、左右に飛んだ場合と比べて角度がつかないため距離感を掴むことが難しい。

 

「ふーん。それにしても、いい勘をしている割りには試合経験が少ないな。原因は()か」

「ええ、元々左利きだったらしいんだけど。子どもの頃に、鉛筆とかお箸とかを右に矯正してから、左右どちらとも投げにくくなってみたい。だから中学でも、最終回の守備固めが中心だったそうよ」

「生活面を取った訳だ。まあ今後の長い人生を考えれば無難な選択だわな。でだ」

「オーライ、オーライ......あっ!」

 

 簡単なフライをバンザイし後ろに逸らしたボールを慌てて追いかける、新入部員の中で唯一高校から野球を始めた六条(ろくじょう)

 

「あの子は、完全にあなたのファンね。根性だけで、ここまで残ったわ」

「別に動機は何でもいいさ」

「ふふっ、テレてる?」

「......あとはアイツか」

 

 合宿でも午前は変わらず基礎体力トレーニング。午後から始まったボールを使った練習で新入部員の中で一番目立っていたのが、内外野共に無難にこなし、走塁技術では劣るが部内で1位2位の俊足を誇る矢部(やべ)真田(さなだ)の二人をしのぐ足の持ち主――藤堂(とうどう)

 

藤堂(アイツ)がモノになれば、近衛(このえ)を投手に専念させられるが......」

「心配ごと? いいセンスしてると思うけど」

「まだ一年だからな。さてと、じゃあそろそろ今日の仕上げと行くか。マネージャー、アイツらを集めろ」

「はい、わかりました。みなさーんっ、集合でーすっ」

 

 はるかの呼び掛けを聞いてナインはベンチ前へ集まり、東亜(トーア)は立ち上がった。

 

「さて、海へ行くか」

 

 

           * * *

 

 

「海でやんすね......」

「ああ、海だぜ......」

「............」

「............」

 

 青い海に白い砂浜、吹き抜ける潮風に一時の沈黙のあと矢部(やべ)奥居(おくい)は感情を爆発させた。

 

「水着のお姉さんが居ないでやんすー!」

「こんなの海じゃないぞーッ!」

「そうでやんすー! 神様は無慈悲でやんすーッ!」

「ったく、アンタたちは! ほら、さっさと行くわよ!」

 

 芽衣香(めいか)に引っ張られ既に波打ち際に集まる東亜(トーア)たちの元へ。持ってきたボールのカゴを波の来ない場所に置き、マネージャーのはるかがカゴの中からボールをバットを持った東亜(トーア)に軽く投げて渡す。

 

「じゃあ始めるか。奥居(おくい)、グラブをつけて波打ち際に立て」

「うっす!」

 

 奥居(おくい)は、指示どおり波打ち際に立って腰を落とす。

 

「あの~、コーチ。これは何の練習ですか?」

「夜はナイターで練習をするグラウンドを濡らすワケにはいかないからな。お前ら知ってるか? 甲子園大会は100年の歴史があるが雨の降らなかった大会は無いそうだ」

「つまり......雨を想定した練習!」

 

 代表して質問をした鳴海(なるみ)に、東亜(トーア)は笑みを見せて答えた。

 

「行くぞ」

「おっす!」

 

 東亜(トーア)の放った打球はごく平凡のゴロ。ショートの奥居(おくい)は、素早い送球を求められるため一歩前へ出てグラブを落とした。更にその下をボールは抜けていく。

 

「ゲッ!?」

「いきなりトンネルって。アンタねぇ~」

「う、うるさいなぁ。打球が想像より弾まなかったんだよ!」

「それが違いだ」

 

 東亜(トーア)に注目が集まる。

 

「どしゃ降りならボールは止まるが。逆に降り始めは、雨がグラウンドの土を固め、弾まず強い当たりになる。さあ次だ」

 

 奥居(おくい)への二打目。先程より波に近い方へ打球が飛んだ。打球を追いかける奥居(おくい)は、今度は海水を多く含みぬかんだ砂場に足をとられ右手をつく。

 

「今度は滑った......。たった数十センチでこんなに変わるのかよ......」

「本番だったらエラー二つで失点だな。さて、続けるぞ」

「お、おいっす!」

 

 通常の守備との違いに悪戦苦闘しながらも、一人づつノックを受けて宿舎に戻った。夕食を摂りしばしの休息のあとナイターでのフライ処理の練習をして合宿初日は終了した。

 

『オイラ、最近腹筋がバキバキになったでやんすー』

『オイラもだ。それにこの上腕二等筋を見て欲しいぜ!』

『ほほーう、なかなかでやんすねっ。でもオイラの臀部はもっと――』

『二人とも頼むから目の前で立たないでよ......』

 

 ブブーッ! 鳴海(なるみ)のやる気が下がった。

 大浴場でお互い体の変化を見せ成長を確認し合う男湯。一方女湯は――。

 

『やっぱ男ってアホね』

『あはは......』

 

 湯船に浸かりながら壁一枚向こうから聞こえる男湯の会話に、飽きて果てる彼女たちだったが......。

 

『ふぅ......。髪洗おっと』

『あれ?』

『どうしたの芽衣香(めいか)?』

『うーん? あおいさぁ~』

『んー? ひゃっ!?』

 

 芽衣香(めいか)は、湯船の中を泳ぐようにあおいの元へ行って腰回りを両手で掴んだ。

 

『な、なにっ?』

『やっぱり、ちょっと痩せたんじゃない? それにちょっと胸も大きくなってるような』

『へ......? そうかな?』

『きっと、渡久地(とくち)コーチ考案のトレーニングとドリンクの効果ですよ。加藤(かとう)先生のお話によると――』

 

 二人の会話に体を洗っていたはるかが加わる。

 無酸素運動(筋トレ)と有酸素運動(ジョギング等)の組合せは身体の代謝を上げて脂肪燃焼に効果があり。そこに東亜(トーア)考案の高タンパク低脂肪アミノ酸たっぷりの特製ドリンクが効率よく発育を促している。

 

『美容にも良いそうなので。私もお家で作ってこっそり飲んでます。低カロリーですし』

『だから最近、はるかのお肌ツヤツヤなんだ!』

『ちょっと、作り方教えなさいよ!』

瑠菜(るな)先輩、プロポーションを保つ秘訣は?』

『適度な運動と適切な栄養管理、質の良い睡眠よ』

『さすがです!』

 

 三人娘がキャピキャピ騒ぐ中、瑠菜(るな)たち新入部員はゆっくりとお湯に浸かって疲れを癒していた。

 旅館付近の小料理屋で地場産の一品料理を肴にアルコールをたしなむ東亜(トーア)と、引率のためノンアルコールドリンクで我慢している理香(りか)は、今後の日程について話をしている。

 

「先ずは初日を無事消化。明日はどうするの?」

「今日と変わらない。ただ、海辺ノックの替わりに紅白戦を組む」

「紅白戦? でも人数足りないわよ」

 

 既存メンバーはマネージャーのはるかを除いて9人。新入部員は瑠菜(るな)を入れて7人の計16人で紅白戦を組むには2人足りない。

 

「いくらでもやりようはあるさ。くじを作っておいてくれ」

「くじ?」

 

 東亜(トーア)からくじの意図を聞いた理香(りか)は、納得した様子で頷き部屋に帰ってさっそく、くじの準備に取り掛かった。

 



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game19 ~課題~

 合宿二日目。

 午前は普段通りに基礎体力作りに汗を流し、昼食を摂る。しばしの休憩の後、理香(りか)東亜(トーア)に頼まれて作ってきたくじを、鳴海(なるみ)を除いたナインたちに引かせた。

 

「オイラ『A-1』って書いてあるでやんす」

「あたしのは『B-3』ね」

「私は『B-1』よ」

「ボクは『A-7』。あの加藤(かとう)先生、これは何ですか?」

「それはね。今から行う紅白戦のチーム分けと打順よ」

 

 理香(りか)は『A』と『B』の二種類にくじを用意した。『A』には『1~9』の数字『B』のくじには『1~6』の数字がそれぞれアルファベットと付随している。

 

「先攻は『B』チーム。例えば攻撃の際に満塁になった時に『B』チームがバッターを使い切ってしまったら『A』チームの『A-1』の子。今回の場合は矢部(やべ)くんが打席に入る。それで矢部(やべ)くんが抜けた守備位置へアウトになった『B-1』の子――瑠菜(るな)さんが『A』チームの守備に着くのよ」

「じゃあ俺がくじを引かないのは?」

鳴海(なるみ)くんは、基本的に両チームで捕手を務めてもらうから特別。守備の負担が大きいから打順はBチームの7番に入ってもらうわ。鳴海(なるみ)くんが打席や出塁しているに場合のキャッチャーは新海(しんかい)くんにやってもらう事になるからね」

「僕が......? はい、わかりました!」

 

 『B』チームが守備につく場合は、打席に立たない『A』チームの数字が一番遠い順に四人が空いているポジションに着く。なお守備位置に関してもポジション別に数字が振られており固定されるバッテリー以外はローテーション(左利きは『一、外』のみ)で、各ポジションを守ることとなる。

 試合は疲労を考慮し7回制を採用、同点の場合は引き分け。

 

「なるほど。俺以外のみんなはローテーションで複数のポジションで試合を行うんですね」

「なんか、子どもの頃に空き地でプラバットとゴムボールでやってた草野球(ヤツ)みたいだぜ」

「うん、ボクもやったよ。人数が集まらなくても3人居れば出来るんだよね」

「そうそう。ピッチャー、キャッチャー、バッターで三振したら交代みたいなヤツな」

 

 懐かしそうに思い出話に花を咲かせ休憩を取り午後二時、ナインたちはグラウンドへ姿を現した。ベンチ前に集合し東亜(トーア)の指示を聞いてから後攻の『A』チームはグラウンドでポジションに着く。

 マウンドでは捕手の鳴海(なるみ)と、Aチーム先発を指名された藤村(ふじむら)がサインの最終確認をしている。

 

「よし、じゃあサインはこれで行くよ」

「はいっ」

 

 ハッキリと返事をする藤村(ふじむら)鳴海(なるみ)は、キャッチャースボックスで腰を落とし、一番バッターの瑠菜(るな)が左バッターボックスでバットを構える。

 バックネット裏で椅子に座った東亜(トーア)が球審を務め、理香(りか)が一塁塁審判。三塁塁審は、マネージャーのはるかがレフトポール前に設置したカメラの映像をリアルタイムで見ながらベンチで判定する。

 

「プレーボールよ!」

「(先ずはストレート。コースは何処でもいいよ、思いっきり!)」

 

 頷いた藤村(ふじむら)は、セットポジションからモーションを起こし、左の横手投げから第一球を投げた。

 

「ボール」

 

 初の実戦に力が入りすぎたのか低めのワンバウンドになった。瑠菜(るな)は余裕を持って見逃し、鳴海(なるみ)はしっかりと捕球。ボールにキズがないか確認してピッチャーへ投げ返す。

 

「いいよいいよ走ってる! 次は入れていこう!」

「はい!」

 

 二球目もストレート。今度はやや真ん中付近に決まった。判定はストライク。

 

「ふっ......!」

「ショーッ! セカンッ!」

 

 カウント1-1からのアウトコースのストレートを瑠菜(るな)が打つ。叩きつけた打球はマウンド手前で大きく跳ねあがり藤村(ふじむら)の頭を越えてセカンドベース方向へ飛んでいく。

 

藤堂(とうどう)、この当たりはショートのお前の方が投げやすい!」

「うっす!」

 

 久しぶりにセカンドのポジションに着いた真田(さなだ)が声を出して指示。藤堂(とうどう)は回り込んでベース後方で捕球し一塁へ送球。

 

「ギリギリセーフよ」

「今の捕られらたんですかっ?」

「ふふっ。ええ、しかも走り込んでのシングルキャッチじゃなくて回り込んで捕球していたわ」

 

 真田(さなだ)矢部(やべ)とチーム一位二位を争っていた二人をしのぐ自慢の足を見せつけた藤堂(とうどう)だったが、バックネット裏の東亜(トーア)とベンチの奥居(おくい)は余裕の表情を見せていた。

 そんな奥居(おくい)に隣で座る芽衣香(めいか)が、ややおちょくるように話しかける。

 

奥居(おくい)ーっ、アンタもうかうかしてらんないんじゃないの~?」

「へっ。オイラなら今のは余裕にアウトにしてるぜ」

「なによー。強がっちゃって!」

「違うっての。オイラなら前に出てランニングスローだ。ああいう打球は回り込んじゃいけねぇーんだよ」

 

 藤堂(とうどう)のプレーは一見凄いプレーに見えるが、実は一度両足を止めてからのスローイングになってしまっていたことで、送球がワンテンポ遅れてしまっていた。

 

「仮にもオイラとコンビを組んでるんだから際どい場面の判断を誤るなよ?」

「ムカツクわねぇ~っ、その上から目線! アンタに言われなくてもあたしはいつも最善の選択しかしないわ!」

 

 プンプンッ! と頬を膨らませる芽衣香(めいか)。一方グラウンドではBチームの二番バッター葛城(かつらぎ)がバッターボックスで驚異的な粘りを見せていた。

 

「ファール。フルカウント」

「ふぅ~......。あぶねぇ」

「(くっそー、粘るなぁー。これを見られたら仕方ない)」

 

 初球二球と二つ見逃しでストライクを取ったあと、ボール球をみっつ挟んで6球ファールで逃げる粘りを見せ、次が12球目。鳴海(なるみ)は内角高めのボールゾーンにミットを構え、藤村(ふじむら)はそこへ投げ込んだ。

 

「(際どい......ボールか!?)」

「スイング!」

 

 出かかったバットを必死で止めた。鳴海(なるみ)は一塁塁審の理香(りか)に判断を委ねる。

 

「スイングよ!」

「よっし! ワンナウトー!」

「ああー、くそ~っ。迷ったぁー」

 

 ハーフスイングをとられた葛城(かつらぎ)は、悔しそうにメットのつばにコンッと軽くバットで叩き。ベンチへ戻る前にネクストバッターボックスで準備をしていた芽衣香(めいか)に情報を伝達した。

 

「球種は真っ直ぐとスライダー。球は速くはないけど角度がキツい。特にクロスファイヤーはカットで逃げるのがやっとだな」

「そう。で、次はどうすんの?」

「際どいコースは捨てて、甘く入ったボールをミスショットせずにセンターから逆へ叩く」

「オッケー。じゃああたしはそれを実行するわ」

 

 芽衣香(めいか)葛城(かつらぎ)は、お互い長打よりもミートを重視するタイプ。普段は先に打席に立つことの多い芽衣香(めいか)から、葛城(かつらぎ)に伝える事が多いが。その時も二人は、この手の情報のやり取りをして一巡待たず、二度勝負出来る状況を作り出していた。

 

「さぁ来なさい!」

「気合い入ってるね、芽衣香(めいか)ちゃん」

「あったりまえよっ」

「(打ち気に見えるけど。ややオープン気味だな、クロスを警戒してるのかな?)」

 

 バッターボックスの構えをじっくり観察してからサインを出す。藤村(ふじむら)は、うなづきファーストランナーの瑠菜(るな)に一度目をやってから右足を上げた。

 

「(外......からのスライダー!?)」

「ストライク」

 

 アウトコースのボールからストライクゾーンをかすめるスライダーでワンストライク。二球目は同じコースのストレート。ボール球に手を出してファースト方向へのファール。

 

「あんた、性格悪いわね」

「あっ、それキャッチャーとしては褒め言葉だから」

「むっ、絶対打ってやるんだから!」

 

 熱くなりやすい性格の芽衣香(めいか)に対しバッテリーの選択は、やや甘めの内角から膝元へ滑り落ちるスライダー。甘いボールを狙っていた芽衣香(めいか)は、当然手を出し空振りの三振に切ってとられた。

 

「ああ~んっ!」

「はい、残念でした。ツーアウトー!」

 

 不機嫌にベンチに戻る芽衣香(めいか)の後は、Bチームの先発を指名された片倉(かたくら)。右投げだが左のバッターボックスに入る。

 鳴海(なるみ)に一礼してからバットを構える。

 

「(力みの無い構えだ。外で様子を見よう)」

「......んっ」

 

 無駄のない構えに様子見。初球は外のストレートを見逃しボール。外のスライダーを振らせ二球は空振り。三球目、内角へ外す予定のボールが甘く入った。片倉(かたくら)は逃さず引っ張った打球は一塁線を抜けるヒット、長打コース。

 ツーアウトのため、当たった瞬間にファーストランナーの瑠菜(るな)はスタート。ファウルゾーンを転々と転がる打球を見て二塁を蹴り三塁も蹴った。

 

近衛(このえ)!」

「要らねえよ!」

 

 ライトの近衛(このえ)は、中継に入った真田(さなだ)を通り越し自慢の強肩でバックホーム。返球は瑠菜(るな)がホームへたどり着く前にキャッチャーミットへ届きタッチアウト。

 

「アウト。チェンジ」

「ナイスバックホーム!」

 

 Aチームの一部はグラウンドに残りBチームが守備に着く。一番バッターは矢部(やべ)。マウンドでは鳴海(なるみ)片倉(かたくら)がグラブで口を隠しながら打ち合わせ。

 

「これが真っ直ぐで、これがカーブね。あと知ってると思うけど、矢部(やべ)くんは足が速いからセーフティーも警戒しておいて」

「はい、わかりました」

 

 守備位置に戻る。

 

「ずいぶんと入念な打ち合わせだったでやんすね」

「うん、矢部(やべ)くんの弱点を話してたんだよ」

「お、オイラの弱点でやんすか!?」

「まあね。ほら、初球来るよ?」

「ちょ、ちょっと待って欲しいでやんすー!」

「ストライク」

 

 矢部(やべ)が動揺している間に投球はストライクゾーンを通過し、ワンストライク。

 

「ほう。そこそこ速いな」

 

 東亜(トーア)は自分の横に設置してあるスピードガンの表示を見ると「134km/h」と表示されていた。理香(りか)から渡された選手データのファイルを捲り、片倉(かたくら)のデータを見る。

 

「中学時代はシニアの二番手。変化球の制球力はあるが、ストレートに課題あり。シニア時代のMAXは129km/hね。ふーん」

 

 シニアの頃よりも5km/h球速が上がっている。しかもこれはブルペンでの最速であり、試合では平均125km/h前後。実際は平均10km/h近く球速アップしている事となるのだが......。

 

「ボール。フォアボール」

 

 得意のカーブが決まらず、矢部(やべ)を塁に出してしまった。続くバッターも矢部(やべ)と同じく俊足の持ち主で、さらに左打ちの真田(さなだ)。やはりカーブが思った通りに投げられず、外のストレートを当てられた打球は三遊間へ。

 

「オイラの見せどころだぜ! 浪風(なみかぜ)!」

「まっかせなさーい!」

 奥居(おくい)は深い打球を逆シングルで捕球し、全身のバネを使ってジャンピングスロー。鋭い送球で一塁走者の矢部(やべ)をセカンドで封殺。芽衣香(めいか)もスライディングを上手くかわして、すかさず一塁へ送球。

 

「アウト!」

「ええーっ!? マジっすか!?」

 一塁も際どいタイミングでのアウト、ダブルプレー成立。

 

「へへーん、どうだ見たか四ッ谷! 五反田! 六本木! これがオイラの実力だぜ!」

「何言ってんのよ。今のはアタシの素早い送球でしょっ!」

「どうでもいい。さっさと守備に戻れ」

「うーっす......」

「はーい......」

 

 セカンドベースを挟んで言い合う二人は東亜(トーア)に咎められ、素直にポジションに戻った。

 しかし、その後も片倉(かたくら)の制球は定まらず、続く三番藤堂(とうどう)にはフォアボール与え、四番近衛(このえ)には高めのカーブを打たれて一失点を喫し、この回を終えた。

 その後藤村(ふじむら)片倉(かたくら)共に失点を重ねて両者とも三回で交代。リリーフしたあおいと瑠菜(るな)はランナーを出しながらも無失点で切り抜け、最終回七回の表のマウンドには、抑えの近衛(このえ)がマウンドへ上がった。

 

「ツーアウト、あと一人だ!」

「おう!」

 

 芽衣香(めいか)が打ち取られツーアウトランナー無し。バッターはここまで三打数二安打の片倉(かたくら)、ピッチングは課題を残したがバッティングではここまで結果を残している。

 初球、二球と140km/h近いストレートで追い込み三球目――。

 

「ふっ......!」

「オーライ、オーライ......あっ!」

「うげッ!」

 

 真ん中に入ったストレートをライトへ引っ張った。平凡なライトフライに思えたが、シュート回転して捉えられた打球は想像以上に伸び、素人六条(ろくじょう)の頭を超えてそのままフェンスの直撃、ツーベースヒットで一打同点の場面。

 

「やっぱ、オイラ持ってるぜ......」

「ここで奥居(おくい)かよ」

「タイム!」

 

 鳴海(なるみ)はタイムをかけてマウンドへ向かう。同調して内野も集まった。

 

奥居(おくい)くんはここまで三の三。どうする?」

「紅白戦なんだから勝負だろ?」

「まあね。コースさえ間違わなければ勝算はあるよ」

「......なあ、鳴海(なるみ)。練習してた変化球を試してぇーんだけど」

「変化球? 付け焼き刃じゃ通用しないよ」

「決め球にするわけじゃないし。タイミングを外すだけなら出来るだろ」

「......わかった。で球種は?」

「フォーク」

「了解。じゃあパーでフォークね」

 

 各々ポジションに戻る。鳴海(なるみ)は腰を落としてサインを出した。

 

「(先ずは、ストレート)」

 初球、アウトコースギリギリのストレートを見逃しストライク。味方のベンチから野次が飛ぶ。

 

「こら奥居(おくい)! 打ちなさいよー!」

「(ったく、あそこはホームランに出来ねぇんよ)」

 

 奥居(おくい)は打席を外し、一度素振りして再び構える。

 

「(ここしかないな。使ってみよう)」

「(オーライ......)」

 

 近衛(このえ)は、大きく息を吐いてグラブの中でボールを挟むセットポジションから足を投げて投げた。

 投球は――ど真ん中。

 

「(真ん中。もらったぜ!)」

 

 奥居(おくい)は、バットを振る。しかし、ボールはベースの手前でブレーキがかかった。

 

「フォーク......!? ええーいッ!」

「(おっ。ちゃんと落ちた!)」

「(よっしゃ振っただろ!)」

 

 空振り――、と思われたが打球はレフト上空へ飛んでいた。

 

「行けやー!」

「嘘だろ......?」

「レフト! 追い付けるぞー!」

 

 奥居(おくい)は変化球に完全にタイミングを外されたが、とっさに右手を離し左腕一本で落ち際を掬い上げた。打球はレフト上空へ。

 

「(ダメ、私の身長じゃ届かない。よーしっ)」

 

 レフトの香月(こうづき)は、打球の角度とフェンスとの距離を計ってフェンスの手前3メートルの位置で立ち止まった。

 

真田(さなだ)センパイ、中継お願いします!」

「わかった!」

 

 真田(さなだ)は、肩の弱い香月(こうづき)の近くまでダッシュ。打球はフェンスに直撃しドンピシャで香月(こうづき)のところへ勢いよく跳ね返った。跳ね返った打球に合わせて助走をつけながら捕球し中継の真田(さなだ)へ送球。

 

「ナイス! 鳴海(なるみ)ー!」

 

 通常の位置よりもやや深い場所からのバックホーム。ストライク返球が返ってきた。走者片倉(かたくら)と捕手鳴海(なるみ)のホームクロスプレー。

 

「アウト。ゲームセット」

 

 東亜(トーア)の判定はタッチアウト。

 初の紅白戦は数多くの課題を残しながら幕を閉じた。



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game20 ~シンプル~

 合宿三日目。

 昨日の試合で浮き彫りになった各々のウィークポイントを改善するため、今日の午後は各ポジション毎に分かれての練習を行っていた。

 

「速いでやんすー!?」

「これが160km/hかよ......」

「当たる気がしないわ......」

 

 ピッチングマシーンから放たれた豪速球に野手陣は苦労していた。その中で唯一打ち分けていたる選手が居る、奥居(おくい)だった。

 

「スゲーな、あいつ」

「くっそ~......負けてらんないわっ! 次よ次! はるか、お願い!」

「行きますよ~」

 

 対抗意識を燃やす芽衣香(めいか)を尻目に打ち終えた奥居(おくい)は、バットを投げ出し両手を地面に突いて項垂れた。

 不思議に思った矢部(やべ)が、近づき声をかけた。

 

「どうしたでやんすか?」

「......オイラ、もうダメだ......」

 

 隣のゲージで打っていた芽衣香(めいか)も手を止めて防止ネット越しに訊く。

 

「どうしたのよ?」

「オイラ、オイラ......、スランプになっちまったぜ......」

 

 一方、投手陣は全員が全員異なる練習をしている。その中でも一番特殊な練習をしているのが近衛(このえ)だった。

 

「......オレは何をしているんだ?」

 

 近衛(このえ)は一人、日も当たらないグラウンド脇の物置小屋の壁を背に、タオルを右手に持ちセットポジションからのシャドーピッチングをしていた。

 グラウンドから聞こえるナインの声に寂しさを感じながらも、黙々と繰返し繰返し足元を確認しながら右腕を振っている。

 

「どう?」

「あ、監督! ちょうど百回終わりました」

「そう、じゃあブルペンへ行くわよ」

「はい!」

 

 近衛(このえ)理香(りか)と共にベンチ横のブルペンへ向かう。ブルペンでは捕手の鳴海(なるみ)東亜(トーア)が待っていた。

 

「じゃあやろうか。ボールはストレートだけで」

「おう」

 

 鳴海(なるみ)は座り、近衛(このえ)は先ほどと同様にセットポジションで構え、踏み出す左足を意識しながらボールを投げた。

 右腕から放られたボールはまっすぐ鳴海(なるみ)のミットへ向かって飛んでいく。そしてパァーン! と渇いた音を立てミットへ突き刺さった。

 

「ナイスボール!」

 

 投げ返されたボールを受け取り再び投球。計20球の投げ込みを行い、東亜(トーア)鳴海(なるみ)に感触を確かめた。

 

「どうだ?」

「身体の開きも無くなって制球は安定しています。でも、やっぱり力を入れた時はシュート回転しますね」

近衛(このえ)

「うっす」

 

 東亜(トーア)は、近衛(このえ)を呼びつけた。

 

「お前ら手を合わせてみろ」

「え?」

「あ、はい」

 

 近衛(このえ)は右手、鳴海(なるみ)はミットを外して左手を身体の前に出し二人は手を合わせる。

 

「手デカイな!」

「そうか?」

 

 一回りほど大きな手に驚きながらも鳴海(なるみ)は、とあることに気がついた。

 

「あれ? 中指長くない?」

「へ?」

「やはりな」

 

 二人は手を離し東亜(トーア)の話に耳を傾ける。

 

「お前のシュート回転は直らない」

「......マジっすか」

 

 近衛(このえ)のシュート回転の原因はフォームでは無く、人差し指に比べ中指が長い事が原因だった。

 投球時身体の開きによりストレートがシュート回転してしまう投手はプロ野球選手の中にも一定数居る。微調整で弱点を克服し大成する投手も多いが、一方シュート回転を修正しようとフォーム改造を行い本来のピッチングを見失い消えていく選手も居るのも現状だ。

 しかし、近衛(このえ)の場合はフォームではなく、中指が長いため縫い目に中指が掛かりやすい身体的特徴からくるモノだった。特に全力投球時は更に球離れ時に無意識にボールにシュート回転がかかってしまう。こういったタイプの場合はどんなに優秀な指導者でも手のつけようがなく直しようがない。むしろ無理に矯正すれば別の歪み、故障を生んでしまうこともあるからだ。

 

「だが、シュート回転自体は別に悪いことじゃない。問題なのは使い方だ」

「使い方......ですか?」

「シュート回転という特徴を、短所と捉えるか。それとも長所と捉えるかによって大きく変わる」

「長所っすか?」

「つまりだ。シュート回転を意識的にシュートさせればいい」

「意識的にシュートさせる?」

 

 シュート回転が好ましくないとされる理由は、右投手なら右打者への外角を狙ったボールが真ん中へ寄ってしまい勝負どころで痛打を浴び易いためだ。

 

「なら、外へ投げなければいい。全力のストレートはインコースのみに使う」

「そうか、インコースなら食い込むボールになる!」

 

 そう、ナチュラルにシュート回転するなら真ん中への投球が厳しいインコースへの投球へ変わる。

 

「幸いな事に全力投球で無ければシュートはしないから外のストレートも使える。更に言えばシュート回転するということはムービングボールを投げやすいとも言える。次はツーシームで投げてみろ」

「うっす。鳴海(なるみ)

「ああ」

 

 二人ともポジションへ戻る。近衛(このえ)東亜(トーア)に言われた通り、普段ストレートを投げる時に握る日本で主流のフォーシームではなく、ツーシームでボールを握り投球モーションを起こした。

 ※シームとはボールの縫い目の事。フォーシームはボールが一回転する間に四本の縫い目を通る握り。ツーシームは二本。

 

「いくぜ~、おりゃーッ!」

「おおっ!」

「どうだ!?」

「スゲー曲がった!」

「だよな! って『ボスッ』ってなんだよ?」

 

 ボスッ! と今までとは全く違うミットの音に二人して笑う。

 

「芯で捕球出来なかったからだ。いい音ってのは逆にいえば取りやすいボールってことだ」

「あ......そう言えば、あおいちゃんが言ってた。取りにくいってことは打ち難いってことだよね、て......。これ武器になるよ!」

「お、おお~っ! もう一球だ鳴海(なるみ)!」

「うん、どんとこい!」

 

 縫い目のかけ方を試行錯誤しながら投球練習を続けた。

 その頃、グラウンドの奥居(おくい)は再びピッチングマシーンの豪速球を打っていた。

 他のナイスが苦戦するなか快音を連発させているが本人は納得いかないらしく、何度も首を捻って素振りを繰り返している。

 

「それで、何が不満なのよ?」

「――だよ......」

「はあ? 聞こえないんですけどっ!」

「だから! ホームランにならねぇんだよッ!」

「あ・ん・た・ねぇ~......。アタシらへの当て付けのつもり!」

 

 奥居(おくい)の言葉に、芽衣香(めいか)は地面に顔を向けて握った拳をプルプル震わせ顔を上げて怒鳴り付けた。

 

「ちげぇっての! 前から思ったより打球が伸びなくなった気がするんだよ......」

「はぁ? 何言ってんのよあんた」

「確かにそうみたいですね」

「はるか?」

 

 二人の間にマネージャーのはるかが割って入って、今までの試合全ての打球データをグラフにしたパソコンの画面を見せた。

 

「これがアンドロメダ高校戦での打球グラフです。そしてこちらが昨日の紅白戦です」

 

 画面上に放物線のグラフが重なる。紅白戦の打球はアンドロメダ戦と比べると初動の打球角度は上がっているが、最終的な飛距離はアンドロメダ戦よりも数メートル短くなっていることが分かった。

 

「やっぱり伸びなくなってるぜ......」

「ホントねぇ。でも打率は上がってるんでしょ?」

「はい、現在七割近い数字です」

「七割!? アンタ、そんなに打ってんの?」

「へへっ、まあな~。っつても四番(うしろ)甲斐(かい)が良いところ打ってくれるからな」

「チャンスで回したくないから勝負してくれる訳ね」

 

 データを見ても原因が分からなかった奥居(おくい)は、ブルペンに居る東亜(トーア)に助言を求めにいく。

 

「お前のスイングの軌道が変わったからだ」

「軌道?」

「まあ、お前はいつかはぶつかると思っていた。理香(りか)

「ん? なーに?」

 

 ブルペン横のベンチで、スマホの画面を確認しながら次の試合相手の選別作業を行っていた理香(りか)は手を止めてブルペンへ向かう。

 

奥居(おくい)が例のヤツに嵌まった。マシーンの準備をしろ」

「もう? 予定よりも早かったわね。わかったわ、すぐに準備するわね」

「さて、グラウンドへ行くぞ」

 

 東亜(トーア)は、奥居(おくい)と共にグラウンドへ戻り。二ヶ所あるバッティングゲージの横にもう一つバッティングゲージを作って、そこへ理香(りか)が持ってきたバッティングマシーンをセットした。

 

奥居(おくい)、今のお前は高見(たかみ)と同じ状態に陥りかけている」

高見(たかみ)選手と同じ?」

「マネージャー、例の動画を見せてやれ」

「はい」

 

 グラフを閉じ、以前高見(たかみ)が恋恋高校のグラウンドで行っていた打撃練習の映像を再生させる。

 

「これはフォーム矯正初日、お前らが対外試合に出掛けていた日の午後の映像だ。いい当たりは増えてきたが思うように打球が上がらず。アイツも悩んでいた」

高見(たかみ)選手が......。でもオイラの打球は上がってるっすよ?」

「そのうち上がらなくなる。焦れば焦るほどな」

 

 首をかしげる奥居(おくい)

 

「お前の不調の原因は――アッパースイングだ」

「アッパースイング?」

 

 アッパースイングとは。

 インパクト時、ボールの下から上へ向かってバットを出す打ち方。

 アッパースイングの打球は、一見高々と上がり飛距離が伸びるように思えるが。実際は下からバットが入るため擦り上げる様な打ち方のためポップフライになりやすく、更に高く上がり過ぎた打球はバックスピンがかかり過ぎてしまい打球が『戻り』フェンス手前で失速してしまう事が多い。

 更にミートすればするほど、今度はラインドライブ(トップスピン)が掛かりやすくなりゴロやライナーの確率が高くなるという欠点が多い打法。

 

「ボールを弾く金属だからまだ飛んではいるが、プロを目指すのなら致命的な欠点になりかねない」

「どうすればいいんですか?」

高見(たかみ)の練習を見てただろ? 理想のスイングはトップの位置からダウンスイング→レベルスイング→アッパースイングへ自然なフォロースルーへの移行を最短で行うスイングだ」

「なんかスゲー難しくそうなんっすけど......」

「難しく考える必要はない。シンプルに最短でボールを叩けって事だ。さて始めるか。理想のスイングを身に付けた高見(あいつ)と同じ、超山なりのスローボールでのバッティング練習をな」

 

 プロ。それも超一流が苦労した練習をやれと言われた奥居(おくい)は、臆しながらバットを握り打席に立った。

 

 




今回の最後のスイングは柳田選手を参考に書かせていただいています。
柳田選手のバッティングはtv中継で見るとアッパースイングに見えますが、連続写真で見ると、顔に近いトップから最短でバットを出し、レベルスイング(ボールの軌道に対して平行に近いスイング)でボールを捉え、腰の回転で力を与え飛距離を伸ばす様な撃ち方をしているため自然とアッパースイングの様なフォロースルーになって要ることが分かります。
『フルスイングでコンパクトに打つ』と言う様な、そんな矛盾な説明なりますが、個人的にそんな感想を持つスイングに感じました。



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game21 ~招待~

 他のナインたちがグラウンドで練習をしている頃、二人の投手が近所の砂浜を走っていた。

 

「走りづらいわね」

「うん、そうだね......」

 

 一歩踏み出す度に柔らかい砂地に足を取られ、悪戦苦闘しながらも東亜(トーア)に課せられたノルマを、あおいと瑠菜(るな)は消化していく。

 

「終わった~」

「ふぅ」

 

 波の来ない場所に座り、乱れた息を整えながら話をする二人。

 

「新しい決め球は、順調?」

 

 あおいは黙ったまま小さく首を横に振り、体育座りをして、波が寄せては返す海を見つめる。

 

「練習している時にね、コーチに言われたんだ。ボクのフォームじゃ新しい変化球をいちから覚えるのは無理だって」

 

 アンダースローは沈みこんで下から投球する特殊なフォームゆえに、操れる球種に制限が付く。三振を狙うのに有効な縦の変化球に関しては、特に取得は難しい。

 例えば、フォークボール。オーバースローやスリークォーターは投げ下ろすフォームのため、変化する低めへ比較的に投げやすく。サイドスローの場合は、シンカーに近い軌道で曲がりながら落ちる。

 しかし、アンダースローは手の甲が地面へ向くため、抜いて投げるフォークボールのコントロールは非常に難しく失投となりやすい。

 

「自分でも調べてみたんだ。でも、やっぱりコーチの言った通り難しいみたい」

「そう、それでどうするの?」

「ひとつ試してみたい変化球があるんだ。受けてくれる?」

 

 ――ええ。と瑠菜(るな)は頷いた。二人はスポーツドリンクやタオルと一緒に持ってきていたグラブとボールを手に、海水でやや砂の固まった波打ち際で距離を開けて向かい合う。

 

「じゃあ行くよ......!」

 

 二十球ほどキャッチボールをして、瑠菜(るな)は腰を落とし。

 あおいは、ノーワインドアップのアンダースローからまずはシンカーを投じた。

 

「どう?」

「綺麗な変化球ね」

「ありがと。じゃあ次が新しい変化球だよ」

「球種は?」

()()()()!」

「え?」

「行くよー!」

「え、ええ......!」

 

 同じ球種を投げると言ったあおいに瑠菜(るな)は戸惑ったが、気を取り直してグラブを構える。

 

「(あの時、東條(とうじょう)くんに投げた時は絶対打たれたくなくて......いつもより力強く!)」

 

 あおいは、パワフル高校との一戦を思い浮かべ、東條(とうじょう)に投じた時と同じ様に力強く腕を振って投げる。ボールは真っ直ぐ、瑠菜(るな)の構えるグラブへ向かっていく。

 

「(速い――真っ直ぐ!?)」

 

 鋭い投球は糸を引く様に真っ直ぐ進み小さく沈んだ。しっかりと捕球した瑠菜(るな)は首をかしげる。

 

「シンカー? 沈みはしたけど」

「う~ん......やっぱり曲がらないかぁ~」

「どういうことなの?」

 

 あおいは、瑠菜(るな)にパワフル高校戦で東條(とうじょう)に対し一度だけ投げた変化球について話た。

 

「最初は、失投だと思ったんだけど」

「手元で大きく変化する、高速の変化球だったのね」

「うん」

「パワ校の、あの東條(とうじょう)小次郎(こじろう)が空振るなんて......。今の腕の振りが速かった様に感じたけど?」

「うん。あの時、打たれたくなくて思いっきり腕を振ったんだ」

 

 だが、今回は東條(とうじょう)へ投げた時のような高速シンカーではなく、やや沈むツーシームのような軌道。

 

「他に違いはなかったの?」

「他に? う~ん、シンカーの握りもいつもと同じだったし、特に何もなかったと思うけど」

「......そう。でも、今回は思った通りの変化をしなかったわけね」

 

 小さくうなづいたあおいに、瑠菜(るな)はボールを投げ返す。

 

「じゃあ続けましょ。投げているうちにきっかけを掴めるかも知れないわ」

「うんっ」

 

 新変化球取得のため二人はしばらく投げ込みを続けた。

 

           * * *

 

「おりゃーっ!」

 

 奥居(おくい)の叩いた打球は快音を残しフェンスの向こうへ消えていった。

 

「はい! 今日は、ここまでにしましょう。みんな、片付けとグラウンド整備を始めるわよ」

 

 アッパースイング修正のフォーム矯正練習を始めて、三時間強。

 高かった太陽は傾き、オレンジ色の日差しに変わり始めた頃、理香(りか)は、やや早めに練習を切り上げる指示を出した。

 

「え? もう終わりっすか?」

 

 徐々に良い当たりが増えてきた場面での終了宣言に、奥居(おくい)は思わず聞き返す。

 

「ええ、残念だけどタイムアップよ。奥居(おくい)くんも片付けをしてね」

「う~っす」

 

 くるんっ、と持っているバットを一回転させてケースにしまい、ベンチに荷物を置いて片付けを始めた。手分けして片付けをするナインたちを尻目に、ベンチに座っていた東亜(トーア)は席を立つ。

 

理香(りか)、支度が整ったら先に行ってろ。アイツらを呼んでくる」

「私が行こっか?」

「いや、一服ついでだ」

 

 グラウンドを出た東亜(トーア)は海へ行き、防波堤に座ってタバコに火を点け、波打ち際でキャッチボールをする二人の少女を見守っていた。

 

「やっぱり、ダメ」

「なかなか上手くいかないわね」

「う~ん......どうして、変化しないんだろう?」

 

 手のひらでボールを転がしながら指の掛け方を試行錯誤するが上手く感覚を掴めないでいた。

 

「よーし、もう一球――」

「そこまでだ」

「あ、コーチっ」

 

 あおいが更に腕を強く振ってみようと考え投球モーションに入ろうとした寸前で止めに入った東亜(トーア)は、彼女たちに荷物をまとめて駐車場へ来るように、と伝え一足先に移動した。

 あの場面で止めたのは時間の都合もあったが、それ以上にオーバーワークによる怪我のリスクと続けても無駄だと判断したため。あおいは高速シンカーを取得するため普段のシンカーよりも強く腕を振っていたが、それは同時に身体への負担も大きく、仮にあのまま間違った形でコツを掴み投げられるようになってしまえば、両刃の剣となり得る。

 

「アイツも予定より早く辿り着いたな。さて、どうなるかねぇ」

 

 東亜(トーア)の想定以上にナインたちの成長速度は著しい。これは彼の指示を誰一人疑うことなく、素直に聞き入れ、何より信頼しているからだった。

 

「どこへ行くんですかー?」

 

 宿舎の駐車場に用意された豪華なバスに乗り、目的地へ向かう車内で芽衣香(めいか)が手を上げて訊く。

 

「千葉マリナーズの本拠地よ。今日のナイトゲームに高見(たかみ)選手がみんなを招待してくれたのよ」

高見(たかみ)選手が!?」

 

 いち早く反応したのは奥居(おくい)だった。

 理想のフォームを身に付けるため繰り返したバッティング練習の最中、何度も試行錯誤を続けるにつれ思い描いた理想のフォームが、他でもない天才――高見(たかみ) (いつき)のそれだった。彼のバッティングを生で見られる事は、奥居(おくい)にとってはもちろんのこと他のナインにとっても良い経験であることは間違いない。

 しかし、ナイトゲームへの招待が今日だったのはまったくの偶然だった。

 合宿前日、遠征で東京へ来た高見(たかみ)は、東亜(トーア)との取引は果たしたが、練習場所を提供してくれた恋恋高校野球部への義理を果たすため再び恋恋高校を訪ねた。そこ理香(りか)と話をして、ナインたちを試合に招待する事と決まり。

 そして、偶然ホームゲームが開催される本拠地と合宿所が近いため中日(ちゅうじつ)にあたる今日に決まった。

 

「オイラ、生でプロ野球観戦なんて小学生の頃以来でやんす」

「ボクもだよ、中学に上がってからは毎日部活でテレビ中継も見る余裕なかったし。瑠菜(るな)は?」

「私は、去年のオールスターゲームで初めて生でプロ野球観戦をしたわ」

 

 去年のオールスターゲーム。圧倒的な得票数で一位で選出された選手が渡久地(とくち) 東亜(トーア)だった。東亜(トーア)は、普段交流戦以外では対戦しない他リーグの並みいる強打者たちを手玉に取り、連続奪三振、最多奪三振記録を塗り替える驚異的な活躍を見せつけた。

 そして、その試合を球場で観戦した瑠菜(るな)は、東亜(トーア)のピッチングに目を奪われた。

 

「生観戦いいなー。俺たち、その頃が忙しくて見る暇なかったんだよなぁ~」

「炎天下の中何時間も署名活動したっけ。ま、そのかいあって、あたしたち女子が出場出来るようになったんだけど」

「あ、動画あったよー。わっ! 再生回数とんでもない数字になってる!」

 

 マリナーズのホーム球場へ向かう間、オールスターゲームの感想を話し合った。

 

『さぁ、やって参りました! 千葉マリナーズの本拠地で行われる試合、実況はわたくし、熱盛(あつもり)宗厚(むねあつ)が担当させていただきます! そして、今日はアシスタントがグラウンドで逐一選手の情報を伝えてくれます。それでは呼んでみましょう、響乃(ひびきの)ちゃーん!』

『はーいっ。あなたの心に響け! パワフルテレビ新人アナウンサーの響乃(ひびきの)こころですっ。よろしくお願いしまーすっ』

『オーケー! では、さっそくインタビューをお願いいたします!』

『はーい。わたしは今、ビジターのリカオンズベンチ前に来ていまーす。それでは、リカオンズキャプテンの出口(いでぐち)選手に話をうかがってみます。出口(いでぐち)選手、去年最終戦までリーグ優勝を争ったマリナーズとの対戦となりますが?』

『そうですね。去年はボクたちが勝利しましたが、やはり強いチーム――』

 

 インタビューをしている間に、一塁側ホームのマリナーズベンチのすぐ近くの空席に恋恋高校野球部が到着。

 

「どうした、(いつき)?」

渡久地(とくち)が居ない」

 

 ベンチ前でトマスとキャッチボールをしていた高見(たかみ)は、客席に東亜(トーア)が居ないことに気がついた。

 

「本当だ。古巣が負ける所を見たくないんじゃないのか?」

「そんなガラじゃないだろ」

 

 笑いながら軽口を言ったトマスだったが、両チームの対戦成績はマリナーズ0勝リカオンズ3勝とまだ勝ちがない。それでも今のトマスの発言からは余裕を感じ取れる。その訳は、高見(たかみ)の一軍復帰からの戦績10戦8勝2敗と実に勝率8割を誇っているため。

 しかし、対するリカオンズも開幕から好調。

 正捕手の出口(いでぐち)を中心に鉄壁の守備を誇り、打線は去年の後半戦の勢いをそのままにいやらしい抜け目のない打撃陣、さらに今年は開幕から既にホームランを11本打点は37打点を上げ打撃三部門の本塁打打点の二冠王の児島(こじま)が四番に座る強力打線で首位を独走している。

 

「ああー! 渡久地(とくち)!」

 

 インタビューを終えた出口(いでぐち)はベンチへ戻る前にふと客席を見ると、東亜(トーア)が禁煙にも関わらずタバコを吹かしていた。

 出口(いでぐち)の言葉に、リカオンズベンチがざわつく。元チームメイトからさまざま声が投げ掛けられたが、東亜(トーア)は気に止める事もなく出口(いでぐち)に話かけた

 

「いつになく好調らしいな」

「まーな。今年は開幕ダッシュにも成功したし、このまま連覇を狙うぜ。そんなことより、お前こんなところで何してるんだ?」

「招待されたのさ。マリナーズの高見(たかみ)にな」

高見(たかみ)? なんでお前が、高見(たかみ)に招待されるんだよ?」

「そうか、やっぱりお前だったんだな」

 

 児島(こじま)が、ベンチから顔を出した。

 

児島(こじま)さん。やっぱりって......?」

高見(たかみ)がヒーローインタビューで対戦したいと言っていた投手は、渡久地(とくち)、お前なんだろ」

「え!? じゃあ練習に付き合ったって言うのは......」

「フッ......、さあな。まあ今日はただの客だ、楽しませもらうさ」

 

 通路の階段をゆっくり上っていく、東亜(トーア)の背中をただ黙ったまま見送る。

 そして、試合が始まった。



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game22 ~勝負所~

 去年優勝決定戦で敗れ惜しくもリーグ二位のマリナーズ対四半世紀ぶりのリーグ優勝・日本シリーズ制覇を成し遂げたリカオンズの一戦。

 

『お待たせしましたーッ! 間もなくプレーボールですッ!』

 

 先攻リカオンズの一番バッター片岡田(かたおかだ)がボックスで構える。マリナーズの先発は、去年の夏の甲子園を最速152km/hのストレートと切れ味抜群の高速スライダーを武器に、春の覇者アンドロメダ学園に競り勝ち、夏の甲子園を制した優勝投手――芹沢(せりざわ)

 

『今日は去年の夏甲子園をわかせたルーキーが初登板で初先発ですッ! プロの選手相手、しかも去年の日本一のリカオンズ相手とタフな初登板ですが、一体どんなピッチングを見せるのか。う~んッ! わたくし興奮を押さえきれませンッ!』

「プレーボール!」

 

『さあプレーボール。注目の第一球......振りかぶって投げました!』

 

「ストライークッ!」

 

『145km/h! 指にかかったストレートがど真ん中に突き刺さります! 見逃してワンストライーク!』

 

 たった一球ストライクを取っただけで大歓声が沸き起こる。

 

「オッケー、ナイスボール! 走ってるよ、楽に行こう!」

「......うッス!」

 

 芹沢(せりざわ)は、高校時代と全く違う大歓声にやや戸惑っていたが、サード高見(たかみ)の声で冷静さを取り戻してピッチング集中。続けてストライクを取り、捕手のサインに頷いて、三球目。バッテリーが選んだ勝負球は、得意の高速スライダー。

 

「ストライーク! バッターアウッ!」

「よっシャーッ!」

『ストライクからボールになる縦のスライダーで空振り三振! マウンドでガッツポーズの芹沢(せりざわ)、プロ初奪三振を奪いました!』

 

 一番バッターを最高の形で打ち取ったことで自分のピッチングが日本一のチームに通用するんだと自信を持った芹沢(せりざわ)は、二番三番を続けて空振り三振に打ち取る完璧なピッチング見せた。

 

「プロ相手にいきなり三者連続三振......!」

「すげぇー......あの人、オイラたちと一個しか違わないんだよな?」

 

 衝撃的なピッチングに恋恋ナインは釘付けになっていたが、リカオンズは余裕のある表情で談笑しながらベンチを出て、各々ポジションへ着いた。

 

「オッシャー! 絞まってこーッ!」

「オオーッ!」

 

 先発岸本(きしもと)の投球練習が終わり、捕手出口(いでぐち)は気合いを入れる。

 

『マリナーズの一番バッターは、アメリカ帰りのリードオフマン東岡(ひがしおか)! 今日までの打率は三割飛んで六厘。対するピッチャーは三年目の岸本(きしもと)、オープン戦で結果を出し開幕ローテーションを勝ち取った期待の若手大きく縦に割れるカーブが魅力なピッチャー!』

 

「(東岡(コイツ)には足がある。ゴロよりもフライを打たせたいところだけどなぁ......)」

 

 出口(いでぐち)はキャッチャースボックスに腰を下ろして、マリナーズ一番バッター東岡(ひがしおか)をじっくりと観察。

 

鳴海(なるみ)出口(いでぐち)のリードをよく見ておけ」

「はい......!」

 

 ホームに一番近い席に座る鳴海(なるみ)東亜(トーア)の言葉に頷き、やや前のめりになって出口(いでぐち)を真剣な眼差しを見つめる。特別指示を受けた訳ではないが、投手陣も鳴海(なるみ)と同じく出口(いでぐち)に注目し、逆に矢部(やべ)は、同じリードオフマンの東岡(ひがしおか)を注視している。

 

『振りかぶって投げた! 先ずは高めのストレート! しかし球審の手は上がらない! 際どいコースにバットが出かかったが何とか堪えた! ボールです』

 

「(ふーん......ここに反応するのか。粘られても面倒だ、コイツで一個ストライクを貰って三振させるか)」

 

『リカオンズバッテリーサイン交換をして第二球を投げた。ああ~とッ! 高めに抜けたー!』

 

 痛恨の失投......と思われたがバットは空を切った。

 岸本(きしもと)の投球は失投ではなくチェンジアップ。タイミングを崩された東口(ひがしおか)は豪快に空振り、1-1平行カウント。続く三球目のスライダーを打たせてファール。

 そして追い込んでからの四球目、東岡(ひがしおか)はまったく手が出ず見逃し三振。

 

「真ん中高めのストレート! 今の下手したらホームランボールだよねっ」

「ええ、しかも得意のカーブに見せかけてスピードを殺した半速球。スゴいわ」

「シーズン200安打を打った事のある、あの東岡(ひがしおか)選手が完全に遊ばれたぜ」

「なんて......なんて大胆なリードだ」

 

 続く二番バッターは、初球のカーブを打たされファーストゴロであっという間に二死。

 アウトになったバッターと入れ替わりネクストバッターボックスから茶髪の男――高見(たかみ)がバッターボックスへ向かうと、平川(ひらかわ)の時よりも更に大きな歓声が球場内に響く。

 

「今日は三番なんだな」

「ああ、志願したんだ。初回に岸本()を打ち砕くためにね」

「おお~、怖っ」

 

 前回対戦では絶不調だった事もあり四打数無安打2三振と完全抑え込まれた。高見(たかみ)にとっては、優勝を持っていかれたリカオンズと岸本(きしもと)へのリベンジマッチ、嫌でも気合いが入る対戦だ。

 

「ふぅ......」

「(ヤバイってコレ......。渡久地(とくち)のヤツ、とんでもない事しやがって~)」

 

 バッターボックスでバットを構える高見(たかみ)を見た出口(いでぐち)は、力みもムダもまったく無いフォームに思わず息を呑んだ。

 その出口(いでぐち)の様子を見て東亜(トーア)は意地悪く笑う。

 

「クックック......さあ、どうするかね? 奥居(おくい)

「うっす、ちゃんと見るッス!」

 

 奥居(おくい)は席を離れガードフェンスの目の前で他の観客の視線を気にせず、なるたけ打席の高見(たかみ)と同じ目線で見ようと方膝をつく。

 

『一軍復帰後、打率七割を誇る天才高見(たかみ)に対し、チーム防御率断トツトップのリカオンズバッテリーはどう攻めるのか。いや~ッ、まったく目を離せませン!』

 

「ボール!」

 

『ボールです、初球は外へ大きく外れた』

 

 初球、出口(いでぐち)が出したサインは外のスライダー。高見(たかみ)は、ボールが投げられた瞬間にボールと判断し、バッターボックスを外した。

 

「(なんつー見逃し方しやがるんだ......。勝負するのがバカらしく感じるぜ)」

 

 バッテリーは細心の注意を払い、どうにかフルカウントまでこぎ着けたが高見(たかみ)は、ここまで一度もバットを振っていない。

 

「お前ならどうする」

「俺なら......」

 

 東亜(トーア)の問い掛けに鳴海(なるみ)は、ずっと頭の中でシミュレーションしていた答えを言った。

 

「歩かせます。次のブルックリン選手は一発がありますけど、高見(たかみ)選手よりは遥かに抑えられる確率が高いです」

「ふーん。さて答え合わせだ」

 

 リカオンズバッテリーの選択はインハイのややボール気味に見えるストレート。見逃せばストライクを取られかねない完璧なコースへ来た。

 

「(ナイスボール!)」

「フッ......!」

 

 高見(たかみ)は腕をたたみ、やや窮屈そうにしながらもバットを最短で出した。身体の前で捉えた打球は、大きな放物線を描いてレフト上空へと舞い上がる。

 

「レフト追えー! 捕れるぞーッ!」

「ムダだ」

 

 高見(たかみ)はフェンスを越える手応えを確信しゆっくりと走り出す。レフトの胡桃沢(くるみざわ)は、打球から一旦目を切り一直線にフェンス際まで走り、こちらを向いた。

 

『おや、レフトの胡桃沢(くるみざわ)の足がフェンスの手前で止まった。もうひとノビ足りないかー?』

 

 しかし、打球はなかなか落ちてこない。レフトはジリジリと後方へ下がっていき背中に当たった感触に驚いた。いつの間にかフェンスまで下がっていたのだ。

 フェンスをよじ登り思い切り腕を伸ばす。そこへようやく落ちてきた打球をフェンスの向こう側で捕球した。

 

『と......取ったァーッ! リカオンズ胡桃沢(くるみざわ)、ホームランボールをもぎ取ったスーパーファインプレーッ!』

 

 リカオンズ応援団の大声援を受けた胡桃沢(くるみざわ)は、照れ臭そうにベンチへ走って戻った。

 彼が捕球した時既に三塁を回っていた高見(たかみ)は、三塁コーチャーにヘルメットと肘あて、バッティンググローブ等を預け、ベンチから出てきたトマスから自身グラブを受けとる。

 

「惜しかったな、(いつき)

「向かい風で若干押し戻された。次はフェンスに登っても届かない場所へ叩き込む」

「頼もしいな。けど、その前にオレが点を取って先制するさ」

「期待してるよ」

 

 二人は、ポンっとグラブを合わせてお互いポジションに着いた。

 

「まあ多少の運が絡んだが勝負はバッテリーの勝ちだ」

「でも、完全にフェンスを越えてたわよ?」

 

 東亜(トーア)の隣に座っている理香(りか)は、触らなければホームランの打球だったのにも関わらず、バッテリーの勝ちと言った東亜(トーア)を不思議に想った。

 

「関係無いさ。勝負にいってアウトに取った、その結果がすべてだ。いくら当たっている打者が相手とはいえ、初回のあからさまに勝負を避けるのはチーム全体の士気を下げ、相手を勢いづかせ兼ねない」

 

 チームを引っ張るチームリーダーには大きく二種類のタイプが存在する。

 一つは『戦略』を用いるタイプ。

 具体的な根拠を示し戦略・戦術を駆使しチームを導く『戦略家』。

 もう一つは『鼓舞』を用いるタイプ。

 チームを鼓舞し、士気を高めて勢いづける『モチベーター』。

 東亜(トーア)は前者の完全な戦略家タイプ。出口(いでぐち)は、どちらかと言えば後者タイプに当てはまる。

 

出口(いでぐち)はあえて勝負に行った、勝ち目は薄いとわかっていながらな。結果として、高見(たかみ)を打ち取った」

「流れが変わる......?」

「さあな、お前の言った通りいったんフェンスを越えた。その事実をマリナーズの投手がどう捉えるかによる」

 

 リカオンズベンチは、出口(いでぐち)の思惑通り投手を含めて大いに盛り上がっていた。

 

児島(こじま)さん、お願いしまーす!」

「ああ、行ってくる」

 

 二回の表リカオンズの攻撃は四番DHの児島(こじま)からの打順。

 

『二回の表リカオンズの攻撃は四番児島(こじま)! 今シーズンの成績はここまでホームランと打点でトップに君臨しています、年齢は四十代半ばを迎えても衰え知らずの肉体は、まさに鉄人! ンーンン、この打席も期待せずには要られませンッ!』

 

 児島(こじま)は足場を丁寧に慣らし、グッと力を入れてどっしりと構える。

 

「ボール、ボールスリー!」

 

『ノースリー、ピッチャー萎縮してるのか? ストライクが入りません』

 

 三者連続三振と完璧な立ち上がりを見せた芹沢(せりざわ)だったが、かつて三冠王に二度輝いた事のある児島(こじま)から発せられる凄まじいオーラに制球は定まらず。

 更に先制点をやりたくないと言う想いから腕が縮こまってしまっていた。たまらずキャッチャーの崎里(さきざと)がマウンドへ駆け寄る。

 

「すみません......腕が振れてないは自分でも分かります......」

「いや、相手は児島(こじま)さんだ仕方ない。安易に取りに行くと持っていかれる、ここは外して五番のムルワカと勝負――」

「ダメです。ここが勝負所です」

 

 サードの高見(たかみ)が、バッテリーの話に横やり入れる。

 

「オレも、(いつき)の意見に賛成だ。去年からこういった心の弱さを見逃さずつけ込んで、アイツらは勝ち上がっていった。一瞬でも隙を見せれば、この試合(ゲーム)持っていかれるぞ」

「確かに、最初の三連戦もイージーエラーやツーアウトからの四球をキッカケにビッグイニングを作られた......」

「逆に言えば、ここで児島(こじま)さんにホームランを打たれても一点で済みます」

「逃げて弱味をさらけ出すよりマシだな」

「......そうだな。芹沢(せりざわ)、思い切り腕を振って来い。点を取られても今の俺たちが必ず逆転する!」

「はい!」

 

 ――必ず逆転する。崎里(さきざと)の力強い言葉に芹沢(せりざわ)の目から怯えが消えた。初回のピッチングを思い出し腕を振る、ボールに力が甦った。

 

「ムッ......」

「ファール!」

 

 3-1から外角低めボールから入ってくるスライダーをファール、フルカウント。

 

『さあ、マウンドの芹沢(せりざわ)児島(こじま)を追い込んだ! ラストボールバッテリーの選択は――!』

 

 マリナーズバッテリーは勝負に行く、勝負球は計らずもリカオンズバッテリーが選択した高見(たかみ)への配球と同じインハイのストレート。

 

児島(こじま)打った―ッ! 打球は一瞬でスタンドへ消え行くーッ!』

 

 マリナーズVSリカオンズの四回戦。

 二回表、リカオンズ児島(こじま)の特大の一発でリカオンズが一点を先制した。

 

 



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game23 ~価値観~

お待たせいたしました。
今回はやや短めとなっています。


 マリナーズVSリカオンズの四回戦、リカオンズは二回表に四番児島(こじま)のホームランで一点を先制した。しかしその後は、マリナーズルーキー芹沢(せりざわ)のストライク先行のピッチング、決め球のスライダーを振らされ1点止まりで攻撃を終えた。

 

「やっぱスライダーは厄介だなー」

「そうみたいだな、ベンチからでもキレの良さがわかる」

 

 七番に入っている出口(いでぐち)は二回表のラストバッターだったため準備をしながら、プロテクターを着けるのを手伝ってくれているチームメイトの水谷(みずたに)と話をしている。

 

「ま、持ってあと三回ってとこかな」

「じゃあ守備職人(オレ)の出番が来るの期待してるからな」

「オウ、任せとけって......!」

 

 コツンッ、と拳を合わせて出口(いでぐち)はグラウンドへ走って行く。出口(いでぐち)がポジションに着き、イニング間のピッチング練習を受けている合間に東亜(トーア)は、奥居(おくい)に訊いた。

 

高見(たかみ)児島(こじま)、二人のスラッガーをお前は、どう見た」

「どっちもスゲーっす。でもオイラ的には、児島(こじま)選手の方がまだ上だと思うっす」

「ほう......、理由(ワケ)は?」

児島(こじま)選手の方が、内角高め(インハイ)を苦にしてない感じがしました」

「なかなかの洞察力だな、その通りだ。スラッガー......ホームランバッターは、外角低め(アウトロー)よりも内角高め(インハイ)を苦手とする割合が高い」

 

 日本球界では『困った時のアウトロー』と言われているほど定説となっている。その理由はミートポイントが小さいためだが、反面腕が伸びきった状態で捉えられるためホームランバッターの場合長打になる事がままある。更に近年は、ウエイトトレーニングの導入が進み、外角をきっちりと弾き飛ばせる強打者が増えてきている。

 しかしインハイは、他のコースと違い唯一身体の前で捉え無ければならず、尚且つ、腕を畳む技術と腕を畳んだ状態で飛距離を伸ばすための腕力(パワー)を持ち合わせていなければならない。更に少しでもタイミングが早ければ、ファール、アッパースイングにもなりやすいためラインドライブやポップフライになる確率も高くなる。

 

「インハイ打ちの技術に関してはほぼ五分だが、児島(こじま)に有って高見(たかみ)に無いものがある、経験だ」

 

 児島(こじま)は過去に、二度も三冠王に輝いた事のある現役最高峰のプレーヤーの一人。常に一線で活躍し、二十年以上のキャリアを積み上げてきた実績があり、危険球寸前のビーンボールを投じられる事も少なくは無かった。必然的にインハイを打つ機会も多い。

 高見(たかみ)は、児島(こじま)を優るとも劣らないの飛び抜けた才能を有しているが、経験値ではまだまだ雲泥の差がある。

 

「加えてこのスタジアムは特殊でね。バックスクリーンの風速計はホームからセンターの風だが、上空では特殊なすり鉢状の壁に跳ね返った風が逆に吹いているんだ。逆風に押し戻された高見(たかみ)の打球を見た児島(こじま)は、あえてやや低いライナー性の打球を打った。状況に合わせて角度調整をミリ単位で微調整できる感覚は簡単に身に付くモノじゃない」

 

 コンマの世界で行われているハイレベルな攻防に、奥居(おくい)をはじめとした恋恋ナイン一同は息を呑んだ。

 そして、一つ一つの細かな動きを見逃さない様によりいっそう集中してグラウンドを注目する。

 

 ここから試合は膠着状態になった。

 マリナーズバッテリーは威力のあるストレートと、切れのあるスライダーを決め球に力投。一方リカオンズバッテリーは、マリナーズバッテリーとは対照的に緩急を巧みに使い的を絞らせないピッチングで、両チームとも五回終わりまで得点を上げられず、1-0。

 この膠着状態を先に破ったのは――リカオンズだった。

 

『うーん、得意のスライダーが高めに外れました。先頭バッターフルカウントからフォアボールを選びノーアウトランナー一塁です』

「(不味いな......)」

 

 サードから芹沢(せりざわ)のピッチングを見ていた高見(たかみ)は、すぐにマウンドの芹沢(せりざわ)の異変に気がついた。三塁塁審タイムをかけてマウンドへ向かい話しかけた。

 しかし、声を掛けただけにしては長い会話にマリナーズベンチはただならぬ異変を感じ取った。

 

「ボール、ボールフォア。テイクワンベース」

『ストレートのフォアボール、二者連続フォアボールです。個人的には逃げないで思い切り勝負していただきたいところですが。おっと、ピッチングコーチが出てきました』

 

 マリナーズベンチからピッチングコーチがマウンドへ向かい。内野陣もマウンドに集まる。

 

「コーチ、ブルペンは出来てますか?」

「あ、ああ、一応準備はしてはいるが......?」

「そうですか、芹沢(せりざわ)を代えてやってください。このまま投げ続ければ肘を故障(ヤリ)ます」

 

 高見(たかみ)の進言を聞いたピッチングコーチが直接確認をすると、ボールの抑えが効かなくなり始めている事を伝えた。コーチはベンチにジェスチャーで交代の意思を伝え、監督がベンチを出て球審に交代を告げた。

 

「やはり代えるか」

「引っ張ってくれれば、ありがたかったんですけどね」

 

 慌ただしいマリナーズベンチとは正反対に、リカオンズベンチでは交代を残念がっていた。

 

「ここで代わるみたいね」

「一点ゲームになりそうだからでしょうか?」

「違うな、故障だ。この回から無意識のウチに肘がやや下がりフォームが乱れた。ピッチャーってヤツは繊細でね、一センチでもフォーム乱れれば思った通りにボールが行かないのさ。まあ高見(たかみ)の洞察力で早期交代をさせたから、そこまで深刻にはなってはないだろうけどな」

 

 東亜(トーア)は、となり同士で話していた瑠菜(るな)藤村(ふじむら)だけではなく、投手陣全員に聞こえるように交代の真相を話した。

 そして、同じ状況になりかねないあおいに訊ねる。

 

「あおい、お前の決め球はなんだ」

「えっと、シンカーです」

「新しく覚えようとした変化球は、東條(とうじょう)へ投じた高速シンカー」

「は、はい。ダメですか......?」

 

 あおいは恐る恐る訊ねる。

 

「着眼点は悪くない。だが、海での投げ込みを見たが今の練習を続ければいずれ肘を壊す」

「......っ!?」

 

 目を大きく開き、あおいは自分の右肘を左手で抱いた。

 

「変化球が曲がる要素は大きく分けて二つ。物理と自然によるもだ」

 

 前者は、ボールの回転数や縫い目によりもたらされる変化。

 後者は、風や雨など天候によりもたらされる変化。

 

芹沢(せりざわ)は、六回途中で10奪三振と驚異的な数を奪った。しかし実際は違う。三振を奪ったんじゃない、三振を奪わされたのさ」

「どういうことなの?」

「簡単な事だ、奪った三振は全てスライダーだ」

 

 芹沢(せりざわ)は、高卒ルーキー。

 いくら甲子園優勝投手とはいえ、プロ相手となるとやはり勝手が違う。スライダー以外の変化はことごとくヒットやファールで逃げられ、高校時代であれば手を出してくれたボール球も平然と見送られる。

 

「だから、決め球は空振りを奪える縦のスライダーで勝負するしか無かった。しかし、そのスライダーもプロ相手には時おり良い当たりはされる。そこでより変化を大きくするため普段以上の回転を掛けキレを増すしかない。だが、それは肘や肩にかける負担は通常の比ではない」

「投げさせ続けられたから無意識にフォームを崩した訳ね。リカオンズ......ルーキー相手にも容赦しないなんて恐ろしいチームだわ」

「当たり前だ、それが勝負の世界だ。敵はもちろん、時には味方すら蹴落とさなければならない事もある。勝負の世界で勝ち残ることは綺麗事じゃない。それでも本気で深紅の旗を奪いたいのなら......鬼になれ」

 

 この時、東亜(トーア)を招聘した理香(りか)を含め恋恋高校ナインは、渡久地(とくち)東亜(トーア)の恐ろしさを改めて実感した。

 




次回は、マリナーズvsリカオンズ決着編となります。


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game24 ~誤算~

 初登板のルーキーの好投にスタンドから大きな拍手が送られた。その芹沢(せりざわ)からリリーフした渡辺(わたべ)は、一時は満塁にピンチを広げたが、球界一低いリリースポイントと云われる独特なアンダースローからの特異なピッチングで後続を連続で凡打に抑え、無失点で六回表のピンチを切り抜けた。

 

「良くしのいだ。さあ、ここから反撃だ。トマス、頼むぞ」

「OK、ボス」

 

 六回裏マリナーズの攻撃は、五番トマスから下位打線へと続く打順。

 トマスは、ここまで2打数1安打1四球と全打席出塁している。そして、三打席目も――。

 

『トマス打ったー! 緩い縦のカーブを捉え左中間を破るスリーベースヒットッ! ノーアウト三塁、マリナーズ同点のチャンスです!』

「くっそ、上手く打ちやがったなぁ~」

 

 出口(いでぐち)はマスクを被り直し腰を下ろして、スタンドに居る東亜(トーア)を恨めしそうに見た。

 

「(渡久地(とくち)~ッ! トマスも最初の三連戦とは別人じゃねぇかよ......!)」

「クククッ......さあ面白くなってきたな。お手並み拝見といくか」

 

 当然出口(いでぐち)の視線に気づいている東亜(トーア)は、スタンドで愉快そうに笑いながら戦況を楽しんでいる。一方出口(いでぐち)は、既にこの状況を乗り切るためのシナリオを描いていた。

 出口(いでぐち)はタイムを掛けベンチにサインを送る。監督の三原(みはら)は慌てて立ち上がり、ベンチから出てきた。

 

『おや、どうやらリカオンズベンチが動きます。これはいったい......?』

 

 三原(みはら)雄三郎(ゆうざぶろう)――一応リカオンズの監督。東亜(トーア)がリカオンズを買収する以前の前オーナーからの命令を聞くだけの犬だったが、とある事情により続投。現在は、選手兼任コーチの児島(こじま)とキャプテン出口(いでぐち)の進言などを聞き入れながら采配を振るっているため、以前とあまり変わらない。

 

『リカオンズ選手の交代をお知らせします』

『おっと、ここで選手交代のようですね』

『ショート今井(いまい)に代わりまして、水谷(みずたに)背番号45』

『出ましたー! リカオンズが誇る守備職人――水谷(みずたに)ッ! そのイケてるグラブ捌きをで、今日も熱盛(あつもり)を魅了してくれるのかァー!?』

 

 水谷(みずたに)今井(いまい)とハイタッチを交わしてショートのポジションに着く。

 球審の合図で試合再開。出口(いでぐち)はサードランナー、トマスの動きを警戒しながらピッチャーにサインを出す。

 

『さあノーアウト三塁から仕切り直しの初球......!』

「ボール」

『ボール、大きく外に一球外した』

 

 初球は外角へ外した半速球のストレート「ほう......」東亜(トーア)は、出口(いでぐち)の意図を理解した。捕球と同時にランナーに目で牽制を入れて投手へ投げ返す。

 そして、サインを出し二球目も大きく外した。

 

『これでツーボールナッシング。バッテリースクイズを警戒しているのか、連続ボールで自らカウントを悪くしてしまったッ! 打者有利のバッティングカウント!』

 

 マリナーズ六番今栄(いまえ)も、次はストライクゾーンへ投げてくると予測している。しかし、リカオンズバッテリーは続く三球目、四球目もウエストし今栄(いまえ)を歩かせた。

 

『リカオンズバッテリー結局最後は敬遠でノーアウト一塁三塁と、自らピンチを広げてしまいました。内野陣はゲッツー体制』

 

 リカオンズベンチはセオリー通り前進守備から、ピッチャーゴロ以外セカンド経由のゲッツーシフトに切り替えた。

 しかし――。

 

「ボール、フォアボール!」

『満塁、満塁です! 七番福裏(ふくうら)も歩かせノーアウトフルベースにしてしまったーッ!』

 

 ノーアウトフルベースと一打逆転のピンチにも関わらず、リカオンズベンチは微動だにしない。むしろタダ同然でチャンスを貰ったマリナーズの方が、この状況に揺れていた。

 

「この満塁、やはりわざとか......!」

「ヘイ、どういうことだ? (いつき)

 

 マリナーズ主砲ブルックリンは高見(たかみ)に事の真意を訪ねた。

 

出口(いでぐち)は、このピンチを0点で切り抜けて試合を1-0で逃げ切るシナリオを描いたんだ。その証拠に、あのサード」 

 

 内野はゲッツーシフトを敷いているが、サードの藤田(ふじた)だけはサードベースに張り付いていた。

 満塁で無ければ足のあるトマスは正面以外の内野ゴロなら一点入る場面。しかし満塁ではタッチプレーではなくフォースプレーになるため、正面でもなくとも十分ホームでサードランナーを刺せる。

 更に藤田(ふじた)はサードベースに張り付いているため、牽制球を警戒し通常よりリード小さくホームで刺せる確率を上げている。

 

「守備範囲の広い水谷(みずたに)で広く開いた三遊間をケアし、トマスはサードに釘付け。スクイズも出来ない」

「ハッ、そんなもの外野へ飛ばせばいいだけだろ」

「今日八番に入ってる早阪(はやさか)さんは、持ち前の俊足を生かすため典型的なグラウンダーヒッター、ゴロの割合が八割以上なんだよ」

 

 出口(いでぐち)の満塁策は打順の巡りを計算に入れての作戦。

 マリナーズベンチとすれば、代打も考えられるが守備の要のセンターを六回で代えてしまうのには、やや勇気がいる。それにサードが釘付けにされているとしても深い当たりのゴロなら一点。

 更に足のある早阪(はやさか)ならダブルプレーは無いと忌野(いまわの)監督は判断し、強攻することに決めた。

 

『アーッと! 低めのボール球を叩き注文通りの内野ゴロ! ホームフォースアウト!』

 

 リカオンズバッテリーの思惑通り、トマスはホームを踏むことなくベンチに戻り一死満塁。続く九番は、高めのストレートを打つも浅い外野フライでタッチアップ出来ず二死満塁。スリーアウト目は、代わって入った水谷(みずたに)がテキサス性の当たりを後ろ向きでキャッチ。

 

水谷(みずたに)ファインプレー! ンンーン、胸を熱くさせてくれます! リカオンズ、ノーアウトフルベースのピンチを乗り切りましたーッ!』

 

 そして、ゲームは進み1-0のまま9回裏――マリナーズ最後の攻撃。マウンドには日本球界最速のMAX165km/hを誇るリカオンズの絶対的クローザー、倉井(くらい)

 

『マリナーズ先頭バッターは一番、東岡(ひがしおか)

 

 プロ野球選手としてはけっして大きくない体だが、全身のバネを利用し投げる独特なトルネード投法から繰り出される豪速球に、東岡(ひがしおか)はあえなく三振に切られワンナウト。

 

『さあワンナウト、リカオンズ勝利まであとアウト二つです。マリナーズ意地を見せられるかーッ! バッターボックスでは、二番角中(すみなか)の支度が整ったようですッ!』

「フェア!」

『ああーっと! 打球がベースに当たった内野安打です! 同点のランナーが出ました! そして一発が出ればサヨナラの場面、スターの宿命か? 打席には......高見(たかみ)(いつき)ー!』

 

 この展開を予想していたかのように高見(たかみ)は、バッターボックスで笑みを見せた。

 

「この試合貰いますよ」

「打てるもんなら打ってみろよ。言っとくけど今年の倉井(くらい)は、去年以上だぜ?」

「へぇ......楽しみしてます」

 

 最初の三連戦は大差でリカオンズが勝利したため倉井(くらい)とは今シーズン初対戦。高見(たかみ)は、初球163km/hのストレートを真後ろへのファール。

 

「(やっべー、ひと振り目で真後ろかよ。よし、コイツで......!)」

 

 出口(いでぐち)はこの試合までストレート一本だった倉井(くらい)に対して、初めてのサインを出す。セットポジションから放たれたボールは手元で小さく変化し、高見(たかみ)は空振りを奪われた。

 

『空振りー! 高見(たかみ)、追い込まれましたー!』

「......チェンジ・オブ・ファストか、面白い......!」

 

 スタンドで観戦していた東亜(トーア)は、高見(たかみ)の空振りを見て席を立つ。

 

「どこいくの?」

「先に戻る」

「こんな大詰めの場面で?」

「もう勝負は決まった、サヨナラゲームだ」

「えっ? ちょっとっ!」

 

 理香(りか)の制止を無視した東亜(トーア)がスタンドを出た直後、大歓声が沸き起こった。

 

 

           * * *

 

 

「久しぶりに会いに行かなくてよかったのか? 励ましついでに」

「こんなことで崩れるほどヤワな連中じゃねぇさ」

 

 マリナーズの選手たちがよく訪れるバーで、東亜(トーア)高見(たかみ)と久しぶりに酒を酌み交わしていた。

 試合は東亜(トーア)の予言通りマリナーズのサヨナラ勝ち。そしてその殊勲打――逆転サヨナラツーランホームランを打ったのが、高見(たかみ)

 

「あのホームラン凄かったわ。バスの中であの子たちずっと話してたんだから」

「ははは、良いところ見せられてよかったよ」

 

 ナインを宿舎に送り届けた後東亜(トーア)に着いてきた理香(りか)の話に、高見(たかみ)は笑顔で答える。

 

倉井(くらい)に関しては誤算としか言い様がなかったな」

「まあね。僕も実戦で使うとは思わなかった」

 

 倉井(くらい)の緩急に対応するために高見(たかみ)が実践したのは、以前東亜(トーア)のピッチングを再現するマシーンの調整を行った時に見つけた攻略法――クローズドスタンス。

 

「それでお前の方がどうなんだ、甲子園は?」

「さてね。ま、可能性はゼロじゃねぇよ。理香(りか)、次の相手は決まっているのか」

「ええ、聞いて驚きなさい!」

 

 理香(りか)は、焦らすようにタメてから言った。

 

「春の甲子園ベスト4――覇堂高校よ!」

 



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game25 ~直談判~

「どうかなっ?」

「うーん......確かにスピードは上がったけど。逆に変化量は普段のシンカーよりもずいぶんと小さいね」

「そっか~」

 

 ゴールデンウィークを利用した短期合宿最終日の午前中。あおいは、鳴海(なるみ)とブルペンで新変化球の取得に奮闘している。

 投げ込みを始める際東亜(トーア)にヒントを貰ったのだが。中々、手応えを掴めないでいた。

 

「肩はどう?」

「全然平気だよ。瑠菜(るな)に付き合ってもらってた時よりも、ずっと軽く投げてるから」

「そっか、じゃあもう少し続けてみよう。今度はツーシームで」

「うんっ。いっくよー!」

 

 あおいたちが試行錯誤を行いながら投げ込みを続ける一方。マウンドでは瑠菜(るな)が、合宿前から取り組んできた練習の成果を見せるべく、東亜(トーア)相手に十球勝負を挑んでいた。

 

「十球中一球でも俺から空振りを奪うことが出来たら、お前の勝ちだ」

「......お願いします!」

 

 ゆったりとモーションを起こした瑠菜(るな)は、東亜(トーア)の教え通り、リリースするその瞬間まで打者の挙動・仕草を観察して、ボールを投げる。

 

「まだまだな」

「......出直して来ます」

 

 十球中十球。その全てを弾き返された瑠菜(るな)は、マウンドを降りてベンチに戻り。グラブを自分の荷物の横に置いてからタオルを持って、グラウンドを出て行った。

 

真田(さなだ)、何してるんだ?」

「ん? ああ......葛城(かつらぎ)か」

 

 合宿所に三部屋ある男部屋の一室のテーブルで、一人ノートパソコンを険しい表情(かお)で観ていた真田(さなだ)は、画面から目を離して顔を上げた。

 

「試合見てたんだよ」

「試合? アンドメダ対覇堂......春の準決か」

「ああ、明後日覇堂と試合だろ。だから、研究しておこうと思ってさ」

 

 画面に映るのは今年の春の甲子園準決勝。マウンドには一年の秋からエースナンバーを背負う絶対的エース・木場(きば)嵐士(あらし)

 

「はっや! こいつが『爆速ストレート』ってヤツか......!」

 

 左のオーバーハンドから放たれる爆速ストレートと吟われるストレートは、まるで砂塵を巻き上げるかの如くノビ・球威共に高校生離れした高水準を誇る。

 

「ところが結構打たれてるんだな、これが」

「マジ?」

 

 真田(さなだ)は、キーボードを操作して動画を一時停止し、木場(きば)に関するデータを開いた。

 

「あ、ホントだ。決勝点も甘く入ったストレートを痛打されたんか」

「ああ、見てて気づいたんだけど。この爆速ストレートってのにはムラがあるんだ。同じストレートでも球速が10km/h以上違うこともある」

「へぇー、何か原因があるのか?」

「それを今、調べてるのさ」

 

 再びキーボードを操作して動画を再生。

 二人が木場(きば)攻略の糸口を探るべく、ノートパソコンの画面とにらめっこを開始した頃。ブルペンでは左右の一年生が投球練習を始めていた。

 

「ナイスボール! いいね。制球かなり安定してきてるよ!」

「サンキュ」

 

 一年生捕手新海(しんかい)相手に同じ一年、右の片倉(かたくら)が投げ込む。紅白戦では持ち味の制球を大きく乱し、早い回でノックアウトされたが。今日は新海(しんかい)が構えたコースへ、八割近い確率で投げ込んでいる。

 

「(ようやく慣れてきた。あとは変化球(カーブ)を......)」

 

 紅白戦では、仮入部の時から地道な体力強化トレーニングを積んだことで生じた身体(筋力)の変化に、思うようなピッチングを出来なかったが。最終日になりリリースポイントも安定し、ストレートに関してはある程度のコントロールを出来るようになってきた。

 片倉(かたくら)は、ボールを曲げることをジェスチャーで伝え。中学時代の勝負球だったカーブを投じる。回転のかかったボールはストライクゾーンを通過することなく、ホームプレートに当り大きく後ろへ跳ね上がった。

 

「......今のは取れないよ?」

「悪い。やっぱ思ったより振れるな......。もう一球!」

「オッケー!」

 

 彼らの隣では藤村(ふじむら)と、あおいとの投球練習を終えた鳴海(なるみ)

 

「行きます!」

「いつでもいいよ」

 

 紅白戦では、片倉(かたくら)と違い。制球を大きく乱すことは無かったが、ストレートとスライダーという単調な投球に狙い球を絞られ同じく早々にノックアウトされた。その反省から今は、新しい変化球取得に挑戦している。

 

「う~ん、やっぱり逆方向を覚えた方が良さそうだね。ピッチングの幅が広がるし」

「はい、あたしもそう思います」

「今までの試した中で、手応え感じたのはある?」

「え~っと......。チェンジアップかな?」

「ああ~、最初に投げた利き腕の方に逃げるサークルチェンジに近いヤツか。うん、真っ直ぐとスライダーと速いボールに対して緩急をつけるボールとしては最適だね。じゃあこれからは、それを重点的に磨いていこう」

「はい、お願いしますっ」

 

 

           * * *

 

 

「おーいッス~!」

「へ?」

「ん、なにかしら。あの子?」

 

 グラウンドを離れ、合宿所から目と鼻の先の海岸線の歩道を走っていたあおいと瑠菜(るな)は、砂浜へ続く階段があるためやや広くスペースが確保されている一画で跳び跳ねながら両手を振る。小柄でおさげの女子に呼び止められた。

 

「突然呼び止めて申し訳ないッス。お二人は、恋恋高校野球部の女子部員ッスよね?」

「うん、そうだけど......。キミは?」

「申し遅れたッス。ほむらは、ジャスミンの川星(かわほし)ほむらッス」

 

 突如あおいと瑠菜(るな)の前に現れた川星(かわほし)ほむらは、(セント)ジャスミン学園(高校)の野球部に所属する女子選手。彼女は、小学生の頃に野球規約を全て暗記してしまうほどで。ただの野球ファン以上の野球マニア。

 ジャスミン学園は女子高のため、今まで公式戦に出場することは叶わなかったが。恋恋高校の署名活動により彼女たちも、公式戦出場の機会を得ることが出来た。

 

「恋恋高校の野球部の方々には、ぜひ一度お会いしてお礼を言いたかったんッス」

「そんなお礼だなんて......」

「いえいえ、ちゃんと言わせて欲しいッス。ありがとうございましたッスー!」

 

 大きく頭を下げた。小柄な体が更に小さく見える。

 

「あの、えっと......。そろそろ顔上げて、ね?」

 

 中々頭を上げようとしないほむらに、あおいは困った表情(かお)で促す。

 

 あおいに促されてようやく顔を上げたほむらに、瑠菜(るな)は訊ねる。

 

「でもどうして、私たちがここに居るのを知ってるの?」

「フッフフー。それは乙女の秘密ッス!」

 

 得意気な表情(かお)で胸を張って誤魔化した。

 実は、ほむらの目的はお礼を言うこと以外にもあったそれは......。

 

鳴海(なるみ)くん」

「ん? ああ、あおいちゃんと瑠菜(るな)ちゃん。それと......誰?」

 

 ロードワークから戻ってきた二人と一緒にやって来た見知らぬ女子に、ベンチで理香(りか)が用意してくれた覇堂高校のデータに目を通していた鳴海(なるみ)は、首をかしげた。

 

「おじゃましますッス」

「この子は、川星(かわほし)ほむらちゃん。ジャスミン学園の野球部なんだって。それでね......」

「練習試合の申込みに来たッス。監督さんと話をしたんいんすけど」

「ああ~、そうなんだ。加藤(かとう)監督だったら合宿所に戻ってるハズだよ」

 

「どうもッス。行ってみるッス」鳴海(なるみ)から合宿所の旅館を教えてもらったほむらは、あおいと瑠菜(るな)にお礼言って、一人で旅館へ向かい歩いていった。

 

「練習試合?」

「はいッス。ぶしつけで申し訳ないですけど、お願いします......!」

「そうね。渡久地(とくち)くん」

「あん?」

 

 ロビーのベンチに寝転がって、理香(りか)の覇堂高校のデータを聞き流していた東亜(トーア)は身体を起こした。

「ジャスミン学園って学校から練習......」理香(りか)が、東亜(トーア)に用件を伝えようとしたところで。「と、とと、ととと、渡久地(とくち)選手ッス! 本物っすか? 本物っすか!?」ほむらは目を輝かした。

 

「さ、サインお願いしますッス~!」

 

 後ろ向きで被っている。ジャスミン野球部のロゴが入った帽子とサインペンを東亜(トーア)に差し出した。

 

 

           * * *

 

 

「見つけた......!」

 

 午前の練習に参加せず、四時間。トイレ以外のひとときもノートパソコンの画面から目を離さず覇堂高校の試合、木場(きば)攻略のためにピッチングの解析をしていた真田(さなだ)は部屋を出て東亜(トーア)の元へ走った。

 

「ありがとうございます! 川星(かわほし)家の家宝にするッス!」

「好きにしろ」

 

 あまりのしつこさに折れた東亜(トーア)のサイン入りキャップを大切そうに抱えるほむら。

 そこへ真田(さなだ)がやって来た。

 

渡久地(とくち)コーチ。明後日試合、オレを先頭バッターにしてください。お願いしますッ!」

 

 真田(さなだ)は大きく頭を下げて東亜(トーア)に直談判。

 采配を振るう東亜(トーア)は、真田(さなだ)のただならぬ様子にうっすらと笑みを浮かべた。



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game26 ~主体性~

「す、スゴいでやんす!」

「ほんとっ。専用グラウンドに応援席(スタンド)まであるよっ」

「さすがは名門校って訳ね。無名校との練習試合なのに観客もいるわ」

 

 矢部(やべ)、あおい、瑠菜(るな)の言葉に他のナインも概ね同じ感想を抱いていた。

 スタンドの観客(野球部OB)は、試合前の練習をしている覇堂ナインに厳しい視線を送り。ミスが出る度にゲキを飛ばしている。それが気を抜けない引き締まった練習環境を作っているが、逆に彼らのプレッシャーになっている側面もある。

 

「本日は遠いところを、はるばるお越しいただきありがとうございます」

「いいえ。わたしたちの方こそ、お招きいただきありがとうございます」

 

 覇堂高校の監督とマネジャーに出迎えられた恋恋高校ナインは、案内されたベンチに荷物を置いて試合に向けた準備を始め。

「では、先発を発表する」練習を終えた覇堂高校ベンチでは、一足先にスターティングメンバーが発表されていた。

 

「まず、先発投手だが......」

「監督! この試合、オレに投げさせて下さい!」

「ちょっとお兄ちゃんっ。曲がりなりにもキャプテンなんだから、自分勝手なわがまま言うなー!」

 

 覇堂高校のマネージャーで木場(きば)の妹の静火(しずか)が、先発を直談判した兄を叱った。

 

「うっ......。だ、だけどよ......」

「まあまあマネージャー。その辺にしてあげなさい。ふむ。お前は次の会津附属の予定だったが、まあいいだろう。木場(きば)、この試合お前に任せる」

「ウッス!」

「えー! もうっ、監督も甘いんだからー」

 

 

           * * *

 

 

「じゃあ今日のスタメンを発表するわ。一番、レフト・真田(さなだ)くん」

「はい!」

 

 直談判が通った真田(さなだ)は、よしッ! と小さくガッツポーズを見せる。理香(りか)は、次々と名前を呼び上げ最後に先発投手の名前を告げた。

 

「今日の先発は、瑠菜(るな)さんで行くわ。スタメンから外れた子も皆使うから、準備を怠らないようにね。じゃあ渡久地(とくち)くん」

「ああ?」

「三試合ぶりにベンチに居るんだから、一言声かけてあげて」

「ハァ......」

 

 東亜(トーア)は、背もたれに寄りかかったまま面倒そうにタメ息を漏らす。

 

「相手は名門だ、胸を借りてこい。なんて、くだらないことは考えるな。コールドでぶっ潰せ」

 

「はい!」と、ナイン全員で声を揃えての返事をして。スタメンに選ばれたメンバーは、グラウンドへ駆け出した。

 

「また無茶な煽りを......」

「はなっから勝つ気が無ぇなら試合など組むべきではない、時間の無駄だ」

「はぁ......それは分かるけど。わたしが言ったのは『コールド』の部分についてよ」

「出来ないと思うのか?」

「......正直、難しいと思うわ」

 

 むしろ負ける確率の方が高いと、理香(りか)は踏んでいる。それは間違いではない。戦力・経験値共に覇堂高校の方が数段上なのだから。

「ようお前ら、格上相手に勝つために重要なことは何か分かるか?」東亜(トーア)は、挨拶を済ませてベンチへ戻ってきたナインたちに問い掛ける。

「ガッツ!」誰よりも早く、芽衣香(めいか)が答えた。

 

「まあ一理ある。だが根性だけで勝てる程、勝負の世界は甘くない」

「じゃあいったい......?」

 

「フッ......。この試合が終わった時に解るさ」ベンチを立った東亜(トーア)は、首をかしげる瑠菜(るな)の肩に軽く手を乗せて言い。先頭バッターの真田(さなだ)とネクストバッターの葛城(かつらぎ)の元へ。

 

「一点取ってこい」

「はい......!」

 

 東亜(トーア)の要求に力強く頷いた真田(さなだ)葛城(かつらぎ)は、落ち着いた様子でそれぞれ支度を整える。

 

「お願いします!」

「うむ。プレーボール!」

 

 球審を務める覇堂高校OBが右手を上げて試合開始を宣言。ゲームが始まった。

 

「先輩、贔屓はしないで下さい。試合になりませんから」

「当たり前だ。試合に水を指す無粋な真似はしない!」

 

 覇堂高校の捕手、水鳥(みずとり)の言葉に球審は公平にジャッジすると宣言。覇堂ナインはベンチ入りメンバーを含めて、全員が笑みを見せる。

「安心しました」と言ってサインを出した水鳥(みずとり)木場(きば)は、気合いに満ち溢れた表情(かお)でモーションを起こす。

 

「......そうこなくっちゃな! いくぜ、オラァ!」

 

 初球は、アウトコースへのストレート。水鳥(みずとり)のミットがズドンッ! と鈍い音を響かせた。

 

「ストライーク!」

 

 真田(さなだ)は、バットをピクリとも動かさず見送り。カウント0-1。

 バックスクリーンに表示された球速145km/hの数字に「はっや!」と、恋恋ベンチから驚きの声が上がる。しかし、ベンチとは真逆でバッターボックスの真田(さなだ)と、今日二番に入っているネクストバッターの葛城(かつらぎ)は変わらず冷静だった。

 

「ストライク!」

 

 二球目もストレート。今度はインコース。真田(さなだ)もバットを振ったが、カスることなく空を切った。

 

「(球威も、球速も、おおかた想像通り。問題は次だ......)」

「今日はストレートが走ってるな。次も真っ直ぐで行くか......」

「(......ささやきか。確かにウザイな)」

 

 ボールを受け取り水鳥(みずとり)のサインを見た木場(きば)は、首を振った。続けて出された次のサインにも首を振る。中々サインが合わず、木場(きば)はプレートを外してロジンバッグを手に取った。

 

「プレイ!」

 

 仕切り直しのサイン交換。今度は一度でサインが決まった。二球で追い込んでからの先頭バッター、真田(さなだ)に対する木場(きば)の三球目は――。

 

「ナイスバッティン!」

「いいぞー! 真田(さなだ)ー!」

 

 外のストレートを流し打ちレフト前ヒットで出塁。無死一塁。

「(......重い。これは想像以上だ。ジャストミートしたのに差し込まれた)」ファーストベース上で今の打席を振り返る真田(さなだ)は、木場(きば)のスゴさを改めて実感していた。だが、それも一瞬。今度はホームへ帰る為にリードを取る。

「お願いします!」葛城(かつらぎ)もしっかり挨拶をして打席に立つ。

 

「プレイ!」

 

 葛城(かつらぎ)は、初球・二球とストレートを見送り。1-1の平行カウント。

 

「(打者有利のカウントだ、走ってくるか? 一球様子を見るぞ)」

「(オゥ!)」

 

 素直にサインに頷き。大きく外へウエスト。ファーストランナーは動かず、1-2。

 そして四球目。覇堂バッテリーは初めて変化球を投じる。球種は外からのカーブ。

 

「ランナー、走った!」

 

 セカンドは声を張り上げ、バッテリーに知らせる。

 

「セーフ!」

「くっ......」

「よしっ!」

 

 二塁塁審は両手を水平に広げ、盗塁を許してしまった水鳥(みずとり)はマスクをかぶり直し、真田(さなだ)はセカンドベース上で小さくガッツポーズ。

 真田(さなだ)のスタートは決して良いとは言えなかったが、投球が緩いカーブだったことも有り盗塁は成功。無死二塁とチャンスが広がった。

 

「凄いわね、真田(さなだ)くん。あの木場(きば)水鳥(みずとり)バッテリーから簡単に盗塁を決めるなんて!」

「ほぅ......完璧に盗んだな。なるほど、どうりで自信があったワケだな」

「盗む? スタートは、あまりよく無かったみたいだったけど?」

「何も盗塁を成功させる要素はスタートだけって訳じゃないさ。まあここから先が見物だな」

 

 

           * * *

 

 

「早く早くッスー!」

 

 ジャスミン学園野球部の部員数名を引き連れてほむらは、覇堂高校までやって来た。はしゃぐ彼女を呆れた様子で二人の女子がなだめる。

 

「そんなに急がなくったって、まだ始まったばかりじゃない」

「ほむほむは、野球のこととなると見境が無くなるからな」

「ぶちょーも、ちーちゃんも、なに言ってるッスか。相手はあの覇堂高校ッスよ。ほむらたちとの練習試合を了承してくれた恋恋高校が、どれだけ戦えるか見届ける義務があるッス! ついでに偵察ッス」

「偵察が本題でしょ? まったく......」

 

 一足先に自由解放されている野球部専用球場の外野スタンドへの階段をかけ上がったほむらは、スコアボードの数字を見て固まった。

 

「ほむほむ、どうしたのだ? ......うそだろ?」

「どうしたのよ? あんたまで立ち止まっちゃって......。三回裏で5対0!?」

『ストライク! バッターアウト! チェンジ!』

 

 三回裏覇堂高校のスコアボードに『0』が刻まれた。これで一回から三回連続で『0』が並んでいた。対する恋恋高校は初回に三点。二回三回と共に一点ずつ追加し、5得点をあげている。

 

瑠菜(るな)ちゃん、ナイスピッチ!」

 

 賛辞の言葉で出迎えられた瑠菜(るな)は、「ありがとう」と一言だけ返して東亜(トーア)の隣に座った。

 

「洞察に関してはまずまずだな。緩急が効いている分打ち損じてくれてたが、今以上に制球の精度を高めなければ、例え裏を突いたとしても威力は半減する」

「はい、次は修正します」

 

 瑠菜(るな)は当初の予定通り、この回で降板。

 

「はい、瑠菜(るな)。おつかれさま」

「ありがと。はるか」

 

 はるかからスポーツドリンクを受け取った瑠菜(るな)は、左腕にアイシングを施し応援に回る。四回表の攻撃は、その瑠菜(るな)の代打、九番藤堂(とうどう)からの打順。

 

「ボール! ボールツー」

「オイ、木場(きば)! 何やってんだ!」

「無名校の代打相手に逃げんじゃねぇー! 勝負しろや!」

 

 三回終了時の予想外の劣勢に、スタンドの覇堂OBから汚いヤジが飛ぶようになった。

 

「なんだ、アレは?」

「運動部は縦社会だからね。後輩想いで熱意があると言えば聞こえはいいけど。強豪・名門ともなれば、ああいうOBも一定数居るのよ」

「くっくっく......、まるで動物園だな。さてと、そろそろ終わらせるか」

 

 東亜(トーア)は、右手で左肩をぽんぽんっと軽く二度叩き。四球で出塁した藤堂(とうどう)と、バッターの真田(さなだ)にサインを出した。

 

「(ワンストライクの後の)」

「(ストレートを叩け......か)」

 

 二人とも、東亜(トーア)のサインにヘルメットのツバを触り了解と合図を送る。ファーストランナーの藤堂(とうどう)は大胆なリードを取りグッと腰を落とし、真田(さなだ)はバントの構えをしてバッテリーに揺さぶりをかける。

 

「(くそっ......、コイツら!)」

 

 木場(きば)の頭の中に、一・二番の揺さぶりから3失点を喫した初回のイメージが思い浮かぶ。

 真田(さなだ)の盗塁から、二番葛城(かつらぎ)の送りバント警戒で突っ込んできたファーストの頭を越えるプッシュバントでタイムリー内野安打で先制点を奪われ。続く三番奥居(おくい)には、カーブをスタンドに叩き込まれた。

 

「ファール!」

 

 真田(さなだ)への二球目、外の速いスライダーで見逃しのストライク。カウント1-1。

 

「フェア!」

「くっ......! ライト中継三つだ!」

 

 インコース低め132km/hのストレートを弾き返した当たりは、一塁線を破るライナーでファールゾーン一番奥のフェンスに転がっていく。エンドランでスタートを切っていた部内一の俊足を誇る藤堂(ちうどう)は楽々ホームイン。打った真田(さなだ)も快足を飛ばし、三塁を落とし入れた。

「ハァハァ......」肩で息をする木場(きば)

 

「お兄ちゃん......」

「むぅ......。武田(たけだ)、準備を急げ」

「は、はい」

 

 覇堂高校の監督土門(どもん)は、ブルペンで肩を作っている控え投手に命じる。木場(きば)は、甲子園でもここまで打ち込まれた事は無かった。完全に想定外の状況に中々、有効な策を打てないでいた。

 

「スクイズ!? ホームは無理だ!」

「この......させるカァーッ!」

「セ、セーフッ!」

 

 水鳥(みずとり)の指示を無視し、ホームへ投げた木場(きば)のフィルダースチョイスで七対0。恋恋高校は更に得点点差を広げた。

 

「ナイスラン、真田(さなだ)!」

「おうよ!」

 

 ハイタッチで出迎えられた真田(さなだ)は、タオルで額の汗を拭う。

「これで七回コールドの条件はクリア。けど、ほんとよく見つけたわね。あのバッテリーの()()」はるかが付けるスコアブックを眺めながら、理香(りか)が言う。

 

「フッ、あちらさん慌ただしくなってきたな」

「ええ。まさか、キャッチャーのクセを盗まれてるなんて思いもよらないでしょうね」

 

 ボールを投げるピッチャーのフォームや腕の振りで球種を見抜くのが普通だが。木場(きば)は、ハイレベルな投手。クセと呼べるモノは見当たらない。そこで目をつけたのが捕手水鳥(みずとり)だった。

 

「捕手には大きく分けて三つのタイプが存在する。投手主体リード・打者主体リード・捕手主体リード。水鳥(みずとり)は、典型的な捕手主体リードタイプ」

「だから、絶対の自信があるストレートを主体に投げたがる木場(きば)くんとは、よく意見がぶつかるのね」

「ああ、この試合も何度も首を振っている。あれでは、木場(きば)のようなテンションが投球に影響するタイプの投手は中々勢いに乗れない」

「首を振ったあとのストレートと、そうでないストレートの10km/h前後ある球速差の原因はそれね」

「......さあて、ここから先どう出るかねぇ」

 

 

           * * *

 

 

「へへへ......」

木場(きば)?」

 

 二点を取られ無死一塁。内野はマウンド集まり話し合いをする最中。突然、木場(きば)が乾いた笑みを浮かべた。

 

「大丈夫か? お前......」

「これじゃあ......」

 

 ――アイツの言った通りじゃねぇか......。

 昨夜。木場(きば)は、覇堂高校付近の河川敷グラウンドへ呼び出された。呼び出したのは......。

 

「久しぶりだね。木場(きば)

「......星井(ほしい)。逃げ出した負け犬が今さら何の用だ!?」

「......そうだね。ボクはキミから逃げた。でも、もう逃げるのは止めた。ボクと勝負してくれ」

「......いいぜ。ぶっ倒してやる!」

 

 満月で明るいグラウンド。木場(きば)は、星井(ほしい)が用意したバットを握り打席に立った。

 

「......な、なんだ? 今のは......?」

「スタードライブ。パワ高で習得した決め球だよ」

「スタードライブ......」

「ボクは、キミを......。覇堂を倒して甲子園へ行く!」

「へへへっ......おもしれぇー! ぶっ倒してやるぜ!」

 

 お互いに笑い合った二人は、別れ際。

 

「そう言えば、恋恋高校と練習試合をするんだってね」

「おう。知ってんのか?」

「恋恋高校の野球部に友達が居るんだ。無名校だと思って油断しない方が良い。隙を見せれば一瞬で持っていかれる、取り返しがつかなくなるからね」

 

 星井(ほしい)の言った言葉の意味をこれでもかと言うほど痛感していた。

 

「......なぁ、水鳥(みずとり)

「なんだ?」

「わりぃーけどさ。ここからはオレの好きに投げさせてくれねぇか......?」

「なに言ってるんだ、木場(きば)

「待って」

 

 水鳥(みずとり)は、チームメートを制止。

 

「わかった。サインはキミが出してくれ」

水鳥(みずとり)まで......!?」

木場(きば)のピッチングは悪くない。悔しいけど、俺のリードは恋恋高校(彼ら)には通用しない」

 

「お前ら、もういいか?」主審を務めるOBがマウンドへ行き注意を促す。ポジションへ戻り試合再開。バッターは三番、奥居(おくい)

 

「プレイ!」

 

 仕切り直しの初球。

 

「ス、ストライク!」

 

 木場(きば)はランナーを完全に無視、151km/hの豪速球がミットに突き刺さる。二球目もストレート。また150km/h越えのストレート。

 

「ストライクッ!」

 

 奥居(おくい)は、高めに手を出し空振り、カウント。0-2。

 

 ――球数的にも、どうせこの回で交代だ。なら......全開で行ってやるぜ!

 

 

 



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game27 ~支配~

お待たせしました。


「ファール!」

 

 奥居(おくい)木場(きば)の対戦は、木場(きば)が今日一のストレート二球で追い込んだが、その後奥居(おくい)は驚異的な粘りを見せる。連続ファールでフルカウントのまま、次が10球目。

 

「(おかしい......)」

 

 捕手水鳥(みずどり)は、奥居(おくい)のバッティングに疑問を持っていた。

 

「オラァーッ!」

「もらったぜーッ!」

 

 インコース低め152km/hの爆速ストレートを狙い済ましたかの様に奥居(おくい)は、ボールの外っ面を巻き込む様にフルスイングで掬い上げるように叩いた。完璧に捉えた打球はレフト上空へ舞い上がる。

 

「切れろ......、切れろーッ!」

 

 レフトは打球を追いながら叫ぶ。打球はポールの遥か上を通過して外野スタンドに着弾した。三塁塁審に判定が委ねられる。塁審は、両手を広げた。

 

「ファ、ファール!」

「ちっ、切れたか。ま、いいや」

「タイム」

「タイーム」

 

 水鳥(みずどり)は、すかさずタイムを要求しマウンドへ走った。肩で息をする木場(きば)の額からは、大量の汗が吹き出ている。無理もない。今までにない全力投球の連続。自身最高のストレートをいとも簡単に弾き返す奥居(おくい)のバッティング技術を目の当たりにしたことで、木場(きば)は精神的にも肉体的にも限界に近づいていた。

 

「なんだよ......?」

「どう考えてもおかしいんだ、彼らのバッティングは」

「は?」

「リードはキミに任せると言ったけど、次の一球だけは俺に任せてくれないか......?」

 

 自身のリードが通用せず打たれ続け自信を喪失しかけていた水鳥(みずどり)の目から怯えが消えたのを感じた木場(きば)は、彼の肩に手を置いた。

 

「へ、いいぜ、お前に任せる」

「......ああ!」

 

 水鳥(みずどり)は、球審に頭を下げて腰を落とし、今までの配球とスイング傾向を照らし合わせた。

 

「(ここまで奥居()は、低めのストライクゾーン以外はファールで逃げている。なら、勝負は高め。それも......)」

「(インハイのストレート......! 爆速のインハイはボールになる確率が高いぜ?)」

「(責任は全て俺が取る、来い)」

 

 三年間バッテリーを組んできた二人の間には、言葉以上の何かがある。サイン交換の中で二人は無言でコミュニケーションを取っていた。

 木場(きば)は、水鳥(みずどり)のサインに力強く頷きセットに入る。

 

「(動くんじゃねぇ!)」

「おっと......」

 

 キッ! とファーストランナーを睨み付けクイックモーションで勝負球を放った。

 

「行けや......オラァーッ!」

「(ここでインハイ!?)」

 

 左腕から放たれる爆速ストレート。ボールは砂塵を巻き上げるような勢いでホームベースの一角をクロスして舐める。

 

「(完璧だ。これは打てな――)」

 

 水鳥(みずどり)がそう確信した瞬間。金属音と塘に打球が、木場(きば)の右手頭上へ飛んでいた。木場(きば)は、反射的には右腕を打球に向かって伸ばす。

 

「ランナーハーフ!」

「オッケー!」

 

 ファーストランナー葛城(かつらぎ)は、万が一捕球された時のことを予期し、一・二塁間で止まり打球の行方を注視。

 

「取った!? バック!」

「ぐっ......」

 

 痛烈なハーフライナーを捕球したかと思われたが、無情にも木場(きば)のグラブから白球が溢れ落ちる。ファーストへ戻り掛けたファーストランナーはそれを見て、二塁へスタートを切った。

 

「行かせねぇ......よッ!」

 

 木場(きば)は、打球の勢いに押され崩れた身体を強引に反転させ飛び付いた。利き腕で落ち際を掬い上げる。身体はそのままマウンドへ叩きつけられたが、ボールを落とすことなく、すぐに立ち上がりファーストへ送球。スタートを切ったランナーは既にセカンドベースへ到達していたため、戻ることも出来なかった。

 

「アウトッ!」

 

 後輩のビッグプレーに、一塁塁審は興奮した様子で大きな声でジャッジ。OBが観戦しているスタンドからも声が上がる。

 彼らとは反対に水鳥(みずどり)は、マウンドへ駆け寄った。膝に手を突き立ち上がろうとしている木場(きば)に手を差しのべた。

 

「大丈夫か?」

「おう、サンキュー」

 

 手を借りて立ち上がった木場(きば)の右肘からは、マウンドへ身体が着いた時に擦りむいたのか、赤い血が滲んでいた。球審はタイムを掛け、木場(きば)をベンチへ戻らせて治療に当たらせる。

 

「すまない」

「なに謝ってんだよ、二つ取ったじゃねぇか。それよか、アイツらの何がおかしいんだ?」

 

 マネージャーで妹の静火(しずか)に治療してもらいながら水鳥(みずどり)に訊いた。

 

「ああ、キミのボールは重い。それは受けている俺が一番よく知っている。だが彼らは、キミの重いストレートを苦にすることなく平然と打ち返してくる。春の準決アンドロメダのクリーンアップでも、外野の頭を越す当たりは一本も無かったのに」

 

 点差があるとはいえ、ダブルプレーにも関わらず余裕のある恋恋高校ベンチに水鳥(みずどり)は、いぶかしげな視線を向けた。

 恋恋高校ベンチでは、ちょうどバットを持って戻ってきた奥居(おくい)を出迎えているところだった。

 

「わりぃ~、二重殺(ダブ)っちまった」

「あれは仕方ないわ。私だったら、きっと取れていなかったと思う。そのくらい凄い打球だったわ。だから今のは、取った木場(きば)くんを褒めましょう」

瑠菜(るな)ちゃんは、やっぱ天使だぜ......!」

 

 優しい言葉に感動している奥居(おくい)を呼び東亜(トーア)は、今の打席の総括を始める。

 

「インハイには、まだ課題が残ったな」

「はい、差し込まれた分ジャストミートしたせいで打球が上がらなかったっす」

「フッ......、奴のまっすぐはジャイロ回転だからな」

 

 通常投手がオーバーハンドでストレートを投げる場合、回転軸打者に平行のバックスピン回転になるが。対して木場(きば)の投げる爆速ストレートは、ジャイロ回転(螺旋回転)。回転軸がまっすぐキャッチャーへ向いているジャイロボールと言われるストレート。

 バックスピンのかかった普通のストレートは、初速(投げた直後の球速)と終速(ホームプレート到着時の球速)との差が10km/hはある。

 例として。スピードガンは初速を計測するため仮に140km/hと計測された場合バッターへ届く頃には、130km/h前後まで失速する。

 しかし、ジャイロ回転は空気抵抗がもっとも小さく、初速と終速の差がもっとも小さいとされておりフォーシームのジャイロ回転の場合、だいたい普通のストレートの約半分の5km/hほどにまで軽減されるため、バッターの予測を上回る体感速度でキャッチャーミットへ到達する。

 ただし、このジャイロボールはオーバーハンドからの投球は不可能とされてきた。その一番の理由は、ジャイロ回転には進行方向へ対しての揚力が発生しないということ。

 ストレート・変化球共にボールには回転が掛かり、ボールの後方に空気の流れが発生する。発生した空気の圧力は、小さい方へと引き寄せられる力(マグナス力)によって、ボールは変化する。

 通常のストレートにはバックスピンが掛かり、重力に反発しようとする力が加わるが、ジャイロボールにはそれがないため手元で大きく曲がる変化球となる。松坂投手の全盛期の高速スライダーが、ジャイロ回転の高速スライダーだったらしいと言う説もあります。

 唯一ジャイロボールを縦変化させずに、ストレートとして投げられる可能性があるのが軌道を下から上へと描くアンダースロー。しかし、木場(きば)は、その不可能とされてきたオーバースローでジャイロボールを投げる。

 

「あと、やっぱ重いっす」

「ジャイロ回転は回転軸が打者へ向いてる分、力が集約されているから仕方ないわ」

 

 ※game9のバッティング理論と同じで、回転軸が横の接地面の広いバックスピンよりも、回転軸が正面を向く接地面の狭いジャイロ回転の方が、ミートした場合バットに伝わる衝撃が大きく重く感じる(トンネル等を掘り進む掘削機が、回転式(ローラー)では無く螺旋回転式(ドリル)なのも、これが関係しているのかも)。物理的に一点に力が集約されている方が衝撃が強い。

 そこで芯を少し外して、自然と打球にスピンがかかるような打ち方を徹底した。ナインは、あえてボールの中心を外したミートを狙い。奥居(おくい)は更に、手首を返して打球にスピンを与えることでさらに通常よりもスピンを与えることで長打を狙う高等技術。金属バットは弾くため多少芯を外しても打球は飛ぶが、打球に回転を加えることで打球にノビが生まれる。

 

 木場(きば)の本気のストレートは、速いため空振る確率も高い。そこで高めを捨てて低めを狙うことにした。低めはミート自体は難しくなるが高めよりも数段芯を外しやすく、バットを縦に近い軌道で振るため打球にスピンが掛かり易くなり。打ち損じはファールになりやすく、更に低めは腕が伸びるため捉えた場合は強い当たりも打てる。

 

 もちろんこれには、優れた動体視力とバットコントロールが必要なため出来る選手は限られる。まだ全員が行える訳では無いが、東亜(トーア)がコーチに就任当初から続けてきた眼球運動と基礎体力トレーニングの成果が、こういった形で実を結び始めていた。

 

「一球前のファール、軸の中心を外したまでは良いが厚く当たりすぎたな」

「うっす。次の機会があれば、あと2ミリ外側を狙うっす」

「ミリ単位で修正って、改めて聞くととんでもないわね......」

 

 東亜(トーア)奥居(おくい)の会話を、一番近くで聞いていた芽衣香(めいか)が呟いた。

 

「ここんところ毎日、160km/hのスピードボールを見続けてたからな。木場(きば)のストレートだって目で追えるぞ。浪風(なみかぜ)だって、ちゃんと捉えてただろ?」

「あたしは作戦通りストレートは逃げて、変化球をコースなりに打ち分けてるだけよっ。ミリ単位なんて無理よ、悪かったわね!」

「や、芽衣香(めいか)も十分レベル高いから......」

 

 奥居(おくい)に噛みつく芽衣香(めいか)を、あおいとはるかが宥める騒がしい恋恋高校ベンチ。

 

「監督、木場(きば)を続投させてください」

「いやしかし、これ以上は......」

「仮にここで木場(きば)を降ろしたなら、甲子園で恋恋高校と当たったら確実に負けます。覇堂(ウチ)には木場(きば)以上の投手は居ません」

「むぅ......」

「この試合で必ず攻略法を見出だします。木場(きば)、行けるか?」

「ったりめぇだッ!」

 

 水鳥(みずどり)木場(きば)二人の直談判に監督は折れ。七失点の木場(きば)を続投させたまま試合は再開された。

 

「ありがとうございましたッ!」

 

 グラウンドの真ん中で両校は挨拶を交わす。試合は11ー3。七回コールドゲームで試合は終わった。

 

奥居(おくい)! 今日は負けちまったが、決着は甲子園だ!」

「へへっ! じゃあまずはお互い予選を勝ち上がらないとな、パワ高は強いぜ~?」

「知ってるさ。星井(ほしい)のヤツおもしれぇ決め球を覚えやがったからな。今から楽しみだぜ」

 

 試合後グラウンドの外で奥居(おくい)木場(きば)が話をする中、観戦していたジャスミン学園の選手たちを、ほむらが連れてやって来た。

 

「あら、ほむら、来てたの?」

「当然ッス。いやースゴい試合だったッスね。特にルナちーのピッチングは痺れたッス! ストレートだけで覇堂高校を抑えるなんて、まるで渡久地(とくち)選手みたいだったッスよ!」

「ありがとう。後ろの人たちは......?」

 

 帰り支度をしていた瑠菜(るな)は、ほむらから目を外し彼女の後ろにいる三人の女子に目を向けた。

 

「紹介がまだだったッスね、ほむらのチームメイトッス。ぺったんこがちーちゃん、ほたてみたいな髪がぶちょーで。エースのヒロぴーッス」

「ほむほむだってぺったんこだ!」

「誰が、ほたてよ!」

 

 ジャスミン勢の騒がしいやり取りが行われているところからやや離れた自販機のベンチでは、東亜(トーア)理香(りか)鳴海(なるみ)の三人は今日の試合の総括を行っていた。

 

「ゲームメイクですか?」

「ああ、そうだ。格上相手にはもちろんのこと格下相手の勝負においても、もっとも一番重要なことはゲームを支配すること」

「支配って、具体的にはどうすればいいの?」

 

 鳴海(なるみ)ではなく一緒に聞いていた理香(りか)が訊いた。来月いっぱいで契約終了の東亜(トーア)のあとは彼女が采配を振るうことになるのだから、当然知っておきたいことだった。

 

「たとえどんなに一方的な試合であってもどういうワケか、試合には流れと云われるモノが必ず存在する」

「確かに、そうね」

「はい」

 

 今日の試合も前半は一方的に進んだが、記録には残らないちょっとしたミスから失点する場面が三度訪れた。

 

「必ず生じるミスをミスと感じ取らせず、相手に流れを掴ませない。逆にチャンスを奪い取り、全てにおいて優位に勝負を進める。それが勝負(ゲーム)を支配するということ。そのために一番重要なことは――」

「......メンタルを潰す」

 

 鳴海(なるみ)の答えを聞いた東亜(トーア)は、小さく笑みを見せた。

 

「勝負世界には綺麗事じゃ済まされない時が必ず訪れる」

「ええ。ただの部活のまま終わるか、それとも......」

 

 ナインの元へ戻る鳴海(なるみ)の背中を見送りながら、東亜(トーア)理香(りか)の二人は......。

 

「ここから先はアイツら次第だ。理香(りか)、来週の試合お前に任せる」

「えっ?」

「行くところがあるんでね」

 

 来週の試合、聖ジャスミン学園との練習試合で恋恋高校は――。

 これから今後に置いて重要な選択を迫られることになる。

 




ちなみに究極ストレートは、150km/h超の球速で無回転のまま変化することなくキャッチャーミットへ到達する球らしいです。しかし硬球には縫い目が存在し向かい風を拾ってしまうため、物理的にはどうしても変化してしまいジャイロボール以上に不可能ですけど。


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game28 ~焦り~

 

 

 週末、恋恋高校グラウンド。

 ジャスミン学園との練習試合前々日、東亜(トーア)の居ない中の練習だが、ナインたちは誰一人として手を抜くことなく、練習メニューをこなしていた。

 そして、グラウンド中央では瑠菜(るな)奥居(おくい)の一打席勝負が行われようとしていた。キャッチャーを務める鳴海(なるみ)は、練習中のナインに注意を促し、避難したのを確認してから腰を落とした。

 

「一打席勝負。ルールは、三振及び内野でバウンドした場合投手の勝ち。外野へ飛ばせば打者の勝ち。ファールフライはストライクとして換算、四死球は打者の勝ちね」

「ええ」

「オッケー」

 

 ルールの確認をした後、バッテリーは十球の投球練習を行う。最後の一球を投げ込み、ボールを受け取った瑠菜(るな)は、ロジンバッグをぽんぽんっと軽く手のひらで遊ばせて構えた。

 

瑠菜(るな)ちゃんの持ち球ってなんだっけ?」

「ええーっと、まっすぐと......」

「まっすぐ一本よ」

「へ?」

 

 奥居(おくい)鳴海(なるみ)は、ほぼ同時に顔を上げてマウンドの瑠菜(るな)を見る。

 

「この勝負、まっすぐ一本でいくわ!」

「あの目、本気だ......」

「マジかよ......」

「いくわよ!」

「お、おう!」

 

 強気な宣言に呆気にとられている二人を尻目に、瑠菜(るな)はモーションを起こした。スムーズに上げられた右足に合わせて奥居(おくい)はタイミングを計り、鳴海(なるみ)は真ん中にミットを構える。

 

「ムッ!?」

 

 球持ちが良い瑠菜(るな)のピッチングフォームにタイミングが合わずハーフでスイングを止める。

 そして、瑠菜(るな)の左腕から投じられた宣言通りのストレートはアウトコース低めを通過し、乾いた音を響かせた。

 

「ストライク。ノーワン」

「なるほどな~。どうりで覇堂が手こずるワケだぜ」

「スゴいでしょ? 俺も捕球()り難いもん。それに、ここ数日は特に気合いが入ってる」

 

 覇堂高校との一戦。

 女の子である瑠菜(るな)相手と言う油断はあった。しかし、それでも一巡をパーフェクトに抑えた実力は本物だったと実際、バッターボックスで体感した瑠菜(るな)のピッチングに、納得と同時に凄さを感じていた。

 

「いいかしら?」

「おう、いつでもいいぜー」

 

 返事を聞いて二球目を投げる。今度もアウトコース低めのストレート。同じ球種をおなじコースの投球に、奥居(おくい)は完璧にタイミングを合わせた。しかし――。

 

「はい、ストライク。ノーツーね」

「あ、あれ? 振り遅れてた......?」

「うん。振り遅れてたよ」

「おっかしいなぁ~。捉えたと思ったのに」

 

 素振りでスイングを確かめる奥居(おくい)を、瑠菜(るな)はじっと見つめていた。

 

「(無駄の無いフォーム......まともに勝負すればやられるわ。奥居(おくい)くんの唯一の弱点といえるのはインハイだけど......)」

「よっしゃー! 来いッ!」

「(私の球威じゃ外野まで運ばれるわ。それなら今の、私に出来ることのは......!)」

 

 新しいボールを受け取り、足場をならす。

 

「いくわよ!」

「おうよ!」

 

 マウンド上でゆったりとモーションを起こす瑠菜(るな)を、眼光強く見つめる奥居(おくい)は思考を巡らせていた。

 

「(二球とも外のストライクゾーン。セオリーなら一球外す場面だけど......。鳴海(なるみ)はリードしてない、瑠菜(るな)ちゃんのボールを受け取るだけだ。となれば捕手のセオリーは崩れる。三球勝負も十分ありえるぜ......)」

「(当然、三球勝負よ......!)」

 

 瑠菜(るな)の選択は、三球勝負。

 一球外すことも十分ありえる作戦だったが。しかし、瑠菜(るな)としては奥居(おくい)に手の内をさらすことになるボール球は極力投げたくはなかった。無駄に見せれば奥居(おくい)は、必ず対応してくると予期していたからだ。

 

「(勝負球は、これよ......!)」

「(おおっ! ナイスコース!)」

 

 瑠菜(るな)の投じた勝負球は、インコース高め。それもストライクともボールとも取れる際どいコース。更に、打ってもファールや凡打になる確率の高い覇堂の木場(きば)と同様に左からクロスして入ってくる、右バッター殺しのコース。

 

「もらったぜッ!」

 

 しかし奥居(おくい)も、このボールは十分あり得ると踏んでいた。対木場(きば)との反省を生かし、早いタイミングで左足をオープンに開きながらも、バットヘッドは残し、ミートポイントを通常よりも後ろへ持っていく。差し込まれても腰の回転で打球を弾き返せるように準備を整える。

 

「(ヤバイッ、打たれる!?)」

 

 鳴海(なるみ)が、そう思った瞬間――。奥居(おくい)のバットは空を切り、ボールは鳴海(なるみ)の脇をすり抜け、転々とバックネットへ転がっていた。

 

「私の勝ちね」

瑠菜(るな)ちゃん、今のボールなに? 手元でブレーキが掛かって少し落ちたような......?」

「そうそう、ミートポイントで逃げたぜ」

「低回転ボールよ」

「今のが......? 完成したの!?」

「まだ二割程度よ。今回は狙い通り投げれたけど、制球もまだまだだわ」

 

 瑠菜(るな)奥居(おくい)の勝負をブルペンから見ていたあおいは、理香(りか)に断りを入れて、グラウンドを出てロードワークへ出掛けた。

 

「あおい......」

「大丈夫よ。そんな弱い子じゃないわ」

「はい......」

 

 恋恋高校グラウンドから離れたあおいは、堤防を走っていた。

 

「はあはあ......」

 

 普段のランニングコースを外れた川沿いの道、橋と橋の中間地点で膝に手をついて立ち止まる。額から流れる汗が、オレンジ色の太陽の光に反射して輝いていた。

 

「......っ!」

 

 息が乱れたまま前に顔を上げて、再び走り出す。

 あおいは焦っていた。

 たった二月(ふたつき)で急速に成長していくチームメイトたち。そして何よりも入部直後から着実に力をつけ、未完成でながら奥居(おくい)を三振に切って取った決め球を取得しつつある瑠菜(るな)に対しての焦り。

 あおいも試行錯誤を繰り返しているが、未だ、新変化球高速シンカーのきっかけを掴めないでいた。

 

「危ない!」

「えっ? わぁっ......!」

 

 顔を上げると、自転車があおいのすぐ横を通り過ぎっていった。驚いた拍子にバランスを崩して倒れそうになったところを、後ろから誰かに支えられた。

 

「大丈夫?」

「う、うん......。ありがとう」

「あ、キミは恋恋高校の!」

「へ? あーっ、試合を観にきてたジャスミンの!」

 

 お互いの顔を見た二人は、自己紹介をしてお互い投手と務めている事を知り意気投合。河川敷へと降りて、整備されている川沿いのベンチに座って話をする。

 

「あおいも、いつもこのコース走ってるの?」

「ううん、今日は気分を変えて来たんだ」

「へぇー、そうなんだ。ところで、その足に着いてるのは?」

「これ? パワーアンクルだよ。コーチの指示で、走るときはいつも着けてるんだ」

 

 東亜(トーア)の指示で付けている足の重りは、100g単位で徐々に増えていき現在、片方3kg両足合わせて6kgになっている。

 

「うっ、重いなぁ......」

「でしょ? でも、下半身を鍛えないと上体に頼った手投げになるから、肩とか肘の故障に繋がる恐れを考えると理に叶ってるって、保健の先生が教えてくれたんだ」

「......そっか」

 

 一瞬暗い表情(かお)になった太刀川(たちかわ)にあおいは不思議に思ったが、次見たときには見間違いだったかのように微笑んでいた。

 

「それでどうしたの、何か考え事してたみたいだけど。あたしで良かったら話してみなよ」

「............」

 

 あおいにとって自分の不安や愚痴を話せる相手は親友のはるかくらいなもの。はるかには多少の愚痴を溢すこともあったが、同い年投手は瑠菜(るな)近衛(このえ)の二人だけ。二人ともあおいとはタイプが違うこと、しっかりとした目標を持って練習しているため邪魔したくないという思いから相談出来ないでいた。

 

「新しい決め球かー」

「うん......。なかなか上手くいかなくって」

「あたしも悩んだよ」

「ヒロぴーも?」

「うん、男子に負けたくなくって必死だった......」

 

 どこか懐かしむような表情を見せる。

 

「一時期、野球から離れてソフトボール部に入ったこともあったんだ。まあ、女子も公式戦に出場出来るようになったからって、ほむほむに説得されてまた野球に戻ったんだけど。それでね、ソフトボールやってた時の経験が野球でも活きてるんだ」

「ソフトボールの経験?」

「そう。ストレートとか中学時代よりもキレが出てるって捕手(タカ)に言われたしね。だから、根詰め過ぎるの良くないかも。別の視点から考えるのもありだと思うな」

「別の視点からか......」

「急がば回れ、だね」

『おーい! あおいちゃーん!』

 

 堤防から、あおいを呼ぶ声。なかなか戻って来ないあおいを心配した鳴海(なるみ)が河川敷へ降りてくる。

 

「あ、鳴海(なるみ)くん」

「あの人恋恋のキャッチャー? あおい迎えに来たみたいだね」

「うん、学校出てから。結構時間経っちゃったから......」

「ふーん、じゃああたしも帰ろっかな」

 

 ベンチから立ち上がった太刀川(たちかわ)に少し遅れて、あおいも立ち上がる。

 

「じゃあ明後日の試合よろしく!」

「うんっ。ありがと、ヒロぴー」

 

 立ち去る太刀川(たちかわ)に手を振るあおいの下へ、鳴海(なるみ)がやって来た。

 

「今の誰?」

「ジャスミン学園のエースだよ」

「へぇ......って、あおいちゃん! みんな心配してたんだぞ!」

「えへへ、ごめんなさーいっ」

「はぁ......、まあ無事だったからいいけど。さあ帰ろう」

「うんっ」

 

 芽衣香(めいか)に連絡を入れ、二人は話をしながら恋恋高校へ向かって歩く。恋恋高校では、トランプゲームに負けた部員たちによるグラウンド整備が行われ、二人の到着を待っていた。

 

「まったくあおいったら心配させるんだから!」

「無事に見つかったんだから、よかったじゃない」

「そうだけどさ~。ところで瑠菜(るな)は、明日どうするの?」

「近所の施設で練習するわ」

「ええーっ、せっかくの休みなのに!?」

「だから練習するのよ。私なんて、あおいに比べたらまだまだだもの」

「オーバーワークはダメよ。渡久地(とくち)くんから、充分身体を休ませろって指示が出てるの」

「......わかりました」

 

 明日の部活動休日の話で盛り上がっているところへ鳴海(なるみ)とあおいが帰って来た。あおいは、心配と迷惑をかけた事をナインに頭を下げる。理香(りか)は監督としての立場上、軽く注意を促してから解散させた。

 

「あんたらはどうすんの?」

「決まってるぜ! なっ! 矢部(やべ)!」

「もちろんでやんす。オイラたちは四月から録り貯めたガンダーロボ大鑑賞会を執り行うでやんすー!」

「はぁ......、ガキね」

浪風(なみかぜ)は、男のロマンをわかってないな~」

「まったくでやんす」

 

 ――じゃあまた。といつもの分かれ道でそれぞれ帰路へ着く。

 

「ねぇ、鳴海(なるみ)くんはどうするの?」

「俺は、コーチに貰ったDVD(リカオンズの試合)を見て研究しようかなって思ってるけど」

「あっ! それ、見せてもらう約束してたよねっ?」

「へ? あ、ああ~、そう言えばそうだったね」

 

 鳴海(なるみ)は、東亜(トーア)がコーチに着任した頃に話した事を思い出した。

 

「一緒に見てもいい?」

「あ、うん、別にいいけど」

「やった、じゃあ明日ねっ」

 

 元気よく駆けていくあおいの表情(かお)は、悩んでいたことを感じさせないほど笑顔だった。

 



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game29 ~決め球~

大変長らくお待たせ致しました。
これからの展開の大幅な見直しに時間がかかってしました......。


「あっ、エッチな本みっけ~っ!」

 

 休養日、先日の約束通り鳴海(なるみ)の家を訪ねてきたあおいは、鳴海(なるみ)が飲み物を用意して部屋へ戻ってくる時を見計らって声を上げた。

 

「えっ!?」

「ウソだよー」

「......ビックリさせないでよ」

 

 ほっと胸をなでおろした鳴海(なるみ)は、テーブルにガラスのコップとジュースの紙パックを乗せたおぼんを置いてから、腰を下ろした。

 

「そういう反応するってことは有るんだ?」

「......ノーコメント」

「ふーん」

「そ、そんなことよりDVD! 今日は、コーチの試合を観るために来たんだったよね!」

 

 あおいに冷めた視線を向けられた鳴海(なるみ)は、強引に今日の目的に話を移し。リモコンを使って、テレビとプレーヤーを立ち上げ、東亜(トーア)から渡されたDVDを再生させる。

 動画は、東亜(トーア)がマウンドに上がった直後から始まった。

 

「これって、オープン戦?」

「そう、去年のオープン戦。コーチがリカオンズに入団して、初登板のときの試合だよ」

 

 テレビ画面に写る東亜(トーア)は、ふてぶてしい態度で投球練習を拒否し、挑発するように指先でバッターに打席に入るよう促す。ナメられたと受け取ったバッターは、苛立ちを見せながらバッターボックスで構えた。呆れた様子で息を吐きマスクを被った球審の合図で試合再開。

 

「いきなり三球三振!」

「力んでいるのを見透かして、甘いコースからの低回転ボール。手元で沈むからバッターは消えたと錯覚しただろうね」

 

 東亜(トーア)の線の細い体よりも遥かに大きく屈強なバッターたちを次々と手玉に取り、凡打の山を築き上げていくさまは、まるで神業。あおいは、画面に写る東亜(トーア)のピッチングに釘付けになり息を飲んだ。

 

「これが......。瑠菜(るな)が取得しようとしているコーチの決め球――」

「正確には、ちょっと違うけどね」

「えっ?」

 

 ――どういうこと? とあおいは首をかしげた。

 

瑠菜(るな)ちゃんが、本当に取得しようとしているのは低回転ボールじゃないんだ。コーチの、渡久地(とくち)東亜(トーア)の投球術なんだよ」

 

 

           * * *

 

 芽衣香(めいか)瑠菜(るな)、それと二人の後輩と一緒にショッピングに出掛けた帰り。四人はカフェに立ち寄って話をしていた。

 

瑠菜(るな)は、どうしてソフトボール続けなかったの? 中学の時は全国大会も出たんでしょ」

「なによ、突然」

 

 明日の対戦相手、ジャスミン学園の話をしていた中芽衣香(めいか)が、唐突に話題を振った。香月(こうづき)藤村(ふじむら)も、興味津々と言った様子で瑠菜(るな)に注目している。

 

「コーチとの勝負に負けたから」

「勝負?」

「そう、一打席勝負にね。でも私、元から野球部に入りたかったのよ」

 

 口に運んでいたティーカップを置いてから瑠菜(るな)は、芽衣香(めいか)からの質問に答える。

 

「ウチの中学、男子しか練習に参加させてもらえなかったの。そこそこ強豪だったこともあってね。だから私は、仕方なくソフトボール部に入ったわ」

「ふーん。じゃあ高校でどっちも所属してしなかったのは?」

 

 頬杖を突いて窓の外に映る人波を憂いを帯びた表情(かお)で見つめながら、どこか気まずそうに当時の気持ちを話す。

 

「......女子じゃ甲子園を目指せなかったから、ルールも力でも......。でも野球を諦められなかった。だから、半端な気持ちのままソフトボールを続ける気にもなれなかったわ。本気で打ち込んでいる人たちに失礼でしょ?」

 

「じゃあどうしてですか?」と、後輩たちが訊ねる。

 

「去年の春。コーチの、渡久地(とくち)東亜(トーア)のピッチングに目を奪われたから。他の選手と比べて細い体なのに、120km/h前後のストレート一本で並み居る強打者を手玉に取る投球術。渡久地(とくち)東亜(トーア)のピッチングは、女の私でも闘えるって、希望を与えてくれたわ」

「それで、また野球を始めたんですね」

「ええ、近所にあるプロの選手も足を運ぶ施設でいちから体を作り始めた。でも最初は、高校で野球をするつもりはなかったわ」

「そこよ、なんでよ? 今年からは、堂々と甲子園を目指せるようになったんだからさぁ」

 

 なんの淀みもなく平然と言ってのける芽衣香(めいか)に対して、瑠菜(るな)はやや言い難そうにティーカップに目を落とした。

 

「......だからこそよ。芽衣香(あなた)たちが苦労して作った野球部、勝ち取った女性選手出場の権利......。『女子も甲子園を目指せるようになったから入部したい』なんて、今さらどの面下げて言えるのよ......?」

「はぁ~? あんた、そんなこと気にしてたの?」

 

 瑠菜(るな)の話を聞いた芽衣香(めいか)は「そんなの気する必要なんてないじゃん。もっと早く入ってくれればよかったのにー」と、若干呆れた様子でタメ息をつく。すると「あたしは、瑠菜(るな)先輩の気持ちわかります」と、瑠菜(るな)の隣に座っている香月(こうづき)

 

「あたしも高校では部活を止めようと思ってましたし」

「えっ? そうだったのっ」

 

 彼女の向かいの藤村(ふじむら)が、軽く身を乗り出した。

 

「うん。肩が弱くて遠投は出来ないし、ソフトボールでも中継に届くのがやっとだったから。高校じゃ絶対無理だって思ってた。でもパワ校戦の、どんなに打ち込まれてもめげないで男子に向かっていくあおい先輩を見てたら、がんばってみようって思えたんだ」

「ふ~ん、へぇ~、決めてはあおいなんだぁ~」

 

「もちろん芽衣香(めいか)先輩もですよっ」と、すかさずフォロー。お決まりのパターンに四人は笑い合った。

 

 

           * * *

 

 

「ジャスミンのエース太刀川(たちかわ)か」

「まっすぐがヤバかったね」

「だな、相当手元でキレてた。葛城(かつらぎ)はどう思う?」

「とにかく粘って引きずり降ろす。二番手以降は問題ないし」

「じゃあバッセンでも寄っていくか?」

「いいね。あれ、アイツたち」

 

 真田(さなだ)葛城(かつらぎ)は、ジャスミン学園を偵察に行った帰り河原を通り掛かった時、河川敷グラウンドでキャッチボールと素振りをする四人組を見つけた。

 

「カーブ行くよ」

「オッケー。でも球数制限10球だけだよ?」

「分かってるって......!」

 

 新海(しんかい)は腰を下ろし、片倉(かたくら)は足場を整えて振りかぶる。右腕から放たれたボールは途中でブレーキが掛かり、ぐっ、と沈みながら曲がった。

 

「オッケーナイスボーッ! どうした?」

 

 ボールを投げ返そうとした腕を止めて、新海(しんかい)が訊く。片倉(かたくら)は、初心者六条(ろくじょう)の素振りを見ていた藤堂(とうどう)に声をかけた。

 

「悪いけど、打席に立ってくれねぇ?」

「ん? ああ、いいよ」

「本気で打ってくれていいから......!」

 

 バッターを立たせて仕切り直しの一球。ストレートで見逃し、二球目はカーブを一塁線へのファール。そして三球目のカーブを、やや詰まった当たりでセンターへ弾き返された。

 

「やっぱりな......。ありがと」

「どうしたんだよ? さっきから」

 

 藤堂(とうどう)六条(ろくじょう)の元へ戻るのと同時に、新海(しんかい)片倉(かたくら)の元へ。

 

「オレのカーブじゃ左から空振りが奪えないんだよ」

「ああ~、確かに変化が横だもんね」

「当てられちゃうんだよな。なぁ瑠菜(るな)先輩のカーブって縦だったよな?」

「うん、スリークォーターだけど。結構落差もあるから右からも空振り取れるね」

「......投げ方分かるか?」

 

「アイツらも頑張ってるみたいだな」

「負けてられないね」

「だな。よっしゃー! バッセンまで走るぞーッ!」

「はいはい」

 

 一年生たちに刺激を受けた真田(さなだ)葛城(かつらぎ)は、バッティングセンターまで走って向かった。

 

 

           * * *

 

 

「やっぱりガンダーロボは熱いぜ......! なあ矢部(やべ)?」

 

 奥居(おくい)が同意を求めるも矢部(やべ)は、テレビ画面を見つめたまま真剣な表情(かお)をしている。

 

「......オイラもガンダーロボのような必殺技が欲しいでやんす」

「あん? なんだよ、唐突に」

「唐突じゃないでやんす。覇堂高校戦から、ずっと考えていたでやんす」

 

 覇堂高校との試合矢部(やべ)は、真田(さなだ)に一番バッターを譲り。真田(さなだ)は、自らの直談判に結果を出して答えた。それにより矢部(やべ)は、危機感を覚えていた。

 

真田(さなだ)くんには、オイラにはない盗塁に技術が。藤堂(とうどう)くんには、オイラ以上の足があるでやんす。このままじゃあ、オイラは......」

「スタメンも危ういな」

「はっきり言わないで欲しいでやんすーッ!?」

「あっはっは、わりぃわりぃ。でも矢部(やべ)には、二人以上の守備があんだろ?」

「もちろんセンターを譲る気はないでやんす! でも、オイラのだけの武器が欲しいんでやんすっ!」

「ふーん......武器ねぇ~」

 

 頭の後ろで腕を組んだ奥居(おくい)は、そのまま床に寝転んだ。天井の壁紙を眺めながら、今日までの矢部(やべ)のプレーを思い返していた。

 

「一塁到達タイムは藤堂(とうどう)が上。ベースランは真田(さなだ)とほぼ互角......。今から走力を上げるのは難しいとなれば、ベースランのタイムで差をつけるしかねぇかもな」

「ベースランでやんすか?」

「おう、オイラもベースランには力を入れてるんだぜ」

「言われてみれば奥居(おくい)くんは、走塁が上手いでやんすね」

「コンマ一秒で天国か地獄か(アウト・セーフ)が決まるからな。走塁は野球の基本で究極。正直、限られた機会の盗塁よりも全ランナーが行うベースランの方が重要だと、オイラは思ってるぜ」

「確かにそうかもしれないでやんすね」

「パワチューブでプロのベースラン調べて見るかぁ」

 

 二人は、矢部(やべ)の勉強机の上に設置されているパソコンでプロ野球選手のプレー集を調べ始めた。

 

 

           * * *

 

 

「何で、海?」

「気分転換したらって、鳴海(なるみ)くんが言ったんでしょ?」

「いや、そうだけど......」

 

 ――まさか、海に来るなんて思ってもなかったって......。二人の他に誰もいない砂浜。波打ち際に座って、日暮れ前のまだ青い海を眺めながら思った鳴海(なるみ)に、あおいは海風を肌に受けながら、ふと頭に浮かんだ疑問(こと)を訊いた。

 

「ここでもボールが自然に落ちたりするのかな?」

「え?」

「ほら、さっき見た試合だよ。対千葉マリナーズ戦の三回戦」

「ああ~、雨の日の反則合戦かー」

 

 リカオンズVSマリナーズの三連戦。

 リカオンズ元オーナー彩川(さいかわ)の策略により三連戦全てに先発登板せざるを得なかった東亜(トーア)は、二試合連続で完投勝利を納めるも。当然のことながら疲れはとうにピークを迎えており、三戦目に捕まり三回までに14失点と大炎上した。

 しかし、これも全て東亜(トーア)の策略。

 平均な試合の終了時間後に、スタジアム周辺に大雨警報が発令されることを事前に知っていた東亜(トーア)は、打たせるだけ打たせて時間を稼いだ。どんなに大差で試合が進んでいても五回裏スリーアウト目が完了していなければ、ノーゲームになると云うルールを突いて――。

 それにいち早く気がついたマリナーズの高見(たかみ)は、バッター陣にワザとアウトになれと進言。チーム全体で試合を完了させることに全力を注いだ。だが、もちろん東亜(トーア)が簡単に許すわけもなく。

 試合は両チームとも没収試合寸前まで反則プレーを繰り返した。

 

 しかし、この反則合戦すらも東亜(トーア)の撒き餌。

 

 試合を成立させようと焦り、躍起になっていたマリナーズベンチに突け込み。14点という点差を逆転、最終的には試合放棄を宣言させて記録上完封を達成させた。

 

「5回表に高見(たかみ)選手を三振に取ったボールは、低回転ボールじゃなかったんだよね?」

「うん、握力とか筋肉の疲労で投げれなかったみたいだからね。あのボールは雨の重みと湿気を利用した落ちるストレートだった。海もグラウンドより遥かに湿度が高いから普段よりも落ちるかもね」

「だよねっ」

「でも、それがどうしたの?」

 

 あおいは、腰を上げて砂を払う。

 

「ボク、ずっと考えてたんだ。コーチのアドバイス」

「えっと確か『何もボールを変化させるのは回転だけじゃない。別の角度から物事を見ろ』だったっけ?」

「うん、そうそうっ。もしかしたら、このことを指していたんじゃないかなって!」

「なるほど、ね......」

「ちょっと試してみてもいいかな?」

 

 そう言って持ってきた荷物からグラブとミット、ボールを取り出した。あおいは、試行錯誤しながら新変化球――高速シンカーを取得しようと鳴海(なるみ)のミットをめがけてボールを投げ込む。

 

「いつもより鋭く変化してる気がする」

「やっぱりっ? でも常に雨降らせられる訳じゃないし......」

「そうだね」

「何か良い方法はないかな?」

「雨じゃなくても、ボールが自然に落ちる方法か......。あっ!」

 

 考え事をしながら投げた鳴海(なるみ)の返球は、普段の返球はよりも短くあおいのグラブの手前で砂浜に落ちてしまった。

 

「もぅ~、ちゃんと投げてよっ」

「ごめんごめんっ。思った以上に届かなく、て?」

「どうしたの? あっ!」

 

 あおいと鳴海(なるみ)は、あおいの1メートルほど手前に落ちたボールを見た瞬間あることに気がついた。

 ――これだよ! と二人声を揃えて叫ぶ。

 

「あおいちゃん!」

「うんっ!」

 

 あおいは、鳴海(なるみ)が構えたミットをめがけてボールを投げた。スピードは普段のシンカーよりも遥かに速い。

 しかし、問題はここから。いつもは変化を求めるとスピードが、スピードを求めると変化が小さくなると云うジレンマを抱えていた。

 だが、今回は――。

 

「いっけーっ!!」

「くっ......!?」

 

 ボールは鋭く変化し、捕球しようと膝を落とした鳴海(なるみ)の左膝前に構えたミットの真下の砂浜に突き刺さった。グラウンドなら間違いなく後逸していただろう位置に......。

 

「す、スゴい変化だ......!」

「ほ、ほんとに?」

「ホントだって! 現に捕球出来なかったし!」

「や、やったーっ!」

「うわぁっ!?」

 

 新変化球の完成に喜びを爆発させて、走ってきたあおいに勢いよく抱きつかれた鳴海(なるみ)。体勢が悪かったためあおいを支えきれず二人は、そのまま砂浜に倒れ込み抱き合う形になってしまった。

 

「ご、ごめんね......。嬉しくてつい......」

「お、俺の方こそ。ちゃんと支えられなくて......」

 

 頬を紅く染めて慌てて立ち上がったあおいは、胸に手を当てて呼吸を整えてから鳴海(なるみ)に右手を差し出して微笑んだ。

 

「明日の試合。絶対勝とうね!」

「......当然!」

 

 日が落ち始め海と空がオレンジ色に染まる中、二人はガッチリと手を取り合い。明日のジャスミン学園戦へ向けた誓いを交わした。



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game30 ~予見~

 チリひとつない清掃の行き届いた部屋。床に敷かれたカーペットは歩く度に足が沈むほど柔らかく、部屋の中央には豪華なソファーと透明のガラステーブル。部屋の奥の大きな一枚ガラスの窓の外は、高層ビルが立ち並ぶコンクリートで覆われた大都会が広がっている。

 この部屋のソファーに東亜(トーア)は腰をかけていた。

 

『では、こちらの書類にサインをお願いします』

 

 ガラステーブルを挟んで東亜(トーア)の向いに座るスーツ姿の初老の男性。彼の斜め後ろに立っていた秘書が、全文英語の書類と万年筆を東亜(トーア)の前に差し出す。東亜(トーア)は書類には一切目を通さず、万年筆を手に取り署名をした。

 男性も、秘書もそのあり得ない行為に驚き、 呆気にとられた。通常、契約書などにサインする前は必ず目を通すもの、特に数字と数字の前後の文章には気を使うものだ。何故ならば、口頭の交渉など所詮は口約束、物証の書類では全然違うことを表記し、詐欺紛いの行為を行う輩もいるからだ。

 

『なにを驚いている』

『い、いや......』

『どうだっていいのさ。こんな契約書(モノ)

『と、申されますと......?』

 

 たじろぐ男性を見て笑みを浮かべた東亜(トーア)は、ライターでタバコに火をともし、口から煙を高い天井へ向かって吐き出す。

 

契約書(コイツ)が本物だろうが偽物だろうが俺にとっては大した問題じゃない。小者が考える姑息な手段などどうと言うことはない。俺は、そう言った連中を全て蹴散らして来た』

『(......恐ろしい。この男の目からは迷いなど微塵も感じない。私は、とんでもない男とビジネスをしているのだな......)』

『全て契約通りです、ご安心を。会長』

『うむ』

 

 秘書に促された男性は席を立ち、東亜(トーア)に向かって右手を差し出した。

 

『Mr.トクチ。我々は、あなたを歓迎します』

『フッ......、堅苦しいのは苦手でね。書面の契約は果たしてやる』

 

 そう言いながらも立ち上がった東亜(トーア)だったが、手を伸ばす直前テーブルに置いてある彼の携帯が振動した。スマホのディスプレイに映る発信者の名前は、加藤(かとう)理香(りか)だった。

 

 東京湾を埋め立て作られた国際空港。

 恋恋高校の養護教諭加藤(かとう)理香(りか)は、ベンチにも座らず立ったまま、腕時計と伝言掲示板の到着時刻を照らし合わせ、落ち着かない様子で待ち人が現れるのを待っていた。

 到着時刻から遅れることなく長い滑走路に着陸した大型旅客機の乗客が、次々と、国際線の発着ロビーに出てくる。

 その中に待ち人の姿を見つけた。理香(りか)は、手をまっすぐ上に伸ばす。

 

「こっちよ!」

 

 彼女の前に現れた待ち人は、渡久地(とくち)東亜(トーア)だった。

 タクシーを拾った二人は、いつものバーへと移動し、いつもの席でアルコールを頼んだ。

 

「で? わざわざ空港で待ち伏せした理由はなんだ」

 

 東亜(トーア)は、ひとくちグラスを口へ運んでから話を切り出す。理香(りか)は、少し間を開けて、言い難そうに重い口を開いた。

 

「......あおいさんのことよ。あの子、野球を辞めてしまうかも知れないわ」

 

 

           * * *

 

 

「じゃあスターティングメンバーを発表するわよ」

 

 聖ジャスミン学園グラウンド三塁側ベンチ。事前に東亜(トーア)に指示されたバッテリー以外は、全て理香(りか)が決めたメンバー。東亜(トーア)との契約が六月末で切れるため、今日の試合は理香(りか)の実戦感覚を養うための試合でもある。

 

「一番、ライト、真田(さなだ)くん」

「うっす!」

「二番、サード、葛城(かつらぎ)くん」

 

 今日の試合も覇堂高校戦と同じく、真田(さなだ)葛城(かつらぎ)の一・二番。やってやろうぜと二人は、拳をコツンッと軽く合わせた。

 

「三番、センター、矢部(やべ)くん」

「オ、オイラがクリーンアップでやんすかっ?」

「あら、不満なら他の子に......」

「やりますでやんす! 慎んで引き受けさせていただくでやんすー!」

 

 必死の矢部(やべ)にベンチ内で笑いが漏れる。理香(りか)は、パンパンっと手を叩いて落ち着かせてスタメン発表の続きを行う。

 

「次行くわよ。四番、ファースト、甲斐(かい)くん」

「はい」

「それで、あのボールのサインだけど」

「うんっ」

鳴海(なるみ)くん! あおいさん!」

「あっ、はい! なんでしょうかっ?」

 

 新変化球について話し合っていた鳴海(なるみ)とあおいは突然、理香(りか)に大声で呼ばれてかしこまった。

 

「バッテリー同士仲睦ましいのは素晴らしいことだけど、聞くときはしっかり聞きなさい」

「す、すみません......」

 

 声を揃えて謝罪した二人に奥居(おくい)が、ちゃかすようにヤジを飛ばす。

 

「ちちくりあってんじゃねぇぞ~」

「そうでやんすッ、羨ましいでやんすッ、妬ましいでやんすッ、オイラも女の子とちちくりあいたいでやんスーッ!」

矢部(やべ)、うっさいっ」

「はぁ、まったくこの子たちは......」

 

 ひとつ大きなタメ息をついた理香(りか)は、無視してスターティングメンバーの発表を続けた。残りのスタメンは以下のメンバー。

 五番、キャッチャー、鳴海(なるみ)

 六番、ショート、片倉(かたくら)

 七番、ライト、藤堂(とうどう)

 八番、ピッチャー、早川(はやかわ)

 九番、セカンド、香月(こうづき)

 覇堂高校戦とは、ガラリと替わった一年生を多く使ったメンバー。7月から始まる甲子園大会予選大会まであと一月半。その大会を見据えた控えメンバーの実戦経験を養うことを目的としたメンバー編成。特に二遊間、奥居(おくい)芽衣香(めいか)のサブは長い大会期間中必須になると理香(りか)は考えていた。

 

新海(しんかい)くん、あなたには試合後半からマスクを被ってもらう。六条(ろくじょう)くんも終盤、代打のまま守備に着いてもらうわ。二人とも準備を怠らないでね」

「はいッ!」

「いい返事ね。鳴海(なるみ)くん」

「はい。集まって円陣」

 

 スタメン、ベンチメンバー全員で円陣を組んで、中心の鳴海(なるみ)の掛け声と共に声を揃えて気合いを入れる。

 

「相手は女の子だけだから楽勝楽勝、なんてこと考えるなよ?」

「当たり前でやんす! 手加減なんてしないでやんす!」

矢部(やべ)の言う通りだ。オレら男同等、それ以上の女子がウチにはいるもんな」

「当然ね。負ける気なんてさらさらないわ」

真田(さなだ)あんた、わかってんじゃないっ」

「イテェッ! ちょっとは手加減しろよ......」

 

 背中を思いきり叩かれた真田(さなだ)が、抗議の目線を向けると「手加減しないって、矢部(やべ)が言ったばかりでしょ?」と芽衣香(めいか)は笑った。

 

「飛んだとばっちりだッ!?」

「アハハ。さあ行こうか、監督に采配に初勝利を......! 恋恋行くぞーッ!」

「オオーッ!!」

 

「おお~っ、スゴい気合いッスね!」

「何を関心してるのだ、ほむほむ。アイツらは敵なんだぞ」

「いやー、恋恋高校と試合できると思ったらつい」

 

 美藤(びとう)に叱られたほむらは、頭をかきながら笑ってごまかした。

 

「あたしは、ほむほむと同じ気持ちだけどね。あおいと投げ合えるのが楽しみで、いつもより二時間も早く起きちゃったし」

「ちょっとヒロ。夜はちゃんと寝たんでしょうね?」

「うん、いつもより二時間も早く寝たよ」

「それただの早寝早起きじゃないっ」

「へっ?」

 

 キョトンとしている太刀川(たちかわ)に、ジャスミン学園野球部主将を務める小鷹(こたか)は呆れ顔でタメ息をついた。

 

「さすがヒロぴーッスね」

「ほら、さっさと準備済ませて整列するわよ!」

 

 ジャスミンも支度が整い両校グラウンドへ整列。主催のジャスミンがホームの後攻、恋恋高校は先攻と云う形だ。主審が手を上げて両校挨拶を交わし試合が始まった。

『先攻恋恋高校の攻撃は、一番レフト、真田(さなだ)くん』校舎とベンチ内のスピーカーから、ジャスミン学園の女子生徒の声でアナウンスが流れる。

 

「おっ、スゲー。ウグイス付きだ」

「ほむらが放送部の子に頼んだのよ。『恋恋高校の皆さんを迎えるのに粗相は出来ないッス!』ってね」

 

 セカンドのポジションでグッと親指を立てるほむらに、真田(さなだ)は金属バット握り直して気合いを入れる。

 

「そりゃ無様なプレーは出来ねぇな......!」

「ええ、楽しみにしてるわ。覇堂を破ったあなたたちの力をね......! ヒロ!」

 

 マウンドの太刀川(たちかわ)は力強く頷き、投球モーションに入る。左のセットポジションから放たれた初球は、アウトコースのストレート。

 

「ストライク!」

「チッ......」

「オッケー、ナイスボール! 完全に振り遅れてたわ、この調子でどんどん攻めて行くわよ!」

 

 わざとらしく挑発染みた発言で、真田(さなだ)を煽る。バットでヘルメットの鍔を軽く叩いて、真田(さなだ)はバットを構える。構えからは、明らかに力んでいる様子が見られる。

 

「(いい感じに熱くなってる、これならボール球でも振るわ。次は、これで外のカーブを振らせてっと)」

 

 しかし、小鷹(こだか)の読みとは裏腹に真田(さなだ)は平常心だった。外のボール球のカーブを平然と見逃して、カウント1-1。

 

「(......振らなかった。今のは演技?)」

「(挑発したって無駄だぜ。なんてたってオレたちは、毎日グラウンド整備を賭けた真剣勝負でメンタルを鍛えてるんだからな......!)」

 

 ここから真田(さなだ)は、出来るだけ多くの球数を投げさせて、太刀川(たちかわ)の球種とキャッチャーの配球を探るため、一番バッターの仕事を果たすことに専念した。

 際どいコースはファールで逃げ、明らかなボール球を見極める。そしてフルカウントになってからの3球目、合計11球目のストレートを空振り三振に打ち取られた。

 

「どう?」

「変化球は偵察通りだな。だけど、ストレートは感じたより来る。ちょい高めに狙い定めないと空振っちまう」

「了解。じゃあ作戦通りに行ってくる」

「おう。頼んだぜ、葛城(かつらぎ)

 

 ハイタッチをして二人は、ベンチとバッターボックスへ、それぞれ向かう。

 打席立った葛城(かつらぎ)は、たったの二球で追い込まれてしまった。しかし、葛城(かつらぎ)真田(さなだ)と同様にここから驚異的な粘りを発揮した。

 

「ファ、ファール!」

「ふぅ、危ない危ない」

 

 二球で追い込まれたにも関わらず、フルカウントまで持っていき、次が15球目。端から見たら、捉えきれず何とか食らい付いているように見えるが、キャッチャーの小鷹(こだか)は焦っていた。

 

「(一・二番だけでもう30球近くも、マズイわ......。ヒロ、甘いコースのストレートを打たせましょう!)」

「うんっ」

 

 サインに頷いてモーションを起こす。太刀川(たちかわ)葛城(かつらぎ)へ対する15球目。

 

「(......外れたっ!?)」

「(外だ)」

 

 パーンッ! と、小気味良い音を小鷹(こだか)のミットが響かせる。だが捕球した場所は、ストライクゾーンからボールひとつ外れたコース。葛城(かつらぎ)は、自信を持って見送り、バットを持ったまま一塁方向へ歩き出した。

 しかし――。

 

「......ストライク! バッターアウッ!」

「っ!?」

「......え?」

 

 球審のジャッジはストライク、見逃しの三振。

 この判定に、確実にボールと確信して歩いたバッター葛城(かつらぎ)だけでは無く。ジャスミンのキャッチャー小鷹(こだか)も驚き戸惑いを隠せない。

 

「マズイな」

「はい......!」

 

 恋恋高校ベンチでは、近衛(このえ)新海(しんかい)が険しい顔でグラウンドを見つめている。この一球が、後の試合展開に大きな意味をもたらすことを。この時、この二人だけは予見していたのだ――。

 



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game31 ~悲鳴~

「ストライクッ!」

「やんすッ!?」

 

 三球目外のストレートで、見逃しのストライクを取られた三番の矢部(やべ)は、カウント1-2と追い込まれてしまった。

 ジャスミンバッテリーの四球目勝負球は、またしても外角のボール。

 

「(また外でやんすかっ。しかも、ここはさっき取られたコースでやんす!)」

 

 一球前の見逃しを取られた時とコース。追い込まれている矢部(やべ)は、振りにいかざるを得ないボール。踏み込んで外のボールに合わせに行った。だが――。

 太刀川(たちかわ)が投げたのは、ストレートと球速があまり変わらないシュート。外角から更に外へ逃げるボールになすすべもなく、空振りを奪われてしまった。

 

「ストライックバッターアウッ! チェンジ」

「ヒロ、ナイスピッチ!」

「えへへ、ありがと!」

 

 初回球数30球と粘られながらも、結果的に一番から三番まで三者連続三振に切って取り、意気揚々と笑顔でマウンドを降りる太刀川(たちかわ)とは対照的に、矢部(やべ)はとぼとぼと重い足取りでベンチへ戻る。

 

「申し訳ないでやんす......」

「おいおい、落ち込んでる暇はねぇーぜ。ほら」

「そうよ、ちゃんと守りなさいよ。落ち込んでエラーなんてしたら、ひっぱたくからね!」

「りょ、了解でやんす!」

 

 奥居(おくい)からグラブを受け取り、芽衣香(めいか)には叱咤を受け、大急ぎでセンターへ駆けて行く。

 恋恋高校先発のあおいは、既にマウンドで投球練習を行い、最後の一球を鳴海(なるみ)のミットへ投げ込んだ。

 

「オッケー、ナイスボール!」

 

 捕球したボールをあおいに投げ返し。ジャスミン学園一番バッターのほむらが、右のバッターボックスに入り球審の合図で試合再開。

 あおいの初球、ほぼ真ん中付近のストレートで空振りを奪いワンストライク。

 

「すんごいノビッス......!」

「関心してる余裕は無いんじゃない? 次行くよ」

「来いッスー!」

 

 二球目はインコース低め、ストライクからボールへ落ちるシンカー。ほむらは、これも空振りあっという間に追い込まれた。

 そして、恋恋バッテリーは遊び球は使わず三球勝負を挑んだ。選んだ球種はアウトコースのストレート。

 

「(完璧)」

「(マズイッス!)」

 

 ミットを目掛けて投げたあおいの投球は、鳴海(なるみ)が構えたアウトコース低めいっぱいのホームプレートを舐めてミットに収まった。

 ほむらは、完璧なコースへのピッチングにバットを振ることすら出来ずに見逃し三振、と思われたその時だった。

 

「ボール!」

 

 これ以上ないというコースへの一球、完璧にストライクゾーンを通ったにも関わらず、球審の判定はボール。

 その判定に、ほむらは安堵し。鳴海(なるみ)は、納得いかない様子でしばらくミットを動かせないでいた。

 

「キミ、早くしなさい」

「......はい」

 

 球審に催促され、渋々あおいにボールを投げ返し。ひとつ息を吐いて、仕切り直す。

 

「あおいちゃん、ナイスボール! バッター手が出なかったよ、次で決めよう!」

「うんっ」

 

 力強く頷いたあおい。鳴海(なるみ)は、サインを出してミットを構える。

 

「(コースは完璧だった、となれば高さが低すぎたのかも。次は、もうちょい高く......)」

 

 カーブを外に外したあと、一球前よりボール半個分高い位置でミットを構える。頷いたあおいも、また一寸の狂いも無く完璧にそこへ投げ込んだ。

 しかし――。

 

「ボール!」

「(またッ!? コースも高さも完璧なのに......!)」

 

 またしても球審の判定はボール。

 鳴海(なるみ)の様子をベンチから見ていた、近衛(このえ)新海(しんかい)は自分達が思っていたことが起きていると確信した。

 

「やっぱりな。こうなるんじゃないかって思ってたけど」

「ですね。でも、ここまであからさまにやられるのは珍しいです」

「どういうこと?」

 

 今の状況を予見していたと言わんばかりの二人に、理香(りか)が訊ねる。

 

「あの審判、外のストライクゾーンが狭いんです。ウチが投げるときだけ」

「はあーっ! なによそれっ!? そんなの贔屓じゃん!」

 

 近衛(このえ)の話を聞いた芽衣香(めいか)が、声を荒げるとほぼ同時にグラウンドでは、ほむらが一、二塁間を破るヒットで出塁していた。

 

「監督、伝令をお願いします。新海(しんかい)

「お願いね」

「はい、行ってきます」

 

 ベンチから出た新海(しんかい)は、頭を下げてマウンドへ向かった。彼は内野陣をマウンドへ集める。

 

鳴海(なるみ)先輩」

「なに?」

「あの球審。この試合は、あのコースは取ってくれません」

「どうして......?」

「オレの時は、かなり広かったぞ?」

 

 鳴海(なるみ)の他に、外で見逃しの三振を奪われた葛城(かつらぎ)も疑問を口にした。

 

「理由は、この回が終わったら説明します。とにかく外の見逃しは狙わずにバックを信頼して打ち取ることを考えてください」

「わかった」

「あおい先輩、頑張ってください」

「うん、ありがと」

 

 球審と線審の両方に丁寧に頭を下げ新海(しんかい)は、ベンチへ戻って行く。内野もそれぞれポジションに戻り試合再開。ジャスミン学園の二番はプレイのコールがかかると同時にバントの構えをした。

 

「(バントか。高めのストレートで打ち上げさせよう)」

 

 インコース高めに構える。アンダースロー特有の浮き上がる軌道のストレートに、バッテリーの狙い通りバッターのバントはピッチャーへの小フライとなった。

 

「あおいちゃん、二つ行けるよ!」

「うんっ! セカンっ!」

 

 ダイレクトでは無く、わざと一度バウンドさせてショートバウンドで打球を捕球。打球の行方を見るためハーフで止まっていたほむらをセカンドでフォースアウト。さらにセカンドベースで捕球したショートの片倉(かたくら)は素早く一塁へ送球、バッターランナーもアウトに取り、併殺成功。無死一塁がワンプレーで、ツーアウトランナー無しの局面へと変わった。

 しかし、続く三番バッター美藤(びとう)にはライト前へ運ばれ、四番の太刀川(たちかわ)にも逆方向へ運ばれ連続ヒット、ツーアウトながら一二塁とピンチを迎えてしまった。

 

「(くそっ......、外を使えないのがこんなにもキツいなんて)」

 

 アウトコースのストライクを取ってもらえない予想外の事態は、キャッチャーの鳴海(なるみ)の頭を悩ませていた。

 

「ずいぶんと苦難してるみたいね」

 

 五番の小鷹(こだか)は足場を馴らしながら、鳴海(なるみ)に話しかけた。

 

「覇堂を倒したリードは、もっと人を食ったみたいな大胆なリードだったけど、期待はずれかしら?」

「(......自分は、外を広く取ってもらえて楽してるクセに)」

鳴海(なるみ)くん!」

「ん?」

 

 鳴海(なるみ)が顔を上げると、マウンドであおいが手招きをしていた。タイムを要求してマウンドへ向かう。

 

「どうしたの?」

「それは、ボクのセリフだよ。なにをそんなに悩んでるの?」

「なにって、外を取ってもらえないから......」

「あっ、そんなことで悩んでたんだー」

「そんなことって......」

「ピッチャーやってればこんなのよくあることだから、もう慣れっこだよ。それよりいつになったら()()投げさせてくれるの? ボク、ずっと待ってるんだよ?」

 

 あっけらかんに言ってのけるあおいに、鳴海(なるみ)は少し戸惑いながらも勇気付けられていることに気がついた。

 

「そうだったね。よし、どんどん使っていこう!」

「うんっ!」

 

 キャッチャースボックスに戻った鳴海(なるみ)は腰を落とす。球審のコールの後、サインを出す。初球はインコースのシンカーでファールを打たせ、二球はやや甘めのストレートを空振りさせて、二球で小鷹(こだか)を追い込んだ。

 

「(ここで行くよ)」

「(......うんっ!)」

 

 砂浜で取得した新変化球のサインを初めて出す。あおいは、今まで以上に大きく強く頷いてセットポジションからモーションを起こした。

 

「(またストレート、しかも同じコース! もらったわっ)」

 

 小鷹(こだか)は、その球速にストレートと確信して振りにいった。しかし。

 

「き、消えた......?」

 

 バットは何の手応えもなく虚しく空を切り、ワンバウンドしたボールは鳴海(なるみ)のミットに収まっていた。鳴海(なるみ)は、ボールを持ったミットで小鷹(こだか)の背中にタッチ。球審の「アウト」と言うコールを聞いてから、ベンチへ戻る。

 

「ナイスピッチ!」

 

 ピンチを三振で切り抜けたあおいに、賛辞の声が次々とかけられる。その間に鳴海(なるみ)は、防具を外しながら近衛(このえ)新海(しんかい)に伝令で言っていたことの真意を訊ねた。

 

「簡単に言うと球審に嫌われたんだ」

「はあ? なんだよ、それ......?」

「きっかけは葛城(かつらぎ)先輩の打席です」

「オ、オレのせい......?」

 

 二人は頷き、事の次第を話す。

 恋恋高校が球審に嫌われた理由は、葛城(かつらぎ)が打席で行った行為に原因があった。

 

「お前、フォアだと思って球審が判定する前にセルフジャッジで歩いただろ。あれが気に入らなかったんだろうよ」

「そんなことで?」

「正式に登録された審判と言ってもアマチュアですから。些細なことで機嫌を損ねることもあります」

 

 四番の甲斐(かい)の打席に目をやると、やはり外のストライクゾーンがやや広く取られている。

 

「マジか、オレのせいじゃん......」

「いいえ、違うわ」

「監督......」

 

「みんなも聞いて」と、理香(りか)はベンチに居る全員に向けて話す。

 

「こういう審判も居ると言うことが、今日の試合でわかって良かったわ。恋恋高校は、まだまだ実戦経験が浅いチームよ。この試練を成長するための良い糧と思って乗り越えましょう。そうすれば一歩甲子園へ近づけるわ!」

「はい!」

 

 全員で声を揃えて返事をした直後四番の甲斐(かい)は、矢部(やべ)が三振に打ち取られた外のシュートを捉え、レフトオーバーのツーベースで出塁していた。

 

鳴海(なるみ)、頼んだぜー!」

「おう!」

 

 チームメートの声援を背に受け鳴海(なるみ)がバッターボックスへ。

 

「ねぇ、あおい。最後のボールは?」

「あれ? あれはね、ボクの新しい決め球。名付けて『マリンボール』だよ!」

「マリンボール?」

 

 瑠菜(るな)は、ずっときっかけを掴めずに悩んでいたあおいを知っている。それをたった一日で決め球として使えるようになった理由に興味を持った。

 

「スピードと変化の両立。どうやって投げてるの?」

「それは秘密だよ」

「なによ、それ」

「えへへ~、ナイショだよっ」

「そういわれるとますます気になるわ。いいわ、この試合中に突き止めてあげるからっ。はるか、カメラの映像貸してもらえるかしら」

「はい、どうぞー」

 

 はるかから、試合を記録している二台のビデオカメラのうち一つを借りて。あおいの投球の映像を再生して観察を始める。

 そして試合の方は、ランナーを三塁にまで進めたが一本が出ず無得点で二回以降の攻防へと移った。

 恋恋バッテリーは取ってもらえない外のストライクを捨て、新変化球マリンボールとシンカー、そしてストレートを巧みに使い。三振と凡打の山を築いて行く。負けじと太刀川(たちかわ)も、ノビのあるストレートを武器にホームを踏ませないピッチングを披露し。投手戦のまま五回裏ジャスミンの攻撃。

 既にツーアウトを取られ、バッターもツーストライクとテンポよく追い込まれて、三球目。

 

「ストライク、バッターアウト! チェンジ」

「また三振ッス!」

「今度はストレートだな」

「同じ軌道からのストレートと鋭く変化する速いシンカー、厄介にも程があるわ。ヒロ」

 

 小鷹(こだか)の呼び掛けに太刀川(たちかわ)は、ドリンクを口にしたままで反応しなかった。もう一度声をかけたところでようやく気がつく。

 

「えっ、なに?」

「結構投げさせられたけど、まだ行ける?」

「うん、ぜんぜん行けるよー」

「そう。じゃあみんな、この回もしっかり守りましょう!」

「おおー!」

 

 守りに着くジャスミンナインはベンチへを飛び出し、整備が終わったグラウンドへかけて行く。

 六回表恋恋高校の攻撃は、六番の片倉(かたくら)からの打順。

 

「(先ずは、外のストレートでストライクを取るわよ)」

「(オッケー)」

 

 これまでも広く取ってもらえる外ストライクを有効に使っているジャスミンバッテリー。この回も今までと同様の攻め方を選択したが......。

 

「ボール、ボールフォア。テイクワンベース」

 

 ツーストライクを取ったまでは良かったが、その後はストライクが入らず。結局、四球でノーアウトのランナーを出してしまった。

 続くバッター藤堂(とうどう)は、さっそくバントの構えを見せ、初球のカーブをキッチリ転がし、先制のチャンスを作った。

 

「ヒロ、大丈夫?」

 

 あおいが打席に入る前にマウンドへ行った小鷹(こだか)は、簡単にバントをやらせてしまったことが気になっていた。

 

「うん、大丈夫だって......」

 

 笑顔を作ったが疲労の顔は隠せない。それもその筈、太刀川(たちかわ)の球数は既に130球近くまで来ていたからだ。

 ジャスミン学園が恋恋高校以上に選手層が薄いことを事前の偵察で知っていたため、徹底的に粘り太刀川(たちかわ)をマウンドから引きずり下ろす作戦を取った。それにより広い外はヒットは難しいが、最初からファールにすることを意識するしたことで、ある程度対応出来たことが大きかった。

 

「プレイ!」

「(とにかく球数を減らさないと、多少甘くてもいいわ。ストライクで勝負しましょう)」

 

 頷いて二塁ランナーを目で牽制してから投げた。二球ストライクを見逃してからの三球目をファールで逃げる。

 

「(またファール!)」

 

 もう一球ファールを打った次の投球。

 そこで事件が起こった。

 

「あっ......」

「(――真ん中、失投!?)」

「(もらったよ!)」

 

 ど真ん中のストレート。それも今までとは比べ物にならないほど力の入っていない棒球。あおいは、そのボールを逃がさずキッチリと芯で捉えた。

 打球は、太刀川(たちかわ)の右側へ飛んで行く。

 

「ヒロ!」

「......っ!?」

 

 反応が一瞬遅れた。打球は伸ばしたミットよりも一瞬速く通り抜け、太刀川(たちかわ)の左肩に当たって、跳ね返ったボールがファーストへ転がる。

 直後、グラウンドに大きな悲鳴が響き渡った――。



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game32 ~取引~

「結局、ジャスミン学園戦は無効試合に終わったわ」

「ふーん」

 

 理香(りか)の話には、まったく興味を示さず空になったグラスを持ち上げて、カウンター越しでグラスを磨くマスターに同じアルコールを注文。理香(りか)は、試合で起きた予想外の出来事を聞いても平然としている東亜(トーア)に訊ねた。

 

「それだけ? なにもないの?」

「ああ、無いね。強いてあげるとすれば、気にするヤツが甘いだけだ」

「......それでも!」

 

 バンッ! と両手でカウンターを叩き勢い立ち上がった理香(りか)に周囲の目が向けられたが、彼女は気にするそぶりはみじんも見せない。

 

「あの子は、自分の責任だと思い込んでいるのよ......!」

 

 ジャスミン戦翌日、あおいは練習に姿を見せなかった。

 自らのやるせなさを感じながら呟く理香(りか)の悲痛な訴えも、東亜(トーア)には届かない。それどころか、新しいグラスを持ったまま笑い出した。

 

「くっくっく......自信過剰も良いところだな。あおい程度の打球で壊れるほど人間の体は脆くはない。どうせ、はなっから故障していたのさ。違うか?」

 

 理香(りか)は、質問に答えることなく黙ったまま椅子に腰を下ろす。

 

「......その通り、あなたの言う通りよ。彼女の打球は肩を直撃したのでは無く。左肩の外側に当たって、セカンド方向へコースを変えて弾んだわ」

 

 打球や投球が体に当たった場合、大きく弾んだ方がダメージは小さく。逆にあまり弾まず近くに落ちた場合は衝撃を体が吸収してしまいダメージを大きく受ける。頭へのデッドボール等が弾んだ方が良いといわれる理由はここにある。

 

「あの打球の弾み方なら直接肩へのダメージは少ないハズ。でも太刀川(たちかわ)さんは、悲鳴を上げてマウンドに崩れ落ちた。救急車が到着する迄の間、応急処置をしながら問診してみたけど。彼女の左肩は、リトルの頃からの無茶な投げ込みが原因で、元々深刻なダメージを抱えていたそうよ......」

「自業自得壊れるべくして壊れた、それだけの事。知っていて投げた本人と故障を見抜けなかった指導者が無能だっただけで。同情する価値など微塵もない、取るに足らないことだ」

「......みんながみんな、あなたのように強い訳じゃないわ」

「フッ......辞めるなら好きにさせればいいさ。そんな甘い考えならどうせ勝ち上がれない」

 

 鼻で笑った東亜(トーア)の中では、甲子園優勝にあおいは不可欠だが、契約上の甲子園出場については現時点で瑠菜(るな)を育て上げれば行けると算段が立っている。

 しかし理香(りか)は、東亜(トーア)の思惑とは違い。あおいが居なければトーナメントを勝ち上がれないことを確信していた。

 

「......無理よ。あの子が居ないと、絶対に甲子園には行けないわ。例えあなたが、監督として采配を振るってもね」

「あん?」

 

 アルコールの代金をカウンターに置いて立ち上がった理香(りか)は、ガラス扉の柄に手をかけ「明日になれば分かるわ」と言い残し店を出ていった。『どうせ、動揺して練習に身が入らない』そんなところだろう思っていた東亜(トーア)

 しかし明日、理香(りか)の言葉の本当の意味を知ることとなる。

 放課後の練習。体調を崩し、学校を欠席したあおいを除く全員が練習に参加したが、ナインは気を緩むことなく、いつも通り......いつも以上に真剣な表情(かお)で練習に打ち込んでいた。

 

「よし、筋トレ行くぞ! 気を抜くと怪我するからね!」

「オォーッ!」

 

 鳴海(なるみ)の言葉に、ランニングを終えたナインは大きな返事を返し、サーキットトレーニングを始めた。こちらも滞りなくこなしていたが、東亜(トーア)は彼らの異変にすぐに気がついた。

 

「なるほどな」

「わかったかしら?」

「精神的支柱と言ったところか」

「そう、この恋恋高校野球は......。早川(はやかわ)あおいから、すべてが始まったの」

 

 二年前の春、近年の少子化の煽りを受け女子校から共学になった恋恋高校。そこへ入学してきた早川(はやかわ)あおいが、鳴海(なるみ)と二人で同好会を立ち上げ、毎日ビラ配りや勧誘を行い人数をかき集め、やっとの想いで作り上げた野球部。

 早川(はやかわ)あおいが居なければ、恋恋高校野球部は成り立たない。それが理香(りか)の言い分だった。

 

「ラストワンセット、気合い入れて行こうーッ!」

 

 鳴海(なるみ)の掛け声にナインたちは、よりいっそう気合い入れてトレーニングに励む。東亜(トーア)がコーチに就任して始めた、基礎体力強化のトレーニング。メニューをこなす時間も最初の頃と比べればずいぶんと速くなった。

 

「監督」

「なーに?」

 

 筋トレを終え、ポジション別練習の準備が進む中、鳴海(なるみ)がベンチへやって来た。

 

照明(ナイター)の使用許可をもらいたいんですが......」

「ナイターを?」

「はい。平日は、主に基礎練習が中心ですので。延長した時間で連携プレーや実戦練習を行いたいんですが......」

「ですって」

 

 意見を聞いた理香(りか)は、練習メニューだけではなく野球部関連においてすべての決定権を持つ東亜(トーア)に振った。ベンチの背もたれに身体を預けながらタバコを吹かす東亜(トーア)は、鳴海(なるみ)に目をやる。

 

「好きにすればいい」

「ありがとうございます!」

 

 深く頭を下げ、背を向ける。ナインの元へ戻ろうと足を踏み出す直前――。

 

「甲子園へ行く気がないのならな」

 

 

           * * *

 

 

「それで、ダメだった理由はなんだったの?」

 

 定刻通り練習を終えて、帰り道を歩きながら芽衣香(めいか)が、練習の延長を取り下げた理由を鳴海(なるみ)に訊ねる。

 

「『無意味な練習は、ただ故障のリスクを上げるだけだ。通しで計算出来ない奴は、俺は使わない』だって......」

「......無意味って。勝つために練習するのが、ムダだって言うのっ!?」

加藤(かとう)先生が、コーチの真意を教えてくれたよ。『キミたちは、まだ身体を作りの最中なの。身体が出来ていない今、無茶をしたら取り返しのつかない事になるわ。実際に見たんだから、分かるでしょ......?』」

 

 激昂していた芽衣香(めいか)だったが、ジャスミン戦の出来事が頭を過り、うつ向いて立ち止まってしまった。

 

「......でも、あたしたちは敗けられないのよ。あおいが戻って来るまで――」

「そうは言っても、どうするでやんすか?」

「そうだぜ。昨日も一昨日も練習を休んじまったし。早川(はやかわ)は、塞ぎ込んじまって話にならないんだろ?」

「いや、本当に風邪を引いたみたい。メールで担任に伝えてって来たから」

「......そう。きっと、今までの疲れが一気に出たのよ。今は、ゆっくり休ませてあげましょう」

「そうね。ってことで鳴海(なるみ)、あんたはあおいのお見舞いに行きなさい!」

 

 ビシッと、人差し指で芽衣香(めいか)に指名された鳴海(なるみ)は、虚をつかれすっとんきょうな声をあげる。

 

「はい?」

「あんた、リトルの頃からあおいとチームメイトで家も近所なんでしょ?」

「いやいや、近所って言っても。学区が違うから、学校も別だし――」

「うっさいわね! そんな細かいことはどうでもいいのよ、いいから行く! あんた、キャッチャーでしょ!?」

「いやいやいや、意味わからないから......」

 

 結局芽衣香(めいか)に押しきられた鳴海(なるみ)は、商店街で見舞いの品を購入したのち、あおいの自宅へと向かった。

 

 

           * * *

 

 

「体調は、どう?」

 

 見舞いに来てくれた鳴海(なるみ)に、ベッドで体を起こして座るパジャマ姿のあおいは、申し訳なさそうに笑った。

 

「熱も下がったから平気だよ、ごめんね」

「そっか、よかった。これお見舞い、パワ堂のシュークリームなんだけど」

「わぁ~っ、ありがと! ここのシュークリーム美味しいんだよねっ」

 

 鳴海(なるみ)はシュークリームが箱を手渡してから、部屋をざっと見た。予想通り野球関連の物が多い、他にもぬいぐるみや小物などがキレイに整頓されいて、年頃の女の子らしい部屋。

 

「どうしたの?」

「あ、いや、意外と女の子らしいなって――」

「どういう意味かな......?」

 

 額に青筋を浮かべながら素敵な笑顔で首をかしげる。超高校級投手の木場(きば)との対戦でも感じたことのない、彼女の圧倒的な威圧感に鳴海(なるみ)は、額が床につく寸前まで深々と頭を下げて許しを請う以外の選択肢は残されていなかった。

 

「もうっ、失礼にもほどがあるよ!」

「すみません......」

「......はぁ~」

 

 深くタメ息をついたあおいは、お見舞いの洋菓子箱を薬とコップ、水のボトルがあるテーブルに置いた。そして沈黙が訪れる。鳴海(なるみ)は、どう話を切り出そうか思考を巡らせていると、あおいは微笑んだ。

 

「ボクは、もう大丈夫だよ」

 

 だが、明らかに強がりだということは鳴海(なるみ)にも分かっている。だからこそ、その思いを汲んだ。

 

「そっか。ま、わかってたけどね、あおいちゃんなら大丈夫だってさ!」

「ふーん、じゃあ何しに来たの?」

「えっと......。あ、ほら、俺キャッチャーだから」

「へ? あ、あははっ、なにそれ意味わからないよー」

 

 苦し紛れに言ったのは芽衣香(めいか)に借りた言葉だったが、本当におかしそうにお腹を抱えて笑ってくれたあおいを見て、鳴海(なるみ)はホッと肩を撫で下ろす。

 

「はぁー、笑ったらお腹空いちゃった。ね、一緒食べよ」

「俺は、いいよ。あおいちゃんに買って来たんだし」

「いーのっ。ボク、ピッチャーで――」

 

 大きなシュークリームを半分にして鳴海(なるみ)に差し出すと、あおいは笑顔を見せた。

 

「ボクたちは、バッテリーだもんっ」

「――ああ、そうだね」

 

 あおいは励ましに来てくれた鳴海(なるみ)に、心の中で――ありがと......と、お礼を言った。

 

 

           * * *

 

 

「それで本当に、あおいさん抜きで勝ち上がるつもりなの?」

「実際に采配を振るうのは、お前だろ」

「......正直、自信無いわ」

 

 グラスの縁に指を触れて弱音を溢す理香(りか)

 

「フッ。なら、あおいを引き戻せばいいだろう」

「それが出来れば苦労しないわ」

「クックック」

「なによ......?」

 

 バカにしたように笑う東亜(トーア)に、理香(りか)は目を細める。

 

「演技が下手だな。お前なら出来るだろう」

 

 図星を突かれ、頬杖をつきながらアルコールを一気に飲み干すと、バッグからビデオカメラを取り出して強引に話題を変えた。

 

「はるかさんから預かったビデオよ。」

 

 音を消して録画された動画を再生する。映し出されたのは、今年の春の甲子園ベスト4で恋恋高校と同地区最強『あかつき大学附属高校』の試合。

 

「去年の秋からエースナンバーを背負う猪狩(いかり)くんを中心に一番から九番、ベンチメンバーも高レベルの選手が揃っているわ」

「そのわりには劣勢みたいだが」

 

 早送りで見ていた試合は、八回終わって5-2とあかつきがリードされた展開。

 

「それ、春の準決勝だから。直近の試合は次よ」

 

 メニューを操作して、二日前に行われた試合の映像に切り替えた。撮影しているのが、マネージャーのはるかということで時々ブレるが、二人とも特に気にする様子はない。

 

「あん?」

「どうしたの?」

 

 東亜(トーア)は、カメラを手に持ち巻き戻して映像を注視。しばらくして、カメラを置いた

 そして――。

 

「おい、取引だ」

「え?」

 

 今のままでは、あかつき高校には勝てない。

 そう確信した東亜(トーア)は、理香(りか)に取引を持ち掛けた――。



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game33 ~明暗~

お待たせいたしました。

お知らせ。
タグをパワプロアプリからサクセススペシャルへ変更しました。


 風邪を引いて学校を欠席していたあおいが、練習に復帰して初めての週末。練習試合後、一年生の片倉(かたくら)はマネージャーのはるかにベンチに行くように言われ。いつもの眼球運動強化(ビジョントレーニング)精神強化(メンタルトレーニング)を行う空き教室へは向かわずグラウンドに残り、言われた通りベンチへ向かう。

 ベンチには、人影が三つ。ベンチ座る東亜(トーア)瑠菜(るな)理香(りか)はベンチ前で話をしていた。

 

「呼び出してごめんなさいね」

「いえ、それで......」

 

 理香(りか)は、二人を呼び出した張本人である東亜(トーア)に話を委ねる。ベンチに深く腰をかけて足を投げ出していた東亜(トーア)は、やや面倒そうに足を組み直す。

 

「予選まであと一月弱。今後の練習試合は本番を見据え、あおいを含めたお前たち三人で、一試合百球を目処にローテを組んで回す」

「毎週じゃないけど。来月からの練習試合は、なるたけダブルヘッダーを組めるように調整しているから、二人とも準備を怠らないようにね」

「はい、わかりました」

 

 すぐに返事を返した瑠菜(るな)とは違い。シニア時代の三年間常に二番手で、主にロングリリーフを担っていた片倉(かたくら)は、先発で使うと告げられた驚きと戸惑いで、一瞬遅れてから返事をする。

 

「うん、いい返事。それじゃ空き教室で、いつも通りメンタルトレーニングへいってらっしゃい」

 

 瑠菜(るな)片倉(かたくら)は、頭を下げてグラウンドを出ずに昇降口を介さず運動部や体育の授業で使う通用口から校舎に入って、空き教室へと向かう。

 

「あの瑠菜(るな)先輩、監督と何を話していたんですか?」

「あおいのことで、少し話していたの」

「あおい先輩の......」

 

 気まずい空気が、二人の間に流れた――。

 

 あおいが復帰した日、東亜(トーア)はウォーミングアップ前にキャッチボールをしていたあおいと鳴海(なるみ)を呼び、一打席勝負を行うこと告げた。

 投手はあおい、捕手は鳴海(なるみ)。そして打者は、初心者の六条(ろくじょう)。緊張した様子でバット持ち打席に向かおうとしたところで、東亜(トーア)は呼び止め「初球、ベルト付近の外角のストレートを狙え」と、六条(ろくじょう)に指示を出した。

 

「本気で行くよ!」

「は、はい!」

 

 マウンドとバッターボックスで対峙する二人。グラウンドの外から勝負を見守るナインたちは、誰もがあおいが勝つと思っていた。もちろん捕手を務める鳴海(なるみ)も。

 

「(あおいちゃん、気合い入ってるな。よし、じゃあコーチの指示通りに、まずは――)」

 

 鳴海(なるみ)の出したサインに、あおいは首を横に振ることなくうなづいて、モーションを起こす。ノーワインドアップからグッと腰を沈ませ、しなやかな肘使いで指先が地面に着きそうなほどの低い位置からボールをリリース。

 

「......あっ!?」

「(逆球ッ!?)」

 

 投球は、インコースに構えた鳴海(なるみ)のミットとは正反対の外角のストレート。

 

「(来た! 力まずに......!)」

 

 いくら初心者の六条(ろくじょう)とはいえ、東亜(トーア)の言葉を信じて狙い撃ち。ミスショットすることなく捉えた打球は、キンッ! と快音を響かせ、左中間のど真ん中を切り裂くラインドライブで外野フェンスまで抜けて行った。

 

「やっぱりあなたの予想通りだったわね。正直、今回ばかりは外れて欲しかったけど......」

 

 ベンチで肩を落とす理香(りか)とは対称的に、東亜(トーア)は当然と言わんばかりに笑みを浮かべている。

 

「そうでなければ取引した意味がないだろ」

「それはそうだけど......。もう少し気づかってあげたらどうなの?」

「フッ、それこそ俺が出る幕ではない。あいつらが放っては置かないさ」

 

 東亜(トーア)がアゴで指したグラウンドには、既に人だかりが出来ていた。

 

鳴海(なるみ)、あんたのリードが悪いのよ!」

「違うよ! 今のは、ボクの失投だから......」

「そうね。でも六条(ろくじょう)くんのバッティングも良かったわ。初球の失投を逃さず捉えたんだもの」

「おう、力みのないシャープな振りだったぜ」

「あ、ありがとうございます!」

 

 グラウンドを見て少しほっとした理香(りか)は、小さく息を吐いて手を叩いた。

 

「はいはいっ、みんなそろそろ練習を始めましょうっ!」

 

「はい!」と、ナインは声を揃えて返事をして。きびきびと準備を済ませると、ウォーミングアップを開始した。

 

 

           * * *

 

 

「大丈夫よ」

「え?」

「あおいは、大丈夫。それよりあなたも先発を任されるんだから、人の心配よりちゃんと備えておきなさい」

 

 瑠菜(るな)がやや強い口調で言った言葉は、彼女自身にも言い聞かせる言葉でもあった。

 

 練習試合後のメンタルトレーニングも終わりグラウンド整備の最中、大きなタメ息をついたあおいに、ベンチで備品のチェックをしていたはるかが声をかけた。

 

「はぁ~......」

「大きいタメ息ですね、あおい」

「ん......。今日の試合、全然ダメだった......」

 

 もうひとつタメ息をついて、ガックリと肩を落とした。それもそのはず、今日の練習試合先発登板をしたあおいは、二回もたずノックアウト。

 瑠菜(るな)と同じく制球力が生命線のあおいだったが、初回を三者凡退に抑えて迎えた二回のマウンド。四番に四球を与えると続く五番にも四球を与え、六番には逆球を弾き返されて失点。結局四球6、5失点と大乱調。二回を投げきれず得点圏にランナーを残したままマウンドを降りた。

 

「みんなに迷惑かけちゃった」

 

 落ち込むあおいに、はるかは微笑みかける。

 

「ふふっ、みなさん迷惑だなんてに思っていませんよ。渡久地(とくち)コーチも『今日の内容は、本番を拾うための必要経費のようなものだ』って笑っていましたから」

「コーチがっ? なんか逆に怖いんだけど......」

「だから、いつまでも気にしちゃダメですよー? それに明日は早いんですからね」

「あ、うん、そだね。ありがと、はるか」

 

 トンボを手に他のナインが整備を行っているグラウンドへ戻って行った。

 

 

           * * *

 

 

「経過は良好みたいよ。このまま順調に行けば、来月初めには復帰を見込めるわ」

「ふーん」

 

 理香(りか)の報告を聞き流しながら、東亜(トーア)はいつものバーで、いつものアルコールが注がれたグラスを持ち上げる。ロックアイスとグラスがふれ合い、カランッと小気味良い高い音を響かせる。

 

「はぁ......まったく相変わらずね。気になると思って、せっかく調べて来てあげたのに」

「ただ電話しただけだろう」

「あなたに取っても他人事じゃないでしょ?」

「さてね」

 

 追及をテキトーにはぐらかし、グラスを口に運ぶ。

 

「素直じゃないわね。あっそうだ、明日の観戦予定だけど。先方の都合でダブルヘッダーを取り止めて、二手に分かれて行うことになったそうよ」

「戦力は?」

「対覇堂戦がレギュラー、対関願戦は秋以降を想定した編成になるみたい。それからエースは関願戦に登板予定らしいわ」

「覇堂を避けたのは木場(きば)が登板回避するから、と言ったところか」

「ご明察。はるかさんが調べてくれた情報によると、木場(きば)くんは恋恋(ウチ)との試合で150球以上投げたから、登板をひとつ飛ばすそうよ」

「ま、好きに分かれて観させればいいさ」

 

「そう。伝えておくわ」と、スマホを持って一旦店を出ていった理香(りか)の席に置かれたバッグから、渡久地(とくち)東亜(トーア)と記された資料が閉じられたクリアファイルが顔を覗かせていた。

 

 

           * * *

 

 

 ――翌日。

 今日は練習休養日を兼ねた、他校の試合観戦。

 キャプテンの鳴海(なるみ)たちが観戦する試合は、先日練習試合を行った覇堂高校と今年の春準優勝、そして去年の夏の覇者――京都府会津附属壬生高校のレギュラーメンバー。

 予め許可を貰って、覇道高校野球部専用グラウンドのバックネット裏で観戦させてもらえることになっている。

 

「お、ちょうど今から試合開始みたいだ」

「ホントだ、間に合ってよかったね」

「あれ?」

「どうしたの? はるか」

 

 マネージャーのはるかは、グラウンドで整列している鮮やかなあさぎ色のユニフォームに身を包む選手たちを見て、あることに気がついた。バッグから資料を出して確認する。

 

「壬生高校の列の中に、エースピッチャーの近藤(こんどう)さんが居ます」

「えっ? でもエースは、関願高校との練習試合に行ってるって......」

「はい、そのハズですけど。ほら、あの方ですっ」

 

 はるかが指を差した先には、常時150km/h越すストレートを武器に勝ち上がり。決勝戦では、同じ速球派のアンドロメダ学園大西(おおにし)と共に春の甲子園を沸かせた壬生高校のエース、近藤(こんどう)の姿があった。

 

「うーん、予定を変更したのかな?」

「そうかも知れませんね」

「俺たちと同じ地区の関願高校も強豪だけど、さすがに春ベスト4の覇堂には劣るからね」

「その覇堂にコールド勝ちしたオイラたちは、実質、甲子園ベスト3ってことでやんすね!」

「言ってくれるじゃねーか」

 

 後ろから声をかけられて、話をしていた四人が振り返ると木場兄妹が通路の階段を下って来た。

 

木場(きば)?」

「よう」

「ごぶさたでーすっ」

「なんでここに? ベンチに居なくていいのか?」

「ベンチに居ても暇だからな、どうせ出れねえし。ところで......」

 

 木場(きば)は、矢部(やべ)の隣に腰を下ろしてガッツリ肩をホールド。

 

「誰がザコだって!?」

「そ、そんなこと言ってないでやんすーッ!?」

「コラー! いきなり絡むなー!」

「イテッ!?」

「ボコられたのはホントじゃんっ。みっともないことしないでよっ」

 

 妹でマネージャーの静火(しずか)が、やや眉をつり上げて兄の頭をはたき叱りつけた。痛いところ突かれた木場(きば)は、しぶしぶ矢部(やべ)を解放。

 

「うぐっ......ちっ!」

「た、助かったでやんす......」

 

 二人が座り直したところで、鳴海(なるみ)は改めて訊ねた。

 

「それで、こんなところに居ていいのか?」

「ああ、ベンチよりも客席(こっち)の方が見やすいからよ。静火(しずか)

「はいはい、わかってますよー」

 

 静火(しずか)は、三脚にビデオカメラをセットして撮影の準備を始める。はるかも同じようにビデオカメラを回し始めた。

 グラウンドでは、覇堂ナインが守備に着き、壬生校の一番打者がバッターボックスに入って、試合が始まった。

 

 一方、関願高校の試合を観戦に行った奥居(おくい)たちの方も、予定通り覇堂高校と同じ時間に試合が始まっていた。

 レギュラー勢が出場している関願高校と一・二年生中心の壬生高校の試合は、三回までどちらも得点は無く、速いテンポで進んでいる。

 壬生校の先発投手は、毎回ランナーを出しながらも要所を抑えホームを践ませない。対する関願校の先発投手は、スライダーとシュートで打者の内角を突く強気のピッチングで三回まで死球1個のノーヒットピッチングを披露。

 

「壬生は、じっくり観察って感じだな」

「ええ。逆に関願の方は、観察しつつも甘いボールは積極的に狙っているわ。だけど――」

「ランナーは出しても、結局得点まではいかない。こりゃ空気が重いな~」

「スクイズでも何でもいいから、取れる時に取っておかないと後々辛くなるわ」

 

 瑠菜(るな)奥居(おくい)の予想は的中した。

ゲームはそのまま進み六回まで両校無得点。壬生校に至っては、ヒットは一本も無くノーヒットノーランを継続中。しかし、ベンチに焦りの色はまったく見えない。それどころか不気味にも余裕を感じるような空気を醸し出している。

 

「さて、もう十分だろう。この回で仕留めるぞ」

「はい!」

 

 覇堂高校で指揮を振るう監督の代理を務めるコーチの言葉に、壬生ベンチの空気がいっぺんする。

 先頭バッターが、初球のスライダーを叩いて出塁するとエンドランでチャンスを広げ無死一三塁とチャンスを作った。

 そして次のバッターは、一年生で四番でピッチャーを務める――沖田(おきた)

 二打席凡退した今までの打席とまったく違う雰囲気を感じ取った藤堂(とうどう)は、奥居(おくい)たちに注目するよう促す。

 

「先輩、アイツのこの打席をよく見ておいてください」

「ついにくるのか? お前が言ってた本気ってヤツが」

「はい......!」

 

 恋恋高校を出発する前、覇堂高校へ行こうとした奥居(おくい)藤堂(とうどう)は止めてこちらの試合へ誘い。絶対に見ておいた方がいい、と断言した藤堂(とうどう)の言葉が気になった瑠菜(るな)も、着いていくことした。

 

「どんなバッティングをするのかしら?」

「さあ? でも、なんかあるんだろう」

「............」

 左バッターボックスでバッターを構える沖田(おきた)の動きを見逃さないように集中している。

 

「(この場面一点は仕方ない、内野ゴロを打たせるぞ)」

「(あん!? ここは一点もやっちゃいけない場面だってーの!)」

 

 こちらも一年生投手の伊達(だて)は、内野ゴロを打たせてセカンド経由のダブルプレーを狙う為、内へ沈むスライダーのサインに首を振った。

 もう一度首を振り、三度目のサイン交換で漸く頷く。

 

「なんか、ずいぶんかかったな」

伊達(だて)は、自分の意見を曲げないですから」

「そう言えば片倉(かたくら)くんの知り合いって言ってたわね?」

「はい、シニア時代のチームメイトでエースナンバーを背負ってました。その時から、上級生と意見が対立しても結果を出して黙らせてました」

 

 奇しくもこの勝負、藤堂(とうどう)の元チームメイトと片倉(かたくら)の元チームメイトが対決する構図と相成った。

 伊達(だて)は、持ち味のケンカ投法でインコースを強気に攻め2-1と、沖田(おきた)にバットを一度も振らせずに追い込んだ。

 そのままの勢いで勝負に行く。

 

「(見逃しゃ三振だ!)」

 

 勝負球は、頭からストライクゾーンへ滑るシュート。

 

「(動じねぇッ!?)」

 

 沖田(おきた)は頭に向かってくるボールにまったく臆せず、しっかり見極めてからスイングを開始。

 

「無理だ、始動が遅い! あんなんじゃ空振り、よくてもレフトフラ......」

「ここからです! よく見てください!」

 

 藤堂(とうどう)が叫んだ、次の瞬間――。

 ボールはミットに収まること無く。快音を響かせ、()()()()()()()をゆうに越えて、その先の校舎三階のガラスを打ち抜いた。

 

「な、なに、今の? 完全に降り遅れていたのに、引っ張ったのっ?」

「ミートポイントでヘッドスピードが上がりやがった。見たことないぞ、あんなの......」

 

 このホームランを皮切りに壬生高校は一気に勝負を決めた。

 そして元チームメイト同士の対決は、はっきりと明暗の別れる結果で幕を閉じた。



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game34 ~違和感~

「おそらく軸固定回転(ローテイショナル)と言われる打ち方だよ」

 

 プロ野球移動日の月曜日。所属球団が本拠地を構える千葉県内のレストランでチームメイトのトマスと昼食を摂っていた高見(たかみ)の元へ、一本の電話がかかってきた。

 液晶画面に表示された電話の相手は、以前高見(たかみ)が恋恋高校のグラウンドで練習していた際に電話番号を交換していた、恋恋高校マネージャーのはるか。

 

『ローテイショナルですか?』

「そう。体重移動(リニアウェイトシフト)打法が主流の日本ではプロでも扱える選手は殆どいない。近年パワーピッチャーが増えて来た米国リーグで主流になりつつあるの打法さ」

 

 日本ではプロでも、アマでも、主流は体重移動(リニアウェイトシフト)打法と言われる打ち方。足を上げてタイミングを計り、前へ踏み込む体重移動の力を利用し飛距離を伸ばす打法。

 一方、軸固定回転(ローテイショナル)打法はステップを極力なくし、その場でクルッとコマのように身体を回転させることで生み出される回転運動を利用する打法。身体の軸がブレ難いため確実性が上がるが、体重移動で生み出される力を利用出来ないため、強靭な筋力と体幹バランスを求められる。

 

「まさかローテイショナル打法を使いこなす高校生が居るとはね、驚いたよ」

『あの高見(たかみ)選手』

「その声は、奥居(おくい)くんか」

『うっす』

 

 はるかに電話を替わってもらった奥居(おくい)は、壬生の沖田(おきた)が先制点を叩き出したホームランで疑問に想ったことを訊ねる。

 

『そのローテイショナル打法って、バットが加速したりするんっすか?』

「加速? どういうことだい?」

『えっと、打ったヤツは左で。端から見たら完全に振り遅れて差し込まれていたんです。でも打球は、ライトへ飛んで行ったんで......』

「(......妙だな。ローテイショナル打法は、手元で高速変化するムービングボールを見極めてから最短で打つために編み出された打法だ。予備動作が小さい分振り出しは速くなるが......だけど、スイング中にバットヘッドが加速するなんて。ローテイショナル打法はもちろんのこと、従来のリニアウェイトシフト打法でもあり得ない現象だ)」

 

 奥居(おくい)の話が気になった高見(たかみ)は「何か分かったら連絡する」と伝え、トマス愛用のタブレット端末へ動画を送ってもらい、球団事務所へ場所を移動。出勤していたデータ解析担当のスタッフの協力の元より鮮明な画質で、二人は動画をチェックする。

 

「どうだ? (いつき)

「やはりローテイショナル打法で間違いないね。軸がまったくブレていないし、完成度はかなりのモノだ。しかし――」

 

 動画をスイング開始まで巻き戻し、スロー再生させる。

 

「......やはり加速しているように見えるな」

「だな、スローで見るとよく分かる。スイング開始時から考えると、インパクト時のヘッドスピードは異常だ」

「出せますか?」

「やってみます」

 

 頼まれたスタッフは、おおよその数値を割り出すため解析ツールを飛ばす。解析結果を待つ間、動画を見ていた高見(たかみ)は、画面の映像に妙な違和感を覚えて動画を止めた。静止中の画像は、ちょうどインパクト時の映像。

 

「............」

「どうした?」

「この絵、何かおかしくないか......?」

「ん? うーん......」

 

 トマスは静止中の画像を隈無くチェックしたが、特にこれといった発見は見つけられなかった。

 

「わからん。オレには、ただバッターの背中が写っているだけにしか見えない。考えすぎじゃないのか?」

 

 高見(たかみ)は、もう一度画面を注視する。

 

「(やはりトマスの言う通りなのか......。イヤ、何かが変だ。いったい何なんだ、この違和感は......画像がブレているからか?)」

 

 画面に写る静止画は、オリジナルの画質と比べるとずいぶん解像度は上がっている、がやはり細部に荒さは残っている。ハッキリとわからない分、正直高見(たかみ)自身も絶対と言える根拠は無い。ただ漠然とどこか違和感を覚えてた、ただそれだけだった。

 

「初速の方は割り出せましたが......」

「そうですか、どうもありがとうございました」

 

 礼儀正しくお礼を言って、二人は部屋を出る。

 

「交流戦明けの初戦は、大阪バガブーズだったよな」

「ああ......ってお前、まさか!」

「ああ、直接見に行ってくる。京都へ......!」

「おいおい、いくらスランプ脱却の借りがあるからって。何もそこまでする必要はないだろ?」

 

 若干呆れた様子のトマスに、高見(たかみ)は笑った。

 

「別に、そんなつもりじゃないさ。ただ――」

「ただ?」

「本気で海外を視野入れた僕が新たに会得しようと躍起になっている打法(モノ)を、中学出たての高校生が自分のモノにしているなんて、ちょっと悔しいからね。それにやっぱり、あのスイングは気になる、実際に見て秘密を解き明かしてみせるさ」

 

 解き明かせない未知の技術に、まるで新しいおもちゃを手に入れた子どものように、高見(たかみ)の心は高揚していた。

 

 

           * * *

 

 

「はぁ~......」

「また大きなタメ息ですね、あおい」

「またみんなに迷惑かけちゃった......」

 

 週末の練習試合、ダブルヘッダーの二試合目。

 先週の試合に続きまたもあおいは、早い回でノックアウトされてしまった。投球内容も前回の試合と同様に四球でランナーを貯めては、真ん中から外寄りの甘いボールを打たれての失点。二戦続けて同じ失敗を繰り返し。

 それでも誰も責めたりはしない。むしろ不調のあおいをみんな心配していた、どこか愉快そうに笑う東亜(トーア)以外。

 

「コーチは、どうして何も言わないんだろう......?」

「あおいのことを信じているのではないでしょうか。あおいなら自分で立ち直るって」

「......そう、なのかな?」

 

 不甲斐ないピッチングに叱咤も、激励も、アドバイスも何も言わない東亜(トーア)。それはあおいの不調の原因が、言葉で言ってどうにかなるモノではないからだった――。

 グラウンド整備を行うナインとベンチで話すあおいとはるかを、空き教室から見守る理香(りか)はスコアブックを手に、東亜(トーア)と試合の総括を話す。

 

「やっぱりインコースへ投げるのを無意識に怖がっているのね。今日の試合もインコースの要求に対しては、ことごとく逆球だったわ」

「バッターボックスとマウンド、状況は違うとは言え。硬球は凶器になりうる代物だ。一度認識してしまった恐怖と云うものは、そう簡単にはぬぐえないモノさ」

 

 太刀川(たちかわ)の一件以来、あおいの心に硬球(ボール)が当たれば大ケガに繋がると云う意識が植え付けられてしまっていた。この恐怖を取り除くのは容易ではない。

 事実、プロの世界でも、デッドボールをきっかけに成績を極端に落とす選手も少なからずいる。特に、頭へのデッドボールを受けた場合の影響は顕著。慢性的な目眩などの後遺症による身体的なもの。恐怖で踏み込めず、腰が引けまともなスイングが出来なくなるなど、心的な理由で引退を余儀なくされる選手も過去にいる。

 同時に、当てた投手の方もあおいと同じようにインコースを攻められなくなることもある。

 

「で、首尾はどうだ」

「今日、本格的に始めたそうよ。さっき連絡を受けたけど、むしろ今までにない違和感を覚えたみたい。文字通り付き物が取れたってところかしら、あなたの方は?」

「さてね」

 

 東亜(トーア)は返答を濁して席を立ち、教室を出ていった。

 

「ふふっ、順調みたいね」

 

 スコアブックを閉じて、理香(りか)も教室を出てグラウンドへ戻る。グラウンドでは整備を終えたナインたちが、ベンチで話をしながら一休みしていた。

 

「みんな、お疲れさま」

「あっ、監督。お疲れさまです!」

 

「そのままでいいから、ちゃんと聞いてね」と、理香(りか)は立とうとしたナインを制止し、連絡事項を伝える。

 

「来週末にはもう六月......つまり夏の予選まであと一月よ」

 

 三年にとっては高校生活の集大成、最後の大会。昨年度出場停止処分を受けた恋恋高校にとっては、今回が本格的な参戦となる。

 

「今日の練習試合を最後に以降の練習試合は組まないことにしたわ」

「......えっ!?」

 

 今までの練習試合を組んで来たのは、野球部と夏の予選で采配を振るう理香(りか)の実戦経験を積むためのもの。しかしもう、その必要はなくなった。

 

「事情が変わったの。それと来週から特別メニューに切り替わるから、みんな水着の準備を忘れないように」

「水着......ですか?」

 

 突然のことに戸惑う中、鳴海(なるみ)が代表して訊ねる。

 

「そ、水着。私物でも、学校指定の水着でもいいわよ。女子はビキニでもいいけど、あまりはオススメはしないわ」

「は、はぁ? わかりました......」

「はい、連絡は以上よ。それじゃあみんな気を付けて帰ってね」

 

 背を向けて校舎へ戻っていく理香(りか)

 ベンチに残されたナインたちは訳もわからず、しばらくのあいだ途方に暮れていた。

 

「何で水着なんだろうね? まだ授業でも使わないのに」

「さあ、どうしてだろう?」

 

 鳴海(なるみ)たちは、午後六時を回ってもまだ明るい帰り道を話ながら歩いている。話題はもちろん、持ってこいと言われた水着の件。

 

「水着でノックでもするんでやんすかね?」

「そんなワケないでしょ」

「通報されるな」

「はるかは、何か聞かされていないの?」

 

 瑠菜(るな)は、練習中東亜(トーア)たちとよく一緒にいるはるかに訊いた。

 

「いえ、なにも。でも練習メニューは全て渡久地(とくち)コーチが考えていますので......」

「きっと特別な意味があるわね」

「はい、私もそう思います」

「明日、水着を買いに行こうかしら」

「あっ、あたしも行くっ。あおいも行くっしょ?」

「え? あ、うん、いいけど」

 

 水着を買いに行くと聞いて奥居(おくい)矢部(やべ)の目の色が変わる。

 

「じゃあオイラが選ぶの手伝ってやるぜ!」

「オイラも行くでやん――」

「却下」

「即答かよ。木場(きば)の爆速ストレートより速いぜ......」

「無慈悲でやんす......」

 

 二人の不埒な欲望は、芽衣香(めいか)によって一瞬で潰えたのだった。

 

 

           * * *

 

 

「みんな面を食らってたわよ」

「だろうな」

 

 いつものように二人の前にはアルコールが注がれたグラスが置かれ、薄暗い店内には落ち着いた曲調のジャズが流れている。

 

「ふふっ、来週からの練習はもっと驚くでしょうね。何せ、もう本番まで一切野球をしないんだから」

「......ケアはお前に任せる。確実に焦りが生まれるだろう」

「分かってるわ、任せてちょうだい。私も、あなたが考えるプランに異論はないもの。ただ......大丈夫なの?」

「そう心配するな、四回戦までは余裕だ」

「四回戦って、シード校が出てくるわよ?」

「問題ない、まあ楽しみにしてな。なんなら決勝まで全試合コールドゲームで終わらせやろうか?」

「相変わらず強気ね、普通でいいわよ普通で」

 

 理香(りか)はやや呆れていたが、泣いても笑っても一発勝負のトーナメント戦を勝ち上がるためには、投手を温存するためにコールドゲームは必須。

 それは彼女にも十分わかっていた。



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game35 ~土台~





 週明けの放課後。

 恋恋高校野球部一同は、グラウンドのベンチ前に集まっていた。普段の練習前と同じ見慣れた光景。ただ、ひとつだけ違うところがある。それは、練習着ではなく制服のまま集合していると言うこと。

 

「水着ってことは、やっぱりプールへ行くのよねー?」

 

 スクールバッグ、スポーツバッグと一緒に持っている水泳バッグに目を向けながら芽衣香(めいか)は、あおいたちに訊いた。

 

「そうだとは思うけど」

「まさか学校のプールじゃないでしょうね? 絶対、風邪引くわっ」

 

 六月に入ったとは言え、まだ肌寒い日もある。特に今日は、最高気温20度と屋外プールで活動するにはツラい物がある。

 

「あはは......、そうだね。瑠菜(るな)は、どう思う?」

渡久地(とくち)コーチのことだから、意味のないことはしないと思うわ」

「うん。ボクも、そう思うな」

「だといいけど~」

「でも私は、泳げと言われれば泳ぐわよ」

「いやいや、それはないでしょ。それにまだ、プール掃除だってしてないのよっ」

「もっと上手くなれるなら、そんな些細なこと気にしないわ」

「さすが瑠菜(るな)、ブレないね......」

「それは、ちょっと引くわ」

 

 あおい、芽衣香(めいか)瑠菜(るな)の三人以外のナインたちも同じような話をして、東亜(トーア)理香(りか)が来るのを待った。

 そして、程なくして理香(りか)がグラウンドに姿を見せる。ベンチから出て、彼女の前に整列。

 

「みんな、水着は持ってきたかしら?」

「はい、全員持っています」

 

 代表で答えた鳴海(なるみ)の言葉に、「うん、よろしい」と理香(りか)は微笑んでうなづくと、パンっと一回手を叩いた。

 

「それじゃあみんな、野球道具は使わないから部室に置いて、水着とバッグを持って、ここへ戻ってきてね」

 

「はい!」と声を揃えて大きな返事をすると、駆け足でベンチ横の部室へ入っていく。各々自身のロッカーに荷物をしまい、キャプテンの鳴海(なるみ)が部室をしっかり施錠したのを確認してベンチへ戻る。

 

「部室のカギは、私が預かっておくわ」

「わかりました。お願いします」

「はい、確かに。それじゃあ移動するから、離れずに付いてきてね」

 

 部室のカギを自動車のキーケースに保管し、理香(りか)はグラウンドを出て校舎裏へと歩き出した。ナインたちは目的地も分からないまま、言われるがまま、彼女の後を付いていく。

 

「あの、もしかしてプールへ行くんですか......?」

 

 校舎裏の体育館付近で鳴海(なるみ)が、やや不安げに訊ねた。それもそのはず、体育館からさほど離れていない位置に学校のプールがあるためだ。

 

「ええそうよ、あたりまえじゃない。そのために水着を持って来てもらったんだから」

「ですよね。ははは......」

「おっと。オイラ今日、塾の日だったぞ......!」

 

 くるっと踵を返して逃げようと試みた奥居(おくい)の肩を、芽衣香(めいか)が逃げられないようにガッツリホールド。

 

「ウソおっしゃいっ。あんた、塾なんて行ってないじゃないっ。それに勉強してるところなんて、テスト前でも見たことないわよっ」

「......きょ、今日から通うことになったんだよ」

「往生際が悪いっ、男なら覚悟を決めなさいって!」

「二人とも、仲が良いのはステキなことだけど、置いていくわよ」

 

 体育館隣接の駐車場出入り口から理香(りか)が、立ち止まって言い合いをしている奥居(おくい)芽衣香(めいか)に声をかけた。二人は、「すいません!」と慌てて駆けていく。

 

「あの、外へ出るんですか?」

「ええ、そうよ。学校のプールでいいのなら、それでもいいけど」

「い、いえ! それで、どこへ行くんですか?」

「それは、着いてからのお楽しみよ」

 

 二人を待っている間に聞かれた鳴海(なるみ)の質問に理香(りか)は、微笑みながらウインクして答えた。

 

 

           * * *

 

 

「さあ、着いたわ。ここよ」

 

 整備された歩道を歩くこと二十分弱。ビルが建ち並ぶオフィス街。その一画、とあるスタイリッシュな建造物前で立ち止まり、上部に設置されている看板を、あおいが読み上げる。

 

「ミゾットスポーツクラブ? う~ん......」

 

 小さく首を傾げると少し考え込み、大きく目を見開いた。

 

「......って! ここっ、すんごい高いところだよねっ?」

「あ、ああ......確か、諭吉さんと樋口さんが二人揃って旅に出るくらいの利用料って聞いたことがあるぞ」

「おいおい、マジかよっ。オレ、んな金持ってねーぞッ?」

「ボクもないよっ。芽衣香(めいか)は?」

「あおいが持ってないのに、あたしが持ってるワケないじゃん」

 

 ミゾットスポーツクラブは、日本が世界に誇るスポーツ専門企業、ミゾットスポーツが運営するスポーツクラブ。

 ウェイトトレーニング器具各種はもちろんのこと、各分野特化の施設、最新の科学トレーニング機器、温水プール、食事や生活習慣の講座など開いており。一般利用客以外にも、野球を始めとしたアスリートたちが、キャンプ前になると自主トレに利用することも多い。

 しかし、当然のことながら施設が充実しているぶん、施設利用料もそれに似合った金額。普通の高校生が、おいそれと出せる金額(もの)ではない。

 

「ふふっ、お金の心配は要らないわ。もう話は通っているから」

 

 入り口の前で慌てふためくナインたちに、理香(りか)は微笑み心配ないことを告げた。

 そこへ施設の中からスーツ姿の男性が出てきた。彼は以前、恋恋高校にトレーニング機器の設営・説明をしたミゾットスポーツの社員、溝口(みぞぐち)

 

加藤(かとう)さん、お待たせいたしました」

「いいえ、ちょうど今来たところです」

「そうでしたか」

「今日から、よろしくお願いします」

「こちらこそよろしくお願いいたします」

 

 お互い頭を下げる理香(りか)溝口(みぞぐち)。今おかれている状況を掴めないでいるナインたち。先ほどと同様にキャプテンが代表して質問する。

 

「あの、監督。これはいったい......」

渡久地(とくち)くんのツテで七月いっぱいまで、ミゾットスポーツクラブを使わせてもらえることになったの」

「え......えぇーッ! ほ、ホントですか!?」

無償(タダ)でやんすかっ!?」

「ええ、ミゾットスポーツさんのご厚意でね」

「うひょーっでやんすー!」

 

 矢部(やべ)だけではなく、ナイン全員があまりの出来事に盛大に驚き戸惑った。理香(りか)は手を叩いて、みんなを落ち着かせ「お騒がせしてすみません」と謝罪の言葉を述べた。溝口(みぞぐち)は嫌な顔など一切見せず笑った。

 そして、「みなさん、よくお越しくださいました。こちらへどうぞ」と恋恋高校野球部一同を引き連れて施設内へ入る。

 広いロビー、高い天井、清掃も隅々まで行き届いてる。溝口(みぞぐち)は受付の近くで待って居るように告げると、準備してある入場パスを取りに、カウンター裏の事務所へ入っていった。

 待っている間、瑠菜(るな)は受付の女性職員に施設案内図をもらい広げる。

 

「スゴい......最先端のレーダー解析システム! こんなに充実した施設を無償で使わせてもらえるだなんて......!」

「バッセンにブルペン、それに屋内練習場もあるぜ」

「天然温泉もありますね。主な効能は、疲労回復と美肌効果みたいです」

「混浴でやんすかっ?」

「そんなワケないでしょ。けど広すぎ、あたし、迷子になる自信があるわ」

「あははっ、芽衣香(めいか)、地図読むの苦手だもんねー」

「あおいちゃんもでしょ? 前、迷子になったし」

「迷子じゃないよっ。気分を変えて、ランニングコースを変えただけだよっ」

「ふーん、そうだっけ?」

「そうだよっ」

「お待たせしました」

 

 

 溝口(みぞぐち)が、女性職員と一緒にロビーへ戻ってきた。

 

「それではみなさん、今から入場パスをお配りします。この入場パスは各施設の入場券とロッカーのキーになっていますので、くれぐれも無くさないようお気をつけください。それではお名前を呼びますので、呼ばれたら私の方へ......」

「女の子のぶんは、私が配ります。同じように取りに来てね」

 

 彼女はミゾットスポーツの経理部に所属の社員、瀬久椎(せくしい)佳織(かおり)。スポーツクラブ隣接の本社から用事で来ていたところを溝口(みぞぐち)に、女子の案内を頼まれた。

 ネーム入りのパスを受け取ったナインたちは、彼らにロッカールームへ案内してもらう。ロッカールームで入場パスの番号と同じロッカーをパスでタッチすると、電子音が鳴りロックが解除された。荷物を収納してプールへ。

 

「みなさん、水着はお持ちですか? お忘れでしたら、レンタルもございますが」

「大丈夫です、みんな持ってきています」

「そうですか。では、更衣室で着替えとパスをカギに変えてから奥の扉へお進みください。プールへ直結しますので」

「わかりました、ありがとうございます」

 

「ありがとうございます!」と、男子部員たちは頭を下げてお礼を言い、着替えを済ませてプールへ出る。

 

「女子の水着姿楽しみでやんすねっ」

 

 プールサイドのベンチに座って女子が出てくるのを待ちながら、矢部(やべ)が下心しかない笑みを浮かべる。他の男子はドン引き......することなく、誰一人否定しないでいた

 

「むふふっ、好きでやんすねー。みんなは誰が気になるんでやんすかっ?」

「フッ......愚問だな、矢部(やべ)加藤(かとう)監督に決まってるぜ!」

「さすが奥居(おくい)くんでやんす! 分かってるでやんす!」

「おいおい、二人とも。いい加減にしておかないと......」

 

 大声で話す二人を、鳴海(なるみ)が止めに入る。

 

「そんなこと言って、鳴海(おまえ)だって気になるだろ。女子の水着姿をよ?」

「そうでやんす、素直になるでやんすっ。男の(さが)でやんす、恥じることなんてないでやんすーっ」

「いや、だから......うし――」

「悩むのはわかるぜ。まあ浪風(なみかぜ)は置いておいて。スタイル抜群の瑠菜(るな)ちゃんか、守ってあげた女の子第一位の七瀬(ななせ)か? それとも――」

「あんたら、ほんっとサイテーねッ!」

 

 着替えを終えてプールに出てきた女子部員たちは、奥居(おくい)矢部(やべ)に冷たい視線を向けている。彼女たちが来たことに気づいていた他の男子は、我関せずとストレッチを行っていた。

 

「な、浪風(なみかぜ)、居たのかよ......」

「ええ、居たわ、全部聞かせてもらったわっ。あたしは置いておくってどう言う意味よっ!」

 

 ――え? そこなの? と、あおいと鳴海(なるみ)は顔を見合わせて苦笑い。矢部(やべ)はいつの間にか、他の男子まざってストレッチをしている。

 

「......おっと、ゴーグルを忘れてたぜ!」

「コラ、逃げるなっ。頭についてんでしょうがっ」

「二人ともプールサイドは走らないの」

 

 理香(りか)に咎められ「すいません......」と、奥居(おくい)芽衣香(めいか)は声を揃えて謝った。

 

「ちゃんと柔軟は済んだかしら?」

「はい!」

「はい、よろしい。それじゃあプールに入って」

 

 理香(りか)の指示に従い、飛び込み台の方からプールに入る。

 

「おっ、思ってたよりも温かい」

「ほんとだ。これなら風邪も引かないね」

「そうだね。監督」

「まず歩いて往復してらっしゃい。途中にある障害物は潜ってくぐるのよ、泳いじゃダメよ」

「障害物? はい、わかりました。みんな、行くよー」

 

 25mプールをゆっくり歩き出したのを確認して理香(りか)は、はるかの隣に腰をおろす。

 

「ん? これが障害物かしら」

瑠菜(るな)、どうしたのって、これゴム?」

 

 ナインが歩いているコースに張られたチューブ型のゴム。チューブゴムは、この一本だけではなく等間隔に幾つも張られ、彼らの行く手を阻んでいる。

 

「これを潜ってくぐればいいのね」

「なんだ、こんなの楽勝じゃん。障害物なんて言うから、もっとすんごいの想像してたわ」

 

「ふふっ、それはどうかしらね」と理香(りか)は微笑んで、最初のトレーニングを暖かい目で見守った。

 

 

           * * *

 

 

「ふぅ......結構キツかったね」

「これ罠よ、罠! まさか、水中にもう一本あるなんて......!」

 

 芽衣香(めいか)の言った通りゴムチューブは、水面だけではなく水中にも平行する形で張られていた。そのためただ潜るだけでは潜り抜けられず、スクワットのような形で頭までしっかり沈み込む必要があった。

 

「ふふっ、お疲れさま。はるかさん」

「はい。みなさん、水分補給してくださいね」

 

 はるかは、準備しておいたスポーツドリンクを注いだ紙コップを全員に配る。

 

「はい、あおい」

「ありがと。でもボクはいいよ、そんなに喉かわいてないから......」

「脱水症状を起こすぞ」

「へ? あっ、コーチっ」

 

 出入り口から東亜(トーア)と、ナインたちを案内してくれた二人がプールへやって来た。

 

「通常のプールでもそうだが、特に温水プールは体内の水分を奪う。風呂と同じで汗をかいていないように見えても、実際は水分を失っているのさ。まあぶっ倒れたいのなら、止めはしないけどな」

「の、飲みますっ。はるか、ありがとっ」

 

 慌ててスポーツドリンクを飲むあおいに東亜(トーア)は、小さく笑みを見せ理香(りか)と同じベンチに座り、足を組んだ。そこへ瑠菜(るな)が、指示を仰ぎにやって来る。

 

「監督、コーチ、次は何をすればいいですか?」

「好きなようにすればいい」

「好きに、ですか?」

 

 言葉足らずな東亜(トーア)に、首をかしげる瑠菜(るな)。見かねて理香(りか)がフォローに入る。

 

「プールに浸かってさえいれば、何をしてもいいってことよ。さっきと同じ水中スクワットでも、泳いでも、ビーチボールで遊んでもいいわ。ただ、そろそろ他のお客さんが来る時間帯みたいだから、迷惑にならないようにね」

「1から3コースまで恋恋高校さんの貸し切りとなっていますので、ご心配なく」

「わかりました、ありがとうございます」

 

 丁寧に頭を下げた瑠菜(るな)は、一年生の女子と一緒にゴムチューブが張られていない3コースで水泳。鳴海(なるみ)たち男子は、1コースで水中スクワットのタイムを競う。あおいと芽衣香(めいか)は、はるかも一緒にビーチボールで遊び始めた。

 

「あの、ひとつお訊きしてもよろしいですか?」

 

 練習を見ていた瀬久椎(せくしい)が訊ねる、これが練習なのですか? と。彼女からの当たり前の疑問に、理香(りか)は笑い。東亜(トーア)は、ちょうど50メートル泳ぎ終えてプールサイドに上がった瑠菜(るな)を呼んだ。

 

「なんですか?」

「ちょっとな。触るぞ」

 

 瑠菜(るな)に断りを入れ、水着の上から彼女の腹部に手を触れる。

 

「フッ、この二ヶ月真面目にやってきたみたいだな」

「はいっ」

 

 力強く頷く。

 東亜(トーア)は――もういいぞ、と瑠菜(るな)をトレーニングへ戻らせた。

 

「あんたら、日本刀が何で出来ているか知っているか?」

「日本刀ですか?」

「いえ......」

 

 二人は、わからないと首を横に振った。

 

「主に、玉鋼ね」

「そう。強度の異なる複数の玉鋼を掛け合わせ、強度と切れ味を両立させた。それは、人間の肉体も同じだ」

 

 東亜(トーア)は、プールへ顔を向ける。

 

「選定した複数の玉鋼と砂鉄を高温で熱し、折り重ね、叩く工程を何度も繰り返し、鋼の中に残った不純物を取り除くことで極めて純度の高い高品質の鉄を造り出す。この工程を怠れば、刃物は脆く折れやすく、品質が落ちる。刀造りにおける重要な土台作り。アイツらは今まで、ウエイトトレーニングを中心に身体作りをしてきた。ウエイトトレーニングで造られた筋肉は固く力がある反面、間接可動域が狭くなりがちだ。ストレッチをさせてはいるが、自力では限度がある。そこで、このプールでの運動が重要になるのさ。極力関節に負担をかけず稼働域を広げ、尚且つしなやかで柔らかな筋肉を作ってきた土台に乗せてやる。力強さとしなやかなさ、その絶妙なバランスを両立させることにより最大限の力を生み出す」

「一番の理由は、ケガの予防でしょ。関節の稼働域が広ければおのずと故障のリスクは減るわ。特に肩と肘を酷使するピッチャーにはね」

「さてね」

「もう、素直じゃないわね」

 

 クスッと笑う理香(りか)とは対称的に、溝口(みぞぐち)は天井を仰いで小さく息を吐いた。

 

「なるほど......もし――」

「どうかしました?」

「いや、渡久地(とくち)さんのような指導者に出会えた彼らは幸せだと思って」

「ふふっ、そうですね。それでは私は失礼します」

 

 魅力的な笑顔を見せた瀬久椎(せくしい)は、東亜(トーア)理香(りか)に頭を下げてプールを後にした。

 

「続きはいいのか?」

「と、申しますと?」

「神奈川県神楽坂大附属高校のエース、溝口(みぞぐち)。MAX150kmのストレートを武器にプロ入り確実とまで言われながらも、三年の夏に肘を故障し、結局回復することなくプロ入りを断念した。悲劇のエース」

「......ご存じでしたか。その通りです、ムリな投げ込みの結果この様です」

「そうだったんですね......」

「昔の話です、お気になさらずに。それに今の仕事はやりがいますから、全力でサポートさせていただきます!」

 

 ――ありがとうございます、と理香(りか)は深く頭を下げて、改めてお礼の言葉を述べる。

 

「ですが東東京は激戦区でしょう。特に本命のあかつき。今年は、最強と言われた去年以上との評判ですが?」

「問題ねぇよ。ま、楽しみにしてな」

 

 そう自信満々に言った東亜(トーア)は、不敵な笑みを見せた。

 



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game36 ~リスク~

『見るでやんすっ、この鍛え上げられた胸鎖乳突筋を! でやんす』

『やるな、矢部(やべ)。だけど、オイラの脊柱起立筋も負けてないぜ!』

『ほほーう、さすが奥居(おくい)くん、やるでやんすねっ。ならオイラも真打ちを出すでやんす! 見よ、この臀部――』

『だから、二人とも目の前で立たないでくれよ......』

 

 甲子園大会予選都大会まで、あと一週間に迫った六月下旬。恋恋高校野球部の女子部員たちは、男湯でアホトークを繰り広げている一部の男子たちとは違い、焦りの色を隠せないでいた。

 

『今月に入ってから実戦(まともな)練習してないけど、本当に大丈夫なのかしら......?』

 

 トレーニング後、施設内の天然温泉で汗と疲れを流しながら芽衣香(めいか)が不安を口にした。それもそのはず、ミゾットスポーツクラブへ通うようになってからグラウンドで練習する機会が、ただの一度もなかったためだ。

 この三週間の主な練習は、ウェイトトレーニング、プールトレーニング、最新器機を使ったビジョントレーニングと、普段の基礎体力トレーニングをより高度にしたメニュー。特に、ウェイトトレーニングにおいては、三つグループに分けられたナインたちに専属トレーナーが一人つき指導する徹底ぶり。そのおかげで、体つきも今までの固さが和らぎしなやかな体へ変わった。

 だが、その反面、体作りが中心のため野球からはかけ離れた生活。家で自主練(個別に東亜(トーア)が課したメニュー)はこなしてはいるが、焦るのは必然だった――。

 

『あんたたちは、どうなの?』

 

 風呂場独特のエコーがかかった声で芽衣香(めいか)は、一緒に温泉に浸かっているあおいたちに訊いた。

 

『そうだね。たしかに不安はあるけど、動きが良くなった自負はあるよ。う~ん、体が軽くなったって言うかー』

『あっ、それはあたしも。体が引き締まった気がするわ。瑠菜(るな)は?』

『私は、コーチを信じてついていくだけ』

『すんごい信頼を寄せてるわね』

『三年連続最下位に沈んでいたチームを建て直し、ペナントレース優勝。シリーズ制覇へ導いた、日本一の選手なのよ』

 

 ――当然じゃない。と瑠菜(るな)は言ってのける。

 

『まあ、確かにそうよね。成績とかホント化け物だし』

『よくよく考えるとボクたち、とてつもない人に教わってるんだよね』

『でも、どうしてコーチは引退したんでしょう?』

 

 はるかの素朴な疑問に、東亜(トーア)の右肩の故障を知らない三人は揃って――どうしてだろう? と顔を見合わせる。

 

『......それは、私も分からないけど。でも、何か特別な理由があるんじゃないかしら......』

 

 ――そう言えば......。瑠菜(るな)の頭に、東亜(トーア)と勝負した時の記憶が甦る。公園での一打席勝負。打たれると直感した東亜(トーア)は、彼女が制服姿だったことを逆手に取り、打ち気の瞬間にとある禁じ手を使い、集中していた瑠菜(るな)の心を乱して勝利を納めた。

 

『あれ、もう出るの?』

 

 急に湯船を上がった瑠菜(るな)に、あおいが訊ねる。

 

『ええ、コーチに自主練について訊きたいことがあって。まだ、ここに居ると思うから。先に上がるわ』

『待って。ボクも行くよ』

 

 結局、あおいだけではなく。芽衣香(めいか)たちも一緒に東亜(トーア)を探すことになった。

 その東亜(トーア)は、ミゾットスポーツクラブの室内練習場のマウンドに立ち、手の中で白球の感触を確かめる様に動かしている。

 縫い目に指をかけると、ストライクゾーンに設置された16分割の的を目掛けてボールを放った。

 

「さすがね」

 

 アウトローの的の中心を打ち抜いた投球に、理香(りか)が賛辞を贈った。彼女は、スマホを東亜(トーア)に渡す。

 

高見(たかみ)選手からよ」

「あん?」

 

 スマホを受け取り、ベンチに座る。

 

「なんだ」

『調子はどうだ?』

「そんなことを聞くために、わざわざ理香(りか)を通したのか?」

『それもあるけどね、本命は別さ。奥居(おくい)くんに、電話をしたけど出なかったんだよ』

「アイツらは今、風呂だ」

加藤(かとう)さんから聞いたよ。あのミゾットスポーツクラブで練習しているんだって? お前、何をたくらんでいるんだ......?』

 

 東亜(トーア)は小さく笑い、質問には答えず話題を本題へ持っていく。

 

「それで、用件はなんだ?」

『今日、壬生へ行ってきた、春の準優勝校のね。そこでとんでもない収穫があったから知らせておこうと思ったのさ。加藤(かとう)さんのタブレットにデータを送っておいた、見てくれ』

「これよ」

 

 東亜(トーア)が見やすい様にタブレットを持って、理香(りか)は隣に座った。彼女の持つタブレットの液晶画面に写っていたのは、数年前のガラリアンズのとある選手の打席。緩い変化球にタイミングを外され、泳がせられながらもホームランを打った時の動画。

 スピーカーに切り替え、フリーハンドで三人での会話。高見(たかみ)は、奥居(おくい)に聞かれたことを話してから、動画について触れる。

 

『これが壬生の沖田(おきた)の“加速するバッティング”の正体さ』

「これは? 何年も前の映像みたいだけど?」

「2010年、ガラリアンズの安倍(あべ)が捕手でありながら年間44本塁打を記録した年の動画」

『そう。安倍(あべ)捕手は、現代の日本......いや世界でも極稀な、とあるバッティング理論を駆使し本塁打を量産した。その理論は――ツイスト理論』

 

 ツイスト理論は、スイング途中で腰を逆に捻ることによりバットヘッドを瞬間的に加速させるバッティング理論。

 近年では、一部のプロゴルファーが飛距離を伸ばすために取り入れている打ち方でもある。

 

『僕の見立てでは、ローテイショナルとツイストの複合打法だね』

「そんな打ち方があるのね。でもこれは――」

「諸刃の剣。確実に選手生命を削るだろうな」

『ああ、そうだ。不自然に反転させる訳だから、腰への負担は通常のスイングの比じゃない。年齢を重ねたこともあるけど、近年、安倍(あべ)選手は捕手としてほとんど出場していない』

「それを中学出たての高校生が、そんなリスクの打ち方を......指導者は――」

『いや、それは違うよ。他の部員は、普通のリニアウェイトスイングだった』

 

 生徒を預かる指導者としての責任を咎めようとした理香(りか)の言葉を遮り「レベルは高かったけどね」と、高見(たかみ)は笑った。

 

『あれは教えて簡単に身に付くものじゃない。彼はきっと天然物だろうね』

「ガキの頃から自然と身に付いた打法(もの)ならば、体への負担は最小限だろう」

『だろうな、で――勝てるのか?』

 

 タブレットから目を外して理香(りか)も、東亜(トーア)に注目する。しばしの沈黙――妙な緊張感が閑散とした室内練習場を包み込んだ。

 

「――無理だな。100パーセント負ける」

 

 相手は甲子園優勝候補、力の差は歴然。こう言う答えになることは覚悟していた言え、可能性はゼロとハッキリ言われた理香(りか)は、肩を落とし、大きなタメ息をついた。

 彼女の分かりやすい落胆に、受話口の向こうの高見(たかみ)は「女性をいじめるのは関心できないな」とクスッと笑い。東亜(トーア)は、めんどくさそうに短く息を吐いた。

 

「現段階での話だ。甲子園出場を決める頃には三割くらいにはなってるさ」

 

 ――まあ、()()()次第だけどな。

 

 

           * * *

 

 

「コーチ」

「あん?」

 

 高見(たかみ)との通話を終えたところで、風呂上がりの四人がやって来た。

 

「あら、あなたたち早いわね。集合時間までまだあるけど?」

「コーチにお訊きしたいことがありまして」

「だそうよ」

 

 東亜(トーア)に振る。

 

「なんだ?」

「えっと......」

 

 あおいと芽衣香(めいか)は、いざ東亜(トーア)を目の前にすると、彼が醸し出すオーラに言い淀んでしまう。

 そこで東亜(トーア)から、話を切り出した。

 

「不満、いや不安か」

「......はい」

「お前もか?」

 

 瑠菜(るな)にも訊く。

 

「いえ、私は、新しい練習メニューの追加をお願いに来ました」

 

「同じようなものじゃないか」と東亜(トーア)やや呆れ顔を見せたが、このまま不安を抱えたままでは練習に支障をきたすことが考えられる。それに、ちょうど良い機会だと考えた。

 

「なら勝負と行くか。お前らが勝てば、不安を払拭出来る練習メニューに切り替えてやる」

「......あの、負けた場合は?」

 

 あおいは、控えめに挙手をして、恐る恐る訊ねる。

 

「予選大会を辞退する」

 

 あまりの衝撃に言葉が出ない三人の代わりに、はるかが東亜(トーア)に確認した。

 

「......コーチ、本気なのですか?」

「当たり前だ、リスクの無い勝負に意味などない」

 

 その返答に迷うことなく即答したのは、もちろん――瑠菜(るな)

 

「やります」

 

 あまりにもリスキーで得の無い一方的な条件に、あおいと芽衣香(めいか)は慌てて止めに入り、やや距離をとる。

 

「ちょ、ちょっと待ってっ」

「あんた、何考えてんのよっ」

「別に。私は、今の私の実力を知るいい機会だと思っただけよ。それに、それくらいの覚悟がなきゃ甲子園優勝なんて夢のまた夢よ」

「そ、それはそうかもだけど......だからってっ」

「そうよっ、いくらなんでもムチャクチャよ!」

「あおいも、芽衣香(めいか)も、瑠菜(るな)も、みんな落ち着いてくださいっ」

 

 意見が揃わない三人と、言い合いを止めようと必死のマネージャーに、愉快そうに笑う東亜(トーア)。当然こうなることは、計算通り。

 

「どうする気なのよ?」

「アイツらの答え次第だ。心配するな、お前との新契約は果たすさ」

「......なら、いいけど。ところで、彼女のことは、いつ話すの?」

「経過は?」

「きわめて良好。先日、実戦をこなしたそうよ」

「ふーん......」

 

 テキトーに返事をすると東亜(トーア)は、まだ話し合っている四人に声をかけた。

 

「お前ら、いつまでそうしているつもりだ」

「まだ勝負の内容も聞いてないでしょ」

 

 ――そう言えば、と四人の動きがピタリと止まった。そしてちょうど、他のナインたちが着替えを済ませてやって来た。時間切れ。全員が揃ってから施設の外へ出て、他の客の邪魔にならないところで集まる。

 

「予選までもう間もないから、体調やケガには十分気を付けるように。それじゃあ気を付けて帰りなさいね」

「はい、ありがとうございましたー!」

「はい、おつかれさま。あおいさん、ちょっと残って」

 

 鳴海(なるみ)の挨拶の後に『ありがとうございました!』と全員で声を揃えて、一礼。背を向け家路に着く中、理香(りか)に呼び止められたあおいは用件を訊く。

 

「なんですか?」

「来週開催の予選だけど。緒戦の先発は――あなたで行くつもりよ」

「......えっ?」

 

 時が止まったかのような、一瞬の静寂のあと、あおいは、力強く返事をした。

 

「は、はいっ!」

 

 ――やった......! ギュっと右手を握り喜びを噛み締める。

 

「言っておくが、まだ正式に内定した訳じゃない。俺の出す課題を、お前がクリア出来ればの話だ」

「課題ですか? いったいどんな――」

「そう気負うな、そんな難しい課題(こと)じゃない。内容は明日伝える。グラブを用意して来い」

「......わかりました。失礼します」

 

 あおいが、バス停で待っていた鳴海(なるみ)たちと合流したのを見届けると。東亜(トーア)理香(りか)は、いつものバーへ歩いて移動した。

 

「あかつき大附属のエース――猪狩(いかり)(まもる)の攻略のカギを握るのは、あおいさん」

「アイツが立ち直れなければ、あかつきには勝てない」

「あの試合以来トラウマになっているインコースへの投球......彼女は、乗り越えられるかしら?」

「さあな。まあ四回戦までにダメだったら、別の方法を取るまでだ」

「別の方法って?」

「フッ......」

 

 小さく口角を上げ、グラスを口に運ぶ。その東亜(トーア)の笑みに、どこか不気味さを感じた理香(りか)は、あらかじめ釘をさす。

 

「言っておくけど、あの子たちをキズつけるようなことは許さないわよ」

「なら、上手く行くように祈っているんだな」

「......そうさせてもらうわ。それで、初戦の相手だけど――」

「興味ねぇよ」

「あっそ。じゃあ勝手に話すわ」

 

 手提げバッグからファイルを出して、読み上げる。

 

「初戦の相手は『バス停前高校』」

「は? 何だそりゃ」

「あら、興味ないんじゃなかったのかしら?」

 

 対戦校の名前を聞いて、東亜(トーア)は興味を持った。それもそのはず「○○高校前バス停」と標記されことは多々あるが「バス停前高校」などと「バス停」がメインに名前をつけることは、普通の感覚ならあり得ないからだ。

 

「ここ十年間の成績は、春夏ともに毎年一回戦敗退の弱小校。勝った場合の二回戦の相手も、どちらも無名校が相手よ」

「くじ運は良いんだな、鳴海(アイツ)

「でも、四回戦は第二シードで優勝候補の一角『激闘第一高校』なのよ。最悪は避けられたけど......」

「気のするな、むしろ幸運に思え。あかつきとやるまで十分な時間がある」

 

 テーブルに置かれたファイルのトーナメント表を見ると、本命のあかつき大附属とは逆のブロック。対戦するのは決勝戦と言うことだ。対策を講じるには十分な時間があると、東亜(トーア)は踏んでいた。

 そして実は、東亜(トーア)が幸運に思えと言ったのには、もう一つ理由があった。

 それは、三回戦の後に明らかになる――。




次回から、予選開始の予定になっています。


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予選大会編
game37 ~セオリー~


大変お待たせしました。


『さあ、やって参りました。夏の高校野球選手権大会東東京地区予選大会ッ! パワフルテレビが全面協力のもと予選から本大会まで各試合を生中継。今年も熱く、熱くお送りして参りまーすッ!!』

 

 七月初旬、埼玉リカオンズ本拠地のミーティングルームでパソコンの画面を見る児島(こじま)の元へ、打撃練習を終えた出口(いでぐち)がやって来た。

 

児島(こじま)さん、何を見ているんですか?」

「ん? 出口(いでぐち)か。高校野球だ」

「高校野球? ああ......もうそんな時期ですか、早いもんですね」

「そうだな」

 

 まるで縁側で日向ぼっこをしながら庭を眺めるお年寄りのようにしみじみ言った出口(いでぐち)に、児島(こじま)は軽く笑みを見せてパソコンに目を戻す。

 

「テレビで見ないんですか?」

 

 出口(いでぐち)は、目の前にある大型テレビを指して訊ねる。

 

「埼玉の試合じゃないからな。ネット中継で見ているんだ」

「埼玉じゃない? あっ......! 俺も見せてもらっていいですかっ?」

「ああ」

 

 気づいた出口(いでぐち)は椅子に座っている児島(こじま)の後ろに立ち、パソコンのディスプレイを覗き込んだ。そこに写し出されていたのは、東東京予選のライブ映像だった。

 

『東東京予選の一回戦。恋恋高校対バス停前高校の試合開始まであと10分あまりとなりました。両校共に、試合前の練習を終えてベンチへ下がって試合開始の時を待っていますッ! ウーンッ、試合開始が待ち遠しいッ。この胸の高鳴り、わたくし興奮を抑えきれまセンッ!』

 

「このアナウンサー、相変わらずハイテンションっすね。それにしても、一回戦なのにずいぶん客入りがいいみたいですね」

 

 出口(いでぐち)の言うように、球場のスタンドはほぼ満員。開幕試合でもない無名校同士の試合とは思えないほどの人たちが居る。

 

「今年は、女子部員の試合参加が認められた特別な年だからな。特に恋恋高校は女子部員が多い注目もひときわだろう」

「なるほど。言われてみれば確かに、色んな学校の制服姿の女の子が目立ちますね」

 

 例年は学校OBと保護者の割合が高いが、今年は小学校・中学校・リトル・シニアで野球をしている女子の姿が多く見受けられた。

 それはあおいと芽衣香(めいか)を中心にした恋恋高校野球部が主導して、女子部員の公式戦参加を認めてもらうための署名活動を行っていたからだ。

 その活動は徐々にだが全国各地へと広がり、ついに成し遂げられた。そしてそれはあおいたちだけではなく、スタンドで観戦している彼女たちにも希望を与える活動になっていた――。

 

「あん? あ、あっ、ああぁーッ!」

「どうした? 出口(いでぐち)、急に大声を出して」

 

 画面に写ったベンチの映像を見て、出口(いでぐち)が声を荒げた。

 

「い、今、恋恋高校のベンチに渡久地(とくち)が座ってたんっすよッ!」

「――何ッ!? 渡久地(とくち)だって!?」

「ほら、ここっすよっ、ここっ!」

 

 出口(いでぐち)が指を差した場所を児島(こじま)も見る。そこには確かに、恋恋高校のユニフォームを身に纏った渡久地(とくち)東亜(トーア)が、面倒そうな表情(かお)でベンチにもたれ掛かるようにして座っていた。

 

「本当だ......渡久地(とくち)だ!」

「アイツ、なんでベンチに......。前に聞いた時、コーチ契約は六月末までの契約だって――」

「うむ......。分からないが、何か理由(ワケ)があるんだろう」

「理由......見当もつかないっすね。それにしても――」

 

 画面に写る東亜(トーア)を見て、出口(いでぐち)はあること思った。

 

「おっ、出て来たぞ」

 

 球審と塁審がホームベース前へ現れ、号令を聞いた両校のベンチから駆け出したナインたちが、グラウンドに一列になって整列。

 

「先攻、バス停前。礼!」

 

 ――お願いします! と頭を下げて、バス停前高校と先発メンバーでない恋恋高校ナインたちはベンチへ戻る。捕手の鳴海(なるみ)は球審からボールを受け取り、マウンドで足場を慣らし終えた先発ピッチャーのあおいにボールを放った。

 

「先発は、あおいちゃんか」

(いつき)、この子どんなピッチャーなんだ?」

 

 児島(こじま)たちと同じく本拠地のミーティングルームで、タブレット端末で試合観戦をしている千葉マリナーズの高見(たかみ)とトマス。

 

「高い制球力とシンカーを得意にしているアンダースローの投手さ」

「へぇー、アンダーか。珍しいな」

「そうだね。ただ――」

 

 先日東京遠征の際、久しぶり東亜(トーア)理香(りか)とバーで話しをした高見(たかみ)は、あおいのインコースへの投球恐怖症になっていることを知った。

 

「インコースへの投球が課題か。投手としちゃあ致命的な欠点だな」

 

 話を聞いてからまだ数日、そう簡単に克服出来ていないと踏んでいた高見(たかみ)だったが......。

 

「......だが、渡久地(とくち)が何の策も講じずにマウンドへ上げるとは思えない」

「確かに、渡久地(アイツ)は欠点すら利用してくるタイプだからな」

「何かあるんだろう」

「そう考えるのが自然だな。それにしても――」

 

 画面に写し出された東亜(トーア)見て、出口(いでぐち)もトマスも同じこと思っていた。

 

 あのユニフォーム姿、全然似合ってねーな、と。

 

 

           * * *

 

 

「ついに始まるのね、恋恋高校(あの子)たちの戦いが......!」

 

 グラウンド中央で整列しているナインたちを見て、東亜(トーア)の横に立つ理香(りか)も気合いが入る。

 

「なあ、帰っていいか?」

「ダメに決まっているでしょっ!」

「俺が居なくても四回戦までは余裕だ」

「ダメ。あの子たち、今日までまともな実戦練習をしてきていないから、あなたがベンチに居ないと不安なのよ。そもそも甲子園出場を破棄して、甲子園優勝と監督を引き受けることを条件に、新しい取引を持ちかけてきたのはあなたでしょ?」

「......まあ、面倒だが仕方ないか。はるか」

「はい、何でしょう?」

「サインは覚えているか?」

「はい。みんなと一緒に聞いていましたので」

 

 その答えを聞き東亜(トーア)は、事前に考えていた悪巧みを実行に移すことにした。

 

「今日のサイン。全部、お前が出せ」

「わ、私がですかっ?」

「はあ? 何を言い出すのよっ」

「そう目くじらを立てるな。何も采配しろと言っているワケじゃない。俺が伝えた采配を、はるかがサインにして出すだけだ。スタンドを見てみろよ」

 

 東亜(トーア)が、アゴで差した外野スタンドの一画には、ビデオカメラをセットした学生の姿が幾つか見受けられた。

 練習試合とはいえ、春の甲子園ベスト4の覇堂の木場(きば)を打ち込み、コールドゲームにしたことなどを警戒して、シード校を含めた各校から偵察が来ている。

 

「既に勝負は始まっているのさ。特に恋恋高校(うち)は、動画配信でチーム事情をさらけ出して戦ってきた。つまり、今までのサインは全て筒抜けってワケだ。かと言って今さら、一からサインを新しく作り、覚え直すのは効率が悪い。そこで通常、監督が出すモノだと思い込んでいるサインを別の人間が出す」

「なるほどね。はるかさんが本物のサインを出して、渡久地(とくち)くんがテキトーな空サインを出して相手を混乱させる。言うなれば、“迷彩(ステルス)采配”ってことね」

「そんなところだ。まあ今日は、サインを出す状況は来ないと思うけどな」

 

 思惑を話し終えたところで、スタメンを外れたナインが戻ってきた。

 

「今日の試合、お前ら全員を使う。いつ出番が来ても良いように準備しておけ」

 

「――はい!」と全員で声を揃えて返事をしてベンチに座ると、守備に着いたナインたちへ声援を送り始める。

 グラウンドでは、最後の投球練習を終えたあおいの元へ鳴海(なるみ)が行き、直接ボールを手渡して声をかけていた。

 

「スゴい応援だね」

「うん、ホントだね。がんばって期待に応えないと......!」

「そうだね。体は熱く、でも頭は冷静にいこう」

「うんっ」

 

 味方ベンチとスタンドを埋める観客からの歓声に少し気負い戸惑ったあおいだったが、胸に手を当てて、一つ大きく深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。

 そして――。

 

「プレイボールッ!」

 

『今、球審の右手が上がりましたー! いよいよ試合開始ですッ! 先攻バス停前高校の先頭バッターがバッターボックスで構えます。対する恋恋高校の先発は、今年から正式に参加が認められた女性選手――早川(はやかわ)あおい! いったいどんなピッチングで観客を、熱盛(あつもの)の胸を熱くしてくれるのでしょーカァッ!』

 

 鳴海(なるみ)は、いつものようにバッターをじっくり観察してからサインを出す。

 

「(先ずは、これで行こう)」

「(うんっ)」

 

 サインに頷いたあおいは、鳴海(なるみ)が構えるミットを見据えノーワインドアップから初球を投じた。

 

早川(はやかわ)の初球は、甘いコースから外へ逃げるカーブ。バッターは空振り、球審の右手が上がりました! ワンストライク!』

 

「オッケー、ナイスボール!」

 

 ボールを投げ返されたボールをキャッチして、あおいは笑顔を見せて。パソコンで試合を見ている出口(いでぐち)は、恋恋バッテリーの入り方に声をあげた。

 

「おいおいっ、初公式戦で初球を変化球かよっ? しかも、しっかりストライクを取りやがった......!」

「ずいぶんと落ち着いているな、このバッテリー」

「それだけじゃないっすよ。打ち気がなかったんだから外のまっすぐでもらっとけば良いのに。あのキャッチャー、打ちごろの甘いボールと思わせてボールになる変化球(カーブ)をわざわざ振らせたんすよ、相手の力量を測るために! こんなの高校生の発想じゃないっすよ!」

「ふっ、間違いなく渡久地(とくち)の影響だな。とにかく、これでバッテリーは完全に優位に立った訳だ」

 

 相手に心理を読んでストライクを奪った配球に、児島(こじま)はどこか嬉しそうに一瞬笑みを浮かべ、再び画面に目を戻した。

 

「(よし、狙い通り振らせられた。次はこれで――)」

 

 あおいはサインにうなづくと、そのままテンポよく投球モーションに入る。二球目は、外角低めのストレート。バッターは、タイミングが合わなかったことに加えて低いと判断して見逃した。しかし、無情にも球審の手は上がる。

 

「ストライク!」

「――ッ!?」

 

 球速は120km/hにも満たないが、アンダースロー特有のまるで浮き上がるような軌道を見極められず、たったの二球で追い込む。

 理想的な形で追い込んだバッテリーは、数多くの選択肢を残したまま相手に考えさせる時間を与えず、すかさずサイン交換を済ませて、三球目を投じた。

 

「ストライク、バッターアウトッ!」

 

 遊び球は使わず、三球勝負。

 制球を重視した二球目よりもやや甘いコースだったが、二球目よりも速いストレートで空振りを奪い、一つ目のアウトを奪った。

 

「ナイスボール! 走ってるぞー!」

「いいぞー、あおいー!」

「ワンナウトー!」

「ナイピー!」

 

 内野を守る奥居(おくい)たちからの声援を受けて気を良くしたあおいは、先頭バッターを三振に取った勢いそのままに二番三番も打ち取り初回を三者凡退と上々の立ち上がり。

 

『恋恋高校の早川(はやかわ)、初の公式戦とは思えない落ち着いたマウンド捌きで三者凡退に打ち取りました。ウーン、大変素晴らしいピッチングを見せてくれます! 対するバス停前高校ピッチャーは模部(もぶ)、どんな立ち上がりになるのか注目してまいりましょう!!』

 

「へぇー、なかなかやるな。相手に自分のバッティングをさせなかったぞ」

「見慣れないアンダースロー特有の軌道に加え、あの球持ちの良い投球、一発勝負のトーナメント戦。少ない打席で捉えるには、事前にそれ相応の対策を講じていなければ難しいだろうね。しかし――」

「全部“外”だったな」

 

 トマスの言う通りあおいの投球は、外の出し入れを中心とした配球だった。唯一インコースへ行ったボールも真ん中付近から甘いインコースへ落ちるシンカーだけだった――。

 

「まずまずだな」

 

 ベンチへ戻ってきた鳴海(なるみ)に、東亜(トーア)が声をかけた。

 

「今のところ、あおいのボールは悪くない。だがこの相手はともかく、一巡のうちにスタンドの連中は気づくだろう。そうなればお前のリード次第だ」

「はい、分かってます。あおいちゃん」

 

 うなづいた鳴海(なるみ)は、ベンチに座ってフェイスタオルで汗を拭っているあおいの隣に座って、今後の配球について話をする。

 東亜(トーア)は投球練習を見てから他のメンバーを集めて、サインのことを伝え、先頭バッターの真田(さなだ)に指示を与える。

 

「お願いしますッ!」

「うむ」

 

 ジャスミン学園戦の教訓から必ず球審に対し、メットを取って丁寧に一礼することをチーム内で決めた。しっかり挨拶をしてから真田(さなだ)は、左バッターボックスに立つ。

 

『一回の裏恋恋高校の攻撃は一番レフト――真田(さなだ)。チームで一・二位を争う俊足の持ち主とのことです』

 

 バス停前高校のピッチャーの初球――。

 

「ボール」

 

 全く打ち気のない真田(さなだ)に対し、そのボール球から入った。続く二球目もボール、更に三球目もストライクが入らず、カウント3-0。

 

『おっと、これはいけませんっ。立ち上がりで焦ったか、ストライクが入りません。次は入れたいところ、しかし制球は乱れています。バッターは一球待つでしょうか?』

 

 アナウンサー熱盛(あつもり)の考えとは真逆で、真田(さなだ)には気合いが入っていた。

 

「(監督(コーチ)の指示は――相手投手は制球が定まっていない、三球見逃した後のストレートを狙え......!)」

 

 四球目、ストライクを取りに来たストレートを狙い打ち。打球は、内野の頭を越えて右中間を真っ二つに切り裂いた。

 真田(さなだ)は快足を飛ばして一気に三塁を落とし入れ、ベース上で小さくガッツポーズ。

 

『先頭バッターの真田(さなだ)、ノースリーから打ってきました! スリベースヒット! ウーン、ナイスなバッティングを魅せてくれます!』

 

 先制のチャンスに盛り上がる恋恋高校ベンチ。

 

「さすが狙い通りね」

「球種が分かっているんだから当然だ。ノースリーは、投手の制球が乱れているから四球を頭に入れつつ様子を見ろということらしいが。ハッキリ言って愚作だ。『ノースリーは待て』じゃない『甘いコースに来たら打て』だ」

 

『ノースリーは、一球待て』これが野球のセオリー。相手チームもセオリーが頭にあるから、力を抜いたボールでストライクを取りに来る確率が高い。

 このセオリーを逆手に取って東亜(トーア)は、真田(さなだ)に置きに来たストライクを狙わせた。

 

「完全なボール球ときわどいところは見逃せばいいのさ。だが、打てる甘いボールをわざわざ見逃して、カウントを悪くして、相手投手を助ける必要はない」

「日本の場合、ノースリーから手を出して凡退すると怒られるものね」

「フッ......ベンチが選手を萎縮させてどうする、愚かことだ。さて、はるか、サインを出す」

「はい」

「サインは、“無し”だ」

 

 二番バッターの葛城(かつらぎ)がバッターボックスへ入る前にベンチを見る。東亜(トーア)はテキトーな空サインを出して、本命のはるかは何もしない。つまり――。

 

「(自由にやれ、か。よっし......!)」

 

 葛城(かつらぎ)は、ヘルメットの鍔を触って了解と伝えて、バッターボックスに立った。

 

「さて、どうするか見ものだな」

 

 東亜(トーア)は、一・二番がベンチからの指示もなく、ノーサインでどう先制点を奪うか。

 この状況を楽しむように、ベンチから小さく笑みを浮かべて戦況を見守っている――。



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game38 ~宣言~

お待たせしました。


『ストライク! いきなりスリーベースを打たれましたが三塁にランナーを置いてかえって開き直ったか、内と外それぞれ際どいコースのストレートでストライクを奪い、ツーストライクと追い込みましたー!』

 

 二番バッター葛城(かつらぎ)は、初球・二球とストライクゾーンを通過したストレートを見送った。球審にタイムを要求して、一度バッターボックスを外す。

 

「(球速は120km/h中盤くらいかな? コントロールはイマイチ。とりあえず思い切り投げ込んだのが良いところへ散ったって感じか......よし)」

 

 二度素振りをして、バッターボックスでグリップを握り直す。

 

「プレイ」

「(とにかく俺は、俺の仕事をする......!)」

 

 バットを握る手にグッと力を込めて、力強くピッチャーを見据えた。

 

『おっと! 大きく外れました。葛城(かつらぎ)、追い込まれてから粘りを見せ、ついにフルカウントまでこぎ着けました!』

 

 二球追い込んだにも関わらず、際どいコースをことごとくファールで粘られフルカウントまで持っていかれたピッチャーは、思わずプレートを外して間を取る。葛城(かつらぎ)も一息ついて、バッターボックスを外し、メットを脱いで額の汗を拭う。

 

葛城(かつらぎ)くん、スゴいわね」

「うーん......でも葛城(かつらぎ)くんなら、打てそうなボールあったと思うけど」

「確かにそうね。真田(さなだ)くんの足なら、ヒットじゃなくても内野ゴロで帰って来られるわ」

「ミスショットしたワケじゃない。アイツは、わざとファールにしているのさ」

 

 瑠菜(るな)とあおいの会話に、すぐ隣に座って戦況見つめていた東亜(トーア)が入った。

 

「お前ら、冴木(さえき)を覚えているか?」

冴木(さえき)さんって確か、大筒高校の人だったよね?」

「ええ、そうよ。走攻守全てにおいてレベルの高い選手だったわ」

「その冴木(さえき)が、瑠菜(るな)のインコースを流し打ちした打ち方を応用して、狙ってファールを打っているのさ」

 

 ――大筒高校、冴木(さえき)の流し打ち。

 タイミングを外された際、咄嗟に軸足を外へ流し、強引に逆方向へ押っつける高等技術。葛城(かつらぎ)は、この打ち方を応用した打ち方。

 冴木(さえき)はインパクト時、流した軸足で最後に地面を踏み込み逆方向へ強い打球を飛ばす打ち方。一方葛城(かつらぎ)は、軸足での最後の蹴りをあえて抑えることにより、ボールの勢いに逆らわず意図して、ファールになる確率を上げるバッティングをしている。

 

「初回無死三塁。確かに、先制点が欲しい場面だ。だが仮に、アウトになったとしてもそのアウトには先制点以上の価値がある」

「先制点以上の価値ですか?」

「なんだろう?」

 

 小さく首をかしげる瑠菜(るな)とあおいを後目に、東亜(トーア)は軽く笑みを見せた。

 

『さあ次が11球目、双方ともにここで決められるかっ? ピッチャー、セットポジションから――投げましたッ!』

 

 ボールは、外のストレート。

 

「(ボールだ......!)」

 

 振りに行ったバットを止めて見送ったボールが、キャッチャーのミットに音を立てて収まった。葛城(かつらぎ)は、過去の教訓を活かしてセルフジャッジをせずにコールを待つ。

 

「......ストライク! バッターアウト!」

『――ストライク、ストライクです! 際どいコースにズバッとストレートが決まりました! 粘りを見せた葛城(かつらぎ)でしたが、最後はピッチャーの勝ち、見逃しの三振に倒れましたー!』

 

 大きく深くひとつ息を吐いて、ネクストバッターの奥居(おくい)に情報を伝達してから、ベンチに戻ってきた葛城(かつらぎ)に、理香(りか)は労いの言葉をかけた。

 

「ふぅ......」

「お疲れさま」

「監督」

「もう、監督は渡久地(とくち)くんでしょ? 私は、部長よ」

「あっ、すみません、まだ慣れなくてっ」

 

 どっとベンチが沸いた。初陣とはとても思えないリラックスした様子のベンチ、百戦錬磨の東亜(トーア)が居ること安心感が、この空気を作り出した。この空気に危機感を覚えながら、騒ぎが収まるのを待って東亜(トーア)は、葛城(かつらぎ)に打席の成果を訊く。

 

「えっと、球種はまっすぐとカーブの二種類です。球速は出ても130km/hに届くか届かないかくらいで。カーブは抜けるか叩きつけるか、ストライクに来るときは甘くなる事が多いです。それと内は狭く、外は広いです」

「だそうだ」

「はい、わかりました」

 

 一緒に聞いていた鳴海(なるみ)は頷き、ゾーンについて詳しく訊ねた。

 

「外はどれくらい広い?」

「そうだな、約ボール一個。内側は、半個分くらい狭い」

「わかった、ありがとう。あおいちゃん、次の回はもっと外を広く使っていこう」

「うんっ」

 

 力強く頷いたあおいは、次の回の準備を始めた。

 

「これが価値なんですね」

「ああ、そうだ。目先の一点よりも後の得点、後の失点を防ぐ確率を上げる価値のあるアウトだ。それに次は――アイツだからな」

 

 東亜(トーア)が目を向けたグラウンドでは奥居(おくい)が、初球の外角のストレートを見逃し、ストライクを取られたところだった。

 

「(今のは、いいコースだったな。打ってもファールかシングルだ。結構バラけるって言ってたけどどうだ......? って、おわッ!?)」

 

 二球目、今度はカーブがすっぽ抜けて曲がることなくまっすぐ頭に向かって来た暴投を、奥居(おくい)は咄嗟に頭を下げて避けた。

 

『おっと! よろしくない投球。バッター奥居(おくい)、間一髪で避けました』

「ボール!」

「(あっぶねぇ~。カーブの回転だったのに、まっすぐ頭に来やがった......!)」

 

 奥居(おくい)はズレたメットを被り直すと、一度深呼吸して気持ちを落ち着け、改めてバッターボックスで構える。

 

「(今のでピッチャー縮こまってるな。つーとここは、外......!)」

 

 決して狙った訳では無いが、避けなければ頭に当たるボールを投げた直後の投球に、必然的にインコースを避ける心理が働いた。奥居(おくい)は、読み通りの真ん中外よりのストレートに対し、躊躇なくバットを出した。

 しかし打球は上がらず、痛烈なライナーでピッチャー横を抜けて行った。

 

「(くぅ~っ、ミートし過ぎた......!)」

 

 バットを放り投げて、ファーストへ走る。打球はマウンド後方でバウンド、そのままセンター前へ抜けると思われた瞬間、バス停前高校のショート田中山(たなかやま)がボールに飛び付いた。

 

『ショート横っ飛びー、捕ったーッ! ナイスな捕球!』

「うっそ! マジかよ!?」

 

 慌ててスピードをあげる奥居(おくい)。いいスタートを切った真田(さなだ)は、スタンディングのまま既にホームを駆け抜けている。ホームイン、一点先制。

 

『しかし――投げられませんっ。内野安打、その間にサードランナーがホームイン。恋恋高校初回に一点を先制しましたー! さらにワンナウト一塁、このままリードを広げられるのか?』

 

「ナイスラン、真田(さなだ)!」

「おう、サンキュー」

 

 戻ってきた真田(さなだ)をベンチ全員で出迎えているなか、東亜(トーア)は別のところに注目していた。

 

「ふーん......」

「どうしたの?」

「別に。さてと、さっさとコールドで終わらせるか」

 

 東亜(トーア)の言葉通り恋恋高校は、この回さらに三点を奪い、回を追うごとに得点を積み重ねて行った。そして――。

 

『さあ五回の表14点差を追いかけるバス停前高校、最後の攻撃になってしまうのでしょうか? 一方恋恋高校は、公式戦初勝利まであとアウト一つです! マウンドには、この回ライトで先発出場した近衛(このえ)に託されています!』

 

 鳴海(なるみ)近衛(このえ)のバッテリーはサイン交換を済ませて、最後のバッターと勝負。

 

近衛(このえ)、振りかぶって――投げましたー! バッター打ったー! ライトへのフライ! 十六夜(いざよい)瑠菜(るな)、打球を追ってバック。こちらを振り向いてグラブを差し出した落下地点に入ったか? そして――今、ウイニングボールを掴み取りましたァーッ! スリーアウト、ゲームセット! 恋恋高校、大差をつけて見事初戦を突破いたしましたー!』

 

 試合終了の瞬間――ナインは喜びを爆発させ、スタンドから沸き起こた大歓声は、大差にも関わらず最後まで戦い抜いたバス停前高校を称え、勝利した恋恋高校を祝福する声はいつまでも鳴り止まなかった――。

 

 

           * * *

 

 

『いやー、まことにスバラシイ試合でしたッ。それでは、ここで勝利した恋恋高校監督のインタビューをお聞きください。響乃(ひびきの)アナウンサー、お願いしまーす』

『はい、こちら恋恋高校控え室前の通路です。見事初戦を勝利した恋恋高校の監督――あの渡久地(とくち)東亜(トーア)監督にお話を......あれ? 渡久地(とくち)監督? どこへ行ったんですかーっ?』

『......おや、どうやら何やらトラブルが起こった様ですね、申し訳ございませんっ。準備が整うまで、今日の試合のハイライトをご覧ください』

 

 試合後恒例のアナウンサーによるインタビューをブッチした東亜(トーア)は、既に球場の外でタバコを吹かして待っていた。

 

「今日で俺たち三年は引退だ。結局公式戦で一勝も出来なかったけど――」

 

 球場の外では、バス停前高校ナインが集まって引退の挨拶をしてた。しばらくして挨拶が終わり選手たちが帰って行く。その中の一人に、東亜(トーア)は声をかけた。

 

「おい、お前」

「ん? あっ......」

 

 東亜(トーア)が呼び止めたのは、田中山(たなかやま)

 

「プロへ行くつもりがあるのなら志願届けを出しておけ。じゃあな」

「......俺が、プロ......?」

 

 突然の出来事に田中山(たなかやま)は、東亜(トーア)の言葉の意味が理解できず、ただただ遠くなっていく背中を見送ることしか出来なかった。

 

『はい、ありがとうございました。勝利した恋恋高校の部長加藤(かとう)先生でした。本当におめでとうございますっ。それではお返しします、放送席の熱盛(あつもり)さーんっ』

『はい、加藤(かとう)先生、ありがとうございました。それでは、試合のハイライトをお送りしながらお別れです。次回も、熱く、熱くお送りまいりまーす!』

 

 試合後のインタビューが済み、ナインは球場を出てマイクロバスに乗り込んだ。

 

「よう、遅かったな」

「遅かったな、じゃないわよっ。あなたどこへ行っていたのっ?」

「これだ」

 

 指を二本立てて口の前に持っていく。理香(りか)は、呆れ果てた様子で大きなタメ息をついた。

 

「はぁ~......!」

「さっさと座れ。ここからは時間との勝負だ」

「......はいはい。運転手さん、お願いします」

「はい、では出発します。みなさん、シートベルトをおしめください」

 

 理香(りか)が座るとマイクロバスは走り出した。高速を走り一時間弱で恋恋高校に到着。

 

「さて、じゃあやるとするか」

「何をするんですか?」

「解散じゃないんでやんすか?」

「あなたたち、もう忘れたの? お待ちかねの実戦練習じゃない」

「あっ......!」

 

 実戦練習は公式戦が始まってから。その約束通り、今日から普段のトレーニングに加え実戦練習を開始。カウント、ランナーの有無、点差等の状況を想定して練習を行う。先ほどの試合で気づいている選手も多かったが、春先に比べると体のキレは格段に増していた。打球が伸びる、今まで届かなかった打球に届く、送球の鋭さが増し正確さも増していた。

 

「みんな、のびのびやっているわね」

「今まで出来なかったことが出来るようになった。それが面白いのさ」

「ふふっ」

「心・技・体と言うことが言葉があるが、順番としては体→技→心だ。先ずは動ける身体を作ってやる。そうすれば今のアイツらのように出来なかったことが出来るようになる、技術が身に付く。そして技術が身に付けば、おのずと自信はつく。プレーにも余裕が生まれる。あとは勝手に伸びて行くさ、この年代はな」

 

 東亜(トーア)の言葉は、その通りになった。

 公式戦で初勝利を上げ、練習で成長を実感し、自信を持った恋恋ナインは、初戦の勢いそのままに二回戦、三回戦共にコールドゲームで勝ち上がり四回戦へと駒を進めた。

 対戦相手の候補は第2シードの激闘第一高校と、エースを欠きながらも勝ち上がって来たジャスミン学園。勝った方が四回戦の対戦相手になる。

 三回戦の翌日、ジャスミンのほむらから連絡を受けた鳴海(なるみ)とあおいは練習を早めに切り上げさせてもらい、偵察を兼ねて次の対戦相手が試合をしている球場へ足を運んだ。

 

「......ジャスミン、勝てるかな?」

「うーん、どうだろう」

 

 あおいの質問に鳴海(なるみ)は答えを濁した、それも致し方ない。誰の目から見ても両校戦力には歴然とした差が存在している。特に投手力、緒戦を控え投手で完封勝ちした激闘と何人も時には野手もマウンドに上がり繋いでここまで戦ってきたジャスミンとは比べものにならない。

 もしかしたら、もう試合は終わっているかも知れない。そんなことが頭を過りながらも、二人は階段を上りスタンドに出た。

 

「ウソ......」

「おいおい、マジかよ......!?」

 

 バックスクリーンに写し出されたスコアに二人が驚く、八回で2-0とジャスミンがリードしていたためだ。そして直後、八回裏激闘第一のボードに「0」の数字が刻まれた。

 

「あ、あおいちゃん!」

「えっ? そ、そんな......」

 

 グラウンドを見た二人は絶句した。マウンドに、あの太刀川(たちかわ)が立っていたからだ。

 太刀川(たちかわ)は、マウンドを降りてハイタッチを交わしながらベンチに座ってドリンクを飲む。

 

「ひ、ヒロぴー? 今投げてたの、ヒロぴーだよねっ!?」

「た、たぶん......あの、すみません」

 

 鳴海(なるみ)は近くの席で観戦している観客に、ここまでの試合経過を教えてもらった。お礼を言って空いている席に腰をかける。

 

太刀川(たちかわ)さん、初回から投げてるって......しかも三塁を踏ませてないって」

「そんな......で、でも、ヒロぴーの肩は――」

「......わからないけど。治ってなかったら激闘を抑えられないよ」

『ストライク、バッターアウト! チェンジ』

 

 九回表のジャスミンの攻撃は三者凡退。最終回のマウンドに、太刀川(たちかわ)が向かう。

 

「(あおい、見に来てるかな?)」

「ヒロ、行くわよ!」

「あ、うん、オッケー」

 

 投球練習を終え、試合再開。バッテリーはストレートを軸に組み立て、内野ゴロ二つでツーアウトを奪った。そして最後のバッター、小豪月(しょうごうげつ)を空振りの三振に打ち取り完封で試合を決めた。

 

 試合後ほむらに案内されて、鳴海(なるみ)とあおいはジャスミン学園の控え室へ来た。

 

「ヒロぴー、お二人が来てくれたッスよ」

「あ、ありがとう。久しぶりだね、あおい」

「う、うん......」

「キャプテンさん、渡久地(とくち)監督の指導法を聞かせて欲しいッス!」

「あ、うん、いいけど」

「ありがとうッスっ。じゃあほむらたちは、外に居るんでごゆっくりどうぞッス!」

 

 ほむらたちが出て行って、控え室で二人きりなった。

 

「あ、あの......」

「ゴメンっ!」

「え、えっ?」

 

 突然手を合わせて頭を下げた太刀川(たちかわ)に、あおいは驚いて戸惑う。

 

「ホントはもっと早く知らせたかったんだけど、いろいろ話せない事情があって......」

「じゃ、じゃあヒロぴーの肩は......」

「うんっ、バッチリ治ったよ!」

 

 笑顔でブイサインをした太刀川(たちかわ)を見たあおいの目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。

 

「わわわっ、ちょっと、あおいっ、泣かないでよっ」

「だ、だって、信じられなくて......」

「......実は、わたしもまだ信じられないんだけどねー」

 

 太刀川(たちかわ)は頬を指でかきながら、経緯をあおいに話した。

 

「じゃ、じゃあ渡久地(とくち)コーチが、お医者さんを紹介してくれたのっ?」

「うん、そうなんだ。でも条件として、あおいはもちろん恋恋高校の誰にも話すなって」

「......なんで?」

「さあ? でも昨日になってもう話していいって連絡が来て、だったら試合を見てもらった方がいいかなって思って、ほむほむに頼んだんだよ」

「そっか、そっか......。よかった、ホントよかった」

 

 一瞬笑顔を見せたあと太刀川(たちかわ)は、真剣な顔で右手を差し出して、あおいに握手を求めた。

 

「今度の先発、あおいだよね。わたし、絶対負けないから......!」

「ヒロぴー......」

 

 あおいは目を閉じて、ゆっくり深く息を吐いてから彼女をまっすぐ見つめて、その手を取り握手を交わす。そして――。

 

「ボクも、負けないよ。ボクたちは甲子園で優勝するんだから......!」

 

 そう力強く宣言した。



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対聖ジャスミン学園戦
game39 ~無言の会話~


お待たせしました。



『さあやって参りました東東京地区予選四回戦! 本日お届けするカードは、初戦から三試合全てをコールドゲームで勝ち上がってきた恋恋高校。そして第二シード激闘第一を完封で撃破した聖ジャスミン学園の一戦です!』

 

 ベンチ前では恋恋高校ナインたちがキャッチボールで身体をほぐし、試合が行われるグラウンドでは今、野球部の主将で扇の要でもある小鷹(こだか)を中心に聖ジャスミン学園が試合前の全体練習を行っている。

 

「まさか、あの激闘第一を完封で倒して来るなんてね」

「別に不思議でも何でもない」

 

 不幸なことに激闘第一高校は、全国優勝を狙える名門校。初出場の女子だけのチームが相手だったため、大事な緒戦にも関わらず戦力を温存して控え中心のオーダーを組んだ。

 試合序盤は、思惑通り激闘第一のペースで進んでいた。投手は凡打の山を築き、野手も安打を積み上げ、層の厚さを見せつけた。

 しかし、ランナーを出しても得点に結びつかない。良い当たりは野手の正面を付き、ランナーを得点圏に置いてもあと一本が生まれない。だが、ベンチも選手たちも楽観していた。

 

「『しっかり捉えている』『たまたま野手の正面に飛んでいるだけ』『球威はない、いずれ打ち崩せる』。そんな傲りが本質を見誤ったのさ」

 

 なかなか得点を奪えない中、ゲーム中盤不運な当たりで逆に先制点を奪われた。それでもまだ、ベンチには余裕があった。

 しかし、回が進むにつれその余裕は徐々に消えていった。

 五回も無得点に終わり、ここで漸く主力に切り替えた。だが、もう遅すぎた。復活したエース太刀川(たちかわ)の前に六回表を三者凡退に打ち取られ、その裏準備不足のままマウンドに上がった二年生エース鶴屋(つるや)が、不用意にストライクを放った初球を四番にホームランを打たれて失点。

 

「代わった二年生エースは、ややメンタル面に難がある選手だった。もう点をやれない場面での失点、これが致命的。自分たちは名門、相手は女子高、絶対に負けられない。そんな思いが自然とスイングを大きくさせ、全員が一発狙いの強振のフルスイング。当然力めば力むほど確実性を失いドツボに嵌まる」

 

 ジャスミンバッテリーは、激闘第一の一発狙いを嘲笑うように緩急を巧みに使いボール球を振らせ、フォームが小さくなるとみるや球威のあるストレートで打ち取る配球を展開。更に太刀川(たちかわ)は回を追う毎に尻上がりに調子をあげ、結局最後の最後まで捉えることが出来なかった。

 

「全ては起こるべく起きた必然だ」

「あの子たち......ジャスミン学園は――」

 

 強い。そう感じた理香(りか)の頭に一瞬なんとも言えない不安が支配した。

 

「そう悲観するな」

「えっ?」

「お前との契約は果たしてやる」

 

 そう言って東亜(トーア)は小さく笑みを浮かべ、ちょうどジャスミンの全体練習が終わった。両校の選手たちはベンチへ戻り、球審の号令が掛かるまで最後のミーティングが行われる。

 

「練習を見てて思ったんだけど、向こうのメンバーかなり変わってない?」

 

 芽衣香(めいか)の疑問の通りジャスミンベンチの顔ぶれは練習試合の時とガラリと変わっていた。スタメンに至っては四人も入れ替わっている。

 

「三回戦のあとほむらちゃんが教えてくれたんだけど、ケガをした太刀川(たちかわ)さんの復帰を信じて勧誘を続けたんだって。新しく入った女子たちは、ほむらちゃんの情熱に負けたみたい」

「情熱って言うか、もう執念ねっ」

「はっはっは、そうかもね。それで新しい選手の特徴だけど――」

 

 パワフルTVが配信しているアーカイブ映像で得た各選手の情報を、鳴海(なるみ)を中心に再確認。一方、聖ジャスミン学園ベンチは――。

 

「今日の先発はあおいちゃんッス、強敵ッス!」

「言われなくても分かってるわよ。あの練習試合じゃまともにバッティングさせて貰えなかったもの」

「だが部長、早川(はやかわ)はインコースを投げないぞ」

「もちろん知ってるわよ。何度も何度もビデオを見たからね」

 

 美藤(びとう)に指摘された小鷹(こだか)だったが、あおいの不調の原因に薄々感付いていた。それでも心を鬼にしてみんなに、そして自分に言い聞かせる。

 

「卑怯だと思うかも知れないけど私たちは、勝つために......甲子園に行くために弱点を狙って行くわよ......!」

「――はい!」

 

 声と気持ちを揃えて返事をした直後、審判団が集合の号令をかける。両校ナインたちはベンチを飛び出し、グラウンドに一列で並び整列。

 

「先攻、恋恋高校。礼!」

『お願いします!』

 

 ジャスミンは守備に、恋恋はベンチへそれぞれ戻り試合開始の時を待つ。先発ピッチャー太刀川(たちかわ)の投球練習が終わり、先頭バッター真田(さなだ)がバッターボックスに向かう。

 球審に挨拶をして、しっかり足場を作りバットを構えると球審が右手を伸ばした。プレイボール宣言と共に球審に試合開始を告げるサイレンが鳴り響く。

 

『さあいよいよプレイボール! 聖ジャスミンの先発太刀川(たちかわ)、いったいどんな立ち上がりを見せるのでしょうカーッ!? 実況はわたくし、熱盛(あつもり)が試合の最後まで熱く熱くお送りしてまいりーす!』

 

 太刀川(たちかわ)の第一球――。

 

「ストライクッ!」

『アウトコースへストレートがビシッと決まりました! 先頭バッター真田(さなだ)、ピクリとも動きません! ワンストライク!』

「ナイピッチ!」

 

 小鷹(こだか)は受けたボールを太刀川(たちかわ)に投げ返して腰を下ろし、真田(さなだ)に目をやる。

 

「(練習試合と今までのビデオを見た限りストライクはどんどん振ってくるタイプなのに平然と見送ったわね。手が出なかったのかしら? それとも太刀川(ヒロ)の回復具合を見定めてる?)」

 

 真意は、その両方だった――。

 

「(やべぇ......今の手が出なかったぞ。けど、これは絶対に悟られちゃいけない。メンタルトレーニングの時と同じでポーカーフェイスで......!)」

 

 平然を装いながら悟られないように、小指一本グリップを余して握り直した。

 

「(それに今のストレート、練習試合の時よりも明らかに速い。ここは先ずストレートのタイミングにキッチリ合わせる――!)」

 

 高い実力を持つ女子選手が同じチームに所属していて更に、相手も練習試合で実力があることを知っているから勝負の世界では命取りに成りかねないプライドを捨てることが出来る。

 これが恋恋高校と、足元を掬われた激闘第一との一番の違い。バッターボックスの真田(さなだ)に油断や慢心は微塵もない、それは他のナインも同じ。

 

『さあ二球目。バッテリーの選択は――ストレート!』

「(よしっ、良いコースよ。ボールも走ってる!)」

「くっ......!」

 

 バットの先の上っ面に当たったボールは、球審の左肩の上を抜けてバックネットに当たり、ガシャンッと音を立ててファールゾーンに落下した。

 

「ファ、ファール!」

『ほぼ真後ろへのファール! ひと振りでタイミングを合わせて来ました!』

「(今のストレートに合わせて来るなんて、流石ね。なら次は――)」

「(ストレートのタイミングで待って、狙い通りストレートをスイングして差し込まれた。もっと始動を速めるか......? でもノーツー、カウント的にも変化球は十分考えられるぞ。もう一球ストレートか、緩急のあるカーブ......。外の良いコースへ二球来た、これ以上のストレートは無い。なら次は――)」

 

 ――外、ボールになるカーブ。二人の考えがピッタリ重なった。小鷹(こだか)は緩急のあるカーブのサインを出し、真田(さなだ)も甘く入れば叩くと変化球をセンターから逆方向へ流し打つイメージを持って狙いを定めた。

 しかし二人の思惑とは裏腹に太刀川(たちかわ)は、変化球のサインに首を横に振る。

 

「(カーブはイヤなの? 仕方ないわね。じゃあインコースのシンカーかシュートで――ってストレート!?)」

 

 サインを出し直す前に太刀川(たちかわ)は、プレートを外して帽子の鍔に軽く指先を触れて自ら球種のサインを送った。

 

「(さすがに三球も続けたら前に飛ばされるわよっ。コイツらみんな目が良いんだから!)」

「(わかってるよ。でもお願い、小鷹(タカ)、ここは勝負させて。あたしの今のストレートが通用するか試させて。この先絶対に競った場面が来る。その時自信を持って投げ込めるように――!)」

 

 太刀川(たちかわ)の並々ならぬ意志の強さを感じ取った小鷹(こだか)は、目をつむり大きくひとつタメ息をついてうなづいた。

 

「(まったく頑固ね。わかったわよ、真っ向勝負で行くわよ)」

「(ありがとっ)」

「(でも、もう外はダメ、三球続けたら打たれる。攻めるならここよ!)」

 

 インコース低めにミットを構えた。太刀川(たちかわ)は、頷いて投球モーションに入る。

 

『太刀川《たちかわ》、ノーワインドアップから第三球を――投げました! インコースのストレート!』

 

「(インコース!?)」

「(ナイスコース、完璧よ!)」

 

 完全に裏をかかれた真田(さなだ)は、やや腰を引く感じでインコースギリギリのストレートに手を出せず見送り。直後、パンッ! と小気味良い音を響かせてボールはキャッチャーミットに収まった。

 

「(やべぇっ!)」

「(よし、入ったっ!)」

 

『指にかかったストレートがミットを奏でるぅ! ウーン、どちらと取れるスバラシイコースへの投球! 果たして球審の判定は――』

 

 捕手、打者ともに見逃し三振をほぼ確信。

 しかし一呼吸置いたあと球審のジャッジは、手は上がらずに首を横に振った。

 

「ボ、ボール!」

「っ!?」

 

 小鷹(こだか)は思わず声を上げそうになったのを必死に抑え、逆に命拾いした真田(さなだ)はほっと胸を撫で下ろす。対称的な二人の表情(かお)を見て、東亜(トーア)はベンチの投手陣と捕手陣に問いかけた。

 

「ようお前ら、さっきの場面三球勝負で打ち取るなら何を選択する?」

「カウント0-2からの三球勝負ですか? 瑠菜(るな)ちゃん」

 

 捕手経験の浅い鳴海(なるみ)は、隣に座っている瑠菜(るな)に振る。

 

「きわどいコースへの投球よ。球種は前の配球にもよるけど、大半はボール球に手を出してくれれば儲け物って感じじゃないかしら」

「うん、ボクもそんな感覚で投げてるよ。ストライクゾーンにはほとんど入れないかな」

「俺もキャッチャーやってた時は、落ちるボールか、外の変化球か、高めの釣り球を要求したな」

 

 日本の野球では二球目でノーツーと追い込んだ場合、三球勝負へは行かず一球外すことがセオリーとなっているがこれは、間合いを取ることと、打者の感覚をずらす目的がある。例えば外を続ければ内角が近く感じ、内角を続ければ外角がより遠く感じ、打者に取ってのストライクゾーンを広げる効果がある、が。

 実はこれ、ノーストライク・スリーボールの次は一球待てと似ている一面もあったりする。せっかく追い込んだのに三球目でヒットを打たれると「なぜ一球外さないんだ」と失敗を怒る指導者が居たりするからだ。(実際、某プロ野球チームにはかつてツーナッシングから打たれると罰金等があったそうです)。

 

「だそうよ」

「難しく考えすぎだな。もっとシンプルに考えろ」

「シンプルに、ですか?」

 

 ストライクを取ってもらえなかった次の投球、ジャスミンバッテリーはカーブをアウトコースへ外して2-2平行カウント。

 

「今の場面、ジャスミンバッテリーは変化球(カーブ)で逃げざるをえなかった。一球前の投球が完璧すぎた結果な」

 

 三球目、グラウンドで対峙していた小鷹(こだか)真田(さなだ)の対称的な表情を見て東亜(トーア)は確信した。あの一球はストライクだった、と。

 

「0-2からの三球勝負の三球目、球審のストライクゾーンは通常よりもやや狭くなる傾向がある」

 

 逆に3-0の場合は、ストライクゾーンがやや広がる傾向がある。

 

「よほど甘いコースでなければストライクを取ってもらえないことがある。それが良いコースであればあるほど次の投球に影響する。そこで三球勝負の鉄則は『見逃しは狙わず、空振りを奪え』だ」

「空振り......瑠菜(るな)ちゃんなら、低回転ボール。あおいちゃんならマリンボールかな?」

「決め球を定めるな、状況に応じて使い分けろ。『空振りを奪う』と言うことはイコール『手を出しやすい甘いコースへの投球』と言うことでもある。続ければ狙われる。その都度一番効果的な配球を見定めろ」

「――はい!」

 

 バッテリーたちは頷いて揃って力強く返事をした。

 その頃グラウンドでは、ツーナッシングからフルカウントまで粘った真田(さなだ)だったが、力のある外のストレートでサードフライに打ち取られたところだった。

 

「悪い、打ち上げちまった」

「ドンマイ、でどうだった?」

「相当来てるぞ。球威も制球も練習試合より遥かに上だ」

「マジか......」

 

 鳴海(なるみ)は、グラウンドへ目を戻す。二番バッターの葛城(かつらぎ)が、内野ゴロに打ち取られツーアウト。

 そして――。

 

「ライトーっ!」

「あっ! くそ~っ!」

「おーらいっ」

 

 キャッチャーが指示を出し、定位置から三メートルほど下がったライトが落下点でグラブを構える。

 

『ライト、美藤(びとう)千尋(ちひろ)。三番バッター、奥居(おくい)の打球をガッチリキャッチ! これでスリーアウトチェンジですッ! マウンドの太刀川(たちかわ)、これまで初回にビックイニングを作ってきた強力恋恋打線を三者凡退に切って見せましたーッ!』

 

 悔しそうに戻ってくる奥居(おくい)。逆に太刀川(たちかわ)は笑顔でハイタッチを交わしている。

 

「ヒロぴー、スゴい!」

「負けられないね」

「うんっ、行こう!」

 

 三者凡退に打ち取られた恋恋高校ナインたちは、そんなことを気にするそぶりも見せず走ってグラウンドへ飛び出して行った。

 

「あおいちゃん、ラスト!」

「――っ!」

「オッケー、ナイスボールッ!」

 

 パーン! と最後の投球練習を終えて、ジャスミン一番バッターがバッターボックスへ。

 

『恋恋高校の先発は、早川(はやかわ)あおい! 今日も熱盛(あつもり)の胸を熱くしてくれるのか! 対する聖ジャスミン学園の一番バッターは矢部田(やべた)! この瓶底眼鏡の向こうにどんな素敵な素顔を隠しているのか、矢部田(やべた)亜希子(あきこ)が右バッターで構えます!』

 

 鳴海(なるみ)は、前回の練習試合には居なかった矢部田(やべた)をじっくり観察。

 

「(前は居なかった選手か。この子を含めてあと四人が新しいスタメン......アーカイブを見た限り定石通り足のあるタイプだった。その足を潰すためにインコースを使いたいところだけど)」

 

 あおいは、まだインコースを投げれていない。

 

「(外の真っ直ぐで対応をみよう)」

「(アウトコース狙いだべ!)」

 

 鳴海(なるみ)のサインにあおいは、首を横に振った。

 

「(そう? じゃあシンカーを振らせて――)」

 

 またサインに首を振る。あおいは、太刀川(たちかわ)と同様に自分から投げたいボールのサインを出した。

 

「(インコースの真っ直ぐ!? でも......)」

「(――大丈夫、投げさせて......!)」

 

 鳴海(なるみ)はベンチを見て、東亜(トーア)に指示を求めた。しかし東亜(トーア)は、どこか愉快そうに小さく笑みを浮かべるだけで指示は一切出さず突き放す。

 

「(......キャッチャーがピッチャーを信じなくてどうする?)」

 

 色々な思考が鳴海(なるみ)の頭の中を駆け巡ったが、やがてひとつの結論に達した。インコースにミットを構えた。

 あおいは大きく頷き、投球モーションに入る。

 

「(ヒロぴー、見てて......これがボクの本気だよ!)」

 

 そして、構えたミットめがけて勢いよく腕を振った。

 

「――いっけーっ!!」

 

 しなやかなフォームから投じられたストレートは、ミットめがけて飛んでいく。そしてインコースに構えた鳴海(なるみ)のミットに、一寸の狂いもなく渾身のストレートが突き刺さる。

 

「ス、ストライークッ!」

『初球、インコースのストレートが決まったーッ!』

「部長、今のインコースだったぞ!」

「まさか克服したって言うのっ?」

「さすが、あおい......!」

 

 あおいはマウンドからジャスミンベンチに向かって笑顔を見せて、太刀川(たちかわ)も笑顔で答える。

 

「(ボク――)」

「(あたし――)」

 

 その笑顔で二人は、無言の会話を交わした。

 

 ――絶対に負けないからっ!

 

 




パワプロでは太刀川(たちかわ)はスクリューですが、シンカーとして書いています。
これは実際シンカーとスクリューは別物だからです。パワプロでは右はシンカー、左はスクリューとなるので。


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game40 ~カラクリ~

大変お待たせいたしました。


『おっと打ち上げたー! 内野フライです! ショートストップ小山(おやま)(みやび)、落下点に入ってガッチリ捕球、スリーアウトチェンジ!』

 

 スリーアウト目を見届けたマウンドの太刀川(たちかわ)はその場で小さくガッツポーズをして、意気揚々とベンチに戻り、チームメイトをハイタッチを交わて腰を落ち着けた。

 

「ナイスピッチですぞ、タオルをどうぞにょろ」

「ありがと、ねこりん」

 

 新しく入ったマネージャーの“猫塚(ねこづか)かりん”から受け取ったタオルで額から流れる汗を拭い、スポーツドリンクで喉を潤しながら五回裏の攻撃を見守る。

 

「セカンッ!」

「オッケー! ファースト!」

「アウト!」

 

『五回裏の聖ジャスミンの攻撃は、前の試合ホームランを打った四番、大空(おおぞら)からの好打順でしたが三者凡退に打ち取られて、この回も無得点。恋恋高校先発早川(はやかわ)の変幻自在のピッチングの前に、未だパーフェクトに抑えられています!』

 

 外のカーブを打たされてセカンドゴロに打ち取られた小鷹(こだか)は、ベンチに戻ると急いでプロテクターを付ける。太刀川(たちかわ)はその手伝いをしてながら、あおいの投球について訊ねた。

 

「練習試合の時とは別人よ。特に低めの制球力は格段に向上してるわ」

「流石だねっ」

「嬉しそうに言わないっ。あの子を打ち崩さないと私たちは、甲子園に行けないのよ?」

「えへへっ、もちろん分かってるよ。大丈夫、あたしだって負けないからさ!」

「はぁ......相変わらずノーテンキね。オッケー、勝ちに行きましょ!」

「うん!」

 

 二人揃ってベンチを飛び出し、イニング間のピッチング練習を開始。

 六回表恋恋高校の攻撃は、七番センター矢部(やべ)からの打順。こちらもジャスミンと同様、絶望的な大ケガから復活した太刀川(たちかわ)の前に五回までパーフェクトに抑えられていた。

 

「さて、ここまでパーフェクトに抑えられているワケだが印象はどうだ?」

 

 東亜(トーア)はグラウンドを気に止めることも無く、先頭バッターの矢部(やべ)を含めて全員に太刀川(たちかわ)のピッチングについて訊いた。

 まず最初に答えたのは、不動の二番打者でチームいちの選球眼を持つ葛城(かつらぎ)

 

「ストレートも変化球も練習試合より来てます。特に真っ直ぐの手元での切れはダンチです」

「確かに、オイラも二打席ともストレートに差し込まれたぜ。二打席目に関しちゃあ完璧に捉えたと思ったのになぁー」

 

 対戦した他のナインたちも奥居(おくい)たちとほぼ同じ感想を抱いていた。捉えているのに何故か、守る野手の守備範囲に打球は飛ぶ。ジャスミンに破れ去った激闘第一と同じ状況になっていた。

 しかし、彼らと違ってナインたちに油断や慢心は一切無い。つまり何らかの別の要因があると言うこと。東亜(トーア)はそれを探るべく、先頭バッターの矢部(やべ)に指示を出す。

 

「ふーん、なるほどな。矢部(やべ)

「はい、でやんす」

「三球目、内角のストレートを一発狙って振ってこい」

「了解でやんす! 期待に答える男・矢部(やべ)、先制してくるでやんす!」

 

 ビシッ! と敬礼してバッターボックスへ向かった。

 

『さあ六回の表恋恋高校の攻撃は七番、魅惑のメガネボーイ矢部(やべ)! キラリと光る瓶底メガネの上からでも分かるみなぎる闘志、気合い十分に構えます!』

 

「来いでやんす!」

「(気合い入ってるわね。まあ当然か、何せ太刀川(ヒロ)の前にパーフェクトなんだから。でも油断は出来ないわ。打順は下位打線(ななばん)だけど、この眼鏡(バッター)も長打力があるんだから)」

「(うん、分かってるよ)」

 

 バッテリーは矢部(やべ)の長打を警戒して、一打席目に空振り三振に取った外へ逃げるシンカーから入った。しかし、矢部(やべ)は釣られず簡単に見逃した。

 小鷹(こだか)はチラリと矢部(やべ)に目をやってから、ボールを太刀川(たちかわ)に投げ返し、二球目。

 

『ボール、ボールです! 外から大きく曲がって来る変化球(カーブ)でしたが、これも僅かに外れてツーボール・ノーストライク! 次はストライクを取りたい場面、バッテリーは何を選択するのでしょーカ? 目が離せませンッ!』

 

「(......二球目もあっさり見送られた、て言うか反応すらしなかった?)」

「(――次でやんす!)」

 

 東亜(トーア)の指示のお陰で迷いを断ち切った矢部(やべ)は、きわどいコースの投球を平然と見送りグッと力を込める。

 バッテリーはサイン交換をして、運命の三球目を投げた――。

 

「(来たでやんす!)」

「(オープンステップ、まさか狙われた!? マズイわ!)」

 

 インコースのストレートに対し、オープンステップで完璧に合わせた。

 

矢部(やべ)、打ったー! 快音を残して打球はレフト上空へ高々と舞い上がったー! レフトバック!』

 

「行ったでやんす......!」

「レフトッ! 後ろよーッ!!」

 

 矢部(やべ)は手応えから柵越えを確信、小鷹(こだか)も運ばれた確率が高いと感じながらもマスクを外して、大声でレフトに指示を出す。

 

『レフト、柳生(やぎゅう)鞘花(さやか)、フェンスにぴったりついて上空を見上げるぅー! 打球は中々落ちて来ませンッ! これは行ったか? 行ってしまうのカーッ!? みなさん、準備はよろしいでしょーか!?』

 

 ――やられた、持っていかれた。

 小鷹(こだか)は、自分の配球ミスを悔やんで顔を下げてしまう。そんな彼女に太刀川(たちかわ)は、白い歯を見せながら笑顔で声をかけた。

 

「大丈夫だよ、小鷹(タカ)

「えっ?」

鞘花(さやか)、1メートル前!」

「わかった」

 

 太刀川(たちかわ)の言葉を聞いて柳生(やぎゅう)は、フェンスを離れ1メートル前に歩みを進め上空を見上げると、グラブを掲げた。そして、その彼女のグラブを目掛けて打球が落ちて来る。

 

『おや、これは......ああーっと失速、失速です! 打球が落ちてきます! そして――』

 

 矢部(やべ)の打球は太刀川(たちかわ)の言葉通り、フェンス手前1メートルの地点で柳生(やぎゅう)が構えたグラブにドンピシャで収まった。

 

『レフトフライ、ワンナウトー! いやー、わたくしの勇み足でございました。お詫び申し上げます、申し訳ございませんでしたー! 太刀川(たちかわ)のパーフェクトピッチングは続きます!』

 

 セカンドベース付近で茫然と立ち尽くす矢部(やべ)は、塁審に促されとぼとぼと重い足取りでベンチへ戻って行く。

 

「今の打ち損じたのかしら?」

「いや、矢部(やべ)表情(かお)からして違うな。打ち損じたんじゃない、打ち損じさせられたんだ」

「どう言うこと?」

 

 東亜(トーア)は、理香(りか)の疑問に答えずネクストバッターズサークルで準備をしていた芽衣香(めいか)を呼びつける。

 

「はーい、なんですかー?」

「バントしてこい」

「......はあ?」

 

 芽衣香(めいか)が、すっとんきょうな声を上げるのは当然。ワンアウトランナー無しの場面では絶対あり得ないバントの指示。

 

「ちょっとどう言うつもり?」

「“ボールをしっかり見て”バントするだけだ」

「だから、どうしてこの場面でバントなの?」

「今だからこそだ。この回を含めあと4イニング、このイニングをくれてやる代わりにこの試合(ゲーム)を貰う。そのために重要な投資(バント)だ」

 

 普段と変わらず慌てるそぶりは微塵も見せない東亜(トーア)の前に、芽衣香(めいか)の気持ちを代弁していた理香(りか)は何も言い返せない。はぁ......と、ひとつ息を吐いた。

 

「変化球はすべて捨てて、ストレートをだけを狙い、芯に当てろ」

「コースは?」

「どこでもいい。ファールアウト、変化球の見逃し三振も気にするな。とにかくしっかり見て、ストレートを芯に当てろ」

「......わかりました。ストレートをバントしてアウトになってきますっ」

 

 バッターボックスへ向かった芽衣香(めいか)は、バットを横に寝かしてバントの構え。

 

『おや、これはいったい......。八番バッター、浪風(なみかぜ)芽衣香(めいか)、最初からバントの構えを取りました。この意図はなんなのでしょーか?』

 

 キャッチャーの小鷹(こだか)も、マウンドの太刀川(たちかわ)も、そして球審さえも芽衣香(めいか)の取った行動を不思議に想い、スタンドからもどよめきが起こった。

 

「いったいどう言うつもりなのよ? 揺さぶりのつもりかしら?」

「違うわよ。見ての通りバントよ、バント」

「......本気? バスター狙ってんじゃないの?」

「狙ってないって、ただのバント。バントしてアウトになって来いって言われたの」

「二人とも、私語は慎みなさい」

 

「すみません......」と二人一緒に謝って、試合再開。改めてバントの構えを取った芽衣香(めいか)、当然バッテリーはバスターを警戒してボールから入った。ストライクゾーンを大きく外れた変化球に対し、バットを引いて見送る。ボール、カウント1-0。

 

「(......バットを引いたわね。やっぱりバスター狙いなのかしら? 次は、ストレートで様子を見てみましょ)」

「(おっけー)」

 

 第二球、外のストレート。これもボール球。

 

「(ストレート! ちょっと外れてるけど、このくらいなら届くわっ)」

「ええっ?」

「うそでしょっ!?」

 

 芽衣香(めいか)は、腕を伸ばしてボールゾーンのストレートをバントした。しかし、芯には当たらず一塁側ファールゾーンへ転がった。球審は両手を上げてファールを宣告。

 

「すみません、タイムお願いしますっ」

「うむ、タイム」

 

 タイムを要求して、内野手全員でマウンドに集まり作戦会議。

 

芽衣香(めいか)のやつ、本当にバントしてきたわよっ」

「そう思わせることが狙いかも知れないッス。駆引きは、渡久地(とくち)監督の専売特許ッス!」

「......油断させてのバスター、十分考えられるわね。仮にバントを警戒して前に突っ込んで――」

 

 守備位置や打球処理に対する確認している間、理香(りか)東亜(トーア)に改めてこのバントの意図を訊ねた。

 

「これが狙いだったの?」

「こうなり得ることは想定していた。だが言った通り本命は、ストレートをバントすることだ。矢部(やべ)の打席、ボール球の変化球だったとは言え初球・二球は狙えば十分ヒットは打てた、長打もあり得ただろう。だが、あえてストレートを狙わせた」

 

 目先の一本(ヒット)より、勝利が絶対優先。

 仮に変化球を狙いチャンスを作っても結局、要所で投げられるストレートを打ち崩さなければ得点には繋がらない。東亜(トーア)は、チーム一のバッティング技術と動体視力を持つ奥居(おくい)が二度打ち損じ、狙い打った矢部(やべ)も打ち取られたストレートの秘密を探るべく、芽衣香(めいか)にバントの指示を出した。

 ジャスミンが守備に戻り試合再開、同時に芽衣香(めいか)は再びバントの構えを取った。

 

「(さっきはファールになってくれて助かったわ。芯にも当てられなかったし、やっぱりボール球は打つのもバントするのも難しいわね。次は、ストライクのストレートをしっかりバント......!)」

「(またバントの構え、作戦通りに行くわよっ)」

 

 小鷹(こだか)の指示で守備陣形が大きく変わった。外野三人は前進、大空(サード)ほむら(ファースト)はライン際にポジションを取りバスターを警戒、小山(ショート)夏野向日葵(セカンド)は両サイドの広く空いたポジションをケア、センター前はヒットは仕方ないと言う、木製バットで長打の確率が低い芽衣香(めいか)に対するシフトを敷いた。

 

「(これならバスターでもバントにも対応出来るわよ?)」

「(ふーん、まっ関係無いけど。あたしはあたしの仕事をするだけだもん)」

 

 バッテリーは変化球で見逃しのストライクを取り、1-2と芽衣香(めいか)を追い込んだ。

 

「(あーあ、追い込まれちゃった。でも見逃し三振してもいいって言われてるし、気楽なものなのよね~)」

「(今度は、たいして難しくないストライクゾーンの変化球をあっさり見逃した......。いったい何を狙ってんのよ? って何で追い込んだのに、こっちが追い込まれたみたいになってんのよっ? 警戒し過ぎて自滅でもしたらそれこそ相手の思う壺だわ。ここは強気で勝負するわよ!)」

 

 サインに頷いた太刀川(たちかわ)は、ノーワインドアップから四球目を投げた――低めのストレート。

 

「(ナイスボール! 見逃ば三振、バスターするのにも難しいコースよっ)」

「(はい来た、ストレート。しっかり狙って――えっ?)」

 

『あーっと! 浪風(なみかぜ)、スリーバントを試みたが打ち上げてしまったー! キャッチャーフライ! 小鷹(こだか)が掴んでツーアウト!』

 

芽衣香(めいか)、ドンマイだよ」

「ごめん、あおい!」

「へっ?」

 

 バント失敗した芽衣香(めいか)は、あおいの励ましにも答えず駆け足でベンチに戻って今の打席で得た情報を報告。

 

「動いた!」

「動いたって、何が?」

 

 芽衣香(めいか)の主語が抜けて要領を得ない発言に、瑠菜(るな)は聞き返す。しかし、東亜(トーア)とっては十分な言葉だった。

 

「フッ......やはりな。見えたぜ、太刀川(あいつ)のピッチングのカラクリがな」

「ホントっ?」

「この試合、勝負のカギを握るのは――アイツだ」

 

 東亜(トーア)の視線の先に居たのは高校から野球を始めた――六条(ろうじょう)だった。

 

 



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game41 ~真意~

大変お待たせいたしました。


「ストライクバッターアウトッ!」

 

 六回表九番バッターのあおいは、太刀川(たちかわ)のピッチングの前に空振り三振に打ち取られた。この三振でスリーアウトチェンジ。ジャスミン学園ベンチを不機嫌そうに見つめながらベンチへ戻ってくる。

 

「む~......」

「あおいちゃん、どうしたの?」

「なんでもないよっ。そんなことより早く行くよっ、ほらぐずぐずしない!」

「えっ!? ちょ、ちょっと待って、ミットが――!」

 

 手を取られた鳴海(なるみ)は、強引にグラウンドへ連行されていった。そのあおいの行動を見て、はるかは小さく首をかしげる。

 

「あおい、どうしたんでしょうか?」

「フッ、さっき打席でキャッチャーに挑発されたのさ」

「挑発ですか? 特に話している様子は見受けられませんでしたが......」

「挑発は何も言葉や態度だけという訳じゃない。小鷹(あいつ)は、配球であおいを挑発したんだ」

 

 あおいの打席、小鷹(こだか)は敢えてあおいの決め球であるシンカーで空振り三振に打ち取った。しかも、そこへ至るまでの配球は前の回のラストバッターだった小鷹(こだか)自身が打ち取られた配球(それ)とまったく同じ配球で仕留める徹底ぶり。

 当然あおいも覚えているから意図してやられたと即座に察した。

 

「まあ帰り際に挑発された可能性は高いがな」

 

 そう、恋恋高校ベンチからは小鷹(こだか)の背中しか見えなかったため気づかなかったが実は、あおいは三振を喫したあとベンチに帰ろうとしたところで小鷹(こだか)にあること言われてスイッチが入った。

 

「ええーいっ!」

「――おっと!」

 

 イニング間投球練習の初球はワンバンドのストレート。いきなりの暴投を捕球した鳴海(なるみ)は、球審にボールの交換を頼んだあと声をかける。

 

「あおいちゃん」

「なにっ!?」

「(うわぁ......完全に頭に血が上っちゃってるよ)」

「早くボールちょうだいっ」

「あ、うん、ごめんごめん」

 

 今はどんな言葉をかけても無駄と判断して鳴海(なるみ)は、受け取った新しいボールをあおいに向かって投げ渡す。その後も構えたミットとは違うコースへの投球が何度も見られた。

 

「フフーン、いい感じに乱れてるわね~。さすがあたし! あーはっはっは!」

「さすがぶちょうッス、絵に書いたような見事な悪役ぶりッス!」

「おい失礼だぞ、ほむほむ! 部長は、いつもと変わらないぞ!」

「ちーちゃん、それフォローになってないッス!」

「な、なんだってーっ!?」

「うっさいわね! そんなことよりあおい(ピッチャー)が乱れてるこの回が勝負よ! ヒロ!」

「うん、行ってくるよー」

 

 ニッと白い歯を見せて笑った太刀川(たちかわ)は、ヘルメット被って打席へ向かった。

 

『さあ六回の裏。聖ジャスミンの攻撃は七番バッター、太刀川(たちかわ)広巳(ひとみ)! ここまでのパーフェクトピッチングもさることながらなバッティングにも光るモノがあります。左投げですが右バッターボックスで構えます!』

 

 太刀川(たちかわ)への初球は、アウトコースにストレートが外れた。続く二球目も高めに外れてカウント2-0。

 

「あんっ、もうっ!」

 

 イラつきによる力みで思うようにストライクが入らない。

 

「あおい、ずいぶん荒れてるね」

「お陰さまで」

「あっはっは、だけど、手加減はしないよ? あたしたちは、本気で甲子園を狙ってるんだから......!」

「当たり前だ。言っておくけど、あおいちゃんはこんなことで自滅するような投手じゃない」

「――そうこなくっちゃね!」

 

 そう言って笑顔を見せた太刀川(たちかわ)は、足場を軽くならしてからバットを構えた。

 

「(さてと、ああは言ったモノの今のあおいちゃんを説得するの難しいぞ。どうするかなー? コーチは......)」

 

 目線だけベンチに向ける。

 

「(......笑ってる。この状況を俺たち(バッテリー)が、どう乗り越えるか楽しんでるって感じだ)」

「タイムお願いします!」

「うむ、タイム」

「ん?」

 

 顔を上げた鳴海(なるみ)を、マウンドからあおいが手招きしている。腰を上げてマウンドへ向かう。

 

「どうしたの?」

「どうしたの? じゃないよっ。サインだしてよ、サ・イ・ン!」

「ああ~、ごめん、どうやって抑えようか考え込んでた」

「もぅ~、しっかりしてよねっ?」

「わかってるよ」

 

 あおいからタイムを取ってくれたことで鳴海(なるみ)は、今なら聞いてくれると思い話を訊いた。

 

「何か、言われたの?」

「......って」

「え? なに?」

「ボクのシンカーより、ヒロぴーのシンカーの方が凄いって言われたんだよっ」

「あ、ああ~、それでかぁ」

 

 同じ配球で打ち取られたあげく、さらに自信を持っている自分の決め球を持ち球のひとつでしかない相手にも劣ってると言われたことが憤慨の理由だった。

 

「それならこの試合を勝って証明しよう。太刀川(たちかわ)さんのシンカーもだけど、ピッチャーとしてもあおいちゃんの方が上ってことをさ」

「......うんっ!」

 

 力強く大きくうなづいたあおいを見て「もう大丈夫」そう思った鳴海(なるみ)は、キャッチャースボックスに戻ってサインを出す。

 

『さあ恋恋バッテリー、ボール先行の打者有利なカウントで何を選択するのでしょーか? マウンドの早川(はやかわ)、そのしなやかなアンダースローから投じる三球めは――カーブ! ストライク!』

 

「(ここでカーブかぁ......。得意の変化球(シンカー)はあるかなって思ってたけど、カーブは頭になかったなー。それにアウトローの良いコース来た、偶然?)」

「(当然偶然なんかじゃないさ。あおいちゃんは、必死にこの低めの制球力を身に付けたんだから――!)」

 

 

           * * *

 

 

 予選開幕一週間前。ミゾットスポーツクラブで一通りのトレーニングを終えたあおいは、東亜(トーア)理香(りか)が待つ室内練習場へ向かった。

 先日、緒戦の先発を予告されたあおい。しかし、それはあくまでも東亜(トーア)の課題をクリア出来たらの話。そして、あおいに出された課題は――。

 

「お前の課題は“内角”だ」

「――っ!?」

 

 思わず息を飲んだ。

 様々な要因が重なったとは言え、太刀川(たちかわ)の故障の引き金を引いてしまったあおいは、無意識にインコースへの投球が出来なくなってしまっていた。

 そこが課題と言う東亜(トーア)の要求。あおい自身も、そう来るであろうと覚悟はしていた。

 

「ホームプレート上に16分割の的を用意した。的の両端を打ち抜くことが出来ればクリア。チャレンジは一日20球までだ」

「20球......」

 

 あおいは、マウンドに立って的を見る。ひとつの的の大きさは大体ボールひとつ半ほどの小さな的。仮にバッターが立てば更に小さく、それでいてバッターにとても近く感じる位置に設置されている。相当な制球力を要求されるターゲットだ。

 

「どうする?」

「......やります」

「そうか。おい、準備はいいか?」

 

 奥に向かって呼び掛けた。

 すると「はいっ」と返事が聞こえて、マネージャーのはるかが現れた。

 

「はるかっ? どうして居るのっ? それに、その格好――」

 

 はるかは、ヘルメットを被り手にはバットを持っている。

 

「もちろん、あおいの手伝いですよ」

「手伝いって......」

「打者が居なければ意味がないだろう。しかし、他の連中はやることがある」

「そう言う訳です。さあ時間は限られているんですから、さっそく始めましょう」

「始めましょうって言われても......」

「投げられないと試合に出られないんですよ?」

「そ、それは、そうだけど......」

 

 親友のはるかに押しきられる形で、あおいは覚悟を決めた。

 

「さすがにこれはちょっと荒療治が過ぎるんじゃないの? 下手すればトラウマが深まるだけよ」

「気にするな、これは治療が目的じゃない」

「内角への投球恐怖症を克服するための治療じゃない......?」

「俺が言ったことを覚えているか?」

「ええ、的の両端を――。あっ、そう言うことなのねっ」

「はるかには、5球ごとに打席を入れ換えるよう指示してある。あとはアイツが気づくかどうかだ」

 

 いつも以上に緊張した表情のあおい。それは当然だった。バッターボックスに立っているのが、親友のはるかだからだ。彼女はお世辞にも運動神経が良いとは言えない。

 もし仮に投げミスをして体のどこかに当たりでもすれば大ケガにつながりかねない危険がある。普段から身体を避ける(すべ)を知っている野球部所属の選手に向かって投げるのと、そのプレッシャーは桁違いだった。

 そしてこの日、あおいは、内角どころか外角の的にも当てることすら出来なかった。

 

 翌日、制球にさほど改善は見受けられない。

 間違っても身体には当てられないと言う重圧が頭の中を支配し、腕の振りと指先の感覚を鈍らせる。最後の一球も一番外のフレームを叩いて、今日の挑戦が終わった。あおいは、一人ベンチに座って顔をふせた。

 

「はぁ......」

「お疲れさま」

「へっ?」

 

 はるかとは違う女子の声に顔をあげる。そこに居たのは、瑠菜(るな)だった。

 

「調子はどう?」

「......ぜんぜんダメ。はるかが打席に入ってるとストライクにすら入らないんだ」

「そう」

 

 瑠菜(るな)は、無理もないと思いながらも何か良い方法はないかと思考を巡らせる。

 

「はるかが打席に入っていない時は、どうなの?」

「え? さあ、いつもそのまま投げてるから」

「じゃあ試してみましょう」

「でも、20球って制限があって......」

「それは、課題に挑戦している時の条件でしょ。ただの練習なら問題ないハズよ」

 

 条件の穴を突いた瑠菜(るな)の言葉を受け、あおいは打席に誰もいない状況でターゲットにボールを放る。その結果は――。

 

「両端に投げられたわね」

 

 見事、両端の的を打ち抜いた。

 

「うん、こんな風に投げられたら良いんだけど」

「......ねぇ、あおい。先ずはアウトコースの精度を高めるのはどうかしら?」

「アウトコースを? でも、ボクのピッチングの課題はバッターのインコースなんだよ?」

「わかっているわ。だけど課題は両サイドだから、先ずははるかが居てもアウトコースへしっかり投げられるようにするの」

「――うん、そうだね。でも、どうして......?」

 

 あおいと瑠菜(るな)は、チームメイトであると同時に先発のマウンドを争うライバル。ここまでお互いに意識し、競い合って成長してきた。

 

「別に、悩んでいる友達に手を差し伸べるのに理由なんて必要ないでしょ」

「......ありがと」

「それは、しっかり投げられようになってからにしなさい。それと言っておくけど、甲子園決勝の先発は譲らないわ」

「――ボクだって負けないから!」

 

 闘志を持って見つめ合っていた二人はいつの間にか、どちらからともなく笑顔に変わっていた。

 そんな二人の姿を室内練習場の入り口に身を潜めて覗いていた鳴海(なるみ)は、何となくばつが悪さを感じて苦笑い。

 

「ちょっと出て行けない雰囲気だね」

「ふふっ、そうですね。鳴海(なるみ)さん」

「ん? なに、はるかちゃん」

「甲子園、絶対にいきましょうねっ!」

「――もちろん!」

 

 

           * * *

 

 

 あの日から、あおいは徹底的に低めの制球力を磨いた。瑠菜(るな)奥居(おくい)に打席に立ってもらい外角だけでも抑えらるボールの出し入れ、変化球のコントロールを身に付け手投げにならない球威をも両立させた。その甲斐あって緒戦の二日前に課題をクリアした。

 

「(まああの時は結局、インコースは投げられなかったんだけど)」

 

 東亜(トーア)の出した課題は“両端の的を抜け”だった。

 その真意は、一定の球数で打席を入れ換える打者(はるか)のインコースへ投げろと言う意図で発したモノではなく、ただ両端の的を抜けばいいと言うもの。つまり左右の打者のアウトコースの的を打ち抜けば合格だった。

 

「(あの時は、インコースへ投げれてないのにどうして合格だったのか俺も、瑠菜(るな)ちゃんも、あおいちゃんも分からなかった。でも今なら、コーチが出した課題の意味がはっきり理解出来る)」

 

 バッティングカウントからの四球目。

 

『ストライクーッ! 指にかかったストレートが内角低めにビシッと決まったー! これには太刀川(たちかわ)も手が出ませンッ! スバラシイピッチング!』

 

「(今度は、インローのストレート。ここは偶然で投げられる場所(コース)じゃない......!)」

「オッケー、ナイスピッチ! 走ってるよー!」

「うんっ!」

 

 返球して腰を下ろし、サイン交換。

 

「(そう、あの課題の真意は――)」

 

『2-0から一転たったの二球で2-2平行カウント! 好打者、太刀川(たちかわ)を追い込んだ恋恋バッテリー、次は何を選択するのでしょーか?』

 

 サインにうなづいたあおいは、ゆったりとまったく力みなくモーションを起こす。

 

「(――低めの制球力。弱点を克服した今のあおいちゃんは、左バッターのアウトコースを投げるのと同じ感覚で右バッターのインコースへ寸分の狂いもなく投げれてる。正に、正確無比の“精密機械”だ......!)」

「(行くよ、ヒロぴー。これがボクの――)」

「(きっと今のあおいを打つには難しい。だけど――)」

 

『ピッチャーの早川(はやかわ)、平行カウントからの第五球を投げましたーッ!』

 

 ――決め球(マリンボール)だよ!

 ――あたしが打って突破口を開く、絶対に!

 

 



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game42 ~革命~

大変お待たせしました。


太刀川(たちかわ)、打ったー! 打球は内野を越え左中間へ飛んでいくーッ!』

 

 カウントツーツーから勝負の五球目。太刀川(たちかわ)は、あおいの投げた勝負球マリンボールを捉えた。ラインドライブの掛かった打球は、やや低い弾道で左中間のド真ン中へ飛んでいく。

 

「レフト、センター、バックーッ!」

 

 立ち上がりマスクを脱ぎ捨てて大声で叫んだ鳴海(なるみ)の指示を受けた矢部(やべ)真田(さなだ)は全速力で、自分たちの方へ飛んでくる打球を追いかけた。

 

「オレは飛び込む! 矢部(やべ)、フォロー任せるぞ!」

「了解でやんすー!」

 

 ランニングキャッチでは追い付けないと判断した真田(さなだ)矢部(やべ)にフォロー頼み、自らはダイビングキャッチを試みる。

 

「とどけぇーっ!!」

 

 しかし、ボールは無情にも飛び込んだ真田(さなだ)のグラブの先をかすめて地面に弾んだ。

 

『落ちたー! ヒット、ヒットです! 太刀川(たちかわ)早川(はやかわ)のパーフェクトピッチを自らのバットで止めましたー! そしてファーストベースを蹴ってセカンドへー!』

 

「(よしっ、二塁(ふたつ)は行ける!)」

「行かせないでやんすー!」

「――えっ!?」

 

 あらかじめ回り込んでいた矢部(やべ)は、打球をフェンス手前で助走をつけながら捕球するとその勢いを利用して素早くセカンドへ返球、ワンバウンドでセカンドベース上の芽衣香(めいか)のグラブに収まった。

 

「おっけー、ナイスよ、矢部(やべ)! やるじゃないっ」

「さすがオイラでやんす......!」

 

『センター矢部(やべ)、見事な返球でバッターランナー太刀川(たちかわ)のセカンド進塁を阻みましたー!』

 

「(うーん、今の行けたかなー? まあ、仕方ないよね)」

 

 躊躇なく走っていればタイミング的にはセーフだったが、あまりに無駄のない守備に一瞬躊躇してしまった太刀川(たちかわ)は、ファーストベースに戻り肘あてを外しながらマウンドに集まる恋恋高校内野陣に目をやった。

 

「......ごめん、打たれちゃった」

「いや、あれはまぐれだろ。オイラだって、あんな悪球打ち狙ってなんて出来ねーぞ?」

 

 まるでゴルフのようなスイングで太刀川(たちかわ)が打ったのは、ストライクからボールになる完璧なマリンボール。普通なら十二分に空振りを奪えるほどの切れと変化だった。奥居(おくい)がフォローしてくれてたとは言え、自信を持ってなげた決め球を打たれた精神的ダメージは大きい。

 

「ちょっとあおい、あんたまさか一本ヒット打たれたからって落ち込んでんじゃないでしょーねっ? もしそうなら自信過剰にも程があるわよっ」

「えっ? 別に、そんなつもりないけど......」

「だったらいちいち謝んないっ。打たれる度に謝ってたらこっちが滅入るわ」

芽衣香(めいか)だけに?」

「ひっぱたくわよ?」

「じょ、じょうだんっ、冗談だよっ」

 

「冗談を言えるくらいだから大丈夫か?」と安心した鳴海(なるみ)は目を外す。するとファーストからマウンドを見ていた太刀川(たちかわ)と目が合い彼女は、してやったりとニコッと白い歯を見せて爽やかに笑った。

 

「......それにしても、とても病み上がりとは思えないね」

「そうだな。ピッチングもさることながらバッティングに関しても練習試合の時と比べ格段にレベルアップしている。おそらく“足”も同様と考えるのが自然だろう」

 

 甲斐(かい)の冷静な分析に誰も異議を唱えることなく同意。鳴海(なるみ)は、ネクストバッターズサークルで準備しているバッターを確認。

 

「ネクストは練習試合に居なかった、夏野(なつの)さんか。十中八九送ってくるとは思うけど......」

 

 想定外の太刀川(たちかわ)成長(レベルアップ)から、エンドランや盗塁の足を使った攻撃の可能性を視野に入れざるを追えないでいた。

 

「いつも通り、決めつけずにあらゆる攻撃を想定して守ろう」

「おうよ。浪風(なみかぜ)太刀川(たちかわ)が走ったらベースにはオイラが入るぜ」

「おっけー、右打ちは任せなさい、全部止めたげるわっ」

「俺たちは、バントとバスター両方に備えるぞ」

「オーライ、セカンドで封殺してやるぜ」

 

 それぞれの役割を確認しながら守備に戻るナインたちを横目に東亜(トーア)は、理香(りか)にこの場面でどう采配するかを訊いた。

 

「もちろん送るわ」

「練習試合で、あおいから盗塁を決めているのにか?」

「当然よ、確実に決めれる保証がないんだもの。リスクが高すぎるわ」

 

 理香(りか)の迷いのない明確な答えに東亜(トーア)は、どこか愉快そうに小さく笑った。

 

「なーに? 間違いなの?」

「そう言う意味じゃねーよ、そもそもことの本質が違うのさ。この場面は、送りバントだろうが、強攻策でいこうが、それは然して重要なことじゃない」

 

 東亜(トーア)の視線の先、聖ジャスミン学園ベンチで指揮を取る監督――勝森(かつもり)が腕を組み険しい顔で悩んでいた。

 ようやく出たランナー、当然ここは大事に行きたい。通常なら迷うことなく手堅く送りバント一択の場面なのだが。あおいのアンダースローはクイックが難しい投球モーションに加え、練習試合でまさに太刀川(たちかわ)盗塁を決めていることが頭を過り采配に迷いを生じさせていた。

 当然ながら東亜(トーア)には、そんな勝森(かつもり)が悩ましい心理状態であることを手に取るように分かっていた。

 

「フッ......この場合で監督が絶対にしてはいけないことがある。どっちつかずの中途半端な采配だ。バント、バスター、エンドラン、別にどんな采配をしても構わない。重要なことは“迷わず明確な指示”を出すと言うことだ。さっきの理香(おまえ)のようにな」

「さっきの私みたいな、迷わず明確な指示......?」

「監督ってのは、どんな状況下においても選手に迷いや不安を絶対に悟らせてはならない。指揮官がほんの僅かでも弱さを見せれば、その不安は連鎖し、おのずと士気も落ち、敗北への一歩となり得る。来年からは理香(おまえ)が指揮を取るんだ、覚えておけ」

 

 ――ええ、と理香(りか)は真剣な表情(かお)でうなづいた。

 そして、悩みに悩んだ挙げ句勝森(かつもり)が出したサインは、ランナー優先のランエンドヒットだった。「了解」とヘルメットのツバに指を触れた夏野(なつの)は、バッターボックスに入って足場を慣らす。

 

「(ランエンドヒット......ヒロぴーの出方次第で合わせなきゃならないってワケね。バントより神経使いそうだわ)」

「(うーん、走れるかな? さっきの高速シンカーは上手く打てたけど練習試合の時より数段キレてた。ストレートの球速も上がってるし、単独は厳しいかも。それなら――)」

 

 盗塁は厳しいと判断した太刀川(たちかわ)は、夏野(なつの)にサインを送った。

 

「(ナッチ、エンドランで行こうっ)」

「(エンドランで? ふーん、無理な盗塁はしないってワケね。おっけー、あたしとしても決まってる方が割り切り易いし)」

 

 夏野(なつの)は、うなづいて球審に軽く会釈をしてバットを構える。球審の合図で試合再開。

 初球は盗塁を警戒し、アウトコースへストレートを外した。太刀川(たちかわ)は走らず、夏野(なつの)は見送り。ボールワン。

 

「(走る気配もバントの構えもなかった。普通に打たせるのか、それともカウントか球数で仕掛けるつもりかな? どちらにしても警戒しすぎてカウントを悪くすれば仕掛けやすくなる、それこそ相手の思う壺だ。次は、マリンボールでストライクをもらっておこう)」

 

 サインにうなづいたあおいは、一球牽制を挟んで二球目を投じた。真ん中やや内寄りの甘いコースからひざ元へ鋭く変化するマリンボールで空振りを奪った。カウント1-1。

 

「(甘く来たから思わず振っちゃった、空振りになってよかったわ。まあ空振りでよかったってのも何だか情けないけど......。よし、ちょっと工夫して、と)」

 

 胸を撫で下ろした夏野(なつの)は、一旦バッターボックスを外してバットを握り直しながら太刀川(たちかわ)と仕掛けるタイミングを見計らい、今度はバントの構えを取った。

 

「(ここでバント?)」

「(いや、構えだけの見せ掛けだよ。本気でバントするならもっと腰を落としてオープンに構えるはず。惑わされずに攻めるよ)」

「(うんっ)」

 

 ブラフを見破ったバッテリーは、アウトコースのストレートを選択。通常なら右打ちをさせたくないところだが。ベースカバーには奥居(おくい)が入ると宣言しているため、敢えて芽衣香(めいか)が守るセカンドへ打たせる配球を選択した。

 

「(鳴海(なるみ)のサインは外のストレート、仕掛けてくるならこのカウントと見てるワケね。よーし、ここがあたしの見せ場ねっ、やってやろーじゃないっ)」

 

 確実に自分のところへ打たせるため芽衣香(めいか)は、一歩セカンドベース寄りに守備位置を変える。

 そして、三球目。

 

太刀川(たちかわ)、走ったー!』

 

 モーションに入ると同時に太刀川(たちかわ)がスタートを切る。

「走ったわよ!」と芽衣香(めいか)が大声でバッテリーに伝え、奥居(おくい)は予定通りセカンドのベースカバーに向かう。そして、芽衣香(めいか)も動いた。

 

「(――外のストレート! 右打ちにはおあつらえ向きじゃんっ! よーし、芽衣香(セカンド)もカバーに向かってるし、もらったわっ!)」

 

 セカンドの芽衣香(めいか)がベースカバーに入ると確信した夏野(なつの)は、素早くバントからバスターに切り替え、下から上への軌道を描くストレートを打ち上げない様にボールの上を叩いて狙い通り右へ転がした。

 

「いらっしゃーいっ、落とし穴へようこそー!」

「えっ? な、なんでそこに居るのよっ!?」

 

『な、なんとぉ! セカンドベースへ向かったハズの浪風(なみかぜ)が正面で打球を捕球!』

 

奥居(おくい)っ!」

「おおよ!」

「ア、アウトーッ!」

「ナイス、浪風(なみかぜ)! ほい、ファースト!」

 

『なんと、スタートを切っていた太刀川(たちかわ)をセカンドで封殺ーッ! 素早くファーストへ転送......際どいタイミング! 塁審の判定は――』

 

 併殺だけは逃れようと必死に走った夏野(なつの)と腕を伸ばし捕球した甲斐(かい)、セーフともアウトとも取れる際どいタイミング。一塁塁審は、少し間を開けて両手を横に広げた。

 

「セ、セーフッ!」

 

『セーフ、セーフです! ジャスミン学園、最悪の結果だけは避けられましたーッ! イヤーまさに、手に汗握る攻防! 息詰まる投手戦!』

 

「お前たち、また中継を見ているのか?」

「あ、監督」

監督(ボス)、お疲れさまです」

 

 千葉マリナーズ本拠地の控え室で恋恋高校対聖ジャスミン学園の試合観戦をしている高見(たかみ)とトマスのもとへ千葉マリナーズ監督――忌野(いまわの)がやって来た。

 

「ブルックリンが呆れていたぞ『高校野球(ハイスクール)試合(ゲーム)なんぞ観ても時間のムダだ』とな」

「ははっ、無駄どころか見習うべきプレーも数多くありますよ。彼らからは」

高見(お前)が高校生から? 冗談だろう」

「そうでもないですよ、ボス。今もちょうどハイレベルなプレーが出たところです」

「......フム」

 

 忌野(いまわの)はタブレット端末の画面をしぶしぶ覗き込んだ。ちょうど夏野(なつの)の打席のリプレイ映像が流れている。

 

「普通のゲッツー崩れのようだが、このプレーが高等技術なのか?」

「別アングルを変えます。セカンドの動きに注目してください」

 

 別アングルの映像には夏野(なつの)の席中、芽衣香(めいか)が行った一連の動きがはっきりと写し出されていた。

 

「セカンドは、確実に自分のところへ打たせるため予めセカンド寄りにポジションを取り、ランナーが走った瞬間体をセカンドへ向けたんです。足の向きは、そのままで。このデコイによりバッターは、ベースカバーに向かったと思い込み、コースは二の次に右打ちをした。そして彼女の狙い通り、定位置より少しセカンド寄りに守っていたところへ打たされてしまったと言うワケです」

 

 高見(たかみ)の解説を聞いて息を飲んだ。たかが高校生それも女子選手が、あの一瞬でこれほど頭脳的なプレーを行っていたことに。

 

「監督をしているとは聞いていたが、やはり“あの男”の教えか......!」

「今投げているピッチャーもいいですよ、ボス」

「ほう、確かにコントロールは良いようだ。だが、やはり球威は無いようだな」

 

 真ん中への失投と思われたがベース付近で急降下しワンバウンド、バントを試みた九番バッターほむらのバットにかすらせず空振りの三振を奪った。

 

「なんだ、今の変化球は!?」

「マリンボール――球威・変化・キレの全てを兼ね備えた、彼女の決め球です」

「球速はそれほどないとはいえ、あれだけバッターの手前で急変化されたらプロでもついていけるかどうか。初見で見極められるのは、(いつき)くらいですよ。それにあのボールを一度も後逸しないキャッチャーの存在が大きい。よくもまあ止め続けられるもんだ」

「当然だよ。彼は、球速130~150km/hの間のストレートと変化球をランダムに設定されたピッチングマシンで、ショートバウンドを捕球する練習を毎日こなしているからね」

「なるほどな、あの並外れた捕球力の高さにはそれ相応の裏付けがあるわけか。しかし渡久地(とくち)のヤツ、マジで鬼だな」

 

 トマスは、画面の中でリードする鳴海(なるみ)に同情した。

 あおいは後続を抑え、スリーアウトチェンジ。恋恋高校は攻撃の、ジャスミン学園は守備の準備に取りかかる。

 

「今年の高校野球は本当にレベルが高い。特にサウスポーは豊富です。春の覇者アンドロメダの大西(おおにし)、あかつきの猪狩(いかり)、覇堂の木場(きば)、神楽坂大附属の神楽坂(かぐらざか)、白轟の北斗(ほくと)。そして今、ピッチング練習をしている太刀川(たちかわ)、ベンチの瑠菜(るな)ちゃんも素晴らしい素質と才能を持っています」

「投手に不安のある千葉マリナーズ(うち)に取っては嬉しい悩みじゃないですか? ボス」

「おいおい、オレの一存で決める訳じゃないんだぞ。しかし一度、リストを見直す必要はあるかも知れんな」

 

 そう言った忌野(いまわの)だったが、高見(たかみ)から右投手や野手・捕手にも良い選手が数多く居ると聞かされると腕を組んで天井を仰いだ。

 

「むぅ......」

「悩み過ぎですって」

「はははっ、だけど......。もしかしたら彼らは......イヤ、あおいちゃんや芽衣香(めいか)ちゃん、彼女たちも含めて革命を起こすかも知れません。プロ野球の世界に――」

 

 そう言って嬉しそうに笑った高見(たかみ)

 その笑顔にはプロで戦える楽しみと、どこか安心したような笑顔だった――。



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game43 ~布石~

大変お待たせいたしました。



『さあ試合もいよいよ終盤戦。七回の表恋恋高校の攻撃は、一番レフト――真田(さなだ)! ここまではサードフライとセカンドゴロと二打席連続で凡退、チームも未だノーヒット。突破口を開くことが出来るのでしょーカ!!』

 

 球審に一礼して打席に入った真田(さなだ)は、しっかり足場をならしてマウンドの太刀川(たちかわ)と対峙。

 

「(コーチが指摘してくれた、俺たちの弱さ......。俺は、必ず打つ――!)」

 

 六回裏を抑えた後のインターバル。東亜(トーア)はナインを集めて、太刀川(たちかわ)のピッチングの秘密を伝えた。

 

太刀川(たちかわ)のストレートは、俗に言うファストボールと言うヤツだ」

「ファストボール......動くストレート。ツーシームですか?」

「いや、オイラには太刀川(たちかわ)のストレートは全部フォーシームの回転に見えたぜ」

「あたしも同じよ。完璧なストレートだったわ」

 

 鳴海(なるみ)の答えをチーム一の動体視力を持つ奥居(おくい)が否定し、バントで球筋を見極めた芽衣香(めいか)奥居(おくい)の意見に同意した。

 フォーシームは、ピッチャーが一番最初に教わるストレートの基本的な握り。ボールが一回転する間に四本の縫い目が通過するように投げる日本で主流の直球(ストレート)。一番球速が出て球威のあるボールである反面、他の球種に比べて軌道が素直なため球速や球威・制球力が伴っていなければ比較的打たれやすいボールでもある。

 一方ツーシームは、二本の縫い目を通過するように投げる米国等海外で主流なストレート。日本で主流のフォーシームと比べると空気抵抗を受けやすく、手元で小さく変化するのが特徴の速球(ファストボール)

 

「そうなると太刀川(たちかわ)さんのストレートは動くフォーシームってことになるけど、そんなこと出来るの?」

「そうね......出来なくはないわ。例えば、肘をちょっと上げ下げするだけで同じストレートでも回転軸が少し変わって軌道にも変化が生まれるわ。疲労で肘が下がるとシュート回転するみたいにね。ただ、フォームを崩す恐れがあるから普通意図しては投げないけど」

「うん、そうだね。そもそもボクたちピッチャーは、どんな球種でも同じフォーム、同じ腕の振りの強さで投げられることを理想に練習してるんだもん。フォームを変えるなんて――」

 

 ナインたちは太刀川(たちかわ)のピッチングについて話し合い、東亜(トーア)にも意見を求めた。

 

「コーチは、どう思いますか?」

「どうでもいい」

「......えっ!?」

 

 太刀川(たちかわ)のピッチングをどうでもいいと言い放った東亜(トーア)に注目が集まる。

 

「どう投げているかは、さほど重要じゃない。重要なのは、どう打ち砕き仕留めるかだ。考え過ぎることで自らハードルを上げ、相手の力量を見誤り、必要ないプレッシャーを感じてしまう。その時点で勝負は負けに等しい。このまま何も出来ずに負けるのか?」

 

 東亜(トーア)の問い掛けに、全員が力強い眼差しを向ける。その目は絶対に負けたくないと言う意思を感じさせる目だった。

 

「フッ、なら思い出せ。お前たちが、どうやられたかをな――」

 

 東亜(トーア)の言葉を思い出しながら真田(さなだ)は、グリップを握り直し、左バッターボックスで構えて太刀川(たちかわ)を見据える。

 

「(一打席目はサードフライ、二打席目はセカンドゴロ。どっちも動くストレートをミスショットした)」

 

『ストライクです! うーん、インコースのスバラシイコースの変化球(シンカー)で見逃しのストライク!』

 

「おっけー、ナイスピッチよっ」

 

 太刀川(たちかわ)にボールを投げ返して腰を下ろした小鷹(こだか)は、したり顔でわざと聞こえるようにささやく。

 

「ふふーん、手が出ないみたいね。もう一球いこうかしら?」

「(うっせーな。わかってるつーの、どうせ......ん?)」

 

 あることに気づいた真田(さなだ)は、二球目のストレートを見逃して追い込まれた。

 

「(あら? 甘いコースだった手を出さなかったわ。ずいぶん消極的ね。とにかく塁に出たいから慎重にってことなのかしら? だったら、こう言う釣り球(ボール)に手を出しやすいでしょ!)」

 

 三球目、インハイのストレート。

 真田(さなだ)は、このボール球にわざと手を出し、そして、ハーフスイングにならない程度のところでバットを止める。

 

「スイング!」

「いや、振ってない」

 

 アピールするも球審が首を横に振った。

 

「(よし、狙い通り止めれた。次だ......!)」

「(スイングには成らなかったけど出かかった、やっぱりゾーンを広くして構えてるわ。これを振ってもらいましょ)」

「(おっけー、カーブだね)」

 

 サインに頷いた太刀川(たちかわ)、モーションを起こして四球目を投げた。アウトコース、ストライクからボールになる完璧なカーブ。

 

「(ナイスコース!)」

「(――来た! これだ!)」

 

 真田(さなだ)は、これを待っていた。踏み込んで流し打ち、痛烈な打球が三遊間へ転がった。

 

真田(さなだ)、打った! 打球は、三遊間のど真ん中ー!』

 

「(ウソでしょっ? 完全なボール球を踏み込んで打った......!?)」

 

 小鷹(こだか)は、マスクを脱ぎ捨て内野に指示を出す。

 

「ショート、サード!」

「ボクに任せて!」

 

 ショート小山(おやま)が横っ飛びで捕球。素早く体勢を立て直すも、バッターランナーは俊足の真田(さなだ)

 

『遂に出ました! 恋恋高校、内野安打で初めてのランナーが出ましたー! 小山(おやま)もよく追い付きましたが、投げられませんでした......!』

 

 初ヒット・初ランナーを許したジャスミンは、タイムを取って内野陣がマウンドに集合。その間に真田(さなだ)は、肘あてを回収に来た片倉(かたくら)に伝言を頼んだ。

 

「甘いコースのストレートはたぶん、全部、動くファストボールだ。誘い球とカウントを整えに来る変化球を狙った方が打てる」

「はい、分かりました。伝えます」

 

 ネクストバッターズサークルで準備している葛城(かつらぎ)に伝えてからベンチに戻る。

 

「じゃああの甘いコースのストレートは意図して投げてたってことなのっ?」

「はい、芽衣香(めいか)先輩。真田(さなだ)先輩は、そう言っていました」

「なるほどな。言われてみれば、オイラも二打席ともストレートにやられたぜ」

「俺もだよ。甘いコースは積極的に狙いにいく俺たちの傾向を逆手に取られたんだ」

「やってくれるでやんすね」

 

 グラウンドに目を戻すと、マウンドの輪はなくなり試合が再開されるところだった。

 

「(コーチからサインはない。走るよな?)」

「(――当然! けど、とりあえず一球見させてくれ。データと照らし合わせる)」

「(了解)」

 

 仕切り直しの第一球は、盗塁とバントの両方を警戒してのウエスト。アウトハイへ大きく外した。

 

「(走る気配はない......バントの構えも見せなかったし、強攻策かしら? もう一球様子を見ましょ)」

「(うん)」

 

 頷いた太刀川(たちかわ)目で牽制したあと二球続けて牽制球を投げる。もう一度目で牽制し、モーションを起こそうとしたその前に、ファーストランナーの真田(さなだ)はスタートを切った。

 

「――走った!? 太刀川(ヒロ)!」

「(ダメ! もう投球に体が向いちゃってる......! 無理に牽制球を投げればボークになっちゃうっ! それより速く――!)」

 

『あーっと! 太刀川(たちかわ)、暴投ッ!』

 

 まさかのタイミングでの盗塁に速く投げなければならないと言う想いで乱れたフォームでの投球は、ベースの手前でワンバウンド。キャッチャー小鷹(こだか)は、必死に体で止めたが送球はままならず二塁はゆうゆうセーフ。無死二塁。

 このピンチにジャスミンは、二度目のタイムを取った。

 

「ごめん、焦っちゃった」

「仕方ないわ、あんな完璧に盗まれるなんて思わないもの。それより次だけど......」

 

 ミットで顔を隠しながら一瞬葛城(かつらぎ)に目をやった。

 

「バントか右打ちをしたいハズだからインコース攻めで行くわ。(みやび)とナッチは定位置。美代子(みよこ)はベース付近に、ほむらは気持ち前目にポジションを取ってバントに備えて」

「うん」

「おっけー」

「りょーかいッス!」

「はーいっ、みよちゃん、ガンバりますっ」

 

 それぞれポジションに戻り、試合再開。

 ジャスミンバッテリーは作戦通りバントと右打ちを封じるインコース攻め。厳しいコースを攻められるも、葛城(かつらぎ)は見事送りバントを決める。一死三塁。三番奥居(おくい)に対して慎重に攻めるもカウントが悪くなると敬遠気味のフォアボールで歩かせ、四番甲斐(かい)との勝負を選択した。

 

「お願いします」

「ウム」

「――えっ?」

 

  丁寧に一礼して左打席に入った甲斐(かい)小鷹(こだか)は困惑、それは恋恋高校のベンチも同じだった。

 

「ほう......」

「どういうことなのかしら?」

「さあな。だが、面白い」

 

 スイッチヒッターの甲斐(かい)は、サウスポーの太刀川(たちかわ)に対し先の二打席ともセオリー通り右打席に入っていた。しかし、この打席は左打席で構えている。

 

「(二打席ともまともに打てるボールは来なかった。俺だけじゃない。右バッターはことごとく、食い込んでくるストレートにやられている。なら、左打席(こっち)の方がチャンスはある......)」

 

 初球・二球と外のストレートを空振り追い込まれた。

 

「(タイミングが合ってない、やっぱり苦し紛れの左ね。三球勝負で決めるわよっ!)」

 

 三球目、遊び球は放らず三球勝負インコースへストレートを投じた。

 

「ランナーバーックッ!!」

「クソッ!!」

「ア、アウトーッ!」

 

『ダ、ダブルプレー! 四番、甲斐(かい)、火の出るような痛烈な当たりでしたがファースト川星(かわほし)へのライナー。ファーストランナーの奥居(おくい)は戻れず、ダブルプレーでチャンスを逃しましたー!』

 

「くっ......」

 

 絶好のチャンスを潰した形となり甲斐(かい)は、悔しそうに歯を食い縛りベンチへ戻る。

 

「すみません」

「謝る必要などない。むしろあのダブルプレーは勝利への布石になった」

「布石に?」

 

 ピンチを乗り切り盛り上がっているジャスミンベンチを見て、東亜(トーア)は「そのうち分かるさ」と意味深に笑った。

 

「あんなすんごい当たりよく取ったわね、エライじゃんっ!」

「えへへ~、でも正直、ちょっと漏らしそうになったッス!」

「汚いわね~、トイレ行ってきなさいよー」

「漏らしてないッス! 漏らしそうになっただけッス!」

 

 騒がしいベンチの中プロテクターを外しながら小鷹(こだか)は一人、他のナイン真逆のこと考えてた。

 

「(打球が上がらなかったから助かったけど、完璧に捉えられた。あの二球の空振りは、ストレートの勝負を誘うためのブラフ。完全に裏をかかれた......何してんのよ、あたし。絶対に気を抜いちゃいけない相手だって分かってたのに......)」

 

 大きく息を吐いて顔を上げた。

 

 ――もう油断しない。この試合必ず勝って、みんなと甲子園に行くんだから......!

 

 

           * * *

 

 

 七回裏ジャスミンの攻撃。先頭バッター小山(おやま)を内野ゴロに打ち取るも三番の美藤(びとう)が、あおいのシンカーをレフト前へ打ち返して出塁。一死一塁で四番の大空(おおぞら)の打席。

 

「(大空(おおぞら)さん、この人も練習試合には居なかった。打率は二割に満たないけど、激闘第一のエースからホームランを打ってる強打者だ。コースを間違えないようにね)」

「(うんっ)」

 

 恋恋バッテリーは、大きく曲がる変化球で左右に揺さぶり狙い通り外野フライに打ち取りツーアウト。そして五番柳生(やぎゅう)は、苦手としている低めへのマリンボールで空振り三振に仕留めた。

 

『七回裏、ワンナウトからランナーを出しましたが無得点。試合は八回に入ります。八回表恋恋高校の攻撃は、五番ライト近衛(このえ)から始まります!』

 

 しかし、右バッターの近衛(このえ)はインコースを執拗に攻められたあとのシンカーを打たされセカンドゴロに打ち取られてしまった。

 

「(やっぱり右バッターは厳しいのか。なら、俺が打つしかない......!)」

 

 鳴海(なるみ)は、クサいところをカットし甘いボールを待つ。

 

「ちょっと、しつこい男は嫌われるわよっ?」

「あ、それキャッチャーには褒め言葉だから」

「言ってくれるわねっ。ヒロ、次で仕留めるわよ!」

「うんっ!」

 

 バッテリーが選択した勝負一球はストレート、と見せかけたシュート。インコースへ食い込んでくるボールに対し、咄嗟に肘をたたんで打ち返した。

 

『打球は、ふらふらっと上がった。セカンドとライトの......その間に落ちたー! テキサスヒット!』

 

 恋恋にとってはラッキーな、ジャスミンにはアンラッキーな形でランナーが出た。一死一塁。

 

「さて、そろそろ決めるとするか」

 

 七番矢部(やべ)の打順。

 ついに東亜(トーア)が動いた。

 

 ――代打、六条(ろくじょう)

 




次回、ジャスミン戦完結編となります。


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game44 ~誓い~

ジャスミン戦完結偏です。


「お、俺が代打ですか......?」

 

 突然代打を告げられた六条(ろくじょう)は、困惑していた。それもそのはず、先輩の矢部(やべ)に代わっての代打。さらに守備での出場はあるが打席にはただの一度も立ったことがないのだから無理もない。

 そんなことはお構いなしに東亜(トーア)は、強引にバットを持たせた。

 

「あおいと一打席勝負した時のイメージで打席に立て。そうすりゃあ打てる」

「は、はぁ......」

 

 渡されたバットを手に緊張でカチカチに固まっている六条(ろくじょう)を見かねた理香(りか)は、優しく声をかけた。

 

「大丈夫よ。あなた憧れの伝説の勝負師、あの渡久地(とくち)東亜(トーア)が打てるって言っているんだから。それに失敗しても頼もしい先輩たちが必ずフォローしてくれるわ。だからあなたは、今日までやって来たことを信じて悔いのないようにね」

「......はい!」

 

 力強く頷いた六条(ろくじょう)の目に一切の迷いや不安はなかった。

 ――お願いします! と頭を下げて左打席に入る。

 スタンドからすべての視線が注がれるバッターボックス。『恋恋高校選手の交代をお知らせします。矢部(やべ)くんに代わりまして、バッター、六条(ろくじょう)くん』場内に流れるアナウンスを背に六条(ろくじょう)は、公式戦初打席を迎える。

 

「(前の打席、アウトでもフェンス際まで運んだ矢部(メガネ)を代えて、この場面で一年生の代打......? いったいどう言うことよ?)」

 

 この采配を疑問に思ったのは小鷹(こだか)だけはなく、ファーストランナーの鳴海(なるみ)も同じ。

 

「(ここで代打? っと、サインを――)」

 

 だが、すぐに気を取り直してサインを確認すべくベンチに顔を向ける。

 

「はるか、お待ちかねだ、サインを出すぞ」

「は、はいっ」

「サインは......」

 

 東亜(トーア)は空サイン出し、はるかが本当のサインを出す。予選が始まって以来初めて出す、はるかのサインは――。

 

「(初球エンドラン!? いくら右よりチャンスのある左って言っても、俺たちも完全には捉えられていない太刀川(たちかわ)さんの投球(ボール)を初球でだなんて......)」

 

 バッターボックスの六条(ろくじょう)をチラリと見る。緊張する様子もまったくなく平然と太刀川(たちかわ)に集中していた。

 

「(肝は座ってるなぁ。なのに俺が不安にどうする? ......よし、六条(ろくじょう)が空振ってもセカンドを奪うつもりで走ってやるぞ!)」

 

 しっかりリードを取ってグッと腰を落とした。

 その行動を見てから小鷹(こだか)は、バッターをじっくり観察。

 

「(この代打は、今大会初打席。初見で太刀川(ヒロ)のボールを打てるとは思えないわ。グリップを指二本分短く持ってるし、たぶんバントね。その証拠に鳴海(ランナー)も、少しでもセカンドへ近づこうと大きなリードを取ってる。クロスして食い込んでくる右より左の方がバントもしやすいってところかしら。二人とも前に来てセカンドで刺すわよ......!)」

 

 ブロックサインでバントシフト敷き、太刀川(たちかわ)に球種のサインを出す。サインはストレート。そして、ミットをバント殺しのインハイへ構えようとした時、彼女の腕が止まった。

 

「(......なに考えてるよ、あたし。もう油断しないって誓ったのに。前の回四番に内角(ここ)を叩かれたじゃない! 長打力のある右の矢部(メガネ)に代えて左の代打、短く持ったバットはインコースを狙うため。もし引っ張られたら最悪一・三塁にされることだってあるわ。そうしたら次は、バントも右打ちも上手い芽衣香(セカンド)。そうなったら――)」

 

 あらゆる可能性が一瞬の内に頭の中を駆け巡り、ある結論に達した。それは想定しうる最悪を避けるための思考。東亜(トーア)は、それを狙っていた。

 

藤堂(とうどう)六条(ろくじょう)の代走で行く、準備しておけ」

「は、はい!」

 

 指名を受けた藤堂(とうどう)は、スパイクの紐を結び直し、出番に備える。グラウンドでは今、初球が投げられようとしていた。

 

「(あおい先輩との勝負......あの時は、コーチに外に来るストレートに逆らわずに打てと言われた。あの時のイメージで......!)」

「(どんな相手でも気は抜いちゃダメ、ここよ!)」

 

 頷いた太刀川(たちかわ)はモーションを起こす。ワンテンポ遅れて鳴海(なるみ)がスタートを切った。

 

「(――エンドラン!?)」

「目を切らないで! あたしが刺すわ!」

「(そうだ、焦ったらさっきの二の舞だよねっ。あたしは、タカを信じて自分のピッチングをする!)」

 

 スタートに惑わされず小鷹(こだか)のミットをめがけて投げた。糸を引くようなストレートが、キャッチャーミットをめがけて飛んでいく。

 

「(ナイスコース!)」

 

 アウトローギリギリのストレート。

 それも打ってもショート・サードへのゴロになる確率の高いコースと高さに来た。

 

「(スタートも良くはなかった。これなら十分に刺せ――えっ!?)」

 

 身体を半身にしてボールに合わせて閉じたミットにあるハズの感触がない。マウンドの太刀川(たちかわ)が、後ろを振り向いてる。彼女のその目線の先に白球が飛んでいた。

 

「――まさか......ウソでしょ!?」

 

六条(ろくじょう)、打ったー! 打球は、ショート小山(おやま)のグラブの上を越えて左中間のど真ん中を切り裂くーッ! スタートを切っていたファーストランナー、サードベースも蹴った! ホームへ戻ってくるーッ! 先制点は、恋恋高校ーッ!!』

 

 打った六条(ろくじょう)もセカンドに到達、ベース上で噛み締めるように小さくガッツポーズ。喉から手が出るほど欲しかった先制点を奪い沸き上がる恋恋ベンチ。更に一死二塁とチャンスが続く。

 

「アイツ、スゲーな! オイラたちが打ちあぐねてた太刀川(たちかわ)のストレートをジャストミートしたぜ!」

「ええ、それに躊躇なく踏み込んだわ。まるで最初からアウトローに来るのが分かってたみたいだった」

「当然だ。今の一打は、この試合でお前たちが無意識のうちに積み重ねてきたモノから生まれた結果だ」

 

 中盤までパーフェクトに抑えられていながらも自分のバッティングに徹し、ノーヒットピッチングと守備も鉄壁。投手戦で一点勝負になること間違いない試合展開でゲームは進んだ。

 その最中ひとつのミスが負けに繋がると言う意識が嫌でも根付いていた。それは特に、ゲームを組み立てる捕手――小鷹(こだか)に。

 

「前の回の真田(さなだ)の出塁。そして、甲斐(かい)のファーストライナーダブルプレーで根付いた種が芽吹いたのさ。“恐怖”と言う種の芽がな」

 

 きっかけは、カウントを整える変化球を内野安打にした真田(さなだ)の打席。今まで見逃していたボール球も少しでも甘くなれば打ってくると言う意識付けになり、さらに結果としてファーストライナー・ダブルプレーになった一打がより一層警戒心を増長させた。

 

「キャッチャーは、本来インコースへ投げさせたかった。だが、長打力のある矢部(やべ)に変わる代打、短く持ったバット、前の回インコースを弾き返した甲斐(かい)の打席が嫌でも蘇る。これでインコースの線はなくなった、となればもう外に投げるしかない。瑠菜(るな)、お前なら何を投げる?」

 

 東亜(トーア)は、既に答えが出ているの知りながら瑠菜(るな)に訊いた。

 

「アウトローのストレートです。左の六条(ろくじょう)くんに対して外に逃げるボールはカーブだけ。これは真田(さなだ)くんが打っていますし、あれだけリードを取られれば盗塁を警戒して初球に緩い変化球(カーブ)は投げられません。そうなれば、まともに打たれていない一番自信のあるストレートしかあり得ません」

 

 思った通りの答えを聞いて満足そうな笑みを見せる、東亜(トーア)

 

「それで?」

「......はい、ジャストミート出来た理由が分かりません。あの動くストレートは狙っていても簡単に打てません」

「フッ、じゃあ答え合わせといくか。鳴海(なるみ)、アイツが使ったバットを貸せ」

「あ、はい、どうぞ」

 

 話している間に戻って来た鳴海(なるみ)から、六条(ろくじょう)が使ったバットを受ける。

 

「このバットに秘密がある。こいつは通常よりも芯が広い中距離ヒッター用のバットなのさ」

 

 瑠菜(るな)は、東亜(トーア)にバットを借りて自分のバットを比べてみた。

 

「本当だ、ヘッドの方に向かうにつれて太くなっているわっ」

「なるほど、その広い芯で手元で小さく動くストレートを捉える確率を上げたのね。それで渡久地(とくち)くん自らバットを渡したのね」

「いや、このバットは普段から使っているモノだ。素人のアイツが、どうすれば打てるか自分自身で考えた末にたどり着いた答えだ」

 

 ナイン一人一人に課した課題で六条(ろくじょう)には、コースに逆らわず打ち返す練習を課した。インコースは引っ張り、アウトコースは流し打つ。素人であるがゆえに変なクセもついていないため自分で工夫し、どう打てば打ちやすいのか、その感覚を自分自身で作りあげていけたことが大きかった。

 

「まあ、そう言うことだ。さて、あいつらが動揺している今、さらに追加点を奪うぞ」

 

 東亜(トーア)は、指示を伝えたあと予定通り藤堂(とうどう)を代走を送り。はるかを通じて、芽衣香(めいか)にもサインを出す。

 

「(セーフティーバント......送りバントじゃないんだ。やってやろうじゃないっ)」

 

 ――了解、とヘルメットのツバに触れてバットを構える。

 

「(セーフティーバント、自分も生き残るにはサードへ転がすのが理想。でも当然、簡単にはさせてくれないわよね)」

 

 同じ過ちを起こさしたくないジャスミンバッテリーは、外へシュートでひとつ簡単にストライクを奪った。芽衣香(めいか)は、相手に悟らせないように目だけで守備位置を確認する。

 

「(バントの警戒もしっかりしてる。サードも前に出てきてるわね、これじゃちょっと生き残るのは無理。もう少し後ろに下がらせないと......!)」

 

 二球目、インコースのカーブ。芽衣香(めいか)はサインを無視してヒッティング、三塁線のファールでツーストライクと追い込まれた。

 しかし、今のファールで状況が変わった。

 

「(よし、サードが下がったわっ。狙うなら、ここよ!)」

 

太刀川(たちかわ)、三球目を投げました! オォーっと浪風(なみかぜ)、セーフティースリーバント! 三塁線へ絶妙なセーフティーバントになったぞ!』

 

「(ここでセーフティー!? ちょっと下げたぶん美代子(みよこ)は追い付けないし、太刀川(ヒロ)は左利き......。一・三塁にさせるわけには行かないわ!)」

 

 マスクを投げ捨て懸命にボールを追いかける小鷹(こだか)の姿を見た東亜(トーア)は、意味深な笑みを浮かべた。

 

「フッ、頑張り過ぎだ。もらったな」

 

「ファーストっ!」ボールに追い付いた小鷹(こだか)、無駄のない捕球から素早く完璧な送球。タイミングはアウトだが捕球寸前、太刀川(たちかわ)が叫んだ。

 

「ほむら、カット! バックホーム!」

「へっ? わわっ、走ってるッスー!?」

「そ、そんな......!」

 

 送球間にセカンドランナーの藤堂(とうどう)は、躊躇なくサードベースを蹴ってホームへ突入していた。ほむらは慌ててベースを離れて送球をカット、バックホーム。

 

『ベースカバーの太刀川(たちかわ)にボールが渡った! 藤堂(とうどう)、ヘッドスライディングーッ! ホームクロスプレー! これは際どいタイミングになった、判定は――!?』

 

 ホーム上に舞った砂ぼこりが収まり球審のジャッジ。球審は両手を大きく水平に伸ばした。

 

「セ、セーフッ!!」

 

『セ、セーフ! セーフです! 恋恋高校、更に一点追加2対0と点差を広げましたーッ!』

 

 好走塁で生還した藤堂(とうどう)を大騒ぎで出迎える。

 

「ナイスラン!」

「うん、凄かったよっ」

「ありがとうございます!」

 

 騒ぎが収まるのを待つ間に理香(りか)は、東亜(トーア)に確認した。

 

「今の走塁は指示?」

「ああ、キャッチャーが三塁方向で捕球したら突っ込めと言ってあった」

 

 小鷹(こだか)が捕球に行けば、必ず太刀川(たちかわ)がベースカバーに入る。そこを東亜(トーア)は狙った。

 

「バント処理の送球はランナーに当たらないようにフェアグランドへ投げるのが基本だ。その基本通りの送球をカットしたほむらの位置はフェアグランド内だった。ホームへ送球もフェアグランド内、受け手が捕手なら完璧な送球だった。しかし、ホームで受けたのは左利きの太刀川(たちかわ)

 

 捕手ならそのままタッチに行ける送球だったが、左利きのため身体を逆に捻る形での捕球になり、そのため反転してタッチに行かなければならなかった。この僅かなロスが勝敗を分けた。

 

「じゃあ送りバントじゃなくて、セーフティーバントのサインにしたのも......」

「当然確実にキャッチャーに取らせるためだ。芽衣香(アイツ)の性格上、必ず自分も生き残る方法を模索するだろうからな」

「......あの子が知ったら怒りそうね」

 

 理香(りか)の視線にはファーストベース上で、上機嫌に得意気な表情(かお)芽衣香(めいか)がいた。

 そんな彼女とは対称的に小鷹(こだか)は、茫然と立ち尽くしていた。

 

「あたしのミスだ......」

 

 今日のあおいの出来からすれば、大きすぎる追加点を奪われたことで心が折れかけていた。

 

「タカ、まだ試合は終わってないよっ。大丈夫、まだ三回もあるんだから、二点なんてワンチャンスだよっ」

「......ヒロ」

「そうよ、キャッチャーが諦めないでくれる? あたし、勝つ気でいるんだから!」

「......ナッチ」

「そうッスよ、ほむらたちにだって取れるッス、絶対ッス!」

「はいっ、みよちゃん、次は絶対に打ちます!」

「うん、ボクも最後のスリーアウトまで諦めないよ」

「だから、ね? ほら、笑って笑って!」

「......まったく、相変わらずノーテンキね」

 

 ――ありがと。少しうつ向いて誰にも聞こえないくらい小さな声で感謝の言葉を言って、顔を上げた。もう悲壮感はなかった。

 

「たった二点差よ! しまっていくわよ!」

「おおーっ!」

 

 マウンドの内野陣だけではなく、外野手も一緒に一丸となって大き張り上げたその声に「がんばれー!」「まだ行けるよー!」とジャスミンナインへスタンドから大きな声援が送られた。

 

「あの子たち、強いわ――!」

「............」

 

 理香(りか)は、危機感の中のどこか嬉しさが混じったような顔。東亜(トーア)は、ただ黙ったままグラウンドを見つめていた。

 そして試合は進む。

 八回は両校共にランナーを出すも好守で無得点。しかし九回表、恋恋高校は追加点を奪った。

 そして九回裏。三点差を追いかけるジャスミン最後の攻撃。ワンナウトで太刀川(たちかわ)に打席が回った。

 

「ヒロぴー、最後の勝負だよ!」

「そうだね。あたしが繋いでサヨナラゲームにするんだもん!」

 

 マウンドとバッターボックスで二人は笑い合った。カウントは2-2。あおいは、鳴海(なるみ)のサインに一度首を振って投球モーションに入る。

 

「――いっけーっ!」

「――ふっ!」

 

早川(はやかわ)、渾身のストレート! 太刀川(たちかわ)、打ったー! 打球はレフト上空へ高々と舞い上がった! レフト藤堂(とうどう)、もう追わない打球を見送る。入りましたー! この一撃が反撃の狼煙となるのでしょうかーッ!?』

 

 反撃は、このホームランの一点だけだった......。

 

 

           * * *

 

 

『ありがとうございましたー!』

 

 両校整列し、挨拶をして、握手を交わす。

 

「悔しいな。もっとあおいと、ずっと勝負してたかった。これで終わっちゃうなんて」

「ヒロぴー......」

「ねぇ、あおい。また勝負しようねっ」

「大学で?」

「違うよ、もっと先――プロでだよ!」

 

 太刀川(たちかわ)は、にっこりと微笑む。

 

「あおいたちが勝ち上がって、甲子園へ行って、優勝すればきっと、女子だって......! ホントは、あたしたちがその役を担いたかったんだけど。あおいたちに任せるよ」

「......うん、約束する。ボクは、ボクたちは――」

 

 ――絶対に甲子園で優勝するよ!

 二人は握手をして誓い。

 

 そして、試合は幕を下ろした。



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対関願戦
game45 ~試練~


お待たせいたしました。


「ベスト8か......」

「ん?」

 

 激闘の末、聖ジャスミン学園を敗り恋恋高校史上初のベスト8進出を成し遂げた、その帰り道。ぼそっと呟いた鳴海(なるみ)の言葉に、隣を歩くあおいが「どうしたの?」と小さく首をかしげた。

 

「あ、いや、なんて言うか、あんまり実感がわかないって言うか......」

「実感?」

 

 二人の前を並んで歩いている芽衣香(めいか)瑠菜(るな)が、振り向いて二人の話に加わる。

 

「ああ~、確かにねぇー。あたしも口では“めざせ甲子園!”って言ってたけど、正直、ベスト8まで来れるだなんて思ってなかったし」

「そう? 私は、最初から行けると思っていたわ」

「そりゃあ瑠菜(るな)は、コーチのスゴさを最初から知ってたから――」

「それだよ」

 

 鳴海(なるみ)が割って入る。

 

「それって、なによ?」

「......ああ、そういうことね」

「だからなによっ?」

「簡単なことよ、だって私たちはまだ――」

 

 瑠菜(るな)は、鳴海(なるみ)の言いたかったことを代弁する。

 

 ――自分たちの力だけで勝ったって言える試合がないんだもの......。

 

 

           * * *

 

 

「自信?」

「そうだ。アイツらはまだ、自分たちの実力(チカラ)を完全には信じきれていない」

 

 学校でナインを見送ったあと東亜(トーア)理香(りか)は、いつものバーで今日試合とここまでの戦いの総括を行っていた。

 

「その理由は単純だ。自分たちの力だけで勝ったと言える実績がないからだ」

「......たしかに」

 

 東亜(トーア)がコーチ・監督に就任してからの勝率は公式戦を除いて八割以上。しかしこれは、東亜(トーア)が指揮を取っていない試合を含めての数字。彼が指揮していない試合については、引き分けはあれど、結局、未勝利のまま本番を迎えていた。

 ジャスミン戦もナインたちに考えさせたとは言え、東亜(トーア)の助言があっての勝利。ここから先、シードされた強豪校とそれらを倒し下克上で勝ち上がって来た勢いのある学校が相手。ほんのわずかな心の弱さが命取り。ここぞという場面、自信がなければ判断に迷いが生じ、その迷いは必然的に結果を悪い方向へと導く。

 

「失敗から学ぶと言う言葉もあるが、だが成功は失敗以上に成長させる。それは自信に繋がり、自信がつけば勝負処での重圧(プレッシャー)を跳ね除け、不安からくる集中力の欠如を緩和し、更には普段以上の集中力を発揮することもある。そう言った心理学についてはお前の方が専門だろ」

「フローと言われる心理状態ね。無謀すぎる大きな目標じゃなく、ギリギリ越えられる小さな目標を少しずつハードルを上げて達成していくことで喜びを覚える。その達成感が成長を促す高循環を作り出す。成功の理論、フロー理論のひとつ」

「アイツらも成長は実感している。だが、今のままではいずれ滞る。上へ行くためには殻を破る必要がある」

「ええ。でも、どうするつもりなの? 規定で大会期間中は練習試合は組めないわよ?」

 

「フッ......問題ないさ」

 

 アルコールが注がれたグラスを持ち、口に運びながら答えた。

 

 ――簡単な方法があるじゃねぇか、と。

 

 

           * * *

 

 

「あ、児島(こじま)さん」

 

 リカオンズ球団事務所内の室内トレーニング施設の一室、ミーティングルームのテレビで東京都予選の中継を見ている児島(こじま)のもとへ、軽めの調整を行っていた出口(いでぐち)がやって来た。

 

「また渡久地(とくち)んとこの試合ですか? って、画面デカッ!」

木野崎(きのさき)が設定してくれたんだ。パソコンの画面じゃ見辛いだろうからってな」

「誰でしたっけ?」

「おいおい、渡久地(とくち)みたいなこと言ってやるなよ」

「ははっ、冗談ですよ。えっと、今日で確か......」

「準々決勝、勝てばベスト4だ」

「マジで行くかもですね、甲子園」

「......どうだろうな」

 

 やや険しい表情(かお)で腕を組んだ児島(こじま)は、ソファーに腰を深く預けた。

 

「確かに良い試合はしている。だが、なにか物足りない。抽象的な言い方になるが雰囲気と言うかどこか迫力に欠ける」

「ああー、それ、なんとなく分かりますよ。去年の俺たちみたいな感じっすよね」

「ああそうだ、そんな感じだ。渡久地(とくち)の初登板から順調に勝ち星を重ねてはいたが、実際は、勝たせてもらっていたと言う表現が正しい」

「ええ、本当の意味で勝負に向き合えたと実感したのは、シーズン中盤くらいからだった気がします」

 

 ペナントレースは、日程通りに消化できれば三月末から十月初旬までの半年余り。それは東亜(トーア)がリカオンズで過ごした日々と同じ時間。そしてリカオンズが本当の意味で勝負を知ったのは、シーズン中盤。試合数は70試合前後。歳月で言えば今の恋恋高校と同じ4ヶ月あまりだが、試合数は公式戦を合わせて20試合に満たない彼らとは経験が段違い。

 

「まあ渡久地(とくち)のことだ。なにかしらの策を講じるんだろうが......」

「ん? 児島(こじま)さん、その渡久地(とくち)がベンチいないっすよ!」

「なにッ!? 本当か!」

 

 両校のベンチが紹介がされている映像の中に、東亜(トーア)の姿はどこにも写っていなかった。

 

 

           * * *

 

 

 両校ともに練習が終わり試合前のミーティング。東亜(トーア)のいない恋恋高校のベンチでは、監督代行の理香(りか)が仕切る。

 

「さあ、今日勝てばベスト4よ。いよいよ甲子園が見えてくるわ、ガンバりましょ!」

 

 理香(りか)の呼びかけも、ナインたちは不安の色が隠せないでいた。

 

「ちょっとみんな、表情(かお)が固いわよ」

「は、はい......」

 

 返ってきたのは、覇気のない返事。彼らが東亜(トーア)の欠場を知ったのは今朝、バス移動の最中だったため動揺は大きなモノだった。だが、今日先発を任されている瑠菜(るな)はいたって冷静。事前にはるかが集めてくれた対戦相手の情報(データ)をチェックしている。

 

「ねぇ、片倉(かたくら)くん、バッティングはどうなの?」

「あ、はい。普段の率はあまり良くないですけど、チャンスの場面は強いです」

「典型的なクラッチヒッタータイプなのね。だそうよ、鳴海(なるみ)くん」

 

 突然、話を振られて鳴海(なるみ)は戸惑ってしまった。

 

「しっかりしてくれる? 集中できないのなら新海(しんかい)くんとマスクを代わって」

「ふぅ......ごめん、もう大丈夫!」

 

 大きく深呼吸をして彼女の目を見て答える。

 

「そう。じゃあちゃんとリードしてよね」

 

 そんな瑠菜(るな)の並外れた冷静さに芽衣香(めいか)は感心していた。

 

「けど、よくそんな冷静でいられるわね」

「当然でしょ。私、こんなことで不安になるような練習をしてきたつもりはないわ。みんなは、そうじゃないの?」

 

 瑠菜(るな)の問いかけに少しの間が開いて、全員が頷いた。

 

「(さすが瑠菜(るな)さん。渡久地(とくち)くんの読み通り、チームいち向上心の高い彼女がみんなを鼓舞してその気にさせたわ)」

「みんな、聞いて!」

 

 鳴海(なるみ)が声を上げて、みんなの注目を集める。

 

「俺たち、今までずっとコーチに頼ってきた。不安じゃないって言えば嘘になる......でも、これはチャンスだと思う。コーチ頼りじゃなくて、自分たちの力で戦って、この試合を勝とう......!」

「おうよ、当然だぜ! なっ!」

「あったりまえでしょっ。あたしをなめんじゃないってのっ」

「オイラも、今日は本気を出すでやんす!」

 

 鳴海(なるみ)の素直な気持ちに、ナインたちはひとつになった。

 

「はい、それじゃあスタメンを発表するわよ。先ずはバッテリー......」

 

 ――この子たち大丈夫よ、私もしっかりしなきゃいけないわ。

 

 

           * * *

 

 

『さあやって参りました、甲子園予選東東京都大会準々決勝! ノーシードから快進撃を続ける恋恋高校対甲子園出場経験もある強豪――関願高校との一戦を。わたくし、熱盛(あつもり)宗厚(むねあつ)が、今日も熱く、熱くお伝えして参りまーすッ!!』

熱盛(あつもり)さーんっ』

『おっと、グラウンドの響乃(ひびきの)アナウンサーが呼んでいますね。どうぞー』

 

 映像がアナウンス室からグラウンドへ。

 

『はい、お伝えしますっ。私は今、恋恋高校のベンチ前に来ているのですが、渡久地(とくち)監督が不在との情報が入りました。詳しい詳細が分かり次第お伝えできれば思います』

『そうですか、わかりました。続報が入り次第お願いします。グラウンドリポーターの響乃(ひびきの)アナウンサーでした』

 

「やっぱり渡久地(とくち)はいないみたいですね」

「そうみたいだな」

「――ったくアイツ、いつも大事な時にいなくなるんだからよ」

「しかし、渡久地(とくち)のことだ。これにもなにか意味がある」

「意味、ですか?」

「アイツは無意味なことはしないからな。よく見てみろ」

 

 テレビには今、恋恋高校のベンチの様子が映し出されていた。

 

「おっ、全然気落ちしてる感じはないですね。それどころか......」

「ああ、むしろ今までの試合以上に気合いが入ってる感じだ。もしかして渡久地(とくち)は、これを狙っていたのかもな」

「ご明察」

 

 不意にかけられた声に、二人は同時にドアの方へ顔を向けた。そこに立っていたいたのは――。

 

「と、渡久地(とくち)!?」

「どうしてお前が――!」

「なに、ちょっとした野暮用さ」

 

 突如、リカオンズ球団事務所に現れた東亜(トーア)は、児島(こじま)の対角、出口(いでぐち)の対面のソファーに座って持っていた封筒をテーブルに放り投げる。

 

「野暮用って球場へ行かなくていいのかよっ?」

「今から行ったってどうせ間に合わねーよ」

「いや、そりゃそうかも知れねぇけどさ......」

渡久地(とくち)、さっきのはどういう意味だ?」

「フッ、まあ見てりゃわかるさ」

 

 東亜(トーア)は軽く笑って、テレビに顔を向ける。

 その東亜(トーア)の態度と画面に写る恋恋ナインたちの動きを見た児島(こじま)は、すべてを察した。

 

「なるほど、そう言うことか。試練と言ったところか」

「......まあな」

「だが荒療治過ぎないか? 相手は強豪なんだろ?」

「この程度の相手にやられるようなヤワな鍛え方はしちゃいねぇよ」

 

 

           * * *

 

 

「ナイスピッチ!」

「次、曲げるわ」

「オッケー」

 

 試合直前、後攻の恋恋高校は練習を行っている。

 投球練習をするバッテリーは、瑠菜(るな)鳴海(なるみ)。内野陣は奥居(おくい)芽衣香(めいか)甲斐(かい)葛城(かつらぎ)といつものメンバー。外野は、左に真田(さなだ)、センターに矢部(やべ)。そしてライトに、一年の片倉(かたくら)が入った。

 

「行くでやんすよー」

「はい。真田(さなだ)先輩!」

「おっしゃ、ナイスコントロール! ほい、矢部(やべ)

「オーライでやんす」

 

 矢部(やべ)真田(さなだ)と一緒に軽い遠投で肩をほぐしている。

 

「(思ったより気負ってはなさそうね。まあ、一回先発登板してるんだから当然かしら)」

 

 今日ライトスタメンの片倉(かたくら)は、三回戦で先発登板している。初登板の時は緊張から立ち上がり失点したが五回投げきり二失点で勝ち投手なった。ローテーションでいけば次戦の登板予定なのだが、今日は相手に彼のシニア時代の元チームメイトがいるためスタメン起用になった。

 その元チームメイト同じ一年でありながら強豪関願高校のエースナンバーを背負う、伊達(だて)がブルペンで肩を作っている。

 

「――ライトでスタメンか......フンッ!」

 

 帽子をかぶり直し、キャッチャーへ向かって投げた。そのボールはベース手前で大きくワンバウンド、キャッチャーの脇を抜けていく。

 

「おいおい、スゲー荒れてるな。相手の投手」

 

 児島(こじま)は、テーブルのパソコンを操作して予選の成績を調べる。

 

「ずいぶんと四死球が多いようだな」

「うわぁ......デットボール上等のケンカ投法かよ。つーかよく勝ち上がってこれたな」

「ふむ、しかし、四死球の割りに失点は少ない」

「点には繋がらないってことっすか。あ、始まるみたいですよ」

 

 キャッチボールに使っていたボールはすべて戻され、球審から新しいボールがマウンドの瑠菜(るな)に渡される。

 先攻の関願高校の先頭バッターが打席に入り足場を整え、球審がプレイボールの合図を送ると球場にサイレンが響きわたった。

 

『恋恋高校対関願高校。さあいよいよプレイボールです!』

 

 東亜(トーア)不在の中ベスト4をかけた一戦の火蓋が今、切って落とされた――。




2018版で恋恋高校アップロードしました。
条件検索「セブンゲーム」で出ると思います、興味があるかたはどうぞです。


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game46 ~投球術~

大変お待たせしました。


『ストライクバッターアウトッ! 恋恋高校の先発十六夜(いざよい)瑠菜(るな)、三番バッター伊達(だて)を空振りの三振に切って取り、初回を危なげなく三者凡退で退けぞけましたー!』

 

 一回表の関願高校の攻撃を三人で退けた瑠菜(るな)、三つのアウトのうち二つを空振り三振とほぼ完璧な立ち上がりをみせる。

 ベンチに戻った伊達(だて)は、すぐにバッティンググローブを外して守備の準備を始める。ネクストで待機していた四番は、彼よりも遅くベンチに戻り、チームメイトと話ながらだらだら準備をしている。

 

「おいおい、しょっぱな三凡かよ。三振するような球じゃねーだろ?」

「うっせーな、遅すぎんだよ。来た! って思ってもタイミングが上手く合わねぇんだ。お前も実際にやってみりゃわかるっての」

「ふーん、タイミングねぇ。あんな遅ぇの一球ありゃ十分だろ」

「先輩、さっさと準備してください」

 

 ベスト8まで勝ち上がって来た相手に対し、いまだ緊張感も持たず楽観ししている上級生たちに苦言をていして、伊達(だて)は小走りでマウンドへ向かった。その彼の態度に四番は、面白くなさ気に軽く舌打ちをして不快感をあらわにしていた。

 

「ナイスピッチだね、瑠菜(るな)

「ドリンクとタオルをどうぞ~」

「ありがと」

 

 ベンチに座り額の汗をぬぐって息を整えながら、ナインたちと共に相手投手の投球練習に目を向ける。

 

「試合前も思ったけど荒れすぎじゃないか? 投球練習だってのにキャッチャーの構えたところへほとんど行ってないぞ?」

「壬生との練習試合の時もあんな感じだったぞ。フォアボールもデッドボールも気にしてない感じだったな」

 

 実際に試合を見ていた奥居(おくい)が、真田(さなだ)の疑問に答える。

 

「ああ~、典型的なケンカ投法だもんな。七瀬(ななせ)、二試合でいくつ出してる?」

「えっと、四球六つ死球三つで合わせて九つですね。二試合ともコールドで勝ち上がってますので1イニングに一個は出す計算です」

「出しすぎだろ......」

「でも失点は二試合で三点ですよ。エラーが絡んでますので自責点は一点ですね」

「ランナーは出しても要所は締めるってことか」

「シニアの頃もそんな感じでした。コントロールは今と変わらず結構アバウトで。ただ、あの荒れ球に加えてインコースを多投するんで相手が萎縮するといいますか......」

「ビビって自滅しちまうワケか。つーことはインコースを意識し過ぎないように甘いコースを狙う、と。よし、じゃあ行ってくる!」

 

 先頭バッターの真田(さなだ)は、伊達(だて)とチームメイトだった片倉(かたくら)の話を頭に入れて、バッターボックスに入った。

 

「お願いします」

「うむ。プレイボール!」

 

 球審のコールを聞いて、キャッチャーはサインを出しアウトコースにミットを構えた。一回でサインにうなづいた伊達(だて)が投じた初球は――アウトコース高めのボール球。「悪い」と利き手の右を軽く上げて、二球目。

 

「うぉっ!?」

「ボ、ボール!」

 

『おっと、これはよろしくない投球! 顔の近くを通過しましたー! 真田(さなだ)、なんとか避けました』

 

「(マジで頭めがけて投げてきやがったぞ、コイツ......。けど、これでビビったり、イラだったりしたらそれこそ相手の思うツボだ。冷静に甘いコースを狙う......!)」

 

 構え直し、ツーボールからの三球目。

 

「(やばい、真ん中!?)」

「(よし、来た!)」

 

 インコースの構えたキャッチャーミットとは裏腹に、投球は真ん中やや外よりへ。キャッチャーは慌ててミットを戻し、真田(さなだ)は振りにいった。しかしそこから、逃げるようのややシュートした。

 

「(まだだ、まだ届く......!)」

 

 咄嗟に左手を離し、崩されながらも片手で合わせた。

 

『サードライナー! 恋恋高校先頭バッターの真田(さなだ)、難しいボールに上手く合わせましたが不運にも野手の正面、ワンナウトです!』

 

 投げ出したバットを拾い、ネクストの葛城(かつらぎ)と少し会話をしてベンチへ戻った。

 

「惜しかったね、上手く打ったのに」

「失投かと思ったらいいところに落ちた、狙ったのか?」

「いや、たぶん失投だったぞ。キャッチャーはインコースに構えてからな」

「マジか、あれ狙って投げたんじゃねぇのか......」

 

 いいコースの変化球が失投と聞かされて、真田(さなだ)は驚く。打席では、続く二番の葛城(かつらぎ)がインコースを執拗に攻められ内野ゴロに打ち取らていた。続く三番奥居(おくい)には、ストライクが入らずフォアボール。そして、四番の甲斐(かい)にも......。

 

「ボール、ボールフォア」

 

『ンンーンッ、ツーアウトを取ったまではよかったんですが、二者連続のフォアボールで自らピンチを作ってしまいました、マウンドの伊達(だて)。次のバッターは魅惑の眼鏡ボーイ、矢部(やべ)! 今日は、ベンチで備える近衛(このえ)に代わって五番を任されました。どんなバッティングを見せてくれるのでしょーカ!?』

 

「(先制のチャンスでやんす!)」

 

 前の試合、代打を出された矢部(やべ)は燃えていた。入念に足場を慣らしてから構える。

 

「ファール!」

 

 さして難しくないボールを打ち損じ、三塁側のスタンドへ。

 

「ちょっと力み過ぎじゃない?」

「うん、矢部(やべ)くんなら外野を越える力は十分あるのにね」

「きっと前の試合を引きずっているのよ」

「ああ~、代打を出されたやつね。でも仕方ないじゃん。右バッターは結局、ヒロぴーからヒット打てなかったんだし。あたし以外はっ!」

 

 一緒に話しているあおいと瑠菜(るな)に、胸を張って得意気な表情(かお)をした芽衣香(めいか)

 

「公式記録では、フィルダースチョイスになってますよ」

「なんでよっ!? 絶妙なセーフティーバントだったじゃないっ」

「私に言われましても」

「なっとくいかなーいっ!」

「まあまあ芽衣香(めいか)、落ち着いて。芽衣香(めいか)のバントがあったから勝てたんだし」

 

 あおいが芽衣香(めいか)をなだめている間に、矢部(やべ)は二球で追い込まれていた。

 

「(よっしゃ、珍しく二球で追い込めた。ここはボールになるスライダーを振らせるぞ)」

 

 キャッチャーのサインに首を振った。

 

「(あん? 慎重にいかねぇと......って言っても聞くようなヤツじゃねーし。じゃあこれで)」

 

 二度目のサインにうなづいてモーションを起こす。

 

「(――って、また逆球かよ!)」

「(これは遠いでやんす、ボールでやんす!)」

 

 インコースのボールゾーンへ構えたミットとは真逆のアウトコースのボール球。そこから真田(さなだ)の時と同様にシュートして入ってきた。ボールゾーンからストライクゾーンに向かって来るバックドアのシュートに、早々ボールと判断していた矢部(やべ)は手が出ず見送った。

 

「ス、ストライク! バッターアウトッ!」

 

 無情にも球審の手が上がる、見逃しの三振。

 構えとは正反対の逆球だったが、バッテリーとしては幸運な結果になり、矢部(やべ)としては不運な結果になった。

 

「ったく、相変わらず荒れてるな。首振ったんだからちゃんと投げろよな?」

「オレの制球力は知ってるでしょ? それに結果オーライだったじゃないっすか」

「まあな」

 

 ピンチをしのいで軽い足取りの関願バッテリーとは対称的に、チャンスを潰してしまった矢部(やべ)はとぼとぼと重い足取りでベンチへ戻っていく。

 

「申しわけ......でやんす」

「ない、まで言いなさいよ。てゆーかいちいち落ち込まないっ、さっさと切り替えて守備に行くわよっ」

「待って欲しいでやんす、まだレガースも外してないでやんすー!?」

 

 少し落ち込んでいた矢部(やべ)だったが、ジャスミンとの練習試合の時と同じように、芽衣香(めいか)のはっぱを受けて急いで支度を済ませ、グラウンドへ駆け出して行く。

 

「ムードメーカーだよね、芽衣香(めいか)ちゃん」

「ムード芽衣香(めいか)?」

「また怒られるよ?」

「ナイショでお願いっ」

「はいはい」

「二人とも仲が良いのはとってもステキなことだけど、急いで準備なさい」

「あ、はい!」

 

 理香(りか)に諭され、あおいの手伝いも借りて鳴海(なるみ)は急ぎプロテクターを着ける。そして、瑠菜(るな)のイニング間投球練習を受けてくれていた新海(しんかい)と入れ替わって、キャッチャースボックスで腰を落とした。

 

「お待たせ」

「あと三球よ」

「了解。どうぞ!」

 

 三球目を受け、セカンドへ送球。内野でボールを回し、球審の合図で各々自分のポジションに戻る。

 

『二回表関願高校の四番バッターが打席へ向かいます。前の試合では、試合を決める特大のホームランを放っています! この対決も注目してまいりましょー!』

 

「(ピッチング練習見てもやっぱ大したことねーな。さてと、かるーく放り込んでやるとすっか)」

 

 何の緊張感もなく打席に立つ四番。観察力に長けた恋恋バッテリーは、その油断を見逃さない。

 

「(ずいぶんリラックスしてる、と言うより舐めてるって感じだ。こういう相手は楽できる。三球で仕留めるよ)」

「(ええ、そのつもりよ)」

 

 サイン交換を交わし、初球。

 

「ストライクッ!」

 

 ど真ん中にストレートが決まった。

 

「(――ちょっと待て、なんだ今のは......!?)」

 

 甘いボールを見逃してしまった四番は、慌てた様子で打席を外し、バックスクリーンに目をやった。

 

「(114km/h!? 冗談だろ、130km/h以上出てるように感じたぞ......!?)」

「キミ、もういいかね?」

「あっ、はい、すみません......」

 

 実際数字と体感のギャップに困惑している頭を冷やす間もなく、二球目。またしてもど真ん中のストレート。今度は、バットを出すも完全に振り遅れた。

 

『空振り、ツーストライク! バッテリー、たった二球で追い込んだ。さあ次は、どうする? 一球遊ぶのでしょーか?』

 

「(なんなんだ、これは......? 速いとか遅いとか、そんな問題じゃねぇ。合わせようにもボールの出どころが......)」

 

 鳴海(なるみ)は、相手に思考を巡らせる暇を与えずすぐさま次のサインを出す。

 

「(よし、いい感じに追い込めた。三球勝負で行くよ)」

「(遊ばないの?)」

「(当然。全然タイミング取れてないのに、わざわざ多く見せてあげるなんてお人好しなことしない。それに、ここで四番を潰せば試合の主導権を握れる......!)」

「(私も同じ意見よ。次で仕留めるわ)」

 

 瑠菜(るな)は、ゆったりとモーションを起こす。

 この時バッターは、軽い錯乱状態に陥っていた。前のイニング、チームメイトに大見得をきった手前無様なバッティングはみせられない。しかも、ど真ん中のストレートでさえも上手く合わせられないその焦りが構えに現れしまっていた。

 当然瑠菜(るな)は、その心の乱れを見逃さない。

 

「(相当力んでるわね。それなら()()で――!)」

 

 球持ちの良い瑠菜(るな)の腕から放たれたのはまたもや、ど真ん中のストレート。

 

「(またど真ん中のストレートだとッ!? ふざけやがって......!)」

 

 初球・二球と振り遅れたため始動を早めてバットを振った。だが、そのバットは快音を響かせるどころかずいぶん手前で空振り、虚しく風を切る音をだけ残し。そして、風切り音からワンテンポ遅れて、キャッチャーミットに渇いた小気味良い音を鳴らした。

 

『ストライクバッターアウトッ! 十六夜(いざよい)瑠菜(るな)、なんと四番打者をど真ん中のストレート三つで簡単に料理しましたー! イヤー、見事なピッチングです!』

 

 四番が三球三振に打ち取られ、伊達(だて)は次の回のピッチングに備えて支度を進めつつ思う「この女子(ピッチャー)、オレと同じなのか?」と。

 

 

           * * *

 

 

「スゲー度胸だな、最後の球速を殺してたぞ!」

 

 テレビの画面越しに観戦中の出口(いでぐち)が、瑠菜(るな)のピッチングに声をあげた。

 

「この娘だろ? 渡久地(とくち)が低回転ストレートを教えたと言う娘は」

「正確にはピッチングの基本さ」

 

 瑠菜(るな)が投じた勝負球は、低回転ストレートと一緒に教わった東亜(トーア)の投球術の真髄である、同じ腕の振りから回転数と球速を操ると言うピッチングの基本であり、誰もが目指す理想でもあり、究極。今のは、前の投球とほぼ同じ軌道で球速だけを落としたストレート。

 

「同じ軌道の緩急が利いたストレートか」

「相当タチ悪いですね」

「ああ。バッターは、ピッチングフォームや腕の振りだけじゃなく、リリースされた直後の球道からも球種とコースを予測して打つ。見極めどころの重要なポイントを消されるのは厳しい」

「しかも、低回転ストレートも投げるんだろ? よくこんな短期間で教え込んだな」

「俺は、それほど教えちゃいない。瑠菜(るな)は、納得が行くまで絶対に妥協しない向上心の塊なのさ。まあそれが仇になって暴走(オーバーワーク)しがちなところがあるが、話は素直に聞くからその点だけはコントロールしてやっている」

「そうか」

 

 どこか嬉しそうに東亜(トーア)の話を聞いてい児島(こじま)は、両投手の立ち上がりの違いに率直な感想を述べる。

 

「この試合は前の試合よりは苦労せずに勝てそうだな」

「ですね、相手の投手は制球に苦しんでいるみたいですし。この調子なら自滅するでしょ」

 

 2イニング連続で三者凡退に打ち取られた直後マウンドへ向かう画面の伊達(だて)を見ながら、「さて、どうだかな」と東亜(トーア)は意味深に答えた――。



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game47 ~ペテン師~

大変お待たせしました。


葛城(かつらぎ)、打ったー! しかし、またもや野手の守備範囲内! 勢いのある痛烈な当たりもきっちり捌いてスリーアウト。恋恋高校ランナーを得点圏まで進めましたが返せず。四回の攻防を終えて両校共に無得点。試合は投手戦の様相を見せはじめました! いったいどこで、どちらが試合を動かすのでしょーカ? ンンーン、目が離せません!』

 

 セカンドに瑠菜(るな)、ファーストに真田(さなだ)とツーアウトながら得点圏へランナーを出したが、レフトへのライナーでチェンジ。葛城(かつらぎ)は、ひとつ息を吐き。セカンドランナーの瑠菜(るな)は急いでベンチへ戻り支度を始める。

 

「また守備範囲内か、良い当たりなんだけどな」

「ここぞ! って時に良いところに来やがるぜ。ヒットは打てるけどなかなか長打にならねぇところだ」

「得点圏にランナーを背負うと普段以上の力を発揮する典型的なクラッチピッチャーか。中学時代も同じだったのか?」

 

 鳴海(なるみ)、奥居と守備の準備をしながら話していた甲斐(かい)が、シニアで伊達(だて)とチームメイトだった片倉(かたくら)に訊ねる。

 

「はい、そうです。ピンチになるとギアが変わるみたいに。一度聞いたことがあるんですけど......」

 

『あん? 気持ちの切り替え方?』

『そう。伊達(だて)さ、ピンチに強いでしょ。どうやって切り替えてるのかなって』

『ハッ! んな余計なことばっか考えてっから打たれんだよ。いつも通り投げりゃあそうそう打たれねぇよ』

 

「――って感じでした」

「ピッチング同様に神経(メンタル)も図太いんだな。まあそうでなければ、ああもインコースを厳しくは攻められないか」

「つーことは流れを掴むにはやっぱ一発だな! 次のオイラの打席で放り込んでやるぜ!」

「その前に守備よ」

 

 支度を整え終えた瑠菜(るな)が、四人の間に割って入る。

 

鳴海(なるみ)くん、行くわよ」

「オッケー。みんなも急いで!」

「おうよ! 行くぜ片倉(かたくら)矢部(やべ)!」

「はい!」

「了解でやんすー」

 

 ナインたちがイニング間の守備練習を行う中、理香(りか)は戦況の打開をはかるべく、関願高校と壬生高校との練習試合の観戦に行ったメンバーに、その試合展開について訊ねる。

 

「どんな些細なことでもいいわ。なにか気がついたことはないかしら?」

「う~ん......あっ!」

 

 練習試合を観に行った中の一人、藤村(ふじむら)があること思い出した。それは、伊達(だて)のピッチングが今日のピッチングとは少し違う内容だったということ。

 

「フォアボールは少なかったような気がします」

「そうなの?」

「はい。今日と同じで荒れてはいましたけど、三回までにデッドボールがひとつだけで、フォアボールは五回以降にふたつ。打ち込まれた七回に、みっつめを出したところで降板しました」

「試合はコールド負けだったとは言え、打ち込まれる七回まで四死球合わせて計三つ......。確かに、際立って多くはない数字ね」

 

 伊達(だて)は今日、四回終了までに既に四つのフォアボールを出している。練習試合の時と比べるとずいぶんと多い。

 

「でも打つ気がなかったからなのかもしれません。ね?」

 

 藤村(ふじむら)は一緒に試合を見ていた香月(こうづき)に振り、彼女もうなづく。

 

「うん。壬生の選手(ひと)たち七回までほとんど手を出してなかったですし」

「そう、わかったわ、ありがとう。またなにか気になったことがあったら教えてね」

 

 二人にお礼を言った理香(りか)は、グラウンドに顔を向ける。

 

瑠菜(るな)ちゃん、ラストボール!」

「ええ......!」

「オッケー、ナイスボール! ありがとうございます」

「うむ。バッターラップ!」

 

 球審の呼び掛けにタイミングを計っていた先頭バッターは、右バッターボックスに入って足場を馴らす。

 

『五回表関願高校の攻撃は五番からの打順。前の打席は、初球外のストレートをひっかけてサードゴロに倒れてましたが、この打席はどうでしょーカ?』

 

 鳴海(なるみ)は、いつものようにバッターの様子をじっくりと観察してサインを出す。瑠菜(るな)はうなずくとスッとモーションを起こした。初球、二球と球速の違う二種類のストレートを使い分け、平行からの三球目。

 

「(高い、ボールだ......!)」

 

 バッターは高めへ抜けたボールを見逃した。しかしそこから急降下、アウトコースのストライクゾーンをかすめてキャッチャーミットの中へ。

 

『ストライク! 今日初めて見せた、縦に大きく割れるカーブ! バッター手が出ませんッ! バッテリー、追い込みました!』

 

「なんだ今の、カーブか!?」

「前回の登板でも投げていました。ビデオ見てないんですか?」

「いや、一応見たけどさ。てっきりアンダーの女子が来ると思って、そっちを重点的に」

「だよな、前回登板からそこそも時間もあったし。準々決勝(ここ)まで来たら普通はエースが連投するもんだしな」

 

 研究を怠っていたベンチ入りの上級生たちに対し、伊達(だて)は首にかけたタオルで汗をぬぐいつつ不快感に気づかれないように顔を隠す。

 

「(ったく何考えてンだか、勝手に決めつけやがって。誰が来てもいいように万全を期しておくのが勝負の基本だろうが。こちとらひとり打ち取るのに神経すり減らしてるってのに......)」

 

 愚痴を言っていても仕方がない。ふぅ......と不快感を息と一緒に吐き出した伊達(だて)は、気持ちを切り替えて次の回に備える。汗で湿ったアンダーシャツを着替え、スパイクの紐を結び直し、グラウンドに目を戻した。

 

「まっかせなさいっ。はい、ファースト!」

「アウト!」

 

 五番をファーストゴロ、六番はセカンドゴロに切って取りこれでツーアウト。続く七番のキャッチャーにはライト前へ運ばれたものの、八番を平凡なサードフライに打ち取った。

 

『アウトです、これでチェンジ。マウンドの十六夜(いざよい)瑠菜(るな)、ここまでシングルヒット二本と快調なピッチングを見せつけてくれますッ!』

 

 アウトコールを聞いた伊達(だて)は、グラブを持ちマウンドへ。

 

「(完全に翻弄(ほんろう)されてる)」

 

 球審からボールを受け取り、ベンチでプロテクターを装備しているキャッチャーの代わりの選手とキャッチボールで肩を温める。

 

「(こういう重苦しい展開は先制点を取った方が流れを掴むことが多い)」

 

 準備を済ませ、グラウンドに現れた正捕手相手に投球練習。相変わらず構えたミットのところへはほとんどいかない。最後の一球もワンバウンドの暴投。だが伊達(だて)はまったく気にする様子もなく、気持ちはすでにこの回の先頭バッター奥居(おくい)へと向いていた。

 

「バッターラップ」

「うっす、お願いしますッ!」

 

 一礼してバッターボックスに立つ。

『さあ五回裏恋恋高校の攻撃は、三番奥居(おくい)からの好打順。一打席目はフォアボール、二打席目はヒットと二打席連続で出塁しています!』

 

「(奥居(コイツ)が一番ヤバイ。コースを間違えれば簡単にスタンドへ運ばれる。慎重に行くぞ)」

 

 キャッチャーが出したサインは、アウトコースのスライダー。

 

「(ごくわずかだけど、二打席目よりも外側に立ってる。インコースを意識しているのか、あるいは外へ投げさせるための誘いか......。どっちにしてもひとすじ縄でいく相手じゃない)」

 

 マウンド上の伊達(だて)は、奥居(おくい)を注意深く観察しながらキャッチャーのサインに首を振ることなくうなづいた。

 

「(おっ! 構えたミット通りに来た!)」

 

 要求通りのアウトコースのストライクからボールになるスライダー。

 

「もらったぜー!」

 

 だが奥居(おくい)は、これ狙っていたと言わんばかりに躊躇なく踏み込みスイング。直後球場中に甲高い金属音が響き、打球はレフト上空へ高々と舞い上がった。

 

奥居(おくい)、打ったァーッ! 打球はグングン伸びるぅー!』

 

「(――マジかよ!? アウトコースのボール球を引っ張りやがった......!)」

 

 マスクを放り投げて叫ぶ。

 

「レフトバックー!」

「くそがッ!」

 

 必死に打球を追うが頭上を遥か越え、ポール上空を通過してスタンドに着弾。ホームランとも、ファールとも取れる微妙なところで弾んだ。三塁塁審の判定に注目が集まる。

 

『こ、これは際どい! ホームランかっ? それともファールなのか!?』

 

「ファ、ファール!」

 

『ファール! 判定はファールです! 際どい打球でしたが僅かに切れてファール!』

 

「あーあ、切れたか~」

「助かった......」

 

 バッテリーに取っては命拾いの判定。キャッチャーは胸をなでおろし、伊達(だて)は空を見上げ軽く唇を噛み締める。

 

「(......今の打球、やはり今のオレじゃあまともにいって勝負できる相手じゃない。くそ......)」

 

 球審に新しいボールを貰い仕切り直し。外へのスライダーが外れてボール。続く三球目もアウトコースへ外れてカウント2-1、バッディングカウント。

 

「(今のは結構いいところだったのに手を出してくれなかった。ここらで内角(イン)を一球挟みたいところだけど、前の打席にレフト前へ運ばれてるからな。もうひとつ外で――)」

 

 キャッチャーは最悪歩かせることも念頭に入れつつ四球連続でアウトコースへ構えた。サインにうなづいた伊達(だて)は、ミットをめがけて四球目を投げた、しかし――。

 

「(......しまった!)」

 

 構えたミットよりもやや内側へシュート回転して入ってきた。逆球ではないがむしろ甘いボール。その失投を奥居(おくい)が見逃すハズもない。

 

「甘いぜ!」

 

 快音を響かせ、痛烈な当たりが三塁線を襲う。ライナー性の当たりにサードは驚異的な反応を見せグラブを出した。

 

『と、とったぁーッ! あっ、いや、落ちた! 落ちたーッ!』

 

 が、その打球の勢いに無情にもグラブからボールが溢れる。手元に転がったボールを素手で拾いあげ素早く送球するも体制が悪く、アンツーカーハーフバウンド。ファーストは難しいバウンドをさばこうと必死にグラブを合わせにいくが......。

 

『ファースト、捕れません! 記録は内野安打、すでにベースを駆け抜けていました! イヤー、サードもスバラシイ反応を見せてくれました!」

 

「ふぅ、あぶねぇあぶねぇー」

「ナイスラーン」

「ぜんぜんナイスじゃないっての!」

 

 ファーストベースコーチをつとめている葛城(かつらぎ)に労われたが、奥居(おくい)は納得いかないご様子。たしかにコースは甘かったが、高さが低かった分打球を上げきれなかった。

 

「悪い、焦っちまった......」

「いえ、止めてくれただけで十分です」

 

 結果的に送球をミスしてしまったサードを気づかいつつ、打席に向かっているネクストバッターの甲斐(かい)に警戒の眼差しを向けた。

 

「(あの四番は、得点圏にランナーがいると数字が跳ね上がるクラッチヒッター。もし三塁線を抜かれていたら......)」

 

 最低でも二塁。レフトの守備がもたつけば三塁もあり得たあの場面、失投でありながらシングルに抑えられたのは悪運がいいといえるのかもしれない。

 

『そして無死一塁で四番甲斐(かい)の登場です! 今日を含めて計五試合、打率4割強を誇る強打者でホームランも二本放っています! 期待して参りましょう!』

 

 

           * * *

 

 

「やはり打ちあぐねてるな」

「無理もないですよ。これだけ荒れていたら絞るに絞れないっすよ」

「確かに、な」

 

『引っ張ったーッ! 打球はライトへの大きな当たりーッ!』

 

「おっ! いったかっ」

「いや、届かないだろう。おそらくフェンス手前だ」

 

 児島(こじま)の予想通り、甲斐(かい)の打球は上空で失速して、フェンスの手前約三メートルの位置でライトの足は止まり、グラブの中に収まった。だが奥居(おくい)は、両足を止めた状態で捕球体制に入ったライトの隙をついて、セカンドへタッチアップを決める。結果として送った形になり、一死二塁と先制点のチャンスを作り出した。

 

「今のは、よく走った。躊躇していれば刺されていただろう」

「こいつバッティングもだけど判断力もありますね。てか、プレーに迷いがない」

「うむ、ミスをまったく恐れていないな。こういう選手がいるとチームは助かる」

「なんだ、まるで監督みたいなことをいうな」

「ん? まあ、そうだな」

 

 はっきりとしない児島(こじま)の態度を、東亜(トーア)は疑問に思った。

 

「なんだ渡久地(とくち)、お前知らないのか? 児島(こじま)さん本当は、今シーズンからリカオンズの監督に就任するって話があったんだぜ」

「ふーん」

 

 まったく興味ないといった感じの返事に出口(いでぐち)は、呆れ顔でタメ息つく。

 

「......ったくお前なぁ~。お前の復帰がきっかけだったんだぞ?」

「知らねぇよ」

「はは、渡久地(とくち)らしくていいじゃないか。まあ俺個人は昨シーズン不本意な成績だったから、最後に完全燃焼して終えたかったのさ」

 

『オオーット! よろしくない投球! 身体の近くを通過しましたーッ!』

 

 話をしている間に試合は進み、五番矢部(やべ)の打順。その初球、キャッチャーの構えとは真逆の胸元への投球でワンボール。

 

「また逆球かよ。つーかこのピッチャー、デッドボールになりそうだったってのに、相変わらず涼しい顔してやがる」

「まるで、渡久地(とくち)みたいなポーカーフェイスだな。しかし、ここまで荒れ球な投手も珍しい。普通は投げている内にある程度定まって来るものなんだがな。それに、何か妙だ」

 

 試合展開に違和感を覚えた児島(こじま)は、難しい顔で腕を組んだ。

 

「妙って――」

「クックック......」

 

 突然笑い出した東亜(トーア)

 彼の手には、いつのまにかスマホが握られていた。

 

「なんだよ、急に笑い出して。ビックリしたじゃねぇか」

「なにを見ているんだ?」

「ちょっと面白いモノさ」

 

 東亜(トーア)はテレビに映る伊達(だて)を見て、どこか嬉しそうに笑みを浮かべて言った。

 

「コイツ、なかなかのペテン師だ」

「ペテン師?」

 

「それはどういうことだ?」と児島(こじま)に訊かれた東亜(トーア)だったが、問いかけには答えず出口(いでぐち)に話を振った。

 

伊達(コイツ)の武器はなんだと思う」

「武器? ぶつけることをなんとも思わない物怖じしないメンタル......って言いたいところだけど、違うんだろ? その言い方だとよ」

「フッ......そうだ。コイツの本当の武器はメンタルじゃない。本当の武器は――制球力だ」

 

 まさかの答えに、出口(いでぐち)は声をあらげた。

 

「制球力だぁ!? おいおい、そりゃねぇーだろ! キャッチャーが構えたミットと真逆の逆球が結構あるんだぞ? それなのにコントロールが良いだなんて――」

「ほらよ」

 

 東亜(トーア)は、持っていたスマホを児島(こじま)へ放り投げる。受け取ったスマホを見て、児島(こじま)東亜(トーア)の言った意味を理解した。

 

「......そうか、そう言うことだったのか! これが違和感の正体か――!」

 

 マウスを操作し試合中継の画面を縮小させ、空いたスペースにスマホに映し出されていたページと同じモノを表示させる。

 

「見ろ出口(いでぐち)、これが秘密だ......!」

「んん? あ......ああー!? なんだこりゃあーッ!」

 

 身を乗り出し、食い入るようにテレビ画面を見る。

 そこに映し出されていたのは、スポンサーのパワフルテレビが提供している試合データ。野手は打率や打点はもちろんコース別の打率や打点、本塁打、盗塁、得点圏打率、一塁への平均到達時間や守備指標。投手の方も球種ごとの平均球速などこと細かに割り出されているページ。

 東亜(トーア)が見ていたのは、伊達(だて)の各打者に対する一球ごとのデータ。そこに記された異様なデータに彼のピッチングの秘密が隠されていた。

 

「あんなノーコンのクセに最終的に打ち取ってるボールは、ほとんど四隅じゃねーか!」

「フッ、そうだ。コイツは、制球に難があるように見せかけていたのさ」

 

 投球練習での暴投も、キャッチャーの構えとは逆球の投球も、すべて意図して投げられていたモノだった。

 

「『逆球が多いのにも関わらず、なぜか痛打を浴びない』あんたが引っ掛かっていたのはこれだろ?」

「そうだ。逆球は言ってしまえば失投だ」

 

 失投は言わば感覚の乱れ。体重移動、リリースをイメージ通り行えなかった失投(ボール)は、ベストピッチと比べ球威は段違い。

 だが、伊達(だて)が投げる勝負どころの逆球は、ことごとくきわどいコースへ決まり、打たれてもなかなか長打を許さない。つまりそれは、“狙い通り投げきれたベストピッチ”という証拠。

 

「さすがに9分割とまではいかないが、おそらくストライクゾーンを縦3横2分割した程度コースを狙って投げ分けれるだけ制球力はある」

「......マジかよ。プロだって3球に1球構えたところへ来ればコントロールがいいっていえるのに。まだ一年なんだろ、伊達(コイツ)......」

「しかしなぜ、こうも散らす必要がある? それだけの制球力があれば両サイドの出し入れだけでも十分に勝負できるだろう」

「ですね。つーかトーナメントなんだし、無駄に球数を増やすのは得策じゃない。むしろ自分で自分の首を絞めているようなもの」

 

 テレビに目を戻した東亜(トーア)は小さく笑い、二人の疑問に答える。

 

「答えはさっき見ただろ。そして今も、な」

 

 東亜(トーア)が見ているテレビには矢部(やべ)が、先ほどの奥居(おくい)と同じような大きなファールを打ったシーンが映し出されていた。

 

 

 



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game48 ~気迫~

大変お待たせしました......。


 五回裏一死二塁カウント1-0からレフトへ特大ファウルを打った矢部(やべ)は、ファウルゾーンへ放り投げたバットを拾い、悔しそうにバッターボックスに戻っていく。

 そんな矢部(やべ)とは対称的にマウンド上の伊達(だて)は、涼しい表情(かお)で受け取った新しいボールを手の中で転がし、感触を確かめている。

 打席に戻った矢部(やべ)が構え、球審のコールで試合再開。カウント1-1からの三球目、一球前よりやや甘いインコース。球種はシュート。

 

「ファール!」

 

 大飛球を打った一球前のストレートよりも低めに食い込んでくるボール球に手を出して、三塁線へ弱い当たりのファウル。カウント1-2と三球で追い込まれてしまった。矢部(やべ)はバッターボックスを外し、険しい表情(かお)でバティンググローブをつけ直す。

 その様子をベンチからあおい、芽衣香(めいか)瑠菜(るな)の三人は少し心配そうに見ていた。

 

「今のボール球だったんじゃない?」

「ええ、かなり低かったわ。いつもなら簡単に見送っているコースよ」

「なにしてんよ、あいつ。まさか、代打を出されたことをまだ引きずってんじゃないでしょうねっ?」

「さあ、どうかしら」

 

 芽衣香(めいか)の推察は外れていた。矢部(やべ)はもうすでに代打を出されたことなど頭から消え去っていた。今矢部(やべ)の頭の中を支配しているのは、二打席連続でチャンスで打てなかったこと。もともとチャンスに強いタイプではないとは言え、初回二死一,二塁のチャンスで見逃し三振。三回裏に回った二打席目もアウトカウントに違いはあったが一死一,二塁のチャンスでまたもや凡退と、先制のチャンスを二度も不意にしてしまっていた。

 

「(今のは、ボール球だったでやんす......。ここまで三球ともインコース、次は外でやんすか......? それとも裏をかいて四球続けてインコースでやんすか......? って、ダメでやんす......!)」

 

 考えれば考えるほどドツボに嵌まる。それこそ相手の思うつぼ。それは普段のメンタルトレーニングや今日までの試合で嫌と言うほど経験していた。頭を振って必死に雑念を振り払おうと矢部(やべ)は試みる。

 

「(矢部(やべ)のヤツ、相当テンパってるぜ。普通に打ちゃ打てねぇボールじゃねぇのにな~)」

 

 セカンドランナーの奥居(おくい)は、バッテリーに目をやった。

 

「(......よし、狙うか。荒れてるし、上手く盗みゃ行ける......!)」

 

 関願バッテリーはサイン交換を行っている最中、奥居(おくい)は通常時よりもスパイク一歩分三塁側へリードを取った。その動きを察知したキャッチャーが手首を返した。直後プレートを外した右足を軸にして、伊達(だて)はクルッと素早くと踵を返した。

 

「セ、セーフ!」

 

『スンバラシイ牽制球! 際どいタイミングでしたが判定はセーフ! 奥居(おくい)、命拾いしたましたー!』

 

「あっぶねぇ~......」

「オッケー、ナイス牽制! おしいおしい!」

 

 ベースカバーに入ったショートからボールをもらい小さく頷くと、まるで何事もなかったかのようにすまし顔でセットポジションに着いた。

 

「すごいタイミングの牽制球だったねっ」

「ええ、捕球と同時に滑り込んでくるところへタッチできる完璧な牽制だったわ」

「てゆーかリードが大きすぎなのよ。矢部(やべ)がダメでも、鳴海(なるみ)とあたしが居るってのに、まったくもうっ」

 

 芽衣香(めいか)が名前を出したその鳴海(なるみ)は、ネクストバッターズサークルから今のサインプレーにとある違和感を覚えていた。それは元々長年ショートでプレーしていた彼だからこそ感じた違和感。

 

「(今のショート、まったく動かなかった。まるであそこへ来るのがわかってたみたいだ......。それにセカンドも、センターもバックアップに来るのが遅かった。どういうことだろう......?)」

 

 内野手としての視点、捕手のしての視点から今の一連の動きに疑問を持った鳴海(なるみ)は、その疑問を払拭するためネクストバッターズサークルを離れ、急ぎ足でベンチへ戻っていく。

 

「どうしたの?」

 

 神妙な面持ちでベンチへ帰ってきた鳴海(なるみ)に、あおいは小さく首をかしげて訪ねる。

 

「うん、ちょっと気になることがあって。片倉(かたくら)くん」

「あ、はい、なんですか?」

「あのピッチャーだけど、牽制上手いの?」

「はい。ああいう投球スタイルなので、牽制とか、フィールディングには特に力を入れてました。投球と比べるとコントロールはかなり良いです」

「そっか......ありがとう。監督」

「なーに?」

奥居(おくい)くんに、サインを出してもらえますか?」

「サイン?」

「はい。ちょっと調べたいことがあります......!」

「わかったわ」

 

 鳴海(なるみ)の意見を聞き入れた理香(りか)は、サインになっていない空サインを出した。

 

「(おっ、七瀬(ななせ)からのサインだ、珍しいな。えーっと......)」

 

 マネージャーのはるかが出した本当のサインは、思い切りリードを取って牽制を誘え。

 

「(マジか......さっきのも結構ヤベータイミングだったんだけどなー。けど、ここで答えなきゃ男が廃る、全力の帰塁を見せてやるぜ......!)」

 

 ――了解、と勇ましい表情(かお)でヘルメットのつばを触った奥居(おくい)から、伊達(だて)はただならぬ気迫のようなものを感じ取った。

 

「(なにかサインが出たのか......? このチームのサインは何度ビデオを見返しても共通点を見つけられなかった。しかも今ままでの試合、四番だろうが平気でバントや右打ちをしてくるタイプのチーム。正直、ある程度決まった役割で仕事をこなす強豪校よりもやりづらい相手だ)」

 

 セカンドランナーのの動きに細心の注意を払いつつサイン交換を行い、セットポジションで構えに入った。

 

「(行くぜ~?)」

 

 奥居(おくい)は、ススッと然り気無くリードを広げる。

 

「(あのランナー、調子乗り過ぎだろ? 伊達(だて)......!)」

 

 その動きを見てキャッチャーは、伊達(だて)に牽制のサインを送った。先ほどと同様に素早くプレートを外して反転し、セカンド方向へ身を翻す。

 

「(――来た! ってあれ......?)」

 

 手から素早く滑り込んでセカンドベースへ帰塁した奥居(おくい)だったが、伊達(だて)は牽制球を実際には投げず偽投で留めていた。投げていれば牽制アウトを奪える可能性も十分にあるタイミングにも関わらず――。

 

『おや、どうしたのでしょうか? 握り直し損ねたのでしょうか? 大きく飛び出していた奥居(おくい)にとってはラッキーな結果になりました』

 

「違う。今のは投げれなかったんじゃない、投げなかったんだ」

 

 東亜(トーア)たちと同じく、ネット中継で試合を観戦している高見(たかみ)は、実況とは違う見解を示した。その意見に彼と一緒に観戦しているトマスが訊いた。

 

「どういう意味だ?」

「今一瞬だけど写ったんだ、誰もバックアップに来ていなかった」

 

 高見(たかみ)は動画を巻き戻し、問題のシーンで停止させる。

 

「ホントだ。センターも、セカンドもショートのバックアップに間に合ってない」

「そのくせショートはキッチリ同じポジションで構え、一球前の牽制を受けた場所と同じとこにグラブを差し出している。牽制時における制球力には、それだけ信頼があるんだろう。だが、投げなかった。その理由(ワケ)は――」

 

 偽りの投球スタイルを悟られないため。

 

「なるほど、二球も続けて同じところへ投げば悟られかねないってワケだ」

「そう。故意に暴投や逆球を投げるという手段もあるけど、バックアップがないとなると暴投はリスクが高い。奥居(おくい)くんの走塁センスなら、ショートが後逸でもしようものなら一気にホームを奪い去ることも難しくない」

「さっきのタッチアップが効いてるな」

「ああ。それとこれは僕の推測だけど、おそらくあのピッチャーは――」

 

 東亜(トーア)と同様、伊達(だて)のピッチングスタイルを高見(たかみ)は既に看破している。

 東亜(トーア)高見(たかみ)、この二人の天才は同じ結論に至っていた。

 

「誰にも本来の制球力を教えてないだって?」

「監督は知っているだろうが、今ベンチ入りしてるヤツらには間違いなく伏せている」

「なぜだ? 制球力が良いと知っていればシフトも敷きやすいだろう」

 

 児島(こじま)の言うようにアウトコースなら流し打ち、インコースは引っ張りと、コースなりに強い打球が飛んでくることを念頭に入れて守備に着くことが出来る。

 

「普通の関係性ならな」

「普通の......?」

「――フッ。まあ俺はないが、お前たちは経験してきたんじゃないのか?」

「俺と出口(いでぐち)が?」

渡久地(とくち)が経験ないって言うと、部活特有の事情......あっ、上下関係か!」

 

 学生の部活働、特に運動部における上下関係は重い。その証拠に実力で勝ち取ったレギュラーとはいえ、一年生でエースナンバーを背負うことを面白く想わない上級生も少なからずいた。

 

「なるほど。確かに、渡久地(とくち)は経験していなさそうだ」

「むしろ上級生にも“さん”付けで呼ばせてそうだ。俺は苦労したなぁ~、嫌がらせみたいに何度も首振られて球審に注意されたこともあったけ......。しかも結局は、最初に出したサインのボールを投げたんだよなぁ~。まあ打たれたんだけど」

 

 学生時代の体験を遠い目で語る出口(いでぐち)には触れることなく、東亜(トーア)は話しを続けた。

 

「キャッチャーが構えていたコースをすべてチェックしていたが、あのキャッチャーは良くも悪くも長打を避ける無難なリードしかしない」

「一発勝負のトーナメント戦でそれは普通のことじゃないのか?」

「問題は、そのリードが得点圏内にランナーを背負った状況においても変わらないと言うことだ。打者に寄って多少差違はあるが大きく分けて三パターンほどしかない。つまり引き出しが少ない。そんなキャッチャーにコントロールが良いと知れて見ろよ、気づくチームなら試合中盤以降滅多打ちを喰らう」

 

  運動部の部活働における主導権は大抵の場合上級生が握る。長い伝統のある古豪関願の場合も例外ではない。主導権は三年生のキャッチャーの方が握っている。コントロールが良いと知れれば自分のリード通り投げろと言われることは明白。そのため伊達(だて)は、それを悟られないよう意図して構えとは違うコースへ投げ、時おりサイン通り投げるようにして上手く制球難を演じてつつゲームメイクを行っている。

 

「敵を騙すにはまず味方から、か。まさにペテン師」

「てか味方を信頼しないで自分でゲームメイクするだなんてどんだけ自信家なんだよ、コイツ」

「逆だ。自信がないからこそ今のスタイルになっているんだよ」

 

 画面に映る伊達(だて)から目を外した二人は、勢いよく東亜(トーア)へ顔を向ける。

 

「どういうことだ?」

「どうもこうも見ての通りじゃねーか」

 

『おおっとまたしてもインコース! 矢部(やべ)、大きく仰け反って避けましたー! これでツーエンドツー平行カウント』

 

「今ので四球連続インコース、進塁打は打たせないって配球だ」

「ふむ。しかし、今のは......」

「どうしたんですか? 児島(こじま)さん」

「今の、あれほど大袈裟に避けるほどのボールだったか?」

 

 確かに今のボールは、大袈裟に仰け反って避けなければならないほど厳しいコースではなかった。

 そして今のボールこそが、伊達(だて)と言う投手を紐解き、攻略へと繋がるカギとなる一球。

 

「フッ、それに気づいたのならもう分かるだろ」

「え......?」

「あんたが自分で言ったじゃないか、『両サイドの出し入れだけでも十分勝負できる』ってな。じゃあどうしてそうしない。なぜ過剰なまでに制球難を演じる必要がある。その答えが、今の一球だ」

 

 そう。今の一球こそが敵味方を欺くためだけではなく、抜群の制球力を持ちながらも制球難を演じる本当の理由を物語っている。

 

「そしてそれが分かれば、次投げられる勝負球もおのずと読める――」

 

 東亜(トーア)の読みは、外角低めボール球のストレート。

 

 

           * * *

 

 

「(四球続けでインコースだったでやんす。ここまで攻められるとヒットはおろか右打ちも難しいでやんす......)」

「タイムお願いします!」

 

 鳴海(なるみ)はタイムが認められると、ベンチ前から矢部(やべ)の元へ駆け寄った。

 

矢部(やべ)くん、靴紐がほどけそうだよ」

 

 指摘されて足下を見る。だが、靴紐はしっかりと結ばれていた。

 

「(そのまま打席外して)」

「(......了解でやんす)」

 

 鳴海(なるみ)に言われた通り矢部(やべ)は、打席を外してしゃがみ込み、球審に背中を向けて小声で訊いた。

 

「で、なんでやんすか?」

「ん? 別に、ただ少し間を取りに来ただけだよ。矢部(やべ)くん今、相当テンパってるでしょ」

「そ、そんなことないでやんす......!」

 

 図星をつかれ、とても分かりやすく取り乱した。

 

「とりあえず落ち着きなよ」

「お、オイラは、常に冷静沈着でやんすよ......!」

「そう見えないから言ってるんだけどなぁ、まあいいや。あ、そうだ、芽衣香(めいか)ちゃんから伝言があったんだ」

 

 ネクストバッターズサークルに戻りかけた鳴海(なるみ)は、預かった伝言を伝える。

 

「『一人でやってんじゃないわよっ。また同じことしたらひっぱたくわよ、根性見せなさい!』だってさ」

「――りょ、了解でやんすー!」

 

 すくっと立ち上がって、ベンチに向かってビシッと敬礼した矢部(やべ)を、芽衣香(めいか)は満足そうな表情(かお)で見ている。

 

「よかったの? 逆に萎縮しちゃうんじゃ......」

「いいのよ、あれくらい言わないと効かないんだから」

 

 心配するあおいをよそに芽衣香(めいか)は平然と言ってのけた。

 

「効果テキメンだったみたいね。新海(しんかい)くん、肩作りたいから受けてくれる?」

「はい」

 

 バッターボックスへ戻る矢部(やべ)の姿を見た瑠菜(るな)は、芽衣香(めいか)の意見に同意し、新海(しんかい)に声をかけ、ベンチ横のブルペンで軽いキャッチボールで次の回に備えて肩を温める。

 

瑠菜(るな)、すごい気合い入ってるね。まだワンナウトなのに」

「そうみたいねぇ。さてと、あたしも準備しよーっと」

 

 次の打席に向けて芽衣香(めいか)が肘あての準備を進め始めた時、グラウンドではちょうど試合が再開された。

 

「(あれこれ考えてる場合じゃないでやんす......! オイラは、来たボールを打つだけでやんす!)」

「(眼鏡(バッター)の雰囲気が変わった? でも、体の方はそう簡単に切り替えられないハズ......)」

 

 先ほどまでとは違う空気を感じ取った伊達(だて)は、キャッチャーとサイン交換を行う。

 キャッチャーのサインは、東亜(トーア)の読みとは違う外角低めのスライダー。四球続いたインコースを効果的に使いボール球を振らせようというリード。

 しかし伊達(だて)は、首を横に振った。

 二度目のサインに頷いてセットポジションに入る。セカンドランナーの奥居(おくい)を目で牽制し、ややクイック気味で投げた。バッテリーが選択した勝負球は――。

 

 ボール1個分外した外角低めのストレート。

 キャッチャーが構えたコースへ向かってまるで糸を引いたようにまっすぐ飛んでいく。

 

「(完璧だ、ナイスボール!)」

「(そんな腰の引けたスイングじゃ届かねぇよ......!)」

 

 矢部(やべ)は、ボール球を強引に振りにいった。だが、伊達(だて)の狙い通り届かない。

 

「――や・ん・すーッ!」

「な、なにッ!?」

「ウソだろ、当てやがった!」

 

矢部(やべ)、打ったー! いや、当てた! まさかの片手打ちー!』

 

 とっさに右手を放し、左腕一本でボールの上っ面を叩いた打球は、ホームベースに当たりマウンド前方で大きく弾んだ。

 

『なかなか落ちてきません! その間にセカンドランナーはサードへ、バッターランナーの矢部(やべ)はファーストへ走る!』

 

「サードは無理だ、ファースト!」

「くっ......!」

 

 マウンドを降りた伊達(だて)は、落下地点より前でジャンプして捕球し、着地と同時にキャッチャーの指示通りファーストへ送球した。

 

伊達(だて)一塁へ投げた、これはきわどい勝負になりそうだぞ!』

 

「......やんす、やんす、やんすっ、やんすーっ!」

 

矢部(やべ)、跳んだ、ヘッドスライディング! そして今、ファーストが捕球! 判定は――』

 

 二メートル以上手前からヘッドスライディング。その衝撃でファーストベース付近に舞い上がった砂ぼこりはしばらくして治まり、一塁塁審の判定に注目が集まる。

 

「......セ、セーフ!」

 

『セーフ、判定はセーフです! 矢部(やべ)、正に気迫のヘッドスライディング! 内野安打をもぎ取りましたー!』

 

「やんすー!」

 

 ファーストベースを叩き喜びを噛み締める。

 

矢部(やべ)くん、ナイスガッツだよっ」

「なによあんた、やればできるじゃないっ」

 

 チャンスに沸き上がる恋恋ベンチとは反対に、関願ベンチはすかさす伝令を送った。

 

「まさか片手で打って来るなんてな......」

「......すみません、スライダーで勝負すべきでした」

「今さら言っても遅いだろ。それで監督はなんて?」

「はい、『一点は仕方ない。次のバッターでひとつ確実にアウトを取れ』と」

「わかった。中間守備でホームアウトとセカンドゲッツーを狙う。ただ無茶な勝負はするな、基本近いアウト優先で行くぞ」

「オッケー!」

 

 伝令は頭を下げベンチへ戻り、関願ナインは守備位置へ着く。打ち合わせ通りの中間守備。

 

『さあ恋恋高校は六番バッター、鳴海(なるみ)がバッターボックスへ向かいます。ここまで1安打1四球と二打席ともに出塁しています。この場面は、どんなバッティングを見せてくれるのでしょーカ?』

 

鳴海(なるみ)ー、あたしが居るんだから気楽にいきなさいよーっ」

「りょーかい。でも大丈夫、なんとなく見えてきたから」

「ん? なにがよ?」

 

 芽衣香(めいか)の問いかけに鳴海(なるみ)は小さく笑って答え、バッターボックスへ向かった。

 



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game49 ~流れ~

お待たせしました。


 

『五回裏恋恋高校の攻撃、一死三塁一塁。両校通じて、この試合初めて三塁にランナーが進んでの攻防となります!』

 

 バッターボックスに立った鳴海(なるみ)は、ここまで二打席を振り返りながら丁寧に足場をならす。

 

「(一打席目は、内、外、外、内、最後は外からのスライダーをライナーでレフト前へ運んだ。二打席目はストレートのフォアボール。二打席ともにストライクとボールははっきりしていたけど、でも一打席目の最後のボールだけは、ボールゾーンからきわどくストライクゾーンに入って来た)」

 

 バットを構える最中、さりげなく伊達(だて)に視線を向ける。

 

「(矢部(やべ)くんの打席もそうだった。初回は外から入ってくるシュート、二打席目はインサイドから入ってくるスライダー。さっきの打席もきわどいコースのボールだった。俺や矢部(やべ)くんの時だけじゃない。ここぞ、という場面でいつもベストボールが来る)」

 

 左打席で構えて力強い眼差しを伊達(だて)に向けて対峙。球審のコール。サイン交換を終えて、伊達(だて)は投球モーションに入る。

 初球、外のストレートが外れてワンボール。続く二球目、やや甘いアウトコースのシュートを見逃して平行カウント。

 

「(チッ、構えたコースより甘く入ったけどうまく行けばショートゴロゲッツー狙えたコースだったのに振らなかったか......。まあしゃーない)」

 

 気持ちを切り替えて立ち上がったキャッチャーは、「オッケー、ナイスボールだ! バッター手が出なかったぞ!」と鳴海(なるみ)への揺さぶりと同時に伊達(だて)を鼓舞し、ボール投げ返す。

 しかし、その揺さぶりは虚しくも鳴海(なるみ)の耳には届いていない。なぜなら今、鳴海(なるみ)の頭の中は伊達(だて)の解析に全神経を集中しているからだ。

 

「(もし、それを意図して投げているのなら。その手のタイプのピッチャーを、俺は知っている......)」

 

 伊達(だて)の投球スタイルに脳裏に浮かんだある投手の存在。

 

「(何度も、何度も見返した動画に写っていた投手――)」

 

 それは東亜(トーア)が、彼に渡したDVDの中に登場していた選手。その選手は東亜(トーア)本人ではなく、リカオンズと同じリーグのチームに所属する対戦相手。

 

 ――神戸ブルーマーズ、南芝(みなみしば)

 

 南芝(みなみしば)は、常時150km/hを越えるストレートが武器の速球派投手であると同時に、シーズン最多与死球を更新するほどのノーコン投手。だがブルーマーズに移籍後、コーチの指導の元抜群の制球力を身につけ、元ノーコンのイメージを武器にしたピッチングスタイルにモデルチェンジし見事再起を果たした。

 その南芝(みなみしば)のピッチングスタイルと、伊達(だて)のピッチングスタイルがどこかダブって感じていた。

 

『ストライク! アウトコースストレート、これはいいところへ決まりましたー!』

 

 構えとは逆球だったがキッチリストライクを取り、投手有利のカウントに整えた。矢部(やべ)の時とは違い一外辺倒の攻め。次も外、ボールゾーンから更に逃げるシュートで2-2再び平行カウント。

 

「(......嫌な見送り方だ、まるで最初から打つ気がなかったみないな)」

「(誘い球には手を出してくれねぇか。次で勝負するぞ)」

 

 キャッチャーが出した次のサインを見た伊達(だて)は、チラッと一瞬だけネクストバッターの芽衣香(めいか)に一瞬だけ目をやって戻す。

 

「(外に意識がいったところでインローのまっすぐで差し込ませるか、悪くないけど。ここは無理して勝負する相手じゃない。7.8.9で二つアウトを取ればいい)」

 

 ファーストランナーの矢部(やべ)を目で牽制し、素早くモーションを起こした。

 

「(俺の考えが当たっていればこの手のタイプは、ランナーを出してもホームさえ踏ませなければいいって割り切ってる勝負を焦らないタイプだ。だからこそ、あえて外すボールを狙う――!)」

 

 伊達(だて)が投げたボールは低めに構えたミットよりも高く、胸元を抉るようなインコースのストレート。鳴海(なるみ)は構わずインハイのボール球を打ちにいく。打ち上げないように肘をたたみ、上からバットを出して窮屈なバッティングになりながらも強引に打った。

 

「(見せ球を打ちやがった......!)」

「ファースト、セカンッ!」

 

 ファースト、セカンド共に飛びつくこともできず痛烈な打球が二人の間を抜けていった。

 

『抜けたー! 打球は一二塁間を破ってライト前ー! サードランナー奥居(おくい)、ホームイン!。ファーストランナーの矢部(やべ)は、セカンドを回ったところでストップ。先制点は、恋恋高校! 五回裏ここで均衡が破れましたー!』

 

 待望の先制点に沸き上がるベンチと応援スタンド。しかし、ファーストベース上の鳴海(なるみ)は少し戸惑っていた。

 

「(あれ、今の? そう言えば最初の打席も......もしかして――)」

「ナイスバーッチ、防具」

「あ......ありがと」

 

 すねあてと肘あてを一塁コーチャーの真田(さなだ)は、ファーストも含め内野陣がピッチャーに声をかけるためベースを離れた隙に、鳴海(なるみ)に訊く。

 

「で、どうしたんだ?」

「え?」

「タイムリー打ったのに、なんか納得いかないって感じに見えるからよ」

「......うん。まだはっきりはわからないけど。あのピッチャーの球――」

 

 ――思ったより来なかった。

 

 鳴海(なるみ)の答えは、伊達(だて)の本質に近づきつつある答えだった。

 

 

           * * *

 

 

「(まさか見せ球を狙われるだなんて......。甘かった、確実に()()ておくべきだった)」

「おい、大丈夫なのかよ?」

 

 守備位置について話し合っているのにうつむきかげんでいる伊達(だて)に、キャッチャーは声をかけた。

 

「――問題ないです」

「......そうかよ。よし、とにかくこの回を1失点でしのぐぞ、必ずチャンスは来る。気合い入れろよ!」

 

「おうよ!」「任せろ!」と、気を入れ直した内野陣が各々のポジションに戻っていく。

 

『さあ先制点を奪ってなおもワンナウト二塁一塁。バッターは今日、ヒットを放っている浪風(なみかぜ)! この打席では、どんなバッティングを見せてくれるのでしょーカッ?』

 

 先制点を奪い押せ押せムードのスタンドの声援を受け、意気揚々とバッターボックスに向かう芽衣香(めいか)

 

「(恋恋高校(コイツら)は、勢いに乗ると一気に畳み掛けてくる厄介な連中だ。伊達(だて)、ここで切るぞ......!)」

 

 キャッチャーはゲッツーシフトを指示し、インコースを勝負球にするリード。伊達(だて)も同じ考えでほぼミット通りに投げ、芽衣香(めいか)を内野フライに打ち取りツーアウト。そして続く八番バッター片倉(かたくら)は、膝元へのスライダーでピッチャーライナーに打ち取り最小失点で切り抜ける。

 

「ナイスバッチ!」

「ありがと」

 

 鳴海(なるみ)は、ナインたちから出迎えにハイタッチで答えたあと、はるかに調べものを頼んだ。

 

伊達(だて)投手の四死球の内容ですか?」

「うん、それと四死球前後のバッターの結果も含めて、出来るだけ詳しくお願い」

「はい、分かりました。次回の攻撃までにお伝えできるよう精査しておきますね」

「ボクも手伝うよ。ねぇ二人とも練習試合のこと教えてー」

「あ、はい、わかりました」

「えっと~」

 

 はるかとあおいに任せ、タオルで汗をぬぐい次のイニングに備える。

 

鳴海(なるみ)くん、そのままでいいから聞いて」

「あ、はい」

 

 守備の準備を進めながら、しっかりと理香(りか)の声に耳を傾ける。

 

「初戦のあと、渡久地(とくち)くんに言われた言葉(こと)は覚えてる?」

「――はい、もちろん覚えています......!」

「そう。じゃあその言葉を頭に置いてしっかりリードしてあげてね。あの子、ちょっと気負い気味だから」

 

 理香(りか)が少し心配そうに見る視線の先にいるのは、五回終了時のグラウンド整備が終わりいち早くマウンドへ駆け足で向かった、瑠菜(るな)

 

「一応もしもの時の準備はしてあるけど。ダメだと思ったらすぐ言ってね」

「はい!」

 

 鳴海(なるみ)は力強く返事をし、ミットを持ってグラウンドへ駆け出して行った。

 六回表関願高校の攻撃は、九番ラストバッターからの打順。失点したとはいえ、さらなる追加点を与えなかったことで誰も気落ちしている様子は見受けられない。それどころか、失点をきっかけに本気になった。同じ球種で同じコースでも緩急を使い分けてタイミングを外す瑠菜(るな)の投球に対し、通常時よりもバットを短く持ち、手元まで引き付けてどうにか食らいつく。

 カウント1-2からの五球目をファール。逆方へのとてもヒットゾーンへは飛ばなそうな打球だったが、タイミング自体は徐々に合ってきてる。そしてそれを、鳴海(なるみ)瑠菜(るな)のバッテリーは見逃さない。

 

「(......粘り強くなってきた。対処を間違えれば一気に流れを持っていかれる。瑠菜(るな)ちゃん、この回大事だよ)」

「(わかってるわ。だからこそ三人で切るのよ......!)」

 

 とにかく当てるためにゾーンを広く構えているのを見透かし、今日一番速い高めの誘い球で狙い通り空振りを奪い、ワンナウト。

 これで打順は先頭に戻り、今日、三打席目の一番バッター。ここからバッテリーは攻め方を変えた。二巡目までの早いカウントでの勝負からボール球と縦のカーブを織り混ぜるスタイルにモデルチェンジ。前後の緩急に加え、高低差を駆使し的を絞らせないピッチングで三者凡退に退けた。

 

鳴海(なるみ)さん、頼まれていた伊達(だて)さんの全四死球と要した球数、球種のデータです」

「ボクの方は前後のバッターの打席結果と、アウトカウントを上げておいたよ」

「ありがとう。はるかちゃん、あおいちゃん」

 

 鳴海(なるみ)はプロテクターを着けたまま、二人が上げてくれたデータに目を通す。そして鳴海(なるみ)は、すべての試合データに共通する部分があることを見つけた。

 

「そうか、そう言うことか......!」

「ちょっといきなり大きい声だすんじゃないわよっ。びっくりするじゃないっ」

「あっ、ごめんごめん」

「それでなにがわかったの?」

 

 頬を膨らませる芽衣香(めいか)の隣であおいは、首をかしげる。

 

「二人のお陰で分かったんだ、あのピッチャーの本当の姿が。俺たち、騙されてたんだよ」

「えっ?」

「騙されてたって......どういうことなのよ?」

「それは――」

 

 言いかけたところで応援席からどよめきが起こった。先頭バッターの瑠菜(るな)の体に近いところを、伊達(だて)が投げたボールが通過したために起こったどよめき。あおいは心配して、芽衣香(めいか)は憤る。

 

「アイツ、ピッチャーの瑠菜(るな)にまで!」

「大丈夫かな?」

「大丈夫だよ。当たらないから」

「そりゃ瑠菜(るな)は、反射神経良いけどさ。てゆーかアンタ、ちょっと冷たいんじゃない?」

「いや、そう言う意味じゃないよ」

「じゃあどう言う意味よっ?」

 

「いちいちもったいぶるんじゃないわよっ」と、やや理不尽気味に芽衣香(めいか)に詰め寄られた鳴海(なるみ)は、少し気圧されて苦笑いになる。けど今は、説明よりも現状を打開する方が先決とすぐに頭を切り換えた。

 

「監督、瑠菜(るな)ちゃんにサインをお願いします」

「なんのサインを出せばいいの?」

「――“バスター”のサインをお願いします!」

「......わかったわ。はるかさん、お願いね」

「はい」

 

 奥居(おくい)に出した時と同様に理香(りか)はテキトーな空サインを出し、はるかは悟られないよう少し離れたところで雑用を装いながら本物(バスター)のサインを出す。

 

「(はるかからサイン、ランナー無しでバスター? あおいも、芽衣香(めいか)も不思議そうな表情(かお)をしてる。でも、鳴海(なるみ)くんのあの顔......なにか意図があるみたいね。いいわ、きっちりやってあげる......!)」

「(......大丈夫だ。洞察力の高い瑠菜(るな)ちゃんなら、きっと――)」

 

 カウント1-1からの三球目。伊達(だて)が投球モーションに入ると同時に、瑠菜(るな)はバットを横に寝かせた。それを見たサードとファーストが慌てて一歩前に足を踏み出し内野の守備が若干乱れたところで今度は、サイン通りバットを引いてバスターの構えをとる。

 投球は、内角をギリギリをかすめるストレート。

 

「(――インコースのまっすぐ、差し込まれ......えっ?)」

 

 打ちに行こうとバットを寸でのところで止めて見送った。

 

『ストライク、球審の右手が上がるー! 内角いっぱいのストレート! 十六夜(いざよい)、手が出ません!』

 

「オッケー、ナイスボール! バッター、手が出なかったぞ!」

「どもっす」

 

 返球を受け取った伊達(だて)は、ポンポンっとマウンド後方のロジンバッグを右手で弾ませて間を取った。

 

「(計算通り三球で追い込めた。まあセーフティからのバスターのゆさぶり意外だったけど、追い込めばこっちのもんだ。もうストライクは入らない。あれだけ意識されれば、こいつを必ず追いかける)」

 

 サイン交換をし、モーションに入る。

 

「あれ? バスターしないの」

「うん、もう必要ないから。気づいたみたいだしね」

 

 勝負の四球目は、やや外よりのストライクゾーンからボールゾーンへ逃げるシュート。

 

「(大丈夫、ここなら届くわ......!)」

 

 その逃げるボールを、瑠菜(るな)は追いかけた。

 

「(ウソだろ、完全なボール球を――)」

「(打ちやがった!)」

 

 体勢を崩しながらも泳がされずきっちりバットの芯に乗せた打球は、ショートの頭を越えて左中間の真ん中を転々と転がる。レフトが回り込み中継のショートへ返す。しかし、瑠菜(るな)はすでに二塁へと到達していた。

 

『ツーベースヒット! 十六夜(いざよい)瑠菜(るな)、自らのバットと好走塁でチャンスを作りましたー!』

 

「さてと......」

 

 リカオンズの球団事務所のミーティングルームでかつてのチームメイト、児島(こじま)出口(いでぐち)と共に、自身が監督を務めるチームの試合中継を観戦していた東亜(トーア)は席を立った。

 

「どこへ行くんだ?」

「どこって、帰るに決まってるだろ」

「おいおい、今いいところじゃねーかよ」

「最後まで見ていかないのか? せめてこの回だけでも――」

「勝敗が決まった試合を見ても時間のムダだ」

 

 テーブルに放り出された封筒を持ち、二人に背を向ける。

 

「決まったって......そりゃ致命的な欠点があるのは俺たちもわかったけどよぉ。でもまだ一点差だぜ?」

「決まったのさ。瑠菜(るな)が、あのボール球を打ち返した時点でな」

 

 ドアへ歩きだした東亜(トーア)の背中へ向け、児島(こじま)は問いかける。

 

「波乱は?」

 

 ドアノブに伸ばした手を止めて顔だけを後ろへ向ける。セカンドベース上で膝に手をつき乱れた呼吸を整えている瑠菜(るな)が映し出されている中継を見て、東亜(トーア)は一言だけ答えて部屋を後にした。

 

 ――ねぇよ、と。



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game50 ~想い~

大変お待たせしました。



『打った、ライト前ヒット! 六回裏恋恋高校の攻撃、九番バッター十六夜(いざよい)、一番バッター真田(さなだ)の連打でノーアウト一塁三塁とチャンスを広げましたーッ!』

 

「また、ボール球だったな」と、ネット中継で高見(たかみ)と共にこの観戦中しているトマスが言った通り、真田(さなだ)が打ったのはワンボールからの二球目インコースのボール球のスライダーだった。

 

「上手く拾ったな、気づいたと思うか?」

「おそらくね。でなければ、あんなボール球を強引に打つようなタイプじゃないよ。真田(かれ)も――」

 

 三塁上の瑠菜(るな)を写し出すディスプレイに目を向ける、高見(たかみ)

 

「――瑠菜(るな)ちゃんもね」

「ふーん。六回か、思ったより時間かかったな」

「そうでもないさ。伊達(かれ)も、あれだけ慎重に慎重を重ねて組み立ててきたんだ。むしろ早い方だろう。僕でも、たどり着けたかどうか」

「謙遜するなよ。四回くらいから、うっすらと気づいてたんだろ?」

「まあね。でも画面越しと実戦はさすがに違うからね。あれだけインコースを厳しく攻められれば、数字を見てる余裕もないだろうし。結局のところ自分の打席で見極めるしかない」

「そりゃそうだな。さてと――」

 

 トマスはタブレット端末を操作し、電源をオフにすると、ソファーから立ち上がる。

 

「結果も見えたことだし、練習の前に軽くアップしておくか」

「ああ、行こうか」

 

 トマスのあとに続いて高見(たかみ)も席を立ち、部屋を出た二人は、試合(ナイター)前の全体練習を行うためスタジアムへと向かった。

 

 

           * * *

 

 

『さあ。バッターボックスには前の打席いい当たりながらもレフトライナーだった二番、葛城(かつらぎ)! この打席はどうでしょうか? チャンスをモノにすることが出来るか? それともバッテリーが抑え込むか、まさに試合を左右するターニングポイントですッ!』

 

「(ここに来ての連打か......一点は仕方ないにしても、セカンドにランナーを残して奥居(さんばん)に回されるのはマズイぞ......。しかも――)」

 

 打席の葛城(かつらぎ)を観察していたキャッチャーは、ファーストランナーの真田(さなだ)に視線を移した。

 

「(あのランナーは今大会5-5で盗塁を決めてる。ゲッツー阻止の狙いも入れて絶対に走ってくるだろうな。俺の肩と伊達(だて)のクイックで刺せるか......? いや、ムリだ! 刺すには完璧なクイックで全力で外したストレートをストライク送球でセカンドへ投げるしかない。それでも刺せるかどうか......)」

 

 今度は、伊達(だて)に目を移す。

 

「(平気な顔して逆球を投げるからな、伊達(コイツ)も。そもそも外すにしてもいつ走ってくるかもわかんねーし)」

 

 最悪の状況は、盗塁を警戒し過ぎてカウントを悪くし、ストライクを取りにいったところを狙われ、ワンアウトも取れずにポイントゲッターの奥居(おくい)へ回してしまうこと。

 

「(走られたらしゃーない。牽制入れつつ、とにかく一個アウト取るぞ。当然スクイズにも警戒な)」

 

 伊達(だて)もキャッチャーの考えに素直に頷き、サード、ファーストもスクイズに備える。しかし、その思考は虚しくも叶わなかった。

 

葛城(かつらぎ)、肘をたたみインコース高めのストレートを上手く逆方向へおっつけた! ふらふらっと上がった打球はセカンドの後方ライトの......前へポトリと落ちた! 三塁本塁間(さんぽんかん)で打球の行方を確認していた十六夜(いざよい)、今生還二点目! そして――』

 

 ライトからの返球、ホームはクロスプレー。球審は両手を水平に伸ばした。

 

「セーフ、セーフッ!」

 

『セーフです! 投球と同時にスタートを切っていたファーストランナー真田(さなだ)、迷うことなくサードベースを蹴り、ワンヒットで一塁からホームへと還ってきました。そして打った葛城(かつらぎ)も、ホームへの送球の間に二塁を落とし入れていている、まさに隙のない攻撃ッ! リードを三点とし、依然としてノーアウト二塁。ここまで好投していた伊達(だて)に、強力恋恋打線が襲いかかりますーッ!』

 

 ユニフォームに付いた砂を払い落としながらベンチへ戻ってくる真田(さなだ)を全員で出迎える。

 

「ナイスラーン」

「おう、サンキュー!」

「けど、あんな無理しなくても。オイラが、ゆっくり歩いて帰らせてやったのに」

「今のも結構ダメージデカいだろ?」

「そうみたいだな。さてと、行ってくるぞー!」

 

 ネクストバッターの奥居(おくい)とハイタッチをしてベンチに戻った真田(さなだ)は、ナインたちとタッチを交わし、自分のスペースに腰を落ち着ける。そこへ鳴海(なるみ)が声をかけにきた。

 

「今のよく走ったね。ハーフで様子をみると思ったよ」

「ああいう詰まった当たりって結構外野の前に落ちるんだ。それも意外に伸びたり、思ったより伸びなかったりして打球判断も難しくってさ。まあ外野手になって初めて分かったことなんだけど」

 

 真田(さなだ)の無謀とも思えた走塁は、元々内野手の経験からセカンドもライトも追い付けないと判断してのスタートだった。それに関願のライトは、秋にエースナンバーを背負っていた急造のライト。自身の経験から打球判断が遅れるのも確信していたことも決めてのひとつだった。

 

「けど、よく気づいたな。伊達(あいつ)の弱点――」

「うん、まあ、確信したのはついさっきだったけどね」

 

 マウンドに集まっていた関願内野陣が各々のポジションに戻っての初球は、右のバッターボックスに立つ奥居(おくい)の顔の近くを通過するストレート。奥居(おくい)は、大きく仰け反ることもなく平然と見送った。

 そして二球目、インコースのボールゾーンからストライクゾーンギリギリに入ってくるスライダーを意図も簡単に弾き返した。

 

『――ホームラーンッ! 奥居(おくい)、難しいコースの変化球をレフトスタンド中段まで持っていきましたー! そして、あかつき大附属の七井(なない)と並ぶ今大会5本目のホームランは、勝利をグッと手繰り寄せる特大のツーランホームラン! その差を五点と広げましたーッ! 応援スタンドから大歓声が沸き起こっていますッ! これぞ、まさに野球の醍醐味!』

 

 予告通りホームランを打った奥居(おくい)は、大歓声のなか悠然とダイヤモンドを一周。

 

「マジでホームラン打ちやがったぞ」

「さすがだね、奥居(おくい)くん。頭付近に来た直後に、あんな簡単に打つなんて」

「それにしても、ずいぶん飛んだな。鳴海(おまえ)の言った通り」

 

 そう。これこそがどんなバッターにもインコースを執拗に攻め立て、制球難を演じてまで隠し通してきた、伊達(だて)最大の弱点――球威がない。

 

「で、なんで分かったんだ? あんまり速くないって」

「前の打席さ。俺、打ち上げないようにただ合わせただけだったんだ。でも思った以上に速い打球が抜けていった。奥居(おくい)くんと矢部(やべ)くんの打席でもアウトローを簡単に引っ張っていたから、もしかしたらって思って」

 

 実は、伊達(だて)のストレートは最速でも130km/hに満たない。入学したてで、まだ体の出来上がっていない一年生としては上出来な数値とも言えなくはないが、平均球速140km/h近い数値を出せる上級生を抑えてまでエースナンバーを背負える数値ではない。

 それを補う能力(チカラ)こそが、伊達(だて)のピッチングスタイルの生命線である制球力だった。

 わざと頭付近や体に当たりそうなインコースを攻め、バッターの腰を引かせて、自分のバッティングをさせない。同時にインコースを続けてのアウトコース。その逆もしかり、視線を一方へ集めることで逆方向への視野を狭める効果も狙って、ストライクゾーンをめいっぱい使ったピッチング。これこそが球威のなさを補うために辿り着いたピッチングスタイルだった。

 しかし、制球力を重視するあまり元々低い球威を更に落とす皮肉な結果にもなっていた。

 

『おーっと、これもいったーッ! チームの主砲四番甲斐(かい)奥居(おくい)に続いた! 二者連続のホームラン! その差を6点と広げます!』

 

「(これで折れたかな? それにしても――)」

 

 思惑通り確実にリードを広げていく最中、鳴海(なるみ)はあること思っていた。

 

 ――もし伊達(だて)が、あと二年、生まれてくるのが早かったら危なかったかも知れない、と。

 

 

           * * *

 

 

「......すみません、もう無理です。降ります」

 

 甲斐(かい)にはボール球をホームランにされ、抑えていた矢部(やべ)にはストレートのフォアボールを与えてしまった。

 ストライクゾーンで勝負できる球威はない、ボール球も簡単に見切られてる。もう自分のピッチングが通用しないと悟った伊達(だて)は、マウンド上で両膝に手をついて、自らマウンドを降りる意思を告げた。そんな伊達(だて)に、キャッチャーは小さくタメ息をついた。

 

「まあ、いずれこうなるんじゃないかとは思ってたさ。お前、ボール球投げすぎ」

「............」

 

 黙りこんで反応を示さない。だが、キャッチャーはそのまま話を続けた。

 

「本当は、コントロールがいいことも知ってる」

「――えっ?」

 

 不甲斐ないピッチングに叱責されると思い込んでいた伊達(だて)が顔をあげる。そこへ内野陣も集まってきた。

 

「ど、どうして、それを――?」

「あんまり俺たちを見くびんなよ。お前がどんだけ努力してるかなんて知ってるっての」

「そうだぜ。グラウンド整備が終わったあとの校舎裏とか。休みの日でも河川敷で壁を相手に、いつもひとりで投げ込んでただろ?」

 

「ドンマイ! まずひとつ取れー!」と、ライトから励ましの声をかける元エースに内野陣は顔を向ける。

 

「アイツもさ。納得した上で、自分から外野手(ライト)に回るって監督に進言したんだ。お前に、エースナンバーを託したんだよ。だから、もうダメだなんて簡単に口にするな! 打たれたって誰も文句なんて言わねぇよ。まあアイツらは知らねぇーけど」

 

 キャッチャーの視線の先には、ベンチで既に諦めムードを漂わせている事情を知らない二年生たちの姿。監督は、この状況に動じる様子もなく、腕を組んで、ただただ戦況を見守っている。

 

「俺たちは、お前が三年になる二年後に賭けたんだ。本気で甲子園を狙えるって信じてな」

「君たち、もういいかね?」

 

 球審が促しに来た。

 

「あ、はい、すみません。すぐに戻ります」

「うむ」

 

 球審が戻り、内野陣も戻っていく。

 キャッチャーも、伊達(だて)の胸にミットを押し付け、「最後まで自分を貫け」と激励の言葉を伝えて戻っていった。

 

「(なに言ってるんだ? この人たち......)」

 

 伊達(だて)は足場を慣らし、セットポジションに入る。

 

「プレイ」

 

 球審のコール、サイン交換。目で矢部(やべ)を牽制し、モーションを起こした。鳴海(なるみ)への初球は、ボール。続く二球目、三球目もボール。そして――。

 

『フォアボール! 二者連続のフォアボール。うーん、ピリッとしません!』

 

 最後は敬遠ぎみに鳴海(なるみ)を歩かせ、七番芽衣香(めいか)との勝負を選択。

 

「(......ったく、どいつもこいつも好き勝手言いやがって。託される身にもなれよ。もっと早く言えってんだ。そうすれば、この試合――)」

 

 サインに頷き、セットポジションから投球モーションに入る。

 

「(もっとやりようがあったってのに......よッ!)」

「ストライークッ!」

 

『指にかかったストレート! インコース高めギリギリに決まったー!』

 

 二球目も同じくインコース、今度は食い込んでいくシュート。窮屈なスイングしいられ、サード方向へのぼてぼてのファール。

 

「(......二球目続けていいところに来たわね。悔しいけど、葛城(かつらぎ)みたいにインコースを捌けないあたしにはアウトコースはないわ......)」

 

 バッターボックスを外した芽衣香(めいか)は、右の胸に一瞬手を当ててバントのサインを出しバッターボックスに戻る。ランナーの矢部(やべ)鳴海(なるみ)は、なにもアクションを見せない。当然サインは伝わっているが、それを見破られないためのポーカーフェイス。

 

『さあ。二球で追い込んでからの三球目、バッテリーはなにを選択するのでしょーカ?』

 

 三球目はインコースを待っていた芽衣香(めいか)の裏をかいた、アウトコースのスライダー。

 

「――ちょっ......あっ!」

 

 なんとかバットに当てるもファースト方向へのファール、スリーバント失敗。

 

「ファール! バッターアウト!」

「ああ~んっ、やられたーっ」

「オッケー! ワンナウトー!」

 

『今日の試合は三打数一安打、前の打席は痛烈なピッチャーライナー。そしてこの二人、シニアでは同じチームメイト同士だったそうです。この対決も注目してまいりましょーっ!』

 

 片倉(かたくら)は、初球アウトコースのストレートを上手く合わせた。打球はレフトライン際へのファール。

 

「ふぅ......よし!」

「(片倉(かたくら)......中学(シニア)じゃ考え過ぎて伸び悩んでいたけど、正直、ここまで急激に伸びるとは思わなかった。さっきはインサイドのスライダーを上手く拾われた、だけど苦手なボールはそう簡単には変わらないだろ......!)」

 

 二球目、ピッチャーライナーに打ち取られたインコース低め膝元へスライダーを空振った。

 

「(......くそ、前の打席よりも鋭く曲がった。外、内......次はなんだ?)」

「(よっしゃ、追い込んだ。この点差だ、盗塁とバントはないと思うけど一球外すか?)」

「(いや、ここは球数的にも早めにツーアウトを取っておきたい)」

 

 ウエストのサインに首を振った伊達(だて)は、二度目のサインに頷いて投球モーションに入る。選択したのは、一球前よりも低いインコースのスライダー。

 

「(――スライダー!?)」

 

『バッテリー、スライダーを続けた! 空振り三振ー! ツーアウト!』

 

「すみません......」

「今のは仕方ないわ」

 

 悔しそうにベンチへ戻る片倉(かたくら)と入れ替わりで、瑠菜(るな)がバッターボックスへ。

 

『この回二度目のバッターボックスに十六夜(いざよい)瑠菜(るな)が入ります! 彼女のバットからビックイニングを作りました! この打席はどうでしょーか?』

 

「――くっ!」

「ボール、フォアボール!」

 

『フォアボールです! 十六夜(いざよい)瑠菜(るな)、七球粘ってフォアボールをもぎ取りました!』

 

「ドンマイ! 次で取ればいい!」

 

 キャッチャーの鼓舞に頷いた伊達(だて)だったが、慎重に慎重を重ね初回から多くの球数を投げてきた彼の体力はもう限界に近づいていた。

 そして、二死満塁で一番バッターの真田(さなだ)。追い込まれてから初回にサードライナーに打ち取られたのと同じアウトコースへ逃げるシュート。しかし疲れの影響から曲がりきらず甘めのコースへ、それを完璧に左中間へと弾き返した。

 

「――やられた! 急げーッ!」

 

『ツーアウトのため、バットに当たった瞬間自動的にスタートを切った矢部(やべ)鳴海(なるみ)が続けてホームに帰ってきた! 八点目!』

 

「ストップです!」

「――いえ、行くわ!」

「えっ! 先輩っ!?」

 

『おっと! ファーストランナーの十六夜(いざよい)、サードコーチャー藤堂(とうどう)の制止を振りきってサードベースを蹴ったー! しかし、これは――』

 

 レフトからショートを中継してバックホーム。瑠菜(るな)がホームベースに到達する前にキャッチャーに届いた。滑り込んで来たところを確実にタッチ。

 

『クロスプレー、判定はアウトです! 十六夜(いざよい)果敢に攻めましたが、ここは連携が勝りました、ホームタッチアウト! これでスリーアウトチェンジ。しかし、この回一挙七点を奪いました!』

 

 アウトになったとは言え、8対0。七回コールドの七点以上を差つけた。次の回を1失点以内に抑えればコールド勝ち。なのだが――。

 

瑠菜(るな)ちゃん、大丈夫?」

「ええ、平気よ」

 

 休憩もほとんどなしにマウンドへ向かう準備をする瑠菜(るな)に、鳴海(なるみ)は心配そうに声をかけたが、瑠菜(るな)は気丈に振るまう。

 

「それより準備しなくていいの?」

「あ、うん。すぐに済ますよ」

「そう。じゃあ先に行くから。新海(しんかい)くん、お願い」

「はい!」

 

 新海(しんかい)を連れて、グラウンドへ走っていった。

 

鳴海(なるみ)くん」

「わかってます」

 

 理香(りか)が今、言わんとしていることは鳴海(なるみ)も分かっていた。それを確かめるため急いでプロテクターを着けグラウンドへ走る。新海(しんかい)と代わって、瑠菜(るな)のボールを受ける。短いイニング間の投球練習が終わり七回表の守備。

 

『七回表関願高校の攻撃は、三番伊達(だて)からの打順です! この回二点以上奪うことができなければコールドゲームが成立します! 大事な先頭バッター、塁にでられるでしょーか?』

 

瑠菜(るな)、本当に大丈夫かな?」

「さあ、どうでしょう? 本人は平気と言っていましたけど......」

 

 制止を振りきっての暴走を目の当たりにした、あおいとはるかが心配する。そして、その予感は的中してしまった。初球、低めに構えたミットとは正反対の高めにストレートが抜けた。伊達(だて)は失投を見逃さず、センターオーバーフェンスダイレクトのツーベースヒットを打ち、いきなり得点圏への出塁を許してしまった。

 

「(くそ、今の手応えでフェンスを越えないのか。まだ、ボールに力があるのか? いや、原因は俺の疲れか)」

 

 セカンドベース上で肘あてをチームメイトに託し、上がった息を整える。その間にタイムを要求した鳴海(なるみ)は、瑠菜(るな)に声をかけにいった。

 

瑠菜(るな)ちゃん」

「ちょっと(りき)んだけよ」

「......そう、わかったよ。点差あるからね」

「ええ、わかってるわ」

 

 鳴海(なるみ)は戻り、瑠菜(るな)はプレーを外したまま指先でロジンを触る。

 

『ノーアウトのランナーをスコアリングポジションに置いて四番を迎えます。ここで一発が出れば、ひとまずコールドゲームを回避できます。しかし、ここまで全打席三振とまったくタイミングがあっていません』

 

「(この回のコールドなんてどうだっていい。監督......!)」

 

 ――わかってるわ、と理香(りか)は頷いた。鳴海(なるみ)も頷き返し、サインを出してボールゾーンへミットを構える。

 

「(......マズイ!? 真ん中――)」

 

『空振り、ど真ん中のストレートで空振りを奪いました! やはりタイミングが合わないのか?』

 

「クソッ!」

 

 今日一番甘いボールも仕留め損ね、悔しそうに歯を食いしばる。

 

「(......危なかった、さすがに持っていかれたかと思った。いくら点差があるって言っても、やっぱり四番の一発はチームも球場の雰囲気を一変させる。タイムアップのない野球じゃ何点リードしていても、最後のスリーアウト目を取るまでひっくり返される可能性があるんだから)」

 

 立ち上がりボールを瑠菜(るな)へ投げ返し、ブルペンを見る。ブルペンでは近衛(このえ)新海(しんかい)を相手に肩を作っている。

 

「(......ブルペンの準備は進んでる。とにかく、今出来ることを考えないと)」

 

 鳴海(なるみ)は、またアウトコースへ構えた。瑠菜(るな)はサインに頷いて、セットポジションに入る。今度も空振りを奪う。四番を初回と同じく二球で追い込んだ。理想的な形で追い込んだバッテリーは勝負に行った。

 

『三球勝負! そして、またもやストレート!』

 

「――伊達(だて)、走れーッ!」

「――ッ!?」

 

 伊達(だて)がスタートを切る。そして叫んだ四番は、バットを横に寝かせた。七回表八点差、あと三つアウトを取られたらコールドゲームが成立する場面で、チームの主砲がプライドを捨ててバントの構えを見せる。

 

「(ダセェ......情けねぇ。だけど、バントならタイミングはいらねぇ......来たボールに当てりゃあいい......!)」

 

 きっちりバントした打球は、やや強い当たりでピッチャー前へと転がった。

 

「任せて!」

瑠菜(るな)ちゃん、ファーストでいいからね」

「ええっ、あっ......!」

 

 すばやい反応でマウンドを降りて拾ったボールを、瑠菜(るな)は落としてしまった。慌てて拾い直すも間に合わずオールセーフ。

 

『四番のまさかのバントに動揺したのか、ピッチャー十六夜(いざよい)のエラー! ノーアウト三塁一塁とチャンスが広がりました!』

 

「ふぅ、タイムお願いします!」

「うむ、タイム!」

 

 タイムを要求した鳴海(なるみ)は、マウンドへ走る。

 

瑠菜(るな)ちゃん」

「ごめんなさい、ちょっと握り損ねたわ」

 

 背中を向けようとする瑠菜(るな)に、鳴海(なるみ)はミットを外した左手を差し出した。

 

「なに?」

「握手」

「......そんなことしている場合かしら?」

 

 手を出そうとしない瑠菜(るな)の左手を半ば強引に取った。

 

「離して欲しかったら、思いきり握って」

「......んっ」

 

 力を入れて握り返す。

 

「やっぱりね、だと思ったよ。だから走ったんだね。あの回で決めたかったんだ」

「......ええ、そうよ」

 

 ばつが悪そうに顔を背ける。そこへナインが集まってきた。

 

「ちょっとちょっと、どうしたのよ?」

「握力の限界、もう投げるのは難しい」

 

 芽衣香(めいか)の疑問に鳴海(なるみ)が答えると、みんな納得した顔をした。

 

「そっか、まあそりゃそうだな。今日の瑠菜(るな)ちゃん、なんか妙に飛ばしてたしな」

「むしろよくここまで抑えてくれた」

「だな、おつかれさん」

「てゆーか、あんた、いつまで瑠菜(るな)の手握ってんのよ」

「え? あっ、ごめん!」

「別に構わないわ」

 

 慌てて瑠菜(るな)の手を離す。

 

「まったく、帰りに刺されても知んないんだから」

「怖いこと言わないでよ、芽衣香(めいか)ちゃん。洒落にならないんだから、いや、マジで......」

 

 本気で怯える鳴海(なるみ)に、ピンチにも関わらずみんな笑い合った。

 

『恋恋高校、選手の交代をお知らせします。十六夜(いざよい)さんに代わりまして――』

 

 交代を告げられ、マウンドを降りてベンチへ戻っていく瑠菜(るな)に、スタンドからは好投を称える大きな拍手と声援が送られた。

 そして、彼女のマウンドを受け継いだ近衛(このえ)は、独特のツーシームでインコースを打たせ、ダブルプレーの間に一点を返されたもののラストバッターをきっちりと抑えて8対1。七回コールドでこの試合(ゲーム)を締めくくった。

 

 



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対そよ風高校戦
game51 ~対策~


大変お待たせしました。


 準々決勝翌日。恋恋高校ナインは準決勝へ向けて、恋恋高校のグラウンドで軽いウォーミングアップを行っていた。

 

「オイラ、ちょっと声援に答えてくるでやんすー」

「ダメに決まってるでしょ、そんなヒマはないんだかんね!」

 

 勝ち進むにつれて確実に増えている報道陣と恋恋高校のファン。グラウンドを隔てたフェンスの向こう側からは、多くの黄色い声援が送られている。そのなかでも多いのは、あおいと瑠菜(るな)への声援。それも野郎からよりも年下の女子が多かったりする。

 そんなグラウンドの様子などまったく気にもせず鳴海(なるみ)は、ベンチで気だるそうに深く座る東亜(トーア)に試合内容の報告をしていた。

 

「気づいたのは、三打席目か」

 

 ベンチに閉じられたまま置かれたスコアブックには目もくれず東亜(トーア)は、鳴海(なるみ)伊達(だて)攻略の糸口を掴んだ場面について確認をした。

 

「はい、そうです。軽く合わせただけで思った以上に速い打球が飛んだんで、もしかしたらと思って」

「その確信を得るため、観察力の高い瑠菜(るな)にバスターをさせた。バスターの構えで強制的に一度オープンスタンスにさせ、球筋を見極めさせるために」

 

 鳴海(なるみ)はうなづいて答え、東亜(トーア)は小さく笑う。

 

「えっと......」

「もう、言いたいことがあるならちゃんと伝えてあげたらどうなの?」

 

 戸惑う鳴海(なるみ)に、理香(りか)は助け船を出す。

 

「バスターと言うアイデアは悪くない。だが――気づくのが遅いな。もっと早く気づくべきタイミングはいくらでもあった。遅くとも、二打席目までには気づけたハズだ」

「......バックスクリーンのスピードガンの数字ですか?」

「他にもあるだろ。と言うより、お前が気づかないといけない“サイン”を、相手バッテリーは試合中常に出していた」

「俺が気づかないといけない“サイン”、ですか......?」

 

 やや斜めに目を落とし、真剣な顔で東亜(トーア)に言われたことを考え込む。

 

「(他のみんなじゃなくて、俺が気づかないといけない......なんだろう? スピードガン以外に球威や球速を知る方法――)」

 

 考え出して一分ほどが経過したあと東亜(トーア)は、鳴海(なるみ)が考え込んでいる間に理香(りか)に頼んで昨日の試合データを表示させたタブレット端末を見せた。

 

「これでわかるだろ」

「これ、関願バッテリーの打者別の配球データと打席結果ですよね?」

 

 データを見せられても、鳴海(なるみ)はまだピンと来ていない。

 

「なんだ、まだわからないのか? おい、前の試合のも見せてやれ」

「はいはい、ちょっと待ってね。はい、出たわよ」

「どうもです。んー......ん? あれ?」

 

 食い入るようにタブレットディスプレイを見る。あることに気がついた鳴海(なるみ)は、更にもうひと試合前のデータを見て、東亜(トーア)の言ったことを理解した。

 

「あ、あぁーっ! そ、そうか、そうだったんだ!」

 

 あまりにも大きな声にナインと観客たちの目がベンチに集まる。「こっちは気にしないでそのまま続けて」と、理香(りか)は手を軽く振ってウォーミングアップに戻らせた。

 

「ようやく気づいたか。そうだ。このバッテリーは、投球練習中には何度もあったバッテリーエラーを本番では、ただの一度も犯していなかった。パスボールはもちろん暴投すらな。それはつまり、どういうことだ?」

「......キャッチャーが確実に捕球できるコースと球速でしか投げていない。ストライクゾーンへ投げる逆球はともかく、完全な逆球をボールゾーンへ投げる時は必然的に球速と球威を落とす必要があった、キャッチャーが確実に捕球できるように。だから、強い打球が飛んだ――」

「そうだ。あれだけ荒れていながらバッテリーエラーがないという違和感を、キャッチャーのお前が一番に感じ取らなければならないことだったな」

「......はい」

 

 指摘されてうなだれる鳴海(なるみ)に、東亜(トーア)はまた小さく笑みを見せる。

 

「ベンチでも、グラウンドでも、ただの観客でいてはならない。どこにつけ入る隙があるかを注意深く観察し、ほんの些細な違和感も見逃さず感じ取り攻略の糸口を掴む。そして、確実に叩き潰せ」

「――はい!」

 

 力強くうなづいた。

 

「攻撃に関してはそんなところだ。守備に関してはまあ無難と言ったところか。最終回四番に、変化球を要求しなかったことは褒めてやる」

「あ......はい!」

「で?」

 

 東亜(トーア)が訊いているのは、七回表の守備に関して。繊細な指先で球速・回転数をコントロールをする瑠菜(るな)のピッチングスタイルは、スタミナの低下に伴い、生命線とも言える握力が低下し、指先の感覚が鈍り制球の抑えが利かなくなっていたにも関わらず、逃げずにストレートを要求しつづけたことについて。

 

「あの四番は、ずっと瑠菜(るな)ちゃんのストレート......と言うよりフォームそのものにタイミングが合っていませんでした。確かに初回から飛ばしていた疲れから制球力は落ちていました。でも、下手に変化球を投げると逆にタイミングが合ってしまう可能性を考えました」

「それで?」

「......どうせ打たれるなら、“ストレート”の方がマシだと思いました......」

 

 更に突っ込んで訊かれた鳴海(なるみ)がやや言い難そうな表情(かお)で言った返答に、東亜(トーア)は声に出して満足そうに笑った。

 持っていかれたと思った初球の失投から予想外にも早い段階でノーツーと追い込めてしまった、あの局面。鳴海(なるみ)の頭の中には、「もうここでなら、ホームランを打たれてもいい」と言う考えが頭を過った。タイミングが合っていないバッターを追い込んでからの四球で、相手に流れが変わることを嫌ったからだ。それだけはしたくなかった。もし仮にホームランを打たれてもランナー無しから仕切り直せる。後続を抑えれば、七回裏の攻撃は二番から始まる好打順。十分にサヨナラゲームを狙えると計算してのことだった。

 

「クックック......それでいい。ブレーキだった四番の一発。それもコールド回避の起死回生の一打となれば勢いづくだろう、応援スタンドはな。だが、そこまでだ。あとが続かない。あの局面絶対にしてはいけなかったのは、“逃げて打たれる”こと。変化球に逃げてホームランを打たれていたら、自らのワガママでマウンドに立っていた瑠菜(るな)精神(メンタル)が死んでいた。仮に打たれるならストレート、その選択は正しかった」

 

 タイミングが合っていなかったストレートを打たれたなら仕方ないと割り切れる。だが、もし変化球を投げて打たれたなら確実に悔いが残った。そして今度、同じような場面に出くわした時、必ずその時のことが頭に過ってしまう。迷った時点で良い結果は生まれない、勝負する前からもう気持ちで負けている。

 

「お前、バントしてくれてラッキーって思っただろ」

「あ、はい。結果的にエラーで出塁されましたけど。あれでもう、何も起こらないと確信しました」

「そう。あのバントはあり得ない。あんなヘロヘロなピッチャー相手に打てませんと自ら白旗を挙げたも同然の行為だからな。チームのためにプライドを捨てた、と言えば聞こえはいいが。せっかくノーアウトでスコアリングポジションへランナーを出たのにも関わらず、あのバントで勢いを殺してしまった」

 

 三振しても思い切り振られる方が嫌だった。なぜなら、まだ攻めの姿勢を見せることが出来るからだ。本気でコールド回避を狙うなら、あの回で一気にひっくり返すくらいの気概が必要だった。

 結果的にエラーで一三塁にはなったが、送りバントが成功して三塁に進められても、どちらにせよ三塁走者の一点はいいと割り切れる。そして一点をくれてやるかわりに、次のバッターを狙い通り併殺で仕留めて逃げ切った。

 

「まあ、こんなところか。さてと、理香(りか)

「ええ。みんな、集合よ!」

 

 理香(りか)の呼び掛けにナインたちは、駆け足でベンチ前に集まった。

 

「さて、次の試合だが――」

 

 このあと東亜(トーア)から発せられた言葉に、ナイン全員は驚愕することになる。その言葉とは――。

 

 ――次の試合、一年全員をスタメンで使う。

 

 

           * * *

 

 

「じゃあ始めるとするか。はるか」

「はい。こちらの準備は出来ています」

 

 ミゾットスポーツクラブに移動した恋恋高校一行は、貸し切りの室内練習場で準決勝対策を行おうとしていた。いつでもボールをセットできるようにピッチングマシーンの横に立ったはるかは、東亜(トーア)が用意した、重心をずらした特製のボールを手に準備万端と言った様子。

 

葛城(かつらぎ)、お前からだ」

「うーす!」

 

 恋恋高校には二年生の部員がいない。そして一年生は、全部で六人。全員をスタメンで使ったとしても三人足りない。その三人を補う内の一人が今、東亜(トーア)に指名された、葛城(かつらぎ)。あとの二人は、鳴海(なるみ)近衛(このえ)が指名されている。

 

「それでは、いきますよー」

「おう!」

 

 ピッチングマシーンからセットされたボールが放たれる。球速は130km/hに満たないボール。しかし、東亜(トーア)に指名されバッターボックスに立った葛城(かつらぎ)は、そのボールに戸惑い、スイングすることすら出来なかった。

 

「な、なんすか? 今の......」

 

 彼が戸惑ったのも無理はない。ストレートと思っていたボールが、途中から大きく揺れて変化したからだ。

 

「ナックルってヤツさ」

 

 ナックルボール。

 爪を立て、押し出すようにして極力回転を殺して投げる変化球。投手から打者まで殆ど無回転に近い状態で投げることで、進行方向へ向かう際にシームが自然と空気抵抗を拾い、それによりボールの後ろを流れる圧力に不規則な乱れが生じて揺れるような変化が起こる。

 ナックルは、キャッチャーに到達するまでの間に1/4回転が理想とされており、1/2回転を超えた辺りからブレが小さくなってしまい山なりの棒球なってしまうことから取得も非常に難しく、また投げた本人すらどう変化するかわからないため、キャッチャーの捕球もままならないことから現代最後の魔球と称されている。

 

「こいつは、ボールに細工をして擬似的に再現したナックル擬きだ」

「で、でもナックルって100km/hくらいのスピードなんじゃ......」

「通常はな。だが次の対戦相手の投手は、今のスピードとほぼ同じ130km/h近い球速で変化するナックルを投げる」

「......マジっすか?」

 

 そんな魔球を打てるのかと、三人の三年生と一年生たちのあいだに動揺が走る。それも当然。準決勝の相手、そよ風高校のエースピッチャーの阿畑(あばた)やすしは、アバタボールと言う高速ナックルを操り勝ち上がって来た。ここまで失点も、エラーや四球が絡んだ単発の3失点と打ち込まれたことがない。

 

「打てるかはお前たち次第だ。だが、ひとつだけ間違いないことがある。阿畑(コイツ)を打たなければ負けるということだ」

「......七瀬(ななせ)、頼む!」

「はいっ、いきますよー」

 

 葛城(かつらぎ)は気合いを入れ直し、はるかに再開するように頼んで、通常の緩いナックルよりも10km/h以上も速い、高速ナックル攻略の特訓を始めた。

 

「本当に大丈夫なの? 一年生(あの子)たちに、あんな重責を背負わせて......」

「この程度で臆するようなヤワな鍛え方をしてきたつもりはねぇよ。確かに厄介な投手ではあるが。相手は、その投手の力だけで勝ち上がって来たワンマンチームだ。打撃と守備は大したことはない。今まで戦って来た連中よりも確実に格下だ。アイツらだけ十分にやれるさ。それに――」

 

 東亜(トーア)は、高速ナックル打ちを特訓しているゲージから離れた別のゲージで、高見(たかみ)のスランプ脱却時にした山なりの超スローボールを打っている、レギュラー陣に顔を向けた。

 

「フッ、確かに高速ナックルだなんてモノを放る厄介な投手ではあるが、幸か不幸かそのお陰で割り切れた。決勝の相手――猪狩(いかり)(まもる)を打ち砕くことに専念できるとな」

 

 

           * * *

 

 

 翌日、今日も朝からミゾットスポーツクラブで練習を行っていた。時計が十二時を回り、食堂で昼食をとり、午後の練習に入った。

 

「どうだ? 調子は?」

「あ、はい。正直、当てるのも難しいです」

 

 ゲージの外で待機していた鳴海(なるみ)が、やや苦笑いで答える。

 

「でも、変化が小さくなる高めは当てられるようになりました」

「なら、低めは全部捨てればいい。その代わり高めに来たら当てに行くなんてセコいことは考えるな。三振しても構わない、一発で仕留める。それくらいの気持ちでしっかりスイングしろ」

「はい、わかりました。みんな、今聞いた通りだよ、しっかりスイングしよう。いいね!?」

 

「はい!」と、揃って返事をした一年生たちは練習に戻る。東亜(トーア)は、レギュラーがいるゲージへ足を運ぶ。

 

「これで、どうっ」

 

 芽衣香(めいか)は、超スローボールをキレイにセンターへ弾き返した。

 

「おお、いい感じじゃねぇか。よーし、オイラも負けてられないぞー!」

「オイラも、やってやるでやんすー」

 

 ――こっちも順調みたいだな、と東亜(トーア)は小さく笑みを浮かべ、近くのベンチに腰を落ち着けた。

 なぜ今、この超スローボールを打っているかと言うと、伊達(だて)を攻略するために多用した悪球打ちで崩れかけたフォームを矯正するため。猪狩(いかり)対策を本格的に行う前に修繕しておく必要があったからだ。

 しばらくして、理香(りか)がやって来る

 

渡久地(とくち)くん、こっちの準備は整ったわよ」

「そうか。おい、お前ら」

 

 東亜(トーア)の声に注目が集まる。

 

「さあ始めるぞ。猪狩(いかり)(まもる)対策をな」

 

 東亜(トーア)の言葉に、ナインたちの顔色が凛々しい表情(もの)変わった。



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game52 ~破滅への道~

お待たせしました。今話から対そよ風高校戦となります。


 準決勝、恋恋高校対そよ風高校戦。三回の攻防終わって、両校共に無得点。恋恋高校先発の片倉(かたくら)は、被安打2四球1。対するそよ風高校先発の阿畑(あばた)は、四球2つ与えたのみの被安打ゼロのノーヒットピッチング。それに加え、奪ったアウト九つのうち奪三振六つと快調なピッチングを披露している。

 

「やっちゃん、ナイスピッチング! ええ調子やんっ」

 

 髪の毛をポニーテールに結った、そよ風高校のマネージャーの芹沢(せりざわ)(あかね)は、意気揚々とグラウンドからも戻って来た阿畑(あばた)やすしに、タオルとドリンクを手渡して褒める。

 

「当たり前や! ワイを誰やと思てんねん“浪速の変化球男”やで! そしてゆくゆくは、“球界の変化球王”として君臨するんやからな!」

 

 そう言って自信満々にグッと親指で自分を指さす。そんな阿畑(あばた)(あかね)は、呆れ表情(かお)でため息をついた。

 

「ちょっと褒めるとコレや。すぐに調子にのるんやから。油断したらアカンで? ウチの占いにも“受難の相”って出とるんやから。なにせ、相手は――」

 

 (あかね)は、恋恋高校のベンチで涼しい顔で座っている東亜(トーア)に顔を向ける。彼女が趣味でやっている占いは、校内でもよく当たると評判。その占いであまり良くない結果が出たことが気になっていた。

 

「ホンマ、(あかね)は、心配性やな~。ワイの“アバタボール8号”がそう簡単に打たれる訳ないやんけ!」

 

 アバタボール8号こと高速ナックルは、阿畑(あばた)やすしが、高校三年間試行錯誤を繰り返し、やっとの思いで取得(モノ)にした変化球。それゆえに絶対の自信を持っている。その自信を裏付けるように、今までヒット性の当たり一本すら打たせていない。ほぼ完璧なピッチングをしている。

 

『四回の表、そよ風高校の攻撃は、四番ピッチャー、阿畑(あばた)くん』

 

「せや、ワイからやったな。ほな、行ってくるでー!」

「あ、うん。やっちゃん、ファイト!」

「おう!」

 

 ヘルメットを頭に被り、右のバッターボックスに入った阿畑(あばた)は、丁寧に足場を慣らしてから構えた。

 

「えろうおまっとさんでした。おおきに」

「うむ、プレイ!」

 

 球審のコールで試合再開。

 片倉(かたくら)新海(しんかい)の恋恋バッテリーは、サイン交換を行う。一回で頷いた片倉(かたくら)は、ゆったりと投球モーションに入った。

 

「ストライク!」

 

 球審の右手が上がる。オーバーハンドから放たれたストレートが、アウトコースへ決まった。

 

「ナイスボール、走ってるよー!」

「(ホンマ、一年の投げる球ちゃうで)」

 

 バックスクリーンには、片倉(かたくら)にとって自己最速とならぶ「138km/h」と球速が表示されてた。ミゾットスポーツクラブでトレーニングを積み、ゴールデンウィークの合宿から更に球速を伸ばして来た。

 

「(せやけど、コイツを打たな勝たれへんのや。一点でええんや。一点あれば、ワイが完封(シャットアウト)して終いや。はなっからレギュラーを出さんかったこと後悔させたるで......!)」

 

 気合いを入れ直し、改めて片倉(かたくら)に対峙。その雰囲気を感じ取ったのは今日、パワフル高校戦以来となるショートのポジションについた、鳴海(なるみ)

 

「(お、バッターの気合いが入ったな。新海(しんかい)くんのサインは、外のまっすぐを続けるのか。二球続けたら、さすがに振ってくるよな。だけど、片倉(かたくら)くんのストレートも走ってるから......)」

 

 キャッチャーのサインと片倉(かたくら)の球速、阿畑(あばた)の打力を計算に入れて、定位置よりも一歩セカンド寄りにポジションを取った。

 

「もろたで!」

 

 構えたところよりも甘く入ったストレートを、阿畑(あばた)は見逃さずに振り抜いた。打球が三遊間へ。

 

「(あっ、甘く入った! 届くか――!?)」

 

 予測と逆をつかれたが鳴海(なるみ)だったが、ショートのやや深いところで打球に追いつき、逆シングルで捕球すると、すばやく一塁へ送球。

 

「――あ、アウトー!」

「な、なんやて!?」

 

『刺した! 間に合った! 今日、ショートに入っている鳴海(なるみ)のファインプレー! 難しい打球をさばき、アウトにしてみせましたー!』

 

「やるじゃんっ。奥居(おくい)~、今でも、あんたより上手いんじゃないの~?」

「へっ、オイラなら正面でさばいてるっての。ファインプレーじゃなくて余裕にな! 難しい打球を簡単なアウトに見せる、それが最高のプレーなんだぞ?」

「ふーん、言うわね。じゃあ決勝で見せてもらおうじゃないっ」

 

 ここ数日、あかつき大附属のエース猪狩(いかり)(まもる)を対策を行って来たベンチスタート組の頭の中は、既に次の試合へと向いてた。

 一方グラウンドの方は、と言うと。カウント3-1から五番を歩かせてしまい、続く六番がきっちり送られ、ツーアウトながらスコアリングポジションにランナーを許してしまった。初回に続いて、この試合二度目のピンチ。だがこのピンチも、七番をライトフライに打ち取り切り抜けた。

 そして、四回裏の攻撃は三番ピッチャー片倉(かたくら)からの打順。

 

『見逃し三振! 先発の阿畑(あばた)、これで七つ目の三振を奪いました!』

 

 続く四番は、ライトの近衛(このえ)

 

「(――低めだ。これは、いらない)」

 

 初球、低めのアバタボールを見逃しワンストライク。二球目、三球目は、初球と同じく低いコースへ来たアバタボールを見逃し、共にボールでカウント2-1のバッティングカウント。そして、次も低めに外れた。

 

「ドンマイ! バッター、手が出ないだけだぞ!」

 

 ボールを受け取った阿畑(あばた)は、プレートを外し、ロジンバッグを手のひらで弾ませる。

 

「(しゃあないしゃあない。なんてたって投げてるワイにも、どう変化するか分からん魔球やからな!)」

 

 調子に乗っている直後の一球。アバタボールが高めに抜けた。このボールを、近衛(このえ)は待っていたと言わんばかりに手を出した。結果は、ピッチャーフライ。

 

「あー、くそっ、上げちまった!」

「おっしゃ、これでツーアウトやでー!」

 

 後ろを向いて、右手を掲げ、バックを盛り立てる。

 

「ナイスピッチ! ツーアウト!」

「ツーアウトー!」

 

 マウンドからの呼び掛けに内外野から元気な返事が返ってくる。阿畑(あばた)は、マウンドでとても満足そうな表情(かお)を見せた。

 

「まったく、お調子者なんやから。やっちゃん、気ぃ抜いたらアカンでー!」

「おう、わーとるわい!」

 

 恋恋高校の五番、鳴海(なるみ)が左バッターボックスに入る。その初球を打った。

 

『打ったー! 引っ張った打球は、一塁線上へ高々と舞い上がったー!』

 

「ファール!」

 

『しかし、これはファールです! ポールの手前で切れていきましたー!』

 

「あっぶな、助かったで~」

「だからゆーたやんっ。気ぃ抜いたらアカンって!」

「わかっとるゆーとるやろがっ」

「......キミたち、私語はベンチに帰ってからにしなさい」

「す、すみません......」

 

 二人揃って球審に謝罪、試合は仕切り直し。

 今のファールで気合いを入れ直した阿畑(あばた)は、より低めの制球を心がけた。そして、カウントをフルカウントまで持っていくも最後は、鳴海(なるみ)を見逃しの三振に切って取った。

 

「これで八個目ね。高めの空振りが二つで、低めの見逃しが六つ。あなたにとっては予定通りなんでしょ?」

「さてね。おい、ちょっと待て」

 

 理香(りか)の質問に対し、小さく笑ってはぐらかした東亜(トーア)は、守備に向かおうとしていた片倉(かたくら)新海(しんかい)のバッテリーを呼び止めた。

 

「三点だ。三点までは取られても構わない。そいつを頭に入れておけ」

「――はい!」

 

 二人は返事をして、グラウンドへ駆け出していった。

 試合が動いたのは直後の五回表、そよ風高校の攻撃だった。先頭バッターにヒットで出塁を許すと。先の回と同じく、送りバントで得点圏にランナーを進められ、一死二塁とピンチを迎えた。次の一番バッターをセカンドゴロに打ち取り、二死三塁。だが、次の二番に緩い当たりながら内野の間を抜ける不運な形でタイムリーを打たれてしまった。

 先制点を奪われた直後の三番には、ユニフォームの袖にボールがかすって死球、二死二塁一塁。四番の阿畑(あばた)には、外に逃げるカーブをライト前へ上手く流し打たれた。スタートを切っていたセカンドランナーがホームイン。二点差とリードを広げられる、が。

 

「あ、アウトーッ!」

 

『ライトからスバラシイ送球! 恋恋高校ライトの近衛(このえ)が、ファーストランナーをサードで刺してみせました! まさに強肩、レーザービーム!』

 

「嘘やろ? なんちゅー肩しとんねん? ......まあ、ええわ」

 

 ――二点もあれば十分。 そう思いながら阿畑(あばた)は、ベンチへ戻りチームメイトたちにタッチで出迎えられ、準備をしてマウンドへ向かった。

 その頃、恋恋高校ベンチでは――。

 

「五回に二失点か」

 

 東亜(トーア)の前に緊張した面持ちで、片倉(かたくら)が立っている。

 

「はるか、球数は?」

「はい。81球です」

 

 1イニングにおける投球数は15球前後の球数が目安と言われている。投球イニングは5回。81球は理想に近い数字と言える。

 

「次の回だが、投げる気あるか?」

「あ......はい!」

 

 三点取られてもいいと言われた直後の失点に、交代を告げられことも覚悟していた片倉(かたくら)は、一瞬固まったが力強く答えた。

 

「じゃあ投げろ。藤村(ふじむら)

「あ、はい、なんでしょうか?」

「一応軽く肩を作っとけ。いいか、軽くだぞ」

「はい、わかりましたっ。鳴海(なるみ)先輩、お願いしますっ」

「うん、行こうか。コーチも言っていたけど軽くだからね?」

「はいっ」

 

 今日レフトで先発のサウスポーの藤村(ふじむら)は、前の回のラストバッター鳴海(なるみ)と一緒にブルペンへと向かった。

 

「ま、そういうことだ。後ろのことは気にせず投げろ」

「......はい!」

 

 返事をした片倉(かたくら)は、ベンチ座って、水分補給。アンダーシャツを着替えて、次の回に備える。

 

「ストライク! バッターアウト!」

「これで九つ目ね」

 

 六番新海(しんかい)も、低めのアバタボールを見逃し三振。これでアウト13個のうち9個が三振と奪三振の山がどんどん高く築かれていく。

 しかし、ベンチに焦りの色はまったく見えない。

 それどころか、東亜(トーア)に至ってはどこか不適に笑っていた。まるで、この一方的な展開を望んでいるかのように――。

 

「クックック......いい、いい、それでいい。もっと奪え、もっと奪われろ。その奪った三振の数だけ阿畑(おまえ)は、確実に破滅(まけ)へと向かって進んでいるのだからな」

 

 




阿畑の打撃能力の補足。
アプリやサクスペではあまり野手能力は高くありませんが、パワプロ9だとパワーDとなかなかの能力をですので、そちらを採用しています。


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game53 ~壁~

お待たせいたしました


 五回裏、低めのアバタボールに見逃し三振で打ち取られてベンチへ戻ってきた先頭バッターの新海(しんかい)が、守備の準備のためプロテクターを装備しているところへ、先発投手の片倉(かたくら)が話かけにいった。

 

「あのさ......。もう少し球数を抑えられないかな?」

「え? どうしたの?」

「たぶんだけどさ......」

 

 片倉(かたくら)は、東亜(トーア)に目を向ける。

 

渡久地(とくち)コーチは、藤村(ふじむら)さんに投げさせたくないんだと思うんだ」

「どうして?」

 

 新海(しんかい)の疑問に、鳴海(なるみ)藤村(ふじむら)がキャッチボールをしているブルペンへ目を移して答える。

 

「決勝を万全で迎えたいから。軽く作れって念を押してた」

「なるほど、ね」

 

 片倉(かたくら)の推察は、半分正解。

 東亜(トーア)の狙いはふたつ。ひとつは片倉(かたくら)の言った通り、決勝へ向け戦力の温存しておくため。だがそれは、今、ブルペンでキャッチボールをしている藤村(ふじむら)ではなく、四番ライトで先発出場している近衛(このえ)のこと。決勝戦は、あおいと瑠菜(るな)の変則投手二枚と、速いクセ球を投げる近衛(このえ)の三人を軸に試合を組み立てる算段を立てている。

 そして、もうひとつの狙いは、失点で気落ちしかけていた片倉(かたくら)に考えを促すため、()()と言う言葉をあえて強調して伝えた。

 

「でも球数を減らすとなると、手を出しやすいストライク先行の要求が多くなるよ?」

 

 新海(しんかい)が気にしているのは、球数を意識し過ぎたあげく打ち込まれ失点を重ねてしまうこと。それこそ本末転倒。ここまで好投が無駄(マイナス)になってしまう恐れがあるからだ。

 

「わかってる。だから――」

 

 ベンチの隅で自ら考え話し合う二人を、東亜(トーア)は横目で満足そうに見て、グラウンドへ目を戻した。

 

『レフト前ヒット! 恋恋高校、初めてのランナーを出しましたーッ!』

 

 点を取られて直後の攻撃、阿畑(あばた)からチーム初安打を打ったのは、七番ファーストでスタメン出場の六条(ろくじょう)。外角高めに来たアバタボールを逆らわずに流し打って、チーム初安打を放ち、ファーストベース上で小さくガッツポーズ。一死一塁。

 

「おおー、あの高速ナックルを打ったぞ!」

「へぇ、やるじゃんっ」

「そう言う形状のバットを使っているからさ。お前たちが使っている、普通のバットよりも芯の広いバットをな」

 

 太刀川(たちかわ)の動くストレートと阿畑(あばた)の高速ナックル、変化に根本的な違いは有るがどちらも手元で動くボール。芯の広い中距離ヒッター用のバットを扱う六条(ろくじょう)には、あまり苦にはならない。特に、低めよりも変化が小さくなる高めのアバタボールには特に有効に働く。

 

「じゃあみんな、同じバット使えばいいんじゃないんですかー?」

 

「打ちやすいならなおさら」と、手をあげて芽衣香(めいか)が訊ねる。

 

「どんな便利なモノにも欠点ってのは存在する。平手と拳、殴られたらどっちが痛い?」

「どっちもイターい」

「程度の話だ」

 

 東亜(トーア)の質問に、あおいと瑠菜(るな)は真面目に考えて話し合う。

 

「う~ん、やっぱり(グー)じゃないかな? 瑠菜(るな)は、どう思う?」

「そうね、音は平手の方が痛そうだけど。拳の方が痛いと思うわ」

「だよね」

「じゃあ実際に試してみよましょ。ねぇ~、奥居(おくい)~」

「おう、任せろ。パーからいくぞー。しっかり歯食いしばれよー?」

「ひっどっ! 女子に手あげようなんてサイテーな男ねっ」

「お前が今、オイラにしようとしたことじゃねーか!」

「二人とも真面目な話をしているのだから、痴話ゲンカは試合が終わってからにして」

『違う!』

 

 呆れ顔をした瑠菜(るな)の発言に、二人揃って否定。東亜(トーア)は、どうでもいいと言った感じで本題に話を戻した。

 

「で、答えだが。お前たちが言った通り拳の方が力が入る。それはバットも同じだ」

 

 六条(ろくじょう)が使っているバットを拾って、一塁コーチャーの真田(さなだ)から受け取ったプロテクターを持ってベンチへ戻ってきた甲斐(かい)から六条(ろくじょう)のバットを受け取り、簡単に説明をする。

 

「通常のバットの真芯は硬式ボールひとつ分ほど、ちょうど『握り拳』くらい。真芯で捉えれば当然強い打球が飛ぶ。だが、六条(ろくじょう)のバットは、通常よりも芯が広くミート力を重視している反面、外野の頭を越すような長打はあまり見込めない構造になっている。逆に言えば、ある程度芯を外れても飛んでしまうのさ。極端に言えば『平手打ち』みたいなものだな」

 

 こう言った便利な道具(バット)に頼っていると雑になりやすく、確実性を失う恐れがある。実際に名門や強豪と言われる一部の学校では、高校野球の先を見据えて、金属バットよりも格段に芯の狭い木製バットや、更に芯の狭い竹製のバットを使用したバッティング練習を取り入れている学校もある。

 

「いずれ壁にぶち当たるだろう。だが、アイツは素人なりに、今の自分に出来ることを必死に考えてやっている。だから今は、このバットを使っていい。自ら考え、導き出した結果(答え)だからだ」

 

 東亜(トーア)は、グラウンドへ顔を向ける。

 

「この先もお前たちが、野球を続けて行くどうかは知らねーが。どんな道を進もうが、いずれ何かしらの壁にぶち当たる時が来るだろう。その時は、安易に答えを他人に請うな。とことんもがき、苦しめ。その先に答えがなかったのなら、自分自身で答えを作り出せ」

 

 ナインたちは東亜(トーア)の言葉の意味を噛み締め、示し合わせた訳でもなく「はい!」と声を揃えて力強く返事をした。

 

 

           * * *

 

 

『さあワンナウトから初のランナーを出した恋恋高校、ここはどう言った作戦をとるのでしょーカ?』

 

 続く八番は、セカンドの香月(こうづき)

 東亜(トーア)はいつも通りテキトーな空サインを出した、が、本命のはるかからのサインは無し。つまりはノーサイン。だが、それを知らない相手バッテリーは、ベンチから何かしらのサインが出ていると思い込み、一球大きく外角高めへ外した。

 

『そよ風バッテリー、大きくウエスト。ここは一球様子を見ました。八番バッター香月(こうづき)、送りバントの動きはみせず見送った。ワンボールです』

 

「(なんや、送らんのかいな? まっ、そう簡単にはさせへんけどな!)」

 

 キャッチャーからの返球を受け取り、セットポジションに入る。

 

「送らないの?」

「簡単にバントなんて出来ねーよ」

 

 不規則に変化する高速ナックルを操る阿畑(あばた)にとっては、送りバントはあまり怖くない。

 

「それに、もっと効果的な方法があるからな」

「試合前に言っていた戦略(こと)ね。いつ仕掛けるの?」

「フッ......そう焦るな。楽しみにしていろよ」

 

 香月(こうづき)への第二球目は、やや低めストレート。これに手を出してファール。三球目は低めにアバタボールが外れ、続く四球目は捕球し損ねるも低めのストライクゾーンにアバタボールが決まり、平行カウント。ここで東亜(トーア)が動く。近くでスコアブックをつけるはるかに本命のサインを伝え、自身は空サインを出す。

 

「(おっ、七瀬(ななせ)からサインが出た。六条(ろくじょう)、次行くぞ。オレの合図で走れ)」

「(はい......!)」

 

『ランナーを目で牽制し、セットポジションからピッチャーの足が上がって、五球目を――』

 

「ゴー!」

 

 一塁コーチャーの真田(さなだ)の合図で、ファーストランナーの六条(ろくじょう)がスタートを切った。

 

阿畑(あばた)、走ったぞ!」

「ほいな!」

 

 セカンドの声を聞いて、外角へストレートを外した。そよ風バッテリーも、動いてくるならこの場面と予め予測していた。完全なボール球だが、香月(こうづき)はこれを打ちにいく。バットの先っぽに当て、一塁線へのボテボテのファール。

 

「はぁ、よかった......」

「(ボール球やったのに、よう当てよったな。空振りなら三振ゲッツーやったで)」

「甘いな、アイツ。十中八九仕掛けるのが分かってる場面で、ひとつも殺せねーなんて」

 

 東亜(トーア)が出したサインは、見ての通りランエンドヒット。セオリー通り仕掛けやすい平行カウントであるため、外されることは当然想定済み。この作戦の本命は、相手バッテリーの力量を測るためのもの。確実に“ストレート”で来ると確信して出したサインだった。

 

「よう。どうして、ストレートだったか分かるか?」

「カウント以外の理由ですか?」

 

 瑠菜(るな)の質問に東亜(トーア)は、「当然だろう」と軽く笑ってみせる。

 2-2の平行カウントは、フルカウントにしたくないためストライクゾーンへ投げることが多い。必然的に一番制球しやすい球種でストライクゾーンで勝負してくる確率が高い。だが当然、バッテリーもそれは分かっているため場合によっては、甘いストライクからボールになる変化球を投げることも当然ある。それなのに、東亜(トーア)がなぜ、ストレートを投げてくると確信出来た理由は――。

 

「キャッチャーだ」

「キャッチャーですか?」

 

 そよ風高校のキャッチャーにナインたちは、一斉に目を向けた。そして、元正捕手の近衛(このえ)が一番最初に、ある違和感に気がついた。

 

「あれ? あのキャッチャーのミット、なんかデカくね?」

「え? 確かに言われてみれば、一回りくらい大きいような......」

「あれは野球のキャッチャーミットじゃない。ソフトボール用のキャッチャーミットだ」

 

 不規則に変化するナックルを捕球するための工夫。

 ※アメリカでは正捕手の他に、ナックルボーラー専用の捕手が居て、通常のミットよりも大きいソフトボール用のキャッチャーミットや専用の特注品を使用している捕手が実際にいたりします。

 

「あのキャッチャー、一球前のストライクゾーンに決まった高速ナックルを捕球し損ねた。あれを見たあとは、さすがに続けられない」

 

 阿畑(あばた)は、他にもシュートを投げることも出来るが、太刀川(たちかわ)伊達(だて)と比べると武器になるほどのボールではない。加えてバッターが、八番の香月(こうづき)だったこともストレートを選択した要因のひとつ。ストレートより球威の劣る変化球を下手に投げてタイミングが合ってしまいかねないのを嫌ったためだ。

 

「プロだって通常の緩いナックルを捕球し損ねるんだ。それなのにたかが高校生が、あんなけったいな高速ナックルなんてモンを何十球もミスなく捕球し続けられるワケがない。相当な特訓をしたんだろうな、かなり優秀な壁だ」

「壁って......。もうちょっと言い方ないの?」

 

 歯に衣着せない言い方に理香(りか)が苦言を呈し、ナインたちも若干苦笑いしている。ところが東亜(トーア)は、呆れた様子でタメ息をついた。

 

「分かってねーな、最高の褒め言葉だぞ。だいたいリードなんてもんピッチャーに首を振られりゃ組み立てを変えなきゃならねーこともあるし、要求したコースに投げてくれなければ、良いか悪いか正確には測れねーんだ。けどな、どんなボールでも“絶対に後ろに逸らさない”ってのは素人目に見ても分かりやすい、究極の武器だ。そして投手にとって、これほど心強いものはない」

 

 東亜(トーア)の意見に、瑠菜(るな)とあおいがうなづく。

 

「そうですね。捕ってくれるって信じられれば思い切って投げれられます」

「うん、そうだね」

「名捕手と言われる捕手には、“リードが上手い”、“肩が強い”、“バッティングが良い”と様々なタイプに分類されるが、それらとは別に必ず備えている要素がある。高いキャッチング技術、ブロッキング能力、要するに捕逸(ミス)をしない能力だ」

 

 空振りの三振を奪っても、捕手が後ろへ逸らしてしまえば振り逃げでランナーを出してしまう。ランナーが塁上に居る場合は、先の塁へ進めてしまう。ボールを後ろに逸らすキャッチャーには、投手も思い切って投げれない。特にフォーク等の縦に落ちるボールを投げる時は躊躇してしまう。

 それが正に、一球前のストライクゾーンでの捕球ミス。あれでアバタボールを投げ難くなった結果のストレートだった。

 

「それが鳴海(なるみ)くんにいつも、ショートバウンドやハーフバウンドを捕球する課題を課していた理由に繋がるのね」

「まあな。最初の頃の出口(いでぐち)は、酷かったなー」

 

 どこかなつかしいそうに東亜(トーア)は笑う。

 出口(いでぐち)は、シーズン中盤まで5球に1球の割合で東亜(トーア)のボールを捕り損ねていた。とは言っても、ノーサインにも関わらず回転数と球速を自在に操って投げる東亜(トーア)のピッチングのせいもあったのだけれど。それでも東亜(トーア)のボールを受け続けて来た出口(いでぐち)は、シーズン終盤になると殆ど逸らすことはないほど捕球能力が向上していた。それに加え、東亜(トーア)のピッチングから学んだ“打者心理の読み”と身に付けた“捕球能力”は今も、確実に活きている。

 

『一塁牽制! しかしランナー、足から戻りました』

 

 話している間に、グラウンドでは試合が進んでいた。阿畑(あばた)は一球牽制球を投げ、ファーストから受け取ったボールを両手でこねる。

 

「さてと、マネージャー」

「はい、なんでしょうか?」

「次、“一球待て”ってサインを出せ」

「はい、わかりました」

 

 はるかからサインが伝わり、六球目。今度はバットが届かないほど大きく外角高めへ外した。サイン通り見送り、これでフルカウント。

 

「次、単独スチール」

「ちょっと本気? 六条(ろくじょう)くん、お世辞にも足が速いとは言えないわよ......?」

「心配するな、100パーセント決まるさ。はるか」

「はい、もう出しました」

 

 一塁コーチャーの真田(さなだ)は、ヘルメットのツバに軽く触れていた。それはサインが伝達されたことを物語っている。

 

「(――了解。行くぞ、本気で走れよ?)」

「(はい......!)」

 

『さあ、フルカウントからの七球目。おっとファーストランナー、スタートを切った!』

 

「(低め......のナックル。これは振らない......!)」

 

 香月(こうづき)は見逃し、大きく変化しながらストライクゾーンを通過した。球審の右手が上がる。

 

『バッター、見逃しの三振! これで二桁10個目の三振! しかし、大きく変化したユニークな変化球を捕球するのことでキャッチャーは精一杯、送球は出来ません。盗塁成功で、ツーアウトながら二塁とチャンスが広がりましたーッ!』

 

「悪い、阿畑(あばた)

「ええって、ええって、これでツーアウトやん。パパっと終わらせて、この回も終いや」

「ああ、頼んだぞ」

「任しときーや」

 

 マウンドで笑顔を見せる阿畑(あばた)に一瞬目をやり、東亜(トーア)藤村(ふじむら)を呼びつけて直接指示を出す。

 

「初球、外角低めのストレートを狙え」

「はい、わかりましたっ」

 

 名前がコールされ、九番バッターの藤村(ふじむら)は、左のバッターボックスに立ち、マウンド上の阿畑(あばた)をしっかりと見据えて構える。

 

『マウンド上の阿畑(あばた)、セットポジションから足が上がって、第一球を投げましたー!』

 

「(――来た! 外角低めのストレート......!)」

「あ、あかん――!」

 

 指示通り外角のやや低めに来たストレートを逆らわずに打ち返した。打球はゴロで三遊間を抜けて行く。予め前にレフトは前進していたため、六条(ろくじょう)は三塁でストップ。

 

『ヒット、ヒット! 九番藤村(ふじむら)が繋ぎました! ツーアウト三塁一塁!』

 

「おおっ、繋いだぞ!」

「ナイスバッチ!」

藤堂(とうどう)、お前にストレートは来ない。全球高速ナックルで勝負してくる。今まで通り低めの見逃し三振でも構わない。そのかわり高めに来たらしっかりと振りきれ」

「――はい!」

 

 今日一番のチャンスに盛り上がる恋恋ベンチ。だが東亜(トーア)は既に、試合を決めるための次の策を打っていた。



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game54 ~成長~

 東東京予選大会、対そよ風高校戦。

 五回裏ツーアウトながら三塁一塁とこの試合初めてのチャンスを作った恋恋高校。この場面でバッターボックスに立つのは、一番センターで先発出場の藤堂(とうどう)。第一打席は、低めのアバタボールを見逃し三振。第二打席は、高めのアバタボールを打ち上げて内野フライと、ここまで二打席続けての凡退で迎えた第三打席。丁寧に足場を慣らし、球審に頭を下げて、左のバッターボックスで構える。

 

『ツーアウト三塁一塁! この場面、どう打つか、どう凌ぐか! ンンーン、目が放せませンッ! さあ、注目の初球――初球、真ん中からアウトコース低めへ変化するアバタボール! しかし、わずかに外れましたー!』

 

 指示通り低めを見逃して、ワンボール。

 

「ふぅ......」

 

 ひとつ息を吐く、藤堂(とうどう)

 

「オッケー、いい変化してるぞ!」

 

 阿畑(あばた)にボールを投げかえしたキャッチャーは、腰を下ろし、藤堂(とうどう)に目を向ける。

 

「(それにしても、きわどいコースだったのに簡単に見逃したな。つーか、みんなそうだ。高速ナックルにはほとんど手を出さない、そう言う作戦なのか......?)」

「おーい、はよサインだしてーな!」

「あっ......ああ、悪い」

 

 急かされたサイン交換は一回で決まり、阿畑(あばた)はセットポジションに入る。ツーアウトと言うこともあって、ファーストランナーのことは気にせずに、ややゆったりとモーションに入った。

 

『アバタボールを連投、今度は決まりました! ワンエンドワン!』

 

 二球目は、外のボールゾーンからストライクゾーンへ滑るようにして低めへ食い込んできた。これも見逃して、ストライク。そして三球目も、アバタボール。

 

「ボール!」

 

 球審は首を横に振る。これでツーエンドワン、打者有利のカウント。出されたサインに一度首を振って、次のサインに頷いた阿畑(あばた)、セットポジションから四球目を投げた。

 

「(――来た、高め!)」

 

 ここで、狙っていた高めのアバタボール。

 低めに比べると変化が小さい高速ナックルを決して当てにはいかず、確実に振り切った。インパクト寸前でややインサイドへ食い込んできた。打ち上げないように上から叩く、やや詰まった打球がサードの前へ転がる。

 

『サードが前へ出てきて打球を捕球、そのままランニングスローでファーストへ! しかし、これはきわどいぞー!』

 

「セ、セーフッ!」

 

 一塁塁審が腕を横に伸ばす。

 

『セーフ、セーフです! 藤堂(とうどう)、持ち前の俊足を活かして内野安打をもぎ取りました! そして、その間にサードランナーはホームイン、下位打線で作ったチャンスで一点を返しましたー! なおもツーアウト二塁一塁と、同点・逆転チャンスが続きます!』

 

 打ち取られていた当たりではあったが、逆に詰まったことが幸いし、送球がグラブへ収まる前に俊足を飛ばして、ファーストベースを駆け抜けた藤堂(とうどう)は、膝に手をついて上がった息を整える。

 

「めっちゃ速いなー、アイツ。自分より速いんとちゃうか?」

 

 そう言ったのは、この試合をスタンドから観戦している青を基調とした「あかつき大学附属高校野球部」のジャージを身にまとい、葉っぱを口にくわえた長髪の男子――九十九(つくも)宇宙(そら)。彼は、ひとつ前の席に座る同じジャージを着た男子――八嶋(やしま)(あたる)に問いかけた。

 

「さあ~? まあけど、おいらなら右中間に弾き返して三塁打にしてたぜ」

「ほぅー、そらまたエラい自信やな」

「まあな~」

「まったくお前たちには、緊張感と言うものがないのか? オレたちは、ただ試合観戦している訳ではないんだ。どちらが勝ち上がって来てもいいように、しっかりとデータを集めなくては――」

 

 苦言をていしながらメガネに軽く触れ、ノートパソコンを操作するのは――四条(よじょう)賢二(けんじ)

 

「相変わらず堅いやっちゃな。力抜くときは抜かんと試合前にへばるで?」

「お前が軽すぎるんだ。それにオレの計算では、今日の試合の勝率は100パーセントだ」

「自分の方が自信過剰ちゃうか? 油断しとると足すわれるで」

「フッ、心配無用だ。データは嘘をつかない、不安要素など微塵もない......!」

「それが自信過剰って言うんや」

「二人とも、その辺にしておきなよ。もう試合は再開されているんだよ。ちゃんと観ておかないと」

 

 試合をそっちのけで言い合う二人をなだめたのは、六本木(ろっぽんぎ)優希(ゆうき)。セカンドの四条(よじょう)と共に、ショートとして鉄壁を誇る二遊間の一角を担っている。そして九十九(つくも)はライト、八嶋(やしま)はセンターのレギュラー選手。

 

「む......そうだな。無駄な争いは止めて、データ収集に戻るとしよう。で、九十九(つくも)

「なんや?」

「あの投手とは、顔馴染みだと言っていたが――」

 

 四条(よじょう)は、マウンドの阿畑(あばた)に顔を向ける。

 

「その頃から、高速ナックルを投げていたのか?」

「いーや、中学ん頃は投げとらんかったで。親友(ダチ)のオレが言うんやから間違いない。けど、よう変化球の研究はしとったな。『いつか、自分だけのオリジナル変化球を生み出したる!』言うてな」

「ふむ、最後の大会を前にその努力が実を結び、強力な武器を手に入れたということか。なかなか厄介な相手になりそうだ」

「はっはっは! 四条(よじょう)よ、そう案ずるな! あの程度のボール、ワシのパワーで粉砕してやる!」

 

 豪快に笑って言ってのけたのは、チームの中軸を打つファースト、三本松(さんぼんまつ)(はじめ)。チームいちのパワーを誇るホームランバッター。

 

「お前もそうだろう? 七井(なない)

 

 ――七井(なない)アレフト。三本松(さんぼんまつ)と共にあかつきの中軸を担うレフト。そして奥居(おくい)と並んで現本塁打王。タイプも奥居(おくい)と似ており、狙って広角に打ち分けられるバッティングセンスを持っている。

 

「オレは、どちらかと言えば恋恋の方がやりやすいネ」

「むぅ......どうした? いつになく弱気だな、お前らしくない」

「ただ事実を言ったまでヨ」

 

 多少芯を外しても腕力で飛距離を伸ばせるタイプの三本松(さんぼんまつ)と違い、ボールを芯で捉えて飛距離を伸ばすタイプの自分とでは、阿畑(あばた)との相性が悪いと感じたからだ。

 

『見逃し三振ッ! フルカウントまでいきましたが、最後は低めのアバタボールで葛城(かつらぎ)を見逃しの三振で打ち取り、一打同点・逆転のピンチを凌ぎ切りましたー!』

 

 あかつきナインたちが話し合っている間も試合は進み、五回の攻防が終わった。そして、五回の終了後のグラウンド整備が職員たちによって行われる。

 

「15個のアウトのうち11個が三振、見事な殺られっぷりだな」

 

 ベンチに座って、まるで他人事のように愉快そうに笑う東亜(トーア)

 

「もう、あなたの指示でしょ?」

「クックック、そう目くじらをたてるな。エサは撒き終えた、もう必要ない。おいお前ら、次の回で阿畑(アイツ)を沈めるぞ」

 

 ナインたちは『はい!』と、声を揃えて返事。

 

「そこでだ、片倉(かたくら)。先頭バッターの初球、その一球だけは思い切りストレートを投げ込め。コースは度外視でいい、必ず本気で投げろ。なんなら140km/hを出すくらいの気持ちでいけ」

「あ......はい、わかりました!」

「そのあとは、お前たちの好きにすればいい。なんかあるんだろ?」

 

 東亜(トーア)の言葉に、顔を見合わせる片倉(かたくら)新海(しんかい)の一年生バッテリー。そこへ、試合再開を知らせる場内アナウンスが流れた。

 

『大変お待たせいたしました。間もなく試合再開となります――』

 

「さあ時間よ、急いで準備をなさいっ」

 

 理香(りか)に促された出場メンバーたちは、急いで守備の準備を済まし、グラウンドへ駆け出していった。

 

 

           * * *

 

 

「やっちゃん、ナイスピッチや!」

「おう、サンキュー」

 

 同点・逆転のピンチを凌いだ阿畑(あばた)は、ベンチに座って、マネージャーの(あかね)から受け取ったタオルで額の汗を拭い、スポーツドリンクで渇いた喉を潤す。

 

「ハァ、さすが準決勝や。控えもしぶとーてかなわんわ」

「やっぱり占い通り苦労しそうやね。でも、最後は三振に取ったやん。五回で三振11個やで、今までにないハイペースやっ」

「ワイの“アバタボール8号”は魔球やからな!」

 

『大変お待たせいたしました。間もなく試合再開となります――』

 

「あ、グラウンド整備終わったみたいやね。みんな、追加点とってやっちゃんを楽にしてあげてなーっ」

「おおっ!」

「任せとけ、(あかね)ちゃん!」

 

 ナインたちが声をかける中、この回の先頭バッターの五番だけは、どこか気負った様子で準備をしていた。

 

「(......さっきの失点は、俺のミスだ。バッターの鋭いスイングに惑わされて一歩目(スタート)が遅れた。普通にやっていれば防げた失点だった)」

 

『六回の表そよ風高校の攻撃は、五番――』

 

「(ミスはバットで返してやる......!)」

 

 球場に流れたアナウンスを聞き、強い気持ちを持ってバッターボックスへ向かった。

 

『グラウンド整備が終わり、試合は六回の攻防へと入ります。そよ風高校は、五番からの攻撃。恋恋高校のマウンドには片倉(かたくら)が立ちます。前の回二点を失いましたが、この回も続投するようです!』

 

「なんや、ピッチャーかわらんのかいな。さっきブルペン準備しとったのに」

「でもこれ、うちらにとってはチャンスと違うん? あのピッチャーから、さっき二点取ったんやしっ」

「まあ、せやな。もう三順目やし、目も慣れてきた頃や。こら行けるで!」

 

 片倉(かたくら)の続投は、そよ風に取っては嬉しい誤算だった。しかし、その認識は初球に改められることとなる。

 五番がバッターボックスで構えて、球審がコールすると、間髪入れずに投球モーションに入った。

 

「(ストレートを思い切り――投げる!)」

「(えっ? もう投げるのか?)」

 

 ストレートを投げ込むと最初から決まっていたため、サイン交換の時間がなかったことに若干戸惑ったバッターを後目に、初球が投げられる。高めボールゾーンのストレート。

 

『指にかかった勢いのあるストレート! ボールゾーンでしたが、バッター、思わず手を出してしまい空振り! そして今のが、140km/h! ここで今日の最高速を記録しましたーッ!』

 

 バックスクリーンに表示された球速に、両校のベンチ、そして球場全体から少しどよめきが起こる。

 

「あの子、本当に投げたわ......140キロを!」

「別に驚くことじゃない。トレーナーからの報告書には140キロを投げられるだけポテンシャルは十分にあると記述されていた。ただ、ひとつだけ不幸なことがあった」

 

 東亜(トーア)の言う「不幸なこと」とは、片倉(かたくら)の手本となれる選手が近くに居なかったと言うこと。

 あおいと瑠菜(るな)は、タイプは違えど抜群の制球力を武器にするタイプ。同期の藤村(ふじむら)は、対左打者に特化した変則の左サイド。チームで唯一140km/h以上の速球をコンスタントに投げられる近衛(このえ)は、元々からの強肩。それもキャッチャーからコンバートされたため、投手としての経験値は他の四人と比べると遥かに劣る。ストレートと変化球のコンビネーションとコントロールで勝負する本格派の片倉(かたくら)の参考にはならない。

 さらに、あおいと瑠菜(るな)の安定感のあるピッチングに少なからず影響を受け、制球力を重視する方へ自然と意識が向いてしまっていたことも要因のひとつだった。

 

「俺は、130キロ出るか出ないで精一杯だったからな。速いボールの投げ方なんて教えられない。だから片倉(アイツ)自身が、一度自分で体感・経験し、その感覚を掴むしかない」

「140km/hという明確な数字を出したのは、コントロールという概念を一度頭の中から外させるための言葉。大きな壁を乗り超えて、ひとつ成長してもらうために」

「それだけじゃねーよ。今の一球は、今後の試合展開に大きな意味を持つ」

 

 球速140km/hを計測した効果は、もうすでに現れていた。今までの最速は「138km/h」上がったのはたったの「2km/h」だけ。だが、130キロ台と140キロ台では、やはり数字の見映えとしてのインパクトが違う。当然バッターは、それを意識してしまう。

 

「(ヤバい、思わずボール球を振っちまった。それに140キロって......)」

 

 今までもより速いストレートに対応するためややバットを短めに持ち直したのを、新海(しんかい)は見逃さなかった。ストレートを意識していたところへ、ストライクからボールになる外のカーブを振らせて、二球で追い込む。今度は短く持ったため届かなかったアウトコースのボールにも対応するため、ほんの少しだけ内側へ寄った。そこへインコースのストレートを要求。片倉(かたくら)は、そのキャッチャーミットへめがけてストレートを投げ込んだ。

 

『インコースのストレートに窮屈なスイングを強いられ、空振りの三振! 一年生バッテリー、ここは三球で仕留めて見せました、ワンナウト! そして今のも、140キロを計測しましたーッ!』

 

「また140キロっ? でも今の、そんなに力入ってなかったみたいに感じたけど」

「ええ、片倉(かたくら)くんの普段のピッチングフォームだったわ」

 

 突然の球速アップに疑問を抱く、あおいと瑠菜(るな)

 

「実際に経験したからだ。どういうワケか人ってのは、一度超えてしまうと今までの苦労が嘘だったかのように続けざまに力を発揮することが少なからずある」

「そう言うものなんですか?」

「お前、自分で経験したじゃねーか」

「ボクが?」

 

 東亜(トーア)に指摘されたあおいは、小さく首をかしげる。

 

「あれだけ投げられなかったインコースを、もう気にせず投げれるようになっただろう」

「――あっ!」

 

 対ジャスミン戦において、復活した太刀川(たちかわ)のピッチングをきっかけに内角への投球恐怖症を乗り越えたことを思い出した。

 

片倉(かたくら)くんにとって『140km/h』と言う明確な数字を提示されたことが、あおいさんにとっての太刀川(たちかわ)さんのピッチングだったと言うことよ」

「まあ、そう言うことだ。さてと、ここからが見物だな」

 

 先頭バッターの五番を打ち取ったが、ここから左バッターが続く。左バッターに若干苦手意識を持っている片倉(かたくら)にとって試練が続く場面。

 しかし、この回は違った。

 六番バッターを、自信をつけたストレート攻めて内野ゴロに打ち取ると。七番バッターも、ストレート二球で追い込んだ。

 

『ファール! 三球目、仕留めにいったアウトコースのストレートをカットしました!』

 

「(当てられたか。でも、必死に当てに来てるだけ。今の調子ならストレートで押しきれる。まっすぐで勝負しよう)」

 

 しかし片倉(かたくら)は、新海(しんかい)の出したストレートのサインに首を振った。

 

「(あれ? ストレートにこだわらないんだ。じゃあ、これで――)」

 

 二回目のサインはあっさりと頷いた。

 それは五回の攻撃の最中ベンチで話していた、一回でも長いイニングを投げるため対左バッターへ対策。

 

『さあ足が上がった。ピッチャー片倉(かたくら)、第四球を投げましたー!』

 

「(――緩い、ストレートじゃない、カーブだ!)」

 

 勝負球に選択したのは、左から空振りを奪えないことを悩んでいた、カーブ。やや内よりに来た。速いストレートに合わせて、短めにバットを握っていた左バッターにとって当てやすいコース。

 

「(もらった――えっ?)」

 

 狙って振ったにも関わらず、バットは空を切った。

 

『空振り三振ーッ! この回は三者凡退で退けましたー!』

 

「よっし!」と、マウンド上で小さくガッツポーズを見せる。

 

「おい、アイツ、縦のカーブなんて投げれたのか?」

「私、投げ方を聞かれたことがあります、左バッターへの武器が欲しいと。学校の昼休みとかに練習はしていました」

 

 打ち取った球種は、瑠菜(るな)に教わった新しい変化球――縦のカーブ。従来の横に曲がるカーブよりも、鋭く縦に落ちるため苦手としていた左からも空振りを奪える確率が高い新しい武器。この場面でさらに成長を遂げた。

 

「ふーん」

「それがどうかしたの?」

 

 東亜(トーア)は、新海(しんかい)とグラブタッチをしてベンチへ戻ってくる片倉(かたくら)に目をやりつつ、理香(りか)の疑問に答える。

 

「狙って投げたのなら別にいい」

 

 そう言うと東亜(トーア)は、ナインたちを自分の前へ集めた。

 

「さっき言った通り、この回で沈めるぞ」

『はい!』

片倉(かたくら)近衛(このえ)鳴海(なるみ)、お前たち三人で逆転してこい」

「三人でって......それは、さすがに無茶なんじゃないの?」

 

 理香(りか)の懸念は当然。六回裏は三番片倉(かたくら)が先頭バッター。つまりホームランが出てもソロ一本ではダメ、三人のうち二人がソロホームランを打つか、ランナーを出してのツーランホームラン。あるいはランナーを溜めての長打が必要になる。

 しかし誰ひとりとして、今まで阿畑(あばた)から長打を放っていないと言う事実がある。

 

「心配するな、撒いたエサに食いつく。片倉(かたくら)、初球は必ず首を振ってストレートを投げてくる。そいつを見逃さずに狙い打て」

「......はい!」

 

『六回裏恋恋高校の攻撃は、三番片倉(かたくら)くん』

『さあバッターボックスに片倉(かたくら)が向かいます! 自らのピッチングから流れを掴めるでしょうか? 注目してまいりましょーッ!』

 

 球審のコールのあと、そよ風バッテリーはサイン交換を行う。ここで東亜(トーア)の読み通り、阿畑(あばた)はサインに一度首を振った。そして投げられたボールもまた、読み通りのストレートだった。

 片倉(かたくら)は、力まずにやや甘く来たストレートを弾き返した。完璧に捉えた打球はセカンドの頭の上を越えて、右中間の深いところでワンバウンド。回り込んだセンターからの送球が返ってくる間にバッターランナーの片倉(かたくら)は、楽々二塁へ到達。

 

『初球打ち、ノーアウト二塁! 片倉(かたくら)乗っています! 自ら同点のチャンスを作り出しましたーッ!』

 

「本当にストレート......! どうしてわかるの?」

「単純なことだ。ベンチで面白くなさそうな顔をしていたからな。片倉(かたくら)に完璧なピッチングをされて対抗心に火がついたのさ。だから、必ず初球にストレートを投げてくる。140キロなんて自分でも簡単に投げられるってな」

 

 東亜(トーア)の言った通り、阿畑(あばた)のストレートは140km/hを超す球速だった。しかし、狙ったコースよりも若干甘く入り、元々ストレートを狙っていたことで不規則に変化するアバタボールよりも遥かに打ちやすいボールになってしまった。差を見せるどころか、裏目にでてしまった一球になった。

 

「さて、次は点を奪うぞ」

 

 東亜(トーア)は、ネクストバッターの近衛(このえ)を呼びつけ指示を与えてバッターボックスへ送り出した。

 そしてベンチへ戻ると、不敵な笑みを浮かべながらグラウンドに目を戻した。



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game55 ~失投~

『六回裏、恋恋高校の攻撃。この回先頭の片倉(かたくら)阿畑(あばた)の初球甘く入ったストレートを見事に捉えツーベースヒットで出塁。ノーアウト二塁、同点のチャンス! そして、ここで四番に打席が回りますッ!』

 

 一打同点、ホームランで逆転で四番の近衛(このえ)を迎えるこの場面で、キャッチャーはマウンドへ声をかけに走った。

 

「すまん、すまん、ちょいとリキんでしもたわっ」

 

 悪びれもせず笑い飛ばす阿畑(あばた)に、キャッチャーはタメ息を漏らしつつ、ネクストバッターズサークルで準備している近衛(このえ)に顔を向ける。

 

「で、一塁が空いてるけど。どうする?」

「当然勝負や! 決まっとるやろ?」

「まあ、そうだよな」

 

 空いている一塁を埋めた方がフォースプレイで守りやすくなるとはいえ、ここで敬遠してわざわざ逆転のランナーは出したくはない。バッテリーとしては至極当然の判断。それに加えて、近衛(このえ)は二打席続けて抑えている。

 

「とりあえず、さっきみたいなのは無しで頼むぞ」

「言われんでもわかっとるわい。はよ戻らな、怒られるで」

「へいへい」

 

 キャッチャーがポジションに戻り、球審に一礼して近衛(このえ)は右のバッターボックスで構える。

 

「(抑えてるって言っても、見た目通り一発(デカイ)のあるバッターだからな。とにかく、長打だけは避けないと)」

 

 サインは、アバタボール。カウントが悪くなったら最悪歩かせることを頭に入れつつ、低めにミットを構えた。一回でサインに頷いた阿畑(あばた)は、セカンドランナーの片倉(かたくら)を目で牽制し、モーションを起こす。

 

阿畑(あばた)の足が上がった。四番近衛(このえ)に対しての第一球――あーっとッ!』

 

「な、なんやて......!」

「四番が、バント!?」

 

 阿畑(あばた)がボールを放られた直後、近衛(このえ)はバットを横に寝かせた。完全に不意を突かれたそよ風内野陣は、阿畑(あばた)も含めた全員が遅れてバントの処理に走る。が、近衛(このえ)はバットを引いて見送る。

 

「ボール! ボールワン」

 

 真ん中外寄りのアバタボールは横へ逃げながら変化して、ボールゾーンへ。カウント1-0。ボールを阿畑(あばた)に投げ返したキャッチャーは、近衛(このえ)に鋭い視線を向けて考えを巡らせる。

 

「(見送った。ボールだったからか? いや、それにしては見極めが早かったような。高速ナックルだったからかな? けど、このチームは四番でもバントをしてくるチームだから......ってことは、送ってワンナウト三塁の状況なら内野ゴロでホームに還られるし、ここでのバントは十分にあり得るぞ。頭に入れておかないと)」

 

 考え込むキャッチャーに、マウンドから阿畑(あばた)が声をかける。

 

「そない心配すなや! バントなんてそう簡単にやらせへんわッ!」

「オーケー!」

 

 キャッチャーのブロックサインで、内野の守備位置がバントやバスターにも対処できる陣形に変わる。

 

「ファーストが少し前に出てきたわ。三塁方向へのバントは、キャッチャーとピッチャーで処理する作戦のようね」

「サードで刺すためのごく普通の対応。ま、気にするまでもない」

 

 東亜(トーア)も、理香(りか)も、バッターボックスに立つ近衛(このえ)もまったく動じない。なぜなら最初から、送りバントなどするつもりは毛頭ない。思惑を知らないバッテリーは、二球目を投げる。これも低めのアバタボール。今度はバントの構えはせずに平然と見逃した。これもボールゾーンへ外れて、カウント2-0と打者有利のカウントになった。

 

「(コースを狙うとこれがあるからな。しゃーないちょい甘めに――)」

 

 初球、二球目よりもやや高めに来たアバタボール。近衛(このえ)は迷うことなく振り抜いた。引っ張ったライナー性の打球が、三塁線へ飛んでいく。

 

『打ったーッ! 痛烈な当たりがサードを襲う! しかし大きく切れていきました、ファウルです。バッテリー、ここは助かりましたー!』

 

「(あっぶな~、やっぱり高めはアカンわ。フェアなら確実に長打、同点にされとったでぇ。けど、さっきのバントはブラフやな。よっしゃ、ここは気合い入れ直さなな......!)」

 

 プレートを外し、ロジンバックを手に気を入れ直す阿畑(あばた)東亜(トーア)が、ここで動く。近くに座っている、あおいを呼ぶ

 

「さーて、仕上げと行くか。おい、あおい」

「なんですか?」

「ブルペン行ってこい」

「へっ?」

 

 突然のことにあおいは、きょとんとした表情(かお)をした。それもそのはず、瑠菜(るな)と一緒に決勝戦へ向けて調整してきた二人は当然、今日の登板予定はない。

 

「別に投げろなんて言ってないだろ。軽くストレッチでもして、それらしく立ってるだけでいい。おい、誰かついていってやれ」

「あ、あたし、行きますっ」

 

 八番と打順が遠い香月(こうづき)が手を上げ、グラブを持ってあおいと一緒にブルペンへゆっくりと歩いて行く。

 

「あのー、仕上げとはどう言うことでしょうか?」

「見りゃわかるさ。ほら、もう効果が出たぞ」

 

 はるかの疑問に軽く笑って答えた東亜(トーア)の視線の先は、気を入れ直し終えた阿畑(あばた)。その阿畑(あばた)が顔を上げた時、キャッチャーが見ていた方へ思わず釣られて見てしまった。

 

 それは――恋恋高校のブルペンだった。

 

「(なんや、エースが準備始めよった。次のイニングから投げるんか......? こら、マズイで――)」

 

 あおいがブルペンに入ったことで、マウンド上の阿畑(あばた)の顔色が明らかに変わった。

 

「あれ? あの方、なんだかすごく動揺してるような気がするのですが?」

「当然だ。相手の攻撃はあと三回、ここで本格派の片倉(かたくら)から、超変則型(アンダースロー)のあおいに交代されようものなら、もう簡単に得点は見込めない」

 

 そよ風高校は、全試合エース阿畑(あばた)のピッチングと虎の子の一点を守って僅差で勝ち上がって来たチーム。今ここで失点しようものなら勝利は確実に遠退く。そう意識してしまった。そして悔やむ、無駄な意地で不用意に先頭バッターをスコアリングポジションへ許してしまったことを。

 

「自らの驕りで招いたピンチ、もう失点は絶対に許されない。必ず探す、このピンチを乗り切れる道、必勝の策を。そして気づき、そこへ必ず逃げ込むのさ」

 

 ――そここそが破滅の地とも知らずにな。

 まるで獲物が罠にかかるまでの過程を楽しむかのように、東亜(トーア)は不気味に笑った。

 

 

           * * *

 

 

「よう、どうなってる?」

 

 あかつきナインたちが観戦しているスタンドへ、同じジャージを着て、藤色に白いラインが入ったバンダナを頭に巻いた眼光の鋭い男子が遅れてやって来た。

 

「ん? ああキミか、二宮(にのみや)

 

 彼の名は――二宮(にのみや)瑞穂(みずほ)。ハイレベルなバットコントロールで安打を量産し、持ち前の強肩と強気なリードで投手陣を引っ張る正捕手、あかつき大学付属の扇の要。

 彼が遅れてやって来たのは、控え室で監督、そして今日の先発投手を含めミーティング行い、軽くキャッチボールをしていたため。二宮(にのみや)は空いている席に座り、バックスクリーンのスコアに目を向けた。

 

「六回裏一点差無死二塁で四番か。試合を左右しそうな場面だな」

「ああ、正にここがターニングポイントとなるとオレは見ている」

「そうか。で、どっちが有利だと思ってんだ? お前は」

 

 二宮(にのみや)に訊かれた四条(よじょう)は少し考え、真剣な表情で自分の見解を述べる。

 

「オレは――そよ風が優勢と見ている」

「理由は?」

「まず第一に三振を奪える決め球を持っていること。五回に失点はしたが、決め球の高速ナックルを打ち込まれたワケではない。投手の方に分がある」

 

 眼鏡を指先で軽く触れ、「奪った三振も全て高速ナックルだ。コースに決まれば、そう簡単にタイムリーは打てないだろう」と言った四条(よじょう)に、二宮(にのみや)は眉を潜めた。

 

「ああ? おい、マネージャー、スコアブックを寄越せッ!」

「は、はいっ、どうぞ!」

 

 あかつきの女子マネージャーで、四条(よじょう)の妹の澄香(すみか)が、スコアブックを差し出す。

 

「オイ、貴様! 澄香(すみか)になんて態度を――」

「うっせーな、シスコン! ちょっと黙ってろッ!」

「――なッ!」

 

 苦虫を噛み潰したような表情(かお)で殺気を放つ四条(よじょう)のことは完全に無視して、スコアブックに目を通し、澄香(すみか)に訪ねる。

 

「全三振の内訳は?」

「高めの空振り三振が二つ。低めの見逃し三振が九つです」

「はぁ? 15個のアウトのうち11個が三振で、低めは全部見逃しだ......? あきらかに異常じゃねーか!」

 

 三振内容の異様さに怒鳴り声を上げた。

 

「いきなり大声を出すな。お前は最初から観ていないから疑問を抱いただけだ。オレも同じ立場だったら同じことを思っただろう。だが事実、この試合低めの高速ナックルは一貫して手を出していないんだ。140キロ前後のストレートと、高速ナックルとほぼ同じ球速のシュートに対応しつつ、高めに来たところを一球で仕留めると言う作戦なのだろう。現に前の回は、その形で得点を上げているからな」

「ってもな......」

 

 四条(よじょう)の話を聞いた二宮(にのみや)だったが、どこか納得いっていない様子で腕を組み、難しい表情(かお)でグラウンドへ目を戻した。

 

『カウント2-1、打者有利のバッティングカウント。そよ風バッテリー、このピンチを凌ぎきれるか? はたまた四番のバットで打ち砕くのか! ンンーン、まったく目が放せませんッ!』

 

 キャッチャーから、四球目のサインが出された。

 

「(アバタボール、まあ当然そうなるわな。一番抑えられる確率の高い球種やし)」

 

 阿畑(あばた)もサインに頷いて、セットポジションに入る。キャッチャーは歩かせることも念頭に置き、大ケガだけはしないようにと外角低めへミットを構えた。

 

「(――しもた!)」

 

 構えたミットよりも内よりに入り、あまり変化せずに真ん中やや低めへ来た。しかし近衛(このえ)は、この絶好球を平然と見逃す。判定はストライク。

 そして、この一球こそが、この試合を左右するターニングポイントとなる一球。

 

「(......なんや、あるやないか。この試合もろたで!)」

 

 ついさっきまで険しかった阿畑(あばた)の顔が和らぎ、いつものひょうひょうとした表情(かお)に戻った。その表情を見て、東亜(トーア)が笑う。

 

「クックック、食いついたな。撒いた(エサ)に――」

 

 東亜(トーア)は、この時を待っていた。

 

『カウントツーエンドツー、バッテリーのサインは一回で決まった。マウンド上の阿畑(あばた)やすし、セカンドランナー片倉(かたくら)を目で牽制してモーションに入った――』

 

 ツーツーから選択したのは、アバタボール。

 

『ボール、ボールです! アバタボールが内角低めへ外れた、これでフルカウント!』

 

「(ええ、ええ、ええんや。入らんかったのは偶然(たまたま)や。それにこれで確実や。しっかり()()へ投げきれば必ず抑えられるでぇ......!)」

 

 これが阿畑(あばた)がたどり着いた必勝の策。恋恋ナインはどんな状況(チャンス)であろうと、「低めのアバタボール」は必ず見逃すと言うこと。

 そして、この考えを植え付けることこそが11個の三振と引き換えにしてまで得たかったモノ。気づけば必ず踏み入れる甘い誘惑。その誘いにまんまんと嵌まった。

 

「はるか」

「はいっ」

 

 バッテリーがサイン交換を行う最中、恋恋ベンチからサインが伝達された。近衛(このえ)片倉(かたくら)は、「了解」とヘルメットのツバに軽く触れる。

 

『サインが決まりました。ピッチャー、セットポジションから......アアートッ!』

 

 片倉(かたくら)は、阿畑(あばた)が足を上げると同時にスタートを切った。

 

『セカンドランナー走った、ここで三盗(しかけた)ーッ!』

 

「うっそ!」

「なんやと......!」

 

 バッテリーが選択した球種は当然、アバタボール。

 特殊なナックルの握りのため狙って外すことは出来ない。変化が小さくなる高めならまだしも、捕球すらままならない低めへ投げればこの盗塁は確実に決まる。しかし、ちょっとでも甘く高めに入れば狙い打たれる。加えて低めで三振を奪ってもランナーは三塁、内野ゴロでも同点。ボールなら無死三塁一塁。キャッチャーが後ろへ逸らせば一気にホームを奪われ、同点にされ、更にフルカウントのため勝ち越しのランナーを一塁へ出塁させてしまう。安全エリアだと思っていた場所が一転、危険エリアへと変貌を遂げた。

 そんなネガティブな思考が一瞬の間に、逃げ場を失った阿畑(あばた)の頭の中を駆け巡る。この状況下において正常な心理など保てるワケがない。そんな時、得てして起こることがある。

 

「(な、なんやこれ......。なにしとんねん、なんでワイ――)」

 

 それは――失投。

 全ては、この一球を引き出すため。

 

「(――なんで、ここで()()にいっとんねん!)」

 

 アバタボールの投げ損ない、打ち頃の棒球が真ん中高めに来た。

 

「行け」

 

 そして近衛(このえ)は、この失投を逃さず迷いなく振り抜いた。

 

『打ったーッ! 高めへ来た半速球のボールを完璧に捉えたーッ! 打球が大空へ舞い上がるー! 行くのか? 行ってしまうのかーッ!』

 

 大きな放物線を描いた打球は、レフトスタンド中段で弾んだ。逆転のツーランホームラン。

 

 この逆転の一打で、この試合の勝敗は決した。

 



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対あかつき大附属戦
game56 ~もうひとつの決戦~


大変お待たせしました。


「決勝の相手は、あかつき大学付属高校よ」

「順当だな。で、試合内容は?」

 

 もはや恒例となった理香(りか)東亜(トーア)による、とあるバーでの報告会。東亜(トーア)は、スマホを眺めながら試合内容を聞く。

 

「ちょっと待ってね」

 

 試合内容の要点をまとめたファイルをバッグから取り出して読み上げる。

 

「スタメンはレギュラーメンバー、先発投手は二番手の麻生(あそう)くん」

猪狩(いかり)のパチモンみてーなヤツか」

「ええそう。利き腕は逆の右だけど投球フォームから変化球の変化方向、球速、髪型まで似せて。文字通り、右投げの猪狩(いかり)くんね」

 

 説明を聞きながら東亜(トーア)は、ややバカにしたように鼻で笑う。理香(りか)は、気にせずに話を続けた。

 

「見た目はアレだけど、実力は本物よ。今日の試合も六回まで登板して被安打4、失点はエラーが絡んでの1点のみ」

「六回コールドか」

「いいえ、七回コールドよ」

「七回?」

「そうだけど、どうかしたの?」

「いや、いい。続けろ」

 

 ――そう? と、少し不思議そうに首をかしげた理香(りか)だったが続きを話す。

 

「七回表の攻撃でコールド圏内の点差をつけたあかつきは、捕手二宮(にのみや)くんを除いて代打・代走を使いつつ、二年生へメンバーチェンジして、麻生(あそう)くんもこの回で降板。裏の回にマウンドへ上がったのは、あかつき不動のエース、猪狩(いかり)(まもる)。打者三者を相手に三者連続三振に切って取り試合を締めくくったわ」

「ふーん、投げたのか」

「あかつきの監督、千石(せんごく)監督のインタビューによると予定通りの調整登板だそうよ」

 

 あかつきは、全試合コールドゲームで勝ち上がった。そのため投手の投球イニングも恋恋高校の投手陣と比べると実戦登板が少ない。そして明日は反対ブロックの西東京が先に決勝戦を行うため、日程が一日明くことを計算しての調整登板だった。

 

「調整登板ねぇ、クックック......」

「なによ、その意味深な笑いかた......?」

「俺の経験から言えば、中一日での調整登板などすべきではない。なぜなら疲労が抜けきらないからだ」

「でも球数は15球も投げていないわよ?」

「お前の言う球数ってのは、あくまでも打者へ向けて投げた投球数のことだろう」

 

 試合中継などで表示される球数は、投手が打者に向かって投げた球数。それには試合前やイニング前の投球練習、打者走者への牽制球、ツーアウトになってからのベンチ前での肩慣らしのキャッチボールのなどの球数は含まれていない。

 

「たとえ打者へ向けての実戦投球は15球だったとしても、登板前の肩を作るためのブルペンでのキャッチボールや投げ込み、イニング前の投球練習を合わせれば、少なく見積もっても50球近い球数を放っている」

「50球......」

「例え、どんな楽な場面で軽く投げようとも消耗するのさ、肩や肘ってのは。結果として登板することがなかったとしても、試合展開によっては何試合も続けて肩を作らねばならないプロの中継ぎが、いかに過酷で選手生命が短いと言われる理由が分かるだろ」

 

 これこそが、プロの中継ぎが短命と言われる理由。疲労は必ず蓄積する。だからこそ、どんな試合展開になろうとも必ず投げない日を作ることが重要。長いシーズンを戦うペナントではそう言った捨てゲームを作ることが出来るが、一発勝負の高校野球(トーナメント)ではそれが出来ない。となれば当然、優秀な投手を数多く集められる学校が有利になることは必然とも言える。

 ※実際、高校野球において酷使による故障を危惧し、県によって球数制限を設けようと言う動きもあるようですが。資金源がある私立の名門校が露骨に有利になるため、球数制限導入に苦言を呈す学校も少なくないそうです。

 

「中継ぎが1イニングだけでそれだけ投げているんだ。先発投手は当然もっと投げる。先発投手は100球が目処と、やたらとこだわるヤツがいるが、そう言うヤツほど見かけの数字に騙されて、本質を見誤るのさ」

「......数字の盲点。正に“木を見て森を見ず”ね」

「あかつきは、投手運用に困るような学校じゃない。次期エース候補の二年に経験を積ませるチャンスを捨ててまで、エースをマウンドへ上げた。この代償は高くつくよ」

 

 そう言って小さく笑った東亜(トーア)は、スマホを見ながら、ゆっくりとグラスを口に運ぶ。

 

「さっきから、なにを見てるの?」

「ちょっと面白いもんだ」

 

 すっと、理香(りか)の方へスマホを持っていく。画面に表示された情報を見た彼女は、やや難しそうな表情(かお)になる。

 

「これ......」

「な? 面白いだろ。アイツらは経験しているが、名門校(あかつき)はどうなのかねぇ」

「確かに、でも微妙じゃない? 50パーセントよ?」

「確率的にはな。だが、三割打てれば優秀と言われる打率よりも確率は上だ。そして、この数字通りの現象(こと)が起きたのなら――」

 

 ――荒れるぞ、決勝戦は......。

 

 

           * * *

 

 

 決勝戦前日、明日恋恋高校が戦うスタジアムで、もうひとつの決勝戦が行われていた。

 

『さあ西東京予選大会決勝戦、春夏連続の甲子園出場を目指す覇堂高校対パワフル高校の一戦もいよいよ大詰め! 2-1と覇堂高校がリードした状況で九回のマウンドに立つのは、この男――木場(きば)嵐士(あらし)!』

 

 球審から新しいボールを受け取り、投球練習を行う覇堂バッテリー。パワフル高校はベンチ前で円陣を組み、気合いを入れ、心をひとつにして、九回最後の攻撃に挑む。

 

『九回裏一点差最後の攻防が今、始まろうとしていますッ! パワフル高校は上位打線、一番駒坂(こまさか)からの好打順! 土壇場で追いつき、追い越せるか? それともマウンドに君臨する覇堂のエース――木場(きば)嵐士(あらし)が、その豪腕でパワフル打線を捩じ伏せ、栄光を掴み取るのかーッ? ンンーン、まったく最後まで目が離せませンッ!』

 

 場内アナウンスが流れ、バッターボックスに立った駒坂(こまさか)は、「よっし、こーいっ!」とバットを木場(きば)に向け、気合いを入れて叫ぶ。

 

「気合いだけじゃ......オレの真っ直ぐは、打てねーぜ!」

 

 大きく振りかぶった。ワインドアップから放たれる豪速球がキャッチャーミットに重く鈍い音を響かせる。

 

『豪快なストレート! スピードガンは150キロを計測! まだまだ球威は衰えていませんッ!』

 

「オッケー、走ってるぞ!」

「オウ!」

 

 水鳥(みずとり)からの返球を受け取り、焦らずにサイン交換を行い投球モーションに入った。

 

「ストライク! ストライクツー、カウントノーツー!」

「くっ......」

 

 150km/hを超すストレート二球で追い込まれた。 そして三球目もストレート、完全な振り遅れ。高いミート力を持つ駒坂(こまさか)だが、バットに当てることさえも出来ずに三球三振に倒れた。

 

「......先輩、お願いします!」

「よーし......!」

 

『先頭バッターの駒坂(こまさか)を仕留めてワンナウト。続くバッターは、くせ者のスイッチヒッター、小田切(おだぎり)!』

 

 小田切(おだぎり)は、なんとか出塁しようとセーフティバントなどで揺さぶりをかけるが、木場(きば)はまったく動じない。それどころか、出来るものならやってみろと言わんばかりに自慢の豪速球で、小田切(おだぎり)をねじ伏せた。

 

「......すみませんっす。星井(ほしい)先輩、あとは頼みます......!」

「ああ、わかってる。東條(とうじょう)、絶対にキミに回すから......!」

 

 ネクストバッターの東條(とうじょう)は、鋭い眼光でうなづく。

 

「最後の勝負だな、星井(ほしい)

「......そうだね、最後の勝負だ。ボクは必ずキミを打つ。そして――」

 

 ネクストバッターズサークルで自分が出塁することを信じて準備をしている東條(とうじょう)に、星井(ほしい)は目をやって小さく笑った。

 

東條(とうじょう)が試合を決めるところを見届ける......!」

「言ってくるじゃねーか。なら先ず、お前がオレを打って見せろ......!」

「当然だよ。さあ勝負だ、木場(きば)!」

 

 星井(ほしい)は左バッターボックスで構え、木場(きば)は投球モーションに起こした。

 初球は、150キロを超える爆速ストレート。

 

『ふらふらっと上がった打球は三塁側スタンドに入って、ファール! ワンストライク!』

 

「(くそっ、まだ振り遅れている。もっと始動を速めないと......!)」

 

 タイムを要求し、打席を外した星井(ほしい)は、今の爆速ストレートの軌道を思い出しながら素振りをしてバッターボックスに戻った。

 

「ありがとうございます」

「うむ。プレイ!」

 

『さあ仕切り直し、バッテリーの選択は――爆速ストレート! これもファール! しかし、先ほどよりもいい当たりでした! タイミングが合ってきているのか?』

 

「よし、もう少しだ......!」

 

 打席で手応えを感じている星井(ほしい)。そんな彼に、マウンド上の木場(きば)は複雑な感情を抱いていた。

 

「(星井(ほしい)......お前、ホントに変わったな。覇堂(うち)にいた頃とは別人だ。あの頃のお前は、こんな痺れる場面に直面すると、いつもおどおどしてたよな......)」

 

 プレートを外し、ロジンバッグを弾ませながらパワフル高校のベンチを横目で見る。そこには精一杯声を張り上げ、星井(ほしい)に声援を送る、パワ校ナインたち。

 

「(覇堂(うち)を出たお前は、その先で最高の仲間たちと出会ったんだな......)」

 

 ロジンバッグを投げ捨てる。

 

「(だけどな――)」

 

 サイン交換を行い、木場(きば)はモーションを起こす。

 

「(ボクは、打つ......ボクを受け入れてくれた。みんなのためにも――!)」

「(オレにも、負けられねぇ理由があんだよ!)」

 

『足が上がった、勝負の一球!』

 

 バッテリーの選択は、三球続けて爆速ストレート。アウトローいっぱいの見逃せばストライクの完璧なコース。

 

「ぐっ......いけーッ!」

「フェア、フェアーッ!」

 

星井(ほしい)、打ったー! 長打コース!』

 

 星井(ほしい)は、この難しいボールに食らいついた。差し込まれながらも振り切った打球は、サードのグラブの先をかすめ、三塁線を破りファールゾーンを転々と転がって行く。

 

「ストップ! ストップ!」

「いや、行く!」

「あっ! おいッ!」

 

 一塁コーチャーの指示を無視してセカンドへ向かった。ツーベースヒット。しかし、これはパワフル高校の監督にとっては想定外の出来事だった。

 

「どうしてなんだ? 星井(ほしい)......!」

 

 次はこの試合の先制点を叩き出した、四番の東條(とうじょう)。しかし、星井(ほしい)が二塁へ行ってしまったことで一塁が空いてしまった。自ら敬遠をしやすい状況を提供してしまったからだ。

 

「先輩......」

「心配しないで大丈夫だよ。木場(きば)は、絶対に逃げない。ここで逃げるような男じゃないさ」

 

 息を整えながらプロテクターを後輩に預け、マウンドに集まった覇堂内野陣を見つめる。

 

「うまく打たれたな」

「ああ、最後の最後で押し込みやがった。当てにいくだけならファールフライで終わってたってのに、やってくれるぜ」

「さて、一塁が空いているな。ここは完璧に抑え込んでいる香本(五番)と勝負するのがセオリーだが......」

「ああ?」

 

 木場(きば)は、この状況でのセオリーを話す水鳥(みずとり)に鋭い視線を向ける。

 

「四番から逃げて甲子園に行くくれーなら、死んだ方がマシだ!」

「フッ、奇遇だな。俺も同じことを考えていた」

「あん? なんだよ、お前らしくねぇな」

「簡単なことだ。俺はお前が、四番に二度も打たれるとは思っていない。それだけのことだ。それに、ここで打たれるようなら......()()と勝負する資格はない。そうだろう?」

「......ああ、その通りだ!」

 

 他のナインたちも二人と同じ考えを共有していた。各々木場(きば)に、ひとこと声をかけてからポジションに戻り守備に着く。

 

『さあ試合再開です。一打同点、一発が出れば逆転サヨナラの場面で四番の東條(とうじょう)がバッターボックスへ向かいます。おーっと、キャッチャーは座ったまま! どうやら敬遠はせず、勝負を選択したようですッ!』

 

「......いいのか? 敬遠しなくて――」

「忠告感謝する。だが生憎俺たちは、木場(エース)を信頼しているんでね。必ずお前を仕留めてくれると――」

「フッ......」

 

 どこか嬉しそうに笑った東條(とうじょう)は、バットを構えた。初球、爆速ストレートを見逃してストライク。二球目はカーブをアウトコースへ外してカウント1-1。

 

「ファ、ファール!」

 

 間一髪で打球をかわし、一塁塁審は両手を広げる。

 

『ファールです! 鋭い当たりでしたが一塁線へ切れてファール! パワフル高校、ついに土俵際まで追い込まれてしまったーッ!』

 

 しかし、ここから東條(とうじょう)は驚異的な粘りを見せる。

 

『な、なんと、追い込まれてからファールで粘り、ボール球を見極め、遂にフルカウントまでこぎ着けました!』

 

 しかも、確実にタイミングが合ってきている。

 この時、東條(とうじょう)の集中力は極限まで到達していた。彼から放たれる異様な気配を、木場(きば)も感じている。二人の呼吸がぴったりと重なった。

 

『フルカウントからの勝負球――あーっと! なんと、木場(きば)! 振りかぶったーッ!』

 

 ランナーを無視してのワインドアップ。

 だが、セカンドランナーの星井(ほしい)はスタートを切らなかった。無意識に、この二人の勝負を見届けることを選んだ。

 

「これで......終わりだーッ!」

「――フッ!」

 

 木場(きば)渾身のインハイの爆速ストレートを、東條(とうじょう)は完璧に振り抜いた。快音を残し、引っ張った打球はライト上空へ高々と舞い上がった。

 

東條(とうじょう)、打ったー! 完璧に捉えたーッ! 打球を追ってライトが全力で下がるぅーッ!』

 

「――よ」

 

 木場(きば)は、打球を見ることなく膝に両手をついた。

 

「あり得ねぇよ......」

 

 ライトの足が止まった。

 

「――ホームランはな」

 

 フェンスの手前で振り向いたライトは、グラブを掲げ、フェンスの手前で打球を捕球。同時にマウンドへ向かって全速力で駆け出した。

 

『試合終了ーッ! 勝ったのは、栄光を掴んだのは覇堂高校ーッ! 東條(とうじょう)の当たりは、もうひと伸び届きませんでした!』

 

 左腕を空へ向かって伸ばし、大きくガッツポーズをとる木場(きば)。彼の元へナインたちは駆け寄り、勝利の喜びを爆発させた。

 

「......負けた、か」

「お疲れ、東條(とうじょう)

「......いえ、力及ばず申し訳ないです」

 

 うつむき悔しさに唇を噛み締める東條(とうじょう)の肩を抱いた星井(ほしい)は、「ありがとう」とお礼を言って、涙を流すナインたちの最後尾に並んだ。

 

「2対1、覇堂高校! 礼!」

 

 球審の号令の後「ありがとうございました!」と、両校はお互いの健闘を称え合う。

 

「負けたよ、木場(きば)

星井(ほしい)

「ボクたちに勝ったんだ。初戦で負けたら許さないからね」

「ったりめーだ! つーか......」

 

 木場(きば)は、内野スタンドに目を向けた。

 

「アイツらにリベンジするまで、ぜってぇーに負けねぇ......!」

 

 そこに居たのは、かつて練習試合でコールド負けという大敗を喫した、恋恋ナインたちの姿があった。

 

「あれ? なんかボクたち、睨まれてる?」

「みたいだね」

 

 木場(きば)は彼らを指差し、聞こえるように大声で叫んだ。

 

「オイ、オメーら! オレは約束は果たした、次はお前たちの番だ! あかつきなんかに負けたらブッ飛ばすからな! っておい、静火(しずか)、なにすんだよっ?」

「うっさい、キャプテンなんだから最後までちゃんとしてよっ!」

 

 マネージャーで妹の静火(しずか)に首根っこを掴まれ連行されて行く。ついさっきまで死闘を繰り広げていたライバルの情けない姿に、星井(ほしい)は苦笑い。

 

「ちょっとちょっと激励って言うか宣戦布告されちゃったわよっ?」

「へへっ、こりゃ負けられねーな」

「最初から負けるつもりはないわ」

「うん、ボクもだよ」

「当然オイラもでやんす......!」

「だね。じゃあ帰ろう。明日は、俺たちの番だ」

 

 恋恋高校ナインたちは席を立ち、球場をあとにする。

 その去り際、鳴海(なるみ)星井(ほしい)は目を合わせて微笑みあった。声には出さなかったが、二人は想いは一緒だった。

 

 ――決着は、プロの世界でつけよう、と。



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game57 ~波乱の幕開け~

 決勝戦前日の午後、あかつき大附属高校の監督千石(せんごく)は軽めの全体練習のあと、ベンチ入りメンバーを集めてミーティングを開いた。

 

「よし、全員集まったようだな。ではデータ班、始めてくれ」

「はい」

 

 対戦相手の分析を担当するデータ班を指揮する四条(よじょう)が前に出て、詳しい解説を行う。

 

「――不気味な相手。恋恋高校をひとことで表すとすれば、この表現が的確だとオレは思う」

 

 険しい表情でメガネに手を触れ、ノートパソコンを操作。パソコンの画面と同じ映像がプロジェクターを通して投影される。

 

「先ずは、これを見てくれ」

 

 映し出されたのは、恋恋高校対そよ風高校の試合を編集した映像。

 

「試合は前半、そよ風のペースで進んでいた。特に先発の阿畑(あばた)は立ち上がりから絶好調、五回終了時点で失点は当たり損ないのタイムリー内野安打の1点のみで11個の三振を奪った。しかし――」

 

 次の映像に切り替える。

 

「彼は、次のイニングに突如として崩れた。四番のホームランで逆転を許すと、さらに失点を重ね勝敗は完全に決した」

「打ち込まれた原因は、わかったのか?」

 

 二宮(にのみや)が訊ねる。

 

「ああ、ピッチングフォームの乱れだ」

「フォーム?」

「分かりにくいかもしれないが、この回から僅かながらピッチングフォームに変化が生じていた」

 

 快投を続けた五回までのピッチングフォームと、打ち込まれた六回以降のピッチングフォームを比較できる用に並べて映す。

 

「投手経験者に聞きたい。キミたちはストレートを投げる時、なにを意識して投げている?」

 

 四条(よじょう)に質問を投げかけられた投手たちは、体重移動や腕の振りなど自分が投げる時を思い出しながら答えた。

 

猪狩(いかり)、キミはどうだ?」

 

 四条(よじょう)は一番後ろで聞いている、猪狩(いかり)(まもる)に意見を求めた。

 

「上半身と下半身の完璧な連動運動。小手先に頼らず、指先まで全神経を研ぎ澄ませ、強力なスピンをかけることを常に意識している」

「そう、それだ。速く力強いストレートを投げるためには、手首を使ってスピンをかける必要がある。回転を極力殺して投げるナックルとは正反対の投げ方だ。これを見てくれ」

 

 手元のパソコンを操作し、別の画像に切り替える。六回裏の先頭バッター、片倉(かたくら)へ投げた初球の映像。

 

「きっかけは六回の裏、先頭バッターへのストレート。阿畑(あばた)は、このバッターまでストレートの球速は135km/h前後だった。しかし、このバッターに投げたストレートは144km/hを計測した。これをどう捉える?」

「どうと言われてもなぁ、野手のワシらに聞かれてもわからんぞ」

「つーか、140を投げれるなら最初から投げればいいじゃん。ストレートは速い方が打ちにくいし」

 

 三本松(さんぼんまつ)八嶋(やしま)の意見を聞き、六本木(ろっぽんぎ)は自分なりの考えを述べる。

 

「ペース配分じゃないかな? 中継ぎと違って長いイニングを投げないといけないし。彼は、ひとりで投げてきたんでしょ?」

「キミの言う通りだ、六本木(ろっぽんぎ)阿畑(あばた)は全試合ひとりで投げ抜いてきた、当然ペース配分を考えて投げている。オレたちも最初はそう考えていた。だが全試合を分析した結果最速でも140km/hだった。なにか別の理由があったとオレは推察している」

「確かに妙だね」

 

 猪狩(いかり)は、四条(よじょう)の意見に同意した。

 

「ボクもペース配分は考えて投げるけど。クリンナップからとはいえまだ六回、そこまで極端に力を入れて投げる場面じゃない」

「オレもキミと同じ意見だ。そもそも確実に打ち取るのなら高速ナックルでよかったハズだ。事実、高速ナックルで奪三振の山を築いていた訳だからなおのことな。真意は本人にしか分からないが、普段よりも力を入れて投げたこの一球が、フォームを乱す原因となったことは間違いない」

 

 逆転ホームランを打たれた近衛(このえ)の打席に映像を移す。近衛(このえ)へ投げた全投球を、様々な角度から撮影した映像をスローモーションで再生する。

 

「次が、カウント2-2からの五球目だ」

「あん? この高速ナックル、少し回転してねーか?」

「フッ、気づいたか」

 

 四条(よじょう)は動画を巻き戻し、五球目をもう一度再生する。二宮(にのみや)が指摘した通り、アバタボールはほんのわずかではあるが通常よりの回転していた。

 実は、あの五球目が内角へ外れたのは偶然ではなかった。わずかに回転がかかっていたことで横への変化はほぼなく、やや縦に落ちただけのナックルになっていた。

 

「そしてこれが、ホームランを打たれたボールだ。これは分かりやすいだろう?」

「肩の開きが早い、肘も下がってるし、テイクバックも小さい。フォームがメチャクチャじゃねーか......!」

「セカンドランナーの盗塁が目に入って、速く投げなければと言う意識が働いたのだろう。結果は見ての通りだ」

 

 東亜(トーア)の、片倉(かたくら)が140km/hを投げたことで大きな意味を持つと言った理由こそが、これ。高速ナックルを打ち崩すのは至難の業、なら打ちやすいボールを投げさせて打てばいい。

 そのきっかけを作ったのが片倉(かたくら)への対抗心で投げた、通常よりも速いストレート。球速を出すためにいつもより力を入れて投げたことで、繊細さを必要とするアバタボールを投げるために作り上げたフォームを自ら崩してしまった。通常の心理状態であれば修正することは可能だったが、東亜(トーア)はそれを許さなかった。

 近衛(このえ)のバントの構え、あおいをブルペンへ送り、さらにフルカウントからの三盗で心理的抑圧(プレッシャー)を与え、たった一球の失投を引き出した。

 それはまるで長い時間をかけた組み上げた積み木の根元を引き抜くかのような行為。土台を失った積み木は、音を立てて崩れ落ちた。

 

「しかし、本当に恐ろしいのはここからだ。恋恋高校は、逆転のホームランで気落ちしたところを見逃さず、一気に畳み掛けて勝負を決めた。他の試合でも同じだ。訪れたチャンスは必ずモノにし、ビッグイニングを作る。とにかく相手を流れに乗らせないことが重要なポイントとなるだろう。以上だ」

 

 解説を終えた四条(よじょう)は、ミーティングルームの電気をつけ。他のデータ班のメンバーと手分けして恋恋高校の詳しい資料を全員に配布したのち、口を真一文字に結んで黙ったまま解説を聞いていた監督の千石(せんごく)に委ねる。

 

「では監督、お願いします」

「うむ......」

 

 千石(せんごく)はパイプ椅子から立ち、あかつきナインたちの正面に立つ。

 

「明日の決勝戦は、おそらく今までで一番タフな試合になるだろう。だがしかし、過度に恐れることはない。なぜならお前たちは、間違いなくあかつき野球部史上最強のメンバーであるからだ!」

 

 普段厳しい監督の激励に、ナインたちの顔つきが変わる。

 

「お前たちほど自身に厳しく、ライバルと競い合い、己を高めてきた者たちはいない。明日の試合に勝利し、そして春の雪辱を果たそうではないか......!」

『――はい!』

「うむ。では各自、明日に備えてコンディションを調えるように。以上、解散」

 

 ミーティングルームを後にした千石(せんごく)は隣の監督室へ入り、データ班のまとめた資料を片手に恋恋高校の試合を見直す。

 

「(......まだ荒削りではあるが、恋恋高校の野球は、まるで昨年終盤のリカオンズを彷彿とさせる野球だ。相手の動揺につけ込み、一瞬の隙も見逃さずチャンスをものにする。たったの四ヶ月足らずで、ここまでのチームに仕上げてくるとは......。伝説の勝負師――渡久地(とくち)東亜(トーア)か。これは、ひとすじ縄ではいかんだろうな......)」

 

 長年名門あかつき大附属を率いてきた千石(せんごく)は感じていた、波乱の予感を――。

 

 

           * * *

 

 

 覇堂高校対パワフル高校の試合を観戦したあと、恋恋高校も学校でミーティングを行っていた。あかつきの試合内容を分析して、少し気になった部分があれば意見を出し合い。それを理香(りか)とはるかが、ホワイトボードに書きつづって行く。

 一通り出揃ったところで、意見をまとめる。

 

「どこからでも得点を奪える強力な打線、投手を中心にした堅い守備。今までの相手で一番強いと言った感じかしら? 渡久地(とくち)くんは、どう思う?」

 

 一番後ろでめんどくさそうに座っている東亜(トーア)にナイン全員の視線が集まり、なんとも言えない緊張感が漂う。顔を強ばらせるナインたちを後目に東亜(トーア)は、小さく笑った。

 

「常勝とか謳っているからどんなチームかと思えば、たいしたことねーな」

 

 予想外の言葉に戸惑うナインたち。東亜(トーア)は構わずに話を続けた。

 

「お前たちにひとつ朗報だ。明日の試合、一点でもリードした状態で五回を乗り切ることが出来れば――100パーセント勝てる」

 

 一瞬の沈黙のあと、最初に声をあげたのは奥居(おくい)

 

「......マジっすか!?」

「ああ、間違いなく勝てる。が、そのために必ずクリアしなければならないことがある」

 

 東亜(トーア)から出された課題、それは――必ず先制点を奪うこと。そして、それを可能とする戦略が伝えられた。

 

 

           * * *

 

 

「最新の情報によると、70パーセントまで上がったわ」

「またひとつ勝ちへの可能性が上がったな」

 

 いつものバーで二人が話していることは、明日の降水確率。昨夜の時点で降水確率50パーセントだったのが、現時点では70パーセントまで上昇していた。

 

「でも最悪、雨天コールドノーゲームで再試合ってこともあり得るわよ」

 

 高校野球では雨天コールドの場合、七回が終了していなければ例え10点差がついていても試合は不成立となり後日再試合になってしまう。因みにプロ野球は、五回終了時点で試合成立となります。

 

「雨天コールドになるほどは降らないだろう。夕方には千葉の方へ抜ける予報だからな、今のところは。そうなりそうになったら徹底的にダメージを与えて再試合に持ち込むだけだ」

「ウチとやった試合(とき)のようにか?」

 

 理香(りか)とは、違う男の声。

 二人の会話に割って入ったのは、千葉マリナーズの高見(たかみ)(いつき)だった。

 

「よう」

高見(たかみ)選手っ、どうして東京に?」

「今日はデーゲーム、明日の試合は朝から大雨の予報で順延が決まったんです。それで決勝戦を現地で観戦しようと思って、恋恋高校の応援をかねてね」

「あっ、それで......」

「暇なヤツだな」

「ちょっと、せっかく来てくれたのに......!」

「ははっ、構いませんよ」

 

 高見(たかみ)は断りを入れ、空いていた東亜(トーア)の隣の席に座る。

 

「勝算は?」

「勝つさ」

 

 ――当然だろ? とグラスを口に運ぶ。

 

「相変わらず強気だな。あかつきの猪狩(いかり)は、マリナーズのスカウト陣の評価でも最高ランクの選手。特に、“あのストレート”は魅力的だ」

「すでに手は打ってあるさ」

 

 明日の予定オーダーが記載された資料を、高見(たかみ)の手元へすべらせる。

 

「これは......またずいぶんと思いきったな」

 

 一番に定着していた真田(さなだ)を六番に下げ、代わりに矢部(やべ)を一番へ持っていき、さらに芽衣香(めいか)葛城(かつらぎ)の打順も入れ換えた。これにより、一番からスイッチヒッターの四番の甲斐(かい)まで右打者が続くオーダーとなっている。

 

「やはり奥居(おくい)くんたちが準決勝を欠場したのは、猪狩(いかり)(まもる)対策のためだったか。けど、鳴海(なるみ)くんが五番の理由は?」

 

 高見(たかみ)の疑問は自然だった。鳴海(なるみ)真田(さなだ)はタイプは違うが同じ左打者。そして一般的には左投手対左打者は、投手が圧倒的に言われている。準決勝を欠場させ、猪狩(いかり)対策に専念させていた真田(さなだ)を、鳴海(なるみ)の前へ置く方が自然な発想。

 

鳴海(なるみ)が、()だからさ」

「左投手が得意なのか?」

「いや、取り立てて得意ではない。データで言えば苦手な方だろう。いや、“苦手だった”だな」

 

 眉をひそめる高見(たかみ)東亜(トーア)は、「明日になれば分かるさ」と意味深に小さく笑って見せた。

 

 

           * * *

 

 

 決勝戦が行われる舞台は、大学野球やプロ野球チームも本拠地に構える新宿球場。名門あかつきの連覇、今年から女子部員の参加が認められ、彼女たちが原動力となって勝ち上がってきた恋恋高校。メディアにも大きく取り上げられ、話題となっているこの試合のチケットは既に完売。試合開始時刻までまだ一時間以上あるのに大勢の観客たちでごった返している。

 

『ついに、ついにこの日がやって参りました! 東東京大会決勝戦! 勝った試合はすべてコールドゲームの常勝あかつき大学附属高校対ノーシードから勝ち上がってきた恋恋高校! いやー、目が放せませんッ!』

 

「なに? 先攻を選んだだと」

「はい、相手のキャプテンは迷わずに先攻を選びました」

「......そうか、わかった」

 

 報告を終えた猪狩(いかり)は、肩を作るためブルペンへと向かい。ベンチに座った千石(せんごく)は、腕を組んで頭を悩ませていた。

 

「(一番を矢部(みぎ)に変えたのは分かる。だが、これはなんだ......? なぜ、八番と九番に投手を入れている?)」

 

 八番に先発で瑠菜(るな)、九番にライトであおいを入れると言う奇策を打った。これが頭を悩ませていた原因。さらに恋恋高校が先攻を選んだことも追い討ち。先ず猪狩(いかり)のピッチングで圧倒して、試合を有利に運ぶために後攻を取りたかったからだ。しかし、恋恋高校は自ら先攻を選んだ。想定外のことに千石(せんごく)は険しい表情(かお)で、恋恋高校のベンチに目を向けた。

 

「狙い通り先攻を取れたわね」

「まあ勝とうが負けようが、あかつきは後攻を選んだだろうけどな」

 

 東亜(トーア)は狙い通りの展開に、してやったりとあざ笑う。

 

『グラウンド整備が終わり、アンパイヤが出てきました。試合開始の時が刻一刻と迫ってきました。わたくし、この興奮を抑えられませんッ!』

 

 球審の号令で両校の選手たちが、グラウンドへ駆け出し、一列に整列。

 

「先攻恋恋高校、礼!」

 

「お願いします!」と、両校の選手たちは揃って礼。恋恋は全員ベンチへ戻り、あかつきはスタメンがグラウンドに残る。

 

「よっしゃ、こーい!」

「ああ、行くぞ......!」

 

 猪狩(いかり)が、二宮(にのみや)を相手に投球練習を始めた。場内に猪狩(いかり)目当ての女性ファンたちの黄色い声が飛び交う。だが、そんなことには目もくれず恋恋ナインたちは真剣な表情(かお)で、東亜(トーア)の前に集まっていた。

 

「さて、昨日のことは覚えているな?」

 

「はい!」と、声を揃えて返事。

 

矢部(やべ)、初球は必ず外角のストレートでストライクを投げてくる。そいつを狙い打て、決して当てに行くようなマネはするなよ」

「了解でやんす! 男矢部(やべ)、魂のフルスイングで期待に答えるでやんす!」

 

『先攻恋恋高校の攻撃は一番センター、矢部(やべ)くん』

 

 アナウンスを聞いた矢部(やべ)は、自信に溢れた表情でバッターボックスへ向かう。

 

『さあ、いよいよプレイボールの時間が迫ってまいりました。先頭バッターの矢部(やべ)がバッターボックスで構えます!』

 

 球審の右手が上がる。

 

「プレイボール!」

 

『今、アンパイヤの手が上がりました! 決勝戦が始まりましたーッ!』

 

 試合開始を告げるサイレンが鳴り響く中、あかつきバッテリーはサイン交換を行い。矢部(やべ)に対して、この試合の初球を投じた。

 

矢部(やべ)、初球打ち! やや振り遅れた打球はライトの上空へ、これは打ち上げてしまいました!』

 

 ライトの九十九(つくも)が、打球を追って下がる。

 

「オーライ、オーライ......って――」

 

 こちら向きで下がりながら打球を追っていた九十九(つくも)の足が止まり、そして後ろを振り向いた。平凡なライトフライと思われた打球は、風に乗り、ライトポール際に吸い込まれた。

 

『......は、入りましたーッ! まだ試合開始のサイレンも鳴り止まぬ中、矢部(やべ)明雄(あきお)、なんと初球先頭打者ホームラーンッ!』

 

 矢部(やべ)のオープニングホームランと言うまさかの一撃で、決勝戦は波乱の幕開けとなった。



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game58 ~奇策~

『あかつき内野陣の要、ショートストップの六本木(ろっぽんぎ)。その華麗なグラブ捌きで、恋恋高校の四番をアウトに仕留めました! これでスリーアウトチェンジです! エース猪狩(いかり)、先頭バッターにオープニングホームランを打たれはしましたが二番、三番、四番をキッチリとアウトに取りましたー!』

 

 ベンチへ戻った猪狩(いかり)は険しい顔で、二宮(にのみや)に訊いた。

 

「ボクのボールは、走っていないのか......?」

「んなことねーよ、球は走ってる」

「なら、なぜ三振を獲れなかった?」

 

 それは、二宮(にのみや)も思っていた。準決勝を三者連続三振と、最高の形で終わらせて満を持して上がった決勝戦のマウンド。決して調子が悪いワケではない、むしろ良い方。それは猪狩(いかり)のボールを受けている彼自身が一番良くわかっていた。

 だが、芽衣香(めいか)はファーストゴロ、奥居(おくい)はセンターへのやや浅いフライ。そして甲斐(かい)もショートゴロと、三振をひとつも奪えなかった。しかも矢部(やべ)に打たれたホームランを払拭させ、自信をつけるためあえて三振を狙いにいった配球にも関わらず。

 

猪狩(いかり)、先頭バッターに打たれたのは出会い頭だ。気にするな」

 

 どう答えるべきか悩んでいたところへ、千石(せんごく)猪狩(いかり)に声をかけた。それに「はい」と答えた猪狩(いかり)だったが――。

 

「(先頭バッターに出会い頭で打たれるほど、今日のボクのストレートは良くないのか......? それとも――)」

 

 千石(せんごく)の言葉で、逆に疑念を深めてしまった猪狩(いかり)が見つめる先は――恋恋高校のベンチ。

 

「で、どうだ? アイツの印象は」

 

 猪狩(いかり)が見つめている恋恋高校のベンチでは、彼のピッチングを肌で感じてきた矢部(やべ)を除く三人に、東亜(トーア)は問いかけた。三人は守備の準備をしながら答える。

 

「データ通り、コントロールはかなり良いです。ストレートも、変化球も、しっかりコーナをついて来ますし。あのストレートは噂以上です。手元でのノビが半端なかったです。初見で攻略するのは難しいかと」

「でも球威は木場(きば)、角度はあおい、キレは瑠菜(るな)ほどじゃない感じがしたわね。あたし的には」

「オイラも浪風(なみかぜ)と同じように感じたぞ。けど、変化球はかなり切れてた。特にスライダーは、相当手元で曲がってくるっす」

「ふーん」

「さあ、もう守備の時間よ。話しの続きは守ってからになさい」

 

「はい!」と三人は揃って返事をして、グラウンドへ駆け出して行く。先発のマウンドを任された瑠菜(るな)は、新海(しんかい)を相手に投球練習を行いながら、ネクストバッターの五番であったため準備が遅れている鳴海(なるみ)を待つ。

 

「お待たせ、瑠菜(るな)ちゃん。ありがと」

新海(しんかい)くん、ありがとう」

「いえ、じゃあ戻ります!」

 

 鳴海(なるみ)がキャッチャースボックスに座って、バッテリーは本格的に投球練習を始める。入れ替わりでグラウンドから戻ってきた新海(しんかい)に、東亜(トーア)瑠菜(るな)の調子を訊ねた。

 

「どうだ? 実際に受けてきた印象は」

「今日の瑠菜(るな)先輩、コントロールが抜群です。ミットを構えたところから、ほとんど動きませんでした」

「フッ、ならこの試合(ゲーム)鳴海(アイツ)のゲームメイクが勝敗を左右しそうだな」

 

 そう言って東亜(トーア)は、どこか楽しんでいるように笑った。

 

           * * *

 

 あかつきのベンチ前では、八嶋(やしま)を始めとしたスタメンが瑠菜(るな)の投球練習を食い入るように観察している。

 

「先発は、軟投の左の女子か。てっきりアンダーの女子で来ると思ったんだけどなー」

「しかし、彼女も一癖ある投手であることは間違いない。準々決勝関願の四番は、まるでボールが突然浮き出てくるようだったと形容していた。油断するなよ、八嶋(やしま)

「わかってるって、じゃあ行ってくるぞー」

 

 場内にアナウンスが流れ、先頭バッターの八嶋(やしま)は左のバッターボックスに立ち、入念に足場を整えて構える。

 

「プレイ!」

 

 右手を上げた球審の合図、試合再開。鳴海(なるみ)はじっくりと、八嶋(やしま)のフォームを観察してサインを出す。そのサインに一回で頷いて瑠菜(るな)は、ゆったりと投球モーションに入った。

 

『さあ、十六夜(いざよい)瑠菜(るな)の初球は――ストレート!』

 

「――おっとっ!」

「ボール!」

 

 初球は内角胸元に近いストレート。やや仰け反る形で避けた。

 

『恋恋バッテリー、注目の初球は慎重にボール球から入って来ました』

 

 タイムを要求してバッターボックスを外した八嶋(やしま)は、バックスクリーンの数字を確認して驚く。

 

「(118キロ......マジで? 全然スピード出てないじゃん、なのになんであんなに速く感じたんだ?)」

 

 軽く首を捻りながら、バッターボックスで構え直す。

 

「(よし、もうちょい始動を早めてみるか......)」

「(目に色が変わった、上手く意識させられたみたいだ。これを振らせてストライクをひとつ貰おう)」

「(ええ......!)」

 

『バッテリー、第二球目を――投げました!』

 

「(げっ、今度は来ない――!)」

 

 外角低めのストレート。それも、初球よりも球速を落とした低速ストレート。

 

「こなくそっ!」

 

 始動を早めた八嶋(やしま)は完全に泳がされるも、腕をめいっぱい伸ばして辛うじてバットの先に当てた。引っ掛けた緩いゴロがサードの前へ転がる。

 

「ダメだ、投げるな!」

「ちっ、くっそ~」

 

 いい反応でダッシュして打球を処理したが、俊足の八嶋(やしま)の足がまさり内野安打。あかつきも先頭バッターが出塁。

 

「ふぅ、ベンチに伝えて。あの投手、チェンジアップみたいなのを投げてくるって」

「了解しました」

 

 プロテクターを受け取った下級生はベンチへ戻るとさっそく、八嶋(やしま)の伝言を、監督の千石(せんごく)に伝えた。

 

「あの球持ちの良い投球に加え、タイミングを外す緩いチェンジアップか。ふむ......ここセオリー通り、一番速いストレートにタイミングを合わせつつ緩いボールに対応していけ。いいな?」

 

 頷いたあかつきナインたちは、各自自分の打席に向け準備をすすめる。グラウンドでは二番セカンドの四条(よじょう)は、ややオープン気味に腰を落とし最初からバントの構えを見せた。

 

「(バントか、やっぱり初回からでも確実に送ってくるよな。この二番は、あかつきで一番チームバッティングに徹するタイプだ。でも、この八嶋(ランナー)には盗塁があるからね)」

「(ええ、分かってるわ。そう簡単に思い通りにはさせるつもりはないわ)」

 

 セットポジションで構えた瑠菜(るな)は、ファーストランナーに目を向けたまま足を上げ、一塁方向へ踏み出し素早く牽制球を投げた。大きなリードを取っていた八嶋(やしま)は、手から滑り込んでベースへ戻る。判定はセーフ。

 

「ふぅ、あっぶね~」

 

 と言いつつも、八嶋(やしま)のリードの幅は変わらない。盗塁する気満々と言った感じで再び大きなリードを取る。

 

「(強気だな。ここは、一球外して様子を見よう)」

 

十六夜(いざよい)、目でランナー牽制をして――足が上がった! 八嶋(やしま)、スタートッ!』

 

「(よし、かかった! ――って!)」

「(させるか......!)」

 

 外角へ大きく外したのにも関わらず、バッターの四条(よじょう)は飛び付くようにバットを伸ばした。ボールには当たらず、バントは空振り。だが、ホームプレートに覆い被さる形で盗塁を助けた。ワンテンポ送球が遅れて、二塁はセーフ。

 

八嶋(やしま)、盗塁成功! ノーアウト二塁一打同点の場面を作りましたー!』

 

「くっ......!」

「フッ」

 

 悔しがる鳴海(なるみ)四条(よじょう)はしてやったりとメガネを直しつつ軽く笑みを浮かべた。対象的な二人の表情に、はるかが疑問に思ったことを訊ねた。

 

「あの、渡久地(とくち)コーチ。今のは、守備妨害ではないのですか?」

「いや、一連の動作の範疇だ。事実、球審は守備妨害を宣告してねーだろ。あんな小細工やられる方が悪い。頭に当ててやればいいのさ。そうすりゃ二度とやらなくなる」

「それは、それで問題のような......」

「先に邪魔してきたのは相手だ、遠慮することはない。そもそも、送球のコース上に頭を出す方がどうかしてるんだからな。実際に当てた方が、実害が目に見える訳だから堂々と守備妨害を主張出来るだろ」

「確かに。少なくともなにかしらの注意はしなきゃならないから抑止力にはなるわね。やり方は乱暴だけど」

「なるほど、そう言うものなのですね」

 

 二人の話を聞いたはるかはうなづいて、スコアブックに目を戻した。鳴海(なるみ)も結果を引きずることなく、バッターの観察に神経を注ぐ。

 

「(......決まられたのは仕方ない、切り替えて抑えないと。ここは、もう繋がれさえしなけばいいから――)」

 

 無視二塁、ランナーを三塁へ行かせたくないこの場面でインコースのやや甘いコースのストレートが来た。四条(よじょう)はきっちりとサードへ転がし、送りバントを決める。

 

『バント成功! 四条(よじょう)、クリンナップの前にランナーをサードへ進ませる見事な送りバントを決めましたー! そして迎えるは、現本塁打王――七井(なない)アレフトーッ!』

 

 場内コールに、あかつきも応援スタンドからは大歓声が沸き起こる。

 

七井(なない)よ、次はワシが控えてる。楽に臨めよ」

「わかっているヨ」

 

 重いマスコットバットから通常のバットへ持ち代えて、七井(なない)はバッターボックスへ向かった。

 

「どうしたんダ? 四条(よじょう)

「......いや、なんでもない」

「そうカ、では行ってくル」

「ああ、頼んだぞ」

 

 ベンチへ戻った四条(よじょう)はヘルメットとバット片付けて自分の席に座り、どこか浮かない表情(かお)でグラウンドを見つめている。その様子を不思議に思った九十九(つくも)が声をかけた。

 

「どないしたんや?」

「......今の一球、サードへバントしやすいコースに来た」

「それが?」

「あり得ないだろ、クリンナップの前だぞ? 外野フライで同点だ。普通は簡単に送らせたくないから厳しいコースや変化球を使う場面だ」

「そら誰にでも投げミスくらいあるやろ。アウトコースを狙ったのが、ちょいと甘く入っただけと違うかー?」

「......オレの考え過ぎか」

 

 しかし、四条(よじょう)に予感は当たっていた。七井(なない)が左バッターボックスで構えても、鳴海(なるみ)は座らない。それどころか立ち上がったままキャッチャーミットを外へ大きく掲げた。

 

『――け、敬遠、敬遠です! なんと恋恋高校、初回から三番の七井(なない)を敬遠ですッ! 四番の三本松(さんぼんまつ)との勝負を選択するようですッ!』

 

「な、なんだと......!?」

 

 ネクストバッターの三本松(さんぼんまつ)は、四番である自分が控えている中でのあからさまな敬遠策に怒りをあらわしている。

 

「ちょっとやりすぎじゃない?」

「クックック、だからいいんじゃねぇーか。確かに三本松(アイツ)には大きな一発はあるが、七井(なない)と比べればアバウトで確実性に欠ける。より大きなダメージを与えて潰すには持ってこいの打者(カモ)だ」

 

 不敵に笑う東亜(トーア)が打った、三番敬遠四番勝負と言う奇策に球場全体がどよめく。異様な雰囲気の中でも瑠菜(るな)は、冷静にきっちりと敬遠球を投げきって、三番の七井(なない)を空いている一塁へ歩かせた。怒気に満ちた表情で四番の三本松(さんぼんまつ)が、バッターボックスで構える。

 

「さあ、来んかいッ!」

「(おっ、相当(リキ)んでるな。芽衣香(めいか)ちゃん)」

「(オッケー)」

 

 鳴海(なるみ)のブロックサインで芽衣香(めいか)は、一塁よりのやや深いポジションに然り気無く移動。彼女に合わせるて甲斐(かい)奥居(おくい)も、それぞれポジションを変える。

 

『さあワンナウト三塁一塁。一発が出ればもちろん逆転! 恋恋バッテリー、強打者三本松(さんぼんまつ)を抑えて、このピンチを乗り越えることが出来るでしょーカ? それとも四番の意地を見せ、そのバットで打ち砕くか? 注目の対決ですッ!』

 

 初球は、インコース低めのボール球のストレート。強引に引っ張った打球は、痛烈な当たりで一塁線を切れてファール。カウント0-1。二球目はインハイ。これまた完全なボール球で空振りを奪い、たったの二球で追い込んだ。

 

「(い、いかん、完全に相手の術中に嵌まっている......!)」

 

 千石(せんごく)は、ベンチのギリギリまで身を乗り出し、声を張り上げる。

 

三本松(さんぼんまつ)、冷静になれ! 見極められないボールではないぞッ!」

「(そ、そうだ......なにを熱くなっている。ただ守りやすいよう一塁を埋めただけだ。チャンスは広がった、外野に飛ばすだけでいい場面ではないか......)」

 

 打席を外した三本松(さんぼんまつ)は、深呼吸をして心を落ち着かせる。だが、鳴海(なるみ)瑠菜(るな)のバッテリーは、一球身体に近いところを攻めて大きく仰け反らせた。

 

「(こ、この......!)」

「(よし、良い感じに熱さが戻った。瑠菜(るな)ちゃん、ここで行くよ。コース間違えないでね)」

「(ええ......!)」

 

『バッテリーのサインが決まった! 十六夜(いざよい)、一球遊んだあとの四球目を......投げましたーッ!』

 

「(――外、甘い! もらった!)」

 

 アウトコースやや低めのストレート。

 しかし、ミートポイントで小さく沈んだ。バットの下で叩いた速い打球が、一二塁間へ転がる。

 

『痛烈な当たりーッ! だが、これは――』

 

 打球が飛んだコースは、あらかじめ深めに守っていた芽衣香(めいか)の真っ正面。強烈な当たりに若干ファンブルしそうになったが、きっちり捕球して素早くショートへ送球。

 

奥居(おくい)っ!」

「ほいよ、ファースト!」

 

『セカンドフォースアウト! そして、一塁もアウト! 4-6-3のダブルプレー! あかつき、絶好のチャンスをダブルプレーで逃してしましたー!』

 

 アウトコールのあとに一塁を駆け抜けた三本松(さんぼんまつ)は、両膝に手をついて歯を食い縛り。あかつきの応援スタンドはタメ息に包まれ、ベンチの千石(せんごく)は天を仰いだ。

 あかつきとは対象的に恋恋高校の方は、スタンドもベンチも盛り上がりを見せている。

 

「ふっふっふ......すべては、オイラの一撃から始まった流れでやんす!」

「まあ確かに、あのホームランは予想してなかったわねー」

「ああ、まぐれでも大きい先制点だったぞ」

「まぐれじゃないでやんす、オイラの実力でやんすー!」

 

 賑やかいベンチの中、この回先頭バッターの鳴海(なるみ)東亜(トーア)と話をしつつあおいたちの手を借りながら支度を進める。

 

「狙い通り仕止めたな」

「はい、瑠菜(るな)ちゃんの制球が完璧でした。芽衣香(めいか)ちゃんも上手く捌いてくれましたし」

「追い込んだあとインハイを狙ったのは、お前のサインだろ」

「あ、はい。バッターが冷静を取り戻しかけていたので」

「フッ、それでいい。冷静さを保たせなかったお前の勝ちだ、今回はな。さてと、追加点を奪いに行くぞ」

 

 東亜(トーア)はナインたちを集め、この回追加点を奪うための次の一手を伝えた。



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game59 ~反応~

 二回表、一死一三塁のピンチを防いだ恋恋高校の攻撃は、五番鳴海(なるみ)からの打順。急いで準備を済ませた鳴海(なるみ)は、ネクストバッターズサークルから、猪狩(いかり)が行っているイニング間の投球練習にタイミングを計っている。今、猪狩(いかり)のピッチングを受けているのは、猪狩(いかり)のひとつ下の弟――猪狩(いかり)(すすむ)。前のイニング、ネクストバッターだった二宮(にのみや)が守備の準備している間、兄(まもる)のピッチングを受ける。

 

「ナイスボール!」

 

 キャッチャーミットは良い音を響かせているが、猪狩(いかり)は納得いかないか、険しい表情でボールを手で転がしながら感触を確かめている。

 

「サンキュー、(すすむ)

「あ、はい。あと一球です」

「了解。来い、猪狩(いかり)!」

「ああ......!」

 

 正捕手の二宮(にのみや)が座り、最後の一球を投げ込んだ。そして球場中にアナウンスが流れ、二回表の攻撃が始まる。左のバッターボックスで構えた鳴海(なるみ)は、まっすぐ猪狩(いかり)を見据える。

 

『さあ、猪狩(いかり)の足が上がった。先頭バッターの鳴海(なるみ)に対して第一球を――投げた! ストライク! 指に掛かったストレート!』

 

「(これが、猪狩(いかり)のストレート......ライジングショットか!)」

 

 春の甲子園で惨敗した猪狩(いかり)が、今大会に合わせて会得したストレート――ライジングショット。強力な縦回転(バックスピン)をかけることで、バッターの手元で驚異的なノビとキレを両立した新しい武器。

 

「(あおいちゃんとも、瑠菜(るな)ちゃんとも違う、本当に浮いてくるみたいなボールだ。だけど――)」

 

『二球目もライジングショット! しかし、わずかに高めに外れました。ワンエンドワン平行カウント』

 

「オッケー、ナイスボール!」と、猪狩(いかり)を鼓舞して腰を下ろした二宮(にのみや)は、鳴海(なるみ)に目を向ける。

 

「(手が出なかった? それとも見極められたのか......?)」

 

 二宮(にのみや)の考察は半分正解。フォームに違いはあれども、あおいの高めのストレートの軌道を思い浮かべてボールになると判断して見送った。なぜなら鳴海(なるみ)も、浮き上がるような高めのストレートに手を出させて、カウントを稼ぐ攻めをすることがままあるためだ。そのため、もし仮にストライクでも仕方ないと割り切って見逃せた一球だった。

 

「(芽衣香(めいか)ちゃんたちが言っていた通りだ。確かに噂通りのスゴいストレートだけど、打てないボールじゃない......)」

「(表情にも、構えにも変化はないな。もう一球いって対応をみるか)」

 

 出されたストレートのサインに猪狩(いかり)は、首を横に振った。

 

「(なんだよ、いやに慎重じゃねーか。つってもまあ、先頭バッターに初球をあんな形で持って行かれたから慎重になるのもしゃーねーか。左か、じゃあ()()()で追い込むぞ)」

 

 二度目のサインに頷いて、モーションを起こす。

 三球目は、左殺し内角のボールゾーンから膝下へ入ってくるスライダー。だが、鳴海(なるみ)はまったく動じない。スライダーの軌道に合わせてバットを振った。

 

「うっそ!」

「――なっ!?」

 

鳴海(なるみ)、打ったー! 背中からのスライダーを見事にセンターへ弾き返しましたーッ! 恋恋高校、初回のオープニングホームランに続いて、この回も先頭バッターを塁に出ました!』

 

 鳴海(なるみ)は涼しい顔でプロテクターを外し、回収に来てくれた香月(こうづき)にお礼を言って預ける。

 その様子をスタンドから見ていた高見(たかみ)は、「なるほど、そういうことか」と、昨夜東亜(トーア)が言ったことを完全に理解した。

 

「おお~、あのスライダーを初見で打ったぞ!」

「ええ、普通あんな簡単に合わせられないわ」

「やるわね、猪狩(いかり)対策してなかったのにっ」

「よう。お前ら、どうして左対左が投手が有利と言われているか分かるか?」

 

 東亜(トーア)の問いかけに、今のバッティングの話していた瑠菜(るな)たちは、少し考えてから自分なりの考えを述べる。

 

「やっぱりスライダーとかカーブを使えるからじゃないですか?」

「逃げるボールは、やっぱり手強いと思うっす」

「フッ、じゃあどうして右対右のスライダーやカーブは打てる?」

「えっ!? 言われてみれば......そんなの考えたこともなかったわね」

「おい、芽衣香(めいか)

「はい? って、わぁっ!?」

 

 不思議そうに首を傾げていた芽衣香(めいか)に向かって、東亜(トーア)は持っていたボールを軽く放った。届かずに足下に転がったが、驚いて大袈裟に避けた芽衣香(めいか)は、憤りをあらわにする。

 

「な、なにすんのよっ!」

「はっはっは、それが理由だ」

「へっ?」

「あんな緩く投げたのに、どうして大袈裟に避けた?」

「それは、当たると痛いから......」

「そう、硬球は当たると痛いことを身を持って知っている。だから、左対左は投手が有利なんだ」

 

 日本人の約九割は右利きと言われている。そのため必然的に右投手との対戦が多くなる。そして、投手が一番最初に教わる変化球は大抵カーブ。球速に違いはあれども、スライダーと同じく利き腕とは逆方向へ変化すると言う類似点がある。

 

「反応の鈍化。要するに慣れだ。右対右は、ガキの頃から見慣れているから戸惑わずに対応が出来る。だが、左対左はそうはいかない。そもそもの対戦数が少ないし、猪狩(いかり)ほどの高レベルなサウスポーと対戦出来る機会はそうはない。だから、体に向かって来るような軌道からのスライダーやカーブに過剰に反応してしまう」

 

 そのためボールを見極めようと右肩の開きが早くなりやすく、外へ逃げる変化球には泳がされ、引っ張っても強い打球を打てなくなる。そして、オープンに開いて打った打球は、良い当たりであればあるほどファールになりやすくなる特徴がある。

 

「けど、いつ練習してたんっすか?」

「そうよね。同じ左の真田(さなだ)は、猪狩(いかり)の対策の練習をしていたけど。鳴海(なるみ)は、してなかったのに」

「わざわざ対左に特化した練習をしなくても恐怖心を克服する方法はある。その答えが、そいつだ」

 

 東亜(トーア)の視線の先には、芽衣香(めいか)に向かって放り投げたボール。瑠菜(るな)は、芽衣香(めいか)の足下に転がっているボールを拾い上げた。そして、すぐに異変に気がついた。

 

「あ、これって、疑似ナックルボールですか?」

「ああ、阿畑(あばた)対策に使っていた細工したボールだ。そもそも球速の遅いナックルが打ちにくい最大の理由は、揺れること」

 

 投手によって多少の特徴はあるが、スライダーやカーブは利き腕と反対方向。シュートとシンカーは利き腕の方向へ曲がり。フォークは落ちるボールと。どんなに鋭く手元で大きく曲がる変化球であっても、二度は曲がらない。

 しかしナックルは、何度も左右に変化をする変化球。ある程度予測がつく変化球とは違い、どう変化するか分からない特殊な球種。体に向かって来たり離れたりを連続して繰り返す。時には、そのまま体へ向かって来ることだってある。通常の100km/h前後のナックルでも対応が難しいのに阿畑(あばた)は、そんな特殊な変化球を130km/h前後の球速で投げてきた。その恐怖心は、通常のナックルの比ではない。

 

「練習から、あのけったいな高速ナックルを何度も体感してきた。いくら背中から来ると言っても、所詮球速差で見極められる一度しか曲がらないスライダーなど、もう苦にならないのさ」

 

 これこそが、猪狩(いかり)対策をしてきた真田(さなだ)を差し置いてまで、鳴海(なるみ)を五番に据えた理由のひとつ。そして今、スライダーを捉えたことがのちのピッチングに大きな影響を与えることとなる。

 

 

           * * *

 

 

「(おいおい、マジかよ......。背中からのスライダーを初見で打ち返しやがった。しかも、ぜんぜん腰を引かなかった。完璧に打たれたぞ......?)」

 

 キャッチャーの二宮(にのみや)はチラッとベンチを見る。千石(せんごく)は、憮然とした表情で腕を組んだまま動かない。

 

「(まあ当然か、まだ二回だからな。さて次も、左バッターか)」

 

 名前をコールされた真田(さなだ)は、球審に一礼して左のバッターボックスに立ち、ベンチからのサインを確認。東亜(トーア)から空サインが出されている最中はるかから、さり気なく本命のサインが伝わる。

 

「(真田(コイツ)は本来一番バッターだ、当然足がある。警戒を怠るなよ)」

 

 真田(さなだ)はバントの構えはしていないが、二宮(にのみや)の指示で内野陣はセーフティバントにも備える。

 

『さあ、ノーアウト一塁。猪狩(いかり)、ファーストランナーを目で牽制して、ピッチングモーションに入る! 鳴海(なるみ)スタート、いや、止まった!』

 

「(――インコースの真っ直ぐ、打ち上げないように......!)」

 

 手元で浮き上がるライジングショットを上から叩きつけるようにしてバットを合わせる。打球は決して良い当たりではなかったが、鳴海(なるみ)の偽盗により大きく開いた一・二塁間へ転がる。セカンドの四条(よじょう)が懸命に飛びつくも、グラブの数センチ先をかすめて外野へと抜けていった。

 

『破ったー! 恋恋高校、五番六番の連打でノーアウト二塁一塁と追加点のチャンスを作り出しました! そして次のバッターは、くせ者葛城(かつらぎ)です!』

 

 二宮(にのみや)はタイムを要求して、マウンドへ走る。

 

「今抜けたのは、偶然だ。完全に打ち取ってた打球だぞ」

「......ああ、分かってる」

 

 背を向けたまま、ロジンバックを弾ませる。

 

「とにかく、次のバッターさえ抑えれば楽になるからな」

「分かってる。それより早く戻れ、注意されるぞ?」

 

 猪狩(いかり)に指摘された二宮(にのみや)は小さく息を吐いて、球審がマウンドへ来る前にポジションへ戻り、試合再開。

 

『ファール! 葛城(かつらぎ)、粘ります! カウントツーエンドツーが続きます!』

 

「(......甘かった。主力が準決勝を欠場したのは全て、猪狩(いかり)に照準を合わせるため。ある程度想定しちゃいたが、まさか、ここまでとは――仕方ねぇ......もう出し惜しみはなしだ!)」

 

 この試合二宮(にのみや)から初めて出されたサインにうなずいた猪狩(いかり)は、セットポジションから投球モーションに入る。

 

『ツーツーからの七球目を――投げた!』

 

「(――甘い! えっ!?)」

 

 やや甘い外のボールに合わせにいったが、バットは空を切った。ストライクゾーンからボールゾーンへ落ちる完璧なフォークボール。

 

『空振り三振! この試合初めての三振は、葛城(かつらぎ)から奪いましたー! 伝家の宝刀フォークボール!』

 

 この試合初めての三振を奪った猪狩(いかり)は涼しい表情(かお)ながらも満足気に、二宮(にのみや)は安堵の表情(かお)を見せ。ベンチで険しい表情(かお)をしていた千石(せんごく)は、胸をなで下ろした。

 しかしこの時、東亜(トーア)は、追加点のチャンスでの三振にも関わらず不気味に笑みを浮かべていた。

 

「ナイス三振、よく引き出した。で、どうだ?」

「今まで見てきた中で一番のフォークです。本当に消えたかと思いました」

「ふーん」

 

 戻ってきた葛城(かつらぎ)と入れ替わりでバッターボックスに向かった八番バッターの瑠菜(るな)は、しっかり足場をならして左打席で構える。

 

「あの、コーチ、サインの方は?」

「必要ねぇーよ。瑠菜(るな)は、分かってるさ。自分への初球は、100パーセント外角低めのスライダーだってことをな」

 

 あかつきバッテリーのサイン交換は一回で決まった。猪狩(いかり)は目で二人のランナーを牽制し、クイックで足を上げる。

 

「(よっしゃ、ナイスコース!)」

 

 瑠菜(るな)への初球は、東亜(トーア)の予想通り外角低めのスライダー。瑠菜(るな)は、踏み込んで合わせた。コースに逆らわず、逆方向へ流し打った。

 

「(迷わず踏み込みやがった......! まさか、狙われたのかよ!?)」

 

 マスクを投げ捨て、大声で指示を飛ばす。

 

「サード! 五十嵐(いがらし)、取れーッ!」

「ぬうっ!?」

「フ、フェア!」

 

五十嵐(いがらし)、目一杯の跳躍! だが、届かなーい! サードの頭上を越えてライン上に落ち、ファールゾーンを転々と転がるぅ! セカンドランナー鳴海(なるみ)、生還! そして今、七井(なない)が打球に追いついた!』

 

 レフトの返球が中継に入ったの六本木(ろっぽんぎ)に返る。しかし、どこへも投げられず。ホームのバックアップから戻って来た猪狩(いかり)に、下手投げで渡した。

 

十六夜(いざよい)瑠菜(るな)、タイムリーツーベースヒット! セカンドランナーの鳴海(なるみ)、そしてファーストランナーの真田(さなだ)も持ち前の俊足を飛ばしてホームへ生還。自からのバットで、リードを三点と広げましたーッ!』

 

 ベンチへ戻って来た鳴海(なるみ)真田(さなだ)を、ナインたちは盛大に出迎える。

 

真田(さなだ)、ナイスラン!」

「おう、サンキュー! あのレフトは肩が弱いからな、向こうに飛んだら突っ込んでやるって決めてたんだ」

「やるわねっ! けど、本当に外角低めのスライダーだったわね」

瑠菜(るな)ちゃんも、迷わず狙い打ったぞ」

「理由は、単純だ。この場をゲッツーで切り抜けたかったのさ」

 

 バッテリーの狙いは、外のスライダーを引っかけさてショート・サードゴロを打たせ、セカンド経由のダブルプレーを狙った。 その理由は、打順の巡り合わせ。本来投手のあおいが九番に入っていることで、ベンチもバッテリーもアウトをひとつ計算出来ると考えていた。八番の瑠菜(るな)をダブルプレーに打ち取ることが出来れば次の回は、そのあおいから始まる打順に調整出来る。だから、是が非でもダブルプレーで切り抜けたかった。

 そこで問題は、どう打ち取るか。

 

「ノビるストレートは、バットが下に入りやすく打ち上げる確率が高い。スライダーより遅いカーブは、逆にタイミングが合いかねない。フォークは、空振りを奪ってしまう。となれば、この場面で投げられるのは必然的にスライダー。そして、チームで一番守備が上手いショートへ打たせるには外角低めが最適だった訳さ。まあここからは、そう簡単に点は取れなくなるだろうがな」

 

 東亜(トーア)の言葉通り、この失点をきっかけに猪狩(いかり)のピッチングは変貌を遂げた。あおいを三球三球に切って取り、ツーアウト。初回オープニングホームランを打たれた矢部(やべ)に対してはストレートを中心に追い込むと、手元で大きく落ちるフォークで空振りを奪った。これでスリーアウト、恋恋高校の長い攻撃が終わった。

 

「ナイスバッティング、瑠菜(るな)ちゃん。いつでも行けるからね」

「はい、どうぞー」

「ええ、ありがと」

 

 はるかから受け取ったスポーツドリンクで喉を潤す。

 あかつきのベンチ前で監督の千石(せんごく)を中心に組まれていた円陣が散り、各々が鋭い視線を恋恋高校のベンチへ向けている。

 

「ここからが、本当の勝負ね」

「うん、そうだね。行こう......!」

「ええ!」

 

 二人は気合いを入れて、グラウンドへ駆け出して行った。



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game60 ~葛藤~

お待たせしました。


 二回裏三点を追う、あかつきの攻撃。

 この回先頭バッター五番二宮(にのみや)が、鬼気迫る表情(かお)でバッターボックスへと向かう。

 

「(八番への初球、簡単に行っちまった。四条(よじょう)たちデータ班に警告されてたってのに。あの失点は、オレたちバッテリーのミスだ。借りは返させてもらう......!)」

 

 足場を慣らし、右バッターボックスで構え、球審のコールで試合再開。

 

「(気合いは入ってるけど、(リキ)みのない構えだ。ここは慎重にボールから入ろう。今日は、セーブする必要はないからね)」

「(ええ)」

 

 サイン交換が終わり、瑠菜(るな)は投球モーションに入った。初球は、アウトローのストレート。

 

「(――外。ここは、ボールだ。けど、オレにはストライクゾーンだぜ......!)」

 

 鋭いライナー性の打球が、一塁側の外野スタンドへ飛び込んだ。塁審は両手を広げる。

 

二宮(にのみや)、ボールゾーンのストレートを上手く逆方向へ押っ付けて打ちましたが、これは大きく切れてファール! ワンストライクです』

 

 すぐさま打席を外した二宮(にのみや)は、バックスクリーンを確認する。

 

「(120キロに届いてねぇーのか。球速の割に差し込まれた、タイミングが遅れた。少し始動を早めるか? いや、んなことしたら三本松(さんぼんまつ)の二の舞になる。ここはまず、きっちりタイミングを合わせることに神経を注ぐ......!)」

 

 どうも、と球審に礼を言って、バッターボックスへ戻る。

 恋恋バッテリーのサイン交換は一度で決まって、二球目。

 

「――チッ!」

「ストラーイクッ!」

 

 今度は、甘いコースだが初球よりも速いストレートで見逃しのストライクを奪った。恋恋バッテリーは、好打者二宮(にのみや)をたったの二球で追い込んだ。

 

「(ほぼ真ん中のストレート......やってくれる。まるでオレの考えを見透かしてるみてーだ。ああ......なるほど、そう言うことかよ)」

 

 今の一球でバッテリーの配球の意図を察した二宮(にのみや)は、三球目のきわどいコースのストレートを平然と見送った。球審の判定はボールで、カウント1-2。

 

「オッケー、ナイスボール! バッター、手が出なかったよ!」

 

 ボールを受け取った瑠菜(るな)は、鳴海(なるみ)からのサインで一度プレートを外し、指先でロジンバッグに触れて間を取った。

 

「(今の一球、簡単に見送られた。狙いを読まれたかな? 同じ攻めは通用しないか。まあ今のは、手を出してくれたら儲けものだったけど。さすが名門あかつきの正捕手、少し攻め方を変えていこう......)」

 

 考えを巡らせる鳴海(なるみ)二宮(にのみや)は、素振りをしつつさり気なくに目をやった。

 

「(甘いコースを見せて、『今のを打てばよかった』と思わせたところで、手元で沈む打ちごろの球速のボール球に手を出させる。良い性格してやがるな、コイツ)」

 

 瑠菜(るな)が戻り、合わせて二宮(にのみや)も打席へ戻る。

 

「(さて、どう出るよ?)」

 

 サインにうなづいて、第四球目。内角高めのストレート。

 

『ファール! これまたきわどいインコースのストレートでしたが、二宮(にのみや)、どうにかカットしました! 変わらず投手有利のカウント』

 

「(アウトローの球速を抑えたストレートから一転してインハイの速いストレート。それもストライクとも、ボールとも取れる絶妙なコースだった。この出所の見難いフォームと抜群の制球力と緩急を駆使して抑えてきたって訳か。こりゃリードする捕手はおもしれーわな。けどな――)」

 

 五球目をファール、六球目のボール球を見極め、カウント2-2の平行カウント。

 

『さあバッテリーのサインが決まりました。十六夜(いざよい)瑠菜(るな)、プレートを踏んで足を上げます! 平行カウントから第七球目を――投げた!』

 

 今までの明らかに違う軌道で高めに来た。

 

「(ほら来た! そう何球も続けて完璧にコントロールなんて出来る訳がねぇ!)」

 

 外角やや高く甘いコースへ半速球のボールが浮いた。この甘いボールを逃さまいと迷わず狙いにいく。だがしかし、バットから快音を響かず、空を切った。

 

「ストライク! バッターアウトッ!」

 

『空振りーッ! 先頭バッター二宮(にのみや)を、空振り三振に打ち取りましたー!』

 

「ふぅ......」

 

 空振り三振に打ち取られた二宮(にのみや)は、バッターボックスでひとつ息を吐いてベンチへ戻る。帰り際、ネクストバッターの猪狩(いかり)と、すれ違いざまに言葉を交わす。

 

「変化球、縦のカーブだ。データじゃ前半はほとんど変化球を使わないって話しだったけど、今日は、普通に使って来るみてーだぞ。頭に入れとけ」

「フッ、仕留め損ねた言い訳かい?」

「うっせーよ」

「しかしキミが、空振りを奪われるほどのボールなのか?」

「とにかくタイミングが取り難い。腕を振り終わってから急にボールが飛び出てくる感じだ。実際に立って見りゃわかる」

「そうか」

 

 それだけ言うと猪狩(いかり)は、バッターボックスへ向かった。

 

「最後のは、変化球か?」

 

 ベンチへ戻ってきた二宮(にのみや)千石(せんごく)は、さっそく問いかけた。

 

「はい。それから八嶋(やしま)が言っていたチェンジアップですが、変化球と言うよりストレートに緩急を付けて投げ分けているように感じました」

「そうか、わかった」

 

 グラウンドへ顔を戻した千石(せんごく)は、マウンドの瑠菜(るな)へ目を向ける。

 

「(あの投手は、渡久地(とくち)東亜(トーア)の投球スタイルを模していると見て間違いないだろう。だが、完璧ではない。悪魔の様な洞察力で打者心理を読み切り、相手の思考を操ることが出来て初めて成立する異色の投球スタイル。あの出所の見難い良いフォームと縦と横の変化球で足りない部分を補っている。攻略の糸口は、そこにあるに違いない)」

 

猪狩(いかり)(まもる)、インコースを初球打ち! センター方向やや右寄りの上空へ高々と舞い上がったー! しかし、これはバットの根元もうひと伸びがありません。センター矢部(やべ)、落下点に入って余裕を持ってキャッチ。これで、ツーアウト!』

 

 恋恋バッテリーは強打者でもある猪狩(いかり)を、インコースのシュートで詰まらせて一球で打ち取った。しかし、ネクストバッター七番九十九(つくも)には、外角のストレートを綺麗にライトへ弾き返され、さらに慣れない外野の守備にあおいがもたついている間に、スコアリングポジションまで進塁を許してしまう。それでも次の八番五十嵐(いがらし)を持ち前の制球力と緩急で揺さぶり三つ目のアウトを奪って、このピンチを無失点で切り抜けた。

 試合は二回が終わって、恋恋高校が三点をリードした状況で三回の攻防へと移る。

 

九十九(アイツ)、妙に上手く打ったな」

「はい。あの七番一人だけが、瑠菜(るな)ちゃんのフォームに惑わされずタイミングを合わせて来ました」

「何かあるな。次の回からは、そいつを念頭に置いて攻めろ。甘く見れば高い代償を支払うことになる」

「――はい!」

「さてと」

 

 鳴海(なるみ)と話していた東亜(トーア)は、グラウンドへ目を戻した。

 上位打線の二番から始まる恋恋高校攻撃、先頭バッターの芽衣香(めいか)は、外角低めいっぱいのストレートに手が出ず見逃しの三振。三番の奥居(おくい)は、追い込まれてから鋭く落ちるフォークに食らいつくも内野ゴロに打ち取られ、そして四番、甲斐(かい)も――。

 

『空振り三振! インコース膝下へ鋭く曲がるスライダーにバットが回りましたーッ! 猪狩(いかり)、二つの三振を奪い上位打線を三者凡退で退けましたー! ンンーン、ようやくエンジンが暖まってきたようですッ!』

 

「対策に専念してきた三人を三者凡退......! 完全に立ち直ったみたいね、猪狩(いかり)くん」

()()()は、な。クックック......」

 

 本来の実力発揮し始めた猪狩(いかり)を難しい顔で見つめる理香(りか)とは真逆に、不敵に笑って見せる東亜(トーア)は、さり気なく横目であかつきのベンチへ目をやった。

 あかつきのベンチへ前では、瑠菜(るな)がイニング間のピッチング練習を行っている最中千石(せんごく)が、前回と同様にナインたちを自身の前へ呼び集めた。

 

九十九(つくも)、どうやってタイミングを合わせた?」

「はい。その説明する前に、まず――」

 

 九十九(つくも)は、ナインたちに訊ねる。

 

「自分ら、ピッチャーのどこ見とる?」

「どこって、やはりリリースポイントではないのか? 普通は」

「そうか? おいらは、あんまり意識してないぞ。来たボールを打つだけだし」

 

 四条(よじょう)の見解に八嶋(やしま)は、自分の意見を述べる。他にもそれぞれの意見が出たが、その大半がリリースポイント付近を注視していることが分かった。

 

「オレは、胸や」

「ボケている場合か、真面目にやれ」

「そうだそうだ、セクハラだぞー」

「最低です。問題を起こす前に退部してください」

「アホぅ、そう言う意味とちゃうわ! マネージャーもキッツいなぁ!」

 

 ツッコミを入れて、真面目なトーンで話しを戻す。

 

「オレが剣道もやっとるってことは、みんなも知っとるやろ?」

 

 ――ああ、とナインたちはうなづく。

 

「剣道の試合では、竹刀の切っ先に集中しとっても避けられへん。ものごっつ速いスピードで打ち込んでくるから目じゃ追い切れん、それやと遅いんや」

「で? それが野球とどんな関係があると言うんだ」

「せっかちやな~、それを今から話すところや。相手の身体の動きから予測して瞬時に反応するんや。肩や肘、手首、重心移動とかいろんなところからな」

 

 九十九(つくも)は一度、マウンド上の瑠菜(るな)に目をやった。

 

「自分らの話しぃで出所が見難いことは分かっとった。せやからオレは、速く動くリリースポイントでタイミングを測るのを止めて、別の場所から情報を得ることにした。遠くを見るように全身を見とったらリリースポイントよりも見やすく、目測しやすい場所が浮かび上がった、そこがオレに取って、あのピッチャーの左胸......恋恋高校の“R”のロゴマークが見えた瞬間やった。ピッチャーなら分かるんとちゃうか?」

「ああ。ボクたちピッチャーは、常に理想のフォームで投げることを追求している。どこか一カ所でもほんの僅かな狂いが生じれば、思ったピッチングは出来なくなる。体重移動、歩幅、体幹のブレ、リリースの瞬間は必ず一定の動きだ」

 

 オーバースロー、スリークウォーター、サイドスロー、アンダースローと様々な投げ方があるが、同じ系統のフォームでも最初からセットポジション、ワインドアップ、二段モーションと投手によって違いはある。しかし、どんなに特徴のあるフォームだろうと必ず定まる場所が何カ所か存在する。そこが定まっていなければ、球威のあるボールを狙い通りコントロールすることは出来ない。逆に言えば、その場所は打者がタイミングを合わせることの出来る場所でもある。

 

「なるほど、理に適っているな。だが、全員が全員九十九(つくも)と同じ感覚で打てるとは限らない。左右での見え方の違いもある。各々、自分に合ったポイントを見極めて対処するように。いいな!」

「――はい!」

 

 返事と同時に、イニング間の投球練習と守備練習が終わりを告げるアナウンスが流れた。千石(せんごく)は、名前がコールされて打席へ向かおうとしていた六本木(ろっぽんぎ)を呼び止める。

 

「思うような結果が出ない場合は、バスターを試してみるんだ」

「バスターですか?」

「そうだ。原点に戻り、予備動作を少なくコンパクトにスイングすることを心がけるんだ。相手への揺さぶりにもなる」

「はい、分かりました」

 

 六本木(ろっぽんぎ)を送り出した千石(せんごく)は、定位置の監督席に戻って腕を組んだ。

 

「(結局、千葉マリナーズが渡久地(とくち)東亜(トーア)を攻略した策しか授けられないとは......。しかし、この(バスター)も短期的な効果しか得られないだろう。だが、手段を選んでいられる状況ではない。我々は今、三点を追う立場であり。そして相手は、あの伝説の勝負師が率いるチームなのだから――)」

 

 三回裏、あかつきの攻撃が始まる。

 打席に入った六本木(ろっぽんぎ)はまず、自分のタイミングで瑠菜(るな)に対峙した。初球を中途半端なスイングで、ワンストライク。

 

「(本当にタイミングが合わせ難い。端から見ていると何の変哲もない遅いストレートなのに......。今まで幾つもの強豪・名門校と対戦してきたけど、この手の投手は初めて対戦するタイプの投手だ。よし、次は九十九(つくも)の方法を試してみよう)」

 

 九十九(つくも)と同じ右バッターの六本木(ろっぽんぎ)は、瑠菜(るな)の左胸のロゴが見えたところで足を上げてタイミングを測る。そして、確かめるようにストライクゾーンを通過したボールを見送った。

 

『決まった、ツーストライク! 六本木(ろっぽんぎ)、二球で追い込まれてしまいました。さあバッテリー、一球遊んで様子を見るか? それとも三球勝負に出るのでしょーか?』

 

「(なんだ今の、タイミングの取り方が少し違ったような......?)」

 

 理想的に追い込んだが、ただならぬ空気を感じとった鳴海(なるみ)は、簡単に勝負には行かず慎重な組み立てに切り替える。

 

「(――カーブ!)」

「ボール!」

 

『ここは変化球で誘いましたが、六本木(ろっぽんぎ)はバットを出しません!』

 

「(うん、さっきよりも見やすくなった。僕には、九十九(つくも)のやり方が合っているのかも知れない)」

 

 一旦打席を外し、ヘルメットをかぶり直して、改めて構える。カウント1-2からの四球目、バックネットへのファール。五球目、アウトコースから逃げるシュート。六本木(ろっぽんぎ)は、これを見極める。六球目は、一球前と同じコースのストレート。

 

『ファール! あかつきが全国に誇る守備の名手六本木(ろっぽんぎ)、球際の粘りと同様にこの打席でも粘りをみせますッ!』

 

「(タイミングは合って来たけど、捉えきれない。そうだ......)」

「(手元で動く瑠菜(るな)ちゃんのボールを、こんな簡単に見極めて当ててくるだなんて。やっぱり何かを掴まれているんだ。長引けば不利、ここはコレで決めよう)」

 

 ――ええ、と力強くうなづいた瑠菜(るな)の足が上がる。

 ここで六本木(ろっぽんぎ)は、バントの構えを取った。

 

「(セーフティバント!?)」

 

 ツーストライクからのまさかの行動にワンテンポ遅れて、葛城(かつらぎ)甲斐(かい)がチャージをかける。その直後、寝かせたバットを引いた。

 

「バスター!? ファースト、サード、ストップ!」

「げっ!」

「くっ......!」

 

 突っこんで来た二人は急ブレーキをかける。投球は、左対右の対角線上低めギリギリのストライクゾーンをかすめて抉るクロスファイア。食い込んで来るストレートに窮屈なバッティングを強いられるも、六本木(ろっぽんぎ)はコンパクトに引っ叩いた。打球は、前進してきたサード葛城(かつらぎ)の横を抜けて、ショート奥居(おくい)のグラブの中に収まった。

 

『ショートへのハーフライナー! 上手く捉えましたが、ここはショート奥居(おくい)の守備範囲内でした。ワンナウトー!』

 

 惜しくもアウトに倒れた六本木(ろっぽんぎ)は、ネクストバッターの八嶋(やしま)に耳打ちをしてベンチへ戻る。その行動を見て、東亜(トーア)が笑う。

 

「クックック......」

「どうしたの? 急に笑い出して......」

「さてね」

 

『さあ打順は一番に戻って、あかつきのスピードスター八嶋(やしま)が――アアーット!』

 

 左打席に立った八嶋(やしま)は、最初からバットを寝かせバントの構え。

 

「(今度は、最初からか。これは、千葉マリナーズが渡久地(とくち)コーチを攻略するのに取った戦法と同じだ。だけど、怖れることはない。この戦法を取るってことは、瑠菜(るな)ちゃんをまともには打てないって認めているようなモノなんだ)」

 

 鳴海(なるみ)はバントの構えに惑わされず、ヒッティング警戒のブロックサインを内野守備陣に送って腰を下ろす。

 

「(惑わされないでね)」

「(わかっているわ)」

 

『さあ注目の第一球――八嶋(やしま)、バットを引いた! ボール! バッテリーもここは警戒していました。ワンボール』

 

 難しい顔をして首をひねる八嶋(やしま)。その様子を鳴海(なるみ)は、少し不思議そうに見つめる。

 

「(なんだろう? もしかして、右と左じゃ勝手が違うのかな?)」

「(うーん、感覚で打つおいらには、やっぱりよくわかんないなー。考えるの苦手だし、いつも通り行こっと!)」

 

 普段の表情(かお)に戻った八嶋(やしま)だが、鳴海(なるみ)の方は逆に疑念を深めた。サインを出して、外角へミットを構える。八嶋(やしま)は、初球と同じくバントの構え。

 二球目、投球モーションに入ると同時にバットを引いた。バスターに備えて、ファーストとサードはその場に留まる。が、しかし――。

 

八嶋(やしま)、引いたバットを再び寝かせ、セーフティバント! バスターに備えていた内野陣の裏をかいた!』

 

 素早くマウンドを降りた瑠菜(るな)が打球を処理するも、持ち前の快足を飛ばして既に一塁を駆け抜けた。二打席連続の内野安打。ワンナウトから足の速い嫌なランナーを出してしまった。

 

「はっはっは、簡単にやられやがったなー」

 

 ベンチの中で、とても愉快気に笑う東亜(トーア)理香(りか)が、やんわりと咎める。

 

「もう、こうなること分かってたんでしょ? 指示してあげればよかったのに」

「あん? ちゃんと忠告してやったじゃねーか、甘く見るなって。一番に足があるのは分かってるんだ、頭に入れておいて当然だろ。バスターだと決めつけて動いた鳴海(アイツ)が甘いんだよ。さーて、どうするよ?」

「ハァ......まったく」

 

 まったく緊張感も焦りもない東亜(トーア)とは対照的に、あかつきの千石(せんごく)は何としてもこのチャンスをものにしようと知恵を絞っていた。

 

「(最低でも一点......いや、二点は欲しい。とすれば――)」

 

 ネクストバッターズサークルへ向かう三番七井(なない)と、ベンチで次の打席の準備を進める四番三本松(さんぼんまつ)に目を向ける。

 

「(七井(なない)を敬遠された後、三本松(さんぼんまつ)がゲッツーを打たされた。あれで主導権を持っていかれた。ここは、その流れを引き戻す絶好のチャンス。だが......)」

 

 千石(せんごく)は、頭を悩ませていた。

 次がクリーンナップのため、ここはランナーを確実にスコアリングポジションへ送る場面。欲を出して強行策に出て併殺打となれば最悪。しかし、得点圏へランナー送ると再び七井(なない)を敬遠されてしまう恐れがある。同時に送らなければ、三本松(さんぼんまつ)に「自分は、信頼されていない」と言う不信感を持たれかねないと言うジレンマを抱えていた。

 

「(......何を迷っている? 三本松(さんぼんまつ)を四番に据えたのは他でも誰でもない、この私ではないか......!)」

 

 腹を括った千石(せんごく)は、四条(よじょう)にサインを送った――。



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game61 ~意味のある失点~

お待たせいたしました。


 千石(せんごく)から出されたサインを受けて、バッターの四条(よじょう)とファーストランナーの八嶋(やしま)は「了解」とヘルメットのつばを軽く触れて答える。

 

『さあ、アウトカウントに違いがありますが、初回と同じくファーストランナーは俊足の八嶋(やしま)。バッターは、バント巧者の四条(よじょう)。何でも出来る一・二番。この場面、いったいどう攻めるか注目して参りましょーッ!』

 

「(初回は、バッターのアシストありで盗塁を決められた。本当なら勝負してみたかったけど邪魔をされた。今度も走って来るかな? それとも素直に送ってくるのか?)」

 

 考えを巡らせている中、球審のコールで試合が再開される。

 バッターの四条(よじょう)は、先の二人と同じ腰を落としバントの構えを取った。

 

「(やっぱり二番もバントの構えか。けど、バスター・エンドランもある。バントとバスターの両方を警戒しておくとして問題は、八嶋(ファーストランナー)の単独盗塁をどうやって防ぐかだ。外しても、さっきみたいに邪魔をされるだろうし。コーチからは、『また同じことをしてきたら、遠慮なくぶつけてやればいい』って言われたけど......)」

 

 ヘルメットを被っているとは言え、狙って頭にぶつけることにはさすがに躊躇した鳴海(なるみ)は、内野陣にバントとエンドランの警戒を指示して、瑠菜(るな)とサイン交換を行う。あとの初球は、インコース低めギリギリへクロスして食い込んでくる厳しいコースのストレート。バットを引いて、ストライクの判定。ランナーの八嶋(やしま)は動かずにファーストベースへ戻り、四条(よじょう)は再びバントの構えを取った。

 

「(走らなかった? ウエストを警戒しても初回みたいにアシストをすれば、多少スタートが遅れても二塁を奪えたはずだ。ここは盗塁じゃなくて、確実にランナーを送るってことかな? それなら、一・三塁にされることだけを避ければいい。上手くいけば()()()()で勝負出来る......!)」

 

 一球牽制球で挟んで二球目の高めストレートを、やや浮かせてしまったがきっちり内野へ転がし、スコアリングポジションへランナーを進めることに成功した。

 ツーアウトながらも、あかつきは初回から三回続けてのチャンスを作り出し、そして、ネクストバッターは――。

 

『さあ、やって参りました......七井(なない)アレフトの登場です! 初回は敬遠で歩かされたが、この打席はどうなるのでしょうか? ンンーン、注目して参りましょーッ!』

 

 鳴海(なるみ)は、立ったままグラブを外に構える。

 

「(むぅ......やはり敬遠するか。三本松(さんぼんまつ)は――)」

 

 千石(せんごく)が顔を向けた先の三本松(さんぼんまつ)は、重りの付いたマスコットバットを気合いを入れて目一杯振り回していた。

 

「(敬遠するならするがいい、スタンドへ放り込んでやる......!)」

「(やや気負い過ぎているが、消極的よりはマシか......。バッテリーは――)」

 

 得点圏のランナーを背負った瑠菜(るな)は、セカンドランナーの八嶋(やしま)を肩越しに目で牽制したあと、一瞬芽衣香(めいか)に目をやって初球を大きく外した。

 

『ああーと、やはり勝負を避けるようです。私個人としては、勝負して貰いたいところですが......』

 

「(やはり敬遠か。しかし、チャンスは広がる――)」

 

 二打席連続の敬遠。あかつきベンチ、スタンド、実況も含め誰もがそう思った直後――。

 

「(よし、今だ......!)」

 

 一歩前へ踏み込んで捕球し、その勢いを利用して素早くセカンドへ矢のような送球を放った。

 

「――うげっ!?」

 

 敬遠だと思い込んで帰塁を怠った八嶋(やしま)は、慌ててベースへ戻る。鳴海(なるみ)の送球は、ベースカバーに入った芽衣香(めいか)のグラブにストライクで収まった。そして、ベースへ頭から戻る八嶋(やしま)の腕にタッチ。セカンドベース上で、きわどいタイミングのクロスプレーになった。どちらとも取れるタイミングに二塁塁審は、慎重に判断してジャッジを下す――両手を横に広げた。

 

「......せ、セーフッ!」

 

『せ、せ、セーフです! きわどいタッチプレイでしたが、塁審の判定はセーフ! 八嶋(やしま)、間一髪で助かりましたーッ!』

 

「あ、あっぶねぇ~......」

 

 首の皮一枚で助かった八嶋(やしま)は、ベースをしっかりと踏んで、ユニフォームに付いた土埃を両手で払う。

 

「ナイス牽制! 惜しかったわよー!」

 

 芽衣香(めいか)の言葉に手を上げて答えた鳴海(なるみ)は、野手陣にブロックサインを送って腰を下ろした。

 

「(......セーフか、刺せたと思ったんだけどな。切り替えよう)」

「やってくれるネ」

「ん?」

「まさか、セカンドで八嶋(やしま)を刺そうだなんてナ。てっきり敬遠されるかと思っていたヨ」

「さあ分かんないよ? 座った状態でも勝負は避けられるからね」

「フッ、そうカ......」

 

 鳴海(なるみ)の言葉はブラフだと、七井(なない)は見切っていた。座り際のブロックサインで、内外野が共に定位置よりもやや後ろへポジションを移動したことに気づいていたからだ。

 

七井(なない)くんと勝負するの?」

「一点余裕があるからな。どこかで勝負して対応を見極める必要がある、後のためな」

「ホームランを打たれてもリードを保てる今が、最適な訳なのね」

「まーな。だが、簡単にやられるつもりはなかったらしいな」

 

 鳴海(なるみ)のセカンドへの牽制球は、文字通り八嶋(やしま)への牽制となった。

 

『おっと、今の牽制が効いているのでしょうか? 八嶋(やしま)のリードが、やや小さくなったように見えます』

 

 アウトカウントはツーアウト。ランナーは、バットに当たった瞬間にスタートを切る。内野を破り、外野へ抜けた場合でも、よほどの真正面の強い打球でなければホームを奪えると計算してのリード幅に切り替えた形。

 バッターボックスの七井(なない)はと言うと、バントの構えはせずに普段の構えのまま、マウンドの瑠菜(るな)を見据えていた。初回は敬遠、先の一球もウエストだったため、まともな投球を一度も見ていないこともあり、瑠菜(るな)の投球を見ることに専念している。

 二球目、外の速いストレートで見逃しのストライクを奪い、ワンエンドワンの平行カウント。

 

「(......右肩の開きが遅い上に球離れも遅い、道理で右バッターが苦労する訳だナ)」

 

 壁となる右腕が視界の邪魔になる右バッターよりも、左バッターの方がチャンスがあると判断した七井(なない)は、構え直しながら外野へ目を向ける。

 

「(外野の守備位置は深い、走力がある左中間方向へのフライは追いつかれるネ。逆に言えばそこは、是が非でも打たせたいコースのはずだ、勝負球は外角で来ル。その前に仕留めるネ......!)」

 

 バットを握る手に、グッと力を込めた。それでいて(リキ)みはまったくなく、とても柔らかく雰囲気のある無駄のない構え。

 

「(――雰囲気が変わった、まともにいったらやられる。絶対にストライクゾーンには入れないでね)」

 

 鳴海(なるみ)と同様に、ただならぬ雰囲気を感じ取った瑠菜(るな)は、サインにうなづいたあと小さく息を吐いて気持ちを落ち着かせ、投球モーションに入る。バッテリーの選択は、猪狩(いかり)をセンターフライに打ち取ったインコースのシュート。インコースへ食い込んでくるシュートを七井(なない)は、腕を畳んで前で捌いた。柔らかくも鋭く振り抜いた打球は、レフトのポール際へ高々と舞い上がり、矢部(やべ)の打球をスタンドまで運んだ追い風に乗って、ぐんぐん飛距離を伸ばしていく。が、しかし――。

 

『ファール! とてもビッグな当たりでしたが、切れてファール。打ち直しです!』

 

 ポールの手前で大きく切れてファール。しかし、ライトスタンドの中段まで届く打球だった。

 

「(......仕留め損ねたカ。もうまともなインコースは来ないだろうネ)」

 

 ファールの判定に胸をなで下ろした鳴海(なるみ)は、大きく息を吐いてマスクを被り直す。

 

「(......危なかった。インコースのボール球になるシュートを、あの角度へ弾き返してくるだなんて。あと1センチ甘く入っていたら持って行かれてたぞ、今の。でも追い込んだ。次は、これで誘おう)」

 

 追い込んでからの四球目、インハイのストレート。

 

「(インコース......けど高い、ここはボールダ)」

 

 手を出したくなるような釣り球を我慢し、五球目のストライクからボールになる縦のカーブも、バットをピクリとも動かさずに目だけで追って見送った。

 

『ボール、これまた素晴らしい変化球でしたが、七井(なない)アレフト、これを見極めました! これでフルカウント、次が勝負の一球ですッ!』

 

「(......二球ともクサいところなのに簡単に見送られた、これが七井(なない)か。ストレートは見極められるし、生半可な変化球でかわせるような相手じゃないぞ。どうする......?)」

 

 悩んだ末に出した鳴海(なるみ)が出したサインは、外角低めのストレート。変化球で逃げて打たれるより、打たれるなら真っ直ぐ。準々決勝の関願戦の時と同じ考えに至った。出されたサインに力強くうなづいた瑠菜(るな)は、セットポジションから投球モーションを起こす。

 

「(――外角低めいっぱいのストレート、やはり勝負球はアウトコースに来たネ。けど甘い、貰った......な、ここで逃げルッ!?)」

「(よし!)」

「(掛かったわっ)」

 

 瑠菜(るな)が投げたストレートは、低回転ストレート。二球目とほぼ同じ球速でありながら回転数を抑え、ミートポイントで逃げるように沈むストレート。

 

「くっ......まだネ!」

 

 タイミングを外された七井(なない)だったが、咄嗟に軸足を逃がして腰の回転を抑制。外されたタイミングを瞬時に修正してバットを合わせ、手首を返してバックスピンを加え、再度軸足を踏み込むことで補い、掬い上げるようにして打球に角度を付けて、逆方向へと弾き返した。

 

「――なっ! レフト、センターッ!」

 

 鋭い打球が、左中間のど真ん中を切り裂いていく。真田(さなだ)矢部(やべ)が落下地点へ向かって一直線に追いかけるも、打球は二人の頭上を越え、外野フェンスの上段にダイレクトで直撃し、フェアグランドへ跳ね返った。

 

『スタートを切っていた八嶋(やしま)は、楽々ホームイン! 外野からの返球は中継に返るだけ、打ったバッター七井(なない)はセカンドへ! タイムリーツーベースヒット! 一点を返して、なお二死二塁。そして、一発が出れば同点の場面で四番! あかつきの主砲、三本松(さんぼんまつ)の登場ですッ!』

 

 鳴海(なるみ)はタイムを要求して、瑠菜(るな)の元へ走った。内野手たちは、ベンチの東亜(トーア)を見る。しかし、東亜(トーア)は動かなかった。

 

「伝令、出さないの?」

「必要ねぇよ、余裕があるって言ったじゃねーか。この失点は、織り込み済みさ」

 

 普段と変わらない東亜(トーア)のポーカーフェイスに、特に焦る場面ではないと察した理香(りか)は、七井(なない)のバッティングを振り返る。

 

「それにしても、スゴい打球だったわ。完璧にタイミングを外したのに......」

「“逆方向へ引っ張る”って技術(やつ)さ。外を狙っていたとは言え、タイミングを外された状況で今のバッティングを出来る奴が、今のプロ野球界に何人いるかねぇ?」

「プロの技術......!」

「逆に言えば、それを二打席目で引き出せた。決して無駄死にではない。次に繋がる意味のある失点(まけ)だ。まあ――」

 

 二人が話している間に、声をかけにマウンドに行った鳴海(なるみ)は、ポジションに戻っていた。三本松(さんぼんまつ)の名前がアナウンスされ、試合が再開される。

 

 ――それを活かすには、()()()を眠らせておく必要があるけどな。

 

 



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game62 ~誘発~

お待たせしました。


『三番七井(なない)のタイムリーツーベースで一点を返し、なお二死二塁。ホームランが出れば同点のこの場面、バッターボックスに立つのは、あかつきの主砲――三本松(さんぼんまつ)! 初回の併殺打のリベンジを果たし、チームを勢いづけるバッティングをしたいところでしょう!』

 

 一点を返し、チームいちのパワーヒッターで四番の三本松(さんぼんまつ)の打席と言うことで、あかつき大附属側の応援スタンドからは同点ホームランを期待する大きな声援が沸き起こり。逆に恋恋高校の応援スタンドは、このピンチを凌いでくれと願いを込める中、相反する両校の応援団の中間地点で試合を観戦している高見(たかみ)は、まったく別のことを考えていた。

 

「(あかつきの七井(なない)、前評判の通りの良いバッターだ。仮に今、プロの世界に入ったとしてもホームランを二桁を打てるだけの実力がある。けど、あの二人にとってはタイムリーは計算の内だったみたいだ。しかし――)」

 

 それは、この試合のターニングポイントとなりかねない、この打席のゆくえについて。

 

「(もしここで、失点を怖れて逃げるようなことがあれば、この試合はあかつきが圧倒的に優位に立つ。仮に結果としてゼロに抑えたとしても、勝敗を左右するイニングになる可能性もあり得る。だからこそ、この場面は決して逃げてはいけない。是が非でもストライクが欲しい)」

 

 高見(たかみ)が真剣なまなざしを向けている先の鳴海(なるみ)は、三本松(さんぼんまつ)をじっくりと観察して、瑠菜(るな)に球種とコースのサインを送る。

 

「(ここの初球は重要だから、絶対に怖がらないでね)」

「(ええ、わかっているわ......!)」

 

 サインに力強くうなづいた瑠菜(るな)は、セカンドランナーの七井(なない)に目をやり、すっと足を上げて投球モーションに入る。初球は、インコースのストレート。

 

「ストライクッ!」

「むぅ......!」

 

『ストレート、内角低めへズバッと決まった! 三本松(さんぼんまつ)、狙いが外れたのか? ここは手を出しませんでした。ワンストライク!』

 

 今の一球で、高見(たかみ)の懸念は払拭された。

 しっかり初球でストライクを奪ったことで、どこか満足そうに小さく笑みを見せる。

 

「(一発のあるホームランバッター相手にインコースのストライクを要求した鳴海(なるみ)くんも、迷わずそこへ投げきった瑠菜(るな)ちゃんもいい度胸だ。さすがは、あの渡久地(とくち)の教え子と言ったところだな。打者心理の本質を理解している)」

 

 バッティングは、カウントによって打ちやすさが極端に変わる。追い込まれるまでは、自分の狙い球を待てばいい。しかし、追い込まれてからはクサいところでも振りにいかなければならなくなると言う制限が掛かる。当然、ボール球にも手を出しやすくなるため、自分のバッティングはさせてもらえい。現に昨シーズン、シーズン打率四割に迫る飛び抜けた数字を残したリーディングヒッターの高見(たかみ)でさえ、追い込まれてからの打率は三割を切っている。

 もちろん、ただ単純にストライクを先行させれば良いと言うモノではないが、ストライク先行のピッチングはバッテリーに取って優位であることは間違いない。特に、スコアリングポジションにランナーを置いた状況ではより顕著に表れる。仮にボールが先行してしまった場合は、ストライクを欲しいがために自信のある球種を選択することが多く、同時に狙い打たれる確率も上がる。鳴海(なるみ)がパワ高との練習試合で、制球に苦しんでいた星井(ほしい)が唯一コントロール出来たスライダーを狙い打ったのが、正にそれ。

 

「この試合で重要なことは、戦力の分断」

「戦力の分断ですか?」

 

 スコアブックをつけていた手を止め、はるかは小さく首をかしげる。

 

「あかつきと言うチームは、実にオーソドックスなオーダーを組んでいる。チーム一の長距離砲を打線の軸に据え、両脇を高いアベレージを誇る強打者で固める。一番には俊足、二番にケースバッティングが出来るバッター、下位打線にも低打率ながら一発のある打者が居るし、上位へ回すチャンスメイクも出来る」

「上位から下位まで気の抜けない打線と言うことですね」

「自分の役割を理解して実行する。正に王道の野球ね」

「裏を返せば、王道と言う名の型にはめているに過ぎない。崩すには、どこか一カ所を断てばいい。そして、断つなら一番効果的な場所を断つ」

「それが、三本松(さんぼんまつ)さんですか?」

「危険と隣り合わせ。一歩間違えればホームランもあるけど、大きなダメージを与えられるわ」

「この試合、アイツを起こすと少々面倒なことになる。まあ、この打席は問題ない。すでに布石は打ってある」

「布石ですか?」

 

 話しをしている間にグラウンドでは、ワンボールツーストラクと、投手有利のカウントで恋恋バッテリーが三本松(さんぼんまつ)を追い込んでいた。

 

「(ここまでは初回と同じ攻め......インコースのストレート三つ。次は、どう来る......?)」

 

『マウンドの十六夜(いざよい)、キャッチャーのサインにうなづいて足を上げ、第四球を――投げました!』

 

「(――アウトローの真っ直ぐ、同じ配球だ! さっきはここのボール球を打たされた、釣られんぞ......!)」

「(堪えろ、三本松(さんぼんまつ)。そのボールは、そこから逃げるゾ......!)」

 

 七井(なない)の思いが通じたのか、初回とまったく同じ攻めに三本松(さんぼんまつ)はバットを出さなかった。だが、しかし――。

 

「ストライク! バッターアウト!」

「――なッ!?」

 

 無情にも球審の右腕が上がる。

 瑠菜(るな)の投げたストレートは、初回の内野ゴロを打たせるための沈むストレートとは違う、しっかりとスピンをかけたストレート。これが、初回に打った布石。予測よりも沈まず対角線上に構えたキャッチャーミットへ突き刺さった。

 

『見逃し三振ッ! 外角低めいっぱいにクロスファイアーが決まった! 三本松(さんぼんまつ)、手が出ません! スリーアウト、チェンジです! 恋恋高校、三番七井(なない)にタイムリーを浴びましたが、ここは一点で凌ぎましたー!』

 

 走って戻ってきた鳴海(なるみ)は、ひとつ大きく息を吐いて、ベンチスタートの近衛(このえ)たちの手を借り、急いで打席の準備に取りかかる。

 

「まずまずだな」

「あ、はい。七井(なない)に、あのコースを持って行いかれたのは想定外でしたけど」

 

 準備の手は止めずに答える。

 

「気にする必要はない。打球はフェンスを越えなかった、十分な収穫だっただろ?」

「はい、あのコースはホームランはありません。七井(なない)の前にランナーを出さなければ......」

「油断してセーフティー決めらてりゃ世話ねーな」

「うっ......すみません......」

 

 ミスを指摘されて肩を落とす、鳴海(なるみ)

 

「フッ、落ち込んでるヒマがあるなら取り返して来い。インからのスライダーはない、ストレートだけ狙って打ち抜いて来い」

「......はい!」

 

 ヘルメットを被った鳴海(なるみ)は、バッターボックスへ向かった。

 

           * * *

 

 

『三回の攻防が終わって、三対一と恋恋高校がリード。しかし、王者あかつき相手に二点はセーフティリードではないでしょう! ここから試合は中盤戦、どう展開していくのか? 俄然注目が高まりますッ!』

 

「(一点止まり......いや、一点は返せた。猪狩(いかり)も、立ち直った。普段通りやれば十分逆転は出来る点差だ。しかし、問題は――)」

 

 千石(せんごく)は、ファーストの守備に着いている三本松(さんぼんまつ)へ目を向ける。険しい顔をしてはいるが、イニング間に行う内野陣のキャッチボールを淡々とこなしていた。

 

「(キャッチャーのリードに翻弄されたダメージが残っていなければいいが......。頼むぞ猪狩(いかり)、もう一度流れを引き寄せてくれ――!)」

 

 二回表と同じく(すすむ)に代わって、準備が調った二宮(にのみや)が投球練習最後の一球を受けて、恋恋高校四回表の攻撃が始まる。

 

「(打順は、二回表と同じ五番からか。五番(コイツ)には、インのスライダーを完璧に打たれてるからな。これで、行くぞ)」

 

 出されたサインに猪狩(いかり)は一回うなづき、大きく振りかぶったワインドアップから投じた初球は、外のスライダー。

 

「ストライク!」

「オッケー、ナイスボール!」

 

 受けたボールを猪狩(いかり)に投げ返した二宮(にのみや)は腰を下ろして、バッターボックスの鳴海(なるみ)を見る。

 

「(甘めだったのに手を出さねーのかよ。しゃーねぇ、スライダーは見極められる前提で組み立てる)」

 

 スライダーへの対応を、もう一度確かめたかった二宮(にのみや)の思惑は外れた。ここからストレートを軸にしたリードへ切り替える。鳴海(なるみ)が、そのストレートを狙っているとも知らずに。

 

「(――来た、ストレート!)」

「ファール!」

 

 二球目、狙っていたストレートを振り遅れのファールにしてしまった。ボールの上っ面をかすめた打球は、三塁側ファールゾーンを転々と転がる。

 

「ん? 今のファール......」

 

 今のファールに違和感を覚えた千石(せんごく)は、ベンチ前に転がったボールをベンチからジッと見つめる。

 

「(よっしゃ、追い込んだ。タイミングは合ってない、ここはストレートで仕留めるぞ!)」

「(ああ、そのつもりさ)」

 

 あかつきバッテリーの選択は、遊び球なしの三球勝負。

 

「――そうか、しまった......! 猪狩(いかり)、外せーッ!」

「フッ、もうおせぇーよ」

 

 違和感の正体に気が付いた千石(せんごく)だったが、もう間に合わなかった。

 

「(ストレート! 今度は、予想よりもボール一個分......下を叩く!)」

 

鳴海(なるみ)、打ったーッ! 捉えた打球は、ワンバウンドで右中間ど真ん中を打ち抜く、ツーベースヒット! 前の回は三者凡退に打ち取られましたが、今回はノーアウトから、それも得点圏のランナーを出しましたー!』

 

(すすむ)、伝令だ!」

「は、はい! タイムお願いします!」

 

 このピンチにすかさずタイムを取った千石(せんごく)は、(すすむ)に指示を与え、内野陣が集まるマウンドへ伝令を送った。

 

「監督は、何て?」

「今のは、偶然じゃないそうです」

「タイミングは合ってなかったように見えたけど?」

「はい。でも、本当に合っていないのならファールは打ち上げるハズだと――」

 

 ライジングショットは、まるでホップするような球道を描くストレート。ボールのノビに合わせようとしても、予測以上のノビにボールの下を叩くことが多くなり、当然打ち上げることが多くなる。

 

「次のバッターも初見で、兄さんのライジングショットを叩きつけていました」

「つまり、はなっからストレートに照準を合わせてたってことか」

「キミたち、もういいかね?」

「はい、すぐに戻ります! とにかく単調な攻めにならないよう慎重に攻めろとのことです。では、失礼します!」

 

 球審に頭を下げて、駆け足でベンチへ下がって行った。

 内野陣も自身のポジションへ戻り、無死二塁で試合再開。

 

『さあノーアウト二塁で試合再開です。先ほど鮮やかなランエンドヒットを決めた真田(さなだ)が、バッターボックスに立ちます!』

 

「(コイツには、まともに叩かれたからな。簡単にストレートを使えないとなると、上位打線と同様にスライダーとフォークを組み立てに入れるしかねぇけど......)」

「(サインは......っと。おっ、七瀬(ななせ)から出てる。初球は、外のスライダーか。よし)」

 

 サインを受けて、チラッと内野を流し見た真田(さなだ)は、猪狩(いかり)がモーションを起こすとバットを横に寝かせた。

 

『おおーっと! 初球をセーフティバント! 打球は、サードへ転がった!』

 

「くそがッ! 五十嵐(いがらし)、ファーストだ!」

「おう!」

 

 猛ダッシュしてきた五十嵐(いがらし)は、自慢の肩でファーストへスロー。やや逸れたが送球は間に合い、ひとつアウトを取った。だがその間に、セカンドランナーの鳴海(なるみ)はサードへ進塁。ヒットはもちろん、犠牲フライ、内野ゴロ、エラーでも点が入る状況に変わった。

 

「ナイスバント!」

「全然ナイスじゃねーっての!」

「何よ~、せっかく褒めてあげてるのにっ」

「決まったと思ったんだよ。くそー、あのサード、肩強ぇーな~」

 

 賑やかな恋恋高校のベンチとは対照的に、あかつきベンチは重苦しい空気が漂っていた。

 

「(スクイズは当然ある。問題は、いつ仕掛けてくるかだ。とにかく、ここでの失点は防がなくては――二宮(にのみや))」

「(了解です)」

 

 二宮(にのみや)の指示で、あかつきの内野は前進守備を敷いた。

 

「前進守備、一点もやりたいくないってことね。スクイズは?」

「くくく、そう簡単にはしてやらねーよ。はるか、甘く来たら叩けとサインを出しておけ」

「はいっ」

 

 はるかからのサインにうなづいた葛城(かつらぎ)は、足場をしっかりと慣らしてから打席に立った。

 

「(......入念に足場を整えたな、スクイズはないのか? いや、ブラフの可能性も高い。コイツは、そう言うバッターだ。初球は、様子見だ)」

 

 葛城(かつらぎ)への初球は、スクイズを警戒して大きくウエスト。サードランナーは、動かない。二球目は、外角のストレート。これも外れ、ツーボール。

 

「(......二球とも動かなかった。ストライクが欲しい場面だ、仕掛けてくるならここか?)」

「タイム。二宮(にのみや)

「あん?」

 

 猪狩(いかり)が、二宮(にのみや)をマウンドへ呼びつけた。

 

「何だよ?」

「キミは、そんなにボクを信じられないのか?」

「......わかった。頼むぞ、エース」

「ああ......!」

 

 マウンドから戻った二宮(にのみや)が座り、試合再開。

 送られたサインにうなづいて、猪狩(いかり)は投球モーションに入った。

 

「ストライク!」

 

 外角のやや甘めのストライクゾーンからストンと落ちた。落差の大きなフォークボールに空振り。続く四球目も、フォークボール。二球続けて空振りを奪い、平行カウントまで持ってきた。

 

「この状況下で、フォークの連投......! スゴい心臓しているわね」

「フッ、伊達に全国を経験してきた訳じゃないってとこか。だが、いつまで持つかねぇ?」

 

 平行カウントからの五球目、またもやフォークボール。きわどいコースに葛城(かつらぎ)は、辛うじてバットの先っぽに当てて、ファールに逃れた。

 

「ふぅ......あぶねぇ」

「(チッ、当てやがった。けど、そろそろ低め目が行く頃だろ)」

 

 フォークから一転して、高めのライジングショット。しかし、これにも食らいついた。バッテリーがサイン交換を行っている間に、はるかからサインが飛ぶ。平行カウントのままの七球目――投球モーションに入ると同時に、葛城(かつらぎ)はバットを寝かせ、サードランナーの鳴海(なるみ)がスタートを切った。

 

『スリーバントスクイズだーッ!』

 

「(散々粘っておいて、ここでやってくんのかよ......!)」

 

 ――サインは、フォーク。狙っては外せない。しかも、今までで一番甘く入った。葛城(かつらぎ)は、サード方向のフェアゾーンへ打球を転がした。だが、追い込まれていたためコースは狙いきれず、突っこんで来たサード五十嵐(いがらし)の正面へ。

 

五十嵐(いがらし)、間に合うぞ!」

「おう、任せろ! うっ......!」

 

 ランナーの鳴海(なるみ)が視界に入り、一瞬送球を躊躇った。その結果――。

 

『あーっと、送球が内側へ逸れたッ! 二宮(にのみや)、飛びついてキャッチ、追いタッチになった! 判定は――』

 

「セーフ!」

 

『セーフ、セーフです! 二宮(にのみや)のタッチは、間に合いません! 恋恋高校追加点!』

 

「クソ! こっちは刺す!」

 

 タッチが遅れたと判断していた二宮(にのみや)は、判定を待たずにファーストへ送球していた。好判断で間一髪間に合い、二つ目のアウトを取った。

 しかし、サード五十嵐(いがらし)のフィルダースチョイスで、再び点差は三点差に広がった。

 

「な? 決まっただろ」

 

 狙い通りスリーバントスクイズを決め、してやったりの東亜(トーア)

 

「送球が逸れてなかったら、アウトだったじゃない」

「あれは逸れたんじゃない、逸れるように仕向けたのさ」

「えっ?」

「予兆はあった。真田(さなだ)の初球セーフティバント、余裕がある状況でファーストへの送球が逸れた。あれを見た時、送球に難があると確信した。と言うより、想定外のことが起こると慌てるタイプだな。あれだけ粘ってたのに、スリーバントスクイズなんてすると思うか?」

「......ないわね」

 

 葛城(かつらぎ)が粘ったことで、警戒が薄れた場面でのスリーバントスクイズ。送球がランナーと重なるサード方向に加え、送球にやや難のある五十嵐(いがらし)。さらにフォークボールだったため空振りやワンバウンドを想定して、キャッチャーは前へ出られず、サードが投げやすいようにフェアグランドに立ってミットを構えるのが一瞬遅れた。

 

「ミスは待つものではない、あらゆる手段を使って引き出すもの。そうして作り出したチャンスは確実にものにする。したたかに、貪欲にな。クックック......」

 

 不敵に笑う東亜(トーア)

 続く瑠菜(るな)は三振に倒れ、スリーアウトチェンジ。

 再び三点差となった試合は、四回裏のあかつきの攻撃へと移る。



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game63 ~翻弄~

お待たせしました。


 スリーアウト目を取った二宮(にのみや)は急いでベンチへ戻ると、すぐさま打席の準備に取りかかる。

 

(すすむ)、手伝え!」

「はい!」

「おい、猪狩(いかり)――」

『四回の裏、あかつき大学附属高校の攻撃は――』

 

 話しかけようとしたところで場内にアナウンスが流れる。

 

二宮(にのみや)、話をしている暇はないぞ。キミも準備を急げ」

「......ああ、わかってる!」

 

 時間短縮のため(すすむ)にプロテクターを外すのを手伝ってもらうもネクストバッターの猪狩(いかり)と会話を交わす時間は取れず、二宮(にのみや)はバッターボックスへ向かわざるを得ない。

 

「(嫌な形で失点した直後だってのに、まともに話しも出来やしねぇ......クソ!)」

 

 絶対的エース猪狩(いかり)の四失点。攻撃が四番三本松(さんぼんまつ)で切れることは想定外のことだったとは言え、バッテリーが並ぶ打順を組んだことを、千石(せんごく)は悔やんでいた。

 

「(要所要所で嫌に絡みついてくる。こうも裏目に出てしまうとは......しかし、今さら悔やんだところで遅い。今は、あの投手を攻略しなければ......頼んだぞ二宮(にのみや)、突破口を開いてくれ)」

 

 瑠菜(るな)の投球練習が終わり、二宮(にのみや)は右のバッターボックスに入ってバットを構える。

 

「(地区予選で、しかも新参相手にこうも良いようにやられるだなんて......。次の回は、九番の女子からか。ひとつは取れるとして、問題は上位打線だ。これ以上の失点は絶対にしちゃいけない。クリーンナップの前にランナーを溜めないようにして――)」

 

『あかつきは、五番二宮(にのみや)から下位へと向かっていく打順。しかし! バッターボックスの二宮(にのみや)、ネクストバッターの猪狩(いかり)、八番五十嵐(いがらし)と一発のある強打者が揃っています! 下位打線と言えど気は抜けませンッ!』

 

 二宮(にのみや)にチラッと目をやり、鳴海(なるみ)はすぐさまサインを出す。うなづいた瑠菜(るな)も、間髪入れずに投球モーションに入った。

 

『ストライク! なんと初球は、ど真ん中のストレート! 』

 

 タイムを要求した二宮(にのみや)は、打席を外す。

 

「(......やっちまった、余計なこと考えてたらど真ん中を見逃しちまった。今は打席に集中しねぇーと、点差を詰めることが最大の援護なんだからな......!)」

「(ん? 構えの迷いがちょっと薄れたかな? これは甘いところは確実に狙ってくるよ。これで誘おう)」

「(――ええ)」

 

 瑠菜(るな)の二球目――アウトコースから逃げるシュート。ボール球に手を出してファール。恋恋バッテリーは理想通りの組み立てで、二宮(にのみや)を二球で追い込んだ。

 

「(ほぼ同じ球速から逃げるシュート......なまじ球速がない分多少のボール球にもつい手が出ちまう。次は何で来る? 一球遊ぶか、それとも三球勝負に来るのか......?)」

 

『さあ、バッテリーのサインが決まりました! マウンドの十六夜(いざよい)瑠菜(るな)、初球とは打って変わってゆったりと投球モーションに入る!』

 

 三球目、バッテリーは三球勝負を挑んだ。選んだ球種は、右バッターへクロスして入ってくるインコース高めのストレート。

 

「(インハイの真っ直ぐ、三球勝負! けど甘ぇ、ここから変化してもストライクゾーンの中だ......!)」

 

 ミートポイント手前で逃げるように小さく沈んだ。練習で奥居(おくい)を三振に仕留めた、見極めが難しいインハイからの低回転ストレート。しかし二宮(にのみや)は、持ち前のバットコントロールで左手を払うようにして瞬時に対応してみせた。

 

『打球は、三遊間のサード寄りの強いゴロ! サードの葛城(かつらぎ)、腕を伸ばして捕球! そのまま一回転して難しい体勢からの送球も正確です、ワンナウト! 二宮(にのみや)上手く捉えましたが、ここはサードの好プレーに阻まれましたーッ!』

 

 先頭バッターをしっかりアウトに取ったが、今の一打を見た東亜(トーア)が動く。藤村(ふじむら)にブルペンへ行くよう指示を出した。藤村(ふじむら)新海(しんかい)の二人が動いたのに合わせて、ライトに入っているあおいも軽くストレッチを始める。

 そして打席では、内野ゴロに打ち取られた二宮(にのみや)と入り替わりで猪狩(いかり)が入った。初球は、外角のストレートを三塁方向へファール。二球目は、高めのストレートに手を出して空振り。二宮(にのみや)と同様に、理想的に二球で追い込んだ。

 

「(強引に振ってくるなぁ、まあこっちとしてはありがたい。三球勝負で球数を抑えたいけど、でもここまで振られるとストライクゾーンでの勝負はちょっと行きづらいな......)」

 

 サインを出して、外角のボールゾーンへミットを構える。

 

『ファール! 少々(リキ)んでいるのでしょーか? 完全なボール球に手を出してしまいました』

 

「(こんなボール球にまで手を出してくるのか、だったら振ってもらおう)」

 

 サインにうなづいた瑠菜(るな)の四球目――。

 瑠菜(るな)の投げたボールは、鳴海(なるみ)のミットに収まることなくライトへ上がった。

 

猪狩(いかり)、打ったー! 低めの変化球を掬い上げて引っ張った打球は、ライトの上空へと上がったーッ!』

 

 打球を追っていたあおいは足を止めて、頭上の遙か上を越えていく打球を見送る。矢部(やべ)の打球をスタンドまで運んだ追い風に乗り、ライトスタンドの中段で弾んだ。

 

『入りましたー、ホームラーンッ! 猪狩(いかり)(まもる)、今大会二本目のホームランは、自らを援護するソロホームラン! 特大の一発で点差を再び二点差と詰め寄りますッ!』

 

 ダイヤモンドをゆっくりと一週して、ネクストバッターの九十九(つくも)とハイタッチを交わし、ベンチへ戻ってくる猪狩(いかり)を、あかつきナインたちは総出で迎える。

 

猪狩(いかり)、見事なバッティングだ」

「ありがとうございます。二宮(にのみや)、肩を温めたい」

「おう、先に行ってるぞ」

 

 二人は次の回の話しをしながらベンチ前で軽めのキャッチボールを行う。一方の恋恋高校は、ここでも伝令は使わずにバッテリーの二人でだけでの会話に留めた。

 

「今のは、打った猪狩(アイツ)の勝ちだな。もう一度打てと言われても簡単に打てる球じゃない」

「ストライクからボールになる膝下への縦のカーブだったものね。あれを打たれたら仕方ないわね」

「フッ、まあアイツらが勝負を焦ったことに変わりはない。多少ミスと意地が重なった結果だな。しかし、起こってしまったことはもう戻らない」

「ここからどう取り戻すかが重要ね」

 

 それは鳴海(なるみ)も、瑠菜(るな)も、重々承知している。だからこそ東亜(トーア)は、伝令は出さなかった。主審が注意に来るギリギリまで言葉を交わし、鳴海(なるみ)はポジションへ戻る。

 瑠菜(るな)は前の打席ヒットを打たれている九十九(つくも)をセカンドライナーに打ち取り、リベンジを果たしてツーアウトまでこぎ着けた。だが七番の五十嵐(いがらし)には、バスターからの小さなスイング、さらに完全に芯を外すも持ち前の腕力(パワー)で詰まりながらレフト前へ運ばれてしまう。

 

『ツーアウトランナー一塁。ここで六本木(ろっぽんぎ)の当場です。そしてさっそく、バットを寝かせました。例のごとくバントの構えでバッテリーを揺さぶります! はたしてバスターか? それともセーフティバントをしてくるのでしょーか?』

 

 初球、外角低めへ逃げるシュートに対して六本木(ろっぽんぎ)は、寝かせたバットを引いてバスターを試みた。無駄のないバッティングで捉えた打球は、やや弱い当たりながらも一・二塁の間をゴロで抜けて行く。

 

『ここで連打、連打です! ツーアウトながら下位打線が繋がりチャンスを作りました! そして打順は一番に戻って、今日二打数二安打と好調の八嶋(やしま)(あたる)がバッターボックスに立ちます! あかつき応援団の大声援と共に、私のボルテージも上がって参りましたーッ! この対決一瞬も目が離せませンッ!』

 

「よーし! おいらで同点に――」

『恋恋高校、選手の交代をお知らせいたします』

「あ、ありゃ? 今、代えんの?」

 

 場内に流れたアナウンスに試合が止まる。良い流れを作り勢いのまま行きたかったあかつきに取って、肩透かしのようなタイミングでの選手交代。交代するのは――。

 

『おっと、先発の十六夜(いざよい)瑠菜(るな)がマウンドを降りるようです。代わりにマウンドへ上がる選手は......今日、ライトで先発の早川(はやかわ)あおいの名前が告げられました! 渡久地(とくち)監督、このピンチの場面でエースナンバーを背負う、早川(はやかわ)を送り込みますッ!』

 

「こんな形で申し訳ないけど、あとはお願いするわ」

「うん、任せて!」

 

 ボールを受け取ったあおいは足を踏み出す位置を測り、マウンドを降りた瑠菜(るな)は、そのままライトの守備へ回る。ピッチング練習を終えて、セットポジションに着いて試合再開。

 この試合中一度も座ることもなく立ったまま憮然な表情(かお)で腕を組む千石(せんごく)は、自分とはまったく対照的に、余裕しゃくしゃくな表情(かお)でベンチでふんぞり返っている東亜(トーア)に目を向ける。

 

「(ようやく目が慣れてくる三巡目でアンダースローのピッチャーへ切り替えて来た。イニングの途中での交代......最初から二巡目までと決めていたのかは測りかねるが、良い流れをリセットされたことに変わりはない。どこまでも狡猾な采配を打ってくる。だが、タフな場面であることは変わらない。あの投手は、ブルペンに入っていない。緊急登板だ、勝機は十分にある......!)」

 

 しかし、千石(せんごく)の思惑は無情にも叶わなかった。

 瑠菜(るな)とはまた違う超変則のアンダースローの軌道に、八嶋(やしま)は翻弄された。

 

『セカンドゴロ! セカンドの浪風(なみかぜ)からベースカバーの奥居(おくい)へトスしてスリーアウトチェンジ! 八嶋(やしま)、見逃せばボールのシンカーを引っかけてしまいました! ライトから緊急で登板した早川(はやかわ)あおい、一打同点のピンチを物ともせず冷静に打ち取りましたー!』

 

「残念だったな、名監督さんよ。そう思い通りにことはいかねーよ。クックック......」

 

 緊急登板に思えたが実は、あおいはイニング間の守備練習などでセンターの矢部(やべ)を相手に軽く投げ込みをしており、いつでも行けるように予め肩は作っていた。そして、藤村(ふじむら)新海(しんかい)がブルペンへ行ったことが登板が近いと言う合図と決めており、心の準備も万端でマウンドへ上がった。

 

「ナイスピッチ、あおいちゃん!」

「うん、ありがとっ」

 

 ピンチを切り抜けた二人は、グラブとミットでタッチを交わして一緒にベンチへ戻る。

 

「どうだった? あのピッチャーの印象は」

 

 こちらもベンチへ戻った四条(よじょう)は守備の準備をしながら、八嶋(やしま)に打席での印象を訊ねる。

 

「遅いし、低いと思って見逃したらストライクを取られるし、同じコースを振りにいったら変化球(シンカー)を打たされた。正直おいらには、こっちの方が打ちづらいぞ」

「そうか、うちはアンダースローのピッチャーはいないからな。見極めに苦労しそうな相手だな」

「て言うか、練習試合でも対戦したことなくない?」

「いや、一度だけあった。ただ、オレたちが一軍へ上がったばかりの頃だったから、厳密に言えば二宮(にのみや)だけだ」

 

 その二宮(にのみや)は、既にグラウンドで猪狩(いかり)とピッチング練習を始めていた。

 

「......仕方ない、次回の頭に訊くとしよう。さあ、オレたちも行くぞ」

「はいよー」

 

 二人は、グラブを付けてグラウンドへ駆けて行く。

 恋恋高校のベンチでは、東亜(トーア)鳴海(なるみ)が裏の守備ついてを振り返っていた。

 

「確かに上手く拾われたが、急ぎすぎたな」

「はい、一球インサイドを見せておくべきでした。俺の配球ミスです、あれは防げた失点でした」

 

 わかりやすく顔を伏せて、大きなタメ息を吐く。

 

「フッ、終わったことをいつまでも引きずるなよ、まだ二点リードしてるじゃねーか。それに下を向いてちゃ見逃すことになるぞ」

「えっ? あっ......!」

 

 顔を上げた鳴海(なるみ)は、東亜(トーア)が見ている空を同じように見上げた。試合前から空を覆っていた薄暗い雲がより深くなっていた。そして――。

 

「ん?」

「どうした? これは......」

 

 帽子から伝わった異変に気がついた猪狩(いかり)は、一旦手を止めて空を見上げる。二宮(にのみや)は、右手を前に差し出す。その手のひらが僅かに濡れる。

 

「さあ、来たぜ」

 

 どんよりとした灰色の雲から、透明な雫が降りてきた。

 この試合の勝敗を左右することになる、雨が降り出した――。



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game64 ~進化~

大変お待たせしました。


 試合は中盤、灰色の空から小雨が降り始めた。

 恋恋高校の攻撃は前の回ピンチの芽を摘み取った、あおいからの打順。マウンド上の猪狩(いかり)の初球は、ライジングショット。雨の影響を感じさせず、糸を引くようにアウトコースに構えたミットへ突き刺さった。見逃しのストライクを奪い、二球目も真っ直ぐ。

 

『空振り、140キロのストレートにタイミングが合いません! あかつきバッテリー、テンポよく二球で追い込みましたー!』

 

 ボールを投げ返し、二宮(にのみや)は腰を下ろす。

 

「(ぜんぜんタイミングが合ってない......って言うより、バットとボールがかけ離れてる。ノビについていけないって感じのスイングだ。ストレートみっつで仕留めるか? いや、ダメだ。さっきそれで五番に打たれた。このチームは、猪狩(いかり)のライジングショットを()()()()()相手だ。三振に切ったとは言え、八番の女子は迷いなく振り切ってきた。たとえラストバッターでも慎重に攻めねーとな......)」

 

 二宮(にのみや)から出された変化球のサインに、猪狩(いかり)は不満気に首を横に振る。このやり取りが二度続き、業を煮やした猪狩(いかり)はプレートを外して、二宮(にのみや)に鋭い視線を向けた。

 

「フゥ......すみません、タイムお願いします」

「うむ、タイム」

 

 小走りでマウンドへ向かう。

 

「そう睨むな。相手は九番、それもあのスイングだ。さっさと仕留めたいのは分かる。けどな、簡単にいって打たれたら上位に回る」

 

 試合は中盤で、しかも雨。雨天コールドの可能性も視野に入れ、これ以上の失点は厳禁だと二宮(にのみや)は考えていた。もちろんそれは、猪狩(いかり)も同じ。ただ、少し考えに相違があると言う話し。

 

「キミが、雨を気にかけていることは判っている。だが今は、ちょうど良い感じに湿ってて、縫い目にしっかり指にかかる。今のボクは、最高のパフォーマンスを発揮できる」

「......わーったよ、ストレート中心で組み立てる。けど、間が開いちまったから次だけは慎重にいくぞ」

「ああ、判っている。さすがにそこまで愚かではないさ」

 

 球審に礼を言ってしゃがんで、アウトコースへミットを構えた。三球目は話した通り単調な攻めは避けて、外角の変化球を放った。ボールゾーンからストライクゾーンをかすめるように入ってくる完璧なカーブ。

 

「(――変化球! これならボクにだって......!)」

 

 空振りを奪われたライジングショットの時とはまったく違い、アウトコースからのカーブを逆らわずに逆方向へおっつけた。ふらふらっとした弱い当たりだが、ファーストの後方へ飛んだ。ファーストの三本松(さんぼんまつ)は目で追いながら背走してグラブを伸ばすが、あと一歩届かず。打球はファールゾーンで弾んだ。カウントは変わらず、ノーボールツーストライク。

 

「(なんだ、今の......。真っ直ぐの時みたいな戸惑ったスイングじゃない。そもそもどうしてコイツらは、猪狩(いかり)のライジングショットのノビに戸惑わず合わせられるんだ? この九番以外は......。そうか、そう言うことかよ――!)」

 

 球審に貰った新しいボールを猪狩(いかり)に投げ渡しサイン交換、高めのボールゾーンへミットを構えた。その様子を見て、東亜(トーア)は気づく。

 

「バレたな」

「えっ? もう?」

「さすがは名門の正捕手と言ったところか、なかなかの洞察力だ。だが、理由が判明したところでどう対処するかが重要。よう、お前ならどう攻める?」

 

 東亜(トーア)は、鳴海(なるみ)に問いかける。

 

「俺だったら、もっと単純にストライクゾーンで勝負させます」

「これまで四失点しているのにか?」

「はい。失点と言っても、まともな失点は、瑠菜(るな)ちゃんに狙い打たれた一打だけです。矢部(やべ)くんには、申し訳ないけど」

 

 ネクストバッターズサークルで気合いを入れて素振りをする矢部(やべ)に目を向ける鳴海(なるみ)

 

「くくく。気にするな、お前の考えは間違っちゃいない。むしろ正しい。猪狩(いかり)は平凡な投手ではない、むしろ逆。どのボールも一級品、そう簡単には打ち崩せない。しかし、優秀ゆえに陥る落とし穴が存在する」

「落とし穴ですか?」

 

 鳴海(なるみ)と一緒に近くのナインたちも、東亜(トーア)の話しに耳を傾ける。

 

猪狩(いかり)の武器は、ノビのあるストレートでも、キレのある変化球でも、抜群の制球力でもない。コンビネーションなのさ」

「コンビネーション?」

「真っ直ぐが速いから変化球が活きる。変化球が鋭いから真っ直ぐが活きる。そして、それらを思い通りに制球出来るから強力な武器なんだ。しかし――」

 

 あおいを高めのストレートで空振りの三振に奪ってプレートを外した猪狩(いかり)へ視線を移す。

 

猪狩(アイツ)は本格派でありながら、自身を速球派の投手だと想っている。いや、正確には速球派でありたいと想っている、か」

猪狩(いかり)さんは、速球派ではないのですか?」

 

 スコアブックを片手に聞いていたはるかも一旦手を止める。

 

「一昔前ならそう呼ばれていただろう。だが昨今、高校生でも150キロを超すストレートを投げる投手は少なくない。中には、160キロ台に迫るストレートを放るヤツも居る」

 

 同じサウスポーの覇堂の木場(きば)やアンドロメダの大西(おおにし)は、最速150km/hを超すストレートを投げる。しかし猪狩(いかり)のストレートは最速で149km/h止まり、150km/hにはあと一歩届かない。十分に速い部類に入るが、前の二人と比べてしまうとやや見劣りしてしまう。

 

「投手としての完成度で言えば、猪狩(いかり)の方が一枚も二枚も上。二桁を計算出来る即戦力ってやつだな。だが不幸なことに、自身よりも上の存在がいると感じてしまった。春で敗退したことでより一層な」

 

 ベスト4で敗退したことでストレートの強化を図った、その成果が――ライジングショット。

 

「ノビとキレを兼ね備えた新しい武器。練習試合を含め今まで、ほぼ捉えられていない絶対的なストレートを会得したことで自信を取り戻した。だが皮肉なことに、レベルアップしてしまったがゆえ本来あるべき投球スタイルから遠ざかる結果となった。そこを突いて、矢部(やべ)に狙わせた」

 

 ストレートを中心に組み立てる場合バッテリーは、まずストレートの走りを確かめる。そして、一番長打が少ない場所であるアウトコースへ投げる割合が高い。

 

「ホームランでなくてもきっちり前へ飛ばしさえすればよかった。たとえ外野定位置のフライだろうと疑念を抱くのには十分な効果ある。なぜなら?」

「今まで、まともに打たれていないから」

 

 鳴海(なるみ)の返答に、東亜(トーア)は軽く笑みを浮かべる。

 

矢部(アイツ)は意外と飛ばす能力(パワー)がある。なまじ脚がある分当てに行く傾向があるから、コースと球種を教え振り切るよう仕向けたって訳だ」

「加えて、カムフラージュ役でもあるんでしょ」

「フッ、まーな。あおい、アンダーシャツ着替えとけ」

「女子は、ベンチ裏の更衣室を使わせてもらえるようになってるわ。判らなかったら係の人に聞いてね」

「はーい」

 

 グラウンドから戻って来たあおいは、替えのアンダーシャツとタオルを持ってベンチ裏へ入っていく。

 

「みんなも濡れたらすぐに着替えるのよ、持ってきてるわよね?」

「もちっす。おいら、十着持ってきてるぞ」

「おいおい。そらいくらなんでも多過ぎだろ?」

「備えあれば売れ残りなしって言うだろ~」

「憂いなし、な。備えたら売れ残るだろ」

「そうだっけ?」

 

 ベンチがアホな会話をしている間に矢部(やべ)は凡打に打ち取られ、ストライクゾーンでの勝負に切り替えたあかつきバッテリーは続く芽衣香(めいか)もストライク先行のピッチングで退けた。五回表を三者凡退で終わらせ、そして......。

 

「なに? あの投手のストレートを、猪狩(いかり)のライジングショットに見立てただと?」

「はい。おそらくですが、マウンドまでの距離を詰めて再現したんだと思います」

 

 二宮(にのみや)の考察は半分当たっていた。恋恋ナインが行って来た猪狩(いかり)対策は、あおいと瑠菜(るな)の二人の投球を、バッターボックスの前で体感するという方法。

 

「......なるほど。アンダースローの浮き上がるような軌道のストレートを手前で打ち込んできたとすれば、ノビに戸惑わなかった説明がつくな」

 

 二宮(にのみや)の意見に納得した様子でうなづく千石(せんごく)

 

二宮(にのみや)、実際にアンダースローの投手との対戦経験のあるキミからみて、どうやって対峙すればいい?」

「おお、そうだな。アンダースロー特有の軌道に惑わされると、どうしても視線が上向いて肩も上がりがちになる。アッパースイングにならないように上から叩きつけるような感覚で打て」

「わかった。それを心がけよう」

 

 二宮(にのみや)からアドバイスを受けた四条(よじょう)は、準備を済ませてバッターボックスへ向かった。

 その四条(よじょう)よりも一足早くグラウンドへ向かおうとしたところを東亜(トーア)に呼び止められた鳴海(なるみ)は、足を止めてベンチへ振り返る。

 

「はい、何ですか?」

「お前は今、二宮(にのみや)が十年以上の時をかけて築き上げたものを三ヶ月で経験している。すべてを受け止め吸収しろ、などと無茶な要求はしない。だが、無駄にするな。成功も、失敗も、すべて後の糧にしろ。そいつを決して忘れるな」

「......はい!」

 

 真剣な表情(かお)をして返事をした鳴海(なるみ)は、改めてグラウンドへ駆けていった。

 

「どうしたの? 急に」

「まあ、アイツをキャッチャーにコンバートさせたは俺だからな」

「ふーん、そう言うことにしておいてあげるわ」

 

 どこか嬉しそうに理香(りか)は微笑んだ。

 

 

           * * *

 

 

『さあ、試合は中盤戦。二点を追いかけるあかつきの攻撃は、二番四条(よじょう)からの好打順! 追いつき追い越せるか注目してまいりましょう!』

 

 五回裏あかつきの攻撃、恋恋高校は前回から引き継いであおいがマウンドに立ち。そして交代した瑠菜(るな)は、そのままライトの守備に着いた。投球練習で雨で濡れたマウンドの感覚を確かめたあおいは、球審のコールを聞いてモーションに入る。

 四条(よじょう)への初球は、低めのストレート。

 

「ストライクッ!」

 

 球審の手が上がった。見逃しのストライク。そして二球目は一転高めのストレートでファールを奪い、バッテリーは二球で四条(よじょう)を追い込んだ。

 

「(なるほど、確かに打ちづらい......。低いと思えばストライク、ストライクだと思えばボール球を打たされる。これは思いのほか手を焼くぞ。ならば......)」

「(ん? バットを短く持ち直した、意地でも食らいつくつもりか。なら、これで仕留めよう)」

 

 サインに力強くうなづいたあおいの三球目は――。

 

「(――真ん中、失投か! もらった......な!?)」

 

『空振り三振! 膝下へ落ちる鋭い変化球にバットが回りました! ワンナウト!』

 

 四条(よじょう)を仕留めた勝負球、甘いコースからのマリンボール。マウンドで小さくガッツポーズするあおいと対照的に、四条(よじょう)は憮然とした表情(かお)でベンチへ戻っていく。

 

「今のボール、変化球カ?」

「ああ......。おそらく、八嶋(やしま)を打ち取ったシンカーとは別種のシンカーだろう。かなり手元で鋭く変化した、見極めが難しいぞ」

「そうか、了解しタ」

 

 四条(よじょう)から情報を貰った七井(なない)は、左のバッターボックスで構える。鳴海(なるみ)は、七井(なない)をじっくり観察してサインを出した。初球は――アウトコース。

 

「(――外、やや甘めのストライクゾーン。例の変化球カ? いや、しっかり回転してる、これはストレートダ!)」

 

 狙いにいったが、バットは空を切った。

 

「(ストレートが消えた......いや、落ちたのカ? 今のが、四条(よじょう)の言っていた変化球カ......?)」

「オッケーナイスボール! バッター、目がついていってないよ!」

 

 状況を整理が出来ていない七井(なない)を後目に、あえて挑発するように言ってあおいにボールを返した鳴海(なるみ)は腰を下ろすと、すぐさま次のサインを送る。あおいもすぐにモーションに入った。

 またしても同じアウトコース。だが今度は、マリンボールよりも球速を抑えた通常のシンカー。

 

「くっ......!」

 

七井(なない)、泳がされながらも上手く流した! 痛烈な打球が三遊間を襲います!』

 

 三遊間のど真ん中の一番深いインフィールドライン上で、奥居(おくい)が飛びついて捕球。体勢が崩れた状態での送球は難しいと判断した奥居(おくい)は、サードの葛城(かつらぎ)へグラブトス。

 

葛城(かつらぎ)、頼んだぞ!」

「おう!」

 

 トスを受けた葛城(かつらぎ)は素早く体勢を立て直して、ファーストへスローイング。送球は、七井(なない)がファーストベースを駆け抜ける前にファーストミットへ収まった。

 

「ア、アウトーッ!」

 

『な、なんと......ショート奥居(おくい)・サード葛城(かつらぎ)のコンビプレーで、ヒットをアウトにしてみせましたーッ! これはスーパービッグプレーッ! 恋恋高校、鉄壁の守備で相手に流れを渡しません!』

 

 アウトにされたことよりも自分のバッティングをさせてもらえなかったことに、悔しそうな表情(かお)でベンチへ戻る七井(なない)と入れ替わりで、四番の三本松(さんぼんまつ)が同じ左打席に鬼気迫る表情(かお)で立つ。

 

『ツーアウトランナーなし、ここで眠れる四番三本松(さんぼんまつ)。雪辱を晴らし目覚めることが、劣勢のチームへ流れを呼び込むことが出来るでしょーカ?』

 

「(良い流れが最悪の流れへ変わりつつある......。しかし、ここでお前が打てば引き戻せる。流れを、空気を――)」

 

 千石(せんごく)の願いは届かず、三本松(さんぼんまつ)もストライク先行のピッチングで追い込まれてしまった。

 

「(よし、理想的に追い込んだ。でも、ここで焦って勝負にいったらダメだ。一球見せるよ。絶対にストライクゾーンには入れないでね)」

「(――うんっ)」

 

 カウント1-2追い込んでからの四球目は、アウトコース低めへボール二個分外したシンカー。しかし三本松(さんぼんまつ)は、これを強引に振りにいった。だが、当然バットは届かない。しかし――。

 

「まだだーッ!」

 

 左膝を地面に付き、ボール球を強引に引っ張った。ライナー性の打球がライト上空へ飛ぶ。

 

「ウソだろ!? ライト! 瑠菜(るな)ちゃん!」

 

『なんと左膝を地面につけ強引に引っぱたいた! 打球の角度は低いが、三本松(さんぼんまつ)の打球はここから伸びます! 入るか? 届くのかー!?』

 

 ファースト甲斐(かい)の頭上を越えたライナー性の打球は、スタンドへ向かって一直線に飛んでいく。まさかのバッティングに、理香(りか)が身を乗り出す。

 

「まさか、あれが入るの......!?」

「慌てるな、届かねーよ」

 

 東亜(トーア)の言葉通り、ライト線を襲った打球はワンバウンドでフェンスに当たって、フェアグラウンドへ跳ね返った。

 

『これはおしい! あとひと伸び届きませんッ!』

 

 ホームランにはならなかったが、前の二打席の雪辱を晴らした三本松(さんぼんまつ)はセカンドベース上で右拳を大きく掲げた。あかつきの応援スタンドが湧き上がる。この声援に後押しされたかのように、五番の二宮(にのみや)は、高めのストレートを左中間へ弾き返した。

 

二宮(にのみや)、タイムリーヒット! ツーアウトから四番五番の連続ヒットで一点差まで詰め寄ります! なおもツーアウトランナー一塁、一発が出れば逆転の場面で前の打席ホームランを打っている猪狩(いかり)(まもる)へ打席が回って来ました!』

 

 三本松(さんぼんまつ)とタッチを交わし、猪狩(いかり)がバッターボックスへ。

 

「(よし、三本松(さんぼんまつ)の一打で流れは変わった。これはウチの流れだ。逆転まで持っていける)」

 

 千石(せんごく)がそう思った直後タイムがかかり、恋恋ベンチから伝令が送られた。

 

「(伝令か。当然と言えば当然の場面だが。しかしこの流れ、半端な策では変わらんぞ)」

 

 内野陣が、マウンドに集まる。

 

「コーチの指示は?」

「特に何もありません」

 

 そう平然と言ってのけた伝令の香月(こうづき)

 

「えっ? 何もないの?」

「はい。球審が注意に来るまで祝勝会で食べたいものでも話してテキトーに時間を使えだそうです」

 

 ナインたちの目がベンチへ向く。東亜(トーア)は、相変わらず平然としていた。どっしりとした悠然とした姿に冷静を取り戻したナインたちは、言われた通り球審に注意されるまで他愛のない話しで時間を潰して各々ポジションへ戻っていく。

 

「(――内外野共に守備位置は変わらない、キャッチャーも座ったままだ、敬遠もないのか。では今の伝令は、いったい何を......?)」

 

 疑問を抱く千石(せんごく)だったが、答えが出る間もなく試合は進む。あおいの初球が投じられた。インコース低めのストレート。

 

『打ったー! 猪狩(いかり)の打球は、美しい放物線を描いて右中間スタンドへーッ!』

 

「よし、行った!」

 

 打球の角度から逆転のホームランだと確信して拳を握る千石(せんごく)。だが東亜(トーア)は真逆の反応、スタンドへは届かないことを確信して不敵に笑っていた。

 

『おや。これは......失速、失速しています!』

 

「なに......!?」

 

 右中間の一番深いところで落ちてきた打球を、瑠菜(るな)が軽くジャンプしてキャッチ。三つ目のアウトを奪った。

 

『これは非常におしい! 三本松(さんぼんまつ)の打球と同様あとひと伸び、あとひと伸び届きませン! 恋恋高校、逆転のピンチを守り切りましたーッ!』

 

「クックック......甘いな、千石(せんごく)さんよ。そう都合良くことは行かねーよ」

 

 そう言って東亜(トーア)は、空を見上げる。イニング開始時よりも僅かだが確実に増している雨足。千石(せんごく)は、まだ気づいていないでいた。

 

 この雨が、今の勝負を明暗を分けたことを――。

 

 

           * * *

 

 

 五回の攻防が終了しグラウンド整備が行われる中、猪狩(いかり)千石(せんごく)の元へ。

 

「監督。お願いがあります」

「何だ?」

「キャッチャーを、(すすむ)に替えてください」

「なんだと!? どう言うことだ!」

「オイ! ちょっと待てよ!」

 

 千石(せんごく)猪狩(いかり)の会話に二宮(にのみや)も加わる。

 

「俺じゃあ力不足だって言うのかよ!?」

「そうじゃない。力不足は、ボクの方だ」

「何だよ、それ!」

「待て、二宮(にのみや)猪狩(いかり)、どう言う意味だ?」

 

 猪狩(いかり)は、スコアボードへ顔を向けて答える。

 

「一点負けている状況で試合は終盤に入ります。もう一点もやれません。彼らは強い。はっきり言って今年対戦した相手で一番強い。だからボクは――」

 

 猪狩(いかり)は、もう絶対に追加点をやらないと言う強い意志と覚悟をもって言葉にした。

 

 ――もう一段進化します、と。

 





P.S
奥居(おくい)葛城(かつらぎ)の連携プレーは、実際にパワプロのバッチアクション(□ボタン)を用いることで再現できたりします。ただ、普通に送球するよりも遅れるので魅せプレーです。


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game65 ~弊害~

お待たせしました。


「みんな、今のうちに着替えとエネルギー補給を済ませちゃいなさい。手の空いてる人は、手伝ってあげてね」

 

「はい!」と理香(りか)の言葉に返事をしたナインたちは、それぞれ自分の作業に取りかかる。

 

「あの、コーチ。さっきの伝令って結局何だったんですか?」

 

 雨で濡れたアンダーシャツを着替えながら鳴海(なるみ)が訊ねると、東亜(トーア)は五回終了後のグラウンド整備を行っている整備員たちを見ながら答えた。

 

「ただの時間稼ぎだ。文字通りな」

「時間稼ぎ......」

 

 着替えの手を止めて、考え込む。

 

「(二死から連打で失点した悪い流れを切りたかった、もしくは、俺たちを落ち着かせるため。あるいは両方......。いや、そう言う理由なら、コーチはもっと考えさせるような助言を出す。今までもそうだった。となると別の理由があるはず――)」

鳴海(なるみ)くん、早く着替えちゃいなさい。いくら夏でも雨は身体を冷やすわよ」

「あ、はい」

 

 理香(りか)に指摘され、急いでアンダーシャツを着替える。着替え終え、水分補給をしながら再び考え込んでいたところへ瑠菜(るな)とあおい、芽衣香(めいか)の三人がベンチ裏の更衣室から戻ってきた。

 

「濡れたアンダーシャツを替えるだけでも全然違うね」

「ええ、気持ち動きやすくなった感じもするわ」

「スポーツドリンクですよー」

 

 はるかに礼を言って、ベンチに腰を降ろす。

 

「で。鳴海(なるみ)くんは、何を難しい表情(かお)してるの?」

「たぶん、さっきの伝令のことじゃないかしら」

「正解」

「祝勝会の話しって言っていたわね」

「うん。球審が注意に来るまで話しとけって」

「球審が注意に来るまで、ね」

 

 そこにヒントがある。瑠菜(るな)も、鳴海(なるみ)も同じことを思っていた。すぐ近くで考え込んでいる二人の姿に、理香(りか)東亜(トーア)に進言。

 

「悩んでるわよ」

「考えて悩めばいい。とことんな」

「もう、冷たいわね。ヒントくらいあげたら?」

「ヒントも何も、ほぼ答えを教えてやったじゃねぇーか」

 

 小さくタメ息をつく理香(りか)に軽く笑みを見せて言った東亜(トーア)の言葉を思い出して、鳴海(なるみ)は思考を巡らせる。

 

「ヒント、答え......時間稼ぎ......あっ、そうか、マリンボールだ!」

「ん? ボクのマリンボールがどうかしたの?」

「ほら。前に海で、あおいちゃんが言ったことだよ。湿度が高い海は、変化球がよく曲がる!」

「え、なに? あんたたち、海でデートしたの?」

 

 芽衣香(めいか)が、関係ないところに食いついた。

 

「ち、違う違うよっ。マリンボールの開発に行き詰まってた時に、気分転換で行っただけだよ!」

「ふーん、へぇー、まっ、そう言うことにしといてあげるわ」

「ハァ、話しが脱線したわね。それで?」

「あ、うん。対マリナーズ戦の反則合戦の試合にヒントがあるんじゃないかってなって」

「豪雨の反則合戦......なるほど、天候がプレーに与える影響。コーチは、雨で空気中の湿度が上がるのを待ったんですね」

 

 瑠菜(るな)の答えに、東亜(トーア)は――。

 

「まあ、70点ってところだな。雨の影響は、ピッチングやバッティングにだけではなく守備や走塁にも及ぶ」

 

 雨で足下が泥濘めば体重が乗り切らないし、当然体勢もブレが生じる。晴れの日と比べると強い打球を飛ばすことも、思うような投球も格段に難しくなる。

 

「だけど、あたしもタイムの時マウンドに行きましたけど、それほど泥濘んでなかったですよ? むしろ気持ち締まって感じたって言うかー」

「だから70点なのさ。雨は何もグラウンドだけに降ってる訳じゃない。グラウンドに立つ、お前たちの身体にも降り注いでいるんだ。ユニフォームが雨を吸えば重くなるし、ボールやバットが濡れていればインパクトで多少は滑る」

 

 湿度などの影響を受け、晴れよりも打球が飛ばない雨の中での試合。時間稼ぎで、雨に濡れたバット。一発逆転の場面で、前の打席にホームランを打ったコースとほぼ同じ内角低め投球。多少のボール球だろうと振りに行く。しかし、ファーストにランナーが居たことで盗塁やエンドランを警戒してのクイックモーション、変化球とストレートの真逆の軌道。雨の影響でスイングにも僅かな狂いが生じた。

 

「対戦経験の少ないアンダースローのストレートにバットが下から入った。一見派手に打ち上げた打球は、雨の影響をもろに受ける。だから届かない。単純な理屈だろ。だが向こうは困惑する、何せ確率の低い雨を想定した練習など通常はしない」

「でも、ボクたちは合宿の時に経験してるね!」

「ええ。波打ち際でノックも受けたし、水を撒いて泥濘んだブルペンで、水に浸したボールでピッチング練習もしたわ」

「あかつきは名門だから設備も充実しているから、雨の日は基本的に室内練習場でしょうしね」

「フッ。それが仇となり、今焦りとなって表面に現れた。見てみろよ」

 

 東亜(トーア)の視線は、あかつきベンチ横のブルペン。千石(せんごく)二宮(にのみや)が見守る中、猪狩(いかり)が弟の(すすむ)を相手にピッチング練習を始めようとしていた。

 

「いくぞ、(すすむ)

「はい!」

 

 大きく振りかぶって、(すすむ)が構えるミットを目がけ投げ込んだボールは雨音を切り裂いて、ズドン! と鈍い音を恋恋高校のベンチまで響かせた。

 

「なんだ、今のストレートは......!?」

「オレたちだけじゃなく、監督にまで隠してたってのかよ......!?」

 

 猪狩(いかり)の秘密兵器に千石(せんごく)は驚き、二宮(にのみや)の眉尻は上がる。

 

「別に、隠していた訳じゃない」

 

 猪狩(いかり)は、悔しそうに唇を噛みしめる。ライジングショットを完成させてなお満足せず、更なる高みを目指して取り組んできた。だが、しかし――。

 

「まだ、狙ったコースへコントロール出来ません。実戦で使えるレベルまで達していないんです」

「......なるほど。しかし、キャッチャーを(すすむ)に代える理由は?」

(すすむ)は、このストレートを受け続けて来ました。例え逆球であっても身体で止められます」

「オレじゃ逸らす心配があるってのかよ?」

二宮(キミ)が悪い訳じゃない。強肩に強打、リード、キャプテンシー、どれを取っても間違いなく一流だ。しかし、一ノ瀬(いちのせ)先輩、麻生(あそう)、ボクと。他にもベンチ入りメンバーの制球力の高い投手のボールを受けて来た。慣れすぎてしまっているんだ、コントロールの良い投手に――」

 

 あかつきの一軍投手は全員が高い制球力を誇っている。なぜならば、毎年中学時代にエースナンバーを背負っていた投手が何人も入部してくる名門あかつき大附属では、最悪でもストライクを狙って投げられなければ一軍へは上がれない。熾烈な競争に勝ち上がった者だけが一軍への切符を勝ち取り、三年間を二軍生活で終える選手もざらに居る。レベルの高い投手に加え、二宮(にのみや)のリードと強肩が相まって高校球界トップクラスの投手陣と評されているが、弊害として咄嗟の捕球力には若干の脆さがあるのも事実。その点(すすむ)は、正捕手の二宮(にのみや)が居たことで経験を積むため二軍に帯同して発展途上の投手たちのボールを実戦で受け、リードやキャッチングを磨いてきた。捕球力という面においては、二宮(にのみや)以上のモノを持っている。

 千石(せんごく)は、決断を迫られた。

 チームメイトたちからも絶大な信頼感を誇る二宮(にのみや)のままで行くか。エース猪狩(いかり)の更なる進化を信じ、弟の(すすむ)へチェンジするか。正に苦渋の選択。

 千石(せんごく)が出した答えは――。

 

 

           * * *

 

 

 時を同じくしてある人物が、雨を避けてるため席を離れて試合再開を待っている高見(たかみ)に声をかけた。彼のチームメイトのトマス。

 

「どうして、お前が居るんだ?」

「買い物のついでに寄っただけだ。どうせ明日は、オフだしな」

 

 雨に濡れたビニール傘を閉じて、高見(たかみ)の隣に立つ。

 

「一点差で中盤か、どう見る?」

「さっきの攻撃のように、強力な打線を誇るあかつきに一点などあってないようなもの......と見るだろう」

「つまり、お前はそうは見ていない訳だ」

「ああ、僕は恋恋が優勢と見ている」

「理由は?」

「あかつきバッテリーだ。彼らにとっては思わぬ形で先制点を与えてしまったことで、必要以上に組み立てに慎重になりすぎている。それに加え、彼のピッチングの生命線を封じられたのは痛い」

 

 高見(たかみ)の言う生命線とは、スライダーのこと。

 スライダーはカーブやフォークと違い、ストレートとあまり握りを変えずに投げられ比較的コントロールしやすい変化球。決め球にも、カウントを整えるのにも重宝する。サウスポーの猪狩(いかり)に取っては、特に対左打者に対して有効な変化球だったが、左打者の鳴海(なるみ)瑠菜(るな)に初見で打ち返されてしまったことで組み立てを狂わされてしまった。

 

「スライダーはコンビネーションの要だったと言っても過言じゃない。ボクシングで言うところのジャブのようなものだ」

「確かに、あれだけキレのあるスライダーを持っていながらカウントを稼げないのはキツいな。ストレートが強力なだけに」

 

「なんだ、観ていたんじゃないか」などと野暮なこと言わず、高見(たかみ)は整備員が散っていったグラウンドに目を戻した。そこへ場内アナウンスが流れる。試合再開を告げるアナウンスと、選手交代の知らせ――。

 

『あかつき大附属高校、選手の交代をお知らせします。キャッチャー二宮(にのみや)に代わりまして――』

 

 悩み抜いた末千石(せんごく)の下した決断は、(すすむ)への交代。

 

「ここで、キャッチャーを代えるのか。あのキャッチャー前の回にタイムリーも打ったし、悪くなかったよな?」

「ああ、文字通り攻守の要だった。それをここで代えると言うことは......」

 

 高見(たかみ)は、引き続きマウンドに立つ猪狩(いかり)を注視。猪狩(いかり)は、新しい砂が入ったマウンドの感触を確かめつつ、投球練習最後の一球を放る。小雨が降る中、六回表の攻撃は三番奥居(おくい)からの好打順。

 兄弟バッテリーのサイン交換は行わずに球審のコールのあと、すかさず投球モーションに入った。

 

「(行くぞ......これがライジングショットの進化形――ライジングキャノンだ!)」

 

 初球は、真ん中に構えたミットから大きく外れた、外角のボール球。

 

『おおっと! 高い制球力を持つ猪狩(いかり)には珍しく、キャッチャーの構えたミットから大きく逸れました! しかし、球速は145キロを計測! 今日一番の真っ直ぐですッ!』

 

「......変わった」

 

 抜群の動体視力を誇る高見(たかみ)は、猪狩(いかり)のある変化に気がついた。

 

「変わった? 何がだ?」

「彼のピッチングだよ。しかし、これは――」

 

 グラウンドを見る高見(たかみ)の顔が、険しい表情に変わる。

 

 ――見誤れば、一瞬で勝負が決まりかねないぞ。

 

 

           * * *

 

 

「(......これはちょっとハンパじゃないぞ。だけど――)」

 

 二球目、三球目も奥居(おくい)は見送る。球種はすべてストレート。しかし、一球もストライクゾーンを通過しない。そしてスリーボールからの四球目も......。

 

「ボール! ボールフォア」

 

 ストレートのフォアボールでノーアウトのランナーを出してしまった。奥居(おくい)は、バットを振ることなく一塁へ歩き。一旦プレートを外した猪狩(いかり)は、腕の振りを確かめてからマウンドに戻り、ネクストバッターがコールされて試合再開。

 

『さあ、ノーアウト一塁で四番バッター甲斐(かい)を迎えます!』

 

 ファーストランナー奥居(おくい)を警戒しつつ、第一球。

 引っかけた投球はベースの手前でバウンド。暴投を身体で止めた(すすむ)は弾いたボールを掴み、目で素早く奥居(おくい)を牽制。奥居(おくい)は、急いでベースへ戻る。

 

「兄さん、気にしないで、もっと気楽に!」

 

 新しいボールを受け取った猪狩(いかり)は無言でうなづき、二球目を投げる。今度もミットとは外れたコースだが、ボールはストライクゾーンに来た。甲斐(かい)は、スイングするも振り遅れ空振り。カウントワンエンドワン。

 

「(......速い。木場(きば)とは、また別種の強力なストレートだ)」

 

 打席を外した甲斐(かい)は、ベンチへ顔を向ける。はるかを通じてではなく、東亜(トーア)から直接サインが送られた。

 

「(早川(はやかわ)手前1メートルから、十六夜(いざよい)手前1・5メートルへ設定変更......了解)」

 

 ヘルメットのツバを触り、指二本分バットを短く握り直して挑んだ三球目のストレートは、ボールの下面をかすめてファールチップ。追い込んでからの四球目、猪狩(いかり)バッテリーは初めて変化球を使った。ほぼ真ん中付近からのスライダー。ストレートにタイミングを合わせていた甲斐(かい)は裏をかかれ、内角へ食い込んでくるボールを引っかけた。打球は、ショート六本木(ろっぽんぎ)のほぼ真正面へ。ダッシュで前へ出て捕球、セカンドへ送球。奥居(おくい)はセカンドでフォースアウトも、雨の影響で打球が弱まったことでゲッツーは免れた。ランナーが入れ替わった形で、二打数二安打と猪狩(いかり)を捉えている五番鳴海(なるみ)の打席。

 しかし、このアウトは(すすむ)は落ちつかせた。(すすむ)鳴海(なるみ)に目をやって、サインを出し、真ん中にミットを構える。初球――アウトコースへのライジングキャノン。

 

「(外、きわどい)」

「――っ!」

 

 アウトコース、きわどいところのライジングキャノンを見逃した。一瞬の間が開いたあと、球審は右手を上げた。

 

『ストライク! 指にかかったストレートがアウトコースへズバッと決まりましたーッ!』

 

「ふぅ、ナイスボール!」

 

 ひとつ息を吐いた(すすむ)は、立ち上がってボールを猪狩(いかり)へ返す。

 

「(......ストライクか、ギリギリいっぱいかな。偶然かもしれないけど、今のコースに決められたら厳しい。追い込まれる前に仕留めないと)」

 

 二球目もストレート。鳴海(なるみ)は自分の判断で、バットを寝かせた。セーフティ気味のバントの構えにファースト、サード、そしてピッチャーの猪狩(いかり)が突っこんでくる。どうにかバットには当てたが、その球威に押され、ファールグラウンドを転がる。

 

「(くそ、前に転がせなかった。だけど俺には......)」

 

 阿畑(あばた)の攻略に的を絞ってきた鳴海(なるみ)は、他のナインたちと違って本格的な攻略に時間を割けなかった。あおいのストレートをライジングショットに見立てることで対応したが、球速・球威ともに格段に上がったライジングキャノンはそうはいかない。

 

「(......あ、そうだ!)」

 

 打席を外して、球審にタイムを要求。速歩でベンチへ戻った。

 

「えーと......」

「どうしたの?」

「うん、ちょっと探し物......あった!」

 

 不思議そうに首をかしげるあおいに答えつつ、目当ての物を見つけた鳴海(なるみ)は、持ち主の六条(ろくじょう)に訊ねる。

 

「借りてもいい?」

「あ、はい、どうぞ」

「ありがとう」

 

 六条(ろくじょう)のバットを持って、グラウンドへ戻っていく。「なかなか頭を使ったな」と、東亜(トーア)は満足気な表情(かお)を見せた。

 

「お待たせしました。ありがとうございます」

「うむ。プレイ!」

 

 試合再開と同時に鳴海(なるみ)は送りバントのサインを甲斐(かい)に送って、バットを寝かせた。

 

『ウーン、今度は最初からバントの構えです。ここはランナーを確実にスコアリングポジションへ送って、プレッシャーをかけにいくようです。そしてあかつきは当然、これを阻止すべくバントシフトを敷きます!』

 

「(今度は、最初からバント。でも、どうしてツーストライクからなんだろう? 監督に指示を仰いだ感じじゃなかったけど......)」

(すすむ)!」

「――あっ!」

 

 猪狩(いかり)にやや強い口調で名前を呼ばれた(すすむ)は、慌ててサインを出す。追い込んでいることもあり、様子見を兼ねて一球大きくウエスト。バットを引き、ランナーにも動きはない。ピッチャー有利のカウント1-2からの四球目は、バントに失敗した二球目よりも難しいコースへのライジングキャノン。しかし今度は、最初から送るつもりのバント。通常のバットよりも芯の幅が広い六条(ろくじょう)が使っている中距離ヒッター用のバットの効果で、打球はフェアグラウンド内に飛んだ。だが――。

 

『おーと、これは浮いてしまった! 勢いを殺しきれなかったバントは、ファーストの三本松(さんぼんまつ)の前! これではランナーは動けません!』

 

「走って!」

「――ッ!」

 

 ダイレクトキャッチとワンバウンドの両方を想定し中間やや一塁よりの位置で足を止めていた甲斐(かい)は、鳴海(なるみ)の声で再度スタートを切る。

 

「よし、ワシに任せろ! ベースカバー!」

 

 猪狩(いかり)はファーストのベースカバーへ、突っこんできた三本松(さんぼんまつ)は一塁と本塁の中間地点でめいっぱい腕を伸ばして、ダイレクトキャッチを試みる。しかし打球は、伸ばしたグラブを避けるように手前で沈んで、ワンバウンド。

 

『あーっ、三本松(さんぼんまつ)トンネルー! グラブの下、股間を抜けたーッ! いや、打球は弾みませんでした、痛恨の後逸!』

 

「しまっ――」

「くっ......いかせるか!」

 

 ベースカバーへ走っていた猪狩(いかり)は急遽方向転換し、ボールをグラブで掬い上げて、鳴海(なるみ)の背中にタッチを試みる。だが、届かない。遠ざかっていく背中を全力で追いかける――そこへ。

 

猪狩(いかり)、投げろ!」

 

 がら空きになっていたファーストへ走りながら声を出した四条(よじょう)に、タイミングを計ってボールをトス。トスを受けた四条(よじょう)、打者走者の鳴海(なるみ)と共にベースへ足を伸ばす。二人は、ほぼ同時にベースを踏んだ。

 

『これは、きわどいタイミング! 塁審のジャッジは――』

 

「......アウトー!」

 

『アウト、アウトです! ここは、あかつきの連携が勝りましたー! しかし、恋恋も狙い通りランナーを進めた形! 正に互角の攻防! ンンーン、これはひとときも目が離せませんッ!』

 

 やや肩を落として戻ってきた鳴海(なるみ)に、東亜(トーア)は労いの言葉をかける。

 

「残念だったな。だが、発想は悪くなかった。雨の特性を利用した攻撃をした」

「あ、はい」

「えっ、今の狙ってやったのっ?」

 

 あおいは驚いて目を丸くし、芽衣香(めいか)は小首をかしげる。

 

「雨は、打球の勢いを殺す。バントも同様に目測より速く落ちる。天然芝ほどではないが、人工芝も雨でスリッピーな状態だ。もし仮に、今のプレーがサードで起こっていたのなら、猪狩(いかり)の送球は間に合わずオールセーフだっただろう」

「あんた、そんなことまで考えてたのっ?」

「いやいや、さすがにそこまでは......。ただ、芯の広いバットの方がバントもしやすいと思って。ツーストライクだったから、ピッチャーの正面にさえ行かなければって感じで」

「フッ、それでいいさ。()()な。それに――」

 

 グラウンドに目を戻した東亜(トーア)は、不気味な笑みを浮かべる。

 

 ――この攻撃は、のちに大きな意味を持つ。




次回、あかつき戦決着になる予定です。
今しばらくお待ちくださいませ。


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game66 ~サイン~

お待たせしました。


『見逃し三振! インコースへズバッと決まったーッ! 恋恋高校、スコアリングポジションにランナーを進めましたが、この回無得点。猪狩(いかり)(まもる)、ここは力でねじ伏せました! さあ、そしてピンチを凌いだあとの攻撃は今日ヒットを打っている、七番の九十九(つくも)からです!』

 

 あかつきナインと入れ替わりで、恋恋ナインが守備に着く。

 

「最初はずいぶん荒れていたけど、急に決まりだしたわね」

「窮地に追い込まれれば追い込まれるほど底力を発揮する、典型的なクラッチピッチャー。一球投げる度にリリースが安定してきていた。次の回からは制球してくるぞ」

「......もう点はやれないわね」

「くくく、そう深刻そうな表情(かお)するな。むしろ逆、喜べよ。向こうは、こっちを同等以上と認めた。その証拠に、小細工を仕掛けてきた」

「小細工? あっ!」

 

 あかつきの三塁ベースコーチに、二宮(にのみや)が入った。(すすむ)と交代を告げられたと同時に託された新しい使命。あおいのマリンボール攻略法を見つけるという大役を託された二宮(にのみや)は、両膝に手を付き、どんな些細なことでも見逃さないという強い意志を感じさせる鋭い眼差しで、あおいの投球練習を注視している。

 

「(......監督は、オレを信じて重要な役目を与えてくれた。必ず見つけ出してやる)」

「(頼むで二宮(にのみや)。ウチの攻撃は、この回含めてあと四回。いくらランナー溜めても、要所であのけったいな変化球を使われたらそうは打てへん。見つけ出してや......!)」

 

 九十九(つくも)はバットを短く持ち、バッターボックスの一番後ろに立って、小さく構えた。

 

「(構えが小さい......あおいちゃんのピッチングを探るつもりなのか? それなら――)」

 

 初球は、ほぼ真ん中のストレート。

 

「(――あっ、しもた!)」

 

 追い込まれるまで見逃すつもりでいた九十九(つくも)だったが、甘い球に無意識にバットを出てしまった。打ち上げた打球は、三塁側の内野スタンドで弾む。

 

「ファール!」

「(ふぅ......思わず手ぇ出してもーたわ。そう睨むなや、わーとるって)」

 

 非難の目を向ける二宮(にのみや)に対し、悪気なく笑って見せた九十九(つくも)はひとつ息を吐き改めて構える。二球目は外角へのブレーキの利いたカーブ。流し打ちが得意な九十九(つくも)にとって是非とも手を出したいボールだったが、今度は作戦通り見送った。

 

「(打ち気がないから簡単に追い込めた。けど、ここからは意地でもカットしてくる。粘られると厄介だから、さっさと仕留めちゃおう)」

「(うんっ)」

 

 出されたサインに力強くうなづいた、あおいの三球目。

 

「(――アウトロー。ええコントロールや!)」

 

 きわどいコースのストレートを流し打ち。一塁線のファールゾーンへ切れ、カウント変わらず0-2。そして四球目は、一転して内角。やや低めからベース手前で急激にストンと落下した。

 

九十九(つくも)、空振り! ワンバウンドのボール球にバットが回った! キャッチャー鳴海(なるみ)、落ち着いてファーストへ送球、プレー成立。ワンナウト!』

 

「そう、それでいい。バットを短く持って当てにくるのなら、振っても当たらないコースで勝負すればいいだけのこと。わざわざ付き合ってやる必要はない」

「でもいいの? 探られているマリンボールを簡単に見せちゃって」

「問題ねぇーよ。例え原理が判ったところで見極められるようなボールじゃない。残り一打席で完璧に攻略するなど到底不可能。まぐれ当たりはあっても、致命的な痛打は浴びねーさ」

 

 東亜(トーア)の言葉通り、あかつきが見に徹していたこともあって、あおいは落ち着いたピッチングを披露し、六回を三者凡退の無失点に抑えた。

 

「さて、じゃあ仕上げと行くとするか」

 

 七回の攻撃を前に、ナイン全員の視線が東亜(トーア)に集まる。

 

「次の回、好きにやって来い」

 

 理香(りか)を除いた全員が戸惑う中、キャプテン鳴海(なるみ)が挙手。

 

「あの、それはいったい......」

「そのまま受け取ればいい。ただし、ひとつだけルールを設ける。中途半端なことはするな。セーフティならライン際を狙え、打ちに行くなら狙ったボールは迷わず振れ。見逃し三振、空振り三振、ファールアウトなどの失敗は一切気にする必要はない。今、お前たちが持てるすべてをぶつけてこい」

 

 ナインたちは「はい!」と全員で声を揃えて力強くうなづいた。だがしかし、前回よりも制球を安定させてきた猪狩(いかり)の前に、同じく三者凡退で片付けられてしまう。にも関わらず、東亜(トーア)は想定通りと言わんばかりに、どこか不敵に笑みを浮かべていた。

 そして――。

 

『フォアボール! ここは四条(よじょう)の粘り勝ち。あかつき大附属、七回裏ワンナウトから同点のランナーを四球で出しました。そして迎えるは三番、七井(なない)アレフト!』

 

 あかつきの応援スタンドから大歓声が沸き起こる。

 

『おっと。恋恋高校、どうやらここで選手の交代のようです。な、なんと! ピッチャー早川(はやかわ)に代えて、左の一年生投手藤村(ふじむら)を送ってきました!』

 

 右打者の二宮(にのみや)がベンチへ下がったことで左打者が続くということあるが、実は、これは予定通りの起用。七井(なない)の四打席目は、左打者に強い彼女で行くと最初から決めていた。あおいは一旦ライトへ回り、代わりにライトの瑠菜(るな)がベンチへ下がる。

 

「お疲れさま。着替えてらっしゃい」

「いえ。この回を見届けてから、二人と一緒に着替えます」

「そう」

 

『投球練習が終わりました、試合再開です! 七井(なない)を相手に臆せずに向かっていけるでしょーか?』

 

「(大丈夫だよ。コースさえ間違えなければ、抑えられるからね)」

「(はいっ!)」

 

 これまでの練習試合、公式戦を含めてワンポイントの起用で左の強打者を抑えてきた実績がある。ファーストランナー四条(よじょう)を警戒し、クイックで足を上げた。

 

『初球は、外角のストレート! ギリギリいっぱいに決まった!』

 

 プレートの一塁寄りギリギリからサイドスローで投げられたストレートをボールと判断して見逃したが、判定はストライク。二球目、同じコースから更に外へ大きく逃げるスライダーを見送り、ボール。平行カウントからの三球目、二球目よりも甘いコースのスライダー。クロスして逃げていくボールを捉えきれずに三塁線へファール。四球目は、インサイドへストレートを外して、これで再び平行カウント。

 そして、勝負の五球目――内角低めのチェンジアップ。

 

「くッ......!」

 

七井(なない)引っ張った! が、しかし――』

 

 利き手方向へやや曲がりながら沈む緩い変化球をミスショット、タイミングと芯を外された。予め深いポジションチェンジを取っていた、ファースト甲斐(かい)の正面へのゴロ。だが、アウトはセカンドのひとつだけで併殺は免れた。

 

『ここはバッテリーの勝ち、強打者七井(なない)に自分のバッティングをさせませんでした! しかし、主砲三本松(さんぼんまつ)が控えています!』

 

 間違えれば一発のある三本松(さんぼんまつ)に対し、バッテリーはストライクゾーンでの勝負はせず、カウントが悪くなったところで座ったまま歩かせ、五番(すすむ)との勝負を選択。

 

猪狩(いかり)(すすむ)、低めのスライダーを引っかけてセカンドゴロ! セカンドの浪風(なみかぜ)から奥居(おくい)へ渡ってフォースアウト。これで三つ目のアウトを奪って攻守交代! 試合はいよいよ大詰め八回九回の攻防へと入ります!』

 

 一打同点・逆転のピンチを辛うじて切り抜けた。

 そして八回表、ゲームはターニングポイントを迎える。

 先頭バッターの矢部(やべ)は、初回にホームランを叩き込んだのと同じコースを狙っていくも空振りの三振に倒れた。続く芽衣香(めいか)は差し込まれながらも、やや甘く入ったライジングキャノンをライン際へぽとりと落ちるテキサスヒットで出塁。

 

『ワンナウト一塁、追加点が欲しい場面で三番奥居(おくい)です! しかし、今日はまだヒットがありません。おそらく最後の勝負となるでしょう! 果たして軍配はどちらに上がるのか? 注目して参りましょーッ!』

 

 あかつきはタイムを取って、二宮(にのみや)を伝令として送る。

 

「監督は、このランナーだけは絶対に返しちゃいけねーって言ってる」

「だろうな。さすがに八回(ここ)での失点は致命傷になる」

「だね。それで、監督の指示は?」

 

 ――奥居(おくい)とは無理に勝負するな、最悪歩かせていい。これが千石(せんごく)の指示。制球が乱れていたとは言え、ライジングキャノンを平然と見逃していた奥居(おくい)を警戒しての考え。

 

(すすむ)

 

 ベンチへ戻りながら二宮(にのみや)は、(すすむ)に声をかける。

 

「いいか? お前が、猪狩(いかり)をリードしてやるんだ。グラウンドに立ったら、学年とか、兄弟だとか一切関係ねーんだからな」

「......はい!」

 

 しっかりとうなづいた(すすむ)の背中を軽く叩いて、二宮(にのみや)はベンチへ戻っていく。この時二宮(にのみや)は、漠然と何かを感じ取っていた。中学からバッテリーを組む猪狩(いかり)の、本人すら実感していない、ほんの些細なサインを――。

 

 

           * * *

 

 

 いつの間にか雨は止んで、灰色の薄暗い雲の隙間から太陽が顔を出した。徐々に上がっていく気温。グラウンドに明るい光りが差し込む。ひとつ大きく息を吐いた猪狩(いかり)は、ポケットに入れていたロジンバッグを弾ませ、マウンドに放り投げる。

 (すすむ)からのサインにうなづいて、奥居(おくい)への初球を投げる。アウトコースのライジングキャノン、先ずはストライクを奪う。その後は、緩急を駆使してツーエンドツーとカウントを整えた。

 追い込んでからの勝負球は――ライジングキャノン。

 

「ファールッ!」

 

 三塁塁審が、両手を広げた。

 

「ちっ!」

 

 奥居(おくい)は悔しそうに打席へ戻り、(すすむ)は胸をなで下ろした。

 

『とてもビッグな当たりでしたが、ポール際で僅かに切れてファール! 仕切り直しです!』

 

「(右バッターにはクロスして食い込んでくるライジングキャノンを完璧に捉えられてた......なんてバッターなんだ、この人は。どうする......?)」

 

 (すすむ)は、頭をフルに回転させて思考を巡らせる。

 

「(......歩かせるのは、フルカウントになってから。兄さんのボールなら、ダブルプレーだって十分に狙える!)」

 

 そう結論を出した(すすむ)はスライダーのサインを出して、一球前と同じ内角低めへミットを構えた。ストライクからボールになるスライダーを引っかけさせて、ダブルプレーを狙う配球。

 

「(――しまった!)」

「(あっ、甘い......!)」

「(貰ったぞ!)」

 

 構えたミットよりも真ん中寄りに来た。

 ――失投。投げた猪狩(いかり)ですらもそう思ったが、奥居(おくい)のバットは空を切った。結果は、空振りの三振。狙いに行った奥居(おくい)、打ち取ったバッテリーともに戸惑いの表情を見せる。

 

『空振り三振ッ! 低めの落ちるボールにバットが回りましたーッ! ここはバッテリーの勝ちです!』

 

 最大の山場を乗り切ったと千石(せんごく)はひとつ息を吐いて、恋恋高校のベンチへ目をやった。グラウンドを見ていた東亜(トーア)と一瞬目が合う。すると東亜(トーア)は顔を伏せ、不気味に笑い出した。

 

「クックック......いいのかねぇ?」

「なにが?」

 

 理香(りか)の問いかけをはぐらかし、はるかに伝える。

 

「さてね。はるか、サインを出すぞ。このゲーム、これが最後のサインだ」

「......はいっ」

 

 はるかから、ネクストバッターの甲斐(かい)芽衣香(めいか)にサインが伝達された。二人は、了解とヘルメットのツバに軽く触れる。その仕草など気にすることなく、(すすむ)はマウンドへ向かおうと立ち上がったが「来るな」と、猪狩(いかり)に左腕を伸ばされて制止された。

 

「(――兄さん......。監督!)」

 

 (すすむ)は、ベンチの千石(せんごく)に顔を向ける。ちょうどグラウンドへ顔を戻した千石(せんごく)は、腕を組んだままうなづいた。それを受け、(すすむ)は腰を降ろす。

 

「おい、(いつき)。これは......」

「ああ、決まった。この隙を、渡久地(とくち)が見逃すはずがない」

 

 スタンドで観戦している、高見(たかみ)とトマスは確信した。このゲームの結末を――。

 

『三度首を振り、ようやくサインが決まりました。猪狩(いかり)の足が上がった......おおっと! ファーストランナー浪風(なみかぜ)、初球でスタートを切った!』

 

「なッ、盗塁だと!?」

 

 まさかのスタートに千石(せんごく)は、血相を変えて身を乗り出す。投球は、外角から入ってくるバックドアのスライダー。甲斐(かい)は狙い澄まし、今までやられてきたスライダーをコースに逆らわず逆方向へ押っ付けた。

 

「ファ、ファースト!」

 

 マスクを投げ捨て、大声で指示を出す。

 

「――くッ!」

 

三本松(さんぼんまつ)、ダーイブッ! だが、届かなーいッ! 鋭い当たりが一塁線を破ったーッ!』

 

 打球は、横っ跳びをした三本松(さんぼんまつ)のグラブの先を抜け、ファールゾーンを転々と転がる。

 

「ライト、バックホーム!」

「くそッ、行かせへんでーッ!」

 

『ライト九十九(つくも)から矢のような返球! しかし、スタートを切っていた浪風(なみかぜ)芽衣香(めいか)、ライトからの返球が届く前に滑り込んで、ホームイン! 恋恋高校、喉から手が出るほど欲しかった追加点を、試合終盤八回に奪い取りましたーッ!』

 

 (すすむ)は呆然と立ち尽くし、猪狩(いかり)は片膝をついた。七回2/3五失点ノックアウト。ここで麻生(あそう)に交代するも、時既に遅し。

 試合は九回裏、あかつき大附属最後の攻撃。

 この回からマウンドに上がったのは、クローザーの近衛(このえ)。アンツーカでイレギュラーした不運な当たりで許したランナーを内野ゴロの間に生還させてしまったが、八回の追加点が功を奏し、一点リードしたままの状況で九回ツーアウト。

 迎えるラストバッターは、七井(なない)アレフト。

 左打席で構える七井(なない)に、あかつきの応援スタンドから祈りにも似た大声援が送られる。

 

「(最後の最後で、七井(なない)か......だけど!)」

 

 割れんばかりの大声援に臆することなく、鳴海(なるみ)は冷静にサインを送る。サインを受け取った近衛(このえ)は、ゆったりとモーションを起こした。

 

『アウトローのストレート! 七井(なない)、振りにいった!』

 

 ――キーンッ! と甲高い金属音を響かせ、打球は左中間へ飛んだ。センター矢部(やべ)とレフトの真田(さなだ)が、打球を追って下がる。

 

「オーライでやんすー!」

 

 矢部(やべ)が、落下地点に入った。

 そして――。

 

『センター矢部(やべ)、今、ウイニングボールを丁寧に掴み取りましたーッ! 最終スコアは5対4。一点差の大激戦を制したのは......恋恋高校!』

 

 鳴海(なるみ)近衛(このえ)が、マウンド上で抱き合い、奥居(おくい)たち内野手は、二人に覆い被さるようにして歓喜の輪に加わる。矢部(やべ)真田(さなだ)、八回裏からライトに入った藤堂(とうどう)も、全速力でマウンドへ駆ける。

 

「やった......やったよっ。はるか、瑠菜(るな)!」

「はいっ」

「ええ!」

 

 グラウンドとベンチで喜びを爆発させるナインたち。

 結局、先制点を奪ってから一度も追いつかれることもなく、一点差で逃げ切って勝利を収めた。

 

「やったわ、あの子たち......」

 

 下馬評を覆し成し遂げた優勝。

 感極まった理香(りか)は、両手で顔を覆う。

 

「おい、こんなところで満足するな。取るんだろ? 深紅の旗を」

「......ええ、わかってるわっ」

 

 東亜(トーア)に指摘されて顔を上げた理香(りか)は、目の前で喜ぶ姿をしっかりと見届ける。

 

 そして、更にその先の目標へ向け、真っ直ぐと前を向いた――。



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game67 ~休息~

 表彰式が終わる前にベンチ裏へと入っていった東亜(トーア)を、大勢の記者たちが待ち伏せしていた。その中の一人、パワフルTVの女子アナウンサーがマイクを向ける。

 

渡久地(とくち)監督、おめでとうございます! 是非お話をお伺いしたのですがっ!」

 

 目をキラキラさせている女子アナに対し、あからさまに面倒そうな表情(かお)をする東亜(トーア)。試合後のインタビューは今まですべて、理香(りか)に押し付けてきた。しかし今回は、逃げ道を完全に封鎖されている。

 

「最後くらいちゃんと受けてあげたら?」

 

 背中越しに理香(りか)に諭され、タメ息をついた東亜(トーア)は、渋々インタビューを受けることを了承。ただし、人数が多いため絞ることを記者たちに要求し納得させた。

 

「放送席放送席、インタビューの準備が整いました!」

 

『オーケー! それでは響乃(ひびきの)ちゃん、お願いしまーす!』

 

「はいっ! なんと! 今日は、渡久地(とくち)監督自らがインタビューを受けてくれるとのことで。急遽別室でのインタビューとなりました!」

 

 通路で行われる囲み取材ではなく、別室に用意された席に座っての質疑応答の記者会見という形で。

 

「混乱を避けるため司会進行は、私、パワフルテレビアナウンサーの響乃(ひびきの)こころが務めさせていただきますっ。まず最初に、渡久地(とくち)監督、優勝おめでとうございます!」

 

「ありがとうございます」と、当たり障りのない無難な返事を返した。

 

「それでは、質問のある方は挙手をお願いしますっ」

 

 待ちわびたと言わんばかりに、一斉に手が上がる。ざっと見渡した記者たちの中に、東亜(トーア)は、見知った顔を見つけた。リカオンズのオーナー就任後のある時期から毎試合前後に開いていた記者会見で、熱心に取材していた地元埼玉の新聞社の記者。

 

「あなた以前、リカオンズの会見にいた方ですね?」

「あ、はい! 渡久地(とくち)オーナー......いえ、渡久地(とくち)さんが高校野球の監督に就任したと知り、プロ野球担当からの移動を直談判しました!」

「それはまた、物好きな方で。では、その熱意に。あなたの質問から受けたいと思うのですが、構いませんか?」

「あ、はい。では、そちらの方、質問をどうぞ!」

 

 司会進行を務める響乃(ひびきの)アナウンサーに指名された記者は、勢いよく立ち上がった。

 

「ありがとうございます! 就任して四ヶ月足らずで、全国屈指の名門あかつき大附属が王者として君臨する、東東京予選大会を勝ち抜いたというのは、やはり、渡久地(とくち)監督の手腕があってのこと思いますが」

「いえ。以前申し上げた通り、私は、野球選手としては三流です。そんな私が、高度な技術など教えることは出来ません」

「では、いったいどのような指導を?」

 

 記者たちは、東亜(トーア)の言葉を聞き逃さないように注目する。

 

「強いて上げるとすれば、“勝負への向き合い方、勝負に対する心構え”と言ったモノでしょう」

「つまりそれは、先のリカオンズと同様に、野球選手としてではなく、勝負師として育てあげたと言うことでしょうか?」

「いえ。その表現には、少し語弊があります。私は、育てたと言えるほどのことはしていません。確かに、練習中や試合中に要所での助言をすることは少なからずありました。ですが、それもあくまで必要最小限の助言のみです。何故ならば、実際にグラウンドに立ち、考え、悩み、プレーするのは他でもない、彼ら自身だからです。私は、ほんの少しだけ手助けをしたに過ぎません」

「なるほど......ありがとうございました!」

 

 一礼して腰を降ろした記者は、真剣な顔付きでメモを取る。

 

「はい、ありがとうございます。実に興味深いお話でした! それでは、次の質問へ移りたいと思います。質問のある方、挙手をお願いします」

 

 再び多くの手が上がる。響乃(ひびきの)アナは、一番速く挙手した記者を指名。

 

「今日の試合について、幾つかお伺いします――」

 

 この試合内容を中心に、そして、今まで受けてこなかった分も合わせて、様々な質問が数多く寄せられた。

 

 

           * * *

 

 

「今日の敗戦は、すべて私の力不足によるものだ」

 

 閉会式後、惨敗を喫したあかつきの控え室では、千石(せんごく)が、予選敗退を受け止めきれずにいるナインたちへ謝罪の言葉をかけていた。試合開始早々に先制点を奪われ、常に先手を打つ東亜(トーア)の戦略に嵌まり、采配は後手後手。結局、最後まで打開策を見出すことが出来ずに終わってしまったことを悔やんだ。

 しかし、あかつきは先発全員が出塁。安打数においても恋恋高校を大きく上回っていた。ただ、得点に繋がる連打は二宮(にのみや)がタイムリーを打った五回の一打のみ。ヒットは出ても、打線として機能していなかった。

 そして、それをさせなかったのが恋恋投手陣。特にポイントゲッターの七井(なない)に対しては、瑠菜(るな)、あおい、藤村(ふじむら)近衛(このえ)と、まったく違うタイプの選手四人を充てがい、万全の対策を施していた。

 

「......いえ、打たれたボクの責任です。ライジングキャノンを完成させていれば、こんな結果には。地区予選は、ライジングショットで乗り切れると高をくくっていたんです......」

「それを言えば、ワシのせいだ。初回のゲッツー、チャンスでの見逃し三振で流れを引き戻せなかった」

 

 各々自分の至らなさに反省の言葉を口にして。一通り吐き出し終えたところで、黙って聞いていた千石(せんごく)は、ナインたちに声をかけた。

 

「皆、それぞれ想うところもあるだろう。しかし、いつまでも下を向いていても仕方がない。結果は、もう出てしまったのだからな。三年は今日で引退だが、野球を続けている限りリベンジの機会は必ず訪れる」

 

 ――リベンジ。その言葉で、室内の空気が変わった。

 

「監督の言う通りネ。少なくとも奥居(ショート)鳴海(キャッチャー)は、プロへ進むはずダ。それだけのポテンシャルはあル」

「うむ。ワシは、あかつき大学へ進学するが、ヤツらの中にも大学で野球を続けるヤツはいるだろう。同じリーグで対戦する機会はあるはずだ。その時は、負けんぞ......!」

「オレもだ。この借りはプロの世界で返す、必ずなッ! お前もだろ、なあ猪狩(いかり)!」

 

 頭からタオルを被り、うつむいていた猪狩(いかり)は、二宮(にのみや)のハッパを受け、顔を上げる。

 

「......ああ。完成させたライジングキャノンで......いや、ボクは更にその上を目指す」

 

 意気消沈の重苦しいムードは消え去り、あかつきナインたちの目には光りに満ちあふれ、既に次のステージへと向いていた。彼らの表情(かお)に、千石(せんごく)は想う。

 

「(......大丈夫だ、彼らは強い。この敗戦を糧にし、必ず這い上がる)」

 

 そう、確信した。

 あかつきナインたちは、まとめた荷物を持って控え室を出て、球場の出入り口へ向かった。球場の外へ出たところで、千石(せんごく)は喫煙スペースで一服していた東亜(トーア)の姿を見つける。ナインたちには先にバスに乗っているよう指示をして、東亜(トーア)の元へ挨拶に向かう。

 

渡久地(とくち)監督」

「ああ? ああ......あんたか」

 

 火のついたタバコを灰皿に押し付け、千石(せんごく)を横目で見る。

 

「今日は、勉強させていただきました。全国大会でのご健闘・ご活躍の程をお祈りしています」

「わざわざそんなことを言いに来たのか。そんなことより、自分とこの連中を心配してやったらどうだ?」

「ご忠告感謝します。ですが、ご心配なく。彼らは、既に未来を見ています。では、私はこれで――」

 

 踵を返した千石(せんごく)は、東亜(トーア)に背を向けて歩き出す。

 

「(――渡久地(とくち)東亜(トーア)。この雪辱、来年必ず果たす)」

「勘違いしてるよ、あんた」

 

 東亜(トーア)の呼びかけに、千石(せんごく)の足が止まった。

 

「......勘違い?」

「次はない」

「――ッ!?」

 

 サングラスの奥の目がキリッとつり上げる。

 

「あんたが想ってるような意味じゃねーよ。俺は、来年いないってだけの話しさ」

 

 理香(りか)との間で交わした新しい契約は、甲子園大会終了まで。その先は、すべて未定。加えて、あおいたち三年生が引退したあと、部員は一年生の六人だけとなるため、秋季大会出場は事実上不可能。再戦の見込みはない。

 

「(......そうか。恋恋高校には二年はおろか、試合を組めるだけの部員すらままならない。そんな相手に私は......なんと無力な......)」

「まあ、何度やっても負けることはないけどな」

「......なんだと?」

「フッ、あんたは、勝負の最中にしてはいけないことをした。取り返しのつかない過ち。それに気づかないうちは、()には勝てねーよ」

 

 東亜(トーア)が指摘した、千石(せんごく)が試合中に犯してしまった取り返しのつかない過ち、それは――。

 

「目を切った?」

 

 いつも報告会を行うバーで、理香(りか)は首をかしげた。

 今日は、現地で試合を観戦していた高見(たかみ)とトマスの二人も加わっている。

 

「ああ。奥居(おくい)を三振に取った直後、山場を越えたと思い、俺を見てしまった。決して目を離してはならない鉄火場(グラウンド)から目を切った。その結果、猪狩(いかり)が出していた異変(サイン)を見落としたのさ」

「あの笑いは、そういうことだったのね」

 

 奥居(おくい)を、空振り三振に取ったスライダー。これまで滑るように斜角に鋭く変化していたスライダーが、まるでフォークのように縦に近い変化をした。

 

「ピッチャーは、とても繊細な生き物。ほんの僅かでも異常を感じたら、確かめずにはいられない」

「そう。あかつきバッテリーの表情(かお)は、明らかに意図して投げたボールではないことを語っていた。だから、必ずスライダーを投げる。イメージとズレた感覚を確かめるために」

「それで、初球エンドランを仕掛けたのね。だけど、キャッチャーの(すすむ)くんは、猪狩(いかり)くんの異常に気づいていたみたいだったけど?」

「それこそ弟だからだろ。上級生、しかも実兄となれば簡単には逆らえない。もし、キャッチャーが二宮(にのみや)のままだったら、スライダーは投げさせなかっただろう」

「そうか。お前はハナっから、攻守の要の二宮(にのみや)を降ろすことを考えてたのか。ビハインドのあかつきは本来攻めなきゃいけない状況下なのに守りに入った」

 

 トマスの言葉に軽く笑みを見せて、グラスを口に運ぶ。

 

「予選前あかつきの試合を観た時、ライジングショットの上があることは十分予想できた」

 

 それが、甲斐(かい)に送ったサインの正体。

 ライジングショットに見立てたのが、あおいのストレート。ライジングキャノンに見立てたのが、瑠菜(るな)のストレート。バッターボックスからマウンドまで距離を縮めて行った、猪狩(いかり)対策。

 

「ライジングショットとライジングキャノンの最大の違い。それは――球離れ」

 

 ライジングショットは、強力なスピンを最大限活かすためにリリースを早めたストレート。バッターまでの距離が延びるため、より浮いたように感じる。

 ライジングキャノンは、逆にリリースを遅らせたストレート。バッターまでの距離が短くなるため前者と比較すると浮力こそ少ないが、バッターまでの到達は格段に速くなる。

 

「試合中にフォームを変えるなんてのは、ただでさえ神経を削る行為。それに加えて、気を遣う雨が降る中でのピッチング。八回開始時点で、とっくに限界を超えていた」

 

 それを証明したのが、八回の芽衣香(めいか)の打席。扱いの難しい木製バットを使う彼女が、差し込まれながらもライジングキャノンをライト前へ運んだ。球威が落ちていた証拠。六回の守備、三者凡退ながらも臆せず向かっていった七回の攻撃、常に気の抜けないプレッシャーを、猪狩(いかり)にかけ続けた結果。

 

猪狩(いかり)が出していた限界を知らせるサインを、あかつきの千石(せんごく)監督は見落としてしまった。過剰なまでに、渡久地(とくち)の存在を意識してしまったことで......」

「スタメンに投手を二人並べた奇策も、すべては相手に疑念を抱かせて、自身に意識を向けさせるための策略ってか。どこまでも狡猾なヤツだよ、お前は」

「当然だろ。試合の前から始まってるんだ、勝負ってのはな」

 

 決して奇跡などではなく。起きるべくして起きた、必然。

 

「本番は、ここからだ。面子は出揃ったんだろ?」

「ええ。日程的にウチが最後の出場決定校よ。覇堂、白轟、天空中央、帝王実業......それと去年の夏、今年の春の覇者、壬生とアンドロメダ。ほぼ前評判通りの結果ね」

「どこも全国に名を馳せる名門・強豪校揃い。取れるのか......?」

「取るさ。決まってるだろ」

 

 ――愚問だ、と澄まし顔で再びグラスを口に運ぶ。

 

「そうか。ああ、そうだ。これを――」

 

 高見(たかみ)はやや厚みのある封筒を、理香(りか)に差し出した。

 

「これは?」

「試合の招待チケット。ささやかですが、僕からのお祝いです」

「あっ、ありがとうございます。きっと......いえ、みんな絶対に喜びますっ」

 

 高見(たかみ)は笑顔を見せ。トマスは、ここ支払いを持つことで祝いの代わりとした。

 そして――。

 

「やっぱりスゴいね、プロはっ!」

「うん、そうだね」

 

 高見(たかみ)の特大ホームランに沸く、超満員のスタジアム。あおいの隣に座っている鳴海(なるみ)がうなづく。

 

「いつか投げたいな、この雰囲気の中で......」

「投げたいじゃなくて、投げるのよ」

瑠菜(るな)

 

 反対隣の瑠菜(るな)が言う。

 

「必ず投げるのよ。プロの世界で!」

「......うん!」

 

 ナインたちは、この観戦を心から楽しんだ。

 これから始まる、長い激闘が続く前の、つかの間の休息を――。



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甲子園大会編
New game1 ~意味~


お待たせしました。
新章のプロローグ的な話しとなります。


 王者あかつき大附属との激闘から三日、恋恋高校ナインは苦境に立たされていた。

 

「オ、オイラ、もうダメでやんす......」

 

 バタリと倒れ込む矢部(やべ)。彼に続くように、他数人も同じように突っ伏す――机の上に。

 ノーシードから予選大会を勝ち抜き、念願の甲子園初出場を決めた恋恋高校ナイン一同は、学年別に同校舎内の空き教室で、予選大会出場期間中受け損ねた授業の補習を受けていた。三年の補習授業の講師を勤める理香(りか)は、矢部(やべ)を始めとした一部ナインに対して呆れ顔を覗かせる。

 

「まったく、大袈裟なんだから。じゃあ解き終わった人から提出して、お昼行ってらっしゃい」

 

 机に突っ伏す矢部(やべ)たち一部ナインを後目に、早々に解き終えたはるかと瑠菜(るな)は、教卓の椅子に座る理香(りか)に課題を提出。あおいと芽衣香(めいか)が解き終えるのを待って、四人で昼食へ出かけた。

 

「はぁ~、やっと半分終わったぁ......」

 

 学食に着くやいなや、芽衣香(めいか)は大きなタメ息をついた。

 

「本番へ向けて一番大事な時期に勉強なんて、ヤになっちゃうわよ。ホント......」

「そう言っても、恋恋高校は進学校ですからね」

「判ってるわよー」

 

 やや不満気に言って、芽衣香(めいか)はおかずを口に放り込む。

 

「だけど、本来ならそう言う時期なんだよね」

 

 不意に箸を止めたあおいは、去年の今頃想像していたのとはまったく違う現在の状況に、戸惑いに近い感情を抱いていた。本来であれば部活を引退して、受験へ向けてシフトしていたであろう時期。しかし、女子部員の公式戦出場が認められ、予選を勝ち抜き掴んだ甲子園への切符。夢にも思わなかったことが、現実になったことへの若干の戸惑い。

 

「甲子園は、各都道府県予選を勝ち上がってきた強豪・名門が一堂に会する場なんだよね......?」

「ええ、そうよ。だから、無様な試合は出来ないわ。倒してきた相手のためにも、何より私たち自身のためにも......!」

 

 瑠菜(るな)の目には、強い決意が籠もっていた。

 

補習授業(こんなこと)で悪戦苦闘している暇はないわ。他の出場校はもう、試合に向けて動いているんだから」

「うん、そうだねっ」

「はい。そうですね」

「よーし! あともうちょっと、気合いで乗り切るわよっ!」

 

 昼食後にデザートを食べて、午後の補習に向けて英気を養った彼女たちと入れ替わる形で学食にやって来たナインたちは、各々話しをしながら昼食を食べる。

 先に学食を出た四人のうちの瑠菜(るな)が不意に、視聴覚室の前で足を止めた。振り返ったあおいは、不思議そうに小首をかしげて訊ねる。

 

「どうしたの?」

「今、部屋の中で物音がしたような......」

「えっ!?」

「どなたか、使っていらっしゃるんですかね?」

 

 訝しげな表情(かお)で言った瑠菜(るな)の言葉に緊張が走る中、はるかは特に気にするそぶりも見せず平然と言う。

 

「い、今、夏休みだよ......?」

「では、オバ――」

「ちょ、ちょっとやめなさいよっ」

 

 その時、ドアが開いた。瑠菜(るな)は身構え、あおいと芽衣香(めいか)は抱き合って「きゃーっ」と悲鳴を上げる。

 

「あん? 何してるんだ、お前ら」

 

 視聴覚室から出てきたのはオバケではなく――東亜(トーア)だった。

 

「あっ、コーチだったんですね」

「こんにちはです」

「びっ、びっくりした~......」

「心臓止まるかと思ったわ......」

 

 正体が判明したことで瑠菜(るな)は肩の力を抜き、はるかは丁寧に会釈。その二人の横でへたり込む二人に目をやって、東亜(トーア)は軽く笑みを浮かべる。

 

「コーチは、何をしていらっしゃったんですか?」

「軽く資料に目を通していただけだ。お前たちまだ、補習を受けていたのか?」

「はい。もう少しで終わりの予定です。それで練習のこと何ですけど――」

「補習が終わるまで強制休部だそうだ。まあ、勉学にいそしめよ」

「そうですか......」

「くくく、不満そうだな。いや、不安か」

 

 予選前にされたのと同じ質問に、瑠菜(るな)も同じようにうなづいて返事をする。本大会前の大事な時期に思うように練習出来ないもどかしさに、確実に不安が積もっていた。

 

「あら。渡久地(とくち)くん、瑠菜(るな)さんたちも」

理香(りか)か。コイツら、不満らしいぞ?」

 

 親指で四人を差して言う。慌てる四人。理香(りか)は、わざと意地悪く言った東亜(トーア)に、やれやれとタメ息をついて見せた。

 

「ハァ、仕方ないじゃない。単位取れないと進級も、卒業も出来ないんだから。あっ、そうだわ!」

 

 ぽんっと手を叩いた理香(りか)は、名案と言わんばかりに笑顔を見せた。

 そして迎えた、午後の補習。午前とは違い学年を問わず全ナインが集められた空き教室内は、ただならぬ緊張感が漂っていた。その訳は、教室の一番後ろの席であからさまに面倒くさそうに座っている東亜(トーア)の存在。

 

「さあ、あともう一踏ん張りよ。一年生は、小テスト。三年生は、英語の教科書を開いて。ちゃんと終わらせて、気分良く甲子園へ行きましょう!」

 

 ナインたちは、理香(りか)の言葉とは正反対のことを思っていた。

 

「なあ......スゲーやり辛いの、オイラだけか?」

「たぶん、みんな同じだと思うよ......」

 

 東亜(トーア)に監視されているという、ある意味決勝のあかつき戦以上のプレッシャーを感じていた。それでも理香(りか)の狙い通り、午前と比べれば緊張感を持って受けている。

 

「――はい。ここまでで質問のある人?」

「はい、奥居(おくい)くん」

 

 スッと挙手をした奥居(おくい)は、ゆっくりと立ち上がる。

 

「何を言っていたのか、さっぱり判りませんでした!」

「そんな堂々と言わないでくれる?」

「いやー、文系は苦手でして......」

「てゆーかアンタ、得意な教科あんの?」

「強いて言えば、数学。三桁の割り算なら暗算で解けるぞ」

「三桁? じゃあ、463割る152は?」

「三割二分八厘!」

「打率じゃない!」

「三割? それ、計算が逆じゃないかしら。正しい答えは......3.04ね」

 

 スマホの電卓アプリではじき出した瑠菜(るな)の言葉に「あっ、間違えた!」と、奥居(おくい)は苦笑いを見せる。

 

「なーんだ。間違ってるんじゃん」

「でも、打率計算の方は合ってるわよ」

「えっ、うそ!?」

「へへーんっ。こういう決まった方程式の計算は得意なんだよ」

 

 先ほどとは打って変わって、得意気な表情(かお)を見せる奥居(おくい)に、教室の一番後ろの席で足を投げ出して座っていた東亜(トーア)が、質問をする。

 

「シーズン150イニングを投げ、自責点45の投手の防御率は?」

「防御率っすか? え~と......2.7っす」

 

 前の問題よりも多少時間はかかったが、これも暗算で正しい答えを導き出した。

 

「正解だ」

「どうよ? 浪風(なみかぜ)

「まあ、スゴいのは認めるけど。あんまり役にたたなくない?」

「そんなこと言ったら、学校の勉強なんて殆ど意味ないだろ?」

「まあ、それはそうだけど」

「それ、教師(わたし)の前で言わないでくれる......?」

 

「すみません」と、奥居(おくい)芽衣香(めいか)は若干気まずそうな顔で頭を下げる。理香(りか)は、ひとつタメ息をつき。東亜(トーア)はうっすらと笑みを浮かべながら、立ち上がった。

 

「お前たちは、大きな勘違いをしてる。意味のないことなど何一つ存在しない。ただ、意味のないままにしているだけに過ぎないのさ。他人からすれば無意味に思えるようなことを突き詰め、食い扶持にしている人間は様々な分野に存在している。プロスポーツなんてものは、その最たるもの。同じように、一見無意味に思えることを、意味のあるものに出来るかは、お前たち次第だろ?」

「無意味なことを、意味のあるものに......」

「ひとつ、簡単な例をくれてやろうか。この補習が予定よりも早く終われば、予定していた通常メニューに加え、甲子園優勝へ向けた特別メニューを追加してやる」

 

 特別メニューの追加と聞いて、ナインの目の色が変わった。

 

「ほら、練習時間を割くこの補習が意味のあることに変わった。まあ、こう言うことだ」

 

 それだけを言い残して、東亜(トーア)は教室を出ていく。東亜(トーア)が居なくなった教室内は、様々な憶測が飛び交った。

 

「今の話し、本当なのかな?」

「どうだろう?」

「私は、やるわ。もし仮に方便だったとしても、早く練習を開始できることに変わりはない。だから、()()はあるわ」

 

 あおいと鳴海(なるみ)の会話に割って入った瑠菜(るな)の発言に、全員が力強く頷いた。

 

加藤(かとう)先生、少し時間をください」

「判ったわ、好きになさい。テストは、二時間後に行うことにするわ」

 

「ありがとうございます」と、礼を言って鳴海(なるみ)は立ち上がる。

 

「じゃあみんな、それぞれ得意な教科を教え合って終わらせよう」

「よし、オイラは、数学だ! けど、文章問題は苦手だから教えてくれ」

「ボクとはるかは、英語だねっ」

「はいっ」

 

 役割分担を決め自主的に勉強を始めたナインたちを見て、理香(りか)は嬉しそうに微笑んで教室を後にした。

 

 

           * * *

 

 

「あの子たち、あのあと凄い集中力で一気に終わらせちゃったわ。あなたの狙い通りにね。これで本格的に、甲子園へ向けた練習を再開出来るわ」

「フッ、なら()()()は無駄にはならなかったな」

 

 東亜(トーア)はスケジュール表を、理香(りか)の前へ滑らせる。

 

「えっ? これって――」

「おいおい。まさか本当に、ただやる気にさせるための方便(ニンジン)だったとでも思っていたのかよ?」

 

 補習授業が割り当てられていた箇所が修正された、新しいタイムスケジュール表。削られた補修授業の分、予定にはなかった新しいメニューが通常メニューの合間に追加されていた。

 

「題して、ビジョントレーニングレベルスリー。このトレーニングにより、アイツらのプレーは劇的に変わる」

 

 そして、数日後――。

 

熱盛(あつもり)さん、さあ行きましょう!」

「そんなに急がなくても、約束の時間までまだ充分あるよ。響乃(ひびきの)ちゃん」

 

 恋恋高校の駐車場に止めたロケ車を降りた、パワフルTVの男女二人のアナウンサーを先頭に、機材を抱えた数人の取材班たちは、甲子園大会恒例の出場校紹介VTR撮影のため来賓用玄関へ向かった。

 

「あれ?」

「おや、これはいったい......」

 

 関係者から許可を貰った取材班はグラウンドへ足を運ぶも、そこはもぬけの殻。練習している部員は、誰ひとりとしていなかった。

 

「誰もいませんね。どうしましょうか?」

「うーん、そうだねェ。とりあえず一度戻って聞いてみようか」

 

 戻ろうとした校舎から、連絡を受けた理香(りか)が姿を現した。

 

「パワフルテレビの方ですね。お待たせいたしました」

「これは、加藤(かとう)先生。本日は、よろしくお願いいたします!」

「よろしくお願いしますっ」

 

 頭を下げた二人に「こちらこそ、よろしくお願いします」と会釈を返し。ナインたちが居る、昨日補習を受けていた教室へ案内。教室へ近づくと、廊下まで声が漏れ聞こえてきた。

 

「どう? あたしの方が速かったでしょっ!」

「くそ~。今のは、問題が難しすぎだってー......」

「ふっふーん、普段から勉強してないから悪いのよっ」

「うっせ! 七瀬(ななせ)、次だ次!」

「もう。二人とも、別に競ってる訳じゃないんだからね?」

 

 あおいが、やんわりと注意を促す。

 

「判ってるって」

「判ってるわよ」

「準備はいいですか? 次の問題は、数学ですよー」

「よっし、貰った!」

「うっ......」

 

「おや、勉強中でしたか」と言った熱盛(あつもり)に、理香(りか)は少し困った様子で「まあ、そんなところです」と作り笑いを返して、後方のドアから教室に入った。

 

「みんな、一旦中断して」

「あっ、加藤(かとう)先生。はるかちゃん」

「はい。止めますね」

 

 鳴海(なるみ)に頼まれたはるかは、手元のノートパソコンを操作。熱盛(あつもり)は入り口から顔を出し、声をかける。

 

「恋恋高校野球部の皆さん、勉強中申し訳ございません。パワフルテレビの者です!」

「パワフルテレビ? あっそっか、今日は撮影が入ってたんだ」

「そう言うこと。ユニフォームに着替えて、グラウンドに集合してね」

「はい、判りました! みんな、急いで着替えよう!」

 

 鳴海(なるみ)の号令で席を立ったナインたちは、熱盛(あつもり)たちパワフルTV取材班に向かって一礼し、彼らの邪魔にならないように前方のドアから教室を出ていく。

 

「では、加藤(かとう)先生。我々は先にグラウンドへ行って、撮影準備を進めさせていただきます。響乃(ひびきの)ちゃん?」

「う~ん......あっはい、すぐ行きますっ!」

 

 教壇に置かれた大型モニターと、ケーブルが繋がれたノートパソコン。そして何も置かれていない机に、若干後ろ髪を引かれる思いを感じつつ響乃(ひびきの)は、先を行く熱盛(あつもり)たちの後を追った。

 その後、学校紹介VTRの撮影は無事に終了。練習風景も撮影したいと言う要望を受け、ナインたちは教室へは戻らずに、そのまま個人練習を行う。その様子をベンチから見学していた熱盛(あつもり)響乃(ひびきの)は、素直に感想を述べた。

 

「いやー、実にいい動きをしていますねェ。とても初出場とは思えない」

「本当ですねっ。なんと言いますか、ひとりひとりがちゃんと目的を持って練習している感じがします!」

「これもひとえに、渡久地(とくち)監督の指導の賜物なんでしょうね。イヤー、突如現れ彗星の如く駆け抜けていった伝説の選手に教えを請えるとは、彼らが羨ましい!」

「ええ、わたしもそう思います。でも、大変ですよ」

「元プロ、それも並外れた勝負師の指導となれば、やはり厳しいでしょうね」

「ふふっ、思われているような厳しさとはベクトルが違うと思いますよ。渡久地(とくち)くん......彼はあまり、技術的なことは教えないので」

「あっ! 記者会見の場でも言っていましたけど、本当なのですかっ?」

 

「ええ、本当です」と理香(りか)は、響乃(ひびきの)アナウンサーの質問に答える。

 

「あえて考える余地を残す教え方をするんです。就任当初、聞いたことがあります。すると、こう返ってきました。『短絡的に全員に同じトレーニングを課せば良いというものではない。なぜならば、一卵性の双子であろうともまったく同じ人間など、この世に二人として存在しないからだ。性格はもちろん、体格も、骨格も、筋肉の質や付き方、関節可動域、許容量も、人それぞれ異なる。他人にとっては正解だった方法も、自身にとっては不正解であることも多い。だから、必要最低限の土台は作ってやれる。しかしその先は、トライアンドエラー、試行錯誤の繰り返し。自身に合う正解を模索し、まっさらな土台の上に積み重ねていく、己自身でな』と......」

 

 少し懐かしそうに当時のことを振り返りながら、練習に取り組むナインたちを穏やかな顔で見守る理香(りか)

 

「手を上げることはもちろん、叱ったり、怒鳴りつけたことは、一度たりともないんです。何せあの子たちは、まっさら。今この時も、作り上げた真っ白なキャンバスに画を描いている途中なんです。成功と失敗の経験を、まるで油絵の具を塗り重ねるように――」

「......なるほど、とても自主性を重んじる指導ですね。これはますます甲子園での活躍が楽しみになってきました!」

「うん、そうだね。この夏、彼らがどんな画を完成させるか。ボクたちも楽しみにさせていただきます」

 

 

           * * *

 

 

「いよいよだね!」

「そうだね」

 

 撮影と練習が終わり、いつもの分かれ道で矢部(やべ)たちと別れたあとの帰り道を二人で歩く、あおいと鳴海(なるみ)。恋恋高校は来週の頭、甲子園のある兵庫県へ移動予定。

 

「もう準備は出来た?」

「一通りはね。あとは着替えと道具だけだよ」

「ボクも。あっ!」

「どうしたの?」

 

 突然立ち止まったあおいにつられて、鳴海(なるみ)も足を止める。そして、彼女が見ている方を見た。そこには眼光鋭いユニフォーム姿の男子が、塀に寄りかかるようにしていた。

 

「お、お前は......!」

 

 その人物は、東條(とうじょう)小次郎(こじろう)

 

「......待っていた。早川(はやかわ)、オレと勝負して欲しい」

「えっ!?」

 

 突然の申し出に戸惑うあおい。鳴海(なるみ)が、割って入る。

 

「ちょっと待て! いったいどう言うこと?」

「今、言った通りだ。オレは、オレたちは甲子園へ行けない。あの日の約束を果たせなかった」

「約束? あっ......」

 

 ――借りは、甲子園で返す。あおいは、パワフル高校との練習試合後の出来事を思い出した。

 

「甲子園が終わってからじゃダメなのか?」

「今、どうしても確かめたいことがある」

「確かめたいこと......?」

 

 鳴海(なるみ)の問いかけに、東條(とうじょう)はゆっくりと頷いた。

 

「勝手なのは承知の上。頼む」

 

 頭を下げる東條(とうじょう)。あおいは、彼の真摯な想いを汲んだ。

 

「......わかった。いいよ。勝負しよう」

 

 三人は、河川敷のグラウンドへ移動。軽いキャッチボールで肩を作り、あおいはマウンドに立つ。

 

「勝負は、ワンナウト。四死球及びノーバウンドで外野へ飛ばせば、バッターの勝ち。逆に三振を奪うか、打球がインフィールドに転がった場合は、ピッチャーの勝ち。それでいい?」

「うん」

「わかった」

「オーケー。じゃあ始めよう」

 

 鳴海(なるみ)は、ストライク判定のためバックネット裏へ。

 ゆったりモーションを起こしたあおいの初球は、内角へのストレート。東條(とうじょう)は、振らずに見送る。

 

「ストライク」

「次、行くよ?」

「......来い」

 

 二球目も、ストレート。今度は、外角低めいっぱい。金属音を響かせ、レフト上空へ上がった打球は、大きく切れていく。ファールでカウント0-2。あおいは、ブレーキの効いた緩いカーブを一球外し、四球目。外角低めストライクからボールになる、マリンボールを投げた。手元で鋭く大きく変化したボールを、バットの先で掬い上げるように拾った。

 

「勝負あり」

 

 結果は――ライト定位置へのフライ。

 

「バッターの勝ち」

「はぁ......負けちゃった」

 

 悔しそうなあおいをよそに、東條(とうじょう)はバットをケースにしまって肩に担ぐ。その背中に、鳴海(なるみ)は問いかける。

 

「満足した?」

「ああ。あかつきの七井(なない)を封じた込めた理由も納得出来た。完敗だ」

 

 そう言うと、二人へ向き直す。

 

「オレを負かした、あんたたちに頼みがある。決して負けないで欲しいヤツがいる」

 

 全国トップレベルの実力を持つ東條(とうじょう)が、ライバル視する相手――猛田(たけだ)慶次(けいじ)。彼が所属するのは全国屈指の名門校、帝王実業。

 本来であれば、東條(とうじょう)本人が倒したい相手。しかし、星井(ほしい)松倉(まつくら)の二枚看板、正捕手の香本(こうもと)が抜ける秋以降の戦力を考えた時、それは叶わないと察した。戦力が揃う今年が、ラストチャンス。

 叶わないであろう願いを、自分を負かしたあおいに、恋恋高校に託した。

 

「帝王実業か......」

「勝ち上がっていけば、必ず当たる相手だよね?」

「間違いなく。優勝候補だもん」

「......だよね。絶対勝とうねっ!」

「もちろん」

 

 二人は、夕日に照らされながら遠くなって行く東條(とうじょう)の背中を見送り、家路についた。




次話以降まだストックがないため、不定期更新となると思います。


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New game2 ~ランク~

お待たせしました。


加藤(かとう)先生、全員揃いました」

「忘れ物は、無いわね?」

 

「はい!」とナインたちは、声を揃えて返事。

 

「よろしい。それじゃあ、行きましょう」

 

 八月某日、恋恋高校野球部一同は東京発新大阪行の始発列車に乗り、宿舎のある兵庫県へ向けて出発。ほぼ貸し切り状態の列車内に、東亜(トーア)の姿はない。自由にタバコが吸えないと言う理由で、自家用車で直接宿舎へ乗り入れの予定。

 東京駅を出発した列車は程なく、隣駅の品川で停車。荷物を抱えた学生の集団が、車両の前方から歩いてくる。その集団の先頭を歩く男子に、鳴海(なるみ)は声をかけた。

 

木場(きば)?」

「なんだよ、お前たちも同じ電車だったのかよ。おい、先行ってくれ」

「やれやれ、手短に済ませろよ」

 

 ナインたちを水鳥(みずとり)に任せて、木場(きば)は通路を跨いだ空席に腰を降ろした。

 

「同じ列車なら、教えてくれりゃ良いじゃねぇーか」

「いや、連絡先知らないし」

「じゃあ今、交換しちゃいましょーっ」

 

 木場(きば)の妹静火(しずか)が、鳴海(なるみ)に向かってスマホを差し出した。

 

静火(しずか)、お前、いつの間に......!」

「迷惑かけないように見張っとけって、水鳥(みずとり)先輩が」

「あのヤロウ......オレは、小学生かっつーの」

 

 恨み言を漏らしながらも連絡先を交換し、木場(きば)は、改めて話しを切り出した。

 

「いつ当たるか判んねーけど、覇堂(ウチ)と当たるまでコケんなよ?」

「まあ、そうでなるように最善を尽くすよ」

「お、なんだ? 妙に落ち着いてるじゃねーか」

「まあね。ね、あおいちゃん」

 

 鳴海(なるみ)は澄まし顔で、反対隣のあおいに同意を求める。あおいも同じような顔で頷いた。意味ありげな二人の表情に、ますます疑問が深まる木場(きば)は、腕を組みつつ首をひねる。

 

「あの特訓の後だから。今なら、どこと試合しても負ける気がしないよっ」

「だね」

「へぇ、言うじゃねーか。どんな特訓してきたか知らねーけど、そりゃ楽しみだ! アレも気にしてねぇみたいで安心した」

「アレって?」

 

 今度は反対に、鳴海(なるみ)たちが聞き返す。静火(しずか)は「これのことですよー」と雑誌を、鳴海(なるみ)に手渡した。

 

「高校野球の特集記事?」

「あっ、それって、毎大会恒例出場校別の戦力分析してる雑誌だよね。ボクたちは?」

「ちょっと待ってね。ええーと、あった」

 

 雑誌を捲り、恋恋高校の記事を開く。見出しに書かれていたのは――。

 

「――Cランク。『王者あかつきを撃破し、激戦区東東京を制した新星! しかしながら、やはり、選手層の薄さは否めない。勝負師、渡久地(とくち)東亜(トーア)の采配に注目! 未知数のためCランクだが、今大会のダークホースとなれるか!?』だってさ」

「Cランクって言うと?」

「三段階評価の一番下のカテゴリーだね」

「まあ、初出場校は大抵そうだから気にすんなよ」

「だってさ。覇堂は......Bランク? Aランクじゃないんだ」

「はぁ!? おい、ちょっと貸してみろ!」

「おっと」

 

 雑誌をぶんどり、わなわなと肩を震わせながら覇堂高校の記事を読み上げる。

 

「『攻守ともにバランスの取れたチーム。あえて不安要素をあげるとすれば、エース木場(きば)。大会を通じて安定感のあるピッチングを披露出来れば充分に優勝を狙える。彼の出来が、勝負のカギを握ることになるだろう』だとッ!? これ書いたの、どこの記者だ! 節穴の上にビー玉詰まってんだろッ!」

「兄ちゃん、ウルサイ、他の乗客もいるんだからっ」

「ケッ、くだらねぇ......!」

 

 木場(きば)が面白くなさそうに雑誌を放り投げた雑誌を静火(しずか)に頼んで取って貰い、鳴海(なるみ)は目次の一覧表に目を通す。

 

「Aランクは、全部で五校。春夏連覇を狙うアンドロメダ、夏連覇がかかる壬生。後は、天空中央、西強高校。それと、帝王実業――」

「やっぱり、Aランクなんだね」

「大したことねーよ。オレら、春にボコってるし」

「あ、そうなんだ。ん?」

 

 新横浜に停車。するとホームには、早朝にも関わらず大勢の人だかりが出来ていた。

 

「何かな?」

「たぶんアレですよ、神楽坂大附属。親会社の神楽坂グループの御曹司がエースピッチャーって話しですし」

「朝早くから総出でお見送りか、たいそうなこった。さてと、そろそろ戻る」

「ああー、うん。雑誌......」

「やるよ。水鳥(みずとり)が同じ雑誌持ってから」

「じゃあお言葉に甘えて。ありがとう」

「おう。じゃあな」

「お騒がせしましたー」

 

 停車している間に、木場(きば)兄妹は荷物を肩に担いで、覇堂ナインが居る車両へ向かっていった。二人を見送ったあと、再び雑誌に目を戻す。

 

「――帝王実業。『名将守木(まもりぎ)監督率いる伝統校。エース山口(やまぐち)を中心に鍛え上げられた鉄壁の守備陣。特に二遊間は、高校球界最強との呼び声も。更に打線も強力、蛇島(へびしま)友沢(ともざわ)猛田(たけだ)のクリーンナップは歴代ナンバーワンの破壊力!』か......」

「春に倒したって言ってたよね? ちょっと調べてみるね」

 

 あおいはスマホを操作して、覇堂高校対帝王実業の試合結果を調べる。

 

「春の甲子園大会二回戦、試合結果は8対2。立ち上がりに先制を許したけど、相手の先発が早い回で降板、二番手以降のピッチャーを攻略して逆転勝利だって」

「エースが早い回で降板って、故障かな?」

「うーん、その辺りの詳しい理由は載ってないや。だけど、今のエースと同じ人だよ」

「そっか」

「もう、うるさいわね~。寝れないじゃなーい」

 

 二人の前の席に座っている芽衣香(めいか)がシート越しに、目を細めて批難の声を上げる。

 

「ごめんごめん」

「昨夜、寝れなかったの?」

「寝たけど、起きたのも早かったから。いつもならまだ寝てる時間だし」

「これ、貸してあげる。その代わり座席を反転させて」

「オッケー、ありがと」

 

 隣の瑠菜(るな)からヘッドフォンとアイマスクを受け取り、座席を反転させてから目を閉じた。

 

「その雑誌、私にも見せてもらえる?」

 

「どうぞ」と、瑠菜(るな)に雑誌を渡す。

 

「殆ど常連校だけど。ひとチームだけ、女子選手が中心のチームがあるわ」

「ほんとっ?」

 

 瑠菜(るな)の言葉を聞いて、あおいが身を乗り出した。

 鳴海(なるみ)は気を利かせ、瑠菜(るな)と席を入れ替わると、車窓へ顔を向けた。

 

 

           * * *

 

 

 新大阪駅からマイクロバスで移動。滞在先の宿舎に到着すると、事前に振り当てられた部屋に荷物を置いて、周辺の散策へ出かけて行った。

 ナインたちを見送って宿舎へ戻った理香(りか)は、エントランスでスケジュール表に目を落とす。そこへ、予定よりも少し遅れてやって来た東亜(トーア)が、彼女の向かいの席に座って足を組む。

 

「真剣な顔して、何を見てるんだ?」

「今後の予定を確認しているのよ。それにしても遅かったわね」

「渋滞に嵌まった」

「渋滞? そう、渋滞にねっ」

 

 どこか可笑しそうにクスクスと笑う、理香(りか)東亜(トーア)は、いったい何がそんなに可笑しいんだかと若干呆れ気味。

 

「アイツらは、出かけたのか?」

「ええ、少し前にね。お昼を食べたら戻ってくるわ。ちょっと休憩を取ってから、甲子園へ向かう予定よ。練習時間も決められているから、少し早めに移動して準備しておくことになるわね」

 

 四十以上の出場校があるため、各校、持ち時間は三十分と規定で定められている。その限られた時間の中で、投手はマウンドの感触を。野手は、守備の注意点等を頭に入れなければならない。

 

「最初は素直に弾むけど、時間が経つと結構気を使いそうだ」

「そうだな。整備が入るとはいえ、特に後半はイレギュラーバウンドに気をつけよう」

「あっ、そうだ、奥居(おくい)。トスの時、もう少し早めにボール見せて。黒土とグラブが重なってボールの出所が見辛い」

「判った。こんな感じでどうだ?」

「オーケー、ずいぶん見やすくなったわ。あたしも、同じようにするから」

 

 内野陣は黒土のグラウンドのバウンドの感触、二遊間を組む奥居(おくい)芽衣香(めいか)は、コンビプレーも確認。

 

「行くでやんすよー!」

「よっしゃ、来い!」

 

 レフトの真田(さなだ)に合図を送ったセンターの矢部(やべ)は、真上に向かってボールを高く放り投げた。ボールは甲子園の独特の強い浜風に流され、左中間の真ん中辺りに落下した。

 

「思った以上に流されるな」

「そうでやんすね」

「ただのフライでこれだけ流されるんだから、送球も意識しておいた方が良さそうだな。次は、ゴロの感覚を確かめようぜ。藤堂(とうどう)、行くぞ!」

「はい!」

 

 わざとバウンドするよう、ライトへ向かって強めに投げる。投げたボールは人工芝のグラウンドと違い、天然芝に勢いを奪われ、藤堂(とうどう)へ届く前に止まってしまった。

 

「ってことは......」

外野手(オイラ)たちの前へ来た打球は、前に出て取った方が良いでやんすね」

「だな。じゃあ、次はクッション対応な」

 

 外野陣はフェンス際のクッション処理の確認へ移行、ホームベース付近では、バッテリーが話し合っている。

 

「マウンドは、どう?」

「すごく投げやすいよ。でも、やっぱり暑い......」

 

 あおいの意見に、瑠菜(るな)たち投手陣も頷く。

 時刻は午後一時過ぎ、気温がピークに達する時間帯。光りの反射を抑える反面、熱を溜め込む黒土は、白土のような反射熱とはまた別種の暑さがある。

 

「水分補給は、こまめにした方が良さそうだね。用意する水筒の数も増やそう」

「タオルも買い足した方が良さそうね。何枚あっても足りないわ。明日、組み合わせ抽選会が終わったら買い出しに行きましょう」

「うん。あと、日焼け止めも! 多めに用意したつもりだったけど全然足りないよ」

「ですですっ。これじゃあ汗で全部落ちちゃいます......」

 

 試合以外の面も話し合っていたところへ、『恋恋高校、練習時間残り十分です』と場内アナウンスが流れた。ベンチを出た理香(りか)は、ナインたちを呼び集めた。

 

「とりあえず一通り確認出来たわね。バッティング練習で終わりにしましょう。一人一打席ずつね。順番は、背番号順。あおいさんからよ」

「はい!」

「あの、バッティングピッチャーは?」

「ああ、それなら――」

「よし、やるか」

 

 左手にグラブを付けた東亜(トーア)が、マウンドに立っていた。

 

「コーチが投げるんですか......?」

 

 甲子園出発前に行われた特訓が、ナインたちの頭を過る。

 

「心配するな。気持ちよく打たせてやるよ」

 

 その言葉通り全員がヒット性の当たりを打ち、練習は終わった。

 そして翌日、全参加校が集められた施設で、組み合わせ抽選会が行われた。

 

 恋恋高校、初戦の相手は――帝王実業。



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New game3 ~資質~

 抽選会は滞りなく閉幕した日の夜、宿舎近くのバーで飲んでいた東亜(トーア)の元へ、理香(りか)がやって来た。隣の席に座って、小さくタメ息を漏らす。

 

「初戦から、とんでもない相手に決まったわね」

「そうでもないさ。むしろ好都合な相手だ」

「好都合?」

「よく見てみろよ」

 

 東亜(トーア)は、理香(りか)が持ってきた組み合わせ表を指差す。

 

「少なくとも、ベスト8の再抽選まで他の優勝候補とは当たらない」

「確かに......」

 

 夏の甲子園は三回戦のあと、勝ったチームが改めてクジを引き再抽選が行われる(※この規定は、変更されることがままあります)。初戦は、優勝候補の帝王実業ではあるが、木場(きば)が所属する覇堂高校を含め、他の優勝候補を上手く回避できている。ある意味で幸運と言える組み合わせだった。

 

「正直、帝王実業は決勝で戦ったあかつき以下のチームだ。総合的なバランスで言えば帝王の方が勝るが、しかし投手力という面においては格段に劣る。他校へインパクトを与えつつ、軽く弾みをつけるには絶好の相手(カモ)

 

 相手が優勝候補と知ってもなお、普段と変わらず余裕綽々な笑みを浮かべながらグラスを口に運ぶ東亜(トーア)の姿に、肩に力が入っていた理香(りか)の表情が少しだけ和らいだ。

 

「それに優勝候補だ。中途半端な相手よりも、データは集めやすいだろ」

「もちろん。個々の成績から、予選全試合まで用意してあるわ」

「フッ、なら、なおのこと好都合だったな」

 

 そう言うと、再びグラスを口に運んだ。

 

 

           * * *

 

 

 翌日、朝食後、宿舎内に用意された大部屋で、対帝王実業戦ミーティングが行われようとしていた。

 

「けど、いきなり帝王実業って、クジ運悪いわね」

「いやいや、そんなこと言われても、向こうが後に引いたんだから......」

 

 ジト目の芽衣香(めいか)に、鳴海(なるみ)はたじたじの様子。理香(りか)は手を叩いて場を鎮め、はるかと手分けして用意した資料をナインたちに配る。配り終えたところで、食後の一服していた東亜(トーア)が来て、一番後ろの席に腕を組んで座った。

 

「さて、全員揃ったことだし、ミーティングを始めましょう。はるかさん、お願いね」

「はいっ」

 

 はるかは手元のノートパソコンを操作して、元々部屋の奥に設置されている大型ディスプレイに、帝王実業の地区大会の試合結果を表示させた。地区大会は緒戦から決勝戦まで、ほぼ危なげない結果で勝ち上がっている。続けて、レギュラーメンバー、ベンチ入りメンバーの個人成績へ切り替えた。

 

「うわぁ、スゴい成績だねっ。特にクリーンナップは、全員が四割近い打率だよ!」

「半端ないわね」

「でも、打点に関しては五番が一番多いわ」

「あ、ホントだ。それに三番は、六番よりも打点が少ないわね」

 

 あおい、芽衣香(めいか)瑠菜(るな)の三人の意見を鳴海(なるみ)がまとめる。

 

「基本的に一番、二番、三番で作ったチャンスを四番で返す。残ったランナーを五番、六番で掃除する。下位打線は、長打も、打点も少ないから、完全に上位への繋ぎ役って感じのチームスタイルなのかな? はるかちゃん、試合の映像ある?」

「もちろん、用意してありますよ」

 

 映像が、試合の映像に切り替わった。

 動画は、地区大会決勝戦。資料の数字通り、圧倒的な攻撃力で相手投手を攻略、二桁得点で勝利を収めた。

 

「やっぱり強力打線だ。打線の繋がりでいえば、あかつき以上かも」

「だな。それに、あの投手のフォーム相当打ちづらそうだなー」

 

 エース山口(やまぐち)のピッチングフォームは、大きく足を上げて投げ降ろす、マサカリ投法。タイミングが取りづらい上に、ボールの出所も見難いクセの強いフォーム。加えて、140キロ台中盤のストレート、タイミングを外すカーブ、そして、手元で鋭く大きく変化するフォークボールを操る。

 

「このフォーク、ヤバいな。今、バットを避けるようにベースの手前でバウンドしたぞ」

猪狩(いかり)のフォークもスゴかったけど、猪狩(いかり)以上かも知れない。一筋縄にはいかなそうな相手だ。コーチは、どう思いますか? あの、渡久地(とくち)コーチ......?」

「クックック......」

 

 振り向いた先、不気味に笑う東亜(トーア)の姿を見て、言葉が詰まる鳴海(なるみ)の代わりに、理香(りか)が聞く。

 

「どうしたの?」

「なーに、ちょっと面白いヤツが居たんでな」

「面白いヤツ?」

 

 東亜(トーア)の中では投手ではなく、別の選手に興味がいっていた。

 

「はるか、三回の守備に戻してくれ」

「はい」

 

 指定した、三回の守備に映像を戻す。

 

「ここだ」

 

 相手チームの一番バッターが塁に出て、ツーアウトからの二球目で盗塁を仕掛けた場面。帝王バッテリーは、この仕掛けを読み切り大きくウエスト。だがしかし、キャッチャーの送球はややショートよりに高めに逸れ、セカンドは身体を捻りながらジャンプして捕球。ちょうど着地したところへ、滑り込んで来たランナーと交錯した。一旦ゲームは中断されたが、幸い両者ともケガはなく、試合は続行された。

 

「今のプレー、明らかに潰しに行っていた」

 

 東亜(トーア)の言葉で、全員の顔色が変わる。

 

芽衣香(めいか)、お前ならどうする?」

「......あたしだったら、後ろへ逸らさないようにベースを離れて取りに行きます。上下だけならまだしも、左右へ逸れた場合バックアップが取れなかったら、三塁まで進まれるし」

「そう、通常あれほどの悪送球であればベースを離れ、捕球に専念する。だがコイツは、それをしなかった。走者は足のある一番バッター、送球が逸れた時点でタッチは間に合わない。しかも序盤でツーアウト、ケガのリスクを負ってまで果敢に攻めるような場面ではない。そして何より――捕球した直後、視線を落とした。ベースへ滑り込んで来るランナーの位置を確認した」

 

 どこか嬉しそうな笑みを見せる、東亜(トーア)

 そんな彼とは対照的に、理香(りか)とはるかを含めたナインたちは絶句する。

 

「くくく、こんなヤツが居るなんてな。捨てたもんじゃねーじゃねーか、高校野球ってのも。だが所詮、二流だ」

「二流?」

「本物は、一撃で獲物を仕留める。一度なら“偶然”で済まされるだろ」

「......そう言う意味なのね」

 

 期待薄と判っていたが、それでも否定してくれることを期待していた理香(りか)は、判りやすく肩を落とす。

 

「フッ、どうにせよ小心者さ。この地区は元来、帝王一強の地区。明らかな格下相手に、こんな姑息な手を使っているようでは大成しない」

「そう言うものですか?」

「まあな。さてと、じゃあそろそろ本題へ移るとするか。お前ら――」

 

 東亜(トーア)は座ったまま、今までに見せたことのない真剣な眼差しで、ナインたちに問いかけた。

 

 ――覚悟はあるか、と。

 

 

           * * *

 

 

 後日、開会式のリハーサル、翌日に本番が行われた。

 そして大会初日は、いきなり、優勝候補筆頭のアンドロメダ学園が登場するということで当然、チケットは即完売。宿舎へ戻ったナインたちは、テレビで中継を見ていた。

 

「二回でもう、五点差でやんす!」

「やっぱり、俺たちが戦った一年生とは攻守共に格が違うね」

「あっ、見て! あの時のピッチャー、ベンチ入りしてるよっ」

 

 あおいが指を差した先に、恋恋高校との練習試合で先発した嵐丸(あらしまる)が、ベンチに座っていた。木場(きば)から貰った雑誌で調べたところ、一年生で唯一のベンチ入りメンバーであることが判明。

 

「名門アンドロメダ学園で、一年の夏からベンチ入りするなんて......」

「オイラたち、結構スゴいヤツを攻略したんだな」

「だけどさ、そのピッチャーがベンチ入りしてるってことは、今年はあんまり良くないってこと?」

 

 芽衣香(めいか)の素朴な疑問に、鳴海(なるみ)は雑誌を見ながら答える。

 

「うーん、どうなんだろう。試合内容を見る限り、そんなことは無いと思うけど。レギュラーに名を連ねる面子も、春とあまり変わらないし。一番大きく変わったのは、ショートが女子選手ってところかな」

「えっ、うっそ!」

「あのショート、女の子なんだ! 小柄だけどキリッとしてるから男子だと思ってたよっ」

 

 ショートを守る選手が女子と知り驚く芽衣香(めいか)とあおい。二人と同じく瑠菜(るな)も驚いてはいたが、すぐに冷静に受け止めた。

 

「どうにせよ、三回戦ではっきりするんじゃないかしら。順当にいけば、天空中央が勝ち上がって来ることになると思うし」

「改めて組み合わせ表を見ると、正直、ゾッとしたよ。ひとつ横にズレていたら両方と戦わないといけないところだった」

「そう言う意味では、クジ運は良かったワケね。初戦が帝王実業ってことを除けば――」

 

 芽衣香(めいか)が言った何気ない台詞に、室内が静まり返る。

 ――覚悟はあるか。先日のミーティングで問われたことを思い返す。東亜(トーア)から告げられたショッキングな話し。帝王実業のエース山口(やまぐち)(けん)は、肩に重大な故障を抱えている。

 ――肩関節唇損傷。

 この故障を患って完全復活を遂げた投手は、ほぼ皆無に等しい。何人もの名選手たちが若くして引退を余儀なくされた、致命的な故障。

 

「どうして、判ったの......?」

 

 あの日の夜、理香(りか)は神妙な面持ちで、東亜(トーア)に真意を訊ねた。

 

「そりゃあ判るさ。俺も、同じ故障を抱えていたんだからな」

 

 タバコに火を付け、答える。

 

「......そうね」

「お前の言いたいことは判る。なぜあの場で、アイツらに話したのかだろ?」

「それくらい、わたしにも判っているわ。もし知らずに、引き金をひいてしまったら......」

 

 ――心に深い傷を負いかねない。以前の、あおいのように。

 

「フッ、お門違いもいいところだな。そんな取るに足らない“情”の話しではない。俺が言っているのは、アイツらが頂点に立ちうるだけの資格、資質が有るか否かの話だ。前に話しただろ。勝利とは、綺麗事では済まされない、むしろ残酷なモノだ。誰かを蹴落とし、蹴落とした者たちの屍を踏み越えた先で、自らの手で掴み取るモノ。一握りの勝者の裏には、数え切れない程の敗者が存在しているんだ」

 

 東亜(トーア)の話しを、理香(りか)は黙ったまま聞いていた。火をついたまま口に為ずいたタバコを、灰皿に押し付ける。

 

「プロ、大学、社会人野球のスカウトから幾つか話しが来ている。それは、お前も知っているだろ」

「......ええ、知っているわ。あなたが、直接の接触を止めていることもね」

「フゥ......この程度のことで立ち止まるような甘いメンタルでは、プロでは生きていけない。毎年何人もの人間が無情にも切り捨てられる、実力だけが評価される世界だ。味方を蹴り落とし、ポジションを奪い取ることが出来なければ、カモにされて終わる。勝負に徹せられず、躊躇するようであれば、端っから土俵に上がる資格はない」

「......言わば、この試合は――」

 

 ――東亜(トーア)から課された。

 プロの世界で、この先の未来を勝ち抜いて行けるか否かの最終試験。

 

 そして、その時がやって来た。

 



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New game4 ~同類~

帝王実業の学年設定です。
シナリオの都合上。山口(やまぐち)蛇島(へびしま)は三年。
友沢(ともざわ)猛田(たけだ)は二年。
犬河(いぬかわ)猫神(ねこがみ)久遠(くおん)は一年で進みます。



「覚悟、か......」

 

 帝王実業戦前夜、時計の針が零時を回っても、なかなか寝付けないでいた鳴海(なるみ)は、相部屋の矢部(やべ)を起こさないようにひっそりと部屋を出て、柔らかな月も明かりが照らす中庭のベンチに座り、夜空を見上げる。ミーティングで告げられた事を、今もなお、葛藤し続けていた。

 

「まだ、起きてたんだ」

「あっ、あおいちゃん......」

 

 隣に座ったあおいは、同じように夜空を見上げた。

 

「わぁ~、東京よりも、キレイに見えるね!」

「ん? ああー、そうだね」

「悩んでる?」

 

 あまりにも素っ気ない返事に、あおいが若干不満気に訊くと、少しの間があったあと「うん」と、小さく返事を返した。

 

「だよね」

 

「あおいちゃんは、どう思う?」とは聞かれなかったが、あおいは、自分から話しを切り出した。

 

「もし、ピッチャーだったらどうする?」

「ピッチャーだったら?」

「うん。鳴海(なるみ)くんがもしピッチャーで、これ以上投げたら投げられなくなっちゃうって判っていたら、どうする?」

「俺は......」

 

 あおいの問いに、鳴海(なるみ)は足下へ目を落として深く考え込む。

 

「ボクはきっと、ううん、絶対に投げる」

「......それで、投げられなくなったとしても?」

 

 神妙な面持ちで聞かれたあおいは「うんっ」と、迷いの無い笑顔を返した。

 

「投げれば後悔するかも知れない。でも、投げないと、絶対に後悔するって自信はある。なーんて、ヒロぴーの受け売りだけどね」

太刀川(たちかわ)さんの?」

「うん。晩ごはんの後、メッセージが来たんだよ。明日......もう、今日だね。応援に来てくれるって」

「わざわざ、甲子園まで?」

「ほむらちゃんの、知り合いのバッティングセンターが近くにあって、お手伝いする代わりに泊めて貰えるんだって。それで、今回のことを相談したんだよ。ヒロぴーの話しを聞いて、ボクも、同じ気持ちだって想ったんだ......」

 

 再び夜空を見上げたあおいは、どこか吹っ切れた表情(かお)をしていた。鳴海(なるみ)は、彼女の想いを噛みしめ、改めて自分に問いかける。もし自身が、山口(やまぐち)と同じ境遇であったとしたら、どう行動するか。そして、ひとつの結論に辿り着いた。

 

「ありがとう」

「どういたしまして。今日の試合、絶対に勝とうね!」

「うん、もちろん」

 

 小さく微笑み合って、もう一度夜空を見上げた。

 そして、翌日。甲子園のダグアウトからベンチへ戻ってきた鳴海(なるみ)は、東亜(トーア)の元へやって来た。

 

「朝っぱらから話し合っていたらしいが、答えは出たようだな」

 

 鳴海(なるみ)は大きくゆっくり深呼吸してから、東亜(トーア)を真っ直ぐと見据えて答える。

 

「はい、この試合、本気で“潰し”に行きます。これは俺たち、全員の総意です」

「フッ、そうか。なら俺は、この試合、山口(やまぐち)が登板している場合に限り一切の采配はしない。口先だけではないことを証明して見せろ」

「――はい!」

 

 迷いの無い目で、力強い返事をした鳴海(なるみ)は、今日先発予定の瑠菜(るな)が待つブルペンへ向かった。しかし理香(りか)は、不安の色を隠せないでいた。

 

「本当に、大丈夫なのかしら......?」

「おい。お前が、そんな不安な表情(かお)を見せるな。虚勢を張ってでも堂々としてろ」

 

 東亜(トーア)は普段通りの澄まし顔で、投球練習をしているブルペンへ目を向ける。

 

「アイツらは正に、岐路に立っていた。存在するふたつの道。ひとつは、踏み場の無いほどのイバラが足下に張り巡らされた道の先に、微かに光が見える道。もうひとつは、一定の間隔に設置された松明(たいまつ)の灯りだけが頼りの、満足に足下も見えない暗闇の道。痛みや苦しみを堪え、微かに見える光りを信じて進むか。暗がりの中、足下に道が続いているのかさえも判らない恐怖の中を進むか――」

 

 前者は、仮に試合中に山口(やまぐち)が肩を壊してしまうことになったとしても、痛みや、苦しみを背負うことを覚悟した上で進む道。後者は、もしかしたら壊れてしまうかも知れないと言う恐怖と戦いながらの道。どちらを選んでも正しくもあり、正しいとも言えない苦渋の選択。

 

「しかしアイツらは、少なくとも選んだのさ。立ち尽くすことなく、痛みを負う覚悟を決めた。ならば、結末を見届けることこそが、指導者の務めだろ」

「......ええ、目は逸らさないわ」

「それでいい。まあ、その相手側は先発ではでないがな」

 

 理香(りか)が受け取った帝王実業の先発メンバー表には、山口(やまぐち)の名前は無く、一年生投手の久遠(くおん)ヒカルの名が記されていた。最速140km/h中盤のストレートと、変化の鋭いスライダーが武器のピッチャー。

 東亜(トーア)は、帝王実業の資料を見せながら意図を解説する。

 

「あかつきとは、まったく違うチーム作りをしている。よほどのことがない限り、その年の三年をレギュラーに据えるあかつきは、三年引退後の秋になると、ベンチ入りした二年と二軍で育てた連中を軸に戦力を整えて戦う。一方、帝王はと言うと、半ば強引に一・二年をレギュラーやベンチに入れることで、秋の入れ替えによる戦力低下を実質半分に抑えているのさ」

「同じ名門校でも、そうも差があるのね。あかつきは、最大値を。帝王は、安定を求めるチーム作りと言ったところかしら? でも、ベンチ入りメンバーの半分近くに二年生と一年生で抜擢しているとはいえ、大事な初戦で一年生を先発させるの?」

「単なる消去法さ。帝王の投手は、全部で四人」

 

 三年生の山口(やまぐち)。先発の一年久遠(くおん)と、同じく一年の犬河(いぬかわ)和音(かずね)。あとは、二年の左の本格派が一人。

 

山口(やまぐち)は、肩に故障を抱えている。通常であれば、二年の左を使いたいところだが、完全上位互換である猪狩(いかり)を攻略してきた以上使いづらい。となれば、一年のどちらを投げさせるか。犬河(いぬかわ)は、あおいと同じ右のアンダースロー。な? 久遠(アイツ)しかいねぇだろ」

「なるほどね、納得。ウチの先発が、彼女なのも」

 

 鳴海(なるみ)がブルペンでボールを受けているのは、甲子園初戦の先発を任された瑠菜(るな)

 

瑠菜(るな)ちゃん、ラスト!」

「......んっ!」

「オッケー、ナイスボールッ!」

 

 ミットを構えたところへ寸分の狂いもなく投げ込み、一旦ベンチへ引き上げてきた。試合開始に向けて、各自落ち着いた様子で準備を進める。審判団が、グラウンドへ出てきた。

 

「さあ、時間よ。みんな、行ってらっしゃい!」

 

 理香(りか)の呼びかけに「はい!」と元気よく返事をしたナインたちは、グラウンドへ駆けだして行く。球審の号令と同時に、大声援とサイレンが球場全体に響き渡り、後攻の帝王実業ナインたちがポジションに着く。

 先頭バッター真田(さなだ)の名前がアナウンスされ、いよいよ戦いの火蓋が切られた。

 

 

           * * *

 

 

『本日お届けする試合は、名門・帝王実業対初出場の恋恋高校。実況担当は、私、熱盛(あつもり)がお送りいたします! さあ、間もなくプレイボールです!』

 

 球審のコールを聞き、帝王実業バッテリーは、サイン交換を行う。サインは一度で決まり、マウンド上の久遠(くおん)はやや緊張した面持ちで、セットポジションから足を上げた。

 

『注目の初球は――おーっと! なんと、先頭バッター真田(さなだ)、バットを寝かせた! 初球セーフティバントーッ!』

 

 完全に裏をかかれ、内野安打。いきなりランナーを背負ってしまった久遠(くおん)は、二番バッターの葛城(かつらぎ)に対して、ストライクが入らない。そして、カウント2-0からの三球目――得意のスライダーが、ベースの手前でバウンド。

 

『キャッチャー猫神(ねこがみ)が前へ弾いて出来た僅かな隙を、ファーストランナー真田(さなだ)は見逃してはくれませんッ! 状況が、ノーアウト二塁と変わりました。甲子園初戦、大抜擢された一年生バッテリーですが、いきなり正念場を迎えます!』

 

「動揺するでない!」

 

 監督の守木(まもりぎ)独斎(どくさい)が、ベンチから声を張り上げる。

 

猫神(ねこがみ)、キャッチャーのキサマが声をかけずどうするか! キサマら二人で、“バッテリー”なのだぞ!」

「あっ! は、はい!」

 

 叱咤された猫神(ねこがみ)はタイムをかけ、マウンドへ声をかけに走る。ギリギリまで身を乗り出していた守木(まもりぎ)は、ベンチの中へ戻って腕を組んだ。

 

「(――初っぱなから奇襲とは、彼奴らの経験不足を狙われたか。さすがは噂に聞く、勝負師。異名は伊達ではないと言うことか。ともかく、試合を壊さず四回まで持たせてくれればよい)」

 

 間を取ったあとの初球は、アウトコースのスライダーで空振りを奪った。今の一球を見た守木(まもりぎ)は、ゆっくりとうなづく。

 

「ストライクからボールになるスライダー。今の一喝で、立ち直った?」

「いや、一時的なものに過ぎねぇよ。それに本命は、ここからさ」

 

『カウント3-1からの四球目――真田(さなだ)、走った! 三盗!』

 

 ひとつストライクを取って落ち着きを取り戻しかけていたところへ、再び仕掛けた。一球前と同じ外角のスライダーをハーフスイングで止めるも、スイングと判定されてストライク。しかし、完全に無警戒だったことで、キャッチャー猫神(ねこがみ)(ゆう)は送球することも出来ず、真田(さなだ)の三盗は決まった。立ち直るどころか、無死三塁と逆にチャンスは広がった。

 

『地区予選決勝あかつき戦では、矢部(やべ)に一番を譲った真田(さなだ)ですが、本来の打順に戻り躍動しています!』

 

「くくく、油断したな。ひとつストライクを取ったことで、真田(さなだ)への意識が薄れた。だが、これだけでは終わらせない。確実に沈める」

 

『大きく外れてしまいました、フォアボールです! これでノーアウト三塁一塁!』

 

 ノーアウト三塁一塁。様々な形で得点を奪えるシチュエーション。そしてバッターは、奥居(おくい)を迎える。

 

「(いくらメンタルが弱い久遠(くおん)とは言え、初回からもたつくのは想定外。山口(やまぐち)のアクシデントといい、友沢(ともざわ)を壊してしまったのは、時期尚早だったかな?)」

 

 マウンド上で動揺している久遠(くおん)を、若干呆れ顔で見ていたセカンドの蛇島(へびしま)桐人(きりと)は、二遊間を組む友沢(ともざわ)(りょう)に目を向けた。

 猫神(ねこがみ)は再びタイムを取り、久遠(くおん)に声をかけに走る。そのタイミングで蛇島(へびしま)は、友沢(ともざわ)に声をかけに行く。二人はグラブで口を隠しながら、守備の確認を行う。

 

友沢(ともざわ)くん、ここはダブルスチールを頭に入れておこう。ファーストランナーには、最悪進塁されも仕方がない」

「判っています。サードランナーが走るそぶりを見せたら、カットには俺が入ります。ベースカバーは、お願いします」

 

 猫神(ねこがみ)が戻り、二人もポジションに戻る。守木(まもりぎ)から、内野守備陣へサインが送られた。基本セカンド経由のダブルプレーを狙う中間守備。よほど正面の打球でない限り、一点は仕方ないというシフトを敷く。

 

「(個人的には、そこそこの数字は残したが、春は二回戦で敗退してしまった。もう少しアピールしておきたいところだ。そのためにも、初戦で負ける訳にはいかない。必ずプロへ行くために。例え、どんな手段()を使おうとも......)」

 

 蛇島(へびしま)は、恋恋高校のベンチへ顔を向ける。

 

「(このボクの気持ち......同類のあなたなら、理解していただけますよね? 渡久地(とくち)監督)」

 

 蛇島(へびしま)の鋭い目からは勝利への執念と共に、尊敬にも似た眼差しも含まれていた。その視線に東亜(トーア)は「同等に語るな」とでも言うように、とても冷めた表情(かお)を見せた。



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New game5 ~魔法~

お待たせしました。


 初回、無死三塁一塁。ヒットはもちろん、外野フライ、バッテリーエラー、内野ゴロでも点が入る場面。そして、迎えるバッターは、奥居(おくい)。ベンチからのサインを確認したあと、悠然とバッターボックスに立ち、マウンド上の久遠(くおん)を見据える。

 

「(コーチから空サインは出てない。だけど七瀬(ななせ)からは、サインが出た。徹底的にダメージを与えろ、か。ダメージとなると、一発狙うか? いや、打ち損じてゲッツー間の一点止まりになったら最悪だ。この流れが変わっちまうぞ。さて、どうすっかな~?)」

 

 流れを切らず、より大きなダメージを与える方法を模索した奥居(おくい)の中で考えがまとまった直後の初球は、外角へストレート。これを目だけで簡単に見送る。そして打席を外し、一度素振りをしてからバッターボックスへ戻る途中、さり気なくランナーの二人へ、ダブルスチールのサインを送った。

 

『ワンボールからの二球目――スライダー!』

 

 ストライクからボールへ逃げるスライダー。しかしこれも、奥居(おくい)は吊られない。しっかりと見極めて、ボールツー。

 

「(確かに、いいは変化してる。けど、ストレートのあとに外のスライダーで誘うって、葛城(かつらぎ)への配球と同じじゃないか。いくらストライクが欲しい場面っていっても単調すぎるぞ。まあ、いいや。さてと――)」

 

 奥居(おくい)はヘルメットをかぶり直し、真田(さなだ)葛城(かつらぎ)へ「次、行くぞ」とサインを送った。

 

「(また、ピンチでボール先行......僕の悪い癖だ。これじゃあ、友沢(ともざわ)さんに認めて貰うどころの話しじゃ......)」

 

 久遠(くおん)はプレートを外して、自分で間を取った。

 

「(ふむ......仕掛けて来るのなら、カウント的に次だろう。しかし逆に言えば、考えられる策は限られている。奇襲を二度続けた、十中八九重盗を臭わせてのアシスト当たりであろう。蛇島(へびしま)友沢(ともざわ)、判っておるな?)」

 

 蛇島(へびしま)友沢(ともざわ)も、守木(まもりぎ)と同じ考えを頭に入れている。ファーストランナーが走り、捕手の送球間にサードランナーがホームを狙う作戦。ただし当然のことながら守備側もホームスチールは頭にあるため、二遊間のどちらかが間で送球をカットし、サードランナーを牽制することも少なくない。そのため、併殺を逃れるためのアシスト的な作戦と言えなくもない。

 

『マウンドへ戻った久遠(くおん)ヒカル、セットポジションからランナーを警戒しつつ、足を上げた。そして、ファーストランナースタート!』

 

 投球と同時にファーストランナーの葛城(かつらぎ)は、スタートを切った。前もって決めていた通り、蛇島(へびしま)はセカンドベースへ向かい、友沢(ともざわ)はホームスチールに備えてセカンドベースとマウンドの中間地点へ。

 久遠(くおん)の投球は、やや外寄り低めのストレート。このボールを奥居(おくい)は見逃さず踏み込んで、ファーストへプッシュ気味のバントで転がした。

 

「――バント!? チィッ! 久遠(くおん)、ベースカバー!」

「はい!」

 

 完全に不意を突かれたファーストだったが、久遠(くおん)に指示を出し、自らは素早く打球の処理へ走る。

 

『いや、これは送りバントではありません! これは、スクイズだーッ! だがしかし、サードランナーの真田(さなだ)は、打球が転がったのを確認してからのスタート! スタートが遅れてしまった!』

 

 ダッシュしてきたファーストは、ホームへ向かって走る真田(さなだ)の位置を確認し、奥居(おくい)と交差する位置で捕球すると、勢いを利用してホームへ投げようと送球体勢に入った。

 

「違う! ホームじゃない、サード!」

「――えっ? はぁ!? い、居ない!?」

 

 猫神(ねこがみ)の声を聞いて顔を上げたファーストの視界に真田(さなだ)の姿はなく、キャッチャーの猫神(ねこがみ)がサードを指差していた。ミスと思われた真田(さなだ)のスタートは、ファーストからはホームへ向かって走っている姿が目に入る。スクイズだと確実に思い込ませるための擬走(フェイク)。捕球のために一瞬目を切るタイミングを見計らって身を翻し、すぐさまサードへ帰塁。躊躇なく投げていればサードでアウトも狙えたタイミングだったが、判断を誤ったことでタッチプレーになるサードは間に合わず。更にはホームへの送球体制に入っていたことで、ファーストへの送球も遅れてしまった。

 

「セーフッ!」

 

 一塁塁審は、水平に両腕を伸ばす。

 

『セ、セーフ、オールセーフです! 奥居(おくい)の内野安打! これで全ての塁が埋まりました、ノーアウトフルベース!』

 

 足の速い奥居(おくい)が一歩勝り、内野安打をもぎ取った。

 

「くっ! おいキサマ、伝令だ!」

「は、はい!」

 

 このピンチに守木(まもりぎ)は、すぐさま伝令をマウンドへ向かわせる。

 

「(......よもや、三度続けての奇襲とは。あり得ぬ、このチームにセオリーなど通用しないとでも言うのか? そもそも、監督(ベンチ)からサインらしきモノは出されていなかった。では今の奇襲は、選手が独断で動いた策......であるとすればあの男、我輩には出来なんだことを選手に浸透させている――)」

 

 守木(まもりぎ)は怪訝な表情(かお)で、恋恋高校ベンチでふんぞり返っている東亜(トーア)を見る。

 

「フッ、尺の決まったアンタの物差しじゃ勝負は計れねーよ。さーて、仕掛けといくか」

 

 マウンド上で話し合いが行われている最中、今度はしっかりと、空サインを出した。同調して、はるかが本物をサインを出す。ネクストバッターの甲斐(かい)は了解と頷いて、バッターボックスへと向かう。

 

「今の作戦が、仕掛けなの?」

「まーな。この試合を優位に運ぶための、とっておきの魔法さ」

「ま、魔法......?」

「まあ、覚悟を決めたアイツらへの対価といったところだ。楽しみにしておけよ」

 

 東亜(トーア)らしくないメルヘンな台詞に、理香(りか)は眉をひそめて首をかしげた。

 その頃マウンドでは、守木(まもりぎ)の指示が伝えられていた。

 

「『まだ初回、浮き足立つ場面ではない。とにかく、まずひとつアウトを取れ』と」

「多少の失点はやむを得ない、と言うことか?」

 

 友沢(ともざわ)の質問に、伝令に出された二年生は「ああ」と返事を返した。彼らのやり取りを腕を組んで聞いていた蛇島(へびしま)は、右手をアゴに持っていった。

 

「そうは言っても、やはり無失点で切り抜けるに超したことはない。ノーアウトフルベース、逆に守り易くなったとポジティブに考えるべきだろうね。それに相手は、久遠(くおん)くんを警戒している。この奇襲の連発こそが、正に証拠。相手の策に嵌まり、監督の言う通り、浮き足だってしまうことは相手の思う壺だよ。キミは、名門・帝王実業の背番号を勝ち取ったんだからね」

「は、はい!」

「(まったく、初回から試合を潰されたらかなわないからなぁ......)」

 

 蛇島(へびしま)のフォローを受け、ピンチに動揺していた久遠(くおん)の目に少し力が戻った。そこへ球審が、注意を促しに来る。帝王ナインは礼を言って、各ポジションへと戻っていく。

 

「して、どうだ?」

「はい。蛇島(へびしま)先輩のフォローのおかげで気合いが入っていました。おそらく、立ち直れるかと思います」

「......そうか。ご苦労」

 

 伝令から報告を受けた守木(まもりぎ)は、ショートを守る友沢(ともざわ)を見たあと、蛇島(へびしま)に視線を移して憂いを帯びた表情(かお)を見せた。

 その理由は、入学当初投手として才能を発揮していた友沢(ともざわ)。彼の肘が芳しくないことをいち早く見抜いた守木(まもりぎ)は、アーム投げ(テイクバック時に肘が伸びた状態のフォーム)故に、肘へ負担の掛かるスライダーを投げることを制限していた。しかし結局、肘を故障してしまい、友沢(ともざわ)は野手への転向を余儀なくされることとなる。その故障の原因を作った一人が今、二遊間を組む蛇島(へびしま)。プロのスカウトの前で恥をかかされたことへの報復。

 しかし、とある学校の選手に、蛇島(へびしま)を三振に切って取った決め球のスライダーを完璧に打たれてしまったことで、プロへ行くためには、今のスライダーをより完璧なモノにさせる必要があると痛感し。己の肘の状態を知りながらも、スライダーを磨くため無茶な投げ込みを続けてしまう結果となった。

 

「(――蛇島(へびしま)のフォローか。確かに頼りになる存在だが、彼奴の勝利への執念・執着は危うさと表裏一体。裏目に出なければ良いが......)」

 

 守木(まもりぎ)の思いなど関係なく、試合は再開される。

 

『さあ、ノーアウトフルベースで試合再開です! 恋恋高校は先制点、大量得点のチャンス。帝王実業にとっては、大量失点の大ピンチ! このチャンスをモノに出来るか、それとも切り抜けられるか!? 注目して参りましょーッ!』

 

 左打席で、四番甲斐(かい)がバットを構える。

 蛇島(へびしま)から励ましを受けた、久遠(くおん)の初球は、アウトコースいっぱいのストレート。

 

「ファールッ!」

 

 やや振り遅れた打球は、三塁側の応援スタンドで弾んだ。甲斐(かい)は打席を外し、バックスクリーンを見る。

 

「(ジャスト140キロか、想ったよりも差し込まれた。だけど)」

 

 打席へ戻って、平然と構え直す。新しいボールを受け取った久遠(くおん)はひとつ息を吐いて、モーションに入った。

 

「(猪狩(いかり)木場(きば)と比べれば、比にならないほど軽い......!)」

 

『――打った! 内角のストレートを引っ張った打球は、ライト上空へ上がったーッ!』

 

 ライトの猛田(たけだ)は、打球を追ってバック。ラインより定位置やや後方の位置で足を止めた。落ちてきた打球を捕球、同時に真田(さなだ)はタッチアップ。

 

「うおりゃーッ!」

 

 猛田(たけだ)は、中継を飛ばしてバックホーム。ツーバウンドで猫神(ねこがみ)のミットへ収まるも、当然、間に合うハズもなく。

 

『先制点は、恋恋高校! 四番甲斐(かい)、ライトへ先制の犠牲フライ! そして猛田(たけだ)のバックホームの間に、セカンドランナー、ファーストランナーはそれぞれ進塁。一死三塁二塁とチャンスは続きます!』

 

「......あ、あれ? うぉっ、やっちまったーッ!」

 

 守木(まもりぎ)、中継に入った蛇島(へびしま)ともに若干呆れ表情(かお)。ネクストバッターの鳴海(なるみ)真田(さなだ)とタッチを交わし、打席へ向かう。

 

「(今のが、あの東條(とうじょう)がライバル視してる、猛田(たけだ)慶次(けいじ)? 怠慢プレーって言うより、直情的なタイプかな? 打席だと厄介なタイプかも......と、自分のバッティングに集中しないと)」

 

 鳴海(なるみ)は打席に入る前に、サインを確認。甲斐(かい)に出されたサインと同じサインが出された。了解、とヘルメットのツバを触ってから打席に入る。

 

「(甲斐(かい)くんに出されたのと同じサイン――ストライクゾーンのボールは必ず振れ!)」

 

 初球、外のシュートを迷いなく振り抜く。久遠(くおん)の足元をかすめてセンター前へ抜けようかという打球を、ショートの友沢(ともざわ)が、ショート寄りセカンドベースの後方で捕球。ホームは諦め、そのまま一回転してファーストへスロー。

 

『アウトーッ! ショート友沢(ともざわ)、ナイスなグラブ捌きでアウトにしてみせました! しかし、送球の間にサードランナー葛城(かつらぎ)はホームイン。その差二点と広がります!』

 

 ファインプレーでアウトに取られた鳴海(なるみ)が悔しそうに、ベンチへ戻ってくる。

 

「くそー、ヒット一本損した。抜けてれば、もう一点入ってたのに」

「ドンマイ! 今のは、仕方ないよ」

「そうね。今のは、ショートが上手かっただけよ。それより、受けてもらえる?」

「うん。すぐ準備するから」

「ボクも、手伝うよ」

「ありがとう」

 

 あおいに手伝って貰い、守備の準備を急ぐ。

 そして試合は、ツーアウトランナー三塁で六番矢部(やべ)の打席。

 

矢部(やべ)くんにも、同じサイン?」

「当然だろ。はるか」

「はいっ」

 

 例によって東亜(トーア)はテキトーな空サインを、はるかが本物のサインを伝達。そのサイン通り、矢部(やべ)もストライクゾーンのボールを見逃さずに打った。結果は、平凡なセカンドフライ。恋恋高校の長い攻撃は、犠牲フライと内野ゴロの間の二点という形で終わった。

 

『恋恋高校、ノーアウトフルベースから二点を奪い、攻守交代! 恋恋高校の先発投手、十六夜(いざよい)瑠菜(るな)がマウンドへ上がります!』

 

 帝王実業ナインはベンチへ戻り、入れ替わりで恋恋ナインが守備に向かう。東亜(トーア)は、鳴海(なるみ)を呼び止める。

 

「この投球練習中、極力ミットを動かすな。あとは好きにして構わない。思い通りにやって来い」

「はい、判りました!」

 

 他のナインたちから少し遅れて、グラウンドへ駆け出していった。投球練習が終わり、帝王実業の先頭バッター猫神(ねこがみ)が、打席に立つ。そして、球審のコール。

 

 ――さあ、時間だ。魔法がかかるぞ。



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New game6 ~認識~

「よし、よくぞ二点で留めた!」

 

 守木(まもりぎ)は、戻ってきたナインたちを褒め迎えた。

 無死満塁から二点失点を喫したが、致命傷とまでは言えない点差。なぜならば、攻撃はまだ九回丸々残されているから。

 

「先発投手のデータは、頭に入っておるな?」

 

 帝王ナインたちは「はい!」と返事。その力強い答えに満足そうに頷いた守木(まもりぎ)は、ナインたちに指示を与える。

 

「彼奴らは、奇襲を仕掛けてきおった。奇襲とは、弱者が強者に衝撃を与えるため兵法。しかし、実力の差は歴然である。こちらは普段通りの試合運びでゆくぞ。敵の策に惑わされてはならぬ! 猫神(ねこがみ)、相手は制球力のある選手だが、勝負球以外はあまりコーナーを突いて来ない。打てると判断したコースは積極的に狙ってゆけ。よいな?」

「はい!」

 

 指示に頷いた猫神(ねこがみ)はヘルメットを被り、バッターボックスへ向かう。左打席に立って、ゆっくりとバットを構えた。

 

「プレイ!」

 

 球審のコールを聞いた鳴海(なるみ)はさっそく、猫神(ねこがみ)をじっくりと観察。

 

「(キャッチャーで先頭バッター、間違いなく足のあるタイプだ。ただ、体格と構えから見て、長打はあまりなさそうだ。加藤(かとう)監督とはるかちゃんがまとめてくれたデータ通り、足を活かしたミート重視のグラウンダーヒッタータイプ)」

 

 データと実際に対峙してみた印象を踏まえてサインを出し、内角低めにミットを構える。出されたサインに頷いた瑠菜(るな)は、ゆったりとモーションを起こした。

 

十六夜(いざよい)の足が上がった! 注目の初球は――変化球!』

 

 初球は、縦のカーブ。真ん中外寄りのやや甘いコースから、構えたミットは殆ど動くことなく収まった。球審の右手が上がる。見逃しのストライクを奪ったのは良いが、鳴海(なるみ)は違和感を感じていた。

 

「(何だろう? 最初は打ち気だったのに、瑠菜(るな)ちゃんがモーションに入った途端急に迫力が消えた。あの打ち気は、ブラフ?)」

 

 若干疑問に想いつつも「オッケー、走ってるよ!」と、瑠菜(るな)にボールを投げ返し、腰を降ろしてから再び猫神(ねこがみ)に目を向ける。すると今度は、あまりにも覇気がない表情(かお)をしていた。

 

「(何なんだ? このバッターは......。今度は、まるでやる気を感じないぞ)」

 

 要領を得ない猫神(ねこがみ)の挙動に警戒してサインを出し、外角低めへミットを構えた。そのミットへ向かって、瑠菜(るな)はストレートを投じる。

 

『ファール! アウトコース低めのストレートを打ちに行きましたが、仕留めきれず三塁方向へのボテボテのファウル。バッテリー、ここは理想的な形で猫神(ねこがみ)を追い込みましたー!』

 

「(今度は振ってきた......って、また打ち気満々の構えに戻ったぞ? いったい何なんだ? このバッターは――)」

 

 まったくと言っていいほど経験のないタイプの選手に、鳴海(なるみ)は眉間にしわを寄せて頭を捻る。その様子に守木(まもりぎ)は、してやったりの表情を浮かべた。

 

「(フフフ、悩んでおる悩んでおる。かく言うこの我輩も、猫神(ねこがみ)のことは把握しきれなんだ。だがひとつ言えることは、キサマらの奇襲は戦略であるが、気分屋である猫神(ねこがみ)にとっては、この無自覚な奇襲こそが彼奴のスタイルなのだ)」

 

 ――気分屋。猫神(ねこがみ)は、極度と言っていいほどの気分屋。事打席においては、一球ごとに気分が変わるため挙動と動作が一致しない。使う側としても、守る側としても、とても極端過ぎる故に扱いづらい厄介なタイプ。しかし守木(まもりぎ)は、あえて猫神(ねこがみ)を先頭バッターに抜擢し、自由にプレイさせることで自然体の奇襲役という役割を見出した。

 

「......極度の気分屋。相手の挙動を読んで試合を組み立てる鳴海(なるみ)くんには、厄介な相手ね」

「確かに、面倒なタイプではあるが、対処方法は幾らでもある」

「どうするの?」

「一番手っ取り早いのは、無視して勝負する」

 

 打率三割を超えれば一流と評される。しかし裏を返せば、一流でも七割近い確率で凡打する。

 

「打ちにいった場合、一流バッターでも七割は失敗する。だが、四死球は打率に関係なく十割出塁させてしまう。面倒な相手には、下手にカウント悪くして自分の首を絞めるよりも、さっさと打たせちまう方がいい。加えてコイツは左バッター、引っ張って外野手の頭を越えるような長打はまず無い」

甲斐(かい)くんの打球を押し戻した、“浜風”ね。となると――」

 

 勝負は必然的に、インコース。

 恋恋バッテリーは、追い込んでからの三球目は二球目よりも外に外してカウントを整え、カウントワンエンドツーからの四球目――内角のシュートを選択。

 

『一二塁間を破るライト前ヒット! 先頭バッター猫神(ねこがみ)、内角の難しいコースの変化球を上手く打ち返しました! 帝王実業、こちらも負けじとノーアウトからランナーを出します!』

 

 当てただけのヒッティングだったが、足があると言うことでライン寄りに詰めて守っていた結果のヒット。出塁を許してしまったが、バッテリーとしては想定内。すぐに切り替えて、次のバッターへ神経を注ぐ。

 

「(最初からバントの構えか。ランナーは......)」

 

 右打席に入った二番バッターから、ファーストランナーの猫神(ねこがみ)へ視線を移す。

 

「(ずいぶんリードが大きいな、単独の盗塁も充分に考えられる。だけど、警戒し過ぎて仕掛けやすくしたら本末転倒。バント失敗を狙いつつ、仕掛けてきたら刺す)」

 

 サインに頷いた瑠菜(るな)は、猫神(ねこがみ)の足を警戒を怠らず、クイックモーションで初球を投げる。インコースのストレート。バッターは、送りバントを試みるも――。

 

『あーっと! 上げてしまった! キャッチャー鳴海(なるみ)、ファウルグラウンドで掴んで......ワンナウト!』

 

 送りバントを決め損ねた二番バッターは悔しそうな表情(かお)を滲ませながら、ベンチへ戻る途中ネクストバッターの蛇島(へびしま)と言葉を交わす。

 

「バント巧者のキミが、送りバントを失敗するなんて珍しいね。難しいボールだったのかい?」

「いや、ボール自体は大したことない。だけど、相当出所が見辛い。早めに準備した方がいい」

「なるほど......」

 

 監督(ベンチ)からのサインを受けてバッターボックスに入った蛇島(へびしま)は、じっくりと足場を慣らしてからバットを構える。

 

「(猫神(ねこがみ)は、オールグリーンスタート。ボクには、これと言った指示はなしか。ならばここは、きっちりポイントを加算して置きましょうか)」

 

 蛇島(へびしま)の態度を見た東亜(トーア)は、はるかを通じて鳴海(なるみ)へ指示を送る。

 

「珍しいわね。守備で注文を付けるなんて」

「一番のヤツが想定外なタイプだったんでな、仕方なくだ。それに蛇島(ヤツ)は、魔法をかけるには打って付けの相手。むしろ好都合だったと言える。“幻影”という名の魔法をかけるにはな」

「幻影?」

「フッ、見てりゃ判るさ」

 

 意味深に言うと、東亜(トーア)は不敵に笑って見せた。

 

『バッターボックスには帝王実業不動の三番、蛇島(へびしま)桐人(きりと)! 高い打率はもちろん、場面によって打ち分けることの出来る柔軟性、そして、抜群の選球眼を持っています! この場面、いったいどのようなバッティングを見せてくれるのでしょーか!?』

 

 

「(珍しく、コーチから守備で注文が出た。このバッターだけは、必ず外角で仕留めろ。なら、インコースでカウントを整えて、最後に外で仕留めるのが定石。だけど、そうそう狙い通り仕留められる相手じゃないから勝負は焦らずに行こう)」

「(ええ、判ったわ)」

 

 先ずは牽制球を投げ、バッターへ初球を投げる。外角のストレート。蛇島(へびしま)は、手を出さずに見送った。判定は、ボール。

 

「(......ふむ、確かにタイミングを測りづらい。あながち、仕留め損ねた言い訳では無かったということか。しかし、掴むことが出来れば打てないボールではない。タイミングを取る一番の方法は、合わずとも多少強引に振って感覚を掴む。振らなければ、何も得るものはない)」

 

 構え直した蛇島(へびしま)への二球目は、外から更に逃げるシュート。振りに行ったバットを止める。鳴海(なるみ)は、ハーフスイングを主張。球審は、一塁塁審に判断を委ねた。

 

『塁審の判定は、スイング! 蛇島(へびしま)、ハーフスイングを取られました。ワンエンドワン平行カウントからの三球目......一塁へ牽制! 猫神(ねこがみ)、手からベースへ戻ります。十六夜(いざよい)、ランナーの警戒も怠りません!』

 

「(球威が無い分、コントロールはかなりのものを持っているようだ。牽制も、まずまず上手い)」

 

 目でしっかりランナーを牽制しての三球目。

 

『再三ランナーを警戒してからの三球目は――外のストレート! ファウル! 厳しいコースのストレート、捉えるきることが出来ません!』

 

 タイミングを合わせられず、差し込まれてファウル。

 

「(三球続けて速球系のアウトコース攻め、盗塁を警戒しての配球か? しかも、どれも際どいコースの投球大したものだ。しかし、そろそろインコースを挟みたいところだろう。おそらく、緩いカーブ――)」

 

 読みに反し、四球目は大きくウエスト。鳴海(なるみ)猫神(ねこがみ)を牽制し、瑠菜(るな)へボールを返す。

 

「(......ここで外して来るとは、よほど盗塁を警戒しているようだ。しかしこれで、投手有利のカウントから五分に戻ったわけだ。となると――やはり、勝負は内側)」

 

 一旦打席を外し、バットを握り直して戻ってきた蛇島(へびしま)を観察して、サインを出す。頷いた瑠菜(るな)は、鳴海(なるみ)が構えたミットを目がけて投げ込んだ。

 

「(――なっ!? アウトコースだと!?)」

「(よし、完璧!)」

 

 インコースを予測していたところへ裏をかく、五球連続アウトコース。

 

「(......裏をかかれた。しかし、ここは遠い――)」

 

 蛇島(へびしま)は出しかけたバットを必死に止め、ミットは乾いた音を響かせた。間髪入れず、球審のコール。下された判定は――。

 

「ストライク! バッターアウト!」

「――なっ!?」

 

『見逃し三振ッ! 恋恋バッテリー、好打者蛇島(へびしま)を退けましたー! ツーアウト』

 

「(ボクは今、自信を持って見送った。今のコースが、ストライクだと......?)」

 

 下された判定に立ち尽くしていた蛇島(へびしま)は、殺気を帯びた視線を一瞬球審へ向けるも、態度には出さずに素直に後した。入れ替わりで打席へ向かう友沢(ともざわ)に、すれ違い様に情報を伝える。

 

友沢(ともざわ)くん。あの球審は、外にストライクゾーンが広いようだ」

「そうですか。判りました、頭に入れておきます」

 

 ベンチへ戻った蛇島(へびしま)は、守木(まもりぎ)にも外のストライクゾーンが広いことを報告。

 

「そうか。選球眼のいいキサマが言うのなら間違いないな。久遠(くおん)、今日の球審は外のゾーンが広いそうだ。戻り次第猫神(ねこがみ)にも伝えるが、次の回からは踏まえて組み立てるのだ。よいな?」

「はい! キャッチボール、お願いします」

「ああ」

 

 控えの捕手に頼み、久遠(くおん)は肩を作り始めた。

 打席では、スイッチヒッターの友沢(ともざわ)が右のバッターボックスへ。

 

蛇島(へびしま)は倒れましたが。まだ、この男が残っています! 名門帝王実業で二年生にして四番に座る、友沢(ともざわ)(りょう)! 彼の守備はもちろん、そのバッティング技術は既に高校生のソレを遥かに凌駕していると評されています!』

 

 打席で構える友沢(ともざわ)に、鳴海(なるみ)は息を呑んだ。

 

「(......何てリキみの無い構えなんだ。七井(なない)とはまた違うけど、これは苦労しそうな相手だ)」

 

 瑠菜(るな)も、鳴海(なるみ)と共通の感想を持ち。初球は、慎重にアウトコースのボール球から入った。

 

『ファーストライナー! 火の出るような痛烈な当たりでしたが、これは不運にも野手の正面! スリーアウトチェンジですッ!』

 

「くっ......!」

 

 仕留め損ね、悔しさを滲ませる友沢(ともざわ)。そんな彼とは対照的に、鳴海(なるみ)はキョトンとした表情(かお)を浮かべつつ、ベンチへ帰る。

 

瑠菜(るな)、ナイスピッチ!」

「ありがと」

 

 瑠菜(るな)にドリンクとタオルを渡したあおいは、スポーツドリンクを飲みながらグラウンドを見つめている、鳴海(なるみ)の隣に座った。

 

「どうしたの?」

「あ、うん、何か拍子抜けって言うか......」

「私も、同じ感想よ」

 

 あおいの隣に座った瑠菜(るな)が、二人の会話に加わる。

 

「どうして、あんな不用意に手を出してきたのかしら......?」

「だよね。友沢(ともざわ)程の実力者なら、手を出すようなボールじゃない」

「そんな考え込むような理由じゃない。この回の攻撃で解るさ。おーい」

 

 東亜(トーア)は、グラウンドへ行こうとしていた芽衣香(めいか)を呼び止めた。

 

「はい?」

「初球は、必ずアウトコースへストレートが来る。それはボール球だ。釣られるなよ」

「はーい、わかりましたーっ」

 

 改めてグラウンドへ出ていった芽衣香(めいか)を、不敵な笑みで見送る。久遠(くおん)の投球練習が終わり、場内に芽衣香(めいか)の名前がアナウンスされた。

 

「お願いしまーすっ!」

「うむ。プレイ!」

 

 打席に立つ芽衣香(めいか)と対峙している久遠(くおん)は、初回とは違って心なしか落ち着いている。

 

「(外を広く使えるなら、そんな楽なことはない)」

「(うーん、あんまりそんな印象は無かったんだけどなぁ。まっ、いいか。じゃあ、これで)」

 

 猫神(ねこがみ)のサインに頷いた久遠(くおん)の初球――アウトコースのストレート。指示通り、芽衣香(めいか)は見送った。

 

「ボール!」

「えっ?」

 

『初球は、アウトコースのストレート。帝王バッテリー、慎重にボールから入ってきました』

 

「おしいおしい、ボールは走ってるぞー!」

「あっ、うん......」

 

 久遠(くおん)はサインに首を振って、二球目を投げる。またしてもアウトコースのストレート。ほぼ同じコースへのピッチングも、判定はボール。二球続けてのボール判定に、久遠(くおん)は戸惑いを隠せない。続く三球目は、前の二球よりも明らかに大きく外れた。

 

『ボール、ボールです! 久遠(くおん)、ストライクが入りません! 次は是が非でもストライクが欲しいところです』

 

 不審に思った守木(まもりぎ)は、ベンチぎりぎりまで身を乗り出した。

 

「クックック......今さら何をしようと無駄だ。もう、魔法にかかってしまったのだからな。この魔法は、簡単には解けない」

「魔法......ですか? あっ! もしかして、ジャスミンとの練習試合の時の!」

 

 鳴海(なるみ)が言ったのは、球審の機嫌を損ねて相手に有利な判定をされることになった、ジャスミンとの練習試合のこと。その答えに、東亜(トーア)は鼻で笑う。

 

「いいや、別に特別な配慮などされていない。むしろ公平な判定を下している。名審判と言ってもいい」

「どういうことなの?」

「だから、見たままじゃねーか。単純にボールなんだよ、久遠(アイツ)が投げている球がな」

 

『あーっと、これも外れてしまいました! ストレートのフォアボール! この回先頭バッターの七番浪風(なみかぜ)、一度もバットを振ることなく一塁へ歩きます。ノーアウトランナー一塁』

 

 その後も久遠(くおん)の異変は止まらず、八番バッターの藤堂(とうどう)にもボール先行のピッチングが続く。そして、ストライクを取りに行ったところを一二塁間へ打たれるも、セカンド蛇島(へびしま)の守備範囲内。しかし、アウトはファーストの一つだけで、ラストバッターの瑠菜(るな)を迎える。

 

『またしてもボールが先行します! いったい、どうしたと言うのでしょーか?』

 

「(......そっか、そういうことだったのね!)」

 

 初球で、瑠菜(るな)は気がついた。

 

瑠菜(るな)は、気づいたらしいな」

「あのー、いったいどう言うことなのでしょうか?」

「言っただろ? ストライクゾーンは変わっていないし、審判の判定に贔屓があるわけでもない。しかし、唯一変わったことがある。それは――」

 

 東亜(トーア)は、帝王実業のベンチに顔を向けた。

 

「――帝王実業(アイツら)の意識。外にゾーンが広いと思い込んでいる」

「えっ? そういえば、友沢(ともざわ)も外角のボール球に手を出してきた......」

「誤った認識を広めてしまったヤツがいるのさ。それが、()()()だ」

 

 東亜(トーア)の視線の先に映るのは、セカンドを守る蛇島(へびしま)だった。



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New game7 ~信頼~

『――流し打ち! 十六夜(いざよい)瑠菜(るな)、甘い外角のストレートを三遊間へはじき返し、レフト前ヒット! 初回に続きランナー三塁一塁と追加点のチャンスを作ります!』

 

 たまらずタイムをかけた猫神(ねこがみ)は、久遠(くおん)へ声をかけに走る。

 

「どうして、ストライクを取ってくれないんだ......?」

「そりゃあ取ってくれないって、ボール球過ぎるもん」

「でも、外は広いって、蛇島(へびしま)先輩が......」

「いくら広いって言ってもさ、やっぱり限度ってあるじゃん。もっとストライクゾーンで勝負していかないと――」

「......向こうは取ってくれるのに?」

 

 あからさまに不満気に言う久遠(くおん)に、的確なアドバイスをしたつもりの猫神(ねこがみ)も、理不尽にぶつけられた憤りにムッと眉尻をあげて不快感をあらわにする。

 

「(い、いかん......! このままでは、非常にマズイ。今、信頼関係を損なってしまえば、少なくとも試合中の再構築は不可能――)」

 

 信頼というものは、築き上げるのに莫大な時間を要する。しかし、崩れる時は一瞬。ほんの些細なことで、いとも簡単に崩れ去ってしまう。そもそも入学して四ヶ月の新入生同士、本物の信頼関係など存在しない。

 

「......監督」

 

 守木(まもりぎ)の真後ろの席から、エース山口(やまぐち)(けん)が、深く被った帽子の奥から鋭い眼光を覗かせて訴えかける。

 

「ならん! キサマの肩は、万全ではない。今ここで無理をすれば、取り返しのつかぬことになるやも知れん!」

 

 今年のドラフトは回避し、大学へ進学して、じっくり四年をかけてリハビリを行えば、プロへの道も充分に残っている。山口(やまぐち)の将来を誰よりも案じている守木(まもりぎ)は、投球制限を設け、一度も連投をさせなかった。それでも、やはり最後の甲子園。最後は、良い場面で投げさせてやりたいという親心。

 その情につけ込む男こそが、渡久地(とくち)東亜(トーア)

 

猫神(ねこがみ)が戻り、試合再開。バッターは真田(さなだ)、この試合早くも二打席目です。ピッチャー久遠(くおん)ヒカル、セットポジションから足を上げ――走った! 十六夜(いざよい)、初球スタート!』

 

 バッテリーへのケアが疎かになったところを狙った、投手の瑠菜(るな)の盗塁。完全無警戒だった上に、球種はカーブと言う間の悪さ。

 

「くっそー!」

 

 間に合うハズもないタイミングにも関わらず猫神(ねこがみ)は、瑠菜(るな)の盗塁を刺しにいってしまった。案の定送球は大きく逸れ、サードランナーの芽衣香(めいか)がスタートを切った。送球を確認してからのディレイドスチール。

 

「くっ......! 先輩、バックアップ!」

「――友沢(ともざわ)!?」

 

 腕をめいっぱい伸ばして飛びつく、大きく逸れた送球をグラブの先端で強引にカット、着地と同時に素早くバックホーム。矢のような返球が、猫神(ねこがみ)のミットへ向かって一直線に突き刺さった。

 

友沢(ともざわ)、バックホームッ! ホームクロスプレーになった! 際どいタイミング、球審のジャッジは――!?』

 

 ホーム上の砂ぼこりが鎮まり、一呼吸間を空けてから、球審のジャッジ。

 

「アウトーッ!」

 

『アウト、アウトです! ショート友沢(ともざわ)のビッグプレー! 浪風(なみかぜ)のホームスチールを阻止しましたーッ!』

 

 帝王実業応援団が陣取るアルプススタンドから、地鳴りのような大歓声が沸き起こる。

 

友沢(ともざわ)さん――」

久遠(くおん)

 

 久遠(くおん)の言葉を遮った友沢(ともざわ)は、送球の勢いで飛んだ帽子を拾い上げ、土埃を払い被り直しながら強めの口調で諭す。

 

「オレも元投手だ、思うようにストライクを取ってくれないことに苛立つのは解る。けど、お前が追い詰められているのは判定のせいじゃない。お前が、相手を甘く見ているからだ」

「そ、そんなこと......」

「そんなことは無いと、本当に言い切れるか? だったらなぜ今、牽制も、クイックもせず漠然と投げた? 初回の攻撃で、揺さぶりを仕掛けてくる相手だってことは判っていただろう」

 

 友沢(ともざわ)の指摘に、久遠(くおん)は顔を伏せて黙り込む。二塁塁審は、なかなかポジションに戻らない二人に対して注意を促す。

 

「キミたち、私語は慎み、速やかに戻りなさい」

「すいません、すぐに戻ります。忘れるな久遠(くおん)、お前が戦っているのは、審判でも、味方の猫神(ねこがみ)でもない。対戦相手と、お前自身なんだ......!」

 

 注意を促しに来た塁審に頭を下げて、駆け足でポジションへ戻る友沢(ともざわ)。対照的に久遠(くおん)は俯いたまま、重い足取りでマウンドへ戻っていく。

 

「ふーん、なかなか判ったことを言うな、友沢(アイツ)河中(かわなか)と似たタイプだ」

河中(かわなか)って、フィンガーズの?」

「ああ。他人に厳しい要求をするが、自分には更に厳しい要求を強いるタイプだ。まあ、直情的過ぎる面が玉に瑕だが」

「口で言うのは簡単だけど、なかなか出来ないことね」

「まーな。大抵の人間は、逃げ道を用意しておく」

「逃げ道?」

「簡単に言えば、言い訳の捌け口、逃げの口上。不都合なことが起きた時、別の誰かを悪者に仕立て上げ、矛先をズラし、殴りやすいサンドバッグにする。自分は悪くない、アイツが悪い。今置かれている状況を都合良く転嫁し、自身を正当化する。何故なら、楽だからだ」

 

 東亜(トーア)の言葉に、静まり返るベンチ内。理香(りか)でさえも、はっきりと否定することは出来なかった。

 

「誰だって痛い思いはしたくない、殴っておけば気が晴れる。しかしそれは、自信の無さの裏返しに過ぎない。本気で取り組んで来たと自信を持って言えるのなら、安易な逃げ道などに頼らず現状を受け入れ、打開策を見出す糧と出来る。さーて、今のお前たちは、どうなんだろうなー?」

 

 やや意地悪く問われたナインたちは、この四ヶ月間を振り返って、改めて自問自答する。勝負に勝つため、誰にも負けないため、本気で取り組んで来た否かを――。

 彼らは、そして彼女たちは、質問に答える代わりに、今までで一番真剣な顔でグラウンドを見つめた。

 

 

           * * *

 

 

 大きく深呼吸をしてセットポジションに着いた久遠(くおん)は、サイン交換を行い、セカンドランナーの瑠菜(るな)を目で牽制。

 

「(......少し、気持ちが引き締まったみたいね。友沢(ショート)のゲキが効いたのかしら? だけど、結果が伴うかは別の話よ)」

 

 まるで試すように、瑠菜(るな)はリードを大きく取る。

 

「(友沢(ともざわ)さんの言う通りだ。ボクは、あの人に認めてもらいたかっただけで、本気で相手と向き合っていなかった......!)」

 

 カウントワンストライクからの二球目、インコースのストレート。

 

『142キロのストレート! 内角へズバッと決まった! 久遠(くおん)ヒカル、バックの好プレーに応えるような気持ちのこもったボールを投げ込みますっ!』

 

 初球のカーブ、ストレートの見逃しのストライク二つで追い込んでからの三球目は、アウトコースのストレートを選択。球審は首を振り、判定はボール。カウント1-2投手有利のカウント。

 

「(くっ、やっぱりここは取ってくれないか......)」

「ナイスボール! 走ってるぞー!」

 

 ロジンバッグを手に間を取り、一旦気持ちのリセットを試みて、セットポジションへ着き、四球目を投げる。内角のストライクゾーンからボールになる、曲がりの大きなスライダー。真田(さなだ)は、迷うことなく簡単に見送った。

 

「(うーん、予選だと振ってくれたんだけどなぁ。やっぱり、甲子園となるとレベルが違うか)」

 

 猫神(ねこがみ)はボールゾーンでの勝負を諦めて、ストライクゾーン内での勝負を要求するも久遠(くおん)は首を振って、再び内角のスライダーを選択した。

 

『膝下のスライダーを上手く引っ張った! 打球は、ライトへ!』

 

 一球前よりも甘く入ったスライダーを振り抜いた打球は、ライナー性の当たりで、ライト前へ抜けていく。

 

「ストップ!」

 

 三塁を蹴ったところで瑠菜(るな)はブレーキかけ、三塁へ戻る。直後、ライトの猛田(たけだ)から、ワンバウンドで返球が返ってきた。走っていれば、ホームで刺されていたかも知れない完璧な送球。しかし、ランナー三塁一塁と三度チャンスを広げた。

 

「さっきは、友沢(ともざわ)くんのファインプレーにやられたけど、今度は取りたい場面ね」

「余裕に取れるさ。アイツはまだ、スライダーの致命的な欠点に気がついていない」

 

 久遠(くおん)の投げるスライダーの致命的な欠点。

 それは、曲がりすぎてしまうこと。

 初回の葛城(かつらぎ)奥居(おくい)の打席でスライダーは変化が大きい分、曲がり始めが速いことに気がついた恋恋高校は、スライダー対策として一本のラインを引いた。右バッターであれば真ん中から外側、左バッターであれば真ん中から内側を捨てる。それらのコースからのスライダーは、すべてボール球。基本一番速いストレートに照準を合わせているため、球速差のあるスライダーはある程度見極めることが出来る。

 

「曲げることに気を取り過ぎ。変化球は打者の、より手元で変化させてこそ真価を発揮する。まがい物など捨ててしまえばいい。要は、打ちやすいボールを狙えばいいだけのこと。そして、そのボールを投げさせる」

 

 自分が投げる時は、外角のストライクを取って貰えないと勝手に思い込んでしまっているため、カウントが悪くなるとコースを突けない。加えて、奇襲の連続で安易にストライクは放れない。空振りやファウルでカウントを稼ぎたいスライダーに手を出してくれないうちに、カウントは悪くなる。当然ストライクを取りに行く、そこを狙い打たれるという悪循環。信頼度の高い身内からもたらされた情報により、存在しない“幻影”と戦ってしまっている。

 

「あのー、どうして思い込んでしまったのですか?」

「きっちりアウトコースで仕留めたからさ」

 

 外角のボールを続けてアウトコースの位置を印象を植え付けた。そして、いつか投げて来るであろうインコースを予測したところへ裏を突くアウトコースのストレート。サウスポーの瑠菜(るな)の投げるボールは、右打者の蛇島(へびしま)にとって、クロスして食い込んでくる厄介な軌道。ややオープン気味に対応したことで、通常のフォームよりも頭の位置が僅かにズレた。

 

「頭の位置がズレれば、視線もズレる。ピッチャーの投球がホームベースへ到達するまで約0,4秒前後。正確な判断など出来はしない。頭に内角が過っているのだから、アウトコースは更に遠く感じるって訳さ。例え、ストライクゾーンの中であろうともな」

 

 蛇島(へびしま)は、自他共に認める選球眼の持ち主。

 投球練習、ネクストでもミットが動かないほどの高い制球力を見ていた彼の思い込みが、外角のストライクゾーンは広いと誤った認識を浸透させてしまった。一度浸透してしまった先入観は、そう簡単には拭えない。気づいた時には、既に手遅れ。試合中の修正は、ほぼ不可能。

 

葛城(かつらぎ)、バッティングカウントからやや甘く入ったシュートに対して上手く肘をたたみ、叩きつけた打球は、サードの頭上を越えるタイムリーヒット! その点差を、三点と広げましたーッ!』

 

 ベンチへ返ってきた瑠菜(るな)をナインたちが総出で出迎える中、東亜(トーア)は一人、帝王実業ベンチへ目を向ける。

 

 ――さあ、デッドラインだ。

 

 帝王実業ベンチの奥から控えキャッチャーを引き連れ、エース山口(やまぐち)(けん)が、グラウンドに姿を現した。

 



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New game8 ~登板~

 グラブを持ってベンチを出た山口(やまぐち)は、控えキャッチャーを連れてファウルゾーンに特設されたブルペンで、軽くキャッチボールを開始。その姿にざわめいたのは、恋恋ナインだけではなく、山口(やまぐち)の肩の状態が芳しくないことを知る帝王ナインたちも同様の反応を見せる。

 

山口(やまぐち)先輩......!」

「ふむ......」

 

 友沢(ともざわ)は目の色を変え、蛇島(へびしま)は腕を組む。

 

「まだ投げねぇよ」

 

 ベンチ内の緊張感が高まる中、東亜(トーア)は冷静に言い放った。

 

「わざわざ温存させたんだ、緊急登板なんてさせやしねぇよ。バッテリーのケツを叩いただけに過ぎない」

 

 アウトカウントはツーアウト、緊急登板などという無茶はさせない。目的は、バッテリーの奮起を促すためのもの。仮に投げるのであれば、肩を万全に仕上がってからが大前提。どんなの早くても、三回の頭からと読んだ。

 しかし、効果はあり。山口(やまぐち)の姿を目にした久遠(くおん)は奮起、奥居(おくい)をセンターフライに打ち取って、このピンチを脱した。見届けた山口(やまぐち)は、一旦ベンチへ引き上げる。

 

「最後は、アウトローにベストボールが来たわね」

「一年で背番号取るだけの能力はあるんだ、あれこれ考えず放ってりゃいいだけなのになー」

「そうさせない様に縛ったあなたが、それを言うの?」

「フッ、敵の一番脆い急所を突く。勝負の鉄則だろ」

 

 東亜(トーア)は鼻で笑い、グラウンドへ向かおうとしていた鳴海(なるみ)を呼び止める。

 

「しっかりコントロールしてやれ」

「あ、はい!」

「今のは?」

「聞いての通り、ただの忠告だ。おそらくだが......」

 

 東亜(トーア)は、イニング間の投球練習を始めた瑠菜(るな)に目を向けつつ言った。

 

「暴走する」

「暴走......?」

「まあ、そのうち嫌でも判る」

 

 瑠菜(るな)の投球練習が終わり、この回先頭の猛田(たけだ)が「オッシャーッ!」と、大声で気合いを入れ、バットを肩から担ぎ下ろすようなフォームで、右のバッターボックスで構える。

 

「(神主打法に近い東條(とうじょう)とは、まったく真逆のフォーム。守備は、直情的――がむしゃらな感じだったけど、バッティングはどうだろう? とりあえず打ち気は満々と。先ずは、対応を見よう)」

 

 初球は、内角低目へクロスして食い込むストレート。猛田(たけだ)はフルスイングで対応、打球は一塁側のボテボテのファウル。続く二球目は、一転緩急の利いた、縦のカーブ。タイミングを外されながらも振り抜き、今度は三塁側へ大きく切れていった。

 鳴海(なるみ)は球審に貰った新しいボールを両手で軽くこねながら、打ち損じて悔しそうにしている猛田(たけだ)を、チラッと横目で見る。

 

「(ストレートも、変化球も、一寸の迷いも無く振り切ってきた。しかも追い込まれたのに、まったく縮こまる様子がない。これは、ちょっと厄介なタイプかも)」

 

 瑠菜(るな)にボールを投げ渡し、腰を下ろしてサインを出す。頷いた瑠菜(るな)の三球目は、高めのつり球。バットの上っ面を叩いて、バックネット直撃のファウル。

 

「だぁー、クソッ!」

「(......ボール球でもお構いなしか。それにしても、一球ごとにタイミングが合ってきてる。多く見せるのは得策じゃない。次、決めに行こう)」

「(ええ)」

 

 バッテリーの意見は一致。サイン交換の後、相手が広めに取られると思い込んでる外角低目へミットを構えた。

 

十六夜(いざよい)の足が上がった、追い込んでからの四球目!』

 

「オラァーッ!」

「――っ!?」

 

 猛田(たけだ)からただならぬ気配を感じ取った瑠菜(るな)は、リリースの直前にスナップを殺した。

 

「くっ!?」

 

 投げられたボールが描く予定外の軌道に、鳴海(なるみ)は咄嗟に肘を上げて、ミットを立てるようにして合わせる。猛田(たけだ)の振り抜いたバットを避けるように手元で沈んで、ミットの中へ収まった。

 

『空振り三振! 恋恋バッテリー、先頭バッター猛田(たけだ)を抑え込みましたー! ワンナウト!』

 

「ふぅ、ナイスピッチ!」

「ありがと」

 

 そう返した後、申し訳なさげに「ごめんね」と手を合わせる。鳴海(なるみ)は、全然と微笑み返した。

 

「こらー、試合中にイチャついてんじゃないわよーっ」

「そうだそうだー、羨ましいぞー」

 

 二遊間から冷やかしのヤジが飛び、案の定塁審にやんわり注意を受ける二人。

 

「(......瑠菜(るな)ちゃんの機転のおかげで助かった。回転を殺していなかったら捉えられていたかも......球際に粘り強い厄介なバッターだ)」

 

 鳴海(なるみ)は苦笑いを浮かべつつ、ネクストバッターと話している猛田(たけだ)に目をやった。

 

「最後の、何だった?」

「えっ? 何って、ストレートじゃないんッスか?」

「じゃないんッスかってなぁ。おいおい、実際に対戦したのはお前だろ?」

「あははっ、それもそうッスね! でもたぶん、ストレートッスよ。特に曲がんなかったッスし」

「......そっか、判った」

「失礼しやーッス!」

 

 脳天気な笑顔でベンチへ戻る猛田(たけだ)とは対照的に、六番バッターは真面目な表情(かお)で、左のバッターボックスに入った。

 

「(......ストレートねぇ。その割りには、妙な捕り方だったような気がしたんだけど。それにピッチャーの仕草――)」

 

 足場を整えながら、瑠菜(るな)を見る。

 

「(......可愛かった、って違う! 一番考えられるのは、サインミス。球速が無いから辛うじて対処できたってところか)」

 

 音が鳴りそうなほど首を振って雑念を振りほどき、頭を冷静にしてから、改めて構える。

 

『アウトカウントが一個増え、ランナー無しで六番がバッターボックスに立ちます! 地区予選大会では猛田(たけだ)に次ぐ、高い得点圏打率を誇る好打者です!』

 

「(蛇島(へびしま)友沢(ともざわ)猛田(たけだ)のクリーンナップのあとを打つからこその打率)」

 

 三者三様の気の抜けないクリーンナップ。切り抜けた、と若干気が抜けたところを痛打されるパターンが大半を占めている。

 

「(だからこそ。このバッターには、より丁寧に攻める)」

 

 初球は、変化球から入った。低目に外れて、ボールワン。二球目は、外角のストレートでファウルを誘い、ワンエンドワンの平行カウント。

 

「(やっぱり、外は広く意識してる。なら、これで――)」

「(――また外角。だけど、さっきよりも遠い。これは、さすがにボール......)」

 

 バッターはボールと思って見逃したが、球審の手は上がった。ボールゾーンからストライクゾーンをかすめる、バックドアのシュート。

 

「(クソ、外から曲げて来やがった......!)」

 

 理想的な形で追い込むと、意識が外角へ向いたところへ、インコースのストレートを投げ込む。

 

『見逃し三振! インコース膝下へズバッと決まった! 二者連続三振! ツーアウトッ!』

 

 続く七番に対しても両サイドを上手く使い分け、きっちりと抑え込み、この回を三者凡退に退けた。

 

「あのバッテリー、やりおるな。山口(やまぐち)

「問題ありません。いつでも行けます」

「......そうか。久遠(くおん)、後ろのことは気にせず全開でゆけ。実力を出し切ることが出来れば、決して抑えられぬ相手ではないぞ!」

「はい!」

 

 久遠(くおん)は、ランナーを出しながらも要所を絞めるピッチングで無失点で切り抜ける。一方瑠菜(るな)は、外角の上手く使って、相手に思うようなバッティングをさせない。両チーム共に三回は無得点。試合は、四回の攻防へ移る。

 

『内野ゴロ! サードからファーストへ渡って、これでスリーアウト! 久遠(くおん)ヒカル、この回も得点圏にランナーを背負いましたが、無失点で切り抜けましたーッ!』

 

 ベンチへ帰ってきた久遠(くおん)は、滝のように流れる汗をタオルで拭い、紙コップに注がれたスポーツドリンクを一気に飲み干し、大きく息を吐き出した。

 

久遠(くおん)

「監督......」

「立たなくて良い、よくぞ踏ん張ってくれたぞ!」

 

 四回三失点。守木(まもりぎ)は、想定していた以上の結果を残してくれたことを褒め称える。

 

「後は――」

「......待ってください。次の回は、五番から下位打線へ入ります。行かせてください......!」

 

 限界を迎えていることは、誰の目から見ても明らか。しかし、久遠(くおん)の目は死んではいない。

 

「......判った。好きにするが良い」

「ありがとうございます!」

 

 アンダーシャツを替えて、次の回のピッチングに備える久遠(くおん)の元を離れた守木(まもりぎ)は監督席へ戻り、申し訳なさそうに告げる。

 

「すまぬ。山口(やまぐち)、頼むぞ」

「はい......!」

 

 山口(やまぐち)は、力強い返事を返した。

 

 

           * * *

 

 

『四回裏帝王実業の攻撃、先頭の二番は平凡な内野ゴロに倒れ、三番蛇島(へびしま)を迎えます!』

 

 打席に立った蛇島(へびしま)は普段の作り笑顔を崩さぬまま、その心の内に殺気を帯びた執念と、憎悪という名の炎を静かに燃やしていた。

 

「(前打席の礼は、きっちりさせてもらう......)」

「(何だろう? 嫌な雰囲気だ......瑠菜(るな)ちゃん、警戒しておこう)」

「――んっ!」

 

 佇まいから危険を察知したバッテリーは、外角のボール球から入った。ボールが放たれた瞬間、カッと目を見開いた蛇島(へびしま)は、最初から狙っていたというかの様に思い切り踏み込んで、強引に打ち返した。

 

『ピッチャー強襲! 蛇島(へびしま)の打球は、十六夜(いざよい)に向かって一直線ッ!』

 

「――瑠菜(るな)ちゃん!?」

 

 マウンドの前方でワンバウンドした打球が瑠菜(るな)に直撃、勢い余ってセカンド方向へ弾んだ。芽衣香(めいか)がバックアップするも、逆をつかれたことで送球は間に合わず。ピッチャー強襲の内野安打。

 

十六夜(いざよい)瑠菜(るな)、手を抱え、膝を付いたまま立ち上がれません! これは、大事に至らなければ良いのですが......』

 

 思わぬアクシデントに、騒然とした空気が球場全体を包み込む。球審は要求を待たずタイムをかけ、鳴海(なるみ)は慌ててマウンドへ走る。理香(りか)は血相を変え、香月(こうづき)にコールドスプレーを持って行くよう指示を出す。

 

「クックック......」

 

 立ち上がれない瑠菜(るな)を心配するナインたちを後目に、蛇島(へびしま)は顔を隠しながら「してやったり」と薄ら笑いを浮かべる。

 

瑠菜(るな)ちゃん、大丈夫っ? どこに当たった!? 右腕? まさか、利き腕に――」

「......そのまま聞いて」

 

 瑠菜(るな)の話しを聞いた鳴海(なるみ)は、東亜(トーア)を見る。いつも通り静観している東亜(トーア)は小さく笑って、片倉(かたくら)新海(しんかい)をブルペンへ向かわせた。二人は急いで準備してブルペンへ行き、マウンドの瑠菜(るな)は、鳴海(なるみ)の手を借りて立ち上がる。

 

十六夜(いざよい)、立ち上がりました。しかし、大丈夫でしょうか? 映像で見た限り、グラブと手首の付け根辺りに当たったように見えますが......。球審が、確認を取ります。どうやら大丈夫のようです! スタンドからは、温かい拍手が贈られています!』

 

 香月(こうづき)はベンチへ下がり、ナインたちはポジションに戻る。そして、友沢(ともざわ)がバッターボックスへ入った。

 

「大丈夫なんですか?」

「ん? ああ、大丈夫だよ」

「......そうですか。向かってくる以上オレは、手加減出来ない人間です......!」

 

 鋭い視線を瑠菜(るな)に向ける友沢(ともざわ)。しかし、バッテリーはまったく動じない。

 

「(クックック......平静を装っているが、ダメージはある。その証拠にブルペンは、慌てて肩を作っている。今こそが、好機......!)」

 

 サイン交換の後セットポジションに着いた瑠菜(るな)が右手に目を落としたところで、蛇島(へびしま)は半歩リードの歩幅を広げた、その時――。

 

『一塁牽制! 蛇島(へびしま)、逆をつかれたーッ!』

 

 手から戻るも、あえなくタッチアウト。

 正に放心状態。状況が整理できず、蛇島(へびしま)はその場を動けないでいた。ジャッジを下した一塁塁審に促され、ようやく立ち上がる。

 

「ば、バカな......なぜ!?」

 

 帰り際ふと、目に入った恋恋高校のブルペンには、今さっきまで肩を作っていたハズの片倉(かたくら)の姿はなく。ベンチで足を組む東亜(トーア)が、蔑むように嘲笑っていた。

 

「打球が当たった時は気が気じゃなかったけど、上手く嵌まったわね」

「くくく。それらしいモノを、それらしく見せてやれば信じ込むのさ。人間ってヤツは」

 

 瑠菜(るな)のケガも、ブルペンの準備も、全ては蛇島(へびしま)を欺くための演出(フェイク)

 

「申し訳ありません......」

「よい。済んでしまったことだ、すぐに切り替えよ」

「......はい」

 

 狙い通り借りを返したつもりが、逆に嵌められたことを知った蛇島(へびしま)は憎悪を深めるどころか、明らかに気落ちしていた。

 

「(まさか、このような姿を見る時がくるとは。完全に裏目に出てしまった。試合中に立ち直りのきっかけを掴めれば良いが......)」

 

 まさかの事態に守木(まもりぎ)は、頭を悩ませる。しかし無情にも、試合は進む。

 

『ワンナウトランナー一塁が、瞬く間にツーアウトランナー無しに変わり、改めて友沢(ともざわ)の打席です!』

 

 友沢(ともざわ)への初球、外角低目いっぱいのストレート。

 

『ストライク! アウトローの厳しいところへ決まりました! どうやら打球が当たった影響は無さそうです!』

 

「(......さっきの牽制球も、今のストレートも、故障を抱えて投げられるような球じゃない。本当に演技だったのか......)」

 

 一旦打席を外した友沢(ともざわ)は、雑念を振り払って集中し直し、改めて打席に臨む。二球目は、対角線上へ食い込んでくるクロスファイアーで三塁線へファウルを打たせ、猛田(たけだ)の時と同様に理想的な形で追い込んだ。

 

「くっ!」

「ナイスボール! バッター、タイミング合ってないよ!」

 

 腰を下ろし、友沢(ともざわ)を見てから変化球のサインを出す。そのサインに瑠菜(るな)は、首を振った。更にもう一度首を振って、投球モーションに入る。選んだのは、三球勝負。一球前よりも若干甘いコースから沈む低回転ストレート。

 

『サードへの強い当たり! しかしこれは真正面、サードからファーストへ渡ってスリーアウトチェンジ! 結果としてこの回も、三人で終わらせましたー!』

 

 ベンチへ戻った瑠菜(るな)に、あおいが訊ねる。

 

「大丈夫だったの?」

「ええ、一時的にビーンと来たけど。当たったのは、グラブの土手の部分だから直撃はしていないわ。バウンドで落ちた勢いに合わせ損ねたのよ......」

 

 少し悔しそうに言う瑠菜(るな)鳴海(なるみ)は、打席の準備をしながら笑う。

 

瑠菜(るな)ちゃん、反射神経良いから。挽回するために一芝居打とうって発想は驚いたけどね」

鳴海(なるみ)

「あ、はい、何ですか?」

 

 手招きした、東亜(トーア)の下へ。

 

「セカンドを狙い打ちしろ。気落ちしている今が、沈めるチャンスだ」

「――はい!」

 

 力強く頷いた鳴海(なるみ)は、スポーツドリンクをひとくち飲んで、グラウンドへ出ていく。久遠(くおん)の投球練習が終わり、バッターボックスに立った鳴海(なるみ)は、初球のストレートを振り抜いた。

 

「セカンド!」

「――しまった......!」

 

 若干一歩目が遅れ、グラブの先で弾いてしまった。記録は、ヒット。続く矢部(やべ)は、きっちり送りバントを決める。

 

『ボール、フォアボール! 浪風(なみかぜ)、フルカウントからフォアボールを選びました。これでワンナウトランナー二塁一塁!』

 

 ここで、守木(まもりぎ)が動く。

 回の頭からブルペンで肩を作っていた、山口(やまぐち)の名がコールされた。

 

『帝王実業守木(まもりぎ)監督は、このタフな場面を彼に託します! エース山口(やまぐち)(けん)の登板です!』

 

「すみません、こんな形で......」

「いや、よく投げた。あとは任せろ」

 

 肩に手を乗せ、労いの言葉をかける。

 

「......お願いします!」

 

 頭を下げた久遠(くおん)は、急ぎ足でベンチへ戻る。

 

山口(やまぐち)くん――」

蛇島(へびしま)、言い訳は聞かない、プレーで示せ。出来ないと言うのであれば、これ以上、帝王の名を汚すマネはするな」

「――ッ!?」

 

 気圧された蛇島(へびしま)は、何も言い返せずポジションへ戻った。マウンドと、肩の感触を確かめながら投球練習を行う。ネクストバッターの藤堂(とうどう)が、左バッターボックスに立つ。

 

山口(やまぐち)、ランナーを警戒して足を上げた。注目の初球は、ストレート! 146キロを計測しました!』

 

 深く被った帽子のつばに軽く触れ、鋭い眼光を藤堂(とうどう)に向ける。

 

 ――もう、これ以上の点はやらない。



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New game9 ~スタイル~

対帝王実業戦完結の予定でしたが、もう一話ほど伸びます。


『あーっと、これは完全に振り遅れたー! 山口(やまぐち)、ストレート二球で藤堂(とうどう)を追い込みます!』

 

 勝負を急がず、いったんプレートを外してロジンバッグを弾ませ、手に付いた余分な滑り止めに息を吹きかけて払う。通常であれば、勢いのまま勝負にいってもいい場面。しかし山口(やまぐち)は、あえて一度間を取ることで球場内の空気と、帝王ナインに冷静さを取り戻させる時間を作った。

 そして、改めてセットポジションに着き、サイン交換を行う。鳴海(なるみ)芽衣香(めいか)をしっかり目で牽制し、すっと足をあげた。三球目は、緩いカーブを内側に外してカウントを整える。

 

山口(やまぐち)、モーション入った。ツーストライク・ワンボール、投手有利のカウントからの勝負球は――ストレート!』

 

 アウトコースのストレートを、バットの先端で辛うじてカットした藤堂(とうどう)は、大きく息を吐いた。

 

「(......このコースを当ててくるか。確か、一年生。なるほど、久遠(くおん)が手こずったワケも頷ける)」

 

 新しいボールを受け取ると、今度はすぐにセットに着いた。まるで急かされるような感じで、藤堂(とうどう)は打席で構える。サイン交換も素早く、テンポを速めて息つく暇を与えない。五球目もストレート、一球前より低いボール球に手を出させた。

 

『低目のボールで詰まらせ、注文通りの内野ゴロ! 前に出た友沢(ともざわ)から蛇島(へびしま)へ渡り、セカンドフォースアウト! ファーストは......間一髪セーフ! 詰まったことが逆に幸い、俊足藤堂(とうどう)の足が勝り、どうにか併殺は免れましたー!』

 

「......完全に呑まれちゃったわね。これが、エースの存在、エースの役割......」

「お前も、勝負というものが解ってきたみたいだな。勝負とは、いかに相手の力を封じ込めるかだ。相手にペースを握られ後手に回ると、為す術がない。しかし、早仕掛けはリスクを伴う」

「重要なのは押すのか、それとも引くのか、駆け引きのバランス感覚。相手の力量を計れる確かな洞察力と判断力。そして、勝利へ導くための戦略、戦術、創造力」

理香(りか)。お前、采配するか?」

「えっ?」

山口(やまぐち)が登板している限り俺は、一切の采配をしない。お前は、別だ。そこまで理解出来ているのなら、ある程度やれるだろ」

「ハァ、遠慮しておくわ。この試合は、あの子たちが自分たちの意志を示す大事な闘いだから......!」

「フッ、そうか」

 

 東亜(トーア)理香(りか)は、同じタイミングでグラウンドに目を戻す。セカンドで封殺された芽衣香(めいか)と言葉を交わしていた瑠菜(るな)がちょうど、打席に入ったところ。入れ替わりでベンチへ戻ってきた芽衣香(めいか)に、打席と守備のしている葛城(かつらぎ)が訊ねる。

 

浪風(なみかぜ)、どうだった?」

「ダメ。フォークを投げてくれなかったのが痛いわ」

「つーと、十六夜(いざよい)が引き出してくれるのを期待するしかないか......」

 

 芽衣香(めいか)の話しを聞いてアゴに手を持っていった葛城(かつらぎ)は難しい顔をして、グラウンドを見つめる。他のナインたちも集中して、グラウンドを注視している。

 

「話しの内容からして、フォークを投げさせることが目的みたいだけど。いったい、何をするつもりなのかしら?」

「潰すんだろ」

 

 そう言っていたじゃないか、と平然と言ってのける東亜(トーア)

 

「まあ、何を為すのか。結果を楽しみにしておけばいい」

「わたしは、あなたみたいに楽観出来ない立場なのよ。医療に携わる者としてね」

「硬いヤツだな」

 

 そう言うと東亜(トーア)は、澄まし顔で小さく笑みを浮かべた。

 

『ツーアウトながらもランナー三塁一塁。恋恋高校、毎回のように得点のチャンスを作ります。この回途中から登板した山口(やまぐち)、踏ん張ることが出来るか?』

 

「(藤堂(とうどう)くんには、フォークを一球も見せずにストレート中心で抑えた。雰囲気に呑まれたのもあるけど、どうにせよ私は、絶対に投げさせてみせるわ......!)」

 

 瑠菜(るな)は強い決意を持って、打席に入る。

 

「(......この女子は、あの猪狩(いかり)からタイムリーヒットを打っている。油断できない相手だ)」

 

 セットに入った山口(やまぐち)は、一度ファーストランナーの藤堂(とうどう)を見るも、先ほどのように神経は注がない。アウトカウントがツーアウトのため、ランナーの存在を無視して瑠菜(るな)との勝負に専念。初球は慎重に、ボールから入る。その後は、藤堂(とうどう)への投球と同様にストレートを中心とした配球で、瑠菜(るな)を追い込む。

 

十六夜(いざよい)、粘ります! 緩いカーブも、そして、速いストレートにも食らいつきます!』

 

「ふぅ......」

「(なかなか、しぶとい。明らかにフォークを待っている。次で六球目、前の打者と合わせて十球......ならば――)」

 

 自らサインを送った山口(やまぐち)は、モーションを起こした。

 

「(――真ん中、失投? いえ、違う、これは......!)」

 

『空振り三振ーッ! 失投と思われたボールは、十六夜(いざよい)のバットを避けるように急降下! フィンガーズの河中(かわなか)に勝るとも劣らないと評される、高校球界最高のフォークボール! 見事な火消し、ピンチの芽を摘み取りましたーッ!』

 

「(......今のが、山口(やまぐち)のフォーク。予想通り......予測以上の変化だった......)」

 

 ズレた帽子を被り直し、涼しげな顔でベンチへ戻ってきた山口(やまぐち)を、守木(まもりぎ)が一番に出迎える。

 

山口(やまぐち)、見事なピッチングだ!」

「ありがとうございます」

「して、肩はどうだ......?」

「若干粘られましたが、問題ありません」

「そうか。猛田(たけだ)

「はいッス」

 

 先頭バッターの猛田(たけだ)を呼び付けた守木(まもりぎ)は、マウンドで投球練習をしている瑠菜(るな)を見て言った。

 

「皆も聞け。あの投手の攻略法を授ける」

 

 

           * * *

 

 

 五回裏帝王実業の攻撃は、五番猛田(たけだ)から下位へと向かっていく打順。バッターボックスに入った猛田(たけだ)は、打ち気満々の表情で構える。

 

『いよいよ、試合は中盤戦。三点を追う状況の帝王実業は、きっかけを掴みたいところ。対する恋恋高校はチャンスを逃した後の守備、きっちりと抑えたい場面です。さあ、アンパイアの手が上がりました!』

 

 サインを済ませ、瑠菜(るな)はモーションに入る。初球は、打ち気な猛田(たけだ)を見てファウルを誘う、外へ逃げるシュート。

 

猛田(たけだ)、初球打ち! ライト前ヒット!』

 

「オッシャーッ!」

「オッケー、ナイスバッティング! よし!」

 

 一塁キャンバスで大きくガッツポーズ。この勢いに、後続も続く。六番は、内角のストレートを引っ張り、一二塁間を破るライト前ヒット。

 

『連打! 連打です! 五番六番の連打でチャンスを作りました! 正に“ピンチの後にチャンスあり”、帝王打線が十六夜(いざよい)に襲いかかりますッ!』

 

「すみません、タイムをお願いします!」

「うむ、タイム!」

 

 タイムを要求した鳴海(なるみ)は、マウンドへ走る。

 グラブで口元を隠しながら、二人は対応を話し合う。

 

「相手は、かなり強引に来てるけど。ペースに合わせたらダメだからね。もっとストライクゾーンを広く使って、丁寧に攻めていこう」

「ええ、判ったわ」

 

 鳴海(なるみ)がポジションへ戻る間に、瑠菜(るな)は胸に手を当てて、深くゆっくり深呼吸をして心を落ち着かせる。

 

「(悔しいけど私の球威じゃあ、真っ向から完全に抑えるのは難しい。多少の失点を覚悟して挑むしかない......)」

 

 目を開けた瑠菜(るな)は、まっすぐ相手と向き合う。

 腰を下ろした鳴海(なるみ)の目に映るのは、猛田(たけだ)と六番と同じく、前の打席とはまったく違うスタンスの七番バッター。

 

「(まさか、ここまで露骨に変えてくるだなんて。コーチの言っていたのは、このことだったんだ。だけど、抑える方法を見つけないと......)」

 

 七番への初球――外角低目ボール球のストレート。

 

「ファールッ!」

 

『これは切れてファウル、打ち直しです! しかし、強い当たりでした。今まで十六夜(いざよい)に抑えられていた帝王実業、ここへ来て本来の実力を発揮しています!』

 

 二球目も、丁寧にコースをつく。が、しかし――。

 

「レフト! 追いつけるぞー!」

 

 マスクを投げ捨て、レフトの真田(さなだ)へ指示を出す。

 ライト方向から吹く浜風に流された打球を、フェンスの手前ウォーニングトラック内でギリギリ掴み取る。やっとの思いでアウトをひとつ取るも、ランナーは二人揃って進塁、ピンチは広がった。八番は打席に入る前に、サインを確認。監督の守木(まもりぎ)からは、スクイズなどのサインはいっさい無し、今の流れのまま強攻策に出た。

 

『またしても、初球打ち! 十六夜(いざよい)が差し出したグラブの横を抜け、打球はセンター前......いや、ショート奥居(おくい)が追いついた! アンダーハンドでファーストへスロー、見事なグラブ捌きで、二つ目のアウトを取りました! しかし、送球の間にサードランナーはホームイン。帝王実業一点を返し、ツーアウトながらもランナー三塁、ラストバッターの山口(やまぐち)がバッターボックスに立ちます!』

 

 じっくりと足場を整え、右打席で構える。

 

「(あのショートにしてやられたが、山口(やまぐち)は本来上位を打てるバッター。同じようにはいかぬぞ?)」

 

 守木(まもりぎ)の思惑は的中する。一球ストレートを見逃した後のカーブの落ち際を上手く拾って、センター前へ弾き返した。サードランナーが生還、点差を一点まで縮めた。

 

「あっという間に一点差......瑠菜(るな)っ!」

「あの、コーチ。どうして瑠菜(るな)は、急に打ち込まれ出してしまったのですか?」

 

 手を止めたはるかは、東亜(トーア)に事の真相を訊ねる。

 

「簡単な理由だ。今までは、キレイに打とうとしていた。まあ、名門のプライドってヤツだ。しかしこの回の頭から、そのくだらないプライドを捨てた。スマートからワイルドへシフトチェンジしたのさ」

 

 今まではバッターボックスの後ろに立って、手元で変化するボールに対応していたところを、逆にバッターボックスの前に立ち。多少のボール球であろうが、変化しきる前に強引に打ち砕くスタイルにモデルチェンジを行った。

 

瑠菜(るな)の投げるボールは、お世辞にも速いとは言えない。コーナーをつくコントロールと、緩急を使って勝負するタイプ。ストレートだろうが、変化球であろうが、曲がりっぱなを前で捌くスタイルに変えた。そもそも後ろに立っているのは、速いストレートに対応するための策。取り立てて速くはないのだから、変化が大きくなる後ろで対応する必要はない」

「なるほど。ですが、ボール球を打つ悪球打ちは、フォームを崩す原因になるのではないのですか?」

 

 関願戦後に行われたフォーム修正のことを、はるかは疑問に思う。

 

「当然ある、が幸いにもまだ初戦。次戦まで時間はある。フォーム修正は充分に可能と踏んだんだろう」

「そこまで計算尽く。さすがは甲子園の常連の名将。手立ては?」

「ある、と言うか体験しているだろ。あとは度胸の問題だ」

「体験している......そうか、そう言うこと。指示は......山口(やまぐち)くんが登板している限りしないんだったわね」

「お前がしてやればいいだろ? さっきも言ったが、お前に制限はない」

「止めておく、意味がなくなるもの。あの子たちは、自分たちで解決策を見出せる。わたしは、信じているわ」

 

 打順は先頭に戻り、猫神(ねこがみ)にこの試合三度目の打席が回る。

 

「(この二失点と引き換えに得たもの、ストレートも変化球も、ボール球だろうと構わず強引に打ってくる。なら、狙い通り打たせてやればいい。ただし、これを見せたあとに......!)」

 

 鳴海(なるみ)から出されたサインに、瑠菜(るな)は一瞬大きく目を見開いたが頷いてセット入った。山口(やまぐち)を目で牽制し、猫神(ねこがみ)へ初球を投げる。

 

「(――インハイ! ボール気味だけど、ぜんぜん打てる......って!?)」

 

 振りにいった猫神(ねこがみ)だったが、インハイからさらに内側へ食い込んできたシュートに対し、途中で振るのを止めて仰け反るように腰を引く。

 

『おーっと、これは危ない! 制球力の高い十六夜(いざよい)にしては珍しく、身体の近くを通過しました、すっぽ抜けでしょうかー?』

 

 二球目も同じように内角を抉るシュートで、きっちり腰を引かせる。そして、カウントツーボールからの三球目は、外角のストレート。

 

『ツーボールから打ちに行きましたが、これは当てただけのバッティング。サード葛城(かつらぎ)から一塁へ送球、アウト! 十六夜(いざよい)、この回二点を失いましたが踏ん張りましたー!』

 

 五回の攻防が終わり、グラウンド整備が行われる。

 プロテクターを外し終えた鳴海(なるみ)は、ベンチに座って一息つく。

 

「二点は取られたが、リードは保った。及第点だ。原因は解ったな」

「あ、はい。瑠菜(るな)ちゃんの制球力を逆手に取られました。次からは、織り交ぜて組み立てます」

「その前に攻撃だ。そっちの方も、何かしらあるんだろ?」

「――はい。前の攻撃で少しだけ見えてきました。早い回でけりをつけます......!」

 

 そのはっきりした言葉に、東亜(トーア)は、どこか満足そうに小さく笑った。



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New game10 ~解答~

 五回終了後のグラウンド整備が済み、帝王実業ナインがグラウンドに出てきた。内野と外野に分かれてキャッチボールを行い。そして、最後に姿を現したバッテリーが、ゆっくりと投球練習を始めた。

 

「(......追いつき追い越せなかったことは、誤算。よもや、あの回の中で対策を講じてくるとは。しかし――)」

 

 投球練習を見守っていた守木(まもりぎ)は、恋恋高校のベンチから山口(やまぐち)の投球練習を注視している、恋恋ナインへ視線を移した。

 

「(ブラッシュボールを要求するキャッチャーも、きっちり投げきるピッチャーも肝が据わっている。おそらくもう、同じ戦法は通用しない。キャッチャーがミットを動かさないほどの制球力を持っているのだから当てはしないだろうが、狙われたという事実は残る。むしろ、狙って投げてくるとなれば厄介この上ない。新たな攻略法を見つけ出さねばならぬ、早急に――)」

 

 ――山口(やまぐち)の肩が、限界を迎えてしまう前に。

 数え切れないほどの試合経験を踏まえ、新しい攻略法を見出すべく、保ちうる知略の全てを巡らせる守木(まもりぎ)をよそに、恋恋ナインは山口(やまぐち)の欠点を見つけ出すことだけを考えていた。

 

「あの、大きく上げる足が邪魔なんだよなー」

 

 先頭バッターの真田(さなだ)は、ネクストバッターズサークルへは行かずに、他のナインたちと意見を交わす。彼のあとを打つ葛城(かつらぎ)が、同意。

 

「だね。どうしても気が取られる。セットの時は、小さくなっていたけど。ワインドアップになると、本来のダイナミックさが際立つ。アーム式特有の遠心力を最大限活用して投げ下ろす、速球とフォークのコンビネーション」

「そもそもあれってさ、不正投球に当たらないのか? なーんか、途中で一瞬モーションが止まってるように見えるんだけど」

「完全停止しているって訳じゃないから。大きく左足を蹴り上げるから、身体のバランスを保つのに少し腕が遅れてくるってだけで。それがまた、絶妙なタメになってる。タイミングを合わせ辛い要因だよ」

「まあ、結局のところ実際対峙してみて掴むしかねーか。とりあえず、泥臭く粘ってくるか......!」

 

 名前をアナウンスされた真田(さなだ)は、ヘルメットを被ってバッターボックスへと向かう。彼のあとに続いて、奥居(おくい)鳴海(なるみ)も、ベンチを出た。奥居(おくい)は一塁、鳴海(なるみ)は三塁のコーチスボックスに着き、軽く身をかがめて山口(やまぐち)を注視。

 

「(なんだ、これは......三番とキャッチャーが、ベースコーチに......? またしても奇策を打ってくるか......!)」

 

 二人の姿を見た守木(まもりぎ)は、犬河(いぬかわ)と二年生の控えピッチャーを、ブルペンへ送り込む。

 

「二人とも、ブルペンへ入れ。いつでも行けるよう準備しておくのだ」

「はい、判りました。行くぞ、犬河(いぬかわ)!」

「は、はい!」

 

 二人がブルペンへ向かったのと時を同じくして、試合再開のコール。

 ワインドアップのモーションから左足を豪快に蹴り上げ、寄りかかるように軸足に全体重を充分に乗せ、タメた反動を最大限利用し、猫神(ねこがみ)が構えるミット目がけて豪快に投げ込んだ。

 

猫神(ねこがみ)のミットが、重そうな音を響かせます! ワンストライク!』

 

 外角低目のストレートで、見逃しのストライクを奪う。

 

「(......やべー、ぜんぜんタイミング掴めねぇぞ? なんて弱音を吐いてても、何も始まらないっての! とにかく振る!)」

 

 決意を新たに気合いを入れ直す真田(さなだ)。しかし山口(やまぐち)は、別のことに気を取られていた。気になったことを確かめるため、もう一度同じコースへストレートを投げ込む。

 

「ファールッ!」

「くそっ!」

 

 タイミングが合わず、振り遅れのファウル。

 

「(......振ってこられたか。確かめたかったが、仕方ない)」

 

 新しいボールを受け取り、軽く足場を整えてからプレートを踏む。三球目は、タイミングを外すカーブを選択。猫神(ねこがみ)の構えたミットから、やや内側に外れた。

 

『ボールです! 膝下のカーブに、バットが出かかりましたが、ここは何とか堪えました。ツーストライク・ワンボール!』

 

 一度首を振り、四球目を投げる。初球、二球目と同じ外角のストレートを選択。真田(さなだ)は辛うじてカットし、ファウルに逃げる。

 

「(......付いてくるか。前回の攻撃といい、しぶといバッターが揃っている。いくか――)」

 

 五球目――フォークボール。瑠菜(るな)へ投げたコースよりも低目のフォークに、真田(さなだ)のバットは空を切る。

 

「き、消えた......!?」

 

『空振り! が、しかし、キャッチャーは後ろへ逸らしているぅーッ!』

 

「あっ!?」

「おっ、ラッキー!」

 

 狙い通り空振りを奪ったフォークは、ホームプレートに当たり大きく弾んで、猫神(ねこがみ)のミットを弾いてバックネットへ転がる。

 

「くっそー! ファースト!」

「ダメだ、投げんなーッ!」

 

 ファーストは、両手でバツを作って送球を止めた。俊足の真田(さなだ)、一塁へ到達。空振りを奪われるも、結果的に先頭バッターが塁に出た。

 

「すみません......」

「いや、今のは仕方がない。それよりも聞きたいことがある」

 

 マウンドへ来た猫神(ねこがみ)を気づかいながら山口(やまぐち)は一瞬、ベンチの久遠(くおん)を見て聞いた。

 

「外角のストライクゾーンのことだ。本当に狭かったのか?」

 

 猫神(ねこがみ)は、少し言いづらそうな表情(かお)をして正直に答える。

 

「えっと......正直オレは、あまり狭いとは思いませんでした。ただ、初回にストライクゾーンでボールを一球も受けられなかったので......」

 

 東亜(トーア)が初回に出した“ストライクゾーンは見逃さずに打て”の指示が、猫神(ねこがみ)の判断を鈍らせた。久遠(くおん)と言い争いになった際、しっかり意見を伝え切れなかった理由がこれ。

 

「そうか、判った。おそらく、相手は盗塁を仕掛けてくるだろうが気にしなくていい」

 

 自分のフォームの特性上、二盗を刺すことは難しいと判断し、バッターとの勝負に専念することを伝える。頷いた猫神(ねこがみ)はポジションに戻り、真田(さなだ)の防具を受け取った奥居(おくい)は、一塁塁審にベースコーチの交代を告げて戻る道中、葛城(かつらぎ)と言葉を交わしていた。

 

山口(やまぐち)が、ベンチの久遠(ピッチャー)を見た」

「バレたかな?」

「たぶんな。確かめに来るぞ」

「ああ、判ってるよ」

 

 ベンチに戻った奥居(おくい)は、急いで打席の支度を整え、ネクストバッターズで備える。奥居(おくい)の代わりに今度は、甲斐(かい)がコーチスボックスに立った。

 

「(今度は、四番がコーチャーに......いったい、何を企んでおるのだ? あの男は――)」

 

 当然のことながら、采配をしないと宣言している東亜(トーア)は、いっさい噛んでいない。これは、ナインたちが全て独断で行っていること。しかし守木(まもりぎ)が、その真実に辿り着くことは不可能。何故なら、セオリーを無視した奇襲・奇策を仕掛けてくる相手だと思い込んでしまっているため、決して辿り着けない。

 

「走るか?」

 

 甲斐(かい)に問いかけに、真田(さなだ)は両膝に軽く手を添えて答える。

 

「カウント次第だな。とりあえずは、見極めに専念する」

「そうか。ならオレは、上半身を重点的に見る。お前は、下半身を頼む」

「了解。この回で仕留めるつもりで行くぞ......!」

「ああ、そのつもりだ。長引きさせるつもりなど毛頭ない」

 

 二人は、サードコーチャーの鳴海(なるみ)と頷き合って意思の疎通を図る。葛城(かつらぎ)がバッターボックスに入ると、真田(さなだ)は大胆にリードを取った。

 

「(この走者は、地区予選で盗塁成功率10割を誇る盗塁のスペシャリストだ。防ぐことは、容易ではないだろう。カウントを悪くするのは悪手。ストライク先行で組み立てるぞ)」

「(はい!)」

 

 それでも警戒を怠らず、モーションに入る。初球はなんと、フォークボールから入った。甘いと思ったところから落ちる変化球を空振る。

 

「(......初っぱなからフォークか。振り逃げやられているのに、なんて強気なヤツだ)」

 

 ベースへ戻った真田(さなだ)は声を潜めて、甲斐(かい)と言葉を交わす。

 

「どうだった?」

「やはりモーションは小さくなる。ワインドアップと比べると球威も格段に落ちるな。そっちは?」

「......見つけた」

「本当か!?」

「ああ。ただ、まだ確証が持てない。お前も一緒に確かめてくれ。あと、鳴海(なるみ)葛城(かつらぎ)にもな」

「判った」

 

 甲斐(かい)はさり気なく右足に触れて、二人にサインを送った。二人は、そのサインに「了解」と、ヘルメットのツバに軽く触れる。

 

「(むっ......リードの歩幅が小さくなった。次は、ストレートと読んだか? ならば望み通り、ストレートでカウントを稼がしてもらうぞ)」

 

 山口(やまぐち)の二球目、外角低目のストレート。

 

『ストライク! 際どいコースへズバッと決まりました! 葛城(かつらぎ)、手が出ません! たったの二球で追い込みます!』

 

「(フッ、やはりな。これではっきりした。あの球審は、決して贔屓などしていない。アウトコースをしっかり取ってくれる球審だ。おそらく、蛇島(へびしま)は彼らに利用されただけだ。恐ろしいチーム......しかし、これで攻勢へ転じられる)」

 

 今の一球で確信を得たのは、マウンドの山口(やまぐち)だけではなかった。鳴海(なるみ)たちも、気づいてしまった。山口(やまぐち)の致命的欠点を――。

 

山口(やまぐち)猫神(ねこがみ)とサイン交換を行いセットに入った。ファーストランナーを警戒しつつ、足を上げる!』

 

「(......フォークだ!)」

 

 葛城(かつらぎ)は、プレート上に来たフォークに手を出しかかるも見送る。猫神(ねこがみ)はスイングを主張、球審は一塁塁審にジャッジを委ねた。塁審のジャッジは、ノースイング。カウントはワンボール・ツーストライクへ移行。

 一度プレートを外し、間を空けてからの山口(やまぐち)の四球目、モーションに入るのとほぼ同時にファーストランナー真田(さなだ)が、スタートを切った。投球は、外角へボールひとつ分外したストレート。

 

葛城(かつらぎ)、ボール球を逆方向へ押っ付けた! 打球は、一・二塁間の真ん中!』

 

 セカンドベースカバーへ向かった蛇島(へびしま)は、急遽方向転換、斜め後ろに打球を追いながらグラブを付けた左腕を思い切り伸ばし、飛びついた。

 

「くっ......!」

 

 黒土と芝生のちょうどつなぎ目の辺りで捕球し、素早く体制を整えるも......。

 

蛇島(へびしま)、追いつきましたが投げられません! オールセーフ! しかし、ガッツ溢れる見事な横っ跳びでした!』

 

 土埃を払う蛇島(へびしま)からボールを受け取った山口(やまぐち)は、グラブを向けて軽く頷いた。その行為に蛇島(へびしま)は、若干の戸惑いの表情(かお)を見せる。

 

「(......なんだ? 今のはいったい、どういう意味だ?)」

 

『しかし、試練は続きます。バッターは奥居(おくい)、ここまで三打数一安打。前の二打席は凡退しましたが、どちらも外野の奥まで運ぶビッグな当たりでした! このチャンスの場面、当然狙ってくるでしょー!』

 

「(――三番。コイツが、このチーム最強の打者。強と巧の資質を持ち合わせる天が二物を与えたバッターだ。最初から全開で行くぞ......!)」

 

 気合いを入れて挑んだ、奥居(おくい)への初球――。

 

『走ったーッ! なんと、初球ダブルスチール!』

 

 真田(さなだ)葛城(かつらぎ)は、山口(やまぐち)のモーションを完全に盗み、初球から仕掛けた。投球は、フォークボール。ベースの手前でワンバウンド、猫神(ねこがみ)は身体で止めるだけ精一杯で送球することさえ出来なかった。

 今の一球で山口(やまぐち)は、全てを察した。ベンチがタイムをかけるよりも先に、自ら内野陣をマウンドへ集める。

 

「このバッターは、敬遠する」

「塁を埋めて、あえて四番と勝負するんですか?」

 

「ああ......」と、友沢(ともざわ)の疑問に頷いた。

 

「おそらく、球種を読まれている」

「えっ!?」

 

 猫神(ねこがみ)たちだけではなく、友沢(ともざわ)蛇島(へびしま)たちも驚きを隠せない。何せたったの二イニング、正確には八番の藤堂(とうどう)から打席の奥居(おくい)までたったの五人の打者を相手にしただけで球種を盗まれるなど、思いもよらないイレギュラーな事態。

 

「まさか、サインの伝達行為を?」

「いや、フォームの欠点を見破られたんだろう」

「欠点?」

 

 マサカリ投法の欠点。

 大きく蹴り上げる足に目を奪われがちになるが、タメが長い故に、体重を乗せる軸足の膝裏から球種の握りが露呈してしまうという欠点が存在する。

 

久遠(くおん)、ブルペンの準備は進んでいるな?」

 

 ワンテンポ遅れて伝令に来た久遠(くおん)に、山口(やまぐち)は問いかけた。

 

「は、はい。満塁策も視野に入れろとのことです」

 

 帝王実業のブルペンでは、犬河(いぬかわ)と二年生投手が、急ピッチで肩を作っている。時間をめいっぱい使って、各々ポジションへ戻って行く。

 

「(この回もう、既に十球。敬遠を入れると、十三球......か。しかし――)」

 

 座った状態で二球、外のボール球を続けてスリーボール。

 

「(次の攻撃は、クリーンナップに回る。ここをゼロで乗り切れば、充分にチャンスはある......)」

 

 四球目もきっちり外して、奥居(おくい)を空いている一塁へ歩かせた。

 

『ここは奥居(おくい)を歩かせ、四番甲斐(かい)との勝負を選択しましたー! この選択、吉と出るか? それとも凶と出るか? 注目してまいりましょーッ!』

 

「やっぱり、歩かせたわね」

「当然だろう」

 

 内野の守備は鉄壁。打球を押し戻す“浜風”の影響で、左打者の引っ張りの長打は難しい。故障を抱えているとはいえ山口(やまぐち)のストレートは、久遠(くおん)よりも格上、流し打ちではレフトの定位置がいいところ。何より、狙われても空振りを奪えるフォークとのコンビネーションがある。

 打席に入った甲斐(かい)は、さり気なくグラウンドを右から左へ見渡す。

 

「(内野はゲッツーシフト、ライトは定位置より少し前のポジショニング。低目を打たせて、内野ゴロ狙いか)」

 

 その読み通り、帝王バッテリーは低目へのピッチングで内野ゴロを狙いにいく。初球は、内角低目のストレートでストライクを取り。二球目からはフォークを多投し、1-2と投手有利のカウントを作った。

 

「(......なぜだ、なぜ、ここまでする?)」

 

 セカンドから、山口(やまぐち)の後ろ姿を見つめる蛇島(へびしま)

 

「(肩に故障を抱えているクセに、負担のかかるフォークの連投するなどと......)」

 

 低目を意識させたところで、高目の釣り球。甲斐(かい)は狙いを悟られないため、この釣り球を打ちにいった。しかし捉え損ねてしまい。三塁側へ上がった打球を、友沢(ともざわ)とサードが必死に追いかける。

 

「くそっ!」

「任せてください!」

 

 フェンス際、果敢にスライディングキャッチを試みた友沢(ともざわ)だったが、あと一歩届かずファウルグラウンドでボールは弾んだ。グラブで地面を叩き、悔しそうに唇を噛みしめる。

 

「(友沢(ともざわ)......お前には、来年があるじゃないか。それなのになぜ、そうも必死なんだ? なぜ......)」

 

 額の汗をユニフォームの袖で拭い、帽子を被り直し、セットポジションに着いた山口(やまぐち)は、サインに首を振って勝負球を投げる。

 

「――ッ!?」

 

『低目のフォークを捉えたー! 引っ張った打球は、ピッチャーの横を抜け、ライナーで二遊間を破り――いや、捕ったー! 蛇島(へびしま)、超ファインプレーッ!』

 

 火の出るような当たりを掴み取った蛇島(へびしま)は、倒れ込んだまま動かない。友沢(ともざわ)は、なかなか立ち上がらない蛇島(へびしま)を心配して駆けよる。

 

「(......なんだ、今のは? 身体が勝手に動いた。そうか、そうだったのか。ボクはただ、上手くなりたかったんだ。誰よりも上手くなりたい、その一心で......。それなのに、いつしか――)」

蛇島(へびしま)先輩――」

「なんでもない、大丈夫だ。それよりも、あとアウトふたつ、しっかり取って攻撃へ繋げるぞ。山口(やまぐち)、もうひと踏ん張りだ!」

「ああ......!」

 

 どこか嬉しそうに口角を上げた山口(やまぐち)。彼とは対照的に、あと一歩のところで阻まれた甲斐(かい)は、申し訳なさそうな表情(かお)を見せる。

 

「すまない、仕留め損ねた。後手に回ると、大胆にやられるぞ」

「......オッケー。終わらせてくるよ――」

 

 落ち着いた声で言った鳴海(なるみ)は目を閉じて、ゆっくり静かに深呼吸して、バッターボックスへ。

 

『ノーアウト・フルベースからワンナウト・フルベースに変わり、打席には五番鳴海(なるみ)! エース山口(やまぐち)、踏ん張れるか? それとも、頼れるキャプテンが、打ち崩すのかーッ!?』

 

 鳴海(なるみ)への初球は――。

 

「(――ストレート。これじゃない......!)」

 

『アウトローへズバッと決まった! 147キロ! ピンチでギアを一段上げてきましたッ!』

 

 タイムを要求していったん、打席を離れる。

 

「(ここを乗り越えられたら、息を吹き返し兼ねない。だから今、確実に潰さなきゃならないんだ――)」

 

 大きく息を吐いて、バットを握り直してから、打席に戻った。二球目のフォーク、三球目のストレート、球種が読めていることも相まって、際どいコースを見極めた。

 

「(――山口(やまぐち)先輩!)」

「(山口(やまぐち)......!)」

「(ゼロに抑え、そして無事に戻って来い。キサマの力投、決して無駄にはせぬ......!)」

 

 一度サインに首を振って、山口(やまぐち)はモーションに入る。帝王実業の願いを一身に背負い、打者有利のカウントからの四球目、バッテリーが選択したのは――フォークボール。

 

 ――渡久地(とくち)コーチ。これが、俺の......。

 

 やや内より膝下へ落ちる完璧なフォークボールを狙い澄まし、迷い無く振り抜いた。完璧に捉えた打球は、浜風の逆風などものともせず、青空を切り裂いて飛んでいく。

 打球の行方を見届けながら心の中で、東亜(トーア)に問われたことに答える。

 

 ――俺たち全員で出した、答えです。

 

 鳴海(なるみ)の放った打球は、歓声が沸き起こるライトスタンドの応援団の中へ飛び込んだ。

 

 

           * * *

 

 

 バックネットの前には、恋恋高校ナインが整列。

 甲子園に、恋恋高校の校歌が流れる。

 

「あの子たちが出した答えは、満足のいく解答だった?」

「フッ......」

 

 いつも通り澄まし顔で、小さく笑みを浮かべる東亜(トーア)

 

「試合前俺は、ふたつの道に例えた」

 

 ひとつは、奥に光りが見えるが、足の踏み場が無いほどに棘が張り巡らされた道。

 ふたつは、等間隔に灯る松明(たいまつ)だけが頼りの、足下も見えない暗い道。

 

「傷を負うか、恐怖の中を進むか。道は、ふたつ。しかし、アイツらは――」

 

 ナインたちに視線を向ける。

 

「壊してしまうかも知れないと云う恐怖、リスクを覚悟した上で暗い道に入り、情報(たいまつ)を持って引き返した。そして、その松明で、光りが見える道に張り巡らされたイバラを焼き払ったのさ。山口(やまぐち)が壊れる前に、試合を潰してしまえばいい。自ら新しい道を切り開いた」

「じゃあ、試験は――」

「ああ」

 

 校歌が流れる中、理香(りか)に背を向け、ダッグアウトへ下がっていく。

 

 ――俺の役目も、終わりの時がやって来たってことさ。

 




P.S.
蛇島(へびしま)の改心は、名将甲子園の帝王実業学校で見られます。新鮮だったので、シナリオに組み込みました。

※野球規則5.03では、プロは指定の二人までと定められていますが、高校野球等アマチュアには交代制限はありません。
※マサカリ投法の本家・村田さんは、その欠点を逆手に取り、ストレートからフォーク、フォークからストレートへとテイクバック時に握り変え、相手に的を絞らせない工夫をしていたそうです。






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対聖タチバナ学園戦
New game11 ~改革~


お待たせしました。
少し時間に余裕が出来たので、予定より早めの再開になりました。また、よろしくお願いします。


『内角を抉る速球で詰まらせた、サードゴロ! サード葛城(かつらぎ)からファースト甲斐(かい)へ渡って、ゲームセット! 恋恋高校二回戦突破、先発早川(はやかわ)藤村(ふじむら)、そして最後は、クローザー近衛(このえ)が三人で締めて勝利を収めました!』

 

 甲子園に二度目の校歌が流れ、アルプススタンドの応援団へ挨拶をして、ベンチ裏へ引き上げた。試合後恒例のインタビューを受け、大勢のファンが出待ちをする中バスに乗り込み、宿舎へ帰る。

 

「初戦と比べると、やっぱり落ち着いて試合に臨めていたわね」

「そんな大ごとでもないだろ、やる前から勝負は決まっていた。完全に相手の自滅だ」

「それこそ、初戦の帝王実業を相手にインパクトを与えて勝ったからでしょ。当初の狙い通り」

 

 試合中継を観ながら昼食を食べるナインたちに、東亜(トーア)は目を向けた。

 

「次の試合は、四日後か」

「ええ。相手は今、試合をしているどちらか。前評判通りに行けば、神楽坂大附属になるんだろうけど――」

 

 テレビから大きな歓声が上がった。ナインたちは箸を止めて、食い入るように中継を観ている。

 

「おおっ! 神楽坂(かぐらざか)相手に先制点奪った!」

「スゴいね! 今大会五本の指に入るって評判の左腕相手だよっ」

「膠着状態が続いていた試合中盤、相手のミスからの先制点。これは大きいわ」

「このまま逃げ切れるかな?」

「雑誌によると、エース神楽坂(かぐらざか)を中心に堅守で接戦をモノにしてきたチームみたいだから。もしかしたらもしかするかもね」

「そっか、頑張って欲しいなー」

 

 神楽坂大附属ではなく、相手側の聖タチバナ学園を応援するナインたち。その理由は、恋恋高校と同じく、女子部員がチームの中心として活躍しているため。おのずと肩入れしている。

 

『最後は、アウトコースへズバッと決まり見逃し三振でゲームセット! 初出場の聖タチバナ学園ベスト16進出、次戦は同じく初出場の恋恋高校との一戦です! どちらも、今大会から出場が認められた女子選手が活躍しているチーム同士の対戦。私、今から、胸の高鳴りが抑えきれませンッ!』

 

「女子中心の無名校が、神楽坂大学附属を破った。結局あの一点で勝敗が決まったわね」

 

 無言でテレビを消した東亜(トーア)に、少し不思議そうな顔で理香(りか)は訊ねる。

 

「どうしたの?」

「少々面倒な方が勝ち残った」

「と言うことは、神楽坂大附属の方がやりやすかったってことなのね」

神楽坂(かぐらざか)には、脆い弱点があった。勝敗を分けた失点はミスじゃない。その弱点をついた攻撃だった」

「弱点?」

 

 理香(りか)は、タブレット端末を立ち上げて失点したシーンの動画を再生。どちらも決定機を欠き膠着状態で進んだ六回聖タチバナの攻撃、粘ってフォアボールで出塁した先頭ランナーを、手堅く送りバントでスコアリングポジションへ進め、続くバッターの何の変哲もない打球を神楽坂(かぐらざか)が弾いてしまい、逆をつかれたセカンドがカバーする間にホームを落とし入れ、先制点を奪った。

 

「左利きの神楽坂(かぐらざか)には投球の後、サード方向へ身体が流れるクセがあった。バッターは、流れた身体の逆の軸足を狙い打ったのさ。アウトカウントはワンナウト、二回勝負出来る中できっちり決めた」

「この一打を打ったのも、躊躇せずホームへ帰ってきたのも、女の子......。監督(ベンチ)が指示したような様子は見受けられないわ。と言うより、監督は顧問の先生みたいね」

「つまり、状況を冷静に分析して判断することが出来る能力を持つヤツが居て、それを遂行出来るだけの能力を持つチームって訳だ。投手の方も、クセの強い変則揃いと来てる」

 

 動画を、守備のシーンへと切り替える。

 

「先発は、エースナンバーを付ける二年生、(たちばな)みずきさん。一度背中を見せるような独特な左のサイドスロー。二番手は、佐奈(さな)あゆみさん。深く沈み込む左のアンダースロー。そして試合を締めくくったのは、クロスステップして投げる左サイドスローの夢城(ゆめしろ)優花(ゆうか)さん。順番は違うけど、初戦もこの三人が、きっちり三イニングづつ務めて守り勝った。コントロール抜群の変則サウスポーの三本柱......確かに、厄介な相手ね」

「それだけじゃねーんだな」

「攻撃面は、それ程でもなさそうだけど?」

「そうじゃねーよ。問題があるのは――」

 

 ――恋恋(ウチ)の連中の方だ。

 

 

           * * *

 

 

 翌日、ナインたちは買い出しを兼ねて、観光へ出かけた。

 ナビゲーションアプリを頼りに辿り着いた、大勢の人々で賑わう大阪の繁華街を案内で見てまわる。

 

「ほむらおすすめのたこ焼き、うまっ! さすが食い倒れの街よねー。値段も良心的だし」

「立ち食いは、はしたないですよ? みなさんが居るベンチへ行きましょう」

「はいはい。だけど、変わった話しよね?」

 

 はるかに促された芽衣香(めいか)は、先に座っていた瑠菜(るな)の隣に座って、出掛ける前に東亜(トーア)に言われて疑問に思ったことを話しだした。

 

「大阪には美味しいものが沢山あるからお腹いっぱい食べてこい、だなんて。初戦の時は、遊んで気分転換してこいだったのに。それに、お小遣いもくれたし」

「それも、コーチのポケットマネーからね。豚まん、食べる?」

「食べる食べるーっ。はい、たこ焼き」

「ありがとう」

 

 他のナインたちも、二人のように観光を楽しんでいた頃、宿舎では理香(りか)が、東亜(トーア)に頼まれていたことの報告をしていた。

 

「予想通り、みんな、体重が落ちていたわ。特に顕著なのが――」

 

 理香(りか)は、テーブルに置かれた名簿の芽衣香(めいか)の名前を指差した。

 

「だろうな。今朝は少し戻ったが、昨日の昼食、夕食も、あまり箸が進んでいなかった。当然といえば当然だが、この酷暑の中出ずっぱりで疲労が溜まっている。食欲の減退と比例して、体力は落ちる。そもそも、女子の大会参加が認められていなかった理由付けのひとつに体調という側面がある」

「女性特有の事情もあるしね。身体を酷使すると将来影響を及ぼすことだってあり得るわ」

「まあ、それは建前で、本当のところはもっと単純な理由だ。何か問題が起きた時、責任を負いたくないからさ。難しい選択を迫られ、どちらを選んでも批難されるとしたら、比較的デメリットが少なくすむ方を選ぶだろ」

「......天秤勘定、ね」

「実際、瑠菜(るな)蛇島(へびしま)の打球を受けた時、大会運営側は冷や汗ものだったろうさ。観光ついでに食わせるように仕向けたが、チェックはお前に任せる。知られるのを嫌がるヤツもいるだろう」

 

「ああ......これも、理由のひとつか」と、やや面倒そうに言ってタバコに火をつけた。

 

 三回戦を前日に控えた恋恋高校は、指定された市営球場のグラウンドで、聖タチバナ学園戦へ向けて調整を行っていた。恋恋高校のファンや、取材記者たちが練習を見学する中、ベンチに座ってグラウンドを眺めつつ東亜(トーア)は、隣ではるかと一緒にナインのデータをまとめている理香(りか)に訊ねる。

 

「どうだ?」

「今朝の計測時点で、マイナス500グラム。結局、芽衣香(めいか)さんだけ戻りきらなかったわ」

「練習後には、1キロ前後といったところか」

「見た感じ、動きは悪くなさそうだけど。準々決勝は、三回戦から中ゼロ日で連戦......どうするの?」

 

 部員が少ないひとりひとりに気を配れる利点がある反面、酷暑が続く中行われる大会は日程が消化されていくにつれ詰まっていく、ベンチ入り可能な登録メンバーは最大18人、恋恋高校の登録メンバーは16人と、選手層の薄さは非常に重いアドバンテージ。

 

「どうするも何も休ませるしかない。どうせ、どこかで休ませなけばいけなかったんだ。ちょうどいい機会と割り切るまでさ。明日のスタメンは、香月(こうづき)で行く」

「そう。先発投手は?」

「フッ、あそこらにたむろってるマスコミ連中の期待を裏切る起用になるだろうな」

「ああ~、そう、当初の予定通り行くのね。見に来ているファンも一緒に落胆しそうだけど」

「知らねぇーよ。高校野球は、興行(プロ)じゃねーんだからな」

 

 我関せずと笑う東亜(トーア)のスマホに、ある人物からメッセージが届いた。

 その後、前日練習は滞りなく終わり、夕食後にミーティングを行い。時計の針が22時過ぎた頃、東亜(トーア)は宿舎付近のバーを訪れていた。

 

「来たか。ここだ」

「よう、久しぶりだな!」

 

 そこには二人の人物が、東亜(トーア)の到着を待っていた。リカオンズで共に戦った元チームメイトの、児島(こじま)出口(いでぐち)の二人。彼ら対面する形でソファーに座り、用件を訊く。

 

「それで?」

「特に、これといった理由はないんだ。バガブーズ戦で大阪に来から、久しぶりに飲めればと思っただけだ」

「あっそ。まあ、構わねぇけど」

 

 飲み物と軽いつまみを注文し、三人でテーブルを囲む。

 

「次勝てば、ベスト8か。こうなると、いよいよ現実味を帯びて来るな。優勝の二文字が」

児島(こじま)さんは、甲子園で優勝したんでしたね」

「ああ、最後の夏にな......。もう、二十年以上も前のことだが、あの時の何とも形容し難い感動は、今でも鮮明に覚えているよ」

「アンタが出場した頃と今とでは比にならないだろ」

児島(こじま)さんの時代は、連戦に連戦の超過密スケジュール、準決勝と決勝前の間に休養日もなかったですしね。早く負けて欲しいと願ってたスカウトまで居た、なんて噂も流れていましたし」

「ははっ、そうだな。だが、いつまでも色あせない想い出であることに変わりはないさ......」

 

 グイッと一気に飲み干して、空になったグラスをテーブルに置いた。

 

「終われば解るさ。何ごとにも代え難い特別な時間だったとな」

「フッ、他人のことを考えている余裕があるのか? お前たちはお前たちで、面倒ごとを抱えてるだろう」

「なんだ、知っていたのか......」

「あれだけ報道されてりゃ嫌でも耳に入る。と言うより、記者連中がこぞって話しを聞いてくるからな。いい迷惑だ」

 

 大会期間中にも関わらず、球界を去った東亜(トーア)にまで取材に来るほどの出来事が今、プロ野球界で勃発していた。

 それは――神戸ブルーマーズが去年まで数年間に渡り行われていた盗聴・サイン盗み及び伝達行為が告発された。

 

「シーズン中ということもあって、プロ野球機構は事実関係を調査中と回答を控えているが。おそらく、ブルーマーズの親会社は運営件を剥奪されることになる。球団は消滅、或いは他球団との合併は免れないだろう」

「せっかく、球団消滅の危機にあったリカオンズは市民球団として再スタート、1リーグ制問題も解決して、健全な方へ向かってたのによぉ......」

「どうせ、田辺(たなべ)がリークしたんだろ」

 

 球界を仕切る首領・田辺(たなべ)常行(つねゆき)

 リカオンズが優勝したことで当初の計画は頓挫、面子も潰れたがに思えたが、逆に開き直り、東亜(トーア)が球界を去ったことをいいことに再度1リーグ化を目論んだ。しかし、1リーグ化する大義が無いことを理由に猛反発した選手会に対し『たかが選手が』と暴言を吐いたことが問題となり、表向きには失脚したが、新たに就任したガラリアンズ現オーナーを裏で操っている形。

 

「ああ......やはり、諦めていなかったようだ」

「くくく、どこまでも往生際の悪いジイさんだな。おとなしく隠居して、余生を過ごしてりゃいいってのに」

「笑いごとじゃねーぞ! このままじゃ今度こそ、本当に思い通りになっちまう!」

「だから、俺には関係ねぇーって言ってるだろ。自分たちで何とかしろよ。お前らの勝負場だろうが」

「うぐっ、そう言われてもよ......」

「新規参入にしても、簡単に認めないだろう。渡久地(とくち)の時と同じように、な」

「ハァ、つくづく頭が硬いな。もっと柔軟に考えろよ」

 

 頭を抱えて項垂れていた出口(いでぐち)、眉間に皺を寄せて腕を組んでいた児島(こじま)は、二人揃って同じタイミングで顔を上げた。

 

「要するにだ。田辺(たなべ)が口を出せないほどの大企業が手を挙げれば、必然的に他のオーナー連中も文句を言えないってことだろ。黒字経営球団であるリカオンズのオーナー及川(おいかわ)以外の全員が今も、田辺(たなべ)の“イヌ”に成り下がっているんだからな」

「......そうか、その手があったか!」

「だけど、どうやって......」

「プロ野球の、いや、日本のスポーツ界最大のスポンサーであるパワフルテレビに協力を求めるんだ。パワフルテレビを通じ、選手会の総意として、腐敗している球界の抜本的改革を、日本中のファンに、企業へ向けて訴えかける! ファンが賛同してくれることを、名乗りを上げてくれる企業があることを信じて......!」

「フッ、忠告しておくが生半可な道じゃないぞ。少なくとも、実際に不正に関わっていたブルーマーズの主力連中が、シーズン中に自ら不正内容を告白し、全面的に非を認め、それ相応の責任を取らなければ決して解決しない問題だ。それこそ、不正行為を知らぬまま、ブルーマーズの監督を務めている球界の至宝天童(てんどう)の首を差し出すくらいの覚悟を見せる必要がある」

 

 東亜(トーア)の忠告に、児島(こじま)は臆することはなかった。

 

「必ず成し遂げてみせるさ。日本のプロ野球の未来のために、これから殴り込んでくる、お前の教え子たちのためにもな......!」

 

 これが、現役選手として最後の使命であることを確信した児島(こじま)は、問題解決へ向けて断固たる決意を固めた。



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New game12 ~名は体を~

お待たせしました。
今回は、聖タチバナの話しが中心で短めになっています。



 三回戦前夜、聖タチバナ学園宿舎の一室。

 サウスポー三本柱のひとり、夢城(ゆめしろ)優花(ゆうか)は、全体ミーティングが終わったあとも恋恋高校の戦力分析を行っていた。片手にタブレット端末、テーブルには束になった資料とノートパソコンが置かれ、地区予選と甲子園の試合動画が同時に映し出されている。

 

「姉さん、何か収穫はありましたか?」

 

 優花(ゆうか)のひとつ下の妹和花(のどか)が、二人分の飲み物を持って部屋に入ってきた。

 

「予選とは、まったく別のチームになっているわ。刹那の判断力と決断力が格段に上がっている。本大会までの短期間で、いったいどんな方法で身につけたのかしら?」

 

 飲み物をテーブルの隅において隣に座った和花(のどか)は、優花(ゆうか)がまとめた資料の一部を手に取った。

 

「やはり、この方の......渡久地(とくち)監督の手腕なのでしょうか?」

「影響は間違いなく受けているでしょうね。相手の不意を突く奇襲、浮き足だったところを決して逃さない勝負眼。初戦の帝王実業で見せた、油断してオーバーリードした蛇島(へびしま)を刺した絶妙な牽制なんて――」

『なんですってー!?』

 

 廊下から響く大声に話しを遮られた優花(ゆうか)は、小さくタメ息をついた。いったん、話しは中断。和花(のどか)は澄まし顔のまま席を立ち、部屋を出ていく。

 廊下では、湯上がりの二人の女子が大きな声で言い争いをしていた。

 ひとりは、二年生でエースナンバーを付ける(たちばな)みずき。もうひとりは、彼女を含めた投手陣をリードする捕手、六道(ろくどう)(ひじり)

 

「プリンの方が、いいにきまってるって!」

「きんつばが至高だ。だいたい、みずきはプリンばかり食べ過ぎだぞ。最近、足が太くなったんじゃないか?」

「な!? あ、あんただって人のこと言えないっしょ! この、きんつばオバケ! お腹周りがたるんできたんじゃないの!」

「なーっ!?」

「お二人とも、騒がしいですよ」

 

 部屋を出た和花(のどか)は、廊下で言い争っている女子二人の元へ向かう。

 

「あっ、和花(のどか)、ちょうどいいところに!」

「うむ。きんつばとプリン、どちらがお風呂上がりの甘味に相応しいか......」

「どちらでも同じです、就寝前の間食は太りますよ。それより、お話があります」

 

 無慈悲かつ的確な一言で不毛な言い争いに終止符を打った和花(のどか)は、二人を部屋に招き入れる。

 

「姉さん、連れてきました。新島(にいじま)先輩は、明日に備えて既にお休みになられたそうです」

「そう、ご苦労さま」

優花(ゆうか)先輩、なんですかー?」

「私たちに、何か用事か?」

「恋恋高校戦についての話しよ。明日の一番手は、私が行くわ」

「ちょっと待ったーっ」

 

 恋恋高校との試合を一番楽しみにしているみずきは、優花(ゆうか)の発案に異議を唱えた。

 

「先発投手は、私と優花(ゆうか)先輩、佐奈(さな)先輩の三人で話し合って決めるって約束でしょっ?」

佐奈(さな)からは、了解を得ているわ」

 

 優花(ゆうか)のスマホには、今ここに居ない三本柱最後のひとり、佐奈(さな)あゆみから一言「了解でぇす」と書かれたメッセージが表示されていた。

 

「むぅ~......理由はっ?」

 

 納得していないみずきに、帝王実業戦で鳴海(なるみ)山口(やまぐち)から満塁ホームランを打ったシーンを見せながら理由を説明する。

 

「わざわざ打ちやすいストレートを捨てて、決め球のフォークボールを打った。結果はアウトだったけど、前の四番が打ったのもフォークボール。この二人は明らかに、山口(やまぐち)の決め球、ストライクからボールになるフォークボールを狙っていた。そして、エースの決め球を打ち砕くことで勝負を決めたのよ」

「帝王実業の守木(まもりぎ)監督は、絶対的エースがホームランを打たれ、点差も大きく広がったことで試合を諦めた。あの一打を受けて、秋以降へ向けたチーム作りへとシフトチェンジしたんですね」

「ええ、その通りよ」

 

 あの時、山口(やまぐち)が満塁ホームランを打たれた時、まさかという想いと戸惑いの中、守木(まもりぎ)の心の片隅には若干ほっとしていた感情が存在していた。山口(やまぐち)に肩が壊れずに済んだこと、決め球であるフォークボールを捉えられたことで降板の理由付けが出来たことに......。

 満塁ホームランを受け、腹をくくることが出来た守木(まもりぎ)は、ベンチ入りメンバー全員を使い、しっかりと下級生たちに経験を積ませた。春にまた、甲子園へ戻ってきて、今度は優勝を目指して戦えるように、と。

 

「ふーん、で。それと、優花(ゆうか)先輩が先発になる理由と何の関係あるんですかー?」

 

 じとーっと疑念の目を向けるみずきのことを気にする素振りなど微塵も見せず、手元の資料を手に取った優花(ゆうか)は、眉をひそめて難しい表情を見せる。

 

「相手は、調べても調べても力量の底が知れない。二回戦なんて酷いものよ、一方的過ぎて何も得るものは無かった。私は、勝つための情報を得るための捨て石になれる。みずき、あなたに出来る? 出来るのなら、先発は任せるわ」

「......わかりましたー、優花(ゆうか)先輩にお願いしますっ」

「最初から素直にそう言えばいいのよ」

 

 テーブルの上に拡げられた資料を片付ける優花(ゆうか)を横目に見て、みずきは(ひじり)に小声で話しかける。

 

優花(ゆうか)先輩って、名前と違って優しくないわよね?」

和花(のどか)も、あまり和かじゃないぞ」

「聞こえているわよ」

「聞こえてます」

 

 優花(ゆうか)和花(のどか)という名前とは正反対に「吹雪姫」と「氷結姫」と呼ばれている夢城(ゆめしろ)姉妹は、冷静な分析能力や判断力だけではなく、耳の方も良かった。

 

 

           * * *

 

 

『さて、本日お届けするゲームは、恋恋高校対聖タチバナ学園! 両校共に、今大会から出場が認められた女子部員が活躍するチーム同士の対戦! この新たな歴史を見届けようと、この対戦を待ち望んだ大勢のファンが朝早くから詰めかけ満員御礼です!』

 

 恋恋高校対聖タチバナ学園の一戦。後攻の恋恋高校のブルペンに入っているのは、帝王実業戦でリリーフ登板した一年生片倉(かたくら)。受けるキャッチャーは、鳴海(なるみ)。今日は打順をひとつ下げて、六番に入っている。

 

「あっれー? 先発一年の男子じゃん。早川(はやかわ)さんでも、十六夜(いざよい)さんでもないじゃん」

「油断しない。あの投手は、育成に切り替えたとはいえ、名門・帝王実業を相手に三回一失点に抑えた実績を残しているわ」

「データでは、回を追うごとに尻上がりに調子を上げていくタイプですね。ストレートの最速は140キロ、通常のカーブに加えて、縦のカーブを持ち球に勝負する右の本格派です。いかに早い回で得点を積み重ねられるかが、勝敗を別けることになるでしょう」

「オーダーも変えてきているぞ。セカンドがピッチャーと同じ一年生の、控えの女子が入っている」

「ベンチでの振る舞いを見る限り、レギュラーの欠場は、故障の類いではなさそうね。おそらく、勝てば連戦になる準々決勝へ向けての休養といったところかしら」

「なにそれ、私たちことは、最初から眼中に無いってことっ? ムカつく~!」

「いちいち目くじらを立てない。後悔させてあげればいいだけのことよ。さあ、行くわよ」

 

 両校の選手たちは、バックネット前に整列し、挨拶を交わす。

 先発投手片倉(かたくら)の投球練習が終わり、聖タチバナ学園の一番バッターがバッターボックスに入って、球審のコール。

 

「プレイボール!」

 

 ベスト8を賭けた戦いが今、始まりを告げた――。




※シナリオの都合上。
優花(ゆうか)新島(にいじま)佐奈(さな)は三年。
みずき、(ひじり)和花(のどか)は二年になります。


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New game13 ~風穴~

「さーて、どんな戦い方をしてくるのかね?」

「データでは、初戦も、二回戦も、ランナーを出したらワンナウトでも送ってくる手堅い戦術だけど」

「ふーん」

 

 ――同じ戦術で来てくれるなら楽なんだけどな。と、ベンチに座った東亜(トーア)は足を組み直す。

 

「(一番バッターは、右打者だけど足のあるバッター......矢部(やべ)くんに近いタイプかな? 長打も警戒して、と)」

 

 じっくり、バッターを観察してからサインを出す。

 出されたサインに頷いた片倉(かたくら)の初球は、ストレート。

 

『おっと、バットを寝かせた! 初球、セーフティバント! しかし、これは三塁線へ切れました、ファウルです。ワンストライク』

 

「はい」

「どもっす」

 

 戻って来たバッターは、バットを拾ってくれた鳴海(なるみ)に礼を言って打席に入ると、今度は最初からバントの構えを取った。

 

「(初球セーフティバントの次は、バントか。初っぱなから揺さぶって来るな。バスターからのヒッティング、八嶋(やしま)の時みたいなセーフティも頭に入れておかないと。だけど、気にし過ぎなくていいからね)」

 

 鳴海(なるみ)は、サードからファーストへ右手の人差し指で扇を描くように動かし、両手を地面へ向けるジェスチャーで「落ちついて、普段通り対処しよう」と合図を送り、改めて二球目のサインを出す。

 

片倉(かたくら)の二球目――外角のストレート! バッター、バットを引いてヒッティング!』

 

 ボール球の力のあるストレートで、振り遅れのファウルを打たせ、三球目、緩急の効いたカーブを引っかけさせた。ショート奥居(おくい)への平凡なゴロに打ち取る。

 

「ぜんぜんダメじゃん。動揺させるどころか、いいようにやられちゃってるし」

「想定内です。むしろ、空振りしなかったことは想定以上の成果を出してくれました。では私は、ネクストバッターですので」

 

 肘当てなどを防具を付けて、ネクストバッターズサークルへ向かう和花(のどか)。みずきは、後ろの席を振り返る。

 

佐奈(さな)先輩は......って、居ないし!」

佐奈(さな)なら、メイク直してくるって言ってベンチ裏行ったぞー」

「ったくもう、あの人は~っ!」

「どうした? みずき」

「また、ずいぶんと荒れているわね」

 

 試合開始直後からブルペンに入って、軽くキャッチボールをして肩慣らしをしていた(ひじり)優花(ゆうか)は、不機嫌そうに眉をつり上げている理由を訊く。

 

「ああ、なるほど。いつものね」

「うむ」

 

 納得した様子でベンチに座って、タオルで軽く額の汗を拭う二人。

 

「言っても時間のムダよ。あの子は、入部した頃から変わらないもの。せっかくいい才能(モノ)を持っているのにもったいないわ」

「私も、優花(ゆうか)先輩の意見に同意だ。もっと真面目に練習に取り組めば、スゴいピッチャーになると思うぞ」

「ホント、マイペースな人よね。振り回される身にもなって欲しいわっ」

「それは、同感ね」

「うむ」

 

「お前たちが、それを言うか......?」と、普段この三人を含めた、個性的で自己主張の強い女子たちに振り回されているチームメイトたちは、心の中でツッコミを入れた。

 

『またしても、セーフティバント! 二球続けてセーフティバント。先頭バッターに続き、二番バッター新島(にいじま)早紀(さき)も、執ようにバッテリーに揺さぶりをかけます!』

 

 一球、外角へ外したボール球で反応を見る。寝かせたバットを引き、ボール球に手が出かかったが、これは見逃してボール。

 

「(バットの引きが早かった割りには、結構なボール球に反応してきた。選球眼は、あまり良くないのか。それとも、小細工が苦手なのかな? だけど、当てる技術はある。粘られるのも面倒だし、次で仕留めるよ)」

「(はい......!)」

 

 サインに力強く頷いた片倉(かたくら)は、ワインドアップから四球目を投げる。高めの力のあるストレートに、中途半端に手を出した。鳴海(なるみ)はすかさず、球審にアピール。

 

「スイング!」

 

 球審は、三塁塁審へジャッジを委ねた。三塁塁審は、グーを作った右手を挙げる。

 

新島(にいじま)は、ハーフスイングをとられました! 空振り三振ツーアウト! そして今の一球、バックスクリーンのスピードガンは140km/hを計測。片倉(かたくら)、甲子園初先発のマウンドで自己最速タイをマークしましたー!』

 

 片倉(かたくら)の元チームメイトで、地区予選準々決勝の相手、関願高校の伊達(だて)は、同じシニア出身の同学年の選手と自主練の休憩の合間に、ネット中継で試合を観戦していた。

 

片倉(かたくら)のヤツ、また140キロだってさ。ずいぶんと差をつけられたなー」

「フン、関係ない。勝負は、来年の夏だ。休憩終了、練習に戻るぞ」

「へいへい。全試合チェックするくらい気にしてるくせに......」

「......なんだ?」

「なんでもねーよ。で、何をするんだ?」

「ストレートのレベルアップ。球速と球威を教化しつつ自在にコントロールすることが出来れば、ピッチングの幅は広がる」

「やっぱり意識してるじゃん」

「うるさい、さっさと走るぞ」

「えっ、俺も?」

「当たり前だ。ピッチングは速筋と遅筋のバランスが重要だからな。無酸素運動の筋トレだけでは補いきれない」

「俺、キャッチャーなんだけど?」

「恋恋の捕手を見習って、少し絞れ。将来膝を壊しても知らんぞ」

 

「俺は別に、プロ目指してる訳じゃないんだけどなぁ......」と漏らしながらも、伊達(だて)の練習に付き合うお人好しだった。

 舞台は甲子園に戻り、三振に終わった新島(にいじま)は、三番の和花(のどか)に、打席で対峙した印象を伝えた。

 

「あの投手のストレート、思った以上に手元で来るぞ。特に高めは力がある。カットするつもりが当たらなかった」

「変化球と制球力はいかがですか?」

「縦のカーブは甘いコースからでも結構大きく変化するな。セーフティを狙うなら、内に入ってくる横のカーブを狙う方がベストなのかもしれん。私たち、左打者にとっては」

「そうですか、解りました。ご苦労さまです」

 

 情報を貰い、入れ替わりで打席に入った和花(のどか)も先の二人と同様、早々にバントの構えで揺さぶりをかける。初球は、バットを引いて見逃しのストライク。続く二球目、通常の構えから外角へ甘く入ったカーブに上手く合わせた。

 

『ヒット! 夢城(ゆめしろ)和花(のどか)、変化球を逆らわずにレフト前へ運びました! 聖タチバナ学園、ツーアウトから先制のランナーが塁に出ました!』

 

 鳴海(なるみ)は、プレートを外させて、いったん間を取らせた。

 

「(くぅ、やられた。ボール球で良かったけど、ちょっと甘く入ったなー。さすが、あの神楽坂(かぐらざか)から粘ってフォアボールをもぎ取ったバッター、失投は見逃してくれないか。まあ、合わせるだけのバッティングをしてくれてる間は問題ないけど)」

 

 バッターボックスに入る前に素振りをする四番に目をやり、ネクストバッターズサークルで準備をしている(ひじり)に一瞬目を向けてから再び、四番へ視線を戻す。ベンチの優花(ゆうか)からサインを受け取り、右打席に立った四番も同様にバントの構えをとった。

 

「(四番もバスターか、徹底してるな。試合後のインタビューでは『四番じゃなくて、四番目を打つバッター』って自分で答えてたし。バントもするし、右打ちも出来る繋ぎタイプ四番って言っていたけど。地区大会の成績は、打率三割越えでホームランも二本打ってる。女子の活躍に目が行きがちだけど、実力は本物。当然だ、運だけ勝ち上がれるほど甲子園は甘くない......!)」

 

 みずきは、今出されたサインについて、優花(ゆうか)に訊く。

 

「もっと大事に行った方がいいんじゃないですかー? せっかく、和花(のどか)が出塁したのに」

「だからこそよ。相手の土俵で戦っているうちは、絶対に主導権は奪えない。向こうは、もっと先を見据えて戦っている。私たちに勝機があるとすれば、その隙を突き、風穴を作って突破口を開く他ないわ。ある程度の出費は覚悟の上よ」

「赤字決済にならなければいいですけどねー」

「そのために、私が投げるのよ。じゃあ、肩を作るわ」

 

 優花(ゆうか)は控え捕手を連れて、ブルペンへ向かう。マウンドの片倉(かたくら)は、ファーストランナー和花(のどか)を目で牽制をしつつ、足を上げた。

 

『ランナースタート! バッテリー外した、バッターは空振り、これは読んでいた! ベースカバーに入った奥居(おくい)、滑り込んで来る夢城(ゆめしろ)和花(のどか)の足に余裕を持ってタッチ、アウト! 初球から果敢に攻めましたが、ここはバッテリーの勝ち。見事にエンドランを阻止して、スリーアウトチェンジです!』

 

 ランナーを許すも結果的に初回を三人で片付け、攻守交代。

 両チーム共に急いで準備を始める。

 

「積極的な攻撃といえば聞こえはいいけど、ちょっと強引じゃないかしら?」

「まあ、今までの相手とは違うってことを印象付けたかったんだろうさ。アイツらの表情(かお)を見る限りな」

 

 実質的に采配を振るう優花(ゆうか)だけではなく、他のナインたちにも和花(のどか)の盗塁失敗にダメージを受けた様子はなく、急いで守備の準備を進めている。

 

「つまり、この盗塁失敗は想定内。セーフティバント、バスター、盗塁、エンドラン、初回からいろいろ仕掛け来るわね」

「解っているヤツが居るのさ、勝負ってヤツを。面白いじゃねーか。勢いや、まぐれで勝ち上がって来た訳じゃない」

「ここまで勝ち上がって来たのには、ちゃんとした理由があるのね」

「こういった相手と勝負するのは初めてだろ。お前は、どう対処する?」

「そうね......」

 

 理香(りか)は目をつむって、相手の思惑を思案し答えを導き出す。

 

「正攻法。あえて、相手が得意とする土俵で勝負するわ。それも徹底的に」

「なら、それで行くか」

 

 小さく笑みを見せた東亜(トーア)は、ナインたちを集めて理香(りか)が提案した戦術を伝える。

 

 ――さて、どう反応してくるか見物だな。



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New game14 ~収穫~

お待たせしました。


 一回裏恋恋高校の攻撃、先頭バッターの真田(さなだ)は足下を慣らしながら、さり気なく内野の守備位置を確認する。

 

「(サードの女子は、定位置よりも少し深めのポジショニング。セーフティを狙うにはもってこいだけど、作戦は正攻法。小細工はなし、じっくり行くか......!)」

 

『今、アンパイアの手が上がりました。一回裏恋恋高校の攻撃! 守るタチバナ学園の先発は、夢城(ゆめしろ)姉妹の姉、夢城(ゆめしろ)優花(ゆうか)。冷静沈着な彼女も甲子園では初先発のマウンド、どのような立ち上がりとなるか注目してまいりましょー!』

 

「(和花(のどか)は、定位置より下がらせた。あなたたちは、こういった隙を見逃さない。三塁側へセーフティを狙いやすい外角のボールで――)」

 

 優花(ゆうか)がモーションに入ると同時に、深めにポジションを取ってた和花(のどか)は、セーフティバントを見越して定位置まで戻る。しかし真田(さなだ)は、おあつらえ向きのボールに反応することなく見送った。

 

『初球は、アウトコースのストレート、やや外れました。ボールワン』

 

「(......簡単に見送られた。ボールだったからかしら? なら次は、きっちり入れるわよ)」

 

 二球目、初球よりもボールひとつ分内側へ入れたストレートは、(ひじり)が構えるミットへ向かって寸分も狂いもなく向かっていく。このストレートを振り抜き、一塁側へファウルを打った真田(さなだ)は打席を外してバットを握り直し、バッティングのイメージを固める。

 

「(結構引きつけたつもりだったけど、想像以上に来ない。出所が少し違うけど、ウチの藤村(ふじむら)と近い感じだ。球速が無い分、しっかり捉えないとまともに前へ飛ばせない。夢城(ゆめしろ)姉の持ち球は、ストレート、スライダー、チェンジアップ。それと、スクリューボール。神楽坂の連中は、スクリューを打ちあぐねていた。カウント・ワンエンドワン。さすがに三球続けてストレートは無い。外ならスライダー、内ならスクリューかチェンジアップを狙ってセンターを中心に、と)」

 

 優花(ゆうか)和花(のどか)を定位置へ戻して、(ひじり)とサイン交換し、三球目を投げた。

 

「(――外。二球目と同じコースから......逃げるスライダー!)」

 

 読み通り、スライダーをきっちり見極めた。しかし――。

 

「......ストライク!」

 

 ワンテンポ遅れて、球審の右手が上がった。

 

「よし。ナイスピッチだぞ!」

 

 見極めたと想った真田(さなだ)は息を吐き、(ひじり)からボールを貰った優花(ゆうか)は表情を変えずにロジンバッグを手に取り、後ろを向いて間を取った。

 

「フッ、どうやら予定が狂っちまったならしいな」

「狂った?」

「今のスライダーは、あのピッチャーとしてはボールにしておきたかったのさ。まあ、そこまで意図を汲み取れってのは高校生には酷な要求だけどな」

「じゃあ、今のは......」

「際どかったがボールだった。しかし、あのキャッチャーが際どいところをキャッチングでストライクと判定させてしまったのさ」

 

 片倉(かたくら)と話しつつ、東亜(トーア)理香(りか)の会話を聞いていた鳴海(なるみ)が、二人の会話に加わる。

 

「もしかして、“フレーミング”ですか?」

 

 ――フレーミング。

 近年、捕手能力の指標のひとつとして重要視されているキャッチング技術こと。一般的に、ボールをストライクにさせる捕球技術と認知されていることが多い。

 

「ああ~、“ミットズラし”ことね」

「違うぞ!」

 

 元捕手の近衛(このえ)が、芽衣香(めいか)に抗議。

 

「ミットズラしってのは文字通り、捕球した後にミットをボールからストライクへ動かすことだ。けど、フレーミングは違う。フレーミングは、ミットを動かしながら捕球したところで止めるんだよ」

 

 うんうん、と、同じく捕手の新海(しんかい)も大きく頷いている。

 

「んー? 結局、ミットを動かしてるのは一緒でしょ?」

「違うっての、どういえば上手く伝わるかなー......」

 

 悩む近衛(このえ)に代わって、東亜(トーア)が野手の芽衣香(めいか)にも分かりやすい例を上げる。

 

「キャッチボール」

「キャッチボールですか?」

「キャッチボールの時、速いボールを捕球するとグラブを付けている腕はどうなる?」

「どうって、こう、グイッと押される感じ?」

「だろ。ピッチャーの投げるボールってのは、キャッチボールとは比べモノにならないほどの球威がある、ストレートでも、変化球でもな。捕球の時、ボールの球威でミットが押されるんだ」

 

 仮にストライクゾーンギリギリで捕球しても、ミットがボールゾーンへ流れてしまった場合、球審にボールと判定されてしまうことがある。そこで、重要視される技術がフレーミング。

 

「力負けして流れたミットを戻そうとするから、大きく動かしたように見える。それが、ミットズラしの正体。フレーミングってのは逆の発想。予めボールの軌道に先回りして、外から内へと力負けしないように捕球する。すると、自然とストライクゾーンに近く見えるって訳だ。待って捕るのではなく、迎えに行って捕るイメージだと思えばいい」

「うーん、何となく分かりました。とりあえず、球審を騙すためにやるんですね」

「人聞き悪いな、キャッチャーのテクニックって言ってくれよ......」

 

 悪意無く本質を言ってのける芽衣香(めいか)近衛(このえ)は項垂れて、東亜(トーア)は笑った。

 

「はははっ、あながち間違っちゃいねーだろ。そもそも、ストライク・ボールってのは捕球したコースで判定するものじゃない」

 

 ストライクゾーンは、バッターの体格に合わせたホームプレート上に浮かぶ五角柱。五角柱のどこか一部をかすめてさえいればストライク、外れればボール。

 

「しかし実際は、球審によって判定はマチマチ。外を広く取る球審もいれば、逆に狭い球審もいるし、試合中に突然ゾーンが変わる球審もいる。過去には、『気持ちが入っていないからボールだ』なんてことを言って、ど真ん中を“ボール”と判定した球審も居たそうだ。気分でゾーンを変えられたら、どっちの立場でもたまったもんじゃない」

「確かに。実際ウチは、やられたことあったしね」

 

 過去の体験を思い出してしみじみ言った理香(りか)に、ナインたちは頷いた。

 

「そうですね。ジャスミンとの練習試合で思い切りやられました。あの時は、アウトコースを取ってくれなくてホント苦労したよ......」

「おかげでボクは、マリンボールを実戦でたくさん使えたけどねっ」

「それが正解だ。事実俺は、コーナーを突く時ほど空振りでの三振を狙っていた」

「なるほど、誤審が起こらないようにしちゃえばいい。難易度は高いけど確実な方法ね」

「まあ、そんなところだ。さて」

 

 試合に目を戻す。試合は、ワンボール・ツーストライクのまま進んでいた。四球目は、一球前とほぼ同じコースのスライダーをカットしてファウル。そして次が、真田(さなだ)への五球目。

 

「(同じ球種を同じコースに二度続けて来た。次は、なんだ? まあ、追い込まれてるから何が来ても当てに行くしかないんだけど)」

「(三球目のスライダーがストライクになったのが痛かった。際どいコースは、カットされてしまう。もっとしっかり外しておくべきだったわね......)」

 

 優花(ゆうか)のストレートの最速は、110km/hジャスト。お世辞にも速いとは言えない。持ち球の中でもストレートの次に速いスライダーで追い込んでしまったことで、外角の出し入れの揺さぶりも難しい。四球目のスライダーも一球前より外からの変化だったため、しっかり見切られてのボール。

 

「((ひじり)のサインは......インコースのスクリュー。内側へ沈む変化球で内野ゴロを打たせたい訳ね、狙いは解るわ。でも、それじゃあダメなのよ。一番バッターは、チームの力量を計る基準になるバッター。もっと、引き出さないと――)」

 

 二度首を振り、三度目のサインに頷いて、ゆったりと足を上げる。

 

「(インコース――の、ストレート!)」

 

『良い当たりでしたが、これも切れて、ファウル! カウントは、ツーエンドツーのまま』

 

「(アウトローのスライダーを続けた後のインハイのストレートを迷い無く振り抜いた。左右上下の揺さぶりには、きっちり対応してくる。それなら、前後はどう?)」

「(また同じコース......ストレートか、イヤ、来ない! チェンジアップか!)」

 

 ストレートに近い軌道からタイミングを外す手元でブレーキの効いたチェンジアップに、身体が前に誘い出された。

 

「(――泳いだ。前後の緩急は苦手......えっ!?)」

 

『セカンドの頭上、ライト新島(にいじま)の前へ運びましたー! ノーアウトランナー一塁!』

 

 想定外のヒットを打たれた優花(ゆうか)は、視線を和花(のどか)に向け、二人は「今の、ちゃんと見たわね?」「はい。確かに見ました」とアイコンタクトで意志の疎通を行う。

 一塁ベースでは、コーチャーとして入っている六条(ろくじょう)が、真田(さなだ)から防具を預かっていた。

 

「ナイスバッティングです!」

「別にナイスじゃないって、少しタイミング外されたし。今までだったら、たぶん、良くて内野フライだったろうけど」

「じゃあ、あの特訓の賜物ですね」

「思い出したくねーなぁ。マジで心を折られたし......」

「あはは......ですね」

 

 二人して苦笑いを浮かべながら話す特訓とは、甲子園へ出発前。学校紹介のために恋恋高校を訪れた、パワフルテレビの取材クルーが撤収した後こと。

 一通りの練習を終え、帰り支度を始めようとした時だった。動きやすいトレーニングウェア姿の東亜(トーア)が、ナインたちをグラウンドに集めた。

 

「出発まで、あと五日か。準備は進んでいるか?」

 

 ナインたちは「はい!」と、声を合わせて返事。

 

「そうか。では出発前に、お前たちへ最後の課題を課す。最終課題は――俺との勝負」

 

 まさかの内容に、どよめきが起こった。

 しかし、東亜(トーア)は構わずに話しを続ける。

 

「内容は、今日を含め出発までの五日間、一日おきに一人につき三打席計九打席の勝負。個々で勝負するもよし、相談し対策を練るのもよし。分かりやすく、外野へ飛ばせば勝ちでいい。が、点を奪い取るつもりでかかってこい」

「あの、もし負けた場合は......?」

「なんだ? 勝負の前から“負け”を認めるのか?」

 

 恐る恐る手を上げて訊いた鳴海(なるみ)は、それ以上何も言えずに言い淀んでしまった。

 

理香(りか)

「大丈夫よ。記者さんたちは全員帰ったわ。反対側は、はるかさんが見張ってくれてる。何か動きがあれば、すぐに連絡をくれるわ」

「じゃあ始めるとするか。俺と、お前たちとの真剣勝負を――」

 

 甲子園を目指し繰り広げてきた激戦よりも、遥かに厳しい勝負。特に、最初の一打席目は、全員が三振に打ち取られるという散々な結果だった。

 

「あれは、本当にキツかったよね......。ボク、一打席目は一球も当てられなかった」

「くくく、緊張していることは目に見えていたからな。ぶっちゃけ打ち取るだけならど真ん中だけで充分可能だったが、それじゃああまりにも面白くない。だから、全員を三振に仕留めてやったのさ」

「うわぁ......」

 

 真実を告げられたあおいたちは、大袈裟に肩を落とした。

 

「だけど、みんなはまだ、マシな方だよ? 俺なんて、みんなが打席に立ってる時キャッチャーやってたけど、これでもかってくらいに捕り損ねたし。マシーンと、実際に投げるコーチのピッチングは全然比べものにならなかった」

「それはそうよ。いくら忠実にピッチングを再現したと言っても、マシーンには感情が存在しないんだもの。私たちの思考の裏を突いてくるわけじゃないわ」

「まあね。それでも、徐々にだけど捕れるようになった」

 

 噛みしめるようにグッと左手を握る。

 

「最後の最後、ノーバウンドで外野へ打ち返したのも鳴海(なるみ)くんだったもんね」

「どん詰まりのポップフライだったけどー。あたしは、もっと良い当たりだったし!」

芽衣香(めいか)のは、ゴロだったでしょ? それもセカンドへの」

「うっ......」

 

 あおいに痛いところ突かれ、わざとらしくよろけて見せる芽衣香(めいか)

 

「完全に、自分のポジションに打たされてたわね。私も、最後はピッチャーゴロだったから芽衣香(めいか)のことは言えないけど」

「うーん、インハイの低速高回転ストレートに上手く対応出来たと思ったんだけどなぁ~」

「なら、単純に打ち損じたんじゃないの?」

「そうかも、ちょっと詰まった感じだったから腕を畳みきれなかったのかな?」

 

 勝負を振り返る中理香(りか)は小声で、東亜(トーア)に真相を訊ねる。

 

「結局、最後は打たせてあげたの?」

「フッ、さーな。まあ、収穫はあったさ」

「収穫?」

 

 東亜(トーア)は軽く笑みを浮かべ、理香(りか)の質問の答えをはぐらかし。そして、はるかに次にサインを伝える。はるかから葛城(かつらぎ)へ送られた本物のサインは、送りバント。

 

「(――送りバント。了解です)」

「(了解ッス)」

 

 葛城(かつらぎ)真田(さなだ)は、ヘルメットを触って確認した旨を伝える。サインは、送りバント。それでも真田(さなだ)は、盗塁を仕掛ける時のように大きなのリードを取った。牽制をされても充分に戻れると判断してのリード幅。セットポジションからの投球に変わった優花(ゆうか)は、当然、真田(さなだ)の盗塁は警戒している。

 

「(このランナーの盗塁数は飛び抜けて多いわけではないけど、その盗塁成功率十割。甲子園でも一・二回戦合わせて、二つ決めてる。内ひとつは三盗。二番は、何でも器用にこなすタイプのくせ者。バントの構えをしているけど、単独スチール、バスターエンドラン、いろいろ想定しておかないといけない場面――)」

 

 セットポジションに着いた優花(ゆうか)は、あえてボールを長く持って、真田(さなだ)を焦らす。そして――。

 

「おっと!」

「セーフ!」

「(あぶねぇあぶねぇ。左投手には、この牽制もあるんだよなー)」

 

 左投手の一塁ランナーへの牽制方法は二種類。ひとつは、投球と同じモーションから上げた足を一塁側へ踏み出して投げる牽制。もうひとつは、軸足の左足を素早くプレートから外し、やや腕を下げたモーションで投げる牽制球。サイドスローの優花(ゆうか)は、どちらの牽制も状況に応じて使い分けることが出来る。

 

「(サインは、送りバントだし。少し自重しとくか)」

「(リードが気持ち小さくなった? 牽制が効いたのかしら。それならバッターに集中出来るわ)」

 

 確りと視線で牽制しつつ、葛城(かつらぎ)への初球を投げる。投球は、外角のストレート。きっちりとバントで捌いた。

 

「ふたつは無理、ひとつだぞ!」

 

 一塁方向へ転がった打球をファーストは、(ひじり)の指示を受けてベースカバーに入った優花(ゆうか)へ送球、ファーストでひとつ、確実にアウトを取った。

 しかし、送りバントは、成功。こちらも狙い通り一死二塁のチャンスを作り、バッターボックスに立つのは、三番奥居(おくい)

 

「(バスターも、エンドランの動きもなく、初球から素直に送ってきた。今までのような積極的な攻撃じゃない......戦い方を変えている? もし、神楽坂と同じ正攻法(セオリー)で来るのなら――何を都合よく考えているのよ、私は......)」

 

 一瞬流れそうになった己を律し、前を向く。

 

「(この相手は、そういう心の隙を狙ってくる。私は、私の役割を果たす......!)」

「(オイラへのサインは、センターから逆方向へのヒッティング。つまり、最悪でも進塁打を打って四番へ回すこと、セオリー通りの戦術。けどそれは、あくまでも最悪のケース。甘く来れば当然、狙っていっていい場面だ!)」

 

 サインに頷いて、初球を投げる。

 外角のボールゾーンからストライクゾーンへ向かって入ってくる、バックドアのスライダー。ストライクとも、ボールともどちらとも取れる際どいコース。

 しかし、元々センターから逆方向を狙っていた奥居(おくい)にとって、おあつらえ向きの外角のボール。

 

奥居(おくい)、初球打ち! ピッチャー返し!』

 

 迷わずに振り抜いた打球は、マウンドの前でバウンドし投げ終わった優花(ゆうか)の足下を襲う。



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New game15 ~先見~

『ピッチャー返し! 打球は、夢城(ゆめしろ)優花(ゆうか)の足下を襲ったーっ!』

 

 奥居(おくい)の打球はマウンドの手前でワンバウンドし、投手優花(ゆうか)の右側へ飛んだ。

 

「(――足下......!)」

 

 咄嗟に左足を出して、つま先に打球を当てる。一塁側へ弾かれた打球をファーストが素早くバックアップ、そのまま一塁キャンバスを踏んで、奥居(おくい)を内野ゴロに打ち取った。

 

『アウトです! なんと! 夢城(ゆめしろ)優花(ゆうか)、センター前へ抜けようかという打球を左足で止めました! しかし、大丈夫でしょーか? キャッチャー六道(ろくどう)と球審が今、確認ためマウンドへ向かいます』

 

優花(ゆうか)先輩、大丈夫かっ?」

「大丈夫、問題ないわ。ピーカバー(足の先端を守るためカバー)に当てたから」

 

 球審にもケガはしていないことを伝えたが、それでも念のため何球か投球練習を行い、ピッチングに支障がないことを確認した上で、試合は再開される。

 

「はぁ~、やられた。抜けてりゃ先制だったってのに。普通、足出すか? まだ、初回だぞ?」

 

 戻ってきた奥居(おくい)に、瑠菜(るな)は平然と言ってのける。

 

「私は、出すわよ」

瑠菜(るな)なら、足の前にグラブではたき落としそう」

「投げ終わった直後にはもう、正面を向いてるからね、瑠菜(るな)ちゃんは」

「当然でしょ? ピッチャーは、投げ終えた瞬間から、九人目の野手。何より、自分の身を守ることに繋がるわ」

「内野で一番浅いからね。折れたバット、ピッチャーライナーが頭に当たって救急搬送された事例もあるし」

「......ボク、もっと意識しよ」

 

 守備意識について言葉を交わしている間に、試合は進む。

 バッターボックスに立った四番甲斐(かい)への初球、外角のチェンジアップから入った。見逃して、ワンボール。二球目も、ほぼ同じコースに同じチェンジアップを続けた。

 

『ファウル! 外角のチェンジアップを引っ張りましたが、ボールの下を叩き三塁側へのファウルボール! ワン・エンド・ワンの平行カウント』

 

 三球目、内角低めのストレートで見逃しのストライクを奪った。投手有利のカウントを作り、一旦プレートを外して、ロジンバッグを手に取る。

 

「三球とも、際どいコースへの投球。打球が当たった影響は、本当になさそうね」

「それはな」

「それは? どういう意味?」

「次の一球で、はっきりする」

 

 セットポジションに入り、サイン交換。

 

「(狙い通り追い込んだわ。相手は、四番。(ひじり)、ここで行くわよ)」

「(うむ、来い!)」

 

夢城(ゆめしろ)優花(ゆうか)の足が上がった! ピッチャー有利のカウントからの勝負球。バッテリーの選択は――』

 

 優花(ゆうか)の左腕から放られたボールは、クロスしながら真ん中へすっと入ってきた。

 

「(――甘い、失投......いや、ここから逃げる!?)」

 

 甘いコースから外角低めへ逃げながら曲がる変化球に対し、咄嗟に右手を離して対応するも、当てただけのバッティング。

 

『セカンドへのゴロ! セカンド捌いて、ファーストへ送球――アウト! スクリューボールに泳がされ、セカンドゴロに倒れました。スリーアウトチェンジ。両校共にランナーを出すも共に無得点、二回の攻防へ移ります!』

 

 ピンチを切り抜けたタチバナ学園ナインは、早足でベンチへ戻った。攻守交代。恋恋高校が守備につく。

 

「くくく、やはり捨てきれなかったな。色気を」

「色気?」

「何やら力量を探るような投球をしちゃいたが、スクリューへの対応を見たいのなら少なくとも一球前、追い込む前に投げなければ意味がない。追い込まれたバッターは、明らかなボール球以外は合わせにいく。表向きは冷静沈着で戦術家、しかし内面は、勝ち気で負けず嫌いといったところか。無失点で切り抜けられる可能性の誘惑を断ち切れなかった」

「一発勝負、負ければ終わりの甲子園(トーナメント)で、そこまで割り切るのは難しいでしょ?」

「まーな。だが、中途半端は身を滅ぼすだけだ。腹をくくらなければ、生き残れねーよ。死んで初めて、得られるモノもある」

「死んだ後じゃ意味ないでしょ?」

「比喩だ」

「判ってるわよ。ちょっとした皮肉よ」

「フッ、さて、強行策失敗後改めて四番からの攻撃。ここでどう打って出るか、ターニングポイントだ」

 

 優花(ゆうか)の指示を受けた四番は、右のバッターボックスに立つ。先の三人とは違い、バントの構えは見せずに、どっしりと構えた。

 

「指示を出していた様だが。私は、どうすればいい?」

「彼の打席結果次第。内容いかんによっては、戦術を変更することもあり得るわ。準備は怠らないように」

「うむ。了解だ」

 

 頷いた(ひじり)は、ネクストバッターズサークルで自身の打席準備。場内にアナウンスが響き、球審のコールで二回表聖タチバナ学園の攻撃。

 

「(初回はバントだったけど、今回はバントじゃない。若干オープン気味のスタンス、インコースを苦手にしているのか。それとも、外へ投げさせるための撒き餌か。とりあえず、ここは様子見も兼ねて――)」

 

 サインに頷いた片倉(かたくら)は、投球モーションに入った。初球は、インコースのストレート。

 

『胸元へズバッと力のあるストレート! バッター思わず仰け反った! 外れて、ワンボール』

 

 二球目は一転、外角へ逃げる横のカーブ。

 

『流し打ち! 上手く合わせましたがライト線、際どいところ僅かに切れましたー』

 

 新しいボールを片倉(かたくら)へ放って、腰を下ろす。

 

「(素直にヒッティング、揺さぶりは止めた? それにしても上手く拾われたけど、外を狙われてたかな? まあ、まだ序盤だし、必要以上に警戒する必要はない。内、外、緩急を使った。次は、コレで。大きく外れてもいいから、ストライクには入れないでね)」

「(――はい!)」

 

 頷いた片倉(かたくら)の三球目は、一球前より低めのカーブ。バッターは出かかったバットを止め、鳴海(なるみ)はバウンドしそうなボールをきっちり捕球し、すかさずスイングのアピールを求める。判定を委ねられた一塁塁審のジャッジは、ノースイング。これで、カウント2-1のバッティングカウント。

 

「一球前に捉えられたカーブを続けましたね」

「ええ、普通なら避けたい心理になるものだけど。思考の裏を的確についてくる。けれどもう、外は無いわ」

 

 優花(ゆうか)からサインが送られたサインに頷き、バッターボックスで構える。バッテリーの選んだボールは、インコースのストレート。

 

「(よし、狙い通りのインコース!)」

 

 引っ張った打球は、緩い当たりながらも三遊間を抜けていった。

 

『レフト前ヒット! 聖タチバナ学園、ノーアウトから先制のランナーを出します。そして、続くバッターは前の試合、勝敗を決める決勝打を放った六道(ろくどう)(ひじり)!』

 

 タイムを要求した鳴海(なるみ)は、マウンドへ走った。

 

「今のは、飛んだコースが悪かっただけで、力負けじゃないからね。それで、次のバッターだけど――」

 

 二人は口元を隠しながら、(ひじり)に耳打ちしている優花(ゆうか)に視線を向けた。

 

「何か仕掛けてきそうな雰囲気ですよね」

「まあね。けど、バッターに集中。何か仕掛けてきても、野手(バック)に任せればいいから」

 

 ――はい、と頷いた片倉(かたくら)は足場を馴らし、ポジションに戻った鳴海(なるみ)は、球審に礼を言って腰を下ろす。

 

『さあ、キャッチャーがポジションへ戻り試合再開。バッターボックスでは、六道(ろくどう)(ひじり)の支度が整った様です!』

 

 鳴海(なるみ)は、(ひじり)の仕草を見てからファーストランナーへ目をやる。

 

「(盗塁を仕掛けてきた夢城(ゆめしろ)妹よりも、リード幅は狭い。はるかちゃんと加藤(かとう)先生がまとめてくれたデータにも盗塁は無かったし、単独のスチールはまず無い。このバッターは非力だけど、当てることに関しては上手い)」

 

 内野陣にエンドラン警戒のサインを送ったあと、片倉(かたくら)へサインを出す。

 

(ひじり)に、何の指示を出したんですかー?」

 

 ベンチ前へ戻ってきた優花(ゆうか)に、みずきが尋ねる。

 

「バントよ」

「バント......って、ぜんぜん普通じゃんっ!」

「自分で確かめてみなさい。普通かどうかを、その目でね」

 

『セットについた片倉(かたくら)、ファーストランナーを警戒しつつ足を上げた! おっと、六道(ろくどう)、バットを寝かせた! そして、ファーストランナーもスタートを切ったー!』

 

 ピッチャーの片倉(かたくら)が、投球モーションに入るのと同時の仕掛け。ファーストの甲斐(かい)、サードの葛城(かつらぎ)共に一歩遅れてチャージをかける。投球は、外角のストレート。(ひじり)は、きっちりと一塁方向へ転がした。

 打球を処理したのは、ファーストの甲斐(かい)。左足を軸にし、反時計回りに体を反転させた。

 

「よし、かかったわ!」

二塁(ふたつ)!」

「なっ!?」

 

 鳴海(なるみ)の指示を聞いた優花(ゆうか)は驚き、甲斐(かい)はベースカバーに入った香月(こうづき)へ投げるのを止め、迷わずにセカンドへ放った。

 

「うっそ!? やべぇ......!」

 

 オーバーランしたランナーが頭から戻る。送球を受けた奥居(おくい)は、滑り込んできた手にタッチし、判定を聞く前にファーストへ転送。

 

「セ、セーフッ!」

「ア、アウトーッ!」

 

 二塁塁審は、手を横に広げ。一塁塁審は、握った拳を掲げた。

 

『セカンドは、間一髪セーフ! 一塁は、間一髪アウト! 結果的に、送りバントが成功した形! ワンナウト・ランナー二塁。聖タチバナ学園、スコアリングポジションへランナーを進めました! いやー、しかし、アウトこそ取れませんでしたが、痺れるプレーでした』

 

「な、なに? 今の......?」

 

 ベンチ奥の日陰で試合を見ていたみずきは、立ち上がってグラウンドを見つめる。

 

「姉さん、今の一連のプレーは?」

「......封殺狙いじゃなくて、オーバーランを見越したセカンドタッチアウトと一塁でダブルプレーを狙いにいったのよ」

 

 優花(ゆうか)の打った策は、バント・エンドラン。

 一つのバントで、一気にサードを狙う作戦。しかし、通常の送りバントと違い、最初からサードを狙うため若干走路を膨らんでセカンドベースを踏んだところを、鳴海(なるみ)は見逃さなかった。

 

「ウソだ! あり得ないでしょっ? だってそんなの、一歩間違えたらフィルダースチョイスでノーアウトで一・二塁じゃんっ」

「ショートの強肩と、(ひじり)の足を計算に入れたプレーだったとしたら、どう?」

「それは、(ひじり)は、お世辞にも足は速くないけど......」

 

 (ひじり)は、ここ一番での集中力や小技は上手いが、足は遅い部類。チーム内で近衛(このえ)に次ぐ、強肩の持ち主である奥居(おくい)であれば、十分に勝負出来ると踏んでのプレー。

 

「刹那の判断力。姉さんが昨晩、話していたことですね。セカンドで刺せずとも、六道(ろくどう)さんをファーストで刺すことは十分に可能と判断したのですね」

「ええ。それが今、証明された。ここからは、戦い方を変える必要があるのかも知れないわ......」

 

 この試合はセカンドに、肩の弱い香月(こうづき)が入っている。今の場面では、彼女が一塁のベースカバーに入ることを計算し、サードへの送球が遅れることを想定して打った戦術。その策を想わぬ形で阻止されてしまった優花(ゆうか)はベンチへ下がり、次なる一手を打つための思案に入った。

 

「くくく、策としては悪くはなかったが。奇襲とは、相手の油断や虚をつく戦略。警戒している相手には、敵の想定以上の策で無ければ無意味」

「初回の奇襲・奇策の連発で警戒は予め十分だったワケね。でも、今のプレーは、あのトレーニングの賜物でしょ?」

「ゲーム感覚で出来て、息抜きにも持って来い。一石二鳥だったろ?」

 

 追試を早く終わらせたことで追加された特別メニューは、フラッシュ暗算を応用したビジョントレーニング。

 スクリーン上に一瞬のみ映し出される問題を読み取る、瞬間視。読み取った問題を頭の中で読み解く、読解力と思考力。見る、読む、解く、複数のことを同時に行うことで、判断力と決断力を大幅に向上させた。

 

「いいえ、一石三鳥だったわ。みんな、勝負感覚で競い合うから、自主的に教科書とか問題集を広げたり。解らない問題を教え合ったりしてたもの」

 

 足し算などの計算が一般的だが、東亜(トーア)の出題する問題は単純な計算だけではなく、文章問題や数学以外の問題も含まれていたため、学力の向上にも繋がるトレーニングになっていた。

 

「そら、よかったな」

「意外と、教師とか指導者に向いてるんじゃない?」

「あのな......」

 

 東亜(トーア)は、小さく息を吐いた。

 

「言っておくが。アイツらの活躍と比例して、苦労するのはお前だ」

「私が?」

「夏が終われば、主力の三年は引退。残るのは、一年の六人だけ。コイツらが残っているうちはいい。だが、三年の夏までに結果を出さなければ、その先は誰もついてこない。なぜなら俺は、プロで結果を残した実績があるからだ。元プロの肩書きがあるからこそ、疑わずについて来ているに過ぎない」

 

 甲子園出場のネームバリューは絶大。入学志願者数、入部希望者も数倍に膨れ上がることは明白。当然、ある程度名の知れた新入生も入ってくる。

 

「今大会の一度限りの出場でいい、と割り切っているのなら話しは別だが。そういう訳にもいかねーだろ?」

「......そうね。続ける以上は、甲子園(ここ)を目指すことになるわ」

「なら、結果で黙らせる他ない。名の知れたヤツってのは、例外なくお山の大将。当然だ。名門・強豪校からスカウトされるようなヤツは、ガキの頃からエースで四番を張ってきたような連中だ。我が強く、その上打たれ弱く、面倒で扱い辛い。自分の思い通りにならなければ、不貞腐れ、自暴自棄になり、問題行動を起こすヤツも出てくるだろう。幸いにもスポーツ推薦のない進学校だ、入試である程度ふるいにかけられるとは言え、一定数は合格(パス)してくる。そんな面倒なヤツらを受け入れ、まとめ上げる覚悟があるのなら。残り少ない試合数の間に死ぬ気で盗め、奪え、一瞬たりとも無駄にするな。黙らせるだけの知略・戦略(モノ)を身につけろ」

「......ええ」

 

 東亜(トーア)に今後について指摘された理香(りか)は、決意を新たにし、グラウンドでプレーする両ナインたちへ真剣な眼差しを送った。



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New game16 ~一手~

 ピンチを背負ったものの後続を退け二回裏、恋恋高校攻撃。

 今日、五番に入っている矢部(やべ)は急いで準備をして、バッターボックスへ向かい。ネクストバッターの鳴海(なるみ)はプロテクターを外しながら甲斐(かい)に、優花(ゆうか)のピッチングに対する打席での印象を尋ねた。

 

「最後のが、スクリューボールだよね。どんな感じだった?」

「......妙な軌道だった。太刀川(たちかわ)のシンカーとも、十六夜(いざよい)のシュートとも、藤村(ふじむら)のチェンジアップとも若干違う感じだ」

「妙?」

「ああ。ストレートの失投かと想ったら、沈みながら逃げるように流れていった」

「逃げるよう流れる、か......あっ!」

 

 バッター有利のカウントから矢部(やべ)が、そのスクリューボールを打たされた。ファーストへの平凡なゴロに打ち取られた。鳴海(なるみ)は大急ぎで準備を済ませ、代わりにネクストバッターズサークルで素振りをしていた六条(ろくじょう)と入れ替わり、球審に一礼し、打席に立つ。

 

「(矢部(やべ)くんも、スクリューにタイミングを外されて打ち取られた。そんなに、クセのあるボールなのかな? とりあえず、粘って......って、投手は三イニングで代わるんだった。情報収集も大事だけど、打ちにいった上で行わないと!)」

「(むっ、雰囲気が変わったぞ。優花(ゆうか)先輩――)」

 

 (ひじり)の視線に「ええ、分かっているわ」と、優花(ゆうか)は頷き、サイン交換。

 

「(右バッターの、スクリューへの対応は十分に見れた。四番も、五番も戸惑っていた。次は、左打者の対応のチェックよ。ここから三人タイプの違う左バッターが続く。山口(やまぐち)のフォークボールをスタンドまで運んだ、一番長打力のある彼の対応を観る)」

 

 鳴海(なるみ)への初球は、膝下へ変化するスクリューボール。

 

『ストライク! アンパイアの手が上がります! 変化の大きなスクリューボールを見逃し、ワンストライク!』

 

 振りにいきながらも最終的に見逃した鳴海(なるみ)は、タイムを取り、打席を外して目を閉じ、ひとつ息を吐いた。

 

「(よし、このバッターもスクリューにタイミングが合っていない。優花(ゆうか)先輩のスクリューを捉えられないチームには、みずきのピッチングも通用する。あとは、佐奈(さな)先輩が抑えて、目標のベスト8だぞ)」

「(彼の表情(かお)が本心であるのなら......十分に通用する。あと、アウト五つ)」

 

 打席を外している鳴海(なるみ)は、眉間にシワを寄せて首をかしげていた。優花(ゆうか)は、恋恋高校のベンチに目を移した。

 

「(不安材料は、あの表情(かお)演技(フェイク)の可能性があること。それと、渡久地(とくち)監督が何を仕掛けてくるか。前者は、この打席で判断できる。けれど後者の方は、まったくの未知数。いつ、何を仕掛けてくるか見当も付かない、油断は出来ないわ。最後のアウトを取るまで――)」

 

 優花(ゆうか)の憂いとは裏腹に、鳴海(なるみ)はまったく違うことを考えていた。それは、彼女の投げる決め球、スクリューボールについてのこと。

 

「(今のが、スクリューボール......似たような軌道の変化球を見たことがある気がする。どこだ......?)」

 

 思い出せないまま、打席に戻る。球審のコール。サイン交換を終えた優花(ゆうか)の第二球目、ストレート。アウトコースへ僅かに外れて、ボール。カウント1-1。

 

「(なるほど、ストレートの軌道は、藤村(ふじむら)さんによく似てる。球速も同じくらいだし。スクリューは、一見ストレートに見えて、同じ軌道から緩やかに膝下へ曲がってくる。やっぱりどこかで見たことがある。どこだ......? 猪狩(いかり)じゃないし、木場(きば)も違う)」

 

 公式戦、練習試合を含めて対戦してきた投手たちを思い返す。

 

「(ん? なんだ、このバッター、上の空もいいところだぞ)」

「(そのようね。集中出来ていないのなら、さっさと追い込むわよ)」

 

 打席に集中していない判断したバッテリーは、すぐさま三球目に入る。インコースのボールからストライクになるスライダーで見逃しのストライクを奪い、1-2とバッテリー優位のカウントを作った。

 

「(スライダー......今のも、藤村(ふじむら)さんのスライダーと似てるな。ただ、変化は小さい。決め球と言うよりも、カウントを整えるための球種かな? それにしても、スクリュー。太刀川(たちかわ)さんのシンカー......でもないし。阿畑(あばた)の高速ナックル......は、もっとストンって落ちる感じだ。ストレートに見えて緩やかに曲がりながら――)」

 

 明らかに精彩を欠いている鳴海(なるみ)へ、味方のベンチからヤジが飛んだ。

 

「コラー! あんたねぇ、しゃんと集中なさいよー!」

「そうだそうだー! 考えてたって、振らねぇと当たんねぇぞー!」

「二人とも、抑えて抑えて。叱られるよ?」

 

 芽衣香(めいか)奥居(おくい)をなだめる、あおい。

 苦笑いでベンチを見た鳴海(なるみ)は、そこで気がついた。優花(ゆうか)の投げるスクリューボールと酷似している、ボールの正体に――。

 

「(そうか......そうだ、そうだったんだ!)」

 

 もう一度タイムを取り、バットを握り直して、改めてバッターボックスで構えた。

 

「(......明らかに雰囲気が変わった。一球、様子を見るわよ)」

 

 (ひじり)も、優花(ゆうか)と同様にただならぬモノを感じ取っていた。用心して、アウトコースへスライダーを外した。

 

『ファウル! ボール球に手を出して、三塁側のスタンドへ大きく切れていきました。さあ次が、五球目。わたくしなら、得意の変化球で仕留めたいところですが。タチバナバッテリーは、何を選択するのでしょーか?』

 

 五球目、チェンジアップを一塁線へファウル。六球目のストレートを見極めて、2-2の平行カウント。

 

「(むぅ、なかなか粘っこいぞ......先輩、どうする?)」

「(どう見ても、スクリューを待ってるわね。良いわ。望み通りに投げてあげる。どうせ、対応を測るつもりなんだから乗ってあげる。見せて貰いましょう)」

「(――了解だ!)」

 

 優花(ゆうか)が自ら出したサインに頷いた(ひじり)は、インコース低めへミットを構えた。

 

「キャッチャーが、内角低めに構えたわね」

「カウント的にも間違いなく、スクリューだな。狙い通り、引き出した。しかし、問題はここから。引き出した獲物を捌けるか否か――」

 

 ピッチングモーションを起こした優花(ゆうか)の七球目は、スクリューボール。真ん中へスッと入ってきたと思われたボールは途中で、ブレーキが掛かりながら膝下へ大きく曲がりながら変化する。

 

「(――ここだ、イメージ通り!)」

 

 狙い通りのスクリューに対し、左膝を若干落とし、前で捉えた。

 

『痛烈な打球が、ファーストのミットをかすめて一塁線を抜いていったー! 長打コース! ライトが今追いついて、中継(カットマン)へ返球。鳴海(なるみ)は、二塁を回ったところでストップ! ツーベースヒット! 恋恋高校、初回に続き、ワンナウトから得点圏のランナーを出しましたーッ!』

 

 (ひじり)は、すかさずマウンドへ向かい。プロテクターを回収に来た芽衣香(めいか)鳴海(なるみ)は、伝言を頼んだ。

 

「えっ、マジなの?」

「大マジ。実際、打ったし」

「それもそうね。おっけー、伝えとくわ」

「頼んだよ」

 

 芽衣香(めいか)は、ネクストバッターの藤堂(とうどう)に情報を伝えてからベンチへ戻った。さっそく、瑠菜(るな)が尋ねる。

 

鳴海(なるみ)くんと、何を話していたの?」

「あのピッチャーの、スクリューのことを伝えて欲しいって」

「攻略法と言うこと?」

 

 攻略法と聞いて、ベンチ内がざわついた。芽衣香(めいか)は、口元に指先を添えて小さく首をかしげた。

 

「う~ん、攻略法って言うか、印象の話し?」

「印象?」

「そう。あのスクリューなんだけど、あおいが投げるカーブによく似てるんだってさ」

「えっ? ボクの?」

「あおいの、カーブに似ている? 彼女の、スクリューボールが?」

「そっ。最初はストレートみたいに見えて、途中から変化する軌道がよく似てるんだってさ。あたしも最初聞いた時は、半信半疑だったんだけど。実際、そのイメージで二塁打を打ったワケだし」

「なるほど、あおいさんのボールを受けてきたキャッチャーの鳴海(なるみ)くんならではの感性なのかも知れないわね」

「狙い通り引き出して、狙い通りに打ち返した。少なくとも、攻略の糸口を見出したことは事実さ。充分な役割を果たした」

 

「まあ。とは言っても、バントなんだけどな」と笑った東亜(トーア)は、送りバントのサインをはるかに出させる。ランナーの鳴海(なるみ)、バッターの藤堂(とうどう)共に「了解」とヘルメットに触れる。

 (ひじり)が戻って、試合再開。

 

『おっと、七番バッターの藤堂(とうどう)、早々に送りバントの構えです』

 

「(バント? 初回も送ってきたが、ここも素直に送るのか?)」

「(微妙なところね。今までの積極的な攻撃じゃない。でも、そう思わせることが目的なのかも知らないわ)」

 

 常に奇襲、奇策を仕掛けて戦ってきた恋恋高校。

 しかし、それこそがカモフラージュとなり、セオリー野球である正攻法が奇襲へと変貌を遂げている。いつ仕掛けてくるか分からないという緊張感に、バッテリーは神経を使っていた。

 

夢城(ゆめしろ)優花(ゆうか)の初球――大きくウェスト。ここは様子を見ます。ランナーに動きはなし、藤堂(とうどう)もバットを引いて、ボール・ワン』

 

「(盗塁の動きは、無さそうだ。さすがに三盗は仕掛けてきそうにないぞ)」

「(それなら、バントをさせて、セカンドランナーをサードで刺すまでよ)」

 

 一球牽制球を挟み、優花(ゆうか)はゆったりと足を上げた。同時に、サードとファーストが猛チャージをかける。

 

「クイックモーションじゃないわ」

「ほう、三盗は無いと踏んだな。モーションを若干遅らせることで、野手の動きに猶予を与えた」

鳴海(なるみ)くんを、サードで刺すため......?」

「ああ。送りバントは、打球が転がったことを確認してスタートを切る。あれだけのチャージをかけられたら、相当いいところへ転がさなければ難しい。加えて球種は、インコースの真っ直ぐ」

 

 サイドスロー独特の角度のあるストレートを殺しきれず、ピッチャーの左側へやや強めの打球が転がった。マウンドを下りた優花(ゆうか)は、迷わずにサードへ送球。タイミングギリギリのタッチプレー。

 

「――アウト!」

 

『アウト、アウトです! 送りバント失敗! 夢城(ゆめしろ)優花(ゆうか)、見事なフィールディングで進塁を阻止しました! ツーアウトランナー一塁と場面が変わります!』

 

 アウト判定を受けた鳴海(なるみ)が、ベンチへ戻って来た。

 

「ふぅ」

「どうぞー」

「ありがと、はるかちゃん」

 

 スポーツドリンクを飲んで一息つくと、さっそく、瑠菜(るな)が質問。

 

「それで、ホントなの? スクリューが、あおいのカーブと似てるって話し」

「ああーうん、似てるよ。左右の違いがあるから導入の角度は、ちょっと違うけどね。どっちも、ストレートみたいに見えてから曲がってくる感じ。ただ、変化の大きさはスクリューの方が上かな? 予想より、ボールの上を叩いたから打球が上がらなかった」

「ライナー性の打球になった理由は、それね。二巡目に入れば、長打を狙えるんだろうけど......」

「今までの相手通りなら、三イニングで代わっちゃうからね。と言っても、投球術にも長けてるから要所要所で使われたら厳しいかも」

「なら、追い込まれる前にカウントを整えに来る球種を狙って――」

 

 瑠菜(るな)鳴海(なるみ)の話し合いに、東亜(トーア)が割って入った。

 

「逆だ。狙うのは、スクリューだ」

「スクリューを、ですか......?」

 

 悪戦苦闘しているスクリューボールを狙えという指示に、ナインたちは若干の戸惑いを見せた。

 

「別に、ヒットや長打を狙えと言う話しじゃねーよ。スクリューを打つことに意味があるんだ。そのための、次の一手が重要。はるか、初球で行くぞ」

「はいっ」

 

 はるかから、バント失敗で塁上に残った藤堂(とうどう)と、ネクストバッターの片倉(かたくら)にサインが伝達される。

 

『ワンナウト二塁のピンチから状況は変わって、ツーアウトランナー一塁。先ほどスバラシイフィールディングを披露した夢城(ゆめしろ)優花(ゆうか)、八番片倉(かたくら)を抑え、無失点で切り抜けることが出来るでしょーか?』

 

「(ここで切れば、次の回は九番から。ひとつアウトを計算して立ち回れる。それに、このバッターは投手、きっちり抑えれば、良い流れで三回表の攻撃へ移れるわ)」

 

 セットポジションに着いた優花(ゆうか)は、藤堂(とうどう)に視線を向ける。リード幅は取り立てて広くない、むしろ狭い。盗塁の動きは無いと判断し、バッター片倉(かたくら)との勝負に集中。藤堂(とうどう)へ顔を向けたまま足を上げ、(ひじり)の構えるミットへ顔を向けた、その時――走ったぞッ! と、セカンドからの声かけに反応し、優花(ゆうか)は咄嗟に投球を外し、(ひじり)も無駄なくセカンドへ送球。しかし、藤堂(とうどう)の足が勝った。

 

『恋恋高校、ここで足を使ってきました! スタートは、あまりよろしくありませんでしたが、自慢の俊足でセカンドを奪いました! ツーアウト二塁!』

 

「セオリーで行くんじゃなかったの?」

「足のあるランナー、アウトカウントはツーアウト、バッテリーの肩は強くない、これだけの条件が重なっているんだ、走って当然の場面だろ」

 

 軽く笑みを見せる、東亜(トーア)

 そして、この盗塁が、優花(ゆうか)を攻略するための重要な意味を持つ一手となる。



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New game17 ~諸刃の剣~

お待たせしました。


 ディレイド気味のスチールを決められてしまった優花(ゆうか)は、一応、視線で牽制していたとは言え「盗塁は無い」と、半ば決めつけてしまっていたことを悔やんだ。

 

「(やられた。まさか、あのタイミングのスタートでセカンドを奪われるだなんて......)」

 

 だがそれは、ほんの僅かな時間。大きく深呼吸をし、瞬時に気持ちを切り替えた。セットポジションに着き、改めて、八番バッター片倉(かたくら)と対峙。三盗を警戒して、今度はしっかりと、セカンドランナーの藤堂(とうどう)へ注意を怠らない。

 

『ストライク! アウトコースいっぱいにストレートが決まりました! カウントを平行へ戻しました』

 

「切り替えの速さは、なかなか目を見張るものがある。伊達に戦略家を気取っている訳ではないらしいな」

「相手を褒めるのは結構だけど。みんなは、“次の一手”のことが気になるみたいよ」

 

 試合そっちのけで鳴海(なるみ)たちの注目は、東亜(トーア)に集まっていた。

 

「そんなたいそうなことじゃねーよ。タイム。瑠菜(るな)、伝令だ」

「はい!」

 

 内容を伝え、瑠菜(るな)を伝令に送った。

 

『おっと、恋恋高校、渡久地(とくち)監督が動きます。どうやら、攻撃の伝令が送られるようです。十六夜(いざよい)が、ベンチから出てきました!』

 

 バッターボックスを離れた片倉(かたくら)に、東亜(トーア)からの指示を伝える。

 

「(このタイミングで、攻撃の伝令。いったい、何を仕掛けてくるつもりなのかしら......?)」

優花(ゆうか)先輩っ!」

「――え、ええ」

 

 可能性がありそうな戦術を思い浮かべながら、肩が冷えないように軽くキャッチャーボール。指示を受けた片倉(かたくら)は一礼して、バッターボックスへ戻った。

 

「プレイ!」

 

 球審のコール。試合再開。

 試合再開直後の初球は、エンドランを警戒して、大きく外角へウェスト。片倉(かたくら)は見逃し、ツーボール・ワンストライク。

 

「(......僅かな反応すらない。エンドランは無さそう......決めつけは厳禁。カウント、球種のどちらかで仕掛けてくる可能性もあるわ。だけど、一番ダメなことは、警戒し過ぎて自滅してしまうこと。ツーアウト、バッター勝負に集中――)」

 

 四球目、アウトコースのスライダーで見逃しのストライク、カウントを戻した。

 

「これで、ツーエンドツー、速球系でカウントを整えた。スクリューで決めに来る確率が高まったわね」

「間違いなく投げるさ。ここで信用して投げられないようなボールなら、この試合は難なく片が付く。後続も、滅多打ちだ」

 

 一度のサイン交換で頷いたマウンド上の優花(ゆうか)と、キャッチャーの(ひじり)が選んだ勝負球は――スクリューボール。左バッターの片倉(かたくら)の膝下へ、曲がりながら変化して来た。際どいコースへ来たこの一球に手を出さず、目で追って見送る。

 

「――ストライク! バッターアウト、チェンジ!」

 

『見逃し三振! 最後は、スクリューボール! 片倉(かたくら)、手が出ませんでしたーッ!』

 

 一打先制のピンチを脱した優花(ゆうか)は小さく息を吐き。大きく息を吐いた片倉(かたくら)は駆け足でベンチへ戻り、水分補給とピッチングの準備に取りかかった。東亜(トーア)の指示を伝令として伝えた瑠菜(るな)は手伝いながら、片倉(かたくら)に尋ねる。

 

「それで、どうだった?」

「あ、はい。瑠菜(るな)先輩に言われた通り、しっかり見てきました」

 

 東亜(トーア)の指示は、「全球見逃せ。例え追い込まれていたとしても」。それにより、判明したことは――。

 

「スクリューは、“ボール球”でした」

「フッ、やはりな」

 

 優花(ゆうか)の球速は最速110km/hと遅い反面、すべての球種を四隅へ投げ分けられる抜群の制球力を持つ。その中で、一見甘いコースのストレートに見える球筋、球速が無い故に、思わず振りにいってしまう。その結果、バッターは、ボール球を打たされてしまっていた。

 

「だが、球審のジャッジは、ストライク。ここから見ていても、逆球は一球たりとも無い。コントロールが良いと、バッチリ印象付けている。つまり、キャッチャーの高い捕球技術と制球力の合わせ技だな」

「それじゃあ追い込まれたら見逃せないし、打ちにいけばボール球を打たされるってことじゃない」

「まあ、そうなるな」

 

 遅いという致命的な弱点を補い、余るほどの長所に替えた投球術。

 元々打たせて取る軟投タイプの三投手、当然、内外野共に守備は堅い。現に二回戦も、少ないチャンスをものにし、僅差で勝利を収めた。地方大会も同じ戦術で勝ち上がってきたチーム。

 

「とりあえず守ってこい。攻撃の話しは、その後だ」

 

 ――はい! と元気よく返事をして、グラウンドへ駆けてナインたちを見送った理香(りか)は、東亜(トーア)にだけ聞こえる程度の小声で聞いた。

 

「スクリューが狙いって言っていたけど。ボール球なら、他の球種を狙った方がいいんじゃないの?」

鳴海(なるみ)が言っていただろ? ランナーをスコアリングポジションへ進めたところで、要所で使われたら、今の打席のように簡単に得点は奪えない。今までの連中も、優花(アイツ)らの術中に嵌まって敗北した」

「......少々面倒な相手、その言葉通りの相手ね」

「攻略法はある。あるにはあるが――」

 

 東亜(トーア)が、若干懸念を抱いている理由。

 それは――優花(ゆうか)を含めた聖タチバナ学園投手陣の攻略法であると同時に、恋恋高校投手の欠点をも露呈することになり兼ねない“諸刃の剣”であることに。

 

 

           * * *

 

 

 この回先頭バッターの八番をフォアボールで塁に出し、ラストバッターの優花(ゆうか)が確実に送りバントを決めて、一死二塁のピンチを背負った。ここで打順は一巡、トップバッターに戻る。内角のストレートで詰まらせ、ショートゴロに打ち取り、セカンドランナーは動けずツーアウト。

 そして、二番バッター新島(にいじま)を迎える。

 

新島(にいじま)、インコースのストレートに窮屈なバッティングを強いられました! しかし、これは......ピッチャー、セカンド、ファーストの間、面白いところへ飛んだぞ!』

 

 詰まった打球は、まるでプッシュバントのように内野で一番処理の難しい投手、一塁手、二塁手のちょうどド真ん中、トライアングルのエリアへ打球が転がった。鳴海(なるみ)はマスクを投げ捨て、内野連携の混乱を回避させる目的で大声で指示を出す。

 

「セカンド! ファーストは無理、バックホーム!」

 

 ピッチャー片倉(かたくら)は足を止め、ファーストの甲斐(かい)はファーストベースへ戻る。打球を処理した香月(こうづき)は、バッターランナーを無視してバックホーム体勢を入った。

 

「(しっかり軸足に体重を乗せて、脇を締めて......!)」

「ストップ! ストップッ!」

 

 サードベースを蹴ったセカンドランナーは、サードコーチャーの指示で急ブレーキ、サードベースへ引き返す。ノーバウンドのストライク送球がホームへ返って来た。記録は、内野安打。ツーアウトながら三塁一塁。

 

「あれ? あのセカンドって、肩があんまり良くなかったんじゃないんですか? 結構、良い送球でしたよ?」

「少なくとも、地区予選の頃はそうだったわ。あれから、多少改善されたみたいね」

 

 優花(ゆうか)にとってこれも、想定外の出来事。

 しかし、今のプレー以上に気がかりに感じていることが、彼女にはあった。

 

「(攻撃の伝令......結局、何も仕掛けて来なかった。“待て”のサインだったのなら、わざわざ伝令を消費してまでするような指示(こと)じゃない。きっと、何かしらの意図があるに違いないわ)」

 

 グラブを持った優花(ゆうか)は、ツーアウトのためレッグガードを付けたまま打席と守備の両方に備えている、(ひじり)に声をかける。

 

「キャッチボール、お願い」

「分かった」

「みずき。あなたも、準備しておきなさい」

「えっ? でも、まだ一イニングありますよ?」

「今日は、継投を繰り上げることも想定しておかなければならない相手よ。佐奈(さな)にも、伝えておいて」

「......分かりましたー」

 

 ベンチを出たところで、佐奈(さな)がダグアウトから戻ってきた。

 

「お待たせしましたぁ~」

「遅ーい! いったい今まで、何やってたんですかっ?」

「メイク中に気になったので、ヘアスタイルのセットをしてました~」

「それ、今やることですか?」

「乙女の常識でぇす」

 

 言っても無駄と頭では分かっているため口にしないが、「どうせ、帽子を被るんだから意味ないじゃない」と、正論を思いつつ、ネクストバッターの和花(のどか)にサインを送ってから、(ひじり)と一緒にブルペンへ向かった。

 

『ツーアウトながらも三塁一塁。そして迎えるバッターは、先ほどレフト前へヒットを放っている夢城(ゆめしろ)姉妹の妹、夢城(ゆめしろ)和花(のどか)! そのクールな瞳は、既に獲物を見据えているでしょう! 注目の対戦ですッ!』

 

「よろしくお願い致します」

 

 丁寧に頭を下げて左打席に入った和花(のどか)を、鳴海(なるみ)はじっくりと観察する。

 

「(この回は、初回二回と違うセオリー通りの戦術。今度こそ、揺さぶりは止めたのかな? けど、ツーアウトで三塁一塁だし。何かと仕掛けやすいアウトカウントなのは間違いない。とにかく、先手先手で行くよ。カウントが有利になれば、相手の策を絞り込める)」

 

 サインに頷いた片倉(かたくら)

 初球は、アウトコースのストレートから入った。

 

『見逃して、ストライク!』

 

 続く二球目は、初回にヒットを打たれた横カーブとは別種の、より縦に変化するインコースのカーブ。やや甘く入ったが、大きな落差が功を奏し、空振りを奪った。

 

「(ツーナッシング。仕掛けてくるなら、ここだ。一球、様子を見よう)」

 

 サインを出し、アウトコースのボールゾーンにミットを構えた。

 

「(――外角。際どい、ここはカットですね)」

 

 バットの先端で軽く合わせ、三塁側へのファウル。四球目、一球前よりやや外寄りのコースのストレートを同じようにカットして、ファウルを打った。

 

「(明らかに、前に飛ばすつもりのないスイング。四球狙い......なら今のは、見逃がすハズ。となると、狙いは内角? 引っ張って三塁一塁を保ったまま、四番へ回すことが狙い。四番に回すのは悪手、このバッターで流れを切ることがベスト!)」

 

 そして、勝負は五球目。

 

「(――内角のカーブ、来ましたね。狙い通りです)」

 

 足をオープンに開いて、持ち手の間隔を広げバットを立てた。

 

「――なっ!?」

 

『なんと! ここで、セーフティスリーバントだーッ!』

 

「(新島(にいじま)先輩のおっしゃっていた通り、内角へ切れ込んでくるこの横のカーブは、セーフティバントを狙いやすい)」

 

 空振りしたカーブよりも横へ変化するカーブを、狙い通り一塁線へ転がした。一塁ランナーが居たため、ファースト甲斐(かい)のスタートが遅れた。マウンドを降りた片倉(かたくら)が、いち早く打球処理へ走る。

 

「ウォッチ! 間に合わない!」

 

 鳴海(なるみ)の指示で、ライン横を転がる打球を見送るが、しかし――。

 

『一塁線のライン上にピタリと止まりました! 先制点は、聖タチバナ学園学園! 夢城(ゆめしろ)和花(のどか)の見事なセーフティバントで、先制点をもぎ取りましたーッ!』

 

 本来得意とする奇襲攻撃で先制点を奪われ、なお、ランナー二塁一塁とピンチを背負ったまま追う展開。

 

「よし!」

 

 狙い通り作戦が決まったことに、ブルペンの優花(ゆうか)は噛みしめるように左手を軽く握った。

 

「先制点を取ったぞ!」

「ええ、これで少しだけ立ち回りに余裕が出来るわ。さあ、本格的に肩を作るわよ」

「私は次ぎ、ネクストバッターなのだが?」

「追加点は無理よ。仕込んだ策はここまで、良くて外野フライといったところね」

 

『ライトフライ、上手く掬い上げましたが、ここは一歩打球に伸びが足りませんでした。しかし、ツーアウトから夢城(ゆめしろ)和花(のどか)の絶妙なセーフティバントで貴重な先制点を奪いました。試合は、三回の攻防へと移ります。さて、どのような試合になるのか、わたくしのボルテージも上がって参りましたーッ!』

 

 ベンチへ戻ってきた鳴海(なるみ)は、さっそく反省の弁を述べる。

 

「すみません、セーフティも警戒しておくべきでした......」

「済んじまったモノは、悔やんだところで戻らねーよ。さて、あの投手の攻略法だが――」

 

 東亜(トーア)は、投球練習を行っている優花(ゆうか)に目を向け、真剣な表情で聞いているナインたちに攻略法を伝えた。

 

 ――ストライクからボールになるスクリューを思い切り振り抜け。



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New game18 ~封じ手~

『三回裏恋恋高校の攻撃は、ラストバッター香月(こうづき)から、上位打線へと続いていく好打順。一点を先制された直後の攻撃、何とかチャンスを作って追いつきたいところ。一方、守る聖タチバナ学園は、(たちばな)みずきと佐奈(さな)あゆみの二人がブルペンへ入り、肩を作り始めました。今までの試合と同様に、この試合も継投策で乗り切ることが出来るでしょーか?』

 

 イニング間の投球練習を行っている優花(ゆうか)を、バッタボックスから少し離れた場所から見ている香月(こうづき)は、「狙うのは、スクリューボール。ただし、決して追いかけるな」という、東亜(トーア)の言葉を思い返していた。

 

「(右バッターのあたしには、外角低めへ逃げる変化球。それを、しっかり......あれ? 外角に逃げるスクリューは、追いかけちゃだめ。でも、しっかりと振り切る。だけど......)」

 

 ある疑問が頭に浮かんだ香月(こうづき)は、ベンチの東亜(トーア)を見た。

 

「どうしたのかしら? 何だか、戸惑ってるみたいな表情(かお)をしてるけど」

「気づいたんだろ。スクリューを打とうとすると、バットが届かないってことにな」

「バットが、届かない......? あ。そっか、あの子――」

 

 香月(こうづき)は、グリップを指二本分ほど余して短くバットを持つ。更に年齢差もあって、あおいたちと比べると一回りほど小柄な体格。そのため、外角へ逃げるスクリューを追いかけずに捉えることは至極困難。

 

「指示は?」

「届かないのなら届くようにすればいいだけのことだろ。猿でも頭を使うぞ」

 

 東亜(トーア)は意地悪な笑みを浮かべながら、トントンっと人差し指で軽く頭に触れた。

 

「(......自分で考えて工夫しろ、か。だけど、そうだよね。先輩たちは、自分たちで考えて打開策を見出して来た。甲子園に来てからは、特に......。よーし、とにかく、やってみよう。やってみないことには、何も始まらないっ)」

 

 イニング間の投球練習が終わり、球審に呼ばれた香月(こうづき)は、一礼してバッタボックスに入った。

 

「(この子は、二回戦で外野の守備固めで出場しているけど、甲子園では初打席。地区予選は、ノーヒット。打席結果の内訳は――)」

「(見逃しと空振りの三振が合わせて、三つ。内野ゴロと送りバントがひとつずつの計二つだ)」

 

 (ひじり)から出されたサインに、優花(ゆうか)は一度で頷く。

 

「(そう。つまり、内野を越すような打球はない。予選の時と変わらず、バットも短く構えているから、低めのボール球を引っかけさせてゴロを打って貰う)」

 

 ゆったりと足を上げる優花(ゆうか)の、香月(こうづき)への初球――。

 

「(ストレート? 違う、ここから曲がるっ!)」

 

 狙えと指示された、スクリューボール。

 

「(......追いかけちゃだめ!)」

 

『空振り! 香月(こうづき)、大きく外角へ変化していくスクリューボールについていけません! ワンストライク!』

 

「(何とか追いかけずに振れたけど、やっぱり届かないか......ちょっと工夫して――)」

 

 今の一球を受けて、若干内寄りに立ち位置を変えた。

 

「(ん? 気持ち内寄りに立ったぞ。スクリューに意識がいっているようだ。それなら、これで――)」

 

 二球目は一転して、右打者の対角線上へクロスして食い込んでくるクロスファイアーのストレート。

 

「ファールッ!」

 

『インコース厳しいストレートに上手く対応しましたが、三塁側のスタンドへと切れていきました。タチバナバッテリー、ツーナッシングと二球で追い込みました!』

 

 理想的な形で追い込んだにも関わらず、タチバナバッテリーは楽観出来ないでいた。何故なら。

 

「(インコース低めいっぱいのストレートを――)」

「(内野スタンドの中段まで運ばれたぞ......)」

 

 結果はファウルだったとは言え、「長打は無い」と思っていたところへ計算外の打球。そしてそれは、打った香月(こうづき)本人が一番驚いていた。

 

「フッ、別に驚くようなことでもないだろうに」

「パンチ力が付いた要因は、やっぱりあの練習の成果よね」

「嫌というほど、体に覚え込ませたからな」

 

 東亜(トーア)が、それぞれ個別に課したトレーニング。

 鳴海(なるみ)は、捕球能力。内角投球恐怖症に陥っていたあおいは、内外角の制球力。そして、彼女への課題は、最大の弱点である、肩の弱さの克服。

 

 

           * * *

 

 

渡久地(とくち)コーチ、グラブ、持ってきましたっ」

 

 予選前、ミゾットスポーツクラブでの個人練習。

 室内練習場のベンチに座っていた東亜(トーア)の下へ、香月(こうづき)がやって来た。

 

理香(りか)

「オッケーよ。あなたも、準備いいわね?」

「うっす!」

 

 理香(りか)の問いかけに、グラブを付けた六条(ろくじょう)が少し離れた場所から返事をする。距離にして、マウンドからホームベースまでと同じ18.44メートル。

 

「とりあえず、キャッチボールしてみろ」

「あ、はい」

 

 東亜(トーア)から渡されたボールを、六条(ろくじょう)へ向かって放る。若干山なりの送球は、胸の前に構えたグラブに収まった。逆に、六条(ろくじょう)の送球は勢いはあるものの、左右上下に散らばってまともなボールは殆ど来ない。

 

「本当に、真逆ね」

 

 東亜(トーア)の居るベンチへ来た理香(りか)は、素直な感想を述べる。

 

「......なるほど、原因は解った。近衛(このえ)新海(しんかい)を呼んで来てくれ」

近衛(このえ)くんと、新海(しんかい)くんを? 分かったわ」

 

 キャッチボールを止めさせ、二人をブルペンへ連れていく。

 程なくして、指定した二人を連れた理香(りか)が戻ってきた。

 

「さてと。お前たちには今から、ピッチング練習をしてもらう」

「あたしたちが、ピッチング練習......ですか?」

 

 戸惑いながらも、言われるがままマウンドに立つ、香月(こうづき)六条(ろくじょう)近衛(このえ)新海(しんかい)は、フル装備でしゃがんだ。

 

「よっしゃ、来ーい!」

「先輩、燃えてますね」

「マスク被るの久々だからな!」

「あはは、それでですか。じゃあ俺も。オッケー、いつでもいいよ!」

 

 気合い十分にミットを構える、二人。

 

「アイツらは気にせず投げろ。それから、コイツを――」

 

 理香(りか)香月(こうづき)の、東亜(トーア)六条(ろくじょう)の体に、胴体と逆手が離れないよう、ゴムバンドを巻き付けて固定させた。

 

「えっと、これは......?」

「う、動かせない......」

「当然だ。肩が開かないようにすることが目的だからな。さて、始めるぞ。投げやすいフォームでいいし、歩幅も気にしなくていい」

 

 逆腕が固定されているため二人は、最初からセットポジション。先に投げたのは、香月(こうづき)。先ほどのキャッチボールと同じく、若干山なりのボールが近衛(このえ)が構えるミットに収まった。捕球したボールを、近くに置かれた空のケースに入れ、再びミットを構える。

 

「どうだ?」

「気持ち速くなった、のかな?」

 

 東亜(トーア)の質問に、疑問形で答えた。

 

「マウンドには、傾斜がある。だから、自然と身体が前に向かうのさ」

「自然と身体が前に......」

「軸足に体重を溜めて、前方に踏み込んで投げてみろ。イメージとしては、バッティングと同じだと思えばいい」

「ピッチングなのに、バッティングですか?」

「右打ちのお前は、左を上げて、上げた足を前に踏み出して打つ。大まかな違いは踏み出す足の向き、バットを振るか、ボールを投げるかくらいだろ」

「あ、そっか。言われてみれば、そうですね」

 

 新しいボールを手に取った香月(こうづき)は、再びセットポジションに付く。

 

「(バットを構える時、グリップの位置は胸の前。グラブも、同じ位置で構えて。重心のバランスが崩れないように軸足に重心を溜めて、ピッチャーのモーションにタイミングを合わせて足を上げる。その上げた足を前に踏み出して、同時に軸足を強く蹴って――投げる!)」

「おっ!」

 

 構えたコースよりも高めに抜けたが、一球前よりも力強いボールがいった。

 

「オッケー、さっきより全然来てるぞ! どんどん来い!」

「は、はいっ」

「よし、こっちも始めよう」

「オー!」

 

 六条(ろくじょう)たちも、投球練習を開始。

 東亜(トーア)理香(りか)は、ベンチに座った。

 

「急に変わったわね」

香月(あいつ)、右なのに左で投げてたんだよ」

「右投げなのに、左投げ?」

「キャッチボールの時から、妙にギクシャクしていた。何球か見て原因は、重心にあると分かった。元々左利き、右に矯正するまでは、左で投げてた訳だ。その頃の名残で、重心が左投げのままになっていた。身体は前に出ているのに、連動して腕が振れて来ない。そのズレを修正しようとする結果、体幹がブレ、強いボールが行かないって訳だ」

「この投球練習は、右投げ本来の重心移動の基礎を改めて身につけさせるためなのね」

「まあな。重心移動は、送球のみならず、全プレーにおける基本中の基本。いや、スポーツ全般と言ってもいい。それにしても......」

 

 東亜(トーア)はもう一人の、六条(ろくじょう)へ目を向けた。

 

「結構、良い球を放る。地肩はあるし、上背もある。まだ、伸びてるんだろ?」

「ええ、入学当初から三センチ伸びて今は、176ね」

「80乗って、身体が出来てくりゃ二年後は面白くなるかもな。指導を受けていない分変なクセは付いてないし、サウスポーという点だけでもアドバンテージはある」

「......何、今の?」

「低回転ボール!」

「いやいや、腕の振りでバレバレだし。これじゃただの打ちごろの棒球だよ。せっかく、制球が安定して来たんだからさ」

 

 珍しく褒めた矢先の出来事に呆れ顔を見せる、東亜(トーア)理香(りか)だった。

 

 

           * * *

 

 

「脇を固定させて行った投球練習が、インコース打ちにも活かされているわね。肘を上手く畳んで対応していたわ」

「まあな。これで次は、スクリュー。どうなるか、言い当ててやろうか?」

 

 その言葉に、ナインたち全員の注目がいっぺんに集まった。

 

「次の一球は、確実に、アウトコースへスクリューが来る」

 

 サイン交換を終えた優花(ゆうか)は、投球モーションに入った。

 

香月(こうづき)も、初球と同じコースだから振りにいく。内寄りに立っているから今度は、バットも届く。そして、その打球は――」

 

 ――必ず、ファウルになる。

 

『ファウル! 良い当たりでしたが、一塁線を切れていきました! カウント変わらずツーナッシング、打ち直しです!』

 

「クックック、な? ファウルだったろ」

「どうしてですか......?」

 

 読み通りの結果に小さく笑う東亜(トーア)に、鳴海(なるみ)が聞いた。

 

「内角低め、外角低めのボール球ってのは、良い当たりであればあるほど切れやすいのさ」

 

 どちらもバットが縦に近い状態で捉えるため、外角低めは、スライス回転。内角低めは、フック回転が掛かりやすい打球になる。

 

「多少芯を外れた当たりの方が、フェアグラウンドに飛ぶ確率が高い。鳴海(なるみ)、お前、自分で言っていただろ? 捉え損ねた、とな」

「......打球が上がらなかったから、長打コースに飛んだ。いや、偶然飛んだコースが良かったから長打になったんだ」

「お前と瑠菜(るな)が話していた、別の球種を狙うというのは間違ってはいない。だがそれは、スクリューを封じ込めて初めて可能となる戦術。そのために、振り切る必要がある」

「ヒット狙いで合わせに行くのは、ダメなんですか?」

 

 瑠菜(るな)の疑問に答えたのは東亜(トーア)ではなく、鳴海(なるみ)

 

「怖くないんだよ。初回にカーブを、三番にレフト前へ上手く運ばれたけど。合わせるだけの手打ちだから、長打にならないし。むしろ手首をこねて、打ち損じてくれる可能性の方が高い」

「そう、非力なバッターなら内野フライが関の山。大物打ちでも、外野の間を破ることは稀にあっても、頭を越すような打球は先ず見込めない」

 

 優花(ゆうか)にとって、スクリューボールは、カウントを稼ぐにも、打ち取るにも好都合な球種であり、ピッチングの生命線。

 

「だから、その前提を覆す。打たされずに、打ってやればいい。ファウルは何球打とうとも、罰則は無いんだからな」

 

 相手の狙いにあえて乗ることで、相手の選択に制限を設ける。

 スクリュー狙いは、拠り所である生命線を断つための一手――封じ手となる。 



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New game19 ~大局観~

『ファウル! 香月(こうづき)、追い込まれてから外のスクリューボールを二球粘り、次が五球目』

 

 新しいボールを貰った優花(ゆうか)は、勝負を急がずにプレートを外し、いったんクールダウン。

 

「(スクリューを積極的に振ってくる。それも、合わせるようなバッティングじゃない。おそらく、しっかり狙っていけと指示が出てるわね。だけど、この程度は想定の範囲内よ)」

 

 ロジンバッグに軽く触れて間を取り、セットポジションに戻る。

 

「(トップバッターは対応してきたけど、あなたは、どうかしらっ?)」

「(さっきよりも外。このコースからなら、ボールになる......あっ!)」

 

「ストライク! バッターアウト!」

 

『球審の右腕が上がりました、見逃し三振! 最後は、アウトコースのチェンジアップ! 香月(こうづき)も粘りを見せましたが、最後は手が出ませんでしたー。ワンナウト!』

 

 一球前よりも外と判断したところへ、スクリューとほぼ同じ球速のチェンジアップ。裏をかかれ狙い通り、見逃し三振に打ち取られてしまった香月(こうづき)が、若干肩を落としてベンチへ戻る。

 

「スクリューに狙いを定めた途端、似た球種のチェンジアップを織り交ぜてきたわ」

「当たり前だ、優花(アイツ)は、戦略家。内寄りに立って、強振してるんだ、狙い球はすぐにバレる」

「なら、スクリュー狙いは逆効果?」

「言っただろ。打たされずに、打てばいい」

「スクリューはカットして、別の球種を引き出す作戦よね。だけど、チェンジアップを織り交ぜたコンビネーションは、見極めは難しいんじゃ――」

「ハァ、そんな単純な意味合いではない。そもそも、狙い球を引き出すなんてことは、勝負に勝つためには当然の策。甲子園に出るようなチームは、どこもやっている。事実今までも、そうして戦って来ただろ」

 

 太刀川(たちかわ)阿畑(あばた)猪狩(いかり)山口(やまぐち)など、幾多の好投手たちと戦い勝利を収めてきた。

 しかし、今回は、事情が異なる。

 

「初戦に帝王実業が、瑠菜(るな)に対して行った策は使えない。負けが許されるペナントレースなら話しは別だが、次戦は、中ゼロ日で連戦。フォーム修正は、間に合わない。下手に意識して追えば、致命傷になる。だから、自分の形で振らせる必要がある。その上で、攻略しなければならない相手だ」

 

 加えて既に八強を決めたチームは、アンドロメダ学園の大西(おおにし)を筆頭に、150キロを越す投手がエースナンバーを背負っている。この試合に勝利したとしても、最大50キロ近い緩急に対応しなければならない。

 

「だからこそ狙って打ち砕く、生命線であるスクリューを。そのための強振、強打。緩いボールほど、しっかり捉えなければ飛距離は伸ばせない。当てに行くようなバッティングは、失投が、失投でなくなる。二番手以降も、類似するタイプの投手が続くんだ。決め球を打ち、ダメージを与える。()()()にな――」

 

 東亜(トーア)が視線を向けた先に居るのは、三人の変則投手をリードする捕手、六道(ろくどう)(ひじり)だった。

 

 

           * * *

 

 

 打順は、トップバッターの真田(さなだ)に戻り、ここから二巡目。バッターボックスに入った真田(さなだ)は、軽く足場を慣らし、バットを構えた。

 

「(あとアウトふたつ。だけど、ここからが本当の鬼門。タイミングを外し、泳ぎながらもライト前へ運んだ一打席目のバッティング。あれは、並の打者が出来ることじゃない。少なくとも、ウチの野球部に出来る選手は居ないわ)」

 

 優花(ゆうか)も、クリーンアップを打つ妹の和花(のどか)も、成し得ないバッティング技術。

 

「(並の打者なら空振り......少なくとも引っかけるか、ポップフライになるような体勢からでも、外野へ運べるバットコントロール。インパクトの瞬間も両手だった、マグレ当たりじゃないわ)」

 

 金属バットを使用している点を考慮に入れても、体勢を崩されながらも、しっかりと懐のミートポイントまで呼び込んで捌ける技術。

 甲子園へ出発前に行われた、東亜(トーア)との真剣勝負。

 東亜(トーア)が操る、経験にない変幻自在の投球に対応するため自然と身に付いた産物。

 

「(いっそのこと勝負を避ける手も......なんて、ナンセンスにも程があるわ。もちろん理想は、リードを保ったままバトンを後続へ繋ぐこと。でもそれ以上に、経験が重要。だから二巡目(ここから)は、(ひじり)、あなたが組立(リード)なさい。この一巡の間に肌で感じ取った、あなた自身の感性で)」

 

 力強い目をして頷いた(ひじり)は、優花(ゆうか)から真田(さなだ)へ視線を移す。

 

「(このバッターは、どんなボールにも器用に対応してくるバッターだ。何より、足がある。塁に出すと厄介この上ないぞ)」

 

 バットコントロールもさることながら、驚異的な足を封じたい(ひじり)が選択した初球は、インコースのスクリューボール。真田(さなだ)は指示通り振り抜くも、一塁線を切れていってファウル。

 

「(よし、狙い通りカウントを稼げた。次は、これだ)」

 

 二球目は、インコースのボールゾーンから巻いて入ってくるスライダー。見逃して、ストライク。球種は異なるが、ほぼ同じコースで追い込んだ。更に、インコースを続ける。高めのストレートをカット、三塁側へのファウルに逃げた。

 

「(むぅ、今のを外野へ打ち上げて貰いたかったんだが、仕方ない。これを三遊間へ打たせるぞ)」

 

 ブロックサインを内野陣へ送り、腰を下ろす。

 

「(組立が少し変わった? それに何だか、テンポがいいな。ああ、そうか。初回と違って、ピッチャーが首を振らないんだ)」

 

 出されたサインに頷いた優花(ゆうか)は、間髪入れずに投球モーションに入る。四球目は、外角のボール。

 

「(外――からのスクリューか!? チィッ!)」

 

 寸分の狂いもなく、外角低めいっぱいをかすめる様にストライクゾーンへ入ってくるスクリューボール。真田(さなだ)は初回と同様に、上手く合わせて振り抜いた。強い当たりが、予め締めていた三遊間を襲う。

 

『痛烈な当たり! サード夢城(ゆめしろ)和花(のどか)、ダーイブ! が、僅かに届かない! しかし、ショートが追いついた! 深い位置から大遠投......あっと、送球が逸れた! ファースト、取れません! 六道(ろくどう)、素早くバックアップ、セカンドへの進塁は阻止しました。しかし、恋恋高校のリードオフマン真田(さなだ)、二打席連続ヒットで出塁しますッ!』

 

 防具を外し、ひと息付く。

 

「ナイスバッチです」

「全然ダメだ。今のは、打たされた。飛んだコースが良かっただけだな。あと、伝えてくれ」

 

 コーチャーの六条(ろくじょう)から、防具を回収に来た藤村(ふじむら)に伝言を託し。ベンチへ報告された。

 

真田(さなだ)先輩からです。主導権が、キャッチャーに移ったかも知れないそうです」

「やっぱり、配球が一巡目と違うわね」

「大した問題じゃない。どっちが主導権を握っていようとも、スクリューは必ず投げてくる。そいつを、確実に狙っていくまでだ」

葛城(かつらぎ)くんへのサインは? 正攻法で行くのなら、送りバント一択だけど......」

「送らせればいいだろ。ただし、スクリュー以外の球種をな」

 

 その指示がはるかを通して、葛城(かつらぎ)真田(さなだ)に伝わる。スクリューの攻略優先のため、バントの構えはせずに右打席に入った。

 

「(この回は、送ってこないのか? 相手は今、一点ビハインド、強攻策も考えられる。セオリー通り、エンドランと右打ちを警戒するぞ。優花(ゆうか)先輩は、この回で降板予定だ。こちらも出し惜しみは無しで行く。優花(ゆうか)先輩も、頼むぞ)」

「(ええ、分かっているわよ)」

 

 視線だけではなく、実際の牽制球を交え、葛城(かつらぎ)への初球を投じる。インコース低めへ食い込んでくるクロスファイアー、ストレートがコースいっぱいに決まった。

 

『ここも、ストライク先行のピッチング! 葛城(かつらぎ)への二球目、今度もインコースへ真っ直ぐがズバッと来ました! しかし、ここはやや外れて、カウント1-1』

 

「(二球とも、転がせなくはないけど難しいコースだった。七瀬(ななせ)サインは、変わらず継続か。カウント的にも来そうだよな。インサイドなのか、アウトコースなのか)」

 

 平行カウント、ストライクを取るには持って来いの場面。

 そして、そのボールで来た。アウトコースへ逃げていく、スクリューボール。

 

「(アウトサイド、追いかけないで、振り抜く......!)」

 

『あっと、打ち上げてしまいました! これは、ミスショット、一塁側ファウルフライ! ファースト、セカンド、ライトが追いかけます』

 

「オーライ!」

 

 いち早く落下地点に入ってグラブを掲げたファーストだったが、高く上がったフライは浜風に大きく流され、目測を誤り、捕球し損ねてしまった。

 

「すまん......」

「ドンマイだぞ」

 

 励ましの声をかけ、各々ポジションに戻る。

 

「(アウトは取れなかったのは痛いが、追い込めた。ここからは、ゾーンを広く使って行くぞ)」

「(ふぅ、助かった。ん? サインが変わった、バント中止か。了解)」

 

 早いカウントで追い込まれてしまったこと、真田(さなだ)の足を計算に入れ、ゲッツーはないと判断してのサイン変更。

 

「(けど、スクリュー狙いなのは変わらない。投げてくるか? いや、投げさせてやる。何球粘ってでも......!)」

 

 その思い通り、猪狩(いかり)のフォークを序盤で引き出した持ち前の粘り強さを発揮し、フルカウントまで漕ぎ着けた。

 

「さて、またしても状況が変わった。どうする?」

「エンドランよ。相手も仕掛けやすいと思っているだろうけど、彼女たちの肩では三振ゲッツーは狙えない。打たせに来るわ。右へ打たせないようにインコースで、と断言したいところだけど。あえて右方向へゴロを打たせて、併殺狙いもあり得るわね。恋恋(ウチ)が、ジャスミン戦でやったみたいに......」

「それで?」

「それでも、エンドラン。負けてるのに消極的な攻撃は、相手を助けるだけ。何より今、点には繋がっていないけど、マズいプレーが続いているわ。嫌な流れを断ち切りたいと思っているハズ。その隙に、つけ込む......!」

 

 理香(りか)の返答を聞いた東亜(トーア)は小さく笑みを見せる。

 

「まあ、及第点といったところか。もう一歩踏み込めていれば、満点だったな」

「もう一歩?」

「台所事情を踏まえれば、分かることだ。はるか」

「はいっ」

 

 サインを受け取った二人は「了解」と軽く、ヘルメットに触れる。葛城(かつらぎ)の仕草を見て、ベンチから何かしらのサインが出たことを察知した(ひじり)は、仕掛けて来そうな戦術を、頭の中で思案。

 

「(......理想は、内野ゴロを打たせて併殺だ。一番考えられる作戦は、併殺逃れを念頭に置いたエンドランが濃厚。私たちとしては、併殺を取りたい場面だ。それに何より――)」

 

 顔を上げた(ひじり)は、優花(ゆうか)を見る。

 

「(だがここは、贅沢は言えないぞ。欲張れば、傷口は広がる......!)」

「(そう。あなたは、そう考えたのね。それでいいのよ。戦局を、冷静に客観的に見られる大局観。あなたの判断は、正しいわ)」

 

『さあ、サインが決まりました! 夢城(ゆめしろ)優花(ゆうか)、ランナーに睨みを利かせ、足を上げる! そして、ファーストランナースタートを切った!』

 

 バッテリーが選んだ勝負球は、インコース。

 

「(――インハイ。やっぱり、右打ちを潰しに来た! だけど、内過ぎる。ボール......違う、これは、スクリューだ!)」

 

 ボールゾーンからストライクゾーンの膝下へ曲がりながら落ちる、スクリューボール。右打ちの警戒ではなく、バッターを仕留めにいった一球。

 

「(ランナーの進塁は仕方ない。だが、見逃せば三振だぞ!)」

 

 早々とボールと判断してしまったが、狙えと指示された変化球。葛城(かつらぎ)は、止めかけたバットを窮屈になりながらも振り切った。

 

『打ったー! いい角度でレフトへ上がったぞーッ!』

 

 スタートを切っていた真田(さなだ)は急ブレーキ、一・二塁間のハーフ地点で打球の行方を見守る。

 

近衛(このえ)、回せ!」

 

 ベンチからの東亜(トーア)の声に、この回サードコーチャーに入っている近衛(このえ)が、腕を大きく回す。

 

真田(さなだ)、走れ!」

「マジで!? 抜けんのかよッ!」

 

 改めて再スタートを切る。引っ張った葛城(かつらぎ)の打球は、レフトの頭上を越えて、ワンバウンドでフェンスに当たって跳ね返った。

 

『レフト今、クッションボールを処理、素早く中継へ送球。しかし、返ってきただけ! ファーストランナーの真田(さなだ)は、悠々とホームイン! 打った葛城(かつらぎ)も、二塁へ到達! 恋恋高校、先制点を奪われた後、すぐさま同点に追いつきましたーッ!』

 

「ナイスラン!」

 

 ベンチへ帰ってきた真田(さなだ)を、ハイタッチで出迎える。

 

「今の、スクリューだったわよね? 外野の頭を越すような打球は、見込めなかったんじゃ......」

「あれが膝下を捌く、理想的なバッティングなのさ。打った本人は、どうして飛んだのか解っていないだろうけどな」

 

 バットが先に出て、身体が後から回る。

 一瞬スイングを躊躇ったことが功を奏した一打。

 

「さて、答え合わせだ」

 

 マウンド上で(ひじり)と言葉を交わしていた優花(ゆうか)が、ベンチへ合図を送る。

 そして、場内にアナウンスが流れた。

 

『聖タチバナ学園、選手の交代をお知らせします。夢城(ゆめしろ)優花(ゆうか)さんに代わりまして、ピッチャー――』

 

 名前を呼ばれた、エースナンバーを背負う、(たちばな)みずきが、グラウンドへ姿を現した。




最後のバッティングは、OBの落合さんのインコース打ちを参考にさせていただきました。最近ですと、アルモンテ選手のホームランで少し話題になったバッティングです。


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New game20 ~姿勢~

 三回裏、同点のタイムリーを打たれた優花(ゆうか)は、二番手の(たちばな)みずきがマウンドへ来るギリギリまで(ひじり)と言葉を交わし、客席から大きな拍手が送られる中をベンチへ下がった。

 

「ここで、ピッチャー交代か。判断が速いな」

 

 早めにスタジアムへ来て、試合中継をロッカールームのテレビで高見(たかみ)と共に観戦しているトマスは、投球練習を始めたみずきの姿を見ながら言う。

 

「いや、ベストな判断なのかも知れない」

 

 初回の守備で若干欲張ったとはいえ、その後は、しっかりと各打者の情報を収集し、最後はキャッチャーの(ひじり)に主導権を渡した上で、致命傷を負う前に自ら引いた。

 

「理想を言えば四回の頭、最悪二死でスイッチしたかったんだろうけど。打者の力量を探るピッチングで球数はかさんでいたし、何より嫌な流れを切る狙いもあったんだろう」

「想定外のタイムリーで傾きかけた勢いを選手交代を利用してリセットした訳か、見事な引き際だな。それにしても、ずいぶんと伸びたな、今の打球――」

 

 ちょうど今、内角低めの難しいコースのスクリューをファウルゾーンへ切れずにレフトオーバーの同点タイムリーシーンのリプレイ映像が放送されている。

 

「しっかり芯で捉えていた、狙っていたスクリューボールを。ただ、バッテリーにとって誤算だったのは、タイミングを外したことで逆に合ってしまった。今の一打は、前へと踏み出す前進運動ではなく、回転運動で運んだ一打だ」

「回転運動? まさか、それは......」

「そう、今のは、軸固定回転(ローテイショナル)打法だ。擬似的なね」

 

 先に足を着き、軸が固定した後から振り抜いた一打。

 鳴海(なるみ)の様に前で捉えた訳でも、オープンステップで捉えた訳でもないため、打球は大きく切れることなく、外野の頭を越えた。

 

「もう一度打て、と言われても狙って出来るようなバッティングじゃない」

「マグレだったとしても、決め球のスクリューを狙った結果か。けど、結構マズくないか? 追えば、泥沼に沈みかねないぞ。渡久地(とくち)にしてやられた、オレたちにように――」

「どうかな? 彼は、チームプレーを最優先に置いている。相手投手の情報を引き出すためのカット打ち、バント、右打ち、選球眼、情報を得るためならば見逃し三振も仕方がないと割り切れるタイプだからね」

「数字には残らないが、自身の役割を理解して、期待に応えられるタイプのバッターか。粘っている間に、甘く入ったボールをヒットに出来る技術も持っている。もし、長打が加わるとなれば、守る側としては厄介この上ない打者になるな」

「しかし、二兎を追う者は一兎をも得ず――」

 

「それこそ今持っている、長所を削りかねないよ」と、言いかけたところで。高見(たかみ)のスマホに、メッセージが届いた。メッセージの差し出し人は、児島(こじま)弘道(ひろみち)。内容を確認した高見(たかみ)は、絶句した。

 

「どうした? (いつき)

 

 高見(たかみ)は、届いたメッセージをトマスに見せる。

 

「お、おい、こいつは......」

「ああ、これは――」

 

 ――大変なことになりそうだ。

 児島(こじま)から送られてきたメッセージには、臨時の選手会会議と議題の内容が明記されていた。

 

 

           * * *

 

 

「みずき! ラストだぞ!」

「オッケー、いっくわよーっ!」

 

 みずきの投げたボールは、(ひじり)が構えたミットが動くことなくピシャリと収まった。

 

「コントロールはいつも通り、気負いもなさそうね」

「お疲れさまでぇす。控え室へ行ってきまーす」

 

 キャッチボールから戻って来てそうそう、試合を観ようともせずにベンチ裏へ行こうとした佐奈(さな)を、優花(ゆうか)は呼び止める。

 

「何をしに行くの?」

「汗をかいたので、着替えてきまぁす。夢城(ゆめしろ)さんも、スゴい汗ですよぉ?」

 

 指摘された通り額も、首筋も、アンダーシャツにも大量の汗が滲んでいた。

 

「......この回の守りが終わったら、着替えるわ」

「そうですかぁ。では、お先に失礼しま~す」

「肩を冷やさないように、長居しないようになさい」

「は~い」

 

 鼻歌交じりに上機嫌で、ベンチ裏へ入って行った佐奈(さな)を見送った優花(ゆうか)は、試合を観やすい席に座り、アイシングを左腕に取り付け、逆手に持ったタオルで汗を拭う。

 

「飲み物、置いておきますね」

「ええ、ありがとう」

 

 タオルを膝の上に置き、マネージャーが用意してくれたスポーツドリンクを口に運び、大きく息を吐いた。

 

「(......結局、三回保たなかったわね。けど、ここで切れば、まだ勝負は五分。マウンドを降りても出来ることはあるわ。ここからは、采配に集中――!)」

 

 大きく吐いた息と一緒に後悔の念を出し切った優花(ゆうか)は、まっすぐ顔を上げた。

 

「切り替え速いな、アイツ。瞬時に、試合へと意識を戻した」

「強いわね。普通なら、失点を取り返そうと躍起になりそうなものなのに。躊躇なく、後輩へ託せるだなんて......」

「無名校で甲子園三回戦まで来た実績、勝負感もそこそこある、頭も切れる。おそらく、東京(こっち)へ進学するだろう。口説いて、横に付けたらどうだ?」

「そうね、考えておくわ、試合が終わったあとにね。今は、勝負に集中。余計なことを考えて、勝負所を見落とす何てことになれば、今まで積み上げてきたモノの全てが無駄になるもの......!」

「フッ、それでいい」

 

 東亜(トーア)は悠然と、理香(りか)は真剣な表情、対照的な表情(かお)で二人は、グラウンドへと目を戻した。

 

『二番手でマウンドに上がった、(たちばな)みずきの投球練習が終わりました。ワンナウト二塁、バッターは奥居(おくい)! 第一打席は、痛烈なピッチャー返しを夢城(ゆめしろ)優花(ゆうか)に阻まれ、結果的に内野ゴロに打ち取られました。奇しくも同じアウトカウント、ランナー二塁の場面。ピッチャーは代わりましたが、どう迎え撃つか? どう抑えるのか? 注目して参りましょーッ!』

 

「(オイラのところで交代か。データによると持ち球は、ストレート、スライダー、スクリュー。夢城(ゆめしろ)姉とほぼ同じスタイルで、同じサイドスロー。ただ、球速は若干上。サインは、フリーか。なら、様子を見つつ追い込まれたら進塁打、と)」

 

 優花(ゆうか)との対戦経験を元に、みずきに対するイメージを持ち、右打席に立った奥居(おくい)

 

「(このバッターは、タイミングさえ合えば初球から振ってくる。甘いコースは厳禁だぞ)」

「(はいはい、分かってるわよ)」

 

 セットポジションについたみずきは、セカンドランナーの葛城(かつらぎ)を目で制し、投球モーションに入った。バッターへ背中を見せるような独特なサイドスロー。

 

(たちばな)の一球目は慎重に、外角のボール球から入ってきました』

 

「(球速は、115キロか。数字より来てるな。タイミングは結構取りづらいタイプ。だけど、テイクバックで握りが丸見えだぞ?)」

 

 二球目は、インコース低め。振りに行った奥居(おくい)は、途中でバットを止めた。見逃しのストライク。

 

「(手元で小さく曲がった、スライダー......ストレートと同じ握りから、リリースで投げ分けられるのか。結構、厄介かも)」

「(むぅ、手を出してくれないな。大抵のバッターは、引っかけてくれるんだが。ここは、丁寧に攻めるぞ)」

 

 出されたサインにみずきは、やや不満げな表情(かお)を見せる。

 

「(なによ、ちょっと弱気なんじゃないの?)」

「(ここは、無理をする場面ではないだけだぞ。このバッターは初球を打った、データ不足でもあるんだ。三巡目以降のことを考えれば、歩かせても仕方がない。いざとなれば、あのボールで内野ゴロを打たせればいいんだ)」

「(ふーん、そう言うことなら従ってあげるけど~)」

 

 三球目、初球よりも外角のストレート。四球目は、同じコースからのスライダー。二球とも見送って、スリーボール・ワンストライク。

 

「(まったく反応しない。少しでも動いてくれれば、狙いも見えてくるのだが......)」

「タイムっ!」

 

 タイムをかけたみずきは手招きして、(ひじり)をマウンドへ呼ぶ。

 

「どうした? みずき」

「どうした? じゃないわよ。これじゃあ、ただ逃げてるだけじゃんっ」

「逃げているわけではないぞ。しっかり目的を持って――」

「あからさまなボール球を続けることがっ? 手を出させなきゃ意味ないじゃんっ」

 

「まったく、こんな時に......!」マウンド上の二人から、険悪な雰囲気を感じ取った優花(ゆうか)が立ち上がる。

 

「私だって、分かってるって。今日の相手は今までの相手と違って、私たちを見下してないことくらいね。優花(ゆうか)先輩に、何て言われたのよ?」

「まだ、同点だから。慎重になりすぎて、守りには入るな」

「でしょ? 私の良いところ、全部を引き出しなさい。それは、あんたにしか出来ないんだからっ」

「......分かった」

 

 グラブを軽く合わせた二人は、お互いのポジションへ戻る。

 その様子を見た優花(ゆうか)も「どうやら、大丈夫そうね」と思い止まり、ベンチに座り直した。

 

「お待たせしました」

「うむ。プレイ!」

 

 マスクを被って腰を下ろした(ひじり)は、目を閉じる。

 

「(みずきの言う通りだ。まだ序盤、勝ち越している訳でもなしに守りに入る状況じゃない。あくまでも、攻めの姿勢で行った上で探るぞ!)」

 

 目を開いた(ひじり)から出されたサインに、みずきは大きく頷いて、五球目を投げる。

 

「(いっくわよー! 優花(ゆうか)先輩直伝スクリュー!)」

「なっ!?」

「あっ!」

 

 リリースした瞬間、(ひじり)とみずきが揃って声を上げた。

 

「いてぇっ!?」

「デッドボール!」

 

『おーっと! ベースの前でワンバウンドしたボールが、奥居(おくい)に直撃! デッドボール! これは、双方にとって痛い一球となりましたー』

 

「大丈夫かしらっ?」

「まあ、バウンドしていたから問題ないだろが。おーい、誰か、冷却スプレー持ってってやれ」

「はーい、行ってきまーす」

 

 スプレーを持って芽衣香(めいか)は、バッターボックスへ向かった。患部を冷やして貰ってる間に、レガースと肘当てを外した奥居(おくい)は、念のためジャンプして足の感触を確かめながら一塁へ向かって歩く。

 

「ごっめ~ん!」

「いいわよ、大したことないから」

「おうよ、気にすんなーって。なんで、お前が応えてんだよ」

「いいでしょ、本当のことだし。じゃあね」

「ったく、少しは心配しろっての」

 

 芽衣香(めいか)はベンチへ戻り、奥居(おくい)はファーストベースへ。

 

「どう? 奥居(おくい)くんの、足の様子は?」

「すね当てに当たっただけでした。条件反射で叫んだみたいです」

「そう」

 

 芽衣香(めいか)から特に問題がないと聞いた理香(りか)は、ホッと胸をなで下ろした。

 

「みずき!」

「分かってるわよー。ボール、ちょうだいっ」

「まったく......」

 

『どうやら奥居(おくい)は、大事に至らなかったようで一安心。しかし、一死二塁一塁となり、四番を迎えます! タチバナバッテリー、このピンチを凌げるか? それとも、四番の仕事をやってのけるか? 注目して参りましょう!』

 

「(みずきの表情(かお)から見て、少し力が入りすぎただけみたいね。(ひじり)の方も、今のデッドボールで落ち着いたわ。次は、四番。本来の力を発揮出来れば、このピンチも乗り切れるハズよ)」

 

 優花(ゆうか)から(ひじり)へ、守備のサインが送られた。指示を受けた(ひじり)は、内野陣へ伝達。サードの和花(のどか)はそのまま、セカンドとショートは前へ出て、やや右寄りへポジションを変更。

 

「やや右寄りのゲッツーシフト。だけど、サードは定位置ね」

「ゴロを右へ打たせる自信があるんだろう。相当にな」

「右方向へゴロ打たせるボール......勝負球は、外角の変化球?」

「そう思い込ませ、内角を引っ張らせることが狙いかも知れないな。サードのポジショニングからすれば」

「......右へ打たせることが狙いって言ったのは、あなたでしょ?」

「くくく、考え方はいくらでもあるということさ。現に迷っただろ? こういった場合は、迷いを断ちきらせてやればいい。はるか」

「はいっ」

 

 はるかから、甲斐(かい)へサインが送られる。了解、と頷いてバッターボックスに入る。

 

「(結果的に一塁が埋まったけど、初球から行く?)」

「(いや、一球内側を見せるぞ。確実に打たせるためにな)」

「(りょーかい)」

 

『サインが決まりました! (たちばな)、ランナーに睨みを利かせ、第一球を――なんと、バントだ!』

 

「えっ? うっそ!」

「なーっ!?」

 

 モーションに入った瞬間、甲斐(かい)は、バットを寝かせた。セーフティではなく、しっかりと腰を落として構えた送りバント。三塁側へ転がった打球を、サード和花(のどか)が処理し、ファーストでアウトを取った。

 

「ここで、バントって......」

「例えツーアウトになろうとも、ランナーがサードにいれば投手は気を使う。ついでに矢部(やべ)も、打つしかなくなった。両者の迷いを断ちきった。そして――」

 

 内野シフトを見て、笑みを浮かべた。

 

「フッ、決まったな」

「ショートは戻って、セカンドは右寄りのままで、外野はやや前進。流し打ちを警戒している?」

「勝負球は、外角。それも、外へ逃げる変化球だ」

「なら、やることは同じ。追いかけないで振り切る」

「そういうことだ」

 

 甲斐(かい)とタッチを交わした矢部(やべ)が、入れ替わりでバッターボックスで構える。

 

「さあ、来ーいでやんすー!」

「(四番でもバントをするチームとは知っていたが、まさかここでしてくるとは......。次の六番には、優花(ゆうか)先輩のスクリューを打たれている。もう、待ったなしだぞ!)」

「(オッケー、初球から仕留めに行くのね)」

 

 気合い十分の矢部(やべ)よりも、ネクストの鳴海(なるみ)のことを警戒して、初球から勝負へ行く。東亜(トーア)の読み通り、外角のボール。

 

「(速い、これはストレートで......落ちたでやんす!?)」

 

 矢部(やべ)がストレートと思ったボールは若干沈み、その上――。

 

『外角の変化球を引っかけてしまった! 予め右寄りにポジションを取っていたセカンド正面へのゴロ! 慎重に捌いて、一塁へ送球――アウト! 矢部(やべ)、ヘッドスライディングも一歩及びませんでしたー!』

 

「よっしっ!」

「みずき、ナイスピッチだぞ!」

 

 ピンチを凌ぎ、意気揚々とベンチへ戻るタチバナナインとは対照的に、ユニフォームを土で汚した矢部(やべ)は重い足取りで戻って来た。

 

「申し訳ないでやんす......」

「落ち込んでたって始まんねーよ。それで?」

「はいでやんす。ストレートが沈んだと思ったら、曲がりながら逃げていったでやんす!」

「ストレートが沈んで......曲がりながら逃げた? どう言うこと?」

 

 理香(りか)は、更に突っこんで聞く。

 

「前のピッチャーのスクリューとも違う、初めて見る軌道の変化球でしたでやんす」

「とにかく、打席のことは引きずるな。取り返すチャンスは、いずれ来る」

「はいでやんす! 守備で貢献してくるでやんす!」

 

 ビシッと敬礼して、グラブを持つとグラウンドへ走っていった。

 

「いったい、何を打たされたのかしら?」

「さあな、情報が少なすぎる。どうにせよ、何かしらのカラクリはある。仕掛けを暴けばいいまでのこと。やることは変わらないさ。まったく、厄介な相手だな」

 

 そう言いつつも、どこか楽しんでいるような笑って見せる東亜(トーア)だった。



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New game21 ~メッセージ~

お待たせしました


 五番から始まる四回表の攻撃を、多少多くの球数を使いながらも三人で退け裏の攻撃。東亜(トーア)は、この回先頭バッターの鳴海(なるみ)に自ら直接指示を出して、グラウンドへ送り出した。

 

「何を、指示したの?」

 

 ベンチに座り直した東亜(トーア)に、理香(りか)が聞く。

 

「なーに。行けると思ったら、迷わず狙っていけ、と言っただけさ」

「そう」

 

 話しを聞いた理香(りか)は、前へ向き直し。タチバナ学園ベンチは、東亜(トーア)が直接指示を送ったことに警戒心を強めた。

 

「(何か、指示が出たわ。どんな作戦を打ってくるか、常に警戒を怠らないように)」

 

 降板後、采配を振るう優花(ゆうか)は、バッテリーへ向けて注意を促す。

 

「(うむ。みずき)」

「(分かってるって。チャンスで四番に、送りバントさせてくる相手(チーム)なんて、今まで対戦したことないし)」

 

 鳴海(なるみ)に対するタチバナバッテリーの初球、外角低めのスライダー。慎重に、一番遠い逃げる変化球を選択した。

 

「(――来た、自分の形で!)」

 

 ストライクからボールになるスライダーを鳴海(なるみ)は迷わずに、自分の形で振り向いた。ややバットの先で捉えた打球は詰まりながらも、サード和花(のどか)の頭上を越えてポトリと落ちた。

 

『サードの後方、レフトの前へ落ちました! 鳴海(なるみ)、右へ左へ今日は二打数二安打、当たっています。そして、ノーアウトから勝ち越しのランナーが塁に出ました!』

 

 この結果に驚いていたのは、タチバナナインよりも、理香(りか)を始めとした恋恋ナインの方だった。

 

「今の、スライダーだったよね?」

「ええ、ストライクからボールになるスライダーよ。まるで、最初から狙っていたみたいだったわ」

 

 まさかの初球打ちを疑問に思う、あおいと瑠菜(るな)理香(りか)は、東亜(トーア)にことの真意を確かめる。

 

矢部(やべ)くんが打たされた、例の変化球を探るんじゃなかったの?」

「誰が、そんなことを言った? 俺はただ、『行けると思ったら、迷わず狙っていけ』と言っただけだ。当然、例の変化球も含めてな」

「......だけど今のは、ボール球だったわよ? フォームの歪みは?」

「それも言った。打たされずに、打てばいいと。自分の形で振れさえすれば、ボール球だろうと問題ない。ファウルなら打ち直し、上手く行けば今の様にヒットになる。特別問題はない。そしてこれで、お膳立ては調った」

 

 七番藤堂(とうどう)はツーボールの後、手堅く送りバントを決めて、一死二塁、勝ち越しのランナーをスコアリングポジショニングへ進めた。

 

「警戒していたけど、素直に送らせてくれたわね、例の変化球も使わなかったし」

「二球様子を見て、強行策はないと断定した。シフトからみてもアレは、ゴロを打たせるための変化球(ボール)。相手にとっては、鳴海(なるみ)がセカンドに居ることよりも、ランナーが入れ替わって、藤堂(とうどう)が残ることを嫌った」

 

 ランナーが居ても、タメがやや長いフォームのため、優花(ゆうか)の時以上に盗塁は容易い。二盗、三盗からの内野ゴロで一点という状況になってしまう可能性を嫌った。

 

「あれ? じゃあ、送りバントは、相手の思惑通りってことですよね?」

 

 芽衣香(めいか)が、首をかしげた。

 

「同時に、こちらの思惑通りでもある。片倉(かたくら)は左打者、送球の邪魔になる障害物(カベ)がない訳だから三盗のリスクも軽減される。バッテリーは、バッター勝負に専念出来るということだ。つまり?」

「あっ、バッターを打ち取りに来るんだ、例の変化球で!」

「そういうことだ」

 

 芽衣香(めいか)の疑問に答えた東亜(トーア)は、タチバナバッテリーへ視線を移した。

 

「試合中はもちろん、練習、ベンチでの仕草や挙動を注意深く、神経を研ぎ澄ませ、観察していると。相手の思考や思惑、内情までもが透けて見えてくるような感覚を覚える。しかしそれはまだ、ほんの僅かな上澄み過ぎない。更に一歩、奥深くへと踏み込む。時に、己の首を差し出し、刺し違えてでも掬い取る。心理の奥底にあるモノを、根こそぎ、全て――」

 

 不気味さと緊張感が入り混ざった妙な静けさが、ベンチ内を漂う。その空気を消し飛ばすかのように、不気味な雰囲気を醸し出していた張本人である東亜(トーア)は、軽く笑って見せた。

 

「そこまで踏み込めなんて言わねーよ。見えなくていいものまで、見えてしまうこともあるからな」

「そう言われると、逆に見てみたいような気が......」

「本当に、知りたいのか?」

「やっぱり、いいです!」

 

 念を押され、慌てて首を横に振る芽衣香(めいか)

 

「フッ、まあ、観察力は何かと役に立つ。例えば、キャッチャーのリードから、相手投手陣の力量や台所事情を探ることも可能だ」

「キャッチャーのリードから、ですか?」

 

「分かりやすく行くか」と、瑠菜(るな)の質問に答えるため試合を見ながら解説を行う。カウントは今、ワンエンドワン。みずきは、いったんプレートを外し、ロジンバッグを手に間を取っている。

 

片倉(かたくら)へ対して初球は、内角のストレートから入った。見逃しのストライク。二球目は、外角のスライダー。鳴海(なるみ)にレフト前へ運ばれたコースよりも外へ逃げる、ボール球。次の一球が、重要な意味を持つ。打たせに来るのか、それとも、カウントを整えに来るか......」

 

 サインに頷いたみずきの三球目、初球よりもやや甘めのインコース。

 

「(――初球のストレートよりも緩い、スライダー? いや、違う。これは、スクリューだ......!)」

 

 沈む変化球に、咄嗟に左手を離し、右手一本で辛うじて当てた。打ち損なった打球は高く上がり、一塁側の防護ネットに当たって、ファウルグラウンドへ跳ね返った。

 

「何とか食らいついたって感じね。でも、いいの?」

「アイツは、例外。好きに打てと伝えている。中ゼロ日の連戦での出場を回避させ、以降は調整に専念させる。多少崩れても、修正時間に余裕がある」

「なるほど、ね」

 

 理由を聞いた理香(りか)は、納得した様子で小さく頷いた。

 

「でだ。今の一球で判明したことは、バッテリーは、早めの勝負を望んでいるということ。次は、例の変化球で来る。追い込んでいる訳だから、必ず手を出してくると計算した上で」

「なら、また調べさせる? 夢城(ゆめしろ)さんの、スクリューボールを調べた時のように」

「いや、今回は、あえて打ちにいかせる。打ちにいくことで、二通目のメッセージを送る」

「二通目?」

「一通目は、既に送信済み。相手も受託している。それも、確認済み。正確には、“今も、送り続けている”か。一時的に寄り戻したが、意識の中には刻まれている。そいつを、より一層意識させるためのメッセージ」

 

 はるかを通し、フリーとサインを受け取った片倉(かたくら)は頷いて、バットを構える。

 

「(スクリューは、前の投手の方が大きく変化した。ストレートとスライダーは、少し速い。でも、基本的に両サイドの低めの出し入れで組み立てるところは共通してる。ストレート、スライダー、スクリュー、三つも見せて貰った。どれも決め球になる様なボールじゃなかった。となると――)」

 

 矢部(やべ)を打ち取った、決め球で勝負に来る。

 読み通り、ピッチャー有利のカウントから、その変化球が放られた。

 

「(速い、ストレート......沈んで、曲がった!?)」

 

 膝下へ沈みながら食い込むような独特の変化する、ストレートと球速差が小さい変化球を打たされてしまった。ファーストへの、平凡なフライ。セカンドランナー鳴海(なるみ)は動けず、ツーアウトランナー二塁。

 

「ナイスピッチだぞ、みずき!」

「ふふーん、当然の結果よね~! ツーアウトー!」

 

 バックを盛り上げ、ラストバッターの香月(こうづき)を迎え打つ。打席で対峙した印象を彼女に伝えた片倉(かたくら)が、ベンチへ戻ってきた。瑠菜(るな)がさっそく、打席での印象を尋ねる。

 

「どうだった?」

矢部(やべ)先輩が言っていた通りでした。手元で沈んで、大きく変化して食い込んできました。少なくとも、スクリューではないです」

「利き腕の方向へ変化する速球系のボールなら......シュートか、ツーシームかしら?」

「いえ、シュートよりも速くて、ツーシームより変化は大きいです」

「ふたつの特徴をミックスしたボール? その上、手元で沈む変化球なんて聞いたことないけど......」

「そう、深く考え込むな。術中に嵌まるぞ」

 

 目を落として、考え込んでいた瑠菜(るな)は、東亜(トーア)の声を聞いて顔を上げた。

 

「まだツーアウト、チャンスは続いている。はるか、片倉(かたくら)の時と同様、終始フリーサインで行く」

「はいっ!」

 

『ベンチからのサインを受け取った香月(こうづき)が、右のバッターボックスで構えます! (たちばな)、このピンチを無失点で切り抜けることが出来るか?』

 

 初球、内角低めいっぱいのストレート。

 

『クロスファイアー! 対角線上、膝下へズバッと来ました! 香月(こうづき)、空振り!』

 

 みずきは、先の優花(ゆうか)よりも一塁寄りから投げ放る。対角線上へ来るクロスファイアーのストレートには、より角度が加わる、右バッターに対して強力な武器。今までの経験上、強打者に対しても十分に有効に働くと把握している(ひじり)も、惜しみなく使っていく。二球目は、初球よりボールひとつ分内側へ外したストレート。芯を外し、バットの根本付近に当たった打球は、三塁線へのボテボテのゴロ。ラインを切れて行き、ファウル。香月(こうづき)を、二球で追い込んだ。

 

「(今のは、ボールだったかな? 追い込まれちゃったし、ゾーンを少し広めに意識していかないと......!)」

 

 意識を新たに構え直す、香月(こうづき)

 反対に(ひじり)は、頭を悩ませていた。

 

「(......追い込んだのは、追い込んだんだが)」

「(どうする? 三球勝負に行く? タイミングは、合ってなさそうだけど?)」

「(確かに、タイミングは合ってない。ただ、当ててきた。それに......)」

 

 (ひじり)は、前回の打席を思い返す。優花(ゆうか)のストレートを、肘を畳んで上手く捌いたバッティング。外角のスクリューに対しても、しっかり振ってきたことを。

 

「(ここは先に、緩い変化球を見せておくべきだったか。ツーアウト、ランナーはスタートを切る。打球によってはワンヒットで、勝ち越されるぞ)」

 

 今のは、腰を引かせるために要求したボール。そして、ボールにしておきたかった一球。初回の優花(ゆうか)と、同じ立場に立ってしまった。平行カウントにして、緩い変化球を見せ球にしたかったが、先に追い込んでしまったことで、逆に変化球を要求し辛くなってしまった。

 

「(いったん、間を取りたいところだが......今取ると、変化球を見せたい狙いが読まれるかも知れない。それなら――)」

 

 みずきへ視線を戻した(ひじり)は、サインを送った。頷いたみずきはセットポジションに入り、ボールをやや長く持って、(ひじり)の合図でクルッときびすを返す。

 

『セカンド牽制! 判定は、セーフ。鳴海(なるみ)は、足から戻りました。タチバナバッテリーは、ランナーの警戒も怠りません!』

 

 ベースカバーに入ったショートから、みずきへボールが返される。集中していたところでの牽制球に香月(こうづき)は、一息ついた。

 

「(よし、ひとまず間を取れた。これで、外角の変化球も使えるし。もう一度、インコースを行けるぞ)」

「(そう、それでいいのよ。間を取る方法は、ひとつじゃないわ。他にも、こう言う方法もあるのよ。それに今ので、牽制があることをランナーに意識させられた)」

 

 優花(ゆうか)は、外野手を気持ち前進させるよう指示を送り、(ひじり)を通じて、ナインたちへ伝達。外野手が、定位置から一歩前へポジションを変える。

 

『三球目、外の変化球。これは外れて、ボール!』

 

 スクリューを外角へ外し、四球目。 外から入ってくるスライダーをカットして、ファウル。カウント変わらず1-2。

 

「(やはり、あからさまなボール球以外は手を出しくる。だったら、振って貰うぞ)」

「(もう、待たせ過ぎよ!)」

 

「三球勝負で、よかったのに!」と、やや不満げな表情(かお)でサインに頷いた、みずきの勝負球――外角へ逃げていく変化球で空振り三振に切って取り、負け越しのピンチを脱した。

 

「最後のボール、テイクバック時の握りは見えたか?」

 

 ベンチへ戻ってきた香月(こうづき)に、東亜(トーア)は尋ねる。

 

「はい。えっと、ストレートとスライダーと同じ握りでした」

「そうか、分かった」

「はい、グラブと帽子。防具は、片付けとくから」

「ありがと。行ってきまーすっ」

 

 藤村(ふじむら)に礼を言って、グラウンドへ駆け出していった。

 機嫌良く、ベンチでドリンクを飲んでいるみずきを見て、東亜(トーア)は笑みを浮かべた。

 

「クックック......見えたな。あの変化球は、速球だ」

「速球......と言うと、ファストボールですか?」

「それって、ヒロぴーと同じ?」

「正確には、速球の亜種。原理で言えば、お前の“マリンボール”に近いと言った方が解りやすい」

「ボクの、“マリンボール”に近い、ファストボール?」

 

 変化球と速球、相反するふたつの球種を複合させたボール。

 

「サイドスローの特性と背中を向けるフォームの遠心力をフルに活用した、ボール。あのボールの最大の特徴と言って差し支えない独特な軌道の正体は――回転軸にある」

 

 一般的なストレートは、地面と平行に近い回転軸になるように投げる。

 しかし、みずきが投げる、まるで三日月の様な変化をする変化球――“クレッセントムーン”は、回転軸がほぼ垂直に近い。そのため揚力が生まれず、重力と横回転の影響を受け、若干沈みながら利き手方向へと流れて行く。

 

「ストレートとスライダーをリリースで投げ分けられるほど器用。背中を見せるほどの長いタメ、おそらく、通常のストレートと同等以上の回転を掛けて放っている。元々シュート回転しがちなサイドスローのウイークポイントを逆手に取って、強力な武器へと変貌させた」

「それで、ストレートに近い球速で変化球の様に大きく曲がるのね......とんでもないボールね」

「あの、それで、あおいの“マリンボール”に近いと言うのは?」

 

 感心している理香(りか)の隣から、瑠菜(るな)が改めて聞いた。

 

「“マリンボール”も、球速と変化を両立させているだろ。方向性が違うというだけの話しさ」

「方向性、回転軸......そっか、あおいの“マリンボール”は、横ではなく、縦に作用させているんですね!」

「その通り。それが、“マリンボール”の正体」

 

 東條(とうじょう)へ投げた高速シンカーを会得しようと躍起になっていたあおいは、海で自然に落下したボールを見て閃いた。それまでは、シンカーをベースに試行錯誤をしていたため抜くように放っていたのを、通常のシンカーよりも回転を掛け、更に自由落下を利用し、より縦に近い変化へと変えることで、球速と変化を両立させた。

 

「あーあ、バレちゃった~」

「くくく、しかも“マリンボール”は、ストレートと同じく、いったん浮くような軌道から急降下するため見極めは困難。まったく、タチの悪い変化球だ」

「それ、よろこんでいいんですか......?」

 

 微妙な表情(かお)をしているあおいに対し「好きにしろよ」と、笑って見せた東亜(トーア)は、グラウンドへと目を戻す。片倉(かたくら)が、幸先よく八番をアウトに取ったところだった。

 

「とにかく、決め球の秘密は判明した。次は、攻略だ」

 

 視線の先には、バッターボックスへ向かうみずきの姿があった。

 



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New game22 ~決断~

お待たせしました。
対聖タチバナ学園戦、完結編です。


 五回表聖タチバナ学園の攻撃は、一死からみずきがフォアボールで出塁、打順は先頭へ戻り、手堅く送りバントを決めて、スコアリングポジションへランナーを進めた。そして、新島(にいじま)が、外角のストレートを逆らわずにレフト前へ弾き返し、タイムリーヒット。下位打線で作ったチャンスをモノにして、二対一と勝ち越した。

 

『ツーアウトランナー一塁から、夢城(ゆめしろ)和花(のどか)の当たりは、ライトフライ。良い角度で上がりましたが、もうひと伸びありません! しかし、試合中盤、貴重な勝ち越し点を奪い取りました!』

 

 ラストバッターみずきへ与えた四球をきっかけに一点を献上してしまったものの、追加点は与えず三つ目のアウトを取って戻ってきた鳴海(なるみ)は、プロテクターを外しながら東亜(トーア)と会話。

 

「ショートへ打たせたつもりが、上手く拾われました。防げた失点です」

「フッ、求めすぎだな。五回二失点、上出来じゃねーか。結果的に、いい役目も果たしてくれた」

 

 五回まで試合を作った片倉(かたくら)のピッチングを称えた東亜(トーア)は、先頭バッターの真田(さなだ)と、ネクストの葛城(かつらぎ)に声をかける。

 

「さて。先頭から始まるこのイニングは、この試合を左右する重要なイニングになる。そこでだ――揺さぶれ、徹底的に。その結果、三者凡退でも構わない。ただし、自身の形は崩すな。それだけは、頭に入れて臨め」

 

 ――はい! と力強く返事をした二人は、ネクストバッターズサークル付近で会話をしながら、打席に備える。聖タチバナ学園の方も準備が出来た選手たちが、ベンチからグラウンドへ駆けていく。

 

(ひじり)。解ってると思うけど、この回が重要よ。多少無理してでも、この回を乗り切れば、僅かに余裕が生まれるわ」

「うむ......!」

 

 (ひじり)を送り出した優花(ゆうか)は、ベンチに腰を下ろす。しかし、勝ち越したにも関わらず、彼女は浮かない表情(かお)をしていた。

 

「(確かに、勝ち越せたのは、大きい。だけど、取り方としては最悪に近い......)」

 

 四球、送りバント、タイムリーヒット。相手のミスからの得点、流れとしては最高の形だが。しかし、ホームへ還ってきたランナーが、投手のみずきであったことが、彼女にとって想定していた中で最悪のシナリオだった。

 ツーアウトのため、バットに当たった瞬間にスタートを切る。例え、ファウルであろうとも。事実、タイムリーヒットが生まれるまでの間に、セカンドランナーのみずきは、二度スタートを切った。そして、ホームまで全力疾走。

 

「(送りバントでも走らされたし。そもそも、セカンドで封殺を狙えたかもしれないピッチャーの正面へ転がったのに、みずきには目もくれなかった。早紀(さき)のタイムリーのあとも、スコアリングポジションにランナーを残して迎えたクリーンナップを相手に慎重になるどころか、和花(のどか)の考えを見透かしたように簡単にストライクを二つ取って、最後は力のあるストレートを、見逃せないインコースのストライクゾーンでの三球勝負で、逆風が吹くライトへ打たされた)」

 

 嫌な点の取られ方をし、流れを変えたかったとはいえ、イニングの途中でマウンドを降りてしまったことを悔やんだ。外野、もしくはファーストへ付く選択肢もあったのではないかと。しかし、そんな考えはすぐに改める。投手へ専念し、みずきと佐奈(さな)と分業制を敷いてきたからこそ、ここまで来ることが出来た、と。

 

「(――まさか、わざと......? だとしても今、点を取りに行ったことは決して間違いじゃない。ウチが勝つには、リードを保ってロースコアの展開へ持っていくしかないんだもの。この五回裏を乗り切ることが出来れば、グラウンド整備が入る。身体を休める時間を幾分取れるわ。この裏さえ乗り切れば――)」

 

 優花(ゆうか)は、東亜(トーア)へ目を向ける。

 

「(でも、あの人が、都合の良いことを許してくれるハズはないわ。だから(ひじり)、みずき、出し惜しみは無しよ。全部使って、乗り切りなさい。まだ、打てる手はある――)」

 

 イニング間の投球練習が終わり、先頭バッターの真田(さなだ)がバッターボックスへ入る。タチバナバッテリーは、じっくり時間を掛けて、サイン交換。

 

(たちばな)六道(ろくどう)のサインに頷き、足を上げた――セーフティバント! 真田(さなだ)、バットを引いて判定は、ストライク! そして、今度は最初からバントの構えを見せます!』

 

「(やはり、走塁の疲労が抜け切れていないところ狙って揺さぶって来たぞ)」

「(言われなくても、分かってるわよ。てゆーか、これって、本気ってことでしょ? 潰しに来てる、私を、本気で!)」

「(まったく、そんな嬉しそうな顔をするな。とにかく、守備は野手陣(バック)に任せろ。みずきは、投げることだけに集中するんだ、いいな?)」

「(はいはい、りょーかい)」

 

 サインに頷き、二球目。外角のスライダー。

 

「(――際どい、ボールか? けど、そこは届くぜ!)」

 

 バット引いて、ヒッティング。三塁線を切れて、ファウル。

 

「(むっ、バスターでも、しっかり振り抜いてくる。中途半端な誘い球は、逆に危険か......?)」

 

 受け取った新しいボールのキズを確かめつつ、休ませる時間を作る。その姿に、理香(りか)は若干感心していた。

 

「意外と“したたか”ね。予選大会、甲子園も三回戦まで勝ち上がってきてるんだから当然なのかも知れないけど」

「フッ、全然あめぇーよ。俺なら、送りバントが決まった直後、滑り込んだ時に足首捻ったとか、テキトーな理由をでっち上げて、臨時代走を出させている」

「......そもそも、休ませざるを得ない機会を作らないのね」

「まーな。でだ、鳴海(なるみ)

「はい」

「何か、変化はあったか?」

 

 ベンチの奥で、水分補給と汗を拭っている片倉(かたくら)へ視線を送りながら聞く。

 

「いえ、正直コレと言っては。むしろ、ボールは走っています。帝王戦より腕も振れてますし」

 

 聞かれた鳴海(なるみ)も、東亜(トーア)と同様に違和感を覚えていた。みずきへ与えたフォアボール、あれはサインではなく、突然制球を乱した結果のフォアボール。

 

「......まあ、何かあれば、実際に受けているお前にしか気づけない予兆があるハズ。何でも構わない、すぐに知らせろ。不測の事態に備えて準備は進めておく」

「――はい!」

 

 真剣な表情(かお)で頷いた鳴海(なるみ)は、再びグラウンドへ視線を戻した。

 

『さあ、フルカウント。次が、六球目。膝下へ切れ込むユニークな高速の変化球! 真田(さなだ)、上手く捉えましたが、打球は上がりません! ファーストの横!』

 

「(ファーストゴロ!? 最悪だ!)」

「(任せろって言われても、行くしかないじゃんっ)」

 

 ファーストは打球の処理へ向かい、投げ終えたみずきはマウンドを降りて、一塁のベースカバーへ走る。

 

(たちばな)、任せろ!」

「あ、お願いしまーす!」

 

 みずきを制し、一塁ベースカバーにはセカンドが入った。

 逆シングルで捕球したファーストからの送球は、やや際どいタイミングになるも、先ずはしっかりワンナウトを奪った。

 

『アウト! 真田(さなだ)、自慢の俊足で内野安打かと思われましたが、ここは、タチバナ学園の守備が勝りました! ワンナウトランナー無しで、バッターボックスには前の打席、同点のタイムリーツーベースを打った葛城(かつらぎ)が立ちます!』

 

「(このバッターは、こういう場面では一番厄介な相手なのかも知れないぞ。先ずは、これで――)」

「(二打席目は、自分でもビックリするくらいインコースを上手く打てた。キャッチャーにも残っているハズ、なら――)」

 

 アウトコースボール球のストレートに対し、踏み込んで狙い打ち、逆方向へ上手く押っ付けた。元々悪球打ちを苦にしない葛城(かつらぎ)には、持って来いのボール。打球は一・二塁間を破り、ライト前ヒット。

 

「(――初球打ち、しまった、待球策だと決めつけすぎた......)」

「タイム、お願いします」

「あ、優花(ゆうか)先輩......」

 

『聖タチバナ学園、守備のタイムを取りました。ここで、伝令が出ます』

 

 優花(ゆうか)はタイムを取り、自ら伝令としてマウンドへ向かう。みずきを中心に内野陣が集まる。

 

「切り替えなさい。三番は、敬遠気味のフォアボールで歩かせる手もあるけど、一点を惜しんで大量失点なんてことになれば最悪よ。それこそ、もう取り返しがつかなくなるわ。三番、四番でひとつアウトを取れれば、今日当たっていない五番で切れる確率も高い。逆に、当たっている六番へチャンスで回さないことが重要よ」

「では、ここはバッター勝負に集中ということだな」

「ええ、その通り」

「まっ、最初から、そのつもりだし」

「では私たちは、無理にダブルプレーは狙わず定位置で守りましょう。(たちばな)さん、ボールが少し高めに浮いています。走塁の直後で疲労も残っていると思いますが、もう一度下半身を意識してください」

「おっけー」

 

 審判が注意を促しに来る前に、再度確認を行い各々戻っていく。ポジションに付いて、一死一塁から試合再開。三番奥居(おくい)が、バッターボックスで構える。

 

「(多少のボール球であろうと、タイミングさえ合えばお構いなしに狙って来る。ならば、ここからは全球勝負球のつもりで挑むぞ......!)」

 

 頷いたみずきの、奥居(おくい)への初球――。

 

「(握りは、真っ直ぐ――)」

 

 奥居(おくい)は、打ちに行きながら球種を見定める。

 

「(――緩い)」

 

 内角低めいっぱいに、スライダーが決まった。

 

「(いいコースだな~。前の二人には、そこそこ甘いボールもあったし、ちょっと粘ってみるか)」

 

 二球目、アウトコースのクレッセントムーンをカット、同じボールを続けた三球目を見極め、カウント1-2。

 

「(......簡単に見られた。やはり、このバッターは別格だ。この打者を打ち取れる配球――)」

「すんません、タイムお願いします」

 

 なかなかサインが決まらないことに奥居(おくい)は、間を嫌ってタイムを要求し、いったん、バッターボックスを外した。

 

「(結構、時間掛けるな。たぶん、スゲー悩んでる。けど、投手有利のカウントだし、まともなストライクはまず来ない。落ちる変化球は、スクリューだけだ。さっき当てられたけど、使ってくるか? とりあえず、頭に入れておくとして。さて、どうすっかな?)」

 

 奥居(おくい)は、素振りをしながら改めて守備位置を確認。

 

「(シフトは、定位置に近いぞ。となると......コレとか、面白いんじゃね?)」

「(えっ? マジか。けど確かに、頭にないかもな。オッケー)」

 

 奥居(おくい)が出したサインに一瞬驚いた葛城(かつらぎ)だったが「了解」と、ヘルメットに触れて答えた。奥居(おくい)がバッターボックスに戻り、試合再開直後のボールは――。

 

「(スクリューだ!)」

「なー!」

 

 テイクバックの握りで球種を読んだ奥居(おくい)は、バットを寝かせると打ち上げないようにボールを転がした。

 

『なんと! 奥居(おくい)、スリーバント! ボール球のスクリューボールを、上手くファースト方向へ転がした!』

 

 守備位置が定位置だったため、セカンドは間に合わないと判断した(ひじり)は、ベースカバーをみずきに任せざるを得ない。

 

「くっ、みずき!」

「まっかせなさいっ!」

 

『打球を処理したファースト、一塁へ送球! しかし、奥居(おくい)は足も速い! 際どいタイミング――』

 

 ベースカバーに入ったみずきのグラブに送球が収まる寸前、和花(のどか)が声を張った。

 

「サードです!」

「え......うっそでしょ!?」

 

 バットに当たる前のタイミングでスタートを切っていた葛城(かつらぎ)は、迷うことなくセカンドベースを蹴って、サードを狙っていた。優花(ゆうか)が二回に執った策と同じ、バント・エンドラン。一塁はアウトになったが、サードのタッチプレーは間に合わず、思惑通りサードを落とし入れた。二死三塁。

 

「(まさか、こんな手を使って来るだなんて――だけど、一番厄介な三番をアウトに取れたのは大きい。優花(ゆうか)先輩の狙い通りの展開だ。あとひとつ、四番、五番のどちらか取りやすい方で取ればいい)」

 

 気持ちを切り替え、マスクを被り直した(ひじり)は、マウンドへ戻ってきたみずきに声をかける。

 

「みずき、ツーアウトだぞ!」

「――分かってるって、ちゃっちゃと終わらせるわよっ」

 

 みずきも、(ひじり)の言葉に力強く答えた。

 しかし東亜(トーア)は、彼女の強気な声に混ざる不純物を汲み取った。

 

「おや、勝ち気な表情(かお)とは裏腹に案外と、脆い一面があるようだな」

「強がりってこと? けど、ちょっとくらい動揺しても仕方ないと思うけど」

「くくく、予め想定してしかるべきだろ。何せ、自分たちが同じ策を講じていたのだからな」

「確かに、ね」

 

 しかも、タチバナ学園の奇襲は不発に終わり、恋恋高校の奇襲は成功。この事実は、現時点でリードしているとはいえ、重く残る。更に、三イニング続けてのピンチを背負った場面での投球、身体の疲労に加え、精神的疲労も相当なモノ。

 

『ボール! 二球続けて、はっきりと分かるボール球! (たちばな)、ストライクが入りません!』

 

「(マズい。みずきは、打たれ強い方じゃない。いっそのこと歩かせて、プレッシャーに強い佐奈(さな)を――)」

 

 冷えないようにタオルを肩にかけて、ベンチの奥で涼んでいる佐奈(さな)に目を向ける。

 

「(......無理ね。今ここで代えたら、九回を戦い抜けない。佐奈(さな)の投入はどんなに早くても、次の回の頭から。それだけは、揺るがせない)」

 

 選手交代を思い止まった優花(ゆうか)は、グラウンドへ目を戻す。みずきは結局、四番の甲斐(かい)を歩かせ、五番の矢部(やべ)との勝負を選択。はるかを通し、指示を貰った矢部(やべ)は、気合い充分で打席に入る。

 

「さあ、来ーいでやんす!」

 

『ツーアウト三塁一塁、一打同点、長打が出れば逆転の場面で迎えるは、魅惑のメガネボーイ矢部(やべ)明雄(あきお)! 先の二打席は、夢城(ゆめしろ)優花(ゆうか)(たちばな)みずき、二人の魅力的な投球に手玉に取られましたが、この打席はどうか?』

 

「(フォアボールで歩かせた直後の初球は、危険だ。だが、またボール先行になれば後手に回る。ここで切らなければ――)」

 

『さあ、サインが決まりました。(たちばな)、ランナーを牽制し、矢部(やべ)への初球――甲斐(かい)、スタートを切った!』

 

「(盗塁、ディレイドか!? いや、違うっ)」

「(――初球でやんす!)」

 

 東亜(トーア)の指示は――初球は必ず、ストライクからボールになる、例の変化球で空振りを取りに来る。逆らわずに狙い打て。

 

矢部(やべ)、打った! ライナー性の打球が、ライトへ飛んだーッ!』

 

「ライト! 新島(にいじま)先輩!」

「くっ......!」

 

 懸命にグラブを伸ばすも、新島(にいじま)の前で打球は弾んだ。

 

『落ちたー! 矢部(やべ)の打球は、新島(にいじま)の前でワンバウンド! 三塁ランナーホームイン! スタートを切っていたファーストランナーもサードを蹴った! 新島(にいじま)、バックホームーッ! が、間に合いません! 恋恋高校、逆転ッ!』

 

「アウトー!」

 

『おっと、これは、セカンドのナイス判断! 送球をカットし、先の塁を狙った矢部(やべ)をタッチアウト。逆転は許しましたが、スリーアウトチェンジです!』

 

 しかし、矢部(やべ)のタイムリーヒットで逆転に成功。

 逆転の一打を浴びたみずきは、肩を落としてベンチへ戻る。

 

「すみません、絶対に打たれちゃいけない場面で......」

「いや、みずきのせいではない。私の責任だ。クレッセントムーンなら空振りを、あわよくば打ち取れると安易にいきすぎた。しっかり外さなければ、狙い打ってくる相手だと分かっていながら......」

「悔やんでも仕方ないわ。みずき、次の回に備えて、しっかり休息を取りなさい」

「えっ? 交代じゃないんですか?」

「なぜ? しっかり打ち取っていたわ。相手が、エンドランを仕掛けていなければ、ね」

 

 今の一打は、ファーストランナーの甲斐(かい)が走ったことで出来た内野の間を抜けた打球。仮に定位置であれば、セカンドへのハーフライナーで打ち取られていた。

 

「相手はまだ、捉えきれていないわ。結果的に、得点に繋がっただけ。それに――」

 

 優花(ゆうか)は、恋恋高校のベンチ前へ目を移した。みずきたちも、同じように見る。三人の目線の先には、あおいが、軽くキャッチボールをしている姿が映った。

 

「どうする? 降りるのなら望み通り、佐奈(さな)に継投するけど?」

「投げます!」

 

 あおいの姿を見て、みずきの眼に力が戻った。

 

「なら、アンダーシャツを着替えて、水分補給も済ませておきなさい。野手は、集合」

 

 野手陣を集めた優花(ゆうか)は、次の攻撃について話す。

 ネクストバッターズサークルから戻ってきた鳴海(なるみ)は守備の支度をしながら、東亜(トーア)と会話。

 

「見ての通り、保険は掛けた」

「はい、受けてきます。片倉(かたくら)くん」

 

 片倉(かたくら)とブルペンへ行き、軽く投球練習。

 

「問題、なさそうよ。ここから見ている限りは」

「だといいがな」

 

 グラウンド整備が終わり、試合は六回の攻防へ。

 四番から始まる聖タチバナ学園の攻撃は、セーフティバント、バスター、カット打ちと、五回裏の恋恋高校の攻撃を彷彿とさせる大胆な揺さぶりを仕掛けてきた。

 その意図は――。

 

「(エースがキャッチボールを始めた。つまり、何か特別な事情があるはず。いえ、もし何もなく、明日の準々決勝へ向けた肩慣らしだとしたら、私たちの勝ち目は完全に消滅。あると信じて向かっていくしかない......!)」

 

 フルカウントから粘って、次が八球目。

 

「(明らかに当てに来てる。なら、ここは球威で勝負!)」

「(――はい!)」

 

 頷いた片倉(かたくら)、ワインドアップから鳴海(なるみ)のミットへ目がけて腕を振った。

 

『空振り三振! 真ん中高めのストレート! そして、なんと今の一球――144キロを計測! 自己最速を大幅に更新しましたー!』

 

「タイム。瑠菜(るな)

「はい!」

 

 瑠菜(るな)が、マウンドへ走る。鳴海(なるみ)を交え、片倉(かたくら)と話していた瑠菜(るな)は、球審を呼んで事情を話し、片倉(かたくら)と一緒にベンチへ下がって行く。そして場内には、治療を知らせるアナウンスが流れた。突然の事に、騒然とする場内。

 

『何か、アクシデントでしょうか? 大ごとでなければいいのですが......』

 

 しばらくして、ベンチから選手が出てきた。

 それは、自己最速をマークした片倉(かたくら)ではなく、背番号1を背負った――早川(はやかわ)あおい。

 

『あーと、早川(はやかわ)あおいが出てきました。片倉(かたくら)は、ここで降板です。早川(はやかわ)は、そのまま八番に入ります』

 

 投球練習の最中、ダグアウトから戻ってきた理香(りか)は、東亜(トーア)に事態の報告。

 

「関節や靭帯に、異常は無かったわ。症状は、少し張っているくらいよ」

「負担が掛かりすぎた、と言ったところか」

「ええ、肘の付近に小さな青アザが出来てた。140キロ中盤のストレートの反動に耐えられる筋力が伴っていなかったのよ」

「それで?」

「本人は、痛みもないし、行けると言っていたけど......」

「しっかり治せ、と伝えておけ。つーか、戻ってきても無駄だ」

「あら、もう、交代を告げていたのね。さすがの判断力ね」

「間に合うんだろ?」

「ええ、決勝戦には間に合うわ。十分ね」

「そうか」

 

 理香(りか)は医務室へ戻り、東亜(トーア)はグラウンドへ目を戻した。投球練習が終わり、鳴海(なるみ)とあおいはマウンド上で口を隠して、言葉を交わす。

 

「緊急登板だけど、肩はどう? 足りなかったら、肩慣らしも兼ねて歩かせてもいいけど」

「ううん、大丈夫だよ。それに、安心させてあげなきゃっ!」

「だね。じゃあ頼んだよ」

「うん!」

 

 その言葉通り、あおいは後続を退けた。

 そして、彼女のピッチングに感化されたみずきも、ランナーを許したもののゼロで抑えた。七回、あおいは続投。タチバナ学園は、みずきから佐奈(さな)へスイッチ。恋恋高校は、四球などから追加点を奪ってリードを二点に広げた。

 試合は、終盤八回へ。ツーアウトから和花(のどか)にヒットを許すも、四番をマリンボールで打ち取る。

 そして、八回裏二点リードで迎える恋恋高校の攻撃。三番手の佐奈(さな)から、二つのフォアボールで再び追加点のチャンスを作った。優花(ゆうか)は七回裏に続いてタイムを使い、最後の伝令に出る。

 

「投げられる?」

「も、もうダメでぇ~す......メイクが落ちちゃいました~」

「おおっ!? 汗がドス黒いぞ?」

「夜道ですれ違ったら、逃げ出す自信があるな」

「ヒドいでぇすっ!」

 

 眉をつり上げて怒りながらも、肩で息をしている佐奈(さな)を見た優花(ゆうか)は、小さく息を吐いた。

 

「ハァ、無理みたいね。この炎天下の中、二回途中で七十球近くか、ずいぶんと投げさせられたわね」

「姉さん」

「ええ、頼むわ。佐奈(さな)、お疲れさま」

 

 優花(ゆうか)佐奈(さな)の肩に触れ、球審に選手の交代を告げる。マウンドに上がったのは、サードを守っていた和花(のどか)

 

『なんとなんと、聖タチバナ学園は夢城(ゆめしろ)姉妹の妹、夢城(ゆめしろ)和花(のどか)がマウンドへ上がりました!』

 

 東亜(トーア)は、理香(りか)に問いかけた。

 

「分かっただろ?」

「ええ、これが、ウチとの共通の弱点――」

 

 投手陣の駒不足。

 変則投手を相手に、例えファウルになろうとも、形を崩さずにきっちり振るという行為の本命、東亜(トーア)の送ったメッセージは「外す時は、しっかり外さないと痛い目をみるぞ」と、捕手に対してプレッシャーを与えるメッセージ。特に、同じタイプの投手が続く聖タチバナ学園の場合、その影響力は多大なモノだった。多少のボール球であろうと少しでも甘く入れば、長打を打たれるというプレッシャーは、確実に意識の中に刷り込まれ、ストライクとボールの区別がつき難かった制球の幅は徐々に大きくなっていった。

 それは、後半戦へ進むにつれて顕著に現れた。六回以降のフォアボール、そして、この回二つのフォアボールも、明らかなボール球。元々速い部類の投手ではないため、判断がつきやすくなれば、必然的に球数もかさむ。

 

「パワーピッチャーの近衛(このえ)が居るから幾分マシだが、本職ではない。ロングリリーフは、まず無理だ」

「本来なら明日以降の試合、片倉(かたくら)くんをロングリリーフへ据えたかったのね」

「別の方法を模索するまでだ。さて、あとは任せる」

「任せるって、まだ九回が残っているわよ?」

「フッ、もう決まりさ。アイツも、座っているだろ?」

 

 降板して以降は、殆ど座らずに采配を振るっていた優花(ゆうか)だったが。今は、みずきと佐奈(さな)と一緒にベンチに腰を降ろして、試合を見守っている。

 

『バッターは、奥居(おくい)。今日はまだ、ヒットがありません。ここで一打が生まれるでしょうか? そして、夢城(ゆめしろ)和花(のどか)のピッチングは果たして――』

 

 ピンチの場面、セットポジションからの投球。

 和花(のどか)の初球は、アウトコースいっぱいのストレート。

 

「(ふーん、結構いい球放るな。おっ、120キロ出てるし。スゲーな)」

 

 二球目もストレート、三球目もストレート。全て120キロ前後のストレート。

 

「(カウント・ツーエンドワンのバッティングカウントか。狙うなら、ここだ。真っ直ぐなら狙い打つぞ?)」

「(......苦しいが、和花(のどか)には、ストレートしかない。だが、制球力ならみずきたちと同等の力を持っている。悔いの無いように、ここだぞ!)」

「(分かりました。私も、全力で臨みます)」

 

 (ひじり)は、インコース高めへミット構えた。

 和花(のどか)も、ミットを目がけて全力で投げ込む。

 

「(インハイ――ナイスボール!)」

 

 快音を残した打球は、レフトの上空へ舞い上がった。

 バットを放り投げた奥居(おくい)は、ゆっくりと走り出し、レフトは、一歩も動かない。ただただ、自分の頭上の遥か上を飛んでいく白球を見送る。

 

『入りましたーッ! 奥居(おくい)、甲子園大会待望の第一号ホームランは、特大のスリーランホームラン! この土壇場、一気に突き放しましたー!』

 

 打球を見届けた優花(ゆうか)は、静かに目を閉じ。

 (ひじり)は、マウンドへ向かう。

 

和花(のどか)......」

 

 いつも無表情の和花(のどか)は、小さく微笑んでいた。

 

「完璧でしたね。あれほど飛ばされてしまうとは思いませんでした。秋の大会までに、変化球を覚えなければいけません。お手伝いしていただけますか?」

「――ああ、もちろんだぞ。来年は、私と和花(のどか)とみずき、三人で戻って来よう。また、甲子園へ......!」

「もちろん、そのつもりです」

 

 奥居(おくい)の一撃で、勝敗は完全に決した。

 聖タチバナ学園を破り、ベストエイトへと駒を進めた恋恋高校の次の相手は、覇堂高校に決まった。

 

 そして、プロ球界においても歴史を揺るがすような、大きな決断が下されようとしていた――。




次回は、児島(こじま)たちを中心とした話しになります。


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Final game
Final game1 ~未来~


今話からラスト章に入ります。
シナリオに組み込むため覇堂戦は、ダイジェスト形式になります。


「忙しいところを緊急に集まってもらってすまない」

 

 児島(こじま)は、東京都内のホテルの一室に集結した、両リーグ各チーム代表二名に頭を下げた。

 

「顔を上げてください、児島(こじま)さん。あなたの頼みとあれば、誰も断りませんよ」

 

 マリナーズの高見(たかみ)の言葉に、他面々も同意。

 そして、話しを切り出したのは、フィンガーズの主砲天海(あまみ)太陽(たいよう)

 

「それで、例の件についての重要な話しとは? まあ、彼らの表情(かお)を見れば、大方の察しはつきますがね」

「ああ。正に、その話しだ。集まってもらったのは、他でもない。今、話題となっている、神戸ブルーマーズの不正行為についてだ」

 

 高まる緊張感。皆の視線は、自然と当事者へと向かう。部屋の一番隅の席で居心地が悪そうに目を伏せている、ブルーマーズの選手二名へと向けられる。

 

「俺から、話すか?」

「いえ、自分たちで話します......」

「そうか、判った」

 

 議長を務める児島(こじま)は座り、ブルーマーズの選手会長で捕手沢村(さわむら)と、もう一名の選手が重い足取りで前へ出る。

 

「一部報道に上がっている記事の内容は......事実です。自分たちは、昨シーズン序盤まで“サイン”の伝達行為を行っていました! 申し訳ありません!」

 

 二人は両手両膝を地面に付き、深々と頭を下げた。

 しかし、意外にも罵声は飛ばされず。嵐の前の静けさの如く、沈黙が訪れる。

 

「不正行為の詳細は? 予め言っておくが、俺に嘘は通じない。全て、正直に話せ」

 

 天海(あまみ)が放つ、殺気にも似た威圧感に気圧されながらも沢村(さわむら)は、絞り出すように真実を語り出した。

 

「......外部に漏れる危険性があると、詳しい詳細は知らされていません。ただ、昨シーズン途中で辞任した城丘(しろおか)元ヘッドコーチから、相手チームの狙い球などの情報を貰っていました。情報伝達の方法は、ヘルメットに細工を施した装着した超小型の受信機、スタンドの応援団から太鼓の音を利用したシグナル伝達です......」

「通信機器を使った組織ぐるみのサイン盗みか、完全にアウトだな。他には?」

「......ウイリアムスの登板時、通常のボールと、重心をズラした“偏心ボール”を故意に入れ替えて使用していました」

 

 東亜(トーア)阿畑(あばた)の高速ナックルを攻略するためにボールの一点方向へ釘を打ち込み作った、重心をズラしたボールを更に精巧にしたボールと、通常のボールを故意に使い分け、偽ナックルを投げていたことも告白。

 

「なるほど。去年序盤のリカオンズ戦後、二軍落ちしたウイリアムスが一軍(うえ)へ来なかった理由は、それか」

「異常なまでに、本拠地での成績が良いことも納得できますね。僕に対して一度も、ナックルを投げなかったことも合点がいきました」

「もし、高見(おまえ)に投げていれば一発でバレていただろうからな。記事には、親会社が関わっていると記事にあったが。どうやら、それも事実のようだな」

「不正に関わっているスタッフの調達、通信機器や盗聴器の設置なんて、スタジアム建設前から関与していなければ出来ませんよ」

天堂(てんどう)監督も、関わっていたのか?」

「いえ! 天堂(てんどう)監督は、いっさい存じていません!」

 

 天海(あまみ)はおもむろに前へ出て腰を降ろし、膝を付いたままの沢村(さわむら)に視線を合わせた。

 

「俺の目を見ろ。......ふむ、どうやら本当の様だな」

 

 圧倒的な威圧感に表情(かお)をひきつらせながらも眼を逸らさない沢村(さわむら)に、天海(あまみ)は腕を組んで座り直した。

 

「して、児島(こじま)さん。俺たちの前で、告白させた理由は?」

 

 ブルーマーズの二人を席へ戻らた児島(こじま)は立ち上がり、始まりと同じ位置に立つ。

 

「プロ野球機構が正式に声明を出す前に、選手会が独自に不正行為が実際に行われていたことを公表する!」

「なっ、本気ですか? シーズン中ですよ!?」

 

 事前に話しを知っていた出口(いでぐち)以外の全員が、児島(こじま)の発言に戸惑いを隠せない。根底から覆す行為があったことを認めてしまえば、バッシングは必至。それどころか、今シーズンの継続すらも危ぶまれる非常事態に陥る。

 

「だからこそだ。今、行動を起こさなければ、プロ野球の未来は閉ざされてしまう!」

「未来が閉ざされる? それは、どういう意味ですか......?」

「なぜ、このタイミングでリークされたのかを考えてみてくれ」

 

 この一件がリークされたのは、オールスター明け。シーズンの半分以上を消化し、順位争いが激化して来る今、当然、機構側は結論を先延ばしにする。そうせざるを得ない。しかし、疑念はファンの間で確実に残り。少なくとも、不正行為を名指しされたブルーマーズを見る目は変わる。

 そして、結論を先延ばしにした上で不正発覚となれば、甘い処分ではファンが納得しない。マスコミの報道と共に激化し、不正行為を主導していた親会社は、球団運営権を剥奪されることは免れない。

 

「なるほど。事実関係の公表がシーズン終了後へ先延ばしされてしまったら、新規球団の参入は見込めないということですか」

「そうだ。日本シリーズは、11月。来シーズンの開幕には、どうあがいても間に合わない。シーズン前に問題になった、1リーグ化が現実のものとなってしまうだろう」

 

 天海(あまみ)と共に会合に参加しているフィンガーズの北大路(きたおおじ)が、素朴な疑問を口にした。

 

「つーか、その話しが出た時から疑問に想っていたんだけどさぁ。どうして、ガラリアンズの元オーナーは1リーグ化を強行したがってたんだ?」

 

 他の面々も、強引に1リーグ化するメリットは特にないということは共通の認識であり。それはここに居る誰もが、不思議に想っていた。

 

「一昔前までは、な。今は、試合中継を地上波で放映する必要性が薄れてきている現状がある。ネット配信や衛生放送等で試合中継は、場所も、時間も選ばず、いつでも観られる時代だからな」

 

 視聴者側にも選択肢が与えられ、加えて有望な選手たちの海外志向が強くなったことあって想うような補強も出来ず、ガラリアンズ一強の時代が変わりつつある。

 そして、その成功モデルとなっているチームこそが、児島(こじま)出口(いでぐち)が所属する「彩珠リカオンズ」。

 市民球団としての再出発を期に、地域密着型を全面に押し出した運営方針へ転換。地元イベント会社と連携して、既存の問題点を洗い出し。フードコートの充実、トイレや客席など古くなっていた設備の改修、試合前・試合後のイベント等、ファンサービスの向上に力を入れた。シーズンオフにはスタジアム周辺の環境整備、客席数の増加、より良い環境で観戦できる特別席等の設置を検討している。

 東亜(トーア)がオーナーを辞してからも黒字経営を続けるリカオンズの成功をモデルに、他球団も地元ファン獲得の努力へと舵を切った。長年、ガラリアンズの人気に依存してきたことから、まだまだ不十分で、手探りではあるが徐々に実を結びつつある。

 圧倒的人気球団、東京ガラリアンズ依存からの脱却。

 正に今、プロ野球界は転換期を迎えようとしていた。

 しかしそれは、表向きではあるが、ガラリアンズの元オーナー田辺(たなべ)の失脚に伴い起こった変化。そこへ突如として沸いて出てきた、今回の騒動。問題が大きく取り沙汰されてしまえば、事態の収拾に買って出ることは火を見るより明らか。鎮静化させたあかつきには、再び強大な権力を握ってしまう。

 

「......各球団のオーナーの理解は?」

「リカオンズの及川(おいかわ)オーナーが、近日開かれるオーナー会議で提言してくれると約束してくれた。しかし、今なお、田辺(たなべ)元オーナーの影響力は強大だ。他球団のオーナーへ圧力をかけている可能性は否定できない。あくまで、選手会の独断として行うことを前提に進める」

「オーナーと敵対する気ですか? そんなことになれば、ただじゃ済みませんよ!?」

 

 高見(たかみ)の指摘はもっとも。クーデターと取られても何ら不思議はない、最悪、永久追放すらもあり得る案件。だが、児島(こじま)の決意は鋼の様に固い。

 

「俺は、この問題解決に全力で取り組むため、今シーズンの残り試合を全て欠場することを決めた」

「――なっ!? 本気ですか......?」

「オーナーや監督、コーチ、チームメイトたちと話し合い決めたことだ」

 

 会議が始まる前日、昨日の試合前のミーティングで、この件のことを切り出した。チームメイトの反応はもちろん、高見(たかみ)たちと同様......いや、それ以上のモノだった。

 

 

           * * *

 

 

「本気っすか!? これから、本格的に優勝争いに入る大事な時期に!」

「そうっすよ! それに今、児島(こじま)さんは、打撃タイトルを争える位置にいるじゃないっすか、それをみすみす――」

 

 テーブルを叩いて声を張り上げたのは、ショートの今井(いまい)とリーゼントがトレードマークのサード藤井(ふじい)。彼に同調するように、他のメンバーたちからも驚きや、戸惑いの声が次々と上がった。それらを鎮めるため、児島(こじま)は、思いの丈を全て打ち明けた。

 そして訪れる、長い沈黙――。

 

「いいんじゃねーすか?」

 

 重苦しい空気を、沈黙を破ったのは、ベテランの菅平(すがだいら)。指名打者には、外国人選手のムルワカが固定。打撃に専念するため外野手よりも一塁の出場が多くなった児島(こじま)との併用ということもあって、今シーズンは、ここぞという場面での代打の切り札としての起用が多い。

 

「難しいことは、よく分かんねーけど。これからのための“ナニカ”......何ですよね? 渡久地(とくち)が、俺たちに残してくれたみたいな。だったら俺は、賛成ですよ」

「そうだぜ、みんな! 渡久地(とくち)が抜けた今シーズンも、俺たちは、首位争いをしてる! なら、出来るハズだ。いや、やるんだ! 児島(こじま)さんの分も、俺たちで――!」

 

 出口(いでぐち)の力強い言葉は、他の選手たちに伝染していった。そしてそれは、彼らの決意が本物だと感じた首脳陣にも――。

 

「まあ、お前たちがそう言うのなら......いいですよね? 監督」

「ええっ!?」

 

 鬼のピッチングコーチの冴島(さえじま)から話しを振られた三原(みはら)は、盛大に取り乱した。しかし、選手たちから送られる熱視線に腹をくくる。

 

「......お、俺だって、去年一年渡久地(とくち)とやって来たんだ。ただ、座ってたワケじゃねーってところを見せてやる! いいかオマエら、こっから負け込む何てことになってみろ『渡久地(とくち)児島(こじま)が居なかったから』って一生言われるぞ! それでいいのか!?」

 

 三原(みはら)の問いかけに「よくないです!」「絶対、連覇してやろうぜ!」と、リカオンズナインの想いはひとつになり、決意を新たにより一層団結を深めた。

 

 

           * * *

 

 

 話しを聞いた他球団の選手たちは、揺らいでいた。

 去年まで万年弱小球団だったリカオンズナインの決意、奮起、そして......覚悟。みなの心へ訴えかけるには、十分だった。

 

「......本気みたいですね。分かりました、僕は、協力しますよ。もし、児島(こじま)さんに理不尽な裁定が下されるような事があれば“ストライキ”も視野に入れる覚悟です」

「フッ、リカオンズの連中だけに良いカッコさせるワケにはいかないしな」

「......まあ、渡久地(とくち)だけではなく、あなたまで居なくなったリカオンズを倒したところで味気ないですからね」

「じゃあ、俺たちも賛成ってことで」

 

 マリナーズの代表高見(たかみ)とトマスに続いて、昨シーズン最終戦まで熾烈な優勝争いを繰り広げた天海(あまみ)北大路(きたおおじ)も賛同。リーグ屈指のクローザー水橋(みずはし)と、一昨年最優秀防御率のタイトルを獲得したサブマリン投手、吉田(よしだ)が所属するイーグルスも続き、同リーグ全チームの賛同を得られた。

 この空気に同調するかの様に、他リーグの代表たちへ波及していく。

 

榎本(えのもと)川上(かわかみ)、お前たちはどうだ?」

 

 児島(こじま)は、話し合いに参加せず事態を静観していたガラリアンズ代表二人の意向を確認する。彼らが一番の急所、大元であるガラリアンズに所属する選手。

 

「結論の前に、確認したいことがあります。実際に不正に関わっていたブルーマーズの処遇は? 生半可な処分では、世間は納得しませんよ」

「もちろん、承知している。偶然にも今シーズンオフ、アメリカで長年行われてきた組織的な“サイン盗み”が発覚した。制裁は、不正行為を主導していた首脳陣やGMへの制裁のみで、選手個々への制裁は課されなかった。しかし、ブルーマーズの場合は勝手が違う、親会社が主導していた。同じ処分では、誰も納得しない。何より――」

「......不正行為は、城丘(しろおか)コーチに押し付けられた行為(こと)ではなく、俺たち自身が自ら選んだんです」

 

 二軍でくすぶっていた自分たちがプロで生き残る方法を示してくれた、と。東亜(トーア)に不正を見抜かれたあげく、完膚なきまでに返り討ちにされた城丘(しろおか)は、自らの過ちを認め、不正行為に手を染めさせてしまった選手たちへ謝罪し、コーチの職を辞した。一部例外はあったが、ブルーマーズの選手たち心を入れ替えた。

 

「しかし、どんな理由があろうとも許される行為ではない。そこで――」

 

 選手会が独自で下す処分は、公表後、不正に関わっていた選手全員の一軍登録を抹消、シーズン内の一軍登録を禁止。二軍の対外試合出場にも一定制限を設ける。来年度以降の契約については、新規参入企業の裁量に委ねる。

 

「あれ? 追放とかじゃねーのか?」

「悪質性が高いとはいえ、部外者との金銭の授受を目的とした八百長に繋がる賭博のような行為ではないからだろう。扱いとしては、ドーピング違反と同列といったところか」

「ああ~、同じズルい行為ってワケか」

「話しを聞いたところ。現在所属する支配下選手の半数近くが不正行為に関わっていたことが判明した」

 

 あまりにも関与していた人数が多すぎたため、二軍戦や来シーズン以降の編成が立ちゆかなくなってしまうための特例処置。一軍は、関与していない控え選手と経験の少ない若手やルーキーを中心に残り試合を戦わなければならない、ある種のペナルティー。

 もちろんこれは、選手会が独自で下す自主的な処分のため、コミッショナーからは別途で、然るべき処分が言い渡されることになる。

 

「......分かりました。ひとつ、言わせて貰いたい」

 

 処分内容を理解した上で榎本(えのもと)は、自分の意見を述べる。

 

「不本意ながら当事者に近い関係である俺が言うことは、おこがましいことなのかも知れんが。確かに元オーナーは、自己中心的な独裁気質の人だ。ドラフトやFA制度を都合の良いようになるよう裏工作を行ったり、金にものを言わせ、他チームの主力を引き抜くことも少なくなかった。実際、バッシングも浴びた。強化の方向性が違うだけで、ブルーマーズと同類なのかも知れん。だが、グラウンドで戦っている俺たちは違う。新しい選手が加わる度に、競争に勝たなければならないからだ! 球界を私物化しようとしている元オーナーのことを決してかばい立てをするつもりではないが。正直、レベルの高い環境でポジション争いを出来たことに感謝している」

 

 ドラフト制度の穴をついた契約、逆指名制度があった時代の裏金問題。悪く言えば、姑息。良く言えば、貪欲。チーム強化のためならば、どんな手段でも使う。

 しかし同時に、現場の選手たちにとっては過酷な競争環境でもあった。レギュラーを取った翌年に新戦力が移籍してきて、ポジション争いに破れて控えへ降格、シーズンオフに戦力外通告を言い渡せることも少なくない。良くも悪くも文字通り、完全実力主義の球団。一試合、一打席、一球に懸ける想いは他球団の選手とは比にならないほど重い。

 

「だが。沢村(おまえ)たちは、己を磨くことを放棄し、安易な方法へ逃げた。プロの誇りを汚した! 俺たちだけではなく、ファンも裏切った。そのことを胸に刻んでおけ!」

 

 激しい叱責を受けたブルーマーズの代表二名は、とても神妙な面持ちで、もう一度深々と頭を下げた。

 

「フゥ......それで?」

 

 大きく息を吐いた榎本(えのもと)は、児島(こじま)に尋ねる。全球団の代表の賛同を得られた児島(こじま)は、今後ついて話し出した。

 

「パワフルTV全面協力の元、スタジオから全国中継で会見を開く予定だ。城丘(しろおか)元ヘッドコーチにも同席してもらうことで合意している。真実を語ると約束してくれた」

「パワフルTVを通して......考えましたね。プロ野球最大のスポンサー企業が相手となれば、オーナーも、野球機構側も、迂闊に口は挟めない」

「フム......しかし、不正行為を告白して。その後は?」

「同時に、新たな新規参入企業を募る。田辺(たなべ)元オーナーの権力に屈しないほどの大企業が手を上げてくれることを信じて――!」

 

 正に、博打。しかし、行動を起こさなければ一リーグ化は既定路線。もはや、覆る事はない。

 

「......なるほど、賭ける価値はありますね。それで、会見はいつ行うんですか?」

「既に、先方との話し合いは済んでいる。会場も抑えた。しかし、公表は来週の頭に行おうと考えている」

「ん? 何故ですか? 早ければ早いほどいい、新規参入の公募期間も延びますよ」

 

 準備は整っているにも関わらず、公表を遅らせる事に疑問を持った天海(あまみ)が、児島(こじま)に真意を尋ねる。

 

「......水を差したくないからだ」

 

 勘づいた高見(たかみ)はおもむろに、テレビの電源を付けた。

 

『さあ、準々決勝第三試合もいよいよ大詰め! 恋恋高校対覇堂高校の一戦は、九回表覇堂高校の攻撃が終了し、スコア二対二の同点のまま最終回の攻撃へ入ります。恋恋高校は、一番からの好打順! サヨナラで勝負を決めるか? それとも、ここまで既に120球を越える力投を続けるエース木場(きば)がふんばり、延長戦へ突入するのか!』

 

「理由は、甲子園ですか?」

「ああ、その通りだ」

「それは......恋恋高校が、渡久地(とくち)が監督を務める学校が勝ち上がっているから、ですか?」

 

 高見(たかみ)の質問に、空気が一変。昨シーズン、ペナントレースやオールスター戦などで煮え湯を呑まされた相手。事情を知っている出口(いでぐち)とトマスの表情(かお)も険しいものに変わった。

 

「(うっ、高見(たかみ)のヤツ、ここ一番でイタイところを突いて来やがった......)」

「(おい、(いつき)......! それは――)」

「(分かっているさ。スランプ脱却の恩を仇で返す行為だ。本音は僕も、水を差したくない。けど、これだけは決して避けては通れない道。だからこそ僕が、聞かなければいけない事なんだ。返答次第によっては、状況は変わりますよ? 児島(こじま)さん......!)」

 

 試合中継が放送されているテレビから視線を離した児島(こじま)は、まっすぐ前を向いた。

 

「特別な心添えは無い、と言えば嘘になる」

 

「おいおい、あっさり認めちゃったよ」と、場の空気が変わった。

 

「確かに、個人的に応援はしている。しかしそれ以前に、甲子園は全球児の夢だ。ここに居るみんなにも、覚えはあるだろう。汗を流し、苦しみに耐え、ただがむしゃらに白球を追いかけた日々を――」

 

 皆の心に、蘇る記憶。

 海外から移籍して来たトマス以外は、全員が経験してきた道。目指していた聖地――甲子園。

 

「確かに、甲子園を目指していなかった人間は居ませんね。少なくとも俺は、甲子園を目指していた」

「俺もだ。それにコイツらの真剣な顔を見てると、邪魔したくないってのも分かるな」

「フッ、数字や競争ばかりに気を取られて忘れていたのかも知れんな。ただ純粋に、野球に打ち込むことを......」

 

 天海(あまみ)北大路(きたおおじ)榎本(えのもと)といった球界を代表する選手たちも、他の選手たちも自分たちの過去の姿と重ね合わせ、その思いを馳せる。

 

「どうやら、異論は無いようですね。僕も、賛成です。児島(こじま)さん、お願いします。彼らの、彼女たちの未来のためにも......!」

 

 全員の視線が、児島(こじま)に集まる。

 

「ああ、みんなの想い、確かに受け取った......!」

 

 今、選手会の想いはひとつになった。未来を繋ぐために。



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Final game2 ~光明~

お待たせしました。


 甲子園に、四度目の校歌が流れているのをベンチの外へ出て聞きながら理香(りか)は、大きく息を吐いた。

 

「ふぅ、紙一重の戦いだったわね。今日の木場(きば)くんは、練習試合の時と違って、球速も球威も最後まで落ちなかったわ」

「ロースコアの展開は、予定通り。まあ、想定よりも粘られたのは事実だけどな」

 

 球速や球威にムラのあった「爆速ストレート」の弱点を克服した「爆裂ストレート」を会得した絶対的エース木場(きば)を擁する覇堂高校との一戦を、劇的なサヨナラゲームで勝利を収めた恋恋高校は準決勝へと駒を進めた。

 

「相当走り込んできたんだろうよ、アレは。ただ、序盤から真っ直ぐに頼りすぎた。もっと点を奪えると見越してのリードだったんだろうが、結果的に、超軟投派投手三枚と戦った恋恋(ウチ)にとって、典型的な速球派の木場(きば)のピッチングは、狂った感覚を取り戻すためのちょうど良い調整(リハビリ)になった」

 

 ストレートにタイミングが合っていないと見ると、先発の瑠菜(るな)とは練習試合で対戦していることもあり、キャッチャー水鳥(みずとり)は序盤から、木場(きば)の爆裂ストレートで強気に攻めた。しかし、先発投手の瑠菜(るな)を思うように攻略することは出来ず、試合は投手戦。最終回、疲れの見え始めた木場(きば)を攻略してのサヨナラ勝ち。

 

木場(きば)も成長していたが、当然瑠菜(るな)も成長している。最速はあまり変わらないが、練習試合の頃と比較すると約8キロ、最大15キロ近くストレートの緩急の幅が広がっていた。一度対戦していることもあって、序盤から積極的に早打ちで来てくれたおかげで節約も出来た」

 

 ロングリリーフに据える予定だった、片倉(かたくら)のアクシデント。しかし、想定外に球数を抑えられたことで僅かながら光明が差す最高の結果で、試合を終えることが出来た。

 

「次の相手は、この後の試合の勝者。本命は去年の夏の覇者、壬生高校。ただ......」

 

 バックスクリーンに表示されている学校名を見つめる、理香(りか)

 

「壬生高校の対戦相手の御陵高校は、今大会ナンバーワンスラッガーと評されていた清本(きよもと)くんを筆頭に超強力打線の西強大学附属高校を完封して八強まで勝ち上がった。それに何やら、ただならぬ因縁があるとの噂よ」

「興味ねーよ。他人の私情(いざこざ)なんてどうでも良い。勝者は、どちらか一方。勝ち上がってきた方を叩くまでのこと」

「それもそうね。さあ、校歌が終わったわよ。応援団に挨拶を......って、また居ないじゃないっ」

 

 理香(りか)が振り返った時には既に、東亜(トーア)は、ベンチ裏へと姿を消していた。と言う訳で試合後の取材は、部長の理香(りか)が代理で受けることが恒例行事。彼女も、記者たちも慣れたもの。活躍した選手たちと一緒に、違和感なく受け答えをする。

 その頃他のナインたちは、帰り支度を済ませてロッカールームを退室し、バスが待つ停車場へ向かって通路を歩いていた。

 

「あれ? 藤堂(とうどう)くんだ」

「え? ああ......」

 

 藤堂(とうどう)に声をかけたのは、廊下の向こう側から歩いて来た集団の中のひとり、かつてのチームメイト、沖田(おきた)。久しぶりの再会に、とても人なつっこい笑顔を向ける。

 

「あはは、久しぶりだね~」

「そうだね。卒業式以来だから半年ぶりくらいかな?」

「もう、そんなに経つんだね」

 

 しみじみ言う沖田(おきた)に、壬生の主将近藤(こんどう)が、やんわりと促す。

 

沖田(おきた)。旧友との再会を懐かしむのもいいが、急げよ」

「あ、はーい。すぐに追いますんで、どうぞお先に」

「やれやれ。お疲れのところ申し訳ないです」

 

 近藤(こんどう)は一番近くに居たはるかに向かって、礼儀正しく丁寧に頭を下げた。

 

「いえいえ~、ご健闘をお祈りしています」

「ありがとうございます。藤堂(とうどう)、またの機会にゆっくりと話そう」

「はい」

「うむ。では、失礼します」

 

 もう一度頭を下げ、早足で集団の列の中へと戻っていく。

 

「相変わらず硬いでしょ」

「そう見たいだね。今日、投げるの?」

「ううん、投げないよ。それにほら僕、八番だし」

 

 くるりと背を向け、背番号を見せて笑った。

 

「けど、驚いたな~。進学校へ進むって聞いて、それだけでも驚いたのに。まさか、あかつきを倒して、ここまで来ちゃうなんて思いもしなかったよ」

「コーチが......新しく就任した監督が、思いがけない人だったから」

「あの、渡久地(とくち)選手だもんね。本当に驚いたよ。どんな指導か聞きたいけど、もう行かないと。近藤(こんどう)さんだけじゃなくて、あの人に怒られちゃうし」

「ああ~......恐いもんね」

「相変わらずね、いや、磨きが掛かったかも。ああ、そうだ」

 

 チームへ合流するため背を向けた沖田(おきた)だったが、思い出したように振り向いた。

 

藤堂(とうどう)くんも、ちょっと変わったよね」

「そうかな?」

「うーん、何となくだけど向こう見ずって言うか、もっと積極的なスタイルだったから。ほら、先陣を切って駆ける切り込み隊長! みたいな。でもまあ、チーム内での役割とかもあるもんね。さてと、本当に行かないと。じゃあ明後日、甲子園(ここ)で会おう。お姉さんも、引き止めちゃってすみません!」

 

 一礼した沖田(おきた)は、爽やかな笑顔を見せながら去って行った。

 

「笑顔が素敵な、賑やかなお方ですね」

七瀬(ななせ)先輩。すみません、時間を取らせてしまいまして」

「いいえ、さあ行きましょう」

「あら。どうしたの?」

 

 取材を終えた理香(りか)瑠菜(るな)たちが、二人と合流。事情を話しながら、停車場へと向かう。

 

「じゃあ、さっき通路ですれ違った選手が、沖田(おきた)くんだったのね」

 

「はい、そうです」と、理香(りか)の質問に藤堂(とうどう)は頷いて答えた。

 

「だけど、明後日会おうだなんて、凄い自信だね。準々決勝は、眼中に無いってことなのかな?」

「そんなことはないとは思いますけど。だけど普段から、プレッシャーとは無縁な性格なので」

「あ。そう言えば、お話ししている間も、ずっと笑顔を絶やさない方でしたよ」

「そう。無邪気......それとも、恐いもの知らずなのかしら?」

「さあ、話しの続きはバスの中でなさい」

 

 バスが待つ、停車場に到着。ナインたちは既に乗車済み。東亜(トーア)は居ない。「先に戻っていていい」と、理香(りか)にメッセージが届いていた。窓から、あおいと芽衣香(めいか)が顔を覗かせる。

 

「あ、来たよ」

「遅ーい。早くしないと、試合始まっちゃうわよ。見る前に、お風呂で汗を流したいんだからっ」

「ごめんごめん。急ごう」

「みんな、忘れ物は無いわね? お願いします」

「では、出発します」

 

 出待ちのファンの黄色い声が飛び交う中鳴海(なるみ)たちが乗り込むと、バスは宿舎へ向かって走り出した。

 

 

           * * *

 

 

 臨時の選手会会議を行っていた、ホテルの一室。

 他球団の代表選手を見送って戻って来た児島(こじま)出口(いでぐち)は、テーブルを挟んで対角上に置かれた椅子に深く腰を降ろした。

 

「どうにか、賛同を得られましたね」

「ああ。しかし、ここからが本当の勝負だ。何としても、新規参入企業を見つけ出さねば......」

 

 財界に太いパイプを持つ田辺(たなべ)を黙らせることが出来る程の大企業は、日本に数えられるほどしか存在しない。加えて、根強い人気を誇る球団が存在する関西では、リカオンズと同じ様な市民球団としての再出発は望めない。そもそも、“サイン盗み”という悪質な行為のため印象は最悪、困難を極めることは必至。

 

「単なる経営破綻なら、まだ楽だったんだが」

「......ですね。そう言えば、渡久地(とくち)は何て?」

「ん? ああ、『あっそ。まあ、せいぜい足掻いてみろよ』と、渡久地(とくち)らしい返事だったさ」

「あのヤロウ、人事だと想いやがって......」

「素直に激励される方が不気味だろう。テレビ、付けていいか?」

「ええ、どうぞ」

 

 断りを入れた児島(こじま)は、テレビの電源を入れる。

 甲子園大会の試合が映し出され、試合は既に始まっていた。

 

『準々決勝第四試合、この試合の勝者がベスト4最後の切符を手にすることとなります。壬生高校対御陵高校の一戦は、一回表が終了し、先攻の御陵高校が幸先よく二点を先制。いきなり追いかける形になった壬生高校初回の攻撃、早い回で一点を返したいところでしょう! 守る御陵高校のマウンドに立つのは、エースの三木(みき)! 最速150キロのストレートを主体に、スライダー、カーブ、フォーク、シュート、チェンジアップと多彩な変化球を操る、プロ注目のピッチャーです!』

 

 三木(みき)は、その多彩な変化球を武器に的を絞らせず、一番二番を連続で打ち取った。そして、三番沖田(おきた)を迎える。

 

「お願いしまーす」

「うむ、プレイ!」

 

 左打席に立った沖田(おきた)に、キャッチャー篠原(しのはら)が声をかけた。

 

「監督が嘆いていたぞ? お前と藤堂(とうどう)は、自分について来てくれると思ってたってさ」

「あはは、すみませーん。でも藤堂(とうどう)くんは、判るんですよ。地元だし、進学校だし、将来のこととか考えると東京の進学校を選んだのも納得出来るんですよね」

「あん? 何の話しだよ?」

「何って、御陵(おたく)の指導者の話に決まってるじゃないですか」

 

 ――話し振ってきたのは、そっちでしょ? と、小首をかしげる。

 

「指導方針の違いで袂を分かったとか、ぶっちゃけ理由なんてどうでもいいですけどね。僕には、関係ないことだし。ただ、許せないんですよ。横やり入れて、戦力を引き抜こうっていう不義理な裏切り行為みたいなやり方は――」

 

 御陵高校の現監督は元々、壬生でヘッドコーチを務めていた人物。しかし、異常なまでに規律を重んじる育成方針に疑念を抱き、自身の理想を形にすべくコーチの職を辞し、数名の部員を引き連れて現在の御陵高校へと異動。東亜(トーア)と同じく、四ヶ月で結果を残したのだが。実態は、数年前から有望な選手たちを「選手資格規定」に引っかからないような引き抜きや独自にスカウトも行っていた。

 

「ああー、そう言えばあなたも、その口でしたよね......?」

「――ッ!?」

 

 打席で構える沖田(おきた)の背中から殺意に似た、ただならぬ雰囲気を感じ取った篠原(しのはら)は、慎重にボール球から入った。立ち上がって、大きく息を吐き、心を落ち着かせ、改めて配球を組み立てる。

 

『ストレート、変化球、左右高低を巧みに使い分けて追い込みました! しかし沖田(おきた)は、まだ一度も振っていません。御陵バッテリー、どう攻めるか?』

 

 振るどころか、まったく反応すらしない、不気味なほどに。

 

「(みんな、下がれ......!)」

 

 無意識に内外野を下がらせ、カウント・ツーエンドツーから胸元へストレートを外した。

 

「これで、フルカウント。出口(いでぐち)、どうする?」

「どうするって言われても、四球覚悟でストライクからボールになる変化球しかないですよ。て言うか、ストライクなんて死んでも要求できない......ヤバすぎですよ、コイツ」

 

 画面越しにでもひしひしと伝わる、とてつもない威圧感。それは、一番間近で見ているキャッチャーが肌で感じていた。焦がすような日差しが照らす中、まるで凍りつきそうな異質な空気を醸し出している。

 

「画面越しなのにまるで、高見(たかみ)とか、天海(あまみ)を相手にしてるみたいな圧迫感を感じます......」

「......確かに、な。やや小柄な体格だが、入学半年足らずの一年生とは思えない風格がある。このピッチャーの持ち球だと、フォークかチェンジアップといったところか」

「チェンジアップです。フォークは、抜ける恐れがある。ここはもう、アウトローのチェンジアップしかありません......!」

 

 出口(いでぐち)の読みは、的中した。バッテリーは、プロの出口(キャッチャー)と同じ配球、外角低めのチェンジアップを決め球に選んだ。

 

「(よし、完全にタイミングを外した! 三振、良くても内野ゴロだ――)」

 

 緩い変化球に泳がされたように思えた沖田(おきた)だったが、バットを振りながら腰を反転させ、瞬時にタイミングのズレを修正。若干沈むチェンジアップをボールゾーンで捉えた打球は、ライナー性の当たりでセカンド方向へ飛んだ。タイミングを計ってジャンプ一番、痛烈な打球に飛びついた。

 

『おおっと! 上手く捉えましたが、これはセカンド服部(はっとり)の守備範囲内! 御陵高校、今大会と屈指の重量打線と評される壬生打線を初回三者凡退に打ち取りました。スリーアウトチェンジです!』

 

 予想外の打球だったはいえ、結果的に打ち取ったキャッチャーは安堵の表情で、大きく息を吐き出した。一方、打ち取られた沖田(おきた)は、というと――。

 

「あーあ、やっちゃった。余計なことしなければ一点で済んだかもしれないのに」

 

 やや同情するような視線をセカンドへ向けつつ、ファウルゾーンへ放り投げたバットを拾って、ベンチへ戻って行く。

 

『おや、これは......ビッグプレーを見せた服部(はっとり)ですが、膝を付いて立ち上がれません! 左肩を抱え込むようにして苦悶の表情を浮かべています。何か、アクシデントが起こったのか!?』

 

 異変に気づいたチームメイトたちは、急いで服部(はっとり)の元へ駆け寄り、慎重に二人がかりで両脇を支える用意して、ゆっくりとベンチへ連れて戻る。ベンチに座らせると、監督の伊藤(いとう)がすぐに状況を確かめに来た。

 

「診せてください!」

「つっ......」

「これは――」

 

 肩の具合を診て、伊藤(いとう)は言葉を失った。

 

「監督、どうなんですか!?」

「......左肩を脱臼しています。試合中の復帰は、まず望めません」

「そんな......」

「マネージャー、彼を医務室へ。付き添ってあげてください」

「は、はい! 私に掴まってっ!」

 

 マネージャーの手を借りて、医務室が完備されているダグアウトへと入っていく。

 

「(打球を弾いて衝撃を逃がしていれば、彼の身体能力の高さが仇に......いえ、沖田(おきた)くんが放った強烈な打球がさせてくれなかった。逃がす前に、肩を持っていかれてしまった。この短期間の間に元々驚異的だった瞬発力に加えて、爆発力を兼ね備えてしまうとは。なんと、末恐ろしい......)」

 

 守備の要であり、攻撃でも中軸を担う服部(はっとり)が、試合開始早々に戦線離脱。このアクシデントの影響は、多大なるモノだった。戦力ダウン以上に、精神的ダメージが大きい。狙い通りタイミングを外し、ボール球を打たせた上でなお、負ってしまった故障。そしてそれが、内野でも比較的浅いポジションのピッチャー、ファースト、サードではなく。内野で一番深く守っていた二塁手に起きたという衝撃の事実。脳裏に恐怖を焼き付けるには、充分すぎる一撃だった。

 

『四番近藤(こんどう)のホームラン! 快音を響かせ、レフトスタンド中段まで持って行きましたーッ! これで二桁十点目! しかし、これで攻撃の手は緩めることはありません! 壬生の狼は、獲物を仕留めるまで容赦なく襲いかかります!』

 

 エース、次期エース、大会を通じて防御率ゼロ点のクローザーをも打ち砕き、更に点差を広げ、終わってみれば......。

 

「18対2、圧勝でしたね」

「失点も初回の奇襲だけか。しかし、試合開始早々チームの要を一枚を失ったとはいえ、これ程までの実力差を見せるとは......」

「ドラフトで、何人かかるんすかね?」

「スタメンの三年全員が指名されてもおかしくないだろう。ウチのスカウトも注目している。しかし、これ程完成度の高いチームが存在するとは――」

「ここまで、ですかね......?」

「どうだろうな。ただ、渡久地(とくち)は、絶望的な状況下においても最終的に勝利で終わらせてきた。今回も、きっとやってのけてくれると、俺は信じている......」

 

 テレビを消した児島(こじま)は、席を立った。

 

「俺は、俺たちは、己が為さねば成らぬ事をだけを考えるんだ......!」

「――はい!」

 

 児島(こじま)出口(いでぐち)は、決意を新たにホテルを後にした。

 彼らがホテルを出た頃、甲子園球場近くの喫煙所で一服していた東亜(トーア)の前を、御陵高校一行が重い足取りで歩いていた。列の最後尾を歩く監督の伊藤(いとう)が、東亜(トーア)の存在に気づいた。

 

「失礼します、渡久地(とくち)監督。あなたの作ったチームと戦いたかったですが、残念ながら叶いませんでした」

「フッ、そうかい」

「ですが、彼らは、私の期待通りの働きをしてくれました。あなたなら、きっと――いえ、何を言っても負け惜しみですね。最後に一言だけ、ご健闘をお祈りしています」

 

 ――それでは、失礼します。と言って踵を返し戻っていく。

 火のついた煙草を灰皿に押し付けた東亜(トーア)はただ黙ったまま、遠ざかっていく伊藤(いとう)の背中を見えなくなるまで見つめていた。



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Final game3 ~ナニカ~

 準々決勝翌日、朝食後しばしの休憩を設けたあと、明日の準決勝へ向けたミーティング。理香(りか)とはるかは手分けをして、壬生高校の各選手のデータをまとめた資料を配り、解説を始める。

 

「チーム打率は、四割を越え。一試合の平均得点は、12.2点。チーム本塁打は、昨日までの四試合で計14本。既に、大会記録を更新しています」

「投手陣も盤石よ。エース近藤(こんどう)くんと、沖田(おきた)くんの二枚看板を軸に、春は二番手だった山南(やまなみ)くんをロングもこなせるリリーフへ配置転換したことで、後ろに厚みが生まれているわ。地方予選から通じての一試合当たりの平均失点は、2.4点」

「平均12点取って、3点取られないってこと? なによ、それ、規格外にも程があるわよ......」

 

 圧倒的な数字に芽衣香(めいか)は、分かりやすく肩を落とした。他のナインたちも、データに目を通して、難しい表情(かお)をしている。

 

「たかが数字に惑わされるな。特に、打の平均値は昨日の試合で荒稼ぎしたに過ぎない」

 

 沈みかけていた空気を一掃させる言葉を放った東亜(トーア)へ、ナインたちの注目が集まる。

 

「失点の方も、山南(やまなみ)ってヤツ以外のリリーフは、それなりに取られている。先発を早い回で降ろせば、チャンスは十分にあるってことだ。投手成績には、地方予選も含まれている。予選には、コールドがある。要するに、後ろに多少の不安を抱えているから、さっさと相手投手を打ち崩し、敵の戦意を削ぎ落とす、超攻撃的なチームに仕上げた。その結果、付加価値も生まれた。公式記録として残る客観的な数字に勝手に怯えるのさ。お前たちが圧倒した二回戦の相手も同じ心境だった」

 

 大抵の相手は、勝負の前に臆してしまう。更に今回の場合は、昨日の試合が、あまりにも一方的で衝撃的な結果であったため、より一層きわだってしまった。

 

「断言しよう。明日の試合、大差での決着はない。だがそれは、お前たちが浮き足立たずに戦えることが大前提。それとも、帝王戦前に逆戻りか? その程度の覚悟(モノ)だったのか?」

 

 挑発するように言った問いかけに、顔付きが変わる。

 

「フッ、違うって顔だな。なら、証明してみせろ」

 

 ミーティング終了後ナインたちは、疲れが残らない程度の軽い全体練習と個人練習で明日決戦へ向けて調整。東亜(トーア)理香(りか)は、宿舎の一室で試合を見返しながら会話を交わす。

 

「ああは言ったが、実力の差は歴然だ。真正面からの力勝負では、先ず勝ち目はない。仮に10回対戦すれば9回は負ける相手。ならば、その“1回”を明日の試合へ持ってくる。初顔合わせってのは、一番番狂わせが起きやすい。なぜなら、相手も手探りで来るからだ」

「それで、ハッパを掛けた。臆せずに立ち向かえるように」

「で。瑠菜(るな)は、行けるのか?」

「肩周りの張りはまだ残っているけど、昨日のお風呂上がりにマッサージした時よりも状態は良くなっているわ。ただ、長いイニングは厳しいわね」

「連投を経験させなかったツケが、ここで来たか」

 

 ライターを取り出し、澄まし顔で咥えたタバコに火を付ける。

 

「医学に携わる者として言うわ。酷使をさせないあなたの起用方は、決して間違っていないわ」

「んな気休め要らねーよ。行けて、本来の7割程度ってところか」

「......どうにせよ先発は、あおいさんでしょ」

 

 答えを保留した東亜(トーア)は逆に、理香(りか)に尋ねた。

 

理香(りか)。お前は、昨日の試合をどう観た?」

「どうって。一方的な試合展開だったとしか。強いて言えば、よく試合を投げ出さなかったと思うわ。得点には繋がらなかったけど、最後まで粘り強い攻撃もしていたし」

「なら、何て声をかける?」

「声を? そうね、普通に労いとか励ましの言葉かしら。それが?」

「御陵の監督、伊藤(いとう)とか言ったか。アイツ、あれほどの大差のついた負け試合にも関わらず、平然と言ってのけやがった。彼らは、“私の期待通りの働きをしてくれました”とな」

「えっ? それ、どう言うこと......?」

「さあな。ただの負け惜しみなのか、元々ベスト8が目標だったのか。それ以前に、たかだかがひとり欠けたくらいで、これほど総崩れになるような戦力差ではない」

 

 広い人脈を使い、全国から有望な選手をスカウトし、古巣の壬生からも自身の理想を体現するために必要な選手を口説き落とし、精鋭を集めて築き上げたチーム。更に、優勝経験のある名門校でヘッドコーチを務めていた人物が率いているのだから、総合力で大きく劣っている訳がない。

 

沖田(おきた)くんの、あの一打が強烈過ぎて精神的に追い詰められたんじゃないかしら......?」

「確かに序盤は、動揺から浮き足立ち、ミスもあった。しかし、エースが降板した頃には立て直していた。にも関わらず、結果は一方的。伊藤(ヤツ)の言動からして、試合を捨てた換わりに、有益な“ナニカ”を掴んだ。それはおそらく、春へ繋がる情報(モノ)――」

 

 東亜(トーア)は、試合へ目を戻す。試合中盤、エースが五失点、次期エース候補の二年生が七失点を喫し、三番手がマウンドへ上がったところ。

 

「死んだから得られたのか、得るために死んだのかは不明だが。どちらにせよ、画面越しでは解らない実戦でしか得られない情報(モノ)なのだろう。今のところは、な」

 

 東亜(トーア)自身が投げるのであれば、躊躇無く首を差し出せる。事実、昨シーズンの最終登板でやってのけた。しかしそれは、敗北が許されるペナントレースであるが故のこと。しかも、一発勝負のトーナメント戦では試合中に得た上で、スコアで上回らなければならない条件が追加される。

 

「私、死ねます」

 

 背後から声。東亜(トーア)理香(りか)は、ほぼ同時に振り向くと、ドア付近に瑠菜(るな)鳴海(なるみ)が立っていた。

 

「あなたたち――」

「肩を診てもらう時間になったので来たんです。でも返事がなかったので、席を外してるのかなと思ったんですけど、話し声が聞こえて」

「すみません、盗み聞きするつもりは無かったんですけど......」

 

 バツが悪そうな鳴海(なるみ)を後目に前へ出た瑠菜(るな)は、東亜(トーア)の前で正座をした。

 

「コーチ。私は、死ねます。あおいが居ます」

「死んだところで、得られるかは解らない。その時は無駄死の上、御陵の投手以上の晒し者になる」

「構いません」

 

 瑠菜(るな)は、決意に満ちた眼を、そして、必ず無駄にしないと信じている眼をしていた。

 

鳴海(なるみ)。コンディションからして、勝負は一順目のみ。俺とお前で拾うぞ、根こそぎ」

「――はい!」

理香(りか)瑠菜(るな)のことはお前に任せる」

「ええ。打者一巡を全力で戦える状態にしてみせるわ。少し早いけど、浴場へ行ってきなさい。しっかり湯船に浸かって、十分身体を温めること。そのあと、入念にマッサージするわ」

「はい、分かりました。ありがとうございます」

 

 立ち上がった瑠菜(るな)は、深く頭を下げて部屋を出ていった。理香(りか)も別室へ移動して、すぐにマッサージを行える様に準備を始める。東亜(トーア)は試合動画を観ながら、部屋に残った鳴海(なるみ)と明日の対策について話す。

 

「明日の試合、多少の失点ありきで組み立てろ。色気は出すな。死ぬと決めた以上、必ず死にきれ」

「ボーダーラインは?」

「まあ、五点と言ったところか」

 

 両チームの戦力を比較した時、五点以上の点差を付けられると巻き返しは難しいと判断。

 

「三番に関しては、下手にかわそうなどと考えるな。瑠菜(るな)との相性は最悪」

 

 動画を巻き戻し、初回の打席へ戻す。

 

「コイツには、タイミングという概念は存在しない」

 

 通常タイミングが合わなければ、体勢が泳がされ、振りは鈍り、当てるだけのバッティングになってしまう。結果、強い打球を打つことは難しい。

 しかし、沖田(おきた)は、始動でタイミングが合っていれば、ローテイショナルの回転運動を最大限に活用し、強烈な打球を飛ばす。合わなければ、ツイストで即座にズレを修正し、体勢を崩されることなく、こちらも強い打球を放つことが可能という二段構え。

 

「つまり、前後の揺さぶりは通用しないということですか......?」

「生半可な緩急はな。しかし、コイツには、ある特徴が存在する。第一打席は基本的に、追い込まれてからしか手を出さない」

「えっ?」

 

 机に置かれた資料に手を伸ばし、予選も含めた各試合の第一打席目を改めて見直す。

 

「――本当だ。それに、ピッチャーが代わったあとの打席も、追い込まれてからが多いですね」

「計算か、本能か、投手の力量を見定めているんだろう。そこに、活路を見出せ。隙があるとすれば、そこだけだ」

「はい!」

 

 鳴海(なるみ)の返事を合図にしたかの様に、練習を終えたナインたちが、宿舎に戻ってきた。壁一枚を隔てた向こう側の廊下から、あおいたちの話し声が漏れ聞こえている。

 

「お前に、話しておくことがある」

 

 東亜(トーア)は、珍しく真面目なトーンで話し出した。

 鳴海(なるみ)も、真剣に聞く。

 

「これから先も、キャッチャーを続けるかは知らないが。あおいと瑠菜(るな)、あの二人以上に、お前の要求に応えてくれる投手とは、二度と巡り会えないだろう」

 

 それは、鳴海(なるみ)自身が一番実感していた。

 二人は、ミットを構えたコースへ、思い通りのボールを投げ込んできてくれる。それはまるで、ゲームをプレイしているかの様な感覚を覚える程正確に――。

 

「もし仮に、あの二人がプロに指名され同じチームに入ったとしても、決して長くは通用しない。確証はある。俺は、一年保たなかった」

 

 昨シーズン最終登板戦、策略で36点を献上したとはいえ。最終登板の前の直接対決では、高見(たかみ)天海(あまみ)などの精鋭が集められた千葉マリナーズに、完璧に攻略された。

 回転数を自在に操れるとはいえ、基本ストレート一本の東亜(トーア)とは違い、変化球も操れるが。どれも、プロを相手に通用する決め球とまでは言い難い。

 

「俺を模倣している瑠菜(るな)はもとより、あおいのマリンボールも慣れれば打たれる」

 

 うつむき加減で硬く口を結んでいる鳴海(なるみ)に、東亜(トーア)は、普段の口調で諭すように語りかける。

 

「まあ、あと残り二試合。悔いが残るような半端な勝負はするなってことさ」

 

 席を立った東亜(トーア)は――潮時だな、と。

 自虐的な笑みを浮かべ、静かに部屋を出ていった。

 

 

           * * *

 

 

 決戦前夜、帝王実業戦の前夜と同じように鳴海(なるみ)は、宿舎の中庭で夜空を見上げていた。

 

「あと二試合、か」

 

 呟いた声は、夜空に吸い込まれて消えていく。

 

「(コーチは、明日の試合も勝つ気でいる。難しいと解っていてもなお。大差での決着はないって言っていた。一点を争う試合になることは間違いない。明日試合は、俺のゲームメイク次第だ――)」

 

 難しい表情(かお)をしながら若干前屈みで両手を握って、ベンチに座って居た鳴海(なるみ)の元へ、あの夜と同じように、お風呂上がりのあおいがやって来た。

 

「やっほー」

「あ、あおいちゃん」

「となり良い?」

 

 答える代わりに、一人分のスペース作る。あおいは、そこに座った。

 

「考えごと?」

「まあね。どうやって、抑えればいいか考えてた」

「うん、そういう表情(かお)してる。あ、そうだ! 覇堂の木場(きば)くんたちも応援に来てくれるって」

「ああ、そうなんだ」

「うん。ほら、行きの電車の中で妹の静火(しずか)ちゃんとメアド交換したでしょ? 木場(きば)くんからは、激励のメッセージも届いてたよ。『オレたちに勝ったんだ、下手な試合しやがったらぶっ飛ばすぞ!』だってさ」

「はは、木場(きば)らしいね」

「もちろん、ヒロぴーたちも来てくれるって」

「毎回大変だね。ありがたいけど」

「バッティングセンターのアルバイトにも慣れてきたって言ってたよ」

 

 他愛のない世間話をしていると、あおいの声が変わった。

 

「長くても、あと二試合なんだよね。ボク、ここまで来られるなんて入学当初は想いもしなかった。練習時間を削って、みんなで署名活動して。渡久地(とくち)コーチが来て、どんどん上達していくの実感出来て楽しかったなー」

「うん、俺も。ああ......でも俺は、キャッチャーになれって言われて苦労しもたけど」

「あははっ! でも、楽しそうだよ?」

「楽しかは正直解らないけど、やりがいはあるのは間違いないかな」

「そっか。でも、それもあともう少しだね......」

 

 あおいは、何かを悟ったようなどこか儚げな表情(かお)を見せた。

 

「ボクは、本当に一日でも長く、みんなと一緒に野球がしたいよ。だから――」

 

 ベンチを立ったあおいは笑顔で、鳴海(なるみ)に手を差し伸べる。

 

「明日の試合も勝とうね、絶対に!」

 

 ――悔いは残すなよ。東亜(トーア)の言葉が頭の中に蘇る。

 鳴海(なるみ)は差し出された手を握り返して、ゆっくり立ち上がった。

 

「明日だけじゃないよ。その次も勝って、必ず頂点に立とう。みんな、一緒に!」

「あ......うんっ!」

 

 決意を新たに微笑み合った二人は、お互い部屋に戻って眠りについた。

 そして、いよいよ、決勝進出を賭けた準々決勝の朝を迎えた。



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Final game4 ~性質~

 準決勝第一試合、アンドロメダ学園対白轟高校の一戦。

 大西(おおにし)北斗(ほくと)、共にMAX150キロ超を誇る左腕同士の対決を制したのは、アンドロメダ学園。春に引き続き、決勝の舞台へと駒を進めた。

 

「アンドロメダか。白轟も食らいついたんだけどな」

「いい試合だったね。やっぱり、好投手同士の投げ合いには緊張感がある。息が詰まる試合だった」

「うむ、ひとつのプレーで流れが変わるということを再確認出来た。やはり、堅実なプレーこそが勝利をたぐり寄せる」

 

 豪華でありながらも品のある広いリビングルームに、あかつき大附属の二宮(にのみや)六本木(ろっぽんぎ)四条(よじょう)の三人と、部屋の主である猪狩(いかり)(まもる)がソファーに座って、甲子園の試合中継を観戦している。

 

「......どうでもいいんだが、なぜ、キミたちが居るんだい?」

 

 自室でゆっくりと観戦するつもりでいた猪狩(いかり)だったが、三人が突然訪ねてきたことで急遽予定を変更、リビングで一緒に試合を観戦することになり。澄まし顔で不満を漏らす猪狩(いかり)に対し、二宮(にのみや)は笑いながら、汗をかいたコップを手に取った。

 

「細かいこと気にすんなよ。どうせ、暇だったんだろ? つーか、オレら以外にダチも居ねーだろ」

「......二宮(にのみや)、キミは、礼儀という言葉を知らないのか?」

「まあまあ、その辺にしておきなよ」

六本木(ろっぽんぎ)の言うとおりだ。間もなく、準決勝第二試合が始まる。今のうちに、第一試合のデータを整理しておかねば......!」

「フゥ......」

 

 諦めた猪狩(いかり)は、大きなタメ息をついた。第一試合の感想を語り合っているうちに、グラウンド整備が済み、恋恋高校あと、先攻の壬生の選手たちが試合前のシートノックを始める。

 

「けど、まさか、ここまで来るなんてね」

「初戦の帝王実業を、圧倒したことが大きい。あの試合で、勢いに乗れた。自分たちの力を発揮できたことで、初出場のプレッシャーも消し飛んだのだろう」

「僕は、緊張したなぁ。正面のイージーボールを弾いたことは忘れないと思う」

「オレも、甲子園デビュー戦では、足が地に着かなかった感じだったが、六本木(ろっぽんぎ)のミスで気が楽になった」

「役に立ってなにより。それにしても、ずいぶんと顔ぶれが変わったみたいだね」

 

 ノックを受けているスターティングメンバーは、あかつきが春に戦った頃と半分近く他の選手が入れ替わっていた。

 

「ああ、それな。何人か、御陵へ転校したって話しだぞ。準々決勝で先発した三木(みき)ってヤツも、元は壬生に在籍していたらしい」

「ふむ、オレの調べた情報によると。あの投手、壬生時代は選手登録されていなかったそうだ」

 

 話しを聞いた猪狩(いかり)は、訝しげな表情(かお)を見せる。

 

「......それはまた、妙な話しだ。あれほど能力の高い投手が、選手登録されていなかっただなんて」

 

 これが、伊藤(いとう)が取った抜け道。

 選手登録の管理などを一任されていたことで、目に掛かった選手の実力を隠しながら練習に参加させて、基礎を学ばせ、転校後スムーズに行くよう秘密裏にことを運んだ。中には、伊藤(いとう)の合理的な指導法やメンタルケア、卒業後の進路などを親身になって面倒を見てくれる人格を慕って、自ら転校を選んだ選手も居る。春に一年でベンチ入りした一部の選手たちは、新年度に合わせて転校したため今年度は公式戦には出られないが、図らずも戦力ダウンの要因を担う形になった。

 

「どうにせよ、オレたちには関係ないことだ。それに、あの選手は居るぞ」

 

 画面には、ノックを行う監督の補助を務めている選手が映し出されていた。

 

「お前たちも、忘れていないだろう?」

「ったりめーだ」

「......あの一打、忘れるワケがない」

 

 春のセンバツ甲子園大会準決勝、同点で迎えた試合中盤。エラーで出たランナーをスコアリングポジションに置いて一打負け越しの場面、猪狩(いかり)が投げた勝負球、外角低めいっぱいのストレートを、逆風の浜風が吹く右中間へ叩き込んだ選手、壬生を支える扇の要――土方(ひじかた)

 その後、一打同点の場面で二宮(にのみや)がライトフライに倒れたことで、より一層悔しさが残る試合であり、猪狩(いかり)が、ストレート強化を図るきっかけとなった一戦。

 

「正直、簡単にやられるのはしゃくだよな」

「同地区の代表だしね」

「無様な負けだけは、勘弁して欲しいものだ」

「フン。ボクは、中立で見るぞ」

「ったく、素直じゃねーなって、近藤(こんどう)じゃねーぞ?」

「本当だ。準々決勝で、左腕に受けたデッドボールの影響か?」

「どうかな? 直後の打席で、特大のホームラン打ってるし。守備練習を見る限り、動きも悪くなさそうだけど」

 

 四人が観ている中継映像からやや遅れて、場内にもスターティングメンバーを知らせるアナウンスが流れた。

 告げられた先発の名は――一年、沖田(おきた)

 恋恋高校のベンチも、バックスクリーンに表示された名前に、少しだけざわめき立つ。

 

「ライトでノックを受けていたから、もしかしてって思ったけど、先発投手は、近藤(こんどう)くんじゃないのね。決勝戦へ向けての温存かしら?」

「逆だな。春に対戦しているアンドロメダに対しては、近藤(こんどう)で、ある程度計算出来ると踏んだんだろう。相手にとって、ウチは未知数。本当に温存させるのなら、スタメンを外してるさ」

 

 壬生の監督――松平(まつだいら)の考えの中には、二人の起用方について、データが揃っている近藤(こんどう)よりも、データの少ない沖田(おきた)の方が勝算が高いという理由もあった。

 

「因みにだが、府大会の決勝も、沖田(おきた)が先発している。それも、去年と同じ顔合わせだったそうだ。その時は、近藤(こんどう)はスタメンから外れ、控えがセンターに、本職の背番号九番島田(しまだ)がライトに入っていた」

「つまり、油断はしてない。それどころか、いつでも行けるよう最大の警戒してるということ......?」

「相手の思惑はさて置き、やることは変わらない。華々しく散ってこい。花は、散り際が一番映える。正面切って向かえば、相手も惑う」

「はい! さあ、行こう!」

 

 ベンチ前で一列に整列していたナインたちは、鳴海(なるみ)の号令で、グラウンドへ駆け出して行った。

 

 

           * * *

 

 

『後攻の恋恋ナインがポジションに散ります。先発ピッチャーは、十六夜(いざよい)瑠菜(るな)! 準々決勝に引き続き連投となります。どのような立ち上がりを見せるか注目です! そして、迎え撃つ壬生の先頭バッター原田(はらだ)が、右のバッターボックスに入りました。今か今かと、試合開始を待つ超満員のスタンドの熱気が伝わってきますっ。わたくし、熱盛(あつもり)のボルテージも上がって参りました!』

 

 球審のコールと同時に、サイレンが鳴り響く。

 

『準決勝第二試合、決勝進出をかけた勝負が今、始まりましたー!』

 

 鳴海(なるみ)は、じっくりとバッターを観察。

 

「(壬生は、一番から九番まで長打を打てるバッターが揃っている。この先頭バッターも、予選で二本。内一本は、オープニングホームラン。グリップエンドに小指をかけて、バットを長めに持ってる。先ずは、真っ直ぐの対応を見る......!)」

 

 内外野を下がらせ、瑠菜(るな)にサインを送る。

 

『サインに頷いた。十六夜(いざよい)の初球――ストレート!』

 

「(インロー!)」

 

 初球を振り抜いた当たりは内野の頭を越えて、レフト真田(さなだ)の前へ落ちた。一塁キャンバスを蹴ったところでベースへ戻り、プロテクターをコーチャーに預ける。

 

「伝えてくれ。出所が見辛く、タイミングが合わせにくい。球持ちもいいし。早めに始動しておかなければ、差し込まれる」

「あいよ」

 

 コーチャーは、ベンチから来た控え選手に防具と情報を通達。ネクストバッター、そして、ベンチへと情報が伝達された。

 

「(若干詰まっていたけど、パワーで強引に持っていかれた。それに、大振りって訳でもない。インコースを捌ける技術を持ち合わせてる......)」

 

 原田(はらだ)と同じく右打席に立った永倉(ながくら)へ目を移す。

 

『バントの構えは見せません。それもそのはず、バッターボックスの永倉(ながくら)は長打が売りの攻撃的な二番バッター! 打率も、三割強を誇る強打者です!』

 

「(二番も、バットを長く持ってる。生半可なボールは通用しないぞ。どうする......?)」

 

 目を閉じて、思考をフル回転させる。しかし、なかなか良い考えが浮かばない。その時ふと、東亜(トーア)の言葉を思い出した。

 

「(――そうだった、色気は出しちゃダメなんだ。瑠菜(るな)ちゃんの覚悟が無駄になる。よし、とりあえず、コレで様子見を兼ねて間を取ろう)」

「(ええ)」

 

 セットポジションに着いた瑠菜(るな)は、ファーストランナーを目で牽制し、バッターへ目を戻した刹那、素早くプレートを外して牽制球を投げた。ファーストランナー原田(はらだ)は、手からベースへ戻る。

 

「セーフ!」

 

『スバラシイ牽制でしたが、間一髪セーフ!』

 

 牽制球を投げた瞬間、鳴海(なるみ)永倉(ながくら)の反応を見ていた。

 

「(バッターに小細工をするような動きはなかった。ここは、強攻策で来る。探りを入れられる余地はあるぞ)」

 

 永倉(ながくら)への初球もストレート、今度は外角へ一個分外したボール。鋭い当たりが、一塁線を切れていく。ボール球だろうと、芯で捉えられると判断したら構わずに振り抜いて来るという点は一番と類似している。

 

「(それなら、ゾーンを広く使って......いや、違う。これは俺たちが三回戦で、聖タチバナ学園を攻略した方法と同じだ。際どいコースをしっかり振り抜くことで、相手にプレッシャーを与えて自滅を誘う戦術。ストライクゾーンで勝負しないと、相手の思う壺だ。あの当たりの後だから、恐いとは思うけど......)」

「(気を使ってくれるのはありがたいけど、心配無用よ。私は、覚悟を決めてる。どんな要求にも応えるわ......!)」

 

『さあ、サイン交換が終わりました。十六夜(いざよい)、しっかりとランナーを警戒しつつ、素早く足を上げた!』

 

 永倉(ながくら)へ対する二球目――縦のカーブ。

 

『これもレフトへ上がったーッ! レフト真田(さなだ)、打球を追ってバック! しかし、これはもうひと伸びありません。フェンスの前で足が止まり、ウォーニングトラックの手前で掴みました! 原田(はらだ)は一塁へ戻ります、ワンナウト!』

 

 あと数メートルでホームランという大きな当たりもレフトフライに終わった永倉(ながくら)は、ネクストバッターの沖田(おきた)と言葉を交わす。

 

「珍しいですね。永倉(ながくら)さんが、ストライクゾーンのボールを打ち損じるだなんて」

「若干タイミングがズレた。連投でどうかと想ったが、影響はなさそうだ。データ通り、制球力も高い。そうそう甘いコースには来そうにないな」

「了解です」

 

 入れ替わりで沖田(おきた)が打席に入ると同時に、内外野が共に後退し、やや深めの守備体型へ変更。

 

『おっと、ここは長打を警戒です。それもそのはず、バッターボックスの沖田(おきた)はここまで、打率五割を越すハイアベレージ、本塁打も四試合で三本と、柔と剛を兼ね備えています! 恋恋バッテリー、どう迎え撃つのか!?』

 

「(沖田(おきた)は、追い込まれるまで手を出さない。追い込んでからが勝負だ。下手にかわしちゃいけない、なら決め球は、ストレート。最大限活かすには――)」

 

 初球はカーブから入り、二球目は、ストレートで見逃しのストライクを奪う。二球で、沖田(おきた)を追い込んだ。

 

「(球速は、110キロ前半。今のが、最速なのかな?)」

 

 追い込まれたにも関わらず沖田(おきた)は、余裕のある表情を崩さない。力感もなく、ゆったりと自然体で構えている。

 

「(よし、ここもデータ通り、多少甘いコースでも振らずに見て来た。ランナーからは、動く素振りを感じない。バッターを信頼しているんだ。なら――)」

 

 サインに頷いた瑠菜(るな)、ランナーを目で牽制し、足を上げた。三球目、遊び球なしの三球勝負。内角高めストレート。

 

「(――インハイ、三球勝負......あれ? さっきよりも速いっ?)」

 

 ツイストで振り遅れを修正し、身体に巻き付けるように肘を畳んだ。

 

『捉えたーッ! ライナー性の打球は、深めに守っていた奥居(おくい)のグラブの上を越え、左中間のど真ん中に落ちました!』

 

「――くっ、やられた!? レフト、センター!」

 

 真田(さなだ)矢部(やべ)が全速力で打球を追う間に、ファーストランナー原田(はらだ)はホームへ生還。打った沖田(おきた)も、セカンドへ到達。

 

『ボールは、中継へ返ってきただけ。壬生高校、三番沖田(おきた)のタイムリーツーベースヒットで先制点を奪いました! なおもワンナウト・ランナー二塁、追加点のチャンスで四番近藤(こんどう)を迎えます!』

 

 すぐさまタイムを要求した鳴海(なるみ)は、瑠菜(るな)へ声をかけに走る。

 

「三球勝負、完全に裏をかいたと想ったのに。一瞬で修正して対応してくるなんて......脅威的なコンタクト力ね」

「確かに、胸元の真っ直ぐを、あの角度と方向へ詰まらせずに打ち返すことは至難の業。しかし今の一打は、金属でなければ、奥居(おくい)のグラブに収まっていた可能性もあった」

 

 東亜(トーア)は、小さく笑みを見せる。

 

「ほんの僅かだが、見えてきたな」

 

 ――沖田(アイツ)の性質、次へと繋がるモノが。

 




P.S
本来北斗の最速は149キロですが、サクスペで先行実装されている「北海の狼・北斗」では、選手能力が向上しているため、そちらをベースにしています。


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Final game5 ~思考~

 準決勝、夏連覇を狙う壬生高校との一戦。

 初回に先制点を失い、なおもピンチで四番を迎える。

 

『打席に立つのは、壬生の主砲――近藤(こんどう)! 前の試合、超特大のホームランを放っています!』

 

「(あんな打たれ方したからどうかと思ったけど、大丈夫、瑠菜(るな)ちゃんに動揺はなかった。ピンチで、四番か――)」

 

 前三人のバッティングを振り返る。一・二番は、近藤(こんどう)と同じく右打者。どちらもレフト方向へ引っ張って飛ばされるも、瑠菜(るな)からタイミングを取ることを若干苦にしていた。

 

「(今までの相手と一緒だ。右打者はことごとく、瑠菜(るな)ちゃんに苦戦してる。ただ、今までの相手と違うところは、一・二番の対応を見る限り、多少ズレても無理に合わせずに振り抜いてくる怖さがある。しっかり、情報を拾わないと)」

 

 マウンドから戻ってきた鳴海(なるみ)は、球審に礼を言って、腰を降ろし。鳴海(なるみ)が戻ってくるのを待ってから、右打席に入った近藤(こんどう)は、瑠菜(るな)を見据えて、どっしりと構える。

 

「(見るからに、長距離ヒッター。一昨日の試合でも、一本打ってるし。右二人からは、インコースのストレートと変化球の対応を見れた。ここからはまた、右が続く。今度は、外角の対応を探る)」

 

 サインを出し、外角へミットを構えた。ひとつ息を吐いた瑠菜(るな)が足を上げるのと、ほぼ同時に、セカンドランナーがスタートを切る。

 

「走ったわよっ!」

「――っ!?」

「さ、三盗!?」

 

 まさかの三盗、咄嗟にミットを外した。球種は、外角のシュート。外角へ逃げる変化球を見逃して、ボール。ボールゾーンで捕球した鳴海(なるみ)は、素早くサードへ放るも......。

 

「セーフ!」

 

 やや余裕のあるタイミングで、セーフの判定。

 

『セーフ、セーフです! 俊足沖田(おきた)、三盗成功! チャンスを広げましたッ! いやはや、初球から仕掛けて来ました!』

 

 四番の打席、初回、リスクが高い三盗。バッテリーはもちろん、ベンチにも動揺が広がる。

 

「まさか、この場面で足を使って来るだなんて......!」

「フッ、完全に意表を突かれたな」

 

 東亜(トーア)は、壬生の監督松平(まつだいら)を見てから、バッター近藤(こんどう)へと目を移す。どちらとも、特にこれといった反応は見受けられない。

 

「フム......」

「何か、引っかかることでも?」

「少しな。はるか、予定通りだ。定位置でいい」

「はい」

 

 はるかに伝え、適当な空サインを送る。サインを受け取った鳴海(なるみ)は改めて、バッターオンリーの勝負へと頭を切り替える。

 

「(三盗は、頭になかった。思わずウエストを要求しちゃったけど、やり直そう)」

「(ええ)」

 

 外角のストレート、外角から入ってくるカーブを使い、共に見送られ、ツーエンドワンのバッティングカウント。全ての球種を見せるも、一度もバットを振らない近藤(こんどう)鳴海(なるみ)は反応を探るため、タイムリーを覚悟した上で、二球目のストレートとよりも甘いコースのストレートを要求。瑠菜(るな)も、ミットを目がけて投げ込む。そして近藤(こんどう)は、ここで初めてバットを振った。

 

『ファウル! 良い当たりでしたが、一塁側のスタンドに飛び込みました! やや差し込まれたか?』

 

 先頭バッターと違い、コースに逆らわずに打ってきた。しかし、ストレートへの対応を見れたことに加え、ファウルだったことで、バッテリーに僅かながら余裕が生まれた。一球インサイドを見せてから外角の変化球で勝負に行けると考え、平行カウントからの五球目は、インハイのストレートを選択。

 

近藤(こんどう)、ボール球に強引に手を出した! 打球は、レフトへ高く上がったフライ......』

 

 追い風に流され、定位置のやや後方で落下地点に入った真田(さなだ)は、グラブを掲げた。沖田(おきた)はサードベースへ戻って、タッチアップに備える。捕球と同時に沖田(おきた)は、スタートを切った。真田(さなだ)から、中継の奥居(おくい)を介して、バックホーム。

 

奥居(おくい)から良いボールが返って来ましたが、あと一歩及びません! タッチアップ成功、四番近藤(こんどう)の犠牲フライで一点を追加、点差を二点と広げます!』

 

 タッチアップを決めた沖田(おきた)と、犠牲フライを打った近藤(こんどう)を、ベンチメンバーが出迎える。アルプススタンドの壬生の応援団から地鳴りのような声援が送られている中、バックネット裏銀傘の日陰になっている内野スタンドに、恋恋高校が三回戦で戦った、聖タチバナ学園の女子五人――みずき、(ひじり)優花(ゆうか)和花(のどか)新島(にいじま)が観戦している。因みにもう一人の同級生佐奈(さな)あゆみは、後輩の女子マネージャーを連れて、ショッピングの真っ最中。

 

「息を付く暇も与えない、無駄のない速攻でしたね」

「ええ。でも、ランナーは居なくなったわ。一息付けるわ」

「それに、ツーアウトにもなった」

「うむ、バッテリーは、バッターとの勝負に専念出来るぞ」

「てゆーか、ちょっと変じゃないですか? 攻めが単調って言うか。帝王実業と覇堂とやった時は、もっと近いところをガンガン攻めてたし」

「探っているのよ、各選手の能力や特徴を。ある程度の失点ありきで」

「えっ? じゃあ、優花(ゆうか)先輩と同じことをしてるってことですか?」

「そうよ」

 

 ――だけど私は、ここまで割り切れなかった。

 悔しそうにキュッと、握る手に力が入る。前を向いた優花(ゆうか)は、同級生の新島(にいじま)を除く、後輩三人に向けて言う。

 

「しっかり見ておきなさい。三番、四番に目を奪われがちだけれど、次のバッターが、ある意味で一番恐ろしい相手よ」

 

 五人の視線の先には、壬生の五番――土方(ひじかた)

 凛々しい佇まいに、女性ファンの黄色い声援が球場に木霊する。

 

「(沖田(おきた)の時もスゴかったけど、スゴい人気だ......何てこと考えてる余裕は、俺たちにはない。土方(ひじかた)は、あの猪狩(いかり)のストレートを、逆風が吹く右中間スタンドへ叩き込んだ強打者だ)」

 

 近藤(こんどう)と同じく右打席に入った土方(ひじかた)は、足場を軽く為らし、ベンチへ目を向けた。

 

「(計算通り先制を、追加点も奪った。しかし、これでは心許ない。相手はまだ、九回の攻撃を残している)」

「(承知しています)」

 

 頷いた土方(ひじかた)は一度、鳴海(なるみ)を見てから瑠菜(るな)へ目を移す。

 

「(多くの女子選手が主力として名を連ねるチームとして、本来の実力とは別のところで、メディアに取り上げられている部分も多い。しかし、ここまで勝ち上がってくるチームに、自力がないハズなどない。試合内容に関しても、奇襲や奇策に目が行きがちになるが、オレの見立てでは、彼らの本当の武器は、卓越した高い集中力。特に、試合を左右するようなターニングポイントでの集中力は飛び抜けて高い。それを裏付ける様に、チームの得点圏打率は五割に迫る脅威的な率を残している。更には、試合が後半へ進むにつれ、出塁率も大幅に向上する。点差は、まだ二点。セーフティリードとはほど遠い。オレの役目は、途切れかけている流れを、もう一度作り直すこと――)」

 

 凜として静に構える、土方(ひじかた)

 

「(......自然体の三番とも、威圧感のある四番とも、また違う雰囲気がある。ツーアウトか。重要なことは、何を拾えるか。四人と対戦して、感じたことを踏まえて――)」

 

 鳴海(なるみ)は「いいですか?」と、真剣な眼差しを東亜(トーア)へ送った。

 

「どうやら、試したいらしいな。自分の配球が、相手の捕手に通用するか否かを」

「調査をいったん中止して、真っ向勝負を挑むの?」

「ランナーは居ない、アウトカウントは二死。一発を打たれても、まだ若干余裕がある。ここでなら、勝負に行ける。そして、それだけのメリットがある。打たれたら仕切り直し、抑えれば二回へ持ち越せばいいだけのこと。打順は下位へと下っていく、下位には下位に収まる何かしらの理由が存在するハズだ。結果如何によっては、ある程度目処が立つ」

「どっちに転んでも、ただじゃ死なない。いいえ、それどころか、こちらの攻めにおいても、彼のバッティングから何かを拾えるかもしれない......」

「そう言うこった」

 

 打たれても、抑えても、壬生の頭脳である捕手、土方(ひじかた)の思考・傾向を知れる絶好の機会。走者が居ないことで、打者勝負に専念出来る。

 

「(よし、許可を貰えた。本気で抑えに行くよ)」

「(ええっ)」

 

 東亜(トーア)から許可を得た鳴海(なるみ)は、土方(ひじかた)を観察し、瑠菜(るな)へサインを送る。力強く頷いた瑠菜(るな)の、土方(ひじかた)への初球――。

 

『おっと、インコース胸元の厳しいところへズバッと来ました! 土方(ひじかた)、軽く身体を引いて、ボール・ワン!』

 

「(配球を変えてきたか。バッテリーも、重要性を理解している。だが、オレの役目は変わらない。最低でも後ろへ繋ぎ、合えば決めるまで――)」

 

 身体に近いところを攻められても表情は変わらず、冷静さを保ったまま、改めて構え直す。

 

「(表情(かお)も、スタンスも変わらないか。ほんのちょっとでもいいから反応して欲しかったけど。仕方ない、じっくり行こう)」

 

 二球目、内角低めのストレート。先の打者たちと同様、際どいコースを迷いなく振り抜き、三塁側のスタンドへの飛び込むファウル。三球目は、はっきりと外角へ外した。土方(ひじかた)はタイムを要求し、いったん、打席を外す。

 

「(これで、バッティングカウント。ここまで、ストレート三つ。緩い変化球(ボール)を使うならここだ。変化球であるなら八割方、縦に落ちるカーブ。残りの二割は、覇堂の打者を翻弄した、得体の知れないチェンジアップの様なボール。ただ、アレは一定の変化球ではない。狙うのは悪手、ここでは捨てるべき球種――)」

 

 打席に戻り、試合再開。仕切り直し、バッティングカウントからの四球目――。

 

「(やはり、来たか。キミたちは、相手の一番嫌がることをする)」

「(――読まれた!?)」

 

 一球前の外したストレートよりもスピードを抑えた外角低めのストレートを、しっかりと見極め狙い澄まして振り抜いた。打球は、コースに逆らわずライト上空へと上がる。

 

「センター、ライト!」

 

 マスクを脱ぎ捨て、大声で指示を出す。

 

『打球は、右中間ーッ! センター矢部(やべ)、ライト藤堂(とうどう)が懸命に追います!』

 

 打球は、浜風の影響をものともせず、ややスライスして右中間へ。

 

「(うっ、届かないでやんす......!)」

 

 自分から逃げていく打球を追って、全速力で背走する矢部(やべ)へすぐ近くから、藤堂(とうどう)のかけ声が飛んだ。

 

「任せてください!」

「任せたでやんす!」

 

 方向転換した矢部(やべ)は、バックアップに回り。声をかけた藤堂(とうどう)は全力疾走の勢いのまま打球を目がけて、頭から飛びついた。

 

藤堂(とうどう)、ダイーブッ! 勢い余って一回転! 捕ったのか!? それとも、落ちたのかー!?』

 

 片膝を付きながら身体を起こした藤堂(とうどう)は、後ろ向きでグラブを掲げた。二塁塁審が確認へ走る。そして、右手を大きく突き上げた。

 

「アウトーッ!」

 

『アウト、アウトです! 抜けていれば長打確定の打球を、空中で掴み取りました! 超ファインプレー! スリーアウトチェンジです!』

 

「ナイスでやんすー!」

「どうもです!」

 

 スタンドから大きな拍手を背中に受けながら、矢部(やべ)とグラブタッチを交わし、走ってベンチへ戻る。先に戻って来た鳴海(なるみ)はさっそく、東亜(トーア)の隣に座った。彼の隣に、瑠菜(るな)も腰を降ろす。

 

「感想は?」

「想像以上です。先頭バッターから、クリーンナップを相手にしているように感じました。何より......」

 

 鳴海(なるみ)より先に、瑠菜(るな)がとても悔しそうに答えた。

 

「空振りを奪えませんでした、一球も......」

「五番には、配球を読まれたと想います。完全に、スピードを抑えたストレートを待っていたタイミングで打たれました」

「確かに、低速の真っ直ぐを狙っていたことに間違いはないだろう。だが、打ち損じた」

「あの打球で、ですか......?」

猪狩(いかり)のアウトローのストレートを、右中間の一番深いところへ運ぶ力のある打者だ。もし完璧に捉えていたのなら、間違いなく柵越えだ。少なくとも、会心の当たりではない」

「あれで、打ち損じ......」

 

 ファインプレーがなければ最悪、ランニングホームランもあり得たようなコースの打球が打ち損じと知り、表情が強張る。

 

「一方的な思考ばかりに囚われるな。見えるものも、見えなくなる。三番よりも力は劣ると解っただけでも、十分な収穫だろう」

 

 同じように緩急を活かしたストレートを、沖田(おきた)はタイムリーヒット。土方(ひじかた)は、ライトフライに終わったことは事実。

 

「つまり、まったく通用しないという訳ではない」

 

 俯いていた瑠菜(るな)は、その言葉に顔を上げた。

 

「次は、下位打線。一・二番の早打ちのおかげで、若干の貯金もある。結果によっては、リベンジの機会もあり得る」

 

 東亜(トーア)は、ベンチへ戻って来た藤堂(とうどう)たち外野手たちへ目を向けた。

 

「あのプレーを活かすも殺すも、お前たち次第だ」

 

 鳴海(なるみ)瑠菜(るな)は「はい!」と、声を揃えて力強く返事。東亜(トーア)は小さく笑みを浮かべ、ナインたちを集める。

 

「さて、こちらの攻撃だが――」

 

 マウンドで投球練習している沖田(おきた)へ、視線を移す。

 

「まずは振って、実際に体感して来い」

 

 ――沖田(アイツ)の、真っ直ぐを。

 



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Final game6 ~仮説~

お待たせしました。


 控え捕手を相手に投球練習を行っている沖田(おきた)に目を向けながら理香(りか)は、はるかと一緒にまとめた彼のデータを読み上げる。

 

沖田(おきた)くんは、典型的な速球主体のピッチャー。投球割合の実に八割以上がストレート。だけど、特別パワーピッチャーという訳ではないわ。球速の平均値は140Km/h前後......にも関わらず、ストレートの奪空振り率は七割に迫る脅威的な数値を残しているわ」

 

 プロ野球における、ストレートの奪空振り率は平均5パーセント前後。球速に比例して、空振り率も上昇し。コース別では高めの方が空振り率は高く、低めの方が低い傾向がある。

 

「この七割は、予選を含めての数値よ。甲子園での登板にだけ絞っても、五割強を記録しているわ」

「いくら実力差が顕著に現れる学生野球とはいえ、明らかに異常な数字だ。滅多にお目にかかれない、活きた160キロ近い球速のストレートを投げるなら話しは別だが」

「確かに。先に決勝進出を決めたアンドロメダ学園の大西(おおにし)くんは、常時150キロ以上のストレートで、三割強の奪空振り率を記録しているわ。ただ、左利きのアドバンテージやイニング数の違いもあるし、一概に比較は出来ないわね。それから、関係あるか不明だけど、中学時代よくアップでキャッチボールの相手をしていた藤堂(とうどう)くんの話しによると、送球は“真っ直ぐ”来たそうよ」

「真っ直ぐねぇ。まあ、実際に対峙する以外に方法はない。そう言うことだ、行けると判断したら積極的に狙っていけ」

 

 準備を済ませ、ベンチ前で投球練習を観察していた先頭バッターの真田(さなだ)と、ネクストバッターの葛城(かつらぎ)の二人は、声を揃えて返事をして、それぞれバッターボックスとネクストバッターズサークルへ。投球練習の最後のボールを受けた土方(ひじかた)は、ボールをセカンドへ送球し、マウンドへ向かう。

 

沖田(おきた)、今日の相手は、今までの相手とは勝手が違う」

「分かっていますよ。向こうには、藤堂(とうどう)くんも居ますし。きっと、対策も立てられてますよね。それにしても、さっきの一歩目とんでもなく速かったなー。判断力と思い切りの良さは、前より磨きがかかったかな?」

「感心している余裕はない。迅速かつ確実に仕留めに行くぞ」

「了解です。長丁場になるといろいろと面倒ですし、特に、今日の相手は」

 

「分かっているのならいい」と、ポンと沖田(おきた)の肩を軽く叩いた土方(ひじかた)は、急ぎ足でポジションへ戻り、キャッチャースボックスに腰を降ろした。

 

「(とにもかくにも、立ち上がりだ。エンジンがかかるのが遅い......というより、感覚を掴むのに多少時間がかかる。二点止まりだったことが悔やまれる。覇堂戦を含めた試合を見た限り、全体的にレベルアップした上で長所を伸ばしつつも、いい意味で落ち着いていたが。昔の荒削りな闘争心を取り戻したとなると、藤堂(とうどう)も、相当厄介な相手になる。良い師に巡り会えたようだな)」

「バッターラップ」

「お願いします!」

 

 球審に呼ばれた真田(さなだ)は礼儀正しく礼をして、左打席に立つ。モーションに入る最中、さり気なく守備位置を確認。内外野共に定位置で、特別な警戒はしていない。

 

「(サードのあの守備位置、仕掛けられないことはないけど。ここで足を警戒していないのは、シングルならいいと割り切ってるからだ。前に、コーチが言っていた。奇襲や奇策は、相手の隙や油断を突く戦術だって――)」

 

 壬生は今は、特別な警戒はしていない。奇襲の条件に該当するものの、しかしそれは、油断ではなく、余裕。二点のリードがあり、瑠菜(るな)を捉えている事実があるため、特別な警戒する必要がない状況下である今、奇策や奇策の類いで揺さぶることは出来ない。

 

「(たぶん、もう何点か取れること前提の布陣。今は、仕掛ける場面じゃない。ストレート......というより、ピッチングを体感して、一球でも多くデータを収集することが、俺の役目だ......!)」

 

「プレイ!」

 

『アンパイアのコール! 恋恋高校一回裏の攻撃は、不動の先頭バッター真田(さなだ)! くせ者葛城(かつらぎ)、ポイントゲッター奥居(おくい)へと続く打線を相手に、壬生の先発沖田(おきた)は、どのようなピッチングを披露するのか、注目して参りましょーッ!』

 

 真田(さなだ)へ目を向けた土方(ひじかた)は、初球のサインを送る。一瞬キョトンとした表情を見せた沖田(おきた)だったが、ゆったりと投球モーションに入った。

 

沖田(おきた)、ランナー無しでもセットポジションからの投球、第一球を――投げました!』

 

「(カーブ!?)」

 

 ストレートを待っていたところへ、緩い110キロ台のスローカーブ。完璧にタイミングを外されて、外から巻いて入ってくるボールを見逃し、ストライク。

 

「(投球の八割以上がストレートの投手が、二割の変化球を使ってきた。それも、初球に――)」

「(やはり、ストレートを狙っていたか。おそらく、積極的に狙っていけと指示が出ている。オレも、同じ指示を出す。ならば――)」

 

 二球目のサインを送り、今度は普段の表情(かお)で頷いた。

 

『またしても、カーブボール。しかし、これは低めに外れました。ワンエンドワン、平行カウント』

 

「カーブを連投......ストレート狙いを見透かされている?」

「おそらくな。あの捕手は、典型的な戦略家。完全な読み打ちといい、打者の狙いを読み取る洞察力いい、捕手として重要な資質を持ち合わせている。だが、カーブはここまで。次は、別の球種だ」

「データでは、カットボールとチェンジアップを持っているわ。ただ、どちらも殆ど使わないわね。初球と二球目に投げたスローカーブも含めてだけど、やっぱり、失点に絡むからかしら?」

 

 沖田(おきた)の失点の内訳は、初回から三回までの割合が高く、中盤以降は極端に減少し、終盤疲れが見え始める頃に失点する割合が増える。そして、失点には大抵変化球が絡むという特徴がある。

 

「特に、序盤の失点に絡みやすい。だが、今も使った。自覚が有りながらも使っている。もしくは、使わなければならない事情があるか。まあ、いずれ分かる」

 

 サインに頷いた沖田(おきた)の三球目――。

 

「(――ストレート!)」

 

『空振り! やや甘いコースでしたが捉えられません!』

 

 狙っていたストレートを空振りした真田(さなだ)は、バックスクリーンの球速表示を確認。

 

「(140ジャストか。球速表示の割には、手元で来たような気が......緩いカーブを見せられた後だったからか? どっちにしても、追い込まれた以上ゾーンを広げて待つしかない)」

「(雰囲気が変わった。ストレート狙いを止めて、当てられるゾーンに来たら振るといったところか。ならば、振って貰うまでだ、ストレートを。ただし、足がある。そこは、配慮しておかなければ)」

 

 サインを受け取り、モーションに入る。バッテリー有利のカウントからの第四球、遊び球無しで勝負。内角高めに構えたミットよりも、やや真ん中に入った。

 

『あっと、甘く入ったが打ち上げてしまいました、これはミスショット。ショート井上(いのうえ)へのフライ、ガッチリ掴んでワンナウト!』

 

 内野フライに終わった真田(さなだ)は、ネクストバッターの葛城(かつらぎ)に打席で感じた印象を伝える。

 

「相当手元で来るぞ、センター狙ったつもりが、差し込まれて打ち上げちまった。イメージ的には、山口(やまぐち)と同等くらいな。ただ、スローカーブが邪魔だな、あれがあるからより速く感じる」

「オッケー」

 

 貰った情報を頭に入れ、バッターボックスへ向かい。ベンチへ帰ってきた真田(さなだ)は、東亜(トーア)にも同じ報告を行う。

 

「練習試合では、どうだった?」

 

 答えたのは、実際に試合を観戦していた瑠菜(るな)

 

「ストレート中心でした。ですが今、投げている程のスピードは出ていなかったと想います。正確には分かりませんけど、130キロくらいだったんじゃないかと」

藤堂(とうどう)。アイツは中学時代も、投手だったと言っていたな」

「はい。一年の秋口までは。土方(ひじかた)さんが引退したあとの捕手の人があまり、捕球が上手く無かったのもあって。球速が上がるにつれて、強肩と瞬足をより活かすために外野へコンバートされました。ただ、投球練習は自主練でやっていました」

「ふーん」

 

 はっきりとした返事を返さず東亜(トーア)は、グラウンドへ目を戻す。試合は、葛城(かつらぎ)がいつも通り、打席でピッチャーに球数を多く投げさせていた。

 

「(粘る......というよりも、狙っているストレートに振り遅れている。ボールのキレは問題ない。いや、今までの試合で一番の立ち上がりかも知れない。口だけではなかったか)」

 

 土方(ひじかた)は「これなら、思いのほか早く掴めるかも知れないな」と、小さく笑みを浮かべた。対照的に葛城(かつらぎ)は、若干苦い表情(かお)をしている。

 

「(くそ、狙っても前に飛ばない、狙い通りに芯に当てれてないんだ。もっと速い球を投げる木場(きば)猪狩(いかり)が相手でも、ここまで差し込まれなかったのに。左腕と右腕とじゃこうも勝手が違うのか。それに、フォームに力感がないから、ストレートと変化球の見極めも難しい......)」

 

 想像以上に手元で来るストレートに対応するため、バットを指一本分短く握り直した。その仕草を確認してから、サインを出す。

 

『サインが決まりました。次が、葛城(かつらぎ)への五球目――』

 

「(――曲がった、カットボール......!?)」

「(ストレートで押しても構わないが、それ以上に、粘られるのは御免被る。短く持てば、外へ逃げるボールは届かないだろう)」

「くっ......!」

 

 咄嗟に右手を離し、左手一本で拾った。打球が、一二塁間へ転がる。

 

「(チッ、当てて来たか)」

 

 マスクを外し、指示を出す。

 

松原(まつばら)斎藤(さいとう)!」

 

『一塁寄りの一・二塁間! ファースト斎藤(さいとう)の、グラブの横を抜けたー! が、セカンド松原(まつばら)が回り込んでバックアップ! 黒土と芝生の切れ目付近、難しいバウンドに上手く合わせ、グラブの先で引っかけた! そして、そのまま一回転――』

 

「体勢が悪い、無理するな!」

 

 土方(ひじかた)の声に、松原(まつばら)は送球を思い止まる。

 

『ここは、投げませんでした。セカンドへの内野安打、恋恋高校も初回にランナーを出しました! そして迎えるは一発のある、奥居(おくい)! ホームランが出れば、たちまち同点です!』

 

「(スピンで、バウンドが変わっていた。今のは、追いついてくれただけで十分。抜けていれば、ファウルゾーンへ切れていく回転の打球、下手をすれば長打もあり得た。まだ初回、無理をする場面ではない――)」

 

 球審にボールの交換を要求、新しいボールをこねる時間を利用して間を取り、沖田(おきた)へ投げる。

 

「今の、カットボールよね? ベンチから見ても、かなり鋭く変化していたのが分かったわ」

「キレも変化も申し分ない。しかし、諦めずに食らいついたからヒットになった。何はともあれ、ランナーが出た」

 

 ホームランで同点の場面になったことで、揺さぶれる余地が出来た。はるかを通じて、ランナー葛城(かつらぎ)とバッター奥居(おくい)へサインを送る。二人は、「了解」とサインを受け取ったことを伝える。

 

「(この三番は、バッティングセンスはもちろん、小技も器用にこなしてくる。だがさすがに、素直な送りバントはない。仕掛けてくるとすれば、エンドランか盗塁。どちらにしても、ランナーは気にしなくていい)」

「(了解です)」

 

 やや広めにリードを取る葛城(かつらぎ)に対して沖田(おきた)は、目で牽制をしつつ足を上げる。そして奥居(おくい)は、バットを寝かせた。動きに連動して、ファースト斎藤(さいとう)、サード原田(はらだ)がチャージをかける。

 

奥居(おくい)、バットを引いて見送った。投球は、ストライク、内角へストレートが決まりました!』

 

「今、クイックモーションじゃありませんでした!」

 

 投球を見て、鳴海(なるみ)が声を上げる。

 

「あえてしなかったのか、単純に苦手なのか。入学式の前から練習に参加していたとしても、本格的に投手に戻って五ヶ月あまり、実戦不足は否めない。しかし、抑えて来た実績はある」

「後者の場合は、補えるだけの理由があるということですかね?」

「牽制......なら、今投げていると思う。葛城(かつらぎ)くんのリードは大きかったし。ランナーが居ても、打ち取れる自信があるのかしら?」

「この場面で打たせるとなると、やっぱり、カットボールかな?」

「手元で変化するカットボールは、ゴロを打たせるのに有効な球種。実際、打たされたからな。だが、使うなら初球だろう。何せ、クイックをせずに投げたのだからな」

「確かに。長丁場になればなるほど、フォームのクセを盗まれるリスクも高まる。あおいちゃんは、どう思う?」

 

 東亜(トーア)瑠菜(るな)と話し合っていた鳴海(なるみ)は、あおいに話題を振った。あおいは、口元に人差し指を当てながら小首をかしげる。

 

「う~ん、キャッチャーの肩が、スゴくいいとか?」

「あり得るな。クイックが必要ないほどの強肩であれば、投球に専念出来る。理香(りか)

「ええ。土方(ひじかた)くんの盗塁阻止率は、ちょうど五割。だけど、近藤(こんどう)くんを筆頭に球速の速い投手が揃っているのも相まって、そもそもの被盗塁数が少ないから、あまり参考にはならないわね」

「なら、探るには打って付けの状況ってことだ」

 

 一度リセットし、新しいサインを送る。サインに頷いた奥居(おくい)を見た沖田(おきた)は、土方(ひじかた)へ視線を移す。

 

「(また何か、サインが出たみたいですよ?)」

「(気にするな、ただの揺さぶりだ。お前は、ピッチングに集中すればいい)」

「(はいはい、と)」

 

 フェイクでプレートを外し、改めて、セットポジションチェンジから投球モーションを起こす。やはり、取り立てて速いクイックモーションではなかった。

 

葛城(かつらぎ)、スタート! いや、止まった! スタートの構えだけ。投球は、高めのストレート。土方(ひじかた)、一塁へ素早い牽制! タッチは――セーフ! 際どいタイミングでしたが、手の方が僅かに早く着きました!』

 

 最初から帰塁を前提の偽盗にも関わらず間一髪のタッチプレーになったことに、ベンチがざわつく。

 

「うっわ、肩、強っ! ギリギリだったじゃん!」

「外されたら、盗塁は厳しそうだな......カットボールならギリ行けるか?」

「え、なに? あんた、走る気でいんの?」

「俺は、常に狙ってるぞ。まっ、あえて走らないでプレッシャーをかけるだけの時もあるけど。意識させるだけでも配球は単調になるし、カウントを有利に出来る。今の、相手バッテリーみたいにな」

「へぇ、そういうことも考えてるんだ」

 

 芽衣香(めいか)真田(さなだ)のやり取りを聞きつつ東亜(トーア)は、土方(ひじかた)を冷静に分析。

 

「地肩は、二宮(にのみや)に劣るが、モーションの速さでは優るといったところか。だが、迷いのない動きを見る限り、ある程度想定されていたのかもな」

 

 再びサインをリセット、当初の予定通りフリーに戻す。

 

「(これで、少しは大人しくなるだろう。さあ、バッターに専念だ)」

 

 頷いた沖田(おきた)も、ランナーは無視して自身のピッチングに専念。カウント・ワンエンドワンからの三球目も、ストレート。このボールもミットを構えたコースよりも、高めに来た。

 

「もらったぞ!」

 

 奥居(おくい)は、甘く入ったこのボールを見逃さない。

 

『打球は、右中間へ上がった! しかし、これは上がりすぎたか? 今日、沖田(おきた)の代わりにセンターのポジションに入っている(たに)が、深いところ落下地点に入って手を上げます。葛城(かつらぎ)は、ハーフウェイから一塁ベースへ戻って、ツーアウト!』

 

 大きなセンターフライに終わった奥居(おくい)は、悔しそうな表情(かお)で戻って来る。

 

「浜風に押し戻されたな、打ち損じか?」

「あ、はい。捉えたと思ったんっすけど、ちょっと下に入りました。次は、修正するっす!」

「そうか」

 

 二死になったことで、瑠菜(るな)鳴海(なるみ)はキャッチボールを始める。打席は、四番甲斐(かい)奥居(おくい)の時と同様に、常にフリーサイン。そして、バッティングカウントからの四球目――。

 

『痛烈なピッチャー返し! しかし、沖田(おきた)、素早くグラブを差し出し、顔の横で捕りました! スリーアウトチェンジです!』

 

 捕球したボールをプレートの横に置いた沖田(おきた)は、涼しい表情(かお)でベンチへ戻って行く。

 

「脅威的な反射神経だな」

「ええ、普通ならセンター前へ抜けているわよ。顔色ひとつ変えないなんて......」

「そう落胆するなよ、まだ初回が終わっただけだ。鳴海(なるみ)

「はい」

 

 グラウンドへ向かおうとしていたところを呼び止める。

 

「少し確かめたいことがある。次の打者には、カーブを使わずにインコース中心に攻めろ。それと、もうひとつ――おそらく打たれる。直後、必ず間を取れ、こっちから伝令を送る」

「......分かりました!」

 

 力強く頷いた鳴海(なるみ)は、瑠菜(るな)が待つグラウンドへ駆け出して行った。さっそく理香(りか)が、真意を確かめる。

 

「今のは?」

「話した通りだ。もし、仮説が的中していたのなら――」

 

 ――見えてくる、攻略の糸口が。



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Final game7 ~イメージ~

 二点をリードされた状況で迎える、二回の攻防。

 二回表壬生の攻撃は、六番斎藤(さいとう)から下位へと下っていく打順。イニング間の投球練習が終わり、鳴海(なるみ)は、鋭い眼差しで瑠菜(るな)に対峙する斎藤(さいとう)へ視線を向ける。

 

「(沖田(おきた)と同じ、左打者か。あと、九番の井上(いのうえ)も左打者......カーブを使うなって指示されたけど、抑えに行くなとは言われてない。同じ左打者の沖田(おきた)との違いを確かめつつ、同じ左の九番への対応も念頭に置いていく......!)」

 

 初球は、土方(ひじかた)への入りと同じく内角へストレート。やや仰け反るようにして避けた斎藤(さいとう)の目つきが、より鋭い目になった。

 

「(目つきが変わった。もしかして、意外と短気なのかな? ちょっと誘ってみよう)」

 

 頷いた瑠菜(るな)の二球目、低めからボールゾーンへ落ちる低回転ストレート。しかし、この誘いには乗って来ず見極められて、ボール。斎藤(さいとう)はいったん、打席を外した。

 

「(今のが、土方(ひじかた)さんが、打ち損じた変化球か? 手こずるようなボールではなさそうだったが......まあ、いい。ストライクを取りに来たところを仕留めるまで)」

「(しっかり見られた。あの眼は、ポーズだったのかな? とにかくこれで、打者有利のカウントだ。ここで、ストライクを欲しがるとやられる。目先を変えられないカーブを使えないとなると――)」

 

 甘いストライクを狙っていた斎藤(さいとう)は、外角低めギリギリいっぱいのストレートを見逃した。判定は、ストライク。

 

「(よし。これで、ツーワン。少しより戻せた。インコース中心に攻める、ならここは、カウントを整えたい。コレで、ファウルを打たせよう。平行カウントに出来れば、勝機も見えてくる)」

「(ええっ)」

 

『カウント、ツーボール・ワンストライク。次が、四球目。キャッチャー鳴海(なるみ)が、内側に寄りミットを構えました。ここは、インコースを選択したようです! さあ、十六夜(いざよい)の足が上がったッ!』

 

「(――シュートか、見逃せばボールになる。だが、十分に捉えられるエリア。追い込まれると面倒、打てる場面で打っておくべきだ)」

 

 上げた右足を思い切り踏み込み、ストライクゾーンからボールになる、内角低めの難しい変化球を迷うことなく振り抜いた。

 

「(なっ!? シュートが曲がりきる前に――)」

「(掬い上げられたっ!?)」

 

 引っ張った打球は、大きな弧を描いてライトへ飛んでいく。

 

『引っ張った打球は、いい角度でライトの上空へ! 藤堂(とうどう)、必死に打球を追うも......ポール際大きく切れ込んだフェンスをギリギリ越えて、ライトスタンドの最前列へ飛び込みましたーッ! 六番斎藤(さいとう)の、ソロホームラン! リードを三点と広げますッ!』

 

 ダイヤモンドをゆっくり一周し、しっかりホームベースを踏んで、ネクストバッター松原(まつばら)と軽くタッチを交わす。

 膝元へ食い込むシュートでファウルを、あわよくば引っかけさせてゴロアウトも狙えたボールだったが、最悪の結果を招いてしまった。まさかの結果に二人とも、ショックを隠せない。二人が呆然としている間に東亜(トーア)は、新海(しんかい)に指示を与える。

 

「......あ、そうだった。すみません、タイムお願いします!」

「うむ、タイム!」

 

 回の始めに東亜(トーア)に言われたことを思い出した鳴海(なるみ)は、瑠菜(るな)の元へ急いだ。

 

「一応、忘れてはいなかったらしいな。まあ、少し時間がかかったが」

「無理もないわよ。普通なら凡打になるようなコースのボールを、あんな打たれ方したんだもの」

新海(しんかい)、さっき話した通りだ。行ってこい」

「はい! 行きます! 伝令、出ます!」

 

『おっと、恋恋高校。伝令が告げられました。追加点を奪われたところで、初めてのタイムを取ります』

 

 内野陣がマウンドに集まり、新海(しんかい)は、東亜(トーア)の指示を伝える。

 

「今の一点は、気にしなくていいそうです」

「じゃあ最初から、今のホームランも想定内だったってこと?」

「はい、芽衣香(めいか)先輩。コーチは、むしろ最高の仕事をやってのけたと言っていました」

「ならば、気にしなくていいだろう。二人とも、切り替えて行け。引きずれば、何点取られるか分からないぞ」

 

 甲斐(かい)の進言に、鳴海(なるみ)瑠菜(るな)は頷き。そして新海(しんかい)は、東亜(トーア)からの詳細な指示をバッテリーへ伝える。ちょうど伝え終わった頃、球審が注意を促しに歩み寄って来た。

 

「あっ、では、そう言うことですので!」

「うん、分かった。ありがとう」

「はい。戻ります、失礼します!」

「うむ」

 

 球審に頭を下げて、急いでベンチへ戻っていく。

 場内に七番松原(まつばら)の名前がコールされ、試合再開。仕切り直しの初球は、インコース低めいっぱいのクロスファイヤーで見逃しのストライクを奪った。

 

「どうやら、引きずってはいないみたいね。いいコースでストライクを取ったわ」

「五点まではいいと言ってあるんだ、まだ追い詰められるような状況ではない。それこそ守りに関していえば、七番(コイツ)の打席内容いかんによって、ある程度目処が立つ」

「じゃあ、何か掴めたの?」

「まだ、仮説の段階だ。確証は、持てていない。だから今、ここで崩れてしまえば、すべてが無駄になる。初球の入り方が、重要だった」

 

 前のバッターがホームランを打ったことで、良い流れで打席に入った。当然甘く入れば、積極的に狙いに来る。しかし予想に反し、厳しいコースのストライク。そして――。

 

『二球目は、縦のカーブ。松原(まつばら)、しっかり見極めます! ワンエンドワン、平行カウント』

 

 今の一球で、意識を改める。

 ホームランを打たれた直後の初球は、開き直った結果のストライクではないと感じ。より丁寧にコースと球種を投げ分けてくる瑠菜(るな)に対し、イケイケのムードに流されることなく、自身のバッティングで迎え撃つことに専念せざるを得なくなった。

 

「(よし。ここまでは、完璧。次は、ここ――)」

 

「しっかり外してね」と、外角のボールゾーンへミットを構えた。頷いた瑠菜(るな)の三球目は、構えたミットよりもやや内側に入ったシュートだったが、ボールの判定。

 

「ふぅ、ナイスボール! おしいおしい!」

 

 鳴海(なるみ)瑠菜(るな)、そして、バッターボックスの松原(まつばら)も、ボールの判定に胸をなで下ろした。しかし、両者ともに「ボールになって良かった」という想いは同じだが、その心理はまったく真逆。バッテリーは、狙い通りバッティングカウントを作れた。バッターは、上手いことバッティングカウントになってくれた。

 

「そうそう、それでいい。これで、測ることが出来る」

「そのために、バッティングカウントを作ったのね」

「投手有利のカウントでは、正確に測れないからな。しかし、打者有利のバッティングカウントでなら、まだ余裕があるから狙い球を絞って振りに来る。本来のバッティングでだ」

「次が、本当の意味での勝負球――」

 

 理香(りか)は決して見逃さないように、真剣な眼差しでグラウンドを見つめる。

 

『サインは、一回で決まりました。十六夜(いざよい)が、投球モーションに入る! カウント・ツーエンドワン、バッティングカウントからの四球目――』

 

 アウトコースのストレート。松原(まつばら)土方(ひじかた)と同様に、コースに逆らわず逆方向へ打ち返した。

 

『捉えた打球は、一・二塁間へのゴロ! 予め深いポジショニングを取っていた、セカンド浪風(なみかぜ)! ファーストへ送って、ワンナウト!』

 

 今の一打に対し、東亜(トーア)は小さく笑みを浮かべた。

 

「くくく、合わせに来た、これで確定だな。上位と下位には、明確な差が存在することが判明した」

「差?」

「思い出してみろよ、これまでの打席結果を。それで、すべて説明がつく」

「打席結果? はるかさん、スコアブック見せて貰えるかしら?」

「はい。どうぞ」

 

 スコアブックを受け取った理香(りか)は、記録されている内容に目を通す。そして、あることに気がついた。

 

「あっ、これ......」

「そう。結果はどうあれ、上位打者は全員、外野までノーバウンドでボールを飛ばしている。偶然にしては出来すぎだ、明らかに狙って打っているみて間違いない」

「狙って外野フライを? それって、まさか......!」

 

 理香(りか)の視線は、壬生ベンチで腕を組み、静に戦況を見守っている松平(まつだいら)へと向けられた。

 

「そのまさかだ。近年注目を浴びるようになった“バレルゾーン”と表される新たな指標――」

 

 バレルゾーン。

 打球速度158Km/h以上、打球角度30度前後へ飛んだ打球は、実に八割を越える確率で安打になるというデータ。

 そして、バレルゾーンを積極的に狙うバッティング理論を――フライボール・レボリューション。

 

「フライボール革命!?」

「さすがに、下位打線や控えまでは浸透させられていないようだがな」

「ちょっと待って! あれは、“サイン盗み”の恩恵があっての成果でしょっ? それ以前に、身体が出来ていない高校生が実践しようだなんて――」

「球種が分かっていても打ち返せるか否かは、また別の話し。少なくとも、160キロ近い速球を弾き返せるだけの能力があったことは事実。まあ確かに、お前の言う通り、発展途上の高校生が実践するには無理がある。おそらく、プロでも実践出来る人間は数えられるほどしか居ないだろう。体格面でも、技術面でもな。しかし、高校野球は打球を弾く金属バットを使う。確実性という観点においても壬生の連中は、打撃練習や紅白戦では常に、木製バットより更に芯の狭い“竹製バット”で行っていたそうだ。実際に練習を見学した高見(たかみ)の話し、信憑性は高い」

 

 竹バットは、希少なアオダモやメイプルなどの木製バットよりも安価で手に入りやすく、丈夫、芯で捉える鍛錬には持って来いの代物。

 

「決して届き得ない腕力(パワー)不足を、別の能力で補っている。リストの強さ、鋭い踏み込みから生み出される前身運動のエネルギー、投手の力を最大限利用するため芯で捉えるコンタクト力などでな。ボクシングのカウンターみたいなもんだ。まあ、実際のところ158キロには届いちゃいない。近い打球を飛ばせるのが、上位に座る六人。しかし、バレルゾーンへ入らずとも問題ない。強烈な打球を見せつけるだけで、相手を萎縮させるには十分な効果がある」

「相手にプレッシャーを、恐怖心を植え付けることが、本当の目的......」

 

 御陵戦で起きた衝撃的な出来事が、理香(りか)の頭を過る。

 

「御陵の監督は、アクシデントで主力が一枚抜けたことで敗北を悟った。そして、拾った」

「でも、抑えられなかったわよ?」

「それは、単純に相性の問題。エースは、多彩な変化球を操ると評価されていたが、基本ストレート、スライダー、チェンジアップを軸に組み立てていた。西強の清本(きよもと)には対しては、徹底的にインコースのシュート攻めで抑えてはいたが、基本は先に上げた三種類。二番手の次期エースは、本当の意味で誤算。正にメジャースタイル、ツーシーム、カットボール、チェンジアップ。球速は140キロそこそこと、与し易い相手だったのさ」

 

 ――だが、と東亜(トーア)は続ける。

 

「三番手とクローザーは、共に三失点で凌いだ。そこに打線攻略のヒントが、糸口がある。まあ、本格的な話しは、八番九番を仕留めてからだ」

 

 バッテリーは、八番に入っている(たに)を早いカウントで追い込み、対角線上のクロスファイヤーから更に沈む、高速低回転ストレートで、空振りの三振に切って取った。

 

「(......やっとひとつ、自分たちのカタチでアウトを取れた。だけど、油断は禁物。下位打線でも、他校でなら上位を打てるような相手だからね)」

「(ええ、分かっているわ)」

 

 九番井上(いのうえ)に対しても、両サイドの絶妙な出し入れと、ストレートの緩急を巧みに駆使し、内野の浅いフライに。

 

十六夜(いざよい)瑠菜(るな)、ホームランで一点を失ったものの後続を打ち取り、最小失点で切り抜けました! 裏の攻撃は、五番矢部(やべ)から。出塁し、反撃の狼煙を上げることが出来るか、注目して参りましょう!』

 

 追加点を奪われながらも、気落ちしている様子のない恋恋ナインたちを横目に見ながら壬生バッテリーは、イニング間の投球練習を行う。

 

「(打者一巡で三点止まり、やはり手こずるか。しかし――)」

 

 真ん中に構えたミットを僅かに動かし、ボールを捕球。

 

「ナイスボールだ」

「どうもでーす」

「(まだ若干引っかかりがあるが、思いのほか早く仕上がりそうだ。あとは時間との勝負)」

 

 ラストボールを受けた土方(ひじかた)は、セカンドへ送球を放り、恋恋高校のベンチへ目を向けた。東亜(トーア)は、先頭バッターの矢部(やべ)に粘るよう指示を与え、ナインたちを集めていた。

 

「さて、点を奪い返さなければならない訳だか。実際に対峙し感じたことをまとめると。想像よりも手元で来るストレート、鋭いカットボール、緩急の利いたカーブを投げる、と。どう対処する?」

「ストレート狙いっす! 結構甘く入って来ることがあるんで。猪狩(いかり)のストレートをイメージすれば行けると思います!」

 

 ストレートを外野まで運んだ奥居(おくい)は、自信を持って答えた。その答えに、真田(さなだ)が腕を組んで眉をひそめた。

 

猪狩(いかり)? オレは、山口(やまぐち)くらいに感じたけど? 葛城(かつらぎ)

「うーん、差し込まれはしたけど、猪狩(いかり)ほどには感じなかったかな?」

「でもオイラの時は、かなりノビて来たぞ? 甲斐(かい)は、どう感じた?」

「そうだな......木場(きば)猪狩(いかり)を足して割ったようなイメージだ。捉えたと思ったが、打球が上がらなかった。球威もある」

 

 四人が四人とも、まったく違う感性で捉えていた。

 しかし、四人ともが共通して感じたことがある。

 

「イメージに関しては十人十色あって当然のこと。しかし、数字以上に手元で来ることだけは間違いない。投球練習を見ていたが、変化球は一球も放っていない。データ通り、真っ直ぐを中心に組み立ててくるだろう。幸いなことに、木場(きば)を見た後だ、あれ程の球威のある真っ直ぐを投げるヤツなどそうそう居ない。粘りつつ甘いコースに来たら、木場(きば)猪狩(いかり)のストレートをイメージして狙って行け」

 

 ――はい! と返事をして、各々準備に取りかかる。

 

「あなたにしては、曖昧な指示ね」

「お互いの力量を熟知している上位を打つ四人が、四人とも違う感じ方をしている。明らかに異常だ」

「確かに。山口(やまぐち)くん、猪狩(いかり)くん、木場(きば)くん、まったく性質の違うストレートを投げる三人の誰にも当てはまらないなんて。もしかして、打者に合わせて、ストレートの質を変えてるとか......? あなたや、瑠菜(るな)さんのように」

「なら、いくらでも対処出来るんだがな。しかし、ひとつだけはっきりしていることがある。まだ、本調子ではないということ。四人が感じたストレートの更に上があることは間違いない。それこそ、脅威的な空振り率を誇るストレート――」

 

 東亜(トーア)理香(りか)は、グラウンドへ目を向けた。

 矢部(やべ)が打席に入り、ロジンバッグ弾ませていた沖田(おきた)は、指先に息を吹きかけて余分な滑り止めの粉を払い、ゆっくりとセットポジションに付く。

 それを合図に、球審は、右腕を真っ直ぐ伸ばした。

 

「プレイ!」

 

 今、二回裏の恋恋高校の攻撃が始まった。



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Final game8 ~雰囲気~

お待たせしました


『二回裏恋恋高校の攻撃、この回先頭の矢部(やべ)明雄(あきお)、ストレートで押してくるピッチングに何とか食らいついています! 次が、四球目――ファウル!』

 

 粘れと指示された矢部(やべ)は、その指示通りに粘りを見せる。五球目、外角へ引っかかったストレートを見極めて、平行カウントまで戻した。

 

「(なかなかどうして、しぶといですね。かわしますか? 前に飛ばすつもりもなさそうですし)」

「(いや、下手にかわして、初回のように食らいつかれると面倒だ。このまま、真っ直ぐで押し切る。当てに来るバッティングなら間違っても、内野の頭を越すことはない)」

 

 サインに頷き、六球目。

 

「――あっ!」

「(――ストレート、甘いでやんす!)」

 

 真ん中やや内寄りに来たストレートを振りに行ったが、想像以上に手元で食い込んできたボールを捉え損ねた。芯を外し、バットの根元に当たったボテボテのゴロが、定位置より半歩後ろで守っていたサードの前へ転がる。

 

「やんす、やんす! やんすー!」

 

『サード素手で捕って、ファーストへスロー! 矢部(やべ)、飛んだ! 微妙なタイミング、判定は、セーフ! 矢部(やべ)の内野安打! 先頭バッターが出塁しました!』

 

 ベース上で拳を掲げる、矢部(やべ)。初回に続き、ランナーが出たことに盛り上がるベンチの中で、東亜(トーア)は冷静に言い放つ。

 

「相変わらずだな、アイツは。今、離脱されると終わるぞ」

「危険性は伝えたんだけど。今みたいな咄嗟な場面では、無意識のうちにやっちゃうみたいね。もう、半分癖になっているわ」

 

 今日八番に入っている芽衣香(めいか)は打席の準備をしながら、東亜(トーア)理香(りか)の会話に加わる。

 

「ん? でも、ヘッドスライディングの方が速いんじゃないんですか?」

「あん? ああ。まあ、加速しきった状態で、地面との摩擦が発生しないように真正面からベース側面へ向かって、ダイレクトに飛び込めばな。だが――」

「そんなことをしたら故障に繋がるわ。伸ばした腕から勢いよく、壁に突撃するような行為、衝突の反動で衝撃を全部を受ける訳だから。下手すれば、選手生命どころか、日常生活に支障が出るほどの大怪我になりかねないわ」

「こわっ! あたし、ヘッスラするの止めよっと」

「ボクたちは、絶対にしちゃダメって一番最初に言われたよね」

「ええ。指先は、ピッチャーの生命線だもの」

「そりゃ、ピッチャーがケガしたら終わりだもんね」

 

 ヘッドスライディングの方が到達は速いとされているデータもありますが、埋め込まれているホームベース以外の、杭で固定されている各ベースへのヘッドスライディングは実際、突き指や靭帯損傷、脱臼、骨折などで長期離脱を余儀なくされた例も少なくなく。守備のダイビングキャッチにおいては、条件によって異なりますが、目標に向かって飛び込めるため有効。しかし人工芝の球場は、下がコンクリートのため故障のリスクは上昇する。

 ※ダイビングキャッチを試みて胸部や首を強打し、引退を余儀なくされた選手も実際にいます。

 

「気迫溢れるプレーだの、学生らしいだの言うのは、無責任な傍観者の意見。現場からすれば、完全アウトのタイミングでするのは論外。際どいタイミングであろうとも、メリットとリスクを天秤にかけると、リスクの割にメリットは乏しい。ついでに、下手なヤツがやると逆に遅くなる。速くなるといっても所詮は誤差の範疇、普通に駆け抜けておいた方が無難なのさ」

 

 矢部(やべ)のヘッドスライディングは上手い部類に入るが、重要なセンターラインの一画と中軸を担っているため、万が一を考えると、なるべく自重させておきたいというのが本音。

 

「とりあえず、ケガの心配はなさそうね。詰まった打球の影響もなさそうね」

 

 ベース上での立ち振る舞いから、ケガをした様子は見受けられなかったため、理香(りか)はほっと胸をなで下ろし。東亜(トーア)は普段通りの平然とした表情(かお)まま、グラウンドを見つめている。

 

「......まあ、済んでしまったことをとやかく言っても仕方がない。結果的に出塁した、この期を活かさない手はない」

 

 ファーストランナー矢部(やべ)、ファーストベースコーチャー真田(さなだ)、ネクストバッター鳴海(なるみ)の三人へ、サインを送る。送られたサインは、「見ろ」。全員サインを受信したことを伝え返し、鳴海(なるみ)は打席に入り、矢部(やべ)はリードを取る。

 

「(バントの構えは、無し。ランナーには足があり、ベースコーチャーには、盗塁のスペシャリスト。初回の無警戒なモーションを見れば、十中八九仕掛けてくる。問題は、いつ仕掛けてくるかだが――)」

 

 中腰でミットを見つめながら、眉間にシワを寄せていた土方(ひじかた)は一転、軽く笑みを浮かべた。

 

「(フッ、愚問だな、考えるまでもない。二塁などくれてやる。確立さえしてしまえば、あとは時間の問題。心を折るほどの点差をつけて、勝負を決めてしまえばいいだけのこと)」

「(バッターオンリーですね。今のは、ちょっと中指に掛かりすぎたけど、リリースは定まってきたし、あとは力加減を掴むだけ。このバッターの打席中に掴めるかな?)」

 

 セットポジションに付いた沖田(おきた)は初回と同様、取り立ててクイックモーションはせず、鳴海(なるみ)へ向かって初球を投じる。

 

「(速い......って、動いた!?)」

 

『ボール! インコース、僅かに外れました。ボール・ワン!』

 

「(......カットボール? いや、違う。インコースへ食い込んできたけど、変化は小さかった。初回に見たカットボールは、ベンチからでも分かるくらい変化してた。それに今の、変化したけど手元でノビて来た。と、言うことは――)」

 

 先の四人の感性を踏まえた上で、実際打席に立った鳴海(なるみ)の見立ては、手元で鋭く小さく動くファストボール。しかし、マウンド上の沖田(おきた)はと言うと、納得いかないと言った様子で軽く首を傾けている。

 

「(なんだ? まるで納得いってないって感じだ......っと、サインを――)」

 

 はるかから発信された本物のサインを受け取り、改めて打席で構え直す。代わって、壬生バッテリーのサイン交換。ワンボールからの二球目、外角のボールがやや内側へ入って来た。

 

「(よし、外角のストライク。コーチの読み通りだ、これを逆方向へ!)」

 

 投球モーションに入ると同時に矢部(やべ)は、スタートを切り。鳴海(なるみ)は、猪狩(いかり)のライジングシリーズを意識して、コースに逆らわずに逆方向へ押っ付けた。やや差し込まれながらも、三遊間のど真ん中へ打球が転がる。三遊間の深いところ、ショート井上(いのうえ)が逆シングルで処理し、セカンド封殺は無理とみるといなや素早く足場を整え、ファーストへ送球。ほぼ同時に、土方(ひじかた)から指示が飛んだ。

 

斎藤(さいとう)、サードだ!」

「アウト!」

 

『一塁はアウト、ショートファインプレー! しかし、ファーストランナー矢部(やべ)は、送球の間にセカンドを蹴って、サードを狙っているーッ!』

 

 外角のストライクゾーンへ来たら、サードを奪うと決めて仕掛けた、ランエンドヒット。矢部(やべ)は無駄なくセカンドベースを蹴り、サードは際どいタイミングになるも、サードの死角から回り込み、タッチを掻い潜った。

 

「セ、セーフ!」

 

『セーフ、セーフです! 矢部(やべ)、ナイスな走塁でサードを落とし入れました! ワンナウト三塁とチャンスを作りました!』

 

「ナイス、矢部(やべ)くん!」

「フッフッフ......どやっ! でやんす」

 

 好走塁を見せた矢部(やべ)を讃えながらベンチへ戻った鳴海(なるみ)は、さっそく報告を行う。

 

「ストレートが動く? ヒロぴーみたいに?」

「うーん、もっとはっきりしてるかな。ただ、かなり手元で動くから芯で捉えるのは難しいと想う」

「手元で変化......ムービングファストボールかしら?」

「メジャー発祥のフライボール革命を取り入れているし、ファストボールを操っても不思議ではないけど。あなたの見解は?」

 

 瑠菜(るな)たちの意見を聞き、自分なりに考えをまとめた理香(りか)は、東亜(トーア)にも意見を仰ぐ。

 

「動いていることは、客観的に見ても事実。そして動くということは、相当なスピンが掛かっている。しかし、意図したボールでないことも間違いない。もし仮に、己のイメージ通りのボールを投げられているのだとすれば、あの表情(かお)の説明がつかない」

 

 沖田(おきた)がマウンド上で時折見せる、首を傾げるなどの仕草。

 

「それと、アイツが話していたこと」

 

 東亜(トーア)の視線の先は、バッターボックスへ向かう藤堂(とうどう)の後ろ姿。

 

「キャッチボールの時、真っ直ぐ来るという送球のことね」

「ああ。もし、俺の考察が正しければ――」

 

 視線を沖田(おきた)へと移し、眉をひそめる。

 

「動くボール、クイック、想像以上に差し込まれる理由も、すべて説明がつく。鳴海(なるみ)、お前へのピッチング、二球目の方が変化が小さくなかったか?」

「あ、はい。ただ、二球目の方が、より手元で動きました」

「徐々にだが、本人のイメージとのギャップが埋まりつつあるのかも知れない。そのうち、本当に当たらなくなるかもな」

「例の、脅威的な空振り率を誇るストレート。なら、今のうちに一点でも多く返しておかないと......!」

「まあそう、入れ込むなよ。焦りは、本質を見誤る。まだ慌てるような場面ではない。正念場は、もっと先だ。さて――」

 

 東亜(トーア)は、ベンチからの指示を待つ藤堂(とうどう)へサインを送った。サインは、フリー。特別な指示は出さず、このチャンスを藤堂(とうどう)に任せた。

 

「今日の藤堂(アイツ)からは、妙に雰囲気を感じる。まるで、秘めていた闘争心が剥き出しになったような感じだ」

「ええ。守備でも、果敢に攻めていたし。顔付きにも、どこか力強さを感じるわ」

「本物か、空回りか。賭ける価値は、充分ある」

 

 一礼して左打席に入り、入念に足場を整える藤堂(とうどう)に、土方(ひじかた)は視線を向ける。

 

「(ここで、瞬足で小技もある藤堂(とうどう)。強行、スクイズ、ゴロゴーもある。しかし、五番の走塁は想定外だった。ベースの内側を蹴って、最短距離を駆け抜けた――)」

 

 通常先の塁を狙う場合、ベースの手前でやや膨らみ減速しないように走る。しかし矢部(やべ)は、その膨らみを極力減らし、かつ、減速を最小限に留める無駄のないベースランを披露。セオリーを逸脱した想定外の走塁に、守備の判断が鈍った。予選前から力を入れて取り組んできた走塁強化が今、正に、真価を発揮した形。

 

「よし。お待たせしました」

「うむ、プレイ!」

「(打ち気満々といった構えだ。念のため警戒しておく)」

 

 藤堂(とうどう)への初球は、スクイズを警戒して大きくウエスト。バッター、ランナー共に動きは無し。ボールを投げ返した土方(ひじかた)は、考えを巡らせる。

 

「(スクイズの気配はない。サードランナーの足を考慮すれば、よほど正面の当たりでない限り、ホームを奪われる。ならば、打ち上げさせてしまえばいい)」

 

 サイン交換し、高めにミットを構えた。

 沖田(おきた)の二球目、やや甘い外角寄り高めのストレート。

 

「(藤堂(とうどう)。今のお前に、成長した沖田(おきた)の真っ直ぐを打ち返せるチカラがあるか、見せてみろ......!)」

「(――ストレートだ! 何年も何度も見た、目測よりもボールひとつ分高めを狙う......!)」

 

 捉えた打球は甲高い音を響かせ、ピッチャー右側への痛烈な当たり。

 

『捉えたー! 打球は、投げ終わった沖田(おきた)の横を襲う――』

 

 左足を軸にして反転、咄嗟にグラブを差し出した。

 

『なんと! 反転して、背面キャッチ! あ、いや、弾いた、弾いているぅ! 打球の勢いに押され、グラブからこぼれたーッ! 再スタートを切った矢部(やべ)、突っこんでホームイン! そして、瞬足藤堂(とうどう)もファーストを駆け抜けています! バックアップは間に合いません、タイムリー内野安打! 沖田(おきた)も、スバラシイ反応を見せましたが。恋恋高校、この回二つ目の内野安打で一点を返しましたーッ!』

 

 すぐさまタイムをかけた土方(ひじかた)は、マウンドへ向かい、グラブを外した左手を動かして感覚を確かめている沖田(おきた)に、声をかける。

 

「大丈夫か?」

「あ、はい、大丈夫ですよ。驚きましたね、一年前とは比べものにならないくらい力強い打球でした。それに――」

 

 グラブを付け直し、ロジンバッグを弾ませる。

 

「おかげで、目が覚めました」

 

 顔を上げた沖田(おきた)の瞳に、土方(ひじかた)は息を呑む。

 

「そうか、打順は八番と九番だ。二人で片付けて、攻撃に弾みをつけよう」

 

 無言で頷く、沖田(おきた)。マウンドを離れた土方(ひじかた)は、ポジションへ戻り腰を降ろす。

 

「お願いしますっ」

「うむ」

 

 そして、八番の芽衣香(めいか)が打席に立つ。

 

「(藤堂(とうどう)の急成長も予想外だったが、幸か不幸か、沖田(おきた)のスイッチが入った。もう少し時間がかかると想ったが、これでもう、変化球は必要ない)」

 

 ランナーの存在を完全に無視し、芽衣香(めいか)への初球は、外角のやや甘いコースにストレートが来た。打てると判断した芽衣香(めいか)は、迷いなく振りに行ったが――。

 

「あ、あれ......?」

「ストライークッ!」

 

 捉えることは出来ず、空振り。

 

『ストライク! ボールの下、バットは空を切りました! 142キロの真っ直ぐ!』

 

「す、すみません、タイムお願いしますっ」

「うむ、タイム!」

 

 打席を外した芽衣香(めいか)は、ネクストバッターズサークルへ戻り、滑り止めスプレーをバットの持ち手へ吹きかけながら、瑠菜(るな)と言葉を交わす。

 

「やっばい、当てに行ったのに当たんなかったんだけどっ!」

「ここから見た感じ、タイミング自体は、さほど外れていなかったわよ。少し高めに意識を置いてみたらどうかしら? 猪狩(いかり)攻略の時のように」

「もし、変化球が来たら?」

「ストレートを待っての変化球なら、私たちは対応出来るだけのことはしてきた。今は、二割以下の確率の変化球よりも、八割以上のストレート狙いよ」

「......そうね、分かったわ。絶対に繋ぐからっ」

 

 打席へ戻った芽衣香(めいか)は、指一本分バットを短く握り直して臨む。二球目も、ストレート。今度は、しっかりとコースを突いた。

 

「(これは、低い......!)」

「ストライク!」

「えっ......?」

 

『これもストライク! 低めへズバッと決まった! ツーナッシング、バッターを追い込みます!』

 

 戸惑う芽衣香(めいか)の反応に、東亜(トーア)たちも異変に気づいた。

 

「来たな。ヤツの纏う雰囲気が変わった」

「じゃあ今投げているのが、奪空振り率最大七割のストレート......!」

「手元でのノビが格段に増した。そう簡単には、打てないだろう。まあ、そもそも、今までのヒットも全部内野安打だしな。しかし――」

 

 ――対処法は、存在する。それも、至極単純な方法だ。



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Final game9 ~鍵~

 二球で追い込んでからの、芽衣香(めいか)に対しての三球目。内角のストレートに、球審は首を横に振った。

 

『インコースに外れました。しかし、カウント・ワンエンドツー、依然としてバッテリー有利のカウント。バッターボックスの浪風(なみかぜ)、後ろへ繋ぐことが出来るかッ?』

 

 やや腰を引いた感じで見逃した芽衣香(めいか)は、打席を外して、大きく息を吐く。

「(今の、手が出なかった。てゆーか、投げる度に球威が上がってる気がするんだけど......)」

 

 芽衣香(めいか)が取ったタイムに合わせて、藤堂(とうどう)はスパイクの紐を結び直しながら、ベースコーチに入っている真田(さなだ)に助言を求める。

 

「先輩。行けると思いますか?」

「......コース次第だな。球速は上がったが、クイック自体は変わりない、変化球なら八割は行ける。けど、たぶん浪風(なみかぜ)には、このままストレート一本で押し切るだろうよ」

「ですよね。もし、ストレートで行けるとしたら......」

「高め」

 

 真田(さなだ)は、間髪を入れずに答えた。

 目に近い高めのストレートは、思わず手が出てしまいかねないが、低めの場合は手が出ず、見逃しの確率が高い。更にキャッチャーとしても、見逃してくれた方が障害物(ブラインド)がないため送球しやすい。わざと振って貰うという手もあるが、カウント的にも足を使う作戦は警戒されている。大きく外されたあげく、二塁で刺された場合一瞬で二つのアウトを奪われ、貴重な対戦の機会を失うことになってしまう。

 

「(仕掛けるなら、単独スチール。それも、芽衣香(めいか)先輩に余計な気を使わせないようにした上で。だけど......)」

「(浪風(なみかぜ)の腰の引けた感じからして、バッテリーは見逃し三振を狙いに来る。いくらボールが来てるっつっても、バットを振られたら何かが起こり兼ねない。ここは十中八九、外角低めのストレート。そうなれば、三振ゲッツーで終いだ。今、出来ることがあるとすれば――)」

 

 真田(さなだ)は、藤堂(とうどう)にアドバイスを送り。そして、芽衣香(めいか)が打席に戻って、試合再開。 サイン交換を行い、土方(ひじかた)は外角低めへミットを構える。

 

『さあ、サインが決まりました。沖田(おきた)、ファーストランナーを警戒しながら足を上げた! アウトコースいっぱいのストレート!』

 

 乾いた音を響かせ、構えたミットに寸分の狂いもなく突き刺さった。球審の手が上がる。

 

『バッテリー、ストレートを四球続けました! 浪風(なみかぜ)芽衣香(めいか)、ここは手が出ません! 外角低めズバッと決まって、見逃し三振! ツーアウト・ランナー一塁!』

 

 結局、見逃し三振に倒れた芽衣香(めいか)は、ベンチへ戻る前に、ネクストバッターの瑠菜(るな)へ打席での印象を伝える。

 

「ごめん、繋げなかった。あんなに速く感じるストレートなんて初めてよぉ......」

猪狩(いかり)や、木場(きば)のストレートよりも?」

「うん。少なくともあたしには、そう感じた」

「そう、分かったわ」

 

 瑠菜(るな)は、バッターボックスへ向かい。

 芽衣香(めいか)は、ベンチへ帰って来る。

 

「すみません、手が出ませんでした」

「気にするな。見逃した分、しっかり見れただろ?」

「あ、はい。まるで、糸を引いたみたいに真っ直ぐ飛んで来ました」

「真っ直ぐ......やっぱり、例のストレートが投げられているとみて間違いなさそうね。ところで、瑠菜(るな)さんへの指示は?」

 

「対処法が、あるんでしょ?」と、理香(りか)は首を傾げる。

 

「別にたいそうな策でもないし、既に始まっている」

「もう始まっている......? 何かしら?」

「思い切り腰の引けた芽衣香(めいか)の、三振のことじゃないですか?」

「うっ、あ、あんたは、打席に立ってないから言えんのよっ!」

「はは、あながち外れちゃいねーよ」

 

 あおいの言葉を肯定された芽衣香(めいか)は、とても分かりやすく項垂れる。

 

「そう落ち込むなよ。今の、沖田(ヤツ)に対しての見逃し三振は、最悪手ではない。最悪は当然、併殺打。少なくとも、ファーストランナーを残した。御の字さ」

「それ、喜んでいいんですか......?」

「くくく、好きにしろよ。まあ、たかが三振を引きずって今後のプレーに支障が出るようなら即交代だがな」

「行けー! 瑠菜(るな)、かっ飛ばせー!」

 

「交代」という言葉を聞いた芽衣香(めいか)は、慌てて身を乗り出し、声を張り上げる。若干呆れ顔の理香(りか)は、彼女を諭した。

 

「応援もいいけど、守備の支度もなさい」

「あっ、そうだ、ツーアウトでした!」

「あおい。お前も、少し肩を温めておけ。新海(しんかい)、受けてやれ」

「――はい! 新海(しんかい)くん、お願いっ」

「いつでも行けます!」

 

 あおいと新海(しんかい)は、ブルペンで立ったまま軽めにキャッチボール。芽衣香(めいか)たち野手は、守備の支度に取りかかり。東亜(トーア)は、鳴海(なるみ)に次回以降について話す。

 

「さて。次回以降の守備についてだが、三番を除く上位打線には共通の弱点がある」

「弱点ですか?」

「フライボール革命のバッティング特有のな。しかし、一歩間違えれば長打になる。常に危険と隣り合わせの勝負だ」

「コントロールと球威ですね」

「その通り。瑠菜(るな)は元々、打者一巡を前提に調整した、いつ利かなってもおかしくはない。お前が、見極めろ。いつでも行けるように、あおいの準備は整えておく」

「はい。三番には?」

「投球を見ても、ヤツは今、集中力が高まっている状態だ。打席でも、初回とは全く別の打者を相手にしていると思え。攻略の鍵は、如何にしてカタチを崩すか。状況によっては、勝負を避けるのもひとつの手。ただし、外すときは中途半端には外すな。おそらく、御陵戦で見せたような、バットの届く範囲であれば構わずぶっ叩く剛のバッティングをしてくる。もうひとつ、仮にホームランを打たれても、今回はタイムを取らない。詳細は、瑠菜(るな)が戻ってきてから改めて話す」

「分かりました」

 

 頷いた鳴海(なるみ)は、グラウンドへ顔を向ける。試合は、ラストバッター瑠菜(るな)の打順、ワンエンドワンの平行カウントになった場面。

 

「(芽衣香(めいか)の話していた通り、数字以上に相当速く感じる。目で追うことも正直......特に高めは、本当に浮いてるみたいな錯覚を覚えるわね。ツーアウト、いくら瞬足の藤堂(とうどう)くんでも、長打でないと得点は望めない。なら今、私がすべきことは、例えアウトになろうとも一球でも多く投げさせて、今後へ繋げること......!)」

 

 芽衣香(めいか)と同じく、指一本分バットを短く握り直し、構えを小さくした。

 

「(瞬時に意識を切り替えた、聡明な選手だ。可能性は低いが、エンドランならコースによってはホームを奪われることもあり得る。しかし今は、変化球は要らない。むしろ、掴んだ感覚を失いかねない)」

 

 ストレートのサインを送り、エンドランを警戒しながらアウトコースへミットを構える。沖田(おきた)の投球は、やや高めに浮いた。甘く来たと判断した瑠菜(るな)は、手を出すも空振り。ワンエンドツーと追い込まれた。

 

「(......当たらない。ネクストでも、打席でも見たのに。一球前も、低いと思ったらストライクを取られた。私の感覚以上に、手元でノビている? もっと高めに意識していかないと――)」

 

 四球目は、インサイドやや低めの寄りのストレート。

 身体を引いて見逃し、判定はボール。平行カウント。

 

「ここだな」

「えっ?」

芽衣香(めいか)の打席から、タイミングを計っていた」

「走るタイミング?」

 

「ああ」と頷いた東亜(トーア)は、理香(りか)の疑問に返事し、ファーストランナー藤堂(とうどう)へ視線を向ける。

 

「さっきまでコーチャーに入っていた真田(さなだ)と何やら話していたが、話し終えた直後から、投手が足を上げるのに合わせてかかとを軽く踏み、密かにタイミングを計っていた。ツーアウト、ツーボール・ツーストライクの平行カウント、仕掛けるならここしかない」

 

 アウトカウントは、二死。当たった瞬間スタートを切るといえ、ワンヒットでに得点は厳しい。しかし、盗塁で次の塁を狙うこと前提のランエンドヒットであれば、打球コース次第では僅かにチャンスがある。そして今、低めに来たことで高めで空振りを誘える条件が整った。仮に見逃されフルカウントになっても、今の瑠菜(るな)のスイングでは、甘いコースでも打ち取れると計算した上での誘い球。二段構えの配球。

 

『さあ、サインが決まりました。土方(ひじかた)は中腰で、真ん中高めにミットを構えます。沖田(おきた)、足を上げた! ファーストランナー藤堂(とうどう)、スタート!』

 

 タイミングを計っていたことが功を奏し、完璧にフォームを盗んだ。投球は要求通り、高めのストレート。

 

「(――高い! この高さは、見逃せばボールになる。だけど、バットが......!)」

 

 瑠菜(るな)は、思わず手を出してしまった。必死でバットを止め、ミットにボールが収まる。捕球した土方(ひじかた)が、素早く二塁へ送球した直後――アンパイアが声を張り上げた。

 

「スイング、スイング! バッターアウト!」

 

十六夜(いざよい)、ハーフスイングを取られました! 空振り三振、スリーアウトチェンジです! 二者連続三振! しかし、七番藤堂(とうどう)のタイムリー内野安打で一点を返しました。点差は、僅かに二点! 試合は、まだ序盤。どちらが先に流れを掴むのか? 一瞬たりとも目が離せませンッ!』

 

 土方(ひじかた)は、マウンドを降りた沖田(おきた)を待って、一緒にベンチへ戻る。

 

「今、完璧にモーションを盗まれた。ハーフスイングを取られたから判定は下されなかったが、どちらとも取れるギリギリのタイミングだった」

「へぇ、そうですか。まあ、バッターを仕留めれば済む話しですし」

「(確かに、な。だが、走ってきたのは事実。沖田(おきた)が意識していないうちはいいが、足を絡められると厄介。早めに追加点が欲しいところだ)」

 

 若干の懸念を感じながらも狙い通り仕留めきった、壬生バッテリーとは対照的に、ベンチへ戻ってきた瑠菜(るな)は、険しい表情(かお)を覗かせる。

 

「すみません。高めのストレートはボールになるから振らないと決めていたんですけど、思わず手が出てしまいました」

「やっぱり、芽衣香(めいか)の言う通り、手元でのノビがスゴいの?」

「ええ、猪狩(いかり)以上かも知れないわ」

 

 受け答えをしながらも急いで守備の準備を進める、瑠菜(るな)

 

猪狩(いかり)くん以上のストレート......手強いわね」

「それは、いったん置いておけ。今重要なことは、ここからの守りだ」

 

 鳴海(なるみ)瑠菜(るな)は、東亜(トーア)に顔を向けた。

 

「先の対戦は、覚えているな?」

「はい!」

「上位打線は、打球を上げることを重視している。対処法は、カーブを中心に組み立てること」

「カーブですか......?」

 

 鳴海(なるみ)瑠菜(るな)に緊張が走る。強振してくる相手に、緩い変化球を多投しろという指示。これは、相当度胸がいる。プロ野球の抑えや中継ぎを務める投手に速球派が多い理由は、失点に絡む長打の確率を少しでも下げるため。三点差あれば、やや余裕はあるが、ホームランで同点・逆転もある僅差で緩い変化球を投げることは、相当勇気のいる行為。サインを出す捕手も、投げる投手も。

 反面、中継ぎや抑えから先発へ配置転換された選手が、使用頻度が少なかった緩い変化球を有効に使い、成功した例は多々ある。

 

「フライボール革命ってのは、多少芯を外そうとも強引に腕力でスタンドまで運ぶスタイル。当然、スイングも大きくなる。ツボに嵌まればデカい当たりが飛ぶが、確実性は極端に落ちる。打者を惑わす緩いボールを、長打のあるバッターに向かって恐れずに投げきれるかは、瑠菜(るな)、お前次第だ」

「――はい!」

 

 力強く頷いた瑠菜(るな)は、鳴海(なるみ)と一緒にグラウンドへ駆け出していった。彼女たちの後ろ姿を見つめながら、理香(りか)は愁いだ。

 

「攻略の鍵は、カーブなのね......」

「正確には、質の良いストレートと大きく鋭く曲がる変化球だ。まあ、複数のカーブを投げ分けられる片倉(アイツ)が投げられないのは、確かに痛い。しかし、制球力やマウンド度胸という点でいえば、あおいと瑠菜(るな)の方が遥か上。それに、中途半端に速いストレートは、ヤツらにとってまたとないチャンスボール。間違いなく、アンドロメダの大西(おおにし)を打ち砕くことに照準に合わせて作り上げたスタイル。むしろ、遅いボールの方がやり難い相手なのさ」

「まるでウチが、聖タチバナ学園を相手にした時と同じね」

 

 ブルペンでキャッチボールをしているあおいを見てから、マウンドで投球練習を行っている瑠菜(るな)を見る。

 

「俺は、あの二人に、球速は求めなかった。だが、アイツらの心の中には、もっと速いボールを投げたいという意思は常にあった。いや、今も、少なからずあるだろう。しかし、決して届かないモノを追い求めれば、必ず弊害が生まれる。短所を補って余りある長所を失うことになり兼ねなかった」

「私は、長所を伸ばす指導は正しかったと思う。事実、準決勝(ここ)まで勝ち上がって来たじゃない」

「一時の理を取ったに過ぎない。一発勝負の短期決戦を確実にものに為るためにな。正確な答えが判明するのは、もっと先――」

 

 ――あの二人が、グラブを置いた時だ。



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Final game10 ~綻び~

お待たせしました


 三回表、壬生の先頭バッター原田(はらだ)を内野ゴロに打ち取りワンナウト。二番、永倉(ながくら)を打席に迎える。恋恋バッテリーは、前の打者と同様配球の中にカーブを多く織り交ぜ、早いカウントで追い込むも勝負を決めきれずにいた。

 

「(くそ、粘るなぁ。しかも、振り切った上で付いてくるからコースを間違えると持っていかれる。どうする......?)」

 

 ボールの交換を要求した鳴海(なるみ)は、間を取っている間に打開策を模索する。

 

「たったの一巡で、対抗策を講じられたか。噂に違わぬ洞察力、そして、選手たちの実行力だな」

「はい。目先を変えられる緩い変化球は、主に速球を長打に狙うウチにとって厄介です。ですが、永倉(ながくら)は上手く対応しています」

「対応出来ない程の球速でないことが救い......いや、それがよりウチを苦しめる。皮肉な話しだ」

 

 150キロ中盤の豪速球を投げる、アンドロメダの大西(おおにし)。しかし、コントロールに難があり甘く入ることも少なくない。その失投を一撃で仕留める豪快な打撃スタイルは、制球力抜群の変則軟投派の瑠菜(るな)やあおいと相性が悪い。

 

「出来れば避けたいところだが、今後の展開いかんによっては、以前のスタイルに戻すことも視野に入れなければならん。どうだ?」

「今のところは、何とも答えがたいです。ひとつ言えることは、今の沖田(おきた)は、簡単に崩れることはありません」

「あとどれほどの点差をつけることが出来るか、か。少々早すぎたのかも知れないな」

 

 守備と打席の両方に備えている土方(ひじかた)は、どこか憂いを帯びた表情(かお)を見せる監督の心の内を酌み取った。なぜなら彼も、まったく同じことを想っていたから。

 

「(苦戦する相手であることは、組み合わせが決まった時から覚悟していた。理想は試合序盤、最悪試合中盤までに勝負を決しておかなければ、試合の行方は分からなくなる。先行逃げ切りがベストであることは間違いないんだ)」

 

 勝負の行く末を見つめる土方(ひじかた)の眼光は、より鋭くなった。そして、試合は再開された。試合再開直後、平行カウントから一球は、外角への誘い球のストレート。永倉(ながくら)は、振りに行きかけたところを必死に堪えてバットを止める。鳴海(なるみ)はすかさず、スイングをアピールするも三塁塁審判定は、ノースイング。フルカウント。

 

「(......結局、フルカウントまで持っていかれた。でも、あからさまなボール球以外は、手を出さざるを得ない。ストレートを見せた、ここは、ストライクからボールになるカーブが無難。だけど、このバッターには初回に、インローのカーブをレフトの深いところまで運ばれてる......)」

 

 顔を上げ、バッターに目を向けて思考を巡らせる。

 その様子をベンチから見守る理香(りか)も、難しい表情(かお)をして見守っていた。

 

「相当、悩んでいるわね」

「初回に、デカいのを飛ばされているからな。だが、先頭バッターを抑えた配球を軸に攻めれば、おのずと答えに辿り着く」

「先頭バッターへの配球......確か、カーブとストレートでカウントを稼いで、アウトコースのボール球を上手く打たせたわね」

 

 ストレートとカーブの緩急を上手く使い、最後は、低めのボール球を引っかけさせた。それらを踏まえた上で東亜(トーア)は、ブルペンでの肩慣らしから戻ってきたあおいたちに問いかける。

 

「長打を狙う相手に、お前たちはどう対処する?」

「ファウルでカウントを稼ぎたいですね。早めに追い込めれば、決め球がある先輩たちは有利です」

「じゃあ、決め球を最後に持っていくとして。どこで打たせてカウントを稼ぐ?」

「うーん、インコースかな? 鳴海(なるみ)くんは、よくインハイのストレートを要求して来るし、そこは、ファウルになることが多い気がします」

 

 インコース、特に高めは肩の開きが早くなりやすく、捉えてもファウルになる確率が高い。しかし、少しでも甘く入ると長打になるリスクを伴うが、あおいと瑠菜(るな)は、高い制球力があるため狙ってカウントを稼ぐには持って来いコース。

 

「狙い通りカウントを稼ぎ、バッテリー有利の状況で追い込んだとしよう。では、決め球をどこへ投げる?」

 

 あおいと新海(しんかい)の答えは、同じだった。

 

「ストライクからボールになる、マリンボール!」

「低めです」

 

 二人の答えに、東亜(トーア)は笑みを見せた。

 もし仮に仕留め切れなかったとしても、やり直せばいい。

 

「同じ球種を続ける、高めのボール球で誘う、インコースで腰を引かせる、緩いボールを見せて視線を変える、外角へ外し作り直すのもよし。極端な話し、相手の頭にないド真ん中へ放って虚を突くことも可能」

「上下左右前後の揺さぶり、両サイドの出し入れ......文字通り、何でも出来るわね」

「逃げずに追い込んでしまえばな。いくら思い切って振ってくるといっても、追い込まれている以上、必ず迷いは生じる。それが出来ず、御陵も、今までの相手も沈んだ」

 

 御陵の三番手は、緩急を使って攻める投手。三失点は、いずれも下位打線に取られた失点。壬生は、上位と下位で打者のスタイルが違う。前二人が滅多打ちにされたことで弱気のピッチングになり、四球でランナーを溜めてしまったあげく、ストライクを欲しがったところを下位打線に捕まった。

 クローザーは、逆に速球派。大差が付いていたことで開き直って自分のピッチングに専念出来た。力にある高めの真っ直ぐで押していたが、不慣れな回跨ぎの影響で疲れが出始め、若干甘く入ったところを痛打されての失点。

 

「この試合は、失点ありきで投げさせた。相手のスタイルと本来の力量を正確に測るために。瑠菜(るな)も、覚悟した上で逃げずに投げた。そして、浮かび上がったのが、上位打線と下位・控えのスタイルの違いと実力の差。もし、臆病風に吹かれ、強力打線に畏縮し、四球連発で逃げるようなことになっていれば得られなかった情報だ」

「一昨夜の言葉通り、大役を成し遂げたのね」

「いや、もうひとつ、大仕事が残っている。異分子の存在。ネクストバッターの三番、ヤツだけは、どちらにも当てはまらない。ホームランバッターであり、アベレージヒッターでもある。それが、迷彩......壬生というチームを覆い隠す、絶妙なカムフラージュ。ここは、ランナー無しで迎えたいところだが――」

 

『さあ、フルカウント! 十六夜(いざよい)瑠菜(るな)、サインに頷きました!』

 

 フルカウントからの勝負球は、一打席目と同じ、インコース低めのカーブ。完全に裏をかかれた。頭に無かった同じコースへの同じ変化球に思わず、バットが回る。中途半端なスイングで当てた打球は、ショート奥居(おくい)への平凡なフライ。

 

「オーライ!」

 

奥居(おくい)、手を上げた! ここは、バッテリーの粘り勝ち! 初回、大きな当たりを打たれた変化球で仕留めましたーッ! ツーアウト!』

 

「(よし。これで――)」

「(ランナー無しで、三番と勝負に専念できるわ......!)」

 

 無言で頷き合った二人は、バッターボックスへ向かって悠然と歩いてくる、沖田(おきた)を見据える。軽く会釈をして構えた姿に、鳴海(なるみ)は目を見張った。

 

「(な、何だ? 初回とは、まるで雰囲気が違うぞ......)」

「(あの時と――練習試合で見た時と同じ......いえ、あの頃以上の雰囲気を纏っている。どこへ投げても打たれる、そんな気持ちになりそう......)」

 

 バッテリーと同じ感覚を、恋恋高校ベンチも感じ取っていた。

 

「これが、威圧感っていうのかしら......?」

「ストライクゾーンにミット構えられないかもです......」

「ボク、頷く自信ないかも......」

「呑まれるな。確かに、独特な雰囲気を醸し出しているが、それだけだ。別に、高見(たかみ)天海(あまみ)が、金属バットを持って立っている訳ではない。そう考えれば、多少は気も晴れるだろ?」

「それはまあ、トップレベルのプロ選手と比べるのは酷だと思うけど......」

「呑まれた時点で、戦う前に勝敗は決まってしまう。しかし、負けるにしても意味のある負け方をすればいい。合わせ打たれた初回の打席と、今回の打席。どれだけ別のモノを拾えるかの勝負。あおい、見逃すなよ。最低あと二回、必ず対峙しなければならない相手だからな」

「は、はいっ!」

 

 大きく頷いたあおいは、グラウンドへ真剣な眼差しを向けた。東亜(トーア)もグラウンドへ視線を送りつつ、理香(りか)に声をかける。

 

「なに?」

「少々気になることがある。アイツを見ておいてくれ」

 

 さり気なく、対象人物に指を差して依頼。

 

「ええ、分かったわ」

 

 頷いた理香(りか)は、依頼された人物を注意深く見張る。

 グラウンドでは沖田(おきた)が構え、バッテリーのサイン交換が終わったところ。

 

『初回、バッターボックスの沖田(おきた)に、先制のタイムリーを打たれた恋恋バッテリー、どう入るか? 注目の初球ですッ!』

 

 瑠菜(るな)の足が上がる。初球は、外角低めのカーブ。初回とほぼ同じ入り方で、見逃しのストライクを奪う。「ナイスボール!」と声をかけて、ボールを瑠菜(るな)へ返した鳴海(なるみ)は腰を降ろして、沖田(おきた)に目を向ける。

 

「(......目だけで見送った。もし、初回と同じで消極的に来るのなら、早めに追い込んで勝負と行きたいところだけど――)」

 

 二打席目は、追い込まれる前に振ってくるデータがあるため迂闊には行けない。目を閉じて、打ち取る方法を考える。

 

「(今の見送り方、ストレート待ちなのか? ならここは、カーブを続ける......としても、今より甘く入れば狙われる。そもそも、カーブを続けて追い込んだら次は、速球系って宣告してるようなものだし。多少のボール球だろうと、長打に出来るバッター。仮にバットが届かない場所へ外しても、いたずらにカウントを悪くするだけで、その先は手詰まり。どうすれば......)」

 

 ――最悪は、逃げて打たれること。

 

 悩み抜いた末に答えを出した鳴海(なるみ)は、再び沖田(おきた)を見る。そして、サインを出した。出されたサインに、瑠菜(るな)は目を大きく開く。

 

「(......本気?)」

「(うん。たぶん、いや、絶対に打ちにくる。もし、ここで手を出さないようなバッターなら、打ち取れるチャンスがある。だから、今日一番のボールを投げ込んで来て......!)」

「(分かった、信じるわっ)」

 

 サインに頷いた瑠菜(るな)は、大きく息を吐いて、投球モーションに入る。

 

十六夜(いざよい)沖田(おきた)への第二球を......投げた! 内角高めのストレート!』

 

 初回、タイムリーを打ったコースと同じストレート。

 沖田(おきた)は、迷わずに振りに行った。打球は、バックネット直撃真後ろへのファウルボール。

 

『ファウルです! しかし、タイミングはバッチリ合っていましたが、ややバットが下に入ったか? バッテリー、ツーナッシングと理想的な形で追い込みました!』

 

「(へぇ......もう一段上のキレあるストレートがあったんだ。まあ、今のを基準(ベース)に変えればいいだけだけど)」

 

 打席を外した沖田(おきた)は、トントンっと軽く肩でバットを弾ませてから打席へ戻り、ゆっくりと構え直す。

 

「(二球で追い込まれたのに、余裕のある表情(かお)を崩さない。だけど、こっちも計算通り追い込めた。一気に決めに行こう!)」

「(ええ!)」

 

 力強く頷いた瑠菜(るな)の姿を見た東亜(トーア)は、どこか満足げな表情(かお)を見せた。

 

十六夜(いざよい)沖田(おきた)へ対する三球目は――外角のボール!』

 

 外角よりのストライクゾーンのストレート。バッテリーは、遊び球を使わずに三球勝負に行った。

 

「(この軌道は、カーブじゃない。ストレート? だけど、さっきよりもずいぶん遅い。失投?)」

 

 緩急に惑わされず、しっかり見極め狙い澄まして振りに行った。

 

「(ここから......落ちる?)」

 

 瑠菜(るな)の投げた勝負球は、ホームベースの手前で急激に落下した。

 

「(三球勝負の鉄則――空振りを奪え。沖田(おきた)には、生半可な緩急は通用しない。だったら、生半可じゃない緩急で勝負するしかない)」

「(これが今、私が操れる一番遅いボールよ!)」

「ふっ......!」

 

 ストライクゾーンからボールゾーンまで落ちる100キロを切る低速低回転ストレートに、若干泳がされながらもしっかりミートして、咄嗟に左手を離して打ち返した。

 

『ボール球を上手く拾った! 打球は、センターへ!』

 

 大きな打球は、全速力で背走して追う矢部(やべ)の頭上を越え、ワンバウンドでフェンスに当たって跳ね返った。

 

『ヒットです、センターオーバー! ライト藤堂(とうどう)が、バックアップ! おっと、バッターランナー沖田(おきた)、セカンドを蹴って三塁へ! 中継浪風(なみかぜ)からの返球、タッチは間一髪セーフ! スリーベースヒット! ツーアウトから追加点のチャンスを作りました! そして、四番を迎えますッ!』

 

 すかさずタイムを取った鳴海(なるみ)は、瑠菜(るな)の元へ駆け寄る。

 

「完敗ね。今のを、外野の奥まで飛ばされるなんて」

「ううん、そんなこと無いよ。ホームランには、ならなかったんだから――」

 

 二人が話している間も恋恋ベンチは、上がった息を整えている沖田(おきた)を、信じられないといった感じで見つめている。

 

「完全に崩していたのに。あんな打ち方で、センターオーバーの打球を......」

「逆手にあたる左手を離す直前、しっかりと押し込んでいた。だから一見、崩されたように見えても勢いのある打球が飛んだのさ。それより、どうだったよ? ネクストでの、近藤(アイツ)の様子は」

「えっ? ええ、憮然とした表情(かお)で勝負を見守っていたわ」

「気になったことは?」

「そうね......そう言えば、三球ともタイミングは取っていたけど、実際に振りはしなかったわね」

 

 バッターボックスの横に立つ近藤(こんどう)は、脇を締めて、上から下へと振り下ろす様な素振りを繰り返している。

 

「フム」

「何か気になることがあるって言っていたけど?」

「......三番の走塁。今の三塁打、初回の三盗、なぜ、あれ程のリスクを冒してまで果敢に攻めたのか」

「それは、私も思ったわ。特に、今の三塁打。沖田(おきた)くんは投手なのに、ツーアウトで全力疾走なんて普通しないし。私なら、絶対にさせないわ」

「俺にはそれが、どこか焦りの表れのように感じる。何かあるんだ。焦る理由、攻めなければならない事情が」

「つまり、近藤(こんどう)くんに関係があると見てる?」

「そいつを調べるのさ。上手く行けば、反撃に繋がる一手になり得る」

 

 東亜(トーア)は自ら、マウンドで言葉を交わしている鳴海(なるみ)瑠菜(るな)へサインを送った。

 

「あっ、コーチからサインだ」

「交代......じゃない?」

「続投の合図だ。コーチは、まだ行けるって想ってるんだよ」

 

 交代を覚悟していた瑠菜(るな)の目に、力が戻る。

 

「次を抑えれば、無失点だからね」

「――ええ!」

 

 戻った鳴海(なるみ)は腰を降ろし、今度ははるかを通して、東亜(トーア)からの指示を受け取る。そして、四番近藤(こんどう)がバッターボックスに入った。

 

「(......コーチから配球の注文が来た。帝王戦の蛇島(へびしま)の時以来の明確な指示――)」

 

 東亜(トーア)の指示通りのサインを、瑠菜(るな)へ送る。

 

『ツーアウト三塁、バッターボックスには、四番近藤(こんどう)! 十六夜(いざよい)、初球を投げました! アウトコース低めのストレート! ズバッと決まって、ワンストライク!』

 

 続く二球目も、外角のストレート。これをファウルにして、沖田(おきた)の時と同様に二球で追い込んだ。そして三球目は一転、内角高めのボール球で誘う。

 

『ファウル! ややボール気味のストレートを引っ張り、強い当たりでしたが、三塁線を切れて行きました! カウント変わらず。次が、四球目です』

 

 近藤(こんどう)への四球目――。

 

「あっ!?」

「(マズい!?)」

 

 アウトコースを狙ったストレートが、甘く入ってきた。

 

『ファーストライナー! 恋恋バッテリー、このピンチをゼロに抑えましたーッ! 近藤(こんどう)も、良い当たりを放ちましたが、不運にも野手の正面、追加点はならず。試合は三回裏恋恋高校の攻撃へ移ります!』

 

 失投を仕留め損なった近藤(こんどう)は、憮然とした表情(かお)のまま、防具を預けて、換わりにグラブを受け取ってライトへ走っていく。

 

「クックック、なるほどねぇ。相当悪いな、アレは」

「調子が悪い?」

「いや、故障だな。初回もだったが、内角には強引に手を出した割に、外角は振り切れていない。今のも、甘いコースにも関わらず打球が上がらなかった。おそらく、左腕が利かない」

「左腕......御陵戦で受けた、デッドボールの影響......!」

「当日は何ごともなくても、次の日に痛みが来ることは良くある。僅かに綻びが見えたな。しかし――」

 

 ――こちらも、限界のようだ。

 

 東亜(トーア)の視線の先は、鳴海(なるみ)と一緒にホッとした表情(かお)でベンチへ戻ってくる、瑠菜(るな)の姿を捉えていた。

 



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Final game11 ~成果と結果~

 三回裏の攻撃に向け、東亜(トーア)の前にナインが集まっている。

 

「さて、どこを狙えばいいか、分かっているな?」

「手負いのライトです」

 

 鳴海(なるみ)の答えに、この回先頭の真田(さなだ)を除いた先発メンバーと、手の空いているナインが頷く。

 

「その通り、“ドブに落ちた犬は沈めろ”――勝負の鉄則だ。しかしながら、手負いのライトを狙うにしても、あの投手を攻略しなければならない。何せまだ、一度しか外野へ打球を飛ばせていないのだからな」

 

 タイムリー内野安打以降、ストレート一本のピッチングにも関わらずバットにかすりもしない現状に、やや表情(かお)が曇る。

 

「まあ、そう深刻に受け止めるなよ。で、今のところ手も足も出ない相手に、どのような方法で対応するかが問題になるわけだが。何か、アイデアはあるか?」

「はい! 揺さぶるっ」

 

 実際に対戦した芽衣香(めいか)が挙手し、いの一番に答えた。

 

「あたしは、腰が引けて出来なかったけど......。バスターとか、セーフティとかっ」

「小技や足を使い、徹底的に揺さぶり、相手にプレッシャーを与えると。ありきたりな策ではあるが、試す価値は大いにある。と言うより、既に実行に移しているようだな」

 

 東亜(トーア)の視線の先には、先頭打者の真田(さなだ)が、セーフティバントを試みて失敗したところ。はるかに、続けるようサインを送らせ、ナインたちへ視線を戻す。

 

「揺さぶりってのは、続けることに最大の価値がある。一度や二度のミスでブレてはならない、失敗しようと成果が出ずとも攻めの姿勢を貫き通して臨むこと。そして何より、威力のある高めには極力手を出さないこと」

 

 ――はい! と声を揃えて返事をし、各自個人の役割に戻っていく。

 

「揺さぶり、常套手段だけど通じるかしら?」

「それは、大した問題じゃない。揺さぶりの先にある、成果が本命だ」

「成果?」

「攻略の解釈、捉え方の話し。今回の攻略の意味は、成果であり、結果ではないのさ。まあ、そう遠くないうちに解る時が来る。しかし、その時までにやらなければならないことがある。むしろ、そっちの方が重要」

 

 東亜(トーア)は、瑠菜(るな)、あおい、鳴海(なるみ)を呼び、まず最初に、瑠菜(るな)へ労いの言葉を伝える。

 

「三回三失点、上出来だ。何より、三番相手に逃げなかった。結果的に打たれはしたが、フェンスオーバーを許さずゼロで切り抜けた、お前の勝ちだ」

「――はい!」

「お疲れさま。アンダーシャツ替えてらっしゃい。アイシングとドリンクの用意しておくわね」

「ありがとうございます、失礼します」

 

 瑠菜(るな)は、ベンチ裏へ下がっていく。続けてあおいに、本格的に肩を作るように伝え。鳴海(なるみ)には、次回以降の組立について話す。

 

「四回五回が、この試合の行方を左右する重要なイニングになる。理想は、現状の点差を保つこと。四点差が付いた時点でアウトだ」

「四点......」

「まだ余裕がある、なんて都合のいい考えは持つなよ。気を抜けば、一瞬で突き放される。なぜ、手負いの主砲を四番に据えているのか、ヤツが、チームの大黒柱だからだ。例え枷であろうとも、存在しているだけで、チーム全体の士気が上がる」

「......逆に、気を遣わせないように死に物狂いで勝ちに来る」

「そう。稀に現れるんだ、何年かに一人。作られた虚像の紛い物ではなく、自然と惹き付ける本物が。あの四番には、その資質がある。重い枷であることに間違いないが、手負いの獣は時に恐ろしくもある。頭に入れておけ」

 

 東亜(トーア)の忠告に、とても真剣な表情(かお)で頷いた鳴海(なるみ)は、先にブルペンに入っているあおいの元へ向かった。

 試合の方は、真田(さなだ)が見逃し三振に倒れ、葛城(かつらぎ)は終始バスターで粘って見せるも、高めをカットし損ねて空振りの三振に終わった。そして、三番奥居(おくい)も――。

 

『ファウル! ストレートを捉え損ね、一塁側の客席へ飛び込みました。ややボール球だったでしょうか? カウント・ツーエンドワン。仕切り直し、次が四球目、そして、バスターの構えです!』

 

「選球眼のいい奥居(おくい)くんが、高めのボール球に手を出てしまうなんて......」

「最初は、ストライクに見えるんです。だけど、実際にバットを振ってみると、予測よりもボールの下を振ってるんです」

 

 着替えを済ませ、ベンチ裏から戻って来た瑠菜(るな)は、実際に対戦して感じた感想を話し。同調して、芽衣香(めいか)も頷く。

 

「そうそう、手元でグイって来る感じで。来た! って思って振ったら、もうミットに入ってるんですっ」

「よう。そもそも、“ノビ”と“キレ”の違いって知ってるか? 解説者が、よく言うだろ。ストレートのキレがいい、ストレートがノビてるってな」

「言われてみれば......何だろう?」

「どっちもスピードガンの数字よりも、速く感じるって時に使われる印象が多いわね」

 

 首を傾げる芽衣香(めいか)と、口元に手を添える瑠菜(るな)東亜(トーア)は、試合を見ながら話す。

 

「ノビとキレには、決定的に違うことがある。キレは、ストレートと変化球の両方に使われるが。ノビという表現は、ストレートにしか使われない。スライダーが手元でキレるとは言うが、スライダーが手元でノビるとは言わないだろ」

「確かに、聞かないわね」

「キレは、ボールの回転数を示し。ノビは、ボールの回転軸を示す」

 

 一般的にオーバースローで投げる選手のストレートの回転軸は、平均20~30度前後利き手側が下がる形で傾いているとされている。

 

「軸の傾きが大きいほど、傾いた横への影響も大きく作用する。シュート回転と表現されるストレートが分かりやすいだろう。逆に傾きが小さいほど、横への影響は小さくなり、縦へ向かう揚力が効率よく作用し、落下度の低い軌道のストレートになる」

 

 ※今年、現役引退を表明された藤川選手の全盛期の「火の玉ストレート」と評されたストレートは、約5度ほどしか傾いていなかったというデータもあり、実に三割強の奪空振り率を誇っていたそうです。

 

「加えて、初回外野の深くまで運んだ奥居(おくい)が、相当に差し込まれる程の高回転がかかっている。だが、単純な回転数でいえば猪狩(いかり)の方が上、球威では木場(きば)に劣る。しかし、回転軸に焦点を移すと。予測よりも落下せず、予測よりも速くホームベースへ到達するから、振り遅れて空振ってしまう。(ベンチ)から見ていても、高めは特に落下が小さい。アイツのストレートも一桁......いや、もっと僅かな限りなくゼロに近い軸の傾きのストレートなのかも知れない」

「横へ作用する縦軸が小さな、限りなく真っ直ぐに近いストレート......」

 

 ツーアウトのため、奥居(おくい)のグラブも一緒に準備していた芽衣香(めいか)が、横で呟いた瑠菜(るな)に尋ねる。

 

瑠菜(るな)は、出来ないの?」

「......無理よ。出来れば、理想だけど。私は、スリークウォーター。そもそも基本的なオーバースローでも、実際は、斜めから腕が出ているのよ。本当に真上から振り下ろす訳じゃないわ。野手の送球も同じだけど、サイドに近いスリークウォーターで投げた方が安定するでしょ。けど、回転軸の傾きを小さくしようと思ったら、身体の軸を逆手側へ傾けるか、可能な限り手首を内側へ立てるようにリリースするしかないわ」

「しかし、沖田(おきた)は、それらを行っていない。むしろ、力感のない理想的な投げ方をしている。おそらく、人差し指と中指にかける力加減で微調整しているんだろう。何対何の割合で力を振り分けるか、誤差1パーセント以下の高い精度が要求されているハズ。神がかり的な指先の感覚の持ち主」

鳴海(なるみ)くんが言っていた動くストレートの正体は、試行錯誤の中で回転軸が安定していなかったから。だからランナーを出しても、クイックをしなかったのね。可能な限り、投球動作を一定に保つために......!」

「まあ、そんなところだろう。リラックスして投げられるキャッチボールとは、訳が違うからな。序盤に変化球が多いのも同じ理由だ」

 

 天候、グラウンドコンディション、体調などで指の掛かり具合が変わる。そこで、リリースの感覚を掴めるまでの間、変化球を使いながら、腕の振りや指先の感覚の微調整を行っていた。

 

『おっと、ファウルチップ! 土方(ひじかた)、捕球しています! 空振り三振! 一番から始まる好打順でしたが、三者三振に終わりました。これで前の回から合わせて、五者連続三振! 正に、快刀乱麻のピッチングですッ! そして、恋恋高校のベンチが動きます。先発の十六夜(いざよい)に代わって、早川(はやかわ)あおいの名が告げられましたーッ!』

 

「本当に当たらなくなってきたわね......」

「フッ、チャンスは来るさ。必ずな」

 

 ベンチ戻った壬生と入れ代わりで、恋恋ナインが守備位置に着き。投手の交代を告げらたあおいが、四回表のマウンドに立ち、投球練習を開始した。

 

 

           * * *

 

 

 あおいの投手練習を観察しつつ打席の準備を急ぐ、土方(ひじかた)

 

「(たった一球の失投で、投手を代えてきた。しかも、違うタイプとは言え、同じ軟投派を持ってきた。並の指導者なら緩急を利用しようと、速球派を持ってくるだろうに。これが、伝説の勝負師の判断力と決断力――)」

 

 アナウンスが流れ、土方(ひじかた)は打席へ向かう。

 

「(彼女には、決め球がある。ストレートと見分けのつかない縦の変化球。初見で長打を狙うことは至極困難。ここは、(けん)に徹する)」

 

 打席で構えた姿を入念に観察し、サインを出す。

 

「(先頭バッターの入り方、大事だからね)」

「(うん、分かってるよっ)」

 

 初球は、真ん中のストレートでストライク。二球目も、ストレートを続けて、見逃しのストライクを奪った。

 

「(考えを見透かしたように、甘いストレートでストライクを。これでは、見るも何も無いな。仕方ない)」

「(構えに力が入った。見るのは止めたみたいだ。なら――)」

 

 第三球、外角のボールになる緩いカーブ。タイミングを外し、ライトへの浅いフライに打ち取った。

 

「あおいちゃん、ナイスピッチ!」

「ありがと! ワンナウトーっ!」

 

 打ち損じた土方(ひじかた)は、ひとつ大きく息を吐き、斎藤(さいとう)に情報を伝えてからベンチへ戻り、守備へ向けての準備を進める。近藤(こんどう)が、声をかける。

 

「今のは、カーブか?」

「ああ。ストレートに近い同じ軌道から、緩やかに大きく逃げていった。球速差があるとは言えど、決め球以外の見極めも難しいな。厄介な投手だ、苦戦するぞ」

 

 彼の予想は、的中した。当たり自体は良くなかったが、野手の間を抜けるヒットで斎藤(さいとう)が出塁をするも、七番松原(まつばら)は、内角のシンカーを引っかけて併殺打。結局、三人で攻撃終了。

 そして、四回裏。恋恋高校の攻撃は、四番甲斐(かい)からの打順。前の三人と同じく、バスターの構えで食らいつくも、インローのストレートに手が出ず見逃しの三振に倒れ、矢部(やべ)の打席。そして、例の如く――。

 

「(またバスターですか、懲りないですねー)」

「(気を抜くな。この揺さぶりには、意味がある。事実、こちらは常に構えざるを得ない)」

 

 土方(ひじかた)の指示で沖田(おきた)は、ピッチングに専念しているが。それを補うために、バスターの構えをとられる度に内野陣は、セーフティバントとヒッティングの両方に気を配らなくてはならない。更に、粘り強く食らいついてくるため気力と体力の両方を削られている。

 

矢部(やべ)、スリーバントセーフティ! しかしこれは、打ち上げてしまいました。ファウルグラウンド、ファースト斎藤(さいとう)がしっかり掴んで――ツーアウト!』

 

 追い込まれてからのバント失敗で、ファウルアウトに倒れた矢部(やべ)だったが。なぜか不敵な笑みを浮かべながら、ベンチへ戻ってきた。

 

「フッフッフ......連続三振、止めてやったでやんす!」

「何得意気に言ってんのよっ」

「はっはっは、いいじゃねーか。とりあえず、止めたと言う事実は残る。当然、あちらさんも意識するさ」

 

 タイムをかけた土方(ひじかた)は、沖田(おきた)の元へ向かっていた。

 

「あれ? どうしたんですか?」

「少し間を取りに来た。一応、途切れたからな」

「ああ~、別に気にしてませんよ。狙ってた訳でもないですし」

「なら、構わないが。次の六番は、山口(やまぐち)のフォークをスタンドまで運んでいる。甘いコースは厳禁だぞ」

「了解です」

 

 沖田(おきた)はロジンバッグを手に取り、土方(ひじかた)はポジションへ戻った。鳴海(なるみ)が、打席に入ってツーアウトランナー無しから試合再開。

 

鳴海(なるみ)も、最初からバスターの構えです。沖田(おきた)、第一球を投げました! バットを引いて、ストライク! アウトコースいっぱいへスバラシイストレートが決まりました!』

 

「(確かに、もの凄いノビとキレだ、球速もある。だけど、オープンスタンスで構えるバスターだからか、ボールの出所自体は結構見える。芽衣香(めいか)ちゃんの打席以降、一球も変化球を使ってない。きっと、掴んだ指先の感覚を逃したくないんだ。それなら、高めにさえ釣られなければ、チャンスはある......!)」

 

 二球目は、その高めのストレート。思わず手が出かかるもギリギリで止め、ボールの判定。

 

「(ダメだって、これに反応したら。ボールに手を出したら、相手を助けるだけ。甘いボールも少なくない、粘ってミスショットしないように叩く......!)」

「(今の反応を見る限り、高めは捨てる意識を持っている。カウントを稼ぐ......いや、高めはあくまでも低めを意識させた上で空振りを誘うボール。甘く入れば、長打もある危険なコースであることに変わりはない。基本は、低めだ)」

 

 壬生バッテリーは、低めでファウルを打たせ、狙い通り追い込んだ。しかし鳴海(なるみ)も、簡単にはやられない。ストレート一本勝負ということもあり左右のズレは見極め、際どいボールは辛うじてカットして逃げる。

 

鳴海(なるみ)、粘ります! 次が、八球目――これも、ファウル!』

 

「ふぅ~......」

 

 球審から受け取った新しいボールを沖田(おきた)へ投げ渡し、険しい表情で鳴海(なるみ)を見る。

 

「(くっ、しぶとい。球速は違えど、アンダースローの軌道に慣れているからなのか? これ以上は......変化球を使うか。だが――)」

土方(ひじかた)さん」

 

 沖田(おきた)から声かけを受けて顔を上げると「難しいこと考えなくていいですよ」と、頷いて見せた。そして、プレートに軸足を付け、ゆったりと左足を上げる。

 

「(しつこく食らい付いてくるなら......振らせなければいいんだから!)」

「(は、速い......!)」

 

 真ん中の外寄りのストレート。手が出ずに見逃し、球審の手が上がった。

 

『――見逃し三振ッ! 最後は、手が出ませんでした。そして今の一球、なんとなんと150キロを計測! 場内騒然! 甲子園にまた一人、新星が現れましたーッ!』

 

 どよめきが収まらないスタンドの空気は、恋恋高校のベンチにも連鎖反応を起こす。

 

「一年生が、150キロって......」

「動揺するな。今、焦らなければならないのは相手の方だ。見てみろよ」

 

 東亜(トーア)がアゴで差した先には、険しい表情(かお)土方(ひじかた)と涼しい表情(かお)沖田(おきた)が言葉を交わしていた。

 

「四回か。思ったより早く済みそうだな」

「何のこと?」

「くくく、さーてね」

 

 小さく笑ってはぐらかし、戻ってきた鳴海(なるみ)に声をかける。

 

「おい、引きずるなよ。せっかく手繰り寄せたモノを手放すことになるぞ」

「あ、はい! あおいちゃん、すぐに行くから」

「うん! 新海(しんかい)くん、お願い!」

「はい!」

 

 鳴海(なるみ)は、瑠菜(るな)の手を借りて準備を済ませ、急いでグラウンドへ駆け出して行く。受けてくれていた新海(しんかい)と代わり、最後の投球練習のボールを受けて、五回表が始まった。

 この回先頭の八番(たに)を変化球で内野ゴロに打ち取り、ラストバッターの井上(いのうえ)を両サイドの出し入れで揺さぶり、低めいっぱいのストレートで空振りの三振を奪う。下位打線をテンポよく仕留め、打順は先頭に返り、原田(はらだ)の三度目の打席。二打席目の時と同様、ストレートとカーブの緩急を巧みに使い、決め球は――。

 

『伝家の宝刀、マリンボール! 膝下へ鋭く落ちるユニークな変化球に、バットが回りました! この回、三人で退けましたー!』

 

 小さくガッツポーズを見せたあおいは、鳴海(なるみ)とグラブでタッチを交わし、意気揚々と軽い足取りでベンチへ戻る。

 

「ナイスピッチ。下位打線からとは言え、トップバッターを含めよく三人で片付けた。さて、次の回だが......また揺さぶって来い。徹底的な。そして――」

 

 東亜(トーア)は、自分を囲むように立つナインたちに笑みを見せながら言った。

 

 ――変化球を投げさせることが出来れば、沖田(アイツ)は崩せる。




追伸――何だかんだで100話到達。
ここまで付き合ってくださり感謝感謝です!
ラストも近づいて来ましたが、あと少しお付き合いいただけると幸いです。


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Final game12 ~想定外~

お待たせしました


 五回裏の守備に向かう直前土方(ひじかた)は、監督松平(まつだいら)に呼び止められた。

 

土方(ひじかた)、どうだ?」

「キャッチボールでは、異変は感じられません。しかし、実戦で受けてみないことには断定しかねます」

「そうか」

 

 報告を受けた松平(まつだいら)は、静に目を閉じて、腕を組んだ。今、頭の中は「継投」のタイミングと起用法のことで埋め尽くされていた。

 現在のリードは、僅か二点。壬生の投手陣は、近藤(こんどう)を筆頭に計五人。内一人は、現在登板している沖田(おきた)。残りの三人は、三年の山南(やまなみ)、二年の相馬(そうま)、一年の市村(いちむら)

 

「(沖田(おきた)は、尻上がりに調子を上げていく。だが今日は、明らかに早いペースでトップギアに入った。集中力を維持できている間はいいが、下り坂に入った後は一瞬......)」

 

 沖田(おきた)は、打線に置いても中軸を担う打者。バッティングに悪影響が残るようなカタチでの降板は避けたい。通常であれば、先発経験も豊富で安定感のある山南(やまなみ)をノンストップで切るところだが。御陵戦で先発した近藤(こんどう)が左腕にデッドボールを受けた後を継ぎ、緊急登板の形で、二年生の相馬(そうま)が四イニングを投げている。失点こそ許さなかったが最後まで粘られ、球数も100球近くまでかさんでいた。休養日が一日あるとは言え、近藤(こんどう)の故障の回復具合によっては、決勝の先発に山南(やまなみ)をぶつけることも想定しており、極力温存しておきたいという胸の内。

 しかし、全国トップレベルの実力者の三人と比べると、下級生の力量は一段劣っていることも、また事実。試合中盤、競った場面での登板は荷が重い。

 

「(せめて、あと二点あれば......いや、言い訳でしかない。例え、主力を引き抜かれようとも、今の、山南(やまなみ)の役割を担える投手をこしらえることが出来なかった、私の責任だ)」

 

 本来であれば、主力を担うはずだった選手たちを、御陵に引き抜かれてしまった。守備の負担を考え、センターラインの二遊間を除き、レギュラー陣を中心に急ごしらえで仕上げた、相手の戦意を喪失させるほどの超強力打線。半ば苦肉の策だったが思わぬ副産物として、打撃練習で打ち返される強烈な打球を受けつづけ、自然と鍛えられた鉄壁の守備。しかしここに来て、打撃重偏のあまり、コーチに任せっきりで直接手をかけられなかった投手陣の薄さが浮き彫りとなってしまった。

 

「監督。自分は、いつでも行けます」

「......近藤(こんどう)。だが――」

「利き腕ではありません。イニング間での遠投でも投球に影響はありませんでした。何より――今日勝たねば、決勝もありません!」

 

 近藤(こんどう)の決死の覚悟に、心が揺れ動く。

 そこへ、ベンチ裏で着替えと軽くストレッチをしながら休息を取っていた沖田(おきた)が戻ってきた。

 

「あれ? お二人とも、まだ居たんですか? てっきり先に行ってるものだとばかり」

「ああ、水分補給をしていた。お前も、しっかり摂っておけ。夏のマウンドは、特に暑いからな」

 

 近藤(こんどう)の忠告を素直に受け入れ、水分補給を行う沖田(おきた)。この間を救われた松平(まつだいら)は、結論を保留し、土方(ひじかた)へ守備の指示を与えて、三人をグラウンドへ送り出す。

 

「(この回をリードした状況で乗り切ることが出来れば、六回表は二番から中軸へ向かう攻撃。そこで、中押し点を奪えれば――)」

 

 大きく息を吐き、吐いた息と一緒に都合のいい期待を吐き捨てた松平(まつだいら)は、山南(やまなみ)市村(いちむら)の二人に肩を温めておくよう指示を出し、青空から降り注ぐ日差しの照り返しで陽炎が揺れるグラウンドで今、始まろうとしている攻防を見守る。

 

『二点リードされて迎える五回裏恋恋高校の攻撃は、七番藤堂(とうどう)からの下位打線。何とか出塁して、トップへ繋ぎたいところ。一方、守る壬生としては、三人で抑えて良い流れで六回の攻撃へ繋げたいでしょう! さあ、試合を左右する中盤戦の攻防が今、始まりますッ!』

 

 一礼して打席に入った藤堂(とうどう)は、さっそくバスターの構えを取った。沖田(おきた)の初球は、まるで糸を引いたような外角のストレート。判定は、ボール。

 

「対応してきた」

「ええ。今、内野がバントシフトに動かなかったわ。セーフティバントの警戒を解いた、単打なら構わないということかしら?」

「おそらく」

 

 セーフティバントの警戒を解除し、通常のシフトへ戻した主な理由は、二つ。疲労の軽減と打順の巡り合わせ。

 恋恋高校の打線は一番真田(さなだ)、三番奥居(おくい)、五番に矢部(やべ)、七番藤堂(とうどう)と足にある打者が一人置きに続いている。そのため先の二回は、足を絡めた攻撃を警戒せざるを得なかった。しかしこの回は、九番に投手のあおいが居ることで、仮に、先頭の藤堂(とうどう)を塁に出しても、バッター勝負に専念出来る。

 

「ハーフスイングを取られ、判定は下されなかったが、完璧にモーションを盗んでギリギリのタイミングだった捕手の肩からして、単独の三盗は、まず不可能に近い。二盗成功から、芽衣香(めいか)が送り、上手いことあおいで返したとしても、ツーアウトランナー無しからの追加点は難しい」

「一点を失っても、リードを保ったまま上位からの攻撃へ移れると計算した上での通常のシフト。守備での負担を軽減させて、攻撃へ専念させる狙いもあるわね」

「理由はどうあれ、大した問題ではない。こちらのテーマは、変化球を投げさせること。目的にだけ集中すればいい、得点の有無は関係ない」

「まともに当てられないストレートよりも、チャンスのある変化球。ウチの攻撃は下位打線、投げてくるかしら?」

「投げさせるんだ。そのために結果が出ずとも、ブレずに継続して来た。変化球を投げさせることが出来た時が、本当の意味での揺さぶりを成し遂げた時、必ず成果を獲られる」

 

 ――まあ、その結果、どちらへ転ぶかは分からないけどな。

 

 

           * * *

 

 

 沖田(おきた)のストレートを受けた土方(ひじかた)は、安堵の表情(かお)を見せ。藤堂(とうどう)は、タイムを取った。

 

「(念のためボールから入ったが、ひとまず、フォームや球質に影響はなさそうだ。六番を相手に力を入れて投げた時は、バランスに狂いが生じるのではないかと気になったが、下手にネクストや打席に立たず休憩を挟めたことが幸いしたか)」

 

 打席外した藤堂(とうどう)は、見逃したストレートの軌道を思い返す。

 

「(......一打席目とは比べ物にならないノビだ。相手の守備は定位置に戻ったみたいだけど、アンダースローみたいに浮き上がって来る感じの軌道のボールは、バントで転がすことも難しい。矢部(やべ)先輩も、失敗して上げていたし。だけど、俺が生きるには、打球を転がすしかない。どうすれば――)」

 

 ――高めには極力、手を出さないこと。

 不意に東亜(トーア)の言葉が、脳裏に浮かんだ。

 

「(......高めは、捨てる。鳴海(なるみ)先輩は高めを捨てて食らい付いたから、全力のストレートを引き出せた。きっと、そこまでは合っているんだ。問題はその先――どうやって、変化球を引き出すか......)」

 

 球審と土方(ひじかた)に一礼して、バッターボックスに戻った藤堂(とうどう)は、バスターの構えから一度引いて、セーフティバントを試みる。

 

「ファールッ!」

 

 バットの上っ面をかすめた打球は、両手を広げた球審の脇を抜けていった。悔しさに、コンっと軽くヘルメットを叩いて打席に戻り、時間をかけて足場を慣らす。

 

「(ダメだ、転がせなかった。そもそも、警戒していない相手にセーフティしたって......)」

 

 ――怖くないんだよ。

 今度は、聖タチバナ学園戦で鳴海(なるみ)が話していたことを思い出した。

 

「(そうだ、怖くないんだ、狙いが分かってるバッティングは。だから、シフトを戻した。だとしたら今、やるべきことは――)」

 

 藤堂(とうどう)はバスターを止めて、本来のフォームに戻した。

 

「(バスターではない、揺さぶりを止めたか? しかし、ここは力で押し切る場面であることに変わりはない)」

 

 頷いた沖田(おきた)の三球目、外角のストレートに対し、フルスイングで対抗。結果は、若干振り遅れた空振り。追い込まれてからの四球目――。

 

『ファウル! セーフティから一転、真っ向勝負の強振、フルスイング! 何の因果か、同じシニア出身で親友である二人が、甲子園決勝進出を賭けた大舞台で、胸を熱くさせる勝負を繰り広げています! スタンドの歓声と共に、わたくし、熱盛(あつもり)のボルテージも上がって参りましたーッ!』

 

「また、強振!」

「良いんだ、これで。相手の想定外のことをする。正に揺さぶりではないか」

「それは、そうだけど......」

 

 バッテリー有利のカウントからの五球目、空振りを誘う高めのストレート。出かかったバットを止め、ツーエンドツー平行カウント。

 

『あっと、良い当たりでしたが、三塁線を切れていきました。打ち直し、次が六球目!』

 

「(他の選手たちより見慣れているとは言え、徐々にアジャストしてきている。このまま流れで勝負に行くのは危険だ。間を――)」

 

 間を取れ、と合図を出す前に沖田(おきた)、自らの判断でプレートを外していた。藤堂(とうどう)も、合わせて息を吐いて、肩に入った力を抜くことを試みる。うつむき加減で弾ませていたロジンバッグを元の場所に戻した沖田(おきた)は、ゆっくりと前を向いた。

 

「(――空気が変わった。来る......!)」

 

『さあ、サインに頷きました。ゆったりと足を上げ、第七球を――投げました!』

 

 アウトコース。今までとは、明らかに違う球威のストレート。

 

「(――は、速い! カット......いや、当てに行ったら当たらない、一発を狙うつもりで振り抜く!)」

 

 長打を狙うつもりで、バットを思い切り振り抜いた。

 しかし、快音は響かず――。

 

『空振り三振! 最後は、外角高め148キロのストレート! 全球ストレートの真っ向勝負は、沖田(おきた)に軍配が上がりましたーッ!』

 

 沖田(おきた)は普段の表情(かお)に戻り、藤堂(とうどう)は悔しそうに唇を噛みしめ、ベンチへ帰っていく。

 

「ボール球だったな」

「はい。高めは手を出さないように気をつけていたんですけど......」

「気にするな。タイミングは、合っていた。カット出来れば満点だったが、当てに行かず狙いに行った姿勢は決して間違っちゃいない。さて、もう一押しってところか。芽衣香(めいか)

 

 打席に向かおうとしていた、芽衣香(めいか)を呼び戻す。それに合わせて、土方(ひじかた)も声をかけにマウンドへ向かった。

 

「何ですかー?」

「高めを狙っていけ」

「へっ?」

 

 キョトンとした表情(かお)で聞き返す。

 

「えっと、高めですか? 低めじゃなくて?」

「ああ。それと、消極的にならないこと。行けると思ったら、初球からでも迷わず振り抜け」

「は、はい、分かりましたっ!」

 

 返事をした芽衣香(めいか)は改めて、打席へ向かい。

 マウンドへ行っていた土方(ひじかた)もポジションへ戻り、腰を降ろす。

 

「お待たせしました、お願いしますっ」

「うむ。プレイ!」

 

『ワンナウトから試合再開です。バッターボックスには、前の打席見逃し三振に倒れた、浪風(なみかぜ)芽衣香(めいか)。ここは、リベンジと行きたい場面でしょう!』

 

 芽衣香(めいか)は、オープンスタンスで腰を落とし、バスターで構え。土方(ひじかた)は、外角へミットを構えた。沖田(おきた)の足が上がる。

 

『外角低めにストレートが決まりました! ワンストライク!』

 

 構えたところへピシャリと来たストレートを、芽衣香(めいか)はバットを引いて見逃し、捕球した土方(ひじかた)は立ち上がってボールを返す。

 

「(よし、ストレートに狂いはない。バッターは、手を出して来なかった。それとも、手が出なかったのか。どちらにしても、当てに来ている間は問題ない。このままストレートで押し切る)」

 

 二球目も、ほぼ同じコースのストレート。芽衣香(めいか)は、これもバットを引いて見逃す。追い込まれてからの三球目は、どうにかカットしてファウルで逃げた。

 

「はぁ~......」

「(さすがに三球同じコースなら振ってくるか。しかし、当てるだけで精一杯な様子。低めに意識を向けた、ここを振らせる)」

 

 土方(ひじかた)は高めにミットを構えて、釣り球を要求。

 

「高めに構えたわ......!」

「ここまでは狙い通り。さて、どのような目が出るか」

 

 芽衣香(めいか)へ対する四球目、内角高めのストレート。

 

「(――高い! 高めのストレートは、ノビて来てボール球になる。でも、“高めを狙っていけ”って......。もう、どうなったって知らないから!)」

 

 一度引いたバットを、高めのストレートを狙って振り抜いた。

 

『おおっと! これは、打ち上げてしまった。キャッチャーへのファウルフライ! 土方(ひじかた)、ファウルグラウンドでしっかり掴んで......ツーアウト!』

 

 指示通り高めを狙うも結局、ファウルフライに終わった芽衣香(めいか)は、がっくりと肩を落として帰って来る。

 

「ナイスバッティング」

「むっ、どこがですかっ」

 

 ほっぺたを膨らませて抗議するも、東亜(トーア)は悪びれる様子は微塵も見せず、逆に笑って見せた。

 

「はっはっは、当たったじゃねーか」

「えっ? あっ......」

「確かに、脅威的な空振り率を誇るストレートを二回振って、二回とも当てたわね」

「まあ、下位打線相手ということもあって、多少力を抑えたところもあるだろうが。少なくとも、三振はしなかった。これは、大きな成果だ」

「あおいさんに、何か伝えていたみたいだけど?」

「別に、特別なことは言っていない。三振しても構わないから、ストレート一本に的を絞って振ってこいと言っただけさ」

 

 東亜(トーア)の言葉通り、ツーアウトランナー無しの状況で今日、初めて打席に立ったあおいは、バットを短く持ち、気負う様子もなくリラックスして構えている。

 初球、ほぼ真ん中のストレートを見逃した。

 

「(うっ、殆ど真ん中だったのに振れなかった。みんな、こんな凄いストレートを粘ってたの......?)」

 

 二球目は、初球よりも外寄りのストレート。今度はバットを振るも、完全に振り遅れて空振りのストライク。三球目は、ツーアウトということもあって、焦って三球勝負へは行かず、慎重に外角へ外し、カウントを整えた。

 そして、バッテリー有利のカウントからの四球目――。

 

「あ!」

「なっ!」

「えっ?」

 

 やや甘く入ってきた高めを、キレイに弾き返した。

 

『打ったーッ! やや弱い打球が、沖田(おきた)の頭上を越えるぅ! セカンド寄りのセカンドベースの後方、セカンド松原(まつばら)が懸命のダイビング――も、僅かにグラブの先を抜けていったーッ! センター前ヒット! 二回以降、完璧に抑えられていた恋恋高校、久しぶりにランナーが出ました。そしてこの試合、初めて外野へヒットを放ったのは、なんとなんと! 途中出場の投手、早川(はやかわ)あおいでしたーッ!』

 

 このまさかの結果に一番驚いていたのは、ヒットを打った張本人である――あおいだった。



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Final game13 ~責任感~

お待たせしました。


 五回裏ツーアウトから、ピッチャーのあおいがヒットで出塁。驚きと歓声がベンチ内で木霊する。

 

「驚いたわ。今までの苦労が嘘だったみたいに、キレイに打ち返したわね」

 

 そう言って理香(りか)は、バックスクリーンの球速表示を確認した。表示されている球速は、138Km/h。

 

「特別遅い訳じゃないけど、チェンジアップかしら?」

「いや、違うな。あれだけストレートに振り遅れていたんだ、わざわざ変化球を使う理由はない。指に掛からなかったんだ、真っ直ぐが」

「キレイな真っ直ぐの......失投?」

 

 まったく癖のない理想的なバッティングピッチャーのようなストレートが、見やすい目の高さ、腕の延びる、やや外角高めの甘いコースに来て、本来のストレートであれば振り遅れていたハズだったあおいのスイングと偶然合ってしまった結果の一打。

 

「ようやく、揺さぶりの成果が“カタチ”として現れたってことだ」

「こうなることを予期していたってこと?」

「予期も何も最初からそう出ていたじゃないか。お前とはるかが集めたデータにな」

 

 失点傾向は、序盤が多く、中盤は殆どヒットも打たれず、終盤になると若干増える。

 

「そして、失点には?」

「変化球が絡むことが多い、だったわね」

「序盤の変化球は、指先の感覚を掴むまでのもの。試合後半の変化球は、ストレートが利かなくなってきた証拠。どうやら、変化球の中でも特に割合の少ないチェンジアップは、意図して投げたボールではなく、今のストレートの様な投げ損ないの失投のことだったようだな。そりゃあそうだろう。人間の集中力ってのは、そう長く持続させることは出来ない。必ず限界がある」

 

 沖田(おきた)のストレートは、繊細な指先の力加減を必要とする。当然、心身の疲労も通常の投手の比ではない。初回の三盗、五回表の三塁打。徹底的な揺さぶり、鳴海(なるみ)藤堂(とうどう)が投げさせた全力のストレート。普段の試合以上に、疲労蓄積の経過は早い。

 

「疲れが溜まれば、どこかしらに歪みが生じる。俺は、操れる球速・緩急の幅と制球力に影響が出た」

沖田(おきた)くんの場合、ストレートが甘く入る割合が上がると仮定したら。データ通り、変化球の割合も増えかも知れないわね」

「さて、どうだろうな。本当に集中力が切れかかっているのならあり得るが、ツーアウトでバッターが投手のあおいだったから、一時的に気が抜けて失投が来たとも考えられる。まあ、まだ、スタートラインに立つ権利さえ得ていないことは確かだ」

「スタートライン?」

「成果の先、“結果”の話しさ」

 

 そう言うと東亜(トーア)は、すぐさまタイムを取ってマウンドで言葉を交わしている土方(ひじかた)沖田(おきた)へ目を向けた。

 

「どこか違和感を覚えたか......?」

「いえ、ちょっと浮きました。少し簡単に行きすぎました。いいスイングでしたし、気をつけないとですね」

 

 念のため土方(ひじかた)は、沖田(おきた)の右手の様子を確認。マメ、爪、握力にも特に異常は見当たらなかった。監督を見て頷き、異常は確認出来なかったことを伝える。

 

「(異常は無し、山場を越え一時的に気が抜けたか。しかし、楽観視する訳にはいかない。連続するようであれば、早急に手を打つ必要がある。市村(いちむら)......では、上位を相手にするのは荷が重い。連投になるが、相馬(そうま)か......)」

 

 頭を悩ませる松平(まつだいら)、この迷いの隙をつき東亜(トーア)は、次なる一手を打つ。はるかを通じ、あおいと真田(さなだ)へサインを伝達。受け取った二人は、ヘルメットを触って受諾したことを伝える。

 

『ツーアウトですが、打順は先頭に返って、一番真田(さなだ)。今日、三度目の打席となります! マウンド上の沖田(おきた)、サインに頷いて足を上げ――あーっとッ!』

 

 ファーストランナーのあおいは、沖田(おきた)がモーションに入るとスタートを切った。

 

「(あの投手が、走っただと!? まさか、初球スチール......いや、あり得ない。となると――)」

「(よし、指示通り外角低め! 球種は、真っ直ぐ一本、コースは分かってるんだ、当てることぐらいは出来る!)」

 

 思い切り踏み込んで、狙い球の外角のボール球を上から叩きつけて強引に引っ張った。

 

「(やはり、エンドランか......!)」

 

 当てただけの打球は、セカンド松原(まつばら)がベースカバーに動いたことでガラ空きになった一・二塁間を破るコースヒット。

 

早川(はやかわ)、ストップ! 戻れッ!」

 

 あおいは、セカンドベースを蹴ったところでサードコーチャーに入っている甲斐(かい)の指示で急ブレーキ。急いでセカンドベースへ戻った直後、重く乾いた大きな音が鳴り響いた。

 

『も、もの凄い送球が、ライトの近藤(こんどう)からノーバウンドで返ってきましたッ! イヤー、これは驚きました。正にレーザービーム、早川(はやかわ)の進塁を阻止して見せましたーッ!』

 

 突然の轟音にあおいは「えっ!?」と声を上げて、音の出所の三塁を反射的に見る。それは、恋恋高校のベンチも同じだった。

 

「な、なんて肩してんのよ? あのライト......てか、ケガしてたんじゃないのっ?」

 

 驚きと戸惑いの声を上げる芽衣香(めいか)たち恋恋ベンチ。そんな中でも東亜(トーア)は、冷静に戦況を分析していた。

 

「投げるには問題ないって、監督(ベンチ)へのアピールと言ったところか。さーて、ようやく、スタートラインに立つ権利を得られたぞ」

「権利? あっ......!」

 

 理香(りか)の視線の先、壬生ベンチから出てきた選手が球審に、選手の交代とポジションの変更を告げ、場内にアナウンスが流れた。センターの(たに)がライトへ回り、沖田(おきた)はセンターへポジション変更。

 そして、ライトの近藤(こんどう)がマウンドへ向かった。

 

「これが、成果の先の“結果”」

「そう。沖田(アイツ)を、マウンド上から引きずり降ろすこと。不確定要素が多すぎたため、確実に打ち崩せる確証はなかった。ならば、いっそのこと降ろしてしまえばいいと思った。唯一欠点として浮かんだものが、経験の浅さから来るペース配分だった」

 

 本来、沖田(おきた)が崩れ始めるのは試合終盤に差し掛かる七回辺りから。しかし今日は、五回途中の降板。結果だけを見れば、当初思い描いていた東亜(トーア)の思惑通り進んだのだが......。

 

「ただ、予期せぬことが起きていた」

近藤(こんどう)くんのケガね」

「ああ」

 

 順当に行けば、沖田(おきた)を降ろした後は、二番手として三年の山南(やまなみ)が登板する。だが、沖田(おきた)以上のストレートを投げることは決して無い。多少のリードを許していても十分攻略出来ると計算していた。しかし、それは崩れた。

 

「すみません、近藤(こんどう)さん。こんな中途半端な形で渡すことになって」

「いや、ナイスピッチングだ。あとは任せろ」

「はい、お願いします」

 

 小さく会釈をして沖田(おきた)は、センターへ走って行った。土方(ひじかた)は、近藤(こんどう)に確認を取る。

 

「本当に問題ないんだな?」

「ああ。そもそもが、俺の責任だ。後始末は自分でつける」

「そうか。じゃあ、次のバッターはいいんだな?」

「そうだ」

 

 軽く拳を合わせ、土方(ひじかた)は戻り、近藤(こんどう)は、踏み込みの足場を作る。そして、投球練習を開始。故障の影響を感じさせない130キロ台のストレートを中心に投げ込み、試合再開。

 二番バッターの葛城(かつらぎ)が、右打席に入る。

 

「(オレのところで、エース登板か。確かストレートは、常時150キロ近く出るんだっけ。ケガの影響は、どうなんだろう? 俺の役目は、それを調べて一球でも多く投げさせて引き出すこと......)」

「(今のエンドランは間違いなく、オレのミスだ。走者が投手だったことで、足を絡めた攻撃はないと決めつけてしまった。今の策は、おそらく――)」

「(――ストレートの調子を大怪我をしない外角で確かめることが多い、土方(ひじかた)のクセを読まれた。今、流れは拮抗している状態。後手に回ってしまったが、ここで切ればまだ巻き返せる)」

 

 葛城(かつらぎ)土方(ひじかた)、監督松平(まつだいら)の思いは三者三様。そしてマウンドに上がった近藤(こんどう)は、サインを受け取り、セカンドランナーのあおいを牽制し、足を上げた。

 

『ライトから緊急登板の壬生不動のエース近藤(こんどう)の初球――アウトコースのストレート! なんと、さっそく150キロが出ました! しかしこれは外れて、ワンボール。葛城(かつらぎ)、見えています!』

 

「(......速い。沖田(おきた)とは、また別種のストレートだ。だけど、目で追えないほどのボールじゃない......!)」

 

 しかし、グッと握り返して臨んだ二球目も、ボール。三球目も、ボール。これで、スリーボール。ボールなら満塁、バッターが圧倒的に有利なカウント。ここで一球、緩いチェンジアップでストライクを取りに来た。葛城(かつらぎ)も手を出さずに見逃し、スリーエンドワンからの五球目――。

 

『おおっと。これは、ハッキリそれと分かるボール球。葛城(かつらぎ)、しっかりフォアボールを選びました。ツーアウトながら満塁のチャンス。そして、バッターボックスには、恋恋高校のポイントゲッター、奥居(おくい)ですッ!』

 

 バッターボックスで構えた奥居(おくい)と、マウンド上の近藤(こんどう)。この勝負の重要性を十分理解している二人が、視線をぶつけ睨む合う。

 

葛城(かつらぎ)くんへの初球は、もの凄いストレートが来たけど。やっぱり、ケガと緊急登板の影響かしら? 制球が定まっていないわ」

「いや、わざとだ」

「わざと? 一打同点、逆転もあり得る状況にしてまで満塁策を取ったと言うの......?」

「責任を背負ったのさ。自らの故障の影響で、ピッチャーであるにも関わらず無茶な走塁を余儀なくさせてしまった沖田(おきた)へ対する贖罪、罪滅ぼし。アウトカウントは、ツーアウト。あおいと言えど、よほど外野手の正面を突く打球でなければ、二塁からでもワンヒットで点が入る。失点を喫すれば、ランナーを残した沖田(おきた)の自責点。だから、あえて満塁にした」

 

 例え、四球で満塁にしても失点すれば記録上は沖田(おきた)の自責点になることに変わりは無いが、ピンチを拡げた自身にも少なくからず責任を所在を分散させることが出来る。加えて緊急登板の肩慣らしにもなり、ポイントゲッターの奥居(おくい)を封じ込むことが出来れば、恋恋高校に傾きかけている流れ寸断し、逆に流れを呼び込むきっかけになる。

 

「次の一点が重要になる場面で、そんな大胆なことを......」

「そいつを躊躇無く出来る。だから、付いてくるのさ。そして、袂を分かった理由もこれだ」

 

 合理的な采配を振るう御陵の監督伊藤(いとう)であれば、故障を抱えた近藤(こんどう)は最初から使わない。沖田(おきた)と控え投手でやり繰りし、回復の可能性を少しでも高めるため温存させる。

 

「指導者と同等......いえ、同等以上に強力で絶対的な信頼感。壬生は、近藤(こんどう)くんのチーム?」

「少し違うな。近藤(こんどう)は、壬生の勝利のために首を差し出せる。だから、より強固な繋がり。御陵の監督は、これを恐れて身を引いたんだろう」

 

 前の席に座って、守備に向けた準備をしながら勝負の行方を注視している鳴海(なるみ)に、東亜(トーア)は問いかける。

 

「この場面、どうリードしてくるか、解るな?」

「はい。決め球は、ストレートです。間違いありません」

 

 ハッキリした答えに、小さく笑みを見せた。

 

「フッ、そうだ。わざわざ満塁にしたのに変化球でかわすような無粋なマネはしない。ここは必ず、チカラでねじ伏せに来る。そうでなければ、意味がない。それを踏まえて、まず何から入る?」

「......奥居(おくい)くんの反応を見極めるために、外角へストレートを。ボールでもいいんで際どいところを突きます」

 

 奥居(おくい)への初球は、外角低め147キロのストレート。積極的に振りに行くも、やや差し込まれ、一塁線を切れるファウル。

 

「キャッチャーの構えより、やや中へ入って来たが高さが良かったな。しかし、若干差し込まれながらも芯で捉えた鋭い打球だった。奥居(おくい)も、力負けはしていない。はるか、ヤツの持ち球は?」

「ストレート、スライダー、フォーク、チェンジアップです」

 

 はるかから情報を聞いて、鳴海(なるみ)は答える。

 

「もう一度外、スライダーを見せます」

 

『ボール! 手が出かかりましたが、ストライクからボールになる140キロ近いスライダーを見極めました。ワンエンドワンの平行カウント!』

 

「次」

「スライダーを続けます。今度は、もっとしっかり外します」

 

 三球目、一球前よりもボール球のスライダー。今度は、眼だけで見送った。

 

「これで奥居(おくい)の眼は、近藤(こんどう)のストレートにも、変化球にも付いて行けると判明した。で?」

「手を出しやすい高めのストレートでファウルを打たせて、カウントを稼ぎたいですけど。決め球に持っていきたいので、フォークかチェンジアップを振らせます」

「要求は?」

「プレート上の低めにさえ来てくれれば、どこでも構いません。欲を言えば、両サイドに散るよりも真ん中寄りの方が選択肢は拡がりますけど――」

 

 四球目、内角低めへ落ちるフォークボール。

 

『上手く拾いましたが、三塁側のスタンドへ飛び込みました! ファウルボール。ツーエンドツー、さあ次が勝負の一球となるでしょう! バッテリー、ピンチを切り抜けられるか? それとも奥居(おくい)の一打で一点、同点、逆転へと持って行けるかっ? ンンーン、片時も目を放せませンッ!』

 

「フォークというよりは、スプリットに近い感じか」

「はい。山口(やまぐち)猪狩(いかり)の落ちるフォークとは少し違う、利き手側へ少し曲がりながら沈む感じのボールでした。これで最後は、外角低めのストレートです」

「ちょっとちょっと何で断言出来るのよっ? てゆーか、今までの配球も全部当たってるし!」

 

 近くでやり取りを聞いていた芽衣香(めいか)が、会話に割って入ってきた。

 

「別に驚くようなことじゃねーよ。決め球に何が来るか解っているんだ、そこへ向かって理想を逆算すればいいだけのこと」

「ストレートとスライダーに付いて来られたから、一番遅い球種のチェンジアップは、相当度胸がいる。決め球に出来るほどの精度があるなら話しは別だけど。それは今、投げなかったから本人が信用していないんだと思う」

「ねじ伏せたいから変化球でかわせないし、フルカウントにもしたくないから、勝負に来ると読んだのね。外角の理由は、スプリットが内角へ来たから?」

 

 瑠菜(るな)の質問に、鳴海(なるみ)は頷いて答える。

 

「ファウルだったけど、厳しいコースを上手く拾われた。同じコースを狙って、少しでも甘く入ると怖い。初球の振りまけていないスイングを見ると、高めは要求出来ない。もし、外野の間を抜けたら走者一掃で逆転だよ」

「だから、スプリットは真ん中寄りが良かった。少なくとも内外を選択出来る自由を得られたから」

「そう。半々(ニブイチ)なら、打者も迷う」

「フッ、答え合わせだ」

 

 意味深に笑みを見せた東亜(トーア)の呼びかけに、全員の視線が一斉にグラウンドへ向いた。ちょうどサイン交換が済み、セットポジションに付いた場面。

 

「(この一球は、勝負に重要な一球になる。頼むぞ)」

「(おう、分かっているさ......!)」

 

 頷いた近藤(こんどう)は、ひとつ息を吐き、土方(ひじかた)が構えるミットへ向かって投げ込んだ。

 

『チェンジアップ! ワンバウンドに近いボール。奥居(おくい)、しっかり見極めて、フルカウント!』

 

「ここで、チェンジアップを外した!?」

 

 読みが外れ、鳴海(なるみ)は身を乗り出し。東亜(トーア)は、後ろで軽く笑う。

 

「くくく、相手の方が一枚上手だったな。ニブイチどころか、どこでも行ける。ストレート一本とは言え、コースにヤマを張れるか?」

 

 問いかけに、誰も頷けなかった。

 

「勝負球は、ストレートであることは間違いない。だったら、緩急を最大に活用して当然、一番遅いチェンジアップを投げない理由はない。事実、葛城(かつらぎ)を相手に試し投げしていた。しかし、落ちる系ではなく、来ない系のチェンジアップだから、しっかり外したといったところか。まあ、ハナっからフルカウントからの一球勝負を挑むしかなかったのさ、初球で仕留め損ねた時点でな」

 

 選球眼とミート力を兼ね備える奥居(おくい)に対し、一番勝算が高いのが初球だった。だが、狙いよりも若干甘く入り、アウトを取れず、ファウルにされたことでフルカウントからの勝負へ切り替えざるを得ない状況に追い込まれた。そしてそこから、一球勝負にすべてを賭けるため、可能な限りの手を打ち“勝負出来るフルカウント”を作り出した。

 

「(一点もやれない状況で、フルベース・フルカウントからの勝負。俺に、同じ配球(リード)が出来たか......)」

「まあ、そう辛気臭い表情(かお)をするな、途中まで合っていたじゃないか。大きく間違ってはいない。縛りがなければ、お前の読み通りだっただろう」

「縛り、ですか?」

「チカラ勝負。しかし、左腕の故障の影響でバランスが崩れているのか、ストレートが若干シュート回転して甘く入っている。初球も、低かったからファウルになった。なら、どこを要求する?」

「......インサイドです。仮にシュート回転しなければ、球威で押せる」

「ほら、読めたじゃないか。勝負球は、インコースのストレート」

 

 バッターボックスの奥居(おくい)も、初球のストレートがシュート回転して来たことは鮮明に覚えている。

 

「(今の、チェンジアップの見逃し方。おそらく、インコースの真っ直ぐ一本に絞って待っている。ならば外角――と行きたいところだが、真ん中に入ってくると持っていかれる。それだけの能力がある打者だ)」

 

 土方(ひじかた)はサインを出し、脇を締めろと左肩に触れる。憮然とした表情(かお)を頷いた近藤(こんどう)は、左腕が離れないように身体に密着させ、セットポジションで構え、一瞬一塁を睨みつけ、クイックモーションで足を上げた。

 

『ツーアウト、フルベース・フルカウント! ランナーは、一斉にスタートを切った! 近藤(こんどう)奥居(おくい)へ対する勝負球は――渾身のストレート!』

 

 150キロ中盤のストレートが、ミットを構えたインコースへ来た。

 

「(よし、シュート回転していない。その分コースは甘いが、球威で押し切れる――!)」

「(速い! けどよ、猪狩(いかり)木場(きば)沖田(おきた)と比べたら......全然素直なんだよ! って、重っ!)」

 

『捉えた! ピッチャー返し! 痛烈な打球が、ピッチャーの右を襲う!』

 

「くそっ、上がらなかった! 抜けろーッ!」

 

 肘を畳んで弾き返した打球は、近藤(こんどう)が伸ばしたグラブの先を弾いて、マウンドの後ろで弾んだが、打球の勢いは死んでいない。

 

「――松原(まつばら)!」

「フッ!」

 

『セカンドベースの後方、松原(まつばら)が追いついたーッ! しかし、体勢が悪い――』

 

 懸命に走る奥居(おくい)。元々ベース寄りに守っていた松原(まつばら)は打球に追いつくも、咄嗟に一塁は間に合わないと判断し、セカンドベースカバーに入った井上(いのうえ)へのグラブトスに切り替えた。

 

「しまっ――」

「くっ......!」

 

『あーっと、トスが一塁側へ逸れたー! 井上(いのうえ)、身体をめいっぱい伸ばして素手でキャッチ! ほぼ同時に、ファーストランナー葛城(かつらぎ)が滑り込む! どちらとも取れる際どいタイミング、足が先か? それとも、キャッチが先か? 判定は――』

 

 二塁塁審は、拳を力強く掲げて判定を下した。

 

『アウト、アウトですッ! 鉄壁の二遊間が、チームのピンチを救います! エース近藤(こんどう)、後輩の招いたピンチを、自ら拡げたピンチをバックの好守に助けられ、結果ゼロで切り抜けましたッ! 五回の攻防が終わり三対一、壬生のリードまま試合は後半戦へ入ります!』

 

 抜けていれば同点。しかし、もらった満塁のチャンスを活かせず無得点。

 

「な、なんて守備なの。それ以前に、セカンドで封殺されるなんて......」

「偶然ではない、しっかり気を配っていた」

 

 二死満塁のフルカウントでは、必要ないハズの一塁への牽制からのクイックモーションが、葛城(かつらぎ)のスタートを若干遅らせた。 加えて、奥居(おくい)が振りまけないことを想定し、二遊間を締めたポジショニング。

 

「そこまで計算尽くのプレー......」

「さすがは前大会の覇者、経験の差を見せつけてくれる。だが、支払った代償も大きい」

「代償?」

「いくつかあるが、一番は――アイツ」

 

 東亜(トーア)の視線の先には、身体を捻りながら素手でキャッチした井上(いのうえ)が、若干顔を歪めていた。

 

「まさか、どこか痛めたのかしら?」

「無理に伸びたからな。足は引きずっていない、脇か、指だろう。さて、ようやく――」

 

 ――風が吹いて来たぞ。



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Final game14 ~勝負~

 五回終了後のグラウンド整備が行われている最中、東亜(トーア)はナインたちを集めた。

 

「さて、千載一遇の満塁のチャンスを逃した訳だが――」

 

 若干気落ちしていたところへ追い打ちをかける言葉に、ナインたちは目の色を変えた。

 

「ほぅ、闘争心は失っていないようだな。フッ、それでいい。何せまだ、(ツキ)はこちらにある」

「俺たちに、ですか?」

「考えてみろ。あの流れのまま守備に付いていたら、それこそ取り返しのつかないことになっていた。休憩と準備不足のあおいでは正直、危なかった。な? ツイているだろ」

 

 そのあおいが、アンダーシャツを着替えてベンチ裏から戻ってきた。一斉に向けられた視線に首を傾げる。

 

「ん? なに?」

「気にするな、大した話しじゃない。話しを戻すが、結果的に向こうが、グラウンド整備で水が差されるカタチになったのは、こちらにとって好都合。そこで今度は、こちらから仕掛け、強引に流れを奪いに行く」

「守備から流れを奪いに......三者凡退に切れ、ですか?」

「クリーンナップ相手に、確実に打ち取れると断言出来るか?」

 

「出来る」と断言しない鳴海(なるみ)に、あおいは不機嫌そうに口を尖らせる。鳴海(なるみ)は、苦笑いで目を逸らした。

 

「そもそも、ただの三者凡退ではダメージを与えられないだろう」

「ダメージ?」

「精神的に来る強烈な一撃。しかし、その前にやらなければならないことがある。先頭バッターを、必ず打ち取ること。それが出来なければ、この試合勝ちの目は限りなく薄くなる。出し惜しみはするな、全部使って確実に()れ」

 

 鳴海(なるみ)とあおいは、真剣な顔で頷いた。

 そして、先頭バッター永倉(ながくら)を打ち取ったことを前提とした戦術をナインたちに伝える。内容を聞いたナインたちは、戸惑いの声を上げた。

 

「ま、マジですか......?」

「当たり前だろ。マトモに行くより勝算は遥かに高い」

「確かに、無謀な策に思えるけど、理論上九割近い確率で単打止まりに出来るわね。打順の巡りを考えれば、むしろ、ゼロで切り抜けられる可能性の方が高いかも......」

「ただし、この策にもひとつ欠点がある。すんなり打ち取れれば儲けものだが、仮に沖田(おきた)が出塁した場合、必ず二盗・三盗を仕掛けてくる」

 

 アンダースローのあおいよりもモーションの速い瑠菜(るな)が外しても、アウトを取れなかった。仮に大きくウエストしたとしても、三盗を刺すことは厳しい。

 

「インコースに外すにしても......」

「間違いなく振ってくる。四番は、障害物(ブラインド)になる右打者。手負いと言えど、バットを振るくらいはしてくる」

「ですよね。外角だと間に合わないし、内角の厳しいコースで空振りを奪いながら、三盗を刺すしかないか......」

「バッターの背中通すとかは? マンガであるじゃん」

 

 芽衣香(めいか)の提案に、鳴海(なるみ)は腕を組んでうなる。

 

「う~ん、一度バッターの後ろに回るから身体が死角になってボールを見失うかも。ガタイいいし」

「捕れなかったら、ワイルドピッチで即失点かぁ」

「本末転倒ね。そもそも外すことが見え見えだと、簡単に走って来ないことも考えられるわ。そうなれば、カウントを悪くして相手を助けるだけよ」

「まあ、出来ることを考えてみろ。常識に囚われるな、答えは、必ず見つかる。出口(いでぐち)にも、二宮(にのみや)にも出来ない、お前にしか出来ない方法を導き出せ」

「俺にしか出来ない方法......」

 

 整備員が下がり、審判団がグラウンドに出てきた。

 

「時間切れだ。とりあえず行ってこい」

「はい! みんな、行こう!」

 

 鳴海(なるみ)を先頭に勢いよく、グラウンドへ駆け出して行った。

 

新海(しんかい)。お前に、やってもらうことがある。重要な役割だ」

「はい!」

 

 指示を聞いた新海(しんかい)は、近衛(このえ)藤村(ふじむら)香月(こうづき)と一緒にブルペンへ向かった。

 

「今回の策が嵌まれば、七回表は下位打線。そこで一度、あおいさんを休ませる?」

「理想通り行けば、な。しかし、物事と言うものはそうそう思い描いた通りには進まない。保険を兼ねてだ」

「そう。何を置いても先ずは、先頭ね......!」

 

 イニング間の投球練習を終え、後半戦開始。

 恋恋バッテリーは、東亜(トーア)の指示通り出し惜しみすることなく、多少球数を使いながら、コースをつき、この回先頭の永倉(ながくら)を低めのマリンボールを引っかけさせ、ゴロアウトに打ち取った。

 

「今のが、例の変化球ですか?」

「ああ。ストレートと同じ軌道、同じ球速から手元で鋭く落ちた。相当厄介な球種だぞ」

「分かりました。頭に入れておきます」

 

 永倉(ながくら)と入れ替わりで、沖田(おきた)がバッターボックスへ向かう。足場を入念に整え、顔を上げる。すると――。

 

「あれ?」

 

『な、なんと! 恋恋高校の守備シフトが、大変貌を遂げましたーッ!』

 

 打席の沖田(おきた)、壬生ナイン、審判団、観客は驚きを隠せない。

 

『内野守備陣が奥居(おくい)を一人を残して全員外野へとポジショニングを変更! そして一人残った奥居(おくい)は黒土と天然芝の境目、本来セカンドの持ち場である一番深い位置に居ます! 一・三・遊は完全にガラ空きの状態。未だかつて、このような不可解なシフトは――いえ、ありました! 恋恋高校を指揮する渡久地(とくち)東亜(トーア)監督が、現役時代バガブーズ戦で披露した内野を締め出した超変則シフトのアレンジ!』

 

 恋恋高校が、沖田(おきた)に対して敷いたシフト。

 それは、奥居(おくい)一人を内野に残し、他の内野陣を全員外野へ回す超変則シフト。戸惑う球審は、鳴海(なるみ)に確認を取る。

 

「キミ、いいのかね?」

「はい。ルール上問題はありませんよね?」

「確かに、問題ないが......プレイ!」

 

 戸惑いながらも、コール。超変則シフトのまま試合再開。

 

「響めきが止まないわね」

「そりゃあそうだろう。前代未聞だろうからな」

 

 このシフトの利点は、通常三人で守る外野の穴を内野手が入ることでカバーが出切るという点。その反面、内野が一人しか存在しないため、前さえ飛ばすことが出来れば八割を越える確率でヒットになる。

 しかし、打球が前に飛んだ瞬間、打球の行方によって内野に残った奥居(おくい)は、セカンドもしくはファーストへ入る。守備範囲に飛べば、あおいがファーストのベースカバーに入り、沖田(おきた)を一塁でアウトにする。打球が外野へ上がった場合も柵越えをしない限り、すばやく奥居(おくい)へ返球が返り、セカンドへの進塁を阻止を狙う。

 更に、フライボールを狙う壬生の上位打線の特徴として打球が高く上がれば上がるほどフライアウトの確率が高い。通常のシフトであれば外野手の間を抜くような打球も、隙間を埋める形で内野手が守っているため間を抜くことは困難。ホームラン以外、九割に近い確率でシングルヒット止まりに出来る。

 ガラ空き状態の左へセーフティバントを狙った場合、処理は基本的にあおいと鳴海(なるみ)が担う。プッシュ気味のバントの場合はライン寄りの比較的浅い位置に居る葛城(かつらぎ)から中継に入った奥居(おくい)へ送られ、あおいがセカンドのベースカバーに入る。こちらも、二塁への進塁を十割に近い確率で阻止し、単打止まりにすることが可能。

 

「へぇ、面白いこと考えますね。でも、外野の頭を越せばいいんでしょ?」

「出来るものならやってみなよ。あおいちゃんを打てれば、だけどね......!」

 

『超変則シフトのまま試合再開です! いったい、どのような結末になるのかっ?』

 

 サインに頷いたあおいの初球――アウトコースのシンカー。

 

『ストライク! ガラ空き状態の左へおあつらえ向きのアウトコースでしたが、ここは一球見てきました。二球目は、カーブ! これまたアウトコース。しかし沖田(おきた)、ここも手を出しません! バッテリー、追い込みました!』

 

 ふぅ、と小さく息を吐く沖田(おきた)

 

「(やっぱりだ。予想通り、初対戦の投手相手には早打ちはしてこない。待ってるんだ。なら――一気に勝負に出る!)」

 

 サインを出し、内角高めにミットを構える。

 

「そう。それが正解。沖田(ヤツ)のバッティングの本質は、超反応型」

 

 相手投手最速のストレートに照準を合わせ、そこから変化球にも対応する。ズバ抜けたコンタクト能力を要求されるが、それを可能としているのが、ツイストと軸固定回転(ローテイショナル)の複合打法。

 

「大抵のバッテリーは、ストレートと変化球のコンビネーションで攻める。速いストレートを先に見せてしまうため、決め球の変化球を打ち砕かれる。受けるダメージは計り知れない」

「序盤から頼みの綱を失ったバッテリーは、後手後手になってしまう。慎重に攻めて、カウントを悪くした挙げ句の果ては――」

「自滅。歩かせれば後続が掃除し、中途半端に置きに行けば柵越えを喰らう。攻略法は、いかに恐れずして、緩い変化球をストライクゾーンへ放れるか」

 

 ポンっと軽く、近くに座る瑠菜(るな)の頭に手を乗せて讃える。

 

「お前が、逃げずに勝負へ行った結果得られた成果だ」

「はいっ!」

「さて、次で決まるぞ」

 

 東亜(トーア)たちは、グラウンドへ勝負の行方を見守る。

 

早川(はやかわ)、ノーワインドアップからの三球目――インハイのストレート!』

 

「(――真っ直ぐ)」

 

 初めて見るアンダースローの特殊なストレートにきっちりタイミングを合わせるも、目測よりも落ちて来ない軌道にやや捉え損ねた。

 

早川(はやかわ)の頭上を越えた打球は、センター寄りの右中間へ! センター矢部(やべ)が、果敢に飛び込むーッ!』

 

「やんすー!」

 

 猛ダッシュで突っこんで来た矢部(やべ)が、打球に向かってダイビングキャッチを試みるが、しかし――。

 

『――届かなーい! 矢部(やべ)のグラブの僅かに先で弾んだ! 後逸! これは長打に......いや、浪風(なみかぜ)が回り込んで、バックアップ! そして、素早く中継へ転送!』

 

奥居(おくい)!」

「あいよ!」

 

 一塁ベースを蹴った沖田(おきた)だったが、二塁へは行けず止まり。

 

『逸らした瞬間、完全に長打と思えましたが記録は、セカンドへの内野安打! しかし、三打数三安打猛打賞! ホームランが出れば、サイクルヒットになります!』

 

「くくく、ねぇーよ、明らかに仕留め損ねた。こちらにはまだ、切り札(マリンボール)が残っている」

「飛距離も落ちていたわね。矢部(やべ)くんのダイビングキャッチも、あと一歩だったし」

「とりあえず、底が見えたのは確かさ。順序を間違えなければ、ホームランはあり得ない。上手いこと布石も打った。さて、ここまでは想定内。本命は、次だ」

 

 バッターボックスへ向かおうした近藤(こんどう)を、土方(ひじかた)が呼び止める。

 

「無理はするな、とどめはオレが刺す。あんたを失えば、壬生(ウチ)の士気は落ちる」

「フッ、そうも言っていられんだろう」

 

 そう言って、打席へ向かった。恋恋高校の守備シフトは通常のゲッツーシフトに戻る。近藤(こんどう)が右打席に立ち、ファーストランナーの沖田(おきた)は、大胆にリードを取った。

 

「(当然、仕掛けてくるよな。先ずは、牽制)」

「(うん)」

 

 無駄なく牽制球を投げるも足から戻られ、セーフ。

 

「(リードは、小さくならないか。なら、セカンドはくれてやる。その代わり、ひとつストライクを貰う......!)」

 

 あおいは目で牽制しながら、グッと沈み込む。沖田(おきた)は、スタートを切った。ピッチングは、外角低めのストレート。際どいコースにバットを出さず、見逃しのストライク。鳴海(なるみ)はセカンドへ送球するも、沖田(おきた)の足が勝った。

 

『盗塁成功! 今日、二つ目の盗塁を決めました。そして、バッテリーを挑発するかのように、再び大きくリードを取ります! これは、サードも狙っているでしょう!』

 

「(今のタイミングなら、サードはギリギリ間に合わない。だけど、さすがに振ってくる。いくら手負いと言っても、内野ゴロで追加点が入る。試合も後半、ここでの失点は致命傷になる。ランナーを刺すしかない、だけど、どうすれば刺せる......?)」

 

 頭を悩ませながら、一球ウエストして様子を探る。

 

『警戒して大きく外しました、ワンエンドワン』

 

「(やっぱり、見え見えじゃ走ってこない。かと言って、逃げ続けてピンチを拡げたら意味がない。インコースで空振りを奪い、かつランナーを刺す方法。コーチが言っていた、俺にしか出来ない方法――)」

 

 プロの世界で正捕手を務める、出口(いでぐち)

 名門あかつき大附属の正捕手、二宮(にのみや)

 この二人と、鳴海(なるみ)との決定的な違い。

 

「(俺だけの武器......そうか、コレだ。だけど、リスクが高い。本当に出来るのか? 一歩間違えたら、取り返しがつかない――)」

「タイム! 鳴海(なるみ)くんっ」

 

 タイムを取ったあおいが、マウンドから手招き。急いでマウンドへ走った。

 

「どうしたの?」

「それは、ボクのセリフだよ。何を迷ってるの?」

「えっと......」

「あ、思いついたんだ。ランナーをサードで刺す方法」

「......うん、でも、リスクが高い」

「そっか。だけど、その方法しかないんでしょ? だったら、勝負しよっ! やらないで負けたら絶対後悔するよ!」

 

 迷いのない真っ直ぐな瞳に、鳴海(なるみ)は腹を括った。

 

「......だね、分かった」

「うんっ。それで、どんな方法なの?」

「それは――」

 

 話しを聞いたあおいは、真剣な顔で頷き。二人は、グラブを合わせた。そのやり取りに東亜(トーア)は、目を閉じて笑みを見せる。

 

「どうやら、辿り着いたようだな」

「例の、鳴海(なるみ)くんにしか出来ない方法?」

「ああ。コンバートを決めた理由で話したことがあっただろ」

「え? ああ......ええ、高速シンカーの話しね」

「そうだ。あの時の答え、次の一球で出る」

 

 セットポジションに付いたあおいは、ひとつ大きく息を吐いて、沖田(おきた)を目で牽制し、可能な限りクイックモーションで足を上げる。鳴海(なるみ)のミットが内角に構えていたのを見て、沖田(おきた)はスタートを切った。

 

『行ったーッ! スタートは完璧! 投球は、内角低めのストレート......いや、落ちた、マリンボールだーッ!』

 

「ストレートが、消えた......!?」

 

 近藤(こんどう)は空振り、そして、ボールはワンバウンド。

 

「くっ、サード!」

沖田(おきた)、滑ろ!」

「えっ?」

 

 滑り込んだところへ、送球を受けた葛城(かつらぎ)がタッチ。

 

『これは、際どいタイミングなったぞ! 塁審のジャッジは――』

 

「あ、アウトーッ!」

 

『アウト、アウトです! 三盗を見事に刺して見せましたーッ!』

 

 判定は聞いた沖田(おきた)は、小さくタメ息をついてベンチへ戻る。

 

「あの。土方(ひじかた)さん、なんで刺されたんですか?」

「......逆シングルだ」

「逆シングル? ワンバウンドした変化球を、逆シングルで捕球したんですか?」

「ああ、アレは捕手の動きじゃない。内野手の動きだ。オレに、同じことが出来るかどうか......」

「へぇ、凄い人ですね。あ、怒られるや。戻ります」

 

 沖田(おきた)はベンチへ戻り、土方(ひじかた)はツーアウトになったことで、足にレガースを付けて守備へ向けた準備も同時に進める。

 

「(普通なら上から被せるか、ミットを上を向けて捕球に専念する場面。一塁側から三塁側へ体重移動しながら逆シングルで捕球し、勢いを殺さずサードへ放った。いや、逆シングルの捕球にも驚かされたが、本当に驚くべきは、空振りを奪いながら三盗を刺すために、ここしかないというインコース膝下へワンバウンドになる変化球を躊躇なく投げ切った、あの投手の心臓――)」

 

 支度を終えた土方(ひじかた)は、顔を上げた。

 

「――なっ!?」

 

 そこには、信じられない光景が広がっていた。

 恋恋高校の外野手が全員、芝の切れ目付近まで前進した極端なシフトを敷いていた。

 

『なんと! 今度は、超前進守備! バガブーズ戦で、リカオンズが披露した“9人内野”ほどではないとはいえ、強打者近藤(こんどう)に対し極端な前進守備を敷きました! このシフトの意図は、いったい......』

 

「(まさか、見抜かれている?)」

「(近藤(こんどう)の故障を――!)」

 

 ほぼ同時に恋恋高校のベンチを見た、土方(ひじかた)松平(まつだいら)監督の視線の先には、東亜(トーア)が不敵に笑みを浮かべていた。

 

 ――さあ、見せて貰おうか。手負いの狼の皮の下、鬼が出るか、蛇が出るか。



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Final game15 ~本性~

お待たせしました。


 恋恋高校の敷いた外野陣の超前進守備に鳴り止まない響めきの中、バッターボックスの四番近藤(こんどう)は、冷静に受け止めていた。

 

「(外野は、インフィールドライン後方の超前進守備。しかし、センターから左側のレフト、ショート、サードは若干深めに守備位置を取っている。これは、見抜かれているな。左腕の状態が芳しくないことを――)」

 

 外角は、左腕を伸ばす必要があるが。内角に関しては、体を軸に回転運動で右腕だけで捌くことも可能。一打席目は、内角はボール球に強引に手を出し、犠牲フライを決め貴重な追加点をあげたが。代償は高かった。バッティング、ピッチング、奥居(おくい)の放った痛烈な打球を弾き、盗塁のアシストためのスイング。

 

「(三番の打球に弾かれてから、まったく使い物にならん。防具に頼りすぎたツケだな)」

 

 御陵戦で受けた、左腕上腕部肩付近のデッドボール。回避を怠ってしまったことを自虐的な表情(かお)で猛省しつつ、改めてシフトを確認。

 

「(おそらく、外野へ運べないと決めつけた上でのシフト。内角ならボール球を、外角は威力のあるストレートで仕留めに来るだろう)」

 

 出されたサインに頷いたあおい、バッテリー有利のカウントからの四球目。

 

『外角のカーブ。ここは、ボール球で誘って来ましたが。近藤(こんどう)、手を出しません! 見送って平行カウント!』

 

 タイムを要求し、打席を外す。

 

「(......勝負を急がず、カウントを整えてきた。圧倒的に優位な立場であろうとも微塵の油断もしていない。ならば――ん?)」

 

 戻ろうとした近藤(こんどう)の視界に、ネクストの土方(ひじかた)が入った。滑り止めスプレーを見せながら、来いと合図を送っていた。

 

「何だ?」

 

 受け取った滑り止めをグリップに吹きかけながら、用件を尋ねる。

 

「挑発に乗るな、大人しく見送れ。どうせ、ツーアウトだ。出たところで、大したチャンスにはならない」

「フッ、そうだな」

「本当に分かっているのか? あのシフト、腕の状態を見透かされているぞ」

「ああ、もちろんだとも。お前が、決めてくれるんだろう?」

 

 打席へ戻っていく背中を、土方(ひじかた)は険しい表情で見送る。

 

「お待たせしました」

「うむ。プレイ!」

 

『さあ、近藤(こんどう)が戻って、試合再開です。平行カウント、おそらくバッテリーは、勝負へ行くでしょう! 外野後方を守る選手は居ません。この勝負、どのような結末を迎えるのでしょーか!?』

 

「(勝負は、次の一球。今、恋恋(むこう)へ流れが行きかけている。ここは、すんなり終わるわけにはいかない。例え、決勝を欠場する結果になろうともだ)」

 

 痛みでバットを握ることすら困難な状態を打開すべく、左手の人差し指、中指、薬指の間に右手の小指と人差し指を繋ぐ形でバットを握り変え、次の一振りに全てを懸ける。

 

「(......握りを変えた、利かない左手を右手で強引に包んで補強(カバー)している。元々腕力はあるんだ。甘く入ると、インフィールドラインを越えられる可能性がある、けど、手負いを相手に弱気になれば流れが変わる恐れもある。ここは、強気に攻めるところだ)」

 

 頷いたあおいの五球目、内角高めのストレート。

 

「(インコース、ボール気味か? また際どいところを......!)」

 

 振り抜いた打球は、三塁側アルプス席中段へ飛び込むファウル。カウント変わらず、ツーエンドツー。

 

「(......故障の影響を感じさせないバッティング。要求通りに来たから良かったけど、もう少し甘く入っていたら持っていかれていたかも。これが去年、全国の頂点に立ったチームの四番の底力、精神力――)」

 

 想定外の打球に思わず息を呑んだ鳴海(なるみ)だったが、息を吐いて瞬時に切り替える。

 

「(だけど、今ので、もうインコースは無いと考えているハズだから、コレで......!)」

 

 六球目――。

 

『おっと、緩い変化球が高めに抜けました。見極めて、フルカウント! ンーンン、やや力んだか? 制球力の高い早川(はやかわ)にしては珍しい失投でした』

 

 今の一球で、土方(ひじかた)近藤(こんどう)の顔付きが変わる。

 

「(――違う。今のは、失投ではない。外したんだ。オレたちが、三番相手に実戦した配球(こと)を学習し、即座に実行へ移して来た。今の一球で、アウトコース勝負の根拠が薄まった。センターから左側のやや深めの守備位置も変わらない。このシフトは最初から、フルカウント勝負も視野に入れていたのか)」

「(故障を見抜かれた上で、細心の注意を払っている。やはり、手強い相手だ。これはなおのこと、簡単には終われん......)」

 

早川(はやかわ)、サインに頷きました! 壬生の主砲、四番近藤(こんどう)へ対してフルカウントからの勝負球は――外角低め!』

 

「(――アウトロー......やはり、最後は振りきれないと見て外角勝負に来た!)」

「(よし、振りに来た!)」

 

 ストレートと思わせ、外角低めいっぱいから、鋭く変化するマリンボール。しかし、上手く裏をかいたと思われたが、マリンボールはあり得ると想定していた近藤(こんどう)は、右膝を落として食らい付いて来る。

 

「(――付いてきた。でも、ワンバウンドになるマリンボールだ。三盗を刺した時みたいに、当てることすら難しいぞ!)」

 

 マリンボールの軌道に合わせて、ミットを上に向ける。だが、ボールの感触はなく、代わりに金属音が鳴り響いた。

 

近藤(こんどう)、打ったーッ! ワンバウンドになろうかというボールを上手く拾った!』

 

「打たれた!? ファースト!」

「くっ......!」

 

 ファースト甲斐(かい)は下がりながらジャンプ、思い切りグラブを伸ばすも――。

 

「フェア、フェア!」

 

『グラブの僅かに上、頭上を越えた! ラインの内側へ落ちた打球は、超前進守備で無人のファウルゾーンを転々と転がるーぅ!』

 

 全力疾走で打球を追いかけ、スライディングして止めた藤堂(とうどう)は素早く体勢を立て直し、中継の芽衣香(めいか)へ返球。

 

「セカンッ! 間に合う!」

奥居(おくい)っ!」

 

 芽衣香(めいか)から、奥居(おくい)へ送られ。近藤(こんどう)は、頭から飛び込んだ。

 

『セカンドクロスプレー! 判定は――』

 

 土煙が収まり、塁審が両手を拡げた。

 

『せ、セーフですッ! 気迫の走塁を見せた近藤(こんどう)、ツーアウトから再びチャンスを作りましたー!』

 

 両校のベンチ、両応援団共に、まったく正反対の反応を見せる。

 

「まさか、あんなワンバウンドになる寸前のボールを打ち返すなんて......」

「狙ったワケじゃねーよ。ミートポイントで、ヘッドが下がったんだ」

 

 通常のスイングであれば空振り、もしくは、バットの先で引っかけて前身守備の網に掛かっていた。しかし、腕の痛みで下がったバットの軌道が偶然、マリンボールの軌道の下へ入ってしまった結果による一打。

 

「なんて、不運な......」

「内角で同じことが起きていたら、スタンドまで持っていかれていた可能性は否定出来ない。外角勝負の選択自体は、間違っちゃいなかったさ。ただ、様々要因が重なって裏目に出ただけのこと。瑠菜(るな)、伝令だ」

「はい!」

 

 指示を受けた瑠菜(るな)が、マウンドへ走る。タイムに合わせてベンチへ戻った土方(ひじかた)は冷めた目で、監督へ進言。

 

「監督。近藤(こんどう)を下げてください、邪魔です。井上(いのうえ)の負傷も深刻です。腹を決めましょう」

「......そうだな。沖田(おきた)、臨時代走だ。山南(やまなみ)尾形(おがた)島田(しまだ)、準備を急げ、頭から行くぞ。土方(ひじかた)、全ての責任は私が取る」

「承知しました」

 

 頭を下げた土方(ひじかた)は、沖田(おきた)を先に行かせ、両足のレガースを外し、打席へ向けた準備を進める。そこへ、痛めた左腕を抱えながら戻って来た近藤(こんどう)への第一声は、呆れと諦めが入り混じった罵倒の言葉だった。

 

「バカが。大人しく見送れと言っただろうに」

「フッ、それでいいさ」

「まったく、融通の利かないヤツだな。ケリは、オレたちが付ける。大将らしく、どっしり腰を据えて睨みを利かせておけ」

「ああ、そうさせて貰おう」

 

近藤(こんどう)が、ベンチの奥へ下がります。左腕を抱えていますが、クロスプレーで痛めたか? 大事に至らなければいいのですが......。臨時代走として前の打者である沖田(おきた)が、セカンドランナーとして入ります』

 

「臨時代走......もしかして、今ので、悪化しちゃったのかな?」

「ヘッスラしたからね。仕方ないよ」

「何があったとしても自己責任よ。あおい、相手のことは気にしない」

「あ、うん」

 

 近藤(こんどう)の姿を追っていたあおいは、瑠菜(るな)に顔を戻した。

 

「ランナーは、絶対に走ってこない。素直に代走を使わなかったのは、プレッシャーをかけるためよ」

「刺されれば、四番が作ったチャンスが台無しになるからだね」

「ええ、そう。同じ理由で、空いている塁を埋めるのもダメ。引けば、引いた分攻め込まれるわ。必ず五番と勝負すること」

「了解。みんな、守備位置は定位置で」

「あいよ」

「おっけー」

「ああ」

「おうよ」

 

 頷いた内野陣は一言ずつあおいに声をかけ、ポジションへ散っていった。瑠菜(るな)は戻りながら、鳴海(なるみ)と言葉を交わす。

 

「いい? あなたが動揺してはダメよ、支えてあげて」

「......打たれること前提なんだね」

「抑えるに越したことはないけど。相手ベンチは今、悲愴感が漂うどころか。まるで弔い合戦のような雰囲気になっているわ」

「役目を果たして、華々しく散ったからか。むしろ、躍起になってる感じかな?」

「ええ。素直に終わるような相手じゃないわ。コーチから伝言、『五番には、マリンボールを使わないこと。例え、長打を打たれてようとも』だそうよ。それじゃ」

 

 瑠菜(るな)は球審にお辞儀をして礼を言い、ベンチへ戻って行った。鳴海(なるみ)も会釈をして、腰を降ろす。そこへ、土方(ひじかた)がやって来た。

 

「お待たせしました」

 

「(マリンボールは使うな、か......。相手の力量を測るためにカーブを縛った六番相手の時とは違う。今ので、見抜かれたかも知れないってことか。それに――)」

 

 打席で構える土方(ひじかた)を観察。

 眉をつり上げ、真っ直ぐ、あおいを睨みつけている。

 

「(......目つきが、纏ってる雰囲気がまるで違う。前の二打席は結果的に抑えたけど、一筋縄には行きそうにないぞ。様子見を込めて、これで)」

「(う、うん)」

 

 あおいもマウンドで、鳴海(なるみ)と同じ感想を抱いていた。初球は警戒して、内角高めのストレートをボールひとつ高めに外す。しかし、この見せ球を強引に引っぱたかれ、鋭い打球が、レフトポール際へ飛び込んだ。

 

『ファールッ! ポール際、僅かに切れて行きました。ワンストライク』

 

「(......構わずに振り抜いて来た、ストレートを狙っていたのか?)」

 

 じっくり観察してからサインを送る。二球目は、外角低めストライクからボールになるカーブ。今度は、ライト線を切れて行った。仕留め損ね、小さく舌打ちをし、バッターボックスへ戻った土方(ひじかた)を見て、東亜(トーア)は小さく息を漏らした。

 

「そうかい。お前だったのか」

「え? 何の話し?」

 

 首をかしげる、理香(りか)。隣に座る瑠菜(るな)も、東亜(トーア)の言葉に耳を傾けている。

 

「このチームは、土方(アイツ)のチームだったってことさ」

 

 三球目、初球と同じコースよりも外したストレート。

 

「そして、手負いの狼を仕留めた結果、本性を現したのは――」

 

 迷わずに振り抜かれた打球は、高々と舞い上がり、レフトスタンドの中段で弾んだ。

 

『入りましたーッ! 五番土方(ひじかた)、六回表勝利をグッと手繰り寄せる、貴重なツーランホームラン! 点差を四点と広げましたーッ!』

 

 スタンドから浴びせられる歓声に土方(ひじかた)は、舞い上がる様子など微塵も見せず、眉をつり上げたまま冷静にダイヤモンドを一周。ベンチへ戻っても表情は崩さず、すぐに守備の準備に取りかかった。

 

 ――鬼だった。それも、とびきりのな。

 



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Final game16 ~原点~

お待たせしました


「敵ながら、途轍もない飛距離だったわね。140メートルくらい飛んだんじゃないかしら?」

「追い風に乗った飛距離はともかく、バレルに近い角度の打球だったことは確かだろう。まあ、この一発は仕方がない。後への投資だ」

「マリンボールを使わせなかったのは、心を折らせないためよね?」

「三つある理由の中のひとつではある、と言っても、そもそも投げるカウントを作る前に打たれたけどな」

 

 追加点を許し劣勢であるにも関わらず、とても愉快気に笑う東亜(トーア)に、理香(りか)は呆れ顔でタメ息をついた。

 

「ハァ......。二つ目は、切り札のマリンボールを見せたくなかったとして。残りのひとつは?」

「半分足りねーよ。足りない部分は、鳴海(なるみ)がよく分かっている。事実、露呈しかけたからな。最後のひとつは、相手の出方を探るため。そんなことより、見ろよ」

「なに? あっ......」

 

 東亜(トーア)がアゴで差した先には、三年の山南(やまなみ)が、控え捕手とキャッチボールをして肩を作っていた。加えて、ライトのレギュラー島田(しまだ)と、控えの尾形(おがた)も、出場へ向けて準備を進めている。

 

沖田(おきた)くんは、キャッチボールをしていないわね。ここで、リリーフの山南(やまなみ)くんを起用......相手にとって四点差は、安全圏ではないという認識なのかしら?」

「おそらく。こちらは、四番から始まる打順。一度降りた沖田(おきた)は、再調整に時間が掛かる。ここは、しっかり締めておきたいんだろう。そしてこれで、ハッキリした。捨てた、決勝を」

「決勝を捨てた......つまり、この試合をものにするために全勢力を注いで来る」

「ああ。控えの内野も準備している、ショートも無理だな。主砲と守備の要の失い、腹を決めた。準優勝なら、とりあえず箔は付くし、今の戦力でも大敗はないと踏んだ。そして、そいつを進言したのが、土方(アイツ)

「それで、土方(ひじかた)くんのチーム......」

「そう言うこった。おーい、新海(しんかい)

 

 ちょうどブルペンから戻って来た、新海(しんかい)を呼ぶ。

 

「次の回、どちらかを使う。近衛(このえ)か、藤村(ふじむら)か、実際に受けた、お前の見立てはどうだ? 率直に言ってみろ」

近衛(このえ)先輩です。あのホームランを見た直後、球威が増しました。たぶん、本人も投げるつもりでいると思います」

「なるほど。調整は任せる」

「はい!」

 

 返事をした新海(しんかい)は、ベンチに座って水分補給をしている近衛(このえ)の元へ向かい、登板に向けて話し合う。

 

「下手に正捕手が来なかったのは、幸運だったな」

「ホント。あの子には助けられているわね」

「ブルペン捕手ってのは、ただ控えの球を受けるだけの存在じゃない」

 

 中学時代二番手捕手だった新海(しんかい)は練習時、主にエース以外の投球を受け続けて来た。当然それは、試合本番でも同様。実戦経験は少ない反面、正捕手以上に様々タイプの投手のボールを受けるため、その日の調子の良し悪しを判断する能力に長けている。特に、恋恋高校の投手陣とコンバートされた鳴海(なるみ)は試合経験が乏しいため、調整能力を持つ新海(しんかい)は、貴重で頼もしい存在だった。

 

「さて、ブルペンは専門家に任せるとして。問題は、あっち」

 

 東亜(トーア)たちが視線を戻した先では、鳴海(なるみ)と話しをしていたあおいが胸に手を添えて、大きく深呼吸し、まっすぐ前を向いた。

 ホームランを打たれた直後の、六番斎藤(さいとう)への初球、外角低めのストレートでファウル。ひとつストライクを奪う。二球目以降は、アウトコースのシンカーを見せ、インハイで体を起こし、大外から巻いて入ってくるカーブと、高低と外角の出し入れで攻めるも、最終的に四球で歩かせる結果に。しかし、続く七番松原(まつばら)には、三球勝負のマリンボールで空振りの三振に仕留めた。

 

『この回ホームランで二点を失ったものの、七番松原(まつばら)を打ち取り、三つ目のアウトを重ねました。六回裏恋恋高校の攻撃は、中軸四番からの打順。いよいよ試合も終盤戦、早いうちに一点でも返しておきたいところでしょう』

 

 落胆する様子もなく、走って戻って来るナインたちに理香(りか)は、安堵の表情(かお)を見せた。

 

「大丈夫そうね。斎藤(さいとう)くんには少し慎重だったけど、コントロールは乱れていなかったし、落ち着いている。みんなも、気落ちしていないわ」

「拠り所を失った訳ではないからな。それに、鳴海(なるみ)は気付いた。図らずも、詰めていたことに」

「詰む?」

「難しい話しじゃない、勝負の原点に立ち戻っただけのことさ。動いたぞ」

 

『おーっと、ここで、壬生ベンチが動きます。どうやら、選手の交代を告げたようです』

 

 壬生ベンチから出てきた尾形(おがた)が選手交代を告げ、ショートへ走る。島田(しまだ)は、ライトへ向かい。そしてマウンドでは、土方(ひじかた)山南(やまなみ)が話しをしている。

 

『主将近藤(こんどう)、やはり交代のようです。これは大きな痛手でしょう。更にショートの井上(いのうえ)に代わり、尾形(おがた)が四番ショート。ライトの(たに)に代わって、島田(しまだ)がライト八番に入ります。そして、九番ピッチャーには、山南(やまなみ)が告げられました!』

 

「結局、ショートもダメだったのね。だけど、打順の組み方が変じゃない? 長打力のある島田(しまだ)くんが、八番だなんて」

「後ろの穴を埋めたかったんだろうさ」

 

 本来であれば、近藤(こんどう)の後釜として四番へ据えたいところだが。守備型の尾形(おがた)には、バッティングは期待できない。山南(やまなみ)は、ピッチングに集中させたいため九番。それでは、下位打線が大きな穴になってしまう。そのため、上位陣と同等クラスの打力を持つ本職の島田(しまだ)を敢えて下位に置き、分散させる方を選んだ。

 

「見た目からして守備型、小技が得意そうなタイプだな。はるか」

「はい。春の甲子園大会では、代打で起用されて、アンドロメダ学園の大西(おおにし)さんから一球で送りバントを決めています」

「荒れ球の大西(おおにし)くんから一球で......。沖田(おきた)くんが出れば、確実に送ると決めての起用ね。はるかさん、山南(やまなみ)くんのデータをお願い」

「右のスリークォーターです。最速147キロのストレートと、多彩な変化球を操ります。平均球速は、140キロ前後。バッティングは長打は少ないですが、状況に応じたケースバッティングが得意なお方のようですね」

 

 はるかの話しを聞いた理香(りか)は、東亜(トーア)に意見を求めた。

 

近藤(こんどう)沖田(おきた)に劣るから、先発を外れたことは間違いない。多彩と言う割にも、三振の数は多くはないな。コレといった決め球がある訳ではなく、低めの制球力が生命線の典型的な打たせて取るタイプだな」

「確かに、どれも飛び抜けた数字はいないけど、全体的に平均値以上でまとまっている。良く言えば、万能型。悪く言えば、器用貧乏かしら?」

「そんなところだろう。しかしながら、この手のタイプは、捕手によって化けることがままある」

「元々器用で実力はあるから、多少無茶な要求にも応えてくれる訳ね」

「その通り。だが、ノーヒットに抑えられることない。少なくとも、残り二打席ずつは回る。充分ひっくり返せるさ」

 

 そう言うと、グラウンドから戻ってきたナインたちを自分の前に集めた。誰一人として下を向いている者はいない。

 

「さて、実際どんなピッチングをしてくるかは解らないが。おそらく、多少無茶なことをしてくる。しかし、過剰に反応することはない。今まで、お前たちが相手にしてきた個性的(けったい)な連中と比べれば、格は一段劣る。手も足も出ない相手ではない。この手の相手に一番重要なことは、次の打席へ繋がるモノを残して終わること」

「次の打席......内を狙うなら、敢えて外に手を出したり。ストレート狙いなら、変化球にも合わせる」

「そうだ。自分の得意とする土俵へ相手を引きずり込む、駆け引きの原点。出来るか? 出来なきゃ負ける」

 

 ――出来ます! と、声を揃え力強く返事。

 

「フッ、上等だ。甲斐(かい)、行けると踏んだら迷わず振り抜いて行け。まずそれが、反撃の第一手となる。ただし、五番の打球は追うな。届かないモノを追えば、築き上げて来たモノを崩すことになりかねない」

「......はい!」

 

 速やかに支度を整えた甲斐(かい)は、打席へ向かい。東亜(トーア)は、鳴海(なるみ)を隣に座らせる。

 

「なぜ、マリンボールを使わせなかったか分かっているな?」

「はい。五番は明らかに、マリンボールを待っていました。たぶん、確かめたかったんだと思います。念のため、六番にも使わなかったんですけど。狙っている感じは見受けられなかったので、七番には惜しみなく使いました」

「ふむ、独自の判断だな。仕方なく、ぶっ叩いたか」

 

 あの場面、土方(ひじかた)はマリンボールを誘っていたが、負傷退場した近藤(こんどう)が作ったチャンスを潰してしまうよりも、確実に追加点を上げるメリットの方が上と判断し、打てるストレートをスタンドへ叩き込んだ。表情を変えなかった理由は、結果的に追加点を奪ったが前打席に続き、マリンボールを見ることも打つことも出来ず、心をへし折り勝負を決める決定打とまでは行かなかったため。

 

「相手の攻撃は、残り三回。必ず対峙することになるが、マリンボールを見せず終いで済んだ分勝算はある。あおい」

 

 タオルで額の汗を拭っていた、あおいを呼んだ。

 

「はい、何ですか?」

「次の回、近衛(このえ)を使う。ライトへ回れ」

「え......ええーっ!? むむむ~っ」

「そうむくれるなよ、いったん充電だ。下手に粘られると面倒だからな」

「......分かりました、着替えてきますっ!」

 

 ふくれっ面でベンチ裏へ下がって行く、あおい。瑠菜(るな)が、フォローのために席を立った。

 

「行ってきます」

「任せる」

「じゃあ、俺は――」

「お前は、打席に集中しておけ。この回、最低一点は返しておきたい」

 

 ブルペンに居る近衛(このえ)のところへ向かおうとしたところを制され、座り直して試合を観る。話している間に試合は進み、追い込んでから四球目が投じられようとしていた。

 

「(――低い。この球速はストレートじゃない。ここからの変化球は、ボールだ......!)」

 

『ボールです! 外角へスッと逃げるチェンジアップを見極めました。これで、ツーエンドワン!』

 

「(チッ、眼が良いのもあるが。沖田(おきた)近藤(こんどう)の速球を見てきたせいか、ストライクは確実に振り抜き、際どいコースには手をださない。ならば、出させる)」

 

 五球目。ストレートが、仰け反るほど身体の近くを通過した。土方(ひじかた)は、何食わぬ顔でボールを投げ返す。

 

「(......失投じゃないな、明らかに狙ってきた。これか、コーチが言っていた無茶なことは――)」

 

 しかし、これだけでは終わらなかった。

 

『おっと、続けざまに厳しいところ! またしても身体の近くを、それも頭部付近を通過して行きました! 土方(ひじかた)は低めにミットを構えていましたが、コントロールミスでしょうか? 危険な投球が続いています。フルカウントになりました』

 

 そのまま打席を外した甲斐(かい)は、上がった心拍数と心を落ち着かせ、バッターボックスに戻って構え直した。

 

「(......相手のペースに乗せられてはいけない。自分の土俵へ持っていく)」

「(表面上は平静を保っているが、内面は簡単には切り替えられないだろう)」

 

 またしてもインハイのストレート。狙っていたとばかりに思い切り振り抜くも、一塁線を大きく切れてファウル。

 

「(あれだけ近いところを突かれてなお、躊躇なく振り抜いてきたか。やはり、心は折れていない。悔やまれるな、心を折るどころか、アレの性質を見極められなかった)」

 

 小さなタメ息をつき、改めて前を向いてサインを出し、外角へミットを構える。そして、フルカウントからの六球目。寸分の狂いもなく、構えたコースへ勝負球が来た。

 

「(――外から入ってくる変化球。また際どいコース、ヒットにするのは難しい)」

 

 手を出さずに、四球を狙う。弱気な考えが頭を過りかけたが、東亜(トーア)の言葉で思い止まった。

 

「(見逃して三振では、何も残らない。次へ繋げるために、ここは打ちに行く。例え、この打席を凡打で終えようも......!)」

 

『外角から入ってくるスライダーを、強引に引っ張った! 一・二塁間をゴロで破り、ライト前ヒット! 四番甲斐(かい)、ノーアウトからヒットで出塁! 反撃の狼煙となるか!?』

 

「ナイバッチ」

「ただの結果オーライだ。それより、行けるか?」

「クイックを見てみないと何とも言えねぇな」

「そうか。行けると判断したら、ゴーサインをくれ」

「オーライ」

 

 出塁した甲斐(かい)は防具を預け、ベースコーチに入っている真田(さなだ)と話し合い。土方(ひじかた)は、ネクストからバッターボックスへ歩いて来る矢部(やべ)に、鋭い視線を送る。

 

「(甲斐(かい)くんが粘ってくれたおかげで、いろいろ見せて貰えたでやんす。低めは、ぐにゃぐにゃ曲げて来るでやんす。オイラの役目は――)」

「(この打者は足はあるが、基本フリースインガー......)」

 

 早打ちの矢部(やべ)の傾向を基に初球は、ストライクからボールになる変化球から入った。バットの先に当て、ファウル。狙い通り手を出させることに成功し、二球目は高めのストレートで空振りを誘ったが、バットが止まりノースイング、ボールの判定。

 

「(ここまで小細工の動きはなし、強行の構え。点差を考えば、当然の選択か......)」

 

 ファーストランナーの甲斐(かい)を見てからサインを出し、内角高めにミットを構えた。頷いた山南(やまなみ)も、目で牽制し、クイックモーションで足を上げる。同時に、真田(さなだ)が声を上げた。

 

「ゴー!」

 

『仕掛けたーッ! 投球は、内角高め――』

 

「キターでやんすー!」

 

 カウント的に一度内角高めを見せて来る、と読んだ矢部(やべ)は、バットを寝かせた。しかし投じられたのは、そこからストライクゾーンへ小さく曲がるスライダー。

 

矢部(やべ)、バントで転がした! が――』

 

 狙いよりバットの下に入り、勢いのない打球が、土方(ひじかた)の目の前へ。

 

「セカンッ!」

「アウト!」

 

 素早い処理でセカンドへ送球、フォースアウト。

 

『セカンド封殺! ベースカバーに入った松原(まつばら)、スライディングを横っ跳びでかわし、ジャンピングスロー! 矢部(やべ)、ヘッドスライディング! 判断は――セーフッ! 間一髪、併殺は免れましたー!』

 

 上手く裏をかいたと思われた送りバントだったが、失敗に終わるもランナーが入れ替わった形で塁に残る。

 

「ブラッシュボールと見せかけて、肩口からのスライダー」

「フッ、引き出すまではいったが読まれたな。だが、本来であれば、二つ取りたかったハズ。ひとつ取り損ねた、まだ五分だ」

 

 はるかを通じ、ネクストバッターの鳴海(なるみ)矢部(やべ)へサインを送る。二人は「了解」とヘルメットに軽く触れた。

 

『さあ、ファーストランナーが入れ替わってプレイ再開。バッターは、六番鳴海(なるみ)。その初球――あーっと走った! 盗塁!』

 

「セーフ!」

「チッ......」

 

 送りバント失敗からの初球スチール。球種ストレートだったが、インサイドを要求したことと左打者だったため送球がワンテンポ遅れた。タイミングは際どかったが、上手くタッチを掻い潜り、矢部(やべ)はセカンドを陥れる。一死二塁と結果的に送った形になった。

 

「(ふむ、初球スチールとは。バント失敗で慎重になるどころか、むしろ半ば強引に流れを奪い返しに来た。やはり、気を抜けぬ相手だ。土方(ひじかた))」

 

 カウント次第で敬遠も視野に入れろ、と松平(まつだいら)は指示を送る。頷いた土方(ひじかた)は腰を降ろし、改めて鳴海(なるみ)を観察。

 

「さーて、問題はここから」

「得点を、最悪でも塁に出ないと、藤堂(とうどう)くんは歩かされるわよね」

「だろうな」

「どうするの? 芽衣香(めいか)さんに、代打を送る?」

「送ったところで満塁策で、あおいだ」

「......決めるしかないわね」

「クックック、そう眉間にしわを寄せるなよ。一・三塁なら迷うだろ?」

 

 意味あり気に笑う東亜(トーア)に、理香(りか)はますます眉をひそめた。

 

「(済んでしまった盗塁(こと)は仕方ない。問題は、このバッターが、際どい膝下のインコースにも関わらず、避ける動作もせずに、全く動じなかったこと。見切られたのか......?)」

「(もし、そう考えているのなら、確かめに来るハズ......問題は、いつ、どこで確かめに来るか。もし俺なら、迂闊に同じコースを要求はしない。最悪を考え、目先を変える目的も踏まえて、一球外角低めへ変化球を外してから。だとしたら――)」

 

 鳴海(なるみ)土方(ひじかた)、二人の考えは、完全に一致した。選択したのは、内角高めボール球のストレート。ミスショットしない様に、長打を狙わずミートに徹した。

 

『センター返し! ピッチャーの頭上を抜けたーッ! セカンドランナー矢部(やべ)、三塁を回って――』

 

「ストップ!」

 

『いや、サードコーチの奥居(おくい)が止めた! そして、センター沖田(おきた)から、ノーバウンドでストライク送球が返って来たー! ここは、奥居(おくい)のナイスな判断でした。しかし、一死三塁一塁とチャンスは広がり、バッターボックスには今日、タイムリーヒットを打っている藤堂(とうどう)を迎えます!』

 

 狙い通りの展開なり、東亜(トーア)は、まるで問いかけるような視線を土方(ひじかた)へ送った。

 

 ――さあ、どうするよ。割り切れるか? 今の、お前は。 



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Final game17 ~姿勢~

「キタッス! 絶好のチャンス到来ッス!」

 

 恋恋高校応援団の中で一際大声で声援を送る、聖ジャスミン学園のほむら。彼女と一緒に観戦している太刀川(たちかわ)小鷹(こだか)は、真剣な顔で戦況を見守っていた。

 

「今回は、貰ったチャンスじゃないからモノにしたいね」

「ええ。でも、まともに勝負してくるかしら?」

「ネクストが、芽衣香(めいか)だからねー。あっ、九番が出てきたよ!」

 

 ネクストバッターズサークルには、芽衣香(めいか)ではなく、近衛(このえ)がバットを持って準備していた。その芽衣香(めいか)はというと、ベンチの奥の方に座ってはいるが、タイムを取ってマウンドに集まっている壬生内野陣から目を離してはいない。

 

「う~ん、雰囲気的に、満塁になったら代打。ツーアウトなら、そのままって行くって感じかな?」

「おそらくね。あおいを代える選択肢はないわ。あの子が降りた時点で、試合は終わりよ」

「だよね」

「ヒロぴーも、ぶちょーも、お喋りしてる場合じゃないッスよ! ちーちゃんを見習って、一緒に大声で声援を送るッス!」

「わ、私は、別に大声は出していないぞ!」

「応援グッズのタオルを振り回しながら言っても、まったく説得力ないッス」

「う、うるさいっ!」

「ハァ、落ち着いて見られないわ。それに、暑いし。やっぱり、テレビで見ればよかった」

「あははっ、とりあえず、あたしたちも応援しよっか」

 

 騒がしいスタンドのことなどまったく目にもくれずに、輪の中心に居る土方(ひじかた)は、内野陣に指示を与えている。その姿を見つめている理香(りか)は、壬生のベンチへ視線を移した。

 

「タイムを取ったけど。向こうのベンチは、伝令を出さないのね」

「必要ないんだろう。お前は、この状況をどう乗り切る? 勝負か、満塁策か」

「......そうね。点差と打順の巡りを考慮して中間守備を、思い切って、ゲッツーシフトを敷くのもありかも」

「サードランナーの矢部(やべ)の生還は仕方ないと割り切り、バッター勝負に行くと」

「ええ。欲張って満塁策を選んだ結果大量失点、なんてことになったら目も当てられないわ。いざとなれば、沖田(おきた)くんを再登板させればいい。次回以降なら、ブルペンで調整出来るわ。そのためにも、リードは一点でも多く保つこと」

「ふーん」

「間違い?」

 

 グラウンドの動きを注視しながら、澄まし顔で答える。

 

「正解か不正解かは所詮結果論さ」

 

 マウンドに集まっていた内野陣が散り、ポジションに戻った土方(ひじかた)は腰を降ろして、外角へミットを構えた。

 

「割り切ったな。勝負する気はさらさらない」

藤堂(とうどう)くんは歩かせて、満塁策を選んだ。でも、申告敬遠はしないのね。決勝(うしろ)を気にする必要がないから......それとも、四球外す中でスクイズを仕掛けてくれば、ひとつアウトを取れる算段かしら?」

「さあな。まあ俺なら、迷わず申告敬遠して勝敗をより明確にする。その方が、バッターも勝ち負けを意識するからな。芽衣香(めいか)、準備しておけ。チャンスで、お前に回るぞ」

「――はい!」

 

 力強く返事をした芽衣香(めいか)は、バッティンググローブと肘当て、すね当てを付けて打席に備える。試合は、藤堂(とうどう)へ初球が投じられたところ。

 

『バッテリー、一球大きくウエスト! スクイズ警戒です』

 

 二球目も、大きくウエスト。ボールが、二つ先行。ここで東亜(トーア)は、近衛(このえ)を呼び戻し、芽衣香(めいか)がネクストへ向かう。しかし、土方(ひじかた)は構わず三度、外角へミットを構えた。

 

「やっぱり、スクイズ警戒と見せかけての敬遠。けど、どこまでも冷静ね。近衛(このえ)くんが下がったのに、まったくブレなんて。少しくらい迷いが生じてもおかしくないのに」

「どうだろうな。土方(アイツ)の一貫した姿勢の裏には、何か特別な理由が存在する気がしてならない」

 

 理香(りか)と、ベンチ裏から戻ってきた瑠菜(るな)を含めた、東亜(トーア)の声が聞こえる位置に座る数名の視線が集中する。

 

「何かって?」

「今、申告敬遠を行わないこと。そしてなぜ、ウエストでの敬遠に拘るのか。その理由だ」

 

 三球目もウエストされ、四球目に入ろうかという場面。壬生ベンチからも、申告敬遠を行うような動きはない。

 

近衛(このえ)くんを下げたなら、芽衣香(めいか)との勝負に専念すればいい訳ですし」

「確かにそうね。暴投のリスクを考えれば、申告敬遠して然るべき場面。少なくとも、普通の敬遠で問題ないハズ......」

「何かある。上澄みの底に潜む、重要な理由(モノ)が――」

 

 それを探るべく東亜(トーア)は、はるかを通じず自らサインを送った。鳴海(なるみ)矢部(やべ)藤堂(とうどう)の三人は、ヘルメットに触れて返事を返す。

 

『さあ、ボールスリーからの四球目――仕掛けたーッ!』

 

 鳴海(なるみ)はスタートを切り、藤堂(とうどう)はバットを横に寝かせた。投球は、ウエスト。バットに当たらず、空振りのストライク。土方(ひじかた)はセカンドには目もくれず、サードランナーの矢部(やべ)を目で牽制するにとどまった。鳴海(なるみ)の盗塁は決まり、三塁二塁に状況が変わった。

 

「さて、どう出るよ? 貫くか、動くか」

 

 扇の要、土方(ひじかた)の選択は――。

 

『ウエスト! 恋恋ベンチは、動きませんでした! 結局、フォアボール。全ての塁が埋まります!』

 

 この結果に東亜(トーア)は、芽衣香(めいか)を呼び戻す。

 

「内野ゴロを狙いに、必ずインコース攻めをしてくる。外角は全て、バットが届かないところだ」

「......分かってます!」

「それでもまだ、金属を使うつもりはないのか? 勝利よりも、己の意地を優先させるのか?」

 

 木製バットをギュッと握り、まっすぐ東亜(トーア)を見つめ返して、顔を逸らさない。

 

「フッ、それでいいさ。迷うより全然良い。ただし、信念を貫くのなら決して迷うな。どんなことが起きようともだ。いいな?」

「はいっ!」

 

 改めて打席へ向かう芽衣香(めいか)を待ち受けていたのは、予想だにしなかったことだった。

 

『な、なんと! 壬生高校、ここで超前進守備を敷いてきました! 外野を守る選手は誰も居ません! これは、恋恋高校が敷いた“9人内野”とほぼ同じシフトです!』

 

 ファーストとサードはラインを詰めた守備位置を取り、それにより出来た隙間を埋めるようにして、外野手三人がインフィールドライン上に列なっている。外野へ打たせないことを前提の守備陣形。

 

「(あたしの腕力じゃ内角を捌くのは難しい。出来ることは、スクイズ......は、間違いなく警戒されてる。ベースより前に居るし。なら、真っ向勝負しかないじゃん......!)」

 

『超前進守備対浪風(なみかぜ)芽衣香(めいか)! 表の攻撃は近藤(こんどう)が、貴重な追加点に繋がるヒットを放ちました。内野の頭を越せば、大量得点のチャンス! 同時に内野ゴロを打てば併殺打の可能性大! この勝負、果たしてどちらへ転ぶのか!?』

 

 芽衣香(めいか)への初球、窮屈なコースのストレートに中途半端に手を出し、空振りのストライク。二球目も、インコースのストレート。今度はきっちり振りに行くも芯を外し、サード方向へのボテボテのファウル。二球で追い込まれてしまった。

 

「(うっ......簡単に追い込まれちゃった。外角なら踏み込んで、先っぽで合わせて内野の頭を越す打球を打てるかもだけど......)」

 

 三球目は、その外角。明らかにそれと分かるボール球のスライダーでカウントを整えに来た。芽衣香(めいか)はタイムを取り、打席を外して目を閉じる。

 

「(思い切り外された、都合のいいコースになんて投げて来ないわよね。勝負球は、インコース。このボールを打たない限り反撃ムードは消える。いっそのこと、金属バットに......ダメ、持ったことないから感覚が狂う。それで失敗したら、絶対に後悔する! コーチも、貫けって言ってた。次の一球が、あたしにとっても、相手にとっても勝負球――)」

 

 芽衣香(めいか)に悟られぬよう、はるかを通じて、全ランナーにサインが送られた。内容は、「スタートを切れ」。そして、芽衣香(めいか)が打席へ戻り、試合再開。土方(ひじかた)は、戻ってきた彼女を観察。

 

「(理想的なカウントは作れたが、目は死んではいない。ここは、念には念を入れる。間違えるなよ?)」

 

 出されたサインに険しい表情で頷いた山南(やまなみ)は、ひとつ息を吐いて、セットポジションに付く。足を上げて、四球目――インコースのストレート。全ランナーが同時にスタートを切った。

 

「(――甘い! それに走った。スクイズ......いや、エンドラン!)」

「(インハイ! あたしが勝つには、コレを打つしかないっ!)」

 

 軸の右足を引き、ボールを芯で捉えると引いた軸足を再度踏み込んで逆方向へ強引に押っ付けた。練習試合で冴木(さえき)が見せた、インコースの流し打ち。足りない反発力を手首の返しと右腕の押し込みで補い、ぶっつけ本番で再現して見せた。

 

「いっけーっ!」

斎藤(さいとう)!」

「くっ......!」

 

浪風(なみかぜ)の打球は、突っこんで来た斎藤(さいとう)の横をカウンターで破って行ったーッ! 全ランナーは、スタートを切っています! 矢部(やべ)、楽々と生還! セカンドランナーの鳴海(なるみ)も、サードベースを蹴る! 一・二塁間の間にポジションを取っていたライトの島田(しまだ)が、無人の外野へ抜けようかという打球に下がりながら追いついたが、体勢が悪い......! 間に合うか!?』

 

「ひとつでいい!」

 

 土方(ひじかた)の指示で、バックホームを諦め、ファーストへ送球。しかし、慣れない内野手の動きからの送球で、やや内側へ逸れた。ベースカバーに入った山南(やまなみ)は、ベースを離れてキャッチ。走ってきた芽衣香(めいか)の身体へタッチに行く、グラブの先が、ユニフォームを僅かに掠めた。

 

『ファーストは、アウト! しかし、取られたあと、すぐさま二点を奪い返しました! 壬生も狙い通りの内野ゴロを打たせましたが、ここは恋恋高校に軍配が上がりました! なおも、ツーアウトながらランナー二塁!』

 

 戻ってきた芽衣香(めいか)を、ナインたち盛大に出迎えるも、彼女は浮かない表情(かお)をしていた。

 

「ナイス! 芽衣香(めいか)ちゃん!」

「どこがよ、すんごい悔しい......」

 

 もしランナーが走って居なければ、ホームゲッツー、セカンドゲッツーもあり得たことも含め、とても悔しがっていた。

 

「欲張りね。二つも打点を上げたのに」

「フッ、打ち取られて満足しているよりずっといいさ。それに、うっすらと浮かび上がって来た」

 

 ――アイツが、懸念に感じていることがな。

 

 二度目のタイムを取った壬生ナインが戻り、あおいがバッターボックスに入る。ツーアウトということで、守備は通常の定位置に戻った。あおいへの初球は、外角のストレート。厳しいコースで、ストライクを奪った。二球目、意表を突いてセーフティバントを試みるも、ファウル。三球目は、食らい付いてカットした。

 

「(セーフティに、カット打ち。ただで死ぬ気はないか。一球インを見せて、外に落として終いだ――)」

 

「ここだな」と、東亜(トーア)は、あおいに指示を出した。四球目、山南(やまなみ)が投球モーションに入った瞬間、ベースに覆い被さるように身を乗り出して、バントの構えを取る。

 

『あっと! 土方(ひじかた)、ショートバウンドを抑えた! しかし、セカンドランナー藤堂(とうどう)、この一瞬の隙を突いてサードを奪いました、盗塁成功! ツーアウト三塁!』

 

 サードへ進むも結局、あおいは三振に打ち取られ、長い攻撃を終えた。

 

「そう言えば、誰と交代するの?」

「ん? 決まってるだろ」

 

 そう答えると東亜(トーア)は、ベンチへ戻って来た藤堂(とうどう)に声をかける。

 

「お疲れさん」

「......はい」

 

 交代を告げられた藤堂(とうどう)は、まるで倒れ込むようにベンチに座り込み、天井を見上げて、ゆっくり深く息を吐いた。

 

「限界、だったのね......」

「肉体的にも、精神的にもな。そりゃそうだろ。打って、走って、守って、旧友相手に普段以上に集中力を研ぎ澄ませていたんだからな。近衛(このえ)、捻じ伏せて来い」

「うっす! よっしゃ、行くか!」

「オッケー」

 

 鳴海(なるみ)とグラブを合わせ、近衛(このえ)はマウンドへ走っていく。その後ろ姿を見つめながら、藤堂(とうどう)は唇を噛みしめた。

 

「......スゲー悔しい」

芽衣香(めいか)先輩も、同じこと言ってた。俺も、悔しい」

 

 スポーツドリンクを渡した片倉(かたくら)も、イニング間の練習を行うナインたちを見て、決意を固める。

 

「決勝は、絶対に投げる......!」

「俺もだ。最後まで、グラウンドに立ってる」

「わたしたちも負けてられないよね」

「うんっ」

 

 一年生たちの姿勢を、想いを聞いた理香(りか)は、どこか安心したように優しく微笑み、瑠菜(るな)は頷いた。

 

「頼もしいわね」

「はい」

 

 そして、七回表の守備。

 あおいに代わってマウンドに立った近衛(このえ)は、ランナーをひとり許したものの、無失点で切り抜けた。

 いよいよ試合は大詰め、終盤戦、最終局面を迎える。



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Final game18 ~行方~

お待たせしました。


 壬生の監督松平(まつだいら)は、七回表の攻撃の最中、裏の守備の準備を済ませた土方(ひじかた)に、山南(やまなみ)の調子を尋ねる。

 

「投げる予定がなかったため若干調整不足の影響はありましたが、投げているボール自体は悪くはありません。ただ、アイツは――」

 

 近藤(こんどう)と話し合っている、山南(やまなみ)へ視線を向けて答える。

 

「優しすぎます。間違いなく長所ですが、こと勝負においては致命的な短所です」

 

 面倒見が良く人望が厚い反面、非情に徹しなれない面がある。デッドボールを受けた近藤(こんどう)のアクシデントを目の当たりにしたことで、内角をえぐるストレートを要求された際、顕在的に制球を乱した。そしてそれは、下位打線へ向かうほど際立って現れた。

 七回裏は、一番真田(さなだ)からの打席。申告敬遠を避けた最大理由は、精神面の見極め。直々の後輩に当たる藤堂(とうどう)を相手に、敬遠球を投げきれるか否かを試した。投げきれはしたが、代わりに芽衣香(めいか)には見せ球が甘く入り、あおいが行った揺さぶりに対するには動揺から若干の脆さが露呈してしまった。それでも最後は、膝下へ構えたコースへベストピッチが決まった。

 

「持ち直しは充分可能と思われます。ですが。ここからは、一点を争う勝負になります。相手は、一番からの好打順。沖田(おきた)には、火消しの経験がありません。使うのなら、回の頭からです」

「最大の懸念は、同一試合再登板の経験不足とスタミナか」

 

 中軸・下位を相手に失点こそ許しはしたが、打ち込まれた訳ではなく、ある程度の目処が立つ山南(やまなみ)の続投か。経験の乏しさに目をつむり、本調子とまではいかないまでも高い実力を持つ沖田(おきた)を再登板させるか。この悩ましい選択の後押しをしたのは、やはり、土方(ひじかた)

 

「本来のパフォーマンスの七割程度でしょう。足りない三割は、自分が補います」

「分かった。しかし、山南(やまなみ)は下げられん。連投になる相馬(そうま)は、肩の張りの影響でボールがあまり来ていない。今は、市村(いちむら)に肩を作らせてはいるが......」

「甘い相手ではありません。経験不足につけ込まれ終いです。胸元をえぐられようとも、躊躇なく踏み込み、自身のバッティングをして来る相手です」

「うむ、八番の女子選手も、腰を引くような素振りは見せなかった。経験があるのかも知れんな、ブラッシュボールを多投する相手との対戦の。山南(やまなみ)沖田(おきた)

 

 攻撃が終わり、選手交代を告げる間に二人を交え、四人で今後の起用についての話し合いを行い、七回裏の守備に付く。山南(やまなみ)はセンターに回り、リリーフでの再登板に備え。マウンドには再び、沖田(おきた)が上がった。

 

「やっぱり、沖田(おきた)くんを上げて来たわ」

「威嚇は効果がないと悟ったんだろう。単純に能力が高い方を上げてきたに過ぎない」

「まさか、予選での経験が活きるなんて思いもよらなかったわね。幸か不幸かは分からないけど......」

「少なくとも、例のストレートが来ることはほぼ皆無に等しい。ブルペンでも、投球練習でも、変化球を多めに試しているからな」

 

 東亜(トーア)は、沖田(おきた)の投球練習を観察している真田(さなだ)葛城(かつらぎ)を呼び寄せた。

 

「ストレート一辺倒の組み立てはない。もはや平凡な投手に成り下がった、超高校のな」

「それ、表現としてどうなの? 超高校級なのに平凡って」

 

 理香(りか)の突っ込みに、二人も苦笑い。

 

「何言ってんだ。実際打ち崩して来たじゃねーか。超高校級どころか、プロ入り即戦力を期待される猪狩(いかり)山口(やまぐち)木場(きば)と言った連中をな」

 

 二人を含め、ナイン全員の顔付きが変わる。

 

「例え、どんなモデルチェンジをして来ようが、降板前のベストピッチを越えることはない。やるべきことを、すべきことをやって来い。結果は、後から付いてくる」

 

 ナインたちは声を揃えて、力強く返事をした。

 

『センターからマウンドへ戻った沖田(おきた)の、投球練習が終わりました。打席には今日、沖田(おきた)から一本ヒットを放っている恋恋高校のリードオフマン、真田(さなだ)!』

 

 再登板の初球は、外角へ外れた。二球目も外れ、ボール先行の立ち上がり。

 

「ふぅ......」

「(球威は衰えてはいないが、リリースが微妙に定まらない感じか。相手は上位打線、同点までは仕方がない)」

 

 結局3-1から、フォアボールを選んで出塁。

 

「今、最初からボールゾーンに構えていたわ」

「制球力を掴むことを優先させて来たな」

「だけどやっぱり、再登板って難しいのね。降板前は、あれだけ圧倒的なピッチングをしていたのに」

「よーく走り回ったからな。下半身にキテいるハズだ」

 

 もし仮にリードが四点以上あれば、あおい、真田(さなだ)の連打の後も続投して様子を見ていた。グラウンド整備間の休憩を挟み、立ち直るきっかけを掴んでいた可能性は否定出来ない。

 

「五番のホームランもなかったのかも知れねーけどな」

「ハァ、相変わらず人事みたいな言い方ね」

「事実、勝負しているのはアイツたちだろ」

 

 大声で声援を送るナインたちへ目を向ける。

 

「代わりに投げてやることも、打ってやることも出来やしない。どこまで行こうとも脇役なのさ、指導者ってのは」

 

 そう言うと、グラウンドへ視線を戻した。

 

「俺は、長年低迷していたリカオンズを優勝させるにあたって、チームワークの意味を問いかけたことがある。連中は、こう答えた。チームのために一人一人が力を合わせる全員野球だとな」

「それが? 別に、間違ってはいないでしょ? 一人一人が勝利のために全身全霊を尽くす、当たり前のことでしょ」

「正しくその通り。だが、実際は違った。あの頃のリカオンズの連中は、負けの原因を他の誰かの責任にしていた。勝負というモノと本当の意味で向き合っていなかった。今の、アイツらと違って」

 

 一塁走者の真田(さなだ)は、大胆なリードを取って、いつでも走ってやるという雰囲気を滲ませ。バッターの葛城(かつらぎ)は、最初からバントの構えで揺さぶりをかけている。

 

「プロには、次がある。極端な話し、チーム順位など関係なく、年間トータルで数字を残せばいい。個人タイトルを獲れば、年俸は上がる。仮に、最下位であろうともだ」

 

 プロである以上、個人成績は最重要。チームが優勝しても数字が悪ければ、容赦なく切り捨てられる無情の世界。

 

「しかし皮肉なことに、前オーナーは金の亡者だったためチーム順位を理由に挙げ、年俸アップを渋った。結果を残しても年俸は上がらない、当然、選手のモチベーションは下がる。更に補強に金を使わないし、FAの引き止めもしない、チームは低迷の一途を辿った。負の連鎖、悪循環。内部から腐り切っていた。リカオンズを買収したあと、先ず手始めにメスを入れたのは――選手の意識改革。お前が言った、勝利のために全身全霊を尽くすってことさ。当たり前のこと過ぎて笑えるだろ?」

「......笑えないわよ、話しのスケールが大きすぎて理解が追いつかないわ......」

 

 眉をひそめる理香(りか)に、東亜(トーア)は愉快気に笑う。

 

「くくく、問題は山積みだったって話しさ。勝負を決める“英雄”になることよりも、敗北の責任を責め立てられる“戦犯”にならないことに意識が向いていた。成功よりも失敗の方が遥かに多い世界で。にもかかわらず、分かったように饒舌にチームワークを語りながらも実際は、勝利のために本気で行動している選手は居なかった。まけにまけて、児島(こじま)出口(いでぐち)くらいか」

 

 葛城(かつらぎ)への初球、盗塁を警戒してウエスト。バットを引き、左から右へと内野の動きを観察し、真田(さなだ)へサインを送って、バットを寝かせて構える。

 

「ん? 今のサイン、ランエンドヒットよね?」

「ああ。仕掛けるつもりだ」

 

 二球目、若干甘いコースながらも大きな緩いカーブで見逃しのストライクを奪い、平行カウントへ戻した。そして三球目、ここで真田(さなだ)はスタートを切った。

 

『走った! しかし、珍しくスタートがあまりよろしくありません! 投球は、内角高めのストレート。バッター葛城(かつらぎ)、バットを引いて振りに行った! これは、バスターエンドランだ!』

 

 叩きつけた打球は、三遊間へ転がる。スタートも遅れ、最悪のダブルプレーコースと思われたが、セカンドベースカバーにショートが向かっていたことで上手いこと守備の逆をついた。

 

『三遊間のど真ん中! ショート尾形(おがた)、逆シングルで捕球! 足場を整え、素早くファーストへ送球! おっと、真田(さなだ)、送球の間にサードへ向かった!』

 

 ファーストからサードへ送られるもタッチは間に合わず、アウトはファーストでのひとつだけ。一死三塁とチャンスは広がった。

 

「ウエストの直後、ショートがベースカバーへ動いていたのを見逃さなかった。カウント的にも、エンドランを警戒してくる場面だが」

土方(ひじかた)くんなら、セカンドへ打たせて併殺を狙いそうだけど。あえてインハイを突いたのは、空振りでも盗塁を刺す自信があったからかしら?」

「おそらく。加えてインハイのボール球は、バント失敗を誘い易い。上手いこといけば、ふたつ殺せる」

 

 真田(さなだ)のスタートが遅れたのは、ショートにサードへは行かないと思わせるためのフェイク。ミットを構えた位置を見て、最初から、サードを奪うことを前提としたランエンドヒット。

 ベンチへ帰ってきた葛城(かつらぎ)は、この試合最後のなるかも知れない打席で出塁することが出来なかったことを悔やみながらも、奥居(おくい)へ声援を送る。

 

「チャンスを広げて死んだ。勝負において不可欠な心構え。アウトになろうとも、ただでは死なない。同じことを本格的に実践出来るようになったのは、シーズン中盤戦くらいからだったか。それも、目の前に大金(ニンジン)をぶら下げてようやく、な」

「さっきから、どうしたの?」

「フッ、さあな。単なる気まぐれだ」

 

 このピンチに土方(ひじかた)は、マウンドへ向かった。

 

「上体が立って、体重が乗り切っていない。下半身にキテるだろ? 無理に踏ん張らなくていい。踏み出しの歩幅を、半歩から一歩縮めて投げてみろ。リリースが安定するハズだ。それと、ベストピッチには拘らなくていい。気にすれば、心身共に削る」

「はい、分かりました。了解です」

 

 土方(ひじかた)は戻り、沖田(おきた)は足場を軽く掘り直し、セットポジションに戻った。バッターボックスで構える奥居(おくい)への初球は、外角のストレート。若干外れてボールの判定も、奥居(おくい)の目つきが変わる。二球目もストレート、三塁線へのファウル。

 

「(くそ、ちょい詰まった。球威も、制球も、少し戻って来たか? だとしたら早めにケリをつけないとヤバいぞ......)」

 

 三球目、緩いカーブを見せ、目先を変えて。

 打者有利のバッティングカウントからの四球目。

 

「(――甘い!?)」

「貰った! って――」

 

 構えよりも内側に入ったと思われたボールは、手元で若干スライドし、外角へ逃げて行った。咄嗟に右手を離し、バットに乗せた。

 

奥居(おくい)、外へ逃げる変化球を拾った! 打球はセカンド、センター、ライトの......間に落ちました! テキサスヒット! 三本間で打球の行方を見守っていた真田(さなだ)、ホームイン! 五対四! 一時は四点まで開いていた点差が、遂に一点差まで迫ってきました! なおもワンナウトランナー一塁、一発が出れば逆転の場面で四番を迎えます!』

 

 再びタイムを取った土方(ひじかた)は、急いで確認へ向かう。グラブで口を隠しながら会話。

 

「引っかかったか?」

「いえ、特にコレといって何も」

「(......意識して投げた訳じゃないのか。回転軸を意識している序盤は動くことも少なくないが、ここまで球威のある球じゃない。意識を捨てたことで生まれた偶然の産物......上手く拾われはしたが、有効な武器になり得るか?)」

 

 黙ったまま険しい表情(かお)をしている土方(ひじかた)に、沖田(おきた)は確認を取る。

 

「もしかして、何か気になることでも?」

「いや、想像以上に良いボールが来た。今の勝負も、完全に球威で勝っていた。ヒットになったのは偶然に過ぎない。まっすぐで押していくぞ」

「はい」

 

土方(ひじかた)、戻りました。打席には、四番の甲斐(かい)がクールな佇まいで構えています! 一発逆転の場面とは思えない冷静さを感じます!』

 

 外角のストレートが、若干変化して逃げていった。見逃して、ボール。甲斐(かい)は、打席を外す。

 

「(......外へ逃げた。シュート回転にしては、キレがあった。考えられるのは、ツーシームだけど、データにない。ここに来て、新しい球種を......?)」

 

 大きく息を吐き、雑念を振り払う。

 

「(例えそうだったとしても、やるべきことは変わらない。オレの役目は、奥居(おくい)をホームへ還すことだ)」

 

 決意を新にして、打席に臨む。仕切り直しの二球目は、カットボール。内側へ切れ込んでくる変化球に空振り。

 

「(今度は、内側へ食い込んできた。今のは、カットボールか。次は――)」

 

 カットボールよりも曲がりの小さな変化で、やや甘く入ったボールを狙うも、芯を外してファウル。

 

「(くっ、捉え損ねた。それ以前に差し込まれた。一球前のカットボールに近い軌道から更に小さく速い変化、矢部(やべ)鳴海(なるみ)が序盤で見た、ファストボールか......? なら――)」

 

 甲斐(かい)が、指一本分バットを短く持ち直したのを見てから、土方(ひじかた)はサインを出す。緩いカーブを外角へ外した。

 

「スイング!」

 

 土方(ひじかた)のアピールを受けた球審は、ジャッジを塁審へ委ねる。判定は、ノースイング。2-2平行カウント。ここで東亜(トーア)は、ネクストの矢部(やべ)を呼び戻し、直々に指示を与える。

 

「追い込まれるまで、徹底的に揺さぶれ。追い込まれても当てには行くな。猪狩(いかり)のストレートを叩き込んだ時のバッティングを想い出せ」

「了解でやんす......!」

 

 キリッと凛々しく眉を上げて、ネクストへ戻り。理香(りか)はさっそく、真意を尋ねた。

 

「おそらく、想定外のことが起こっている。鳴海(なるみ)、しっかり情報を聞いてからネクストに入れ。一時的に他のヤツを立たせておく」

「はい、分かりました」

 

 攻撃と守備、両方に備えて準備を進める。

 試合は、甲斐(かい)への五球目が投じられた。

 

「(内角――ボールか......いや、巻いて来た!)」

 

 ボールゾーンから巻いて入って来たボールに肘をたたんで、前で捉えた。

 

『ライトへ上がったー! 良い角度で上がっているぞ! 入れば逆転――』

 

 しかし、打球を追っていたライトはフェンスの手前で止まり、上空を見上げてグラブを差し出した。奥居(おくい)は、タッチアップに切り替え、セカンドへ進塁。結果は、ライトフライ。

 矢部(やべ)に情報を伝えた甲斐(かい)が、ベンチへ戻って来た。鳴海(なるみ)は、さっそく話しを聞く。

 

「ファストボール?」

「ああ。カットボールに近いのと、ツーシームに近い変化の二種類がある」

「序盤で俺に投げて来た、例のストレートの投げ損ないかな?」

「それはない」

 

 東亜(トーア)が断言。

 

「失投なら球威は落ちる。どうだ?」

「球威はありました。それに、キレも衰えていません」

「投げ損ないじゃない、ムービングファストボール......」

「そこは大した問題じゃねーよ。厄介なのは、似た軌道のカッターと組み合わせることで何倍にも効果が増すということ」

「カットボールとの組み合わせで......? そうか、あおいちゃんと瑠菜(るな)ちゃんのピッチングと同じに!」

「そう。“ピッチトンネル”ってヤツだ」

 

 ピッチトンネルとは、複数の球種を一定のエリアまで近い軌道を描き、エリアを越えた先で微妙に違う変化をさせることで打者を惑わす投球術。

 あおいの、途中までストレートと同じ軌道から変化するマリンボールや、東亜(トーア)を模している瑠菜(るな)の、ストレートの投げ分けなどが同様の効果を持つ。

 

「キャッチャーが二度、マウンドへ向かった。おそらくまだ、完全には掌握出来ていない」

 

 矢部(やべ)に出した揺さぶりの指示は、気付かせないための工作。指示を受けた矢部(やべ)は、セーフティやバスターで、相手に揺さぶりをかけている。鳴海(なるみ)は、ネクストへ向かい。そして、追い込まれた矢部(やべ)はしっかり、バットを振り抜いた。

 

『高めに来たストレートを引っ張った! 強い当たりですが。これは、サードの守備範囲――おっと、ファンブル! 握り直して、送球が遅れた! 一塁セーフ! Eのランプが灯りました、記録はエラー! ツーアウト三塁一塁!』

 

「繋いだわ!」

「お膳立ては、ここまで。あとは――」

 

 勝負の行方を左右する打席へと向かう、鳴海(なるみ)の背中を見送る。

 

 ――お前たち、次第だ。

 




次回、壬生戦完結になる予定です。
今しばらくお待ちくださいませ。


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Final game19 ~奇跡~

お待たせしました。


 試合終盤一点差、ツーアウト三塁一塁。一打同点、長打が出れば逆転の場面。打席に立つのは今日、読み打ちでヒットを放っている鳴海(なるみ)

 

「(ここで、六番か。前は、狙い打ちされた。歩かせる......)」

 

 土方(ひじかた)は、鳴海(なるみ)からネクストバッターズサークルの近衛(このえ)へと視線を移した。

 

「(ネクストバッターも、予選でホームランを打っている長打のある打者だ。どちらかで勝負するしかない)」

 

 どちらか一方を選ぶとなれば、未知数の近衛(このえ)よりも、三度対戦している鳴海(なるみ)との勝負を選択。初球は、慎重にボールから入った。しっかりと見極めて、ボールワン。

 

矢部(やべ)、もっと出ろ」

「これ以上でやんすか......?」

 

 強気な指示をするベースコーチの真田(さなだ)に、矢部(やべ)は若干不安げな表情(かお)で聞き返す。

 

「当たった瞬間スタートだ。ここで逆転出来なきゃマジでキツい。お前が、決勝点のランナーなんだからな」

「ホームを奪うために最大の援護を、でやんすね......!」

「そう言うこった」

 

 挑発するように思い切りリードを取る矢部(やべ)を、若干鬱陶しそうに見つめる沖田(おきた)は牽制球を投げるも、リード幅は変わらず。気を取り直して二球目、インコースのストレート。

 

『一塁牽制! 足から戻って、セーフ! 素早い牽制球を放った土方(ひじかた)ですが、矢部(やべ)も警戒していました。二球続けてのボール。ツーボール・ノーストライク、バッティングカウント!』

 

「(ブラフだ、走る気はない。プレッシャーをかけて、自滅狙い。バッターオンリーで行くぞ)」

 

 頷いた沖田(おきた)の三球目、ほぼ同じインコースからのカットボール。ボールの上を叩いて、一塁側へのファウル。バッテリーは狙い通りにストライクを奪い、仕留め損ねた鳴海(なるみ)は、しまったという表情。

 

『サイン交換が終わりました。ピッチャー、ランナーを目で牽制して足を上げた!』

 

 球種は、カーブ。

 構えとは真逆のインコース低めのボール球に手が出てしまい、ハーフスイングを取られてしまった。打者有利のバッティングカウントから、五分五分の平行カウントへ移行。

 しかし、今の一球が戦局を変えた。

 

「(マズい。失投かと思って、思わず手が出た。気付かれたか......?)」

「(結構なボール球にも関わらず反応してきた。それに気になるのは、一球前のカットボールをファウルにした時の様子......試す価値はある)」

 

 サインを出し、内角へミットを構える。

 

「(また、インコース。ボール気味だけど......)」

 

 今の沖田(おきた)のストレートは、左右のどちらかへナチュラルに変化してくる。甲斐(かい)の時と同様に、ストライクゾーンへ巻き込んで入ってきた。

 

『ファウル! 鳴海(なるみ)、辛うじてカットしました。カウント変わらず、ツーツー平行カウント!』

 

「(......危なかった。だけど――)」

「(なるほど、そう言うことか)」

 

 今の反応で、同じエリアを通過じてから変化させる“ピッチトンネル”の有効性に気がついた土方(ひじかた)は、険しい表情をしている鳴海(なるみ)に感服していた。

 

「(彼も捕手だ、的を絞らせないリードをしてはいたが、これほどまでの効果があるとは。いや、比にならないほど効果的かつ、高い精度だろう。そうでなければ、名だたる強豪校を相手に勝ち上がってなど来られるハズがない。打高投低の傾向にある昨今、投手にも、より高い球威が求められる中、致命的と思える球威不足の弱点を補って余りある武器として活路を見出し戦い抜いてきた。認めよう。間違いなく、最強の相手だ――!)」

 

 再びインコースへミットを構えたのを見て、東亜(トーア)たちも察した。

 

「完全にバレたな。偶然とはいえ、抜けずに引っかかったカーブが、ストレートとカットボールと同じ軌道に乗ってしまった」

「マズいわ。有効と判断された以上、必ず活用してくるわよっ」

「どうにかするしかねーよ。このままでは、勝機は薄い。詰めていくしかない。五分で勝負できる状況までな」

「よくて、五分......」

「三割で上等の打率より高いさ」

 

『ファウル! インコースの速球で押してきます! そして、またしてもインコースへ構えました!』

 

 二球とも、ギリギリでカットしてファウルに逃げる。

 

「(インコース攻め、それも全部ほぼ同じコースから微妙に動いてくる。ナチュラルに変化する速球とカットボールの組み合わせ、次は、どっちだ......?)」

 

 迷う鳴海(なるみ)に対し、バッテリーの選択したのは、頭になかったスローカーブ。完全に虚をつかれ、バットが出ない。大外から巻いてきたカーブが、土方(ひじかた)のミットに収まる。

 

「――ボ、ボール!」

 

 際どいコース、球審ジャッジは、ボール。

 

「(くっ、想定より曲がりが小さかった。抑えが利かなくなりつつあるのか。だが、これで――)」

「(助かった。でも、これで――)」

 

 ――両サイドを使える。

 二人の考えは、完全に一致。

 次の一球が、この勝負の行く末を決める重要な一球。

 

土方(ひじかた)、少し時間をかけてサインを出しました。沖田(おきた)、フルカウントから第九球を――投げました!』

 

 矢部(やべ)は、スタートを切る。投球は、外角のカットボール。コースに逆らわず流し打つも、振り遅れのファウル。

 

「(よし、これで戻せた)」

「(ヒットは捨て、カットに専念してきたか。これで、五分)」

 

 鳴海(なるみ)は打席を外して目を閉じ、心を落ち着かせる。

 

「(相手は、今の一球を最大限活用してくる。ここはもう、アウトコースのストレート一本しかない。問題は、左右のどちらへ変化してくるか。実際に対戦して見た感じ、操っている訳じゃない......だとしたら――)」

「(相当悩んでいる。おそらく、球種、コースともに読まれている。だが、信じきれるか? この場面で、己の導き出した答えを――)」

 

 球審に促された鳴海(なるみ)は、大きく深呼吸してから打席に戻った。左打席で構える、その眼に迷いはない。覚悟を決めた眼をしている。

 その眼に応える様に、バッテリーも真剣な面持ちで臨む。

 

『さあ、サイン交換が終わりました。ツーアウトです。ランナーは、バットに当たった瞬間スタートを切ります! 沖田(おきた)の足が上がった、矢部(やべ)、完璧なスタートを切った! 勝負の一球は、渾身のストレート!』

 

 一球前のカットボールと、同じ外角の軌道に入った。

 打者の感覚を狂わすピッチトンネルを通過したが、狙い通りのコースと球種に対し、迷わずに振りに行く。

 

「(やはり、狙われていた。だが、ここからが本当の勝負だ。右か左か――なっ!? まさか、ここで......!)」

 

 捕手土方(ひじかた)も、投げた沖田(おきた)本人すらも予想していないことが起きた。

 この場面で、左右へ変化することなく、回転軸の傾きゼロのベストピッチが、今日一番のストレートが来た。今まで誰ひとりとして、まともに捉えていないストレート。勝負は決した、そう思った瞬間――甲高い金属音が響き渡った。

 

『捉えたーッ! 沖田(おきた)、咄嗟に右手を伸ばすも届きません! 打球は、センターへ!』

 

「に、逃げる!?」

 

 センター方向ややレフト寄りへ飛んだ打球は、空中でスライスし、背走して追う山南(やまなみ)から遠ざかって行く。

 

「任せろ! 山南(やまなみ)、バックアップに回れ!」

永倉(ながくら)!? 了解!」

 

 声かけを受け、カバーに回る。そして、打球は――。

 

『落ちたーッ! 左中間、レフト前ヒット! 奥居(おくい)、今、生還! 同点! そして、逆転のランナー矢部(やべ)も、無駄のない走塁でサードを回った!』

 

 滑り込みながらワンバウンドで打球を抑えた永倉(ながくら)は、体勢が崩れたままバックハンドで、バックアップの山南(やまなみ)へトス。

 

『こちらも無駄のない完璧な連携プレー! トスを受けた強肩の山南(やまなみ)から素早く、カットマンへ返球!』

 

「バックホーム、間に合うぞー!」

 

 マスクを投げ捨てた土方(ひじかた)が、大声で叫ぶ。中継の尾形(おがた)から、バックホーム。

 

矢部(やべ)、スライッ! 回り込め!」

「やんすーっ!」

 

 先にホームインした奥居(おくい)の指示を受け、ベースの手前二メートルから、まるで滑空するかの様にホームベースへ向かって頭から飛び込んだ。ほぼ同時に、土方(ひじかた)へ返球が返って来る。追いタッチ。判定は――。

 

『セーフッ! タッチを掻い潜った矢部(やべ)の指先が、ほんの僅かにホームベースを触れていました! 恋恋高校、逆転! ついに、このゲーム、初めてリードを奪いましたーッ!』

 

「どやっ! でやんすー!」

「オッシャー! 最高だぜ!」

 

 両手でハイタッチを交わした矢部(やべ)奥居(おくい)は、二塁ベース上で息を整えている鳴海(なるみ)へ拳を向けた。同じ様に握った拳を向けて応える。

 

「そうか......」

 

 ――信じ切れなかったのは、オレの方か。

 疲労を考慮し、ベストピッチが来ると想定していなかった土方(ひじかた)と。ここ一番で、ベストピッチが来ると信じて振り抜いた鳴海(なるみ)。まったく正反対の考えが、勝負の明暗を分けた。

 

「何をしている? まだ勝負は終わっていないぞ」

近藤(こんどう)

 

 左腕を吊った状態で伝令に来た近藤(こんどう)は、球審に選手交代を告げて、マウンドに内野陣を集めた。

 

「お前たち、下を向くな。まだ二回も攻撃は残っているぞ。ここで切れば、充分逆転は可能な点差だ。沖田(おきた)、表の攻撃はお前からだ。頼むぞ、切り込み隊長」

「あ、はい!」

山南(やまなみ)、相手には長打があるが慎重になる必要はない。しっかり、コースをつけば抑えられない相手ではないぞ」

「ああ」

「さあ、みんな、あとひとつだ。しっかりと抑えて、攻撃へ繋げるぞ!」

 

 山南(やまなみ)にボールを渡した沖田(おきた)は、センターへ向かい。士気を取り戻した内野陣は気持ちを切り替え、各々ポジションへ戻っていく。

 

「前を向け。お前が、壬生(ウチ)の要だろ?」

 

 軽く背中を叩き、活を入れてベンチへ下がっていく近藤(こんどう)

 

「まったく、敵わないな。あんたには......」

 

 ひとつ大きく息を吐いた土方(ひじかた)は、顔を上げて真っ直ぐ前を向いた。

 

「ツーアウトだ! ここで切るぞ!」

 

『おおっと! 気落ちした様子は見受けられません!』

 

 空元気ではないことを証明するように七番近衛(このえ)を、持ち前の制球力と多彩な変化球を駆使し、危なげなく打ち取り、火消しの役目を果たした。

 逆転の一打を放ち、ベンチから盛大な出迎えを受ける鳴海(なるみ)だったが、浮き足立つことなく、瑠菜(るな)たちの手を借り、すぐに守備の準備に取りかかる。

 

「劣勢から、よく持ち直した。お前の読み勝ちだ」

「ありがとうございます」

「さて。あと二回。鬼門は、三番から始まるこの回の守備」

「......追いつかれたら、正直、厳しいと思います」

「フッ、判っているならいいさ」

 

 制球力と多彩な変化を操る山南(やまなみ)は、ピッチトンネルとの相性が抜群に良い。有効性を知られた以上、惜しみなく活用してくる。

 

「理想は、先頭を切ること。延長のことは考えなくていい。一打席目から積み上げてきたモノを、全て使って乗り切れ」

「――はい、行きます!」

 

 はっきり返事した鳴海(なるみ)は勢いよく、グラウンドへ駆け出して行った。

 

『さあ、早川(はやかわ)の投球練習が終わりました。逆転を許した壬生高校。八回表の攻撃は中軸、三番沖田(おきた)からの打順です!』

 

 打席の沖田(おきた)は今日、三打数三安打。一発が出ればたちまち同点。しかし、あおいは怯む様子もなく、しっかり見つめている。

 

早川(はやかわ)沖田(おきた)への初球は――インコース高めいっぱいのストレート! 打っていきましたが、大きく切れてファウルです!』

 

 二球目――やや甘いインコースからの緩いカーブ。タメを作って、緩急に惑わされず、膝下へ変化してくるボール球を掬い上げた。

 

『これも、大きい! 飛距離は十分......ですが、ライト上空、ポールを切れて行きました、これもファウル! バッテリー理想的な形で追い込みました!』

 

 小さく息を吐いて、ゆっくりと構え直した沖田(おきた)の表情には、焦りの色は一切見えない。

 

「(なんてバッターだ、本当に一年なのか? 追い詰められたこの状況で、まるでプレッシャーを感じていないなんて。だけど、しっかり効いてることは間違いない)」

 

 一球、外のストレートを外して四球目、隠し通したマリンボールで勝負に行った。ストライクからポールになる完璧なコースだったが――。

 

「上がらなかった? くっ......!」

「よし、サード!」

 

『ワンバウンドになろうかという変化球を捉えました! が、これは、サードの守備範囲か!?』

 

 痛烈な打球は、サードの真正面。葛城(かつらぎ)は一歩後ろに下がって、バウンドに合わせに行った。しかし――。

 

『あーっと、跳ねた! イレギュラーバウンド! サードの脇を抜けて行きました! 記録は、ヒット! ラッキーな形で先頭バッターが塁に出ましたー!』

 

「ここで、イレギュラー......!」

「フッ、そう簡単には勝たせてもえないな。今度は、こちらに悪い結果をもたらした」

 

 布石はあった。グラウンド整備が入っても、二試合目、序盤や矢部(やべ)の揺さぶりで、ダッシュが繰り返されたことで内野グラウンドは荒れていた。攻撃では、ファンブルを誘ったが、沖田(おきた)の打球が強かったことでより顕著に現れてしまった。

 

「伝令は?」

「二塁へ行ってからだ。瑠菜(るな)

「はいっ」

 

 指示を伝えている間に、沖田(おきた)の盗塁が決まり、ノーアウト二塁。瑠菜(るな)が、マウンドへ走った。これで、三回使えるタイムを全て使い果たした。

 

「悪い、逸らしちまった」

「いいえ、仕方ないわ。悔やんだって、戻らない。いい? サードへは絶対に送らせちゃダメよ。思い切ったバントシフトを敷くこと」

「バスターは?」

 

 甲斐(かい)から質問に、二つ返事で答えた。

 

「無いわ。わざわざ小技が上手いバッターを入れたのは、このシチュエーションで確実に送るタメよ」

「了解。ファースト側は俺、三塁側は、鳴海(なるみ)早川(はやかわ)の近い方だな」

「うんっ、任せて!」

「他に、指示はある?」

「サードへ進まれた時のことを想定しておくこと。でも、安易に塁を埋めることは厳禁、九回が大変になるだけよ。もし先頭に回るようなことがあれば、それこそ取り返しがつかないわ」

「判った。みんな、聞いて――」

 

 鳴海(なるみ)は、沖田(おきた)をサードで刺す、もしくはバント失敗を狙うことを前提に、送られてしまった場合の作戦を伝えた。

 

「マジか? ()()()と勝負するってことだろ?」

「勝算はある。と言うより、これで無理なら勝てない」

「ボクは、信じるよ」

「そうね。やれることは全力やるべきよ。勝算があるのならなおさらね」

「あおいちゃん、瑠菜(るな)ちゃん......」

「そうよ! あたし、後悔は絶対したくないしっ!」

「おうよ、やってやろうじゃねーか!」

「ああ」

「だな」

 

 注意に来る寸前、瑠菜(るな)は戻り。あおいと瑠菜(るな)の言葉に感化された内野陣も、気合いを入れ直して守備に戻って行った。

 

「どうだった?」

 

 戻ってきた瑠菜(るな)に、理香(りか)が尋ねる。

 

「大丈夫です。切り抜けてくれます、必ず......!」

「そう」

「心配したところで見守ることしか出来ねーよ」

 

 右打席に入っている尾形(おがた)は、さっそくバットを寝かせた。恋恋高校は、バントシフトを敷く。ワンストライクからの二球目、大きくウエスト。沖田(おきた)に、三盗の動きはない。

 

「(確実にバントだ。次で、決めに行くよ)」

「(うんっ)」

 

『平行カウントからの三球目――バント殺しのインハイ! いや、ここから急降下!』

 

 ストレートに見せかけた、マリンボール。尾形(おがた)は咄嗟に体を屈め、バットに当てた。若干浮いた打球が、鳴海(なるみ)の目の前に上がった。

 

「よし! うっ......!」

 

 浮いた打球と、走り出したバッターランナーが重なった。この一瞬の躊躇が判断を鈍らせた。アウトは、ファーストのひとつのみ。

 

『送りバントが決まりました! ワンナウト三塁で、頼れる五番土方(ひじかた)に回りました!』

 

「ごめん......」

「ううん、ボクも遅れちゃったし。やるしかなくなっちゃったね」

「頼んだよ」

「うんっ!」

 

 ポジションに戻った鳴海(なるみ)は、身振り手振りと声を張り上げて指示を出す。

 

「内外野前進! バッター勝負で行くぞ!」

 

 号令でシフトが変わった。内野はバックホーム体勢、外野も定位置よりも一歩前にポジションを取った。理香(りか)は戸惑い、東亜(トーア)はポーカーフェイスを崩さない。

 

土方(ひじかた)くんと勝負!?」

「フッ、じっくり見させて貰おうじゃねーか。何を成すのかを」

 

 そして、土方(ひじかた)がバッターボックスに入った。

 

「礼を言うぞ。オレに、リベンジの機会を与えてくれたことを」

「要らないよ。ここで終わらせるんだから!」

「来い、勝負だ」

 

 初球、外角低めのカーブを見逃して、ボール。

 

「(長打が怖いこの場面で、カーブから入るとは。やはり、いい心臓を持っている。しかし、例の変化球で三振を狙ってくることは間違いない)」

 

 ストレート、低めギリギリいっぱいに決まった。三球目も、外角のストレート。強引に引っ張り、三塁側の内野スタンドに飛び込むファウル。

 

「(全て外角の低め、例の目くらまし投球。しかし、ここは一球内角をつき、勝負は外角の変化球が定石だが――)」

「(頼んだよ、あおいちゃん!)」

「(うん!)」

 

『サインに頷いた早川(はやかわ)、足を上げます! 投手有利カウントから第四球――投げました! 四球続けて、アウトコースッ!』

 

 遊び球は使わず一気に勝負にいった、マリンボール。

 

「(やはり、勝負に来た。単純なセオリーなど使って来ない、読み通りだ!)」

 

 振り抜いた打球は、ライト上空へ高々と舞い上がった。

 

『打ったー! ライト近衛(このえ)、バーック!』

 

 打球を見た沖田(おきた)はスタートを切ったが、土方(ひじかた)が止めた。

 

沖田(おきた)、戻れ! タッチアップだ!」

「抜けない!?」

 

 声に急ブレーキ、全力でサードへ戻る。

 

「(くそ、狙いよりもボールの下に入った、崩されたか。打球はおそらく、外野の定位置――)」

 

 落下地点は、ライト定位置よりやや前。近衛(このえ)は、上空を見上げて助走を付けて捕球。同時に、沖田(おきた)がタッチアップ。

 

「(チッ、思った以上に伸びなかったか。だが、沖田(おきた)の足なら――なに!?)」

 

近衛(このえ)、バックホーム! いや、中継が入った!』

 

「バックホームッ!」

 

 文字通り、矢のような返球が中継に入った奥居(おくい)から返って来た。

 

沖田(おきた)、回り込めッ!」

「えっ!?」

 

 斎藤(さいとう)の声かけは、間に合わなかった。既にスライディングの体勢に入っていた沖田(おきた)の足にタッチした鳴海(なるみ)は、ミットを掲げる。

 

『ホームクロスプレー! 判定は――』

 

「アウトーッ!」

 

『アウト、アウトです! ホームタッチアウト・ダブルプレー! 一瞬でピンチを脱しましたーッ!』

 

 まさかの結果に場内は騒然としている。

 走って戻って来る鳴海(なるみ)たちを見ながら、東亜(トーア)は愉快げに笑った。

 

「クックック、やりやがったな、アイツら」

「まさか、狙ったのっ?」

「ああ。マリンボールは、強力なトップスピンがかかっている。武器であると同時に欠点でもある」

 

 バットがボールの下に入ると、自然と打球は上がる。近藤(こんどう)の時は、当てただけでヒットを打たれた。しかし、フライボールを狙う上位打線の中軸を担う土方(ひじかた)は、飛距離を伸ばすため角度を上げる打ち方をする。

 

「だが、甲子園には浜風がある。ライトへ高く上がった打球の結果は、定位置よりやや前。しかし、瞬足の沖田(おきた)には充分な飛距離。そこで、通常は芽衣香(めいか)が中継に入るところを、セオリーを無視して奥居(おくい)が入った。隠し通したマリンボールで狙い通りライトへ高いフライを打たせた上で浜風を利用し、チーム一・二の強肩二人で刺したのさ」

「どこか一カ所でも滞れば、成立しないプレーを、この場面で......」

 

 近藤(こんどう)は、ベンチへ戻ってきた土方(ひじかた)の肩に手を乗せた。

 

「やられたな」

「ああ、完敗だ。だが、最後まで貫く。オレたちの姿勢を――」

「おうとも! さあ、しっかり守って来い! 最後まで諦めるな!」

 

 逆転を許し、ダブルプレーで好機を逃した直後、嫌な流れだったが山南(やまなみ)は、八回表をきっちり三人で抑え迎えた九回表、壬生高校最後の攻撃。恋恋バッテリーは、先頭バッターを打ち取り、まずひとつアウトを取った。

 バックスクリーンのストライク表示のランプに明かりが灯る度に、大きくなる恋恋高校応援スタンドの歓声。それは、ベンチの選手たちも同じ、大声を張り上げている。

 その中で、唯一冷静に淡々と試合の行く末を見守っている人間が居た。彼は、隣で祈るように試合を見つめる女性、加藤(かとう)理香(りか)へ問いかけた。

 

「奇跡って、何だ?」

「奇跡......?」

「そうだな。例えば、ツーアウト満塁フルカウント一発が出れば逆転サヨナラの場面で、ど真ん中に来た失投を見事ホームランしたとしよう。果たしてそれは、奇跡と呼べるか?」

「一般的には、奇跡と表現させれるんじゃないかしら? 少なくとも、報道や各社の紙面の一面には、奇跡の逆転サヨナラホームランと見出しが踊るでしょうね」

「だろうな。だが、俺に言わせれば、それは奇跡などという抽象的なものではない。俺は、この世界に奇跡など存在しないと考えている。なぜなら、全ては行為の上の結果だからだ」

「......結果?」

 

 首をかしげる理香(りか)に、東亜(トーア)はグラウンドで行われている勝負を見守りながら話しを続けた。

 

「試験で山が当たった。それは、偶然なのかも知れない。しかし、それは少なくとも、教科書を開き、ページの内容を記憶したから残せた結果だ。それは、奇跡とは言えないだろ」

「......そうなのかも、知れないわね」

「宝くじも、馬券も、買わなければ当選することはない。前の走者が満塁のチャンスを作ったことも、バッターがフルカウントまで粘った上で、たった一球の失投を引き出したことも、ミスショットせずホームランを打ったことも紛れもない実力だ。決して奇跡などという簡単な言葉で片付けていいものではない」

 

 ツーアウトを取ったところで、東亜(トーア)は静に席を立った。

 

「どこへ行くの?」

「俺の役目は終わった。これ以上は、更なる高みへ向かおうとしているアイツらの邪魔になる」

 

 その言葉に理香(りか)は、全てを悟った。

 ベンチ裏へ下がって行く東亜(トーア)を見送ることはなく、しっかり前を向いて試合の行く末を見届けることを選んだ。

 

 そして――ラストバッターへラストボールが投げられた。

 

 球場の外まで聞こえるサイレンと、鳴り止まない歓声を聞きながら、愛車のボンネットに腰掛け、タバコに火を付けた東亜(トーア)は、どこか満足そうな表情をしていた。

 

 ――さて、こちらも終わらせるとするか。

 

 

           * * *

 

 

 休養日を挟んだ、決勝戦当日。

 春の覇者アンドロメダ学園を前に怯む様子もなく、恋恋高校ナインたちは堂々と対峙していた。

 

「練習試合では、後輩たちが世話になったそうだナ。決着は、オレたちが付けさせて貰うゾ」

「勝つのは、俺たちだよ」

「フッ、楽しみダ」

 

 整列していた両校の選手たちが、グラウンドへ散っていく。

 

『さあ、遂にやって参りました! 球児たちの夢舞台、甲子園大会決勝戦! 春夏連覇を狙う、アンドロメダ学園対初出場初優勝を狙う、恋恋高校との一戦! 戦いの火蓋が今、切られましたー!』

 

 この時、恋恋高校ベンチに中に東亜(トーア)の姿は無かった。



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Epilogue
Episode Final ~ネクストゲーム~


 東京都内、東京読読ガラリアンズの親会社が所有するオフィスビル。ガラリアンズの元オーナーで、現在は特別顧問の肩書きの田辺(たなべ)常行(つねゆき)は、次世代を担う選手たちが集う甲子園大会が閉幕し、シーズンの行方と秋に執り行われるドラフトに向けて特集が組まれているテレビの電源を落とし、ワイングラスを口に運んだ。

 

「フン、くだらんな。我が球団の一位指名は、猪狩(いかり)で決まりだ。あのルックスと実力を兼ね備えたスター性は、更なる人気をもたらすことになるだろう。一リーグ化計画と共に我が軍の地位は安定、盤石と言うことだ。クックック......」

 

 他球団のオーナーに対して、一位指名を事前に通告し圧力をかけている。猪狩(いかり)の一本釣りは確実、と上機嫌でワインをたしなむ田辺(たなべ)の肩をマッサージしている、メガネをかけた黒髪ロングの女性秘書が尋ねる。

 

「会長。栄冠を掴んだのは、例の学校でしたね。他球団のスカウトには、獲得へ向けて動いているとの情報もありますが?」

「そんなもの認める訳がなかろう。ヤツの教え子など言語道断だ。そもそも、球界から確実に追放するために研修参加を認めてやったに過ぎん。ん? 誰だ?」

 

 面会の予定は入っていないが、ドアがノックされた。

 デスクでパソコンを操作していた別の女性秘書が、来訪者の応対に向かう。来訪者を確認した彼女は、とても慌てた様子で田辺(たなべ)の元へ急いだ。

 

「か、会長!」

「何ごとだ? 騒々しい」

「それが、その......」

 

 言いあぐねる秘書の後ろから、東亜(トーア)が姿を見せた。

 

「き、貴様は、渡久地(とくち)東亜(トーア)......!」

 

 勢いよく立ち上がった田辺(たなべ)は、目を見開いた。

 

「くくく、そう青筋を立てていると早死にするぞ?」

 

 小馬鹿にしたようにせせら笑う東亜(トーア)は、空いていた正面のソファーに腰を降ろし、ふてぶてしく、取り出したタバコを咥えて火を付けた。

 

「キサマァ、いったい誰の許可を得て座っている!? それ以前に、どうやって――」

「金で動くヤツは金で裏切る。よーく知っているだろ?」

「くっ......!」

「まあ、固いことを言うなよ。今から、面白いショーが始まるのさ」

「ショーだと......?」

「おい、テレビ付けろ」

 

 テレビを付けるよう指示された秘書は戸惑いながらも、言われた通りテレビの電源を付ける。先ほどまで放送されていた番組は中断され、緊張感のある画に変わっていた。

 

『さて、番組の途中ですが。ここで、臨時ニュースをお伝えします。別室に中継が繋がっています。響乃(ひびきの)アナウンサー』

 

 画面が切り替わり、パワフルテレビの女性アナウンサー響乃(ひびきの)こころが、とても緊張した面持ちで現場の様子を伝える。

 

『はい。こちらは、パワフルテレビ局内の一室です。ただ今から、プロ野球の選手会が臨時会見を行います』

 

 田辺(たなべ)は、食い入るようにテレビ画面を見入る。

 画面内には、選手会を代表して、リカオンズの児島(こじま)、ブルーマーズの捕手沢村(さわむら)。そして、ブルーマーズの元ヘッドコーチの白丘(しろおか)が映し出されていた。

 

『司会進行は、わたくし、響乃(ひびきの)が務めさせていただきます。それでは、児島(こじま)選手、お願いします』

『はい』

 

 指名された児島(こじま)が席を立ち、同席しているブルーマーズの沢村(さわむら)と、元ヘッドコーチの白丘(しろおか)も立ち上がった。

 

『まず最初に、この場と時間を用意していただけたことに深く感謝の意を申し上げます。ありがとうございます』

 

 三人揃って深々と頭を下げ、本題に入った。

 一部で報道されている、ブルーマーズの不正行為について。不正の主導・手引きした白丘(しろおか)が包み隠さず全てを告白し、沢村(さわむら)と共に膝を付いて深々と頭を下げた。

 

「な、なんだ? これは......いったい、どう言うことだ!?」

「ご覧の通り。ブルーマーズの連中は、不正行為を全て認めたのさ。厳罰を覚悟した上でな」

「だから何だと言うのだ、こんなことをしたところで何も変わらん! むしろ、不正行為が確定し、世間の反感を買うだけに過ぎん! ブルーマーズの親会社の球団経営権剥奪は確定、シーズン途中であろうが球団は即消滅! リーグを維持出来なくなるパ・リーグの命運は決まったも同然だ!」

 

 その後児島(こじま)は、腐敗しているプロ野球界の現状と問題解決に尽力するため、残り試合の全ての欠場を公表。当初の予定通り、新規参入企業の募集を訴えかけた。

 

『これから夢を、希望を持って、プロの世界に飛び込んでくる若い選手たちのため。どうか、お力を貸してください!』

 

 必死の形相で訴えかける児島(こじま)の姿に、田辺(たなべ)は笑みを浮かべた。

 

「フン、バカめが。イメージダウンに繋がる球団を欲しがるような企業など無い。万が一申し出があろうとも、我々が認めなければ承認されん。全ては、ワシのシナリオ通り。我が軍中心の一リーグ化は、もはや誰にも止められん既定路線だ......!」

「クックック......さーて、そいつはどうかな?」

 

 意味深に笑う、東亜(トーア)

 

『あ、はい。えっ......? ほ、本当ですかっ?』

 

 様子が慌ただしい空気が流れる。児島(こじま)も、顔を上げたブルーマーズの二人も、何ごとかと戸惑っている。

 

『そ、速報です! たった今、情報が入りましたっ! 新規参入を希望する企業が名乗り出ましたっ!』

『なっ!?』

 

 響乃(ひびきの)アナウンサーの発言に衝撃が走る。

 

「な、なんだと!?」

 

 身を乗り出した田辺(たなべ)は、聞き逃さないように耳をすませる。

 

『手元の情報によりますと、新規参入の意思を表明したのは――』

 

 会見の最中、新規参入を表明した企業は、ガラリアンズの田辺(たなべ)はおろか、政財界の重鎮ですらも迂闊に口を挟めない程の、世界で指折りの大企業。日本が世界に誇る大企業――猪狩コンツェルン。

 

「......猪狩コンツェルンだと? バ、バカな......なぜ、こんなことに――」

 

 まさかの相手に、膝から崩れ落ちた。

 

「お前の負けだ。部外者がこれ以上、鉄火場を土足で踏み荒らすな」

 

 席を立った東亜(トーア)は、放心状態で膝を付く田辺(たなべ)を蔑むような目で見下し、悠然と部屋を後にした。

 

 

           * * *

 

 

 そして、季節は巡り、秋。

 レギュラーシーズンの全日程が消化され、ドラフト会議が執り行われようとしていた。

 

『今年も、この日がやってまいりました。プロ野球ドラフト会議。実況は私、熱盛(あつもり)でお送りさせてイタダキマス! まず最初に登場するのは、神戸ブルーマーズ改め、新球団として初参加の――猪狩カイザース! 猪狩コンツェルンの社長兼オーナーである猪狩(いかり)(しげる)氏、自らが登場です。そして、御曹子である猪狩(いかり)(まもる)の一位指名を表明しています!』

 

 猪狩カイザースを先頭に、各球団の代表が会議室へ順番に姿を現す。

 

『続いては、彩珠リカオンズ。今期もシーズン終盤まで、千葉マリナーズとの死闘を演じましたが。主砲児島(こじま)が、球界再編のため一時離脱した事が響き、惜しくもリーグ優勝を逃がして二位でフィニッシュ。残念ながら、連覇の夢は潰えました。しかし! ドラフト会議後は、マリナーズとのプレーオフが待ち受けています! 下剋上を果たし、日本シリーズ連覇を成し遂げるられるか!? そして今期、長年リカオンズを率いた三原(みはら)監督は勇退を表明。来期からは、球界のレジェンド、児島(こじま)弘道(ひろみち)が、新監督としてチームを率います! 狙うは、自身の後釜を担うスラッガー候補か?』

 

児島(こじま)さん、緊張してるな」

「見るからにな。そう言えば、ウチの一位指名は誰なんだ?」

「さあ? 球団も、監督も、最後まで公表しなかったからね。ただ、投手中心の指名になると思うけど」

「よう。何を真剣に語り合ってるんだ?」

 

 プレーオフへ向け、練習場で行っていた調整を中断し、設置されたモニターでドラフト会議の様子を見守る、高見(たかみ)とトマス。彼らの下へ、ひとりの男が姿を現した。

 

渡久地(とくち)!?」

「お前、どうやって入ったんだ?」

「お前たちに用があると言ったら、すんなり通してくれたぜ? 多少謝礼は弾んだがな」

「ウチのセキュリティ大丈夫かよ......?」

 

 呆れ顔の二人を後目に、壁に寄りかかって腕を組んでモニターを眺める。

 

『第一回希望選択選手、猪狩カイザース――猪狩(いかり)(まもる)。投手、あかつき大学附属高校』

 

「新規参入のカイザースは表明通り、御曹子か」

「実力、人気共に兼ね備えている。貴重なサウスポー、新チームの軸に据えるつもりだろうね」

「くくく、それだけじゃねーんだな」

 

 東亜(トーア)の台詞に、高見(たかみ)は勘づいた。

 

「まさか、お前か! 猪狩コンツェルンに新規参入を進言したのは......!」

「おいおい勘違いするなよ。別に、球団を獲得しろだなんて一言も言っちゃいねーよ。ただ、セーヌ川のほとりで夫婦仲むつまじくブランチを楽しんでいたところに偶然出くわして、少しばかり世間話しをしただけさ。ご子息の希望進路先には、教育に悪影響を及ぼし兼ねない重大な懸案事項がある、とな」

「暗どころか直球じゃないか......」

「それで? 僕たちに何の用なんだ? 大事な決勝戦を前に行方を眩ませた、お前が――」

「まあ、大したことではないが。少しばかり、面白いモノを見せてやろうと思ってな。ポスティングシステムでの移籍を検討している、今期二冠王の天才打者に――」

 

 室内練習場内のバッティンゲージで、東亜(トーア)高見(たかみ)が対峙する。

 

「お前、痛めた肩は......?」

「確かめて見ろよ、その目でしかとな」

 

 振りかぶって、第一球を投じる。ど真ん中にストレートが決まった。審判役のトマスはジャッジを下し、スピードガンの数字を読み上げる。

 

「ストライクだ。127キロ」

 

 二球目は、外角へ沈む高速低回転ボールでファウルを打たせた。

 

「どうやら、本当に全快したようだな。ならば、こちらも遠慮はしない、来い!」

「フッ、さて、遊び球なしだ。次で決めるぜ?」

 

 勝負の三球目――バットに触れることなく、後ろに設置された防球ネットを揺らした。

 

「なっ!? (いつき)が、空振り......!」

「......完全に捉えたハズなのに」

「くくく、面白かっただろ? さて、これで用向きは済んだ。おいとまさせて貰う」

「ま、待て! 何だ、今のは!? 回転は完全にストレートだった。なのになぜ、スライドしたんだ!」

「変化球......!?」

「マジシャンがタネを明かすか? 自分で考えろよ」

 

 背中を向け、出入り口へ向かう東亜(トーア)の足が止まる。

 

「言い忘れていた。来シーズン、とある球団とマネージメント契約を結んだ。リーグのお荷物、アメリカの弱小球団だ」

「アメリカ......」

「フッ、まあ、そう言うことだ。じゃあな」

 

 去っていく東亜(トーア)の背中を高見(たかみ)は、ただただ見送ることしか出来なかった。そして、決断した。ポスティングシステムによる海外移籍を――。

 

 

           * * *

 

 

 そして、冬が過ぎて春。出会いと別れの季節。

 

「ねぇ、聞いた? 今年の入部希望者、20人以上居るんだって。選手希望の女子も何人か居るみたいだよっ!」

「はぁ、嬉しいけど、大変だよ~」

 

 春休み中に新設された恋恋高校野球部の女子更衣室で、香月(こうづき)藤村(ふじむら)の二人が着替えながら話しをしている。

 鳴海(なるみ)たち三年生が引退し、新キャプテンに選ばれたのは、男子部員ではなく、女子の香月(こうづき)だった。

 

「それらしいこと言ってたけど。絶対、面倒ごとを押し付けただけだよね?」

 

 話し合いの結果残った男子四人、片倉(かたくら)藤堂(とうどう)新海(しんかい)六条(ろくじょう)の順番で、新チームのエースとして飛躍するため、主軸を担うため、正捕手として必要なスキルアップを図るため、素人のため、と言って辞退。投手の藤村(ふじむら)よりも、野手の方がいいという理由だけで、香月(こうづき)がキャプテンに選ばれた。

 

「ガンバって、キャプテンっ!」

「もぅ、人事だと思って......よし、行くよ!」

 

 ロックを解除し、意を決して更衣室のドアを開け放った。

 ベンチ前に集まっている人集りの下へ行くと。凜とした佇まいの女性が、一部の入部希望者の態度を咎めていた。

 

「口を慎みなさい。それほどの大口をたたく自信があるのなら、結果で示すことね」

 

 女性の正体は甲子園で対戦した、聖タチバナ学園の夢城(ゆめしろ)優花(ゆうか)。東京の大学へ進学を志望していたことを聞きつけた理香(りか)が、直接口説き落とし、研修生兼サポートトレーナーとして招いた。

 

夢城(ゆめしろ)さん、何かあったんですか?」

「大したことではないわ。少々身の程知らずの新入生が居たから、口の利き方を指導しただけよ」

「そ、そうですか」

「まあ、想像つくけど......」

 

 香月(こうづき)は改めて、入部希望者の前に立った。

 

「みなさん、ようこそ、恋恋高校野球部へ! わたしは、キャプテンの香月(こうづき)と言います。ご存じかと思いますが、現在正式な部員は九人を割っています。秋季、春季大会共に参加することも叶いませんでした。それと、ウチは、渡久地(とくち)前監督の理念で、学年も男女の優劣もありません。完全実力主義です、全体練習も殆ど行いません。各自の判断力が試されます。ですので、ここに居る全員に、レギュラーになれるチャンスがあります」

 

 入部希望者たちの目の色が変わる。特に、ある程度の実績を引っさげて来た男子の目の色が。

 しかし、彼女の言葉には続きがあった。

 

「――ですが。試合で使えるレベルに達していないと判断した場合、ベンチ入り可能人数の上限20人以下で参加します。背番号が欲しければ、予選までの九十日で使えるようになってくださいね」

 

 ニッコリと笑顔を見せて言ったが、目は笑っていない。

 

「では。マネージャー志望の人以外は、藤村(ふじむら)さんの指示に従ってください」

「はーい、それじゃあ、アップを始めるよー。え? 何周走るのかって? そんなの決まってるでしょ? 動けなくなるまでだよ。先ずは、受験で鈍った足腰を戻さないとね。はい、スタート!」

 

 走り出した藤村(ふじむら)の後に続いて、一斉に走り出した。優花(ゆうか)はタブレット端末を片手に、入部希望者のデータ収集を行う。

 

「どうしたのっ? まだ、三キロも走ってないよー!」

 

 グラウンドを走る姿を、更衣室と共に新設されたトレーニングルームで自主トレを行っていた四人の男子が、危機感を持った表情(かお)で見つめていた。

 

「想像以上にヤバいな。甲子園云々の話しじゃない」

「だね。このあと、地獄の筋トレが待ってるのに。まあオレたちも、人のことは言えなかったけどさ」

「ホント、凄い先輩たちだったんだって。改めて実感したよ」

「自分たちの練習を欠かさず、俺たちのフォローもしてくれてたんだもんな」

 

 今度は、自分たちがしっかりせねばと強い責任感が芽生えた。

 その頃、理事長室では、理香(りか)倉橋(くらはし)理事長は話しをしていた。

 

「いよいよ、始まりましたな。新しいチャレンジが」

「はい。ですが、こう言うことなのですね。新しく始めるとは」

「前途多難ですかな?」

「ええ。ですが、大丈夫です。彼の教えは――」

 

 ――確実に生きています。あの子たちの中で......。

 

 

           * * *

 

 

奥居(おくい)さんが、いらっしゃいましたよー」

「よっす! 久しぶりだな~」

「遅いわよ!」

 

 約束の時間より少し遅れてやって来た奥居(おくい)は、芽衣香(めいか)から浴びせられた非難の声をテキトーにあしらい、空いている隣の席に座った。

 はるかの実家のゲストルームに、瑠菜(るな)を除いた元恋恋ナインが全員集合。

 

「結構、忙しいんだよ。取材とかさ。まあ、新人王は、猪狩(いかり)に持っていかれるだろうけど」

「高卒新人で開幕投手を務めて二桁勝利だもんねー。最後の方は、息切れして連敗してたけど。あんたも、二桁打ったのに、相手が悪かったわね」

「それよりも、規定に届かなかったのが悔しい。来年は、開幕から出るぜ!」

 

 来シーズンへ向けて息巻く、奥居(おくい)芽衣香(めいか)は、奥居(おくい)と同じくプロに進んだ鳴海(なるみ)に話題を振る。

 

「俺は、順位が決まってからの昇格だったから体験みたいなものだよ。二軍で経験を積んで、結果を残さないと」

「そこは、絶対奪うっていいなさいよねー。あおいも、一軍で投げたんだし」

「ボクも、顔見せで一試合だけだよ。それに、打たれちゃったし......」

「打者二人を打ち取ったあと、奥居(おくい)に打たれたってのがポイント高いわよね。だけど、複雑。同じチームメイトだった二人が、プロの世界でぶつかり合うんだもん」

「そうですね。私は、あおいを応援しましたけど。奥居(おくい)さんにも負けて欲しくないと想いましたし。鳴海(なるみ)さんも加わるとなると、ますます困ってしまいます」

「ホントよね。三人全員が同じリーグじゃなくて良かったわ。交流戦と日本シリーズ以外、少しは応援に迷わなくて済むし」

「......みんな、オイラのことを忘れないで欲しいでやんす!」

「え? だってあんた、育成じゃん?」

「来シーズンから支配下登録選手になったでやんすー!」

「おい。中継が始まったぞ」

 

 真田(さなだ)葛城(かつらぎ)近衛(このえ)とダベっていた甲斐(かい)が、鳴海(なるみ)たちに知らせる。全員の視線が、超大型テレビに集まった。

 

『世界一を決める決戦も、いよいよ最終戦を迎えます!』

 

「すんごい熱気、さすが野球の本場アメリカ!」

「世界一を決める、優勝決定戦だからね。瑠菜(るな)ちゃんは、現地に観に行ってるんだよね?」

「うん。チケット取れたって言ってたよ」

「まさか、アメリカの独立リーグへ挑戦するなんてね。指名の話しもあったみたいなのに。あの向上心と行動力は、素直に見習いたいわ」

「そうですね。あっ、高見(たかみ)選手ですよ」

 

 画面には今季、ポスティングシステムを使って、レッドエンジェルスへ移籍した高見(たかみ)が、打席に向けての準備をしていた。

 

『三勝三敗で迎えた第七戦。王者を決める戦いが今、始まろうとしています! 先攻は高見(たかみ)神童(しんどう)、マイルマン、バンガードを要するレッドエンジェルス! 対するは、数々の記録を打ち立てて日本球界を去った、あの伝説の勝負師――渡久地(とくち)東亜(トーア)! そして、高校時代はまったくの無名選手、ドラフト会議で指名漏れした田中山(たなかやま)が、シーズン中盤以降守備固めから信頼を積み重ね、セカンドのポジションを確立しました。打率は二割そこそこ、決してプレーに派手さはありません。しかし、犠打の数は両リーグ1位。広い守備範囲、ポジショニングの上手さ、堅実な守りで幾度となくチームの危機を救って来ました。今では、チームに欠かせない内野守備の要です!』

 

 後攻チームの先発のマウンドには、弱小球団をプレイングマネージャーとして一年でリーグ制覇へと導いた東亜(トーア)が不敵な笑みを浮かべて立っている。

 

「さあ、始めようじゃねーか。真の世界一を決める運命の第七戦、優勝決定戦を」

 

 東亜(トーア)はまるで挑発するかのように一瞬、高見(たかみ)へ視線を向ける。両の手に自然と力が入る。前の打者二人は簡単に打ち取られた。大歓声を背中に浴びながら、ネクストからバッターボックスへ向かう。

 

「(そうだ。僕は、ずっと待ち望んでいたんだ。この瞬間を――)」

 

 打席に立ち、真っ直ぐと東亜(トーア)を見据える。

 

「フッ、さあ、行くぜ?」

「――来い!」

 

 二人の天才が醸し出すただならぬ空気に、スタジアム内にも独特な雰囲気が漂っている。それは、画面越しにも充分に伝わっていた。

 

「俺たちも、いつかここで――」

「うんっ!」

 

『投手タイトルを総なめした渡久地(とくち)東亜(トーア)。打率、打点二冠王の高見(たかみ)(いつき)。両雄が相見えます! 渡久地(とくち)東亜(トーア)、大きく振りかぶって第一球を――投げました!』

 

 この最高の舞台で、恩師である東亜(トーア)と真剣勝負が出来るように更なる高みへ、新しいステージへ向かってスタートすることを、強く心に誓い合った。

 

 ―7Game fin.―




これで完結となります。長々と最後までお付き合いくださりありがとうございました!

簡単な設定公開です。

タイトルの「7Game」は七つの挑戦を意味しています。
理香(りか)との契約」
「甲子園出場までの七試合の道のり」
「ナインの成長、東亜(トーア)依存からの脱却」
「プロ野球界改革」
「海外挑戦」
「優勝決定戦が七戦目、高見(たかみ)との再戦」
「将来、成長したナインたちとの真剣勝負」
多少苦しいこじつけの様な部分もありますが。基本的には、上記七つの意味を持つ形での構成を考えました。

シナリオ上の最終戦がオリジナル校だった理由ですが。これには当然、賛否があると想います。自身の中では当初から、最後は捕手同士の駆け引きでと決めていました。ただ、既存の高校で駆け引きを得意とする捕手に焦点が当てられている高校が無いこと、フライボール革命やピッチトンネルなどの理論を持ち込むため、総合的に判断し、オリジナル校でと言う決断に至りました。
この判断が正しかったのか間違っていたのかは、正直、今でも判りません。
いつか、振り返るときがあるかのも知れませんが。今は、ただただ最後までお付き合いいただけたことに感謝しかありません。
繰り返しになってしまいますが、最後までお付き合いくださりありがとうございました!


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Another Game
Another Game 聖タチバナ学園の挑戦


『ああっと! いい当たりが左中間を破った! セカンドランナーが帰ってくる! 中継を挟んでバックホーム! ですが、間に合いません! この回一挙4失点、7回コールドゲーム成立です。夏の王者が、秋の県大会二回戦で姿を消しましたー!』

 

            * * *

 

 聖タチバナ学園野球部、女子部員専用ロッカールーム。

 

「ま、覚悟してたけどさー」

「先輩たちが抜けた穴は想像以上に厳しいぞ」

 

 制服を着替えながら先日の試合を振り返る二人の女子、(たちばな)みずきと、六道(ろくどう)(ひじり)

 新チームの課題は、火を見るより明らか。

 みずき、夢城(ゆめしろ)優花(ゆうか)佐奈(さな)あゆみの変則サウスポー三人のうち三年生の二人が抜けた投手陣。特に、作戦指揮も担っていた優花の抜けた穴は想像以上に大きく、新チーム最初の大会は散々な結果に終わった。

 その彼女の妹、夢城(ゆめしろ)和花(のどか)が、二人よりも少し遅れて、ロッカールームにやってきた。

 

「早いですね、お二人とも」

「おーっす」

「和花、今日もブルペンに入るか?」

「ええ、そのつもりです。新チーム最大の課題は投手力ですから」

 

 聖の質問に答えた和花は、脱いだブレザーの上着をハンガーに掛け、赤色のネクタイを手早く解く。

 

「まあね~。男子が頼りにならないってワケじゃないんだけどぉー」

「うちは元々三年生中心のチームだったからな、こればかりは仕方ないぞ。中途半端に速いボールは絶好球、優花先輩はそれを懸念してた」

「前の試合で実際打ちこまれたしねー。ねぇ、和花。優花先輩、部活に出てこれないのー?」

「放課後は、ほぼ毎日塾があります。ワンランク上の志望校に変えると話していました」

「さっすがー」

「うむ。しかし、困ったぞ」

 

 聖タチバナ学園の監督は、野球未経験者の教師。練習メニューは個別練習も含めて今まで優花、新島(にいじま)早紀(さき)など三年生が中心に作って行ってきた。引退後は受験モードに切り替わり、顔を出してくれる上級生もいないのが現状。

 

「今日からの練習メニューですが、私なりに考えてきました」

 

 着替えの手をいったん止めた和花は、スクールバッグの中からタブレット端末を取り出す。それを受け取った聖は、みずきにも見えるようにして持ち、一緒に画面を見る。

 

「これは......」

「ちょっとハードなんじゃない?」

「それは、私の個人練習です。チーム練習は次のページです」

「個人メニューならなおのことハードだって言ってるんだけど。普段の倍くらいあるじゃん」

「本格的に二刀流を目指すわけですから。計算上オーバーワークではありません」

「みずき、メニュー確認が先だ」

「はいはーいっと」

 

 画面をスワイプさせ、次のページへ。姉の優花にアドバイスを貰って考えられた練習メニューは、個々のレベルアップを目的としたものが大半を占めていた。

 

「うちの課題は投手力ですが、勝ち上がるには劣勢の戦況を打開できる個々の力が必要になります。特に、メンタル面。恋恋高校との試合で痛感しました」

「確かに。恋恋高校の集中力は見習うべきだと思う。みずきは、打ちこまれると動揺が顔に出るからな」

「あんたは、小心者だけどね。外、外、外の逃げ一辺倒になるしー」

「むっ!」

「ふんっ!」

 

 頬を膨らませて互いに弱みを言い合う二人を横目に、練習着に着替え終えた和花は「そういうところです」と冷静にひと言添えて、静かにロッカーを閉じた。

 

「あんたはもっと口と顔を出しなさいよ」

「そうだぞ、和花はもっとコミュニケーションを取るべきだ」

「必要がある際は取っています」

「それじゃ足んないって言ってんの」

「うむ。言葉足らず過ぎだ」

「と言われましても。特段話すようなこともありませんし」

「それこそ、彼氏でも作ったらどう? 恋バナなら少しは話すようになるんじゃないの?」

「それで野球が上手くなれるのでしたら作ります」

 

 二人は呆れ顔、当の本人は不思議そうに首をかしげたままだった。

 準備を整えた三人は、ロッカールームを出た。9月の下旬にも関わらず、晴れ渡った青空から照りつける日差しは熱く、生温い風が駆け抜けるグラウンド。先に着替え終えた男子部員たちが軽めのキャッチボールで身体を動かしている横を通り、ベンチの前に立ったみずきは、号令をかける。

 

「はい、しゅーごー!」

 

 なかなか集まりが悪い。やや不満気に眉をひそめる、みずき。

 

「ダッシュ! 5秒以内に来ないやつは、グラウンド整備! ごー、よん――」

 

 突如始まったカウントダウンを受け、駆け足で整列。やや乱れた息が収まるのを待ち、新キャプテンに任命されたみずきは、来年の夏に向けて目標を打ち出す。

 

「来年の目標はもちろん、甲子園優勝よ!」

 

「いや、無理だろ」や「この前ボロ負けしたばっかじゃん」などなど......弱気な言葉がチラホラ耳に入るが、そんなことはお構いなしと言わんばかりに強気に言い放つ。

 

「なに、あんたたち文句あるわけ? 恋恋が優勝したんだからうちだって不可能じゃないでしょ!」

「あそこ、U18代表に3人も選ばれてたし。それに比べてうちは......」

「代表選出0人」

 

 あちらこちらで自虐的な笑いが溢れる。

 

「あんたたちねぇ......悔しくないわけ!?」

「落ち着け、みずき。和花も、言ってやってくれ」

「そうですね。橘さん、複雑に考える必要はありません。やる気のない方には辞めていただいて、やる気のある人だけで目指しましょう」

「いや、そこまで想ってないわよ?」

 

 みずきの言葉にまたも首をかしげる和花と、小さくため息をつく聖だった。

 とりあえずこの場は治まり、練習メニューへ移行。あんな様子だった部員たちも、誰もが真剣に取り組んでいる。野手としてのメニューを終えた和花は、内野手用のグラブを投手用のグラブに持ち替えて、ブルペンに入る。みずきのボールを受けていた聖は練習を切り上げて、彼女に声をかけに行く。

 

「よし、軽めに立ちで20球」

「既に肩は出来ていますよ?」

「内野送球と投球は違うぞ。本気で投手を目指すなら、まずはフォームをしっかり固めるところからだ」

「わかりました」

 

 聖の助言を素直に聞き、セットポジションで構え、ひとつひとつの動作を確認しながらボールを投げる。

 

「(やはり、制球力は抜群だ。その気になれば球速もみずきよりも出る。だが――)」

「これでは、抑えられませんね」

 

 自分の欠点は、和花自身がよく理解していた。

 緊急事態に備えて多少練習していたとはいえ、抜群の制球力はあくまでコースを狙った場合のもの。制球を度外視して本気で投げた場合120キロ出るかでないかの球速、実戦で使えるような変化球はなく、クイック、牽制、ベースカバー、バント処理など、クリアしなければならない課題は山のようにある。

 

「和花、手本を決めよう」

「そうですね。お手本はやはり、あの人になりますね」

 

 和花が上げたのは、サブマリン投法の早川(はやかわ)あおいと共に夏の甲子園を制した恋恋高校二枚看板のひとり、十六夜(いざよい)瑠菜(るな)

 利き腕の左右の違いはあれども、球速よりも高低前後左右を自在に投げ分けられるピッチングスタイル、スリークォーターの教科書のようなしなやかなフォームは、手本としてはこれ以上ない。休憩から戻って来たみずきも加わり、瑠菜が投げた試合映像を改めて見直す。

 

「打ちづらそうにしてるわよね~」

「ええ、特に右打者は相当意識しています。フォームでしょうか?」

「おそらくはな。同じサウスポーのあかつきの猪狩(いかり)、アンドロメダの大西(おおにし)と比べても球持ちがいいし、右肩の開きが遅い」

「けど、それだけじゃないわ。あの人の一番の武器は、これ」

 

 甲子園初戦対帝王高校の1球。ミートポイントの手前でスッと沈んだストレート。

 

「ストレートに近いスピードで沈む変化球。チェンジアップに近い球種なんだろうけど、握りは完全にストレートなのよね」

「リリースの瞬間、スナップを殺して意図的に回転数を押さえる。キャッチャーの捕球体勢からして、十六夜さんが意識的に投げていると仮定していいと思います」

「ふふーん。ま、ストレートと変化球の投げ分けは私も得意だけどねー!」

「得とく出来れば強力な武器だが、まずはフォームだ」

「ええ、それでは始めましょう」

「ビシバシ指摘してあげるから覚悟しなさいよ」

 

 ことある度にみずきに指摘をされたことを見直しながら、フォーム作りに取り組んだ。

 

            * * *

 

 部活帰りのみずきと聖は、甘味処に寄り道していた。

 

「和花、ここのところ悩んでる」

「そりゃそうよ。まだ練習始めてひと月ちょっとだし、簡単に上手く行くわけないじゃん」

「それはそうなのだが。何してるんだ?」

「んー? 新曲チェック」

 

 操作し終えたスマホをスカートのポケットにしまって、スプーンで掬ったプリンを口に運び、頬をほころばせるみずき。

 

「のん気だな」

「私たちが心配してもしょうがないって、こういう時の適任がいるしね。食べないなら貰うわよ? きんつば。たまには和菓子もいいわよね」

「誰も食べないなんて言ってない。そもそもプリン二つ目だ、太るぞ」

「な、なんですってー! あんただって、お昼に大福食べてたじゃん。お腹にお肉が乗っかってんじゃないの!」

「なーっ!」

 

 騒がしい女子会が続く夜。一足先に自宅に戻った和花は、姉優花の部屋ドアを叩いた。

 

「姉さん、少しいいですか?」

『ええ、構わないわ』

 

 返事を聞いて、優花の自室に入る。机に向かっていた優花が着いたテーブルの向かいに腰を下ろし、タブレットを置く。

 

「これを。姉さんの感想を聞かせてください」

「あなたのピッチングね。あら、ずいぶん様になったじゃない」

「いかがですか?」

「ダメね。これじゃ運が良くても打者一巡が限界よ。和花、フォームをマネるだけじゃ意味はないわ。マネたフォームを自分のものにしなさい。どれ程の努力しても、あなたは十六夜瑠菜にはなれないわ」

「十六夜さんのフォームを自分のものに......」

「和花、外に出るわよ」

「姉さん」

「気にする必要はないわ。適度な運動は、脳を活性化させるの。さあ、行くわよ。投手をやるからには、みずきを追い越して、エースを目指しなさい」

「はい」

 

 自宅の庭に出た二人は、今のフォームをベースに細かなチェックを時間が許す限り続けた。

 そして、ひと月が経ち。

 対外試合禁止期間になる最後の練習試合、和花の本格的な投手デビュー戦。相手は、他県の中堅校。

 

「和花、後ろには私が居るから気楽にね」

「ええ、頼りにさせていただきます。六道さん」

「ああ、サインの確認だ。ランナーが二塁に居るときはひとつスライドさせよう」

「わかりました」

「円陣! それじゃあ行くわよ? 聖タチバナ、ファイ――」

 

「オオー!」と気合いが入った声出し、先発メンバーがグラウンドに駆け出す。ホームベース前で礼をし、各々ポジションに散り、投球練習を終えた聖タチバナバッテリーの準備が整った。

 

「プレイボール!」

 

 球審のコール。

 聖のサインに頷いたマウンドの和花は、投球モーションに入る。その様子を生徒も疎らな教室の窓際から見守る、優花。

 

「ミスを恐れず思い切りいきなさい。和花」

 

 彼女の言葉が通じたかのように、アウトコース低めいっぱいにストレートが決まった。

 

「よし! ナイスボールだぞ!」

「いいわよ、その調子その調子!」

「バッチ来ーい!」

「打たせろ打たせろ!」

 

 バックの声援を背中に受け、力強く頷いた和花に迷いはなかった。ゆったりと力みなく投球モーションに入る。

 肌寒さを感じるようになった晩秋の空の下、聖タチバナ学園の新たな挑戦が今、幕を開けた。




現時点で続編は未定です。


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Another Game 二人の決意

まだどうなるかわかりませんが、アンケートにご協力してご協力いただけるとありがたいです。


 八月某日。

 熱い夏の戦いが幕を閉じた後も、地元挨拶、取材対応、都知事への優勝報告と、恋恋高校を取りまく環境は忙しなさが増すばかりだった。そして、ようやくひと段落がついたと思いきや、新たな話題が飛び込んで来た。

 昼休み、校長室に呼び出された鳴海(なるみ)奥居(おくい)甲斐(かい)真田(さなだ)の四名。恋恋高校の七瀬(ななせ)理事長は、対面して座る四人に用件を伝える。

 

「今朝、事務方から正式に連絡があって、君たち四人がU18日本代表の候補に挙がっているという話しがあった」

「に、日本代表? 俺たちがですか?」

「うむ。急だが、来週正式に発表されることになる。辞退の申し入れは都合上、明後日までに申し出て欲しいそうだよ」

 

 突然のことに、四人とも喜びよりも驚きや戸惑いの方がより強い。四人のうちのひとり、甲斐はやや目を伏せて呟き。この場に同席していた加藤(かとう)理香(りか)は、素速くフォローする。

 

「明後日まで......」

「深刻に考えなくていいわ。故障はもちろんのこと、受験専念とかを理由に辞退する人も珍しくはないそうよ。すぐに答えを出すことはないわ。今はまだ整理がつかないだろうけど、しっかり考えなさい」

「はい」

 

 席を立った四人は、理事長に一礼して校長室を後にする。

 四人が校長室から離れた頃合いを見計らって、理事長は理香に訊ねた。

 

「彼は、悩んでいたようですな」

「甲斐くんは、難関校への進学希望なんです。甲子園滞在中も隙間時間を見つけては、参考書に向かっていましたから」

「そうでしたか。ところで、加藤先生。彼の行方は?」

「......それも、まだ何も。ですが、自分の役目は終わったと言っていました。きっと、還っていったんだと想います。あの人自身の鉄火場へ――」

 

 ※あの人。猪狩夫妻と接触後ヨーロッパ各地を放浪、カジノ等ギャンブルを満喫中。

 

「勝負師ですから」

「そうですか。そうそう、それからもう一つ、今年も開催されることになったそうです」

 

 向かいの席に座り直した理事長は自身の机の引き出しから持ってきたA4サイズ封筒を、理香の前に置く。封を切り、中の書類に目を通す。

 

「これは......」

 

 書かれていたのは、元メジャーリーガー主催の女子選手を招いた特別試合。女子代表チームの監督就任と、メンバー選考の協力を求める旨。

 

「いかがしますか? 加藤先生」

 

 小さく息を吐いた理香は、窓の外へ顔を向ける。

 熱い日差しが降り注ぐソフトボール部と兼用のグラウンドの片隅の木陰で、三年生が抜けて六人しかいない一年生たちが、次期キャプテンを誰が務めるか話し合っている。

 

「お引き受けします。あの子たちの、来年入ってくる生徒たちのために」

「そうですか。では、私の方から返事をしておきます」

 

            * * *

 

 U18代表合宿当日の朝。鳴海、奥居、真田。そして、バックアップメンバーに選ばれた矢部(やべ)を含めたの四人が甲子園へ向かった時と同じ東京駅発の始発の新幹線に乗車し、出発の時を待っていた。

 

「いよいよだな。まさか、日本代表に選ばれるなんてな」

「そうか? オイラは、選ばれると思ってたぜ」

「そりゃ奥居は当然だろ。つーか、同じ学校から20人の枠に三人も選ばれるって地味にスゴくね?」

「派手にだよ。甲斐くんは、残念だったけど」

「仕方ねぇよ、うち進学校だし」

 

 悩み抜いた結果、甲斐は学業を優先するため代表を辞退。

 彼の他にも辞退者が数名出て再選考が行われた結果、恋恋高校からは三名が正式に選出。

 

「ま、三人でも上等だよな」

「だよなー。そういやあ、女子代表の監督は加藤先生が就任するらしいぜ~」

「うん、聞いたよ」

「正直、羨ましいよな。あのスーパーレジェンドと試合できるなんてさ。それに今年は、去年現役引退したも結構参加するって噂じゃん」

「それ、どこ情報?」

「噂だよ、うわさ。現役選手も出るかもって話もあるらしいぞ」

「へぇ、後で訊い――」

「三人とも、オイラを忘れないで欲しいでやんすー!」

「なんだよ? 矢部」

 

 痺れを切らした矢部が、声を荒げる。

 

「シカトとは立派なイジメでやんす、精神的苦痛を受けたでやんす、慰謝料を請求するでやんす!」

「別にシカトなんてしてないよ。むしろ、なんで話に入ってこないのかなーって思ってたし」

「話が、代表に選ばれた三人前提だったでやんすー」

「“正式”にはって話だろ。バックアップメンバーだって、立派な代表選手だろ」

「それはそうでやんすが......」

 

 アナウンスが車内に流れる。ドアが閉まり、ゆっくりと動き出した。隣駅の品川で、覇堂高校の木場(きば)嵐士(あらし)が合流。新横浜で下車、バスに乗り換えて、合宿場最寄りのバス停へ向かう。

 

「俺たちしか乗ってないけど、他の学校の代表選手はもう着いてるのかな?」

「他県のヤツら大抵前乗りしてる。春ん時は俺もそうだった」

「へぇ、そうなんだ。代表の合宿ってどんな感じ?」

「メンツが違うってだけで普段とそう変わんねえよ。全体練習とポジション別練習ってとこだな」

「あ、そっか。全体練習あるんだ。まあ、あるよね普通」

恋恋高校(うち)あんまりやらないからな~」

「でやんすね」

「はあ?」

 

 木場は、すっとんきょうな声を上げる。バス停に着くまでの間、恋恋高校独自の練習内容を四人から聞いた木場は、考えられないといった様子で訝しげな顔をしたままだった。

 

「着いた、あそこだ」

 

 下車したバス停から歩いて数分、合宿場に到着。球場の入り口前には、先に到着した他校からの代表選手が集まっていた。木場を先頭に集団の下へ向かう。

 準優勝校アンドロメダ学園のエース大西(おおにし)=ハリソン=筋金、野手二名。準決勝で死闘を演じた壬生高校からは近藤(こんどう)土方(ひじかた)、唯一の一年生沖田(おきた)。ベスト4の白轟高校、北斗(ほくと)八雲(やくも)。一回戦敗退だった帝王実業からも蛇島(へびしま)桐人(きりと)友沢(ともざわ)(りょう)など、全国区に名を連ねる豪華な顔ぶれが並んでいた。

 

「お、懐かしい顔がいるじゃねぇか。よう」

「......木場」

 

 木場が声をかけたのは瞬鋭高校三年、才賀(さいが)侑人(ゆうと)。広角に打ち分ける抜群の打撃力が持ち味の三塁手。木場とは中学時代からの顔見知り。

 

「相変わらず辛気くせえな」

「ほうっておけ。そのジャージは、恋恋高校か」

「ああ。俺、恋恋の鳴海」

 

 矢部、奥居、真田を紹介し、握手を求めて手を伸ばそうとしたところ。

 

「悪いが、馴れ合うつもりはない」

「気にすんなよ。堅物だけど悪いヤツじゃねぇから。なんだかんだ言いつつ練習中以外はちゃんと答える律儀なヤツだからよ」

「......余計なことを」

 

 憮然とした顔のまま、やや気恥ずかしそうに視線を背ける才賀に恋恋高校の面々は吹き出しそうになった。

 初対面、顔見知りと挨拶を交わしていると、高級外車が集合時間間際に駐車場に乗り付ける。後部座席から姿を現したのは、あかつき大附属のトレーニングウェアを着た二宮(にのみや)瑞穂(みずほ)と、猪狩(いかり)(まもる)

 

「思ったよりかかったな、電車のが正解だったかもな」

「......キミが強引に押しかけたんだろう」

 

 これで、バックアップメンバーを含めた全員が集結。

 スタッフの案内で球場内のロッカールームへ。各自荷物を置き、ミーティングルームへ移動すると、監督、コーチ陣が待っていた。

 

「あん? 誰だ? あのオッサン。どっかで見たような気が――って、うちの監督じゃねーか!」

「......座れ、二宮。他の者も楽にしてくれ」

 

 白髪交じりのオールバックにヒゲ面、サングラスをかけた千石(せんごく)(ただし)はホワイトボードに自らの名前を書き、椅子に座った選手たちと対面。

 

「今回、日本代表監督を務めることになった千石だ」

「監督。どういうことですか?」

 

 猪狩が挙手し、訊ねる。

 

「うむ。本来監督を務めるはずだった方が体調を崩してな。スケジュールは変わらない。至らないこともあると思うが、よろしく頼む」

 

 会釈した千石に「お願いします」と全員で声を揃えて答えた。

 配られたスケジュール表を片手に大まかな説明を受け、練習着の上から名前と背番号入りのゼッケンを着けて、グラウンドに出る。軽いウォーミングアップをしたのち、ポジション別に分かれて本格的な練習が始まった。

 

「おりゃ!」

「フッ!」

『おお~!』

 

 奥居と才賀の打撃練習を見て、スタンドに詰めかけた取材班が声を上げる。

 

「声をかけてみてはどうだい? こういった時にしか得られないこともあるよ」

「そうですね」

 

 蛇島に背中を押して貰った友沢は、打撃練習を終えた二人の下へ。

 

「お二人は、何か気をつけてることってありますか?」

「オイラが一番気にしているのは、風でやんすね。風向きも考慮してバッターごとに守備位置も変えてるでやんす」

「風は、送球も影響受けるから重要だな。あとは足下か。芝の長さ、水を含んだ時の弾み具合とか」

「へぇ、いろいろ考えてやってるんですねー」

 

 真田は、矢部や沖田、バックアップメンバーも交えて意見を交わし。ブルペンは、バッテリー陣が組み合わせを替えながら投球練習を行っている。

 

「ハーッハッハ! ボクの鮮やかな変化球に酔いしれたまえ!」

「オイ、テメェ! サイン通り投げやがれ!」

「解き放たれたボクは、何者にも縛られないのさ!」

「北斗、カットは無理に対角を狙わなくていい。右打者の外角の出し入れを覚えてピッチングの幅を広げろ」

「わかった、いくぞ!」

 

 二宮は、虹谷と。土方は、北斗のボールを受け。鳴海は、猪狩のボールを受けている。

 

「フッ!」

「ナイスボール!」

 

 猪狩にボールを投げ返したところで千石に声をかけられた鳴海は、顔を上げる。

 

「どうだ? 受けてみた印象は」

「この手のボールを受けるのは初めてなので、少し戸惑っています」

「今年は、左右様々なタイプの投手が選ばれている。可能な限り多く受けて経験を積むといい」

「はい! 猪狩、そろそろ変化球も混ぜていこう」

「ああ」

 

 練習に戻る。ネット裏に移動し、投球練習を見守る首脳陣。

 

「投手野手共に豊作ですね。千石監督」

「ええ。喜ばしい反面、責任も重いですが」

「ははは。しかし、信じられませんね。あれ程の捕手が、元遊撃手とは......」

「彼だけではない。みな見出されたのだ、あの男に――」

 

「この試合は、勝負の最中に目を切ったアンタの負けだ」東東京予選決勝戦終了後に指摘された言葉が、千石の脳裏に蘇る。

 

「......いかんな、余計なことを考えていては」

「何か?」

「いや、なんでもない。明後日予定通り、バックアップメンバーも含めた練習試合を行う。我らも気を抜いてなどいられんぞ」

 

 練習試合に向けたチーム分けのため、メンバー表を片手に各選手たちの元を見て回った。

 そして数日の合宿後を終え、U-22日本代表との親善試合を経て、彼らは戦いの地へと飛んだ。世界一の称号を目指して。



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