いずれがアヤメかカキツバタ (あきみずいつき)
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いずれがアヤメかカキツバタ

渋にいくつか短編が貯まっていまして、夏か秋頃にはまとめて短編集にするんですが
それのタイトルにもなっている短編であります。
戊辰戦争末期の函館五稜郭を舞台にガチンコシリアスものが書きたくて書いたお話です
ので、ぐだぐだはしていません。

ぐだ沖です。
函館ですからあの人も出てきますが、そういう役どころではありません。


 

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 [chapter:序 ]

 

 月明かりの差し込む部屋の中で、男は暗闇に向かって白刃を向けている。

 ――その眼光は。

 かつて時代を切り裂き、穿ち、嚙み千切り。

 名を聞く敵を震え上がらせた狼のそれだ。

「お前の言う話が本当だとして、だ。ならば敗軍の将になると言う俺に肩入れする理由は何だ?」

 暗闇の奥に佇むそれは問いに言葉では答えず、代わりに男の手元に一つの光球が浮かび上がる。

 その光球は朱く昏く、この世の怨念を一つに固めたような光を放ち、男の体に吸い込まれていく。

「これは……」

『手を伸ばせ』

「――⁉」

 佇む闇からの言葉が頭に響く。

『想像しろ』

「想像だと?」

『思い描け。貴様の望む力の形を。貴様の取り戻したい刃の形を』

「――俺の望む……刃」

 男のかざした手から黒い霧が溢れ、それはやがて確かな形を持って行く。

「これは……こいつらは……!」

『その刃で何を為すか……見せて貰おう』

 その言葉を最後に、先程まで部屋の中に在った声の主の気配は消え失せた。

 しかし、男にとって既に声の主に対する興味は失せ、目の前に在る黒き者の姿を血走った眼差しで捉えていた。

「妖術使いの腹積もりなぞ知った事か。……しかしこの力、この刃。遠慮なく使わせてもらう。こいつは俺の……新しい牙だ」

 

 

 

 

 

 [chapter:壱 ]

 

 その日、私が主の部屋へ赴くと、ふとどこか懐かしい香りが鼻を擽った。

「やあ、おはよう総司」

 主が振り向いて微笑む。

 主は丁度入り口の花挿しに薄紫の花を活けている所だった。

「おはようございます。……これはまた風流な……ふむ、アヤメ……ですか?」

 生前の記憶では野山の至る所でこんな花を見掛けた記憶がある。

 けれど、あの花はもう少し色味の強い花だった様な気もするのだが。

「はは、似ているけれど[[rb:花菖蒲 > はなしょうぶ]]って種類だね」

 学の無い私はあまり草花の細かい分類はわからないが、どうやら別の花らしかった。

「ダヴィンチちゃんにお願いして、霊基を編んでそれらしいレプリカを作って貰ったんだ」

 はて、『れぷりか』……よく似せた作り物と言う意味だったかな。

「……と言う事は、その花は造花なのですか?」

「まあ自然に生えてるものを取って来たわけじゃないし、そうなるかな。でも、ちゃんと世話しないと枯れるらしいし、適度に湿気を与えてやるといい香りがするんだ」

 そう言って彼は霧吹きで花菖蒲に軽く水を吹きかける。

 確かにどこかで嗅いだ香りだ。

 朧げな生前の記憶のどこか。

 英霊として主に仕える遥か以前。

 剣一本で生き抜いたあの頃の、血生臭い日々のどこかにも、こんな落ち着いた香りがあったのだろうか。

「ドクターから教えて貰った知識だけれど、総司の居た時代の日本では、丁度暦で言えば……五月から六月頃によく見かけるらしいんだ」

 ――ああ。

 確かに。

「そう言えば……雨の中で一際匂い立つ花があったのを覚えています」

 試衛館で修練に明け暮れた頃にも、激動の京で過ごした頃にも。

 そして病で戦列を離れ、最期の時を迎えた千駄ヶ谷の家でも確かこの花の匂いがしていた気がする。

「あの頃を少し、思い出しますね」

 私の言葉に彼は少し心配そうな顔になって、

「ああ……っと、あんまりいい思い出じゃない事を思い出しちゃうなら片付けるけど」

「ふふ、いえいえ、そんなことは」

 何だか彼の焦った表情が面白くて、無礼とは思いつつも少し吹き出してしまう。

 おそらく主は主なりに、共に戦う私の事を気遣って、故郷に馴染みの有りそうな物を用意してくれたりしてくれているのだろう。

 今でこそいい加減慣れてもきたが、カルデアと呼ばれるこの場所は私からすれば南蛮文化極まれりと言った趣である。

 私と同じくここを根城にしている者達の風習も初めは理解が及ばぬものが多かったものだ。

 そんな環境に中々馴染めぬ私を見兼ねたのか、主は時々このような計らいをしてくれている。

 歳はまだまだ若いながら、近藤さんの様な部下に対するやや不器用な優しさを備えている様に感じる事がある。

 血に塗れた手の私が言うのもおかしな話だが、主の隣は陽だまりの様で居心地が良いものだった。

「いや、主は実に面白い」

「な、何だよ藪から棒に」

「いえいえ、こちらの話です故」

 そんなやり取りをしている折に、唐突にピピッと部屋の天井にある『すぴいかあ』から音が鳴り、聞き覚えのある男の声が聞こえてくる。

『立香君、部屋に居るね?』

 主がドクターと呼ぶ男の声だ。

「ドクター、何かあったの?」

『うん、まあ……あったと言うか現在進行形であると言うか。ともあれちょっとブリーフィングルームに来てくれるかな?ついでに沖田君も探してきてくれると助かるんだけれど』

 言われて私と主は顔を見合わせる。

「総司もここに居るけど?」

『む、なら丁度いい。とにかく急いで来てくれるかい?』

「了解」

 ピッ、と連絡を終える音がする。

「……はて、なんでしょうね」

「ドクターのああいう言い回しの時は大概ロクな話じゃないんだよな」

 そう言って彼は苦笑して部屋を出る。

 彼の後に続いて部屋を出るとき、花挿しに活けられた花菖蒲がほんの少し揺れた気がした。

 

 

 

「やあ二人とも、よく来てくれたね」

 ドクター・ロマン。

 このカルデアに於ける命題『人理定礎の修復』を取り仕切る男だ。

 主の実質的な上官にあたり、数多くの時間旅行は彼とその部下達の支援によって成り立っている。

 時折喰えない性格に見える事もあるのだが、主が全幅の信を置いている様なので私も変な勘ぐりはしないように勤めている。

「早速なんだけど、これを見て欲しいんだ」

 ドクターが示した光る文字の浮かび上がる『もにたあ』と言うものを見やると、何やら主が怪訝そうな顔をし出した。

「これ……特異点?いやでも……」

「うん……確かに特異点の反応と似通って見えなくもないし波形も近いんだが、それにしては反応が弱めでね。魔人柱がお出ましするような聖杯絡みの事象では無さそうなんだよね。ほら、立花君が以前飛ばされた現代日本の幽霊マンションとか、あの奇天烈な魔法の国とか、昔の冬木の聖杯戦争に近い感じって言えばわかるかな」

 あれらは確かに半ば固有結界の様な世界を形成する役割を果たしていたし、歪みも次第に大きくなっていって予測不能な事象が数多く発生していたっけ。

「あの時は歴史に対する干渉は小さかったけれど、発生する歪みの時代と場所によっては大きな影響が出るんじゃない?」

「そう。歴史ってのは小さな事象の堆積だからね。極端な話、個人レベルの一つの事象の裏表が逆転する事で、巡り巡って国の歴史が裏返る事だって起こりうるのさ」

「そんな大げさな」

 私が笑って言うとドクターは首を横に振る。

「いやいや。例えばそうだね――日本の話で言えば戦国時代の石田三成だって過敏性腸症候群がアダとなって関ヶ原の指揮はグダグダだったなんて逸話があるくらいだ。これが万全であったら、戦の結果はだいぶ変わっていただろうさ」

 そういうものなのか。

 まあ確かに……そう言う見方をしてみれば、池田屋の時に宮部だけでなく桂小五郎もあの場に居合わせていたら、その先の歴史だって大きく変わっていたかもしれない。

「そんなわけで、二人にはちょっとこの特異点モドキの調査をお願いしたくてさ。マシュにもお願いしたかったんだけれど先日の疲労がまだ抜けていなくてね。生憎万全とは言い難いんだ。そこで――」

「私の出番と言うわけだ、立香君、沖田君」

 現れたのは主がダ・ヴィンチちゃんと呼んでいる女性。

 曰く世界的に有名な芸術家兼発明家の英霊らしいが、私自身は彼女の出自の事はあまり深く知らない。

 ちゃんとした名前は何やら長ったらしい南蛮の発音で呼び難いので私もダ・ヴィンチ、とだけどうにか覚えている。

「なに、ここはお姉さんに全面的にナビゲートは任せたまえよ。キャメロットで私の実力も周知の通りだから心配無いだろう?お役立ちレベルなら未来の世界の猫型ロボットにも引けを取らんと自負する程さ」

 主と供に様々な時代を旅するようになって大分経つし、先日あった大きな戦いで彼女が奮戦していたのも目の当たりにしているので戦力的には申し分ないと思う。

 旅先で荒事があっても私は主の安全を確保する事に専念できようと言うものだ。

 私がそんな考えを巡らせている隣で、主は映し出された文字の羅列を見ながらまた一段と怪訝な顔で彼女に尋ねる。

「ねえダ・ヴィンチちゃん……この特異点モドキの座標、1869年の日本てなってるんだけど」

「ふむ、勘のいい立香君は気付いたかな?」

 言われた主が私の方へ向き直る。

「主、どうかしたのですか?」

「うーん……日本で1869年って言うと明治二年にあたるらしくて……」

 明治。

 主から以前ざっくり聞いた事があるが、明治とは確か私が生きたすぐ後の時代だ。

 壬生狼と呼ばれ半ばならず者扱いをされながらも、都の治安維持の役目を授かった自分たちが人生の全てを費やし駆け抜けたその後の時代。

 私が生きて見る事が叶わなかった時代。

「そう。立香君と沖田君、それと私がこれから出向くのは1869年5月。場所は日本の函館。君の兄貴分、土方歳三が戦っている函館戦争のど真ん中さ」

 

 

 

「歳さんが……」

 私が死んでからも、新選組の戦は続いていた。

 言われてみれば至極当然の話だが、何分この実感の無さは死んだ事のある者にしか得心が行くまい。

 英霊として現界する先を自分で決める事はできない。

 数奇な巡りあわせで今の主――藤丸立香と言う人物と出会い、様々な時代・様々な国を旅してきた。

 だが、数千年に及ぶ歴史の旅路でよもや自分が生身で戦っていた時代の、しかも見知った者が戦いに身を投じている戦場へ赴く事になろうとは夢にも思わなかった。

「立香君、沖田君」

 ダ・ヴィンチは一枚の紙を取り出し、何やら私の前で書き始める。

「レイシフトを行う前に、まずサラッと前情報と目的を整理しておこうじゃないか」

 ドクター達の言うところの1869年と言うのは、生身の私が労咳で死んでから約一年後を指すらしい。

「沖田君が戦っていたのは京都までだが、君が戦線を離脱してからも他の隊士達の戦は続いていた」

 彼女は私が具合を悪くして大阪城での療養を余儀なくされた鳥羽伏見以降に起きた事を大まかに紙に書いて見せる。

 甲州勝沼の戦で敗れ、江戸へ帰還する事もできず流山で捕らえられた近藤さんが板橋で斬首となった事。

 会津へ行った斉藤さん達の事。

 そして歳さん達が宇都宮・会津経由で仙台へ入り、更に蝦夷へ転戦した事。

 とりわけ近藤さんが私の存命中に亡くなっていた事は衝撃だった。

 皆、一個の『己』として精一杯生き抜いた結果なのだろう。

 それらに関して私がどうこう言う事は野暮と言うものだ。

 ただ、できるのならば。

 もう一度彼らと会って、それぞれがどんな思いで人生を駆け抜けたのか、笑いながら語り合ってみたいと思った。

「それで、今回赴く函館戦争なのだけれど、宜しいかな?」

「え?ええ、構いません。大丈夫です」

「では続けるよ。今回、件の特異点……に似た反応、便宜的に特異点モドキと呼ぶけれど、これが発現している地点は旧幕府軍が籠城する五稜郭付近だ。日付は五月初旬とみられている。これは旧暦なので今の暦とは少しずれているがね」

 ダ・ヴィンチがそれまで表記してきた歴史の端に『函館戦争』と書き込んでマルで囲む。

「五月はこの戦の終盤戦で、十一日には土方歳三氏も仲間の救援に出た際に戦死しているんだ。函館戦争を含む一連の戊辰戦争はこの一週間後に終結を見る事になる」

 そうか……歳さんはこの戦で命を落とすのか。

「それで、この座標に特異点モドキが出現するとなる事で出る影響だけれど……これまでの似たような前例からして聖杯程の力は発揮しないまでも、人の身には余る力を振るう可能性はある」

「……」

「それを調査の上、阻止または除去する事が我々の目的と言うわけだ」

「なるほど……」

 勝敗はどうあれ、侍達が己の命と信念を賭けて戦った戦に魔性の輩が水を差す様な事は承服しがたい事だ。

 人ならざる魔の者が壬生狼の誇りに傷をつけるのならば。

 人ならざる存在となった私の手でそれを打ち払う事こそが、理であると感じた。

「主、ダヴィンチ殿。やりましょう」

 私は気合を入れるため、自らの頬を軽く叩いた。

 

『アンサモンプログラム、スタート。霊子返還を開始します』

 こうして私達は。

『レイシフト開始までカウント3、2、1』

 あの動乱の時代へ――。

 

 

 

 

 

 

 [chapter:弐]

 

 ――私達は今、全力で夜の森の中を逃げ回っている。

「ダヴィンチ殿、これは一体どういう状況なのですか⁉」

「あっはっは。いやあ~、これは予想外だねえ」

「笑い事じゃないよ!あの人達問答無用すぎでしょ!」

 とりあえずダ・ヴィンチに先頭を走らせ、主に続いてもらい、後方で私が殿になる格好で背後から迫る追っ手を走りながら切り払う。

 銃弾を撃ってこないのがせめてもの救いだが、主を護衛しつつ十人余りの追っ手をどうにかしないといけない。

 斬ってしまえば話は早いのかもしれないが、状況がそれを躊躇わせた。

「……まさか新選組に追われる事になるなんて……!」

 あろうことか、追っ手は全て見覚えのある羽織を纏っていた。

 あれは京都の警邏をしていた頃に着ていたものと酷似している。

 ただ一点異なるのは、その全てが灰色で統一されている事だった。

「チッ!」

 振り向きざまに切り結んだ灰色の羽織の隊士に蹴りを入れ、刀を弾き飛ばして再び走る。

 状況が掴めないまま新撰組隊士を斬り伏せる事は避けたかった。

「立香君、沖田君、前方に川がある、飛び込むぞ!」

「この時期まだ北海道の川ってだいぶ冷たいと思うんですけど⁉」

「悪いけどちょっと我慢しておくれ!」

 ダヴィンチは言うが早いか川へ飛び込み、主と私もそれに続く形になった。

 

「もう早速イレギュラーでしょ……どうなってるのこれ」

 どうにか追撃を振り払った私達は『ダ・ヴィンチちゃん謹製どこでもテント』とやらで休息を取りつつ状況を整理しようと言う事になった。

「説明しよう。このテントは展開までに時間が掛かるが、表面に気配遮断の魔術を付加する事によって本体及び周辺5メートルに疑似的な光学迷彩効果を発生させる便利品なのだ」

「テントの説明はいいから状況の説明をしてくれダ・ヴィンチちゃん……」

 疲れ切った様子で主がぼやいている。

「ふむ……どうも史実の1869年五月の戦況とはかなり差異が生じ始めている様だね」

「新撰組隊士の生き残り……本来の歴史でも何人かはここに居るには居るんだろうけど、あの服装はおかしいでしょ……」

 主のぼやきはもっともだ。

 そもそも姿形が酷似していると言っても、あの羽織の色はいくら何でもおかしい。

 京都で使っていたものは浅葱色をしていた。

 それだって私が江戸で療養し出した時点で既に身に着けていなかったものだし、誂えるのに近藤さんや歳さんが金策に苦労していたのを覚えている。

 鳥羽伏見以降、不利な戦況が続く中でわざわざ新調したとも考えにくい。

 ダヴィンチは手製の調理器具で作った暖かい汁物を私と主に手渡しながら、

「まあ、あまり考えたくない展開だけれど、あれを見てしまうと聖杯モドキは既に使用されていると考えるのが妥当かもしれないね」

 サラッととんでもない事を言う。

「……ダ・ヴィンチちゃん、それは一体どういう……」

「いいかい立香君。そもそもこの時点で函館に新撰組の名前は無いんだよ、本来ね。土方氏だって蝦夷共和国政府の軍事部門統括のような立ち位置なのだし、島田某にしてもこの戦争でもう新撰組の名前は出していない」

 そこに灰色の羽織を纏った新撰組隊士。

 不可解な話だ。

「少なくともやっぱりあの連中は正しい歴史上には居なかった存在だ……って事か」

「そうだね。で、ここからは私の推論になるけれど……特異点モドキのこのフィールドで聖杯モドキが作用していると考えるなら、彼らそのものが魔術的な産物と考えるのが妥当な線だろうね」

 あれも作り物だと言うのか。

 いや、しかし……

「ダ・ヴィンチ殿、私は先程連中と幾度か切り結びました。一瞬の事ではありましたが、彼らからは剣術に用いる呼吸が確かに感じられました。あれが作り物にはとても思えないのですが……」

 私が反論するとダヴィンチは『ふむ』と少し思案する仕草の後、

「種も仕掛けもございます」

そう言って掌の上にポン、と一輪の花を出して見せる。

「その花、主の部屋に在った花菖蒲……」

「立香君に頼まれて私が霊基を編んで作ったものと同じ物さ。良い香りがしただろう?」

「ええ、見た目も手触りも作り物には思えませんでした。しかしそれとあの隊士達と何か関係があるんですか?」

「このレプリカの花から良い香りがしたり、世話をやかないと枯れてしまうのはね、私が花と言う物を“そういうものだ”と認識している上で霊基を編んだからなんだ」

 ……術者個人の認識が反映されていると言う事か。

「つまり造形魔術の理論で分析するならば――彼ら灰色の新撰組隊士を『剣士とはこういうものだ』と言う確たる認識を以て想像すれば、沖田君が先程言った様な剣術の呼吸の様な要素も再現される可能性が高い。おそらく聖杯モドキの力を使って大量に生み出された本物に近い新撰組、と言うのが私の見立てだね」

 魔術と言うのはそんなに細やかな細工が可能なのか……ましてや人とそっくりな存在を作り出すなど……。

『彼女の分析は概ね正解だと思うよ』

 唐突に声がする。

 よく見ると天井に『すぴいかあ』が張り付いていた。

「ドクター、通信繋がってたの?」

「ダヴィンチちゃんのテントに通信装置を付けて貰っておいたから、そのテントを展開している間は基本オンラインなんだ」

「……こっそり聞いているとはあまり褒められた趣味ではありませんね」

 私が嫌味を漏らしたが、ドクターはあまり気にしていないようだった。

「まあまあ、お堅い事言わないでよ。それより五稜郭前で例の連中と君達が鉢合わせした辺りからモニタリングしていたんだけれど、通常の人間の生命反応は君達の周辺には無かったんだよ。在ったのは複数の霊基反応だけ。勿論君達とは別のだよ」

 ドクターとダヴィンチの話によれば、あの連中は侍がどんな物なのかがきちんと理解した上で魔術の類を使って生み出していると言う事だ。

 実際斬りあった感覚から言えば、剣術に必要な技法の数々もある程度習得しているようにも見えた。

「ここまでの話からすると……作りたい物に対する知識が多ければ多いほど、それは緻密に再現されると言う事なのですね?」

「総司、何か気になるの?」

「ええ、彼らには、一人一人に技量の差があったのです」

「……どういう事?」

 主が怪訝な表情になる。

「ダ・ヴィンチ殿の言う理屈で人形を作るとして、幕府方に例えば魔術や妖術の類を扱う者が味方して新撰組を真似た人形を作り出すなら……連中一人一人に技量の差が生まれる様な事はあるのでしょうか……?」

 呪い専門の人間では、おそらくそう言った認識は生まれないだろう。

「それはつまり……『隊士個別に技量差がある』と言う認識を明確に持っている人間があれを作ったって事……?」

「そういう事になるかな」

 正直、一番考えたくない展開かもしれない。

 今の話を総じて結論を出すならば。

 私の今回の敵は、まやかしの新撰組を率いた本物の新撰組関係者と言う事になるのだから。

 

 

 

 

 

 月が時折、雲間から顔を見せていた。

 崖下に組まれたテントの傍の手近な岩に腰掛け、私は夜空を見上げながら自身の心に問いかける。

 ――戦場に事の善悪無し。

 それはかつて、私自身が刀を振るう時の信条だった。

 別段崇高な思想信念から来た物ではない。

 近藤さんや歳さんの下で戦っていた時には、私自身が理想や大義を持つ必要が無かったからと言う、只それだけの話だ。

 別段好きで人を斬っていたわけではない。

 余計な事は考えずに信じていた近藤さんや歳さんが倒すべきと決めた相手を斬っていれば、彼らが思い描いた国の未来があると思って斬り続けた。

 何より、相手に生きる価値があるかどうかを見定める様な大層な眼など私には無いと思ったからだ。

 それで良いのだと、生前は疑う事もしなかった。

 けれど、今の私は――。

「総司」

 ――と。

 テントから出てきた主が私の隣に腰掛けた。

「はい、これ」

 小さな包みの中から鮮やかな色の菓子を取り出し、私の掌に数粒乗せる。

「……金平糖……ですか?」

「何か難しい顔してたからさ、甘い物食べたら少しは気分が晴れるかなって」

「こんなのどこから持って来たんです?」

「前にカルデアで作り方教わっててさ。日保ちもするし、持ち歩いてるんだ」

「……ふふっ」

 思わず吹き出してしまう。

 こういう緊迫した雰囲気を容易く解きほぐしてしまう所は実に主らしい。

「あれ?何か変だったかな?」

「いえ、そういうわけではないんですが……ふふ、いただきます」

 貰った金平糖を頬張ると、口の中に徐々に広がる控えめな甘さが私の頭にかかった靄を少し晴らしてくれた。

「考えがまとまらない時は、甘いものが効くよねえ」

 主も雲間の月を見上げながら、何粒かを味わっている。

「――主。今回の相手は、恐らく私の見知ったかつての同胞になります」

「……そうだね。さっきの話からすれば、史実でもここに来ていた新撰組幹部の生き残り……十中八九、土方歳三さんになる。島田って言う人は五稜郭から結構離れた場所に居るみたいだから考えにくいって、さっきドクターが言ってたよ」

「ええ。そして歳さんは軍略に長けた将です。あの灰色の隊士達を使って本来辿る歴史から大きく外れた道に踏み出そうとしているならば、歳さんが本格的に打って出る前に私達はそれを止めなければ事は至難になります」

 魔術によってここから新政府との戦況をひっくり返そうとするならば、それはもう人の戦争ではない。

 けれど。

 けれど、兄の様に思っていた歳さんが本当に道を踏み外してしまっていたとして、果たして私は彼を斬れるだろうか。

 私自身、隊士を粛清した過去はある。

 脱走した山南さんの介錯をした日の事も、拭えぬ過去だ。

 しかし当時は結局、人を斬る理由さえ人に委ねて生きていたのだ。

 いっそ主が淡々と斬れと命じてくれるなら、私は悩む事をせずに歳さんをも斬る事ができるかもしれない。

 でも。

 この藤丸立香と言う青年は、そう言う類の人間ではない。

「……いざ相対した時、私に歳さんを討てるかどうか、正直自分でもわからないのです。歳さんが外法に手を染めてまで戦うのだとして、それを否定できるほどの信条を私はこの剣に宿せるのでしょうか」

 私の言葉の後、しばらく黙っていた主がこちらに向き直る。

「ねえ、総司」

「はい」

「僕は、生前の君の剣は見たことないけどさ」

「……はい」

「……初めて会った頃と比べたら、随分君の剣は変わったんじゃないかなと思う」

 ……。

「まあ……毎回僕が無茶な状況に首突っ込んじゃってるせいかもしれないけれど、色んな時代を一緒に旅して、いつも僕らの道を切り開いて来てくれた今の君の剣は、好きだよ」

 ――ああ。

「いつも真っすぐで、力強くて」

 ――そうだ。

「あのキャメロットの絶望的な状況でも、君の剣は大勢の人達を救ってくれたじゃないか」

 ――私はいつだってこのお人好しな青年と一緒に、彼が手を差し伸べた人達のために刀を振るってきたではないか。

「ここで旧幕軍が、人の力以外でここで終わるはずだった戦争をただの折り返し地点にしてしまったら、少なくともこの時代の人達はこの先また何年も戦火にさらされる」

 今の私の振るう剣は……言われるまま相手を切り捨てるのではなく、目に映る力無き人々を守ろうとする彼と共に在るために振るってきたものではなかったか。

「……ええ。私達は敗者と言う立場でしたが、この戦を経て国は新たな時代を迎えます。来るはずの市井の人達の安寧を、理を外れた力で捻じ曲げようとするならば――討ち払うまでです」

 そう言った私を見て、主は静かに微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 雲間から覗く月の光が城内に差し込む。

 この城周辺を記した地図を睨みながら、戦局を覆す算段を思案する。

 全体の戦況は未だ以て芳しくない。

 “影の隊士”を使って全方位に仕掛けられれば話は早かったが、件の妖術使いから貰った力も無尽蔵無制限と言うわけではない。

 扱うのが人の身である以上、無茶をすれば術者の方がもたないし、術者が離れすぎると霧散してしまうらしかった。

 とはいえその力は絶大で、影の隊士は刀や銃弾を浴びても息絶える事が無いのである。

 運用する場所では少なくとも負ける事はあるまいと考えて戦術を立てて行く。

「近藤さん……俺達は、新撰組はまだくたばらねェよ。俺が終わらせねェ。この新しい新撰組で、もう一遍俺達の時代を取り戻す」

 誓うように呟いた後、グラスの酒を一気に飲み干した。

 

 

 

 

 

 [chapter:参]

 

「――つまり、あのハイカラ人斬り娘は小僧と日の本へ行って昔の自分の上官と斬り合いする羽目になっとるのか」

「うん……まあ、大雑把に言うとそうなんだけど……」

 軍服の少女は尊大な口ぶりで『ざまあないの』と意地悪く笑い、菓子を雑に頬張り茶をすする。

 ああー……この子僕苦手なんだよなあ。気は短いしすぐ怒るし善悪よりも好き嫌いで判断するし義理人情は通じないし……。

「魔術師、不平不満が顔に出とるぞ」

 ピタリと鼻先に突きつけられた刀の切っ先を凝視する僕の頬を汗が伝う。

「あああ落ち着いて落ち着いて、刀をしまってお願いだから」

 新しい洋菓子をいくつかを出して何とか機嫌を取る。

 周辺ののスタッフは完全に場の空気に呑まれて硬直してしまっている有様だった。

「それで?貴様は儂に何をせいと言うのじゃ」

 シュークリームを口に運びつつ、彼女は僕の顔をジッと見る。

 少女の形をしてはいるが、こういう時の眼光はやはり天下統一に迫った武人の目だ。

 思わず背中を悪寒が走る。

「正直な所、個人ではなく新撰組そのものをシャドウサーヴァントとして疑似召喚する程の大型魔術が使用されていると推測される以上、対軍宝具を持たない沖田君が立ち回るにはいささか不利だ」

「……で?」

「お目付け役で行ってもらってるダ・ヴィンチちゃんも、マシュ程ではないけれどキャメロットでの消耗は癒え切ってないからフルスペックで大軍相手に戦闘するのは厳しいと思う」

「……儂はまどろっこしい話は好かぬ」

 彼女は冷ややかな表情を崩さない。

 むう……慎重に言葉を選んでの交渉は逆効果だったのだろうか。

 稀有な合理主義者であった彼女には結論から先にぶつけるべきだったかもしれないなあ……。

 今更悔いても仕方ないと、意を決して頭を下げる。

「1869年の函館へ飛んでくれ」

「断る」

 秒で断られてしまった。

 うわぁー……どうしたらいいんだこれ。

 他のサーヴァント達だって先日の戦いで多数戦に適した連中軒並み霊基の消耗激しくて行かせられないぞ。

 焦る頭の中でどうにか交渉の道筋を見つけようとする。

「そこを何とか頼むよ。普通の人間相手ならともかくシャドウサーヴァント多人数との戦闘じゃ、乱戦になったら立香君をガードしきれないかもしれないんだ。立香君も場数をそれなりに踏んできたとは言え、万一孤立したら新撰組相手に無事で済むかどうか……」

「死んだら死んだでそれまでじゃ。それが戦の理。不利なら帰ってくれば良いのに自分らで首を突っ込んだなら尚更じゃ」

「ッ……」

「儂は寝る。馳走になったの」

 そう言い放って彼女はブリーフィングルームを出て行ってしまった。

「所長代理……」

 スタッフが心配そうに声を掛けてきたが、僕は力なく背もたれに寄りかかって天井を見上げるしかなかった。

「場合によってはダ・ヴィンチちゃんに頼んで強制的にでもあの二人をふん縛って引き返して貰った方がいいかもしれないなあ……」

「そうですね、戦力が回復していない以上、目下の第七特異点への準備の為にイレギュラーの調査は後回しでも良いのではないでしょうか?」

 実際特異点モドキがその時代の未来に大きく影響すれば、早晩本物の特異点並みのイフを作り出してしまう可能性は否定できない。

 それでも相手の戦力がどこまであるか不明な状況で迂闊に敵陣に飛び込ませるのは危険すぎる気がしていた。

「相手が単体のサーヴァントであれば、沖田君はこの上ない戦力だし、立香君の護衛はダ・ヴィンチちゃんに任せてと言う事もできたのだろうけど……。今回ばかりは撤退もやむなしかな……」

 僕は頭をくしゃっとやって、スタッフに指示を出し始めた。

 

 

 

 藤丸立香の部屋の前を通ると、微かに花の香りを感じた。

 ドアに手を触れると鍵は掛かっておらず、入ってすぐの所に花菖蒲が活けてあるのが目に入る。

「……何じゃ、作り物か」

 香りはするが花弁の周囲に霊基の輝きがわずかに見える。

 おそらく魔術でそれっぽく造形してみせたのだろう。

 外界が滅んでしまっている以上仕方のない話ではあるが。

「くだらんの」

 吐き捨てる様に一人呟く。

「まやかしに縋って何になる」

 本物だけが手にする価値があり、本物だけが、そこに在る事を許されるのではないか。

 手に入らぬものを真似て、己の心を騙しても何も生まぬ。

 自分の目から見て、沖田は以前帝都でやりあった頃と比べて随分変わった様に思える。

 それが誰の影響なのかは火を見るより明らかだ。

 只人が好いだけの人間であれば、あっという間に心を折られ目を背けたくなる様な幾多の戦火の中を駆け抜けて、それでも尚己の行動原理を曲げずに弱者に手を差し伸べ続ける藤丸立香と言うあの青年だ。

 このカルデアで再会して間もなく沖田に向かって嫌味たっぷりにこう言った事がある。

『周りから好かれる小僧の傍に居続ける事で人斬りの自分を否定できるとでも思うたか。あれの横でともにお人好しを演るのは難儀じゃろ。いつまで頑張れるかの?』

 しかしあれ以来、終ぞ沖田が人斬りの眼に戻る事は一度も無かった。

 そればかりか、時折自分まで巻き込んでは、時代時代の人助けに奔走する日々であった。

 あの青年を突き動かすのは、臆病からくる取り繕った優しさの仮面ではない。

 そんな紛い物だったのなら、初めの人理修復すらままならずに目の前で民草が虫の様に死んでいく様に心を病んでいただろう。

 全ての人間を平等に救う事は出来ない事を知った上で、眼前にある命をがむしゃらに助けようとする。

 愚直とも言える行動である様に思えるし、生前の自分もああ言う人間は理解できなかったかもしれない。

 しかし―――。

「存外、人の心なぞわからんもんじゃの」

 飾ってあった花菖蒲を花挿しから抜き取り、部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 私達は五稜郭の西に位置する亀田八幡宮に布陣している。

 と言っても例の『ダ・ヴィンチちゃん謹製どこでもテント』とやらで境内の隅っこに身を潜めているだけの話ではあるが。

 彼女曰く、戦況が史実通りなら明日の未明から新政府軍が五稜郭へ総攻撃を開始すると言う。

 孤立した南西の弁天台場の援軍に出た歳さんが途中の一本木関門付近で新政府軍と激突するのである。

 私達が狙うのはその手前と言う事だった。

「対軍宝具が無い状況で五稜郭内に我々三人で突入するのは正直賛成できないからね」

 ダ・ヴィンチは作った夜食を皿に取り分けながら言った。

 彼女の言う通り籠城している幕府軍ひしめく五稜郭に突入するのは上策ではない。

「かと言って、一本木関門まで行ってしまうと政府軍との戦闘に巻き込まれて文字通り銃弾の雨霰だ。リスクを極力減らすなら、土方隊が五稜郭を出て新政府軍と遭遇するまでの間しかない」

 それに何より、今の歳さんが率いているのは幕軍の残存兵ではなく魔術で作られた新撰組である。

 あれは霊基でできている以上、普通の斬撃や銃弾ではおそらく倒せない。

 あれに打撃を与えうるのは我々英霊の攻撃か、魔術を以て破壊するしかない。

 それが政府軍と激突し、これを打ち破ってしまってからでは全てが後手後手になってしまうし、乱戦になれば歳さんを見つける事すら難しくなる。

 ここで何としても食い止める他ない……例え歳さんを――。

「……総司、あまり思いつめないで」

 ガラにもなく緊張している私の手を、主が握ってくれていた。

「魔術師じゃない人が聖杯みたいな外的要因で限定的に大規模な魔術を使用しているのなら、召喚できる隊士達の物量は熟練の魔術師がやるよりも遥かに少ないはずだ。おそらく無限に出て来るわけじゃない。新撰組の影隊士を掃討できれば、土方さんを斬らずに済むかもしれない」

 この人はどんな時にも、人の痛みに寄り添って生きている。

 定礎復元を為せば消えてしまうと言う『もしも』の世界に生きる人達相手でも、傷つけられ踏みにじられるのを、我が身を顧みず守ろうとする。

 傍から見ればそれは何の意味も残さないかもしれないし、私も初めはそう感じていた。

 けれど。

 私は長く隣で戦ううちにいつしか、守り抜いた力弱い人々の笑顔に囲まれる彼の笑顔をこの先も見て居たいと思うようになっていた。

「……ありがとうございます。お陰で心の靄が晴れました。最善を尽くしましょう」

 そう言って主の手を握り返してから、急に気恥ずかしくなって慌てて手を離す。

「……す、すみません」

「……あ、いや……」

『あー君達、盛り上がってる所悪いんだけど』

 唐突にドクターの声が『すぴいかあ』から降って来る。

『諸々の条件から分析した結論だけど旗色が悪い、僕的には撤収すべきだと提案したい』

「ちょっとドクター⁉」

「一体どういう事ですか」

 とんでもないことを言い出した。

『集団戦が得意な新撰組のシャドウサーヴァントとも言うべき相手に、対軍宝具無しで戦う事はお薦めできない、と言うのが一番の理由さ』

「でもそれなら……」

『ちなみにダ・ヴィンチちゃんの宝具はキャメロット戦の消耗から回復しきってないから使用できてせいぜい一発だ。仮に相手が二派三派と召喚して来たら対応できない』

 ダヴィンチの方を見ると、やれやれと言った顔で肩をすくめる。

「まあ、ロマニの言ってる事は当たっているね。マシュほどではないしにろ、私の方も万全でないのは否定しない」

「そんな……それではこの世界は放っておくと言うのですか?ここに生きる人々はまた戦火に長く苦しむのですか?」

 私の言葉にドクターはしばしの間の後、

『沖田君。以前も説明したが、君たちが居るのは正史から分離してイフが半固有結界化した様なあやふやな世界なんだ。勿論放っておけば人理に悪影響が出兼ねないからカルデアの戦力が万全に戻った後で再対処するが、今君達が居る間に絶対に処理しなければならないわけじゃない』

 ……けれど、それでは……『今ここで戦に苦しんでいる人達』を見放す事になる。

『いいかい、君達の優しい性分はよくわかっているつもりだけれど、人理修復と言う大局を見失ってはいけない。特に立香君は魔術の防壁で多少耐久力が上がっているだけの人間だ。乱戦でシャドウサーバントに取り囲まれたらただじゃ――』

「――ロマニ」

 唐突にドクターの声を遮ったのはダ・ヴィンチだった。

「すまないね。ちょっと通信状況がよろしくないみたいだ」

『えっ、ダヴィンチちゃん?ちょっと⁉』

「ああーどこか故障してしまったかなあー。またこちらから連絡入れるよロマニ」

 言いながらピッ、とダ・ヴィンチが『すぴいかあ』の動力を切ってしまう。

「……ダ・ヴィンチ殿」

「ふむ」

 振り向いて彼女は『すぴいかあ』を片付けると、

「立香君、この報酬はとびきり美味しいスイーツでどうだろうか?」

 子供の様に悪戯っぽい笑顔で言うのだった。

「さあ、一つ慎重に行こうじゃないか。私なりに立香君と沖田君の気持ちは汲んだけれど、やるからには最も現実的な策以外を薦めるつもりはないからね」

 

 

 

 

「……参ったね、どうも」

 深い溜め息をつく事しかできない。

「所長代理……」

「これはもうこちらとして打てる手は無くなったか……まさかダ・ヴィンチちゃんまで感化されているとは思わなかった」

「普段から飄々として読めない人ではありますが……」

「けど戦略に関しては一級品だからなあ。冷静に局面を見てブレーキかけてくれるはずだった人物が横からアクセル踏んじゃうなんて考えようがないじゃないか」

 撤退しないと言う彼らに支援しようにも、円卓戦での怪我や疲労が治りきらないマシュを単騎で援軍に行かせても正直満足に戦える状態ではない。

「頼むから無茶はやめてくれよ……」

 相手は魔術回路を本来持たないただの人間とはいえ、尋常ならざる執念によって戦い続ける日本最後の侍だ。

 命を削る事を厭わなければ、聖杯モドキはその命を吸いながら短期的にとはいえ一級の魔術師と遜色ない力を発揮する可能性は大いにある。

 言いしれない不安を拭えず、僕は唇を噛んでモニターを恨めし気に睨みつけた。

 制御室にアラートが鳴り響いたのは、それから間もなくの事だった。

 

 

 

 

 

 五月十一日。

 俺にこの術を授けたあの胡散臭い妖術師が去り際に言っていた運命の分かれ道とか言う日だ。

 呪いの類は信じてこなかったが、ここ何戦かは実際あの妖術師の言う方角から言う通りの数の敵が攻め込んできて、結果真正面からぶつかっていたら勝てなかったであろう局面を打開できたりしている。

 加えてこの影の新撰組を呼び出す妖術だ。

 あの男の意図が何処にあるかは知った事ではない。

 今日が奴の言う『歴史の分岐点』の一つであり、俺が死ぬはずの戦いを勝って生き残れば逆転の目はあると言う事が重要だ。

「近藤さん……侍の時代を俺達はまだ続けるぜ。こんな所でくたばってたまるかよ」

 諸外国に尻尾を振って生きる新政府の言う新しい時代を受け入れる事は、俺達新撰組の駆け抜けた人生そのものの否定だ。

 ここに至るまで大勢の隊士を死なせ、大勢の敵を殺した。

 大勢の隊士を殺しもした。

 近藤さん、総司、山南、藤堂。

 護ってやれなかった奴らや袂を分かって死なせてしまった奴らの顔が頭を過ぎる。

 それだけじゃない。

 芹沢や伊東の様な最後まで反りが合わなかった連中だって、各々が思い描く侍として精一杯生きたのだろう。

 そいつら全員の生き様は、それを知る俺が背負っていかねばならない。

「さあ行こうや。新しい新撰組の初陣だ」

 目の前に並ぶ影の隊士達に号令をかけ、俺は城を出て南西を目指す。

 弁天台場を取られれば五稜郭は西の函館湾方面からの攻撃を防ぐことができなくなる。

 銃弾でも死なないこの影隊士達で南西方面を一掃すれば、戦局を覆せる道も開ける。

 亀田川を渡り一本木方面へ――

「――ッ⁉」

 橋を渡り切った所に人が立っている。

 政府軍か?

 いやしかし人数が三人だと……?

 ここにこんな少数の味方を配置したりはしないし、逆に敵だとすれば正気の沙汰とは思えない。

 逃げ遅れた市井の人間か?

「貴様ら、ここは戦場だ、死にたくなければ立ち去れ。死んでも知らんぞ!」

 怒鳴りつけて立ち去らせようと思った、が――。

「――お久しぶりです、歳さん」

 そこにあったのは。

「お前……総司……なのか?」

 とうに病没したはずの人間の、それも最も激しく人を斬って居た現役時代の姿だった。

 

 

 

 

 [chapter:肆]

 

 五稜郭より南西に少し。

 亀田川を渡る橋の上で、私達三人は土方隊と睨みあう。

 土方隊が五稜郭を出て、南西の弁天台場へ最短で駆け付けるにはここしかないと判断した。

 私は一歩前に進み出ると先頭の馬上の男、土方歳三に声をかける。

「……歳さん、ご無沙汰です」

「お前、本当に総司なのか……?」

 死んだ人間が一年近くも後にピンピンした顔で現れたのだから無理からぬ反応ではある。

「ええ、地獄の閻魔と馬が合いませんで。地獄を放り出されて現世に戻って参りました」

 少しおどけて私が言うと、

「……山南と逢引きしていた女の名前は」

 どうやら疑っているらしい。

「……明里さん」

「……田内の介錯をしたのは」

「谷さんですね。あれは下手クソで酷かったと斉藤さんが言ってましたよ」

「芹沢の腰巾着」

「……新見錦」

「……天然理心流、神文之事」

「……自分無精にして對師御恨申間敷事」

 しばしの沈黙の後、歳さんはクックと笑みをこぼした。

「ハッ……こいつはたまげた。正真正銘本物かよ。しかも最後に会った時より元気と来てやがる」

「歳さんは……少し、やつれましたね」

 それは私の素直な感想だった。

 体型云々と言う話ではなく、顔の生気と言うか何というか。

「まあな。……あれから大勢死んだからな」

「……」

「近藤さんも、原田も死んだ。斉藤とは会津まで一緒だったが、会津が陥落したから今はどうだかな……島田や市村はこっちに来てるが、大半はもう所在もわからん」

 少し遠くを見ながら歳さんはぼやいた。

 そして私の方に向き直ると、

「それより丁度いい所に戻って来た。これから仲間を助けに行く。お前が居れば千人力だ。力を貸せ、総司」

 その眼には、未だ消えぬ戦いを望む炎が灯っている様に見えた。

「歳さん……」

「こいつらを見ろ。懐かしいだろ?」

「……」

「俺達が最も勢いのあった頃の姿だ。羽織だってそのままだ。こいつらはやるぜ。刀で斬っても銃で撃っても死なねえ」

「……外法の術に頼ってまで、戦を続けるのですか」

 私が睨みつけると歳さんの顔からすぅっと笑顔が消える。

「……総司、お前何を知ってる」

「……貴方は妖術の類でまやかしの隊士を作り、人の戦を外法の力で覆そうとしている」

 歳さんの頬が微かに動く。

「どんな力だろうが力は力だ。それに俺達が散々打ちのめされた重火器や軍艦からの砲撃だって、刀一本振り回してた当時の俺達にとっちゃ妖術の類と大差ないぜ」

「そんなものは詭弁です!人が持ちえない神域の力を我欲のままに振るえば戦は広がるだけです!歳さんがそれを使ってこの戦に勝ったら、そこから新政府を打倒するまで止まらないでしょう⁉」

 私は声を荒げたが歳さんは全く意に介さないと言った表情で、それどころか眼光は冷たく灰色に変化していた。

「四民平等の世の中なんだってよ、奴らが言うにはな」

「……?」

「侍がな、侍で居られなくなるんだ。俺達は百姓の出だがよ、必死で成り上がって会津公の預かりになり、侍として一時代を築いたじゃねえか」

「……歳さん」

「奴らが作る国には侍は居られねえ。俺達にはな総司。戦って、勝って、侍の時代を取り戻すしかねえんだよ。そいつを邪魔する奴らは――」

 ゾクリ、と背筋に悪寒が走る。

 底無しに冷たい目だ。

 私は刀に手を掛ける。

 歳さんが何かの印を切ると後ろの隊士達が一斉に抜刀した。

「例えお前でも……俺の新撰組が斬り伏せる」

 

 

 

 

「主、ダ・ヴィンチ殿、下がって!」

 二人を後方に下がらせて私は抜刀する。

「かかれ!」

 歳さんの号令で影の隊士達が走り出す。

「ハァッ!」

 上段に振りかぶった先頭の隊士の喉元へ即座に突きを見舞い、左前に蹴り飛ばして後続の一人を足止めする。

 右脇を抜けて来た隊士の袈裟斬りを弾き返し、返す刀で胴を薙ぎ払う。

「セアアァ!」

 蹴り飛ばした隊士にぶつかり体勢の崩れた隊士を、前の隊士ごと刺し穿った。

 四間半も吹き飛んだ影隊士は倒れ伏すと、塵になって消え失せる。

 やはりあれは霊基で出来ている。

 シャドウサーヴァントとか言うものと似通った存在の様だ。

「……どう言う事だ?」

 歳さんの表情が曇っている。

「こいつらは俺達が試しに刀で斬っても銃弾を浴びせてもびくともしなかった不死身の兵だったはずなんだがな……お前、やはり総司じゃねえな?妖の類か?」

「人聞き悪いですね……本物ですよ。今は英霊の身ですけど」

「英霊……?ハッ、人に言われるままに人斬りしてた奴が英霊たぁ笑わせる」

「まぁ私も自分でそう思いますけどね。実際この菊一文字も英霊の身になって初めて手にした刀ですし、後世の人の間で話がいささか盛られてるみたいでして」

「……後世……?そうか……お前らもあの妖術使いと同類か」

「妖術使い……土方君、やはり君にその力を与えた人間がいるようだね」

 歳さんの言葉に後ろのダ・ヴィンチが反応する。

「ああ?……まあな。得体の知れん奴でも使える物は使う主義だ。奴の思惑なぞ知ったこっちゃないがな」

 行く先々の時代で暗躍していたあの男の影が脳裏にチラつく。

「しかし――橋の上たあ考えたな総司。後ろの女の入れ知恵か?」

 歳さんがダ・ヴィンチの方に目を向ける。

 橋の幅は二間半程だ。

 刀の間合いを考慮すれば、精々二人しか攻めては来れないし、同列から同時に斬りかかる事は至難と言える。

 これによって新撰組隊士が最も得意とする、三方を取り囲み常に複数同時の多面攻撃を仕掛ける戦術を封ずる事が出来る。

 万一橋の端を通り抜けようとする者が居ても、一人相手の短時間ならばダヴィンチでも対処可能と踏んでの位置取りだった。

「まあ、私考えるの苦手ですし、そういうのは得意な人に任せる主義で」

 私がおどけると歳さんは苦笑して、

「ハッ、そうだったな。それならちょいと、こちらも方針を変えるか」

 言って再び何事かを唱えて印を切ると、歳さんの前に黒い霧がかかり、やがてそれが別の隊士の形をとった。

「――ッ」

 再び悪寒が走る。

 他の影隊士とは明らかに負の空気の密度が異なった。

「……行け」

 歳さんの声とともに影隊士が疾る。

 ――速い!

 地面すれすれの低い姿勢から高速で突進してくる影隊士に咄嗟に打ち下ろしの一撃を見舞う――が。

 ヂギィッ!

 私の一撃に下段から合わせた影隊士の刀が、菊一文字の刀身を這うようにして擦り上がってきた。

 ――いけない、これは――

 全身のバネを使って私の刀を撥ね退けた影隊士が、そのまま今度は刀を振り下ろす!

 ――これは……あの人の……!

「おおおおおおッ!」

 咄嗟に体を捻って相手の手の甲に蹴りを食らわせ、相手の体勢を崩したが、一瞬速く相手の刀が浅く私の左腕を薙いだ。

「っく!」

「…………」

 互いに間合いを取り、再び睨みあう。

 危なかった。

 ……英霊の身体能力でなかったら胴体ごとバッサリ両断されていたかもしれない。

「総司!」

 後ろから主が治癒術を掛けてくれているが、傷の治りが遅い。

 剣の威力が段違いだ。

 今の返し技……考えたくはないが……

「――『龍飛剣』……よりによって永倉さんの十八番か……参ったな」

 私は思わず舌打ちする。

 永倉新八。

 武勇に優れた新撰組の中でも、剣技に関しては恐らく最も秀でた剣士だ。

 自分も新撰組では大分上の方だったと自負しているけれど、単純に技で言えば多分あの人の方が……巧い。

「クック……壱に永倉、弐に沖田ってな。上手い事言うもんだ」

 歳さんが私の方を見て冷たい笑みを浮かべる。

 ……あんな目は味方に居た頃見たことがない。

 油小路で御陵衛士を始末した時でさえ、あれほど人間性を欠いた眼差しではなかったように思う。

 己の人生であった士道を完全に否定されかかっていた状況で魔性の力を手にしたが故に、完全に魔に魅入られてしまったのだろうか。

 いや、例えそうでなかったとしても、死んでいった者達の業を背負いすぎた修羅とは、ああいうものなのかもしれない。

「永倉本人も今じゃ何処に行ったのやら行方知れずだが、影でも実力は折り紙付きだ。お前がこいつに掛かり切りになってくれりゃ、後ろの二人を始末する事ぁできるな?」

「――ッ⁉」

 永倉さんの影が再び斬り付けてくる。

 私がそれを受け止めると、脇を他の隊士達が走り抜けて行く。

「しまった!」

 まずい――!

「レオナルドパァアンチ!」

 ゴッ!と言う鈍い音とともに影隊士を吹き飛ばすダ・ヴィンチ。

「やれやれ、思ったより早くガテン系のお仕事が回ってきたみたいだ……ねっと!」

 二撃、三撃と、押し寄せる隊士達を吹き飛ばして行く。

 私は何とか永倉さんの影と間合いを離そうとするが、相手は私の刀に己の刀をぴたりと合わせて放そうとしない。

 強引に振りほどこうとすれば、次の龍飛剣を躱せると言う確証は無かった。

「沖田君、頑張ってるのは承知だけど、お姉さん長くはもたないぞ!」

 ダ・ヴィンチの声にも徐々に余裕が無くなってきているのがわかった。

「総司ィ!化けて出てきたとこすまねえが、もう一辺閻魔と会ってこいや!」

 歳さんが新たに印を切ると永倉さんの影の力が一層強くなった。

 これは――

「こ……の……!」

 相手の刀を受け止める私の刀身が、私自身の腕にめり込もうとする、その時だった。

 

 

 

「なーにダルい事やっとるんじゃハイカラ侍」

 ガガガガガガガガガ‼

 雷の様な轟音とともに、橋の横方向から無数の銃弾が撃ち込まれた。

 これは――

「宝具・三千世界。武田の倅の騎馬隊でも躱せんかったモンが、只の雑兵に躱せるものか」

 橋のこちら側に密集していた影隊士達は避ける事もままならずに大半が黒い塵となって消し飛んでいた。

「まったく……多数相手に刀一つでドンパチなんぞしおってからに。これだからお前は脳筋だと言うとるんじゃ」

「信長!来てくれたんだ!」

 主が笑顔で呼びかけると橋の欄干に着地した信長は少し目線を逸らして、

「儂は本物の花を見に来ただけじゃ。小僧の部屋にあった造花では風情が無いからの」

 何やらほんのり顔を赤くしてやや声が上ずっているのが気にかかるが、おかげで状況は好転した。

「ハッ!」

 信長に意識を向けていた永倉さんの影を蹴り飛ばして間合いを離し、平正眼に構えを整える。

「おのれ新手か!」

 歳さんが信長を睨みつける。

「咆えるなよ三下」

「……何だと?」

「戦をする事が目的に成り代わった者に、先の世を語る事は出来ぬ」

「黙れ……」

「そんなに戦だけがしたいのならば、地獄で修羅道にでも行った方がよいぞ」

「黙れと言っている!」

 印を切り新たな隊士を呼び出すが、呼び出したそばから信長の銃弾で打ち消されていった。

 そのうち肩が大きく上下し呼吸が乱れてくる。

「俺は……今更止まれんのだ!散っていった奴等の無念を背負い!侍で有り続けねばならんのだ!」

 歳さんが激昂する。

 私や近藤さんが一緒に居た頃には見せなかった、感情をむき出しにした修羅の表情だった。

「……だ、そうじゃぞハイカラ娘」

 信長が私の方を見やる。

「早う終いにしてやらんか。哀れで見ているこっちの気分が滅入るわ」

「……言われずとも」

 人の身で魔術を使いすぎたのだ。おそらくもうこれ以上影隊士は出せまい。

 永倉さんの影さえ倒せば、それで打ち止めになる。

「永倉ァ!殺れ!」

 影が再度龍飛剣の構えを取る。

 ……だが。

 英霊の身なれば。

 主の刃たる今の私なれば。

 こちらの方が速い‼

 

 ――一歩音越え

 

 影が踏み出すよりも速く。

 

 ――二歩無間

 

 空間を渡り間合いを詰めた私の。

 

 ――三歩絶刀!

 

 全霊の太刀が繰り出される!

 

「宝具解放……無明・三段突き!」

 初撃を受け流そうとした影の刀ごと、その躰を三つの剣閃が同時に差し穿つ。

『…………』

 永倉さんの影隊士は、躰に空いた大穴を呆然と眺めたまま、やがて塵となって崩れ去った。

 

 

 

 

 魔力の代わりに恐らく命そのものを削っていたのだろう。

 歳さんはその場に膝をつき、今にもその場に倒れ伏しそうだった。

 ダ・ヴィンチが何事かを唱えると、歳さんの体から赤黒い光を放つ球体が飛び出してきた。

「ふむ、これで回収完了だ」

 どうやらこれが出来損ないの聖杯モドキとか言うやつらしい。

「……殺せ」

 歳さんが力なく呟いた。

 私は憔悴した歳さんにかける言葉が見つからずに黙ってしまう。

「――僕らは」

 少しの沈黙を破ってそう言ったのは主だった。

「僕らは、貴方を殺しに来たわけじゃありません。侍の貴方にとっては残酷な事を言ってるかもしれませんが……僕らは戦う力を持たない人達の平穏を、魔術を使ってまで脅かす事を止めに来ただけです。貴方が人の身で、武士として決めた死に方なら、僕はそれをどうこう言うつもりはありません」

「……おかしな奴だ」

 呆れた様に苦笑する歳さん。

「……そうかもしれません」

 主も少し困った顔で苦笑する。

 私が仕えたかつての上官と、私が仕える今の主。

 眼に宿る光も性格も、何から何まで正反対に見えるのに。

 何となく似ている部分があるように思えるのは気のせいだろうか。

「……もう行け」

 歳さんはそう言ってよろよろと立ち上がる。

「もう俺に妖術の力は残ってねえ。……こっからは人間様の領分だ。てめえら人外はお呼びじゃねえんだよ」

 そうだ。

 それは私達が最初に決めた事。

 歪みを正す事にのみ、英霊の力は振るわれなければならないのだ。

「……沖田君。彼の言う通り、私達はここから先に介入すべきじゃない。ここらでお暇するとしよう」

 ダ・ヴィンチがカルデアへ通信を繋いで帰還準備を始めていた。

「ええ……そうですね。行きましょう。ダ・ヴィンチ殿。帰りましょう、主。……あと信長も」

「コラ、助けてやったのに『あと』って何じゃ『あと』って」

 ダヴィンチを中心に魔法陣が展開される。

「……おい小僧。お前が今の総司の上官か」

 歳さんが主を睨みつける。

「……はい」

「そうか……無鉄砲で考えなしの娘だが……宜しく頼む」

「……わかりました」

「それから総司、お前ちょっと来い」

「え……?」

「取って食ったりしねえよ、いいから来い」

 主の方を見ると、彼は静かに頷いた。

 歳さんの前に歩み寄ると、頭をくしゃっと掻き回される。

「……いい主か」

「……はい」

「まだまだヒヨッコだが、どうやら肝は座ってる。ぶれなきゃモノになるかもしれねえ」

「……はい……!」

「……達者でな」

「はい……!」

 そう言った歳さんの目には、先程までの冷淡な光は既に無く。

 浪士組として上洛するより前の、試衛館で賑やかにやっていた頃の様な優しい目に思えた。

 ――と。

 踵を返す直前に。

 主の方を一瞬見た後私の耳元で小さく呟いた。

 

 

 

 

 懐かしい妹分と、その仲間達が不可思議な光の中に消えたあと、我ながら底意地の悪いからかい方をしたもんだと笑いが込み上げて来た。

 

 ――いつか俺の墓に参る時には、あの小僧も連れて来いや。間にガキでも連れてたりしたら、近藤さんと二人でゲラゲラ笑ってやるからよ――

 

 一瞬で耳まで真っ赤になった総司のツラなんざ、あの世の皆にいい土産話ができたってもんだ。

「さぁて」

 一旦戻って血の気が有り余ってる連中連れ出すか。

 鉄之助の野郎も着いてくるとか言い出しそうだが、アイツは荷物持たせて途中で川にでも蹴落とすか……生き延びる奴が一人くれえ居たっていいだろう。

「近藤さん、すまねえが……もうちっと待っててくれや」

 俺はどうにか馬に乗ると、再び五稜郭へと走り出した。

 

 

 

 

 [chapter:幕]

 

「おはようございます、主」

 その日、私がいつも通り主の部屋を訪ねると、ほのかに花の香りが漂って来た。

「や、おはよう総司」

 丁度主は花挿しに紫色の花を二輪ほど活けているところだった。

「おや、また花菖蒲ですか?」

「ふふ、これは似てるけどカキツバタって言うんだ」

「はぁ。この間のとはまた違うんですねえ」

「どちらも美しく甲乙つけがたいなんて意味で『いずれがアヤメかカキツバタ』なんて言葉もあるんだよ。……ドクターの受け売りだけどね」

 言って主は優しく笑う。

 誰しも過去を美しく思う事はある。

 けれどそれと同じ、いやそれ以上に、目を凝らし、耳をすませば今と言う場所にも美しいものは沢山見つけられるのだ。

「総司は、幕末の頃に、また戻りたい?」

「――いいえ。確かにあの時代は私に取ってかけがえのない思い出の地です。生前の私の駆け抜けた全てがありますから。けれどカルデアの英霊として、主の刃として生きる今もまた、かけがえのない大切な時間なのです」

 時代の苦難にあって、戦火の中を生きる力弱き人々を彼が守ろうと戦う様に、私も同じ目線でそれらを守れる存在でありたい。

 彼は、生前の私が見つけられなかった希望そのものなのだ。

 私は主の手をとって、そこに一つかけがえのないものが確かにあるのだと、心に強く感じ取るのだった。

 

 

 

「ところで総司、土方さんはあの時最後、何て言ってたの?」

 ――生前の私と違い。

「お……覚えてません!覚えてませんから!」

 今の私が患う病は、とても温かく、気恥ずかしい――

 

 

 

 

              終




最後まで読んで下さった方、誠にありがとうございます。

短編集には他の和鯖のお話も収録しますので、夏以降機会があったら宜しくお願い致します。


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