魔法少女リリカルなのはStS ASUKA (二階堂@昶)
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第一話 黒髪の銃士
――それは忘れもしない10年前の出来事。
その日、第一管理世界《ミッドチルダ》の首都、クラナガンは未曽有の混乱のまっただ中にあった。昨今世間を騒がせている謎のテロリスト集団「影の教団」が時空管理局に宣戦布告。この日にクラナガンを襲撃すると宣言し、市街地での戦闘を予測して地上本部はクラナガンに住む住民を避難させようと計画していた。しかし、それは「教団」が思い描いたシナリオ通りの展開で、管理局を効率よく排除するべく避難しようとしていた住民を拉致。これにより人質を取られた地上本部は防戦一方となってしまい、多くの武装隊員が重傷を負ってしまった。
これにより、当時の地上本部トップは頑なに拒んでいた本局武装隊の増援を認める他なく、エースと称される優秀な魔導師が多数投入されことによってテロは鎮圧の方向へと向かっていった。
「にげ……なきゃ……」
住民が拉致され、監禁されている施設の一つ、数年前に廃業した養護施設の中を一人の少年が足音を殺して歩いていた。この施設では「教団」によるある実験が行われており、拉致された被害者はその実験の犠牲となり、命からがら実験場から逃げ出した少年以外は既に息絶えていた。
ただ一人の生き残りとなってしまった少年はまだ幼く、学校に通い始めているかどうかといった年齢であるのは明らかで。そんな少年が悲惨な実験現場を見て正気を保っていられたのは奇跡かもしれない。だが、まだ安心はできない。「教団」の構成員が見張っている出入り口からは出られそうにもなく、だからといってどこかに隠れていてはいずれ見つかってしまう。まだ幼い少年なりに必死に考えた生き残るための術は、誰にも見つからずにここを脱出することだ。
「うっ……」
脳裏によぎるのは見知らぬ犠牲者の最後の光景。血みどろになった死んでいく初老の男や、全身を黒く変色させて消滅した少女など、見せつけられた絶望がトラウマとなって少年の心を傷つけていく。だが、彼に立ち止まることは許されていない。立ち止まったとき、彼は研究者に見つかって最後の実験台にされてしまうだろう。
重い足取りで進む少年はやがて、トイレの上にある大きな窓に目をつけた。子供一人ならなんとかくぐれそうなそこには、幸運なことに鍵が掛かっていない。
――ここしかない。
少年は閉められた便器の蓋から窓へとよじ登ろうとするが、身長が足りなくて登れそうにない。それでも彼は諦めず、精一杯背伸びをし続ける。心に深く刻まれた生き残るという意志。それだけが今の少年を突き動かしていた。
「やった!」
努力は実った。手がなんとか窓の縁に届いたのだ。少年はそのままなんとかよじ登り、窓を潜り抜ける。脱出することができた、そう思った少年を待っていたのは――
「おめでとー、ぼうや」
「え……?」
脱出した彼の目の前にいたのは、そこにいるはずのない「教団」の構成員。人を馬鹿にしたような邪悪な笑みを浮かべるローブ姿の男はまるで少年がここから脱出するのを知っていたかのようで、少年はただ混乱するしかなかった。
「なんでここにいるのか分からないって顔してるねぇ。おにーさん親切だから教えてやるよ。ぼうやは偶然窓が開いてると思ったあの窓な、おにーさんがわざと開けてたんだよ。その絶望に染まった顔が見たくてさぁ」
まだ幼い彼には絶望などという言葉の意味を理解できない。だが、男にそんなことは関係ない。重要なのは脱出ゲームがつまらない結末を迎えたことと、少年がとてもいい具合に負の感情に染まったことなのだ。
「さぁ、最後の実験を始めよう」
そう言って、男が指を鳴らした瞬間。少年の四肢は漆黒の禍々しい光を放つ輪に拘束された。魔導師が対象を拘束する際に用いられるバインドと呼ばれる魔法だ。人を見下したような笑みを顔に張り付けて一歩、また一歩と男が近付き、壁際に倒れ込む少年に手を伸ばす。
そのとき、彼は諦めていた。もう無理だと。助かる見込みはない。誰かが助けに来てくれる可能性もゼロに等しい。あの動かなくなった人たちと同じ末路を辿るのだと。
「なぁに、痛くはないさ。それを感じる間もなく……ぐおっ!?」
故に、何が起こったのか、理解できなかった。ただ、少年の目の前まで迫っていた男は突如背後から強い衝撃を受け、壁に叩きつけられた事実だけ。
「良かった、間に合ったようだね」
先程まで目の前まで迫っていた男のせいで見えなかった視線の先、そこには右手には漆黒の、左手にはこちらに照準を向けた純白の双銃を構えた一人の青年が立っていた。未だ何が起こったのか理解できていない少年の様子に苦笑を浮かべ、
「遅れてごめんね。助けに来たよ」
言葉と同時に放たれた二つの魔力弾。一つは少年を拘束するバインドを打ち破り、もう一つは少年の背後から襲いかからんとしていた白衣の男の体に直撃し、老朽化の進んだ壁を貫いて倒れる。そこからピクリとも動かないことから、完全に意識を失ったようだ。
「あの……人は?」
「意識を失ったみたいだね。それより、大丈夫かい?」
「うん……」
「そっか。じゃあ、少し歩いたら管理局の優しいお姉さんがお父さんとお母さんのところに連れて行ってくれるから、そこまで一緒に行こうか」
笑顔でそう言って、青年は少年に手を差し伸べる。恐る恐るその手を握り、人の体の温かさに触れて、彼はやっと本当の意味で助かったのだと分かり――
「う、うぅ……」
「わっ、どうしたんだ?どこか怪我してるのかい?」
「わぁぁぁぁぁぁぁぁん!!」
今まで押さえつけていた恐怖、助かったという安心感。いろいろな感情がごちゃ混ぜになって。少年はそれから暫く慌てる青年をよそに泣き続けた。
――そんなことがあって、僕は思ったんだ。いつか、あの人のように、誰かを守れる。誰かを救うことができる強い魔導師になるんだって。
――魔法少女リリカルなのはStrikerS ASUKA、始まります。
新暦75年、4月。ミッドチルダの廃棄都市街区の中にある廃ビルの屋上に一人の青年が立っていた。癖っ毛で外側にハネた黒髪に真紅の瞳の青年は、モスグリーンのロングコートに白いシャツ、チャコールのミリタリーパンツというデザインのバリアジャケットを纏い、右手に銀色の銃を握ったまま左腕に巻いた腕時計に視線を落としている。時折、そのデザインに不釣り合いな機械的な足甲を地面にトントンと叩き、何かを待っているような様子だ。
『後数分もしないうちに時間だ。準備はよろしいか、ユーザー』
「大丈夫だよ、フルクラム」
握った銃――彼のデバイスであるフルクラムから聞こえる低音の男性型電子音声に頷く青年は何気なく空を見上げる。今日は春という季節にふさわしく、青空が広がっている。まさに絶好に試験日和だろう。
そんなことを考えながら、視線を再び腕時計に戻した瞬間、青年の目の前に空間投影型のモニターが展開され、一人の少女を映し出した。
「おはようございますっ。魔導師試験の受験者さんですか?」
「はい」
「では、確認しますね。時空管理局陸士108部隊所属の、アスカ・フィルダー二等陸士」
「はい!」
「所有している魔導師ランクは陸戦Cランク、本日受験するのは陸戦魔導師Bランクへの昇格試験で間違いないですか?」
「はい、間違いありません」
「はいっ。本日試験官を務めますのは私、リインフォースⅡ(ツヴァイ)空曹長です。よろしくですよ~」
「よろしくお願いします!」
目の前のモニターに映し出されている水色の髪の少女の言葉に青年、アスカは敬礼を返して答える。見た目は若干幼くとも上官に変わりはないので、失礼があってはならないという当然といえば当然の考えによるものだ。
「フィルダー二士はここからスタートして、各所に設置されたポイントターゲットを破壊。あっ、もちろんダミーターゲットは破壊しちゃだめですよ?妨害攻撃に気をつけて、全てのターゲットを破壊!制限時間内にゴールを目指してくださいですっ。質問はありますか?」
「ありません」
「では、スタートまで後少し。ゴール地点で会いましょう、ですよっ」
最後にウインクをする少女を映して、モニターはアスカの前から消え去った。その様子に忙しい人だな、などと考えている暇もなく、彼の目の前に試験開始まであとわずかだと知らせるシグナルが現れ――
「GO!」
シグナルが消え、試験開始の合図と共にアスカはターゲットの反応が多数確認された前方の廃ビルに向かって走り出す。そもそも、助走距離があってもただの跳躍では届くはずもない距離にあるビルにここから向かうのは、陸戦魔導師の彼にとってメリットのない行為に思われるが、アスカは何か考えがあるのか、むしろさらに速度を上げ、屋上の縁の柵を蹴って空へと踊り出る。
「フルクラム、カートリッジロード!」
『Load cartridge.Boost on.』
その声に、右手に握られているフルクラムの銃身部分がスライド。腕に伝わる確かな振動と共に一発の空薬莢が排出され。瞬間、アスカの足を覆う装甲が展開しブースターが展開、同時に両肩に現れたブースターから吐き出す空色の魔力が彼の体を空中に引っ張り上げた。
「……見えた!」
前方にそびえ立つ廃ビルの屋上、そのすぐ下のガラスすら残っていない窓の残骸部分に破壊目標を姿を捉えたアスカは漆黒の小銃を構え、しかしこの距離では魔力弾が届かないことに気付く。上昇に比率を多く割いてしまい、想定していたほど飛行距離が伸びていなかったのだ。
「まずっ!?」
『ブースターの方向修正は気を付けろといつも言っているはずなのだがな……呆けている暇はない、このままでは地面に直撃だ』
「分かってるよ!もう一回、カートリッジロード!」
『全く、困った男だ』
いかなる時も冷静な愛機に指摘され、ブースターを再起動。ただし、その方向は真正面の窓ガラスに突撃するコースを取っていて、いつもながらの突撃思考にフルクラムは聞こえないように溜息を吐いた。
「うぉぉぉぉ!」
体を丸め、窓ガラスをぶち破って勢いよくビルの構内に突入したアスカを待ち受けていたのは十数機の試験用スフィア。球体の中心からは小さな砲口が取り付けられていて、これが試験官の言っていた妨害攻撃型だと理解した、その瞬間。砲口が一斉にこちらを向き、その先端に青い光が見え、
「遅いよ」
それより早く、フルクラムから放たれた弾丸がスフィアを一機残らず撃ち抜いた。突入した瞬間にスフィアの位置を把握し、目にも止まらぬ速さでそれら全てを破壊してみせたのだ。射撃型の中でも少々特殊な彼が他の射撃型魔導師と互角に渡り歩くために何年も鍛え続けているその技術がただのスフィア程度に遅れを取るはずもない。
『進路クリア。だが、予定した着地地点より低いせいでタイムロスが発生している』
「ああ、急ごう」
屋上の一つ下の階に設置されているターゲット、構内に突入する直前、外で見たそれを破壊すべく階段を上る彼の目の前に先程破壊したスフィアが10機、密集して現れた。
先と同じく一機ずつ撃ち抜くとその分無駄な時間を食ってしまう。この状況を視認したとき、アスカが取る策は一つに絞られていた。
「バレルチェンジ、バーストバレル!」
『チェンジ・バースト。拡散魔力弾、セット』
声を張り上げ、頭上に掲げたフルクラムを彼の魔力光と同じ空色のミッドチルダ式魔法陣が通過し、その姿が変化する。伸びた銃身とそれに伴い強固になった外装、二つに増えた銃口。変形したフルクラムを両手で構え、目の前に立ちはだかるスフィアの壁に引き金を引く。バーストの名の通り至近距離で弾けた弾丸がスフィアをぶち抜き、爆散する前に中央を突破して屋上へと急いだ。残り試験時間はまだ余裕がある、問題はない――はずだった。
「痛っ……厄介な相手だな……」
その後も順調にスフィアとターゲットを破壊し続けたアスカだったが、いよいよ残すターゲットは後一つ、というところでどこからか放たれた狙撃弾が右足に掠め、、ダメージを負いながら物陰に避難するしかなかった。幸い、フルクラムが狙撃位置を特定したため、スフィアの位置を把握できてはいるのだが、防御を貫いたその狙撃によって右足はほぼ使えそうになかった。
『どうする、ユーザー。今回は運が悪かったと諦めるか』
フルクラムから告げられたのは提案ではなく確認。アスカの状態と敵の能力から判断すると今の彼に勝てる見込みはほぼない。故に、合理的に考えれば今回は諦めることが得策といえるだろう。
「冗談。お前だって気付いてるよね、フルクラム。まだ手はある」
だが、アスカは痛みに耐えながらニヤリと笑う。得策でもなければ賭けのような一手だが、彼にはまだ一手だけ残されているのだ。悪手としかいえない、愚直過ぎる切り札が。
『分かった。今の所有者はお前だ、私はお前に従うまで』
「ありがとう、フルクラム。じゃあ――行こうか!」
痛みを忘れたわけじゃない。今も右足は痛いけど、そんなことは無視する。強くなるんだ、あのとき心に刻んだ思いは、こんなことじゃ折れはしない。だから、少しくらいの無茶くらい、成功させてみせる!
「フルクラム!カートリッジフルロード!」
『Load cartridge.Boost on.Spiker set!』
リロードし、マガジンに込められた10発のカートリッジ全てが地面に落ち、乾いた金属音を響かせる。同時に足のバーニアと肩のブースターが展開。魔法陣を通過したフルクラムの銃身から太く鋭い刃が出現する。
『カウント開始。5、4……』
カウントダウンが始まる。この賭けに勝つことができれば全ターゲット破壊も制限時間以内のゴールも可能だが、負ければ手痛い反撃を食らい、そのまま試験不合格となる。そのせいか、緊張で心臓の鼓動が早まるのを感じながら、少しでも落ち着くように目を閉じて息を深く吐いた。
『3、2……』
目を見開く。肩と足に装備した装甲から力が伝わってくる。もう、迷っている時間はない。
『1……』
覚悟は決まった。後は、このまま一気に――駆け抜ける!
『「GO!」』
その衝撃に彼が身を潜めていた瓦礫が弾け飛び、空色の弾丸と化したアスカがビルに突入したときとは比べものにならない速度で飛び出す!高速で迫る対象を察知したスフィアはすぐさま対象に照準を合わせ、先ほど彼に大きなダメージを与えた魔力弾を放つが、アスカの脅威的なスピードに弾速が追い付かない。
脅威的なスピードの空色の弾丸はそのままスフィアが設置されているビルの中に突っ込み、90度の急激な方向転換により真っ直ぐ上へと突き進む。
「うっ……!」
『無理をし過ぎだ。倒れても知らんぞ』
「これくらい、どうってことないよ……!」
ぐにゃりと一瞬だけ視界が歪む。最低限の保護フィールドだけでは方向転換時の衝撃を殺し切ることができず、そのダメージが彼を襲ったのだ。だが、アスカは止まらず上昇を続ける。もともと防げると思っていないのだ。余計なことは考えず、今はただ上を目指すだけ。
次々とフロアをぶち抜き、遂にスフィアを下からかち上げることに成功する。だが、刃が貫いたのは全体を覆っていたバリアと一部の外装のみ。スフィアを破壊するには至っていない。アスカの賭けは失敗した――かのように見えた。
「掛かったね」
肩で息をしながら、それでも彼はニヤリと笑う。人間ならばその様子に何か感じたかもしれないが、相手は機械仕掛けの砲台。故に、スフィアは気付かなかった。賭けはアスカの勝利で終わっていたことに。
『Joker steak.』
「ジョーカーステークッ!!」
轟音と共に放たれたのは切り札の名を冠した刃!バリアの内側で深々と突き刺さったそれは引き金を引いた瞬間、爆発的な加速で対象を撃ち貫く!
「吹き飛べッ!」
スフィアの急所を的確に貫いた刃がもう一度引かれた引き金に連動して高速でスライド。その衝撃で吹き飛んだスフィアは火花を散らしながらビルの外壁をぶち抜いて宙に投げ出され、そのまま落下することなく爆散した。
その様子を見つめていたアスカは、破壊されたことを確認して膝から崩れ落ちる。分かっていたことだが、全力を注いだあの一撃はやはり体力と魔力を著しく消費する。正直なところ、今すぐにでも倒れるように眠ってしまいたいほどの疲労感に襲われているのだが、まだ試験は終わっていない。
「はぁ……行こう、フルクラム。ゴールまでもうすぐだ」
『途中で倒れてくれるなよ』
「そんなヘマはしないさ……」
極度の疲労でうまく動いてくれない足で、それでも少しでも早くゴールに着くことができるように。アスカは再び歩き始めた。制限時間はまだある、多少歩みが遅くなっても充分間に合うだろう。そして――
「試験終了ですー!」
最後のターゲット、特に妨害手段のないただの破壊対象を撃ち抜き、ゴールラインを通過して三歩ほど歩いたところで力尽き、地面に座り込んだアスカの目の前にスタート前に見た試験官――のミニチュアのような少女が現れ、彼の試験の終わりを告げた。
「え……?」
「どうしたんですか、フィルダー二士?」
「い、いえ……なんでもないです」
かわいらしく首を傾げる少女を見て、アスカは目の前の小人のような少女がリインフォースⅡなのだと理解した。つまり、彼の試験は終わったのだ。
「やっ……たぁ……」
「フィルダー二士!?どうしたんです……って、寝てるです」
ようやく終わったという安心を得て緊張の糸が緩んだのか、アスカはそのまま地面へと倒れ込み、静かな寝息を立てて眠りについてしまった。かくして、アスカはBランク試験を無事に終了させることができたのだった。
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第二話 チャンス
試験は終わった。最後は力尽きて眠るというお粗末な結果だったが、試験官であるリインフォースⅡに叩き起こされて今は結果を待っているという状況だ。
内心、アスカは焦っていた。そりゃ無茶やらかしたのは自分だし、あんな強引な突破方法に頼ったので当然疲れもする。それは分かっていた。しかし――眠るのはあまりに不味すぎた。頭に残るのはゴールして一瞬目を閉じ、次に開いた時に見えた試験官の呆れたような笑み。迷惑を掛けた申し訳なさやら自分の非常識さやらでパニックになって口をぱくぱく開くだけだった彼は、ようやく一人きりになったところであまりの恥ずかしさから呻き声を上げていた。
『やらかしたな、ユーザー。あの試験官殿の顔を思い出して恥じるのはお前の勝手だが、お前のような所有者を持った私の身にもなってほしいものだ』
「うぅ……ごめん、フルクラム」
『お前が自覚しているなら私はもう何も言わんが、ギンガ殿はどうだろうな』
右腕に填めたシンプルな銀色の腕輪、待機形態となったフルクラムから告げられたその名を聞いた瞬間。先程まで目に見えて落ち込み、俯いていたアスカは不意に顔を上げ、キョロキョロと辺りを見渡し始める。何か、というより誰かを探しているようだが、その様子は明らかに不審だ。
『落ち着け。今この近くにギンガ殿はいない』
「よ、良かった……」
『が、いずれ結果は108隊に渡る。覚悟だけはしておけ』
「はい……」
頼れる相棒の一切の優しさもない言葉にアスカは再び項垂れる。拳骨一発くらいで許してくれないかなぁ、などと希望的観測を考えていると、受験者の待機室の自動ドアが開いた。
「ごめんごめん、待たせちゃったかな?」
現れたのは栗色のロングヘアーを左サイドで結んだ、白い制服姿の女性。柔和な微笑みを浮かべる彼女の登場に、アスカは驚愕の余り目を見開いて硬直してしまう。何しろ、彼女はこんなところにいるはずがない人物なのだ。
「た、高町なのは一等空尉!?」
高町なのは。時空管理局に勤めている局員の中でもかなりの有名人で、“不屈のエースオブエース”と呼ばれる一流のベテラン魔導師である。本来であれば、このような場所にいるべきではない彼女は何枚かの紙を纏めたバインダーを片手に固まっているアスカにゆっくりと向かってくる。
「あっ、し、失礼しました!」
なのはがすぐ近くまで来て、ようやく状況を把握し始めたアスカは慌てて立ち上がり、上官に対する無礼を謝罪しながら敬礼する。そんな彼女の様子になのはは苦笑し、
「いいよ、楽にしてて。リイン試験官はちょっと別のお仕事が入っちゃってね、代わりに私がアスカ君の試験結果を伝えに来たんだ」
「は、はい」
なのはの言葉に緊張が走る。試験前日、直属の上司から技術面では概ね問題はないはずだと言われたが、実際どうだったのかは分からない。さらにあのようなミスと反則ぶっち切りの危険行為。受かる可能性はだいぶ低いだろうが、それでもおそらくゼロではない。
「さて、詳しい試験内容だけど、技術面、実力面では特に問題はありませんでした。ただし、危険行為に関しては見過ごせる範囲を大きくオーバーしています。足の傷の報告もそうだし、最後の無茶もそう。多少の我慢なら分かってあげられるけど、さっきのアレは“多少”じゃなかったよね」
少し彼を責めるような声色のなのはに「はい……」と答え、目を伏せる。彼女の言うことは正しい。足の傷から響く痛みだけではなく、超加速の影響で体はあの時既に悲鳴を上げていた。どう考えても無茶をし過ぎた。部隊で同じことをしても彼の直属の上司はきっと同じことを言うだろう。
「まぁ、そんなわけで。今回は残念ながら不合格」
「……はい」
厳しげな表情の彼女から告げられた言葉は、やはり不合格。分かっていた結果とはいえ、ここまではっきり言われるとやはり来るものがある。しかし、いくらか意気消沈した返事を返したアスカを見るなのはは先程とは違い、微笑みを浮かべた。
「……なんだけど。はい、これ」
なのはがバインダーに挟めておいた一つの茶封筒をアスカに渡す。何がなんだかまるで分かっていない彼を余所に、柔和な表情を崩さずに言葉を続ける。
「今のアスカ君の能力、技術を考えると秋までCランク魔導師扱いするのが逆に危険なんだ。だから、この推薦状を持って武装隊特別講習に参加すれば、最終日にもう一度Bランク試験を受けられるようになってるよ」
「じゃ、じゃあ……!」
「うん、まだチャンスはあるよ。武装隊の先輩達に揉まれて、私が指摘した部分に気をつけてくれればBランクなんて楽勝!」
輝くような笑顔の彼女に釣られてアスカの表情も自然と明るくなっていく。何故こんな例外が認められたのか分からないが、チャンスが残っているということが嬉しいのだ。
「あと、これは個人的なお願いなんだけど……聞いてもらえるかな?」
「え?えっと、僕ができることなら大丈夫だと思いますけど、何をすればいいんでしょう?」
「実はアスカ君が行くことになる武装隊の特別講習に一人、君と同い年くらいの男の子がいるの。もし良かったら、その子と仲良くしてあげてくれないかな?」
何を頼まれるのだろう、と少し身構えていたアスカだったが、なのはのお願いの内容を聞いてきょとんとしてしまった。別段他人とコミュニケーションを取ることが苦手というわけではないが、それはそれとして彼女がどうしてその男の子のことを気にかけるのかが分からない。
「ダメ、かな?」
「い、いえ。そんなことでいいなら全然構いませんけど……」
「本当? ありがとう、アスカ君! その子の特徴はね――」
見るからに嬉しそうな表情を浮かべるなのはにアスカは自然と笑顔を浮かべ、先程の疑問は頭からすっぽりと抜け落ちてしまった。不屈のエースオブエースが気にかける少年。それだけで色々な人間が興味を持ちそうな話ではあるが、彼はさして気にしていなかったようである。
「じゃあ、これで試験は終了します。気を付けて帰ってね?」
「はい。今日はお忙しい中、ありがとうございました!」
「うん、お疲れ様でした」
手を振るなのはに一礼して、アスカは試験会場を後にする。結果としてなんとか再試験に漕ぎ着けることに成功したが、今度は絶対に落ちることは許されない。数日後に迫っている武装隊特別講習で、彼女の言う通り先輩達の技術をできる限り覚えようと決意を新たにして――
『ユーザー』
「うん?」
『……ギンガ殿からメールだ』
重苦しい口調のフルクラムから告げられた一言に、彼の思考は一瞬にして凍りついた。
陸士108隊、隊舎。時空管理局の地上部隊の一つであるその部隊にアスカは所属している。そして、今彼は試験場を出てすぐに送られてきたメールを見て、すぐさま部隊にとんぼ返りすることとなっていた。
「さて、アスカ君?」
隊舎の中を進むこと数分。第一捜査班に割り当てられたオフィスで凍えるような冷たい笑みを浮かべて椅子に座る女性にアスカは硬直していた。彼の経験が明らかなアラートを示しているが、蛇に睨まれた蛙のように体は動いてくれる気配すらない。
「試験では派手にやってたみたいだねぇ。うんうん、元気なことはいいことだよ?」
「ぎ、ギンガさん……あの時はアレしかなかったと言いますか、今考えると無茶苦茶やらかしたといいますか……」
「その結果、試験終了と共にバタンキューは仕方ないかなぁ?」
「あれは有り得ない行為でした!すいません!」
「あはっ、謝らないでいいよ、アスカ君」
ギンガと呼ばれた紫色の髪を腰近くまで伸ばし、同系色のリボンでサイドをまとめて結った女性は怯えるアスカに微笑むが、その緑の瞳は一切笑っていなかった。
「心の底から反省し尽くすまで、許すつもりないから」
「ひぃっ!?」
ギンガが椅子から立ち上がり一歩ずつ近付いて来る。その度に彼も一歩後退り、ギンガと一定の距離を保とうとするが、アスカは忘れていた。背後が自動ドアではなく、ただの壁だということを。
「そんなに怯えなくて大丈夫よ?“手”は出さないから。ただ、私が反省したって決めるまで――お説教です」
その瞬間、アスカは悟る。ああ、これは助からないルートだ。
結果だけ言えば、ギンガの説教は深夜まで続いた。食事は取らせてもらい、その間だけはギンガもいつもの優しい彼女だったが、食事が終わるや否や襟首を掴まれてズルズルとオフィスに強制連行。その間ずっと背筋を伸ばしたままで正座だったため、やっと解放された今も体の節々が悲鳴を上げている。
「うぅ、まだギンガさんの声が耳に残ってる……」
『自業自得と思って諦めるのだな』
「こういうときくらい優しくしてくれたって罰は当たらないと思うんだけどなぁ!?」
今さら期待しているわけではないが、やはりフルクラムは優しくない。父親から継いだフィルダー家の家宝――らしい彼は自分で今の主を認めない限り、所有者でしかないということでユーザーとしか呼んでくれない。この冷たさも認められれば変わるのかな、などと考えながらアスカはベッドに倒れ込む。
「そういえば、高町一尉のお願い、覚えてる?」
『特別講習に参加するお前と同年代の子供を気にかける、だったか』
「そう、それ。あの時はすぐに引き受けたけど、よく考えてみると気になるなって」
一度は沈んだベッドから上半身を起こし、自分のデスクの上に置かれたフルクラムと向き合う。ルームメイトは今日、夜間警備に引っ張り出されていないのでこうして普通に話すことができるのだ。
『気になるとは?』
「高町一尉は有名人だ。そんな人間がいるなら噂になっててもおかしくないだろ?」
『確かにな』
「それに、僕の再試験だってそうだ。普通なら、ただの局員にそんなサービスはしないし」
『期待されているのだろう。何にかは知らんがな』
「それだけなのかな。もっと理由があるような、そんな気がするんだよ」
『それを気にしたところで何も始まらんだろう。今はただ試験突破のことだけを考えていればいい、違うか?』
「違わないけど……まぁ、いいや。おやすみフルクラム」
『ああ』
悩んでいても仕方がないと割り切ったのか、アスカは布団を被って黙り込む。やがて、数分も経たないうちに布団の中から小さな寝息が聞こえてきた。どうやら完全に眠ったようだ。
『……期待しているのは私も同じだがな、アスカ。お前ならばきっと――』
眠りに落ちたアスカに聞こえないように小さな声で、優しくないデバイスは願いを込める。鈍いのか鋭いのかよく分からない今の所有者が、最高の主となれるように。
夜は更けていく。幼い日の憧れを胸に、愚直に突き進む少年は一時の安らぎを得て、呪われた銀銃はやがて主となる少年に隠された期待を胸にして、月が高々と空に昇る夜はこうしてさらに更けていくのだった。
それから数日後の早朝。まだルームメイトがぐっすり寝ている最中、アスカとギンガの姿は隊の宿舎の玄関にあった。彼は今日から始まる4日間の特別講習に向かうところで、ギンガはその見送りと言ったところか。
「準備はできた?忘れ物はない?」
「いや、あの……ギンガさん、別に見送りとかいいんですけど」
大きめのボストンバッグに詰め込んだ下着の替えなどがちゃんと入ってるか確認しようとするギンガをなんとか押し留めて、アスカは彼女に聞こえないように溜め息を吐く。一つ下だからってちょっと子供扱いし過ぎだと思うんですけど。
「そうは言っても、アスカ君たまに凄く抜けてる時があるから心配なのよ」
「大丈夫ですって……たぶん」
そう言われると自信がなくなっていくような気がするのは日頃の行いのせいか。今も不安げに見つめてくるギンガをどうにかして安心させられないかと考えてみるものの、いい案が見つからない。
『ユーザー、時間だ』
二人の沈黙を破ったのはフルクラムによる報告。そろそろ近場の駅に向かわなければ、本局行きの次元船に間に合わなくなってしまう。
「じゃあ、ギンガさん、行ってきます」
「武装隊の皆さんに迷惑掛けないようにね。後、無茶はしないように」
「はい、行ってきます!」
最後の最後までアスカの心配をしてくれる有り難い上司に感謝の意を込め、元気よく返事をしてアスカは駅に向かって歩き出し、108隊を後にした。
駅までの道は早朝だからか人通りはほとんどなく、黙って歩くのはなんとなく暇だったのでフルクラムに話しかけてみたが、『今は講習のことだけを考えろ』と一蹴されてしまった。相変わらずアスカの立場はフルクラムより低いのだ。
駅に到着し、切符を買って電車に揺られること十数分。一人で乗っていた電車に新たな乗車客が二人、現れた。
一人は動きやすそうなショートヘアの青色の髪をした快活そうな少女。もう一人は橙色の髪を黒いリボンでツインテールに結んだ強気そうな少女。二人ともどこかへ旅行に出掛けるようなキャリーバッグを持っているのだが、その服装は彼と同じ陸士隊の女性制服で、彼女達もこの講習に参加することが見てとれた。
そして、アスカは彼女達をよく知っている。何せ同じ訓練校を卒業し、今も休みが合えば出掛けるような付き合いの友人なのだから。
「やぁ、スバル、ティアナ」
「あれ、アスカ? ひょっとして、アスカも特別講習受けるの?」
「あんたまで一緒なんて、珍しい偶然もあるのね」
スバルと呼ばれた青髪の少女とティアナと呼ばれた橙色の髪の少女は手招きするアスカに従って彼の両隣に座る。
「アスカはどうして特別講習受けることになったの?」
「この前のBランク試験でちょっとね。高町一尉のご厚意で特別講習に――」
「ホントに!?じゃあ、アスカも機動六課にスカウトされたの?」
「えっと……ごめん、スバル。話が見えないんだけど」
顔をぐいっと近付けてきたスバルに若干引きながら、アスカはポカンとしたような表情を浮かべた。一方のスバルも話が噛み合わないことに「あれ?」と首を傾げ、二人の噛み合わない話を聞いていたティアナは何故か一人で考えを巡らせている。 他の乗客が見ていればさぞかしシュールな光景だろうが、生憎この電車にいるのはこの三人だけだ。
「……はやてさんはなんでそうまでして私達を……?」
「ティアナ?」
「なんでもない。まぁ、アスカもいずれスカウトされるんじゃないの?」
「いや、だから何のことか分からないんだって……」
話は一応のところはここで終わり、つい先日もメールのやり取りで近況を報告し合っていた三人に次なる話題は見つからない。なんとなく、アスカは昨日から抱いていた一つの疑問について彼女達の意見を聞いてみることにした。
「そうだ。二人とも、高町一尉が気にかける人がいるって話聞いたことない?」
「えっ!?そ、それって……」
「いや、スバルが考えてるような意味じゃないでしょ。教導官なんだからそういう対象はいるんじゃないの?」
何を勘違いしたのか急に頬を赤らめるスバルに対し、ティアナの返しは極めて冷静だった。スバルのような勘違いをせずともあの高町なのはが気にかける人間というのは話題になりそうなものだが、彼女は興味なさげだ。
「そんな話、誰から聞いたのよ?」
「えっと、高町一尉ご本人から」
「……参考までに聞くけど、外見とかは?」
「いや、特には……」
『茶髪に黒眼、痩身の男だそうだ。後はユーザーやティアナ殿と年が同じとも言っていたか』
だが、昨日のなのはの言葉を覚えていたフルクラムから外見の特徴を聞いた瞬間。興味なさげだったティアナの表情が一気に変わる。眉は吊り上がり、眉間には深い皺が刻まれ、その目はどこをどう見ても怒りを孕んでいた。親友の急な豹変に困惑する二人のことを一切気にせずにアスカの肩をガッと強く掴んだ。
「興味出てきたわ、アスカ。その話……詳しく聞かせてもらえない?」
「べ、別に構わないけどなんでそんなに怒ってるのさ?」
「怒る?何言ってんの、あたしは冷静そのものよ?」
――絶対嘘だ。冷静な人は冷静アピールなんてしないし……。
そんなティアナに怯えながら、アスカは昨日なのはに聞いた話をそのまま伝える。これで原因不明の怒りが収まってくれるように願いを込めながら伝えた話はどうやら彼女のお気に召したらしく、
「そ、ありがと」
と、いつものそっけない態度で返し、強く掴まれていた肩が自由になったため、彼はようやく安堵の息を吐くことができた。
「あはは、災難だったねー、アスカ」
「ちょっとスバル、それどういう意味よ?」
「えー? だって、怒ったティアはこわ……」
「なんですってぇ?」
「ごめんなさい!」
眉間に皺を寄せて睨むティアナにひぃ、と息を飲むスバル。いつも通りの二人にアスカは苦笑を浮かべ、三人を乗せた電車は一路、ミッドチルダの次元港へと向かっていった。
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