アニーのアトリエ~レギオスの錬金術士~ (Flagile)
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鋼殻のレギオス
第一話 旅立ちの日


一巻終了まで毎日投稿したいと思います。



「私、ツェルニに留学しようと思うの」

 

 こう三人の幼馴染に宣言したのが私の物語の初まりだったのだと今なら思う。

 

 毎日傷薬や洗剤といった簡単な日用品を調合し、あまり役に立たない新式錬金術(こう言うのは私ぐらいのものだけど……)を学ぶ日々は私には流されているように感じられていたのだ。そんな毎日に小さな満足感とそれ以上に大きなこれではダメだという鬱屈とした思いを抱えていた事が留学という決意に繋がったのだと思う。

 

「ツェルニってアニーのお祖母ちゃんが学んだ都市なんだっけ」

 

 三人が三人共驚いていたが、幼馴染の中でも好奇心の強いミィフィがそう呟く。

 

「うん、ヨルテムじゃ錬金術をこれ以上学べないと思うの」

 

 これは事実だった。ヨルテムにある資料の殆どが祖母の物だ。それ以上の資料はどこにもない。少なくとも私には見つけることができなかった。そして急逝してしまった祖母の遺品から学べることに限界を感じていたのだ。大好きだった祖母が残した書き付けは祖母の備忘録的な物のみで体系だった勉強用の物ではないという現実があった。

 

「……でも……行っちゃうの?」

「メイ……私は新しい事に挑戦したいと思うの」

 

 メイシェンの悲しげな表情に心が痛む。

 

 ――新しい事に挑戦したい――この思いも決して嘘ではない。だが、それだけではない、どこか違うような違和感が余計に心を痛める。心の底にあったのはきっと安穏とした日常への何と言って良いのか分からない嫌悪感だ。それは安定した日常を求めるメイシェンには理解してもらえないだろうと思えた。そう思ってしまう自分が嫌で嫌でしょうがなかった。

 

「アニー……メイもミィも聞いて欲しい」

 

 今まで黙って私の話を聞いていたナルキがおもむろに話し出す。

 

「私も……私も留学しようと思ってるんだ」

「えー!?ナッキも!?なんで?なんで?」

 

 ミィフィがこれでもかと言わんばかりに驚きを露わにする。傍らのメイシェンもミィフィ程ではないが目を丸くしている。 

 

「私はこのままじゃ武芸者として、その……何と言って良いのかちゃんとした武芸者になれない、と思うんだ。それについて悩んでいたら親が進めてくれたんだ。一度武芸者について外から見てみる必要があるんじゃないかって……だから私は、私も留学しようと思っているんだ」

 

 ナルキはナルキらしく拙いながらもまっすぐに言葉を伝えてきた。

 

「それって悩んでるって言っていた戦争で人を傷つけるのはってやつ?」

「そうだ。その、私には戦争をする意味が分からない。汚染獣と戦うのは良い。犯罪者を捕縛するのもだ。だけど罪のない人間同士が殺し合う戦争をする事だけがどうしても納得出来ないんだ。そして、こんな考えをしていたらそれこそ戦争で死んでしまいかねないと両親は言うし、私も……そう思った」

「だから……行っちゃうの?」

 

 泣きそうになっているメイシェンの頭を優しくなでながらナルキは言う。言っている内に考えがまとまってきたのか僅かに揺れていた瞳がしっかりとメイシェンを見つめる。

 

「うん、悩んでいたけど決めた。私も留学する。行き先は……ツェルニについて調べてみようと思う」

「そっか、決めちゃったんなら仕方ないね……私も行こうかな?……なんてね」

 

 ミィフィが冗談めかしてそんなことを言う。それを真に受けたのは真面目なメイシェンだった。目に大粒の涙を湛えて叫ぶ。

 

「そっ、そんなぁ、みんな行っちゃうの?」

「あはは、私は冗談だよ、行ってみたくもあるけどまだヨルテム(この街)の事だって十分に調べられてないしね」

「ううっ寂しく、なるね……」

 

 そんなこんなでまずは私とナルキの留学が決まったのだった。留学を決めてからは早かった。まずは留学先の選定だ。私はツェルニに行くつもりだが、まず錬金術が学べるかどうかが分からないし今もツェルニが存在しているのかどうかも分からないのだ。

 

 そう言った事を調べるためにナルキ達とともに学園都市連盟の支所を訪れる事になった。ミィフィとメイシェンは付き添いだ。ミィフィに限って言えば興味本位のような気もするが。

 

「初めて来たけどここが学園都市連盟の支所かぁ」

「ここで学園都市について調べられるんだな」

 

 ミィフィが早速係の人に色々質問しているのを横目に用意されている端末を操作する。メイシェンはそんなミィフィと一緒に職員の話を聞いているようだ。

 

「ツェルニ、ツェルニ……っと、あった」

「どうだ?どんな都市なんだ?」

「えっとね、ツェルニは学園都市としては一般的な形式の都市みたいだね、学生が主体となって運営・統治していて大人の手をできるだけ排除しているんだって……あっこの人知ってる。ツェルニの卒業生だったんだ」

「ああ、この人の作品は見たことあるな結構有名な建築家だったか」

 

 リストに乗っていたのはこの都市にも建物が立っているほど有名な建築データを作成した建築家の名前だった。他にも映画で見たような名前もチラホラと見受けられる。

 

「へー、結構知ってる人が卒業生に居るもんだね」

「おい、見ろ、ここサンドラ・リグザリオって書いてあるぞ」

「うわっ、お祖母ちゃんだ……こうして見るとツェルニに居たって実感できるね」

 

 思いもかけない所で見る祖母の名前は祖母が生きた証のように思えた。

 

「そうだ!武芸科の方は…………よく分からないね」

「うーん、平和そうだし武芸科の質はあまり良くないのかな?錬金術の方はどうなんだ?」

「結構良さそうだよ。でも最近の研究には私みたいな錬金術はなさそうだね、と言うか古式錬金術がないんだけど」

 

 それからしばらく古式錬金術について調べてみるがろくな情報が出てこない。

 

「聞いてみた方が良くないか?」

「そうだね、聞いてみる……すみませーん、ちょっと聞きたいことがあるのですが」

 

 ミィフィに質問攻めにされていた職員に声をかけると安堵したような顔でこちらにやってくる。

 

「はい、どうしましたか?」

「あの私、錬金術、えっと所謂、古式錬金術を学びたいんですけど……」

「古式、ですか……という事はあなたがアナスタシアさんなのですね。ちょっと待っていてください」

 

 どうやらこの職員さんは私のアトリエの事を知っているらしい。私のアトリエは知名度はあるのだ。もっともその知名度のほとんどは祖母の功績である。私にはできないことが多すぎる、というのが私のコンプレックスであり、それをどうにかしたいが故の留学なのだが……

 

「……残念ですが、古式錬金術で募集をかけている学園都市はありませんね」

「そんな、どこも古式錬金術を教えてないんですか?」

「そのようで……いえ、ちょっと待って下さい。そう言えば特記事項があったような……」

 

 そう言うと端末を調べ始める職員。固唾を呑んで見守っていると

 

「ありました!ツェルニが古式錬金術士を特別生として受け入れると書いてあります」

「本当ですか!?」

「ええ、確認してください」

 

 そこには短く古式錬金術士は特別生として受け入れると記載してあった。だが、その短い情報からは読み取れることはそう多くない。

 

「でも、特別生ってどういう意味なんでしょう?」

「さぁ?私もそこまでは……」

 

 職員さんも困ったような顔でそれ以上は知らないようだ。こうなると一ヶ月以上掛かるであろう手紙で確認するぐらいしか方法がないのが自律型移動都市(レギオス)の宿命だ。

 

「まぁ、良いじゃないか、当初の目的通りツェルニが受け入れてくれそうなんだから」

「そうだね。ちょっと不安だけど良いんだよね。きっと」

 

 そして職員のお姉さんに知りたいことを一通り聞いた後、入学に必要な願書と論文のテーマ、それにテストの日程を教えてもらいその日は帰ったのだった。

 

 その帰り道

 

「ねぇ、ナルキ」

「なんだアニー」

「結局、ツェルニの願書しか貰わなかったけどそれで良かったの?」

 

 ナルキは他の都市についても色々調べていたが結局ツェルニの願書のみを持って帰っていた。受け入れ先がツェルニ一択の私と違い武芸者のナルキはもっといい環境があったのではないかと思ったのだ。

 

「ああ、その事か……私も一人じゃ心細かったんだ……恥ずかしいから二人には言うなよ」

「にしししし、聞いちゃってるんだよね」

「あう、ごめんなさい」

「ふふふ、良いじゃない。私だって一人じゃ心細いわ」

 

 ――――――――――

 

 ツェルニから待ちに待った連絡がやってきた。これでも勉強には自信があったし、論文の出来も悪くはなかったと思う。

 

 結果は……特待生、奨学金Aランクの書類を見たときには小躍りするほど嬉しかった。実際に奨学金Aランクの書類に頬擦りしたのは忘れて欲しい。

 

「やった!見て特待生だって!」

「良かったな、アニー」

「アニー、おめでとう」

「おおー、凄いね……ん?何か落ちたよ」

「えっ?何だろ……手紙?」

 

 合否を通知する封筒の中にもう一通手紙が入っていたようだ。宛名は私、差出人はカリアン・ロス。どうやらツェルニから来た書類と一緒に入っていたらしい。

 

「……えっ?生徒会長って書いてあるよ」

「生徒会長って学園都市だと最高権力者だよな?」

「えー、何かよく分からないけど読んでみようよ」

「えっと、何々……」

 

 手紙には思いもよらない内容が書いてあった。まず古式錬金術を教えられる教師はツェルニを含め他の都市にもまず存在しない事、元々ツェルニが唯一古式錬金術を教えていた都市であった事。しかし30年程前の事故が原因で制度が一変し、古式錬金術を教えることはなくなってしまったとの事だった。しかし古式錬金術の有用性や資料は現在にもある程度受け継がれており、古式錬金術復興の動きもある。そこで私には特別に工房を与え錬金術士として仕事をしながら実践の中で学び、古式錬金術の復興に尽力して貰えないだろうかと締めくくられていた。なお、この話を受けなかったとしても一般生として通知通り奨学金は出るとの事だった。

 

「どうしよう……」

「えー、行けばいいじゃん、聞いてる限りそんなに悪い話じゃなさそうだし」

「えっと、みんなで行けたら良いな」

 

 メイシェンが控えめにそう言う。みんなで、そうみんなでツェルニに行くのだ。実はこの間ミィフィがやらかしてしまいヨルテムに居ないほうが良いのではないかという話になったのだ。何でも有名な傭兵団に一泡吹かせるというある意味で偉業をなしとげたらしい。そして、せっかくだからツェルニに留学するという選択を行い。それに合わせてメイシェンもツェルニに行くことを決めたのだった。

 

「うん、そうだね、みんなでツェルニに行こう!」

 

 

 




自律型移動都市(レギオス):荒廃した大地を彷徨う都市、人類はこの上でしか生きていくことができない。

汚染物質:世界荒廃の原因でほとんどの生物を死に至らしめる謎の粒子状物質。これが大気と大地に充満したことで全世界が人の住めない荒野と化した。

汚染獣:ほぼ唯一汚染された大地に適応した凶暴な巨大生物、人類の天敵

交通都市ヨルテム:常に動き回る自律型移動都市全ての正確な位置を把握している交通の要衝

学園都市:機能特化型都市の一つ、教育機関に特化しており都市の機能も全て学生によって管理、運営され、教育に関しても上級生が下級生の授業を受け持つ

戦争:都市の動力源となる金属「セルニウム」の鉱山の保有権を賭けて都市間で行われる。学園都市では武芸大会と称される。

武芸者:汚染獣や戦争において都市を守るために戦う者達。剄と呼ばれるエネルギーを操る技術を駆使し、錬金鋼(ダイト)と呼ばれる特殊合金の剣や銃を武器に戦う。



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第二話 新天地での始まり

 長い旅を経てどうにか無事にツェルニに着いた私達は一時滞在のホテルに荷物を置き、それぞれがやるべき事をやるために別れるのだった。私は荷物の整理と言った細々としたやることを終えると錬金科へと向かうことにした。ナルキとメイシェンはミィフィに引っ張られるように物件探しへと向かっていったので別行動だ。

 

「すいませーん、今年度入学しましたアナスタシアです。錬金科長さんはいらっしゃいませんか?」

「私が錬金科長のヴァルターだ。一年生がどうしたんだ?」

 

 そこには細身の、いっそ痩せぎすと言って良いような人間が立っていた。研究者らしく白衣を纏っており、その白衣に一体何の痕跡なのか分からないような毒々しい跡が複数付いているのがマッドサイエンティスト感を加速させている。とは言え人好きのする柔らかな笑みを浮かべており本質的にそう悪い人間ではなさそうだ。

 

「えっと、錬金術――古式錬金術の事で話があるから都市に到着したら錬金科長さんを訪ねるように書いてありまして」

「ああ、なるほど君が噂の子なんだね。ちょうど良い……早速なのだが生徒会長に会いに行かないか?」

「えっ!生徒会長ですか……この都市の最高権力者なんですよね?そんな人に簡単に会えるのですか?」

「ハッハッハッ、そんな心配は無用さ。何せ君を入学させてアトリエまで任せると決めたのはその生徒会長なのだからな……さっ、付いて来なさい」

 

 そのまま私は錬金科長さんに連れられて錬金科から生徒会棟へと移動する。その過程で錬金科長から如何に古式錬金術、引いては私に期待しているのかと言った話をされる。何でも一昔前のツェルニにおいて古式錬金術は都市運営に欠かせないレベルで貢献していたのだそうだ。特に都市内の売上では他を圧倒していたらしく都市の税収の三割が古式錬金術による物だったなんて伝説もあるそうだ。しかし30年前の事故で本当に数少ない錬金術士が死亡してしまい教育を継続することができなくなってしまったらしい。それでも古式錬金術の伝説はツェルニに残り続けており今でも古式錬金術研究会が存在したり復興できないかと言った検討などがなされていたらしい。

 

「まぁ、古式錬金術は念威操者よりもさらに個人の才能に寄った特殊技能だ。芽がなければどうしようもない」

「そんな時に私が来た、と」

 

 錬金科長からツェルニでの古式錬金術の伝説を聞かされた私は肩にずっしりと期待という重みを感じた。同時にやってやるんだというやる気も湧き出してきた。総じて言えば期待と不安が混じり合った複雑な気分だった。

 

「まぁ、そんな感じだ。もっとも会長はそれ以外にも君に期待しているようだがな」

「税収以外にも何か目的があるんですか?」

「その辺は直接説明されるさ、さっ、着いたぞ」

 

 そう言って木材を削り出して作ったであろう重厚な扉をノックする。受付から既に連絡が入っていたのだろう。待たされることもなく直ぐに入るように中から声が掛かる。ドアをくぐり部屋へ入る。目の前には一人の学生が大きな執務机を前に腰を下ろしている。もう大人だと言われてもなんの問題もないだろう。それほど大人びた青年がそこには居た。胡散臭い笑みを柔和に浮かべた青年が挨拶をする。

 

「やぁ、初めまして私が生徒会長のカリアン・ロスだ」

 

 胡散臭いのに親しみやすいのは政治家向きの人間なのだろう。切れ者の雰囲気はあるがまだ歳のせいか頼り甲斐がありそうではない。とりあえず油断できる人間ではないのは確かだろう。

 

「は、初めまして錬金術士のアナスタシア・リグザリオです」

「カリアン、例の古式錬金術士の新入生を連れてきたぞ」

「そうか、ありがとうヴァルター。それでここに来たということは古式錬金術を実践の中で学ぶ意志があるという事で良いのかな?」

「ハいっ」

 

 緊張からちょっと声が裏返ってしまった。その様に苦笑を浮かべながら生徒会長が話し始める。

 

「さて、君に来てもらったのはもちろん古式錬金術を復興するためだ」

 

 端的にカリアンと名乗った青年が言う。そこで一度言葉を切るとじっと私を見る。その目には何か狂信的な物が僅かに感じられたように思った。だが、決して不快な感じはしない。この青年は胡散臭いが真摯なのだ。そして続ける。

 

「だが、それだけではない。君は現在のツェルニの状況を知ってるだろうか?……おそらくは知らないだろう。現在ツェルニは非常に追い込まれている。簡潔に要点だけ言えば鉱山が残り一つしかない」

 

 再び言葉を区切り、私が理解できるまで一拍をおく。鉱山が一つしかない。鉱山というのはセルニウム、即ち都市の動力源の事だろう。そして鉱山が一つしかないと言うことは都市間で行われる戦争に負け続けているということだ。次に負けたら都市は滅ぶしかないということでもある。

 

「そしてこの問題を解決するためには都市間での鉱山の争い、戦争――学園都市では武芸大会と呼んでいるが――に勝利する必要がある。私は君にその一助となって欲しいのだ」

 

 そう私に向かって告げる。ツェルニが追い詰められている事は分かった。だが、話が大き過ぎて実感が湧かない。

 

「えっと、つまり私は何をすれば良いんでしょうか?」

「何、難しく考える必要はない。そういう状況にあるのだと理解してできることがないか探してもらえればそれで十分だ」

 

 あまり脅しすぎても逆効果だと思ったのだろう錬金科長がそう軽く合いの手を入れる。それに再び苦笑しながら生徒会長が続ける。

 

「まぁ、そういう事だよ。ただ、アトリエを援助する条件として二つ頼みたい事がある」

「頼み、ですか」

「そうだ。一つは優秀な君にとっては簡単だ。錬金科への編入試験を半年以内に突破して欲しい」

「錬金科への編入試験です、か?」

「本来、3年までは一般教養科と一緒に基礎知識を学んでいく。だが一部の優秀な生徒には早くからより専門性の高い道を進んでもらうために編入という制度が用意されているのだ。そして、君にアトリエを任せると言った扱いは錬金科でのものを先取りしていると言っていい。その先取りした状態をできるだけ早く解消して欲しいのだ」

 

 そう言うと分かるかねとカリアンは続ける。これは分かりやすい。

 

「なるほど、さっさと実力を示せ、という事ですね」

 

 私のざっくりとした要約に苦笑いを見せるカリアン。

 

「まぁ、ざっくり言ってしまえばそう言う事だ。次にツェルニでは武芸大会に向けて指揮官やスキルマスターを育成・選抜する仕組みとして小隊という物がある。君にはその小隊付き錬金術士になって欲しいのだ」

「はぁ」

 

 まだ小隊という制度自体がよく分からないし、小隊付き錬金術士になることで何をすれば良いのかも分からないが、小隊に参加することで武芸大会の一助となる調合をして欲しいということだろう。

 

「まぁ、まだ実感が湧かないだろう。詳しい話は錬金科長に聞いて欲しい。ヴァルター任せたよ。……とりあえず君のアトリエでも見てくると良い。生憎と交通の便だけは良くはないが、設備としてはかなりのアトリエを用意したつもりだ」

 

 気に入るといいが、そうカリアンは続けると錬金科長に後を任せて再び何かの書類に目を通し始める。どうやらやはり当然というか忙しいらしい。そんな中でも時間を割いてくれたのはそれだけ期待しているという事だろうか。

 

 錬金科長に促されて退出すると付いて来なさいと声をかけられる。このままアトリエまで案内してくれるようだ。路面電車に乗り、大分長いこと揺られているとドンドンと町並みが変わっていく。研究施設・学校から繁華街へ、繁華街から工業施設へ、そして倉庫街まで来た所でようやく下車する。

 

 私のアトリエは駅のすぐ近くだった。周囲には倉庫しかなく閑散としている。実際電車でここまで来たのも自分たちだけだった。

 

「ここが私のアトリエかぁ」

 

 与えられた住居兼工房――アトリエ――は倉庫街の一角にあった。一般的な錬金科の研究室や工房があるエリアとは大幅に離れており、通学にはちょっと(かなり?)不便な位置――駅からは近いのだがかなり外縁部寄り――にある。この建物は元々錬金術士のアトリエだった物を住居として改修した建物らしく通常の住居よりも遥かに堅牢にできているとの事だった。それを今回再びアトリエとして使用できるようにリフォームしたそうだ。伝統ある良い建物との事だった。

 

 何でも当初は一般的な錬金科の研究室があるエリアにアトリエを作ろうという話もあったらしい。それが実績がないため良い場所を割り当てるほど優遇するのははばかられるとの判断もありここになったらしい。努力と結果次第ではもっと良い位置にアトリエを構えることもできるとのことだ。

 

 私としてはミィ達と離れてしまうことと通学に時間が掛かる事に不満はあれど自分のアトリエを持つことが出来たのだからそこまで大きな不満はない。早速中に入ってみると中は外観からは想像できないほどキレイに仕上げられていた。

 

「わぁ、これが私の釜かぁ、いいじゃない!」

 

 そして、部屋のど真ん中にドンっ!と置いてあるのが錬金術に欠かせない大釜である。大釜も少し古びた様子だが手入れが行き届いており使用するのに問題なさそうだ。他にも調合に必要な乳鉢や遠心分離機と言った基本的な道具も揃っている。

 

「本当にこの釜で調合できるのかね?」

 

 案内してくれた錬金科長が不意にそう尋ねる。やはり最終的に釜であらゆる調合を行う錬金術は珍しいのだとその質問から分かる。

 

「えっ?あっはい。私の錬金術で使うのは主に錬金釜です」

 

 偽りはない。他の道具も使うが最終的に錬金釜に材料を入れてぐーるぐるする事で様々なアイテムを作成することができるのだ。

 

「……そうか、いつか調合を見せて欲しいものだが良いかね?」

「はいっ、いつでも来てください!」

「では、後は任せてしまって大丈夫だろうか?」

「はい、ありがとうございました」

 

 錬金科長は鍵を私に渡すと帰っていくのだった。

 

「ようし、頑張るぞー!」

 

 そう気合を入れると早速使いやすいように家具の配置を変えたり、掃除を始めるのだった。

 

 




錬金術士:素材を入れて釜をぐーるぐるするとアイテムが出来上がる。不思議。

アトリエ:よく爆発する。

古式錬金術:アトリエ世界の錬金術のこと、アルケミストとの関係は不明

新式錬金術:一般に錬金術といったらこっち、科学の延長線上にある技術。

※錬金術に関しては捏造設定だらけなので注意


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第三話 波乱の入学式

 入学式の日がやってきた。

 

 私達はかなり日程に余裕を持ってこのツェルニまでやって来ることができたが、これはヨルテムという交通の要衝から来たためだ。他の都市から来る際に必要な、まずヨルテムまで行くというワンクッションがないためにかなり楽にツェルニに来られたという訳だ。都市間移動には放浪バスという日程の予測が付きにくい手段しかない以上、余裕を持って行動する程度しか対策はない。

 

 何が言いたいのかと言うと入学式当日にも新入生はやって来るという事だ。そしてそう言った出遅れてしまった学生はあらゆる準備ができていない。当然、住居や行事の日程なんかも知らされていないのだろう。荷物をどうにか空きを見つけたホテルに放り込んで入学式会場へ足早に歩いて行く姿が何人も見える。そんな遅刻者を横目に私達はゆったりと式場へと歩いていた。

 

 入学式は何の滞りもなく進行していた……とは間違っても言えない状況になっていた。どうも敵対都市の生徒が鉢合わせたらしく、目での牽制が言葉のぶつけ合いに、終いには直接的な暴力へと繋がってしまったのだ。さらに運が悪いことに暴力沙汰を起こした生徒は互いに武芸科の生徒らしく剄の発する威圧感が、講堂一杯に広がってしまっている。

 

 そして、その生徒を制圧しようとしている上級生や逃げ出そうとしている一般生、あるいは野次馬根性を見せて近づこうとする馬鹿まで多種多様な行動を一斉に取ろうとした結果、講堂の中の人の波は誰にも予想の付かない荒れ模様になっていた。

 

 初めの方こそ私達ははぐれないように一緒になって避難しようとしていたのだが、すぐに人波に飲まれてバラバラに押し流されてしまう。私は無理せずに流れに乗るように押し流されていると大変な事が目に入る。

 

「あっ!」

 

 私の声はざわついた雰囲気に飲まれ誰の耳にも届かない。私の視線の先では人の波に押し潰されて踏まれそうになっているメイシェンが見える。

 

 助けないと

 

 そう思うも波に逆らうことすらロクに出来ない。そんな時だった。どこから現れたのだろうか、一人の学生がスッとメイシェンを抱き起こし、波の空白地とでも言うべき場所まで移動させるのが目に留まる。そして、何事かメイシェンに囁いていたかと思うとその姿が一瞬にして消え去ったのだった。

 

 次の瞬間。

 

 騒ぎの発端となった武芸者二人が轟音を立てて地面に叩き付けられる。講堂内全ての視線が騒ぎの中心に集中し、足が止まる。それで終了だった。私は人を掻き分け急いでメイシェンの元へと向かう。結局一度沈静化した騒ぎは再び燃え上がることもなく生徒会が入学式の中止を指示し、解散が告げられる。そうこうしている内にミィフィとナルキも合流する。

 

「メイ、大丈夫?」

「メイっち、大丈夫だった?」

「メイ、大丈夫か?」

「う、うん。助けてもらったから……」

「あっ、見てたよ、あの人凄かったね~一瞬で騒ぎを鎮圧しちゃったよ」

「そうだな、一般教養科の制服を着ていたが武芸者だったのかな?」

「そうじゃない?一般人にはあの動きはちょっと無理だよ」

 

 騒ぎが起きただけで何もできなかった入学式は終わり、それぞれのクラスへと移動していく。残っている今日の予定はクラスメイトとの顔合わせ程度だ。幸いなことに私達は全員同じクラスだった。幸いと言うよりある程度都市ごとにクラス編成しているためのようだった。先程のような事が起きないように仲が悪い都市を別けておきたいという思いが感じられる。

 

 自分のクラスへ移動して雑談していると教師役の上級生がやって来る。それに気付いた各々が指定された自分の席に移動を始める。その時の事だった。一人の生徒が走ってきて引き戸をガラガラと開ける。

 

「すみません、遅くなりました」

 

 あの生徒だった。

 

 クラスの注目を一身に浴びている生徒は自己紹介でレイフォン・アルセイフと名乗った。グレンダンの出身らしい。自己紹介も終わり簡単な明日以降の説明も終わった所で教師役の上級生が解散を告げる。それと同時にレイフォンと名乗った少年に向かって生徒会室に向かうように言い、レイフォンを案内して行ってしまう。

 

「驚いたね、おんなじクラスだよ」

「そうだな一般教養科って言ってたし武芸科じゃないのかな?」

「分かんないよ~、生徒会に呼び出されてたしホントは武芸科の生徒かもよ?」

「まぁ、どっちでも良いじゃない」

「え~、そんな事ないよ。あっ!そうだ良いこと思いついた!武芸科かどうか賭けない?」

「賭けない、それよりもお礼言った方が良かったかな?」

「あう、お礼、したい」

「およ、メイっちが珍しい~、じゃあ待ってよっか、荷物まだあるし戻ってくるでしょ」

 

 確かにレイフォンの席には彼の荷物がまだ残っていた。記者を目指しているだけあってさすが目ざとい。それからしばらく雑談していると、引き戸がガラガラと音を立てて開く。

 

「あ~~ほらほらやっぱり武芸科の人だったんじゃない。イエーイ、私の勝ちラッキーラッキー!」

 

 そこには武芸科の制服を身に着けたレイフォン・アルセイフが居た。片手には今まで来ていたであろう一般教養科の制服を持っている。そして彼が武芸科の制服を身に着けているのを見てミィフィがピョンピョンと跳ねている。

 

「なんでだ、一般教養科だったじゃないか、制服が。そんなのってなんかずるいぞ。あたしは一般教養科の制服なんて持ってないんだぞ。なぁ、君、どういうことだ?」

「いや、これにはちょっとした事情が……」

「ほら、ナルキ彼が引いてるから、そこら辺にしときなさい。で、どんな事情なの?」

 

 ナルキを静止するも、あたしは可愛くないから、一般教養科の可愛い制服はくれないっていうのかなどとブツブツと文句を言っている。

 

「ちょっと、ナッキもアニーも落ち着きなって、先にメイっちでしょ」

「ああ、そうだった。メイシェン、ほら」

「あの、ありがとう……ございました」

 

 それだけ言うとメイシェンはナルキの背中に隠れてしまう。まぁ、男という存在を避けて生きてきたメイシェンにしては頑張ったほうだろう。ナルキとミィフィもそう思ったのだろう。

 

「悪いね、こいつは昔から人見知りが激しいんだ」

「それでも、入学式で助けてくれたからお礼をしたいって。ねぇ?」

 

 ナルキはそう言うともう一度メイシェンを前に出そうとするが、メイシェンはさらに強くナルキの背中に隠れてしまう。

 

「まったくこの子は……自己紹介がまだだったね。あたしはナルキ・ゲルニ。武芸科だ」

「私はアナスタシア・リグザリオ。錬金科よ」

「で、私はミィフィ・ロッテン。で、こっちのかくれんぼしてるのがメイシェン・トリンデン。わたしたち二人は一般教養科ね。で、あなたのクラスメート。四人ともヨルテムから来たの。交通都市ヨルテム。知ってる?」

「知ってる。放浪バスの中心地だ。ここに来る前に立ち寄ったよ。僕はレイフォン・アルセイフ。槍殻都市グレンダンの出身だ」

「わお、武芸の本場ね。だからあんなに強かったんだ」

「いや、そういう訳じゃあ……」

 

 何か言いづらい事情があるのだろうレイフォンは口ごもると困ったような顔をしている。それに気付いたのだろうミィフィが

 

「ねえ、こんなところで立ち話もなんじゃない?お腹空いたし。どっか美味しいもの探ししよ」

 

 そう言って少し暗くなりかけていた雰囲気を洗い流す。その流れに乗って

 

「あら良いわね。美味しいものマップができたら教えてね」

「またマップを作るつもりなのか?他には何作るつもりなんだ」

「当たり前じゃない。美味しいものマップ、オシャレマップ、勢力マップ……作れるものはなんでも作るわよ。六年もあるんだから、作らなきゃ損じゃないの。あ、情報集めが私の趣味だから。なんか知らないことがあったら私に聞いてね。わかんなくても、絶対に調べてきてあげるから」

「まあ、腹が減ったのは確かだしな。……おまえにはまだまだ聞きたいことがあるしな、その小脇に抱えているもののこととか」

 

 ナルキはまだ一般教養科の制服にこだわっているらしい。そこまで着たいのであれば作ってあげようかな?とちょっと思う。ナルキに可愛い格好をさせるというのも面白そうだ。錬金術で作れるかどうか検討するのも楽しそうだし、できそうになかったら自分で縫えばいい。

 

「いや、でも……ほら、メイシェンに迷惑じゃあ。彼女、人見知りするって言ってたし」

「……大丈夫です」

 

 勇気を出したのだろう。メイシェンがちょっとだけ出てくる。すぐにナルキの後ろに舞い戻ってしまったが一言だけだとは言えこれはひょっとすると本気の本気なのかも知れない。俄然レイフォンに興味が出てきた。

 

 そして場所は変わり、すぐ近くにあった喫茶店。レンガ造り風の落ち着いた雰囲気のある喫茶店だ。よく見るとレンガではなく何かの板に表面だけレンガのような塗装がしてあるのだと分かる、質感も再現されているが端の方が少しだけ剥がれ落ちているのだ。

 

 ランチタイムからは少し間が空いているためだろうテーブルに客は殆ど居ない。そんな半ば独占状態の店の中で根掘り葉掘りレイフォンの事を聞いていく。どうも彼は喋ることがそう得意という訳ではなさそうなためかこっちが8話して2聞くぐらいのバランスに落ち着く。

 

 その中で生徒会長によって武芸科に転科したことが分かる。そしてそれが不本意な事も簡単に察しがついた。本人は隠しているようなので突っ込まないで置いたが。話も一段落してデザートを食べていると就労の話になる。ナルキは警察官、ミィフィは情報系の出版社、メイシェンはお菓子屋、私は当然アトリエだ。こうして並べてみるとみんなしっかりと夢に向かっているような気がする。

 

「アトリエ?」

 

 耳慣れない言葉だったのだろう。アトリエを経営すると言った私の言葉を鸚鵡返しにレイフォンが繰り返す。

 

「そう、アトリエ。私、錬金術士なんだ。錬金術を使って必要な人に色々な物を用意するのがアトリエ。レイフォンも何か困りごとがあれば頼ってね。何でもとは言えないけどできることなら色々作ってあげるから」

 

 お祖母ちゃんならそれこそ何でも作れたと思うが、私にはまだまだできないことがたくさんある。それでも怪我した時の傷薬ぐらいは作ることができる。

 

「アニーはなかなか凄いぞ、ヨルテムでも独り立ちしてアトリエを運営していたからな。その経験を買われて特別生としてツェルニにやってきたんだ」

「いや、そんな大した事ないよ。単に珍しい技能ってだけ」

「そういや、レイとんはなんか就労するわけ?」

「……レイとん?」

 

 レイフォンが摩訶不思議な表情をして問い返す。私はまた始まったと思った。ミィフィが親しくなりたい人間にあだ名をつけるのはいつもの事だ。私のアニーというあだ名もミィフィが付けたものだ。

 

「そ、レイとん。呼びやすいよね?」

 

 ミィフィが楽しそうに同意を求める。

 

「ナッキ、メイっち、アニーにレイとん、そしてわたしがミィちゃんなわけ。オーケー?」

「おまえ一人がなんの捻りもないな。いや、あたしのそれも捻った感じがあるわけではないけどな」

「自分の呼び名なんか考えてもつまんないもんね。それになんか、『ミィっちって呼んでね♪』とか自分で言ってたら気持ち悪くない?」

「気持ち悪いな。すくなくとも、あたしは友達になりたくないタイプだ」

「でしょ。ならオーケーじゃん。。というわけで、レイとんはレイとんに決定なわけ」

「仕方ない、ではこれからもよろしくな、レイとん」

「そそ、レイとん、レイとん♪」

「……レイとん」

 

 メイシェンにまでレイとん呼ばわりされて若干絶望したような目をするレイフォン。助けを求めるように視線は彷徨いまだ呼んでいなかった私にたどり着く。……が

 

「頑張れ、レイとん」

 

 そのまま突き落とす。いや、これがミィフィなりの親愛の証だと知ってるからだが。レイフォンには諦めてもらうしかないのだ。私の裏切り(?)にレイフォンは言葉もなく固まる。

 

「で、レイとんはなにか就労するわけ?」

 

 話を元に戻し、レイフォンがどうにか復旧する。まだ飲み込めていないようだが、そのうち飲み込める日がやってくるだろう。

 

「ん……いや、機関掃除をするよ」

 

 一瞬、躊躇した後、機関掃除をすると言ってきた。機関掃除と言えばきつい事で有名なバイトだ。高給に惹かれて申し込み、そのきつさに耐えられなくなるか、授業についていけなくなるかのどちらかだと言われるほど悪評高いバイトである。

 

「うわー、一番しんどい仕事じゃない。どうして機関掃除を?」

「武芸科は体力を使うと聞いているぞ。そんなところで生活リズムを崩して、大丈夫なのか?」

「……しんどい、よ?」

 

 全員に心配されたレイフォンは思わずと言った風に苦笑すると

 

「ん。でも仕方ないよ僕は孤児だからね。奨学金以外に頼るものがない」

 

 本人はさして気にしていないようだが、孤児という発言に驚く。まずレギオスにおいて孤児はそう多くない。さらに色々優遇されている武芸者の孤児など聞いたこともない。もしかしたらこれはヨルテムだけの話かもしれないが……とにかく孤児という存在は知ってはいても実物を見たのは初めてだったのだ。

 

「あ~そか、ゴメンね、がんばれ」

「うん、あたしにできることなら手伝うからな」

「……わたしも」

「栄養ドリンクでも作ってあげるね」

「いや、そんな……気を使わなくていいから」

 

 私達の態度の急変に焦っているのだろうかレイフォンはさらに続ける。

 

「別にこれといって辛いと思ったことはないから、同情されると逆に困るよ」

 

 そんな物なのかも知れないと思いつつもやはりどうしても孤児という言葉に引きずられてしまう。それはミィフィとメイシェンも同じらしい。

 

「よしわかった。気にしない」

 

 ナルキが表面上とは言え動揺を割り切った事にむしろレイフォンは驚いたようだ。やはり色々あったのだろう。私もできる限り割り切らなくてはならないようだ。

 

「私も……気にしないわ」

 

 ナルキに続いて宣言する。レイフォンの驚いた顔が面白い。

 

「ん?どうした?気を遣うなと言ったのはおまえの方だろう?」

「いや、うん、そうなんだけどね」

「なんだ?」

「いや、姉御だなぁと思って」

「なんだそれは?」

 

 そのやり取りについ私は笑いを漏らしてしまう。その事に不満げにナルキに睨まれるが全く怖くない。そしてミィフィも同調する。

 

「あ、わかるわかる。ナッキって姉御肌だよね。こう、びしっと締めるとことか」

「……女の子にも好かれてるもんね」

「そうそうプレゼントとかラブレターとか、たくさんもらってた」

「あれは、困るな。どう対処して良いのか、いまだに分からん」

 

 そうナルキがまじめくさって言うのをレイフォンが笑う。さっきまでのちょっとした断絶は今は見えない。

 

「あの……すいません」

 

 笑って無駄話を続けていると、不意にその声がかかった。声の主を見て、全員が息を呑んだ。そこには完成された未完成の美があった。今にも動き出しそうなだが決して動くことのなさそうな人形のように生物と隔絶した雰囲気を持った少女が居た。最初に動き出したのはナルキだった。

 

「これは先輩、なにか御用でしょうか?」

「レイフォン・アルセイフさんは、あなたですね?」

 

 ナルキを半ば無視してレイフォン向かって淡々と告げる。だが、無視したことに悪意などは全く感じられない。ここまでナチュラルに無視されると逆に小気味いいぐらいだ。

 

「あ、はい」

「用があります。一緒に来ていただけますか?」

「……はい」

「それとアナスタシア・リグザリオさんですね、あなたも一緒に来ていただけますか?」

「ハイっ!」

 

 レイフォンに用事だと聞いてちょっと安心したところにクリティカルヒットした。変な声を出してしまった事に顔を赤らめながらレイフォンと一緒に立ち上がる。外に出る直前でレイフォンは代金を支払いに戻る。律儀なことだ。だが悪くないと思う。

 

「ごめん、行ってくる」

「了解した。行ってこい」

「うん、でも、なにがなんだか……」

 

 そんな会話を遠目に見ているとようやく落ち着いてくる。さて、あの先輩は一体何の用なのだろうか?

 

 




放浪バス:レギオスを繋ぐ唯一の交通機関、多脚式のバス

槍殻都市グレンダン:武芸の本場、原作主人公レイフォン・アルセイフの出身都市


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第四話 怒涛の入隊試験

注意:ニーナアンチ気味になってるかもしれません。


「わたしはニーナ・アントーク。第十七小隊の隊長を務めている」

 

 そう硬い声で名乗った金髪の真面目過ぎて怖い少女とレイフォンは戦っていた。武芸者の戦闘は高速すぎてどちらが優勢なのか良く分からないがとりあえず戦いにはなっているようだ。

 

 話は若干戻る。

 

 銀髪の美しい少女に連れられて来た先は一年校舎よりもさらに奥まった場所にある、少し古びた感のある会館だった。案内してきた銀髪の少女は一つの部屋に入ると無言のまま部屋の隅に移動する。

 

 部屋の中には先程まで案内してくれた銀髪の少女とこれまた硬い表情をした金髪の少女、そして寝そべっている長身の男と機械油と触媒液で緑と黒の斑になったツナギを着た男がいた。

 

 何のまとまりもない集団に私は戸惑う。戸惑いながらも私たちが部屋に入ると金髪の少女――ニーナと名乗った――が出迎えた。そして突然始まる小隊の説明。

 

 説明不足も甚だしいが要は生徒会長から話があった小隊付き錬金術士の話だろうということがようやく私にも当たりがついた。レイフォンは状況がまだよく分からないのか、あるいは分かった上で理解したくないのか視線をあちらこちらへと泳がせている。

 

「わかったか?」

 

 その態度に不満があるのかニーナが強い口調でレイフォンに確認する。

 

「あ、はい」

 

 明らかに分かっていないであろう空返事をするレイフォン。

 

「あの、それで、僕がどうしてここに呼ばれたのですか?」

 

 そこにさらに油を注ぐような事をいけしゃあしゃあとのたまうレイフォン。これがもし演技なのだとしたらとんでもない役者だと思う。これからの付き合いも考えないといけないだろう。だがそうじゃないのだろう。ニーナの片眉が引きつるように震えたのを見て慌てたように付け加える。

 

「いえ、ここにいる人たちがエリートだというのは、さきほどの説明で十分にわかりました。でもだったら……だからこそ一年の僕がここに呼ばれる理由がわかりません」

 

 やはり分かった上で理解したくないのであろう。ここまでお膳立てされていてとぼけた返答するのはそういうことなのだろう。きっとレイフォンに小隊に参加する気はないのだ。

 

「ぶははははははははははははははははははは」

 

 ニーナが落ち着こうと深呼吸してる隙に寝転がっていた長身の男が腹を抱えて笑い出す。きっと私も呼び出されたという緊張がなかったらこのコントのようなやり取りに笑っていただろうと思う。が、今はさらにボルテージが上がっていそうなニーナが怖い。

 

「シャーニッド先輩!」

 

 ニーナが肩を震わせて長身の男の名を大声で呼んだ。

 

「ぎゃはは!は~ひいひいい……ああ、腹が痛い。ニーナ、おまえが悪い。もって回った言い方なんかするから、そこの新入生にとぼけられるような隙を作っちまうんだ」

「ぐっ」

「よっ、と」

 

 シャーニッドが勢いをつけて起き上がると、軽薄そうな眦で私に対してウィンクを一つした後、レイフォンに向かって言う。

 

「俺の名前はシャーニッド・エリプトン。四年だ。ここでは狙撃手を担当している」

「はあ、どうも」

「で、我らが隊長殿に代わって、単刀直入に言わせてもらうとだな、レイフォン・アルセイフ、おまえをスカウトするために呼んだわけ」

「はっ?」

 

 やはり、そうだったのかと思う。それよりもこのまとまりのない集団が小隊というエリート集団だとはとても思えないのだがそこは気にしてはいけないのだろう。

 

「おおっと、とぼけるのはなしだ。入学式の立ち回りはここにいる全員が見てるんだ。新入生だから実力が足りませんなんて言い分は通用しない。おまえさんの実力は、もう証明されてるんだ。で、俺たちは小隊にスカウトするに十分な実力を有していると評価した」

 

 そこまでシャーニッドが語ると今度はニーナがごほんと咳払いを一つする。そしてニーナは改めてレイフォンの前に立ち言い放つ。

 

「レイフォン・アルセイフ。わたしは貴様を第十七小隊の隊員に任命する。拒否は許されん。これはすでに、生徒会長の承諾を得た、正式な申し出だからだ。なにより、武芸科に在籍する者が、小隊在籍の栄誉を拒否するなどという軟弱な行為を許すはずがない」

 

 その言い草に流石にどうかと思いつい口を挟んでしまう。

 

「ちょっと待ってください!もっと個人の状況を考えてください!栄誉じゃ生きていけませんよ。レイフォンは……機関掃除しないと生きていけない孤児で!っ…………ごめん、これ言っちゃまずかったよね?」

 

 つい自分が言うべきでない事を言ってしまう。

 

「……いいよ、事実だし、それより……ありがとう、後は自分で言うよ」

 

 そう言うとレイフォンはニーナに向き直る。その視線は今までのように泳いでいない。これなら任せてしまっていいだろう。むしろ自分が変に手出しした事の方がまずかった気がする。

 

「先輩、僕は彼女が言った通り孤児です。本来なら機関掃除をしないとこの都市で生きていくことはできない予定でした」

「だが、私も!」

 

 何かを言い募ろうとするニーナをレイフォンが制する。

 

「でも!でもです。自分の意に沿わなくとも転科する事に頷いてしまったんです。僕は。そして見返りに奨学金がAランクに引き上げられている。……だったらその責任は果たさなくちゃいけない。そう思います。だから、だから小隊に入ります」

 

 レイフォンが自分の意志を迷いながらも示す。それにしても奨学金Aランクということは学費免除ということだ。そんな高待遇でのレイフォンの転科の背景にまだ何やらいろいろありそうだがここは黙っておく場面だろう。それよりもレイフォンがまだ何かを迷っているような気配がすることの方が今は気になる。

 

「……分かった。とにかく小隊に入るならとりあえず良い」

 

 ニーナは何かを言いたそうに口を開けたり閉めたりした結果、そう告げる。それから今はポジション決めのために隊長と模擬戦をしている。どこかまだ迷いを残したような決めきれないような表情のままのレイフォンにニーナが挑みかかっているという構図だ。

 

 間合いが開いたかと思うとニーナが突然問う。

 

「外力系衝剄は使えるか?」

 

 そのあまりにも唐突な問いに何も反応できないレイフォン。

 

「外力系衝剄は使えるか?」

 

 ニーナが重ねて問う。その問いの勢いに押されるように頷くレイフォン。次の瞬間だった。レイフォンが吹き飛ばされ全身を強かに打ち付ける。動かなくなるレイフォン。慌てて私は駆け寄る。

 

「良かった。息はあるみたい」

「当然だ。この程度で死ぬ武芸者であればあんな事はしない」

「先輩、その言い方はちょっと不謹慎ですよ!もう。あっ保健室に運ばないと……」

「むっ、すまない。保健室には……シャーニッド先輩、お願いできますか?」

「ん?あいよ、保健室に連れてけば良いんだろ?」

 

 そう言うとシャーニッドと名乗った金髪のちゃらそうな先輩がレイフォンを担ぎ上げる。このまま保健室に連れて行くのだろう。

 

「ああ、アナスタシアは残ってくれ」

 

 ついて行こうとするとニーナに残るように言われてしまい。レイフォンを見送る。私の代わりというわけではないだろうがあの人形のような先輩が二人についていくのが見える。

 

「さて、アナスタシア・リグザリオだな?」

「はい、初めましてアナスタシア・リグザリオです」

「リグザリオ、か……まぁいいニーナ・アントークだ。生徒会長から聞いているかも知れないが、君を呼んだのは小隊付き錬金術士についてだ」

 

 レイフォンと一緒に呼ばれた段階で予想は付いていたが、やはり小隊付き錬金術士についてだった。話の流れ上、当然17小隊付きの錬金術士となるのだろう。

 

「はい、第17小隊付きの錬金術士となるという事ですよね?先輩」

「ああ、そういう事になる。何でも古式の錬金術を扱うとか何とかで、武芸大会への協力の一環として参加してもらうと言う話だったのだが……生憎と具体的な話は何も聞いていない。そこで君に問いたいのだが何ができるんだ?」

 

 何ができるか?と来たか……さてどう答えるべきか悩ましい質問である。何せできることを増やすためにツェルニにやってきたのだ。今できる事だけ教えても仕方ないだろう。

 

「えっと、それなんですけどまだ見習いな者でして、今できるのはちょっとした薬を作るぐらいでしょうか?正直に言えば何をしたら良いのかまだ分からないんです。武芸大会に向けて協力するという大目標はあるのですが、武芸大会や小隊については全く知らないので何ができればお役に立てるのか分からないのです……今、何か困っていることがあればそこから何ができるか考えるのですが……」

 

 そう逆にニーナに問うとニーナは一転困り顔になってしまう。

 

「困っていること、か。薬……薬、そう言われてみると細胞充填薬が高くて予算を圧迫しているから気軽に使える薬があると便利、か?……すまないぱっと思いつくのはこんな所だ」

「いえ、気軽に使える薬があると便利なのですね。それなら調合できると思いますので今度持ってきます。とりあえず授業や訓練、それに対抗試合でしたっけ?それを通して武芸についても学んでいこうと思いますのでよろしくお願いします」

 

 ここまでの応答でニーナの性格はだいぶ掴めてきたように思える。彼女は非常に真面目なのだろう。その真面目さが行き過ぎている部分も若干目に着くような気もするが、美徳と言えるのだろう。少なくとも生徒会長のような悪人(?)ではないのは確かだ。

 

「ああ、よろしく頼む、後はハーレイ!色々教えてやってくれないか?」

「良いよ、錬金科のハーレイ・サットンだ。よろしくね」

「はい、ハーレイ先輩よろしくお願いします」

「さて、ここはうるさいし、聞きたいことがなければレイフォン君も心配だし場所でも移そうと思うけど、どうする?」

「あっはい。レイフォンが心配なので様子を見に行きたいです」

「オッケー、じゃあ行こっか」

 

 レイフォンの様子を見に行くと、レイフォンは保健室の長椅子で背中を丸めてうなだれていた。とりあえず意識が戻ったことは良いことだと思うのだが、一体何があったのだろうか?思い当たるのはさっきの模擬戦ぐらいのものだが……

 

「あの~、レイフォン大丈夫?」

「あっ、えっ、アナスタシアさん、うん大丈夫だよ」

「良かった、気絶しちゃうから驚いたよ、後アニーで良いよ」

「武芸やってるとよくある事なんだけどね……えっと、アニー」

「そうなんだ、なんともなさそうだし良かったわ。……さっきはごめんなさい、勝手にあなたの身の上を話してしまって……」

「いいよ、さっきも言ったけど事実だし。隠すつもりもなかったし、結果はあんな感じになっちゃったけど……むしろ、ごめん」

「そんな!なんでレイフォンが謝るのよ。良いのよレイフォンが選択したことならそれで」

「……さて、そろそろ良いかな?」

 

 レイフォンと謝罪合戦をしているとハーレイが口を挟む。正直助かった。このまま謝罪合戦をしていても埒が明かないような気がしたからだ。

 

「あっ、はい、えーっと先輩」

「ああ、ちゃんと名乗ってなかったね、錬金科のハーレイ・サットンだ。主に錬金鋼(ダイト)の調整とかバックアップを担当しているよ」

「えと、レイフォン・アルセイフです」

 

 それから小隊についての基本的な説明や練習時間、特典などをハーレイが講義してくれた。

 

「さて、何か質問はあるかな?」

「えーっと、大丈夫です」

「はいっ、錬金鋼を触ってみたいんですけどできますか?」

「へぇ、古式錬金術って言うのは錬金鋼も作れるのかい?ああ、錬金鋼を弄るのは大丈夫だよ、良ければ明日研究室までおいでよ」

 

 もしかしたら自分の領域に手を出されるのを嫌がるかとも思ったが、そんな様子は全く見せず、むしろ興味を持ってくれて嬉しいと言わんばかりに誘ってくる。

 

「えっと、錬金鋼は専門外なのでよく分からないのですが、できるかも知れません」

 

 お祖母ちゃんは錬金鋼の調合を行っていなかったのか錬金鋼に関する資料は数少ない。私も学校で習った新式錬金術の知識がほとんどだ。ただ、理論的に錬金鋼の調合もできるのではないかと思う。もちろん研究が必要なのだが……

 

「うーん、不思議だね。さすが錬金術の科学じゃない部分の究極って言われているだけあるね。……ああ、それとレイフォン、明日君の錬金鋼を作るから予定空けといてね」

 

 それからしばらく古式錬金術と錬金術の違いなどについて話をした後、暇そうにしていたレイフォンにこれ以上は悪いという事になり解散となった。

 

「まずは傷薬か……いつも作ってたヒーリングサルヴで大丈夫かな?とりあえず作って持っていってみよう」

「材料は……植物と油、それに水だったよね、早速買いに行かなくちゃ」

 

 何かいい素材が売ってるだろうか、そう思いながら私は歩きだすのだった。

 

 

 




剄:魔法のような不思議な力、武芸者は余分に剄を発生させる剄脈という臓器を持っている。

外力系衝剄:剄の使い方の一つ、剄を飛ばして攻撃する事

錬金鋼(ダイト):特殊合金でできた武器、掌に収まる程度の基礎状態から剄と声(一般にレストレーション)に反応し、武器の状態へと復元される。

ヒーリングサルヴ:アトリエ定番の傷薬、塗り込んで使う。実はそのまま食べることもできる。


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第五話 新しい日常

 翌日、学校でいつもの四人が集まる。今までは晩御飯や朝御飯も一緒に食べたり、一緒に登下校していたので、一人で登下校すると言うのは中々新鮮であると共に一抹の寂しさを感じる。

 

「ねぇねぇ、昨日は何だったの?」

「うん、生徒会長から小隊付きの錬金術師になるように言われたって話はしたでしょ」

「やっぱり、その話だったか」

「あっ、気付いてたのね」

「ああ、呼びに来た人が小隊のバッジをしていたからな」

 

 きっと気づいたのは目聡いミィフィなのだろう。

 

「なるほどね」

「でね、隊長さんがレイフォンを小隊に勧誘したんだけど、拒否は許さないし、いきなり腕試しで気絶させるしで、何というか猪突猛進な人なのよ」

「へー、それで隊長が務まるのかな」

「出来たばっかりの小隊って話だし、経験は浅そうだったわね」

「ちょっと不安だな」

「そうね、まぁ、私は直接戦う訳じゃないし調合するだけだから良いんだけど、レイフォンが心配ね、あんまり乗り気じゃないみたいだったし」

「そっか、それは心配だな」

「ううっ、心配だね……」

 

 これ以上メイシェンを心配にさせても仕方ないと思い話を変えることにする。

 

「ところでミィ、お願いがあるんだけどちょっと良いかな?」

「なぁに?このミィフィ様に任せなさい……まぁ、できない事はできないけど」

「大丈夫。ミィ向きの話だよ。さっきも言ったけど私、生徒会長から武芸大会に協力するように言われてるんだけど」

「うん、その一環で小隊付きの錬金術師やることになったんだよね」

「そう。で、武芸大会について調べて欲しいの。他にも小隊についてとか知りたいんだけどお願いしていいかしら」

「敵を知れば何ちゃらってやつだね……分かった。このミィフィ様に任せなっさい。バッチリ調べてきてあげるから」

「ありがとう、ミィ」

「お礼はケーキでいいよ」

「それぐらい良いけど……太るよ」

「ぐっ、大丈夫、基礎体温高いから……」

 

 そんな事を話していると教師役の上級生がやってきて授業開始の鐘が鳴る。そして放課後、レイフォンに話しかけようかと思っていると、ハーレイがクラスにやってきた。昨日言っていた通りレイフォンの錬金鋼を作るために来たのだろう。見学したいと言ったので私もハーレイとレイフォンについていく事にする。

 

「ごめん、今日もちょっと行ってくるね」

「ああ、いってらっしゃい」

「気をつけて、ね」

「何か面白い事があったら教えてね」

「うん、行ってくる」

 

 錬金鋼の調整ができて楽しそうなハーレイと対照的にげんなりした様子で、しかし真面目に答えているレイフォンの様子を見ながらハーレイの研究室までやって来る。錬金科では定期試験で上位になったり、良い論文を発表できたりすると研究室が貰えるらしく、ハーレイ達も班で研究室を持っているらしい。そう考えると入学早々アトリエを貰えた私の扱いはかなり特別な物らしい。それだけ生徒会長に期待されているという事だろう。

 

 研究室は雑多そのものだった。真っ黒く焦げたような色をした粘つくものが床に張り付いていたり、ドア横の壁に雑誌やら紙の束やらが積み上げられていたり、埃が全体的に薄く堆積していたり、縁の汚れたマグカップや食べかけたまま放置されている乾燥したパンがあったりする。

 

 男の一人暮らし……それも最悪のレベルがそこに実現されている。私は目がくらむような思いをする。几帳面な性格に見えたのだが、それは自分の興味があるものに限定されているようだ。多少の汚さなら許容できるがこれはない。

 

「いくらなんでも汚すぎます!これじゃあ研究もしづらいに決まってます!今から掃除するので道具を貸してください!」

「え?良いよ、ちょっと汚れているけど使いやすいし……」

「駄目です!掃除をします!」

「いや、レイフォンの錬金鋼が……」

「あの、僕も掃除した方が良いと思います」

 

 レイフォンが味方に付いてくれた。意外な援軍だ。

 

 そのまま掃除をすると言って押し切った。掃除にはそれなりに時間がかかった。何と言っても触っていい部分と触っちゃいけない部分があるのだ。私も自分のアトリエを持っているから分かるのだが他人には触って欲しくない領域という物がある。どれだけ汚れていてもそう言う場所はできるだけ触らずに埃を落とす程度で済ませる。幸いだったのはレイフォンが掃除を得意としていた事だろう。私の指示の下テキパキと片付けていく。どうにか私が許容できる程度まで綺麗になったときには既に日が傾き始めていた。

 

「ああ~、もう時間がないよ、レイフォン、急いで錬金鋼作るよ!」

「えっ?今日やるんですか?」

「もちろんだよ、明日から訓練があるんだし、今日中にやらないと……時間がないから全部は試せないけど」

「ごめんね、レイフォン、でも頑張って!私も付き合うから」

 

 結局、どうにか使う錬金鋼が決まったのは日が完全に沈んでからだった。まだ、色々と試したそうなハーレイに機関掃除のバイトがあるからとレイフォンの要望通りに青石錬金鋼の剣にした段階で切り上げたのだ。

 

「これから機関掃除って……大丈夫かしら」

 

 数日後、やはり機関掃除と勉強と小隊を両立するのはかなり厳しいのだろう。昼休憩の時、レイフォンは何もする気が起きないとばかりに机の上に伸びていた。

 

「大丈夫?」

 

 ミィフィがそう尋ねる。メイシェンと私も心配そうにレイフォンの方を見ていた。

 

「……大丈夫。や大丈夫。うん大丈夫だから」

 

 説得力が全く無かった。何と言っても目に生気がない。そしていつもはピンとしている姿勢がだらしなく崩れている。

 

「その様子で大丈夫とか言われても説得力はないな」

 

 教室に戻ってきたナルキがそう言う。右手には二つの紙袋が握られている。その片方をレイフォンの机に置いた。

 

「ほら。好みがわからんので適当だがな」

「あ、ごめん。ありがとう」

「これもどうぞ、ちょっとは元気になるかも」

 

 そう言いながら私も一つのビンをレイフォンの机に置く。最近調合したスカッシュティーだ。このスカッシュティーは栄養剤のような効果があるお茶だ。今のレイフォンには最適だろう。

 

「気にするな。金はちゃんともらう」

「私のは試作品だから感想を貰えればそれで良いわ」

 

 これでちょっとは元気が出れば良いのだが、根本的には何も解決していないのだからどうしようもないだろう。ナルキにお金を払って、レイフォンはスカッシュティーを一気にあおる。

 

「あっ!」

「え?ん、あ、ごっ、ごほ」

 

 スカッシュティーの刺激的な味にむせるレイフォン。まさか一気飲みするとは思ってなかったので注意する暇もなかったが、これは私のせいだ。

 

「大丈夫?結構刺激的な味だから一気飲みするとそうなるよ」

「……大丈夫、もっと早く教えて欲しかったけど」

「それで、どうだった?」

「ん、何かガツンとくる味だったね、気分はすっきりしたよ、後……剄脈の疲れがとれたような……」

「う~ん、そういう効果もあるかも?」

「悪影響とかはないんだよね?」

「それは大丈夫だと思うよ」

 

 一応、錬金科が所有しているシミュレータにかけて効果を確認はしてあるので、大丈夫だとは思う。とは言えシミュレータを借りたときに古式のは分からんこともあると言われたから確実とは言えないのだが。

 

「さて、どっちが原因なんだ?そっちか?それとも機関掃除の方か」

 

 ナルキが剣帯を指差しながら言う。

 

「うん、仕事の方は全然大丈夫なんだけどね。意外に楽しいよ」

 

 紙袋からのそのそとパンを取り出しかじりながらレイフォンが言う。

 

「じゃあ、訓練なんだ?そんなにしんどいの?」

 

 ミィフィがそう尋ねる。周りの椅子を適当に集めてレイフォンの周りに腰を下ろす。

 

「対抗試合のための訓練なのだろう?なら大変なのだろうな」

 

 ナルキが自分のパンを食べながらしたり顔で頷く。だが、本当に訓練が厳しいからなのだろうか?小隊付きの錬金術師として訓練の見学もしている私から見ると厳しくはあってもレイフォンの体力が尽きているようには見えないのだ。

 

「……訓練がしんどいの?」

「ん、ん~」

 

 煮え切らない返事だ。

 

「まあ、レイとんは好きで武芸やってる訳じゃないんだから、無理してがんばる必要もないんじゃない?適当にやるのが一番。しんどいんだから」

 

 ミィフィが気楽に言ってのける。メイシェンも頷く。ナルキはちょっとだけ何か物言いたげだ。私は、どうなのだろう?やりたくなければやらなければいいとも思っているし、やるしかない状況に追い込まれているというのも分かる。

 

 放課後、レイフォンと一緒に練武館へ向かう。頼まれていた傷薬、ヒーリングサルヴが出来上がったからだ。

 

「隊長、傷薬ができたので持ってきました」

「おおっ、もう出来たのか」

「はい、簡単な調合なので材料さえ揃えばすぐにできます。それで代金なんですけど……これぐらいになります」

「ふむ、大分安いな、使い方は傷口に塗れば良いのか?」

「はい、そうです。食べても効果があるみたいですけど基本的に塗ってください」

「分かった、ありがとう。効果次第だがこの安さなら常備してもいいと思ってる。次までに感想が言えるようにしておく」

「はい、よろしくお願いします」

 

 もう集合時間は過ぎている筈だが、あのシャーニッドとか言う先輩がまだ来ていないようだ。それならある意味ちょうど良いだろう。

 

「それで質問なのですけど前回の武芸大会について教えてもらえませんか?」

「むっ、武芸大会か……あまり話したい記憶ではないのだが……」

「ルールとかは学んでいるのですが、具体的にどう動くのか分からないと何を調合して良いのかもよく分からないのです」

「そうか……まぁ、私が知っていることなら」

 

 ニーナによると前回の武芸大会では2戦2敗だったらしい。外縁部での正面衝突と都市外からの潜入が大まかな戦場らしいのだが、ニーナは2戦とも外縁部での戦闘に参加したらしい。

 

 1戦目はこちらがどう動いてもそれ以上に相手の対応が早く尽く攻め手を潰されて押し切られてしまったそうだ。2戦目は順調に攻め込んでいるように思えたのだが崩しきれずにいつの間にか潜入された部隊にフラッグを取られたらしい。

 

「なるほど、外縁部での戦いと潜入戦、それに対する防衛戦がある訳ですね」

 

 対抗試合の攻撃側と防御側という想定もこの潜入戦を想定したものなのだとようやく分かる。

 

「ああ、こんな話で何か参考になっただろうか?」

「はい、いくつかアイデアが浮かんできましたよ」

 

 直接的なドーピングは禁止事項が多く手を出しづらかったのだが、ニーナからの話でだいぶイメージが固まってきた。

 

「ほう、それは凄いな、どんなアイデアなんだ?」

「外縁部の戦いならば範囲で回復できるアイテムがあった筈なのでそれを作れるようになれば有利に戦いを進められるかも知れませんし、強力な睡眠薬なんかも使えるかも知れません。潜入するのに認識をごまかすマントなんかも作れるかも知れません」

 

 できそうな事をニーナに伝えるとニーナは微妙な表情をした後に

 

「そうか、まぁ卑怯にならない程度に、な」

 

 そう言う。どうも私がした提案はあまりお気に召さなかったようだ。まぁ、負けるよりはマシだと思っているようでもあるから気にしなくて良いだろう。そんな事を話しているとようやくシャーニッド先輩が現れる。

 

「遅いですよ、シャーニッド先輩」

「あ~、すまんね」

「もう、よしっ!訓練を始めるぞ!」

「あっ、それじゃあ今日はこれで失礼しますね」

「ああ、次も楽しみにしてる」

 

 そう告げ、練武館を後にする。訓練も見ていきたいのだがそこまでしていると調合する時間がなくなってしまうのだ。だから最近は訓練が始まる前に退散することが多いのだ。さて、今日は何を調合しようか、そんな事を考えながらアトリエへ向かうのだった。

 



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第六話 初めての実戦

 ついに対抗試合が始まる。

 

 試合前、レイフォンは緊張しているようだ。いや、あれは何か迷っていて結論がでないのに変にプレッシャーだけ掛けられた結果だろうか?明らかに様子がおかしい。というかこの期に及んでまだ決められないとは一体何を抱えているのか気になるところだ。

 

 試合前にメイシェンの手作り弁当を渡したのだが、この調子では喉を通らなかったのだろう。バスケットは手を付けられず控室にそのまま置かれていた。メイシェンがここまで積極的になったのだから少しは気がついて欲しいところだが、試合前の重圧に負けて目にも入っていないようだ。

 

「レイとん、大丈夫?」

「ん、大丈夫……大丈夫」

 

 僅かに頷き、そう言うがどう見ても大丈夫には見えない。とは言え私にできることはないだろう。悩みを打ち明けてくれると嬉しいのだが聞き出せるような雰囲気ではない。もし聞き出すのならもっと早く動くべきだった。踏み込む事に躊躇してしまった事をちょっと後悔する。

 

 仕方なく他の隊員に目をやる。ニーナも緊張しているのかさっきからぶつぶつと作戦を練っている。その姿は明らかに追い詰められているような雰囲気を漂わせている。正直に言えば隊長であれば追い詰められていたとしても泰然とした態度を維持すべきだと思う。というかあの様子ではまともに他の隊員の様子も目に入っていないのではないだろうか?小隊の初陣とは言え気負いすぎのように私には見える。

 

 シャーニッドは年長なだけあってその緊張をうまく受け流しているように見える。いつも通りの飄々とした雰囲気は今は頼り甲斐すら感じる。フェリは、どうなのだろう?私にはいつも通りに見える。無表情で黙り込んでいるその姿にやる気は感じられない。

 

 ニーナのやる気だけが空回りしているようなまとまりのない雰囲気の中、嫌な沈黙が控室を満たしている。これ以上いてもできることはない。そう判断し私は雰囲気の悪い小隊のロッカーを後にする。そしてメイシェン達と合流して試合観戦する事にしたのだった。

 

「……レイ、とん。食べてくれた?」

 

 メイシェンが私にそう尋ねる。

 

「試合前の緊張で喉を通らないってさ、楽しみは後にとっておくんだって」

「そう、そっか……」

 

 メイシェンが少しばかり落ち込んだ様子を見せる。が、ここで嘘をついてもしかたないだろう。

 

 そして試合が始まる。最初、レイフォン達17小隊は劣勢に立たされていた。人数の少なさという誰の目にも明白な弱点を突かれたのだ。レイフォンが土に塗れながらゴロゴロと転がり攻撃をどうにか躱している。その姿をメイシェンが泣きそうな目で見ている。粘っているが時間の問題だろう、そう思った時の事だった。

 

 突然、レイフォンが何事もなかったかのように立ち上がると同時に何か(・・)をする。それだけでニーナ隊長を追い詰めていた敵小隊員が吹き飛ぶのが見える。次の瞬間レイフォンの姿が消えると離れていたニーナ隊長の目の前に現れる。そして対戦相手の16小隊の隊員がバタバタと倒れていくのが目に映る。

 

 それとほぼ同時だっただろうか激しいサイレン音が鳴り響く。武芸者ではない私には一体何が起こったのか全く理解できなかった。ただレイフォンが度を越して強いという事だけが分かる。これが生徒会長がレイフォンを武芸科に引き込んだ理由の一端なのだろう。そしてレイフォンの迷いの一端もここにあるのではないか、そう思う。

 

「フラッグ破壊!勝者、第17小隊!」

 

 17小隊の勝利を告げるアナウンスが会場に流れる。

 それに合わせるように観客がどっと沸き立つ。

 その声に押し倒されるようにレイフォンが倒れるのが見えた。

 

「あっ!」

 

 メイシェンがさらに泣きそうになり、身を乗り出す。救護班がレイフォンに駆け寄る。意識がないのを確認すると持ってきた担架に手慣れた様子で乗せる。担架で運ばれていくレイフォンを見ながらメイシェンに尋ねる。

 

「保健室に見舞いに行こっか?」

「う、うん」

「そうと決まればさっさと行こう」

 

 そういう事になった。保健室ではレイフォンが寝ていた。しばらくその場で待っているとシャーニッドが現れる。レイフォンの様子を見に来たようだ。私達がいるのを確認するとあっさりとその場を任せ、打ち上げするから伝えておいてくれとだけ言うとさっさとどこかへ行ってしまう。

 

 寝ているレイフォンを無理に起こすのも何だったのでみんなで飲み物を買い行く。戻ってみるとレイフォンはちょうど起きたところのようだった。

 

「あ、レイとん起きてる!」

 

 手に紙コップを持ったままミィフィが大きな声を上げた。その声に引かれるように後ろからメイシェンが保健室の中を覗き込む。

 

「どうどう?大丈夫?てか、すごいじゃんレイとん。びっくりしたよう」

 

 ミィフィは単純に強かったレイフォンを讃えているようだ。

 

「あそこまで強いとは思わなかったな。あれは、すごいぞ」

 

 私達の中で唯一の武芸者であり、おそらくレイフォンが何をしたのか理解しているナルキがそう言う。

 

「……大丈夫?」

 

 そう言いながらメイシェンは紙コップをレイフォンに差し出す。男の子に自分から物を渡すなんてメイシェンも成長したようだ。その事に密かに感動する。

 

「ありがとう、落ち着いたよ」

 

 その時、くぅ~というかわいい音がする。同時に赤くなるレイフォン、どうやらレイフォンの腹の音だったらしい。

 

「あっ!お弁当……」

「どうせ、控室に置いてきたんでしょ?取ってきてあげるわ」

「じゃあ、私も」

「あっ、わたしもわたしも」

 

 控室にお弁当を取りに行くことにする。一緒に来るというミィフィとナルキはせっかくだからレイフォンとメイシェンを二人っきりにさせてやろうと言ったところだろう。押しの弱い幼馴染へのちょっとしたお節介だ。試練とも言うかも知れないが。

 

「さて、うまくいくかな?」

「う~ん、厳しいんじゃないかな?いきなり二人っきりにしても……」

 

 にししっ笑うミィフィにそう言う。

 

「まぁ、なるようになるだろ」

 

 ナルキがある意味突き放したように言う。今まで四人で行動することばかりでメイシェン一人で何かをする、させるという事が少なかったように思う。それが良いことなのか悪いことなのか分からないがせっかくメイシェンが頑張ろうとしているのだし、背中を押すのは間違った選択ではないだろう。レイフォンが相手ならば失敗したとしてもいい経験になる可能性が高いだろう、今までの付き合いから素直にそう信じられる。

 

 弁当を控室から回収して戻ってみると二人は黙り込んでいた。とは言えそう雰囲気は悪いものじゃない。多少の失敗はあれど半歩前進と言ったところだろうか。それから夜に打ち上げを行うことを伝えて、少し話をして一先ず解散という事になった。

 

 それから数日の時が経ったある日の事。夜遅くまで調合していた時の事だった。調合も一段落し、そろそろ寝なくてはと思った時、突然地面が揺れる。

 

 激しい揺れに立っていることもできず近場にあった大釜に縋り付く。

 

 揺れはしばらくすると治まった。幸い中身がこぼれることもなくアトリエの中を見渡しても被害は軽そうだ。

 

「都震?踏み外したのかしら?」

 

 ヨルテムでは昔、弱い地盤の土地に迷い込んでしまったために都震が頻発した時期があった。そのため私はかなり都震には慣れている。大体の場合この後防災放送で都市が足を踏み外した旨が伝えられ、普段の生活に戻るというのがいつものパターンだった。

 

 しかし、そんな私の楽観を裏切るように断続的にサイレンが激しく鳴り響くのだった。今まで訓練でしか聞いたことのない緊急事態を告げるサイレン。何かが起こったのだ。それも都市の運命を左右するような重大な事が。

 

 まずはありったけの道具をバッグに入れる。そして、緊急時のマニュアルに沿って私は駆け出す。錬金科の生徒は即時避難のサイレン以外――即ち今回のサイレンだ――まず錬金科前のグラウンドに集合するように定められている。生憎と路面電車は停止しているため走っていくしかない。こんな時中心部から離れている事が恨めしく感じる。

 

 どうにかグラウンドまで辿り着いた時、既に多くの人が動き始めた後だった。私は手近で比較的暇そうな、戸惑っているような人間を捕まえて話を聞く。

 

「すみません。今来たところなんですけど何があって、何をすれば良いんですか!?」

「えっと、君も一年生?汚染獣だ!汚染獣が来たっていう話だよ。一年は避難して欲しいとのことだ。君も早く避難しなさい」

「汚染獣!?そんな……っつ、分かりました。でも、薬を持ってるんです。何かの役に立つと思うんですけど……」

「薬?一年が?……まぁ、いい医薬品を持ってるならあそこのテントに行きなさい」

「分かりました。ありがとうございます」

 

 そこからは先は流れに飲まれていたと言っていいだろう。薬を持って来たと言ったら、すぐに外縁部付近に設立された応急救護所に向かうように指示された。そこからは運ばれてくる武芸者達の治療をひたすら行っていた。幸いな事に命を落とすような重症の人は運び込まれてこなかった。そうこうしている内に戦闘終結を告げるアナウンスが流れる。そしてそこから先がさらに忙しかった。今まで怪我していても前線で頑張っていた武芸者達が一斉に救護所に押し寄せたのだ。

 

 途中レイフォンが運び込まれてきて、ここでは対処できないと病院送りになった事に焦ったりしたが、結局日が昇り始めたぐらいまでひたすら応急手当てをし続ける事になったのだった。

 

 その後、一段落した時に私が一年であることが発覚しちょっとした問題になりかけた事はご愛嬌だろう。ともかく私の初めての汚染獣との(間接的な)戦いはここに幕を降ろしたのだった。

 

 翌日、私はメイシェンとミィフィとともにレイフォンのお見舞いに来ていた。ナルキは活剄の使いすぎでまだ寝ていたいと言うので自宅に置いてきた。病室を訪ねるとレイフォンは全身を包帯に包まれた状態だった。その様に倒れそうになるメイシェンを支えてレイフォンに声を掛ける。

 

「レイとん、見舞いに来たよ、大丈夫?」

「大丈夫、ちょっと汚染物質に全身焼かれただけだから、酷く見えるけど見た目ほど重症じゃないよ」

 

 声には力があり、嘘ではないようだ。その言葉に安堵したのかメイシェンが前に出てくる。

 

「……レイとん、お疲れ様、でした……守ってくれて、ありがとうございます」

「そうだよ、レイとん、ありがとね」

 

 避難していた二人がレイフォンにお礼を言う。

 

「そんな、お礼だなんて、いいよ。僕は……やれることをやっただけなんだから」

「でも、そんな怪我して……守ってくれたのはたしかだから」

「そこだよ!なんでレイとんだけ汚染物質に焼かれるような怪我してるわけ?」

 

 レイフォンとメイシェンがそんな事を言っていると、突然ミィフィが割り込んでくる。確かにレイフォンが汚染物質に焼かれたということは外に都市外装備も付けずに出たということだ。

 

「えっと……ちょっと母体を倒しに行った時に都市外に出る必要があって……」

「母体ってなに?」

「今回の襲撃が幼生体によるものだって言うのは知ってるかな?要するに汚染獣の子供なんだけど……子供がいるってことは親がいるってことでそれが母体。母体が残ってると仲間を呼ばれるから早く叩く必要があってね……」

 

 これは、とんでもない事を言っているのではないだろうか?レイフォンからはごく当然の簡単な事をしたような感じで言っているが都市外に出て母体をやっつけて肺が腐る前にすぐに戻ってきたと言ってるのだ、彼は。

 

「えー!レイとんそんなことしてたの!?」

「……あっ!これは内緒にしといてね」

「え?なんでなんで?すごいことしたのに秘密にしなくてもいいじゃない」

 

 レイフォンがしまったという顔で秘密にするように私たちに求める。レイフォンがやったことは正しく英雄の所業だ。

 

「……もしかして、勝手にやったの?」

 

 都市外装備を付けずに外に出たというところから類推して私は言う。

 

「うっ、うん、そう、なんだ。どうも汚染獣についてそんなに詳しくないみたいだったし……」

「呆れた。それでそんな大怪我?」

「……うう、ごめんなさい」

「謝られても困るわ。守ってもらったのは確かなんだし……でも、こんな無茶はこれっきりにしてね?」

 

 レイフォンが頷くのを見て私は満足してあげることにする。さらにミィフィがいろいろ聞こうとした時の事だった。病室のドアが静かに開き誰かが入ってくる。

 

「レイフォン、幼生体を全滅させたあの武器だが……、あっ、お前達来ていたのか」

 

 入ってきたのはニーナだった。その顔はしまったと言わんばかりに眉をハの字にしている。

 

「レイとん、幼生体も全滅させたの?」

「う、うん、やりました……」

 

 驚いた。要するにレイフォンは幼生体を全滅させ、母体も倒したというのだ。圧倒的な戦果だ。むしろツェルニの武芸者は何をしたのだろうか?私の患者から聞いた話だとその幼生体もかなりの難敵だったようなのだが。

 

「ニーナ隊長、さっきレイフォンから一人で(・・・)母体も倒したって話を聞いたんですけど本当ですか?」

「…………ああ、そうらしい、な」

 

 どう答えるかたっぷり悩んだ挙句ニーナは素直にレイフォンのやった事を認める。やっぱり一人で全部倒したらしい。独断専行がすぎるだろう。レイフォンが隔絶して強いことは分かったが、これは問題だ。

 

「レイとん、強いのは分かったけど、もっと他人を頼りなさい。頼りにならなそうでも、ね。一人で何でもできても一人でやる必要なんてないんだから」

「えっ?……うん、ごめん、アニー」

 

 それからしばらく私が上級生と間違われて救護所で奮闘した話などをした後、私はアトリエに戻ることにする。復興のための資材の調合の依頼が舞い込んでいたからだ。

 

 それから数日後、ようやく被害が回復してきた頃、私は生徒会長に呼び出されていた。生徒会長など最も忙しい内の一人だろう。だが、彼はいつも通りの一部の隙きもない完璧な姿で私を気遣ってきた。

 

「やぁ、呼び出してしまってすまないね」

「いえ、大丈夫です」

「そうか、まず最初に呼び出したが別に何かを咎めようという話ではないことだけは先に伝えておこう」

 

 その言葉に若干安堵する。思いの外緊張していたことに今更気づく。特に良心に疚しい事はしていないとは言え、都市の最高権力者に呼び出されるというのは中々に緊張することなのだ。

 

「では、最初に君に渡しておきたいものがある」

「私に、ですか?」

 

 そう言って、カリアンは色あせた一冊の小冊子を渡してくる。タイトルはサンドラのアトリエと書いてある。

 

「これは……もしかして」

「そうだ。君のお祖母様がツェルニで営んでいたアトリエのパンフレットだ。古式錬金術研究会が所有していた物なのだが改めて調査したところ商品の説明欄に原材料名も明記されている事が研究会から報告されてね、君になら何か役に立てられるのではないかと思うのだが、どうだろうか?」

「はい……役に立つと思います。ありがとうございます……お祖母ちゃんのアトリエかぁ」

「今後も何か見つかったら連絡を入れるよ……さて、用件に戻ろう。」

 

 やはり用件は別にあったらしい。小冊子をカバンに丁寧に入れ、姿勢を正す。

 

「はい」

「第17小隊では早速活躍してくれているようだね」

「そんな、大した事はしてませんよ」

 

 これは事実だろう。レイフォンは大活躍だったようだが、私は大した事はしていない。

 

「特にヒーリングサルヴだったかな?傷薬の評判がとても良い。そこでだ。確認なのだがヒーリングサルヴには有機栽培された物以外――例えば金属――などを使用しているだろうか?値段からすると使用していないと思うのだが、どうだろうか?」

「いえ、材料は植物と油、それに水ですから、使ってません。油に鉱物性の物を使ってもできなくもないと思いますが」

 

 ヒーリングサルヴの原料がどうかしたのだろうか?もしかして何かトラブルでも起きたのだろうか?もしそうならば、大変だ。

 

「いや、すまない。勘違いさせたようだ。むしろ金属を使用していない事が重要なのだ。実は現在主に使用されている傷薬、主に細胞充填薬なのだが、ごく微量とは言え製造に金属が使用されている。そしてその使用量も年間を通すと意外とバカにできない量になるのだよ。武芸科では怪我が絶えないからね。さらにこの前の事件だ。一気に備蓄していた分がなくなった。そこで、君の薬を細胞充填薬と一部代替し、備蓄しようという計画が持ち上がっているんだ。その件で君を呼び出したのだが、どの程度の量なら無理せずに――この場合の無理とは武芸大会への協力の妨げになる事だ――量産できるかね?もちろん代金は払う」

 

 これは、ヒーリングサルヴが評価されたという事だろうか?都市のためになるというのなら多少の無理は喜んでするが、どれくらい作れるだろうか?無理しない範囲となると意外と難しい。

 

「そうですね……そんなに調合に時間が掛かる訳でもないので、まとめて作ればこれくらいが限界でしょうか」

「ふむ、ちょっと少ないが意外と量産できるのだね。まぁ、それだけあればとりあえず十分だ……後で発注書を届けるので頼むよ」

「はい、分かりました」

 

 大口の契約が決まってしまった。にやけそうになる頬を必死で抑えて冷静に答える。とにかくこれで新しい調合素材を購入できる。

 

「それにしても材料は植物とだけ言っていたが何を使ってるんだい?……いや、興味本位の質問だった。忘れてくれて……」

「えっと、大丈夫です。と言うか言葉通り植物であれば大体使えます。もちろん売り物として効力や特性、品質といった出来を追求するのなら材料の厳選や調合手順の検討が必要になりますが」

「……それは本当に凄いね。古式錬金術研究会がレシピを研究しても同じものを作り出せない訳だ……」

 

 カリアンが大げさに驚いたように言う。だがその驚きには本当の驚きも含まれていたように感じられた。

 

「それは作り手の技量が大きく影響してるせいかも知れないですね。同じ材料、同じ工程で調合しても祖母のと私のでは明らかに品質が違いますから」

「なるほど、本当に個人の才能によった技術なのだね」

 

 カリアンとの商談を終え、私は上機嫌でアトリエに向かうのだった。

 

「えへへ、大きな仕事を受けちゃったよ、ヒーリングサルヴでこれならもっと凄い薬を作ればきっと売れるよね!あっ!そうだお祖母ちゃんのアトリエのパンフレット!……どんな物売っていたんだろう」

 

 そこには今の自分では作ることができないような高度な調合品や便利なグッズが所狭しとならんでいた。

 

「わぁ、こんなのが作れるんだ……あっこれなら私にも作れるかも?うーん、これは作り方が分かんないや、これとか今の商品に応用できるかも!……さすがお婆ちゃんだなぁ」

 

 パンフレットからは自分の未熟さと目標の遠さを感じさせたが、それ以上に自分もやってやるという前向きな気分になったのだった。

 

「ようし、これからも頑張るぞー!」

 

 




一時間遅れました。
ちょっと加筆修正していたら時間がかかってしまいました。
さて、とりあえず一巻分の終了です。


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サイレント・トーク
第一話 手紙


サイレント・トーク、スタートです。
また2巻分終了まで毎日投稿します。


 幼生体の襲撃からの復興は一段落したが、錬金科はむしろ忙しさの本番を迎えていた。幼生体から得られる各種生のデータを取る者、今回の件で発覚した問題点を洗い出し、改善要望を出す者。あるいは戦闘終了に伴って錬金鋼の回収や安全装置の設定に奔走する者、いろいろな者たちが騒がしく行き交っていた。

 

 そんなある日のこと、錬金科の生徒を生徒会長が集めた。

 

「この前の汚染獣の襲撃ではご苦労だった。諸君の頑張りによって武芸者達も全力を尽くすことができたと私は思う。さて、今回の襲撃から遅ればせながら汚染獣への対策が必要である事が分かった。都市外を探査し、汚染獣との戦いに備える必要性を私は感じている。そこで、諸君らにはそのための研究開発を行ってもらいたい、詳細はこれより配布するプリントを参照して欲しい。優秀な発明を行ったものには生徒会から報奨金を出す用意があるので挙って参加して欲しい。以上だ」

 

 プリントには都市外を探査するためのアイデアや対汚染獣用の装備のアイデアを募集する旨が書かれている。優秀なアイデアには予算が付き、報奨金も与えられるという。場合によっては研究室を用意することも考えると書かれていた。

 

「う~ん、私には何かできるかな?汚染獣について詳しい人に話を聞いてみようかな?」

 

 そう思い、身近で汚染獣について詳しそうな人間、即ちレイフォンに話を聞くことにする。

 

「レイとん、ちょっと聞きたいことがあるんだけど良いかな?」

「ん?アニー、どうしたの?」

 

 生徒会長の演説があった翌日、今日は17小隊の試合の日だった。偶然試合会場へ向かう途中レイフォンと一緒になったので気になっていたことを聞いてみることにする。

 

「うん、実は生徒会が汚染獣対策のためのアイデアを募集してるんだけど、私、汚染獣について全然知らないから詳しい人に教えてもらえないかなって」

「う~ん、確かに戦闘経験は多いけど汚染獣について詳しいって言う訳じゃないから基礎知識くらいになっちゃうよ?」

「うん、それでも良いの。正直今回の件は私にはあまり貢献できそうにないし」

「じゃあ、基本的な知識から行くよ、汚染獣には大きく分けて四種類いるんだ」

「四種類?この前襲ってきたのが幼生体とか言ってたけど……」

「そう、まず生まれたばかりの汚染獣「幼生体」。次に成長した幼生体が脱皮して成体になった「雄性体」。さらに脱皮を繰り返して成長し、繁殖期を迎えると「雌性体」になるんだ」

「ツェルニが踏み抜いた先に居たのが雌性体だっけ?レイとんが倒したんだよね」

 

 前回の襲撃において幼生体と雌性体を倒したことは隊内には知らされていた。というよりニーナ先輩が暴走した結果知ってしまったと言うべきかも知れないが。まぁ、それでもまだ何か隠されている感じはするのだが。

 

「うん、あの時は都市外装備がなかったから大変だったよ」

「今度はちゃんと都市外装備着てよね」

「うん……ああそう言えば、グレンダンでは武芸者によって都市外装備にちょっと差があったんだよ。動きやすさ優先とか色々あったけど、僕はお金がないからいつも支給された安くて動きにくい汚染物質遮断スーツで出撃してたけどね」

 

 とんでもない逸話に一瞬言葉に詰まる。

 

「レイとん……苦労してたんだね……というか都市外装備は個人で用意するものなの?」

「う~ん、最低限の装備は政府から支給されるんだけど、それ以上が欲しければ自分で用意する感じだったね。グレンダンが特別なのかも知れないけど汚染獣の襲来が結構前から分かってるんだ。とてつもない念威繰者が居たからね。で、誰が出撃するとか事前に決められるからスーツもどうするか選べた感じ」

 

 やはり都市によって大きく異なるようだ。ツェルニでは装備の全てが貸与される形になっている。改造する場合にはそれぞれ申請しなくてはいけないと決まっている。むしろ私物にすることが大きく制限されていると言っていい。

 

「なるほど……都市外装備に求めるものはやっぱり動きやすさが一番?」

「そうだね、動きやすさが一番だね。後は技の余波で破れない程度には強度も欲しいね」

 

 都市外で汚染物質遮断スーツが破れる。想像したくないできごとだが、そういう事態も想定しなくてはいけない。一応補修キットも付属しているのだが他にもできることはないだろうか?考えてみる価値はあるだろう。

 

「もしかしてレイとんは都市外では全力で動けない感じなの?」

「いくらか制限はされてるけどそんなのいつもの事だから」

 

 さらっと言われたがこれも大きな問題だろう。何かできないだろうか。

 

「う~ん、分かったわ。何か考えてみるね」

「っと、大分話が逸れちゃったね。えっとどこまで話したっけ?雌性体までだったかな?雄性体は稀に繁殖を放棄して、雌性体ではなく「老性体」になることもあるんだ。ここまで来ると一般都市が壊滅することも覚悟しなくちゃいけないぐらい強い、正真正銘の化け物だ」

「レイとんは戦ったことがあるの?」

「……あるよ、あの時は死ぬかと思った」

 

 本当にレイフォンは何者なのだろうか?とりあえず見かけによらない圧倒的な実力を持っていることは分かる。だがそれ以上は分からない。とても単純なようで複雑な気もするから迂闊に踏み込めもしない。

 

 結局それ以上レイフォンに踏み込めず、その後は他愛のない話をしてそのまま私は17小隊の控え室を訪れていた。

 

「こんにちは~、差し入れにきました」

「ああ、アニーよく来たな」

「はい、これどうぞ、気分がすっきりする刺激的なお茶です」

「もしかしてこの前くれた奴?」

 

 レイフォンが微妙に嫌そうな表情をしている。前回のことでトラウマになってしまったのかも知れない。失敗だ。

 

「そうよ、商品化しようと思ってるから、その試供品ね」

 

 ニーナは早速蓋を開け、慎重にかつ上品に飲んでいる。

 

「ん、これはスゴいな、ガツンとくる。だが、本当に気分がスッキリするな、気に入ったぞ」

「それはどうも。それで試合の方はどんな作戦でいくんですか?」

「ん?ああ、任せろ。こちらは守備側だが人数が少ない。そこでこちらから打って出ようと思う。わたしが囮になっている間にレイフォンとシャーニッドが人数を減らす、レイフォン、シャーニッドいけるな?」

 

 あいまいに頷くレイフォン、任せろというシャーニッド。

 

 その様に僅かに不安を覚える。初陣に比べれば雰囲気は良いのだが、チグハグ感があるのだ。

 

 そして試合が始まる。

 

 一見優勢に見えた17小隊だったが、レイフォンという突出した戦力をいなしきった14小隊がチームワークの差で勝利をもぎ取った。その事を告げるアナウンスを聞きながら私はつぶやく。

 

「やっぱりこうなったか」

「なんだ、アニーこの結果を予想していたのか?」

 

 歓声があがる中でも私のつぶやきを聞き取ったらしいナルキが話しかけてくる。

 

「うん、こうなるんじゃないかなーって、むしろこうなるべきじゃないかなーって」

「えー、17小隊を応援してなかったってこと?」

「違うわよ、ミィ、応援してるからこそよ、時には負けた方が得る物があるって事」

「ふーん、そんなものかなー」

「特にまだ固まってない出来立てほやほやのチームなんてそんなものよ」

「なるほど、一理あるな、やはり中に入って見てると外からとは違うものが見えるのだな」

「中に入ってると入っても一番外側だけだけどね」

 

 まだ色々と隠されていることや明かされていない事がある事は分かっている。そしてそれに踏み込めない私の不甲斐なさも十分に分かっている。

 

――――――

 

 翌日、いつも通りの教室、授業が始まる前のざわついた空気が充満していた。生徒達によって教室のそこかしこで話の輪が生まれたり、終わってない宿題を写させてもらおう奔走したりしている中、レイフォンは自分の机に突っ伏していた。

 

「よっは~おはよう!」

 

 一緒に登校してきたミィフィがレイフォンの無防備な背中を問答無用でたたく

 

「なんだいなんだい、元気ないぞ!」

「げほっ、う、お、おはよう……」

 

 むせるレイフォンにミィフィが明るい声を投げかける。

 

「……ミィちゃん、やりすぎ」

「そうだぞ。レイとんは試合の疲れが抜けてないだろうに」

「レイとん、大丈夫?」

「え~、そんなのもう昨日のことじゃん」

 

 私と一緒にやってきたメイシェンとナルキの言葉にミィフィは頬を膨らまして反論する。

 

「レイとんがそんなのの疲れ残してるわけないよ。ねえ?」

「うん……いや、そっちの疲れとかはほんとぜんぜん、大丈夫なんだけどね」

「……でも、眠そう」

「いや、うんほんと大丈夫」

 

 メイシェンが心配そうにレイフォンの事を見る。それに明らかに空元気と分かる返事をするレイフォン。ナルキにも分かったのだろう。

 

「それにしてはやはり疲れているな、なんだ?もしかして昨夜もバイトか?」

 

 そうナルキがレイフォンを気遣う。深夜のバイト、確かに疲れるだろう。だが、原因はそうではないと思う。

 

「うん……まあね」

「ああ、なるほどねぇ、連続はやっぱりしんどいんだ」

「だな、本腰で対抗戦とかをやるつもりなら、やはり機関掃除のバイトはやめた方がいいと思うぞ」

「いや……機関掃除の仕事はもう慣れたよ」

 

 だからレイフォンに援護射撃するつもりで

 

「レイとんも大丈夫だって言ってるし、休ませてあげたら?」

「でも、どう見ても疲れてるじゃん。バイトでも対抗戦でもないなら何なのか気にならない?」

「疲れてそうだから放っておいてあげようって言ってるんじゃない」

 

 ミィフィと軽い言い合いになる。ミィフィは好奇心旺盛だからたまにこうやって意見が対立する事があるのだ。そして大体ミィフィが折れて、後で私やナルキがフォローするのが一連の流れだ。

 でも今日は違った。レイフォンが居たからだ。

 

「二人ともやめてよ」

 

 不用意にレイフォンが私たちの間に入ってくる。標的をレイフォンに切り替えたミィフィが問う。

 

「じゃあ何で疲れてるのか教えてよ、そしたら満足するから」

「うっ、それは……隊長が……」

 

 結局言う流れになってしまった。ため息を一つつく。仕方がない。ここで遮るよりはミィフィの好奇心を満足させてやった方がマシだろう。

 

「隊長さんが?」

「いや、そうじゃなくて……訓練で疲れてるんだ」

「あーもう、どうせニーナ隊長が負けてからピリピリしてるから気疲れしてるんでしょ?」

 

 レイフォンの煮え切らない返答に私もイライラしてきてつい言葉を挟んでしまう。

 

「う、うん、ちょっと違うけどそんな感じ」

「何よ、アニー最初から分かってたの?」

「なんとなくね」

「ずっこい、アニーがずっこいよー、ナッキー」

「そんなことより」

「そんなこと扱いされた!」

「話が進まん。もうすぐ授業が始まってしまう」

「話?」

「ああ……そだったそだった。もう、メイっちがもたもたしてるから忘れてたじゃん」

「……わたしのせい?」

 

 メイシェンがぶっと頬を膨らませる。

 

「まぁ、ミィの暴走はいつものことだ。ほら、メイ」

「……あう」

 

 ナルキに背を押されて、メイシェンが顔を真っ赤にしながらレイフォンの前にやってくる。

 

「……えと」

「はい」

「……お昼……お弁当作ったから、一緒に食べませんか?」

「え?」

「ほら、あたしたちもレイとんもお昼は外食だからさ、メイが気を使ってくれたのさ」

 

 メイシェンが真っ赤になってこくこくと頷いている。

 

「えと……いいの?」

「……うん」

「ありがとう」

 

 真っ赤なまま頷くだけの機械になっていたメイシェンがレイフォンの素直な笑みに完全に壊れて停止する。

 

 そして、放課後、今日は調合しなくちゃいけないものもないから訓練を見に行こうかな?などと思っていると

 

「もう、メイ、レイとん行っちゃったよ」

 

 ミィフィがメイシェンにそう言う。

 

「あうう……でも」

「でもじゃないでしょ、手紙渡して謝るんでしょ」

「?手紙って何のこと?」

 

 疑問に思って二人に尋ねる。するとレイフォン宛の手紙がメイシェンのところにまぎれ込んでいたという。珍しいこともあるものだと思うが、同時に納得もした突然メイシェンがお昼ごはんを一緒に食べようなどと積極的に行動を起こしたのはこの事があったからなのだろう。

 

「で、読んじゃったと、まぁ、レイフォンなら許してくれるでしょ。……それじゃあ、追いかけましょう。私も一緒に行ってあげるから、どうせ練武館行かないといけないんだし」

 

 そう言ってメイシェンを連れて練武館まで来たところでメイシェンの足が止まる。

 

「メイ?」

「……入って良いのかな?」

「良いに決まってるでしょ、早くしないと訓練始まっちゃうよ」

「う、うん、頑張る」

 

 17小隊の訓練室に入るとそこにはレイフォンと珍しく時間前からシャーニッドとフェリ、そしてハーレイというニーナ以外の小隊員が揃っていた。

 

「こんにちは~」

「こ、こんにちは」

「あれ、アニー、それに……メイシェン?珍しいね、どうしたの?」

「実はメイからレイとんに話がありまして」

「おっ、愛の告白かい?」

 

 シャーニッドがちゃかす。その内容にメイシェンが真っ赤になって固まる。

 

「もう、シャーニッド先輩、メイは恥ずかしがり屋なんだからそういうこと言わないでください」

「あー、悪い悪い、ここまで反応するとは思わなかったよ」

「さっ、メイ、頑張って」

「……あ、あのレイとん、ごめんなさい!」

「え?えっといきなり謝られても」

「こ、これ、レイとん宛の手紙、です」

「僕宛の手紙?」

「間違って配達されて、よ、読んじゃいました。ごめんなさい」

 

 キョトンとした表情をした後、理解が追いついたのか苦笑しながら手紙を受け取る。その表情に怒りのような暗い感情は感じられない。

 

「ああ、誤配かぁ、誤配なら仕方ないよ、良いよ、持ってきてくれてありがとう」

「ほら、レイとんなら許してくれるって言ったでしょ」

「あ、あう、レイとん、ごめんなさい」

「そんなに謝らなくてもいいよ」

 

 これ以上続けさせていてもしょうがないと思った私は口を挟むことにする。

 

「メイ、今日はこれからバイトなんでしょ?」

「わっ、そうだった。レイとんごめんなさい、私行かなくちゃ……」

「うん、バイト頑張ってね」

「はぅ、レイ、とんも頑張ってください」

 

 そう言うとメイシェンはパタパタと走っていく。

 

「そう言えば、ニーナ先輩はどうしたんですか?」

「今日はまだ来てねぇな、珍しいこともあるもんだ」

 

 シャーニッドが答える。レイフォンとフェリも気になっていたらしくこちらに意識が移るのを感じる。

 

「訓練ないのなら、帰ってもいいですか?」

 

 フェリはやる気のなさそうに無表情に告げる。

 

「まぁ、もう少し待ってみましょうよ、フェリ先輩」

 

 そう言うと、無表情ながらムッとした感じで黙り込む。正直未だにフェリ先輩とはどう接して良いのかよく分からない。ただ何となく好かれてはいないような気配だけはするのだ。ニーナが来てないならとハーレイが各自の錬金鋼のメンテナンスを行っていたが、そのメンテナンスが一通り終わってもなおニーナがやってこない。あの堅物な隊長が来ない、流石に異常事態なのではないかと思い始めたとき。

 

「すまん、待たせたな」

 

 そう言いながらようやくニーナがやってくる。

 

「遅いぜニーナ、なにしてたんだ?寝そうだったぜ」

「調べ物をしていたら時間がかかってしまった」

 

 言いながらニーナは訓練場の真ん中まで歩いてくる。いつも通り規則正しい堂々とした歩き方だ。

 

「遅くなったので今日はもう訓練はいい」

「は?」

 

 訓練場の中央に立ったニーナが驚くべき発言をする。見回してみると全員が唖然としていた。普段は無表情なフェリも唖然とした表情をしている事に気付く。非常にレアだ。

 

「そりゃまた、どうして?」

 

 全員の疑問を代表して年長者のシャーニッドが問う。

 

「訓練メニューの変更を考えていてな、悪いが今日はそれを詰めたい」

 

 この前の敗北を引きずっているのは当然としてもそれが悪い方に出ているような気がする。心配だが今は放っておくしかないのだろうか。

 

「個人訓練をする分には自由だ、好きにしてくれ。では、今日は解散」

 

 それだけ言うと、何か言う暇もなくニーナはさっさと訓練場を出ていってしまった。

 

「本当に問題山積ね」

 

 そう呟くと私も訓練場を後にするのだった。

 



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第二話 秘密

 レイフォンを通して、生徒会長から私に内密な呼び出しがかかった。昼休みに会議室に来て欲しいとのことだ。会議室に行く途中でハーレイと一緒になる。ハーレイも同じように呼び出されたらしい。

 

「一体、何のようかしら?」

「さぁ、でも僕たち二人って事は何か練金科関係なのかもね」

 

 生徒会室に入るとそこにはいつも通り柔和な笑みを浮かべたカリアンと無表情なフェリがいた。そして思いがけないことに先に出ていったレイフォンもそこには居るのだった。

 

「生徒会長、お呼びという事ですが……」

 

 そういいながらちらりとレイフォンに視線をやる。レイフォンも無表情だ。だがどこか緊張した面持ちでこちらを窺っている。

 

「さて、呼び出したのはちょっとした緊急事態がこのツェルニに起こっているからだ」

「ちょっとした緊急事態、ですか?」

「そうだ。現在ツェルニの進行方向には汚染獣らしき存在が確認されている」

「そんな!電子精霊が汚染獣を避けているのではないのですか!?」

 

 ハーレイが驚きの声をあげる。

 

「さて、どういった仕組みで避けているのか我々には知る術はないし、もしかしたらただの死骸という可能性もある」

 

 とんでもない事態だ。とんでもない事態だが私達に知らせる意味はなんだろうか?

 

「それで私たちを呼びだしてその緊急事態に何をしようと言うのですか」

「うん、それなんだが、汚染獣の討伐をレイフォン君に一任しようと思っている」

 

 カリアンが告げる言葉に私たちは絶句する。

 理解がおいつかせるためだろう。カリアンは一拍をおいて続ける。

 

「……これは決定だ。そこで君たちにはその補助をお願いしようと思ってね」

「確かにレイフォンは強いです。ですが、なぜ一個人にこの事態を任せようとするのですか!」

 

 私はカリアンに向かって問いただす。

 だが、カリアンは私を見ていない。

 

「……レイフォン君、任せていいんだね?」

「はい、アニー、ハーレイ、君たちには聞いて欲しいんだ。……僕の出身がグレンダンだって言うのは話したよね。僕は……僕はそこで天剣授受者と呼ばれていたんだ」

「天剣」「授受者?」

 

 突然話が跳んで理解が追いつかない。各都市には強い武芸者に与えられる称号がある。天剣というのもその一つなのだろうか。即ちレイフォンは強いという事を言いたいのだろうか。確かにレイフォンが圧倒的に強い事は知っているからそう言った称号を持っていたとしてもそこまで驚きはない。

 

「そう、グレンダンの秘奥の練金鋼、天剣、そしてそれを扱う十二人の武芸者をそう呼ぶんだ」

「でも……それが何でツェルニに来ることになったの」

 

 そう問題なのはそんな強い武芸者がどうしてツェルニにいるのかということだ。一般的に強い武芸者は都市の宝だ。そう安々と外に出すことはしない。その事を問うとレイフォンは一瞬表情を強ばらせる。

 

「そう……それが僕が話すべき事なんだ。僕は……天剣の名を汚した」

 

 そこからの話は壮絶なものだった。

 孤児院での生活から始まり、地獄のような食糧危機、金を稼ぐためだけに才能(武芸)を費やす日々、そして天剣授受者まで至り、武芸者の力と技を見世物にする闇試合にまで手を出す。そして終焉。闇試合への関与がばれて都市からの追放。

 

「……そんな事があったんだ」

「私はむしろ納得したわ、だから、なのね」

「そう、この問題においてレイフォン君をおいて頼るべき存在などこのツェルニには存在しない」

 

 黙ってこちらを観察していたカリアンが熱のこもった声でそう言う。それを遮って私はレイフォンに質問をする。

 

「一つ質問よ、レイフォン。闇試合に出ていた程度(・・)で追放になったって言うのは本当?」

 

 そう問いかけるとレイフォンは一度驚いたようの表情を見せた後、顔を伏せる。

 

「そうだね、それだけじゃない……僕が最終的にグレンダンを追われることになった結果は、ある武芸者が僕を脅迫してきたのが原因だ」

 

 そこで一度言葉を切るレイフォン。そして意を決したように語りだす。

 

「その人は、天剣授受者を決めるための試合に出る人だった。彼は僕が賭け試合に出ている証拠を見せて、このことをばらされたくなければ負けろと、天剣を譲れと言ってきた……だから、口封じのために試合でその人を、殺そうと思った。……でも、できなかった。……本当の問題はここなんだ。天剣の試合に出れるほどの実力者を圧倒できる者が武芸者の律を守らない、そう一般市民に知られたことが問題だった……僕は、化物だ」

「……なるほど、よく分かったわ」

「アニー?」

 

 天剣授受者という本当に隔絶した武力を持っているということは分かった。そしてそれを扱うのに人と同じ(・・・・)未熟な精神を持っているということもだ。だが……

 

「レイフォン、あなたは二つの罪を犯しました。一つは闇試合に出たこと。闇試合に関しては私はレイフォンを責めることはありませんし、そんな権利もない。それにあなたの失敗は自分の手の長さを超えることをやろうとした、その一点にだけだからです。政治の失敗を個人で取り返そうなんて無理なんです」

 

 レイフォンが怪訝な表情で私を見つめる。

 

「もう一つの罪は殺人未遂を犯したことです。人を殺すのは悪いことですよ、レイフォン。あなたは殺人ではない選択肢を探す努力をしなかった、これはあなたの過失です……でも、レイフォン、あなたはお人好しですね」

 

 そこで一度言葉を切る。できるだけ怖い表情をしていたつもりだが、うまくいっていただろうか?

 

「悪意を持った相手に確固たる決意を持って殺そうとして殺せない、これはもうお人好しとしか呼べないでしょう。……あなたの失敗は自分を理解していない事、他人に頼ろうとしなかった事、この二つです。私から言いたい事はこれだけです。……要するにレイとん、あなたは私の友人だってことともっと友人を頼りなさいってことよ」

「アニー……」

 

 レイフォンの唖然とした表情がおもしろい。

 

「最後にレイとん、私個人はあなたの選択が間違っているとは思わないわ、それに付随する結果も、まぁ、正解とは言い難いのかもしれないけど……私はあなたがした決断を尊重するわ……頑張ったわね」

「僕は……前の都市での事だし気にし過ぎなくていいと思うよ」

「ハーレイ先輩」

 

 レイフォンが感極まったような顔をして口の中で何か呟いている。

 

「さて、まぁ私からもいろいろ初めて聞いた事があったし、言いたいことがあったのだが、大体アナスタシア君が言ってくれたので良しとしよう。とりあえずレイフォン君に任せることは納得してもらえたかな?」

 

 カリアンが話の流れを修正しようと口を挟む。

 

「納得はできないわ……でも理解はした。今はレイフォンに頼るしかないってことは、ね……それが悔しいわ。……一人で戦うと決めたのはレイフォン、あなたなのよね?」

「……そうです」

「そっか、この問題はあなたの手に収まる問題で間違いない?」

「それは……やってみないと何とも、でも負ける気はないよ」

 

 その時のレイフォンの表情はなんと言って良いのか、さきほどまでの唖然とした表情とは全く違う透徹した表情だった。その表情に話を聞いたからではないが歴戦の重みを感じる。

 

「う~ん、微妙な返答ね……まぁいいわ全力を挙げてできる事をするわ」

「僕も手伝うよ、そうなるとアレの実用化も急がないとね」

 

 私とハーレイがそう言うと、どこか驚いたような、嬉しいような顔でこちらを見つめてくるレイフォン。

 

 そこからはいくらか事務的な話をした後、もう昼休みも終わってしまう時間だったため、次回より具体的な話をするために人を集めて行うことだけが決められ解散する。

 

 教室に戻る帰り道、レイフォンと一緒に歩きながら話をする。

 

「レイフォン、今度の件でちょっと話を聞きたいんだけどいいかな?」

「今度の件って汚染獣の事?」

「そうそう、全力で手伝うって言ったけど、何をするのが良いか相談したくて」

「僕で大丈夫なのか分からないけど、分かったよ」

「まず、今回はレイフォン一人で汚染獣のところまで行くことになると思うんだけど、グレンダンと比べて何か不満点とかあったりする?どうにもならないと思ってもとりあえず言って欲しいの」

「そうだね……まずはやっぱり武器かな?天剣以外の練金鋼で剄を全力で流すと爆発しちゃうんだ」

 

 いきなりとんでもない爆弾が出てきた。正直に言って切れないとか戦いづらいは想定していたが全力を出せないというのは驚くべき話だ。なにせ今までの戦いでも全力を出せないまま戦い続けていたという事なのだから。

 

「えっ!そうなんだ。そんなの聞いたことないけど、ハーレイ先輩にはそのことを伝えてある?」

「いや、伝えてないけど……やっぱりまずい?」

 

 そんな重要な事を武器の調整をしている人間に伝えていないというのはありえない話だと思う。いくらどうにもならないと思っても伝えておくべき最重要ポイントだ。

 

「まずいに決まってるじゃない!そういう限界があるって知ってるのと知らないのじゃ武器選びにもいろいろ差がでる筈よ……というかレイフォン、もしかして武器にそんなにこだわってない?」

「えっ!……あの、うん。どうせ全力出せないし……」

 

 大きなため息をつき、これ以上追求しても仕方ないし、武器に関してならハーレイも交えて話をすべきだろうと思い次の話題へと話を進める。

 

「とりあえず、武器の事は分かったわ、詳しい話はハーレイ先輩も交えて今度やりましょう」

「えっ!まだやるの?」

「当然でしょ、私たちはあなたに死んで欲しくないの。それで武器以外はどんな違いがあるの?」

「そうだね、この前も言ったけど都市外装備がゴツゴツして動きづらかったね」

「それも大問題じゃない!」

「大丈夫、さすがにそれは問題だと思って改良をお願いしたから」

 

 また、爆発した私を見てレイフォンが慌てて付け加える。ここでも無頓着だったら自分の命にも頓着しないのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。武器以外に気になる点は改善しようという意志が見られる。

 

「そう、それなら良いんだけど」

「後は戦闘衣がちょっと重いかな?天剣授受者の時とは比べものにならないし、それ以前に使ってたものと比べても重い気がするんだ」

「ふむふむ、それは改善点ね、布が違うのかしら?」

 

 錬金術でも布を作り出すことはできる。軽くて動きやすい布の研究はする価値が十分あるだろう。だが、今回の件に間に合うかと言われると首を傾げざるおえない。何せ専門じゃないから材料の選定や研究から始めなければいけないのだ。今回は錬金科の先輩方に任せるべき案件だろう。

 

「防具関係はそんなところかな?他には……ああ、そうだ長期戦になるかもしれないけどあの栄養補給ゼリーがすごく不味いんだよ。あれはどうにかして欲しいね」

「栄養補給ゼリーね、私の得意分野だし、ちょっとやってみるわね」

 

 ようやく私が役に立ちそうな改善点が出てきたので嬉しくなる。レイフォンが気を使ってくれたのかとも思うが、どうだろうか?

 

「う~ん、思いつくのはこんなところかな?」

「そう、ありがとう参考になったわ、ところで爆弾とかあったら役に立つかしら?」

 

 意を決してこちらから質問をぶつける。爆弾の錬金は未熟だからとだいぶ前にお祖母ちゃんに禁止されていたのだがお祖母ちゃんは既にいない。腕はだいぶ上がったと思うのだが、いまいち踏ん切りがつかなかったのだ。そしてこれは次のステップに進む良い機会だと思ったのだ。

 

「爆弾?そんなこと考えた事なかったけど、どうだろう、あると便利かも?」

 

 しかし、帰ってきたのはそんな曖昧な返答だった。レイフォンだし仕方ないかと諦め次の質問をぶつけることにする。

 

 

 そして放課後、レイフォンは訓練へと行ってしまった。私はいつも通り、ナルキ、メイシェン、ミィフィとお茶をしていた。ミィフィがいつも通りマシンガンのように話しているのを半ばスルーして眼前に置かれたティーカップを傾けながら私は何ができるのか、物思いに耽っていた。悪いとは思っているのだがどうしても思考がそちらの方に逸れてしまうのだ。

 

 そんな時だった。突然喋るのを止めたミィフィが私を見てくる。

 流石に怒らせたか?そう思ったが、その様子もない。

 

「ねえ、アニー、天剣授受者って知ってる?」

 

 突然落とされた爆弾に私は驚く。

 

「ごはっ、ごほごほっ、ど、どこで知ったのそんな言葉」

 

 あまりにも意外な言葉に私は飲みかけていた紅茶を気道に入れてしまう。

 それと同時にメイシェンが小さくなるのが横目に映る。

 

「あっ、知ってるんだ」

「くっ、失敗したわね、ええ、知ってるわ」

 

 どこで知ったのだろうか?私ですらついさっき知ったばかりの機密事項を情報通とは言え一般人のミィフィがなぜ知っているのか。

 

「じゃあ教えて」

「ダメ」

「ケチ、レイフォンに関係する言葉だって言うのは分かってるんだけど」

「そこまでどうして分かったのよ?」

「実はレイフォン宛の手紙がメイっちのところに紛れ込んでね」

 

 あの時の手紙か!そう思い至るも内容を知っているということは読んでしまったということだろう。言われてみれば確かに読んでしまったと言っていたが、こんな事になるとは想像もしていなかった。

 

「メ~イ~」

「はう、ごめんなさい」

「全くもう、でも気になるものは仕方ないわね」

「だから教えて?」

「ダメ、もし知りたいのならレイフォンに直接聞きなさい」

 

 そこは譲れない。知ってしまったものは仕方がないだろうが、勝手に人の口から喋っていい話では決してない。聞くのならレイフォンに直接聞くように言い、口止めしてその場は凌ぐのだった。

 




ここでカリアンにレイフォンの過去話をレイフォンの口から語らせたくて始めた小説でした。この場面を書けて割りと満足です。

評価・感想・批評お待ちしております。


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第三話 覚悟

 翌日、早速カリアンが動いたのだろう。錬金科長を筆頭に錬金科から数名、武芸長であるヴァンゼ、そして私とレイフォン、それにハーレイが呼び出された。錬金科の生徒は前回のアイデア募集で実現性も兼ね備えた優秀なプランを提出した生徒らしい。正直に言えば17小隊のメンバーだけが若干浮いているのが判る。

 

「それで何でこのメンバーなのかね?」

 

 会議が始まるとその疑問を練金科長が代表して質問する。

 

「まず、状況を共有しよう」

 

 質問に直接は答えずにカリアンが始める。

 

「ツェルニの進路上に汚染獣らしき存在が確認されている」

 

 端的に事実を告げ、理解が広がるのを一瞬待つ。理解が広がるにつれざわめき出す室内。

 

「そしてその対処をレイフォン君に一任しようと思っている」

 

 さきほどと負けず劣らずのざわめきが室内を満たす。

 そのざわめきに押し出されるように錬金科長が再び問う。

 

「なぜレイフォン君なのかね?確かに強いことは認めるが新入生に任せる事じゃないと思うが」

「……君たちには知る権利があるだろう。レイフォン君は武芸大会に勝つために私が用意した一流の武芸者だ。もちろん実戦もくぐり抜けている。その彼が一人で戦う方が勝率が高いと判断したのだ」

 

 一流の武芸者と聞き先程までとは別種の驚きが室内を満たす。

 

「……そしてここだけの話だが前回の汚染獣の襲撃の際に彼が居なければ勝利は覚束なかったという厳然たる事実がある。この事実を前に素人集団である私たちはその判断を尊重すべきだろう」

 

 衝撃的な事実を前に言葉を失う練金科の生徒達、その衝撃的な事実をヴァンゼ武芸長が否定しないのを見て事実なのだと理解する。

 

「さて、状況は理解できたと思う。彼が如何に戦いやすい状態で送り出せるか、それが今回の議題だ」

 

 そこからはカリアンの目論見通り議論が円滑に進んでいった。

 あれからさらに数日後

 

「う~ん、材料が足りないなぁ」

 

 レイフォンのため、引いては自分のためにいろいろなアイテムを調合しているのだが、どうにも店売りの素材では行き詰まっているように感じていた。

 

「よしっ、錬金科長に相談してみよう」

 

 そう思い、錬金科の実験棟に向かうことにする。何人かに錬金科長がどこにいるのか聞いて回ると自分の研究室にいるのではないかと言うのでそこを訪ねる。

 

「こんにちは~、錬金科長さんいらっしゃいますか?」

「ん?アニー君か、よく来たね。おもてなしはできないけどそこら辺に座りなさい……それでどうしたんだね?」

 

 錬金科長に進められるままに椅子に座り、自分の要望を伝える。

 

「実は店で売っている素材では行き詰まってまして、自分で森に入って素材を採取したいのですけど、どこかから許可とる必要はありますか?」

「ふむ採取か、それなら練金科で管理している薬草園がある。そこなら申請書類を出してもらえれば自由に採取して良いぞ、そこでも足りないとなると他学科に協力を要請しないといけないから難しいな」

 

 薬草園!そんな物があったのは全く知らなかった。これで新しい素材が手に入れば何かレイフォンの役に立つものも作れるかもしれない。

 

「へー、そんなところがあったんですね、ありがとうございます、とりあえずその薬草園に行ってみますね」

「ああ、助けになれて良かったよ。また何か困ったら遠慮なく来なさい」

「はいっ、ありがとうございます」

 

 錬金科長にお礼を言って早速薬草園に向かうことにする。

 薬草園に併設された管理小屋で申請書類に記入し、薬草園に入る。

 

「わぁー、いろんな薬草が生えてる。あっあれは忘却の傷無し草だ!薬作るのに便利なのよね、ハニーメロンもあるわ、高いのよね、これ。取って良いのかしら?……ここの群青の土も使えそうね。嘘、金とげの実じゃない!すごい珍しいものもあるのね」

 

 そんな感じで持ってきたカゴいっぱいに採取してしまった。帰りに採取したものを確認した管理人さんに呆れられてしまった、全て取り尽くさないように注意されていなければもっと取ってしまっていただろう。

 

 薬草園の素材も使用して調合を行った結果、なかなか満足のいく栄養補給用のゼリー、その名も明晰ゼリーができたので早速レイフォンに届けに行くことにした。

 

「今日は野戦グラウンドの方で訓練してるって話だけどまだやってるかしら?」

 

 野戦グラウンドに着くとそこではレイフォンが空を舞っていた。見たこともないような大剣を手に空を跳ぶ。振り回した時の反動を利用して自在に滑空方向を操作し跳び回る姿は芸術的とすら言えた。

 

「すごいわね」

 

 それしか言葉は出なかった。隣にいるハーレイやカリアン・フェリも同じ気分なのだろう。なんというか呆然とした気配を感じる。

 

「なんかもう……なんてコメントすればいいのかわからないね」

 

 そうハーレイが呟く。

 

「どうだい、感触は?」

 

 気を取り直したのかハーレイがレイフォンに尋ねている。それに素直にコメントしているレイフォン。

 

「レイフォン、武器の限界のことはちゃんと伝えた?」

「ああ、聞いたよ、もう驚いたよ。全力を出したら爆発しちゃうなんて聞いたこともないんだから」

 

 ハーレイがそう答える。ちゃんと伝えていたらしい。

 

「それでハーレイ先輩、どうにかできそうですか?」

「う~ん、完璧にどうにかできるかはわからないけど、今開発してるこの複合錬金鋼(アダマンダイト)はだいぶ限界が高いと思うよ。それにその話を聞いて限界を高める方向で配合を見直してみたからその効果もあると思う」

 

 それを聞いて少し安心する。確実にレイフォンに生き残ってもらうための準備が整いつつあった。

 

 それから明晰ゼリーの試食をしてもらったりして、しばらく話をした後、カリアンの奢りでフェリとレイフォンと夕食を一緒にすることになるのだった。

 そして、数日後レイフォンを万全の状態で送り出すために調合をしている時の事だった。

 

「アニーいるか?」

「あら、珍しいわね、ナルキいらっしゃい」

 

 珍しくナルキがアトリエにやってきた。郊外にあるせいか、私がミィフィ達のマンションに行くことはよくあるがその逆はなかなかないのだ。何か連絡がある場合も電話ですませてしまうことがほとんどなのだ。

 

「ああ、実は洗剤を切らしてな、ランニングがてら買いにきたんだ」

「なるほどね、洗剤ってことは中和剤(青)ね、シャンプーは大丈夫?」

 

 意外に思うかもしれないが、中和剤(青)は洗剤、中和剤(緑)はシャンプーになるのだ。ヨルテムにいた頃から中和剤はアトリエの看板商品だった。もちろんナルキやミィフィ、メイシェンも中和剤を使っている。特に中和剤(緑)は口コミを通して今ツェルニで話題沸騰中の人気商品になりつつあるのだ。メイシェン達の髪艶がいいことが良い宣伝になっているようだ。

 

「そっちは大丈夫だ。そう言えばアニー、最近レイフォンが忙しそうなんだが何か知ってるか?」

 

 今、レイフォンは忙しい。なぜなら汚染獣対策であっちこっちからひっぱりだこだからだ。17小隊付きの私なら何か知っているだろうと踏んでの質問だろう。もちろん知っている。だが、汚染獣の事は機密事項だ。

 

「知ってるけど、秘密よ、知らない方が良いわ」

「むっ、そう言われると追求しにくいんだが……」

 

 ごまかしてもバレることが分かっているから正面から答えられないと返事をする。正直絶対に隠し通す気はないが、自分から積極的に言うつもりもない。

 

「追求して欲しくないんだもの、教えられることはないし」

「そこを何とか」

「ダメよ、私は公私ははっきり分ける女なの」

 

 そうやって正面からバッサリ切り捨てていると、新たに客がやってくる。アトリエが郊外にあるため客が来ることはかなり珍しいのだが、今日は二人もやってきたようだ。客は金髪の女性、隊長だった。

 

「アニー、この前の栄養剤が欲しいんだが、すぐに用意できるか?」

 

 いつも通り姿勢正しいのだが、ナルキには全く頓着せずに私にそう尋ねてくる。

 

「スカッシュティーですね、大丈夫ですよ」

「あの栄養剤を飲むと調子がよくてな」

「代金はいつも通り、小隊の予算からで大丈夫ですか?」

「いや、今回は私のポケットマネーから出す」

「?そうですか、分かりました」

 

 スカッシュティーの在庫を渡し、代金を受け取ると挨拶もそこそこにニーナは去っていく。

 

「隊長さん、あんなだったか?」

「ちょっと追い詰められてるのよ、そっとしておくしかないと思うわ」

「そうか……私もそろそろお暇させてもらうよ、じゃあまた明日アニー」

「ナルキもまた明日ね」

 

 とりあえずナルキの追求を拒絶したが、当然問題がそれでなくなるはずもなく、翌日の昼休憩。いつも通りレイフォンも含めたみんなでメイシェンのお弁当を食べているとミィフィが追及を始める。

 

「な~んか、ここ最近忙しげ?」

「え?そうかな?」

「だよ」

「……うん」

 

 ミィフィにかぶさるようにメイシェンまで頷く。

 

「訓練終わった後に遊びに誘おうと思っても、レイフォンいなかったりするもん。バイトのシフトがない時狙ってるのに」

「次の対抗試合が近づいているからな。忙しいんだろう?」

「え~、でも訓練外だよ。おかしいって」

 

 ナルキの言葉をミィフィが否定する。レイフォンの退路を断つために敢えてやっているのだろう。私から言うつもりはないがレイフォンが漏らしてしまうのを防ぐほどの事ではないだろうと思い。すました顔で弁当をつつく。

 

「で、なんで?」

「対抗試合の準備。機密事項?」

 

 レイフォンがあからさまな嘘をつく。レイフォンは自分が嘘をつけない人間だと理解したほうがいいと思う。当然ミィフィも分かるので追及は続く。

 

「どうして疑問形なのよ?」

「さあ、なんでだろ?」

「ふざけてる」

「ふざけてないよ、真面目だって」

「ふうん」

 

 そこで一旦追及を止め、ねめつけるようにミィフィはレイフォンを見る。そしてこれ以上追求しても仕方ないと判断したのだろう。別の追い詰め方を始める。

 

「女ができた?」

「……なんでそういう結論?」

「そういえばここ最近、ロス先輩と一緒にいるところ、よく目撃されてるみたいじゃない?そういうことなの?先輩目立つからね、隠しても無駄よん」

 

 ふむ、そういう攻め手で来たか、違うと半ば分かっている事実を使ってでっち上げることで自分から話させようと言うのだろう。見る間に真っ青になるメイシェンがなかなかいい援護っぷりだ。

 

「いや、違うから」

 

 焦ったようにぶんぶんと首を振るレイフォン。

 

「先輩とは、帰る方向が一緒だから」

「ただ帰る方向が一緒なだけで、頻繁に夕飯一緒の店で済ませちゃうわけ?」

「……なんでそんなことまで知ってんの?」

 

 ほう、まんざら嘘ではないという事だろうか。ただまぁ大方この前のように生徒会長が絡んでいるのだろうと思う。それにしてもそろそろ助け時だろうか?メイシェンが真っ青で今にも倒れそうだ。

 

「ミィちゃんの情報網を舐めないでよね」

「いや、本当にただの偶然だから」

「はいはい、そこまで!メイが倒れちゃうわよ……今レイフォンは生徒会長の依頼で極秘任務中なの、フェリ先輩との夕食もその関係で生徒会長におごってもらっているだけでしょ?」

「う、うん、そう。ってアニー秘密にしなくちゃ!」

「別に絶対に秘密にしなくちゃならない事じゃないでしょ、どういう類の秘密かぐらいはバラさないとミィが収まらないわよ」

「で、その秘密の任務ってなんなわけ?」

「秘密なんだからバラすわけないじゃない」

「ぶ~、ケチィ」

 

 それ以上言う気はないと明確に示すとミィフィは最後には諦めたのか弁当を持って立ち上がる。

 

「つ~まんない、つ~まんないからわたしは一人で食べます。んじゃっ!」

「まったく……子供っぽくむくれなくてもよかろうに」

 

 やれやれと言わんばかりにナルキも立ち上がる。ミィフィのフォローに行こうというのだ。

 

「ん~ナッキ、ミィフィは任せるね」

「ああ、任せておけ……悪いな、気を悪くしないでくれよ」

「いや、きっと僕が悪いんだよ」

「そうだな……おそらくそうなんだが、それはきっと無理を言ってるんだろうな」

 

 ナルキは肩をすくめると、まだ落ち着かない様子のメイシェンを見て言う。

 

「あたしはミイに付いてるから、メイを頼むよ」

「任せなさい」

 

 とは言ったものの、ここはメイシェンとレイフォンを二人っきりにしてあげた方が良かっただろうか?流れ的に私がミィフィのフォローに行くのはおかしいのだが。

 

「ごめんなさい」

 

 レイフォンがメイシェンに謝る。

 

「……レイとんは悪くないですよ?」

「いや、でもやっぱり僕が悪いんだと思うよ」

「……でも、言えないことなんですよね?」

「……うん」

「もう、二人共そこまで!言えないものは言えないんだし、気にしても仕方ないでしょ!」

「うっ、そうなんだけど、やっぱり僕が悪いのかなって」

「そこは開き直りなさい!メイも気になるだろうけどそこは信じてあげなさい」

「で、でもレイフォンの悩みを解決してあげられたらって……」

「え?」

「あれ?」

 

 ちょっと勘違いしていたかも知れない。私の認識ではレイフォンには隠し事はあっても悩み事ではないはずだ。

 

「レイフォン、何か悩み事があるの?」

「……ああ、いや、うん……あはは……なんだそっちか……」

「え?え?」

「ミイが変なこと言うから勘違いした」

「ええ!?」

「レイとん、メイが大変なことになりそうだからそろそろちゃんと説明して」

「え?あ、うん。ようするに僕が気になっていたのは隊長のことなんだ」

「隊長のこと?そう言えば様子が変だったわね」

 

 昨日、スカッシュティーを買いに来たときも様子がおかしかったのを思い出す。試合に負けたからだと単純に考えていたがもっと深い問題があるのだろうか。その点を問おうと思った時、ミィフィたちが戻ってくる。

 

「あら、ミィおかえり」

「ただいま~、って何話してたの?」

「レイフォンの困り事についてよ」

「困りごと?隠しごととは違うの?」

「そ、私も勘違いしてたわ」

「ふ~ん、まぁいいや私にも教えてよ」

 

「ふうん、隊長さんが、なんだか様子が変と……レイとんはそれが気になってるんだ?」

「そう」

「それで、なんとかしてあげたいと」

「できるなら」

「なんで?」

 

 ミィフィが単純に気になったのだろうそう問う。

 

「なんでって……?」

「おんなじ十七小隊だから?レイとんは対抗試合とかの小隊のことなんてやる気がないんでしょう?だったら隊長さんの様子が変でも別に問題ないんじゃない?」

「……ミィ」

 

 メイシェンがミィフィを止めようと声を出すが、ナルキとミィフィを見るも、両者とも止める気がない事が一目で分かる。メイシェンもすぐにこれは止まらないと諦めたように首を振った。

 

「それは、そんなに難しい問いが必要なことなのかな?」

「難しいかどうかなんて、レイとんがどういう答えを出すかじゃないか?」

 

 黙っていたナルキが答えた。

 

「かもしれない」

 

 レイフォンが頷く、これは思いもかけず重要な問いになってしまったのではないだろうか。私はレイフォンがどんな答えを出すのか見守る。

 

「いまだって、別に対抗試合とかはどうでもいいんだ。これは本当に……ただ、少しだけ考えが変わったのも本当。次の武芸大会が終わるまでは、小隊に居続けようとは思ってる」

「それはなんで?」

 

 レイフォンが自分の中のものに整理をつけるのを助けるために私は問う。

 

「ここがなくなると困るんだ。行く場所がなくなる。グレンダンには帰れないんだ。僕はこの六年でなにかの技術なりなんなり身に付けて卒業しないとよその都市に移って食べていけない。卒業してまで武芸を続ける気はないんだから」

「グレンダンに帰らないの?」

 

 メイシェンの問いにレイフォンは首を振った。

 

「……もう気づいてるかもしれないけど、僕の武芸の技は片手間じゃない」

「レイフォン……」

 

 それ以上言って良いのか?自分を晒す覚悟があるのかそんな気持ちを込めてレイフォンの名を呼ぶ。その言葉がきっかけになったのだろうかそれまでどこか迷いを感じさせていたレイフォンから力が抜ける。

 

「……大丈夫、僕は……グレンダンで天剣授受者と呼ばれていた」

 

 そして語りだす。

 私にとっては二度目のレイフォンの過去、果たしてメイシェンは受け止めきれるだろうか?友人としては受け止めてやれると断言してあげたいところだがいまいち不安だ。今は一緒にいてやることしかできない。

 

 話が闇試合に関わったところまで進むとナルキが動揺したのが気配で伝わってくる。正義感が強いナルキには衝撃的な話なのだろう。だが、最終的にナルキは受け入れると思う。レイフォンの孤児を助けたいという根源が理解できるはずだからだ。そう信じる。

 

「……それで、どうなったの?」

 

 メイシェンが勇気を絞り出すようにして聞いた。

 

「ばれたよ。それで天剣を剥奪されて都市外退去を命じられた。猶予期間をくれたり、財産を没収されなかったのは陛下の慈悲だね。おかげで園にお金を残すことができた」

「……それで、ここに?」

 

 ナルキが呟くように問う。

 

「そう……僕は間違った選択をしたのかもしれない。でもそれによって救えた人がいる限り後悔はしないって決めたんだ」

「レイフォン……」

 

 レイフォンは全てを言い尽くしたのかこちらの反応を待っている。

 

「……わ」

 

 口を開いたのはメイシェンだった。

 

「わたしは……」

 

 震えながら声を絞り出したメイシェンが、そこで言葉を止めた。

 

「わたしは……レイとんのことを信じたいです」

「メイシェン……」

 

 そこで黙り込んでしまったメイシェンを見て私は思う。信じたい、か。信じるではなく信じたい。まだメイシェンには判断がつかないのだろう。その判断をするには時間が考えをまとめる時間が必要なのだろう。

 

 次に口を開いたのはナルキだった。

 

「レイフォンの過去、重いな……正直あたしはどう受け止めて良いのか分からない……だが、そんな過去を話してくれたことは嬉しく思う。私達を信じてくれたってことだからな」

「ナルキ……」

 

 ナルキが引っかかっているのは闇試合に出たことだろう。彼女の正義感がそれを許容できないのだ。だが、そこを認められなくともレイフォンを受け入れようとしてることは分かる。

 

「わたしは別に問題ないと思うよ、それより天剣授受者について詳しく教えてね」

「ミィフィ……」

 

 ミィフィがあっけらかんと言い切る。ミィフィは闇試合に関わったこと自体問題とも思っていないようだ。

 

「この前も言ったけど私は間違っているとは思わないわ。だって、必死に生きた結果なんだもの、誰にも努力だけは否定できないわ」

「アニー……」

「みんな……ありがとう」

 

 レイフォンが泣きそうな顔でそう言う。

 

「それより!アニー知ってたんでしょ!ずるいよ!」

「えっ、今そこ気にする?」

「当然!」

 

 ずるいずるいと騒ぎ出すミィフィをなだめている内にいつも通りの雰囲気になっていくのを感じる。もしそれを狙ってやっているのであればミィフィに感謝しなくてはいけないだろう……まぁ、そうじゃないと思うのだが。

 

 ミィフィをなだめて、話を本筋に戻す。レイフォンの過去の話は重要な話ではあったが今日の本題ではなかったからだ。

 

「それでニーナ隊長の事だけど……」

「……なんで隊長の様子が変なことが気になってるか、だったよね……けっこう、気に入ってるんだ、小隊の連中のこと、だから、なにかあるんなら手伝いたいと思ってる」

 

 レイフォンがちょっぴり恥ずかしげに心の中をさらけ出す。

 

「……そういうのなら、別に文句ないんだけど」

 

 本当にそれだけ?という言葉が聞こえてきそうな感じでミィフィが言う。

 

「まぁ、あたしは最初から手伝えることがあるならするつもりだったがな。渋ってるのはミィ一人だ」

「うわっ、ナッキずっこい!」

「あたしは少しも疑っていないからな」

「うっそだぁ!ナッキだって気にしてたじゃん」

「あたしが気にしていることと、ミィが気にしていることは違うよ」

「一緒だよ」

「違うな」

「一緒!」

「違う」

「いいや、ナッキだってそっちは絶対に気にしてたね、絶対、絶対の絶対、レイとんがあの隊長さんとかフェリ先輩とかあの手紙の子とか……あっ」

「……ミ~ィ~?」

 

 珍しくメイシェンが本気で怒っている。

 

「あわわっ、ごめん……でも気になるじゃない」

「そりゃ気になるけど……」

「でしょ、良い機会だし教えてもらおうよ!っと言うわけでリーリンさんについて教えて!」

「えっ?リーリン?」

 

 話がどんどん飛び火していく。その様をしばらく見守った後、流石に話が飛びすぎだと口を出す。リーリンというのはレイフォンの幼馴染で文通の相手だとか言う人の事だろう。

 

「はいはい、それぐらいにして本筋に戻りましょ」

「ぶー、アニーのまじめちん」

「良いわよ、まじめちんで、今はニーナ隊長でしょ」

「うー……それでどうするのよ、様子が変だってことしか分かってないんでしょ」

「直接聞いてみるか?」

「う~ん、それで話してくれるかな」

「じゃあ、尾ける?」

 

 結局しばらく話し合ってもこの2つ以上の案は出ず、尾行することが決定してしまう。放課後すぐに訓練が始まるので尾行は訓練が終わった後からということに決まりその場は解散する。

 



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第四話 尾行

 そして夜も明けようかという時間。レイフォンとニーナのバイト先である機関部の付近で私たちは待機していた。

 

「寒いね」

「もう、甘いよ!気合が入ってないよ!」

 

 ミィフィがサングラスにマスク、そしてロングコートという不審者スタイルで言う。

 

「あっ、出てきたね」

「おーい、レイと~ん!」

 

 レイフォンが出てきたので合流する。まだニーナは出てこないようだ。

 

「さて、任務を説明する」

「いや、任務もくそもないぞ?」

 

 まだ続けるつもりのミィフィにナルキが冷静にツッコミを入れる。

 メイシェンは持ってきていた温かいお茶をレイフォンに振る舞っている。

 

「隊長さんは?」

「班長に呼ばれてたから、まだ中にいるはず」

「よしよし……じゃあ、待ってから後をつけてみよ」

「普通に帰って寝ると思うけど……」

「ん~にゃ、訓練が終わってから様子を見てるけど、バイトに行くまで訓練してただけだから、なにかあるんならこの後だよ」

「え?訓練してた?」

「うん、ばっしばしに気合の入ったのをしてたよ」

「たしかに、鬼気迫るという奴だった」

「…………ああ、やっぱり」

 

 レイフォンが何か納得したように呟く。

 

「ん?なんだ?」

「いや、なんでもないよ」

「……あ」

 

 メイシェンの呟きで、四人は一斉に出入り口を見た。ニーナが出てきた。白い息を吐きながら、まだまだ寒いと言うのに武芸科の制服だけで何も羽織っていない。肩に下げたスポーツバッグという姿は訓練が終わった後と何も変わらないように見えた。

 

 暗い中、街灯が落とすオレンジ色の明かりの下でもわかる、ニーナの横顔には濃い疲労の翳りが宿っていた。その様を心配そうに伺うレイフォン。私たちはレイフォンとナルキの指揮のもとニーナの後を追う。こういう時誰よりも率先してやりそうなミィフィもニーナ(武芸者)に気づかれては堪らないと静かにレイフォンの指示に従う。

 

 だが果たしてミィフィだけだったとしても気づかれただろうか?それほどニーナの背中は隙だらけだった。

 

「疲れているな」

 

 ナルキが呟く、それに頷く私達。ニーナが疲れ切っている。それは見れば分かる。問題はなぜ疲れ切っても止まることができないのか、だ。この間の試合で負けたことが直接の原因だと推測はできるのだが、私にはそれ以上分からない。

 

「どうして止まれないのかしら?」

 

 そんな疑問がつい溢れてしまう。返答はない。だが、レイフォンとナルキ(武芸者)には何か感じるところがあるらしく、答えようとして止めたような気配だけがある。

 

「……どこに行くんだろう?」

「だね」

 

 メイシェンとミィフィが首を傾げ合っている。それも疑問ではある。ニーナはずっと都市の外側に向かって歩いていた。ニーナの住んでいるアパートに向かう道はとっくに過ぎている。

 

 ついにニーナは建物が一切ない外縁部にまでたどり着いた。都市の脚部がもたらす金属の軋む音が強い風に乗って、一塊になって迫ってくるようだ。私たちは風除けの樹木の陰に潜んだ。そこから先には身を隠せるようなものはない。放浪バスの停留所からも遠く、あるのは不可視のエアフィルターの向こうで渦巻く、汚染物質を含ませた砂粒の嵐だけだ。

 

 月の姿も見えないほど分厚い雲が不気味に踊る。メイシェンがレイフォンの袖を握りしめるのが見える。ニーナは段の少ない階段を降りて、広場のようになった空き地の真ん中に来ると、肩のスポーツバッグを下ろした。そしてスポーツバッグの中から何かガラスの容器のような物を取り出し、一気に呷る。空になった容器は無造作にバッグの中に突っ込む。

 

「あれは……私のスカッシュティー?」

 

 かなり遠目なので確信が持てないがこの前ニーナが買っていったスカッシュティーなのだろう。その事に眉を顰める。確かに栄養剤として作った物だが、こんな無理をさせるための物ではないからだ。

 

 レイフォンが何か言いたげに私を見る、がすぐにニーナに視線を戻す。ニーナは剣帯に下げた二本の錬金鋼を掴み復元する。まだ訓練しようというのだろうか、そう思う。ニーナは左右に鉄鞭を振り回し、叩き下ろし、あるいは横薙ぎにする。(一般人)の視点から見ても鬼気迫る姿だった。私たちは言葉を発することもなく、ただニーナの姿を見つめている。

 

 ただ見つめていた時の事だった。

 

「無茶苦茶だ」

 

 レイフォンが呟く、唐突な発言に私たちは驚いてレイフォンを見る。

 

「……レイとん?」

「え?でも、すごいと思うよ?ねえ……?」

 

 ミィフィが問い、メイシェンと揃ってナルキを見る。ナルキもまた、レイフォンの言葉の意味がわからないらしく、当惑を浮かべていた。私は一度は気づいたのに見惚れてしまった事実に驚く。

 

「なにが問題なんだ?」

 

 ナルキが問い、レイフォンが答え始める。

 

「剄の練り方に問題があるわけじゃない。動きに問題があるわけじゃない……隠れて訓練していることが問題なんじゃない。武芸者はいつだって一人だ。どれだけ足掻いたって強くなるためには自分自身と向かい合うことになるんだ。それは誰にも助けられない、助けてもらうべきことじゃないんだ。だけど……」

 

 レイフォンは首を振って、何か言葉を探し、そして続ける。

 

「がむしゃらすぎる……このままじゃあ、体を壊すよ」

「それは、そうだな……」

 

 はっと気づいた顔でナルキが頷く、学校に行き授業と武芸科での訓練、さらに放課後に小隊の訓練、訓練後に個人訓練、学校が終われば機関掃除があり、その後にさらに個人訓練、一体いつ眠っているのか?体を休めているのか?この様子では機関掃除のない日は、その時間を個人訓練に当てていそうだ。

 

「どうして止まれないのかしら?体を壊すぐらい分かっているでしょうに……」

「それは……」

 

 私の再びの問いにレイフォンが答えづらそうに言葉をつまらせる。

 

「……あたしは何となく分かるな、この間、手伝ってもらって思った。レイとんは強すぎるんだ。だから、肩を並べて戦うなんて、あたしなんかには到底むりだと感じたな、感じさせられたというか、それ以外にどう思えというぐらいだ。刷り込まれたって言ってもいい。そのことを寂しく感じたし、悔しくも感じたし……正直、嫉妬もした。その力に頼ってしまうことしかできないのは同じ武芸者としては辛いんだと思う。同じ小隊でやらないといけない隊長さんは、あたしなんかよりも強くそう感じたんじゃないかな?」

 

 ナルキが自分の実体験を基にニーナの心境を推察する。

 

「だから一人で強くなろうと?」

「それじゃあ、さらに僕はなにも言えない……」

 

 レイフォンがそう言う。確かにそう言う側面もあるだろう。明確に強い者が弱い者にアドバイスするのは難しいだろう。特にレイフォンのような天才型からすると不可能とすら思えるのではないだろうか。

 

「……どうして?」

 

 それまで黙っていたメイシェンが口を挟む。

 

「え?」

「……隊長さんが強くなりたいのはわかったけど、どうしてレイとんは何もできないの?どうして、レイとんだけで何かしないといけないの?……隊長さんは、勝ちたいから強くなりたいんでしょう?小隊で強くなりたいんでしょう?だったら、レイとんだけでなく、みんなで……」

 

 みんなで強くなればいい。当然のことだ。だが今この瞬間に限って言えばメイシェン以外の誰もそのことに考えが及んでいなかった。目標を見失っていたと言っても良い。

 

「協力?」

 

 レイフォンがメイシェンに確認するように問う。メイシェンは真っ赤になりながら頷く。

 

「協力……か」

「なにか変?」

 

 ミィフィが何がおかしいのか分からないと言った感じで尋ねる。

 

「そうだな、それが普通か……」

 

 ナルキが顎に手をやってしみじみと呟いていた。言われてみれば当然の話しなのだ。ニーナを理解しようとしすぎて、強くなるという武芸者としては当然の目標に目を奪われていたのだ。

 

「そうね、あくまで目的は武芸大会に勝つことなのよね。そのために一緒に強くなればいい」

 

 強くなることも重要な目的なのだろうが、何のために強くなるのか、そこを忘れてはいけなかったのだ。

 

「……それじゃあ、止めに行きましょう」

 

 そう言い、立ち上がる。レイフォンたちが一拍遅れて立ち上がる。そのまま私はニーナの元へと歩を進める。

 

「ニーナ隊長」

「……え?……アニーか?どうしてここに……それにお前ら、レイフォンも?」

「ニーナ隊長、それぐらいにしてください。体を壊しますよ」

 

 尾けられていた事に思い至ったのだろう。顔をしかめるニーナ。

 

「……だが、こうでもしないと追いつけないんだ!」

「ニーナ隊長、あなたの目標はなんですか?レイフォンに勝つことですか?」

 

 私はニーナへと問う。

 

「違う!ツェルニを守ることだ!」

「なら、ここで無理することが、一人で強くなることがツェルニを守ることに繋がるんですか!?」

「それは……守りたいから強くなりたいんだ!」

 

 半ば言い合いのようになってしまった私達にレイフォンが口を挟む。

 

「隊長、僕はその努力が無駄だとは思いません。冷たい言い方かもしれないですけど、死にかけないとわからないこともあると思います。それは誰に助けてもらうこともできないものかと。でもツェルニを守りたいなら……僕達を見捨てないでください、僕達には隊長が必要なんです」

「見捨てなど……」

 

 言いかけて、ニーナは口をつぐんだ。ここ最近の自分の行状を思い出したのだろう。

 

「そうだな……その点については反論のしようもない、な」

「先輩が強くなりたいのには、何一つ反対はしません。僕にできることがあるならします。僕がやった剄息の鍛錬方法を教えるぐらいですが……」

「レイフォン……」

「だから、今は訓練を、活剄を止めてください。それ以上は倒れるだけです」

「……わかった」

 

 レイフォンの言う通りに活剄を止めたのだろう。ニーナが突然バランスを崩し、鉄鞭にもたれかかるように倒れる。

 

「わっ!大丈夫ですか?」

「大丈夫、だ。力がちょっと入らないだけだ」

「……剄息の乱れは認識できましたか?」

 

 レイフォンが語りだす。

 

「ん?」

「剄息です。ずいぶんと苦しかったはずですけど」

「あ、ああ……」

「剄息に乱れが出るということは、それだけ無駄があるってことです。疲れをごまかすために活剄を使っていれば、乱れが出るのは当たり前なんです。普通に運動するときに呼吸を乱してはいけないのと同じです。最初から剄息を使っていれば、剄脈も常にある程度以上の剄を発生させるようになります。剄脈は、肺活量を上げるのとは鍛え方が違います。最終的には活剄や衝剄を使わないままに剄息で日常の生活ができるようになるのが理想です」

「レイフォン……?」

「剄を形にしないままに剄息を続けて普通の生活をするのはけっこう辛いですけど、できるようになったらそれだけで剄の量も、剄に対する感度も上がります。剄を神経と同じように使えるようにもなる。剄息こそ、剄の基本です」

 

 レイフォンが自分の知る強くなるためのコツを話している。それをナルキとニーナはどこか戸惑いながらも聞いている。

 

「剄脈のある人間が武芸で生きようと思ってるのなら、普通の人間と同じ生態活動をしていることに意味はないんです。呼吸の方法が違うんです。呼吸の意味が違うんです。血よりも剄に重きを置いてください。神経の情報よりも剄が伝えてくれるものを信じてください。思考する血袋ではなく、思考する剄という名の気体になってください」

 

 淡々とレイフォンが告げる。ニーナとナルキは黙ったまま、じっとレイフォンの言葉を聞いていた。ここで一旦レイフォンが言葉を切る。そしてメイシェンをちらりと確認し次の言葉を出すべきか躊躇した後、努めて無感情に告げる。

 

「武芸で生きようと思ってるのなら、まず自分が人間であるという考え方を捨ててください。僕が先輩に完全に伝えられるものがあるとすればこれだけです」

 

 レイフォンは言うべきことは言ったとばかりに黙り込んでしまう。

 

「私は武芸者じゃないですけど、17小隊員です。ニーナ隊長が強くなるために手伝いますよ、何ができるのか分からないことも多いですけど、今の話を聞いて思いついたこともありますし、効果的な訓練器具だって作っちゃいます」

「アニー……」

 

 それから身動きもとれない事が判明したニーナを病院に運ぶ。嫌がるニーナを後遺症が残ったらどうするんだと説き伏せて病院で診察してもらう。当直の医師は簡単な診察をするとすぐに看護師たちに誰かを呼ぶように指示する。その間にハーレイに連絡を入れてくるというレイフォンを見送りしばらく待っていると、まず看護師が入ってきてニーナを病院着に着替えさせる。その後叩き起こされて不機嫌そうな新たな医師がやってくる。

 

「剄の専門医よ」

 

 気を利かせてくれたのか看護師が告げる。

 

「「よろしくお願いします」」

 

 私とニーナの声が被る。

 

「三年のニーナ・アントークだよな?」

 

 医者が不機嫌に尋ねてきた。ニーナのはい、という声、私は黙って頷いた。

 

「まさか、武芸科の三年にこんな初歩的な事を言う羽目になるとは思わなかったぞ」

「あの……重症ですか?」

「各種内臓器官の機能低下、栄養失調、重度の筋肉痛……全部まとめてあらゆるものが衰弱している。理由は簡単だ、剄脈の過労」

 

 やはり止めるのが遅すぎたらしい。結構な重症のようだ。医者に促されてうつ伏せに寝かされるニーナ。晒された背中に鍼を埋めていく。その手さばきに遅滞はなく、プロの存在しない学園都市だが信頼できそうだ。鍼を打ちながら医者の説教は続く。

 

「活剄はあらゆる身体機能を強化もするし治癒効果を増進もさせるが、そもそも剄の根本は人間の中にある生命活動の流れそのものだ。武芸者は剄を発生させる独自の器官を持っちゃいるが、その根本まで変わったわけじゃない。いや、武芸者にとっては弱点が増えたも同然だ。心臓と脳みそと同じに、壊れれば死ぬしかない器官だからな」

 

 一本、また一本と鍼は領域を拡大し体の全体に広がっていく。

 

「脳が壊れても植物状態で生きていられることもある。心臓も、処置が早ければ人工心臓に換えられる。だが、こいつだけは代替不可能だ。壊れたら、おしまい。大事にしろって、俺は授業でそう言ったはずなんだけどな」

 

 その時、レイフォンが静かに病室に入ってくる。それを横目で確認した医者は端的に告げる。

 

「気になってるだろうから言っておくが、致命的じゃないから後遺症もなく治る。だが、しばらくは動けないな。次の対抗試合は無理だ」

「そんな!」

 

 私からするとやはりという思いがあるが、ニーナには受け入れがたい事実だったのだろう。ニーナが暴れようとするが医者も予想していたのかあっさりとニーナを押しとどめる。

 

「こら、暴れるな。ん?そっちのルーキーと嬢ちゃんはあまり驚かないな?」

「そっちは、僕にとっては割りとどうでもいいことです」

 

 レイフォンがそう答えるので私も頷いておく。

 

「ふん、17小隊は変わり者だらけって噂は本当だな」

「レイフォン……」

「先輩、今は体を治すことだけを考えてください」

 

 最後の鍼を打ち終わったのだろう。

 鍼は腰を中心に手の甲、足のかかとにまで伸びていた。

 

「後は一時間ほど待って鍼を抜く、それで普通の患者になる。明日からは俺の患者じゃない……寝てしまっていいぞ、むしろ寝てる方が楽でいい」

 

 その言葉を残し、レイフォンの肩をぽんと叩いて医者は出ていく。

 

「レイフォン、私は……」

「隊長、今は休んでください。話は後で」

「分かった。す、まない……」

 

 無理をしていたのだろう。寝るように促すとニーナはあっさりと寝てしまう。先程まで荒かった息もだいぶ落ち着いてきている。そのことに安堵し廊下で待っている三人と合流する。ニーナはレイフォンとハーレイに任せて私たちは一度帰ることになった。病院を出るとそこは薄っすらと明るくなり始めていた。




原作通り過ぎる気もします。
どれくらいからがコピーでアウトになるんでしょうか。


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第五話 前夜

 翌日、というより今日の朝。私は錬金科長に呼び出されていた。ろくに眠っていないので眠い、眠気覚ましに飲んだ濃いコーヒーが効いてくるのはまだ先だろう。

 

 呼び出された先は何時ぞやの会議室だった。室内には前回よりも人が少なく錬金科のみが集められていると分かる。他の錬金科の生徒たちも徹夜続きなのだろう。顔色が悪い人間が多い。ハーレイもその会議に参加していた。ハーレイの横に座ると

 

「さて、全員集まったようだな」

 

 錬金科長がそう言って始める。

 

「昨夜、二度目の探査機が映像を持ち帰った。これがそうだ」

 

 そう言って錬金科長が端末を操作しプロジェクターに映像が映る。その映像にうめき声をあげる生徒たち。そこには見間違えることなく汚染獣がいた。岩山の稜線に張り付くように眠りでもしているのか、背中から生えた翅は折りたたまれ、細長い胴体はとぐろを巻いている。

 

「ツェルニは進路を変更しないのですか?」

 

 生徒の一人が悲鳴じみた声で問う。

 

「ツェルニは進路を変更していない。このままいけば明後日には汚染獣に察知されるだろう」

 

 再びうめき声を上げる生徒たち。予想して準備していたとしても受け入れがたい事実なのだ。

 

「これは事実だ。我々は受け入れて万全の準備しなければならない。レイフォン君には明日出発してもらう予定だ。それまでにできることは全てやりきらなければならない」

 

 錬金科長が訓示する。そして各々の準備状況の説明へと移っていく

 

複合錬金鋼(アダマンダイト)の方は既に完成しています。後は実戦あるのみです。……また、レイフォンからの要望で剄の容量に特化した錬金鋼、聖銀錬金鋼(ミスリルダイト)の開発にも成功しました」

 

 ハーレイが胸を張って自身の成果を報告する。今まで顧みられていなかった観点からの開発とはいえこの短時間で新しい錬金鋼を生み出した努力は素直にすごいと言えるだろう。錬金科長も満足げだ。

 

「都市外装備の改良もどうにか終わりそうです。いえ終わらせます」

「栄養補給ゼリーも準備できています。試食してもらった結果も良好です」

「ランドローラーも準備完了しています」

 

 私とハーレイも含めて準備はだいぶ整ってきているようだった。

 唯一都市外装備だけが少し不安が残るが完成させると断言したからには完成させるのだろう。

 

「都市外装備チームはあと少し頑張って欲しい。他に報告すべきことはないか?」

「えっと、一応爆弾を作ったんですけど持たせても大丈夫でしょうか?」

「……爆弾かね?威力はどれほどなんだ?」

「幼生体なら一撃で吹き飛ぶぐらいです」

「……安全ならレイフォン君に任せる事にしよう。後、そう言った物を作る時は事前に申請を出すように」

「はい……分かりました」

 

 怒られてしまった。だが許可は得た。

 

 そして翌日、ついにレイフォンが出撃することになる。私たちは都市の地下に潜っていた。機関部よりさらに下、都市の脚部と繋がる腰部とも言える場所、その隙間のような空間に私はいた。脚部の修理のような都市外での作業を行う場合にはここから外にでるとの事だった。その場所にレイフォンとかリアン、そして錬金科の生徒、数名がいた。

 

「問題ないです」

 

 レイフォンが何の感情も感じさせない厳しいだがどこか機械的な声で答える。その言葉に都市外装備を担当したチームが安堵に胸を撫で下ろしているのが目に入る。徹夜に徹夜を重ね突貫作業でようやく完成した都市外装備に問題がなかったことに喜んでいるのだ。試作品にはトラブルが付き物だが今回はとりあえず問題なかったようだ。

 

「それは良かった。後は、フェイススコープだが……」

 

 錬金科長がフェイススコープを手渡す。フェイススコープとは汚染物質が吹き荒れる外で視界を確保するための装備だ。念威繰者の念威端子が内蔵されており様々な情報を武芸者に届ける。今回はある意味当然ながらフェリが情報処理を担当する。錬金科長が通信機で専用の部屋を与えられたフェリに連絡を入れる。すると

 

「へえ……」

 

 レイフォンが感嘆したような声を漏らす。私からは何も変わったように見えないがレイフォンの視界にはフェリからの視覚情報が送られてきたのだろう。

 

「完璧です」

 

 フェリからの通信にレイフォンが答えるのが聞こえる。視界が現在位置に移動したのだろう。レイフォンの視線が私達を捉える。それに合わせてハーレイが複合錬金鋼(アダマンダイト)を渡す。

 

「これで、準備は万端ですね」

 

 渡された錬金鋼を剣帯に吊るしながらレイフォンが答える。特に大きい複合錬金鋼を含めて五本(・・)もの錬金鋼を装備しているレイフォンはかなり重そうに見える。複合錬金鋼は複合錬金鋼本体と合成する三本のカートリッジに別けられており、それを合体させる事で本来の形状を取り戻す。問題点は重さが従来の錬金鋼の三倍もあるという点だろう。これはレイフォンいわく問題ないとの事なので、それを信じるしかないのだが。

 

「レイフォン、これも持っていかない?」

 

 そう言いながら私は爆弾――フラム――をレイフォンに見せる。

 

「それは……この前言っていた爆弾?」

「そう、計算上幼生体を一撃で倒せるわ……役に立つと思うのなら持っていって」

「……ありがとう、アニー持っていくよ」

 

 そう言ってレイフォンはフラムの内一個を私から受け取ると錬金鋼とは逆の腰に付ける。

 

「移動にはランドローラーを使ってもらう」

 

 黙ったまま控えていたカリアンが側にあるものを示した。車輪式の移動機械、ランドローラ。荒れ果てた大地を長距離移動することはできないため主流ではなくなった過去の遺物だ。とは言え短距離なら速度など優位性を維持してることもありどの都市にも何台か用意されている。レイフォンがランドローラーに跨り、機関を始動させる。

 

「レイフォン、気をつけてね」

 

 私たちは別室にある制御室に移動する。汚染物質を避けるためだ。そして外部へのゲートが開かれるのが見える。レイフォンが昇降機に乗り込み地面へと向かって下がっていく。それを見送ることしかできない事に歯がゆさを覚える。

 

 レイフォンが完全に見えなくなり、昇降機も元の位置に戻った後も、しばらく私はレイフォンの無事を祈る。そしてそんな感傷を封じ込めて私はニーナの見舞いに行くことにする。

 

「およ、アニーちゃんもニーナの見舞いかい?」

「ええ、シャーニッド先輩とハーレイ先輩もですか?」

「そっ、ん~、それともデートにでも行くかい?」

 

 見舞いに向かうその途中でシャーニッドとハーレイに偶然会う。シャーニッドがいつも通りの軽薄そうに私を誘う。これが本気だったら考えても良いのだが、女性に対する礼儀とでも思っている感じなので適当に受け流す。

 

「もう、シャーニッド先輩ったら……見舞いに行きますよ」

「う~ん、残念、まっ、今回はそれで良いんだけどな」

 

 目的地も一緒ということで一緒に病室へ向かうことになる。

 

「よっ、ニーナ。元気?」

「病人に尋ねる質問ではないと思うが」

「まったくもってその通り」

 

 軽薄な笑いを振りまき、廊下を通りがかった看護師に片目を閉じて見せながらシャーニッドが病室に入っていく。ニーナは読書をしていたようだ。もしかしたら病室でも鍛錬してるかとも思ったのだが、流石に反省したのだろう。

 

「なに読んでんだ?って、教科書かよ、しかも『武芸教本Ⅰ』って……なんでんなもんをいまさら?」

「覚えなおさなくてはいけないことがあったからな」

「はは、ぶっ倒れても真面目だねぇ」

 

 シャーニッドが呆れた様子で肩をすくめる。全くもってその通りだと思う。……だが、周りが全く見えないという状況は脱したらしい。

 

「それよりも、今日は試合だろう?見に行かなくていいのか?」

「気になるんなら、後でディスクを調達してやるよ。こっちはいきなりの休みでデートの予定もなくて暇なんだ……さっきアニーちゃんにも断られたしな」

 

 そう言いながら私に一つウィンクをしてくる。

 

「しっかし、過労でぶっ倒れるとはね。しかも倒れてなお真面目さを崩さんときたもんだ。まったくもって我らが隊長殿には頭が下がる」

「……すまないとは思ってる」

 

 うなだれようとするニーナに、シャーニッドはいやいやと言った。

 

「いまさら反省なんざしてもらおうとは思ってねぇって。そんなもんはもう、散々してるだろうしな。……それにな、今日は別の話があって来たわけ。悪いけど、見舞いは二の次なのよ」

「別の話?」

 

 シャーニッドが錬金鋼を剣帯から抜き出す。その事に驚く、そして理解する。この先輩は気づいているのだ(・・・・・・・・・・・・・)

 

「一度は小隊から追っ払われた俺が言うのもなんなんだけどな……」

 

 手に余るサイズの錬金鋼を両手で器用に回しつつシャーニッドは続ける。

 

「隠し事ってのは誰にでもあるもんだが、どうでもいいと感じる隠し事とそうじゃないってのがあるんだわ。どうでもいい方なら本当にどうでもいいんだが、そうでもない方だと……な」

 

 早業だった。

 

 半ば覚悟して見ていたにも関わらず全く反応できなかった。戦闘状態に復元した二丁の銃の片方を背後にいたハーレイに向けたのだった。私の方にも照準はされていないものの銃が半ば向けられている。

 

「シャーニッド!」

 

 ニーナが叫ぶ。シャーニッドは変わりのない笑みを浮かべている。それが逆に恐ろしい。この人は引き金を引く時も変わらないだろう。

 

「そんなもんを持ってる奴が仲間だと、こっちも満足に動けやしない。背中からやられるんじゃないかと思っちまう。例えば今だと、こいつが暴発するんじゃないか……とかな」

 

 シャーニッドの目が、ハーレイの額に押し付けた錬金鋼に注がれる。

 

「ばかな」

 

 ニーナが吐き捨てる。

 

「ハーレイはわたしの幼馴染だ。こいつがわたしを裏切るようなことをするはずがない」

「俺だってこいつの腕を疑っているわけじゃない。裏切るとか思ってるわけじゃない。だがな、たぶん、仲間はずれなのは俺たちだけなんだぜ」

「なに?」

 

 やはりシャーニッドは気づいている。ハーレイと目が合う。こうなってはもう隠し通すことは無理だろう。というより元から無理だったのだろう。

 

「はぁ、こうなったらしかたないですね……良いですよね、ハーレイ先輩?」

「アニー?……ハーレイ?」

「……ごめん」

「やっぱアニーちゃんも知ってたか……お前がこの間からセコセコと作ってた武器、あれはレイフォン用なんだろ?あんなばかでかい武器、何のために使う?」

 

 ニーナが何か考え込むような仕草を見せる。

 

「ばかっ強いレイフォンにあんな武器を持たせてなにやらかすつもりだ?大体の予想はついてるし、だからこそフェリちゃんもそっち側だって決め付けてんだが、できることならお前の口から言って欲しいよな」

 

 シャーニッドがそう言って促す。どちらが話すかそんな意図を含んだ視線が一瞬交わる。

 

「ごめん……今、レイフォンは汚染獣との戦いに向かっている」

 

 ハーレイが端的に事実だけを告げる。

 

「そん、な……なぜ?いや……」

「やっぱりか」

 

 シャーニッドはそう言うと錬金鋼を基礎状態に戻し、剣帯に戻す。

 

「で、なんで秘密にしてたんだ?」

「それは…………」

「レイフォンが望んだからです」

 

 答えに詰まるハーレイに変わって私が答える。

 

「レイフォンが望んだって……どういう事だ?」

「ハーレイ先輩からは言いづらいでしょうから私から言います。……あなたたちが、いえあなたが弱いからです。ニーナ隊長」

 

 私が断言するとニーナとシャーニッドが唖然とした表情をする。

 

「弱いって……アニーちゃん、言うね」

「物理的にもですが、精神的にもです。ニーナ隊長、もし知っていたらどうしましたか?」

「それは……もちろん一緒に戦ったさ」

 

 想像通りの答えをニーナが返す。

 

「それが間違いなんです。幼生体に苦戦するような武芸者は足手まといでしかないんです。その事実から目を逸したまま戦場に出るのは自殺行為でしかありません」

「それは……そう、なのだろう……だが……だが……」

「ニーナ隊長、あなたは隊長です。隊長ならばまずすべきは何ができて何ができないか知ることです。そこがスタート地点です」

「確かに私にはレイフォンを助ける事はできないのかもしれない、だが、それでも助けに行きたいのだ!」

 

 ニーナが吼える。その意気は良いのだが、ちゃんと現実を見てもらわないといけない。

 

「誰が助けられないといいましたか?単純な戦力として足手まといな事を認める事とレイフォンを助ける事は別の事です。その事を念頭にまずできることから始めてください。それが隊長の責任です」

 

 私は言いたいことを全て言った。後はニーナがどうするか、だ。

 

「足手まといかもしれない。それでも私はレイフォンを放っておけない……」

 

 絞り出すように自らの答えを紡ぐニーナ。

 

「……分かりました。とりあえず生徒会室に行きましょう。何をするにしても許可が必要です」

 

 私がそう言うと何故か驚いたような気配が三人からする。何かおかしな事を言っただろうか?

 生徒会室に向かう途中、ハーレイが懺悔をするように語りだす。

 

「彼なら大丈夫。そう思ってた……新しい錬金鋼の開発に熱中していて考えが足りなかったのは認めるよ。だけど、大丈夫だって思っていたのも本当なんだ……だけど、あの姿を見て、間違っているのかもしれないと思った。レイフォンは、なんだか……とても厳しい顔をしていた。当たり前だよね、そんなことは。汚染獣と戦うんだ、一人で……そんなことは当たり前なんだけど、でも、それだけじゃないような気がした」

 

 生徒会室に入るとそこにはいつものように執務をこなしていたらしいカリアンがいる。そして後ろ暗さのまったくない顔でニーナたちを迎える。

 

「どういうことですか?」

 

 ニーナがカリアンに詰め寄る。

 

「どうもこうもない、戦闘での協力者をレイフォン君自身がいらないと言ったんだよ。私は、彼の言葉を信じた」

「……っく、それで私には知らせなかったのですか?」

「おや……君なら絶対に行こうとすると思ったが、思い違いだったかな」

「いえ……さっきアニーに如何に私が足手まといなのかを説教されました」

「ふむ、冷静な判断ができるのなら話しても良かったかも知れないね。

 ……近づかせるなとも言われたのだよ。そして私はそれを受け入れて君に話さなかった。汚染獣との戦いは相当に危険なのだそうだ。どう危険なのかは武芸者ではない私には理解が及ばないが、安全というものを求めた瞬間に死ぬのだそうだ。そんな戦場に、安全地帯で控えている者なんて必要ないと、彼は言った。汚染獣と都市外で戦う時は、無傷で戻るか、それとも死ぬかのどちらかしかないと、そう思っておいた方がいいと……」

 

 ニーナは息を呑んだ。私も似たような気分だ。厳しい、厳しいと想像していてもいつだって現実は想像を超える。

 

「それでも私はレイフォンを放っておけません」

「ふむ……行ってどうするのだね?君の体調は知っている。知っていなくてもそんな青い顔をしている生徒を危険な場所に行かせようなんて、責任者として許可できるものではないが?」

「あいつは私の部下です」

 

 ニーナは即答する。

 

「そして仲間です。なら、ともに戦うことはできなくとも、迎えに行くぐらいはしてやらなくては……」

「ふむ……いいだろう。ランドローラーの使用許可を出すよ。誘導の方は妹に任せよう」

「その許可、私の分もください」

「アニー!?」

「どうせニーナ隊長は無理をします。一般人がいた方がちょうどいい重しになると思うのですが、許可していただけますね?」

「……いいだろう、ニーナ君の事は任せよう」

 

 そういう事になった。私は初めての戦闘に身震いする。死ぬほど恐ろしい。私は本来行くべきではないのだろう。だが、同時に私が行くべきだろうとも思う。安穏と待っていて誰かの訃報を聞かされるよりは万倍マシだ。

 

 

 

 

 



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第六話 決戦

 荒れ果てて何もない大地、その上を私はランドローバーで疾走していた。放浪バスではまだ隔絶されていた世界が生で感じられる。その圧倒的な「無」の気配に総毛立つ。この場所には死すら感じられない。こんな無の世界にレイフォンは一人で飛び込んでいるのだ。

 

「フェリ先輩、もう戦闘は始まっていますか?」

「先程、始まったところです。忙しいので用がなければ後にしてください」

「分かりました。頼みたいことがあるので時間ができた時に呼びかけてください」

 

 既に戦闘は始まってしまったらしい。ここから戦場までどう急いでも半日、どんな結末であれその頃には戦闘は終わってしまっているのではないだろうか?レイフォンが心配だ。ランドローラーを走らせて早数時間、ようやく待ちに待ったフェリからの連絡が来る。

 

「戦闘が安定してきたので余裕が出てきました……それで何の用ですか?」

「まずは戦況の報告をお願いします」

「戦況はレイフォンが戦闘をコントロールしているように思えます。この調子でいけばいつかは倒せるのではないかと」

 

 この調子で行けばいつかは倒せる。それは決定打が存在しない体力勝負をしているという事だろうか?レイフォンの限界も汚染獣の限界も分からないのでなんとも言えないがとりあえず戦闘をコントロールできているのならレイフォンの邪魔はしないのがベターだろう。

 

「……レイフォンの映像をこちらに映すことはできますか、もちろん戦闘に邪魔にならない範囲でいいので」

「可能です」

「私にも見せて欲しい」

「分かりました……映像を回します」

 

 すると視界が切り替わり空から見た荒野が映し出される。その中心で砂煙を纏いながら地を這う黒い巨大な影が蠢いているのが目に映る。

 

「これが……汚染獣」

 

 足がない蛇のような見た目をしており、周囲の岩山と比べてもなお長大な体躯を誇る。鋭い牙のようなゴツゴツとした殻を持つ。動くだけでそこかしこに削り取られたような痕跡が大地に残る。

 

「レイフォンによると老性一期だそうです」

「っ老性って!?」

「なんだアニー知っているのか?」

「はい、レイフォンが言っていました。一番強い汚染獣だと、正真正銘の化物だと」

「そんな物とレイフォンは一人で……一人で戦っているのか」

 

 その時、視界で何かが動いたのが分かる。レイフォンだ。あまりのサイズ差に点にしか見えないが高速で動き回っているのが目に入る。フェリが気を利かせてくれたのだろう。視界が切り替わりレイフォンの姿を確認できる。あまりの高速移動に付いていくのがやっとだが、身の丈程もある大剣を片手にまるで舞うように戦っている。汚染獣の攻撃はまるで壁が迫ってきているかのようだが、それをするりするりとすり抜けて隙を見つけては斬撃を見舞う。だがその斬撃はあまりにも小さい。圧倒的な体躯の汚染獣からすると小さな切り傷ができた程度でしかないのだ。そんな作業を一体どれほど繰り返したのだろうか?汚染獣の体には無数の斬撃の後が残っている。

 

「フェリ先輩、安全と思われる位置まで誘導よろしくお願いします」

「ちょっと待て!レイフォンを助けに行くんじゃないのか!?」

「その前に状況確認です。危険だと分かっているのに危険の種類すら知ろうとせずに飛び込むのはただの愚か者です」

「それはそうだが、レイフォンが戦っているんだぞ!」

「そうです!だからレイフォンと協力しなくてはいけないんです!そのためにはまずはレイフォンに知らせる必要があります!フェリ先輩、レイフォンに余裕がある時に私達が迎えに来ている事を伝えてください」

「……分かりました。折を見て伝えます」

 

 それからはひたすらレイフォンが戦う姿を見続ける。それはまるで風車に挑むドン・キホーテのような無謀にしか見えないが、レイフォンはその身の限りを尽くしてそれを成立させている。一体いつまでこの綱渡りのような圧倒的な戦いは続くのか、気が気でない。

 

「ニーナ隊長、万全であればあの戦いに参加できましたか?」

「それは…………無理だ。足を引っ張るだけだろう」

「じゃあ、考えてください。何ができるのかを、私も考えますから」

 

 ニーナが悔しそうに自らの無力を認める。私も無力さを噛みしめる。こんな規模の戦いにおいて私が作った爆弾など一体どれほど役に立つだろうか?何の役にも立たないだろう。それでもレイフォンは持っていってくれたのだ。

 

 フェリの案内の元レイフォンのランドローラーがあった場所までたどり着く。ランドローラーは汚染獣に轢き潰されたのか無残な姿を地上に晒していた。戦場は既に移動しておりそれなりに離れている。ここからは砂煙しか見えないが、ここならとりあえず安全だろうという判断だ。

 

「フェリ先輩、伝えてくれましたか?」

「いえ、まだです。見ているなら分かるでしょうが一瞬の油断もできない戦闘中のようなので」

「そうですか、分かりました。私たちはここで作戦を練っています……ニーナ隊長、それで良いですよね?」

「……ああ」

 

 それからニーナとともに作戦を練る。少しでもレイフォンの役に立ちたいからだ。……結局できそうなのは囮になって罠に誘い込む程度の案しかでなかった。それでもやらないよりはマシだという事で罠に適した地形をフェリに探してもらう。

 

「すぐそばにあります。南西に二十キルメルほど行った場所です」

「シャーニッド、運転を頼むぞ」

「了解、隊長」

 

 ランドローラーに乗り込み目的地を目指す。

 その途中の事だった。

 

「!?汚染獣、方向を転換しました!目標、そちらへ向かっています!」

 

 フェリが珍しく焦った口調で告げる。内容は重大だ。汚染獣がこっちに向かっている。安全な距離だと思っていたが汚染獣の探知能力が想像以上だったという事だろう。

 

「レイフォンはどうしましたか!?」

「今そっちに向かっています」

「レイフォンと通信を繋いでください!」

「了解です」

「シャーニッド先輩、罠のポイントまで全速力でお願いします。このまま罠に掛けます」

「アニー、やる気なんだな?」

「はい!やるしかありません」

「分かった。指揮は私が採る、いいな?」

「それは……はい、お任せします」

 

 ニーナが指揮を採ると言い出したのは作戦の囮を自らが務めるということだろう。一瞬その是非について躊躇するが、言っても聞かないだろうし、ニーナがやるというのならそれは任せるべきだろう。何せ隊長なのだ。

 

「レイフォンとの通信を繋ぎます」

「隊長!なんでいるんですか!?」

 

 レイフォンからの怒りがこもった声が聞こえる。

 

「お前を放っておけなかった!お前は私達の仲間だからだ!」

「くっ……逃げてください!」

「聞け!今から汚染獣を罠に誘い込む、お前はその隙をつけ!」

「罠って……何をするつもりですか!?」

「いいか、お前の役目は後二十キルメル分の時間を稼ぐ事とトドメを刺すことだ!」

「ああもう!分かりましたよ!時間を稼げば良いんですね!?」

「そうだ、もたせろよ」

 

 後ろから圧倒的な存在が迫ってくる。突き刺さる視線すら、牙が生えているのかと思うほどに鋭い。あの無数の牙で噛み砕かれるのを想像せずにはいられない。腹を牙が貫き、溢れた内臓が舌の上を転がる様を想像する。想像して、その恐怖に身震いする。レイフォンはこんな恐怖の中戦っていたのだ。

 

「レイフォン!」

「もう無茶苦茶ですよ!」

 

 ランドローラーの上にレイフォンが降り立つ。片手に持っている複合錬金鋼は煙を上げていて限界が近そうだ。もう片方の手に持っている錬金鋼からは糸のような細かな線がかろうじて見える。鋼糸だ。今レイフォンは鋼糸で時間稼ぎをしているのだろう。

 

 辿り着いたのは渓谷だった。かつては緑に埋もれ透き通るような清水が流れていたのかもしれない。しかし、今は乾燥しきって岩ばかりが目立つ。

 辿り着くまでにニーナが作戦を説明した。

 

「奴が追いつくのにどれくらいかかる?」

「三分ほどかと」

 

 念威端子からの返答にニーナは頷いた。

 

「降りるぞ。ランドローラーにこれ以上奥に行かせるのは無理だ。シャーニッド、アニーそのままランドローラーで射撃ポイントへ行け。レイフォン、わたしを運べ」

 

 ニーナには既に作戦に必要な情報が頭に入っているのだろう。その指示は迷いなく、従うのに不安感はない。背後から、岩石を砕く音が迫る。汚染獣はすぐそばまで来ていた。その音から逃れるように私たちはランドローラーを走らせる。目標ポイントにフラムを大量に設置する。その後射撃ポイントに移動する。後は待つだけだ。

 

「囮は、わたしがやる」

 

 通信が繋がったままなのかレイフォンとニーナの会話が聞こえる。

 

「わたし以外に誰がやる?シャーニッドにも仕事がある。アニーは一般人だ。お前には確実にしとめてもらわなければならない。無駄なことまでやっていては、今までと同じじゃないか」

 

 ニーナが平然と言ってのける。

 

「それで、今までやってきました」

「グレンダンには、お前の代わりがたくさんいるのだろう?天剣授受者というのは十二人いるそうじゃないか。なら、少なくともお前の代わりができる人間が十一人いる計算だ。それなら、お前が倒れてもどうにでもできる。だからこそできた戦い方だ。……ツェルニは違う。お前の代わりなんていない。グレンダンとツェルニは違う。グレンダンのやり方とわたしのやり方は違う。お前はわたしの部下だ。わたしは部下を見殺しにするようなことはしない」

「しかし……」

 

 レイフォンが何かを言いかけて止める。

 

「なぁ、レイフォン。私は何も出来ないのはもう嫌なんだ……どうすれば、強くなれる?どうすれば、お前の代わりとは行かないまでも、お前の側で戦う事が出来る?」

「それは……」

「いや、今はいい。お前は、グレンダンでの自分を捨てたいのだろう?」

「……でも、捨てられませんよ」

「捨てればいい」

「え?」

「ツェルニを守りたいと思ってくれる気持ちは、ここに来てから生まれたものなのだろう?なら、それを大切にしてくれ。グレンダンでの戦い方、生き方、考え方……捨ててしまえばいい。その気持のために必要なものだけを残して、後は捨てればいい」

「…………」

「都合がいいと思うか?だが、それがわたしの今の気持ちだ……何度でも言うぞ、わたしは仲間であり部下であるお前を死なせるつもりはない。そのためならなんでもやるぞ」

「わかりました。その命、僕が預かります」

「馬鹿を言うな……わたしは隊長だぞ。お前達の命はわたしが預かるんだ」

 

 このポイントからは全体がよく見える。ニーナが渓谷の中、涸れた川の中に一人残っている。レイフォンは鋼糸を利用してニーナの背後の崖を登っている。準備は揃いつつある。

 

 轟音が近づいてくる。

 汚染獣だ。

 現在の生命体の頂点。

 飢えに任せて突進してくる姿は傷だらけだ。

 レイフォンとの戦いの傷……あのまま戦っていれば勝ったのはどちらだったのだろうか?

 

「これが、あいつの見ていた世界か……」

 

 ニーナの独り言が聞こえる。

 

「だが、これからはお前一人にはやらせないぞ……お前にはわたしがいる。仲間がいる」

 

 シャーニッドが剄弾を打ち出す。汚染獣の生み出す轟音に比べればあまりにもささやかな音だったがそれは大空に長い余韻を残した。渓谷の端で突然、大爆発が起き岩肌が崩れる。シャーニッドの射撃がフラムを起爆したのだ。一撃は岩肌を崩し、連鎖的に岩と土砂が崩れ始める。

 

 いきなりの土砂崩れが、汚染獣に降り注ぐ。新たな轟音が汚染獣を呑み込み、咆哮が天を衝いた。それに合わせて巨大なボロボロの大剣を握りしめてレイフォンが愚直なまでに真っ直ぐに降下していく。そして一撃。

 

 それが終わりだった。

 

 汚染獣の死骸を検分する。改めてその大きさに圧倒される。よくもまぁレイフォンはこんな化物に勝てたものだ。まずは採取用のナイフで鱗を切ろうと試みる。予想以上だ。鱗の表面に傷すら入らない。それならばとレイフォンが切り裂いた部分、柔らかい内部ならどうだろうか?

 

 これもダメ。硬すぎてナイフが弾かれる。頭部に回ってみる。切り裂かれて頭殻からは未だに血が流れている。その血をビンに採取し、折れていた牙を手に取る。採取した物をバッグに入れフェリに話しかける。

 

「フェリ先輩、ちょっといいですか?」

「なんですか、アナスタシアさん」

「この周辺に汚染獣の破片は落ちていませんか?研究素材として持ち帰りたいのですが」

「ちょっと待って下さい……それならまっすぐ5分程行ったところにちょうど良さそうな物があります」

「ありがとうございます」

 

 フェリは丁寧な事に私の視界に周辺のマップと目的地まで出してくれる。目的地まで行くとレイフォンが切断したのだろう手頃な大きさの鱗が落ちている。持ってみると意外と軽い、幼生体の甲殻も意外と軽かったがそれよりも遥かに軽い。これが汚染獣があの体格で空を飛べる秘密なのだろうか?研究のしがいがありそうだ。

 

「ああ……まったくしまんねぇ」

 

 ランドローラーまで戻るとそこではシャーニッドが愚痴をこぼしながらタイヤ交換をしていた。

 

「そう言うな。良くもったと言うべきだろう」

 

 本当にそうだ。逃走中にもしパンクなどしていたら大変なことになるところだったのだ。それを考えれば帰ろうとした時にパンクというのはタイミングが良かったとも言えるだろう。

 

「こういう場合、かっこよく帰還すんのがお決まりだって。こんなシーン映画じゃ見られないぜ」

「映画じゃないからな、人生は。それよりも、早くしないと日暮れまでに帰れんぞ。食糧も底をつく」

「そう思うなら、ちっとは手伝おうって気にはならないもんかね?」

「病人を働かせようとは、お前はひどい男だな」

「へいへい、働きますよ。隊長殿」

「ふふふ、手伝いますよ」

「おおっ!アニーちゃんだけだよ優しいのは。お兄さん、涙が出ちゃうね」

 

 工具を片手にタイヤを交換しているシャーニッドに近寄ると大げさに喜ばれる。

 

「こいつも寝っぱなしだし。……まったく、俺は雑用ばっかりやらされてるよな」

「そう言うな、こいつも疲れているんだ」

 

 レイフォンはサイドカーでじっとしている。眠っているのだ。疲れていたのだろう。戦闘が終わり緊張がほぐれた途端寝てしまったのだ。それも当然だろうあんな化物と一日中一人で戦っていたのだから。心身ともに疲れ切っていることだろう。

 

「休ませてやれ」

「……おやさしい隊長に感謝しろよ、後輩」

「まったくだな」

 

 そう言いながらニーナが笑う。その顔からは以前までの頑なさが少し薄らいでいるように感じられる。きっと今回の件もいい経験になったのだろう。私にとっても普段絶対にできないような貴重な経験だった。そんな感じで最後まで締まらなかったが、とにもかくにも汚染獣との戦いはここに終わったのだった。

 




これにてサイレント・トーク終了です。
結構、難産な最後でしたが、どうでしょうか?
レイフォン視点を入れていないので分かりづらいと思うのですが、ほとんど原作通りなので入れるのもなぁ、と思って入れていません。
次回の投稿は一応5/7を予定しています。
三巻は書くことが少ないのでこれまた難産になりそうな予感です。


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センチメンタル・ヴォイス
日常の傍らで


センチメンタル・ヴォイス開幕です。


「硬球を買いませんか?」

 

 汚染獣との戦いの後、直接汚染獣と戦ったレイフォンはもちろん、過労で入院していたニーナも復帰し、再開された訓練の冒頭での事だった。

 

「硬球?訓練に使うのか?」

「はい、園でやっていた訓練方法なんですけど、硬球をばら撒いてその上で動く練習は活剄の基本能力を高められますし、硬球を打ち合えば反射神経と肉体操作の練度も高まります。より高度な訓練であれば硬球に衝剄を絡め、硬球に絡まった衝剄をまた新たな衝剄で相殺するという訓練もできます」

「ふむ、そんな訓練はしたことないが有用そうだな」

「今は新しい技を覚えるより活剄と衝剄の基本的な能力を向上させ、底上げした方が良いと思うんです」

「……よし、分かった。硬球を購入しよう」

 

 硬球を訓練に導入することが決定した。ならばここからは私の出番だろう。

 

「ちょっと待って下さい。一口に硬球と言ってもどんな物が良いんですか?場合によっては私が専用の硬球を調合しようと思うんですけど」

「えっと、ある程度硬い……当たったら痛いで済むけど踏んでも潰れないくらいの適度な硬さがあって、大きさは10センチぐらいがいいかな?」

「じゃあ、そんな感じで……調達はアニーに任せて良いか?」

「はい、任せてください!……ところで私からもちょっと提案があるんですけど……」

「ん?何だ?言ってみろ」

「はい、これです!」

 

 そう言いながら私は以前レイフォンが言っていた事を参考に作ったアイテムをみんなに見せる。

 

「これは……マスク?」

「はい、そうです。名付けて剄息呼吸法矯正マスクです」

「名前からすると剄息を習慣にするための器具か?」

「そうです。剄息を続けないと呼吸ができなくなる仕組みです」

「ふむ、付けてみても?」

「はい、お願いします」

 

 ニーナが剄息呼吸法矯正マスクを身につける。

 

「コーホー、これは……なかなか辛いな、だがいい感じだ。これを付けて訓練すると良いかもしれない」

「本当ですか!」

「ほら、お前らも付けてみろ」

 

 ニーナがシャーニッドとレイフォンにも勧める。

 

「う~ん、俺様のカッコイイ顔が隠れちまうな」

「……確かに付けっぱなしで生活したら効果ありそうですね」

 

 シャーニッドには不評のようだ。とは言え彼の言うことも一理ある。作っておいてなんだが、こんな不審者じみた格好で日常生活は厳しいだろう。ということは使えるのは訓練の間だけという事になる。それでは効果は限定的だろう。残念ながら半ば失敗作のようだ。けっこう自信があっただけに残念だ。

 

 その次の週末、対抗試合も早5戦目、強豪と噂の第5小隊との試合が始まった。チームワークの差で順当に力負けした2戦目、不戦敗に終わった3戦目、それらが終わった後、ニーナが倒れてからの第17小隊は強くなったように思う。

 

 個々の実力が極端に向上した、という訳ではない。ようやくチームとしての形ができてきたとでも言うべきだろう。

 

 単純に個人最強のレイフォンを正面からぶつけ戦力差を潰し、その対応に手間取っている内にニーナが本陣を強襲、さらに銃を使った格闘術――銃衝術――もこなせることが発覚したシャーニッドが後方を撹乱する。人数差という明確な弱点とレイフォンという特出した戦力を有する利点を活かした良い作戦だろう。

 

「いやぁ、第17小隊、調子いいね」

 

 ミィフィが試合を見ながら言う。

 

「そうだな、今回も見事に作戦通りに行ってるな」

「そうね、だいぶチームとしてのまとまりが良くなったわよね」

 

 今回も第5小隊は小隊長ゴルネオ・ルッケンスとその相棒シャンテ・ライテという攻撃と指揮の要をレイフォンの相手に投じており、17小隊の目論見通りに事は運んでいると言っていいだろう。

 

 比較的少人数という第17小隊と同じ弱点を抱えている第5小隊も無策という訳ではないのだろう。だが人数差がなく単純な実力でも劣っていると見える第5小隊の隊員ではニーナとシャーニッド相手に時間稼ぎするのが精一杯と見える。

 

 本来であれば攻撃の要であるゴルネオがシャンテとの連携で相手を叩き潰し、即座に救援に入れるのであろうが、残念ながら相手はレイフォン、学園都市にいるはずのない超一流の武芸者である。全力は出していないようだとは言え学生武芸者にはあまりにも荷が重い。

 

「そう言えば知ってる?第5小隊のゴルネオ隊長なんだけどさ、グレンダン出身なんだって!」

「へぇ、それは知らなかったな……それは……大丈夫なのか?」

 

 ナルキが思わずミィフィの方を見て尋ねる。私もナルキと同意見だ。グレンダン出身ということは天剣授受者であったことを知っている可能性が高い、ということだ。

 

「……どうしようもないでしょ、それとも脅しちゃう?」

「バカな、そんな事はしないぞ」

「でもそれぐらいしか方法はないでしょ」

「まぁ、今のところ噂になってる様子はないんだし静観するしかないんじゃない?」

「それは……そう、だな」

 

 結局試合は、レイフォンが何人にも分身(!)してゴルネオとシャンテを圧倒し、ほぼ同時にシャーニッドがニーナの動きに一瞬気を取られた相手の隙を突いてフラッグを狙撃、破壊する事に成功し第17小隊の勝利となるのだった。

 

 控室にお祝いに行くと以前までとは全く違う明るい空気が満ちていた。

 

「今日も俺様はイケてたね」

 

 シャーニッドが絶好調に言い放ち、二本の錬金鋼をクルクルと回している。確かに今日の殊勲はシャーニッドだろう。まず相手との狙撃戦を制し、その後に狙撃手にも関わらず接近戦で小隊員の相手にしながらフラッグを撃ち抜くという大戦果を挙げたのだから。

 

「確かにシャーニッド先輩は大活躍でしたね」

「そうだろ、アニーちゃん」

「うん、ここまでうまくいくとは思わなかったよ。ニーナの作戦勝ちだね」

「おいおい、俺がいたからっていうのを忘れてもらっちゃ困るよ、ハーレイ」

「それはもちろん」

 

 ハーレイが肩をすくめながら、シャーニッドに相槌を入れる。そしてシャーニッドから錬金鋼を受け取るとチェックを開始する。

 

「実際、ここ二戦は隊長の作戦がすごくうまくいっていると思いますよ?」

 

 黙って腰掛けに座っていたレイフォンが言う。

 

「みなの能力があればこそだ」

 

 苦笑するニーナの表情もまんざらではなさそうだ。

 

「シャーニッドが銃衝術をいままで隠していたから効果があったな。……だが、さすがにこの二戦でうちの戦力分析は完了しただろう。当たってない小隊には武芸長の第一小隊もある。気が抜けないのは変わらない」

「おいおい、せっかく気分良いんだから、ここで水差すのはなしにしようぜ」

「しかし……な」

「今日はパーッといこうぜ、考えるのは明日からでも問題なしだ」

 

 何か言いたげなニーナだが、シャーニッドの言葉でそれを飲み込んだのが分かる。

 

「まぁ、それもいいか」

「よし、じゃあ、かたっくるしい話はここまでってことで、祝勝会やろうぜ。店はいつものミュールの店な。予約はおれがしといてやるから六時に集合ってことで。んじゃ、解散」

「おい、勝手に決めるな」

 

 言いたいことだけ言うとさっさとシャワールームに向かっていくシャーニッドに、ニーナは呆れたため息を零した。

 

「仕方ない、解散だ」

 

 学園都市ツェルニには商店の集まる通りがいくつかある。中でも一番栄えているのは放浪バスの停留所があり、放浪バスに乗ってやってくる都市の外の人間が止まる宿泊施設もあるサーナキー通りだ。そのサーナキー通りにあるミュールの店に私たちはいた。

 

 半地下の、カウンターとわずかばかりのテーブルしかない店では普段はアルコールが振る舞われるのだが、今夜ばかりはそれらの瓶のほとんどはカウンターの奥で留守番をさせられ、普段はつまみ程度の軽いものしか並ばないテーブルでは大皿にここぞとばかりの大量の料理が盛り付けられていた。

 

 その中には私が錬金術で作ったパイも並んでいた。最初は恐る恐ると言った感じでなかなか手が出なかったパイも場が盛り上がるに連れ気にする人は少なくなっていた。

 

「三番っ!ミィフィっ!歌います!」

 

 マイクを握り締め、ミィフィのハイテンションな声がハウリングとともに店内に響いた。ミィフィは一度マイクを持つとなかなか手放さないのだ。一緒にカラオケに行ってもなかなか帰ろうとしない。フリータイムギリギリまで歌うなんてこともザラだ。おかげで喉が鍛えられてしまった。

 

「幼生体との戦いの時、一緒に戦っていたのは署の先輩なのか?」

「はい、そうです」

「そうか、なかなかいい連携だったのは普段からの成果なのかな?」

 

 ニーナはナルキにあれこれと聞いている。それに困惑しながらも答えるナルキ。先程まではレイフォンがその役だったのだが、既に逃げ出して少し離れたバーカウンターに居る。ニーナはナルキに興味があるようだ。もしかしたらナルキを小隊に入れたいのかも知れない。身内びいきになるがナルキもそれなりに強いのだ。もっともナルキは武芸大会自体に忌避感があるから参加したがらないだろうが。

 

 その状況から逃げ出したかったのだろう。そろそろ遅い時間になるからとメイシェンを連れて祝勝会を去ることにしたようだ。ちょうど良いので私も帰ることにする。……このままいくと次の生贄は私になりそうだというのもあるが。

 

「あ、課長」

 

 ナルキがいつの間に居たのだろうか?レイフォンと話している上級生を見つける。ナルキの言葉からすると都市警察の上司なのだろう。入学の年齢制限が16歳のツェルニだからそう歳は離れていないはずだがどう見ても30代に見える。

 

「おう」

「なにか事件ですか?」

 

 勢い込んでナルキがそう尋ねる。

 

「やれやれ、俺はどれだけ仕事一辺倒な人間なんだ?これでも一応は学生なんだがな」

「課長がそれを言っても説得力はありませんよ」

「仕事馬鹿なのはお前の方だな」

「まだまだ課長には負けますから。勝ちますけどね、そのうち」

「やめとけ、貴重な学生生活を無駄にするぞ」

「どう楽しむかはあたしの自由ですよ」

 

 ナルキと課長の間柄は良好らしい。流れる雰囲気が気安い。それを確認できたことは喜ばしいことだ。どんな仕事であれ人間関係が良好であることは素晴らしいことだ。その絶妙な連携をレイフォンとメイシェンが視線を交わして笑いあっている。

 

「……もう帰るね」

「そうなんだ。送ろうか?」

「ううん、ナッキがいるから」

「そっか。……たしかに、大丈夫だね」

「うん」

 

 メイシェンもだいぶレイフォンに慣れてきたように思う。もうちょっと積極的になっても良いと思うのだが、それは高望みしすぎなのだろうか?今も送ってくれると言ってるのだから素直に送られれば良いのだ。

 

「あら、じゃあ送ってもらおうかしら?」

「アニー?……あっ!そっか、アトリエに住んでるんだよね……分かった、送るよ」

「ふふ、冗談よ、私よりもミィの事をお願いしても良いかな?」

 

 そこでレイフォンは初めてミィフィが居ないことに気づいたのだろう。視線が彷徨い、店の奥で歌の本を読み漁っているミィフィを見つける。

 

「……ミィは、歌い出すと止まらないから」

「じゃあ、ミィは僕が送るよ」

 

 困った顔のメイシェンにレイフォンがそう言ったところで、掛け合いを終わらせたナルキがレイフォンに話を振る。

 

「あたしたちは帰る。レイとん、明日は頼むぞ」

 

 ナルキの言っている明日というのはメイシェンとレイフォンの初デートの事である。もっともレイフォンはこれがデートだと理解していない節があるのだが。とりあえず今は実績を積み上げる時期なのだろう。もう少ししたらデートをしてるのだとちょっとづつ意識させてやろうと思う。

 

「ああ、うん。でも本当にいいのかい?なんなら日を変えるけど?」

「気にするな、邪魔するタイミングは心得ているから」

「ナッキ!」

 

 メイシェンが悲鳴をあげ、快活に笑うナルキを引っ張るようにしながら店を出て行く。

 

「それじゃあね、レイとん。明日はメイっちをよろしく」

 

 それだけ言うと私もメイシェンたちを追いかける。

 

 翌日、メイシェンとレイフォンのデートの日、私はレイフォン達を尾けようとするミィフィを阻止しながらミィフィの記者の仕事に付き合っていた。

 

「むう、今からでも行かない?きっとわたしおすすめの店でご飯食べてるとこだよ、きっと」

「行かない。そんなことしたらレイとんに気づかれてデートが終わっちゃうでしょ」

「それは……そうなんだけど、気になるじゃない!」

「気になるけど、ここはメイっちを信じて待ちましょう。……それより仕事は良いの?」

「ううっ、そうだね……仕事しよう」

 

 ようやくミィフィがレイフォンたちの事を諦める。このやり取りも何回目か分からないから、きっとまたやるのだろうと思うと少しゲンナリとする。

 

「今日の仕事はアニーにも関係あるんだよ」

「確か武芸大会についてのインタビューだったかしら」

「そう!題してなぜ武芸大会に負けたのか!?その真相!!だよ」

「今回は武芸長にも話を聞くんだよね」

「そうそう分かってるじゃない!」

 

 気を取り直したのかミィフィが嬉しそうにターンをする。それにしてもこんなタイトルでよくアポイントメントが取れたものだ。

 

「じゃあ、早速聞きに行きましょう?アポイントは取ってあるのでしょ」

「もっちろん!試合の合間ならいつでも良いって言われてるわ」

 

 ヴァンゼ武芸長にインタビューすべく野戦グラウンドの小隊員用の観戦ブースの一つを訪ねる。今日は対抗試合が行われている。ヴァンゼ武芸長が戦力査定のために毎週欠かさず対抗試合を観ていることはその筋では有名らしく、今回のインタビューも試合の合間ならという事でOKが出たそうだ。

 

「こんにちは~、『週刊ルックン』の取材できました。一般教養科一年のミィフィ・ロッテンとその連れで~す」

「ん?ああ、取材だな、聞いている……ん?、確かお前は第17小隊の錬金術師だったな……カリアンが無理矢理引っ張ってきた」

「あはは、まぁちょっと強引でしたけど、別に意に沿わない選択という訳ではないので」

「そうか、それなら良いのだが。それで何について聞きたいんだ?」

「はい、前回の武芸大会についてお聞きしたいのですが」

「武芸大会か」

 

 そう顔をしかめながら言う。普通の人だとここで怯えてしまいそうだが、ミィフィに付き合って散々取材してきた私から見れば単に話しづらい事だと思っている程度だと分かる。

 

「二戦戦って一戦目はこちらがどう動いてもそれ以上に相手の対応が早く尽く攻め手を潰されて押し切られてしまったというのと二戦目は順調に攻め込んでいるように思えたのだが崩しきれずにいつの間にか潜入された部隊にフラッグを取られたという話は聞いたのですが」

「む、よく知ってるじゃないか……それだけ知ってるとなると俺から言えることはあまりないな」

「ズバリ!敗因はなんだと思いますか?」

 

 ミィフィがそう思いっきり切り込む。毎度思うがすごい度胸だと思う。

 

「そうだな……一戦目は全体訓練の練度が足りなかったというのは言えるな。相手よりも指揮に対する反応が鈍かった。というより相手が徹底してその訓練をした結果のように俺には思えたな。まるで一つの生物のように動いていたからな。よほど訓練したのだろう。……もちろん対策として全体訓練を多く取り入れたりより効率的な部隊配置と言った研究も行っている」

「なるほど、対策はできている、と」

「ああ、完璧ではないにしろできる手は打っている。……それで二戦目は、そうだな一戦目の敗戦が原因だろうな、一戦目の失敗を恐れるあまり正面戦力を集中させすぎた、そこに優秀な念威繰者が居たのだろうな見事に潜入されて対応しきれずに負けた」

「念威繰者の差で負けた、と」

「そう言ってはなんだが、そうだ。こちらの念威繰者が気づいた時には既にレッドライン間際だった。そこから戦力をかき集めたのだが間に合うはずもなく、な」

「こちらの方の対策は何か手を打っているのですか?」

「もちろん打っている。念威繰者の警戒ネットワークを前回の失敗を元に強化している。とは言えそうすると前線に命令を届ける念威繰者が足りなくなるから痛し痒しといった所なのだがな。重要なのは相手の意図をいち早く見抜き、それに対処することだ。」

 

 念威繰者の不足、これは如何ともしがたいだろう。この点に関してであれば私が手伝うこともできそうだ。だが私にはもっと根本的な問題があるように思える。戦術家の不在だ。私には順当に戦って力負けしたと言っているようにしか思えないのだ。武芸大会に必要なのは個人技ではない全体を活かす戦術だと思うのだが、そう言った人材を探している様子がないように思える。対抗試合も所詮小隊規模の戦闘で、全体を動かす才能とはまた別なように私には思える。

 

「あの、差し出がましいようですが、戦術家を探す取り組みはされていないのでしょうか?」

「それは、対抗試合以外で、という事か?」

「はい、そうです。全体を指揮する才能と小隊を指揮する才能は別物だと思うのですが……」

「それは……そうだな、そう言った取り組みも行う価値があるだろう。……良いだろう検討しておく」

「……ありがとうございます」

 

 それからさらに二、三質問をし回答を得るとそこで時間切れとなる。次の試合が始まったのだ。

 

「すまん、試合が始まったから今日はこれくらいにしてくれ、もし何か聞きたいことがあればマネージャーに聞いて欲しい」

「はい、今日はありがとうございました」

「ありがとうございました」

 

 その日はメイシェンからデートの結果を聞くべくメイシェンたちのマンションに泊まり込んだ。

 

「……でね、お昼はミィのおすすめのパスタを食べてね……」

 

 メイシェンがデートについて嬉しそうに報告する。その様から特に問題なくデートは進んだらしいことがわかり、私も嬉しくなる。後の問題はレイフォンにどうやってメイシェンの事を意識させるか、だ。あの鈍感なレイフォンにはっきりと意識させるには何かしらのきっかけが必要だと思うのだ。

 

 翌日の朝、ニーナから第17小隊に呼び出しがかかった。

 

「急に呼び出してすまない。だが、緊急事態だ」

「また、汚染獣なんて言わねえよな?」

 

 シャーニッドがそれはないだろと軽口を叩く。

 

「ああ、今回は汚染獣じゃない……はずだ。汚染獣に襲われたと思われる都市の探索を行う」

「都市、ですか?近くに居るんですか?」

「ああそうだ。どうもツェルニの鉱山に寄ろうとした結果、近づいてしまったらしい。飢えは都市をも狂わせるということだな」

 

 汚染獣に襲われたと思しき都市がツェルニ保有する鉱山のすぐ側にいるらしい。これから採掘のために近寄ることになるだろうからその前に、生存者の確認や汚染獣が潜んでいないかの確認のために私達が派遣されるということだろう。

 

「その都市に何らかの危険がないかどうかを確認するのが私達の任務だ」

「なるほど、その探索に同行することはできますか?」

「ダメだ。危険がないとも言えないし、第一都市外装備が足りない。……今回の探索は第5小隊との共同任務にになるのだが、私達の小隊が選ばれた理由が都市外装備が足りないから、だ」

 

 ちらりとレイフォンを見ながら言う。なるほど、都市外装備が足りない以外にもレイフォンが居るからというのが我が隊が選ばれた理由らしい。それにしても付いて行けないのは残念だ。足手まといになるのは分かっているからダメで元々だったのだが、未知の材料や技術を調べる良い機会だと思ったのだが。

 

「安全が確保されれば正式な調査隊が組まれるはずだ。行きたいのであればそちらに参加すると良い」

 

 確かに安全が確認されてからでも良いだろう。それよりも今気になるのは第5小隊との共同任務になるということだ。

 

「あの、第5小隊と共同任務になるというのは決定ですか?」

「決定だ。……何か不安材料があるのか?」

「……ゴルネオ隊長なんですけど、グレンダン出身なんだそうです」

「それは……知らなかったな。レイフォン覚えはあるか?」

「……直接は知らないのですが、ルッケンスという家名と流派は覚えています。格闘戦主体の流派で天剣授受者を擁しています。おそらくそこの出かと」

 

 そんな良いところのお坊ちゃんがなぜツェルニまで来ているのだろうか?そこにも何か深い理由がありそうだ。

 

「それは……大丈夫なのか?」

「分かりません。でも逃げ出せないんだから覚悟を決めておくぐらいしかできることはないかと」

 

 そんな不安を残したままレイフォンたちはすぐさま出発していった。私は見送ることしかできない事に歯噛みをしながらも無事を祈る。

 

 それから三日後、レイフォン達が帰還した。

 

 廃都市で一体何があったのか知らないがレイフォンとニーナだけボロボロになって、だ。シャーニッドとフェリは僅かに汚れているだけなのに対してレイフォンだけが胸の部分を補修したような大きな跡がある。あの大きさからするとそれなりに怪我をしたのではないかと思う。

 

「レイフォン!どうしたの?怪我してるんじゃない?」

「大丈夫、ちょっと……建物の崩壊に巻き込まれただけだから」

「それは大丈夫って言わないわ、頭打ったりしてない?」

「う~ん、大丈夫だと思うけど……」

 

 そんな事を言って本当は重症なんじゃないかとも思うが、ニーナ達も慌てている様子がないことにようやく安堵する。それにしてもレイフォンの人生は荒れていないとすまないのだろうか?

 

「とりあえず無事に生きて帰ってくれて良かったわ。さっ、病院に行くわよ」

「そうだな……レイフォンは病院に行ってくると良い。私は生徒会長に報告をしてくる」

 

 そう言うとニーナは生徒会棟へ向かって歩いて行く。私はレイフォンを病院に連れて行くのだった。病院でレイフォンが汚染物質に曝露したことが分かる。やはりという思いだった。きっと何かあったのだ。

 

「それでレイとん、ホントのところ何があったの?」

「えっ?」

「だって建物が崩れた程度で怪我しないでしょ?」

「それは……うん」

 

 そこからレイフォンがポツリポツリと話し出す。

 

「ゴルネオ隊長がグレンダン出身だって言うのはアニーが教えてくれたよね。……やっぱり彼は僕の事を知っていたんだ。でも、それだけじゃない。ガハルド――僕を脅迫してきた武芸者――の弟弟子だったんだ。ガハルドを再起不能にしたことを許せなくて……それに共感したシャンテが襲ってきたんだ」

「それでどうなったの?」

「シャンテが無茶して機関部が爆発しちゃったんだ。この傷はその時に……それで、ゴルネオと二人っきりになってガハルドを忘れていないかって言われた」

 

 どれだけ振り払おうと過去は既に確定している。それを消すことはできない。ならば問題はこの先どう生きていくかだろう。だから私は

 

「レイフォン、ちゃんと謝った?」

「えっ?」

「言ったでしょ、あなたがそのガハルドとか言う人を殺そうとしたのは悪いことだって、悪いことをしたならまずは謝らないと」

「それは……そう、だね」

 

 レイフォンが納得いかなそうな顔をしている。理屈は分かっても実感が伴わないのだろう。というか襲われたのに謝れと言われても納得ができないのは当然なのかも知れない。

 

「あなたにとって悪でしかなくともその人にも家族や友達がいるのよ。そういう人たちから見たらあなたが悪なの。その事を忘れちゃダメよ」

「それは……うん、ごめんなさい」

「私に謝っても仕方ないわ、許してもらえなくてもゴルネオさんに一度謝っておくべきだと私は思うわ」

 

 此処から先はレイフォンの問題だろう。私にできることは一緒に悩んでアドバイスすることだけ、それをどう判断し、どう行動するかはレイフォンが決めることだ。

 幸いなことにレイフォンの怪我は大したことなく、ゴルネオとシャンテも多少怪我したにせよ生きている。それならばいくらでもやり直しが効くだろう。少なくともそう信じることは自由だと思う。

 

 




アニーは戦闘員ではないので廃都市に行きませんでした。
これにてセンチメンタル・ヴォイス終了です。
次回は完全に未定です。


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コンフィデンシャル・コール
前編


コンフィデンシャル・コール開幕です。
後編は明日投稿します。


 レイフォン達が廃都市の探索から戻って数日後、ツェルニはセルニウム鉱山に到着していた。これから一週間採掘作業のため学園は休講になるという話だ。そして私は廃都市にやって来ていた。休講期間中に有志による廃都市調査チームが組まれ、私もそれに参加したのだ。

 

 今回の調査の目的は主に三つ、資源の回収とデータ類の回収だ。そして、レイフォンが遭遇したという謎の生物の調査だ。実は第十七小隊と第五小隊の合同調査中にレイフォンが謎の生物に遭遇しているのだ。正体は一切不明、この存在があるために今回の調査も見送られそうになったのだが、存在するかどうか怪しいという理由で賛成派が押し切ったという経緯がある。そのため調査の優先度は低く、遭遇したら逃げて報告する程度しか決められていない。

 

 また、ニーナが言うには電子精霊の可能性があるのではないかという事だった。そして電子精霊ならば悪いことをすることはないだろうというのも判断の根拠の一つとなった。レイフォンが感じた脅威というのはあまり重要視されなかったらしい。

 

 データの回収班は主に図書館と研究所、そして政府の調査を行う。そう言った重要施設からデータを吸い出し、ツェルニの役に立つものをサルベージするのが目的だ。私も所属する事になる資源回収班は資材倉庫を回り、主に金属資源の回収を行う予定になっている。私と極少人数だけは動植物の回収も行うことになっている。

 

 移動には放浪バスが用いられた。都市には万が一に備えて放浪バスも何台か準備されているのだ。このバス一杯に有用な物を回収するのが今回の目標だ。

 

「無残ね……」

 

 事前に写真でも確認していたが、実際に目にするとやはり違う。私の目の前には折れた脚の断面が無残にも晒されており、そこが有機プレートの自然修復によって苔と蔓に覆われている。

 

 放浪バスを係留するための係留索は完全に破壊されている事が事前の調査で分かっているため、工業科が突貫作業で作り上げた昇降機をまずは設置する作業から始まる。

 

 護衛として同行している武芸科の生徒がワイヤーで都市外縁部まで上がり、昇降機を上げるためのワイヤーを固定する。そして昇降機を外縁部まで持ち上げて仮固定する。そこまで準備ができてから工業科の生徒が昇降機で登り始める。私たちは工業科の生徒が固定作業を終えてから登ることになる。

 

 機関の一部が爆発してしまったっているが辛うじてエアフィルターが稼働しているのを確認する。だがヘルメットは脱がない。いつ機関が停止するかも分からない中迂闊な事はできないからだ。

 

 そこからは事前に決められた幾つかの班に別れ行動を開始する。私たちの班はまず都市の地下を目指すことになる。ロックされている外部ゲートを開放するのが最初の目標なのだ。外部ゲートが使えるか使えないかで持ち帰れる資源の量や作業効率が全然違うのだ。私にはあまり用のない場所なのだが、班行動である以上、あまり勝手なことはできない。

 

 まずは地下への入り口を探す。こういったゲートは都市中にあるのだが、その多くは避難場所であり、外部ゲートに直結しているものは少ない。地下を繋いでいる通路もあるのだが、地下は半ば迷宮のようになっているため迂闊に入ることはできない。幸い第十七小隊の努力(フェリ先輩の念威の力とも言う)の結果、簡単な地図はできているため迷うことはない。

 

 無事、外部ゲートまで辿り着くとまずは制御室を確認する。この辺りの構造はツェルニと大きな違いはない。幸い外部ゲートにも電力は来ており、制御室から外部ゲートのロックを解除する。これで放浪バスとの行き来が楽になった。その事を帯同している念威繰者を通じて全体にアナウンスする。

 

 ようやく本番だ。まず目指すべきは農協の施設だ。いくらなんでも農場区画の全てを回ることは物理的にできない。そこである程度当たりをつけるために農協にある情報が必要なのだ。

 

 ここもツェルニと同じような配置になっている事を信じて農場区画の中心にある建物を目指す。残念ながらここからは念威繰者の支援は受けられない。調査の優先度が低いからだ。おそらく農協であろう建物を目指して歩く。その間にも何か有益な物がないか目を凝らしておく。

 

「あっ!黄金リンゴだ。すみませんちょっと採取していっていいですか?」

 

 その甲斐あって黄金リンゴを見つけることに成功する。黄金リンゴは錬金術でかなり重宝する素材だ。ヨルテムでは生産してもらっていたのだが、ツェルニでは生産していない。申請はしていたのだが、遺伝子のデータが高く予算の都合で却下されていたのだ。ここで黄金リンゴの種を手に入れることができれば育てることも可能だろう。

 

 農協につくと早速、調査を開始する。どんな物をどこに植えているのか、どんな工夫が凝らされているのか、そう言った情報を集めていく。特に生産技術の情報は重要だ。生産マニュアルのようなデータは外部に出づらいためどうしても入手しにくいのだ。

 

「何か妙な感じね……」

 

 データをまとめているとどうにもおかしな感じがする。だが、なにがおかしいのか分からない。しばらく考えた後

 

「まぁ、分からないものは仕方ないわね」

 

 そうしたデータを一通り洗った後、私は実験農場へやってきていた。ここでは量産する前の植物のデータ取りや、新種の植物の開発などが行われているところだ。

 

「これは……トーンみたいだけど何か変異しているわね、何かに使えるかも知れないし、これも採取しておこうかしら」

 

 変異トーンのような通常の栽培ではできない物も回収していく。やはり実物こそが最大のデータなのだ。一通り採取が終わった頃には日は傾き始めバッグはパンパンになっており、これ以上持ち帰ることはできそうになかった。ちょうど念威繰者から集合の連絡が来たので採取したものを持って集合場所へと急ぐ。

 

 集合場所は外縁部付近にある無事だったホテルだ。工業科の生徒がベースキャンプとして整備してくれたようで、電気も使えるとの事だった。私は割り当てられた一室に荷物を置くと、夕食の準備を手伝いに向かう。今回はそれなりに大規模な派遣とあって食材を持ち込んできたのだ。

 

 そして、夕食もつつがなく終わり、夜。私は何かに誘われるようにホテルを抜け出していた。意識の奥で何かが訴えかけている。そんな謎の焦燥感とでも呼べるものに従って私は歩いていた。

 

 ハッとして、振り返る。

 

 そこには黄金に光り輝く牡山羊が居た。これがレイフォンの言っていた謎の生物だろう。その確信がある。

 

《お前は……母の母の系譜の物、か?》

「あなたが呼んだの?」

《……どちらにせよ力なき者に用はない》

 

 低い声が一方的に告げる。会話するつもりはないようだ。だが、敵意も感じないし、レイフォンが言うような危険な物とも思えない。ただその澄んだ青く輝く瞳が印象的だ。そして胸の内から悲しみが溢れてくる。

 

《伝えよ、我が身はすでにして朽ち果て、もはやその用を為さず。魂である我は狂おしき憎悪によって変革し炎とならん。新たなる我は新たなる用を為さしめんがための主を求める。炎を望むものよ来たれ。炎を望む者を差し向けよ。我が魂を所有するに値する者よ出でよ。さすれば我、イグナシスの塵を払う剣となりて、主が敵の悉くを灰に変えん》

 

 それだけ告げると牡山羊はゆっくりと背を向ける。

 

「待って!あなたはこの都市の電子精霊なの!?」

 

 そして黄金の牡山羊は何の痕跡も残さず消え去る。胸の奥に感じた悲しさと焦燥感は強くなる一方だが、その方向性を失い霧散する。一人取り残された私は暫くの間呆然と立ち尽くすのだった。

 

 その後は何事もなくホテルへと戻る。結局あの獣について報告することはしなかった。探しても無意味だという謎の確信があったからだ。あれは悲しい物であっても人に直接害を為す類のものではない。

 

 そして胸の奥に重い物を感じながらもそれを振り払うように採取を進める。二日目は主に動物について採取をしていく、あいにくと水槽や檻は用意していないため屠殺して素材として持って帰る事になる。無心で作業をしているといつの間にかバッグ一杯まで素材が集まっている。

 

 二日に及ぶ調査も終了し、放浪バスに採取した資源を持ち込む。行きはガランとしたバスの内部も帰りは狭くてしょうがない状態だった。無事に探索を終えた事を喜んでいる他の生徒の中、私だけが取り残されたような状況だった。周りのハイテンションに乗れないままバスは進んでいくのだった。

 

 翌日、どうにか気を取り直して、休講中の課題をメイシェン達とこなすために図書館に向かう。

 

「おはよう」

「あ、アニーおはよ!」

「おはよう、廃都市調査は大丈夫だったか?」

「……ええ、大成果だったわ……それよりもそのバッヂ、どうしたの?」

 

 廃都市の調査に行って帰ってきたらなぜかナルキが第十七小隊のバッヂを付けているのだ。気にならないわけがない。

 

「ああ、これは……色々あってな」

 

 ナルキが口を濁す。どうやら自ら進んで小隊員になったという訳ではないようだ。ナルキは戦争の意味を、人同士で争う意味を悩んでいたのだ。その事を考えると武芸大会と言葉を替えたとしてもナルキが小隊に入りたがるとは思えない。きっと何か理由があるのだろう。

 

 そこにレイフォンがやってくる。するとナルキがレイフォンをロックオンしたのを感じる。その事に気付いたのか気付いていないのか

 

「わー、それが新しい錬金鋼なんだー」

 

 レイフォンがあからさまに何かありましたと言わんばかりに棒読みで呟く。言われてみればナルキの剣帯には都市警の錬金鋼以外にもう一本錬金鋼が刺さっている。

 

「ねー、ていうかビックリだよ。一晩明けたら小隊のバッヂ付けてるしさ。なにがあった!?って感じだよね」

 

 これまた察しているのかいないのかミィフィがいつも通りハイテンションに驚きを露わにする。

 

「まぁ、色々とあってな」

 

 渋い顔でそう言うナルキはずっとレイフォンの事を見ている。というよりも図書館で課題をこなしている間、ずっとレイフォンと二人きりになるタイミングを狙っていた。

 

 レイフォンもその事に気づいているようだが、どうにも二人きりになりたくないようで一人にならないようにしているようだ。何があったのか知らないが第十七小隊で何か起こっているらしい。私もレイフォンに聞きたいこと(黄金の牡山羊)があったのだが、これではどうしようもない。

 

 そんな夏休みの宿題をできるだけ後伸ばしにするような努力もついに昼食を食べ終わったところで終わりを告げる。小隊の訓練時間が近づくとナルキが率先して解散を告げたのだ。そして、メイシェンとミィフィの二人と別れ私達三人だけになるとすぐにレイフォンに尋ねる。

 

「で?昨日はどうだった?」

「うん……昨日はなにもなかったよ」

 

 そう言う。珍しくレイフォンにしては嘘がうまい。だが、何が起きているのか全くわからないが、ここまで報告を先延ばしにしといてなにもなかったはずはないと私は思う。

 

「そうか……そう簡単には尻尾を出さないよな」

「ねえ、何があったの?」

 

 私はそうナルキに尋ねる。何やら興奮気味のナルキはレイフォンの不審な様子には気付いていないようだ。

 

「ああ、アニーには説明しとこう」

 

 そう言うとナルキは説明を始める。第十小隊が違法酒――剄脈加速薬というなかなか増えない剄の量が一気に増えるが、8割が廃人になるという禁止された薬物――に手を出しておりその捜査のために第十七小隊に参加することになったのだという。

 

「ふーん、それで昨日はレイとんがその捜査のために第十小隊のディン隊長を尾行していた、と」

「う、うん」

「まぁ、時間がないとはいえ、ここで焦ったら失敗してしまうよな。じっくり行こう」

 

 事件を解決したくてたまらないと言った感じでナルキは言う。

 

「ナッキ、もし……あの人達がこの都市を守りたくて違法酒に手を出したんだとしたらどうする?」

「ん?」

「この都市を守りたくて、でも、自分たちの実力不足に気付いていて……そんな時に違法酒っていう方法に辿り着いてしまったんだとしたら、どうする?」

 

 レイフォンがナルキに問いかける。確かに世の中綺麗事だけではどうにもならないこともあるだろう。今回のこともその一つなのかもしれないとレイフォンは言っているのだ。

 

「そんなことはもう考えたさ」

 

 ナルキは、レイフォンを見ないでそう言った。

 

「ツェルニの状況でそういうことを考えて行ったのなら、彼は英雄的だ。その行為に違法が混じっていたとしても、誰も彼を正面きって批判することなんてできないと思う。少なくともあたしは、そんな恥ずかしい人間にはなりたくない。……だけど、犯罪だということも確かだ。この、学園都市ツェルニではそれは犯罪なんだ。禁じられてるんだ。しかも、自分の体をだめにしてしまう恐ろしいものなんだ。違法酒は、剄脈加速薬は」

 

 わかっているか?ナルキはこちらを見ないままにそう訴えかけてくる。

 

「自分の体を犠牲にしてまで都市を守ることに、意味はあると思う。その行為は悲劇的で美しいのかもしれない。だけど、あたしは納得できない。都市が大事か、人間が大事か……あたしは人間を選んだんだ。この都市がだめになっても学園都市は他にもある。そのために、絶対に彼を捕まえて、止める。何かを犠牲にしなくちゃいけない時に、メイやミィ、アニーが犠牲になるなんてことになった時、あたしは後ろめたさ一つなく助けたい。だからあたしはディンを助ける」

 

 メイシェンやミィフィを助ける時に自分を後ろめたく感じたくない。それがナルキの本心なのだろう。究極的には他人(ディン)のことなどどうでも良いのだ。そう言っている。その事にナルキらしいと私は思う。そう思うナルキだからこそ戦争の意味を悩んでいるのだ。

 

「ナッキも、隊長に負けず、贅沢なこと考えているよ」

「そんなことはない。あたしはやっぱり警察官になりたいんだ。違法なことは許せない、その気持も強いよ。もっと本当のことを言えば、彼に同情もしてないし、考え方に賛同もしてない。悪いことは悪いんだ。自分が正義だなんて思ってない。だけど法律には、多少は作り手のエゴも混じっているだろうけれど、それを許していたら人間社会がうまく動かなくなるから法でダメだと言ってるんだ。それを無視していいことは絶対にないんだ。法を無視したいなら、誰もいない場所で一人で生きていればいい。冷たいかな?あたしは」

「そんなことはないよ、ナッキは正しい」

「ふふ、ナッキらしいわ」

 

 ナルキは人間を、人間生活が維持されることを最も重要だと考えている。日常を乱すものはどんな思想があれ悪だと思っているのだ。まぁ、その日常を守るために法を犯しているのがディンなのだろうが。

 

 練武館に到着するとニーナが待っていた。開口一番

 

「すまん、ディンと接触した」

 

 その言葉を聞いてナルキが硬直している。ぽかんと開けられた唇がやがてわなわなと震えだし、そして全身に伝播していく。

 

「な、な、な、な、な……」

 

 言葉もうまく言えないぐらいだ。口をパクパクさせたまま、ナルキがレイフォンを見た。さっきレイフォンが何もなかったと言ったことを思い出したのだろう。

 

「ごめん、嘘」

 

 レイフォンが素直に嘘だと認め頭を下げる。だいぶ状況が把握できてきた。レイフォンは尾行し、ニーナがディンと接触する場面を見てしまったという事だろう。問題はなぜニーナがディンと接触したか、だ。

 

「気持ちはわかる。任務の邪魔をされれば腹が立つということはわかっている。それでもわたしはわたしの中の筋を通したかった」

 

 また、これはニーナが大暴走したようだ。通したい筋というのが何なのか分からないが、これは大問題だろう。

 

「あ、でも待ってください。昨日、たしかあの人、自分が違法酒を使ってるって認める発言してたじゃないですか。あれ、証拠になりませんか?」

 

 レイフォンが必死で援護射撃をする。が、

 

「録音していない。お前だってそうだろう?それに実際に物を見たわけでもないんだ。証拠能力としては不十分だ。ディンもそれを承知していたから、あれだけ口が軽かった」

「…………」

「……なにを考えているんですか?」

 

 ようやく落ち着いたらしいナルキが口を開いた。その目は怒りでつり上がっていた。

 

「筋を通したいと言いましたね?その筋にどれだけの意味があるというんです。みすみす、犯罪者に情報を投げ渡しただけではないですか?」

「そうだな」

「これは立派な犯罪幇助ですよ。警察情報を犯人に渡すなんて……」

「わかっている。しかし、どうしても、わたしはそれをしなければいけなかった。彼がああなってしまったのには、理由がある」

「理由って……」

「シャーニッド先輩ですか?」

 

 怒りすぎて言葉の詰まっているナルキを遮り、レイフォンが言った。

 ニーナが頷く。シャーニッド?この件にシャーニッドも関わっているのだろうか?

 

 そしてニーナが語りだす。一年の時に所属していた第十四小隊の事、そして第十小隊がディン・ディー、ダルシェナ・シェ・マテルナ、シャーニッドという三人の三年生を起用した事。三人の連携による圧倒的な強さ、それに憧れた事。彼ら三人が新しい時代の運ぶ旗手のように思えた事。そしてその終焉、シャーニッドが隊を抜けた事。シャーニッドが抜けてすぐにニーナは隊を作ることを決心した事。シャーニッドを口説き落として小隊の新設に向けて動いた事。

 

「……わたしが、第十小隊からシャーニッドを奪ったようなものだ」

「それは、違うんじゃあ……」

「事実はそうだが、彼らの感情はそうはいかなかった。許せなかったはずだ。どんな事情かは知らないが、シャーニッドがあのまま、ただの武芸科の生徒でいるだけならこうはならなかったはずだ」

 

 シャーニッドが一生徒のままなら無視もできたのだろうが、十七小隊に入ってしまった。そして十七小隊は無視できないほどに強くなった。……いつから違法酒を使っていたのかは分からないが、その副作用を思えばそう長い期間ではないだろう。そう、それこそ十七小隊が活躍するようになってから、なのかもしれない。だが

 

「ニーナ隊長、その罪悪感は捨ててください。非常に身勝手な上に迷惑です。結局のところどんな理由があろうと違法酒に手を出すと決めたのはディン本人なんです。勝手に罪悪感を持つ方がよほどディンに対して、いえシャーニッド先輩に対して失礼だと私は思います」

 

 勝手に罪悪感を持って、とんでもない行動に出る。これが問題でなくて何が問題だろうか。筋を通したと言ったが、ニーナが筋を通すべきはシャーニッドに対してだと思う。

 

「……迷惑をかけてすまないとは思っている」

 

 ニーナがそれだけ言うと嫌な沈黙が場を満たす。

 

「署に戻って報告させてもらいます」

 

 どれほど経っただろうか、そう長くはないだろう。だが体感時間は非常に長く感じた。ナルキはそれだけ言うと足早にその場を去る。都市警に向かい上司の判断を仰ぐのだろう。私もナルキの後を追う。

 

「ナッキ、ごめんね」

「アニーが謝ることじゃない」

「でもうちの隊長だから……」

 

 警察署に着き、ナルキが慣れた感じで署員に挨拶して奥へと進んでいく。私もナルキにくっついて行く。ダメならダメだと言うだろうという判断だ。

 

「フォーメッド課長」

 

 ナルキが緊張した面持ちで一人の青年に声を掛ける。この前の祝勝会で出会った三十代にしか見えない青年だ。

 

「ん?どうしたナルキ?何かあったか?」

「はい……あの……ニーナ隊長がディンと接触しました」

 

 言いづらそうにした後、意を決したように端的に事実を告げる。

 

「接触?違法酒の捜査のことを話したってか?」

「はい、そのようです」

「んー、そう来たか……、それでディンに動きはあったのか?」

「いえ、その、今接触したと報告を受けまして……まだ何も……」

「まぁいい、よく報告してくれた。こっちでディンに探り入れてみるからしばらく待機しといてくれ」

「はい、あの……はい、了解しました」

 

 失態の報告にしょんぼりしているナルキはそのままフォーメッドの元を離れ、自分の席と思しき場所に向かう。

 

「ナッキ、そんなに落ち込まないで、こんな事で評価を下げるような人じゃないでしょ?」

「ああ、そうだな……」

 

 単に私が声を掛けたから返事をしているだけというのが分かる。これはしばらく復旧するまで放っておくしかないようだ。

 

「じゃあ、レイフォン達が気になるから私行くね」

「ああ……」

 

 それだけ言い残すと私は警察署を後にするのだった。

 

 



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後編

 警察署から練武館に戻ってみるとレイフォン達がどこかに行こうとしていた。

 

「あれ?どこに行くんですか?」

「ちょっと生徒会長に会いに、な」

「また、勝手な行動をするんですか?」

「む、それは……」

「アニーちゃん、これは俺が決めたことだ、そうニーナを責めなさんな」

 

 シャーニッドがニーナを庇う。シャーニッドの瞳を覗き込む。いつも通りの飄々とした何を考えているか分からない瞳だ。……生徒会長に相談に行く、これは悪手ではないだろうと思う。だがナルキの事を考えると、また独断専行するのかという思いしかない。

 

 そして生徒会長に相談するとなるとただの犯罪から政治の話になる。そうなるとどんな結末が待っているか私には予想できない。シャーニッドはどんな結末になるとしても受け入れる覚悟をしたのだろう。軽薄なように見えてそう言う人物だろう、シャーニッドは。

 

「……覚悟の上ですか」

「仕方ねぇだろ。あいつらはそういう場所に立っちまったんだから」

 

 シャーニッドはただそう言う。

 

「はぁ……分かりました。私も付いていきます」

 

 ナルキには悪いが止められそうにない。ならば見届けるだけだ。

 

 案内してくれた女性が通してくれたのは、生徒会長室ではなく使われていない会議室だった。やや間が空いて、カリアンが現れた。

 

「やぁ、待たせてすまない。それで、話というのは?」

「実は……」

 

 ニーナが事情を話すのをカリアンは黙って聞いていた。違法酒という不祥事なのに、カリアンの表情はかすかにしか動かない。流石都市のトップだけある。ポーカーフェイスはお手の物らしい。

 

「それで、わたしにどうして欲しいのかな?」

 

 その作り笑いの奥でどんな思考を繰り広げているのか判然としないまま、こちら側の考えを聞いてくる。それにはシャーニッドが答える。

 

「この時期に問題を起こしたくないのは会長も同じはずだ。できれば内密の処理を願いたい」

「内密に、ね。警察長からはまだ話は来ていないが、まぁ、事実関係はあちらに確かめればいいことだろう。……事実だとして、確かにこの時期にそういう問題はいただけない。かといって厳重注意程度では済まない話でもある。上級生たちからの突き上げや、ヴァンゼの罷免なんてのもそうだ。かといって彼らを見過ごし、このまま放置したとして、一番に問題になるのは武芸大会で使用してしまった場合、だ。その事実を学連にでも押さえられれば、来期からの援助金の問題にもなる。最悪、支援を打ち切られでもしたら……援助金の方はどうでもなるとして、学園都市の主要収入源である研究データの販売網を失うことにも繋がるからね」

 

 すらすらと今後の展開……最悪のパターンを予想していくカリアンの表情は次第に厳しいものに変わっていった。

 

「では、どうするか?という話だね?」

 

 確認するようにニーナを見るカリアン。

 

「そうです」

 

 ニーナが頷くのを見て、カリアンは厳しい表情のまま、おもむろに話し始める。

 

「なら、話は簡単だ。警察長にはわたしから話を通して、捜査を打ち切らせる」

「しかし、それだけでは……」

「もちろん、それだけではないさ。ディン隊長には事故にあってもらう」

「……暗殺する、ということですか?」

 

 ニーナが苦みばしった表情で呟く。

 

「別に殺す必要はない。半年は本調子になれないだけの怪我をおえばいい……そう言えばもうじき、対抗試合だね。君たちと第十小隊との」

「……それは私たちに『やれ』という事ですか!?」

 

 ニーナが声を荒げそうになるのを必死に抑えている。

 

「そういうつもりはないさ。君たちがやらなければディン君は不幸にも突然死することになるだろうというだけだ……ところでレイフォン君、神経系に半年は治療しなければならないほどのダメージを与えることができるかい?」

 

 カリアンはこう言ってるのだ。レイフォンの手(・・・・・・・)でディンを半年間動けないようにうまく怪我させるか、それともディンが死ぬ運命を見過ごすか、どちらか選択しろと。そんなこと見逃せるわけがない。

 

「……そんな選択を強いないでください、会長」

「……だが、実際他に手がないのも事実なのだよ。これより穏便に済ませようというのが無理な話なのだ。私だって好きでレイフォン君に押し付けようとしている訳じゃあない」

「それは……そう、ですが」

 

 実際私には代案がない。代案なき否定など現状を悪化させるだけなのも分かっている。だが、その選択と重さを全てレイフォンに負わせていい訳がない。

 

「……レイフォン、できないのならできないと言え」

 

 ニーナが迷いに迷った末、そう言う。それはディンよりもレイフォンの方が大切だという言葉のように私には聞こえた。

 

「できるさ~」

 

 答えたのは、その場にいた誰でもなかった。ドアの向こうからその声はした。その声を聞くやいなやレイフォンが立ち上がり錬金鋼に手をかける。

 

「立ち聞きとは趣味がよくない」

 

 レイフォンを抑え、カリアンがそう呟く。

 

「ん~それは悪かったさ~。だけど、気になっちまったもんは仕方がない。おれっちも、そこの人に話があったしさ~」

 

 ドアが開き、声の人物が会議室に入ってくる。

 

「ハイア……」

 

 レイフォンが今まで聞いたことのないような冷たい声で名前を呟く。

 しかし、驚きはそれだけでは済まない。

 

「フェリ……先輩?」

 

 ハイアの背後に見覚えのない少女が控えている。その隣に、気まずげに視線を逸らすフェリの姿があった。

 

「貴様……何者だ?」

 

 一見してツェルニの生徒とは見えないハイアにニーナが警戒の色を見せた。

 

「おれっちはハイア・サリンバン・ライア。サリンバン教導傭兵団の団長……って言えばわかってくれると思うけど、どうさ~?」

「なんだって?」

 

 サリンバン教導傭兵団、それはグレンダンを有名にした腕利きの傭兵団の名前だった。そんな有名な傭兵団の名前をニーナも知っているようだ。戸惑う様子でレイフォンを見るということはグレンダン関係者だと分かっているのだろう。

 

 私にとっても縁がないわけじゃない。ヨルテムでミィフィが一時絡んでいたからだ。まさかツェルニで出会うことになるとは思ってもみなかったが。

 

「どうして、できると思うのかな?」

 

 仕方がないと、カリアンが諦めのため息を零してハイアに答えを促した。

 

「サイハーデンの対人技にはそういうのもあるって話さ~。徹し剄って知ってるかい?衝剄のけっこう難易度の高い技だけど、どの武門にだって名前を変えて伝わっているようなポピュラーな技さ~」

「それは……知ってる」

 

 突然現れたハイアに驚きを隠せない様子のニーナが頷く。サイハーデンというのはレイフォンが所属していた流派の名前だったと思う。レイフォンの事をよく知っている人物なのだろうか。

 

「だが、あれは内臓全般へダメージを与える技だ。あれでは……」

「そっ、頭部にでもぶちこめばそれだけで面白いことになるような技さ~」

「それでは死んでしまう」

 

 カリアンが顔をしかめた。

 

「まぁね。それに徹し剄ってのはそれだけ広範囲に伝わっている分、防御策も充実しちまってるさ~。まぁ、ヴォルフシュテインが徹し剄を使って、防げる奴がここにいるとは思えないけどさ~」

「なにが言いたいんだね?」

 

 カリアンが先を促す。

 

「おれっちとヴォルフシュテイン……まぁ元さ~、はサイハーデンの技を覚えている。おれっちが使える技を、ヴォルフシュテインが使えないなんてわけがない。なにしろ天剣授受者だ。天剣授受者こそいままで生まれなかったけど、だからこそ戦うことに創意工夫してきたサイハーデンの技は人に汚染獣に、普通の武芸者が戦って勝利し、生き残るにはどうすればいいかを、真剣に考えてきた武門さ~。だからこそサイハーデンの技を使う連中がうちの奴らには多い」

 

 ハイアがレイフォンを見る。レイフォンが睨み返そうして、できずにレイフォンは視線を外す。

 

「あんたは、おれっちの師匠の兄弟弟子、グレンダンに残ってサイハーデンの名を継いだ人物から全ての技を伝えられているはずだ。使えないなんてわけがない。使えるんだろう?封心突さ~」

「封心突とは、どのような技なのかな」

 

 当事者のレイフォン以外を代表してカリアンが聞いた。

 

「簡単に言えば、剄路に針状にまで凝縮した衝剄を打ち込む技さ~。そうすることで剄路を氾濫させ、周囲の肉体、神経に影響を与える。武芸者専門の医師が鍼を使うさ~。あれを医術ではなく武術として使うのが封心突さ~」

 

 レイフォンが苦虫を噛み潰したような表情になる。これでできないとは言えなくなった。とは言え『やらない』という選択肢はまだ残っているのだが。

 

「だけど……」

 

 ハイアがさらに何かを言おうとする。それに反応してレイフォンが視線を上げハイアを見る。が、それだけで何も言わない。

 

「だけど、剣なんか使ってるあんたに、封心突がうまく使えるかは心配さ~。サイハーデンの技は刀の技だ。剣なんか使ってるあんたが十分に使える技じゃない。せいぜい、この間の疾剄みたいな足技がせいぜいさ~」

「それなら、刀を握ってもらえば解決……なのかな?」

 

 カリアンがレイフォンに問う。レイフォンは答えない。何かに耐えるようにただうつむいているだけだ。レイフォンの事情は分からない。分からないから手を突っ込んでいいのかも分からない。ただ分かるのはレイフォンがいろんな物に縛られているということだ。

 

「すまないが……」

 

 ニーナがゆっくりと手を上げた。

 

「こちらから申し出たのにすまないが、時間が欲しい」

「……いいのかね?」

「かまわない。そうだな?シャーニッド」

「……だな」

「君たちがそう言うのなら、待とう。だが、試合前までには返事が欲しいね。都市警にはとりあえず逮捕はとどまるように言っておくが、長くとどめておけるものでもないぞ」

「分かりました」

 

 ニーナが立ち上がり、私達も遅れて立ち上がった。とりあえずこの場はこれで終了したのだろう。これから対策を練らないといけない。

 

「あ、レイフォン君、ちょっと待ってくれないかな」

 

 ニーナの後に付いて部屋を出ようとしたレイフォンをカリアンが呼び止める。

 

「なんですか?」

「君には少し話がある。悪いが待ってもらえるかな」

「なんでしょうか?」

「悪いけれど、これは重要な話だ。用のあるもの以外に軽々しく話していいものではない」

 

 あからさまに警戒の色を見せるニーナに、カリアンはそう返した。カリアンに譲るつもりはないようだ。

 

「かまいません。隊長は行ってください」

「…………む」

 

 レイフォンにまでそう言われて仕方なくニーナは部屋を出る。がやはりきになるのだろう何度も振り返りながらレイフォンを気にしている。

 

 部屋を出ると行きに案内してくれた女性が入り口まで先導する。立ち聞きもされたくないらしい。仕方ないので生徒会棟の入り口でレイフォンを待つことにする。

 

「ニーナ隊長はレイフォンの刀の事、知っていましたか?」

「……いや、知らなかった。あんなに強いのに得意武器ですらなかったんだな……私たちはレイフォンの事をあまりに知らない」

 

 ニーナが悔しげに言う。

 

「……これから知っていけばいいだけの話ですよ、きっと。それよりも今はレイフォンがどんな選択をするかが気になります」

「わたしはまたレイフォンに負担を掛けることになってしまったな」

「そうですよ。この結末は予想できませんでしたが、これも隊長の行動の結果です」

 

 私がそう言うと、ニーナはバツが悪そうにする。

 

「まぁ、そうニーナを責めなさんな、さっきも言ったがこれは俺の提案なんだしな……覚悟を決めなくちゃいけないのは俺の方なんだよ」

「シャーニッド先輩がやる(・・)、と?」

「……ああ、俺がもっと完璧に壊さなかった結果だからな、俺が後始末するのが筋だろうよ」

 

 シャーニッドがいつも通りの飄々とした態度のまま言い切る。

 

「はぁ、シャーニッド先輩に半年間動けないようにする技があるんですか?」

「……ねえんだよな、これが。頭を撃つぐらいしか思いつかねぇ」

「そんなあからさまじゃあ……生徒会長が許可しませんよ」

「やっぱ、そうだよなぁ」

 

 そこでみんな黙り込んでしまう。

 

「あれ?待っていてくれたんですか?」

 

 どれほど時間が経っただろうか、よく分からないがレイフォンとフェリがやってくる。

 

「ああ、何の話だったんだ?」

「僕が見た謎の生物の話でした」

「それって廃都市で見たっていう?」

「あっ!その事でレイフォンに話したいことがあったのよ」

 

 重い話題が連続して言い出せる雰囲気じゃなかったが、その事で相談したかったのだ。

 

「アニー?……もしかして見たの?」

「ええ、そうよ。黄金の牡山羊を私も見たわ」

「何もされなかった!?」

 

 レイフォンが私の身を案じる。正直全く危険だとは思わなかったのだが、レイフォンにとってはそうではないのだろう。

 

「何もされなかったわ、私にはあれが直接害を為すとは思えなかったわ」

「そんなバカな」

「別にレイフォンの感覚を信じない訳じゃないの、私にとってはってだけ」

 

 レイフォンが疑わしげな目線で私を見る。が、すぐに安堵のため息をこぼす。

 

「私にもあれが電子精霊なのかどうかは分からなかったわ。でもとても悲しい存在のように思えたの」

「悲しい存在?」

 

 レイフォンが繰り返すのに頷く。

 

「そう、レイフォンは感じなかった?」

「僕は……感じなかった。ただ理解不能な恐怖と危険な物だっていう確信だけがあった」

 

 認識の違いがどこから来るのかは分からないがとにかく状況は共有できた。それで今回はよしとしようと思う。

 

「そう。それでハイア達はなんて言ってたの?」

「あれはやっぱり都市を滅ぼされた電子精霊で廃貴族って言うらしい。それと滅びをもたらす物で危険だって事は言ってた。他は聞いてもはぐらかされた」

 

 それまで黙って話を聞いていたフェリが唐突に言う。

 

「あれは強い者に不幸をもたらすそうです」

「強い者?」

 

 そこで全員の視線がレイフォンに集まる。この都市で強い者といったらレイフォンをおいて他には居ないだろう。もしかしてだから危険を感じたのだろうか?いや、何か違う気がする。

 

「……あれは主を求めていました」

 

 ポツリと呟く。

 

「そうです。主を求めていました。……その強い者というは主になり得る者という意味だと思います」

「……そう言えば、僕は違うと言われました」

「レイフォンじゃない、強い者?」

「分からないな。何かが足りないような気がする」

 

 ニーナがそう言い、そこで話が途切れる。それでとりあえずこの話題はおしまいになった事が何となく分かる。

 次の話題は皆が分かっていた。だが、なかなか言い出せない。

 

「あのさ、レイフォン、さっきのカリアンの旦那の話だが……」

 

 意を決したのかシャーニッドが話し出す。が、それを遮ってレイフォンが言う。

 

「僕がやります」

 

 その断定に鼻白むシャーニッド。

 

「いや……それは俺が……」

「シャーニッド先輩に封心突みたいな技があるんですか?」

「いや、それは……ない、だが……」

「だったら僕に任せてください。死ぬよりはマシな結末でしょう」

 

 レイフォンが言い切る。だがどこか無理をしているような気配がする。

 

「レイとん……刀を握るの?」

「それは……」

「ねえ、レイとん、なんで刀を握らないのか聞いてもいい?」

 

 悩んだ挙句、レイフォンが頷く。そして語りだす。

 

「僕は……刀と一緒に育った。でも天剣授受者になるときに、闇試合に出るって決めた時に刀を握らないと決めたんだ。だってそうだろう裏切ったのに何も失わないなんておかしい、そんなおかしな事があってたまるか。だから僕は刀を握らない。そう決めたんだ」

 

 レイフォンが自罰的にそう言い切る。その様が私には悲しい。その理由はとてもレイフォンらしいと思った。レイフォンが一番自分のことを許していないのだ。レイフォンが自分を許せるときが来ることを願う。

 

「その決意を置き去りにしていいの?」

「だけど!そうするしかないじゃないか!」

 

 そう言われてしまうと弱ってしまう。確かにレイフォンが刀を握らざる負えない状況に追い込まれていると言っていいだろう。そして問題はレイフォンの精神的な物なのだ。どうしても判断の比重が偏ってしまう。

 

「そんなに背負い込まないでレイフォン、他人の命が掛かっているとは言え、それはあなたの責任じゃない。どんな選択をしようとそれはレイフォンが決めることで、他人である私がどうこう言うことじゃないと思います。……でも私はレイフォンが自分を許せるようになれることを願っています」

「自分を……許す?」

 

 それからしばらくこの問題を議論したが、結局レイフォンが自分がやるという意見を翻す事はなく、それよりもいい案が出ることもなく物別れに終わる。

 

 そして試合当日、自分がやると言い張る割に刀を持つことへの躊躇いを捨てきれないレイフォンはまだ迷っているようだった。事ここに至っては私から言えることはもうない。後はレイフォンの問題だ。既に準備は万端整ってしまっているのだ。

 

 それよりも私にとって驚きだったのはナルキがこの場にいるという事だった。ニーナが警察情報をディンに流した段階で小隊入りの件は白紙に戻ったと思ったのだが、見届けると言って戻ってきたのだ。とは言え全てに納得したというわけではないのだろう。緊張も相まって仏頂面を晒している。

 

「大丈夫?」

「あまり、大丈夫じゃないな」

 

 声をかけると、ナルキは力なくそう呟いた。

 

「けっこう緊張している。こういうのは大丈夫だと思ってたんだが……」

 

 重いため息を吐いて顔に手を当てるナルキの表情は暗い。

 

「しょうがないわよ、初めての対抗試合なんだし……」

 

 私の言葉も歯切れが悪い。ディンをどうするかをナルキに隠したままだからだ。どうしてもレイフォンがディンを壊すという話をナルキにできなかったのだ。ナルキには課せられている役目、相手の(念威繰者)を潰すこと、それだけしか知らされていない。

 

 それからしばらくして試合が始まる。私は重い足どりで観客席へと移動する。

 

「もう、アニー遅いよ!試合始まっちゃったじゃない!」

 

 何も知らないミィフィが膨れる。

 

「ええ、ごめんなさい。でも今日の試合は見ないほうがいいわよ?」

「な~に言ってんの。ナッキの初試合見ないわけないじゃない」

「……そう、そうよね……」

 

 試合会場では大規模な煙幕が張られた。手順通り進行しているらしい。その事に心が重くなる。

 

「うわっ、すごい煙幕!何も見えないじゃない!」

 

 ミィフィが姦しく騒ぐがそれが目的なのだ。第十小隊の結末を観客に見せない。そう取り決められたのだ。

 

 煙幕の中からナルキが駆け出て来る。観客がようやく見えた変化に熱響する。その熱狂を背中に受けてナルキが走る。目標は第十小隊の念威繰者を潰す事だ。ナルキは第十小隊の念威繰者へとまっすぐに駆け寄っていく。当然、迎撃の構えを見せる念威繰者、念威爆雷がナルキを襲う。連続する爆発音にメイシェンに襲われるナルキの姿につい目を閉じてしまうのが目に映る。

 

 ボロボロになりながらもナルキは健在だった。そしてナルキが何かを念威繰者へと投げる。取縄だ。取縄は見事に念威繰者を捉え、縛り上げる。身体能力は一般人並みの念威繰者にもうどうすることもできない。そのまま当身を喰らい気絶する。その一連の動きに会場がさらにボルテージを上げる。

 

 念威繰者の無力化という役割を果たしたナルキは踵を返し再び砂煙の中へと消えていく。そして中で争うような音が聞こえるだけで会場からは何も見えない。その事にフラストレーションを溜める私と会場。

 

「?」

 

 何かを感じる。だが何なのかは分からない。周りを見渡しても何もおかしな事はない。

 

 そして、ようやく煙が晴れた時、そこにはディン倒れているのが確認できる。すぐ手前にはレイフォンが居る。きっとレイフォンがやったのだろう。その近くにはナルキも居る。ナルキはディンの結末を見届ける事になったのだろうか?もし見届ける事ができたとして果たしてそれを受け入れられるのだろうか?今はまだ分からない。

 

 試合終了のブザーが鳴り響く。

 観客が困惑を含ませながらも熱狂する。その中、動かないディンをすばやく担架が回収するのが確認する。たまにあることだけにそう目立つこともなかった。どうやら予定通りに事は進んだようだ。その事に僅かに安堵する。

 

 結局、レイフォン一人に全てを背負わせる結末になってしまったその事に忸怩たる思いがあるが、それは押し殺して私はレイフォン達がいる控室に向かうのだった。

 

 

 

 



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