ポケモン ~もう一つの旅~ (アバッキーノ)
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1.やや早めの旅立ち

 いつもより早い時間に鳴り始めた目覚まし時計を止めて、俺はとりあえずベッドの上に起き上がった。まだ少し暗いが、窓の外はうっすらと明るくなりつつあった。旅立ちには良い日だ。

 先日10歳の誕生日を迎えた俺は、街にあるポケモン研究所で初心者用のポケモンを受け取って旅に出る予定だ。今日この街を出発するのは俺も含めて4人。その中には、学校時代に仲の良かったサトシとシゲルも含まれていた。

 ポケモンを連れて旅立つ。それは、将来ポケモンについての何らかの職業に就きたいと考えている人間にとっては、まさに夢に対する第一歩だった。しかし、俺は別にそうしたいわけでも何でもない。ただ、旅立たなければならない理由があるだけである。

「・・・行かなきゃな」

 俺は眠い目をこすりながら洗面所に行くと、顔を洗って食堂へと向かった。

「おはようリョウジ。昨夜は良く眠れた?」

「おはようございます。メイコ先生」

 俺は挨拶すると、俺のために用意された朝食を平らげ始めた。メイコ先生はそんな俺をやさしい目でじっと見ている。何せ、俺がここで朝食を摂るのは、おそらく最後になるだろうからだ。

「ついに今日が来ちゃったのね。寂しくなるわ・・・でも、オーキド博士のおかげで就職できるんだから、本当に幸運ね」

「はい」

 オーキド博士は、この街では結構な名士であり、世間ではポケモン研究の第一人者として有名な人だ。俺は、表向き博士の紹介で職業を見つけ、今日ここを旅立って住み込みで働くという事になっていた。

 実際にはそうではないのだが、あながち間違いでは無い。ただ、旅に出る事は伏せて置かなければならない事情も、残念ながらあるわけだ。

「ごちそうさま。それじゃあ、俺行きます」

「いってらっしゃい。たまには連絡くらいちょうだいね」

 俺はメイコ先生の言葉にうなずくと、前もって準備していた旅支度の荷物を持って出て行った。

 

 オーキド博士の研究所は、マサラタウンの街外れにある。研究のために数多くのポケモンが飼育されているため、街中に施設を置くわけにはいかないのだろう。生活には不便な気がするが、あまり人口の多いとは言えないこの街の、その外れに研究所を作るというのは理想的なのかもしれない。

「おはようございます。オーキド博士」

 今日同じく旅立つ予定の他の三人の姿のまだない。朝日が差し込む前の時間に研究所を訪れた俺は、表玄関からではなく研究室に直接つながっている扉から研究所に入っていった。他の連中とはなるべく顔を合わせないために、オーキド博士に無理を承知でお願いしたのだ。博士は快諾してくれた。

「おはようリョウジくん。約束通りの時間じゃな。昨夜は良く眠れたかね?」

「はい。今日は無理を言って申し訳ありません」

「なんのなんの。年寄りは朝早いんじゃよ。はっはっはっ」

 俺が、他の三人がまだ来ない時間に最初のポケモンを貰えないかとお願いしたのには、2つのわけがあった。

 1つは、シゲルの旅立ちとバッティングしないため。オーキド博士の孫であるシゲルは、学業優秀でルックスも悪くないため、いつも女の子たちが周囲を取り巻いている。そんなシゲルの旅立ちなのだから、見送りも無駄に盛大になるだろう。俺はシゲルの友人ではあるが、そうした事は面倒だし、旅立つ以上、一応はライバルになるわけだから、いきなり顔を合わせるのは避けたかったからだ。

 もう1つは、俺がこれまで育ってきた孤児院に、旅に出る事がバレないようにするためだった。

 かつては、孤児院を出てポケモントレーナーとして旅立つ子供は少なくなかった。マサラタウンのような小さな街では、学校を卒業しても働き口を見つけるのは年々困難になってきている。中には特待生として中学校に進学する子供もいたが、誰しもがそうできるわけではない。

 だが、小学校を卒業した子供は、社会人として孤児院を出るか、孤児院に残って職員となるかのどちらかしか無い。職員として残るにしても、孤児院にも台所事情というものもある。

 希望した子供のすべてが残れるわけでも無いので、当然ながら希望が叶わない子供もいる。そこで、多くの子供たちがポケモントレーナーとして旅立っていた。

 ポケモントレーナーの道も大変だ。誰もがポケモンバトルの勝者になれるわけでもないし、名うてのポケモントレーナーになれるわけでもない。聞いた話だと、1人の著名トレーナーに対し、500人の無名トレーナーが存在するという。本当かどうかは知らないが、この話だけでもトレーナーとして目が出る可能性はとても低いという事が分かる。

 トレーナーとしての経験を積んだあと、研究者やブリーダー、コーディネーターにドクターなど、トレーナー以外のポケモンとの関わりのある仕事に魅力を見出す人もいるが、それだって決して多くはない。そして、中にはポケモンと関わる仕事を断念する人もいるのだ。

 断念した人の道は様々だ。しかし、基本的に学歴の劣る状態になるので、そのまま仕事に就くのは難しかった。大半は中学校に入り直して社会復帰を目指すようで、国でも『社会復帰プログラム』というものを行っていて、ポケモントレーナーを挫折した人を公費で社会に復帰できるように教育するシステムもある。

 だが、中にはそうした道に進まず、悪い道に進んでいく人間も少なくなかった。一部では、世間を騒がす悪の秘密結社・ロケット団に入る者もいるのだそうだ。

 数年前の事だ。セキチクシティでロケット団が起こしたある事件で逮捕者が出たのだが、その時逮捕されたロケット団員の中に、マサラタウンの孤児院の出身者が2人ほどいた。以降、孤児院では、院を出た子供がポケモントレーナーとなる事を禁じているのだった。

 

「さて、最初の手持ちポケモンじゃが・・・こいつで良かったんじゃったな?」

「はい。フシギダネとは何かと縁があるんで」

 小学校の卒業の2年ほど前から、俺とサトシ、シゲルのポジションは変わって行った。シゲルは前に言った通り女の子に囲まれるようになり、俺たち2人とはちょっと縁遠くなってしまった。

 俺とサトシはと言えば、世間で言うところの『いじめられっ子』になっていた。サトシは要領が悪く、腕っ節もたいした事が無いのに、負けん気だけは強い奴だ。そして、俺は孤児院の出身。2人していじめに合う材料は揃っていたというわけだ。

 だからといって、2人が特別親しくなったかと言えばそうでも無かった。俺はサトシの事を避けたわけではないが、サトシの家に遊びに行く事は避けた。あそこには、俺が渇望して止まない『家庭の匂い』があるからだった。

 サトシは、基本的には俺とシゲル以外に友人がおらず、一人でポケモンと遊んでいる事が多かったが、何のかんので家に帰ればママがいる。だが、俺には家族と呼べる孤児院の仲間はいるが、血縁があるわけでは無かった。

 一般の家庭に育った人には分からない感覚だろう。いつまでも憧れて、いつまでも渇望しても、絶対に手に入る事の無い存在。それを友人達は皆持っている。この絶望感ったら半端無い。

 つまりは、同じいじめられっ子でも、サトシは少しだけ俺より良い境遇にあった。そして、その差はまさに紙一重だが圧倒的な差だった。まったく。なんて分厚い紙一重だ。

 そんな中で、シゲルの足が遠くなったオーキド研究所に、俺がこっそり遊びに行くようになったのは、ごく自然の成り行きだったのかもしれない。本当は禁止されていたのだけれど。

 オーキド博士は、孤児院にいつも寄付をしてくれていた。それも、ちょっとした額ではない。はっきり言えば、孤児院の運営にかかるほとんどの費用がオーキド博士から出ているのだ。そんなわけで、俺が研究所に行ってオーキド博士に会うのは、ある程度の制限があったものの認められていた。

 ある日の事だった。博士の不注意でポケモンが数匹逃げ出してしまった事があった。その時、俺とフシギダネの連携で逃げたポケモンをすべて捕まえることができたのだ。

 普段から俺は、研究所のポケモンをよく観察していて、その行動パターンや習性を良く理解していた。学校で習う年表や数式なんて全く頭に入って来なかったけど、こればっかりは驚くほどにストンと自分の中に入ってきたのは、我ながら驚きだった。

 逃げたポケモンが、どういう場所に集まり安いか。あるいは、群れないタイプだから人も他のポケモンも来にくい場所を選ぶ。この街ではそれはどこか。どの方角からどのように近づくと良いか。死角となるのはどの方向か。俺はそうした事を良く知っていたのだ。

 もちろん、所詮は子供の俺だから、どうやっても行けない場所や手の届かない場所もある。そうした場所にポケモンが居た時に、協力してくれたのがこのフシギダネだったのである。以来、俺たちは研究所に行くたびに一緒に遊ぶ、言わば相棒のような存在になったのだ。

「良いじゃろう。確かにこいつなら、君との相性もばっちりじゃ。さて・・・」

 オーキド博士はおもむろにポケットに手を入れると、色々な物を出した。

「これはポケモン図鑑じゃ。各地で出会ったポケモンをゲットすると、データが自動的に登録されるようになっておる。これに、カントー全域で151種類いるはずのポケモン全て登録して欲しいのじゃ」

「つまり、カントーにいるポケモンを全てゲットしろと?」

「その通り。この地方では151種のポケモンが居ると言われているが、残念ながらこの研究所に全てが居るわけでは無いのじゃ。わしは、できれば直接そのポケモンを見て、触れて研究したいのじゃ」

 さらに博士は続けた。

「他の連中は単に自分の気に入ったポケモンをゲットするじゃろうから、この件については君にだけお願いする。ポケモンに対する優れた観察力を持った君にしか頼めんよ」

 確かに、他の連中はとりあえず、ジム回りをしてからポケモンリーグへの出場を目指すだろう。しかし、孤児院に内緒で旅に出る俺には、それはできない事だった。

 孤児院では、ポケモン関連のテレビ番組や雑誌を見ることはできない。だが、孤児院の職員についてはその限りではなかった。つまりは、職員は出身者がポケモントレーナーになっていないかをチェックしているのだ。

 ジムに挑戦してバッジをゲットし続ければ、当然注目のトレーナーとしてメディアから取材を受けることになる。俺に限って言えば、それだけは避けなければならない事だ。

 とはいえ、何の目的もなくブラブラ旅をするというわけにもいかない。トレーナー希望者は国から旅の補助を受けることができるのだが、その金額は大きいものではないし、期限は2年と決まっている。2年以内にある程度の実績があれば、最大で3年ほど追加で補助期限が伸びるのだが、孤児院にバレてはならない俺は、2年以内に何らかの実績を必ず、しかも内密に作る必要があるのだ。

 前にも言ったが、オーキド博士はポケモン研究の第一人者だ。その研究を手伝うために図鑑のポケモンを全て捕獲したという事になれば、俺もポケモン関連の仕事に就ける可能性が高くなる。

 そうなると、孤児院も俺がそうした事をしていても口出しはできないだろうし、おそらく喜んでもくれるだろう。また、それを先例として、今後トレーナーを希望する事を許可してくれるようになるかもしれない。

 だが、少なくとも図鑑の完成までは、世間に知られるわけにはいかないのだ。

 この件は、俺にとってはうってつけの仕事と言えた。それに、小さい頃からお世話になっている博士にも、少しでも恩返しができるというものだ。俺に異存があるはずもなかった。

「それから、これがモンスターボールじゃ。知っての通り、通常トレーナーが携帯を許されるのは6個までじゃ。このホルダーに付けておくと良い」

「ありがとうございます。孤児院の寄付や学校に行っている間もお世話になっているのに」

「いやいや。気にせんでくれ。わしは、本来研究者として自分がせねばならん事を、君ら若者に押し付けておるだけなんじゃ。何せ、もう旅をするには年を取りすぎているんでなぁ。それより、道中気をつけるんじゃぞ。お前の旅が、ひょっとすると一番困難なものになるかもしれんのでな。そうそう。この地図も失くさないようにな」

「はい。それではそろそろ行きます。シゲルが来ると面倒ですから」

「そうじゃの。道中の旅費は、わしの報酬も含めて送るようにしておくから、ポケモンセンターで受け取りなさい」

「何から何まで、本当にありがとうございます。では、行ってきます」

「うむ。気をつけてな」

 

 

 朝日が完全に空に登る前に、俺はトキワシティに到着していた。もう、他の3人もマサラタウンを出発した事だろう。サトシにシゲル・・・ もう1人は実は知らない。

 いずれにしても、この連中にも俺が旅に出ている事がバレるわけにはいかない。先を急がなければ。

 ジムに挑戦するつもりは無いが、一応ジムの場所を確認してみたが、どうやら今は閉鎖されているようだった。やれやれ。これなら後の3人もすぐにこの街を通過するだろう。俺は最低限の買出しだけを行って、できるだけ急いで街を後にした。

 本当なら、少し時間をかけて街を見て回りたかった。何せ、これまでの人生のほとんどを、田舎町としてはおそらく世界戦でも代表になれそうなマサラタウンの、その片隅にあるしみったれの孤児院で過ごしてきた俺だ。

 こんな大きな街で買い物をしたら、さぞ楽しい事だろう。きっと欲しいものも色々手に入るに違いない。そして、ありがたいことに俺の手元には、先ほどポケモンセンターで引き出した金があった。

 これはいわば路銀なので、そうそう無駄遣いはできないが、正直驚くような金額が振り込まれていたのには少々参った。これもオーキド博士の心付けというやつだろう。

 何にしても、俺は急がなければならない身だ。用がなくなった以上、長居は無用だった。

 ふと、ジムの前で見知った顔を見たような気がして、俺は立ち止まった。だが、その人物の姿は俺が立ち止まった時には既に消えていた。気のせいだったのだろうか・・・

 急ぐ必要があるのは、ポケモンのゲットについても同じ事だった。あまり時間をかけていると、やはり後からの3人に追いつかれてしまう可能性があった。そこで、本来ならポケモンセンターに宿泊した方が良い時間でも、俺は可能な限り旅を続ける事にした。スタミナがあるというのは、俺にとっては数少ない取り柄の1つだ。

 トキワの森までの道中、かなりの数のポケモントレーナーがいる事に驚いたが、彼らは俺の後を追うようにして旅をしているやつらのような、ポケモンに関わる仕事をしたいという人間ではないようだ。多かったのは、単なる虫好きだ。こうした連中は御し易い。

 収穫は、この森で捕らえたキャタピーが、トランセルを経てバタフリーまで進化した事。あまり知られていないようだが、バタフリーは虫タイプのポケモンでありながら、成長すればエスパータイプの技も使えるようになる。

 聞いた話だが、この先のニビシティにあるジムのリーダーは、石タイプのポケモンを使うらしい。あまりジムに挑戦しない予定である俺には関係無いかもしれないが。それに、フシギダネも石タイプや地面タイプ相手に力を発揮するから、もし俺がトレーナーとしての高みを目指しているのであれば、最初のジム戦は比較的有利に行う事ができただろう。

 森の出口付近でピカチュウに出くわしたのも収穫だった。電気ポケモンは全体的にあまり多くないし、何よりこいつは見た目がかわいい。これから長い旅になり、心が磨り減る事もたくさんあるはずだ。そんな中で、こいつをみれば心も和むことだろう。

 俺がニビシティに到着したのは、マサラタウンを旅立ってから2日目の夜更けだった。一般的なトレーナーは、マサラからトキワまでの旅でも数日かかるというから、俺はおそらくそれなりに他の連中を引き離している事だろう。安心すべきでは無いが、とりあえず今夜はこの街で休むことにしよう。

 ジム戦をする予定の無い俺には、単に通り過ぎるだけの街である。それに、仮に挑戦をするにしても今はあまりに時間が遅すぎる。

 多くの街のポケモンセンターは、基本的には22時には閉まってしまう。そのため俺は、街中で野宿をするというわけの分からない状況に陥ってしまったのだ。

 さしあたり俺は、博物館らしい建物の裏口あたりで寝ることにした。ここには屋根があるし、人もそう通らないだろうと思ったからだ。しかし、目が覚めた俺の周囲には、博物館の職員らしい人が数人立っているのだった。

 どうやら俺は寝すぎたらしい。あたりはすっかり明るくなっているし、周囲には人通りもある。やれやれ。どうやら俺は、自分で思っている以上に疲れていたようだ。そして、背中が痛い。

「君、大丈夫かい?」

「あはは。大丈夫です」

「なら良いが、どうしてこんなところで?」

「いや~。街に着いたのが夜遅かったもんで」

 そんな話をしながら、俺はその人が持っているものがなぜか気になった。

「これかい? 展示する予定だった化石の1つなんだけど、小さくてあまり見栄えがしないから展示されなかったんだ。良かったらあげるよ」

 そんな大切そうなものを気軽に見ず知らずの少年にくれてやっても良いのだろうか? とも思ったが、俺は素直にそれをもらうことにした。素直であるという事は、俺にとっては数少ない取り柄の1つだ。

 博物館を後にした俺は、意外な人物と鉢合わせをする事になった。その人物はなんと、ニビジムのジムリーダー・タケシだったのである。

 俺がなぜタケシをすぐに認識できたのかと言えば、オーキド研究所でしばしば読んでいたポケモンの専門誌に載っていたからだ。

 カントーにはいくつもポケモンジムがあり、中でも8つの有名なジムがあるのだが、ジムリーダーという事は、カントー全域でもトップレベルのトレーナーでもあるわけだから、タケシが雑誌の記事になっていても不思議では無い。

 俺は、基本的にはジムへの挑戦はしないつもりでいた。雑誌の記事になっているジムの中で、気になったジムはいくつかあって、そこには挑戦あるいは戦わないまでも見学くらいはさせてもらおうと思っていたが、ニビジムはその予定には入っていなかった。

 だが、トレーナーとしてとなれば話は別だ。ジムトレーナー同士、出会えば特別な事情が無い限りはまずはバトルだ。当然俺はタケシにバトルを申し込んだ。

「ジムへの挑戦か? だったらジムへ・・・」

「いや、事情があってジム戦は遠慮したいんだ」

「わけありか・・・よし。怪しいと言えば怪しいが、お前は悪い奴では無いらしい。いいだろう。挑戦を受けるよ」

 雑誌の記事にもあった通り、タケシは基本的には人の良い奴だった。理由も聞かずに、ジム戦を避けたいという俺に、あくまでも1トレーナーとして挑戦を受けてくれるというのだ。ありがたい事だった。

「場所は向こうの河原にしよう。あまり人目につきたくないんだ」

「良いだろう。ポケモンはお互いに1体ずつだ」

 こうして、非公式ながら俺は、始めてのジムリーダーへの挑戦に挑むのだった。



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2.ニビからハナダへ

 ニビシティで行った、タケシとのエキシビジョンバトルは、結果から言えば俺のほぼ完封勝ちだった。

 前にも述べた通り、俺はトキワの森でキャタピーをゲットし、トランセルを通してバタフリーへと進化させた。バタフリーはしっかりと育てれば『ねんりき』や『サイケ光線』といった、エスパー技も使えるようになる。

 俺は、バタフリーが『ねんりき』を使えるようになるまで育て上げると同時に、ある事をバタフリーに叩き込んだ。

 それは、バトルの最中にできるだけ高速で、かつ指示に対して正確な位置に移動すること。これによって、攻撃と防御の精度を格段にあげることができる。実は、バタフリー以外のポケモンにもこれはやらせている。もちろん今も。

 攻撃の精度を上げるのには、当然それなりの理由があった。そして、俺のその考えが正しいことがタケシとのバトルで証明できたのだ。

 あの時、タケシが繰り出したのはイワークだった。とても良く育てられていて、オーキド研究所にあったイワークの概要を見て知っていたサイズよりも1回りはデカい。おまけに、そんな図体でどうやってと思うほどに素早い奴だった。

 タケシの指示も正確で、仮に『ねんりき』を覚えていない状態であっても不利な相手であるはずの俺のバタフリーを、序盤では押しまくっていたのだ。

「どうした。逃げ回るばかりでは俺には勝てないぞ!」

 そう言うタケシをよそに、俺は勝つために相手のイワークの動きを観察していた。

「バタフリー! イワークの左上方1m付近を飛び回れ!」

「?!」

 俺の意外な指示に、タケシはとまどったようだった。普通、トレーナーはバトルの最中に攻撃や防御の指示は与えるが、ポケモンにどの位置に移動しろという風には指示はしないものだ。

 だが、俺の指示した位置に移動するようになると、イワークの攻撃は先ほどと比べると驚くほどにバタフリーに当たらなくなった。

「何だとっ!?」

 さすがのタケシもこれには驚いたようだ。俺がバタフリーに与えた指示の意図は、つまりイワークの死角に常に入り込むというものだった。

 イワークの姿は蛇に良く似ていて、目は前方についている。こうした目を持った生物は、対象との距離をかなり正確に把握できる半面、側面の視野は広くない。つまり人間と同じだ。

 加えてイワークは両目の間に、人間の鼻のような突起がある。そのため、視野のぎりぎりのあたりを見る場合、どうしても片目でしか見ることができない。

 これについても人間と同じだが、イワークの場合、顔の突起のせいで片目で見れる視野が人間よりも狭い。バタフリーは、イワークが自分の方を向く速度を上回るスピードでイワークの不正確な視野に入り込んでいるのだ。

 タケシのイワークほど育てられたポケモンを相手に戦うためには、それくらいの事をしなければ新人トレーナーの俺には勝ち目が無い。

 序盤にこの指示を出さなかったのは、イワークの『利き目』を探り出すためだ。ポケモンも人間と同様に、体のどちらかが利き側になる。右利きのポケモンや左利きのポケモンがいるのは当然だ。

 手や足のついているポケモンなら当然利き手や利き足がある。そして、利き目もだいたい手足のそれにならうものだ。だが、ご存知の通りイワークには手も足も無い。

 そこで俺は、バトルでバタフリーを左右に避けさせながら、左右の目の反応速度を観察した。そして、左目の方がわずかに反応が遅い事に気がついたのだ。

 何度もイワークの攻撃が空を切るのを見ながら、俺は自分の判断の正しさを確信した。後は、精度良くバタフリーに『ねんりき』を使わせれば良い。

「バタフリー! イワークの体の継目に『ねんりき』だ!」

 体当たりなどと同様に、バタフリーにはピンポイントで『ねんりき』を当てさせるように訓練している。技の効果によって、イワークは苦しみ始めた。

「これは、普通の攻撃の苦しみ方じゃない・・・ まさか!」

「そのまさかさ! 急所を狙って『ねんりき』を繰り出させたんだ!」

「そんな事が・・・」

 イワークは確かに外皮は固い。それに、タケシのイワークほどのレベルになれば、いくら苦手な技とはいえそうそう有利に戦闘を進めることは難しい。だが、イワークはポケモンであって岩ではない。だから、体のどこかの部分に必ず岩ほどは固くない箇所があるものだ。

 俺のバタフリーは、高速で移動しながら的確に俺の指示した場所を攻撃できるように鍛え上げた。これこそが、俺のポケモンの育て方なのだ。

 序盤の展開とは異なり、一方的な戦いになった。序盤こそ多少のダメージを受けたものの、後は完全なワンサイドゲーム。勝負が決したと確信した俺は、イワークの意識があるうちにバタフリーを戻らせた。

「どうした!? まだ戦いは終わっちゃいないぞ!」

「これ以上の戦いは、お前のイワークを苦しめるだけだ。これはエキシビジョンだろ」

 バトルという事でアツくなっていたタケシだったが、俺の一言で冷静になった。とりあえずは俺の勝利という形で勝負は決着したのだった。

 

 バトルの後、俺とタケシは色々な話をした。そんな中で、俺は驚くべき話を聞いた。

 タケシの家は兄弟がたくさん居るにも関わらず、両親が不在なのだそうだ。なので、タケシはジムリーダーをする傍ら、最年長者として下の子たちの面倒を見ているのだそうだ。

 本人はブリーダーとしての経験を積むために旅に出たいのだそうだが、小さな弟や妹たちを置いて旅に出るわけにはいかない。

 正直俺は、思いもしなかった話に驚愕せざるを得なかった。まさか、家族がいる事によって自分の夢を諦めなければならない状況になろうとは。

 俺にしてもそうだが、子供はどこまでも無責任な親のせいで苦しんだり悲しんだりしなければならないのだろうか。どうしてこんな理不尽な世の中になったのだろう。誰がこんな不条理を是認しているのだろう。

「ただ、弟たちの世話をするのも嫌いじゃないんだ。ポケモンの世話も子供の世話も同じようなものだからね」

 そういえば、雑誌にもタケシの料理の腕は素晴らしい、なんて事が書いてあったような気がする。ポケモンの世話も子供の世話も、か・・・ 正直、自分の事しか考えていなかった俺にはどうやっても出てきそうにない発想だった。

「ところで、お前はなんでジム戦を避けるんだ?」

 当然の質問をタケシがしてくる。自分の状況を率直に語ってくれたタケシに対して隠し事をするべきではない。俺は、正直に自分の立場についてタケシに話した。マサラタウンの孤児院で育った事。その孤児院では、ポケモントレーナーになることは禁止されている事。それを秘匿してオーキド博士から依頼を受け、各地のポケモンを探しながら旅をしている事。

「そうか・・・お前も色々大変なものを背負ってるんだな」

「いや、タケシほどじゃないよ。俺はとりあえず俺自身のために旅をしているだけなんだから」

「それにしても、全部のジムを素通りってわけではないんだろう?」

「ああ。一応俺にも、トレーナーって肩書きがあるわけだからね。自分の実力をある程度は知りたいっていうのはある。そういう意味では、今回は本当にありがとう」

「なに。たいしたことじゃないさ。それにしても、見事な指示だったなぁ」

「俺の手柄じゃないさ。俺の言う通りに動いてくれたバタフリーのおかげだよ」

 そんな話をしている間に、あたりは夕日に照らされて赤く染まっていく。かなりの時間が経ってしまったらしい。

「それじゃあ、俺はそろそろ帰る。弟たちが待っているからな。それから、これを受け取ってくれ」

 そう言いながらタケシが差し出したのは、ニビジムに勝利した者に与えられる『グレーバッジ』だった。

「いや、それは受け取れないよ。これはジム戦じゃないし・・・」

「いいんだ。今回のバトルで、俺も色々学ぶことができたし、なによりお前の実力には参ったよ。安心してくれ。お前にこれを渡したことは黙ってるから」

「そうか・・・ありがとう」

 俺はバッジを受けとると、タケシと別れて先に進むことにした。

「いつか旅に出る事ができたら、きっとどこかで会おう」

「ああ。その時は今日のリベンジをさせてもらう!」

 俺たちは再戦を約束して、それぞれの道へと進んで行ったのだった。

 

 妙なところで妙な出来事に出会ったのは、タケシと別れてからどれほども時間が経っていなかった。『おつきみやま』と一般に呼ばれている山にたどり着いた時だった。

 ここでは、他では見られないポケモンが住んでいる。オーキド博士のためにカントー地方の全ての種類のポケモンをゲットしなければならない俺にとっては、当然ながら避けては通れない場所だ。

 はっきり言えばリスキーだ。おつきみやまには、ここでしか見られない『ピッピ』というポケモンが出現するが、遭遇する確率は他のポケモンと比べると非常に低い。

 そうなるとおつきみやま、とりわけ出現率が高いとされる洞窟の中を色々とうろつかなければならないが、当然ながら時間がかかってしまう。そうなると後から出発した3人、特にシゲルあたりに追いつかれてしまう可能性が出てくるのだ。

 ご存知の通り、俺の旅は単なるポケモントレーナーとしての旅では無い。メインの目的はあくまでもポケモンのゲットにある。それも、可能な限り極秘裏にだ。

 だから、通ってきた道で出会ったポケモンは必ずゲットしてきたし、今後もそうしなければならない。

 とはいえ、あの日マサラタウンを旅立ったという4人のトレーナーの中に、俺が含まれているという事はオーキド博士以外の連中にばれるわけにはいかないのだ。

 急がなければならない・・・ しかし、遭遇する事が難しいピッピも、必ずゲットしなければならない。これはなかなか骨の折れる作業だった。

 とはいえ、少なくともオーキド博士の研究所では、ピッピの習性についてのレクチャーは一応受けている。洞窟内の雰囲気からすれば、ピッピがどこら辺に集まり易いかという予想はある程度できた。

 イシツブテやパラス、ズバットといったポケモンをゲットしながら、俺は用心深いピッピに気取られないように、慎重に洞窟内でしばしば見かける、天井が開いている場所に近づいていった。

 おつきみやまとは良く言ったもので、山裾から月を眺めるのにはとても良い山だ。しかし、洞窟のどこかにぽっかりと天井の開いた場所があり、こうした場所から満月を眺めるのも格別の趣きがある。

 俺は、周囲に残念ながらピッピがいない事を確認すると、そのまま月明かりの差し込む天井を眺めながら、月光の輪の中へと進んでいった。

 決してスポットライトの当たる事の無い、そうなる事は許されない旅を続ける俺にとっては、自分だけに光が当たる唯一の機会のように思えた。その時だ。

「ピッピぃ~~!」

 探し求めていたピッピらしいポケモンの鳴き声が、洞窟の奥の方から聞こえてきた。ゲットのチャンスかもしれないし、実はそうでは無いかもしれない。

 とはいえ、可能性がある以上は挑戦すべきだし、鳴き声の感じからすると、何か切羽詰まったようにも聞こえた。何があるのか確かめるにこしたことはない。俺は一目散に声のした方へ走って行った。

「オラっ! とっととこっちへ来い!」

 駆けつけた俺は、全身黒ずくめの、正直あまりおしゃれとは思えない恰好の男が、モンスターボールも使わずに無理にピッピを連れて行こうとしている場面に出くわした。男の肩越しにピッピを見るシチュエーションは、何だか変態に襲われている女の子を連想させた。

 ボールを使わないなんて、ポケモンの扱いになれていない人間のやりそうな事だが、つまりボールの中に入っていないピッピは野生であるという事だ。ゲットのチャンスだが男が邪魔だ。さしあたりは男をなんとかしなければならないが、相手は大人だ。どうしたものだろうか。

「ん? 何だてめぇは。お子様はとっくに寝てなきゃいけねぇ時間だぜ」

 ご丁寧な事に、男は後ろで見ている俺に気がついたらしい。

「ご忠告をどうも。返礼に言わせてもわえば、モンスターボールを使わずにポケモンを連れ去るなんて、ゲスの極みだ」

 我ながら、なんて子供らしくない返事をしたものだろうと思う。だが、せっかく見つけたピッピを、こんな得体の知れない男に連れ去られるのはおもしろくないし、そもそもピッピに遭遇できるチャンスも滅多にない。これを逃すわけにはいかなかった。

「生意気なガキだ・・・ 大人を舐めてるとこういう目に遭うぞ!!」

 言うや、男はモンスターボールからズバットを繰り出した。なんだ。ちゃんとポケモンの扱いを心得ているじゃないか。なら、なんでピッピをボールでゲットしなかったんだろうか。

「バタフリー! 相手の体の中心を狙ってねんりき!」

 ねんりきは、目には見えないが狙った場所を中心に円形に威力が広がっていく。中心がもっとも力が強く外側は弱いのだが、今のバタフリーならズバットくらいの大きさなら中心を狙いさえすれば完全にねんりきの作用する円の中に捕らえることができる。

 効果は覿面で、ズバットはあっという間に戦闘不能になった。

「戻れズバット! くそ・・・ 覚えてやがれ! ロケット団に歯向かうと痛い目見るぞ!!」

 男はそんな捨て台詞を吐くと、そのまま洞窟の入り口の方へ走って行った。時代劇の小悪党のような捨て台詞だが、最後のセンテンスは俺も気になった。

「ロケット団・・・ あれがそうか」

 思いのほかダサい連中だな・・・ と思いながらも俺は、まだ怯えているピッピにモンスターボールを投げてゲットすると、そのまま外に連れ出して一緒に月の見える場所まで移動した。怖い思いをした直後だから、そのままボールの中に入れておくよりは、少し落ち着くまでそうしておく方が良いと思ったからだ。

 それにしても、ポケモンバトルに負けたからといって引き上げるとは。口調のわりには意外に潔い男だったな。ロケット団といっても、人によりけりなのかもしれない。

 

 やがてピッピは落ち着いて来ると、俺を洞窟内の別の場所に案内してくれた。どうもそこは、ピッピが集まって暮らしている場所らしい。オーキド博士の言葉を借りて言えば、『ピッピのコロニー』だ。

 ここを調査すれば、とかく謎が多く生態があまり知られていないピッピについて、より深く研究する事ができるのかもしれないが、これについては俺はあえてオーキド博士には報告しない事にした。

 せっかくこうして、ここで静かに暮らしているピッピたちの生活を騒がせる必要など無い。彼らは彼らの生活があり、ここが知れる事によって乱獲されるのはあまりよろしくない。有名になるというのは、こうした弊害もある。

 やがてピッピは、別個体のピッピを俺のところに連れてきた。どうやら、一緒に行きたいらしい。そこで俺は、この先のハナダシティでこの2匹のピッピを、『つきのいし』と一緒にオーキド博士に送る事に決めた。

 そうしておけば、博士がピッピと、その進化形であるピクシーの研究も同時に行うことができる。ポケモンの中には、こうした特定の『いし』によって進化するものもいる。進化の過程を研究する事も、ポケモンを知る上で重要なのだそうだ。

 今日はもう夜遅い。今夜はここでピッピたちと過ごして、明日の朝早く洞窟を抜けることに決めた俺は、早々にその場で眠り込んだ。今日も色々な事があったと思いながら。

 一眠りして目が覚める。周囲を見渡しても今が朝かどうかは分らない。寝る前と同じく、暗い洞窟の中だからだ。

 洞窟の中は暗いが、ポケモン図鑑には時計機能も搭載されている。そのおかげで、今は夜明けを少し過ぎたあたりだという事が分る。

 俺は、運良くゲットできた2匹のピッピが、仲間たちに別れを告げるのを待って出発した。この洞窟を抜ければ、ハナダシティまではそう遠い道のりではない。

 しばらく進むと、学者らしい人が数人で洞窟のあちこちを掘っている現場に出くわした。なんでも、ポケモンの化石を探しているらしい。

「君はポケモントレーナーだろ。もし、僕達に勝つ事ができたら、さっき発掘した2つのかせきのどちらかをあげるよ」

 と言い出した。苦労して発掘したかせきをわざわざくれるとは、なんと太っ腹な研究者なのだろう。だが、本当にもらっても良いのだろうか。

「もちろんさ。どちらも既に研究所にあるかせきだから、それほど重要ってわけではないんだ。それより、トレーナーとしての実力を見せてくれよ」

 彼らは、研究と同じくらいポケモンバトルも好きらしい。こうしたポケモンとの関わり方もあるんだなと思いつつ、トレーナーとして挑まれたバトルから逃げるわけにはいかない。俺はバトルを快諾した。

 勝負は、見せ場らしい見せ場もなく俺の勝利となった。彼らのポケモンもそれなりに良く育てられてはいたが、レベルとしてはせいぜいトキワの森で出会った虫好きの少年達に毛が生えた程度だった。

 タケシほどのトレーナーに勝利した俺が、そんなレベルの連中に負けるはずもない。研究者は6人いて、それぞれが3体のポケモンを連れていたが、俺はフシギダネだけで彼らを完封したのだった。

「すごいなぁ・・・ 参ったよ。さあ。約束どおり、このどちらかのかせきをあげよう」

 そうは言われたものの、正直俺は迷っていた。ハッキリ言えば、どちらのかせきにもそれほど興味が無かったからだ。ニビシティでもかせきらしいものをもらったのだが、あれももらって以降、一度もカバンから出していない。正直、旅にどれほどの役に立つこともないものを、いつまでも持って歩いていてはと思っていたほどだ。だが、研究者の1人の言葉で、俺は俄然それらに興味を持つことになる。

「グレンタウンにある研究所では、化石から古代ポケモンを再生させる研究が進んでるから、持っていくと再生できるかもしれないよ」

 その一言で、俺は興味の無い石選びから、オーキド博士に送るポケモンを慎重に選択しなければならないという出来事に状況が変わった事を感じたのだった。

 本来なら、博士に直接連絡して指示を仰ぎたいところだったが、俺は散々迷った挙句、『かいのかせき』をもらうことにした。どうしてそうしたかなんて自分でも良く分らない。ただ、なんとなくこちらの方が形が整っているように見えたからだ。

 とにかく、人様からものをいただいた時は礼を言うものだ。俺は彼らに礼を言うと、色々とあったおつきみやまを後にした。ハナダシティはこの先だ。

 おつきみやまからハナダシティをつなく4ばんどうろは、それほど広くは無いが多くのポケモンが住んでいる。ここでしかゲットできない種類のポケモンがいるわけではないが、特にサンドやオニスズメはこれまでにゲットした事が無いポケモンだ。また、遭遇の確率は低いものの、アーボやその進化形であるアーボックも住んでいる。

 ハナダシティには格別の用は無いが、とりあえずポケモンをゲットしつつ、これまでの事をオーキド博士に報告しよう。



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3.ハナダジムでの戦い

「なるほど。そういう事じゃったのか。しかし、君が無事でなによりじゃ」

 ハナダシティのポケモンセンターにたどり着いた俺は、おつきみやまでゲットしたポケモンをオーキド研究所に送る傍ら、近況報告もかねて博士に連絡を入れた。

「しかし、そうなると旅先で再びロケット団に遭遇する事になるやもしれんな。あまり無茶をしてはいかんぞ」

「はい。気をつけます。俺も基本的には安全に旅をしたいですから」

「うむ。そうそう。ついさっきシゲルたちからトキワシティへ着いたと連絡があった。出発した時間の違いはほんの数時間じゃったが、君の方がずいぶん早いペースで進んでおるな」

 確かに、俺自身がかなり急いで旅をしてきたというところもあるが、連中は随分ちんたら旅をしているようだ。この分だと、俺がクチバシティへ到着する頃には結構な差が開いているかもしれない。

 そのクチバシティも、俺はほぼ素通りする事を決めている。そういう意味では、各地でジムトレーナーに挑戦しなければならない他の連中よりも早いペースで先に進めるというものだ。

 そんな事を思いながら、俺はふと気になった。確か、マサラタウンを旅立つ新人トレーナーは、ヒトカゲ、フシギダネ、ゼニガメのいずれか一体を連れていく事になっている。だが、あの日マサラを旅立ったのは俺も含めて4人。フシギダネは俺が連れているとして、1人は必ずあぶれてしまう事になる。それは一体誰で、どうやって旅を始めたというのだろうか。

「おうおうその事か。実はな。サトシ君だけが時間に遅れてやって来てな。新人用ポケモンはもういなかったから、残っていたピカチュウを連れていったんじゃよ」

「ピカチュウ? あのピカチュウですか?」

「そうじゃ。あの困り者じゃよ」

(ふ~ん・・・ サトシがあのピカチュウをねぇ・・・)

 サトシの連れているピカチュウは、数年前にポケモンが研究所から逃げ出したときに、同じように逃げ出した一体だった。人間はおろか、ポケモンにすらも心を開かず、オーキド博士も手を焼いていたし、何度か遊びに行った俺もたびだび電気ショックを喰らわされたものだ。

 正直、あの事件の時、俺が今連れているフシギダネが協力してくれなかったら、あのピカチュウを連れて帰ることはできなかったろう。雷に対して比較的耐性のあるフシギダネにバトルをさせて、気絶したピカチュウを無理やり引っ張って帰ったのだ。それ以降、ピカチュウは俺を極端に嫌うようになった。

 何にしても、あんな扱いの難しい奴を、よりによってサトシが連れて行ったというのは因果なものだ。しかし、もしかしたらそれは、うまい組み合わせなのかもしれない。俺にしても同じことが言えるのだが、俺やシゲル以外に友人らしい友人のいなかったサトシが、研究所でも孤立していたピカチュウとうまく噛み合う可能性が全く無いとは言えない。

 誰にどのような才能があるかなんて、今の時点で分るわけもないし、ひょっとしたら、俺たち4人の中で、サトシが一番トレーナーとしての伸びしろがあるかもしれないのだ。もっとも、あいつの中では自分のライバルの勘定の中に、俺は含まれていないわけだが。

「ところで博士。例のかせきの件なんですが・・・」

「おお。偶然とはいえ、良い選択をしたな。こうらのかせきの方はカブトに再生できるんじゃが、カブトはすでに研究所に3匹おるんじゃよ。オムナイトはまだ1匹もおらんから助かったわい」

「そうですか」

「カブトのデータは、君のポケモン図鑑にも送っておこう。オムナイトの方は、君がグレンタウンで再生させてやってくれ」

「分りました。それじゃあ・・・」

「そうじゃ。ついでに、今研究所に居るポケモンのリストも送っておこう。もし、2種類以上のどれかを選ばなければならない状況になったら参考にすると良い」

「ありがとうございます」

 電話の後暫くすると、図鑑にいくつかのポケモンのデータが送られてきた。これで、登録済みのポケモンに関しては必ずしもゲットの必要はなくなったわけだ。

 俺は、空白の部分の数を確認しながら、とりあえずは4日以上は他の連中に先行しているから、せっかくなのでハナダシティをあちこち見て回ることにした。

 

 ハナダシティにあるハナダジムでは、ジムと平行して水中ショーなるものをやっているとは聞いていた。

 聞いてはいたが、こんな事やってる連中が、この間のニビシティのタケシのようなバトルをやれるとは到底思えなかった。

 元々は、このジムに挑戦するつもりは全くなかった。前にも言ったが、俺が旅をしている事は、孤児院に知られるわけにはいかない。

 ジムへの挑戦と、それに勝利する事は、ポケモン関連のメディアの注目を集めることになる。それはどうあっても避けなければなかなかった。

 当初の予定では、俺はタマムシシティ、セキチクシティ、ヤマブキシティ、グレンタウンのジムを訪ねるつもりだった。このうち、実際に挑戦を計画していたのはグレンタウンのジムだけだ。

 訪れるジムの選定は、それほど困難では無かった。フシギダネを連れて旅に出ると決めた時、同じ草タイプのポケモンを扱うタマムシジムを見学するのは当然の流れだと思っていたし、セキチクジムは雑誌にとても変わった構造であると載っていて、以前から興味があった。

 ヤマブキジムはエスパータイプがメインのジムだ。エスパータイプはあまり種類が多く無いから、どんな風に育てているのかを見てみたいし、ジムリーダーが美人で巨乳だった(笑)

 グレンタウンは言うまでもない。トキワシティのジムが閉鎖されている今、カントーのジムリーダーでも最強と呼ばれるジムリーダーがいるジムだ。トレーナーとして、ここに挑戦しないなんてどうかしている。

 それならどうしてここに来たのか。1つは、後続の連中に随分差をつけているという事。これまで結構無理な旅程で進んできたせいか、少々体が痛い。野宿が続いたのも原因なのかもしれない。

 そんなわけで、ハナダシティに到着した当日は街のあちこちを見て回り、その後はポケモンセンターでゆっくり休むことにした。

 街自体はトキワシティより小さいので、それほど見て回るようなものは無い。俺は散策にはそれほど時間をかける事なく、午後のやや遅めの時間にはポケモンセンターに引き上げて、ひさしぶりのベッドの感触を心ゆくまで楽しんだ。

 翌日、さっさと旅立っても良かったが、もののついでにハナダジムを覗いてみる事にしたのは、街を行き交う人々の話を何となく聞いたからだった。

「評判通り、素晴らしいショーだったわね」

「ポケモンと人があんな風に共演できるなんて、目からウロコだったよ」

「それに、随所で見せたポケモンの技の数々。ありゃ相当鍛えられてるぜ」

「それにしても、何でジムであんな真似してるんだろう?」

「ああ。なんでもあのジム、存続の危機なんだってさ」

「マジでっ!?」

「ああ。元々あのジムは、今のジムリーダーたちの親がやってたらしいんだけど、経営に行き詰まった挙句、あの娘たちを置いて蒸発したらしい。あまり大きな声では言えないけど」

「ハナダみたいな小さな街だと、ジムの経営って難しいて言うしね」

「一応公的な補助はあるらしいけど、お役所のやる事だからな。詳しくは知らないけど、金額はとてもジムをやってけるレベルじゃないって言うぜ」

「本当に大変なのね・・・」

 どうやら、ここのジムもニビジム同様に訳ありのようだ。そして、ここでもやはり、親の都合に振り回された人たちがジムリーダーをやっているようだ。

 何だか他人とは思えない気がしてきた俺は、ついでに水中ショーとやらを見ていくことにした。聞いた話だと、出ているポケモンは良く育てられているらしいから、今後の参考になる事も少なくないだろうと思ったからだ。

 ところがだ。中身を見てみると、実際は聞いていたほどのシロモノではない。構成はよくできているようにも思えるが、舞台演出の知識があるわけでも、興味があるわけでもない俺にはどうでも良い事だった。

 それに、出演しているポケモンの技も、見た目こそ派手だが技そのものは通り一辺倒の域を出ない。確かに良く育てられてはいるが、平凡だ。

(やれやれ・・・見るほどのものでもないな・・・)

 そう思って席を立とうとした俺は、その認識が一変するような演出を見ることになった。

 人魚の姿をした出演者を、スターミーがバブル光線でプールの上空に浮かせている。一見すると単純で見栄えの良いだけの演出に見えるが、バブル光線でできた泡をプールの周辺に飛散させながら、人一人を楽に浮かばせている。

 元々バブル光線は、吐き出した泡が散乱しやすく、集中して攻撃に利用するのは難しい技でもある。それを、人を傷つけない程度の力加減で、なおかつある程度周囲に飛び散らせながら放つなど、そうそう簡単にできる事では無いはずだ。

 やがてスターミーは、バブル光線の威力を調節しながら、徐々にその勢いを弱め、上に載っている人は、適度な高さに来ると実に美しい身のこなしでプールに飛び込んだ。その様はまさに、童話の人魚姫のそれを彷彿とさせるものだった。

 見事だ。その一言に尽きる。このようなショーをやる人なら、タケシに引けを取らない、いやむしろ上回る使い手の可能性がある。俺は、ダメ元でこのジムのジムリーダーにエキシビジョンでの対戦を希望することにした。

 

 

「エキシビジョン~~?」

 俺が話を切り出すなり、ジムリーダーの1人であるアヤメさんは胡散臭そうにそう言うと、俺をまるで値踏みでもするように頭の先から足の先までジロジロと見た。まあ、思った通りの反応だ。

 なんでも今このジムは、サクラさん、アヤメさん、ボタンさんの3人で管理しているらしい。三人は姉妹で、もう一人末の妹がいるそうだが、彼女はより高いレベルのポケモントレーナーになるために旅に出ているのだそうだ。

 女性のポケモントレーナーが珍しいというわけではないが、1人で旅に出るのは珍しい。それはともかくとして、俺は自分が日陰者である事もちゃんと説明し、その上で再度お願いした。

「さっき、水中ショーを見たんです。最後のスターミーのバブル光線は本当にすごかった。だから、是非手合わせをさせて頂きたいと思ったんです」

「でもね~。あのスターミー、私たちのポケモンじゃないのよ~」

 ジムリーダーの1人で、この姉妹の長女であるサクラさんが言うには、さっきのスターミーはこのジムを旅立った末妹のカスミという娘のものらしい。先の通り、彼女はポケモントレーナーとしてレベルを上げるために旅に出たらしいが、その際スターミーをジムに残していったのだそうだ。

 スターミーは厳密には彼女らの手持ちではないため、とりあえず水中ショーの手伝いだけをしてもらっているらしい。何とも拍子抜けな話だが、彼女らが言うには、妹のカスミという娘は姉妹の中でも実力的には一番劣るのだそうだ。

 本当かどうかは分らないが、それなら彼女たちはやはり相当なレベルのトレーナーのはずだ。戦っておいて損は無いはずである。

「そぉねぇ。ウチも一応ジムなんだし、トレーナーとしては挑戦を受けたら逃げるわけにはいかないわね。それじゃボタン、お願いね」

「え~なんであたしが~」

 何だかすげぇ嫌そうだ。どうしてここまでトレーナーとの対戦を面倒くさがるのだろう。正直少々頭にきていた俺は、やるのであれば既にフシギソウに進化して久しい相棒か、これまた既に10万ボルトを自在に操ることができるようになっているピカチュウのどちらか(あるいは両方)でやってやろうと決めた。

「仕方ないでしょ。私はさっきのショーで疲れちゃったし、アヤメは次のショーの台本書かないといけないんだから」

「しょうがないなぁ・・・」

 としぶしぶ感満点のボタンさん。なんだか俺は、正直

「じゃあいいです」 

と言いたい気分になっていた。

「勝負は1対1。先に相手のポケモンを戦闘不能にした方の勝利とします」

 審判をつとめるサクラさんの声を聞きながらも、戦いを前にした今でさえ俺はげんなりしていた。もちろんそれは、先ほどのやりとりのせいである。

 まさか、挑戦者をそういう気分にさせる事が作戦だったのではないかと思わせるほどに、とにかくやる気を感じることのできないジムだった。俺は非公式な挑戦だから勝っても負けてもそのまま旅を続けるが、シゲルたちがカントーリーグへの挑戦を考えているのであれば、他人事ながらなんとなく気の毒になるようなジム戦が予想された。

「行ってきて! トサキント!」

 そういってボタンさんが繰り出したのは、それなりに育てられているように見えるトサキントだった。トサキントねぇ・・・

 さっきまでは、フシギソウやピカチュウを使って圧倒的な勝利をしようと考えていた俺だが、今はいささか冷静になっている。そんな俺が、十分に育った相手の苦手なタイプの手持ちポケモンを戦いに出すのに迷いが生じたのも無理は無い事だろう。

 どんな相手であれ、ポケモントレーナーの勝負というのは、勝負である上に互いの鍛錬の場である。そんな所に、相手を圧倒する事が確実なポケモンを出すのはいかがなものか。

 相手がアズマオウくらいまで育てられているのであれば、俺も迷い無く彼らを場に出しただろうが、トサキント相手ではいかんせん気の毒すぎる。ここは1つ、今の俺の手持ちメンバーの中では成長著しいサンドで戦う事にした。

 ご存知の通り、サンドは地面タイプだ。水タイプのトサキント相手にはやや不利な相手と言えなくもない。ただ、それも相手の育て方次第だ。

 実際、今目の前にいるトサキントは、おそらく『たきのぼり』を覚えるほどにまでは育てられていない。そうであれば、使える技はひこうタイプやノーマルタイプのものばかりのはずだ。他の場所で技を教えられているのであれば話は別だが、俺のサンドもそろそろサンドパンに進化してもおかしくない頃だ。きっと良い勝負になるだろう。

「出ろ! サン・・・」

 俺がサンドを出そうとしたその時だ。プールの横合いからポケモンがモンスターボールから勝手に飛び出してきた。なんとギャラドスだ。

 確かにギャラドスは水タイプのポケモンだが、分類は『凶悪ポケモン』とされている。その名の通りかなり凶暴なポケモンで、なかなかトレーナーの言う事を聞かないのだ。

 オーキド研究所の資料によれば、コイキングがある程度まで成長するとギャラドスへと進化するというが、そうするトレーナーはほとんどいない。

 理由は2つあって、1つはコイキングを育てるのにはウンザリするほど時間と手間がかかる事。もう1つは先の通り、極めて凶暴で扱いが難しいためだ。

 ハナダジムは水タイプのポケモンジムだから、確かにギャラドスがいても不思議ではない。不思議ではないが、これほどやる気の感じられないジムに、まさかこんな大物がいるとは夢にも思わなかった。

「大変! またあの子勝手に出てきちゃったわ!」

 サクラさんが驚いている間に、ギャラドスはなんとボタンさんのトサキントを強烈な尾の一撃でのしてしまった。

「ちょっと! あたしのトサキントになんて事するのよ!」

 そう怒鳴るボタンさんに向かって、ギャラドスは強烈なハイドロポンプを繰り出す。間一髪でボタンさんはそれを避けたが、直撃した場所はすさまじいまでに破壊されていた。なんてパワーだ。

 それにしても、どうやらこの人たちは、ギャラドスをちゃんとコントロールすることができていないらしい。確かにギャラドスは扱いの難しいポケモンだが、よくそれでジムリーダーなんぞやっていられるものだ。

 ところで、本来の対戦相手だったトサキントが戦闘不能になってしまった以上、俺がギャラドスを戦うべき相手とみなすのは当然の事だったと思う。

 どちらにしろ、こんな状況を放っておくことはできないし、できたとしてもここからギャラドスの攻撃を受けずに逃げ出すことは不可能に近い。とにかく、ギャラドスをおとなしくさせるのが先決だった。

 

「出ろ! ピカチュウ! 相手にとって不足は無いぞ!」

 それまでのげんなり感はすっかりなくなった。自分の育てたピカチュウが、相性の有利なタイプとはいえかなりの強敵であるギャラドスを相手にどこまで戦えるか。あるいは、俺がどこまで戦わせることができるか。

 この戦いは、まさに俺のトレーナーとしての現在の力量を図るためにはうってつけの戦いと言えた。これまでの育て方。これからの戦いの仕方。そのすべてが現在の俺の実力という事になる。

「ピカチュウ! 電光石火で足場を動き回れ!」

 ハナダジムは水タイプのジムなので、ジム側のポケモンは当然水タイプになる。なので、バトルフィールドも水タイプが有利なように広いプールに足場となる浮橋を浮かべたものになっているのだ。

 一見するとジムに有利に見え、不公平感を感じるかもしれないが、実際には使用するポケモンのタイプを公表しているジムの方が明らかに不利だ。

 あらかじめ使用ポケモンが絞り込めるのだから、挑戦するトレーナーたちは、それに備えて水タイプに対して有利なタイプのポケモン、電気タイプや草タイプのポケモンを手持ちに加えるといった対策を取ることができる。

 それを考えれば、水タイプのポケモンが実力を十分に発揮できるようなバトルフィールドを使用する事に文句は言えないし、対策を十分に立てている場合は挑戦者の方が有利である事に変わりは無いだろう。

 俺がピカチュウに足場を動き回るように指示したのは、以前のタケシとの戦いの時と同じ理由からだ。動き回るピカチュウを追うギャラドスの動きを見て、ギャラドスの死角を見極める作戦だ。

 ギャラドスはイワークと違って、顔の中央には突起が無い。それだけ視野が広いわけだが、目が顔の前面についているのは同じだ。必ず左右のどちらかに動きは偏っているはずである。

 俺は集中してギャラドスの動きを観察した。急いで見極めをつけなければ、動き回るピカチュウのスタミナがきれてしまうからだ。左への動きの方が少しだけ良いことに気がついた俺は、次の指示をピカチュウに出した。

「ギャラドスの右から後ろに回り込め!」

 俺の読みどおり、ギャラドスは右への反応がわずかに遅い。そこをついたのだが、相手もなかなかに手強い。ピカチュウが回り込んだ方向に尾で強烈な一撃を繰り出してきた。

「避けろピカチュウ!」

 俺の指示で間一髪ピカチュウは攻撃を躱したが、そう簡単に後ろを取らせてはもらえそうにない。ギャラドスはさらに、連続してピカチュウに噛みつく攻撃を繰り出してきた。

 俺の指示を待つまでもなく、ピカチュウはギャラドスの攻撃を必死に躱しているが、ギャラドスの動きが速い。急いで対策を講じなければピカチュウが倒されてしまう。スタミナもそれほど残っていないはずだ。

 ふと俺は、ギャラドスの動きに気がついた。噛みつく攻撃を繰り出すためには、当然ながら顔をピカチュウに近づけなければならない。

 ギャラドスの体長はおおよそ7m未満で体はそれほど柔らかい方ではない。俺の腹は決まった。

「ピカチュウ! ギャラドスの真上に飛べ!」

 噛みつき攻撃を繰り出すタイミングで俺はピカチュウに指示を出した。俺の予想どおり、ピカチュウに突進したギャラドスはそのまま直進し、落下したピカチュウはギャラドスの頭部から3mほどの場所に張り付くことができた。

 あの位置であれば、ギャラドスがどれほど体をひねってもピカチュウの方を向くことはできない。となれば、噛みつく攻撃もハイドロポンプも空振りするだけだ。

 それに、尾の攻撃もあそこならぎりぎり届かない。そうなると、ギャラドスがピカチュウを振りほどくためには動き回るか、自らの体を水面なり地面なりに叩きつける他ない。

 動き回ってピカチュウを振りほどくいは時間がかかるし、体をどこかに叩きつけるにはギャラドス自身もダメージを負う事になるため躊躇がある。俺の狙いはそこだった。

「ギャラドスに張り付いたまま10万ボルト!」

 強烈な電撃が周囲に飛散する。それほどまでに、今のピカチュウの10万ボルトは強力なのだ。一応技の名前が『10万ボルト』なのだが、実際にはそれ以上のパワーがあるかもしれない。

 俺自身がピカチュウをしっかり育てたという事もあるのだろうが、それ以上にピカチュウの個体の能力が高かったという事なのだろう。俺にとってはうれしい驚きだった。

 自分の体に直接苦手な電撃、それも強力な一撃をお見舞いされたギャラドスはさすがにこたえたようだ。それだけでとどめが刺せるほどでは無かったが、もう戦う力はほとんど残っていなかっただろう。

「戻りなさいギャラドス!」

 いつの間にか、ギャラドスのモンスターボールを確保したサクラさんがギャラドスを引っ込めた。勝負ありという事だな。

「実際に勝負はできなかったけど、あなたの実力は良く分ったわ」

 サクラさんが、急にジムリーダーらしい事を言ったのには少々驚いた。

「サクラ姉さんのギャラドスが乱入しなかったら、絶対あたしの勝ちだったんだから」

 相変わらず勝気な発言をボタンさんがする。俺としては苦笑するしかない。

「これがジム戦だったらバッジを渡す所なんだけど、今回はこれをあげる」

 そう言ってサクラさんが差し出したのは、先ほどのギャラドスのモンスターボールだった。

「いいんですか?」

「ええ。わたしたちじゃとても扱い切れないし、水中ショーにも使うのは難しいから」

 そういう事か・・・俺としては、また苦笑するしかない。

 何だか妙ななりゆきだったが、俺は非公式ながらハナダジムを勝ち抜き、ギャラドスをゲットした。早速オーキド博士の所に送ることにしよう。

「旅先でもしウチの妹に会うような事があったら、よろしく伝えておいてね」

 これまでさほど発言の無かったアヤメさんがそう言った。なんやかんやで妹の事が心配なのだろう。

「それじゃあ俺、そろそろ行きます」

「そう。色々あると思うけど、がんばってね」

 そう言うサクラさんは、それまでに見せた事の無い、俺も見た事があまり無いような笑顔を浮かべていた。その表情は、後々まで俺の印象に深く残るのだった。



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4.それぞれの道

「というわけで、こちらでは手がつけられないほどに暴れまくってな。大変だったんじゃ」

 クチバシティに到着した俺は、ハナダシティを出発する直前にオーキド研究所に預けたギャラドスの話を博士から聞いていた。

 ハナダシティのジムでのバトルの後、ほとんど押し付けられる形でゲットしたギャラドスだったが、まずは研究所に送るのが先だろうと思い、ハナダシティを出る前に研究所に転送したのだ。

 だが、ギャラドスは『凶悪ポケモン』の名に恥じない、見事な暴れっぷりを披露したようだ。研究所の敷地にはプールもあって、多くの水ポケモンがそこで暮らしているのだが、そこにいた他のポケモンを残らずプールの外に叩き出したのだそうだ。

 それを諌めに行ったオーキド博士に向かってハイドロポンプを連発し、プールの建屋そのものが崩れ落ちたという。俺としては平謝りしかない。

「そんなわけだから、ギャラドスはお前の手元に戻すぞ。大変じゃとは思うが、しっかり世話してやってくれ」

「はぁ・・・」

 正直、博士の手に負えないような凶暴な奴を、名もなき新人トレーナーに過ぎない俺がどうにかできるなんて思えなかった。

 だが、どういう経緯であったにせよ、ギャラドスは今俺のポケモンだ。俺が見捨てたら、こいつは行く場所も無くさすらうことになる。それは良いポケモントレーナーのすることではない。

 世の中には、弱いだととか、自分になつかないだとかいう理由でポケモンを捨ててしまうトレーナーがごまんといる。

 俺は、そんな真似をするような連中をトレーナーとは呼ばない。ポケモンは生き物であって、物ではない。自分にとって不要だからといって、捨てるなんて真似はぜったいにすべきではない。

 欲しがっている他の人にゆずるという手もあるし、トレーナー同士で交換することだってできるはずだ。

 『逃す』という行為もある。これは、ポケモンのためを思ってあえて手放す行為であり、結果は同じであっても『捨てる』とは明らかに違う。

 中には、捨てた後に自分を追って来ないように、木にしばったりするような輩もいるのだそうだ。そういう奴は、最初からポケモンに関わるべきではない。

 ところで、戻って来たギャラドスは、俺が心配するような真似は一切しなかった。これのどこが凶暴なんだと思うほどに大人しいし、後から入ってきたポケモンの世話もしてくれる。

 一度など、頭にケーシィを載せたまま泳ぎ回っていた。載せられたケーシィは楽しそうだったし、ギャラドスも楽しそうだった。

 思うに、ギャラドスは凶悪なのではなく、単に縄張り意識や仲間意識が強いだけなのではないだろうか。自分の縄張りを守るため、他の者に対して凶暴な姿を見せているだけのように、俺には思えてならない。

 逆に、今俺や俺のポケモンたちに対して凶暴な姿を見せないのは、俺たちを仲間とみなしているからなのではないだろうか。

 他のポケモンを体の上に載せて楽しいそうにしているギャラドスを見るにつけ、ポケモンのことを知るには、実際に触れ合ってみないと分からないことが多いものだと俺は実感した。

 もしかしたら、これは俺のギャラドスに限ったことなのかもしれない。たまたま奴が、ギャラドスの中では比較的温和な性格をしているだけで、通常のギャラドスは、やはり凶暴で危険なポケモンなのかもしれなかった。

 ただ、俺が知る限り、ギャラドスのゲットに挑んだポケモントレーナーが、命を落とすようなことになったという事例は聞いたことが無かった。

 おそらくそれは、野性のギャラドスが自分の縄張りに入ったポケモンとトレーナーを追い払って、それに満足したからなのではないだろうか。そう思うと、やはりポケモンの生体には興味がおおいにそそられる。

 俺がもし、シゲルの2/3位の脳みそを持っていれば、ひょっとしたらポケモンの研究者への道へ進めたかもしれない。オーキド博士のような、世間からもポケモン研究の第一人者とまでは思われなくても、そこそこの研究ができる研究者になれれば御の字だ。

 もっとも、最近のオーキド博士は、ポケモン研究者としてだけでなくポケモン川柳でも有名で、案外そっちの仕事の方が多いのかもしれないが。

 だが、残念ながら俺は、辛うじてサトシと他数名と一緒に、クラスの最下位にならないように鎬を削るといったレベルの学力しか持っていない。

 まあ、元々俺は、俺自身にそれほど期待なんぞしていない。俺は単にポケモンが好きで、ポケモンに関連した仕事をしたいと思いつつも、孤児院の方針でその道にまっすぐ進めないだけの、しがないトレーナーもどきなのだ。

 

 カントー地方において、クチバシティほど有名な街はあまり無い。というのも、クチバシティには大きな港があり、そこから他の地方へ行くことのできる大きな船がたくさん出入りしているのだ。

 そのためか、港の周辺には各地方へ旅行するツアーのパンフレットが置いていたりする。

 オーキド博士の研究のため、カントーでできるだけ多くのポケモンをゲットするという使命のある俺が、よその地方に出かけていくなんてことはどあろうはずが無い。

 無いのだが、旅と聞けばどうしても気になるのが男という生き物なのだろう。俺も、別に行くわけでもないそれぞれの地方に思いを馳せるべく、それぞれの地方のパンフレットを手にしてみた。

 予定通りクチバを素通りした俺は、シオンタウンに向かう道すがら、いくつかのパンフレットを眺めてみた。最初に気持ちを引かれたのは、シンオウ地方だった。

 シンオウ地方はとても寒いところらしいのだが、自然がとても豊かで、そこに生息しているポケモンの数も相当なものなのだそうだ。

 多くのポケモンがシンオウ地方固有のポケモンで、他の地域に住んでいるポケモンも見受けられるらしく、ポケモン研究者も一度はシンオウで研究のための勉強をするのだそうだ。

 街の数も多く、近代的な大きな街が多いのだそうだが、中にはかなり古い歴史のある街もあり、シンオウ全体には古代ポケモンにまつわる伝説が各所に伝えられているという。

 言うまでも無いが、昔のポケモンの種類や行動を知るということは、現在のポケモンの研究にも欠かせないことであり、オーキド博士の先輩にあたる研究者が、そこでポケモンの進化についての研究をしているという話を聞いたことがある。

 シンオウには、他にもポケモンにまつわる古代の出来事について研究する考古学者もいるのだそうだ。そんなおもしろそうな所、ポケモン好きの人間で行きたいと思わないやつはきっといやしない。俺はもちろん行きたいと思った。

 だが、俺の気持ちをより強く惹きつけたのは、まったく別の地方のパンフレットだった。

 そこには、ポケモンリーグが存在していないらしい。ポケモンがいないわけでもないのだが、ポケモントレーナーの絶対数が、他の地方と比べて圧倒的に少ないのだそうだ。

 そのため、ポケモン研究の見地からすればまさに未開の地であり、しかもその地方にしかいない固有のポケモンの数も、他の地方と比べて圧倒的に多いというのだ。

 パンフレットにその一例として写真が載っているのだが、これが少々驚きのものだった。

 そのポケモンは、名前を『ストロープ』と言うのだそうだが、何とも形容しがたい姿をしている。見た感じは花のようにも見えるのだが、何というか、色がかなり毒々しい。

 茎と思える部分から花と思える部分は、優美とも言えるほどに美しい曲線を描いているが、花にむかって膨らんで、花の中からは管だか紐だかのようなものが出ている。

 花の部分もどぎつい赤に黄色の斑点のようなものがついていて、全体的に何というか、ぬめっとした光沢をもっている。茎の色も緑ではあるが、草原を連想させるような美しい緑ではなく、ドブを思わせるような毒々しい暗い緑だ。

 そんな、できればちょっと近づきたく無いような印象を与えるポケモンの写真が、他にも数点パンフレットに掲載されている。

 俺としては、こんなポケモンがいるという地域を旅行先として勧める旅行会社の営業精神もさることながら、このポケモンの写真を見て、その地方に行きたがる人がいると思っているパンフレットの制作会社にも呆れざるを得ない。

 それにしても、ストロープの姿を見るにつけ、この地方でポケモントレーナーが少ない理由がなんとなく分かる。

 ここまで、カントーの色々なポケモンを捕まえてきたのだが、そのどれもがかっこよかったり、かわいかったりする。そうした姿を見て、子供たちはポケモンに興味と憧れを持つようになるのだ。

 そして、ポケモンに関連する何らかのものに自分もなるために、手始めにトレーナーとしての旅を始めるのである。

 だが、ストロープにしろ他のポケモンにしろ、この地方のポケモンはそういったかわいいだのかっこいいだのと思わせるものは1つもいない。どちらかと言えば気色の悪い姿をしたやつばかりだ。これを捕まえるには少々の勇気がいりそうだった。

 俺もポケモンが好きで今のような境遇でさえ甘んじて受け入れているのだが、これはあまり捕まえたいとは思わなかった。

 ところで、パンフレットには『ミアス地方』と書かれている。この地方の名前には聞き覚えがあった。俺が興味を持ったのは、この地名を見たからだ。

 実は、以前オーキド博士に、このミアス地方について少し話を聞いたことがあったのだ。ポケモン研究者としては気になる地域であることや、博士がタマムシ大学で教授をしていた頃の教え子が、研究者としてその地方にいるといったことだ。

 その人は、ポケモンの体について研究していて、例えば、破壊光線やギガインパクトといった大技を放ったポケモンが、一時的に体が動かなくなるのはなぜかとか、同じような体当たりをするような技であるにも関わらず、反動があるものとそうでないものがあるのはなぜかといったことを研究しているのだそうだ。

 今でこそ、そうした分野は『ポケモン生理学』として1つの研究ジャンルになっているのだそうだが、その人が研究をするためにミアス地方に移り住んだ当初は、異端の研究者として良くも悪くも注目されたのだそうだ。

 年齢も博士号を持っている人としては比較的若い方らしい。名前は何と言ったか・・・

 

 辛気臭い。それがこの街の第一印象だ。ご存知の通り、シオンタウンはカントー地方全域から死んでしまったポケモンが集まり、ここに墓が作られている。だから、こんな雰囲気になるのは分かっている。

 分かってはいるが、やはり来てみるとどうしてもその雰囲気にはおどろかざるを得ない。未だ手持ちのポケモンが死んでしまった経験の無い俺には分からないのかもしれないが、こうして持ち主がいつまでも悲しみ続けている状況というのは、天国にいるポケモンたちの目にはどのように映るのだろうか。

 忘れて欲しくはないだろう。だが、いつまでも悲しんで欲しいとも思ってはいないのではないだろうか。

 ポケモンとの追憶はいつまでも持っているとしても、泣き暮らしている持ち主の姿を見たポケモンの方こそ、悲しい気持ちになるのではないか。俺にはそう思えてならない。

 ところで、そういった場所のためか、ポケモンたちの墓のあるポケモンタワーには、どこからともなくゴーストポケモンが集まって来るという。ここに入るのには、やはりポケモンを連れていなければ無理そうだ。

 俺としても、ポケモンの先人たちに対する追悼の思いもあるから、一応中に入ってお参りくらいはしておこうと思う。

 ここに葬られているポケモンのすべてがすべてというわけでは無いだろうが、中にはトレーナーとして高みに登ろうという持ち主と共に旅をして、その途上で果てたポケモンもいるだろう。

 そうしたポケモンに鎮魂の思いを馳せるのも、ポケモントレーナーとして当然の行為だ。もっとも、厳密には俺はトレーナーでは無いのかもしれないが。

 それに、俺はオーキド博士からの依頼でポケモンを集めている。ゴーストタイプのポケモンをゲットできる数少ないチャンスを逃すわけにはいかない。

 まあ、まずはポケモンセンターに行って手持ちのポケモンたちに一休みをさせるかたわら、オーキド博士に連絡をしておく必要があるだろう。

「おお。リョウジか。その様子じゃと、どうやらシオンタウンに到着したようじゃな」

「分かるんですか?」

「もちろんじゃ。そこには・・・いや、それは良い。それより、シゲルの奴から連絡があってな。今、クチバシティに来ているサント・アンヌ号にいるそうじゃ」

「サント・アンヌ号?」

 なんでも、俺がクチバシティを出発した翌日にその船が港に入港したのだそうだ。世情に疎い俺は知らなかったが、世間には名の知れた豪華客船で、クチバに停泊している間、実際に客が入っている客室を除いて、艦内を一般に公開しているという。

 特に、ポケモン好きな船長の計らいで、ポケモントレーナーが乗船した場合は無料で食事ができたり、船内の多目的スペースでポケモンバトルの大会が開催されたりしているという。かなり楽しそうだ。

 俺が普通のポケモントレーナーであれば、今すぐに踵を返してクチバシティに急ぐことだろうが、生憎と俺は急いでいる。

 それに既にクチバにまで来ているシゲルと顔を合わせるのはまずい。俺の旅はあくまでも極秘のことであり、少なくともマサラタウン出身者に俺がポケモンを連れて旅に出ていることは知られてはならない。

 また、ポケモントレーナーとして世間の注目を集めることも憚られる。俺がこれまで世話になってきた孤児院は、院の出身者がポケモントレーナーになることを固く禁じているからだ。

 とにかく、ずいぶんと差を開いていたはずのシゲルが、すぐ後ろにまで迫ってきているという事は、俺にとっては憂慮しなければならない事だった。とにかく急ぐ必要がある。

「シゲルのやつは、サント・アンヌ号が出向するまではクチバシティで羽を伸ばすと言っておった。それほど気にする必要は無いとは思うが、追いつかれないためには、できるだけ先を急いだ方が良さそうじゃな」

 博士の言う通りだ。俺は、タワーでゴーストポケモンをゲットしたら、早々に街を出ることに決めた。

「ポケモンタワーでまともに戦うには、必要なものがある。わしの知り合いのフジという人物がいるから、尋ねて見ると良いじゃろう」

「わかりました。ありがとうございます」

 俺は、ポケモンたちの回復を待って、言われたフジという人物を尋ねることにした。

 フジという人はシオンタウンでも有名な人だった。なんでも、自宅をボランティアハウスとして開放し、そこで人間に見捨てられたポケモンを保護しているのだそうだ。

 俺が訪ねて行き、用件を伝えると、フジと言われるそのおじいさんは何とも言いようの無い表情を浮かべた。

「そうか。オーキドくんはまだがんばっているんじゃな・・・」

 感慨深げにも見え、苦しそうにも見える表情を浮かべつつそういうフジ老人を見て、俺は問いたい気持ちをぐっと飲み込んだ。

 俺でなくとも、旅先でオーキド博士の知人に出会う機会があれば、博士とはどのような関係なのかと聞いてみたい気持ちになるだろう。おそらくは、若い頃に博士といっしょに研究をしていたとか、そういった関係なのではないかと思う。

 だが、今目の前にいるこの老人にそれを聞くのは、まともな神経を持っている人にはきっと無理だろう。思うに、何か思い出したく無いような出来事があって、そのせいでこの人はポケモン研究の道を離れたのではないだろうか。

「ポケモンタワーに住んでいるポケモンたちは、これをつけていなければ正体を突き止めるのは難しい。持って行きなさい」

 そういってフジ老人が俺に差しだしものは、何か妙な機械のようなものだ。眼鏡のようなものにも見えるが、これは一体何なんだろう?

「ポケモンタワーに行った時、正体のわからない者が出てくるはずじゃ。それをつけてそいつを見れば、正体が分かるはずじゃ。正体さえわかってしまえば、ポケモンも攻撃ができる」

 そういえば、ポケモンセンターでもタワーに行ったトレーナーが、幽霊のようなものに追いかけられたと言っていたな。それを見たポケモンも怯えて、技を出すことができなかったらしい。

 俺が実際に見たわけではないが、どうやらゴーストポケモンはそうやって身を守っているようだ。ゲットするにはバトルは不可欠だ。これはとてもありがたい。

「ありがとうございます」

「・・・君は、若い頃の私に似ておる。それだけに、私のような過ちを犯して欲しくない。だから、何があってもポケモンを労る気持ちだけは無くさないでくれ・・・」

 フジ老人はそう言うと、その後は何も語ろうとはしなかった。俺はもう一度お礼を言うと、ボランティアハウスを後にした。

 

 散発的にあった野性のポケモン、その殆どがゴーストタイプだったが、彼らとの戦いをなんとか凌ぎきった俺は、ついにポケモンタワーの最上部にたどり着いた。

 はっきり言えば、何も無いところだ。ただ、かなりの高さなので眺めは良さそうに感じる。霧の煙る状態がずっと続くシオンタウンだが、もし天候がよければカントー地方の端まで見渡すこともできそうだった。

 しかし殺風景なところだ。ここにはポケモンの墓も無いようだし、何より移動する場所も限られている。ざっと見渡したところ、見どころになるようなものではない。

 それぞれの墓にも手を合わせたし、ポケモンもゲットした。もう夕暮れであまり視界も良くないことだし、引き返した方が良さそうだ。

 そう思って帰ろうとした時、俺の右前方から何やら物音がした。かすんで良くは見えないが、音がした方向には柱があり、その柱の近くに人影のようなものが動いている。

 妙だ。こんな何もない屋上みたいなところに、用もなくやって来るのは俺くらいのものだと思う。しかも、時間が時間だ。

 どうもあやしい。いや、向こうが俺がここにいることを知ったら、向こうが俺のことをそう思うのかもしれないが。

 とにかく様子を見てみよう。もしかしたら、まだゲットしていないポケモンの可能性だって無いわけではないことだし。

 慎重に足音を立てないよう、俺は膝立ち状態で影の方に近づいていった。影は、今でははっきりとそれが人であることがわかる大きさに見える。

 さらに近づいた俺は、その人が柱の周囲を調べるようになでまわしてみたり、回り込んでみたりしていることに気がついた。この時点で、俺はこの人影がロケット団員であることに気がついた。

 しかも、いつぞやおつきみやまでピッピと遭遇した際にいた下っ端のようだ。何をやっているんだろう。

「あんた何やってんだ」

「うわぁっ!?」

 至近距離から俺がいきなり声をかけたもんだから、やっこさん相当驚いたようだ。驚いたのは仕方ないが、驚きついでに飛び下がったのはまずかった。ロケット団員の飛び下がった方向には床が無いのだ。

「うわっ!? うわぁ~~~!!」

 足場の無い場所に人が着地しようとした場合のことなど、今更解説する必要も無いだろう。俺は大急ぎでそちらに走り寄ると、急いでロケット団員の腕をひっつかんだ。

「しっかりしろ!」

「あ! お前この前の!!」

 今はそれよりこの状況をなんとかしなければならない。俺も同世代の子供の中では体力が無駄にある方だが、だからといって、大人一人を引っ張り上げるほどの剛の者ではない。このままでは二人共タワーのてっぺんから真っ逆さまだ。

 じりじりとすべり落ちそうになりながらも、俺はもう片方の手でなんとかモンスターボールを放り投げることができた。誰が入っているボールかは正直分からないが、誰であってもポケモンさえ出せればなんとかなるはずだ。

 幸いなことに、ボールの住人は我が相棒のフシギバナだった。すっかり成長したこいつのパワーなら、俺たち二人を持ち上げることなど造作もないことだった。寸でのところで二人して転げ落ちそうになったところを、フシギバナがつるの鞭で間一髪助けてくれた。

 高さが高さだから、落ちていたら二人してあの世行きだ。志半ばにしてロケット団員と心中なぞごめん被りたい。

「ぜぇぜぇ・・・一応礼を言うべきだな」

「それは別にいいけど・・・あんたそれで良くロケット団がつとまるな・・・」

「うるせぇよ。俺だって、好きでこんなことやってんじゃねぇ」

 別に聞きたいと言った覚えもないが、男は自分がロケット団に入るまでの顛末を勝手に話し始めた。いい迷惑だったが、何となくその場を離れ辛い雰囲気になってしまったので、俺としては不本意ながら聞いてやるしかない。

 最初は、どこにでもいるトレーナー志望の少年だったこの男は、ポケモンリーグへの出場を目指して旅を始めた。

 当初は勝ったり負けたりを繰り返しながら、徐々に自分と自分の手持ちポケモンたちが成長しているのが感じられ、とても充実していたという。

 ところが、ある時点から他のトレーナーに負けることがとても多くなってきたのだそうだ。

 トレーナーなら、誰しもが一度は通る道なのだが、彼はそこでかなり悩んでしまったらしい。ポケモンを鍛えても鍛えても、どうしても勝てない相手が出てくる。

 どれだけ鍛えてもかなわない相手と数十回戦った後、彼はトレーナーとしての自身の限界を感じて引退したという。

 トレーナーの道を諦めた人間の末路は様々だが、彼は大半の元トレーナーがそうするように、『社会復帰プログラム』に参加して、どうにか中学校への進学を果たした。

 だが、年齢のこともあってクラスに馴染むことができず、半年ほどでせっかく入った中学校を退学してしまったのだそうだ。

 そうなると、後は絵に描いたような転落人生が待っていた。学歴も中途半端な彼は、様々な仕事についたがそのどこでもバカにされ、長続きしなかった。

 自暴自棄になった彼は、死のうと思って大きな車の前に飛び出した。それが、ロケット団の総帥の車だったのだそうだ。

 結局轢かれなかった彼は、そのままロケット団に入るはめになり、最初は作戦ではなく強奪したポケモンの世話をさせられていたという。

「あの仕事は嫌いじゃなかった。強奪したとはいえ、ポケモンの世話をしてたんだからな」

 その仕事が性に合っていた彼だが、そのままというわけにはいかなかった。配置換えが行われた際に下っ端として作戦に駆り出され、現在に至るのだそうだ。

「結局俺は、どこで何をしていようとダメなんだよ・・・」

 俺としては、かける言葉も無かった。俺が明日、こうならないと誰に言えるだろうか。

 そりゃ、俺だってここに来るまでに、何度か他のトレーナーたちとバトルもした。負けたこともありはするが、そこが自分の限界だとは思っていない。たまたま俺が、その時いっしょに戦ったポケモンに向いた指示を出せなかっただけだ。

 とはいえ、きっと俺にもどこかで、この男が当たった壁がやってくるに違い無い。もちろん俺は乗り越える気満々だ。だが、それを乗り越える自信はあるが、保証はどこにもないのだ。

 そんなものがあるなら、殆ど全てのポケモントレーナーが名うてのトレーナーになっているはずだ。同情するわけではないが、俺にはこの男のことを笑うことはできなかった。

「くだらん泣き言は、その辺にしておけ」

 後方からのその声に、男は怯えるように振り返った。俺はゆっくりと立ち上がると、声のした方に目を向けた。

 聞き覚えのある声だった。そして、その声の主を、俺は素通りしたトキワシティのジムで一瞥していたのを思い出した。

「ヒデトにいさん・・・」



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5.退くことのできない戦い

かつて孤児院で共に過ごした人が、今はロケット団の上位幹部。
昔の交誼も今はどうか。そして戦いの行方は・・・


 いつの時代でも、子供は自分や自分の友人とは違うタイプの人間を見つけるのがうまいものだ。

 そして、自分のグループの方が多数派だった時、多数派グループ全体で少数派を無邪気に弾圧するのだ。

 ちょっとした違いで良い。自分たちより少し勉強ができないだとか、少し考え方が違うだとか。ひどいのになると、体が不自由だという点まで対象になる。

 多くの場合、そうした連中は単に相手側を卑下して自己陶酔をするだけで満足する。だが、中には過剰に身体的あるいは精神的に相手を攻撃する場合もある。俗に言う「イジメ」というやつだ。

 内容は様々だが、時としてそれは、対象となった人物が自らの命を絶つほどに凄絶なこともあるという。俺の周囲でそういった話は聞いたことが無いが、テレビのニュースなんかでしばしばそういったケースを目にしたりすることはあった。

 俺はと言えば、どう考えてもイジメに遭う方の人間だった。孤児院から通っている。両親がいない。『普通の』家庭にいる年の近い子供たちからすれば、明らかに自分たちとは異質な存在で、かつ自分たちの方が優位な立場にあると考えられる状況だった。

 大人にしてもそうだと思うが、例えば1対1の場合はそれほど大きな問題にはならない。良くても取っ組み合いの喧嘩で済む。だが、イジメる人間が複数いると、その状況は一変するのだ。

 一言で言えばタチが悪くなる。相手が泣いていようがどうしていようがお構い無しだ。気に入らなければ寄ってたかって暴力を奮う。持ち物を隠したり壊したりするなど、陰に陽にイジメを繰り返す。

 回数が増す度にその内容はエスカレートしていく。こうなってくると、周囲の大人の制御などまったく受け付けなくなる。むしろ、大人からの圧力があると、それをイジメの対象者の責任と決めつけて、より非道な行いをするようになる。

 俺はそれほど腕っ節に自信のある方ではない。体こそ同世代のわりには大きかったし、それなりに体力はあったのだが、喧嘩という行為にはそれ以外の要素も必要だ。

 例えば、相手を痛めつけるための技術なり、相手に負けない精神力だったり。俺について言えば、今でこそそうでも無いのだが、学校に入った当初は今では笑ってしまうほどに気が小さい人間だった。

 孤児院の子供の多くはそうだった。むしろ、親と呼べる人間のいない不安感と劣等感が、常に心の底に泥濘のように滞留している。ターゲットを探している連中からすれば恰好の的だった。

 はっきり言えば悲惨だった。年齢が上がり、体力と知力がついてくるとその行為は際限がなくなる。具体的な手段など、やられた方である俺としては思い出したくもない。

 度し難いのは、普通は年齢を重ねるごとにある程度の自制心も培われるものなのだが、この方面についてはどいつもこいつもまったく進歩しないどころか、どんどん低下しているのではないかと思えるほどにひどいものだった。

 目についた時は、シゲルが介入することでその場は収まることもあった。シゲルが腕っ節が強いというわけではないのだが、あいつは女子にも大人にも人気があったから、そうしたバックを持った奴を敵に回すのは、連中にとっては非常にまずいことだ。

 自制心はなくてもそれなりに知力はあるから、連中もそれくらいの知恵は持っている。だから、その手法はより巧妙かつ陰湿になっていくのだ。

 それでも、俺をはじめとする年の近い連中はまだマシだったと言える。というのも、当時の俺たちにはそういった連中を力ずくで排除することのできる人が近くにいたからだ。それがヒデトにいさんだったのだ。

 ヒデトにいさんは、それほど体の大きな人ではなかった。むしろ、俺や例えばサトシやシゲルと比較しても大きいというほどではなかった。肉付きは俺の方が良かったし、身長もサトシとシゲルの中間くらいだ。

 当時から既に無駄にでかかった俺と並んで歩いていると、俺の方が年長に見えるほどだった。俺より2歳上にも関わらずだ。

 だが、ヒデトにいさんには、俺や他のイジメられっ子には無いものがあった。圧倒的な負けん気と戦う勇気、そして、相手に対する残忍なまでの攻撃性だ。

 普段のヒデトにいさんは、それほど苛烈な性格をしているというわけでは無かった。おとなしいという方では無かったが、周囲に対して自分から攻撃をしかけるタイプでは無い。

 しかし、外部から攻撃された時にはその様子は一変した。敵と見做した相手には徹底的に対抗し、必ず屈服させたのだ。

 一度など、ヒデトにいさんの喧嘩相手の親が孤児院に怒鳴り込んできたことがあった。その時の様子は今でも忘れない。

 そいつは、いつも俺たちをイジメるやつだったのだが、見て率直に気の毒だというほどに痛めつけられていた。

 顔は中心部分に幾重にも包帯が巻かれていた。正直、漫画以外でそんなことになっている人物は見たことが無かったし、今にいたるも見たことが無い。

 なんでも、喧嘩の際にヒデトにいさんに組み敷かれ、石で徹底的に鼻を殴り潰されたらしい。使った石が大きかったのか、前歯も4枚折れた上に上顎も骨折したのだそうだ。

 さらに、動けなくなったそいつに、ヒデトにいさんは執拗にプロレス技をかけ続けたのだそうだ。そのせいで、左の肘は反対方向に曲がり、右足首も重度の捻挫を負ったという。

 その捻挫など、診察した医者が

「これは・・・骨折していた方が治りが早かったですね」

 と言ったほどにひどいものだったらしい。

 驚いたのはその後で、謝れと呼び出されたヒデト兄さんは、

「なんだ。まだ殴られ足りないのか!」

と言うや、ひらりと相手に飛びかかって殴りつけたのだ。

 こうしたことから、ヒデトにいさんは孤児院の職員も含め、すべての大人から問題児として扱われていた。

 しかし俺たち子供はもちろん違った。ヒデトにいさんが相手に暴力をふるうのは、俺たち年下の子供がイジメられたときだけだ。

 自分に暴力をふるわれた際には、自分の身を守るための最低限度の反撃しかしなかった。

 俺たちは、ヒデトにいさんが相手をぶちのめすのは俺たちのためだということを知っていた。だから、ヒデトにいさんが怒られる時は、必ずそれを弁明するために必死だった。

 一度など、ヒデトにいさんが夕食のおかずをつまみ食いして怒られていた時すらかばったほどだ(笑)

 

 

 当然ながら、ヒデトにいさんは俺たち孤児院の子供たちの中ではヒーローだった。年下の連中だけじゃない。3つくらい年上の連中でも、ヒデトにいさんを慕っている先輩がいたほどだ。

 これは驚異的とも言えるのではないだろうか。俺たちの年齢だと、学年が1つ違うだけでも結構な体力差があっても不思議じゃない。

 にもかかわらず、ヒデトにいさんは少々の年齢差など屁でも無いと言わんばかりに、俺たちのために日々怒り、戦い続けてくれたのだ。

 ただ、そういった噂は良くも悪くも広がるもので、ヒデトにいさんが孤児院を出る少し前くらいから、彼のまわりにはあまりタチの良くない連中が取り巻きのように群れるようになった。

 院を出るとき、俺が聞いたのはヤマブキシティのリニアの職員として就職したという話を聞いた。出て行く前には院でもお祝いをしたものだ。

 というのも、ヤマブキシティのリニアの職員というのは、なるための倍率がとても高い人気の仕事であり、そこに中学校に行っていない孤児院の出身者が就職するのは異例のことだったからだ。

 俺は、その時はじめてヒデトにいさんが、腕っ節だけでなく学業でも優秀だったということを知ったのだった。

 そのヒデトにいさんが、シオンタワーの頂上で俺の目の前にいる。しかも、ロケット団のユニフォームを着て。

 ただ、そのデザインはダサさ全開のしたっぱのものとは違っている。清潔感を感じさせる白を基調としたその服は、どこかの公的機関の制服のような印象を受ける。

 それでいて、そうした組織とは異質な、どこか怖さを感じさせるものをもった服装だ。隣に立っているしたっぱ・・・イワオと言うのだそうだが、彼の着ているそれとはまったく違っている。

「そいつから報告は聞いていたが、まさかお前とはな。リョウジ」

「ヒデトにいさん・・・なんでロケット団に・・・」

「お前には分からないことさ。とにかく、今の俺はロケット団の幹部だ。大人の団員ですら俺には従うしか無い。俺の上にいるのはサカキさまだけだ」

 俺には、にわかには信じられなかった。確かに院を出る直前にはやや悪そうな連中が取り巻きになってはいたが、先の通り院出身者としてはめずらしくまともな就職先に行ったはずのヒデトにいさん。

 なのに、なぜロケット団なんかに・・・

「それで、本来なら我々に楯突いた者は即座に処断するのだが・・・知らない間柄でも無い。訳だけは聞いてやろう」

 訳も何も無い。俺は別にロケット団を一概に『悪い』と断じるつもりなど無かった。

 俺のように孤児院で育ち、世間から薄冷たい視線にさらされて来た連中は、大小の差こそあれ世の中をいささか斜めに見るようになる。

 そんな俺から見れば、ロケット団は今の社会構造の歪みの象徴であり、彼らに罪が無いとまでは言わないにしても、その存在の責任は世間にこそあると思っている。

 また、今回のイワオのように(大人を呼び捨てにするのは恐縮だが)トレーナーとして挫折し、社会からも受け入れられることのなかった人の受け皿にもなっているという側面もある。

 彼らの存在を『悪』と見做すのであれば、その存在を許さない社会体制があってしかるべきだし、そうした所に人間が流れないような世間が必要だ。

 それができないのであれば、一概に彼らを排斥するような動きはすべきでは無い。

 さらに言えば、俺はくだらない大人たちが、自分たちの立場をより良くするためにロケット団すらも利用しているということも知っている。

 つまり、間違っていると知ってはいても、彼らはロケット団の力を必要としているのだ。ロケット団を悪と見做すのであれば、彼らを利用しようとするクズどもも排除しなければならないのではないか。むしろ、そちらのが先だろうと俺は思う。

 だが、おつきみやまでは図らずも彼らと接触し、結果的には彼らを妨害するような行為に出た俺を、今やロケット団の枢要にあるヒデトにいさんが敵視するのは仕方の無いことかもしれなかった。

 とはいえ、俺には俺で理由があったのは間違い無い。

「邪魔をするつもりは無かったし、これからも無いよ。ただし、俺の目的をそっちが邪魔しないのであればね」

「ほう・・・その目的とは何だ?」

「俺は、院には内緒でオーキド博士の研究の手伝いをしている。目的はカントー地方のポケモンを集めること。おつきみやまでは、ピッピのゲットを邪魔したやつを排除した。それがたまたまロケット団だっただけだよ」

 先に言ったけど、俺はロケット団を単純に悪の組織とは見做してはいない。彼らにだって生きていく権利はあるし、そのために必要な手段を講じているだけだ。

 その手段が合法か違法かなど、俺には関係無いし興味も無い。ただ、俺の邪魔はされたくはない。

「言うようになったな。イジメられっ子だったころのリョウジとは違うようだ」

「かかる火の粉は振り払う。そう教えてくれたのはヒデトにいさんだよ」

 俺がそう言うと、ヒデトにいさんはぞっとするような恐ろしい声で笑い出した。聞く者すべてが戦慄するような声だった。これが、俺と2つしか歳の違わない人間の笑い声なのだろうか。

「そうか。確かにそうだな。なら、お前がこの先もかかる火の粉を振り払う力があるかどうか、今ここで俺に見せてみろ!」

 ヒデトにいさんはそう言うと、腰にセットしていたモンスターボールを投げてきた。つまり、ポケモンバトルでこの場を乗り切って見せろということらしい。

 ヒデトにいさんのボールから飛び出したポケモンはサイホーン。俺も動いているやつを見るのは初めてだった。

 

 

 正直、俺はどうしようか迷った。戦うことにではない。どのポケモンで戦うかだった。

 さっき俺とイワオを助けてくれたフシギバナがその場に出ている。相手のサイホーンはじめん・いわタイプだ。言うまでもなくくさタイプであるフシギバナとは相性が悪い。

 しかし、ヒデトにいさんは場にフシギバナが出ていることを知っていてサイホーンを出してきた。俺にはこれが引っかかるのだ。

 多くの場合、ロケット団はズバットを使う。これは、これまでニュースになったロケット団絡みの事件において、ズバットを犯行に使うことが多いからだ。

 ヒデト兄さんは幹部であり、そのズバットの進化系であるゴルバットもきっと持っているはずだ。

 俺のフシギバナが場に出ているにも関わらず、明らかに不利なサイホーンをわざわざ出してきたヒデト兄さんの真意が俺にはわからない。

「どうした? 来ないのならこちらから行くぞ! サイホーン! フシギバナにとっしん!!」

 虚をつかれる格好になった俺は、急いでフシギバナに攻撃を躱すように指示を出そうとした。だが

「バナーーーー?!」

 俺がサイホーンが動き出したことを認識したのと、フシギバナが悲鳴を上げたのがほぼ同時だった。ヒデトにいさんのサイホーンは、視認することもできないほどに素早く攻撃を繰り出したのだ」

 脅威としか言いようがなかった。元々サイホーンはさほど素早さの高いポケモンではない。どちらかと言えば、体の頑丈さとパワーで押してくるタイプのポケモンだ。

 それが、俺のフシギバナが反応できないほどの速さで攻撃を仕掛けてくるなんて、考えてもみなかった。

「どうした? お前の力はそんなものか!」

 ヒデトにいさんの声で、俺は逆に冷静になった。今目の前にいるのはロケット団だ。しかも、周囲は囲まれて俺は逃げることもできない。

 ここを乗り切るには戦うしかない。突然の攻撃に驚いたフシギバナが起き上がってこちらを見たとき、俺は懸念を捨てた。

「フシギバナ!上空に向かってはっぱカッター!」

「バナーーーー!!」

 俺の指示に従い、フシギバナは上空に向かって大量のはっぱカッターを放った。

「どこを目掛けて攻撃している!サイホーン!もう一度とっしんだ!!」

 ヒデトにいさんがサイホーンに指示を出すのとほぼ同時に俺もフシギバナに指示を出す。

「真上におもいっきりジャンプしろ!」

 二体のポケモンが同時に動く。サイホーンの突進は相変わらず凄まじい速度だが、ほぼ同時に指示を出したのが幸いして、フシギバナは間一髪のところでサイホーンの攻撃を躱した。

「バカめ! 自分の放ったはっぱカッターに切り裂かれるぞ!」

 ヒデトにいさんに言われるまでもない。むしろ、これは俺が狙っていた形だ。

「つるのムチで打ち返せ!」

 俺の意図を理解しているフシギバナは、そのまま自分の周りに降り注ぐはっぱカッターをサイホーンに向けて打ち返す。

「味な真似を!躱せ!」

 驚いたことに、サイホーンはフシギバナが打ち返すはっぱカッターを全て躱してしまった。通常に放ったものと違って、どう飛んでくるかわからないはずの攻撃を全て躱されるとは思ってもみなかった。

「なかなかやるが、どうやら俺の敵では無いようだなリョウジ」

 これにはさすがに瞠目せざるを得ない。空中から降ってきたはっぱカッターを、フシギバナはランダムに打ち返した。それもサイホーンを狙って。

 狙ってと言っても、その場にいるサイホーンを狙っていたのではない。サイホーンのいるあたりから周囲1mくらいの範囲をほぼ全て同時に狙ってだ。

 『点』で狙うのではなく『面』で狙って。これは普段からフシギバナにずっと練習させてきたことだった。

 にも関わらずそれを全て躱されてしまった。これは、俺が予想しているよりもサイホーンの動きがとても素早いということだ。素早い敵を想定しての攻撃法だったが、それを素早さで躱されたというのは何という皮肉だろうか。

 俺がフシギバナの成長を急ぎ過ぎたというのもあるかもしれなかった。フシギダネからフシギソウ、そしてフシギバナと進化する中で体は大きくなり、当然動きは遅くなってくる。最初の頃の素早さが失われるのは無理からぬことかもしれない。

 それでも俺は、チームの中心選手となってもらうことを期待して比較的短期間でフシギバナまで進化させた。その甲斐あって今や最も信頼できるポケモンに成長したのは確かだが、素早い敵についてはどうしても後手に回ってしまうのは否めない。

 図らずもここでその弱点があらわになってしまったのだ。しかも、一般には素早いとは言いがたい相手であるサイホーン戦においてである。

 とはいえ、俺自身にそれほどの落胆はなかった。確かに俺の育て方に問題があったことが露呈したのはそれなりにショックだったが、素早さ自慢のポケモンに早さで負けたわけではない。これはつまり、やりようによってはフシギバナもサイホーンの早さを身につけるチャンスがあるということだ。

 それに、フシギダネを見ればその目にまだ光が宿っているのが分かる。ピンチであるとは感じてはいるものの、望みを失ってなどいないということだ。勝機はまだある。とはいえ、それが大きなものでは無いことも十分に承知はしているが。

「なかなか面白い戦いだったが、そろそろお開きだ。サイホーン! みだれづきだ!!」

 ヒデトにいさんの指示に、サイホーンはこれまで以上の速度でフシギバナに突進していった。しかし、これまでと違い、先程のフシギバナの攻撃を避けるために互いの距離が離れてしまっている。

 俺とフシギバナにとって、相手の攻撃に備えつつ反撃をするためには十分な距離であり時間であると言えた。

「フシギバナ! ハードプラントだ!!」

「!?」

 この指示に、ヒデトにいさんは少なからず驚いたようだ。無理も無い。この技はカントー地方では知られていない技なのだから。

 旅立ちの際に、俺がフシギダネを選ぶことは、オーキド博士には察しがついていたらしい。そこで、あの日の旅立ちのメンバーの中で一番面倒な旅になることが予想された俺のために、博士があらかじめフシギダネにこの技を覚えさせてくれていたのだ。

 技を発動させるためには、フシギダネやフシギソウでは難しかった。そのため、どうしてもフシギバナに進化させる必要があった。実戦でこの技を使うのはもちろん初めてだ。

「くっ!躱せ!!」

 足元から突然突き現れて頭上に殺到するハードプラントを、サイホーンは見事に躱している。だが、ハードプラントの出現のせいで、行動できる範囲は狭められている。

 いかに素早さが高くとも移動範囲が絞られれば、攻撃を当てることは難しいことではない。加えて、一度放つと反動で動けなくなるハードプラントだが、それを敵が躱している間に再び体が動くようになる。

「フシギバナ!前方全方位に向かって全力ではっぱカッター!!」

「バナーーーーーーー!!!」

 突き出したハードプラントを全て破壊するかの如く、フシギバナが全霊を込めてはっぱカッターを放つ。その様はまさにはっぱカッターの壁だ。

 元々ハードプラントによって逃げ場が限られているサイホーンが、この攻撃を躱しきることができようはずもない。はっぱカッターと、はっぱカッターによって破壊されたハードプラントを巻き込みながら、サイホーンは文字通り葉の嵐の中に吸い込まれていった。

 もしかしたら、噂に聞いたことのあるリーフストームという技を使うとこのような感じになるのかもしれない。

 とにかく勝負は決した。見事な素早さでこちらを翻弄していたサイホーンだが、こちらの攻撃に当たってしまってはどうしようもない。

 葉の嵐が収まるころには、サイホーンに立ち上がる力が残っていようはずもなかった。

「・・・なるほどな」

 傷ついたサイホーンをモンスターボールに収めながら、ヒデトにいさんはうめくようにそう呟いた。

「言うだけのことはあるようだなリョウジ。今日のところはこれで見逃してやろう」

 ありがたい言葉ではあるが、俺は色々な思いが交錯していてそれどころではなかった。

 まずは、単純にその言葉を信じて良いかどうか分からないということだ。ヒデトにいさんではあるが、相手はロケット団だ。言っていることを鵜呑みにできる相手ではない。

 他にもある。こうして戦いが終わった今、どうして明らかに相性が不利なサイホーンをこの場に出したのかが改めて気になった。もし、むしタイプなどのポケモンで同じような戦法に出られたら、俺には1mmも勝ち目などなかったのだ。

 それに、最初に思った疑問もある。どうしてエリートコースに乗ることができたはずのヒデト兄さんがロケット団に入っているのかということだ。学歴が無ければなることのできないコトブキシティのリニアの職員になりながら、なぜ・・・

 ヒデト兄さんが腕っぷしだけでなく頭がキレるということは、既にロケット団の幹部にまで上り詰めているあたりで察しがつく。それも、ヒデトにいさんの口ぶりからすれば並ぶ者とてない立場にまで登っているということになる。

 こうした、様々な思いが去来するなかで言葉もなくヒデトにいさんを睨むような形で見ている俺の前から、ロケット団が撤収をはじめた。どうやら見逃すという言葉は本当らしい。

「なるほど。言うだけのことはあるようだが、今後もし我々の邪魔をするようであれば、お前であっても容赦はせんぞリョウジ」

 ヒデトにいさんはそれだけ言うと、俺に背を向けた。

「ヒデトにいさん!」

 しかし、ヒデトにいさんが足を止めたのは俺の呼びかけに応えたものではなかった。

「それからイ-65号。お前はクビだ」

 どうやら、その記号のようなものがイワオの組織内での名称らしい。

「えぇ!?」

 大の大人が、子どもにクビを言い渡されて動揺している。傍目から見れば滑稽な様子だが、俺には笑うことができなかった。それほどにイワオの表情は真剣そのものだからだ。

「貴様のような役に立たない人間を置いておく道理など無い。どこへでも行くがいい」

 吐き捨てるかのようにそういうと、ヒデトにいさんはその場を去って行った。後には俺と、たった今ロケット団をクビになったイワオだけが取り残されたのだった。

 

 すっかり意気消沈してしまったイワオを連れてポケモンセンターに戻る頃には、既に朝日が上りはじめていた。この道のりが大変だったことは言うまでもない。

 何せ、完全に気力を失ってしまった大人一人を抱え、タワーに住み着いたポケモンと戦いつつ降りてこなければならなかったのだ。

 上りの3倍は体力と時間を使ったのではないだろうか。手持ちのポケモンたちもすっかり疲れ果ててしまっている。

 戻って来ながら俺は、ある2つのことをずっと考えていた。1つはイワオの身の振り方だった。ここまでの縁というほどのものでもないが、どうにも俺はこのおっさんと呼ぶには少々若い男のことを見捨てることができなくなってしまっているのだ。

 もう1つはトキワジムのことだった。それまで聞いたこともなかったが、どうもトキワジムはロケット団の勢力下にあるとしか思えない。でなければ、俺がトキワジムを訪れた時にヒデトにいさんの姿を見かけるはずが無いのだ。

 ひょっとするとロケット団の本拠地かもしれない場所が、自分の住み暮らしていた街の眼と鼻の先にあるというのは、あまりぞっとしないものだ。

「・・・ところで、あんたこれからどうするんだ?」

 俺としては聞かずにはいられなかった。このまま放っておいたら、イワオは自殺しかねない顔をしていたからだ。だが、イワオは答えずに下を向いたままだった。

 俺はそんなイワオを強引に風呂に引っ張って行った。熱い湯を浴びれば少しは気持ちもさっぱりするし、ポケモンセンターとしてもロケット団のユニフォームを着た人間がいつまでもロビーに居られたのでは困ってしまうだろうからだ。

 一緒に入ったのは、何もそうしたいと思ったからではなかった。目を離すと何をするかわからないと感じたからだ。それに、少し話もある。

 無理やり服を脱がせ、湯船に放り込んでも、イワオは抵抗らしい抵抗を見せなかった。それだけ意気消沈してしまっているのだ。

 それも仕方の無いことだろう。望んでロケット団に入ったわけではなかったとはいえ、イワオにとっては世間に見捨てられてしまった自分にとって、最後の居場所だと思っていたに違い無い。

 風呂から上がった俺は、イワオをロビーのソファに座らせておき、ジョーイさんにそれとなく見張っておいてくれるようにお願いした。

 すっかり気力を失ってしまっているように見えるイワオだが、いつ妙な気を起こすかわかったものではないからだ。

「面倒なことをお願いして申し訳ないですが・・・」

 そう言う俺に、ジョーイさんは優しい笑顔でほほえみかけてくれた。

 なんか照れるなと思いつつ、俺はこれまでの経緯とトキワジムのことについて、オーキド博士に連絡をした。ただ、ヒデトにいさんがロケット団の幹部になっていることは伏せておいた。

「なるほどな・・・まさかそんなに近くにロケット団の拠点の1つかもしれない場所があろうとは・・・」

「確証は無いんですが、おそらく・・・」

「あそこは、閉鎖して以降人の出入りがほとんど絶えておる。そうした場所にああした連中が集まるのも不思議では無いが・・・」

 差し当たりはトキワシティのジュンサーさんに連絡して警戒してもらうより他は無いだろうということになった。

「ところで、その男のことじゃが、本当に大丈夫なのか?」

「ロケット団の元団員という以外には問題は無いと思います。本人も組織のポケモンを世話していた頃が一番良かったと言ってましたし」

「ふ〜む・・・ま、お前がそう言うのであれば問題なかろう。とりあえず、本人を出してくれんかの」

 そう言われて、俺はイワオを電話の所にこれまた無理やり引っ張っていった。

「どれどれ・・・ふむ。確かに悪いことができなさそうな顔じゃな。よしよし」

 初対面のオーキド博士にそう言われ、イワオはきょとんとしている。どうやら少しは気持ちが落ち着いてきたらしい。

「どうじゃなイワオとやら。お前さんにその気があるなら、セキチクシティのサファリゾーンの職員に推薦したいのじゃが」

 これには、それまでうなだれていたイワオが驚いて顔を上げた。その表情には驚きと喜びと疑いが入り交じっている。

「元ロケット団員ということじゃが、そのことは別に伏せておけば良いじゃろう。わしからの推薦状なら、おそらく大丈夫じゃ」

「ほ、本当に!?」

「ああ。正直わしもリョウジから話を聞いた時はどうかと思ったが、お前さんの顔を見たらそれも良かろうと思ってな。しっかり働くんじゃぞ」

「はい・・・はいいいぃぃぃ!」

 それだけ言うと、イワオは場所もはばからずに声を出して泣きだした。正直かなり迷惑だったが、それもイワオのこれまでの経歴を考えると仕方の無いことだった。

 数日後にはオーキド博士の推薦状がここに届くから、それまでの間イワオは、ここでジョーイさんのサポートをすることになった。

 ジョーイさんはイワオが、元はロケット団員であることを知っていたが、その上で承知してくれた。

「よろしくお願いしますね。イワオさん」

 子どもかと思うほどに屈託の無い笑顔を向けて、ジョーイさんはイワオに言った。

「いえ、あの・・・こちらこそ・・・」

 笑える程にイワオが照れている。俺としてはからかわずにはいられなかった。

 色々なことがこの街であった。だが、俺は旅を続けなければならない。次の目的地はタマムシシティだ。

 ここは最初から行く予定だった街だが、これまでのこともあって予定より到着が遅れてしまった。

 タマムシシティにあるジムは、くさタイプのポケモントレーナーの憧れの場所だ。俺にしても、エースとしてフシギバナを使っているトレーナーなので、ここに行くのは最初から決めていた。

 もっとも、目的は挑戦ではなく、くさタイプのポケモンについて色々と学ぶためだ。

 ここに残るイワオに別れを告げて、俺は勇躍タマムシシティを目指してシオンタウンを後にするのだった。



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6.タマムシシティの決斗

サントアンヌ号でもたもたしているシゲルたちをよそに、旅を急いできたリョウジ。
かなり連中を引き離したことを知った彼は、予定していたタマムシジムへと立ち寄る。
一見すると立派に運営されているタマムシジムにも、あの悪の組織の魔の手が伸び…


 タマムシシティについてから、早くも1週間が過ぎようとしていた。そして、俺は毎日決まった時間にタマムシジムへ向かい、ジムやジムリーダーのエリカさんが所有する様々な施設の掃除やポケモンたちの世話などに立ち働いた。

 タマムシシティに到着したことをオーキド博士に報告すると

「他の連中はまだサントアンヌ号で楽しんでいるようじゃ。どんなに早くともお前に追いつくためには2週間はかかるじゃろう」

と言うので、せっかくだしタマムシジムでくさポケモンについて色々と学ぶことにしたのだ。

 幸いというべきか、タマムシジムではポケモントレーナー向けにスクールのようなコースがあって、特に初心者向けにポケモンのことを色々学ぶことができる。

 俺のような中途半端な駆け出しトレーナーにとって、こうした鍛錬にも近い旅の中で初心に戻ってポケモンのことを学ぶのは重要なことだ。

 特に上手くことが運んでいる時こそこうしたことは重要なのであって、同じ基本を学ぶにしても初心者が学ぶのと経験者のそれでは、大分に趣が違っている。

 最初は学ぶだけだったのだが、コースの中でバトルをしたり、手持ちのポケモンを見せたりするうちに、知らない間におれはスタッフ側の仕事を任されるようになった。

 それはそれで別に不満はなかった。そもそも、一定以上の経験のあるトレーナーが挑戦をせずにジムに居ることの方が珍しいことだ。

 おれはエリカさんには別段自分のことについて語っているわけではないが、とにかくジムに到着して早々

「見学させてください」

とお願いしたのだ。

 前にも言った通り、俺は基本的にはジムリーダーへの挑戦はしない。目的はトレーナーとして成長することでもあるが、その過程で自分がトレーナーとして有名になってしまうようなことがあってはならないのだ。

 何せ、俺が育ってきた孤児院は院の出身者がポケモントレーナーになることを原則として禁じている。なので、実は俺がこうしてポケモントレーナーとして旅をしていること自体、できるだけ秘密にしておかねばならない。

 とはいえ、これまでの旅を振り返れば、それなりにバトルもしているし一部からはそこそこのトレーナーとして認識されている感もある。俺は、本来挑戦する予定だったグレンジム以外はとにかくこうして見学させてもらいながら旅をするつもりなのだ。

 そんなわけで、ここに来てほとんどの時間を俺はジムやコースの裏方として働いている。朝の最初の仕事は、ジムにいるくさポケモンたちのチェックからだ。

 もちろん専門的な知識があるわけでもないが、俺はこれでも案外ポケモンたちの機微には敏感な方だ。ジムにいるポケモンたちのリストを手に、それぞれの住処に出向いて朝の様子をチェックする。

 俺が見て元気の無さそうなポケモンはだいたい多少の差はあるにしても体調を崩してしまっている。一度など、ここで一番大きく育っていたラフレシアが朝から妙な臭いを垂れ流しているのに気がついた。

 その時は案外大変だった。どうも花粉が花粉管に詰まってしまっていたらしい。元々ラフレシアは何とも言えない臭いを放っているため、他の人たちは全く気が付かなかったそうだ。

 そんなこともあってか、俺は外部の手伝いに過ぎないにも関わらず、エリカさんには目をかけてもらえていたりする。ご存知の通り彼女は典型的な日本美人なので、そうした女性に目をかけてもらえるのは、こいつはちょっと嬉しいものだ。

「おはようリョウジくん」

 今日も本来ならそうする必要など無いのに、エリカさんは俺がいつも朝回っているルートのどこかで俺を待っていてくれる。

「おはようございますエリカさん」

 挨拶を交わした俺達は、他愛もない会話をしながらポケモンたちの所を回っていく。そして、そんな俺達の後をゼニガメがついてくる。このゼニガメは、元々はこのジムのポケモンでは無いのだそうだ。

 おそらく誰かの手持ちだったのだろうが、手放されたかどうかしたのだろう。俺がここにやってくる少し前にこの温室に迷い込んで来て、そのままここに居着いているのだそうだ。

 人懐っこい上に仕事(主に水やり)を手伝ってくれるので、今ではすっかりここのポケモンになっているらしい。俺にもよくなついてくれている。

 ひと通りポケモンをチェックしたら、次は朝食だ。ご存知の通りポケモンは、同じ種類のポケモンでも好みの食べ物が違う。特にくさポケモンには独特の好みを持っているものがとても多い。

 なので、これだけの規模でこれだけの数のくさポケモンがいれば、食事の用意をするだけでもかなり大変だ。

 俺は残念ながらそちらの方はあまり詳しく無い。なので、教えてもらう傍らポケモンフーズの調理も手伝う。もちろん各ポケモンに食事を配るのも手伝う。数が数なので重労働だが、これもこれで楽しい。

 俺は、何となくシオンタウンで別れたイワオのことを思い出していた。彼もまた、ポケモンの世話をしている時はこんな風に感じていたのだろうか。そして、その仕事を忘れることができないから、配置換えをされた時に悪者になりきれなかったのではないだろうか。

 今はきっとセキチクシティのサファリゾーンで一生懸命働いていることだろう。イワオにとっては、これまでの人生の時間を取り戻すための重要な時間なのだろう。もし時間が許すようであれば、セキチクジムに行った後にでも少し覗いてみるのも良いかもしれない。

 ポケモンたちの朝食が終わったら、一部の係の人は今度は自分たちが朝食を食べる番だ。ポケモンたちに食事を配る前に朝食を済ませていた人たちと一緒に、俺はポケモンたちの朝食の後片付けをする。

「エリカさん。ジムリーダーのエリカさんがこんな裏方仕事をしては・・・」

「いいのよ。私もたまにはこういったことをしなくちゃ」

 これはここ最近のエリカさんとジムスタッフのこの時間のお決まりのやり取りだ。元々エリカさんはこうした作業は係りの人に任せきりだったらしいのだが、俺が来てから2、3日して以降はずっとこうして裏方作業を手伝っている。

 朝食の直後にバトルをしたがるポケモンもいるから、そうしたポケモンたちに軽くバトルをさせたりするためだと言っているらしいが、そうしたことは今に始まったことでは無いだろう。

 おそらく、俺が朝からちょろちょろしているから、ちょっとした気まぐれで手伝ってみたら、案外朝の気持ちの良い空気を吸うことが楽しいということに気がついたのではないかと思う。それくらい、ここの朝の空気は実に清々しいのだ。

 

 ジムへの挑戦者がいない場合は、食事の後は所属トレーナーの手伝いをする。彼ら(あるいは彼女ら)は全て、ジムリーダーのエリカさんのような立派なポケモントレーナーになることを希望して日夜研鑽している。

 俺が言うのも失礼かもしれないが、中には飛び抜けて才能のある人もいる。こうした人は、本当なら旅に出るべきだと俺は思う。

 俺が育ったマサラタウンには、残念ながらポケモンジムはない。だからかもしれないが、ポケモンの関係の何かになるためには絶対に旅が必要だ。今はトキワシティのジムが閉鎖されているので(あそこはロケット団の巣窟であるという疑いがある)最低でもニビシティまで旅をすることになる。

 ニビシティへの旅は、徒歩でも数日で済むものだから、そこから先のハナダシティまでは行かなかれば旅とは到底言えるシロモノではない。

 とはいえ、これらの街のジムに挑戦して失敗し、ポケモントレーナーになることを諦める人もいるのだそうだ。

 エリカさんの話では、全てのジムリーダーが他のトレーナーより優れているというわけではないと言っていた。確かに、単純にポケモンバトルで優劣をつけるのであれば、各地のジムリーダーよりも間違いなくリーグの四天王やチャンピオンの方が強い。

 ただ、ジムリーダーになるためには、それ以外の資質も必要だ。自分の持っている知識と技術をジム生に教え、上手に育てるのは言うほど簡単なことではない。

 また、ジムに挑戦するトレーナー達をも指導する立場にある。時には厳しく、時には優しく挑戦者に接して、最終的には自分を上回るトレーナーに育て、そして彼らにジムバッジを委ねるのだ。

 だから、ジムリーダーは単に強いだけのトレーナーにバッジを渡してはならない。ポケモンを大切に扱わないような輩にバッジを渡すわけにはいかなし、単にポケモンに対して優しいだけのトレーナーにもバッジを渡すわけにはいかない。

 トレーナーの育成のためにジムリーダーが果たす役割とは、これほどまでに重要だ。だからこそ、ポケモンリーグ本部は各ジムの管理にも力を入れなければならないし、そのジムがジムとしてふさわしいか、ジムリーダーが果たすべき役割を果たしているかを厳密にチェックしなければならないのだ。

 そうでなければ良いトレーナーが育たず、質の悪いトレーナーばかりが登場してしまう。こうした連中は周囲に迷惑をかけることになるだろうし、そうしたトレーナーに捕らえられたポケモンも不幸でしかない。

 タマムシジムへの挑戦者は、だいたいジム戦を経験したトレーナーたちがやってくることが多い。ここはヤマブキシティの西側にある街で、他の街からのアクセスも比較的良いので、俺が知っている8つのジム(もっともトキワシティのジムは除くけど)以外のジムに挑戦した後にやってくるトレーナーも少なくないのだそうだ。

 なので、エリカさんは挑戦を受ける際にまずはトレーナーの持っているバッジを確認するのだそうだ。また、そうしたことから相対的にエリカさんをはじめとしたスタッフの手持ちポケモンも強くなるので、場合によっては挑戦ではなくまずはスクールに入ることを勧めることもある。

 もちろんそれを受け入れる挑戦者などいないので、一応はバトルをするが、当然ながらワンサイドゲームとなる。で、改めてスクールを勧めて入るならば良し、入らない場合は再度の挑戦を受けることになるんだそうだ。

 午前中は初心者コースがあり、午後はバッジ1個以上のトレーナーを対象としたコースがある。俺が現在所持しているバッジは1つなので、午後のコースに参加することもできるがそれはしないでいる。

 他のトレーナーと違い、俺はポケモンリーグへの挑戦を目指しているわけではない。まだ目標らしい目標はないが、今はオーキド博士の依頼を完遂することが俺の目標であり、また別な目標としてはグレンジムのジムトレーナーに挑戦して勝利することが目下の目標だ。

 だから、スクールにいる連中とは少々目的が違う。また、こうした連中は血の気の多い奴が多く、コースの開講中でも互いにバトルをしたがる連中が多い。俺としてはそうした輩とは関わりあいになりたくない。

 そんなわけで、俺は基本的にはポケモンの昼食まではここで手伝いをして、午後の時間はタマムシシティをぶらぶらしている。

 だいたい行くところはデパートかゲームコーナーだ。もはやタウンどころかビレッジになっても不思議ではないマサラタウンの出身者である俺からすれば、デパートなんてシロモノは珍しいに決まっている。

 各フロアにそれぞれ違う商品がたくさん並んでいる光景はなかなかに見ものだ。もちろん、入用なものがあれば購入する。今までのところ俺はさほど無駄遣いをしていないから、それなりに金も残っている。まあ、基本的にはポケモンたちにとって良いと思えるものを買っているが、たまに自分の物も買う。

 ゲームコーナーは少し変わっていて、スロットマシーンでためたコインの枚数に応じて色々な景品をくれる。俺も一応ポケモントレーナーの端くれだから、勝負事になると熱くなってしまうので気をつけなければならない。

 ただ、気になるのは景品の中にポケモンがいるということだ。直接お金でやりとりしないのであれば合法ということになるのだろうか。そのへんの法律については俺はサッパリわからない。

 そんな中で、ついつい誘惑に負けてストライクをゲットしてしまった。素早さと攻撃力に優れたポケモンなので、育て方によってはチームのエース格になるかもしれない。弱点が多いのもあるが、欠点のない者なんて、人でもポケモンでもいるわけがない。

 ところで、このゲームコーナーは他にも少々気になる点がある。コーナーのスタッフが時折俺のことをじっと見ていることがあるのだ。最初はさほど気にしなかったが、何度かそういうことがあると気になるものだ。

 別に不正行為を行なっているわけでもないのだが、どうしてだろうか。こちらにはやましいことなどないので知らん顔をしているが、あまり良い感じはしないのは事実だ。あれは一体何だろう。

 

 騒ぎは、午後の経験者コースの開講中に起こったらしい。いつもの通り、血気盛んなトレーナー達が自分たちで勝手にバトルをはじめたのがきっかけだった。彼らはジムリーダーであるエリカさんにはかなわないものの、他のジム生に太刀打ちできる者がいなかった実力者で、そうした連中が勝手にバトルを始めてしまうと収集がつかないことが多いのだ。

 おおよその場合、こうした時にはエリカさんが直接出ていって事態を収めるのだが、今回は場面が悪かった。なんと、彼らが勝手にバトルを始めたのに呼応して、他の場所でもバトルが始まり、それが連鎖的に受講生たちに拡がっていったのである。

 そこかしこで行われる、バッジ獲得者たちの勝手なバトル。こうなると、さすがのエリカさんも一人で収拾をつけるのは困難だ。

 その騒動が起こった時、俺はポケモンセンターでオーキド博士と電話をしていた。エリカさんをはじめとしたジム生の手伝いもあって、俺は自分の手持ちポケモンをかなり増やすことができた。

 そいつらを研究所に送って、そのあとは博士と他の連中の話やごく他愛もない話をしていたのだ。

 最初、外が少し騒がしいなとも思ったが、俺はオーキド博士との電話の方が気になっていた。ご存知の通りシゲルやサトシたちの動向が気になったからだ。

 おそらく時間的には十分に余裕があるとは思ったが、やはり追われている身だから気にはなる。もっとも、彼らからすれば俺を追っているというつもりなどサラサラないだろうが。俺が追われているというのは、あくまでも俺の都合である。

 俺が彼らの状況をオーキド博士から聞いていると、今度はポケモンセンターからトレーナーたちが慌ただしく外に出ていった。一体何があるんだろうか。

 この時点でも俺は

(騒がしいな・・・)

と思った程度で、すぐにオーキド博士に捕まえたポケモンについて報告をしていた。いわば、すべき事をしていたのである。その時

「リョウジさん!」

 突然横からジョーイさんが俺に声をかけてきた。

「どうしたんですか?」

「タマムシジムが大変なことになっているの! 早く行ってあげて!」

 と手を握られて言われた。

 正直に言おう。俺はスケベだ(笑)もっとも、これも正直に言えばあまり人と接することが得意ではない俺は、どこかの誰かさんのようにあからさまにアプローチをかけていくという真似はできないが。

 ともかくそんな俺が、ジョーイさんのような見目麗しい女性にこんな風にとりすがられては、悪い気持ちがするわけがない。

 それはともかく、どうも俺が留守にしている間に、タマムシジムで何かが起こったらしい。先ほどから騒がしかったのはそのためのようだ。

「すみませんオーキド博士。俺、タマムシジムに行ってきます」

「うむ。タマムシジムにはお前は世話になっとるからな。気をつけて行って来い」

 俺はオーキド博士の言葉を背に受けながらタマムシジムへと急いだ。

 ジムにたどり着いた時、俺は一瞬何が起こっているのか分からなかった。ジムの建物はあちこちが壊れていて、壁越しに中の様子を見ることができるような状態だ。火が出ているのかあちこちから煙が上がっている。

 周囲にはトレーナーも含めた野次馬が群れをなして取り巻いている。その群衆の中に、ジム生が混じっているのが見えた。

「何が起こったんですか?」

 俺が近づいていたことに気がついていなかったのか、ジム生のミニスカートの女の子は酷く驚いたようだった。

「経験者コースの受講生が勝手にバトルを始めたあと、あっちこっちでバトルが始まって、そのあと妙な格好をした連中が突然現れて・・・」

 話を聞いている俺の視界に、まさに妙な格好をした連中の姿が移った。ロケット団だ。

 これである程度読めてきた。おそらく奴らは、ここのスクールの噂を知っていたに違いない。そして、経験者コースに入り込み、バトルが始まるとそれを煽って混乱を引き起こした。そして、それに乗じて暴れまわっているのだろう。

 連中の狙いが何はわからない。しかし、そんなことを知る必要など全くない。奴らがジムに乱入して暴れている。その事実だけで十分だった。

 ジムの中には俺のフシギバナとナゾノクサもいる。俺は急いで建物の中に向かった。

 中は予想以上の大混乱だった。あちこちでロケット団とジム生を始めとしたトレーナーたちがバトルをしている。彼らもジムを守るために必死に戦っているのだ。

 俺はナゾノクサを守りつつ頑張っていたフシギバナと合流すると、数人のロケット団と戦いつつもエリカさんを必死で探した。

 エリカさんはロケット団員にすっかり取り囲まれていた。ジムリーダーの中でも凄腕として有名なエリカさんを相手に、連中は数人でかかっているらしい。汚い奴らだ。

「さあさあジムリーダーさん。そろそろ潔く私達に降参したらどうかしら?」

 おそらくこの連中を率いているのであろう女のロケット団が居丈高にそう言う。エリカさんは悔しそうに睨みつけるだけで何も言い返せない。

 よく見ると、周りにはエリカさんの手持ちポケモンたちが倒れている。おそらくロケット団の連中から袋叩きにされたのだ。何度も言うが、本当に汚い奴らだ。

 俺は、ポケモンにだけは真面目に接してきたし、これまでルールを破るような戦い方もしたことがない。だが、シオンタウンでのヒデト兄さんとのバトル以降、色々と考えることもあった。

 ポケモンが倒れてしまっている今、エリカさんはどこにでもいる普通の女の子に過ぎない。女の子を守るのは男の義務であることは昔から決まっている。脇から走りこんだ俺は、連中の前に立ちはだかった。

「あら。あんたはあのヒデト様が勝てなかった奴ね。あんたを倒せば、あたしも幹部の仲間入ができるわ!」

 そう言って、女ロケット団員は他のロケット団の連中に合図をした。一気に連中のポケモンが俺を囲み込む。

「リョウジくん」

 何かを言おうとするエリカさんを、俺は手で制した。もはや俺は連中との戦いの間合いに入っているのだ。

 正直、これほどまで怒りがこみ上げてくることは今までなかった。それほどまでにこの連中のやり口がひどいのだ。

 俺はこれでもポケモントレーナーのはしくれだ。だが、ルールに従わない連中に対してルール通りに接してやるほど人間はできていない。

 外法には外法。俺は腰につけたモンスターボールを3つ放り出した。

「ギャラドス、カビゴン、ストライク! はかいこうせん3連斉射!!」

 俺は、あのシオンタウンでの出来事以降、万に一つの可能性を考えてこうした戦い方も考えていた。正直したくない戦法だが、連中やその他の外法の輩に対して断固たる排除の意志を示すためにはやむを得ないことだろうと考えている。

 もう一度言うが、正直こういった戦い方はしたくなかった。だが、こうした事態の解決のためにはやむを得ない。

 はかいこうせんはご存知の通り、威力は凄まじいが1度放つと一定時間動けなくなってしまう。その欠点を補うための集団戦法を考えた時にこれを思いついたのだ。

 はかいこうせんを放つ順番を決めて、その順番の通りに一匹ずつ攻撃する。3匹目のポケモンがはかいこうせんを放つ頃には最初のポケモンは体が動くようになる。こうして間断なくはかいこうせんを敵に浴びせるのだ。

 これは強力な先制攻撃だ。容赦無い攻撃なのでできればしなければ良いといつも思っていた。だが、今度のことは到底許せるものではない。こうした輩に俺は容赦をするつもりは一切ない。

 強烈なはかいこうせんの連続攻撃を受けて、ロケット団はかなりの混乱をきたしている。客観的に見ると、どちらが悪者かわからないような有様だ。

「斉射やめ! フシギバナ! 前方全方位に高密度はっぱカッター!」

 これも前回のヒデト兄さんとの対戦の後、フシギバナに練習させてた技だ。ヒデト兄さんのサイホーンのようなスピードのある敵に対して、逃げ場もないほどの密度のはっぱカッターを放つのだ。

 攻撃範囲は狭まってしまうが、なるだけ広範囲に攻撃できるようにずっと訓練をしていた。これはこうした戦いだけでなく、普通のポケモンバトルにも十分使える技だ。

 ところで、フシギバナの放ったはっぱカッターがロケット団のポケモンとその持ち主を攻撃する。かなりの密度なのでまるではっぱの竜巻の中に入ったように感じることだろう。

「ガーディ! 最大出力で火の粉をはっぱカッターに放て!」

 これはとどめだ。燃えやすいはっぱが高密度かつ広範囲にばら撒かれていて、そのはっぱに火を放てばどうなるか。考えるまでも無いだろう。

 一気に燃え広がった炎が、燃焼に必要な酸素を求めてはっぱの無いところにも走る。強烈なバックドラフトが発生するのだ。これでこの場のロケット団とそのポケモンを一掃してやる。

 と、ここまで考えた時、俺の目の端にエリカさんの姿が映った。このままではエリカさんも巻き添えになってしまう。

「エリカさん!!」

 俺はエリカさんに急いで駆け寄ると、そのまま上に覆いかぶさった。間髪入れず炎が俺たちの後方を走る。ギリギリだった。

「大丈夫ですかエリカさん」

「え、ええ・・・」

 少し顔を赤らめたエリカさんがそう言う。よく考えたら、まるで俺がエリカさんを押し倒しているみたいである。

「あわわ! ごめんなさい!」

 俺は急いで立ち上がると、エリカさんに手を差し出した。しかし俺は、この時自分がとんでもない状況にあることに気がついてはいなかった。

 俺の手を取ってエリカさんが立ち上がる頃には、ここにいたロケット団はあらかたやっつけていた。残った連中も逃げにかかっている。連中についてはジュンサーさんに任せておけば良いだろう。それにしても、少々エグい戦い方だったなと自分でも思う。

 

 ひと通り騒ぎが収まったあとの後始末は大変だった。まずはとにかく人を一旦外に誘導し、そのあとは火の手が上がっているところを鎮火して回った。

 後から消防隊が来てくれたから良かったが、それまでの消火活動には例のゼニガメがおおいに役だってくれた。

 騒ぎが落ち着くと事情聴取があったが、俺にはことさら厳しい聴取が行われた。そりゃそうだ。何せロケット団がつけた火よりも俺がやった例のバックドラフトの方が遥かに被害が大きかったのだから。

 ちなみに、エリカさんをかばった時にどうやら俺の尻に炎がかすったようで、俺はしばらくおケツ丸出し状態でウロウロしていたことになる。非常に恥ずかしい。

 それはともかく様々な混乱が収まり、今回の件がロケット団の犯行であることが分かると俺もどうやら無罪放免となった。やれやれ。一応連中を追い払ったメンツの中に俺も入っているはずなのだが。

 諸々の騒動にも一応のカタがつき、ようやく俺は出発する準備ができた。

 何もなければそのまますぐにでも出かけることができたはずなのだが、今回のドタバタのおかげで少し遅れてしまった。

 本当なら後片付けも手伝うべきだしそうしたかったが、俺はいわば追われている身である。ここで一週間を過ごしている間にシゲルあたりにかなり追いつかれてしまったはずだ。詳しくはわからないが・・・

「最後の最後にやらかしてくれたわね」

 まるでいたずらをした弟をたしなめるような口調でエリカさんが言う。ま、理由が理由ではあるが少々俺もやりすぎてしまったと思う。

「でも、本当にありがとう。正直あなたが来なかったら、このジムはどうなっていたか・・・」

 そう言いながらエリカさんは、再建中のジムの方を振り返った。力自慢のポケモンたちが人間に入り混じって働いている。

 ポケモンは人間のように修理の段取りをしたり、新たに作るべきものを設計したりすることはできない。だが、ポケモンは人間よりも身体能力が優れている。

 やり方さえ覚えてしまえば人間よりも効率的に仕事を進めることができるし、人間が数人がかりで運ぶしかない大きなものを楽々とかついだりもする。

 この現場の姿は、まさに人間とポケモンの関わりの理想を端的に表していると思う。どちらが上だの下だのというのではなく、互いに足りない部分を補い合いながら、互いの幸せのために働く。

 生意気なことを言わせて貰えば、それは人間同士でも同じことなのではないかと思う。他人を騙したり貶めたり、そのためにポケモンを利用するなんて間違っている。少なくとも俺はそう思う。

「お礼と言うにはちょっと変だけど、この子を連れて行ってくれない?」

 そう言ってエリカさんがそう言って勧めてくれたのは、あのゼニガメだった。

「この子、あなたのことを気に入ってるみたいだし、あなたにとってもこの子はきっと助けになるわ」

 俺を伺うように見ているゼニガメの頭を撫でながらエリカさんが言った。俺に否やがあろうはずもなかった。

「ありがとうございます。ゼニガメ。一緒に行こう」

「ゼニ〜!」

 ゼニガメは元気に返事をすると、俺の手持ちの空のモンスターボールを自らタッチした。

「それじゃあエリカさん。ジムのみなさんも長々とお世話になりました」

「こちらこそ。とっても思い出深かったわ」

 俺は頭を下げると勇躍タマムシジムを後にしたのだった。

 タマムシシティは大きな街なので、街を出るのも一苦労だ。ようやく町外れにたどり着いたころ、後ろから呼び止めるような声がしたような気がして俺は振り向いた。

 するとそこには、息を切らせながら走ってくるエリカさんの姿が見えた。はて。俺は忘れ物でもしただろうか。

「追いついた・・・」

 息を弾ませてそう言うエリカさんは手ぶらだった。どうやら俺の忘れ物を届けにきてくれたわけではないようだ。

「どうしたんですエリカさん?」

 そう問いかける俺をエリカさんはいきなり引っ張り寄せると、頬に口づけをした。

 俺は呆然とされるがままになっていた。急な出来事だったというのもあるし、予想外だったということもある。

 ジムリーダーとして勇名を馳せ、さらにその美貌でも有名なエリカさんが、日陰の道を歩くしかない俺に・・・?

 何とも言えない良い匂いがしている。そして、まるで地面が綿にでもなったかのようにふわふわしているように感じる。

 なんだか顔が暑くて、何かを言わなきゃいけないような気がするのに、何を言うべきなのかを考えることができない。

 何か行動をしなければならない気がするのに身体が全く動こうとしない。こんな経験は初めてだった。

 冷静に混乱している俺から、エリカさんがそっと唇を離す。呆然とその姿を見るしかない俺の目には、少し頬を赤らめて恥ずかしそうにしているエリカさんの姿が映った。

 何を言うこともできず、何をすることもできない俺は、ただただ呆然とエリカさんの姿を見つけることしかできない。エリカさんが俺が何かを言うのを待っているのはわかっているのに、俺の頭には言葉はおろか文字さえも浮かんでこなかった。

 こんな時、学校で習ったことなんて全く役に立たない。経験値の低さが思いっきり露呈してしまった恰好だ。これがバトルなら完全に俺の負けである。いや、そもそもこうしたコトをバトルに例えている時点で俺はどうかしている。

 長い、とてつもなく長い沈黙のあと、エリカさんがようやく

「気をつけて・・・それから・・・また来てね」

と言った。俺はその言葉でようやく我に返ることができたのである。

「もちろん。今度はあんな騒動が起こらないときに、ゆっくりと」

 俺は踵を返すと、できるだけゆっくりと歩き始めた。別にエリカさんとの別れを惜しんでいるわけではない。互いにポケモントレーナーなのだから、ポケモンに関わってさえいれば、きっといつかまた会える。

 歩きながら俺は、自分の心の中に立ったさざ波が、やがて大きな波となり、うねりをともなってどんどん広がっていくのを感じた。その感覚、その感情を表現するための言語など、はじめからこの世には存在しないような気がした。

 徐々に歩むを早めながら、それでも俺の心はざわめいていた。いつしか走りだした俺の胸に刺さるこの思い。それを形容するにふさわしい言葉などどこにも無いとは思うが、あえて他者にも理解できる言葉を使えば、きっとそれは『初恋』と呼ぶべきものだったろう。

 ヤマブキシティへと走り続ける俺が、実はポケモンずかんをタマムシジム忘れていることに気がついたのはそれからだいぶ経ってからのことだった。




ぼちぼち続き書かんと。いや、マジで(^^;


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7.はじめての幸せ

淡い恋心を胸に秘め、ついにやって来たヤマブキシティ。
ここから先のジムはこれまでのジムとは別格らしい。
早速ジムを尋ねたリョウジは、意外ななりゆきで意外な目に遭って・・・


 ヤマブキジムへの訪問は、これが二度目だ。そして・・・なぜか俺は今、ジムリーダーのナツメさんに抱きしめられている。

 何この状況? なんでこんなオイシイ目に遭ってんの俺?

 それを整理するためにはヤマブキシティにたどり着いたところまで話を遡らなければならない。

 エリカさんとの惜別を経てヤマブキシティへとやって来た俺は、一旦ポケモンセンターに旅装を解いた。

 何せヤマブキシティへとたどり着いたのは、ポケモンセンターの門限である22時にかなり近い時間だったからだ。

 しかし、街に着いたあたりから、どうも雰囲気が妙だと思った。良く分からないが、何か物々しい雰囲気が街を漂っているのだ。

 緊張状態とでも言えば良いのだろうか。とにかく何か落ち着かない感じがしてならなかった。

 そう言えば、途中で人々が口々に妙な噂をしているのと聞くともなく聞いた気がする。

 なんでも、ロケット団がこのヤマブキシティにあるシルフカンパニー本社の占拠を画策しているのではないかという話だった。

 別に何かの証拠があるわけでもなければ、実際にそうした動きが見られるわけでも無いらしいが、そうした噂が立つだけで街の人々は一様に不安げにしている。ロケット団とはつまりそういう存在なのだ。

 この街には別の緊張の種もあるにはあった。現在ポケモンリーグ協議会が認定している公式のジムは言うまでもなくヤマブキジム。だが、この街にはもう一つ、ポケモンの高みを目指す者達が集まる場所があった。

 外観は普通のポケモンジムのそれだ。実際、多くの人がこの街を訪れた時にそこがヤマブキジムだと勘違いして入っていくこともあるのだそうだ。

 ここは元々はポケモンジムとなることを目指した格闘ポケモンの使い手が集まっている場所で、現在のヤマブキジムとどちらが正規のジムとなるかを決定するために戦い、残念ながら敗北した。

 当然と言えば当然かもしれない。ヤマブキジムはエスパータイプのジムで、そこは今では格闘場と呼ばれている通り格闘タイプのポケモンを使う人が集まっている。言うまでもなくすこぶる相性が悪い。

 いや、基本的にエスパータイプのポケモンは、他の多くのタイプのポケモンに対して圧倒的に有利な状態で戦うことができるのだ。

 ただ、もちろん苦手なタイプが無いわけではなく、ゴーストタイプには滅法弱いし、聞いた話だとあくタイプと呼ばれるポケモンには、エスパータイプの技が一切通じないのだそうだ。

 とりあえず俺は、そのタイプがカントー地方に生息しているという話を聞いたことが無い。まあ、少し聞きかじったところでは、イーブイが何かの石に触れるとあくタイプのポケモンに進化するという。

 ただ、元がイーブイだから、あくタイプになってもきっとかわいいに違いない(笑)

 ところで、センターの中はそういう感じでは無かったが、センターに泊まっているトレーナーたちは皆一様に暗い顔をしていた。

 どうやら彼らはジム戦に挑み、負けてしまったらしかった。

 タマムシジムで聞いた話だったが、ヤマブキ、セキチク、グレン、トキワの各ジムのジムリーダーは、その他のジムリーダーとはレベルが違うのだそうだ。

 特にトキワジムのジムリーダーはポケモントレーナーとしての実力もさることながら、高いカリスマ性も備えた人物だという。

 今は行方不明となり、そのジムがロケット団の関連施設になっているのは何とも皮肉な話だった。

 また、セキチクジムのジムリーダーは現在四天王に最も近い人物として知られている。

 この他にも現在在任中のジムリーダーとしては最強と名高いグレンジムのリーダー、そして、決して数が多いとは言えない、しかも育てることが難しいエスパータイプのポケモンの専門ジムとしても有名なここヤマブキジム。

 俺は挑戦者では無いが、やはりこれまでのジムとは違ったプレッシャーを感じずにはいられなかった。

 そんなジムへの挑戦が簡単に行くわけが無い。彼らもきっとヤマブキジムの洗礼を受けて消沈しているのだろう。

 先の通り挑戦するつもりは毛頭無いが、珍しいエスパータイプのポケモンを見てみたいし、できれば捕獲のアドバイスももらいたい。

 それは当然のことだ。何せ、俺個人の目的はともかく、旅の一番重要な使命はオーキド博士の研究のためにカントー地方のポケモンを全ての種類、可能な限りの数を集める必要があるからだ。

 オーキド博士の話によると、他の連中は俺がヤマブキシティに着いた時とほぼ同じ間隔で旅を続けているらしい。焦る必要は無いが、急ぐ必要はあった。

 そこで俺は、気の毒ではあるがジムへの挑戦に失敗したとおぼしきトレーナーの中から、比較的話の聞きやすそうな男の子からジムの様子を聞き出すことにした。

「僕はジムリーダーにすら届かなかった・・・」

 彼は開口一番そう答えた。

 他のジムと同様に、ヤマブキジムも内部が細かく仕切られていて、中でジム生とのバトルをして勝ち残りつつ進む必要がある。

 ところが、ヤマブキジムは内部の構造が特殊で移動が難しく、おまけにジム生たちもエスパータイプのポケモンを使う難敵ばかりだという。

 挑戦者ではない俺にはどうでも良いことではあるが、受付の人の対応は尋常らしいので一安心だ。

 翌日俺は、早速ヤマブキジムを尋ねてみることにした。

 ついでながら、ここはロケット団に入る前のヒデト兄さんが暮らしていた街である。

 

ジムに到着するまでに、俺は何人ものトレーナーたちとすれ違った。みんな一様に何かを恐れるように必死に走っていた。まるでジムから逃げ出すかのように。

 ジムが近づいてくると、今度は明らかにヤマブキジムのジムトレーナーとおぼしきトレーナーたちも走ってきた。これまですれ違った連中と同じように恐怖に引きつった必死の形相だった。

「あの。すみません・・・」

と俺が言い終わるまでもなく彼らは恐るべき早さで俺の横を走り去っていった。電光石火とは技名ではなく彼らに送るべき称号なのかもしれない。

 いずれにしても、ジムに何か異変があったのは間違いなさそうだった。しかも、ジム・トレーナーが我がジムを後に脱兎のごとく逃げ去るような事態が。

 一体何が起こっているのか皆目検討がつかなかったが、俺としてはジムを訪ねるより他ない。他に目的などありはしないからだ。

 正直、最初に頭に浮かんだのはロケット団の存在だった。彼らがこの街にあるシルフカンパニーを狙っているという噂はここに来るまでに何度も耳にした。

 しかし、様子からしてそうでは無いように思える。というのも、街全体が例の妙な緊張感を保っているものの、何らかの混乱が起こっているという感じではないからだ。

 俺はポケモングッズには興味はあるが、そのグッズを作っている会社とやらにさほどの興味は無い。だが、ポケモン業界(?)では有名なその会社が、もし巷で囁かれているような事態に陥っていたとしたら、この街は相当混乱していただろうし、外を普通に歩くなんてこともできない状態になっていただろう。

 また、その足がかりとして連中がヤマブキシティの攻略に乗り出したというのであれば、ジム生が黙っているはずがない。おそらくあんなふうに逃げ出すような輩はいないだろう。

 そこまで考えながら歩いていると、俺は今この時までヤマブキシティの中央にこんなドデカイビルが建っているという事実に気が付かなかった。

 シルフカンパニー。ポケモンに関連するグッズのほとんどを作っている会社だ。シオンタウンで俺がフジさんから受け取ったスコープもここの製品、しかもかなりのレアアイテムだ。

 今まで俺がお世話になり、そして今後もずっとお世話になるであろうポケモングッズの大半が、この会社で作られているという。そんなら、ずいぶんと設けているに違いない。俺は金持ちが嫌いだ。

 会社はオープンな雰囲気で、製品開発の研究エリアを除けば、事前に連絡さえ入れておけば一般の人でも気軽に見学ができるという。将来的にポケモングッズに関わる仕事に携わりたい連中にはまさに垂涎の極みだろう。

 俺としてはそれほど興味があったわけではなかった。まあ、人並みにそんな大きな会社があるのかという程度の感想を持っていただけだ。

 そりゃ、今手にしているアイテムを世に送り出してくれているという事実については、必要最低限の感謝と敬意を持ってはいるが、それだけだった。

 彼らはポケモン業界に大きく貢献しているのは明らかだが、オーキド博士のように俺達の孤児院に寄付をしてくれたり、俺をはじめとした子供たちにもポケモンについて教えてくれるといった直接的な世話をしてくれているわけではない。

 子供なんて現金なもので、自分の面倒を見てくれる人には当然感謝するが、それ以外の大人は基本的に街の街路樹や公園のベンチと同じかそれ以下くらいにしか思わない。そして、俺もまた子供なのだ。

 なもんで、俺にとってはこの街にあるでかい会社について何の感慨も無い。あるのは別格の実力を持ったトレーナーがジムリーダーを務めているジムがあるというくらいの認識くらいのものだ。

 無駄にでかい建物を横目に見ながら、俺は格闘場と並んで建っているヤマブキジムを目指して、何となくチンタラ歩いて行った。

 ヤマブキジムは、たどり着いてみると何やらひっそりとしていた。高名なトレーナーがリーダーを務めているジムとは思えないほどの人の気配が感じられなかった。

 受付と思しきカウンターがある。現に『受付』と書かれたカード立てが置いてある。にもかかわらず、誰も座っていない、実に妙だ。

 というか、ジムの中が全体に薄暗い。まるで電気が消えているみたいだ。おまけに人の気配もほとんどしない。ますますもって妙だ。

 とりあえず俺は、昨日ポケセンで話を聞いた男の子の情報を便りに、周囲とは少し違う色をしたパネルの上に乗ってみた。

 不思議な感覚だ。乗ったと自分が認識した瞬間には、既に自分が別の場所にいる。テレポートというのはこういうものなのかと驚くばかりだ。

 俺の手持ちにもケーシィがいて、そろそろユンゲラーに進化するのではないかと思うのだが、あいつも野生の頃に良くテレポートを使っていたはずだ。こんな感覚に慣れっこなのかと思うとますます不思議だ。

 ポケモンとは知れば知るほど不思議な生き物だ。だからオーキド博士のような研究歴の長い著名な研究者が、今に至るも研究を続けているのだろう。きっと毎日新しい発見があるに違いない。

 そう言えば、聞いた話だとここのジムリーダーのナツメさんも超能力者で、ジム生の中にも数人そうした人がいるという。彼らもまた、日常的にこうした感覚を味わっているのだろうか。

 ポケモンも不思議だが人間も不思議だ。そんな能力がある人もいれば、俺のように全くそっち方面には才能が無さそうなのもいる。色々な人がいるから人生は楽しい。

 俺がそう思っているのではなく、時々オーキド博士が言っていた言葉だ。俺にはまだその気持ちが良くわからない。

 さて。昨日聞いた話だと、いくつかある部屋にこうしたテレポートができる装置のようなものがあって、2つ程度部屋を移動するごとにジム生が居ると聞いたが、何度移動しても俺は誰にも合わなかった。

 ただ、時々ジムの中心とおぼしき方向から低い衝撃を伴った音が聞こえてくるばかりだ。一体このジムに何が起こっているんだろう。

 進むについれて、その音がわずかではあるが大きくなっている気がする。ひょっとしたらもうすぐナツメさんの居場所につくのかもしれない。

 あるいはその場所で、何らかのトラブルが起こっているのかもしれなかった。それがもしロケット団絡みだったら…

 もちろん容赦はしないぞと思いつつ、用心して先に進むことにした。

 

用心もくそも、ワープしてしまえば何にもならない。俺は唐突にナツメさんが普段いる部屋と思しき場所にワープした。

 そして、目にしたものは俺が想像していたものとはずいぶん違っていた。

 なんとそこには、半狂乱で暴れているナツメさんと、彼女を抑えようとしているジム生の姿があったのだ。

「ナツメさん!落ち着いてください!!」

「いや〜〜〜!!離してええぇぇ〜〜〜〜!!」

 傍目からは助けたくなるような叫びをナツメさんが上げると、まるでアクションゲームのワンシーンでも見ているかのようにジム生がふっとばされた。

 危険な状態なのは見るだけで分かる。ロケット団とは関わりあいが無いのは良かったが、これは一体どうしたことなのだろう。

 そうこうしている間に、もう一人のジム生らしき人物が必死にナツメさんをなだめようとしているが、ナツメさんは完全に混乱している。

「やむを得ません! スリーパー! サイコキネシス!」

 どうやらジム生はポケモンの力でなんとかナツメさんを抑えようとしている。自分自身も手をかざしているところを見ると、ご本人さんも少なからずそうした力があるようだ。

「いやあああぁぁぁ〜〜〜!!!」

 叫び声が周囲を一閃したかと思うと、なんとナツメさんはジム生とジム生のスリーパーをふっ飛ばしてしまった。いやはや。ポケモンと人間両方の力を一人で上回るとは恐れ入る。

 しかし、どうもヤヴァイ雰囲気だ。このままここに居たら俺も巻き添えを食いそうだ。正直ロケット団以外の面倒事は御免被りたい。俺は早々に立ち去ることを決めたが、その判断が一瞬遅かったらしい。

 ナツメさんは部屋にいる部外者の存在に気がついたらしい。美しい顔に夜叉の表情を浮かべ、すさまじい殺気をこちらに向けてきた。ヤヴァ過ぎるだろこんなもん。

「ゴースト! ナイトヘッド・ウォールだ!!」

 俺はナツメさんがこちらに仕掛けるよりも一瞬早くゴーストをボールから出して命じた。

 ナイトヘッドは本来、ポケモンの強さに応じたダメージを的に与える技だ。ゴーストタイプであるためノーマルタイプのポケモン、例えばラットなどには通じないが、エスパータイプには効果はてきめんである。

 もっとも、ナツメさんはポケモンではないし、俺も本来はこのジムに挑戦するつもりはない。したいのは見学だし、できればエスパータイプのポケモンについて色々とアドバイスが欲しい。

 だが、どう考えてもそんな状況にはない。ある種の用心のためにゴーストを連れてきたのが、ここでは奏功したことになるわけだ。

 ところで、本来威力が固定されているとされているナイトヘッドだが、俺はこいつがゴースの頃からこうした練習をさせていた。これは攻撃と防御を同時に行うためにやらせた俺オリジナルな技だ。

 ナイトヘッドは元々、敵に幻を見せてダメージを与える技だ。俺はあえてこの技を威力を抑えさせることからやらせ、徐々に小さな幻を壁のようにそびえ立たせるように工夫させた。

 そのおかげで、敵は巨大な幻の壁を見ることになる。何が見えているのかはそれぞれ違うらしいが、何か恐ろしいものが縦に積み重なって襲ってくるというのは、受ける側からすればたまったものではないだろう。俺なら嫌だ。

 こうした巨大な幻を前にすれば、よほど肝の座った相手で無い限りひるんでしまうし、幻が大きすぎてゴーストの姿を視認することができなくなる。

 威力は抑えたものを積み重ねているのだから、敵に与えるダメージは通常のナイトヘッドとほぼ同じ。威力を落とさずに敵をひるませ、攻撃の命中率を下げることができるというわけだ。

 ところで、その幻のおかげでナツメさんは一瞬怯んだようだ。トレーナーにも威圧する効果があることが分かったのはめっけものだ。

「フーディン! テレポート!!」

 俺の後ろから誰かがポケモンに命じた声だ。どうやらジム生のどちらかが命じたものらしい。

 そう思った瞬間、俺はヤマブキジムの外に出ていた。どうやら追い出されたらしい。と思ったら、先ほどナツメさんをなだめようとしていたジム生、一人は女性のようだがその人たちも一緒にいる。

「やれやれ…君が一瞬ナツメさんを惹きつけてくれたから助かったわ」

「まったくだ。あの状況のナツメさんに挑むなんて骨のあるトレーナーがいるなんてね」

 口々にそう言うが、俺としては未だに状況がつかめない。そんな俺に、二人は代わる代わる説明してくれた。

 要約すれば、ナツメさんは情緒が安定しない人なのだそうだ。普段はそうでも無いが、一度バランスが崩れるといつまでも泣き続けたり、落ち込んでしまったりするらしい。それが周期的に来るわけでもなく、不定期に起こるのだそうだ。

 普通の人なら、なんだか面倒くさいだけで済む話だ。だが、ナツメさんはカントー地方でも4指に入る凄腕のジムリーダーであり、ご自身も強力なサイキッカーだ。

 そんな人が情緒不安定になって暴れ出したら… さっき見た通りのことになるというわけだ。ハッキリいって、先ほどナツメさんが手持ちのポケモンを出さなかったのは僥倖と言って良いだろう。

「まあ、そんな状況だから、今日は挑戦は諦めた方が良いと思うわ」

「いえ、俺はジム戦をしに来たわけではなくてですね…」

 俺は二人に、ヤマブキジムへの来意を伝えた。俺の境遇は伏せておいて、オーキド博士の依頼で各地のポケモンを集めていて、その関係でエスパータイプのポケモンに関することで色々とアドバイスを貰いたかったのだ。

「アドバイスねぇ…俺達でできることなら協力させてもらうが…」

「ナツメさんに直接聞くのが一番良いにこしたことはないわね。でも今日は…」

「そうですね…」

 さしあたり俺は、しばらくポケモンセンターに逗留して、ナツメさんの感情が通常に戻るのを待つことにした。

 二人はそれぞれアキラとサヤと言って、本来なら彼ら二人とのバトルに勝ち抜かなければナツメさんに会うことはできないんだそうだ。

「君ならバトルでも相当良いセン行けると思うわよ」

「ま、とにかく落ちつたら連絡するから、それまで待っていてくれ」

「分かりました…」

 正直、気が重かった。もしナツメさんが落ち着く前にシゲルなりサトシなりがここにやって来るようなことになったら目も当てられない。

 とはいえ、当面はできることも無いから、オーキド博士と連絡を取りつつナツメさんの様子を伺う他はなさそうだった。やれやれ…

 

アキラさんから連絡があったのは、その二日後のことだった。正直も二、三日経ってもダメだったら諦めてセキチクシティに向かおうかと思っていた時だった。

「その、一応今は安定しているから、話くらいは聞けると思うよ」

 一応というのが若干引っかかったが、どうやら俺はアキラさんとサヤさんとのバトルは免除されるようだ。ジムへの挑戦ではないことと、あの時の俺の行動からそうしても良いという判断がされたという。

 まあそんなもんかと思いつつ、とりあえずナツメさんに挨拶をしようとしたところ、いきなり抱きすくめられて今に至るというわけだ。

「ちょ、ちょっと待って…わぷ!」

 ほとんど無表情のまま、ナツメさんは驚くほどに情熱的に俺を抱きしめてきたのである。これには驚くより他なかった。

「すまないね。今はどうやらとにかく何かを可愛がりたいらしくて」

 それならそれで、なんで俺なんだという思いがあったが、この状況はムッツリな(自分で言っちゃった)俺には悪くは無い状況だ。

 しかし、こうして抱きしめられていると、どういうわけか徐々にそういう考えが薄らいでいったのは自分でも驚きである。

 何と言えば良いのか… 今の俺の気持ちを表現するとすれば、それはおそらく『安心感』が最も適切なのではないかと思う。

 俺は孤児院で育ったわけだが、孤児院にいる子どもたちがそこに来ることになった時期というのは、当然ながら人それぞれだ。赤ん坊の時の奴も入れば、ある程度は分別のある年齢で入った奴もいる。

 俺はと言えば、分別があったかどうかは知らないが、自分が母親によって孤児院に入れられた時の記憶が残っている。そういう年齢だった。

 あれは確か雨の日だった。俺の母親は罪悪感があったのか、最後に俺のポケットに大量の飴を入れて行った。雨の日に飴をもらって捨てられたのだ。なかなかに洒落た人生の始まりだった。

 そんな年齢だったから、院には俺より年下の子供もたくさんいた。経費の関係上、院で働く人の数は知れているから、俺のような年齢の子供は自分のことは自分でするしかなかった。

 そうだ。俺は… 俺はこんな風に誰かに抱きしめられたという記憶が一切無いのだ。

 これまでの人生の中で味わったことの無い感覚。なんて柔らかくて、暖かくて…

 おそらく自分に母親というものが存在していたとしたら、こうした感覚を幼い頃に味わうことができたのかもしれなかった。だが、俺はその母親に捨てられたのだ。

 理由は知らないし、今となっては知る術は無い。また、知りたいとも全く思わない。結果として俺が捨てられてしまった事は間違い無いのだから。

 愛を感じたことが無いわけではなかった。メイコ先生をはじめ、院の職員の人たちはそれぞれの形で俺に愛情を注いでくれていたと思う。

 だが、それはやはり母親から注がれるそれとは全く違っていた。無条件にすべてを独占できる母親からの愛など、俺を含めた院の子どもたちには望むべくも無かったのだ。

 院には、俺と同じ年齢かそれ以下の、もっと世話を必要とする連中がたくさんいた。誰かの手を煩わせることはもちろん、それを独占するような真似を俺がすべきではなかった。

 ああ。何ということだ。おそらく知る必要もなかったもの。しかし、こんなにも素晴らしいもの。俺は今、それを知ってしまった。

 こうした思いは、俺に否応なく自分の境遇というものを殊更強く認識させた。しかし、それでも俺は今、初めて自分が幸せな状況になるのではないかと感じずにはいられなかった。

 旅の途次で、こんな思わぬ出来事が待っているとは考えていなかった。俺は、これまでの自分の人生の中で望むことはあっても手にすることはできないものを、今感じているのである。

「ありがとう…」

 俺の耳に届いた言葉は、当然ながら俺が言ったのではない。どうやらそれがナツメさんの声のようだ。初めて聞いた。

「俺の方こそ…ありがとうございます」

 俺はナツメさんに礼を言いつつ、そろそろ離れなければならないのかと思った。とても残念だったが、それも仕方のないことだった。だが。

「うわっと! ちょっと」

 ナツメさんは再び俺を抱きしめた。さっきよりももっと強く。それはまるで、ぬいぐるみか何かを抱きしめるかのようである。

(うぷっ…かなり幸せな状況だが、このままでは息が…)

 俺はなんとかもぞもぞと動いて、ナツメさんの豊満な胸の谷間からかろうじて顔を出した。ちょうどその時、ナツメさんと目が合ってしまう。

 本当に綺麗な人だ。エリカさんとは別なタイプではあるが、まさに噂に違わぬ美人だ。正直何を考えているのかさっぱりわからないが。

 俺はあれこれ考えるのをやめることにした。今、俺はナツメさんに抱きしめられていて、俺はそれを心地よいと思っている。それで良いんだ。

 きっと気が向いたら、ナツメさんは俺を離すだろう。アドバイスをもらうのはその後で良い。

 この時俺は、この後起こる事件のことなど、全く予想していなかった。

 そして、その事件が俺のこの後の旅に後々まで影を落とすことになるということも、知るよしも無かった。



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