Fate/Grand Apocrypha〜亜種聖杯大戦〜 (古代魚)
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序章
第0話~マシュの事情~
彼女は夢を見ていた。
それは一つの追憶である。
彼女が今研究所の外に出た理由でもあった。
「君には指定された都市に向かってほしい。許可なら取ってある。……というか、所長の指示なんだよね、実は」
「指示、ですか」
「そう。既に手を回して君の住む所も手配してあるそうだ。資料は後で渡すよ。そして資料の内容について調査して、報告書をあげて欲しい。君を外に出すのは僕としては不安なんだけど所長の指示だからね」
困ったように笑う彼に、彼女は淡々と言葉を返す。
その時はまだ見ぬ外への期待より、疑問を解消すべきだと彼女は思った。
「ドクターは行かないのですか?」
「僕は行けない。だから君には帰って来る時でいいから、資料にこっそり書き込んだ物をお土産として買ってきて欲しいんだ」
「わかりました。では、また後で。Dr.ロマン」
「ああ、よろしく頼むよ、マシュ」
そうして彼女はたった一人で遠く離れた国までやって来たのだった。
いや、正確にはお供が一匹だけいるのだが。
――フォウ、フォウ!
その声は少女を夢から引き戻す。
記憶の整理はここまでだ。
目覚めが彼女を待っているだろう。
「……フォウさん」
そこは殺風景な部屋だった。
家具は配置されているものの生活感はまるでない。
目覚めたマシュは犬のようでいて猫のような生き物を見てぽつりとその名を呼んだ。
フォウさんと呼ばれた生き物はぺろぺろとマシュの頬を舐めていた。
マシュはふっと口元を緩め、フォウへと手を伸ばし頭を撫でた。
「どうしたんですか。食事の時間にはまだ早いと思うのですが」
マシュが問いかけても、フォウは同じように鳴き声を繰り返すだけだ。
身を伏せて何かを訴えるように。
「本格的な調査は明日からなんです。今日は他にすることも――」
そう何もないはずだ。
遠いところをはるばるやって来たマシュは翌日に指定された学園に入学することになっていた。
入学するための手続きは何もかも終わっていて、恐らく所長たちが手を回したのだろうと勝手に思っていた。
当面の着替えと、生活費だけを手に、仮宿となるマンションへとマシュはやって来たのだ。
研究所の外に出るのははじめてだったが、不安はない。
準備期間中に、一般社会での生活については何度もシミュレートしたからだ。
実際に飛行機の搭乗手続きや、冬木市へやってくるまでの乗継ぎも問題なく終わっている。
「そういえば、この家には食料がないんでした。買い物に行きましょうか、フォウさん」
マシュがベッドから起き上がってもフォウは動こうとはしなかった。
ここにいるよとでもいうかのように、マシュが身支度を整えて寝室のドアから振り返っても、ベッドに伏せたままだった。
「フォウさん?」
「……フォウ、フォーウ」
「お留守番、ですか。そうですね、フォウさんが家を守ってくださるなら私も安心です。それでは、いってきます」
そうして一人家の外に出たマシュは、開いた扉を誰かにぶつけそうになってしまった。
「ぅわっ!」
「あ、すみません……!」
よろめいた誰かに反射的に謝ると大丈夫だからと押し止められた。
相手はマシュと同じか少し上ぐらいの少年だった。
「いや、オレもよそ見して歩いていたからおあいこだよ。……ここに越して来たの?」
そっと彼に当てないように静かにマシュは扉を閉める。
何故だか急いで閉めないといけないような気がした。
「はい。今日引っ越してきたマシュ・キリエライトと言います。あの、貴方は?」
その発した言葉は今までの人生の中で始めて口にした言葉だった。
研究所の中で、ネームプレートを付けた職員と接する日々。
だから、誰かに名前を聞く/名乗るなんてことは一度もなかった。
「オレ? オレは藤丸立香。ここの隣の部屋に住んでるんだ。できれば、藤丸って呼んでほしい。下の名前だと良く女の子と間違われるんだよね」
よろしく、と差し出された手をマシュは見て思案する。
こうやって手を差し伸べられたのは初めてのような気がした。
「はい、よろしくお願いします。藤丸先輩」
何故か唇はそう言葉を紡いでいて。
驚く藤丸の手に自分の手を重ねて握手を交わす。
藤丸もどこかに出かけるつもりだったのか、知らないうちに並んで歩いていた。
そうすると無言でいるのもおかしな話で、どこからマシュがやって来たのかという話になった。
その辺りの話は日本に来る前に打ち合わせていた通り、マシュは日本文化を学ぶための留学だと説明した。
「どこの学校?」
「穂群原学園です。明日、入学するんです」
「おお、ということは本当に後輩なのか」
ちょっと感動した風に藤丸が言う姿が、よく知る主治医に重なって。
気がつくとマシュは小さく笑っていた。
この出会いという奇跡を大事にしたかった。
けれどそううまくはいかない。
そう、それは次の日の夜。入学式が終わった日のことだった。
マシュは調査の為に外出していた。
その調査とは、『大聖杯が奪われた後の冬木には本当に何も残っていないのか』ということだった。
聖杯――それは願いを叶える万能の杯。この地冬木で過去に三回聖杯戦争という儀式が行われたという記録が残っている。
だが、それは奪われた。第三回目の聖杯戦争にて。
けれどここにはまだおかしな歪みが残っているのが観測されて、マシュが派遣された。
何故マシュだったのか、それに答えをくれる人間は誰もいなかった。
唯一何でも答えてくれた主治医でさえ、理由は何も知らされてないと語ったのだ。
「魔術回路、起動……人避けがされている?」
マンションから駅前に移動しても人がいない。
この時刻ならば、まだ帰宅する人間がいてもおかしくはないはずなのに。
「……マシュ? こんな遅くにどうしたんだ?」
途中で藤丸に出会ってしまい、マシュは焦る。
いつも通りに接すれば大丈夫だとわかっていたのに、驚いてしまったのだ。
「いえ。ちょっと夜風に当たろうと思って散歩していただけです。先輩は?」
「オレはちょっとしたアルバイトの帰り。女の子が一人で出歩くのは危ないよ。幸い、一緒のマンションなわけだし送っていくよ」
今日は人避けの魔術以外の痕跡はなかった。
そう。だから今日はここで帰るべきだった。無駄な事をすべきではない。
「はい。お願いします」
けれど、既に布石は打たれていた。
既に準備は整っていた。大聖杯こそないものの、ここはかつて聖杯戦争が行われた霊地。
聖杯戦争の仕組みが魔術師内にばらまかれた以上、それが起きるのは必然だった。
「痛っ……」
藤丸が急に手を押さえ蹲った。
その様子にマシュは息を呑む。
日本に来る前に貰った資料にそれについて載っていた。
令呪。聖杯戦争のマスターの身体に顕現する、参加権にして絶対命令権。
魔術回路がなければ与えられないはずだ。
「先輩、大丈夫ですか。先輩!」
「ああ、どこかにぶつけたのかな。急に痛みが」
この様子だときっと藤丸は何も知らないのだ。
聖杯戦争のことも、魔術の事も。ただの一般人。
ならば、何故藤丸の手の甲に令呪の兆しがあるのだろうか。
マシュの知らないところでそれは始まっていた。
――亜種聖杯二つによる事実上の亜種聖杯大戦。召喚される英霊は全11騎。
始まった以上、全てのサーヴァントを倒すまで終わらない。地獄の戦いが。
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第1話~遠坂凛の事情~
彼女にとって日々の鍛練こそ日常を支配するものだった。
遠坂凛は魔術師の家系だ。それに変わりはない。
ただ違う事があるとするならば、数代前から魔術の鍛錬の他に、武術を取り入れた事だった。
魔術によってではなく、武術による根源到達。それが彼女の家系の目標だった。
「一人で型をおさらいするのにも限度があるわよねぇ」
彼女が現在習得しているのは八極拳だ。
父親が懇意にしていた冬木教会の神父より手ほどきを受けたものだった。
その神父は今所用で冬木を離れている。
同じように武術を極めようとしていた父は母と共に海外へ武者修行の旅に出ている。
日課の型のおさらいを終えた凛は屋敷の中を探索する。
昔、ある事件で聖杯戦争での根源を至ることを諦めた遠坂家は、武術で根源に至ろうと方針を切り替えた。
されど魔術の鍛錬は武術の鍛錬に通じるものがある。
だからこそ遠坂家は魔術を手放さなかった。
「さて、と。まだ読んでない資料が残ってるわね」
陽が傾きだした頃、凛は魔術師としての日課を切り上げ、重い腰を上げた。
漸く春休みも終わり、新学期も明日から始まる。
一日中鍛錬に使える日はなくなってしまう。
その前に少しでも解決しておきたい問題があったのだ。
ついこの間から手に浮かび上がった令呪。今の遠坂家には無縁であるはずの聖杯戦争の参加証である。
それが令呪だとわかったのは遠坂家に残された聖杯戦争についての資料を読んだからである。
令呪が現れるのは、聖杯がマスターを選ぶからだ。
しかし第三次聖杯戦争において、冬木の大聖杯は奪われてしまった。
故に、もう二度と聖杯戦争は起きないはずであったのだが。
そうして辿り着いた答えは、聖杯の簒奪者によりばら撒かれた聖杯戦争の仕組みからここで亜種聖杯を作り上げた魔術師がいるということだった。
武術に方針を切り替えたとはいえ、ここは未だ遠坂家の管理する霊地。
セカンドオーナーの許可なく勝手に大規模な魔術儀式をするというのならば見過ごすことなどできない。
「とはいえ、もう目星はついてるんだけど」
そう、心当たりがある。
数日前にしばらく滞在するからとセカンドオーナーである凛の家までやってきた魔術師が一人。
現在凛は当主代行の立場ではあるが、あの自信と野心に満ち溢れた男を忘れるはずもない。
――アトラム・ガリアスタ。中東に根を張り、最近になって時計塔にやってきたという一族の長である。
わざわざ極東の地にまでやってきた理由は話さなかったが、この手に令呪が浮かんだ前の出来事として考えると第一の容疑者である。
そして亜種聖杯について資料を漁った結果、造り上げた魔術師によって性質が異なるらしいことがわかった。
少ない時は二騎、多くても五騎という召喚されるサーヴァント。
冬木の聖杯戦争で呼び出される七騎には満たないということらしい。
ならば願いを叶える聖杯としての質は、圧倒的に劣るとしか思えない。
そんな戦いへ参加する事に、特に意義は感じない。
「本当に犯人があいつだったとして、その思惑に乗るのは癪だけど仕方ないわね」
凛はサーヴァントを召喚して、この企ての主を叩き潰す算段だった。
どうせ聖杯戦争というものに参加するならば、勝利しなければならない。
その為に召喚儀式の準備を進めていたのだが――。
『なるほど、奇妙な召喚をされたものだな』
「――誰!?」
突然聞き覚えのない声が室内に響き、凛は鋭く問いかけていた。
令呪の現れた手が痛み、魔力パスが誰かと繋がった手応えだけがある。
ということは、今声をかけてきたのはサーヴァントであるはず。
「儂はランサーのサーヴァント。召喚に応じ参上した」
凛の知らぬことではあるが、地下に先祖が用意した召喚陣が残されていたのである。
それも、第二次聖杯戦争で聖杯降臨地として選ばれた際、サーヴァント召喚を聖杯抜きで出来ないかと試した物であった。
当然そんなものが発動するわけもなく、諦めた先祖もうっかり放置していたのだ。
それが今、亜種聖杯の性質から繋がってしまったのだ。
この亜種聖杯は、マスターもサーヴァントも聖杯が選ぶように作られている。
そういった事実を彼女が知るのはまだ先の話だった。
赤い髪に、同系色の中華風の服を纏った男がそこに現れていた。
その立ち方、呼吸の仕方。ただならぬ修練を積んだ武術家であるように凛には見えた。
「ランサーのサーヴァント。槍術をメインに扱う武術家と言ったところかしら」
相手は今を生きる人間には及ばない神秘を纏った存在である。
それを差し引いても武術の在り方から根源を求める凛にとっては、偉大な先達であり好奇心を疼かせるサーヴァントだ。
「何だ、儂の流派が気になるのか?」
「ええ。武術を極めるのが命題だもの」
「ほう、それはそれは。後でお主の功夫を見せて貰わねばなるまい」
血気に逸るように、男はにやりと笑ったのであった。
英霊としての真名を告げられることはなかったが、後に凛は自分のサーヴァントが八極拳を習得している事を知る。
夕焼けに空が赤く染まる頃、チャイムが鳴った。
今日は来客の予定はなかったはずだ。
不審に思いながらも、凛は応対に出る。
門の外に誰かが立っているが、玄関からではよく見えない。
「はい、どちら様――」
門を挟んで来訪者と相対する。
だが、そこにいた客は凛の予想だにしていなかった者だ。
「お前が遠坂凛だな」
青い髪の小柄な姿。子どもかと思っていたがその唇から深い声が紡がれた。
その瞳は長い人生を歩んできたことを感じさせる、諦観のようなものさえ浮かんでいる。
子どものような姿に対してちぐはぐな雰囲気は、神秘に関わる者だろうと凛に推測させるには十分だった。
「ええ、そうだけど。貴方は?」
「俺か。一度しか言わんぞ。俺の名はアンデルセン。聖堂教会から派遣された聖杯戦争の監督役だ。まあ、俺には不釣り合いな役どころだがな」
そう皮肉気に、彼は愛らしい容姿に似合わぬ悪態をつく。
「監督役……でもおかしいわ。この冬木には」
「ああ、この地には聖堂教会の人間がいたな。だが彼はいない。だから俺がここにいる。わかるな?」
理屈はわかる。彼が聖堂教会の人間であるのならば、代わりの人間だって派遣されてくるだろう。
でも彼がこのタイミングでやって来たこと自体が信じがたい。
聖杯戦争の兆しがある。けれども凛がそれを知ったのは令呪が現れてからである。
都合よくすぐに監督役が派遣されてくるなんて。
「何だ、不満そうだな。何を話せば納得する? 大聖杯が持ち去られたとはいえ各地で亜種聖杯が観測されているのだ。ここにもいずれ、と思っても不思議ではあるまい」
「そうね。そう言うことにしておいてあげる。それで、今日は監督役としてセカンドオーナーに挨拶、といったところかしら」
「そうだな。今日のあたりはそれと監督役として俺が何をしないのかを伝えとこうと思ってな」
「何よそれ」
「俺は徹底的に頭脳労働に特化している。役に立たんと考えてくれ。祭壇にいないときは書斎にこもっているさ。俺はお前たちの苦悩の姿を書き留めなければならんからな。その代わりシスターがいるだろう。そいつ相手に用件を話せば俺に伝わる」
話はそれだけだったのか、アンデルセンは帰って行った。
そうして凛は家に戻る。
「客が来ていたようだが」
玄関に控えていたランサーはちらりと門の方に視線を向けて行った。
とっくに来訪者は去り、そこには誰もいない。
「聖杯戦争の監督役だそうよ。でもきっと私たちには関係ないわ。貴方は強い相手と戦いたい。私は聖杯戦争を遠坂の管理地で開催した馬鹿を叩き潰す。それだけでしょ」
「うむ。おぬしの言う通りで相違ない」
凛はそれだけ確認して、ドアを閉める。
その音に紛れてランサーが呟いた言葉は凛に届くことはなかった。
「確かに儂には関係あるまい。だがマスターはどうだ? アレはいずれかのサーヴァントだろうが」
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第2話〜岸波白野の災難〜
春休みの課題をようやく片付け終えた白野は、時計を見てため息を吐く。
まだ午後三時過ぎ。夕食の材料を買いに行くには早い時間だった。
「……困った」
白野は長らく一人暮らしだった。
というのも養父が仕事で海外に出て不在だったのだ。
一体海外で何をしていたのかは気になっていたが、なかなか聞く機会がなかった。
ついこの間帰国した養父より、一人の女性を紹介された。
ピンクの髪の和装が似合う女性である。
てっきり養父の交際相手かと思ったのだが、養父の女性への態度はどこか突き放しているようで、白野の思っているような関係ではないらしい。
「こちらのお嬢さんには事情があってね。しばらくこの家に滞在してもらう。名前はキャスターと言う」
家の主に言われてしまっては白野に拒否権はない。
かくして健全男子だった白野の日常が変わってしまうなんて、彼は思いもしなかった。
養父に女の影はなく、華やかなものなんてなかった家に女性がいる。
それだけで大事件だったのだ。
「あの、白野さま。少しよろしいです?」
こんこんとノックの音がして、キャスターがそっと声を掛けてくる。
彼女は遠慮がちに声を掛けて来るが、隔てる物がなくなると急に押しが強くなる――気がした。
用件は買い物だろうとわかっているが、少しドアを開くのに勇気が必要だった。
「何か用?」
「ええ、そりゃあもちろん! 明日からは学校とお聞きしました! 私、貴方さまのためにとびっきりのお料理を作ろうと思うんです。何かリクエストがあれば言ってくださいまし」
「ああ、うん。嬉しい……けど特にリクエストはないんだ。キャスターさんの料理はおいしいし」
「まあ、そんなキャスターさんだなんて。私の事はどうか気軽にキャスターとお呼びください」
頬に手を当て彼女は頬を染める。
家の中がとても華やかなのはキャスターのおかげだろう。
けれど、正直なところ彼には女性に対する免疫が全くないのだ。
容姿も成績も平凡もいいところ。
人ごみの中では見失いやすいと、友人たちの間では評判なのが岸波白野という少年だった。
「あら? 白野さま。その手、どうされたんです?」
「え?」
指摘されて白野は自分の左手に妙な痣が浮かんでいることに気づいた。
痣というよりは紋様だ。寝ぼけて落書きしたということも無いはずで。
知らない間に手の甲にこんな紋様が浮かんでいるなんて気味の悪い話だった。
自分が中二のころであれば、もしかしたらかっこいいと思ったかもしれないが。
「……どこかにぶつけたのかな? 放っておけば消えると思う」
「そう……ですか……」
キャスターはどこか落ち込んでいるような気がする。
と、思えばすぐに表情を朗らかに切り替えた。
コロコロと表情が変わる様は、見ていて飽きない。
「痛みがないのならいいのです! さあ、白野さま! 買い物に参りましょうか」
気がつくと白野はキャスターに引きずられるような形で、買い物に出かけることになった。
街中を軽い足取りで歩く彼女にしばし見惚れる。
変わらぬ日々に訪れた変化。それに期待を抱かぬ者はいないだろう。
けれども――。
「もし、そこのお二方」
「はい?」
突然掛けられた声に白野は振り返り、そしてあまりの衝撃に言葉を、我を失った。
そこに立っていたのは一人の女性だ。そう、それだけならばよかったのに。
憂うような表情、匂やかな佇まい。黒衣に身を纏い厳重に肌を隠した姿は……。
「僧侶……尼さん……?」
「まあ、私がそのように見えるのですね。それは当たらずとも遠からず、ですわ」
女性はおかしげに口元に手を当てて笑う。その姿は品がいい。
上品であるのに、その仕草は妖艶で目がついあらぬところを追いかけてしまう。
例えばぴっちりとした黒衣のおかげで強調される胸のふくらみなど。
「白野さま、視線はどちらに向かってらっしゃいますか? 私の手がお見えになりますか!?」
ひらひらとキャスターの手が割り込むことで、白野の意識は我に返った。
よく見ると女性の服装は尼僧ではなく、教会のシスターのようである。
「私、今度冬木教会に派遣されました司祭の補佐、殺生院キアラと申します」
その言葉で白野もようやく合点がいく。彼女が白野に声を掛けてきた理由を。
「もしかして、迷いました?」
「ええ。司祭が先に行っていろ、だなんて言うものですから」
道順は確かに聞いていたはずなのに、気がついたら道に迷っていたのだという。
それは大変でしたね、と白野は丘の上の教会へと案内しようと思った。
キャスターは不満そうにしていたが何も言わない。
お互い黙っているのも気まずくて、白野は冬木でどこか気に入りそうな場所はあったか聞いてみた。
まだ来てすぐだからだろう、キアラは困ったように頬を染め微笑むばかりだった。
と、何故か気がついたら白野は自分の身の上話をしていた。
彼が語ることはあまりない。
過ぎ去りし時は攫えぬ。
残るのは記録ばかりで、実感しない。
岸波白野という人間は一種の記憶障害を患っていた。
時間は
そうして振り返った
彼にとって振り返るべき過去はある時を境に断絶しているのだ。
それが原因なのかはわからないが、記憶が持続するようになってからはある男の養子となっていた。
聞いた話によると、両親は何もかもを忘れた彼を見ていたくなくて手放したのだという。
そんな学校の友人にも話したこともない過去を口にしていた。
きっとキアラの合いの手が上手かったからだろう。
相手は仮にも聖職者だ。身の上話を聞いたことぐらい数えきれないほどあるだろう。
「まあ、そんな事が……申し訳ありません。そのようなお話をさせてしまいまして」
「いや、俺にとってあんまり実感できない事だから気にしないで」
「白野さま……」
「キャスターもごめんね。こんな話聞かせちゃって」
「いいえ、そんなとんでもない」
そんなことを言っていると、教会の屋根が見えてきた。
キアラをきちんと教会に送り届けた時には日もだんだん傾いて、買い物をして家に戻るとちょうどいいだろうと思えた。
「じゃあ急いで買い物に行こう。晩ごはんは何でもいいよ」
白野は何も知らぬままキャスターと共にその場を後にした。
――夜。
外は静かだ。人々のざわめきも車の音も遠い。
けれど眠れない。外の静寂に反して心がざわついて目が冴える。
きっと久々に自分の過去を人に話したからだろう。
記憶を辿るとある白紙の頁。何も書かれていない
その先を知りたいと思ったことは不思議とない。
不確かな
そう白野は思っていたのだけれど。
考えれば考えるほど、眠れなくなる。
ならばいっそ起きていようと思考を切り替え、白野は寝間着から着替えて部屋を出た。
やることと言っても、ホットミルクを飲むぐらいだろうが。
冷蔵庫を開けると牛乳がなかった。
「……しまった」
もっと早くにチェックしておけば切らす事なんてなかったのに。
スーパーはとっくの昔に閉まっている。
普段ならパン食だから途方に暮れていたところだが、キャスターは米食派のようで、翌日のご飯の準備は炊飯器でバッチリである。
「部屋に戻ろう」
何しに部屋を出たんだろうと白野が虚脱感を覚えた時、何か家の中で物音がした。
ぱたりと小さな音。それが確かに聞こえた。
「キャスター? 起こした?」
廊下に顔を覗かせてみても、キャスターからの返答はない。
その代わり、キャスターが滞在してる客間のドアが少し開いている。
キャスターに謝りながらドアを開き、電気をつけるともぬけの殻だった。
時間は女性が出歩くには遅い。
そう実感する前に白野は家を飛び出していた。
走る。走る。走る。
心当たりなんてあるはずがない。
けれど物音がしてから白野がキャスターの不在を確認してすぐだ。
走ればすぐに追いつけると思っていたのだが、姿が見当たらない。
街灯の光でも、あの桃色の特徴的な髪ならば、すぐに見つかると思っていたのに。
「キャスター! どこにいる!」
近所迷惑だが声を張り上げた。
不思議な事に迷惑だと外に出てくる人間がいなかった。
そう、応える者は誰もいない。
ただ一人、彼を狙う者以外は。
「ほう、網を張っていれば案の定。ようやく出てくるとはな」
それは男の声だった。
聞き覚えなんて当然ない。
自分を敵視してるとかそんな風には聞こえないのに、身体が強張る。
見られている。それははっきりとわかる。
この視線は自分を品定めしている。
お眼鏡に適わなければあっさりと殺される。そんな妄想が頭を占める。
「どうした? 早くサーヴァントを呼ばぬか?」
街灯の明かりに照らされ、相対する人物が浮かび上がる。
頭には白い頭巾を被り、同じ色の垂れ布と、口元を覆い隠す布によって顔はほとんど見えない。
手には金色の錫杖を持ち、アラビアン風と言っていいのだろうか。男の姿はそんな風に見えた。
まるでおとぎ話から出てきたようだ。
布の間から見える赤い瞳が、白野を射抜く。
「白野さま!」
男との間に割り込んで来たのはキャスターだった。
青い着物、ピンッと立った獣の耳、そして白野に向ける背にはモフモフとした物がある。
「キャスター?」
「貴様ではないわ、キャスター。そやつはまだサーヴァントがおらぬではないか! ならば裁定するのが我の役割というものよ」
男が錫杖を振り上げると、キャスターが鋭く叫んだ。
「伏せてくださいまし!」
「え、――ぅわっ!?」
キャスターに押されるまま、地に伏せた彼の上で硬い物同士がぶつかり合う音が響いた。
何gは起きてるのかわからない。けれど身近に迫った危機なら感じる。
どうして起きた事なのかわからない。死が迫っている事だけがわかること。
硬い、重い音。このままだとキャスターも、自分も死ぬ。何も残さずに。
本当に、そんな終わりでいいのだろうか。
「どうした、呼ばぬなら貴様もそこまでだ」
それだけはどうしても許したくない。ここまでだなんて勝手に言われたくない。
そんな想いが呼び起こす。聖杯のシステム。
左手が熱い。全身が恐れで震えてくる。
そんな中彼の前に降り立ったのは、輝く赤い剣を手にした、剣士だった。
赤いドレスが風にたなびく。とても美しいと彼は思った。
「そなたの声を確かに聞き届けた。余はセイバーのサーヴァント。そなたの剣となる者である!」
高らかに歌い上げるような声。
演説でもするかのように名乗りを上げた彼女は、相対する男に剣を向けたのだった。
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第3話~黒幕たちの暗躍~
そこはその魔術師の工房だった。
冬木の市街地から離れた場所にある、工業地帯の一画。
そう、そこは工場に偽装された巨大な工房だった。
こんな真似が出来るのも、多大な資金があるからに他ならない。
――アトラム・ガリアスタ。
それがこの工房の主であった。
冬木の地で亜種聖杯戦争を主宰する元凶でもある。
「実に解せないのは君たちに令呪が浮かび、サーヴァントを呼び出すことができたのに、僕には難の兆候もないことだよ」
表面上は事務所に偽装した室内で、侍女を侍らせたアトラムは集った共犯者達に声を掛けた。
一人は男性白衣に眼鏡を掛け、陰鬱にアトラムを見ている。
「ランダムに令呪を配るように設定したのは君だろう。けれど君に令呪がないのは都合がいい。君の魔術系統は呪術だ。殺し合いの果てに生き残ったモノは最高の呪物になるだろう」
「ああ、この国では『蠱毒』というのだったか。東洋の術系統は詳しくないのだが、最後の勝者を平らげるというのは実にいい。強者であればあるほど胸が躍るようじゃないか」
不機嫌だったアトラムは、男の言葉に不満げな様子からがらりと変えて身を乗り出した。
「トワイス、トワイス・ピースマン。君の戦う理由は僕には理解しがたいがこの趣向は実に僕好みだ」
トワイスと呼ばれた男はアトラムに賞賛の言葉を向けられても表情を変えなかった。
彼は賞賛を必要としない。あるのは心を焦がす病のみ。
争いを憎むその理由を知りたくて、アトラムに手を貸したのだ。
「さて。聖杯戦争のルールを確認しよう。今回の聖杯戦争の賞品である聖杯はアトラム、君の作った二つだ」
この工房の地下。アトラムとガリアスタに連なる一族が作り上げた聖杯が二つ、
そう、この連結こそが今回の聖杯戦争の要だった。
一つの亜種聖杯が呼び出せるサーヴァントは五騎に過ぎない。
だが、その亜種聖杯を二つ連結すると全11騎。ここにアトラムはさらに工夫を加えた。
「令呪が
「今のところ、順調に過ぎるな。追加の五騎はいつ召喚できる?」
「数値を確認したところ、二日後だね。マスターを持たぬ五騎。これを速やかに確保するのが、我々の目的となる」
「それで、聖堂教会の監督役の確保はできたのかな?」
アトラムの視線が女性へと移る。
蠱惑的な身体を修道服に似た黒衣へと押しこめた女性。
彼らの協力者である殺生院キアラである。
「ええ。暗示を掛けて確保しております。教会で私とアンデルセンが得た聖杯戦争の情報を、私たちの都合の良いように報告してくださるでしょう」
彼女は召喚したサーヴァントを仲間内に開示した。
いくら手を組んでいると言っても、それぞれに聖杯戦争に掛ける願いは別で、いずれ争う運命にある。
トワイスの望みは、自分を戦地に駆り立てる病の正体を知ること。
キアラの願いは、あまねく衆生を自分の手で救うこと。
アトラムにとってはどちらの願いも理解しがたいものだ。
だから聖杯に掛ける望みはない。彼は聖杯のエネルギーで魔力結晶を精製するつもりだった。
買い上げた人間から抽出するよりずっと効率がいい。
それぞれに違う目的で手を組んだ以上、争い合うのは当然の帰結。
だが彼女はサーヴァントの真名を伏せずにいる。
戦う気があるのかと思ったが、真名を聞いてアトラムは納得した。
彼女が呼び出したキャスターは一介の童話作家。戦争には向かないのだ。
「他のマスターにはアンデルセンが監督役ということで通しております」
「本当にそれで信じるのかな?」
「この街でマークすべきなのは遠坂家だけだろう。尤も、遠坂の家もあまり聖杯は眼中にない。ふん、これでは僕たちに有利すぎる。圧倒的な戦力差は構わんが、手応えがないと分捕り甲斐もないからな」
「ルーラーがいる限り私たちの有利にはならないだろう。アレは聖杯に召喚された時から手に負えなかったからね」
この聖杯戦争で最初に召喚されたサーヴァントはルーラーのサーヴァント。
彼がこの聖杯戦争におけるマスター候補を襲撃し、サーヴァントを召喚させる。
サーヴァントが召喚できなければ理不尽に殺される。
彼ら聖杯戦争を仕組んだ裏方の暗躍さえも寄せつけぬ、生きた嵐のようなサーヴァントだった。
――その真名をギルガメッシュという。
アンデルセンは忙しくペンを紙に走らせる。
監督役とは面白くない役をやらされたと最初は思っていたのだが、よくよく考えてみるとおいしい役どころであった。
監督役は建前上どの陣営にも属さない中立である。
つまり何も知らないマスターたちから存分に話を聞くことができるのだ。
しかも肉体労働はほぼなし。素晴らしい環境だ。
神秘の隠匿については出来る限り対処するしかないが。
「だが、この聖杯戦争は最初からおかしなことばかり起きるな。あの獣耳のキャスターがいるのなら、俺は呼ばれる必要がなかったんじゃないのか」
現在、聖杯戦争を仕組んだ黒幕側が呼び出しているサーヴァントだけでキャスターが二騎。
二つ連結して、最初に半分を召喚させているだけなのにこの偏りよう。
誰かが仕組んだかのような采配だ。
「まあ、それは俺の気にする事でもないか。ネタになるマスターでも来てくれれば、俺の宝具の筆も乗るんだが。こればっかりはルーラーが目利きであることを祈るのみ、か。そう思わないか、キアラ。俺は戦闘には全く役に立たん三流サーヴァントだからな」
「……アンデルセン。確かに貴方は戦えませんが、あまりにもやる気がなさすぎなのではありませんか?」
「仕方ないだろう。俺は作家だ。だが、執筆する時間ほど苦痛な時間はない。ならばここに来る人間を観察して話のタネにしないとやってられん」
いつの間にか戻って来ていたキアラと一通りの言葉の応酬をし、アンデルセンは更なる情報の収集をしようと声を掛けた。
「それで、奴らとの会合は?」
「特に有益な情報はありませんでしたが……やはり三人のマスターと戦う必要があるのか、その果てに私たちの間で仲間割れが起きるのか、巻き込まれることになるマスターたちのその苦悩を私は思い……」
キアラはそこで言葉を切り、身悶えする。
貞淑な修道服だというのに揺れる肢体は、見る者がアンデルセンでなければ違った感想を抱いただろう。
「涎を垂らしそうな顔をするな。全く、俺の精神が最後まで保つのか危なくなってきたぞ。早く他のマスター――できれば熱心な読者に会えれば僥倖だが、そこまでは贅沢というものだろう」
彼が望むは己のモチベーション。魅力ある題材。
幸いにも冬木教会は長期不在の神父の親が残した聖杯戦争の資料がある。
それをこっそり拝借する分ぐらいは、役得として認められるべきだ。
宝具を使うのに良い題材になるだろう。
「それで、キアラ。確認するが、追加で召喚されるサーヴァントを抑えたら俺は晴れてお役御免ってことだな?」
「何をおっしゃるんですかアンデルセン。私のサーヴァントは貴方だけですわ。私のようなか弱い女が、はぐれサーヴァントと交渉してマスターになれるはずもありませんわ」
「どうだか。お前の魔術なら十分にサーヴァントを戒めるに足ると思うんだがな。亜種聖杯で召喚されるサーヴァントは元がどんな大英霊でも能力は十全ではないのだろう?」
それは致し方ない事。
元から英霊を使い魔のレベルにまで落とし込み、召喚できるというのがそもそも人の手に余るのだ。
そのシステムを模倣できること自体が驚くべきことである。
たとえ、亜種聖杯を作るのに魔術師どれだけ犠牲を払っていても、おかしくない。
屍を積み上げて作られた山、その頂点にある亜種聖杯をもぎ取りに行くような物だ。
「まあ、お前が新しいサーヴァントを手に入れようと手に入れまいと、俺のやることは変わらん。ではキアラ、俺は部屋に籠る。マスターが来たら適当に相手をしてくれ」
言い捨てたアンデルセンは教会から中庭を通りどこかへと姿を消してしまった。
ギルガメッシュは召喚されて早々に飽きていた。
聖杯に掛ける望みはないが、この世全ての物は彼の庭であり、彼の所有物である。
令呪を宿した人間にサーヴァントを召喚させるのが自分の仕事であったが、召喚させる相手は二人だけであった。
ギルガメッシュが赴く前に自力でサーヴァントを召喚したマスターには興味がない。
残る二人。追い詰められた死の淵で足掻き、苦しみ、それでも立ち上がろうとする人間こそ、聖杯を得る戦いにふさわしい。
最後にギルガメッシュ自身が彼らの前に立ちふさがるのだから。
だが二人。わずかに二人である。
最後のマスターがサーヴァントを召喚した後は、若返りの薬でも飲み最後の一人になるまで待とうとも思ったが、一人目のマスターにセイバーを召喚させた後に気が変わった。
それはなかなかに見込みのある目をした人間だった。
彼が足掻く様を眺めているのもいいだろう。
「さて、残るは一人」
ギルガメッシュは足を進める。
夜闇の中を颯爽と歩いて行く。
目的地はわかっている。最後のマスターがどこにいるのかはわかっている。
そうして、ギルガメッシュは藤丸立香の前に現れた。
理不尽な死を彼に下さんと。
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第4話~マシュの覚醒~
藤丸は自分の置かれた状況がわからなかった。
手が疼くように痛む。その痛みがいつまでも止まらない。
こんな強く手が痛む事なんて、なかったのに。
「先輩、大丈夫ですか?」
「……だい、じょうぶ……」
歯を食いしばって立ち上がる。
こんなのはどうってことない。そう言い聞かせないと新しくできた後輩の前で泣いてしまいそうだった。
そう、藤丸は穂群原学園の二年になったばかり。
なんてことはない、ごくごく一般的な家庭で育った一般人である。
そして今隣にいる少女、マシュは藤丸の家の隣に引っ越してきたうえに、今日から同じ学校に通う正真正銘の後輩である。
知り合ったばかりに情けない姿を見せたくない。
しばらく蹲って呻いていると、唐突に痛みが引いた。
まるで急に波が引いたよう。
ホッとすると同時に痛みの原因は何なのか手を見ると、甲に赤く光る紋様が浮かんでいた。
「何だ、これ」
「……先輩。本当にご存知ないのですね」
酷く緊迫した様子でマシュは呟く。
表情は曇り、藤丸の事を心配しているように見えた。
「それは令呪という代物よ」
突然知らぬ声が聞こえてきた。
声からして人に命令することに慣れきった様子。
誰かの下についたことのない男の声だった。
「貴様が最後の一人だぞ、雑種」
突然そんなことを言われても藤丸は困ってしまう。
この男は一体何者だろうか。
ようやく街灯の明かりで見えた男は、現実にいるのか信じがたい姿をしていた。
「サーヴァント……!」
「……ふむ。ああ、興味深い存在ではあるが今回は貴様に用はない。失せるがいい、女」
マシュを無視するかのように、刺すような視線が藤丸に突き刺さる。
だが藤丸は何もできない。自分の置かれている状況がわからないのだ。
ただ、理解できるのは自分の命が危ういらしいこと、そして下手をするとマシュが巻き込まれてしまうと言う事だけだ。
いや、巻き込まれるというならもう既にマシュは巻き込まれている。
今だって、マシュは男に威圧されて動けない藤丸の前に立とうとしていた。
「貴方が私に用がなくとも、私は聖杯戦争について貴方に聞きたいことがあるのです」
死の恐怖に震えることもなく、それはどこか浮世離れをした響きだった。
「ほう。どこかの魔術師の使いか。調査を貴様に依頼したというところか。令呪を宿していれば対話に応えてやれたものを。だが、マスターでもなく、死への恐れも持たぬ者に我は用はない。疾く失せよ」
「できません」
頑なに藤丸の前に立つマシュを、男は手に持った錫杖で薙ぎ払う。
鈍い音。視界から消えるマシュ。酷く現実が藤丸から遠ざかった。
「マシュ!」
すぐそこに理不尽な死が待っている。
そんな状況だというのに、先ほどまで動かなかった身体は動く。
藤丸はそこにある死の威圧も忘れたかのように、マシュへと駆け寄った。
「せん、ぱい……にげて……」
「逃げるのかと思えば、女の心配とはずいぶんと余裕よなぁ、雑種」
マシュは身体を打ち付けたのか立ち上がろうにもできないでいる。
もう動かなくていい。マシュは藤丸に巻き込まれた立場なのに。
鋭い風音。大地を揺るがすと錯覚した一瞬後に、アスファルトが砕かれ、武器のような物が突き刺さっていた。
「なっ……!」
少しでも動いていたら藤丸の命はなかった。
強張らせた視線を武器のような物が飛んできた方向へ向けると、黄金の輝きが無数に中空へ浮かんでいた。
その中央に立つのは錫杖を持つ男。
左右対称に展開された黄金の輝き、それぞれの中心から白銀の切っ先が覗いている事だけはわかった。
全て藤丸に向けられたそれは、たやすく藤丸の命を消し炭にしてしまう。
「マシュ、逃げて」
少しでも自分が逃げるそぶりを見せたらあの男はすぐにあの武器たちを撃ち込むだろう。
それぐらいは簡単に予想が出来た。
だからマシュだけは助けないとと藤丸は思った。
「せんぱい……だめ、です……」
マシュは起き上がろうとして、けれども動けないようだ。
「まだサーヴァントを呼ばぬか。ならばもう良い。消えるがいい」
無慈悲な宣告。
死が、理不尽な死が迫って来る。
逃げることも出来ず、後輩を逃すことも出来ず。
けれど藤丸はただ一つの選択をした。
マシュを男から庇うように覆いかぶさり、彼女の手を取る。
もうこれぐらいしか今できることがなかった。
――その瞬間、閃光が藤丸の目を強く焼いた。
反射的に目をつぶった藤丸だったが、いつまで経っても自身を貫くはずの痛みはやって来なかった。
その代わり、紋様の刻まれた手の甲が熱く、目を開くと闇の中紋様だけが赤く輝いている。
盾のように見える紋様は脈動する。何かに呼応するかのように。
「やああああ!」
気合一閃。その声はマシュの声に似ていて。
いつの間にか手の中から彼女の温もりが失われていて呆然とした。
「はっ! やっ!」
金属が金属を跳ね返すガキンガキンという音に反応して、藤丸は背後を振り返る。
それは不思議な光景だった。
大きな黒い盾を構えたマシュが舞い踊る。
盾と同じ色の鎧に身を包んで。
その度に、男が撃ち出す武器を弾き飛ばしていく。
「ふはははは! そう来たか! 此度の聖杯戦争は実に愉しみ甲斐があるというもの。雑種、そのような面白き召喚を成立させたのだ。もっと我を愉しませろ」
何度かマシュが武器を跳ね返した後、急に男は退いた。
唐突に。本当に突然に。男は消えてしまった。
最後に言った不穏な言葉を聞く限り諦めたわけではなさそうだ。
けれど、マシュはどうしてしまったのか聞く必要があった。
「マシュ!」
「先輩、お怪我はありませんか?」
「怪我はない、けど……これはどういうことなんだ?」
曖昧な言葉で質問する。
他にどう問いかけたらいいのかわからなかったのだ。
だって、こんなの知らない。
男は消えて、アスファルトを削った武具は消えても、傷ついた部分はそのままだ。
自分がまるでおとぎ話の世界に紛れ込んでしまったかのように感じる。
「私の事ですか? 先ほど先輩のサーヴァントとして私の身体に英霊が宿ったようなのです」
「サーヴァント……英霊……?」
「あ、先輩は何も知らないんでしたね。私が説明します」
それからマシュは聖杯戦争のことを説明してくれた。
何でも、マシュ自身、聖杯戦争の調査の為に来日したのだそう。
本当は一般人である藤丸の知らない所で始まるはずだった争い。
だけど何を間違ったのか藤丸がマスターになってしまった。
「先ほど、先輩を、藤丸先輩に襲いかかったのもサーヴァントです。本来サーヴァントはクラス名で呼ばれます。真名が明らかになると弱点もわかってしまうから。ただ、あのサーヴァントが何のクラスであるのか全く分かりもしませんでした」
「へぇ……」
「英霊は過去の自分の死因に弱いことがあるんです。ですから、隠ぺいします。自ら真名を明かす英霊があるとすればよほど強い英霊か、戦えないサーヴァントでしょう」
「マシュは? マシュの身体に宿ったとかいう英霊は――」
藤丸の疑問にマシュは残念そうに首を振った。
「残念ながら私は自分に召喚された英霊の情報がわかりません。おかしな召喚のされ方でしたから。けれど、クラス名はわかります。私のクラスはシールダー。盾の英霊です」
「そっか」
マシュの鎧が元の服へと戻る。
何でも一時的に魔力で被せてあるので、こういうことも出来るのだとか。
本来ならこういう風な服の変化はサーヴァントではできないそうだ。
あの鎧のまま移動するなんて夜ならともかく昼間は大変だろう。
「本当に、すみません。私、先輩のサーヴァントとしてお役に立てるように頑張ります」
「オレの方こそマシュに恥じないようなマスターになれるように努力するよ。ひとまず帰ろう。オレも少し混乱している。明日、学校かどこかでもう少しじっくり話をしたい」
これが藤丸立香とマシュ・キリエライトの契約の瞬間。
この時から彼らの聖杯戦争は始まりを告げたのだった。
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第1章 マスターを探せ
第1話 ~決闘の約束~
午前の授業が終わるチャイムが鳴る。
藤丸はあくびを噛み殺し、立ち上がった。
昼食は買わないとない。
だが、今日はマシュと作戦会議も兼ねて一緒にお昼をすることになっていた。
屋上あたりが話も聞かれなくてよいポイントだと藤丸は目星をつけていた。
だが――。
「藤丸、ちょっといい?」
一年の時から同じクラス。
もちろん昼食は買って食べる派の同級生が途方に暮れた顔で声を掛けてきた。
「悪い、岸波。オレ約束しちゃってて。ってどうしたんだ、その包み」
藤丸の友人であるところの岸波白野は、大きな風呂敷包みを持っていた。
かっちりとした形は弁当箱にも見えなくもない。
それにしてもずいぶんと大きい。
「
「君のお父さんってあの何考えてるかよくわからないお医者さんの?」
「そう、普段家を空けてどこか飛び回ってる養父の」
料理を作ってくれた、というところで藤丸はピンと来た。
きっとその知り合いとは女性に違いない。
と、普段ならこの友人を弄り倒すところだがこちらもそれどころじゃない。
「でもゴメン! 後輩とお昼を食べる約束をしてるんだ」
「そっか。じゃあクラスの誰かと一緒に食べるよ。きっと早弁した運動部とかいるだろうし」
そうして友人が隣のクラスの赤毛の男子に声を掛けているのを尻目に、藤丸はダッシュで屋上へ向かった。
途中で担任教師に見つかったら説教を食らってしまう。
だがそんなことを呑気に考えてる時間はなかった。
初めての待ち合わせで遅刻だなんて、したくはなかったのだ。
「マシュ、待た、せた……?」
「あ、いいえ。時間にして五分ほどでしょうか。大した時間ではないので、早速食事にしましょう」
マシュは日本語が上手だが、独特の言い回しをする。
今の言葉を藤丸の聞きなれた言い回しに変えるとするなら「今来たところです」となるだろう。
つまり、マシュを待たせてしまっていたのだ。
早速昼食にしようと言って、マシュは日当たりのいい貯水タンクの脇へと回る。
「この辺りとかどうでしょう? 今の私なら誰かが近づいて来たら判別できます」
「ああ。ありがとう、マシュ」
そうして向かい合って座り、マシュが下げていた手提げ袋から取り出したサンドウィッチを受け取った。
カリカリに焼いたベーコンと、レタスの挟まったシンプルなサンドウィッチである。
「すみません、作戦会議をしながら食べられるランチのレパートリーがまだ少なくて」
「いやいや、十分おいしそうだよ。ありがとう、マシュ」
一口齧るとカリカリに焼いてあるベーコンの塩気がパンに染み込んでいて、パンの甘みもあって美味しく感じた。
後輩、しかも隣に住む女の子が作ってくれたという事実だけで、味の補正値はぐんっと上がっている。
「あの、先輩。昨夜の事、どこまで理解できました?」
「オレが聖杯戦争のマスターとやらになって、マシュと一緒に戦わないといけないってところまでは」
「そうですか」
改めて、と食事をしながらもマシュは簡単に教えてくれた。
聖杯を求める英霊とマスターの戦い。
この戦いに勝利した者は、聖杯を得ることができる。
何でも願いの叶う、魔力の坩堝。
およそ魔術で出来ることは何でも短縮して行えるだろう。
「ただ、この地に聖杯があったのは60~70年ほど前までだと言われてます」
「……聖杯が、あった?」
「はい。この冬木で過去に三回、聖杯戦争が開催されていた。私が頂いた資料にはそのように記してありました。何でも第三次聖杯戦争でどこかの陣営に奪われたとか――」
マシュの語りに熱が入る。
けれどそれを切り裂くかのように、その場に殺気が走った。
「ずいぶんと詳しいじゃない。どこの魔術師の使いなの?」
凛として冷たい声。ハッとして藤丸が振り返るとそこにはA組の才色兼備の少女。
遠坂凛が立っていた。
「そんな……ここには誰もいなかったはずなのに」
「魔術で私を探そうとしたのかしら? でも残念ね。魔術では探知できない方法を使ってあげたから。藤丸くんはいいわ。後で何とでもなる。でも貴方はダメ。どこの魔術師かは知らないけど、セカンドオーナーの前で聖杯戦争の話なんて、いい度胸じゃない?」
マシュは身構えるように立ち上がるが彼女の眼力に圧されている。
ごくりとマシュの緊張が高まる。
藤丸も立ち上がるが緊張に身体が震えてくる。
凛に睨まれた男は何も言えなくなるというのが男子の間ではもっぱらの評判だ。
その時は笑い飛ばしたのだけれど、対峙してみてよくわかる。
「……失礼しました。私はマシュ・キリエライト。ロード・アムニスフィアよりこの地で観測された聖杯の兆しの調査で冬木に来ました」
「調査……聖杯戦争の参加ではなく?」
「はい。調査です。私には令呪はありませんから」
「そう? 全部脱いで見せてくれないとわからないんだけど?」
凛の言葉は刺々しい。このままでは危ない空気だった。
嫌な予感が藤丸の頭を占める。
例えばこのままマシュが血まみれになって、倒れる姿が。
藤丸は何か口を出してマシュを助けたい。
けれどマシュは目配せして藤丸に口を出させない。
藤丸はここで女の子にだけ任せて、黙っていられる男ではなかった。
「遠坂さん。マシュはマスターじゃない。マスターはオレの方だ」
言ってしまった。
マシュが慌てて振り返るのも藤丸には見えなかった。
ただ、冷たい凛からの殺気を受ける。
重圧が今度は全て藤丸に降りかかる。
ああ、こんなに痛いものだったのだなと正面から受けて藤丸は感じた。
「へえ、そう。藤丸くんがね……? そうだとしたら自分の目の節穴ぶりにその子を見逃して上げてもいいくらいよ。そうね、放課後――最終下校時刻を過ぎた後の校庭で会いましょう? サーヴァントを連れて、ね」
最後に刺々しい空気を掻き消して、彼女は踵を返した。
凛はかつんと靴を鳴らし、屋上から出て行った。
きちんと靴音がしたという事はこの場に彼女が入って来たというわけではなく、最初からいたということになる。
けれど、マシュは藤丸が来る前に誰かいないかどうかを確かめたはずだ。
凛の靴音が遠ざかった後、ほっと胸を撫で下ろす。
思ったより、身体は緊張していたことを今になって思い出したかのように。
「藤丸先輩……自分からマスターだって明かすなんて、そんな」
「よかった……よかった……マシュが無事で」
緊張が解けた藤丸はそれしか言えなかった。
藤丸は平凡な人間で、聖杯の価値なんてわからない。
けれど目の前の女の子は守りたい。
そんな当たり前の願いを抱いた男子であった。
「……私は貴方に危険な目に遭って欲しくないんです。マスター」
マスターとマシュに言われるとどきりとする。
二人で交わしたサーヴァントとマスターとしての契約。
思い出すとそれ以上何も言えなくなる。
「ですから、作戦会議をしましょう。決闘場所と時間を指定した以上それまでは安全と言えるでしょう」
「どうして?」
「ミス遠坂は魔術師です。人目を避けた戦いになるでしょう。先輩は魔術師の事は知りません、よね?」
不安そうにマシュが腰を下ろしながら確認してくる。
上目遣いのその表情に鼓動が跳ね上がった。
自分の顔が熱くなっていくのを誤魔化すように藤丸も腰を下ろした。
そうして二人は作戦会議に移った。
藤丸は授業が終わり次第速やかに学校を出る事。
マシュは校門前で藤丸を待つ事。
マシュの部屋で凛と戦う前の作戦を練る事。
それだけの内容で、昼休みは終わってしまった。
「では、先輩。放課後に校門前で」
「ああ、うん。すぐに行くよ」
デートに行く約束のような挨拶を交わして、二人は廊下で別れた。
同級生の何人かに目撃されたが構うものか。
あの後輩は誰だなんて聞いてくる友人の追及をかわし、予鈴の鳴る中藤丸は教室へと急いだ。
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第2話~岸波白野の平和な昼食~
「困ったなぁ」
急いで教室を出ていく友人を見送った後、包みを抱えて白野は途方に暮れた。
けれど果敢にも廊下を横切った隣のクラスの友人に白野は声を掛ける。
そうでもしないとこの弁当は消費しきれないだろう。
――そなたさえよければ、余が一緒に食べるのだが。
脳裏に響く鈴を転がしたような愛らしい声。
呼べばすぐに彼女はここに現れる。それほど近い所に彼女はいる。
けれどそんなことをしたら大騒ぎになることを彼は理解していた。
「あ、士郎。もしよかったら弁当、一緒に食べない?」
隣のクラスの赤毛の男子生徒。
名字で呼ばれることを頑なに拒絶する変わり者、熱血少年。
実のところ家庭の事情らしいが、白野は突っ込んで聞いたことがない。
何となく薄々と察していたから。
そんな士郎がちょうど廊下を横切ったのだ。
「弁当? どうしたんだ、それ」
「今、家にいる人が作ってくれたんだけど量が俺には多くって」
事実だ。
だがこれ以上言えるはずもない。
まさか自分が女性二人と絶賛一つ屋根の下だなんて、言えるはずもない。
下手に騒ぐと困るのは自分でなく、セイバーやキャスターだ、と彼は考えていた。
「ふーん。やきそばパンがトレードマークのお前にしては珍しいな」
「俺もそう思うよ。で、どう? いつも会長と食べてただろうけど」
「それ、一成に少し分けてもいいか?」
全然構わない。むしろ歓迎である。
キャスターが張り切って作っていたことと、この風呂敷の重さからしたら二人でも少し厳しいかもしれない。
しかし一体何を詰め込んだら、この重さの弁当になるのだろうか。
「おーい、一成。今日は白野も一緒でいいか?」
士郎はいつも一緒に昼食を取っている一成に声を掛けた。
白野にとっても一成は頼れる生徒会長だ。
時々生徒会の活動を手伝う事もあった。
「珍しいな。岸波がこんな弁当を持って来るとは。明日は雹でも降る、といったところか」
「助かった。俺もこんなに量があるなんて思ってなくて」
生徒会室で、弁当箱を広げての談笑。
白野はキャスターの用意した弁当がこんなに大きいとは実際に包みを開けてみるまで思わなかったのだ。
大きな容器は二段重ね。一つはいくつかに区切られ、ぎっしりとおかずが敷き詰められている。
そうしてもう一つの容器には彼女が握ったのだろうおにぎりが入っていた。
「岸波は独り暮らしではなかったか?」
はて、と一成が首をかしげる。
確かにこれでは不自然だ。だから白野はありのまま伝えるしかない。
「会長は俺の家の事情知らなかったっけ?」
「おっと。岸波の家庭事情も複雑であったか」
「岸波、それはいかん。まずいぞ」
そうだろうか、と今度は白野が首を傾げる番だった。
「これだけの料理を作れるのだ。恐らく相手は女性であろう?」
ずばりと言い当てられて、とっさに違うと言えず白野は黙ってしまった。
まずいと思ったが、一成は深々とため息をついただけだった。
「その様子だと、さては意識していなかったようだな」
呆れたような彼の言葉に、ほっと頷く。
ここは勘違いさせておいた方がいいだろう。
「親父さん、帰って来てたのか?」
「そうだけど、俺が帰る頃に出かけるみたいで顔は合わせないんだ」
「ふむ。岸波の親御さんは確か医者だったな。海外から帰って来ていたのか」
彼らは白野の家の事情を知っている。
養父は医師として海外に行って長く帰って来なかったということも。
ただ、今回問題があるとすればキャスターを連れてきてしまったことぐらいだ。
しかも、キャスターは養父のサーヴァントなのだと言う。
そのおかげでセイバーとキャスターの仲は険悪と言ってもいい。
――またあのキャス狐の事を考えておるな? そなたのマスターは余なのだぞ!
またセイバーの声なき声が聞こえた。
抗議の声もわからなくもない。
けれど今のところは黙っておいて欲しかった。
「そういえば士郎の方は? 家の事情は落ち着いたの?」
「それを今聞くのか? 岸波も勇気があるな」
「俺は気にしていないから、いいよ」
士郎は軽く言ってくれるが、彼の半生もなかなかにハードである。
病気で養子に出された白野と違い、士郎は小学校を卒業する前に両親を事故で失った。
その後、色々親戚と揉めてある男の後見を得て落ち着いたのだという。
彼の現在の居住地はなんとあの藤村先生の家の隣の大きな武家屋敷である。
「まあ、良いなら良いのだが……」
「士郎の後見人は俺の養父と同じで、海外にいることが多いって聞いたけど、話は進んでいるの?」
「向こうが避けてるけど、俺は諦めない。何故かそうしろって俺の中の何がが言ってる気がするんだ」
士郎は後見人となった男に養子入りする交渉を、高校に入った時から続けている。
そうなると彼の名字は変わってしまう。
だから彼は高校に入った時から、名字で呼ばれることを避けている。
一部の人間以外は彼の気持ちを汲んでくれているのだが。
「あまり学校行事にも来ない人だが、三者面談はどうしていたのだ?」
一成の当然の質問に、士郎は乾いた笑いを浮かべて答えた。
「時々帰って来た時に藤ね……藤村先生と俺の進学について話してるよ。俺はこのままどこか就職してもいいんだけどな」
「そういえばその人の名前ってなんて言うんだっけ?」
白野のちょっとした疑問。答えるように彼は言葉を返す。
「切嗣。衛宮切嗣。付き合いは長いはずなのに俺にもよくわからない人だよ」
口ではそんな事を言っていたが、士郎の声には尊敬が込められていた。
食事を終えた白野は、弁当を片付けて教室へと戻る。
まだ昼休みは半分ほど残っている。
怪談に差し掛かった時、上から駆け足で凛が降りてきた。
いつになく恐い表情で、すれ違う肩がぶつかり合う。
「気を付けなさいよ、岸波くん」
冷たい声もいつもの優等生の姿からは信じられず、白野はぼーっと彼女の後姿を見送るしかなかった。
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第3話~決闘準備1~
放課後となった。
凛は皆が帰った後の空っぽの教室で瞑想していた。
気を高める事、気を鎮める事。これができてこその武術である。
聖杯戦争のマスターと戦う。恐らくサーヴァントも来るだろう。
藤丸だけが相手ならば、魔術で脅せばいい。
その令呪を放棄するようにと。
「面倒なことになったなぁ」
ランサーには念話で決闘をすることを告げた。
だが彼からの返答は自分は参加しないとのものだった。
屋上で凛が出ていってからも彼は残っていた。
何か藤丸のサーヴァントについての手がかりを得ていないかと期待していたのだが。
――儂が死合うに見合った相手ならば。
それ以外には興味が無いようだった。
彼がこの聖杯戦争に来た理由も、神の如く強き者と槍を交えることだ。
武の極致。ランサーが目指すのはまさにそれ。
凛は、世界と合一し気配すら消すその技量に見惚れた。
これならば、根源に至れるかもしれない。そんな夢を見た。
けれどもランサーが言うには、彼の技量ではまだ武術を極めたとは言えないのだそうだ。
だからこそ、彼は強き者を求める。強き者達と槍を交えさせるために彼は召喚に応じた。
「なかなか、厳しいお師匠様だこと」
彼と組んで気づいたことがある。
ランサーの脚の置き方、呼吸の仕方。凛が教わった八極拳に酷似している。
恐らく名のある八極拳の使い手なのだと思うが、あまり武術の歴史について彼女は詳しくはなかった。
――儂が見た限り、あの小僧に手こずるようならば功夫を一からやり直しだな。
それは藤丸の事を差しているのか、藤丸のサーヴァントを見てまで言った事なのか、凛にはわからない。
だが決闘に彼が参加しないというのならば、藤丸と駆け引きをしても無駄だろう。
「あら、ミス遠坂。何故一人残っているのかしら?」
凛の気づかないうちに、放課後の空き教室にそぐわぬ淑女がそこに立っていた。
振り向いた凛はしかめ面。この世で一番見たくなかった物を見るように。
「その言葉、そっくりそのままお返しするわよ。ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルト」
「あら、心外ですわ。
凛は彼女――ルヴィアの『私の妹』という単語に過剰に反応してしまう。
焦燥にも似た想いが胸を焦がす。何故よりによって、父は何故よりによってあの子をエーデルフェルトへ養子にやったのか。
「……そう。それをわざわざ私に言うためにここに来たのかしら? 確か貴方はC組のはずよね」
凛の言葉は刺々しさを増していく。
「ええ、これはついでですわ。真面目な話、セカンドオーナーの遠坂の家には伝えないといけないと思ったのですわ。例えば――私の家に教会の使いが来た、とか」
「え、それって……」
「聖杯戦争……亜種聖杯だったかしら? エーデルフェルトの家は二度と聖杯戦争には参加しないつもりだったのですけれど」
興味が湧いたのだとルヴィアは言った。
優雅なハイエナと言われるエーデルフェルトの次期当主が興味を持つ。その意味に凛は背筋を震わせた。
「令呪が出たとかそう言うわけじゃないでしょうね。あんたも、あの子も」
「出ていませんわ。だからこそ、参加者としてではなく戦果を頂きたいと思うのは当然でしょう?」
くすくすとセットした金髪を揺らし、ルヴィアは笑う。
エーデルフェルトは完全に敵ではない。そのことに凛は胸を撫で下ろす。
できるならば、敵対したくはなかった。それもあの子とは。
「そう。私はこの亜種聖杯戦争とやらを叩き潰すつもりよ。遠坂の霊地で勝手なことした罪、贖ってもらわないと。その邪魔をするなら、たとえエーデルフェルトの者でも容赦しないわ。だから、ルヴィアもそのつもりで」
「おお、怖い。ミス遠坂らしい野蛮な考えだこと」
「野蛮って何よ」
「魔術と武術のいいとこどりで根源を目指そうというその志が、ですわ」
武術はほんの嗜みである、とでも言うかのように髪をかきあげ、彼女は身を翻した。
「ミス遠坂の方針は尊重しますわ。でも、私が好きに動く分はいくらミス遠坂といえど邪魔はさせません」
きっぱりと彼女が残した言葉は凛の表情を曇らせるには十分すぎた。
まさに彼女とは虫が合わない。けれども、武術と魔術で根源に至ろうと言う遠坂の家の方針を口では貶めつつも完全に否定しない。
それどころか、万が一根源の可能性が垣間見えればその手法を簒奪するだろう。
「はあ……これ以上ルヴィアが深く絡んでこないといいんだけど」
藤丸は授業をすべて終えるとすぐに校門の外で待つ。
昼休みのマシュとの逢瀬を見ていた同級生たちが意味ありげに藤丸を見ては通り過ぎていく。
「お待たせしました、先輩」
マシュが来ると藤丸はホッと一息ついた。
何回か同級生にからかわれ、困っていたのだ。
だがそんなところを後輩に見せるわけにもいかず、笑いかける。
「よし、行こうか」
行くと言ってもほとんど帰るのと変わらない。
何せ隣同士だ。時間をあまりに気しなくていい事だけは確かだった。
「今の時期、校門が閉まるまでに二三時間ですね。もし、通信が繋がれば先輩に会ってほしい人がいるんです」
「会ってほしい人?」
「はい。私に日本での文化を教えてくれた人なんですが、先輩の事を話すと是非お話したいとのことで。時差があるので通信は繋がらないかもしれませんが」
時差があるという事はマシュの故郷の人なのだろうか。
「あと、フォウさんが先輩を気に入ってくれるといいんですが」
「フォウさん?」
「はい。私の……何と言ったらいいのでしょうか。一番近いのは『友達』ということになると思います。家にいるのでついたら紹介しますね」
そう言った彼女の足取りは弾んでいて、思わず藤丸も口元が緩んだ。
これから決闘の為の作戦会議だというのに。
だけど戦うのはマシュである。そう思うと少しだけこの時間が続けばいいのにと藤丸は思った。
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第4話~決闘準備2~
命が遺棄される。
虚空に穿たれた孔。そこへと投げ込まれる生贄があった。
効率よく、
そこから生み出される
声なき悲鳴が響き渡る。
幾度も幾度も、捨てられる己らに抗うように。
その声に応える存在はなく――否、一つだけ。
命が捨てられていく孔から、這い出たモノが哄笑を上げる。
マスターは在らず。
――ク。クハハハハ! ここは元より地獄の底。
――ならばいざ行かん。恩讐の彼方まで!!
誰にも知られずに廃棄孔より産み落とされた彼は、世界に向かって産声を上げる。
誰にも届かぬはずの声は、彼の知らない所で誰かに聞き届けられた。
ハッと藤丸は飛び起きる。
今の状況がわからない。マシュに見下ろされて、何か小動物に頬を舐められているような感覚。
「先輩……大丈夫ですか?」
「えっと……オレ、確か」
思い出す。マシュと一緒に彼女の部屋に上がって。
それからは? 彼の記憶はそこで途切れていた。
「すみません、先輩はリビングに入ると同時にフォウさんのダイナミックアタックを受けまして」
「フォウ、さん……?」
「フォウ! フォーウ!」
自分ともマシュとも違う第三の声。藤丸の耳元から聞こえたそれに反応して藤丸が首をそっとそちらに向けると。
「フォウ」
犬とも猫ともつかぬもふもふの生き物がそこにいた。
驚いた藤丸は反射的に飛び起き、くらりとした頭を抱える。
「急に動くと危ないです、先輩。先輩を襲ったフォウさんにはよくよく言い聞かせたので、今後は大丈夫かと。アタックの後は先輩を気に入ったようですし」
「フォウさんってこの子?」
「はい」
白と薄紫が混じるふわふわの毛並の生き物はマシュの肩に乗れてしまうほどに小さい。
それなのに藤丸を打ち倒すほどのアタックをかけてくる力を持つ。
見かけによらず恐ろしい生き物だと藤丸は思った。
「フォウさんは私の故郷から一緒に日本にやって来たいわば同居人です。元から私以外の前には姿を現さないので、その……先輩にアタックを仕掛けたことに驚きました」
「オレもすごいびっくりした」
行儀は悪いが藤丸はその場に胡坐を掻いた。
立ち上がるとまだクラクラしそうだったのだ。
「先輩、あちらのソファには行かないんですか?」
マシュが言っているのはリビングの中央にある、シンプルなソファのことだ。
だが藤丸は首を振った。
「もう少しだけここじゃ駄目かな?」
藤丸の姿をしゃがみこんで心配そうに覗き込んでいるマシュは辛いだろうが。
二度もマシュの前で倒れると言う失態よりはいいだろう。
藤丸はそう判断したのだ。
「はい、先輩が動けるようになったらソファに移動しましょう。そちらで
「
藤丸はマシュの言っている言葉の意味が分からず首を傾げるばかりだった。
陽がどんどん傾いていく。
その中をルヴィアは校舎を歩いて回っていた。
正直なところ、聖杯戦争そのものに興味はない。
先祖はかつて聖杯戦争で酷い目に遭ったのだ。忌避してしかるべきである。
だが、聖杯そのものはエーデルフェルトのコレクションに加えるにふさわしい。
先祖が聖杯戦争に参加したのもだいたいそんな理由だったのだろう。
ルヴィアが校舎を回っているのは、昼休みの藤丸と凛の会話を聞いていたからだった。
「全く、ミス遠坂も
学校に残っている人間を丁寧に暗示を掛けて家に帰していく。
凛は意外と詰めが甘い。一斉下校の時刻になっても教員は残る。
そうしたことを考慮していないのだろう。
神秘の流出を防ぐ為に、校舎は無人にしなくてはいけなかった。
「あら、あそこにいるのは」
生徒会室に出入りしている人間だ。
茶髪にボーっとした顔。生徒会の一成をよく手伝っているのを時折見かける男子生徒だった。
「まだ残っていらしたの?」
声を掛け、注意を引き寄せてルヴィアが暗示をかけようとした時だった。
――バチン!
魔術が弾かれる。それが物理的な音になったようだった。
掛けた魔術は初歩中の初歩。ただの暗示である。
それなのに、弾かれた。ということはそれなりの魔術師ということになる。
人差し指を男子生徒に向ける。呪い。ガンド。
だがそれさえも――。
「呪い、とはいい度胸ですねぇ。魔術師」
男子生徒の隣にいつの間にか青い服の女性が立っている。
誰かが来た気配はない。ということは急に現れたという事。
魔術を使ったとしても、ルヴィアの目からしてもこの一帯で自分以外に魔術を使った形跡はない。
導き出される結論は、彼女は人間ではないという事。
「なるほど。貴方がサーヴァントですわね」
「左様、妾は
急に雰囲気や喋り方までがらりと変わったキャスターを名乗った女性は符を指に挟み、構えた。
「キャスター」
あわや一触即発というところで、男子生徒はキャスターのモフモフとした尻尾を引っ張った。
それだけでキャスターの雰囲気がまたがらりと変わる。膨れ上がった気配は霧散し、消え失せる。
「あいた!」
「防御用のお札持たせて置いてくれたのキャスターだよね? 俺は無事だし、呪われてないからキャスターは落ち着いた方がいい」
「ああん、もう! 白野さま。こういうのはどっちが格上か思い知らせるのが重要なんです」
「キャスターがゴメン。俺に何か魔術掛けようとしたみたいだけど、エーデルフェルトさんは魔術師?」
「聖杯戦争のマスターというわけですのね。見かけで判断したのは失策でしたわね。
真面に戦って勝てる相手ではない。
符をキャスターが取り出した時点で、エーデルフェルトのガンドを跳ね返したかのようにスカートの裾の一部が丸く焦げていた。
けれども弱みを人に見せてはならない。それが魔術師の名門としてのあるべき姿だ。
胸を張って警告をし、ルヴィアも下校する。残っていた人間は彼だけだった。
警告はしたのだ。巻き込まれても彼の自業自得だろう。
だが、ルヴィアはキャスターを男子生徒のサーヴァントだと最後まで勘違いしたままだった。
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第5話~決闘~
藤丸に紹介されたのは画面越しにものほほんと見える男だった。
白衣にも見える制服のその男は、ロマニと名乗った。
紹介したときのマシュの評価は辛辣だったが不思議なほど暖かさに満ちている。
マシュがサーヴァントになったことを理解しているのか、ロマニは深刻そうにマシュに話しかけている。
『マシュ、これから決闘って本当かい? 君は純正のサーヴァントじゃないんだ。時計塔でも成敗戦争では死人がでてるぐらいなんだ』
「はい、決闘自体はマスターの持ち出した件ですが、セカンドオーナーに断りなく調査に入った私に原因がありますし」
『遠坂家に打診をしなかった我々のミスでもあるわけだけど、マシュを戦わせるなんて』
「同感です」
藤丸はロマニの言葉に心からの同意を送った。
マシュを戦わせるなんてとんでもない。
『理想としては遠坂を味方につけてしまうことだけど、交渉の余地はなさそうなのかい?」
「残念ながら、ご立腹のようでしたので」
マシュの言葉にロマニは深いため息をつく。
戦うしかないところが悔しい。そこが一番の問題だ。
『もうそろそろ時間だろう? そっちの時間で夜、マシュからの定期通信がなければこちらで何か手を打つよ』
「はい。必ず通信できるようにします」
通信を終えてマシュも大きく息を吐いた。実は緊張していたのだろう。
もう行かねばならない。決闘の時間に遅れたらその場で殺されそうな気がする。
ごくりと喉を鳴らし、藤丸はソファから立ち上がった。
夕暮れの近づく教会。
聖杯戦争の関係者以外、誰も近づけないように施された結界を越え、トワイスが扉を開く。
ぎぃっと空いたドアが軋み、明かりの落ちた礼拝堂を、ほんのり明るく照らし出す。
「何だ、お前か。何の用だ?」
礼拝堂にはマスターは見えず、代わりに司祭に扮したアンデルセンがつまらなさそうに椅子に腰かけているだけだった。
「おや、彼女は不在かね?」
「何だ、キアラに用か? 全く、どいつもこいつも俺の執筆の邪魔をしてくるな」
「こちらのキャスターから連絡が入ってね。学校でセカンドオーナーがマスターの一人と決闘をするそうだ」
「何だ、マスターは遠坂の小娘とお前のところの少年だけ判明してると思ったんだが、これで最後の一人か。全て穂群原学園の生徒とは、作為的な物を感じるな。まあ、いいだろう。キアラに連絡しておこう。どうせ本来の監督役のところにでもいるんだろうさ」
アンデルセンは『聖杯戦争』自体には興味がないようで、言葉に全く熱がない。
トワイスにはそれが不思議でならない。
冬木に元々あった大聖杯とサーヴァント召喚の術式を元に亜種聖杯は作られた。
サーヴァントは聖杯に掛ける願いがあるからこそ召喚される。
聖杯を巡る争いに熱意がないのでは、召喚されるはずもないのだが。
「何だ、俺の態度が不満か? 俺はキャスターだが真名を知っての通りただの物書きだ。争いに勝てる道理なんぞない。そもそもだ、俺の興味は聖杯戦争より、その渦中にいるマスターたちにある。キアラによって仕立てられた監督役だが、やりがいは感じているぞ。マスターさえ来れば、だが」
監督役について明かしてあるマスターは現状、凛だけである。
冬木教会に彼女が足を運ぶこともなく、アンデルセンは暇を持て余している。
凛が決闘するというマスターが誰かは知らないが、何も知らない素人であれば話のタネにでもなるだろう。
「喜べ、キアラと連絡がついたぞ。あいつは学校に行ってみるそうだ。お前のキャスターも現場にいるなら、絡むかもしれんが無視してやってくれ」
退屈だとアンデルセンは言いながらも、ペンを走らせている。
「用は済んだな? 俺は本物の監督役が聖堂教会に報告する草案を作らないといけないんだ。これはこれでやりがいがあるが、集中したいんでな」
つじつまの合うように、問題ない報告書に偽装するため、アンデルセンは筆を走らせるのだろう。
トワイスはアンデルセンの言葉に従うように、教会を後にした。
人気の途絶えた校庭。その中心に凛は立っていた。
指定した時間よりやや遅れて、藤丸はここへとやって来た。
アニムスフィアからの使いを伴って。
「ふぅん。逃げなかったんだ? それじゃあ、始めましょ。サーヴァントを出しなさい」
藤丸がどんなサーヴァントを連れているかは知らないが、凛が単身でも見切りぐらいはできるだろう。
全身に魔力を送り、静かに重心をズラして構えた。
「サーヴァントならここにいるぞ!」
「ん?」
藤丸の意味不明な言動に首を傾げて気配を探る。
すると彼の隣に控えていた少女の服装が変わる。
魔力が膨れ上がっていく。爆発的な魔力の高まりは、凛の目をも眩ませた。
「マシュ!」
「はい。マシュ・キリエライト、行きます!」
その姿を目にした凛は呆然とするしかなかった。
アニムスフィアの使いの少女。それが黒い鎧を纏い、盾を構えて凛の前に立った。
その身から感じる魔力量は尋常ではない。
「あんたが、サーヴァントですって!?」
信じられないと溢しながら、凛は足を踏み込んだ。
狙いはマスターの方。あちらはどう見ても魔術についててんで素人だ。
彼らが黒幕について知っているならそれでよし、知らなくても令呪を全て使い切らせる。
出来れば暗示もかけて聖杯戦争についての記憶を消してやりたいところだ。
「せいっ!」
一足飛びに藤丸と間合いを詰める。
しかし、サーヴァントである彼女の反応速度の方が上であった。
魔力を込めた拳と、彼女の盾がぶつかり合い派手な音を立てる。
反動でお互い後ろに弾き飛ばされ、着地し体勢を整える。
「盾がメインのサーヴァント。そんなクラスあったかしら」
凛は家に残っていた聖杯戦争についての資料はできるだけ読み漁った。
されど、先祖が聖杯戦争を諦めた時に相当数資料は失われていた。
自分の屋敷が聖杯降臨地として一度選ばれた事さえも、残されていないのだ。
防御に長けたサーヴァントならば、踏み込むのも危険である。
一番の救いは彼女が積極的に攻撃してこない所だろう。
なるほど、これならばランサーのやる気がないのにも頷ける。
「ミス遠坂、提案があります」
「あんたの提案なんて聞かないわ。そういうセリフは私を打ち負かしてから言いなさい」
拳、蹴り。強化を加えた徒手空拳。対する盾の少女は、盾を振りかぶり凛を打ち据えようとするも、その攻撃には大きな隙がある。
守りにさえ徹していれば打ち破ることは難しい。
されど、攻撃となると誰か攻撃役がいなければマスターを守るので精いっぱいだろう。
「惜しいわね。どういう原理かわからないけど英霊の力を人間のあんたが使ってるのね。霊体のサーヴァントと違って生身だと疲れも溜まって来るんじゃない?」
お互いに対峙して一時間は経った時だろうか。
凛に疲れはない。一方で盾の少女は肩で息をしている。
「マシュ……」
「悪いけど、藤丸くんには聖杯戦争の事全部忘れてもらうから」
再度の踏込。今度はマシュの動きが送れた。
今度こそマスターを射程に捉えた、と思ったが割り込む影にそれを阻まれた。
「待つがよい。余は美少女が好きだ。故に両者が争うのは不毛だと思う。余が奏者を得ていなければ二人ともハレムに迎えてやったのだが」
赤いドレスに、眩い金の髪はさらりと流れて。
剣を携えた少女のサーヴァントは見るからに
「待って、待ってセイバー。俺まだ状況が」
そうして現れた凛、藤丸に続く三人目のマスター。
どこにでもいそうな印象の白野が慌てて物陰から飛び出してきていた。
「岸波!?」
「岸波くん、貴方まで……!」
「余はこの愛らしい鎧の少女に味方する。奏者は争いを止めたいと余に願ったのでな」
実質的に二対一。凛には大幅に不利な状況だ。
ランサーを呼べば逆転も可能だが、彼女のプライドがそれを許さない。
「ミス遠坂、私はこの亜種聖杯戦争の調査に遣わされました。どうか、提案を聞いていただけませんか。この事態の解決を図ること、原因を調査することが私たちの目的です」
原因を調査する。それは凛の目的に合致している。
アニムスフィアが何か情報を掴んでいるのならば、有効活用できる。
更に時計塔のロードの一派に貸しを作っておいて損はない。
めまぐるしく計算が脳裏を渦巻き、凛は決断する。
「いいわ。勝手にこの地で調査を始めたことは不問にしましょう。その代わりこれは貸しよ。これだけは譲れないんだから」
「はい。わかっています」
「岸波くんもそうなんだからね。調査に協力してもらうわ。二人マスターが判明したのなら残りのマスターを探すのも楽になるわね」
亜種聖杯戦争に於けるサーヴァントは最大五騎。凛も含めてもう三人もわかっているのだ。
残る二人のマスターを暴けば、黒幕はすぐそこだろう。
これからの展望を予想する凛を、学生である三人のマスターをギルガメッシュは影から見ていた。
「ふん。手を組むなど面白くない。そろそろ残りの五騎――いや、一騎は気に入らぬサーヴァントが抑えていたな。だが冬木という街に因縁のあるサーヴァントが四騎、今宵召喚される。
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第6話~戦火の拡大~
いつぞやと同じ工場地帯の一角。
闇に埋もれた事務所でいつかと同じ三人が顔を突き合わせていた。
今宵、アトラムが常に侍らせている侍女はいない。
より一層込み合った話だからであるが。
前回の集まりの時よりも、不機嫌にアトラムは共犯者たちを睨みつける。
「実に解せない。君の報告書を読んだがね。遠坂凛と君たちを除いたマスターが素人。しかも一人はトワイスの
「あいにく私の方でも予想外でね。だが、あの子は性根がただの一般人だからね。勝ち残ったところで君の魔術に太刀打ちできるはずもない」
トワイスは涼しい顔で養い子の弱点をさらけ出す。
「まあまあ、お二人とも。血気盛んなのは殿方らしいと言えばらしいのですけれど……。修行中のこの身の上には毒でございましょう。我々は一蓮托生。それをお忘れではありませんか」
キアラは合掌し、暗に仲間内で争う事を止めるように示唆する。
彼らは他のマスターが残っている限りは同じ黒幕側。
それまでは休戦協定を結んでいるような間柄なのである。
決裂をキアラが嫌うのにも正当な理由がある。
彼女のアンデルセンは戦えない。
それをトワイスもアトラムも知っているから引くしかない。
戦えない代わりに彼女は聖堂教会の監督役を押さえている。
彼女が聖堂教会への報告にアトラムの事を盛り込めば代行者が飛んでくることになるだろう。
それはありがたくない話である。
「まあ、いいさ。勝者から全て奪い取ればいいのだからな。追加の五騎のサーヴァントはどうなっている?」
「術式は既に起動している。だが触媒が存在しないからね。どのサーヴァントが召喚されるかまではわからない。召喚の確認が終わったら争奪戦が始まる。君もここでサーヴァントを確保しておきたいだろう」
淀みのないトワイスの説明に、どこか満足したかのようにアトラムは頷く。
番狂わせすら発生させる追加の五騎。これが今回の聖杯戦争の目玉であった。
「ふふっ……。アインツベルンとか言ったか。彼らから手に入れた技術だけは素晴らしい。ホムンクルスを効率的に利用するだけで亜種聖杯を形成するのがこれほど楽とは。聖杯にサーヴァントを全てくべた後に得られる魔力がどれほどか、期待が高まるよ」
この亜種聖杯はアトラムが用意したマナの結晶を利用して錬成された。
その材料は鋳造したホムンクルスである。
途中まではどこぞより買い集めた人間を利用していたのだが、アインツベルンがほんの少しだけ技術提供をしていると聞いてアトラムは一族の者を遣わした。
その結果、想定より早く亜種聖杯の完成及び連結を可能としたのだ。
その他アトラムは様々な仕掛けを亜種聖杯に施しているが、他の二人はそれを知らない。
作成した亜種聖杯の位置はアトラムにしかわからないようになっている。
それが彼の圧倒的なアドバンテージでもあった。
魔術の事など全く知らぬ一般市民が眠る真夜中。
人知れず、使い手もおらずその術式は実行される。
亜種聖杯による追加の五騎召喚である。
だが実際の冬木に顕現したのは四騎。
不可視の剣を手にしたセイバー、赤い外套のアーチャー、朱い槍を持ったランサー。
そして目を覆い隠したライダーであった。
違う世界でこの地に縁のあった英霊たち。それをこの世界の人間が知る由もなく。
サーヴァントたちはそれぞれに敵を/獲物を求めて移動を開始する。
ただ一騎、朱い外套のアーチャーを除いては。
「ここは、どこだ?」
そこは新都の駅より離れたところにある住宅街。
アーチャーの視力により見通せる、道標には『この先冬木市民会館』と記されていた。
「私は、誰だ?」
言ってしまえば彼は記憶喪失だった。
サーヴァントとして、記憶喪失は珍しい。
召喚された時に英霊としての記録、聖杯によって与えられた知識を持って顕現する。
だが彼は特殊な事情を持つ英霊だった。
故にこの世界に於いては彼は顕現する時に生前の記録が失われたのだ。
そこへ――。
「またお前かよ。聖杯戦争の度に顔を突き合わせているような気分だ」
朱い槍を手にした青い髪の男が現れた。
そうして混乱のまま体に馴染んだ動きで、双剣を振るう。
記憶がないというのに、その太刀筋は迷いのないものだった。
非常に珍しい事態だった。
言峰は聖堂教会により一時拘束されていた。
理由は簡単だ。彼の義兄によりルーマニアでは大変な事態に陥ったのだから。
ずいぶんと前から義兄とは距離を置いていたが、結託するのではないかと疑惑の目に晒されていたのだ。
それでも構わないと言峰は拘束される事も良しとしていた。
しかし雲行きが変わり、代行者として冬木に派遣されることとなった。
彼の生家である冬木教会は現在他の司祭に預けられている。
かの地で聖杯戦争が始まったと聞き、監督役からの報告を教会は受けたのだという。
その中に違和感を覚えたらしい。
よって冬木を良く知る言峰に白羽の矢が立ったのだ。
しかし、義兄の所業により言峰は魔術協会からの印象はよくない。
「お前が言峰綺礼、だな」
独房のような個室。言峰の生活スペースに司祭と共にその男は現れた。
魔術協会の依頼を受け、言峰を監視する為に派遣された魔術師殺し。
名を衛宮切嗣と言った。
別の世界では死闘を演じる二人ではあるのだが、この世界に於いてそれは起きなかった事。
かくして因縁の糸は収束し、彼らは冬木へ向かう。
その果てに何が訪れるか誰も知る由もない。
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