ここ数百年余そうだったように、この日もまた紅魔館は、時が止まったかのような荘厳な静けさに満ちていた。
冬の朝ーー。
じっとりと重たい冷気が、庭園にも館にも降りてきて、この世の終わりのときが既にやってきた後のような静寂に覆われている。
真っ白な雪にすべてを染め変えられたかのような紅魔館。
生きている何者の気配も感じられないような、じつに寒々した一日の始まりーー。
館の一番奥の部屋。窓一つ無い、紅色がベースのかわいらしい小さな部屋。
宝石を思わせる鮮やかな紅い色のテーブルに、彼女は一人座って、お揃いの椅子に座ったまま、床に届かない足をさっきからお行儀悪くぶらぶら、ぶらぶらさせていた。
綺麗な装飾が施されたかわいらしいティーカップに、綺麗な色をした紅茶が入れられている。
紅い色をした瞳は、寝起きなのかまだ眠たそうにけぶっていて、時折、しぱしぱと瞬きをする。
そっと手を伸ばして、熱い紅茶をごくりと飲む。それから彼女は頭を傾けて、何かを考えるような仕草をしていたが、やがて
「…っ暇」
と、すこぶる機嫌が悪そうに呟いた。
この館の主であり、誇り高き吸血鬼、レミリア・スカーレットは暇だった。
「最近誰も訪ねてきてくれないから暇で暇で堪らないわ。ああ…」
溜息を零しながらレミリアはテーブルに突っ伏した。
ティーカップの中で、鮮やかな色をした紅茶が熱々の湯気を放っていた。
窓の外ではさっきから真っ白な雪がちらついている。
玩具みたいに小さな暖炉が、ぱちぱちと音を立てて焔をはぜた。
静かだが、いつもとはどこか違う冬の一日が、始まろうとしていた……。
*
レミリアは、カッカッと靴音を響かせながら地下へと繋がる階段を下りていた。
階段を下りる。
下りる。
…まだ下りている。
もう少し。
疲れてきた。
ーーようやく、一番下まで下りることが出来たレミリアは少し息を切らしながら、そこにいるはずの友達の名前を呼びながら一番大きな扉を開いた。
「パチェー。いるー?」
そこは、紅魔館地下大図書館だった。
図書館の中に満ちていた湿気のあるひんやりとした空気がレミリアの頬をひゃっと撫でた。埃と塵と、知性の匂い。知らず敬虔な気持ちになる。
上を見上げる。
大図書館の壁いっぱいが、あふれる書物で埋め尽くされていた。一瞬、壁の模様なのかと見間違うが、それは全て書物なのである。
中央には少し開けた空間があり、そこではいつもこの大図書館に住む、パチュリー・ノーレッジが紅茶を片手に書物とにらめっこしている…というのが日常のことだった。
「…あらパチェ、いないの?」
今日この日はめずらしく、そこにいるはずの人物はいなかった。
書物を取るにも小悪魔がいるはずだし、整理や確認なども小悪魔がやるはずだ。パチュリーがこの席を立つというのは大変珍しいことで、あるとするならば魔法の実験をするために実験室に籠るくらいだ。
レミリアは、ああ、と合点がいったようにその小さな体を揺らした。
少し遠くて目を凝らさないと見えないが、確かに実験室の扉の小窓からは光が漏れていた。
「仕方ないわね…話し相手はいない様だし、本でも借りてくかなぁ」
レミリアはコツコツ、と靴音を響かせながら側の本棚を見て回った。
誰もいない広い空間というのは音がよく響くものだ。レミリアが一歩一歩歩く度に甲高い靴音が大図書館中に響いた。
「なにも、ないわね。私が読めるような本が全然ないわよ、もう」
小さなほっぺたをぷぅと膨らませ、怒っているんだぞといわんばかりに本棚をぺちぺちと叩いた。
と、その時、本棚の一上にあった真っ黒な本が今、落ち、る…
「いった、いっ!」
ごすっ、と嫌な音を立ててレミリアの頭の上に本が落ちた。
レミリアは頭をおさえてうずくまっていたがしばらくすると、自分の頭の上に落ちてきた本をちらっとみた。
「『Parallel world』?パチュリー著…ってこれパチェが書いた本?」
題名と著者を見て、少しは興味が湧いたのかレミリアはその本にゆっくりと手を伸ばす。真っ黒な表紙に金色でparallel world、と記してあった。
parallel world、パラレルワールドとは、ある世界から分岐し、それに並行して存在する別の世界を指す。並行世界、並行宇宙、並行時空ともいう。
「異世界」、「魔界」、「四次元世界」などとは違い、パラレルワールドは我々の宇宙と同一の次元を持つ。
レミリアはぱらぱらとその本をめくりながら唸った。
「パラレルワールド、ねぇ…。そんなもの本当に存在するのかしらね」
ぱらぱら…
しばらく適当にページをめくっていると、見開きで大きな魔法陣の絵が乗っているページを見つけた。魔法陣、と呼べるのかも疑問に思う、まるで落書きのようなものだったが、紛れもなく魔法陣だった。
レミリアはページをめくる手を一旦止めると、まじまじとその魔法陣を眺め始めた。
「パチェも面白そうなもの研究してたのね…」
まあ私が読むような本でもないわね、とレミリアはその本をテーブルの上に置いた。結局、よさげな本は何も見つからなかったので大図書館を後にしようとするが、そういえば、ともう一度テーブルまで戻ってきた。
「この本…戻しておいた方がいいわよね、どこから落ちてきたのかしら…?」
レミリアはその本を元に戻しておこうと浮遊し、上の方まで向かおうとした。
パチュリーの本棚はぎっしりと隙間なく書物が詰まっているはずなので、空いているところを見つければ良いと思ったのだろう。だが。
ぱああっ
とその本が光ったと思うと一瞬で大図書館は光に包まれ、そして、レミリアとその書物は姿を消した。
*
「パ、パチュリー様!」
パチュリーはずっと実験室に籠りっぱなしでろくに休息もとっていないような状況だった。
扉の向こうから聞きなれた小悪魔の甲高い声が聞こえ、ゆっくりと、振り向いた。
「…小悪魔。実験中は邪魔しないでと、あれほどーー…」
「パチュリー様!今本の在庫確認をしていたのですが、本が一冊足りないのです!」
がちゃ、と大きな音を立てて実験室に入ってくる小悪魔。焦ったような声音でパチュリーに詰め寄った。
「ああ…どうせ魔理沙でしょう」
パチュリーは興味なさげに答えた。
この大図書館は霧雨魔理沙に幾度となく侵入され、本を盗られていた。もう既にそれは日常茶飯事のこととなっめおり、パチュリーはまたか、と若干不機嫌そうに顔を顰めた。だが、そんなことはもう慣れっこである。特に何の問題もない…そう思った。
「そうじゃなくてですね!盗った人が誰とかそういう問題じゃなくてですね、無くなっている本が、その、あれなんですよ!」
「…あれって、何よ?」
「パラレルワールドの本ですよ!魔力を行使しただけでパラレルワールドに飛んじゃう魔法陣があるやつです!」
「っ!?」
パチュリーは目を見開いて少しだけ体を後ろに仰け反らした。
(あれは私が魔法を使って隠していたはず…魔理沙でも簡単には見つけることは出来ないし、魔理沙が普段は気にしない一番上の棚にあったのにっ…?)
パチュリーはしばらく固まって動けなかった。静寂。
小悪魔もおろおろしているばかりで誰も喋らぬ沈黙が数秒間続いた。その沈黙を破ったのは思いもよらぬ人物で。
「あの…パチュリー様、お嬢様が先程から見当たらないのですが…ここにはいらっしゃらないですか?」
この紅魔館のメイド長、十六夜咲夜だった。多方時間を止めてここに入ってきたのだろう。急に現れた咲夜に二人共少しは驚いたもののよくある事なので、慣れた様子で
「見当たらないって…どこにもいないの?」
と訪ねた。
「はい…館のどこにもいらっしゃらなくって。てっきりパチュリー様の所にいるのかと…」
明白だった。
「…ってことは、パラレルワールドの本を盗った、いや取ったのはレミィってこと…?」
パチュリーがぼそっと呟く。
小悪魔は顔が青くなっていて、咲夜はなにがおこっているのかわからないといったふうに首をかしげていた。
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七つの大罪
第0話
「っ…いったー…」
目が覚めた。
最後に感じた感覚は、吸い込まれるような感覚だった。
そういえば、パチェの所にいって確か…
パラレルワールドという題名の本が光ってそれに吸い込まれたのかもしれたい。ということはここはパラレルワールド、つまり鏡の世界のもう一つの地球上ということなのだろうか。
あの魔法陣、あんなに簡単に作動してしまったみたいだけど、大丈夫なのか。
そこまで冷静に分析していてふと、気づく。
周りは広い草原で、短い芝生が太陽の光を浴びて輝いていた。
ーーそう、太陽の光を浴びて。
「ーーっ!?直射日光ッ!」
そう思った時には既に遅く、私の体にはさんさんと太陽の光が注いでいた。
ああ、もう終わったな。
直射日光に当たってそのまま灰になって死ぬんだなーーとかそう覚悟したのだが、ここに来てもう一つ疑問を抱く。
「…あれ?灰にならない…?」
まさか日光を克服した?
いやまさか、そんなはずはないと自分の体を確認する。一部として灰化した部分は無かった。
この世界に来た影響なのだろうか…?吸血鬼が直射日光を浴びて無事でいるなど前代未聞のことだろう。
ぐるぐる、ぐるぐる頭の中で考えたが、どう説明もつかなくて、私は考えるのをやめた。
*
遠くの方に小さな小屋のようなものが見えた。一文無し、さらには情報もなしの自分にとって嬉しい存在だった。この世界についての情報くらいはくれるだろうか?
ここが、幻想郷のあった世界とは全く別の場所ということは理解出来たのだが、どういう場所なのかは全く見当もつかない。ただ、豊潤な魔力があるのは感じ取れる。
もしかしたら幻想郷と似たような場所なのかもしれない。
とりあえず殺伐とした場所なのかとか、穏やかな場所なのかとか大まかな情報があるだけでも違うはずだ。
現在私には、幻想郷に戻る手段は見つからないため、見つかるかもしくは気づいたパチェや隙間妖怪などが助けに来てくれるまで私はここで暮らさなくてはならないのである。
衣食住はどうしようか、とかお金無いな、とか色々考えているうちに遠目で見えた小屋の近くまでたどり着いた。
近づいてみると、お酒の匂いがしたので恐らく酒場であろうと判断した。
昼間からはやってはいないだろうが…。
鍵が閉まっているかと思ったその小屋の扉はすんなりと開いた。
からんからん、とベルの音が響く。
不用心なものだな、と思いつつも私は無断でその小屋の中に入った。
「えーっと、ごめんください、でいいのかしら?それともお邪魔します?」
その小屋は予想通り酒場のようで、大きな棚にワインやらエールやらが大量に置いてあった。
「誰だ、お前?」
ひょこ、と現れたのは私と同じくらいの背丈の少年だった。
「あら、名前を聞きたいのなら先に名乗るのが普通でしょう?まあ、いいけど…私はレミリアよ。レミリア・スカーレット」
「そうか。俺はメリオダス。俺の店に何か用か?」
“俺の店”メリオダスと名乗る少年は確かにそういった。つまりは、
「あら、あなた店長だったのね。そうそう、話が出来るなら誰でも良かったのだけれど、貴方に聞きたいことがあるのよ」
「ふむ…まあ、話してみろよ」
「ありがとう。ちょっと長くなるのだけれど…」
とりあえずどこから話せばいいのかよく分からなかったので、大図書館に向かった当たりからこと細かく事情話した。パラレルワールドなど、こうも簡単に話してもいいのかと少し悩んだが、この少年が悪用とかしようとするならば殺せばいい話。
自分が吸血鬼であることも話し、日光のことも話した。
メリオダスは、「ああ、吸血鬼だから翼があるのか、さっきからずっと気になってた」と呑気に言っていた。
それからもう一つ。先程からずっと気になっていたのだが、私の魔力がこの世界に来た直後、その半分以上が失われたのだ。いや、失われたというよりかは出せなくなった、のほうが正しいのかもしれないが。
まあ、充分戦える。多分。
「ふむふむふーむ。要するに、お前は別の世界から来た吸血鬼で、何故か日光が大丈夫になった、だが魔力が半分以上出せない、と。そういう事か?」
「まあ、そういう事ね。だからここのことを誰かに聞いておかないと大変なことになりそうだからね…あと、私が別世界から来たっていうのはあんまり喋らないでほしいわね。面倒だし」
面倒、というよりも、パチェの研究を無闇矢鱈に言いふらしたりなんかしたら何されるか分かったものじゃないからなんだけど…。
「わかった」
「ありがとう、で、こちらの世界のこと大まかでいいから教えてもらえると助かるのだけど…」
「ああ、いいぜ」
その後、メリオダスは小一時間ほどかけて私に色々と教えてくれた。
この世界には大きくわけて、人間族、巨人族、妖精族、女神族、魔神族の五種類の種族が存在し、魔神族と女神族は仲が悪いこと、三千年ほど前に聖戦と呼ばれる戦争が起こったこと、とか現在、ブリタニアというこの地を仕切っているのは人間族なんだとか、聖騎士の話とかほかにも色々と教えてもらった。大体理解出来た。
吸血鬼も存在するらしい。
「へぇ…随分と面白そうな世界なことで…。ところで、あの掲示板って」
「ああ、手配書のことか?」
「手配書なの?」
「ああ…結構有名だぜ。十年前、七つの大罪という騎士団が王国転覆罪で指名手配されたんだ。まだ聖騎士たちが探してる」
「ふーん…王国転覆なんて大層なことするのね…まあ、どのみち私には関係ないのだけれど」
「そう、だな。それでお前はこれからどうすんだ?」
そういえばどうしよう、と私はまた考え込んだ。
お金もないから宿にも泊まれないだろうし、野宿は流石にきついから誰かの家に泊めてもらうっていうのもね、吸血鬼を家に泊めてやろうなんて変人はあんまりいないんじゃないか。襲われるかもしれない、そう思うのが普通だと思う。
「ん…じゃあさ、交換条件でどうだ?」
「交換条件?」
「お前に衣食住を提供してやるから、俺の店で働く…ってのはどうだ?」
「あら、そんなんでいいの…?それなら、まあ、いいけど。どうして?」
「いや、まあな。如何せん人手不足でな。店員も欲しいし、情報集めしてくれる奴がもうもう一人くらいいたらなーってずっと思ってたからさ」
「情報?なんの情報かしら」
「聖騎士」
「聖騎士?」
しばらく考えたが、まあ私には関係ないか、と考えるのをやめた。難しく考えるのはあまり好きではないのだ。
「…わかったわ。それじゃあ、よろしく」
「ああ、よろしくな。レミリア」
そんなこんなで、私の長い旅の一日目が幕をあけたーー。
*
「はい、大ジョッキ五つね」
どかっ、と音を立てて両手に持ったそれを置く。
私がこの世界に来てから数日。メリオダスとの生活や酒場の仕事も一応慣れた。まあ色々とあったが、一番驚いたのは喋る豚がいた事だろうか。
(ここって、つくづく変よね。喋る豚もいるし、店なんてでっかい豚の上に立ってるし…移動酒場なんてよく考えたものだわ)
この日も、普通に仕事をしていたのだが、数人の客が話していた面白そうな話しがちらっと耳に入った。
「そういや、聞いたか?“さまよう錆の騎士”の噂…!」
「錆びついた鎧を着込んだ…最近出没するっていうユーレイ騎士だろ?」
「何だか気味が悪いよなあ…」
(さまよう錆の騎士、ねえ…幻想郷には幽霊とか亡霊とかけっこういたし、今更幽霊程度では驚かないけど…。)
私はエールをジョッキに注ぎながら自然にその客たちの近くに行き、聞き耳を立てていた。
「しかもそいつうわ言のように何かを呟きながらさまよってるって…」
「ああ…たしか、七つの大罪、だろ?」
「その錆の騎士ってまさか七つの大罪のユーレイじゃ…」
「それでほかの仲間を探し回ってるのかもよ……」
「なあ、可愛い嬢ちゃんはどう思う?」
あら、話しかけられちゃった。
聞き耳を立てていたのがバレていたのか、それともただ近くにいた私に話しかけただけなのか。
「あら、私にはレミリアという名前がちゃんとあるわよ。嬢ちゃんと呼ぶのはやめなさい」
そんなことを言っていると、からんからん、とベルの音が聞こえた。
また、客だろうか。
そう思って振り返る、と。
少し錆びついた鎧をきた騎士っぽい人が入ってきた。
…あれ、もしかして錆びついた騎士の噂はこの人なんじゃ。
一瞬だけ、店内がしぃんと静まる。
「で…でたあぁぁあぁ~〜~っ!!!」
客たちは叫びながら店から飛び出して行ってしまった。
「…貴方、誰?」
私はその騎士の前に仁王立ちしてそういった。しばらく沈黙が続いたあと、その騎士はドシャアっと大きな音を立てて仰向けに倒れ込んだ。
げれんっげれんっ、とその騎士の甲冑がとれる。
その鎧の中に入っていたのは。
「女の子…?」
「ふむ…レミリア、店の片付けをしておいてくれ。俺はこいつをベットに運ぶ」
「…わかったわよ」
私としては自分もついていきたかったのだが、大人しく店の片付けを始めた。
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