八月の夢見村 (狼々)
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旅のお方でしょうか?

どうも、狼々です!

今回は、短編にチャレンジ!
私は他にも、連載で三作、恋愛中心に投稿している者です。
同じく純恋愛で、新作をやっていきます!

では、本編どうぞ!


追記:五月十五日

短編から連載に切り替えました。
文字数は変わりなく続けていくことになるかと思います。

元々短編予定だったこともあり、話数が少ない・短いなどあるでしょうが、ご了承ください。


 列車の車窓から覗く向日葵畑が、夏の陽光が眩しい。

 こうして列車に揺られながら、小説の内容を考えるのもいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――そんなことを考えていた時期が、私にもありました。

 

「あぁぁああ~……」

 

 気だるげな声を無意識に漏らす。暫くの間自分のものだとは感じられなかった。

 俺は、現在進行系で小説家をやっている。

 さすがに兼業しないと食べていけないので、しがないサラリーマンも同時進行。

 収入は……まぁ、聞かないでほしい。

 

 仕事の合間に文字を書く。それを毎日、機械的とも思える程繰り返してきた。

 つまらないわけではなく、それが日常となるほど楽しんでいた。

 

 現在、八月の半ば。夏の休暇をもらったので、こうして田舎を列車でプチ旅行。

 旅行と言っても、一泊二日か二泊三日で、適当に列車で色々な場所を回るだけなのだが。

 

 さて、俺が呻き声を発していた理由。それは、単純明快なものだった。

 

「……ネタがない」

 

 切れた。それはもう、使い終わった乾電池の如く。

 飲料物がなくなってしまった、空のペットボトルの如く。

 しかし、それではおかしい。乾電池は充電できるものもあるし、ペットボトルにはもう一度何かを注げばいい。

 俺には、乾電池の充電器も、替えの飲料物も手元になし。完全に手詰まりだ。

 

 と、いうわけで。こうやって列車でのプチ旅行に来ている。

 自然に触ると、何かネタが舞い降りるとも思ったが、そんなこともなかった。

 現に、こうして向日葵畑を見ているが、黄金比の種の並びがさらに並んでいるようにしか見えない。

 

「……暑い」

 

 炎天下の中での、熱のこもった列車にて。そんな感想を抱きつつ。

 あまり使っていない頭脳に疲労を感じ始め、座席の背もたれに深くかける。

 

 ふと、この暑すぎる中で微睡みに誘われる。

 普段の疲れが、ここにきて回ってきたのか。

 全く、列車で何をしに来たのだろうか。

 

 その微睡みに勝てるはずもなく、俺の意識は闇に落ちた。

 夢を見るように、落ちていった。

 

 

 

 

 

「……んぅぁ……」

 

 眠い眼を擦りつつ、腕時計を見る。

 十の位置を回っていた短針が、既に十二を回っている。

 ……時計が、壊れたのかな?

 

「次は~……終点、夢見村前です――」

「夢じゃなかった。壊れてもなかった」

 

 夢だけど、夢じゃなかった!

 そんなこともなかったが。結局夢も見ていないし。

 

 それに、俺は田舎を列車で回る予定だったが、何も終点まで乗る予定ではなかった。

 まぁ、ここで降りるしかあるまい。降りるしか選択肢が残されていない。悲しきかな。

 

 列車の到着と共に、降車して。周囲を見回して、気付く。

 ()()()()()()()()()()()()()()()。あまりにも静かだった。

 

 そこは、田舎の村をそのまま絵にしたような風景が広がっていた。

 一面が緑に囲まれていて、小さな家々が点在している。

 吹き付ける風は周囲の木々から漏れ出したもので、暑いはずなのに、どこか涼しく感じる。

 なるほど、ここが電車の中で流れた、夢見村、ということか。

 

 蝉の大合唱がそこかしこから聞こえるのも、夏の代名詞だろう。

 照りつける真夏の日差しも、今は心地よくも感じてしまう。

 

 さて、ここからが問題だ。……民家しかないのだが。

 どこにも、何もない。コンビニもなし。

 7と11のあれも、ミルク瓶のあれも、文字通り何も。

 強いて言うなら、民家のほぼ全てに畑がある。それだけ。

 後は、大きな山が一つ見えるくらいか。

 

 見えないところにあるのかもしれないが、少なくとも見える位置にはない。

 

「えぇぇぇえ……何か、すげぇな。帰りのホームは~っと……」

 

 暫くそこから歩いて、帰りのホームを見つけた。

 ホームに入って、時刻表を確認――

 

「――はぁっ!?」

 

 時刻表には、縦に数字が一列……時間の欄の数字と。

 横には――たった一つの数字だけが書いてあった。

 そのたった一つの数字は、先程列車から降りた時間と同じくらい。

 それが示すこと。即ち――

 

()()()()()()()()()!?」

 

 もう、今日の帰りの列車はなし。

 つまるところ、帰る手立てが残されていない。

 

「え、え、やべ、今日の宿どうすんのさ……!」

 

 夏の暑さに汗が出る。いや、これは冷や汗の方だろうか?

 ここは、本当に何もない村だ。ホテルなんて、あるはずがない。

 

 ひどく落胆した様子でホームを出ると――

 

 

 

 ――そこには、一人の女性が立っていた。

 

 透き通った雪の様な白肌が、清楚な純白のワンピースから露出している。

 彼女の華奢な体が、ワンピースと相まって最上級の魅力を醸し出している。

 ワンピースと同じく白いハットを目深に被っているが、口元の笑顔が眩しい。

 ホームに吹き付ける涼風が、彼女の艶やかな長い黒髪を上品に揺らす。

 

 一言で言い表すのならば、美女。そうとしか、言えなかった。

 表情は、ハットではっきりとは見えない。が、絶対に美女であるという確信があった。

 

「……こんにちは。貴方は、旅のお方でしょうか?」

 

 鈴の様な凛と澄んだ声は、この暑すぎる夏の日差しを和らげてくれた。

 涼しげなその女性は、本当に魅力的で、夏が似合っていた。

 

「は、はい、そうですが」

「ふふっ、ここには何もありませんからね。私の家でよければ、宿として提供しますよ?」

 

 鼓動が妙に早くなり、落ち着かない。

 あまりの暑さに頭がやられたのだろうか。そう思った。

 

「……いいの、でしょうか?」

「えぇ。では、行きましょうか。案内しますよ」

 

 そう言って、彼女は俺に手を差し出した。

 ……繋げと、いうことなのだろうか。

 

 意図を汲み取りつつ、手を繋ぐ。

 その瞬間に彼女との距離が近くなり、笑顔がすぐ近くにくる。

 爽やかな匂いが隣からして、心臓がバクバクとして静まらない。

 手が柔らかくて、意識がほぼ全て手に集中する。

 

「……? どうしました?」

 

 俺が戸惑って立ち止まっていると、先行しようとした女性が立ち止まる。

 

「あ、あ……いえ、何でもありませんよ。行きましょう」

 

 なるほど。そういう、ことか。

 

 ――俺は、この女性に一目惚れしたんだ。




ありがとうございました!

次回以降は、恐らく後書きはないと思います。

いつも私は一話辺り5000字書きますが、短編ということもあり、
短めに書いていこうと思います。
更新は不定期になります。

これから短くではありますが、この作品と私をよろしくお願いします!


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風鈴の彼女

「え、と……あの――」

「敬語じゃなくて構いませんよ。そちらの方が、私も話しやすいです」

 

 炎天下の夏の今日、陽炎が遠くで揺らめいて消えているのがわかる。その中で、道を二人で手を繋いで歩く。

 それによって、俺の顔も熱くなっていることがわかる。いや、やはり一目惚れのものなんだろうな、これは。

 

 こうやって近づいているととてもわかるのだが、彼女は見た目が若い。

 声の質からしてもわかるが、実年齢も若いのだろう。俺と同じか少しだけ下……二十代前半くらいだろうか?

 さすがに初対面の女性に年齢を聞く、等という失礼極まりない言動は自重するが。

 

 そうやって頭の中で結論付けていきながら、迷路のような会話を楽しむ。

 四方八方から聞こえる蝉の鳴き声と、明るすぎる木漏れ日を掻い潜るようにして、お互いの声は相手に届いていく。

 

「わかったよ、ありがとう。それにしても、君は綺麗だね」

「そう、ですか……? ふふ、ありがとうございます。にしても、正直な方ですね。普通、初対面の女性にそれを言いますか?」

「いや、言わない。俺は本当に綺麗だと思う女性にしか言わないから」

「またまた……お世辞が上手いことで。少し、上機嫌になってしまいます」

 

 傍からしたら、ナンパにしか聞こえないような言葉にも、口元を笑顔にして、真っ直ぐ前を見据えたまま歩いて行く。

 その笑顔が、俺にはどこか嬉しそうでもあり……()()()()()でもある。そう感じた。

 

「で、どこに君の家はあるの?」

「えっと、えっとぉ……この辺り……のはずです」

「いや、方向音痴とかいうレベルじゃないだろ」

「あ、あはは、私、すっごく方向音痴なんですよ。えへへ」

 

 自信なさげに、はにかみながら言われる。

 はにかむ姿も、俺には十分すぎるくらいに魅力的だった。

 どこまでも吸い込まれそうな魅力を持った笑顔はやはり――どこか、同じように空虚で、空っぽな気がした。

 

 そして、先に続く一本道を歩いて行くにつれて、風鈴の鈴音が聞こえてくる。

 夏特有の風情ある音楽の一種に、俺は耳で酔いしれていた。

 

 その風鈴の冷音をきっかけに、彼女は声を大きく、確信を持って言う。

 

「あ! ここですよ! ふふふ~、合ってましたよ!」

 

 こちらを向いて、ハットの隙間から見える目を閉じながら、満面の笑みを浮かべる。

 身長は俺よりも少し低いので、上目遣いをされると、深くハットを被っていても目が見える。

 子供らしいその一挙一動にも、彼女の魅力が遅れることはない。

 見た目にそぐわないわけでもなく、むしろ可愛らしい言動に、思わず心臓が跳ねる。

 

 少しだけ歩幅を広くして、家の中に入る。

 決して古いわけではないが、多少年季を感じる木造の一軒家。まぁ、この辺りに高層建築物は見当たらないので、家となったら必然的に一軒家になるのだが。

 見たことはないが、どこか懐かしさのようなものを感じる。

 

「ただいま、お母さん!」

「えっと……お、お邪魔します!」

 

 彼女が母親を呼ぶ声に続いて、俺は上がり込み挨拶をする。

 数秒後、廊下を裸足で駆けてくる音が聞こえてくる。

 次第に大きくなっていく足音の主は、こちらへの扉が開いたと同時に明らかになった。

 

「え、っと……そちらの方は?」

「旅のお方なんだそうで。もう列車もないから、家に……だめ、かな?」

「いえ、貴女がいいのなら、私は止めはしないわよ」

 

 優しそうなその風貌は、どこか彼女の面影と重なっている。

 笑ったときの口元なんて、もうそっくりだ。思わず、俺も笑ってしまいそうになる。

 さすがに失礼だと自分に警告し、顔と姿勢を正す。

 

「……こんにちは。そんなに硬くならなくていいですよ。好きなだけ泊まっていってください。……先に自分の部屋に戻っていいわよ」

「うん、わかったよお母さん」

 

 そう彼女は言って、壁に手をほんの少し添えながら、廊下を通っていった。

 やがてその背中は小さく、ある部屋の扉が閉められて見えなくなったとき、彼女のお母さんは口を開く。

 

「……旅のお方、ですよね? その、初対面の方に言いにくいのですが……あの娘と、仲良くしてやってはもらえないでしょうか?」

「……? え、えぇ、わかりました。こちらこそ、彼女と話すのは楽しませていただいていますので」

 

 正直、意味がわからなかった。

 何故、彼女のお母さんがこんなことを言うのか。俺には、わからなかった。

 初対面の相手に対してどうなのか、ということでもあった。

 ――が、それだけじゃないような。そんな気がした。

 

 けれど、俺にはどうしようもない。

 何かがわかったとして、他に何かが変わるわけでもない。

 『初対面』とは、そういうことだ。残念でもあり、ありがたくもある。

 

 彼女との会話の内容を、小説の参考にでもしてみようか。

 そう予定しながら、一階の、彼女が入った部屋に入る。

 

「あっ、そうですそうです。えっと、お話……しませんか? 私、この夢見村から出たことは、あまりないのです。とても小さい頃のことで、少ししか覚えていないんです。だから、こうして旅の方の話を聞くのは、楽しみなんですよ」

 

 やはり、彼女の笑顔には独特の雰囲気というものがある。

 依然としてハットに隠された目元であっても、口元だけで可愛さが表現されるところ。

 少し幼く無邪気な言動でも、可愛いと思えること、それらを。

 

 ――どこか、寂しそうな雰囲気を匂わせる笑顔が、そう思わせる。

 

 まぁ、気のせいなのだろうが。

 恋は盲目と言うわ、気温が高すぎるわで、どこか彼女への判断や見方がおかしくなったりしているのだろう。

 そう阿呆なことを考えて、俺は笑いかけて、彼女との会話を楽しむことに。

 

 彼女の笑顔は、やはり眩しい。そこには、寂しそうな雰囲気は、一切漂っていなかった。

 どうにも、俺の勘違いだったようだ。

 

「そうか。じゃあ、そうしよう。何を話したい?」

「そう、ですね~……貴方の話が、聞きたいです」

 

 優しげな声色で言う彼女に、ドキドキとし始める。

 俺の話が、聞きたい。別に他意も、特別な意味も孕んでいるわけではないだろうに。

 期待してしまう。もしかして。その一言が、脳内で紡がれていく。

 

「オーケー。じゃあ、俺がどうしてここに来たか、今から話すよ」

 

 その期待が、欺瞞に隠されたものを対象にされないことを切に願う。

 今は、この目の前の彼女と、笑いあって会話をしようか。

 

 耳に届いた風鈴の声が、やけに綺麗に聞こえた。

 婉曲的な声ではなく、澄んだ声が、直接。



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燻ることのない静謐

 燦々と、ぎらぎらと照りつける太陽は、容赦なく太陽光を家の屋根に降り注がせる。

 直接は当たっていないものの、やはり暑い。

 田舎すぎるとはいえ、クーラーや扇風機等の空調設備は整っていたので、クーラーをきかせながら、外との温度の差を感じつつ、畳の上にお互い座って向かい合う。

 

 こうして見ると、本当に綺麗な女性だ。

 都会に出ていたら、ほぼ確実にナンパの被害にあっていることだろう。

 まぁ、俺もナンパまがいのことを言ったので、言えるような立場でもないのだが。いや、それもそれでダメだわ。

 

 ドスッ、と軽く音を立てるほどには重い荷物を置いて、座る。

 

「よし、じゃあ俺がここに来た理由だよな? えっと……まず、俺は列車に乗って来たんだ。小さな旅行にね」

「あぁ、なるほど。だから、重い荷物を……」

 

 宿泊するにあたっての準備は揃えて来ているので、当然荷物は重くなる。

 しかし、これは一泊二日か二泊三日、長くて三泊といった具合の荷物持ちだ。

 さらに一人分なので、そこまで重すぎる、ということはないが。

 

「あぁ。で、列車の中で向日葵畑を見ていたんだよ」

「……どんな感じがしましたか?」

「どんな、って……ただ花が同じ方角向いて並んで見えただけだったよ」

「そう、ですか」

 

 向日葵畑の話をして、少しだけ声のトーンが落ちる彼女。

 まずかっただろうか。向日葵が好きだとか、花が好きだったのだろうか。

 如何せん、俺の女性とのコミュニケーション能力は低いようだ。悲しきかな。

 全く、この左手薬指には、いつになったら指輪が付けられるのだろうか。心配にもなるが、その時はその時だ。

 

「それにしても、旅行に来たのに、早速列車で寝ちゃうんですか? ふふっ」

「あ、あはは……自分でも呆れてしまうよ」

 

 実際、俺はこうやって寝すぎて、終点のこの夢見村前まで来てしまったわけだ。

 返す言葉もない。彼女が来てくれなかったら、今頃どうなっていたことか。

 暑さにやられて、熱中症になってしまってもおかしくはないだろう。

 旅行に来て、列車で寝てしまったことが原因で熱中症、なんて話は笑えない。いや笑えるかも。いや、やっぱりねぇな。

 

 会社の同期に話したところで、「バカじゃないの?」で終わりだ。

 話のネタになることもない。

 

「そこに……私が来た、と」

「そうそう。ほんっとうに助かったよ。ありがとう!」

 

 最大限の感謝を込めて、座ったまま深く頭を下げる。

 熱中症にならないのも、この彼女が駅で声をかけてくれたお陰だ。

 

「い、いいんですよ! 私から声をかけたんですから! ね? それに、こうやって話を聞かせてもらっていますから」

「そう、か……それで満足させられるなら、俺はいくらでも話すよ」

 

 何と心の広い女性なのだろうか。涙が出てしまいそうだ。

 聖人とも、女神とも言える人の慈愛で満たされている俺は、さぞ幸せ者なことだろう。

 

 クーラーの吐き出す涼風が、(ぜつ)を揺れ動かしてガラス製の江戸風鈴をチリンチリンと和音を鳴らしている。

 俺は個人的に、金属製の南部風鈴も良いと思うが、それよりもガラス製の江戸風鈴の方が、音が好きだ。

 体感的な意味でも、耳で聞く意味でも涼しさを感じつつ、彼女との会話を再会させようか。

 

「それで、俺はしがない小説家をやっているんだよ。内容が閃くままに列車でプチ旅行、ってわけさ」

「へぇ、物書きさんなんですか。……私も、貴方の書く本を読んでみたいです」

 

 物書きさん、って言い方がもう可愛い。

 控えめに、優しく向けられた笑みは、底知れず俺の心をくすぐっていく。

 こういう乾いた笑いも、満面の笑みも、彼女の笑みにはどこまでも心を奪われる。

 それが一目惚れ、というものなのだろうか。

 

「おう、いつか俺の書く本、見てくれよ」

「……えぇ、いつか。読んでみたいです」

「なんなら、俺が読み上げてもいいんだぜ?」

「そうですか? じゃあ、自分で書いた文を自分で読み上げて、私に聞かせてくださいよ? 絶対ですよ?」

「ごめんやっぱ恥ずかしいわ」

 

 さすがに自分で読み聞かせるのは、恥ずかしいところがある。

 いい年してそんなことをするのにも、別の意味で抵抗がある。

 

 そうやって、ずっと彼女と話をした。

 笑って、驚いて、時には皮肉を言って。

 そんな何気ない会話でも、楽しく過ごすことができた。

 何よりも、彼女が俺の話に笑って耳を傾けてくれていることが、嬉しかった。

 

 ふと、部屋に斜陽が差し込んでいることに気付いた。

 風鈴の単独演奏はそのままに、気温だけが低くなっていることに遅れて気付く。

 山並みの隙間からほんの少しだけ顔を出した太陽は、オレンジ色の陽光を輝かせながら沈んでいく。

 神秘的とも思えるその光景は、毎日見るような夕焼けとは違った。

 

 光り輝くネオンと秋波を送る女性の、連なる町並みで見る、それとは違って。

 車の排気ガスで燻ってしまう、それとは違って。

 人々の歓声や金切り声、弾む声などの多種多様な声に掻き消されてしまう、それとは違って。

 

 この村だからこそ、見られるこの光景の意味は。

 焦燥感に駆られ続ける都会では絶対に見られない、この光景の意味は。

 人々の感情という感情を先行させて、消えゆくそれとは、かけ離れた青天井の魅力を漂わせていた。

 

「……ここって、いい村なんだな」

「……? どうして、ですか?」

 

 自然に漏れ出した声に、彼女が反応して白いワンピースを風で揺らす。

 既に切られていた冷房の風は、窓を解放されて通り道のできた通過風と還元されている。

 恩恵を全面に受けた彼女も、魅力を持っていた。

 

「忘れていないから。全ての原点を」

「……そうですか。それは、よかったです」

 

 開拓に開拓を重ね続ける町並みには、持ち得ない美しさを感じられた。

 それがひどく幻想的で、夢のようだった。

 

 忘れてしまった風景が、まだここには残っていた。

 そう思うと……この村は、変に都会な場所よりもずっといい環境なのだろう。

 

 数多(あまた)夾雑物(きょうざつぶつ)に塗れた場所では、到底理解できない光景だ。

 だから、田舎というところはいい。都会は便利ではあるが、忘却の彼方に消えたものが多すぎた。

 俺は、そう思う。

 

 ――須らく、忘れてはいけないものだ。

 

 ――間違えたのだろう、人間は。度を失ってしまった、人間は。

 

 

 ――静謐(せいひつ)の美しさを、忘れてしまった人間は。



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夏夜の柔風

 夕食の用意を手伝っていると、すっかり夜更けの時間となった。

 それに従って彼女の父も帰宅したようで、挨拶も済ませた。

 娘を持つ父親へ男が泊まりの挨拶をする、というのはある意味危険な状況だと思い、腹をくくっていた。

 

 が、どうやらそれは杞憂だったようだ。

 優しく出迎えてくれて、むしろ愛娘を茶化していたようにも見えた。

 それに若干とはいえ焦り、こちらの様子をちらちらと見ていた彼女は可愛すぎた。

 

 むしろこちらの心がくすぐられ、終始苦笑いで誤魔化すことになってしまった。

 

 もう夕食は済ませて、彼女の部屋で話の続きを再開させている。

 彼女とは夕食のタイミングをズラして、入れ替わりでシャワーとなったため、彼女の食事姿は、残念ながら拝めなかった。

 視界いっぱいに広がる薄暗には、満天の星空が広がって、厳かに周囲を淡く照らしている。

 

「やっぱり、こういうところだとよく星が見えるな」

「……そうですね。私も、都会だと見えませんでした」

 

 二人隣同士で縁側に座った状態で宵闇を見上げる。

 ここに月が顔を出したならば、どれほど妖美な景色となるだろうか。

 風景を想像しただけでも、背筋に鳥肌が立つ。

 

「……なぁ、その白のハットは、いつも着けているのか?」

 

 家の中で食事時にも、風呂に入る前にもハットを被っていた。

 常に目深に被っているため、表情が見えづらい。もっと顔を見たいものなのだが。

 だからといって、帽子を脱いでくれたらまじまじと見る、なんて迷惑行為にも等しいことはしないのだが。

 する勇気さえもない俺を、どうか許して。

 

「はい。この帽子は大切なものなんですよ」

 

 彼女は目深に被った帽子を手に取って、脱いだ。

 大事そうに手の上に乗せる彼女は、星空の恩恵を多大に受け、輝いていた。

 目を瞑って、帽子を向いている彼女の雰囲気もまた、周囲に馴染んでいて厳粛だ。

 この彼女と夜空の混合風景は、とても絵になる。

 

「そんなに、大切なものなのか?」

 

 反射的に聞いていた。口が勝手に開き、声帯は震えた。

 素の声で、じっと彼女を見つめたまま、ただ一点の疑問に集中して。

 

 その直後、彼女は手元の帽子から視線をズラした。

 下に追いやられるように、逃げる瞼に遮られた視線を生み出す彼女は、どこか悲しそうでもあった。

 

「この帽子は……私の、亡くなった祖父母から買ってもらったもの、なのです」

「あ……」

 

 再びその視線を帽子に戻し、優しく帽子は撫でられる。

 足の上に置かれたそれは、嬉しそうなんじゃないのだろうか。

 そして、聞いてはいけないことを聞いてしまったことへの謝罪の意が湧き上がる。

 

 反射的に、その謝罪を吐露する。

 

「ご、ごめん! 俺、無神経に――」

「――いいんですよ。……私も、貴方には話したいのです」

 

 一瞬だけ視線は夜空に、目を瞑ったまま向けられて、再び帽子へと戻る。

 先程と同じ動きを繰り返すかのように、帽子を撫でる彼女。

 優しそうな、慈愛に満ち満ちている微笑みを前面に出す彼女は、さらに厳かになっていく。

 

 彼女の周囲の空間が切り取られたかのように、そこだけ別次元のように。

 意味が少し違うが――圧倒された。

 緊迫感をも持ち得るその光景に、固唾(かたず)を呑まずにはいられなかった。

 

「私の祖父母は、つい数ヶ月程前に亡くなったのです。私の隣の部屋には、仏壇もありますよ」

 

 会話というよりも、諭しに近いだろうか。

 無言を義務付けられたように、緊張感が全身にも空間全体にも駆け抜ける。

 それに伴って、心臓の鼓動へ向けられる意識も大きくなる。やけに心音が大きく聞こえてしまう。

 

「さすがに同じ日、というわけではないですが、祖父が天寿を全うしてすぐに、祖母も後を追うように、同じく……」

 

 依然として手を動かし続ける彼女の目は、同じく閉じられている。

 その様子が、さらに悲しそうという俺の想像(イメージ)を増幅させる。

 

「それで、都会に一時期住んでいた、と言っていたじゃないですか。小さい頃に」

「え……? あ、あぁ、言ってたな」

 

 急にこちらに話題を振られ、(せつ)ながらに返事をすることになる。

 動揺が手に取るようにわかる反応に、自分自身で呆れていた。

 

「そこに最後に出かけた時、この帽子を買ってもらったんです。形見、なんですよ」

 

 かける言葉に、迷いが生じた。

 簡単に彼女の過去を語るべきではない。第一、俺と彼女は今日会ったばかりだ。

 そんな人間に、自分の思い出を知ったかぶりのような反応をされるのは腹立たしいだろう。

 

 言葉をかけるべきか、否か。

 正解を悪あがきに近い手探り状態で模索するも、見当すらつかない。

 

「……悪いこと、聞いてしまったね」

 

 俺が出した言葉は、ひどく無難と言える言葉だっただろう。

 だが、無難は所詮無難なのだ。それ以上でもそれ以下でもない。

 

 平坦と言ってしまえば、色がないと言ってしまえば、その限り。

 そこに面白みなど存在しえるはずもなく、適当に流されるだけだろうに。

 

「いえ、本当にいいんですよ。私が勝手に喋りだしただけですし」

 

 貧弱な流れをも掬い取ってくれる彼女に、心底安心した。

 何に対しての安心なのかは、自分すらもわかったものではないのだが。

 

 ようやく手の往復運動をやめた彼女は、帽子を定位置に被った。

 やはり目深に被られた白帽子は、縁側に吹き付ける柔らかな夜風に撫でられていた。

 同じくして彼女の艶やかな長い黒髪が揺れる。それだけでも、俺の心は揺さぶられてしまう。

 俺は思いの外、黒髪が好みなのかもしれない。一番魅力がありそうではある。

 

「ふふふっ、こちらこそすみませんね、雰囲気が重くなってしまいました」

 

 先程の張り詰めた空気は、嘘のように霧散して笑い声が聞こえる。

 軽々しく跳ねるような歌声にも聞こえるそれに、つられて俺も笑いが漏れ出す。

 吊るされた風鈴は静かに鳴いて、夏夜の柔風になびかれる。

 その心地良い柔風を、彼女の隣で座って受けつつ、次の話題を考えるとしようか。




彼女との会話は少しばかりネタを入れていきたい狼々です。


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終わりかけた続く恋

 暫く彼女の隣で談笑していても、煌めく星々の輝きは、各々のそれを弱めることはなかった。

 つい先程まで沈んでいた空気も明るみを取り戻し始めていた。

 しかし、隣の佳人は変わらず星の恩恵を受けて輝いている。

 

 空気の色までもが変遷していたが、彼女の輝きが燻ることはない。

 自分がこんなに可愛げのある美人さんと話していることが、不思議でたまらなくなってくる。

 しかも、一つ屋根の下でお泊りだ。夢のようなシチュエーションだ。知り合って半日も経っていないのだが。

 

「――それでは、今日はもう寝ましょうか」

「あ、あぁ。今日は本当にありがとう」

「いいんですよ。話していて楽しかったですし、対価があるならばそれでおしまいです」

 

 純黒で染まった空色の中、たったひとつだけ太陽が浮かんだ。

 全く、この笑顔にはどのくらいの明るさを孕んでいることだろうか。

 そうして、彼女の笑顔に、深みへ深みへと惚れてしまう。

 

 外見もとても好みだが、この明るく楽しそうで、前向きな性格も好み。

 俺にとっての『理想の女性』と言っても過言ではなかった。

 

 縁側に座っていた状態から、風鈴の鳴き声を合図にお互い立ち上がる。

 足の裏に木独特の感触が思い出されると、ふと思った。

 

「……あれ? 俺ってどこで寝ればいいの?」

「あ、そうでしたね。ちょっと待っててください。……お母さ~ん」

 

 とことこと彼女は歩き出して、廊下へと消えていった。

 静寂の中、聞こえるのは鈴虫の鳴き声。

 霧雨のように流れて降り注がれるそれは、俺の心を落ち着かせる。

 

 ひそひそと小声の如く広がり、夜空へと霧散していく。

 縁側の向こうへ広がる鬱蒼の中でも、夏が紡がれているのだろう。

 

「えぇぇぇえええ!?」

「うわぁぃ!?」

 

 突然に響いた叫び声に、夏の風物詩は掻き消された。

 俺もそれに驚いて、奇声を上げてしまう。一体、どうしたというのだろうか?

 

 ―*―*―*―*―*―*―

 

「い、いやいやいや、()()()()()()()()って……大丈夫なの?」

 

 近所迷惑になってしまいそうなほど大きな声を、夜遅くに出してしまっていた。

 先程のお母さんの言葉に、驚かずにはいられなかったから。

 

 ――私の部屋に、二人で寝ることになりそう。……恥ずかしい。

 

「でも、()()()()()()()()()()()()でしょ? 大丈夫だと思って連れたんじゃないの?」

 

 そう。今までに何回か彼みたいな人はいた。

 列車でここまで来て、宿のあてがないような。

 そんな人はここに連れて、泊めていた。

 

 けれども、今までに男性の方は連れてきたことがなかった。

 やはり、見ず知らずの男の人を家に上げて泊まらせるというのは、少し抵抗がある。

 今回が、初めての男性客なのだ。

 

 自分自身、どうして彼を家に入れる気になったのかはわからない。

 直感、というのが精々だろうか。それ以外に言い表しようがない。

 

「そうだけど……」

「嫌だったら、今から別の部屋にもできるわよ?」

 

 私はその質問に首肯――しようとした。

 自分の中で迷いがあった。実際、迷いとは別のナニカなのだが。

 

 同じ部屋でもいいんじゃないかと考え始めた。

 一緒に寝れば、まだ話をできる時間はある。さっきの続きを、まだ。

 

 少しだけ開いた窓から、夏夜の風が侵入してくる。

 肌寒くもある風が皮膚を撫でる感触が、妙に心地良い。

 隙間風に運ばれるのは、冷温だけでなく、虫の合唱もだった。

 

 昼にはあれだけ元気に騒いでいた蝉も、寝静る今頃には合唱はお休み。

 代わりに、鈴虫のオーケストラが聞こえてくる。どちらも、夏の風情を感じられる。

 

 都会では、街灯等の人工光による明るみと、夜の気温の高さにより、夜でも蝉が鳴くときがある。

 が、ここではどちらも満たされない。

 都会ほど人工光は多くないだろうし、自然の多いここ夢見村は、夜に気温が高い、なんてこともない。

 

 村特有の自然を感じて、頭を冷やして冷静に。

 そう考えても、心と頭のどこかが冷静になりきっていなかった。

 

「……いや、やっぱり一緒で」

「そう。布団は別だから、大丈夫よ」

「それ、別じゃないこともありえたってことなんじゃ……」

 

 取り敢えず、『あれ』は別のところに置き直そう。

 どうしても隠さないと。……バレたら、困る。

 

 しかし去ることながら、緊張しないわけではない。

 今でも心臓はドキドキと煩いし、何を話せばいいのかわからなくなる。

 先程の話の続きと言っても、他愛のない話だけで、面白みもなくなっていくだろう。

 

 ……どう、しようか。

 

 そう思っている自分の中でもう一人の自分から、問いかけられる。

 

 ――じゃあ何で、一緒に寝ることにしたの?

 

 断ることだってできたはずなのだ。でも、そうしなかった。

 一緒に話したいとは思ったが、そう悩んでまで話すことでもないはず。

 

「ねぇ、お母さん。お願いしたいことがあるんだけど、いい?」

「うん? どうしたの?」

「彼を泊めることなんだけどね――」

 

 ……体感温度が一気に上がったのは、気のせいなのだろうか。

 

 ―*―*―*―*―*―*―

 

 深更。今から寝入るのだが。

 

「……えっと、本当に一緒の部屋に寝て大丈夫なの?」

「は、はい……」

 

 どうしてこうなったし。

 男女が同じ部屋で、同じ布団ではないにしろ一夜を共にするのだ。

 いやぁ緊張しないわけないよね。

 

 鈴虫の鳴き声は、既にこの部屋に入ってから遠くへと追いやられた。

 何も聞こえないと感じるこの部屋で、照明も落とされて。

 隣同士に、くっついている布団二つ。

 

 ……いや本当に、どうしてこうなった。いいけども。

 俺としては、得でしかないんだけれどもね?

 この部屋は、恐らく彼女の部屋。可愛らしい置物から察するに、だが。

 

 彼女が先に布団に入って、横を向いた。

 向いた先は、俺の布団の方。

 

「もう少し、お話しましょう?」

 

 目を閉じてもう寝る体勢に入っているというのに、この言葉。

 嬉しい。純粋に、嬉しかった。

 自分の好きな彼女が、会話を楽しいと感じてくれていると、間接的に知ったから。

 

「あ、あぁ。え、ええっと、お邪魔します……?」

 

 俺の頭も大分おかしくなってきた。

 用意されたもう一つの布団に、お邪魔しますというそぐわない挨拶に後ろに疑問符付き。

 なんやかんや言っておきながら、自分も相当に緊張気味のようだ。

 

「あ、あ~、その……明日の昼前まで、お世話になるよ。昼になったら帰るから」

 

 列車が夢見村に到着するまで、もう半日か。

 寂しいが、この少女とも別れを経験しなければならない。

 俺の恋も、ここで終わりか。

 

「……そ、そのこと、なんですがね? ――()()()()()()()()()()()()()()()?」

「……はい?」

 

 どうやら、俺の恋はまだ続くようだ。




初の女の子視点。


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揺れ始める心

遅れてごめんよ(´・ω・`)
テスト期間やら風邪やらで書けなかったのです(´;ω;`)


 普段よりも随分と早い、朝の閃光。

 一身にそれを浴びて、田舎独特の新鮮な空気を吸いあげるべく、布団を抜け出す。

 不意に鼻腔に運ばれる、久方ぶりの()()の香り。

 古風ながらも、日本人としての安息を呼び起こされる。

 

 静けさの境界に、二つ静かに聞こえる音。

 一つは、早朝を感じさせる上品な雀の囀り。

 一つは――隣で静かに立てられる、彼女の寝息。

 

 どこかあどけなさの残る寝顔に、視線が釘付けにされる。

 

「ん、みゅぅ……」

 

 思わず鳴ってしまう喉。あまりの可愛いらしさに、意識まで刈り取られてしまいそうになる。

 さすがに就寝時は帽子を枕元に置いているようだ。

 きめ細やかで、柔らかそうな黒髪が、朝の陽光によって煌きを帯びている。

 

 心拍は跳ね上がり、落ち着くことを忘れてしまっていた。

 心地良いはずの、い草の香りは感じられず、甲高くか細い囀りも聞こえない。

 ただ目の前の女性にのみ、俺の全神経は集中される。

 

 ここで、自分の中での欲が湧いた。

 襲ってやろう、などという愚行ほどではないのだが。

 

 自らの指を彼女へと伸ばし――頬を軽く突く。

 ふにっと柔らかな感触が指先から広がり、僅かな熱も。

 形が変わる頬に、少しづつ沈みゆく指を眺める。

 

「ん、んぁぁ……」

「ぉっと……」

 

 漏れ出した彼女の声は、妖艶とも思えてしまう自分が汚い。

 寝顔の可愛さに溺れ、程よい弾力の頬を突いて何しているのか、自分でもわからなくなりそうだ。

 が、意に関わらずに動き続ける指。

 

 もうそろそろ起きてしまいそう。いつバレるのだろう。

 そう考えると、今起こす行為に高ぶりを感じた。

 突いていたい、もっと可愛らしい顔を見たい気持ちに、スリルの拍車。 

 織りなす相乗効果の波に、抗えない自分がいた。

 

「ぁ、んぅっ……」

「やっぱ、可愛いよなぁ……」

 

 呟き、気付く。

 これ、犯罪チックになってきた、と。

 どう考えても言い逃れは不可能、さすがにそろそろ自重すべきか。

 

 彼女の寝顔を背にして、部屋を出る。

 そして、俺は事実を見逃していた。

 

 ――布団が一弾指、ほんの僅かながら動いたことに。

 

 ―*―*―*―*―*―*―

 

 まだまだ特有の寒気が残る空気。

 掠れて感じるそれを、布団の中で仰向けのまま、肺いっぱいに吸い込む。

 少し、早く起きすぎただろうか。

 肺に取り込んだ普段のそれよりも、温度が低い。

 

 静かに物語る空気を意識から遠のけ、移動する意識は隣の音へ。

 まだ起きていないようで、規則正しい呼吸音が聞こえてくる。

 

「あ……寝てる、のかぁ」

 

 昨日の呼吸音からは予想できない、可愛らしい細い呼吸。

 つい、笑みが溢れてしまう。

 

 と、突然。

 隣の布団が大きく擦れる音がした。

 内心驚いて、狸寝入りを始める。

 音を一切立てず、呼吸はなるべく自然に。

 

 恐らく、見られている。

 その空想に思いを馳せていると、急に恥ずかしくなってきた。

 狸寝入りとはいえ、寝顔を見られてしまっていることに。

 

 ……なんで。どうして、こんなことをしているんだろう。

 わざわざ、隠れる必要なんてないのに。

 そんな疑問が横行したとき、無意識に変な声まで出てしまう。

 

「ん、みゅぅ……」

 

 さらに辱めを受けたように羞恥。

 頬が赤く、熱を帯びていることが自分のことながらわかってしまう。

 彼が部屋を出てしまうまで、このままでいよう。

 そう思ったとき、頬が押された。

 

 微かな暖かみがあるそれに、決して強くはない圧力をかけられる。

 それ押しては引きを繰り返され、頬は凹んで戻ってを繰り返す。

 ……指?

 

「ん、んぁぁ……」

「ぉっと……」

 

 頬を突かれて、私の声は漏れだす。

 それに反応するように、彼の声も弾む。

 彼に、私の頬を突かれている。その事実の認識は、私に更なる羞恥を植え付けた。

 

「ぁ、んぅっ……」

 

 くすぐったさか、はたまた別の何かか。

 私の心をざわつかせて、かき乱してゆく何か。

 もどかしく、恥ずかしいのに、快感にも似た感覚は駆け抜ける。

 

 そんな落ち着かない私に、さらに追い打ちをかけられる。

 

「やっぱ、可愛いよなぁ……」

 

 ……ドキッ、とした。

 可愛い、なんて言われたことがない。

 いや、少々訂正しようか。『異性に』言われたことがない。

 まさか、頬を突かれながら異性に可愛い、なんて言われるとは思わなかった。

 

 ――そしてその一言だけで、自分の心がこんなにも揺れるとは、思わなかった。

 

 頬が熱い。心臓が早く、煩い。

 耳元で鳴っているんじゃないかと、錯覚してしまう。

 静かに意識した呼吸も、少し気を抜けば音を立ててしまいそうだ。

 

 半ば耐えるような時間を過ごしていると、指はやがて離れた。

 畳の足音の次に、戸の開く音、そして廊下の足音と続く。

 

 その瞬間、虚無感。

 不意の訪れに、不安定な疑問を抱く私。

 寝返って、戸を背に向ける。

 

 高鳴る心臓、胸の前をきゅっと押さえつけた。

 心拍数は異常なほどの数に達し、血液は活発に循環する。

 そして、また一人呟く。彼のいない、この部屋で。

 

「どうしちゃったんだろう、私……」

 

 ―*―*―*―*―*―*―

 

 朝食をとって、彼女の部屋にて談笑。

 食事の時間はズレた。彼女には、朝にも入浴を楽しむ清潔な習慣があるようで。

 彼女の入浴の間に食事、彼女の食事の間に荷物整理。

 

 よく考えなくとも、かなり図々しい。

 人様の家に上がり込んでおきながら、食事をズラすとは。

 自分でもそう思い、抗議にも似た声を上げた。が、両親は口を揃えてこう言ったのだ。

 

 『むしろ、そうしていただけると助かる』、と。

 

 そこまで言われて、断るのは逆に失礼になるのでは。

 考えた俺は、ご厚意に甘えることになったのだが。

 

「いやぁ~、朝が和食ってのも、久しい気がするよ」

「そうなのですか? うちは毎日和食ですよ?」

「まぁ、大体わかるよ。うちは基本パンかそもそも食べないからな~」

 

 ここでもジャパニーズ精神は訪れる。

 和の朝食も、中々に美味だった。

 

「ダメですよ~? どんなに忙しかったりお腹が空いていなくとも、朝食を抜いたら~」

 

 白ハットを付けたワンピースの彼女のお説教も、中々に美味。

 いつまでも受けていたい、という甘い願望も抱いてしまう。

 

 午前八時三十分を回った。壁掛け時計の針はただ一点のそこを指す。

 まだまだ日は上がっている途中。今日もこれからだ。

 爽やかな、夏の涼しい風も吹き付ける。

 この時間の風が、一番涼しく気持ちがいい。

 

「――あっ、そうだ! お昼に、外に出かけませんか?」

「ん? いや、まぁ俺は別にどこまでも」

「ふふっ、いいところに連れて行ってあげますよ!」

 

 両腕をいっぱいに広げながら、似合う笑顔を携える彼女。

 さて、今日の昼の予定は決まったようだ。



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切り取られる光景

 じりじりと、地面が焼けるような音が聞こえてきそうだ。

 手に持った荷物が、やけに重く感じる。

 混濁しそうになる意識を留めながら、隣の彼女と手を繋いで歩き続ける。

 ワンピースから覗く白肌に、思わず喉を鳴らしてしまう自分。

 やはり、彼女の容姿は端麗なようだ。

 

「なぁ。具体的に今日は、どこに連れて行ってくれるんだ?」

「う~ん……内緒、です! 着いてからのお楽しみですよ?」

 

 優しそうな柔らかい笑みを携える彼女。

 控えめに揺れる白布が、さらに彼女の魅力を引き立てている。

 炎天下の路上の暑ささえも、『見る』涼しさで吹き飛んでしまうかもしれない。

 

 地面を、白サンダルと同じく白のスニーカーが擦る音。

 昨日よりも一層激しくなった蝉の声が、蒼昊の奥深くまで響き渡る。

 茂る草を撫でるように吹く風が、俺達の周りを包み込む。

 

 あらゆる景色や音が、都会では見えず、聞こえなかっただろう。

 見逃してしまうどころか、聞こえすらしないのだろう。

 そんなこぼれ落ちる音が、俺の心をぐっと掴んで離さない。

 

「ところで貴方は、都会から来られたのですか?」

「ん? あぁ、そうだよ。だから、こういう村に来る機会は貴重だとも言えるな」

 

 現代人の悪いところは、そこにある。

 利便性・快適性・合理性を求め、とにかく先進した場所へと旅立つ傾向にある。

 全く、悍ましいものだ。

 小さな村の過疎化が急激に進行していることも、それの暗示となっている。

 機会があったとしても、行こうとする意識の大部分が、致命的に欠落してしまっているのだ。

 

 かくいう俺も、ついこの間まで他人事ではなかったのだが。

 発想転換、という名目が無ければ、村を訪れようとはしなかっただろうに。

 

「そうでしたか。であれば、私も嬉しい限りです」

「そりゃまたどうして?」

「貴方が訪問した村の一つが、夢見村だからです。貴方と会えて、本当によかった」

 

 俺の心臓が、一気に心拍数を加速させる。

 彼女の笑みは、俺にとっては武器の一種にもなりえてしまう。

 呼吸は乱れかけ、落ち着きを忘れそうになるのだから。

 

 言葉を選ぶ余裕すらなく、慌てるように答えた。

 

「あ、あぁ。俺も君と会えて、すごく嬉しいよ」

「え、ぁ……」

 

 深く帽子を被り直して、俯く彼女。

 かなり深めに被っているので、表情は殆ど見えない。

 ほんの少しだけ見えた頬は、気のせいか赤らんでいるようにも見えた。

 

 二人の会話の間に、静寂。どこか気まずいような雰囲気が流れる。

 自然はそんなことは気にも留めず、摂理に従って各々の声を主張している。

 

 黙って歩いているだけなのに、額だけでなく、全身から汗が止まらずに流れ続ける。

 ただ単に暑いからなのか。それとも、内心の焦りにも似た何かのせいなのか。

 無意識に、未だに繋がれた手を、少しだけ強く握ってしまう。

 

 そして、一つの坂を越えた先で。

 

「えっと……確か、この辺りのはずです。着きましたよ」

「え? あ、あぁ、そうか。ありが――」

 

 ありがとう。そう言おうとして、思わず息を呑んだ。

 

 沢山の黄金輪が、太陽に向かって力強く花開いている。

 花自体の美しさは去ることながら、黄金比を形成するの種の並び方にも、目を見張る程の芸術性を感じた。

 背高なそれの中に混じって、小柄な背丈もあるが、例えそうだとしても、美しさが欠けたり、くすんだりすることはない。

 黄色の瑞々しさを持つ夏の花は、神々しいとも思える。

 

「ひまわり、畑……?」

「合ってましたか。えぇ、そうですよ。ここの向日葵(ひまわり)畑は、私が子供のときから綺麗な場所なんです。村の皆も言っているんですよ?」

 

 雲一つない晴天に恵まれ、とは正に今日のことなのだろう。

 深みのある青は、煌めく日光をさらに輝かせ、引き立てている。

 向日葵の黄色はそれを反射し、幾つもの太陽となる。

 それこそ、向日葵が本物の太陽のように。

 

 視界いっぱいに広がり、地平線へと繋がる向日葵。

 あまりの玲瓏(れいろう)さには、鳥肌が立って、いい意味で寒気すら憶える。

 

 再び、歩いてきたときの言葉を思い出した。

 都会にはない光景。その美しさ。

 正直、この光景にすら恋してしまいそうだ。

 狭く、厳しい縦社会に埋もれながら、この尊い存在を見逃すなど、勿体無いの一言に尽きる。

 

「なぁ。写真……撮ってもいいか?」

「えぇ。いつまでも待っていますから、好きなだけ――」

「いや、そうじゃない。()()()()()写ってくれないか? この向日葵畑を、背景に」

「私、ですか……?」

 

 この素晴らしい向日葵畑を背に、解語の花が写った写真。

 それはもう、想像できないくらいに最高の写真となることだろう。

 

 幸い、短い旅の道具として、デジタルカメラは持参してある。

 今もそれは持ってきているので、後は撮るだけだ。

 

「勿論、無理にとは言わない。嫌だったら嫌と、はっきり言ってほしい」

「いえ、そうじゃないんです。私で、いいんですか?」

「むしろ、君がいい。君が、一番この光景が似合うだろうから」

 

 本心だった。それも、随分と確信のある本音だ。

 俺が見た人間の中で、この光景をバックにしたとき、一番似合うのは彼女だ。

 大袈裟な話だが、不思議と俺はそんな確信を持っていた。

 

 人との交流が少ないだとか、そんな程度の低い話をしているんじゃない。

 もっと別次元の、尊厳とかいう話なのだろう。

 少なくとも、俺はそう思うのだ。

 

「……わかりました。ポーズは、何かご所望ですか、カメラマンさん?」

「そう、だな。片手を帽子に、片手をピースで、できる限りの眩しい笑顔で」

「ふふっ、了解です」

「おっ、その笑顔いいねぇ」

「もう! あんまり茶化さないでください!」

 

 一つ軽いおふざけを投じたところで、手荷物からデジタルカメラを取り出す。

 レンズを向けて、彼女に合図を送った。

 

 受け取った彼女が、先程伝えたポーズをそのまま、ゆっくりととる。

 太陽に負けないくらい。いや、太陽にも勝ったのではないかと思うほどの、眩しい笑顔も前に出して。

 

 不意に笑みが溢れながら、言葉を切る。

 

「はい、チーズ!」

 

 瞬間、シャッターを切った。

 彼女の輝かしい笑顔を収めた光景は、レンズの中での一瞬を凍結されて、切り取られた。



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朱色

 地面さえも焦がしてしまいそうな暑さは、夕方になってから少しだけ身を引いていた。

 赤く照りつける優しげな暖かみが、この空間一帯を包み込む。

 彼女の白い肌もワンピースもハットも、薄く蜜柑色に染まっている。

 

 遥か遠くの地平線をくぐっていく太陽が、やはり美しい。

 ヒグラシの甲高い声が、切なさを誘うようで、郷愁を感じてしまう。

 感慨深いノスタルジアに心を震わせながら、彼女の家へと歩を進める。

 来た道は覚えているので、まだまだ鮮明な記憶を辿っていった。

 

 どうやらこの女性、本当に方向音痴のようだ。

 行きのときもそうだったが、一本道でも方向が心配なのか、時々立ち止まっている。

 その度に俺が手を引いて、一本道に限ってひたすら前を進んでいたのだ。

 

「なぁ、この村って君が迷うほど大きいのか?」

「いえ、そうでもないですよ。ただ私が人よりも迷いやすいってだけで……あはは」

 

 彼女はそう言って、柔らかくはにかむ。

 頬が少しだけ赤らんで見えているのは、夕焼けのせいなのだろうか。

 神秘的な後光を携える彼女を見ていると、そんな自分の願望も湧いて出てくる。

 

「……やっぱり、可愛いな」

 

 本当に小さく、無意識に呟いてしまうほど可愛かった。

 霞んだ呟きは、明細であるようでぼんやりとした薄暮の光に呑み込まれる。

 

 ともかく、自分でも認めてしまう程の方向音痴らしい。

 そんな抜けている要素も、さらに相まって可愛く思えてくるのだが。

 

「で、でも私ほど村に住んでいると、目を瞑ってでも家に帰れますよ!」

「ほう、あれだけ迷ってて言うのか? じゃあやってみるか?」

「え、えぇいいですとも! 行きますよ!」

 

 道を覚えていた俺の先導役を、目を瞑った彼女に任せる。

 小さな見栄を張っている彼女に、優しく笑いかけながら。

 すると意外なことに、行きと同じくらいの速度で、すいすいと進んでいく。

 が、先程と同じように時々止まってはいた。

 

 そして、俺はようやく気付く。

 止まっているときの全神経を、耳に集中させていることに。

 当たり前と言えば当たり前なのだが、どこか緊迫感も伴われている。

 歩行音と吐息を、まるで潜んでいるように抑え込んでいた。

 

 俺も妙な緊張感を感じ、影響されて息を潜める。

 ヒグラシの上品な囁き、風のざわめき、ざわめきに呼応する葉の掠れ声。

 その全てが、鮮明な『色』を持って情報として脳へと伝達された。

 少々躊躇いつつも、口をゆっくりと開く。

 

「……耳、いいのか?」

「はい。私、耳の良さには自信があるんですよ? なのでさっき貴方がその……か、可愛いと言ったのも、聞こえてましたよ? あはは、お世辞が上手ですね」

 

 恥ずかしながら軽い冗談を言う子供のように、輝かしい素直な笑みが浮かぶ。

 屈託のない彼女の笑顔が、どこまでも明るい。

 こんな笑顔ほど、彼女に似合う笑顔はあるまい。

 

 昼の真っ直ぐな光の下の笑顔もいいが、茜色の淡い光の下も笑顔もまた一興。

 各々の表情を変えた光の礫が、彼女の印象を違う方向へと先導しているのは、本当に面白く、綺麗だ。

 この時間帯の溶けた光は、彼女によく馴染んでいた。

 

「いいや? お世辞じゃないとも。第一、俺は世辞が嫌いなんだよ」

「そう……なのですか? それはまた、どうして?」

「繕っている感じが見え見えだろ。他人の印象さえはっきり言えないようなら、それまでだ。かくいう俺も、そう言いながら実行せざるを得ないって言い訳付けて、実行しているんだがな」

 

 『お世辞』は、本来ならば美化語の範疇に入らないのだろう。

 二枚、三枚と自ら複数の舌を使い分け、相手のご機嫌取りを繰り返す。

 吐いた嘘は、未来永劫引きずることとなり、一度のお世辞が今後のお世辞を呼ぶ、いたちごっこが起こる。

 そんな機械のような、冷淡な人の振る舞い方を、俺はどうにも好きになれずにいた。

 

 社会に入ると、そんな考えは絶対に通用しないことはわかっている。

 何事にも、理由を求めてはいけないのだ。降りかかる全てを飲み込まなければならない。

 俺も、毒にも似た固形物の嫌な苦味を、今も今までも、そしてこれからも飲み下していく必要がある。

 幾度にも渡って深く顔を顰めながら、自分の本心は決して曲げず、美化語の背景を嫌っている。

 ……いや、言い訳をして世辞を並べる俺も、本当に心が曲がっていないか、と聞かれると痛い。

 

 しかし本来、世辞は『お世辞』というように、美化語となるべきではないのだろう。

 世辞の黒々とした全体を隠蔽する、盾のつもりなのだろうか。

 しかし、そんなにも薄っぺらい盾で隠れきったと思っているならば、大きな間違いだ。

 見え透いた隠れているつもりの自己防衛ほど、気持ち悪く、嫌悪感を誘い出すものは、他にそうそうないだろう。

 

「ともあれ、俺のさっきの可愛いって言葉は、決して世辞じゃないさ」

「そ、そう、ですか……ありがとう、ございます」

 

 依然として、彼女の頬は朱に色付いている。

 願わくば、この色が風景の齎すものではないと思いたいものだ。

 だって、どう見ても残映より深い、深い赤色に彩られていたのだから。




情景描写練習中。頑張りたいです(`・ω・´)ゞ

物語の進行が遅めですが、ご了承ください。


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隠したい

 今日も自然の香りを感じながら、家へ。

 私の右手に伝わる暖かな温度が、私をとても安心させてくれる。

 

 やはり感じるのは、私の手との大きさの違い。

 大きくて、私の手をまるまる包み込んでしまいそうだと思うほどだ。

 安堵感もそうだが……少しどころではなく、ドキドキしてしまう。

 

 異性との繋がりは、ほぼなかった。

 というのも、この村ではそういった交流自体が、殆どなかったからだ。

 

 胸の高鳴りを抑えきれないまま、玄関に着いた。

 隣を向いて、胸を少しだけ張る。

 

「ほうら、どうですか!」

「お、おぉ……! すげぇな」

 

 彼からの小さな称賛を得て、なんとはなしに喜んでしまう。

 本当にちょっとしたことなのに、心が暖かくなるほど、嬉しかった。

 つい笑顔が溢れたまま、扉を開ける。

 

「おかえりなさい。まだ夕飯はできていないのよ。もう少し、あの子の部屋で待っていてちょうだい?」

「はい、わかりました。ありがとうございます」

 

 彼がそう言って、私の手を離した。

 少し残念なような、切ないような、寂しいような気持ちだ。

 

 私も続いて部屋に戻ろうとしたとき、肩を掴まれた。

 彼はさっき部屋に行く足音が聞こえたので、彼ではない。

 じゃあ……

 

「……お母さん?」

「貴方、あの人に()()()、言ったの?」

「…………」

 

 ――答えられなかった。

 自分の欲を優先した結果のことだと、言えない。

 言えるわけがないんだ。あんなことを言ったら、絶対に……

 

「隠すのは、もう無理よ。今まで気付かれていないことが不思議なくらいよ。特に、今日の外出は」

「ご、ごめんなさい。でも……あの人には、バレたくない」

 

 どうしても、あの人だけにはバレたくない。

 ならば、私が取り得る選択肢は三つの内、たった一つしかないのだろう。

 

 一つ、このままやり過ごして、バレないように振る舞い、彼自身も気付かないことを祈る。

 一つ、自分の気持ちを抑えつけて、何も言わないまま彼に早々に帰ってもらう。

 一つ、言いたくなくても無理に伝えて、私の思う最悪な結末を迎える。

 

 正直、少しでも希望があるのならば、一番目を希望したい。

 それでも、三番目の選択肢は、拾いたくはなかった。

 自分の中に渦巻く気持ちの正体は、まだ明確にはわからない。

 

 こんな気持ちは、初めてなんだ。今までに感じたことがない。

 胸が張り裂けそうで、体が、頬が熱くなって、少しだけだが食事の量が減って。

 明確にはわからない。が、私は薄々気付いていた。

 この気持ちが(たち)の悪い、病気の一種であることに。

 

「貴方がそう思うのも、私は勿論のこと、父さんもわかっているはずよ。けれど……やっぱり、限界はあるわ」

 

 彼と入浴時間・食事時間をズラすのも、やはり無理がある。

 入浴は性別の違いで何とかなりそうだが、食事は――

 

 可能性を、否定したくなかった。

 そして、自分の過去の運命を恨んだ。

 

「でも……私、どうしたら……!」

「あの人に少しでも悪く思われたくないのなら、自分から言うことだよ。辛いことだけどね」

 

 自分の中で、薄弱な決意を固めた。

 固めた、とも言えない、薄弱な決意を。

 

 ――やっぱり、言えるはずがない。

 バレてしまうまで、隠し通そう。

 

 さっきまで香っていた自然の香り。

 木材の香り、外からの土の匂いや風に運ばれる草木の匂い。

 それらが全て淀んで、霞んで、遮断された。

 

 

 

 私も彼は今日も、夕食の時間を共にしなかった。

 最悪、食事は上手くいけばバレないのだが、やはり不安が残る。

 

 昨日と同じくして、隣り合わせで布団の中に入っている。

 縁側には寄らなかったので、今日は早めの布団入りだ。

 

 今の季節は、夏。それも「真」が付くほどの。

 定番としてはもう怪談しかない、ということを彼に言われた。

 彼の怪談話を聞いて、寒気のする夏の夜を過ごしている。

 

「――暗い裏路地を歩いていると、突然肩を叩かれたんだよ」

「う、うぅ……」

「そうしたらさぁ、そのままコンクリートの壁に勢い良く叩きつけられて、小さなナイフを首元に――」

「ひぃいい!」

「お、おう、大丈夫か……?」

 

 正直、大丈夫じゃない。

 今まで自分でもわからなかったが、私は相当に怖がりのようだ。

 

 ナイフを突きつけられるのは本当に恐怖だ。

 けれども、幽霊とか妖怪とか、そういった非科学な事象での恐怖とは違う。

 そういった意味では、怪談として怖がっているのではなく、単純な危険で怖がっているのだろう。

 

 そもそも、そんな機会は殆どない。

 ないからこそ、未知に存在する恐怖に一層身を震わせることになるのだ。

 

「じゃ、じゃあ、怪談は止めにしよう、うん。えぇと……何か、聞かせてもらえるか?」

「う、うぅ……夢見村のことで、いいですか?」

「あぁ、頼むよ」

 

 彼の声は、どこか柔らかい。

 声は触れるものじゃなく、聞くものだ。本当はそんなことはないのかもしれない。

 しかし、私の耳に届く彼の声が、柔らかく聞こえる。

 

 優しげな、思いやりに溢れた、すぐに笑顔を連想させる声。

 そんな暖かい声が、耳の中で反響した。

 その度に、私の心臓は早鐘を打って止まない。

 

 彼は、それを知っているのだろうか。

 

「ん~、そうですね~……」

 

 夢見村のいいところや、独特なところを探す。

 記憶の中を漂って、それらしく紹介できる要素を模索。

 

 そして、それらしい記憶の欠片を見つけた。

 

「――あっ、これにしましょう!」

「おっ、見つかったか」

 

 丁度いいだろう。彼はここに来たばかりだ。

 ちょっとばかりオカルトめいているが、本当に丁度いい。

 怪談でもなければ、面白話でもない。少しファンタジーに入るだろうか?

 

 私はこの村の住人で、真偽はわからない。

 悲しいような、微笑ましいような、そんなことを伝えよう。

 

「――貴方は、夢見村の()()()を知っていますか?」




次回、あらすじにもある言伝えが明らかに(´・ω・`)


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言伝え

「いい、つたえ?」

「えぇ、言伝え。嘘か本当かもわからない、噂のような言伝えです」

 

 彼女の笑顔は、今まで見たものとは一風変わっていた。

 単純な純粋さの他にも、少し大人びた要素を含んでいる。

 

 今日の夜は、思いの外涼しいだろうか。

 風が廊下を通り、この部屋の中へするりと入り込む。

 掛け布団との間に吸い込まれたそれが、確かな冷感を齎している。

 

 何か物言いたげな彼女は、そのまま俺の手を取った。

 いや、逆に自分が手に取ったのだろう。他でもない、俺が。

 多少驚いた顔をしたが、彼女の顔に美麗な微笑みが戻る。

 それが、明確な許容だと感じて、心で喜んでしまう。

 

 もしかしたら、俺と彼女の距離は、そう遠くないのかもしれない。

 近いとまでは言えないのは明白だが、遠いわけでもないように思える。

 そんな俺の夢見心地は、彼女の次の言葉へと紡がれる材料となった。

 

「……この夢見村の、名前の由来でもあるんです。夢見村から帰った人達が、言ったのが最初らしいんですよ」

 

 一拍の、呼吸。

 風の音は止まり、風鈴の音は最初からこの部屋に届かない。

 包み込む、静寂の契り。

 ほんの僅かな感覚を共有した、密かな契り。

 

「この夢見村の出来事が、()()()()()()、と」

「……と、いうと?」

「言葉の通りですよ。この夢見村は夢の中の存在で、現実じゃない。幻想のような世界だ、と」

 

 ありえない。

 俺はそう言葉を継ごうとして、口を噤んだ。

 

 襟首を優しく撫でられたかのような、僅かな熱と感覚。

 背筋がゾクッとするような、そんな寒気にも似た電流が駆け巡る。

 さざ波が揺れるような静けさが、それを増幅させて伝えた。

 

「悲しいような、嬉しいようだな。本当に『夢』なるのか?」

「本当ですよ。私達が会った今は……全部、夢になっちゃうんですかね」

 

 哀しげな、慈悲深いとも感じる声。

 儚く、脆そうな、しかし強く張りのある声。

 矛盾に満ちているが、だからこそこうやって凛と暗がりの部屋に響くのだろう。

 

「そんなに、悲しいこと言うなよ」

「……私も、悲しいです」

 

 俺の右手の温もりは、度を増した。

 控えめな力が、さらに加わって交わる。

 お互いに、それを本当に悲しいというように。

 

 俺は言ってしまえば、所詮一目惚れ。

 長い交流を経て、少しずつ実っていった気持ちではない。それに勝てるはずもない。

 本当に一瞬の間に視界に入って、たまたまに運ばれてきたような気持ちだ。

 所詮、と称するならばそれまでだ。

 

 けれども、俺はそうは思いたくない。否定したい。

 確かに、この恋の始まりは一目惚れだった。それは違いない。

 いつしか、俺はその『一目惚れ』を膨らませ、成長させていたのだろう。

 

 自分の与えられた果実を、水を、肥料を蒔いて育てたのだろう。

 彼女の内面も、可愛らしいと思えた。

 それは紛れもない、限られた排他的領域の『一目惚れ』を脱した証明となるだろう。

 

 恋は、上書きされるときは十二分にある。

 それはいい意味でも、悪い意味でも。

 

 恋は、ひどく悪辣に言うのならば、ただの印象の良し悪しにすぎない。

 恋する人にとって、良好な印象を持つ相手は違う。

 モテる奴はいるが、全員の異性を落とせるわけではない。

 それが、各々の感性というものの示唆だ。

 

 外見的印象、内面的印象を揃えた場合、片方のみを知ったときの印象と、両方を知ったときの印象。

 それら二つが、必ずしも同じとは限らない。

 いや、むしろ同じ方が少ない気もする。

 

 つまるところ、外見的印象を知った一目惚れの過去の俺。

 その俺と、内面的印象を知った単純な恋をした今の俺。

 確実に、着実に、ミリグラムほどにはいい意味で変わっているのだろう。そう信じたいものだ。

 

「……なぁ。今、君は交際している異性は……いるのか?」

 

 我ながら、遅れて馬鹿な質問だと思う。

 出会ってすぐ、こんな質問をされると相手も困るだろうに。

 マナー違反にも限度を知れ、と自分自身の頬を叩きながら言いたい気分だ。

 

 第一、それで「いる」、と返事をされたときには、どうするというのだろうか。

 あぁ、そうか。そうなんだな。そんなに可愛いんだから、納得だよ。

 そんな薄っぺらい感情とも言えない感情を、淡々と述べるのが関の山だろう。

 

「ふふっ、あはは!」

「どう、したんだ?」

「い、いえいえ、ふふふっ。ちょっと面白かっただけですよ」

 

 彼女の軽々と跳ねるような笑いは、聞いていて気分がいい。

 自らの心も、飛び跳ねてしまいそうだ。

 今にも大空に羽ばたいていけそうな、そんな軽快な笑い。

 

 それがどこか、乾いたようにも聞こえた。

 たったそれだけが、俺の耳元で引っかかったんだ。

 

「いませんよ。ただ……好きな人は、いるんです」

 

 俺の心臓は、止まりそうになった。

 耳鳴りが止まず、聴覚が急速に衰えている感覚の訪れに、何もできない。

 ただ、鉛になったかと錯覚しそうなほどに、体が重くなっていく。

 

 止まりそうになった心臓も、再びはっきりと動き始める。

 しかし、今度は打って変わって、激しく、暴走するように。

 

 電気的な信号は、依然として閃く。

 ただ、それの付与する感情とは、また別の問題が発生していた。

 

「一方的な片思いなんですよ。……もうすぐ、嫌われてしまいそうなんですがね」

「……そうか。嫌われることは、まあないとは思うがな?」

「ふふふ、貴方は本当にお世辞が上手なんですね」

「だから、さっきも言ったように世辞じゃないんだって」

 

 まだ口が動くことが、自分でも驚きだ。

 考えて口にしているのか、それとも思うがままに口にしているのか、わからない。

 思考は止まっているくせに、口だけは達者に動いていくことに、不安さえも憶えた。

 

 俺だって、一度や二度くらい、恋をしたことはある。

 他人の恋の対象となったことも、あるにはある。

 その度に、俺は深く深く思ってきたのだ。

 

 ――恋とは、複雑で残酷な割りに、自分にとっての結果の成否が、それに比例しないのだ、と。



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絡み合う疑問

 泡沫のような理想に、溺れた。

 すぐに割れてしまう明媚は、俺に恋をさせた。

 その恋も、最早無駄なものなのかもしれない。

 

 せめては、嫌われないことだ。

 自分の中での妥協の気持ちが渦巻いて、一瞬で消えた。

 音もなく、まるで砂の城のように、跡形もなく崩れていく。

 それは本当に、一瞬の出来事だった。

 

 意識は、突然にして途切れる。

 手放した感情を胸の奥にしまうことさえ、できなくなっていた。

 手の中に残った僅かな欠片を、握り締めようか。

 淡い期待に潜んだ小さな不幸に、諦めをつけようか。

 

 最後に少しの夢を見たいと、足掻いた。

 結果として俺が形にできたのは、隣の彼女の手をほんの少しだけ強く握ることだけだった。

 

 

 

「おはようございます。起きてください。もう朝ですよ、ほら」

「あ……」

 

 今日は、彼女に起こされる側となった。

 窓から差し込む光を背に、彼女の白の服が光っている。

 逆光に揺れる彼女の姿は、綺麗だった。

 ――夢のように、綺麗だった。

 

「今日はお出かけではなく、沢山お話しをしませんか?」

「あぁ……そうだな」

 

 俺の多少濁った意味を孕む返事に、疑問を感じたのだろう。

 長い艶やかな黒髪が、不思議そうに揺れる。

 

 彼女の成す一挙一動に、未だに目を奪われる俺が恨めしかった。

 未練がましくも、恋を望む自分が。

 結局は引きずってしまうのだと、諦めの付かない自分が情けなくも感じていた。

 

「どうかしましたか?」

「……いや、何でもないさ。さぁ、何から話そうか!」

 

 自分さえも騙すためにか、彼女の不安を吹き飛ばしたかったからか。

 笑顔で、明るく振る舞う。

 恋して間もないが、思った以上に夢中になっている自分がいた。

 

 少し霧のかかった外を、窓越しに一瞥する。

 白く曇った空気であることが、硝子越しでも十分にわかるほどの濃い霧。

 水滴となった水分が、窓縁(まどべり)を伝っていく。

 ゆっくりと複数の水玉が数を減らして、大きさはその分大きくなって、やがて重なる。

 それは複合するにつれて、縁をなぞる速さを速めた。

 

 縁を律儀になぞるものもあれば、奔放に平面を下りるものもある。

 霧の向こうにある朝焼けに照らされていた。

 届く僅かな光。だからこそ、美しさは増していたのだろう。

 俺にはそれが、どこか羨ましくも思えた。

 

「何か、ありましたか? 私でよければ、聞きますよ?」

「いや、何でもないんだ。強いて言うなら、昨日の君みたいに好きな人のことを考えていたんだよ」

 

 驚きを前面に出した彼女。

 そんなに俺は、恋をしないように見えるのだろうか。

 人は大抵、恋はするものだろう。実るとも、実らずとも。

 好きになるとは、個人の自由。

 しかしあくまでも、恋愛とは互いの好きの合致である。

 恋をするのは簡単だ。それに対して、恋愛をするのが難しいのは、それが所以。

 だからこそ、俺は恋愛がしたい。その合致が、想像よりも遥かに尊いものだろうから。

 

「……貴方も、好きな方がいるのですか?」

「あぁ、一応な。つい最近始めながらも、すぐに失恋してしまいそうなんだがな」

 

 皮肉交じりに、自虐の笑み。

 そうしてしまえば、自分に降りかかる痛みが軽くなる気がした。

 甘えて、実行してしまった後に気付く。

 

 確かに軽くはなった。

 ただ、決して忘れることはない。

 軽くなった分、何か大切なものが、気付かない内に抜け落ちたのかもしれない。

 身軽になった分だけ、見えない何かを失ったのかもしれない。

 その不安は、中途半端なものではなかった。

 

「いや、もう失恋『した』に入るのかな? でも、俺は諦めきれないんだよ。結局、往生際が悪くて醜いだけさ」

「そ、そんなことはありませんよ! そんなに大切に想われているんですから!」

 

 彼女は、必死になって否定してくれる。

 親身になって、それはもう励ますように、否定してくれる。

 けれども、それは遠かった。俺にとって彼女からの励ましは、むしろ心が締め付けられた。

 

「その恋……叶うといいですね」

「見込みは薄いけどな、残念ながら。君にも、うまくいってほしいよ」

「ありがとうございます。でも、もう駄目なんですよ。嫌われることが、目に見えています」

 

 俺の彼女に対する恋は変わらない。

 けれども、彼女のする恋は応援したいと、素直に思う。

 

 依存しているわけでもないし、何より彼女がそれで幸せになるのなら、それが一番なのだろう。

 恋をする者の一端として、願うべきなのだろう。

 好きな相手の恋愛を、自分の恋の成否に関わらず尊重するのが、本当の恋という持論でしかないのだが。

 俺はそれを、心から信じたい。

 

「ごめん、この話は止めようか」

「そう、ですね。すみませんでした」

「謝ることじゃないさ。俺としても、配慮が足りなかった部分もある」

 

 切り替えて、何の話をしようかと迷う。

 気付けば、俺がこの村に、この家に滞在させてもらえるのも残り僅か。

 夏休みの残り日数を考えると――

 

「あの、貴方は後何日くらいで帰ってしまうのですか?」

 

 残りの日数を数えようとしたとき、彼女から声がかかる。

 シンクロしたようで、気が合うんじゃないかと変な誤解をしてしまいそうになった。

 それに対して少し嬉しくなったのは、嘘ではないのだろうが。

 

「ん~、後……二日がいいとこなんじゃないかな、とは思うな」

「え……二日だけ、なのですか?」

「あぁ。仕事があるからな。何だ? 寂しいのか?」

「正直、すごく寂しいです」

 

 俺が冗談を交えて言ったことに、至極真面目に答えを返される。

 照れもせず、恥ずかしくもないと、心から寂しいというように。

 そんな風に言われると、逆に俺が恥ずかしい。

 

 裏で、とても嬉しくもあった。

 言葉にせずに「帰ってほしくない」、と言われているようで。

 「まだ一緒にいたい」、と言われているようで。

 

「まぁ、こればっかりは仕方ないさ。仕事だけじゃなく、小説も――あっ!」

「へぇ、小説家は副業だったんですか。って、どうしたんですか?」

「いや、思えばこの村に来てから、全く書いてねえなって」

 

 一体何をしに列車に乗ったのかわからなくなってくる。

 ここに来たのも、元々は列車の中で眠ってしまったのが原因だ。

 

 そして俺は、疑問に思った。

 切符の存在、車掌の存在、この夢見村前の駅員の存在。

 この三つが不自然であることに、不思議に思わずにはいられなかった。

 

 記憶が正しければ、切符はまだカバンの中。

 突き動かされるままにカバンを探し、一枚の紙切れを見つける。

 列車の中で、点検された覚えもない。すぐにしまった覚えはある。

 というのも、すぐに眠ってしまったので、点検がされてあるならば車掌さんに起こされているはず。

 

 そして、降りた夢見村前の駅員。

 降りたその瞬間から周りに人の気配はなく、初めて会ったのがこの女性。

 少なくとも、駅員がいたとは見受けられなかった。

 

 この村に自動改札があるとも思えない。実際、自動改札に切符を吸い込ませてもいない。

 さらに列車の切符なので、点検には改札鋏(かいさつきょう)なるものが使われる。

 車掌にも駅員にも、改札鋏で切符を切られた記憶はなし。

 

 じゃあ、どうやってこの列車から降りられたのだろうか。

 夢見村前には、一日に一回しか列車は来ない。それも昼時だ。

 その時間を狙ったかのように、駅員が席を外すだろうか。

 

 幾つもの疑問が、束になって俺に襲いかかっていく。

 

「どうされましたか?」

「あ、いいや、何でもないよ」

 

 一度疑問は保留にして、切符をカバンへと放る。

 しかし、複雑に絡み合った糸は、そうそう解けることはなかった。



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都会

「そういえば、貴方は本当はどこの駅で降りるつもりだったんですか? 眠ってしまってこの村に来たんでしょう?」

「あぁ、終点で降りようと思っていたんだよ。どこの駅かも忘れた」

「えぇ……それって大丈夫なんですか?」

「いや、大丈夫じゃないだろうけど、元々目的地らしい場所もなかったからな」

 

 小説に使えそうな要素を見つけるプチ旅行。

 思わぬ形で、プチではなく普通の旅行となったものだ。

 

 終点で降りようという考え自体は事実。

 しかし、彼女に告げた駅の名前を忘れたということは、嘘。

 切符に書いてある駅名は、どれだけ確認しようとも夢見村前ではない。

 されど、買った切符で行ける先が、終点の駅であることは確か。

 

 そうなると、この夢見村前は終点の駅のさらに一つ先の駅。

 どういう、ことなのだろうか。見当もつかない。

 そもそも、開通している列車が夢見村に辿り着く頻度が、一日一回というのも怪しいところだ。

 本当にここまで列車が通るのならば、夢見村前だけが異常な頻度の少なさ。

 夢見村がいくら村だからといって、ここまで激しく運行ダイヤに差があるものなのだろうか。

 

「だったら、ここが終点なので丁度よかったんですね?」

「あ~、そういうことになるな」

 

 列車の中に響いた、車掌のアナウンス。

 あれは間違いなく、終点と告げていた。

 俺が買った切符での終点、実際に運行された列車の終点。

 食い違う現実と夢が交錯し、俺を狂わせる。

 

 カバンの中のそれか、それとも車掌と彼女の言葉か。

 真実として確定されてあるのは、どちらなのだろうか。

 俺には、いくら考えても答えが出さなかった。

 

 出せるはずがないのだ。絶対に。

 二つの真実が選択肢になって、どちらかが不正解。

 けれども、俺にとっては両方が経験した現実で、決して否定できるものではない。

 不正解がある時点で、俺の見たものは現実ではないと、真っ向から拒絶されることになる。

 そんなことが、あり得るのだろうか。

 

「ということは、私達が会えたのも何かの縁なのかもしれないですね。そうだと、私は嬉しいです」

「そうだな。本当に」

 

 会うべき運命を辿っているのか、本当は確信が持てなかった。

 自分とその周囲の成したことを全て運命だとするならば、この瞬間は運命だと言えるのだろうか。

 無軌道な弾道が、空回りした結果なのではないか。

 

 この結ばれた縁は、絡まっているのかもしれない。

 それとも、その線は不可視状態にあるのか。

 その判断さえも、俺にはできなかった。

 

「……なあ。君ってさ――」

「はい。え、っと……どうしました?」

「――いや、何でもない」

 

 言えるはずもない。

 この村が、俺にとって嘘なのかもしれないと。

 それはつまり、彼女の存在自体も嘘だということになる。

 告げてはならないことは、真実だろうと予測だろうと、可能性だろうとも同じだ。

 

 さらに言えば、俺の恋も嘘になる。

 自分自身で、それを否定したくはなかった。

 

「もう、そうやってするのが一番気になるんですよ? 何ですか?」

「本当に何でもないんだって」

「嘘ですよ! 何もなかったら、あんな言い出しはしません」

 

 妙なところで勘がいいのか悪いのか。

 強い口調で、やや不満げに言われた。

 ただ、そんな彼女さえも可愛く見えて仕方がない。

 

 思えば、まだ恋の行方は決まったわけではない。

 巻き返し、というのも変だが十分に可能だろう。

 諦めが付かないなら、それでいいんじゃないかとも思う。

 

 勿論、彼女に包み隠さず言うわけにもいかない。

 突然に存在否定されても、訳がわからない上に単純に失礼だ。

 適当に誤魔化す選択肢を取ろうか。

 

「あ~、じゃあ、君は都会は好きなのか?」

「え……」

 

 末、訪れたのは会話の応酬ではなかった。

 ただ、一瞬の静寂。瞬く間の、静けさ。

 (たちま)ちに広がってゆく、言の葉のない世界。

 モノクロの世界に飛ばされたような、色素の抜けきった景色は、殆ど映らない。

 意味成す物は、片っ端から消え去るように。

 

 恐れた感情は、溢れる。

 俺の口からではなく、彼女の口から。

 口調こそ普通のそれだったが、不安の色がついた揺れる声にはどうしても気付いてしまった。

 

「わた、しは……都会は、嫌いなんです」

「そうだったのか? でも――」

「はい。祖父母と都会には出かけたことはあります。正確に言うと、車が嫌いなんでしょうね」

「車……?」

 

 彼女の言葉に、オウム返しによる疑問しかできなかった。

 楽しげに、そして寂しげに祖父母との都会への外出を、夜に話してくれた。

 だから、俺はてっきり好きなものかと思っていた。

 

 その分、重圧を含む雰囲気が流れたことに、俺はひどく狼狽えたのだろう。

 

「この村に、車という移動手段は必要ないですからね。この村の中で暮らすならば、徒歩でどこでも行けてしまいますから」

「普段見ないってのはわかったけど、どうして車なんだ? 他の見ない物じゃなくて」

「単純に危険だからですよ。信号は、ただの電気暗号です。守らない人は、少なくないでしょうから」

 

 車を見ない、即ち信号も少ないということだ。歩行者用・車両用関係なく。

 この村の住人には、信号という存在は理解していても、それに判断を依存することは危ないことに思えるだろう。

 警察をないものと考えたとき、言い方は悪いがいくらでも信号無視はできる。

 しかし、警察のある現在でも信号無視は多発してしまった。

 

 都会では、車両は特に多く見られる。

 事故の危険は、常に正面にも背後にもつきまとわれることになるのだ。

 

「まあ、わからないでもない。俺も、あまり運転はしない方だ」

「へえ、意外と車に乗っていそうですけどね」

「通勤に使うくらいさ。プライベートは殆ど乗った覚えはない。こうして夏休みに出かけようと考えて列車を使ったのも、それが影響しているのかもな」

 

 列車を使うという判断は、ほぼ無意識だった。

 ドライブしようという考え自体、既に消去されていたのかもしれない。

 

「ただ、運転は慣れてきたときが一番危険だ。中途半端な技術で余裕を感じてしまうからな」

「何となく、わかる気はします」

「乗る必要がないのなら、乗らないに越したことはないさ。環境にも、安全にも悪い面が増えるだけだ」

 

 車に乗ることが悪いこと、とまでは言わない。

 だが、よく考えずとも少しでも乗る必要がないならば、やはり乗らないべきだ。

 

「貴方は――」

 

 彼女がそこまで呟いて、口を閉じた。

 俺が続きを促そうとしたときに、彼女の声が重なる。

 

「あっ、もう昼ですね。昼食を軽く食べてしまいましょう」

「え? あ、ああ、そうだな」

 

 まるで、その先を隠すかのような被せ方だった。

 俺の勘違いかもしれない。

 が、どちらにせよ俺には、その先の答えが何なのかは、わかるはずもなかった。



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処世術

 今日、思えば初めて彼女と共に食事をした。

 いつも彼女が早いか俺が早いかで、噛み合うタイミングはなかったのだ。

 その分、新鮮さと嬉しさが相まって気持ちが上がってしまう。

 

 メニューは、ハムやトマト、レタス等、色々な具材が挟まれたサンドイッチ。

 サンドイッチはサンドイッチでも、食パンではなく、バゲットのような細長のパンに切り込みを入れ、その中に具を入れた形だ。

 それを、彼女は目の前でゆっくりと、両手で持って食べている。

 

 彼女のお父さんの方は畑に仕事、お母さんの方は買い物の準備。

 ということで、二人は早々に昼食を終えて外と部屋に行ってしまったのだ。

 結果、食事の遅い彼女と、それに合わせた俺しか残っていないわけだが。

 それにしても、見ていて飽きない。

 本当にゆっくり、可愛らしく食べていく姿は、愛らしさに溢れている。

 

「ご、ごめんなさい。待たせてしまっていますよね」

「いや、いいんだよ。今日は沢山話すってことになっているし、俺もまだ食べている途中だし」

 

 言った後、手元のサンドイッチをひとかじり。

 ハムの柔らかさ、パンの軽々しくもふわりとした食感。僅かに塩味の効いた味。

 黒胡椒の辛味がアクセントとなっていて、塩味はさらに深みを増してある。

 歯切れのよいレタスが、爽快な音を立てて水分を放出。

 やはりというべきか、美味しい。

 

 俺が食べ終わろうとしたときには、彼女もあと少しで食べ終わるというところ。

 彼女が喉を動かして飲み込む度に目線は吸い込まれる。

 妙な艶めかしさが、ひしひしと感じられた。

 

「ん……お待たせしました」

「大丈夫だって」

 

 待っている側としても、決してつまらなくはなかった。

 何の話題にしようか悩んだり、残りの日数、彼女と何をしようかと考えたり。

 あるいは、当初の目的である小説の内容を思案したり……切符などの不可思議を考察したり。

 

 ただ彼女を眺めるのでさえ、待機が徒労だとは思わなかった。

 そも、待つことを努力とは呼ばないのだが。

 

「じゃ、話そうか。君は何の食べ物が好きなんだ?」

 

 結局、こんなテンプレートな話題しか候補が挙がらなかった。

 ここで気の利いた質問ができれば彼女も退屈しないで済むのだが、どうにも俺が相手だと我慢してもらうしかないらしい。

 

 けれども、彼女をこと知るきっかけとなるならば、特別何がいいというわけでもない。

 こういう一般的・普遍的な質問でも、相手を知ることができないわけではない。

 むしろ、知ることができるから王道と化したのだろう。

 

「え~っと……私は、和食が好きですね。特に嫌いな食べ物がある、というわけでもないのですが」

「へえ、正直意外だった」

 

 全くない、というのは本当に予想外だった。

 勝手な印象なのだが、ピーマンとか食べられなさそうだ。

 食べられても、顔が可愛く歪みそうだと思っていてた。

 

 苦手な食べ物がないというのは、思いの外珍しかったりする。

 ゴーヤだったり、キノコ類だったり、納豆だったり、それこそピーマンだったり。

 口当たり・味や香り、さらには見た目。アレルギーは別だとしても、個人の多種多様な嗜好が絡むからだ。

 

 かくいう俺も、誠に遺憾ながら、口出しすることは一切できないのだが。

 

「むう、その意外って何ですか、意外って。そう言う貴方はどうなんですか?」

「ん~、俺も朝は言った通りパン派だが、和食も同じくらいに好きだ」

「嫌いな食べ物は?」

「…………」

 

 当然の如く、答えることができなかった。

 いやあ、どうしようもないよね。苦手な物は苦手なんだ。

 人には一つや二つ、苦手な物があってもいいと思うんだよ、うん。

 やっぱり、完璧な人間っていないよね。そうだと信じているよ。

 

「あるん、ですよね?」

「いや、それはだな……はい、揚げ出し豆腐の舌触りが、駄目です」

「和食派でしたよね!?」

 

 自分でも思い切り矛盾しているとは思う。

 揚げ出し豆腐は、れっきとした代表的な日本の家庭料理で、和食の一種であることは承知の上だ。

 けれども、別のものに入れ替えて例えると、何ら不思議なことではない。

 

 数学が好きだけれども、図形やグラフが絡むと全くできなくなるだとか。

 歴史が好きだけれども、日本史・世界史どちらかが苦手な部類に入るだとか。

 学生を経験した人類の中でも、理解できる人は少なくないと俺は信じている。

 

「確かにそうなんだが……いやはや、もっと言うのならば、あんかけもどこか好きになれそうにない」

「私としては、そちらの方が意外ですよ。貴方は何でも食べてしまわれる方かと。ヤシの実とかそのまま食べてそうです」

「ちょっと? それは過剰じゃないかい?」

「ふふっ、冗談ですよ」

 

 どう聞いても冗談には思えなかったのですがねえ。

 彼女が明るい笑みをハットの影下で光らせているが、俺としては複雑な気分だ。

 考えてもみてほしい。目の前にいる自分の恋の対象である異性に、ヤシの実を丸かじりしそうだと言われる気持ちを。

 

 ……複雑、だよねえ。

 

「それにしても、本当にあんかけが駄目なんですか? 和食じゃなくとも、天津飯とかあんかけのかかったパスタとかは?」

「無理だね。皿うどんも、八宝菜も、あんかけ焼きそばも。何なら、みたらし団子もちょっと危ういな」

「多いですね!?」

 

 自分でもふと、実際のアウトゾーンの広さに驚いてしまった。

 思っている以上に、苦手な食べ物が大量にある事実。

 嘘だとも思えるそれには、我ながら片腹痛いにも程があるだろうに。

 

 何か特定の料理に限定された話ではないからだろう。

 あんかけが駄目だと、あんかけに関した全ての料理が芋づる式のように駄目になる。

 だからといって、食わず嫌いでもなさそうなので、一層と(たち)が悪く思えるのだ。

 

「……でも、みたらし団子ならまだ大丈夫なのでは?」

「食べられることには食べられる。美味しいとも思うが、あんかけを連想したら駄目になりそうだな」

「あんなに美味しいのに……何だか残念というか、可哀想です」

「そこまでかよ」

 

 ともあれ、これからもあんかけと縁を切った状態を維持するわけにもいかない。 

 悲しきかな、上司との食事で、あんかけが食べられないとなると不都合は少なからずある。

 

 今からでも食べ物業界での処世術を、少しずつ身に着けていかねばならないようだ。




実は苦手な食べ物、私の話だったり(´・ω・`)

あんかけは食べれなくもないですが、食べなくてもいいなら食べぬ。
みたらし団子は普通に食えるようになったのよねん(*´ω`*)
しかし揚げ出し豆腐、てめえはダメだ(`・ω・´)キリッ


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伝う涙

「ま、まあ可哀想どうこうは置いておいて、何か楽しみにしていることとかはあるのか?」

 

 食事の話題から転換して、趣味系へと。

 あまり同じ話を続けると、どうしてもつまらなく感じてしまう。

 と考えつつも、これ以上に食べ物についての話が浮かばないことも理由の一つではあるのだが。

 

 女性との交流に、手間取ったり苦戦する大きな原因だ。

 気が合う合わない以前よりも、共通の話題が何かわからない。

 趣味や好きなことなんて人それぞれで、何を題材として話を膨らませるべきなのか、悩みどころでもある。

 

「少し前から、この夢見村に訪れた方を迎えに行くのが楽しみなんです」

 

 彼女が、淡く告げる。

 そこで、縁側から風鈴の音色が届いた。

 鮮やかで烈々とした光を背中に携えた鐘は、人に涼を憶えさせることが得意らしい。

 

 まだまだ昼はこれからだと言っているように、風は強くそれを揺らす。

 その度に冷涼感に溢れた音を奏でる。衰えることなく、俺達の耳にまで届いた。

 

 万古不易な音楽が、夏の全盛期を届けて、踊り、波として伝播。

 誰も彼もが等閑視する季節の流れに、彩りを齎している姿は、実に素晴らしく、綺麗であった。

 

「とは言っても、今まで女性の方しか迎えに行っていないんですがね」

「え? じゃ、じゃあ……」

「ええ、その通りです。貴方が、初の男性客なんですよ?」

 

 悪戯の含まれた笑顔が、俺の頭に焼き付く。

 鮮烈な刺激が頭の中を、さらには心臓までも駆け巡る。

 俺は思わず口を閉じてしまう。

 辺り一帯に流れたのは、やはり沈黙だった。

 

「ふふっ、そんなに固くならなくてもいいでしょうに」

「い、いやでも、何で俺なんだ?」

「そうですね……まあ、信じていただけるかどうかもわかりませんが、話してみましょうか」

 

 少々の軽い咳払いの後に、再び静けさは訪れた。

 彼女曰く、信じられるかどうかはわからない。

 その言葉の意味と空間が互いに作用して、新鮮味のある緊迫感が流れる。

 

 当然に見えない空画は、彼女の言葉でなぞられる。

 

「私は、来訪者がこの村に来る前日の夜に、特別な『夢』を見るんです。訪れる人の姿という、特別な夢です」

「……それで?」

「大抵、そこには女性の方しか見えないんです。どうしてかは、自分にもわからないのですが」

 

 正直、嘘とも真実とも言い難い。

 そんなことはあるわけない、と言うのも彼女の夢を俺が覗くことは不可能なわけだ。

 ただ、彼女の言う特別な『夢』は、完全に未来予知のそれだ。

 

 予知夢、という言葉はある。

 ただ、彼女の今までの発言からして、複数の訪問者を泊めたことに間違いはあるまい。

 そうなると、その予知夢が何度も起きた上に全て的中している、ということになる。

 

 あまりにも、突飛すぎやしないか。

 頭を掠める疑問を、見逃すことはできなかった。

 

「信じたり、信じなかったりで何が変わるわけでもない。ただ、俺は君の言うことは嘘じゃないとは思うよ」

「どうして、そう思うのですか?」

「何となく、君は嘘を吐くような性格じゃないと思ったからさ」

 

 俺は控えめな笑いを示して、そう彼女に告げた。

 それでも、彼女の笑顔が見られることはない。

 疑問の次に、さらに質問。

 

「……どうしたんだ?」

「私は、貴方が思っているような人間じゃないです。嘘だって、吐きますよ」

 

 どこか、青色を孕んでいた。

 彼女の色は、白から青、灰色にも変化しているように思えるのだ。

 悲しげな色が、混ざる。

 

「あ、あ~……その、えっと――」

 

 俺が突然の展開に焦りつつ、謝罪の言葉を述べようとしたその時。

 彼女の純白のハットが、取られた。

 

 あまり見ない光景だ。

 見たのは、縁側での夜と、昨日の朝くらいなのだから。

 

 彼女の目は、閉じられている。

 その瞳は、ゆっくりと傘を持ち上げ、開かれる。

 

 奥の深い黒の目は、何でも吸い込んでしまいそうだった。

 深くはあっても、底深なわけではなく、侵入する光を閉じ込めた、煌めく黒星。

 大きい眸子は、さらに綺麗な黒を示していた。

 

「……どう、ですか?」

「どういう、意味だ?」

「何か、感じますか?」

 

 俺はその質問の意味が、わからなかった。

 思えば、彼女の開かれた瞳を見るのは、初めてだったのだ。

 いつもハットに隠れるか、閉じられていたかで、見たことはない。

 

 ただ、今見た感想としては、一つしか相応しいと思えるものはなかった。

 小説家としては言うべきでないのだが、自分の語彙力をこれほど恨んだことはない。

 

「取り敢えず俺が言えることは……すごく、綺麗だ」

 

 俺が彼女へと、ゆっくり告げた。

 そして、彼女は同じく(おもむろ)に。

 

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 液体は、彼女の白い頬に軌跡を残して下った。

 伝う筋こそ一つだが、流れる涙は一つではなく、どんどんと溢れ出している。

 

「お、おい、どうした……?」

 

 俺が慌てながら、彼女の心配をする。

 こんな状況、慣れているはずもない。

 慣れるどころか、女性に目の前で泣かれるなんてことは初体験だ。

 

 当然、慌てふためく。

 それが間違いなく、自分に原因があるのだがら。

 

「い、いえ、違うんです……嬉しかったん、ですよ」

「嬉し、かった……?」

「はい。私、目を綺麗だと褒められたことは、初めてで……」

 

 彼女にとって、泣くほど嬉しいことなのか。

 それとも、彼女がただ涙もろいだけなのか。

 俺には、それはわかりかねる。

 

 が、せめて淡白な答えであってほしくないと、そう思った。



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確定的未来の別れ

 彼女が泣き止むのに、そう時間はかからなかった。 

 悲壮による涙だったのが、唯一の救いだっただろうか。

 女性の哀愁の泣きも、感動の泣きも、俺にとっては区別が中々に付け難い。

 

 だが、だからこそ彼女のそれが感動によるものだとわかって、嬉しくもあった。

 

「……先程は、突然すみませんでした」

「いいんだって。そんなに喜ぶとは思わなくて、驚いただけだよ」

 

 今でもその驚きは収まることを知らない。

 目の前で広げられた光景は、まだ自分の頭に焼き付いたままだ。

 

「で、でも……そんなことを、よりにもよって貴方に言われたら……」

 

 そう彼女は、小さな声をさらに隠すように、両手でハットを目深に被る。

 せっかくなので、もっと目を見せてほしいものではあるのだが。

 

 少々残念だと感じたその時、弱々しい声を遮るように、扉が開く。

 そこには、外出の格好をしている彼女のお母さんがいた。

 

「じゃあ、今から買い物に行ってくるわね」

「あっ、その、え~っと……悪い、今日は君と約束したんだけどな」

「ふふっ、いいんですよ。私は貴方のそういうところ、素敵だと思います」

 

 驚愕と羞恥と幸甚が、同時に体を支配するとは思わなかった。

 まず、今の言葉で察することに驚き。

 次に、素敵だと言われたことによる恥ずかしさと、嬉しさ。

 

 同じくして、罪悪感にも襲われた。

 彼女と交わした約束を、破ってしまうことに対して。

 それほど大きなことではない、と思えばそれまでだ。

 しかし、ここに滞在できるのは、今日を入れて二日であるという事実が重くのしかかる。

 

 僅かに軋む土台には、重荷が過ぎる。

 支えるには、少し大変そうだ。

 

「あの、よければですが、自分が代わりに買い物に行ってきますよ」

「い、いやでも――」

「さすがに泊めてもらう一方では、申し訳ないので」

 

 このままお金も出さず何日も泊めてもらって、はいさようなら、と帰るわけにはいかない。

 かといって、現金を手渡すのも、何だか忍びない。

 代替策としては、こうやって何かを手伝うことだろう。

 

 約束を破ってまですることではないかもしれない。

 が、残りの日数で彼女の家族に何かに尽くせるとも限らない。

 機会があるときに、やっておくべきだろう。

 

「お願いしたいところだけど、場所がわからないでしょう?」

「じゃあ、私も一緒に行くよ、お母さん」

 

 彼女がそう言いながら、席を立った。

 すると、彼女のお母さんは怪訝そうに言う。

 その表情に、何か深い意味があるのだろうか。

 

 普通は、あんな顔をしない。

 それだけに、俺が感じる違和感には棘があった。

 突き刺さるほど鋭利ではないが、ずっと残り続ける鉤のような、そんなもどかしい違和感が。

 

「貴方……大丈夫なの?」

「うん。大丈夫」

 

 彼女はいつもの笑顔を、お母さんに向ける。

 しかし俺には、その笑いがニヒルに見えていくのがわかった。

 

 最初は明るい、いつもの笑顔に見えていたのだ。

 けれども、徐々に徐々に、笑って顔の色が薄れて、無くなっていった。

 俺の錯覚かもしれないが、どうにも胸の中で引っかかる。

 

「……じゃあ、お願いしちゃおうかな。ごめんなさいね」

「いえいえ、僕が言い出したことなので」

 

 今の服装自体、ここに来たときのために着る外出用。着替える必要もない。

 そのままバッグとお金を受け取って、彼女と一緒に外に出ようとした。

 

 そこをお母さんに呼び止められる。メモを手渡されてから、今度こそ出発。

 当然であるかのように、互いに無言ながらも彼女と片手を繋ぐ。

 何度か経験したこの柔らかな手の感触に、慣れることはなかったらしい。

 しかし、この小さな関係性を楽しんでいるのも、また事実だった。

 

「すまないね。俺が言い出したことに、付き合ってもらっちゃって」

「いいんですよ。こうすれば、話しながら向かえますからね。とは言っても、向日葵畑よりもずっと近いんですけどね」

 

 それでも、彼女の笑い方には一切の影が降りていない。

 ささやかに通りゆく風も、頬を優しく撫でて、ハットを微弱ながらに揺らす。

 いつもと変わらない光景に、俺は不信感を感じずにはいられなかった。

 

「えっと……夢の話の続きを、いいですか?」

「ああ。お願いするよ」

 

 彼女の驚異的予知夢。到底説明ができないような、一言で片付けるならば、あり得ない。そんな夢。

 内容こそ限られているものの、その制限を物ともしない。

 そんな夢のある『夢』に、俺は少しどころではなく興味をそそられていた。

 

「夢に出てくる方以外にも、この村にやってくる方はいらっしゃるのです」

「ってことは、その予知夢も漏れがある、と?」

「言ってしまえばそうなのですが、大抵夢に出てこない方は、他の夢見村の住人が泊めているんです」

 

 彼女の言葉を言い換えるならば、自分が泊める必要のある相手が予知夢に出てくる、ということだ。

 何とも不思議で、限定的だろうか。

 ただ、現実性はないにしろ、面白いとは思える。

 

 ここまで条件があるとすると、尚のこと嘘だとも疑いにくい。

 最初から疑うつもりはないのだが、どこか突飛だという印象が剥がれなかったのだ。

 

「運命か何かはわからないんです。ただ、夢に出てきた人と話すことは、とっても楽しかったですよ」

 

 懐かしむように、深い笑みを彫り込んだ彼女。

 ただ、それも一瞬だった。

 明色に暗色を混ぜて、色が薄暗くなるように。

 

「……だからこそ、その分別れるときは、辛かったのです」

 

 悲しげな笑みを、貼り付けた。

 俺も心が痛いが、どうしても別れは避けられない、確定的未来だ。特に、この村では。

 

 恐らく、ここに移り住む人間は少ない。

 仮定が正解だとするならば、夢見村を訪れる人の大半は、いずれ帰ってしまうということ。

 つまるところ、最後には別れがある。

 

 彼女の辛さは、俺には少ししかわからなかった。全ては、知り得なかった。

 来訪者が現れることの喜びは、どれほどのものか計り知れない。

 テレビなどの娯楽はあるにしろ、限界はある。

 そんな中の唯一と言っていい飽きの来ない楽しみは、旅人の話なのだろう。

 

「特に貴方との別れを考えると、今までで一番苦しいのです」

 

 笑顔は完全に失せた顔で、彼女は胸の辺りのワンピースを強く握り締めていた。

 本当に辛そうで、俺との別れを心の底から悲しんでくれる。

 

 そんな夢のある現実は、俺の胸をも強く掴んでいた。

 

 雨の兆候など全くない、カンカン照りの昼下り。

 灼熱の印象を、さらに陽炎や蝉の叫び声が強く引き立てている。

 炎天下の中、俺は暑さを感じない無二の箇所である右手を、強く握った。



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炎天下の買い物

 蝉の声が、大きすぎた。

 隣にいる彼女の声でさえ聞こえにくく、全く聞こえないときもある。

 その逆も然り、俺の声が彼女に届かないこともあった。

 

 風物詩の讃頌が、全方向から蠢いているみたいだ。

 蠢くと言うと、少々語弊があるだろうか。

 特有の不快感と気だるさが、多少だが薄れている。

 炎天下の気温を全身に吸い込んだ熱風が、ゆっくりと服の中に入り込む。

 

 体中が暑くて仕方がないが、そこまで苦ではない。

 何しろ、隣の彼女を見ると、その涼しげな姿に自分さえも涼しくなってくるのだから。

 不思議なものだ。本当は何も変わらないはずなのに、見た物の印象で感性が変わるとは。

 

「はい、もうすぐ市場に着きますよ? この向こうにあります」

「お~、本当だ。見えてきたな」

 

 今度は立ち止まることもなく、スムーズに到着しそうだ。

 随分と遠くに見えているのにも関わらず、人々の賑やかな声が飛び交っているのが、ここからでもわかる。

 そして何より目を引くのは、中央付近に佇む巨木と、その隣に力強く流れる大滝。

 

 一体、樹齢はいくつくらいになるのだろうか。少なくとも、千年は下らないだろう。

 柔風に流れる多量の緑葉が、互いを擦った音で覆う。

 そこかしこで起こる囁き声の横では、心臓に響く水の音。

 

 遥か上空に位置する川から流れる水は、空間すらも揺らす轟音を巻き上げながら、水面に叩きつける。

 白く散らばった波紋の後を残しながらも、絶え間なく激流は続いた。

 

「やっぱり、ここの滝はすごい大きい音ですねえ」

「ああ。正直、驚いたよ」

 

 掠れた音と大きな残響を掻い潜り、突き進む。

 辿るにつれて人も多くなり、自然と互いに繋がれた手は強く握られた。

 はぐれないように、離れないように。

 

 巨木の木漏れ日を浴びながら、少しの涼しさを堪能する。

 心と体を落ち着けながら、手元にメモを取り出す。

 この大衆の中で、一々買う物の確認なんて、していられるわけがない

 今の内に覚えておくのが、得策だろう。

 

「え~っと、じゃがいもになす、ズッキーニにピーマンとオクラ……何の料理の材料だと思う?」

「これは多分、夏野菜カレーですかね? 人参はうちの畑で採れますし、ルーは家にあったと思いますから」

「おっ、カレーか。大体の家に畑があることは知っていたけれど、人参を作ってたのか」

「ええ。この時期になると、夏野菜カレーを作ることは多いんですよ?」

 

 木陰での冷気が恋しくなりながらも、陽の下へ肌を晒す。

 弾けるような暑さに痺れながらも、人混みの中をくぐり抜けて、八百屋へ。

 

 辿り着いた八百屋は、いかにも『八百屋』といった雰囲気だった。

 店頭には夏が旬の野菜がずらりと、しかし綺麗に陳列されている。

 白いタオルを額に巻いたおじさんも、その雰囲気に馴染んでいると言えるだろう。

 

 聞くところによると、八百屋の野菜陳列にも、ある程度の方法があるんだとか。

 美味しく見えるような置き方で、手に取られやすくしているらしい。

 実際、八百屋だけがやっている工夫ではないのだろうが。

 

「おっ、お嬢ちゃんにお兄さん、いらっしゃい!」

「すみません、じゃがいもとなす、ズッキーニとピーマンとオクラをください」

 

 俺が覚えてしまったメモの内容を告げようとすると、隣から声が飛んだ。

 買うもののメモは、彼女にはまだ見せていない。

 ということは、彼女が買う物を知ったのは、ついさっき料理を予想したとき。

 

「さ、さっきの一言で覚えたのか?」

「はい。覚えようと意識しましたし、そんなに覚えられない量でもありませんよ」

「それで、野暮なことを聞くようだが……その隣のお兄さんは、お嬢ちゃんの彼氏さんかな?」

「ち、違いますよ!」

 

 彼女の慌てた否定が、何とも可愛らしい。

 それでも、握った手を一向に離そうとしないのが、また嬉しくもあった。

 

 半分ほどからかいの意を込めつつ、少しだけ手を握る力を強くする。

 少しだけ驚いた表情を見せながらも、彼女も同じくらいに強く握り返してくれることが、さらに幸せだった。

 

「でも、いつも来るときは男なんて連れてこないだろう?」

「そ、そう、ですけど……」

「はいよ、いつもの分だけ入れといたよ」

 

 手際よく陳列された分の野菜を、量も的確にバッグに入れてくれたおじさん。

 彼の言い草からして、いつもここで、この分の買い物をしているのだろう。

 お金を支払おうと、取り出したとき。

 

 彼が俺にだけ、その瞬間に告げたのだ。

 短い、けれども、何かの意味が孕んだ言葉を。

 

「あの子のこと、ちゃんと助けてあげなよ?」

「はい……? はあ、わかりました」

「毎度あり! また来てな~!」

 

 取り敢えずで生返事をした。

 実際のところ、俺にはその意味がよくわからなかった。

 靄がかかったまま、彼女と共に帰路に着く。

 

 女性は助けろ、という意味だろうと片付ける。

 その雑な片付け方が、正しいのかどうかさえもわからない。

 しかし、何か意味があってのことなのだろう。

 

 その時が来たならば、助けるとしようか。

 どんな意味であれ、彼女を助けるべき状況が目前に広がったとして。

 支えたいと、助けたいという気持ちは本心であり、言われるまでもないことは確かだ。

 

 できることなら、そんな環境が訪れること自体、ない方がいいのだろうが。

 

「どうか、しましたか?」

「う、うん? どうしてだ?」

「さっきから無言ですし、手が何というか……自信がなくなったみたいな感じがしたんですよ」

 

 鋭いような、そうではないような勘。

 俺にとってのそれは、あながち笑いものにならない。

 『助けてあげろ』の真の意味がわからない以上、彼女自身から告げられるのはまずい。

 幸先が悪いどころか、最早頼りない。

 

「いや、何でもないさ。ありがとうな」

「むう。だから、それが一番気になるんですよ!」

「本当に何もないんだって! 誓って嘘じゃない!」

「いいえ! 何か隠しているに違いありません! はっきり言ってください!」

 

 そんな馬鹿げたような口論とも言えない小さな争いが、俺には楽しくて仕方がなかった。

 無意識に、笑みが溢れてしまう。

 それは、俺に言える話でもなかったらしい。

 彼女も、穏やかな笑いを浮かべて見せてくれる。

 

 気のせいか、先程までの暑さがやわらいだ。

 薄紅になりかけの太陽を眺めながら、そう遠くない家へと帰る。

 彼女の歩幅を合わせながら、着実に歩を刻む。

 

 少しだけ、歩く速度が遅くなった。



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願望か、はたまた

「私にも持たせてください!」

「いいんだって。どっちも軽いんだから」

「軽いなら、尚の事持たせてくれてもいいじゃないですか!」

 

 彼女と青空の中、少しだけ収まった暑さの中を歩く。

 青空といっても、もう間もなく夕焼けが見られる時間だ。

 俺達に忍ぶ影は、その身長を伸ばし始めている。

 

 そんな今、彼女と買い物の荷物で一口論。

 口論と呼べるほどでもないのだが、中々彼女は食い下がろうとしない。

 事前に持ってきたバッグを掴んだまま、共に歩き続けている状態。

 一向に離す気配もなく、引いて引かれての繰り返し。

 

「わかった、わかったから引っ張らないでくれ……はい」

 

 もう一つのビニール袋の方の荷物よりも軽い持ってきたバッグを手渡した。

 その瞬間に、さっきまでが嘘のようにおとなしくなる。

 傍らの女性が、駄々をこねる子供のように思えた。

 

「で、何でそんなに持ちたがっていたんだ?」

「だって、両手が塞がっていたら……」

 

 俺の空いた手に、僅かな温度。

 しかしながら深みのある微温が、接触している手の平から全身に伝わっていく。

 柔肌から伝導される温もりは、何よりも暖かい。

 

「手……繋げないじゃ、ないですか」

 

 恥ずかしくなりながら、そっぽを向いて顔を隠す彼女。

 ハットから覗く耳が、ほんのりと赤くなっているのが、また可愛い。

 

「え、あ、あぁ。そうだな」

 

 そう思っている俺も、恥ずかしさが止まらない。

 繋ぐ言葉が、どうしても拙くなってしまった。

 自分でも、顔が火照っているのがわかってしまうほどだ。

 

 珍しく無言で、帰り道をゆっくりと歩く。

 夕暮れを伝えるヒグラシ、微塵の静けさを伝える夏風。

 家に着いた夕陽が映える頃には、それらはより鮮烈になっていた。

 

「あら、おかえりなさい。ご苦労様でした」

「ただいま、お母さん」

 

 荷物を下ろして、冷蔵庫の野菜室へと収納。

 その後、彼女の部屋へと戻った。

 そして、ふと気づく。

 

「……あれ? 手を繋いだままお母さんの前出たけど、大丈夫なのか? 会ったばかりの男と手を繋いでいるところって、君は見られてもよかったのか?」

「ええ。私は……隠すことでもない、かなって。それに、貴方も離さないでくれたので」

「おっ、ちょっとだけ敬語がなくなったね」

「あっ、ち、違うんです! ごめんなさい!」

「謝ることでもないさ。好きな方を使ってくれ」

 

 彼女曰く、敬語が慣れているらしい。

 今後も敬語なのだろうが、一瞬垣間見えたタメ口には、親しみと同時に可愛さも感じた。

 たまに見える愛らしさは、特別な癒やしを持っている気がする。

 

「そうだ。敬語と言えば、俺が最初に敬語を使ったときの印象、どんな感じだった?」

「そう、ですね。今だと考えられないですね。合わないです」

「君が正直すぎて何も言えない」

 

 自分でも、敬語を使うような性格ではないことはわかっている。

 勿論、目上の方や上司との社交辞令として敬語を使わないというわけではない。

 ただ、プライベートで敬語を使うことは、あまりすることはないのだ。

 

 特に敬語は、使うことで時に相手を傷つける。

 傷を入れるまではいかないにしろ、多少の影響があることは確かだろう。

 

 相手を敬うと同時に、相手との距離を明確化させるもの、それが敬語だ。

 親しき仲にも礼儀ありと言うが、履き違えることがないようにする必要はある。

 

「ええ。お世辞は嫌いだと言っていたでしょう? 正直に言いました」

 

 したり顔で、小さく胸を張る彼女。

 このような子供っぽい一面もあり、どうにも男心は揺れてしまう。

 

 端麗な容姿を持っていながら、長い黒髪のストレート。

 白いワンピースがよく似合う目の前の女性。

 可愛いか綺麗かと言われると、綺麗なイメージが強い。

 清楚な印象を持つと、そんな考えを持ちがちであることは事実。

 

 が、彼女は綺麗でもあり、可愛さも持っている。

 恋の相手で、贔屓目もあるのかもしれない。

 しかし、俺にはどちらも兼ね備えているとしか思えない。

 

「変にぼかす必要もないから、いいんだけどさあ」

 

 当たり障りのないようにと言葉を選ばれると、それはそれでこちらとしても対応の仕方に困る。

 そんなときは、明らかに選りすぐったことがわかってしまうので、逆に気を遣わなければならないと思ってしまう。

 それを思うと、日本人とは途轍もなく不憫だ。

 

 アメリカ人の一部は、日本人を不思議に感じているらしい。

 それが、コミュニケーションでの遠慮が多いことだ。

 もっと正直に話してもいいだろう、と思う人もいるんだとか。

 

 思慮深い、と言うと聞こえはいいだろう。

 ただ、それに偏る必要は一切なく、本能的な会話を楽しむときも必要だろうに。

 少なくとも、今の彼女との会話は婉曲的ではないと信じたい。

 俺としてはだが、正直な話を展開しているつもりだ。

 

「では、縁側に行って話をしましょう」

「あぁ、わかった。そうしようか。……どうした?」

 

 彼女が座ったまま、立ち上がろうとした俺に片手を伸ばしている。

 完全に直立した後も、その手が収められることはない。

 

 俺が数秒だけ頭に疑問符を浮かべていると、彼女の願望が口に出された。

 

「私を、縁側まで連れていってください」

「いやでも、縁側ってこの家の中で――」

「だめ、ですか?」

 

 控えめな笑いが、彼女の顔に現れる。

 どう考えても、縁側に行けないから案内が必要なわけではない。

 一日目の夜に、既に縁側に寄っている上に、ここは彼女の家だ。構造を理解していないわけがない。

 

 そんな野暮なことは口にせず、静かに彼女の白い手を取る。

 優しく少しの勢いをつけて引き上げ、縁側まで手を引いていく。

 普段歩くよりも、随分と遅い速度で、一歩一歩を踏みしめるように廊下を縫う。

 

 彼女の本当の願いのところはわからない。

 手を繋ぎたいだけの願望なのか、はたまた他に目的があるのか。

 でも、これだけは明らかだった。

 

 いつも手を繋ぐときよりも、距離が近くなっていることが。

 台所から聞こえる調理の音を聞きながら、縁側に座り込んだ。

 手を繋ぐときだけではなく、座ったときの距離も近い。

 それはもう、肩と肩がくっついてしまうくらいに。

 

 心臓は焦るように、早鐘を打ち始める。

 彼女の甘い匂いが鼻腔の奥まで届いて、鼓動は音を小さくしようとしない。

 自分の中から、安らぎが消えた。

 

 ただ、この状況を楽しいと、嬉しいと思う自分がいた。



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『白』か『黒』か

 完全に、自然は夕焼けに呑まれていた。

 呑まれるというよりも、一体になっている、という意味合いの方が強いだろうか。

 

 透明硝子越しから弾ける、橙色よりの虹色の弱閃光。

 さらに、その煌めきが部屋へと直接降り注いでいる場所もある。

 蜜柑色の光は、雲に邪魔されることもなく、地へと届く。

 

 この部屋が柑橘に染まりきってしまう前に、夕食の準備は終わった。

 メニューは、彼女の予想通りに夏野菜カレー。

 夏が旬ものばかりが入った、彩りと栄養に秀でたカレーライス。

 

 今日は、彼女も夕食は一緒だった。

 ただ、俺が早く食べ終えて片付けを済ませた後、ご両親が入浴を終えた後にシャワーを浴びたのだ。

 彼女はやはり食事の速さが少し遅く、結局はあまり見合って食事をすることができなかった。

 かといって、合わせて遅くすると、かえってご両親に迷惑がかかる。

 

 食事も片付けも、入浴も終わってから彼女の部屋へ。

 彼女が入浴の間、俺は夜の月光を浴びながら、小説の内容を考える。

 明日で帰るというのにも関わらず、まだ一文字すら書いていない。

 はっきり言って、一体俺は何をしにきたのかわからなくなりそうだ。

 そんなことを、つい昨日考えていた上で、書いていないところが俺らしい。

 

 メモ紙に思いつく限りのことを走り書きするが、どうにも筆の動きが鈍い。

 夢見村で起きたことを、そのまま題材にしてしまおうかとも考えた。

 

「何をしているのですか?」

「あぁ、今小説の内容を、考えて、いて……」

 

 絶句。良い意味での絶句だった。

 今まで彼女はいつも白のワンピースを、家の中でも外出先でも着ていたのだ。

 帰宅して着替えた後でも、わざわざ別の白いワンピースを着用。

 不可視の何かに拘るように、はたまた、執着しているかのように。

 

 しかし、今の彼女の服装はどうだろうか。

 全身がピンク色の、通気性のよさそうな半袖半ズボン。

 つまるところ、これはパジャマだとか、寝間着だとかの類の物だ。

 

「あの、これ……どうですか?」

 

 彼女がゆっくりと、俺の前でくるりと回る。

 まるで妖精の踊りのような動きは、俺の視線を捉えて離さない。

 美しい限りの舞踏を、写真に収めたいとも思えた。

 

「え、えっと、聞こえてますか?」

「え? あ、あぁごめんごめん。こういう可愛いのも似合っているよ。白とか青とか大人しそうな色が合うと思っていたけれど、可愛らしい」

「あ、ありがとう、ございます。母に用意してもらったんですけど、あまりこういう色は着たことがなくて……」

 

 最近訪れる回数の多くなった、静寂。

 言葉が断絶された空間には、相応の雰囲気が漂い始める。

 気まずいような、それに似ている別の感覚を僅かに憶えた。

 

 もじもじしながら、恥ずかしがる彼女。

 元々着慣れていないのだろうか、黒髪の奥に隠れた耳まで赤くなっている。

 

「なあ。どうして君は、あんなに白のワンピースに拘っていたんだ?」

 

 俺の素直な疑問を、彼女に尋ねる。

 あそこまで執着する理由が、俺にはわからなかった。

 

 ただ好みの問題かと言われると、どうにも言い難い。

 彼女が自分の『好き』を貫徹するような性格かと言われると、そうでもない印象がある。

 では、何がそこまで彼女を駆り立てているのか。

 俺は純粋に、それが気になったのだ。

 

「私が小さいときに、祖父母から似合うと褒めてもらったのです。それがもう、嬉しくて嬉しくて」

「それは、その、そうか」

 

 祖父母さんが話に出ると、やはり弱くなってしまう。

 彼女の懐かしむような、どこか物悲しげな表情が目に入ってしまうから。

 思い出させないべきなのか。そう考えるものの、どこで穴を開けてしまうのかわからない。

 

 だからこそ、こうやって不意に話題に上がると動揺が隠せないのだろう。

 先程よりも、ずっと明確な重苦しい雰囲気が流れる。

 

 黒雲の向こう側へと顔を隠した月光は、光量が少なくなった。

 風も吹かなくなり、夜になると演奏を始める鈴虫さえも、それを中止したように流れる、静謐。

 不可逆的だと思われた空間は、彼女によって打破された。

 

「ですから、そんなに重くならなくてもいいんですよ。それに、もう一つ理由もあるんです」

 

 彼女は変わって、嬉しそうに語り始める。

 俺は思う。彼女に、鬱な雰囲気や表情は似合わない。

 

 そんな女性自体、少ないのだろうが。

 しかし、俺が言いたいのはそういう意味ではないのだ。

 本来あるべき、動くべき歯車が、抜け落ちてしまうから。

 欠けたり、潤滑油の欠如ではなく、そのまますっぽりと全部がなくなってしまいそうになるような。

 そんな別種の虚無感が、彼女には絶対に合わない。

 パズルのピースが、明らかに違っている。

 

「好きな方に可愛いと、綺麗だと言われたいのですよ」

 

 俺はその言葉に、言葉を詰まらせる。

 胸は苦しみの声を上げ、締め上げられた。

 縄でがんじがらめにされたような、窒息にも近い感覚。

 海に重りを付けられて放り込まれたような、息苦しい感覚。

 

「ただ、そんな単純な願いでもあるんです。幻滅、しましたか?」

「まさか。少なくとも、君を綺麗じゃないとか、可愛くないとは思わないはずだよ、そいつも。俺だって君を、めちゃくちゃ可愛いとも、綺麗だとも思う」

「あ、あぁ……では私は、どうやら正解だったようです。幸せ、ですよ」

 

 俺は彼女の言っている意味がわからず、問おうとした。

 そして、部屋に響く。

 吹き抜ける風で揺れて、軽快な音と共に、机の奥から倒れた棒を。

 元の場所に戻そうと、手を伸ばして掴んだその瞬間。

 

 ――自分の目を、疑った。

 

 さすがにそんなことはないと、疑いを否定。

 ただ、何の意味もない棒なのかもしれないのだから。

 そんな素振り、一度も見せられた覚えもないのだから。

 

「……なあ。これって、一体何なんだ? どういう物か、俺に教えてほしいんだ」

「え、えっ? その……これ、とは?」

 

 俺は、心の奥底では、否定しきれていなかったのかもしれない。

 決して失望だったり、落胆だったり、絶望だったり、彼女への想いが変わるわけでもない。

 ただ、俺は動揺していた。思考が、若干だが揺れ動いてしまった。

 

 だから、こんなにも意地が悪い、腹黒な質問をしているのだろう。

 突然に言い放つわけにもいかない。

 どれだけ俺が悪者にでも、彼女にとって憎まれる対象になろうとも、この質問が最善だと思われた。

 彼女と過ごした数々の出来事を思い返せば、これは俺の義務でもあるのだろう。

 俺が最後まで気付かなかった、自分への戒めのような何かでもあったのだ。

 

「だから、これだよ、これ。俺にもわからないんだよ、名前が」

「で、ですから、『これ』だけでは、わか、り、ま……」

 

 彼女のハットは、また目深の位置へと戻される。

 肩は震え、手は震え、声は震え、嗚咽まで聞こえ始めた。

 その声に、俺は心が今までとは比にならないくらいに、心が痛む。

 

 一度捨てたと勘違いした疑問が、目の前で象られた瞬間だった。

 放ったと思われた、黒い竜巻のようにうねる悪意ある疑いが、現実となっていたのだ。

 本当はやめるべきだったのかと、後悔の念に駆られる。

 

「やっぱり、か」

 

 俺はいつの間にか、無意識に呟いていた。

 その呟きの直後に、彼女の泣きは激しさを増す。

 この一帯の全ての音は、彼女の泣き声以外を残して消え去った。

 色さえも、彼女以外は身を引いていたのだ。

 

 夜空に揺蕩う、俺と彼女の持つ心。

 奪われるわけでもなく、ただ呆然としているわけでもない。

 何もない、『白』だった。

 空虚に飲み込まれた、『黒』でもあったのだ。

 どちらでもあるのか、または『白』か『黒』かのどちらかなのか。

 

「やっぱり君は、()()……」

 

 ――先程拾った、手に持っている()()を、きゅっと握り締めた。




はい。この女性、盲目者です。
少なからず、疑問や不快感などはあるでしょう。
一言、申し訳ありません。
言い訳がましいと言われそうで怖いですが、一応タグにシリアス要素ありとは書いてあったので、大丈夫かな……? と。
ともかく、申し訳なかったです。

次回で、彼女の目について詳しく書いていきます。
もしかしたら、二話分くらい続く……かもしれないです。

そして、一話からの伏線です。
彼女視点のときから見ると、よりはっきりとわかるかと思います。
彼女の『視覚の』描写、ないはずです。


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正直者

 俺が見ているのは、何なのだろうか。

 彼女の泣いている姿だと本当に理解できたときには、心が苦しくなった。

 

「貴方も、そんな声の『色』を……っ、するんですね……!」

「違うよ」

 

 俺は、それだけは否定したい。

 断じて、望んで悪質的な結果へと向かっているんじゃないということを。

 

 影に隠れた月の光は、雲の色に淀んだ。

 星は整然と瞬くが、風と夜空と、彼女は泣いていた。

 不安を絵にするように、鈴虫の演奏は不自然に途切れる。

 

 まるで時が止まったように、凍結されたような不自由な平衡感覚。

 ただ、この時間を切り取りたいとは、これっぽっちも思えなかった。思えるはずもなかった。

 

 永遠に覚めない、悪夢を見ているわけでもない。

 彼女にとっては、これは現実なのか、それとも夢の一部なのか。

 

「怖かった、ずっと怖かった! 貴方に知られたら、どうしようって!」

 

 彼女から余裕はなくなり、敬語は砕けた。

 ぴんと張ったピアノ線が切れるような、高く細い、寂しい音が一弾指、響く。

 

 焦げ付いた空は、まだ晴れない。

 張り付いた嘘が、剥がれる瞬間だった。

 

「嫌われるって、そんな声の『色』をされるって、ずっとずっと! 前の方も、その前も、その前もそうだった!」

 

 この家に泊まる人間は、彼女の予知夢に浮かんだ人間。

 その人間が全て、彼女の盲目に気づく。正直、時間の問題なので、おかしくはない。

 その後に、拒絶されたのだろう。

 一つのバロメーターが振り切れた不意の一瞬に、色がつく。

 

 青か、黒か、それとも白か。

 いずれにせよ、不意なのだから取り繕うことはできない。

 その突然が過ぎ去った後に取り繕うとも、それは嘘だとわかってしまう。

 彼女にとって、最も嫌っているであろうことは予想ができる。

 

「だから、違うんだって。確かにあの質問は酷かったと思っている」

「で、ですが……っ、私は、貴方に嘘を吐いてでも、知られたくなかったんです」

 

 少し落ち着いた、彼女の嗚咽混じりの本音。

 俺の胸の縛りは弱くなると思いきや、さらに強く締められた。

 震える声が、心を抉るようで苦しみは増す一方。

 

「何で言わなかったなんて言わないさ。言いたくないことの一つや二つ、誰にでもあるんだから」

「きらわ、ないんですか? 私は、目が――」

「嫌わないさ。俺をそんな奴らと一緒だと思っていたのか? 心外だなぁ」

「い、いえ、違うんです。そうじゃなくて……」

 

 できるだけ、柔らかく言う。

 それが、俺にできる最善だった。

 ただ、醜い最善だった。

 

 結局、何も変わっていない。

 嫌わない。それは事実だ。

 では、だからどうした。

 

 それで、彼女の目が見えるようになるとでも?

 それで、今までの彼女に与えられた苦しみがなくなるとでも?

 それで、彼女に冷たく当たった人間が急にこの場に現れて、懺悔するとでも?

 

 ――結局は、醜い最善。自分への傷を、減らそうとしているに過ぎなかった。

 彼女の望む答えを告げれば、それで彼女も救われ、自分にも影響がない。

 それが、今のところの俺の行いだ。

 

 ――正す必要が、あるだろう。

 もとい、前進する必要があるだろう。

 

 このままでは、自己防衛の醜悪極まりないエゴの塊に成り下がったままだ。

 逆に言えば、()()()()()()、だ。

 

「嫌わない。その言葉だけじゃあ、足りないと思うんだよ。明後日には帰ってしまう俺が言うのもどうかと思うんだけどな」

「もう、十分です。ありがとうございました。みっともない姿をお見せして、申し訳ないです」

 

 彼女の謝罪は、俺は求めていない。

 俺が相当に下衆なのではなく、彼女が謝る必要がないのだ。

 

 印象を勝手につけられて、勝手に失望されて。

 彼女にはどうしようもない部分で、嫌われる。

 理不尽の極地を見せられている彼女が、謝る必要は。

 

「一つ、聞いてほしいんだよ」

「はい……? 何ですか?」

「俺は昨日、言ったよな。その目が、とても綺麗だって。その時、俺は君の目については何も知らなかった」

 

 本気で、綺麗だと思った。

 深みのある黒の奥に、秘められた光。

 入る光量を逃すまいと捉え、瞳へと保持して輝く。

 それが、どれだけ美しかったことだろうか。

 

 彼女は、まだ目深にハットを被ったままだ。

 ハットが無くとも、目を瞑っていたり、泣いた後だったりで目を見せようとはしないだろう。

 

「俺は、君の白いワンピースの姿も、笑顔も素敵だと思う。けど……俺は、君の目が一番素敵だと思っている」

「え……? いや、そんなこと、言われるとまた……!」

 

 嗚咽が戻り、再び泣き声が響き渡る。

 今度は、悲しみによる涙ではないことが、俺にもわかった。

 

「だから、さ? もっと、君の目を見せてほしい。閉じたり、帽子で隠したりしないで」

 

 優しく、彼女に告げる。

 嗚咽は小さくなるどころか、大きくなっていく。

 声を出そうとしているが、喉も震えていて声が出せていない。

 

 しかし、そんな中。

 彼女の小刻みに上下する肩を、腕を、徐にハットへ。

 そのままハットを脱いで、彼女は胸の前でしっかりとそれを抱きしめる。

 

 そして、俺の目の前で目尻から涙を流しながら笑顔になる。

 未だに途切れ途切れの声を漏らしながらも、笑ってくれる彼女。

 儚げながらも、普段見ない涙と心の底から嬉しそうな笑顔が相まって、妖艶な魅力を生み出していた。

 

「ありがとう……ございます」

「あぁ。とにかく、俺は何があろうと気にしない。明日も、今日と同じようにな」

「はい。貴方は、お世辞が嫌いなんですよね? それは多分、嘘が嫌いなことと思うのです。だから……」

 

 言葉を飲み込んだ彼女は、間を置いて再開。

 そのままの笑顔で、一片さえも崩れることもなく言ったのだ。

 

「私を、正直者にさせてください」




次回、彼女の失明に関することについてです。
先天性ではないことを、一応先に告げておきます。
確か、目が見えないとは書いたものの、先天性か後天性かは書いていなかったと思いますので。

余談ですが、彼女視点の視覚描写なしは、意外に難しかったです(´・ω・`)
基本私だけではなく、情景描写は視覚の情報が多くなる傾向にあると思われる。
そうなると……うん、きっついよね。
思いの外目が見えないことはバレていました(´;ω;`)


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正直者は喜びを見る

 ――正直者。

 彼女の言う正直者とは、嘘の訂正の暗示だ。

 彼女が俺に吐いた嘘を、修正することの宣言だ。

 

「……話して、大丈夫なのか。辛くないのか?」

「正直、少しは辛いと思います。でも、貴方には話したいです。嘘つきが言えることでもないですが」

 

 彼女は決意するように深呼吸をした後、口を開く。

 目尻に透明な雫を携えたまま、目もしっかりと開けて。

 

「私は元々盲目――先天性の全盲者ではないのです。角膜に傷が付いて、見えなくなったのです」

 

 病気、遺伝、外傷など。

 様々な原因で引き起こされる盲目症状は、他の病気と同じように、先天性と後天性に分かれる。

 彼女は先天盲ではなく、後天盲だった。

 

「私が小さいときに、祖父母に都会に連れて行ってもらったこと、覚えていらっしゃいますか?」

「あぁ。はっきりと」

「その時です。失明してしまったのは」

 

 彼女の声が、ほんの少しだけ萎んだ。

 元々細い声だった分、悲しげであることに変わりはない。

 ただ、懐かしむとは相当にかけ離れた表情をしていた。

 

「車が信号を無視した後に歩道を乗り越えて、私と祖父母の前に突っ込んだのです。突っ込んだ先の店の硝子に衝突、散った硝子の小さな破片が目に入り、角膜に傷が入りました」

「じゃ、じゃあ、君が車が嫌いなのは……」

「えぇ。どうしても、車の音が聞こえると怖くなってしまうのです。近付くと、尚更」

「都会が、嫌いなのも……」

「はい。車が多く通るので、車が恐怖の対象である私には、とても」

「……ごめん」

 

 過去の自分の行いをこれほど後悔して、恨めしく思ったことはない。

 軽率な質問が、無意識の内に彼女の傷を掘り返していたのだと考えると、自分が許せなくなった。

 察することがどうしても叶わないのだとしても、それが彼女を苦しめていい理由にはならない。

 

 それを隠して、傷を背負ったまま俺と過ごしていたことを考えると、自分が気持ち悪い。

 様子は全く変えた印象がなかったが、裏で悲しんだ姿を想像すると、気持ち悪く思えて仕方がなかった。

 

「どうして、貴方が謝るのですか」

「無神経だったからだ。君の祖父母の件といい、今回といい」

「いいんですって。私から話すと言っているんですから、聞いてもらえるだけでありがたい話です」

 

 彼女は、寛大だった。

 きっとそれは、限りなく聖人に近い人間のそれなのだろう。

 完全に当てはまらないにしろ、それに類似しているのは確かだ。

 

 この様子だと、車の運転手にもどうにも思っていないかもしれない。

 穏やかな声質が、それを先に想像させる。

 

「目が見えていた景色も、覚えてはいます。特に、あの向日葵畑の光景は」

「……道が、途中でわからなくなったのは」

「耳でしか、場所がわからないからです」

「……耳がいいって、君が言ったのは」

「最初から耳は元々いい方ではありましたが、やはり耳は私にとって必須ですから」

 

 ――全てが、繋がっていたのだ。

 今思ってみれば、彼女の言動には盲目を思わせるものが含まれていた。

 

 買い物のとき。八百屋の店員が「助けてやれ」と言ったこと。

 彼女があの店のお得意様であることは明白であり、当然彼は盲目であることは知っているのだろう。

 詰める量を覚えていたのも、お得意様であることだけでなく、彼女が手に取りにくいから。

 そう考えると、納得がいく。

 

 向日葵畑へ出かけたとき。彼女が、「この辺りのはず」、「合っていましたか」と言ったこと。

 目的地へ着いて、合っていたかなんて言うのは、道がわからないときくらいに限られる。

 実際には、わからないではなく、見えない故に確認の仕様がなかったから。

 

 彼女の家に上がって、向日葵の話をしたことは、少し強く印象に残っている。

 俺の話をしたときに、初めて声のトーンが沈んだのだから。

 確か、「ただ花が同じ方向を向いているだけ」、という感じに言ったはずだ。

 その言葉さえ、彼女にとっては『ただ』だとか、『だけ』だとかではないのに。

 

 彼女は俺の書いた小説を、いつか読んでみたいと言った。

 その『いつか』には、どんな気持ちが込められていたのだろうか。

 手に届く『期待』なのか、それとも手に届くことのない『夢』なのか。

 

 いつも、彼女は食事の時間をずらしていた。

 盲目だと、食事がどうしても拙くなってしまうからなのだろう。

 その中で、サンドイッチやカレーライスは比較的食べやすく、俺と一緒に食べられたのだ。

 

 一瞬で彼女との交流が、目の前に情景として溢れるように浮かび上がった。

 それだけ強く覚えているのにも関わらず、何も気付かなかった自分は情けないにも程がある。

 いっその事、強く誰かに罵倒された方が楽なんじゃないかと思うくらいだ。

 

「私、本当は自分の目が嫌いなんです。目を開けても閉じても、見えないことに変わりはないですから。あまりそんな目は見せたくなかったので、目を瞑ったままにするか、帽子を深く被るかしていました」

 

 彼女の一言が語られる度に、俺の胸は痛みを増す。

 自分への罪悪感と、彼女を気の毒だと思う気持ちによって。 

 本当は、気の毒だと思ってはいけない。自分が第三者であることを露呈させてしまうから。

 しかしながら、俺にはそれで精一杯だった。

 

「でも、ついこの間、ある人に目を褒めてもらったんですよ。『すごく綺麗だ』って。その時、とっても嬉しくて」

「え……? そ、それって――」

「はい。紛れもなく、貴方です。私の盲目を知らない上でそう言ってもらえたことが、またさらに嬉しかったんですよ? 今でも、思い出すと感動で泣きそうなんですからね?」

 

 振り返ると、俺は数々の失敗を重ねてきた。

 彼女へ、申し訳ない気持ちでいっぱいであることは今でも変わらない。

 

 ただ、このときだけは思えた。

 

 ――自分に正直で、本当によかったと。

 

 ――彼女に瞳が綺麗だと、不器用ながらも正直に言えてよかった、と。



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過去の凄惨、現在の高鳴り

今回、進行なし。
彼女の過去を詳しく書きます。


 天にまで届きそうな、窓ガラスが沢山張り付けられた建物。

 灰色ばかりが並んでいる、直方体の集まり。

 今でも、その光景は鮮烈に思い出すことができる。

 

 秋とも冬とも言い難い、涼しい季節だったと思う。

 滅多に見ない高層ビルの連なりにはしゃぎながら、おじいちゃんとおばあちゃんと歩道を歩いている光景。

 今から始まる、私のそれから人生を大きく左右する出来事。

 

 ふと、轟音がこちらへと向かってきているのがわかった。

 けたたましいそれは、一向に収まる気配がない。

 私に近付くにつれて、当然ではあるが、元の咆哮をさらに反響させた。

 耳を塞ぎたくなるような、急ブレーキの音は――()()()()()

 

 エンジン音は、目の前を通過。

 誰しも子供のときには、車に轢かれるな、気をつけろ、と強い親からの忠告があったはずだ。

 私もそれに漏れることはなかったので、車が物凄い速度で眼前を駆けたときは、死んでしまうんじゃないかと怖くなった。

 

 音量がピークに達したとき、別の嫌な音も聞こえる。

 硝子が、思い切り弾けた音。

 食器が割れた音と似ているが、規模は格段な差があった。

 

 その瞬間、私の目に激痛が走った。

 死の恐怖は消え去り、その場所で感じたことのない痛みへの恐怖が押し寄せる。

 目を擦る余裕すらなかった。今考えると、それは正解だったのだろう。

 もし実行していたならば、私の傷は、果たして角膜で済んだだろうか。考えるだけでも、恐ろしい。

 

 痛みが走った後は、鮮明には覚えていない。

 唯一 覚えていることが、車の衝突による爆音と、周囲の人達の慌てた悲鳴。

 そして暫くの後、初めて聞いた救急車の音。

 それだけしか、覚えていなかった。

 

 記憶がはっきりとしたのは、心電図の電子音が聞こえたときからだった。

 目に見えたものは、白一色。

 天井が見えなかった。それもそうだ、目を覆っていたものがあったのだから。

 ただ、それが眼帯だったのか、ガーゼだったのかはわからない。

 しかし、何もかもが見えないことに、変わりはなかった。

 

 数日も経たずに、私は当時、どんな状況に立たされているのかを知った。

 目が見えなくなったことも、当然知った。

 不思議と、私は悲しくなかった。涙も流れなかったのだ。

 お母さんもお父さんも、おじいちゃんもおばあちゃんも泣いていた。泣き声が聞こえた。

 

 私が言葉にできたのは、確かこうだったはず。

 

「おじいちゃんとおばあちゃんが、こうならなくてよかった」

 

 その言葉を告げたときに、嗚咽が強く聞こえる。

 目に見えるものは変わらず白のままなのに、泣いていることはすごくわかった。

 それでも、私は悲しくなんてない。

 涙も、一筋さえも流れることはなかった。

 

 間もなくして、目の手術の話をされた。

 子供の私にはよくわからなかったが、今なら両親に聞いた話だがわかる。

 角膜を提供者(ドナー)からもらって、移植。

 亡くなった方の角膜を凍結保存したものを、私の傷の付いた角膜と交換するというものだった。

 

 全員が、施術を私に勧めた。

 けれども、私は頑なに拒んだ。

 

 怖かったのだ。これ以上、自分の目に何かがあることに。

 手術は、初めて。今まで受けたことがない。

 そんな私の初手術が、角膜ともなると、レベルが高すぎた。

 手術自体怖いものなのに、目となるとその恐怖は膨張する。

 

 私の意志は、思ったよりも薄弱だったのだ。

 子供の私は、恐怖に従順だった。残念なことだが。

 

 結局、私本人の強い拒絶によって、手術は行われないままとなる。

 皆に怖かったことを伝えると、無理をする必要はないと慰めてくれていた。

 気が変わったら、いつでも言うようにとも言われた。

 

 ただ、私は今でも手術は受けていない。

 怖いのも、勿論大きな理由だ。

 もう一つの理由は、手術費だった。

 

 決して足りないわけではない……と思う。

 ただ、夢見村に住んでいる以上、必要以上にお金はなくてもいい。

 娯楽なども、殆どないのだから。

 

 そして、私は都会から夢見村へと引っ越した。

 この村が、目が見えなくても村の中ならどこへでも行けるほどの規模だから。

 

 村の皆は、今でも優しく接してくれる。

 八百屋の店員さんなんて、私を見ただけで買う物とその量まで思い出してくれるのだ。

 時々、買い物帰りに荷物を持ってもらえたこともあった。

 それを思うと、例え目が見えなくとも幸せだ。

 

 旅の方を泊めて、話をしてもらっては、私が盲目であることに気付かれた。

 その全員が気にしていない様子だったが、その後の行動が、全て他人行儀な感じがした。

 それを繰り返していると、いつからだろうか。私は、自分の目が嫌いになっていた。

 目を瞑り、帽子を深く被りと、本当に色々なことをして、瞳が見られないように隠していた。

 

 そんなことを、淡白に反復していた中で、特別な夢を見ることになる。

 初めて、夢の中に男の人が浮かんだ。

 そのとき、顔が見えた。この人に限らず、全員に言えることだった。

 現実では盲目だけれど、夢の中では一回限りで容貌が見えていたことだけが頼りだった。

 

 優しそうな彼の風貌は、暖かかった。

 思えば、そのときから私は彼に好印象を抱いていたのかもしれない。

 

 夢から覚めた後、昼がとても待ち遠しかったのは覚えている。

 たった一日一本の電車の運行ダイヤを、これほど憎んだことはない。

 少しどころではなく早めに到着して、その時が来るのを今か今かと待った。

 そして、列車が到着し、発車する音まで聞こえた。

 

 異常なほどに、私の心臓が高なった。

 初めて男の人を泊めることになるのだから、当たり前と言えば当たり前か。

 彼の声が聞こえたとき、正直少し意外だった。

 優しい顔が夢で見えたが、声の方は想像よりも男らしい。

 

 震えそうになる声を抑えながら、飲み込む。

 閑静とした駅のホームで、声が震えないように気をつけながら、彼に言ったのだ。

 あんなに緊張したのは、もしかしたら初めてなんじゃないだろうか。

 ひと一人に話しかけることが、こんなにも難しいとは思えなかった。

 

「……こんにちは。貴方は、旅のお方でしょうか?」



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君の目に

今日から八月ですね(`・ω・´)ゞ


 彼女は、俺の言葉に嬉しいと、そう言ったのだ。

 それを聞いただけで、俺自身としても、救われた気がした。

 

「泣きたいなら、泣けばいいさ。感涙でも、悲泣でも」

「じゃあ、本当に泣いちゃいますよ。いいんですか?」

「ああ、好きなように。俺にできることなら」

「……じゃあ、ちょっとだけ、胸を貸してください」

 

 俺の返事の前に、こちらに倒れ込む彼女。

 突然のことに少々慌てながらも、拒む気は微塵も起きなかった。

 

 そして再び聞こえる、彼女の泣き声。

 すすり泣く彼女の方は、小刻みに上下する。

 すぐ近くで聞こえる濡れた声に、ドキッとしてしまう自分もいた。

 

「私……ずっと辛かったん、ですよ」

「そうだな。辛かったな」

「痛かったんです。ずっと」

「痛かったな。わかるなんて軽はずみに言えるわけじゃないけれど、よく頑張ったな」

 

 そうそう、人の苦難や努力を共感することはしてはいけない。

 大事な場面であればあるほど、実際にはそうなのだ。

 

 相手の立場に立って励ます。そこまでは問題はない。

 ただ、相手になりすますように共感することは、論外だ。

 それらを積み上げた者からしてみれば、何もしていない人間と同じだと言われていることに等しい。

 きっと無責任な共感は、婉曲的な卑下と同等なのだろう。

 称賛と共感は、必ずしも等式として結ばれるとは限らない。

 

「貴方のそういう優しいところ、私は……好きですよ」

 

 囁かれるように、彼女の声は耳元で響き渡った。

 急に心拍は落ち着かなくなり、音は大きくなる。

 彼女に聞こえてしまうんじゃないかと、緊張もあった。

 好きな人を軽く抱きしめているだけでも、相当な緊張感が全身に巡る。

 

 その上に、告白紛いの言葉を言われると、嫌でも鼓動は加速を始めてしまう。

 そして、俺は何を血迷ったのだろうか。

 

 彼女の艶やかな黒髪を、撫で始めた。

 自分でも無意識の内に、きめ細やかに輝く黒絹を。

 俺が自分の成していることに気付いたのは、彼女の途切れ途切れの泣いた声が聞こえなくなったときだった。

 

「あ、あぁ、ごめん。嫌だったか」

「い、いえ! 違う、のです。落ち着くので、涙も止まってきたんです。えへへ」

 

 繊細な髪を、流れに逆らわず、優しく撫でる。

 俺の手が行き来する度に、彼女は気持ち良さ気に目を細めた。

 面白くも、その可愛さに心が盛大に揺れている。

 

 多少の好奇心に駆られ、手を止めたらどうなるのかという疑問も生じた。

 好奇心と疑問の赴くまま、考える間もなくして手を止める。

 すると、彼女は喪失感を前面に出して、物欲しそうな顔をした。

 心がくすぐったくなり、再度手を動かすと、同じように目を細めて満足そうに。

 可愛すぎて、心が本当にくすぐったい。

 

「なぁ。君は、手術は受けないのか? 角膜なんだろう?」

「……はい。現に、手術を事故のすぐ後に提案されました。ただ、怖かったのです。今でも、それは変わりそうにありません」

 

 俺だって、突然目の手術と言われると怖い。

 臓器の手術も怖いが、目となると別種の恐怖がある。

 特に、事故で一度目に影響があったので、手術で更なる影響があったらと考えると、尚更だろう。

 

「その、今から話すのは勝手な俺の言葉だから、聞いてもらわなくても構わない。不快だったら、耳を塞いで無視してほしい」

 

 一度だけ短い深呼吸をして、告げる。

 これから言うことは、彼女にとってはどんな意味があるのだろうか。

 想像できない辺り、俺は彼女を完全に理解しきっていないのだろう。

 

 ――だからこそ、彼女を少しでも理解したかった。

 

「いつかでいい。手術を……受けてみないか」

「…………」

 

 わかっている。俺の出る幕ではないことくらいは。

 わかっている。俺自身では、どうしようもないことくらいは。

 ――わかっている。彼女が、手術が怖いことは。

 

「本当に、俺の醜い自分勝手な願いなんだよ。君と目を合わせて話をしたい」

「私だって、できることならそうしたいです。貴方の姿が見たい。夢の中でしか見たことがない貴方が、今どんな表情で、どんな格好で話しているのか気になって仕方がありません」

 

 俺の予想に反して、彼女の声は穏やかなままだった。

 もう少し、声が荒くなるか、冷たく突き放されるかと思っていたのだが。

 彼女は、どこまで温厚なのだろうか。

 ある意味で、底知れない。

 

「やっぱり、怖いか?」

「はい、とっても。できれば、このままでいたいのです」

 

 ――なりすます共感はタブーだ。

 相手を暗に見下す行為とほぼ同意であるから。

 

 ただ俺は、同じ共感でも好まれるものもあると思っている。

 彼女に、好まれたかった。

 恋愛的にではなく、人間的に。

 同じ人間として、好ましく思われたかったのだ。

 

 自分が一番なことが情けない。

 今の今まで、彼女の為と称して自分への責任と罪悪を忌避していたことが、恥ずかしくて仕方がない。

 

 だから、俺は償いたいのだ。

 小さかろうと、大きかろうと、それは俺にとって立派な罪だった。

 ただの罪滅ぼしという甘い考えではなく、彼女の為を第一に考えた結果だった。

 

「俺は、明後日には帰らないといけない。それまででいいんだ。その間だけ――()()()()なりたい」

「……え、えっと、それはどういう――」

「君の目の代わりになりたい。君の手を引いて、色を見せて、側にいたいんだ」

 

 今の俺にできることは、彼女の『目』となることだ。

 視覚情報が共有されるはずもなく、彼女の目は見えないことに変わりはない。

 けれども、不束ながらに彼女の『目』になりたい。

 

 彼女の隣に、立ちたい。

 彼女にとっての、『特別』になりたいことの暗示だった。 

 

「私の、ですか? ふふっ、おかしなことを言う人ですね」

「な、何だよ。俺だって、言うのは結構恥ずかしかったんだぞ?」

 

 側にいたいと言うと、本当に告白しているような気分になった。

 体が一瞬で火照り、羞恥で顔まで赤くなっていないか心配だったのだ。

 彼女に俺の表情が見えていたなら、さぞいじられていたことだろう。

 

「いえいえ、そうではないのです。貴方が言っている内容だと、もう貴方は私の目になってるぁ、と」

「は……? いや、どうして?」

「そのままですよ。私の手を引いてくれて、今までにない鮮やかな色を見せてもらってくれたんですから」

 

 俺は一体、彼女にとっての何なのだろうか。

 手を繋ぎたいと思ったことはあったが、彼女から手を差し出したことが殆どだ。

 色だって、まだ彩られるくらいに楽しませることができなかったはず。

 

「実は私、貴方といるだけで鮮やかな色が見えるんです。それはもう、幸せな色ですよ」

「……そうか。それなら、よかったよ」

「むう、納得してませんね? もう寝ましょう。明日、ゆっくりともう一度話しましょう」

 

 一旦時間を置くためにも、明日のためにも、この時間に布団を用意する。

 二人分の布団を敷いて、電気を消した後に、互いに各々の布団へと入る。

 

 夜空で微睡む月光は、弱々しい。

 しかしながら、その光は部屋全体を微弱ながらに照らしあげている。

 穏やかな明るみに包まれながら、目を閉じようとしたその時。

 

「あれ? 布団の中では抱きしめてくれないのですか?」

「え、えぇ!? い、いやでも……」

「あ~あ、残念です。胸を貸してくれたり、目になりたいとか言ってくれましたが、嘘だったんですね。私は悲しいですよ~」

 

 とはいえ、前言撤回はできない。

 かといって、こうして横たわっている中で抱きしめるのは、如何せん密着度が……

 

 自分の中で葛藤しつつも、欲に負けながら彼女を優しめに抱き寄せる。

 一つの布団で、二人が入っている状態。

 

「ありがとう、ございます。暖かいですね。それに、吐息が少しくすぐったいです」

「し、仕方ないだろ、近いんだから」

 

 そう言うと、彼女が布団の中で手を動かし始めた。

 首やら頭やらを、手探りに伝っていく。

 吐息よりもくすぐったいのは、こっちに違いない。

 

 妙にそわそわとしていると、彼女に後頭部を引き寄せられる。

 そのまま動きは、相互の額と鼻がくっつくまで続くことになった。

 

「ふふっ、おやすみなさい」

「あ、あぁ、おやすみ」

 

 もう少し近付けば、キスだってできそうな距離だ。

 自分の中で、必死に煩悩を抑えつける。

 俺にとって過酷な状況下で、実際にできたのは、顔をずらすくらいだった。

 

 彼女の吐息も、俺の吐息も、髪やら耳やらにかかって背筋に電流が走る。

 悪寒ではない、一種の快感に身を蝕まれる前に、無理矢理に目を閉じた。

 

 意識を引きずり下ろす直前に、彼女の声が聞こえた。

 小さいな、囁きが。

 

「本当に、ありがとうございます」



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 まさか、本当に抱きしめてもらえるとは、思ってもみなかった。

 心臓は高鳴っているはずなのに、この上ない安らぎを感じられる。

 充足感が湧き上がっているのが、簡単にわかってしまう。

 

 ただ、それと同時に胸に穴が空いてしまったような虚無感に駆られる。

 自分でさえも、その矛盾した感情が不思議でならなかった。

 

 けれども、そのすぐ後に腑に落ちる答えが出る。

 きっと……いや、この気持ちには以前から察しがついていた。

 なので、きっとなんて言葉よりも確実なのだ。

 

 私は彼に、恋をしているんだ。

 満たされても満たされても、次の段階を渇望してしまう。

 こんな症状は、恋に他ならない。

 

 恋とは、本当に困ったものだ。

 彼が眠っている今、寝息が耳や髪にかかる度にゾクゾクしてしまう。

 気付かれないという状況が、私の心を大きく揺らした。

 しかしながら、いつ起きてしまってもおかしくはない。

 

 結局、自分の湧昇する欲に勝てなかった。

 欲に忠実に、自分から彼に寄って抱きしめる。

 より密着して、背中に伸ばした腕も、震えてしまう。

 

 少し細いながらも、やはり女性とは違って屈強な体つきだ。

 彼の胸に顔を埋めると、それがもっとわかって更にドキドキしてしまう。

 

 正直、顔の端麗さなどの容姿に関するところは、どうでもよかった。

 目が見えない私は、彼の見た目ではなく、正真正銘の中身に惚れたんだと知って、嬉しくなる。

 自分が外見に騙されていないとわかって、安心した。

 

 優しさに、惚れたのだろう。

 いつだって優しく、さっきだって支えてくれた。

 辛辣な声色は一切見せず、変わらずに接してくれる彼を好きになったことに、妙に納得がいく。

 

「君の目に、かぁ」

 

 彼との、明日限りの約束。

 明後日の昼に、必然的な別れが待っているのだから。

 それを思うと、胸がきゅっと締め付けられる。

 

 その上で彼は、この約束を取り付けてくれたのだ。

 だったら、私は彼の想いに答える必要があるだろう。

 揺るがない事実は、彼は私のために動いていること。

 それが、心から嬉しい、変わらない事実だ。

 

 ふとした眠気に襲われて、瞼が重くなる。

 彼の腕の中で、暖かさに包まれながらゆっくりとシャッターを下ろす。

 彼に抱きついたまま、ゆっくりと。

 

 

 

 朝、小鳥の囀りが遠くで聞こえるのを感じながら、目を開く。

 何も見えないことに変わりはないが、これからは目を開けることを意識しようと思ったのだ。

 それで、今までの自分と何か変わりそうな気がしたから。

 

 彼はまだ、寝顔を私の前で晒しているようだ。

 小鳥ではない囀りが、すぐ近くで小さく聞こえている。

 

 少しだけ抱きついて、後ろ髪を引かれる思いで部屋から出る。

 台所から料理の音が聞こえきた。

 

「あら、おはよう。今日は早いのね」

「そうかな? それでね……あの人に、目のことを話したの」

 

 そう告げると、お母さんの声が止まった。

 顔が見えなくてもわかる、険悪な雰囲気の流れ。

 

「それで……どうだったの?」

「うん。あの人は、優しかった。御蔭で、泣いちゃった」

「そう……よかったわ」

 

 本当に嬉しそうに言ってくれる。

 そこには、どこか安堵のようなものも感じた。

 

 朝のはずなのに、目が冴えている。

 勿論、景色が見えているわけではない。

 のだが、目が軽いような変とも言える感覚に浸っていた。

 

「ねぇ、お母さん」

「どうしたの?」

「私ね、あの人のことが……好き。好き、なの」

 

 自分でも、何で言ったのかわからない。

 何の意味もなく、ただ誰かに言いたかっただけなのかもしれない。

 彼に言う勇気がなく、他の誰かに言うことを代わりに立てたのかもしれない。

 

 でも、言わなければならないとは思った。

 ここできちんと自分の想いを形にしないと、崩れてしまうような気がしたのだ。

 

 伝わる・伝わらないという問題ではない。

 相手が合っている・間違っているという問題ではない。

 口に出すことで、自分に対する決意表明にも似たことをしたかった。

 

 実質、彼とゆっくり交流できるのは、今日でお終いだ。

 明日は彼も、色々と帰りの準備で忙しくなるはず。

 中途半端な想いでも、中途半端なままで形にしておくべきだと思った。

 

 きっと私は、この想いが伝えられない。

 それを、心のどこかで理解していたのだろう。

 

「……そう。よかったわね」

「何も、言わないの? まだ数日しか経ってないし、私だって目が見えないのに?」

「私から言わせてみれば、恋愛には関係ないさね。想いがあれば、それでいいんだよ」

 

 お母さんは柔らかく、どこか懐かしむように言う。

 自分の経験を思い出すかのように、懐かしんで。

 

「期間が長い方がいいとは言うけど、結局は想いの強さよ。あらやだ、お父さんのことを思い出しちゃうわね」

「ん? どうした? 俺がどうかしたのか、母さん?」

 

 お父さんの声が、廊下から聞こえた。

 眠そうな声が、農作業の疲労具合を顕著に表わしている。

 いつも大変そうで、娘の私としてはちょっと心配だったり。

 

「あのね、この子が恋をしたんだって。あの旅の人に」

「おおっ!? お父さんとしては複雑だが、あの兄ちゃんは礼儀もいい好青年だし、推したいところだぞ」

「お、お父さん!」

「ごめんごめん。でも、中々いい男を好きになったじゃないの。やっぱり恋愛の一つや二つ、してみるもんだぞ?」

 

 私も、以前とは変わった気がする。

 目に見える大きな変化はないかもしれないが、精神面では大きく影響はあっただろう。

 恋愛に慣れていないせいで、この気持ちの制御に困っていることもまた事実なのだが。

 

「おはようございます」

「おっ、噂をすればってやつだな」

 

 話の途中で、彼が起きてここへやってきた。

 急に彼の声が聞こえるだけでも、私の心臓は跳ねてしまう。

 変な緊張感が、全身をくまなく駆け抜ける。

 

 そして、昨日の夜を思い出してしまった。

 決して他人に言えることではない、恥ずかしさに塗れた昨日の夜。

 

「え、ええっと……僕が、どうかしましたか?」

「いいや、何にもないさ。強いて言うなら、ありがとうってな。こいつを支えてくれて」

「あぁ、そのことですか。いえいえ、僕にできることなら何でもしますよ」

「やっぱりお父さん、推したいぞ」

「もう、お父さんったら。もうすぐ朝ごはんができ上がるわ。座って頂戴」

 

 お母さんの呼びかけで、歩く音と椅子を引く音が重なる。

 そして、さらに驚いた。

 

 誰かが、私の手を引いたのだ。

 少し引かれるがままに歩いて、止まったところから椅子を引く音。

 もう、大体予想ができた。

 

「あの、テーブルくらいは座れるので、嬉しいのですが大丈夫ですよ?」

「そういうわけにもいかないさ。昨日、約束したじゃないか」

 

 ……そうだ。

 この数日しか関わっていないが、彼の性格はこうだった。

 正直者で、お世辞も嫌いなほどの真っ直ぐで、素敵な人。

 自分から言いだした約束を、早速破るようなことはしないわけだ。

 

 今日は、彼の優しさに甘えてしまおうか。

 せっかく今日が最後なのだから、存分に。

 昨日甘えてもらったばかりだが、彼なら許してくれそうな気がした。



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「昨日は、つい甘えてしまいました。ごめんなさい」

「謝ることじゃないさ」

 

 朝食を食べ終わって、彼女の部屋に戻った後。

 彼女からは、謝られていた。

 

 当然、俺が言うように謝ることではない。

 甘えることは、決して悪いことではないのだから。

 

「それに、俺が君にできることなら何でもするよ」

「やっぱり、貴方は優しいです。つい甘えたくなってしまいます」

「まあ、俺ほど優しい人間となると、世界中探しても片手で数えるくらいしかいないだろうけどな?」

「もう、さすがに言い過ぎですよ」

 

 少しおちゃらけながら、笑い合う。

 心躍るような、相当に楽しい出来事なわけでもない。

 年に数度しかない、貴重なイベント事というわけでもない。

 しかし俺にはこの何気ない、殆ど意味すらないような会話が、楽しくて仕方がなかった。

 

 真っ白な雲を掻い潜って、切れ目から朝の陽光が漏れ出している。

 清々しく、純度の高い可視光は、この部屋の灯りの役割を担った。

 雲も自然のアトリウムとなっていて、少しだが灰色の光が雲の向こうに見える。

 

 堂々と佇む木々の合間を縫う風で揺れる風鈴の舌。

 心地良い硝子音は、小さな椀の中で反響した。

 音の波は湾曲面から遥か遠くへと飛び出して、俺達の耳に届いている。

 

「この風鈴、実は私が選んだんです。音が、とても好きでした」

「へぇ、案外、俺と君は音の感性が似ているのかもな。俺も硝子製の風鈴の方が、音が澄んでいる気がするよ」

 

 景色は見えなくとも、音は同じものを聞いている。

 何が制限されるでもなく、全く同種の音楽が共有されるように聞こえているのだ。

 それが、個人的には嬉しく感じられた。

 

 目の前の人間と置かれる環境が同じでも、相手と同じ五感情報を受け取っているとは限らない。

 共通した音や視界が広がることが当たり前。そう思うのは大きな間違いだ。

 現に、彼女は過去数人の旅人から、枉屈(おうくつ)されていたのだから。

 

 無意識の抑圧ほど、(たち)の悪いものはない。

 無自覚の圧力ほど、相手を困らせるものはない。

 彼女が盲目であることを知ったときの態度は、少なからず彼女にとって圧力だった。

 

 せめて、彼女が俺と話しているときくらいは、気の向くままにしてほしい。

 それだけでなく、一寸の光陰軽んずべからずとも言う。

 楽しむのならば、文字通り徹底的に楽しむべきだろう。

 

「で、君は今日、何がしたい?」

「貴方と一緒なら、どこで何をしても私は満足ですよ」

「そう言われてもな~……あれだ。何でもいいっていう答えが一番困る」

 

 料理においても、行きたい場所においても、何でもいいという返答が最も困ってしまうものだ。

 自分の希望を控える謙虚な部分も垣間見えるが、困るときは本当に困ってしまう。

 

 俺はこの村にどんな場所があるのかを、殆ど知らない。

 知っているとしても、行ったことのある向日葵畑や市場、後は駅くらいだ。

 二度目も悪くないのだが、せっかくなので新しいところへ行きたいとは思う。

 

「そうは言いますが、今日で最後なのですよ?」

「まぁ、そうなんだけどさ……」

 

 こうして考えている間にも時は刻一刻と過ぎゆく。

 時間は駆け足に、やがて疾走するほどに加速することだろう。

 生憎ながら、時間は待ってくれない。

 足を止めてくれるというのなら、いっその事楽な話なのだが。

 

「よし。午前中は何か話して、午後になったら外に出かけよう」

「わかりました。では、外出は手を引いてくださいね?」

「勿論だとも。というより、今までもずっと手は繋いでいただろ」

「そう、ですね。だって、手を繋いだ方が落ち着きますから」

 

 彼女は俺の胴体から、探りながらに手を辿って繋ぐ。

 落ち着くのは、何も彼女だけではない。

 俺自身も、触れた手から暖かみが全身へと巡る。

 

「やっぱり、手を繋いだ方が、危険はなくなって安心するのか」

「あっ、えっと、それもそうなんですが……貴方だからでも、あるんですよ」

 

 今度は、俺の片手を彼女の両手で握られる。

 手のひらも甲も柔らかな感触に包まれて、心臓は跳ねた。

 

 俺はたった一つだけだが、不安があった。

 それが、彼女が俺と手を繋ぐ理由だ。

 

 彼女が何故、いつも俺の手を握りたがるのか。

 それを考えると、全盲だからという結論が一番に頭を駆けた。

 実際、それが一番の理由なのだろうと納得もできたはず。

 しかし、同時に少し残念でもあったのだ。

 

 一人で勝手に舞い上がって、手が触れ合う度に喜んだ。

 そんな過去の自分を思い出すと、恥ずかしさと残念感があった。

 彼女は俺と手を繋ぐことを、どう思っているのだろうか。

 それを考えると、不安だったのだ。

 

「そうか。ありがとうな」

「こちらこそ。貴方には、支えてもらってばかりなんですから」

「たった数日のことだし、ばかりってわけでもないんだろうけどな」

 

 けれども、俺にできることはやったつもりだ。

 彼女のためを思った結果、彼女が助かったのなら万々歳。

 笑っている彼女が見られたならば、それは十分過ぎる見返りというものだろう。

 

「いいえ。私は貴方がいなかったら、きっと辛いままでしたから」

「……まぁそれなら、よかったよ」

「あっ、照れていますか? 照れていますよね? その声は照れている声ですよ」

「う、うるさいなぁ。いいじゃないか、別に」

「ふふっ、意外と可愛いんですね」

 

 可愛いと言われると、余計に羞恥の念が巻き上がってしまう。

 ただ、嬉しさ半分、複雑さ半分というものでもある。

 

 男性が可愛いと言われているのは、あまり恋愛対象として見られていない感じがする。

 女性の感情はわかりかねるが、本当のところはどうなのだろうか。

 愛しさなどの気持ちを男性に持つのか、俺としては気になるところである。

 

「あの、失礼ですが、女性との交流は多かったのですか? あまり慣れているようにも見えない、と言いますか……」

「そういえば、機会の数は言ってなかったか。いや、平均的にはあったな。そう信じたい」

「あ、あはは……」

 

 彼女の呆れた笑いが、乾いて聞こえた。

 しかし、自分でも平均がどれほどなのかの区別がつけられない。

 交際の経験だってないわけではないし、そういう意味では平均なのだろうか。

 

「だ、大丈夫ですよ! 母も、恋愛に期間は関係ないって言っていました。きっと数にも同じことが言えるはずです!」

「慰めかよ……」

 

 結局、何を話しても笑いに行き着いてしまう。

 話しているだけで楽しいのは、本心だということ。

 それが、深く実感できた。



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待望する劇場

 暫くの話をした後、昼食の時間はあっという間に訪れる。

 話は自然と弾み、彼女からも笑顔が溢れ出ていた。

 昨夜に訴えた心痛の陰りは片鱗すらもなく、一人の女性として心から笑っていた。

 垢抜けている爽やかな彼女の笑顔は、今まで見たどの笑顔よりも素敵だと思う。

 

 昨日と同じくして、彼女が昼食を食べ終えるまで待つ。

 それを待っている間だって、どうにも飽きない。

 ゆっくりと流れゆく時間が、どうにも愛おしく感じた。

 

 彼女はどうやら、いつもの格好で外出するらしい。

 着替えが終わった彼女の姿は、まだ目新しい桜色の寝間着から、もう幾分見慣れた白のワンピースに。

 可愛らしい服もいいが、清楚な白の服がやはり一番似合う。

 どちらにせよ、俺にとっては目の保養・眼福であることは変わらない。

 

 外に出た時間は、昼食が少し遅かったことも重なって、もう午後三時を回っていた。

 日差しは強さは最高潮。吹き付ける風さえもその温度を吸い取った。

 肌を優しく撫でる風の、自らの体温になっている。

 不思議と、蝉の鳴き声の煩さがあまり気にならなくなった。

 気に留まらないのではなく、そもそもの蝉の数が減っている故に、蝉の鳴き声が聞こえないことに遅れて気付く。

 それが、他ならない夏の終わりを告げている気がして、乾いた地を踏みしめる足が重く感じた。

 

 思いの外、過ぎるのが異常に速く、名残惜しい夏だった。

 記憶を辿るとかなりの風景が蘇るはずなのに、どこかそれ以上のものを求めている。

 もっと多くこの記憶の、続きが欲しい。

 そう思わずにはいられない、と言わんばかりだ。

 

「えっと、これは一体どこに向かっているのですか?」

「いや、俺にもさっぱりわからん。見当すらつかない」

「それ本当に大丈夫なんですか!?」

「それさえもわからん。迷うかもしれんし、迷わんかもしれん」

「今までで貴方を一番心配することになりそうです……」

 

 彼女からしたら、それはそれは不安極まりないだろう。

 自分の手を引いている相手が、己の気の赴くままに歩を進めているのだから。

 夢見村の地理を知っているならまだしも、来て数日の俺ともなると、不安は募る一方だ。

 

 一応ではあるが、ささやかな候補は一つだけ上げたのだ。

 ただ、はっきりと道がわかるわけでもないが、方角くらいなら予想がつく。

 しかしながら、方角すら絶対に正しいと言えない上に、その先に何があるのかも理解できていない。

 遅くなったが、彼女にその旨を伝える。

 

「いや、本当は山に向かっているつもりなんだが、こっちであっているのかどうかわからない」

 

 俺が電車で降りたときに見えた、一つの大きな山。

 そこに行こうと思い、こうして炎天下の中で彷徨っているわけだ。

 いや、厳密にはまだ彷徨っていることはないのだろうが、そんな未来の背中が見えかけている。

 

「あ~……なるほど、どこの山かは予想ができました。それで、今はどこの辺りにいるのかわかりますか? 何か目印になりそうなものは?」

「ん~、そうだな。周りには民家と畑が沢山ある」

「わぁすごい、全くわかりません!」

 

 こんなにノリの良い冗談めいた彼女の言葉は、初めて聞いた。

 それを聞いて、ついふっと笑いが出てしまう。

 それに加えて、様子も声も途轍もなく可愛らしい。

 綺麗な見た目とのギャップが、さらにぐっときてしまう。

 

「……と言われても、他に目印になりそうにもないんだよな」

「それでは、家から出た後、最初に右に曲がりました? 左に曲がりました? それとも、真っ直ぐに進みました?」

「確か、左に曲がったはずだが」

「あっ、まるで反対ですね。山に向かうには右に曲がらないと」

 

 俺はどうも、無意識ながらに遠ざかっていたようだ。

 結構な時間を歩いて、判明してほしくない事実が発覚する。

 これ以上進んでも、時間も労力も無駄なので、直ぐ様来た道を逆戻り。

 

 ついさっき見たばかりの光景が、戻っていくにつれて次々と広がる。

 景色だけでなく、音も通ったときと何ら変わりない。

 その感覚が、俺の中に巻き上がる罪悪感を増幅させた。

 

「その、ごめんな。ちゃんと道は聞くべきだった」

「いいんですよ。私は貴方といられるなら、それだけでも嬉しいんですから」

 

 涙が出てきそうなくらいに嬉しい。

 俺は今日限りで、この村を去らなければならない。

 仕事も関係してくるので、どうしても延期ができないことだ。

 明日に訪れる彼女との別れは、避けられない。

 

 けれども、それは彼女からも同じことが言える。

 俺と彼女の別れは、当然だが俺と彼女の二人のものだ。

 決して俺だけのものではない。

 

「あっ、そうです! いいところを知っているんですよ。貴方に見てほしい景色があるんですよ。一度、家に帰りませんか?」

「わかった。けれど、もう一回外出するとなったら、夕食の後になるだろうから夜になるぞ?」

「えぇ、それでいいんですよ。むしろ、夜じゃないと意味がないんですから」

 

 今日の夜だけに上げられる、特別劇場の幕。

 その上映時間の開始を、密かながらに待ち焦がれることだろう。



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湖畔

 家に着いても、まだ夜は目覚めていなかった。

 ほんのりと濡れた薄紅に彩られた西の空。

 まだ鳴りを潜めている鈴虫の声が聴こえるのは、いつになるのだろうか。

 

 夕食の時間が終わって、ようやく夜の帳が下りた。

 暗がりに入り浸った外の空気は、見た目とは裏腹に昼と同じく澄んだままだった。

 昼間の猛暑が嘘とも感じてしまえるほどに、肌に触れる風が涼しい。

 

 家の懐中電灯を借りて、彼女と共に出発。

 彼女曰く、「見せたい光景がある」、とのこと。

 しっかりと忘れずに、首にかけておいたデジタルカメラを確認した。

 手元足元のみを閉鎖的に照らす灯りをかざしていると、どこか肝試し中のようにも感じられる。

 

「どうですか? 暗くて危ないなら、無理して行かなくてもいいんですよ?」

「少し不安だが、大丈夫だ。少なくとも、平坦な道が続く限りは、な」

「結構近いので、迷うことはないと思いますが……」

 

 しかし、ここに傾斜が加わるとなると、やはり不安は募る。

 夢見村は小さいとはいえ、自然が極端に多い地域だ。

 勿論木の数は想像を遥かに凌駕していて、気がついたら足元に根が張ってあった、なんてこともある。

 

 前を照らしていたなら、足元への注意は疎かになる。

 慎重かつ確実に、周囲の安全には気を配る必要があるのだ。

 

 さらに、彼女だって俺と手を繋いでいる。

 片方が躓いたならば、片方もそちらに引き寄せられる。

 彼女の『目』となるべく、二人分の注意を払いながら、彼女の指示に従う。

 

「この辺りの二つ目の角を、左です」

「了解。……あっ、すぐそこ。足元に木の根があるよ。気を付けて」

「わ、わかりましたが、見えなくて――あっ!」

 

 彼女が足を引っ掛けて、前に倒れ込む。

 特に彼女の安全には気を遣っていたので、機知ともならずに先回りして難なく受け止める。

 予想はしていたが、これ以上進むのは厳しいだろうか。

 

 彼女は……言い方が悪いが、昼でも夜でも視野の広さは関係ない。

 ただ、俺が道を自由に選ぶことができるかできないかの違いだ。

 昼なら障害物も見やすいが、今のような時間ともなると、そうともいかないのが現実。

 怪我をする可能性も十二分にあるので、最善の選択は間違いなく、ここで引き返すことだろう。

 

「なぁ、まだそこまで遠くには来ていない。今からでも帰って――」

「いえ。貴方に、どうしても見てもらいたいんです。それに……こうやって、貴方が受け止めてくれますから」

 

 互いの存在を確認するかのように、抱擁に近い抱き止め。

 体温は分かたれて、冷ややかな空気が二人の間でのみ遮断される。

 辺りは静寂に包まれて、この距離を一層と意識させられた。

 

「受け止める分には、いくらでも受け止めるさ」

「では、決まりですね。私の安全、全部任せましたよ?」

「そ、そう言われると緊張するなぁ」

「大丈夫ですよ。何となく、そんな感じがしますから」

 

 案外、彼女は直感的な人物なのだろうか。

 明確な根拠なしに、俺に身を託すなど少しくらいは焦ったり、不安になるだろうに。

 一向にその様子を見せない笑顔は、暗闇の中でもしっかりと視認できた。

 

 懐中電灯をきゅっと握りしめ、彼女の足元を照らす。

 暗くてもある程度は見える俺よりも、手を引かれる側の彼女の足元を照らす方が得策だ。

 時々こちらの地面も明るみの傘下に入れながら、着々と進んでゆく。

 ゆっくりと、しかし、確実に。

 

 そして、彼女の声がかかった。

 

「もうすぐのはずですよ。着いたら、すぐに貴方もわかります」

「へぇ、それは楽しみだな……あぁ、なるほど。ここか」

「どうですか、感想は?」

「そうだなぁ。幻想的で、神秘的で、夏の風物詩って感じがする。俺も今まで、こんな光景は見たことがない」

 

 眼前に広がっているのは、少し大きめの湖と、それに向かって流れる川。

 控えめな水音が空気を揺らし、水面には波紋が広がった。

 鬱蒼と茂る草木が、湖を囲んでいる。

 そして今、俺は懐中電灯は湖に向けていない。

 では何故、そんなにも目の前の風景がわかるのか。

 

 それは――()()()()()()()()がいたからだった。

 鮮やかではないが、厳かな黄色が、俺の目の前から湖の奥、さらには川の上まで。

 水辺に響く夜の合唱は、今回ばかりはいつもの鈴虫ではなく、蛙達へとバトンタッチ。

 

 蛙の鳴き声と聞くとあまり良いイメージがないが、大多数の響きともなると、それは瞬時に瓦解された。

 酔ったように各々が好き勝手に鳴き出す様は、迫力が想像よりもある。

 時々に訪れる、一弾指の鳴き声が収まった瞬間さえも、味があった。

 

 蛍はと言うと、湖に添えられた緑草から緑草へと飛び回ったり、その場を浮遊している。

 間隔の開いた光の明滅が、不規則的な花火のようにも見えていた。

 これほど数多の蛍の集団は、見たことがない。

 それもそのはず。それは紛れもなく、この夢見村の溢れる自然あってのものだろう。

 

 自然環境をそのまま残しやすいこの村は、人の手が加えられることも少ない。

 蛍や鈴虫も、住処を奪われることなく雄大に過ごすことができる、というわけだ。

 

「どうです? 私にも、光は感じ取れますよ」

「ほ、本当か!? 綺麗だよな!」

「ふふっ、はいはい、綺麗ですね。そんなにはしゃぐとは思ってませんでしたよ。私としても、喜んでもらえたようで嬉しいです」

 

 彼女が、過去最大の呆れ顔で笑う。

 俺としても、この光景を一部とはいえ彼女と共有できていることに、無類の喜びを感じていた。

 

 ふと首に残る重さに気がついた。

 慌てるように湖と川にレンズを向け、シャッターを切る。

 

 撮った写真を見ると、いくつもの黄色の点が黒の中に埋め込まれていた。

 単色の黄色ではなく、もっともっと深みのある黄色が焼き付けられている。

 

「よし、じゃあモデルさん、お願いします!」

「わかりました、カメラマンさん。ご希望のポーズは?」

「そうだな~、ちゃんと目を開いて、帽子でも隠さないなら何でも。君に任せるよ」

 

 俺がカメラを向けて、彼女に合図を送る。

 ポーズを取り終わった彼女を確認してから、恒例の挨拶を口にして湖畔の背景と彼女を一枚の写真に封じ込めた。

 収まっていた彼女のポーズは、確認した通り、帽子を片手で上げ、片手はピース。

 表情は、目をしっかり開けた眩い笑顔だった。



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幕が降りきる、その時まで

 私は、目が見えない。

 私は、目が見えていた。

 私は、彼を見る。

 私は、彼を見たい。

 けれども、それは実現することのない願いだった。

 

 彼をどれだけ見たとしても、見えない。認識できない。分からない。

 どんな姿なのか、どんな表情なのか、どんな反応をしているのか。

 音を聞き取っても、見えることは一向になし。

 それを思い描く光景はあくまでも、私の想像の範疇を超えることがない。

 

 彼は、大きく喜んでいた。

 表情は見えなくとも、声が弾んでいたのですぐにわかる。

 そんな純粋な少年のような無邪気さを含む歓喜の声が、また可愛らしい。

 聞いているだけでも、私まではしゃぎたくなってくる。

 

「あ、あの!」

「ん? どうした?」

 

 私は口を開こうとして、躊躇した。

 ここで、自分の想いを伝えるべきなのだろうかと、迷ったのだ。

 

 中途半端な好意は、口にしない方がずっといい。

 でも、この機会を逃すときっと、明日には伝えられない。

 会って間もない盲目者から好意をどれだけ懸命に伝えても、相手が困る一方な上に結果は目に見えている。

 成否はどうあれ、想いは口にすることが大切だ。どんなに後悔しても、過ぎた後からでは遅いのだから。

 

 頭の中で、様々な考えが横行する。

 それらが交錯する中、私が出した答えは。

 

「……いえ、何でもありません」

 

 ――懐抱、だった。

 

 ―*―*―*―*―*―*―

 

 どうしてだろうか、突然に彼女が萎れた。それも、はっきりと目に見えるほどに。

 自分のせいかとも一瞬だけ考えるが、全くもって身に覚えがない。

 さっきまで、あんなにも笑顔で写真を撮っていたのに。

 急にしおらしくされると、心配になってくる。

 

「湖も、川も、蛍も、それに満天の星空も。全部が最高だった。ありがとうな」

「いえ……どういたしまして!」

「それじゃあ、これ以上夜が更けるのもまずい。帰ろうか」

 

 俺がお礼を言うと、彼女の元気は少しだけ息を吹き返した。

 一安心して、彼女の柔らかな色白の小さい手を握って、家まで戻る。

 

 草木を揺らしながら、その度に灯りで照らすことを繰り返す。

 何度か彼女が躓きそうになりながらも、余裕を持って受け止めた。

 かくいう俺も、数度ほどだが躓きかけたのは内緒だ。

 

 無事に二人共怪我なく、家まで辿り着いた。

 着替えの間も、瞼を閉じればあの光景がすぐに目に浮かぶ。

 相当に、目にも頭にも焼き付いた。

 

 炎天下の夏の思い出は、十分だろうか。

 それの続きに別れを告げることが惜しいが、やむを得ない。

 彼女の着替えも終わって部屋に入り、布団を敷き始める。

 残念ながら、もうそろそろ深更と呼ばれる時間だ。

 

「さぁ、もうそろそろ寝ようか。今日は……というか、今までありがとうな。今までって言えるほど長くはなかったけど、すごく嬉しかったよ」

「いえいえ、こちらこそありがとうございます。どうしても、寂しくはなるのですけれどね」

 

 布団の中で、互いの手を伸ばして握り合う。

 今夜はどうやら、別々の布団で寝るようだ。

 昨夜限りの甘美な夢、というところだろうか。

 

「……ごめんなさい、失礼します」

 

 ――と、思っていたのだが。

 彼女が断りを一つ入れながら、俺の布団へと静かに侵入。

 一人分の熱が加わって、掛け布団の中で優しく溶け込んでゆく。

 

「昨日に加えて申し訳ないですが、最後ですから、甘えさせてください」

「俺でよければ、いくらでも」

 

 徐に彼女を受け止めて、手を繋ぎ直す。

 暖かみをより敏感に感じられて、手が震えそうになる。

 この感覚も、恋故のものなのだろうか。

 自問したはいいものの、それ以外には考えられまい。

 

 恋の悦楽に思い切り浸っているにも関わらず、眠気はしっかりと手招きを始める。

 微睡みを憶え始めた思考が、徐々にだが呆けていくのがわかった。

 少しずつ、睡魔の囁きがぼやけていく。

 

「あ~……ごめん。すっごく眠いよ」

「ふふっ、いいんですよ、私も一緒に寝ますから。おやすみなさい」

 

 自分の睡眠欲に完全に身を委ねて、瞼を閉じてゆく。

 ふわりと自分の身体が浮かんでいく感覚が、どうしようもなく気持ちがいい。

 帰宅するまでに今日使った体力と集中力は、思ったよりも疲弊となって積まれていたようだ。

 

 ほんのりと暖かくなった全身が、さらに胸の中で静かな高揚感を誘う。

 既に細々となっている意識が途切れる直前に、手が温もりを失った。

 何でだろうか。どうしてだ。そう考える暇すらなく、俺の自我は闇へと飲み込まれる。

 唯一、漆黒へと放り込まれなかった感情は、寂寥だった。

 

 ―*―*―*―*―*―*―

 

 彼が声を発しなくなる。気のせいか、呼吸音も静かかつ規則的になりつつもあった。

 それを確認してから、名残惜しくも繋がれた手を離して、布団を出る。

 熱を逃がさないようにしてから、彼に布団をかけなおす。

 

 彼の寝顔は、見てみたかった。

 そんな自分の願望はどうしても叶わないので、諦める他ない。

 思いの外、彼の寝顔は可愛いのかもしれない。

 

 材料さえもない想像は、悲しいながらもしてしまう。

 誰しもが、叶わないと知ってから、潔く諦めきれるわけではないのだ。

 

 靄のかかった思考を振り切って、部屋を出る。

 恐らく今の時間は、十時を軽く回っている頃合いだろう。

 廊下を歩くことで、木材がほんの少しだけ軋む。

 聞き慣れているとはいえ、僅かな恐怖をそそられる。

 

 向かう先は、お母さんの部屋。

 明日も農作業で朝が早いお父さんは、もう既に眠りについているだろう。

 そんなお父さんを、無下に起こすなんて行為は、私にはできそうにもない。

 

 歩く度に響く軋音(あつおん)を耳に捉えながら、部屋に着く。

 見えないが、慣れた手つきで戸を開いた。

 光の眩しさが感じられるので、まだお母さんは起きているはずだ。

 

「お母さん、少し、いいかな?」

「え? い、いいけど……もうこんな時間よ? 大丈夫なの?」

「うん。私は大丈夫だよ。どうしても、手伝ってもらいたいことがあるんだ」

 

 彼との夢のような劇場の幕は、今現在降りている真っ最中だ。

 しかし、まだ舞台上でお客さんの方々に礼をしている。

 まだまだ、登場人物としてのパフォーマンスは続いている。

 観客と舞台人を仕切る幕が、完全に降りきってしまう、その時まで。ずっとずっと。



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別れと白い切符

 朝の訪れは、既に察知していた。

 けれども、どうしても目が開けられない。

 開けることを、後悔しているのだろう。

 この村を去る日の来訪を、拒んでいるというのか。

 

 俺だって、できることなら去りたくはない。

 しかしながら、夢とはいずれ覚めてしまうものだ。

 覚めない、冷めない夢なんてものは紛い物であり、それはとうに夢を逸脱してしまっている。

 本物の夢と比較して秀逸なようで、実際には幻想的という意味でひどく劣っている。

 

 見ていた夢を幻想から外さないために、布団から抜け出した。

 やがて重い瞼も開くようになり、ふらついていた足取りも普段通りに。

 朝食の匂いにつられながら、リビングへと向かう。

 

「おはようございます」

「えぇ、おはよう。今日、帰ってしまうんでしょう?」

「あっ……すみません、言い忘れてしまいました」

「いいってことよ。しっかし、俺としても寂しいものだな」

 

 この家族は皆、温厚で溢れる方ばかりだ。

 自分の虚ろな心さえも、浄化される気がする。

 

 席に座って、朝食を取る。

 彼女も既に席についているのだが、どこかそわそわとしている。

 それを横目で一瞥してから、口に食べ物を運んだ。

 

 彼女の落ち着かない様子は、食事を終えるまで続くことに。

 そのせいか、彼女の食べる速さも若干速くなってた。

 予定よりも速く部屋に戻り、出発の準備。

 まだ午前の九時くらいだが、速く準備することに。

 

「え~っと、服に携帯、カメラに……あっ、そうだったか」

 

 持ち物の確認を一つずつ丁寧にしていて、思い出す。あの切符のことを。

 結局、あれから何がわかったわけではない。

 今更考えたところで、謎は解けるどころか複雑に絡まるだけだろう。

 

 携帯も、この村だと圏外だろうと思って、今日まで全く使っていなかった。

 案の定と言うべきか、確認しても圏外のマークが浮かんでいる。

 

「ちょっと、いいですか?」

「うん? どうした?」

「いえ、その……外に、一緒に来てほしいのです。少し、話をしたいんですよ」

 

 彼女の要求にわかった、と言って、手を引いて玄関へ。

 戸を開けると、だるくなりそうな快晴が広がっていた。

 思わず手で光を遮りながら、風通しのよい道へ。

 迫力ある入道雲が縦に巻き上がりながら、空で踊っている。

 

「もう、あと数時間ですね」

「そう、だな。なんだ、寂しくて泣きそうなのか?」

 

 ふざけて、からかう。

 

「別れは何度も経験しましたが、泣いたことはないですよ。でも、今は泣きそうなくらい辛いです。胸だって、苦しいくらいなんですから」

「だったら、今ここで泣いても――」

「ですけど別れのときくらいは、泣いちゃだめってことは、わかりますから」

 

 彼女は、俺が思っているよりもしっかりとした女性だった。

 空に揺蕩う眩しい太陽に目を細めながら、切に願う。

 これが、彼女のこれが、これからも続きますように、と。

 

「あと、手術……受けてみる、かもです」

「本当か? 大丈夫なのか? 無理しているのか?」

「いいえ、無理もしてないです。その代わりと言ってはなんですが、交換条件です。私は、貴方の姿が見たい。なので、来年も来てください」

 

 ひと夏の出来事は、未来へと。

 空に霧散することはなく、ゆったりと流れることを彼女から条件として出された。

 だったら、俺の答えは一つだ。

 

「勿論、君がそう言うなら。よければ、来年もお世話になるよ」

「えぇ、私もお世話になりますね。ただ、私は心が弱いので、手術できないかもしれませんが」

「その時は、その時だ。俺がまた、君の『目』になるよ」

 

 彼女の『目』となって、この村を(めぐ)る。

 最高の夢を、また味わう。

 甘蜜の体験の予約は、さほど悪くなかった。

 

「貴方が訪れた日には、花火大会でも開いて歓迎しますよ」

「できるのか?」

「さぁ? どうでしょうね。もう、戻りましょうか。暑くて倒れてしまわれては、困ったことになりますから」

 

 再び彼女の手を取って、家の中へと戻る。

 準備を再開しつつ、一つの言葉を思い出した。

 彼女の告げた、この村の噂。

 

『この夢見村の出来事が、全て夢になる、と』

 

 そして俺は、ふっと笑ってしまった。

 なるほど、確かにこの村は夢のように楽しかった、と。

 

 昼になるまで、切符を無気力に眺めていた。

 考えても一緒なことはわかっているが、どうしても気になっている自分がいる。

 逆に眺めるだけで何かわかるかと言われると、そうでもなし。

 

 時々に彼女と会話していたら、もう昼の時間はやってきた。

 今この瞬間さえも例外なく、時間は過ぎゆくものだった。

 

 重い荷物を持って、彼女と一緒に駅へ行く。

 ご両親は家事に畑仕事と、忙しいらしい。見送りの言葉だけ、ありがたく頂いた。

 俺と彼女二人共が、終始無言で駅へと歩んでいった。

 荷物を持って、交差する畦道の中、一つを選んで進む。

 気がついたら既に、駅の前へと到着していた。

 時刻は一時。電車が来るまで、あと数分もない。

 

 先に切符を買おうと、ホームに入る。

 そして、驚いた。

 何故なら、この間はいなかったはずの駅員が、いるのだから。

 

「この村を、出られるのですね?」

「え? あ、えぇ、はい」

「切符の、料金を」

 

 言われて、小銭を数枚財布から出して、手渡す。

 白髭を携えた、無口な五十代後半から六十代前半の、スーツ姿が映える男性。

 料金分の切符を受け取って、疑問が浮かぶ。

 

「あれ、切符が二枚も? それに、一枚は……真っ白?」

 

 文字も、数字も、何もかもが印刷されていない。

 形こそ切符のそれだが、表面も裏面も真っ白な紙切れだ。

 もう一枚は、俺が買おうとした切符で間違いない。ちゃんと印刷もされている。

 

「あの、これは――」

「降りた駅で、印刷された切符をお渡しください。白の切符は、貴方が望むのなら、これから肌身離さず持っていてください」

「望むの、なら? はあ、わかりました」

 

 意味がわからずに腑に落ちないながらも、彼のもとを離れる。

 そして間もなくして、踏切の警鐘が高鳴り始める。

 もう、あと数十秒で列車はこの駅を訪れ、去っていく。

 

「あ、あの! 待ってください!」

 

 彼女が大きな声で呼び止め、こちらへ駆け寄る。

 思い切り走っていて、かなり危ない。

 俺からも全速力で彼女へと走り、抱き止める。

 

「危ないじゃないか。そんなに急いで、どうしたんだ?」

「これを、受け取ってください」

 

 そう告げられながら、彼女にある物を手渡される。

 白い洋封筒で包まれた、何か。これは、恐らく。

 

「手紙……? で、でも君は――」

「はい。慣れないながらも、わからない漢字は母に感覚だけ教わって、頑張って私が書きました。よろしければ、列車の中でお読みください」

「……ありがとう。じゃあ、また来年。会おうな」

「えぇ。ありがとう、ございました!」

 

 彼女の目から、一筋だけ、涙がこぼれ落ちる。

 様子からして、彼女自身も気付いていないのだろう。

 その健気な姿を見て、俺も涙を誘われたが、昼の彼女の言葉を思い出し、決心する。

 泣くのなら、列車に乗り込んだ後にしよう、と。

 

 列車に入って、足がコンクリートから無機質な鉄へと降りる。

 扉を向いて、彼女へとできる限りで大きく手を振った。

 そして、彼女からも、大きく手を振られる。

 見えないはずなのに、俺の姿が見えて、反応しているようで嬉しかった。

 

 扉は、煙の音を立てながら閉まってゆく。

 完全に隔絶された後、ゆっくりと列車は加速する。

 彼女が見えなくなるその時まで、ずっと手を振り続けた。

 

 手を左右に動かした彼女が見えなくなって、無感動に手を降ろす。

 心が虚無で塗りつぶされながらも、席へとつく。

 行きの列車と同じく、乗客は誰一人としていなかった。

 

 はぁっと溜め息を吐きながら、手元の封をされた手紙を見る。

 涙が流れ落ちる前に封を開いて、手紙を開いた。




ばいばい、彼女(´;ω;`)
まだ最終回ではないですが、かなり近づいて参りましたぁ!(`・ω・´)ゞ


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八月の夢見村

すいません、ラストがいい感じなので、前書きに余談です。
飛ばして頂いても、一向に構いません。

私のクラスではかなり、コードブルー、という名のドラマを見ている人が多いんですよ。
異常な視聴率を誇っているらしいです。

それで、ある女子が言いました。
「コードブルー見てない奴は非国民だろ!」

は~い、非国民で~す(´・ω・`)
これから非国民らしい、どうも、狼々です。

では、そろそろ……どうぞ。


 早速ながら懐古の念を抱きつつ、微弱な列車の揺れを感じながら、手紙の封を切る。

 中には白の便箋が、二枚に重なっていて、彼女の思いがひしひしと感じられた。

 一枚ずつ丁寧に、個別に取り出して読んでいく。

 

 綴られた文字は想像よりも綺麗で、ところどころ高さがズレているところもある。

 彼女曰く、お母さんにも手伝ってもらったらしいので、そこまで大きいズレではない。

 見えないでも、正真正銘彼女自身が丹精を込めて書いてくれたことがわかり、嬉しくなる。

 

『前略 私はきっと、列車が発つギリギリまで、貴方にこの手紙を渡せなかったと思います』

 

 思わず、ふっと笑いが出てしまった。

 つい先程の別れ際。本当に、その通りだったのだから。

 彼女が何を渋ったのか、何を迷ったのかは、俺にはわからない。

 が、彼女らしい一面は、彼女自身もわかっているらしい。

 

『貴方の知っている通り、私は目が見えません。この手紙を書くことにも、きっと一苦労するでしょう。だって、今の文字の数だけでも苦労しているのですから。貴方に伝えたいことは、本当はたくさんありました。その中でも、伝えようか伝えないでおこうか、すごく迷うものもありました。でも、楽しかったという感情は、いっぱい伝えられたと思います』

 

 俺自身も、相当に楽しかった。その感情は、しっかりと表に出すことができたと信じたい。

 今年の夏にて彼女との会遇は、運命の巡り合わせだと、俺は本気に考えている。

 何かしらの縁があって、俺達は会うべくして出会ったのだと。

 

 大袈裟に言い過ぎているのかもしれない。

 誇張された事実なのかもしれない。

 しかし、俺にはこの出会いが大仰なものだとは到底思えなかった。

 

 何度でも思ってしまう。

 そして夢見村から去った今、その意識は胸の中で渦を巻く。

 村にいる時よりも、ずっと強く、まるで全身を縛りつけるかのように。

 

『私、一応光は感じられるんです。貴方も、目を瞑っても光っているかどうかはわかるかと。それで私、湖の蛍の光、見えたんですよ。綺れい、でした。貴方と同じ光景を見ていると思うと、涙が出そうなくらいに嬉しいです。人と同じ光景を見ることが、あんなにも幸せなことなのだと知りました』

 

 彼女の盲目は、光は感じ取られる。

 俺としても昨日の彼女の口振りから、少しは察していた。

 ただ、今を、息を呑みながら無言で、無上の幸福を噛みしめる。

 

『でもでも、それ以上にやっぱり、目が綺れいだと言われたときが嬉しかったです! 泣き虫だと思われていそうですが、あれでも家族以外の前で泣いたのは、初めてなんですからね?』

 

 かなりゆっくりと読んでいたためか、もう列車が駅に停車した。

 中に乗り込んでくる人達に気付きながらも、引き続き手紙を読んでいく。

 自分のいた夏のある意味での非日常が、元の日常に戻っていく倦怠感。

 

 高らかに発車を宣言する警笛が、耳に煩い。

 ドアが閉まるまで暫し待って、静かになってから次の便箋に書かれた文へと移る。

 

『貴方に優しくされた時は、とっても暖かかったです。できることなら、明日にでももう一度味わいたいな、なんて。すっかり、貴方に甘えてしまいました。思い出すと、恥ずかしさと申し訳ない気持ちが混ざっています。すみませんでした』

「……謝ることじゃ、ないだろ」

 

 俺は小さく、誰にも聞こえないくらいに呟いた。

 自分の意志に反して漏れ出した言葉は、少し乾いた笑顔と共に溢れる。

 やはり、彼女は彼女だ。謝ることじゃない。彼女に、何度そう言ったことだろう。

 回数としては少ないかもしれないが、印象としては随分と色濃く残っている。

 

「それにしても、これっていつ書いたんだ?」

 

 俺の素朴な疑問としては、そこだ。

 文章の内容を見る限り、昨日の夜以降ではある。

 湖や蛍のことが書かれてあるので、間違いないだろう。

 しかし、俺が寝るときは彼女は同じ布団の中にいたはず。

 

 そうなると、俺が寝てから翌朝起床するまでの間、というわけだ。

 昨夜の、突然に消失した手の温もりの寂しさをふと思い出す。

 この手紙を書くことが、彼女の手が離れたことを意味したと考えると、納得がいった。

 

 この手の別れ手紙は、相手に悟られないことが前提となることが多い。

 彼女もそれに沿って、俺にバレないようにわざわざ夜に書いたのだろう。

 そう考えると、悪いと思う気持ちと、手間をかけてもらえて幸せ者だと思う気持ちが入り混じる。

 

『本当に、幸せな気持ちでいっぱいだったのです。貴方と過ごした夏は、一生忘れられないでしょう。貴方が側にいてくれたお陰で、絶対にできないと割り切っていた手紙を書くことも、こうして挑戦できています。学んだことも多く、何だか貴方が先生に思えてきました』

「先生、ねぇ」

 

 彼女にこう書かれる俺も、色々なことを学んだ気がした。

 自然の風景の面白味であったり、人の精神の脆さ、それを救う人間の必要性であったり。

 俺から言わせてみれば、彼女の御蔭で学んだのだから、互いが互いの先生をやっていることになる。

 どちらかと言うと、それは先生ではなく、同じ生徒としての切磋琢磨のように思えた。

 

 俺に先生は、恐らくと言うこともなく、確実に向いていない。

 幼少期。それも小学生くらいに、学校の先生になることが将来の夢だった気がしなくもないのだが。

 今思うと、その幼い頃の夢が小さく叶った、というわけか。

 

『もし目が見えるようになって、また貴方に会えたならば、字を教えてください。手紙を書く途中に、わからない漢字は母と一緒に別の紙に書いて、感覚だけを覚えてこの手紙に書きました。どうしてそんな面倒なことを、と思われるかもしれませんが、私が私の字で手紙を完成させたかったからなのです。なので、綺れいの「れい」や、お陰の「お」は、あまり感覚が掴めずに書けませんでした。ご容赦ください』

「すげぇな……よくやるよ、本当に」

 

 彼女の行動力は、思いの外あるのかもしれない。

 これだけの字を書くのに、時間がどれだけかかったことだろうか、見当もつかない。

 その分、俺の感謝の念は強まる一方だ。

 

『長くなりましたが、本当にありがとうございました。最後に、一番書きたかったことを書きました。どういう意味で取るのかは、貴方に任せることにしますね』

「ん? いや、でも――」

 

 二枚目の便箋は、そこで文が終了していた。

 これだけの量でも途轍もなくすごいのだが、こんな前置きをして書き忘れだろうか。

 現に、まだ二枚目の便箋には余白が少しだが残っている。

 

 そして、不自然に思って封の中を確認したその時、気が付いた。

 二枚の組まれて折った手紙とは別にもう一枚、便箋が折ってあることに。

 別々に折る理由がいまいちわからないが、取り出して広げる。

 

 ――そこには、たった一文だけが書かれてあった。

 さっきまでの文字よりも、ほんの少しだけ大きめに書かれてある。

 彼女の想いが孕んでいるのか、それとも、ただ一文だけだから強調したかったのか。

 俺にはどうしてか予想もできないのだが、そんなことはどうでもよかった。

 

『大好きです』

 

 ――この一文だけが、堂々と、便箋の中央で佇んでいたのだから。

 

「う、あぁ、ぐぅっ……!」

 

 気がつくと、俺は嗚咽を漏らしていた。

 目からは大きな雫が、溢れ、消えてゆく。

 幾筋も引かれた涙の軌跡は、また次の涙が通る一方通行の道に。

 

 近くの席に座っていた乗客が、ある人は奇怪に、またある人は心配気に、こちらを控えめに覗いているのが見えた。

 しかし、俺の涙はそんな状況はお構いなしに、流れ続ける。

 さすがに気持ちが悪いのか、俺に話しかけようとする人物はいない。

 

 それもそうだろう。つい先程まで手紙を読んでいた赤の他人が、突然に泣き出すのだから。

 あぁ、俺は最後の最後、かっこ悪くなってしまった。

 そう思ったが、涙は一向に止まらない。止まる気配すら見えない。

 

 霞む視界で、滲んで潤む視界で、あの文字列を見る。

 たった五文字。この手紙に書かれた何百文字よりも、この五文字に、泣かされた。

 まだ涙が手紙にこぼれ落ちない内に、指で掬い取る。

 

 そしてまた、気付いた。

 手紙には既に、いくつかの点がついて、乾いた跡があることに。

 まるで、液体が数滴だけ、こぼれ落ちた跡のようだ。

 

 俺の涙はズボンに落ちるばかりで、手紙にはこぼれていない。

 その跡は誰が残したものなのか、何によるものなのか、考える必要もない。明白だった。

 

 友愛か、冗談か、願望か。それとも、恋愛か。

 俺には意味はともかく、あの言葉が書かれてあるという事実だけで、心が満たされた。

 彼女と過ごした日々が、脳裏を掠め続ける。

 様々な光景が次々にフラッシュバックして、全身に電流が走った。

 

 俺は正体不明の何かに突き動かされるように、荷物を漁る。

 狂気的とも思える行動だが、俺はとにかく急ぎたかった。この『光景』を、一刻も早く形にしたかったのだ。

 

 原稿用紙と筆記具を荒く取り出して、テーブルの上に載せる。

 列車が揺れて文字がブレようが、関係ない。

 数秒前まで、タイトルさえ未設定だった新作。どんな内容にしようか、ずっと迷っていた新作。

 

 本格的な執筆の前に、明確な軸となる題名を書く。

 半ば書きなぐるようにして、白紙の原稿用紙に筆を入れた。

 涙で原稿用紙が汚れないように、袖で強引に涙を拭い去り、泣き止む。

 逆立つ気分を落ち着けるため、背もたれに深く座り、顔だけ動かして車窓を覗く。

 

 黄色の花の持つ黄金比は、ここでも太陽に向かってアピールを続けていた。

 数日前に見たはずの景色が、その時よりもずっと鮮明に見える。

 もう、口が裂けても「ただ花が同じ方角向いて並んで見えただけだった」なんて、言えそうにもない。

 優雅に咲き誇る向日葵を見ただけでも、感動で身が震えるのだから。言えと強制されるのが無理な話だ。

 

 題名だけが書かれた原稿用紙を手に取り、見直す。

 安直すぎるタイトルだが、俺にとってはそれくらいが丁度良い。

 

「……よし、タイトル、これでいくか」

 

 俺は意思を固め、内容の執筆に入る。

 新作を――『()()()()()()』を、書こうじゃないか。




まだ、最終回ではない。
自分の中では、上手く決められているつもり。
本当はどうなのか、わからないけども。


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 千字弱ほど内容を書いてから、列車は目的の駅へ着いた。

 眠ってもあっという間、書いていてもあっという間の時間だった。

 

 慌ただしく片付けを始め、駆け足気味に列車を出る。

 衆の小さな波に飲まれながら、階段を登り、改札とホームを抜けた。

 外へ飛び出す。注ぐ太陽光は、あまり暑くない。

 じりじりと地面を焦がすあの光が、早くも懐かしくなってくる。

 炎暑の全てを語る眩しい光に比べてみれば、こんな陽光なんて、とも思えた。

 

 水平思考の上で成り立つ都会へ、戻ってきた。

 自意識は完全に、日常へと回帰する。

 もう少しで俺の夏休みも、終わってしまう。

 そう考えた時にはもう既に、俺の足は前へと進んでいた。

 

 

 

 あれから数日して、再び俺の仕事を繰り返す日々が戻ってくる。

 通勤に車を使うことに、若干の躊躇いを持つようにもなった。

 せめて、せめて事故には気をつけようと、以前よりも安全運転を一層心がけるようになったのは、成長と言えるだろうか。

 

 夏の暑さは駆け抜け、さらには秋の紅葉も遠くへ吹き抜けた。

 冬の雪も直ぐ様溶けて、春の桜も散ってゆく。

 季節の巡りが、異様に速く感じるようになった。特に、この一年は。

 けれども、あの駅員に言われた通り、思い出の品として、真っ白の切符は財布の中に大切に入れている。折り目さえついていない。

 

 新作も筆が乗って、七月に出版する予定になるまでこぎつけた。

 気のせいか、その影響によって仕事の調子も上々。

 殆ど全てが、あの村から帰って右肩上がりの結果を収めている。

 夢見村の御蔭だと考えると、感謝してもしきれないくらいだ。

 

 執筆に取り掛かる時間、仕事に力を入れる時間。

 色々な方面に力を注ぐようになった。

 公正世界信念とは、よく言ったものだ。

 頑張れば、頑張った分だけ報いがきちんと帰ってきた。

 

 勿論、そうでない場合もあった。

 たった一年の短期間でさえも成功しない場面があるのだから、度重なる失敗に文句なんて言えるものじゃない。

 文句や後悔を口にする暇があったら、別のことに取り組む方が合理的であることにも気付いた。

 今までの人生、一体俺はどれだけのことを学ばずにのうのうと生きてきたのだろう。

 不思議で、おかしくて、つい笑いも出てきてしまう程に思ってしまう。

 

 そう思える今の内は、まだ楽な方なのだろう。

 気付くのが遅すぎて取り返しのつかない事態にならなくて、よかったと安堵するばかりだ。

 

 ――ただ。

 

「貴方のことが、好きです」

「…………」

 

 まだ雪解けが訪れる前の、寒々しい冬の路傍でのことだ。

 俺はその時には、呆然とする一方だった。

 辺り一帯が闇に包まれる時間帯で、どれだけ灯りに照らされようとも、自分の心は見える気がしない。

 呆然とは、少し違うのかもしれない。明らかな迷いが、自分の中で生じていた。

 

 俺には、その事実の提示が唐突過ぎた。

 何もかもが突然で、思考が現実に追いつかない。

 ただただ、眼前の光景においていかれるだけ。

 

 会社の同期の女性から、交際を、申し込まれた。

 それも真摯に、正直に、きっぱりと、包み隠さず、真っ直ぐに、本気で。

 まさか、女性から告白をされるとは思ってもみなかった。

 そんな言い訳こそ、口から嫌というほど溢れ出てくるものだ。

 

「……ごめん。俺は今、仕事とか他のことに集中したいんだ」

「……わかり、ました。ですが、これだけは正直に答えて頂きたいのです。()()()()()()()?」

「断ることが、か?」

「いいえ。断ることは、私としては残念ながら、本当だと思います。私が言っているのは、貴方がその後に言った()()のことです」

 

 俺自身、戸惑いが思考を錯乱させていることに気付いていなかった。

 嘘偽りなく話したつもりが、無意識の『黒』で色付かせていることに。

 

 女性の同期にも使う丁寧な口調は、どこか『彼女』を思い出させる。

 こんな時にでも。いや、こんな時だからこそ、思い出したのだろうか。

 

「どうして、そう思う?」

「だって貴方、ここ一年私含めた女性に、見向きもしないじゃないですか」

 

 俺はやはり、黙り込む他ない。

 実際、振り返ってみると、本当にその通りなのだから。

 図星、だったわけだ。何とも情けないばかりだ。

 

「……ごめん」

 

 俺は意識せずに、謝罪の言葉を零した。

 それは一体、誰に向けたものなのだろうか。

 それとも、誰という人にも向けてない、ただの独り言の範疇の言の葉なのだろうか。

 

「どうして、謝るんですか。私が、貴方の描く女性像とは離れていたんですから――」

「いや、そうじゃない。そうじゃないんだ……嘘を吐いたことに対する、弁明だよ」

「私は別に、どうも。気にしていませんよ。やっぱり、私は貴方を振り向かせるほどじゃなかった。それが一番の理由なんですから」

 

 同期の女性の一言一句を聞くほどに、耳と心が痛む。

 真っ向から告白した彼女に対して、対局した態度をとった俺が、どれだけ醜いことか。

 

 けれども、どれだけ理由を偽ったとしても、結果だけは、偽ることができるとは思えなかった。

 その場限りでなら、その場しのぎでならいくらでも手のうちようはある。

 しかし、恋愛ともなるとそうもいかない。

 

 互いの恋を、何よりも信じる必要がある。

 相手の自分に対する愛も、自分が本当に相手に愛を向けているのかも。

 自覚のない愛、中途半端な愛は、相手を困らせるに過ぎない。

 俺は、ずっと大嘘吐きになれるような器や仮面の持ち主でもないことは、重々承知している。

 

「ただ、貴方の想う相手にだけは、嘘を吐いてほしくないです。それだけが、今の私の願いです」

「ありがとう。気持ちは本当に嬉しい。けど、このまま交際をしても、先が見えている気がしたんだ」

「その言葉だけでも、嬉しいです。これからも職場では、変わらず接していただけるともっと嬉しいです。突然、すみませんでした」

 

 目の前の女性がそう告げて、暗い夜道を一人で駆けていく。

 止めることもできず、立ち尽くすことしかできなかった。

 唯一、俺にできたことは。

 

「……はぁっ」

 

 宵闇に、白く曇った溜め息を吐くことだった。

 

 

 あの時、何か加えて言葉をかけられたのではないか。

 必要な言葉は何か、考えることくらいはできたのではないか。

 未だに後悔の念が残るが、過去の出来事は、どう足掻いても変えることはできない。

 俺が学んだ、苦い経験と知識の一つでもあった。

 

 そんな経緯を僅か一年で持って、今ここに佇んでいる。

 駆け出してちょうど一年が経った、夏の時期。

 家族には悪いが、彼女との約束だ。守らねばならないし、俺も守りたい。

 事前に母さんにも父さんにも連絡を入れたが、何ともありがたいことに、快い了承をもらった。

 

 一種の興奮状態で、駅のホームに入る。

 心臓が高鳴る中、ビターな教訓を胸に刻みつつ、切符を買うために駅員のところへ。

 前回はたまたま切符の確認が行われなかったが、今回もそう上手くいくとは限らない。

 確認をしっかりしてから、夢見村前行きの切符を買うべきだろう。

 

「え~っと、すみません。夢見村前の駅って、どの切符でいいんですかね?」

「ん? 夢見村、前……?」

 

 駅員さんが、不思議そうに復唱した。

 

 ――思えば、この時から、妙な胸騒ぎがしていたのかもしれない。

 心拍数の上がる心臓が、別の意味で速く鼓動を刻み始める。

 暑い中、得も言われぬ寒気がして、汗が滲む。

 この汗は、果たして暑さによるものだろうか。それとも、緊張状態による冷や汗なのか。

 まさか、そんなはずはない。どれだけ自己暗示的に胸の中で唱えても、心臓は暴れることを止めない。

 

「――()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 ――僅かな疑念が、確信に変わった瞬間だった。

 そして、記憶はまるで走馬灯のように流れ出して、ある地点で止まる。

 そう、彼女のあの言葉を聞いたときだ。

 

『貴方は、夢見村の言伝えを知っていますか?』

『この夢見村の出来事が、全て夢になる、と』

『言葉の通りですよ。この夢見村は夢の中の存在で、現実じゃない。幻想のような世界だ、と』

 

 夢が泡沫(うたかた)のように、音も立てずに弾けた瞬間だった。




――これは一つのエンディングだ。
ある意味で、最終話にもなりえる。

夢見村は、夢の存在だった、と。

けれども、納得がいかない。どこか心残りだ。胸の中で引っかかる。本来の物語をなぞっている気がしない
そう思う方へ。
もう一つのエンディングを、次回、お楽しみください。


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待ちわびた再会

 終いには、頭が真っ白になってきた。

 どうして。おかしい。そんな一言さえも、頭をよぎることはない。

 予想していた現実とは乖離した、現実。

 どちらが夢で、どちらが現実なのかすら区別がつかなくなってくる。

 俺に許されたのは、目を見開いて、懸命に眼前の光景を否定することだけだった。

 

「どうされたのですか?」

「あ、お疲れ様です。いやぁ、このお客さんが……」

 

 俺と駅員に、もう一人の駅員が話しかけてきた。

 混乱の最中から引き上げられて、その駅員の方を見る。

 白髭の、年配の男性。駅員のスーツ姿がよく映える方だ。

 

 ――見間違えるはずもない。夢見村の駅員、その人だった。

 帰りの列車で、意味深長な言葉を俺にかけた、あの人。

 心や思考に引っかかっていたため、印象と記憶には深く刻まれてる。

 

「夢見村前? って駅に行きたいらしいんですよ。こっちの方面じゃないことは確かなんですけど、どこの線の駅かわかりますかね?」

「ふぅむ、私も詳しくは知らないが、聞いたことはある。違う路線で探してみますので、どうぞこちらに」

「え、あ……はい」

 

 初対面で寡黙な印象を抱いた分、思いの外長い会話に驚く。

 若干ながら遅れて、彼の後ろをついていく。

 小さな人目につきにくい扉から、無人の白部屋に入った。

 

「君は、望んだんだね」

「え、えっと……」

「白い切符は、まだ持っているかね?」

 

 言葉が短くなり、俺の記憶上の姿と合致した。

 一つ一つの言葉に重みが増して、その中で発せられた白い切符の存在。

 決して夢見村のことに無関係ではないことは、容易に想像がつく。

 

「持ってますよ。……はい、どうぞ」

 

 財布を取り出して、折り目一つすらついていない、ほぼ一年前と同じ状態の切符を差し出す。

 まるで今もらったかのように、新しさすら感じさせるだろう。

 

 彼はその切符を受け取って、静かに頷く。

 満足そうに、笑顔を浮かべながら。

 

「貴方は、本物のようです。こちらの別の切符で、終点まで降りないで列車にお乗りください」

「わかりました。ありがとうございます」

 

 白とは別の、ちゃんと印刷された切符と白い切符を受け取った。

 部屋から出て、改札へ。

 元の場所に戻ると、俺が最初に話しかけた駅員がいる。

 

「あっ、どうでしたか?」

「どうやら、駅の名前の勘違いだったらしいです。話を聞く限りでは、この線で間違いはないですね」

「おっ、そうでしたか。よかったです」

 

 爽やかな笑みに見送られながら、会釈をして改札を通る。

 暫くだけ待って、列車が警笛を鳴らしてやってきた。

 列車の扉が開いて、微かな緊張感と共に、中へと乗車。

 

 席について間もなく、高らかな笛の音。

 扉が徐に閉まり、僅かな揺れに包まれながら、線路を沿って前へ。

 徐々に加速する感覚を感じながら、窓の奥に広がる景色を楽しむ。

 

 少し経ってから、例の向日葵畑の絶景が見えてきた。

 目を輝かせながら、咲き並ぶ向日葵を見る俺の様子は、さぞ子供っぽいことだろう。

 ただ、それだけこの光景が見られることが、嬉しかった。

 

 夢見村に行ける。その事実が、俺に遅れて実感ある安堵を齎した。

 席の背もたれに倒れるように深く座り直し、軽い溜め息。

 思い悩むような重苦しい溜め息ではなくて、本当によかった。

 

 そして直ぐ様、微睡みに襲われる。

 箱の微弱な揺れが眠気をさらに掻き立て、俺の意識を深みへと落としていく。

 いつの日かと、同じだな。そう思った時には既に、目の前は閉ざされた。

 

 

 はっとなり、飛び起きる。

 一日一本の運行ダイヤで、引き返されるとこちらとしては困る。

 

「次は~、終点、夢見村前~」

「……全く、本当にいつの日かと同じじゃないか」

 

 つい漏れ出した独り言に、自分で笑ってしまう。

 列車はやがて速度を落とし始め、止まる。

 目の前の扉が、蒸気を上げる音と共に開かれた。

 

 この時を、ずっと待ちわびていた。

 昨年から、ずっとずっと。

 毎日のように思い出しては、夢見村に行きたいと思っていたのだ。

 

 花屋の前を通る度に、夢見村の向日葵を連想した。

 別れ際にもらった手紙を読み返す度に、彼女の弾ける笑顔が目に浮かんだ。

 

 列車から降りると、異様な暑さに見舞われる。

 見渡す限りの自然に歓迎されるが、一年前と打って変わらずの猛暑。

 遠くの地面からは陽炎が立ち込めて、無軌道に左右に振れ続けている。

 それを確認した直後に、真後ろで扉が閉まり、列車が発つ。

 

 無人の改札口を抜けて、運行ダイヤを確認した。

 やはり、一日一本。何もかもが、そのままだ。

 

「……こんにちは。貴方は、旅のお方でしょうか?」

 

 聞こえた瞬間に、身が震えた。

 すぐにでも声のした方を向きたかったが、言葉の意を汲む。

 ゆっくりと、そちらを向いた。

 

 目深にハットを被った、白いワンピースを着た女性。

 長い黒髪が陽光を反射して煌めいている。

 ホームに吹き抜ける爽やかな風が、彼女の魅力溢れる黒髪とワンピースを揺らしている。

 

「はい、そうですが」

「ふふっ、ここには何もありませんからね。私の家でよければ、宿として提供しますよ?」

「いいの、でしょうか?」

「えぇ。では、行きましょうか――と、いきたいところですが」

 

 あの日の再現は、完璧だった。

 俺の再び湧き上がる恋と、彼女に見惚れる様子など、ほぼ変わらないのではないか。

 俺達は、ただ言葉だけを淡々となぞっているだけではなかった。

 

「お久しぶりですね、丁度一年ぶりです」

 

 そう言いながら、彼女は徐にハットを脱ぐ。

 しっかりと目が開かれて、俺の方を向いている。

 相変わらず、綺麗な目をしていた。

 どこまでも澄んだ黒は、誰しもの視線を吸い込んで離さないだろう。

 

「そうだな。随分と、長く感じたよ。五年か六年でも経った気分だ」

「へえ、では私は十年分くらい経った気分です。……貴方に、ずっと会いたかった」

「嬉しいお言葉だことで。俺からも、同じ言葉を返すとするよ」

 

 互いに、互いの再会を求めていた。

 口上だけでなく、心から今日この時間を渇望していた。

 このやり取りを、どれだけ欲していただろうか。自分でも、想像がつかない。

 相当に大きい、ということはわかるのだが。

 

「ふふっ、私の予知夢ってすごいです。夢の姿と今見える貴方の姿が、まるっきり同じなんですから」

「……見える、のか?」

「はい。手術、受けました。といっても、つい最近なんですけどね。都会行かないと手術ができない。でも、都会で聞こえる車の音が怖い。たった二つの連鎖に、暫く悩まされました。えへへ」

 

 可愛らしい様子も、当時から一切鈍っていない。

 彼女の純粋さも、丁寧な口調も、柔らかい言い方も、全て。

 変わったことと言えば、彼女の目が見えるようになったことと、気のせいか笑顔が前よりも輝かしいことだ。

 俺にとっては、どちらも歓喜のあまりに、小躍りしてしまいそうになるほどだ。

 

「あっ、そうそう。今日の夜、花火大会があるんですよ。一緒に、花火を見ませんか?」

「おう、勿論。それよりも、本当に花火大会を開催するとは、思ってもみなかったよ」

「だって、貴方は嘘が嫌いでしょう? それに、私も貴方も喜べそうなので」

 

 別れの日の、約束を思い出す。

 約束と呼べるほど現実的ではない、一年後の花火大会の開催。

 まさか、彼女の意志が村を動かすとは。大したものだ。

 

 彼女だけの意志ではないのかもしれないが、発端は明らかに彼女だろう。

 俺にためでもあると思うと、やっぱり恋する俺としては嬉しい。

 

「喜びすぎて飛べそうだよ」

「わあ、随分と大きい鳥さんですね。それと、貴方の小説、読みましたよ? 面白かったです」

「ありがとさん。それはそうと、俺のペンネーム、言ったっけか?」

「あんなにわかりやすいタイトルで出しておいて、よく言いますよ、本当に」

 

 彼女の呆れた笑いも、また懐かしい。

 安直すぎる題名というのも、意外な得があったものだ。

 

「出す日とか、わかったのか?」

「いいえ? 一ヶ月ごとに、本屋に出向きました!」

 

 腰に手を当てて、満面の笑みで胸を張る子供らしさといったら、可愛いのなんの。

 そのまま頭を撫でたくなるような、庇護欲をそそられてしまう。

 

 彼女の行動力といったら、それはもう素晴らしいものだ。

 車の恐怖は完全に消え去ることはないだろうに、毎月本屋に行って、何万とある本の中から探したのだ。

 どう考えても、普通の人なら早々に諦めるレベルだ。

 それを見つけて購入し、読むのだから、良い意味で常軌を逸している。

 

「そこまでしてくれると、作家冥利に尽きるよ。……なぁ。一つ、いいか?」

「えぇ、どうかしましたか?」

「俺は君に、ずっと言いたかったことがあるんだ」

 

 一年前から、ずっと秘めた思い。

 どうしてあの時言えなかったのだろうと、後悔もした。

 けれども、最後の日に打ち明けても、空中分解しそうでできなかったのだ。

 

「奇遇ですね。私も、直接貴方に言いたいことがあるんですよ」

「なんだ? 同時に言えってか?」

「ふふっ、それはいいですね。そうしましょうか」

 

 俺達は、確信していたのかもしれない。

 寄せ合う想いに、既に気付いていたのかもしれない。

 互いの名前すら、知らないのに。でも、そんなことは正直、どうでもよかった。

 

 夢見村に訪れる八月は、蝉の鳴き声と共に。

 蒼浪が広がる青空は天高いが、手を伸ばせば届きそうだ。

 雄大な自然に、背中を控えめに押された気がした。

 

「私は――」

「俺は――」

 

 貴方のことが――




ありがとうございましたぁあああ!

最終話です! 四月の終わりから連載して今日まで、意外と長かったです。
七月から、とある理由で急ピッチで仕上げてきました。申し訳ない。
ともあれ、タイトルにもある八月に終わったのはポイント高い。何の話だってね(´・ω・`)

他作品に比べて圧倒的に人気が出ませんでしたが、情景描写は一番頑張れました!
人気どうこうよりも、こうやって頑張って完走できたことに、読者の皆さんへ尽きぬ感謝を。

最後、貴方のことが――の後に続く言葉は、想像におまかせします。
一体、どんな言葉が続くんでしょうね?

一応、これがトゥルーエンド的なポジションです。
いかがでしたか? 前話が納得いかなくて、今話で納得する人がいるかと言われると、また微妙なところですが……
『私の中では』一番ふさわしいというか、いいエンディングのつもりです。
私の中では。ここ、重要。

情景描写意外に頑張ったことは、やはり彼女視点ですね。
視覚描写が書けないということは、私にとってかなり痛かったです。
主に視覚に頼っていたことがわかって、課題の発見にも繋がりました。

長くなりましたが、これで本当に八月の夢見村は最終話となります。
改めまして、この作品をここまで見ていただき、ありがとうございました。
度々送られてくる感想に感謝しつつ、頑張れました。

本当に、ありがとうございました!


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