ホットスパーズ ~命知らずの騎士と二人の女神~ (公私混同侍)
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邂逅(かいこう)
二つの星


中世、近代、そして現代……

三つの時代が交わる時、世界はワタシ達の想いとは違った一面を見せる

それは不思議な、不思議な『世界』を巡る物語――





唯城恭夜(ゆいしろ きょうや)は病院を訪れている。母親を見舞うためだ。日本にいる時は一週間に二回、見舞いに来ている。

 

恭夜「母さん、具合はどう?」

 

長年の入院生活の疲労からだろうか。

顔色が悪い。

 

母「変わらないわ。サリーは元気?」

 

恭夜「元気だよ」

 

母「あんまり無理させちゃ駄目よ」

 

サリーは五才の時、唯城夫婦に引き取られた。血の繋がりはないが恭夜にとっては家族同然だ。

 

母「恭夜は思い出したくないかもしれないけど、七年前に飛行機事故があったじゃない?」

 

恭夜「俺とサリーの目の前で起きた事故のこと?」

 

母「そう」

 

七年前、唯城親子が乗る予定だった旅客機が爆発炎上。乗組員と乗客全員が死亡した事故である。

 

恭夜「あの時、サリーが寝坊しなかったら……」

 

母「飛行機事故に巻き込まれずにすんだのは奇跡だと思っているの。だから……」

 

恭夜「母さんは俺達だけ助かったことに罪悪感を感じてるの?」

 

母「それは――」

 

恭夜「もしかして、あの飛行機事故で親を失った人がいたらとか考えてる?」

 

母「恐ろしい子ね。誰に似たのかしら」

 

恭夜「サリーが同じこと言ってたよ」

 

母「あら、サリーが私に似たのね。フフフ」

 

恭夜「俺だって出来ることがあるならなんでもするよ」

 

母「じゃあ恭夜にお願いするわ」

 

恭夜「何?」

 

母「あの飛行機事故の犠牲者に私の知り合いの星宮(ほしみや)夫妻が乗っていたの」

 

星宮夫妻はアンドロイド研究に携わっていた。唯城夫妻は研究仲間であった。

 

恭夜「確かアンドロイドの設計をしてたって聞いたことがあったような――」

 

母「そうよ。それに星宮夫妻には子供がいるの。その子達のね面倒を見てあげてほしいの」

 

恭夜「サリーが喜びそうな話だけど、日本に住んでるの?」

 

母「ええ。ここから二時間くらいかしら――」

 

その日の夜、ホテルに帰った恭夜はサリーに伝えた。既に身支度は終えている。

母親が体調を崩し入院してから二人だけのホテル暮らしが始まった。収入の多くはサリーが賄っている。恭夜は仕事の出来ない母親の介助をしているのだ。

 

サリー「これから海外を回るというのに何故このタイミングなんだ!」

 

恭夜「悪かったよ。でも一緒にいたって俺はサリーの役に立てないし」

 

サリー「そういうことじゃない!私はただ……」

 

恭夜「もう耐えられないよ。サリーが見ず知らずの男達に媚びを売ってる姿をただ見ているだけなんて」

 

サリー「媚びを売ってるつもりはない。私は少しでも楽な生活をさせたいだけだ」

 

恭夜「やっぱり俺は役立たずだ」

 

サリー「恭夜を一人にしたくない」

 

恭夜「自分が一人になりたいだけだろッ!」

 

二人は初めて口喧嘩をした。

朝、恭夜はサリーを空港まで見送るためタクシーに乗った。サリーは冬景色を眺める恭夜に語りかけている。

 

サリー「帰ってきたら桜を見たいなぁ」

 

恭夜は目を瞑っている。

 

サリー「そもそも恭夜は星宮兄妹の面倒をちゃんと見れるのか?」

 

恭夜はあくびをした。気まずい空気の車内に運転手は何度もルームミラーを見ている。

 

サリー「私がいなければ何も出来ないくせに」

 

空港に着いても恭夜は目を合わせようとしない。

 

サリー「お母様の事、頼んだ」

 

恭夜はそのままタクシーで星宮兄妹の元に向かう。着いた先は少し古臭い二階建てのアパートだ。二階の端に住んでいると聞いていた。一軒ずつ表札を確認する。

 

恭夜「会うのはいつぶりだ?なんか緊張するなぁ」

 

恭夜「ここだな……あれ?インターフォンないじゃん」

 

ノックしようとした瞬間、勢いよく扉が開いた。

 

恭夜「――いってぇぇぇ!」

 

ゴンという音が扉を伝う。

 

隆太「いつも言ってるでしょ!人がいると思って扉は開けないと駄目だって!」

 

あかり「ご、ごめんなさい!ついいつもの癖が出ちゃって……ああ!隆太お兄ちゃん、来て来て!」

 

隆太「ごめんなさい、手は大丈夫ですか?」

 

恭夜「だ、大丈夫だよ。それより君達が星宮兄妹?」

 

あかり「そうだけど……」

 

隆太「あっ!もしかして唯城恭夜さんですか?」

 

恭夜「今日から君達の面倒を見に来ようと思ってるんだ」

 

あかり「あれぇ?もう一人はどこにいるの?」

 

恭夜「サリーは仕事で来れないから今度紹介するよ」

 

隆太「立ち話すると隣の人に怒られちゃうので中に入って下さい」

 

星宮兄妹の部屋は二人で住むには申し分ないくらいの広さだ。誰が買い与えたのか分からないが、家具家電などの必需品は取り揃えられている。

 

恭夜「え~と、改めまして唯城恭夜と申します。ふつつかものですが何とぞよろしくお願い致します」

 

隆太「あはは、そんなにかしこまらなくてもいいですよ。足も崩してもらって構いません」

 

あかり「そうだよ。これから一緒に暮らすんだから」

 

恭夜はそわそわしている。いつもならサリーが場を和ませてくれるのだが、今回ばかりはそうは言っていられない。

 

あかり「あたしは星宮あかり、高校一年生だよ。こっちは隆太(りゅうた)お兄ちゃん、我が家の家政婦――だよね?」

 

隆太「家政婦って……そんなことより僕達、双子なんですよ。知ってました?」

 

恭夜「兄妹としか聞いてなかったよ。ウーン、確かに髪型と服装を入れ替えても見分けられないかも」

 

あかりは高校に通っているとは思えないくらいあどけなさを感じさせた。隆太はあかりのために家事とアルバイトの毎日を送っている。

 

あかり「もうすぐお昼だね。ご飯食べよう!恭夜お兄ちゃん!」

 

恭夜は心臓が高鳴るのを感じ顔を赤らめた。

 

隆太「それじゃあ、あかりも手伝って。兄さんはゆっくりしてて下さいね」

 

恭夜「隆太はしっかりしてるなぁ」

 

その日から三人の生活が始まった。徐々によそよそしさもなくなり、本当の兄妹のような感情が三人の中に自然と芽生えていく。




唯城恭夜(ゆいしろきょうや)―男・18歳
本作の主人公。
諸事情からサリーと共に世界を旅していた。
過去に二度死にかけている。
学校に通ったことがないが、しっかり者のサリーの指導によって平均的な学力を有する。
得意科目は日本史。
運動神経は中の上。
趣味はサッカー、利き足は右足。
嫌いなものは強面の人、華やかな場所。


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滴る刃

一ヶ月が経った。恭夜は星宮兄妹の近況を伝えるため病院に向かう。

母親の顔色は以前と変わらない。

 

母「三人で暮らすなら風邪なんて引いちゃ駄目よ」

 

恭夜「わかってるよ」

 

母「あっ!」

 

恭夜「気分でも悪いの?」

 

母「違うわよ。ちょっとそこの引き出しにファイルがあるから取ってちょうだい」

 

恭夜は上から順に引き出しに手を伸ばす。二段目を引くと青い分厚いファイルが見えた。埃臭さが鼻をつく。

 

母「この近くにアンドロイドの修理が出来る工場があるのよ」

 

恭夜「聞いたことないけど」

 

母「地図を渡すから見に行ってくれない?」

 

恭夜「えー、強面(こわもて)の人がいたら嫌だよ」

 

母「別に話をしに行ってって頼んでる訳じゃないでしょ」

 

恭夜「アンドロイドがなかったらすぐ帰るから」

 

母「報告お願いね。確認出来たら後はサリーに頼むわ」

 

病院を出ると日が暮れていた。地図を頭に叩き込み急いで工場に向かう。人通りの少ない小道を進み正門らしき場所で足を止める。正門は施錠されており、守衛所に警備員はいない。

 

恭夜「ここだな」

 

鉄製の正門の高さは約二メートル。恭夜は少し悩んだ後距離を測り周りに人がいないことを確認する。助走を取ると跳び箱の要領で正門を飛び越えた。

 

恭夜「あっぶねぇ……」

 

明かりがなく、まるで廃工場のようだ。恭夜は人の気配を探るように歩く。するとシャッターが開いている場所に辿り着く。中は真っ暗であるが恭夜は人がいることに気づいた。

 

恭夜「お化けじゃないよな?」

 

人影を観察していると、やんわりとした風が髪を揺らした。

 

恭夜「すみませーん……」

 

ルナ「誰?」

 

恭夜「ここにアンドロイドがあるって聞いて来たんですが――」

 

暗闇から足音が大きくなる。近づく足音に恭夜は身構える。暗闇から長身の女性が現れる。恭夜の口から安堵の空気が漏れた。

 

ルナ「会いに来たの?」

 

恭夜「え?い、いやそういうわけじゃ……」

 

ルナ「ずっと一人」

 

恭夜「君はずっとここにいたの?」

 

ルナ「私はルナ」

 

恭夜「ん?あ、ああ。ルナって言うんだ。俺は――」

 

ルナ「あそこにずっと一人でいる」

 

恭夜は会話が噛み合っていないことに戸惑った。

 

ルナ「あの人も孤独?」

 

恭夜「人なんてどこにもいないけど――」

 

ルナ「私もずっと一人だった」

 

恭夜「そうなんだ」

 

恭夜は暗闇の中心に意識を集中させる。得体の知れない何かがこちらを見ているような気がしたからだ。

 

恭夜「ずっと気になってたんだけど、どこかで会ったことある?」

 

ルナ「この刀が教えてくれる」

 

恭夜「はあ?」

 

支離滅裂な会話に辟易しているとルナは忽然と姿を消していた。ルナの立っていた場所がにわかに湿っている。

 

恭夜「雨が降るなんて聞いてねぇよ……」

 

足早にその場を後にした。

 

アパートに着くとあかりが出迎える。

 

あかり「恭夜お兄ちゃん、おっかえりー!」

 

恭夜「ただいま」

 

隆太「兄さん、遅いよ。もうご飯出来てるよ」

 

恭夜「あかりが学校終わったとき雨降ってなかった?」

 

あかり「それ恭夜お兄ちゃんが急いで帰ってきたからじゃない?」

 

隆太「何かあったの?」

 

恭夜「あれ?俺の気のせいか……」

 

あかり「はっはーん!恭夜お兄ちゃん、お化けに会ったんだぁ!」

 

隆太「兄さんって結構怖がり?」

 

恭夜「美人なお化けに会ったんだよね。また会えるかなぁ」

 

あかり「そんな人にホイホイついて行ったら、恭夜お兄ちゃんも死んじゃうよ!そんなのイヤ!」

 

隆太「そんなゴキブリみたいな言い方しなくても」

 

恭夜「誰がゴキブリだ」

 

三人は夜更けまで騒ぎ続け、疲れはてて眠ってしまった。。賑やかな一日はあっという間に過ぎていく。

窓から朝日が差しこむ。恭夜は隆太の家事で目を覚ました。あかりは目を擦りながら制服に着替えている。

 

恭夜「今日も行ってみるか」

 

あかりが学校に行くのを見送ると直ぐに身支度をする。

 

隆太「兄さん、今日も遅いの?」

 

恭夜「なるべく早く帰ってくるよ」

 

隆太「雨が降るみたいだから傘持っていった方が良いよ」

 

恭夜「さすがは家政婦だ」

 

隆太「兄さん、夜道に気を付けてね」

 

隆太の目が笑っていない。どうやら機嫌を損ねたようだ。

傘を手に工場に向かう。正門を通ると守衛所に警備員がいる。事情を説明し入場許可証を首から下げる。工場内からは人の気配がする。シャッターは今日も開いていた。中を覗くと一人の男が作業している。人の形をしたロボットのような物を修理しているようだ。

 

恭夜「やっぱり。母さんが言ってたことは本当だったのか」

 

男はメガネをかけている。

 

恭夜「すみませーん!」

 

メガネは作業に没頭している。

 

恭夜「ちょっといいですかぁ!」

 

メガネはパソコンを操作している。

 

恭夜は無視されていると思い息を大きく吸い込む。すると女性が後ろから顔を覗きこんできた。

 

恭夜「うわぁぁぁ!?出たぁぁぁ!?」

 

メガネ「誰かいる?」

 

恭夜「はっ……はっ……」

 

ルナ「大丈夫?」

 

メガネ「ルナの知り合い?」

 

ルナ「昨日も来てた」

 

恭夜「あ、お、俺はアンドロイドについて調べてて――」

 

ルナ「ゲルマの友達?」

 

恭夜「ゲ、ゲルマ?」

 

メガネ「ゲルマって言うのは、このアンドロイドの名前みたいだよ」

 

ルナ「私が見つけたの」

 

恭夜「見つけた?」

 

メガネ「駄目だよ、ちゃんと説明しないと。ルナの目の前にゲルマが現れたんだけど、その日雨が降っていてショートしちゃったんだってさ」

 

恭夜「昨日の事?」

 

ルナ「違う」

 

メガネ「昨日は雨なんて降ってなかったし、ここ最近も降ってなかったと思ったんだけどね」

 

恭夜「このアンドロイドの修理ってどのくらいかかる?」

 

メガネ「もう終わってるんだけど、全く動かないんだよ」

 

恭夜「どうして?」

 

メガネ「さあね。僕が聞きたいくらいだよ」

 

恭夜「母さんに聞いてみるしかないか」

 

ルナ「――ゲルマ?」

 

恭夜はアンドロイドの雰囲気が不気味に感じた。両目から発する赤い発光体がこちらの動きを注視しているように感じたからだ。

眼鏡をかけた男の名前は和久井誠(わくいまこと)。恭夜は怪しまれる前に工場に来た目的を誠に伝えた。




登場人物紹介

サリー・ラングニック―女・20歳
5歳の時に唯城夫妻に拾われる。
恭夜を溺愛しているが、本人にその自覚はない。
恭夜の母が入院しているため代わりに生計を立てている。
二人で世界中を回っていたが、恭夜本人に快く思われていない。
ちょんまげのような髪型がトレードマーク。
勤勉で努力家。極度の船酔い体質。
得意科目は世界史(主にヨーロッパ)。
いつも刀を持ち歩いており刀身は錆や刃零れが酷く、恭夜からは拷問用の道具だと思われている。
刀の使い方は時代劇で習得。


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霹靂

誠はこの工場で父と共に働いている。

 

誠「へぇ!恭夜の両親ってアンドロイドの開発者なんだ!」

 

恭夜「開発したって言っても、証明出来るものは何もないんだけど」

 

誠「もし君が関係者じゃなければ――」

 

恭夜「いっ!」

 

誠「このスクレイパーで――」

 

恭夜「うっ!」

 

誠「身ぐるみを剥いでやるつもりだったんだけどなぁ」

 

恭夜「いちいち顎を小突くな!スクレイパーなんていつ使うんだ?」

 

誠「そうだそうだ、設計図ってまだ残ってる?」

 

恭夜「俺が持ってるように見える?」

 

誠「いやぁ、一度は拝見したいと思ってたんだけどやっぱり難しいよね」

 

恭夜「それに設計者は飛行機事故で死んでる」

 

誠「オヤジから聞かされたよ。世界は最高の頭脳を失ったんだって今でも嘆いてるよ。開発者は?」

 

恭夜「父さんは俺が三歳の時、事故で死んだ。母さんはその時のショックで入院してる」

 

誠「……ごめん。唯城博士達までそんな災難に見舞われてたなんて知らなかったんだ」

 

恭夜「俺も詳しいことは教えてもらってないし、大した思い出もないから気にしなくてもいいよ」

 

誠「恭夜は博士達の研究を引き継いだりしないの?」

 

恭夜「アンドロイド自体に興味ないからなぁ」

 

誠「じゃあここで働く?人がいなくて困ってたんだ」

 

恭夜「人がいないってアンドロイドを修理してる場合じゃないだろ」

 

誠「僕はまだ修行の身でね……で、どう?」

 

恭夜「あかりと隆太の面倒を見るにはお金が必要だし、サリーに頼りきるのも良くないけど……」

 

誠「アハハ。そんな悩まなくても今すぐ人手が必要ってわけでもないから」

 

恭夜「ウーン……」

 

悩みに悩んだ末、もう一度提案されたら二つ返事で承諾することに決めた。

 

誠「そんな『何か言いたいことない?』みたいな顔されても――」

 

ルナ「ゲルマ、起きた」

 

恭夜「え?え?」

 

誠「今、ゲルマが起きたって言った?」

 

恭夜「そうなの?」

 

ルナ「うん」

 

誠「僕が確認してくるから二人はそこで待ってて!」

 

誠はゲルマの様子を確認するとパソコンに視線を移す。

 

誠「特に変化したような波形は見られない。よし、声をかけてデータを取ってみよう」

 

恭夜は隆太の言葉を思い出し空を見上げる。快晴だ。時刻は正午。

 

恭夜「腹減ったなぁ」

 

ルナは誠の作業を黙って見ている。

 

恭夜「ルナはお腹すいてる?」

 

ルナ「ポンデリングが食べたい」

 

恭夜「あっそう……」

 

買ってこいと言われている気分になり素っ気なく返した。

 

ルナ「恭夜も食べる?」

 

恭夜「ごめん。フレンチクルーラーの方が好きなんだ……」

 

ルナ「ふふふ」

 

恭夜「何がおかしいんだよ……」

 

ルナの笑顔は印象的だった。恭夜は真面目な表情で覗きこむ。

 

恭夜「あの……」

 

ルナ「どこかで会ったことある?」

 

恭夜「えぇ……昨日俺が聞いたよね?」

 

ルナ「私の刀が……」

 

恭夜「刀がどうかした?」

 

ルナ「持ってみて」

 

恭夜「持てばいいの?――!?」

 

ルナ「ね?」

 

恭夜「な、なんじゃこりゃ??」

 

刀は不自然に濡れていた。手汗ほどの不快感はない。

誠はゲルマに語りかけ続けている。

 

誠「やあやあ」

 

ゲルマ(……ここは……なんだ?)

 

誠「聞こえてる?君、ゲルマって言うんだろう?」

 

ゲルマ(俺の名を呼ぶのは誰だ?……奥にも人影が……黒い長髪の女。それに髪は結っている。もしやライナ、ライナ・リゲイリアか?)

 

誠「おかしいなぁ。もしかしてルナの声にしか反応しないとかかな?」

 

ゲルマ(この違和感は一体どこから……そもそもこの体はなんだ?動かんではないか!俺は人間ではないのか?何故だ?何が起きている?この薄汚いメガネをかけた男が全ての元凶か?)

 

誠「ちょっと頭の中いじらせてもらうよ――相変わらず複雑な回路で見にくい。また目が悪くなったかも」

 

ゲルマ(やはりこの男が俺を醜い姿に作り替えた外道か!許せん!許せん!許せん!貴様を必ず葬り去ってやる!動け!我が怒りの拳よぉぉぉ!)

 

ゲルマはガタガタと音を立てている。

 

誠「おっ!動いてきた!いいね!いいね!それじゃあ僕が命令するからその通りに行動するんだ。まず右手を頭より上に上げて――」

 

ゲルマは右手の拳を振り上げる。

 

誠「うわぁぁぁ!」

 

恭夜・ルナ「!!」

 

誠は間一髪、拳を回避したが驚いた拍子に尻をついてしまった。

 

誠「な、なんだよ急に!?」

 

ゲルマ「貴様、一体何をした?」

 

誠「え?何って――」

 

ゲルマ「答えぬのなら吐かせてやる!」

 

誠の胸ぐらを掴み、軽々と持ち上げる。

 

誠「うぅ……いき……でき……」

 

恭夜「凄いことになってる……でも本当に完成してたのか。自我を持つアンドロイドが!」

 

ルナ「ゲルマ、ダメ!」

 

ゲルマ「ライナか?……いや、違うな」

 

恭夜「や、やあ!俺、恭夜って言うんだけどその人離して――」

 

ゲルマ「貴様は知っているのか?」

 

ルナ「ゲルマを直した人。だから離して」

 

ゲルマ「……」

 

恭夜「お、お前は機械の体なんだぞ。わかるか?誠が直してくれなかったら――」

 

ゲルマ「やはり貴様が身体を醜い姿に作り替えたのだな!許せん!」

 

ルナ「違う!」

 

恭夜「ヤバイ。あいつ機械のクセに勘違いしてるぞ。このままじゃ誠が死ぬかも……」

 

ゲルマ「最期に言いたいことは……ククク、声も出せないようだな」

 

恭夜「おい!ゲルマ!その男を殺すな!お前が元の姿に戻れなくなるぞ!」

 

ルナ「ゲルマ、聞いて!」

 

ゲルマ「ならば貴様に問おう。全ての真実を」

 

ゲルマは誠を投げ飛ばす。誠は壁にぶつかり意識を失った。

 

恭夜「へ?い、いや、殴り合いじゃなくて、こう平和的に――」

 

ゲルマ「問答――」

 

右の拳を恭夜に向ける。

 

ルナ「逃げて!」

 

恭夜「なんで!?」

 

ゲルマ「無用!」

 

ゲルマの拳は弾丸のように発射する。同時にルナが恭夜を庇うように立ちはだかった。

 

ルナ「――んっ!」

 

恭夜「――ちょっ!」

 

ルナは刀で受けるが容易く弾き飛ばされる。恭夜も巻き添えをくらい外に放り出された。

 

ルナ「うう……」

 

恭夜「いってぇ……」

 

外は快晴から一転、曇天に覆われている。ぽつりぽつりと雨が降り始めた。




登場人物紹介

星宮あかり(ほしみやあかり)―女・15歳
双子の妹。
飛行機事故で両親を失う。
ツインテールが特徴的。
甘え上手で兄の隆太を意のままに操るフィクサー。
高校に通っているが、成績は良くない。
年齢に関係なく年上の人物を「~お兄ちゃん、お姉ちゃん」と呼ぶ。
自他共に認める面食い。特にジャ○ーズが大好物。


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過去を求めるモノたち

恭夜「――ん!雨が降ってる!アイツを外に連れ出せれば……」

 

ゲルマ「雨か。この体は水に弱いのだったな。この建物は雨漏りの心配はなさそうだが迂闊に動けんか……」

 

恭夜「ルナ、大丈夫?」

 

ルナ「うん」

 

恭夜「あいつを外に出そうと思うんだけど――」

 

ルナ「ダメ!また壊れちゃう!」

 

恭夜「他に止める方法が思いつかないよ」

 

ルナ「大丈夫」

 

刀を振り上げる。刀に水の粒がまとわりつく。そして徐々にその数を増やし刀身は厚みを増していく。

 

恭夜「どうなってるんだ!?サリーの刀と関係しているのか?」

 

ゲルマ「ま、まさか!?そこの女が()()()をふらせたのか!?」

 

ルナ「ごめんなさい、ゲルマ!」

 

降り下ろされた刀から水の刃が放たれた。刃はゲルマの背丈を越えている。

 

ゲルマ「こうも分が悪いと立ち向かいたくなってしまうな!」

 

ゲルマは両目に赤い光を集め水の刃に向けて閃光をぶつける。水の刃は高密度の熱線を受け一瞬で蒸発する。

 

恭夜「レーザーみたいなものまで使うのか……」

 

ルナ「どういうこと?」

 

ゲルマ「厄介な能力だ。女性に手を挙げるのは主義ではないが……」

 

恭夜「逃げろ!ルナ!」

 

ルナ「私は……」

 

ゲルマは左の拳をルナに向ける。恭夜はルナの前に立つ。

 

ゲルマ「そうだ。男は常にか弱きものの剣でなくてはならない(俺は一体何を言っている?)」

 

恭夜「機械のクセに偉そうな事言いやがって!何が女には手をあげないだ!ルナを傷つけておいて!」

 

ゲルマ「くっ……(情けない。確かにこの男の言う通りだ。言動に齟齬をきたすとは頭をいじられた影響なのか?)」

 

ルナ「ゲルマ?」

 

ゲルマの目から赤い光が小さくなる。

 

恭夜「敵意がなくなった?」

 

恭夜は一歩、足を踏み出す。

 

ルナ「待って」

 

恭夜「今がチャンスかもしれない。ルナの力があれば――」

 

ルナ「私、人を助けたことがある」

 

恭夜「その刀貸して。俺が仕留めるから」

 

ルナ「その人、海で溺れてた」

 

恭夜「そうなんだ……え?」

 

ルナ「その時から、この刀が水を操れるようになった。ふふふ」

 

恭夜「俺を……」

 

ルナ「助けた」

 

恭夜「こんなことって……」

 

ルナ「偶然じゃない」

 

恭夜「本当に……本当にルナが溺れた俺を助けてくれたの?」

 

ルナ「ふふふ」

 

恭夜「思い出した!そうだ!この笑顔だ!俺が意識を取り戻した時のルナの笑顔だ!」

 

ルナ「ずっと覚えてた」

 

恭夜「ずっと言いたいことがあったんだ!」

 

ルナ「なに?」

 

恭夜「助けてくれてありがとう」

 

ルナは恭夜の感謝の言葉に頷いた。

 

ゲルマ「どうすれば……どうすればいいのだ?」

 

ルナ「ゲルマ?」

 

恭夜「あっ、こいつの事すっかり忘れてた」

 

ゲルマ「貴様ら……いや、お二方を見ていたら敵意を削がれてしまった」

 

ルナ「どうして機械の体になったの?」

 

恭夜「ルナ、あいつの話なんか聞く必要ないよ。どうせ油断させて手の平からなんとかブラスター!みたいなものを打つに決まってる」

 

ルナ「ふふふ、なにそれ」

 

ゲルマは両手をまじまじと見ている。確かに手の平には穴が空いている。

 

ゲルマ「信じてもらえないかもしれないが、ゲルマという人物の記憶があるかもしれないのだ」

 

恭夜「作られた記憶だろ。どうせ」

 

ルナ「私は信じる」

 

ゲルマ「現時点で断言する。このゲルマという人物はお二方に敵意を抱いてはいない」

 

恭夜「信じれるわけねぇだろ!誠を殺すとこだったんだぞ!」

 

ルナ「恭夜、ゲルマは嘘をついてない」

 

ゲルマ「申し訳ないと思っている。だが、許してもらえないと言うのならば――」

 

ゲルマは外に向かって歩き始める。外は土砂降りになっていた。

 

恭夜「あっ!」

 

ルナ「そんなのダメ!」

 

ゲルマ「自らの手で全てを終わらせるしかない」

 

恭夜「くそっ!父さん達が作った遺産をこんな形で終わらせちまっていいのか……?」

 

ルナはゲルマに抱きつく

 

ルナ「ゲルマはずっと一人」

 

ゲルマ「恐らく……恐らくだが一人ではなかったと思っている」

 

ルナ「私にはわかる」

 

ゲルマ「どういう意味だ?」

 

ルナ「難しいことはわからない。けど、恭夜ならわかる」

 

恭夜「ん?え?俺?」

 

ゲルマ「是非教えて頂きたい」

 

恭夜「う~ん……そうだなぁ……ルナはたぶんだけど……ずっと一人だったんだ……だからゲルマの気持ちもわかるよって感じ?」

 

ルナ「うん!」

 

ゲルマ「だから何だというのだ?」

 

恭夜「ゲルマに友達になってほしいなぁって……思ってる?」

 

ゲルマ「本当にそう思っているのか?」

 

ルナ「そうだよ」

 

恭夜「ふぅ……心臓に悪い」

 

ゲルマ(ルナという女は実に男心をくすぐる。この体も意外と悪くはないかもしれん)

 

恭夜「ゲルマ?」

 

ルナ「一緒に行こ!」

 

ゲルマ「条件がある」

 

ルナ「なに?」

 

ゲルマ「もしこのゲルマが誰かを傷つけようとするのならば、その刀で破壊してもらいたい」

 

恭夜「だってさ」

 

ルナ「うん……わかった」

 

雨は止む気配がない。誠は日が沈む頃に目を覚ました。




登場人物紹介

星宮隆太(ほしみやりゅうた)―男・15歳
双子の兄。
がさつなあかりを面倒見の良さで支える本作の大黒柱。
あかりの学業に専念してもらうためアルバイトと家事をこなす。すなわち主夫(シュフ)。
料理スキルが高く家庭料理であればどんなオーダーにも応える。すなわちシェフ。
得意料理はオムライス。
美人に滅法弱い。


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あいあい傘

誠「――ようするに僕は悪い夢を見ていたと」

 

恭夜「そ、そうだよ!ルナもそう思うでしょ?」

 

ルナ「うん。ゲルマは私と遊んでた」

 

ゲルマ「優雅な遊びであったぞ!ハッハッハ!」

 

誠「それならどうして作業場がこんなにメチャクチャになってるのかな?しかも頭がズキズキしてるんだけど」

 

恭夜「ゲルマ、はしゃぎ過ぎだぞぉ!」

 

ルナ「ゲルマ、謝って」

 

ゲルマ「誠殿、かたじけない。お詫びと言ってはなんだが(それがし)、誠意を尽くしていく所存にて(そうろう)

 

誠「そ、そう。まあそう言うなら仕方あるまいな」

 

恭夜「しゃべり方、移ってるでござる……あれ?」

 

ルナ「ふふふ、みんな面白い」

 

ゲルマ「早速と言ってはなんだが、ここで働かせて頂きたい」

 

誠「それはいいよ。僕は君の体の方に興味があるからさ。代わりと言ってはなんだけど恭夜を雇うことにするよ」

 

ルナ「良かったね」

 

恭夜「いやいや、まだ責任者の許可がなきゃ無理でしょ。あはは……」

 

誠「冗談はこの作業場を見てから言ってほしいよねぇ。ユイシロキョウヤ君?」

 

ゲルマ「生きるということは働くということだ。そうだろ?マスター」

 

恭夜「誰がマスターだ!」

 

ルナ「頑張れマスター」

 

誠「今日中に片付けないと僕が父さんに怒られちゃうからよろしくね……マスター」

 

恭夜は誠の下で働くことになった。ルナとゲルマも片付けを手伝い四人は夕食を共にした。

別れ際には豪雨は霧雨に変わり雲間から月が顔を出している。ゲルマは誠に預けられ恭夜はルナを送ることに。警備員に許可証を返し正門を出るとすぐにあることに気づく。

ルナは傘を持っていなかった。

 

恭夜「俺の家、すぐ近くだからこの傘貸してあげるよ」

 

ルナ「大丈夫」

 

恭夜「それじゃあ家まで送るよ」

 

ルナ「帰る場所がないから大丈夫」

 

恭夜「帰る場所がない?どこに住んでるの?」

 

ルナ「橋の下」

 

恭夜「あはは、雨はしのげるね……」

 

ルナ「うん」

 

恭夜「もし良かったら……」

 

ルナ「恭夜?」

 

恭夜「もし良かったらでいいんだけど、うちに来る?」

 

ルナ「でも……」

 

恭夜「ルナには感謝してもしきれないし、俺に出来ることがあれば何でもするよ」

 

ルナ「いいの?」

 

恭夜「俺が面倒みてる兄妹もいるから、ルナが来てくれたら喜んでくれると思うんだ」

 

ルナ「そうなの?」

 

恭夜「うん。それに俺が一人だったらルナも嫌だと思うし――」

 

ルナ「そんなことない」

 

恭夜「本当に?本気にしちゃうよ?」

 

ルナ「傘に入ってもいい?」

 

恭夜「う、うん!」

 

ルナ「――くしゅん!」

 

恭夜「か、風邪引いちゃうから早く帰ろう!」

 

二人は寄り添いながら帰路につく。アパートが見える頃には雨が上がり、月が闇夜を照らしている。

恭夜が扉をあけるとあかりが出迎えた。

 

あかり「遅いよ恭夜お兄ちゃん!合コンもほどほどに――ちょっ、ちょっと!隆太お兄ちゃん、大変だよ!」

 

隆太「夜も遅いんだから大きな声出しちゃ駄目だよ」

 

あかり「だって恭夜お兄ちゃんが美女をお持ち帰りしてるんだよ!」

 

隆太「えっ!?」

 

恭夜「紹介したい人がいるんだ。ルナ、中に入って」

 

ルナ「……」

 

あかり「この人がサリーさん?」

 

恭夜「違うよ」

 

隆太「さっきルナさんって言ってたでしょ……あっ、どうぞ中に入って下さい」

 

ルナは無言で中に入る。あかりがバスタオルをルナに手渡す。無言で受け取ったのであかりが不機嫌になった。隆太は味噌汁をルナに出すが、見とれていたのか少し火傷した。

恭夜は不穏な空気を変えるべくルナに助けられた話をする事に。

 

恭夜「――というわけなんだけどルナも泊めてあげて欲しいんだ」

 

あかり「先に言ってくれないと――」

 

隆太「僕は大歓迎です!」

 

ルナ「やっぱり私……」

 

恭夜「あかりは駄目?」

 

あかり「ダメじゃないけど……」

 

隆太「ルナさんは少し緊張してるんだよ。あかりが協力してくれればルナさんも心を開いてくれるよ、きっと」

 

恭夜「連絡しなかったのは謝るよ。でも放っておけなかったんだ」

 

あかり「わかってる……だから恭夜お兄ちゃんもあたし達に会いに来てくれたんだもんね」

 

隆太「あかりは小さい時、お姉ちゃんが欲しいって言ってたよ」

 

あかり「一つだけ……一つだけお願いしてもいい?」

 

ルナ「……うん」

 

あかり「ルナお姉ちゃんって呼んでもいい?」

 

ルナ「うん……よろしくね、あかり」

 

隆太「それじゃあルナさんの歓迎会をしましょう!」

 

ぎこちなさは残ったがルナも家族の一員として認められた。あかりはルナと打ち解けていく。ごく自然に姉妹のような関係を築いていく。




登場人物紹介

ルナ・ホワイトクロス―女・18歳
ポニーテールと艶やかな美貌をあわせ持つ天然美女(二重の意味で)。まるで作者の願望を忠実に再現したようなキャラクターだ。
複雑怪奇な言動とマイペースな性格が災いして、周囲の人間から「要注意人物」に指定される(たぶん)。
男からは愛され、女に疎まれる稀有な女性。
水を操る刀を持ち歩いており、命よりも大事な物らしい。警察は仕事をしているのだろうか?
好きな飲み物はケチャップとタバスコ。



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摩天楼の如く

ルナは毎朝、工場に向かうという。もちろんゲルマに会いに行くためだ。恭夜は半ば無理矢理雇われたが誠の下で奮闘している。ルナは恭夜の時間に合わせて家を出るため隆太に恨めしそう見られるのはもはや日課となった。

恭夜は忘れずに母親に近況を伝える。母親は満足そうな笑みを浮かべるが、サリーの事を聞かれた恭夜は素っ気ない態度で突っぱねた。それから数日が経ち年が明け、恭夜は休日に買い物に行くことになった。

 

ルナ「私、行きたい所があるの」

 

恭夜「橋の下に忘れ物でもした?」

 

あかり「下着でも忘れたの?」

 

隆太「そういえば服はどこから持ってきてるのでしょうか?」

 

ルナ「恭夜、来て」

 

恭夜「俺でいいの?」

 

恭夜はルナの後をついて行く。電車に揺られること十分。徒歩で十分。現れた建物は想像の斜め上をいくものであった。

 

恭夜「ここって……」

 

ルナ「バッティングセンターだよ」

 

恭夜「あのさぁ俺、野球よりサッカーの方が好きなんだ」

 

ルナ「行こう」

 

ルナは不満げな恭夜の腕を引く。ルナは慣れた様子で受付に向かう。恭夜は不穏な空気を感じルナが見える位置に立つ。

それは異様な視線だった。まさに獲物を逃さないと言わんばかりの野獣の視線。ルナは気づいていないのか打席に立つと恭夜を探している。目が合うとにっこりと笑った。マシンに向かい合うと目つきが変わった。飛び出す白球は恭夜の想像よりも速かった。だが、ルナは軽快なスウィングで白球を叩く。快音を響かせ上向きの弾道は素人の恭夜ですら唸らせるに申し分なかった。

 

恭夜「マジかよ……」

 

周りの男達もざわめく。ルナは気にも留めず、ひたすら白球を打ち返している。恭夜は見ていたかったが、それ以上に危機感を募らせていた。

 

恭夜「スイングするたびに周りの男達が見いってるな」

 

恭夜は周囲に注意を傾ける。男達の口元に視線を移し意識を集中させる。それは下品な会話だった。サリーが聞いたら斬りかかっていただろう。恭夜はそう思った。

 

ルナ「恭夜も打ってみて」

 

恭夜「ルナ、気づいてる?」

 

ルナ「私……」

 

恭夜「でも綺麗だったよ」

 

ルナ「恭夜――」

 

ルナも気づいたようだが既に退路はゴロツキ共に塞がれていた。二人組の金属バットを持った男が近づいてくる。一人は彫りの深い顔立ちに色黒の肌。もう一人は中肉で帽子を被り、いかにも高校球児風な男だ。ルナが恭夜の後ろに隠れてしまった。

 

中肉「ねえねえ、その女の子君の彼氏?違うんだったら俺達と遊ぼうぜ」

 

恭夜「俺の従姉妹(いとこ)なんだ。そこどいてくれる?」

 

色黒「そんなら男に用はねぇ。出口は向こうだぞぉ?へっへっへ」

 

ルナ「……」

 

中肉「俺達にも教えて欲しいんだよ。バットの扱いってやつ?」

 

恭夜「下品な奴」

 

色黒「あぁん!なんつったんだぁ?オイ!」

 

ルナは顔を伏せ恭夜の腕を掴んでいる。恭夜は足首を回し始めた。色黒の男はバットで恭夜の顎を小突き挑発している。恭夜はふと思い出した。誠のスクレイパーを。

 

恭夜「ルナ、知ってた?空に伸びる刃をイメージした高層ビルを摩天楼(まてんろう)って言うんだって」

 

中肉「さっきから何をゴチャゴチャと――」

 

恭夜「英語で何て言うか知ってる?」

 

ルナ「うん。スカイ――」

 

恭夜は右足を振り上げる。虚をつかれた色黒は避ける事が出来ず顎を直撃した。

 

色黒「ウゴォッ!!」

 

衝撃で色黒は宙を舞い床に叩きつけられた。

 

恭夜「スクレイパーだ!覚えておけ!」

 

中肉「て、てんめぇ!ぶっ殺してやる!」

 

相方をやられ、やけになった中肉はバットを振り上げ恭夜を(ほふ)りにかかる。恭夜は躊躇いもなく左足を振り上げる。バットを蹴り上げ勢いそのままに顔面に痛打した。

 

中肉「グペッ!」

 

恭夜は無我夢中でルナの腕を引き逃げるように外に出た。二人は公園で一息つく。ルナはベンチに座った。落ち込んでいるのか下を向いたままだ。

恭夜は痛む足を引きずりながら自動販売機で買った飲み物をルナに手渡す。ルナは無言で受け取った。

 

恭夜「バットってあんなかてぇのかよ。足がズキズキする」

 

ルナ「足、どうしたの?」

 

恭夜「……ちょっと捻っただけだよ」

 

ルナは不思議そうに恭夜の足を見ている。

 

恭夜「俺に来てほしいって言った理由ってさ――」

 

ルナ「一人で行っちゃいけないって言われてたから」

 

恭夜「いつもは誰かいるの?」

 

ルナ「ボディーガードがいる」

 

恭夜「ボ、ボディーガード?」

 

ルナ「うん。あと時々おば様も来てくれる」

 

恭夜「へー」

 

ルナ「ふふふ」

 

恭夜は携帯電話のバイブレーションに気づきポケットから出した。着信は隆太からだ。

 

恭夜「もしもし。隆太、どうした?」

 

隆太『兄さんに外国人の友達っているの?』

 

恭夜「なんだよいきなり」

 

隆太『ちょっと気になっただけだよ』

 

恭夜「知り合いはいるけど友達はいないかな」

 

隆太『おかしいなぁ、あかりが「ドイツ人を名乗るフランス人みたいな見た目のイタリア人が恭夜お兄ちゃんに会いに来たよ!」って言ってたんだ』

 

恭夜「ド、ドイツ人を名乗る?」

 

隆太『外国人の顔は見分けがつかないから僕には分からないよ』

 

恭夜「ドイツ人……ドイツ人……もしかして――」

 

隆太『今どこにいるの?』

 

恭夜「隆太、その男って部屋にいるのか?」

 

隆太『うん。あかりと楽しそうに話してるみたいだけど』

 

恭夜「すぐ帰るから電話は切るな!いいか?」

 

隆太『え?う、うん。わかった――』

 

恭夜は携帯電話を耳に当てたままルナの手を引いた。無意識に手を握ったためかルナは少し驚いた表情をした後、顔を赤くして下を向いてしまった。

アパートに着き扉を開くとゲルマが何食わぬ顔で居座っていた。



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狂騒の始まり

ルナ「ゲルマ、おかえり」

 

ゲルマ「それはこっちのセリフだ」

 

恭夜「何でお前がここにいるんだよ!」

 

隆太「――あっ!そうです!思い出しました!この人、()()()()って言ってました!」

 

あかり「何度も言ってるじゃん!この人、ドイツ人なんだって!」

 

ルナ「ドイツ人?」

 

恭夜「ゲルマンは確かにドイツ人かもしれないけどコイツの名前はゲルマだぞ。ゲ・ル・マ!」

 

隆太「だ、だぁから言ったじゃないかぁ!聞き間違いじゃないのって!」

 

あかり「え?ゲルマンじゃないの?」

 

ゲルマ「ったく、ドイツもコイツも人騒がせな連中だぜ」

 

恭夜「てめぇが人を騒がせてる元凶だろーが!」

 

ルナ「ふふふ、面白い」

 

その夜、テーブルに隆太以外の四人が座っている。隆太はカレーを作っていた。ゲルマは頭をコマのようにぐるぐる回転させルナの笑いを誘っているようだが、人間ではないことを知らないあかりは目を見開いたまま固まってしまった。

 

恭夜「お、おい!あかりと隆太の前で頭を回すな!」

 

ゲルマ「ルナはすぐ慣れたんだ。問題ない」

 

ルナ「うん」

 

あかり「ゲルマお兄ちゃんって人間じゃないの?」

 

恭夜「コイツはアンドロイドで自分の意思を持ってるんだよ」

 

隆太がカレーを持ってきた。話を聞いていたらしく興味津々のようだ。恭夜はゲルマを睨みつけながらカレーを頬張り始める。

 

隆太「アンドロイドというのはロボットと同じようなものでしょうか?」

 

ゲルマ「うむ!」

 

あかり「それじゃあカレーは食べれないの?」

 

ルナ「食べれるよ」

 

恭夜「無理に決まってるだろ!」

 

ゲルマ「飲まず食わずとも動き続けることは不可能ではないが……」

 

隆太「必要なものがあれば遠慮なく言って下さい」

 

ゲルマ「一つ甘えさせて頂くとすれば……ガソリン」

 

恭夜「ぶっ!――ゲホッ!ゲホッ!」

 

ルナ「ガソリン?」

 

あかり「ガソリンがあればいいの?」

 

隆太「なんだか車みたいですね」

 

ゲルマ「ガソリンがあれば弾丸ようなパンチや目からレーザーを出せるからな」

 

恭夜「ふ、ふざけんな!そんな物騒な理由のためにガソリンなんて買えるか!」

 

ゲルマ「しょんぼり……」

 

ルナ「恭夜、お願い」

 

あかり「あたしからもお願い!」

 

隆太「僕からもお願いします!」

 

恭夜「一体いくらかかるんだよ……」

 

恭夜にとってはゲルマの危険性よりも懐事情の方が死活問題らしい。

何気なく携帯電話を見ると誠から着信が入っていた。かけ直すとゲルマが工場から抜け出していたことが分かった。恭夜はつき出すつもりでいたのだが、誠がゲルマの暴走を警戒したため恭夜の預かりとなった。

恭夜は悪夢のような生活が始めるのではないかと神経を尖らせていた。しかし、ゲルマが目覚めた当初の振る舞いは微塵も感じさせない。それどころか隆太の家事を率先して手伝うようになり、全幅の信頼を寄せられるまでに至る。無論、皿洗いや風呂掃除がご法度であることは言うまでもない。



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サムライガール

サリー『もしもし、聞こえるか?』

 

恭夜「はいはい、聞こえてますよ」

 

サリー『明日の朝には着くから空港まで向かいに来てくれ』

 

恭夜「少し遅れたらごめんね」

 

サリー『遅れること前提で言うな』

 

恭夜「そういえば母さんから聞いた?」

 

サリー『アンドロイドの事か?私なりに調べはしたが、完全な自我を持つアンドロイドなんて全く耳に入ってこなかったぞ』

 

恭夜「そっか」

 

サリー『恭夜?』

 

恭夜「なに?」

 

サリー『……』

 

恭夜「どうしたの?」

 

サリー『いや、なんでもない』

 

恭夜「ふーん、それより早く帰って来てよ。話したい事がたくさんあるから」

 

サリー『わかった。お母様と星宮兄妹に時間を伝えといてくれ』

 

次の日、恭夜は空港に着くと特徴的な髪型を見つけて手を振った。サリーもすぐに恭夜に気づき少し口元を緩ませる。だが、目元は時差ぼけからか疲れが出ていた。

 

恭夜「おかえり」

 

サリー「去年ぶりだな」

 

恭夜「大袈裟だなぁ、二ヶ月しか経ってないじゃん」

 

サリー「フッ、そうだな」

 

二人はタクシーに乗り込んだ。何故か二人を見た運転手が顔を強ばらせている。

 

恭夜「その髪型さぁ、もうやめない?」

 

サリー「どういう意味だ?」

 

恭夜「もうすぐでサリーも二十でしょ?そんな髪型の人と一緒にいる人の気持ち考えたことある?」

 

サリー「元はと言えば、恭夜がポニーテールが似合いそうだとかぬかすから――」

 

恭夜「違うよ!俺はポニーテールが似合う女性がタイプって言ったんだよ!誰がチョンマゲにしてくれって頼んだんだよ!」

 

サリー「恭夜、指を出せ」

 

恭夜「やだよ。また折られたくないし」

 

サリー「まあいい」

 

恭夜「プッ、アハハ」

 

サリー「何故笑う?」

 

恭夜「隙アリィ!」

 

恭夜はサリーの髪を勝手に下ろす。

 

サリー「お、おい!?何をする!?」

 

恭夜「そっちの方が可愛いじゃん」

 

サリー「は、早く返せッ!!」

 

恭夜「これってさ……輪ゴムだよね?」

 

サリー「ああ」

 

恭夜「まともなの買えば良いのに」

 

サリー「仕方ないだろ。節約だ、節約」

 

恭夜「じゃあ今度、俺が買ってあげるよ」

 

サリー「ならティアラを買ってもらおう。それにダイヤもつけてもらおうか」

 

恭夜「はいはい。わかりました、わかりました」

 

子供のような無邪気な笑顔でサリーの手首に輪ゴムを通す。サリーは二人だけの時間を噛み締めるように外の景色を眺めていた。何故か運転手は安堵の表情をしていた。

 

サリー「――ここに例の双子が住んでいるのか」

 

恭夜はサリーの髪型が元に戻っていることに気づき落胆した。

 

サリー「恭夜、インターフォンがないぞ。このアパートのセキュリティはどうなっているんだ?」

 

恭夜「ホテルとは違うんだよ、ホテルとは――」

 

扉を開けると奇妙な光景が目に飛び込んできた。ゲルマ以外の三人はダルマ落としをしている。だが、ダルマ部分はゲルマの頭が置かれていた。端から見れば生首にしか見えない。

 

サリー「ひっ!な、な、なんだあれは!?」

 

あかり「ジャジャーン!ゲルマ落としだよ!」

 

隆太「お待ちしておりました!サリーさん、どうぞお入り下さい」

 

ルナ「恭夜、おかえり」

 

ゲルマ「やあ!マスター。ダルマ落としとやらは楽しいものだな」

 

恭夜「落とされてるの、お前だぞ」

 

サリー「一体、何がどうなっている?」

 

異質な光景に動揺を露にしている。六人は改めて自己紹介することに。

 

サリー「――とりあえず、私はこれから世話になるサリー・ラングニックだ。サリーと呼んでもらって構わない」

 

あかり「よろしくね!サリーお姉ちゃん!」

 

隆太「お世話になります、サリーさん」

 

ゲルマ(信じられん、あの奇怪な髪型は何だ?まさに現代に生きる武士!ここは勝負所だ。目にものを見せてやらねば!)

 

サリー「な、何だか物凄い敵意を感じるのだが……」

 

ゲルマ「あっし、ゲルマと申しやす」

 

恭夜「やりやがったコイツ」

 

ルナは口を両手で覆っている。声を出さずに笑いを堪えているようだが目元が隠せていないので意味がない。肩もプルプルしている。

 

恭夜「ルナはサリーの髪型をバカにしてんのか?それともゲルマの喋り方に笑ってるのか?」

 

あかり「あ、あたしは凄く可愛いと思うよ!」

 

隆太「ぼ、僕もそう思います!何と言うか……アバンギャルドな髪型ですよね!」

 

ゲルマ「アバンギャルドか……前衛的な髪型ということだな」

 

恭夜「むしろ前時代的だけどな」

 

サリー「ふん!まあいい。それよりも気になる事が――」

 

恭夜「ん?ルナがどうかした?」

 

サリー「何故ここに?」

 

ルナ「ふふふ」

 

恭夜「まだ笑ってるよ……」

 

サリー「まさか!?恭夜!私は聞いてないぞ!」

 

恭夜「まだ何も言ってないだろ!」

 

あかり「サリーお姉ちゃんは恭夜お兄ちゃんの……恋人なの?」

 

隆太「そうなんですか?」

 

ゲルマ「なるほど」

 

ルナ「そうなの?」

 

サリー「知らん!」

 

恭夜「俺にとっては頼り甲斐のある姉上って感じかな」

 

あかり・隆太・ゲルマ「ふーん」

 

ルナ「サリー、ご飯食べた?」

 

隆太「そうですよ!サリーさんの歓迎会しましょう!何か食べたいものありますか?」

 

あかり「隆太お兄ちゃん、我が家の主夫(しゅふ)……じゃなくてシェフだから何でも作れるんだよ!」

 

サリー「私は恭夜と同じで構わない」

 

隆太「え?」

 

あかり「嘘でしょ?」

 

ゲルマ「ふぅう!こいつはマジもんの片鱗を見せつけられたぜぇ」

 

ルナ「ゲルマ、ふふふ。なにそれ」

 

サリー「はっ!い、今のは間違いだ!わ、私は、え、えーと……そうだ!オムライスが食べたい!」

 

恭夜「動揺し過ぎだろ」

 

ゲルマ「低い声から高い声に変わるとなあ、こう耳がキーンなるんや。この理由、わかるかあ?」

 

ルナ「はぁ……はぁ……もうだめ」

 

隆太「サリーさんの顔、タバスコみたいに真っ赤になっちゃいました」

 

あかり「それならケチャップじゃない?」

 

隆太はオムライスを作っている。待っている間、五人は座る場所で揉めに揉めた。長方形のテーブルに六人で座らなければならないからだ。あかりと隆太が四人の要望を聞き入れる形で決着した。扉側に恭夜が座る。対面にはゲルマ。恭夜の右手側出前からサリーとルナ。左側出前からあかりと隆太。

明日は恭夜とサリーが母親の元に出向くという。



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決意のまなざし

朝六時過ぎ、恭夜は目覚めた。隆太は珍しく夜更かしをしたからか起きる気配がない。ゲルマは立ったままスリープしている。蝋人形のような不気味さを醸し出している。ルナは膝に毛布をかけゲルマの足に寄りかかるようにして寝ていた。恭夜はあかりが遅刻してしまうと思い声をかけ、その愛くるしい寝顔にイタズラを試みる。

 

恭夜「あかりは寝顔も可愛いなあ。ほっぺをプニプニしちゃおっかな」

 

あかりの頬を二回、プニプニする。

 

あかり「う~ん……あれ?恭夜お兄ちゃん?」

 

恭夜「時間は大丈夫?遅刻しちゃうんじゃない?」

 

あかり「え?嘘!?今何時!?」

 

恭夜「六時過ぎてるよ」

 

あかり「隆太お兄ちゃん、起きて!」

 

隆太「……アバン……ギャルド……ふへへ」

 

恭夜「何の夢を見てるんだ?」

 

寝ているサリーの腕が隆太の顔面にめり込む。

 

隆太「いったぁ……」

 

あかり「今のは隆太お兄ちゃんが悪いよ」

 

恭夜「サリーの寝相の悪さは相変わらずだな」

 

隆太「……ん?あ、おはよう」

 

あかり「早くお弁当作ってよ!」

 

隆太「もう作ってあるよ。冷蔵庫に入ってるから忘れずにね。じゃあ、お休みなさい……」

 

恭夜「さすがだな。サリーも見習ってほしいよ」

 

あかりが登校する。ルナが起きるとゲルマも呼応するように作動した。だが、サリーはうつ伏せのままだ。

 

ルナ「サリー、生きてる?」

 

ゲルマ「恐らく」

 

隆太「サリーさんって朝弱いのかな?起こしてきてよ」

 

恭夜「起こさない方がいい。いや、起こしちゃいけない」

 

隆太「掃除が出来ないんだけど」

 

恭夜「掃除機はそのままかけていいぞ」

 

隆太「ダメだよ、サリーさんが可哀想だよ」

 

恭夜「騒いだって乗っかったって、起きないもんは起きない」

 

恭夜が頑なにサリーを起こしたがらないのは理由がある。簡単なことだ。寝起きが悪く、なりふり構わず斬りかかってくるからだ。ならばゲルマに起こさせればいいのではと思ってしまうが、余計な面倒を起こしてほしくないのが本音である。

結局、サリーが活動を始めたのは十時過ぎ。寝起きの悪さは凄まじく、あまりの鋭い目つきに隆太が震え上がった。蛇に睨まれた蛙である。

時刻は十一時、空は雲一つない。風が強くサリーのマゲのような髪型は大きく揺れている。恭夜は白い目でそれを眺める。ゲルマも同行していた。母親にお披露目するためだ。

 

恭夜「ちゃんとした服着てくれよ~」

 

ゲルマ「あっしは生まれてこの方、このような衣装しか身につけたことがない」

 

サリー「季節感は大事にした方がいい」

 

恭夜「それでもタンクトップ一枚は不味いだろ」

 

ゲルマ「別に寒くなんかないもん!」

 

サリー「そういう問題ではない」

 

三人はまずゲルマの服を買うことに。

恭夜はあるワイシャツに目を奪われた。真ん中にピエロが指を向けて、強烈な笑みを見せつける。頭の部分に『アイ・ニード・ユー』と英語で書かれている。

 

恭夜「デザイナーのセンスを疑いたくなるな」

 

ゲルマ「あっし、これが欲しいでござる」

 

サリー「な、何?これが欲しいだと?」

 

恭夜「お前のセンスも相当だな」

 

ゲルマ「マスター、おねが~い」

 

サリー「私は知らんぞ」

 

恭夜「値段は――三千九百円!たかっ!」

 

ゲルマ「お手頃だね」

 

サリー「フッ」

 

買ってしまった。この服をレジに持っていくのは堪え難い屈辱。恭夜は唇を噛んだ。

ゲルマは買ったばかりの服を嬉しそうに着る。恭夜とサリーは歩くスピードを上げた。少しでも早く病院に、そしてゲルマを野晒しにしたくなかったからだ。

 

母「久しぶりね、サリー」

 

母親の表情は以前より柔らかくなっている。

 

サリー「お母様も元気そうで良かったです」

 

恭夜「母さんに見せたいものがあるんだ――なにモジモジしてんだよ。早く入れよ」

 

ゲルマ「失礼つかまつり候」

 

母「あら?サリーのお友達かしら」

 

サリー「お母様?」

 

恭夜は笑いを堪えている。

 

ゲルマ「あっしはアンドロイドでございやす。マスター達にはお世話になっておりやす」

 

母「これがアンドロイドなの!?信じられないわ……」

 

サリー「変わった口調は自我を持っているためかと思います」

 

ゲルマ(サリーも口調が変わるのか。だが、オレと違って理由があるようだ)

 

恭夜「でも本当に完成してたんだ。父さん達が作ったアンドロイド――」

 

母「そう……」

 

サリー「これで治療に専念出来そうですか?」

 

母「そうね。でも少し寂しいわ」

 

恭夜「後は俺達がデータを取るから母さんは早く退院してよ」

 

ゲルマは母親の質問にいくつか受け答えした。人間臭い返答で三人を困惑させたが、母親は充実感で満たされていた。

暫くするとサリーは会話から外れ、外を眺め始めた。風で木々が揺れている。

 

恭夜「――ちょっと喉が渇いたな。母さん、何か買ってこようか?」

母「お茶でいいわ」

 

ゲルマ「いってらっしゃ~い」

 

恭夜「お前も来るんだよ!」

 

母「ふふふ、面白いのね」

 

二人はサリーを残し退出する。

 

母「何かあったの?」

 

サリー「え?」

 

母「あの子が空気を読むなんて滅多にないもの」

 

サリー「少し疲れてるだけです」

 

母「サリーが無理する必要なんてないのよ」

 

サリー「私は……」

 

母「二人には親として何もしてあげられてない。だから、母親として出来ることがあれば何でも言ってほしいの」

 

サリー「恭夜に言われました。自分が一人になりたいから世界を回ってるんじゃないかって」

 

母「そんな酷いことを?わかった、お母さんが注意してあげるわ」

 

サリー「違うんです……私はただ……恭夜が私のそばにいてくれればいいんです」

 

母「ちゃんとあの子に伝えたの?」

 

サリー「まだ……でも必ず伝えます。その前にお母様に私の気持ちをお伝えしたいのです」

 

髪を下ろした。母親は黙って見つめている。

 

サリー「あなたの息子さんを私に下さい」

 

母親は驚く素振りも見せない。十秒ほどの沈黙が流れる。ゆっくりと口を開いた。

 

母「サリーの幸せは私の幸せよ。息子のこと、よろしくお願いします」

 

サリー「はい」

 

母「お母さんからも二つだけお願いしていい?」

 

サリー「はい?」

 

母「その肩の力が入った喋り方はしないこと」

 

サリー「わかりました……じゃない、わかった」

 

母「もう一つはお母さんと呼ぶこと」

 

サリー「うん……お母さん」

 

噂をすれば影がさす。廊下から二人の会話が聞こえてくる。

 

恭夜「――勘弁してくれよ。お前の面倒に付き合ってたら身が持たねぇよ」

 

ゲルマ「弱き者を(たす)くのは強き者の使命だ」

 

恭夜「心臓の音が聞こえないって、おばあちゃんが驚いてたじゃねぇか」

 

ゲルマ「ハッハッハ!天に召されなくて良かったー!」

 

恭夜「おばあちゃんがな」

 

サリー「二人とも、ここは病院だぞ」

 

母「楽しむのもほどほどにね」

 

三人は面会を終え病院を出た。穏やかな風が吹き抜ける。




登場人物紹介

ゲルマ―男・20~30代(見た目年齢)
恭夜の父親達に生み出された自律行動型アンドロイド。
本人曰く、材質はゲルマニウム合金で出来ているらしい。
自我を持っており自らの意思で人間の生活圏に入っていく。
起動してから間もないためか、周りの環境や人々から接触によって口調や挙動に変化が見られる。
どうやって外国に行くかって?……さあ……


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問い詰めたくて

気がつけば時が流れ春を迎えようとしていた。六人は変わらぬ日常を送る。

あかりは六人の中でも最年少であるが、人一倍繊細な感性の持ち主である。唯一の肉親である隆太とは双子であるが故に心が通じ合う。嬉しい事も悲しい事も共有出来るということは彼らの強みでもある。

逆にその難儀さに四苦八苦する場面もちらほらと顔を出すこともある。

思った事を口に出してしまうあかりとは対照的に、隆太は弱音を吐かないし誰かに甘える素振りも見せない。ゲルマの存在も見逃せない点ではあるが、家族を支えている実感が働きアリの根幹をなしていると言えるだろう。

詰まるところ何が言いたいのか?隆太に休暇を与える口実を模索していたのだ。本人に聞くのはもっての他だ。何故なら自己犠牲の精神が根底にあり、他人に奉仕することが自身の生き甲斐であるからだ。しかし、あかりが導き出した策はあえて隆太を利用することであった。

 

あかり「ルナお姉ちゃんがデートするなら、どのお兄ちゃん達としたい?」

 

ルナ「私はみんなとしたい」

 

隆太「嘘をついてるようには見えないですが……」

 

あかり「怒らないから正直に言って!」

 

ルナ「イヤ」

 

隆太はあかりの勢いに圧倒されている。

 

あかり「じゃあ、隆太お兄ちゃんに聞かれなければ答えてくれる?」

 

ルナ「イヤ」

 

隆太は明らかに凹んでいる。

 

あかり「じゃあ、ゲルマお兄ちゃんがデートに誘ったら一緒に行ってくれる?」

 

ルナ「……うん」

 

隆太「間が空いちゃましたね。ルナさんは分かりやすいです。もう答えが出ちゃいました。あかりには尋問されたくないなぁ」

 

あかり「あたし、ルナお姉ちゃんの気持ちぜーんぶ読めるよ」

 

ルナ「嘘言わないで」

 

あかり「初めてゲルマお兄ちゃんが来た時、恭夜お兄ちゃんと手を繋いでたよね」

 

ルナ「私が迷子にならないようにしてくれてただけ」

 

あかり「また嘘ついた!隆太お兄ちゃん、教えてあげてよ!」

 

隆太「ゲルマさんが教えてくれました。頭の中にサーモグラフィが搭載されていると――」

 

ルナ「サーモグラフィ?」

 

あかり「確か人や物から放射される赤外線、それで体温を……何だっけ?(前半部分しか覚えられなかったよ)」

 

隆太「(よし!後半部分は覚えてるぞ!)簡単に言うと体温を測定し色分けするんです。それにあかりが顔を赤くするルナさんを見ていたようですよ」

 

ルナ「……っ!?」

 

あかり「恭夜お兄ちゃんの後ろに隠れたつもりかもしれないだけど、バレバレだったよ(本当はゲルマお兄ちゃんが教えてくれるまで知らなかったなんて、口が裂けても言えない)」

 

隆太「ごめんなさい、ルナさん。こんな人の心を覗き見するようなこと、するつもりはなかったんです」

 

ルナ「恭夜とサリーには――」

 

あかり「言えるわけないじゃん!」

 

隆太「そんな言い方しなくても……」

 

ルナ「恭夜が好き。でもみんなも好き」

 

あかり「普通、好きじゃなかったら一緒にいないよね?」

 

隆太「質問が意地悪だよ」

 

あかり「隆太お兄ちゃんだって本当は言いたいことあるくせに!」

 

ルナ「隆太?」

 

隆太「ルナさんが考えてる事は僕も一緒です。それで……これからも仲良くして下さい」

 

ルナ「うん!」

 

あかり「へたっぴ!あたしみたいにもっと上手くやらなきゃダメだよ!」

 

隆太「け、結果良ければ全て良し!」

 



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現代
忍び寄る影


三月のとある夜……。

 

隆太「皆さんと一緒に遊びに行きたいのですが、どこがいいでしょうか?」

 

あかり「あたしはみんなに合わせる」

 

サリー「好きにしてくれ」

 

ルナ「……」

 

ゲルマ「やれやれ、どうしたものか」

 

恭夜「空気が重いなぁ。何かあったの?」

 

隆太はおどおどしている。あかりはため息をついた。サリーは腕を組み潜考しているようだ。ルナはうなだれている。恭夜は首を傾げている。ゲルマは頭を傾けている。

 

恭夜「サリーは桜を見たいとか言ってなかったっけ?」

 

サリー「言った気がするな」

 

隆太「花見ですね!僕はいいと思います!」

 

あかり「他に行きたい人は?」

 

ルナ「……」

 

ゲルマ「花見はいいとして果たして桜は咲いているだろうか?」

 

恭夜「まだ咲いてないのか……」

 

サリー「慌てる事もないだろう」

 

隆太「四月まで待つということですね?」

 

あかり「後一ヶ月ぐらいだね。ルナお姉ちゃんもそれでいい?」

 

ルナ「え?あ、うん」

 

ゲルマ「嫌なら嫌と言うべきだ。バッティングセンターならマスターもついてくる」

 

恭夜「オマケみたいに言うな。俺は野球に興味ねぇし、それにみんなで遊べる場所だって言ってるだろ」

 

話は決まったようだ。ゲルマの些細な一言でルナの表情が緩む。部屋中の風通しも良くなった。隆太が夕食の準備に取りかかろうと立ち上がる。

すると、サリーの携帯に着信音が鳴り響く。画面を見て眉間にシワを寄せた。スッと立ち上がり外に出る。

 

サリー「もしもし――」

 

?『やあ、僕だよ。去年パーティーでビジネスの話を交わしたんだけど覚えてないかい?』

 

男の声だ。サリーは周囲を見渡す。

 

?『サリー?君はサリー・ラングニックだろう?』

 

口調を変え高めの声で問いかける。

 

サリー「そうですが、どうしてこの番号を?」

 

?『僕にとっては造作もないことさ。なんせ情報屋だからね』

 

サリー「情報屋?……あ、ああ!思い出しました。その節は色々とご教授いただきまして――」

 

?『いいんだよ。あんな昔話、挨拶みたいなもんさ。それよりも僕と君にとって大事な話があるんだ』

 

サリー「何でしょう?」

 

?『僕と一緒にビジネスをしよう』

 

サリー「お誘いは嬉しいのですが私も世界中を回っておりますので、そのようなお話でしたら――」

 

?『君は今、日本にいるのだろう?』

 

サリー「!?」

 

?『ゴメンゴメン。驚かすつもりはなかったんだ。でも僕の気持ちを知ってほしくて電話したんだ。今すぐにでも君と会って話がしたい。もちろん君の大事な家族も一緒に構わないよ』

 

サリー「何がお望みでしょうか?」

 

?『僕が欲しいのは情報さ。この意味は君が一番良く知っているはず。六人分のチケットは手配してある。以前会った時、飛行機が苦手と言ってたから船のチケットを用意したよ。それでは約束の地で再会しよう、サリー嬢――』

 

サリーは男の言葉を聞き終える前に郵便受けに手を入れた。中から朱色の封筒が出てきた。中を確認すると男の言葉通り六人分のチケットが入っている。

周囲を確認すると部屋に戻った。

 

サリー「皆に話したい事がある」

 

あかり「どうしたの?」

 

サリー「申し訳ない。桜は見れなくなってしまった」

 

ルナ「どうして?」

 

恭夜「仕事か」

 

サリー「ああ、イギリスに行くことになった」

 

ゲルマ「イギリスか。楽しみだな」

 

あかり「ゲルマお兄ちゃんが行くわけじゃないのに?」

 

ゲルマは目玉をカメラのフォーカスを合わせるように回転させ、ほくそ笑んでいる。サリーの手にチケットがあるのを検知したからだ。

サリーは舌打ちした。恭夜は猜疑心に満ちた表情をしている。

 

恭夜「そのチケット、サリーが買ったの?」

 

サリー「ああ……」

 

隆太「凄いですね。でも、お金は大丈夫なんですか?」

 

サリー「気にするな……」

 

ゲルマ「花見は出来なくなったが、これはこれで都合がいいかもしれない」

 

あかり「でも、サリーお姉ちゃんは仕事で行くんでしょ?」

 

隆太「そうですよ。僕達じゃあサリーさんの足手まといになっちゃいます」

 

ルナ「そんなことない」

 

恭夜「チケットは六人分あるんだ。たまにはこういうのも悪くない。サリーの気持ちに応えてあげるのも俺達の役目なんじゃないかな」

 

サリー「私は皆に構ってはやれないが一緒にいる時間は大切にしたい」

 

ゲルマ「決まりだな。今すぐ準備しなくては」

 

あかり「今から?どうしよう?何持っていけばいいか分かんないよ~隆太お兄ちゃ~ん」

 

隆太「分かったよ。僕があかりの分まで準備しとくから」

 

ルナ「優しい、隆太」

 

恭夜は気になることがあったが不安を抱かせたくないと思いその場をやり過ごした。同時に皆を引っ張っていかなければならないという責任感も湧いてきた。それはサリーの身から不穏な気配が滲み出でいたに他ならない。

出発は二日後。恭夜達は急いで身支度を始める。恭夜とサリーは手慣れている。一時間で終えてしまった。

隆太は初めてにも関わらず淡々と荷物をまとめている。あかりは洋服選びに戸惑っている。ゲルマは言うだけ野暮であろう。ルナは誰かに電話しているようだ。



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夢現(ゆめうつつ)

出発の日、六人は港に向かう。朝九時に到着すると、あかりと隆太は目を丸くした。

月並の人間を寄せ付けんと言わんばかりの風格と海の神をも怖じ気づくような重厚感を兼ね備えたクルーズ船が現れたからだ。恭夜も予想以上の大迫力に目が釘付けになる。ゲルマは大袈裟かつ不可解な挙動で周囲を釘付けにする。サリーとルナは意に介さず歩き始める。

周りの淑女はきらびやかな宝石を身に纏い華やかなドレスで着飾る。紳士は色とりどりに仕立てのよいスーツで装う。絢爛豪華な佇まいが六人を圧倒した。

恭夜は辺りを見渡す。目元を掻きながら腑に落ちない様子を隠そうともしない。

 

ゲルマ「ちょいとマスター、あまりジロジロ見るのはおよし。貧乏人だと思われるわ」

 

恭夜「そんなこと壊滅的な服のセンスをしている奴に言われたくねぇよ」

 

ゲルマは悲哀に満ちた表情をする。深く傷ついたと言うように胸部を押さえた。

六人はボーディングブリッジを通り乗船する。船内に入るとその光景に驚嘆の言葉を発した。

 

隆太「広いね……」

 

あかり「うん、迷子になっちゃうかも」

 

ゲルマ「これは壮観なり」

 

ルナは歩き回っている。

 

恭夜「船なんていつぶりだ?――サリー?」

 

サリー「荷物を置いてくる……うっ!」

 

あかり「サリーお姉ちゃん、どうしたの?」

 

隆太「船酔いでしょうか?お薬持っていきますね」

 

恭夜「まだ動いてないんだけどな」

 

ゲルマ「はっ!ここは海の上。万が一海に落とされたりしたら……おのれぇ、してやられたり!」

 

あかり「ゲルマお兄ちゃん、なんかぶつぶつ言ってる」

 

恭夜「しっ!見ちゃ駄目!」

 

ルナ「恭夜、サリーは?」

 

恭夜「船酔いだよ。いつものことだから」

 

ルナ「じゃあ、一緒に見て回ろう?」

 

恭夜「じゃあ?」

 

あかり「ルナお姉ちゃんって小悪魔だよね」

 

ゲルマ「ならば空気を読んで、二人っきりしてあげるのも大人のマナーではないかな?」

 

恭夜「変質者みたいな喋り方だな」

 

あかり「ゲルマお兄ちゃん、誰に向かって言ってるの?」

 

ゲルマ「うわっ!目、恐っ!」

 

ルナ「あかりも一緒に行こ?」

 

あかり「あたしはゲルマお兄ちゃんと回るから!行こ、ゲルマお兄ちゃん」

 

ゲルマはあかりに首根っこを掴まれ引き摺られていく。拍子に素っ頓狂な声を出し恭夜を脱力させた。

 

ルナ「ふふふ。ゲルマ、面白い」

 

サリーは隆太の肩を借り客室に向かう。船内は隆太にとって広すぎる。サリーが方向指差しながら廊下をゆっくりと歩く。十分ぐらい歩き客室の番号が見えた。二重の鍵を解除しドアを開ける。

広い。とにかく広い。どうやらスイートルームのようだ。隆太はサリーをベッドの上に座らせた。

 

隆太「サリーさん、大丈夫ですか?」

 

サリー「あ、ああ……少し」

 

隆太「飲み物持ってきますね」

 

サリー「私のことは気にするな。いつもこの調子なんだ」

 

隆太「飛行機でも良かったんですよ」

 

サリー「船の方が都合がいいと思ったからだ」

 

隆太「もしかして兄さんは飛行機が苦手なんですか?」

 

サリー「苦手だが乗れないわけではない」

 

隆太「わかりました。皆さん、泳ぎが得意なんですね」

 

サリー「そうだ。船が沈んだとしても私と恭夜は泳げる。それにあかりと隆太、そしてルナが溺れても助けられる。だが、ゲルマは修理しなければならないから――」

 

隆太「え?い、いや、あのぉ……」

 

サリー「ゲルマには申し訳ないと思っている」

 

隆太「それってただゲルマさんが嫌いなだけじゃ……」

 

サリー「なんだ、まだ時間があるな」

 

隆太「そうだ!せっかくなんでサリーさんと兄さんの思い出を聞かせてください!」

 

サリー「なに?昔話が聞きたいだと?仕方がない――」

 

サリーは腕を組み誇らしげに語り出した。

デッキには二人の男女が語らう。海は透き通り、さざ波が耳に心地よい。青空を飛び交うカモメ達の声は二人を歓迎しているようだ。

ルナ「恭夜は泳げる?」

 

恭夜「泳げるけど、あの時は溺れたんだよなぁ」

 

ルナ「覚えてる」

 

恭夜「忘れてよ」

 

ルナ「どうして?」

 

恭夜「恥ずかしいから」

 

ルナ「私は恭夜を助けるのに夢中だった」

 

恭夜「うん」

 

ルナ「もしサリーが溺れたら恭夜も私と同じ事する?」

 

恭夜「するんじゃない?」

 

ルナ「あかりと隆太でも?」

 

恭夜「誰が同じ目にあっても俺はルナがしてくれたことをするよ」

 

ルナ「ゲルマは?」

 

恭夜「助けない」

 

ルナ「どうして?」

 

恭夜「壊れるから」

 

ルナ「ゲルマも私達と同じ」

 

恭夜「どうしてルナはゲルマに肩入れするの?あんな酷い目にあったのに」

 

ルナ「ゲルマも私と同じ。ずっと孤独だった。だから分かり合えた。でも今は一人じゃないから」

 

恭夜「ゲルマがまた暴走したら?」

 

ルナ「させない」

 

恭夜「ルナが傷つくよ」

 

ルナ「それでもいい」

 

恭夜「あかりと隆太も傷つけたら?」

 

ルナ「あかりと隆太も私が守る」

 

恭夜「俺には分かんないよ……」

 

ルナ「恭夜とサリーも私が守る」

 

クルーズ船は大海原へ向けて出港した。



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乙女達のワルツ

航海が始まりどのくらいたっただろうか。サリーは調子を取り戻したようだ。

 

サリー「――あの男、私の髪型を見てなんと言ったと思う?」

 

隆太は分かっていながら答えをはぐらかす。

 

サリー「あの男はチョンマゲみたいだといい放ったんだ!今思い出しても腹が立つ!」

 

隆太は苦笑する。

 

サリー「怒りに震える私は恭夜の指を折ってやったんだ!ハッハッハ!」

 

高笑いした。腕時計を見る。

 

サリー「む!もうすぐ夕食の時間か」

 

隆太「気分の方は大丈夫ですか?」

 

サリー「だいぶ良くなったよ。ありがとう」

 

隆太はサリーの屈託のない笑顔に少し頬を赤らめてしまった。悔しかったのだろう。頭を何度も左右に振る。

 

サリー「私は着替えてから行くから先に食べててくれ」

 

隆太「わかりました――あれ?」

 

髪を下ろしていた。隆太は話に夢中で気がつかなかったらしい。

レストランではあかりは食べ物の品定めをしている。ゲルマは女性の品定めをしている。すると、奇抜なファッションの男に目が留まった。

 

あかり「あ~あ、つまんな~い!」

 

ゲルマ「ガシャ!あかり、向こうを見てみろ。イケメンの御曹司がいるみたいだぞ」

 

あかり「え?どこどこ?」

 

ゲルマ「ほら、白のタキシードにボタンを一つかけ違えてる癖にナルシストを全面に醸し出す雰囲気イケメンがそこに!」

 

あかり「そこまでわかるの?」

 

ゲルマ「ああ。サリーが嫌いそうな男だ」

 

あかり「あ!こっち向いた!どうしよう……」

 

ゲルマ「ヒエー!ウインクなんかしてるぞ!」

 

あかり「うわーキモいよ~。ボタンかけ違えてるくせに」

 

ゲルマ「こっちに来たぞ」

 

あかり「イヤー!凄いニヤついてる!」

 

?「そこの貴婦人、この僕と他愛のない世間話でもどうかな?」

 

あかり「あ、あたしボタンをかけ違えてるナルシストイケメンよりも、チャック全開の恭夜お兄ちゃんの方が好みなんで!」

 

ゲルマ「まさに目くそ鼻くそ」

 

サリー「こんな私で良ければお相手します」

 

サリーは赤いドレスに着替えていた。普段は控え目な格好だが今は上品な風貌に様変わりしている。ぶっきらぼうな性格は鳴りを潜めている。

耳にはピアスを付け足元は薄汚い靴ではなく白いヒールを履いている。その変貌ぶりは見るものを惹きつけ周りの男達を虜にするには十分過ぎるほどだ。

 

あかり「え?あれってサリーお姉ちゃん?」

 

ゲルマ「ほほう?こんなことが――」

 

隆太「兄さん、いましたよ!あっかりー!」

 

恭夜「今思ったんだけど、あかりとゲルマって一番危険な組み合わせだよな」

 

ルナ「あかりもゲルマも危険じゃない」

 

あかりとゲルマは三人と合流。

 

あかり「見てみて!サリーお姉ちゃんが!」

 

隆太「サリーさん、さっき着替えて――えっ!?」

 

ルナ「あれがサリー?」

 

恭夜「へぇ、赤いドレスなんて持ってたんだ」

 

白々しく言い放った。

 

隆太「誰かと話してるみたいですね」

 

あかり「凄いキレイだよね」

 

ルナ「うん。ドレスが似合ってる」

 

恭夜は頭を掻きながら二人を見ている。

 

ゲルマ「マスターはあの二人に嫉妬しているようだ」

 

恭夜「腹減ったな。あかり、回ってみよう」

 

あかり「あ、うん」

 

ルナは恭夜とサリーに何度も視線を移している。隆太は並べられた料理を堪能していた。

食事を終えた六人は部屋に戻った。男三人の部屋は四つのベッドが置かれているが、女三人の部屋に比べ三分の一程度の広さしかない。女尊男卑と言われそうだ。恭夜達にとっては取るに足らない事なのだが。

 

ゲルマ「もう九時か」

 

隆太「兄さん、先にお風呂入る?」

 

恭夜「俺は後でいいや」

 

ゲルマ「明日は色々見て回る。早めに休んだ方がいい」

 

隆太「それじゃあ先に入りますね」

 

隆太は風呂に向かう前に窓ガラス越しから景色を眺める。天候を気にするかのように。

恭夜はベッドに嘆息しながら寝転がる。

 

恭夜「あ~あ!参ったな~!」

 

ゲルマ「まさかサリーを抱き込もうとする男がこの世にいるとはな」

 

恭夜は起き上がる。

 

ゲルマ「あの男は一体何者なのだろうか?」

 

恭夜「ゲルマでも分からない、ということはそういうことだ」

 

ゲルマ「一癖ありそうな顔立ちなのだが個人情報をほとんど引き出せなかった。あの男の背後には後ろめたい存在がいる可能性がある。サリーなら知っていそうだが……」

 

恭夜「昔聞いた話だと情報屋とか言ってたな。今何してるか分かんないけど」

 

ゲルマ「やはり。後は名前か」

 

恭夜「メモを取るからちょっと待っててくれ――」

 

瞳を閉じ記憶の海に飛び込んだ。

ゲルマは顔をなめ回すように見ている。

 

恭夜「――よし。たぶんこれだと思う」

 

ゲルマ「似たような名前なら数が限られる」

 

恭夜「そる――」

 

ゲルマ「ゾルギーノ・ドラジェ。通り名はリーク・ゾルガ」

 

恭夜「はやっ!」

 

ゲルマ「個人情報が極端に少ない。そもそもこの名が本当の名かどうかすら怪しい」

 

恭夜「名前は重要じゃない。危険なのは奴が情報を自在に操作できるってことだ」

 

ゲルマ「サリーは弱みを握られたか」

 

恭夜「それだったらわざわざ船の中で会う必要があるのか?俺達もあの野郎を見てるんだぞ」

 

ゲルマ「我々の情報も奴の手の内、ということか。この船の乗員乗客は奴の手駒かもしれないな」

 

恭夜「好き勝手に動けば海に沈められるかもな!」

 

ゲルマの頭から水のようなものが吹き出し始めた。どうやら冷や汗を表現しているらしい。無駄な機能が増えるごとに恭夜の懐は寂しくなるばかりだ。

一方、乙女達は踊り明かしたような疲労感に浸りつつ部屋へ入っていく。

 

あかり「あー、食べ過ぎちゃった!」

 

ルナ「もう少しタバスコ食べたかった」

 

サリー「タバスコは食べると言うより飲む方が正しい気がするが――」

 

あかり「ねえねえねえ!サリーお姉ちゃん、そのドレスどうしたの?」

 

ルナ「タバスコみたいな色」

 

サリー「言い方と言うものがあるだろ。例えばケチャップみたいな色とか」

 

あかり「そんなことどうでもいいよ」

 

ルナ「あのボタンの人、サリーのお友達?」

 

サリー「お友達ではないが昔世話になった人だ」

 

あかり「雰囲気がイケメンだよね。何て言うか――近寄りたくない!って感じかな」

 

サリー「それを言うなら近寄りがたい、だな」

 

ルナ「何話してたの?」

 

サリー「他愛のない昔話さ」

 

あかりはサリーの顔を凝視している。

 

ルナ「あの人、なんか怖い」

 

サリー「そんなことはないさ。恭夜と違って気遣いはできるし、仕事に情熱を傾ける努力家でもある」

 

あかり「……」

 

ルナ「?」

 

サリー「どうしたんだ。急に黙りこむなんて」

 

あかり「おかしいよ……」

 

ルナ「あかり?」

 

サリー「何が言いたい?」

 

あかり「どうして恭夜お兄ちゃんと比べるの?いつものサリーお姉ちゃんなら――」

 

サリー「そうだな」

 

ルナ「サリー?」

 

サリー「ごめん、今は何も話したくないんだ」

 

ルナ「サリーは疲れてる。あかり、一緒にお風呂行こ」

 

あかりは後ろ髪引かれる思いでルナと共に部屋を後にした。

クルーズ船は漆黒の大海を物ともせず突き進む。海風が髪を撫でていく。生暖かい風は肌を包んでいくようだ。サリーは夜空を見上げた。今宵も月は出ている。

クルーズ船は二週間かけて航行する。日本を南下し東南アジアへ向かう。大小様々な国々に寄港しオセアニアを経て太平洋を横断。北米を経由しパナマ運河を通過。六人の最終目的地はイギリス・サウサンプトンである。

定刻通りに六人は舞い降りた。サリーの忠告に従い厚着をしている。空は雲が数えるほど伸びているが太陽が臆する程ではない。

地上では乙女達の雰囲気がどんよりとしている。あかりは誰とも目を合わせようとしない。

移動中のバス内は険悪であった。朝が早いからという訳では無さそうだ。

 

ゲルマ「女組から漂う修羅場の予感」

 

隆太「なんか怖いですね。喧嘩でもしたんでしょうか?」

 

恭夜はわざとがましく欠伸(あくび)をした。

不穏な空気の中、ホテルに到着。

ホテルの名は「リーク・ホテル」。恭夜は率先して荷物を下ろしゲルマも追随する。

 

恭夜「あかり、ルナ。こっち来て」

 

隆太「サリーさんは?」

 

恭夜「サリーに受付任せるから俺達で荷物を運ぼう。サリー頼んだよ!」

 

サリー「ああ」

 

ゲルマ「合点承知!荷物はオイラに任せろ!」

 

隆太「あかり、何怒ってるの?」

 

あかり「隆太お兄ちゃんには関係ないから」

 

ルナ「ごめんね、隆太」

 

隆太「い、いえ!ルナさんが謝る必要ないですよ!」

 

恭夜「あのさぁ、皆に頼みがあるんだけど」

 

ルナ「サリーは?」

 

恭夜「そのサリーの事なんだけど、お昼はサリーと二人だけにして欲しいんだ」

 

隆太「僕たちはどうすれば――」

 

ゲルマ「時間をずらして鉢合わせないようにする、ということだ」

 

ルナ「わかった」

 

あかり「勝手にすれば」

 

隆太は不穏な空気に流されるがままゲルマの後を付いて行く。

部屋はクルーズ船と同じく男女に分かれる。サリーは部屋に入ると頬を緩ませた。

サリー「ここも懐かしいな」

 

ルナ「よく来てたの?」

 

サリー「ああ。二人でよく泊まったよ」

 

あかりはソファーに座りテレビを点けた。

 

ルナ「楽しかった?」

 

サリー「楽しいことは少なかったな。ホテルにいることがほとんどなかったから。でも、幸せだったよ」

 

ルナ「今は?」

 

サリー「え?」

 

ルナ「今は幸せ?」

 

サリー「もちろん」

 

あかり「嘘つき」

 

サリーの顔色は変わらない。

 

あかり「サリーお姉ちゃんはズルいよ」

 

ルナ「どこ行くの?」

 

あかり「どこでもいいじゃん」

 

ルナ「待って――」

 

サリー「いいんだ、ルナ。全部私が悪いんだ」

 

ルナ「恭夜がお昼は皆で食べようって」

 

サリー「だが、あかりが――」

 

ルナ「あかりは私が探してくる。サリーは先に行ってて」

 

サリーは小さく頷いた。

 

ルナ「サリーは何も悪くない。だからあかりのこと、嫌いにならないで」

 

ルナは踵を返しあかりを追いかける。

サリーはあかりの温もりが残るソファーに座り膝に顔を埋めた。



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サイは投げられた!

昼になりサリーはロビーで待っていた。しかし、誰一人として来る気配がない。おもむろに辺りを見回す。人はまばらだが混んでいるという程ではない。

サリーにとって多くは見慣れたものばかりだ。我が家に帰ってきたと言っても過言ではない。

親子連れを見て口元が緩む。二人の子供は時差ぼけからだろうか目を何度も擦っている。海外旅行に慣れていないのか夫婦も疲れが出ているように見える。睦まじい家族の愛情にほだされてしまいそうだ。

 

サリー「幸せ、か」

 

恭夜「何ニヤけてるんだよ」

 

恭夜は不敵な笑みを浮かべている。

 

サリー「ひっ!な、な、なんだ!?急に声をかけるな!かけるならかけるって言え!バカ!」

 

恭夜「どっちがバカだよ」

 

サリー「――ん?恭夜しか来てないのか?」

 

恭夜「見て分かんない?」

 

サリー「どういう事だ?」

 

恭夜「二人だけで話をしよう。昔みたいに」

 

サリー「……そういうことか」

二人だけで食事をするのはいつぶりだろうか。テーブルに並べられた料理の数々はどこか懐かしさを感じさせる。出会って間もない頃は寄り添って食事をするのが日課であった。いつからか向かい合うようになったのだ。

恭夜はさりげなく呟く。

 

恭夜「ここの料理、味変わった?なんか薄い」

 

サリー「味覚が変わったんだろう。昔とは違うんだ」

 

恭夜「あ、グリーンピース入ってんのかぁ。サリー、口開けて」

 

サリー「馬鹿にするな。自分で食べる」

 

恭夜はサリーのシチューにグリーンピースを添えた。

 

サリー「食わず嫌いは相変わらずだな。子供みたいだ」

 

恭夜「サリーから見たら、俺って子供?」

 

サリー「私がいなきゃ何も出来ないからな」

 

恭夜「サリーから見たら、あかりは妹?」

 

サリー「当然だ。愛くるしいしな」

 

恭夜「ならどうして喧嘩したの?」

 

サリー「恭夜には関係ない」

 

恭夜「なんとなくだけど分かるような気がする」

 

サリー「……恭夜、昨日のドレスどうだった?」

 

恭夜「昨日話してた男の人ってさぁ――」

 

サリー「もう忘れた」

 

恭夜「俺は覚えてる」

 

サリー「ごちそうさま」

 

恭夜「サリーのドレス、綺麗だったよ。昔みたいに」

 

サリー「ありがとう……恭夜」

 

サリーは席を立つ。逃げるようにロビーを出る。気まずさからではなかった。携帯に着信が入っていたからだ。周りを警戒するように携帯を左耳に当てる。相手は以前と同じ声だ。

 

?『昨日の件、考えてもらえたかい?』

 

サリー「もちろんです」

 

?「それでは日が沈む頃に待ち合わせるということで」

 

携帯を持ち替えて右耳に当てる。

 

?「どうかしたかい?」

 

サリー「本当に……本当に約束は守って頂けるのですか?」

 

?「それは貴女のお心次第だよ。それでは良い返事を――」

 

サリーは男の言葉を聞き終える前に耳から遠ざける。眼にはうっすらと涙を浮かべていた。

恭夜はサリーとの会話を反芻している。違和感の正体を探るかのように。ホテルのバイキングの味、いつもと同じ時間、いつもと同じ料理。違ったのはサリーの表情だけ。

恭夜が嫌いな食べ物を押し付けようとすると、恥ずかしさからか周りを気にしがら食べる。しかし、そんな素振りは見せなかった。

そして、極めつけは着飾ったサリーを褒めても笑顔で感謝することが一度もなかったからだ。

バレバレの態度を隠そうともしなかったのだ。どこかで助けを求めているような、そんな気が恭夜の中でぐるぐると渦巻いていた。

廊下の壁に寄りかかり一点を見つめてると、視界にツインテールの髪型がちらつく。ぼやけたシルエットは鮮明になり声も入ってくる。あかりだ。

 

あかり「――ちゃん――お兄ちゃん!恭夜お兄ちゃんってば!」

 

恭夜「うわっ!?……なんだ、あかりか。なんでここに?お昼は食べた?」

 

あかり「うん……」

 

恭夜「とりあえず中に入ろう」

 

扉を開いた瞬間、頭に直接響くような騒音が耳をつんざく。ゲルマと隆太がスゴロクをしている。

 

ゲルマ「――あっしの番でござるな。サイは投げられた!――あいや四でござる。育児休暇を取得したでござる。次のサイコロの目がなんと二倍!」

 

恭夜「声でけぇよ。何のゲームしてるんだ?イクメンスゴロク?あかりが好きそうだな」

 

あかり「イケメンじゃないよ、恭夜お兄ちゃん」

 

恭夜「悪かったな、イケメンじゃなくて」

 

隆太「次は僕のターンですね。いきますよ。んん、ゴホン!サイは投げられた!――三かぁ。おっ!ホワイト企業に就職しました!三マス進みます」

 

あかり「隆太お兄ちゃん、楽しそうだね」

 

恭夜「隆太のために作られたゲームだな」

 

ゲルマ「いくでござる。サイは投げられた!――2でござる~。ややっ!子供が生まれたでござる!」

 

あかり「まだ生まれてなかったんだね」

 

恭夜「育児休暇はどうやって取得したんだ?」

 

隆太「おめでとうございます!ゲルマさん!それじゃ次いきます。サイは――」

 

恭夜「その掛け声はいるのか?」

 

隆太「よし!7です!……会社が倒産。専業主夫になる。一回休み。そんな~」

 

あかり「専業主夫になると一回休みになるっておかしいよね?」

 

恭夜「問題の多いゲームだな。しかも男限定とか」

 

ゲルマ「残念だが、あかりは参加できないのだ。まあ朝は鬼、昼は武士、夜は女の仮面を被れば参加できるかもしれないがな」

 

あかり「そんなのおかしいよ。ゲームなのに」

 

隆太「そもそも鬼や武士の仮面を被った人なんていませんよ――兄さん?」

 

恭夜「朝は寝起きが悪くて人相が悪い。夜はドレスで着飾り別人になる」

 

あかりは不安そうな目で恭夜を一瞥する。

 

隆太「それってもしかして……」

 

ゲルマ「長年連れ添い、マスターと共に過ごしてきた家族が誰にも告げずに我々の元を去ろうとしている」

 

隆太「サリーさんのことですよね?」

 

あかり「何かあったの?」

 

恭夜「ゲルマ、居場所は?」

 

ゲルマ「既に出ているようだ。発信器が付いていれば跡を追える。それに携帯電話の電波を傍受出来れば会話の盗聴も可能だ」

 

隆太「サリーさんはどこへ?帰ってきますよね?」

 

恭夜「ちょっとした家出みたいなものだから」

 

あかり「あたしのせいで……」

 

ゲルマ「あかりが責任を感じる必要はない」

 

恭夜「サリーが一人で抱えて勝手に出ていっただけだから」

 

隆太「そういえばルナさんは?」

 

あかり「部屋で本読んでる」

 

恭夜「俺、探してくるよ。皆は待ってて」

 

隆太「一緒に探した方が早いよ」

 

ゲルマ「駄目だ。サリーの事を熟知するマスターに任せればいい」

 

あかり「お願い恭夜お兄ちゃん、サリーお姉ちゃんを助けて」

 

恭夜「アハハ、大丈夫だよ、夕食までには帰ってくるから。そしたら今度は皆で食べよう」

 

廊下に出るとルナが待ち伏せていた。刀を抱えているがルナのものとは違う。

 

ルナ「私も行く」

 

恭夜「ルナは皆と一緒に――」

 

ルナ「サリーは苦しんでる。だから助ける」

 

恭夜「その刀って――」

 

ルナ「早くしないとサリーが遠くに行っちゃう」

 

恭夜「あ、ああ」

 

何故ルナがサリーの刀を持っているのか不思議だったが二人は急いでサリーの足取りを追った。

夕日は水平線に沈み始めた。海は穏やかさを保っている。港にはこぢんまりとしたクルーズ船が漂う。船体には躍動感溢れる字体で「リーク・ゾルガ」と書かれていた。外観は錆や日焼けで変色しており、薄汚くみすぼらしい。船上には一人の男が電話をしている。男はボタンをかけ違えているように見えるが、そういうファッションなのだろうか?

 

ドラジェ「お久しぶりです。フェリックス・ボロゾフ先生」

 

ボロゾフ『またお前か。今度は何用だ?』

 

ドラジェ「あなたが探していたお嬢さん、見つけましたよ」

 

ボロゾフ『そうか。今立て込んでいるのだ。こちらから折り返す』

 

ドラジェ「今、お伝えしたいのですが――」

 

ボロゾフ『情報屋如きが偉そうな口を聞くな!』

 

ドラジェ「わかりました、わかりました。ではお時間が――」

 

ボロゾフ『誰だ、そこにおるのは?』

 

ドラジェ「!……おっと、これは僕の客人が来たようです」

 

ボロゾフ『ククク……足をすくわれぬよう気をつけるのだな』

 

ドラジェは携帯を胸ポケットにしまった。ドラジェの前に青いドレスを着たサリーが現れる。

 

ドラジェ「良かったよ、来てくれて」

 

サリー「私もお会い出来て嬉しいです」

 

ドラジェ「そんなにかしこまらなくてもいいのに。どうだい?一緒に」

 

ドラジェはグラスを差し出す。

 

サリー「いえ、お気遣いなく――」

 

サリーの手は震えていた。

時を同じくして恭夜とルナも港に向かっていた。ゲルマからの指示を仰ぎ先を急ぐ。



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船上の麗人

恭夜「道は合ってるのか?」

 

イヤホンを通してゲルマの声が伝わる。

 

ゲルマ『そのまま港に向かってくれ。恐らく停泊中の船があるはずだ』

 

ルナ「はぁ……はぁ……」

 

恭夜「サリーの刀、持つよ」

 

ルナ「大丈夫……早く……」

 

恭夜「このペースじゃ船が出ちゃうよ」

 

ルナ「うん……わかった」

 

周囲は闇に溶け込んでいく。月だけは眩さを増しているように感じた。

 

ルナ「恭夜……気をつけて」

 

恭夜「え?」

 

ルナ「もうすぐ……サリーがいる」

 

恭夜「どの船だ?」

 

船上では部下とおぼしき人物がドラジェに駆け寄る。

 

部下「ドラジェ様!」

 

ドラジェ「何だ騒々しい」

 

部下「それが……」

 

ドラジェ「そうか。船を出せ」

 

サリー「何かあったのですか?」

 

ドラジェ「どうやら跡をつけられていたみたいだ」

 

サリー「えっ!?」

 

イヤホンを外すとけたたましい音が鳴り響いている。

 

ルナ「恭夜!あの船!」

 

ルナの目線の先にはクルーズ船があった。既に動き出している。十メートル以上離れており、恭夜の運動神経をもってしても飛び付くことは不可能だ。

 

ルナ「私が――止める!」

 

ルナは躊躇いもなく刀を抜く。膝をつき刀を海面に突き刺した。

 

恭夜「刀を海水に浸けてどうするの?」

 

ルナ「こうする――」

 

クルーズ船の進路を妨害するかのように海面が盛り上がっていく。水の山はクルーズ船より高くなり津波のように押し返した。クルーズ船は凄まじい勢いで岸壁に叩きつけられる。

 

恭夜「えぇぇぇっ!?」

 

ドラジェ「うゎぁぁぁ!?」

 

サリー「ぐっ!」

 

岸壁とクルーズ船に挟まれた海水は水柱となり豪雨のように恭夜達に降り注いだ。

 

ドラジェ「何が起こってるんだ!?」

 

部下「分かりません!ただ、港から船が出せなくなりました!」

 

ドラジェ「あいつらの手品か」

 

サリーは揺さぶられたせいか顔が青白くなっている。

 

恭夜「これはチャンスだ。乗り込もう!」

 

ルナ「うん!」

 

ドラジェ「ならばしょうがない。彼らの歓迎会を開くとしようか」

 

サリーの震えはさらに酷くなった。

恭夜達は船内に突入する。ルナはドラジェの手下達を切り払っていく。

 

ルナ「どいて!」

 

恭夜「殺しちゃ駄目だよ。サックリならいいけど」

 

ルナ「いた!サリー!」

 

ドラジェ「ようこそ、リークゾルガへ……いや、我が家へ」

 

ルナ「汚い家」

 

恭夜「ボタンもかけ違えてるしな」

 

サリーは腕で口元を隠した。笑いを堪えているのか、吐き気を抑えているか見分けがつかない。

 

ドラジェ「おい、船を傷つけたのは君達のせいだ!それにこれは僕のファッションだ!君達は置かれた立場を理解してるのかい?」

 

恭夜「ああ、だから会いに来たんだよ。情報屋ゾルギーノ・ドラジェ、あんたにな」

 

ドラジェ「久しいね。華やかな貴族のパーティーに君もいたんだっけ?あんな不釣り合いでみすぼらしく場違いな少年がいたなんて。フハハハハ!サリー嬢も不憫だねぇ。こんな男に振り回されて」

 

恭夜「あんたの言う通りだよ。俺は昨日みたいな華やかな場所は嫌いだから、いつもサリーには迷惑をかけてたんだ」

 

ドラジェ「だからサリー嬢は僕を選んだのさ。貧乏人の君じゃなくてね」

 

ルナ「そうなの、サリー?」

 

サリー「……そうだ」

 

ルナ「うそ!サリーはずっと恭夜と一緒だったのに?どうして?」

 

ドラジェ「それを聞いても君達にはどうすることも出来ないよ。そもそも僕が本当に欲しいものがここにはないからね」

 

どうやらサリーが狙われたのは他に理由があるらしい。サリーが狙われたのは取引を持ちかけられたからではないかと恭夜は考えた。

 

ルナ「サリーはあかりと隆太がいなくても何も思わないの?」

 

サリー「もう決めたことだ」

 

ルナ「私はイヤ!」

 

ドラジェ「話のわからない女だ。サリー嬢は君達の事を守ろうとしているんだ」

 

ドラジェはルナとの問答に呆れ果てている。

サリーはドラジェから脅迫紛いの取引を持ちかけられ、あかりや隆太に危害が及ばぬよう事を進めていたのではと恭夜は睨んだ。

 

サリー「ルナ、分かってくれ。頼む」

 

ドラジェ「君達に選択肢なんてないんだ。既に『サイは投げられている』んだからね」

 

嫌でも聞き慣れた言葉に耳がピクッと反応した。

 

ルナ「恭夜達の部屋から聞こえてきた」

 

恭夜は口に手を当て記憶を辿る。ホテルの名前とクルーズ船の名前を口に出した。目を見開き悟ったようだ。この男がサリーの後援者ならばホテルを盗聴出来る事に。そして、ドラジェがサリーを狙ったのは好意によるものだけではなかったのだ。

ならば、この男の真の狙いも見当がつく。

 

ルナ「恭夜、刀が――」

 

恭夜が持っているサリーの刀とルナの刀が共鳴するかのように光っている。だが、恭夜にルナの言葉は届いていない。

 

サリー「恭夜、私の分まで――」

 

恭夜「わかったぞ。あんたのが欲しいものが」

 

ルナ「サリーじゃないの?」

 

恭夜「サリーだけじゃない。ゲルマもだ。正確に言うとゲルマの頭脳だな」

 

ドラジェ「だが、今は手にする事ができないのさ。サリー嬢と取引したからね」

 

ルナ「ゲルマは渡さない」

 

ドラジェ「君達が抗おうとゲルマは手に入れたのも同然さ。僕にはサリー嬢の力添えもあるからね」

 

恭夜「……あんたの言った通り選択肢がないみたいだ」

 

ルナ「恭夜?」

 

ドラジェ「君は本当に話が分かる。僕の手駒として使ってあげるよ」

 

恭夜「……ごめん、ルナ。俺、サリーがいないと何も出来ないや」

 

ルナ「そんなことない!私が皆を守る!だから恭夜はサリーを守って!」

 

ドラジェ「こう言うときに使うのだな。馬の耳に念仏とは……フハハハハ!」

 

ルナ「恭夜なら……恭夜なら私のこと理解してくれる」

 

恭夜は目を疑った。ルナの背後にもう一人、女性の姿をした影がうっすらと現れたからだ。その女性はどことなくサリーに似ている。瞬きをすると影は夜空へ消えた。

 

恭夜「ゾルギーノ・ドラジェ、俺はあんたと取引がしたい」

 

恭夜はルナと目線を合わせたままドラジェに請う。

 

ドラジェ「僕も情報屋だからね。取引なら聞いてあげても構わないよ」

 

恭夜「ゲルマを渡す。だからサリーを返せ」

 

ドラジェ「だが、その取引既に終わっている。答えはノーだ」

 

恭夜「取引出来ないなら――この刀で俺を殺してくれ」

 

サリー「何をバカな!」

 

恭夜「サリーが側にいてくれないなら死んだ方がましだ。誰でもいい。この刀で俺を殺してくれ!」

 

サリーの刀が輝きを増していく。

 

恭夜「サリーもルナもあかりも隆太も俺の大事な家族だ!誰かが傷ついたり、誰かがいなくなったり、誰も守れなかったら俺に生きる意味なんてないんだ!」

 

サリー「恭夜……もうやめてくれ……」

 

ルナ「恭夜はゲルマが嫌いなの?」

 

恭夜「大っ嫌いだ!あんなやつ!」

 

ルナ「じゃあ私も恭夜のこと、嫌いになる」

 

恭夜「ルナとはやっぱり分かりあえない」

 

ルナ「うん。死んで、恭夜」

 

ルナはサリーの刀を引き抜く。そして、恭夜の腹部を真一文字に切り裂いた。

 

恭夜「――いっ!」

 

顔が苦痛に歪みよろめいた。服は鮮血に染まっている。呼吸が荒くなる。

 

サリー「ルナッ!?なんてことを……!?」

 

ドラジェ「とんだ茶番だ。また僕の船を汚す気かい?」

 

ルナ「さようなら、恭夜」

 

ルナは恭夜に剣先を突き立てる。恭夜は両手を広げ待ち構えた。ルナは態勢を低くし走り出す。刃は滑らかに腹部を貫いた。刃から血が伝い床に滴り落ちる。刀を引き抜くと恭夜は膝から崩れ落ちた。

 

サリー「恭夜?……嘘だろ?……どうして……」

 

恭夜「――グフッ!」

 

ピクリともしなくなった。へたりこんだまま小さく口が動いている。

 

ドラジェ「男女の諍いほど醜いものはないよ……はぁ」

 

ルナは恭夜の身を案ずるどころか船の外を見渡している。

 

サリー「恭夜、返事をしろ!恭夜!」

 

恭夜「うぅ……」

 

サリー「ルナぁぁぁ……貴様ぁぁぁ……」

 

女の顔から鬼の形相へ。怒りの矛先はルナに向いている。怒りのあまり本性を剥き出しにした。その豹変ぶりにドラジェはたじろいでいる。情報屋も知らなかったようだ。

 

ドラジェ「サ、サリー嬢?ど、どうしたんだい?」

ルナが空を見上げた。すると、黒い人影が宙を舞い船上に降り立った。

赤き眼光と短い白髪が強烈な存在感を放つ。

 

――ゲルマだ。



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ムーンライト・セレナーデ

ドラジェは突然の来訪者を前に唖然としている。

 

ルナ「ゲルマ、お帰り」

 

ゲルマ「帰りが遅いから心配したんだぞ――!?」

 

足元には瀕死の恭夜がうつ伏で倒れている。ゲルマは顔色一つ変えない。

 

ルナ「ごめんなさい」

 

ドラジェ「まさか!?君がゲルマなのかい?君から会いに来てくれるなんて手間が省けたよ」

 

ゲルマ「サリーは取引したと聞いていたが――」

 

ドラジェ「そうなんだよ。ゲルマが僕の手駒になってくれればこの取引が成立するんだ。まぁ、その男が死んだのは気の毒だったね」

 

ゲルマ「契約違反だ。取引は皆の命は保護するというものだったはず」

 

ドラジェ「それは君の仲間が勝手に……それにどうして僕達しか知りえない情報を君が――」

 

ゲルマ「男に不義理は許されん!」

 

ドラジェ「ちょっ、ちょっと待ってくれ!僕の話を――」

 

ゲルマ「問答無用!マスターの仇だ!甘んじて受けよッ!!」

 

ドラジェ「ゲ、ゲルマ!?落ち着いてくれ!僕に何かあれば君達の仲間が不幸を見る事になるよ!」

 

ゲルマ「どんな困難があろうとも家族の絆で乗り越えてみせる!騎士の誇りにかけて貴様の首、もらい受ける!」

 

ドラジェ「頼む!待ってくれ!知っていることは何でも話す!その女の無実を晴らす弁護士も紹介する!だから――」

 

ゲルマ「我が拳は悪しき魂を打ち砕く!その薄汚れた襟を正してやる!」

 

ゲルマの二つの拳をドラジェに向けた。発射された拳は弾丸のように風を切っていく。

 

ドラジェ「――うゎぁぁぁ!?」

 

拳はドラジェの顔を掠めへたりこむ。拍子にボタンが外れた。

 

ゲルマ「さて、退散するか」

 

ルナ「サリー、どうしよう」

 

ゲルマ「マスターとサリーは引き受ける。ルナは外で待ってくれ」

 

ルナ「うん」

 

ルナは颯爽と船外に飛び降りる。ゲルマは恭夜と憔悴しきっているサリーを両脇に抱え飛び降りた。

サリーはゲルマの腕を振りほどき恭夜の元に駆け寄る。力強く抱き寄せた。

 

ルナ「恭夜、大丈夫?」

 

ゲルマは傷の状態を分析してる。目玉がカメラのフォーカスを合わせるように上下左右に動いた。ところが、調べれば調べるほど真剣だった表情は驚きにも似た表情へと変わっていく。

それは良い意味でゲルマの期待を裏切ったのかもしれない。

 

サリー「恭夜……すまない……私が勝手な事をしたせいで……」

 

ルナ「ごめんなさい」

 

サリーが強く抱き寄せているせいか恭夜は小さく息を吐いた。ルナはサリーの刀を抱き抱えている。

ゲルマはサリーの刀を見ている。刀が光っていることを不思議に思っているようだ。空を訝しげに見上げた。

 

恭夜「サリー……苦しい……」

 

サリー「恭夜、生きてるのか?」

 

恭夜「今日も……綺麗だ」

 

意識を取り戻し恭夜は夜空を指差す。サリーに向けられたものなのか、満月に向けられたものかは誰にも分からない。

 

ルナ「ほんとだ」

 

ゲルマはほくそ笑んでいる。

 

サリー「恭夜、私の好きなもの知ってるか?」

 

恭夜「知ってる」

 

サリー「私は恭夜の女神になりたい」

 

恭夜「まだ覚えてるんだ」

 

サリー「忘れたのか?」

 

恭夜「意識がはっきりしないからなぁ……」

 

サリー「なら思い出すまで何度も言ってやる。私は恭夜の女神になりたーい」

 

ルナ「ふふふ」

 

ゲルマは二人の会話に恥ずかしさを感じたのか腕を組み黙りこんでしまった。空気を読んでいると言った方が正しいのかもしれない。時折見せる眼差しはどこか羨望を感じさせる。

 

恭夜「ハハハ、バカみてぇ」

 

地面に月明かりに照らされた人影が伸びる。

 

ドラジェ「サリー嬢!聞いてくれ!」

 

ゲルマ「まだいたのか」

 

ルナ「汚い家」

 

恭夜は半身を起こし傷口を押さえた。

意識を取り戻した恭夜を祝福するようにサリーの刀が明滅する。

 

ドラジェ「僕が三年前、君に一目惚れしたんだ!この気持ちは本気なんだ!もう一度チャンスを与えてくれないか?」

 

ゲルマ「見据えた根性だ。もはや称賛に値する」

 

サリー「ルナ、刀を持ってきてくれてありがとう」

 

ルナ「刀がサリーを呼んでたから」

 

サリーに刀を返した。

 

ドラジェ「僕も脅されていたんだ!ルナ・ホワイトクロス、君を探す男に!」

 

サリーは髪を結い直した。ルナは不快な表情をしている。

 

ドラジェ「よく回る舌に手のひら返し。情報屋よりナンパ師に向いている」

 

ドラジェ「サリー嬢、僕と結婚して欲しい!僕はそこにいる死に損ないの男よりも君を幸せにできる!それに僕は世界中で一番君を――」

 

サリー「言うな!」

 

ドラジェ「ヒッ!?」

 

サリーの気迫はその場にいる人間全てを萎縮させる。武人の如し立ち姿はまさに圧巻だ。

 

サリー「それ以上は言うに及びません」

 

ドラジェ「サ、サリー嬢?」

 

サリー「私は既に心に決めた人がいます。もうあなたに会うことは二度とないでしょう」

 

ドラジェ「そ、そんな……」

 

サリー「月は――出ているな?」

 

剣先を満月に突き立てた。刀身は光を吸収し更に神々しさを増していく。

 

ドラジェ「僕はぁぁぁ……世界中のぉぉぉ……」

 

サリー「ゾルギーノ・ドラジェ様。あなたには私と恭夜が大変お世話になりました。これは私達の感謝の気持ちです」

 

ドラジェ「女をぉぉぉ……手にいれるんだぁぁぁ……」

 

サリー「その首――捻斬(ねじき)る!」

 

刀身は船体に向かって伸びていく。サリーは全てを吹っ切るように「リーク・ゾルガ」を両断した。

ドラジェに断末魔を上げる時間は残されていなかった。真っ二つにされた船体は爆発。クルーズ船は業火と灰塵に包み込まれ残骸は深海へと消え去った。飛び散ったガラスの破片は月に照らされ水晶のように煌めく。

サリーは満月をその目に焼きつけると意識を失った。

 

ルナ「サリー!」

 

ゲルマ「疲れているだけだ。騒ぎが大きくなる前に逃げるぞ。あかりや隆太も待ちくたびれているだろうからな」

 

四人は事が大きくなる前に走り去った。




登場人物紹介

ゾルギーノ・ドラジェ―男・29歳
情報屋を自称する通称「リーク・ゾルガ」。
お坊ちゃんでイケメン。
ボタンをかけ違える斬新なファッションのパイオニア。
ビジネスと聞けばどこでも現れる盗聴マニア。
ホテルやクルーズ船は彼の庭。


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心を繋ぐ架け橋

一同は慌ただしくホテルを出る。行く宛もないまま鉄橋に差し掛かった。朝早く出たからか車の交通量は目に見えて少ない。

あかりと隆太は目をこすっている。朝に強い隆太はすぐに目をキリッとさせるが、あかりは目を充血させ鼻をすすっている。

 

隆太「兄さん達、酷いです。夕食をすっぽかした挙げ句、朝食を食べたらすぐにチェックアウトするなんて――ふわぁ」

 

ゲルマ「全ての責任はサリーにある」

 

サリー「すまない。二人にも迷惑をかけてしまった」

 

ルナ「恭夜、お腹大丈夫?」

 

恭夜「へーきへーき。傷も完全に塞がったし」

 

サリー「あの深傷で塞がるだと!私は夢でも見ていたのか?」

 

ゲルマ「サリーも知らないのか。不思議なものだ」

 

あかり「サリーお姉ちゃん……」

 

あかりはか細い声でサリーに呼び掛ける。甘えるように抱きついた。

 

サリー「あかり、ごめん。ちゃんと話をしていれば――」

 

あかり「あたしが何も知ろうとしなかった。だからサリーお姉ちゃんがいなくなるなんて思わなかったの。うっ……ごめんね……グスッ」

 

サリー「謝るな。泣くな。私が大事なものを見落としていたのだ。いつも目の前で笑いかけてくれていたのに」

 

隆太「あかり、また泣いちゃったね」

 

あかり「だって……だって……」

 

恭夜「あかりは昨日からずっと泣いてたのか」

 

隆太「そういえば僕達が降りた港で船の爆発事故があったみたいですね。まさに不幸中の幸いです」

 

ゲルマ「船が真っ二つになって……あいや、これは失敬」

 

恭夜「へぇ、詳しいな。俺は夢だと思ったんだけど」

 

ルナ「綺麗な満月だったね」

 

サリー「フッ……」

 

隆太「何か皆さん、僕達に隠し事してません?」

 

あかり「あたしはわかるよ」

 

隆太「何であかりが?」

 

ゲルマ「女の勘は愛する男の不貞を見抜く」

 

恭夜「要するに浮気はするなってことか」

 

あかり「恭夜お兄ちゃんが浮気したの?」

 

サリー「話がすり変わっている」

 

ルナ「サリーが浮気した」

 

隆太「サリーさんの家出って、知らない男との密会だったって事ですか?見損ないましたよ!」

 

ゲルマ「サリーは愛する男を振り向かせるために別の男と浮き名を流していたのだ。おいたわしや」

 

サリー「何故そうなる。昨日の私はどうかしていたのだ。そもそもあの男は私のタイプではない」

 

ゲルマ「だそうだ」

 

あかり「サリーお姉ちゃんには合わないと、あたしは最初から思ってたもん」

 

ルナ「あかり、可愛い」

 

隆太「僕は昨日の兄さんの背中を見てカッコいいと思ったんだ」

 

恭夜「けど、俺は何も出来なかった。全部ルナとゲルマのお陰だよ」

 

ルナ「そんなことない」

 

ゲルマ「マスターは命をかけてサリーを説得し愛の力で乗り越えたではないか。それでも二人の愛の囁きあいは胸を熱くさせるものがある」

 

サリーの顔がみるみる赤みを帯びていく。ゲルマは恭夜から肘打ちを食らうがうつつを抜かしている。

 

あかり「ゲルマお兄ちゃん、余計なお世話だと思うよ」

 

隆太「そうですよ。さすがにゲスです」

 

恭夜「よし。この話はこれで――」

 

ルナ「私は恭夜の女神になりたい」

 

恭夜「あはは……」

 

サリー「お、おい!ルナ!その言葉は!――」

 

あかり「あたしも恭夜お兄ちゃん達の天使になりたい!」

 

恭夜「新しいパターンだ」

 

ゲルマ「それでマスター、何と答えたのだろうか?」

 

隆太「あのぉ、話が見えないんですが」

 

サリー「もう昔のことだ。恭夜が覚えてるはずが――」

 

ルナ「サリーはずっと恭夜のそばにいた」

 

あかり「こんなこと言われて覚えてないわけないよ」

 

ゲルマ「マスターの記憶力を侮ることなかれ」

 

隆太「なんだか良くわかりませんが、凄くドキドキします!」

 

恭夜は五歩踏み出した後、皆に背を向け数秒の沈黙。

そして振り返った。

 

恭夜「――なれるもんならなってよ」

 

隆太とゲルマは恥ずかしげもなく言い放つ恭夜に悲鳴にも似た奇声をあげた。

サリーは溢れる記憶が心に染み入ったのか清々しい表情をしている。

 

ルナ「うん!」

 

あかり「あたし、絶対になる!」

 

サリー「覚えていてくれたのか。あの日の事を」

 

恭夜「それで?次はどこに行く?」

 

ルナ「私もみんなと思い出作りたい」

 

?「では次の行き先はワタクシがご案内致しましょう」

 

一同は声のする方に体を向けた。

 

ルナ「!!」

 

シェリーヌ「皆様方のお迎えに参りました。ワタクシはルナお嬢様の世話係をしております。シェリーヌ・カルピンスキーと申します」



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自由と平和と

一同はフェリーに乗り込む。再びの船旅だ。荒波が右に左に大きく揺さぶる。サリーは船酔いで吐瀉物を放流した。

二時間でフランスの港であるカレーに到着し、そしてカレーからバスでパリへ降り立った。

 

シェリーヌ「ここがフランスのパリでございます」

 

恭夜「ここって来たことあったっけ?」

 

サリー「二年前のことも覚えてないのか?」

 

ゲルマ「夫婦の昔話が始まったようだ」

 

あかり「ゲルマお兄ちゃん、邪魔しちゃ駄目だよ」

 

ルナ「……」

 

隆太「ルナさん?」

 

恭夜「思い出しくないだけ」

 

サリー「フェリーから落ちて溺れたからか?」

 

恭夜「サリーが船酔いにならなかったら落ちなかった」

 

サリー「船酔いは関係ないだろ」

 

ゲルマ「そこのアベック、喧嘩はよしたまえ」

 

あかり「隆太お兄ちゃん、アベックって何?」

 

隆太「知らないよ」

 

シェリーヌ「会話から察するとすれば恋人に近いのでしょうか?」

 

あかり「それじゃあ夫婦から恋人になっちゃうよ」

 

シェリーヌ「愛の形は一つではありませんよ」

 

隆太「うーん、僕にはまだ早かったようです」

 

ゲルマ「御婦人は愛の伝道師のようだ」

 

シェリーヌ「オホホホ、ゲルマ様はお言葉が上手なのですね」

 

ルナは辺りを一望し刀を抱き締めた。

広大な土地に真新しく荘厳な建築物が現れた。一際目を引くその建造物はもはや人が住むというレベルではない。一つの町を歩いている気分にさせた。

 

あかり「おっきー家だね」

 

隆太「うん。お金持ちなんだよ、きっと」

 

シェリーヌ「こちらは(あるじ)であるフェリックス・ボロゾフ様の邸宅でございます」

 

サリー「フェリックス・ボロゾフ?」

 

恭夜「ルナ?」

 

ルナ「私、ここに――」

 

ゲルマ「グオォォォ!何なのだ!この存在感は!」

 

ゲルマが大袈裟に驚いているのはとてつもなく異質で、建築物の風景に馴染まない銅像が立っていたからである。

 

あかり「馬に股がっている人って誰?」

 

シェリーヌ「馬ではなくロバでございます」

 

隆太「確かナポリタンとか言うフランクな英雄ですよね?」

 

恭夜「旨そうな名前」

 

サリー「この像は確かにフランクだな」

 

ルナ「ふふふ」

 

隆太はルナの笑顔に少し安堵した。

 

ゲルマ「両手でハートを作っているな。さぞかしここの家主はフランクな人柄なのだろう」

 

シェリーヌ「ボロゾフ様はフランスの英雄ナポレオンに心酔しているのでございます」

 

恭夜「むしろ侮辱しているの間違いじゃ……」

 

サリーは前衛的な扉を食い入るように眺めている。

 

サリー「この扉は閉じている状態で天秤の模様になるのか」

 

隆太「そのボロ草履(ゾウリ)さんはどんな仕事をしてるんですか?」

 

恭夜「ボロ草履?」

 

シェリーヌ「ボロゾフ様は国際弁護士をしております。故に世界中を飛び回っているのでございます」

 

あかり「凄いんだね。ボロ雑巾(ゾウキン)弁護士って」

 

ゲルマ「尻拭いならお手の物」

 

隆太「そう。このボロ雑巾ならね、ってコラッ!」

 

恭夜「コマーシャルみたいだな」

 

サリー「人の名前で遊ぶな」

 

ルナ「ふふふ、面白い」

 

シェリーヌはルナの笑顔を見て母親が見せるような安堵した表情を見せた。

六人は来賓の間に案内される。豪華絢爛な家具や装飾品が一堂に会している。あかりと隆太は華やかな光景に目を輝かせた。

 

あかり「中も広いね」

 

ゲルマ「サッカーが出来そうだ」

 

恭夜「そうだな」

 

ゲルマ「いっちょやってみっか」

 

頭を外すゲルマ。

 

恭夜「嘘に決まってるだろ!すぐ戻せ!」

 

隆太「暖炉もあるんですね」

 

ルナ「それ違う」

 

サリー「うん?これは……テレビ?」

 

あかり「なんかシュールだね」

 

ルナ「サリー、あれ見て」

 

サリー「――あの絵は!?」

 

隆太「ルナさんはあの絵が好きなんですか?」

 

ルナ「うん!」

 

サリー「こんなことが……偶然なのか?」

 

ゲルマ「あの絵に描かれているのは女神。不思議だ。初めて見た気がしない」

 

シェリーヌ「お待たせ致しました、皆様方。ハーブティーでございます」

 

あかり「ずっと気になってたんですけど」

 

隆太「スーツを着たサングラスの人達って」

 

恭(正門にもいたけど)ズズッ

 

サ(警備員だろうな)ズズッ

 

ゲルマに耳打ちするルナ。

 

ゲルマ「ゴリラみたい」

 

サリー「――ブッッッ!」

 

恭夜「――ゲホッ!ゲホッ!」

 

シェリーヌ「聞き捨てなりませんね。ずっと気になっていたんですけどスーツを着たサングラスの人達ってゴリラみたいとは。お嬢様?」

 

ルナ「ふふふ。ごめんなさい」

 

隆太は平謝りするルナを見てニヤけている。

 

あかり「もう!ゲルマお兄ちゃんも謝って!」

 

ゲルマ「失敬、失敬」

 

恭夜「は、鼻からハーブティーが……」

 

サリー「おのれぇ……」

 

シェリーヌ「皆様をここにお招き致しましたのは感謝のお言葉を申し上げたかったからでございます」

 

隆太「何か感謝されるような事ってしました?」

 

あかり「えーなんだろう?」

 

ゲルマ「拙者はリードに繋がれてる犬を見かけたら野生に帰すようにしているでござる」

 

恭夜「野生に帰される犬の身になれ」

 

サリー「私なんて喧嘩を売った相手の服を血まみれにしてやったぞ。はっはっは!」

 

恭夜「やられてるじゃねぇか」

 

ルナ「私は子供料金で電車に乗ろうとしたら駅員さんに罪を着せられた」

 

隆太「上手いですね。キセルだけに!」

 

あかり「何で駅員さんが悪者扱いされてるの?」

 

シェリーヌ「オホホホ、皆様は仲がよろしいのですね。ワタクシはお嬢様がお一人で寂しい思いをなされているのではないかと心配で――ですが、それは杞憂だったようです」

 

ルナ「私はみんなが好き」

 

シェリーヌ「それは喜ばしゅうございます。皆様には感謝をしてもしきれません。どうかこれからも――」

 

サリー「何か勘違いをされている」

 

シェリーヌ「はい?」

 

あかり「ルナお姉ちゃんは天然で何考えてるかわかんないけど」

 

隆太「いつも優しい笑顔と気遣いで癒してくれます」

 

ゲルマ「もはや友達などという生半可な繋がりではない」

 

恭夜「俺達、家族ですから」

 

シェリーヌ「まあ!……オホホ、そうでございましたか。これは過ぎたことを申し上げました。ワタクシから出来ることは少ないですが今日はお泊まりになって下さい」

 

サリー「そこまでして頂く必要は――」

 

シェリーヌ「これは感謝の気持ちでございます。ご主人様も当分お帰りにはなりませんので」

 

あかり「他に泊まるとこもないよね」

 

隆太「今から探すのは厳しいと思います」

 

ルナ「恭夜は?」

 

恭夜「せっかくだから甘えちゃおうか?」

 

ゲルマ「つかぬことをお聞きするが」

 

シェリーヌ「どのような用件でございましょう」

 

ゲルマ「ガソリンはあるだろうか?いや、ハイオクでも――」

 

シェリーヌ「ガソリンでよろしければ直ぐにご用意致します」

 

恭夜とサリーは顔を見合せ怪訝な表情をしている。ゲルマは満面の笑顔を見せつけた。

夜もふけた頃、ルナと恭夜は女神が描かれた絵画を見上げていた。

 

恭夜「この絵、どこかで見たような気がするんだよなぁ」

 

ルナ「恭夜、知ってるの?」

 

恭夜「う~ん、思い出せん」

 

ルナ「ふふふ。ゲルマみたい」

 

サリー「まだ起きているのか。あかりと隆太はもう寝たぞ」

 

恭夜「サリーが好きな絵ってさぁ、この絵だっけ?」

 

ルナ「サリーも?」

 

サリー「え?あ、ああ……」

 

ふと恭夜はサリーとルナの共通する部分が多い事に気づいたが、話がややこしくなりそうだったので話題にはしなかった。

 

ルナ「私、恭夜の女神になりたい」

 

サリー「人の言葉を盗むな」

 

恭夜「……四年ぐらい前かな?サリーと一緒に見たのって」

 

サリー「今さら思い出したのか」

 

恭夜「俺、絵に興味ないし」

 

サリー「この女神は圧政に苦しむ民衆を救おうと導いているんだ」

 

何度も聞かされた話なのだろう。恭夜は退屈そうに頭を掻く。

 

ルナ「右手は自由を表現し、左手は平和を象徴する」

 

恭夜「ルナも詳しいんだ」

 

サリー「自由と平和を愛する女神は民衆を解放するため先導者になった」

 

ルナ「民衆は抗い革命を起こした。そして打倒した」

 

サリー「民衆は自ら手にした自由と平和を謳歌した。ところが人間にとって余りある自由は民衆を狂わせた」

 

ルナ「見境のない自由は他の人々の自由を奪い、いつしか平和は打ち砕かれた。そして矛先は女神に向けられる」

 

サリー、ルナ「混沌に染まった民衆は女神の両腕を切り落とす」

 

恭夜「何度聞いてもおぞましいな」

 

シェリーヌ「女神は悲しみの余り人間を見捨て天界へ帰ってしまったという」

 

恭夜「!?……すみません。起こしちゃいました?」

 

シェリーヌ「そんなに気を遣われなくてもよろしいのに。ただ、興味深い会話をなされていたので」

 

サリー「ボロゾフ氏もこの絵に興味を?」

 

シェリーヌ「どうでしょうか。ボロゾフ様は絵には興味を抱かれたご様子はありませんでしたので、インテリアの一部として飾られたのではないでしょうか?」

 

恭夜「にしても変な絵だよなぁ。両腕が見切れてるなんて」

 

シェリーヌ「噂によればこの絵は三枚から成る作品だと言われているようです」

 

サリー「三枚もあるのか?では残り二枚は女神の両腕にあたるのか?」

 

シェリーヌ「そういった想像を働かせるのも芸術の醍醐味なのでしょう」

 

ルナ「恭夜はこの絵、好き?」

 

サリー「聞くだけ無駄だと思うが」

 

恭夜「嫌いではないけど」

 

シェリーヌ「男性に美的センスを問うのはナンセンス、でしょうか。オホホホ」

 

サリー「つかみどころのない方だ」

 

ルナ「サリーはつかめるよ」

 

サリー「私の髪はつかむものではない!」

 

恭夜「みんな良いセンスしてるよ」



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稲妻の仮面

騒がしい夜が明けた。隆太は普段通り朝早くから活動を始めている。

 

隆太「兄さん、おはよう」

 

恭夜「は~あ……隆太はホント朝早いな。サリーにも見習ってほしい」

 

隆太「あはは、メイドさんと一緒に朝食の手伝いをしているのであかりとサリーさんを起こして」

 

恭夜「ルナは?」

 

隆太「僕が起きた時に出かけたみたいだよ」

 

恭夜「出かけた?どこに?」

 

隆太「それがメイドさんにもわからないんだって」

 

恭夜「二人だけで出かけた?もしゲルマがまた暴走したらルナが――」

 

サリー「おはよう」

 

隆太「おはようございます」

 

恭夜「……あかり、起こしてくる」

 

サリー「探さないのか?」

 

恭夜「え?」

 

サリー「ルナを探すんだろ?なら私も行こう。ゲルマも気になる」

 

恭夜はサリーの刀が明滅していることに気がついた。

 

サリー「すまない、隆太。少し出かけてくる。朝食までには――」

 

隆太「またですか?この前も同じことを――」

 

恭夜とサリーは隆太の会話を聞き終える前に立ち去る。

隆太は声に出るほどのため息をついた。

 

ゲルマは人気のない道を歩いていた。独り言を呟いている。向かっている先は工事現場のようだ。鉄骨が組み上げられている。

 

ゲルマ「この国には寒がりの人から暑がりの人までいるようだ。幸か不幸か、この体では寒さも感じないが」

 

ゲルマ「だが、この体になっても夢を見るとは……あれは本当に夢なのか?」

 

ゲルマ「ゲルマという人間は本当に存在したのか?そもそもゲルマという人物は――」

 

ルナ「ゲルマさんが転んだ」

 

ルナはゲルマを突き飛ばそうとしたがかわされる。

 

ゲルマ「いきなり突き飛ばそうとするとは」

 

ルナ「ずっと呼んでたんだよ」

 

ゲルマ「そうか」

 

ルナ「どこ行くの?」

 

ゲルマ「どこに行く?わからない。なぜここにきた?誰かに呼ばれた?」

 

ルナ「帰ろう」

 

ゲルマ「……ルナはマスターの事、どう思う?」

 

ルナ「恭夜はサリーを幸せにする」

 

ゲルマ「質問に答えてくれ」

 

ルナ「私も好き」

 

ゲルマ「ならばマスターを振り向かせなければいけない。それでも……」

 

ルナ「恭夜とサリーが幸せだったらそれでいい」

 

ゲルマ「ルナはどうするのだ?」

 

ルナ「私は……私もサリーを幸せにする」

 

ゲルマ「意味がわからん」

 

ルナ「ゲルマはみんなのこと、好き?」

 

ゲルマ「ああ」

 

ルナ「ふふふ、私も」

 

ゲルマ「まったく、ルナには――」

 

ルナは刀の湿り気を感じ後ろを振り向く。誰もいない。

 

ルナ「恭夜?」

 

ゲルマ「誰だッ!」

 

?「ボディーガードがついていたか」

 

ゲルマ「名を名乗れ」

 

ルナ「ゲルマ?」

 

?「名乗るものでもないが……そうだな、デュルファン・ディ・カイン。カインとでも呼んでもらおうか」

 

カインは黒を基調とし黄色い稲妻が眉間を走る特徴的な仮面を着けている。

 

ルナ「変な仮面」

 

カイン「余計なお世話だ」

 

ゲルマ「カイン……カイン……何だ?この沸き上がるようなざわめきは……」

 

カイン「キミがルナ・ホワイトクロスか。キミを探してる人物がいる。一緒に来てもらう」

 

ルナ「変な人にはついていかない」

 

カイン「不審者みたいに言わないでもらおうか」

 

恭夜「――ルナ!」

 

サリー「ゲルマもいたか」

 

ルナ「おはよう」

 

恭夜「おはよう、じゃないよ!」

 

サリー「こんなところで何をしているんだ?」

 

ルナ「変な人に連れていかれそうになった」

 

恭夜「変な人?」

 

サリー「あの鉄骨の上で気味の悪い笑みを浮かべているヤツか」

 

カイン「どうも初めまして」

 

恭夜「うわぁ、だせーマスク」

 

カイン「わざわざ口に出して言うほどでもない」

 

サリー「奇抜な風貌だな」

 

カイン「キミもな」

 

地団駄を踏むサリー。地面を踏みつける度に(まげ)のような髪が左右に揺れる。

 

ゲルマ「思い出せん。このゲルマと言う人間とカインと言う名前。何か引っ掛かる……」

 

カイン「もう一度問おう、ルナ・ホワイトクロス」

 

恭夜「目的は何だ?」

 

カイン「フェリックス・ボロゾフ。名前ぐらいは聞いたことあるだろう?」

 

サリー「フェリックス・ボロゾフだと?」

 

ルナ「……」

 

恭夜「そのボロ(ゾウ)がどうしたっていうんだ?」

 

カイン「ボクは勘の良い女性は好むが勘の悪い男が心底憎くて堪らないんだ。一つ訂正してあげよう。ボロゾフだ」

 

恭夜「てめぇの好みのタイプなんか聞いてねぇよ」

 

サリー「考えたくないのだが、この男の言動から察するにボロゾフ氏は――」

 

カイン「そうだよ。ルナと?」

 

サリー「血縁関係にあり」

 

カイン「うんうん。ということは?」

 

サリー「親子である可能性が高い」

 

カイン「素晴らしい!勘の良い女性は好むがキミはタイプじゃない。申し訳ない」

 

恭夜「ヒント出しすぎだろ!」

 

サリー「マスクを着けた男よりチャック全開の男の方がましだ!」

 

カイン「キミの性的嗜好に興味はない」

 

ルナ「パパはこの国に来てる?」

 

カイン「おっとすまない。キミをお座なりにしてしまった。ボロゾフ氏はこの国に滞在している。そして今日の夜、あるオークションが催される。もちろんボロゾフ氏も参加する」

 

ルナ「私は会わない。会いたくない」

 

カイン「それは困った。ボクはボロゾフ氏本人に依頼されキミを連れてくるようにと仰せつかった。断ると言うなれば――」

 

カインは背中に背負っていた大剣を引き抜く。大剣の回りを風が纏い、空間をねじ曲げるような風圧を放つ。

 

恭夜「あのデカイ剣から出てるのか?」

 

サリー「凄まじい気迫だ。あの剣が放っているのだろう」

 

カイン「強硬手段をとらせてもらう」

 

恭夜「いつもようにあの伸びるやつ出せないの?こうズバーッとさ」

 

サリー「アレは月が出ていないと無理だ。歯痒いが」

 

カイン「やはり。ではルナは最後にしよう」

 

ルナ「恭夜とサリーは関係ない」

 

サリー「なまくら刀であろうとも太刀打ち出来る!降りてこい!」

 

カイン「ボクに近づく事は出来ない。甘んじて受けよ。このカザキリを――」

 

カインは両腕で大剣を降り下ろす。風の刃がサリーと恭夜を切りつけた。

 

ルナ「ダメ!」

 

恭夜「――いってぇ!」

 

サリー「――チッ、これでは近づくことも出来ない」

 

恭夜「月が出てなきゃ何も出来ないって、それじゃただのサムライじゃん!」

 

サリー「誰がサムライだ!もう一度言ってみろ!このロリコンが!」

 

恭夜「ロ……ロリコンだと!?そんな……バカな」

 

恭夜は膝から崩れ落ちうなだれている。

 

ルナ「恭夜とサリーは私が守る。だから逃げて!」

 

カイン「キミが出てくるとは――」

 

ルナはカインの言葉に耳を貸すこともなく刀を振り抜いた。

 

ルナ「私の前から消えて」

 

カイン「水の刃か。だが、風の前には無力」

 

カインは水の刃を軽くいなす。

 

ルナ「みんなを傷つける人は嫌い」

 

ルナは剣先をカインに向ける。カインの周りを水が漂う。

 

カイン「ボクを捕らえるか。けど浅はかだ」

 

カインは嘲笑うかのように組み上げられた鉄骨を軽やかに駆け回る。

ゲルマは両目から赤い閃光を放った。鉄骨は切断され足場が崩れる。

 

カイン「!?」

 

ゲルマ「これが男の熱視線――ヒートレーザー!」

 

ルナ「ゲルマ!」

 

サリー「ゲルマ、いつからいたんだ?」

 

恭夜「ずっといただろ」

 

カイン「やってくれる」

 

サリー「だが、これでちょこまかと動くことは出来なくなったな」

 

カイン「キミが無力なのは変わりない」

 

ルナ「サリーを守る!」

 

ルナはサリーの前に立つ。

 

カイン「乙女の刃、破砕する!」

 

ゲルマが二人の間に割って入るように走り出す。

 

恭夜「――おい!ゲルマ、どうする気だ?」

 

ゲルマから鈍い音が響き渡る。

 

カイン「何だ?この剣から伝わる感覚は?」

 

ルナ「ゲルマ?」

 

ゲルマ「一つ、一つあなたにお聞きしたい」

 

カインは目を合わせようとしない。ルナは水がゲルマに飛ぶことを避けるため数歩下がった。

 

ゲルマ「ゲルマという人物を知っているだろうか?」

 

カイン「今は答えることは出来ない」

 

ゲルマ「今?」

 

カイン「いづれ――」

 

サリー「隙あり!」

 

ルナの影から飛び出す。

 

ゲルマ「待て!」

 

カイン「フン!」

 

カインは難なく回避した。

 

カイン「時間をかけすぎてしまったようだ」

 

ゲルマ「待ってくれ!カインは何者だ?」

 

カイン「今日の夜、待っている」

 

カインは颯爽と去って行く。後に残ったのはほのかに漂うレモンの香りだった。

フェリックス邸に戻った頃には時刻は九時になっていた。ゲルマは部屋に籠ってしまったが、他の者達は席に座っている。

 

隆太「もう!皆さん遅いです!何時だと思ってるんですか!」

 

あかり「もういいじゃん。みんな揃ったんだから」

 

隆太「そういう問題じゃないよ。兄さんは浮浪者みたいに服がボロボロだし、サリーさんは傷だらけだし」

 

恭夜「誰が浮浪者だ」

 

サリー「傷は大丈夫なのか?」

 

恭夜「もう治った」

 

シェリーヌ「お二方の手当てを致しましたが、唯城様の傷はかすり傷程度しかございませんでした」

 

サリーは不安げな表情で恭夜の顔に残っている傷跡を指でなぞる。

 

あかり「ゲルマお兄ちゃんはまたお出かけ?」

 

ルナ「ううん。部屋に籠ってる」

 

隆太「何かあったんですか?なんかいつものゲルマさんじゃないような気がしました」

 

あかり「故障しちゃったのかな?」

 

恭夜「大丈夫だよ。すぐにひょっこり顔を出すから」

 

サリー「あかりには優しいんだな。このロリコン」

 

恭夜「まだ根に持ってんのかよ」

 

シェリーヌ「後ほど様子をお伺い致します」



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見えざる手

カインはオークション会場に入る。既に始まっているようだ。受付の男が奇妙な仮面に気づき二度見する。場内は二部オークションに集まった高尚な老若男女で溢れ帰っている。

カインは目もくれず控え室の扉を開いた。中では壮年の男が椅子で眠っていた。膝の上にはパンフレットが置かれている。この男こそフェリックス・ボロゾフ。カインの気配に気づき目を開けた。ボロゾフは再びパンフレットに目を戻す。

 

ボロゾフ「――自由と平和の女神『コスモス』。三枚で一つの絵となり右手は自由を、左手は平和を司る。本物であるのであれば是非お目にかかりたいものだが……調子はどうだ?仮面の男よ」

 

カイン「……ご期待に添えず申し訳ない」

 

ボロゾフ「娘は元気であったか?」

 

カイン「特に報告出来るような事もない」

 

ボロゾフ「そうか」

 

カイン「だが、再会は約束しよう」

 

ボロゾフ「ほう。娘がここに来ると?」

 

カイン「ああ。ラングニックの娘と共にな」

 

ボロゾフ「それは面白い事になりそうだ。あの男の娘とまみえる事になろうとは。これぞまさに女神の思し召し」

 

カイン「取り巻きはどうする?」

 

ボロゾフ「恐るるに足らん。私には矛と盾がある」

 

カイン「聞こえは良いが過信は命取りだ」

 

ボロゾフ「その仮面は弱さを隠すためにあるのか?」

 

カイン「何?」

 

ボロゾフ「ククク、私の盾は矛にもなりうるのだ」

 

室内に金属が擦れたり軋んだりする音が響く。二人は耳を塞ぎたくなるような音から距離をとった。人型の物体が姿を現しカインはのけ反った。

 

ボロゾフ「哀れな男よ。調子はどうだ?」

 

?「ギ、ギ、ギ――」

 

カイン「ふっ、こんな切り札があったとはボクが臆病だった」

 

ボロゾフ「仕事を奪ってしまうが、お前は取り巻きを見張っていればよい」

 

カイン「わかった」

 

ボロゾフがトイレのため席を立つ。カインは人型の物体に意味深な笑みを浮かべた。腰に掛けていた袋から葉っぱを取りだし手の中ですり潰す。粉を鼻に近づけた。香りを楽しんだのだろう。指を舐め余韻に浸るように目を瞑った。

 

ボロゾフ邸には恭夜、サリー、あかりの姿はない。一足先にオークション会場に向かったようだ。用意していた衣装に着替えるため部屋に閉じ籠るルナ。部屋の前では隆太とゲルマがそわそわしながら待っている。

 

隆太「今度はみんなで食事が出来そうですね」

 

ゲルマ「胸焼けがする」

 

ゲルマは神妙な面持ちで胸部分を押さえる。いつもの調子に戻ったようだ。

 

隆太「いや、心臓なんてないじゃないですか」

 

ゲルマ「まあいい、それよりもルナはいつまで待たせるんだ!ええい!しゃらくせい!」

 

ゲルマ「ウワァ!だ、駄目ですよ!着替え中なんですから!」

 

ゲルマ「くっ、(うず)きが治まらん!」

 

下腹部を押さえるゲルマ。

 

隆太「どこが疼くのかなんて聞いちゃ駄目だ」

 

ルナ「お待たせ」

 

予想外の服装に二人は驚嘆の声を上げた。使用人と同じ格好にルナは嬉しそうだ。

 

隆太「――な、なんて美しさだ!」

 

ゲルマ「まさかその格好で行くのか?」

 

ルナ「似合ってる?」

 

隆太「もちろんです!まるで女神のようです!」

 

ゲルマ「かっ!また疼きが!」

 

ルナ「どうしたの?」

 

隆太「聞くだけ無駄だと思いますよ」

 

ルナ「この(ふんどし)、すげー(こす)れるぜよ」

 

隆太「なんで穿いてきたんですか?」

 

ルナ「ふふふ、変なしゃべり方」

 

オークション会場では間もなく第三部が始まろうとしていた。場内は多くの来場者で賑わっている。

恭夜達は控え室で時間を持て余していた。

 

あかり「お腹すいたなぁ。早く始まんないかなぁ」

 

恭夜「あはは。可愛いなぁ、あかりは」

 

サリー「にやけすぎだ。ロリコンめ」

 

恭夜「また言ったな!二度ならず三度までも!頭きた!武士の顔も三度までだぞ!」

 

サリー「誰が武士だ!それを言うなら仏だ!」

 

あかりは夫婦喧嘩をよそに青いドレスを着こなすサリーを凝視する。髪を下ろしたサリーは別人のようだ。

 

あかり「サリーお姉ちゃんって本当は凄い美人なんだね」

 

サリー「誉めているのか、馬鹿にされてるのかわからん」

 

恭夜「なんで素直になれないかなぁ」

 

あかり「あの髪型、止めた方がいいと思うよ」

 

サリー「……」

 

恭夜「違うんだよ。あの髪型は俺のためにしてくれてるんだ」

 

あかり「恭夜お兄ちゃん、あの髪型の女性が好きなの?」

 

恭夜「ある意味、あの髪型が似合う女性が好きなのかもしれない」

 

サリー「悪かったな、似合わなくて。ルナの方がスタイルも抜群で、女性らしくて可愛いしな」

 

あかり「ルナお姉ちゃんはルナお姉ちゃんだよ」

 

恭夜「青いドレスも似合うじゃん。ね?あかり」

 

サリー「――これは仕事をするためだ」

 

あかり「仕事?」

 

サリー「ドレスは仕事をするとき以外着るつもりはない」

 

あかり「でもアタシは今のサリーお姉ちゃんが好きだな~」

 

サリー「考えとく」

 

恭夜「それは楽しみ」

 

あかり「恭夜お兄ちゃんも今のサリーお姉ちゃんの方がいいと思うでしょ?」

 

恭夜「俺はどっちも好きだよ」

 

あかり「なんかズルい」

 

サリー「し、仕事があるから私は先に行く」

 

あかり「顔が真っ赤だったよ!タバスコみたいに!」

 

恭夜「それならケチャップの方が良くない?」

 

定刻になり第三部が幕を開けた。気品溢れる紳士淑女がどっと押し寄せる。恭夜達は波に流されるように中央へと動く。

 

サリー「凄まじい熱気だな」

 

あかり「ルナお姉ちゃん達、どこにいるの?」

 

恭夜は目を丸くして訝しむ。違和感を覚えたのは会場にいた人間全てだ。

 

恭夜「な、なぁ?あれってルナ……だよな?」

 

サリー「ゲルマと隆太もいるな」

 

あかり「この会場ってコスプレしてもいいの?」

 

恭夜はルナが放つ大人の色気に目を奪われた。

サリーは強烈な嫉妬心で恭夜を半ば強引に振り向かせた。

 

サリー「おい!こっちを見ろ!」

 

あかり「やめてよ!サリーお姉ちゃん、バカップルみたいだよ!」

 

端の方から恭夜達を探していた隆太は周りから痛いほどの視線を感じていた。

 

隆太「兄さん達、向こうにいますよ」

 

ゲルマ「サリーは青いドレスを着ているのか。前回は赤だったから次は黄色だな」

 

ルナ「信号機みたい」

 

隆太「サリーさんに斬られますよ」

 

ゲルマは電子音を奏でながら周囲に注意を払う。もちろんルナを獣のような男達から守るためであろう。

隆太達は人垣を掻き分け合流した。

 

あかり「ルナお姉ちゃん、メイド姿もかわいい!」

 

ルナ「ありがとう、あかり」

 

サリー「なぜメイドなのだ?」

 

ルナ「私の夢だから。恭夜似合う?」

 

恭夜「ずっとその格好でいてよ」

 

あかり「――恭夜お兄ちゃんの浮気者!」

 

ゲルマ「――マスターのエロ男爵!」

 

隆太「――兄さんの変態!」

 

サリー「――このスケコマシ!」

 

恭夜「エロ男爵だけは絶対に認めねぇ!」

 

ルナ「ふふふ、みんな面白い」

 

会場が暗転する。始まったようだ。

ライトアップされた舞台に司会者が現れる。

 

司会者「さあ!皆さん大変長らくお待たせ致しました!」

 

隆太「なんだか凄いお宝が出てくると思うとワクワクしますね!」

 

あかり「ここにいる人達ってみんなお金持ちなんだよね?」

 

サリー「どうだろうな?必ずしもオークションに参加している人間だけとは限らないからな」

 

司会者「ただ今より夜の部を開催致します!」

 

舞台の両端から巨大な板のような品物が運びこまれる。大掛かりに準備された品物には布が覆い被さっている。

 

司会者「まず最初の出品は絵画です!」

 

恭夜「でかくね?」

 

ルナ「うん」

 

司会者「こちらの作品はかつて盗難により消失されたとされる二枚の絵画!その名も――」

 

ゲルマは握りこぶしを閉じたり開いたりしている。周囲を警戒しているようだ。

 

司会者「秩序の女神『コスモス』!」

 

恭夜「へ?」

 

サリー「……っ!?」

 

ルナ「うそ!」

 

ゲルマ「これは……」

 

あかり「隆太お兄ちゃん、この絵画知ってる?」

 

隆太「どこかで見たような……」

 

司会者「今回は『右手の自由』、そして『左手の平和』が出品されました!さあ――」

 

一同は司会者の言葉に耳を疑った。会場はざわめく。悲鳴と歓喜の不協和音。驚きの声を上げる者、恍惚の表情で見つめる者、更にはよほど嬉しかったのか泣き出す者までいる。

オークションが始まると徐々に静寂を取り戻し淡々と進行していく。

三十分で初老の男が落札した。口髭を蓄え髪はボサボサ、外見からでは高貴さは一切見てとることは出来ない。サリーと目があった。初老の男は何かを喋っているが遠すぎて聞き取ることは不可能だ。サリーが近づこうとすると目の前に大柄の男が立ち塞がり見えなくなった。押し退けたが既に立ち去っていた。

オークションが終わりと食事会が催される。あかりと隆太は長丁場で疲れ切っていたのか、豪華なバイキング形式の料理をこれ見よがしに胃袋へ流し込む。恭夜はサリーが化粧直しに行っている間にルナのメイド姿を目に焼き付けていた。だが、ルナの元に野獣達が押し寄せる。ゲルマはルナを不安にさせまいと常に男達の間に割って入る。

 

隆太「ルナさん、色んな男の人達に囲まれちゃったけど大丈夫かな?」

 

恭夜「ゲルマがついてるはずだし、大丈夫っしょ」

 

あかり「ねえねえ、あそこに怪しい仮面着けた人がいるんだけど」

 

隆太「どこにそんな人が――ああ!」

 

恭夜「目を合わせちゃ駄目だ」

 

あかり「なんか食べながらこっちきたよ。しかも腰につけた袋をぶらぶらさせてるし」

 

カイン「やあ、キミ達。あまり物欲しそうな顔で見ないで欲しいな。それともこのエクレアがそんなに欲しいのか?ん?こっち?申し訳ないが、この袋は柑橘の香り漂うお気に入りの一品なんだ」

 

カインは楕円形の袋を背負っている。薄茶色の袋は年季が入っていて、所々糸がほつれている。

 

隆太「駄目だよ、あかり。怪しい人から変な物貰っちゃ」

 

恭夜「またルナに会いに来たのか?」

 

あかり「エクレア仮面さんはルナお姉ちゃんを探してるの?」

 

カイン「エクレア仮面ではない。ボクの名はカインだ。それとルナを探さなくてもあんな格好していればすぐ目に入る」

 

隆太「ですよね」

 

恭夜「じゃあオークションに参加してたのか」

 

カイン「あの女神の絵画は今日の目玉だったようだが、ボクには理解できない代物だ」

 

あかり「じゃあエクレアを食べに来ただけなの?」

 

カイン「ボクも手持ちぶさたでは帰れない」

 

隆太「それじゃサリーさんをナンパしにきたんですね!どうぞどうぞ」

 

あかり「隆太お兄ちゃん、サリーお姉ちゃんに斬られるよ」

 

カイン「ボクはルナの方が好みだ。それよりさっきから青いドレスを着た女がこちらを幾度も伺っているようだが、キミならわかるか?」

 

恭夜「俺も不思議に思ってるんだ」

 

あかりと隆太は阿吽の呼吸で溜め息をついた。



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揺さぶる天秤

その時であった。耳をつんざくような銃声に会場は騒然となる。状況に気づいた参加者達が我先にと出入口に殺到する。

恭夜はあかりと隆太を瞬時に見つけ駆け寄った。サリーは状況を確認するため膝をついた。ゲルマはルナの腕を引き寄せ中央に陣取る。

カインはこれからが本当のオークションだと言いたげに壁に持たれ掛かっている。

 

?「アイタカッタヨ……ギギ」

 

聞き覚えのある声にサリーは鳥肌が立った。

 

サリー「な、なんだ?」

 

威厳のある出で立ち。その場に居合わせた人間が身震いした。赤黒いスーツを着こなし首元には天秤を模したようなバッジを着けている。腰に携帯している拳銃のシルエットにゲルマは身構えた。

 

ボロゾフ「ご挨拶だ。ゾルギーノ・ドラジェ」

 

恭夜「ゾルギーノ・ドラジェだって!?」

 

サリー「バカな!?」

 

ルナ「生きてる?」

 

ゲルマ「なんだあの姿は?」

 

全身を機械化させた哀れな姿にゲルマは同情を隠せなかった。

 

ボロゾフ「元気そうだな」

 

ルナ「……」

 

恭夜「あかり、隆太。俺達から離れるな」

 

ボロゾフ「そんな顔をするな。お前を出迎えに来たのだ」

 

ルナ「私は行かない」

 

ゲルマ「無理矢理連れ去る行為は誘拐だ。弁護士のあなたが理解出来ないはずがない」

 

ボロゾフ「部外者に用はない。これは私達親子の問題だ」

 

恭夜「あんた、ルナの気持ち考えたことあるのか?」

 

ボロゾフ「何?」

 

恭夜「ずっと一人にしてたんだってな」

 

ボロゾフ「使用人を雇っている」

 

ゲルマ「親としての役目はなんだ?」

 

ボロゾフ「愚問だ。正解などない」

 

隆太「ルナさんはあなたについていけば幸せになれるんですか?」

 

ボロゾフ「それも愚問だ」

 

あかり「ルナお姉ちゃんをどうするつもりなの?」

 

ボロゾフ「私の仕事を手伝ってもらう。そして私が認めた男の元へ嫁がせる」

 

ルナ「私の未来は私が決める」

 

ドラジェ「シアワセニ、デキルオトコハ、ツネニカネト、ケンリョクヲ、モチアワセテイルモノダヨ」

 

サリー「違う!人には自らの未来を切り開く力がある!」

 

ゲルマ「それを否定するものに我らを引き裂くことはできない」

 

ボロゾフ「ククク……ハッハッハ!」

 

ルナ「私は皆が好き。パパは私が嫌いなの?」

 

ボロゾフ「親が子を愛さぬわけがなかろう」

 

隆太「信用できません!」

 

あかり「ルナお姉ちゃんを幸せに出来るのは私達だけだよ!」

 

ボロゾフ「若造どもが知った風な口を――そこまで言うのならば私が現実を教えてやろう!」

 

ルナは背後に殺気を感じ振り返った。目を疑いたくなるような影に戦慄した。額から汗が滴り落ちる。

 

シェリーヌ「――お許しください。お嬢様」

 

シェリーヌは恭夜達の退路を断つように対峙する。

 

ルナ「!」

 

恭夜「メ、メイドさん!?」

 

サリー「考えたくはなかった」

 

ゲルマ「悪い夢を見ているようだ」

 

隆太「冗談……ですよね?」

 

あかり「味方……なんだよね?」

 

シェリーヌ「私は使用人です」

 

ボロゾフ「全ては使用人カルピンスキーから聞きえている。娘の事を家族だのとぬかしたそうだな」

 

サリー「あの時の会話は不自然だった。なぜ素直にガソリンを与えたのか」

 

シェリーヌ「もちろん演技でございます」

 

恭夜「ゲルマが人間じゃないことを知ってたってことか」

 

シェリーヌ「皆さんには大変申し訳ないことをしました」

 

ルナ「私は……信じてた」

 

ルナは目を潤わせる。今にも涙が(こぼ)れてしまいそうだ。

 

シェリーヌ「ワタクシはお嬢様の世話をしている身でございます」

 

ルナ「でも……でも……」

 

シェリーヌ「皆様に感謝しているのは本当でございます。今までお嬢様と仲良くして頂き――」

 

サリー「二度も言わせるな!」

 

シェリーヌ「!」

 

ゲルマ「忘れたとは言わせん」

 

あかり「ルナお姉ちゃんはメイドさんが思ってるほど弱くない!」

 

隆太「ルナさんは僕達の女神なんです!」

 

恭夜「俺達はこれでも家族なんだ」

 

カインは仮面に手を当て肩を震わせている。シェリーヌは何かを確信したような眼差しをルナに向けた。

 

ボロゾフ「私を怒らせるな。若造などに二度とシャバの空気を吸わせぬようにしてやる!カルピンスキー、ドラジェ、カイン!こやつらを引っ捕らえろ!」

 

号令にも関わらずカインだけその場を動こうとしない。

 

シェリーヌ「お覚悟を、お嬢様」

 

ルナ「どうして?」

 

ドラジェ「サリー、コンドコソ、ボクノアイヲ、キミニ」

 

サリー「私はしつこい男に興味ありません」

 

サリーはいつになく切り替えが早い。決意は固いようだ

 

ゲルマ「あの男は機械の体にされているようだ」

 

恭夜「ルナの刀があればあんなやつボコボコに出来るのにな」

 

ゲルマ「マスターが好きな方を選ぶんだ」

 

恭夜「意地悪な質問だな。俺は二人とも助ける」

 

ゲルマ「ならばルナに助太刀する!」

 

恭夜「おい!サリーを見捨てるな!」

 

カインは腕を組み壁にもたれている。あかりと隆太が近づいてくるのを見て姿勢を正した。

 

隆太「エクレアのカイザーさんはどちらの味方なんですか?」

 

カイン「ボクはカインだ。あえて言うならボクはボロゾフに加担している」

 

あかり「やっぱり敵なんだ」

 

隆太「どうして何もしないんですか?」

 

カイン「迷っているからだ」

 

あかり「迷ってる?」

 

カイン「キミ達の言葉を聞いてやるせなくなってしまった」

 

隆太「お願いです!僕達はどうなっても構いません!だからルナさんを、みんなを助けてください!」

 

カインは仮面を手で覆う。二人に向けていたもの寂しい眼差しを窓から覗きこむ月に向けた。

 

カイン「……」

 

あかり「隆太お兄ちゃん……」

 

カイン「ゲルマ……」

 

隆太「え?」

 

あかり「ゲルマって、ゲルマお兄ちゃんのこと?」

 

カイン「ゲルマについて聞かせて欲しい」

 

窓から月明かりが差し込み、サリーの刀は光を帯びていく。

 

サリー「チッ!刀が効かぬとは」

 

恭夜「俺も手伝いに――」

 

サリー「邪魔だ」

 

恭夜「なんだって?」

 

サリー「そこで見てろ」

 

恭夜「……はい」

 

ドラジェ「トドケ、ボクノオモイ」

 

ドラジェは両手をサリーに向けて放つ。

 

サリー「そんなもの――」

 

弾丸のように発射された拳を薙ぎ払う。

 

ドラジェ「ギギ!」

 

サリー「次は私の番だ!」

 

刀を振り上げ飛びかかる。

 

サリー「一刀両断!」

 

ドラジェは両腕をクロスさせ刀を受ける。

 

ドラジェ「ギギギギギギ」

 

サリー「厳しいか」

 

ドラジェの両目が宝石のように赤く光った。

 

恭夜「サリー!伏せろ!」

 

サリー「なに――」

 

眼球から放たれた光線はサリーの右肩を貫いた。青いドレスが黒ずんでいく。

 

サリー「ぐぅ……不覚……」

 

恭夜「サリー、俺が――」

 

サリー「うるさい……そこで黙って見てろ」

 

恭夜「わかったよ、でも――」

 

サリー「私が守るから」

 

恭夜は既視感を覚え心臓の鼓動が速くなる。刀から発する光が同調する。

 

ドラジェ「ボクナラ、キミヲ、キズツケサセナイ」

 

サリー「どの口が言う」

 

右腕は力なくだらりと垂れ下がり血が重力に従い指先から滴り落ちる。

サリーは刀を左手に持ち替えた。

 

サリー「これで終わりにする!」

 

刀を真横に構えると刀身に光が凝縮していく。

 

サリー「貴様の首、捻斬(ねじき)る!――月影気斬(げつえいきざん)!」

 

刀を真一文字に振り抜く。巨大な月の刃がドラジェの首目掛けて穿つ、と誰もが思った。

 

ドラジェ「ギギ!」

 

頭を外し月の刃の盾にした。衝撃でドラジェの体が剥離する。

 

恭夜「そんなのありかよ!」

 

ドラジェ「――アブナカッタヨ」

 

目玉が抉れ赤き眼光が剥き出しになる。ドラジェは何事も無かったように頭をはめ込んだ。

 

サリー「くそが……」

 

恭夜「体全部、機械になってるのか」

 

サリーは脱力するようにへたりこんだ。恭夜が支えるように寄り添う。

 

サリー「もう打つ手はない」

 

恭夜「だからって腹を斬るのはなしだよ」

 

サリー「フッ」

 

ドラジェ「サリー、ワカッタダロウ?ボクノホウガ、キミヲマモレルコトヲ」

 

恭夜「だってよ」

 

サリー「世迷いごとを聞く余裕はない」

 

恭夜「傷塞がないと」

 

教夜はサリーの傷口を手で押さえた。

 

サリー「うっ……私は大丈夫だ……」

 

ドラジェ「オマエ、サリーカラ、ハナレロ」

 

抑揚のない喋り方だが言葉の節々から敵意を感じ取れる。

 

恭夜「ちょ、ちょっと待って!」

 

ドラジェ「?」

 

恭夜「サリーを本当に愛してるなら、どうして傷つける?」

 

ドラジェ「フリムイテ、ホシイカラダヨ」

 

恭夜「そっか」

 

サリー「あの男の話を真に受けるぐらいなら、私の目を見てくれ」

 

恭夜「嘘じゃないと思うけどな」

 

サリー「あの男の話を受け入れろと?」

 

恭夜「そうじゃないけど……けどさ……」

 

恭夜はドラジェの言葉を反芻するように耳を傾けていた。

サリーはその表情に奥ゆかしさを感じたのかもしれない。奥底に秘めていた想いを呼び起こした。

 

サリー「恭夜、私の目を見てくれ」

 

恭夜「なんだよ――!!!」

 

サリーは左手で恭夜の顔を引き寄せる。ドラジェから見れば唇を重ねているようにしか見えなかった。

 

ドラジェ「グググッ!?」

 

サリー「恭夜、愛してる」

 

恭夜は恥ずかしさで惚けてしまった。

 

ドラジェ「ミトメナイゾ!ボクハ、ミトメナイ!」

 

サリー「私を守ってくれ」

 

恭夜「……うん」

 

ドラジェ「コロシテヤル、イツワリノ、キシメ!」

 

ドラジェは握手するように両手の指を向ける。そして勢いよく発射した。

 

恭夜「くっ……」

 

指の弾丸は体を掠める。恭夜はサリーから刀を取り上げた。

 

恭夜「刀借りるよ」

 

サリー「は?」

 

ドラジェ「ナニヲ?」

 

恭夜は刀を天井に向けて放り投げた。不規則な回転のまま落下する。

 

サリー「ま、まさか――」

 

恭夜「いっけぇ!ボレーシュートォォォッ!」

 

(つか)を目一杯蹴りつける。刀は矢のような軌道を描き加速する。ドラジェは右手を前に出し受けて止めようとするが、刃に凝縮されたエネルギーに耐えきれない。腕を巻き込み胸元を串刺しにした。壁に叩きつけられ悲鳴のような金属音を轟かせる。

 

ドラジェ「ギギィィィ!」

 

サリー「刀は私の魂だぞ!」

 

恭夜「武士みたいなこと言うなよ。でもこれで動け―― !」

 

ドラジェは原型を留めない腕と左手を器用に使い胸元に刺さる刀を挟む。強引に引き抜いた。

 

恭夜「駄目か」

 

ドラジェ「ビンボウニンハ、シッソナセイカツヲ、オクッテイレバイイノニ」

 

恭夜「貧乏人だって人を好きになるんだ」

 

ドラジェ「ダケド、エラブケンリガ、アルノハ、ボクミタイナ、カネモチサ」

 

恭夜「金も必要かもしれない。でも一番大切なのは人を好きになる心だ」

 

ドラジェ「ボクハ、ヒトヲシンヨウシナイ。シンズルハ、ザイリョクノミ」

 

恭夜「俺はお金がなくても今が一番幸せだ」

 

ドラジェ「オマエガ、ソウオモイタイ、ダケダロ」

 

恭夜「人は一人じゃ生きてはいけない。支えあって生きていくんだ。あんたはそれをわかってない!」

 

ドラジェ「ボクニ、セッキョウスルナ!」

 

ドラジェは再び赤き光線を放つと同時に残っていた左手も発射させた。

 

恭夜「げっ!」

 

タイミングは完璧だ。ドラジェは恭夜の動きを計算し狙いを定めていた。ゲルマのヒートレーザーよろしく熱線は避けられた。だが、バランスを崩され思考も働かせる間もなく拳を鼻で受けてしまった。血を吹き出しながら弾け飛ぶ。

 

サリー「なぜ避けないんだ!?」

 

恭夜「……鼻は……どこだ?」

 

鼻血を垂れ流したまま床をまさぐる。ふざけている様子はない。

 

サリー「鼻はついているが……」

 

ドラジェ「ジャクシャハ、ユルヤカニ、シンデイケバイイノサ」

 

恭夜「……つまらないヤツ」

 

ドラジェ「ナンダイ?」

 

恭夜「……よく言われるだろ」

 

ドラジェ「ニンゲンハ、ツマラナイ、イキモノダヨ」

 

恭夜「あっそ」

 

ドラジェ「コレデ、サヨウナラダネ」

 

教夜は鼻を押さえながら立ち上がる。そしてドラジェに背を向けた。

 

恭夜「サリー、タイミングを計って」

 

サリー「タイミング……む、無理だ!私には出来ない!」

 

恭夜「俺はサリーを信じてるから」

 

(まぶた)をゆっくりと閉じる。

 

ドラジェ「ビンボウニンノ、シンゾウヲ、ボクノテデ、エグリダシテヤロウ!」

 

ドラジェは恭夜の心臓に突進を始める。あっという間に距離を縮める。恭夜にとっては一瞬かもしれないが、サリーにとっては永遠に感じた。それはサリーが望んでいたものだったからだ。

恭夜の死を想像したのか目を閉じてしまう。身を震わせ涙が流れる。蹴り捨てられた刀が呼応する。時間が少し止まったような気がした。

腹の底から愛する者の名を叫ぶ。

 

サリー「――きょうやぁぁぁっ!!!」

 

恭夜は目を見開き、後方へ飛び上がる。意表を突かれたドラジェはスピードを落としてしまった。自転車を漕ぐように振り落とされた足はドラジェの頭部を直撃した。

 

ドラジェ「グギャアァァァ!!!」

 

悲鳴のような奇声を上げて床にめり込む。首まわりから煙がたちのぼり、その後は一切動かなくなった。

 

恭夜「見たか!これが貧乏人のバイシクルだ!」

 

ゆっくりと目を開けるサリー。涙で視界がぼけているのだろう。恭夜を見つけることが出来ない。恭夜は千鳥足でサリーの元に向かう。膝を枕にし横たわる。

 

サリー「あんな無茶なやり方が通用すると思っていたのか?」

 

恭夜「……サリーだったから」

 

サリー「え?」

 

恭夜「サリーにカッコいいとこ見せたかったから」

 

サリー「鼻血さえなければカッコよかった」

 

恭夜「じゃあ鼻血が止まらないから膝も借りるね」

 

サリー「ああ」

 

教夜は眠るように目を閉じた。



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水のワルキューレ

ボロゾフはサリーの刀に思い当たる節があるようだ。

 

ボロゾフ「可笑しな力を持っているようだな」

 

ゲルマ「白々しいのはその鷲鼻だけで十分だ」

 

ボロゾフ「自由と平和の女神はどちらに微笑むのだろうか?」

 

ゲルマ「何が言いたい?」

 

ボロゾフ「当時、無名の画家であったライナ・リゲイリアは例の絵画を完成させた直後、歴史の表舞台から姿を消した」

 

ゲルマ「ライナ?……リゲイリア?……」

 

ボロゾフ「そして、あの絵画は不吉な力を秘め――」

 

ゲルマ「ライナ……ぐっ!」

 

ゲルマはふらつき何かに取り憑かれたように苦しみだした。

 

ボロゾフ「三枚の絵画を所有した者は永遠の名誉と強大な権力を得たという。もちろん一国の支配者になった者もいた。だが――」

 

ゲルマ「俺は……」

 

ボロゾフ「その一枚は私の手の内」

 

ゲルマ「守れなかった……」

 

ボロゾフ「それは残念だったな」

 

ゲルマ「ボロゾフ……お前は知っているのか?ライナはこの世界にいるのか?」

 

ボロゾフ「私は知らぬ。だが、あの男なら――」

 

カイン「ゲルマ、ボクはあの絵に触れてこの時代にやって来た。恐らくキミもそうだ」

 

ゲルマ「……」

 

カイン「あの絵画が完成した時、ライナは不治の病で命を落とした。そして、キミはあの絵を守ろうとしたんだ」

 

ゲルマ「俺はライナに……」

 

カイン「三枚の絵画はもうじき揃う。そうすればボク達も元の時代に帰れる」

 

ボロゾフ「残り二枚の絵画は既にあの男の手に渡った。これで全ての神器(レガリア)が揃った」

 

二つの影が鏡に写し出されたように立っている。一方では水を空気中に漂わせ、また一方では水を氷に変えてしまいそうなほど冷たい眼光を放っている。

 

シェリーヌ「ワタクシはお嬢様に手荒な手段を用いたくありません」

 

ルナが「おば様もみんなを傷つけるの?」

 

シェリーヌ「目的のためならば」

 

ルナ「こないで!」

 

ルナは剣先を向け空気中の水をシェリーヌの周りに漂わせる。

 

シェリーヌ「芸がありませんね」

 

シェリーヌは護身用の短刀を持ち出し露を払う。ルナは慌てて刀を斜めに降り下ろす。

シェリーヌは水の刃をその身に受けるも、持っていた短刀で刀を抑え、空いてる左手で拳を作り腹部に一撃を見舞った。

 

ルナ「うっ!……げほっ……げほっ」

 

シェリーヌ「次は刀を二度と握れないように致しましょう」

 

ルナはふらつき方膝をついた。刀で体重を支える。目を潤ませながらサリーと恭夜を見つめ口元を緩ませる。

 

ルナ「私ね、助けてあげたんだよ」

 

シェリーヌ「はい?」

 

ルナ「海で溺れた恭夜を助けたの」

 

シェリーヌ「なんと!?」

 

ルナ「恭夜は覚えてくれてたんだ」

 

シェリーヌは自らがルナに譲った刀を見る。ルナは刀を抱きしめ過去を語り始めた。

 

ルナ「この刀が不思議な力を持ったのはその時から」

 

シェリーヌ「お嬢様には大切な人がおられますか?」

 

ルナ「みんな大切だよ。もちろんおば様も」

 

シェリーヌ「ワタクシの目は誤魔化せませんよ」

 

ルナ「え?」

 

シェリーヌ「好きな人がおられるのではないですか?」

 

ルナ「私は……みんなが好き」

 

シェリーヌ「答えたくないのであればそれでも構いません。ですが――」

 

シェリーヌはサリーと恭夜を一瞥する

 

ルナ「私も……」

 

シェリーヌ「その言葉は本人に伝えたらよろしいのでは?」

 

ルナは目元を拭う。

 

ルナ「私ね、もう一人じゃないよ」

 

シェリーヌ「立派になられました」

 

ルナ「それに夢もあるの」

 

シェリーヌ「是非、お聞かせ願いますか?」

 

ルナ「おば様みたいなメイドさんになるの」

 

シェリーヌ「もう叶えているではないですか」

 

ルナ「似合ってる?」

 

シェリーヌ「服に着られているようにお見受けします」

 

ルナ「ふふふ」

 

シェリーヌ「お嬢様はどうなされたいのですか?」

 

ルナ「私、もう帰らない」

 

シェリーヌ「お父上様が許して下さるとは思えませんが」

 

ルナ「それでもいい」

 

シェリーヌ「……」

 

ルナ「今まで、私の家族でいてくれてありがとう」

 

ボロゾフ「何をしている?カルピンスキー」

 

シェリーヌ「ボロゾフ様、もうよろしいのではないでしょうか?」

 

ボロゾフ「確かに拒むと言うのなら致し方ないのかもしれないな」

 

ボロゾフは所持していた拳銃をルナに向ける。ルナは銃口を睨みつける。

 

シェリーヌ「お止めください!」

 

カインは小さく舌打ちした。

 

隆太「ルナさん!」

 

あかり「そんな……どうして?」

 

ゲルマ「……何が……どうなっている?」

 

ボロゾフ「これが最後の警告だ。私と一緒にこい!」

 

ルナは首を横に振る。

 

ボロゾフ「ならば――」

 

隆太がルナの前に立った。足がガクガク震えている。

 

隆太「う、撃てるもんなら撃ってみろ!」

 

あかり「隆太お兄ちゃん!」

 

ルナ「ダメ!逃げて!」

 

ボロゾフ「娘をたぶらかした挙げ句、私に楯突くとは」

 

隆太「親子で傷つけあうなんて僕には堪えられません!」

 

ボロゾフ「親には子をしつける義務がある」

 

隆太「あなたは親なんかじゃない!」

 

ボロゾフ「ならば教授してもらいたいものだ。正しい親の在り方とやらを」

 

隆太「……僕とあかりは十年前に母と父を事故で亡くしました」

 

ボロゾフは不快な表情で鼻を鳴らした。

 

隆太「だから家族の思い出はほとんどありません。それでも僕はあかりと力を合わせて生きてきました」

 

あかりは隆太を見つめている。思うところがあるのだろう。

 

隆太「ルナさんが頼れるのはメイドさんしかいなかった……ずっと孤独だったんですよ」

 

ボロゾフ「それは過去の話だ」

 

隆太「僕は今の話をしてるんです」

 

ボロゾフは弾丸の数を確認する。隆太の全身が強ばる。ゲルマがボロゾフの拳銃に手を伸ばそうとしたがカインが制止した。

 

ルナ「隆太……」

 

隆太「ルナさんは僕が守ります。だから――」

 

ボロゾフ「二度も言わぬ。そこをどけ」

 

隆太「僕の人生に……」

 

ボロゾフ「なんだと?」

 

隆太「後悔という文字はありません!」

 

ボロゾフは憤怒に満ちた表情で引き金に手をかける。シェリーヌは引き金が引かれるのを予測し隆太の前に立った。躊躇いもなく弾丸が放たれる。シェリーヌの腹部を貫いた。

 

シェリーヌ「――うっ!」

 

隆太「メイドさん!」

 

ルナ「おば様!」

 

あかり「い、いやぁぁぁ!」

 

ゲルマ「カイン、なぜ止めた?」

 

カイン「……」

 

ボロゾフ「お前まで私に楯突くのか?私に雇われた分際で」

 

シェリーヌ「うっ……ご心配……なさらず……」

 

ルナ「許さない……」

 

隆太「ルナさん?」

 

刀を握るルナ。水の粒子がボロゾフの拳銃を覆っていく。ボロゾフが慌てて引き金を引くが弾丸は発射されない。

 

ボロゾフ「何だ?何なんのだこれは?」

 

水は次第に腕を通り、肩、首を伝い顔を覆っていく。

 

ボロゾフ「小賢しい真似を!私の息の根を止めると言うか!?」

 

カイン「なんということだ」

 

ルナ「死んで……死んで……」

 

顔を水で覆われたボロゾフは焦りと苦悶の表情を露にする。左手で水を掻き出しているが窒息するのも時間の問題だ。

 

ゲルマ「ルナ!」

 

ルナ「!」

 

ゲルマ「マスターが悲しむ。たとえ不義理の親だとしても手にかけてはいけない」

 

ルナ「ゲルマ……」

 

ボロゾフの息の根を止めようといていた水は風船のように弾け床に飛び散った。

 

ボロゾフ「――ハァァァ……ホッ!ゲホッ!」

 

手と膝を床につけ呼吸を整えている。

 

ボロゾフ「ゴホッ……ゴホッ……はぁ……はぁ……」

 

ゲルマはボロゾフに近づく。

 

ゲルマ「大丈夫か?」

 

ボロゾフ「よくも……私を……こけにしてくれたな……このガキどもが……」

 

ゲルマ「フェリックス・ボロゾフ。答えてもらおう。あの絵はどこで手にいれた?」

 

ボロゾフ「知らんな」

 

ゲルマ「ではオークションに出されていた絵を買った人物との面識は?」

 

ボロゾフ「あるかもしれん」

 

ゲルマ「ゾルギーノ・ドラジェは生きているのか?」

 

ボロゾフ「私は知らん」

 

ゲルマ「なるほど、大体は理解できた。ドラジェのコピーを差し向けた人物、そして絵を買った人物も同じ。だとすればその人物が黒幕ということか」

 

ゲルマ「カインはどうする?」

 

カイン「考えさせてくれ」

 

ゲルマはあたりを見回している

 

カイン「もうすぐ警察が来る。まだやらなければならないことがあるのなら逃げた方がいい」

 

ゲルマはカインの言葉を聞き恭夜とサリーの元に駆け寄る。

 

ゲルマ「ルナ、隆太、あかり、すぐにここを出る。マスターとサリーは任せてくれ」

 

ゲルマは恭夜とサリーを両脇で抱える。

シェリーヌはルナと隆太に支えられ会場を後にした。

 

ボロゾフ「何をしておる!何故逃がした!」

 

カイン「娘を探していると依頼を受けたのだ。ボクとしてはボロゾフ氏の先ほどの蛮行は受け入れがたい」

 

ボロゾフ「あの男の右腕と聞いていたから置いといてやっているのだ!私に刃向かうというのなら――」

 

床に落ちている拳銃を手繰(たぐ)り寄せる。

 

カイン「告げ口したければすればいい。だが、あなたが生きていればの話だ」

 

ボロゾフ「そんな脅迫に――」

 

カインは稲妻の仮面を投げ捨てた。

 

カイン「尻拭い――してもらおう」

 

ボロゾフは拳銃を向ける。見抜いていたカインは発砲音と同時に大剣で腕ごと薙ぎ払った。

 

ボロゾフ「ウワァァァ!?!?!?わ、私の腕がぁぁぁ――」

 

腕を薙ぎ払われたボロゾフは痛みで絶叫しのたうち回る。カインはボロゾフを尻目に会場から姿を消した。立っていた場所にはレモンの残り香が漂う。



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悪の出鼻を挫け

翌朝、恭夜は意識を取り戻した。ベッドの上だ。恐る恐る鏡で鼻の状態を確認する。折れているようだが触っても痛みはほとんどない。包帯で強めに固定されているようだ。多少動くだけで痛みが走りそうで不安が拭えない。一歩ずつバランスを取るようにして歩く。痛みはない。廊下に出て大広間に向かう。

あかりと隆太がテーブルに突っ伏すようにして寝ている。ルナとゲルマは庭を歩いている。ルナが恭夜に気づいた。ゲルマにサリーの容態を聞いた。深手を負ったが大事には至らないという。シェリーヌが撃たれたことを知った恭夜は理由よりも容態を問いただした。一時は意識不明にまで陥ったが命に別状はないようだ。

 

数日が経った。

傷もだいぶ癒えたサリーは恭夜と共にシェリーヌを尋ねるため医務室に向かう。中にはルナがシェリーヌと話していた。

 

恭夜「サリー、怪我はもういいの?」

 

サリー「刀は握れる。特に問題ない」

 

ルナ「おば様……」

 

シェリーヌ「お嬢様、お怪我はありませんでしたか?」

 

ルナ「うん」

 

恭夜は鼻をさすっている。違和感が拭えないようだ。

 

恭夜「やっぱり気になるなぁ」

 

サリー「何がだ?」

 

ルナ「風邪引いた?」

 

シェリーヌ「包帯だけでは不安があるのでしょう。それならばアレを着けてみてはいかがでしょうか?」

 

恭夜「アレ?」

 

ルナ「持ってくる」

 

サリー「あまり期待したくないのだが……」

 

シェリーヌ「まあそう仰らずに。唯城様のご期待に添えるものだと思いますよ」

 

ルナは奥の部屋で乱雑に積み重ねられた段ボールを漁っている。洞窟のように薄暗く、何故電気を点けないのかと三人は疑問に思っていた。数分後、ルナが黒いマスクの様なものを持ってきた。

 

シェリーヌ「見つけられたようですね」

 

ルナ「こほっ……こほっ……」

 

サリー「むっ!埃まみれではないか!」

 

恭夜「これって……」

 

シェリーヌ「運動に最適なフェイスガードでございます」

 

ルナ「着けてあげる」

 

サリー「自分で着けた方がいいのではないか?」

 

恭夜「これを――こうかな?」

 

ルナとシェリーヌは笑みを浮かべ頷く。サリーは苦笑いしつつも言葉を発しようとしない。

 

恭夜「ちょっと何か言ってよ」

 

シェリーヌ「お似合いでございます」

 

ルナ「うん」

 

サリー「あの男の仮面みたいだな」

 

恭夜「あんな奴と一緒にするな」

 

恭夜は他の三人にお披露目してみた。

 

ゲルマ「あっしも欲しいでござる。普通のが」

 

隆太「ちょっと……あはは……」

 

あかり「恭夜お兄ちゃん、そういうのが好きなんだね」

 

恭夜は意地でも外さないことを固く誓った。

サリーは慌ただしい足取りで来賓の間に向かった。絵画を確認する為だ。だが、案の定何者かに持ち出されていた。サリーはうなだれるどころか急いで身支度を始めた。恭夜も思い立ったように荷造りしている。

準備が終わったサリー達は恭夜をよそにシェリーヌに昨夜の出来事を問いただした。

 

シェリーヌ「怪我の方はよろしいのですか?」

 

サリー「長居しても色々と迷惑をかけてしまうという思いもあるが、それ以上にあなたがボロゾフ氏と繋がっている事実を看過することは出来ない」

 

ルナ「違う!」

 

隆太「サリーさんは間違ってます!メイドさんは僕達の事を守ろうとしてくれたんですよ!」

 

あかり「もう私たちの味方だよ」

 

シェリーヌ「いいえ。サリー様の仰る通りでございます」

 

ルナ「どうして?」

 

シェリーヌ「ワタクシはボロゾフ様の命を受け、皆様をこの邸宅まで案内したのでございます」

 

隆太「それじゃあ最初からメイドさんに騙されていたってことですか?」

 

あかり「そんなぁ……」

 

サリー「そして私達、いやルナをあのオークション会場へ誘い出した」

 

シェリーヌ「ボロゾフ様は国際弁護士をする傍ら、多くのビジネスに手を染めているようです。絵画を求めていたのもビジネスの一つでしょう」

 

サリー「だが、昨夜聞いた話では絵画には興味はないと――」

 

シェリーヌ「良く覚えてられましたね。確かにボロゾフ様が絵画に興味をお持ちになられたのはつい最近の事なのです。ここからはワタクシの憶測なのですが、ボロゾフ様は何者かに取引を持ちかけられたのではないのでしょうか?」

 

サリー「その人物が三枚の絵画を所持していると?」

 

隆太「ちょっといいですか?」

 

サリー「ん?」

 

シェリーヌ「ご用があればなんなりとお申し付け下さい」

 

隆太「いえ、少し気になったので聞きたいんですが僕やあかりには関係ないのかもしれないですけど、ルナさんはその絵の取引と関係するのでしょうか?」

 

サリー「無いとも言い切れない」

 

シェリーヌ「少なからず取引の材料、あるいは手段として必要としていた可能性はあるでしょう」

 

あかり「んー、それってルナお姉ちゃんと絵を交換するってこと?」

 

シェリーヌ「オホホ……面白い事を仰るのですね。ですがそれはあり得ないのでございます」

 

サリー「あかり、あまりふざけた質問をするな。傷が開いてしまう」

 

あかり「ふざけてなんかないもん!」

 

隆太「でもどうしてあり得ないんですか?」

 

シェリーヌ「昨夜のお嬢様の態度を思い出して頂ければご説明は不要かと」

 

サリー「ルナは父の元には帰らないと言っていたな。それにボロゾフ氏程の敏腕弁護士が自分の娘を売るなどという愚直な発想に至るとは思えない」

 

シェリーヌ「顔の広い方ですからね。経歴に傷がつく事を極端に嫌う性格ゆえ、お金にならない事案は門前払いしていたようです。それにリスクの高い取引はそれ相応の対価を支払わされてしますから、万が一足がつくことになれば法曹界から排除されてしまいます」

 

暖炉もといテレビの前でスリープしていたゲルマが突然動きだし、シェリーヌの元に近づく。

 

シェリーヌ「これはゲルマ様、ご気分がすぐれないご様子ですがガソリンが必要でしたらご用意しますが――」

 

ゲルマ「手負いの御婦人の気を煩わせたくはない」

 

シェリーヌ「ゲルマ様は女性の扱いに手慣れていらっしゃるの上にお言葉が上手なのですね。それとどことなく雰囲気があの方に似ていらっしゃるようで――」

 

ゲルマ「我々の他に誰か訪れたのか?」

 

シェリーヌ「ええ、カイン様がお越しになられましたよ」

 

ゲルマ「本当か!?」

 

ルナ「カイン?だれ?」

 

隆太「変な仮面を着けた人ですよ」

 

あかり「エクレア食べてたよね」

 

サリー「なぜ仮面の男がここに?」

 

シェリーヌ「もちろんオークション会場でお嬢様を説得する為でございます。カイン様には皆様の足止めを担当する手筈になっていました」

 

ゲルマ「そんな事はどうでもいい!カインと何を話した?」

 

ルナ「ゲルマ?」

 

隆太「どうしたんですか?」

 

あかり「なんか恐いよ……」

 

シェリーヌ「他愛のない世間話でございます。カイン様はレモンティーを大変気に入られたご様子で『このような美味な物は生まれて初めて飲んだ』と余韻に浸っておられました。カイン様はかなり変わった方なのですね」

 

サリー「レモンティー?」

 

あかり「飲んだことない人っているんだね。あたしは好きじゃないけど」

 

隆太「僕でも淹れることぐらいなら朝飯前ですよ!」

 

ゲルマ「他は?」

 

シェリーヌ「手土産にしたい仰られるのでお裾分け致しました」

 

隆太「そういえば腰につけた袋をぶらぶらさせてました」

 

あかり「その袋がレモンティー?」

 

シェリーヌ「カイン様は常に持ち歩いているのですか?お気持ちは嬉しいですが、せめて室内で保管してもらいたいものです」

 

ゲルマ「近い内に出会うはずだ。その時にお伝いしよう」

 

ゲルマは勝手に会話を打ち切ると部屋から出ていった。

 

サリー「なんなのだ、あの態度は」

 

シェリーヌ「ゲルマ様にも人並みのご事情があるのでしょう」

 

そうこうしている内に恭夜は身支度を終えた。一同はシェリーヌとの別れの挨拶をすませ邸宅を出る。結局ルナは恭夜達に付いていくらしい。シェリーヌからの了承も得ているという。



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花の都

一同はパリの町をひたすら歩き回っていた。理由はゲルマが外に出てから一言も言葉を発することもなく、先頭を歩き続けているからだ。ルナが問いかけても返事をしない。小一時間歩き続けピタッと足を止めた。

目の前は美術館のようだ。

 

恭夜「てめぇいい加減にしろよ!さっきから無視しやがって!」

 

隆太「足が痛い」

 

あかり「お腹すいた」

 

ルナ「ゲルマ、どうしたの?」

 

サリー「返答次第では海に沈める」

 

ゲルマ「……ああ、すまん。少し考えていた」

 

ルナ「何を?」

 

ゲルマ「昔の事、いやオレの過去と言うべきか」

 

恭夜「今なんて言った?」

 

隆太「『オレ』って言いましたよね?」

 

あかり「そこじゃないと思うよ」

 

サリー「馬鹿馬鹿しい。ゲルマの過去だと?最近のアンドロイドは寝言まで言うのか」

 

ルナ「違う。ゲルマは悩んでる」

 

ゲルマ「悪いが一人にしてもらえないだろうか?」

 

恭夜「出来るわけねぇだろ」

 

サリー「暴走したら誰が止める?」

 

ルナ「私が止める」

 

隆太「それじゃあ一人になれないですよ」

 

あかり「見張ってればいいんじゃない?」

 

ゲルマ「一人と言っても気分を変えたいだけだ。ついてきても構わない。そこの美術館を見て回るだけだ」

 

ルナ「私はゲルマについていく」

 

サリー「私は行かないからな」

 

あかり「あたしも絵はわかんないから行かない」

 

隆太「僕はルナさんについていきます」

 

恭夜「なんだよ、別行動かよ」

 

サリー「恭夜はゲルマを見張っててくれ。今の私ではゲルマを止めることが出来ない」

 

恭夜「わかったよ――って、おい!置いて行くな!」

 

ゲルマ組は既に美術館へ歩き出していた。慌てて恭夜は追いかける。

サリーとあかりは反対側へ歩き出した。

 

歩道は様々な国籍の人々が行きかっている。あかりは異国の光景に馴染めないようだ。無意識にサリーの腕に抱きつく。

 

あかり「どこ行くの?」

 

サリー「お腹が空いているんだろ?何食べたい?」

 

あかり「ラーメン」

 

サリー「ここはフランスだぞ。パンとかどうだ?」

 

あかり「うん」

 

二人はお洒落な外観のお店に入った。あかりの表情に活気が戻る。目の色を変えあれこれとパンを選んでいく。あまりの落ち着きのなさにサリーが注意するが反省する気配は微塵もなかった。

会計済ませ外に出ると同時に、あかりは茶色の紙袋から目当てのモノを取り出し頬張り始める。一時間以上歩いていたとは思えないほどだ。サリーはその姿に呆れつつ、自らも食べ始めた。

公園のベンチに腰を下ろし、足の疲れを癒す。

 

あかり「どうしてお洒落なお店で食べないの?」

 

サリー「もう食べ終わってるじゃないか」

 

あかり「そういう意味じゃないよ。あーあ、外国に来たらお洒落なお洋服を見に行ったり、カフェとかに行こうと思ってたのに」

 

サリー「今から行くか?」

 

あかり「もういいよ。歩くの疲れちゃったし」

 

サリー「一眠りしたいな」

 

あかり「ねぇ、あたしだからお店で食べたくないんでしょ?」

 

サリー「どうしてそんなことする必要がある?」

 

あかり「恭夜お兄ちゃんだったら?」

 

サリー「ふわぁ……」

 

あかり「ねぇねぇ、寝たフリしないで答えてよ」

 

サリー「恭夜は一人でお店に入れない」

 

あかり「ホントに?」

 

サリー「ああ。だから私がいつもついて行ってたんだ」

 

あかり「逆じゃないの?」

 

サリー「私は一人でも百人でもお店に入れる」

 

あかり「恭夜お兄ちゃん、人混みが苦手なんだね」

 

サリー「正直、私もあまり好きじゃない」

 

あかり「嘘つき」

 

サリー「本音と建前だよ。あかりには難しいかな」

 

あかり「あの絵、綺麗だったね」

 

サリー「急になんだ。気持ち悪い」

 

あかり「あの絵の女の人って女神なんでしょ?」

 

サリー「そうだ」

 

あかり「あたしだけかもしれないけど、サリーお姉ちゃんに似てると思うんだよね」

 

サリー「媚を売るな。気持ち悪い」

 

あかり「ああ!二度も言った!隆太お兄ちゃんにも言われたことないのに!」

 

サリー「確かに隆太に言われるとへこむな」

 

あかり「ルナお姉ちゃんにも似てる……かな?」

 

サリー「昔の絵に似てると言われて嬉しいとは思わないな」

 

あかり「ふーん、でも恭夜お兄ちゃんの女神になるんでしょ?」

 

サリー「な、何の話だ!」

 

あかり「どうしたらそんな恥ずかしい言葉が出るのか教えてー」

 

サリー「あ、あれはルナが勝手に作ったんだ!」

 

あかり「そんな顔を真っ赤にしながら言わなくてもいいのに」

 

サリー「あーあ!私も美術館に行けば良かったな!」

 

あかり「恭夜お兄ちゃんがいるからね!」

 

サリー「ぐぬぬ……」

 

あかり「じゃあさぁ恭夜お兄ちゃんとのナレソメってやつ、聞かせてよ」

 

サリー「昔話を聞きたい?仕方ない。そうだな、まず私と恭夜の出会いは――」

 

あかり「否定しろよー」

 

二人は人目を憚らず昔話に花を咲かせる。

美術館では色とりどりの花が咲いた絵画に人だかりが出来ていた。ゲルマ達は人だかりを遠巻きにし別の絵の前に立ち止まる。

 

隆太「ルナさん、この絵凄い綺麗ですよ」

 

ルナ「よくわからない」

 

恭夜「隆太、無理すんなよ」

 

隆太「兄さんは何もわかってない。女性の気持ちを理解してない」

 

恭夜「いや、ルナもわからないって言ってるし」

 

?「全くだ」

 

ルナ「今、ゲルマが言ったの?」

 

ゲルマは美術館に入ってから一言も言葉を発していない。謎の声がしてから柑橘系の香りが館内に充満している。

 

隆太「この美術館の絵って喋るんですね。まさに現代美術って感じです」

 

恭夜「なんだそりゃ」

 

ゲルマ「お会いできて光栄だ」

 

ルナ「今度はゲルマが喋った」

 

隆太「ゲルマさんの知り合いでもいるんですか?」

 

恭夜「それにしても結構臭うな。誰だよ香水つけてるの」

 

カイン「キミはさっきから何を言っているんだ?非常に興味深い仮面を身につけているが……」

 

ルナ「だれ?」

 

隆太「うーん、どこかで会いました?」

 

カイン「昨夜はエクレアを食べていたんだ」

 

恭夜「カインなのかよ……」

 

隆太「えぇぇぇ!仮面を取るとこんなカッコいいんですか!俳優さんみたいです!」

 

ルナ「しっ!」

 

隆太「ご、ごめんなさい……」

 

カイン「庶民は鑑賞マナーも守れないのか?そもそも庶民に絵の価値が理解出来るとは思えないが……」

 

恭夜「絵の価値が分かるのは時間を持て余した人間だけだ」

 

ゲルマ「何?」

 

恭夜「ってサリーがよく言ってたな」

 

カイン「ライナも似たような事を……」

 

ルナ「恭夜はサリーと来たことあるの?」

 

恭夜「サリーがあの女神の絵を見たいってよく美術館に来てたよ。本当は人の多い場所が苦手でサリーに気をつかわせてただけなんだけどさ」

 

ゲルマ「カイン、いやデュルファン・ディ・カイン」

 

カイン「……」

 

ゲルマ「教えてくれ、全ての歴史を」

 

カイン「友人を疑うのはボクの性分ではないが、それでも今一度確かめなければならない。キミは本当にゲルマなのか?」

 

ゲルマ「完全ではないが、おおよそ思い出した」

 

隆太「何を思い出したんですか?」

 

ゲルマ「記憶だ」

 

ルナ「記憶?」

 

恭夜「ちょっと待て。いきなり記憶とか言われても誰が信じるんだ?」

 

カイン「ボクが証明するよ。この時代に生きる、まさに生き証人としてね」

 

ルナ「ゲルマ?」

 

ゲルマ「オレはこの時代の人間ではない」

 

隆太「えーと、どういう意味でしょうか?」

 

カイン「話が長くなるが、キミ達には知ってもらわなければいけない。ボク達が歩んできた激動の時代を――」

 

カインの言葉はその場にいた人間達全ての耳を傾けさせた。



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近世
薄幸


一六三二年、神聖ローマ帝国は新教(しんきょう)軍を相手に一進一退の攻防を繰り広げていた。帝国軍の実質的指導者ヴァレンはエーガーと呼ばれる町でゲルマを居城(きょじょう)の一室へと呼び出した。

ゲルマの白い肌は長く続く戦いからか、土埃を被ったように汚れており革の上着から見える肌着はくたびれている。薄茶色の長ズボンは膝から下にかけてボロボロになっている。

ヴァレンは鼻息を荒げ酷く憤っていた。

 

ヴァレン「生温い!このような勝ち戦が何故十年以上も続くのだ!いつまで俗物の顔色をうかがわねばならんのだ!」

 

俗物とはおそらく皇帝のことであろう。

 

ゲルマ「落ち着け。不敬(ふけい)な発言は自らの足をすくうことになる」

 

ヴァレン「俺を誰だと思っている?この国に俺より優れた軍師なぞ存在せん!」

 

ゲルマ「ああ、そうだったな」

 

ヴァレン「おい!」

 

ゲルマ「なんだ?」

 

ヴァレン「あの話はどうなった?まさか破談に終わったと抜かすならここで首を掻っ切るぞ」

 

ヴァレンはゲルマの腰に納めているナイフに手をかけた。恫喝(どうかつ)に慣れているのか、淡々と腕を振り払う。

 

ゲルマ「今からヤツの元に向かう。次の作戦までには間に合わせる」

 

ヴァレンは舌打ちをした。壁に立て掛けてある長剣を手に取り机の上に置く。

ゲルマはふてぶてしい態度で宮殿の外に出た。待機していた愛馬に股がり走り出す。ウィーンを後にしひたすら平原を駆けた。

ヨーロッパ大陸は戦火の真っ只中。そこかしこで火の手が上がり、銃声が鳴り、硝煙(しょうえん)が立ち込める。

馬は銃声に慣れているのか、それとも主人を信頼しているのか足を止めることはない。

ゲルマは傭兵稼業で生計を立てている。小さい時に母は黒死病(ペスト)罹患(りかん)、父は今起きている戦争で命を落とした。

ヴァレンはそんな気の毒な少年を引き取り、立派な兵士に育て上げた。ゲルマにとって唯一の親であり、血の繋がりはなくともヴァレンの夢を叶える事が自身の幸せでもあった。利用されていることも重々承知している。たとえ命を落としたとしてもヴァレンの野望を叶える為ならば悔いはない。ゲルマはそう自分に言い聞かせていた。

馬を走らせてから一時間経ち、川が見えてきた。突然足を止める。

 

ゲルマ「なぜ止まる?」

 

馬は一点を見つめたまま微動だにしない。ゲルマは警戒した。近くに人の気配がしたからだ。

 

ゲルマ「余計な事を考えるな」

 

馬に語りかけているが反応している様子はない。すると、何かを見つけたように歩き出した。ゲルマは降りて辺りを見回す。

川沿いに佇む一つの影。しゃがみながら何かを描いている。黒く長い髪がそよ風に揺れた。透き通った瞳は光を受けた川が煌めいているようだ。馬はその人物の前で足を止めた。女性は神経を集中させているのか、こちらに気づいていない。

 

ゲルマ「おい」

 

ライナ「……」

 

馬「ふぅー!ふぅー!ブルルルル!」

 

ライナ「えっ!?なに!クマ!」

 

ゲルマ「馬だ」

 

ライナ「もうビックリしたじゃない!今大事なところなんだから邪魔しないで!」

 

ゲルマは理不尽な態度に思わずナイフに手をかけてしまった。すぐに自分を律するように馬を撫でる。

 

ライナ「名前はなんて言うの?」

 

ゲルマ「オレはゲルマだ」

 

ライナ「あなたの名前なんて聞いてないわよ」

 

ゲルマ「馬は馬だ。名前はない」

 

ライナ「じゃあワタシがつけてあげるわ」

 

ゲルマ「くだらない――行くぞ」

 

ゲルマは一瞬、ライナが大事そうに抱えているキャンパスに目を向けてしまった。

 

ライナ「え?ワタシの絵を見せてくれたら名前をつけてもいいって?そんなこと出来るわけないじゃなーい?」

 

ライナは口元をキャンパスで隠してる。

 

ゲルマ「絵ごときに興味はない。それに金にならない」

 

ライナ「ほら見ていいわよ」

 

ゲルマ「人の話を聞け」

 

ゲルマはぶつぶつと文句を言いつつキャンパスを奪い取る。キャンパスには川を中心に描かれており、上部分は鬱蒼と森が生い茂っているごく普通のデッサンだ。ただ一点を除いて。

 

ゲルマ「気持ち悪い女だ。存在しないものを描くのが絵というものなのか?」

 

ライナは目をギラギラさせている。良い質問だと言わんばかりだ。

 

ライナ「よく気づいたわ。あなた芸術の才能があるんじゃない?」

 

ゲルマ「オレを馬鹿にするな。どこに熊がいるんだ?森から出てきたのか?」

 

キャンパスには森から熊がひょっこり顔を出している姿がはっきりと描かれている。

 

ライナ「ウフフ、そんな恐い顔しないで。これはもし絵を描いてる時に熊に出会ったらっていう想像よ」

 

ゲルマ「いや、死ぬだろうな」

 

ライナ「細かいわね。その時はその時よ」

 

ゲルマは我にかえった。

 

ゲルマ「こんなとこで油を売ってる場合ではない」

 

ライナ「油絵は描けないわよ」

 

ゲルマ「チッ、面倒くさい女だ」

 

ゲルマは馬に股がる。視線の先には山がそびえ立つ。

 

ライナ「う~ん!こんなにお喋りしたの久々だわ!」

 

ゲルマは手綱を引こうと腕に力を込めた。

 

ライナ「ワタシ、ライナって言うの!忘れないでね!」

 

ゲルマは馬を走らせた。後ろを振り返る。ライナは小さくうずくまっていた。顔が見えなかったが構っている時間がもったいない。ゲルマは一心不乱に山を駆け抜けた。

平坦な道に戻り殺風景な景色が続く。さらに一時間ほど走ると目的地に到着した。大きな町ではないものの津々浦々から商人が行き交い、酒場や商店は多くの人々で賑わっている。

ゲルマは馬から降り教会に向かう。誰かが大きな扉の前に立っていた。ゲルマにはまだ気づいてはいないようだ。

 

ゲルマ「カイン、申し訳ない。予期せぬ足止めをくらってしまった」

 

カイン「足止め?跡をつけられたのか?」

 

ゲルマ「いや、熊に出くわした」

 

カイン「もっとましな嘘はつけないのか?」

 

ゲルマ「熊の皮を被った女だったかもしれない」

 

カイン「……それなら信じよう」

 

二人は教会の中に入っていった。太陽は既に沈んでいる。

この教会はカインが所有している。この町で知らないものはいない大貴族である。金の集まるところに目がなく、芸術家のパトロンもしている。

カインは以前ゲルマを身辺を警護してもらうため雇った経緯があり、その縁からか二人は意気投合し酒を飲み交わす中になった。

カインは木製の椅子に腰かけ聖書を開いた。

 

カイン「いつになったらこんな無益な争いが終わるんだろうか」

 

ゲルマ「この国からオレのような人間がいなくなるまでだ」

 

カイン「いかにもキミらしい答えだ」

 

ゲルマ「だが、この戦争はオレだけの問題ではない」

 

カイン「ボクは戦争屋なんて嫌いだ。でも戦争を否定することは人の歴史を否定することにもなる」

 

ゲルマ「難しい事は分からない。だが、オレは死ぬのが怖いと思ったことはない」

 

カイン「ボクには兵士の気持ちなんて理解出来ないが、キミの気持ちを否定しようとも思わないな」

 

ゲルマ「ずっと気になっていたんだが、どうしてオレを信じてくれるんだ?」

 

カイン「キミはヴァレンのような権利欲にまみれた男とは違うからだよ。逆に聞きたい。どうしてキミはあの男の言葉に耳を傾ける?貴族生まれの分際で傭兵稼業にまで手を出すなんて、どこまで手を汚せば気がすむんだ?」

 

ゲルマ「ヴァレンは常に高みを目指している。ヴァレンなくして帝国の繁栄はあり得ない」

 

カイン「そうか、それがキミの本音か」

 

ゲルマ「ち、違う!オレはこんなことを話したかったんじゃない!」

 

カインはゲルマの動揺する姿に高笑いした。

ゲルマは落ち着きを取り戻そうとステンドグラスに目を向けた。

キトンを纏った女性が両手を広げている。カインにはその表情が戦乱の世を憂いているように見えたに違いない。

 

カイン「キミはボクと違って金にも女にも興味がない」

 

ゲルマ「……」

 

カイン「だけど夢はある。そうだろ?」

 

ゲルマ「取引がしたい。皇帝軍は財源の確保に躍起になっている。カインの力を貸してほしい」

 

カイン「見返りは?」

 

ゲルマ「オレの……命だ」

 

カイン「断る」

 

ゲルマ「そうか」

 

カイン「だが、このまま手ぶら帰ってはキミの立場が危くなってしまう」

 

ゲルマ「カインはオレの大切な親友だ。望みとあらばこの命に代えても叶えてみせる」

 

カイン「ボクが望む見返りはただ一つ。この近くに小さな村がある。その村を戦火から守ってほしい」

 

ゲルマ「何故だ?」

 

カイン「ボクがパトロンをしている芸術家が住んでいるんだよ。まだ無名の絵師なんだけど、才能を見込んで援助しているんだ」

 

ゲルマ「了解した」

 

ゲルマは即答すると踵を返し外に出た。

 

カイン「今日はもう遅い。すぐ近くにボクの別荘がある。誰もいないから使ってもらって構わない」

 

ゲルマ「お心遣い、感謝する」

 

賑やかだった町は静寂に包まれていた。



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憂国のマリオネット

ゲルマは馬を走らせる。昨日通った道は夜中に降った雨でぬかるんでいた。(ひづめ)を踏み込ませる度に水飛沫(みずしぶき)が上がる。泥濘(ぬかるみ)にはまると自然に速度が落ちた。無闇に走らせるのは心苦しい。

馬は主の心を理解しているのか定かではないが上体を左に左にくねらせている。ゲルマの意図なのか分からない。明らかに昨日通った道からかけ離れている。はたからみれば馬の動きが不自然だが人気のない道だから問題はない。

聞き覚えのないせせらぎが聞こえてきた。ゲルマは前方を睨んでいる。視界は良好だ。デッサンをしていた女と出会ったあの川がはっきり見えた。力強く手綱(たづな)を引き馬を留まらせる。

 

ゲルマ「大した問題ではない。だが、万全な備えが憂いを断つはずだ」

 

川沿いに馬を歩かせると、川の流れが速く水位も高くなっていることに気づいた。近くにはカインから死守するよう依頼された村がある。胸騒ぎがするのも無理はない。

橋が見えてきた。脆そうに見えるが杞憂(きゆう)だったようだ。馬を渡らせても大丈夫だと確信したのでゆっくりと歩かせる。

橋を渡れば次は森。あの女が絵に書いていたどこにでもある殺伐とした光景だ。暫く森の中を歩いていると薄暗い景色が明るい景色へと変わる。民家が見えた。目的の村はまだ先だ。ゲルマは好奇心を掻き立てられ窓ガラス越しに中を覗く。

 

ゲルマ「住んでいる痕跡はあるな」

 

ごく普通の民家だが、屋の隅に腕のみ描かれた絵画が見えた。全体が判然としない。恐る恐る中を覗き込もうとした途端、背後から人気を感じ動きを止めた。窓ガラスに人影が映っている。ゲルマは本能的にナイフへ手を掛けた。

 

?「後顧(こうこ)の憂いなし」

 

ゲルマ「何?」

 

?「気が遠くなるような遥か昔、東の国で生まれた言葉だ。聞いたことないかね?それはもったいない。お主の心境を表すにはもってこいの言葉だと思ったのだがね」

 

ゲルマ「お前、この家の持ち主か?」

 

へルマン「もう少し年寄りには敬意を払うべきだ。それに私にはへルマン・ラングニックという名がある」

 

ゲルマ「失礼した。先の非礼を詫びる」

 

へルマン「そんなに殺気立っていては身が持たんぞ。肩の力を抜いてもバチは当たらんよ」

 

ゲルマ「オレの生き方は今さら変えられない。そしてこれからもだ」

 

へルマン「お主は昔のワシによく似ている。だからこそワシも過ちを犯したのだ。だが、今なら分かる。お主を正しい道へ導く事など造作もない」

 

ゲルマ「誰の助けもいらない。オレの未来はオレが決める」

 

へルマン「そうかね?ならばここに来たのも自分の意思だとでも言うのかね?」

 

ゲルマ「ご託はいい。これ以上老人の世迷い言に付き合う義理はない」

 

へルマン「全ては女神の思し召し。誰も宿命からは逃れられないが運命ならば――」

 

扉がゆっくりと開く。中に人がいたことに気づかなかったゲルマは後ろに跳び跳ねた。

女が姿を見せる。顔色がすこぶる悪いがゲルマは昨日出会った女だと理解した。

 

ライナ「オジさんってば、お客さんが来てるなら中に入れてあげてって何度も言って……え!あなた、もしかして昨日会った馬の人?」

 

ゲルマ「馬の人ではない。それより具合が悪そうだが、まさか黒死病(ペスト)に感染してるわけじゃないだろうな」

 

ライナ「そんなわけないじゃない。ペストに感染してたらとっくに全身真っ黒よ。確かにペストに感染した方がましだと思ったこともあるけどね」

 

ゲルマ「どういう意味だ?」

 

ライナ「立ち話は体に障るから中に入って」

 

ゲルマは村の様子を見るだけのつもりだったが初老の男に一杯食わされたと思い内心穏やかではない。しかし、どうしても気になる事があった。部屋の隅にある絵だ。

初老の男は絵の近くに座る。ライナは何かを淹れ始めた。ゲルマは立ったままだ。左には白髪が目立つやや老けている男。右には調子を狂わせる女。ゲルマは目のやり場に困り絵を鑑賞しているふりをした。

 

ライナ「あなた、絵に興味ないんじゃないの?」

 

ゲルマ「ああ」

 

図星をつかれたが平然としている。

 

へルマン「無理もない。若者に絵の奥深さを説くことはカトリックにプロテスタントの主張を認めさせるぐらい難しいことかもしれん。まあ、ワシはプロテスタントの存在そのものを疎ましく感じているがね」

 

ライナ「例えが極端過ぎるわ。若い人でも絵に興味がある人はあるし、プロテスタントだって元を辿ればカトリックじゃない。一人一人個性があるんだし、主義や思想は同じじゃない方が良いに決まってるわ」

 

ゲルマ「綺麗事だ」

 

へルマン「ほう」

 

ライナ「どこが綺麗事なのよ」

 

ゲルマ「主義や思想が対立すれば火種が生まれる。宗教は特に内部対立を起こしやすい教義を持つ。()つ偏った倫理観は歴史観を歪ませ、更に 誤った先入観を植えつける。歪んだ思想は過激になり他者の言論を封殺する。主張をねじ伏せられた他者は抵抗するだろう。対立し合う個性は激しく衝突し見境のない争乱を呼ぶ。結果として万人の万人に対する闘争を招く――」

 

長舌だ。長舌だったゆえにありきたり語句を並べたのはうかつだった。二人に本心から出た言葉でないことを見透かされてしまう。

 

ライナ「ゲルマは自分の言葉で話しちゃいけないって両親から教育を受けたの?」

 

へルマン「いかんいかん、話し手に人間味が無さすぎて途中で聞き飽きてしまった」

 

ゲルマ「くっ……」

 

ライナ「まるで誰かに操られているみたいね」

 

ゲルマ「なんだと!?」

 

へルマン「ライナ、口が過ぎるぞ。申し訳ない、(めい)の非礼を許してほしい」

 

ゲルマ「オレは……あの人の為に……」

 

ライナ「あの人?あの人って皇帝のこと?」

 

ゲルマ「違う。オレを拾い立派な兵士に育ててくれた恩人だ」

 

ライナ「兵士?」

 

へルマン「知らんかったのか?ゲルマとやらは傭兵だ。それに皇帝軍を指揮するヴァレンの右腕に相当する腕前の持ち主でもある。そうであろう?」

 

ゲルマ「何故オレが傭兵だと知っている?それにヴァレンの事もだ!」

 

ライナ「傭兵?皇帝軍?もしかしてゲルマも戦争に参加しているの?」

 

へルマン「ライナ、お前は黙って聞いておれ。ゲルマとやらの質問に答えよう。ワシはヴァレンと繋がっておる。言うまでもないかもしれんが異端の軍勢に関する情報をもたらしているのもワシだ」

 

ゲルマ「何?」

 

ライナ「オジさんの言うことなんかに耳を貸さなくてもいいの!最近妄想が激しくて突拍子もないことを言っちゃうから!」

 

ゲルマ「妄想だけは遺伝のようだな。お前のせいで皇帝軍は苦戦を強いられている。どう言い逃れする気だ?」

 

へルマン「ワシを責めても失われた名誉は返ってはこない。そもそも有益な情報を上手く使いこなせない無能な指揮官にも非があるのではないのかね?」

 

ゲルマ「――き、貴様ぁぁぁっ!?」

 

ゲルマは目にも止まらぬ速さでナイフを引き抜いた。同時に右腕でへルマンの胸元を押さえつけ壁に叩きつけ、左手で持っていたナイフを喉元に突きつけた。

 

ライナ「や、やめて!――うっ!」

 

ゲルマは怒りのあまりライナがうずくまっていることに気づいていない。

 

へルマン「怒りに身を任せてしまえば本当に大切なものを見落としてしまう。もっと周りを注意深く観察すれば救える命もあるのだ」

 

ゲルマ「黙れ!オレは老いぼれの説教で意志を曲げるような薄弱な人間ではない!」

 

ライナ「……痛い」

 

ライナは腹部を押さえながら苦痛に顔を歪める。悪夢から目覚めたかのような表情でライナを見た。へルマンは解放され服装を整えている。

 

ゲルマ「おい、どうしたんだ?」

 

ライナ「ちょっと痛むだけよ」

 

へルマンは歯牙にもかけず外へ出ていった。

 

ゲルマ「医者には見せたのか?」

 

ライナ「ワタシ、生まれつきお腹が弱いの」

 

ゲルマ「薬は飲んでいるのか?」

 

ライナ「少し横になれば大丈夫よ」

 

ゲルマはライナをベッドに横たわらせる。間近にある腕しか描かれていない絵画が湿っぽい室内をより一層よどませているようだ。



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コスモス

ライナ「そういえば馬の名前って本当につけてないの?」

 

ゲルマ「ああ」

 

ライナ「そうねぇ、コスモスってのはどう?可愛らしくていい響きの名前だと思うんだけど」

 

ゲルマ「馬はオスだぞ。女みたいな名では呼ぶ気にもなれない」

 

ライナ「そういうとこは細かいのね」

 

馬が窓から二人を見つめている。

 

ライナ「あら!お馬さんのお気に召したようだわ。よっぽど嬉しかったのね」

 

コスモスと名付けられた馬から表情を読み取ることは常人に不可能だが、ライナの言葉に反応するかのように鼻をひくつかせている。窓ガラスに息がかかれば白くなる。白くなればなるほどライナの笑い声が大きくなった。ゲルマは笑いどころが理解できず黙りこんでしまった。とにかく考え事をしようと腕を組み絵の前に立つ。見たいわけではない。見ているフリをしているのだ。

ライナはゲルマの繊細な性格を見抜いたのだろう。唐突に笑うのを止めた。

 

ライナ「人の絵をタダで見るんだったら感想ぐらい聞かせなさい」

 

ゲルマ「ん?何の話だ?馬の名前なら勝手にすればいい」

 

ライナ「違うわよ。感想を聞いてるの」

 

ゲルマ「感想?……ああ、この気味の悪い絵の話か」

 

ライナ「ワタシだって描きたくて描いたわけじゃないわよ。なかなか沸いてこないのよ。こう、いいアイデアっていうのが――」

 

ゲルマ「両腕しか描かれていないのであれば評価は出来ない」

 

ライナ「はぁ……みんなそう言うのね」

 

ゲルマは溜め息をついたライナを見て閃いたようだ。絵とライナを見比べている。

 

ゲルマ「そうだな……」

 

ライナ「感想なら何でも聞くわ」

 

ゲルマ「自画像でも描けばいいんじゃないか?」

 

ライナ「ぷっ、冗談でしょ?」

 

ゲルマの苦し紛れの提案は空気を更によどませてしまったようだ。ライナは堪えきれず鼻で笑ってしまった。腹を抱え膝に顔を埋めた。

 

ゲルマ「何だ?また痛みだしたのか?」

 

ライナ「フフフ……ああ、おかしい。ゲルマって面白い人ね」

 

ゲルマ「笑っていただけか。紛らわしい――オレは用事があるから帰る」

 

笑っていたライナは部屋を出ようとしたゲルマを呼び止めた。

 

ライナ「もしかして村に行くの?」

 

ゲルマ「頼み事なら他を当たれ。オレには道草を食っている時間などない」

 

ライナ「ワタシをコスモスに乗せて連れてってよ」

 

ゲルマ「ふざけるな。女を乗せるぐらいなら歩いて行く」

 

ライナ「やったー!それじゃあ行きましょ!」

 

ゲルマ「人の話を――」

 

ライナはベッドから飛び起きゲルマを差し置いて身支度をしている。コスモスも歓迎するように鼻息を荒げている。ゲルマは頭を抱えた。コスモスは民家から二人が出てくるのを待っているようだ。

二人に近づき頭を垂れる。ゲルマが撫でるのを待っているかのように。

 

ライナ「賢いわね。さすがはコスモスね」

 

ゲルマは空返事をする。

 

ライナ「それじゃあ、ワタシをコスモスに乗せて」

 

ゲルマはコスモスをライナの元に寄せる。しかし、それ以上手助けしようとしない。

 

ライナ「ちょっと、これじゃあ乗れないじゃない。どうにかしてよ」

 

ゲルマ「オレはいつも一人で乗っているが?」

 

得意気に言い放ちコスモスから離れ村へ向かって歩き出す。ふくれっ面のライナが優しく馬に触れた瞬間、不思議な事が起こった。

 

ライナ「え?」

 

ゲルマ「ん?」

 

コスモスは足を折り畳み座っていた。

 

ライナ「すっごーい!乗ってもいいってこと何でしょ?さすがはゲルマが手懐けているだけのことはあるわ!」

 

ゲルマ「そんな……バカな……」

 

ゲルマは小言を言っているが素直なコスモスに夢中になっている。ライナの耳には届いていないようだ。

皮肉にも有言実行を体現してしまったのでコスモスを引きながら歩いて村を目指す。道中、終始能面のようなゲルマにコスモスが敏感に反応する。コスモスにライナを振り落とせと念じているが、それを拒んでいるようだ。

 

ライナ「意固地になってないであなたも乗ればいいじゃない?それとも恥ずかしいから二人じゃ嫌なの?」

 

ゲルマ「標的になるからだ」

 

ライナ「は?」

 

ゲルマ「オレが弾丸の標的になるからだと言ってるんだ」

 

ライナ「なにそれ、ワタシが標的になってもいいっていうの?」

 

ゲルマ「あわよくばな!」

 

ライナ「信じられない!もういいわ!行きましょ、コスモス」

 

ゲルマ「何言って――」

 

コスモスは前足を蹴り上げ勇ましく駈け出す。ゲルマは焦った。紐を手首に巻きつけていたからだ。手際よく紐をほどこうとするが愛馬が逃げだした事を想定していたので何重にも巻きつけていた。並走しながら必死にほどく。徐々に引き離されていく。間に合わないと思い紐を諦めコスモスに飛び乗ろうと膝を曲げた。

最悪だった。紐に神経を集中し過ぎ足下を見ていなかった。飛んだ瞬間、石に爪先を引っかけてしまった。両足が地面から離れ宙を舞う。ここからはどうしようもなかった。村に着くまで引きずられるしかない。ゲルマの心象は定かではないが恐らくこう考えたであろう。そもそも考える時間すら必要ないのだが。

何故なら既に意識を失っていた。理由は単純だ。宙を舞った直後、コスモスの後ろ足がゲルマの顔面を蹴り上げたからだ。ライナは鈍い音に振り向き状況を察した。慌ててコスモスをなだめ、うつ伏せで倒れているゲルマを介抱する。ゲルマは白目になり額からは血を流している。ライナは死んでいると思ったのか泣き出した。そこに別の馬の足音が近づいてくる。

 

ライナ「どうしよう……ゲルマ、ごめんなさい……」

 

カイン「キミはライナか?どうしたんだ?――!?」

 

カインは顔が真っ赤に染まる男の顔を見ておおよそ理解したようだ。

 

ライナ「どうしよう……ワタシ、人殺しちゃった」

 

カイン「落ち着くんだ。キミみたいな非力な女性がゲルマを殺めるとは思えない」

 

ライナ「うっ……うぅ……」

 

カイン「ボクがゲルマを連れていく。キミはどうする?」

 

ライナ「ワタシも……行くわ」

 

ライナは涙を拭く。カインはゲルマを自らの馬に乗せ村へ急いだ。



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彷徨する魔剣

ゲルマは意識を取り戻した。見慣れない部屋だ。目頭を押さえながら上体をゆっくり起こす。首と額に包帯が巻かれている。体の節々が痛む。足が重い。折れているわけではない。ライナが寝ているからだ。

 

ゲルマ「くそっ……」

 

息を吐くように愚痴を漏らす。するとライナが目を覚ました。

 

ライナ「ゲルマ?」

 

扉が開きカインがやって来た。

 

ゲルマ「カイン?何故ここに?」

 

ライナ「カインがたまたま通りかかってゲルマを村まで連れて来てくれたの」

 

ゲルマ「そうか。お手を(わずら)わせて申し訳ない」

 

カイン「キミは女性がいてもその調子なのか。その律儀さは戦場だろうが舞踏会だろうが容易に想像出来るね」

 

ライナ「ゲルマはカインと知り合いなの?」

 

ゲルマ「ああ、カインはオレの友人だが……ライナはどういう関係なんだ?」

 

ライナ「このツンツン男、ずっとワタシを監視してた変態よ」

 

ゲルマの目頭がピクッと動く。

 

カイン「誰がツンツン男だ。誤解を招くような物言いはしないでほしいね。ゲルマの傷が開いてしまう。そもそもボクはキミの心配なんてしていない。ゲルマの様子を見に来ていただけだ」

 

ゲルマ「オレの様子を見に来ていた?……オレはどのくらい眠っていたんだ?」

 

ライナ「三日よ。お医者様にいつ意識が戻るか分からないって言われたから、ワタシずっと心配してたのよ」

 

ゲルマ「三日だと?まずい……オレは帰る」

 

ゲルマはベッドから出ようとした。だが、首に激痛が走った。苦悶の表情で床に膝をつく。

 

ライナ「ダメよ!まだ安静にしてなきゃ」

 

ゲルマ「オレは……約束を……」

 

ライナ「え?」

 

カイン「ちょっといいか?」

 

ゲルマは首が動かせないので視線だけ合わせる。

 

カイン「ライナ、ゲルマと二人で話がしたい。キミがそばにいたって止めることは出来ない。それに怪我でもしたら仕事に支障が出るだろう?」

 

ライナは返事をしなかったがカインの言葉を聞き入れ部屋から出ていった。

カインはゲルマをベッドに寝かせ扉の横に置いてあった椅子を持ってくる。

 

カイン「ライナから全て聞いたよ。キミが女性と会話をするなんて驚いた」

 

ゲルマ「あの女が絡んできたんだ。どうしようもなかった」

 

カイン「熊の皮を被った女とはライナの事か。ちょっと意外だったよ」

 

ゲルマ「あの女、またベラベラと喋ったのか。だから嫌なんだオレは」

 

カイン「その割にはライナに冗談を言ったみたいだね。キミらしくない」

 

ゲルマ「冗談?オレは本気だったんだ。うるさい女を黙らせようと思って馬をけしかけたんだ」

 

カイン「そしたら愛馬に蹴られたと?」

 

ゲルマ「くっ……」

 

カイン「ハッハッハ!ごめんごめん、調子に乗りすぎた。それにしてもキミの体には脱帽したよ。馬に蹴られたら普通は即死ものだよ。なのに頭のヒビと首の捻挫(ねんざ)ですむなんて神に感謝しないと――」

 

ゲルマ「正直、オレにも理解出来なかった。オレ以外の人間に興味を示すなんて今までなかった。それに女を簡単に乗せるなんてあり得ない事なんだ」

 

ゲルマは身振り手振りで話す。不恰好な動きにカインは口元を手で隠している。

 

カイン「そ、そうか。それは災難だったね」

 

ゲルマ「災難?」

 

カイン「い、いや。言葉を間違えたよ。なんて言えばいいのか……おっ、そうだな奇跡だ」

 

ゲルマ「奇跡……」

 

ゲルマは二文字の言葉を口ずさむと目を瞑る。神や奇跡の類いは信ずるに値しないと内心思っていたが今回ばかりは『奇跡』という言葉がしっくりする。

初めてライナに出会った時、コスモスは人ですら見分ける事が困難な距離でもライナの存在を認識するような仕草をしていた。ゲルマは人の気配を感じたが場所までは特定出来なかった。それだけではない。女性どころかゲルマ以外の人に懐かないはずなのだがライナの言葉と動作に服従するような動きをしていた。まるで主君に(ひざまづ)くように。

 

カイン「おっと、ボクとしたことが大切な所用を忘れていた」

 

カインはすっと立ち上がり壁に立てかけてある縦長い楕円形の物体に手を伸ばす。薄茶色の袋に包まれているが中身の見当がつかない。袋を外すと中から大剣が姿を現した。見た目から伝わる重量感と質感、幾多(いくた)の魂を吸いこまんとするような存在感が室内を支配する。

カインが(つか)を握ると天を()くような黄金(こがね)色の髪が左右に揺れた。ゲルマは首だけでなく頭の痛みも増していくのを感じる。手の甲を額に当てた。

 

カイン「知人に命知らずの騎士(ホットスパー)を自称するきな臭い男がいてね、譲り受けたのはいいけど可笑しな力を持つ上に不可思議な夢にうなされるようになったんだよ。キミなら使いこなせると思って持ってきたんだが、その顔を見るに無用の長物だと言いたげだね」

 

ゲルマ「頭が割れそうだ……気分が悪い……医者を呼んでくれ」

 

カイン「あ、ああ。すぐ呼んでくるよ」

 

カインの歯切れは悪かった。面妖な魔剣の力に魅入られたと思ったのかもしれない。カインと入れ違うようにライナが帰って来た。

すると嘘のように痛みが引いていく。大剣を見るが先程よりも重量感も圧迫感も感じない。

 

ライナ「大丈夫?顔色が悪いわよ。水を持ってくるわ」

 

ゲルマ「いや、もう大丈夫だ――」

 

大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出す。袖で額の汗を拭った。

 

ライナ「あのツンツン男、凄い勢いで帰って行っちゃったけどケンカでもしたの?」

 

ゲルマ「カインとはどんな関係なんだ?」

 

ライナ「あはーん!もしかして嫉妬してるのぉ?」

 

ゲルマ「ヴォェ……胸焼けと吐き気がする。今すぐ出ていけ」

 

ライナ「う、嘘よ!そんな繊細なの?純情なのね、ゲルマって」

 

ゲルマ「厚かましい女だ。まさかと思うが絵に向かって話しかけているんじゃないだろうな」

 

ライナ「そうよ!ワタシは絵の前で独り言を呟く変人よ!悪かったわね!友達もいないし話相手が欲しかっただけよ!あのツンツン男だって最初は体目当てだったのよ!ああ、汚らわしい!」

 

ゲルマ「とりあえず言いたい事は分かったからあまり喚かないでくれ。それに体うんぬんは誇張し過ぎだろう。訂正した方がいい」

 

ライナ「でもツンツン男は真実でしょ?」

 

ゲルマ「返答に困る質問をするな。傷に響く」

 

ライナ「あれでもワタシのパトロンだから無下には出来ないんだけどね」

 

ゲルマ「なるほど――」

 

ゲルマはカインと交わした取引を思い出しライナとの接点を見いだした。だが、どうしても気になる点があった。

 

ゲルマ「腑に落ちない点がある。カインが絵に興味を持った理由だ」

 

ライナ「無名の絵師に興味を持つなんて変わってる、って言いたいんでしょ?」

 

ライナはゲルマの口調を真似しておどける。

 

ゲルマ「い、いや、そういう意味で言ったわけでは――」

 

ライナ「言いたい事は分かるわ。でも絵の価値を理解するには時間が必要だとワタシは思っているの」

 

ゲルマ「時間?絵を勉強するという事か?」

 

ライナ「それもあるけど初めて絵を見た人ってその絵の良さを直感、あるいは本能的に判断してると思うの。ゲルマには分からないかもしれないけどね」

 

ゲルマ「すまない」

 

ライナ「フフッ、なんで謝るの?」

 

ゲルマは自分でも何故謝ったのか理解出来なかった。芸術の世界とは無縁で過酷な人生を送っていたからかライナが眩しく見えた。それゆえに自分のような秩序を乱すならず者が一芸を極める求道者の足を引っ張っているのだと痛感した。

 

ライナ「絵は誰かに強要されて描くものでもなければ、自ら才能ひけらかすものでもない。ワタシの絵を評価してくれる人にしか見てほしくないわ。そもそも価値を理解出来る人は自ら足を運んで目に焼きつけていくのよ」

 

ゲルマ「だが、すぐに忘れてしまうものではないのか?」

 

ライナ「そうよ、だからたくさん鑑賞するのよ。収集家(コレクター)と呼ばれる人達はね」

 

ゲルマ「要するにだ。絵の価値を理解するために必要なのは……時間?」

 

ライナ「ツンツン男にも言ったけど、『絵の価値を理解出来るのは暇を持て余した人達だけ』ってこと」

 

ゲルマ「それが時間か」

 

ライナ「フフフ、無理しなくてもいいのに」

 

ゲルマはライナの笑顔に釣られて笑っていた。話している間は気づかなかったが痛みがほとんど消えている。話疲れてしまったのか二人はぐっすりと眠ってしまった。



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思い出の形見に

カイン「本当にその大剣はキミの役に立つのか?」

 

ゲルマ「分からない。だが、友人からの施しを粗末には出来ない。ありがたく頂戴する」

 

カイン「そうか、それなら良かった。ボクはこれからウィーンに向かわなくてはいけない。先に失礼するよ」

 

ゲルマ「待ってくれ」

 

先を急ごうとするカインを呼び止め腰に納めていたナイフを取り出した。

 

ゲルマ「代わりにこれを持っていてほしい」

 

カイン「それはキミの……命よりも大切なモノではないのか?」

 

ライナ「そうなの?」

 

男同士の会話にコスモスと戯れていたライナが横槍を入れてきた。

 

ゲルマ「女には関係のない話だ」

 

ライナ「じゃあ、そこのいけすかない男に聞くわ」

 

カイン「ボクから話してもいいが……キミが話さなければライナを悲しませてしまうかもしれない。それでも――」

 

ライナ「それってどういう意味?命より大切なモノは誰にでもあると思うけど黙って押し通そうとするなんて絶対後悔するわよ」

 

ゲルマ「このナイフは父の形見なんだ。親が遺してくれた唯一のお守りだ」

 

カイン「それをボクが預かれと?」

 

ゲルマ「ああ」

 

ライナ「それならワタシが預かるわよ。そんな男よりよっぽど信用出来るわ」

 

カイン「キミは話を聞いていたのか?」

 

ゲルマ「オレは傭兵だ。もしオレが死んだらこのナイフを墓標にしてもらいたい」

 

カインはナイフを受け取った。ライナは言葉を失ったが顔色一つ変えない。

 

カイン「友人の為だ。立派な墓を建てると約束しよう」

 

ライナはコスモスに触れる。コスモスは座り込んだ。

 

ゲルマ「感謝する」

 

ライナは森に向かってコスモスを歩かせる。

 

カイン「キミの死を悲しむ者が出来てしまったな。それを嬉しいと捉えるか、心苦しいと捉えるかはボクには理解し難いが」

 

ゲルマはライナの後ろ姿を見て大剣が入った薄茶色の袋を背負った。

 

カイン「キミに出来る事は少なくない。生きて帰ってくればまた三人で会うこともある。ボクとしても話相手がいないのは寂しいからね」

 

ゲルマ「ああ、人の馬をたぶらかす女は野放しにしてはおけない。オレの馬を取り返しに行かなくては――それでは失礼する」

 

カインに別れを告げライナの後を追う。それほど引き離されてはいなかった。すぐに追いつき紐を手首にくくりつけた。

 

ライナ「怖くないの?」

 

ゲルマ「何がだ?」

 

ライナ「死ぬことよ。ワタシなら堪えられないわ」

 

ゲルマ「死んだことがないのだから答えようがない。これで満足だろ?」

 

ライナ「答えになってないわ。あなたが死んだら悲しむ人がいるでしょ?……え~と、誰だったかしら……ヴァレン?」

 

ゲルマ「ヴァレンは多くの戦争で多くの仲間を失っている。オレ一人死んだところで悲しむ感情も暇もないだろう」

 

ライナ「ならコスモスは誰が面倒を見るの?」

 

ゲルマ「コスモス?……ああ、オレは馬と常に一緒だったからな。オレが死んだらライナが面倒を見てやってくれ。馬が死んだら……」

 

ライナ「死んだら?」

 

ゲルマ「その時はその時だ」

 

ライナ「どうしても行くの?」

 

ゲルマ「今さらどこに行くという?戦争のない楽園があるというのなら是非教えてもらいたい」

 

ライナ「あるわよ……きっと……」

 

出会った時の威勢の良さは見る影もない。人の死を簡単に受け入れる事は難しい事なのかもしれないが、これほどまでに表裏をはっきりと見せられてしまうと残された人間が少し哀れに見えてしまう。

ゲルマはこの戦争がどのような結果を迎えるかに興味はない。ただ戦争さえ絶え間なく起こり続けていれば自分のようなならず者が同じような想いを抱き、同じような運命を辿り、同じような最期を迎えるに違いない。

ヴァレンの望みを叶えることこそがこの国の繁栄に繋がり、そしてカインの依頼を成就させればゲルマにとっての二重の幸福となる。その中で自分の死など目的が達成されればちっぽけな問題でしかないのだ。従って失う物がないゲルマにとってこの時代は人生の重荷もない理想郷(ユートピア)に等しいのである。

 

ゲルマ「さあ、さっさと降りろ。家まで送ったんだ。もう思い残すことはないだろう」

 

ライナはコスモスの温もりを感じつつゆっくりとした動きで下りた。

 

ライナ「ありがとう。ゲルマ、コスモス」

 

ゲルマは無言で立ち去ろうとした。だが、コスモスがその場を動こうとしない。何かを訴えかけているような、ゲルマはそんな気がした。

 

ゲルマ「そうだな」

 

ライナ「え?なに?」

 

ゲルマ「オレは二十四年間生きてきて一度たりとも幸せを感じた事はなかった」

 

コスモスがゲルマに寄り添い頭を垂れた。

 

ゲルマ「だが、初めて生きてて良かったと思えた。それはカインとライナに出会えたからだ」

 

優しくコスモスの頭を撫でる。

 

ゲルマ「ありがとう、ライナ」

 

ライナ「必ず……必ず生きて帰ってきなさい!コスモスも一緒にね!」

 

ゲルマはその時、ライナが何を想い考えていたかは知るよしもなかった。二人は覚悟を決めている。扉の向こうでライナは号泣していた。二人は気づいていなかったかもしれないがコスモスが敏感に反応していたのだ。ゲルマは二度と後ろを振り返らないと心に固く誓った。

森を抜け川が見えた。橋を渡りライナと出会いに想いを馳せつつコスモスに股がる。ゲルマはヴァレンの居城があるエーガーへ向けて野原を駆けた。



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眠れる獅子

エーガーに入城すると偵察兵らしき男が鬼気迫る形相でヴァレンの部屋に入っていった。恐らく彼の部下であろう。ゲルマは間が悪いと思い廊下で男を待ち伏せる。間髪入れず男が出てきた。すかさず立ち塞がる。

 

偵察兵「な、なんだ貴様!……うっ、お前は……」

 

ゲルマ「ヴァレンと何を話した?」

 

偵察兵「自分も暇ではないのだ。本人に直接聞けばいいだろう」

 

ゲルマ「傭兵風情に与える情報はないというわけか」

 

偵察兵「当然だ。国家機密をそうやすやすと漏らすわけにはいかんからな」

 

ゲルマ「ならある人物について教えてもらいたい。最近ヴァレンに接触してきた男を見かけなかったか?」

 

偵察兵「男?さぁ、何の話か……」

 

目が泳いだ。ゲルマは揺さぶりをかける。

 

ゲルマ「いつから関係があったか知っているか?」

 

偵察兵「知らんと言っているだろ」

 

ゲルマ「オレはその男に会った。その男が言うには異端の軍勢に関する情報をヴァレンにもたらしていると」

 

偵察兵「フン、可笑しな話だな。その老け顔の男はボケているのではないのか?」

 

ゲルマ「ふっ、貴様は墓穴を掘ったがな」

 

偵察兵「……あっ!」

 

偵察兵の男はおろおろしている。一気にたたみかける。

 

ゲルマ「その男はヴァレンに有益な情報を流していた。だが、見ての通り趨勢(すうせい)(かんば)しくない」

 

偵察兵「そ、それはその男が我が軍を欺こうと(うそぶ)いたのだ!」

 

ゲルマ「それはあり得ない」

 

偵察兵「何故そう言える?『得体の知れない男が我が軍に近づき掻き乱している』、お前はさっきこう言ったではないか!」

 

ゲルマ「だが、男はこうも言った。『プロテスタントの存在を疎ましく感じている』と」

 

偵察兵「お前も騙されているのだ。こんな時代だ。宗派を自分の都合で変える者なんぞ珍しくもない。あのボヘミアという国を見てみろ。戦端を開いた反乱軍だったのにも関わらず今やカトリックの奴隷じゃないか」

 

ゲルマ「彼等には力が無かった。だから滅びるか服属するしか選択肢が無かった。力あるものが正義だが、いつの日かこの常識も覆されるかもしれない。その時はこの国も大きく変わっていくだろう」

 

偵察兵「まるでこの国を憂いているように聞こえるが?」

 

ゲルマ「まさか」

 

偵察兵「それに以前会った時の堅物さは見る影もないな。ヴァレン隊長の後ろをひょこひょこついていくお坊ちゃんだと認識していたが――」

 

ゲルマ「行かなくていいのか?お仲間が待っているようだが」

 

偵察兵「――ん?しまった!」

 

偵察兵の男は隊の仲間と合流し去っていった。

ゲルマは大剣を背負い直しヴァレンの部屋に入った。ヴァレンは窓から外を眺めている。以前会った時は険しい表情をしていたが凛々しさを取り戻し余裕すら見て取れた。

 

ゲルマ「次の作戦は?」

 

ヴァレン「最初に言うべき事があるだろ」

 

振り返ったヴァレンはゲルマの包帯姿を見て目を細くした。

 

ゲルマ「遅れて申し訳ない」

 

ヴァレン「まあいい。それより上手くやれたようだな」

 

カインの援助を受け取ったヴァレンはご満悦のようだ。

 

ゲルマ「ああ」

 

ヴァレン「その怪我はどうした?」

 

ゲルマ「あ、ああ。熊に襲われた」

 

ヴァレン「熊?……クックック……グワッハッハァ!」

 

ツボに入ったのだろう。ゲルマの嘘偽りのない顔から出た冗談にヴァレンは腹を抱えている。大口を開け笑っているのはいつ以来だろうか?ゲルマはふと懐かしくなった。

 

ヴァレン「相変わらず嘘が下手くそだな。そんな体たらくでは女も振り向いてくれんだろう?」

 

ゲルマ「あなたも嘘が苦手ようだが?」

 

和やかな空気が一変、緊張感が張りつめる。

 

ヴァレン「おいおい俺はこれでも皇帝軍の最高指揮官だ。陛下に勝利を捧げる為ならば如何なる手段を講じてでも反乱軍を根絶やしにせねばならん。それの何が可笑しい?」

 

ゲルマ「オレはあなたの野心の為ならこの命惜しいとも思わない。だからこそ真実を話してほしい」

 

ヴァレンは指先で眉間をさする。口数が少なくなる時の癖だ。

 

ゲルマ「へルマン・ラングニックとは何者なんだ?何故この戦争に加担している?」

 

ヴァレン「ヤツに会ったのか?フン!思い出すだけでも反吐(へど)が出る。俺に指図するとは身のほど知らずな野郎だ」

 

ゲルマ「やはりそうか」

 

ヴァレン「ヤツは反乱軍の動きを恐ろしいほど的確に言い当てる。最初は魔術の類いかと疑ったが、それも一度や二度でもない。全てだ――」

 

結論を聞きたかったのだが水を差すと不機嫌になり癇癪(かんしゃく)を起こす。ここはじっと黙しかない。やはり怒らせると恐い、と実感するのは拳を降り落とされる我が身である。

 

ヴァレン「俺は許せなかった。こんなぽっと出の輩に先を越されるなぞ、屈辱以外の何物でもない。ヤツの首を掻っ切ってやろうと思ったほどだ」

 

ゲルマは視線を反らさないようしている。視線を反らせば話を聞いていないと判断するからだ。ヴァレンは特にそういった人間に粘着する。上手くなだめる事が出来なければ、ここでも拳が飛んでくる。

 

ヴァレン「お前も俺を愚弄するのか?」

 

ゲルマ「むあっ、まさか!」

 

少しどもってしまったが肩の力を抜き取り繕う。

 

ゲルマ「あの男が皇帝軍に有益な情報をもたらしていた。だが、あなたは信用出来ずあしらった」

 

今度はヴァレンが耳を傾ける。

 

ゲルマ「だからこそ自分の信念に従い反乱軍に立ち向かい続けた。結果はともあれ外部の人間が口を出すのはもっての他だ」

 

ヴァレンの顎が上がる。

 

ゲルマ「俺でもあなたと同じ事をしただろう。自分の信念に従い行動した結果に悔いはない。たとえ敗軍の将になったとしても、次に備えれば挽回の好機は必ず訪れる。そして――」

 

ヴァレン「その好機とやらは向こうからやってくるのだ」

 

ゲルマ「では次の作戦は?」

 

ヴァレン「リュッツェンだ。奴等はそこに向かっておる」

 

ゲルマ「リュッツェンか……」

 

この情報は先ほどの部下が……いや、あの初老の男が吹聴したものなのであろう。

 

ヴァレン「俺の話は終わっておらん。眠れる獅子も向かっておるぞ」

 

ゲルマ「厄介だが相手に不足はない」

 

ヴァレン「万全な備えが憂いを断つのだぁ!さっさと行けぃ!」

 

発破をかけられ早々に退室。ヴァレンはゲルマが背負っていた物を見て咳払いした。



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槌と金床

季節は冬、帝国は厳しい寒さに直面していた。新教軍の動きを察知していた皇帝軍は先回りしリュッツェンに本営を構えた。厳冬では進軍もままならないので冬営に入る。

ところが不測の事態に見舞われた。進軍を続けていた新教勢力は突如、動きを止めたのだ。町を一つ挟んで膠着状態になり睨み合う形となった両軍は業を煮やしていた。

リュッツェンでは以前見かけた偵察兵の男が苦虫を噛み潰したような思いをゲルマにぶつける。

 

偵察兵「なんということだ……やはり我々はあの男を信ずるべきではなかったのだ」

 

ゲルマ「早計だな」

 

偵察兵「ならば奴等の動きをどう説明する?我々の動きが読まれているのだ!誰の目から見ても明らかではないか!」

 

ヴァレンは二人のやりとりを静観している。

 

偵察兵「ヴァレン隊長!今ならまだ間に合います!直ちに全軍に撤退命令を――」

 

ヴァレン「おい!」

 

偵察兵「はっ、はひぃ!」

 

ヴァレンの気迫に偵察兵はのけ反った。

 

ヴァレン「ゲルマ、お前が眠れる獅子ならどうした?」

 

ゲルマ「予想通りだ」

 

偵察兵「な、何を根拠に――」

 

ゲルマ「あの男が言っていた通り奴等は確実にこのリュッツェンへ向かっていた。だが、獅子の王が無策で挑んでくるとは考えにくい。俺達の戦力を分断させようとしてくるはずだ」

 

ヴァレン「だそうだ。異論はあるか?」

 

偵察兵「で、ですが、今は厳冬期であり本隊にとってあまりに環境が悪すぎます!それに奴等の強襲にあえば我々は挟撃される恐れもあります!ヴァレン隊長はそれらを見込んでリュッツェンに本営を構えたのではないですか?」

 

ヴァレン「いかにも」

 

ゲルマはエーガーからリュッツェンに向かうまでの間、背中が痺れるような感覚に(さいな)まれた。背負い続けた大剣が何を暗示していたのかゲルマは考えていた。仮定ではあるがこのリュッツェンにはその答えがある。だからこそ偵察兵の男の言葉が戦術的・戦略的に見て正しかったとしても、自らの決断に妥協したくはなかった。

 

ゲルマ「必ず……必ず獅子の王はここに来る!」

 

偵察兵「お、お前!気でも触れたのか!」

 

ヴァレン「クックック」

 

ゲルマ「と言いたいとこだが、一つ問題がある」

 

ヴァレン「反乱軍は警戒しておるだろうな。俺の軍に先手を打たれたのだからな」

 

偵察兵「詰まるところ、イタチごっこでは?」

 

ヴァレン「貴様は少しは出来る男だと思ったが俺の早とちりだったようだ」

 

偵察兵「え?」

 

ゲルマ「打開する手は一つしかない。敵の主力を誘き寄せ本隊で殲滅(せんめつ)する」

 

偵察兵「それこそ諸刃の剣ではないか。本隊の一部で陽動を行えば主力の弱体化はおろか継戦力(けいせんりょく)の低下も免れない――」

 

ヴァレンの顎が上がった。偵察兵の男は失言したと思ったのか肩に力が入っている。理由が分かっていないのか微妙な空気になった。調和を重んじるゲルマが珍しく口火を切る。

 

ゲルマ「こいつは本物だな」

 

偵察兵「な、何だと?」

 

ヴァレン「決闘なら外でやるんだな」

 

ゲルマ「本隊を割くわけにはいかないのなら偵察隊の貴様等が敵を誘き寄せればいい」

 

ヴァレンは額に手を当てて口角を上げた。首を横に振る。

 

偵察兵「ふ、ふざけるなよっ!」

 

偵察兵の男は何故自分が敵に命をさらさなければいけないのか理由を聞かずにいられなかった。もちろん死の恐怖に直面するのだからゲルマの発言がいかに横暴か火を見るよりも明らかである。

 

ゲルマ「怖じ気づいたのか?ならオレが陽動隊を編制し指揮する。まあ、一人でも問題ないが」

 

ヴァレン「俺は誰が指揮しようと口は出さん」

 

偵察兵「……ああ、やってやるよ!やればいいんだろやれば!」

 

急遽、皇帝軍は偵察隊に騎兵の一部を分け与え新教軍の勢力範囲へ派遣した。

 

ヴァレン「(つち)金床(かなとこ)か。アレクサンドロスや古代ギリシャ人の得意とした戦術である。さりとて長きに渡る戦乱に終止符を打つとは思わんな」

 

ゲルマ「当然だ。この戦いは通過点に過ぎない」

 

ヴァレン「そうだ。俺達は戦い続けねばならん。帝国が裏切ろうと、同志が討たれようと、祖国が滅びようと、俺達は持てる全ての力を駆使して抗うのだ」

 

ゲルマ「ならず者に永遠の安寧は訪れない。もし自由になれるとしたら、この肉体から魂が解き放たれた時だろう」

 

ヴァレン「お前も俺に似てきたな?いや、お前自身が変わったと言うのが正しいか」

 

ゲルマ「ふっ、誉めているのならありがたく受け取ろう」

 

五日後、二人の筋書き通り新教軍はリュッツェンへ進撃を開始した。



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動く霧

一六三二年、十一月。ゲルマは日が上る前に起床した。味方の兵士達が外の景色にざわめいている。濃い霧が立ち込め人や建物を視認することは困難なほどだ。視界は奪われたが条件は相手も同じ。手をこまねいているに違いない。

ゲルマは着々と準備を進める。コスモスも霧の中から敵を炙り出すような力強い光を目に宿している。

一方誘い出された新教軍はリュッツェンに到着。すぐさま部隊を展開した。

歩兵と騎兵はバランス良く配置され、皇帝軍右翼のパウルス軍を取り囲むように広く陣取る。柔軟性に優れており皇帝軍に比べ士気も格段に高い。皇帝軍の右翼が直面する宿敵はプロテスタントの王。全てのカトリックが畏怖する存在、一国を()べる獅子王が率いている。

皇帝軍は陽動により引きずり出された獅子王の軍を一刻も早く殲滅せんと決断を迫られていた。しかし、見ての通り霧が晴れなければ迂闊に動くことは出来ない。戦の常道である。

ヴァレンは敵を一望できる丘で戦友パウルスと再会した。獅子王の軍と一戦を交えるパウルスは至って冷静であった。

 

パウルス「我が面前に獅子の首が転がり落ちてくるとは勝ったも同然である」

 

ヴァレン「それより下準備は済んだのだろうな?」

 

パウルス「当然である。塹壕(ざんごう)を掘らせることなど我が手にかかれば退屈しのぎにもなりはしないのである」

 

ヴァレン「俺はこの丘で指揮を取る。奴等の増援が現れる前になんとしてでも眠れる獅子を討ち取るのだ。些細なミスも許されん」

 

パウルス「分かっている。勝利の女神は常に我等の身に寄り添っている。お主を敗軍の将に致しはしない」

 

そう言い残すとパウルスは持ち場に戻った。

皇帝軍は丘で指揮を取るヴァレンを筆頭に左翼はゲルマがコスモスに股がり先頭に立っている。戦況によって部隊を移動させ敵の増援にも対応しなければならない。左側にそびえる新緑の山にも注意を払わなければならない。敵が潜んでいるかもしれないからだ。

右翼のパウルスが率いる部隊は塹壕に歩兵、後方に騎兵、そしてヴァレンがいる丘に砲兵が待ち構えている。

午前、一向に霧が晴れない。ゲルマは丘の上を見た。空は曇天に包まれ寒さも堪える。コスモスが身震いしている。背負っていた大剣がずれた。縛り直そうと紐に手をかけた瞬間、コスモスが前足を勢い良く蹴り上げた。拍子にゲルマはバランスを崩し落馬した。大剣が袋から飛び出す。

大剣を拾い土を払うと刃の周りが湿っている事に気づいた。体の水分が奪われるような著しい渇きを感じたと思ったら、身体中が汗で濡れているような不快感に襲われる。ゲルマはこの大剣が何かを伝えようとしているのだと思い霧の中から獅子王を探し出すように目を動かした。兵士達の声を聞き分けるように神経を研ぎ澄ます。

数十秒目を凝らしていると音が帰って来た。だが、さっきと違う。コスモスは平静だ。後ろから歓声が沸き起こる。霧が消え人影がどっと姿を見せた。一同は勘違いをしていた。霧が晴れたわけではなかったのだ。

 

パウルス「き、霧が!?」

 

ヴァレン「動く……だとぉぉぉっ!?」

 

獅子王の軍勢は秩序を保ち規則的に並んでいる。パウルス軍は不可思議な光景に萎縮したが敵の存在を認めるとすぐさま戦闘態勢に入った。

 

ヴァレン「何故だ?」

 

霧が動いた理由を知りたいのではない。

 

ゲルマ「も、もしや――」

 

新教軍は待機したままだ。ゲルマはこちらを警戒しているからだと思ったが事情はそうではないらしい。彼等は皇帝軍の存在に気づいていないのかもしれない。ゲルマはそう推察した。

 

ゲルマ「獅子の王は目が悪い?だとしても、それほど距離は離れていないのだが」

 

皇帝軍が目の前にいるというのに至って落ち着いている。もっと言えば落ち着き過ぎている。

都合の良い表現かもしれないが端的に言えば彼等はまだ()()()()()()のだ。

 




登場人物紹介

ゲルマ―男・26歳
傭兵。
17世紀の神聖ローマ帝国で生まれ。
幼い頃に両親に先立たれヴァレンに引き取られる。
無愛想で無慈悲。現実主義者でヴァレン以外の人間を信用しない。
友達は馬。
快活な女性から距離を取るきらいがある。
ナイフを使った接近戦を得意とする。
尊敬する偉人はユリウス・カエサル。


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メメント・モリ

ヴァレンは丘からパウルスに号令をかけた。

 

パウルス「我が同胞達よ!獅子を退治するのであぁる!」

 

塹壕から歩兵が飛び出し敵陣に突撃を敢行する。続けて騎兵が雪崩(なだ)れの如く襲いかかった。煙霧の中を彷徨(ほうこう)する獅子の軍勢は四方八方から響き渡る雄叫びに右往左往している。歩兵は容赦なく無防備の兵士や馬を撃ち抜き騎兵が縦横無尽に斬りかかった。

獅子の軍勢は断末魔の叫びを上げ馬は主を振り落とし逃げ惑う。叫喚渦巻く戦場に死体の山が積み上がった。

 

獅子王「なんのこれしき!我らの力、見くびるでない!」

 

さすがは百戦錬磨の獅子王。霧の中にいても強気の姿勢は崩さなかった。態勢を立て直し反撃に転じる。

広く展開していた兵を密集させ防衛陣形を取る。強固な陣形でパウルス軍を迎え撃つ。防戦一方であるが、徐々に持ち直し落ち着きを取り戻した。風向きが変わり始めパウルス軍に暗雲が立ち込める。霧が晴れ始めたのだ。

獅子の軍勢は皇帝軍の全貌を把握すると怯むどころか雄叫びを上げ勢いを盛り返した。

 

ヴァレン「何をしておるのだ!この役立たずがぁ!」

 

手を焼いているパウルス軍を見るに見かねヴァレンが直々に砲兵へ合図を送る。丘の上から降り注ぐ鉄の雨が獅子の軍勢を蹂躙(じゅうりん)する。大地を根こそぎ吹き飛ばし猛烈な爆風が吹き抜け、悲鳴と歓声が入り乱れる。硝煙が濃くなり霧との見分けがつかないほど視界が悪化した。

 

獅子王「ええい!なんたる失態だ!」

 

両軍共々、白い冬景色から獲物を討つべく体勢を低くする。冷たい風が吹き少しずつ(あらわ)になった。固唾を飲んで戦況を見守るゲルマ。パウルスが長剣を握りしめ佇む一際目立つ人影に敵意を向ける。振り向いた人物に戦慄した。

 

パウルス「――し、獅子王であぁるぅぅぅ!」

 

獅子王「――し、しまった!?」

 

獅子王は視界の悪さゆえ味方の軍からはみ出していた。最悪な事にパウルス軍が獅子王を取り囲むように潜んでいたのである。

まさに蜂の巣だ。孤立無援の獅子に数人の歩兵が小銃を構える。すぐさま味方と合流しようとする獅子王に引き金を引いた。弾丸は馬に命中し暴れ狂う。

 

獅子王「ぬおっ!」

 

獅子王は馬から飛び降り長剣を構え突進する騎兵を睨みつけた。

 

獅子王「その程度の腕で獅子の首を取れると思うでないわ!」

 

獅子王は軽やかな剣さばきで切り伏せる。六人ほどいなすが多勢に無勢は変わらず歩兵の弾丸が肩、膝、腹を撃ち抜いた。

獅子王はよろめき片膝をつく。

 

獅子王「もはやこれまでか……」

 

死を悟った獅子王は長剣を天に向けヴァレンが立っている丘を見る。勝ち誇ったような笑みを見せつけた瞬間、額に黒い穴が空いた。穴から血が流れる。

撃ち抜かれたのだ。

しかし、まだ乱戦が続いている。獅子の軍勢は王の死に気づいていなかった。パウルス軍は勝鬨(かちどき)を上げるが全く効果が無い。それどころか不吉な予感がゲルマの脳裏によぎった。

 

ゲルマ「思っていたより早かったな」

 

ゲルマが先頭に立つ左翼は新教軍の援軍を補足した。足並みを揃えゆっくりと進む。

 

ゲルマ「いいか、奴等にあの山を越えさせるな!絶対に死守しろ!」

 

ゲルマが新緑の山を最後の砦に指定したのは地理的な理由だけでない。山の向こうに村があるからだ。カインとの約束を守るため、ライナがいる森も火の手から守るためには、自身の死に場所を選んでいる余裕などなかった。




登場人物紹介

デュルファン・ディ・カイン―男・25歳
豪商。
名字はデュルファンである。
デュルファン家の長兄として神聖ローマ帝国で生まれる。
女と酒好き。
ゲルマとは正反対の性格。
取引という言葉に目がなく利潤を追求するためなら手段を選ばない。
戦争屋に辟易しており軍事ビジネスと聞けば強い不快感を示す。
教義はカトリック。
尊敬する偉人はウィリアム・シェイクスピア。


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開かれし扉

獅子王を討ち取ったパウルス軍は手を緩めず攻勢に出る。指揮官を失った新教軍は未だ勢いが衰えず皇帝軍を釘付けにしていた。

戦闘開始から二時間が経過していた。ヴァレンは攻めあぐねているパウルスに自身の戦力を割き物量にものを言わせた作戦に切り替える。

新教軍の増援を捕捉したならば迅速に対応しなければならない。左翼はパウルス軍に比べ火力で劣るため機動力に重きを置く配置になっていた。このまま真正面からぶつかれば一溜まりもない。

 

ゲルマ「当初の作戦から逸脱したが俺達だけでやるしかない」

 

当初の作戦では右翼のパウルス軍が新教軍を撃滅し、敵の援軍が到着する頃を見計らいゲルマが進撃。パウルスと共に挟み撃ちする予定であった。現状においてパウルス軍は遅滞を余儀なくされゲルマとの合流は困難となる。

ゲルマは新緑に染まる山を見すえ隊を二つに分けた。ゲルマを中心とした騎兵部隊は山に潜んでいるであろう敵の残兵を追い払う。そして残りの歩兵は防衛陣形で敵増援を可能な限り足止めする。パウルスの合流する時間を計算し三方向から新教軍を殲滅。

可能性を考えれば愚策と言われても仕方がない。しかし、ゲルマに選択肢は限られていた。

 

ゲルマ「まずは山を抑えねば――」

 

ゲルマはコスモスに股がり入山する。人の気配を体全体で感じ取る。大剣がずっしりとのしかかった。上空に弾が飛び交い風を切る音に鼓膜が震える。

部隊を更に三つに分けた。ゲルマは山の中腹を目標に索敵(さくてき)する。男の悲鳴が聞こえた。コスモスと部下達を待機させ自身は木に上り声の発信源を割り出す。

 

ゲルマ「やはり潜り込んでいたか!」

 

ゲルマの場所から三百メートル離れた場所で数十人が交戦していた。木から飛び降りる。部隊に待機を命じ自身は加勢しようと接近する。ナイフを出そうと腰に手を当てた。

 

ゲルマ「ああ……オレとしたことが……」

 

カインに預けていたのをすっかり忘れていた。気を取り直し大剣を取り出す。

 

ゲルマ「重い、長い、鈍い。本当にこんななまくらが役に立つのか?」

 

山道では大剣を持ち歩くだけで神経を磨り減らしてしまう。ゲルマはナイフを預けた事を心底後悔した。

銃撃戦が繰り広げられている場所に向かうと五人が誰かを追っている。追われているのが味方であろう。ゲルマは敵の進路を塞ぐ。一人の男がマスケット銃を構え引き金を引いた。ゲルマは射線を見切り突撃する。弾丸は脇を素通り。大剣で殴った。殴られた男は山道を転げ落ちていく。

 

ゲルマ「はぁ……はぁ……」

 

とてつもない遠心力に息切れが激しくなった。もう一人の男が木の影から銃口を光らせる。距離が遠く大剣では届かない。

 

ゲルマ「そこだぁ!」

 

ゲルマは隣にそびえ立つ大木を横一閃。大木が断末魔の叫びを上げる。裏に隠れていた敵ごと切り倒したようだ。銃口を構えた男はゲルマの大声と斬られた男の悲鳴に動揺し引き金から指を離してしまう。切り倒された大木が男の頭に直撃した。この間、わずか数秒の出来事である。

 

ゲルマ「ふぅ……狙い通りだ」

 

自画自賛だ。この戦争が終わったら木こりにでもなろう。ゲルマは倒れた大木を見て将来を思い描く。

残りは二人だ。

味方を救うため声のする方へ走った。発砲は散発的に行われている。二人の銃兵は逃げ惑う男に向かって射ち続けていた。ゲルマは逃げる男の背中に見覚えがあった。偵察兵の男だ。命からがら逃げ延びていたようだ。

 

ゲルマ「生きていたか。しぶとい男だ」

 

偵察兵の男は丸腰だ。全く抵抗する素振りもない。 服は泥まみれ。顔の汚れも血なのか土なのか区別がつかない。ゲルマは背後から一人の銃兵を素手で殴った。もう一人が発砲する。弾は偵察兵の男に当たった。

 

偵察兵「うわぁぁぁっ!!!」

 

弾は足に当たり苦しみもがいている。

 

偵察兵「く、くそぉ……ここまでかぁ……」

 

銃兵がとどめを射そうと狙いを定める。ゲルマは背後からわざとがましく音を立て銃兵を振り向かせた。

 

ゲルマ「ここにいるぞ!」

 

銃兵の背後でしゃがみ込み斜面を利用した死角に入る。張り手の要領で顎を突き上げた。銃兵はなされるがまま吹っ飛び巨岩に頭を打ちつけた。

 

偵察兵「お、お前は……」

 

ゲルマ「やるじゃないか。偵察兵だからと侮っていたが見直した」

 

偵察兵「自分は戦闘に向いていない。何も出来なかった」

 

ゲルマ「まだ終わっていない。ヴァレンに今回の作戦を報告する役目が残っている」

 

偵察兵「無理だ。この怪我では帰投もできん。自分はここで終わりだ。お前も変なこだわりなんか捨てて、やるべき事を遂行しろ」

 

ゲルマ「大した怪我でもないのに勝手に死期を悟るな。じきに戦闘も終わる。その頃になれば下山出来るだろう」

 

ゲルマは偵察兵の言葉を聞き自分が置き去りにした部隊を思い出す。完全に失念していた。偵察兵の男を連れて元来た道へ戻ろうと立ち上がる。小石が転がり偵察兵の男の足にコツンと触れた。偵察兵の男は(おのの)いた。鼻息が聞こえる。聞き覚えのある鼻息にゲルマは笑わずにいられなかった。

 

偵察兵「く、熊か?」

 

ゲルマ「いや、馬だ」

 

コスモスが突き出た鼻を上下に揺らし二人に近づいてくる。するとコスモスの背後から物音がした。

 

ゲルマ「くそっ!」

 

巨岩に頭をぶつけて気絶していたはずの銃兵が意識を取り戻していた。銃兵は腹這(はらば)いの状態でコスモスの後ろ足の間から二人に狙いをつけた。ゲルマは偵察兵の男を庇うように身をかがめる。弾丸は斜面を平行に放たれゲルマの肩を貫いた。

 

ゲルマ「――ぐっ!?」

 

偵察兵「お、おいっ!?」

 

コスモスは銃声に驚いたのかダンスを踊るように跳び跳ねた。銃兵の男はコスモスを(あや)めようと弾を込めるが装填に手間取っている。コスモスは斜面を利用するように加速し跳びかかった。銃兵は絶叫した。重低音が山に木霊(こだま)する。コスモスに頭を踏みつけられた銃兵はピクリとも動かなくなった。

 

偵察兵「お前が命令したのか?」

 

ゲルマ「さあな」

 

偵察兵「借りが出来てしまったな」

 

ゲルマ「感謝ならオレの馬にするんだな」

 

偵察兵「ああ……助かったよ」

 

山の(ふもと)勝鬨(かちどき)があがる。どうやら皇帝軍は合流に成功し体勢は決していたようだ。




登場人物紹介

ライナ・リゲイリア―女・22歳
画家。
小さな村に住む変人。
虚弱体質で消化器官に持病を抱える。
戦乱のない世を夢見ているが、現世に失望したことはない。
独り言が多いらしく絵の前でぶつぶつ呟くのが日課。
ゲルマの愛馬の名付け親。


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集う魂

ゲルマとカインの回想は夢物語を聞かせられているような気がしてならかった。本人達が真剣に話しているのだから信じるしかない。思い込みかもしれないが、おのずと恭夜達は感情移入していた。

 

カイン「全て作り話だと思ってもらって結構だよ」

 

ゲルマ「オレ達が五百年の時を超えた証拠など持ち合わせていないからな」

 

当然ながら二人に異論をぶつけようなどと考えるような人間はその場に居合わせてはいなかった。

 

恭夜「信じてもいいけどカインとゲルマは十七世紀からやって来た、って事でいいんだよな?」

 

カイン「ボクとゲルマの記憶を擦り合わせたが齟齬はなかった。間違いはない」

 

ルナは首をだらりと下げ口をパクパクさせている。

 

隆太「え~と、ゲルマさんはヨウヘイでカインさんはキゾクで合ってますか?」

 

ゲルマ「そうだ……以前『騎士の誇り』などと口走ってしまったが思い出すだけで恥ずかしい」

 

恭夜「あの絵画を描いたのってライナって人なのか。後でサリーに教えておかないと――」

 

隆太「あの綺麗な絵画を描いた人と知り合いだなんて羨ましいです」

 

ゲルマ「当時は無名だったんだが、まさかこの時代で持て囃される日が来るとは」

 

カイン「やはりボクの見る目は正しかったみたいだ」

 

ルナは体をゆらゆらさせている。

恭夜はゲルマとカインが所有していた大剣は同一なのではと思い、

 

恭夜「あっ!もしてかしてゲルマが大昔にぶんまわしていた大剣って――」

 

隆太「どこにあるんですか?」

 

カイン「キミは恭夜に恨みでも抱いているのか?それとも嫉妬からくるものなのか?」

 

ゲルマ「マスターは勘がいいからな。女心を手玉にとって傷つけてしまうのが玉にキズであるが」

 

隆太「な、何の話をしてるんですか?僕は兄さんに嫉妬なんて――」

 

恭夜「誰の話してんだよ」

 

カイン「この時代に来て正解だったかもしれない。ゲルマが女心を語る姿が見れたからね」

 

ゲルマ「最初に出会えたのがルナでなければ今の自分は存在しなかっただろうな」

 

隆太「そういえばルナさんがトイレから帰って来ませんね」

 

恭夜「ずっと俺達の後ろにいたよ……ルナ?」

 

存在感を消し去っていたルナは誰の言葉にも反応を示さない。

 

隆太「ルナさん、気分でも悪いんですか?」

 

ゲルマ「――体温、血圧は正常。運動反射や神経系にも特に異常はなさそうだが……」

 

医療系の精密機器も搭載しているようだ。恭夜は内心、頭を抱えた。

 

カイン「ボクの考えに間違いがなければ、ライナ・リゲイリアもこの時代に来ているはずだ。(ただ)し――」

 

恭夜「マジかよ!後でサリーに教えなきゃな」

 

ゲルマ「手癖の悪さは相変わらずだ」

 

恭夜「はあ!?」

 

ルナ『そうなの?ウフフフ……』

 

ルナの表情が不規則に変化している。若干肩に力が入っているように見え、何かに取り憑かれているようにも映った。

 

隆太「兄さんは女性なら誰でもいいの?見損なったよ」

 

カインはルナの挙動に睨みを利かせている。

 

恭夜「頭が痛くなってきた。隆太やポンコツロボットの話を聞くだけでムシャクシャする、やっぱりあかり達と飯食いに行けば良かったなぁ!」

 

ルナ『ここは美術館よ。静かにしてなきゃ他のお客さんの迷惑になるわ』

 

隆太「そうですよ。ルナさんの言うとおりです……今、ルナさんが喋ったんですよね?」

 

恭夜「なんか雰囲気変わった?」

 

カイン「その耳障りな口調……まさか!?」

 

ゲルマ「ライナ!?ライナなのか!?」

 

ルナはゆっくりと顔を上げる。いつもの物静かでしおらしい態度が嘘のように変貌した。感情豊かになり外見も別人のように変化している。

 

ライナ『ふぅー!やっと表に出てこれたわ。久しぶりね、ゲルマにツンツン男』

 

カイン「その呼び方、ライナがボクにつけた渾名(あだな)だったな」

 

ゲルマ「あ、ああ……」

 

隆太「ルナさんじゃないんですか?」

 

恭夜「どいうことだぁ?」

 

カインは事情を察していたようだがゲルマは虚を突かれ動きが機械的になる。恭夜と隆太は調子を狂わされ面食らっている。

 

ライナ『ごめんなさいね、驚かせちゃって。ワタシはライナ・リゲイリア。よろしくね。恭夜君に隆太君』

 

恭夜「よ、よろしく……」

 

隆太「お願いします……」

 

カイン「この二人を知っているということは意識そのものがルナの中に混在しているのか」

 

ゲルマ「オレと……同じ?」

 

ライナ『ワタシもよく分かってないんだけど、この世界に来てからこのルナっていう()の体に入ってたの。この娘もずっと一人だったみたいだからワタシが話し相手になってあげてたのよ。優しいでしょ?』

 

隆太「ライナさんは明るい人なんですね」

 

カイン「それでもボクはルナの方が好みなんだ。申し訳ない」

 

恭夜は警備員が二人、近づいてくることに気づいた。

 

ライナ『悪かったわね。ワタシはルナちゃんよりスタイルは貧相だし可愛げもないわよ。そんな事より場所を変えましょ』

 

ゲルマ「ああ、久方ぶりの再会に舞い上がり過ぎたようだ」

 

ライナ達は美術館に併設されている庭園に移動する。まだまだ話を聞かなければならない。恭夜は強迫観念に駆られていた。偶然とは思えないゲルマ達の再会に意図的なものを感じたからだ。真実は知ってしまえば残酷な結末を生むかもしれない。

もしかしたらサリーと一緒に過ごすことが出来なくなるのではないか?

そんな現実、受け入れられるわけがない。耐えられるわけがない。恭夜は胸を締め付けられるような思いの中、新たな景色を望んだ。



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レガリア

庭園の芝はぬかりなく手入れが行き届いている。中央には噴水があるが人は(まば)らだ。肌寒さも相まって館内よりストレスを感じてしまう。

ルナの体を借りているライナは()()()ぶりの再会に舞い上がっている。

 

ライナ『この国の空気ってなんか汚れてないかしら?』

 

ゲルマ「埃臭い家に住んでいた人間が言うべき言葉ではないと思うが」

 

カイン「ボク達の国は血生臭い争いばかりしていたんだ。この世界ではほとんど戦争をしていないみたいで羨ましいよ」

 

隆太「僕達と生きる世界が違い過ぎて話についていけません」

 

恭夜「ゲルマ達の時代で起きていた戦争って結局どっちが勝ったんだ?」

 

ライナ『戦争の勝敗を気にするなんて不粋よ。いつ時代も男って争いが好きなのね』

 

ゲルマ「言葉の(あや)も分からないのか?もう少し質問の意図を解してから発言しろ」

 

カイン「そんな声を荒げなくてもライナは理解しているさ」

 

隆太「兄さんはどうして気になったの?」

 

恭夜「この出会いが……偶然だと思えないんだ」

 

ライナ『ゲルマが戦ってた戦争に意味があるっていうの?』

 

ゲルマ「オレが戦っていた戦争に名前がつけられている事を知ったのは、この時代に来てからだ」

 

カイン「最後の宗教闘争であり、人類史上初めて、多くの国家を巻き込む戦争を起こしたんだ。この時代の資料にも目を通したが多くの人は知らないだろう」

 

隆太「学校に行ってるあかりなら知っているかもしれません」

 

恭夜「聞いたことないなぁ。歴史が好きなサリーなら知ってるかも」

 

ライナ『昔の人間なんて戦争ばっかりしてたのよ。ゲルマが戦ってた戦争なんて、いつ終わったのかも知らないわ』

 

ゲルマ「オレも最後まで戦い抜いたわけではないからな……」

 

カイン「そういえばライナは病死したと村の医者から聞いたんだが、どうも腑に落ちないんだ。あの絵が完成していたと聞いてライナの住まいに赴いたのだが誰かに持ち去られたようなんだ。キミは何か知っているか?」

 

ライナは唸り出した。記憶を呼び起こそうとしているようだ。周りから人がいなくなった。美術館に来てから時間が経つのが早い。歩き疲れた様子の隆太は欠伸(あくび)をする。寒空の下、そのまま眠り込んでしまった。恭夜は風邪を引かせないように上着をかけた。

 

ライナ『ワタシずっと打ち明けようか悩んでいたんだけど、ちゃんと聞いてくれる?』

 

三人は顔を合わせると頷いた。

 

ライナ『実は絵を完成させることは出来なかったの』

 

ゲルマ「どういうことだ?」

 

カイン「絵が未完成?それは記憶違いではないのか?ボク達はボロゾフ氏の邸宅でキミの自画像が描かれた絵を見ているんだ」

 

ライナ『あれってやっぱりワタシよね……』

 

恭夜「ライナが自分で描いたんじゃないの?」

 

ゲルマ「他の人間に描画(びょうが)させたのか?」

 

ライナ『そんなわけないじゃない!』

 

カイン「写実的で新鮮味のない画風はライナの専売特許のはず」

 

ライナ『いつからパトロンから批評家になったの?』

 

ゲルマ「話を逸らすな。オレはリュッツェンの戦いの後、ライナを避難させようと民家へ馬を走らせた――」

 

ライナ『馬じゃなくてコスモスでしょ』

 

カイン「その時はいたんだろう?」

 

ゲルマ「それがどこにもいなかった。何故なら……」

 

ゲルマは見間違いを恐れているのか発言を躊躇った。恭夜は言いたい事が分かったような気がした。ライナと同じような表情していたのが真実へ近づく道標(みちしるべ)となる。

 

恭夜「ゲルマはアンドロイドに魂を乗せて、ライナはルナの体を借りている。もしかして二人はもう死んでる?」

 

ライナ『それはアナタの時代から見れば当然でしょ?』

 

カイン「ボクも恭夜と同じ疑問を抱いていた。二人の肉体はどこにあるんだ?」

 

ゲルマ「ライナ、はぐらかさず正直に答えてくれ」

 

ライナ『ワタシは……』

 

ゲルマ「例えお得意の妄想だったとしてもオレはライナを信じる」

 

ライナ『本当?疑ったりしない?』

 

ゲルマ「ああ」

 

ライナ『ゲルマが来る直前まで絵を描き続けていたの。そしたら身体中が急に冷たくなって――』

 

ゲルマは自分の事のように耳を傾けている。

 

ライナ『心が押し潰されるような無力感……全ての感覚が無くなって……体が薄れて消えていくの……ああ、死ぬってこういう事なんだって』

 

カイン「結局何が言いたいのか僕には理解出来ない」

 

隆太は寝息を立てている。冷たい風が背中を撫でていく。

 

ライナ『ワタシ……絵の中に魂を吸い取られたの』

 

カイン「恭夜はどう思う?」

 

恭夜「外見がルナだからはっきりとは言えないけど嘘をついてるとは思ってないよ」

 

ゲルマ「同感だ」

 

ライナ『どうして信じてくれるの?初めて会ったばかりなのに……』

 

恭夜「俺達を助けてくれたから」

 

ライナ『え?』

 

恭夜「ここに来る前にサリーが脅迫されたんだ。その時ルナの中にもう一人いるのが見えたんだ。たぶんライナでしょ?」

 

ライナ『覚えてたのね……そうよ……』

 

ゲルマは隆太を背負い館内へむかって歩き出した。閉館時間のようだ。サリー達と合流するため美術館の前で待ち伏せした。



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命知らずの騎士

ゲルマ達がライナと再会を果たしていた頃、サリーとあかりは昔話に花を咲かせていた。

 

サリー「あの男、私の髪型を見てなんて言ったと思う?」

 

あかり「えー……ボーイッシュ?」

 

サリー「あの男はチョンマゲみたいだと言い放ったんだ!今思い出しても腹が立つ!」

 

あかり「そのまんまじゃん」

 

サリー「怒りに震える私は恭夜の指を折ってやったんだ!ハッハッハ!」

 

?「月に叢雲(むらくも)、花に風」

 

サリー「何か言ったか?」

 

あかりは首を横に振った。

サリーは『月』という言葉に反射的に空を見上げた。一人の男がこちらを見ている。

 

あかり「サリーお姉ちゃんの知り合い?」

 

サリーは正体不明の男から視線を外さないようにしている。

 

?「お主の心情を表すのにぴったりだと思ったのだがね」

 

あかり「おじいちゃん、誰?」

 

?「フハハハハ……お嬢ちゃん、ワシを帰る場所を失ったホームレスだとでも思ってるのではないかね?」

 

あかり「ど、どうしてわかったの?」

 

?「実際、帰る場所が無いのだよ」

 

サリー「フッ」

 

あかり「面白いおじいちゃんだね」

 

?「ところで一つお尋ねしたいのだが人生を楽しんでおるかね?」

 

あかり「みんな優しくて本当の家族ができたみたいで楽しいよ」

 

?「お主はどうかね?」

 

サリー「あなたの立場を重んじれば軽々しく楽しんでいるとは言えない」

 

?「気を遣われる心苦しさというのもある。それもまた人生の難しさでもあるのだが」

 

あかり「サリーお姉ちゃんは好きな人がそばにいないと生きててもつまんないんだよね」

 

サリー「そんな人間が存在するなら会ってみたいものだ」

 

?「もしも大切な人間がこの世から消え去るとしたら、お嬢ちゃんはどうするかね?」

 

あかり「みんな大切だから分かんないけど一人じゃ生きていけないかも」

 

サリー「そんな非現実的な事があるわけない。想像するだけ無駄だ」

 

?「それは可笑しい。お主は二度、いや三度大切な人間が命を落としかけた経験をしているではないか」

 

あかり「……え?」

 

サリー「あ、あなたは何者なんだ?」

 

?「ワシの名を人に教えるのは何百年振りだろうか。まあよい、教えてあげよう。ある時は預言者として振る舞い、ある時は時を渡る旅人となり、またある時は命知らずの騎士(ホットスパー)と呼ばれている 」

 

あかり「ほっとすぱー?」

 

サリー「……」

 

?「無理はない。なにせ日本の教科書には載っておらんからなぁ」

 

あかり「へぇー、そうなんだ」

 

サリー「やけに詳しいが、まだ名前を聞いていない」

 

?「何?そうだったかね?オホン、ならば教えてあげよう。ワシの名はへルマン・ラングニック」

 

あかり「ラングニック?どこかで聞いたことあるような――」

 

サリー「私もそうだが……」

 

へルマン「これは偶然ではないのだ。ワシはお前に会いに来たのだ。我が愛しの娘よ」

 

あかり「えっ……えぇぇぇ!?」

 

サリー「なっ……!?」

 

へルマン「驚かせるつもりで会いに来たのではない。話せば長くなるが、サリーやもちろん隣のお嬢ちゃんにも聞いてもらわねばならん」

 

あかり「このホームレスのおじいちゃんがサリーお姉ちゃんのパパなの?」

 

サリー「私はあなたの揺さぶりに動じるつもりはない。だが、先ほどの発言は聞き捨てならない。私を捨てた父が何故今さら会いに来たのか説明してもらいたい」

 

へルマン「強がりも無鉄砲もホットスパーの証。お前はワシに似ておる。無論、若かりし頃のワシの話だがね」

 

あかり「サリーお姉ちゃん、嬉しくないの?」

 

サリー「嬉しいどころか憎たらしいほどだ。あなたのせいで私は……」

 

へルマン「それ以上は口に出せんはずだ。何故なら過去を否定すれば愛する者達の存在を否定する事になる。違うかね?」

 

あかり「サリーお姉ちゃん?」

 

サリー「もうあなたの顔など見たくもない――帰ろう、あかり」

 

あかりの手を強く引っ張った。痛みで顔を歪めるが声に出さないように歯を食い縛る。ベンチから二人が立ち去るとへルマンはその温もりを感じるように腰を下ろした。

 

へルマン「宿命は変えられぬかもしれぬが運命は変えられるかもしれない」

 

へルマン「その運命を変えるのが女神の想いだ」

 

へルマン「女神も覚醒したようだ。失われた扉は復活した。ならばワシもこの世界から旅立つ準備をせねば――」

 

さあ、今こそ羽ばたく時だ……

 

震えて沈む、この世界から……



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追憶
コモンソウル・プロジェクト


二日後に恭夜が三歳の誕生日を控えていた。恭一朗(きょういちろう)は愛息(あいそく)を祝う計画を立てているのかと周りの研究者が口々に噂している。資料に目を通している姿がそんな風に思わせたからだ。

アンドロイドの設計を任されている星宮博士は夫婦で研究を行っている。星宮夫婦とは学生時代の友人であり、同じ研究に没頭する仲間でもある。そんな夫婦に子供が産まれ時には家族ぐるみで盛大に祝ったほどだ。生まれたばかりの双子の兄妹と対面した恭夜は目をキラキラさせていた。

星宮夫婦も恭夜が誕生日を迎える度にプレゼントを送っていた。ほとんどがガラクタに等しい発明品ばかりだが、幼い恭夜はおもちゃだと思い喜ぶのだ。恭一朗はゴミが増えるから止めてほしいと切に願った。当然口に出すことはない。星宮夫婦が恭夜の笑顔を見るのを楽しみしているからだ。

 

恭一朗「息子の命を確実性の低いプロジェクトに託さねばならないとは……」

 

星宮正晴(ほしみやまさはる)はコーヒーを机に置いた。

 

正晴「焦りは禁物だ。三人の力を合わせれば不可能はないだろう?いつも君はそう言っていたじゃないか」

 

恭一朗「なら後何年かかる?この計画は長いスパンが必要になるんだ。その間に恭夜の心臓がもたなければ妻は心を病んでしまうかもしれない」

 

正晴「恭夜君の心臓は先天性の難病に侵されている。十歳まで生きられるかどうか……医者の資格を持つ君でも治療は不可能と判断したんだ。だけど恭夜君を救う為にこの計画が必要なんだろ?」

 

恭一朗「お前達が編み出したこの設計図さえあれば実現出来るはずなんだ。だが、どうやって肉体から魂を切り離すというんだ……」

 

正晴「最後の綱は女神の信託のみ。この世界に出没した預言者に会えれば僕達の宿願も果たせるんだけど」

 

恭一朗「俺達はそんな根も葉もない似非(えせ)科学に頼らなければいけないのか?お前は恭夜の為に親身を削って編み出した設計図をその預言者とやらに献上するんだぞ。後悔はないのか?その設計図があればお前は世界に誇れる研究者になれるんだぞ。本当にいいのか?」

 

正晴「僕達の研究で誰かが救えるならそれでいいじゃないか。名誉も地位も努力の証かもしれないけど僕は恭夜君とあかりと隆太が健やかに生きてくれたら、それで十分だよ」

 

恭夜の心臓は大きな爆弾を抱えていた。生まれつきの難病により余命を宣告されている。医者の資格を持つ恭一朗は血眼になり、治療法を模索したが移植はおろか延命治療ですら困難であると知ったのだ。それでも十歳まで生きられると前向きにとらえ、現実的な方法で行える治療法を模索してきた。

意を汲んだ正晴は自分に出来ることはないかと申し出、研究を人助けに役立てようと決心したのである。

互いのやり方は全く違うが目指すべき目標は同じであった。

小さな命の為に全身全霊を尽くす男達の姿はいつしか芽を出し始めていた。それこそ正晴が最終手段として練っていた壮大な計画である。自我を無条件に形成し学習能力も兼ね備え、且つ巨大なネットワークを駆使し他の追随は許さない情報収集能力を持つアンドロイド。

その名も魂の保全計画(コモンソウル・プロジェクト)である。

もともとオカルトに(うと)い二人は魂の存在を懐疑的に捉えていた。しかし、科学者としての凝り固まった観念はあっけなく打ち砕かれた。

それは預言者の出現とあらゆる願いを叶えると謳われる女神(コスモス)が描かれた絵画の存在である。恭一朗は迷信だと言い張り頑なに受け入れなかったが、正晴は歴史書を漁り出し連日読書に明け暮れていた。

 

正晴「おーい」

 

恭一朗「人を呼ぶなら名前で呼べと言ってるだろう。周りの人間がキョロキョロしているじゃないか」

 

正晴「恭一朗は歴史が嫌いだから聞くだけ無駄だと思うけど――」

 

恭一朗「なら何故呼び止めた?本ばかり読んで研究が(おろそ)かになっていると、お前の奥さんが家内に泣きついて来たんだぞ」

 

正晴「あはは……そんなバナナ」

 

白衣の胸ポケットからバナナを取り出す。

 

恭一朗「バナナは凍らせれば釘を打てるほどの硬度を持つらしい。後でお前の奥さんに『釘を刺し』ておくよう助言しておこう」

 

正晴「な、なにぃ!冗談だろう?『釘を刺す』を『物理的に刺せ』なんて表現するとは恐るべし」

 

恭一朗「ところで何を調べていたんだ?歴史書など今さら開いたところでなんの役にも立たないだろう?」

 

正晴「いやぁこれがねぇ、驚くべき発見しちゃったんだよねぇ」

 

恭一朗「じれったい男だ。それだから子供が懐かないんじゃないか?」

 

正晴「それは君もだろ。可愛い恭夜君が君みたいな愛想のない男になってほしくないよぉ」

 

恭一朗「まったく……それで何が分かったんだ」

 

正晴「それが……存在しなかったんだ」

 

恭一朗は目障りなバナナを奪い皮を剥く。

 

正晴「あっ……」

 

恭一朗「ちゃんとあるぞ。で、何が言いたいんだ?」

 

正晴「『コスモス』っていう絵画について調べていたんだけど、どうも辻褄が合わないんだよ」

 

恭一朗はバナナを食べ始めた。

 

正晴「作者はライナ・リゲイリア。処女作にして遺作らしい。その絵が描かれた時期に論争があってね。まあ、簡単に言うと絵画は生きている間に描かれたのか?それとも死んだ後か?うーん、歴史もロマンだなぁ」

 

恭一朗は皮を正晴の胸ポケットに戻した。

 

正晴「しかも、『コスモス』が描かれた後の五百年に空白があって、誰一人して拝んだ事のない幻の作品と化していたんだ。でもその絵が現代になり一躍脚光を浴びたんだけど……」

 

恭一朗はコーヒーを一口含み、ごくりと飲みこんだ。

 

恭一朗「かつて信じられていなかった理論や学説が数年後、再評価され日の目を見る。あらゆる分野に共通する話だと思えるが」

 

正晴「僕も最初はそう思ったんだ。でもね、その絵を所持している人間について調べたんだけど、名前どころかどこにあるのかさえ出てこない」

 

恭一朗「親族が隠していただけだろう。それがたまたま見つかっただけだ」

 

正晴「この絵が描かれたのは十七世紀。当時三十年戦争が起きていて、ヨーロッパは戦火の真っ只中。そんな状況で傷一つなく保管出来るとは思えないんだけどなぁ」

 

恭一朗「結論が出せない以上、無駄話を続ければ同僚達に迷惑がかかってしまう。俺は持ち場に戻るぞ」

 

正晴は恭一朗の背中を見て、胸ポケットに気づく。指先でバナナの皮を持ちゴミ箱へ放り投げた。



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時の産声

とある日、恭一朗は家族で美術館に訪れている。久々の外出で美術館を選択したのは正晴の話が頭から離れなかったからだ。妻の麗華(れいか)は雨でも降るんじゃないか思うぐらい不思議に感じていた。恭一朗が芸術に興味を持つことなど一度たりともなかったからだ。

この日、滅多にお目にかかれない『コスモス』が見れると多くの客でごった返していた。恭一朗は恭夜の手を握ると、愛息がいつの間にかこんなにも大きくなっている現実を改めて実感した。ほとんどを研究所で過ごしている人間であるから恭夜の成長を実感する機会が少ない。育児も麗華に任せっきりしていたから罪悪感もある。父親としての責任を身に染みて感じていたのだ。

美術館に入ってみたものの芸術の価値など分かるわけもなく、目当ての作品だけを目で探す。

恭夜は色彩豊かな作品の数々に目をキラキラさせている。麗華も家族水入らずの外出とあって笑顔がはじける。

 

恭一朗「何が楽しいんだ?」

 

麗華「あなたが来たいって言ったんじゃない。もしかして仕事のこと考えてた?」

 

恭一朗「そんなわけないだろう」

 

麗華「ならちゃんと恭夜の手を握ってあげて」

 

恭夜は物欲しそうな表情で見上げている。小さい手を握るとニコッと笑った。

恭一朗は人だかりを見つけ目当てものではないかと目を細めた。

 

麗華「やっぱり凄い人だかりね。そんな立派な作品なのかしら」

 

恭一朗「そんなに流行が大事か。俺には理解しかねる」

 

麗華「あなたは違うの?じゃあ私と恭夜で見に行くね」

 

恭一朗「おい!ちょっと待て!」

 

麗華「何よ」

 

恭一朗「恭夜が怪我をするかもしれない。俺と恭夜で行った方がいいんじゃないか?」

 

麗華「見たいなら見たいって言えばいいじゃない」

 

恭夜の手を引き『コスモス』に近づく。人だかりが壁を作る。絵自体は小学校にある黒板ぐらいの大きさなのだが、飾られている位置が悪く恭一朗の場所からは女神の生え際しか見えない。すると、我慢する事を知らない幼い恭夜は大人達の足の間をするすると入っていってしまった。

 

恭一朗「恭夜?おーい、どこだぁ?」

 

人だかりの前列から悲鳴のような声が恭一朗に届いた。嫌な予感がして逃げたくなった。それでも鑑賞客の迷惑になるのは避けたい。恭一朗は小さい声で居場所をアピールしながら人垣を掻き分けていく。客の目が痛い。死んでしまいたくなるような恥ずかしさに恭夜を見捨てていこうかとさえ思ってしまった。

恭夜は最前列にまで進んでいた。精一杯身を乗り出して小さな瞳で見つめている。恭一朗は目を真っ赤にして拳を落とした。

 

恭夜「いったー!」

 

恭一朗「お前というやつは……」

 

恭夜は目に涙を溜め込む。甲高い声で泣き出した。周りの客が冷ややかな目で二人を見ている。恭一朗はその場を去ろうとするが恭夜は泣きじゃくりながら駄々をこね始めた。抱き上げられた恭夜は周りの大人たちと同じ目線になり女神が見下ろす視野に入った。

 

恭一朗「もういいだろう。後でおもちゃを買ってやるから」

 

おもちゃとは正晴の発明品の事である。無論、買うつもりはない。

 

恭夜「うっ……ひっく……いやだ……」

 

恭一朗「いい加減にしてくれ。ワガママばかり言うとお昼ご飯を食べさせないぞ」

 

恭夜「あー!わらったー!」

 

恭夜は女神の顔を指差しているが周りの客は苦笑いしている。

 

恭一朗「そうか。それは良かったな。もう帰るぞ――」

 

完全に油断した。恭夜は腕から身を乗り出す。指先を懸命に伸ばし絵に触れようとしている。どよめきが起きた。

 

恭一朗「おい!?何をする気だ!?」

 

絵に触れた瞬間、頭がぐらぐらと揺れた。恭一朗の脳内に膨大な情報が流れ込んでくる。

ヒト、文化、伝統、宗教、主義、思想、哲学、戦争、芸術、そして……歴史。

 

ライナ『そこに……いるのね……』

 

恭夜「わぁー!きれー!」

 

ライナ『おね……い……ゲルマ……せかい……たすけて』

 

恭一朗「な、何なんだ!これは――」

 

二人は脳に直接語りかけられ意識を失った。目を覚ました頃には閉館時間が迫る。乗り物酔いのような感覚が残り倦怠感が身体全体に残る。恭夜はまだ夢の中のようだ。

 

恭一朗「うっ……まだ夢の中……ではない」

 

館内は閑散としている。ついさっきまで感じていた冷たい視線は全くない。麗華の姿も見当たらない。

 

恭一朗「このような非現実的な事があり得るのか?まさかテレポートでも――」

 

(うめ)き声が聞こえる。恭夜の声ではない。女の声だ。それに幼い子供だ。

恭一朗はゾッとした。視線が合ったのだ。

 

恭一朗「な、何だ?」

 

サリー「……」

 

麗華「ちょっと、あなた!今までどこに行って……え?」

 

恭夜と同じくらいの年齢に見える少女だ。純真な瞳が淡い光を放っている。麗華はその瞳に強く惹きつけられたようだ。

 

麗華「あなた、この子はどこから来たのかしら?」

 

恭一朗「俺に聞くな。直接聞けばいいだろう」

 

サリー「わ、わたし……」

 

麗華「名前、教えてくれる?」

 

麗華は少女を気に入ったのか色々質問をしていく。少女の名前はサリー。年齢は四歳。恭夜より二つ年上だ。

 

麗華「パパとママはどこにいるの?」

 

サリー「わたし、パパとお馬さんに乗ってて……それで……」

 

麗華「どうしたらいいのかしら?」

 

恭一朗「頭をぶつけて記憶障害を起こしてるのかもしれないな。すぐに病院に連れて精密検査を受けさせよう」

 

これが唯城親子との出会いである。後にラングニックという姓を授けられた。次の日、恭夜は三歳の誕生日を迎えた。



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叡知の城

記憶を失ったサリーの面倒を見ることになり一段と賑やかな日々を送る恭一朗。研究は順調に進み最終工程を終えれば実験が始まる。多忙な日々を送る中、正晴は相変わらず書物を読み漁っていた。

研究所にあるテラスは一息つく職員の溜まり場になっている。テラスから見える湖は女性職員に人気があり、この研究所を建設する為だけに湖畔を選んだのだ。

正晴は端整な顔立ちに持ち前の明るさで女性だけでなく男性からも支持されている。その上、アンドロイドの設計図を作成するほどの非凡の才能を持ち合わせているのだ。天は二物を与えずと言うがこの男は例外だ。

恭一朗もまた例外かもしれない。正晴ほどの人望や才能は持ち合わせてはいないが科学者の一面と医者としての顔も垣間見る事が出来る。その証左としてこのコモンソウル・プロジェクトのリーダーに抜擢されたのだ。努力の天才であり大学時代から切磋琢磨してきた友人がいたからこそ、今の研究に心血を注げると言っても過言ではない。

 

恭一朗「もうすぐだ。そっちは安全テストと耐久検査を済ませてくれ」

 

正晴「自我形成プログラムのチェックはまだやらないのか?」

 

恭一朗「優先順位を守れ。この研究所のルールだぞ」

 

正晴「あっ……ああ、そうだった」

 

恭一朗「最近(たる)みすぎだ。寝不足なのか?」

 

正晴「そうかもしれない。気をつけるよ」

 

恭一朗「あと三日でこのプロジェクトも終わりを迎えるんだ。その後に休暇でも取ればいいだろう」

 

正晴「僕にとっちゃ仕事も休暇も趣味も同じようなもんだ。君の方こそ家族サービスをした方がいいと思うけどな。新しい家族が増えたんだろう?」

 

恭一朗「麗華と恭夜がいれば十分だ。俺にとって一番重要なのはプロジェクトの成就のみ。家族の事を考えている余裕はない」

 

正晴「でもねぇ、まさか偏屈の君が絵画を見に行くとは麗華さんも驚いたんじゃないのか?」

 

恭一朗「魔が差しただけだ。もう二度と行くか」

 

正晴「サリーちゃんだっけ?元気にしてる?」

 

恭一朗「病院で検査を受けさせたが異常はなかった。しかし、記憶が曖昧で本人も混乱した様子だ。名前しか思い出せないとは難儀な話だ、と言ってしまえばそれまでだが」

 

正晴「恭夜君が一人っ子だからって可愛いそうに思えて誘拐しちゃったとか?」

 

恭一朗「馬鹿言うな!その場には俺以外にも麗華と恭夜がいたんだ!そもそも恭夜が絵に触れなければこんな事に……」

 

正晴「な、何だって!?」

 

恭一朗「お前と話していると頭が痛くなる。雑談は終わりだ。作業に取りかかるぞ」

 

正晴「ちょ、ちょっと教えてくれ!君はさっき絵に触れたと言ったな?」

 

恭一朗「俺じゃない。恭夜が俺の腕から離れようと絵に手を伸ばした。その後は……」

 

正晴「何か見えたのか?」

 

恭一朗「周りの客が……ざわめいていた……」

 

正晴「すこぶる顔色が悪いように見えるけど少し休んだ方がいいんじゃないか?」

 

恭一朗「お前は……」

 

正晴「おいおい、そんな怖い顔をするなよ。一匹狼の恭一朗から他の仲間がどんどん離れていくじゃないか」

 

恭一朗「ここに入れば皆孤独だ。いや、お前は例外か」

 

正晴「妻は施設内にいるからなぁ。会おうと思えばいつでも会えるけど他の男と会話してると考えると胸が締め付けられるよぉ」

 

恭一朗「お前の気持ちは理解に苦しむ。一人の方が楽でいい。何故か分かるか?好きな事に没頭出来るからだ」

 

正晴「たまには部下を飲みに誘えばいいのに。本当に強情、頑固、意地っ張りだよ、恭一朗は」

 

恭一朗「だからこそ正晴、お前には感謝している」

 

正晴「いやいや、やめてくれないかそんな辛気臭い顔。まるで――」

 

正晴は言葉に詰まった。恭一朗が湖を見つめている。風が吹いていない穏やかな一日。

全工程が終了し遂にその日を迎えた。各々の研究者が結集した知恵と技術の結晶。研究者達の情熱と緻密な努力が新たな魂を吹き込んだ。自我形成を可能にしたアンドロイドの動作実験を今か今かと皆胸踊らせる。

実験場には職員の他、麗華が見届け人として招待された。恭一朗が招待した訳ではない。

 

恭一朗「どうしてお前がここにいるんだ?」

 

正晴「最初に伝えようと思ってたんだけど麗華さんを呼んだら君は怒ってただろう?」

 

麗華「当然よ。この人、女は家事さえやってればいいとか平気で言う人なんだから。古い人間なのよ」

 

恭一朗「昔の話じゃないか。今は思っていない」

 

正晴「うちの妻が恭夜君とサリーちゃんの面倒を見てるから、今回だけは大目に見てほしいなぁ」

 

麗華「サヤさんが呼んでくれたのよ。あなたの仕事ぶりを評価してあげてほしいって」

 

サヤは正晴の妻だ。

 

恭一朗「――避難通路の開放状況を教えてくれ」

 

恭一朗は施設内全体をモニター越しに監視している職員と連絡を取り始める。麗華の存在を意図的に無視した。仕事場に土足で踏み込んで来た事を相当根に持っているようだ。正晴が麗華に平謝りしている。

職員があくせく動き回る。目が回ってしまいそうな光景が広がる中、正晴は屈託のない笑顔でアンドロイドを目に焼きつけていた。

全ての準備が整い、後はプロジェクトの集大成を見守るだけ。全ての研究者はプロジェクトが成功に終わると信じて疑わなかった。

ただ一人、恭一朗を除いて……



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失われるもの、得られるもの

恭一朗は時間を読み上げマイクから指示を送った。

ガラス越しにアンドロイドが直立している。アンドロイドの肌艶はきめ細やかに再現され高い完成度を保っている。瞼を閉じる姿は眠ってる人間そのものだ。

数秒後、恭一朗の言葉に反応し目を開けた。固唾を飲んで見守っていた職員達が歓声を上げる。

ところが、起動直後に異変が起きた。別室で観察していた部下から連絡が入る。部下らしき声がスピーカーから室内に響いた。

 

恭一朗「どうした?」

 

部下『そ、それがデータより……』

 

正晴「落ち着くんだ。こっちに異変はない。状況を説明してくれ」

 

部下『は、はい。実験直後の観測データを見比べていたのですが、異常な波形が見られたので一応確認を取ろうと……』

 

恭一朗「異常な波形とは何だ?」

 

部下『自我の形成プログラムに波長が見られ――』

 

正晴「バ、バカな!?まだ起動直後のはずだ!自我が形成されるわけがないじゃないか!」

 

恭一朗「取り乱しすぎだ。もう少し様子を見てくれ」

 

部下『お言葉ですが実験を中止になさった方が賢明かと。十分な成果は得られたはずです――』

 

正晴は振り返り麗華に笑顔を向けた。不安を和らげようと思ったのだろう。

 

恭一朗「お前は誰だ?俺は知っているんだぞ。そこにいるのは分かっている」

 

部下は返答しない。そもそも部下に向けられたものなのか、アンドロイドに向けられたものなのかさえ誰にも分からなかった。

 

正晴「アンドロイドに話しかけているのか?」

 

?『コレハ……イッタイ……ドウシテ?』

 

スピーカーからは聞こえてきたのは部下の声ではない。機械的で無機質な言葉だ。職員達は声の主を理解し驚きを通り越し恐怖に支配された。

アンドロイドが研究所のネットワークをハッキングしたのだ。

 

正晴「最悪な展開になってしまったな……あはは」

 

恭一朗「ハッキングしたのはお前だな?」

 

アンドロイドに問いかけるが表情に変化は見られない。

 

ゲルマ『ココハ……ドコダ?ナゼ……ミテイル?』

 

正晴「もしかして既に別の魂を取り込んでしまったのか?」

 

恭一朗「仮定の話をしても意味がない」

 

施設内の扉は全て施錠されてしまったようだ。退路はない。職員達の脳裏に悪夢がよぎった。

アンドロイドの両目が赤みを帯びていく。

 

ゲルマ『コスモスニ……アダナス……イキトシ……イケル……ニンゲンドモヲ……シュクセイスル』

 

正晴「ちょっとメモするから……え~と、コスモスに仇なす生きとし生ける……あら、何だっけ?」

 

恭一朗「全ての者達を粛清するか、最もらしい事を言う」

 

麗華「あの人、もしかして怒ってるんじゃないかしら?」

 

正晴「悠長な事を言ってるのは僕達だけみたいだよ。君は全てを見透かしていたみたいだけど」

 

足元で地鳴りがする。まるで地震のようだ。

 

ゲルマ『イノチシラズナ……モノタチメ……クイアラタメヨ……オノレノアヤマチヲ』

 

職員達はまともな精神でいられなくなり阿鼻叫喚の巷と化した。

 

恭一朗「地下倉庫を爆発させたか……」

 

麗華「どうしてそんな事を!?」

 

正晴「地下倉庫に爆薬を取り付けておいたんだよ。情報漏洩を防ぐ為にはこれしか手段がなかったんだ」

 

恭一朗「フハハハ……実験は成功したようだ」

 

麗華「ふざけないで!この期に及んでまだ実験に拘るつもり?あなたは他の職員達の命を預かっているのよ!少しは考えなさいよ!」

 

正晴「麗華さんの言う通りだ。恭一朗、もうデータは取れたし皆を安全な場所に避難させようか」

 

爆発音が大きくなり立っていることも困難になる。すでにエレベーターとエスカレーターは使用不可。残るは非常階段と緊急用の避難通路だが……。

 

恭一朗「俺にはまだ仕事が残っている」

 

麗華「いい加減にして!そんなに仕事が大事?」

 

正晴「麗華さん、安心してくれ。皆を避難させたら僕達も逃げるから」

 

恭一朗「いや、俺は最期まで残ろう」

 

麗華「何言ってるの?」

 

正晴「時間がない。君の遺言なら避難した後でも聞くよ」

 

恭一朗「時間ならある。俺はこの場所で死ぬ運命(さだめ)なんだ。この場所を離れなければお前達も死ぬことはない」

 

麗華「分からない……あなたの考えてる事が分からない……ねぇ……教えてよ」

 

正晴「それはあの絵画に関係しているのか?」

 

恭一朗「あの日、恭夜は女神の絵画に触れた。その時、形容し難い光景の中、俺はライナと名乗るその人物と契約を交わした」

 

麗華「契約?」

 

正晴「君の口から女神なんて言葉が出てくるとは意外だね」

 

恭一朗「信じるか信じないかは麗華次第だが、恭夜の心臓は完治したとその人物が断言した」

 

麗華「ええっ!?本当に?本当なの?」

 

正晴「君が初対面の人間を信用するとは……価値観まで変わったのかもね」

 

恭一朗「そして俺は未来を垣間見た。恭夜の成長、お前達が歩むべき道、そしてこの計画の行く末……」

 

麗華「何が見えたの?」

 

正晴「契約が全てを物語る、そうなんだろ?」

 

恭一朗「この計画を成功させる見返りは俺の命なんだ。すまない、麗華」

 

麗華「あなた……仕事の為に……命まで投げ出すの?」

 

正晴「君は……なんて事を……」

 

恭一朗「俺が死から逃れれば所内にいる人間はあのアンドロイドに殺害されてしまう。これが預言者の筋書きらしい」

 

麗華「恭夜は……サリーは……どうなるの?」

 

正晴「僕に出来ることは?」

 

恭一朗「設計図を預言者に渡すな。それと俺が組み上げた簡易プログラムをお前に託す」

 

恭一朗は青い分厚いファイルとUSBを正晴に手渡す。麗華は両手で顔を覆う。

 

正晴「これは……夢じゃないんだな?」

 

恭一朗「俺にとってこの世界は夢みたいなものだ。お前達に出会えて本当に良かった。恭夜とサリーを頼む」

 

麗華は残酷な現実を突きつけられ、その場から動けなくなってしまった。正晴は麗華を抱き抱え避難通路に向かって歩き出した。職員の避難は無事完了し最後に正晴達が安全な場所まで辿り着くと、研究所は大爆発を起こした。恭一朗と正晴が青春を賭けて築き上げた叡知の城は灰塵と共に湖の底へと沈んでいった。



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長いナイフの夜

アンドロイド暴走事故で恭一郎を失って四年が経過した。麗華は精神に異常をきたし入退院を繰り返すようになる。幸いにも恭夜とサリーは星宮夫婦の助けもあり月並みの日常を送れるようになった。

幼かった恭夜は父を失った事実を聞かされることはなかった。それでも心を病んでしまった母の無惨な変わり様にサリーもまた心を痛めた。四年経った今、父の死を実感していてもなんらおかしくない。恭夜は無関心を装いながら、すくすくと育ち新たな環境に溶け込んでいった。

更に月日は流れ海外旅行の計画が持ち上がるまでに母の体調が快方に向かう。海外旅行は恭夜が生まれた時以来であり、もちろん生まれたばかり恭夜が覚えているはずがなかった。

外国の建造物に恭夜とサリーは驚く。母は顔をほころばせるが声に出すことはない。ベッドの上で過ごす時間が長かったからか、肺活量まで衰えてしまったようだ。ホテルの受付で手続きをしている。はやる気持ちを抑えきれない恭夜は母に手渡された鍵の番号をチラッと見た。

 

恭夜「お姉ちゃん、早く行こうよ!」

 

お姉ちゃんとはサリーのことだ。

 

サリー「まだお母様が来てないから待たないと――」

 

恭夜「じゃあ、先に部屋に行ってるね!」

 

サリー「えぇっ!?部屋がどこにあるかわからないのに行ったらダメだよ」

 

恭夜はサリーの忠告に耳をかさずにエレベーターに乗ってしまった。追いかけようとしたが母に気苦労をかけてしまうと思い引き返す。

 

母「恭夜は?」

 

サリー「ごめんなさい……」

 

母「あの子ったら鍵も持たずに先に行っちゃったのね」

 

サリー「次はちゃんと注意します。だから恭夜を怒らないで下さい」

 

母「このぐらいじゃ怒らないわよ。恭夜とサリーが元気でいてくれれば気にしないわ」

 

恭夜は一人でエレベーターを使い覚えた番号を口に出す。

 

恭夜「ななさんさん……ななさんさん……」

 

一緒に乗り合わせた客が気を利かせる。ボタンに手が届かない恭夜を見て『7』を押してくれた。

 

恭夜「あ、ありがとう」

 

照れくさそうに降りる。広い廊下にはたくさんの部屋が並ぶ。番号を口に出しながら一つ一つ確認していく。前を見ていなかった恭夜は他の客とぶつかってしまった。

 

恭夜「わっ……ご、ごめんなさい!」

 

カイン「ボクは大丈夫だ。キミの方こそ怪我はないか?」

 

恭夜「大丈夫……です」

 

カイン「そうか。それなら良かった……うん?」

 

恭夜「え~と、ななさんさんってどこにありますか?」

 

カイン「……おっと、部屋を探しているのか?『733』だったらボクの目の前にある部屋から二つ隣だ」

 

恭夜「ありがとうー!」

 

部屋の前に行くが鍵を持っていない。待ち伏せして母とサリーを驚かせるつもりらしい。

 

カイン「あの少年が唯城恭夜か。まだ子供ではないか……」

 

カインはエレベーターに向かうと母とサリーとすれ違った。母は会釈するがカインは返さない。

 

サリー「なぜあの人は頭を下げないのですか?」

 

母「誰にでも頭を下げるのは日本人だけだからよ」

 

都市部とあって人々は活発に動いている。歓楽街は大人達の社交場。子供一人見当たらない。窓ガラスから夜景を見下ろす恭夜は人々が行き交う光景に首を傾げる。

母は星宮夫婦と連絡を取るためロビーにいる。二人だけで留守番をしていた。

扉を叩く音がする。母が帰って来たと思いサリーが扉を開けるが誰もいない。

 

サリー「お母様?」

 

猫の鳴き声がする。サリーは見下ろすと子猫が潤んだ瞳でちょこんと座っていた。可愛らしい首輪がついている。

 

サリー「どこから来たの?」

 

子猫がすり寄ってきた。飼い主が困っているのでは?

サリーは子猫を抱き抱え扉を閉め忘れたままロビーに向かってしまった。

恭夜はソファに座りテレビを見ていた。閉め忘れた扉がゆっくりと開く。突然、部屋が真っ暗になった。恭夜はサリーがいたずらをしたと思い冷静を装いながら扉に向かう。

 

カイン「キミが唯城恭夜だろうか?」

 

恭夜「だ、だれ?」

 

カインはナイフを取り出した。

 

恭夜「ああっ!さっき会った人だ!」

 

カイン「驚いた。こんな暗闇でも判別出来るのか。だが、顔を覚えられたところでボクには関係ない」

 

恭夜「ぼ、ぼくを刺すの?」

 

カインは恭夜の首元を抑え壁に叩きつけた。呼吸に苦しむ恭夜は足をばたつかせる。心臓に狙いを定めナイフを突き立てた。

 

恭夜「だれか……たす……けて……」

 

カイン「慈悲深き魂よ、安らかに眠れ。汝に女神のご加護があらんことを――」

 

ナイフをじわりじわりと押し込んでいく。

 

恭夜「うぅっ!?」

 

赤黒い血が服に広がっていく。肉と骨を切り裂く。

 

恭夜「あっ……あっ……あっ……あっ……」

 

恭夜は死への恐怖と耐え難い痛みに顔を歪ませた。手足から抵抗する力が失われていく。心臓に到達したと確信するとナイフから手を離した。

意識を失い力なく倒れ死を見届けぬままカインは去っていった。

子猫をロビーに届けていたサリーが帰ると扉が開いてる事に気づいた。見知らぬ男の背中が見えた。血相を変え部屋に飛び込む。真っ暗の部屋から漂う血の臭いが鼻についた。廊下の明かりを頼りに恭夜の名を呼び続ける。返事がない。ソファの横から手が出ているのがうっすら見えた。

 

サリー「恭夜?またいたずらしようとしてるの?」

 

顔を確認してほっとしたのも束の間、心臓に刺さったままのナイフらしき物を見て背筋が凍りついた。

 

サリー「なに……なんなのこれ……!?」

 

恭夜に触れようと手を伸ばした。

 

サリー「恭夜……どうして……起きて……だれか……」

 

無意識にナイフを握る。ぼろぼろと涙が溢れた。抜こうとするが奥深くまで刺さっている。なんとか引き抜いた。

 

サリー「血が……恭夜が死んじゃう……お母様……助けて……」

 

恭夜「うぅぅ……」

 

サリー「恭夜?」

 

恭夜「……だれ?サリー?」

 

サリー「血が止まらない。早くしないと恭夜が……」

 

恭夜の心臓に手を当てると少しずつ意識が戻ってきた。

 

恭夜「すごくあったかいね。お姉ちゃんの手」

 

サリー「痛くない?もうすぐお母様が帰って来るから」

 

恭夜「あれ?痛くないよ。なんでだろう?ここに刺されたんだよ――」

 

恭夜は体を起こし胸の傷を調べている。サリーは悪質ないたずらだったのではないかと考えナイフを探し始めた。ちょうど母が帰って来た。部屋が明るくなり目が眩む。

室内に血溜まりがどこにもない。恭夜の服には確かに血がついている。最初こそ母は悲鳴を上げたが、すぐに我に返った。

 

母「ちょっと!いくら食べ足りないからってケチャップを飲むことはないでしょ!」

 

サリー「ち、違います!お母様、これは――」

 

恭夜「えへへ、ごめんなさい」

 

恭夜の側にはナイフではなく刀が落ちていた。



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月人 ~ツキビト~

サリー「遅れてすまない。今日はかなり立て込んでいて――」

 

恭夜「……」

 

サリー「これは恭夜の分だ。お腹空いてるだろ?中身はオムライスだ」

 

恭夜「うん……」

 

サリー「どうした?気分でも悪いのか?」

 

恭夜「そうじゃないけどさぁ……」

 

サリー「言いたいことははっきりいってくれ。お母様に心配をかけたくないんだ」

 

恭夜「その変な喋り方って、何?」

 

サリー「……テレビの影響を受けたんだ」

 

恭夜「テレビ?日本の?」

 

サリー「時代劇を見ていたらこうなっていたんだ。仕方ないだろ。こういう話し方をすれば男は近寄ってこない。それに――」

 

恭夜「時代劇でそんな話し方する人いるの?それにしても自覚はあるんだ。モテモテだもんね」

 

サリー「そんな事どうでもいい。それより寒いだろ?ホテルに戻ろう」

 

恭夜「さっきお母さんに電話したんだ」

 

サリー「お母様は元気だったか?」

 

恭夜「いつもと同じ。掠れた声でサリーに心配をかけるなって言われた」

 

サリー「そうか。お母様が元気そうで良かった」

 

恭夜「ズルいよ。みんなしてサリーサリーってさ」

 

サリー「妬んでいるのか?」

 

恭夜「違う」

 

サリー「私はいつでも恭夜の味方だ。側にいれないお母様の代わりに私がいつでも恭夜の側にいる。これじゃダメか?」

 

恭夜「俺が言ってるのはそうじゃなくて……」

 

サリー「私には本当の両親がいないから恭夜の気持ちを全て理解出来ないかもしれない。けど私は少しでも恭夜の力になりたいという気持ちは昔も今も変わらない」

 

恭夜「俺がサリーの側にいても役に立てない。サリーが稼いだお金をドブに捨ててるんだ。俺みたいな役立たずが」

 

サリー「恭夜はまだ一四才だ。働ける年齢じゃない。今は甘えてくれていい」

 

恭夜「サリーはやっぱり何もわかってないよ。これなら一人になった方が楽だ。お母さんは病気で外に出られないし、サリーは仕事の都合で海外を飛び回らないと行けないし、俺なんか――」

 

サリー「私は嫌だ。一人にはもうなりたくない。だから――」

 

恭夜「サリーが俺のこと嫌いなら離れ離れになってもいい。あのお金持ちの人ならきっとサリーを幸せにしてくれるよ」

 

サリー「私が欲しいのはお金じゃない!」

 

恭夜「俺にはそうにしか見えないんだよ!御曹司とかいう人たちに笑顔を振りまいてさ!俺と話す時と違って男みたいな喋り方なんてしないクセに!」

 

サリー「恭夜……違うんだ……」

 

恭夜「聞きたくない!もう一人にしてよ!」

 

サリー「待ってくれ!私が欲しいのは時間なんだ!」

 

恭夜「……」

 

サリー「私が富や権力を持つものたちに近づくのは仕事を貰うためだ。でないと私たちは今よりももっと貧しい生活を送ることになってしまう」

 

恭夜「やっぱり……」

 

サリー「今はそう見えるかもしれない。けど恭夜にもドレスや化粧で取り繕った私を見てほしんだ。その為にいつもついてきてもらっているんだ」

 

恭夜「えっ……」

 

サリー「他の男たちに見せている顔は私の作り笑顔。前にも言っただろ?私の夢は女優になることだ。全部演技なんだ」

 

恭夜「で、でも……」

 

サリー「それに恭夜が私の視界に入らないと不安になる。だから、今は辛いかもしれない。それは謝る」

 

恭夜「な、なんだよ……そんなこと言われたって……」

 

サリー「綺麗な満月だな」

 

恭夜「急に話を変えるな!」

 

サリー「フッ、私の好きなもの知ってるか?」

 

恭夜「満月でしょ……」

 

サリー「ああ、世界を回っていても満月はいつも同じ姿を露にしてくれるんだ。まるで女優がどんな地味な役でも華やかな役でもいとも簡単にこなす、そんな風にだ」

 

恭夜「じゃあさ、俺の前でもやってみてよ」

 

サリー「ん?」

 

恭夜「あれだよ、あれ。サリーの大好きな絵画を一緒に観賞した時に言ってたじゃん」

 

サリー「!!!」

 

恭夜「おかしいなぁ。そんな顔真っ赤にしてたっけ?」

 

サリー「あ、あ、あれは……言葉の綾だ!本当は『女神になりたい』と言いたかったんだッ!」

 

恭夜「言葉の綾?なんだいつもの冗談かぁ。あ~あ、ガッカリ」

 

サリー「ガッカリ?恭夜は本気にしたのか?」

 

恭夜「そりゃあ嬉しかったよ。あんなこと言われたら誰だって嬉しいと思うけど」

 

サリー「……」

 

恭夜「でも、女神の絵画を見てあんな言葉が出てくるなんて――」

 

サリー「わかった」

 

恭夜「えっ?」

 

サリー「もし恭夜が本気にしてくれるなら私の気持ちを受け取ってほしい」

 

恭夜「そ、そんな真面目な顔したって俺はもう騙されないから!」

 

サリー「私は……私は恭夜の女神になりたい」

 

恭夜「!?」

 

サリー「……」

 

恭夜「あはは、何言ってんだか……」

 

サリー「帰ろう。手がかじかんできた」

 

恭夜「……」

 

サリー「いつものように手を握ってくれ」

 

恭夜「な……」

 

サリー「何だ?」

 

恭夜「なれるもんならなってよっ!」



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真世(しんせい)
足跡


夜が深まるにつれ寒さも一段と厳しさを増していく。泊まる所を探して市内を歩くが、大所帯では見つかるはずもなく時間だけが過ぎていく。結局あの場所へと戻ってしまった。ボロゾフ邸だ。

邸宅内の明かりは消えており警備員らしき人物も出払っているようだ。ルナが扉を引くと開いた。この場所に帰ってくる事を予想していたのだろうか。

恭夜達はシェリーヌが鍵をかけずに外出していることを不審に思ったがルナは気にも留めず中に入っていく。

 

あかり「メイドさん、寝ちゃったのかな?」

 

恭夜「鍵をかけ忘れるとは思えないけどなぁ」

 

ルナ「私達が困らないように開けといてくれた」

 

あかり「えー!本当?」

 

恭夜「俺達、監視されてんの?」

 

ルナ「わからない」

 

隆太は未だ恭夜の背中で寝息を立てている。

サリーは再会したばかりのカインを伴い買い出しに出ていた。ゲルマの様子は以前と変わらない。

 

サリー「次の狙いはなんだ?わざわざ素顔を見せたということはそれ相応の目的があるはずだ」

 

カイン「今のボクは無防備だ。それにキミ達に敵対心はないし、ましてやキミと斬り合おうなどと考えてもいないよ」

 

ゲルマ「良かったな、体目当てじゃなくて」

 

サリー「何?」

 

カイン「語弊のある言い方はやめてくれないか?キミの以前の性格からは想像できないキャラクターだよ」

 

ゲルマ「この体を作った博士達の性的嗜好(しこう)が口に出てしまったようだ。失礼した」

 

サリー「博士達がそんな下品な思考をインプットするわけないだろ!」

 

カイン「ところでサリーに確認したいことがあるんだ」

 

サリー「なんだ?」

 

カイン「その刀はいつから(たずさ)えているんだ?」

 

サリー「これか?これは……確か恭夜が……」

 

ゲルマは口を閉じたままため息をした。

 

カイン「恭夜が刺された時では?」

 

サリー「!」

 

ゲルマ「マスターは刺された事があるのか?」

 

カイン「ああ……ボクが刺したんだ」

 

サリー「な、なんだと!?」

 

ゲルマ「何故刺した?」

 

カイン「命令されたからだ。ボクは弱みを握られていてね。逆らえる立場になかった」

 

サリーはカインを睨んでいる。今にも斬りかかりそうな形相だ。

 

ゲルマ「誰に命令された?」

 

カイン「……ヘルマン・ラングニックだ」

 

サリーは舌打ちした。

 

ゲルマ「ヘルマン……ラングニック……まさかあの男がこの時代にいるのか?」

 

カイン「ああ」

 

サリー「その男の目的は何だ?」

 

カイン「絵画を揃え絶大な権力を得る。そして世界を意のままに操る力こそがヘルマンの本願」

 

ゲルマ「短絡的な男だ。昔からそうだった」

 

サリー「昔から?さっきから何を言っているんだ?」

 

カイン「二度も同じ話はしたくはないから割愛するよ。ゲルマの頭脳にはヘルマンの情報がある。おかしな話ではないだろう?」

 

ゲルマ「そういう事だ」

 

サリー「なら話をややこしくするな」

 

カイン「それとナイフの件だが――」

 

ゲルマ「ナイフ?」

 

サリー「いつナイフの話なんてしたんだ?」

 

カインは手を口に当てて二人に横顔を向けた。ゲルマはカインの動きを観察している。

 

カイン「すまない。今のは聞かなかった事にしてほしい」

 

三人は買い出しを終え再び元来た道を辿る。ゲルマは丸々と太ったビニール袋を軽々と持ち上げサリーに帰宅を促した。サリーの背中が見えなくなるのを確認しカインに問いかけた。

 

ゲルマ「先ほどのナイフの話だが……」

 

カインはゲルマと目を合わせようとしない。その表情は何かを恐れているようだ。

 

ゲルマ「オレのナイフでマスターを刺したのか?」

 

カイン「……そうだ」

 

ゲルマ「そのナイフは持っていないのか?」

 

カイン「抜けなかった」

 

ゲルマ「抜けなかった?まさかナイフを無くしたのか?」

 

カイン「いや、そうじゃない。ボクの推測が正しければサリーの刀は……ゲルマのナイフと同一のものだ」

 

ゲルマ「バカな……」

 

カイン「信じられない話だと思う。しかし、説明がつかない。何故ナイフが刀に変化したのか?それはボクにも分からない」

 

ゲルマがそれ以上問いただす事はなかった。



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レモンの香りに誘われて

夜が明けてもシェリーヌは帰って来なかった。恭夜とサリーは出かけている。ゲルマはルナと庭で談笑している。ルナの体を借りているライナと語らっているのだろう。

 

隆太「エクレアさん、おはようございます」

 

カイン「ボクはカインだ。前にも似たような会話をしたような気がするが」

 

あかり「カインお兄ちゃんはなんでここにいるの?」

 

隆太「もしかしてまだルナさんを追いかけているんですか?」

 

カイン「さあ」

 

カインは外を見ながらおどける。レモンティーの入ったティーカップを口に近づけた。

 

あかり「ルナお姉ちゃん、なんか最近変だよね」

 

カイン「同感だよ。もう少し上品であってほしいものだ」

 

隆太「ルナさんはいつも上品ですよ」

 

あかり「違うよ。ゲルマお兄ちゃんといる時の笑い方がいつもと違う気がする。なんでだろう……」

 

あかりは頬杖をつきながらルナの仕草を観察している。

 

カイン「実に興味深い指摘だ。是非お聞かせ願おう」

 

隆太「カインさん、わざとらし過ぎます」

 

あかり「ルナお姉ちゃんって笑う時、両手で口を覆うよね。でも今は片手で覆ってるんだよ……関係ないのかなぁ?」

 

カイン「ルナの心を射止めた男がいるのかもしれない」

 

隆太「ははは、まさか……」

 

あかり「隆太お兄ちゃんだって知ってるくせに今さら動揺しないでよ」

 

カイン「思い当たる節はある。あの男ではないだろうか?」

 

隆太「言わなくてもいいです……」

 

あかり「んふっ、だーれだ?」

 

カイン「名前は忘れたがボタンをかけ違えた男だ」

 

カインが言っているのは内通者であったゾルギーノ・ドラジェの事であろう。

 

隆太「そんな人いたかなぁ」

 

あかり「カインお兄ちゃんってチャラそうな見た目なのに意外と鈍感なんだね」

 

双子の兄妹が思い出せないほど記憶の奥底で眠ってしまう程度の人物という事だ。

 

カイン「この時代の淑女の心はボクにとって理解いし難い。まるで恋のパズル解いているようだ」

 

ゲルマとルナが帰って来た。隆太は二人を見るや否やすくっと立ち上がる。

 

隆太「少し早いですがお昼にしましょうか?」

 

あかり「まだ恭夜お兄ちゃんとサリーお姉ちゃんが帰ってきてないよ」

 

ルナ「お腹空いたね」

 

ゲルマ「マスター達は私用で外出すると言っていたな。恐らく身内に連絡でもしているのだろう」

 

カイン「それにしても遅すぎないか?」

 

ライナ『フフフ、祖国に帰っちゃったんじゃない?』

 

あかり「私達を置いて?ひっどーい!」

 

隆太「さすがにそれはないよ」

 

ルナ「愛の逃避行だね」

 

ゲルマ「どこへ行こうがオレなら見つけられるがな」

 

カイン「それ以前にあんな前時代的な髪型をした女は多くないみたいだし、隠れようがないさ」

 

ライナ『アンタ達、サリーの陰口を叩いてると斬られちゃうわよ』

 

明らかに異様な空気に一同は黙ってしまった。あかりがぐるりと面々の顔を凝視している。

唐突に言い放った。

 

あかり「あたし達以外に誰かいるの?」

 

()()、目を逸らした。



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溶け合う心

母『みんな元気にしてるの?ちゃんと食べてる?』

 

恭夜「大丈夫だよ。俺は何もしなくてもサリーが全部やってくれるから――」

 

恭夜は公衆電話の外で待っているサリーをチラッと見た。声が外に漏れているわけではないが機嫌を損ねぬよう慎重に言葉を選ぶ。

 

母『いつまでも頼ってばかりじゃ双子ちゃんにも見捨てられちゃうんじゃない?』

 

恭夜「わかってる。母さんもあまりパソコンばかり見てちゃダメだよ」

 

母『はいはい、どうせサリーに言わされたんでしょ?本当にサリーはお母さんの思いの優しい――』

 

恭夜「おーい」

 

母『何よ』

 

恭夜「そういえばさ、アンドロイドの遠隔操作プログラムだっけ?そのデータって解析終わってるの?」

 

母『遠隔操作プログラムの解析なんてとっくに終わってるわよ。どうしたの?アンドロイドを海にでも沈めちゃったの?』

 

恭夜「沈めてやろうと思ったことは何度もあるけど……」

 

母『そんなにイライラしないで。たくさん大変なこともあると思うけど、サリーに協力してあげなさい。あなたの事をちゃんと考えてくれる女の人なんてサリーぐらいしかいないでしょ?』

 

咳払いをしようとしたが喉の奥でつっかかってしまった。決まらない返事はするものの声が少し裏返る。恥ずかしさで頬を赤らめた。

 

母『何むせてるのよ。それより気になってた事があるのよ』

 

恭夜「サリーに代わる?」

 

母『ダメよ。サリーに心配かけられないわ』

 

恭夜「俺ならいいのかよ」

 

母『あなた達が日本を発った後にね、私に会いに来た人物がいたのよ。その後ぐらいかしらねぇ、データの入ったUSBを無くしちゃったのよ』

 

恭夜「無くしちゃったって……バックアップはあるんでしょ?」

 

母『もちろんよ!いつでも開けるわよ!』

 

恭夜「いや、今開かなくてもいいよ」

 

母『でもね、あの……なんだったかしら?エマチャン()・プログラム?』

 

恭夜「緊急予防(エマージェンシー)・プログラムのこと?誰だよエマチャンって」

 

母『そうそう!それよ!そのエマージェンシー・プログラムの解析が進まないのよ!』

 

恭夜「自我形成プログラムのパスワードならずっと前にサリーが解いたじゃん」

 

母『その後よ!もう何が何だか……開いてみたらまるで戦場の地図なのよ!』

 

恭夜「意味わかんない。難解な文字や記号が多いってこと?」

 

母『あっ!戦場の地図っていうのはね。ナポレオンの字の汚さを比喩した表現よ!この前お見舞いに来た時にサリーに教えてもらったの!ウフフ』

 

恭夜「あっそ」

 

母『サリーはそこにいるの?』

 

恭夜「いるよ。それよりさぁ、母さんに会いに来たっていう人って誰?」

 

母『姿は見てないのよねぇ。けど聞いたことのある声だったのは確かなのよ。う~ん……』

 

母に会いに来る人物などそうそういない。だからこそ恭夜聞かずににはいられなかったのだ。当てずっぽうで誘導してみる。

 

恭夜「その声ってさ、機械音とかしなかった?」

 

母『してたかも』

 

恭夜「会話はした?」

 

母『ちょっとだけね。あの人のファイルを見せてほしいって言われたのよ』

 

恭夜「ファイルはあるの?」

 

母『あるわ。ちゃんと返してもらったもの』

 

恭夜「ファイルは渡したのに姿を見ていないって……」

 

母『変よね?どうしてかしら?』

 

恭夜は会話を終え電話を切った。軽い胸騒ぎに鼻を擦る。外に出るとサリーが腕を組ながらしかめっ面で立っていた。

 

サリー「お母さんは元気だったか?」

 

恭夜「お母さん?あ、うん。元気過ぎて怖いぐらいだったよ」

 

サリー「そうか」

 

恭夜「サリー、スマホ持ってるよね?隆太に電話してほしいんだけど」

 

サリー「構わないが用件は何だ?」

 

恭夜「えーと……『先に飯を食っててくれ』って」

 

サリー「たったそれだけか?隆太なら気が利くし、わざわざこっちから言う必要もないだろ」

 

恭夜「ダメ?」

 

サリー「……まあいい」

 

スマホを取り出し耳に当てる。十秒、二十秒、三十秒……サリーはスマホを耳から遠ざけかけ直す。胸騒ぎがますます酷くなる。

四十秒、五十秒、六十秒……隆太は出ない。

 

サリー「どういう事だ?」

 

恭夜「帰ろう。誰もいなくなる前に」

 

サリー「あかりと隆太の身に何かあったのか?恭夜は知っているのか?」

 

恭夜「それを確かめたいんだ」

 

サリー「水族館はどうする?恭夜が言い出したんだぞ」

 

恭夜「ごめん、また今度にしよう」

 

サリー「まあ、日本に帰れば桜が見れる頃合いだ。今回は許してやろう」

 

恭夜「サリー、いつも俺のそばにいてくれてありがとう」

 

サリー「お、おい。急にそんな……まるで死に急いでいるみたいで気味が悪い」

 

恭夜「怖いんだ。サリーがいなくなるのがさ」

 

サリー「私がいなくなる?私がいなくなったらどうする?」

 

恭夜「だからずっとそばにいてよ。サリーには今まで辛いことや苦しい思いをさせてきたから。今度は俺が全て引き受けるよ。どんな汚い手を使ってもどんな卑劣な手段を使ってでも俺はサリーのそばにいるから」

 

サリー「それではストーカーだ。私がストーカー嫌いなのは恭夜だって知っているはず」

 

恭夜「じゃあ騎士になるよ。これで大好きな人を守られる」

 

サリー「フッ。だが、ただの平凡な騎士じゃ誰も守れない。恭夜ならどんな騎士になる?」

 

恭夜「それなら命知らず騎士にでもなろうかな」

 

サリー「なれるものなら――なってくれ」

 

二人はボロゾフ邸に向かって駆け出した。手を繋ぐ影がはっきりと伸びる。太陽は二人の未来を照らすようにさんざめく。



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逆心の傭兵

恭夜「な、なんだよ……これ……」

 

ボロゾフ邸に駆け込むと血と埃の臭いが立ち込める。大広間の奥で誰かが倒れているようだ。室内は荒らされており、あかりと隆太の姿は見当たらない。それどころか見知った人物に遭遇した。

 

シェリーヌ「これは唯城様、ラングニック様。お戻りになれたのですね」

 

サリー「名を名乗った覚えはないのだが……」

 

シェリーヌ「お言葉ですが、人の敷地内に土足で入られるような方達が発言する権利はないと思われますが?」

 

サリー「うっ!そ、それは……申し訳ない」

 

恭夜「俺達が言うのもなんだけど昨日いなかったはずのメイドさんはどうして――」

 

シェリーヌ「使用人の任を解かれてしまいましたので気分転換を兼ねて旅に出ようと思っていたのですが、少々気になることがございましたので引き返して来たのでございます」

 

サリー「ならばこの惨状は一体……」

 

?「うっ……うぅ……」

 

恭夜はうめき声のする方へ歩く。倒れていたのはカインのようだ。

 

恭夜「カイン!何があったんだ?」

 

カイン「やられたよ……」

 

サリー「やられた?あかりと隆太はどうした?」

 

カイン「連れ去られた……と言えばいいかな?」

 

恭夜「誰に?」

 

カイン「……ゲルマだ」

 

サリー「!?」

 

恭夜「遅かったか……」

 

カイン「ゲルマは誰かに操られたようにボクやルナに牙を剥いたんだ。大剣があれば時間稼ぎぐらいは可能だったんだけどね……でもキミの顔付きを見るにどうやら『鍵』を掴んでるようだ。なら、すぐ跡を追うといい。ルナが追尾しているから」

 

サリー「だが今からでは追跡するのは困難だ。発信器も付けていないはず」

 

カイン「ボクも意識が朦朧としていたから断片的な情報しか聞き取れなかったんだが、ゲルマはイタリアに向かっているようだ。それ以上の事は何も――」

 

シェリーヌ「奇遇ですね」

 

三人の会話を聞いていたシェリーヌが空気を変えた。

 

恭夜「メイドさん、どんな些細な情報でもいいんでゲルマの居場所を教えて下さい!」

 

シェリーヌ「もちろん、ワタクシもその為にこの場所へ舞い戻ったのでございます」

 

サリー「ならば先ほどの『気になること』というのは――」

 

シェリーヌ「左様でございます。ヘルマン・ラングニック様から皆様にお伝えするよう仰せつかりました」

 

恭夜「ヘルマン・ラングニック?……誰だっけ?」

 

カイン「キミは察しが悪いね。当然サリーの父親だよ。付け加えるとすれば今回の一連に渡る出会いを仕立てた上げた張本人でもあり、キミ達の周りで起きていた事象の黒幕でもあるんだ」

 

恭夜「そんな奴がサリーの父親なのか……」

 

サリー「私はそんな男を父親と認めた訳ではない」

 

シェリーヌ「更にサリー・ラングニック様に伝言がございます。お聞きになりますか?」

 

サリー「ヘルマンという男は私個人に因縁があるようだが、あかりと隆太の方が気がかりだ。聞かせてくれ」

 

シェリーヌ「承知しました。では――」

 

ワシの名はヘルマン・ラングニック

しかし、この名は真の名ではない

又の名を『ホットスパー』

かつてこの世界で引き起こされた長きに渡る戦乱、百年戦争を()()()()()騎士の異名である

とある野望を達成すべくこの時代に舞い降りた

心を充たすは我が娘の奪還と時を超越する絵画を手中に収めることである

我が本願を叶えるべく『二つの星』は預かった

返してほしくば『剣闘士の聖域』へ来るがよい

 

恭夜「『二つの星』ってあかりと隆太の事だよな?」

 

カイン「ボクの知る百年戦争であれば、十四世紀の人物ということになるが……」

 

シェリーヌ「ワタクシには夢物語にしか思えないのですが……」

 

サリー「何故、あの男はこの伝言をあなたに託したんだ?」

 

シェリーヌ「ワタクシが直接お会いした訳ではなく、ロボットのような外見の男性からお耳にしたのです」

 

カイン「ロボット?ゲルマみたいな屈強な物体が他にもあるというのか?末恐ろしい世界だ」

 

恭夜「別のアンドロイド……もしかして――」

 

サリー「ああ、すぐ向かおう」

 

カイン「待つんだ!どこに向かう?」

 

恭夜「イタリアだよ」

 

サリー「ローマにあるはずだ。その剣闘士の聖域が――」

 

シェリーヌ「屋上にヘリを用意しております」

 

三人はカインを残してヘリに乗り込む。ヘリは暴風を起こしながら上昇した。見上げた空の太陽の光は存在感を失っていく。薄暗い雲が遮り雨が降りだしそうな空模様だ。

ヘリが向かう先はローマにそびえる円形闘技場、『剣闘士の聖域』である。

カインはヘリを見送るとボロゾフ邸から姿を消した。



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剣闘士の聖域

円形闘技場周辺は昼過ぎにも関わらず、人の気配もそこにいた形跡もない。まるで円形闘技場だけ異世界に飛ばされでもしたかのような人里から隔絶された空間を創出している。

腰まで伸びるポニーテールをなびかせ常に持ち歩いている愛刀から水が滴り落ちる。自我と理性を失い機械に心を取り込まれた傭兵の眼球は青い光を帯びる。

鋼鉄の檻に二つの星。つまりあかりと隆太が囚われてるのだ。手を握り合う双子の表情には不安と恐怖が入り交じっていた。

 

ルナ「ゲルマ、どうして?」

 

ゲルマは呼び掛けに応えない。

 

あかり「ゲルマお兄ちゃん、壊れちゃったの?」

 

隆太「大丈夫だよ……きっと」

 

双子の声がか細くなる。

ゲルマは空を見上げ視線をルナに戻すと駆け出した。ルナは剣先をゲルマに向ける。しかし、動こうとしない。

 

あかり「ルナお姉ちゃん!」

 

隆太「逃げてください!」

 

拳がルナの顔めがけて襲いかかる。過去にも同じような経験していたルナは軌道を完全に見切った。体勢を立て直し刀を斜めに振り下ろす。ゲルマは水の刃を睨みつけた。青い光が水の刃と衝突する。闘技場に雨が降った。

 

あかり「ど、どうなってるの?」

 

隆太「夢でも見てるのかなぁ……」

 

ゲルマが握り拳をつくりルナに向けてつき出す。狙いを定めるように首を傾けた。拳が飛んでくる、そう確信したルナはゲルマに向かって突進した。

 

ゲルマ「グッ――」

 

狂気の弾丸が発射された。射線を読み切り肩を掠める。空気が抜けるような音がする。ルナは躊躇うことなく刀を振り上げた――。

その時だった。横腹に凄まじい衝撃を受け地面をピンポン玉のように跳び跳ねた。拳がブーメランのように返ってきたのだ。

 

ルナ「!?」

 

受け身を取れないまま壁に叩きつけられた。

 

ルナ「うっ!」

 

あかりと隆太はあまりにも痛々しい光景に目を瞑ってしまう。

 

ルナ「くうぅ……」

 

腹部を押さえながら下半身に力を入れる。その目から光は消え失せていない。

だが、無情にもゲルマが目の前に立ちはだかる。

 

ルナ「ゲルマ……」

 

あかり「ゲルマお兄ちゃん!もうやめてぇぇぇ!」

 

隆太「ルナさん!逃げてください!」

 

ゲルマは静かに見下ろしている。

 

ルナ「恭夜……」

 

ライナ『大丈夫、もうすぐ来るわ』

 

ルナ「え?」

 

ライナ『ごめんなさいね。ずっとゲルマに問いかけてたんだけどワタシの声も届かないの』

 

ルナ「私は諦めない。だから諦めないで」

 

ライナ『フフフ、わかってるわよ――』

 

ゲルマ「!?」

 

ルナはゲルマの()を見つめた。ゲルマの表情が微妙に変化した。ライナはそれを見逃さなかった。

 

ライナ『ゲルマ!ワタシの声が聞こえる?』

 

ゲルマ「……ア……」

 

ライナ『良かった、完全には取り込まれていないようね』

 

ゲルマ「ラ……イ……ナ……」

 

ルナ「ゲルマ!」

 

ライナ『ゲルマ、ワタシね――』

 

ゲルマ「グヮァァァ……」

 

突如、ゲルマは頭を抱え出した。異常をきたしたアンドロイドは修羅の如く手のひらを振り上げた――。

 

ライナ『ゲルマ!ダメェェェ!!』

 

恭夜「――うおぉぉぉ!!」

 

上空からの雄叫びにゲルマはピタッと動きを止めた。瞬時に状況を把握し後方に逃げた。

するともう一人、上空から舞い降りてくる。どうやら恭夜とサリーがヘリから飛び降りたようだ。

 

恭夜「ルナ、大丈夫?」

 

ルナ「うん。ありがとう、恭夜」

 

ライナ『間に合って良かったわね!白馬の王子様が空から助けに来たわよ!』

 

ルナ「えっ――」

 

ルナは顔を真っ赤にしてしまった。当の恭夜はあかりと隆太を探していて、それどころではなかった。

 

サリー「ゲルマ、貴様どういうつもり――」

 

ゲルマはその場を去ろうとしているヘリを観察している。あろうことかヘリに狙いを定めた。

 

恭夜「お、おい!ゲルマ、ふざけんな!」

 

サリー「そのヘリにはシェリーヌ・カルピンスキーが乗っているのだぞ!」

 

ゲルマの眼光から青い光線が伸びていく。上空へ放たれたレーザーはヘリを貫いた。小さな爆発音を響かせプロペラから煙が上っていく。コントロールを失ったヘリは急降下し市街地に墜落した。激突音が地面を震わせる。

 

ルナ「お、おば様!?」

 

サリー「ゲルマァ!キサマァ!」

 

恭夜「てめぇ……自分が何したかわかってんかよ!」

 

ゲルマ「女神ノ存在ヲ否定スルモノハ排除スル」

 

ルナ「え?」

 

ライナ『ゲルマ、お願い!ワタシの声を聞いて!』

 

ドラジェ「無駄ダヨ」

 

あかり「今、誰が喋ったの?」

 

ヘルマン「無駄だと言ったのだ」

 

隆太「こ、今度は違う声だ!」

 

檻の横から機械姿のドラジェが現れる。皇帝席にはヘルマンが座っていた。かなり年季の入った甲冑が長きに渡って戦い抜いた激動の時代を物語っている。年老いた姿には不釣り合いだが、威厳があり体から溢れ出る闘争心が闘技場の空気と一体化していく。



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スカイスクレイパー

『ホットスパー』が集めたはずの絵画が見当たらない。

どこかに隠している。空間が歪んでいくような錯覚すら起こさせているからだ。絵画はこの闘技場のどこかにあるのだろうか?

ヘルマンは笑みをこぼし立ち上がった。

 

ライナ『おじ様、やっぱり――』

 

恭夜「あの人が……サリーのお父さん?」

 

サリー「話してもらう。父であるあなたが私の前に現れた理由を」

 

ヘルマン「久々に大勢の観衆を目の当たりにして少々ワシも興奮しておる。サリー、まずはお主の質問に答える前にワシの過去を知ってもらわねばならん」

 

サリー「あなたの伝言は聞いた。百年戦争で戦死したはずのあなたが何故この時代にいるのか答えてもらおうか」

 

ヘルマン「ワシは先の戦乱で落命する運命にあった。じゃがワシは女神の神託を受け新たな生を受けたのだ。事実ワシはここに存在しておる」

 

サリー「女神だと?」

 

ヘルマン「ルナというおなごに取り憑いておる。ライナ、そこにおるのだろ?」

 

サリー「ライナ?まさか……」

 

ライナ『サリー、あなたにワタシの声が聞こえてる?』

 

サリー「だ、誰だ!?」

 

ライナ『ここよ』

 

サリーはルナの方を振り返った。これが二人の初めての出会いだ。

 

ライナ『やっと……届いたわ』

 

サリーは状況を飲み込めていないようだ。ライナは聖母のような笑みを浮かべている。

 

恭夜「『コスモス』を描いたライナ・リゲイリアだよ」

 

ヘルマン「そして女神の加護を受けたワシは一七世紀の神聖ローマ帝国に行き着いたのだ」

 

恭夜「一七世紀ってゲルマとカインがいた時代だよな?」

 

ライナ『ええ……そうよ』

 

サリー「そんな嘘やでまかせを信じるのか?」

 

恭夜「えっ?」

 

ライナ『信じてもらえないかもしれない。でも、ワタシやおじ様が遥か昔から来たのは本当よ』

 

ヘルマン「証拠なら見せても構わんよ。サリー、お主がワシについてくるというのであればな」

 

サリー「時を越える、とでも?」

 

ライナ『嘘じゃないわ!おじ様はあの絵を使って時代を飛び越えて来たのよ!』

 

恭夜「あの絵ってそんな力があるのか……」

 

サリー「例えその話が真実だとしても私はあなたを受け入れるわけにはいかない」

 

ヘルマン「いいのかね?そこの『二つの星』が命を落とすことになるが?」

 

ドラジェが檻に近づく。

 

サリー「あかり!」

 

恭夜「隆太!」

 

ライナ『そんな……』

 

ヘルマン「お主等に選択肢はありはせん」

 

サリー「恭夜……私は……」

 

恭夜「俺はもうサリーを離したりしない」

 

ヘルマン「ほう?恫喝にも尻込みせぬとは」

 

ライナ「でも、どうするつもり?雨が降るのを待つの?」

 

恭夜「どんな手を使ってでも俺の『家族』を返してもらう!」

 

ヘルマン「仮面の若造よ。威勢はいいが視野が狭くては深傷を負うことになる。そこにワシの優秀な傭兵がおるのだ!行けぇい!我が手足となりてその魂を捧げよぉぉぉ!!」

 

声高らかに右手を天にかざす。静けさを保っていたゲルマが恭夜に向かって突撃した。

 

ライナ『ルナは動けないわ!本当に大丈夫なの?』

 

恭夜「アンドロイドの相手は慣れてるから――」

 

サリーは戦意を喪失したようだ。ルナから遠ざけるためゲルマを引き付ける。

 

恭夜「目ぇ覚ませ!ゲルマァ!」

 

ゲルマ「アクセス不可。聖域ヘノ侵入者ハ排除スル」

 

恭夜は壁際に追い込まれた。ゲルマは容赦なく剛腕を振りかぶる。壁にピタリと張りついた恭夜目掛けてジャブを食らわす。見慣れた一撃をギリギリまで引き付け首を傾けた。拳は壁にめり込む。すっぽり嵌まってしまいゲルマを釘付けにした。

 

恭夜「手加減してんじゃねぇぇぇ!!」

 

すぐさまゲルマの死角に回り込み右足を撃ち込む。

 

ゲルマ「ググッ……!?」

 

更に左足で追い撃ち。

 

ゲルマ「グガッ――」

 

二発目が脇腹を抉るとゲルマは宙に舞った。放物線を描きながら闘技場の中心部へ落下する。恭夜は落下地点で待ち構えた。ゲルマに受け身を取る暇はない。恭夜は身を翻し、靴の爪先が天を()する。落下速度に合わせ右足を叩き込んだ。

渾身の一撃にゲルマは体全体を振動させる。凄まじい衝撃波が闘技場に伝染した。回路のショートする音が唸っているようだ。

 

恭夜「見たか!これがスカイスクレイパーだッ!」

 

興奮するあまり叫んでしまった。アドレナリンがドバドバ出ているのだろう。

 

ヘルマン「フン!役立たずめ!」

 

ドラジェ「僕ナラ、避ケレタヨ」

 

体を軋ませながら揺ったりとした動きで立ち上がる。表情は変わらない。

 

ライナ『もうやめて!ゲルマ!』

 

ゲルマは真横に拳を突き出す。恭夜は拳の先を見て戦慄した。

 

恭夜「サリー!?」

 

ルナ「うそ!?」

 

ヘルマン「やはり欠陥品だったか!?」

 

ドラジェ「サリー嬢!?」

 

ヘルマンもドラジェも動揺を隠せない。サリーは峻巡していたのか、目を見開いたままその場を離れようとしなかった。

 

恭夜「卑怯だぞ!ゲルマァァァッ!!」

 

心臓が時を刻むように鼓動する。足を踏み出した。まだ発射はされない。

恭夜は無我夢中でサリーに向かって走り出す。もう一歩踏み出した。更に一歩……。

ゲルマの時が止まったかのようだ。まさに人形の如く硬直している。

恭夜がサリーの前に立った。すると、ゲルマの剛腕が発射された。

 

サリー「逃げろ。私に構うな」

 

恭夜「言ったでしょ?今の俺は命知らずだ」

 

強がりを言ったものの避けることが許されない状況で取れる手段は一つしかない。動こうとしないサリーを突き飛ばす。

両腕で顔を覆い盾を作る。これしかなかった。

狂気の弾丸が両腕を強襲する。人から発せられたものとは思えない音と共に恭夜の影が消し飛んだ。青い閃光が脳裏によぎる。壁に打ち付けられ意識も揺らぐ。

 

サリー「お、おい……恭夜?」

 

ルナ「恭夜、起きて!」

 

ライナ『こんなの……こんなのあんまりよ!』

 

恭夜の腕は明らかに折れていた。サリーは抱き抱えると身体中の切り傷は塞がっていく。

ヘルマンは笑みを浮かべた。

 

恭夜「腕の……感覚が……!?」

 

両腕がだらりと垂れ下がった。



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狂心臓

ヘルマン「鉄の塊を生身で受けようとは大した度胸だ。だが、所詮は生身の人間。両腕が使えねば劣勢は覆せぬ」

 

ゲルマ「相当ノ脅威ヲ排除。メンテナンスモードニ移行」

 

ダメージを負ったゲルマは小休止している。

 

あかり「恭夜お兄ちゃん……」

 

隆太「僕達のせいでみんなが……」

 

両腕が折れ上体を起こせない恭夜をサリーとルナが支える。

 

サリー「どうしてこんな無茶な事をしたんだ!」

 

ルナ「サリー、怒らないで」

 

恭夜「腕が使えなくても俺には足がある……」

 

サリー「もういい……もういいんだ」

 

ルナ「サリー?」

 

恭夜「あかりと隆太を見捨てるの?サリーは母さんの想いを踏みにじるのかよ!」

 

サリー「これ以上家族が傷つくのは見たくない。誰も傷つかなくて済むのなら――」

 

ルナ「サリーの心が傷ついてる。恭夜ならサリーの心を癒せる」

 

ライナ『ルナが一番良くわかってるわね』

 

恭夜「俺は絶対死なないよ」

 

サリー「何故そう言い切れる?」

 

恭夜「サリーが……いるから」

 

黙って聞いていたライナが重い口を開いた。

 

ライナ「アナタ、気づいていたの?」

 

恭夜「俺ってたぶん、死なないんだよね?」

 

サリー「この期に及んでふざけるな!」

 

ルナ「最後まで聞いて」

 

ライナ「フフフ、半分正解よ。だってアナタの心臓を治したのはワタシだもの」

 

サリー「治した?」

 

ルナ「恭夜は病気だったの?」

 

ライナ「ええ、ワタシに出会わなければ恭夜は既に死んでいたの。あの日恭夜は『コスモス』に触れてワタシと出会ったの。そして、アナタの心臓の一部にワタシの魂の一部を吹き込んだのよ」

 

恭夜「じゃあ、俺が死なない理由ってライナのおかげ?」

 

ライナ「ちょっと違うわ。サリーの強い願いがナイフを通してワタシと共鳴したのよ」

 

サリー「ナイフ?それはおかしい。私が恭夜の心臓から引き抜いたのはこの刀だぞ」

 

ルナ「ナイフが刀になったの?」

 

ライナ「サリーの恭夜を守りたいという願いが奇跡を起こしたの。その証拠にその刀は『月』の力を扱える。それはサリーの好きな満月のイメージが刀に力を与えたのよ」

 

ルナ「うん!」

 

ライナ『それだけじゃないわ。恭夜の心臓は時間を――』

 

ヘルマン「ヌハハハ!!」

 

皇帝席にふんぞり返っていた甲冑の男が笑い出す。

恭夜とサリーは笑い声に胸を締め付けられた。

ルナが皇帝席を睨む。

 

ヘルマン「まさに女神の思し召し。全ては偶然ではないのだよ。そしてこれらの事実は我に新たな選択を委ねたのだ」

 

サリー「や……やめてくれ……」

 

ヘルマン「サリーよ、この世界からお主の存在が抹消された瞬間、仮面の若造よ……分かっておるな?」

 

恭夜「ああ」

 

ルナ「恭夜?」

 

ドラジェ「教エテアゲルヨ。サリー嬢ノ魂ガ、コノ世界カラ、欠ケタトキ、貧乏人ノ魂ハ、死ヌノサ」

 

あかりと隆太は言葉を失う。

 

ヘルマン「つまるところ、サリーよ。お主にもともと選択権はなかったと言うわけだ。『二つの星』か、『仮面の若造』か。好きな方を選ぶが良い」

 

兄妹の命と恭夜の魂が天秤にかけられた。サリーの顔から生気がなくなる。恭夜は何度も呼び掛けた。

 

ヘルマン「たとえ『仮面の若造』選んだとして、『二つの星』は家族に会うことも出来る。天国で待つあの愚かな夫婦にのう」

 

恭夜の黒目が小さくなる。身体中から怒りが込み上げた。

 

恭夜「やっぱりあんたの仕業だな!星宮博士達を飛行機事故に見せかけて殺したのか!」

 

ヘルマン「ヌハハハ!ハッハッハ!」

 

あかり「ママとパパは事故じゃなかったの?」

 

隆太「あの人に……殺された?」

 

ライナ「なんて酷いことを!おじ様、答えて!」

 

ヘルマン「この世界で行われていたある計画に興味をそそられたのだ。肉体から魂を切り離し機械に乗せ保存する。そして残された肉体に可能な限りの延命治療施す。これこそが魂の保全計画(コモンソウル・プロジェクト)。アンドロイドと呼ばれる人形は魂の器そのものなのだ」

 

恭夜「だけど、アンドロイドの中にはゲルマの魂が入ってる」

 

ライナ「ええ」

 

ヘルマン「ワシは唯城恭一朗に接触を図ろうとしたのだが、何故か既にこの世を去っていた。星宮夫妻は遺志を継ぎ研究を続けていてな、ワシはその人形を譲るよう接触したのだが彼等は拒んだのだ。全く融通の利かぬ者達だ。思い出すだけで苦虫を噛み潰したくなるが――」

 

恭夜「そうか!遠隔操作プログラムか!」

 

ルナ「えんかくそうさ?」

 

ヘルマン「さすがは天才科学者の息子というわけか。勘が冴えておる」

 

恭夜「あんたは遠隔操作プログラムを悪用して飛行機を墜落させた!そして博士達から設計図を奪ってゲルマを操っていたんだな!」

 

ヘルマン「人形を渡さぬ強情な星宮正晴は天罰を受けたのだ!あの男は『死ぬ事を怖れない』などと抜かしおったわい!片腹痛いわ!」

 

残酷な真相を聞かされたあかりと隆太は泣き出してしまった。

 

恭夜「父さん、星宮博士……」

 

ライナ「ごめんなさい。ワタシにもっと人を救える力があったら……」

 

ルナ「ライナは悪くない」

 

恭夜「ヘルマン・ラングニック。あんた、俺の母さんにそこのアンドロイドをよこしただろ」

 

ドラジェが恭夜を見て頭をもたげる。

 

ヘルマン「ご名答。既に解析させてもらっているぞ。この緊急予防(エマージェンシー)・プログラムとやらを」

 

手には何かが握られている。USBだ。

 

恭夜「くっ……!?」

 

ヘルマン「我が下僕よ。このプログラムとやらは厳重なのかね?」

 

ドラジェ「コノ、エマージェンシー・プログラムニハ、一ツノロック、一ツノ認証ヲ、必要トシテイマス」

 

ヘルマン「二重に鍵がかかっておるか。厄介な。だが、それも時間の問題ではある」

 

恭夜「俺達だって解析出来なかったんだ。簡単に解析されてたまるか!」

 

ルナ「ロック?認証?」

 

ライナ「暗号みたいなものかしら?」

 

ドラジェは電子音を奏でながら、

 

ドラジェ「ロックノ解除、完了。タダチニ凍結シマス」

 

ヘルマン「そうか。ならば我が手足よ!いつまで休んでおる!」

 

ゲルマは佇んでいる。

 

恭夜「ロックが使えなくっちまった」

 

ライナ「ダメなの?」

 

恭夜「ゲルマの自我は遠隔操作プログラムに抑え込まれてる。遠隔操作を無効に出来るのはエマージェンシー・プログラムしかないんだ」

 

ヘルマン「さぁ、どうするかね?」



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震えて沈む

昼過ぎだというのに空は不気味なほど暗い。分厚い雲が太陽の光を遮っているからだ。

 

サリー「私は……私は……どうすればいい?」

 

恭夜「何もしなくていいよ」

 

サリー「それでは恭夜が……」

 

恭夜「俺がサリーも、あかりも、隆太もルナも、母さんも守る。だから何もしなくていい」

 

サリーは恭夜の肩にもたれ掛かり泣き出した。恭夜の右目に(ひず)みが生まれる。白と黒の境目が無くなった。

 

恭夜「何度でも言うよ。ずっと俺のそばにいてよ」

 

恭夜の右目とサリーの左目が共鳴するように色を変えていく。黒目と白目が反転した。まるで夜空に輝く満月そのものだ。

 

ゲルマ「メンテナンスモード終了。新タナ驚異ヲ認識。警告スル、コノ場ヲ立去レ」

 

ライナ『立ち去れなんて、()()()らしくないわ』

 

ルナ「ゲルマ?」

 

恭夜「サリー、ルナ、俺に考えがあるんだ」

 

サリーは涙を拭い顔を上げた。

 

サリー「――私は出来ない」

 

恭夜「俺は絶対に諦めない」

 

サリー「その腕ではゲルマに太刀打ち出来ないと言っているのだ」

 

恭夜「足がある。思いっきり蹴っ飛ばしてやる!」

 

サリー「足が使えなくなったら?」

 

恭夜「頭を使う。人間死ぬ気になれば何でも出来る!」

 

サリー「フン!物は言いようだな」

 

ライナ『サリーに笑顔が戻ってきたわ!やっぱり恋の力は侮れないわね』

 

ルナ「うん!」

 

サリーとルナは恭夜の口元に耳を近づける。二人は呆れた表情で顔を見合わせた。だが、すぐに表情はほぐれた。

ゲルマはヘルマンの指示を待っているのか静観している。

 

ヘルマン「これぞ背水の陣。この状況を打開できる手段は皆無だがね」

 

恭夜はゆっくり立ち上がる。前に一歩踏み出す。両腕に激痛が走った。

 

恭夜「――うっ!?」

 

ゲルマ「ソレ以上……来ルナ……サモナケレバ……」

 

恭夜「二人共、頼んだよ」

 

サリー「ああ」

 

ルナ「大丈夫」

 

チャンスは一度しかない。恭夜達は覚悟を決めた。ここで仕留めなければ後がない。

 

恭夜「首を洗って待ってろよ!ゲルマ!」

 

全力で走る。思うように腕が振れずスピードが出ない。ゲルマが左腕を引き付ける。恭夜は臆することなく飛びかかった。ゲルマの肘が砲台のように上向く。拳は脇の下を掠めた。

 

恭夜「ぐぅぅぅッ!!」

 

ゲルマは怯むことなく右拳を打ち込んだ。拳は逆の脇を通り抜けた。

 

恭夜「うわぁぁぁ……!?」

 

出せる力で両腕を挟む。あまり激痛に意識が飛びかけた。ゲルマは膝を着く。

 

恭夜「がはぁ……はぁ……はぁ……」

 

ゲルマ「警告した……はずだ……ここを去れと……」

 

恭夜「何だよ……ちゃんと……聞こえてるじゃねぇか……」

 

ゲルマ「ずっと……ライナが……俺に呼びかけていた……」

 

恭夜「なんだ……遠隔操作は……完全じゃないってことか……」

 

ゲルマ「だが、俺も限界だ……これ以上は意識を保てん」

 

恭夜「安心しろ……今、楽にしてやる……」

 

ゲルマ「ああ、感謝する。そして、あかりや隆太をオレの代わりに守ってやってくれ」

 

恭夜「ハッ、バカじゃねぇの……」

 

ゲルマ「なんとでも言うがいい」

 

恭夜「お前も家族を守るんだよ――」

 

ゲルマ「オレは……守れなかったんだ……ライナも……カインとの約束も」

 

恭夜「これから――」

 

ゲルマ「これから?」

 

恭夜「果たせばいいだろうがぁッ!!!」

 

ゲルマ「ああ、そうだな」

 

青き眼光に赤みが混ざり合う。恭夜は大きく息を吸い込み地面を蹴り上げた。ゲルマの体を坂道を駆け上がるように蹴り上がる。

ゲルマの上体がのけ反った。恭夜の体が宙を舞う。ゲルマが視線を戻すと二つの影が迫っていた。二本の刃は水分を巻き上げ光の粒子と融合する。かと思えば相互に反発し合い全ての物質を歪曲させ命の輝きは臨海点に達した。

 

ルナ「その首――」

 

サリー「捻斬(ねじき)る!」

 

ゲルマは目を瞑り両手を目一杯広げる。二本の刃は傭兵の首を真正面から討ち取った。

 

ゲルマ「見事だ……」

 

刃を引き抜くと首が傾き始めた。一陣の風が吹く。生首が落ちコロコロと転がる。

 

ライナ『ゲルマ!』

 

恭夜はうつ伏せで倒れている。体をもぞもぞさせながら、ゆったりとした動きで再び大地を踏みしめた。

 

ヘルマン「称賛に価する。仮面の若造よ、その散り様しかと見届けたぞ」

 

恭夜「アンタの目は……節穴かよ……」

 

ヘルマン「その体で何が出来る?瀕死の重病人と同じではないのかね?」

 

恭夜「黙れよ。俺の『家族』を傷つけたアンタは絶対に許さない」

 

ヘルマン「言葉に気を付けたまえ。まだ結末は迎えておらんよ」



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ライナの叫び 轟け、天馬の名よ

ゲルマの生首が目を開けた。

 

サリー「やはりコアを破壊しなければ完全には止められないか」

 

ライナ『コアって何?』

 

サリー「自我を形成するための頭脳のようなものだ」

 

ライナ『そんな事したらゲルマはどうなるの?』

 

ヘルマン「この世を去ることになるであろうな」

 

ゲルマ「その前にヘルマン・ラングニック。オレは貴様に一矢報いる必要がある」

 

ヘルマン「減らず口を。その体たらくで何が――」

 

ゲルマ「この頭脳には博士達の想いが詰まっている!貴様はそれを踏みにじったのだ!恥を知れ!」

 

ヘルマン「ワシに説教するか。傭兵の分際でなんと愚かしい」

 

ゲルマ「ならば教えてやろう。この頭脳に込められた博士達の遺産をな!」

 

ヘルマン「なに!?」

 

恭夜「もしかしてエマージェンシー・プログラムの――」

 

サリー「起動を可能にする方法があるというのか?」

 

ゲルマ「その『鍵』は……ライナ、お前が持っているはずだ」

 

ライナ『ワ、ワタシ!?そんなの知らないわよ!恭夜なら持ってるんじゃ――』

 

恭夜「俺が持ってたのはロックを解除するパスワードだけなんだ」

 

ゲルマ「あと一つは認証だ。簡単な話だ。オレが大切していたもの。それを答えればいい」

 

ライナ『ゲルマが大切していたもの?』

 

ドラジェ「エマージェンシー・プログラムノ、解析終了。認証方法ノ検索結果ハ……声紋認証」

 

サリー「フッ、なるほど」

 

ヘルマン「な、なんだと!?」

 

恭夜「声紋認証って声で解除出来るってことかよ」

 

ライナ『声ってワタシの声ってこと?ワタシ、ゲルマの大切なものが思い出せないわ!』

 

ゲルマ「落ち着け。すぐに答えを出そうとするな。認証は一度しか出来ない。このチャンスを逃せば二度とお前を救えなくなる」

 

ライナ『ゲルマは答えを知ってるんでしょ?なら教えなさいよ!』

 

ゲルマ「オレの声でその言葉を口にしたらプログラムだけでなく、コアが記憶したデータが消去されるように設定されている」

 

ヘルマン「お、おい!人形め、さっさと声紋認証とやらを封印せんか!」

 

ドラジェ「了解シマシタ。暫クオ待チクダサイ」

 

恭夜「ヤバイぞ!あのストーカー野郎を止めないと!」

 

サリー「わかっている!」

 

ヘルマン「動くでない!」

 

サリー「チッ!」

 

ヘルマンは拳銃を取り出し檻に銃口を向ける。

 

ヘルマン「静かにしておれ」

 

ライナ『何で?何で思い出せないの?』

 

ゲルマは空を見上げた。薄暗さが和らいでいく。

 

ドラジェ「凍結準備中……凍結開始。残リ三分」

 

ライナ『うるさいわね!ちょっと黙ってなさいよ!』

 

恭夜は空を見上げた。時が経つのは早い。橙色の空に様変わりしていた。

 

ゲルマ「女神は圧政に苦しむ民を救おうと楽園へと導く。右手は自由を説き、左手は平和を謳う」

 

サリー「その詩は……」

 

恭夜「自由と平和を愛する女神は民衆を解放し先導者になった。しかし、民衆は抗い革命を起こした。そして()しき国家は打倒された」

 

ルナ「私も覚えてる」

 

ゲルマ「民衆は自ら手にした自由と平和を謳歌した。ところが人間にとって余りある自由は民衆を狂わせた」

 

あかり「すごーい!心に入ってくるよ!」

 

恭夜「見境のない自由は他の人々の自由を奪い、いつしか平和は打ち砕かれた。そして矛先は女神に向けられる」

 

隆太「何でだろう?不思議だね」

 

ゲルマ「混沌に染まった民衆は女神の両腕を切り落とす」

 

ヘルマン「ぐぬぅ……」

 

恭夜「女神は悲しみのあまり人間を見捨て天界へと旅立つ」

 

ライナ『思い出したわ……』

 

ドラジェ「残リ十秒」

 

ライナ『お願い!ゲルマを救って!――』

 

ドラジェ「五、四、三――」

 

ライナ『コスモス!』

 

風向きが変わった。ゲルマの青き眼光が消え赤みを帯びていく。胴体が倒れた。

 

ゲルマ「ヘルマン、残念だったな。博士達が仕込んだバグがまさか、この瞬間の為に仕組まれていたとは信じられないだろう?」

 

ヘルマン「お……おのれぇぇぇ!!」

 

恭夜「や、やった!?」

 

サリー「上手くいったのか?」

 

ルナ「ゲルマ、お帰り」

 

ライナ『ちょっと待ちなさいよ!ワタシの声なんていつ録音したの!?』

 

ゲルマの胴体が起き上がる。生首を掴みガッチリと嵌め込む。

 

ゲルマ「相変わらず頭の悪い女だ」

 

ライナ『悪かったわね。どーせ、ワタシは……』

 

ゲルマ「まだ泣くな。全て説明する。星宮博士は唯城恭一朗博士の遺志を継いでプロジェクトの研究を続けていた。その間に星宮博士はあの『コスモス』の絵画に触れ、お前に出会ったんだ」

 

ライナ『その時に録音したって言うの?』

 

ゲルマ「博士を見くびり過ぎだな。星宮正晴博士はお前の声を聞き、記憶だけを頼りに声紋認証プログラムを作成していたんだ。誰にも知られずにな」

 

サリー「星宮博士はこの事態を見通していたのか?」

 

ライナ『でも……良かった……』

 

ヘルマン「ヌハハハ……」

 

恭夜「急に笑い出すんじゃねぇ」

 

サリー「まだ笑う余裕があるのか」

 

ヘルマン「素晴らしい情熱だ。言い換えれば狂気と言えよう」

 

ゲルマ「貴様の小細工は二度も通用しない。次は仲間でも呼ぶか?小心者に従う部下などいるとは思えないがな」

 

ヘルマンは手のひらを空に向けた。空間が歪み裂け目が生まれる。

 

ヘルマン「この手は出来れば使いたくは無かったのだが致し方ない。ワシに歯向かったことを永遠の時の中で悔いるが良い」

 

裂け目から三枚の絵画が出てきた。

『コスモス』だ。

 

サリー「やはり……隠していたか」

 

ライナ『ゲルマ……』

 

ゲルマ「さっきまでの威勢はどこにいった?」

 

ライナは今にも泣き出しそうな表情で絵画を見つめる。

ヘルマンは絵画に手を潜り込ませた。中から引きずり出した。楕円形の影が徐々にハッキリしてくる。

 

ヘルマン「コレこそが我が切り札。月に照らし出された刀とは対になり、数々の歴史に干渉してきた魔剣――」

 

禍々しい剣が降臨する。刀身はありとあらゆる生物の生気を吸いとろうとしているようだ。

恭夜達の周辺に霧が立ち込み始めた。



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絡み合う運命 我が心は愛しき娘と共に

闘技場内に霧が広がりヘルマンの姿を目視できないほど濃くなった。

 

ゲルマ「魔剣を所有しているという事はカインに一度譲り渡したのも貴様か?」

 

ヘルマン「だったら何だというのかね?」

 

主の声が魔剣へ伝わり観客席に反響する。まるで観客が歓声を上げているようだ。

 

恭夜「あの魔剣ってカインのものじゃなかったのか」

 

サリー「霧が濃すぎる。ルナの力でどうにか出来ないか?」

 

ルナ「だめ。私の刀が反応しない」

 

ライナ『おじ様が霧を発生させているの?』

 

ヘルマン「厳密に言えばワシの能力ではない。この長物こそが風を吹かせ、巨岩を砕き、幻を映す魔剣なのだよ」

 

ゲルマ「幻を映す……俺はあの日、不可思議な光景を目の当たりにした」

 

ルナ「ゲルマも魔剣を持っていたの?」

 

ゲルマ「オレは皇帝軍の傭兵として獅子王の軍勢を相手にしていた。そして、この霧が雌雄を決する勝因になった」

 

サリー「地の利を生かしたというわけか」

 

ヘルマンはせせら笑う。

 

ゲルマ「いや、霧が……」

 

恭夜「霧がなんだよ」

 

ゲルマ「動いたのだ。獅子王の軍勢を包み込むように」

 

ライナ『それって魔剣が霧を操っていたってこと?』

 

ヘルマン「リュッツェンの会戦で勝利した皇帝軍はプロテスタントとの一連の戦争でも勝利を収め、三十年戦争は幕を下ろしたのだ」

 

ゲルマ「やはりこの世界は間違っていたようだ」

 

サリー「どういう意味だ?戦争で勝ってはならなかったとでも言うつもりか?」

 

ゲルマ「歴史が変わってしまったのだ。獅子王の死が()()通りかは分からない。だが、オレがリュッツェンを生き抜くことで歴史が歪められてしまったのかもしれない」

 

ルナ「それでもゲルマは生きてる」

 

ヘルマン「残念だが本来の()()()ではゲルマという傭兵はリュッツェンで戦死するはずだったのだよ」

 

ゲルマ「ヘルマン・ラングニック、貴様はその魔剣を他の人間に託そうとしたことがあるのか?」

 

ヘルマン「獅子王に話を持ちかけ魔剣の力を試そうと思っていたのだ。門前払いされてしまったがね」

 

恭夜「俺、なんとなく分かるよ。その獅子王とかいう人の気持ち」

 

ライナ『恭夜と共通点なんか何もないじゃない』

 

ヘルマン「ほう。なかなかどうして好奇心を掻き立てる若造だ。いち早くこの魔剣に生き血を吸わせたいものだ」

 

サリー「この霧では身動きが取れない。どうすれば――」

 

ゲルマ「魔剣は意思を持っている。オレの考えが正しければ所有者は必ずしも同一の人間とは限らないはず」

 

ヘルマン「戯れ言を。何を根拠に――」

 

ゲルマ「現にカインはこの時代で魔剣を振るっている」

 

恭夜「しかも風を起こしてたしな」

 

ヘルマン「ならばこの霧はどう説明するのかね?当然、ワシが引き起こしているという他ない」

 

ゲルマ「貴様がいくらほざこうが魔剣は意思を持っている。魂に呼び掛ければ自ずと真実が見えてくる。さぁ、目覚めてもらおうか――真の『ホットスパー』」

 

ゲルマは濃霧の中、魔剣に向けて呼び掛けた。すると、魔剣は呼応するかの如く『聖域』を揺さぶった。

 

?「誰だ……私の名を……呼ぶのは……」

 

すると霧が晴れ始めた。

 

ライナ『おじ様の声?……にしては弱々しいわね』

 

?「おお!……やっと……やっと……会うことが叶った!……私の娘、サリーよ」

 

サリー「な……」

 

ライナ『えっ!?』

 

恭夜「サリーって言ったのか?」

 

ルナ「うん」

 

ゲルマ「オレの考えが正しかったようだな」

 

ヘルマン「ぬっ!やるではないか。よもや『真のホットスパー』を見破るとは」

 

恭夜「『ホットスパー』が二人?」

 

ライナ『もうわけが分からないわ!』

 

?「君達はかなり取り乱しているようだ……お詫びしよう。私の名はこの男と同じ異名を持つ『ホットスパー』。真の名はヘンリー・パーシーだ」

 

サリーは呆然としている。魔剣から魂が具現化した。 ヘルマンと同じ背丈、容姿の男だが、かなりやつれている。

 

ヘルマン「久々のシャバの空気はどうかね?」

 

ヘンリーと名乗る男は恭夜達を見下ろしている。

 

恭夜「サリー……」

 

ヘンリー「驚かせてしまったようだ。私は魔剣に宿る魂なのだ。今や長い年月で経て肉体を失ってしまったが、こうして表に出でこれたのだ。感謝しよう、ゲルマ」

 

ゲルマ「オレは博士の遺志に従ったまでだ。感謝するなら仲間……いや、『家族』にすればいい」

 

ヘンリー「サリー、このような形で再会することになって不本意だが、君の成長した姿を垣間見れて私は幸せだ」

 

ライナ『ヘンリーと言ったかしら?どうして魔剣なんかに魂を宿しているの?』

 

ヘンリー「自ら進んで魔剣に命を捧げる者はいない。私はこの男に言いくるめられ魔剣の糧になってしまったのだ」

 

恭夜「同じ人間が二人いるなんてあり得るのか?」

 

ヘンリー「それについても説明しなければいけない。私はこの『世界』とは別の世界の人間、結論から言えば並行世界の人間なのだ」

 

サリー「並行……世界?」

 

ヘンリー「ヘルマンという男とヘンリー・パーシーという人間は不可分一体。同一人物なのだ」

 

ライナ『並行世界ってワタシ達の住む世界とは異なるの?』

 

ヘンリー「外観は同じでも、似て非なるものと感じる者もいる。国家観や価値観に差異はあるものの本質は同じだ」

 

恭夜「サリーはこの世界の人間じゃない……?」

 

サリー「私は……一体……」

 

ライナ『どうしてアナタがそういうこと言うのよ!』

 

恭夜「でも、あの人は嘘をついてないと思うんだ」

 

ヘルマン「肉体を持たぬ者の言葉を信じるとは、なんと浅はかな」

 

ゲルマ「欺瞞に満ちた貴様の言葉より信ずるに価するがな」

 

ヘンリー「私は百年戦争で死ぬはずだった。ところが最期の日、私は夢を見た。そこにヘルマンと名乗る男が現れた」

 

ヘルマン「死の未来を回避する為、ワシはヘンリーに取引を持ちかけたのだ」

 

ヘンリー「魔剣を用いれば死の未来を回避出来ると。そして、私は生き長らえることに成功した」

 

ゲルマ「それだけでは今この状況の説明がつかない」

 

ヘンリー「そして時が経ち、サリー。君が産まれた」

 

ヘルマン「歴史が変わった事で本来産まれるはずのない命が誕生したのだ。ワシがいなければ、サリー・ラングニックはこの世に存在せぬのだ」

 

サリー「私は……存在を……許されない?」

 

恭夜「それは違うよ。絶対に違う」

 

ルナ「サリーはサリーだよ」

 

ライナ『悲観的なっちゃダメよ。過去があるから今があるの。サリーは自分の意志でこの世界で生きてきたんだから、もっと胸を張らなきゃダメよ』

 

ヘルマン「しかしながらヘンリーという男は余りある幸福を手にした事で、ワシと手を切りたいと申し出たのだ。まさに契約の反故(ほご)というべき愚かな行為だ」

 

ヘンリー「理解していたんだ。歴史を変えてしまえばこの先どのような悲惨な未来が待っているのか。それでも私は……」

 

ヘルマン「それがこの有り様だがね」

 

ゲルマ「契約を破った事で魂を魔剣に吸われたと?」

 

ヘンリー「誤った行動には誤った結果がついてくる。全て保身の為といえ因果応報だ」

 

夕陽で染まっていた空が色を変える。間もなく夜を迎えようとしていた。



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天使の涙 魔を制する歯車となりて

恭夜「ライナが俺と出会った時にサリーに初めて会ったんだけど……」

 

ライナ『ワタシが意図したものじゃないわ』

 

ヘンリー「君が絵に触れた事でライナの魂と魔剣が共鳴し、サリーをこの世界へ導いた。結果としてヘルマンから娘を引き離すことが出来たのだ」

 

ゲルマ「ヘルマン、貴様はサリーの魂を絵画に取り込もうと画策していたか?」

 

ライナ『そうなの?おじ様』

 

ヘルマン「ヌハハハ!サリーの魂を取り込めば時間跳躍は完全なものとなる。過去や未来だけでなく並行世界への干渉も可能となるのだ」

 

恭夜「別の世界の歴史まで書き換えるつもりかよ!」

 

ライナ『ワタシの力は誰かを悲しませるためにあるわけじゃないわ!』

 

ゲルマ「奴の言葉を借りれば並行世界までも混沌に陥れるつもりらしい」

 

サリー「私は誰を信じればいいのだ……」

 

ヘンリー「信じられないのも無理はない。だけどね、思い出してほしいんだ。私との最後の思い出を」

 

恭夜「サリーは確か馬に乗ってたって母さんに聞いたけど」

 

サリー「あれは記憶障害だと聞かされたが」

 

ヘンリー「そうだ。君は私と共に馬を走らせていた。それしかないんだ。私がサリーの父親である事を証明するのは」

 

サリー「記憶は間違っていなかった?」

 

ちっぽけな記憶をたどる。温もりが甦り実の父との対面に言葉をつまらせた。必死に涙を見せまいと目頭を押さえる。

 

ヘルマン「感動の再会も果たし役目はもう充分ではないかね?」

 

サリー「何をする気だ!?」

 

ゲルマ「まさか!?」

 

ヘンリー「気にする必要はない。私は長い時間生かされ続け心も体も朽ち果ててしまった。もうこの世に未練はない」

 

ヘルマン「潔い男だ。さすがはもう一人の騎士だ」

 

ライナ『そんな……せっかく再会出来たのに……』

 

ヘンリー「仮面の騎士よ。今まで私の代わり娘を守ってくれて心から嬉しく思う」

 

恭夜「そんな事よりサリーと話をしてくれ。伝えたい想いがたくさんあるはずだから」

 

サリー「父上、私は――」

 

ヘンリー「親としての責務を全うできなかったのが唯一の心残りだ。それでも君のような騎士がそばにいれば私のような存在はもはや必要ないだろう」

 

恭夜「俺が言いたいのは――」

 

ヘンリー「君が真のホットスパーだ。これからも娘を宜しく頼む」

 

ゲルマ「意志は固いようだな」

 

ルナ「サリー?」

 

サリー「嫌だ……行かないで……父上!」

 

ヘルマン「無情ではあるが裏切り者は粛清せねばならんな。何か言い残す事はないかね?」

 

ヘンリー「それならば敢えてもう一人の『私』に言わせもらう」

 

ヘルマン「ほう、何かね?」

 

ヘンリー「黒太子(こくたいし)エドワードのように多くの戦果を挙げたとしても、ジャンヌ・ダルクのように救国の英雄として祭り上げられたとしても、生きて何かをなし得なければ人々の追憶の中で存在する意義はない」

 

ヘルマン「もっともだ」

 

ヘンリー「お前はどうだ?何かを成し遂げたか?救国の英雄でもなければ、悪政に立ち向かった革命者でもない。そんな存在価値すら持ち得ないお前にあの騎士達を否定する権利はない」

 

ヘルマン「言わせておけば調子に乗りおって」

 

ヘンリー「私の存在を消したければ消せばいい。歴史を歪ませ、未来を改変するお前に英霊達は容赦しない」

 

ヘルマン「否定ばかりしおって、そんなに消されるのが怖いか?」

 

ヘンリー「フッ」

 

ヘルマン「何が可笑しい?」

 

ヘンリー「命知らず騎士が死を怖がるというのは可笑しな話。もとよりお前は騎士ですらない事を恥るべきだ」

 

ヘルマン「当たり前だ。ワシは女神の力、魔剣、魂を乗せる装置――すなわちこれらの三種の神器を用いて真の世を創生する。それこそが我が使命」

 

ヘンリー「面白いそうだ。目に浮かぶよ」

 

ヘルマン「ヌハハハ!今さら命乞いとは女々しい奴め!」

 

ヘンリー「お前が常に孤独なのを想像してな」

 

魔剣を握る手に力が入る。ヘルマンの表情は憤怒に満ちている。どうやら怒りを買ったようだ。

 

ヘルマン「さらばだ。もう一人のホットスパー。時の牢獄で己の行いに打ちひしがれながら朽ち果てるがよい」

 

ヘンリーの身体が消え始めた。光の粒子となり天へと舞い上がる。

 

サリー「父上!」

 

ライナ『やめて!おじ様!』

 

ヘンリー「サリー、君の未来は自身の手で切り拓くのだ」

 

サリー「父上……」

 

ヘンリー「この男をのさばらせておけば、この美しい世界(そら)は震えて沈んでしまうだろう」

 

恭夜「教えてくれ。俺達はどうすればいいんだ?」

 

ヘンリー「この世界の人間ではない私が意見する権利はない。君達が感じるがまま、思うがまま歩んで行けばいい」

 

ゲルマ「悔いはないのか?」

 

ヘンリー「後悔なんてものすら……感じる事はない……」

 

サリー「父上、愛しております……」

 

ヘンリー「私もだ……サリー……君は一人じゃない……立派な騎士達が……心の支えに……なってくれるのだ」

 

サリー「はい……」

 

ヘンリー「仮面の……騎士に……身を……委ねればいい」

 

サリー「さようなら……父上……」

 

ヘンリー「生きとし……生ける……全ての……者達に……女神の……加護……あ……れ……」

 

ホットスパーの分身は露と消えた。

 

サリー「父上!!」

 

恭夜は崩れ落ちるサリーに寄り添う。

 

ゲルマ「ヘンリー・パーシーの言葉、胸に深く刻んだ。安らかに眠ってくれ」

 

ライナ『酷すぎるわ……人が幸せを望んで何が悪いのよ……』

 

ヘルマン「惜しい人柱を亡くしたものだ。ワシの指示を黙って聞いていればこのような結末を迎えなかったのだが」

 

ゲルマ「言いたい事はそれだけか?」

 

ヘルマン「この状況で減らず口を叩くか。勝機があるとでも言うのかね?」

 

ゲルマ「もう忘れたのか?魔剣は所有者を選ぶ。ヘンリー・パーシーの魂が消滅した以上、貴様に力は使いこなせない」

 

魔剣が意思を持ちヘルマンの指から離れようとしている。

 

ヘルマン「な、何故だ!?何故ワシの意に反するのだ!?」

 

ゲルマ「魔剣は時代によって新たな所有者を選択する。そして、その所有者はお前でもなければ、オレでもカインでもない」

 

ヘルマン「小賢しい真似を!」

 

ゲルマ「マスター、今こそ『鍵』を使う時だ」

 

恭夜「『鍵』はもう使えないよ」

 

ゲルマ「いや、『鍵』は今しか使えない」

 

ルナ「恭夜はサリーの騎士」

 

ライナ『そうよ!アナタが『家族』を守らないで誰が守るっていうの?』

 

恭夜「よく分かんないけど……」

 

ゲルマ「魔剣も(あるじ)の声を求めている。『コスモス』のようにな」

 

恭夜「声?……そうか!」

 

魔剣はヘルマンの手をすり抜け宙を漂う。

 

ヘルマン「血塗られし魔剣如きがぁッ!!!」

 

恭夜「俺に力を貸してくれ!――『ホットスパー』!」

 

魔剣は闘技場を飛び出し夜空を舞った。雲が晴れ月が顔を出す。月明かりに照らされた魔剣は回転し始め、闘技場の中心部目掛けて落下し始めた。空気抵抗をものともせず急降下し地面に突き刺さる。地面に突き刺さった魔剣の刀身は大部分が隠れてしまった。

恭夜は両腕が骨折しているが魔剣に近づいていく。

 

ヘルマン「汚い手で触れるでない!」

 

銃口を恭夜に向けて引き金を引いた。弾丸は魔剣が作り出した異空間に飛び込む。

ゲルマ達は驚嘆した。

 

ヘルマン「こんな、こんなはずが……」

 

ライナ『でも恭夜の腕は折れてるはずじゃ――』

 

ルナ「うん」

 

ゲルマ「見ていれば分かる」



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夢にたゆたう人々 女神の翼に抱かれて眠れ

恭夜は魔剣の前に立った。地鳴りがする。耳鳴りがする。何かを訴えかけているようだ。折れていた両腕が浮き上がる。

 

恭夜「うおっ!?腕が勝手に――」

 

意識に反して魔剣に腕が吸い付く。痛みは驚くほど感じない。やんわりと柄を握った。

しかし、重過ぎるのか刀身を引き抜けない。

 

ヘルマン「若造には無用の長物と言うべき代物。ヌハハハ!」

 

ゲルマ「これでいい。これで――」

 

すると闘技場内に設置されていた無数のアーチが開かれた。

ぞろぞろと人影が入場する。

 

ヘルマン「千載一遇の機会が巡ってくるとは――さぁ!我が下僕達よ!ゴロツキどもに引導を渡してやるがよい!」

 

ドラジェのクローンが軍団となって押し寄せる。約二十体のアンドロイドが殺戮マシーンと化した。

 

ライナ『あんなたくさん、ワタシ達だけじゃどうにもならないわ!』

 

ルナ「私が殿(しんがり)をつとめる」

 

ゲルマ「その必要はない。マスターを振り向かせたいのなら最後まで信じ続けろ」

 

ライナ『無茶よ!一人じゃなおさら――』

 

ゲルマ「サリーが立ち上がれる状態であればどうにかなったかもしれないが、オレもルナも満身創痍だ。マスターにオレ達の命を預けるしかない」

 

愛する父の死に直面したサリーに戦う気力は残されていない。恭夜は魔剣を引き抜こうと躍起になっているが、びくともしない。

ドラジェ軍団が押し寄せる。

 

ドラジェA「コノ聖域ヲ」

 

ドラジェB「侵シタ」

 

ドラジェC「全テノ生物ヲ」

 

ドラジェD「末梢スル!」

 

ゲルマ「魔剣は真の王に対する忠誠の証。力を示してやれ!その牙で!」

 

恭夜の脳裏に風のイメージが流れ込んだ。無数の気流が魔剣に集まる。

 

恭夜「大地よ――裂けろ!」

 

魔剣が恭夜の声に応えた。時間と空間を支配し、あらゆる制約を無力化する。

 

恭夜「皇伝刃風斬(カイザー・クラック)!」

 

引き抜かれた魔剣は巨岩を根こそぎ薙ぎ払う。同時に巨大な風の渦が刃となりドラジェ軍団を飲み込んだ。

 

ドラジェ「グキャギャギャ……!?」

 

竜巻のような暴風が四肢を切り裂き次々に首が転げ落ちる。風の刃はあかりと隆太の檻を直撃した。無惨にも鉄屑の山となったが、双子は頭を押さえながら縮こまっている。風は意思を持ち適格に獲物を屠っていく。ドラジェの残骸は天高く舞い上がり、鉄の雨は闘技場全体に降り注いだ。

 

恭夜「はぁ……はぁ……」

 

ルナ「すごい」

 

ライナ『たった一回振っただけで全部バラバラにしちゃうなんて……』

 

ヘルマン「ワシとした事が、なんたる失態だ!」

 

ゲルマ「つぐつぐ運に見放されてるな。同情の余地はないがな」

 

ヘルマン「かくなる上は最後の手段を使わざるえまい」

 

ライナ『もうこれ以上、醜い姿を晒さないで!おじ様!』

 

ゲルマ「いや、奴の手の内は全て把握した。残された手段があるとすれば――」

 

ヘルマン「決着は次の機会としようか。まあ、お主らに次は無いがね」

 

ゲルマ「逃げる気か?」

 

ヘルマン「戦争を知る人間ならば、それを戦略的撤退と呼ぶのだ」

 

恭夜「屁理屈ばかり言いやがって!てめぇはこの魔剣で――」

 

ゲルマ「怒りに身を任せて剣を振るうな!その魔剣は怒りを増幅させ心を蝕んでいく」

 

恭夜「くっ……」

 

ゲルマ「マスターは役目を果たした。奴は俺の手で必ず始末する」

 

ヘルマン「人間には寿命というものがある。ワシは百年後の世界にでも旅立つとしよう」

 

ライナ『旅立つって……まさか、また時を越えると言うの?』

 

ゲルマ「芸の無い男だ」

 

ヘルマン「百年後に飛び越えたとしてもお主らは生きていまい」

 

ゲルマ「愚直な発想だが――」

 

ライナ『ここで止めなきゃヘンリーの願いが潰えちゃうわ!』

 

ヘルマン「たとえ魔剣を用いたとしてもワシを止める事は出来んがね」

 

体が絵画に融け込んでいく。

 

恭夜「父さん、星宮博士、力を貸してくれ……」

 

ゲルマは手のひらの穴をまじまじと見ている。ヘルマンを殺めてしまうことも厭わないようだ。

 

ヘルマン「これでお別れだ。全ては女神の思し召し。指を加えて見ているがよい」

 

ゲルマ「これが使えれば――」

 

女神と目があった。ライナは愛す者にしか見せないような笑顔をつくる。ゲルマは心の奥底に秘めた女神(ライナ)の決意を悟った。

 

ゲルマ「絵画を消滅させればヘルマンの思惑を食い止められる。だが、それでライナはどうなる?」

 

ライナ『ワタシはみんなの思い出の中で生き続けるわ。だから後はお願いね』

 

ルナの体から淡い光が抜ける。強烈な光が絵画に飛び込んだ。

 

ヘルマン「な、何の真似だ!?」

 

ゲルマ「ライナ?」

 

ヘルマンは頭と手足以外を絵画に残したたまま身動きが取れなくなる。時空と現実の間に挟まれた。まるで磔のイエス・キリストだ。

 

ヘルマン「ワシに何をした!?ライナ!?」

 

ライナ『もうやめてよ!おじ様!どうしてワタシの気持ちを理解してくれないの?』

 

ヘルマン「何を言っておるのだ!お前はワシの為に力を使えばいいだけの話ではないか!」

 

ライナ『嫌よ……そんなの……人を悲しませるために使われるのなら……消えてしまった方がましよ』

 

ゲルマ「絵画さえ無くなってしまえば全てを終わらせられる。オレは――」

 

恭夜「絵画を消すってライナはどうなるんだ?」

 

ルナ「そんなのダメ!」

 

ライナ『いいの。ルナはワタシの友達よ、だから強く生きてね』

 

ヘルマンはライナの覚悟に血の気を失った。

 

恭夜「こんな終わり方、誰も望んでないよ……ライナはこれから幸せにならなきゃ……」

 

ライナ『嬉しいこと言ってくれるのね……ゲルマに言ってほしかったなぁ……』

 

ゲルマ「演技でもない。お前は迷っている。でなければそんな涙は流さないだろうからな」

 

恭夜「サリー、聞いてる?」

 

サリー「ああ……」

 

ライナ『サリー、アナタのことを想ってくれる人がたくさんいるんだから泣いてばかりいちゃダメよ』

 

サリー「ライナは私の、心の底から敬愛する女神だ」

 

ライナ『ワタシが女神ならアナタは天使ってとこかしら?』

 

サリー「天使か。天使ならあかりと隆太で十分だ」

 

ゲルマ「気持ちの整理はついたか?」

 

ライナ『いつでも……』

 

恭夜「ゲルマはそれでいいのか?せっかく会えたのにこんな最後で」

 

ルナ「ゲルマは泣いてる」

 

サリー「魂が泣いているか」

 

ゲルマ「これでも傭兵だ。人の死を悲しむ余裕はない」

 

ライナ『ゲルマ、アナタに会えて本当に良かった』

 

ゲルマはライナの愛と悲哀が入り交じった表情を脳裏に焼き付ける。

 

ライナ『大好きよ……ゲルマ』

 

ゲルマは両手を広げ絵画に向けた。照準を合わせた絵画の背には満月が輝く。

あかりと隆太が固唾を飲んで見守る中、ライナの言葉が虚しく響いた。

 

ライナ『さようなら……』

 

ゲルマ「これは別れではない!お前を必ず見つけて救い出してやる!だから待っていろ!」

 

ゲルマの両手に暖かい光が集まる。凝縮されたエネルギーは腕を通して熱を帯びる。

ライナは頬を涙で濡らしながら女神らしい姿で微笑んだ。

 

ヘルマン「ワ、ワシにはまだやれねばならんことがあるのだ!こんなところで死ぬわけには――」

 

ゲルマ「悔い改めるがいい!己の罪深さを!欲望にまみれた人生はオレの手で消し炭にしてやる!」

 

ヘルマン「おのれぇぇぇ!!傭兵風情が粋がりおってぇぇぇ!!」

 

ゲルマ「万全な備えが憂いを断つ、ただ一つの方法だ。この言葉はオレを育てた父、ヴァレンが好んで使っていた言葉だ」

 

ゲルマ「その憂いを今!この聖域で!汚れた魂ごと打ち砕く!女神(ライナ)の翼に抱かれて眠るがいい!」

 

両腕に溜められたエネルギーは満月へと放たれた。エネルギーは光の柱となり絵画を包みこむ。ヘルマンは断末魔を上げるが熱波と轟音がかき消す。

 

ライナ『みんな――元気でね』

 

光の柱が夜空を貫ぬいた。そして流れ星のように儚く消え光の欠片が町中に降り注ぐ。暖かな風と共に恭夜達を覆っていく。ヘルマンが着ていた甲冑だけが残り静かな時間だけが流れた。

何とも言えない喪失感と悲壮感だけが残ってしまった。

女神の面影を偲びつつ、恭夜達は夢の中をたゆたうのであった。



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たとえあなたがいなくとも

サリーは三日三晩、恭夜の胸の中で涙を枯らした。ライナがいなくなった実感はない。まだそばにいるようなそんな気がした。ボロゾフ邸で恭夜達が身支度をしていると、ある人物が訪ねてきた。

 

カイン「話は聞いたよ。どうりで皆暗い表情をしているわけだ」

 

隆太「カインさんは今までどこにいたんですか?」

 

カイン「ある人物に会いにウィーンへ向かっていたんだ。それとこれはボクからの気持ちさ」

 

持参したレモンティーの葉とエクレアを手土産と言わんばかりに隆太に手渡す。

包帯姿の恭夜が現れると顔を引きつらせた。

 

カイン「やけに痛々しい格好をしているね。黒いマスクと相まって仮装しているようにしか見えないな」

 

恭夜「ゲルマなら外出してるぞ」

 

カイン「今は止めとくよ。気まずいからね」

 

あかり「あたし達だって辛い思いしてるのに……」

 

カイン「そうだった。すまない」

 

隆太「大丈夫ですよ。僕達は明日からまた一つ屋根の下で暮らせるんですから」

 

恭夜「下ばかり向いちゃいられないからな。花見もしなきゃいけないし」

 

カイン「ボクが来たのは杞憂だったようだ。ゲルマとサリーには時間が必要だと思うがキミ達がいれば心配ないだろう」

 

あかり「カインお兄ちゃん、会いに来てくれてありがとう!」

 

カイン「礼には及ばないさ。キミ達にはゲルマとライナが世話になったようだからお礼をさせてほしい」

 

隆太「そんな気を遣わないで下さい」

 

カイン「キミ達はボクが責任を持って日本までお送りしたい」

 

恭夜「そういえば帰る方法まで考えてなかったな」

 

カイン「キミはどこまで場当たり的なんだ。それでサリーを幸せに出来るのか?」

 

あかり「何言ってるの?恭夜お兄ちゃんはあたしと隆太お兄ちゃんも幸せにしてくれるんだよ!ね?」

 

隆太「え?僕も?」

 

恭夜「もちろん。二人が大人になるまで面倒を見るつもりだよ」

 

カイン「キミ達の事情にこれ以上は口出しはしない。この『世界』はキミ達の世界だ。それじゃ、また後で落ち合おう」

 

隆太「もう帰るんですか?レモンティー、一口も飲んでないですよ」

 

カイン「所用を思い出したんだ。それでは失礼するよ」

 

あかり「じゃあねー!」

 

カインははにかみながら出ていった。

 

恭夜「相変わらず忙しい奴だなぁ」

 

景色が変わり六人はカインが待っているという空港に到着した。ロビーで待っているとカインとシェリーヌが出迎える。

 

サリー「シェリーヌ・カルピンスキー!?無事だったのか!?」

 

シェリーヌ「ええ、幸いにも怪我は大した事はありません。サリー様も大変辛い思いをされたとお聞きしましたが、立ち直られたようで安心しました」

 

ゲルマ「ご婦人には大変申し訳ない事をした」

 

シェリーヌ「お気になさらず。ゲルマ様のご事情も小耳に挟んでおります」

 

恭夜「でもどうしてここに?」

 

シェリーヌ「唯城様もそのマスクが鼻に馴染んだようで」

 

恭夜「いやぁ、もう外せないですよぉ」

 

あかり「見慣れてきたよね」

 

隆太「それでも周りの人の目が痛い」

 

シェリーヌ「あかり様も隆太様も一回り大きくなられましたね」

 

ルナ「おば様……」

 

シェリーヌ「ワタクシはルナ様とは無関係の人間でございます。あなたは自らのご意志でボロゾフ様の元を巣出ったのです。これからはルナ様ご自身の足で世界を見て下さいね」

 

ルナ「うん、おば様」

 

シェリーヌ「それと先ほどの唯城様のご質問にお答えしましょう。ワタクシはあのローマでの一件でボロゾフ様に救われたのです」

 

ルナ「え?」

 

ゲルマ「ボロゾフ氏を裏切った貴女を助けただと?」

 

シェリーヌ「はい。ワタクシはヘリを市街地に墜落させ警察や野次馬に取り囲まれていまいました。そこに颯爽と現れ事を収めて頂いたのでございます」

 

カイン「ボロゾフ氏は弁護士だ。執り成しに関しては申し分なかったということさ」

 

恭夜「心の底まで腐り切ってたわけじゃないってことか」

 

あかり「なんか詐欺だよね」

 

隆太「弁護士だけにね」

 

サリー「それだけとは思えんが……」

 

シェリーヌ「どうやらヘルマン・ラングニック様に絵画を奪われた一件で大変憤っておられました。オークション会場での皆様の行動に思うところがあったのでございましょう。私見ではございますが後悔の念に駈られているご様子でした。ですが、事を収めて頂いた代わりに『ご依頼』を承りましたので皆様にお伝えしましょう」

 

ルナ「依頼?」

 

シェリーヌ「ボロゾフ様は皆様に『引導を渡してこい』と仰られました」

 

隆太「えぇ!僕達、これからインドに連れてかれるんですか!?」

 

あかり「毎日カレーなんて嫌だよぉ!」

 

恭夜「主食はナンでもいいぜ!」

 

カイン「見事な連携だ」

 

ルナ「ふふふ、面白い」

 

ゲルマ「引導を渡すということはオレ達に復讐すると?」

 

サリー「ならばこの場で叩き斬るまで」

 

シェリーヌ「これはボロゾフ様のご冗談でございます。もちろんワタクシめも皆様のご帰宅を阻止しに来たわけでもありません」

 

ゲルマ「ボロゾフ氏の本心は何だ?」

 

シェリーヌ「『もしお前達が警察の世話になった暁には、弁護を引き受けてやる――』」

 

あかり「やったー!これで安心して暮らせるね!」

 

隆太「ダメでしょ!警察のお世話になったら!」

 

サリー「シェリーヌ氏の伝言には続きがある」

 

ルナ「うん」

 

シェリーヌ「『だがなこれだけは覚えておけ!吾が輩の六法に無罪という文字は無いぞ!』」

 

恭夜「それって弁護士としてどうなの?」

 

カイン「この世界にはそんな六法があるのか!?なんて事だ!これから世界中の淑女を集めようと思っていたのに!」

 

サリー「どういう理屈なんだ?」

ゲルマ「世界中の淑女は集めてナニをするのか気になるところだが」

 

あかり「ここに素敵なレディがたくさんいるのにやらしいこと言わないでよ!」

 

サリー「男どもはやましい心しか持ち合わせていないようだな」

 

シェリーヌ「全くでございます。もう少し女心を勉強なさった方がよろしいかと存じ上げます」

 

恭夜「ゲルマとカインがいると風紀が乱れるんだよなぁ」

 

シェリーヌ「ワタクシは唯城様にも申しております」

 

恭夜「へっ!?お、俺!?」

 

サリー「恭夜もまだまだ子供だな」

 

隆太「兄さん、一緒に頑張ろうね!」

 

あかり「何で隆太お兄ちゃんが嬉しそうなの?」

 

シェリーヌ「それではワタクシはこの辺で失礼します。最後にルナ様――」

 

ルナ「おば様?」

 

シェリーヌ「人生は一度きりしかございません。後悔はなさらぬよう、女性としての幸福をお掴み下さいね」

 

ルナ「……はい」

 

シェリーヌに見送られフランスを後にする。行き先は日本ではない。向かう先はロシア、ウラジオストクだ。



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想いは届く

一行は最後の経由地ロシア、ウラジオストクに舞い降りた。

 

恭夜「飛行機もたまには悪くないなぁ」

 

サリー「あかりと隆太は怖くなかった?」

 

隆太「怖くないと言ったら嘘になります」

 

あかり「でもパパとママがあたし達に勇気をくれたから、もう何も怖くないよ」

 

カイン「健気だね。恭夜とサリーが心の支えにしたくなるのも頷ける」

 

ゲルマ「気になっていたのだが――」

 

ルナ「ゲルマ?」

 

ゲルマ「カインはいつまで見送るつもりだ?」

 

カイン「もうすぐ目的地だ。そこまで案内したらボクの役目は終わりさ。心残りはあるが……」

 

サリー「まだ何か企んでいるのか?」

 

あかり「もしかして一緒に住みたいの?」

 

隆太「カインさんなら大歓迎ですよ!」

 

カイン「キミ達と行動すると中々気まずくてね。気持ちだけ有り難く受け取っておくよ」

 

ルナ「気まずい?」

 

恭夜「水臭い奴。ここぞとばかりにカッコつけやがって」

 

カイン「キミがいるからだ」

 

サリー「喧嘩でもしたのか?」

 

ゲルマ「悩んでいるとお見受けする。吐き出せる時に吐き出さなければ、ライナがオレ達に与えた『今』という時間を失なってしまうことになる。失われた時間はもう返って来ない」

 

ゲルマ「ゲルマ、元気出して」

 

カイン「恭夜、ボクはキミに謝罪しなければならない」

 

恭夜「初めて会った時のことか?あれぐらいの傷ならすぐ直るから気にすんなよ」

 

カイン「ボクはキミを二度、殺そうとしたんだ」

 

あかり「えぇぇぇ!」

 

隆太「どうしてですか!?」

 

サリー「聞き間違いか?私が聞かされたのはナイフの件だけだ」

カイン「キミは溺れた経験をしているだろう?」

 

ルナ「えっ?」

 

恭夜「お、おい!まさかカインがフェリーから突き落としたのかよ!?」

 

ゲルマ「それもヘルマンの差し金か」

 

カイン「元の時代に戻るためにはヘルマンの命令に従うしかなかったんだ」

 

ルナ「私が助けた」

 

サリー「そうだったのか。ルナには世話になりっぱなしだ。お礼にはならないが今度一緒にバッティングセンターとやらに連れて行ってくれないか?」

 

ルナ「うん!」

 

ゲルマ(ルナの刀は恐らくマスターが溺れた体験によるものだろう。ライナの発言が正しければの話だが――)

 

サリー(恭夜が抱いていた『水』のイメージが刀に具現化したとでも?憶測に過ぎないが私の例もある。とりあえず頭の片隅にでも置いておくか)

 

ゲルマ「何故マスターの命を執拗に狙う必要があった?」

 

カイン「サリーを精神的に追い詰め、この世界に失望させヘルマン自身に従属させたかったのかもしれない。共依存の関係にある二人を分断させるには恭夜を殺害する方が手っ取り早いからね」

 

ゲルマ「結果的に家族の絆を強くさせたのはヘルマンにとって最大の誤算だったわけか」

 

カイン「因果応報さ。いづれボクに神の裁きが下るだろう。二度と……いや、三度同じ過ちを繰り返さないよう肝に命じないと」

 

あかり「ねぇねぇ、溺れた恭夜お兄ちゃんをルナお姉ちゃんを助けたってことは――」

 

ゲルマ「あかり、料理で男の胃袋をつかめという格言があるが、火に油を注ぐ女だけにはなるな」

 

カイン「それは戒めと言えるのか?」

 

隆太「そっか!兄さんはルナさんに人工こ――ぶぶぶ!」

 

恭夜「アハッ!強固な東方を支配せよ~(ウラジオストク)!にっくき東方を支配せよ~!」

 

意味不明な言動と猟奇的な表情で隆太の口を塞いだ。

 

あかり「やめてよ恭夜お兄ちゃん!隆太お兄ちゃんが死んじゃうよ!」

 

サリー「はうっ!?――恭夜ぁぁぁ!貴様ぁぁぁ!」

 

恭夜「サ、サリー!?な、なんで怒るんだよ!?ルナは人助けをしただけで俺は人工呼吸されただけなんだ!それに俺のファーストキスは夢の中、でしょ!?だから刀を俺に向けないでぇぇぇ!!」

 

ルナ「ふふふ。まさにつけ焼き刃、だね!」

 

あかり「ルナお姉ちゃんって小悪魔だよね」

 

隆太「今のサリーさんは鬼にしか見えないけどね」

 

カイン「話が大きく逸れてしまったが許してもらえたのだろうか?」

 

ゲルマ「マスター達から見れば些細な問題に過ぎないということだ」

 

カイン「それとナイフをキミに返せなかった事も謝らなければならない」

 

ゲルマ「墓標にならなかったのはオレにとって悪い結果ではない。それに傭兵としての大義名分もこの時代では意味を成さないだろう。カインが自責の念に駆られているのならオレとしても心苦しいだけだ」

 

カイン「そう言ってもらえると助かるよ」

 

目的地はもうすぐそこまで迫っている。



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世界は繋がっているのだから

船着き場に到着すると久しい人物に出くわした。

 

ドラジェ「や、やあ!」

 

あかり「キャー!生首が喋ったぁ!」

 

ドラジェ「生首?何の話だい?」

 

隆太「お久しぶりです。誰ですか?」

 

恭夜「どんな挨拶だよ」

 

ドラジェ「冗談きついな……僕の事、ゲルマ達なら知っているだろう?」

 

ルナ「女の敵」

 

ゲルマ「盗聴マニア」

 

カイン「独占欲の塊」

 

サリー「全部ストーカーではないか!」

 

ドラジェ「あ、あは……あはは、酷い言われようだ」

 

口と目以外に包帯を巻いている。ミイラになりきっているように見えなくもない。

 

恭夜「どうしてアンタがここにいるんだ?」

 

ドラジェ「サリー嬢に会わせてもらう為に根回ししたんだよ。僕が使える人脈はカインしかいなかったからさ」

 

サリー「カインだと?」

 

カイン「ボクはドラジェと周知の仲だから断る理由はなかったが――何故女性陣は鋭い目付きでボクを睨むんだ?」

 

ゲルマ「カインは知らないのかもしれないが、このドラジェという男はサリーに付きまとっていた。言わば武士フェチ」

 

サリー「誰が武士だ!」

 

ドラジェ「ちょ、ちょっと僕の話を聞いてくれないかい?」

 

恭夜「カインがウィーンにいた理由ってドラジェと会うためだったのか。ていうか日本に帰るのにコイツの船に乗らなきゃいけないのかよ」

 

あかり「カインお兄ちゃんのこと見損なった」

 

カイン「まさかボクが軽蔑されるとは……」

 

ドラジェ「サリー嬢、お話が――」

 

サリー「もう結構だ。私は決心したのだ。あなたと関わる事は二度とない」

 

隆太「少しぐらいは聞いてあげても……」

 

カイン「話だけでも聞いてほしい。それが船に乗せてもらう約束なんだ」

 

ゲルマ「背に腹は代えられないようだ。どうする?」

 

サリー「致し方ない。話だけだ」

 

ドラジェ「それは良かった。それじゃあ場所を変えて二人きりで――」

 

サリー「オイッ!!」

 

ドラジェ「ひっ!」

 

恭夜「チンピラかよ」

 

ルナ「サリー、恐い」

 

あかり「こんな下心が見え見えなのも珍しいよね」

 

隆太「いきなり怒鳴るサリーさんもどうかと思うよ」

 

ドラジェ「ご、誤解だよ!僕はただチャンスが欲しくて……」

 

サリー「チャンス?命だけは助けて欲しいと言いたいのだな。あなたのような安い命などに興味はない。何処へでも行けばいい」

 

カイン「張り切っているようだ」

 

ゲルマ「振り切れているの間違いだな」

 

ドラジェ「実を言うと情報屋の世界から足を洗ったんだ。一から人生をやり直そうと思ってる。それにこの船は全財産をかけて購入したんだよ。それが僕の出来る唯一の償いだからね」

 

ルナ「恭夜と同じ貧乏人だね」

 

恭夜「そっすね」

 

隆太「僕も貧乏人ですよ!」

 

あかり「自慢することじゃないから」

 

サリー「あなたは履き違えている。私は誠実さや正直な心だけを求めているわけではない。私が欲しているのは寄り添う心。人を思いやる気持ちだ」

 

ドラジェ「それも理解しているつもりだよ。僕は人のために役立つ仕事を始めようと思う。だから僕が一人前になった暁には婚約を前提に友達から交際したいんだ」

 

恭夜「コイツ、サリーの話聞いてたのか?」

 

ゲルマ「友達から始めたいのか?はたまた――」

 

カイン「恋人から始めたいのか?はたまた――」

 

ルナ「プロポーズ?」

 

サリー「あなたの気持ちはわかった」

 

ドラジェ「なら――」

 

サリー「出来るものならやってみろ!」

 

ドラジェ「もちろんだよ!サリー嬢!――さぁ!みんな、僕の(いえ)へようこそ!」

 

あかり(サリーお姉ちゃん、あんなこと言って大丈夫なの?)

 

サリー(何を心配する必要がある。あの男の言葉が本当なら私達はお金に困らなくなるんだ。こんな美味しい話はない)

 

隆太(うわぁ……)

 

ルナ(策士だね)

 

ゲルマ(オレ達はヒモになるのか)

 

カイン(さすがにヒモ男にはなりたくないが……なぁ、恭夜)

 

恭夜(誰がヒモ男だ!)

 

ドラジェが購入した小型船は夕陽を受けながら出発した。日本に向けた最後の船旅が始まる。サリーの船酔いは相変わらずのようだ。吐瀉物(としゃぶつ)の虹を海にぶちまけた。

船内は花見の話題で盛り上がる。待ち遠しくて仕方ないようだ。

 

カインはまだ見ぬ世界を求めて旅に出る。

 

ゲルマは二つの星のお目付け役となる。

 

隆太は家族を支える大黒柱となる。

 

あかりは学校生活に身を投じ勉学に励む。

 

ルナはメイドになるべくバッティングセンターに入り浸る。

 

サリーは亡き父の志と共に未来を歩む。

 

そして、

 

恭夜は家族の命知らずの騎士(ホットスパー)として日々奮闘する。

 

ゲルマ「獅子王の気持ちが分かると言ったマスターの真意に問いたい」

 

隆太「シシトウさんはゲルマさんの敵だった人ですよね?」

 

あかり「獅子王だよ隆太お兄ちゃん――見て見て!教科書に書いてある!プロテスタント軍を率いていたんだって。グスタフ・アドルフっていう王様なんでしょ?」

 

ルナ「でも戦争が終わる前に死んじゃった」

 

サリー「私も知りたい。時代も国も相容れない恭夜が獅子王に共感した理由を」

 

恭夜「サリーはいちいち大袈裟なんだ――よっと!」

 

フランスに滞在していた頃から着用していたフェイスガードを外す。まだ不安があるが痛みは全くない。

 

恭夜「神聖ローマ帝国の皇帝も、ゲルマが忠義を尽くしてきたヴァレンとかいう傭兵隊長も、プロテスタントの獅子王もさ、自分達の信じる教義が正義なんだから戦争でもなんだろうが負けないって思ってたはず」

 

ルナ「うん」

 

あかり「ルナお姉ちゃん、わかってるフリしないでよ。魔女狩りされちゃえばいいのに」

 

隆太「そこまで言わなくても……」

 

恭夜「続けていい?もし魔剣があれば自分達を勝利へ導けるってヘルマンが言ったとしても、まず疑うだろうし魔剣に頼らなければ勝てない戦争なんてそもそもしないでしょ?」

 

サリー「ダイナマイトなどの新兵器ならともかく、魔剣は誰が見てもデカイだけが取り柄のない剣としか思ないだろうな」

 

ゲルマ「マスターはカトリックもプロテスタントも信念の上に行動したと言いたいのか?」

 

恭夜「それもあるし……こっからは俺の勝手な推測だけど、獅子王自身が死ぬことでプロテスタント軍の勝利に貢献できるならそっちを選ぶんじゃないかな?」

 

ルナ「でもプロテスタントも負けた」

 

あかり「そうだよ!王様も死んじゃって、戦争にも負けちゃったんだよ!」

 

隆太「踏んだり蹴ったり、ですかね?」

 

サリー「あかりと隆太はまだまだ子供だな。ゲルマの発言を思い出してみろ」

 

ゲルマ「あの日、オレは魔剣を持っていた。その前にヘルマンが魔剣を獅子王に献上しようと試みている」

 

恭夜「獅子王は魔剣に頼る気がさらさらなかった。魔剣が歴史を大きく変えてしまうのを恐れたんだ」

 

サリー「私の父は並行世界から来たと言っていた。本当に私達の世界とは別の世界があるとすれば、その世界の三十年戦争はプロテスタント側の勝利で終わっているのだろう」

 

ゲルマ「余談になるが、並行世界の研究は唯城恭一朗博士もしていたようだ。オレのデータにも残されている」

 

恭夜「獅子王は騎士の心で運命に立ち向かった。魔剣なんかに頼らなくても自分達が信じる神様がいる。死ぬことで大切なモノを守れるなら俺も迷わずに死ぬことを選ぶよ」

 

サリー「それが獅子王に共感した理由か」

 

ゲルマ「騎士道の名の下に命を賭す。傭兵のオレに通ずるものがあるだろうか?」

 

ルナ「ゲルマも私達の騎士。私もみんなを守る」

 

あかり「でも、死んじゃだめだよ」

 

隆太「平和なら誰も死なないよ」

 

恭夜「なんか辛気臭くなっちゃったな。それじゃあ花見に行くか?」

 

あかり「場所取り班、集合~!」

 

ゲルマ「荷物はマスター達に任せ、いざ下見!」

 

隆太「みんな切り替え早いなぁ。あっ!お弁当もお願いしまぁす!」

 

ルナ「私、バット持っていく」

 

サリー「ならばグローブも持っていこう」

 

恭夜「ボールがないじゃん。ていうかバッティングセンターに行け!」

 

ゲルマ「桜を見ながら野球に勤しむか。嵐が吹きそうだ。まさに桜吹雪」

 

あかり「それ苦情の嵐だよね?野球なら花見の後でもいいじゃん」

 

隆太「じゃあ、ついでに夜ご飯の買い出しもお願いします!」

 

ルナ「買いたい放題♪」

 

恭夜「打ちたい放題みたいに言うな」

 

サリー「ルナはやりたい放題だな」

 

唯城一家(ホットスパーズ)』の物語はまだまだ始まったばかり。

彼らが願えば平穏な生活は続いていくだろう。

もし退屈で暇を持て余して退屈な時間があれば、女神の言葉で激動の過去を振り返ってみるのも悪くないのかもしれない。

 

たとえアナタがいなくても

 

想いは必ず届くわ

 

だって世界(そら)は繋がっているもの

 

 

fin



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