雀士咲く (丸米)
しおりを挟む

須賀、マネージャーになる編
ポンコツVSマネージャー①


何かこう、思いついたので。


「いいですか、照さん。状況を再確認します。OK?」

「うん」

「今、貴方はロサンゼルスにいます。周囲のメリケン共は日本語が通じない連中ですし、通りを抜ければ貧民街だって存在します。女性を一人で歩かせるには危険が多い。ましてや、迷子になるなんて言語道断です」

コクコク、と眼前の女性は無表情のまま頷く。

「いいですか?照さん。貴女はプロなんです。これからナショナルチームを組んで国際大会に殴り込みをするんです。日本の麻雀ファンの期待を背負ってこれから戦わなくちゃいけないんです。その重さがどれほどか、俺には解りません。所詮、俺はマネージャー兼水先案内人ですから。―――けどね、流石の俺でも、その重さがね、本場アメリカのハーゲンダッツ店舗の誘惑に負けるくらい軽いものだと、思いたかないんですよ!」

二人は、現在ロサンゼルスの街角にあるアイスクリーム店にいた。

ハーゲンダッツ。日本では小売店舗のアイスクリーム売り場の端っこに物々しい威圧感を放ち存在する高級アイスを指すが、本場アメリカにおいてはそれを取り扱うアイスクリーム店舗が存在する。

その中に、二人はいた。ペロペロと舌先をアイスに這わせながら、泰然自若を貫く無表情な彼女は至極当然とばかりに言葉を紡ぐ。

「須賀君」

「はい」

「おいしい」

「は?」

「アメリカのお菓子は、糖度が高い。日本のお菓子もおいしいけれど、ここにはここのよさがある」

「みんな違って、みんないい、ですね。まあ、はい。言ってることは解りますが。それで------」

「それに、日本のコーンは基本的にオーソドックスなものかワッフルしかない。ここには色々な種類がある。シナモン、カシューナッツ、ココア、------バリエーションが本当に豊か。とてもおいしい」

「はい」

「-----食べる?」

「食べません。そして、照さん。―――貴女自分の状況が解っていますか?」

「……? アイスを食べている……」

「はい―――そしてです。貴女は現在迷子の真っ最中です」

一陣の風が、ロサンゼルスの街角を吹き抜けていった。

ナショナルチーム先鋒でかつエース。宮永照。

彼女は今、会場より十五キロ離れた場所で、現状も解らずアイスを食っていた。

------別に冷たいモノをカッ食らった訳でも無いのに、実に実に実に実に、頭が痛かった。

 

 

「須賀」

「はい」

「宮永照専属マネージャー三か条、復唱」

「はい。第一、移動の際は眼を離すな。第二、菓子の予備を忘れるな。第三、いなくなれば迅速に捜索。以上」

「よろしい。今回、彼女は女子ナショナルチームと帯同し海外へ赴く。彼女等には別に協会から派遣されたマネージャーが付く。よって、大会中、本来であるならばお前にはゆっくり羽根を伸ばしてもらう所だ-----彼女が、人並みのタレントであるのならばな」

「はい」

「------もう、後は解るな」

「はい。これより迅速にパスポートを用意し、ロスに事前に入っておきます。街中のスウィート店舗を見て回り、後はホテルで待機しておきます」

「旅費も出す。宿泊費も出す。手当も出す。―――代わりに、お前に休日の二文字はない、いいな?」

「リスク管理って奴も大変ですね」

「言うな馬鹿。さっさと行け」

 

 

麻雀の競技人口が億を超え、早幾星霜。アラウンド・サーティーがアーリー・サーティーへと移行する時代の最中、元清澄高校麻雀部部員須賀京太郎は大学卒業と共に芸能事務所へと入った。

特に、麻雀関係のタレントが多く集う芸能事務所へと。

彼は元々運動部員から麻雀部員へ移行した人間である。体育会系特有の根性も麻雀の知識も持っており、そして実にマメな男でもある。曲者揃いの雀士タレントをマネジメントする人材としてこれほど適した人間はいまい。それに―――あの大魔王を、高校時代に幾度となく捜索していた実績を買われ、早くもその姉のマネージャーとなったのであった。まる。

それからは、地獄の日々であった。

若くしてその才覚を開花させたあの美人雀士のスケジュール調整をしつつ、餌付けをしながら彼女をコントロールしつつ、彼女がいざ迷子になった瞬間、全ての仕事を放り投げて捜索せねばならない。これらのタスクを処理するに辺りどれだけの労力を割かねばならないのか。足りない頭をフル稼働させられ、彼は死んだように毎晩ベッドに沈んでいた。

そして、今日。国際大会開催前日。チーム合同での作戦会議を行わんとナショナルチームが会場へと乗り込んだ瞬間―――彼女の姿は、存在しなかった。

その瞬間に、須賀の携帯が鳴り響いた。

宮永がいない。捜索求む。

―――迷子癖があるから眼を離すなと言ってこれである。報道陣の前のはきはきとした様相からは信じられないポンコツぶりに、新規のマネージャーはみんな騙されるのだ。

須賀は、溜息を吐きながらホテルを出ていった。

 

 

「------迷子ではない」

「貴女の中で、迷子という言葉がどのように定義されているかは解りません。けれども、貴女の今の状況は間違いなく世間一般で言う所の迷子です。これから、自力で会場に行けますか?」

「馬鹿にするのはいけない。タクシーを呼べば済む話」

「----会場の名前は?」

「あ」

―――あ、じゃないよ。あ、じゃ------。

「いいですか、照さん。貴女の身に何かあったら、俺は死んでしまう」

「----須賀君。そんなに私の事を想ってくれてたの----?」

僅かに差し込む笑みの形が、最高に美しい。だが、それでいて最高極まりない勘違いでもある。ふざけんな。

「勿論、精神的ではなく物理的な意味でです。俺の首が飛びます」

「む。須賀君。そこは嘘でも精神的な意味だと言うべき」

「勿論、精神的な意味でも毎日死にかけていますよ。心配で心配で-----」

「何を心配しているの?」

「何故この文脈で解らないの!?」

とにもかくにも。

須賀京太郎は宮永照のマネージャーである。

 

これからあるちょっとしたお話は、すべからくポンコツの、ポンコツによる、ポンコツの為の、苦労話であり胃痛話である。

 

言うなれば、何処までもくだらない話だ。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ポンコツVSマネージャー②~地獄創出編~

いやよいやよも好きのうち。

好きの反対は無関心。

であるならば、宮永姉妹は互いに嫌悪しあっているのであろうか?

―――私に妹はいない

―――私にお姉ちゃんはいない。

互いが互いに無関心を装い合っているこの両者は、果たして―――。

 

 

きっと何らかの悪意が働いているのだろう。主に協会の上層部のハゲ頭に包装されていらっしゃる年季の入った立派な腐れ脳味噌から発信される下卑た電波によって。

美人姉妹?セット販売?あの連中は違う薬剤同士をかけ合わせれば危険極まる毒ガスが発生する可能性がある事をほんの少しでも理解できているのであろうか。

まあ、つまりだ。一つだけ言わせてもらうと。

空気―――重くて暗くてつまりは悪くて死にそうです。

「-----」

「-----」

視線は交わらず、言葉も紡がず。ナショナルチーム作戦室内は実に重苦しい雰囲気を纏った両者が鎮座なさっていた。

宮永照及びその妹(仮)宮永咲。

両者共に同一空間内にて存在させる事は硫化鉄と塩酸を共に置く事に等しい。互いの不機嫌オーラは頂点に達し、脆い脆いガス栓から吹き出ては、周囲までその雰囲気を暗澹に落とし込む。

麻雀ファンであるならば一度は夢見た光景である。ナショナルチームの面々をその網膜に焼き付ける機会なぞ、そうそうあるはずもあるまい。

でも、何だか-----こう、胃液発生装置というか、何というか。言葉にできない----ではない。言葉にしたくない、が正しい。

「須賀君。お菓子」

平坦な口調が更に平坦となった我が愛しのタレントが冷たくそう言い放つ。口調も平坦、表情も平坦、ついでに体の起伏も平坦。そんな彼女だが現在若干口調も表情もマイナス方面に下降気味である。身体は別に変らないが。

そうして哀れ一部下としての業務を全うする度に、射抜かれる様な視線が突き刺さる。

文庫本に目をやっているかと思えば、こちらが甲斐甲斐しく姉(仮)を世話する度に、恐ろしい気配が充満する。今チラリと見えた小説は「ブーリン家の姉妹」の翻訳版であった。やめてくれよぉ!!あてつけか何かですか!?

「-----須賀君、気にする必要はない。お菓子」

あちらに目をやれば、こちらも反応する。若干御主人の方が余裕を保っている。その態度もまたあちらさんの大魔王の激情を逆撫でしているのだが。しかして明らかにお菓子の消費ペースが速い。食事、ことに糖分の摂取は一番効果的なストレス解消法である。こちらも内側に火薬を溜め込んでいる真っ最中なのだろう。

誰か、助けて下さい。

女の園にいて、どうしてレバノンの内戦地に放り込まれた気分になっているのでしょうか?

そうだ、こんな時は素敵なおもちを頭の中に描くのだ。鹿児島の神秘でも北の大地の豊穣でも阿知賀の着膨れでもなんでもいい。さすればこの重苦しい精神に、爽やかな風が吹き抜け―――。

「須賀君」

はいすみません。一体何処の発信機から自身のやましい妄想がこの御主人に受信されているのか。自身の体内構造を小一時間ばかり問い詰めてやりたい所である。今、柔らかでふかふかでほわほわとした夢の具現物を脳内で描く事すら許されない冷酷無惨な世界が展開されているのを目の当たりにし、絶望半ば朦朧としていた。

何度でも言おう。

助けて下さい。

 

 

「私は、あまり勧めはしないな。リスクが高すぎる」

「そうだねー☆卓上では一人だけど、それでもチーム戦はチーム戦。険悪な空気はそれだけでチームの重荷になるんじゃないかな☆」

「イエス。バッドな空気はそれだけでマイナスになります」

ナショナルチーム選考会の面々は、口々にそう言葉を揃えた。

宮永姉妹を、共に選出するか否か。

協会の連中は是非とも選出してもらいたいはずだ。姉妹揃っての代表入りという格好の話題は、銭ゲバ共にとっては湧き出る金鉱に近い。それでも、皆が皆、迷っていた。

実績は十分。共に国内リーグにおけるタイトル持ちであり、代表の資格は備えている。

それでも―――この両者の仲が極めて険悪である事も、また事実。

しかし―――着物を着込んだ小柄な女性が、一声あげる。

「心配し過ぎじゃねーの」

ケラケラと笑いながら、彼女はそう言い切った。

「代表はおままごとじゃねーだろ?私情を持ち込むようなプロ失格者、このリストの中に一人でもいると皆思う訳?わっかんねーけど」

「-----むぅ」

「それにだな―――私はな、むしろこの二人を合わせる事にこそ、意味があると思ってんだ」

「どういうことだ?」

「姉はともかく、妹は―――若干、気分の変化によってオカルトの質が変わる傾向がある。あいつは、これまでの試合を見てもオカルトの発生が逆転に寄与する場面が多い。逆境という強いストレスがかかる場面で、奴は能力が発揮できる。だからこそ、大将向きの性質だわな」

「それが、どうしたというのですか?」

「―――もしも、この両者を引き合わせて、常に精神の緊張状態を維持できるのだとすれば、どうなるのだろうねぇ?」

「ああ----成程。そういう事ですか」

「ま、わっかんねーけどさ-----それでも、少しは期待したいじゃねーの。卓上で対面するだけで、人の心をへし折る大魔王。あのレベルの化けモンの再来を、さ」

集まる選考委員の脳裏には、一人の女性が浮かんでいた。遂に実家暮らしから晴れて実家の地縛霊へとランクアップを果たした、名誉アラフォー(??歳)の事を。

「それが、今回の代表選で生まれるかもしれねーんだ。だから私は、この二人を入れたい」

見た目そのまま子供の如き無邪気な笑みで、彼女は言い切った。

―――この代表選、地獄を作り出すのだと。

 

 

宮永咲は、感情を示す事が苦手だ。

楽しい事、悲しい事、そのどれもを表現するのではなく、内に溜め込む。コテコテの内向的な文学少女。

だからこそ、彼女はそれを麻雀で表現する。

浮き上がる配牌に一喜一憂し、上がれば喜び振り込めば悔しがる。彼女にとって、それは唯一自らの感情を自由に表現できるステージであった。

故に、今彼女が抱えた感情は、その一点に集約される。

 

「そうだね」

 

きっとそこには自由な感情が渦巻くキリング・フィールド。

 

「麻雀って、楽しいよね」

 

降って湧いたが不幸の始まり。ソドムの爆炎が卓上に舞い、不浄なる者共を焼き尽くす。

 

「一緒に、しようよ」

 

そう。

共に―――地獄を見るがいい。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ポンコツVSマネージャー③ 地獄顕現編

・ヘイ、同志共。耳かっぽじってよく聞きやがれ。現在ウチの雀士がまるでジャックポット中のスロットみてえに点棒を毟り取られてやがる。あの化物はどんな手を使ってんだ?

 

・おい、お前グループDのどれかだな?無論日本以外の。見てみたが、ありゃあひどい。スターリンも真っ青な虐殺ぶりだ。繰り返しになるが、ありゃあひどい。

 

・ファッキン・ジーザス。くそったれ。俺は麻雀の大会を見にテレビを見ていた訳で、レ・ミゼラブルの最終章を見ていた訳じゃねえんだよ。何だよ、あの大将戦のお通夜っぷりは。

 

・あの地下室で培養されたもやしみたいな女が、息を吐くように嶺上開花。マイク・タイソンが赤子を吊るしてスパーリングをしていたんじゃないのか、アレは。

 

・しかも、あの表情みたか----畜生、あの女笑ってやがった。心の底から楽しそうに笑ってやがった。アンソニー・ホプキンスも真っ青な笑みだったぜ。

 

・久しぶりに真正の化けモンが現れたかもしれねぇな。ひとまず、ウチの雀士のメンタルが破壊されていない事を祈る。

 

・↑そうだね。けどねぇ、人間だれしもスティーブン・キングのミストの中を通って平然としていられる連中ばかりではないんだ。何人、再起不能になったことやら。

 

・おいおい、所詮卓上の点取りゲームでメンタルがやられるって大袈裟だな。別に死にはしないだろ。

 

・↑国の威信をかけた国際大会で訳の解らんファンタジック能力を持った化物に笑顔で仲間が積み上げた点棒を毟り取られていくんだぜ。理不尽どころの話じゃあねぇぞ。公開処刑と何が違う。

 

・ひとまず言えるのは、皆ご苦労様。君達はサイクロンに放り出された哀れな被害者だ。さ、解散しようじゃないか。

 

・笑うしかないな。二位に役満ぶつけてトばして試合終了だとよ。あのMiyanagaなる悪魔は何処の次元からやってきたんだい?

 

・大将がまさしく悪魔だったが、先鋒もふざけていたな。初回で一度も振り込みなしの連荘地獄。あれで見てる方もイライラさせられた。

 

・↑ヘイ、ブラザー。アレは大将の姉だよ。

 

・↑血は争えないとは本当の言葉だったみたいだなブラザー。

 

・おい、ウィークリーマガジンの通知が来たぜ。記事は勿論あの日本の大将だ。題名は“魔王、再誕”だとよ。

 

・間違いない。本当にあの卓はバグダードだった。

 

 

―――世界中に衝撃と恐怖を与えた日本ナショナルチームの大将、宮永咲は実にスッキリとした面持ちで予選を終わらせた。

総得点一位で文句なしで勝ち抜けを果たした日本ナショナルチームは、その後様々な国からのメディア対応に追われていた。

―――特に、宮永姉妹に。

メディアの前ではニコニコと猫を被る両者も、その心中を知る者は少ない。無論―――姉妹としてメディアの取材を受ける度に、臓腑の底から滲みだす不快感にしっかりと栓をしていることなど、知る由もないであろう。

―――ふ、ふふふ。

宮永咲は、嗤う。

―――京ちゃんが、まさかまさかの、お姉ちゃんのマネージャーになるなんて。

中学、高校の時分からずっと自分を世話してくれた男の子。

高校卒業と共にプロと大学進学で別れ、咲はそのままエース街道を歩み続けていた。

そして、その間に―――凄まじい現実を見てしまった。

いくら高額の契約金と給料を手にしても結婚できぬ、負の連鎖にがんじがらめになった女性プロ雀士の闇の底。

日々の試合と研究と移動の日々の中男を探すことも出来ず、男が出来たとて日々のすれ違いから破局が横行する―――この残酷なる世界。

ただでさえ内向的でボッチ気質のある宮永咲にとって、この残酷なる世界は辛辣に過ぎた。

女としての結婚願望をキッチリ捨てられるのであるならば、このような苦しみを味わわされずに済んだというのに。自分も―――あの実家に奉納されし伝説のアラフォーへとその道を歩んでしまわねばならないのか。

いやだ。

絶対に嫌だ。

しかし、唯一の男友達であった須賀京太郎は大学進学と同時にあまり連絡を取り合うことも無く、プロ雀士の世界で四年も過ごしてしまった。

そして、須賀京太郎が社会人となり―――その横には、かつての姉が存在していた。

かつてのように、迷子の度に世話を焼き、

かつてのように、隣にいる、

―――その相手は、自分ではなく、姉であったのだと。

 

高校時代、わだかまりを解消しようと思っていた時期もありました。

お姉ちゃんと仲良くしたいと、心の底から思っていた時期もありました。

だが、もう知らぬ。

―――待ってて、京ちゃん。

メディアの前で微笑みながら、隣の姉に闘志を燃やす。

―――取り戻して、みせるから。

それは、如何なる感情によるものかは解らない。

しかして、現在彼女を動かす唯一無二の原動力となっている。

 

 

「須賀君」

「はい」

「お菓子」

「どれがいいですか?」

「今手元にお茶があるから、和菓子」

「はい、どうぞ」

車の中、奈良名物の饅頭をバッグから取り出し、包装を空けて渡す。ふわふわとまるで少女の様な笑みを浮かべて齧りつく。

-----須賀京太郎は二週間ごとに、全国各地の銘菓を取り寄せていた。

彼女が飽きる事の無いよう県ごとに、もしくは和菓子洋菓子ごとに、それぞれ別な場所から取り寄せている。

彼女がお菓子好きである事は、最早周知の事実である。

それ故に、全国のお菓子メーカーによってスポンサーの依頼が入ってくることも多い。

しかし、彼女はそれら全てを断っている。

―――私は、食べたいから食べている。食べなきゃいけないから、食べている訳ではない。だから、スポンサーは不要。

そうキリリとした表情できっぱり断る彼女の姿は実に毅然としていてかっこよかった。

-----その企業から送られてきた菓子を頬張りながら言っていなければ、もっとカッコよかったであろうに。そして、毅然であるのに涙目でなければ----。

「今回の予選はどうでしたか、照さん」

「全く問題なかった。あとは一週間後の本戦に備えるだけ」

饅頭にパクつきながら、そう彼女は答える。

「CMの出演依頼も来ているそうです」

「面倒くさい。断って」

「―――お菓子メーカーの方が、二年分の商品券をつけるとも言っていますけど----」

「それには出ると伝えておいて」

出るんかい。

「あの―――そろそろ、いい加減、仲直りしませんか」

「私に妹はいない」

「いや、ほら。そう意地張ってないで。ナショナルチームの皆さん、皆ビックリしていたじゃないですか」

「私に妹はいない」

まさしくけんもほろろといった風情だ。どうしようもない。

 

―――咲も咲で、高校の時の様な歩み寄る姿勢は一切ない。むしろ、あちらにも敵愾心が移ってしまったような感じになっている。

一応、二人の共通の知人Sさんとして、このままでは本当にいつか死ぬかもしれぬと考えてしまう。病状はストレス性脳梗塞か胃潰瘍か。苦しみぬいて死ぬやもしれぬ。

だからこそ、割と本気で二人には仲直りしてもらいたいのだが―――実際何が原因なのか、ちっとも解らないのが本当の所なのだ。

 

「はぁ----」

「どうしたの、須賀君」

「いや、俺この先生きていけるのかな、って」

「どうしてそんな心配をしているの?事務所のお給料安い?」

「いや、事務所の待遇には全く不満はないですよ。ただ、こう、胃に穴が空かないかと」

「大変そうな仕事だもんね」

「あの、仕事を大変にさせている照さんが言える言葉じゃないですよねそれ------それに、この業界女性も少ないですし、あまり出会いもありませんしねぇ」

「-----須賀君、結婚願望あるんだ」

「そりゃあ、まだ社会人生活始めて二年目ですけど、このままずっと独身、ってのも寂しい話じゃないですか」

「-------ふぅん」

何やら、奇妙な雰囲気を漂わせながら、宮永照はそうぼそりと呟いた。

―――何やら嫌な予感がする。もっというなら―――何かしらのやらかしの予感が、ビンビンと脳内にアラートを鳴らす。

 

えっと-----俺、何か言ったっけ?

 

 

 

 

 

 




取り敢えずここまでと言う事で。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

怒りの日

【第二の】女子麻雀日本代表スレ334【魔王誕生】

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

虐殺すぎワロタ。俺は一体何を見ていたんだろ。

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

あ?何だって?まーた魔王が公開処刑してしまったのか。いつもの事じゃないか。ちょっと被害がグローバルになっただけやんけ。気にすんな。

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

わざわざ唯一の総得点+の代表に役満ぶつけてトばしやがった。ご丁寧に二度嶺上ツモった後に。あれは本当に悪魔の所業や

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

あの代表選手巨乳だったからね仕方ないね。殺されてもやむなし。魔王ってそういうもんだろ?

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

↑ウチの代表もあの先鋒大将の姉妹除けば全員巨乳なんですがそれは-----。

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

ウチの会社が贔屓にしてる奈良の旅館の女将さんが「煎餅に挟むとおもちがよりおいしく思えるので、いい代表ですのだ」って言ってて成程と思った。ひでえ言い草だけど。

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

↑SKYN「何だって?」

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

↑アラフォーは実家にお帰り下さい。

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

↑↑アンタのイメージは煎餅というよりも芋だろいい加減にしろ!

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

↑↑↑実家でお母さんに切ってもらうメロンの味はおいしいか?

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

誰とは言わんが叩かれ過ぎててワロタwwww-----ワロタ----。どうしてこうなった----。

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

こーこちゃんがドキュメント番組で色々暴露しちゃったからね仕方ないね。まあ、切っ掛けがそれってだけで、勝手にすこやん自爆したってだけなんだけど。

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

そして散々やらかしたこーこちゃんがもう既に二児の母っていうね------。

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

もうかつての大魔王が現れてから何だかんだで十数年経ってんだなぁ。早いよなぁ、時が過ぎるの。世界二位って、今思えば本当にとんでもねぇな。

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

誰も若いままなのに結婚しないから時間の流れを感じにくいんだよなぁ。今の世代もそういう風に思えてしまうんだろうか?

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

貧乳、コミュ障、大魔王---誰とは言わんけど色々と条件が合致した人がいらっしゃいますね-----。

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

その一方で、姉はイケメンのマネージャーを帯同させているのであった。

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

↑詳しく

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

通常、代表には専属のマネージャーがつくもんだけど、それとは別に金髪の男マネが付いて行っていたみたい。チラッとだけど画像もある。

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

↑そりゃあ姉妹仲険悪説濃厚やな。マネとくっつくなんてなったら何人血の涙を流すんやろか?

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

聞いた話やと、あの姉妹、方向音痴っぷりがヤバすぎるから代表マネだけじゃ対処しきれんって泣きつかれて専属がわざわざロスまで来たんだってな。

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

↑何や色気の無い話やな。姉はそのイケメンとして、妹はじゃあ誰を呼んでいたんだよ。

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

ああ、それは―――

 

 

人間万事塞翁が馬。誰が放った言葉であろうか。

実際、自分の人生、何が幸福を運び、そして何が不幸をもたらすか―――それどころか、現状が幸福か不幸かの判断すらできかねない状況というのもあるのだろう。

だが、だが。―――それを自覚して尚、この状況は予測不可能かつ摩訶不思議なものであった。

「-------」

「-------」

大学に進学後、プロを目指し続けたものの指名される事なく四年の秋口を終えてしまった。その後就職の口を探していた所、何の縁あってか芸能事務所に所属し―――かつての仇敵のスケジュールを管理する人間となった。

彼女の名は―――加治木ゆみ。

現在は、宮永咲のマネージャーである。

 

二人の間においてあまり会話は多くない。

元々お互い多弁な方ではない。しかし沈黙を心苦しいと思える程に相性が悪い訳ではない。そして、彼女は多弁でなくとも空気は読める。

今―――この押し黙っている彼女のご機嫌が大変よろしくない事も理解できている。

「------何で、お姉ちゃんとの共同の取材の仕事を引き受けたの?」

「何でと言われても、そこに日程が空いていて、ギャラがよくて、相手がウチとのお得意様だからさ」

「そういう事を言っているんじゃないの」

「私にとってはそういうこと以上の事ではないの。いい加減機嫌を直せ、宮永」

ぶす、っと彼女にしては珍しく拗ねながらそっぽを向いている。

はぁ、と一つ溜息。

ここまで面倒な奴だとは思わなかった。

「------別にいいじゃないか。かつての同級生が姉のマネージャーをやっている事が面白くないっていうのは、まあ解らなくもないが。それはそれ、これはこれ、だろう?」

「違うもん」

「全く-------」

そうして、またも沈黙が流れる。普段ならば苦痛を感じるまでも無いのだが、相手が拗ねているとなればまた別だ。こうなると、どうしてもこちらも思わず憎まれ口を叩いてしまう。

「別に拗ねるのは構わないが、仕事は真面目にやってくれよ」

「加治木さん、何だか説教臭い----」

「説教臭くもなる。私の性格は知っているだろう」

彼女は実にこの人物に手を焼かされてきた。会場でトイレを探す度に迷子になり、その所為でロスまでやってくる羽目となった。コミュ障で人前でうまく喋れない彼女を慮って仕事先でも常にフォローをして回った。この仕事は確かに彼女向きかも解らないが、それでも通常のマネージャーよりも相当に仕事をしていると思う。

その分、彼女は宮永咲に容赦はなかった。

またも、沈黙。

彼女は何となく手持ち無沙汰になったので、ラジオをつける。

 

―――成程。宮永さんにとっても、結婚には切実な思いを抱いているのですね。いやいや、けどいくらでも相手がいるでしょう?宮永さんだったら。

 

陽気なDJの言葉が、深く耳朶を打つ。あ、くそ―――そう加治木ゆみは思った。まーたこの主人の機嫌が悪くなる。

そうして局を変えようとしたが、宮永咲の「変えないで」の一言によって止める。

 

―――相手がいる、といっても、そこから交際関係に至るかはまた別の話じゃないですか。確かにカッコいい人はいくらでもいるかもしれませんけど、そういう人からしたら女子高上がりの私なんて小娘同然ですよ。

―――ああ、確かに。今まで恋愛経験はほとんどない状態という事ですか?

―――そうですね。あまりないと思います。けど、好きなタイプなら結構自分でも解っています。

―――ほう!それは興味が引かれますねぇ。是非とも教えて頂きたいですね。

 

―――そうですね。やっぱり私はどうしても頼りない所も面倒くさい所もあるので、それでも見捨てずに世話を焼いてくれる人に弱いですね。

―――ほうほう、世話を焼いてくれる人、ですか。

 

音は聞こえない。静寂に包まれているはずだ。なのに、何故だろう。とんでもない悪意がこの空間内に充満していっているような気がする。

 

―――情熱的というよりかは、穏やかな人がいいですね。家庭的で素朴な人柄の方が私は惹かれます。そうそう、普通がいいんですよ。特に人柄は。普通に、優しく、愛してくれる人だったら、きっとその方が長続きします。

 

別に、普通の事を言っているはずだ。あまり個人を特定できるような言葉は言っていない。なのに―――どの辺りが琴線に触れたのか。ふつふつと煮え滾るような怒りの感情が、こちらに空気を介して伝えてくる。

「そう。あくまでも―――喧嘩を売るつもりなんだ」

ふふ、と笑う。

その瞬間、加治木ゆみは思い出した。その笑みを。まるで―――魔王かと見紛った、あの時の笑みを。

 

「―――うん、いいよ、お姉ちゃん。ここまで来たら―――とことん戦おうよ」

 

ふふふふふ。ははははは。

 

怪しい笑い声が、加治木ゆみの耳朶を通り過ぎていった―――。

 

 




最近、「村上さんのところ」という本をアマゾンで買って読んでいます。以前、村上春樹さんが読者の質問をブログで答えていたのを纏めた奴ですね。面白かったです。一例をあげると、村上春樹さんの小説の台詞を真似て「君は僕に抱かれるべきなんだ」と口説きまわってビンタを受けた人なんかがのっていましたね。割と村上さんの返信が辛辣で面白かった。特にヤクルト関連なんか。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

悪待ち編
悪待ちの憧憬


短編集ですので、章によって話の重さが違います。アホなノリの話もあれば、こんな感じのもかいて行きます。すみません。


青春の終わりは、切ない。そう聞いていた。

―――興味は、あったのだ。例えばである。自分の両親が離婚し離れ離れになった瞬間よりも、それが胸に来る感情であるかどうか。

青く未熟な感情を胸に戦い続けた自分の心が、その終わりに到来する痛み。それは如何ほどのモノなのか。

白糸台に惜しくも敗戦し、その敗北が決定的となった瞬間、―――竹井久の胸に到来したモノは、痛みよりも空虚であった。

重荷が消え去った様な。心が軽くなった様な。ついでに言えば、ホッとしたような。

もう終わったのだという安心感と、もう終わってしまったのだという切なさを秤にかけて、前者に傾いた事実に、心の奥底で皮肉気に自嘲してしまう。

まるまる二年間待ち続け、この一瞬の為に情熱を燃やし続け、それでも―――それでも、結局はこの情熱は重荷でしかなかったのか。

プレッシャーなぞ何処吹く風だと思っていた。

それでも―――背負ったモノは意外にも重かったようで。

涙は、流れなかった。涙の理由が、そこに存在しなかったから。

だからこそ、不思議で不思議で仕方なかった。

 

―――どうして、君が泣いちゃうのよ、須賀君。

 

勝手な都合を押し付けられて、

勝手な扱いに甘んじて、

牌に触れる事も出来なかった君が、

 

どうして、泣いているの?

 

その因果を考えるうちに、竹井久の胸中にじくりとした滲みが拡がっていった。

それは締め付ける様な、緩やかな暴力性を以て、彼女の感情を揺さぶっていった。

 

ああ、そうか。

―――涙は、一人でに出るモノじゃなかった。

自分の都合だけで泣けるほど、竹井久は弱い女ではない。

―――自分という存在の周りに、円弧を描くように人が存在していたから、自分はこの荷を背負って行けたのだ。

一人が、二人に。二人が六人に―――その数の分だけ関係が出来た。その数の分だけ荷を背負えた。

青春という一人旅に道連れが出来て、そしてついぞその旅に終わりが現れて、荷を下ろし、これから自分は、また一人だ。清澄高校麻雀部員としての青春は、もうお終い。

また、自分は一人になる。

 

そして、彼もまた―――軽くない荷を背負った一人であった。

五人の為に、男である彼は一人、裏方で支えていた。

卓上で実際に戦う彼女達と、それを支える彼との思いは、比較できるものではない。竹井久の青春は、確かに彼の支えがあって存在していた。

 

ごめんなさい、と心中で呟く。

 

貴方の犠牲のおかげで、私は納得して幕引きを行う事が出来ました。

 

納得すらできない人間がいる事も忘れて―――自分は、自分は、何をしていたのか。何故自分の心を優先させてしまったのか。他者を慮る心があれば、きっと涙は流せたはずなのに。

きゅうきゅうと締め付けられる心が痛くて、苦しくて、絞り出されるように、その眼から透明な液体が一筋流れた。

 

これで―――本当に、三年間の幕引きが行う事が、出来た気がした。

 

 

竹井久のその後は緩やかに進んでいった。

麻雀特待生として私大の推薦を勝ち取った彼女は、受験勉強に励む同級生を尻目に暇な時間を過ごしていた。

そうして時々、もう引退した麻雀部に顔を出しつつ、いつもの通り後輩をからかいながら部活を眺めていた。

―――彼もまた、今も雑用をこなしつつ、麻雀の研鑽に励んでいた。

その姿に、嬉しいのか悔しいのか、諸々が混じり合った感情が浮かんでは沈む。

「全く、どうしたのかしらね」

自分らしくない、そう、とある休日の昼下がりに一人でに呟いた。

今日は麻雀部もお休みであり、故に彼女は暇であった。暇を持て余す日々が、三年の秋口に存在する事実に全国の受験生から殺意を向けられないか心配であるが、暇なモノは暇なのだ。

そうして何となしに書店に向かい何となしに喫茶店に入り、何となしに公園のベンチで一人、黄昏ていた。

サッカーボールを元気よく追いかける子供の姿を眺めて、クスリと一つ微笑んでみたりして-----おばんくさい事この上ない。顔を引き攣らせながら現実逃避する。

そうして意識が彼方へ飛ばしている最中、

「あれ、先輩じゃないですか」

その声が、現実に強制的に引き戻させた。

須賀京太郎が、コーヒー缶を片手に眼前で立っていた。

 

 

「偶然ね。まさか私をストーカーしていた訳じゃないでしょうね?」

「あの、どうしてこんなよく晴れた休日の昼下がりにそんな不埒な行いを俺がしなければならないのでしょう?」

「え、須賀君。自分の事不埒じゃないと思っていたの?」

「むしろそれが共通認識なんですかねぇ!割と真面目にショックですよ!」

冗談を交わし、笑い合う。この男は実にノリがいい。休日の時間つぶしにはもってこいの人材だ。

「はいはい。それで何をしていたの、須賀君」

「いや、中学の頃の友達が試合をしていたので、それを見に言っていました。今はその帰りです」

「へぇ。それって、ハンドボール?」

「はい。ハンドボールです」

そうか。そういえばこの男は、元々ハンドボールをやっていたと聞いた。その辺りの事情を、今まで聞いた事が無かった。

「そう言えば、どうしてハンドボール辞めちゃったの?」

「結構単純な理由ですよ。俺、ハンドボールで肩をやっちゃって。それでもう辞めちゃいました」

え、と竹井久は思わず呟いた。

「怪我で、中学三年の夏以降ずっと試合に出られなくて―――それで、辞めちゃいました。もうキッパリ忘れられる様に、ハンド部の無い清澄を選んで」

「そうなの-----なんか、聞いてごめんなさい」

「いえいえ、謝る事はないんですよ。だから、麻雀部に入れたわけですし」

そう言って朗らかに笑う彼に、心が締め上げられる。

―――もう、引退したんだから、本音を言ってもいいのに。雑用を押し付けたのは、私なのに。

「俺、結構先輩を尊敬しているんですよ」

「え」

彼の口からは、次から次へと予想だにしない言葉に溢れていく。何だ、これは。何故―――こんな自分勝手な部長を、尊敬なんて出来るのだろう。その一番の被害者である彼が。

「先輩は、人数が揃わなくても諦めなかったじゃないですか。普通、一年も過ぎずに諦めると思います。それでも―――先輩は、分が悪い賭けにずっと、ベットし続けていた。一年で諦めた俺とは、大違いだ」

だから、と。彼は言葉を続ける。

「俺は、先輩に諦めてほしくなかった。全力を出してもらいたかった。―――先輩に、雑用させる時間なんてない。先輩は、先陣切って戦わなくちゃいけないんだから。だから、先輩が涙を堪えているのを見て、何だか泣けちゃって------」

そう、だったのか。

自分は、涙を堪えていたのか。

「だから、何も気にすることは無いんです、先輩。俺は俺のやりたいようにしていただけです。先輩がやりきってくれたなら、それで十分。先輩は、俺が出来ない事をしてくれました」

じわり、と。今度は―――温かな感情が、胸に湧いてきた。こんこんと湧き出る温水の様な、そんな感覚が。

「あの、先輩?」

涙で滲んで、眼前が見えない。

らしくない。

実に自分らしくない。

それでも、それでも―――陰日向に、一番のぬくもりがあった事に、耐えられる訳も無くて。自分の無様さや滑稽さに、何とも言えないおかし気な感情がぐるぐると回って。

気が付けば、一人公園で目を腫らして泣いていた。

何だか、心地が良かった。

 

 

「見苦しい所を見せたわね」

「いえ、先輩も人間だったんだなぁと」

「なによぅ。まるで私が冷酷非道の悪女みたいに言わないでよぅ」

「そうは言って無いじゃないですか-----」

泣き腫らし、暫くたった。彼はいつもの様に、笑いかけていた。

「須賀君」

「はい」

「ありがとう」

「どういたしまして」

「うーん。でもねえ。泣き腫らすだけ感謝していて、言葉だけというのも何だか薄っぺらい気もするのよねぇ」

「いえ、そんな事は-----」

「いいのいいの。ちょっとはお礼をさせてよ。-----そうね。今まで、ずっと都合のいい後輩をしてくれたんだから、今度から私は君の都合のいい女になってあげる」

竹井久は、少しだけ悪戯っぽい趣を取り戻した表情で、須賀にそう提案する。

「え?」

「麻雀を教えろって言うなら、ちゃんと教えてあげる。辛い事があったなら、慰めてあげる。何だったら------」

「いや、あの先輩!その言葉は色々危険です!」

「別に何も危険じゃないわよぅ。須賀君、チキンだし」

「うるさいですねぇ!放っておいてください!」

「-----それとも、危険な言葉にしてくれる?」

そう言いながら、彼女は彼にしな垂れかかった。遠慮も躊躇も無く、実に自然極まる動作で。

「え、あの先輩」

「まあ、色々諦めなさい、須賀君。貴方は、面倒な女に目を付けられちゃったのよ」

可能性が低くとも、それを手繰り寄せる。

悪待ちの権化。それが竹井久だ。

故に―――。諦めも実に悪い女である。

その本質を知ってか知らずか、その心を揺さぶってしまったのだ。

 

「責任、とってもらうわよ」

 

そう言って彼女は、花咲くように笑うのでした。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

からかい上手の竹井さん

以前から結構要望もあり、リクエスト部屋にも希望があったので、続き書きます。ホントは一話完結で書いたつもりだったんですが、蛇足にならぬよう頑張りまーす。



冬が過ぎ、春を迎えて。

さあ、自分はどうしようか―――竹井久はそんな事を考えていた。

まあ、まだまだ先の話だけれども。ただ過ぎ行く時間の先に確実にその時は来るわけで。

 

竹井久は知っている。変わらなければならない時間がある事を。時間は、例外なく、平等に、変わる事を求めているのだと。

変わらないと無意識のうちに思ってしまっていた日常は、ふとした時にはその手から、零れ落ちているのだ。

過去に―――自分が「竹井」になった瞬間も、そうだった。そういうものなんだ。変化は唐突に、されど平等に訪れる。

 

ならば、自分はその事実にどう立ち向かうべきなのだろう。どう受け入れるべきなのだろう。

解っているつもりだったのだ。

自分は一度、あからさまに大きすぎる変化を経験したのだから。

確かに、その経験は自分の心持ちを強くしてくれた。

―――けれども、思う。

その変化の中に、また別な人との関係性が生まれてしまえばどうなるのだろうか―――と。

 

自分は、自分の世界の中に大切な仲間が出来ました。

ずっと自分に付き合ってくれた、オカンみたいな度量を持ったまこ。おバカだけど芯の強いタコス好きな優希。デジタル信者で心優しい和。読書好きで、ちょっと繊細な所がある咲。

そして―――どうしようもなく甘え続けてしまった一年生。

 

幾つかの季節が過ぎれば、自分はこの素敵な後輩達と離れ離れになる。

------解っていた事だろう。知っていた事だろう。経験した事だろう。

それでも。

それでもだ。

------一度経験したぐらいでは、この胸を張り裂くような寂しさも切なさも、どうしようもないのだ。

 

恐らく、周りの人間は自分を強い人間なのだと思っているのだと思う。

自分だって自分は人並み以上に強い人間なのだと思っていたのだと思う。

 

今となって気が付いた。

そんな強さは―――何処にもなかったのだと。

弱さを押し隠す為に、身に着けた全てが、今の「竹井久」に繋がっているのだ。

それは、自分すらも騙せるだけの強力な代物だった。

 

―――なら?

―――今の自分は、一体何者?

 

ふと、そんな疑問を覚えた。

未だ、疑問は果たされぬまま、宙に浮いた魚の様にプカプカと意識の上に揺蕩っていた。

 

 

人間という生物は、自身の想像にも及ばない現実を目の当たりにすると、思考が止まってしまうモノらしい。

須賀京太郎も、その例外ではなかった。

 

―――責任、とってもらうわよ。

 

そもそも自分は何の責任を背負わされてしまったのだろうか。

あの、飄々としているようで何処か子供っぽい二面性を持つあの先輩に。

 

あの後―――彼女は実ににこやかな笑みを浮かべながら、須賀京太郎の手を引き、彼を散々に連れまわした。

一緒にファミレスで昼飯を食べ、ショッピングに付き合わされながら、色々な話をして、そして聞いた。

というより、色々な事を聞かれた。

家族構成は?ハンドボールを始めたのはいつ?小さい頃どんな子供だった?恋愛経験は?両親は互いに仲がいいの?

無遠慮にも程がある質問攻めだったが、全く苦にならなかった。彼女は実に聞き上手で、こちらが話す言葉の節々に相槌と茶々を適度にいれつつ、全くこちらに意識させる事無く会話を操っていた。

色々な情報を散々に一方的に収集され、彼女は満足気に「ありがとう」と告げにこやかに手を振りつつ帰路に着いた。

 

あの行動と、それに至るまでの彼女の言動を鑑みて、彼女の内心を察せない程に、彼は鈍くはない。

けれども、彼には何故彼女が自身に好意を寄せる事になったのか―――その因果関係が解らない。

彼は、他者が抱く須賀京太郎の評価についてだけは―――とても鈍感な男であった。

 

だからこそ、悩んだ。

何に悩めばいいかも解らないまま、夜を過ごす事となった。

 

そうして一夜明け、いつもの時間に彼は起きた。

考え事をしている内に意識が途切れるようにいつの間にか寝ていた。毛布をかぶる事も無くうつぶせに寝てしまったせいか、首が痛い。

自室からリビングへと向かい、いつもの通り朝食を準備しているであろう母におはようと告げようとして―――。

「おはよう」

聞き慣れない、声が聞こえた気がした。

覚醒しきっていない意識を通した視界から、その情報を読み取った瞬間―――一気に、眠気が覚める。

「え?-----先輩?」

そこにはテーブルに座って優雅に紅茶を啜る―――竹井久がいたのでした。

------え?へ?

困惑の極みにいる須賀京太郎に、彼女はにこやかに手を振っていた。

え?

え?

これは一体どういう事なのか―――彼は数十秒ばかりそのあまりにも非現実的な光景に、思考が止まる。

硬直したまま、立ち尽くしていた。

 

 

説明を受けた。母から。

まるで朝っぱらから危ないクスリでもキめたのかと見間違わんばかりに見当違いな方向に興奮しきった口調で、それはもうご丁寧に。

新聞を取りに玄関口に向かった母は、門前に立つ見慣れぬ人影に思わず挨拶をしたのだという。

その声に一瞬驚きながら、彼女はにこやかに母と談笑し、「須賀君のお母さんですか?」と尋ねたという。

その声が着火点になったのだろう。母は我が息子の春がもう訪れたのかしらん、と興奮しきってそのまま家に招いた―――という実に解りやすいお話だった。

 

「ごめんなさいねぇ、こんなだらしない息子で」

「いえいえ。サプライズが大成功したんだから、これでよかったんですよ。ほら、今も固まっちゃっているし」

「あらあら。意外と悪戯好きな娘なのね、久ちゃんは」

「ええ、そうですよ。息子さんをからかうのはもう私のライフワークみたいなものですから」

うふふふ。あははは。この何というか、奇妙な空気感は男の存在を限りなく阻害する。そして大抵、その事実に女共は気が付かないのだ。

「ほらほら、さっさと席に着きなさいよ京太郎。久ちゃん待っているわよ」

そう言われ、実に居心地悪そうな風体でテーブルに座る。-----当然と言わんばかりに、久の隣に。

目の前にある朝食を黙々と胃袋に嚥下していく間、女同士の会話が当たり前の如く展開されていく。

我が息子の恥に塗れたお話をまるで自身の栄光でも話すかのように赤裸々に話す母に、その口車に潤滑油を差すかの如く相槌を打つ久。そして散々に話すと今度は母から久へと質問が飛んで行く。京太郎との関係から始まり、その出会いまで。彼女は恥ずかしがる事無く堂々と話している。

「え?まだ付き合っていないの?」

「はい。そうです。未だ攻略中です」

「ちょっと京太郎。こんないい子放ってこの先未来があると思ってんじゃないでしょうね?」

「いや、ちょっと----先輩、からかわないで下さい」

「いやよ。須賀君をからかうのが、今の私の一番の楽しみなんだから」

「悪趣味-----!」

「まあまあ、ほら、須賀君。あーんしてあげましょうか、あーん」

「いらないです------」

一つやり取りする度にいやーんだとか実に昭和チックな反応を返す母の声に不快感を覚えながら、いつもよりペースを上げながら朝食を平らげていく。

何だこれ?

何なのですかこれ?

未だその現実が受け入れられず、須賀京太郎の思考は未だ止まったままだ。

とにかく―――早くこの空間から脱出したかった。

姦しい会話が展開される両者を恨めし気に見つめながら、そんな事を須賀京太郎は思った。

 

 

「いやー、ごめんなさいね。あんな事になっちゃって」

「全くですよ-----」

げっそりと肩を落としながら、須賀京太郎はごく自然と竹井久と登校する。

何だか、訳も解らず疲れた。いや、訳なんか解りきっているんだけど、それでもそれ以上に訳の解らない疲れが胃にもたれかかっているのだ。

「いいお母さんね」

「-----まあ、はい」

「うんうん。よろしい。よきかなよきかな」

「何がですか-----」

見る限り本当に機嫌がよさそうな竹井久を見据えながら、須賀京太郎はぼやく。

本当になんなのだこの人は―――。

「まあねぇ、須賀君。これで、ちょっとは伝わってくれたかしら?」

「何がですか?」

「ほらほら、とぼけないで。―――生半可な思いじゃないからね、私」

「-------」

にこやかに。穏やかに。されど―――何処か力ある言葉を、彼女は告げる。

そして、

「さ、行きましょう?」

彼女は自然に彼の手を引きながらそのまま通学路を歩いていく。

「ちょ、このまま学校に行くつもりですか!?」

「当然よ。振り払ってもいいのよー?」

悪戯っぽい笑みで、そう告げる。

―――いやいや。そんな事できる訳がないじゃないですか。

そんな反論なぞ意にも返さず彼女は彼の手を引いていく。

 

―――本当、お人よしなんだから。

振り払えばいいのに。人がよすぎて、出来ないのだろう。

―――馬鹿ねぇ。だから私みたいな面倒な女に目を付けられるのよ。

彼女は内心から楽しくて楽しくて仕方がなかった。麻雀とはまた違った楽しさだ。意中の男の子をからかって遊ぶそれは、その本質から言えば何処までも子供っぽいのだと思う。

まあ、いいじゃないか。それが許される愛嬌を、代わりに振りまいてあげるから。だから許して頂戴な―――。

そんな言い訳を振りまきながら、彼女は笑う。

本当に、子供のような笑みで。

 




山なし谷なしオチなし。全部必要なネキ編よりも書きやすくていいですね、うん。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

愛宕洋榎乙女化計画編
乙女の最小公倍数=愛宕洋榎①


「なあ、須賀」

「何ですか愛宕先輩」

「納得できひん」

「はあ?」

「ほら、この部活の中でウチが一番実績あるやん。歳だって上の方や」

「ええ、まあ、はい」

「それを踏まえて考えてみーや。こーの、部全体に蔓延しとる、ウチに対する舐めくさった空気がな、納得できひん。もっとウチを敬わんかい」

「ははは。先輩、寝言はどのタイミングで言うべきモノか知っていますか?」

「おう、当然寝ている時や。詰まる所お前はアレか。寝言は寝て言えと、そう遠回しに言っている訳やな」

「ええ、まあ、何というか、その、------はい」

「はい、じゃないやろがー!!」

ギリギリギリ。華奢な両腕から驚く程の指先の力を以て、愛宕洋恵は後輩の首を絞めていた。

大学麻雀部部室内。何処となく下らない漫才が繰り広げられていた。

「おう。ウチはな、お前筆頭にこの事に文句言いたかったんや。こんな下らない漫才が繰り広げられる関係性がな、先輩と後輩やと思ってんちゃうで須賀ァ!」

「先輩、ノブレス・オブリージュって言葉知ってますか?世界史で出てきたと思いますけど」

「知らんな~。ウチは麻雀の特待で大学に入ったんや。そんな訳解らん横文字覚えとったんちゃうで?」

「高貴なる者が果たすべき義務の事です、OK?」

「なんやけったいな言葉やな。それがどないした?」

「敬われたくばまずは先輩として果たすべき義務を果たしてください。いや、もうそこまで求めないんで、せめて恥ずべき姿を見せないで下さい」

「ほーう、須賀。この全身美少女な洋榎ちゃんの何処に恥が存在しているか、言うてみぃ」

「------ハッ」

「おう、今ウチの全身眺めて鼻で笑ったな。出るとこ出てない貧相な体やと笑ったな?そろそろお前もおてんとさんを拝みたくなってきたんやないか?優しい洋恵ちゃんが、今ならしっかり天国への片道切符を握らせたるで?」

「ああ、先輩自覚してたんですね!」

「やかましいわ!」

べしべしと後輩の脳天に容赦なく張り手をかましながら、睨み付ける。しかし、印象的な程に下がりきったタレ目をいくら吊り上げようと、怖くはなかった。

「ノリがよすぎるのも考え物やな。腹立つわ~。標準語でやたらめったら言い回しが遠回しなのもムカつくわ~」

「ほら、先輩。敬われるための第一歩を踏み出しませんか?」

「おう。何や?」

「取り敢えず貸した物返してください」

「すまんな。も~ちょい貸しといてくれや」

「俺の弁当かっぱらうの止めて下さい」

「ウチより女子力高い弁当ムカつくわ~。ウチの胃袋に収めてようやく苛々がおさまんねん。堪忍しぃや」

「今度唐揚げにレモンかけときますね」

「それをやった瞬間に、お前との僅かばかりの友情も解消や。そこらの道端で精々骨折して這い回っておけ」

「やたら具体的ですね。そうするともう先輩に弁当を作れなくなる訳ですけど」

「---?這いずり回ってでも弁当作ってウチに届けたらええねん」

「何ですかその借金してでも私に貢げ、的なキャバ嬢みたいな論法は」

「ええやん。ウチみたいな美少女のメッシ―君やれるんやで。はよう車の免許も取ってアッシー君にもなってや」

「うわ、今時メッシーアッシーなんて言うんですか?古っ」

「何が古っ、や。オカンに言いつけるで?」

「貴女のオカンと同じ思考回路と流行にいる事に何の躊躇いもないなら、それこそもう手遅れです。諦めましょう」

「何をや?」

「こう----女性としての感性を人並みに身に付ける事とか、色々」

「せやな。お前もここから生きて帰れることを諦め―や須賀ァ!」

 

 

「―――ってな事があったねん。いやー、楽しかったわー。ちょっとは距離を縮められたやろうか?」

絶句。

もはや、愛宕絹恵には言葉が無かった。その楽し気に語る諸々のお話が、あまりにも、あまりにも―――。

「なー、姉ちゃん」

「ん?」

「再確認させてもらうで。その後輩君と、どうなりたいんや?」

「絹恵~。堪忍してーや~。そらもう決まっているやろ~。嬉し恥ずかしキャッキャウフフな関係に決まっとるやろ~」

開いた口が塞がらないとはこの事か。

これが、この姉が意中の男性へのモーションのかけ方なのか。レベルが低いとか幼稚とか、そういう次元ではない。山頂へ向かうべくはずが意気揚々と谷底へ下って行っているようなものじゃないか。ベクトルがまずもって違う。

「姉ちゃん」

「ん?」

「アホちゃうか――――――――――――――――――――!!!!」

吠えた。心の底から。この女性らしさの欠片も無い残念な番茶の如き濁りきった脳内に直接叩きつけんと。

「な、なんや絹!ウチ、何か変な事言ったか?」

「姉ちゃん。アンタ、餌付けされた犬に欲情するか?」

「何やそれ。ただの変態やんか!」

「ええか。一つ言ってやるわ。その須賀君なる男の子にとって姉ちゃんはな、ただの餌付けされた犬や。尻尾振って構え構え言って来る鬱陶しい犬や。解るか?」

「え、え?犬?何や絹-----」

「黙らっしゃい!話を聞かんか!」

「お、おう----」

決壊したダムの如く口が開けばうるさい姉も、一度塞げば押し黙る。

「何で-----何で、数ある男へのアプローチの中で、そんなけったいな方法選んでしもうたんや---。ウチ、悲しいで------」

「だ、だって----。雑誌に書いとったもん----。男へのアプローチは、まず友達感覚から作れ、って-----」

「ほ~う。その友達感覚って奴は、どう解釈すれば、どつき漫才相手を作れ、となるんや~?」

愛宕絹恵は、頭を抱えた。

どうしてこうなった。

切っ掛けは、つい最近だった。まるで何処ぞの中坊が意中の子のスカートの中身を悪戯な風のおかげで見れた時の様な、何とも単細胞的なニヤケ面を晒しながら度々姉が家に帰って来た瞬間に、生理的な悪寒と違和感を感じた絹恵が姉を問い質したのだ。

その結果が、これである。

物理的な距離の代わりに、生物学的な距離が開かれているという確定的事実を、この阿呆な姉には理解できていないらしい。今年入って来た新入生に一目ぼれし、行動を開始した結果―――きっとその男の子からは一人の女から、喧しくとも面白い先輩へ、遂にはもう女からかけ離れた犬の様な存在へと変わって行ってしまっているのだろう。近付くどころか、遠ざかっている。それを、理解できていないという。何とも間抜けだ。阿呆だ。

怒涛の如き説教の果て、ようやく事態の深刻さが理解出来てきたのか、青ざめた表情で涙目で絹恵に縋って来た。

「そ、そんな。絹。ウチ、どないすればええんや?」

「来世に期待や。スパッと死にぃや」

「そんな事言わんといてや――!ウチ、初恋やねん!」

「初恋は実らん言うやんか。諦めて次にいきーや。今度はプロ入りして阪神の選手狙い―や」

「いやや――!!」

いやいやと顔を横に振る姉に溜息を吐きながら、そもそもや、と前置きし。

「ウチだって恋なんかしたことないんやで。ウチに聞いてどーする」

「あ」

あ、やないわ。

「オカンにでも相談しぃや。アレでも一度は恋愛した身やろ」

「絶対嫌や!オカンにこの話聞かれたらウチ死ぬぅ!」

「―――だったら、もう死ぬしかないやん」

「いややー!死にたないー!」

「落ち着けこの阿呆。―――いいか。姉ちゃん。相手の男の子にとって、今のアンタはただの喧しく吠えとる犬や」

「犬-----」

「せめて。せめてな。アンタがまだ一人の女だって事を、相手の子に思い出させなきゃならんのや。ドゥーユーアンダスタン?」

「い、イエス。つまり、脱げってことか!?」

「ボケんな」

「すまん------」

「つまりな。アンタのその喧しいイメージはどうやったって変えられへん。だったら、ちゃんと姉ちゃんに別な顔がある事を知ってもらわなあかんねん」

「別な顔?」

「友達感覚から作れ、ってそういう事やろ。友達としての感覚と、女としての感覚と、その両方をしっかり相手に植えつけて、そのギャップに萌えさせんねん」

「おおう、成程!」

「幸い。ギャップは作れる。もうそれこそグランドキャニオン並みの落差を。けどな、今のアンタじゃ精々崖底の出っ張りにぶら下がってまた崖底へ落とすだけの帰結にしかならん。そもそもの色気も糞もアンタにはないねん!」

「うぐぅ」

「だからな、アンタは生まれ変わらなアカンねん。その絶望的な恋を成就させるには、しっかりと女にならなあかん」

うう、と愛宕洋榎は声を詰まらせる。

生まれてこの方、麻雀以外においてはザ・適当を貫いてきた女失格者である。この条件は、今までの二十年近くの時間を取り返さねばならない難題中の難題である。

しかし、しかし。

「解ったわ-----」

こう、力なく言った。

「ウチ、ちゃんと乙女になる----」

 

かくして、愛宕洋榎乙女化計画は発動した。

このちょっとした物語は、何処までも駄目駄目な恋のお話。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

乙女の最小公倍数=愛宕洋榎②

愛宕家では、ある日女衆から一人抜け、リビングにて家族会議が行われていた。

愛宕雅枝及び、愛宕絹恵。この両者は実に深刻気な表情で互いを見ていた。

「なあ、絹。アンタ、洋榎の将来がどないなるか想像できるか?」

「想像もつかんわ、そんなの。ただ、プロにはなるやろな。それは確信しとる」

「そう、それが問題や。―――絹も、知っとるやろ?プロ雀士に蔓延する、負のジンクス」

「女性プロ雀士は結婚できひん、ってやつか。一部の例に当て嵌めて面白おかしく言ってるだけやろ、あんなの。現にオカンは結婚しとるやないか」

「-----あながち、ジンクスと吐き捨てる訳にはいかん因果が、そこにはあるかもしれへんで」

ふぅ、と一つ、愛宕雅枝は息を吐く。

「一つ教訓や、絹。人ってのはな、どう足掻いても自分が培った物以外を基準に他人を評価できひん存在なんや」

「ふむん?」

「今まで骨董品なんぞ見た事ない人間に、いくら古代の茶瓶の価値を説いた所で馬の耳に念仏や。それは人を評価する時も同じ。自分が知らない基準で、人を評価する事なんぞ出来ないんや」

「それが、どないしたん?」

「プロで長年ずーーっとトップを張り続けてきた人間はな、文字通り麻雀に全てを捧げた連中ばかりや。その上、まともに男と接する事無く生きてきた連中も多い。最悪、思春期に女子高に行って一切男から断絶された環境の中で暮らしてきた連中もいる。そんな連中が、食うか食われるかのプロの世界に入り込んでみぃ。麻雀以外、文字通り考える暇なんぞ無いんや。男を見る為の指標も、基準も、連中には持ち合わせておらん」

「------」

「正直、ウチだってそうやったで?毎日毎日、とんでもない化物共とやり合っている内に、それ以外の事がどうでもよくなってくんねん。色事に頭使う余裕もないねん。ウチは深みに嵌まる前にどうにかオトンと結婚できたけど、運悪くそういう風に立ち回れなかった連中の残骸が、あの哀しい怪物共や」

「―――恐ろしい世界やな」

「人ごとやあらへんで。洋榎はこのままやと―――間違いなく、あのアラフォー軍団百鬼夜行共の一員となる」

「------」

「結婚が女の幸せ、なんぞ私は言うつもりはあらへんよ。幸せの形は人それぞれやし、独身でも楽しい人生送れるんなら結婚なんかせーへんでいい。孫の顔見せろなんて圧力かけるつもりもあらへん。けどなぁ---多分、あの子、一人で物静かな生活送ってたら寂しくて死んでまうで。間違いない」

「ああ-----」

あの喧しい声に反応する声も無く、一人寂しく暮らしている姉を想像してみた。

周りの人間もそれぞれの道を歩みだし、もしかしたら妹まで家庭を持って別な人生を歩いているかもしれない。誰一人知り合いがいないままプロ活動を行い、誰もいない薄暗いマンションの一室で過ごす。声をあげても反応する事はなく、次第に無口になっていく。そんな姉の姿が、とても容易に想像できて―――。

「あかんな」

「あかんやろ」

二人はここで、見解の一致がとれた。

「ええか、絹。万が一、いや億が一にでも、あの子に意中の子が出来たなら―――全力で応援したれ。アホな男引っ掛けたらタマ蹴り潰したって構わんが、ちゃんとまともな子だったら、絶対逃がしちゃアカン」

「----解ったで、オカン」

こうして、人知れず愛宕親子との間で約定が交わされていた。

ただひたすらに、姉の幸せを祈って―――。

 

 

そして、本日。今度は愛宕姉妹の間で話し合いが行われている。

「まず、女らしさの演出やな」

物々しく、愛宕絹恵はそう切り出した。

―――女らしさとは何か。深く掘り下げれば哲学的論考にまで及ぶ程度には難しい話であるが、まず間違いなく言える事は、眼前の喧しい女にはこれっぽっちも存在しないという事だろう。

「懺悔しぃや、姉ちゃん。今までにその須賀君に何をやって来たのか?」

「-----ゲームと、ウチが机の上で寝ていた時に掛けてくれたジャケットを借りパクしてました」

「次」

「-----須賀の弁当、勝手に食べ続けて同じ奴を作ってもらってました」

「次」

「-----うう」

―――アカン、これはもう、何か色々と手遅れやないんやろうか。

「やばいな、姉ちゃん。もう女子力の時点で須賀君に負けとるで。話聞いとる限り、気遣い上手なええ子やんか」

「そうやろか-----」

「そら、気遣いのきの字も無いアンタからしてみれば解らんやろうけどな」

「絹が何だかウチに辛辣やぁ----」

「辛辣にもなるわ。許される事ならアンタの頭を地面に置いてフリーキックしたいところや」

「いややぁ-----」

「そもそも何で借りパクしてんねん」

「だって、須賀のやんか。返すのが勿体なくて-----」

―――オカン。これはもう駄目かも解らんわ。我が姉ながら、こういう状況じゃあポンコツもポンコツや。

だが、良くも悪くも物理的な関係性においては相当近い場所にいる事は間違いない。それはもう唯一といってもいい現状でのポジティブな要素である。

「―――ここは、荒療治するしかないかも解らんな。せや、姉ちゃん」

「何や?」

「明々後日、須賀君をデートに誘いーや」

 

 

無論、無策でこのような提案をしたわけではない。きっちりと絹恵の中では狙いがあった。

女らしさを演出するうえで、行動面から攻めていくのか、それとも感情面から攻めていくのか、という二種類の方法が存在する。

甲斐甲斐しく対象の為におしゃれをするなどして相手の気を引く。弁当などを作って家庭的な面をアピールする。そういった行動面から攻めていく方法。

もう一つは、単純に「自分は貴方に好意を持っている」とストレートに感情面から揺さぶりをかける方法である。

前者は相手に自身の魅力を伝える方法だとしたら、後者は自身が向けている感情のベクトルを相手に伝える方法である。

本来であるならば、前者の行動を積み重ねて後者へと向かうべきなのだろう。

だが残念。

前者はもう使えない。愚かしい行動の累積によって引きずり回された須賀の意識は、これから付け焼刃程度の行動でひっくり返るとは思えない。

だからこそ、もう後者の手法を取るしかない。

自分の感情のベクトルを伝える。その方法を取るほかない。

「そ、そんなん出来んわ!そんな恥ずい事できる訳あらへんやろ!」

「そう。それや!それこそ、アンタに残された最後の武器や!」

「何やて!?」

「男を一つデートに誘うにも恥ずいと言えるそのおぼこっぷり!ヘタレっぷり!しかし恥じらいの感情が未だ残っている事実に、きっと凄まじいまでのギャップを感じるはずや!」

「ひどい!けど事実や!」

「ええか。アンタに残された武器は数少ないんや。それこそ一発屋芸人連中と同じくらい引き出しが少ない。使えるもんはゴミでも使わなあかん」

「おおう!やっぱり傷つくなぁ!」

「ええか。これに関しては自然体でええわ。むしろアンタが演技しようとしてもボロが出るのなんざ目に見えとる。普通に、恥ずかしがりながら、密やかに、須賀君を誘えばええ」

「わ、解った」

「それと買い物や。デート用の服なんぞ持っていない事なんざ百も承知。一緒に買いに行くで」

「絹、奢ってくれるんか!」

「ボケんな。そしてたかるな」

「すまん-----」

「アンタだって腐っても鯛や。素材はいい。ちゃんと見てくれを整えるだけでも違う世界が開けるはずや。しっかりするんやで」

「お、おう。腐ってる-----」

「散々腐らしたんはアンタやからな。今更ショック受けんなや」

「いや―――!絹が冷たい―――!」

こうして、―――三日後、デートをする事に決まりましたとさ。まる。

まともなものになるかは、まだ解らない。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

乙女の最小公倍数=愛宕洋榎③

「姉ちゃん」

「----はい」

「正座」

「はい」

「報告は以上なんやな?」

「以上や」

「なあ、姉ちゃん」

「なんや絹?」

「アンタ―――本当にやる気あるんかァァァァァァァァァ!」

 

デート決行日の次の日。愛宕絹恵はそう怒り狂った。

前日の事。

大層面白おかしい表情の愛宕洋榎が大層不審な挙動を繰り返しつつ須賀京太郎を部室に一人残し、一緒に出掛けるで、と言った所、何の疑いも無く京太郎はその誘いに乗った。

まさか何の疑いも無くデートの誘い―――と思っているのは本人ばかり―――に乗ってくれると思わなかった愛宕洋榎は、この第一の関門を無事突破した事で大きく浮かれてしまった。

その結果、地獄を見る事となる。

 

 

須賀京太郎は普段の私服と変わらぬ、ジーンズにジャケットを羽織り、約束の場所に立っていた。

 

―――おう、須賀。頑張っているやん。

そう部室の前で言葉をかけた愛宕洋榎の声は、実に実に奇妙に上擦っていた。

その声に振り返るとその顔面は噴火寸前に真っ赤になっていた。

―――ああ、成程。

須賀はこの実に奇妙な彼女の態度を、冷静に分析していた。

何かしらギャグをやろうとして盛大に失敗してしまったのだろう、と。

上擦った声から判断するに誰かの声マネであろうか?それが失敗してしまい、何やらいたたまれなくなり恥ずかしがっているのだろう、と。

実際と全くずれた判断をしている京太郎を、しかして責めることは出来まい。一般的もしくは実態的更にもしくは論理的思考に基づき考えれば―――愛宕洋榎という女が男に声をかけるにあたり恥じらいを覚え、それ故に態度に急変を起こしているなどと誰も考える訳もあるまい。そんなもの、例え自意識過剰な思春期の少年であろうともそのような論理の飛躍は行えないであろう。量子力学を前にした古代物理学信奉者の図式に等しい認識の齟齬である。そもそもの前提からして違うのだ。

―――お、お前も色々頑張っているみたいやしな。この美少女洋榎ちゃんがちょっと休日に一緒に遊んでやるで。

ははは、先輩面白いなぁ。ギャグの不発を誤魔化す為に一緒に出掛けようと来たか。

さて、本来であるならばここで付き合う義理も無い。場を誤魔化す為に口に出した言葉を本気で捉える必要もない。しかして、何といってもこの先輩は実に面白い。丁度その指定日の予定が空いた事もあり、その日須賀京太郎は暇であったのだ。

―――だったら、お願いします。

そう、至極あっさりとその提案を受けたのであった。

 

そして、約束の日。

決めていた時刻を少し過ぎ、遅れてやってきた愛宕洋榎は鬼の如き形相で走って来た。

「遅れた!スマン!」

「いえ、いいんですよ」

少しだけ―――この傍若無人の表象者の如きこの女が遅れた事を詫びるという行為に微かな違和感が存在していたが、まあそんな日もあるか、と何となく流す。

服装は―――おおう、やっぱり整えるべきところを整えたらしっかり綺麗になるものだなと感心してしまう。黄と紺を基調とした花柄のワンピースは、明るい彼女のイメージと合致している。

この服装を選べるだけのセンスがあったのだろうか?

いや、そんな訳あるまいか。偶然だ、偶然。そう京太郎はまたしても疑問をスルーしたのであった。

「いやあ、スマンスマン。こちとらちょいと寝不足になってなあ。寝過ごしてしまうところだったんや」

「----もうレポートの手伝いはしませんよ」

「何や冷たいな」

「冷たくもなります―――それで、これからどうするつもりですか?」

「へ?」

「いえ、何か予定があって俺を呼んだんでしょう?買い物だったら付き合いますし荷物持ち位ならしますよ?どうするんですか?」

ここで愛宕洋榎は決定的なミスに気付く。

―――京太郎を呼び出す事に注視してしまい、肝心のデートの計画を立てていなかったのである

 

ここで、愛宕洋榎に残された選択肢はまた数少なかった。

計画を立てていない事を相手に悟られるのは論外。悪印象以外残さぬ最悪の結果となるのは目に見えている。

と、なれば―――自らが行った事がある場所に行く他ないのだ。

とはいうものの、この女、地元大阪で暮らし続けてはいるが―――実の所、男女2人で行くような場所をほとんど知らない。

スィーツの代わりにたこ焼きをかっ食らうような女である。風情あるデートスポットなど知る訳も無いのだ。

どうするべきか―――パニックに陥った彼女は、電撃的に現れた発想を、そのまま採用する事となった。

「甲子園-----」

「え?」

「これから、一緒に甲子園に行くで!」

生粋の阪神ファンである彼女が、自らの人生において男女と共に行くことが出来るスポットは―――そこしか、存在しなかったのである。

 

 

ここまでは、悪手すれすれであれど、致命的という程では無かった。

京太郎はスポーツ好きだ。自らが中学の時までハンドボールをやっていた事もあり、スポーツ観戦も割とフラットに楽しめる性格をしているであろう。聞けば贔屓も存在しないという。巨人ファンであればそのままその心魂を矯正せねばならない所であった。よかったよかった。

甲子園球場。球場前で売られていた黄色の法被を2人分買い、ホーム側の黄色の集団へと二人は紛れる。

「凄い盛り上がりですね」

「せやろ。今日は我が阪神が誇るエースの登板や」

阪神VS巨人。野球ファンの間では伝統の一戦と呼ばれるこのカードでは、やはり阪神ファンの盛り上がりもそれに応ずる形となる。阪神のエースピッチャーが入場曲に合わせ出てきた瞬間、地鳴りのような歓声が響いた。

「凄い声ですね」

「せやろ。今年の阪神は違うで~。やったれ!」

長身痩躯の身体から放たれる球がミットに収まる度に、歓声すらも打ち消す破裂音が響く。野球を体育程度でしかしたことのない京太郎にも、その球の凄まじさが理解できた。迫力あるなぁ、と心の底から感心してしまう。

そして、純粋に野球を楽しもうとする京太郎の傍ら、愛宕洋榎もまた阪神ファンとしてのスイッチが入り、こちらも純粋にその試合を応援するべく意識が集中した。

-----本来の目的とは何であったか。それはきっとその時間、無意識の次元へ呑み込まれ脳内シナプスの大波の底の下へと消えていってしまったのだろう。

 

それから試合が始まった。

阪神、巨人とも両エースの投げ合いにより始まったゲームは、互いを打ち崩せずロースコアのまま進んでいった。

その間―――京太郎の傍らには味方のファインプレーに全力で雄叫びをあげ、エラーする度に天を仰いで「何しとんじゃあ!」と叫ぶ愛宕洋榎の姿があった。それはもう、周囲の黄色法被姿の親父共とシンクロしているかの如き堂々たる振る舞いであった。

 

そして、九回。

1-1のまま進み、ここで投手が交代。リリーフピッチャーの外国人選手が投入される。

「頼むで」

祈る様に両手を合わせながら、愛宕洋榎はその姿を見やる。

その後―――最初のバッターをセカンドゴロで打ち取るも、次のバッターから連打を浴び一塁三塁のピンチ。そして、ピッチャーの打席で巨人は代打策を取る。

そして―――巨人の代打が放った強烈なゴロはサードのグラブに収まら―――なかった。

綺麗にサードの股を抜けたその打球は、哀し気に減速したゴロとなって、レフトの前へと―――。

記録、エラー。無惨にも、スコアボードには1点が刻まれる。

辺りが、シン、と一瞬静まり返ったのを、京太郎は感じ取った。

そして、

「何してくれとんじゃァァァァァァァ!」

辺りの阪神ファンと共鳴する様な声を、張り上げるのでした―――。

 

 

「アンタ、何の為のデートやと思ってんねん!アホか!いや、アホなの解ってたけどもう時空超えたアホなんか!?救いようも一切ないアホなの!?」

「しょ、しょうがないやんか-----。あんなの、目の前に見せられて平然としていられるのはファンやないわ------」

「そのデートで一体何が残ったん?何を残せたん?乙女になるという目的がこれっっっっっぽっちも達成できてないやんか!ウチが必死に選んだ服の上に虎の法被着て何がしたいん!?何処の時空に甲子園で声張り上げて絶叫する乙女が存在するん!?」

「け、けど須賀も楽しかった言うてくれてたで-----」

「楽しかったから何や!須賀君の記憶の中には“愛宕洋榎は阪神ファン”以外のメモリーが残ったように見えるか。アンタが絶叫している姿見て“へぇ、先輩にも可愛らしい所あるんだなぁ”とでも思うと?アホか!」

「次は、次は頑張るから!」

「その次が一体いつ来るねん!ああ、もう-------」

こうして、愛宕洋榎と須賀京太郎の初デートは終いと相成った。

それは、何処までも熱狂の渦に巻き込む、甲子園の魔物に包まれた一日の事であった。

目的、果たせずッッッ!

 

 




何か、野球ネタ書いちゃってすみません。書きたかったんです。反省すれど、後悔はせず。創作において五番目位に大切な事だと思います。うわはははは。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

乙女の最小公倍数=愛宕洋榎④

久々。


「須賀」

「何ですか?」

「納得できひん」

「はぁ?何がですか。―――敬意を払われる事はもう諦めましょう」

「ちゃうわ。―――この前、絹と夜の街を歩いとったんや。深夜にしか開いていない幻のたこ焼き屋を探してな」

「はあ」

「その時や、ピンクのキャッチの連中に捕まってしまったんや」

「へぇ」

「おさわり本番無し?よう解らんけどキャバで働かんか、って誘いだったんや。―――ウチは無視。絹にだけ声をかけおった」

「----」

「絹はあまりにしつこいから腹立ってそいつの股間にトーキックしとったが---いや、ホンマにな、納得できひん」

「え?何処に納得できない要素があったんですか?」

「おい、須賀。本気で言ってるんちゃうやろな?」

「先輩が水商売なんて出来る訳ないじゃないですか」

「なんやと!この美少女雀士に向かって何を言うんや!」

「貴女がキラキラのドレス着て薄暗いピンクサロンで親父共と話す会話なんて漫談と阪神談義でしかないでしょ。阪神優勝パレード見ながら一緒に法被姿の親父共と肩組み合って呑んだくれるか道頓堀に飛び込んでいるのがお似合いです。間違っても貴方が接待する相手は仕事疲れの中年じゃないでしょ」

「おう、それは皮肉か何かか。優勝から遠ざかっているウチ等に対して。ウチだってな、そんなことが出来るなら本望やで」

「とにもかくにもですよ。貴女には無理です。間違いなく」

「言うたなこの野郎。これでウチに骨抜きにされても知らへんで」

「ほほう。それじゃあ、今から俺に接待して下さいよ」

「おう。そんなもん朝飯前や。そいじゃあ須賀、ここに座れ」

「はい」

「ほいじゃあ―――は~い、どうもそこのエロそうなお兄さん。指名してくれてサンキューな。ウチ、愛宕洋榎言うねん、よろしくな~」

「はいよろしく」

「お兄さん職業なにやってるんや?」

「学生です」

「ほーう。学生さん。えらい身分やな、そんな若くてこんな店に来るなんてなぁ。やっぱアンタエロいんか?ウチの身体目的なんか?ほれ~うりうり~」

「----やっぱり駄目ですね。そそらない」

「ほう。何処がや?」

「言葉選びのセンスが古い」

「何でや。相手すんのオカンと同じ年齢位の男共やろ。古くてええやん」

「駄目に決まっているでしょ。それにエロいから入るその言語選択が致命的です。何処の場末のスナック嬢ですか貴女」

「何やとこの野郎。ウチが場末やて?このピチピチの身体捕まえとってよ―言うわ」

「それと」

「それと?」

「---しな垂れかかっても、感触が嬉しくない。ぶっちゃけ、エロスが無いです。身体にも言葉にもセンスにも」

「ほーう-----よしよし。その喧嘩買ったるわ。取り敢えずあの世にいこか?須賀ァ!!」

 

 

「という訳でや。ウチをエロくしてくれや」

「なあ、姉ちゃん。そろそろ突っ込むのもええ加減にさせてほしいんやけど」

愛宕家では、またしても下らない会話が繰り広げられていた。

半ば愛宕絹恵は諦めていた。もう駄目だこの女は。

「ウチに足りんのはエロスやと理解したんや。今からしっかり鍛えなあかん」

「まずもって足りないのはアンタの脳味噌の容量だと解らんのか?」

「辛辣!!」

「辛辣にもなるわこの阿呆。エロス?どの口がほざいてんねん。今のアンタが言っている事はな、コロボックルが二足歩行したいって喚いているようなもんや」

「酷い!」

「ええか?エロス言うても、それは大部分がイメージに依存しとるんや。どんなにめっちゃスタイルがいい女でも普段から甲子園で親父共と罵声挙げている幻滅必至な女にエロスを感じる程男は単純あらへんで」

「何でや!ええやんか女が野球観戦しても!」

「阿呆。野球観戦がアカン言うてる訳やないねん。そんなもん具体例でしかないねん。アンタ、自分の女らしさ一つでも自慢できるところ上げてみいや?」

「---------------------------」

「黙んなや!」

「べ、別に、考えているだけやで!」

「もう考えている時点で終了や終了。アンタがこれまで積み重ねてきた過去という歴史の中で一遍たりとも女らしさを磨こうとした事があったかいな」

「ないな!」

「断言すんなや!」

愛宕洋榎乙女化計画―――現在進行形からもう過去形に変わりつつあるこの計画は、実に頭を悩ませるものであった。

もうね。一言言わせてもらいたい。

無理。

「そんな事言わんといてや。あのビール腹のたぷたぷ顎のおじさんが言っていたやんか。―――諦めたら、そこで試合終了やって」

「アンタ、何で野球にコールドゲームあるの知っとるんか?」

「恋愛にも甲子園にもコールドゲームは無いんやで!諦めちゃあかんのや!」

「阪神の日本シリーズを幼心ながら見届けた女の言う事は違うな」

「うるさいわ!とにかく、諦めたらあかんねん。ウチはこの勝負、投げ出す気はあらへんで!」

だからエロスや、と姉は勇ましく吠える。

「こう、手っ取り早くエロスを感じさせるにはどうすればええんや?」

「脱げば?」

「絹~!頼む、そんな投げやりにならんでや!謝る、謝るから!」

 

 

という訳で―――急遽、愛宕姉妹は作戦会議に移る事となった。

「そもそも―――エロスって何や?」

「多分やけど、男から見て“女”を感じる瞬間の事や」

「ほう」

「男が普段絶対にやらない仕草。醸し出せない雰囲気。―――要するにや、男から見て、男との“差異”を感じる瞬間やな。まあ、一番それをアピールするにはバインバインな身体がええんやろうけどなー」

「おう。絹、喧嘩売っとるんかこの野郎」

「事実は事実として受け取り―や。それで-----アンタはな、まずもって男----というか親父共との差異があらへんねん」

「む」

「たこ焼き大好きお好み焼き大好き唐揚げ大好きスィーツおしゃれ興味なし。麻雀じゃあうるさいし煽るし落ち着きないしのスリーアウト。雀荘で呑んだくれながら打ってる連中と差異はあまりないわ」

「ぐぉう!」

「シチュエーションを考えや、姉ちゃん。女らしいシチュエーションは何か。その為にはどんな服着てどんな言葉を言えばええか。正直アンタの女らしさの欠如はセーラ先輩以上やわ」

「セーラ以上!?」

「セーラ先輩は意識的に男っぽくしとるやん。それに男らしさを演出しとるのにも女らしくすることへの気恥ずかしさの裏返しって面があって、ぶっちゃけそこらの女よりギャップあってかわええねん。アンタはなーんもギャップあらへん。自然体のまま女らしさの欠片も無い親父になってんねん」

「ぐぇぇ!!」

実際その通りだった。罰ゲームか何かでフリフリのワンピースを着込んで顔を真っ赤にして大騒ぎしていたセーラは----あ、ヤバい。確かにアレは可愛かった。同性から見ても胸にくる可愛らしさだ。セーラでさえ、あんな強力な武器を持っているというのに-----。

「ギャップ-----ほんと、何か一つの切っ掛けがあれば作れそうなもんやけどな」

グランドキャニオンの谷底なみのギャップが、確かにこの女にはある。

だがそこから意中の男を落とす為には、まずもってその谷底から這い上がらねばならないのだ。何の道具も無く。絶望以外感じられないのも致し方あるまい。ぶっちゃけ、どうすればいいのだろう。

「ごめんな、姉ちゃん-----もう、一人じゃ無理や。絶対、無理や」

「諦めちゃあかんで、絹-----!」

「だから、助っ人呼ばせてもらうわ-----」

「へ?」

スマホの通話相手を、絹恵は洋榎に提示する。

そこには、「かーちゃん」と書かれていた。

「ごめんな」

固まった姉に、妹は言う。

「もう、死ぬ覚悟でやってくれ」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

母、急襲

何故だろう。何故こうも心躍らないのだろう?

いやね。普通ね。娘から恋の相談を受けるとなれば、母親としては心躍るものではないだろうか?それも高校の時から色っぽい話なんて一つたりとも無かった娘がだ。おら、もっと楽し気な気分を醸し出せよ。何故自身の脳内物質はこの状況下においてこんなにも気分を陰鬱にさせてるのだ。

いや、まあ、解っているんだけどね!

理想と現実の乖離という奴だ。我が長女を思う。思い悩んで、なんなら涙目で、一縷の助けを求めて子犬の様な様相で恋の相談を打ち明ける様な―――そんな少女漫画じみたシチュエーションがそこで繰り広げられる訳がない。どうせ、どうせだ。酒にでも酔った下品な親父共の如き色気のいの字も無いような調子でゲラゲラ笑って打ち明けるに違いない。愛宕洋榎という娘はそう言う女で、そういう風に育ってしまった。

しかもね。もう一人の娘から半ば匙が投げ込まれたような文面で押し付けられたとなれば、もう見ずとも解るであろう。きっと、そうきっと、ロクでもないに違いない。

 

―――むしろだ。胃が痛い。

 

恋愛事を持ち込んだのが絹恵であるならば、手を叩いて喜んだであろう。あの子が本気を出して落とせない男の子はそうそういないはずだし、例え駄目でも慰めて次に向かって頑張れと言えるであろう。

だが、今回は洋榎だ。

アレなのだ。

こんな好機、千載一遇所のお話ではない。もうここを逃してしまえば、彼女はきっとアラフォールートまっしぐらだ。ここは、人生を分ける分水嶺。生半可な覚悟で向き合う訳にはいかない。

「なあ----おかん。目ぇ怖い。何でそんなに据わっとるん---」

「なあ、洋榎----母にとって、娘の幸せは何よりも望むべくものなんや」

「お、おう」

両肩がギリギリと掴まれている。目が、目が、まるで我が子を人質にでも取られたかの如く鋭い力を孕んでいる。その目を直視してしまい、思わず情けない声がその喉奥から漏れだす。

「ええか?これはな、失敗が許されへん。アンタがこの先、あの約束された喪女になるかどうかの分水嶺や。ここでトチったら、アンタの未来は暗澹だと思え」

「お、大袈裟やなオカン------」

「阿呆。洋榎。アンタ、この恋が破れて、ついでにプロの世界に入って、その先次の恋愛に至るまでの難易度がどれだけ跳ね上がる思ってんねん?」

「------」

「ええか?―――絶対に失敗は許されへん。今回ばかりは、こっちも全力を挙げて協力したる。だから、下手な事は絶対許されへん」

愛宕雅枝は、実に重々しい口調で、そう宣言した。

「―――絶対に、落とすで」

 

 

「こんにちわー。この馬鹿娘の母親で、千里山女子の監督の愛宕雅枝や。今回、アレから指導の依頼受けたから、出来る範囲で教えたるわ。よろしくなー」

そんな力ない声によって、大学麻雀部は驚きと困惑の声が聞こえてきた。主にこんな感じで。

「え、あの人アレの母親なん?」

「アレって誰やねん。あんな大きいおっぱい誰も持ってへんやん。人違いや人違い。おい、愛宕の名字の女、他に誰かおったか―?」

「おらんわなー。なあ、須賀。お前実は愛宕って名前の女やったりせーへん。あの人お前のママやろ?」

「そんなわけないでしょう。どんな発想の転換ですか」

きゃいきゃいと好き勝手に喋る失敬な連中を、プルプル肩を震わせアレは見ていた。

「-----おう、お前等、絶対に後で地獄見せたるからな。今すぐ卓につきーや」

口元をひくつかせながら、アレはそう言った。いつもの弄りの光景である。

「まさかまさかその反応----ホンマにあの人アンタの母親やったんか!はよ言わんかーい!」

「やかましいわ!何で親子関係まで疑われなあかんねん!」

「ああ、でも確かに目元そっくりや!目元だけやけにそっくりや!本当に目元だけ!」

「強調すんな!ほんまええ加減にせーやこの阿呆共!」

ぎゃいぎゃいと喚きながら部室内で走り回る光景を尻目に、愛宕雅枝は目的の男に近付く。

―――須賀京太郎。

見た目からすれば、如何にもチャラチャラしてそうな男だ。高身長の金髪で、体つきもがっしりしている。しかし、目元が実に柔和で、見ただけで温厚な性格なのは理解出来る。

「おーう、君が須賀君かね?あの馬鹿娘が世話になっとるみたいやな。改めて、アレの母親の愛宕雅枝や。よろしゅうな」

「あ、よろしくお願いします。須賀京太郎です」

え、何で真っ先に自分に近付いてきたのだろう-----そんな不審げな困惑感がちょっと今のやり取りで伝わって来た。もうこれだけでこの男の子との進展はプーチンの毛ほども無いのだと確信できた。

「いやー、よく洋榎からアンタの話聞くねん。ちょっとどんな男の子か気になっただけや。そんな警戒せーへんといてや」

「あ、そうなんですか」

「仲良さげやね?あんまり色っぽい話ないから、男の子の話題が出て来て驚いたんやで」

あんまりどころか、最早ゼロに等しいのだが。日本語とは便利だな、とちょっと思う。

「仲はいいですよ。あの人、面白いですし」

出た!面白い人!

このキーワードを聞いた瞬間、自分の予想は兎にも角にも最悪の形で的中していたと彼女は確信した。異性関係で「面白い」が出てきた瞬間、それは二つの意味のどれかでしかない。照れ隠しか、本気で異性の意識が無いか。

「おもろいんやな?へー、あの子普段、どんなけったいな事やっとるん?」

「えー------何か、もうやりとりからしてザ・関西人って感じで。前はキャバクラの真似事までさせられましたし------」

「へ、へー」

「あ、そうそう、以前一緒に出掛けた事もありましたね」

「ほう!ちなみに何処へ?」

「甲子園」

「---------------------」

「もう、周りの応援団の方たちと全く遜色ない位必死になって応援していて、ヤジする姿まで堂に入っていましたね。本当に面白かったです」

言葉を、失ってしまう。

閉口したまま半ば意識を失ったかの如く呆然としていたが、彼はそれに気づかず周りの声に応答する。

 

「あ、須賀君。アカンで。この人美人でも人妻やからな。流石に手を出すのは引くわー」

「しませんよそんな事!」

「そらせーへんわな。偉大なる先輩の母親に手ぇ出すなんて、チキンオブチキンな須賀に出来る訳あらへんもんな?」

「何ですかそのバンドみたいな形容詞は------」

「焼き鳥&臆病もんの二重の意味や?上手いやろ?」

「うん------やっぱり、何というか、古いです。先輩。感性が」

「何やとこの野郎!」

ぐるる、と須賀京太郎に掴みかかった所で、周りの茶々も入っていく。

「せやせや。洋榎は時代に取り残された可哀想な女なんや。須賀、許したれ」

「時代に取り残された女、って何かかっこええな。中島みゆきが似合いそうや」

「中島みゆき?アホ言うな。あんなスマートなお人、この関西人に似合う訳あらへんやろ。吉幾三で十分や吉幾三で」

「吉幾三か!ええな、あの感じめっちゃ似合っとる。頭巾被ってひょっとこ躍りしている洋榎先輩-----最高や!」

「--------お前等、本気でええ加減にせーよ!おら待てーや!」

おおう、何か襲いかかって来とるで!こっち来んなや!アンタ母親の前でも変わらへんのやな!やっぱりアンタホンマにあの人の娘なん?こんな気性あらへんやろ!

周囲からの扱いをジッと見る。

いや、アレはじゃれ合いだと解ってる。実に関西的なノリだ。

だが―――問題なのが、彼もまたこのノリを受容し、洋榎を「ああいう女」だと完全に思い込んでしまっている事だ。

この状況下から、彼の意識を改善し、あの子を女であると意識させねばならないのか-----。

 

こ、こんなの、こんなの

 

「-------無理やん」

 

思わず、そう呟いてしまった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

再始動のお時間

活動報告でも書きましたが、オリジナル作品を投稿したので、興味ある方は是非是非読んでいただければ。


「洋榎」

「------はい」

「正座」

「-----はい」

「なあ、アンタ。一つだけ我が娘ながら言ってもええか?」

「何やオカン」

「アンタ------本当にやる気あるんかァァァァァァァァァァ!!」

叫ぶ。叫ぶ。とにかく叫ぶ。

近所迷惑?騒音公害?知った事か。今まさにある種の喪女への道をひた走っている我が娘へ、叫ぶ以外の思考が働かなかった。

「気になる男の子に迷惑かけまくって気を引こうとかアンタ小学生男子か!借りパク?漫才?甲子園?アンタ何処の次元から何の電波を受信してそんな事やってんねん!アホか?いやアホやのは百も承知やけどこんな次元のアホなんてはじめてや!」

「オカン-----目が、目が、据わっとる-------怖いわ」

「やかましい!今日相手の男の子見て見たけどめっちゃええ子やんけ!アンタみたいなアホに文句ひとつ言わず付き合ってやってるなんて何処の聖人や!」

「せやで!アイツはめっちゃええ奴や!」

「やから、やかましい!アンタが今やってることは断食中のガンジーの目の前でうまそうに飯食ってるも同然の暴挙や!無神経無鉄砲短気短足単細胞!アンタの慎ましさなんてその身体しかないやんけ!」

「な、何やとオカン!訂正せぇ!ウチは短足やあらへんで!-----何でや、何でアンタの娘なのにこんな引き延ばした片栗粉みたいな胸になったんや----」

「反論できる所がそこしかないんかい!------もう、ホンマ無理かも解らんわこんなん」

「お、オカンまで諦めるんか------」

「今のアンタの意識改革するなんてスターリンの頭ぶっ叩いて民主改革させるようなもんや。もう脳内改造でもせーへんと無理な気がしてるんや-----」

「ひどい!」

「ひどいのはアンタの頭の中身やホンマ。ホンマどないすんねんホンマさぁ。どないすんねん!あああああああもおおおおおおおおお!!」

「ああ!オカンが壊れたぁ!」

「絹恵も一度ぶっ壊れかけたからこっちに匙投げたんやで!どうすんねんホンマ!」

愛宕家ではこのようなやり取りが行われていた。

それほどまでに、本日彼女が味わわされた衝撃は大きかった。大きすぎた。

きっと、フェルマーの最終定理を前にした数学者はこんな気持ちだったのだろう。それとも宇宙を初めて眼前にした人間でも構わない。人はあまりにも大きすぎる絶望の前に、どんな風に対峙するべきなのか。心折れるしかあるまい。

「もう構うものか-----こうなれば、全員巻き込んだる。もう知った事ないわ。ほんま知らんわ。ホンマ」

「お、オカン-----何するつもりや-----」

うふふふふふ。あははははは。何事か怪しい笑みを浮かべながら、彼女はくるくると周囲を回りながら自室へと戻っていった。

「な、何や気色悪い-----」

何だか泣きそうな顔で、ポツリと愛宕洋榎は呟いた。

 

 

「もう知らん。知らへん。手段なんか知った事やないんや。ええやないかええやないか。―――なあ末原ァ!」

「何がええんですか-------」

顔を引きつかせながら、末原恭子は眼前の愛宕雅枝を見る。

洋榎経由で知らぬ仲ではない。とはいえ―――すみません。誰ですかこのテンションがトチ狂ったお人は。

「ぶちょ―――やなくて、洋榎がどうかしたんですか。唐突に梅田なんかに呼び出して。しかも、絹恵も一緒やないですか」

「久しぶりです先輩。本日はちょいと付き合って頂きますわ」

「付き合ってもらうでー恭子ー」

何だか緊迫した二人とは対照的に、いつもの通りすっとぼけた表情をした愛宕洋榎がそこにいた。

「あの薄情者どもめ-----こんな事に付き合ってくれるひまじ-----人がいい奴はアンタしかおらんかったんや、末原」

「今、暇人っていいかけましたよね?」

「気のせいや気のせい-----ほんじゃあ、今日の目的を一先ず説明するで」

そうして、愛宕家の面々は本日末原恭子を呼び出した理由を滔々と説明する。

「-----つまり、何とかこれの恋を成就させたい、と」

「せやせや」

「-----で、何でウチは呼び出されたんですかね?」

「そりゃあもうアンタが暇人やったからやで」

「もう隠すつもりもあらへんのですかそうですか。で、本日は何をするんですかね?」

「まあやる事は簡単や―――梅田名所巡り&服の調達って所やな」

 

 

つまりだ。

この女が件のデートで失敗した理由はあまりにもデートスポットに対する知識の欠如が原因であったと。そうであるならば簡単な話だ―――デートスポットを予め回り、その準備をさせればいい。

成程。何だこの過保護に過ぎる作戦は―――。そんな当たり前のツッコミが頭をよぎる前に、それよりも更に当たり前の疑問が頭を巡る。

「それで、何でウチが呼び出されたんですか」

そう。彼女はごくごく自然にこう言いたかった。

―――アンタ等だけでやれや。

そのメッセージをその眼に宿しジトリと睨む。しかし、その睨みを真正面から受け止め、愛宕雅枝は口を開く。

「聞きたいか?―――本当に?」

「そりゃあ、聞きたいに決まってるでしょう」

「それはな―――」

重々しく―――まるで死刑宣告でも告げるかの如き荘厳さを以て、彼女はこう答える。

「こんなアホらしい事、誰か巻き込まないとやってられんからやで」

「あの、帰っていいですかね」

心底、末原恭子もこう思った。

実に、実に―――下らない、と。

 

 

「そもそも、寝耳に水もいい所ですわ。高校の時なんか色気のいの字も無いような青春を送って来た洋榎が、何で今になって-----」

「間違いなく、ウチ等も寝耳に水なんやで。―――しかも相手は二つ下の後輩や」

「ほう」

「お、おかん。別にそこら辺は話さんでええんちゃう------?」

「うっさい。付き合ってやってるんやからウチにもおもろい話位聞かせろや―――それで、どんな子なんですか?」

「長野からやってきたナチュラルパッキンの子や。チャラそうに見えてめっちゃええ子やで。イケメンやしな」

「そりゃあ、中々優良物件に出会いましたなぁ」

「それならええんやけどな。姉ちゃんは優良物件の窓にボール投げ込んで割って悪戯する様な、控えめに言っても小学生低学年じみたアプローチを開始したんや」

「-------」

「流石は優良物件や。子供の悪戯や思ってまーた馬鹿な事やっとるわーアホやなー位の気分でずっとその悪戯に付きあっとったんや。するとどうや。まるで近所のクソガキの相手しとる大人の絵面や。最早、意識の上で同レベルやないねん。間違っても、惚れた腫れたに繋がる訳もない関係の構築をせっせと作ってたわけやな。―――なあ、姉ちゃん」

「うぐぅ」

「弁当は盗む。借りたもんは返さん。デートは甲子園で親父共とスクリーム。挙句の果てに弁当はもう作ってもらっとる始末。―――もうな、これはちゃう。ちゃうねん。おう、末原。お前を率いていた部長はこんなんやぞ。こんなん」

「いや、まあ-----部長としてはホンマに尊敬できる人やったから-------」

「恭子ぉ----」

うるうるとした表情で愛宕洋榎は末原恭子を見た。うん、やっぱり間違ってない。

「とはいえ―――ポンコツな部分が全くないとは口が裂けても言えませんけどね」

「恭子ぉ!」

裏切ったなぁ、と愛宕洋榎は喚きたてる。―――ああ、うん。確かにこれじゃあ恋愛の対象には見られませんわなぁ。これはもう珍獣や、珍獣。

「とはいえ、このままでずっといてもらう訳にもいかへんのや。―――という訳で、これから改造のお時間や」

そして、辿り着く。

梅田中心街の、服屋である。

「―――ま、まずは外見からやな?さ、覚悟しぃや?」

 

愛宕洋榎は引き攣った笑顔でイエッサーと言った。

 

―――愛宕洋榎乙女化計画、再始動。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

デートの流儀

キャラ崩壊注意。あ、今更か。


こうして、梅田センタービルの一角にあるファッション売り場に足を踏み入れる。

「さて、どんなん買おうかね?今日はかーちゃんが金出してやるから、ちょっと高めのでも許したる」

「以前はワンピ買ったんやけどな」

「ええセンスや絹。実際、ギャップ出したいなら女の子女の子している方がええやろ。それだけでギャップになる」

まるで予定調和の如く絹恵と雅枝の二人があーでもないこーでもないと丁々発止の掛け合いをしながら服を物色していく。その中で―――当たり前の如く洋榎と恭子は完全にハブられる形となっている。

「ちょ、なんでウチハブられてんですか」

「パンツルック&スパッツオンリースタイルはここではいらへんのや、末原」

「あ、先輩にはあまりファッションセンスには期待してないので----」

「おいコラ待て」

ちょっと待て。ほんとちょっと待ってほしい。

暇だからと呼び出されのこのこやって来たまではいい。この珍獣の面倒を見る事に嫌気がさし誰かを巻き込もうとするその魂胆も、腹は立つもののまだ理解はできる。重ねて言うが、腹は立つが。

なのにこれはどういう事だ。巻き込まれ泣く泣くこの下らない茶番劇に付き合ってやっているにもかかわらず、何故に自分はこうまでもディスられなければならないのか。

「いいじゃないですかスパッツ!動きやすくて!」

「動きやすさなんてこの場では求めていないんやでこの阿呆。アンタ戦場でも動きやすいからって軍用ベストの代わりにNAGANOスタイル押し付けるつもりか?」

「そもそも先輩には何かをする事を求めていないんです。おとなしく巻き込まれてください」

「ホンマアンタ等何の為にウチを呼んだんですか!」

ちなみに、現在の彼女の服装はサスペンダー付きトップスからホットパンツを釣り上げているという極めて形容しがたい服装をしており、彼女達の危惧は一般的基準から見れば正しいと言える。あくまで一般的な視点であるが。

「ええか。この先は攻略難易度Maxの討ち死に覚悟の戦場や。キッチリ装備を整えていかな死んでまうんや」

狂気が、愛宕雅枝の目の中で踊っている。

―――彼女にとってこの衣服の山々が何に見えているのか。彼女の何が眼前の現象の感覚質を変えているのだろうか。何故に、そんな人殺しの様な目でファッションを見ているのだろうか。末原恭子には、残念ながら解らなかった。

「ここで、ここで妥協する訳にはいかんのや------どうすればええんや------」

漆黒を孕んだ目が、ぼそぼそと何事かを呟くその語り口調が、彼女の狂気の一端を示している。

何だ。これは一体何なのだ―――末原恭子は、本日何度目かも解らぬ溜息を吐き、ついでに頭を抱えた。

 

 

「さて、お次はデートスポットや」

物々しく愛宕雅枝はそう言った。

―――大阪が誇る日本一高いビル、その名もあべのハルカスの入り口で。

「ここはとにかくどのタイミングで来てもええから便利や。周りにはショッピングスポットがぎょうさんあるし、ランチついでに来たってええしな」

「成程なぁ。まあ、吊り橋効果言う位や。高い所ってのは、それなりに意識してくれる場所かも解らんな」

「------馬鹿と煙は何とやらともいいますよね」

「あ?」

「------すみません」

愛宕雅枝にギロリと睨み付けられるだけで、末原恭子はただただそう言った。別に怖がっている訳ではない。果てしなく面倒なだけだ。

「おう、そんな憎まれ口叩けるくらいやからな。末原、アンタもデート経験位あるんやろうなぁ?」

「------」

「無いんかい!?」

「無いわ!あったらアンタ達のこの哀愁極まる面倒事に来るわけないやろがぁ!」

「何でないねん!」

「そりゃあ、麻雀に忙しいからに決まっとるでしょーが!」

「そんな言い訳が通用すると思っていると思うてか末原ァ!」

「うっさいわ!色ボケコントはアンタ等身内だけでやっとけ!」

何故だろう。何故こんな理不尽を与えられなければならないのだろう。神様仏様ついでにビリケン様。自分には何か貧乏神の類がくっ付いているのでしょうか。面倒事に巻き込まれた挙句こうして散々な扱いを受けているこの現況は、一体何なのでしょうか。おら、答えやがれ。

「色ボケ色ボケ言うてるがな-----この先、知らへんで。アンタのこの先の人生の行き先が、どうなろうともな」

「は、はあ!?」

ふっふっふ、と愛宕雅枝は笑う。

「そうして恋愛弱者である現実を見つめ直す事もせず、歳を重ね、恋人いない歴年数が積み上げられ、アラサーの泥沼に浸る未来------アンタも人事やないんやで----」

「な、何ですか------」

「周りが結婚していく。家庭の話で、旦那の愚痴で、子供の可愛さで話に花を咲かせている中、アンタは一人途方に暮れているんや。まるでインハイで宮永咲に失点ぶっこいてた時と同じ目で、何かあるはずのないものを探しているんや。されど見つかる事無く、アンタは時代の激流に取り残され麻雀に縋りついてアイデンティティを満たす-----そんな、愚にもつかぬアラフォー女になるんや-----」

「何度も言いますけど、ホンマ失礼ですねアンタ等!」

「くそう-----ファッションセンス皆無。ついでに恋愛経験なしの恋人は牌を地で行く女-----アンタ何でここに来たんや!」

「アンタに呼び出されたからやろがァァァァァァァァァァ!!」

思わず掴みかかろうとする末原恭子を、愛宕姉妹がどうどうと両脇を掴む。

「離せ!もう堪忍出来ん!一発叩きこんだる!」

「落ち着け、恭子!落ち着くんや!ほら、こういう時は素数を数えるんや!」

「数えさせる前に帰らせろやァァァァ!」

涙目になりながらそう漏らす不平の言葉は、天まで突かんとばかりにそびえ立つ摩天楼に、吸い込まれていく。

神様仏様。

お前等の正体が解ったぞ。お前等は人間を救う生者なんかじゃない。人間共の運命を操ってエンターテイメントを催してゲラゲラ笑っている畜生共だ。何故貴様等が用意した運命の中で、このような何処までも理不尽で何処までも惨めな茶番に付き合わされねばならないのか。ええい、覚えていやがれ。十字架に吊るされた姿を見る度、首が折れた地蔵を見る度、腹を抱えて笑ってくれる。畜生、畜生め!

 

 

「さて、一先ず落ち着いた所で―――ここが展望台や」

「おおう、高いなぁ」

まさしく、一望だ。大阪の遥か彼方まで、余すとこなく見えている。

「ええか、洋榎。―――ここでは、下手に喋っちゃあかんで」

「へ?何でや母ちゃん」

「下手に騒ぐより、こういう場所では雰囲気を味わなアカン。一緒に高くてきれいな場所を共有して見ている、という思い出の形成をせなアカンねん。だから、ここに来たらとにかく黙れ」

「喋れへんとか、ウチに死ね言うてるも同然やん!」

「馬鹿か?アンタいっぺん死ななアカンねん!」

「死ななアカンの!?」

「ええか。アンタと須賀君の力関係を考えれば、アンタが圧倒的に弱者や。須賀君はアンタに女としての意識なんかミジンコ程も持っておらん」

「うぐぅ」

「だったらアンタの都合なんか二の次や。そんな下らんもん殺してまえ。アンタがデート楽しめるかどうかなんかはっきり言ってどうでもええねん。須賀君が楽しめて、かつミジンコからアリンコ位までには女としての意識を持ってもらえるかが勝負なんや」

「ひどい言い草!」

「やから、一旦アンタの願望や都合は死んでまえ。クソ手の捨て牌かアンタの胸並に価値のないものや」

「ウチの胸、捨て牌と同価値やったんか!」

涙目で愕然とする元主将を、末原恭子は何だかよく解らない感情のまま見ていた。

 

そして、一つの真実を得た。

恋は人を変える―――ではない。

 

恋は、人に変わる事を要請するのだと。

そして―――恋愛糞雑魚ナメクジとは、この変わる要請に応えられない人間であるのだと。

 

ダラリと彼女は汗を一つかいた。

 

―――ホンマに、ウチ大丈夫なんやろか。

そんな―――いらぬ心配に、身を縮こまらせるのであった-------。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

踵鳴る

活動報告でリクエスト部屋設置したので、私の作品で何かの要望があればどしどしどーぞ。


きっと彼女等は後悔しているに違いない。

しかしてこの女共にきっと反省の二文字は無いのだろう。

無理無駄無益。まさしくこのまるまる休日を潰した挙句、何も生み出さない非生産的活動に彼女達は従事していたのであった。何かを生み出したとなれば徒労感のみである。不可能を人は「無理」と言い換え、徒労を人は「無駄で無益」と定めた。

まあ、つまりだ。

皆が皆、憤っていた。―――一人を、除いて。

「何やこの徒労感は--------」

末原恭子は、思わずそう呟いた。

この一日で、この女の頭が一ミリでも改善できたのか?

思わず、その横顔を眺めた。

ああ、何て整った顔をしているんだろう。目はくりくりしてて子犬みたいだなぁ。そのくせ妙な愛嬌だってあるのになぁ。なのに何故だろうなぁ。これっっっっぽっちも女としての魅力を感じないのは。これだけ恵まれた素材を持っていながら、この女は一体何をやっているんだろうなぁ。本当に、何をやっているんだろうなぁ。ダイヤの原石を叩いて砕いて猿にでもくれてやったのだろうか?猫に小判どころじゃない。猫はきっともっと可愛らしい使い方をするに違いない。

この女―――どうやら愛宕洋榎という名前らしい―――は、現在ほくほく顔でたこ焼きを頬張っていた。

「うまうま。やっぱり梅田来たならたこ焼き食わへんとやってられんわ。うまうま。お、唐揚げも売ってるやん。買うでー。おっちゃん、唐揚げ三つ頂戴やー」

ピキリ。青筋が何故だか浮かんでしまった。何でだろうなぁ。

ああ。そうか。そういう事か―――末原恭子はうんうんと頷いた。

「何や恭子。こっちジッと見て。いくら見たってやらへんでー」

何故なのだろう。この徒労感の果てに、皆が皆絶望の暗い炎をくべているというのに、この女は何処までも能天気な幸せそうな顔面でたこ焼きをパクついているのだろう、と。そんな単純極まる疑問符が、踊る様に自らの脳内を駆け回っているのだ。

何だろう。こう、外れクジしか入っていないボックスに手を入れているような、もしくは自動拳銃でロシアンルーレットをしているような―――無常感。

自分達は、もしかしたら人間を相手にしていないのだろうか。

そうだ。そうに違いない。

「ふふ------ははは----」

「なあ、絹。母ちゃん。恭子が壊れ始めてるでー」

「残念やな。致死性のウィルスに感染してもうたな」

「そのウィルス、感染源アンタやけどな、姉ちゃん」

「ウチがウィルス?こんな美少女つかまえてよく言うわ。―――あ、唐揚げもうま。このしょっぱさやな、唐揚げは。うんうん」

「ウチの遺伝子継いで見てくれだけでも立派に拵えた分、隠匿性の高いウィルスになっただけやこのボケ。まさかとは思うが、須賀君とのデートでも同じ行動とるんやないやろうな?」

「そんな訳ないやん―――お、今度はお好み焼きか。どれどれ------お、いい値札してるやん、おっちゃん!一つ頼むで!」

「いい加減にしろやあァァァァァァァァァァァァァ!」

ふらふらと屋台の匂いに誘われるがまま食欲を満たさんとする我が子に、愛宕雅枝は遂にキレた。

背後から右腕をぐるりと洋榎の首へと回し、左腕にてその右腕を固定。見事なチョークスリーパーを極めていた。

「ええ加減にせーよこのボケ!アンタのその空っぽの脳味噌とスカスカの貧相な身体にそんなジャンクな栄養はいらんのや!自重という言葉が無いんかアンタの辞書には!」

「か---かーちゃん-----ギブ、ギブ----]

明後日の方向へ視点がぐるぐる回り始めている洋榎は、苦し気にそんな言葉をうわ言の如く繰り返す。

無視。

誰もが無視を決め込んでいた。

誰もが憤っているのだ。それは至極当然の帰結であった。まるで暗君の処刑場を乾いた目で見つめる群衆の如し。

「うるさいしやかましいし油もんパクつくし甲子園で喚くし対局マナーも悪いし、アンタ一体何処に女を置いてきたん?おおう、こたえーや!」

チョークスリーパーを解除すると同時に、雅枝は洋榎の肩を掴んで揺さぶる。頭に血が上っていない洋榎、意識が酩酊状態。

「あうあうあうあうあうあうあ」

「ええか、一つ言ったるで!アンタ、散々あのザ・アラフォーの特番見てゲラゲラ笑っとたな?アンタの二十年後の姿は間違いなくアレや!覚悟しとき―や!ウチはいややからな、60にもなってアンタの面倒見るの!そんな事なったらメロンの代わりにアンタの胸をカツラ剥きにしてやるからな!覚悟し―や!」

「どうどう、かーちゃん、落ち着き―や!姉ちゃん、泡吹いとる!泡吹いとる!」

流石にここに至っては、愛宕絹恵も止めに入った。このままであると、更にこの姉も女としてのこれ以上の醜態を晒す羽目になるやもしれぬが故に。

「何でや!何でウチの娘なのにこんなんなってんねん!うわ―――――――――――ん!!」

哀し気な叫び声は、辺りの喧騒に消えていく。

叫びながら我が子を揺さぶる母。揺さぶられる長女。止める妹。乾いた笑みを浮かべる末原恭子。

形容しがたいカオスであった。

しかし、このカオスすら、この街の喧騒は吸い込んでいく。

大阪の空は、何処までも器が大きかった。きっと、そうなのだろう。そんな事を、この中の誰かが思った。そう、きっとこの空は、何処までも澄んだ色をしているのだろう、と―――。

 

 

形のないイライラは、何らかの形にしなければ解消できない。

そういう訳で、愛宕一行は雀荘に向かっていた。

夕暮れ時。仕事終わりの親父共や、暇を持て余した学生が溢れるその雀荘は、道頓堀の商店街を少し外れた場所にあった。

愛宕雅枝が手続きをし、四人は卓に着く。

「ぶっ潰したるわ。かかってこいやおばん&ピーチク共」

「はん、小娘が。よく言うわ。まだまだウチに比べりゃアンタなんざひよっこや。アンタの心根ごと叩き潰したる」

「格下かて思って油断してると足を掬われるで?覚悟し―や」

「ああイライラする------。もうここでぶっ潰すしかないんや----。潰す----潰す-----!」

何やら、鬼気迫る悪意に塗れた空間が、一つ出来上がっていた。まさに、異質。お互いをお互いに食い潰さんと獣の眼光で睨み合うその空間は、周囲を野次馬に変えた。

「ギャラリーが増えてきたやんけ。ええ感じやな。これでウチ以外全員ぶっ飛ばして大恥かかせていい気分で帰ってやるわ」

ニヤニヤニヤニヤ。四人分の嘲け笑いが辺りを包んでいく。

 

賽が、振られる。

―――さあ、勝負の始まりや。

 

カオスが、より深まって行く。

洋榎が全方位に向け喧嘩を売りまくり、そしてその他三人がそれに凄まじい勢いでそれに噛み付いていく。“おうおう、更年期に差し掛かって麻雀の腕も更新してきたんかかーちゃん?歳ってのもキツイもんがあるんやなー”“よく言うわ。アンタの恋愛遍歴なんかなーんも更新期がないのになー。一生空白のまま、肉体だけが更新されてくで。可哀想になー”“スカスカなんは胸だけで十分やで、姉ちゃん”“もうアラフォールートでええやろ、部長―――あ、もう部長でもなくなったか”

溢れ出る罵詈雑言が、次から次へと。マナーも悪ければ口も悪い。しかしここまで振り切っていれば野次馬共は盛り上がる。

ぎゃいぎゃいと盛り上がる中、ゲームは進み、二時間ほどの対局を以て終了した。

互いが互いに思う存分やりたい放題し、皆が皆何やらやりきった顔をしていた。

「スッキリしたな」

「おう。ま、もういっか。これで」

互いに笑い合いながら、席にもたれかかる。

その時、声がした。

「失礼します。ゲームも一段落したようですし、ドリンクのサービスをさせて頂きます」

「お、ありがとさん―――え?」

給仕姿で、ドリンクを持ってきた男を、―――呆然と、末原恭子を除く三人は、眺めた。

「え、皆どうしたん?」

末原恭子がそう呟くも、皆が皆その光景に呆気にとられていた。

そこにいたのは―――。

「本当―――何やってんですか」

金髪をオールバックに纏めた―――須賀京太郎の姿であった。

 

終末の鐘の音が、何やら聞こえた気がした。




最近、私の隣に住む方が、ずっと斉藤和義の「歌うたいのバラッド」を大声で熱唱しています。夜一時くらいに。声は-----何か、心なしか今や懐かしき野々村議員の如き美声でした。私は何も言わず、大音量の豊田議員の音声を垂れ流す事を決意しました。かしこ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ハローグッバイ

He who has never hoped can never despair.

バーナードショーの格言である。

「希望を抱かぬ者は、失望する事も無い」―――。

まさしく、その通りである。希望無き者に失望の二文字は無い。無から有は作れない。そもそも持っていないものを失う事は、物理的にも概念的にも不可能だ。(時々、愛宕洋榎は自らの肉体を眺め、“母の遺伝子を失った”と言う事もあるが、それも間違いである。胸部の遺伝情報は妹が継いだだけで、一子相伝皆が皆同じ遺伝子を継ぐわけではないのだ。それと同じである)

現在、須賀京太郎の目には失望の二文字は無かった。

―――何をやっているんですか全くもう。いつもの事ですけど、俺がバイト中の時まで恥をかかせるの止めて下さいよ。

彼の言葉は若干の笑みすら浮かべながら放たれている。それが何を意味するのであろうか?彼は、―――眼前で女を全て捨てきった愛宕洋榎の姿を見て尚、失望なんぞしていないのだ。

希望なんぞ、ない。

故に失望すらない。

 

それを表す言葉は、ただ一つ。

希望は、途絶える。

 

故に、絶望。

 

 

こうして―――“愛宕家+αによるチキチキ洋榎女子力アップ計画”は、見るも無残な結末によって締め括られた。

何なのであろうか―――。愛宕雅枝はまるでジェノサイド後のルワンダを眺めるが如き光無き瞳で、自らの娘を眺めた。

「--------」

「--------」

「--------」

「--------?」

重苦しい沈黙を奏でる女三人、そして能天気そうにニヤつく女が一人。

休日を丸々潰して得た結果が、この間抜け面を拝む事だったのだろうか。

あまりにもやるせなくて、悲しくて、もしくは切なくて―――絹恵が、声を上げる。

「なあ、姉ちゃん」

「ん?何や、絹?」

「―――何でそんなわろてんねん?」

呆れ混じりの妹の言葉に―――何を当たり前の事を、と言わんばかりにカラッとした笑みを浮かべ、その問いに答えた。

「そら決まっとるやんけ。須賀のバイト先知ったんや。これからバシバシ攻めていくで~」

その言葉に―――顔を青ざめさせる女が、また一人。

愛宕雅枝であった。

その、まさしくあらゆる状況を無我の境地に放り出しているのであろう娘の首根っこを、掴む。

「アンタは、何を言っとるん?」

ギリギリギリギリ。後ろ首の根っこに指をめり込ませると、彼女は薄ら笑いを浮かべる。

そのまま、背後から、―――まるで蛇の如く愛宕洋榎の顔面を眺める。

その眼は、深い慟哭と諦念が入り混じった空虚であった。あらゆる負の感情を底に沈めた泥の沼。その眼を直視し、思わず愛宕洋榎は凍り付く。

「今のアンタなんてなぁ、大学で会うだけの関係やから成り立ってんねん。今のアンタがあの子のアルバイト先なんかに顔を出してちょっかいだしてみぃ。ただでさえウザさ百パーセントやのに、もう天元突破、宇宙創成の数え役満や。もうそうなればお終いや。本当に雀荘でくだを巻く駄目人間オブ駄目人間に成り下がるで」

「だ、駄目人間-----」

「アンタの駄目な部分じゃない所なんか、あったら教えてほしい位や」

「ほ、ほら---。かーちゃんが授けてくれた、この均整の取れた美少女ボディなんか----」

「--------」

「な、なんか-------」

「腹を痛めてその身体を授けた身からしてみればなぁ----まるで命懸けで海洋に出て釣った魚を、路上に放り出して腐らされている気分なんや。解るか、洋榎?」

「ヒィ-------」

「もうここまで来たんや。―――安心しぃ、洋榎。私はな、お前の母親や。アンタの幸せを、アンタの願いが叶う事を、心の底から願っとるで。ここで投げ出したりなんか、せえへん」

「--------」

「ただ―――麻雀と同じや。勝つために、血反吐を垂れ流す覚悟で徹底的にやらなあかん。だからな、洋榎―――」

ニコリと笑み、彼女は―――事もなげに、宣言した。

「一度死んでもらう」

 

 

それから。

 

―――そうです。彼とは、いつの間にか別れてしまいました。ずっとずっと、すれ違っていた日々だったので。

―――雀士の世界はとても厳しいものでした。彼とはプロ入り前から付き合っていて、そのままお互いに同棲しながら生活していました。けど、雀士にとって土日は遠征の為の移動日であったり、他のイベントで潰される事も珍しくはありませんでした。一緒にいる、というのは形だけのものでしかなかった。ずっとずっと、忙しさの中で心が離れてしまったんだと思うんです―――。

 

―――お嫁さんになる、というのが一つの夢だったなぁ。でも、アイドルになるのも雀士になるのも、また一つの別の夢だった。だったら仕方がない。そう思う他ないんです。何かを得る為に何かを切り捨てなければならないのは、珍しい事じゃないんですから。だ----だ、だか----ら。う----うう-----。

 

―――アンタ、解ってる?こうやってアタシが飯を作ってあげられるのもメロンを剥いてあげられるのも、アタシが生きている間だけだって。そりゃあ、アンタは十分な位稼いでくれてるし、ここにいる事に何の文句も無いわよ。でもねえ。いくら金があってもいつまでもアタシが元気でいられる訳じゃないんだよ?アタシが死んだらアンタどうするのよ?

 

見せた。

末路を。

女雀士というものはよくよく特集されるモノだ。華やかな世界であると同時に、厳しく惨い世界の最中で家庭を得る事無く年を経てしまった人間だって存在する。そういった雀士たちは、メディアを通してその姿を見せつける。

愛宕雅枝は、我が娘を椅子に座らせ、その背後でこれらの映像を流し続けた。

最初はゲラゲラと笑い転げていた洋榎であったが―――口を一文字に閉じ切った母の冷たい目線と、後半にかけて生々しさを増していく慟哭と現実に、徐々に苦笑いへと転化させていき―――次第に、自らの未来を重ね合わせ、直視できずに視線を逸らしはじめ―――。

「逸らすな」

冷たい声音が、彼女の脳裏に刺さる。

まるで看守だ。

「そうや。これがアンタが目を逸らしてきた現実や。蓋然性の高い未来―――アンタという人間が抱く理想と現実の狭間に揺蕩う、ゆらり揺れる“可能性”や」

―――そうよ。どうせ、どうせアタシなんか―――。

―――どうしてこうなっちゃのかなぁ―――。

―――へ?いいから今度は桃を剥いて来てよお母さん―――。

怜悧な刃で斬り裂かれるような痛みが、心の中に走って行く。

「ご、ごめんなさい------ごめんなさい母ちゃん-----もう、もうアカン-----堪忍、堪忍してぇや」

「―――お前は、ウチの言葉に堪忍した事があったか----?今まで一つだって耳を傾けた事があったか----?絹の、他の連中の------声を、聞いていたか----?」

ヒィ、と愛宕洋榎は珍しく可愛らしい声を上げる。

その声が。その姿が。哀憐という哀憐をふんだんに詰め込んだ、母として持ちうる哀しみを一身に引き受けたかの如きその姿を直視して。恐ろしくもあり悲しくもあり、これ程の怒りを内蔵させてしまったという事実への困惑という意味でもあり―――何もかもがとにもかくにも目を逸らしたくとも逸らせない力があった。

ふふふふふふふふふふふふふふふふふ。

笑う。

彼女は笑う。

そして、叫んだ。

「堪忍して欲しいのは―――いつだって、うちやったんやアアアアアアアアアアアア!!」

 

地獄が始まり、戦いが始まる。

戦いの鬨の音は、いつだって何かの犠牲の上に始まってしまうのだ。

 

続く。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

前兆の前兆

久々更新


決めたのだ。

私は恐怖を与える。

そう。我が娘に、一生残る愛と勇気を与える―――その事を、前提に。

 

一生残る、恐怖を。

 

焦燥を、絶望を、衝撃を、現実を、―――すべてひっくるめて、恐怖を。

怖がらせるだけ怖がらせてくれる。お前の待ち受ける未来を。お前の待ち受ける現実を。まるで冷たい刃を振り下ろすが如き残酷さを以て、私は恐怖を刻み込ませる。

怖いか?怖いよなぁ。自分の末路が怖いよなぁ。

 

だがその恐怖が―――きっと愛と勇気へと変わるのだろう。

恐怖に抗うべく人は愛と勇気を知るのだ。絶望の最中に打ちのめされながらも、浮かべる笑顔にこそ、その美しさの本懐があるはずなのだから。

 

 

「―――雅枝さん」

「何や末原?」

愛宕家+αによるチキチキ洋榎女子力アップ計画―――改め、愛宕洋榎意識改革、並びに恐怖体験による洗脳計画―――始動後。その有様をさまざまと聞かされた末原恭子は、何ともいたたまれない―――まるで理不尽な力でハコ割れしてしまった誰かを眺めるような―――目で、愛宕雅枝を眺めていた。

「作戦―――。上手く行きそうですか?」

「知らんわ」

「ええ-----」

思いがけぬ冷たい返答に、末原は思わずそんな声を上げてしまう。

「―――ええか。アンタだって麻雀の素人こさえて魔王と相対せぇ、言われたらどんな作戦思いつくねん。あんなん、麻雀やり始めでキャッキャしてる子供達を機嫌悪いアラフォーの前に立たせるようなもんやで?」

「まあ、はい。そりゃあ、そうですけど-----」

うん。もう正直そんなレベルですらないかもしれない。だって、あの女、下手すれば女子としての自覚が小学生で止まっているのかもしれないのだから。素人どころではない。まだそのラインにすら立っていない。

「目的を達成するのに一番有効で、一番確実な方法が何なのか、教えてやろうか?」

「何ですか?」

「繰り返す事や」

「繰り返す?」

愛宕雅枝は、大真面目にそう力説した。繰り返すのだと。末原は思わずオウム返しでそのワードを繰り返してしまう。

「せや。失敗したら、またやり直す。永久にそのトライ&エラーを繰り返せば、いつか何処かで成功すればいい。全国大会で優勝したければ、永遠にダブってずっと出場すればええねん。な、末原?」

「ダブりませんよ----。あの、それって、もう作戦やないじゃないですか----」

「うっさい。今洋榎はひのきの棒一本で魔王ぶっ殺して来いって言われているようなもんなんや。だったら、荒療治の連続によって、やっていくしかないやろ。ちまちまスライム狩りしてられへん。メタル狩りをずっとやっていかなければ、あっちゅう間にアラフォールートや」

「はあ、そうですか------」

呆れの極致に達し、末原の返答が段々と投げやりかつ適当になっていっている事に勘付いた愛宕雅枝は、冷たい目でジロリと睨み付ける。

「同じ治療、受けさせたろか?」

「遠慮します------」

「親友やろ?」

「だから何なんですかい。アンタ、薬の副作用で苦しんでいる時に、“親友なんだから同じ苦しみを味わえ”って健康な親友に薬を渡すんですか-----」

「だって、アンタ、現状アレと同じ病気患っとるやん」

「アレと一緒にしないでくれますかね----」

そりゃあ、現状としては同じかもしれないけれども、アレと同列に並べられるのだけは心外の極みである。目くそ鼻くそ大いに結構。しかして譲れぬプライド位存在する。

それに―――この母は、やっぱりアレの親だ。

親だからこそ、やっぱり何処か見る目に情が灯ってしまう。客観的に見ているつもりなのだろうけど、この先きっと学習してくれる、成長してくれる―――期待値に関しては青天井で考えてしまっている。

甘い。

実に甘い。

アレは、そんな甘ったれた存在ではない。

「-------雅枝さん」

「何や?」

「ウチはさ、どうしたって―――最悪から逆算する女やねん」

「お、おう」

「アンタは経験値を稼げば稼ぐだけ成長するなんて気楽な事言っとるけどな------アレを、甘く見るな」

「-----」

「アレは開けてみなければ解らないビックリ箱やで。こちらの予想というレールなんて簡単に踏み越えて、必ず斜め上に跳躍する女や。―――荒療治の果てに、頭がトチ狂っても、ウチは知らへんで-----」

そう。アレはパンドラの匣だ。

空けてビックリ、カオスの闇。自由気ままな発想から生み出される非常識の数々がこちらの想定を飛び越える。そんな女が、おとなしくまともな方向性に成長する訳がない。

何かが―――そう、何かが。何かが起こるはずなのだ。

 

 

須賀京太郎は、一限の授業を終え、一息ついた。

先日は実にビックリした。部活の先輩と、その妹と、そして高校時代のチームメイトと―――自分のバイト先で麻雀を打っていたのだから。

あの雀荘は大学から結構離れていたし、大学の近辺にはもっと割のいい雀荘がある。だからこそ、部活の仲間がそれほど立ち寄る事はないだろうと考えていたが―――それは甘い考えだったようだ。まあ、バイト先が割れて困る事なんて、気恥ずかしい以外の理由はないのだが。

そして、想定よりも大きく上回る気恥ずかしさを味わわされる事になった訳である。

雀荘でアルバイトする位なのだから、そこの従業員は当然、麻雀に詳しい。それが、客層と一致する―――つまりは大学生であるならば、より詳しくなるのも当然の帰結だ。

そして我が大学が誇る看板エースが、ゲラゲラ笑い、煽りながらマナーのまの字すらない打ち方でそこに鎮座なさっていたのだ。次第にその席は愚痴と悪口が押収する異様な席となり、野次馬含めとことんエキサイトしていた。

最初は知らぬ存ぜぬのしらきりで押し切っていたが、店長が“お前と同じ大学のエースじゃねえか”の一言で無事あの席へと飲み物を届ける事に。気まずいなんてものじゃなかった。―――もっとも、気まずかったのは張本人以外の人間であり、アレは一切頓着していなかったようだが。

それからというもの―――ちゃっかり店のカメラで牌譜を記録していた店長に、“噂に違わぬすげえ奴だな。色々と”と、何だか憐れみ混じりに肩を叩かれるようになり、同僚の女子従業員はこちらを見る度くすくす笑っている始末。いい加減にしてほしいものである。

 

そして、二限。この時間に部室に来れるのはごく少数のはずである。こういった時間を使って、彼は部室の整理などを行っていた。その少数の中には、あのやかましいの権化がいる―――はずだったのだが。

 

「休み?」

「せや」

先輩部員の一人が、そう彼に伝えた。

「体調不良ですか?珍しい-----」

「アホ。あのレベルの馬鹿を張り倒す風邪なんかあったら、ウチ等全員ぶっ倒れとる。そうじゃなくて、何か―――」

もの凄く言い辛そうに、その先輩は口ごもる。

そのまま無言で、彼に携帯画面を見せる。そこには、LINEの画面が写っており、トークルームが開かれている。なになに―――。

 

ヒロエ『ウチは生まれ変わる!だから、今日だけは休むわ!』

 

「-------」

「-------」

 

生まれ変わり―――という言葉に、これ程の胡散臭さを感じさせることが出来る人間は、きっと宗教の勧誘者かこの女位だろう。

そして、―――胡散臭さと同時に、ある種の恐怖を覚えてしまうのも。

 

愛宕洋榎は、麻雀に対しては真摯であり、かつ誰よりも麻雀好きである。その部分においては、部員全員が認める所である。その女が、麻雀を一日サボってまで、生まれ変わろうとしている。

恐ろしさしか、ない。

「-------あの、取り敢えず、牌を拭きます-----」

「うん----頼んだわ」

恐怖の中、何とか彼等はそう言葉にした。

今、一体何が起きているのか―――その潮騒に、大津波の如き大災害を予感しながら。

 

 

次の日。

悪い予感と共に早起きし、大学へ足早に走り出す須賀京太郎。

部室のドアを開いた時、そこに存在したのは―――。




------最近、原作が狂気に満ち溢れている気がする。色々、うん。凄い。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ちょっとだけバカ

ネキ編も久々に更新。


化物が眼前にいた。

 

そうだ。これは化物だ。間違いない。

 

化物の定義は様々あるが、一目見て凄まじい衝撃と這い上がる恐怖感を一気に想起させる存在は間違いなく化物であると思う。

それが須賀京太郎の視界の中に存在していた。

「-----貴女は、誰ですか?」

須賀京太郎は、思わず後ずさる。

――これは、恐怖なのか?

直視したくない。見るもおぞましい。これは本当に人と呼べるものなのだろうか?

今自分は何か別の次元と接続した脳内シナプスにより再咀嚼した視点よりこの人物を見ているのだろうか。

その恐怖は、危機を煽る為のものというよりも、――純粋なおぞましさによって発生されたモノだった。

言うなれば、ふとした瞬間に野良猫の死体を見た時のような――不意に与えられた、忌避感からの恐怖心。

 

「何や須賀?ウチが解らんのか?」

 

解らない。

誰だ。

というよりも、何だこれは。

 

「なあ、須賀――」

 

眼前にいる何者かは、このような姿をしていた。

ファッション自体は、いつもの趣と全く違うと言うだけでそれ程恐れるモノではない。ヴィンテージデニムにぶかぶかの柄シャツに黒のレザージャケットに茶色のキャップ。所謂、不良が好む」ストリートファッションと呼ばれているものであろう。何故いきなりこんな格好をやり出したのか、全くの謎であるが、そんな疑問なぞ些細なものでしかない。

 

問題は、その顔面であった。

 

目元に塗られたアイシャドー。頬に塗られた桃色のチーク。唇に塗りたくられた鮮やかな口紅。白で作られた下地の上に踊るそれらは――。

 

全てが、溶けていた。

 

まるで顔面上に踊る暗黒の虹のよう。

まるで死骸から溢れ出したかのような黒ずんだ赤色と、河口の沼のように白ずんだ黒色が、ぶちまけられたかのようにその顔面に存在している。まるで地べたを這いずりまわされた後の如き顔面はまさしく喋るウォーキング・デッド。そんな存在から今まさに自らの名前が呼ばれているのだ。恐怖以外の何物でもない。やめてくれよ。ここは仮想空間だろうか?頼むからそんな冗談はよしておくれ。

 

近付いて来る。

後ずさる。

 

「-----ちょ、ちょっと待ってください。貴方は誰ですか。一体何があったんですか?俺は何を見せられているんですか?」

「ウチや。ウチやで。――ふふ、生まれ変わったウチの姿見て驚くのは無理はないんやで。けどなぁ、そろそろ気付いてほしいやん?なぁ、須賀。ウチは生まれ変わったんやで」

「何ですか?どんなオカルトを使って生まれ変わったらそんな恐ろしい姿になるんですか!」

眼前にはゾンビ。まるでアメリカンコーヒーのような黒色が様々な色と混じり合い、その挙句に他色と衝突し合い吐き散らしカオスと化している。

「恐ろしい----。ぐふふ、恐ろしい程に美しいか、この新生洋榎ちゃんは!気持ちは解らんでもないんやけど、ほらほらもっと近づき―や。もっと近くで見てええんやで?そんな逃げんといて」

化灯籠に浮かぶ光に写しだされた鬼の如く、空間上に浮かび上がる化物。

徐々に、徐々に。恐怖の権化が近づく。近付いていく。

京太郎は、決めた。

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお‼」

部室のドアを蹴破るかの如き勢いを以て――早々に逃げ去っていった。

 

 

「何や?何があってん?」

絶叫を上げながら逃げ出した京太郎とすれ違った部員は、何かあったのかしらんと部室へと向かう。

ドアは開いていた。

そしてそこには――。

「ん?何や洋榎先輩、そんな後ろを向いて――」

何故かストリートファッションに身を包む、愛宕洋榎が背後を向けながらそこにいた。

 

そして、声をかけられた洋榎は、振り返る。

「--------」

「--------」

沈黙が両者の間をすり抜ける。

緊張が走る。突如として訪れた五感への違和。見た事も無い姿にアラートを鳴り響かせる本能部分が、眼前の姿を異常だと喚きたてている。

「うぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ‼」

「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ‼」

部員が叫ぶ。

その声に合わせるように、洋榎もまた叫んだ。

 

「先輩!何やってんすかアンタ?アホちゃう?ここまでやらかすともう笑えないわ!」

眼前のクリーチャーに、叫ぶような声を叩きつけた。

いまだ現実を認識していないのか、きょとんとした表情で首を傾げる。

「何やってるって、ウ、ウチなりに頑張っておしゃれを----」

「オシャレ?アンタ何抜かしとるん?自分の姿を直視せぇこのアホンダラ!」

 

スマホを自撮りモードに切り替え、洋榎の前に差し出す。

その姿を見て、洋榎は――。

 

「え、何やこれ?誰や?」

「残念な事にアンタやこの阿呆」

 

ぐちゃぐちゃの色合いの顔面がそこに存在していた。

最早色の体裁も無く、口も鼻も輪郭すらも消えている怪物が。

 

「はあああああああああああああ!?何でこんなんなってんのや!」

「知るか!」

ぎゃあああああああああああああああああ、とまたしても猿叫の如き声を上げながら洋榎はぶんぶんと頭を振っていた。

 

「あ、まさか汗か?確かに緊張でダラダラ冷や汗流れとったけど!けどこんなんなるんか?」

「アンタまさか化粧水付けずにメイクしたんやないやろな?」

「化粧水?」

「もう本当に信じられんわ!化粧の仕方も解らんかったんか!アンタホンマに頭の中身あるんか!?」

「そ、そんな----折角ここまで必死に生まれ変わったのに----」

「泣くなアホ!泣いたらまたメイクが流れるやろうが!取り敢えず早く落として来い!」

 

 

「――で、一日サボった挙句に雀卓に突っ伏してなにメゲてんねんこの人」

で。

愛宕洋榎は無言のまま、雀卓に腕を敷き顔面を置き、突っ伏していた。

微動たりともしていない。

時折、意思を持っているかのようにぴくぴくと動くポニーテールだけが、彼女の生存をアピールしていた。

その姿を見ながら、後輩二人が会話をしていた。

「クリーチャーみたいな顔面を須賀に見られたらしい」

「何やそれ。見てくれだけはいいやろ見てくれだけは。いつも顔面改造ばりに化粧している訳でもあるまいし。あの顔面がクリーチャーなったら、もうただのおっさんやんけ」

「逆や逆。下手糞が自分の顔面弄りまわしてわざわざクリーチャーにしたんや」

「何やそれ。しかも、あのファッションは何や?何かイキった恰好しとるけど」

「ああ、アレ?梅田の箱で出入りしているDJの姉ちゃん一目見て、〝これや!”って思ったらしいわ。ウチはかわいいよりもカッコいい方面で攻めんとアカン、って。で、心斎橋辺りのB系の服屋で店員のラッパーにコーディネートしてもらって、自分で化粧して自爆したという顛末や」

「かわいいはまだ口塞いで身体縛っといたらまだそう思えるけど、カッコいいはなぁ。あれだけ強ければ麻雀やっている姿も様になってカッコいいもんやけど、ウチのエースときたら」

「あんな中学生みたいな童顔にアイシャドーつけても、何も迫力生まれんしな。――あ、洋榎先輩。おはよっす」

むくり、と愛宕洋榎は起き上がる。

無論会話は筒抜けである。先輩を慮ってヒソヒソ声で――なんて気を遣われる程の人徳はこの女には無いのだ。

「――卓につけや二人共」

洋榎のこめかみには、真っ青に浮かぶ血管が見え透いている。

おおう怒っとる怒っとるとケラケラ笑いながら、後輩はきゃっきゃと喜んでいる。

「何怒ってはるんですか」

「怒るに決まっとるやろ!自分が言っていた事を胸に手ぇ当てて反芻せぇや!」

「手に当てるだけの胸も無いくせに何言いはるねん。反芻してたんは先輩が積み重ねてきた事実だけや。何もおかしなことは言ってへんで」

「よし、よく解った。十連戦や。こっから講義が始まろうが関係ない。このまま地獄を見てもらうからなこの阿呆共――‼」

 

 

不幸中の幸い。

「愛宕先輩------俺、朝部室に来てからの記憶が無いんですけど、何をしてたんでしたっけ?」

「思い出さんでええで」

須賀京太郎は衝撃の余り、朝の一連の出来事に関する記憶を喪っていた。

 

よかったと無い胸を撫で下ろした愛宕洋恵であったが。

 

――彼女はまだ知らない。

その写真を、実は堂々と撮られていた事を。

それがまた新たなる騒動を引き起こす事になるのだが――それはまた別のお話。




10連休。
10連敗。
ふふふ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

淡、おとなりになる編
おとなりは金髪同士


―――無敵であり続ける事を、期待される。

常に勝ち続けなければならない。負ける事は許されない。

それが、白糸台という場所であった。

常勝無敗の伝統を築き上げた宮永照という怪物が去り、その華々しい実績だけが残された。

―――テルもスミレもみんないなくなっちゃった。

楽天家な自分も、常に勝ち続けなければならない状況に陥るとその意識が変容していった。

もう、ごめんなさいと言った所で、呆れながらも慰めてくれる存在はいない。

待っているのは、何処から来るかも解らぬ失望の声だけ。

―――いや、そんなもの何処にだってないのだ。

別に自分が勝とうが、負けようが、失望の声なんて上がらない。マスコミ連中がワーワー騒ぐ事はあるかもしれない。だがそれよりも―――自意識の中に、勝手にそんな声を作っている自分がいるのだ。

負けたら、きっと失望するのだろう。

勝たなくちゃ、自分は認められないのだろう。

だろう。だろう。

勝手な推測だけがぐるぐると頭をもたげていく。

勝手に自分の中に敵を作って、勝手に怯えて、そして―――勝手に自壊してしまった。

高校最後のIH。宮永照の妹に完膚なきまでに叩きのめされた、その瞬間に。

自分の中で積み上げたものが、情熱が、自信が、―――いわば、自分の麻雀を構成していたもの全てが。

プロの誘いはあった。

返事は―――言うまでもない事だろう。

大星淡は、宮永照になれなかった。

なれなかったのだ。

ただ、それだけの話だった―――。

 

 

大学推薦で入ったからには、どれだけ嫌でもその大学の麻雀部に在籍しなければならない。

白糸台の時には、様々な衝突があった。

自分の実力への過剰な自信。そこから生まれるある種の傲慢さ。その結果生まれた周囲との軋轢、衝突。それは避けられぬものであったのだろう。

しかして、大学ではそれすらも起こらなかった。

白糸台の大将を三年間張り続けた実績は、大学において最も重い力となる。決して機嫌を損ねぬよう先輩ですら腫れ物扱いに終始する始末。

―――何故だろう。余計な事が起こらなくて、とても居心地がいいはずなのに。

何処となく感じる、不快感。疎外感。それがどうしても、どうしても、胸につっかえたように取れなくて―――。

下宿先に帰ると、何故だか涙が流れた。

―――助けてよ、テルー。

そう、彼女すら気付かぬ無意識の彼方で、そんな声を漏らしていた。

あの時に、戻りたい―――けれども、戻れない。

想像もしていなかった辛い現実に、一人部屋の中、少女は一人思い悩んでいた。

 

何だか悲しくなって、開放感を求めてベランダに出る。

―――何だか、いい匂いがした。

夜風に紛れて、芳醇なスープの薫りがした。耳を澄ますと、隣部屋であろうか。グツグツと鍋が煮える音がしている。

初夏の涼しさを味わおうと、隣部屋の窓は網戸を残し空いていた。そこから、声も聞こえてくる。

―――いやあ、ありがとうございます。ハギヨシさん。スープ、上手く出来ました。鶏ガラの薫りがいいですね。

男の声。―――ああ、そう言えば、この隣部屋は金髪の男だったか。引越しの挨拶と長野土産を持ってきたのを思い出した。美味しかったなぁ、あの饅頭。チャラいように見えて、その実何とも家庭的な会話に思わず微笑んでしまう。今の現状と合わさって軽くホームシックになっている自分としては、何とも暖かみのある会話だった。

―――けど随分作っちゃいましたねぇ。気合い入れて作ったら余り過ぎましたね。冷凍パックも切らしているし、どうしようかな。え?隣の人に分けたらどうかって?ははは、冗談はよして下さい。あまり物を持っていって喜ばれるのは女子大生かハギヨシさんみたいなイケメンだけですって。俺が持っていったら不審者扱い間違いなしです。

屈託なく笑う声が聞こえる。

―――それに隣の人有名人ですし、それに頑張っている人ですし。あまり邪魔はしたくないんです。

そんな声も、また聞こえた。

―――名前は勿論個人情報だから言わないですけど、本当に凄い人でしたよ。挨拶した時すげービックリしました。こんな偶然あるんだなーって。------一年の時から強豪校を引っ張っていって、どんどん人がいなくなっても、歯を食いしばって頑張っていた人で、凄いなぁ、なんて。

やめて。

やめてほしい。

頑張ってなんかいない。頑張りきれなかったのが、自分なのに。

そう思っても―――何故だか涙が溢れてくる。

ずっと、周りには勝つ事を期待している人間しかいないのだと考えていた。

結果にしか、注視しない人間ばかりだと、そう思っていた。

結果に至る過程までも―――凄いのだと、言ってくれる人間が、確かにいたのだと知ることが出来て。

―――俺も、もうちょっと頑張らないとなぁ、なんて思えるんです。

そう屈託なく言い切る男の声が、じんわりと心の奥底に広がっていく。

そうなのか。

自分の、あの苦闘の日々も、誰かの心に残ってくれていたのか。

―――それじゃあ、切りますね。ありがとうございました、ハギヨシさん。また今度もよろしくお願いします。

そう男は通話を終わらせると、足音を鳴らす。徐々にその音が近づいていって、

ガラリと音がなった。

「あ」

大星淡はその瞬間、隣部屋の男と対面した。

「あ、偶然ですね。こんにちわ、大星さん」

先程と全く変わらぬ声音で、そう爽やかに彼は挨拶した。

「こ、こんにちわ」

どもる。何とも無様な声音だ。しかし、彼は特に気にすることなく会話を続ける。

「今日は夜風が涼しいですね。ベランダが気持ちいい」

「う、うん。えーっと-----」

「あ、俺須賀って言うんです。よろしくお願いします」

「ス、スガ?-----その、ゴメン」

「どうしたんですか?」

「----さっきの会話、聞いちゃった」

「さっきの会話----って」

須賀京太郎は先程の会話を思い出し----瞬時に湯沸かし器の如く顔面を真っ赤にさせた。

「あ――!す、すみません!俺、偉そうな事言っちゃって!」

「ちょ、ちょっと!謝らなくてもいいってば!勝手に聞いちゃったのは私なんだし!」

「いえいえ、俺の方こそ!何だか上から目線で喋っちゃって-----!」

そうして、謝る京太郎との押し門答の末―――その先にあった一瞬の沈黙の後、両者は唐突に同じタイミングで笑いだした。

「あはははははは」

ひとしきり笑った後、―――憑き物が落ちたかのようなスッキリとした表情で、大星淡は隣の男を見る。

「その、さ。ありがとう」

「え?」

まさか、感謝されるとは思っていなかったのか―――素っ頓狂な声を、須賀京太郎は上げた。

「私さ、自分の周りにいる奴等って、勝手な奴しかいないんだって思ってたんだ。勝手に期待して、勝手に裏切られた気になるような奴ばかりなんだって。----そんなの、思い込みに過ぎない、って解ってても、そう思っちゃってたんだ。でもさ----スガの言葉を聞いて、本当に思い込みに過ぎなかったんだって、解った」

須賀京太郎は、その聞いた事の無い彼女のトーンに、ジッと耳を傾ける。故に、

「だから、ありがとう。本当に、嬉しかった」

そう花咲くように笑った顔を、直視してしまった。

―――顔が熱くなって行く様を、自覚してしまった。

「-----具合、大丈夫?顔赤いよ?」

「い、いや。大丈夫。心配してくれてありがとう----」

「ふーん----ねぇ、スガの下の名前は?」

「京太郎だけど----」

「それじゃあ、今日からキョウタローだ!その代わり、キョウタローは私を淡ちゃんとよぶべし!」

「え?」

「あ、あと----確かに、男子の夕飯のおすそ分けは気が引けるかもしれないけど、あわいちゃん的にはOKだから」

「え?」

「それじゃー、じゃーねー!おやすみー!」

まるで台風の如くそう言い切ると、大星淡は速やかに自分の部屋へと戻っていった。

-----噂には聞いていたが、本当に天真爛漫を具現したような女の子だった。

しばし、京太郎はそのまま夜風に当たっていた。

 

これが、何とも言い難い両者の出会い。

どう物語られるのか、未だ解らず。

 

 

 




続くかどうかは、本当に解らない。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

その星は、沈めど浮かぶ

結局書く事にしました。はい。


―――淡ちゃん、最近変わったよね。

そんな声が、ちょっとずつだけど耳に届くようになった。

折れた心に支柱が戻り、元の小生意気な女の子へと、彼女はその態度を改めていった。

心に余裕を取り戻せたからだろうか?

それとも、そうやって壁を作りながらやっていくことに疲れたからであろうか。

どっちでもいいし、多分両方の理由なのだろう。

それより重要な事は、もっともっとあるはずなのだ。

―――今は、昨日よりも楽しい。

こんな前向きな事を考えられる今日が存在すること以上に、大切なことは無いはずなのだから。

さあ、今日も一日頑張ろう。

そう思える日々が今ここにあるのだから。

 

 

無機質なタッパーをレンジに入れて、チンする。

―――お隣からの差し入れだ。

余ったスープに米を入れ、胡椒とチーズで味付けし、小分けしたタッパーの中に詰め込んだそれは、リゾットであった。

---自炊する時間も無い彼女の生活において、食生活が豊かであるとはとてもいいきれなかった。

毎日コンビニ飯か外食で済ませているという彼女に、こうして一週間ごとに一食分ずつに小分けしたそれをひっそりと玄関口に差し入れしていた。

少々申し訳なく思えるが、それでも以前の食事より遥かに楽しみになったそれを手放すことも出来ず―――須賀京太郎の厚意にすっかり甘えてしまっていた。

「何か、お礼できないかな」

自然と、彼女はそう考えるようになった。

とはいえ、正直彼がどんな人間なのかも解っていない。

彼はそれ程下宿先にいる訳ではなく、時には淡が寝ようとした瞬間に隣部屋からガチャリと音がした時もあった。

何をやっているのだろう?

ここで物怖じする様な性格はしていないが、いかんせん聞こうにも彼との接触が少ない。どうしたものか。

「むむむ---」

須賀京太郎。一体あの男は何者なのだろうか?

----別に何者といえる程特別な男ではないはずであるが、何故だか彼女は気になっていた。

 

 

そんなある日の事。大星淡は日用品を買いに近場のスーパーにいた。

そこに、久々に―――背の高い金髪が籠を片手にウロウロしていた。

「あ!久しぶりー、キョウタロー!」

尻尾代わりとでも言うかの如くブンブン両手を振って、淡は須賀京太郎に近づいて行く。猫のように見えて、懐いた相手にはとことん子犬のよう。

「お、淡。久しぶりー。差し入れは口に合ってるか?」

「うん!キョウタローはお買い物?」

「今日の夕飯を買いに来た。カレーを纏めて作り置きしようかと」

「おお、カレー!淡ちゃんの大好物ではないか!よしよし、よきにはからえー」

「それ絶対意味が違うだろ!まあ、好物だったらまた小分けしてやるよ」

「やった。むふふー、流石はキョウタロー。楽しみにしておくね」

「はいはい。わかったわかった」

―――ずっと実家暮らしだった淡にとって、家庭的な空気が恋しかった。

つまりは、身近な人との繋がり。たわいなく喋ることが出来る空気。何故だかこの男からは、よく言えば落ち着く、悪く言えば所帯じみた空気があった。

それがどことなく安心できて、割とあっさり淡はこの男に懐いた。

「それじゃあ、私これ精算して来るからちょっと待っててねー」

「はいよー」

ごく自然と、二人は帰路を共にする事となった。

 

 

「キョウタローはさ、」

「うん?」

日が沈み、月光と街灯だけが辺りを照らす道中、二人は買い物袋をぶら下げ歩いていた。そこで、胸に暖めていた質問をここですることにした。

「大学の外で、いつもなにをやっているの?」

「アルバイトだな。悪い、いつも帰り遅いからうるさいかな?」

「ううん、全然そんなことないけど----なんだか、忙しそうだなー、って。ねえねえ、何のアルバイト?」

「麻雀協会で下働きしてる。選手ごとの牌譜の整理とか、大会会場の準備とか、色々。忙しいけど、結構楽しい。お給料もいいし」

「へー、変わったバイトしてるんだね。どうしてそのアルバイトしているの?」

「単純に、将来的に協会に就職したいんだよ。その為の下積みというか、修行というか」

「へー。協会に就職したいんだ」

「そ。高校の頃、これでも麻雀やっててさ。プロにはなれないのは解ってるけど、どうしても麻雀に関わりたいと思ってさ。元々、俺は清澄の人間なんだ」

「清澄-----」

ズキリと胸が痛む。完膚なきまでに、自分が敗けてしまった相手だ。

「どうして、麻雀に関わりたいって思ったの」

「好きだから」

他に理由はいらない―――そんな断固とした意志が、そこに垣間見える。そんな、強い言葉が、須賀京太郎の口から吐き出された。

-----そっか、麻雀、好きなんだ。

自分は、どうなのだろう。麻雀、好きなんだろうか。

ずっと、疑問に思っていた事がある。

自分が望む姿は、常に自分が勝つ瞬間にあった。

勝つから、楽しい。強いから、楽しい。

―――けど、その“勝ち”が期待されて、当たり前の如く要請されるようになった瞬間、麻雀は一転、苦しいモノになってしまった。

もしかして―――自分は、麻雀が好きなんじゃなくて、

ただただ、麻雀に勝つ事だけが、好きだったんじゃないのかと、思い始めてしまって。

だから、心底眩しいと思ってしまった。

才能が無いと朗らかに笑いながらも、それでも好きだから麻雀に関わりたいと、そう言える意思が。強さが。

「どうした?」

暗い感情が読まれてしまったのか、京太郎はこちらの眼を覗き込みながらそう尋ねた。

カッと顔が赤くなるのを感じた。このまま、顔を背けて大丈夫だから、と言いたくなる。

けれども―――別の感情が、このまま何処かつっかえた胸の内を吐き出したいとも言っていて。

二つの相反する感情が、せめぎ合い―――結局、至極あっさり決着がついた。

「-----私は、麻雀が本当に好きなのか、解らない」

「-----」

「負けるかもしれない、って思った時から。勝たなくちゃいけないんだ、って思った時から。ずっと、ずっと、息が苦しくて、辛くて、面白くなくなっていった。好きじゃなくなっていったんだ。これって、麻雀が好きだって、言えるのかな?」

そんな半端な気持ちでやっていて、自分は雀士としての資格があるのか。

そんな悩みを、ずっとずっと持ち続けてきた。

その言葉を聞いて、須賀京太郎は口を開く。

「淡。多分だけど、“麻雀が好きである事”と“期待が重くて辛い事”は、別物だと思う」

「え?」

「勝負事なんだから、勝った時は嬉しくて、負けた時に悔しいのは当たり前だろ?思い通りにならない事まで含んで、“好き”って感情なんだと思う。思い通りにならない事が多すぎて、嫌な気持ちになっても、それでも―――麻雀が嫌い、という事にはならないんじゃないかな」

「でも、でも、私-----」

「期待されることが結果だけ、ってなら本当にそれは凄く煩わしい事だと思う。けど、けどさ。―――淡も、宮永照さんに掛けられていた期待は、うっとうしかった?」

そう問いかけがなされた瞬間、―――記憶が回帰した。

ずっと自分を見てくれた、ずっと敵わなかった、先輩。ずっと、その背中を追いかけて、そしてずっと負け続けた。それでも、それでも。あの負け続けた日々は、悔しくとも―――楽しかったはずで。

「そんな事、ない」

「だったら、大丈夫だと思う。淡はずっとずっと、麻雀の事、好きなんだと思う。その感情は、否定できないし、されちゃいけない」

笑いながらそうかけられる声は、我が子に当たり前の道理を説くように、優しく、それでも確固とした声音だった。

「そう、なのかな。本当に、そう思って、いいのかな-----」

―――ぐしぐしと溢れ出る涙を袖で拭き取りながら、子供の様に、彼女は泣いた。

京太郎は、ただ黙ってその隣を歩いていた。

その眼は、何処までも優しかった。

 

 

「その―――ごめんなさい。そして、ありがとう。キョウタロー」

「うん」

アパートに着いて、それぞれの部屋に入ろうとする瞬間、そう彼女は言った。ちょっとだけ嗚咽に震えた、それでも明るい口調だった。

「キョウタロー。ご飯出来たら、壁を叩いて。そしたら、ベランダでお話ししよう?まだ、話したい事いっぱいあるんだ」

「へぇ、話したい事って?」

「テルとか、スミレとか、高校の事も大学の事も、いっぱい。それに、聞きたい事もたくさんある。キリキリ吐いてもらうぞー」

「あっはっは。もう随分元気が出たみたいだな。わかったわかった。飯が出来たら、いっぱい話そうな」

「うん!」

花咲くような―――もっと言うならば、星降るような笑顔で、彼女はそう言葉を交わす。

 

「よろしく!キョウタロー!」

 

笑う彼女は、何処までも透き通った涙の跡と―――爛漫な表情を浮かべていました。




最近は本編よりも、日和が楽しみ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

輝く大星、大海を照らし

毎日が、楽しい。

一人だった生活に、会話が増えた。繋がりが出来た。

もう、迷うことは無い。麻雀に対する苦しみも払拭した。

―――そもそも、自分は何故麻雀をやっていたのか。より強い雀士と、せめぎ合う様な戦いがしたかったからだ。

この望みは、簡単な勝負をしたくないという事とほぼ同義だ。

簡単な戦いなど願い下げだ。

強い雀士と、戦いたかったんだ。

ならば、ならば。その次元にまで行きたいと願うのならば、期待されるのも当然じゃないか。負ける可能性があるのも当然ではないか。―――そんな熱い戦いの果てに掴んだ勝利こそ、何よりも自分の魂を震わせる代物ではないのか。

負けるかもしれない。―――それを怖がった先に、きっと何もないのだ。

期待されている。―――当たり前なのだ。自分の勝利を願う人たちが、自分に相応の期待をかけるのは。自分が麻雀をやれているのは、自分に期待してくれる存在がいるからなのだから。

苦しくて、辛くて、逃げ出したくなった日々。それに終止符を打った宮永咲。―――超えるべき山が、そこにある。超えなきゃならないものが、自分の遥か先にいる人間が。

 

大星淡には、目標が出来た。

 

―――サキに、勝つんだ。

そしてその先にある道の果ての頂点を掴む。

―――もう、逃げちゃいけない。

一度は逃げたプロの道。その道から、もう逃げない。

だから、ここで立ち止まる訳にはいかないんだ―――。

 

 

結論から言えば、まるで拾われた捨て犬の如く懐かれた。

毎晩の如くベランダで二人は話し、いつまでも夜に外で会話をするのも具合が悪かろうと京太郎が言えば、だったらキョウタローの部屋でお話する、と言う始末。

だが―――下宿先の中でもアルバイトの一環として牌譜のデータ整理をしている京太郎にとって、隣に話し相手がいるのは非常にありがたい事であった。

その果てになし崩し的に淡の常駐を許してしまい、一緒に飯を食べる仲までになった。------あれえ、何だかおかしいなぁ。何がおかしいのか自分でもちょっと解らなくなる位自然に見えるのに、そこはかとなくおかしいぞぉ。

―――いや、意識するな、というのが無理だと思うが。けれども不思議と、何ともない

どちらかと言えば、京太郎の淡に対する意識は、男女のそれというよりも庇護意識の方が強かった。何というか、大きな妹が出来たという感じである。

「ねーキョウタロー」

「んー?」

「それ、バイト?」

「そう。牌譜の整理。協会のデータ保存の為に、一試合ごとに牌譜整理をするの。流石に全部は捌き切れないから、協会主催のゲームだけだけどな」

「へー----。ねえ、キョウタロー」

「ん?」

「それ、私も手伝っていいかな。私も、ノートパソコン持っているし」

「え?」

「お世話になったばかりじゃ悪いから、せめてそれくらいしたいの」

「いや、けど-----」

確かに、彼女ならば牌譜整理なんてお手の物だろう。だが、明らかに彼女の性格上、好きな労働ではないはずだ。地味で、面倒な作業なのだから。

「あのね、キョウタロー。私、今よりずっと強くなりたい」

「------」

「私は、相手を知る努力が欠けてたんだと思う。自分の能力ありきで麻雀を捉えてて、だからいっつも隙が出来てしまって-----だから、強くなりたい。相手を知りたい。どんな考えで相手は麻雀をしていて、どんな風に打っているのか。地味で、面倒で、本当はやりたくないけど、けどやらなきゃいけないと思うんだ」

「そう、か」

「うん、そう。----駄目、かな」

「駄目な訳、ないだろ。そういう事なら、手伝ってくれ。あ、あと、やるなら絶対にデータ残してくれな?その分、給料は山分けにするから」

「え、いいよ。お金が欲しくてやっている訳じゃないし。それに、自分の為でもあるけど、京太郎のお礼でもあるし」

「馬鹿。女の子働かせた分のお金が貰えるか。----手伝ってくれるだけで、十分お礼になっているから」

その時、何となく―――隣に座る彼女の頭を撫でてしまった。何だか可愛らしい小動物がしおらしくしていたから、うっかり―――といった具合に。

あ、しまった―――そう思ったのも束の間、

―――スリスリと自分からもっと撫でろと催促する動きが掌から伝わってきて、

「----」

何も言わず、そのまま無言で撫で続けましたとさ。

 

 

それから、彼女の麻雀の取り組みには徐々に真剣さが垣間見えていった。

決して彼女が率先してやらなかった、対局相手の研究や牌譜集め。この地味な活動を、積極的に行うようになった。

例え格下相手であろうとも、その打ち筋から何かを得ようと。

―――例え、一芥でも、糧があるなら拾わなければならないんだ。貪欲に、貪欲に。自分は強くならなくちゃいけない。

サキに勝つ。

自分の過去に、打ち克たなければならない。

そうでなければ―――その道を進まなければ、自分の麻雀は死んでしまう。逃げ出した先の道に安穏と生きていては、自分の麻雀は摩耗するほかないのだ。

嫌だ。

絶対に嫌だ。

―――私は、麻雀を捨てたくない。

その想いが、彼女を果て無き研鑽の中に引き摺り込んでいった。

 

そう思えた瞬間、彼女の中で全てが繋がった気がした。

―――無駄に見えて、無駄じゃなかった。

あの苦しい日々も、逃げ出してしまった事実も。

その全てが、巡り巡って今の自分を形作っているのだと。

もしも。もしもだ―――あの時、宮永咲が自分を折っていなければ、恐らくプロになっていたに違いない。そして、―――その何処かで、折れていたのだと思う。

そうなれば、逃げることは出来なかった。こうして、もう一度麻雀と向き合う事は出来なかったかもしれない。

遠回りだった。

でも、確かに必要な遠回りだったに違いない。

この日々を、無駄だったと思いたくない。

だから―――今ここで、この時間を、一瞬を無駄にしたくない。一度の対局であっても、その全てを糧にしたい。

負けたくない、という思いは―――こんな力にもなるんだ。あれだけ苦しくて、逃げ出したくなる思いだったのに。今はそれが、なによりも自分を走らせるエンジンになっている。

その事実に気付くまで、確かに遅かった。

だが、知った事ではない。

結局―――巡り巡って、正しいと思える道の上に立つ事が出来たのだから。

 

 

「―――そう。頑張っているんだね」

「うん。テルーも今四連勝中?凄いね!」

現在、淡は旧知の先輩―――宮永照と、電話をしていた。この両者は、無論道が分かれても、変わらぬ関係を保ったままだ。

「うん。こっちも頑張っている。―――この前の大学予選、見たよ」

「え」

「大学麻雀連合会に申請すれば、主催試合のテープを無料で見れるから、見てみた。―――淡、成長したね」

「へ?」

「高校の時は、良くも悪くも感情が表に出るプレーヤーだった。勝てば喜ぶし、負ければとことん悔しがる―――でも、今は違う。勝っても、負けても、ずっと変わらない。何だか、軸が出来た気がする。すごく、どっしりしている。菫も、ビックリしていた」

「------」

「何があったのかは解らない。だけどね、今の淡は以前よりもずっと頼りがいがあるし、楽しそう」

「え、えっと----楽しそう、なの?」

「うん。―――どんなものでも一緒。真剣になればなるほど、負けたくないって思えば思う程、楽しくなる。それは私も、菫も―――淡だって、一緒の事」

「テルー-----」

「頑張れ。これだけしか今は言えないけど、それでも―――応援しているから」

そう言い残すと、電話が切れた。

「----駄目だなぁ。最近、ずっとこんな調子だ」

彼女の眼には、涙が浮かんでいた。

綻んだ表情に、添えられているかのように。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

リベンジ・タイム・スタート

淡は須賀京太郎のバイトを手伝うようになった。

何度断っても、結局押し付けられる様に配分を受ける―――それも明らかに色を付けて―――ので、どうにも使い所に迷ってしまう。

これは、自分なりのお礼だというのに。お礼ならば、自分がお金を貰ってもしようがないじゃない

どうしたものかと考え、一つ、電撃的に発想が思い浮かんだ。

「―――そうだ。このお金を貯めて、キョウタローに何かプレゼントすればいい」

こうなれば、京太郎に巡り巡ってお返しをすることが出来る。

―――ふふん、流石は淡ちゃんだ。

こうなれば、俄然やる気が湧いてきた。

よし、頑張ろう!

ふんふんと息巻きながら、淡はそう一つ気合を入れた。

 

 

一言でいえば、とっても部内での評判がよくなった。

明るく素直な性格は、一途な方向に向けられればちゃんと理解されるし、好感を与える。

次第に麻雀部内での壁は取っ払われていき、次第に関係も深くなっていった。

そうして時間が過ぎ、バイトも随分と長続きしている。

京太郎から貰ったバイト料は、別口の口座に振り込んでいる。

ある程度貯まれば、何かしらのプレゼントをするつもりだが―――そもそも、彼は何をやれば喜ぶのだろう。

「-----」

まあ、いいか。

多分、これからきっと長い付き合いになると思う。

細かい事なら、ちょっとずつ知って行けばいいと思う。

一番大事な部分は、もう知ることが出来た。

だから、そういう部分は、少しずつ少しずつ、知って行けばいい。新しい一面を知ることが出来るのは、また違った面白みがあるのだろうから。

例えば、意外と家庭的な性格だったりとか、

例えば、意外と手がごつごつしていたりとか、

例えば―――撫でられた時、とても気持ち良かったりとか。

そんな事の一つ一つが、ピースを嵌めこんでいくようで、楽しい。

そんな事を、思うのでした。

そうして、二ヶ月が過ぎ、夏となった。

 

その時―――大学麻雀部監督から一つの報告を聞かされる事となる。

「大星」

「ん?あ、監督。おはよ」

「はい、おはよ」

年配の監督はゆるゆるな淡のあいさつに、同じ様に脱力した様子で答える。

「大星。大会の準備は出来ているか?」

「そりゃあもうバッチグーですよー!今の淡ちゃんはとっても真面目デスヨー」

「おお、そりゃあ頼りがいがある。だったら期待できそうだな。最近は牌譜の整理まで積極的にやっているそうじゃないか。えらいえらい」

「ふふん。もうこのスーパーアルティメット大学百年生にとっては、こんなもの朝飯前って奴ですよ!」

「-----百年はともかく、お前さん、進級危うくないだろうな?」

「だ---大丈夫。うん。今はとっても頼りがいのある友達がいるから----え、えへへ---」

「人頼みかい。しかも微妙に開き直れてないじゃないか。いいじゃないか。百年この大学にいておくれ。儂がこの大学を去るまでずっとこの麻雀部にいていいぞ」

「いやー!そんな暗い未来絶対に嫌に決まってるじゃないですかー!」

「はいはい、だったらまじめに勉強せんかこの鶏頭め---それでだ。たった今、麻雀、麻雀協会から打診があった」

「ん?どうしたの?」

「来月の東部リーグの予選があったら、各地方四チームの代表戦となる。ここまではお前も知っているだろうが、その先の話だ。―――麻雀協会が、リーグの覇者とプロチームが激突するカードを是非とも組みたいと。要するに、プロアマ合同試合だな」

「ふーん。それはまあ当然出るとして―――誰が出るの?」

「プロの方も、実績はまだそこまでなくとも、期待の新人を揃えるそうでな。現在出場者を募っているという。ああ、だが一人はもう出場が決まっておる」

「誰?」

「宮永咲―――お前さんを、高校の時、完膚なきまでに打ち崩した、天敵だよ」

 

 

あろうことか。

リベンジのチャンスは、意外にも早く訪れた様だ。

その好機に―――尻込みする自分がいる。

それも、当然だ。トラウマというものは、そうそう易々と心から消えてくれるものではない。

それでも、それでも。

今の自分は逃げようとは思えなかった。

―――負けてはいけない。その言葉の意味が、一年前と今とでは随分と意味が違う。

期待に応えなきゃならない、から―――期待に応えたい、に。

今の自分は、ただただ、純粋に、あの時の借りを返したい。

純然たる意思の下、大星淡は、宮永咲と相対したいと思う。

―――それが、自分なりのこの闘いへ見出した意味なのだと思う。

 

「そうか-----」

いつもの様に京太郎の部屋へ向かい、いつもの様に共に夕飯を食べている中で―――そんな決意を、彼女から聞いた。

まだまだ、遠い道だ。

大学東部リーグを制覇し、そしてリーグ決定戦を行い、その先にある戦いだ。大学トップが張り合う激戦を超えた先に、ようやくリベンジのチャンスが訪れる。

「うん。だから、来月のリーグ戦は絶対に勝つ。負ける事は許されない。―――だから、ちょっと暫く会えないかもしれないし、バイトも、その----」

「うん、うん。解ってるって。バイトは俺が手伝ってもらってた立場だ。何も気に病むことは無い。ありがとな」

沈んだ表情を見れば、彼はもう迷う事無くその頭に手を伸ばす。くしゃくしゃと撫でられる感覚に、ううん、と淡は身をよじる。大抵、これで彼女の沈んだ表情は引き上がってくれる。

「ねぇ、キョウタロー」

「ん?」

「―――もしも、もしもさ。私が宮永咲と対決する事になったら、応援してくれる----?」

「淡-----」

「ごめんね。困るのは解っているんだけど―――何となく、聞きたかったの」

少しだけ、考える。

目の前の女の子と、幼馴染の女の子とを、交互に。それぞれのシルエットを思い、それぞれに抱く感情を斟酌して。

そして、結論が出た。

「多分、両方応援するとは思う。それでも―――どちらに一位を取ってもらいかと言えば、お前だと思う」

「どうして------?」

「共感---とはちょっと違うかもしれない。でも、リベンジしたいって気持ちは、嫌って程解る。そして、もしもまた負けちまったらどうしようって気持ちも」

「うん-----」

「だから、俺はお前に頑張ってもらいたい。恐れず、顧みず、立ち向かってもらいたい。だから、応援する。期待する。―――お前が勝つ事に期待してるんじゃないぜ。お前に、ただ恐れず立ち向かってもらいたいんだ」

「-----うん、うん」

「お前は頑張ってきたし、変わろうと努力してきたし、悔しい思いに歯を食いしばって来た。その姿に、俺はかなり元気づけられたし、凄いと思うし、尊敬もしてる。凄く単純な理由だけど、----一緒にいて、凄くありがたかった」

「----」

「だから、お前を応援する。お前に一矢報いてもらいたいと思う」

やっぱりだ。

やっぱり―――この人は、変わらないんだ。

ずっと自分を見てくれるその眼も。見てくれる先も。

温かい。

嬉しい。

―――こんな気持ちを抱かせてくれる人が、自分に期待してくれているんだ。

それだけで、十分だった。

「キョウタロー。-----ありがとう」

「うん。どういたしまして」

また、くしゃくしゃと頭を撫でてくれる。

ゴツゴツした手で撫でられる度に、何だか安心してしまう。

「でも、まだまだ気が遠い話だなぁ」

「だいじょーぶ!もう今の言葉だけであわいちゃんはフルパワーモードだ!絶対に負けないぞー!」

「お、言ったな。もし負けたら―――うーん、全力で笑ってやろうか」

「ふっふっふ。その時は遠慮せずに笑うがいい!負けないけどねー!」

賑やかな声が、今日も今日とてアパートの中で木霊していた。

----互いの感情に、気付くことも無く。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

寂しさの所在地

勝ちたい、という思いだけで実力が上がることは無い。

その思いは、ただの燃料だ。

着火してこそ、燃料は人を動かす。

勝ちたい。

勝ちたいんだ。

心の底からそう思えるようになれたのは何故なのだろう。

―――勝たなきゃいけないから、勝ちたいになった。

私を認めてくれる声。私の頑張りを静かに見てくれる存在。皆が、私の全てを変えてくれた。

変われるチャンスは、何処でも転がっている。

変われた私は、今―――全霊を込めて麻雀と向き合えている。

それが全て。

勝ちたいという思いが自分を走らせてきた。その帰結として、今の自分がある。

今、もう一度向き合って変わる。

過去の自分と、過去の仇敵。

―――怖がるな、逃げるな。その先には、またあの時の絶望しかないのだから―――。

 

 

大星淡は、大学リーグを駆け抜けていった。

大将に居座りながらぶっちぎりの総得点NO・1キープしながら、全国リーグでもその勢いはとどまる事はなかった。

元々、高卒でプロ入りしてもなんら遜色ない実績の持ち主である。この活躍は予想外という訳ではないだろう。

それでも、皆が皆口を揃えて言う。

あの雀士は眼の色が変わった。打ち筋に傲慢さがなくなった。―――要は、以前の様な能力頼みのプレーヤーでなくなったのだと。

彼女の華々しい経歴に、最後思い切り泥を塗られた経験―――アレで心折られたのではないかと、皆が皆心配していたのだ。

今は、もう大丈夫だと―――そう、この姿を通して伝えたい。

淡ちゃんはもう、大丈夫。

 

「うぅ-----」

 

しかして―――最近、少しだけ身体が重い。

何だか、毎日が不完全燃焼している気分に襲われている。何かが足りない。

原因は解っていた。

いつもある時間が、無くなってしまったから。

同じ髪色をした愉快な男の子との触れ合いが無くなってしまったから。

 

「が、頑張れ淡----もう少し、もう少しだから------」

 

そのもう少しは、残りあと一ヵ月。近いようで、果てしなく遠い未来だ

麻雀に打ち込む為に暫く会わない事を決めた淡であったが、その影響は最近如実に現れるようになっていった。

―――以前は、これが当たり前だったのに。

一人の食事。一人の生活。

最近の楽しみは―――一週間の最初の差し入れのみだった。

これだけが、彼の存在を感じられる瞬間であったから。

ふと、自分の行動を振り返って見る。

「-----」

何というか-----本当に拾われた捨て犬の如き懐きっぷりであった。

その事実を思い知り、羞恥心が湧き起こる前に、不安が湧き起こっていく。

鬱陶しくなかっただろうか、とか。迷惑じゃなかっただろうか、とか。

他人の事をあまり斟酌しない彼女が、まず第一にそんな風に思うようになった。

それだけでも、相当な変化である。

「------」

けれども。

彼女の本質は、やっぱり我慢強い方じゃない。

隣部屋のキーロックが外される音に、胸が弾む音を自覚する。

今までの思考がぐるぐる回って我慢しろ、我慢しろと命令をしていく。

けれども。

けれども―――。

彼女は半ば衝動的に自分の部屋から飛び出し、隣部屋のインターフォンを、押した。

我慢は、出来なかった

 

 

「久しぶりだなぁ、淡」

「久しぶりぃ-----」

現在、彼女はふにゃふにゃとした笑顔を浮かべながら、およそ二週間ぶりに須賀京太郎に頭を撫でられていた。大層お気に召したらしい。

 

インターフォンに応え出ると、そこには何だか涙目のしおらしい金髪少女がいた。

事態をそれとなく察した彼はにこやかに彼女を自宅に招いた。

その帰結が、これである。

何というか-----いつの間にこれ程懐かれたのかと。

何だか旅行から帰って来たカピーのようだった。

「どうした、嫌な事でもあったか?リーグ戦、頑張っているみたいじゃないか」

「うん。リーグ戦、頑張っているよ。麻雀で嫌な事は一つもないよ。調子も、悪くないし」

「じゃあ、どうした?」

そう聞くと、彼女は黙りこくって京太郎の身体にしな垂れかかっていく。

何ともやわっこい感覚に、京太郎の鼓動も跳ね上がる。

 

―――妹のようなもんだと、思うようにしていた。

 

最初、彼女の存在を知ったのは「大星」の表札を見た時。

同姓だろうと思っていたけど、偶然彼女が出掛ける瞬間を目撃してしまった。

―――咲に、相当ひどいやられ方をしたのを、彼は清澄側のベンチで目撃していた。

全ての絶望を抱え込んだ様な、試合終了の時の顔も。

立ち上がれない程の、絶望―――それは、彼も知っていた感情だった。

ハンドボールで、肩の怪我をした時。最後の大会に出られない事実に、直面した時。

少し気になって、彼女の事を少しだけ調べた。

大学リーグの出場者一覧に、しっかりと彼女の名前は記されていた。

まだ、―――彼女は諦めていなかったんだ。

あの目を浮かべて、それでも歯を食いしばって麻雀と向き合っているんだ。

そんな、自分勝手な共感を胸に、彼はならば自分勝手に彼女を応援しよう、と心に決めた。

挫折に向き合う強さを。その心を。

それらを持ち合わせている限り、絶対に彼女の事を応援するのだ、と。

そして、幾度となき成り行きの果てに、今こうして彼女にはっきりとその心を伝えることが出来た。

応援している。頑張ってほしい。お前のおかげで、自分は元気を貰っている。

その言葉を伝えた時の花咲くような笑顔が、ずっと脳に張り付いていて。

 

自分の感情の在処が、ちょっとだけ解らなくて、混乱している最中なのだ。

だから、こういうスキンシップが、今となってはとても心臓に悪い。

いい匂いがするなぁ、とか、柔らかいなぁ、とか。そんな思考が脳裏に浮かんでしまって。

そして、

「すー------すー-------」

寝息が、聞こえた。

シャツの裾を弱々しく握りしめながら、彼女は眠っていた。

「本当に----子供っぽい奴」

そんな風に軽く毒づきながら、さてどうしようかと思ってしまう。

彼女の部屋に返してやりたい所だけど―――流石に彼女の服をまさぐってキーを取り出して女の子の家に勝手に入るような愚行はおかせない。

と、なると。

「まあ、しょうがないか」

彼は彼女を持ち上げると静かにベッドに横たえた。

これでいい。

この後、しっかりと戸締りをして、自分はちょっと近場のネカフェにでも行って寝泊りするのだ。今自分にできる、最大級理想的な紳士的な振る舞いをしよう。そうしよう。

そして、ベッドから離れようとした瞬間に、

その言葉を聞いた。

「----寂しい」

うわ言の様に放たれたその言葉は、何処か溺れているような苦しみの色が滲んでいた。

「----キョウタロー------」

やめてくれよ。

そんな言葉を聞いたら―――後ろ髪を引かれるなんてもんじゃない。

だって、―――その言葉すら、共感できてしまえる程に、須賀京太郎は大星淡の事を、理解してしまっていた。

孤独に苦しんで、孤独に再起を誓った彼女の苦しみが。

天真爛漫な彼女の姿と、その裏返しとしての、寂しがり屋な本性が。

純真無垢で、弱々しい姿が。

「-----」

彼は、一つ溜息を吐いてベッドの横に胡坐をかいた。

丁度、彼女の寝顔が見える位置に。

「なあ、淡」

呟く。

彼女に届かないことをいい事に、彼女に伝えるように。

「俺は、お前の寂しさを紛らわせることが出来ていたのか?」

くしゃり、と彼は彼女の髪を撫ぜる。

その時に湧き上がった感情を、見つめる。

自分の心中にも―――確かな、嬉し気な感情が芽生えている事に気付く。

まだ、まだ―――その感情の名前が何に分類されるかは解らないけれど、

それでも。

「解ったよ。今日はここにいてやるから。寂しく、ないだろ?」

そんな言い訳を用意して、彼もまたベッドの縁を背もたれ代わりに、彼女の手を握った。

そして―――そのまま、彼も意識を落とした。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

フォー・ユー

朝起きると、そこにはもう家主の姿がなかった。

彼女はゆっくりと、目を擦りながら周囲を見る。

―――そっか。キョウタローの部屋で眠っちゃったんだ。

纏まらない思考のまま起きてテーブルまで歩く。そこには、書置きが残されていた。

 

―――起きたか?すまないけど、俺は講義があるから先に出る。戸締りをして、出てくれ。あと、これはもうあげるから。

 

そんな文面が書かれたメモ用紙の上に、鈍色の何かがあった。

カピバラストラップがくっ付いた、鍵。

「え?」

意識が、一瞬にして覚醒した。

「これって----」

合鍵、だよね―――その鍵を凝視しながら、そう自分に言い聞かせるように彼女は言った。

「-----え、えへへ」

思わず、そんな声が無意識の内に漏れ出てしまう。

―――迷惑かけっぱなしだったのに。甘えっぱなしだったのに。

それでも自分を嫌わずに、こうして心を許してくれている事実が、本当に嬉しくて。

その象徴たる鍵を、胸に掻き抱いた。

―――ねえ、キョウタロー。

心の中で、一つだけ問いかけた。

―――これって、そういうことなのかな?

彼は自分を、どんな存在に見てくれているのだろう。

どんな感情を抱いているのだろう。

そして―――自分は、どういう風に、見てもらいたいのだろう。

はじめての感覚。はじめての感情。持て余し気味なその諸々に、最近自分は何処までも引っ張りまわされていた。自分ばかりではなく、彼もまた引っ張りまわした。

はじめて故に、中々定義するのは難しい。

それでも―――それでも、自分は何かを期待している。

その感情はきっと「特別」で。

それでもきっと何処にでも転がっている「普遍」なものでもあって。

拾い上げたその普遍な代物が、自分だけの特別になってくれたのだと思う。

 

「うん」

 

けれども、期待するだけで終わってしまうのは、大星淡は大嫌いだ。

自分は期待に「応える」側だ。

 

「頑張ろう」

 

そう、今は純粋に思える。誰かの為に頑張りたい。名も無ければ形も無い「周囲」なんて代物じゃなくて、自分に頑張ってほしいと言ってくれた、頑張る姿を見てくれた人の為に、頑張りたい。

その思いを胸に―――彼女はそっと合鍵をポッケに仕舞った。

 

 

練習を終えると、辺りはすっかり夕焼け色に染まっていた。

普段ならば彼女は真っ直ぐ家に帰宅する所だが、今日は違う。

そのまま家とは逆の方向へと向かっていく。

―――お礼、しなきゃ。

ここ最近忙しさにかまけ忘れていたが、バイトのお金も随分と貯まっていた。

街に出て、何か喜びそうなものを買ってあげよう。

-----喜びそうな、もの。

「む、むぅ?」

そう言えばあの男は、何が好きなのだろう?

折角バイトで貯めたお金を使ってプレゼントしても、何かこう、苦笑いじみた微妙な表情を浮かべてお礼を言われる絵図を想像してしまって―――躊躇いの気持ちが浮かんでしまう。

―――考えろ。

彼が喜びそうなものを。

そう思いながら、ウインドウショッピングをあてどなく繰り返していたが―――考えが中々纏まらない。

難しい。

人の気持ちを推し量るという作業は。

―――いや、やっぱり違う。

ふんす、と息を吐くと彼女は真っ直ぐに視線を戻す。

―――お礼、なんだから。何をプレゼントすれば喜ぶか、よりも、何をプレゼントすれば今までのお礼となるかを考えなくちゃ。

この両者は同じようで、実の所違う。

喜ぶ姿を見て自身の承認欲求を満たしたいという意図が、前者には隠れている。

だから、迷う。失望される未来が脳裏に浮かんで、二の足を踏んでしまうんだ。

それじゃあ、駄目だ。

今まで彼と過ごした時間を思い返せ。その時間の積み重ねの中で、自分は具体的に彼からどんな恩恵を受けてきたのか。

そうなると、答えは一つしかない。

彼女は、迷いなく家具用品店へと向かっていった。

 

 

月が代わり、すっかり夏真っ盛りとなったその日。彼はこの一月だけ、バイトを休む事にした。

―――すみません。ちょっとこの月だけ見たいものがあるので。

そう言いながら彼は上司に頭を下げて一ヵ月の暇を頂いた。

そして現在、大学事務から買い取ったリーグ戦連日フリーパスチケットをそっと戸棚の裏に隠している。

―――何となく、淡にばれてしまうのが照れくさくて、こんな所に隠したのであった。

本当に、どうかしていると思う。

女にかまけてバイトを休みます、なんて上司に言えるわけもなく、とにかく平謝りしながら何とか認めてもらった。

彼は一息つくと、そのまま風呂に入ってさっさと寝てしまおうかと思った。

全国リーグ戦が始まるのは週明けから。淡は無事地方リーグを圧倒的な力で勝ち抜き、全国リーグへのチケットを手にした。

明日から、ひっそりと陰から応援しようとわざわざバイトまで休んだのだ。英気を養う為にも、今日はさっさと休もう。

そう思った瞬間―――。

ピンポン、と。チャイムの音。そしてカチャリと鍵が回る音。

またか、という言葉とは裏腹に微笑みを湛えながら、彼は玄関口まで迎えに行く。

「やっほー、キョウタロー」

予想通りの笑顔を湛えた、金髪少女がそこにいた。

 

 

「全国リーグ進出けって―――い!いやっほー!」

「おお、よかったな」

いえーい、とハイテンションで諸手を挙げてハイタッチを要求する淡に合わせて、彼は台所からわざわざリビングに赴き腰を下げて両手を突き出す。バチン、という景気のいい音が鳴り響き、当たり所が良すぎたのか、叩いた本人の方が痛がっていた。涙目でこちらを睨んでいる。----いや、睨まれても。

「そろそろ飯が出来るからおとなしく待っててな。おめでとさん」

実はもう既に知っている事だが、あえて彼は黙っていた。

「うん!」

かぐわしい肉の匂いにケロリと機嫌を直した彼女はゴロゴロと転がりながらソファで寛いでいる。

「そう言えば、その紙袋どうした?」

彼女はやけにかさばった紙袋片手にこちらに来ていた。現在ソファの横で物々しい存在感を放ちながら存在している。気にするなという方が無理だろう。

「ふっふっふー。それはご飯の後のお楽しみと言う事で、ほらほら早く淡ちゃんにハンバーグを持ってくるのだー!」

「はいはい。米はどれ位食べる?」

「いつもより多く―!ハンバーグの時くらい、ケチケチせずに食べなきゃね!」

「はいはい」

彼は苦笑しながら、夕食を運んでいく。

淡は目を輝かせながら、ハンバーグを口に運んでいく。二転三転する表情の変遷にこちらまで笑みが零れる。これほど作り甲斐のある表情をする人間に会った事が無い。

「おーいしいー!やっぱりハンバーグは大正義だね!」

「はいはい。大正義でも何でもいいから、もうちょっと落ち着いて食べような。口元にソースが飛んでいるぞ」

そう指摘されると大慌てで口元をティッシュで拭うその姿も、何とも可愛らしい。

そうして、夕食を食べ終わり、さて洗い物をしようかと立ち上がろうとして―――裾を掴まれた。

何とも、神妙な顔をした淡がこちらを見ている。

「キョウタロー」

「お、おう。何だ?」

「プレゼント。受け取って下さい」

彼女はそそくさとソファの横にあった紙袋を、京太郎に差し出した。

「プレゼント?」

「うん。----その、バイトで手伝った分のお金を貯めて、買ったの。やっぱり、お礼したかったから」

ああ、成程。

手伝った分の歩合金を全く受け取る気すらなかったのが、急に素直に受け取り始めたのは、こういう事だったのか。

別にそんな事をしなくてもいいのに。手伝ってくれるだけで十分だと思っていたのに。―――けれども、そんな事より、彼女のその純粋な善意に、心打たれた。

だから、

「ありがとう」

と。それだけを伝える事にした。

「開けてみて」

彼女に促されるまま、包装紙にくるまった諸々を取り出していく。

「包丁と、研ぎ機に、エプロン-----」

コクリ、と彼女は頷いた。

「私ね。本当に―――この温かい場所に感謝してるんだ。温かい空気に、温かい会話に、温かいご飯があって―――その中心に、ずっとキョウタローがいるこの時間と場所が、私は大好き。だから、プレゼントするのはこれにした。もっと楽に料理できればいいな、って」

プレゼント一式をまじまじと見つめる。

派手な装飾のない、堅実で地味な意匠の包丁と研ぎ機だ。だが、それ故に扱いに手間がかからず実用的だ。エプロンも、可愛らしいデザインではあるものの、撥水性の高い素材の、油汚れがしにくい素材で作られている。

実用的で、その分―――思いが伝わってくるプレゼントだった。

「どうかな----?」

不安気な声が、聞こえる。

「馬鹿。いいにきまってるだろ、こんなの。―――ありがとう。本当に、嬉しい」

くしゃくしゃと、彼女の頭を撫でていく。

「俺も、何かお返ししなくちゃな」

「え、いいよ」

「いいじゃん。多分、これから結構長い付き合いになりそうだし―――お返しし合う関係ってのも、素敵じゃないか?」

「お返しし合う------うん、なんか素敵だね」

「そうだろう。それじゃあ次は楽しみにしとれよ~。ほれほれ」

「あ、もう乱暴にするなー!髪がぐちゃぐちゃになる~!」

今日も、アパートの中では二人の笑い声が木霊していく。

―――夜が、更けていく。




やたら数字が伸びているなーと思ったら、日間に載っていたのですね。ビックリ。ありがたやありがたや。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

再開と、相互理解

まさしく、快進撃であった。

全国リーグでも遺憾なくその力を思うままに振るいながら彼女はひたすらに大会を勝ち進んでいった。

まるで、嵐の様だった。

暴威の様なダブルリーチ地獄に、絶対安全圏。攻防共に最高クラスの容赦ない戦いを演じながら、彼女は勝ち進んでいく。

 

その様を、ジッと須賀京太郎は見ていた。

その打ち筋やゲーム展開もしっかりと頭に刻みながらも―――何よりも、その姿を。

傲慢さも、極度の不安も、その全てが消え去った彼女の姿を。

―――大きな挫折を味わわされた時、立ち上がれる人間と、そうできない人間がいる。

-----自分は、きっと後者なのだろう。

だからこそ、彼女の姿を見なければならないのだ、と思った。

今彼女は、挫折から這い上がり、リベンジへの道程を歯を食いしばりながら歩み続けているのだから。

頑張れ。

---そう思う事しかできないけれど、それでいいと彼は思っている。応援する事に、頑張ってほしいという願い以外は要らない。それ以上出来る事があるはずだ、と思う事はきっと傲慢なんだ。

その傲慢さが、かつて彼女を苦しめていたのだから。

だから、彼はひたすらに応援する。

頑張れ、頑張れ。

ただただ、そう念じていた。

 

 

リーグ戦も三日目が過ぎ、残す所八校のみとなった。

二戦目、三戦目と駒が進められていく内に、淡も徐々にレベルが跳ね上がって行く様を感じていた。そうだ。このリーグは、全国の精鋭が鎬を削る場なのだ。そして、こうしてベスト8に名を連ねている者共は、その全員が例外なく強者の中の強者だ。きっと、本気でプロを目指している打ち手もいるに違いない。これからは、そういう次元での戦いだ。

だって―――今眼前にいる存在が、それを如実に現していた。

「------」

むっつりと、こちらを見やる、長い髪の女が一人。控室のある廊下で、その女はジッと大星淡を見ていた。

弘世菫。

―――白糸台の先輩が、現在変わらぬ姿でこちらを見やって佇んでいた。

「久しぶり-----スミレ」

「ああ。久しぶりだ」

彼女はフッと微笑んで、そう言葉を返す。----本当に、変わらない。何となく偉そうで、けど何となく感じるカッコよさがある。佇まいも言葉遣いも、とにかく凛然で端正な、あの時のままの姿だ。

「元気だったか------は、愚問か。あれほど見事な暴れっぷりを見せられたらな。もう、吹っ切れたみたいだな」

「別に。吹っ切らなきゃいけない事なんてなかったし」

「そうか。ま、そういう事にしておくか。相変わらず私には素直じゃないな、淡」

「そんな事ないー!」

ぷっくりと頬を膨らませ、淡は抗議する。----別に、人によって態度を変えていたんじゃない。ただただ、テルーが別格だった、というだけで。

「まあ、心配していたんだ。ちょっと位先輩面させてくれ」

「----」

「正直―――あの時、心の底からお前には悪い事をしたと思っていたんだ、淡」

「どうして-----スミレは、何も悪い事していないよ?」

「いや。あの“宮永照”の後を引き継ぐ、という重みを―――私は、ちっとも考えもしなかったんだ。淡。私は丁度、アイツと同じタイミングで入って、同じタイミングで出ていったからな」

「------」

「そこに照がいるという事が、当たり前だったんだ。何があっても、アイツがいる限り白糸台は虎姫でいられた。私はそのサポートをしてやれば良かった。その立ち位置はな、もの凄く楽だった。お世話係だの何だの言われようと、いざ闘いの場になれば私は常に、アイツが作り出した膨大な点棒を、大崩れさせずに後ろへ繋ぐ事だけに注視しておけばよかった。その在り方がどれほど楽だったのか―――大学で、大将を任されるようになって、よく解った」

弘世菫は、滔々と話している。

しかし、何処か、感情を押し殺しているように感じる。例えばその表情が、例えば淡を見つめるその眼が、本当に悔恨の情に満ちていたから。

「ハコ寸前でこちらに回される事もあった。リスクを承知で高い手を打たねば負けてしまう時もあった。いざ自分がゲームの中で決め手を打たねばならない立場に置かれて、その難しさが理解できたんだ。そして、照が負っていた重圧もな。アイツはそんなもの感じさせないだけの力があった。-----それを、全て全て、負債の様にお前に背負わせてしまった」

「そんなの------」

違うじゃん、と彼女は言いたかった。

宮永照が作り出したモノは確かに自分に凄まじいプレッシャーを与えた。けど、それでも、彼女が作り出した諸々は、形容し難い程素晴らしいもののはずだ。その為に、自分達は頑張ってきたんじゃないか。だったら、それを否定すべきではない。そう淡は言おうとして、それをやんわりと弘世菫は制止した。

「そう、違う。悪いのは照じゃない。私だ。ずっと、先を見据えず安穏としていた私が。お前に全てを背負わせてしまった私が。------照も、お前も、理解しているようでしていなかった」

だから、だから。彼女は―――。

「ずっと、お前に謝りたかった」

頼りがいのある先輩であろうと、自分はしていたと思う。

けれども、結局肝心な部分では誰かに負債を背負わせていた。

その事に、ずっとずっと気が付かないままだったんだ。

すまなかった―――そう言葉が放たれる前に、柔らかな感覚が彼女の身体を包んだ。

「謝らないで、スミレ」

淡の声が、眼下から聞こえてきた。

淡は彼女を胸元から抱きしめていた。

「私ね。ずっとずっと、あの時こう思っていたんだよ」

「何だ------?」

「------スミレが、いてくれたらな、って。テルがいてくれたら、って思ったのと同じくらい。そう思っていた」

「-----」

「失敗しても、しょうがないなって小突いてくれる人が。その後、何処が悪かったのか指摘してくれる人が。正直、ずっと口うるさいって思ってたけど----本当に、スミレは優しかったんだって、思った」

「そんな事は-----」

「ある。あるもん。テルだって、きっとスミレに支えられていたと思っているよ。------こうやって、必死になって“私が悪い”ってわざわざ言うのも、そうじゃん。お前は悪くないんだって、本当にそう思えるスミレだから、きっとスミレは優しいんだ」

抱きしめる力が、強くなる。

それが、何よりもその言葉の真摯さを伝えてくれた。

「私ね。気付いたんだ。勝手な期待をしてくる人間と同じくらい―――心の底から私を見てくれている人がいるんだって。心配して、応援してくれる人がいるんだって。勝手にその事に見て見ぬフリをしていたのは、私だって。だから、スミレは悪くない。悪くないよ」

「淡-----」

「ね?だから、そんな事言わないで。私は、スミレの事好きだよ。大好き。テルーと同じくらい、大好き。だから、そういう風に思って欲しくない」

その言葉が耳朶を通ってその意味を解釈した瞬間―――思った。

本当に、変わったのだと。

いや、成長したのだと。

あの挫折は―――きっと無駄じゃなかったんだと。

「そうか」

「うん、そうだよ」

誰も通らない廊下の中。

抱きすくめられた弘世菫も―――最初は押し返そうとした腕の動きを、止める。

そして、彼女の背中に回した。

「本当に------今更になって素直になって----」

呆れた様な声をあげるが、それでも彼女は嬉しかった。

今、こうして―――挫折を糧に立ち上がってくれた可愛い後輩の姿が。

何故だか、視界がぼやけた。

 

 

「スミレも、大将なんだね」

「ああ」

「-----ふふ」

「-----はは」

抱きしめていた状態から離れると、お互いにそんなやり取りをした。

「―――ぶったおすから」

「―――やってみろ。かつての私だと思うなよ」

そう、互いに拳を突き合わせた。

かつての先輩後輩が―――これより互いに矛を向け合う。その舞台が、今始まろうとしていた。

 




餅は餅屋といいます。闘牌描写は私には無理。すみません。ワハハ。つまりです、ごめんなさい。始まりません--------。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

素直な心、素直な言葉

準決勝の舞台で、大星淡と弘世菫が相対していた。

―――弘世菫は、どちらかと言えば次鋒か中堅向きの雀士だ。

彼女は、高めの手を次々と作っていくタイプではない。それは彼女が得意とする戦術―――常に特定選手から直撃を取っていくスタイルからも見て取れる。

ゲームの流れを敏感に読み取り、その流れを自チームへと誘導していく役割を常に彼女は果たしていた。

その弘世菫が、大将の席に座っている。

―――無論、この采配には明確な意図があった。

弘世菫のプレースタイルは次鋒、中堅向き。そんな事は百も承知である。だが―――その在り方に、今の時点で拘ってほしくないと、監督は考えたのだろう。全体的に火力不足なチーム事情なのも相成ったのだろう。ゲームの流れを重視する次鋒の席から、常にゲームを決めねばならない大将の席へと移動させ、彼女にまた別の武器を作らせんと画策した。

 

―――こんなスミレ、見た事ない。

 

収支+20000でゲームを引き継いだ大星淡と、マイナス収支の三位から引き継いだ弘世菫。

そこで見せた彼女の姿は、今まで見た事の無い姿だった。

彼女の狙いは実に解りやすかった。徹底した二位狙い。

彼女に親番が回ってきた瞬間から二位チームから二連続の直撃を取り、一気に収支を逆転させる。

 

―――点を取る事に特化したスミレは、こんなに強いんだ。

 

彼女は高校時代、王者である宮永照が作った圧倒的な点棒を引き継ぎ、その状況に応じて自チームに有利なゲーム展開に持ち込む為のプレースタイルを展開していた。

だからこそ、彼女は攻撃に特化したスタイルを、基本的に持っていなかった。

―――だが、今ここで大将という席に座った彼女は、まるで別人だった。

点を取る事に集中した弘世菫は、本当に恐ろしい打ち手であった。

執拗に直撃を取ったかと思えば、時に安手の振り込みで場を流す。その場その場の最適解を常に選択しながら、彼女はこのゲームに挑んでいた。

しかし、大星淡も負けてはいない。

最速で手を作り、最速でツモっていく。場にある点棒を容赦なく奪いながら、その火力を遺憾なく発揮していた。

そして―――終盤に差し掛かったその時、弘世菫は狙いすましたように四位チームからの直撃をもぎとり、トばした。

これによって―――順位が決定され、大星淡と弘世菫の勝ち抜けが決定した。

 

 

「これで、決着は決勝に持ち越しか」

「そうだねー。----スミレ、強かったね」

「言ったろ?以前の私と同じだと思うなと」

そう言って、弘世菫は力無く笑った。その顔は、今まで見た事の無い程の疲労の色が見える。

「この席は、本当に重いな。ここでのミスは、誰も取り返してくれないのだから。無論、次鋒は次鋒で別な苦労もあるが、それでもやはり慣れないな」

「------うん」

「------お前も、強くなったな」

「そう?」

「ああ」

「やた。スミレに褒められた」

「そうだな-----あまり、私はお前を褒める事は無かったからな」

弘世菫は、無論彼女が持つ才能は理解していた。

けれども、同時に彼女の精神的な脆さも、同時に理解していた。子供の様な純真な性格そのままな、感情的な打ち筋。だから、口酸っぱくなっていた。褒めて調子に乗ってもらっても困る。甘やかしてはならない。

そう思って、厳しく接していたつもりだった。

けれど、やはり人間万事塞翁が馬だ。何が変化のきっかけになるかは、解らないものだと思う。折られた心が、こうも見事な大樹の様に見事に成長してくれるのも、また人生なのだろう。なんとも、不思議なモノだ。

「----お前も素直になってくれたことだしな」

「ん?」

「なあ?淡。私はな、今でもお前の事は可愛い後輩だと思っているよ」

「------」

「だから、な。何かあったら、一人で抱え込む必要はない。私が気に入らないなら他の虎姫メンバーでもいいんだ。誰も、お前を拒否したりしない。まあ、だから、何というか、その------」

どもるどもる。

----くそ、どうしてこうも狼狽しているのだ。

きょとんとしたままこちらを上目遣いで見やる淡の所為なのか、それともこれから口にしようとしている歯が浮くようなセリフを飲み込もうとする本能との軋轢の所為か。おそらく両方だろう。

「つ、辛い事があったら、いつでも連絡してくれればいい。私も、お前の事が-----う、うん、大事に思っているのは、間違いない----から」

顔を真っ赤に染め上げながら、幾度も言い淀みながら、そして言葉尻がどんどんトンボ切りになりながら、何とか言い切った。

その言葉をうんうんと聞きながら、淡もまた花咲くような笑顔で言う。

「うん。私も大好き」

対してそちらは一切の照れも羞恥もなく、言い切る。

----ずるいなぁ、この後輩は。

何でこの後輩の分までこちらが恥ずかしがらねばならないんだ。

まさしく照れ隠しだ。淡の頭を鷲掴むようにぐしゃぐしゃと撫でまわした。

「うわ、何するのスミレー!」

「うるさい。生意気なのはちっとも変わらんな、お前は!」

きゃいきゃいと喚きながら、それでも二人は笑顔だった。

―――何だか、以前よりもちょっとだけ互いを理解し合えたような気がした。

 

 

そうして―――大会は終わった。

大星淡が所属する大学の勝利という形で。

僅差の勝利だった。準決勝で目敏く淡の打ち筋を頭に叩き込んでいた弘世菫に二度の直撃を受け一度は逆転を許してしまった。

それでも、苦しみながらも再逆転を勝ち取り、そして―――プロへの挑戦権を得た。

 

「―――今日ね、スミレと打ったんだ」

「スミレ-----って、弘世菫さん?」

「うん、白糸台の先輩」

京太郎の部屋の中、いつも通り二人はそこにいた。

実は全試合観戦しているなどと露とも思わず、京太郎はとぼけ、淡はそうとも知らずにコロリと騙されている。

「お前は変わった、成長したって-----とっても口うるさかったスミレが、そう言ってくれたんだ」

「よかったじゃないか」

「うん、とっても嬉しかった」

コロコロと陽気そうに笑いながら、淡は言葉を続ける。

「----意地を張っていたのは、やっぱり私一人だったんだって、またまた再認識。何だか、ちょっとだけ恥ずかしい」

「恥ずかしい?」

「恥ずかしいじゃん。何だか、こう、子供っぽいじゃん!百年生らしくない!」

「今でも十分子供っぽいから安心しろ」

「むきー!そんな事言うなー!」

ソファに座る京太郎はその背後よりポカポカと頭を叩かれる。子猫とじゃれ合っている時の様な穏やかな心境であっはっは痛い痛いと笑う。

そして、唐突にその可愛げのある暴力はピタリと止まる。

何事かと後ろを振り返ると、ジッと彼女は京太郎を見ていた。

「どうした?」

「うん----やっぱり、素直な事は大事だよね」

そうポツリと呟くと、ソファの正面へとスススと動く。

「キョウタロー」

「うん?」

「ありがとね。―――変われたのは、キョウタローのおかげだから」

「お、おう-----」

「やっぱりさ。私は子供だったんだなー、って思う。素直なのが子供っぽいって思ってて、だから意地張って硬くなってたんだな、って気付けたんだ」

「うん」

「素直な言葉を言えば、素直な言葉が返ってくるんだなって、スミレと会って、ちゃんと理解できたんだ。素直な心でいれば、素直なままの世界が見れるんだなって。---それが解って、ちょっと嬉しかった」

「うんうん」

「だから、ありがとう」

「------そっか」

「うん」

京太郎は、その真っ直ぐな目を見る。

そうか。この娘は変われたのか。だからこんなに真っ直ぐなのか。

-----いや違う。

元々、きっと彼女は真っ直ぐだったのだ。

ただ、前しか写らない視界が、ちょっと広がった。たった、それだけの事だと思う。

ただ、広がった視界が、見えていなかったものを見えるようにした。気付けなかった事に気付かせた。そうして良好な視界を手に入れて、ようやくもう一度スタートを切ったのだ。

「ね、京太郎。頭撫でて」

「はいはい」

「----スミレはちょっと乱暴だった。優しくしたまえ」

「はいはい」

「はい、は一回だよ」

「はいはい」

むー、と不満を漏らしながらそれでも丸まった猫の様に身体をくっつけていく。

 

これより三日後。―――リベンジが始まる。

その傍らで、彼女はその事実を、この間だけ忘れる事にした。

 




悩みましたが、適当に取り敢えず過程だけ書きました。ツッコミどころあれば遠慮なく言って下さい。逐次修正します。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

心配と杞憂

―――遂に、来た。

大星淡はふんすと息巻き、会場へ向かう。

大学選手権では雀の涙ほどだった報道陣も、今は殺到するように溢れかえっている。パシャパシャとフラッシュが鳴り響く音が、その熱が、ざわめきが、―――かつての敗北の記憶を呼び覚ましていく。

眩いフラッシュが、まるで自分の敗北を嘲笑うかの如く思えた。清澄の大魔王―――その伝説を完成させる為の踏み台、もしくは生贄が自分だったのだと、そう思えて。そう思い込んで。あの時の経験が、自分の心を完膚なきまでに叩き潰したのだ。

彼女は一つ息を吸い、吐いた。

―――大丈夫。

今の自分は、一人じゃない。

―――リベンジ、スタートだ。

 

 

淡は控室の中、ゆっくりと目を閉じた。

きっと、ここが自分の人生の中での再スタートになる。そんな気がする。きっとこれは―――大袈裟な事じゃない。

過去を打ち破るんだ。

過去を振り返らない事が大事だと、そういう風に言っている人もいる。それもきっと正しい。時間の針は常に進んでいる。人は、一秒だってその針を元に戻せない。ならば、過去に固執する事を愚かだと断じる人も、きっといるのだと思う。

けれども、思う。

墓標の如く積み上げてきた過去によって、自分は形作られてきた。

屈辱も、悔恨も、今まで積み重ねた過去が今の自分が進む道を作って来た。

こんなにも試合を恐ろしいと思える心が、楽しいだけじゃないと思い知らせてくれた敗北の記憶が―――何度も、何度も、振り返る度に自分と言う存在を照らしてくれた。この緩やかに見える遠回りを選ばせてくれた。

だから、どれだけ辛い過去でも、自分はそれを否定したくない。

この過去が―――自分を変えてくれた諸々に出会わせてくれたというならば。

否定したくない。するべきじゃない。

だから―――過去を忘れるのではなく、ここで決着を付けなければならないのだ。この道が無駄じゃなかったと、それを証明しなければならないんだ。

 

「―――見ててね、京太郎」

 

―――バーカ。知ってるんだから。

わざわざ、バイト休んで予選から会場に足を運んでくれたことも。今日この時もこそこそ隠れて時間に合わせて来ることも。全部全部。知っているんだから。毎日律儀にチケットを隠している事だって、全部全部。

―――だから、だから。今日はサキに勝って、真っ先にアイツの所に向かうんだ。そして「参ったか」って言ってやるんだ。絶対に―――絶対に。負けない。負けてたまるもんか。

 

時間を確認する。そろそろ移動しなければならない。淡は再度大きく息を吸い込んで、控室の扉を開けた。

 

 

会場は、凄まじい盛り上がりようだった。

―――高校時代、名門を打ち砕いた宮永咲。そして、彼女に打ち砕かれた大星淡。実に綺麗なドラマを描いた二人が、今立場を逆にして再度戦おうとしている。プロに進んだ宮永咲に、大学のリーグ戦から這い上がって来た大星淡が立ち向かう。そんな―――またしても絵に描いたような筋書きがそこにある。

こんな筋書きに惹かれぬ者はいないのであろう。この大会は、またしても何処までも注目される事となった。

嶺上地獄を演出し、新人王を獲得した紛う事なき怪物。そして、大学リーグ最多得点の歴代記録を更新した、大星淡。

あらゆる意味で対照的な二人が、それぞれの一年を超えて、再度戦おうとしている。こんなよく出来た筋書きの物語をマスコミが見過ごすわけも無かった。

それも含め、またしてもあの時の再現だ。

あの時の大星淡は、この期待感の中で押し潰された。

だから、心配してしまう。

今度も同じ羽目にならないかどうか―――。

そんな思いに駆られ、結局淡に負けてなお、弘世菫は会場に来ていた。

わざわざチケットを買って、観覧席に向かい、その姿を見届けようと。

「失礼」

彼女は隣に座る男にそう一つ声をかけ、座った。―――隣に座る男は何処かで見覚えのある金髪の男だった。男は実に驚いた表情を見せながらも一礼する。-----大学リーグの試合も見ていた人なのか、と少し感心した。多分、彼は隣の女が弘世菫であると知っているのだろう。

あ、と思い出した。

「君、清澄にいただろう?」

そう隣の男子に唐突に話しかけた。またしても驚いたような表情で、彼はこちらを見やった。

「やっぱりそうか。女所帯で一人目立つ男子がいたから覚えていたんだ。―――元清澄の応援に来たのか?」

そう言葉をかけると、あまりにも唐突だったのかしどろもどろになりながらも、彼は何とか答える。

「いえ、それもあるんですけど―――今は元清澄としてではなく、大学の応援に来ていますから」

「大学------ああ」

成程。彼は淡と同じ大学に進学していたのか。となると、同学のよしみとして応援している、と。

「弘世さんも、あわ―――じゃなくて、大星さんを応援しに?」

「------別に誤魔化さなくていい。君、淡と知り合いだったのか」

「まあ、はい。友人です」

「そっか。それは世話になる―――アイツの友人というのも大変だろう」

「大変ですけど、面白い奴です」

「ふ、それには同意しよう―――そっか。大学でも友達、作れたんだな」

弘世菫は兎にも角にも心配していた。

大学に進学して本当に一人暮らし出来るのか。そして、新しい環境で意地張って友人が出来ないのではないか―――まるで母親の様だと笑われるかもしれないが、本当に心配していたのだ。しかも、あれだけの挫折の後だ。どうしたって、その後の心配はせざるを得なかった。

「―――アイツ、変わったな」

「そうなんですか」

「高校の時は、本当に子供だったからな。生意気で、すぐ調子乗って、周りが見えない。天真爛漫だけれど、ある種の傲慢さがあった」

「-------」

「だから、本気で麻雀をやめるんじゃないかと思った。あれだけ、言い訳も許されないくらいの負け方をしてしまって。けど―――それが逆に良かったのかもしれないな」

「よかった?」

「逃げ道がなかったから、足掻く選択をしたんだよ。自分の心の脆い部分と向き合って、何とかそれを超えようとした。だから、傲慢さが消えた。必死さが生まれた。―――君から見て、淡はどういう奴に見える?」

「その―――俺は、大学に入ってからのアイツしか解らないので、率直に言います」

「ああ」

「素直な奴です。本当に―――何に対しても素直な奴だな、と。そう思います」

「----そうか」

何だか、感慨深げに息を吐く弘世菫に―――言おうか、言うまいか。悩みながらも、彼は言った。

「アイツ、滅茶苦茶喜んでましたよ。スミレから成長したって言われた、って。本当に、満面の笑顔で」

「-------」

「多分------高校の時の意地っ張りな部分をずっと見続けてきたのが誰か、ってのを、アイツなりに解ったんだと思います。ずっと、感謝してたんだと思います」

「ああ、知ってるよ」

そう。知っている。

以前とはまた違った表情で、何処までも素直な言葉を送って来た時の顔を。その言葉を。

「だから―――その、ありがとうございます。俺からも、友人としてお礼を言わせてください。ずっと、アイツを見てくれて、ありがとうございます」

「-----何だろうなぁ」

別に、礼を言われる事なんて自分はしていない。どいつもこいつも―――淡も、この男も、もしくは照だってそうだ。一番頑張っている、支えてくれている人間が、自分にこうして「頑張ってくれてありがとう」と言うのだ。何だか皮肉にしか感じられない。自分は、いつもいつも保護者面しながら楽な場所にいるだけだというのに。

けれども―――少しばかり、彼女もまた淡に絆されたのかもしれない。

こんな時くらい、礼くらい受け取ってもいいじゃないか、と。そう思えるようになれた。

「まあ、礼くらいは受け取っておくよ。どういたしまして。こっちも―――アイツの友達でいてくれてありがとうな」

自分でもわかる位ぎこちない笑みを張り付け、そう言った。

 

案外、気持ちのいいものだ。礼を言い、そして返す。単純な事なのに。

 

何だか晴れやかな気分だ。今だったら―――素直に、淡の試合を見れそうな気がする。

そうだ。

心配なんてしなくていいんだ。ボロボロに負けたっていいじゃないか。その時は涙目のアイツの頭でも撫でてやればいい。心配は、後でだって十分に出来る。アイツはもう、一人じゃないんだから。

 

そんな気分で、彼女と彼はあと五秒後に迫った試合に集中すべく、ジッと黙った。

 

ストロボの光と、入場曲が流れ―――今まさに、試合が始まろうとしていた。

 

 




自分で書いていてなんなんですけど、ネキ書いた後これは何か落差に酔いますね。文章の組み立てが違い過ぎて書いていて自分で自分が気持ち悪くなりました。訴訟。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

女の戦い、開始

頑張ったけど闘牌描写は無理です。その残滓だけでも感じながらお読みください----


宮永咲が登場した瞬間、割れんばかりの歓声が場内に響き渡った。

それは彼女が所属するチームのファンが大半であるが、その中には普段全く麻雀なぞ興味もないであろう一般層の人間もいる。

姉妹揃っての新人王の獲得。そしてその後の華々しい経歴。彼女はシーズン初期からレギュラーを勝ち取り、大将の座に居座り続け―――見事、その優勝の立役者となった。

それはアマチュアとの混同試合であろうと―――ここまでの観客を集められるほどの集客力が存在している。

その歓声に、身震いする。

あの時の記憶が、何度も何度も思い返される。

しかし、前を向く。

堂々と、歩いていく。眩いフラッシュも歓声も全部全部無視して、ただひたすらに前だけを向いて。

卓に座る。

前方には、宮永咲の姿。

「----久しぶり」

「うん、久しぶり-----丁度、一年ぶりくらいかな」

力無く、宮永咲は笑う。その笑みは―――かつて蹂躙した敵に向ける笑みではなかった。自信の欠片も無い、笑みだ。

何故だか、苛立つ。-----いや、完全に格下を見る様な不敵な目でこちらを見られてもそれはそれで腹立つのであろうが、それよりもモヤっとした不快感を覚えてしまう。本当に、何故だかは解らないけれど。

「プロでも元気にしてたみたいだね。さっすがじゃん。この淡様を散々に叩きのめしただけあるね」

「そ、そんな事ないよ」

「へ~。それじゃあ、あの時ぼっこぼこに出来たのも大したことなかったから、って言うの?」

「ううん。そんな事ない。―――大星さんは、とても強かった」

「------」

何なのだろう。この不自然なまでの謙虚さは。

別に自分の様にその力を誇示しろとまでは言わないけれど―――どうして、自分が積み上げた実績や結果までも、大したことが無いと断じているのだろう。その感覚が、いまいち解らない。―――本当に、この女は宮永照の妹なのだろうか?

誇らしくないのだろうか?

自分の力で積み上げたものが、その結果としてのこの歓声が。今この場において絶対王者であるこの女が―――どうしてこうも、弱々しく写ってしまうのか。

「本当に―――大星さんは凄いなあ、って思ってたんだよ?プロになって、よく解った」

「何で------?」

「本当はさ、-------ずっと、今でも負けるんじゃないか、って怖くて怖くて仕方がないんだ」

「え?」

「勝ちが、当たり前みたいに期待される-------この状況って、本当に怖いんだな、ってよく解った。この期待が、負けたら一気に失望に変わっちゃうんだ、って。そう思い始めたら、凄く怖くて----。こんな重圧を、お姉ちゃんや大星さんはずっと背負い続けてたんだな、って」

もう一度、宮永咲の姿を見る。

------微かに、震えているのが解った。

そっか、と大星淡は理解し、納得した。

つまるところ―――彼女も、自分と同じだったのだ。

期待が怖い。失望が怖い。敗北が許されない状況が―――怖くて怖くて仕方がない。

その精神性は、例え眼前の化物であっても、変わりはしなかったのだ。

「-------」

その事実に―――何だかよく解らない感情が湧き起こっていた。

憐れみ?いや、違う。それ程彼女は傲慢にはなれない。

怒り?哀しみ?―――どれでもない。

多分、―――共感、なのだろう。

言ってしまえば―――あのとんでもない怪物にも、人の心があったのだ、という安心感というか。そういう部分に、ほどなく共感してしまったというか。

そう思ってしまえば―――眼前の少女に対する忌避感も、薄れていく。

そうだ。どんな化物であっても、その実態は人間なんだ。

だったら、恐れる事は無い。

「だったら、私が勝って―――終わらせてあげる」

一度負けて、向き合って、それで―――大星淡はその重圧を振り払う力を得た。

「―――勝負だ!」

 

 

しかし、その思いとは裏腹に―――淡は苦境に立たされていた。

絶対安全圏の効果などものともせず安定して嶺上牌を確保していき、ダブルリーチの速攻すらも叩き潰していく―――まさしく高校の時と全く変わらぬ構図がそこにあった。

試合が始まれば、変わらぬ姿があった。

淡は何とか他家からの直撃や安手のツモ上がりでその場を凌ぎながらも、しかして宮永咲との間には埋められぬ差が付いている。現在二位の位置につけてはいるが、その差は歴然。

「-----やっぱり、成長している」

「そうなんですか?」

「ああ。------以前までのアイツならば、宮永との差を詰めようとダブリーでの暗カン狙いに徹していただろうな。実際、それが出来るチャンスは幾つかあった。けれども淡はダブリー牌のみで場を流していく事を優先した。-----流さなければ、宮永がアガる可能性の方が高いと判断したのだろうな。実際に、いい判断だ。流さなければより宮永に点が集まってしまう場面が幾つかあった」

ダブリーのみの安手でとにかく流す。勝負を仕掛ける場面を、未だ探っている状態。

「勝負を引く、探る、仕掛ける―――勝負師としての感覚が、ようやく根付いてきたのだろう」

 

その後も、試合が流れていく。変わらず、何とかその場を凌いでいく淡と、猛攻による蹂躙を行う咲という構図が続いていく。

-----これは、逃げではない。

だが、逃げではない事を証明するには何処かで勝負を仕掛けなければならない。

このまま場を流し続けて、宮永咲が他家からの直撃へと方向を転換させ他の雀士の点を吸い上げてもらい、三位以下との点が開いた所でダブリー能力を解除。宮永咲からの直撃にのみ注視しながら、安全圏を利用し―――この場で最も手が回っていないであろう4位のアマ代表から速攻で直撃を取っていく。こういう方法が頭をもたげる。これが、二位の位置につけるには最も可能性が高い方法に思える。宮永の嶺上地獄と淡の安全圏で、最も割りを食らっているのが、間違いなく四位につけているこのアマ代表だろう。成す術もなく足掻いているが、ここに注視していけば、上手くいけばさっさと直撃でトばして順位を確定させる事も出来るかもしれない。

けれども、それでも、

―――駄目だ。それは駄目だ。

どうしてなのか―――そんな戦いの果てには、最後の最後で宮永咲からの直撃による大放出が目に浮かぶ。

逃げに回ったその果てに、最後は断罪でも受けるかの如く敗北の憂き目にあう―――そんなイメージが、頭から離れない。

解っている。

この勝負は、二位で終われたらとか、プラス収支で終われたらとか、―――そういう戦いじゃないんだって。

一位で終われればそれがいい。だけど、なんだったら最下位だって構いやしない。

けど、この戦いで取り戻さなくちゃいけない事がある。

逃げない心。戦う気持ち。恐怖を振り払える力。

過去の残骸が囁きかける宮永咲という恐怖の権現に、逃げずに戦わなくちゃ―――それは手に入らない。

 

―――お前が勝つ事に期待してるんじゃないぜ。お前に、ただ恐れず立ち向かってもらいたいんだ。

 

言葉が蘇っていく。

 

―――お前は頑張ってきたし、変わろうと努力してきたし、悔しい思いに歯を食いしばって来た。その姿に、俺はかなり元気づけられたし、凄いと思うし、尊敬もしてる。凄く単純な理由だけど、----一緒にいて、凄くありがたかった

 

自分にもう一度ここに向かわせてくれた言葉が、その存在が、彼女の思考を一本化させていく。

 

―――ここに来て、とても運が悪かったね。サキ。

 

彼女は笑う。

観覧席の先にある二人の面影に向かって。見えないだろうけど構いやしない。思い切り笑ってやった。

 

―――この席じゃなかったら見えなかった。もうこれだけでも私は運が良かったんだ。

 

そして局が巡り、自らの親番が回ってくる。

ここだ、と確信した。

ここしかない。勝負を仕掛けるのならば、リスクを背負うならば―――ここでしかない。

 

ダブルリーチの能力を、解除する。

―――多分、サキはもうダブルリーチの法則を解っている。山のカドに到達する際に暗カンが成立し、その次からツモ上がりが出来る法則を。

もしこの能力を使用したとて、宮永咲は圧倒的な点棒差がある。ダブリー程度の点棒ならばくれてやっても構わないのだから、こちらの直撃を気にすることなく手を作り、山がカドに到達する前までにツモ上がりすればいいだけだ。いや、そんな事しなくてもさっさとクズ手を使って場を流せばいい。なんなら安全圏の能力の影響によって必死に手を作っているであろう他家に振り込んでしまえばいい。この状況においてダブリー能力は、安手を作る以上の期待値は無い。

 

―――真っ向勝負だ。

 

本気を出す―――それが自分の能力の解除へと直結するなんて、過去の自分からでは考えもつかなかった。

でも、それだけの怪物だった。全霊を込めた能力も、この化物には通用しなかったのだから。

 

今自分にできる事は、この化物から何とか直撃を奪っていく事しかない。

彼女は、何とか期待する。

―――この場で、どんな形でもいい。リベンジしたい。しなければいけない。お願い、どうか―――

 

彼女は、食い入るような目で自らの手を見つめた。

 

最後の戦いが、始まろうとしていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

恐らくはきっと、最良の日

―――かくして。戦いは終わった。

「試合終了。総得点一位、宮永咲」

大歓声の最中、無機質なその声が、会場に響き渡った。

 

大星淡は、総得点二位のまま、結局宮永咲を捲れず終えた。

―――それでも、彼女には惜しみない拍手が送られた。

 

何故ならば、プロである宮永咲に満貫の直撃を取ったという、目に見える快挙を成し遂げたから。

けれども、淡の中にはそれを喜ぶような感情は存在しなかった。

 

―――これが、今の私なんだ。

受け入れなければならない現実が、この歓声だ。この結果だ。

敗北した時に息を飲むようだった一年前と打って変わって、今や敗北は当たり前。一度直撃を奪っただけで歓声が上がる始末。今の自分は、そういう存在なんだ。

 

悔しい。悲しい。涙が思わず滲む程に。

解っていた事じゃないか。自分と宮永咲との実力の差なんて。負けて当たり前なんだ。まさか自分は勝って当たり前だとでも思っていたのか。何故に今、自分はあの時よりも純然たる感情が沸き起こっているのか。あの時は失望感で涙すら出なかったというのに。

沈んだ表情のまま会場を出たその時―――こちらを出迎える人影があった。

「お疲れ、淡」

そこにいたのは、須賀京太郎と弘世菫だった。

彼等もまた、こちらを労わる笑顔を浮かべながらも、それでも悔し気な表情を浮かべていた。

 

―――ああ、そうだ。

あの時とは明らかに違う事があったじゃないか。

―――私は、期待に応えさせられていたんじゃない。期待に応えたい、って思っていたんだ。

 

無茶だと解っていても、それでも、それでも―――勝ちたかった。期待に応えたかった。だから悔しいんだ。だから悲しいんだ。期待に応えられなかった自分の情けなさが、実力の無さが。

「------キョウタロー、スミレ」

「うん?」

「ごめんなさい-----期待に、応えられなかった。私、私------」

「謝るな馬鹿。―――お前は頑張ったよ。あの化物相手に」

「でも、でも、私------」

弘世菫は自然に彼女に近付くと、ふわりと抱きしめた。

「でもじゃない。お前は逃げなかったんだ。その過程を経て出た結果なら、でもはない。お前は―――本当によくやった」

その声は、聞き慣れない調子で紡がれている。いつもの厳しく、凛然とした声じゃない。羽毛の様に柔らかい声だ。柔らかい腕と柔らかい声に、淡は包まれていた。

そして、くしゃりと髪を掻き分ける力もやって来た。

これはいつもの感覚だった。優しくも力強い、ゴツゴツとした掌の感覚。

「カッコよかった。本当に凄いと思った。----ありがとう、淡。滅茶苦茶、興奮した」

彼が言えるのは、これだけだった。

頑張ったな、とは口が裂けても言えなかった。それは、彼女と同じ次元で戦い続けてきた弘世菫だから言える言葉であって、この場面において自分は言ってはならないと感じた。だから、感想だけを述べる事にしたのだ。カッコよかった、と。

 

色々な感覚、色々な言葉。その諸々に包まれ、彼女の感情もまた堰を切ったように溢れ出した。

―――悔しい。悔しくて悔しくて堪らない。かつての敗北の記憶、そして今直面した敗北の記憶。大学での研鑽の日々に新たな出会い。その全てがまるで全身を駆け巡るかの如く頭から溢れ出してきて、止まらなかった。

「う-----うああああああああああああああああああああああああああ!!」

負けた。負けてしまった。

積み上げてきたモノ全てを賭けて戦って尚勝てなかった、その事実をまた彼女の過去の足跡に刻んで、彼女の戦いは一先ず幕が下りる事となった。

それでも、かつての終幕と異なる事実がいくらでも見つけられた。

―――きっと、それが大事なのだ。そう彼女を包む二人は思う。

立ち止まるんじゃなく、歩み続けた。過去に囚われることなく、過去に立ち向かった。その過程を経て―――ようやく大星淡はその敗北に価値を見出せた。その敗北に涙を流すことが出来た。

 

こうして、彼女のリベンジは、ほろ苦い形で終わる事となった。

いくらでも悔しい思いはあるだろうが―――あの時の様な失望感は無い。何だか幾分爽やかな思いと共に、何もかもが劇的に変わった夏の日が、過ぎていった。

 

 

―――なんだかなぁ。

宮永咲は試合が終わるとすぐ報道陣に囲まれ、試合の感想を訥々と述べる事となった。歯切れのいい文句を並び立てる事に随分慣れてきた彼女は、十数分程質疑応答を行い、そのまま会場を後にする事となった。

感想を言えば、相当にやりにくかった。プロでの場数を踏み、自分の実力はあの時から格段に上がっていたと思う。それでも―――大星淡は手強かった。強力な手を作るそばからダブリーで流され、勝負所で直撃を奪われた。本当に、強くなっていた。

―――本当に、なんだかなぁ。

偶然、大会会場で涙する彼女と弘世菫―――そして、須賀京太郎を目にした彼女が抱いた感想は、これだった。なんだかなぁ、と。大星淡も無論勝った気なんてしてないだろうが、自分は勝者のはずなのになんだか負けた気分だ。

かつて、ああいう風に世話を焼かれていたのは自分で、―――そして月日を経るごとに何となくその関係は解消されていったという事実。

そう。あの人はそう言う人だ。一人ぼっちでいる人間を放っておけない人だ。だから、きっと大星淡にもそういう感情で近付いていったのだろう。

それはつまり―――世話する必要が無くなったら、それまた何となく関係から離れていく人だ。それが異性ならば、尚更。

自分もそうで、そして今現在そのありがたみを痛感している宮永咲なのであった。

 

―――なんだかなぁ。何でそうなるのかなぁ。

 

現状を認識し、とにかくそういう風にばかり思ってしまう。自分以外に誰にも責任は無いから誰にも責める事は出来ないけど、その行く当てのないどうしようもない感情が、そういう言葉で発露していた。

はぁ、と一つ溜息を吐いて、宮永咲は会場をとぼとぼと去っていく。それは勝者の姿にはとても見えなかった。

 

―――ばいばい、淡ちゃん。あの男は油断していると次第に消えていくから、ちゃんと注意するんだよ。

 

そう一つ、心の中でぼやいたのでした。

 

 

意識が、覚醒していく。

がばりと身体を起こし辺りを見る。そこには自分のお気に入りの人形が潰されたように両腕にくるまっていて、ピンクのシーツに包まれた自分の姿があった。

―――そっか。家に帰って、泣き疲れて寝ちゃってたんだ。

そうして、彼女は腫れぼったい目元をごしごしと擦って、時計を見る。時刻は9時を過ぎたあたり。起きるにも寝直すにも何とも中途半端な時間だなぁと考えながら、とにかく水でも飲もうかとキッチンへと向かった。

その瞬間、ぐぅ、という腹の音。

「-------」

あれだけ悔しい思いをしてもいつも通り腹が減る自分に、何とも言えない無情感を覚えながらも、何か取り敢えず食べようと思い、外へ出る。

そして、ドアノブの妙な重たさに気付く。

ノブには、袋がかかっていた。

中身を見ると、カレーのルーと白米がタッパーに詰められ、挟まれたメモ用紙が一つ。

“今日は好物食べて元気を出せよ”

「--------」

隣の部屋を見る。

まだ光が見えた。

「--------」

ならば、元気を出させて頂こう。

袋を手に持ちながら、彼女は遠慮なくチャイムを鳴らした。

 

 

芳醇なルーの匂いに白米の照りが実に香ばしい―――久方ぶりの幸福感に包まれながら、笑顔で彼女はもくもくとカレーを食らっていた。

こりゃあ心配する必要も無かったか、と安心感と徒労感ががっくりと両肩にかかりながら、ちょっと呆れたように須賀京太郎は彼女を見た。

まあいいじゃないか。これが大星淡だ。

「ねえ、キョウタロー」

ニコニコと笑みを張り付けながら、彼女は呼びかける。

「うん?」

「------何でさ、応援していたの私に黙っていたの?」

笑顔ながら、何処か詰問じみた口調で彼女はそう問いかけた。うん、ばれていたのですね。そりゃあ、最終日はばれるつもりでいたけれど、ここまで全試合見ている事もばれているっぽいなぁ、この口調だと。

「-----うーん、何ていうかさ」

「うん」

「そこまでやると、逆に迷惑じゃないかな、って思ったんだよ」

「何で?」

「だって、淡は今まで余計な期待をかけられる事に重圧を感じてきた訳じゃないか。こういう日常の中で頑張れ、っていうのと実際に試合を見に行くのじゃあ、期待の種類が違うだろ?」

試合を見に行く、という事は―――それすなわち「現地で応援してやっているんだから絶対に勝てよ」というメッセージがその中に含まれているように、京太郎は感じていたのだ。そうは思って欲しくない。けれども彼女の試合は見たい。そういう訳で、試合を見に行っている事を黙る事にしたのだ。

その言葉を聞くと、彼女はジッと彼を見た。見ながら、言う。

「-----いいんだよ?」

「え?」

「私は、キョウタローにずっと期待してもらいたい。ずっと、ずっと、期待してもらいたい」

「えっと、淡------?」

「キョウタローは私をずっと見てくれて、変えてくれたもん。だから、キョウタローは変わった私に、ずっと期待してほしい」

「------」

「これから、もっともっと期待を裏切る事になっちゃうかもしれない。それでも、いつかは絶対に応えるから。―――キョウタローは、どれだけ裏切られても失望しない人だって解っているから、だから」

だから、のその先は続かなかった。

彼女は今身体に起きた異変を認識するには少し時間が必要だった。だから、黙った。

そして―――今彼女は、須賀京太郎に片膝立ちで抱きしめられている事を知った。眼前に、彼の横顔がある。

「キョウタロー------?」

困惑する淡をよそに、須賀京太郎は囁く。

「淡、ちょっとだけ聞いてくれ」

今まで聞いた事の無いような真面目なトーンで、彼はそう言った。

思わず、うん、とだけ言った。

「俺はさ、最初は―――放っておけない、て思ってたんだよ。お前の事」

「-------」

「凄い雀士だけど、大きな出来事で挫折して、それでも歯を食いしばって立ち向かっていく姿に、勝手に共感したんだ。俺は、挫折から立ち上がれなかった人間だから」

「----うん」

「だから、応援したかった。だから、支えてあげたかった。けどさ、―――お前に黙って応援しに行くのは、ただの俺のエゴなんだ。お前が試合をやっている姿を見たい、っていうのは、そういうものとは別なんだ」

「------」

「淡。―――俺は、お前の事が好きなんだと思う」

え、と思わず声に出してしまった。

その言葉と共に、彼はゆっくりと淡から離れた。

「その―――お前の強い所も、脆い所も、全部見て来て----ずっと、一緒にいたいと思ったんだ。これが、俺の気持ち。俺は、こういう男だ」

きょとん、と―――まるで夢遊病患者の如く口を半開きにしたままその告白を聞いていた。

返事までの間、たっぷりと十数秒。勢いに任せ放った台詞が、一生拭えぬ黒歴史に刻まれるかはたまた人生最良の日を彩る言葉となるか。天国か地獄かの瀬戸際の中、彼の思考は無と化していた。

彼女の口が、開く。

「うん―――うん!」

その口は、笑みの形を象りながら―――。

「私も、大好き!」

そう、ひたすらに幸せそうな笑顔で、ひたすらに単純な言葉を紡いだのでした。

 

 




一先ずこれであわあわ編はおーしまい。書きやすいお話がこうして一つ逝ってしまわれた。あーあ。このお話は何処かでアフターを書こうかなぁ、とも思っています(書きやすいですし)。無論、アフターは無粋という意見が目立つようなら書きませんが。

とにかく結構長く続いたこのお話もここでおしまいでーす。ありがとうございましたー。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

旧友共との再会(アフター)

本当は分けたくなかったのですけど、意外に長くなったので分けます。すいません。


―――宮永咲と大星淡の対決の後、ちょっとした騒ぎとなった。

今年大暴れした期待のプロ新人に見事食らいついた大星淡は、一躍三年後のプロ入りの目玉となったのであった。

「プロ入りかー」

うーむ、と彼女はソファの上で雑誌を読みながら、悩まし気に声をあげた。

その声に、男の声が割り込んでいく。

「どうした?」

コポコポと沸き立つ茶を二人分注ぎながら、須賀京太郎はすっかり日常の一部と化したその姿を見やる。

「いや。多分、このままだとプロ入りするんだろうなー、って」

「え?そりゃあ、まあ、そうなんじゃないの。あそこまで見事に大暴れしちゃったし、そりゃあもう特別待遇でプロ入りだろ」

「まあ、そりゃあこのアルティメット淡ちゃんの力を以てすればプロ入りなんてへのへのかっぱだけどさー。何というか、その-----」

キッチンから二人分の湯呑を持って来た京太郎に、ビシリと淡は見ていた雑誌を突き付ける。

「なになに----。“独白。女性雀士の闇とは?男が出来ない女達-----”」

「--------」

そこで特集されていたのは、「結婚できない女特集~哀しみの女達」であった。いわゆる「結婚しにくい」と言われる社会人女性を職種ごとに分類し、そのインタビューと分析が記されているものであった。その特別篇に、女性雀士が特集されていた。

曰く、「金を稼げる事が仇となって、お高くとまっているように思われてしまい男達が寄ってこない」

曰く、「雀士を足掛かりにアイドルになってしまってアラサーへの道へと邁進してしまった」

曰く、「金にかまけて実家暮らしを延々している内に本当にアラフォーになっちゃった」

------生々しい実体験が、インタビュー形式でそこに載っていた。ああ恐ろしや恐ろしや。

「いや------こう言うのもあれだけど、現在進行形で男が出来ているお前が気にする事じゃなくない?」

「------最初付き合っていた人が、激務のすれ違いで別れてしまう、ってインタビューで書かれてた」

「ああ、-----成程ね」

「こんなの書かれるとさ-----正直、プロでやっていかなくてもいいかな、って」

「そう?」

「------ごめん。嘘ついた。とってもプロになりたいデス。けど、けどさ。それよりも、やっぱりね?」

「うんうん。解ってる解ってる。安心しろって。俺は何があっても離れやしないって」

淡の隣に京太郎が腰掛けると、いつもの通りくしゃくしゃと頭を撫でていく。

「本当?」

「本当だって。人生はじめて出来たこんな可愛い彼女、そうそう簡単に逃がしてたまるか」

歯が浮くようなセリフだが、顔に似合わず純情なこいつにはとにかく効果的である。耳まで真っ赤にして、ぼそりと呟く。

「------不意打ち禁止」

「何だよ。お前だって自分の事自信満々に美少女だ何だって言っていた癖に」

「自分で言うのと彼氏にはっきり言われるのとは違うのー!キョウタローは乙女心が解っていない!」

「いいじゃん。別に悪い気はしないんだろ?」

「むぐぐ-----。そりゃあ、そうだけどさ------」

「それとも、言わない方がいい?」

「------」

「うんうん。やっぱり淡は可愛いなぁ。よしよし」

「むきー!やっぱり馬鹿にしてるー!キョウタローの癖にー!」

「あっはっはっは。叩くな叩くな」

ポコポコと胸元を叩く可愛らしい衝撃を身に受けながら、よしよしとその頭をゆっくり撫でていく。

いつも通りの昼下がりだった。

 

 

「さてと。淡-」

「うーん?」

「前、二人で旅行したいって言ってたよな?」

「うん!」

もう先程のやりとりは忘れましたとばかりに上機嫌に答える淡に思わず笑ってしまう。尻尾が付いていたらきっと左右にびゅんびゅん振り回しているのだろうなぁ。

「何処に行く?」

色々と計画を練る為に買って来た旅行雑誌をペラペラ捲りながら、京太郎は顎に手を当てうーむと唸る。

「うーん。親父から車借りてきたから、それであちこちドライブで回って行くのもいいし、県外の旅館でも取って観光地巡りするのもありだよなぁ。どうしようかなぁ」

「うんうん。いいねいいね。観光なんていつぶりだろ?行こう行こう!」

ニコニコと満面の笑みを浮かべながら、彼女もまた雑誌を覗き込む。

「------まあ、互いに学生だし、あまり金をかける訳にはいかないからなぁ。基本線はドライブであっちこっち回るとして、一泊にしようか二泊にしようか------うーん」

「ドライブ------ドライブかぁ。いいなあ、そういうの。どうせなら色々な所を回ろうよ」

「ああ、そうだな。まだ免許取りたてのペーペーの運転だけど、それでいいなら」

「やた。ふふん、精々私の為に頑張りたまえ~」

「はいはい。ま、事故らない事を祈っててくれ」

かくして、この夏休みの間に泊りがけのドライブデートを行う事が決定されたのであった。まる。

 

 

「------ん?」

そうしてあらかた計画がまとまった所で、ラインメッセージが送られている事に気付く。

「うーん------どうするかなぁ」

そこには、竹井久からのメッセージ。内容は、同窓会の誘いであった。渋谷駅近くの居酒屋をとったから、同窓会をやらないかと。

「どったの?キョウタロー」

「ん?ああ、今清澄の部員が偶然全員東京にいるみたいで、どうせなら同窓会しないかって」

「ふーん------」

「-----やっぱり、不安かな?」

「うーん-------。いや、行ってきなよ。ほら、どーきょーのよしみ、ってやつ?何でもいいけど、こういう機会は中々ないかもしれないし、行った方がいいって」

「いいのか?」

「そりゃあ、あんな女の子だらけの同窓会だし、不安じゃないって言えば嘘になるけど-----けど、多分私も白糸台の皆に誘われたら行くだろうし、キョウタローだけそれに制限かけるのはただの我儘じゃん」

「ん。ありがと」

「いーのいーの。淡様は寛大なのだ。私も久しぶりにスミレと遊んでくるから、いっぱい遊んできなよ。------でも、浮気は駄目だよ?」

「解ってるって。それじゃあ、ごめんな。今日はちょっと出かけてくる」

「うん、いってらっしゃーい」

「はいよ。行ってきます」

少し名残惜し気に頬に口付けをして、京太郎は手提げカバンを握って、家を出た。

―――しかし、まあ他の五人はどうなってるのかね?

淡に悪いと思いつつ、彼は実際他の連中がどうなっているのか少しだけ楽しみにしつつ、駅へと向かっていった。

 

 

「やっほー、須賀君。久しぶりー」

目的地の周辺で、その人は軽くこちらに手を振っていた。

竹井久。かつての清澄高校麻雀部部長である。

「はい。久しぶりですね、竹井先輩。すみません、わざわざ出迎えてもらって」

「いいのいいの。ここら辺、居酒屋のチェーンなんて腐るほどあるだろうし。------いやー、男前になったわね」

「はいはい。お世辞はいいから早く入りましょうよ」

「む。ノリが悪いわねー。すっかり東京人になっちゃって。解ったわよう。さっさと案内しますー」

わざとらしく頬を膨らませ、彼女は予約した席へと案内する。

鍋が置かれた座敷部屋のテーブルに、見慣れた四人の姿があった。

原村和に、染谷まこに、片岡優希に―――そして、宮永咲。一気に、四人分の視線がこちらに集まる。

「お、久しぶりじゃのう」

「はい。久しぶりですね染谷先輩。相変わらずのようで」

「おー。久しぶりの犬の姿だじぇー。御主人がいなくても元気にしていたか?」

「お前も何もかも相変わらずなようで安心したぜ、タコス。安心しろ。すこぶる元気だ」

「お久しぶりです」

「おう、久しぶり和。----それじゃ、失礼」

丁度空いていた咲の隣に、彼は座る。

「あ、京ちゃん久しぶり------って程じゃないか。前、仕事の時に会ったしね」

「おう。目の前で二人トばしたの見物させてもらったぜ」

あっはっはと両者笑い合うのを見届け、竹井久はパンパンと手を叩く。

「はい、それじゃあ全員揃ったわね。よかったよかった。それじゃあ、最初のオーダー決めましょうか。皆、何を頼む?」

そうして久はそれぞれの注文をメモに取り、店員に伝える。

数分して全員分にドリンクが行き渡った所で、

「それじゃあ―――清澄高校同窓会、これから始めるわよー!かんぱーい!」

そう宣言がなされ、同窓会が始まったのであった。

 

 

こうして飲み会が始まった。

始めは、それぞれの近況の報告から始まった。

アナウンサーを目指し必死に勉強をしている久、実家の雀荘を継ぐ為に経営学を学んでいるまこ、本場タコス巡りをする為にメキシコに行ってマフィアの抗争に巻き込まれかけた優希、大卒のプロ入りを目指し研鑽中の和、そして―――麻雀プロとして破竹の勢いを以て邁進している咲。その中で、笑いながら、京太郎は麻雀協会で下働きのバイトを行っている事を言った。

「ああ、成程。だから咲さんと会っていた訳ですか」

「そ、そ。雀卓の調整だとかしている間に、結構会う事が多いのよ」

「へえ。そのバイト、中々面白そうですね」

「やってみたらどうだ?和なんか、片手間でサッとやれるバイトだろ」

そう会話をしていく内に、何やら和は違和感を感じていく。

------へえ。須賀君も成長したのですね。

視線が胸に行く癖が、完全に治っていた。大学生になってから、あか抜けたのは外面だけではなさそうだ。

------実の所、必死になって義理の為に視線を向けないようにしている訳だが。

そうして、段々話は色恋沙汰へと誘導されていく。------男日照りが続いているらしい、竹井久によって。

「ほれほれ。皆、隠さず言うがいいわ!どうせ、どうせよ!皆惨めな日常が続いているのでしょう!ほらほら、キリキリ答えなさい------なによう。そんなに私きつそうに見えるのかしら。なによう」

「ほれほれ。暴走すんなや。自分が惨めな立場に立っているからってのう」

「うるさいわね。不快感の共有こそ、女の友情を繋ぐ何より強固な鎖よ!」

「私は別に彼氏はいませんが、その事を惨めだとは思っていませんよ?」

「そりゃあ、嫌でも男が寄って来る和じゃ話が違うわよぅ。―――ねえ、咲?」

「う-----私にふらないで下さい」

「そうだじょー。どうせだったら、男の方の惨めっぷりをいたぶってやった方がいいと思うじょー」

「へ?俺?」

「そうよね。こういう話題なら数の暴力で男の方を苛め抜いてあげましょうか------ほら、須賀君、話すのよ!大学生になっても彼女一人も出来なかったであろう非生産的なバイト三昧な生活を---」

「-----------」

「ん-----?」

「何を押し黙ってるんだじぇ-----?」

「いや、何というか、その------」

しどろもどろになっているその姿を冷たく見据えながら、咲は呆れたように、言う。

「無駄ですよ竹井先輩―――京ちゃん、彼女いるもん」

まるで断頭台の如き冷たく確固とした口調で、そう告げた。

 

「へ?」

「じぇ?」

 

現実を受け止めきれずそんな間抜けな声が上げられた後に―――。

「はあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」

そんな合唱めいた三重奏が、鳴り響いた。

 

------うん。

------自分は一体、どんな見方されてたのだろう、と少しばかり落ち込む須賀京太郎であった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

変わること、及び誠実であること

挿入場所間違えていたので、張り直します。すみません。


都内のとあるチェーン酒場。

そこでは、かつての同校の先輩後輩が顔を突き合わせていた。

弘世菫、及び大星淡、この両者が。

「----まあ、それじゃあ乾杯」

「うん、乾杯。----何に乾杯しているのか解んないけど」

「別に何だっていいだろ。お前が人生初の彼氏が出来た事にでも構わんぞ」

「え?いいの?じゃあそうしよっか。私の人生初彼氏記念に、かんぱーい!」

「はい、乾杯-----。まあ、意外と言えば意外だし、意外ではないと言えば意外ではないな」

「何か曖昧な言い方。スミレらしくない」

「高校までのお前が男を作るまでに変わってしまったのは意外。だが変わったお前が現状男がいる事は何ら意外ではない、という事だ。須賀君、と言ったか。ずっと彼はお前の事を心配していたしな」

「------そんなに、変わったかな。私」

「変わった。変わったさ。多分、高校の時のお前と今のお前を鉢合わせたら、絶対取っ組み合いの喧嘩になっているだろうさ」

「えー。そうかなー?」

「まず絶対に“何であんなチャラチャラしてて麻雀が弱そうな男になびいたんだー!”って言われるだろうな。間違いなく」

「------否定できない。多分、そうなったら本気で喧嘩すると思う」

「ほれみた事か。まあ、人間変わる時は劇的に変わるものさ。今のお前が現状のお前自身を受け入れているなら、それは成長だよ。胸を張ればいいんじゃないか?」

レモンサワーをちびちびと飲みながら、弘世菫はそう言う。

口調は、平坦ながらも穏やかだ。かつての刺すような冷たさは鳴りを潜め、柔和な雰囲気が彼女を包み込んでいた。

「-----というか、スミレはいいの?こんな安い所で」

「構わないさ。高級バーなんかに連れてこられても、お前が困るだろう?それに、ここの食事も悪くない。時々、こういう所の焼き鳥が無性に食べたくなる」

そう言うと、弘世菫は塩だれがかかったもも串を口に運んでいく。串にがぶりつき食べているにもかかわらず、妙な気品があるのも、弘世菫ならではなのかもしれない。

「普段誰彼構わず焼き鳥にしてるからってー」

「うるさい。別にいいだろう、焼き鳥位食べたって------。それで、お前は彼氏とは上手くいっているのか?」

「そりゃあ勿論。今度は泊りがけのドライブデートにも行くんだ―」

「ならよかった。こんな女同士の飲みを誘う位だ。何かあったのかと心配してたんだ」

「むしろ、お互いその程度の行動を束縛しない程度には信頼しているってだけだよー」

にへらー、と実に解りやすく表情を崩しながら、そう淡は言う。

何とも―――表情が変わりやすいのは昔から相も変わらずだが、昔の笑い方とはまた違う印象を受けてしまう。これ程ふにゃんふにゃんな笑い方は、時々照に見せる程度だったような気がする。

「------まあ、須賀君もこれから大変だろうな。お前のような彼女を持つのは、きっとはじめてだろうし」

「む。なにさー。私が面倒な女みたいに言わないでよー」

「これからの話だ、これからの。これからお前は、嫌でも注目を浴びる事になるんだろうからな」

そう言われ、彼女の脳裏には今朝読んでいた雑誌の内容が蘇っていく。

―――男が出来ない女達。

表情が少し影が落ちた淡に、弘世菫は目敏く気付く。

「どうした?」

「いや------ちょっと、今朝読んだ雑誌の内容を思い出しちゃって」

そうして、淡はその内容を話した。雀士は「曰く付き」の人種である事を事細かく説明していた、あの雑誌の中身を。

「中々辛辣な雑誌だな。-----私にも少し危機感を覚える内容でもある」

「やっぱり、そうだよね----心配し過ぎ、ってキョウタローにも言われたけど、やっぱり心配になっちゃうじゃん」

グビグビとぶどうサワーを飲み干しながら、淡はそんな風に、心境を吐露する。

ただただ、淡は心配しているのだ。この心地よい二人の関係が、無くなってしまうのではないかと。

ようやく、手に入れたのだ。自分が抱えていたモヤモヤが解消しきった、今の時間を。それを手放したくない、と。そう心の奥底からようやく思えるようになれたのだ。

ふむん、と弘世菫は頷く。

「私も、心配いらないと思うがな」

「----どうして?」

「人間関係を保つ上で、一番必要なのは何だと思う?淡」

「-----愛?友情?うーん----?」

「私はな、誠実さだと思う」

「誠実さ?」

「ああ。何も難しい事じゃない。誠実に相手と自分と向き合い続ける事―――それだけでいいんだ。相手が求めている事。自分が求めている事。その両者をお互いに言葉で伝えあって、お互いに妥協点を見つけていく。相手ばかりでもなく、自分ばかりでもなく。相手にも、自分にも、誠実さを以て向かい合う事。それさえ出来ていれば、人間関係はそうそう簡単に壊れはしないさ」

「そう、なのかな?」

「そうさ。多分、プロ雀士になれば、自分にかかる負担が大きくなるんだと思う。そして、それに応じて相手に求める事も多くなっていくのだと思う。その循環があるから、プロ雀士はいわゆる“男を作れない職業”に名を連ねる事になっているのだろうさ。自分ばかりで、相手を慮れなくなる。そこに、誠実さは多分無いのだと思う」

「------うん」

「でも、お前は大丈夫だよ。お前は、きっと。お前はあれだけ、雀士である事に悩んで、苦しんで、乗り越えて、今に至ってるんだ。―――お前という雀士が、お前だけで成り立っている訳じゃない事を理解しているお前なら。周りの支えと期待で立ち直れたお前なら、雀士である事で誠実さを失う事は、きっとないさ。彼がいて、お前があるんだ。だったら、心配なんて要らないさ」

「------」

「ど、どうした----?」

「うん。―――やっぱり、スミレは優しいなぁ、って。えへへ」

「な----馬鹿な事を言うな、この馬鹿」

「えへへー。馬鹿でいいもーん。スミレが優しければねー」

お互いアルコールで紅潮したまま、照れたり笑ったりしながら酒を酌み交わしていく。

―――かつての先輩後輩は、こういう形でまた変わっていった。

変わる時は、劇的に変わる―――本当にそうなのだなぁ、と弘世菫は思ったのでした。

 

 

一方その頃、所変わって清澄同窓会内部。

そこでは―――実に剣呑な雰囲気に塗れた場に変わっていた。

「大星淡-----って、あの!?ちょ、ちょっと!何であんな大物釣り上げたのよ!どうしたの須賀君!?」

「ぶ、部長!声が大きい!大きい!」

「ほー-----。こりゃあ、意外じゃったのう。それほど女にがっつく印象ではなかったんじゃがのう」

「う-----嘘だじぇ----犬に、犬に、先を越されるとは----」

「-------」

騒ぐ者、感心する者、現実を受け入れられない者、開いた口が塞がらぬまま沈黙を続ける者。

そんな諸々の反応を受けながら、須賀京太郎は冷や汗を掻く。

何故だろう。何故こんな事になってしまったのだろう。

その後、様々な事を聞きだされた。

なれそめに始まり、付き合うまでの過程、告白はどちらからか、キスは済ませたのか、-----等々。女に囲まれ女について聞かれているこの図は、まるでメロドラマの修羅場の如し。おかしいなぁ、清算しなければならない遍歴なぞ持っていないはずなのになぁ。何でこんな事になっているのだろうなぁ。自分は何かやってはいけない罪でも犯したのかなぁ。

そうして、ポツリポツリと問いかけに答えていく内に、徐々にその反応は純粋な好奇心に、そして徐々に-----何故かは知らないが、苦渋に満ちた表情を浮かべるようになった。

主に、竹井久が。

「なによー!そんな劇的な出会いなんか信じるもんですかー!私が男日照りの真っ最中の中、そんなふざけた日々を須賀君が過ごしていたなんてー!ああ、何でよぅ!」

そう散々に質問をぶつけた女は、最後はそう言ってそっぽを向いた。-----よほど悔しかったのだろう。

大体の事は、久が代弁したのだろう。他の者も悔し気に顔を歪めながら、それぞれの席へ戻りまた酒を酌み交わしていく。

そして、散々冷やかされ弄られ、しかして楽しい思い出話を酒と共に酌み交わしながら、時間を過ごした。

 

そして―――同窓会がお開きになる。

それぞれがそれぞれの帰路に着く中、宮永咲は少しだけ、物思いに耽りながら一人の帰路に着いていた。

------変わったなぁ、と。

それは須賀京太郎ではなくて------むしろ、彼の口から語られていた、大星淡。

彼女は変わったのだ。周りの重圧と戦い続けながら。

大星淡は変わった。

-----そして、自分は恐らく―――。

 

―――何かが変わっていたら、また今の私も違っていたのかな?

そんな事を思った。

別に須賀京太郎に恋愛感情がある訳ではないけど-----その辺りも含めて。何かが違っていたのだろうか。

 

あまり意味の無い思考に、帰り道の間ずっと彼女は染まっていた。

 

 

 




次はドライブ編。
櫓落としで首の骨を折られる夢を見ました。それだけです。おのれ藤巻。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

いざ、取り敢えず長野へ

久々にあわあわ更新。久々に書くと、本当に心が削られていく気がする----。


「―――準備出来たかー?」

「出来た出来た!それじゃあ、しゅっぱーつ!」

威勢のいい声がそう響いた瞬間、微笑みながら玄関先に佇む男が笑う。大きな旅行鞄を背負った金髪の少女が、ふんすと息巻きその男の傍まで走って来る。

「ほら。そう言いながらハンドバッグを忘れてるぞー」

「へ?―――あー!本当だ!ちょ、ちょっと待って!バッグどこやったっけ!?」

ぼすん、と鞄を下に降ろし、再度彼女はリビングまで走って行く。

慌ただしい朝は、いつもの光景と言えばまあその通りなのであるが―――少しばかり興奮の度合いが大きいように思える。

それも仕方があるまい。

今日は旅行の日だ。

 

 

数日前の事。本格的にドライブルートを話し合い、あらかた計画を立て終えた二人はいつものように同じ食事をとっていた。二人の話題は、当然の如く引き続き旅行の事であった。

「―――という訳で、親父から借りた車は実家にあるから、一旦長野に新幹線で行こう事になる。そっから県外に出て、ドライブしようか。ごめんな。ちょっとお金がかかる」

「おお、長野!行った事なかったからなー。そっかー、キョウタローの故郷か」

「そ、そ。------まあ、特に何もない場所だけど、何かいい観光場所があれば寄ってもいいな。----善光寺とかあるけど、お前は一切興味ないだろうし」

「うん、全く無いね!それよりさ、キョウタロー。一度、私本場の林檎を食べてみたかったんだよね。------うん。楽しみだなぁ」

ほくほく笑顔でそう言い切る淡の相変わらずな正直者っぷりに苦笑しながら、京太郎も自ら作った飯を口に運んでいく。

「それにしても楽しみだねー。------あ。ねえ、京太郎?」

「うん?」

「一旦長野に行くって事はさ------つまり、その-----実家に、行くの?」

「あー------実家に顔を出すか、って事?その----淡を連れて」

「うん------。そ、その“ご挨拶”的な意味で」

先程の態度は何処へやら。落ち着かない様子でもじもじしている淡は、少々不安気に京太郎にそう呟いていた。

「その、さ。-----俺としては、是非とも淡を連れて行きたいと思ってる。勿論、淡が嫌だったらそうはしないけど」

「そう----なんだ」

「気が早い、って思うかもしれないけどさ。------その、俺は大学出た後も、お前がプロになっても、ずっと付き合っていくつもりで、そういう意味じゃ普通の彼氏彼女の関係とは違う感じだと思うんだよ」

「-------」

「以前にさ、雀士になったら離れ離れになるのかって話題になった時、滅茶苦茶不安そうな顔をしてたじゃん。-----出来るだけ、不安の芽は摘み取っておきたいと俺は思ってるんだ」

きっとこのまま変わる事ない関係を続けていけば、淡はプロになっているのだと思う。そういうある種の人生におけるターニングポイントに立った時でも、自分は関係を決して変えない覚悟は出来ている。

きっと、大変な事なのだと思う。想像するだけでも解る事はいっぱいある。実際にその時になって直面しなければいけない事だってたくさんあるのだろう。プロとして戦い続ける人間を、支え続ける。そういう人生を、自然と選択していたのだから。

だから、そういう諸々を包み隠さず両親に伝えたいと思ったのだ。

ここで―――恐らくないであろうが、反対されるような事があれば、今この時を以て解決しておきたい。覚悟は変わらないのだから、生じるかもしれない可能性は早いうちに無くしておきたい。

そう、京太郎は説明した。

「-------」

淡は黙ったまま-----箸を置いた。

テーブルを挟んで正対していた彼女は、すくりと立ち上がり、京太郎の隣に座る。

「どうした?」

「えへへー。-----何か、軽いプロポーズしてもらったから。嬉しくて」

「嬉しくて、どうしたんだよ」

「ご褒美をあげたくなっちゃったの。ほれ~、よきにはからえ~」

ぐりぐりと頭を押し付けながら、彼女は京太郎の首を抱いた。

身体全体が密着する様な形で、淡は京太郎の横に並んでいた。

「------うん。解った。会う。キョウタローのお父さんとお母さんに会うよ」

「-----そっか。ありがと」

「どういたしまして。-----どうしよう?息子さんを私に下さい!とか言えばいいのかな?ほらー、少女漫画とかでよくあるやつ!」

「うーん-------」

それは女側がすることは少ないんじゃないかなー、などと思いながらも、けれども何だか微笑ましいし淡も楽しそうだし、野暮なツッコミは後々にすることにした。

すっかり上機嫌になった淡と結局深夜になるまで話し続け―――二人して寝落ちしたのであった。

 

 

「おおー、何だか景色が変わって来たねー」

そして、現在。

新幹線の中でも、変わらず淡ははしゃいでいたのであった。

「淡は東京を出た事が無いのかな?」

「無い事はないけど、けどこういう所に行ったことはないかな。自然に囲まれていて、人があんまりいない所。旅行で行くよりも、大会とかで別の場所に行くことがほとんどだったから、都会に行く事の方が多かったし」

「ああ、成程ね」

それもそうか、と思う。

彼女は今までの人生のほとんどを麻雀と共に過ごしてきたのだ。纏まった休みの間でさえ、練習と大会で無くなっていたのだろうし。家族で旅行する、という機会も、それ程なかったのだろう。

「だからね、凄く楽しみなんだー。よく言うじゃん、“空気がおいしい”って。どういう感覚なのか、一度味わってみたかったんだ―。ねえねえ、長野って空気おいしいの?」

「山の方とかに行けば、空気は確かに澄んでるかな。車貰ったら、そっちに行ってみようか?」

「うん!―――やた。林檎以外にも楽しみが出来た」

「うん。ナチュラルに酷い事言っているよこいつ------!」

淡は心の底から素直な分、吐き出される言葉も無邪気に残酷なのである。おーい、一応恋人の故郷だぞー。林檎以外にもなんかあるだろー-------ないか。

そうこうしている内に、長いトンネルに入り、一時の暗闇が訪れる。

そして―――。

「わあ-----」

淡はその瞬間に見えた景色に、目を輝かせていた。

一面の緑の平野。そして、その先に見える山々。写る景色の大部分が、鮮やかな緑に引き立てられていた。

景色が変わって行く。

ぽつりぽつりと浮かび上がる古ぼけた民家。棚田を埋め尽くす林檎の木。

鮮やかに移り変わる自然の諸々を、彼女はほーとかへーとか一々感嘆の言葉を口ずさみながら、ジッと見ていた。

明らかに夢中になっているその姿を見て、―――やっぱり、連れて来てよかったと、心の底から思えた。

「見て見て、京太郎!あの河、鶴が飛んでる!」

「おおー。本当だ。久々に見たなぁ」

次第にその感動を共有せんと、淡は京太郎の袖をくいくいと引っ張って、窓際に引っ張り込む。

------これだけ喜んでくれるのだから、連れていく甲斐があるというものだ。

 

 

そして―――。

朝方に出発し、六時間ばかり。二人が駅に着いたのは丁度昼時であった。

ちょっとごめん、と一つ断りをいれ、京太郎は親へ連絡を入れる。

「はい、もしもし。―――そ、今着いた所。ここから飯食ってバスに乗って帰って来るから。え?さっさと連れて来いって?ちょ、飯用意してるの?-----はいはい、解った。すぐ帰りますー」

はぁ、と一つ息を吐き、彼は淡の所へ戻る。

「どうだった?」

「―――飯は用意してるから、さっさと帰ってこいだってさ」

「あ、あらら。そうなんだ」

「オヤジもお袋も雁首揃えて楽しみにしてるんだとさ」

「そ、そんな期待してもらってもこ、困っちゃうかな~----なんて」

「------おい大学百年生。いつもの調子はどうした?」

「う----わ、解ったよ!もう気合い入れていつものように行ってやるんだから!そら、レッツゴー!」

「はいはい。―――おーい、バスはこっちだぞー、淡~」

「へ?----あ、ちょっと待ってよ~!置いてかないで~!」

 

 

その後。

バスを乗り換え乗り換え、十分ほど歩き、眼前に立ちはだかるは須賀京太郎宅。

もうその頃には淡は借りてきた猫どころか蛇を前にしたカエルの如きカチンコチンぶりであった。

「------え、えーと。こんにちわ?はじめまして?どっちが挨拶的にはいいんだろ?それで、自己紹介したら、よ、よろしくお願いします----だっけ?あわ、あわわわわ-----」

小声でぶつぶつとそんな風に呟くおもしろおかしくそして珍しい淡の姿を尻目に、京太郎はチャイムを鳴らす。

その瞬間にドタバタと音を鳴り響かせ、がしゃんと派手に扉が開かれる。

そのあまりにもあまりな登場に、淡も思わず「ビィ!」と素っ頓狂な叫び声を浴びた。

 

母と、淡が相対する。

「------」

「------」

見つめ合う二人。お互い―――そうお互い。あまりにも衝撃的だったのだろう。言葉が、出てこない。

無言のままの膠着状態。

口火を切ったのは、淡の方だった。

「そ-----その!はじめましてわ、私大星あわひ-----いたぅ----」

力を入れ過ぎ、舌を噛んでしまった淡は、あたふたと慌てふためき目を回していた。

「------」

その姿に、母は。

「か-----」

か?

淡はその言葉を聞き逃さぬようしっかりと集中する。

そして。

「かわいい---!何この子!嘘でしょ!何でこんな子捕まえれたのよ、ちょっと京太郎!」

抱き付いた。

「わ、わぷ。あわわわ」

「わあ、お肌もっちり、髪サラサラ!嘘でしょなんなのこの子―――あいた!」

「はいはい。セクハラもそこまで。さっさと家に上がれおばはん」

京太郎は母に軽くチョップを食らわせると、ズルズルと家の中へと引っ張り込んでいく。

「ほら、淡も」

「あ、うん----お、お邪魔しまーす」

淡はおずおずと自らの靴を脱ぎ、並べながら引き摺る京太郎の側を付いていった。




兄が、結婚予定の相手を以前連れてきました。一応、その時に反面教師として感じた事を幾つか。

・連絡は三日前にはしておきましょう。片付けは唐突には出来ない。
・長居するのもさせるのもはよしましょう。気を遣わせることになるから。
・挨拶した後、相手から見た姑(予定)から「何か失礼があったでしょうか?」と連絡させるのはやめておきましょう。「そんな事は無かったです」以外答えられません。

皆さんも、是非とも結婚相手の親御さんへの挨拶へ行く時は、以上の点を気を付けておきましょう。この所為で、私は親から小一時間愚痴を聞かされる羽目になりました。わはは。まあ、私には一生縁がない事なのでしょうが。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

表敬訪問、そしてお泊り

うぇいよー


家に上がった淡がリビングへと入り最初に見た光景は―――うひゃあ、と声を上げ、椅子からもんどりうって倒れ込んだ須賀父であった。

「母さん-----な、なあ、この子が、京太郎の-------?」

空飛ぶ金魚でも見つけたかの如き呆然ぶりで、父はうわ言の如くそう言い放った。

余程眼前の現実を信じられないらしい。

「そ。我が息子の彼女さん。結婚を前提にお付き合いしているんですって」

「は、はじめまして-----。お、大星淡と申します----」

淡も淡で、緊張しすぎてカチンコチン。されど父はそんな彼女の様子に気付かぬまま、呆然と、その光景を見つめていた。

「--------」

窒息中の魚よろしくパクパクと口を上下に開け閉めしながら、父はギリギリとネジ人形みたいに視線を息子に写す。

「なあ、京太郎-----」

「何だよ」

「夢じゃないよな?」

「現実だよ。証明してやろうか?」

京太郎は溜息を吐きながら、倒れ込んだ父親の脇腹辺りを爪先で軽くぐりぐりと捻じり込んでいく。

「あ痛!馬鹿者!父親を足蹴にする奴があるか!」

「馬鹿な事言うからだろ。―――ほら、挨拶しろよ」

「あ、ああ------。は、はじめまして-----。須賀京太郎の父です----。お、大星さん。------ん?」

大星と来て、淡。

この特徴的に過ぎる名前は、何処かで聞き覚えのあるモノであった。

 

「あ、あの大星さん------」

「は、はい」

「間違っていたら申し訳ないんだけど-----その、大星さんは、白糸台にいた、大星さん----?」

「え、えと、その--------はい」

ペコリ、と頭を下げながら「あの」大星淡がそこにいた。

一年から白糸台高校のレギュラーを張り、その後三年間ずっとその座を守り続けた、世代最高峰と呼ばれた高校生雀士。

そんな女性が、息子の彼女として。

「------息子よ」

「何だよ」

「やはり俺は夢を見ているのか?」

「まだ寝ぼけてんのか?」

呆れるような声が息子から放たれたと同時に、今度は母から鳩尾に貫手を食らう父であった。

 

 

その後―――。

「おおー!これがカピバラ!」

先程の緊張は何処へやら、大星淡は目をキラキラさせながら眼前の動物を眺めていた。

無言のまま鎮座する、ごわついた毛玉。そして仏頂面。

縁側で日向ぼっこ中のカピバラがそこにいた。

「名前なんて言うんですか!?」

「カピよー」

付き添いにやってきた須賀母が、そう応える。

「おおー!ほらほらカピ、こっちにおいでー!」

ブンブン手を振りながら、淡はカピに呼びかける。

モソモソ。ゴソゴソ。

重々しく、マイペースな動作を以て、カピは淡の方向へと歩き出していく。

「おお-----はじめて触った」

存外に硬い毛の感触に少々驚きながらも、彼女は恐れる事無くカピの全身を撫でまわす。

特に嫌がる様子も無く、無表情のままカピは四肢を折り曲げ伏せっている。

夢中になりながらベタベタと触る淡を、母はジッと見ていた。

 

―――何か、随分と雰囲気が変わったかしら。

 

彼女をはじめて見たのは、高校IHのインタビューを受ける彼女の姿。

テレビ越しに見た、あの天真爛漫な様子は変わっていないが、―――あの時は隠そうともしない傲岸さが滲み出ていた。

だが、今はその様が綺麗に消え去っている。

「あ、キョウタロー、何処に行きました?」

「あの子は、ちょっとお父さんに連れていかれたわよー。さっきはごめんなさいね?お父さん、とにかく小心者だから。淡ちゃんの後光にビックリしてあんな醜態を晒しちゃったのよ」

「へ?ごこー?」

「------うんうん。流石有名人だわー。何か、こう和んでいてもオーラがあるもの。オーラが」

そう言ってカピを撫でる淡に近付くと、母は更に淡の頭に自然と手を乗せていた。

「へ?え、えっと-----」

「あーん。やっぱり、淡ちゃん可愛いわ。カピを撫でさせる代わりに、おばちゃんにも淡ちゃん撫でさせてー」

「あ、あわわわ----」

まるで羽毛のような柔らかな手つきで撫でられるのは、何だか少し気持ちよかった。

------こ、これがキョウタローのお母さんの手つき----!やばい、とっても気持ちいい!

カピを撫でる淡を更に撫でる須賀母という何ともシュールな光景が繰り広げられる中。

須賀母が、淡に声をかける。

「淡ちゃん淡ちゃん。息子との馴れ初め教えてくれないかしら?」

「な、馴れ初め-----」

「うんうん。淡ちゃんみたいな素敵な子、何であの子がしっかり捕まえられたのかなーってやっぱり気になるじゃない。純粋に不思議なのよ。------あの子ね。女子ばかりの部活で一人も手も出せないヘタレチキンだったから」

「ヘ、ヘタレチキン----」

「そうよー。そこから脱却できたのならもう母親としては感涙ものの成長よ。ね、ね。教えて?」

わしゃわしゃと淡の頭を撫でつけながら、母は淡に教えて教えてと迫って行く。

最初は言葉を濁していた淡も、勢いに飲みこまれ次第に口を開いていく。

「その------実は、部屋が隣同士で」

「うんうん」

「その時、私高校最後の試合で派手に負けた後で、結構精神的に追い詰められてて------。その時に、何気なく、聞こえてきたんです」

―――それは、自分の姿を頑張っていると認めてくれた声で。

―――自分の被害妄想じみた思い込みを消し去ってくれた声で。

「そこから、キョウタローは私に声をかけてくれたり、ご飯を作ってくれたりしてくれて。何かを返したいって思って、一生懸命頑張って、頑張ったら頑張った分、また素敵なものをお返ししてくれて。そういうやり取りを繰り返していく内に―――自分が変わっていっていくのを、感じたんです。キョウタローの為に、期待に応えたいって」

「そう-----なのね」

「はい。―――だから、捕まえられた、というよりかは-----何と言うか、最初から私の方から捕まりに来た、っていうか----。ああ、何だかすっごく恥ずかしい事言っている気がする私!わ、忘れて!忘れて下さい!」

「はいごちそう様。おいしかったわ、その話。―――ね、淡ちゃん」

「は、はい」

「何も恥ずかしがることなんてないわよ。人との出会いで自分が変わる事。人との出会いで何かを頑張れる事。それは、貴女だけの、貴女にしかない、素敵な宝物。息子が貴女にとって宝物になってくれたのなら、親としては何よりも誇らしいわ」

「-------」

「あの子、一回自分の夢を諦めちゃってるから。それがよかった、なんて口が裂けても言えないけど。でもね-----夢を前に心が折れる痛みを、誰より知っている子だから。きっと淡ちゃんを放っておけなかったんだと思う」

「はい-----」

「とても優しい子よ。だから、よろしくね?」

「は------はい----」

カピバラを撫でていた手が、止まる。

視界が、滲んでいく。

ぽたぽたと落ちる水滴は、拭えど拭えど溢れてくる。

もう、駄目だった。

淡を撫でていた手が、ゆっくりと背中から彼女の胸元へと回って―――いつの間にか自分は、抱きしめられていた。

とても、温かかった。

 

 

―――その晩。

須賀宅で盛大に祝われた後、時間は矢の如く過ぎ夜となった。その日はお互い、須賀宅で泊まる事と相成った。

当然のように同じ部屋に叩きこまれた二人は、一つしかないベッドの占有権(というか譲渡権)を巡り押し問答の末結局同じベッドに同衾という形に収まったのであった。

「-----ね。キョウタロー」

もぞもぞと胸の辺りに頭を押し付けながら、淡は声をかける。

「ん?」

「途中で、キョウタローのお父さんに呼びだされてたよね?何か言われた?」

「ああ。あれなー。―――あの子を泣かせたらぶっ殺すだってさ」

「あはは。何それ。フツー、それは私のお父さんが言う事じゃん」

「ははは。まあ、俺の親父も普通じゃないって事で」

「-----ね。キョウタロー」

「うん?」

「------ありがとう」

「------こちらこそ」

自然と、二人は顔を合わせて、唇を重ねた。

「-----えへへ。今日は何だか、すごく甘えたい気分なんだー。甘えさせろー」

そう笑いながら、彼女は京太郎の背中に手を回し、またぐりぐりと頭をこすりつけていく。

「はいはい。じゃあ、おやすみ。淡」

「うん、おやすみ。-----明日も、楽しみだね」

ニコニコと笑んだまま髪を手櫛で梳かれていく内に―――こんこんと、彼女は眠りの世界へと落ちていった。

とても、安心しきった様な―――そんないつもの表情で。




最近ずっと、ガルパンの「ヒヤッホォォォウ!最高だぜぇぇぇぇ!!」という台詞を繰り返し聞いています。元気が出ますね。内容はあまり存じ上げないのですが、流石は蝶野氏がど嵌まりしたというアニメ。テンションが天元突破していらっしゃる。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

tomorrow

今回はリクエスト部屋から少しだけ借ります。ありがとうございました。
しんみり話。


色々と、思う。

長野は、本当に空気が澄み切っていた。

そして、この家は本当に温かい空気があった。

 

カピバラも可愛かったし、家は大きいし、家族の人達もいい人ばかりだった。

でも――それだけじゃなかった。

それ以上の何かが、ここにはあった気がした。

 

 

隣で眠る恋人の顔に何となしに安心感を覚えつつ、毛布から抜け出し、厠へと向かう。

用を済ませると、暗いリビングを抜けて部屋へ戻ろうとした。

 

が。

目に入ったものがあった。

 

それは――棚に掛けられた、恋人の自分の知らない時代の写真だった。

 

「------」

競技用のシャツも金髪も泥まみれにして、歯を食いしばりボールを抱えている姿。

彼女は、そっと近づく。

棚には飾られた写真と、幾つかの本と、アルバムが存在していた。

 

勝手に見てはいけない。

そう理性で理解していても。

 

思わず、手に取ってしまった。

 

「-------」

花見の写真から始まったそれは、春夏秋冬ごとにまとめられた写真がそこに在った。

季節ごとに、写真は変わっていく。

夏になれば海があるし、冬になればスキーだ。

だが、どの季節にも――ハンドボールの写真だけは、尽きる事は無かった。

 

泥だらけの服。鬼気迫る表情。

泣き顔。笑い顔。

春が過ぎ、また夏が来て、冬の時代を迎え。

 

――写真は、病室で笑顔を浮かべる少年へと。

 

「------!」

たった一枚の写真が、全てを物語っていた。

けれども。

その写真だけ、下に書き足された文字があった。

 

――やっと、笑ってくれた記念に一枚。

 

そんな、一言が。

 

 

その日、淡はベッドに戻ると京太郎の胸にもぞもぞと入り込んだ。

胸に頭を押し付け、顔を下に向けて――涙を少しだけ浮かべて。

 

ちょっとだけ思ったのだ。

仮に。仮にだ。

過去を変える事が出来たならば。

――京太郎の過去を変えるだろうか。

 

夢を失った京太郎は、麻雀に触れた。麻雀に触れ、好きになってくれた。そのおかげで、出会えた。今自分とこうして触れ合えている。

 

今自分は、京太郎が失った夢によって生み出された幸せを享受している。

夢見る事の素晴らしさ。好きな人と触れ合える幸せ。今自分が味わっている事の全てが――京太郎の夢が潰えた事が因果となってここに存在している。

 

そう思うと、きゅぅと胸が痛くなった。

きっとこれは罪悪感なのだろう。

彼が不幸せなおかげで今の自分がある。

 

自分は、選べるだろうか。

今の自分の幸せを無くす代わりに――過去を変えて、京太郎の夢を生き永らえさせる事を。

 

少し考え、理解できた。

――出来ない。

 

別に、自分は悪くない。

そんな事は解っている。自分が望んで京太郎の肩を壊した訳ではない。

でも。

今自分が夢を追えるのは。

夢を無くした彼の手を引かれたお陰でもあるのだ。

 

――あの子、一回自分の夢を諦めちゃってるから。それがよかった、なんて口が裂けても言えないけど。でもね-----夢を前に心が折れる痛みを、誰より知っている子だから。

 

あの時の母親の台詞が、今はひどく重く感じる。

 

胸が痛い。

どうしてだろう。自分は今幸せなはずなのに。

なのに。

なのに。

 

下を向いて、涙がまた落ちた。

 

「淡」

そんな時。

声が、聞こえた。

 

これは夢の中だろうか。何となく、ふわふわとした気分で現実感がないようにも思える。

くしゃり、と髪が梳かれる感覚。

「ちょっと痛い」

優しい声。

その瞬間に――ここが夢じゃない事が理解できた。

よく考えれば、今自分は頭頂部をぐりぐりと京太郎の胸に押し付けているのだ。その上で下に俯いている訳だから、そりゃあ痛いだろう。

「ごめんなさい-------」

なので、素直に謝った。

ずぶずびとした涙声で。

「――淡」

頭に手が置かれ、撫でられる。

 

「どうしたの?」

もう駄目だった。

もうその声だけで、泣きそうになった。

 

 

胸の圧迫感に少し寝苦しさを覚え目を覚ましたら、淡が頭を押し付けていた。

なーにやってんだと思っていたら、――どうやら俯きながら泣いているみたいだった。

 

何があったのか。

事態が解らなかったので、ひとまず聞いてみた。

 

「ごめんなさい」

「何が?」

「お家にあったアルバム、勝手に見ちゃった」

 

ああ、と京太郎は返答した。

「別にいいよ。明日でも一緒に見ようか?」

「------キョウタローが怪我しているのも」

 

ああ。

あの写真か。

京太郎は、一つ頷いた。

 

「それで、何で泣いているの?」

「ねえ、キョウタロー」

「うん?」

「――この怪我がなかったら、って思う?」

淡は、なにか苦そうな表情で、そう聞いてきた。

――この質問で、何となく言いたい事が理解できた気がした。

 

「――ずっと思ってたよ。本当に。一時期は、それしか考えてなかったよ。この怪我がなかったら、って」

「-----そう、なんだ」

「うん。そうなんだよ。――でもな、今はそうは思っていないんだ」

え、と淡は言う。

うん。

そうなんだ。

今は――。

「淡。――例えば淡は、あの時に咲に勝っていれば、って思う?」

「------あ」

「咲に勝っていれば――いや勝っていなくても。あんなにボコボコにされていなければ。心が折れていなければ。多分淡はあんなに苦しい思いをしなくても済んだはずなんだ。――どう淡?過去に戻りたい?」

「------」

ぶんぶん。

横に振る頭の感覚が胸に走る。

――そうだろう。きっと淡はそう返すと思っていた。

だって淡は、あの過去の挫折から一生の財産を築き上げたのだから。

それと同じ。同じなんだ。

自分もまた、過去から得たものがいっぱいある。

「――過去を変えたい、っていう想いはどう足掻いても後ろ向きでしかないんだ。過去があって、今の自分がある。過去の出来事が無くなって得るものもあるかもしれない。でも、それと同じくらいに失うものもある」

「-------うん」

「俺は肩を壊して、それで清澄に入って麻雀を知る事が出来た。仲間だって増えた。大学に入って――お前にも会えた。お前に会って、あんなに楽しい時間を貰った。――これだけいいものを全部かなぐり捨てて過去に戻りたいとは思えないかな」

「-------」

「何かを失った後で、何かを得る。――多分、これが成長なんだと思う。――俺も、失った後に取り戻そうと足掻いているお前の姿に惚れたんだから」

「-----う----ぅぅ」

「だから。考えなくていいんだ。――俺の肩が治ったら、なんて。俺は色々と失った分――失いたくない色々なものを得て来たから」

 

 

「で、大丈夫なのあの車?」

「ん?不足か?」

「いや不足とかそう言う事じゃなくてさ。――古い方でいいって言ってるのこっちは」

須賀家にある二台の車。

一台借りるとは言っていたが――まさかまだ買い替えたばかりの車の方を借りだされるとは思わなかった。

 

一日が過ぎ、本日から須賀京太郎と大星淡はドライブへ出かける。

ニコニコと林檎をむしゃむしゃ朝食代わりに食べご満悦な淡は家の中でまたカピバラと戯れている。

 

で。

ガレージの前で、男が二人。

「何を馬鹿な事言ってんだ。お前一人だったらまだしも、隣にあんなゴージャスな彼女を乗せるのだろう。あんなボロ車に乗せられるか」

「そんなもんか」

「そんなもんさ。――さ、これがキーだ」

「-----あいよ」

「保険はもうかけているから。事故るのもお前が怪我するのも構わないが、あの子だけは怪我させるなよ」

「事故らねぇよ!」

それはどうかな、と笑う父は――少し、目を細める。

「なあ京太郎。――いい彼女持ったな」

「うん」

「――うん。いや、よかったよ。本当に。お前も本当にいい男になってくれたんだな、って」

「何だよそれ」

「まあいいさ。――お、淡ちゃーん。こっちだよー」

荷物を抱えた淡が、こちらにやって来る。

「いよーし、しゅっぱーっつ!――お義父さん、お義母さん、お世話になりましたー!」

「はいよー。気を付けるのよー」

キーを差し込み、エンジン音が聞こえる。

「何処に行こうか」

「うーん------取り敢えず、林檎」

「さっき散々食べてただろうがっ」

笑いが木霊する社内の中、車は走り出した。




MOROHAのtomorrow聞いてて何となく浮かんだお話。最近ずっとZORNとMOROHAを聞いてます。何か泣けてきますわ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

苦労人話編
残念無念


この話では、京ちゃんはお休み。酒に酔った勢いで書いた。辛うじて後悔してる。ワハハ


補習を終えて家路へ向かう蒲原智美。疲れからか、不幸にも黒塗りの高級車に追突してしまう。

庇うべき後輩も(誰もが同乗拒否して)いない為自然と全ての責任を負った蒲原に対し、車の主、龍門渕家御令嬢、龍門渕透華が言い渡した示談の条件とは―――。

 

 

「おい」

「なにかなー、ユミちん」

「私は、確かに。確かにだ。麻雀部全員でバイトの手伝いはやってやるとは言った。アミューズメントパークのバイトをして欲しいと聞いたからだ」

「そうだなー。ありがとう、ユミちん。流石は私の親友だー。ワハハ」

「バイトの内容を聞いていなかった私のミスであるかもしれない―――だが、これは最早詐欺に近いだろう」

「なんでだー?」

「何故-----何故、こんなフリフリの衣装を着なきゃならないのか、簡潔に説明してくれないか---?」

現在、―――あからさまに不機嫌極まる表情で、加治木ゆみは隣にいる蒲原智美に詰め寄った。

その姿は、純白のフリルにピンクのミニドレスを纏った姿であった。

片手には星のステッキを携え、正義と愛の使者を名乗るそれは、まさしく、まさしく―――。

「いいか、この衣装にくっつくルビは間違いなく愛と正義で魔法で少女だ」

「ワハハ。そうだなー」

「おい。私達二人の年齢を言ってみろ」

「----18だなー。ワハハ。ほ、ほら、それでも、ギリギリ―――」

「ギリギリ、何だ?言ってみろ」

「こ、怖い。ユミちん、怖い---衣装に反して、目が据わっている---」

「一つ。何故こんなバイトをしなければならないのか。二つ。その中で何故私の役柄がこれなのか。さあ、答えろ」

「いや、それには―――」

「それには、私から説明しますわ!」

そう、声を大にして現れたのは―――金髪ロングにアホ毛を携えた女であった。

「お前は―――龍門渕透華!」

「御名答、加治木ゆみ。県予選以来かしら?ここまで御足労頂き感謝いたしますわ」

「まさか、この施設は―――龍門渕グループの傘下なのか」

「ええ、その通り。ここは龍門渕の英知を掻き集め作られた、脅威のテーマパーク。貴方方には、ここを目立たせる為に、精一杯協力してもらいますわ」

「―――それが、この趣味の悪い衣装なわけか。ふざけるな!私は帰らせてもらうぞ」

「あら、いいんですの?―――そこのお友達が、このままだと多額の賠償金を支払う羽目になりますのに」

「なに!?」

龍門渕透華は口元を大きく歪め、続ける。

「違反切符が切られるかもしれない程のスピードで、彼女は車をぶつけてしまいましたの。―――示談の条件として、ここには鶴賀高校の皆さんに、集まってもらった訳ですわ」

「この衣装は何だ!」

「これから執り行う、テーマパークイベント―――その為の、衣装ですわ」

「イベント----?」

「そう―――名付けて」

彼女はバッと両手を掲げ、宣言する。

「雀士少女、ラブリー・スパロウ――その劇を、貴方達にやってもらいますわ!」

 

 

ある所に、一人の雀士がいた。

彼女は、とても強い雀士であった。対局した全ての者の点棒を毟り取り、その心を折っていった、とっても怖いけど、強い雀士。

彼女が戦った道先には、常に多くの憎しみを生んだ。折られた心は歪みとなり、その道を呪いで埋め尽くす。

果て無き怨嗟の果て、その呪いは彼女を蝕んでいく。ずっと独りでいなければならない。ずっと誰にも受け入れられぬ呪い。その呪いを抱えてなお、彼女はその道を進んでいった。その道以外を知らなかった。

その道の終着点、遂に彼女は気付いてしまう。

あらゆる屍で埋められたこの道には、呪いのみが残された。

―――もう、私もアラフォーになってしまったのね。

彼女はその言葉と共に、“魔女”となった。受けた呪いの力を転化させ、あらゆる雀士の婚期を奪う、災いの魔女へと―――。その力は世界を覆い、あらゆる雀士を苦しませた。その力に打ち負けた者共は、その眷属と成りて呪いを伝播させる。そうした連鎖が楔と成りて、この世界に溢れかえってしまった。

しかして、絶望あらば、希望の光もある。

モンブチ財閥によって開発された雀力テクノロジーによって、彼女たちは生まれた。苦しみの連鎖、怨嗟の声を、断ち切る希望の光を纏いし天使。

その名も、ラブリー・スパロウ。

雀士の平和を守る為、今日も彼女は魔女狩りの夜を演出する―――。

 

 

「一つだけ言わせてもらおう―――頭がおかしいんじゃないか?」

「いいですわ!その言葉!私も出来る限り、麻雀を主題とした前衛的な物語を作れと製作スタッフに命令したのですから!クレイジーなのはウェルカムですわ!」

「---お前の頭も、ここまでイカレてしまったのか-----」

「鶴賀の他の方々も、それぞれ衣装を着てもらってますわ―――ええ、どれも皆お似合いですわ」

加治木ゆみは遠目で、後輩達を眺めた。

桃子は吸血鬼、睦月は技術者、佳織は悪役のライバル―――何故、何故なのだ。何故この中の配役が、私にならないといけないのか。

「ふふ、不思議そうな表情をしていらっしゃるわね、加治木ゆみ。何故、自分が主役を張らねばならないのか―――」

「ああ。その通りだ。何故私がこのような役をせねばならないのか!」

「ギャップ萌え、ですわ」

「なん-----だと-----」

「意外性のあるキャラクターは、印象に残るモノです。怖そうな人間が垣間見せる、優しさ。穏やかそうに見せて、実の所凄まじい凶暴性を持つ人間。それと同じ。貴方のその凛々しさと、少女らしい恰好にてギャップを狙うのですわ!解っていらっしゃる!?」

「解るかァァァァァァァァァ!!」

そもそも違う。ギャップ萌えの意味が違う。アレはそもそも人が持っている二面性で攻めて行くモノであり、断じて無理矢理なキャラクター設定で人の性質を踏みにじるものではない。加治木ゆみという女に少女らしい可憐さを求めるのは、それは断じて違う。間違いない。

「嫌だ-----帰りたい-----」

「帰るのは、自由ですわ。ただ----そうなれば、蒲原智美さんがどうなることやら------」

龍門渕透華がその目線を向けた瞬間、ワハハと笑いながらも目を逸らし、俯き、冷や汗を垂らしている。

「後輩さんたちも、彼女を助けたい一心でここに集まってくれたのですわ。あなた一人の意思で、これら全てを無駄にしてもいいんですの?」

「ぐ------ぐ----」

「本来、最後の敵として立ちはだかる“原初の雀士、アラフォー・サーティーン”役に呼んだ役者は、今子供麻雀クラブの指導に忙しいと断られましたので、しょうがないので赤土晴絵氏をその断られた彼女経由で呼び出しました。そして―――貴方が、ラブリー・スパロウ役ですわ。これはもう、決定事項。私の勘が、貴女はこの役でこそ輝くのだと叫んでいますわ!」

「狂っている------狂っているよ、お前は-----」

「何とでも言うがいいですわ。―――さあ、舞台上に立つのです」

 

 

派手なCGとアニメーションに照らされながら、ラブリー・スパロウは空を舞う。

齢18を過ぎようかという肉体を中学二年であると誇示しながら、可憐な少女として敵と相対する。

愛と希望を胸に、あらゆる呪いを光で浄化する。

その名も、ラブリー・スパロウ。

―――心中にて嗚咽と断末魔を吐き散らしながら、加治木ゆみは舞台上で踊っていた。

ここに救いはないのか。

ここに神はいないのか。

もし仮に存在するならば―――きっとそれは、とんでもない面構えをした阿婆擦れなのだろう。

一つそう思いがよぎった瞬間、彼女の思考は、舞台上にて消えていた。ここには、踊り続け台詞を言い続けるだけの、人形があるのみ。

 

―――そう、これは。

―――ただ一人の、気苦労人のお話。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

デジタリック・ウーマン編
デジタル娘の策略


「結婚相手は、慎重に選べ----ですか」

「そうだ。お前ももう24だ。結婚もそろそろ視野に入れねばならない時期だろう。だからといって、焦って相手をよく見ぬまま結婚するのもよくない」

原村親子の会話である。

学生時代―――この父の言葉の厳格さに、どこか恐怖を覚えていた気がする。麻雀はただの遊びであると言われ、転校を示唆された際も。

父は弁護士だ。故に弁がたつ。子供の時分に、この親を言い負かす事なんぞ出来る訳もあるまい。

だが―――原村和とて、もうプロ生活二年目に入る。

海千山千の怪物共と渡り歩いてきた女傑であり、それ故強固な自我も形成されていった。醸成し、強固となった自意識から自らの父親を眺める。

「へぇ、慎重に選べと言う位ですから、お父さんなりの審査基準が、きっとあるんでしょうね」

「ああ。男は、ちゃんと理性的で、誠実な者でなければいけない。別に私とてお前の幸せを阻む気はない。キッチリした者を選んできたのならば、無理に反対したりしないさ」

その言葉に、―――内心、腹の底で和は笑っていた。いや、嗤っていた。

「へぇ、そうですか。真面目で理性的で誠実な人を選んで連れて来いと、お父さんが言うんですね」

「----な、なんだ、和。どうした」

言葉の端々に、棘が。棘が。突き刺さる様にその声音が耳朶を打つ。

「ならば―――お父さんがお母さんを選んだその瞬間も、お父さんは真面目で誠実な理性を基に、選んだのですよね?」

棘は、鈍色の刃と化す。薔薇が棘を持つように、天使はその手に断罪の白槍を持つのだ。

「そうですよね―――きっと、お母さんの美貌に心動かすことなく、あの豊満な胸に心揺らすことなく、一切の煩悩を排し、合理的かつ論理的な基準を以て、お父さんはあのお母さんを選んだんですよね?」

「そ----そうだ----ああ、そうだ----」

「へぇ、そうなんですか―――私、もうかれこれ十年以上、麻雀をやってきたんです。嘘ついている人の表情は手に取る様に解りますよ?」

槍が、心の臓腑を突き破っていくかの如く。そんな鈍い痛みが、胸奥に拡がっていく。

表情が強張る。

全身に、震えが走る。

「そうなんですね?」

繰り返す。

繰り返す。

「答えて下さい―――そうなんですね?」

そう言い終えた瞬間―――和は父の眼の奥を覗きこんだ。

「お父さんは、いい感じに結婚できたんでしょうけど------知っていますか?そうやって悠々諾々と男を見ている間に、アラサーアラフォーの境地に至ってしまった人間を。積み重ねていく富と名声に胡坐をかいて、結婚なんて簡単に出来るとせせら笑いながら絶望をくべていく人間の事を。私は、デジタルな人間でありかつロジカルな思考能力は持っています。何故彼女たちがああなってしまっているのか、私には理解できています。そして―――このままだと、私もアレと同じになってしまうと言う事も」

「------」

「自分は、巨乳童顔のお母さんと結婚しといて-------」

「-----」

「私を好きでいてくれる男性に、そんな潔癖性を求めるというのですね-----。そして、狭苦しい基準の中に相手を押し込めて、いもしない私に相応しいと勝手に想定された人間を探させて、そして―――アラサー独身喪女の道へとひた走れ、と。そうお父さんは言うんですね」

「い、いや------」

「いいですか、お父さん―――私は、嘘つきは嫌いです」

「-----」

「解ってますね、お父さん。一つだけ言っておきます」

ニコニコと笑む。

笑う。

嗤う。

「―――私の幸せを阻むようだったら、肉親であろうと関係ない。叩き潰します♥」

 

 

プロ雀士の間で流行するジンクス。最早語り尽されたそのジンクスに、原村和は一つの結論を下していた。

―――ジンクスなんて、下らないものです。

フッと笑んで、

―――アレは、何処までも合理的で、因果関係がはっきりした現象です。

そう、彼女は分析していた。

そもそもだ。男女が結ばれるまでの間には相応なプロセスが存在する。

一つに男女の差異を知る事。

二つに男女の付き合いを知る事。

三つに男女と共に生活する時間を知る事。

 

一つ目は思春期に、二つ目は学生時代のどれかで、三つ目は恐らく成人してから。とにもかくにもこの段階ごとに確実なる経験が必要なのだ。

お金よりも。名声よりも。前提となるのはこの経験だ。

お金で繋がれた関係は、結局は上手くいかない。

そもそも女の金の多寡を気にするような下賤な思考を持った男なぞ、ロクで無し以外に存在しまい。

すり寄ってくる下賤な男共を見る度、吐き気すら催す生理的嫌悪感が催してくる。

それは、恐らく、和の中に存在するある種の潔癖性なのだろう。

―――ああいう連中の腹の底を見抜けることが出来るだけの眼力は、やはり厳格な父のおかげだろう。

それ故、そう言った部分では誇張なく感謝している。

だからこそ、狙うべき人間が何処に存在しているのかが理解できるようになったのだから。

これから行われるのは、外交戦争である。

もしくは営業ともいえるかもしれない。

―――勝たねばならないのだ。

 

 

須賀京太郎は、現在麻雀協会専属職員である。

麻雀好きが高じてか、常に雀士の熱い戦いを記録する係に任命された彼は、日々生まれていく牌譜を纏め、世間様にそれを公開するお仕事をしている。

こうやって、麻雀の過程を記録する事は、地味ではあるがやりがいはある。彼等の記録が、後々の麻雀の発展へと繋がっているのだから。

所変わって彼の周りを見渡せば、そこそこに華やかになったのかもしれない。

----まあ、アレだ。麻雀協会は至極当然であるが雀士の方々と付き合いが多くなるのは当然である。

その中には“ジンクス”の餌食になった方々もいる訳で。

----和の気持ちが、ちょっとだけ理解できた気がした。

あの、何というか、据わった感じで見られるあの感覚は、ちょっと背筋が粟立つような不快感が催す。

あんな感覚を毎度の如く味わわされれば、確かに男への抵抗感が増してしまうのも仕方があるまい。

そういう訳で。

ここで働き始め、和と再会した時、その諸々を打ち明け、心から詫びた。

その時―――何というか、面食らった顔をしながら、それでも顔を綻ばせて、

―――馬鹿ですね、

そう彼女は笑っていた。

------京太郎はその笑顔に見惚れるばかりで気が付かなかった。

彼女の眼に潜む、捕食獣の色を。

「いいですか、須賀君。確かに美人な雀士ばかりで目移りするでしょうが、それでもその大抵がろくでもない下心―――つまりは、貴方を保険代わりに確保しようとしている人がほとんどです。惑わされてはいけません」

「須賀君、どうしたのですか―――え、ランク16位の方から、お酒の誘いが来た?駄目です、須賀君。断りましょう。彼女は以前芸能人の方との破局が報じられていたばかりじゃないですか。目移りしたのか、それとも心の穴を埋めたいのか解りませんが、どちらにしろあまり感心はしません。角が立つのが嫌ならば、私がそれとなく言っておきますから」

彼女は気付けば、京太郎の周辺の諸々に関して気を回し、世話を焼くようになった。

プロ雀士と、職員。その地位の差はやはり歴然であり、自分から誘いを断るのはどうしたって角が立つであろう京太郎の事を慮ってくれたのだろう。彼女がやんわりと間を取り持って周辺の整理をしてくれた。

-----着々と、外堀が埋められている事なぞ露とも知らず。

 

原村和。

彼女は何処までも、デジタルな人間である。




続きは----まともに書くとR指定に入りそうな感じなので、ちょいと考えます。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

父と娘、その境界線上

自由の羽根を得るとは、こう言う事だ。

子供から大人に。一人で社会に向かって羽ばたけるだけの力を手に入れた我が子に、その行き先を制限する事は出来ない。

そう。一度羽根を手に入れたのならば、―――その後、またかつての籠の中に戻って来るかどうかは、子供次第なのだ。

“自分は童顔巨乳のお母さんと結婚しておいて”

“いいですか、お父さん―――私は、嘘つきは嫌いです”

言葉の節々が、まるで焼かれた針で全身を突き刺さるようだった。こちらに投げかける言葉が、こちらを見据えるその眼が、何故こうも自分の心に突き刺さっていくのだろう。

今や弁護士である自分よりも強力な経済力を手に入れてしまった我が子は、もうこちらの言う事を聞く必要はない。わざわざ窮屈な鳥籠の中に戻る必要はないのだ。

 

―――さあ、原村恵よ。お前の罪を数えてみろ。

 

頭の中で、何者かがそう囁く。その姿は十字架に吊るされた男か、涅槃で横たわる裸の男か―――とにかくよくも解らぬ声が聞こえてくる。

罪?罪だと?一体自分が如何なる罪を重ねたというのだ。懸命に働き、懸命に育てたではないか。誰よりも我が娘の事を考えてきたではないか。何が罪だ。一体何が―――。

そう自分に言い聞かせていようと、それでも眼前にぶら下がっている現況は何も変わっていない。

 

こちらを見据える娘の冷たい目。投げかけられる不平の言葉。それが全てだ。結局の所、自分は娘に見下げた存在であると思われているという確定的事実が、そこに存在しているのだ。

自分が選んできた選択を振り返って見る。

彼女が好きなモノをただの遊びだと断じ、彼女から友人を奪おうとした。

それが、彼女にとって何の為となっていたのか。こんな事を多感な子供の時期にやらかしておいて、ようやく自由になれたというのに、戻ってくるわけもないじゃあないか。

 

「貴方、何をしているの?」

「----いや、ちょっと考え事をしていただけだ」

家に帰って来た妻が、そんな声をかけた。別に台詞程心配している様子もない。

「そう言えば、今日は何処に行っていたんだ?」

「うん?買い物して、和と会ってお茶してた」

「そ、そうか----和も忙しいだろうにな-----」

「遠征でこっちに来る度に結構会ってるわよ。貴方会ってないの?」

無慈悲な言葉が、無自覚に彼女の口から放たれる。-----自分は一度もそんな誘いをかけられたことも無いというのに。

ああ、何と情けない思考だろう。あまりの情けなさに涙が出る。

「いや--------」

「やっぱりね。そんな事だろうと思った。自業自得ね」

だったら伝えとくわね、と彼女は続ける。

「和、気になる人が出来たみたいよ」

無言。何となく理解できていた。

「いいタイミングだったわね。高校生の時だったらでっかいお邪魔虫がいただろうし」

無言。段々、暗黒の気配が漂ってきている。

「以前ね、私全国優勝できなければ転校するって揉めていた時、あの子に別にそんな約束守らなくていいじゃないって言ったのよ。今回も言ってあげたわよ。絶対に何かしらお父さんが文句をつけるだろうけど、気にする事は無いって。そしたら、あの子、なんて答えたと思う?」

無言。聞きたくはない。

「はい、勿論―――そう言っていたわよ。逞しくなったわねぇ、あの子」

 

 

原村和にとって、麻雀とは唯一無二の存在であった。

何よりものめり込んだ存在で、麻雀を抜いた原村和という人間は、とても機械的なつまらない人間だった―――そう彼女は思う。

勉強は苦にしなかった。親に反抗する事も無かった。そうする意義も意味も特に見出せなかった。

その意義が。その意味が。―――麻雀という存在を抜いた自分には存在しなかった。

父にとっては、そういう意義や意味は遊びであるという認識なのだろうが。

だからこそ、自分は麻雀で生きていくべきなのだと痛切に思えた。大学で法律の勉強をしていても、満たされない思いが溢れかえっていた。

理解されなくてもいい。

そう強い思いを持って、原村和はこの道を邁進してきた。

 

―――けど。

 

―――心の何処かには、その思いを。その意義を。その意味を。理解してほしかった。

 

そういう人がいてほしいと、そう思っていたのだ。

だからこそ、嬉しかったのかもしれない。

―――清澄で、不遇だった須賀京太郎が、それでも麻雀を好きでいてくれたという、事実が。

自分達の戦いを見届けてくれた彼が、今度はそれを見届ける職業に就いた―――その事実が。

例えようもなく、嬉しかった。

だから、世話を焼いたのだと思う。折角好きでいてくれた麻雀を、彼に近付く下らない人物たちによって嫌いになってもらっては堪ったモノじゃない。

そう。だから仕方ないのだ。彼は思う存分、麻雀を好きでいてくれなければならない。

だったらちょっと位、世話を焼いたっていい。

ちょっと位、仕事帰りにお酒抜きで食事に行っても。

ちょっと位、休日にショッピングに付き合ってもらっても。

仕方ないのだ。そう、仕方ないに違いない。

―――彼も、高校時代自分の胸を見て鼻を伸ばしていたのだ。そう悪い気はしていないでしょう。私は決してプロの威を借りて彼の行動を強制している訳ではありません。ちゃんと、都合が合わなかったり、そういう気分では無さそうだったりするならば、無理に付き合わせてもいません。彼のプライベートを侵食するのではなく、精々花を添える程度で十分。そういう癒しを、彼はきっと求めているはずだ。あの雀士共に囲まれている状況ならば、尚更。

 

ただ彼との直接的な繋がりは地道にしながらも、外堀は出来るだけしっかり埋めておく必要があるでしょう。それは彼の意識の上でもそうですし、彼の周囲に対してもそうです。

彼の意識の上で、“原村和はいい女である”と思わせ、周囲にもそう思わせる。それが外堀を埋めていくという行為の本質です。私の欲望を優先するのではなく、あくまで彼にとっての負担にならない事を優先するのだ。そうしていれば、自然と堀は埋められていく。

 

―――いいですか、お父さん。人を気遣う、という行為はこうやって行うものです。

 

原村和は思う。

 

―――ただ自分の理想を押し付けるだけじゃ、人というのは納得しないモノです。親という権威を振り回して行うのならば尚更。お父さんはある側面ではいい教師で、ある側面ではいい反面教師でした。

 

自分の望みを他者に叶えさせたいのならば、まずその相手を慮る必要がある。そんな、実に単純な事だ。

その単純な事が、父には解っていなかったのだろう。

とは言え、一つだけ確定している事がある。

この先―――大なり小なり、障害となるのはきっとあの父だろうと。

 

 

障害は打ち砕けばいい。―――そんな単純な話ではない。父との関係で彼を不安にさせる事はあってはならない。折角、彼に負担をかけさせぬようしっかりと配慮してやってきたのだ。父とのはっきりとした対立関係を打ち出せば、それに気を病んでしまうのは彼の性格上ほぼ確実でしょう。何とかしなければならない。

 

「今日はありがとうな。いいレストラン知っているんだなぁ、和は」

「いい店でしょう?雀士の先輩からよく教えてもらっているんです。またの機会があれば、今度はイタリアンでも食べに行きませんか?」

「お、それはいいな。―――あー、けど今度休みがいつとれるかなぁ」

「休みが遠いなら、無理に付き合う必要はありませんよ。しっかり身体を休めて下さい」

「いや、ごめんな。何だか付き合い悪くて」

「いえいえ、気にする必要はありません。須賀君のお仕事のおかげで、私達もしっかりとゲームが出来るのですから。ちゃんと身体を労わってあげて下さい。ご飯を食べに行くのなんて、いつでも出来るんですから」

「お、おう-----。何か、和が優しい-----」

「私はいつだって優しいです。失礼ですね----それじゃあ、今日はここでお別れですね。いい夜をお過ごし下さい、須賀君」

「おう。おやすみ」

駅前で互いに手を振って別れる。

ふう、と彼女は息を吐き―――つかつかと背後を歩いていく。

路地を通り、角の裏通りを素通りするフリをしつつ―――背後から回り込む。

そこには、灰色のコートを着込んだ男がいた。

その男の眼前に立つ。

「―――さっきからチョロチョロと。何の用ですか?」

男は不意をつかれたのか、やば、と言いつつ逃げようとする。

―――和はコートの襟を掴んだ。

「パパラッチかと思いましたが、違いますよね?未婚者の私と一般人の彼が、ただご飯を食べている所を追っかけてもつまらないでしょうし。―――誰の差し金ですか?」

「し、知らねえよ!放せこの女ァ!」

男は和の手を振り払うと、一目散に逃げていった。

「-----探偵ですかね?」

もしそうだと言うならば―――誰の差し金かは一目瞭然だ。

「―――いいでしょう、お父さん。確かに私は忠告をしましたから―――」

ここまでハッキリと対立してくれるならば、むしろやりやすい。徹底して証拠を洗い出し、―――二度と、こんな下らない事を出来ないようにしてくれる。

「ぶっ潰します。―――須賀君に気付かれないうちに、ね♥」

ふふ、と一つ笑い、裏路地の角で原村和は笑った。

―――さあ、戦争の始まりだ。




昨日、福岡の中州で友人と餃子を食べました。とても美味しかったです。その帰りに、ピンサロの客引きの兄ちゃんが「へい兄さん、いいおっぱいがあるぜ!」と道行く人に声をかけていました。クロチャーかな?


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

地獄の天使

どうでもいいですけど、最近シグルイを読み始めました。本当、どうでもいいですけど。


結論から言えば、XX探偵社は現在恐怖のどん底に叩き落されていた。

―――俺は、俺は一体何に手を出してしまったのか。

探偵は一人思い悩んでいた。

今日も今日とて、痛む胃を必死に押さえながら、ポストへと向かっていく。

―――まただ。また―――

毎日届けられるのは、自らが外出している姿を収めた、写真の数々。

探偵業務を日々行っている自分の姿だ。例えば住宅街の路地裏で。例えば繁華街の喫茶店で。例えばラブホテルの裏で。例えば駐車場の陰で。

自分が外出し、探偵として活動している姿が場面ごとに切り抜かれ、写真として毎朝届けられているのだ。しかも―――探偵業務だ。この切り抜かれた写真の数々は警察にとてもじゃないが見せられるモノではない。よって、誰にも相談すら出来ない。

 

―――これはつまり、こういう事だ。

―――お前は監視されている。お前の行動は逐次見ている。お前が外で何をしているのか。何を調査しているのか。どのような行動をお前がとろうとも、決して見逃しはしない―――。

恐怖のあまり、自宅と事務所に何者かがいるのではないかと、探し回った。

今度は自宅周辺を叫びながら探し回ってみた。しかし影も形も見えない。

 

そうして探し回っている姿さえも―――写真として届けられ、思わず発狂したかの如き叫び声を上げてしまった。

男は暫しの間、事務所を閉めた。

その後逃げるように県外へと向かった。

なけなしの貯金をはたいて三泊四日の旅行を敢行した。無論、そんな事で気が休まる訳も無かったが、それでも無理矢理でも別の場所に気分転換したかった。しかし、それも叶わず酒で無理矢理記憶を放りだそうともした。

そして、金が尽き、仕方なく事務所に帰ると―――厚めの封筒が一つ。

 

わなわなと手を震わせ、その封を切ると―――溢れんばかりの、写真がそこにあった。

観光地で煙草に耽る姿、酔い潰れて街角で座り込んでいる姿、旅館に今にも入ろうとしている姿―――呆然とその写真の一つ一つを確認し、最後には、とても綺麗な丸文字でメッセージが書かれた、メモ用紙。

 

そこには―――。

『逃げられると思っていましたか?』

 

そう、書かれていた。

 

「こんにちわ」

 

ポストの前で恐怖に震える男の背後から―――そんな、柔らかな声がした。

振り向く。

「何を―――そんなに怖がっていらっしゃるのですか?」

ニコニコと。

ニコニコと。

静かに笑う、原村和の姿―――。

「お、お前か----。お前、なのか------」

「--------」

無言。

「お、俺が何をしたっていうんだ!何だよ、これは!何だよ!」

恐怖のあまり胸倉を掴まんと、男は和に突貫する。

 

その腕を、掴む何者かがいた。

「-------」

その女は、長い黒髪を一つに束ね、眼鏡をかけた女であった。

見覚えがある。

―――プロ雀士の、辻垣内智葉だ。

 

「さあ」

そして―――事務所の前には三台ほどの黒塗りの高級車が集まって行く。

角刈りグラサンの物々しい集団が、ぞろぞろと湧き出るように現れていく。

辻垣内智葉の、眼鏡の奥が、まるで屠殺場の家畜でも眺めるかの如き憐憫混じりの感情が、宿っていく。

「乗れ」

その声に合わせて、探偵は涙と汗を垂れ流しながら―――乗った。

 

ああ。

一体これから自分はどうなるのであろうか。

―――想像できないししたくない。そんな悲嘆に塗れた、とある夏の日の夕暮れ時であった―――。

 

 

「怖がらせちゃってごめんなさい。別にとって食うつもりなんてないですから御安心下さい」

車の中、隣に座った原村和は言う。

「これからこの車は高速車線に乗って、ひたすらに運転をします。辻垣内さんのお家の方がとても親切な方でして、ドライブを楽しませてくれるみたいです―――。ずっと、旅行していらしたんでしょう?移りゆく景色をお楽しみください。あ、お手洗いに行きたい時やお腹が減った時は遠慮なく言ってください。すぐにパーキングエリアに寄らせて頂きます」

うふふ、と彼女は笑う。

ああ、そうか。そう言う事か。万が一にも逃げ出せないように高速道路ノンストップで走らせるつもりなのだ。高速道路のパーキングエリアで逃げられない事も織り込み済み。今、自分は、走る密室の中閉じ込められているも同然なのだ。

「―――私が探偵の方に調査を受けている事を知って、まず行ったのが周辺の探偵社に私から書面での依頼を行う事でした。依頼内容は、“原村恵を調査する事”。無論、これは自分が調査された仕返しの側面もありますが―――父がどの探偵に依頼したのかを、炙り出す目的もありました」

原村和は、滔々と事の真相を話し出した。

尾行していた探偵は男であったことから、女の探偵を除外した。その上で、尾行していた経路をたどり、行動範囲から該当性の高いであろう事務所を辻垣内と相談し、割り出してもらった。

割りだされた探偵社に、一斉に原村恵の調査を書面で依頼。その依頼を受けてくれた探偵には、そのまま父の行動を監視してもらい―――依頼を断ったこの探偵こそが、父が依頼した探偵である可能性が高いとしてマーク。依頼した探偵の半数近くを以てこの男の行動を監視し、原村恵との接触を確認。そして―――執拗なまでの写真の投函によって精神的に疲弊させ、今に至る。

「------目的は、何だ」

「簡単な話ですよ。―――父から受けた依頼内容を、洗いざらい吐いて下さい」

「そんな事出来る訳がないだろう!」

職業として探偵を営む以上、こればかりは話せる内容ではない。どうしたって―――。

しかし、そんな言葉にも、存外に和は無関心そうに返事を返す。

「そうですか。残念です」

そう言うと、彼女はおもむろに携帯電話を取り出す。

「はい、もしもし―――はい、このまま、調査の方は継続でお願いいたします」

これは、まさしく処刑宣告の様であった。

―――まだ、まだ自分はあの地獄のような日々が繰り返されるのか。また、また―――。

「そうですね-----あと二ヵ月たったら、また説得に来ようと思います」

二ヵ月。

―――ずっとずっと、こんな日々が続くのか。こんな、全てが監視される、非日常的な地獄の日々が。

「運転手さん。高速から降りてももう構いません。この人を事務所に送り届けて下さい」

今ここで降りてしまえば―――この地獄が、まだまだまだまだ続いていくのだ。その事実に、男は―――待ってくれ、と。そう言った。

「どうしました?」

「話す、話すから―――!」

「ああ、そうですか。感謝します。御安心下さい。たっぷりと、謝礼は支払わせて頂きますから―――」

その時、男は何者かの存在を感じた。

天使の羽根を生やした―――何者か。とても神々しい姿だ。自分に何かの宣託を与えに来たのであろうか。

だが、それは実態的に―――ただの死神という他、無かったわけであるが。

 

ICレコーダー片手に滔々と質問をしていく原村和の前に、男は力なく頭を垂れていた。

 

 

天使の羽根に、死神の鎌。

無惨極まりないイメージを以て、原村和は唇を綻ばせた。

―――さて、戦争の始まりです。遅れてきた娘の“反抗期”。とくとご覧あれ、お父さん。

 

 

「む」

須賀京太郎は何やら凄まじい悪寒を覚え、目覚めた。

「----嵐でも来るのかな。いやいや、そんな事は無いか-----」

びっしょりと濡れた寝間着を洗濯機に放り込み、もう一度着替える。

―――全く、嫌になる。まあ、和と仲良くなれたし、少しくらい悪い事が起こってもプラスマイナスゼロかもしれないなぁ。

そんな事を思いつつ―――もう一度、布団をかぶった。

 




むーざんむーざん


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

親子

眼前に、にこやかな笑みを浮かべた原村和がいた。

ああ、なんと可愛らしい愛娘だろうか。

我が娘ながら、目に入れても痛くない程だ。

それでも、それでもだ。天使だと思って可愛がってばかりでは、この子の為にならない。そう信じて今までの間厳しく育てたつもりであった。

 

その、つもりだった。

だったのだ。

 

―――わ、私はこれ程までの冷徹さを凝縮したかのような目の子を育ててしまったのか。

我が肉親を-----まるで生体実験場へ送り込まれるモルモットを見るような目で。憐れみと、諦念が入り混じった様な目をさせてしまう程に。

 

眼前には、テープレコーダー。

そこから垂れ流される声は、無機質なものだった。全てを諦めたかのような、全てに憔悴しきったような、涙声。淡白ながら悲壮さを醸し出すその声は、何とも不思議な感覚を覚えた。恵、すまない。本当にすまない。俺は探偵としてやってはならぬことをした。本当にすまない。元学友の探偵の声は、台詞に反して本当に無機質で。けれども薄く張った氷海の上を歩くような絶望も携えていて。まるでサティのジムノペディが背後に携わっているかのようだ。無機質、淡白、されど絶望。我が友人が如何なる仕打ちを受け続けたのか----それを思うだけで背筋に走る氷のような冷たい感覚に、思わず一つ身震いする。

 

「―――ねえ、お父さん」

声が聞こえる。穏やかで、緩い風のような、そんな声。されど解る。この風のような声は、零下の温度を携えている事が。

「お父さんは、高校生の時に言っていましたね。離れ離れになった程度で解消される友人関係なんて、それは本当に友人と言えるのか―――と。私は覚えていますよ、その言葉」

声は、変わらず穏やかだ。

にこやかに、にこやかに―――はっきりと仮初の天使を憑依させ、彼女はそれでも悪魔の言葉を紡ぎ出す。

「ねえ、お父さん。むしろ私はこう思います。離れ離れになっても悲しくない、離れ離れになってもへっちゃらな友人関係―――そんなもの、友人と言えるのですか?一緒にいて楽しくて、辛い事も苦しい事も乗り越えてきた素晴らしい人達に引き裂かれて離れ離れになって―――心を平然に保つ事が出来ると?」

穏やかな声が穏やかなまま、されどその心理を抉っていく。

緩急付けたような波状攻撃。温かに見えて怜悧なその声に、原村恵の心はまるでズタズタに引き裂かれた人形の如き様相と化していた。

「友情を育む事と、友情を引き裂かれた心の痛みは、全くの別物です。育まれた友情が本物であるからこそ、それが引き裂かれた心が痛いんです。

―――ねえ、お父さん。信じて依頼した友達に裏切られる心の痛みはどうですか?彼は裏切った後も、ずっとお父さんに懺悔していましたよ。きっと心が痛かったんでしょうね。お父さんにそれが理解できるかどうかは解りませんが」

悪魔だ。

悪魔がここにいる。

―――人間が悪魔になる瞬間というものがある。

何かに抗う時。手段を択ばず何かを手に入れようとする時。

まさに、今がその時なのだ。

「ねえ、お父さん。だったら私達も―――たとえ離れ離れになったとしても、ずっとずっと私達は親子ですよね?たとえ二度と会えなくなったとしても、その程度で親子としての愛情が失われるなんてそんなオカルトあり得ませんよね?そうですよね?たとえ鳥籠から飛び立とうとも、ずっとずっと私達は親子ですから。―――そ・う・で・す・よ・ね?」

言葉尻が強くなる。

被っていた天使の皮が、剥がれていく。

「ほら、どうですかお父さん。このテープレコーダーを今度はお母さんに聞かせてあげましょうか?それもいいですね、今度は家族会議になるかもしれませんね。家族会議になったらおじいさんとおばあさんも呼んであげましょうか?そこで私は必死になって、何だったら涙ながらに声を殺して言うんです。“私は自由に人間関係を作る事も出来ないんですか。子供の時からそうだった。ずっと私はこうなってばっかり。大人になってからも同じ事を強要するんですか?こんなのが私のお父さんだなんて。お父さんなんて大嫌い―――”どうでしょう?きっとこれからお母さんもおじいさんもおばあさんも、お父さんが私に干渉しないようにしっかり見張ってくれるでしょう。そして私はお父さんに二度と会わないまま過ごすんです。死に目位は、まあ見てあげますか。―――どうですか?それでもお父さんは私のお父さんですからね。きっと耐えられるはずですよね。離れ離れになったとしても、私達は親子ですから。そうですよね?ね?」

刺し過ぎて尚、今度は血と脂に塗れた刃で肉を裂いていく。そんな冷酷な言葉が、ズタズタの心理をより深く、深く、深く、差し込んでいく。

「ねえ、お父さん。何で下を俯いて黙り込んでいるんですか?いつものように反論して見てくださいよ。涙なんか浮かべて。いつもの毅然とした姿は何処に行ったんですか?」

「頼む----和----。頼む-----それだけは、それだけは-----」

「―――ねえお父さん。お父さんはかつて私の“頼み”を条件付きで聞き入れてくれましたね?だったら私もそうさせて頂きます。私が出す条件を満たせば、頼みを聞きましょう」

子は、親が行いし行動を反復していく。

ならば、和もそのようにした。

実に明確な「やり返し」である。

「さあ―――では、話し合いを始めましょうか」

 

 

ある日のこと。

須賀京太郎は仕事を終え、帰路に着いていた。

その日の仕事は様々あった。データの編纂作業が、PCのクラッシュにより一気に溜め込んでしまいその処理に奔走する事六時間。夜の九時まで立て込んだ業務をようやく終え、彼は帰宅の路についていた。

夕飯を作る時間も気力も無く、彼は近場の居酒屋で夕食をとる事となった。

カウンター席でちびちびとビールを飲みながら焼き鳥とサラダをつまんでいく。

その隣の席が、引かれる。

特に気にすることなく淡々と食事を続けていると、声をかけられる。

「―――須賀京太郎君かね」

そこには白髪のスーツ姿の中年がいた。

協会のお偉方かな、と訝しみつつはい、と答える。

「突然すまない。私はこういう者だ」

そういうと、彼は名刺を差し出した。

受け取り、それを読む。

「原村恵さん-----ってまさか」

「そのまさかだ。私は、原村和の父だ」

そう彼は―――何故だか、妙に生気のない顔でそう自己紹介した。

「娘が世話になっていると聞いた。一つ、挨拶でもしておこうかと思ってな」

それだけを、言った。

 

 

―――いいですか、お父さん。私がお父さんに出す条件はただ一つ。私が、無事彼と交際に至る事。ただそれだけです。

そう、彼女は条件を出した。

―――なので、別に邪魔立てしなければいいのですが、彼は高校時代にお父さんに私が言われた事を知っています。多分“厳格で冷たい”イメージが彼の印象としてあると思います。私との交際においても、お父さんの存在がネックになる事も、きっとあるのだと思います。

だから、それを解消しろ―――そう彼女は言っているのだろう。

邪魔立てしなければそれでいい。けれども何も動かず娘の交際が失敗に終われば、あのレコーダーが家族会議でレクイエムの様に鳴り響く事になる。

―――お父さんは、高校時代に私に“全国優勝”という結果を求めました。なので私も、過程ではなく結果を求めます。私が求める未来を掴むために、自分で考えて身の程を弁えつつ、行動してください。

そう、冷たく言い放った。

------まさか、まさかこんな風になるとは。

 

そう彼は涙を浮かべながら思った。

何故こうなったのか。

―――いや、こんな思いを、もしかすれば彼女とて子供の時から味わわされていたのかもしれぬ。

そのしっぺ返しなのか。

ならば、甘んじて受けるべきなのか。この地獄も。この現実も。

原村恵は心中で、深い慟哭をあげていた。

立ち位置が転がされ、頭上には天使の羽根を持つ死神が舞う。

たった、それだけの話なのだ。

 




何度も思うけど、何で恵さんあんな嫁さん貰えたんだろ。なれそめ知りたいなぁ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

罪と罰

「あ-----えっと、はじめまして。須賀京太郎です」

「原村恵だ」

「-----えっと、いつもお世話になっています」

「ああ」

何やら、重たい雰囲気が充満している。

それも、仕方のない事である。

高校生の時から、和の父の厳格性はよく彼女自身から聞かされていた。

---お礼、ってお礼参りの方じゃあないよな?まさかな?

はては一介の協会職員。はては弁護士。力の差なぞ歴然である。

娘に近付く不埒者を成敗すべく、それとなく合法的手段を以て社会的地位を吹き飛ばさんと訪れた原村家の刺客かも解らぬ。須賀京太郎は心の底から眼前の男性をそう認識していた。

対して原村恵はまるで胃中にナイフが突き立てられんとしているかの如き心持であった。

この男の心理をどうにか娘に誘導せねばならない―――そうせねば自らの家族の中での地位は失墜同然である。危機を回避すべく、やるべき事をやらねばならない。そして、失敗も許されないのだ。

 

そんな互いの認識の錯誤を抱えながら酒の席に着こうと空気が軽くなる訳もない。

しかし、ここで須賀京太郎の経験が生きる。

麻雀協会のお偉方からプロ雀士まで、自分よりも権力のある人間に睨まれながら(狙われながら)も生き残って来たのは、鍛え上げられた処世術ならではである。

こういう時の逆転の一手は、解っている。

「と、取り敢えず乾杯でもしませんか?」

ある種のイチかバチかであるけれども―――酒を飲ませて素の部分を引き出させればいい。

素の部分すら暗黒であるならばもはやどうにもならないけれども―――しかし、何もしないよりかは遥かにマシな選択であろう。

原村恵は無言のまま頷くと、瓶ビールを注文した。

 

 

そして―――二十分後。

原村恵はカウンターに崩れ落ちていた。

「私は、間違っていたのだろうか?どうだろうか、須賀君-----」

「いえ、大丈夫です。きっと和も解ってくれているはずです」

「自立してから、ちょくちょく妻には会うのだが、もう私にはほとんど接触してこない。そうか、それも仕方がないか。私も、子供の頃はあの子に構ってやれなかったからな-----」

愚痴が、次々と零れ落ちていく。

これというのも、この男が実に聞き上手だからだ。如何なる理不尽も何とかすりぬけてきた男である。愚痴を心地よく喋らせる事など朝飯前である。「何かあったんですか?」「あまり元気が無いように見えるので---」「よかったらお聞きしますよ」の三連コンボから繰り出される至極単純な誘導に引っ掛かってしまう程度には、原村恵の心は追い詰められていたのだ。

そして、その愚痴の奔流を聞きながら、何となく須賀京太郎も納得してしまった部分もある。

―――そりゃあ、まあ、そうなるよなぁ、と。

親子関係とはかくも難しきモノなのだ。

子供の頃から悩まされ続けた親に、大人になってからわざわざ会おうとは思わないモノだ。特に厳格な親に反発心を抱いていたのならば、尚更そうだろう。子供の頃に反抗期を抑えさせられていれば、大人になって十分な経済力を身につけた後に、反抗される。それがある種の世の中の常なのだ。

―――とはいうものの、このままにしておくのはなぁ。

「うーん------その、原村さん。一つ提案なのですけど」

「なんだね」

「その-----俺も、それとなく和にフォローを入れておきますから、機を見て、謝りませんか?それで、ちょっとは和の機嫌も治るでしょうし」

「謝る、か-----」

-----原村恵にとって、「子供に謝る」という行為は、一種の禁じ手であった。

それはつまり、子供に自らの非を認めてしまう事に他ならない。生活の中でふとした事で謝るのは別にいい。だが、教育の方針などに自らの非を認めてしまう事は、ひいては「お前に間違った教育を施してしまった」という事を認めてしまう事にもなる訳で。

だが、もう、そんなプライドを守れるだけの心持ちが、今の自分にあるかないかで言えば―――。

「そう、だな------」

謝らねばならないか。

そう彼は自然と思えた。

 

 

―――和があそこまで執着するのも、解るかもしれない。

ずっと厳格な環境に身を置かれ、肩身が狭かった和にとって、彼は心地いい存在だったのだろう。

同じ様に麻雀を好きでいてくれて、それでいて自らの事を否定せずに受け入れてくれる存在が。

―――ちゃんと、人を見る目、あるじゃないか。

そう、思った。

そして、同時に思う事がある。

―――このままで、いいのだろうか?

この青年はとてもいい子だ。

こんな馬鹿親父の愚痴も嫌な顔一つせずに聞き入れてくれている程に。

だからこそ、だ。

―――あの、悪魔の片鱗を見せ始めた和の本質を知らせぬままに、見て見ぬフリをして、あてがってもいいものか―――。

そうだ、見て見ぬフリをしてしまえばいい。

自分の所業も、和の所業も、一切伝えずに、こう言えばいいのだ。君の事は気に入っている。私との関係は気にしなくてもいい。和の事は心から応援している。そう言えばいいのだろう。そうすれば、和も自分も、一切合財損はない。この青年だって、悪い事じゃない。そうだ。そうすればいい。そのまま―――。

「須賀君------」

「はい?」

―――だが、駄目だ。

駄目なのだ。

自分は弁護士だ。正義を実現すべく人と社会を統括する法を扱う人間だ。かつて自分は―――正しい人間でありたいと思っていたはずだ。その正義の心を今の今まで、ずっと忘れていた。

自分は、やってはならぬことをした。

やってはならぬことをした。だからこそ現状があるのだ。

それはどうあっても変えられぬ。

ならば―――それを認め、告白し、罰を甘んじて受けるべきではなかろうか。

 

そして、私は―――誰かの幸せを願うべきではないのだろうか。

この青年を、今の和の心底を知らせぬままに―――人生の墓場に持って行かせて、いいのであろうか?

いいのか?

本当にいいのか?

「これから話す事を、よく聞いてくれ-----!」

血を吐くような気分で、原村恵はそう口火を切った。

 

話さねばなるまい。

例え―――この身が朽ち果てようと。

 

 

「-----という訳だ」

彼は話した。全てを。

自らの所業も。娘の所業も。余す所なく全てを。

ただ、自分がここにいる理由―――つまりは「脅迫」されてここにいることだけは隠して。こればかりは中途半端ながら最後の親心であろう。

探偵を使い身辺調査をしていたこと。それを逆手に和が自分を追いつめている事。その際の和の所業とやり取りを―――全てを。

そうとも。

これで自分は終わりだ。

この青年がそれでもって和と距離を置くようになれば、自分もまた死ぬのだろう。詰られ、迫られ、断罪されて―――ここで原村恵なる人間は社会的に死ぬことになるのかもしれない。

だが、それでいい。

彼か、自分か。死ぬべき人間がどちらであるのか。

そんなもの決まっているではないか。

我が身可愛さにこの青年の未来を暗澹に沈ませるくらいならば、我が身の罪は甘んじて受けねばなるまい。それが罰だ。罰とは、罪を犯した者だけが受けねばならぬのだから―――。

「----そうですか」

眼前の青年は、何だか困った様な笑みを浮かべる。

それもそうか。自分のあずかり知らぬところで場外乱闘をしていた親子の話を聞かされても何のことだと思う他あるまい。

しかし、その後に発せられた言葉は、実に意外であった。

「------何だか、少し安心しました」

そんな言葉を放ったのであった。

「あ、安心?」

「はい。ちゃんと、怒る時は怒るんだな、って。和も」

「------」

「まあ、手段としちゃあやりすぎかもしれないけど、でも加減を知らない辺りも和らしいかな、って思います」

「------そうか。その、君は私に何も怒らないのか?」

「もう十分に怒られたみたいだから、構わないです。いや、正直あんまり被害を実感できていない所もありますから。本職の探偵って、凄いんですね」

「--------」

 

何だか、不思議な夜だった。

不思議ではあるが、理解した事もある。

たった二つの事だ。

自分の器の小ささ。

そして―――器の大きい人間がどういうものであるのかを。

それだけを、知った夜であった。




実家でNHKで放送されていたピングーを以前見ました。甥っ子がキャッキャキャッキャ騒いでいましたね。シュールで面白かったです-----で、ツイッターで出回っていたあの地獄絵図は何なんですかね?


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

手加減を知らぬ女

それから、原村家の中に、小さな変化があった。

一つ。原村家の財産は今まで夫婦の共有であったが、半年の間妻の管理とする事。

二つ。原村恵とその娘、原村和との接触を原村和の許可が下りるまでの間原則禁止とする事。

 

原村恵が、今までの行動を自ら洗いざらい妻に告白し、和も含めた家族会議の中で決定した事であった。

その際に―――和の報復によって実家に引っ込んでいる探偵の職場復帰に協力する旨も明記し、その約束を契約書に纏め、現在原村家に置いてある。

 

「------予想外の潔さですね」

原村和にとってまさしく誤算だった。

あの父が―――潔さを発揮した事が。

この父との対決は―――「父を無力化する」という目的においては大成功だ。これから何をしようと、父の発言は何の力も発揮できない。

だが―――別れ際、父から受け取った言葉が引っ掛かる。

 

―――和。最後に一言だけ。彼には、しっかりと自分を見せる事だ。その方が、きっと彼はお前を受け入れてくれる。

 

そう何やらやりきった感のある顔で、そう言っていた。実に気持ち悪―――いや、不自然な様子で。

引っかかる。

何処までも引っかかる。

 

「まさか―――」

全てを、明かされたのだろうか。

自らの所業と―――そして自らの娘の所業を。

「------」

フッと、彼女は笑った。

それがどうした。

―――所詮飲み屋で一回会っただけの中年の男と私。どちらに信を置くか。そんなもの、考えるまでも無い。

たとえそうだとしても、挽回は十分に可能。父を傀儡とする計画は頓挫したが、今度は傀儡ではなく協力者を抱えればいい。例えばお母さん。お母さんは全面的に自分の味方であるし、須賀君もきっと懐いてくれるでしょう。あまりお母さんを利用するようなことはしたくはなかったが、ここに至っては仕方ない。自分も手段を選べる立場ではないのだから。

待っていてください、須賀君。私は貴方を逃がしません。

 

そう覚悟を新たにした彼女の下に―――電話が鳴り響く。

着信先を眺めれば、マネージャーからであった。

「もしもし、どうしました?」

「あ、原村さん。ちょっとだけ、問題が―――」

問題?

ふむん、と一つ頷き彼女はその声に耳を傾けた。

 

 

原村和には、当然ながら男性ファンが多い。

容姿、プロポーション、キャラクター。そのどれもが高いレベルで纏まった彼女は、写真集の発売が出版社から持ち掛けられるほどの人気を誇る(すげなく断ったが)。

 

だからこそなのだろう。

本日マネージャーから送られてきたファックス資料を見る。

そこには―――。

「------へぇ」

幾つもの写真が、並べ立てられている。

一般人(元同級生K、目隠しあり)と共に、行動を共にしている様が。

一つ一つは、大した事なぞ無い。一緒にホテルに行ったといったいかがわしい写真は一切ない。食事やショッピングをしている写真だけだ。しかし、数が多い。これだけそういった、ある種の健全な写真の数が多いと、むしろ本当に“清い交際”をしているように感じられる。

来月あたりに、これが週刊誌に掲載されるのだという。

 

「------本当に、誰も、彼も、私の足を、引っ張って、くれるものです」

 

一言一言噛みしめるように、彼女は静かにそう口に出した。

自分は何も問題はない。問題があるとすれば、須賀京太郎の方だ。この写真集を見て彼がまず思う事は“和に迷惑をかけてしまった”といったものであろうか。これから行動を共にしていく事が難しくなるかもしれない。

自然と、彼女の口元には笑みが零れていた。

「成程。これが女雀士を取り巻く呪いという奴ですか。----何がジンクスですか。何処もかしこも先立つ人間の足を引っ張ってばかり。下らない。本当に-------下らない」

ふふ、と思わず笑えてしまう。

スポーツ選手であると同時に、貴様等は人気商売なのだ。男の気配を出してはならぬのだ。そんな世間様の眼。男から隔絶された特殊な世界で骨肉を争う中で摩耗していく男女間の感性。全てが全て、複合し、混じり合い、あのジンクスが存在しているのだ。

「そうですね。まずは須賀君にフォローを入れておきましょう。----万が一発売されたら、きっと困惑している事でしょうし」

相手を地獄の沙汰まで引き連れるタナトスの笑みを一瞬で切り替え、彼女はすぐさま須賀京太郎に電話をかける。

その表情の変化もまた、自然なものであった。

何処までも柔らかな、そして楽し気に緩和した小動物の如き笑みだった。

 

 

高校生の時。

楽しかった思い出がそこには充満していた。

チームで喜び、チームで立ち向かい、時に泣き、笑い、最後は見事な大団円。本当に素敵な青春だった。

その時に、強く思った。

麻雀は、楽しい。麻雀には、全てを賭けるだけに値するだけの価値がある。

けれども、その思いは―――父には最後まで理解されなかった。

麻雀の全国優勝メンバーの一人であり、そして成績までトップクラスであった和は、学費免除と返済不要の奨学金までおまけにつけた超好待遇の推薦状があった。

父は強く進学を薦め、母も“プロに行くにしろ、一度大学を出てからでも遅くはない”というスタンス。彼女は結局大学に進学した。

されど胸に燻った思いを誤魔化す事は出来ず、進学した。

 

この思いは、結局の所最後の最後まで父には伝わらなかった。

覚悟はしていたが、結局どれだけ頑張っても父にとって麻雀は娯楽でしかないのだ。その価値を、彼はきっとこの先ずっと理解できないのだろう。

 

プロに入っても、同じことの繰り返し。自分に言い寄る男のなんと浅ましい事か。プロの女雀士というステータスに近付いてくる輩か、単に身体目当ての連中しかいなかった。

“君の麻雀している姿は素晴らしいね”

男は、何とでも言える。そうだろう。美貌を褒められるのはきっと慣れているだろうし、性格だってどちらかと言えば丁寧であるが淡白な方だ。口説き文句に一番いいのは、麻雀している姿だろう。

そんな言葉をいけしゃあしゃあとつまらなそうな目で喋りかける男共に、正直嫌悪感を覚えていた。二枚舌というものは幾らだって存在する。それは自分を取り巻く環境の中であるなら、尚更そうだ。

 

そんな連中の吐き掛ける言葉よりも、ずっとずっと、誠実な姿を貫いている人がいた。

高校ではあまり活躍できなかったにもかかわらず、それでも麻雀に関わって仕事をしている人が。

 

高校の時は、いつも自分の前で鼻を伸ばしていた駄目な人だと思っていた。

けど。今になって思う。それでもずっと彼は麻雀に対して誠実であった。誠実であってくれたのだ。

 

それだけだ。

それだけで十分だった。

チョロイと思わば、そう罵るがいい。だが、今まで決して崩れなかった牙城は、それだけで叩き壊されたのだ。きっと―――自分の選択は間違っていないはずだ。

 

目的が決まれば、あとはいつもの原村和でいればいい。

合理的に、理性的に、―――つまりはデジタリックに。

眼前の障害を―――叩きのめす。

 

 

「―――本当にごめん。和。俺が不注意だった」

「何を謝っているのですか。私達は何もやましい行動なんてしていません。胸を張ればいいんです。一緒にご飯を食べて、一緒に買い物をする事の何が悪いと?私はキチンとプライバシーの侵害であると、出版社に抗議するつもりです」

「いや、こっちも和に甘えてしまっていたというか-----。ちょっと気を回せばこういう事も避けられたのになぁ、って」

「甘えているのはこちらも同じ事です。いいじゃないですか。私も、須賀君と一緒に遊ぶのが楽しいからそうしているまでです」

「いや、でも-----」

「でもじゃありません---。私だって、これではいじゃあもう遊ぶのは控えましょうなんて言うような女じゃないですから。また、私は変わる事無く須賀君と付き合っていきますからね?そこだけは覚えておいてくださいね。-----はい。はい。解りました。それじゃあ、おやすみなさい、須賀君」

 

通話が切れるのを確認すると―――彼女は再度、携帯をかけ直しにかかる。

「裁判も考えましたが、それは大々的な闘争になるからいけませんね。出来うる限り、内々に終わらせた方がいいでしょう。まあ、もうちょっと先の話になるとは思いますが」

彼女はニッ、と笑みを浮かべながら―――鳴り響く着信音を自らの耳朶に通す。

「女雀士を、ましてや私を舐めてかかるからです。―――つけ狙う相手のスポンサー位、調べればいいものを」

彼女の笑みが、より深くなる。

「ええそうですとも。“抗議”させて頂きます。―――ですが、別に私一人だけが抗議しなくちゃならない理由はありませんからね」

彼女の脳裏には、二つの相手が浮かんでいる。

一つ。辻垣内智葉。

もう一つ。

 

「―――こういう時に頼りになりますからね。よろしくお願いします、龍門渕さん」




残り三十六単位を残し、私の友人が二留目を決めました。合掌。皆さんも、失恋と酒にはご注意を。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ダルがり編
アパルトの中の、友人。


守られるか、無視される以外に、用途の無い夜の信号機。

―――そう言う風になりたくないと、ある曲の歌詞が言っていた。いや、正確には違うけど、とにかく、そんな歌詞だ。

自分は、どうだろう。

自分の存在に、用途はあったのだろうか。

いや、あったかどうかは関係ないか。

―――用途があったと、自分で信じていたいのか、どうか。

宮守でのあの日々は、自分をどう変えたのだろうか?

多分、変わっていないのだと思う。

変わらず怠惰なままだ。七つの大罪を定めた神様がいたなら、即刻逆鱗と共に地獄に落とされるやもしれぬ。

そう、自分はどうしたって、夜の信号機のままでいたい。出来る事なら、何もしたくない。ただただ、漫然とした日々が続いてくれれば、それが一番。

だけど、

それでも、

―――怠惰な信号機には憧れようと、壊れた信号機にはなりたくなかったのだとは思う。

多分、自分は変わっていないのだろう。

ただただ―――あの日々が、埋もれていた自分を、発掘してくれた。ただそれだけの事だ。

信号機は、歩く人間がいなければただの電信作用のある棒でしかない。用途なんて、ないのだから。

周りの人が、そういう風に自分に役割を与えてくれた。

―――その用途は、どうだったのだろうか。答えは、当然―――、

「ダルい-----」

シロはあまりにも怠くて、考えるのを止めた。

それが答えだ。

答えなんて、別に無理して探すものではない。疲れるしダルいし、割とどうでも良かった。

 

 

考えるのはダルい。

それでも、考えなければ、もっとダルい事が起こるのも解っている。

だからこそ、考えた。迷って、迷って、考えた。

「そうか、シロ。アンタは、大学に行くんだね」

「----ダルいけど、うん」

「そうだねぇ。ダルがりなアンタにしちゃあらしくない選択だねぇ」

「ダルい----」

「サボって単位落としたりするんじゃないよ」

「するかも-----」

「するな。何人か、プロのスカウトも来ていたみたいじゃないか。大学行くのはいいけど、プロになる気は?」

「ないよ---。麻雀は続けるけど、プロには興味ない。プロ、きっとダルい」

「だろうねぇ----ま、アンタもそこそこに悩んで、その道を選んだんだろう?」

コクリ、と一つ頷く。

「だったら問題ない。アンタが悩んで出した結論なら、きっと悪いようにはならない。アンタは、そういう人間なんだから」

「そういう人間------?」

「ダルがりなアンタは、悩むのも嫌いなはずだよ。悩み程、面倒なモノはないからね。―――アンタはダルがりでも、逃げる事はしなかった。ちゃんと、悩んで、結論出して、ここまで来たんだ」

「------」

「だから、仲間も付いてきたんだ。―――シロ。私にとって、間違いなくアンタも自慢の子だ。胸を張って、大学に行けばいい」

そんなありがたくもない言葉を頂き、本日より、花の女子大生という訳である。

若干、枯れかけの萎んだ花の如く見えるのも-----まあ、それはそれで仕方あるまい。

眼前には積み上げられた段ボールと八畳のフローリング。

「ダルい-----」

これから始まる、一人暮らしという名のだるさMaxな日々に、変わらぬ調子でそうぼやいたのでした。

そして、―――それから二年の月日が過ぎた。

 

 

ある日のことだ。

死骸の様な女性が一人、公園のベンチに腰掛けていた。

いやいや、女性を示す形容詞に「死骸のような」はあんまりだ。だがしかし、残念。脱力した状態で瞠目して空を眺めるその姿。もう指先一つ動きませんと表象するかの如き不動の姿。鳴きやんだ蝉にしか思えない。

須賀京太郎は、そろりそろりと公園の端にある自販機に百円硬貨を差し入れ、ミネラルウォーターを手にする。

---いや、あの。

何となく、そのベンチには座ってはならないような気がした。公園には、買い物の休憩の為に立ち寄ったというのに。先客がいたからと、その隣に座ってはならないきまりなんぞないのだが―――その、「自分はここで最後を迎えるのだ」と言わんばかりに悲壮さを纏わせたその雰囲気に、思わず尻込みしてしまうのも致し方が無い。うん、そうに違いない。そうだろう。

そういう訳で、踵を返そうと意識を向けるが、

「あの-----大丈夫ですか?」

生来のお人好し故か、こんな風に声をかけてしまうのでした。

 

 

「助かった。お水、ありがとう----」

「いえ、それは別に構わないんですが----」

「買い出しの為にバスに乗ったら、違う便だった------」

「それで道に迷って右往左往している間に、疲れてしまった、と---」

「ダルい---」

よく見れば、それは知っている人だった。

小瀬川白望。

高校一年の頃、宮守高校を率いていた人だ。

「道、教えて-----」

「何処に行きたいんですか?」

そう聞くと、ぼそぼそと彼女はその場所を教える。

「ああ、俺と同じ所ですね。だったら付いて来て下さい。案内します」

そう京太郎は言い、立ち上がる。そのまま公園の出口へとつかつかと歩き出し―――ふと、背後を眺める。

そのままの姿の、小瀬川白望がいた。

何なのか。あのベンチに磔刑にでもされているのか。

「ダルい-----」

「そ、そうですか----」

「足、動かない----」

「え、えー-----」

どうしろと。

「君」

「はい」

「----おぶって」

 

 

結局―――あまりの疲れに指一本動かせないという小瀬川さんを背負い、タクシーまで連れていった。

役得でした。

具体的に言えば、こう----背中から感じられる、柔らかな何かが、こう、感触として脳内に送られる度に、多幸感といいますか、何というか-----形容し難い素晴らしき感覚が、全身に走る瞬間を味わうことが出来て、ええ、役得でした!

だからこそ思う事もある。

ちと、無防備に過ぎませんかねぇ、と。

「-----」

「えーと-----」

そしてそして、不思議な事に。

眼前には、自らが住む安アパート。

----彼女も、ここに住んでいるという。

「偶然、ですねー」

「-----だねー」

「いや、俺、昨日からここに引っ越しまして------。それ故といいますか、買い出しに行っていまして-----」

「---君、大学何処に行っているの」

そう尋ねられたので、答える。

「---同じ大学だね」

「そ、そうですかー」

何とも。不思議極まる話であった。

「丁度いいや。部屋まで連れていって」

「はいはい----」

もう何だかどうでもよくなって、言う通りにすることにした。

 

 

―――彼女には、一つの特技がある。

彼女は、何となく眼前にいる人物がどういう人間なのか、看破できる能力を持っている。

多分、それは―――ずっと、あの天使の様な友人と共にいたからであろう。

あの子たちの持つ優しさを持っているのかどうか、それは見ただけで解った。

公園で話しかけてきたあの男の子も、同じ目をしていた。何処となく優し気で、こちらを純粋に心配する、目だった。

「須賀君、ね----」

異性の友人というのは、ひょっとすれば生まれて初めてかもしれない。

------あの場所から離れ、一つだけ解った事がある。

自分はダルがりでも、感情がなかったわけじゃなかった。

寂しい、という一抹の感情を持て余す程度には―――あの日々は、楽しかったのだと。あの子たちが、大切だったのだと。

今の自分は、どうしたって―――夜の信号機でしかない。

用途の無い、ただの怠惰な女でしかない。

―――そんな中で、同じ目をした人が眼前に現れて、ちょっとだけ、ちょっとだけ―――感じ入るものがあった。

「ダル-----」

そうベッドの中で、彼女は呟いた。

―――明日から、何だかもっとダルい日々が始まるような。そんな予感をちょっぴり、させながら。

 




この章は、あまり山なしオチなしの、まさしくダラっとした話が連続します。勘弁を。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

レイジー・ギミック

何だか、不思議な人だった。

人よりも遅いテンポで、人よりも怠けて、その人は生きている。

けれど、それでも―――やるべき事は、しっかりやっていた。

頼れる部分は、何処までも頼ってくる人だけど。

そして、もう一つ解った事もある。

「-----須賀君。おんぶして」

「あの、大学までおんぶさせるつもりですか?」

「うん」

「鬼畜か!」

彼女は、頼る人間はしっかり選ぶ。何か、彼女なりのこだわりがあるのだろうか。そのこだわりの何処に自分が触れる部分があったのか。それは全く解らないけれど。

 

あの出会いの日から、彼女―――小瀬川白望とは知り合いとなった。

びっくりするほど怠惰な人。けれどもこれまたびっくりするほど憎めない人。

何だか、形容し難い人だ。

言い換えれば、捉えどころがない人ともいえる。

この人でも一人暮らしが出来るのだから、あまり不安に思うのも馬鹿らしく思えてきた。

「小瀬川さんは、サークルに入っているんですか」

「----麻雀」

「ああ、やっぱり麻雀は続けていたんですね」

「うん。ダルいけど」

「あ、やっぱりダルいんですね-----。あの、こんな事聞くのは失礼だと解っているんですけど、どうしてわざわざ大学に出たんですか----」

「----楽をする為の努力。それ以上でも、それ以下でもない」

「ああ----成程」

「納得してくれたようで何より」

「そりゃあ、まあ。これ以上ないって程にらしい理由でしたよ―――で、何処まで運べばいいんですか」

「大学B号館206。寝ていても何も言われない後ろの席に下ろしてくれればベスト。二限も迎えに来て」

「俺をタクシーか何かだと勘違いしてませんかねぇ!?」

そんなこんなで、毎度の如く彼女の送り迎えをしていた。

それは、彼女が所属するサークルにまで。

何度も送り迎えをするうちにサークルの連中に顔を覚えられ、いつの間にやらなし崩し的にそのサークル所属になっていたという。

 

----正直、大学に不安を感じていなかったかと言えば、それは嘘になる。

コミュニケーション能力に自信は持っていた。とはいえ、所詮自身は長野の田舎者だ。見知らぬ街に、見知らぬ人々。そんな中に放り出される不安が、やはり存在していた。

 

だが、彼女と出会って、その不安は何が何やら、よくも解らぬまま霧散していた。

本当に、よく解らない。一人気心が知れた友人が出来たからとか、そういう理由では説明がきかない。それ程、あっという間に、自分でもよく解らないまま、不安が消えたのだ。

彼女はそれほど多弁ではない。

彼女は無論積極的な方でもない。

ただ、そこに存在するだけだ。何も言わず、何もせず、ぼぅ、とそこにいる。

ただ、それだけなのに―――。

いや、本当にただそれだけなのだろうか?

多分、それ以外の理由があるはずなのだ。

それは何なのかと問われれば、よく解らないけれど―――解らないからこそ、気になったりもする。

何だか、不思議な人だ。

それでも―――とても、一緒にいて、心地いい人だ。

今はそれだけ解っていれば、十分な気がした。

 

 

そうして、今日も今日とて彼女を背負って大学を歩く。

立派なおもちに反して、彼女自体はとても軽い。背負う分には京太郎にはそれほど負担にはなっていない。

ただ―――こう、周囲の連中から見られる視線とかが、ねぇ。

嫉妬混じりの視線はまだいい。優越感に転嫁すればいいだけだ。けれども、こう、生温かさを孕んだ、「あー、あれね。あの恒例行事ね」的な、ぬるい視線が刺さる度、謂れも無い非難を浴びた異国人の様な何とも言えない感覚が走る。

彼女はその辺りの感覚が完全に消失しているらしい。はい、そうですか。そうですよねー。

「------小瀬川さん」

「シロ、でいい」

「え?」

「だから、シロでいいってば。―――京太郎」

そんな言葉にときめいてしまうほど、今の自分はとても単純なのだと気付いてしまって。何だかこの人にはずっと勝てないような気がしてならなかった。

 

 

春が過ぎ、夏。その土曜日。

暑い。

蝉がうるさい。

―――東北出身の彼女にとって、夏は果てしなくダルい季節だ。

蜃気楼が揺れる。―――実際はただただ、あまりの暑さに眩暈を起こしているだけだが。

「京太郎―。暑い----」

彼女は、京太郎の玄関先で、チャイムを唐突に押し呼び出すと、開口一番そう言った。

「それで、一体どうしたというんですか」

「クーラー、壊れた------」

「はぁ」

「京太郎-----」

「えっと---それで?」

「入れて」

「え、ちょ、嘘でしょ」

「----お願い」

「はぁ。もう。しょうがないですね-----」

彼女の「お願い」には、並々ならぬ力がある。断れた記憶が無い。

けれど、こうして軽々と自室に入れる事に何も意識するなというのも無理な話で----何というか、本当に無防備すぎて心配です。

―――多分、本当に全幅の信頼を置いてくれているからこその行動であるのも、理解できている。

結局、自室に入れてあげる事となる。「涼しい---」と何だか感慨気に呟く彼女はそのままクーラーの風が直に訪れる部屋のど真ん中に陣取り、寝っ転がった。

「クーラー壊れたなら買いに行きましょうよ----」

「買う。買うよ。だけど、今日明日はダルい。本来ならば、休日は一歩たりとも出なくて済む日だった。どうせ買い物しなければならないなら、大学に行かなきゃならない日が一番いい」

「何て怠惰な合理性だ-----!」

「暑さは、私の天敵。ありがとう、京太郎」

「ちょ、夜はどうするんですか」

「泊めて-----」

「駄目に決まっているでしょう。何を考えているんですか」

「駄目かー」

「駄目です。全く-----」

心の底から残念そうな表情でごろごろ転がっているその姿は、まさしくふてぶてしく軒先に居座る肥えた猫だ。

京太郎はソファに座り、先程からずっと見ていたテレビに再度眼を向ける。

―――決まった!ツモった!これで宮永選手の一位抜けが決まりました!

やたら喧しい実況の声と呼応して、テレビからは凄まじいまでの声援が飛び交う。

新人にして、もう既にスター街道を駆け上がる幼馴染を、ジッと眺める。

「-----そうか。京太郎は清澄だったか」

「ええ、そうです」

テレビに映る気弱そうな、見慣れた顔を―――それでも、何処か遠くを見つめるように、目を細めて、京太郎は見る。

「何だか、遠くに行ってしまったなーって。もう、別世界の人間なんだなって思ってしまって」

その声に、シロの感情がちょっとだけ呼応した。何故だかは解らないけど、それでも。

「京太郎」

「はい」

変わらぬ口調で、けれど何処か諭すような口調を以て、言う。

「違う世界なんて、存在しない。皆、同じ空の下で生きている。―――変わるとしたら、それは多分、人でしかないと思う。」

「---」

「だから、そうやって遠くを見る様な眼で見ない。―――どんな場所にいても、京太郎は京太郎で、あの子はあの子なんだから。君が変わらなければ、きっと彼女も変わる事はないんだから」

その声に―――ああ、そうか、と心中で納得してしまった。

こういう部分も、きちんと持ち合わせていた人だったのだと。こういう風に、ちゃんと人を見ているのだと。

彼女はただそこにいるだけでは無かった。

その人のあるがままを受け入れる、温かくも深く広い懐があったのだと。だから、納得できた。この人を、誰もが憎めない理由を。

「シロさん」

「ん」

「ありがとうございます」

「----礼は別にいい。ダルい」

そう言って彼女は京太郎に背後を向けるようにゴロンと転がった。

-----何だ、ちゃんと恥ずかしがれるじゃないか。そんな事を、ちょっぴり思った。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

プリーズ・プリーズ・ワイセツミー

ゆるりゆるりとした時間の中、彼女は生きていた。

ダルい。

その言葉には恐らく、色々な意味が込められているのだと思う。

彼女は、選定する。

怠惰な彼女は余計な事にまで手を出したくない。彼女が動く時、それは―――自分の中で大切なモノの為だ。故に、選定する。動くべきか、しないべきか。だから迷う。迷って迷って、結論を出す。

自分もそうだ。宮守の仲間もそうだ。

―――怠惰な彼女が、それでも他者に抱く感情とは、恐らく誰よりも純粋なのだろう。純粋故に迷ってしまう。そこにある感情に、自分は手を出すべきかどうか。

この二年間は、手を出さずにいられた。

だが、今はどうなのだろう。

 

夜に齧られたような月が、頭上にある。

「------」

漫然とした日々の中にも、きっと答えはあるはずなのだ。意味だってあるはずだ。それがどんなものかは、まだまだ迷っているけど。

 

それでも、一つだけ理解した事がある。

 

今自分は、自分の意識に巣食う男の子にとって「夜の信号機」であってほしくないと思っている。

 

自分は、彼にとって、―――何らかの意味ある存在となりたいのだ。

何となく―――彼の心に何処か寂しさを抱いているのは、解っている。

あるべきモノが喪われたような、空虚があるのだと思う。

それはきっと、自分も同じ。

何か、手を下すつもりはない。

ただ―――自分は「ここ」に在るだけだ。

存在する事。

常に他者の存在を感じられる事。

------豊音も、そうだったなぁ。

寂しさを埋める手段は、当たり前の様に存在し、当たり前の様に触れ合える他者と過ごすゆるりとした時間でしかないのだ。豊音もそうだった。一人が一人のまま、解決できることじゃない。

そこに意味を見出してくれるならば、自分は―――

 

 

記録的な猛暑となった六月の事。

身体に、異変が走る。

「-----」

彼女は東北出身であり、関東の夏場に慣れずにいる。

暑さと無縁な地方で暮らしていた彼女は、知らず知らずの間にそのダメージが蓄積していた。

視界が歪む。

息が苦しい。

身体が、熱い。

起き上がった身体が―――もう一度、自らの意に反して、倒れ伏した。

 

「38.5度----夏風邪ですか」

「ダルい-----」

「そりゃあ、まあダルいでしょうけど、我慢してください」

布団の中から顔だけ出した彼女は、そう変わらぬ台詞を吐く。だが、様子は恐ろしく違う。

赤子の様に紅潮した顔面に、汗に濡れた髪がひっつく。

その声は、何処までも弱々しい。

―――何だか、こちらの気分までおかしくなってしまいそうだ。

「氷枕と冷えピタとミネラルウォーター。お昼になったらおじやを用意します。昼までは、寝てて下さい」

「---京太郎、ここにいてくれないの--?」

「いや、流石にそれはまずいです」

女性の部屋で、更にその主は風邪に参っていて―――そこに男を一人放り込んでしまうのは流石にまずい。倫理的に。

「ちゃんと、昼になったら見に来ますから」

「---京太郎」

赤らんだ顔が、こちらに向けられる。

早まった息遣いが、こちらの耳朶を打つ。

「お願い-----」

ここにいて、と。彼女は弱々しい声でそう言った。

「---」

断れ、なかった。

断らなければならなかったのだと思う。

それでも、出来なかった。

―――これより、彼は己の「理性」と対面する事となる。

 

 

チクタクと鳴り響く時計の音が、やけに鼓膜に突き刺さる。

時間が、長い。

弱々しく握られたその手を振り払う事は出来ない。

は、は、と小刻みな寝息を吐きながら、彼女はその身を捩る。

紅潮した頬。

閉じられた瞳から微かに零れる雫。

張り付いた銀髪。

上下する胸。

熱に浮かれ苦しむ彼女のその全てを視界に収めている彼の理性は、破城槌が秒針ごとに打ち付けられているようだった。

見て見ぬフリをし続けながらも、彼は確かにその姿が脳裏に焼き付いていた。

本当に、息苦しいのだろう。

肥満体が寝息に苦しむように、胸部に大きな脂肪を抱えた彼女もまた、肺を圧迫され呼吸が苦しくなるのだろう。頑なに閉じられた目に反する様に、その口元は度々息継ぎの様に開かれていく。

てらてらと輝く汗と相対する様な、粘ついた唾液がその中から覗かれる。

息継ぎが終わると、唸るような声が聞こえてくる。

見ざる。

 

聞かざる。

 

―――それが出来れば、どれほどよかったであろうか。

 

息も絶え絶え、熱に浮かされ、その肉体に与えられた熱に苦しむその姿は―――理性を司る城壁に楔を刻み込んでいく。

 

息が吐き出されると同時に、その舌先から口元を通って涎が零れていく。

―――空いた右腕が、思わずタオルを手にその口元を拭いた。

その時、直視してしまった。

枕に抱え上げられたその顔に、吐き出されていく口元―――まるで薄紅色の唇が押し上げられているように、突き出されたその顔を。

「---」

 

須賀京太郎は、未だに彼女に対する感情を、定められずにいた。

何故ならば、彼女は決して弱みを見せない人だったから。

世話をしている現状と反する様に、彼女はその心の内を見せる事は少ない。

―――陳腐な言葉だが、その心の内を知らぬ他者に、感情は抱きにくい。

常に無表情で捉えどころの無いように見える彼女。

その腹の底はきっとこちらを慮っているのだろう。こちらを気遣う言葉に嘘はないのだろう。それでも、一人の女性の心を推し量れるほど、彼は熟している訳ではない。

 

だが

 

この状況は、どうなのだろうか。

 

流石に―――この状況で、彼女の中に在る感情を推定できないと言い張るのは、無理がある。

それは、まさしく見て見ぬフリでしかない。

 

そう、理性が囁いている。感情に従えばいい。その感情を定めてしまえばいい。

繋ぎ合っている左手から伝わる彼女の熱が、こちらの脳幹まで突き刺さる。

彼女の苦し気な吐息が、輝く汗が、鼻孔に薫る彼女の匂いが。

唾液を抱えた唇に、視神経を誘導していく。

理性が綱引きを始めた瞬間、その綱に―――彼女自身が、手に掛けた。

そう、文字通りに―――手に、掛けた。

唇を直視した彼の頬に、緩やかに。

それはまるで引き込むように―――彼の口元に触れながら、頬をさわさわと這い回る。

彼女の目が、開けられる。

 

その眼は―――潤み、そして、寂しげな色を宿していた。

 

「―――んっ!」

啄むように。啄むように。重ねたヒダ同士が体温を運んでいく。液体同士が混ざって互いの喉に嚥下していく。互いの熱が全身に駆け巡り―――よくも解らぬドロドロな気分のまま、彼と彼女は互いを唇で伝えあっていた。

 

 

終われた。

何とか、終われた。

理性との綱引きは―――最後の最後の一線だけは、踏み越えずにいてくれた。

彼女は、そこまでも予期していたようだけど。

つまりだ。彼女は許したのだ。あらゆる全てを。彼が彼女に抱く全ての感情を。その行為を。繋がりを。

何故なのだろう。

それ程の時間を、積み重ねたのだろうか。

いつから彼女はこうなってしまったのか。

「何で---?」

熱に浮かれたまま、そんな声を思わず上げてしまった。

心の底からの、疑問だった。

何故許した。

何故望んだ。

そんな疑問が、頭にもたげてしまう。

あの―――目を見なければ、きっと我慢できたであろうに。潤んで、弱って、寂し気な空洞の様な目を見なければ。きっと、理性は焼き切れなかったであろうに。

 

「理由が、いる?」

 

だったら、答えてあげる。

 

「そうしたいと、思ったから」

 

きっと、理由は要らない。

 

ダルがりな自分が、欲しいと思った―――それだけで、きっと十分なのだ、と。

そう―――心の底から、言葉を吐いた。

 

 

 

 




ぼくが考えたさいきょうの「健全な」お話。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

アナーキー・イン・アワー

何かを好きになる、という事に理由を求めるのは野暮だろうか。

そうは思わない。

けれども、まだ私にはそれは解らない。

解っている事は一つだけ。

あの苦しい風邪の中で、孤独が“怖い”と感じた時、誰の手を握っていたかったのか―――それが解っただけだ。

きっと、それだけで十分。今は。

ゆるく、ゆるく。心は触れ合わせていけばいい。

夜に齧られた月も、いずれまた日々の繰り返しの中、満点の月光を振りまいていくのだろうから。

 

 

こうして、彼女との恋人としての付き合いが始まった。

特に変わる事はなかった。彼女はダルがりだし、外に出る事も少ないし、大学の中でその態度を変えることも無かった。

変わった事があるとしたら、今自分の手の中に二つ目の違った形状の鍵が手中にあると言う事。

そして―――自分が住む六畳半の中に彼女の生活が混じり合ってしまった事だろうか。

彼女はそこに存在する。

それだけなのに―――自分の中にある孤独感を、浮き彫りにしていく。

触れあいたい。

繋がりたい。

繋ぎ止めていたい。

そんな思考が頭をもたげる度に、彼女を求めてしまう心が浮かび上がっていく。

肩を抱き、唇を合わせる。

彼女は決して抵抗しない。

本当に、なすがままだ。

なすがままに、その当てのない気持ちを受け止めてくれる。

それに甘えてしまっている自分の心に気付きながらも、それでも止められなかった。

きっと、自分でも見て見ぬフリをしていたのだと思う。

誰かを、何かを、つまりは繋がりを―――求めていた心を。

それが彼女を通して手に入ってしまって、困惑しながらも、それに甘えてしまっているのだと思う。

彼女は肯定も否定もしない。ただ、あるがままの自分を受け入れてくれている。

理由が無い、とはそういう意味も含んでいるかもしれない。

好意の理由を求めてしまえば、そこに利害関係と因果関係が生まれてしまう。

こうあるべきで、こうあるから、私は貴方が好きだと―――言いきってしまうならば、それは楽なのかもしれない。けれども、その因果が無くなってしまえば?とても恐ろしい話だ。

少なくとも―――今の京太郎にとって、「理由が無い」事はとてもありがたかった。

情けなくて、子供っぽい、今の自分を肯定してくれるのだと。感情を飾る事を相手は求めていないのだと。そんな風に思えて、安心してしまって。

―――それが本当に恋とか愛とかに定義できるかどうかは解らない、解らないけれど―――確かに、今自分は彼女を必要しているのだと、それだけは理解できた。

今は、それだけで十分だ。そう心の底から思った。

 

 

「あの、シロさん」

「ん?」

「何か、こう、して欲しい事とかありますか?」

「お世話して」

「あ、それはもうほぼ毎日やっているので除外して―――ほら、折角恋人同士に慣れた訳じゃないですか」

「うん」

「何でもいいんです。デートでもいいですし旅行でもいい。何かこう、したい事があるなら俺も付き合いますよ」

「ダルい」

「うん。そう言われる事は薄々勘付いていました!」

まあ、この通りであるので。あまり恋人らしくないと言えばらしくないのだが。この人らしいと言えばこの人らしい。

そう思ってはいるものの----まだ、正直、「この人らしさ」を知り尽せているかと言えば、微妙な所だ。

ダルがってぐったりしている彼女も、彼女らしいとも思う。

けれども、時折こちらの心を見透かしたように気遣いの言葉を投げかける彼女も、またらしいと思う。

矛盾しているようで、矛盾していない。

何だか、不思議な人だ。

捉えどころがない。解らないところがたくさんある人。

それでも―――この人に魅かれる自分の心は、疑いようもなく存在する訳で。

「だったら、宮守の事でも話してくださいよ」

そう話題を振りかけた瞬間、

「-----」

多分ダルい、と言いかけて口ごもったのだろう。

「俺、もっとシロさんの事知りたいな」

「----」

「何だっていいんだ。もう全部~してダルかったで締めてもいいですから。シロさんがどういう風に高校生活を送ってきたのか、俺、知りたいです」

「-----条件が、ある」

「はい」

「京太郎も、高校の事を話す事。それをすれば、話してあげる」

 

 

「俺の高校時代ですか」

「うん」

「うーん---話すとなると、どうしても周りの人間の話になっちゃうなー」

「どうして?」

「ん----情けない話ですけど、俺は高校の間で、何か実績を作った訳じゃないですし。周りの奴に比べて、平凡な奴でしたし」

「だから?」

「-------え?」

彼女は、真っ直ぐにこちらを見ている。

「別に私は、京太郎の凄かった話が聞きたいわけじゃない。平凡でも、何でも、構わない。嬉しい事じゃなくてもいい。悔しかった事でもいい。悲しかった事でもいい」

「シロさん----?」

「京太郎---宮守はね、凄く素敵な子達だった。それは今でも、変わらないと思う」

「-----」

「でも、それは、あの子たちが特別だったからじゃない。ずっと笑って泣いて、ありふれた日々をありふれたまま過ごせる空間を、ずっと自然とあの子たちは作ってくれていた。ダルがりな私を呆れたり笑ったりしながら、それでもずっと友達でいてくれた」

彼女は、珍しく饒舌だった。

「だから、いい。君の事が聞けるのならば、それで構わない。だから、話して」

何故なのだろう。

何故、この人は―――自分でも解らなかった心を、こうもすんなりと読み解いてくれるのだろうか。

今視界が滲んでいるのは、彼女の言葉の所為だ。

特別じゃなくてもいい。

―――何か、理由があって好きになったんじゃない。その言葉は何処までも真実で、だからこそ彼女はそんな言葉を自然と紡げるのだろう。

自然と、彼は彼女を抱き寄せた。

抵抗は、なかった。

涙目の彼を、彼女は無表情のままその頭を撫でていた。

 

県大会を破り、全国出場を果たした清澄高校。

誰もが、彼の仕事を讃えてくれた。

ずっと裏方で働き続けた彼に、惜しみない賛辞が下された。

―――これからは、貴方の為の時間も取れる。

―――しっかり、麻雀を鍛えてやる。

その言葉に、彼は嬉しいですと応えた。

弱い自分でも、諦めず、見捨てずいてくれる周りの人達の誠意が、熱意が、嬉しかった。

それと同時に、

それに応えられない自分が、

応える事を何処か諦めてしまっていた自分が、

周りに―――無意識の内に、劣等感を抱いてしまった自分が、

無様で、悔しくて、見て見ぬフリをしていた。

その暗い心の内に、しっかりと蓋をして。

汚水を、蓋の底から下水道に流す様に。

―――彼はその感情にしっかりと栓をした。

 

その事実が。

その醜態が。

 

自分には、およそ耐えられるモノでは無かったから。

 

認めたくない事象だったから。

 

誰も悪くはない。悪いのは自分だ。情けないのは自分だ。解っているからこそ、蓋をした。

 

―――その事実にすら、今眼前にいる女性がひっそりと示してくれたもので、

―――それも含めてこの女性が好きでいてくれるという更なる事実が、眼前に示されて、

 

ただただ、涙が流れた。

 

こんなもの、よくある話だ。よくある青春だ。

そんな下らない話を、変わらぬ調子で彼女はひたすらに聞いていた。

 

全てが話し終わった瞬間、彼女は弱々しい手つきでゆっくりと彼の頭を抱いた。

ふくよかな胸の内に顔を押し付け、一言、ただこう言った。

 

頑張ったね。

 

その声に、言葉に、特別な飾りは無い。

何処までも普遍的で、それでいて何処までも彼女らしい、日常の言葉だ。

なのに、やけに言葉が刺さる。

その理由の如何を内心に問いかけようとして、止めた。

理由なんて、ないんだ。

 

理由が無いから―――今彼女はこんなにも温かな言葉を投げかけてくれているのだから。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

脈絡のない、夏の日の事

夏はいまだに続いている。

湿気を伴ったじめじめした夏は実に気持ち悪い。もやがかかった様な蜃気楼が見える度、コンクリと群衆が生み出すもわもわした熱気を自覚する。これは東北では滅多に味わえない感覚だ。

ダルい。

本当にダルい

「------ダルい」

「もう何度目ですかその台詞-------」

須賀京太郎の部屋の中、本日何度目かも解らぬ台詞を吐く。

「大体、こんなにクーラーが効いた部屋でなんでそんなに暑そうなんですか」

「違う。今が暑いんじゃない。ただ、この後どうしても外に出なければいけない未来をダルがっているだけ-----」

「未来を悲観する事も、それはそれでダルくないですか-----?」

「ダルい------」

そう。何もかも悪いのはこの季節だ。全てが全て、ダルい方向へと自らの思考を追いかけていく。

「-----講義、サボろうかなぁ」

「またそんな事言う----留年したらもっとダルい事になりますよ」

「代わりに出てノートとって来てよ、京太郎」

「嫌です-----」

「恋人でしょ?」

「貴女にとって、恋人って何なんですかね-----?」

「----ダルい」

「このタイミングでそれを言うの止めてくれませんか------?恋人がダルいの代名詞みたいになっているじゃないですか」

呆れたように京太郎はシロを眺める。京太郎も、シロも、互いが互いに染まる気はないらしい。

「ほら、あと一カ月もすれば夏休みですよ。楽しい事いっぱいできるじゃないですか」

「---そうだね、ずっと寝ていられる-----ずっとゴロゴロできる----ああ、いいなぁ」

「あの、俺達本当に恋人なんですよね?」

「うん」

「一緒に出掛ける気なしですか!?」

「いいじゃん。ずっと一緒にいれば。こんな暑い中歩き回るなんて文明人がやることじゃない」

「いやいや、思い出!メモリー!ひと夏のアバンチュールを恋人と過ごそうって発想は無いんですか!そんな殺生な!」

「以前、宮守で行ったけど、水着着るのダルいし、日焼けもダルいし、もういいかなって-----」

「水着見たいです!」

「いいじゃん。どうせその内私の裸も見る事になるだろうし------」

「それとは別ですよぅ。それに、女の子がそういう事を軽々しく言わない」

「ダルい-------京太郎は面倒くさいなぁ」

「ええ-----?」

この恋人も中々大変だ、と京太郎は思う。ホント、梃子でも動かない人だ。非活動である事にここまで全力を注げる人を見た事が無い。きっとこの人の先祖はナマケモノから進化してきたに違いない。まず間違いないだろう。

「それに、お盆休みは互いに実家に帰るでしょ?折角だったら、それまで思い切り楽しみましょうよ」

「-----あ」

ここで、はじめて彼女の表情が動いた。

「俺も一旦何処かのタイミングで実家に帰らなくちゃいけないし、暫く会えなくなるかもしれませんし、それまでに何かこう、一緒に遊びましょうよ」

----そうか。お互い、何処かで帰郷しなければいけないんだった。

多分宮守の皆も、一緒にまた集まる事を楽しみにしているだろうし、帰らない訳にはいかないし、そうしたくない。

「------」

でも。

やっぱり、離れたくないなぁ―――そんな乙女な感情が彼女の思考に挟み込まれる。

「いつ帰るの?」

「え---まあ、バイトとかの兼ね合いもボチボチみつつですけど、まだ未定ですね----」

「決まったら、私に言って」

「へ?」

「いい?」

「え、まあ、はい。そりゃあシロさんには伝えますよ。勿論」

「よろしい」

そう彼女は短く言い切ると、そのままごろりと京太郎に背を向けた。

------この表情を見られる訳にはいかなかったから。きっと、自分でも形容しがたい、何と形容すればいいか解らない複雑な顔をしていたであろうから。

「それで-----海は、山は-----」

「ダルい」

 

 

それから、大学はテスト期間に入った。

二人は図書館に入り浸りながらゆるやかに勉強をしていた。そうしている理由は単純で、家の中よりかは図書館の方が(相対的に)シロがだらけないからである。

とはいえ、彼女はダルがりではあるがとても効率がいい。

京太郎が入手してきた過去問を頭に入れ、傾向を分析し、それに絞って対策をする。まるで流れるようにその行動をひたすらに続け、電池が切れると机に突っ伏して眠る。本当に、楽をする為の努力はとことん惜しまない人だ。

------その様子を眺め、ちょっとだけペンの動きを止める。

無防備に突っ伏すその姿に、何だか不思議な感覚が湧き起こる。

その感情は何に分類されるのか、ちょっと解らない。何せ、人生はじめての彼女だ。彼女と出会ってほんの数ヶ月で色々とはじめてな事に向き合わねばならなかった。それは自分の感情も同じ事だった。----持て余し気味なその感情の処理に、最近ちょっとだけ処理に困っている。

今日も、そのよく解らない感情に突き動かされてしまう。

何となく。何となくだ。彼女の豊かで癖のある銀髪にそっと手を添えた。

まるで壊れ物に触れるように、そっと。

何故だか、こうしたくなった。

「------ん」

むくりと、彼女は少しだけ頭を起こす。-----別に怒られる訳ではないのだろうけど、何となく頭に自分の手を置いている状況に気後れしてしまう。

「あ、すみません。起こしましたか?」

「-----ううん。もう一度寝るから。このままお願い」

「え?」

そう言うと彼女はもう一度突っ伏す。

すぅすぅと寝息を立てながら、彼女は再度眠りに落ちた。

「-------」

何だかいたたまれない気分のまま、また頭を撫でていく。

-----少しだけ気付いた事がある。

この人は、何とずるい人なのだろう、と。

こんなにも世話を焼いていて、こんなにも甘やかしていて、それでも彼女の立ち位置はどこまでも姉なのだ。

年上だから、というだけでは説明できない何かがある。両者は世話を焼いて焼かれての関係なのに、何故だか弟と姉の関係に落ち着いてしまう。

それはきっとこの人の、何だかよくわからない魔力なのだと思う。

何処までも甘えきっているようで、けどいつの間にか他者の心の芯の部分にするりと入っていく。

そして、―――結局の所、肝心な所で一番甘えてしまっているのは甘やかしている自分なのだと自覚させてしまう。

-----正直、不思議だったんだよなぁ。

こんな怠けきった人が宮守を率いていたのか。

けど、今なら解る。この人は何も考えていないようでちゃんと人の事を見ているし、人に何処までも甘えているようで一番根幹の部分で人を支えている。

そういう部分を一切見せない。飾り立てる事もしない。本来のまま生きて、本来のままこういう風に在れる人で。子供のようでいて、一番大人な人なのだと、理解できてしまった。

だから、何となくこうして頭を撫でたくなってしまったのかもしれない。

何だか甘やかしたくなるのだ。

ゆっくりとその頭を撫でながらそんな考えに耽っていると―――時間が思った以上に過ぎていたようで。

「シロさん。起きましょう」

「んん------?」

「そろそろ勉強再開です。充電できたでしょう」

「ダルい-----」

「ダルくてもやるんです。ほら」

「はいはい------京太郎は厳しいなぁ」

「まーたそんな事言って。今一番貴女を甘やかしているのは間違いなく俺ですからね」

「まだ足りない------もう何だったら私の代わりにテスト受けてよ。何となく雰囲気似てるからいけるかも-----?」

「いけません」

 

何というか。こんなダラッとした日々がこれからも続いていくのかと思うと、呆れればいいのやら笑えばいいのやら。

それでも―――少なくとも、楽しい日々ではあるなぁ、と思った。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

拝金主義編
マネタリストVSマネージャー プロローグ 


ネリネリ


「いい?京太郎」

「何でございますかね。ネリー」

「ネリーのマネージャーたるもの、常に私がお金を稼げるよう全力を尽くすのが礼儀なんだよ」

「うんうん。そうだねー。お前がしっかり麻雀に集中できるようにスケジュールの調整を行うのが俺の仕事ですからねー」

「スケジュールの調整?何を馬鹿な事を言っているの?―――調整でお金が貰えるなら資本主義経済なんて要らないの。プリーズギブミーお仕事、プリーズギブミーマネー。OK?」

「少なくとも俺は調整でお金を貰ってますからねー。マネジメントが仕事であってプロデュースは仕事の範囲外っす」

「ちっちっち。京太郎はだから甘いんだよ。出世したくば―――つまりはよりよいお金を懐に収めたいと思うなら、固定観念に凝り固まった脳味噌じゃあ駄目だよ。頭を働かせてネリーのお金稼ぎに全力を以て支えるの」

「別にその仕事したって業務範囲外ですから一銭も俺の懐には入りませんからねー」

「駄目駄目。そういう事じゃ、駄目。京太郎にはそこら辺の才能はあるんだから、しっかり使わなきゃ」

「何だよ俺の才能って」

「愛想笑いで相手に取り入って虫も殺せなさそうな態度で媚び売ってあれよあれよと年上に気に入られる才能。京太郎、年配の雀士に人気あるよ?」

「おい。その言い方だとまるで俺が最低下劣な野郎みたいじゃねーか!」

「?ネリー、そんなつもりで言ったんじゃないよ。ネリーの故郷じゃ権力者に取り入る能力も大いなるギフテッドの一つだよ。胸を張ればいいとネリーは思う」

「皮肉じゃなくナチュラルにそう思ってたんかい!滅茶苦茶ショックなんだけど!」

スーツ姿の金髪男と、小柄な(というよりかは明らかに中学生にも満たない風貌な)女性が車の中にいた。

彼女は外国人であろうか。日本語は達者であるがやはり多少のアクセントのズレがあり、その身に纏うは異文化の香り漂う独特な装束であった。

「京太郎をマネージャーにしたネリーの眼力は間違っていなかった----協会のツテがあるし、他の雀士のデータ纏めるの上手いし、何より龍門渕のコネがあるし。ネリーはとっても嬉しいよ!」

「ほとんど俺のコネ目当てじゃねーか!」

「コネだって持つ者持たざる者に分かたれる重要な要素----京太郎はとっても優秀。ネリーは心の底からそう思うよ。だから、もっとその能力は有用に使われるべき!」

「嬉しくねー!」

 

大学を卒業し、須賀京太郎は麻雀協会に就職し、その職員として働いていた。

その後―――何を気に入られたのか芸能事務所からのスカウトが届き、転職。この事務所はどうやら龍門渕がスポンサーであったらしく、ハギヨシと懇意であった須賀京太郎がマネージャーとしてスカウトされた、という経緯がある。その後、ネリー・ヴィルサラーゼなる女性に無理矢理マネージャーにさせられ、現在に至る。

金に汚くがめつく、更に言えば吝嗇家。そんな彼女との会話を構成する要素の八割が金である。

彼女のそのお金に対する情熱も、それに比例する様な凄まじさであった。

彼女は自ら母国のテレビ局に対して売り込みを行い所属するチームの試合の放映権を買い取らせチームに対しそのインセンティブを要求するわ、独自の外交ルートを通じ自国首相との対談を実現させるわやりたい放題。その金に対する情熱と行動力は見習うべきものがあるかもしれない。ああはなりたくないとは思うが。

 

「うふふ----ネリーの衣装にスポンサーの商標が追加されていくたびに、インセンティブの金額が跳ね上がっていくたびに、そして振り込まれた通帳を眺めるたびに、ネリーはとっても幸せな気分になる。お給料、インセンティブ、コマーシャル報酬―――とっても素敵な言葉。今度は印税も追加させたいなー。書籍でも書けたら何処の出版社に問い合わせようかな?ちゃんとしたゴーストライター雇わないとなー」

「ゲスい!」

「下衆じゃない。それを言うなら日本が下衆だ!税率が高くておちおち油断もしていられない。優秀な税理士を雇うコストもかかるし、---最悪、何処かに資産をプールする準備もしておかないといけないかもしれない」

「やっぱりゲスいじゃねーか!」

「ふん、好きな様に言えばいいよ。マネーイズパワー。パワーをおちおち勝手にくれてやる気はネリーには無いの」

「この拝金主義者め----」

「今日も麻雀用具のスポンサーからお呼ばれしてコマーシャルのお仕事だし、忙しい忙しい。でもあそこはいい会社だね。用意する弁当がしっかりボリュームがあってお腹が膨れるし。とっても経済的。報酬も悪くない」

「とどのつまり金じゃねーか!」

「京太郎------世の中、金だよ?」

「これでもかってくらいお似合いな台詞を吐くの止めろォ!」

ケタケタと笑うその女は実に目をキラキラさせていた。そう。とっても綺麗な目をしている。宝石が入っているような瞳とはこういう事を言うのであろう。

こんなにも純真無垢な目でカネカネとせびる姿は、最早この世の末をこれぞとばかりに見せつけられているのではないのだろうか。

何故だろう。とっても悲しい気持ちになった。

 

 

社会人となりおよそ三年の月日が流れようとしていた。

色々あったなぁ、と感慨深くなる。

大学に行っている間は龍門渕で執事のバイトもしたし、協会で働いたし、そして今は芸能事務所のマネージャーである。

そして、現在気付けば二十五となった。

惚れた腫れたの繰り返しをいくつかこの男も重ねてきたが、あまり女性関係に恵まれる事無くこの人生を過ごしてきた。

―――アンタ、彼女いるの?

母親に問われる度、いねーよと答えてきた。

―――まさか孫の顔見れないまま死ぬ事はないわよね、私。

気が早すぎる-----が、申し訳ないけれども十分あり得る可能性です、お母さま。

もうね。この仕事待遇いいけど激務なんですよ。その割に出会える女性はレベルが高すぎてお近づきにもなれないんすよ。どうしろと?願えば女性が降ってくる素敵な世界じゃないんすよ。それでもって意外と今のお気楽な暮らしも嫌いじゃないんですよ。

だから、あの、頼むから、お見合いのURL張り付けてメール爆撃するの止めてくれませんかね?スパムかと思って迷惑メールフォルダに格納しちゃったじゃないですか。

―――そんな彼の様子を、ネリーはしっかり気付いていた。

「----」

まずい。

まずい。

もしもだ。この男がお見合いに参加する様な愚挙を犯しそれでいて何処ぞの行き遅れ気味な女をつかまされてしまったとしよう。そして結婚でもしてそんな女と家族となったとしよう。そうなれば―――今のマネージャー業は彼にとって恐ろしく負担の大きい業務になるに違いあるまい。

仕事に理解のある女で旦那の背中を押せるような女が、自分のスペックを切り貼りして初対面の男を因数分解していいの悪いの言う様な世界に顔を売る訳もあるまい。間違いなく、そんな所で掴まされる女は出来損ないの残念な頭の出来をした連中に違いあるまい。そんな女に掴まされ、この優秀なマネージャーを失う訳にはいかない。

ならば、ここで一つの結論を出した。

―――業者がセッティングするお見合いの場なんてクオリティの低い連中しか寄り集まらないのは目に見えている。

ならば、ちゃんと仕事に理解のある「出来た」女を、紹介するのが筋というものだろう。

ネリーは自宅に戻ると、友達に電話をかけた。

「あ、もしもし、サトハ?ちょっと今時間あるかな?」

自分が知りうる限り、色々な人脈を持ってそうな友達は―――この女でしかなかった。

「ちょっとね。ウチのマネージャーに変な虫が付かないように、協力してほしいの。うんうん、そうそう―――」

その顔は、実に嫌らしい笑みに歪んでいた―――。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

マネタリストVSマネージャー 昔気質な女編 

「それで、相談とは何事だネリー?」

「うん、ちょっとウチのマネージャーの事で相談があって-----」

「うん?ああ、あの元清澄の彼だな。どうした?」

「一言でいえばさ―――アイツの見合い相手を見繕ってほしいんだよね」

その言葉に、ふむんと彼女は一つ息を付く。

「正気か?」

「正気だよ?」

「―――ウチは、いわゆる“曰く付き”の家系だが、それも承知の上で?」

「うん、むしろ―――それこそが、狙い」

「-----?」

訝し気な空気が、互いの間に流れる。

「元々代打ち業やってたサトハの家系だからこそ、紹介してほしいの。―――変な虫が中々寄り付けにくくなるし、麻雀関係の仕事から離れにくくなる」

「な、中々えぐい事を考えているのだな------」

「それに、サトハの紹介だったら信用も出来る。麻雀の理解も得られる。元々がどうだったかは知らないけど、今や代打ちも廃れてしまって極道との縁も薄いだろうし----考えうる限りの最善手だと思うけど」

「信用してくれるのは嬉しいし、別に見合いのセッティングだってこちらもやぶさかではない。彼が各方面に顔が利く事は知っているしな。だが、何も知らせないまま見合いをするのは私の信条に反する。見合いに対するリスクや家系の説明に関しては隠すことなく彼には伝えるぞ」

「うん。それでいーよ。別に、ネリーとしては見合いが破談になっても別に構わないの。―――アイツに、一つの基準を作らせることが目的だから」

「基準?」

「そう。この先本気で結婚願望を抱いてアイツが見合いをしようとする時に、まずそこら辺のよく解らないリクルーターがこさえる地雷原から見つけ出そうとするよりも、ネリーやサトハみたいな人脈を使ってセッティングできるんだ、って事をしっかりと頭の中に叩きこんでおく。そして、ちゃんと女を見極める基準を作る。これが一番大事」

「----成程な」

「そういう訳で、取り敢えずよろしくね」

「あいわかった。まあ、期待せずに待っててくれ」

 

 

「というわけで―――今日は君を招待した訳だ。久しいな、須賀君」

「ひ、久しぶりですね----いつ以来でしたっけ、辻垣内さん-----」

「一年前、ネリーと共同でイベントをした時以来だな。-----ところで、何をそんなに怯えている?」

「あ----あはは-----」

何故と?何故と聞きますか?

久方ぶりの休日に惰眠を貪っている時に、社宅の前にずらりと並ぶ黒塗りの高級車に出迎えられ角刈りイガグリのこれまた喪服みたいな厳つい男共に囲まれ車で運ばれた後に、塀がやたら高い和風建造物に運ばれてよく解らないまま正装を拵えられているこの状況に、恐怖を抱かない人間がいるのだろうか。不可解な状況に明らかにカタギの雰囲気を逸脱した人間に囲まれたこの状況を愉しむ度量は無いです。無いんです!

「ネリーから言われなかったか?近々見合いの誘いが来るとな」

「言われました。言われましたよ-----けどこの状況は聞いてないです----!」

「まあ、安心しろ。この連中の装いはある種の伝統みたいなもんだ。昔、代打ち稼業をやっていた頃の名残みたいなものだ」

「はぁ-----」

「とはいえ、元代打ちの家系と関わりを持つ事を快く思わない人間もいるだろう-----何度も言うが、本当にこの見合いは別に破談させても構わない。その事に文句はつけさせない」

「そ、そうですか-----」

いや、そう言われましても-----この異様な雰囲気の中で「気に入らないのでやっぱりやーめた」が通用するのだろうか?

いやぁ-----無理じゃないですかね----。

「しかし遅いな------もうそろそろ先方も到着してもいいはずなのだがね」

そう不満気な声が辻垣内智葉から漏れ出た瞬間―――若い男が青ざめた顔で部屋の中に入って来た。

「お嬢!」

「何だ?先方はもう来たか?」

「いえ------」

彼は事情を説明する。

どうやら、連絡のミスがあったらしく―――先方の女性は本日来れないとの事であるという。

「-------そうか」

「す、すみません!この件は俺がキッチリオヤジに詫びを入れてきます!」

「馬鹿を言うな---お前から言えばタダじゃ済まんだろう。私から言うよ。-----すまない、須賀君。こういう事になった----」

「い、いえ---それは構わないんですが----。あ、あのそれ程気になさらずともいいんですよ?何だか不穏なワードが飛び出しましたが」

「そうはいかない。私達は意図していないとはいえ、客人である君に恥をかかせてしまった。この詫びは入れなきゃいけない―――親父殿はそこら辺に一番うるさいお人だ。アイツにそのまま行かせてしまえば、そのまま首を切られる可能性すらある」

いや、あの。言うまでも無い事ですけど、それは単に「失業させる」事の比喩ですよね?

い、いや、しかし―――たかが自分の事で一人の人間を路頭に迷わせるのは、流石に気が引けた。というか、あってはならないように感じた。

「いや、本当にいいんですよ?流石に俺の事で叱責されるのは気が引けます!」

「ありがとう、須賀君。だがな、代打ち稼業は廃業したとしてもケジメはしっかりつけなきゃならないんだ。君こそ、気に病む必要はない。こちらの不手際なんだから」

そうは言うものの、それでも食い下がる。

「気に病みます―――その、俺も麻雀に関わる人間ですから」

「む----」

「麻雀で戦う人達を支えて、飯を食わせてもらっているんです。----その人も、辻垣内さんも、こんな事で怒られる必要はないんだ」

「いや、しかし------」

「親父さんには、滞りなく見合いは行われたと言えばいいんです。それで終わりじゃないですか」

必死に食い下がる京太郎を見て、辻垣内智葉は、ううむと唸った。

「-----流石にそれじゃあばれてしまう。だが、君の心意気は、嬉しくも思う」

「そ、そうですか-----」

「一応、見合いをしたという実態が伴わないとな-----ああ、そうか」

得心あり、といった様子で、彼女は一つ頷いた。

「どうしたんですか?」

「-----私が責任を取る。その事には変わりはない。だが、少し方法を変える事にした」

「というと?」

「君がこれから見合いをする人間は変更される―――私と、と言う事になる」

 

 

つまりは、こういう事だ。

見合いの相手方がいないのだから、その代わりを用意する。

つまりは、ここで言う所の総括責任者―――辻垣内智葉だ。

広い空間に畳を敷き詰め、長テーブルに挟んだ両者が相見える。

枯山水を思わせる砂利の庭園が見える。―――古風じみた、空気に呑まれそうになる。

「そう、硬くなるな。ここは見合いの場だ」

「いえ------」

いやいや。そりゃあ無理な話だ。

辻垣内智葉。現在若手プロ雀士の中においても急先鋒を走る女性であり、格式高い美人。これを前に形だけといえど見合いをしようというのだ。緊張するなと言われても無理な話である。

「見合いとは、互いの事を知る事だと聞いた―――何でも聞いていいぞ?」

「そ、そうですか-----」

と、言われましても。何でもの範囲を間違えた瞬間、何だか長ドスで斬り殺されそうな雰囲気すらあるというのに、あまりぶっこんだ質問は出来まい。

という訳で、やはり安全な質問となってしまう。

「辻垣内さんは、どうしてプロ雀士に?」

「ふ、愚問だな。―――更なる高みに行く為だ。ならば、一番高いステージに行かねばならないだろう」

「それは―――留学生が多い臨海に行った理由でもあるんですか?」

「ああ。出場機会が少なくなる事は承知の上だった。それよりも、より高い次元で互いに鎬を削る環境が欲しかった。そして、海外の打ち筋を知りたかった、と言う事も理由の一つか」

「―――何だか、カッコいいですね」

「カッコ悪い生き方だけはしたくないからな。昔気質だと言われようとも―――筋の通ってない人間には成りたくない」

彼女の目は、何処までも真っ直ぐにこちらを見ている。

何だか、鷹の目のようだ。いや、目つきが悪いというのではなく―――ぶれる事の無い、視線の軸がそこにある。

「君は」

「はい?」

「どうして、清澄の麻雀部に?言っては悪いが、あまり君にとって良好な環境だったとは言えないだろう?」

女子のみの部活。元々実績すらない高校。この環境で―――どうして麻雀に関わろうと思ったのか?そう、彼女は尋ねたのだろう。

その問いには、何処までも真っ直ぐに彼は答えた。

「いえ。俺にとっては最良の環境でした」

「ほう。何故?」

「一番、俺にとっては熱が感じられる場所でした」

「熱?」

「そう、熱です。―――麻雀を知らない俺でも、あの場所にいた人間がどれ程の熱を持っているのか感じられる場所でした」

「------」

「だからこそ、本気で自分の実力の無さに悔しさも感じられた。自分じゃ到達できない世界がある事も知れた―――あの日々があったから、今の俺があるのだと、思います」

「------今の君とは?」

「ずっと―――麻雀で戦い続ける人たちを見ていたい、という気持ちです」

彼女もまた、彼の目を見た。

彼女の真っ直ぐすぎる程真っ直ぐな視線に、物怖じする事無く今は、見つめ返している。

「そうか」

なんだ。

―――なあ、ネリー。お前の心配は、杞憂に終わりそうだぞ。

―――こいつは、どんな事があっても、麻雀から逃げる事はしないよ。

「中々―――君は、骨のある男じゃないか」

自他共に厳しい彼女が、そう彼を評した。

首をかしげる彼の姿が何だかおかしくて―――微笑みが零れた。

 

 

「重ねて、今日は申し訳なかった」

「いえ。―――あの、お見合い、ありがとうございました」

「ああ。―――そうだ、須賀君」

「はい?」

「折角の縁だ。連絡先位は交換しようじゃないか」

「あ、いいんですか?」

「構わないよ。―――また、困った事があれば連絡すればいい」

「はい。ありがとうございました」

黒塗りの車に送られていく須賀京太郎を見ながら、彼女は一つ笑んだ。

「面白い男じゃないか」

ふ、っと目を細めて。

「気に入った」

―――と、そう言うのでした。




げっろさんが最近魅力的だと気付いた。書きたい。だが書けない。あーあ。ネタが浮かべばいいけどなぁ


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

始まりの始まり、始まる

久々に更新


「―――見合いは上手く行ったみたいだね。ネリーは嬉しいよ」

いつものように、車での送迎中、唐突にネリーはそう京太郎に声をかけた。

「アレは上手く行ったとみてもいいのか-----」

緊張しすぎて何を言ったのか、最早覚えていない。

―――辻垣内智葉。

京太郎が今まで会った事のないタイプの女性だ。質実剛健というか、一切の隙が見当たらない―――女傑という言葉が最も似合う人。

ある意味で竹を割った様な人と言えるのかもしれないが、多分義理や貸し借りに関しては恐ろしく厳格な人なのだと思う。「いつでも頼ってくれ」と言ってくれたものの、あれじゃあ安易に頼る訳にはいかない。

「------あのさ。あんな感じだけどサトハは普通にいい人だよ」

「そ、そうなのか?」

「そうだよ。―――少なくとも、サトハが怒った所なんてネリーは見た事ないよ」

「あ、それはいい人だ。間違いない」

本当にごめんなさい。すごくいい人だったんですね、辻垣内さん。

「でしょー-----ってちょっと待って!何でたったそれだけで納得するの!」

「そりゃあ、もう。高校時代、もっと生意気でもっと扱いづらかっただろうお前に一切怒らないなんて菩薩か何かでしかないだろう-----」

きっと。きっとだ。高校時代も金の為に散々我儘放題だったのだろうなぁと想像に難くない。度量の大きさが、こういうのを許容できる方向に働いているのならばそれはそれは「いい人」に該当させるに十分に値する人なのだろう。うん。

「ふん。好きなように言えばいいよ。ネリーは日本に来た時からお金儲けに妥協しなかったからこそ、今がある。まだまだまだまだ、ネリーはお金を稼ぐよ」

ネリーはそう言うとふんす、と息を巻く。

そうだ。この女はとにかく金儲けに妥協しない。

 

それは、麻雀をプレーする上でも現れている。

ネリーはとにかく積極的かつ攻撃的な麻雀に徹している。それは個人戦であれば余計にその色が濃くなる。トビ上がりのチャンスがあれば積極的に狙っていくし、点差による打ち筋を消極的にすることもほぼ無い。

理由は単純。その方が人気が高くなるし、スポンサーのご機嫌もよくなるからだ。

ネリー曰く「勝負の世界では如何なる時でも“攻撃的”って言葉に人気が出るし“保守的”って言葉に反感を覚えるもの」らしい。実際にそうなのかもしれない。リスクを負って大博打している様には、まさしく緊張感とエンターテイメント性が混ざり合って、人は熱狂するのだから。

現在江口セーラと共に「攻撃的麻雀」の二大巨頭として君臨するネリーは、確かな人気を保っている。

「------江口セーラ。ネリーと人気は互角みたいだけど、人気な層が違うみたいだね」

「そうだねー。江口さんはとにかく同性人気が凄まじく高い。ああいう超絶ボーイッシュキャラは日本じゃとにかく女性人気が出やすいからね」

「------ネリーは、同性人気はさほどない」

「まあ------お前みたいな感じのゲスいキャラは、男受けの方がいいよね」

民族衣装に所狭しとスポンサー広告を入れては、CMにも数多く出ている彼女は、最近特にバラエティ関係のテレビの出演依頼が絶えない。中学生の如き見た目から金への飽くなき欲望を吐き出すそのキャラは、そのギャップもあって世間様に受け入れられたのだ。それと同時に、恐ろしい程のアンチも生み出してしまった訳だが。

「------同性人気も程よく稼いでおかないと、落ち目になると一気に落ちちゃうからねー。そこら辺、ちょっとネリーも考えておかなくちゃね」

「そんなに気にする事かね?」

「そりゃあ気にするよ。アイドルだってそうじゃん。男に明確に媚び売って稼いでいる分、スキャンダルで男に見放されたらもう復活の目は無いでしょ?長くこの世界にいたいなら、同性人気が絶対に必要なの!」

「急に生々しい話に持っていくよなぁ」

「あの-----瑞原はやり、だっけ?あの人もアイドルとして生きていく為にある意味全部を投げ捨てた訳じゃない。あれ位の覚悟が無いとこの世界、生きていけないと思うの。アラフォーになっても、まだまだ現役だし。凄いなぁ。ネリーもあれ位の歳までは稼ぎ続けていたいなぁ」

「ちょっとぉ!はやりんをここで引き合いに出すなよ!失礼極まりないだろ!」

「?-----ネリー、何か失礼な事言ったかな?」

「言ったわ!自覚無しかい!」

今は淡き思い出の青春時代からのファンである京太郎にとっては中々堪える発言であった。違う。断じて違う。あの人はそんな打算で生き抜いてきたんじゃない。本当の意味で純粋だからこそ、こんな事になってしまっただけなのだ。キツイと言われようが痛いと言われようが、それでもあの人は持ち前の純粋さと前向きさで乗り越えてきた。ただただそれだけなのだ。-------あれ、自分も自分で結構残酷な事を言っているんじゃないだろうか?

「―――着いたぞ」

次の仕事場であるテレビ局に到着。ただ車を運転しただけなのにこの疲れよう。年を食えば自分も転職するべきかもしれない。うう------。

「はいご苦労さん。―――ところで、キョウタロー」

「ん?」

「―――色々、気を付けた方がいいよ。この世界に長く居たければ」

それじゃーねー、と彼女は元気よく車を飛び出し、テレビ局へと向かって行った。

「な、何だよ-----いきなり怖い事を言いやがって」

一つ溜息を吐いて、京太郎はまた次の仕事場へと向かって行った。

この世界に長く居たければ―――か。

「------そんなに長く居たいのかねぇ?」

まあ、もしここを首になったら、ツテを辿って今度は協会職員にでもなろうか?それとも龍門渕の執事の修行でも本格的にやるのもいいのかもしれない。それなりにちゃんと道がありそうじゃないか。うんうん、自分としては今の仕事は気に入っているが、いらないと言われても、それでも道が断たれた訳じゃない。

まあ、気楽に構えておけばいいさ。死ぬわけでもないし。

 

 

「―――お嬢」

「ん-----?」

所変わって、辻垣内家。

次の大戦相手の牌譜を眺めていた彼女は、屋敷の者に声をかけられた。

「オジキが、以前の見合いについて詳しく聞きたいと------」

「------何だ?何か勘繰られているのか?」

「いえ。そうじゃなく―――単に、ようやく結婚も視野に入れるようになったのか、と------それはそれは有頂天の極みと言った様子で」

「ああ------」

智葉は、苦渋に表情を歪めた。

「------ようやく孫の顔が見られるのかと。もし見合いを別にセッティングしたければいつでも良人を紹介するぞ、と」

「------鬱陶しいな-----」

心の底からの声を、ぼそりと彼女は呟いた。

本当に、鬱陶しい。

「------その気はない。必要もない。そう伝えておけ。今の私に勝負以外は必要ない」

そう。今の自分は間違いなく全盛期だ。培った力を思う存分に出し、戦える時期はそれほど長くはないだろう。今の時間を、無駄にしたくない。

「けど、そうなると、何で見合いをしたのか、と間違いなく聞かれるかと-----」

「----あー。確かにな----」

以前の見合いは、部下のミスを帳消しにする為のものだった。須賀京太郎の厚意によって、成り立ったものである。

そういう経緯なだけに、あの見合いの仔細を父に知られる訳にはいかない。だからこそ、勘繰られるような事はなるだけ避けたい。

「むぅ。中々難しい話だな」

辻垣内智葉は目頭を押さえ、一つ溜息を吐いた。

「-------一つ貸しがあるはずだ。ネリーにでも、今度相談するか」

貸し借りは、出来るだけ早く清算しておいた方がいいだろう。そうシンプルに思い、彼女は軽い気持ちでネリーに相談する事を決めた。

 

―――これが、これから起こるあらゆる事象の端緒となる事なぞ、予想する事も無く―――。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

連行

じゃあ、その名目を通せばいいじゃん、とネリーは事もなげに呟いた。

「はぁ、どういう事だ?」

「サトハは父親の干渉がウザいんでしょ?だったら形だけでも誰かと付き合っているフリをすればいい」

父親の干渉をどうにかしたい―――そう相談を受けたネリーは、すぐさま解決策を出した。

「むぅ。しかしその為に嘘を吐くというのもな。万が一ばれてしまえば私はともかく、前回ミスをしでかした部下がな---」

「じゃあこうすればいい。―――まだ付き合えてはいない。けれども気になっている人がいる。だから少し黙ってろ―――って」

「ほう?」

「そうすれば、他の見合いに引っ張り出されない理由も作れる。けれども交際相手の影を用意する必要もない。今自分は恋をしていて、その為に色々とアプローチを仕掛けている。他の男に目移りしている余裕はない。―――どうかな?こういう名目だったら、サトハは麻雀に集中できるし、父親もその進展を見守る形になるでしょ?」

「ふむん。一理ある。―――しかし、相手を教えろと迫ってきた場合は?」

「こう返せばいい。―――相手の事を知ってどうするつもりだ?まさか身元調査をするつもりなのか?そんな事をしてこの恋が御破算になったら、もうこれから絶対に結婚なんてしない―――って。そうなれば、もうこっちのもん。何処か脳内に存在する理想の王子様との恋でも思い浮かべて、粛々とサトハは麻雀に打ち込めばいい」

「------ふむん。成程。貴重な意見、ありがとう。ネリー」

「ううん。いいんだよ、サトハ。―――サトハは何と言ったって戦友だからね」

「-----ネリー」

「サトハがいたから、今自分はここに存在出来ている。それ位はネリーにも解っている。だから、いくらでも相談だったら乗るよ?」

「そうか。―――感謝する。ネリー。この貸しは、いずれ」

「貸し借りなんてどうだっていいってば。―――じゃあ、今度何か儲け話があったら教えてよ。それでいいから」

「ああ、解った。それじゃあな」

またねー、という気の抜けた声を聞きながら、辻垣内智葉は通話を切った。

「------成程な。“交際している”でもなく“恋をしている”か」

実態的な事実が必要な前者に対し、後者はただ自分の内心を偽ればいい。どちらの嘘が判明しにくいかと言えば、当然後者だ。

「ならば、早速実行に移すか」

ふぅ、と息を吐き彼女は即座に父親への弁明の言葉を用意した。

―――これが、後々問題に発展してしまうと、考える事もせず。

 

 

“投資信託、考えた事はないかな?”

“今の時代、お金の形は銀行に預けるだけじゃない。お金は眠らせるモノじゃなくて、回していくもの”

“ネリーは勿論、XX信託で安心安全だと思うよ。それは三十年の歴史が物語っている―――”

「馬鹿だよねー。信託会社のコマーシャルにネリーを使うなんて。イメージが悪くなる事請け負いなのに」

事務所内。コマーシャルに流れる自らの姿を一瞥し、放たれた言葉がこれである。

「ひでぇ!!」

須賀京太郎は思わずそんなツッコミを入れた。

そんな事お構いも無しに、ネリーは更に言葉を続けていく。

「ただでさえ信託なんて胡散臭い匂いしかしないのに、銭ゲバキャラのネリーを使ってどうするんだか。イメージアップなんて出来る訳ないじゃん。まあ、そりゃそっか。二年連続収益が下がっている会社だし。そんな事まで頭が回らないのか。最後っ屁でネリーにお金をくれてありがとう。絶対にネリーはこんな所にお金を預けたりしないけど」

「おいこら」

「そんなのよりもさー。もっとこう、他にないの?可愛い系のファッション系の所とか、ペット関係とか。久しぶりにネリー、そういう毒にも薬にもならないコマーシャルしたい」

「それこそお前なんか抜擢したらイメージダウンだろ」

「そんな事ないよ。優しそうなイメージの人に優しそうなコマーシャルうった所で、何のインパクトも残せないじゃん。いつもカネカネ言ってるネリーが笑いながら服を着ていたり、ペットを抱いているからこそギャップが生まれて、ひいては視聴者へのインパクトになる訳じゃん。そういう頭のいい人がいないから、ネリーの所に仕事が回ってこないんだよ。全く、馬鹿にしちゃって」

「世の中馬鹿にしているのは間違いなくお前の方だろ!」

吐き出される毒舌は、まさしくネリーの本音なのだろう。腹の底から真っ黒くろすけ。それがネリーという女であった。

「まあ、いいや。―――今度は、こっちの事務所での大仕事があるかもしれないし、コマーシャルなんてやっている暇はないからねー」

「はぁ」

ネリーはその常人離れしたアクティブさと企画能力を買われ、事務所の仕事も請け負っているのだという。金の亡者、まさに極まれり。

「ウチの事務所に所属している雀士って、ネリーとあと数人くらいじゃない?ネリーのおかげで、麻雀関係のスポンサーも増えてきたから、事務所もこれを機に雀士タレントの数を増やしたいみたいなんだー」

「はぁ」

へーそーなんだー。

下っ端の須賀京太郎にしてみれば、それ以外言いようがなかった。逆立ちしても関わる事はないだろうし。

そんな反応に、ジトリとネリーは睨み付ける。

「何言ってんの?キョウタローもしっかりと関わってもらうからね?」

「関わるって----雀士タレント集めに?」

「うん」

「馬鹿言ってんじゃねえよ。出来るかそんなの。俺は何度も言うけど、マネージャーだからな!」

「まあ、そういう風に今のうちに言っておけばいいよ。―――どうせ後々関わらなければいけなくなるんだから」

―――何を言っているんだ。そう言い返したくなったが、口を閉じる。

ネリーが、笑っていた。とてもとても楽しそうな、無邪気そのものな笑み。

ネリーがあの笑みを浮かべる時、大抵それはロクでもない何事かが行われる時だ。

もしも聞いてしまえば―――本当に巻き込まれてしまうような気がして。せめて、その仔細は聞かないという抵抗を行うのだ。

だが、そんな抵抗は―――大抵が無駄に終わるのだが。

 

そして、今回も無駄に終わる。

それが理解できたのは―――三日後の休日の事であった。

 

 

そして、休日。

その日彼は大学時代の友人と酒を酌み交わし、終電を逃した結果近場のカプセルホテルに泊まっていた。久々の二連休ということもあり、少しばかり羽目を外した結果としてこういう形となった。

ホテル内のスパで汗を流し、チェックインを終える。

―――その時。

「お待ちしておりました、須賀京太郎様」

ホテル前に駐車された、一台の黒塗り高級車。

------何だか、既視感のある光景であった。

「お、お待ちしておりましたって----誰が、誰を?」

「辻垣内様が、須賀京太郎様を」

「------」

「------」

「あの------拒否権は」

「当然ございます。さすれば、またの機会にお迎えに上がらせて頂きます」

「-------は、はは」

―――つまり、ついて来なければ何度でも来る、と。

わざわざ今晩泊まったカプセルホテルまで調べ上げて来たくらいだ。次の休日も―――きっと何処に逃げようと調べ上げていくつもりだろう。

「-----」

「-----その。信用して頂けるかは解りませんが、危害を加えない事は、約束いたします。智葉様にとっての、恩人ですので----」

いや、もうその台詞の時点で何だか恐ろしい。

―――しかし、解っていた。

拒否権なぞ、自分には無いという事を―――。

 

携帯が、鳴る。

ネリーからの、LINEであった。

―――その車は信用してもいい。観念して、ちゃちゃっと乗っちゃえ。

「----------」

この場面において―――最も信用してはならぬ者からの無慈悲なメールを目の当たりにし、須賀京太郎は俯きながら車の中に入った。

 

そして―――まるで棺桶のような漆黒に染まった車は、走り出した。

その後の運命なぞ、予期もさせぬまま―――。

 

 




最近、ヤンジャン連載のかぐや様のミコちゃんが好き。なんか、将来全財産おだててくれる男に貢いでそうな感じが大好き。そういうキャラいそうでいなかったもんなー。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

やっちゃった

xin-chroさんのリクエストを少しばかり頂きます。
それではどーぞー。


辻垣内家は現在、清廉潔白の極みにある家である。

そうだ。それは間違いない。その通りである。

代打ち稼業を長年続けてきた中で、ちょっとだけ---本当にちょっとだけ。道を踏み外した時期があっただけだ。本当だ。本当にちょっとだけだ。

江戸時代に丁半博徒として名を馳せたご先祖様から始まり、明治と大正へ時代が巡る中、麻雀の代打ち稼業が始まった。

 

その中で-----あんな人達とか、こんな人達とか、色々な人に頼まれて、お金を貰って、打つ事はあった。あったよ。まあそれもこれも時代の流れってやつです。勘違いしないでいただきたいのは、別に辻垣内家そのものがあっち系だったりこっち系だったり----ようするにヤがつく自営業の方々だったりとか、煤臭い政治家の方々だったりってわけじゃないんすよ。ただ、代打ちで金を貰ってた----ってだけでさ。

 

いや------その。そんな怖がった顔せんといて下さい。ほら。まだ話としては序の序ですから。破と急でわりとこちらの事情が分かってくれると思うんですわ。いや、本当に。

 

今麻雀がスポーツ化して来て、一人プロを出しておけば代打ちなんぞより巨額の金が動くようになって、ウチもその流れにしっかり乗った訳だよ。

だから、元々の代打ち稼業はもう廃止して、今はプロ麻雀を輩出する為の「家」としての家紋を背負っている訳ですわ。

その証拠に、協会の要職の幾つかは辻垣内の手の者----いや、協力者や血縁者が就いている。これもまあ昔のしがらみをしっかり断ち切ったからこそ出来上がった訳で。

 

-----ほれ。まあ、どの家々にも文化や歴史ってのがある。そこから生まれる伝統もある。ウチのモンが皆角刈りなのもやたら言葉遣いがアレなのも智葉がお嬢なんて呼ばれているのも、今までこの家が積み重ねて残してきた文化と伝統だよ。決してこう-----アレな事情がある訳じゃない。本当だぜ。

 

何でそんな話をしているかって?いやぁ。君はまあ、ほら。智葉と懇ろな関係だと聞いている。ほれ、この前見合いだってしたって話じゃないか。

いやぁ。嬉しい訳だよ一人の親としてはさぁ。

男の影なんて全く見せなかった娘がさ。-----この前言ったんだよ。気になる男がいるって。だから口出しするなって。

なんて成長だ、って思ったね。いや本当に。

------で、何で君が呼ばれたかって?

いやいや。君もそこまで初心じゃあるまい。

気になる男がいるのに、そいつを一先ず脇において見合いなんてあの子がする訳無いじゃねぇか。

まあ、色々可能性はあるのかもしれない。君との見合いを経て、僅かな間に一目惚れした相手がいたのかもしれない。

でも-----一番可能性があるとすれば君なんだよ。解っちゃいるとは思うけどね。

 

あの子は生粋の雀士だけど、その心の芯まで、真に打っちゃってるからさ。心まで捧げて牌を握っているフシがある。

それもまあ凄い事だけどさ。人生の-----ほんの一部でいいんだ。普通の、一個の人間としての幸せってのもさ。知ってほしいんだよ。

 

------ほれ。君だって見合いした位だから憎からず思ってるところもあるんだろ?一応言っておくと、あれでも智葉は生娘だ。心根は厳しい所はあるが、それも母性と優しさから来ているもんだ。可愛げ、って意味での女らしさは---まあ、アレだけど。けどイイ女なのは間違いないんだ。

 

だから、ほら。頼みたいのはさ。

解るだろ?

解ってくれるよな?

 

-----まあ、だからさ。切っ掛けとか色んな環境とか、協力とかさ。そういう諸々はウチがやるからさ。君も-----ね?

ね?

ね?

ねぇ?

 

解ってくれる----よねぇ?

 

 

「なーにが清廉潔白じゃあ!!!!!」

 

須賀京太郎。

休日の午前を連れ去られ、豪勢な昼飯を馳走になり、そのまま自宅まで送られ------誰もいない事を慎重に確認し、窓を閉め切り、ついでに監視カメラや盗聴器が無いかをしっかりと確認し、そして――叫んだ。

 

「こえええええええええええええよ!何だよ!あの眼マジのやつじゃないかよぉ!信じられるかぁ!!」

 

叫んでいた。

彼の頭の中には、ぼやけた記憶と、しっかりと刻み込まれた恐怖が埋め込まれていた。

 

彼は珍しく狼狽しながら部屋の中を右往左往していた。

そんな中、携帯が鳴る。

 

睨む。

着信元は――ネリーの名が。

 

「やっほー。キョウタロー、生きてるー?」

「死んだかと思ったわああああああああああああああああああああああああああ‼」

 

京太郎は叫んだ。

とにかく、叫んだ。

 

「あ、よかったよかった。これだけ元気だったら、先方の機嫌を損ねて海に投げ棄てられてはいないみたいだね。いやー、まあキョウタローならまず会話をミスするようなことはしないとは信頼していたけどさ。万が一もあるからね。無事でよかった。ネリーは嬉しいよ」

「やっぱりな!お前の事だから送ってきたメッセージも嘘っぱちだと思っちゃいたよ!」

「安全だったでしょ?ネリー、嘘はついていないよ」

「あの場で確実に確信していたぞ。一つ返答を損ねたら俺はもう死んじまうってなぁ!」

 

須賀京太郎は――辻垣内の者に連行を願われ、車に乗り込んだその先に存在していたのは――辻垣内本家であった。

巨大な石垣に、城の如き門を潜れば、任侠溢れる男衆に囲まれた世界があった。

正門を通ると、まず広大な枯山水の庭園が見えた。その先にある木造建屋の屋敷の縁側からは、ガチャガチャと鳴り響く牌の音。

 

屋敷に入り、世話人の老女に案内され向かったのは-----辻垣内家当主の部屋であった。

つまりは、辻垣内智葉の父親であった。

 

小柄で痩せた男であったが---目が。目がとにかく据わっている御仁であった。常ににこやかに話している。口元も笑っている。だが---目だけが、一寸たりとも形が変わらない。

こちらを迎えに来た運転手の言葉に嘘はない。だが錯誤があった。彼の言う「辻垣内様」は辻垣内智葉ではなく、辻垣内家当主の事であったのだ。

 

この前の見合い芝居の全貌がばれたのかしらん---と半ば絶望心に燻る思いを抱きながら話を拝聴していれば、どうやらあの芝居が二転三転した結果、「辻垣内智葉の想い人」というあり得ない図式の中に放り込まれたのだという。なんじゃそりゃあ。

 

「おいどうするんだよネリー!」

「ん?」

「ん?-----じゃねー!もう俺は辻垣内さん家に目をつけられてしまったじゃないか!終わりだ!」

「大丈夫だよ―。別にいいじゃん。サトハはいい人だよ」

「ねぇそういう問題?辻垣内さんがいい人だなんて百も承知なんだよ!そういう問題じゃない!」

「だーかーらー。解んないのかなぁ、キョウタロー」

「何が!?」

「いい人だから、そのまま付き合っちゃえばいいじゃん」

 

 

「-----これは、どういう事だ----?」

辻垣内智葉。

彼女は自宅で頭を抱えていた。

「------その、オジキが。お嬢が恋をしている、という言葉にもう有頂天になってしまわれまして----」

部下の一人が、そう報告する。

「------それで?」

「その-----いままで男っ気一つなかったお嬢が気になっている男性となると-----見合いをした男以外いないだろう、と------」

「何故そうなるんだ------」

「そりゃあ----。好きな男いるってのに見合いするのはお嬢の性格を考えれば不自然ですし、だからといって見合いの後に好きな男が出来るのも、唐突過ぎて不自然ですし-----」

「-------」

ああ、と一つ頷いた。

ネリーの策は正しかったのだろう。

だが――自分が辻垣内智葉であるという事をもう少し考慮して自分は動くべきであった。

プロ雀士でかつ、硬派な人間。男っ気も無く、麻雀一筋の雀士。------確かに、この人間であれば「気になっている人物」というのはおのずと限られてくる。

「もう本家の連中-----オジキをはじめ、他の親類連中まで大騒ぎでありまして-----。もうこれは孫の顔も秒読みだと」

「------もう付き合いきれん」

「あと、これ-----オジキからの手紙です」

「------」

手に取り、手紙を拓く。

そこには簡潔な言葉が並んでいた。

 

”千載一遇故に、狙う獲物は確実に。その為の助力であらば犬馬之労も厭わぬ”

そう書かれていると同時に、

 

「-------」

また、辻垣内智葉は目を見開いた。

 

 

「--------」

「-----は、はは-----」

 

瞠目し、珍しく顔を下に向け「どうしてこうなった----」と顔に刻んでいる辻垣内智葉――と。

もう笑うしかない須賀京太郎の両者が、向かい合っていた。

 

「それじゃあ――サトハの芸能事務所入りの記念と、京太郎の新しい担当業務の追加を記念して、お互い握手しましょー!」

ネリーはにこにこと笑みながら、二人の間に立ち、背中を押した。

「-------」

「-------」

両者、共に半笑いのまま――手を握った。

互いに、困惑による手汗の為か、あまり感触が無かった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

花金ナイトフィーバー

PCのHDDがぶっ飛びました。畜生・・・。これはスマホから投稿してまーす。今回長いです。


辻垣内智葉はある種の完璧性を身にまとった存在である。

女らしさも男らしさも持っている。

優しさも厳しさも持っている。

盾と矛。その両端の性質を包括して一人の人間に収まっている。

 

とはいえ、それは人間的な隙があまりにも少ないことと同義であるのだが。

されど、彼女もまた一人の人間である。

 

 

「-----それで、私を芸能事務所に引き入れてどうしようというんだ?」

辻垣内は何度目かもわからぬ呆れ交じりのため息を吐く。

眼前の少女の純然極まる邪気を祓わんとしているかのように。

「ん?――そんなの決まってるじゃん。ネリーが動くとき――それは何処まで行ってもお金のためだよ」

「私は残念ながら金の生る木ではないぞ。麻雀しか取り柄のない女だ。芸能界なんぞに馴染める性根じゃない」

「なんていうか、アレだね。日本人の美徳なのかもしれないけど、ネリーの周りにいる人たち皆謙虚だよね。それは凄くいいことなんだけどね、結局自分の価値を過小評価しているのと同じことなんだよね」

「-----では、私がお前の銭勘定にどう含まれているのかを教えてもらおうか」

「別に芸能界はテレビ番組に出ることだけがすべてじゃないんだよ、サトハ。芸能事務所を通して、麻雀関係のイベントに出ることだって立派な仕事だし。確かにサトハはあんまりバラエティ向けの人間じゃないけどさ。事務所はそれだけをする場所じゃないし。試合の解説なんかは向いているだろうし、教えるのも上手いから初心者向けの麻雀教室なんかもできるだろうし」

「------はぁ。それだけのために私を起用するのか。私の家系は解っているだろう?たったそれだけの為にリスクを背負うことはあるまい」

そう。

辻垣内智葉という女性は、日本トップランカー雀士の一角に名を連ねるプレイヤーである。

されどこれまで一切の芸能事務所が彼女に接触一つしなかったのには、彼女の少々特殊な家系に原因がある。

かつて代打ち稼業で一世を築いた彼女の一家は、当然筋持ちとの関係を疑られる。コンプライアンスに厳しいこのご時世、彼女は残念ながらそのリスクに見合うだけの人間であると誰も判断しなかったのだ。

「ちっち。それはあまりにも考えが甘いね、サトハ」

「甘い、か。ふむん。ではその甘さの正体を教えてくれるか?」

「――麻雀と同じだよ。リスクの裏側に、チャンスがある。サトハの家系は確かにリスク。でも、サトハの親類が今協会の要職のいくつかを担っているのもまた事実。サトハを通じて辻垣内家に繋がることは、リスクだけじゃない。その裏に大きなチャンスが待っている」

「-----呆れたな」

ネリーという女は銭ゲバである。だが銭ゲバは銭ゲバであれど、博徒としての感覚も持ち合わせた銭ゲバである。

リスク。リターン。その秤を常に自らの中で持ち、それに即して行動ができる。強かな女だ。

「----まあ、でも普通なら大きいリスクなんだろうね。普通なら」

「-----?」

「でもね。ネリーは頭がいいから、また別の視点からも物事を判断できるんだ。――人を信頼できるか、どうか。そういう判断基準も」

「お前-------」

「ネリーは一年間もサトハと一緒にいた。だから解る。サトハは絶対に筋を通す。麻雀を裏切るようなことは絶対にしない。そういう確信もしっかりあった上での勧誘なの。----外形的な物事だけで判断するような頭でっかちと違って、ネリーは人を見る目もあるからね。ふふん」

「------」

随分と買ってくれているのだな、と思いつつ――辻垣内智葉は、確かな成長をこの少女から感じていた。

 

人の中身。人格や、過ごした時間の中で知る人間性の諸々。それらをしっかりと自分の中の基準に押し込み、判断を行う。それができるまでに、成長したのだろう。

「それにね-----この前キョウタローに外れ女に捕まえられるようなことをしてほしくないって話をしたけど------それは、サトハも同じ」

「私か?-----さすがに私も軽薄な男に騙されるほど頭は悪くはないと思っているのだがな」

「サトハ自身はそうかもしれないけど-----お家の人たちは?」

「う」

そこを突かれると痛い。

確かに。自身がどう泰然自若を貫こうとも、自分の周囲が何とか男をあてがわんと策をめぐらす可能性は大いにある。そのために今自分は恋をしているとまで嘘八百をつかねばならなくなったのだから。

「だからさ。ネリーはお金は死ぬほど大切だけど------自分の縁を大事にできないやつに、お金が回ってくるとも思えないんだよね。ネリーは、サトハにも幸せになってほしいと割と本気で思っているんだよ」

「----ふむん。成程。それ故に、”好機は逃すな”------か」

好機。

それは想い人を手に入れるチャンス。

・・・と父は思っているのだ。想い人なんて口からでまかせであるにもかかわらず。

「-------うーむ」

「どうしたの?」

「いや。----須賀君にあまりに申し訳なくてな」

本当、申し訳ない。

元を辿れば、こちらの不手際を須賀京太郎が庇ってくれた事から発生し、そこから二転三転して訪れた状況だ。須賀京太郎にしてみれば、寝耳に水どころか毒液でもかけられた気分だろう。身を挺して庇ったはいいが、打ちどころが悪すぎた。庇われた側に自責の念が生まれるのは詮無き事であろう。

「はいはい。サトハらしくない。ネガティブはいけない。どっかの大金持ちのホストも言ってたじゃん。下を向くのは靴ひもを結ぶ時だけで充分だって」

「-----とはいえな」

「発想の転換だよ。――例えば、こう考えるんだよ、サトハ」

ネリーはサトハに耳打ちを一つ。

仏頂面のまま、それを辻垣内智葉は聞いていた。

 

 

「----新たにここの事務所に在籍することとなった辻垣内智葉だ。よろしく頼む」

「あ、はい-------須賀京太郎です-------」

 

さあ。

何があったのでしょう。

 

雀士タレントを増員しようぜ計画がネリーの口から飛び出て一か月。

第一弾に増員されたのが、この人。まさかまさかのトップランカーの一人を釣り上げたのだというのだから恐ろしい。

しかも------つい先日、面会という名の修羅場を味わわされた辻垣内家のご令嬢である。

頭が混乱するのも無理からぬお話であろう。

 

「これからキョウタローにはサトハの教育係を務めてもらいます」

「え?」

「ネリーのマネージングも変わらず頼むね」

「は?」

なんで?

そもそもタレントでしょう辻垣内さん。なんでこんな下っ端に教育されなければならないのか。

「・・・すまないな。これから数ヶ月、私は研修という形にしてもらう」

「タレントのお仕事のイロハはネリーが、通常の業務はキョウタローが教えることになるから。よろしく」

いや、よろしくと言われましても。

こんな完璧無欠な人に自分が何を抑えられるというのか。

そう思いながらも辻垣内に目を向けるも、彼女もふるふると頭を横に振り「諦めろ」と意思表示をするばかり。

えーと。

これは・・・どういう状況ですか?

「まあ、なんだ・・・よろしく、須賀先輩」

辻垣内智葉は溜息を吐きながら、そう言った。

 

正直に言いたい。

頭が痛い。

 

 

「須賀君。今日の夜、時間は空いているか?」

互いに自己紹介が終わった後に、そう辻垣内より誘われた。

「はい。空いています」

「よかった。一緒に食事でもどうだ?・・・色々、私からも説明したいこともあるし」

「是非ともお願いします」

断るわけもなかった。・・・この人には色々と聞きたい事があるから。

「ありがとう。では店の予約を取っておこう」

「あ、俺がしておきますよ」

「いや。・・・今日は私が謝らなければならない事がいっぱいあるから。私がやるよ。お代もいらない」

「え?いえいえ、それは悪いです」

本来、歓迎する側はこちらである。新しく入ったタレントに奢ってもらうわけにはいかない。

「いいからいいから。私の歓迎会は別日に行うのだろう?だったら気にするな」

そう彼女は言うと、反論する間も無く携帯からお店の予約を取っていた。

とんでもなく手早い。

「では、よろしく頼む」

彼女はそう言うと、ネリーの元へ向かって行った。

 

という訳で。

須賀京太郎。

現在・・・見たこともないようなお店の中にいます。

庭先が見える個室の中、毛筆画の掛軸が壁に掛けられている。

眼前の台座には、もう色鮮やかに過ぎる様々な料理が立ち並んでいる。

どんな食材か判別がつきにくいが、盛り付けられた刺身一つとっても一匹五桁の高級鯛である。全ての総額が幾らになるのか。身が震える。

 

「そう緊張するな」

無理です。

「さあ。取り敢えず乾杯と行こうか。注いでやろう」

そう言うと辻垣内は台座越しにとっくりを京太郎の前に差し出す。

京太郎は少し躊躇しながらも、意外に優しげな辻垣内の目に促され、お猪口を差し出す。

とくとく、と心地いい音が静かに鳴り響く。

「あの・・・ここ、相当高かったんじゃないですか?」

「普通ならな。だがここの店主とは昔からの馴染みでな。今日は特別に安くしてもらった。だから大丈夫だよ」

「あ、そうなのですね。そりゃあよかった」

「ああ。という訳で、ひとまず乾杯をしようか」

差し出されたお猪口の口同士を合わせ、乾杯を行う。

「・・・成程。こういう味なのか」

「お酒は普段は飲まれないのですか?」

「ああ。あまり口にしないようにしている。恥ずかしながら、そこまで酒には強くなくてね・・・意外そうな顔をしているな」

「いえ、お酒を飲まないのはそこまで意外では無いのですが、勝手に強いイメージはありました」

「・・・体質だけはどうにもならんからな」

バツが悪そうにそう口に出すとーーその流れで、彼女は表情を引き締め、京太郎と向かい合いーー深く、頭を下げた。

「改めて、申し訳なかった。弁解のしようもない」

「・・・そ、そんな。辻垣内さんのせいではないです。頭をあげて下さい」

「私が短慮で行った事が、転じて君に迷惑を被らせてしまった。謝って済む問題ではないのは重々承知の上で、謝らせてくれ。申し訳ない」

「そ、そんな・・・」

あなたのせいではない。そう言おうと口を開けた時には、もう辻垣内の言葉が吐き出されていた。

「ネリーから話は聞いていると思うが・・・私は父の追求を逃れるために、嘘をついた。今、想い人がいると。その結果君に恐ろしい目に遭わせてしまった・・・深く考えれば、その相手は君であると疑われるであろうことは簡単に想像できたであろうに」

「・・・そ、その。それは大丈夫です。結局、何もなかったですし」

そう京太郎が言うと、辻垣内は頭を上げ、こちらを見据える。

「私は、後悔している。反省もしている。だからこそ、行動をしなければならないとも思っている」

「行動・・・とは」

「父に、嘘を正直に告白する。そしてーー三行半を叩きつける」

え、と思わず京太郎は口に出していた。

「私だけならば幾らでも迷惑をかけてくれて構わない。だが、全く関係のない君にまで圧をかけるようなやり方は、私は嫌いだ。父に恩義はあるが、それでもあくまで私は私の筋を通す」

待て。

待て待て。

もしや今ーー自分のせいで親子関係が壊れそうになっているのだろうか?

「ちょ。それはダメです辻垣内さん!」

「安心しろ。その後の父方からの君への報復は私が身を挺してでも守る。その為に君の芸能事務所に入ったんだ。絶対に手は出させない」

いやいや。

そう言う問題ではない。

「そうじゃなくて・・・それは辻垣内さんにとってベストな選択じゃないでしょう!?」

「ベストはない。無関係な君をわざわざ呼び出した時点でな」

「いやいや。諦めるのはまだ早いです。せっかく、こういう場もあるんです。・・・辻垣内さんのお父さんと衝突しないで、穏便にすませる方法をしっかり考えましょう」

「・・・君は、なぜそこまで私を気にかける」

困惑したような、少し抑えたトーンの声で辻垣内はそう京太郎に言った。

「辻垣内さんはうちのタレントです。担当の俺には、辻垣内さんを守る義務がある」

「・・・ならば、そもそも見合いの時も何故庇ったのだ?」

あの時はそういう関係もなかっただろう、と辻垣内は言う。ならばかばう必要などないはずだ、と。

「それは・・・」

だって。

あの時ーー見えてしまったから。

「辻垣内さんが・・・困っているように、見えたから」

「ーー」

辻垣内智葉は・・・言葉を失ったのだろうか。そのシンプルな返答に、通り魔に刺されたかのような驚愕に満ちた表情で、こちらを見ていた。

「だから・・・もし辻垣内さんがお父さんと話をするなら、俺も同席します。一人で三行半を出させるようなことはさせません」

「だがな・・・」

辻垣内は顎を手に置き、ううむも考える。

多分、京太郎は折れないだろう。ここで一応の同意を与えて、後にこっそりと父に会いに行くことも考えたが・・・辻垣内は、今、この男にだけは筋違いな嘘をつきたくないと、本気で考えていた。

「・・・」

困った。

困ったのだがーーここで辻垣内は、折れた。

人に頼らない、という硬い意志を・・・折った。

「ならば、頼みがある。須賀くん」

「はい。俺にできることなら、何でもやります」

「・・・それ、では」

不自然に言葉を切る。

もごもごと言葉がまごつく。

だがーー意を決して、辻垣内は言葉を紡いだ。

「私の・・・恋人に、なってくれ」

そう、言った。




社内パーティーの司会を初めてやりました。
まるで風俗の呼び込みみたいな声だと大好評でした。二度とやることはないでしょう。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

世話焼き女房(×2)編
巡る巡るお世話スパイラル


今回は珍しく三人構成


とある日の事。

須賀京太郎は―――右手首の骨が折れてしまいましたとさ。

一台のトラックによって。

よくある話だ。麻雀協会職員として大会会場の人員整理を行っていた所、居眠り運転のトラックが歩道を突っ切ろうとしていたのを目撃し―――眼前で、二人の女性が轢かれそうになっていた。

恐らくは、大会でこれから戦うプロ雀士なのだろう。誰かは判別付かなかったが、関係は無かった。 

半ば反射的に、二人を突き飛ばし、トラックの前に躍り出る。

その後何とか避けようとしたものの、間に合わず手首と衝突してしまったのであった。

激痛に叫びながら、トラックが壁にぶつかる音を何処か他人事のように須賀京太郎は聞いていた―――。

 

 

「全治二ヵ月-----見事なまでの粉砕骨折だとよ。完治まで二ヵ月、まともな握力が戻るまで更に二ヵ月。お前も災難だったな」

「命あっての物種ですから、そこら辺はまあいいんですけど-----あの、入院中お給料どうなりますかね」

「そりゃあ、払うよ。何の為の傷病保険だと思ってやがる。大会運営中のトラブル処理の一環でお前は骨折った訳だからな。払わなかったらお上からたっぷり絞られちまう」

見舞いに来た上司と笑い合いながら、しかし内心落ち込んでもいる。

何を隠そう、この大会を誰よりも楽しみにしていたのはこの男であったのだから。

「まあ、代役は立てるし、お前はゆっくり休め。お大事に~」

バタンと閉じられる扉の音を聞きながら、ギブスに巻かれた自身の腕を眺める。

右手首の骨折。利き腕無しの生活をこれからおよそ二ヵ月続けなければならない現実に、一つ溜息を吐いた。

ただまあ、後悔はしない。

自分の右手首と大会出場者の命を秤に掛ければどちらを差し出すべきかなんて明白なわけであるし。

とは言え-------暇だなぁ、と一つ呟くのでした。

そう思うと、段々と睡魔が襲い掛かってくる。骨折の影響か、多少の発熱の感覚もある。

「大会の設営とデータ処理で最近あまり寝てなかったし-----まあ、こうなったら仕方ない。寝るか」

麻酔の効果と疲労の蓄積が合わさり、須賀京太郎はあっさりと意識を落とした。

 

 

頭部下に、何やら冷たい感覚があった。

心地いい。

覚醒し始めた意識が、異変の正体に気付く。

―――氷枕?

ナースの人が用意してくれたのだろうか?

そう思い周囲を見渡せば―――二人の見目麗しい女性がいた。

黒髪と金髪に包まれた端正な顔が、こちらを涙目で見つめていた。

「お、起きた!起きたで、福路さん!」

「起きました!起きてくれました!よかったぁ、よかったぁ----!」

ベッドの上から覗きこむ両者は、そのままお互いに抱き合っていた。豊満なおもちが揺れる揺れる。すばら。

「ごめんなぁ、ごめんなぁ須賀君!ウチの所為でこんな事になってしまって!」

「本当に、本当に申し訳ありません!私が不注意だったばかりに----!」

ぺこぺこと頭を下げる彼女たちは涙を流しながら幾度も幾度もそう謝辞を述べていた。

何となく、状況が掴めてしまった。

助けたのは、この二人の女性なのか。

―――思い出した。

清水谷竜華、福路美穂子。

現在若手プロ雀士として活躍している人達ではないか。

「あ、あの。あまり気にしないで下さい----。大会運営に携わる者として、当然の事をしただけなのですから---」

そう。あれは当然の事だ。

大会の運営を図る上において出場者の保護を行う事も立派な職員の役目の一つだ。ああいうハプニングにおいて、身を呈すべきは間違いなく自分であった。

―――だが、そんな論理が通用する相手では無かったようで。

「気にするに決まってるやん!ウ、ウチの所為で死ぬとこやったんで!」

「そうです!トラックの前に出る事が当然な行動なわけがありません!」

言葉をかけると、おいおいと涙を流しながらそう返される。

二対一の構図の中、どう足掻いても京太郎に勝ち目はなかった。

「------あ、あの大会はどうしたんですか?」

「事故があったので、三日後に順延するようです」

「ああ、そうなんですか。だからお二人共お見舞いに来てくれたんですね。ありがとうございました」

大会の合間に見舞いに来ているのかと思い、何だか申し訳ない気持ちになっていたので、それを聞いて少しだけ安心する。

だが、彼女たちの口から予想もしていない言葉が紡ぎ出される。

「え?ウチ等、大会には出場せーへんで」

「え?」

「こちらの不注意で貴方を傷付けて、自分だけのうのうと麻雀をするつもりはありません。せめて、貴方が全快するまで、お世話させて頂きます」

え?え?

須賀京太郎は混乱の極みにいた。

プロ雀士にとって大会は自身の実績に箔をつける為に最も重要な場である。言っては悪いが、こんな男一人の為に棄権していいモノではない。

「いやいや、出場してください!駄目です!」

「いいや、ウチ等は棄権する!アンタほって麻雀する訳にはいかんのや!」

「そうです!私達の事はお気になさらないで下さい!そうしなければならないんです!」

まさか。まさか。

本気でこの人達、出場辞退しようとしているのか―――!

いけない。

それはいけない。

―――どうするべきか。須賀京太郎は考える。

この二人は、自責の念ゆえに今こうして辞退しようとしているのだ。その念を何とかほぐしてやらないと、その信念は変えられないだろう。とはいえ、半端な言葉で揺らぐほどの信念ではあるまい。

―――そうだ。

自責の念を消そうとするからいけないのだ。心が痛むが―――その念を、逆に利用すればいい。

須賀京太郎は覚悟を決めて、両者に言葉をかける。

「あの、清水谷さん、福路さん―――大変御厚意はありがたいのですが、どうか出場して頂けないでしょうか?」

「何を言うんや。ウチ等の決意は変わらへんで」

「俺は、職員としての責務を全うしたまでです。だから―――どうかお二人も、プロの本分を全うしてください。そうでなければ、俺が怪我した意味がない」

「-------」

「-------」

心が痛む。

だが、今は心を鬼にして言わなければならないのだ。

「貴方達の活躍を心待ちにしているファンの方がいます。対戦を心待ちにしている相手の方もいます-------どうか、俺だけではなくて、そういう人達の想いも汲み取ってあげて下さい」

そう、言い切った。

彼女達は―――顔を歪ませながらも、それでも腑に落ちたようで。

「解った」

「解りました」

そう、言ってくれた。

―――ああ、よかった。

そう彼は一つ息を付いた。

これで、彼女達もしっかり麻雀に励んでくれるのだろうと。もう自分の事に気に病まないでいてくれるだろうと。

そう思っていた。

思っていた。

いた。

 

 

それから一週間。

大会も佳境を迎えようとしていたその時、須賀京太郎は外出許可を得て一旦家に戻る事にした。

あの時から一度も戻っていない上に一人暮らしである。ちょっとばかし心配にもなる。払い忘れた光熱費の振り込みだってまだである。

そうして、一人暮らしのアパートに帰ると―――。

「あれぇ?」

綺麗に、片付いていた。

別段汚くしていた訳ではないが、あるべきモノがあるべき場所に収まり、その上―――埃一つもないキラキラのフローリングがそこに存在していた。

「-----?」

取り敢えず、お袋に電話をする事にした。

プルルルと軽快な音の後に通話が切り替わり、アパートに来たのかを聞く。

ごめんなさいねぇ、そんな時間なかったのよ、と声がした後、

―――けど、貴方もスミにおけないわねぇ。彼女さんがちゃんと代わりに部屋の片づけをやってあげるって言っていたわよ。

彼女?

いやいや、そんな貴重な代物今の自分には持ち合わせていないです。

何だか嫌な予感がしてガス、電気、水道各社に連絡をする。

―――振り込みはされていますから御安心下さい、と丁寧に返された。

いつ自分が光熱費を自動引き落としにしたのかしらん、と思い口座を調べてみた。

―――凄まじい桁のお金が振り込まれていた。

これは、これはどういう事だ?

自分の周りで何が起こっているのか?

 

 

「なあ、福路さん」

「なんですか、清水谷さん」

「-----須賀君、めっちゃええ人やったな」

「そう、ですね」

「----あの人は、自分よりも周りの人を優先してくれた。そんでもって-----ウチは、自分の事しか考えてなかったんや」

「はい-----私もです」

「大会棄権したら、一番迷惑かかるのはあの人や。そんな事情を考えもせずに、安易にあんなことを言わせてしもうた―――だからな、考えたねん」

「多分、私も同じことを考えていると思います、清水谷さん」

「うん。大会も出場する。けど、ちゃんとあの人のお世話もする。―――あの人に気を遣わせんようにな」

「病院でのお世話は、ナースさんのお仕事ですからね。―――それ以外の事をするべきだと思います」

「うん。元清澄の人からあの人のお母さんの連絡先を聞いたから、許可を貰って住処の整理をするわ。手伝ってーな、福路さん」

「勿論です。そして、退院した後は、あの人は右手が使えないんですから、しっかりとお世話しなくちゃいけませんね」

「幸い、大会が終わればウチ等もシーズンオフや。ちゃんと責任もってお世話せなアカンな」

「はい―――私達はあの人に助けられたんですから。助け返すのは、当たり前ですからね!」

こうして、三者は出会った。

出会ってしまった。

無限に続く、お世話道中。

その道の先に続くは―――きっと地獄ではないのだろう。

少なくとも、彼女たちにとっては。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

巡る巡るお世話スパイラル②

利き手が動かせない状態というのは中々不便なのだな、とよく理解できた。

ギブスで固定したまま自宅で療養する事となったが、中々これが大変だ。靴ひも一つ結ぶにも、服を着替えるにもかなりの労力が割かれてしまう。

自炊も度々やっていたものの、流石に左手一本でどうにかなるものでもなし。

手術は一先ず一週間後と伝えられ、それまでの間病院にいるのも億劫であるので自宅に帰ったはいいが、中々悪戦苦闘の一日を過ごした。

----色々、色々解らない事があるのだ。

この部屋を片付けてくれた人は誰なのか、とか。光熱費を払い込んでくれた人は誰なのか、とか。あの振り込まれた七桁のお金は何なのか、とか。

想像は、簡単だ。

ただその想像を現実と見なすには、あまりにも彼は彼自身への自己評価が足りなかった。

ああ、もう余計な事は考えないようにしよう―――そう暗示をかけながら彼は一つ息を吐いた。

今日は中々疲れたなぁ、などと現実逃避気味にぼやきながら固定ギブスを更に固定する器具をくっつけ、ベッドに横たわる。

寝返りがうてない睡眠の不便さを感じながら、意識を落とした。

 

 

ぐつぐつという煮沸音が耳朶を打つ。

楽し気な会話が聞こえてくる。

カチャカチャと茶碗がテーブルに置かれていく音も、また同時に聞こえてくる。

-----これは夢なのだろうか。

かつて学生時代、家族と共に暮らしていた時以来の光景がそこに広がっていた。

鰹節の薫りがこちらに漂って来る。

何だか懐かしい匂いだ。この、寝室越しに聞こえてくる音と漂う薫りは、もう随分と昔の記憶にしか存在しないはずなのだ。

 

-----あれぇ?

 

おかしいなぁ。自分は確かに一人暮らしのはずなのになぁ。

「お、起きた?おはよーさん」

「おはようございます、須賀さん」

エプロン姿の美人二人が、そうこちらに笑いかけた。

-----えぇ。

間違いなく彼女達は清水谷竜華と福路美穂子だ。それは間違いない。間違えるはずもない。

「ごはん出来とるで。簡単なもんしか作れんかったけどなー」

「申し訳ありません。今日はちょっと時間が無くて----」

いや、そうじゃない。

そうじゃないんだ。

須賀京太郎は―――現在眼前に広がっている光景をまずもって現実であるかどうかを説明してほしかった。

だが悲しいかな。固定されたギブスと重苦しい右腕の感覚があまりにもリアルに脳に現実を囁いていた。

ならば、次なる疑問である。

―――貴方達、一体何故ここにいるんですかね?

「あ、そうか。ごめんなぁ、須賀君。説明せなアカンわな」

「今日から、右手が治るまでお世話させて頂きます。ふつつかものではありますが、よろしくお願いします」

まだだ。

申し訳ないのだけど―――まだ理由が解らない。

「さ、起きてーな須賀君。ご飯はもう出来とるで」

「あ、器具を外しますね」

こちらの応答を待つまでも無くパチパチと固定具を外し、福路美穂子はリビングのテーブルへと須賀京太郎を導く。

眼前には、白飯にシシャモの塩焼きに味噌汁が並んでいる。湯気を放ちながら存在するそれは、明らかに出来栄えが自分が作った物とは違っていた。

「あの、」

「さあ、召し上がれ-----あ、そうか。利き腕が使えないのでしたね。ではでは」

福路美穂子は得心あり気な様子で、箸を手に持つ。

シシャモを切り分け、一口分にすると―――それを掴み、彼の口元へと持ってきた。

「あーん」

穢れの無い慈母の笑みで、彼女は躊躇なくそう言った。

 

待て。

待ってくれ。

 

「須賀さん、どうしたのですか?」

いや。このシチュエーションは男の夢だというのは理解できている。理解できているが―――こうも唐突に朝っぱらから夢が出て来ては現実との境目が解らなくなってしまうではないか。ここは夢か現実か。それともこう、天国の入り口で天使の接待でも受けているのか。

「御気分がすぐれませんか?」

「いえ、違います------あの、この状況がうまく呑み込めていないのです」

「?」

「えぇ------」

「あの-----朝食、お気に召しませんか---?」

不安気な声。不安げな表情。その空気を瞬時に読み取った須賀京太郎は、半ば脊髄反射の如くこう答えた。

「いいえ!全て大好物です!」

「そうですか!だったらよかったです!」

その声を聞いた瞬間、花咲くように笑いながら彼女はゆっくりシシャモを口に差し入れた。

----形容しようが無い位、おいしかった。

もう何だかその味を感じた瞬間から今まで必死に紡いできた思考がどうでもよくなりそうになる。

―――いや、駄目だ。須賀京太郎。

ここで、ここでこの理由の解らぬ現況を滔々と受け入れてしまえば、間違いなく何かおかしな道に逸れてしまう気がする。そんな予感が脳内でアラームを撒き散らしている。

だが、こう------無邪気にその表情を綻ばせながらおいしいですか、と聞いてくる彼女の善意とか厚意とかを跳ね除けることも出来ず。

嬉し恥ずかし、あーん攻撃をずっと受け続ける事になった。

 

 

「えーと、つまり-----大会に出ながら、俺のヘルプもする、と?」

「せやで、須賀君。-----確かに、自分の過失で大会棄権するなんてプロ失格や。それはもうせーへん」

「はい。須賀さんの真摯な言葉に、私達も思い直したんです。だったら、せめて、せめて自分達が出来る範囲だけでも貴方の手助けが出来ればと思ったんです」

予想外の展開であった。

何が予想外と言えば、―――彼女達が自分の想像を超えた慈母的献身精神を持ち合わせていた事か。

須賀京太郎はあの時、―――自分とプロとしての矜持を秤にかけて、後者を優先してくれと言ったつもりであった。

だが彼女達はそうは捉えなかったようだ。

あくまで須賀京太郎を手助けするという大前提の下、それでいて他者に迷惑をかけない方法を選択する事にしたらしい。

その帰結として、諸々の現象だったと言う事らしい。

大会の試合が終わった後にこちらのアパートを掃除し光熱費を払い込み、大会のバトルマネーの全額を須賀京太郎の口座に振り込み、甲斐甲斐しく朝食を作り身の回りの世話を買って出たというらしい。

絶句。

言葉も無かった。

何というか―――自罰的にも程がある。何なのだこれは。

「あの、お金は返金-----」

「駄目やで須賀君。―――知ってるんやで。傷病保険で振り込まれるお金は基礎給与から差っ引かれるし、ボーナスは支給されへんってな」

「そうです。これは私達が引き起こした事です。けじめなんです。どうか、お気になさらず受け取って下さい」

いやいや。

そこら辺の損害賠償は居眠り運転をかました阿呆な運転手が払い込むべきで、貴方方が一切払う義務はないはずです。そもそも大会のバトルマネーの全額っていくらだと思っているんですか。何でメルセデスが買えそうな額面が一職員の手帳に刻まれているんですか。こんなお金を貰える程重大な怪我じゃないですからお願いですからどうか返金に応じて下さいマジで若くしてこんな貯金持つのは怖いんですマジでお願いします。

言葉はまるで風見鶏がくるくる回る様に彼女達の横を通り過ぎていった。

返金に応じるつもりは一切ないという。

「優しいなぁ須賀君。―――あ、洗濯物干しとくな。ちゃんとおしゃれ着洗い用の服は別口で洗ったから安心してな?」

「茶碗の置き場所はここであっていますか?あ、そう言えば洗剤を切らしてましたね。買いに行ってきます。どうせだったら食材も買いに行ってきます―――え?駄目です!怪我人なのですから、ここはお姉さんに任せて下さい!」

「大会開始は明日からやな。ちゃんとウチ等の勇姿をテレビで見ててな。おゆはんまでには帰ってくるから、しっかり療養するんやで」

「こうなったからには簡単には負けませんから、応援してくださいね。ふふ、ちょっと楽しみになってきました」

ここに一つのスパイラルが出来た気がした。

何のスパイラルなのだろう。

こう、優しさとか慈愛とか、そんな素晴らしい何かがサイクロン状になって暴風雨を巻き起こしているような、そんな感じ。

須賀京太郎は、乾いた笑いを一つ浮かべた。

どうしてこうなった。

 




大三元振り込み記念。麻雀は難しいなぁ。あーあ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

巡る巡るお世話スパイラル③

そうして―――彼女達は見事華々しい成績を残し、笑顔のまま大会を終えた。

大会において支払われるバトルマネーは参加時に支払われる金額と稼いだ点棒に応じて支払われる二種類がある。

彼女等―――つまりは、清水谷竜華と福路美穂子はほくほく顔のまま通帳を見ていた。

そして、

―――迷う事無く、そのお金を、別口座に入金したのでした。

誰の口座か。そんな事、今更語るまでもあるまい。

こんなにもお金を荒稼ぎし、笑顔になったのは、両者とも人生はじめてであった。

ニコニコと、ニコニコと―――消えていく通帳のお金に一切の未練もないとばかりに、変わらぬ表情で入金のボタンを押したのでした。

 

 

須賀京太郎が住まうアパートは六畳二間の部屋である。独り暮らしの男の部屋としては十分なスペースに違いない。

実際、この男も独身男性の一人暮らしらしいライフスタイルを形成していた。ある程度無精だし、ある程度殺風景だ。必要最低限のものしか置いていないし、生活感はあまりなかったと思う。

しかし、どうであろう。

周りを見渡すと、最高級品の空気清浄機が無音でマイナスイオンを放出しているし備え付け浄水器がゴボゴボと水を沸き立たせている。冷蔵庫にはギッシリと食材が詰め込まれ、その他諸々―――とにもかくにも、異様なまでにこの空間が徐々に徐々に豪勢になっていっている。

「------」

何だろう。

この圧倒的なまでのヒモ感覚は。

まてまて。自分は協会職員という立派な肩書きがあるではないか―――現在療養中故にちょっとお休みしているだけだ。

このちょっとお休みしているだけ、という言葉が実に胡散臭い。今はまだ本気出していないだけと嘯きながら女の財布を頼りに社会に向けて二の足を踏んでいるヒモと何が違う。

ネットから、自身の預金残高を調べる。

-----七桁から、もう一桁繰り上がっていた。頭文字には「三」の文字。メルセデスから、郊外の一軒家が買えるまでのお金がここ二週間で通帳に刻まれていた。

おかしい。おかしい。おかしい事がありすぎてもう何が何やら整理がつかないが、それでもこの現況がおかしいことは如実に理解出来る。そしてこの先に進んだ道の果てに何が待ち構えているのかも。

理性が、囁いている。

―――このままでいいじゃないか、と。

須賀京太郎は人を見る眼はある。あの二人は本当に心の底から自分を心配してくれているからこそ、百パーセントの善意を基にこれだけ世話を焼いてくれているのだろうと。きっとここで悠々と墜落しようとも、彼女はにこやかにそれを受け入れるだろう。きっと一生遊んでくれるお金を自分に提供してくれて、何不自由ない生活を与えてくれるのだと思う。いいじゃないか。憧れのヒモ生活だぞー。しかも寄生先はとんでもない美人二人組だぞ―。もうこのまま墜落してしまえよ―。

人間には適応力がある。苦痛に満ちた環境であろうと、幸福に満ちた環境であろうと、人はその環境をいつしか当たり前に捉え、適応してしまう。今この現況に、自分の理性は適応しようとしているのだと思う。それがこの囁きなのだ。振り払いたくとも振り払えない、自意識の誘いである。

-----何といっても、利き手が動かない現状において、彼は何も出来ないのだ。これは、どうしようもない現実で、彼女達にとっても避けようの無い現実なのだ。あれほど優しい精神性を持ち合わせている二人だ。自分を庇って負傷した人物を放っておける訳が無い。逆の立場でも、経済的な支援ならば須賀京太郎も行っていたであろう。

だからこそ。だからこそだ。

―――この怪我さえ治れば、彼女達もきっと安心できるに違いあるまい。

そう彼は考えた。

―――ならば、怪我が治るまでだ。

怪我が治るまで、四カ月。

二ヶ月で骨はくっ付くという。その後握力が戻るまで更に二ヵ月。

---まあ、握力は戻らずとも日常生活は送ることが出来るだろう。そのレベルまで問題なく回復すれば、あの二人も、きっと安心して自分達の本来の生活に戻れるに違いない―――。

そう、思っていました。

思っていたのです。

それが、どれだけ愚かしい事か、自覚する事すらせず―――。

 

 

人が、人の世話を焼く。

これは様々な形態があろう。

自身が持つ庇護欲求が刺激された帰結としての世話焼きであったり、自責の念による世話焼きも存在しうる。福路美穂子も、清水谷竜華も、この双方がミックスした形で、須賀京太郎の世話を焼いていた。

彼女達は庇護欲求が非常に強い。人の世話を焼くのが、元来より好きな人間であるのだ。

そして、自分達の所為で一人の人物が怪我を負ってしまった。この状況が合わされば、もう大変である。彼女達は、「自責の念を解消する」事と「庇護欲を満たす」事の双方が、彼への世話焼きにより行使される事となる。

ある意味で、かなりの暴走状態だともいえる。

―――しかし、それならば何故、彼女達はああも楽しそうなのか。

彼女達は当初こそ自責の念で苦し気な表情を浮かべていたものの―――今やこの状況が楽しくて仕方がないとばかりに笑顔を浮かべている。

彼女達は、未だ気付いていない。

庇護欲を満たす事。自責の念を解消する事。―――この二つ以外にも、彼女達の行動を裏付ける因果を形成せし「感情」がある事に。

その正体は、未だ二人は気付いていなかった。

 

 

須賀京太郎の通う病院内。

その金髪の男は、この病院内において超が付く程の有名人であった。

最初は「二人の女性を助けた勇気ある男」として。それが時が経つにつれ―――「その助けた女性二人いっぺんに惚れられた色男」という形で。

噂は医師や看護婦を通じて拡散していき、尾ひれがバーゲンセールの如く付いて回る程の大盛況である。

「------」

その噂に、何というべきか―――良くも悪くもあの親友は変わんねぇな、という率直な感想を持つ病弱な女性がそこにいた。

園城寺怜であった。

現在プロ雀士として活動しながらも、度々修羅場をくぐる度にぶっ倒れて病院送りになるという一連の流れが最早通例の様になっている雀士である。当初はファンの間でも心配の声が上がっていたが、毎度の如くケロリと次の試合まで間に合わせるその姿に段々とネタにされるまでになった。その果てに付いたあだ名は「雀士オブスぺランカー」。ど真ん中の直球も悪くはないが、流石にもう一捻り欲しい所である。まあ、何だかんだでファンに愛されている女だ。

そうして毎度の如くぶっ倒れる度に、涙を浮かべながらお見舞いに来ていた親友が、今や恋に浮かれて噂にまでなっているというではないか。週刊誌は協会の手で揉み消されるかもしれないが、スクープも近いかもしれぬ。更に竜華だけでなく、あの癒し系ふわふわ金髪おもちまで手中に入れての両手に花ときている。部外者としては諸手を叩いて是非是非愉しみたい所である。

----とはいえ、全く心配していない訳でも無い。

あの二人は人がいい。よすぎる、といってもいい。まず可能性としては低いだろうが―――彼女等の自責の念を逆に利用して、弱みに付け込んでいる悪漢がこの状況を形作っている可能性もあるのだ。あの二人は、案外そう言う手口に弱そうだとも思っている。

その心配さえ解消されれば―――あとは残りの顛末がどうなるか、笑いながら見物できるのであるが。

「-----」

周りを見る。

病院のベンチの上。周囲には人もいる、看護婦もいる。よしよし。万が一倒れても助けてくれる人はいる。

「ま、堪忍してや。親友の為や」

彼女はジッと眼を瞑り、未来を夢想する。

見る未来は、昔からの親友のこれからの姿。須賀京太郎を基点とした、彼女がこれからどうなるかの指標。

「-------」

目を開ける。

「------合掌」

彼女は見様見真似で胸元で十字を切ると、手を合わせて空を拝んだ。

 

須賀君とやら。

親友が、えらい迷惑かけるなぁ。

 

でもな。

 

ウチが楽しいからどうか許してや。

 

そう笑いつつ―――コテン、とベンチに意識を落とした。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

巡る巡るお世話スパイラル④

世間体、という言葉がある。

―――例えば。例えばである。日本の既婚者の結婚を決めた理由でアンケートを取ると、一定の割合で「世間体の為」と答える者がいる。

大人は結婚している状態が正常な在り方であり、その在り方から離れた自分自身に耐えられず、結婚してしまう―――信じられない話だが、そういう事例も存在する。

要するに。人は自らが「異常」である事を極端に嫌うのだ。正常な在り方に拘り、その拘りの為に自身の本心を隠してしまう―――そう言った事が多々存在するのであろう。

「なあ、美穂子さん」

「どうしました、竜華さん?」

「これ、見てーや」

竜華は一枚の紙切れを提示する。

そこには荒いモノクロ写真が張り付いていた。

「これって-----」

「せや。ウチ等二人が、京太郎君の家に訪れた瞬間を激写された瞬間や」

その写真には、同じアパートに連続して入っていく女性二人―――つまりは京太郎のアパートに入っていく竜華と美穂子の姿が存在する。

「これはウチの事務所と懇意やった雑誌で撮られたモノらしいんや。男のアパートに入っていくアンタの姿をスクープしようとしたら、その後時間差でウチまで入ってきて、大慌てで事務所に連絡してくれたらしいねん」

「え!そうなのですか---?」

しゅん、と明らかに肩を落として彼女はそう言った。不注意でした、と小声で呻く。

「今回は、運が良かったけど----もしこれで京太郎君が“女性二人と関係を持っている不埒な男”だとでも広まってしまえば、大変な事や。ウチ等の所為で、世間にとんでもない誤解を与える事になりかねん」

「ですね----」

「という訳でや―――今度、うちら二人が共演する番組があるやろ?」

「ありますね」

「こそこそやっているから、そんな下らない誤解を与える羽目になるんや。やったら、ウチに策がある。ちょいと耳を借りるで」

そうして、両者は一切の悪意無く、画策する。

全ては全て、一人の男の為に―――。

 

 

事故より、二週間の月日がたった。

骨が未だ完全にくっ付いている訳ではなく、ガーゼに包まれた右手を眺める。

何だか、思った以上に無力感を感じる。

「あ、おはようございます。京太郎さん。今日のご予定はどうなっていますか?」

本日は予定が入っているとの事で福路さんのみがこのアパートにいる。彼女は起き抜けの京太郎を見るとパタパタと近づき、ガーゼを手際よく取り替えていく。

---最初は、見知らぬ人間が二人いる状況に当惑ばかりであったが、もうすっかり慣れきってしまった。それに両者ともその行動の全てを母親から許可を取った上で、行っていたという。

貴方から言ったんじゃ絶対にあの子は断るに決まっているから私から言ってあげる―――そう言っておいて、ついうっかり忘れていたという。何がうっかりだ、何が。

「今日も朝食を作ったので、どうぞお食べ下さい」

そう言ってニコニコと笑んでいる姿を見て断ることが出来る訳も無く、今日も今日とて彼女の厚意に甘えてしまう。

さあて、着々と駄目人間への道をひた走っている事を自覚して、彼は何とか言葉を紡ぐ。

「いつもすみません----」

そう。せめてこうして「自分は貴方の厚意に感謝し、それ故に申し訳ないと思っています」とアピールするのだ。

そうでもしないと、この状況を当たり前と認識し始めた瞬間から、きっと自分は墜落してしまうような気がするから。

「すみませんなんて---当然の事をしているだけですから」

ニコニコと笑いながら、彼女は至極当然であると言う。きっと、心の底からの本心で。

----やばい。本当にやばい。

「いえ。----出来るだけ、早く怪我を治す様に頑張ります。今、福路さんの負担になっている訳ですから」

自分が怪我した分の負担を、今彼女達に背負わせてもらっているのだ。だからこそ、自分は速やかにこの怪我を治さなければならないのだ。

そう言うと-----珍しく、彼女は少しだけ顔を下げた。

表情を悟られぬ様にか、一瞬だけ顔を床に向けると―――瞬時にニコリと笑いかけ、

「そうですね。私も早く治ってくれる事を祈っています」

と笑った。

―――ちょっとだけ、寂しそうな笑みだった。

 

 

昔から、人のお世話をする事が好きだった。

自分の行動が、人の笑顔を作り出す。

その単純な因果関係から導き出される方式に、彼女はずっと好ましく思っていた。

笑って感謝される度に、喜びの感情がこんこんと湧き出てくる。

―――けれども。

今の自分は、少しだけ別な感情が存在していた。

「早く治ってほしい」この想いとは別な、想いが。

 

「治ってしまえば、この関係も終わってしまうのだろうか」という―――切なさ混じりの、恐怖。

 

いつから。いつから―――自分の奉仕行動が、こんなエゴイスティック極まる感情に染まる様になってしまったのだろうか。

 

そんな感情を自覚するだけで自分を責め立ててしまう程度には、彼女はとことん自罰的な性格であった。

 

「なあ、美穂子さん」

「----どうしました?竜華さん」

「いや、ちょいと元気が無いなー、と思っただけや。体調悪いなら、暫くウチに任せてもらっても構わんで。無理してたら、流石に京太郎君も怒るやろうし」

「いえ、違うんです。違うんです竜華さん-----」

「-----何か、あったんか?」

竜華は、そう心配そうに尋ねる。

―――あまり接点の無かった二人であったが、あまりにも似すぎていた性格ゆえに、同調したのだろうか。気付けばとても仲良くなっていた。

 

だからこそ、素直な心持ちで彼女はその思いを、彼女に吐き出した。

それを、竜華はジッと聞いていた。

 

「そうかぁ-----」

「はい------」

「よしよし、―――ホンマ、アンタええ娘やなぁ」

「そんな事ありません-----」

「ウチも、よく解るわその気持ち----ウチもな、今“終わり”を想像した時、そういう気分になったわ」

「そうなんですね----」

二人は、お互いに頷く。

「なあ、これって----」

「やっぱり、そういう事ですよね----」

そう両者は実に気恥ずかしそうに言った。

互いの想い。そしてエゴイスティックな感情。これを斟酌した時、その帰結は実に解りやすいモノであった。

「なあ―――ウチ等で男の取り合いっちゅうのも、何だかおかしな話よな?」

「ええ。何だかしっくりきません」

「そもそも、三人から始まった関係や。ここから一人をのけもんにする必要性が、浮かばんよなぁ」

「はい」

「―――なあ、美穂子」

「何ですか、竜華?」

「前に言っていた策―――大筋に、変更はない。ただ、目的は変わるで」

「ええ。―――私も、ちょっとだけ解って来ました」

二人はにこやかに笑うと、拳をぶつけ合った。

―――作戦は、目的が変更されどつつがなく行使される。

 

 

その四日後。二人は巷に大騒ぎを巻き起こした。

麻雀大会会場で起こった事故。大会に三日の遅滞を巻き起こしたこの事故の裏で、二人の雀士が事故に遭いかけ、決死の覚悟で助けた職員がいる事。そしてその事にいたく沈痛な感情と感動を覚えた二人が、その職員の社会復帰の為にリハビリを手伝っている事。―――その全てを隠すことなく世間に伝えた。無論、須賀の名前は隠していたが。

世間の反応は様々であった。その職員の漢気を褒め称える声もあれば、大金を稼ぐプロ雀士でありながら自ら彼を手助けする彼女達を称賛する声も、同じだけ存在していた。ただ、概ねその声はプラスの方向に働いている事は、確かな流れであった。

 

世の中には、世間体が存在する。

そしてその「世間」は「異常」を嫌う。

彼女達の目的―――それは、「二者による須賀京太郎の共有」であった。

明らかに「異常」を伴う関係性だ。世間はその存在を正常な認識を基に徹底して叩きだすだろう。この世間体を黙らせるだけの、武器が必要であると、彼女達は考えたのである。

 

それが、世間にこのドラマを伝える事であった。

この三者を繋ぐ関係性がどうして出来上がったのか―――その過程を知らしめることによって、この一見して「異常」な関係性が確かな因果を巡って出来上がった「正常」な代物である事を伝える事が、重要だと考えたのである。

こう言う経緯があるなら、二股もやむを得ない―――そう世間様が思ってくれるほどの強固な事実の積み重ねが必要なのだ。

 

それを、彼女等は達成した。

ふふ、と笑う。

 

―――後は、当事者間の合意を得るだけだ。

 




最近の私のマイブームは某議員の「このハゲー!」の録音音声をアラームに朝、目を覚ます事です。不快ではありますが確実な目覚めを促進してくれます。不愉快すぎて二度寝すらするきもおきないですし。おすすめ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

巡る巡るお世話スパイラル⑤

こんにちわ。須賀京太郎です。

本日は、皆様方にお聞きしたい事があります。

―――私は一体何をやらかしたのでしょうか?

 

私とて一人の人間であり生物学上男に分類される存在であります。馬鹿らしい妄想に耽る事もありました。同級生の素敵なおもちに心震わせることもありました。そんな私でありますが、やはり馬鹿らしい男の夢を思い抱いた事もあります。人並みにモテたいという思いもございました。あわよくば何人もの美人を侍らすような存在になりたいなどと思った事もあります。そんな事なんかできる訳ないという大前提で、そんなアホらしい妄想を抱いておりました。神様にモテさせてくださいと言った事もあるでしょう。そいつは天空地に遍在する八百万かも、十字に哀れ掛けられ人類の罪諸共ゴルゴタの上で磔刑を受けた神の子かも解らないですが、どうしてこうも平平凡凡極まる馬鹿な男にその願いの切符を切ってしまったのか。目の前にいるのならば泣きながらその是非を問い質したい。もしくは過度な欲望は身を滅ぼすという腐れ悟り坊主の忠告かも解らぬ。今自身が陥っている状況が、意味不明かつ壮大かつ常識の埒外と言う事もあり、混乱半ば、まるで酩酊しているかの如く考えが纏まらないのです。

 

ねえ、神様。答えて下さい。貴方、銀貨三十枚で売っ払われる前に仰っていたらしいじゃないですか。男と女は生まれた時から一本の糸みたいに繋がっていて、その出会いは運命なんだって。

ねえ、神様。答えて下さい。どうして、今自分の手中には鮮血の如き深い深い色合いの糸が二本存在するんですか。貴方が作りあげた世界、バグってますよ?解っていますか。このバグをどうしてくれるんですか。この不条理に貴方はどんな解答をもたらしてくれるんですか?海を割ってもいい。いきなり理不尽に復活してもいい。今すぐ俺の眼の前に来て説明責任を果たせ。この世の不条理の因果を説明しやがれ。代理人を立ててでもいい。坊主か神父か牧師か。どんな人間に聞けばいい。解答しやがれ。があああああああああああああ。

 

いや、解っているんですよ。

この状況がきっとどんな極楽浄土を巡り旅しても手に入らないモノなんだって。

自分のタイプにどストライクな美人二人に文字通り言い寄られているこの状況が、どれだけ恵まれているのか。

 

だからこそ、混乱しているのだ。

「なあ―――京太郎君」

女の口から、優しい言葉が漏れていく。

その言葉は、どこまでも温かな力に溢れている。善意と好意と厚意で構成された、純真無垢な言葉だ。

ベッドから見える二人は、真っ直ぐに彼を見つめている。

「今日から、ウチ等二人はな、アンタのモンや」

嘘も無い。騙りも無い。

「貴方に助けられた事実を私達は忘れません。そして、その行為とは切り離された―――自分自身の想いにもしっかりと自覚できました」

色合いの違う二つの瞳がこちらを見やる。

「どうか―――私達二人を、貴方のモノにして下さい」

 

 

取り敢えず、話を整理させましょうと彼は二人に提案した。

ニコリと、その提案を飲み込む。

「えっと----その発言は---?」

「要するにや。二人共京太郎君の事好きだから、二人共好きな様にしてくれ、言う事や」

「そういう事です」

「いや、そこがおかしい。おかしいでしょう。待ってください。流石に、恩返しに一生を捧げる必要まで-----」

「違います」

福路美穂子は、はっきりとそう言い切った。

「二つの心が、在りました。貴方を何とか治してあげたい。その手伝いがしたい。そういう気持ちと―――この日々が終わってほしくない、と思ってしまう気持ち。私達は、恩返しでそんな事を言っているんじゃないんです。ありのままの、私達の願いが、こういう形となったんです」

真摯な言葉だった。嘘の匂いが全く存在しない言葉だった。

その事実に、思わず口を半開きにしてしまう。

「でもな―――京太郎君。これは、あくまでウチ等のエゴや。悲しいけど、エゴはエゴである限り、一方向でしかないねん。京太郎君が拒否すれば、それで終いや」

寂し気に、清水谷竜華は言う。

「ウチ等の事が嫌いなら、はっきりそう言って欲しいんや。ウチ等はな、京太郎君のモノになりたい想い以上に、京太郎君の重荷になりたくないねん。そうやったら、迷わず目の前から消える」

「そんな事はありません!」

状況も構わず、京太郎はそう言った。

ここで拒否すれば、七面倒な事柄は終わってしまうだろう。それでも―――彼は痛い程彼女達の真摯さと惜しみない善意を受け取っていた。彼女達を嫌う事は、決して許されない。

「俺は二人にまさしくおんぶにだっこな状況でした。嫌いだったら、こんな風に甘えられなかったと思います。絶対に、それだけはありえない」

その言葉に、二人は思わず涙ぐみながら手を取り合った。

「ありがとな。京太郎君。本当にウチ、アンタを好きになってよかったわ」

「私もです。うう-------」

その存在そのものを否定されたらどうしよう―――そう彼女達は不安に思っていたのだろう。涙声でそうお互いに言い合っていた。

「いや、けど、それと二股をかけるかどうかはまた別な話ですよ!」

「何でや?ウチ等は一切構わへんで?」

「お二人が構わなくても、周囲が許す訳ないでしょう。プロ雀士二人を囲ったなんてなったら、それこそ二人に迷惑が------」

「その問題は解決してるで。世間体の対策なら、しっかりやった」

そう。そこまで彼女等は想定していた。―――だからこそ、二股に対する世間の嫌悪感以上に、この三人に巡るドラマに対する好意が上回ってくれるように、画策し、実行した。対策はしっかりと打っている。

「それにな、京太郎君―――別に、二人を平等に愛せ、なんて言う気はないんや」

「へ?」

「京太郎君は私達に何かを返す必要はないんです。貴方は十分に過ぎる程のモノを私達にくれました。ただただ、私達が貴方にその分を返す―――愛させてくれるなら、それでいいんです。愛してくれるなら望外の喜びですけど、そこまでは私達は求めません」

「もし、別な愛する人が出来たなら、そっちを優先させても構わへん。そしたら、私達は陰ながら京太郎君を支える」

その宣言を受けて、再び絶句する。

見返りを求めないモノが愛だ、と誰かが言っていた。惜しみなく与えるものが、愛だとも。ならば、本当に彼女達は純然たる意味合いを以て自分を愛しているのか。

「ただただ―――くさい言い回しやけど、ウチ等を傍においてほしいねん。それだけでええんや」

「私達は今が幸せです。貴方の幸せに尽くす事が幸せなんです。―――ただ、そう在れる事だけを望ませて頂けないでしょうか?」

見返りは求めない。しかして惜しみなくその献身を尽くさせてほしい。

そんな在り方を二人は望んでいるのだ。

―――これほど、スケールの大きな愛というモノに須賀京太郎は出会った事が無かった。

拒否する為の言葉は、何の意味も持たない。

彼女達を慮る言葉は、彼女達の在り方によって否定される。自身の愛情の方向の曖昧さすら、彼女達は肯定してくれるという。

何よりも―――シンプルにして強大なその愛に、今の京太郎に抗う力も、意味も、存在しなかった。

だから、こんな言葉しか思い浮かばない。

「俺も、二人に何かを返したい」

そんな、一方向を、双方向にする、そんな言葉にしか。

「ありがとう―――嬉しいわ」

「それ以上に、私も返します」

 

そして―――二人はぽふり、とベッドの両脇に座る。

 

二人の肢体が、視界を埋めていく。その香りが、鼻孔を擽る。

「それじゃあ―――取り敢えず、ほんの少しだけ、返させてもらうわ」

「はい。頑張ります」

え、と言う間もなく。

彼はゆっくりとギプスに右腕を吊り下げられながら、ベッドに優しく押し倒された。

 

後は、言葉も無く―――。

 

 

病棟から目を覚ました病弱雀士は、その光景を夢の中で見た。

目を覚ますと慣れた感じでナースが様子を尋ねて主治医に報告し、軽い説教を流しながら思索に耽る。

 

―――ホンマ、常識では測れん親友や。

フッと笑い、窓枠から青空を眺める。

 

―――ま、お幸せに。死なない程度に愛してやればええ。

そして、再度十字を切った。




この章は取り敢えずこれでおーしまい。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

照、大学生になる編
迷い子、迷いの最中


テッル第二段。コメディにもこんな話にも使えるキャラは貴重。


玉座に座る者は、同じ視座を得られない。

天才と凡人。持つ者と持たざる者。その間には目に見えずとも解る隔絶が存在する。

同じ世界にいるはずなのに。同じ場所に在るはずなのに。

その隔絶は、何処から来ているのだろう?

そんな疑問は、いとも簡単に解が出てしまう。

―――隔絶を、作っている訳ではない。

―――勝手に、周囲が作っているものなのだ。

周囲が作った玉座に座らされ、他者はその煌びやかな玉座に目が魅かれていく。彼等が見ているものは、「インハイチャンピオン」の玉座であり、その証たる「白糸台のエース」という王冠であり―――その玉座に居座る彼女では、ないのだ。

彼等にとって、同一の空間にいるはずの彼女はされど同一の人間ではないのだ。

玉座に居座り、王冠を手にし、虎姫という軍勢を率いた、王様。

それが、当たり前なのだと思っていた。

強者である事の運命であるのだと。

当たり前故に、気にする事すらしなかった。

 

―――お姉ちゃん。

 

それでも。それでも。

かつての自分は―――玉座も無く王冠も手にしなかった自分は、誰かと笑い合っていたはずで。

そんな日々を思い返して、ふと懐かしくて泣きたい気分になったりしたりする時もあったりなんかして。

 

玉座も、王冠も、いつの間にか―――その重さを感じるようになっていった。

 

―――今度は、全力で戦うから。

 

そう言い切った妹の声に、心の底から湧き出た感情は歓喜に満ちていた。

玉座も、王冠も、関係ない。

久方ぶりの家族麻雀は―――試合には勝ったが、勝負には負けた形となった。

なぜならば、凝り固まった心が、いとも簡単にほぐされ、懐柔された。

妹の目的が果たされてしまった。

―――何だかなぁ。

悔しい、という気持ちもある。

何だか自分が、どうしようもない頑固者だったような気がして。

だけど、それは―――臓腑の底に沈殿する気持ち悪い負の感情というよりも、澄み切った青空を見た時の様な爽快感があった。

感情の処理は、姉妹共に苦手だ。

だからこそ―――せめて、嬉しい感情くらい、素直になってもいい気がした。

 

 

彼女は、大学に進学する事に決めた。

誰もが反対したのは言うまでも無い事だった。

今でもプロのトップと張り合える力がある。何の為に大学に進学するのだと幾度も言われた。

―――何の為に、と尋ねたか?

ならば聞きたい事がある。

自分は何の為にプロになるのだ?その目的は誰が定義するのだ?

誰かが定義した目的に沿って、また自分は玉座に居座らなければならないのか?王冠を被らねばならないのか?

自分の人生という名の足跡は、常に他者が用意したレッドカーペットの上を歩んでいかなければならないモノなのか。

―――こんな上等な悩み、かつての自分は持っていなかったのだと思う。

呼吸をするように自分は麻雀をやっていて、魚が水に還るようにプロになっていくのだと。そんな事が「当たり前」に定義されていたのだと思う。

だけど一つ「当たり前」に疑問を投げかけてみる。

その「当たり前」には、如何なる因果も定義も存在しない事に、少しずつ気付いていった。疑問を投げかけ、その波紋をじっくりと読み解きながら、一つずつ理解できて来たのだ。

そうなると、その「当たり前」はプロになる理由にはならなくなった。

―――私は、欲しいんだ。

麻雀をする理由が。その動機が。何でもいい。自分を麻雀に縛り付ける何かが欲しいんだ。

他者が用意した玉座にどかりと座っていたら―――いつの間にか自分は裸の王様になっていた、なんて事態にはなりたくない。

そんな事を、彼女は思っていた。

「そっか、咲はプロになるんだね」

「うん」

電話越しに、妹とお話しする。

こんな時間が、今では日常の一部として存在する事実に何だかビックリする。

「私は―――もっともっと、強い人と戦いたい。麻雀の楽しさが、今ならちょっとだけ解る気がする。だから、プロになる」

「そう。よかった」

「お姉ちゃんは、どう?大学生活は?」

「楽しいよ。文句なく」

色々な人と出会えた。それに麻雀だって、高校よりもより高いレベルで戦いが出来ている。大学生活そのものに、何かしらの不満は無い。

それでも―――まだ、その目的は見つかっていないけれども。

「そっか―――あ、そうそう」

「何?」

「私の知り合いが、今度そっちの大学に行くから、よければ仲良くしてあげてね」

「へぇ、誰?」

「京ちゃん―――あ、須賀京太郎って名前。金髪ででかくて如何にも不良そうな感じだけど、その実ただのヘタレチキンだから安心してね」

ああ、あの男の子か、と少し思い返していた。

「うん、解った。―――知らない仲でもないし」

そう彼女は言った。

「え、知り合いだったの?」

「うん、ちょっとね」

随分前の話だ。少し、懐かしい。

須賀京太郎。

ほんの少しだけ、宮永照は彼の事を知っていた。

 

 

―――あの、咲のお姉さんですよね?

私に妹はいない。

―――えっと----ウチの咲がお世話になっています。

私に妹はいない。

―――本当に申し訳ないんですけど、一度アイツと会ってもらえませんか。喧嘩したって構わないですから-----。

私に妹はいない。

 

全国大会の会場で、彼は幾度もそう頭を下げていた。食い下がる彼に、そう冷たく突き放していたあの時の自分は、傍目に見ても大人げなかったと思う。

何度も何度も、彼は真摯に頼み込んだ。

咲と会ってくれ、と。

幾度突き放しても食い下がった。

―――金髪で高身長な彼は、実はかなり威圧感があって怖かったが、それでも必死に頼み込む彼の姿は何だか大型犬のようで、ちょっとだけ印象に残っていた。

それでも、傍目から見ればそれはインハイチャンピオンにいちゃもんをつける男に見えたのだろう。周りから何をしているんだと男の子が取り押さえられそうになった。

待って、と彼女はそれを制止した。

「君、名前は?」

「須賀京太郎です」

「―――咲に伝えて。勝負に勝てば、考えてあげるって」

根負けし、結局そんな言葉を漏らしてしまった。

その事も―――また、自分の意固地な心に小さなヒビを入れてしまったのかなぁ、と今にして思う。

それが、彼との初めての出会いであった。

 

 

そして、咲と電話をした数日後。

ぽつん、と彼女は街の中にいた。

横を確認。背後を確認。ついでに意味などなくとも上方を確認。

-----見慣れぬ地平に、彼女は立っていた。

ここは、何処だろう。

ああ、そうだ。アレが、アレが悪いんだ。家に差し入れられていた新装スイーツ店舗のチラシに写っていたチョコレートブリュレとキャラメルタルトが余りにもおいしそうだったのが。最寄駅まで(奇跡的に何とか)付いた後に、やけに派手な行列が出来ていたからその店舗に行って心行くまで舌鼓を打ち、その感動もさることながらまたまた最寄りのクッキー専門店の香りに惹かれてフラフラ買いに行き―――気付けば、知らぬ道に迷い込んでしまった。

ふふふ。しかし迷えど狼狽えはしない。こんな事で涙目になるかつての自分はいない、いないのだ!

スマートフォンで近くの友人に連絡を取ろうと、バッグに手を伸ばそうとして、

「アレ?」

バッグが、ない。

ダラダラと、冷や汗が流れ出ていくのを感じた。

----クッキー屋に、置いてきてしまったのか。

と言う事は―――自然と、財布すら現在存在しない事となる。

まずい。

実にまずい。

駅に行くまでも困難だというのに、駅すら使えぬこの現状は―――最早幼子を姥捨て山に蹴り落としたも同然の悲劇だ。

どうしよう、どうしよう。

涙目であたふたと右往左往する中、

「―――何しているんですか、宮永さん------」

そんな声が、かけられた。

何だか、木から降りれなくなった猫を見る様な目でこちらを見やる、金髪の男の子がいた。

「あ」

涙目のまま、そんな間の抜けた声を放つのでした。

 

これが、何とも言い難い、二人の再開。

 

どう続くかは、未だ解らず。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

照らすべき理由

その後。

無事須賀京太郎の必死の探索の末に、宮永照はバッグを取り戻す事に成功したのであった。

「ありがとう」

「いえ、どういたしまして------」

少し疲れたようにそう言い返す彼も、何だか呆れたように微笑んでいた。少しムッとしてしまう。自分の方が年上なのに。

----年上とは思えぬ醜態を晒した事実は一旦脇に置き、そんな事を思った。

「咲から聞いたよ。同じ大学に通うんだってね」

「ええ。何だか不思議な巡り合わせですね。宮永さんが先輩になるんですね」

宮永さん、という言葉に何処か不自然さを感じる。別に珍しい呼ばれ方という訳でもないのに。

----ああ、そうか。彼が妹を「咲」と呼んでいるからか。

妹との仲が修繕されても、未だ心の何処かに妹に対する対抗心が存在する。

だからだろうか。自然と、こんな言葉を口に出してしまったのは。

「照でいい」

「え?」

「だから、呼び方は照でいい」

眼前の青年は目をぱちくりさせながらその言葉を聞いていた。

唐突過ぎたのかもしれない。変な女だと思われただろうか?

---まあ、いっか。あまり細かい事は気にしないでおこう。

動揺している様子がちょっとまた大型犬っぽくて可愛かったから、そう思う事にした。

 

 

さあて、ここで自分の行動を振り返って見よう、と彼女は思う。

初対面で頼み込む彼を大人げなく突き放し、そして次の再開の瞬間には―――この有様。

キリッと「私に妹はいない」と突き放したと思えば、道に迷って右往左往。一緒に無くしたバッグまで探してもらって、駅まで案内してもらって、ここで別れるのか?

酷い。

あまりにも酷い有様じゃあないか。

人としてあまりにも恥ずかしい。

今度は内省による感情の隆起によって、彼女はまたも汗が噴き出てきた。

「それじゃあ照さん、また今度」

そう言って爽やかに笑って帰ろうとする彼の手を、反射的に掴んでしまった。

駄目だ駄目だ。このまま帰らせてしまえばこの男の脳内に「残念極まりないポンコツな幼馴染のお姉ちゃん」という印象だけ残して帰らせてたまるものか。

「す、須賀君」

「え、えーと---何ですか?」

「お、お礼するから----ひゃ、ひゃそこで、お茶しない?」

そうして指さしたのは、駅前にあるちょっと古い外装の喫茶店。

カッコよくきめようとそんな台詞を吐いたものの―――異性の手を掴んだ衝動と恥ずかしさが大きく空回り舌を噛みながら言ってしまう帰結となった。

沈黙が、数秒。

恐らく熟れた林檎よりも真っ赤になった顔面を呆けた顔で須賀京太郎は見つめていた。

事態をあらかた斟酌した彼は―――あっはっはと実に大袈裟な笑い声をあげた。

----プルプルと、両手を震わせ彼女は下に俯いていた。

死にたくなるほどの、恥ずかしさだった。

 

 

「苺タルトとチーズショコラ、ラズベリーホイップつきパンケーキとバナナパフェ。それとアイスティー一つ」

「た、食べますね----」

「ふん----」

少し拗ねたように、彼女はマシンガンの様にスイーツを注文していた。

無くした事を覚悟した現金を派手に使おうとするその意気は解るのだが、いかんせんその圧倒的スイーツ力に彼は圧倒されていた。

「えーと、俺はカフェラテ一つ----」

若干顔を引き攣らせながら彼は絞り出すようにそんな言葉を出した。

その後目の前に並べられたスイーツの数々を目を輝かせながらパクつきながら、彼女は至福の時を過ごした。

「お菓子、好きなんですね-----」

「うん」

拗ねていた時間は僅かこれが運ばれてくるまでの数分間程度。何ともチョロイお方である。

しかし恐ろしい。

先程の話を鑑みるに、この女性は先程も散々甘いものを平らげてきたのだろう。その果てにこれである。

多分、この人には糖を吸収分解する別器官が体の何処かにあるのだろう。多分。羨ましい限りである。

見るだけで胸焼けしそうな諸々をお供にカフェラテを啜っていく。ブラックにすればよかったかなぁなどと思ってしまう。

決して逸っている訳ではないと思うが、淡々と淀みなく眼前の諸々を平らげると、ケロリとした表情でアイスティーを喉奥に流し込んでいく。うわぁ。

「よ、よく食べますね-----」

「甘いものは別腹だから」

「えぇ-----」

貴女、甘いものしか食べてないじゃん------というツッコミはした方がいいのかしらん?しない方がいいのだろうなぁ。また拗ねそうだし。

何というか-----やっぱり、血は争えないなぁ。

テレビ越しに見えていた彼女はとてもハキハキしたしっかり者という印象だったが故に、やはりちょっと衝撃が大きい。

それと同じくらい、安心感もまた同時に感じていたりもするが。

やっぱり-----どう足掻いたって、この人はアイツのお姉さんなのだなぁ、と。

「今は、咲とも仲良くしているんですね」

「うん。それなりに-----あの時は、ごめんなさい」

「いや、いいんですよ。今仲良く出来ているなら、それだけで」

「それと、ありがとう。私達の事を気にかけてくれて」

「いやぁ、まあ。なんつっても俺とアイツは腐れ縁ですし」

少しだけ、雰囲気が和らいだ気がした。無表情の中に、少しだけ笑みが見える。

だからこそ、少しだけ気になった事を須賀京太郎は聞く事にした。

「そう言えば----照さんは、どうしてプロに行かなかったんですか」

少しだけ、踏み込む。

この理由は―――妹である咲が一番聞きたがっていた事だったから。

宮永照は、アイスティーのグラスを置き、真っ直ぐに彼の目を見た。

そして、答える。

「一言でいえば、“プロに行く理由がなかった”から」

「理由が、無い?」

「うん―――私の中にこれといった“プロになるべき理由”が見つからなかったんだ」

「それは、重要な事なんですか?」

「前までは、重要じゃなかったと思う。私は麻雀をやるべきで、麻雀が私の全てで、その帰結として麻雀のプロになるんだ、って。そう自然と思っていた」

「------」

「でも、ここで一つの疑問が生まれてしまった。―――本当に、麻雀が私の全てなのかな、って」

以前ならば、麻雀が全てであると断言出来ていただろう。

玉座に座る者が、自らが王である事を疑わないように―――自分の過去という足跡に麻雀以外の何かが介入する余地なんてなかったのだから。

けれども、その足跡は本当に一本道だったのだろうか?

他の道は、存在しえなかったのだろうか?

他人が敷いた道を通っている内に、何処かに切り捨てた道が存在しなかったのだろうか?

そんな疑問が、渦を巻いて自分の中に存在していて、

だからこそ、プロの道という直線上に存在する道に足を踏み入れるか否か―――その判断に迷いが生じてしまった。

「私は、理由が欲しい。麻雀を続けるに値する、理由を。周りの人が与えてくれる理由じゃなくて―――私が見つけた、私だけの理由が欲しい。だから、プロにならなかった」

その言葉を、彼はジッと聞いていた。

自分で言っていて、何て曖昧な言葉なんだろうと思う。

自己陶酔だと思われても仕方ない。

----実際、周りのマスコミの中には、そう言う風に非難する声もあったのも事実だ。

ただ遊びたいだけ、プロに行く自信が無いだけ―――それなのに、それを理由を並び立てて逃げているだけだろう、と。

それでも―――宮永照にとってとても重要な事だったのだ。

その言葉を、想いを―――眼前の彼はどう受け取ったのだろうか?

笑うだろうか?

そう思っていたが―――彼の眼は笑っていなかった。

「凄いなぁ」

と、そうポツリと呟いた。

何が、凄いのだろう?

所詮は―――ただ、大学に逃げ込んだ、そう思われても仕方のない状況なのに。

「いや、ごめんなさい―――正直、何だか子供っぽい人だな、って思ってました」

「む」

「けど、本当はずっとずっと大人だったんだな、って。周りの期待に黙々と応え続けていたんだな、と思って。凄いなぁ、って」

「-----」

「ええと、何だか上手く言葉にできないですけど-----今、周りの大人たちが奪っていた時間を、照さんは取り返しているんだと思うんです」

「時間を、取り返している------?」

「高校生の時間って、もっと子供らしくいていい時間じゃないですか。けど、ずっと照さんはその時間を奪われていた訳じゃないですか。周りの期待に応えるって形で。本来、その自由な時間で見つけるべきモノを、時間が奪われていたから、見つけられなかったんだと思うんですよ。だから、その時間を今、取り返しているんじゃないかな、って」

「-----」

「だから、俺は照さんを応援します」

そう言って笑う彼を見る。

―――そうか。咲が懐く理由がちょっとだけ解った気がした。

「須賀君」

「うん?」

―――何だか、不思議な包容力がある。

「ここで会ったのも何かの縁だし、連絡先、交換しよ?」

今度は、噛まずにしっかり言えた。

そんな些細な事が、ちょっぴり嬉しかった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

お姉ちゃんぶるという事

「はい、もしもし―――あ、照さんですか?一体どうしたんですか、こんな朝っぱらから」

「おはよう、須賀君。照お姉ちゃんからのモーニングコールです」

「あ、はい。そりゃあ朝からありがたい事で―――それで、何用ですか?」

「今、私はインターネットサイトを見ている」

「あ、はい。そうなんですか」

「隣町のケーキバイキングが半額になっているらしい」

「お、それはよかったですね。照さんにとっては朗報どころの話じゃないでしょう」

「うん。君にとっても朗報」

「え、俺?俺ですか?いやぁ、ケーキバイキングは女の子の殿堂でしょう。野郎一人で入ってどうするんですか」

「------」

「------?」

「アプリ----」

「はい?」

「アプリのインストールが必要、って書いている------」

「え、あ、はい----」

「やり方、解らない-----」

「------」

「隣町の行き方、解らない-----」

「解りました、解りましたから―――付き合います。付き合いますから。そんな悲壮感たっぷりな声を出さないで下さい-----」

 

 

宮永照。

―――何というか天然風味が増した咲、という感じであった。

年上で、更にインハイチャンプという肩書きがそうしているのか、はたまた単にお姉ちゃんぶれる相手に飢えているのか。彼女は何というか「頼ってきてほしい」オーラがびんびんに張り詰めている。

残念だが―――まっこと残念であるが、年上の風格なぞ一切持ち合わせていないこの人は、何だかいっつも涙目になって右往左往しているような気がする。

という訳で、今日も今日とて彼女の甘味道中に付き合う事になるのでした。

 

待ち合わせ場所は大学正門前。なぜならここだけは唯一彼女が迷うべくの無い所である為である。流石に三年も通学した場所に迷う事は無いはずだ。多分。

隣町まで付いていき、彼女とケーキバイキングの同伴にあずかる事に。

目を輝かせながらせっせと彼女によって選ばれた色とりどりのケーキはその量だけで見るだけで凄まじい威圧感を与えていた。

「食べますねぇ-----解っていた事ですけど」

「この為に今日は朝ごはん抜いてきた」

「言いたくはないですけど---これ、朝飯何杯分のカロリーなんでしょうか----」

「須賀君」

「はい」

「女の子の前でカロリーという言葉は禁句。OK?」

「-----はい」

解ってはいるんだけど、女の子とはかくも理不尽なのだなぁ。---まあ、見たくもない現実をわざわざ眼前につきつける男は無精極まりないのだろうけど。

「そもそも。カロリーと定義されているあの数字は、平均値を算出したに過ぎない。解る?須賀君」

「知りませんよ-----」

「人によって体質もあるしあのエネルギー総量全てが脂肪分に変換される訳ではない。特に私の様な頭脳労働をしなければならない女の子には、ある程度糖分は必要」

「はあ」

「----もう少しでも、脂肪分に変換できる体質だったら、------むぅ」

「男の前で自分の胸を痛まし気な目で見ないで下さい-----」

「須賀君のエッチ」

「理不尽!?」

「------ふん。“お前のぺちゃぱいなんてえっちぃ目で見る価値も無い”と須賀君はいいたいの?その理不尽という台詞は」

「ねぇ、一体俺はあの場面で何を言えば最適解だったんですかね!?」

「自分で考える。そんなんだから須賀君は麻雀が弱い」

「確かに麻雀弱いけど一連の流れとは一ミリも関係ない事だけは胸張って言えますよ!」

「胸------」

「落ち込まないで下さい!こんなのただの言い回しでしょう!?」

本当、何というか、面倒臭い人だ。

あの、テレビの前でハキハキと対応する姿は一体何処にいったのか。

「はいはい、機嫌治しましょう。こんなんじゃあおいしくケーキも食べられないですし」

「うん」

存外あっさりそんなありきたりな話題逸らしでケロリと機嫌が直る辺り、単純というか、欲望にわりかし正直というか。

そうして一時間もの間一切のペースを落とさずケーキ皿を積み上げる彼女の姿に軽い戦慄を覚えつつ、それでも小動物がモリモリと餌を食べている姿を眺めているような穏やかな心境で眺めていた。

----色々言いつつも、この時間が割と京太郎も楽しかった。

何だか、昔を思い出したような感覚というか。

-----昔、咲のお世話をしていたんだったなぁ。

そんな思い出が記憶の彼方からふらりと現れる。

「須賀君はもう食べないの?」

「いや、もう流石に俺はもうこれ以上は食えないっす。胸焼けがすごくて」

「胸焼け、って何?」

「貴女にはもしかしたらこの人生で無縁な言葉かもしれないっすね-----」

「?」

首をかしげる彼女の姿に、一つ呆れたように笑った。

 

 

「須賀君は」

「はい?」

「率直に聞くけど―――咲の事、好きなの?」

流れるようにケーキを平らげ、少々落ち着いた所で―――彼女はまるで挨拶するかの如き気軽さを以てそんな発言をした。

「ゴホゴホ!」

「---大丈夫?」

「む、むせた----いや、何いきなり変な質問をしているんですか、照さん」

「だって、ずっとあの子の世話をしてきたんでしょう?」

「まあ、はい」

「私と仲が悪かった時も、あんな風に仲を取り持とうとしてくれたでしょう?」

「ええ、まあ、はい」

「----好きなの?」

「好きじゃないです。流石に俺もアイツに恋愛感情は持ち合わせていません」

「じゃあ、何で?」

あんな風にわざわざ世話を焼いていたの、と疑問を投げ抱える。

彼は友人を選べない人間ではあるまい。何でわざわざ-----言っては悪いが典型的なボッチ気質のある咲と友人となり、麻雀の世界に引き込み、挙句の果てにこちらに土下座するまでしてくれたのだろう。

「理由がないといけないですかね?」

「ん?」

「まあ、友達いないで寂しそうにしていたら、何とか手を差し伸べたくなるじゃないですか。こう、雨に震える小動物を見つけた感じですよ。何か、こう、世話をしたくならないですか?」

ふむん、と一つ頷く。成程。確かに恋愛感情を介した関係と言うよりかは、そちらの説明の方が腑に落ちる。庇護欲を程よく刺激してくれたのだろう。

「だから、多分惚れた腫れたじゃないですね。実際、あっちの友達付き合いが上手くいってからちょっとずつ疎遠になっていきましたし」

「-----ふむん」

つまりは、純粋な善意での付き合いだったのだな―――と少々納得してしまう。

まあ、多分そこら辺の事を今はまだ咲の方も気付いていないんだろうけど。

そう結論に至った瞬間に―――気付く。

もしかしてだけど―――今自分とこうして付き合ってくれているのも、そういう「庇護」の関係的な意味合いなのだろうか。

「------」

「どうしました?照さん?何か、手が止まりましたけど-----」

―――何故だか、気に入らなかった。

彼にとって今の自分は咲と同じ様に、ほっとけない小動物的な扱いなのだろうか。

―――年上なのに。

生意気だ、と少々思ってしまう。----現状から少々目を背けながらも、彼女はそう思った。

ぷくり、とリスの様に膨れる。

「え?どうしたんですか、照さん」

「何でもない」

「ええ-----」

そう、何でもないのだ。こんな事でお姉さんは機嫌を損ねたりなんてしない。

―――ここで、彼女には一つの目標が出来た。

お姉ちゃんになろう。庇護するべくは彼からではなく自分からだ。そうだ、そうに違いない。インハイチャンピオンかつ年上の頼りがいのあるお姉さん。それこそが宮永照という女のはずではないか。

「須賀君」

「はい」

「これからは照お姉ちゃんと呼びなさい」

「謹んでお断りさせて頂きます」

―――その道は果てしなく長い坂道であろうが。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

お姉ちゃん街道、迷走中

宮永照には早急に取り掛からねばならぬ課題が出来た。

―――お姉ちゃんの威厳を取り戻す。

その為には何をすればいいのだろう?

お姉ちゃんたる者、その者を教え導きその尊敬を受けねばならない。そして頼られなければならない。

ふむん、と一つ息を吐く。

須賀京太郎に頼られたくば何をすればいいのか?

「須賀君」

「はい、何ですか照さん?」

「麻雀部、入らない?」

そんな誘いをかけたのでした。

宮永照が持つ最大級の武器。それは他者を圧倒する麻雀の実力だ。

彼を教え導き頼られる為には、麻雀を通じてそれを成しえればいい。

「麻雀部-----って。この大学の麻雀部、選抜制でしょう?」

「え?そうなの?」

「そりゃあ、全国屈指の実力校ですから------推薦で入る場合以外は、選抜テストがあるみたいですし。というか、照さん。貴女女子麻雀部所属でしょう-----」

頭の中でガラガラと音が鳴った。一生懸命に考えた策だというのに、いとも簡単に崩壊してしまった。おのれ麻雀部。かような下らぬ制度を敷きおって-----!

「まあ、だから俺は適当に麻雀のサークルにでも入ります」

「待って須賀君」

いやしかし。ここで取り逃がす訳にもいかないだろう。

宮永照は考えた。どうにか彼を麻雀部に滑り込ませる方法を。

そして、何気ない記憶を思い返した。

―――男手が足りない。

そうだ。そんな事言って、主将が延々愚痴ってた気がする。

「マネージャーでどう?」

「うーん、流石に女子ばっかの環境の中でそれをやるのはハードルが凄まじく高いですね」

「清澄も女の子ばかりだったじゃない」

「高校と大学では意味合いが結構違うと思います----」

高校だと多少の下心も思春期の少年というベールによって正当化されていた部分もあると思う。大学でそれをやってしまうと本気でキモがられる事請け負いだ。

「ふむん-----難しいね」

「誘ってくれたことは嬉しいですけど、俺には無理です」

宮永照はまだまだ考える。考えねばならない。ここで逃す訳にはいかない。―――お姉ちゃんになるのだ。この生意気(だと勝手に考えている)後輩を、尊敬の眼差しをこちらに向けてくれるようになるまで。

閃いた!

「須賀君」

「はい」

「私も、サークルに入る」

 

 

要するに等価交換だ。

男手が必要になった時に、無条件で須賀京太郎は麻雀部を手伝う。

その代わり、サークルで宮永照は必要に応じてその教導を行う。

そういう提案を、彼女はした。

「そんなに男手が足りてないんですか?」

「うん」

もくもくと何処から取り出したかも解らぬチョコレートを咀嚼しながら、彼女はそう同意する。----あれぇ?貴方ついさっきまでケーキバイキングで暴食の限りを尽くしてませんでしたっけ?おかしいなぁ。

「私も助かる。須賀君も助かる。winwinの関係」

「いやあ、それはそうですけど----」

いいんですか、と聞いてしまう。

「いいの。私も誰かに教える事で上達する事もあると思うし------」

全くの方便だが、いけしゃあしゃあと彼女はそう言い切った。

彼女の心の内を読み解くことが出来ず、結局京太郎はそれを「単なる親切心」と解釈しだったらお願いしますと頭を下げた。

ふんす、と一つ彼女は息巻いた。

 

 

それから―――彼女と彼との関係は始まった。サークルに顔を出しては教導する宮永照と、男手が必要になっては駆り出される須賀京太郎という関係が。

須賀京太郎は当初こそ部内で警戒されていたが―――徐々に徐々にその視線は同情を孕むようになり、結局は感謝の念まで払われるようになった。理由は各々察して頂きたい。大体予想通りである事請け負いだ。

とは言え、どれだけポンコツと言えどもインハイチャンピオンかつ現インカレチャンピオンである。

通常、サークルの様な団体で上級者の教導が入るなぞ雰囲気をぶち壊しかねない状態であるが、上記の実績を引っ提げた上でなおかつ彼女の人徳とも言える効能があった。雰囲気にそれとなく溶け込める能力が彼女にはあった。まあ、つまるところサークルでは「時々サークルで麻雀を教えてくれる、餌付けされたマスコット」という席に座ることが出来た、という訳だ。何処に行ったって立ち位置が変わりはしない。

「お、須賀君。おはよ。今日も手伝いよろしくねー」

「はい、解っております。今日は何をすればいいんですか?」

「最近卓の調子悪くてね。修理したいから手伝ってくんない?」

「はい、お安い御用です。―――ところで照さんは?」

「私も手伝う、って息巻いていたから適当に追い出した。後は解るな?」

「はい。賢明かつお早い判断。流石です」

「あの子に手伝わせちゃ、料理で塩と砂糖を間違えるように、修理とスクラップを取り違える可能性があるからね-----」

「そこまでですか」

「そこまでだよ」

はあ、と一つ息を吐く------本当、あの人大丈夫なのだろうか。

「追い出した、ってどうやってですか?」

「ん?いや、修理はいいから購買で買い出ししてくれ、って。テープと飲み物と茶菓子が切れてるから補充しといてと言ってな。購買なら流石のあの子でも迷いはせんだろ」

あ、と彼は思った。この世には「フラグを立てる」という行為がある。予想を立てれば、予想の右斜め50度くらいを超えていく存在が宮永照だ。フラグというフラグを片っ端から折っていくのが、彼女のスタイル。

携帯が鳴った。

「はいもしもしこちら須賀京太郎―――どうしました照さん」

ふんふんと頷きながら、声を聞く。

その表情は、何処までも呆れ果てたような、それでいて何もかも予想しきっていたかのような。矛盾を体現したかの如き複雑な表情である。

「どうした?」

「テープ、購買でも切れていたみたいだったらしいんです-----」

「うん?」

「彼女は、テープを買いに大学の外を出た。―――後は解りますかね?」

「そのまま迷ったと?」

「惜しい。買いに行っている途中でおいしそうな和菓子店があったみたいだったんです。あんみつ食べてたら道が解らなくなったと-------」

「--------」

「--------」

「須賀君、悪いんだけどさ------」

「はい。探しにいきます------」

うん。

一体何がどうなってんだあのポンコツは。

 

 

「さあ、照さん―――反省の念を」

「ごめんなさい------」

まるで逃走したペットが連れ戻されている風情で、宮永照は麻雀部の部室に入った。

もう慣れているのか、薄ら笑いを浮かべながら部員ははいはいとその謝意を聞いていた。

「あのね、照さん。貴女は何ですか。キャンディに吸い寄せられる子供か何かですか。もう大学生ですよ?そろそろお菓子への欲望を抑えましょうよ------」

「そんな子供じゃない------。ここら辺においしそうなお菓子がいっぱいあるのがいけない」

「もうその言い訳が最高に子供じみています、照さん----」

「むう。須賀君。前から言いたかったんだけど、須賀君はもう少し年上の人に敬意を払うべき」

「あの-----俺も出来れば敬意を払いたいと思っているんですよ」

「そんな事ない」

「そんな事あります―――あ、まーたお菓子食べてる」

「おいしい」

「露骨な話題逸らしはやめませんか?」

「逸らしていない」

「逸らせていないが正しいですね、この場合-----」

麻雀部内で、またいつもの漫才じみたやり取りが始まる。周囲はニヤニヤしながらその光景を見ている。もう、何処か定型化したかの如きやりとりだ。

年上ぶろうとする照に、ナチュラルに手のかかる妹の扱いをする京太郎。この姿を通じて、麻雀部は須賀京太郎への警戒を解いた。

「むう-------いつになったら、須賀君は私をお姉ちゃんと呼ぶの?」

「多分、この先金輪際ないかと思われます」

そう言い合う二人も、台詞に反して、薄く笑ってはいたが



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

きっとそれは、遅れてきた反抗期

それから、そこそこの月日が流れた。具体的に言えば、精々二か月程度。

何だか思い返せばよくよく糖分を摂取してきた日々だ。最近少し危機感を覚え、早朝のランニングを始めた。あの人はきっと自分の数倍は糖分を摂取しているはずなのだが、本当に何処にそのエネルギーは使われているのだろうか。プロの将棋士は一度の対局で膨大なカロリーを消費するというが、雀士もまた同じなのだろうか。それにしてもアレは異様だと思う。うん。

しかしまあ、二ヶ月もこんな風にお世話していれば解る事もある。

この人の凄さも、そしてどうしようもない部分も、そして―――この人が持つ凄まじい影響力も。

二ヵ月という月日彼女と過ごして、自分の周囲もすべからく変わっていった。

―――視線がちょっとずつ刺さる様になって、そしてちょっとずつひそひそ話が聞こえるようになった。それは、最初は共にいる宮永照へのものかと思っていたが、それは段々一人でいる時も同じように感覚に刺さる様になっていった。

今更になってだが、何だかとんでもない人に目を付けられたのかなぁ、などと感じてしまう。

何だか、とんでもないギャップを感じてしまう。

周りの眼から見られているあの人の姿と、こちら側から見えるあの人の姿と。

「-----はぁ」

特に―――大学では、あからさまに女子から距離を置かれている感覚がある。

こう、別に大学生活に特段夢を見ていた訳じゃあないが、流石にああもあからさまに異性から距離を取られていると哀しいものがある。

何故だろう、と考えると、まあいくらでも思いつくのだけれども。

「?」

眼前でチョコレートパフェを淡々と口に運ぶこの人が何故女子たちの羨望を集めているのか―――この場所に立つ自分からすれば不思議で不思議で仕方がない。

「どうかした?」

「いや------ちょっと、認識の齟齬を感じていた所です-------」

「?」

首をかしげる。もう動作そのものが何だか緩慢なレッサーパンダみたいだ。

もう何だかマスコットじみたかわいらしさがあるお人だけど、周囲の人はまるで護国の英雄の如くこれを取り扱っているという事実。そして、そう見ている人間からしてみれば、自分はとにかく空気の読めない無法者か何かなのだろう。おう、何故お前みたいな平平凡凡な男がその場所に立っているんじゃあワレェ、みたいな。自分としてはそんなつもりはないのだけど、そう見られている。

「認識の齟齬って?」

「いやぁ、照さんは大学の有名人で、とんでもなく人気のある人じゃないですか」

「そんなに人気なわけじゃない」

「あの騒がれっぷりで何を言いますか何を。-----それで、何で俺がこんな人と一緒にいるのかなぁ、と」

成り行きにしては長続きしすぎているし、咲という接点があるだけでは到底説明できない。何故なのかなぁ、と今更になって不思議に感じてしまうのだ。

そんな風な事を言うと、彼女はまたしても首をかしげる。

「友達って、そんな風に理由が必要なモノなの?」

「え?」

「気が合うから、でいいと思う。それ以上でも、それ以下でもない。少なくとも、私はそう思っているよ」

彼女はいつもの通り平坦な声でそう言った。いつも通りだからこそ、その言葉に嘘が無い事もよく解る。

「そうですか」

「うん」

「-----まあ、友達でいる事に理由付けるなんて嫌ですよねぇ」

「その通り」

「簡単な話ですね」

「うん―――という訳で、須賀君。このカップル限定バケツカフェがある所に案内して」

そう言うと彼女はふんす、とスマホをこちらに見せる。最近ようやくスマホの使い方が解り始めたのだという彼女の最近の悩みは、アプリ(スウィーツ紹介)の使い過ぎで制限がすぐかかってしまう事だという。知るか。

「ねぇ、照さん」

「うん?」

「友達はお世話係ではないという事も、そろそろ自覚してくれませんかね-----」

「?」

「首をかしげないでくれませんかね-----?」

という訳で。

今日も今日とて、またしても付き合う羽目になる。

 

 

そうして、商店街近くにある店で山盛りのバケツパフェをもくもくと食い続ける彼女を胸焼けに悩まされながら見るという時間を送っていた。

いつもの通りの時間を過ごしていたはずだったのだが、今日は少しだけ異変が生じる。

「あ、あの------宮永照さんですか?」

もくもくとバケツパフェを口に運ぶ彼女の横で、そう小声で呼びかける声がした。

そこには、大学生らしい装いに身を包んだ女の子。眼鏡をかけた、地味な印象ながら整った顔立ちの子だった。

その声に、応える。

「はい、そうですが-----」

「あ、すみません---!高校の時からずっとファンだったので、ついお声をかけさせて頂きました!」

「ああ、それはありがとうございます」

彼女は一瞬で営業スマイルに身を包み、にこやかに握手をした。声をかけた女の子はとても嬉しそうに目を綻ばせながら、そして視線は須賀京太郎へ向いていく。

げ、と思った。

「あの-----そちらの人は----」

「あ、こんにちわ------同じ大学の友人です----」

友人というフレーズに一度納得しかけたその女の子は、されど―――でかでかと「カップル限定」と書かれていたバケツパフェの看板の双方に目をやっていく。

何だか、こちらを見る眼が微妙に変化していく。ちょっと責める様な、そんな感じの。この手の視線は慣れたものだと思っていたが、いざ眼前でやられると結構心に来るものがある。

「-----お付き合いしているんですか?」

「いや-----あ、あはは-----」

さてどう誤魔化したものかと頭を捻らせると―――その瞬間、声が挟まれた。

「ううん、違うの。私がどうしてもこのパフェを食べたかったから、お願いして来てもらったの」

そう、にこやかな顔を崩さずしっかりと言った。

「そ、そうなんですか!そうですよね」

ぱぁ、と顔を輝かせて、そう言った。

「そうですよね。―――宮永さんは、そういう(・・・・)人とお付き合いはしないですよね」

そう、多分悪意無く、言った。

まあ、そうだよな、須賀京太郎は思った。

彼女からすれば、須賀京太郎は何処までも平凡な大学生に見えるのだろう。染めた金髪(染めてないが)に、軽薄そうな雰囲気。多分、そういう普通の人と付き合う事は無いですよね、と彼女は言いたかったのだろう。

しかし、そんな思いとは裏腹に―――宮永照の顔が、変わった。

営業スマイルが一瞬で崩れ、―――まるで麻雀の時のような、鋭い視線を、彼女に向けていた。

「ねえ?」

「は、はい-----」

「そういう人、ってどういう人?」

その視線を受けて、明らかに彼女は狼狽していた。

悪意無く言った失言を、今になって思い返してしまったのだろう。

「須賀君―――この人はとてもいい人。こうやって我儘に付き合ってくれる、とてもいい人。貴方に、そんな風に言われる筋合いはない」

そう冷たく言い放つと、彼女は表情を崩しながらごめんなさい、と言い残し走り去る様に店から出ていった。

 

 

「ごめんなさい-----」

「いや、いいんです」

何とも微妙な空気だけが残された店の中、そう彼女は呟くように言った。

「でも、意外でした。照さんも、怒る時もあるんですね」

「------恥ずかしい所、見せたね」

「いえ―――正直言うと、嬉しかったですよ」

苦笑しながら、それでも須賀京太郎はそう伝えた。

実際に―――この人に、そういう風に認めてもらえているという事が、ちょっと嬉しい。何だかもの凄くカッコ悪いけれども、素直にそう思う。

「そうなの?」

「はい」

「なら、よかった」

そう彼女は安心したように言った。

―――そうか、とちょっとだけ納得してしまう。

彼女は、今、ちょっとだけ反抗期なのだ、と。

周りに期待される自分を演じてきて、その事に疑問を持ち始めて、そして―――今ぐらい好きにさせくれと。

だから、人間関係まで勝手に期待して来る人の言葉に、怒ってしまったのだろうと。

 

何だか、言っちゃ悪いけど。

 

「何だか照さん、可愛いですね」

 

そう何気なく声にした言葉は、その瞬間に思い返すととても歯が浮くようなセリフだった。

一瞬後悔しかけたが、

「------」

眼前にいる彼女が固まりつつ真っ赤に顔を赤らめている様を見て、言った甲斐があったなぁなんて思ってしまった。

 

本当に、色んな意味でチョロイお人だと思ってしまった。

 

 

 




どうでもいいんですけど、私の友人がヨーロッパに留学して人生で初めてできた白人の彼女が美人局だったらしいのです。そんな友人に私はどんな声をかけてあげればいいのでしょうか?現在お悩み中です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

離れ行く距離、及びその感情

自分は、よく他者からクールだと言われる。

―――思い返せば、あまり感情を見せる方ではなかったとは思う。

大星淡と比較すれば解りやすいだろうか。まるで子犬の様にコロコロ表情が変わるあの娘に比べ、自分の感情表現は何処までも小さいモノだった。

別段、意識していた訳ではないと思う。

彼女はそういう在り方で日々を生きてきた訳で、その在り方を変える必要が無かったからずっとこのような人間だったのだ。

ここで、少しだけ思った事もあった。

―――自分ではなく、自分に付随した玉座と王冠を見られている事。自分という人間を見られていないのではないか。そんな悩みを無意識に抱え、プロではなく大学の道を選択した。そんな自分であったが、―――そもそもの前提として、自分はそもそも人に見せるような顔を持っていたのだろうか。

自分は淡の様な子犬の様なかわいらしさは無い。菫の様な厳しさや凛然とした佇まいも無い。何事にも無感動で、無表情で、―――まさしく、玉座に座った人形でしかなかったのではなかっただろうか。

そんな自分が、誰かに「自分」を見せられるのだろうか。

麻雀によって培われた実績以外で。

「-----」

だからこそ、意外だった。

何故自分はあの場面で怒ったのだろうか。

その感情の在処を深く洞察するには、まだまだ彼女には色々と経験が足りなかった。

―――そうだ。私はお姉ちゃんだ。

そう、自分はお姉ちゃんだ。お姉ちゃんたる者、弟を馬鹿にされて黙ってちゃあいけない。

だからきっと怒ったのだと思う。

 

ならば―――あの台詞を言われた瞬間に顔面が沸騰したように熱くなった理由は?

「------」

解らない、という事にした。一先ず、その場面を思い浮かべ現れし感情は8割の羞恥心と2割ばかりの怒りだった。

後輩のくせに、弟のくせに、実に実に生意気だ。

これから。きっとこれからだ。

自分のお姉ちゃんとしての威厳を取り戻せる機会は十二分にあるはずだ。

------そう、この時ばかりは思っていた宮永照であった。

 

 

須賀京太郎は自室で一人テレビを見ていた。

----好きな番組だけれど、あまり内容が入ってこなかった。

意外と、先日の出来事が尾を引いているのだとちょっとだけ感じていた。

―――宮永照という不思議な人は、立ち位置によって見え方が違う。

遠目から見ればとても荘厳な人なのだろう。人を寄せ付けない圧倒的な存在感と、それを裏付ける実績の数々。それだけを切り取ればきっと彼女は「超人」なのだろう。

近くの視座から見ているあの姿に見慣れて、大多数の人間から見られている彼女の姿をついぞ忘れてしまっていた。いや、見て見ぬフリをしていたというべきか。その事を実感してしまった先日の諸々は、彼の心に一つしこりを残してしまった。

それは、あの場面で思った事ではない。あの日、彼女と別れた帰り道の途中で、潮が引くようにぶり返した思いだった。

彼女が少し褒めただけであんな風に赤面してしまう程に普通の女の子であるという事実と、しかし結局周囲の大多数はそうは見てくれないという事実。この二つを秤にかけて、宮永照という存在を思う。

―――友達でいる事に、理由は要らない。

そう彼女は言っていた。きっとそれは何処までも普通の感覚で、それ故彼女も何処までも普通の女の子なのだと思う。けれども、周囲はその理由を要請するのだ。それはきっと―――無視できない程に強力な要請なのだ。

これから彼女と付き合っていく上で、またしても彼女にあんな風な対応をさせてしまうのか。

あの時は純粋に嬉しかった。それは間違いない。けれども、きっと多数の人間がああいう思いを持っているはずなのだ。

その事実に―――もうそろそろ向き合わねばならないのだと、感じ始めていた。

「中々、厄介だなぁ」

そんな思いが浮かんできている辺り、自分も彼女との二ヶ月ばかりの日々が楽しかったのだな、と自覚する。

けれども、本気で考えなければならない時期になってしまったのだ。

しょうがないな、と彼は一言呟いた。

 

 

それから―――とても平穏な日々が続いた。

宮永照と須賀京太郎は、いつもの様にいつもの関係に収まっていた。少なくとも、周りからすればそのように見えていたのだろう。

―――けれども、少しの違和感を宮永照は感じていた。

彼はいつもの様に我儘を言えば付き合ってくれるし甘えさせてくれる。

けれども―――その振る舞いに少々の遠慮を感じてしまうのだ。

以前の様に、容赦ないツッコミをしてくれなくなった。「後輩」として「先輩」を立てる―――そういう関係を維持していた。

その変化は、とても唐突だった。

 

何故だろう。

自分はそういう関係を求めていたはずだったのに。

姉として、つまりは年上としての威厳を彼に知らしめてやりたい。あの無遠慮で雑な扱いに頬を膨らませていたはずだったのに。

いざその扱いが無くなってしまって、浮かんだ感情は―――。

 

理解したいような、理解したくないような。

そんな入り混じった思いが絡み合って、その感情は彼女には到底解らないモノだった。

 

けれども、何だかその感情と向き合ってしまえば、訳も解らず泣き出してしまいたくなる類のモノだという事は、理解できた。

 

そして―――元に戻りたい、という思いがその根底にある事も。

 

「寂しい-----」

ポツリと無意識に呟いた言葉に、ハッとしてしまう。

あの気に入らなくて仕方なかった日々を自分は惜しんでいる。

一体どういう事だろう。

そう疑問が頭をもたげた瞬間―――彼女は思わずスマートフォンに手を伸ばした。

その瞬間、スマートフォンが鳴り出した。思わず、心臓が跳ねる。

その宛先をジッと眺める。

「------咲?」

ホッとしたような、残念なような、そんな気分に駆られながらボタンにタップした。

 

 

「もしもし-----」

「あ、もしもしお姉ちゃん?今時間いい?」

「うん。どうしたの?」

「いや、三日後に対局する人がお姉ちゃんが高校の時に対戦した事がある人だったから、どんな感じなのか聞きたくて」

「ん。解った。どの人?」

「えーっとね-------」

咲の声に、淡々と応えていく。過去の対局のほとんどを彼女は覚えている。こうして麻雀関係に頭をよぎらせている内は、悩みは忘れていられる。

―――そう思っていたのだけれど。

あらかた話し終え、咲はありがとうと一言呟き、そのまま切るかと思えば―――まだ、言葉をつづけた。

「-----お姉ちゃん、元気ない?」

いつもの通り、訥々と話していたつもりだったが―――妹にはバレバレだったらしい。

「何かあった?」

そう聞く妹の言葉はありがたかった。本当にありがたかった。けれども―――それと同じくらい、聞いてほしくなかった。

情けなくて、恥ずかしくて、言いたくない。でも言いたい。相反する感情が入り乱れてぐるぐる回って、思わず彼女は耳にスマホを当てながら閉口し続けた。

「お姉ちゃん」

そうスマホから聞こえてくる声は、されどとても優しくて―――一方の感情を、優しく抱きかかえるように排していった。

思わず、彼女は滔々と妹にこれまでの事を打ち明けていった。

 

「-----。そっかぁ。やっぱり、京ちゃんも変わらないんだね」

「変わらない------?」

「うん。変わらない。―――何処まで行っても、気遣いの男の子だから。京ちゃんは」

気遣い?

彼は、―――自分に気遣ってくれていたのか。

「多分、馴れ馴れしくしすぎた、って反省したんだと思う。何処のタイミングかは解らないけど。お姉ちゃんの立場とか、自分の立ち位置とか、そういう部分を無視できない人だから。多分、勇気を出して思い切って関係を変えたんだと思う」

だから、と彼女は続ける。

「今が気に入らないなら―――次に勇気を出すべきは、お姉ちゃんだと思う」

そう言い切った。

「私も、ずっとボッチだったけど-----色んな事があったなって思う。和ちゃんとも回数は少ないけど何度か喧嘩もしたし、そもそもお姉ちゃんとだってあんな感じだったし。否応にも、人間関係ってそのままじゃいられないと思う。気が合うからそのままでいたい、ってだけでずっと続く訳じゃないと思う。それが、変に気を回すような京ちゃんみたいな人だったら、尚更」

その言葉を、ジッと姉は聞いていた。

―――今の自分の胸の内に、しっかりとその言葉が落ちてきた。その感覚を噛みしめながら。

「頑張って」

そう言い終わると、彼女はじゃーねーと言い残し、通話を切った。

残された宮永照は、しばしジッとスマホを眺め、何かを呟いていた。

 

 

「頑張れ------か」

何だか自分で言って恥ずかしくなる言葉だ。

けれども、これはちょっとした償いの意味も込めている。

----自分に友達が出来た時から、ちょっとずつ距離を置いていった京太郎と、それに気づく事すら出来なかった自分と、姉をだぶらせて。

姉は、気付けた。

それだけでも―――自分より、きっと京太郎を大事に思ってくれているのだろうと。

だから、頑張ってほしい。

それだけだ。

 

 




人はどれだけカレーのみでやっていけるのか―――現在実証中。二週間目に突入しました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

雨上がりの昼空に

日曜日。この日は天気予報通り強めの雨が降っていた。それもかなりの強風を伴った、軽めの台風と言っても過言ではない大雨。

予報通り故に買い物も洗濯も前日に済ませていた須賀京太郎は、する事も無くただソファに寝転がっていた。

ざあざあと降り続ける雨の音だけが聞こえ続ける。こういう日は、意外と余計な事を考えずに済む。彼は無心となってネト麻をスマホで行っていた。

―――いつも通りだ。

ゆっくりと、ゆっくりと。このまま距離を開いていけばいい。

いつも、とはいつの事だろう。

それは、きっと高校生だった時の事だったと思う。

―――別世界に住む人間とは、こういうものなのだ。

 

きっと何処かで、理解が及ばなくなってしまう。

そうして、自然と―――ゆっくりとした歩調のまま、いつの間にか離れ行くのだ。

 

そういうものだ。そういうものだった。

雨水が降り落ち、そして日が昇れば空気に紛れていく様に、消えていく。

 

自分は何処まで行ってもそういう存在なのだ。

 

だから、今回の事もきっと正しいはずだ。―――そう、自分は思えているはずだ。

そのはずなのだ。

 

「----うーん、駄目だな」

満貫直撃によって無事最下位が決定したネト麻の惨状を眺め、そう苦笑する。何が無心だ。いらない事ばかり考えすぎているからこんな事になるのだ。

やめだやめだ、と彼は呟くと狭苦しいキッチンへと向かいやかんに水を入れ、湯を沸かす。

茶でも飲んで、落ち着こう。そうでもしなければやってのられない。

火をつけた瞬間、チャイムの音。

―――こんな雨の日にご苦労様です。

きっと宅配便だろうとお待ちくださーい、と間延びした声をあげながらチェーンとキーを外し、がちゃりと扉を開ける。

そこには、

「須賀君-----」

そう弱々しく呟く、美人な女の子。

雨にまともに打たれたのだろう。髪の毛はすっかり濡れ、衣服共々べったりと素肌に貼り付けている。

あまりにも予想外の出来事に沈黙を続ける須賀京太郎のその姿を、彼女はどう解釈したのであろうか。ぶるりと寒そうに震えるその顔面を斜めに傾け、

「え、えっと-----き、きちゃった----?」

震える腕でピースを作り、笑ってんだか寒さに悶えているのかよく解らない表情で須賀京太郎を見やった。

沈黙。およそ五秒。

ようやく、―――この光景を脳味噌が処理してくれた須賀京太郎は、同じような引き攣った笑みで、言った。

「あの―――取り敢えず、シャワー貸しますよ」

「お願い」

即答だった。

なんだこれは、と彼は内心ぼやいていた。

 

 

「あの------本当にごめんなさい----」

「いや、それは別にいいんですけど------何でこんな事に----」

現在、シャワーを浴びた後にダボダボのシャツにドライでどうにか即行で乾かしたジーンズを着ている彼女が、弱々しく頭を下げている。本当、何でこんな事になったのだ。

「あのね、本当はもっと早くつくつもりだったの」

「うん?」

「道に迷ってしまって------それで歩き回っていたら雨が降り出して------近場のコンビニで傘を買ったんだけど、それも風で壊れちゃって-----」

「早くつくつもりって-----何処に?」

「須賀君の家」

「-------」

何故だ、と聞きたかった。今すぐにでも。

―――でも、きっとその何故を伝える為に、きっとここに来たのだと思う。

その空気を読み取った須賀京太郎は、ジッと彼女の目を見る。

その目を受けて、彼女はゆっくりと話し出した。

「須賀君-----」

「はい」

「―――どうして----?」

どうして。

何に対しての疑義か―――須賀京太郎はすぐに理解できた。

そして自分が言うべき言葉も。

嘘を投げかけねばならない。

この態度の急変は、自分の本位であると。自分が望んだままそうしたのだと。そう言わねばならない。原因は全部自分で、貴女には一切関係ない、と。

もう貴女との友達関係は自分にとって負担だから、だから自分は望むままそうしたのだと。そう言わなければならない。

 

けれど。

 

目を、見る。

変わらない目だった。

―――麻雀をしている時の、力強い目と。

 

「あのね、須賀君―――私、前に友達でいるのに理由は要らないって、言った事あるよね」

はい、と答える。

「あれ、私は多分こう言いたかったんだと思う―――理由が要らない友達が、ようやく出来た。嬉しい、って」

彼女は微笑む。

その笑みは子供のようだった。子供みたいに、純粋な感情を湛えた、笑顔だった。

「私は色々肩書きが出来ちゃったし、その恩恵だってたくさん受けているって知ってる。でもね。―――私を、私として見てくれる人はとても少なかった」

王冠と玉座。

それを頭上に乗せ、それに座りし者は、周囲から見れば間違いなく王様以外の何物でもない。

彼女はそれをずっと被り続けてきた。それを背負い続けてきた。

その事実が―――彼女が一人の女の子だと言う事実を覆い隠してきた。

「だから―――本当に悲しかった。今回の事」

胸が突かれるような痛みが走る。

―――予想はしていたけど、やっぱり気付いていたし、傷ついてもいたんだ。今回の事。

「でもね―――それでもやっぱり嬉しい。ああ、これが友達なんだ、って」

笑いながら、彼女は続ける。

「ちょっとした事であたふたして、ちょっとしたことで悲しんで、ちょっとしたことで―――嬉しくなって。こういう、些細な出来事も含めて友達なんだって。友達である為に、こうやって勇気を出せた事も、―――ああ、本当に欲しかった友達が出来たんだって、その事に気付けて、嬉しかった」

そう、本当に嬉しそうに彼女は言う。

―――友達。

些細な事で笑い合って、些細な事で傷つけあって、―――そういう事を繰り返して、繰り返しの果てに出来上がる関係性。

この関係の心地よさを、須賀京太郎は知っている。きっとそれは空気や水の様に当たり前に存在するものだと決めつけていた。

けれども、やっぱり―――ある人にとっては、それは中々得難いものなのだ。

「だから、須賀君」

彼女は笑いながら、

「―――どうか、面倒かもしれないけど、私と友達でいて下さい」

そう、言った。

「周りが何と言おうと、どんな風に捉えようと―――私は、須賀君は素敵な人だって胸を張って言える。これだけは、本当の事」

「照さん------」

「私の事を知らない人なんかより、須賀君の方がずっと大事。―――だから、気にしないで」

疑うまでもない。

きっとこればかりは本当の事なのだろう。

そしてこの言葉が本当であるならば―――自分は、何という馬鹿なのだろうと、思ってしまう。

いらない気を回して、そしていらない傷を彼女につけてしまった。

自分がやったことは、結果的にはそういう事だ。

 

けど。

それでも―――きっと彼女はこう思っている事も解っている。

このいらない気回しもまた、須賀京太郎を構成する一要素なのだと。

 

そういう部分を知っていく事が、そして許容する事が、本当の「友達」なのだと。

だからきっと、こんな風に笑えるのだ。

そして自分も―――繋ぎ止めたい彼女の思いを、自覚することが出来た。

だったら―――いいかな、と思う。

彼女はポンコツだけど、だけどとってもいい人で―――何処までも可愛い人なんだと。そんな事を知ることが出来て。

「やっぱり―――照さん、可愛いですね」

「うるさい」

睨み付けるその姿さえも―――例えようもなく可愛いのだから、本当に困ってしまう。

外を見る。

いつの間にか、雨はすっかり上がっていた。

まるでふるめかしい映画みたいだ。そう彼は何となく思ってしまった。

 

 

「それじゃあ、仲直りの握手―――そしてついでにお出かけ」

「はいはい付き合いますよ、全く------」

「それじゃあよろしくね―――京ちゃん」

その最後の言葉は、別段違和感を覚えられないくらい自然だったのが、とても意外だった。

こういうものか。そう彼は自然に納得する事が出来た。

 

―――雨上がりの昼下がりに、一つ薄い虹がかかっていた。

綺麗だなぁ、と少し思った。




朝起きて、水飲んで、パン食って、畳の上で寝て、起きたらベッドの上でした。

夢とはかくも複雑なモノなのだなぁ。何て無意義なのだろう。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

緩やかに進む日々の中で

宮永照は文学少女である。

よって今日も今日とて本を読む。好きな作家の新刊が出たとあって、彼女は実に機嫌よさげにそれを読み耽っていた。

------少しの間、本を読もうと思っても中々集中できない時期が続いたので、フラストレーションなしで読めることが出来るこの状況が、とても嬉しい。

リズムよくペラペラとページを捲りストーリーを追っている中、ある一説でピタリと文字を追う目の動きが止まる。

“恋とは、自らの欠けた部分を他者に求める行為だ”

「-------」

ふむん、と一つ頷く。

成程―――自らの欠けた部分を他者に求める行為が、恋なのか。

栞を挟んで、パタンと本を膝の上に置く。

別に。そう別に―――自分は恋なんてしていないけれども、将来的に僅かでもする可能性があるのだ、うん。だとするならば、徹底した自己分析が必要なのだと思う。

自分が欠けているもの―――。

 

「---------」

---探せばいくらでも出てきました。はい。

いや、違う。違うのだ。方向感覚とかそれに付随するポンコツぶりとか、そういう事じゃない。ここでいう欠落というのは、そういう軽い意味合いじゃない。

どうしても埋めたくて、それでも埋められない欠落。

必死になって足掻いて―――わざわざプロの道を遅らせてまで見つけ出そうとしたもの。欠落を埋めるモノ。結局それでも見つけられていないモノ。

「-----うん」

きっと、それは。

その欠落を埋め合わせるモノは―――自分の中にあるモノじゃなかったんだ。

だから見つからなかった。だからもやもやとしていた。そして―――今、まさに、それが見つかりそうに―――。

「------」

なって-----いるのだろうか?

その欠落は何なのだろうか?

それを誰が埋めてくれそうなのか?

 

解らないフリを、今自分はしているのだろうか?

だから今―――考えている内に、考える事を止めてしまいたいような、そんな変な感覚に追われているのだろうか?

 

自分が抱えている疑問は、麻雀をする理由。

それは未だ見つかっていない。

 

そして、新しく見つけた自分の欲求。

それは―――。

 

 

「京ちゃん京ちゃん」

「何ですか照さん」

「------今度、ここに行こう?」

「何処ですか------またスイパラですか」

「ただのスイパラではない。チョコレート特集」

「糖分には変わりないんです、照さん。糖尿になっても知らないですよ。そうなったら、年単位でお菓子食べられなくなりますよ」

「------それは困る」

「そんなに死にそうな顔になる位だったらもうちょっと節制を覚えましょうよ、全く-----」

麻雀部部室内。ごくごく前までは当たり前だった光景が眼前に繰り広げられていた。牌を拭いている京太郎の背後から雑誌を見せる照の姿。

何となく距離が空いたかと思えば、いつの間にか戻っている―――それに、京ちゃんなどと呼称まで変わってしまっている。

「おーう“京ちゃん”。ウチのエースを手籠めにするなんて随分ご機嫌じゃない」

「人聞きの悪い事を言わないで下さい、キャプテン。------だったら先輩方もどうですか?スイパラ地獄を一緒に巡りましょうよ」

「やだよ。馬に蹴られる趣味は私には無いんだ。一人で行って一人で血圧を上げてくるんだね」

「------照さん、健康診断大丈夫なんですか?」

「一回の対局で消費するカロリーが、そこらの雀士の数倍だってさ、この子。本気で脳内活動で糖分を使い尽くしてるんじゃない。ま、だから大丈夫よ」

「本気で何なんですかこの人------」

「知らぬが仏って奴だね。知らない方がいい」

ケラケラと笑いながら弄られる。しかして照は実に涼しい顔だ。もうこの程度で羞恥心に顔を真っ赤にすることも無い。

―――何だろう。何故否定しないのだこの人は。

「ほれほれ~照りんも、ようやく男に熱を入れ上げる季節が来たか~。いっひっひ、やったぜ」

「何がやったぜなんですかね-------」

「ん?この子はね、恋愛話になる度私興味ありません、って顔していたからね~。麻雀も強いくせに男で痛い目見ていないなんて理不尽にも程がある。大失敗して大火傷して大泣きしやがれいい加減」

「うわ-----性格悪っ。失敗する前提ですか-----」

「だって須賀じゃない?こんなもん、泥船で太平洋つっきて行くようなもんじゃない。失敗は保証されたようなものよ!」

「何て言い草だ!誰が泥船ですか誰が!」

ぎゃいぎゃいと言い争いを始める京太郎と主将の間に―――平坦な言葉がぴしゃりと入る。

「大丈夫」

「------へ?」

「私、これでも見る目があるつもりだから―――キャプテンと違って」

ニコリと、雑誌で見せる様な猫かぶりスマイルを完璧に貼り付け、何とも残酷な言葉を投げかける。

主将は笑顔のまま固まり、そのまま沈黙が数秒ほど辺りを支配した。

そして、

「うるせええええええええええええええええええええええ!!」

泣きながら部室を去っていった。

------強かな所は、本当に強かなのだなぁ、とちょっとばかり感心したのでした。

 

 

「京ちゃん、一緒に帰ろ」

部活が終わると、この頃はこういう誘いを受ける事が多くなった。

まーたお菓子珍道中かと思えば、そういう訳でもない。ショッピングや書店、果てはスーパーでのお買い物などにも、何故だかつき合わされる事が多くなってきた。

------何故、と言っているけど、その理由は流石の彼でもこの期に及んでその理由が解らない程に鈍くは無かった。

あの時、自宅で受けた真っ直ぐすぎる程に真っ直ぐな言葉は、彼の胸に刺さっている。

「ねえ、京ちゃん」

「はい?」

「今日の夕ご飯は何?」

「え?今日はちょっと部活が遅くなったので、カップ麺でも------」

「それは駄目だよ。栄養が偏っちゃう」

「あの-----申し訳ないんですけど、とんでもなく糖分過多な栄養事情の照さんに言われたくないです-------」

「京ちゃんは料理が上手いんだから、毎日でも作るべき」

「別にそれほど気にしなくてもいいと思うけどなぁ。所詮は大学生男子の独り暮らしですから」

「駄目。―――私も手伝うから」

「え?」

「一緒に作って、一緒に食べよ?」

表情を全く変えぬまま、そんな言葉を放つ。こういう時に、少しだけ困る。冗談かどうか、判別がつかない。

何を言うべきか迷い、無言となる。彼女はこれを了承と受け取ったのだろう。自然と京太郎の手を引き、近場のスーパーへと引っ張っていく。

「いや、あの照さん」

「いいから」

何がいいのか了承を得ぬまま、彼女はゆっくりと彼の手を引いていく。

「―――ご飯も、一人より二人で食べたほうが楽しいよ?」

まるで当たり前の道理を言葉にするかの如く、彼女はただそう言った。

------何と言うか。

そういうのはやめた方がいい、と言うべきなのだろうけど。けど彼女のその言葉も、京太郎だからこそ言っている言葉であるという事も理解出来ていて。だからこそ、何も言えずにいるのだ。この辺りの絶妙な匙加減と言うか、如実に距離が縮められていく様に、何とも言えない危機感を覚えると言うか。

「私ね、京ちゃん」

「ん?」

「前に、麻雀を続ける理由が欲しい、って言った事あるよね」

「ええ、はい」

「―――見つけちゃったかもしれない」

「------聞いても、いいですか?」

「ううん。まだ秘密―――。実の所、私もまだはっきりと言葉には出来ていない」

「そう、ですか」

「うん、そう。だから、今日のご飯はエビフライにでもしようか」

何が「だから」なのか一切解らない奇妙な決定により、本日の夕飯はエビフライとなった。

油の用意が面倒だなぁ、なんて思いながらも笑みを浮かべて、彼は彼女に手を引かれ、スーパーマーケットへと足を踏み入れた。

まあ、こんな日々も悪くないなぁ、なんて思いながら。

 

 

その日の夜―――。

「照さん!違う、違います!小麦粉に何で砂糖混ぜようとしているんですか何を考えているんですかああ今油跳ねてるんですから近付かないで下さい本当にお願いしますからリビングで待っててくださいああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

手間は結局二倍かかったとさ。

 

 




50話ですか------。結構長続きしましたねえ。これもひとえに読者様のおかげ。ありがとうございました。ネタ切れの恐怖に怯えながらまだ頑張ります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

照れと共に、踏み出す一歩は

異性の「友達」

それは私にとってはじめて出来た代物だった。

友達は友達だ。とても気が合うし、とても頼りになるし、とても一緒にいて楽しい。

 

今の関係性はとても穏やかで、温かい。

心地がいいのだ。それは―――例えば小春日和に微睡む朝のようでもあるし、ぬるま湯に満たされた湯船で船を漕いでいる時のようでもある。

この感覚は、けれどもその先をどうしたって感じてしまうモノでもある。

微睡みはいつしか振り払わなければならないし、ぬるま湯はいずれ冷めきってしまうから温めねばならない。

この関係に甘えている、という事は―――いずれ大きなしっぺ返しを食らうんじゃないか、という危機感が存在している。

 

それは、多分、彼が一度私との関係を離そうとした時から、抱いている危機感だ。

 

今までの様に、何があっても変わらない不動の関係じゃないんだ。

変わらなければいけないんだ。

―――それは、何故なのだろう?

 

答えは一つだと思う。

自分は―――ずっとぬるま湯に漬かっていたいと思える人間じゃない。

 

私自身が変わる事を願っているんだから、ならば私の方から変わらなければならない。

 

そんな事を、思うのでした。

 

 

「―――それで、もう腹は決まったのか」

「はい。―――私は、プロに行きます。もう決めました」

そう監督に笑顔で答えた。

来年になれば、進路も決めなければならない。この決断を迷いなく行う為の、大学生活だった。

見つからないのかな、と思った。

けれども、―――答えは、意外な所から転がって来た。

そういうものか、と呆れてしまうかもしれない。それ位呆気ない程簡単に手に入れることが出来た。その「理由」。けど、何であれ得ることが出来た。出来たのだ。

「そうか。それはよかった。お前がプロに入らない、なんて事になったら、俺は来年死ぬほど忙しくなるところだっただろうからな」

「そうなのですか?」

「まずマスコミの取材が入るだろー。そして週刊誌辺りにある事ない事書かれるだろー。そうなると大学のお偉いさんからめっちゃ叱られるだろー。そんでついでに麻雀協会のハゲ共にも叱られるだろー。そりゃあ大忙しだ。くたばればいいのにねー、あの諸々の連中」

「大変ですね」

「ま、散々お前でいい思いしてきたしな。そのくらいはまあ甘んじようと思っていたのよ。大学や協会共の業突く張り共と違って俺は謙虚なんだ。それでも、別にいいと思ってたよ。別にプロなんかならんでも。プロ、きっついだろうし」

「--------」

「プロってのは理由なしに長くやっていけるような世界じゃないのよ。それを見つける為に大学に来て、そしてここで見つける事が出来たんだろ?よかったじゃねえか。いい思いをさせてもらったし、その位の財産を残せたなら、ま、少しは俺の気が楽になるってもんだ」

「それはよかった」

「おう、本当によかったぜ。―――まあ、プロ入るなら今からでも遅くはねぇや。男見る眼は養っていた方がいいと思うぜ。将来、あの四十路珍道中怪奇百鬼共の一員にはなりたかないだろう?------おっと、これは別にセクハラじゃねえぞ。温かな家庭を持ちたい、っていう一般的願望をお前が持ち合わせているなら、だ」

「心配無用」

「あ?」

「私―――ちゃんと人を見る目、あると思っていますから」

そう、彼女にしては珍しい―――何処か勝気な笑顔を浮かべ、そう言った。

 

 

「ねえ、京ちゃん」

「ん?どうしました照さん」

スイパラ地獄巡りの終点の地。まるで血液全てが糖分にとって代わってしまったような重々しい頭と胃袋を抱えながら帰り道を歩いていた須賀京太郎に、無邪気で平坦な声で彼女は言う。

「唐突だけど―――京ちゃん、麻雀、好き?」

そう尋ねた。

その唐突な質問に面食らいながらも、京太郎は答える。

「そりゃあ、好きですよ。そうじゃなきゃ、高校の間、ずっとやっていた訳ないじゃないですか」

淀みなく、迷いなく、答える。

「------野暮かもしれないけど、どうして好きなの?」

「どうして------どうしてなんでしょうね?」

彼は思案顔でうーむと唸る。

「理由は------ちょっと解らないですね。まあ、好きかどうかなんてそれ程大層な理由は必要ないでしょ?照さんの異常なお菓子好きに理由なんてありますか」

「お菓子は甘くて、おいしい」

「ああ、まあ、そんな理由ですよね。そんな感じですよ。何となく見ていて楽しいんですよ。だから好きです。明確な理由は無いですよ」

「そうなの?」

「はい―――照さんは、どうなんですか?」

「私?」

「はい。―――照さん、麻雀、好きですか?」

そう、今度は尋ねられた。

麻雀が好きなのかどうか?

―――恐らく、好きだと思う。

その答えが、今の所きっと限界だ。

 

恐らく、だ。まだ恐らくでしかない。はっきりと麻雀が好きであるかどうかを自覚してきた訳じゃないから。

自覚できないから、どうにかその理由を求めたのだ。

自分は麻雀以外知らない。

麻雀を通して出来た友人。麻雀を通して見られる自分。

自らの全てが、麻雀によって繋がっていた。

ならば―――麻雀を除いた自分という存在は、何者なのだろうか?

 

麻雀が好きだ、というその言葉は―――何と比較して、出来上がる言葉なのだろう。

 

麻雀以外に物差しが存在しないのに、どうやってそれが好きなのかどうかを測るのだろうか?

それが、解らない。解らないから、明確な答えが自分の中で出来上がらない。

けれど。最近、少しだけ解ってきた気がしてきたのだ。

自分の生活は何も変わりはしない。麻雀が中心だ。それを基点に私の世界はずっと回り続けている。

けれども―――今は、以前よりもずっと華やかな気がしているのだ。

 

「------前に、言った事があったと思う。私は、理由が欲しいって」

「はい。―――見つかりかけてるとも」

「うん。ねえ、京ちゃん」

「はい」

「京ちゃんから見て、私はどういう女の子に見える?」

「ポンコツお菓子妖怪ですかね」

「真面目に答えて」

「すみません大真面目です------」

「------他には」

「基本的に駄目な人ですね。わりかし欲望に忠実だし、欲望にかまけてよく道に迷いますし、そのくせお姉ちゃん面したがるし―――あ、痛い痛い。手の甲つねらないで下さい」

「京ちゃんが私をどういう目で見ているのかよーく解りました。------じゃあ、そんな京ちゃんから見て、私は麻雀が好きなように見える?」

「勿論です」

それは、断言できる。

―――どれだけ才能があったとしても、嫌いなものでここまでの実績を上げられる訳がない。ここまで真摯になれるわけがない。そんな事くらい、例え京太郎であったとしても解っている。

多分、解ってないのは眼前にいる本人ばかりなのだろう。

「うん―――ありがとう。多分ね、私が欲しかったのは、その答えなんだと思う」

「答え?」

「うん―――私は、私が麻雀好きなんだって、誰かに認めてもらいたかったんだと思う」

自分の中をいくら探しても、理由は見当たらなかった。

それは、きっと自分の中にはないモノなのだと思う。

当たり前だ。

自分の欠けているものを自分の中に探し求めても、見つかる訳がないのだ。

 

「京ちゃんは、私を認めてくれる。認めた上で、関わってくれる。雀士としての私からかけ離れた部分を、しっかり理解してくれる。―――そんな人から、認められたかったんだ。私は麻雀が好きなんだって。認められたうえで、自分の麻雀をやっていたかったんだ。それが、私が求めている事だったんだと思う」

 

認められたかった。

玉座も王冠も関係ない、まっさらな視座を持つ人から。

ただ、それだけだった。たった、それだけだったのだ。自分が求めていたものは。

 

「だから、ありがとう」

そう、心の底から言い切った。

自然と、そう言うことが出来た。

「京ちゃんは、私の欠けた部分を埋めてくれた。だから、ありがとう」

「その-------大袈裟ですよ。お礼なんていらないです」

 

「そうだね。京ちゃんは私の事が大好きだもんね。私も大好きだよ」

そう半分冗談で言い切った言葉に―――沈黙が、走る。

お互いが、お互いに―――このセリフをどう解釈するのか、この反応をどう解釈するべきか、戸惑っている感じで。

完全に冗談めかして言えればよかったのに。-----特に最後のセリフに微妙な照れが入ってしまったせいで、やけに実感が伴ってしまった。だから、反応に困ってしまったのだろう。

それに―――。

 

「あの-----照さん」

結局の所―――須賀京太郎にとっては、図星も図星であったのだから。

だから、ここはもう言い切った方がいいと思った。

「俺も、大好きですよ」

その―――何とも言えない不器用な台詞に、どう思ったのだろうか。

そう思い、彼女を眺める。

見た事の無い表情をしていた。

恥ずかしがっているようにも見える。

照れているようにも見える。

怒っているようにも、嬉しそうにも、―――どんな解釈も通りそうで、通らない。

彼女にとってはじめて訪れた、感情の爆発だったのかもしれない。

「京ちゃん」

「は、はい」

「-----理由、もう一つできちゃった」

「へ?」

 

そう伏し目で地面を見ながら、彼女はきゅっ、と彼の左手を握った。

 

「そ、その------これからも、よろしくね?」

そう、泣きそうな表情で伝えていた。

 

かくして―――何とも締まらない幕切れであったものの、また一つ彼女の関係性に、少しの変化が起きたのでした。

恐らくは、まだまだ続くであろう変化の中のほんの些細な一歩かも解らないが―――それでも、彼女にとっては大きな一歩であった。




ある日、すれ違った女性から小声で「ヒッ」と悲鳴を上げられました。とても美人な方でした。美人の怯え声を聞けた事に感謝すべきか、ショックを受けるべきか、私の心は葛藤の最中に在ります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

再整理と再認識

締まらない。実に締まらない。

そんな帰結であるけれども―――両者は至極あっさりと彼女彼氏の関係となったのであった。

何か劇的な事が起こった訳でもなく、何というか不自然な軌道にそのままするすると流されるまま関係が変化したような気がするのだ。

劇的な訳でもなく、だからといって自然な流れでもない。こうなると、少し困る事もある。

「-----」

「-----」

「あ、あの!」

「へ、あ、ああ。な、何ですか照さん」

「え、えっと。えっとね」

「はい」

「-------えっと、その---」

「-------」

「な、なんでもない-----。ごめんなさい-----」

空気が、何やら不穏です。

いや、違うのです。違うのですよ。―――そう須賀京太郎は誰にという訳でもなく言い訳をする。

不穏にしているのは自分と彼女ではない。ただただ自分達は何処までも純情な心を純情なままに純情故に戸惑い、照れてしまっているだけである。いや、自分はともかく、彼女は間違いなくそうであろう。

宮永照、二十歳にして―――純情乙女街道邁進中である。なにこれ可愛い。この可愛さは間違いなく大学生じゃなくて中学生辺りの可愛さではあるけど。

 

ならば、「不穏」という忌むべき形容をせねばならぬ元凶は何処にあるのか。

それはとても簡単な解が存在する。

ここ―――麻雀部部室です。

 

「------おい、須賀」

「-------」

「返事------」

「はい、何でしょうか主将」

「うん、あのさ、―――出ていけ」

主将の額にはビキビキと音が鳴ってそうな、ともすれば空気を注入でもしてそうな程に、如実に浮かび上がった青筋がある。

いや、その、ねえ?

気持ちは解るけど------ねえ?

「ほ、ほら主将。人徳を積むにあたっては、まずもって他人の幸せを願う事から始めよと、どっかのお偉いさんが仰っていましたよ------」

「須賀」

「は、はい-------」

「幸福の総量はな、決められているんだよ。そして幸福とは、相対的なものであるらしい」

「そ、そうなんですか----」

「うん、そうだ。それでだ、須賀。―――今お前の幸福は確実に私の不幸を持ち運んでいると言う事を、理解しているのだろうか?今私はお前が不幸になってほしくてほしくて堪らない」

「ひでぇ」

「不幸になれ!散々お前だって私の不幸をネタに幸福になってんだ!おっしゃさっさと出ていけ―――」

ありがたやありがたや。

こうやって真っ直ぐな罵倒の声は、ある種の救済なのです。

―――生温かな空気こそ、雰囲気を不穏にさせるのです。

食材がぬるい空気が一番腐りやすいように、祝福しているのかしてないのか、遠巻きからはじめてのおつかいをしている子供を見るような目が、一番堪える。―――いや、理解しているのだ。まるでこの空気感が、実に子供じみた代物でしかないと言う事が。

「なんだなんだこの空気は。おう、須賀。思春期リビドーたっぷりな時期に女塗れの部活に入ってなお誰にも手を出せずにいたチキンを超えたグリルチキンが一体どんな手使ってウチのエースを手に入れやがった?」

「何ですかグリルチキンって。ただの料理じゃないですかそれは」

「お前を焼き殺したいというだけで、特に意味はない」

「もうただの願望じゃないですか!」

ぎゃーすかと言い合っているその傍で、もくもくとお菓子を食べながら宮永照はその光景を眺めていた。

------心持ち頬を膨らませながら。

その視線に、須賀京太郎は何か気付いてしまった。

------その様子は、嫉妬と独占欲の顕れというよりも、構ってもらえず拗ねている子犬みたいだと思った。

ああ、何だ。

何だかいつも通りの人だなぁ、なんて思ってしまった。

 

 

帰り道。

「-----」

「-----」

またも、無言。

これまた、何というか拾ってきた子犬みたいだ。

温かい場所にいれて嬉しいけど、何処まで我儘が許されるのか、探っている感じの。

そう思うと―――ちょっとだけ笑えてしまった。

そうそう。探り探りなんだ。変化に対応する、というのは。

だから―――ちょっとだけ勇気を出す。

頭に、手を置く。

「京ちゃん?」

「照さん。部活中、ごめんなさい。あんまり相手にできなくて」

「別に、そんな事で怒ってない-----」

「あんなに頬を膨らませてよく言いますよ」

「怒ってない」

そういいながら、ぷい、と顔を背けるその顔も、また頬を膨らませていた。実に解りやすい。

「また、お菓子巡りに付き合いますから」

「-------なら、許す」

うん。

やっぱりちょろいなぁ、とも思うのです。

「ねえ、照さん」

「うん?」

「その-------何か、この前は流れで行っちゃった感があるので、はっきり言います」

「------」

「俺、本当に照さんの事好きですから」

今更ながら、思ってしまったのだ。

昨日の流れのまま、何となく付き合ってしまうのは、やはり逃げなのだと。アレはただの切っ掛けに過ぎない。決着をつけるべきところは、しっかりとつけておかねばならない。

このまま時間が経ってしまえば、きっとこの違和感は消えてしまうのだと思う。けど、この不自然さをあえて残そうとするのは、ただの自らのチキンな心持ち意外にあり得ない訳で。

―――遠慮をして欲しくない。

さっきまでの様に、何か一つ言葉をかけるにも、変化の中で戸惑う様な事は、させたくない。

「最初は―――その、咲と被る事もありました。方向性がちょっと違うけどポンコツですし。目を離すと危なっかしい感じも、してました」

「-------」

「だけど、気付いたんです。本当の意味で支えられていたのは、自分なんだって。誰かに頼ってもらいたい、誰かの為の自分でいたい、―――そう、自分もまた、思っていたんです」

“誰かの為に役立っている”

―――そういう風に、誰かに思っていてほしかった。

それが、自分なのだ。どうしようもない自分なのだ。

困っている誰かを見過ごせないのも。誰かに甘えられてそれを拒否できないのも。全てが全て、須賀京太郎自身が、誰かの役に立っていると思っていたかったからだ。

それだけだと―――きっとただの自己満足だ。

相手がよければよくて、自分はどうなっても構わない。自分の心は一旦脇に置いて、まず相手を慮る。

―――誰かの役にたっていないと、自分が思いたくなかったから。

「照さんは、―――そんな理由が無くても、傍にいてくれると言ってくれました。俺と友達でいる事が、重要なんだって。本当に嬉しかったです。自分じゃなくて、誰かに心の底から認められたみたいで。だから、好きです。心の底から、好きです。これが俺の本心です」

だから、遠慮をしないでほしい。

自分は、心の底からもうどうしようもなくなっているのだ。何をしたって、多分嫌いになる事は出来ないと思う。

「そっか」

「はい」

「そっか-----そっかぁ。うん。ふふ」

堪えきれずに、彼女も零れるように微笑んだ。

「京ちゃんは、私の事が大好きなんだ」

「はい」

「そっかぁ。うん、私も大好きだよ」

「ありがとうございます」

切っ掛けというのは、きっと大切なのだと思う。

時間は、有限なのだ。

時間が解決してくれる事でも―――得られる幸福は、早ければ早い方がいいはずで。

「-------」

空いた左腕に、両腕が絡みつく。それは互いに無言のまま、自然な流れを以て行使された。

「京ちゃん、これからどっか行こう?」

「はい。お供します。------けど、今日はお菓子はなしにしましょう」

「どうして?」

「いや。だって―――」

流石に今の状況で、甘ったるいモノを食べたくなかった。確実に胸焼けで吐きそうな気がする。

「何処か、公園で歩きましょうよ。話でもしながら」

この関係が、互いに自然に思えるようになったら。もっときっと楽しい時間が待っているはずだ。

だから、今はこういう緩やかな時間の中でいい。

そう、思った。




こーいう話を書く度に、ガリガリ人としての何かが削られている気がする。もう無理ポ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

グラトニー・ブルース

こんにちわ。須賀京太郎です。

今私は、朝起きてランニングに精を出しています。

早寝早起き。そして朝の涼やかな風を浴びながらランニング。ハンドボールを辞めてからもう無くなっていた習慣ですが、やっぱり気持ちがいいし気分がいいですね。

 

―――うん。やっぱりね。自分は常人なのです。こればかりは仕方がない。

この前、ちょっと軽い風邪をひいたので病院に行きまして。何気なく血圧を測ってみたのですよ。

明らかに血圧が上がっているんですよね。

元々それ程高い訳ではなかったので、健康を害する程に上がった訳ではないのですが増え方が問題だと医師の方に言われました。体重も測ってみたら、あらびっくり。太りにくい体質なのですが二キロ増えているのですよね。

原因なんて一つしかねえんですよ。

人生はじめて出来た彼女の所為ですね。

そりゃあ人生はじめての彼女ですから。キャッキャウフフな幸せで無害な糖分だったらいくらでも味わいたいですよ。うわははは。

しかし。

―――新しい彼女は本当に比喩ではなく糖分で殺しにかかっている。

本当に、今更ながら思う。

あの人の身体の秘密が解明されたら、糖尿患者なんていなくなるんじゃないのか、って。

―――あの人、本当に大丈夫なのかなぁ。

 

淡い朝焼けの風に向かって走りながら、そんな事を思うのでした。

 

 

「三キロ」

「------」

「太っ-------」

「------その先の言葉は無用----」

「-----」

「-----」

麻雀部部室内―――部長と宮永照は向かい合っていた。

その間にあるのは、恐ろしく冷え切った空気感。

切っ掛けは、実に下らない意地の張り合いであった。

無遠慮かつ無節操にお菓子を貪り食う宮永に、部長は度々口酸っぱく言い続けてきた。お前は解っているのか?これだけ馬鹿食いして太ったって私は知らんぞ。お前の遺伝的に脂肪が胸に行く事なんざ絶望的なんだから当然の如く腹に来るぞ。そうなってそのささやかな胸よりも腹が突っ張る様になってみろ。絶対に大笑いしてやるからな。大好きなお菓子に呪詛を上げるその日が来るのを楽しみにしているぞクソッタレ―――こんな感じで。

しかし何を言おうと彼女にとっては馬耳東風。馬の耳に念仏とは古い諺にあるが、馬だって言葉が通じれば取り敢えず斟酌するだけの利口さはあるはずだ。この女は自分はいくら食った所で太らなかったし健康上の被害もなかったという成功体験を積み重ねてきた人間だ。内心、投げかけ続けてきた言葉を小馬鹿にし続けてきたに違いない。

その態度は大きく部長を憤慨させた。何度思った事か。自分の大好きなスィーツを何も気にすることなく貪れたらどれ程幸せなのだろう。あの口に入れるだけで脳内物質が漏れ出しそうな多幸感を永続的に感じられるならきっとそれはそれは素敵な事なのだろう。けれど、けれど。理性がそれを必死に歯止めをかけているのだ。脳内を考えたくもないカロリーという数式に落とし込み、体形が変わる恐怖で自らを律してきた。女性の尊厳と眼前の欲望と必死に秤をかけ続け我慢してきたのだ。大好きなはずのスィーツが呪詛となる自己矛盾を抱えながら、それでも涙を流しながら、我慢し続けてきたのだ。

それでどうだ?我慢に我慢を重ねた苦渋の果てに自らはこの体型を維持しているというのに、この女はどうなのだ?眼前に餌があれば取り敢えず口に入れる様はまるで放牧中の家畜ではないか。我慢という言葉を知らぬまま生き続け、しかして体形は一切変わらぬままだ。

そうとも。実際の所部長は宮永照に嫉妬していたのだ。麻雀にではない。そんな事よりも、このあり得ざる超常現象に。

 

―――そして、今日。宮永照の体重に異変が起こった。

健康診断の結果を意地のまま見せ合い―――昨年より三キロ計上した数字を絶望した表情で眺める宮永照の姿があったのであった。それはまるで役満を思わず振り込んでしまったが如き絶望と屈辱が濃縮されてブレンドされた表情であった。

「―――暴食も、結局の所ラインを越えればこんなもんか。なぁ、宮永?」

「------何故。―――何故?」

「そりゃあ―――もう。人生はじめての男友達が出来ましたー。そしてついぞようやく彼氏になりましたー。さあ数えてみろ。須賀と共に遊びに行った回数を」

「------」

「その度に巡った店の数と、そこで食らい尽くしたスィーツを。数えてみるんだよ。うわはははは」

「------」

「皮肉だなぁ----。実に皮肉だなぁ。男なんざいない時だったら別にこの程度気にもしなかっただろうになぁ。まさかまさか男が出来てから太り出すとはなぁ。一番どうでもよくない時に、お前の大好きな代物が特大の呪いとなってしっぺ返しだ。私は笑わずにはいられないよ、宮永」

「----くっ」

苦渋の色が、より強くなっていく。

そして―――対照的に、向かい合う部長の表情には、明らかな愉悦が刻まれていく。

「悔しいか?悔しいよなぁ?―――体形を変えまいと涙ぐましい努力を鼻で笑われ続けてきた私はなぁ、いつもこんな気分だったんだよぉ!」

たった二人しかいない部室の中。

そんな実に下らない呪詛が、垂れ流されていた。

 

宮永照。

恐らくは誰も幸福にならないであろうその呪詛を全身に受けながら―――彼女は瞠目し、涙した。

 

人生はじめて―――ダイエットを覚悟した瞬間であった。

 

 

という訳で―――彼女はダイエット関係の論文や雑誌を図書館で借りてくると、大学のカフェテリアでそれを読んでいた。

無言のままペラペラとページを捲っていく。時折注文したアイスティーとドーナツを口にしながら、集中した面持ちでそれを読んでいた。

「糖質制限-----」

そして、出た結論―――自分の実生活を振り返り、太った理由を分析する。

糖分、取り過ぎ。

というか―――お菓子、食い過ぎ。

 

「間食は脂肪のエネルギー源」「お菓子で腹を膨らせ三食を減らすのは言語道断」「おでぶちゃん養成ギプス―――それこそが菓子」

何だか自分の大好きなものが冒涜されている気分になり、とても悲しくなったが―――しかし致し方ない。どうしようもない現実がそこにある。

 

―――京ちゃんをいっぱい連れまわして、いっぱい食べちゃったせいかな?

 

そもそも彼を連れまわす度に、男である京太郎以上のスィーツをばかばか食べていた気がする。よく考えれば―――というか別によく考えなくても、異常だ。

―――どうすれば、いいのだろう。

彼女はそんな悩みに頭を抱えながら、またドーナツを一口頬張った。

本当に、どうすればいいんだろう。

 

終わらない自問自答の果てに、結局一時間ばかりの時間を費やした。

結局結論は出なかった。

 

 

「―――まあねぇ。即効性を求めてもどうしようもないし、ちょっと夕飯を抑えめにするしかないかもなぁ」

須賀京太郎はそう一つぼやき、うーんと一つ頭を傾げる。

「玄米----はちょっと高いよなぁ。こうなりゃ体重が戻るまでは米類減らして蕎麦にするかなぁ。うどんよりこっちの方が栄養効率いいらしいし」

彼は下宿先に帰ると、これからの夕飯メニューを考えていた。

「カップ麺は暫く封印だな。仕方ない。でも三食は食いたいから、------運動量、増やすしかないよなぁ。------お、月千円で温水プールが使えるのか。いいかもねぇ。ランニングより、水泳の方が痩せるだろうし」

彼はスマホで調べながら、ダイエット計画を模索する。

「流石に彼女が出来てから激太りしましたー、はカッコつかないしなぁ。照さんの彼氏になったんだから、これはコミコミで頑張っていかないとなぁ」

うんうんと頷きながら、彼はよっしゃ、と気合を入れる。

痩せてやるぜー、と覚悟を新たに、夕食の準備に取り掛かった。

 

意識の差異とは、時に残酷である。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

忍耐と幸福

久々の二日連続。


「------という訳で、助けて菫」

「-------」

無言のまま、彼女はスマートフォンを耳に当て、その言葉を聞いていた。

宮永照からは、その表情は計り知れない。

弘世菫は―――ただただ、無表情を貫いていた。

「------す、菫----?何で黙っているの----?」

「かける言葉も無いからだ。この馬鹿」

「え、------え?」

「暴食の結果太りましたー。痩せなきゃいけないどうしよう。方法を教えてくれー。------暴食を止めろ以外、かける言葉などない」

「ええ、そんな----」

「そんな、じゃない。女子はな、常に節制を肝に命じながら日々を生きているんだ。お前は知らないだろうがな。それは、あの淡だってそうだぞ。なんだかんだ言って、アイツも自分の体形を崩す位の暴食はしていなかった」

「------そ、そうなの?」

「当たり前だ。つまりだ、今のお前の我慢弱さは淡以下という事だ」

「あ、淡以下------」

その言葉は何よりも堪える言葉であった。

我慢という言葉から何もかもかけ離れた存在。それこそが、大星淡という存在であったはずだ。自分は現状としてそれ以下なのだと、親友に言われているのだ。

「体形が変わらないうちは何を食っても許されていたのだろうがな。いざ体形が変わり出せばそうなるのも、また真理だ。今お前は我慢を強いられているんだ。体質の変化かどうかは知らんが、生活を見直す事だな」

突き放すような冷たい声が照の脳内を駆け巡る。

「何かを得たいなら何かを犠牲にするしかないんだよ。そんな当たり前の話だ」

ツーツー、と無情にも通話が切れる。

-------我慢。

我慢せねばならない。

ならば、どうすれば我慢できるだろう。

暇さえあれば菓子を食っていた自分が。

そう-----暇さえあれば。

 

そうだ、と彼女は閃いた。

暇を無くせばいい。そうだ。自分を追い込め。自分を責め立てろ。自分を縛りつけろ。菓子を食う暇なんてないほどに。

相すれば自分は我慢できる。

では、どうやって?どうやって暇を無くせばいい?

―――それは、もう一つしかない。

 

 

「ねえ、部長?」

「------皆まで言うな」

部は、負の空気に包まれていた。

大学麻雀部が誇るエースが、あからさまに殺気立ってる。

対局する者全てを叩き潰さんとばかりに睨み上げ、無情にも連続でのハコ割れを味わわせた挙句、次の犠牲者を待ちわびていた。余りの圧力に泣き出す後輩までいるくらいに、その存在は恐ろし気に覇気を放っていた。

「幸せの絶頂からああなっているのは何故ですかね、部長?」

「------私は、知らん。知らんぞ。記憶なんてどこにもない。うん」

知らないものは知らん。記憶になんてない。そんな記憶はシャットアウト。―――まさか散々に煽った結果あのシリアルキラーを生み出してしまったなんて言える訳もあるまい。

とは言え―――流石にアレはいけないだろう。そう思い部長はやんわりと―――本当にやんわりと、照の耳元に何事かを囁く。

「な、なあ宮永------」

「-----何?」

「いやぁ、そろそろ休憩でもしないか?この前の事を怒っているのなら、ほら、ちょっとソファで肩もみでもするし、何なら渋谷の洋菓子店のシュガークッキーを後輩が買ってきたのだが-----」

その言葉を発した瞬間―――ギロリと、強烈な睨みが浴びせられる。

「-------いらない」

そう。これだ。これが問題なのだ。

情緒不安定な人間に取り敢えず精神安定薬を投与するように、この女の機嫌が損なわれた時にはお菓子を投与しておけばよかった。元々性格だってクールながら温厚も温厚だ。菓子さえ目の前にあれば、誰に言うでもなくバクバク食って勝手に精神が安定していたのだ。―――しかし、今やもうそれが効かない。

「何でこういう時に限って須賀がいないんだよ!いつもウザい空気を散々に撒き散らしておいて、いざ彼女が不機嫌になったらトンズラか畜生!」

「あー----須賀君はむしろ照さん側から暫く会わないようにしようって言ったらしいですね」

須賀と同じ一年の麻雀部員が、部長に耳打ちする。

「は?」

「その―――太った自分を見られたくないから、だとか」

「たかが三キロの体重の変動で何を宣ってんだアイツは!」

その結果がアレなのか。あの姿なのか。

「不味い-----不味いぞ。一週間後に対外試合があるってのに------あんなもんと鉢合わせたら、来年からもうお呼ばれが無くなっちまうかもしれないぞ」

あの圧力と殺気を溢れ出しながらコークスクリューを幾度となく叩きつけるチャンプ。そんなものを見せられては、トラウマ間違いなしに違いない。手負いで空腹の獣をそのまま連れていくようなものではないか。魔王宮永の残酷スプラッター連荘ショー。そんなもの、決して見せる訳にはいかない。

「------仕方ない。もう宮永の事情なんぞ知らん。須賀を呼ぶ。強制的にでも機嫌を直してもらわないといけない」

「あ、須賀君なら今日は大学にいませんよ」

「何でだよ!?」

「その------太ったのは須賀君の方も同じようでして、この一週間は水泳とランニングに時間を使うので、部活の手伝いは休むと」

「---------」

ああ。いいなぁ。そういうまともでまっとうな発想が出来る柔軟な脳内構造。あの女を見てみろ、須賀。あの女は禁酒ならぬ禁菓子のストレスを麻雀で発散しているぞ。不健康極まりない。勘弁してくれよ。

部長はジッと地面を見つめていた。

その後、天井を見上げる。

そして―――雀卓を見た。

地獄の淵に立たされているかの如き惨状がそこにあった。涙目で俯くなんてまだいい方。財産が全て溶かされたような表情で上を向くものや、余りにも派手に敗けすぎて半笑いを浮かべながら貧乏ゆすりをしている者。様々な敗残者の様相が、そこに並べられていた。

「---------」

もう知った事か、と段々思い始めた。

いいよどうなろうが。他校の人間を壊す羽目になろうと知ったこっちゃない。こちらに被害がある訳じゃないのだから。もういいや。うん。

「------知―らない。あたし知-らない。ケセラセラ。どうにかなるさどうにかなるさ。みーんな魔王に壊されちゃえー」

部長もまた壊れたようにそのような事を宣い始めた。

 

 

「うーん、久しぶりに泳いだなぁ。意外と楽しいもんだなぁ」

バスで十分ほど先にある、市民プール施設。須賀京太郎は二時間近く黙々と泳ぎ続けていた。

早朝のランニングに加え、水泳と筋トレを日課として採用し、三日ほど。須賀京太郎は中々に充実した日々を送っていた。

昨日、宮永照から謝罪と共に「ちょっと理由があって今は会えない」というメッセージを貰った。一週間後には対外試合もあるのだろうし、きっと彼女も忙しいのだろう。

―――仕方ないよなぁ。あの人、負ける訳にはいかないんだし。

あの人は大学においても無敗のチャンプだ。かけられる期待も、それに伴う重責も、ずっと背負っていかなければならない。

そういう諸々と向き合う為にも、時間が必要な時もあろう。無論寂しいのは本音なのだが、こういった事を受け入れてこそ恋人だとも思う。一生懸命にやっている愛しの彼女を邪魔する事は須賀京太郎には出来ない。

それに、丁度良かったという感じもある。

増えてきた体重を落とすにあたって、少し纏まった時間が欲しいとも思っていた所だ。ランニング、スイミング、筋トレの中でもスイミングは毎日出来る事じゃない。あの人と付き合うことイコール、糖分との付き合いになる訳だから、キッチリ健康管理はしていかなければいけない。

「あー。でも腹が減ったなぁ。慣れない運動すると本当に腹が減る」

運動をし出すと当然だが腹が減る。そして余計に金が消えていく。健康を維持する事は、意外にも金がかかる事なのだ。

その分肉体労働系の即日バイトも、ここ一週間はかなり増やしている。彼女が自分に会う時間が無いという程に、今麻雀部も追い込んでいる時期なのだ。雑用で顔を出して水を差すよりも、今の時期はしっかりお金を稼いでおこう。

 

「うん―――。早く照さんに会いたいなぁ」

彼はふんふんと鼻歌を歌いながら、実に素直な面持ちで、そんな言葉を呟くのでした。

 

-------意識の差異とは、時に幸福の総量にも関係するのである。




今日、車高の教官の方と一緒にお昼ご飯を食べました。二年前、車高を卒業した息子さんに教官が車をプレゼントしたそうです。その後、息子さんは貰った車を早速痛車に改造していたそうです。親から貰ったモノを粗末にせん方がいいよと教官の方が仰っておりました。うん、そうだね。その通りだね。心に刻みました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

我慢の限界、そして終わり

末原恭子は眼前に存在する化物を眺めていた。

―――これは、人間なのか?

自らの五感が告げる。これは違う。違う世界の違う次元の魔物だ。間違いない。

そもそもこれは人間なのか?

眼前にいる無表情な少女は、自分の知る限りまだ人間らしかったはずだ。その正体が化物である事なぞ皆が皆承知していたけれども、されど人間の皮を被ることが出来る程の器量は持ち合わせていた。そのはずなのに。

されど眼前に存在するのは、何故にここまで刺激的に暴力的に自らの五感に悪寒を流し込んでくるのか。

容赦はしないという隔絶的な意志。その眼に宿るは冷たく燃え滾る憎悪の炎。行き場の無い感情の吐瀉口を探しているかの如く、その眼はギラつきこちらを見据えている。

人間の皮を剥がし、現れたその正体。

それは彼女のかつての記憶を無理矢理に引き出していた。

 

―――そう、確かその時対面したのは―――。

 

血は争えぬ。蛙の子は蛙。鷹の子も鷹。魔王の姉だって、魔王以外の何物でもない。

カタカタ。

カタカタカタカタ。

カタカタカタカタカタカタカタカタ。

底冷えする様な感情。かつての記憶。眼前に存在する現実。過去と現在が交錯し、地獄の門がぱっくりと口を開けて待っている。その先は業火か永久凍土の軒先か。焼かれ砕かれ嬲られ、心折れるその瞬間をきっと待ちわびながら、待っているのだろう。

 

「じょ、上等や-------!」

されど、彼女は折れない。

折れる訳にはいかない。

決めたのだ。凡人風情が何処までも上に行けるのか。凡人が見据える底辺の景色から、ああいう化物を打ち砕く。

「凡人のウチが、どれだけ足掻き通せるか。-------かかってこいやァァァァァァァァァ!」

魔王の前に、凡人が一人。

轟々とした風を纏わせながら、魔王は腕を上げた―――。

 

 

「------ねえ、部長」

「あー?」

「ずっと、こんな事を続けさせるつもりですか?」

「知らね」

眼前の死体の如き女を見やりながら、部長は投げやりにそう答えた。

「-----相手、ドン引きですよ」

「そりゃそうだ。あたし達だってドン引きだろうが」

「-------あの人、凄い勇気ですね。あの状態の宮永さんに、サシの点取り合いに向かって行ったんですから-------」

「末原恭子だな。すげーな。アレのおかげで精々ドン引きされる程度で済んだと言える。合掌」

「勝手に殺すのはよくないですよ------それにしても、アレ、本当にどうにかしなければいけませんよ。次の対外試合、どうするつもりですか?」

死屍累々は、予想以上の惨状―――とはならなかった。

それはまさしく勇者か神の子か。ただ一人あのオーラの中を臆せず進んでいき、宮永照との対局から一切逃げず、交代せずに対局し続けていたのだ。無事息絶えた末原恭子の尊い犠牲によって―――犠牲は、最小限となった。

「------なあ」

「何ですか」

「何時まで、私達はこんな思いをしなければいけないんだろうなぁ------?」

「知らないです」

 

 

道を歩けば、声が聞こえる。

―――タイ焼き~タイ焼き~おいしいタイ焼きはいかがですか~

そんな、移動屋台の声。

目に付く。

―――季節のフルーツをふんだんに使った、フルーツサンド!本日なら、セットをお頼みの方にチーズスフレもサービスします!

そして、鼻につく。

クリームの匂い。焼いた小麦の匂い。キャラメル、バニラ、チョコレート-----彼女の飢えに飢えた五感は、脳内に告げ口していくのだ。あそこに欲しいものがあるぞ。はよう食べなよ。我慢なんかするなよ。―――そんな風に。

食べたい。

食べたい。

あの芳醇な香りに囲まれて、あの甘く幸せな諸々を咀嚼して喉奥に流し込みたい。思うがまま、あるがまま、欲求に従っていたい。

しかし、許してはならぬ。

太り、醜くなった自らの姿。そんな姿に変貌していく様を―――彼氏はどう思うだろうか。

愛想をつかして別れるだろうか?

いや、きっとそんな事はしないだろう。彼は優しい。

きっと―――その眼に少しずつ同情が含まれるようになり、徐々にそこから呆れも含むようになって、------というように、表に出ない感情を胸に刻んでいくのだと思う。

そんな視線に晒されてしまったら、自分は自分でいられるのだろうか?

そんな事―――耐えられる訳がないじゃないか。

ならば、我慢しなければならない。

我慢するのだ。まだまだ。まだまだまだまだ。

 

知らなかった。

我慢する事がこんなにも辛いなんて。

無い胸が張り裂けそうになる。

 

帰り道。どうしても感じてしまう菓子の存在に涙を浮かべながら、彼女は俯きながら歩き続ける。

―――辛い。辛いよ、京ちゃん。

慟哭が自分の脳内を駆け巡っている時―――。

 

「あ、照さん」

 

ひょっこりと、彼は現れた。

現れてしまった。

 

「あ、試合の帰りですか?偶然ですね。今日はどうでした?後で話を―――おわ!」

痩せるまで決して会うまいと思っていた存在が現れ―――一瞬逃げようという意思が生まれかけた。

されど、その意思は一瞬に叩き壊された。

彼女はわき目もふらず近付くと、そのまま抱き付いた。

「うう-------うううう------京ちゃん----」

「------あの、話を聞きますので、落ち着いて?ね?」

須賀京太郎は少し慌てながら、彼女にそう声をかけ続けていた。

 

 

「―――そういう事だったんですね」

「うう----ごめん、京ちゃん-----」

付近にあった、喫茶店の中。

結局。彼女は全てを明かした。

ダイエットの為に京太郎と会わない事に決めていた事。その間、お菓子を食べずに過ごしていた事。その事によって情緒不安定になっていた事------その全てを。

彼はジッとその話を聞くと、店員に声をかける。

「あ、すみません。チョコスフレ一つ下さい」

「え-----」

店員はかしこまりました、とはっきりとした声で応えると、カウンター脇にあるスタンドからスフレを持ってくる。

カチャリとそれが置かれた瞬間に、京太郎はそれにフォークを突き刺し、そして―――照に向けた。

「食べましょう、照さん」

「------食べない」

「あのね、照さん。------俺は照さんが太るより、そんなキツそうにしている方が辛いです」

「-------」

「食べない覚悟がそんなに辛いなら、今度は食べても痩せる覚悟をしましょうよ。俺も協力しますから。ね?」

「-------うん」

彼女は、差し出されたフォークに、パクリと口に含んだ。

咀嚼し、飲みこむ。

彼女は何か感じ入ったように下を俯き―――絞り出すような声で、こう呟いた。

「おいしい------」

「それはよかった。―――ね、照さん」

「ん?」

「その-----辛い事があったら、いくらだって話していいですからね」

「------うん」

彼女はグスグスと鼻を鳴らしながら、そう静かに呟いた。

 

 

その頃―――。

魂が抜かれた様な末原恭子は、ホテルまでの帰り道を歩いていた。

心底から粉々にされた心を、何とか集めて形にして、取り敢えず一先ず四肢を動かす程度の意思だけは拵えて、彼女は無心のまま歩き続けていた。

そこに現れた光景は―――。

「---------」

泣きつく宮永照の姿。

そして見知らぬ金髪の男。

 

男が慰めながら喫茶店に入り、ケーキを突き刺し宮永照に与えていた―――そんな光景。

おい。

おい―――。

まさか。まさか。あの惨状を作り出し、こちらの心を粉々にしておいて―――その行為を「辛い」とあの女は思っていたのか。

心を痛めながらあのような行為を行い、その罪の重さを彼氏に慰め、解消してもらっているのか?

今自らの心は、誰にも癒される事なくそのままの姿だというのに―――。

 

「--------」

許しは、しない。

宮永照―――。

「絶対に-------絶対に、叩き潰す----」

そうこの瞬間―――彼女の心に火が灯った。

「許さん-----許さんぞ-----宮永ァ------!!」

これより、彼女の復讐譚が―――もしやすれば、生まれるかもしれない。




最近、また将棋アニメをやっているようようですね。面白いのでしょうか。三月のライオンにど嵌まりした身ですので、見て見ようかなぁ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

漢女×サバサバ系女子編
前兆は酒と共に


こんばんは!今日もやって参りました、「のんべえフライデイ」のお時間です!

世知辛い世の中、様々な不満不平を抱えているのは市井を生きる者共通の悩み。それは例え華やかな世界に生きる有名人であれど同じ事。悩みなき人間は存在せず、それ故この番組は存在している。

番組協賛の酒場で、日々の愚痴を酒に乗せて吐き出してもらうのはこの二人のゲスト。

失点上等!超火力で相手をねじ伏せるプレイスタイルとその男より「男らしい」キャラクターで女性人気大沸騰中!江口セーラ!

第二の牌のお姉さんの生みの親はこの私だ!現代JKのカリスマの代名詞!岩館揺杏!

現プロ雀士とスタイリスト、違う世界に生きているかと思われがちなこの両者であるが、意外な過去の因縁も!?

それでは、のんべえフライデイ、始まります―――。

 

 

「あー、そっかアンタ有珠山のOGやったな。対戦したの覚えているで」

「いやあ、それはそれは光栄ですね。こっちは時々悪夢に出てくるってのに----」

「ええ、悪夢かいな?俺、そんなに酷い事した覚えないのになぁ」

「トラウマって、与える側は特に何も覚えてないみたいですからね」

「何や人聞きの悪い。記憶やとアンタに酷い目に遭わせたのはあのおもろウザい関西人やろ」

「いや、そりゃあ、まあそうですけど---。やっぱり、ねえ?もう蚊帳の外感が凄くて、こうプライドが滅多刺しになった気分でしたからねー」

「肩の力ぬきーや。愚痴の発表大会やろ、この番組?ま、まずは酒でも注文するか!俺はカシスウーロン行くわ。アンタは?」

「-----カシスミルクで」

そう。岩館揺杏は元北海道代表有珠山高校麻雀部であり、全国大会出場経験もある人間であったのだ。

個人戦で同卓した相手が、奇しくも江口セーラであった。その結果は先程の会話の通り、岩館の敗北という形で締めくくられた。

過去の因縁の相手。それ故に最初はそれとなく何となくぎこちなかった態度であったが、酒が入るとその何となしに緊張した空気は霧散していく。

「大体、頭おかしいっしょ。私のあの時の運のなさ!何でボロクソに負けた相手と二度もやんなきゃなんねーのよ!」

「まあまあええやん。あの時運が悪かった分、今向いてきたんやろ。あっはっは」

「笑いながら肩を叩いて同情すんじゃねー!ちっくしょ、思い出したくもない記憶が出てきちまったじゃねーか!」

「ほれほれ、まだまだじゃんじゃん飲むで!あ、あとで愛宕の色気の無い方の連絡先教えてやろうか?」

「いらねー!」

バシバシと背中を叩きながら、ついでに揺杏を弄りながら、時間は進んでいった。

別に楽しくない訳ではないが、何だか腹が立つのも致し方あるまい。揺杏は何かしら反撃の糸口が見つからないかと、虎視眈々とその時を狙っていた。

「アンタ、スタイリストやってなー。えらい評判やで」

「そう言えば、いっつもボーイッシュ系統の服しか着ないですよね、セーラ先輩。何でですか」

「いや、似合わんやろ。何言うてんねん」

「スタイリストの眼から見ても、普通にガーリッシュ系統の服もに合いますよ。先輩小柄だし、顔だってわりかし童顔に寄ってるし」

ここだ、と確信した。

反撃開始。

「いやいや、ほら、キャラだってあるやん?それに、俺の好みもあるし」

「先輩。男がコロリとひっくり返るのはいつだってギャップですよ。先輩のキャラで女らしくすることに意味があるんですって」

「------そうなん?」

―――む。

ここで、意外な反応が返って来た。否定の言葉が返ってくるかと思いきや、ここで言葉の掘り下げに来た。ギャップの部分に反応したのか。

くわ、っと目を見開いて、大きく口元を歪めてニヤケ面を作る。ここで、セーラは自らの失策を知った。

「―――興味、あるんですか。先輩?」

「いや、ちゃう。ちゃうわ。別に興味なんてあらへん。ほんまや。やからそんな顔近付けんといてくれや」

「ほほう―――おっちゃん、ビール二つ頼む。これはキリキリ吐かせなきゃなー」

セーラの顔が、真っ赤に染まる。きっとアルコールの効果だけではあるまい。これはこれは------。

「ほら、先輩酌してあげますからコップどーぞ。---ぶっちゃけ、気になる人できたんですか?」

「お、おらん。おらんわ。何言うてるんや」

「いやいや、別に否定する事ないじゃないですか―。先輩モテそうですし、気になるイケメン一人か二人、ねえ?」

「----俺がモテてんのは女に、や」

「----あー」

ここで、岩館揺杏も同調する。

そう、同性に人気が集まるのに反比例してか、あまり男っ気もないのが現状。

「ほら、俺元々女子高出身やし、大学行かずにプロに入ったし------ぶっちゃけ、男との距離の取り方解らへんねん」

「あー、解りますよー----」

「それに、ずっとこのキャラやったしなー。今更女らしくしても、アレやん?気持ち悪いやろ?俺がいきなり、どこぞの星からやって来たタレントみたいなぶりっこやってる姿」

「----見たい」

「おい、俺はみせもんやねーぞ!---と、とにかく、何もかんも解らへんねん。その、男との距離の取り方ってやつが」

「はあはあ」

ニヤニヤと笑う口元を隠しもせず、岩館揺杏は彼女の言葉を聞いていた。

「高校時代は、ちゃんと女物の制服着て試合してましたよね?」

「う-----あ、アレは他の連中にやれって言われたんや。今はもう特に何も言われんくなったから、着慣れてる服で打っとる」

「------成程。でもさっきの言葉に喰いついたって事は、心の何処かには、女らしくしてみたい気持ちもあるんですよね」

「いや、ちゃう。それはちゃうで-----!」

「という訳で―――おっしゃ。おーい、この番組、SNSと連動してんだよなー」

してますよー、というカメラの声が聞こえる。

「よっしゃ、この番組終わった後でアンケ取ろうぜー。セーラ先輩の女装姿、見たいか、見たくないか―、って」

「はぁ!?」

「アンケで上位取ったら、別の番組で女装会やったろーじゃん。私も協力するからさー」

「いや、待ってマジで何言うとんねん。え、マジでやんの?」

やります、と無慈悲なカンペが映り込む。絶句。

「待て、待つんや。マジで俺の女装何かの番組でやるんか?絶対断ったるからな絶対!絶対でーへんで!絶対嫌や!い――――や――――や――――!」

 

 

「あっはっはっは」

「笑いごとやない!マジでアカン、アカンって」

「今番組見終わった所ですよー、セーラさん。あ、ホントだ。SNSでアンケ取られてる。集計は三十分後------楽しみですね!」

何が楽しみやねん、という悲鳴じみた声が聞こえてくる。

―――須賀京太郎は笑いながらその声を携帯電話越しに聞いていた。

「よし------ポチッと」

「は?」

「俺もアンケ出しときました」

「は?どっちや?」

「そりゃあ勿論―――見たい、の方に」

「おう。今度面見せた時にぶっ飛ばしたるからな須賀ぁ!」

「いいじゃないですか。別に」

「お、お前も俺が羞恥プレイに悶えている姿を全国放送で見たい言うんか!この鬼畜、外道!」

「そんなんじゃないですって―――ぶっちゃけ、見てみたいです。先輩の女装」

「------」

「めちゃくちゃ可愛いと思いますよ。いや、マジで」

「-----もう知らん。知らん!」

ブツ、という音とツーツーという音。あーあ、機嫌損ねちゃったかなぁ。

けど、最後にちょっとだけ声が上擦っていた。嬉しそうに。案外あの人はチョロイのかもしれない、なんて思った。

そして―――集計が発表される。

「やっぱりな」

見たい、が90パーセント以上を占めていた。

―――江口セーラ乙女化計画、始動!

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ステルス×未来視少女編
未来と影の守護者


では妙齢の皆々方。ここで女として生きる上での鉄則をお教えしましょう。

我々は常に勝たねばならない。

―――若いツバメを取る時も同じ事です。

男って奴は単純なモノなのよ。単純故に強固だともいえる。彼等は常に自身のプライドを優先させる。そのプライドを形成する要素はいくつもある。自身の経済力もあるだろう。―――そして無論、自分が手にした女も、彼等からすれば相当なプライドとなる。

美人な女。金持ちな女。―――そういう人間を自ら手にすれば、自分が同じランクにまで上がってくれると思ってくれるものなのよ?単純でしょう?

けどね、ここからが大事なの。

―――そこから、男の経済力という両翼を少しずつ、気付かぬうちに、折っていくの。

自分が持つお金は、湯水のように使わせてあげましょう。

男の思うがままに、使わせるのです。

男は単純というけどね、それはイコール相当な合理性を持っているとも言えるの。合理性という秤にかけてやれば、男はコロリと掌に転がっていくモノです。

自分が必死こいて働いた金額を、ちょっとねだるだけでまるで湧き出る泉の如く手に入る現実を前にすれば、彼等の弱々しい経済力なんて翼、自ら手折っていくのよ。

 

そうして、自身の両翼が折られたならば、一生籠の中で生きていく他ない。

さすれば、一匹の若いツバメの出来上がり。

 

―――のはずなのだが。

 

現在、中々捕まらない男がいる。

その男は、麻雀協会のバイトをしている大学生の男。がっしりした肉体に、染めていない生粋の金髪を持つ男の子。

バイトをしている彼に幾度アプローチをかけようと、すげなく逃げられていく。

まだまだ経済力すらまともに持っていない男のくせに。

 

―――ならば、いいわ。

 

女は、本日無理矢理彼と近場のバーに誘う事に成功していた。

その酒瓶に、透明な薬品を入れようとして―――。

 

「何をしているっすか?」

声が聞こえた。

思わず、背後を振り返る。

誰もいない。影も形も存在しない。ただ耳朶に残る声だけが残像の様にこびり付く。

「愉快な事をしているっすね。―――何をするつもりっすか?」

クスクス。クスクス。

まるで出来の悪いB級ホラー映画だ。だがあまりにも不出来な演出だが―――それでも、現実にそこにその現象が存在するという事実に、全身が硬直する。

「“未来”は正しかったみたいっすね。あの能力超便利っすね。―――それで、粉末睡眠導入剤を酒瓶に入れて、何するつもりだったっすかねー。こ―――た―――え―――ろ―――っす」

バリン、という酒瓶が割れる音。

恐怖のあまりその手から零れ落ちたそれは、アルコールの匂いを撒き散らしながら透明な液体を床にばら撒いた。

「----ゆ、幽霊?」

「酷い事言うもんじゃないっすよ。一度プロアマ交流戦で戦った仲じゃないっすか」

―――プロアマ交流戦。そうか、その時に声だけは聞いた。名前も、思い出した。

「東横桃子------!」

そう。この女は―――自分のキャリアの中ではじめてチョンボをやらかした試合の同席者だった。あの時に受けた屈辱を、しっかり脳内に刻み込んでいた。

「はいっす。久しぶりっすね、年増さん」

「誰が年増よ-----!」

「大学生眠らせてお持ち帰りしようなんて阿呆な女、そんな言葉で十分っす」

「何故-----何故ここが解った!?」

「アンタに言った所でどうせ解りはしないっす。―――未来視でここまで来たなんて言った所でどうせ信じないっすよね?」

「当たり前じゃない!ふざけないで----!」

「ふざけてるのはお前っす。―――解っているっすか?犯罪っすよ?」

「ふん。私を訴えることが出来るなら、やってみるがいいわ」

―――そうすれば、お前の人生もあの金髪大学生の人生も滅茶苦茶にしてあげるわ。そう眼前の女はいけしゃあしゃあと叫んだ。

「そうっすか-----」

東横桃子は、誰にも見れぬ影の中、ニヤリと笑った。

「その言葉、そっくりそのままお返しするっす------今、アンタの眼前に存在するオカルトが、何を意味するか解るっすか?」

「何よ----!」

「今ここでアンタを目視した瞬間より、これからずっとアンタを監視し続ける事が可能って事っすよ?それにお前の未来を見ることが出来るオカルト持ちの子も一緒に。例え汲み取り便所の底に隠れようが―――お前をずっと監視してやるっす。お前の人生を滅茶苦茶に出来る力を持っているのは、常にこちら側だと言う事を自覚する事っすね。―――今の犯行現場も、しっかり撮影させて頂いたっす」

「な-------貴様ぁ!」

「裁判?そんな生温い手段を使う訳ないじゃないっすか?アンタの人生が滅茶苦茶になっている姿を一目見たくてうずうずしているハイエナみたいな連中が、この世にごまんといるっすよ?使うならそいつ等に決まっているっすよね?わ―――か―――ってま―――っすか―――?」

闇の中で、声が聞こえてくる。声だけが聞こえてくる。底冷えする様な、恐ろしい声だ。

その声に、臓腑の底から冷たいモノがせり上がっていくような感覚が存在していた。

直感していた。

脅しではない。そう言う声ではない。

―――本当に、それを実行できる力が存在している。その純然たる事実がそこに存在している。

「------どうするっすか?」

クスクス。クスクス。

わざとらしいその声も、底冷えするような力を孕んでいる。

「あ、あ--------」

「―――一つ忠告っす」

ニコリと、嗤ったような感じがした。闇の中、解らなくとも―――それだけは理解できた。

「次、京さんに手を出そうとしたなら―――容赦なく地獄に叩き落とすっす♥」

 

 

「―――はい、もしもし。あ、モモ?どうした?え、今日予定があるかって?実はあるんだよなー、これが。以前、お前とやりあった女流雀士の人がいるだろ?あの人に二十歳祝いつって酒に誘われてんだよ。---は?熟女好き?馬鹿言ってんじゃねーよ。バイト付き合いじゃなきゃ飲みになんかいかねーよ。いや、美人だけどさ、目がぎらついててこえーの」

はあ、と須賀京太郎は溜息を吐く。

大学で知り合った、影の薄い系おもち女子大生、東横桃子に向けて。

「は?もしその予定がキャンセルになったら今夜付き合えって?何にだよ?代わりに一緒に酒を飲もうって?いや、まあそれは別に構わないんだけど、キャンセルなんて都合よく起こるかね?まあ、いいんだけど。---あ、怜さんもいるの?あの人酒飲んで大丈夫なの?まあ、別にいいけどさ。―――はいはい、解った解った。キャンセルならな。それじゃあ」

そう言って彼は携帯を切った。

憂鬱だなぁ、と思わず呟きながら。

―――その後、震え声でキャンセルを告げる雀士の声を聞く事になるとは、露とも思わず------。

 

 

「上手くいったやん」

「はいっす。上手くいったっす。ご協力ありがとうございます、園城寺先輩」

「ええんよ。部活の後輩守るんは先輩として当たり前や。―――まあ、一緒にじゃんじゃんお酒飲もうや」

「はいっす。―――それでも、やっぱりあのアルバイト危険っすね。今回みたいなの三度目っすよね?」

「あと二回程この先あるで。結構蓋然性の高い未来や。―――まあ、もう少しの辛抱や。二人協力体制で頑張るんやで」

「当然っす!―――京さんを、飢えたハイエナ共の餌食には絶対にさせないっす」

 

そう。彼女達は協力している。

―――飢えた女流雀士から、あの男を守るために。

 

愛想がよくて、そこそこ遊んでいそうな風貌なパッキン大学生。飢えた雀士からすれば垂涎物の存在だろう。その不吉な未来を園城寺怜が感じ取り、東横桃子と協力し彼を守るべくこのような体制をとったのである。

 

そう。これは―――人知れず、一人の男を守るべく戦う二人の奮闘記である。




多分続かない----。書いたらもうここに書けなくなるかもしれない。ワハハ----。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

大学生シャープシューター編
ぶっちゃけ話


苦労人verかイケメンverか、悩んだ末に後者にしました。イケメンに書けたらいいなー。そしていつの間にやら40話超え。やったぜ。ネタが尽きてきているのも納得の話数。



「何か、付き合わせてすみません-----弘世先輩」

「気にするな----とは言わんが、まあお前もここまで頑張って来てくれた後輩だからな。こういう時くらい、付き合ってやるさ」

薄暗い空間に、無言を貫くバーテンダーを挟んだ仕切りの向こうで、金髪の男と黒髪の令嬢が座っていた。

須賀京太郎と、弘世菫である。

「ま、こうして後輩に奢ってやるというのも先輩の甲斐性の見せどころというしな。好きなだけ飲めばいい」

「あの------流石に先輩に払わせる気は-----」

「うるさい。ごちゃごちゃ言わずに飲め。今日は記憶を忘れるくらい飲みたかったんだろ?好きなだけ飲めばいい」

そうは言っても。

須賀京太郎は周囲を見渡す。

出来うる限り装飾を排除したこの空間は、静謐に満ちていた。薄暗闇に、ソファとテーブルに、カウンターのみが存在するこの場所は、されど一切の無駄を排除された空間として機能している。その雰囲気は、何処までも高級感が漂っていた。

こんな場所で我を失う程に呑めと言われても、ちょっと難しい。お任せで作ってもらったカクテルが、そこまで酒に明るくない京太郎でも明らかに普段の安酒とは別格であると一口で理解できてしまう程だから、尚更。

「まあ、色々と溜め込んだモノを吐き出すにはいい場所さ。今日に限っては遠慮はいらない。―――女にフラれた日くらい、な」

「はい------」

そう。

今日この日を以て―――須賀京太郎の恋は、一先ずの終わりを告げる事となりました。

そうして、暫し無言で二人は酒を酌み交わす。

二杯、三杯、とグラスが空けられていく内に、ポツリポツリと彼の口から言葉が放たれていく。

「------終わったなぁ」

「そうだ。終わったんだ。残念だったな」

「------結構、本気だったんだけどなぁ」

「本気でも、どうにもならんことはあるさ。それは何だって同じだ」

慰めにしては辛辣に聞こえるその声も、されど何処かふわりとした優しさがある。歯に衣着せないように見えて、けれども何故か優し気な言葉を放つその人の声に導かれるように、彼の言葉は流れるように吐き出されていく。

フラれた女はそれはもう見事な高嶺の花だった。美人で、スタイルもよくて、そして麻雀も強い。高校の時の同級生で同じ部員、そして現在は別々の大学に通う女だそうな。最初は好みの女性だと思った。しかして麻雀に打ち込む姿を見てはっきりと恋をした。けれども勇気が出せなかった。けれども―――結局はその思いを今更になって告げる事となってしまった。

 

なんともよくある話だ。よくある恋の始まりでよくある恋の終わりだ。

 

けれども、笑いはしない。

その何処にでも転がってそうな恋の諸々は、されど味わった者にしか解らぬ苦味が存在する。味わった事も無い弘世菫にも、きっとそうなのだろうなと思ってしまえる。

「しかし、本当―――今更な話だな。普通、大学で分かたれればそういう想いも萎んでいくものじゃないのか?大学じゃあ、高校とは比にならんほどの出会いもあるだろう?」

「それは―――」

言ってしまっていいものかなのか―――そう彼は逡巡したものの、意を決して言った。

「可能性があるなら、諦める理由にならないじゃないですか。―――今回、先輩見て、そう思えました」

「私?私か?」

「はい、先輩です。―――先輩、変わらないじゃないですか。マイナスからでもプラスからでも、一切表情が変わらない。焦りも驕りも無い。俺は後ろから見ているだけでしたけど、それでも伝わるものがありました。それは、俺が好きになった人と全く同じでした」

「当たり前だ、馬鹿」

そうだとも。当たり前だ。弘世菫は主将だ。主将が、諦めの姿勢を見せる訳にはいかない。例え、どんな状況であったとしても。

「もしかしたら、って思えてしまうんです。薄い可能性でも、あるんじゃないかって。それが、段々―――可能性は確かにある。その可能性を、勝手に見ないフリしているだけなんだな、って解ってきたんです」

「-------」

「あり得ない、という事はあり得ない。それはきっとどんな事だって同じなんだなって。麻雀でも、恋でも。俺は正直、麻雀関係の仕事に将来就きたくて部に所属しているバカチンですけど、それでも先輩の姿を見て何も思えない訳じゃなかった」

だから。その可能性がいざ目の前に現れてしまって。その分だけ―――萎んでいくはずだった思いに、火が付いてしまった。

「馬鹿だと笑ったって構わないっすよー」

「まあ馬鹿だな」

そう呆れたように言いながらも、続ける。

「だが笑いはしないさ」

そう。笑いはしないし、出来ない。

「別に卑下する必要はない。麻雀関係の仕事に就きたい?いい夢じゃないか。何も、部に所属する以上全員が全員プロを目指す必要もない。それにお前はマネージャーだしな。仕事に怠慢が生じているなら一喝しなければならないが、お前は手を抜いていない。真面目に、真摯に、お前はお前として麻雀に向き合っている。それを馬鹿にする権利は誰も無いはずだ」

だから、いいじゃないか。

未だ恋も知らぬ人間だが―――それでも、そこに至る過程でどれだけ苦しんだのかまで理解できない訳じゃない。

そうして、弘世菫は語れる言葉は尽きた。

仕方あるまい。彼女とて知らぬ事象に口出しは出来ない。恋も知らぬのに、これ以上恋破れた男に掛ける言葉はない。

だからこそ、このバーに連れてきたのだから。

目配せし、後は任せたとバーテンダーの老人にそれとなく伝えた。

「大変だったのですね」

しゃがれた声は、実に柔らかかった。

「その大変さが、恋というものの本質ですよ、若い人」

「苦しみが本質、ですか」

「はい。恋の本質は苦しみです。手に入れようとして、されど手に入らない、そういう欲求の狭間にある苦しみが恋というものですから。だから、重要なのは、決着をつける事です。手に入らないならば、手に入らないと自分の中で決着をつける事。それさえ済めば、後は熱病のように苦しみは引いていきます。恋とは、そういうものです」

「そうなんですね------」

「いいじゃないですか。これから貴方は新しい恋に進めます。それは決着をつけた人の、特権ですから」

「引き摺らないものなのですかね?」

「ずっと、決着がついた出来事に苦しめる程人間は器用じゃないですよ。それよりも、―――また別の何かを探した方が、よっぽど建設的でしょうから。恋の傷は恋でしか治せませんからね」

はっはっは。愉快そうな笑い声を老人は上げる。全く不快感の無い、澄み切った声だった。

「恋をすれば恋に苦しみ、その苦しみから逃げるようになれば苦しめない事にまた苦しむ事になる。人間、器用に出来ていないモノです」

「そんなもんですか」

「そんなものです」

そう言って、―――須賀京太郎は笑った。

酩酊して記憶をなくすよりも、ずっと気が楽になる時間だった。

 

 

そうして―――タクシーを呼び須賀京太郎を自宅に送り込んだ後、弘世菫はバーテンダーの方へ歩く。

「支払いを」

「必要ありません」

「は?」

ニコニコとバーテンは笑いながら、言葉を続ける。

「事前にこっそりと彼がクレジットカードを渡してくれておりましてね。かかった費用分だけこれで切ってくれ、と」

「あの馬鹿-----」

何を意地を張っているんだ、と頭を抱える。普通の居酒屋で飲み食いするのとは違うのだぞ、と。

「まあまあ大丈夫です。お代は今回はサービスしておきます。彼の覚悟に免じて、という事で」

「そうか。まあ、それに関しては感謝しよう」

「いい後輩ですね」

「馬鹿だがな」

「同類でしょう?」

「まあな」

はぁ、と一つ息を吐く。

「私は―――まだまだ、決着はつきそうもないからな」

「何のですか?」

「色々だ」

そう言うと、彼女もまた、重々しい扉を開けて薄暗い空間から、ネオン街へ出る。

―――空を見上げれば、満点の月があった。

いい月だな、と言いながら、彼女はゆっくりと息を吸い込んだ。

 

―――次の大会から、お前を大将にする。

監督の言葉が、未だ耳に残っている。

「------ふん」

今まで、やったこともないポジションだ。それでも―――自分はやるしかない。

後輩だって、逃げなかったのだ。ならば自分も逃げるわけにはいかない。

だからこそ、今日の出来事を、彼の言葉を、深く胸に刻み付けよう、と思った。

―――逃げ出せない理由が、彼女は一つでも欲しかったから。

 

故に、今日の日を彼女は感謝する。

―――須賀、ありがとうな。

 

そう一つ声に出して彼女は空をもう一度眺めた。

 




私が似たような感じでバーでべろんべろんになった時、バーテンは侮蔑の表情でこちらを見たまま無言を貫いていました。こんな言葉を投げかけてほしかった、という恨みをここで書きました。許しておくれ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

馬鹿は世界を照らす

大学二年。弘世菫が感じたのは何処までも果てしない無力感だった。

―――大学に進学し、無論彼女は麻雀部に所属した。

高卒のプロ入りは考えていなかった。きっと親が反対するであろうし、自分もまた即座にプロで通用するとは思っていなかった。

高校から大学に上がり、当然ながらレベルは上がった。

リーグは細分化され、その分だけ試合の密度が高くなっていく。牌譜研究も高校の時とは比較にならない程に進んでおり、はじめて卓に着いた時、まるで自分が丸裸になった様な気分だった。思い描く打ち筋を先回りされ直撃を食らう。強力なオカルトによって理不尽な蹂躙を受ける事もあった。

それでも、彼女は下を向く事は無かった。

直撃を食らわせる際に出ていた癖も修正し、研究されている以上に自らを研究した。自身が持つ能力以外の引き出しを増やし、彼女は何とか大学リーグでの戦いを勝ち抜いていった。

だが、彼女が大学二年へと上がった時、その時部のエースがプロ入りしいなくなった。

その年、彼女が所属する大学は低迷の一途をたどった。

長らく支え続けたエースの不在を埋め合わせる事の出来る新入部員もおらず、得点力不足が祟りチームは敗北を重ねていった。

その様を、彼女は唇を噛みしめながら見届けていた。

 

足掻いた。

足掻き続けた。

 

しかし、―――どうにもならない現実がそこにあった。

彼女のスタイルはゲームの流れをこちらに引き寄せる事は出来ても―――勝負を決定づけるだけの力は無かった。

 

それでも足掻く。

足掻き続けた。

 

なりふり構わなかった。特定選手を連続して狙い打ち他選手の牽制を仕掛けた。直撃をブラフにかけながら高得点が絡む手を作った。とにかく、とにかく―――今ここにある状況で、最大限の能力を発揮するほか、彼女には出来なかった。沈みゆく船を、それでも何とか引き上げんと。

 

足掻いた。足掻いて足掻いて足掻き続けた。

足掻きに足掻いて―――それが、結局全てが全て水泡に化したその瞬間を、彼女は味わわされた。

リーグ最下位への転落。

歴代記録に並ぶ連敗記録を樹立し、リーグ戦を終えた。

 

彼女の足掻き続けた日々は―――こうしてただひたすらに、無力感だけを残し、終わる事となった。

 

それからだ。全てが狂いだしたのは。

―――こんなものじゃない。こんなものじゃないはずなんだ。

そう彼女は思った。ずっとずっと、そう思っていた。

こんな所が、いていい場所なはずがない。

 

試合が終わる度に悲壮感が漂っていく部の雰囲気に、大会が終わった後涙すら浮かべられぬ様相の部員に、彼女はそれでも前を向き続けた。

ここでも、足掻いた。まだ出来る事はあるはずだ。こんな所で停滞できるわけがないじゃないか。まだだ、まだまだ、まだまだまだ―――前進しなければいけないはずなのだ。

 

ふと、彼女は周りの目を見た。

その眼は、足掻く様をどう写していたか。敬意だろうか?それとも怒りだろうか?

どれでもなかった。

ただただ―――ひたすらに、憐れみの感情だけが浮かんでいた。

その足掻く様は、―――まるで、手足が捥がれた昆虫が、それでも最後の力を振り絞っているようにでも見えたのだろうか。

 

その時に、理解した。

これが、心が折られるという事なんだと。

 

この目を見てしまった、そしてその奥を理解できてしまったこの時の感情が―――無力感なのだと。

 

涙は、流れなかった。

それすらも―――無力感という漆黒の渦の中に取り込まれていたのだろうから。

 

 

そんな時だ。そんな無力感を内に抱え込みながら、迎えた新学期。

「あ、―――先輩、弘世菫さんですか!」

そんな風に声をかけてきた新人がいた。

「俺、清澄の部員だったんです。いやあ、まさか大学でお会いできるとは思わなかったっす」

最初は、何と能天気な男だと思った。聞くところによれば、男手が足りない部の中でマネージャーを募集した所、引っ掛かったのがこの男らしい。

いやもう能天気どころじゃない。女に釣られてほいほいやって来た猿じゃなかろうか―――そんな印象を持っていた。

 

けれども、そうじゃなかった。

 

仕事は真面目だ。誰もやりたがらない負担を率先して行える人間だった。牌譜整理もデータ集めも、確かな情熱をもって手を抜かずにやっていた。

そして―――どんな状況であれど、彼はずっと明るかった。

 

大学で部活をやっているような連中は、基本的にプライドの塊だ。部員の大抵が高校の実績を買われ推薦を貰った口の連中がほとんどだ。そんな連中が寄り集まって連敗地獄を演じていれば、そのプライドが滅多打ちにされるに決まっている。自分達の能力を信じられず、無力感を覚え、負のスパイラルに取り込まれてしまう。

 

そんな中、彼はずっと明るかった。振る舞いを取り繕った空元気ではない。彼はどんな状況でも、気分を沈ませることはしなかった。

 

夏のリーグ戦が始まる直前の、他リーグとの練習試合でも負けが込んでいたチームの中、マネージャーだけがひたすらにずっと声を出し、周囲を気遣っていた。先輩連中のやけ酒にも根気よく付き合っていた。次第に―――チームに、明るさが戻ってきているのを、如実に感じていた。

 

ある日、思わず問いかけた。

「お前、よく明るくいられるな」

「え?」

「あ、いや、嫌味じゃないんだ。明るいのはいいことだ、うん。けどな、周りがああやって敗戦で死にそうな顔になっているのに、よく明るさを保っていられるな、と。ちょっと感心したんだ」

「------うーん。そうなんですかね。あんまり自分じゃあ自覚はしてないんですけど。場違いですかね?」

「いいや。よく知らん親戚の通夜みたいな微妙な雰囲気を垂れ流されるよりずっといい。ただ、本当に感心しただけさ」

「そうですかね?-----まあ、でも、俺にとっちゃ一々敗北で気分を落ち込んでもしょーがない、って感じかも解りませんね」

「うん?」

「ほら、俺清澄じゃないですか。部員少なくて、俺よりも弱い奴なんていない状況でしたから------負けるのが当たり前なんですよ。負け続けるのなんて当たり前だし、段々へっちゃらになっていきました」

「よく麻雀部を続けられたな、それで」

「そうですねぇ。よく続けられたもんですよ」

ただ、と彼は続ける。

「負け続けでも―――それでも麻雀は楽しかったですから。間近で凄い奴の凄い打ち筋を見れて。次どう打つんだろうかってワクワクしながら見れて。だから、あんまりプライドとかも気にならなかったですね」

そう言って笑う彼を見て、少し考える。

―――そう、だな。

自分は常に虎姫だった。

宮永照という神輿を担ぎ、絶対王者として君臨し続け、君臨したまま高校を終えたのが、自分だ。

だからこそ、敗北を必要以上に重く捉えていた部分は、あったのかもしれない。

 

勝利が当たり前であるという環境に、浸りすぎた。無論、敗北は望むべくモノではない。けれども、あの時と今は状況が違う。実力が拮抗したリーグがそこにあって、敗北は常にそこに存在しているものなのだ。常に勝ち続けられるほど、甘い世界ではない。

 

「成程な」

そうポツリと呟き、彼女はゆっくりと目を閉じた。

そうだ。

まだまだ―――諦めるには早いじゃないか、と。

 

 

それから、彼女は足掻くのを止めた。

一人で足掻いても意味がない。全員が何とか這い上がって、足並みをそろえて、一つになっていかなければならないのだ。チームが苦しい状況だからこそ―――一人がどうという問題じゃないのだから。

今自分にできる事は、敗北を受け入れていく事だ。その上でそれを受け入れ、割り切り、前進の糧にする他ない。

 

そんな簡単な事を、こんなちょっとした事で教わったのだ。

まだまだ―――今の時間は捨てたモノじゃない。そう彼女は思えた。

 

 

“―――可能性があるなら、諦める理由にならないじゃないですか。―――今回、先輩見て、そう思えました”

「ふん------」

バーからの帰り道、一つ彼女は鼻を鳴らした。

そして、

「それはこっちの台詞だ、馬鹿め」

そう言って、少しだけ笑った。

―――頭上には、まだまだ満点の月が出ていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

須賀、タレントになる編
阿修羅は何を嗤うか


リクエストで修羅場書いてほしいと結構な数が来ていたので、幾つかリクエストで来た要素を組み合わせて書こうと思います。かしこ。


―――まさしく雀士を取り巻く世は“戦国時代”?垂涎物の若きツバメの強奪になりふり構わず!?

 

須賀京太郎取りにまさしく芸能界は“戦乱状態”だ。先日、SBSバラエティ「今を生きる!鉄人列伝」において、ゲストとして招かれたプロ雀士原村和(25)は番組内でその料理の腕前を披露した。「嫁入り準備バッチリですか」と司会が尋ねれば「悠長に構えられる年齢でもないですし」と、サラリと答える。そんな一幕だ。

「これはですね、彼女なりのアピールなんですよ」と報道関係者は言う。

「須賀京太郎が以前、番組で“家庭的な子が好き”とはっきりとタイプを明言していましたからね。その為に、何とか脈を作りたい思いもあるのでしょう」(前述の報道関係者)

 

須賀京太郎と言えば、現在売れっ子の芸能人だ。元々は龍門渕グループ傘下の事務所所属のマネージャーだったが、当時マネージャーとして組んでいた愛宕洋榎との丁々発止のやりとりが話題となり、テレビ出演が激増。高校時代、男子グループで県予選を勝ち抜いただけの麻雀の実績もあり、実況の仕事も増えていった。その独特な苦労人キャラも相まって、人気沸騰中の芸能人である。麻雀の世界に突如として現れた若いツバメに、現在雀士の中では虎視眈々と狙う人間も多くいるのだという。麻雀協会所属の関係者は、このように言う。

 

「雀士の世界は、はっきりとした女性優位の世界です。オカルトじみた確率変動を起こす能力を男は発現しにくい為、どうしても男性よりも女性の方が多い、特殊な世界です。だからこそ、雀士は少ない出会いの中で男をゲットできなければ、早々に“売れ残り商品”となってしまうのです」

 

実際、協会の要職を見渡せば、その八割が女性を占めており、世界ランクを見渡せど、上位百位に入っているのは女性しかいない。こういった世界の中で、男を見つけるのは至難の技だ。そんな中突如として現れた須賀京太郎は、女雀士にとってまさしく垂涎物のツバメなのだろう。原村和など、元々須賀とは同じ高校、同じ部活出身でもある。その当時は和側に脈が無かったようだが、現在の彼の姿に心境の変化があったのかもしれない。

「プロ雀士はおろか、局アナまでも彼を狙っていると、彼に関しては噂が絶えない。ただ、彼が所属する事務所は龍門渕グループですからね。その管理もおのずと厳しいものになってしまいますから、彼を手に入れるのはとても困難でしょう。だからこそ、皆が皆、あそこまで必死になるのです」(前述の協会関係者)

 

瑞原はやり、小鍛治健夜、野依理沙、など結局独身のまま四十路に至る事は、トッププロですら珍しい事ではないという、まさしく修羅の世界。そんな世界に飛び込んできた若き売れっ子の行く末に、注目が集まるばかりだ―――。

 

・    ・    ・

 

 

「適当な文面ですねー。書いた奴の顔が見て見たい」

そうブツブツと呟くのは、須賀京太郎。

現在、事務所の同僚から爆笑しながらこの雑誌を手渡され読んでみたはいいが、まさしく無駄な時間だったという他ない。下世話な週刊誌らしい内容であった。

まあ、けれどもこういう週刊誌連中は事実の正誤についてはプライドも糞も無いのだろうけれども、世間様が欲する内容に関しては恐ろしく敏感であるのは間違いない。つまりは、今現在自分の恋愛事情を世間様が求めているのだ。

------人生、何が転機となるか解らないものだ。

切っ掛けは突然であった。当時マネージャーをしていた愛宕洋榎がとあるバラエティ番組に出た時に、共に出演したのだ。その時から何故だか解らないが妙な人気が出てしまったようで、事務所との契約更新の際に、タレント業務も行う羽目になってしまったのだ。

 

アマゾンの奥地で未開民族と交流させられたり、鹿児島の海岸線で海に叩き落されたり、北海道の名前も解らないような島でサバイバルまでやらされた。無論これは極端な仕事を紹介しただけであり、その他にも協会主催の試合の実況、海外試合のリポートや取材といった麻雀関係の仕事などもあった。ただ、「苦労人キャラ」がどうやら世間様にウケた理由である事からか、とにかく変な仕事を回される事が多いこと多い事。実況で組まされる時の解説は、大抵一癖ある人ばかりであった。わかんねーと全ての仕事を丸投げして来る着物女や、居酒屋気分で適当な事しか言わない関西人や、金の話しかしないサカルトヴェロ人-----などなど。回される仕事は、言うなれば須賀京太郎に対する局のイジメなのだ。苛めれば苛めるだけ世間様が喜んでくれるのだから、もう骨の髄まで苛め抜いてやろうという魂胆が須賀側からは見え透いていた。

 

だが、人気が出れば当然給料も跳ね上がった。預金通帳を見た時は思わず卒倒しそうになったくらいには。

自分の立ち位置が、ここ最近で随分と変わってしまったのだなぁ、と思う。こんな下らない雑誌の餌箱になるくらいになってしまったのだ、自分は。

「ま、今度ハギヨシさんと飲む時の話のネタが出来たし、いっか」

彼は雑誌をくるくると丸め、そのままゴミ箱へ放り投げる。

さあ、次も仕事だ。さっさと準備して行こう。彼は即座に気持ちを切り替え、次の仕事場へと向かって行く。

 

------しかし、彼は気付いていない。

今自分が置かれている現状に。

まだ、まだ。

 

 

「また------ね」

神社内部にある、儀礼所にて―――石戸霞はそう呟いた。

今彼女の意識は現実を見据えてはいない。こことは違う何処かにある存在を自らの肉体に“降ろし”、別次元へと交信を果たしていた。

「------これで何度目かしらね。彼の内部に忍ばせた諸々が、消滅させられているのは」

石戸霞は、目を細め、唇を歪ませた。

幾らかの方策と幾らかの儀式を経て、彼の体内へと忍ばせた、言うなれば神“もどき”。それが、こうして度々“消されている”。

消される度に、霧島の外で活動している戒能良子を通じて忍ばせているが、それでも何処かのタイミングで消されているのだ。

「お手紙を出しましょう」

石戸霞は仕方がない、と呟き―――そう言った。

「戒能さんには、原因の方も少し探って頂きましょう」

やられてばかりではいられない。

―――姫様の為にも、ここはきっと正念場になるはず。覚悟してかからねばならないだろう。

 

 

「さあ、今日も始まりましたー!北海道の、北海道による、北海道の為のローカル番組!“木曜のうらら”!といいつつ平気でよそ者も駆り出すんですけどねー」

赤髪の女が、ゲラゲラ笑いながらカメラの前でくるくる回っていた。

彼女の名は、獅子原爽。

北海道を代表するローカルタレントの一人である。

「-----で、今日は何をやらされるんですか?」

「えーと、前々回が冬の企画で氷海で鬼ごっこして、見事須賀と私が海に落っこちたんだっけ。寒かったな~」

「前回は小熊とは言えヒグマと鬼ごっこさせられましたねぇ!」

「いやぁ、須賀はいいなぁ!こういう身体を張る仕事も断らずやってくれるタレントは大好きだぞ!あっはっはっは!」

「ちっとも嬉しくない大好きありがとうございます-----!」

「ちなみにユキも大好きだと言っていたぞ!」

「それは素直に嬉しいですねぇ!」

「正直なのはいい事だな、須賀!もうお前も名誉北海道人みたいなもんだし、ウチのスタッフもさぁ、“この企画やばくね”って事になったら、取り敢えずお前を入れる事になってんだよ」

「そうですね-----札幌空港に着く度に、身体に震えがくるほど北海道人になっちゃいましたし-----ここのスタッフは取り敢えず、一度頭のネジを締め直してくれませんかね?」

「震える程嬉しいのか!嬉しい事いうじゃん!」

「怖いんすよ!皮肉も通じないんすかアンタは!」

「さあさあでは今日もやって参ります“木曜日のうらら”。本日訪れる場所は―――」

 

有珠山高校一同は、高校卒業後に同じ北海道内の大学に進学した。

その後、獅子原爽は北海道キー局でアシスタントの手伝いをしていたが、彼女の賑やかしの才能を見抜いたプロデューサーにより、地元タレントとして起用される事となり、大当たり。有珠山時代からの仲間も次第にテレビ出演されるようになり、有名になっていった。

 

そして「よそもの枠」として、度々須賀京太郎が呼び出される事となった。

その大抵が何かしら理不尽な目に遭う不憫なキャラクターとして。海に突き落とされるのはもう毎度おなじみのオチとなっており、その他にも檻越しとはいえ密室にヒグマと共に閉じ込められる、闘牛をさせられる、氷山に置いて行かれる、海氷で作ったかき氷を真冬に食わせられるなどやりたい放題。それだけなら単なるいじめだが、企画側の爽も一緒になって身体を張っている分たちが悪い。何処までも子供の心を忘れない爽にとって、須賀と一緒に行える企画は最も楽しいものであった。

 

口では恨み言を言っている京太郎も、実際の所何が起こるか理解不能なこの企画を意外にも楽しんでいた。

 

この番組は北海道内で相当高い視聴率を誇っており、京太郎の認知度も非常に高い。事務所側としても予想だにしなかった結末である。

「おっしゃー!お疲れ、須賀!」

「お疲れ様です」

「おっつー」

番組が終わると同時に、共演した三人がそれぞれ須賀に挨拶をする。獅子原爽、真屋由暉子、岩館揺杏の三人である。

「お疲れさまでした、三人とも」

「なあなあ、須賀。これから暇か?チカと成香もこれから合流するしさ、一緒に飲みいかね?あいつらも会いたがってたしさー」

「いや、すみません-----これからすぐ北海道から発たなくちゃいけなくて-----」

「なんだよつれねーなー」

「いやあ、最近忙しくて-----それじゃあ、また次も会いましょう」

そう言って、須賀京太郎はタクシーに慌ただしく乗り込む。これが、今の彼の日常なのだろう。全国各地に行ったり来たり。流石は人気タレントである。

「-----なあ、爽」

「うん?」

揺杏は、爽に尋ねる。

「また、“憑いてた”?」

「うん。憑いてた。―――カムイが祓ってくれたけどさ」

その会話に、由暉子の表情が歪んでいく。

「----やっぱり、須賀さんを監視している何者かが、いるのですね」

「そういうこったね-----まだ、誰が、何を、ってのは全然解んないみたいだけど」

一つ珍しく溜息を吐きながら、爽は言った。

「オカルトをこーいう使い方すんのはどうなの、って思うけど。実際やられてんなら仕方ないわな。こっちも、アイツがこっち来る度祓ってはやってるけど、その度にってのも何だか不穏だわー」

「どうするのですか?」

「原因究明しないとね」

獅子原爽は、笑う。

それは、実に―――子供らしい、純粋な好奇心と悪戯心溢れた笑みだった。

「面白そうだし-----何より、須賀はこっちのもんだ」

笑みと共に、彼女に付き従うカムイ達が顕現する。

―――このお話は、南北を分けて行われる、一種の戦いの物語である。

結末は、未だ解らず。




爽ちゃんは、何となーく大泉っぽく感じたので、こんな事に----。すみません。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

南北の使徒、出会う

「-----神境の術が、祓われているファクターですか。そう言われましてもね」

戒能良子は一つ溜息を吐いた。

「------姫様よりも、むしろ石戸家が彼にアタッチしているのかもしれませんね。外部の一般人に、術を用いるなんて、本来ならばリストリクトされているはずですし」

ふむん、と彼女は一つ呟く。

「------いや、石戸家というよりも、霞個人のランナウェイの可能性の方が高そうです。本来、一番こういう行動に待ったをかけるはずの彼女が、こうして一番積極的に動いているのですから」

そうであるならば、―――戒能良子としては、こうして自らの立場を利用されてこき使われるのはあまり面白くはない。彼にかけたと思われる呪法の再編を行う為だけに、こうして都合よく動かされるのは。

―――神境の皆々方は、少しミスアンダースタンドがあるみたいですね。

戒能良子の目に、妖しげな光が宿る。

―――私は、貴方達の為に行動しているのではない。私は、私の為に行動しているのですから。

そうだとも。

あくまで、利害が一致した故に行動しているだけだ。ただ働きをしてやるつもりなんぞサラサラない。

カツカツと歩調を速めながら、彼女は今日も仕事へ向かう。

―――さあ、今日も解説のワークへ向かいますか。

ふふ、と一つ笑みを零しながら戒能良子は向かう。

今日は、須賀京太郎が実況する試合の解説だ。

 

 

「お久しぶりですね、京太郎君。今日もグッドな実況、よろしくお願いします」

「いやだなぁ、戒能さん。あまりプレッシャー掛けないで下さいよ」

テレビ局にて、戒能良子は須賀京太郎の控室に訪れていた。

須賀京太郎にとって、戒能良子は恩人と言っても過言ではない存在であった。はじめて実況席に座った時に、あらかじめ解説への話題の振り方を教えてくれた女性であり、実況中もそれとなくこちらの仕事をフォローしてくれる―――大体曲者が置かれる解説仲間の中で、一種の清涼剤じみた存在だとすら彼は思っていた。ちょくちょくこちらを弄る事も、奇妙な言葉づかいも、これらの事実の前ではただのユーモアでしかないのだ。

「いえいえ、京太郎君との仕事はこちらもエンジョイしてますから。今日も元気に頑張りましょう」

「はい。よろしくお願いします」

「では、今日も仕事終わりに一杯ひっかけませんか?また新しいバーを開拓したので」

「いえ、すみません。今日はちょっと先約がありまして-----」

「ほう?先約ですか」

「はい。----今日、北海道からこっちに企画でやってきている連中がいまして、そいつと夜に飲む予定が入っているので-----」

「そうですか----それは残念です。では、またの機会という事にしておきますか」

「申し訳ありません」

「ノーウェイノーウェイ。いつも付き合ってくれてありがとうございます」

「はい。では、またの機会に飲みましょう」

 

―――さて。

少し予定外だったな、と彼女は思う。

飲みに行けるかどうか―――ではない。それは彼の予定が都合よく空いているとは限らないのだから、それは予定外などではない。

むしろ、予定外なのは―――北海道からの友人、という点。

 

神境の秘術を祓っているとなれば誰であろうか。ずっと疑問であったのだ。

―――成程、カムイに憑かれたあの子か。あの子ならば、確かに“祓う”事も可能だろう。

 

まだ確定ではないが―――彼女の中で、その推論はもう確信に近いものがある。

「-----これは、うかうかしていられないですね」

そう、ぼそりと呟いた。

 

 

「ひっさしぶりー!おっしゃー、飲むぜ飲むぜ!」

テレビ局前の待ち合わせ場所に、いつも北海道で大暴れしているこの女がいた。

獅子原爽だ。

彼女は変わらぬ無邪気さと溌剌さを以て、須賀京太郎の前に現れた。

「そんなにはしゃがないで下さいよ、恥ずかしい」

「あっはっはー。忘れたのか、須賀よ!私はあの番組でもう恥という恥は掻き捨てたんだ」

「そうでしたね。でも掻かなくていい恥まで掻く必要はないでしょう-----」

「今日は成香とユキもいるからなー!財布のヒモは緩めておけよー」

ゲラゲラと笑いながら、彼女はぐいぐいと京太郎の手を引いていく。

そうして連れ込まれたのは、安いチェーンの居酒屋であった。がやがやとした喧騒の最中、彼女が言った通り本内成香と真屋由暉子がそこにいた。

「お久しぶりです、須賀さん」

「同じくお久しぶりです~」

二人はいつもの通りそう挨拶した。有珠山メンバーの小動物枠とアイドル枠の二人で、爽と共に企画の為に来たのだという。

「久しぶり。二人共今日は何の企画で東京に来たの?」

「二人で上野動物園に行ってきたんです。パンダがとっても可愛かったです」

「平和な企画だな~」

「先輩は別の場所で何かやっていたみたいだけど、何していたんですか?」

「私?私はゾウに乗せてもらっていたぞ。メチャクチャ楽しかった!」

「それは楽しそうです!」

「いやー、それからあの餌やりもやったんだけどさ、何か興奮しちゃったみたいで私に鼻でビンタした後全力で追いかけて来て、慌ててそのままバリケード超えて水場に飛び込んだ!」

「------狙っているんですか?」

「いや?」

「------爽さん、ほんととんでもないっすね」

「さあさあ、馬鹿話もこれまでとして、取り敢えず飲もうぜ!のーもーぜー!」

そうして、四人が席を付き、注文を始める。

ここ全部須賀の奢りだから取り敢えず一番高い酒でも頼もうぜー、という悪乗りから一升瓶ごと日本酒がやってきたという悲劇の中、成香は一杯で潰れてダウン。澄まし顔で飲み続けていた由暉子も、段々と顔に朱が差してきていた。

そして―――由暉子もうつらうつらと意識が混迷する中で、隣に座る須賀の肩にその身を寄せた。

「あっはっは。モテモテだな須賀」

「いや、まあ役得ですけど―――もう二度とこんな注文しないで下さいよ」

「いやいや、ごめんごめん。ま、いいじゃん、役得みたいだし」

そう言い終わると、京太郎の正面に座る爽は、少しだけ押し黙り―――唐突に彼に顔を寄せる。

「ど、どうしました爽さん----?」

あまりにも唐突なその行動に、たじろぐ。

「うーん、酔ってないな。まだ」

「へ?まあ、はい」

「うんうん、よろしい事だ。―――なあ、須賀。これはちょっとだけ酔ってしまった、私の独り言だと思って聞いてくれ」

「-----」

「私はさ、最初お前を番組に出すの反対していたんだ。それは、お前が嫌いって事じゃなくてさ。身体を張らせる役目をゲストにさせたくなかったんだよ。私がやる分には構わないんだ。楽しいし、それで人気が出るしさ。けど、私一人でやるには編成がもうマンネリするから、ってなった時にさ。じゃあ外部から呼んでひどい目に合わせて笑わせればいいじゃん、ってなったら―――すごく、嫌だったんだ。大変な所をゲストにやってもらってさ。それで私達の負担を和らげる、なんて嫌だったんだよ。それだったら、本当は嫌だけど、ウチのメンバーに背負わせた方がまだ道理が通っているじゃん、って」

「そうだったんですか----」

「でもさ。お前は、自分からその役を買って出てくれた。散々な目に遭っても、番組の外でそれに不平を言う事なんて全く無かったしさ。楽しんでくれてるんだな、って。―――それに、私の“カムイ”を見ても、お前はずっと変わらず友達でいてくれたしな。ユキなんか、ずっとお前に感謝してるって言ってるんだ。こんな澄ました顔してても」

やっぱりだ、と須賀京太郎は思った。

この人は―――。

「やっぱり、爽さんは優しいですね」

「そうか?」

「うん。それに―――何も考えていないようで、すっごく考えている人なんだな、って」

「そうかな-----うん、まあ、そうか」

この人は、なんだかんだ言っても―――このグループの「お姉さん」なのだと。

子供のようでいて、けれども一番周りを見ている。

この人は、そう言う人なんだ。

「まあ、だからさ。須賀。私―――というか、私達はな、みーんなお前に感謝している。何かあったら、何だっていい。私達を頼れ。何だって力になってやる。それ位感謝してるんだ―――以上!独り言終わり!ちょっとトイレに行ってくる!」

大声でそうデリカシーもクソも無く宣言すると、彼女は席を立った。

「あの人らしいなぁ」

照れ隠しにあんな台詞をぶっ放すあたり、全くもってあの人らしい。

ううん、と少し寝苦しそうにそう呻いた由暉子は、頭の位置をずらす。そうして、がくりと首が肩口から落ちて、

「あ」

そのまま、須賀京太郎の膝の上に行った。身体ごとあぐらをかいた須賀の方へ傾けて。

「うん-----まあ、役得だし、いいか」

安心しきった寝息をあげる彼女に、そう一言ポツリと呟いた。

 

 

「―――残念だったね」

声が、聞こえた。

「―――カムイが反応した先を見れば、まさかプロに会えるとは思わなかったよ」

居酒屋がある通りでじっと壁に腰を掛けていた戒能良子は、思わずその声の方向を振り返る。

「----獅子原爽」

「あの怪しげなもん、アイツの身体に入れてたのは、アンタか?」

「ノーですね。私ではない」

無表情のまま、彼女はそう答える。嘘は言っていない。

「だったら、アンタの元々のお家か。―――鹿児島の神様か。厄介だね」

「------」

「けどさ―――これから、アンタの思い通りにいくとは思わないこった」

「-----それは、こちらの台詞です」

「-----そうか」

それだけ彼女は言い残し、また元いた場所に帰っていく。

「存外アッサリと去りました---ね----」

戒能良子は、背後を見た。

そこには、禍々しい、夜の陰にさらに映える黒色があった。

これは―――

「うぐ!」

それが身体に触れた瞬間―――身体の奥底にマグマが注ぎ込まれたような熱が全身に走った。

感触がもぞもぞと全身をそばだたせ、腹の奥を中心に燃え滾る様な熱が注ぎ込まれていく。

「あ-----はぁ!ま、まさか----!」

これが-----カムイか!

身体全体が、感覚体になってしまったような苦しみが、全身に迸っていく。

「うあ-----や、やってくれましたね---!獅子原---爽!」

彼女は何とか言う事の聞かない身体を引き摺り、その場を去っていく。

 

かくして―――戒能良子と獅子原爽との邂逅を、終えた。

しかして、その出会いはまだ一握りの出来事に過ぎない。

混沌と混迷は、まだまだ連鎖していく。




カムイの事を知りたくば、ゴールデンカムイ、読もう!面白いよ!いつかゴールデンカムイの二次創作も書きたいなぁ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

お悩み乙女、キャップ編
献身と、感謝と、罪悪感と


キャップ単独編。多分そこまで長くならないかと。


福路美穂子は、基本的に誰かから嫌われる事が少ない人間だ。

それは、彼女自身が誰かを嫌う事が全く無い事に起因する。

簡単な話だ。自身に対し純粋な善意を向けてくれる相手を、嫌う事は少ない。誰であれ拒絶しない彼女を、わざわざ拒絶する理由は無い。

 

福路美穂子は、とても頼られる事が多い人間だ。

それはもっと簡単な話だ。彼女自身が人に頼られる事を喜びとする人間であるから。

誰かに頼られる事が嬉しい。誰かの為に何かをやっている事が嬉しい。彼女にとってその思考と感情の結びつきは、ごくごく自然なものであった。

 

いつだってそうだった。誰かの為の自分でありたかった。誰かが傷ついている姿を見る事が耐えられなかった。誰かが困っている姿を放置できなかった。彼女はそういう在り方なのだ。

誰かの為の自分。

そうしてずっと生きてきた。

―――けれど。

どうして、そういう在り方になってしまったのか―――そう問いかけてみた。

解らなかった―――という事にした。

だから、見て見ぬフリをしていた。

でも、本当は解っているのだと思う。

見たくないモノは、目を閉じて、見ない。

彼女の在り方は、そういうモノでもあったのだ。

 

 

大学に進学した後も、福路美穂子の立ち位置は変わる事なかった。

三回生に入ると同時に、麻雀部のキャップテンに就任。しっかりものでいて慈母の如き優しさを持つ彼女は、まるで当然の事の様に皆が皆彼女を推薦をし、キャプテンとなったのであった。

三回生となり、三ヵ月が過ぎた。

元気のいい一年生が多く入り―――何とかつての後輩であった池田華菜まで加入し(麻雀の特待頼みだったが当てが外れて浪人したらしい)、とても部が賑やかになった。

入って来た一年生は、皆とてもいい後輩達だ。生意気な子もいるけれども、それすらも福路美穂子は可愛らしいと思えた。この中には、プロにかからずこちらに来た一年生もいる。そういう人は、一つでも上に這い上がろうと目をぎらつかせている子だって、いる。

その子は、きっと悪くない。

けれども、そのままにしておくと何処かで壁が出来てしまう。

そういう風にしたくない。折角色々な縁を辿って同じ仲間が出来たのだから、独りになってほしくない。

そういう思いで、彼女は後輩であろうと気さくに話しかけていた。

努力の甲斐があってだろうか。現在麻雀部においては衝突が起こる事無く無事過ごせている。

とても上手くいっていると思う。

そう、とても。

―――ただ。

ちょっとだけ、困り事がある。

それは―――。

 

 

「ねぇ、池田さん」

「なんだし、須賀」

「------いや、この辺で一つ真面目に言っておかないといけない気がして」

「断るし」

「まだ何も言ってないですよねぇ!」

「お前からの愛の告白なんて気持ち悪くて吐き気がする。前もってお断りするし!」

「あの、すみません、先輩ですけど同学年なんではっきり言わせてもらいますけど------い・ら・ねー!!」

「なにおう!何がいらないだって!?それと堂々と“先輩だけど同学年”なんてはっきり言うなし!浪人した事ばれるじゃないか!」

「もうこの空間にいる誰もが知っている事なので別にどうでもいいでしょーが!そうじゃなくて、何で毎度毎度俺がここに呼びだされるんですか!」

大学、麻雀部部室内。

そこには、池田によって無理矢理に麻雀部に連れてこられた須賀京太郎の姿があった。

「須賀。ここは女子麻雀部だし」

「おう」

「つまりは、女しかいない。解るな?」

「池田さんじゃないんで、流石に解ります」

足の甲を踏まれる。割と痛い。

「麻雀部は意外に買い出し要員がいるし、雀卓の整備だって必要だし」

「はい」

「そしてお前は栄光の清澄麻雀部のパシ―――マネージャーだったという功績があるし」

「おい。今パシリって言いかけただろ。そしてマネージャーじゃねーよ!」

「何だっていいし!なのでお前を部公認のパシリとして池田華菜ちゃんが任命するし!」

「勝手にすんじゃねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」

 

という経緯があり―――須賀京太郎は大学麻雀部マネージャー(非常勤)に無事任命された。

ここに至る以前にも、原因があった。

それは、キャップテン福路美穂子の負担があまりにも大きかったからだ。

彼女は今まで率先して全てを行ってきた。部内の調整、後輩のフォロー、合宿や新歓の幹事、そして部での雑用。

それら全て彼女一人でまかなってきたのだ。

当然、その中で―――特に池田華菜なんかが―――それらの手伝いをしようとしたけれども、決まってこう返答を返されてしまう。

「いいの。皆の練習時間、とりたくないもの」

そう本当に心の底から思っているのだろう。手伝いを申し出た所でそう言われ断られてしまう。

ならば、仕方ない。麻雀部の人間を使うのが駄目ならば、外部の手伝いを呼ぶしかあるまい。

そういう訳で―――須賀京太郎が呼び出されたのでした。まる。

 

「こらこら、カナ。駄目でしょ。無理矢理関係ない人を呼んじゃったら」

「う----け、けどキャプテン-----」

「けどじゃないの。―――私は大丈夫だから、心配しなくていいの」

「------」

「あら?そう言えば、貴方は清澄の------」

「あ、はい。お久しぶりです。福路さん」

「はい、お久しぶりです。ごめんなさい、ウチのカナが失礼な事言っちゃって」

「いえいえ。アレはもう、なんか様式みたいなものですから----」

「ふふ。仲がいいのね。でもね、須賀君。私は大丈夫だから、貴方も心配しないでね」

ニコリと笑って、彼女はそう言い切った。

その顔は―――本当に「心配いらないから」と心の底から言っている気がした。

須賀京太郎は、知っている。

そういう風な顔をしている人間ほど、無理をするのだと。そして、無理をしている事すら、気付かないのだと。

思わず、言ってしまった。

「いえ、―――すみません。俺、やります」

え、と彼女は声を上げた。

「さっきはああいう風に言いましたけど-----その、時々になりますけど、それでもやっぱり手伝いたいので。どうか、手伝わせてください」

ここで「手伝います」ではなく「手伝わせてください」と咄嗟に言える辺り、もう彼女の性質を彼は理解したのだろう。彼女は、お願いの形をとられるととても弱い。

彼女は―――力無く、頷いた。

そうする他、無かった。

 

 

それからだ。

ちょっとした困り事が、彼女に生まれてしまったのは。

須賀京太郎。大学一年生。二つ年下の後輩。

彼は、一言でいえばとてもいい子だった。

時々と言いながらも、彼は雑事が必要になればすぐにかけつけてくれた。事前に池田華菜が打ち合わせているのだろう。必要になれば、すぐに彼は手伝ってくれた。思いやりもあり、妙な人懐っこさもあり、彼はすぐに麻雀部の面々と打ち解けた。

―――ただ、一人を除いて。

「あ、福路さん。これ、買ってきました」

「------うん。いつもありがとう。須賀君」

「は、はい」

ニコリと笑って、そう返答する。

けれども―――多分、彼も解っているのだと思う。

そのかける言葉に、少しだけ壁がある事を。

遠慮しいしいというか、何というか。ありがとう、という言葉なのに、何故だかごめんなさいと謝っているような口調なのだ。

彼のおかげで、福路美穂子は自分の練習時間を増やすことが出来た。それはとても喜ばしい事だ。そろそろ夏の大会だって近い。自分のクオリティを落とす訳にはいかない。

 

なのにだ。なのに、胸の内にちょっとしたモヤモヤがある。

―――いや、なのに、ではなく、これは故に、が正しいのかもしれない。

 

今自分は確実に利しているのだ。他者の手伝いによって。その事に、半端ではない罪悪感を感じている。

―――感謝、しなくちゃ。

 

なのに、何故自分の胸はこんなにも陰が差し込むのだろう。

その理由を探そうとして、少しずつ考え、思う事は―――こんな事だった。

 

―――私、嫌な女だなぁ。

そう、思ってしまった。

 

このお話は、悩める乙女の物語。たったそれだけのお話である。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

雨の日に

人に壁を作る理由は至極単純である。

近付かれたくないからである。

この至極単純な方式の前に、須賀京太郎は何となく落ち込んでいた。

----何と言うか、うん。

清澄高校の中で、こうも如実に壁を作られる事は無かった。女子に囲まれながらもそれとなく受け入れられていた経験がある為か、その様子に少しだけショックを受けていた須賀京太郎であった。

―――まあ、けどこれが普通だよな。

同時に、聡い彼はこう思いもする。

女の子だし。しかも女子高出身だし。男に対して警戒心を持ってしまうのも致し方あるまい。福路美穂子という女性がどれだけ聖母のような人であろうとも、それは変わるまい。相性がいい人間もいれば悪い人間もいる。それはごくごく自然な事なのだと。

そのように彼は判断した。

けれども、―――彼女の優しさもまた、理解できている。

だから、手伝うと宣言した以上はそれを放棄したくもなかった。

故に、―――まあ、仕方ないと心中、呟く。

彼女ほどの聖人に距離を置かれているという事実に何だか打ちのめされそうになるが、それでも、そうなってしまったからには仕方がない。

彼女が距離を取るのならば、自分もそれに合わせなければいけないのだと思う。

そう、彼は結論付けた。

 

 

「あ、あの須賀君-----」

「は、はい。どうしました、福路さん」

「えっと、その----ううん、ごめんなさい。なんでもないです」

「そ、そうですか----」

「ごめんなさい-----」

ずっと、こんな感じである。

多分彼女も、このままでは駄目だと思っているのだろう。何とかコミュニケーションをとろうと思っているのだろう。

だから、どうにかして話しかけようとする者の、結局言葉を詰まらせてしまう。こういう事が、何度か続いてしまった。

かけようとする言葉は、恐らくは彼を気遣い、仕事をこちらに分担するように求める言葉なのだろう。

けれども、それでは本末転倒にも程がある。自分の負担を和らげるために、彼はこうして日々雑用をこなしてくれているというのに。

------自分はキャプテンなのだ。

その本懐はチームを勝たせる事だ。

それは、解っている。ならば、自分は他の事にかまけている時間なんてないのだと。その部分を担ってくれている須賀京太郎に、感謝こそすれ拒絶する理由なんてないのだと。

でも、それでも。

何故だか自分の心に不安があるのだ。

人に何かを背負わせる事への不安が。

 

―――だったら、頑張らなくちゃ。

自分は、頑張らなくちゃいけない。

こうやって、気遣われているのだから。

それに、応えなくちゃいけない。

そうに違いない。

そうじゃなければ、自分はキャプテンではない。甘えている分、頑張らなくちゃいけない。夏になれば、大会だって控えている。自分の実力をしっかりと堅持して、大会に臨まなければいけない。無駄にしている時間なんてない。

そう、彼女は結論付けた。

 

 

結論から言えば。

この二人の二つの結論は、両者を微妙な意識のすれ違いを生んだ。

須賀京太郎は自分が「避けられている」と思っているが故に、彼自身も彼女を徐々に避けるようになった。

福路美穂子は自分が「気遣われている」と思っているが故に、ひたすらに麻雀に打ち込んだ。

 

須賀京太郎は出来る限り迅速に雑用をこなしつつ、彼女の邪魔にならぬ様に、意識して距離をとるようになった。必要な時以外は美穂子に対しては挨拶だけで済まし、それ以外は出来る限り関わらない方がいいのだろうと。

福路美穂子はこうして出来た時間を必死に麻雀の研鑽の為に使った。そうしなければいけないのだと、ある種の執念を纏いながら。無論、周囲のフォローや後輩の世話、指導といった事に手を抜く事無く、そのようにしていた。

 

「-----キャプテン、大丈夫ですか?」

「ん?どうしたの、カナ?」

「いや、最近ちょっと元気が無いな、って」

池田華菜にそう言われ、福路美穂子は少しだけキョトンと首を傾げてしまう。そうなのだろうか。自覚は無かった。

「そうかしら?」

「何か-----無理してないですか?」

「無理なんて----」

している訳がない。

ああやって、後輩の男の子が頑張ってくれているのだから。その分、自分は負担が減っているに違いないのだから。

「その-----須賀も、心配していましたから」

「え?」

意外だった。

―――自分の負担を背負わせておいて、その上であんな態度をとっている自分を、それでもまだ心配してくれているのか、と。

「その----アイツは、馬鹿なんですけど、ちゃんと見るべき時はちゃんと周りを見てます。巻き込んだ私が言うのもあれなんですけど、アイツが手伝うのを決めたのだって、キャプテンが無理をしないようにする為でした。だから、その、無理はしないで下さいね?」

そう池田華菜は申し訳なさげに言った。

------一つ、心中で溜息を吐いた。後輩に気を遣われるなんて、何処まで駄目なのだろうと。

ちゃんと、しなきゃ。

もっとちゃんとしなきゃいけないんだ。

元気に振る舞わなくちゃ。自分が空気を悪くする訳にはいかないのだから。今は、大事な時期なんだから。

------そう、思った。

自分は無茶などしていない。ただただ、やるべき事をやっているだけだ。

やるべき事をやっているだけで無茶をしているように思われるのならば―――それは、自分が悪い事に他ならない。

 

 

それから、暫くの時間が経った。

夏の暑さが少しだけ垣間見えるようになった五月のはじめ。しかしその日は雷雨混じりの激しい大雨で、気温もそれに応じて一気に下がっていた。

「雨かー。梅雨にはまだ早いのにねー」

部員の一人がそう言うと、苛立たし気に池田華菜が答える。

「不覚だったし------何で朝に講義がある日に限って、昼から雨が降るし。おかげで傘が無くて帰れないし」

「ふふ。カナもあわてん坊さんね。天気予報見なかったの?」

「ふふん。この池田華菜、天気予報なんて見ないし!」

「-----大方、講義ギリギリの時間まで寝て慌てて飛び出しているから天気予報なんて見てないんでしょう?」

「あ?」

「図星だからって睨まないで下さいよ-----」

なにおー!と叫び出す池田をどうどうと止めながら、美穂子は一つ提案をする。

「そうだ。以前、東京のお友達からお菓子を貰ったから、温かい紅茶と一緒に食べましょう」

雨が降る日にも関わらず頑張っている部員に、せめて身体だけでも温めてもらおうとお茶を入れる事にしたのだった。

ティーポットに茶葉を入れ、湯を注ぐ。

「流石に人数分のカップは無いから、紙コップになるけど、ごめんね?」

「そんな贅沢はいいません!キャプテンありがとうございまーす」

人数分の紙コップを須賀京太郎がテーブルに配置していき、ポットを美穂子が持って行こうとする。

「福路さん、俺が持っていきましょうか?」

そう京太郎が声をかけると、いつものようにニコリと笑いかける。

「大丈夫よ。須賀君も座って。お茶、入れてあげるから」

そう言って、彼女はポットを手にする。

その瞬間―――雷鳴が、響いた。

付近の山に落ちたのだろう。弾丸が鳴り響いたような、凄まじい轟音であった。

その瞬間―――思わず、ポットを手にしたまま、身体を硬直させてしまう。

不幸にも―――歩き出そうとしたその足が、眩暈と共に、膝元から力が抜けていった。

その結果として―――彼女は、ポットを抱えながら、前に倒れ込んでしまった。

多分、床に転げて熱いお茶をひっかぶる事になるのだろうな、と予測できた彼女は―――それを覚悟してぎゅっと、両目を閉じた。

けれども、―――覚悟していた熱と痛みは、いつまでたっても来なかった。

恐る恐る―――()()()開けると―――そこには、自分の下敷きになっていた、男の姿があった。

「須賀君!?」

そこには―――自分の身体を下敷きにした須賀京太郎の姿と、遠くで割られていたティーポットがあった。

恐らく、茶がかからぬようにポットを払いながら、転ぼうとする美穂子の身体を急いで受け止めたのだろう。

「大丈夫ですか、福路さん」

「わ、私は大丈夫。それより、須賀君-----!」

「お、俺も大丈夫----です----から」

その瞬間、彼の目から少しだけ困惑の色が見えた。

 

気付いた。

 

今、自分が両目を開いている事に。

「―――あ」

その瞬間に、思考が止まった。

眼前の後輩にかけるべき言葉も、するべき事も。何もかもが―――。

見られた。

見られてしまった。

試合の時の様に、自分が意図して―――つまりは覚悟を以て見せるのではなく、不意なタイミングで。

その不意に訪れた現状は、過去の記憶をぐるぐると想起させていった。

「あ---ああ---」

その瞬間に、もう彼女は走り出していた。

全てを放りだして。

部室からみっともなく、体裁も何もなく、逃げ出していった。

 

何故だかは、解らない。

けれども―――そうするしかなかった。

 

悲しくて、辛くて、―――その他の感情が溢れ出してしまって。

彼女は―――雨の中、傘もささずに逃げていった。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

本当の自分、本当の在り方

―――いい子じゃなきゃ。

ずっと自分はそう思ってきた。

だって自分は、ただでさえ変な子だから。

この両目が、あるから。

この両目を授けてくれた両親に恨みなんてない。けれども、周りはこの目を許容してくれなかった。

奇異な目で、自分を見てくる。

変わった目をしているね―――そう不意にかけられる声が耐えられなかった。

変わってなんかない。自分のこの目は、大好きな両親が授けてくれたものなのだから。

けれども、自分だけがずっとそう思った所で、周りはその思いを汲み取ってはくれないのだ。

 

だから、怖くなった。

自分の目を、自分のありのままを、周囲に晒してしまう事が。

 

それが、始まりだったんだと思う。

―――自分は自分のまま、周囲に受け入れられないのだ。

 

だから、自分から目を背けていた。

周りの役に立たなくちゃいけない。役に立たなければ、自分は受け入れられない。

誰かの為に存在する自分であるならば、自分は受け入れられる。

その単純な構図を知った時、それに執着してしまったのだ。

 

―――だから、怖かったんだ。

自分の「役割」が無くなっていく事が。

自分が役立たずになってしまう事が。

自分が自分として自分を受け入れらてもらう為の必要要素が、奪われていくような気がして。

 

徹底的に利他的な在り方は、結局の所―――その全てが利己に繋がっていたのだ。

それが、ずっと目を瞑って見て見ぬフリをしていた真実。

 

それが、全てだ。

何て―――醜いのだろう。

そう、思ってしまった。

 

 

大雨の中傘もささずに逃げ出してしまった福路美穂子は、行く当てもなくぽつんとバス停のベンチに座り込んでいた。

-----寒い。

寒いのは当たり前の話なのだが、それに乗じてだろうか。異様な程の体温の高まりと身体の気だるさが腹の底から込み上げてくる。

ガチガチと歯を噛み鳴らしながら、自分の身体を両腕で抱える。

------体調、悪かったんだ。

無茶をするな、という周囲の声は何処までも正しいモノだったんだ。

自分よりも、周囲の方が自分をよく見ていた。

その事実に、情けなさすら自分の感情に浮かび上がってしまう。

雨に紛れて、涙が流れる。

悲しい。辛い。情けない。

そんな思いが一気にぶり返ってしまって、どうしようもなかった。

こんな状態で、麻雀部に戻る訳にもいかない。

どうしよう―――そう思った時。

「福路さん!」

遠く彼方から声が聞こえた気がした。

―――何だか、また泣きたくなってしまった。

その声に安心感を覚えてしまった―――自分の情けなさに。

そして、何故だか急激に瞼まで重くなってきた。

―――意識が閉ざされる前、力強い腕の感触がした。

何だか、安心できる感触だった。

 

 

「------う---ん」

目を開くと、そこには天井があった。

ぼやけた意識のまま周囲を見渡すと、そこには―――。

「キャプテン!大丈夫ですか!」

こちらを覗き込む、池田華菜の姿があった。

「あ、カナ------」

身体を起こすと、そこには雑然とした部屋があった。

漫画本やゲーム機が散らかった、よく言えば生活感のある、悪く言えばそこそこ散らかった部屋が。

「ここ、須賀の部屋です」

辺りを不思議そうに眺める福路美穂子を、池田が補足する。

「え、須賀君?」

「はい。キャプテンを見つけた場所で一番近い場所がそこだったので。流石に男一人で連れ込む訳にはいかないから、あたしに連絡を取って一緒にこっちに来たんです。それで、布団の用意だけして、アイツは外に買い物に行きました」

「----そうなの」

「----その、キャプテン」

「ごめんね、カナ。本当に、ごめんなさい」

心配そうにこちらを覗き込む池田を、彼女はその頭を撫でる。

「ずっとここで寝ている訳にはいかないし、そろそろ-----」

「あ、キャプテン!立っちゃダメです」

腕先に力を込めて立ち上がろうとするが―――どうにも、力が入らない。

「キャプテン、さっき38度の熱がありましたし、ちょっと今は安静にしていてください。後でタクシー呼びますから」

「------」

何かを言おうとするけれども、言葉にできない。

―――今の自分が何を言おうと、迷惑をかけてしまった事には変わりないから。

「キャプテン。-----後から、多分須賀が帰って来たら、ちょっと外に出ておきます。話したい事、いっぱい話してください」

言うまいか、どうか―――一瞬だけ逡巡しながら、池田は言った。

「―――どうか、アイツの事嫌いにならないであげて下さい。連絡してきた時、何だか死にそうな目してましたから」

 

 

がちゃりと玄関口が空く。

「ただいま戻りましたー」

そう声がしたと同時に、池田はそちらに歩いていく。

「おう、キリキリ買って来ただろうな」

「ちゃんと買って来ましたよ」

「全く、何で風邪薬も冷えピタも常備してないんだお前は」

「健康優良児なんすよ。すみません」

「馬鹿は風邪ひかないみたいだしな。納得だし」

「その方式を成り立たせる為には、池田さんも風邪を引かない体質じゃないとおかしいですね」

「なにおう!」

いつものように漫才のようなやりとりを繰り返しながら、―――池田はぼそりと呟く。

「―――外、出とくから。話して来い」

「---はい」

「ふん----」

池田はそう言うと、玄関口から外へ出ていった。

須賀京太郎は一つ息を吐いて、―――彼女がいる部屋へと歩いていった。

 

 

「あ、須賀君----」

「目が覚めましたか?」

須賀京太郎が部屋に入った瞬間、そこには―――心の底から所在なさげに、また申し訳なさげにこちらを見やる福路美穂子の姿があった。

「-----はい。あの、ありがとう。そして、ごめんなさい----」

「その―――俺の方こそ、すみません」

「え?」

何故、彼が謝るのだろう。

自分を庇ってくれたのは彼だ。そして、その上で勝手な感情のまま逃げ出したのは自分だ。謝るべきは、自分であって彼ではない。

「今回の事じゃないんです。---その、今まで、俺は出過ぎたことをしちゃったのかな、って」

「出過ぎた、って?」

「俺、福路さんを気遣っているつもりで、全然そんな事なかったな、って。福路さんの役割を負担するつもりだったけど、結局それが重圧になってたのかな、って。だから、出過ぎたことをしちゃったな、って思うんです」

彼女が自分に距離をとるようになった。だから自分も距離をとろう。

そんな安直な思考で、彼は彼女と関わる事に消極的になってしまった。

―――ちょっと考えれば解るはずだ。彼女が、理由も無く人を避けるような人間じゃないはずだと。何か理由があったに違いないと。そう慮る事も無く、ただただこうして避けるだけの時間を作ってしまった事が―――彼女を追い詰めた一因じゃないかと。

涙が、出てきた。

―――自分が勝手な感情のまま避けていた男の子は、その実誰よりも自分の事を考えてくれていたんだ、と。

純粋にこちらを慮って、行動していたのだ。

 

「あ、あの福路さん-----」

唐突に泣き出した彼女に、京太郎はあからさまに狼狽していた。

「違う-----違うの。須賀君は、何も悪くないの」

泣きながら、彼女は言葉を紡いでいった。

ずっと、怖かったのだと。

誰の役にも立たなくなった自分は、受け入れられないんじゃないかと。

だって―――自分の目を、受け入れられなかったから。

だから、怖かった。須賀京太郎が入ってきた事で、自分はこの部で役にたたなくなるかもしれない。だから、無意識のうちに須賀京太郎を避けていたのだ。

そう、言った。

「だから私は----皆が言う様な、いい子じゃないの。自分勝手な、女なの」

それが―――結論だった。

自分が見て見ぬフリをしていた、自分の姿。

向き合いたくなかった。けれども―――向き合わされた。この須賀京太郎という人間を通じて。

だって、この男は何処までも純粋に自分を心配してくれた。

そこには何の利己的な感情は無い。

ただただただただ、純粋な配慮だけが存在していた。

自分を成り立たせるために、そうしていた自分とは違う。その対比が、彼女には耐えられなかった。

 

言葉を全て聞き終えると―――須賀京太郎は、真っ直ぐに彼女の目を見た。

その目は、少しだけ怒っているように見えた。それも、当然か。こんなにも、身勝手な論理を振りかざしておいて、許される訳もない。

けれども、―――紡がれる言葉は、予想とは違っていた。

「違います」

と。

そう、彼は言い切った。

「福路さんは、そんな人じゃない。―――その、俺はずっと避けられててもずっと福路さんを見てきました。避けられていると解っていても、思わず見てしまうんです」

少し恥ずかしそうに、まるで述懐する様に、弱々しく言葉を紡ぐ。

「後輩を世話している時も、池田さんとじゃれ合う時も、お茶を入れる時だってそうだ。ずっと、貴女は笑っていた。あれは作り笑いじゃない。本当に、嬉しそうに笑っていた。―――誰かの役に立っている事が、本当に嬉しいと思える人じゃないと、あんな風に笑えない」

だから、違う。

―――きっと、彼女が思う「福路美穂子」は違うのだ。

「その------目の色がそれぞれ違っていて、それを見られるのが怖いという事と、他人の為に頑張れることは、違う事だと思います。俺、池田さんから聞いた事があります。殴られそうになっている時、庇ってもらった事があるって。----もし、池田さんが福路さんに懐いていない、生意気な後輩だったら、庇わなかったんですか?」

「それは----」

それでも、きっと庇っただろう。

だって、あの子はとてもいい子だから。あんないい子が、殴られる道理なんてないのだから。

だから、庇う他ない。

「やっぱり、そうじゃないですか。全然、利己的じゃない。福路さんは、貴女が思っているよりも、ずっとずっといい人です。それだけは、俺も胸を張って言えます」

だから、違います。

もう一度彼は言った。

 

この言葉に、どう返そうか。

涙でぼやける視界の中で、必死に彼女は考えた。

反論は、出来なかった。

だって―――今自分が泣いているのは、きっとさっきまでのように悲しいからじゃない。

情けないという思いはある。

けれども―――今、自分が認められたんじゃないかと、そう思えて嬉しいという思いも、やっぱりそこにあって。

だから、彼女は―――もう一度、()()()()()()

「ありがとう、須賀君」

それだけを、言葉にした。




兄貴がそろそろ結婚するかもしれないとの事。よかったねー。

自分が独身の幸せを死ぬまで享受させて頂くから、兄貴にはその分結婚の幸せを享受して欲しい。そう心から思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

愛のしるし

その後、池田と共に福路美穂子は京太郎の下宿先をタクシーで去っていった。

何だかどっと疲れたけれど―――少しは心を開いてくれたのだろうか。

そうであってくれたらいいなぁ、と少し思う。

 

―――あの人が、何で片目を瞑ったまま過ごしているのか、少しだけ解った。

あの人は、自分を受け入れてもらいたいのだ。

本当は、その素の部分まで含めた自分を。

だけど、拒絶される事が怖くて、ああいう形に成ったのだ。

 

そう誰よりも強く思っているからこそ―――あの人は、誰よりも優しいのだと思う。

他者に受け入れられない苦痛を、誰よりも知っているから。

だから、あの人は誰であっても拒絶しないのだと思う。拒絶したくないと心から思っているのだと思う。

苦しみを知って、その苦しみを誰にも味わわせたくないと願う。

その在り方が―――優しさ以外の何と言うのだろうか。

「-------」

だからこそ、両目でこちらを見てくれた時―――嬉しかった。

それだけの信用をこちらに向けてくれたという事実が。

本当に、嬉しかった。

けれども、思う。

 

彼女は、あれだけいい人なのだ。

誰よりも人を思いやれる、優しい人だ。あの人をあの人のまま受け入れられない人なんて、そうそういない。

だから。

―――どうかあの人にはしっかりと両目を開いて、自分を表現する事を恐れずにいてもらいたい。

それが、心の底からの京太郎の願いだった。

 

自分だけに両目を開いてくれた、という事実は確かに嬉しい。嬉しいけれども―――そこで立ち止まってほしくない。

自分にそれを向けてくれるなら、きっと他の人にだって出来るはずだ。

自分の本当の姿を晒す事に、ずっと恐怖を抱きながら生きていってほしくない。

きっとできるはずなのだ。彼女が彼女として生きて、何も恐れずに両目で見る事が。

そう、須賀京太郎は信じている。

心の底から、願っている。

 

 

『きょうは、ありがとう、そしてごめんなさい。すがくん。いっぱい、めいわくをかけました。

らいんを、いぜん、ぶかつのどうかいせいのこに、いんすとーるしてもらいました。まだつかいかたが、あまりわか』

文章が途切れる。

何だこの下手なミステリみたいな文章の途切れ方は。

多分途中送信してしまったんだろうなぁ、とにこやかに思いながら次のメッセージを待っていたら、たっぷり四十分以上かかってメッセージが届けられた。

『ごめんなさい。とちゅうで、あぷりのこうしん?があって、とちゅうでおくってしまいました。

すまほは、まだわからないことだらけなので、つかいかた、おしえていただけると、うれしいです。

まだ、かぜはなおりませんが、いちにちでもはやくなおるように、あんせいにしておきますね。あらためて、ありがとう、すがくん。ふくじみほこ、でした』

うん。

取り敢えず―――漢字変換の方法位教えておいた方がいいだろうな、と思いました。

 

そんな微笑ましいやり取りを終えると、今度は奥田民生の「大迷惑」が着信音から鳴り響く。この着信音に設定している人は一人しかいない。

「何ですか池田さん」

受話器越しに、変わらぬ喧しい声が聞こえてくる。

同会生にして先輩。池田華菜であった。

「----露骨に疲れた声を出すなし」

いつもの通り、怒った声を投げかけてくる。うん、これは疲れても致し方あるまい。

「そりゃあ、先輩であり同会生である池田さん相手は、色々対応が面倒臭すぎて疲れますし」

「うるさい。そもそもだ、私だってな、やりようによってはダブらず大学に行けたし」

「へぇ、そうなんですかー。よかったですねー」

「流すなし!食いつけよ!何で浪人したんだって!」

「だって別に興味ないですし------」

「あたしはな、本当は麻雀で推薦来ていたんだし!」

「へぇ」

「けど、断った!」

「それで浪人?」

「そうだし!」

「あ、そうですか-------」

「何だし、その微妙な反応は-----」

「いや-----何と言うか、計画性が無いなぁ、と」

「くたばれ----というか、こんな下らない話をする為に電話をかけたんじゃないし!話を聞け!」

「先輩が流すな、聞けよって言ったからじゃないですか----聞きたくもないダブり談義を聞かされることになったのは」

「いいか、須賀。もうこれは命令だ。明日、キャプテンの見舞いに行くこと」

「見舞いですか-----いやいや、福路さん下宿で一人暮らしでしょう?男が行く訳にはいかないじゃないですか」

「あたしだってそう思う。本当はあたしが行ってやりたいんだ。―――けどさ、今キャプテンがいないからこそさ、今までキャプテンがやって来たことを、部で分担してやってやりたいんだ。お見舞いしたいけど、今はちょっとだけ手が離せん」

「------」

「ダウンしている今が、ある意味チャンスなんだ。もうああいう事になってほしくないし、かといってもキャプテン、麻雀部以外にあんまり知り合いいないし-----。消去法で、お前しかいないんだ」

「そう、ですか----」

「夜になったら、あたしが行く。それまではお前が行ってくれ。いいか?手を出したら殺す。泣かしても殺す。OK?」

「ひっでぇ言い草ですね。解った、解りましたから。だったら場所を教えてください―――」

 

こうして、須賀京太郎は実に唐突にお見舞いに行く事になりました。

明日の代講、誰に頼もうかなぁ―――少しだけ悩んだ京太郎であった。

 

 

とは言うものの。

須賀京太郎とてそれ程長居する訳にもいかないなぁ、とは思っている。

簡単なおじやのメニューとプリンやヨーグルト類をスーパーで買った後に、指定された住所まで歩いていく。

------なに緊張しているんだよ。

別に、何も恥じる事は無い。事前に連絡を入れてOKだって貰っているんだ。

とは言っても、一人暮らしの女性の看病なんて人生はじめての経験でもある訳で。

アパートの前で、一つ息を吐いて、チャイムを鳴らす。

パタパタと走って来る音が、玄関先まで聞こえてくる。

「いらっしゃい。須賀君。さあ、あがって」

ピンクのパジャマを着込んだ福路美穂子が―――何だかやたらと上機嫌にそう彼を迎えた。

「は、はい」

「あ―――ありがとう。色々、買ってきてくれたのね。お代はどれくらいかかった?」

「いえいえ、流石に看病の為に買ってきたものに請求はしません」

「駄目です。こういうお金関係の事は、ちゃんとしておかないと」

「------じゃあ、一つ、貸しという事で」

「貸し?」

「お金で返されるのも、何だか勿体ないので。俺が同じ様になったら、同じ様にしてくれれば」

「-----ふふ、解ったわ。須賀君が病気でダウンしたら、ちゃんとお返ししてあげる」

後に、この何気ないやり取りの所為でとんでもない事になったりするのだが―――それはまた、別のお話。

 

それから、つつがなく看病は開始された。

自分で作ると主張する彼女に、何の為の看病ですかと説得しベッドに押し込んで三十分ほど。それほど広い部屋でもなく、準備をしながら二人は色々な事を話した。

大学でのこと、友達の事、麻雀の事―――そして、今度は互いの高校時代について。

「須賀君、中学の頃はハンドボールをやっていたんですね」

「はい。その後、肩を怪我してその後は麻雀部に、って感じですね」

「スポーツマン、って感じですね。何だかカッコイイです。友達が多そうなのも頷けるわ----私は麻雀部以外にあまり友達がいなかったから、少し羨ましい」

「え?」

そう言えば、池田華菜もその事は言っていた。

あまり麻雀部の外に知り合いがいない、と。

何故だろう。この人を友達にしない理由がそもそも解らない、って位しっかりしてなおかつ優しい人なのに。控えめな性格を脇に置いていても、積極的に避けられるような人ではないのに。

その反応に、福路美穂子は少し自嘲気に京太郎に話す。

「その----私は、多分新しく関係を作るのが、ちょっと苦手なのかな、って思うの。部活の中で人間関係を作る事と、クラスや学校の中で一から関係を作る事って、やっぱり別なのかな、って思うの。

その分、物怖じしないで積極的に人と話す事が出来る須賀君が、ちょっぴり羨ましくて、そして凄いな、って思うの」

ああ、と少しばかり納得してしまった。

―――女子は、男子よりも精神的に円熟している分、少々打算的なのだ。

女子高の中にいて、確かに彼女のような存在は浮いてしまうかもしれない。何せ、打算が何一つないのだから。打算が見えない優しさは、受け取る側からしてみれば腹の底が読めない。麻雀部の主将でビジュアル的にも相当整っている彼女が、何の打算も無く優しく振る舞っているとは考えられないのだろう。周囲は、そもそも彼女の腹の底に何も持っていないという真実に、気付かないのだ。だからこそ、浮いてしまったのかもしれない。それは、大学でも同様だったのだろう。

「-----だから、その、ありがとうね。私と友達になってくれて」

「------」

何という、気恥ずかしい台詞なのだろう。今、おじやを作っていて心からよかったと思う。色々とダメージがでかい台詞だった。

「-----お、おじや、出来ました」

「わあ、ありがとう」

梅干しがちょこんと乗った皿を、ベッドの脇に持っていく。

両目をキラキラ輝かせながら、彼女はその中身を見る。

「おいしそう」

「その----さすがに福路さん程に上手くは出来ていないと思いますけど-----」

「ううん、そんな事ないわ。----あ、おいしい」

木製のスプーンで表面だけ掬って口に運ぶ。その表情は、とても嬉しそうだった。

「こうやって人に作ってもらったものを食べるのも、久しぶり。とっても嬉しいわ」

ニコニコ笑みを浮かべながら、彼女はおじやを口に運んでいく。取り敢えず、お気に召して頂けたようで一安心だった。

「しっかり食べないとね。一日でも早く、復帰したいし」

「その----」

「うん、大丈夫。今度は無理はしないから」

でもね、と彼女は続ける。

「でも-----やっぱり、誰かの為に何かをしていたいの。多分、それが私にとって一番嬉しい事だから。部の子たち、私は大好きだから」

それをはっきりと気付かせてくれたのは、貴方よ、と―――自然に、彼女は口に出していた。

-----やっぱり、反則だよなぁ。

おじやに夢中でパクついている彼女に気付かれないよう俯いた京太郎は、そんな事を思った。

そんな、ある日の昼下がりだった。




アルバイト先の店長が、唐突に私に裸族である事をカミングアウトしてきました。------何か、意味があるのでしょうか?私には未だ解らないのでした----。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

感情の表象

風邪は、一週間ほどで治った。

二人の後輩の献身的な看病によって、無事彼女の体調は元通りになった。

―――何か、お礼しなくちゃ。

彼女はごく自然にそう思ったものの―――別の事にも、また頭を抱えていた。

ごくごく、単純な事だ。

------今更、どんな顔をして部室に戻ればいいのだろう。

勝手な感情に振り回されて、あろうことか自分を必死に庇ってくれた後輩を突き放す様に逃げ出して。その果てに雨に打たれて風邪をひいて。そんな自分を、他の部員はどんな目で見ていたのだろう。

最低だ。最悪だ。

本当に―――何処までも自分勝手極まる女だ。こんな自分勝手な都合で体調を崩した自分に、失望しない訳はない。

責められるかもしれない。もしかすれば、キャプテンを辞めろと言われるかもしれない。

もしそう言われるのならば、甘んじて受け入れようと彼女は思った。

講義を終え、彼女は部室へと向かう。

どうなるであろうか―――?

生温かい憐れみの視線であろうか?それとも失望の目付きであろうか?それとも純然な怒りであろうか?

生唾を飲み込み、一息つき、悪いイメージを一先ず消すと―――ドアを開いた。

 

パン、という大きく乾いた音がした。

ドアを開いた瞬間、その音と共に紙吹雪が見えた。

 

紙吹雪の先には―――クラッカーを構える、部員たちの姿があった。

「キャプテン!お待ちしておりましたー!」

その声の背後から、またクラッカーが打ち鳴らされていく。

紙吹雪が頭上に落ちていく様を呆けた顔で眺めた後、福路美穂子は辺りを見渡した。

「え----?」

見渡すと、部室の中心に座する雀卓は端にのけられ、そこには机を横並べした疑似的なテーブルがあった。その上には、何処かから出前でも取ったのだろうか。唐揚げやポテトサラダといった惣菜がひしめくように置いてあった。

状況が読めず混乱する美穂子に、池田が耳打ちした。

「キャプテン。今日、新入生歓迎会の日ですよ」

「え-----?」

それは、確か二日前だったはずだ。何せ二週間前に、自ら居酒屋チェーンで予約を取っていたはずなのだから。

「キャンセルしました。―――やっぱり、キャプテンがいないとまとまりが無いですし」

「そうそう。キャプテンいないのに居酒屋なんか行ったらどうなるって話ですよ。酔い潰れた馬鹿共を誰が介抱するってんですか。嫌ですよ私は」

「介抱される側は間違いなく池田だな。悪酔いして後輩(同級生)にめんどい絡みしてゲロ吐くまでがワンセット」

「今関係ないし!それに、そんな情けない事カナちゃんはしないし!」

ゲラゲラゲラ。部室には何やら愉快な笑い声が響き渡る。

「まあ、そう言う訳で。新入生歓迎会はキャプテンの体調が戻ったら、もういっそのこと部室でやっちゃいましょうという事になりまして」

「今はアルハラなんか問題になってますしねー。流石にこっちとしても池田を人殺しにしたくないんです」

「だーかーらー、そんな事しないし!つーか、まだカナちゃんだってお酒飲める年齢じゃないし!」

「今日部活に復帰するって須賀に聞いたんで、そのまま出前たくさん取ってジュースで乾杯しようぜ、って事で―――ってな訳で、キャプテンお帰りー」

わははははは。笑い声が木霊する部室の中、お帰りの声が幾つか響き渡った。

―――聡い彼女も、状況を理解するのに少しだけ時間がかかった。

マイナスな事ばかり考えていた思考と180度違う光景に、まだ追いついていないのだ。

そんな様子の美穂子に、池田は更に言う。

「皆、待ってたんです。キャプテン」

ニッ、と笑いながら池田は更に続ける。

「だから、一緒に楽しみましょうよ」

彼女は、その言葉と共に―――周囲を見渡す。

誰も彼もが、こちらに笑みを向けていた。

同情ではない。

心の底から―――自分の復帰を、喜んでくれている。

その笑みに含まれる意味を、理解できない程彼女は鈍くない。

 

彼女は、ごめんなさい、と一つ前置きの様に言った。

そして、

―――ありがとう、と咲き誇る様な笑顔で続けるのでした。

 

 

そして、気付いた。

「―――あの、須賀君は?」

そうポツリと呟くと、部員の一人がああ、と答える。

「手伝うだけ手伝って、サッと消えていきました。さすがに部外者は参加できない、って」

―――部外者。

部外者、なのだろうか。そんな疑問が美穂子の中に生まれ、そして―――瞬時に解答が出た。

「ちょっと、ごめんなさい」

彼女は一つ断りを入れると、部室の外に出た。

 

「えっと----」

福路美穂子は―――慣れないスマホをポチポチ押しながら、部室の前の廊下で右往左往していた。

「えっと---ここに、タップすればいいのね?あ、あれ、反応しないわ。何か間違っているのかしら。ここのホームボタンを押して----音声コントロール?んん----?」

ポチポチとスマホを押す度に、何か別の画面に切り替わる。圧倒的デジタル弱者である福路美穂子は、スマホを前に何も出来ず立ち尽くしていた。

 

はあ、と一つ溜息交じりに―――眼前に、ピンクのスマホが渡される。

「あ、カナ-----?」

「須賀に繋いでますから、呼んであげてください」

そう言われ、顔を真っ赤にしながら美穂子は礼を言い、スマホを耳元へと持っていく。ピルルルという無機質な音が、淡々と鳴り響いて―――切り替わる。

すると―――

「何ですか池田さん。まーた何か買いだし忘れですか?それともダブり談義ですか?言っておきますけどね―――」

純然たる悪態が、第一声に飛んできた。心底から呆れた様な声音だ。今まで聞いた事の無いような声に、少しだけ驚いてしまう。

「あ、もしもし。須賀君?」

「え―――?ふ、福路さん!?あー、すみませんすみません!」

彼はすぐに声音を切り替え、慌ててそう謝罪した。その様が、何だかおかしくて、思わず笑みを浮かべてしまう。

「ふふ、いいの。カナと仲がいいのね」

「え、ええ。そりゃあまあ、同級生(笑)ですから。あ、先輩に仲がいいなんてくれぐれも言わないで下さいね。蹴りが飛んできますから」

「ええ、解ったわ。―――ところで、今須賀君はどうしているの?」

「え?今生協にいますけど-----」

「あ、じゃあ丁度良かった。今部内で歓迎会やっているから、須賀君も来ないかしら?」

「あ、はい。それは知っているんですけど。流石に部外者の俺が参加する訳にはいかないので---」

「―――部外者?須賀君は、部外者なの?」

福路美穂子は、声のトーンを落とし、そう言った。―――意識的に、そうした。

「あ、いや、その」

その声音だけで、彼は明らかに狼狽していた。そうだ。この人に“部外者”という言葉を発して、否定されない訳がない。

「須賀君が部外者なら、この歓迎会の準備に何も関わっていない私なんてもっと部外者よ。―――須賀君が参加しないのなら、私だって参加する資格なんてないわ」

「------」

「お願い。来てくれる?」

「------はい」

彼女は空いた左手でグッと拳を握りながら、ニコリと笑う。

「じゃあ、待っているわ。来てね?」

ピ、と通話を切り―――気付いた。

このスマホは池田から借りているものであり、つまりはその一部始終―――喋っている様子や、思わず左拳でガッツポーズを作ってしまった事も―――見られている訳で。

ニヤニヤと、珍しく敬愛する先輩に底意地悪そうな笑みを浮かべながらこちらを見やる池田に、更に顔を赤らめてしまう。

「あ、あの----これ、ありがとう」

「どういたしましてだし!」

スマホを返却されると、彼女は悪戯を終えた猫の如き勢いを以て部室へと戻っていく。

 

-----からかわれちゃうかなぁ。

顔まで真っ赤、ついでに涙まで浮かべて彼女はおそるおそる、部室へと戻る。

しかし―――どうしても零れるニヤケ顔だけは、どうにもならなかった。




横浜CSファイナル突破記念。ついでに櫻井周斗君横浜指名記念。大ファンだったからとても嬉しい。ばんじゃーい。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

清澄高校編(仮)
選択の始まり


ゴリ、という音がしたのだ。

痛みは感じなかった。

筋繊維が断裂するのではなく伸び切り、骨がそのまま陥没する様な感覚。

肩にぽっかりと穴が空いたような、そんな喪失感。

 

終わりを確信したのは、その瞬間だった。

その音と、感覚が―――今まで一度たりとも経験した事ないというのに、確信してしまったのだ。

もう駄目だ。

もう無理だ。

自然と、涙が溢れてきた。周りの掛け声も審判が担架を要請する声も、聞こえない。自分の頭の中を処理する意外に、何も出来なかった。

 

その時に、色々な記憶が回帰していった。

アホみたいにランニングした。馬鹿みたいに腕立てした。何度もプレーで交錯して痛い目を見た。くだらないミスをしてコーチにしばかれた。

でもそれ以上に―――上手くパスを回せた。ゴールを決めた。試合に勝てた。そんな記憶もまた存在していて。

それら全てが、この一瞬で暗澹の底に放り込まれ、未来に何の価値も無い代物となってしまうという事実に―――涙が、溢れた。

悔しさではない。悔恨が生まれる隙も無い位、唐突だったから。

悲しさでもない。痛ましい思いをその瞬間に抱いたわけではない。

無論怒りでもない。誰も悪くない。そこに責任の所在は無いのだから。

ただただ、―――どうしようもない無力感だけが、そこにあっただけだ。

 

それが、須賀京太郎中学最後の記憶である。

失意と絶望と挫折と諦念が一斉に現実として襲いかかって来た、一瞬の出来事。その記憶が、まるで孤島に押し寄せた津波のようにそれまでの全てを洗いざらい浚っていった。

 

それから、彼はその波に飲まれた記憶の残滓を、そっと胸の中にしまい込んだ。

駄々をこねたくとも、この事象は誰の所為でもない。

ならば、受け入れるしかないのだ。どうしようもない運命だったのだと。

 

そう、思う事にした。

 

 

清澄高校に進学した須賀京太郎は麻雀部に所属する事になった。

理由は、何となくだ。

というより、理由なんてなんでもよかった。今となって、重い理由を掲げるだけの積み重ねなんて自分には存在しなかったのだから。

ああ、何だか可愛くてタイプの女の子がいるなぁ、でもいい。騒がしくて気が合う女友達がいるなぁ、でもいい。部員がいなくて何とか穴埋めできる人間が必要なのかぁ、でもいい。

そう。何でも良かったのだ。

何でも―――。

「-----本当に、全国まで来たんだね」

とある休日の清澄高校部室内、部室の整理をしながら感慨深げに幼馴染様はそんな事を言っていた。

まあ、そりゃあそうだろう。

こいつだって―――まさか自分がその立役者になるなんて夢にも思わなかっただろうし。

「おう。―――いやあ、まさかお前がなぁ-----」

「-----なに、その言い方」

「いや、まあ、そう思うだろ。そりゃあ。読書好きで迷子癖アリなポンコツぼっちが、並み居る化物蹴散らして全国へ―――なんて、何処の漫画だよ」

「-----だね。確かに漫画みたい」

劇的で、エキサイティングで、―――予想外。誰もが予想していなかった結末の果てに、清澄高校は全国の切符を手にした。

「ここまで来ちまったら、もう全国制覇してしまえ」

そう笑いながら、京太郎は言う。

その言葉に、―――咲もまた笑いながら、言った。

「うん。―――全国には、お姉ちゃんがいるもん。絶対に、倒す」

そこに、いつもの気弱な文学少女の面影は無かった。

強い意思。確立した覚悟。その眼と、その言葉には、それだけの強さが宿っていた。

 

 

一人にしていたら、どうしようもない子だと思った。

気弱で、ポンコツで、―――本当に、放っておけないと思っていた。

けれども、あんなに弱々しい女の子も、一夏を迎えてこれ程までに変わることもある。

 

「あら、二人共おはよう」

扉が開かれ、今度は竹井久が現れる。

「おはようございます、部長」

「はい、おはよう。二人共早いわね」

「京ちゃんと部室の整理をしていたんです」

「あら、悪いわね。明日は私がやっておくわよ」

「あ、いえ。部長の手を煩わせる訳にはいかないですよ」

「いいのいいの。いっつも甘えちゃってるし、時々は私だってやる時はやるんだから」

ふんふんと鼻歌を歌いながら、上機嫌に彼女は備え付けのソファに座る。

彼女も全国に出られて機嫌がいいのだろう。常に飄々と構えているこの人も、こういう部分で隙を見せてくるから油断ならない。

「須賀君も、ありがとうね」

「え」

「え、じゃないわよ。色々と負担をかけたし、大会が終わったら皆で指導してあげるから、覚悟なさい」

こちらににこりと笑いかけながら、彼女は京太郎にそう言葉をかけた。

それから、ぞくぞくと人が集まって来る。

全員が集まり、軽いミーティングを終えると、卓に付く。

 

全国に向けて、全員が全員更に上を目指して頑張っている。

軽い気持ちのままあの卓に座っている者は、誰もいないだろう。

 

その姿を、何も言わずジッと京太郎は見ていた。

 

 

それからの清澄の快進撃は凄まじいものであった。

団体戦においては全国優勝、個人戦では宮永咲がチャンプ、宮永照を打ち破る快挙を成し遂げた。

 

―――お姉ちゃんに、勝てた。

まだ、和解には至っていない。

けれども、契機は作れたのだ。

麻雀を通して、きっと―――解り合えた部分があったはずだ。

部長は最後に花を添えることが出来た。和ちゃんも、これで転校する必要もなくなった。

全てが全て、上手くいった。

 

手に入れたいものは、手に入れることが出来た。自分も、和も、部長も、それぞれがそれぞれが欲しかったものを―――。

 

「―――え?」

 

ある日の事だ。

麻雀部部室内。

本日の鍵閉め担当は京太郎だった。部室に忘れ物をしてしまった宮永咲は、駆け足で帰り道を戻って部室へと戻った。

そこで見た光景は―――。

 

ソファでうたたねをしていた京太郎に、唇を合わせていた―――竹井久の姿。

「あ------」

扉の向こうにいた咲の姿を一瞥し―――竹井久は、今まで見た事も無い程に動揺した表情を見せていた。

しかし、一瞬でその表情を変え、

「あら、咲。どうしたの?」

「あ、------いえ、忘れ物、したので」

「あ、この手提げ鞄ね。はい、どうぞ。----私も、もう出るから」

「あ、はい」

「どうせだったら、そこのねぼすけを起こしてね?それじゃあ―――」

「あ----」

彼女は、その真意も経緯も、何も話すことなく―――その場を全力で誤魔化しつつ、帰路に着いていった。

すうすうと眠りにつく京太郎は、無論何も気づいてはいないのだろう。

 

その上で―――ここで自分を残して早々に帰る事は何を示しているのだろうか。

「京ちゃん、起きて」

一先ず―――幼馴染の脛を蹴り上げて叩き起こす。

「いて。------ああ、寝てたのか」

京太郎は呑気に欠伸をしながら、そう言った。

―――本当に、何も気づいていないようだった。

 

帰り道。

自然な形で一緒に京太郎と一緒に帰る事となった宮永咲は、無言のままだった。

「おーい、どうしたー?」

「ん-----あ、ああ。いや、明日好きな作家さんの発売日だから」

そう誤魔化しながらも―――さっきの出来事を、言おうかどうか悩んでいる自分がいる。

----あそこで、京太郎を起こす役割を咲に任せたという事は、さっきの事を告げるかどうかは自分に一任したという事なのだろうか。

 

別に、告げる必要なんてない。

そのはずだ。

無粋だし、意味もないし、何より―――何というか、あの部長が意外にも純情なのだと知らせるのも、京太郎には勿体ないように思えるし。

 

だから、結局―――何も告げる事はしなかった。

その選択が正しかったかどうか、それは解らない。

 

―――けれども、この先々で、途方もない程の「選択」が眼前に晒される事になる事を、今はまだ知らない。




また別方向な修羅場な話を。
こっちは精神的に痛ましくなるようなお話を、と。この手のお話ははじめての試みですがちょっとだけ頑張ろうと思います。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

告白と述懐

全国での戦いを終え、清澄高校は一つの区切りを終えた。

三年生である竹井久は引退し、残された部員は今度は次の大会に向けて研鑽を重ねる事になる。

ただ、今度は、初心者である須賀京太郎の事も、しっかりと練習に加えながらである。

夏の大会の間、常に裏方として尽力してくれたのだ。今度はしっかりと鍛えてやらなければいけないだろう。

 

その教育係に、立候補したのは竹井久であった。

単純な理屈であった。他の四人はこの先に向けて鍛え続けなければならない。しかして須賀京太郎を今の役割に固定させてしまう訳にはいかない。ともなれば、引退し、推薦を貰い、絶賛暇人中の自分こそが基礎を叩きこむにあたってはいいであろう。そう実に自然な言い回しで周囲を納得させ、教育係に落ち着いた。

誰もがその理屈に納得した。

-----一人を、除いて。

「-----」

されど宮永咲はその理屈に反論する事は出来ない。

する理由もない。

―――今まさに、部長は本格的に京太郎を落とそうとしているのだろう。

ならばそれを邪魔する訳にはいかない。

―――いかない、はずなのだ。

 

「違うわよ。須賀君、これは違う。―――あーあ、やっぱり放銃したじゃない」

「す、すみません----」

「いい?今回この相手はもうイーピン切ってるんだから選択肢として、字牌は-----」

指導だって、部長はとても的確だ。ざっくばらんとしているようで、ちゃんと素人である京太郎の視点に寄り添いながらしっかり指導している。

そう。

本当に、色々なものを彼女は持っている。

―――自分に、ないものを。

何故今ここで自身と彼女を対比させてしまったのか―――咲には、解らない。

 

―――ねえ、京ちゃん。

少し、思う。

―――私は、今どんな風に京ちゃんを思っているんだろう?

しかして、何を思っているのかは、解らなかった。

解らないから―――深く、考えるのを止めた。

目の前にある麻雀に、集中する。

その時間だけは―――独り相撲な「文学少女ごっこ」を止めることが出来たから。

 

 

―――俺、このまま部活にいてもいいんでしょうか?

ある日の事。

何だか死にそうな顔で、須賀京太郎はそう言っていた。

慌てて何があったのかを聞いた。

 

その時に、聞いたのだ。

元々ハンドボールをやっていた事。その時に左肩を痛めて引退した事。麻雀部には、その逃避の為に入部した事。―――なのに、麻雀部は何処までも真剣な戦いをずっと続けていて、そんな気持ちで入部した自分の心持ちを恥じた事。

全てを、聞いた。

竹井久は―――その全てを聞いてしまった。

 

後悔した。

―――自分の思いだけで麻雀部を、きっと引っ張っていたのだと思う。

その思いに、周りはきっと応えようと頑張ってくれた。だからこそ、全国の切符まで手に入れることが出来たのだから。

ならば、彼はどうだろう?

その思いに応えようとしたのだと思う。必死に。それがきっと、裏方に徹していた彼の思いだったのだ。

けれども―――そう思えなかったのだろう。

自分はその思いに応えられていないのだと―――無意識のうちにそう思っていたに違いない。

 

だから―――決めた。

ごめんなさい、須賀君。

この夏が終わるまでは―――徹底して利用させてもらう、と。

 

それによって―――彼に部にいる理由を作った。

ここにいるべき理由を、作らなければいけない。このまま彼に部活を止めてもらう訳にはいかない。

勝手な理由だ。それでも竹井久はこの男の子を逃がす訳にはいかなかった。

 

それが、始まりだった。

 

彼という人間を、向き合う、始まり。

 

―――自分は、心の何処かで自分を「強い人間」だと思っていた。

名門校に行けなくたって、部員は誰もいなくたって、それでも自分の夢を諦めないだけの強さを持っている人間であると。

けれども。

―――夢が、どうしようもない運命に叩き潰された人間だって、存在するのだ。

目指すべき道が、途中で崩落した人間。諦めたくないのに、諦めざるを得なくなってしまった人間。

そんな人間が、今こうして戦い続けている人間とかつての自分を「重ねて」いるという事実。

重ねてしまったが故に、今辞めようとしている事実。

 

涙が、出そうになった。

 

そんな男の子がいる事に。

そして―――そんな誠実さを体よく利用していた自分自身に。

 

だから、これは贖罪なのだ。

大会が終われば、今度は自分を利用させねばならない。そうでないと、フェアではない。

 

そう。

利用させる。

「-------」

指導が終わってすやすやと寝入る彼の顔を、眺めた。

 

―――利用---させる。

そうじゃない。

きっと―――自分を、利用して「もらいたかった」。

その無防備な顔を見て、すぐに理解できた。

ありがとう。

ごめんなさい。

そう、思った。

 

 

そうして、日々が過ぎ、季節が巡っていく。

久の指導によって、京太郎は一定の水準まで麻雀の能力を付ける事には成功した。久曰く、「運は悪いけど筋はいい」らしい。教えた事を吸収するスピードはかなりのものだが、それでもツモ手が中々集まらないという不思議な現象が起こっているものの―――それでも、彼は部員たちとやって早々にトぶ事は少なくなってきた。

季節は、秋を巡り冬へと向かって行く。

休日。冬季大会を目指し部員達が集中して練習する最中、久と京太郎はずっと付きっ切りで彼の自宅で練習していた。

「お-------おー、やるじゃない!」

いつもの通りネト麻での実戦。そこで京太郎ははじめて二連続での一位勝ち抜けを果たした。

久は喜びの余り椅子に座る京太郎の頭を掻き抱く。

「うわ、ちょっと竹井先輩」

「なによー。嫌がらなくていいじゃない。師匠冥利に尽きるわよ~。このこの~」

ニコニコと笑顔を湛えながら、彼女はよしよしと京太郎の頭を撫でていく。何だか子供のようだったが、―――まあ、自分はこの人にとって見れば子供なのだろうなぁ、と思う。

そうしてなすがままにされている中で―――彼女は、ふとその動きを止めた。

「ねえ、須賀君」

そうして―――頭を撫でていた腕を、そのまま彼の首元から身体の前で交差し、こつんと彼の頭に自分の顎先を乗せる。

「ど、どうしました?」

「ありがとう」

自然に、彼女はその言葉を口にした。

「色々、ありがとう。部活に入ってくれてありがとう。裏方仕事を何も文句も言わずにやってくれてありがとう。―――で、こうやって私の指導に付き合ってくれて、ありがとう」

「え-----?」

前者二つは、まだ解る。

けれども―――この指導は、感謝するのは自分のはずだ。何故に、指導する側が感謝するのだろう?

「私は、やっぱり思った以上に〝弱い″女だったの。―――多分、貴女の指導なんて真っ平御免だ、って言われたら、私は耐えられなかったと思う」

「------」

「ごめんなさい、じゃ須賀君に失礼でしょ?だから―――ありがとう」

彼女はぐりぐりと、彼の頭に顎をこすりつける。

「------ねえ、須賀君?今でも、中学時代の事は悲しい?」

「-----」

「そりゃあ、悲しいわよね。悲しくない訳がないもの。―――でもね、その悲しいはずの貴方が、誰よりも人を思いやってくれた事も、また一つの事実なの。悲しくて、どん底にいる時に―――それでも優しくいられる人は、きっと心の底から素敵な子だわ。-----貴方は、ずっと私を拒絶しなかったもの」

ぎゅ、っと彼女は交差した腕に力を籠める。

「私は―――須賀君に会えて、とても嬉しかったわ。貴方は、どうかしら?」

「えっと-----」

そりゃあ、嬉しいに決まっている。

そう言葉を返そうとするその瞬間に―――彼女は、告げた。

「私、須賀君の事が好きよ」

 

時が、止まったように見えた。

顎先に乗せられた久の表情は、京太郎には見えない。

 

ただ―――交差した手の、微かな震えだけが如実にその言葉の真剣さを物語っていた。

 

―――ごめんなさい。

 

彼女は、グッと奥歯を噛みしめる。

 

―――あの時、眠る貴方にキスしたのは―――

 

それは、何も―――封じていた乙女心の発露なぞではない。

それよりも、ずっとずっと打算が入り混じった、不純な代物だ。

 

―――咲が、そこにいたからなの。

 

そう、竹井久は述懐した。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

恋情は嵐の如く

恋というものは不思議なもので、落ちる時はまさしく落とし穴に嵌まるかの如き急転直下の気分を味わわされる事となる。

そして、その事に気付いた時には、まさしく深みに嵌まっている事だってざらにある。

竹井久にとっても、まさしくその通りであった。

 

唐突に、その気持ちと向き合う羽目になった。

―――自分の高校生活が、もう半年も存在しないという状況下で。

 

運命が実在するのならば、実に意地が悪いと思う。

彼を利用してきた過去を鑑みて、勝算は薄い。

けれども―――この状況は、向き合わねばならない現実でもある。

 

残る時間から逆算して行動しなければならない。どうすれば彼の傍にいることが出来るのか。どうすれば彼の心に楔を打ち込むことが出来るのか。

そして―――無事彼と付き合うことが出来たとして、それが破綻せずに堅持できる状況を作る為にどうすればいいのか。

 

逆算し、思考し、一つの結論が生まれた。

恐らく、その中で最も障害となりうる存在は―――咲なのだろう、と。

 

彼と彼女の在り方は、とても自然だ。自然に作られた関係の中で、つまりは無自覚の中で―――彼と咲はその親交を深めてきた。

その延長線上にあるのは「友情」なのか「恋情」なのか、それは解らない。

けれども、その自然さが最も危険なのだ。―――だって、竹井久には持ちえないものだから。

 

だから、その「自然さ」に、一つ石を投げかけ波紋を作った。その関係の中にあるのは、男女の友情か、それとも恋情なのか―――。

 

結果は、予想通りだった。

あの日から急によそよそしくなった咲の姿を見て、確信を持った。

 

―――ごめんなさい。

 

一緒に戦った仲間だ。自分の夢をかなえてくれた存在だ。咲は、久の中において大切な存在の一つだ。―――こんな風に、試すようなことはしたくなかった。

それでも自分は、―――自分の心に、妥協したくない。

もしも自分が愛する人間を選べるのならば、楽なのだろう。

だが、それが許されるような世界ならば、きっとこの世には恋なんてものは生まれなかのも、また事実。

 

恋を前にして、引き下がってたまるものか。

そう彼女は、一つ決意を新たにした。

 

 

後ろから抱き付かれたまま、十数秒ほど。

須賀京太郎は―――全く頭が働かなかった。

竹井久。

いつまでも飄々としていて、頼りがいがあって、けど何処か抜けている所もあって―――言っては悪いが、こういう乙女的な純情から一番かけ離れた人なんだと思っていた。

イメージから言えば―――二つ年下の後輩にちょっかいを出す事はあれど、それに本気で入れ込んでしまうような性質の人ではないと、そう勝手に思っていた。

だからこそ、完全なる不意打ちだった。

けど、告げられた言葉も、その空気も、静謐な空気が伴っていて―――その真剣さが、どうしても伝わってしまって。

「どうして、ですか-----?」

そんな間抜けな言葉が、つい漏れてしまったのかもしれない。

その言葉に、背後からちょっとだけ笑い声が聞こえる。

「そうよね。不思議よね。どうしてかしらね-----。うん。普通だったらその台詞はとっても失礼なんだろうけど、今の貴方なら別ね。そんな素振り、多分見せなかっただろうから。当然の疑問よ」

「-------」

「本当、どうしてかしらね------。好きになる理由がはっきりと見つかるなら、これ程楽な事はないのだと思うけど」

「えっと----」

「でもね、色々思う事はあるのよ。私、二年間もこの部活を続けてきた訳じゃない?まこしかいなかったのに。本当に、呆れるくらい執着心の強い女だと思う。

------でも。もしも、私がその根本から麻雀を奪われたら。牌をもう二度と握れなくなるような事が起こってしまったら。私は私でいられるのかな、って。須賀君が部活を辞めようかって相談してきた時に、つい思ったの。そして―――夢を、青春を、根こそぎ奪われた人が、それでも他人の夢を夢見てくれる事が、どれだけ凄い事かも」

「-------」

そんな事は、ない。

自分は、凄くなんてない。

自分は逃避していただけだ。人の夢に乗っかって、乗っかった気分になって。人の支えになっている事に自己満足を覚えて。自分が夢を砕かれた事から必死になって目を逸らしているだけだ。

そんな自分に―――彼女は、優しく微笑みかけた。

「ねえ須賀君。須賀君が思う須賀君の価値が、須賀君の物差しでしか測れないように―――私が思う須賀君の価値も、私にしか測れないの」

きゅっ、と。かけられる両手の力が強くなっていく。

「私は須賀君がどう思っていようと、私にとっての須賀君の価値はきっと変わらないわ。とっても優しくて、その優しさに付け込んでしまって申し訳ないとも思っていて、―――そして、心の底から貴方が大好きだと思っていて。だから今ここで必死になって縋っているの。ホント、どうしてこうなったのかしら。私にだって解らないわよそんなの。似合わないって私だって思ってるわ」

けど、仕方がない。そう彼女は笑った。

「どうしようもない事は、どうしようもないの」

「あの、竹井先輩------」

ここまで言われたら―――返答をするしかない。

彼女は誠実に自分の気持ちを伝えてくれた。ならば―――自分も同じだけの誠実さを返さなければいけない。

そう思っていたが、

「―――ねえ、須賀君。ぶっちゃけ、私の事意識してた?」

そう、返答の前に質問が飛んできた。

「え、えっと-----その----」

「うんうん、そうよねぇ。和にご執心だったし、私の事なんて歯牙にもかけてないわよねぇ。うんうん」

「-------すみません」

そればかりは、事実だった。

彼にとって竹井久は「みんなのお姉さん」であって、男女の関係図に押し込める事が出来る人だとは思ってなかった。

「よく、告白の時の返事で保留は失礼だって言われるけど-------よくよく考えれば、知ってもいない人間に、その時点でイエス・ノー判定を下す方がよっぽど誠実じゃないと思わない?」

「え-----?」

「私はね、正直凄く分が悪い勝負をしているって解ってるから、私の方も実の所まだまだ猶予が欲しいの。須賀君に“竹井久”がどんな人間なのか、知ってもらいたいと思うわ」

だからね、と彼女は続ける。

「―――ここから、一カ月後にしましょう。一カ月後、返事して頂戴。イエス・ノーを。その間に、私は須賀君が気を引いてくれるように一生懸命頑張るから」

背後からかけられた両腕がほどけ、固まっている須賀京太郎の両頬に添えられる。

ぷにぷにと好き勝手に弄りながら、彼女はにこやかに笑いかけた。

「もうここまで来たら恥も外聞もないもの。一生懸命下手糞な弁当を作ってやるわ。デートだって必死にプランを考えて楽しませてやるわ。何だってやるわよ。―――覚悟なさい。これから一ヵ月、ずっと猛烈なアタックに晒される事になる。痛々しい年上女の甲斐甲斐しい後輩君へのアタックよ。呪うもよし悦ぶもよし。嫌気が差したらさっさとイエスと言えばいいわ。ふふん」

彼女はくるりと背後の位置から彼の正面へと移動する。

そして、

「―――あ」

その頬に、一つ口付け。

「付き合ってくれたら、唇にやってあげる。それまではお預けね?」

カーテンの隙間から零れる夕陽の光を浴びて、彼女はそうおどけたように言った。

「それじゃあ、私は帰るわ。あ、送ってくれなくていいわ。今日はちょっと一人で帰りたい気分なの」

その言葉に反論する事も出来ず―――何を言えばいいのか解らないまま、ふんふんと機嫌よさげな彼女を、玄関まで見送った。

玄関口から帰る彼女を見送って―――また、放心してしまった。

これは現実だったのだろうか?

それすらも定かではないまま―――嵐が過ぎ去った後の如き心持ちで、ぼぉっ、とその場に立ち尽くしていた。

 

 

―――これで、一つ関門を抜けた。

けど、まだだ。まだやらなければいけないことはある。

 

―――油断は、許されない。絶対に、果たして見せる。




横浜CSファイナル突破&敢闘記念。もう何も言う事はない。本当に感動しました。うぅ----。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

甘味

久々にこっちを更新。けれどもあまり話は進まず。


その後の積極性と言えば、まさしく情熱的と言っても過言ではなかった。

例えば昼休み。学食へ向かおうとする須賀京太郎を廊下で捕まえ、そのまま学食まで連れて行きお手製の弁当を手渡す事が日常となった。例えば放課後。部活の間は付きっ切りで麻雀を教え込んだ後に一緒に帰宅するようになった。例えば休日。毎度のように遊びの誘いが来るようになった。

学生議長かつ元麻雀部の部長が後輩にお熱であるという事実は、瞬く間に周囲に伝わって行った。

周囲の冷やかしを涼やかにいなす久とは対照的に―――須賀京太郎は今まさしく激動の中に存在しているかの如き感覚を味わっていた。

周囲からの視線だとか、冷やかしだとか。例えば呆れるような視線であったり、ヒソヒソと噂する様な声だったりとか、時々殺意混じりの情念を向けられたりとか。

 

―――ええ----。

困惑の中に、彼はいた。

全てが唐突過ぎたのだ。前兆も何もあったものじゃない。

実の所―――全てに前兆があり、因果関係があり、現状が存在するのであるが、鈍い彼にはそれが理解できていなかったのだ。

 

これが、一ヵ月。

耐えられるのだろうか―――そんな思いが、彼の中に生まれていった。

 

 

「-------どういう事だじぇー」

「-------うん。言いたい事は解るが、取り敢えず睨むのを止めてくれ、タコス」

「犬!どういう事だじぇ!何で部長がお前に熱を上げてるんだ!」

清澄高校麻雀部部室内。椅子に座る須賀京太郎の肩をがっしりと掴みながら、片岡優希は上下左右にぐわんぐわんと京太郎を回していた。

「何でって言われても------いや、まあ。あと、もう部長じゃないぞ」

「歯切れがわるいじぇ!何があったかこの優希様に言ってみろ!」

「いや、そんな事言われてもなぁ」

本当に、全てが全て唐突だったのだから仕方がない。何かコメントをしろと言われても、その全てが的外れな気がしてならないのだ。

「あら、優希。色々聞きたいならどうぞ聞いてくれて構わないわよ」

扉が開く音と共に、そんな声が部室に響く。

「ぶ、部長!」

「もう。部長はもうまこでしょ?私の事は久と呼びなさい」

「だ、だったら聞くじぇ!何でこの犬に-----」

「貴女と一緒よ、貴女と。好きだから構って欲しいのよ、私も」

「な----!そ、そんな事ないじぇ!名誉棄損だじょ!」

キーキーと喚くタコスを、あらあらと宥める久。

------助かった。助かったけれども、結局後に引くタイプの助かり方だ。

多分、わざとそういう風に仕向けたのだろうなぁ、などと思いながらその光景を眺めていると―――。

「-----京ちゃん」

そこに、変わる様に咲が現れた。

「ん?どした?」

「どした、じゃないよ。―――どうなってるの、アレ?」

「うーん。俺もちょっと、戸惑い中なんだ。うん」

「------そう、なんだ」

言葉尻に行くにつれて、沈むような調子の声。

あれ、と思った。

会話をしているようで、出来ていない。違和感が、今のやり取りの間に感じられた。それは、文脈と言うよりも―――その様子だとか、言葉尻に込められた感情だとか。冷やかすようでも、呆れるでもない―――今まで、感じた事の無い、咲の声音。

今の会話に、不自然な色を感じたのは、何も京太郎だけではなかった。

咲もまた、そう思ったのだろうか。―――彼女は繕うように笑顔を見せて、そのままバシバシと肩を叩き始めた。

「よかったじゃん、京ちゃん。長い冬を超えて、ようやく、ようやく、今春を迎えようとしているんだよ」

「な-----。くそ、ずっと冬真っ盛りなのはお前もじゃねーか!」

「べーっだ。いいもん、私は。どうせずっと本しか友達がいなかった人間だしー」

この一瞬で、いつもの感じを取り戻せた。

―――ああ、よかった。いつもの咲だ。

さっきの違和感は、ただの考えすぎだ。そう自分の中で決着をつけて、須賀京太郎はほっと一息ついた。

 

 

何だ。

何なのだ、さっきの声は。

何をそんなに、残念そうな声を上げているんだ。

いいじゃないか。幼馴染がようやく報われそうになっているんじゃないか。ハンドボールを諦めて、それでも気丈に振る舞い続けた人のいい彼が、今ようやく何かを手にしようとしているんじゃないか。

自分だって、そうだ。麻雀でいっぱい手に入れたじゃないか。報われたじゃないか。まだ姉とは和解は出来ていないかもしれない。それでも、それでも、麻雀を通して自分を伝えられた。そして素敵なお友達だって出来たじゃないか。

他に、何を望むのだ。

何を―――。

「-------」

―――けれども、思う事もある。

姉に拒絶された瞬間。胸が張り裂けそうな気分になった。

もしもだ。

今自分が大事にしている友達が、その全員に拒絶されたなら。

どうなるのだろう?

もしくは、その関係性が変わった瞬間―――どうなるのだろう?

それを思う度に、怖かった。

友情は固いものだ。そう理解は出来ている。でも―――一度崩れたら、容易に作り直す事なんざ出来ない事も、また本能の部分で理解している。

 

「-------」

変わらないもの。

そんなものはきっとない。

先輩だって、もう半年すればいなくなる。そして自分も後輩が出来るようになる。その時自分は、今のままの自分で入れるのだろうか。

頼りなくて、コミュ障で、―――だけど、その自分を変えていかないといけない。それが、全国の舞台を再度目指す自分の責務だろうから。

変わらないもの―――それは自分もまた、持っていない。自分だって変わって行く。

その事実が―――何となく。

「怖い------」

想像するだけで、怖い。怖いのだ。

想像でさえ怖いのならば―――それが現実となった時、どれだけ怖い思いをするのだろう?

その時を思って、一つ身震いした。

 

 

日曜日。

その日は、彼は彼女からのお誘いを受けなかった。

あの告白から二週間。その間に祝日もはさんで三度休日を迎え、そのどれもが彼女のデートに使われた。

とはいうものの、実に経済的なデートであった。一緒に食事するか、お茶を飲む以外に出費は嵩まなかった。そして、代金は絶対に折半だと彼女は譲らなかった。

残りは、ぶらりと街に出掛けるか、公園を歩き回ったりと、何とも田舎の学生らしいお出かけといった風情であった。

「私の家、離婚しているから。お金の大切さは、普通よりかは知っているつもりよ。------一緒に暮らしている訳でもないのに、養育費だって貰っている訳だし。だから、もし仮に付き合ったとしてもお金はちゃんと払わせてね?」

「------はい」

「ふふ。今の“はい”は付き合ったとしても、の部分も含めてかしら?」

「あ、いや----」

「うんうん。やっぱり須賀君は可愛いわー。えいえい」

「あ、ちょっと、近い、近いです」

ぐいぐいと久は京太郎の腕に寄りかかる。

丁度いい位置を見つけたのか、腕を絡ませ落ち着くと、ほっと一息彼女はつく。

「------ね、須賀君」

「は、はい」

「ちょっとは、本気なの伝わったかしら?」

「------はい」

「うん。だったら、よかった。------自己評価の低い子は、まず実感させることが重要だと思うの。自分は、本当に感情を向けられているんだって。“そんな訳無い”“そんな風に思われている訳がない”って思いを消させること―――それが、きっと重要なんだと思うの」

「------そう、ですか。俺、そんなに自己評価低い奴に見えました?」

「うん。------それはね、貴方の責任じゃない。麻雀部部長としての私は、貴方を軽んじていたもの。特に私からの評価なんてきっと低いんだろうなって思われても仕方ないと思う」

「------」

「だから―――まずそこから“思い”そして“知らせる”事が重要だと思ったの。思い知らせる―――私の気持ち、思い知ったかしら」

「------はい」

そう、と彼女は一つ呟く。

「なら今度は、―――ちゃんと、私の事を考えてね」

そう、笑った。

「私が、貴方のこの先の人生に、ちょっとした花を添えるに足りる女かどうか。ちゃんと見極めて、そして答えを出して頂戴。いつでも、待っているから。知りたい事も、全部教えるから。―――で、私は絶対にあきらめないから」

宣言じみた声を、彼女はゆっくりと呟いていく。

 

何故、と問うのはもう無粋なのだろう。

きっとこの人は、自分の事を好きでいてくれているんだ。

それはきっと事実で、逃げちゃいけない部分なのだろう。

 

それでも、まだ何かしこりが心中にある。

まだ、自罰的に自分の心を制限する何者かが存在している。

その心の迷いを見透かすように―――彼女は、笑った。

 

いつでも、待っている。

知りたい事も、教えてくれる。

 

ならば―――この心のしこりが無くなるまで、彼女は待ってくれるのだろうか。この正体を彼女は教えてくれるのだろうか。

そんな―――ある種の甘えが、彼の心中に少しだけ溢れ出た。




左折が出来ない。以上。もう何か駄目かも解らんね-----。頑張ります。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

決断の日、そして始まりの日

竹井久と別れた後―――須賀京太郎は、久しぶりにハンドボールを手に、庭に出てみた。

空中に自らそれを投げ、ジャンプしてキャッチ。そしてぐるりと体幹を回しながらそれを壁に投げ―――れなかった。

ピリ、と電気信号のように流れる痛み。

それはまだ―――ずれた肩が完璧に元に戻っていない証拠だった。

「-------」

彼は一つ息を吐いて、そっとボールを用具箱に収めた。

さあ、受け入れろ。

現実を。

理不尽を。

お前はあの時に受け入れたんじゃない。逃げ出しただけだ。もう二度と自分がハンドボールを出来ないという現実から。

ならば、何を以て“受け入れる”事となるのだろう。

何故―――未だ消えないモヤモヤが心中にあるのだろう。

 

“須賀君が思う須賀君の価値が、須賀君の物差しでしか測れないように―――私が思う須賀君の価値も、私にしか測れないの”

 

そうなのだろうか。

今の自分の物差しが、自分を測るにもう適していないのだろうか。

なら、次はどんな物差しを用意すればいい?

どうやって、別の物差しを作ることが出来るのだろう?

 

きっと、それは―――

 

 

「その-----宮永さん」

放課後のとある日の事。

咲は、和におずおずと話しかけられた。

「うん?」

「その-----最近、体調は大丈夫ですか?」

「え?」

「ちょっと、最近お疲れのように見えるので」

和は、本当に心配そうにこちらを見つめていた。

そうなのだろうか?

自分は、疲れて見えるのだろうか?

丁度歩いている途中でトイレがあったので、鏡で自分を見てみる。

-------顔色は特に変わってはいないが、覇気がない、少しばかり陰気な顔面がそこに写しだされていた。

「ああー、確かに-----ちょっと何だか元気のない顔をしているね。ごめんね、原村さん。気を遣わせちゃって」

「いえ、いいんです。------その、気持ちは解りますので」

「ん?」

「私も、ミドルで注目されていた時、周りの視線の変化に戸惑って疲れた時があったんです。私も宮永さんも、あまり人付き合いが上手な方ではないですし、変化に対応するのも、慣れるまで疲れるのも仕方ないと思います」

「-----うん、そうだね」

そうだと思う。

全国で活躍して、それからの日々。宮永咲の周囲は妙な変化が訪れていた。

称賛の声は上がる。学校の外に行っても、時々ヒソヒソ声で噂話が聞こえてくる。

されど別に周囲が自分にすり寄ってきたり、取り込もうとしてくる―――というような、あからさまな態度の変化ではない。ただ、一つ思う事があるとすれば―――壁が一つ出来た気がするのだ。

この人は、違う世界の人なんだ。

だから自分程度の人間が喋りかけてはいけない。

そういう、空気。

以前も特段友達がいた訳ではないが、それは壁があったからではない。自分に見えない壁があり、避けられていたからだ。

だけど今は、自分が壁を作られる番なのだ。

 

―――こんな風に、感じるんだ。壁が作られるって。

 

ならば自分は友達が少ないはずだ。こんな思いを、感覚を味わわされるのならば、自分を友達にしようだなんて思う訳がないのだから。

好奇の視線は向けられる。けれども自分に何かをしてくれるわけではない。

そんな空気に、雰囲気に、ずっと晒され続けて―――少し、疲れたのかもしれない。

 

これからも、ずっとこんな感じなのだろうか。

いや、これからはもっと凄まじい重圧がかけられるのかもしれない。

だって―――これからは、勝つ事が期待されるのだから。

期待をかけられ、敗ければ失望され。

そんな周囲の空気の変化を受け入れ、飲みこみ、跳ね返さねばならないのだから。

「宮永さん―――。大丈夫です」

少し怯えの表情を見せていたのだろうか。和は、少し諭すような口調で言った。

「私もいます。優希だっています。―――一人じゃないんですから」

そう言ってニコリと笑う、和が少しだけ輝いて見えた。

彼女はこれから自分が歩むであろう道を踏破してきた人間なのだ。これ程頼りになる人間はいない。

そう。

今の自分は、一人じゃないのだから―――。

 

 

「うーん、いい天気ねぇ」

竹井久は放課後、そんな言葉を紡いだ。

隣を歩く、須賀京太郎に。

もうほぼ日常と化した放課後の通学路。夕焼けが、やたらと眩しい。

「最近寒い日がずっと続いているわね。ぽつぽつ雪も降ってきているし」

「そうですね。―――まあ、長野らしくなってきましたね」

「そうねえ。これも一年後にはなくなるのねぇ。来年から、大学生だし」

そう。

竹井久は大学推薦で東京に行くことがもう決まっており、来年からはもう長野にはいない。

「その辺も斟酌しつつ、考えてね」

「------先輩」

「うん?」

「返事、決めました」

息を飲む、音がした。

表情は、硬い。怯えるようでもあり、縋るようでもある―――複雑な表情。

須賀京太郎は―――ゆっくりと、噛みしめるように言葉を紡ぐ。

「その------是非とも、お付き合いさせて頂ければ、嬉しいです」

その台詞を聞いた瞬間―――竹井久は、

「ちょ、ちょっと、近くの公園に行かない?」

と慌てたように誘ったのでした。

 

 

「その-----私としては、今すぐ貴方に抱き付いてキスしちゃいたいくらい心が躍っている訳なんだけど-----。ほ、ほら、須賀君だって私が告白したとき理由を聞いたじゃない。な、ならちょっと私も聞いていいかしら?」

彼女は明らかに狼狽した様子で、そんな風にまくし立てた。

余裕綽々で飄々した態度でこちらにアプローチを仕掛けてきた先輩とは思えない余裕の無さだ。

何だかそれがおかしくて―――須賀京太郎は、思わず笑ってしまった。

「な、なによぅ。笑わなくてもいいじゃない」

「いや、だって----。先輩、可愛いんですもん」

「う------ぁ------」

餌を投げ込まれた金魚のように口をパクパクさせながら、竹井久はその顔を真っ赤に染めた。

本当に―――ちょっとでも自分のペースが乱されたり、緊張する場面になると一気に乙女になるんだなぁ、と思ってしまう。隙は少ないけど、少ないが故に致命的というか。本当に、面白くて可愛い人だと感じてしまう。

「その------前、先輩が言ってたじゃないですか。人によって、物差しが違うって」

「う、うん」

「俺は―――今、自分を測る物差しが、解らないんです。何もないように、思えてしまっているんです」

「-------」

「それに気づいて、俺は部活を止めようと思ってしまったんです。皆が、ちゃんと自分を持ってやっているのに、自分は何をしているんだろうって。過去に未練タラタラで、そのくせ女の子目当ての軽い動機で部活に入って、だけど皆一生懸命で------。自分が、本当にどうしようもない奴に、思ってしまったんです」

「うん------」

「けど、そのままだと駄目な気がしたんです。今の自分を受け入れられないままで、未練を引き摺ったままで、自分がこれから何をするべきかを見て見ぬフリをし続けて、そのままずっと過ごしていく事が。今の自分は本当に情けないけど------それでも、その情けない自分を受け入れられないままにしておく方が、もっと情けないって思ってしまったんです」

「そう----なのね」

「はい。だから―――その、情けないままの自分を、それでも好きでいてくれる人がいてくれているんだって思って。辞めようとしたときも、大会が終わった後も、ずっと自分を見てくれて、身体を張って逃げようとしている自分を止めてくれて。そんな先輩とだったら、もしかしたらって思ってしまったんです」

須賀京太郎は、待ってほしいと言っていた。

胸のモヤモヤが晴れるまで待ってほしいと。

 

けど、それでは駄目なのだと気付いた。

そのモヤモヤは自分がどうこうして、どうにかなる話ではない。

誰かと一緒に、自分の物差しを見つける事で消えるモノなのだ。

「だから―――。先輩。俺は先輩が好きです。大好きです。色々な事に気付かせてくれた先輩は、本当に、俺にとって大切な人なんです。それが、理由です」

そう答えた瞬間―――竹井久は、おずおずと腕を握って来た。

今までぐいぐい来ていた人と同一人物とは思えぬ程に―――何処か子犬じみた表情を見せている。

「も、もう撤回は無理だからね?」

「はい」

「遠距離恋愛も付き合ってもらうからね?」

「覚悟してます」

「------本当に、夢じゃない?」

「はい」

そうして彼女は―――涙を溜め込みながら上目づかいに京太郎を見つめる。

 

夕焼けに染まる空が、徐々に月光に移り変わって行く。

伸びていた影が徐々に狭く、小さくなり―――そして、重なった。




アルマーニ(全身9万円)を標準服に指定した公立小学校があるらしい。こっちは23になってもユニクロとしまむらとお下がりの三枚看板(全身三千円)が標準だというのに。やっぱり東京は住んでる世界が違うのだなぁ、と田舎者は思うばかり。にしても9万円って----。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

自分と戦う未来

敗北も勝利も要らない。

プラマイゼロ。

それが私自身の生き方だった。

白黒つけない。

自分は守る。でも攻めはしない。

曖昧模糊でフラフラ漂う。それが私。

 

そうすれば、喜びも生まれなければ悲しみも生まれない。そう思っていた。

 

でも。

喜びも悲しみも生まれないはずの場所で亀裂が生まれた。

お姉ちゃんが出て行ったのもその所為。家族がバラバラになったのもその所為。

バランサ―気取りで勝負をして、上から目線で勝負を平行線にする。

 

―――そうだよ。勝負というのは線と線が交わって、引き合って、どちらが先に切れるかどうかの戦いなんだ。

そんな世界に絶対に交わらない意思を持ち込んで、平行線のままなあなあで終わらせようとする事自体が傲慢なんだ。

 

戦いたくない、勝ちたくない。けど負けたくもない。

 

それは―――どの世界においてもそうなんだ。

 

本日。私はまた平行線のままの勝負擬きの終結を見てしまった。

後に解った。

その人はしっかり勝負の土俵に自分をちゃんと招き入れようとしたんだって。

その戦いに自分は乗らなかった。逃げた。戦う事すらしなかった。

 

だからこの帰結は勝利でも敗北でもない。

―――故に

胸に渦巻く感情の正体を、見て見ぬフリをした。

 

 

冬が、来た。

「寒くなって来たわねぇ」

そう呟く彼女は、ううんと背伸びをした。

通学路の真っ最中。隣を歩く金髪の後輩の隣で。

「そうですねぇ。―――あ、推薦入試、合格おめでとうございます」

ありがとう、と彼女は呟いた。

「うーん。来年から私も東京人かー」

「らしいと言えばらしいですね。先輩、垢抜けている印象ですし」

「ふふん。それはどうも。―――まあ、大学でもきっと麻雀漬けの毎日なんだろうけどねぇ」

彼女―――竹井久は大学進学後に麻雀を続けることがもう決まっている。返済不要の奨学金つきという破格の待遇を得られたのも、清澄での実績あってのものだ。

「------寂しかったら、いつでもこっちに来ていいからね?」

「そりゃあもう、そうさせて頂きます。------ちょっとはバイトしようと思います」

「そう?ありがとう。―――ま、私も月に一回はこっちに戻って来るから安心しなさい」

ふふ、と笑って彼女は微笑みかける。

―――あまり見た覚えのない笑みだった。

出会ったばかりの頃は、飄然とした笑みが多く、ここ最近は必死さが少し垣間見える情熱的な表情が多かった。こういう、安心さと、控えめな甘さを醸し出す表情ははじめて見たかもしれない。

「―――私ね、大学からちょっと離れた、広めの部屋を借りようと思うの」

「え?」

「大学は都心にあるからね―。借りようと思うと高くて狭苦しい部屋しかなかったから」

「ああ、成程。―――でも先輩、」

何でわざわざ広い部屋を、と言おうとして。

「------」

流し目で、微笑みかけられた。

「―――夏休みでしょ?冬休みでしょ?それに春休み。それにゴールデンウィークだって、来年は長いっていうじゃない」

ここまで来れば秋休みだって欲しいのに、と彼女は呟く。

「―――東京でいっぱい遊びましょう」

からりと笑って、彼女はそう言った。

 

 

「―――で、結局付き合う事になったと。何というか、何というか-------」

「うるさい。別にアレだ。なし崩しって訳じゃない」

京太郎は久と別れ、朝のホームルーム前の休み時間を一人で過ごす―――つもりなのだが、ニヤケ面の友人共が冷や水をぶっかけんとこちらに集まってくるのだ。

「間違いない。お前は尻に敷かれるタイプだな。押しの弱さがここで露呈してしまった。―――まあ、でもあのアプローチを受け続けて一ヵ月ちょいか。よく我慢したともいえるし、落ちるならさっさと落ちとけよともいえる微妙な時間だな」

「うるせい。------俺だって優柔不断なのは自覚できてますよ」

散々悩んで、引っ張って、ようやく落ち着くところに落ち着いた。傍目からしたら、優柔不断な男の優柔不断故の情けない時間にしか見えないのだろう。

毎朝の様に冷やかされ弄られる時間も、もうすっかり慣れてしまった。苦痛と言うよりはこっぱずかしいこの時間。幸せの代償と言うべきか何というか。取り敢えず、世の中彼女持ちに同性は優しくないのだ。自分もまた、つい数か月前までそういう心の狭い人間の一人だったのだから仕方がないと言えば仕方がないのかもしれないけれども。

「------そういや、咲ちゃんも最近こっちに来ないな。嬉々として一緒に弄りに行くものだと思ってたのに」

小声で、友人がこちらに耳打ちした。

「そこら辺、俺も意外だったな。アイツも、ちゃんとそこら辺の気遣いが出来ていたんだなって」

竹井久と付き合い始めてから、咲は須賀京太郎を避けるようになった。

人付き合いの機微に弱い彼女は、それとなく避けそれとなく気遣うような真似は出来ない。ある時を境に、ぱったりと交流を避けるようになった。

「まあ、でもお前も大変と言えば大変だよな。今年だけだろ、一緒にいつもいられるの」

「------まあ、な」

「あんな美人な彼女がいて、でも学校では会えないって結構辛いだろうなぁ」

友人の言葉に、京太郎は少しだけ表情を引き締めた。

「------そこは織り込み済みだから、大丈夫」

そう、言った。

友人の驚いた顔を眺め、気恥ずかしい気持ちを浮かべてしまう。

「何だ何だこの色男め」

肘が背中から軽く叩きつけられる。

 

-----大事な事。決意した事。

それは、しっかりと言葉にしていこうと京太郎は決めていた。

久と付き合う事。二年間遠距離恋愛を続ける事。これは自分が覚悟した事だ。

なら隠す事はない。その決意はしっかりと隠さず言葉にしていこう。

 

―――それが、今の今まで自分に出来なかった事だったから。

 

 

「-------」

本日。

ウィークリー麻雀には、高校生雀士の特集があった。

 

その表紙には、でかでかと写る自らの姿。

優希が興奮しながら部室に持ち込んできたそれを、恐る恐る―――宮永咲は捲った。

 

自分の戦績と、インタビューが記されたページを捲っていく。今度は同じ高校生雀士のインタビューが続き、プロ雀士の論評なども載っていた。

―――目標は、打倒宮永です。姉は今年でプロに行くので、今度は妹ですね。

―――絶対。ぜ――ったい。サキは叩き潰すんだから!敗けっぱなしは性じゃないもん!

 

全国に名を馳せる雀士たちは、例外なく自分の名前を上げる。

そして、プロの論評へ移って行く。

 

―――来年、間違いなく宮永咲選手は注目されると思います。

 

その書き手は、過去世界二位の座まで至った、日本最強の雀士であった。

 

―――そして、宮永選手にとって来年からの大会は空気が薄くなると思います。

 

その文字を見た瞬間―――咲は無意識に目を追っていた。

 

―――いわば宮永選手は、懸賞首のようなものです。勝てば、一気に箔をつけることが出来るだけの選手になってしまった。そして、観客の期待も何処かのタイミングで宮永選手が「敗ける」瞬間を見たいという期待にシフトしていくと思われます。今年、宮永選手は勝つ事が期待される選手でした。無名の選手が成り上がるドラマを観客が無意識に望み、それが実現されてしまった。それが、来年から逆になるのではないかと、私は考えています。

 

来年は、自分が敗ける事を、期待される。

「------なに、それ」

自分は―――自分は。

そんなものが欲しくて。そんな事を期待されたくて、麻雀をしていた訳じゃない。

ただ―――。

 

「あれ?」

そう言えば、と思ってしまった。

自分は何の為に麻雀をやっていたんだっけ?

清澄の為?家族の為?

―――ああ、そう言えば、そんな理由だった。

姉の為だったかもしれないし、部長の夢を叶える為だったのかもしれない。

じゃあ、今は?

姉も部長も卒業だ。来年はいない。

 

―――自分は、勝負事が嫌いじゃなかったのか?

―――というか嫌いなはずだ。麻雀の外でも、もう既に勝負を逃げたじゃないか―――。

 

ウィークリー麻雀の論評は、こんな言葉で締められていた。

 

―――これからは、対戦相手以外との戦いも発生すると思います。周囲の人間との戦い。観客との戦い。プレッシャーとの戦い。けど、これはひとまとめにするとこの戦いに集約されると思います。

 

何だ?何なのだ?これから始まる戦いとは―――?

咲は、文字を追った。

刻まれた最終行。そこには―――。

 

―――自分との、戦いです。

 

そう、書かれていた。




初恋ゾンビが自分の中で激熱。
好きなラブコメが増えすぎて、自分が自分を気持ち悪くなってきてきた。しゃーない。指宿君(ちゃん)可愛すぎるからね仕方ないね。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

怜竜編
相対と尊厳


相対する。

かつての、親友―――いや、今であっても親友である事は間違いあるまい。だが、ここでこうして雀卓に座る限り二人は「親友」の括りではなく「仇敵」と表すべきなのは間違いあるまい。

子供の頃から、ずっと一緒にいた。

同じ場所で育って、同じ言葉遣いを覚えた。

同じ事に夢中になって、同じ学校にだって進んだ。

互いが互いの青春を、全力で駆け抜けてきた。二人三脚-----というよりかは、二人乗りバイクで突っ走って来たかのような疾走感がある記憶だ。

辛苦も甘味も、同じだけ味わわされてきた。唯一無二、絶対の親友。

 

そして、

二人を結び付けてきたモノは―――麻雀だった。

 

園城寺怜。

清水谷竜華。

 

彼女等は―――今プロの場に立ち、敵としてそこにいる。

何だか、不思議な気分だ。

 

「―――行くで、竜華」

「―――勿論や、怜」

賽は、投げられる。

かつての親友と、相対する。

それは大袈裟ではなく―――まるで自分達のこれまでの人生の、集大成ではないかと、そんな風に思えた。

感慨と、ちょっぴりの寂寥をその胸に携えて―――彼女等は、睨み合い、そして笑った。

それはかつての互いの様であり、しかしちょっぴり違う。重なる過去と重ならない現在を比べながら、彼女等は―――ジャラジャラと掻き鳴らされる牌の音を、静かに聞いていた。

 

 

戦いは、粛々と進んでいく。

鉄壁の防御で場を受け流しながら次々と直撃を奪う清水谷竜華と、次々と立直でのツモ上がりを取っていく園城寺怜。この両者の執念は凄まじく、まさしく両者共に鎬を削る様相を示していた。

 

オーラス。

ここで竜華は二位の怜と大きく差をつけ、トップ。

追い縋る怜。ここで親番が回る。

 

―――当然、ここで狙うは竜華からの直撃しかない。

しかし―――こういった状況になってしまっては、自分の親友はとことん強い。

こちらの手の内はばれている。その上で彼女は徹底した洞察力を持っている。直撃させる事すら難しいというのに―――連荘していかねば、勝機はない。

 

園城寺怜は、ニッと笑った。

 

―――なあ、竜華。そんな顔せんといてくれや。

 

清水谷竜華は気付いていた。

今、眼前にいる園城寺怜のコンディションを。

 

今にも倒れそうな程に、状態が悪い事に。

 

―――気分は最悪や。けどなぁ、仕方ないやん。それでも、それでも、楽しくて仕方ないんやから。

雀士として、譲れないものがある。譲れない時がある。

間違いなく今がその時だと、確信をもって園城寺怜は言える。

 

―――無茶をするべき時があるなら、今がその時や!

見る。

見る。

先を。

その先を。

その先の先を。

 

見ろ。見るんだ。ここで一つトチれば自分は敗北者だ。

敗北は別に構いやしない。自分の親友に敗けるのならば、それはむしろ誇らしい事だ。ここでいう敗北は、そういう意味の敗北じゃない。

敗北する事と、敗北者は違う。

敗北者は―――相手ではなく、自分に敗ける。

勝負の場に後悔を残して。負けた理由という名の逃げ道を用意して。敗北に身を裂かれぬ様に「言い訳」の種を残して、敗ける者共。それが、敗北者。

 

―――ウチは、欲しい。全力で戦えない「理由」を持っているウチが、それでもその理由すら反故にできる瞬間があるんやって確信が。そんな瞬間があるんやって、その瞬間が今なんやって。そんな確信が、ウチは欲しいねん。

 

園城寺怜は、苦し気に歪められた表情を無理矢理に吊り上げ、笑った。

―――勝負は、ここからや。

 

 

 

その執念は―――当然竜華にも解っていた。

―――アホ。このアホ。本当のアホや、アンタは。

 

油断していると涙が流れるかもしれない。それだけ、彼女には―――園城寺怜という雀士の思いを感じていた。

―――でも、それでも。アホやない怜なんか、怜やないわ。

本当は、今すぐにでも止めてもらいたい。この場でトップに立つ事よりも怜の方が大切なのは言うまでもない。手を抜いたって、構いやしない。

いや、そんなあからさまな事じゃなくて、自分もまた防御に徹した今のスタイルをかなぐり捨て、積極的に一つ直撃を取ってしまえばこの一局で終わらせる事も出来る。勝算は下がるが、それでも怜との一騎打ちによって速やかにこの試合を終わらせることが出来る。

 

だが、出来ない。

解っている。

それが―――親友の心をどれだけ傷付ける事になるのか。侮辱する事になるのか。解っている。解っているから、出来ない。今ここで「怜の為に勝算を下げる」麻雀を行使する事が、どれほどの侮辱なのか―――それを理解できない竜華ではない。

今連荘の中で虎視眈々と機を狙う怜に対して―――その機すら渡さず握り潰していく事。それがこの場における、全力に他ならないのだから。

―――怜。ウチは、謝らんで。

彼女は、心の中で呟く。

―――だってウチ等は、紛れもない“親友”なんやから―――。

 

 

試合は、清水谷竜華の勝利で終わった。

連荘に次ぐ連荘。安手で場を流しながら戦い抜いた園城寺怜は、しかし直撃を取る前に清水谷竜華の他家への振り込みによって、終わったのであった。

 

その終わりを見届け、園城寺怜はニコリと一つ笑うと―――雀卓の上に、突っ伏した。

 

かかりつけの医療スタッフに抱えられながらその場を去っていくその姿を―――清水谷竜華は、ただ見つめる以外になかった。

 

―――怜は、ずっとこないな事を繰り返すんやろか?

病弱の身でありながらプロになるとは、こういう事なのだろう。こういう事を覚悟しての事だろう。

―――それが、どれだけその身を削る事を意味したとしても。

 

それが、園城寺怜という女だ。

―――か弱い身体に何処までも熱い魂を詰め込んだ、雀士なのだ。

 

 

「------なあ、見てくれた?」

「そりゃあ、見てましたよ-------何度でも言いますけど、馬鹿なんですか?」

「せや。ウチは馬鹿や。―――そんな馬鹿が親友と戦うってなったら、そりゃあどれだけ馬鹿になるか、解っているやろ、京太郎?」

「------予想以上でした。いくらリーグ最終戦だからって-----」

「だって-----手ぇ抜きたくないやん?」

「はあ、全く-----」

しゃりしゃり。林檎の皮が剥かれていく音が、静かな病室で響いていた。

最早慣れきったこの静寂と薬品の香りの中、ゆっくりと彼女はベッドから体を起こす。

「おー。おいしそうな林檎やん。どしたん?」

「実家が長野なんで-----」

「おー、そうか!そういえば京太郎の実家長野やったなー。あれやなー。もし京太郎が実家付近に住む事になってそれを打ち明けてくれたら“リンゴ!”って叫んだる」

「それ元ネタ青森でしょ!絶対に小馬鹿にしてるでしょそれ!失礼極まりない」

「ええやんええやんそない細かいこと気にせんで。寒くて林檎が美味しい田舎やろ?さほど変わらんって」

「ひでぇ-----ひでえよ。俺の故郷がどんどん馬鹿にされていってる------。そもそも怜さん、俺が長野に帰るからって一緒に来れる程暇じゃないでしょ」

「せやな。世知辛い世の中やぁ------ほれ、京太郎」

くいくいと彼女は口を半開きにしたまま、催促する様にかぶりを振る。

一つ溜息を吐くと、彼は切り分けた林檎をつまむと彼女の口に入れた。

「んぐんぐ-----おお、流石長野や。林檎、って感じや。うまいなぁ」

「そりゃあよかった」

しゃくしゃくと小気味良い音を鳴らしながら、暫くの静寂が過ぎていく。

そんな時間の中、ポツリと彼女は呟く。

「------苦労かけるなぁ。すまんなぁ、京太郎」

「全くです----もっと自分を大事にして下さい」

「------京太郎もな」

「俺?俺ですか?俺は全くの健康優良児ですけど-------」

「せやろ?だったら、ウチに構わんで素直に大学生楽しんでや。こんな薬臭い病室なんかおらへんで、もっと楽しい事が―――」

そう口に出した瞬間、―――ゴツゴツとした手が、頭に置かれた。

サラリと、指の間に髪がゆっくりと挟まれ、梳かれていく。ちょっとだけ、気持ちがいい。

「俺は、今の時間が楽しいからいいんです。―――気にしないで下さい」

「------うん」

素直に、そう彼女は頷いた。

「------ごめんな。本音言えばちょっと不安だったんや。その台詞聞きたくて、ちょっと意地悪した」

「------」

「こないポンコツの身体でもプロでやっていくって決めたからなぁ。泣き言言ってられんのやけど------まあ、時々はこういう気弱な時もあんねん。ほら、ウチ病弱やし------」

「病弱であっても無くても、気弱になる時くらいありますって。気にしないで下さい」

「優しいなぁ------京太郎も、竜華も。竜華、ずっと泣きそうな顔してんねん。でもそんなんでも全力出してくれたねん。ホンマ、嬉しかったわ-----。以前やったら、竜華は勝負は二の次でさっさと勝負を終わらせにかかってたと思うわ」

「------そうなんですか」

「うん。ウチは、どうしようもなく身体が弱いんや。そんなウチが、全力で向かい合える唯一の場所が麻雀やったんや。麻雀ですら弱者だと認定されたら------ウチは、本当どうやって生きていけばええんか解らんのや」

「------はい」

「だから、な------ウチは、------」

言葉が、途切れる。

眠気の波に攫われたのか、彼女はがくりと起こした身体を崩していく。

彼は慣れた風情にその身体を両腕で支えると、―――ゆっくりと、ベッドに横たえさせた。

 

思う事は、あるのだ。

―――この人は、麻雀をやるべき人だ。

その価値がある人で、それだけの心を持っているはずで。

 

なのに―――その強靭な心とアンバランスなか弱い身体を抱えていて。

 

それでも立ち向かう姿は何処までも痛々しい。けど―――その心の在り様も何処までも綺麗だと、思ってしまって。

自分の中を動かした気がした。

 

ガラリと、静寂の中に音がまた響いた。

「―――怜!」

「あ、竜華さん。お久しぶりです」

そこには―――肩で息を吐く清水谷竜華の姿があった。

「あ------もう寝たんやな。ごめんな、須賀君。騒がしくして」

「あ、いえ。大丈夫ですよ。さっき寝て、結構深く眠ってますんで」

所在なさげなその姿に、少し笑ってしまう。いつまで経っても、この人は変わらないのだなぁと。

「ごめんな須賀君。ここからはウチが看病するで?」

「あ、いえ大丈夫です---何となくこんな気がして、今日は予定明けておいたので」

「ふふん。流石、“怜ちゃんお世話検定二級”は伊達やないなー、須賀君。よしよし、見直したで」

「流石永世一級ですね----全部この人の勝手な妄言ですけど」

「ええやんええやん。あんまり難しい事考えなきゃええねん。―――まあ、二人でまた看病すればええやんね」

「そうですね」

そうして、ベッドの前にまた一つ椅子が置かれ、清水谷竜華が座る。

 

―――また、こうして「三人」の時間が始まる。

須賀京太郎。清水谷竜華。そして―――園城寺怜。

 

すっかり慣れた薬品の匂いを感じながら―――三人は静寂の中、同じ時間を味わっていた。




咲キャラの巨乳化が著しい中、怜ちゃんは何処までも変わらない。あのバランスのいい感じをいつまでも保ってもらいたいなぁ。本当になぁ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

出会い

プロになる、という事は園城寺怜にとっては難しい選択ではなかった。

今自身を構成しているものは、間違いなく麻雀だ。これを捨てる事は、彼女にとってあり得ない選択だ。

 

だが―――その選択を、周囲は理解はしつつも、納得は出来なかったようだ。

 

プロ入りが出来るのは、彼女のオカルトのおかげだ。彼女の一巡先を読む能力が積み上げた実績―――それが評価され、プロの誘いが来ているのだ。

だが。

これから先戦わねばならない戦場は、これまで戦ってきた中でトップの実力を持つ人間が死ぬような思いで研鑽を重ね続けている場である。

―――この身体で、その世界に耐えられるのか。

止められた。

教師にも。両親にも。

高校の大会の時ですら、身を削る様にして戦っていたのだ。プロになれば、それが日常になる。毎日毎日身を削って―――そのうちに、削る身すらなくなってしまったら、どうするのかと。

大学からも推薦状が来ている。まず大学生としての生活を送って、その間に身体が治ってからでも遅くはないだろう。そういう説得も受けた。

―――けれども、何故だろう。

何故かそう言う風にしたい気持ちになれなかった。

 

だからこそ―――色んな人に拝み倒しながら彼女はプロ入りを果たす事になった。

 

そして―――その懸念は正しかった事を知る。

毎日が毎日、試合がそこにある。

日替わりに相手が変わって、その度に新たな牌譜を頭に入れねばならない。そしてその相手は、今まで相手にした事も無いような化物ばかり。

 

たとえば、はじめて三尋木咏と相対した時―――まさしく圧倒的な力を見せつけられた。

どんな手を尽くしてもアがられ、一巡先を見通した時には直撃を喰らわされていた。

 

―――一時たりとも、麻雀から逃れられない。

 

ああいう相手に勝たねば、プロとして生きる道は開かれないのだ。

その為には、自分は背伸びしなければならない。

背伸びとはつまり、―――オカルトを使い続けねば。

 

迫りくるプレッシャー。追い詰められるメンタル。酷使する自らのオカルト。日々麻雀に追い立てられる中、彼女は日を追うごとにまさしく心身共々削りに削り―――。

遂に、決壊した。

 

新人デビューから十五戦目。

試合が終わった後に―――彼女はふらりと意識を失ったのであった。

 

その時は、よく覚えている。

視界が一瞬でジャックされたかのような黒に覆われて、色んな感覚が瞬時に無くなって―――。

ああ、もう自分はこれから死ぬのかもしれないと、思ってしまった。

誰かに抱えられている感覚だけを最後に残して、彼女は楽屋までの道の中途で、倒れ伏したのであった。

 

 

須賀京太郎。高校三年生の春。

彼は念願の大学に合格した弾みとも言おうか。兎にも角にも高校最後の思い出作りをせんと、一つ計画を立てたのであった。

大学合格が決まった二月後半から夜間のバイトを短期集中的に入れていき、貯めた金でキャンプ道具一式を買い自転車で各地に遊び回る計画であった。

 

別にこれが最後の青春という訳でもないが、高校生という名の、ある種純然たる健全性を身に纏った身分がこの先強制的に没収される現実を目の当たりにして、いてもたってもいられなかった。

今まで清澄高校麻雀部部員として中々いい思いをしてきた。魔王が魔王のまま大暴れしたおかげで、部として毎年輝かんばかりの実績を積み重ねて来た。その表舞台に立つ事こそ叶わなかったが、この三年間で確かに麻雀の楽しさというものを十分に理解できたと思う。

 

さあしかし。自分の青春の終わりとしては中々にこれは切ないではないだろうか。

自分はこの中で何かを成し遂げたと言われれば、特に何もない。

麻雀で輝かしい活躍をした訳ではない。気になるあの子と進展は特になかった。青い春は何処までも寒々しい青のまま、曇天と共に消えていった。

これではいけない。

だから、一人で旅をする事を決めた。

思えばその時は、まさしく頭がおかしくなっていたのかもしれない。何故旅をしたのか、と問われれば、そこに見知らぬ何かがあるからだと答えていただろう。よくも解らぬ代償行為を求め、必死にバイトした挙句にキャンプグッズ一式を買いこんだのだから仕方ない。

 

東京の下宿先からふんふんと自転車にキャンプ道具を括り付け、彼はよく解らぬ興奮を覚えたまま走り出した。

 

その旅は、本来二週間の長旅になる予定だったという。

結論から言えば、一日も経たずに―――いや、一時間も経たずに終わってしまった訳であるが。

 

走り出したその先に突如として現れた野良猫に急ブレーキをかけた際、前輪が滑り横転し車輪を引っ掛け左足を骨折するという馬鹿な結末を迎えてしまったからである。

 

こうして、須賀京太郎の高校生としての青春は終わった。

ひどく霞んだ空が、担架に運ばれるその瞬間に浮かんでいた。情けない、という言葉で表しきれない程に酷い有様の彼を失笑しているかのように。

 

何だか、思わず涙が浮かんでしまった------。

 

 

「―――アンタ阿呆やなぁ。本当に阿呆やなぁ。ああ、もう本当に笑かしてもろたわ。ありがとさん」

「ほっといて下さい-------。割と本気で落ち込んでいるんです------」

搬送された病院で枕を濡らし、半開きの口のまま死んだような絶望の表情を浮かべてキュラキュラと病院を車椅子で動いていた所―――多分本気で自殺でもしないか心配したのだろうか。同じ様に入院していたらしい女の人が、声をかけた。

そしてその人は、―――昨年プロデビューした園城寺怜であった。

彼女は何やら複雑そうに「辛いことがあったん?」「話せば楽になるってのは本当やで。ウチも実際そうやったし」「だからちょっとその顔心配になるからやめーや」等必死に話しかけ、彼女の病室に連れ込み、話を聞いたのであった。

そうして病室で事の顛末を聞いた瞬間には大爆笑も大爆笑。腹を抱えて涙を溢れさせ、その果てに口に出した言葉が冒頭のそれである。

いや、そりゃあ------ねえ?

真面目な悩みかと思ったらあんな間抜けも間抜け、間もなく抜けしかない情けなさの極地のような話を聞かされちゃあ、そりゃあ笑うだろうけど、ねぇ?もう少し、女子らしいデリカシーと優しさ溢れる対応をしてくれたっていいじゃないか。

「ええやんええやん。ここでウチが“そう、辛かったんやなぁ”って憐れみと共に声をかけてみい。アンタ、もっといたたまれなくなって辛いやろ?」

「はい-------」

「若気の至り。ええこっちゃ。-------まあ、ウチもそれで入院したようなもんやし、お互いさまやな。お互いさま」

「ええ-----。プロが若気の至りですか」

「おお、そうや。若気の至りでプロに入って若気の至りで無茶しまくって若気の至りで無事入院コースや。色んな人にしこたま怒られたわ」

「は、はあ-----」

そういえば、そうだった。この人IHで何回かぶっ倒れて病院に直行してたよな-----。それはプロになっても相変わらずらしい。

「いやー、何とも同じような人間に出会えて愉快やぁ。今日はいい日や。周りにネタにできるような話が仕入れられたし」

「ちょっと!話さないで下さいよこんな事!」

「ええやんええやん。話を聞いてやった天使のような怜ちゃんに免じて笑い話のネタにするくらい許してや。ここ最近じゃ、ウチの中で一番のヒットやわ。アンタの話」

「ひどい------」

「いやー、ありがとさん。いい話を聞かせてもらって。ところで自分、名前、何て言うん?」

「え?須賀京太郎ですけど------」

「へえ、ええ名前やな。ウチは------知ってるっぽいけど、一応名乗っとくわ。園城寺怜言うんや。よろしくな」

そう楽し気に笑って、楽し気に彼女は手を差し出した。もう何だか投げやりになって、須賀京太郎もその手を握った。

「ウチは----あと一週間位は入院する事になってるから、時々でいいから話に来てやー。暇やしねー」

そうニコリと笑った彼女は、何だか生き生きとしていた。

 

これが、彼女と彼との出会い。

偶然の最中に起こった、愉快な邂逅であった。




ちょっと早いですが、メリークリスマス。
私は明日、一人焼肉を楽しむつもりです。ボッチ席も用意してある素敵な優しさに溢れた炭火焼肉店です。楽しみだなぁ。帰りに売れ残りのコンビニケーキと缶ビールでも買っていつものクリスマスを過ごそうと思います。ビバ、クリスマス!


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

出会い2

久しぶりの更新です。年末年始は腹痛と下痢との格闘の日々でした。クソめ----。


―――先を読んで、どうにかなるもんだと思ったかい?

公式戦ではじめてトんだ日、その人は、こんな事を言っていた。

―――先が見えた所で、そこが戻る事の出来ねぇ崖先だったら意味なんかないんじゃねーの。知らんけど。

ケラケラと笑うその姿には、何も見えなかった。

嘲りでもなく、哀憐でもなく―――純粋な感想をそのまま述べているだけなのだろう。

 

その時感じたのは、恐怖だろうか?

この先を進む事に対しての。

自分の能力すら歯牙にもかけずに切って捨てるだけの実力者がいるという事実への。

 

自分の全てを賭けて―――文字通り、命まで削って、それでも、それでも―――。

 

 

「―――まあ、ええんやない。甘酸っぱい青春を味わえて一流。酸っぱいだけの青春で終われば二流や。ほんで三流は何も感じる事も出来ないで終わる。アンタは二流の要件は満たしとる」

ケラケラ笑いながら、園城寺怜はそう無自覚にこき下ろした。

須賀京太郎、18歳。

現在一人旅の始まりの地で足を折り、同じ入院患者の美少女に”お前の青春は二流だ”と宣言されました。

------ねえ神様。貴方はこんな仕打ちを与えてまで自殺を罪だとのたまいますか。今情けなくて情けなくて死にたい気分です。

「-----容赦ないですね。園城寺さんはどうなんですか?」

「ウチは----まあ、一流の青春を過ごせたんちゃうんかな?割と青春に未練が無いからこそ、この道を選べたんやと思うし」

「------そりゃあ、そうか。全国まで行って酸っぱいだけで終わりましたー、何てことは無いっすよねー」

「それでや、須賀君。アンタ、いつまで入院なん?」

「入学式までには間に合うとは聞かされてますけど------」

「よかったやん。大学で第二の青春や。キャッキャウフフな堕落に塗れた青春を楽しみや―」

「ちょっと!貴女の大学生の認識がおかしい!おかしいです!」

「------え?大学生ってそういう期待を背負って日々戦い続ける場所やないん?おっぱい大きい子とか美人な女の子がいたら、どうやって調理してやろうかグヘヘ、とか考えるものやないん?」

「違います------」

「何やつまらん」

憮然と、そう彼女は言い切った。勝手に推測し、勝手に失望し、勝手に切り捨てやがったよこの人------。

随分と好き勝手に言ってくれる人だ。それに思考が少々おばんくさい。何だか、こうアレだ。悪い人ではないし、本質的にはとてもいい人なんだろうけど。弄る側か弄られる側かで言えばとことん弄る側なのだろう。

ええい。ならばこちらとて黙っちゃあいない。反撃してくれようではないか。

「------そもそも園城寺さん」

「ん?」

「随分と大学生に青々しいイメージを持っていらっしゃるんですね。------もしかして、そう言う事に興味あるんですか?」

「は、はあ!?アンタ、何言うてんねん!?」

彼女は明らかに狼狽していた。血色の良くない顔面を一瞬で林檎色に染め上げ、そんな風に喚いた。

おお、効いてる効いてる。やはり弄られる側には慣れていないようだ。

「だってそうでしょう。初対面の大学生予定者を勝手にエロ認定するなんて、そういう人間を期待していた現れじゃないですか。園城寺さん、意外にムッツリなんですね」

「ぐ----!違う、断じて違うで須賀君とやら!ウチは大学生というのは一般的に、高校時代に出来なかった青春を取り返そうという必死さを持ち合わせているもんやと想定してやな---!」

「想定して?」

「須賀君のような、二枚目になりきれる素養を持っていながら三枚目に甘んじてしまった情けない男の子とあらば、それはそれはもう大学の中であの時できなかった諸々を取り返さん勢いでエロくなるのやと、そうウチは想定してたんや!あの時狼に慣れなかった自分の臆病さを恥じて、必死こいて女を食えるように覚悟完了しているもんやと!断じてウチがエロい事に興味を持っていたからやない!須賀君という人間から溢れ出る童貞っぽさに、ウチはそれ相応の言葉を用意しただけや!」

取り繕おうとしているその言葉は、何処までも何処までも男の自尊心をズタズタに引き裂く暴力でした。あまりにも酷すぎるその言葉の諸々であるが、真っ赤になって自己弁護している園城寺さんの面白さでどうにか半々できる程度ではあるのだが、さすがに反論せざるを得ない。

「何てひどい言い草だ!あんな話題をいきなり降っておいてその言い分は酷すぎる!」

「うるさい!ウチを弄ろうなんて百年早いわ!」

「そもそも童貞を笑えるのは経験済みな人間だけだ!貴女だって―――!」

「おおう!悪かったな!ウチだって―――!」

お互いがお互いヒートアップし、その言葉を吐き出さんとした―――その時。

 

ドアが、開かれる。

 

「あ」

 

園城寺怜は―――そんな間抜けな声をあげて、その先を見た。

「--------」

そこには、黒髪が実に美しい女の人がそこにいた。スタイルよし。顔よし。女優顔負けな綺麗な顔立ちと黒髪を持つ、女性が。

清水谷竜華。

プロ雀士で、かつ―――園城寺怜の子供の時からの大親友。

「-------」

「-------」

「-------」

三者、沈黙。

園城寺怜は何かを察したように、自らのベッドの中に潜り込み聞かざるに徹する構えを見せる。

須賀京太郎は、ただただ固まるばかりであった。

「うん。二人共-----」

清水谷竜華は、口を開く。

その声は―――。

「さっきの言い争い-----普通に廊下まで響いてたからなー--------」

まるで、処刑宣告の如き、重々しい口ぶりでしたとさ。

 

 

それから、一時間ばかりが過ぎた。

実に優しい口調で説教を執り行った清水谷竜華は、されど容赦の二文字は無かった。そのあまりにもこちらの恥を煽るかのような慈しみに満ちた説教は、先程までの言い争いで培われた傷を存分に燻し炙り切り開いてくれたのであった。もう穴があったら入りたい所ではない。地獄の入り口があるなら喜び勇んで飛び降りたいくらいの気分であった。

 

かくして須賀京太郎。彼は青春を取り戻そうと旅に出た挙句に事故にあい足を折り、入院先の女性と言い争いをした挙句にその女性の見舞い客に説教を受けるという恥を巡る負の連鎖に取り込まれたのであった。

死にたいと思うのも無理からぬ話だ。

「あー------竜華の太腿やぁ-----あー-------」

対してあの方は、早速自らの親友の太腿を枕に横たわっていた。まるで魂が慰撫されているかの如きその姿、禁断症状から解放された麻薬常習者に見えなくもない。

「もう今度はあんな事しちゃあかんで?」

「あー------須賀君に苛められた心の傷が癒えていくー------」

「全く------プロになっても、相変わらずなんやから------」

目と目が合う。須賀京太郎と、園城寺怜。

目があった瞬間、一つ彼女は舌を出すとその目で”ざまーみろ”と明瞭に伝えていた。

 

ああ。もう本当に自分は心の底からの大敗北を喫したのだ。

しくしくと心を濡らしながら、彼は敗残者らしくそのまま自らの病室に戻ろうとする。

「あ、待ち―や」

その姿を見咎め、園城寺怜は呼び止める。

「何なんですか-----。まだ俺の心を弄ぶ気ですか------」

「うん!」

心の底から滲み出た、----まるで科学実験前の子どものようなキラキラした瞳で、彼女はそうニコリと言い切った。言い切りやがった。

「須賀君のセクハラでウチは多大なる心の傷を負ったんや------。今度は、竜華の目の前でさっきのおもろい話を聞かせて―や」

「絶対に嫌です!」

「なー、竜華。聞きたいやろー----?」

「-----怜。まーた言い争いしたいんか?そろそろ弄るのもやめーや」

清水谷竜華。ここは空気を読む。

ぶーたれる怜を軽く小突きながら、清水谷竜華は一つ溜息を吐いて、須賀京太郎に向き直る。

「ごめんなぁ。何か、騒がしい子で」

「い、いやぁ----」

須賀京太郎としては、そう言う他ない。そりゃあ、もう、好みド直球な方からの言葉ですもの。何を言えばいいのかしどろもどろになる程には、彼は純情だった。

「でも、怜がここまで気を許すのも珍しい事なんやで。だから、今度からも仲良くしてやってや」

「ちょ、竜華」

太腿の上で、またしても園城寺怜に表情の変化が生まれる。

その光景を見て、またおかしげに清水谷竜華は微笑み、ぷにぷにと頬を突く。

「そうやん。男の子と言い争いしているなんて初めてやん、怜。ヒートアップしたのは頂けんけど、おもろかったでー」

「ちょ、やめーや。くすぐったい」

あ、そーや。そう清水谷竜華は呟く。

「さっきの言い争いで、気になる事があったんやけど、聞いてもええ?」

「何や?」

 

「童貞、って何や?」

 

「--------」

「--------」

またしても、三者の間に沈黙が流れる。

禁忌のような。穢れのような。アンタッチャブルを前にした人間とはかくあるべきものである―――そう言いたくなるような、乾燥した沈黙であった。

 

ねえ、神様。

 

本当に。本当に。貴方は恥で私を殺すつもりですか-----?




ある日、実家に帰り近くのスーパーで買い物をしていると、ゴスロリドレス姿の老婦人がエスカレーターでくるくる身を翻していて、スカートの裾を巻き込んでパニックになっていました。笑うべきかどうか迷って、真顔のままその姿を私は見届けていました。ちょっと、現実感のない光景でした。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

切っ掛け

――もっと遠くへ。自分は行けるのだと思っていたのだろうか。

特別じゃない、自分が。その自分のまま。

特別だと思い込んでいた日々から、平凡だと思い込んでいた日々に移り変わって。見えた景色は、共感する何かは、移り変わったのだろうか。

 

怪我でハンドボールが出来なくなって、ならばと清澄高校に進学して、

特別な仲間が特別なまま突き進む姿を見届けて。

 

何かを“する”のではなくて、見届ける人間となって。

もっと。もっと。出来るはずじゃなかったのだろうか。

 

―――けれども、それは所詮自惚れに過ぎないのだと思う。

もっと出来たのではないか、という可能性の話をするのは、その可能性に賭けた事がある人間だけが出来る特権だ。

 

幾度も、幾度も、見てきた。

仲間たちの快進撃の中で涙を飲みこんできた人々の表情を。その姿を。

 

情けないことに、そういう人達の方に強く共感してしまう自分も、また存在していて。

それは、諦めきれずに再起を図ろうとした自分が、心の何処かに存在したからだろうか?

怪我をした日に、きっといつかこの怪我が癒えて、もう一度ボールを追いかけられる日が来ることを信じてやまなかった自分がいたからだろうか?

けれども―――自分は、結局その心を殺してしまった訳で。

諦めなかったその人たちと、諦めてしまった自分を天秤にかけて。

勝手に共感して―――勝手に自分自身に失望して。

そうやって自分自身を情けない奴だと自嘲しながら生きて来て、自嘲しながら青春が終わって。

 

何かを、変えたいとずっと思っている。

けれども今更、何を変えることが出来るのかすら解らなくて。

 

結局このまま来てしまったのだろう。

この先に、何があるのか。解らぬまま―――高校卒業の時期にまで来てしまった。

 

 

その後の顛末を語ろうと思う。

語りたくはないが、語らざるを得ないのだろう。たとえそれが男としての矜持をズタズタに引き裂く類の話であろうと。

童貞とは何か―――その複雑かつ繊細、哲学的かつ永久の命題であるその問いに、園城寺怜は今にも悟りを開きそうな表情でごにょごにょと自らの親友にその意味を伝えた。

精々一言二言程度の言葉を耳打ちするや否や―――清水谷竜華はその顔面を蒼白に染め上げ立ち上がり、

「怜。ちょ―――っとええかな?」

そのまま園城寺怜を引っ張り、病室の外に連れ出していった。

 

居る理由も無くなり、自らの病室に戻る。そのまま一人何となく漫画を読み過ごし、いつの間にやら夜になった―――その時。

先程LINEの連絡先を交換していた園城寺怜から、メッセージが送られる。

”竜華からのありがた―――いお言葉や。胸に刻んどき”

そして付属される音声ファイル。

何やら嫌な気がしたものの、聞かないわけにもいかず、イヤホンをつけファイルを開く。

すると―――。

 

“あんたな!何かを経験していない事を理由に馬鹿にするなんて人として最低や!素人だからって理由で馬鹿にされたら、どんな人でも新しい事始められへんやん!”

“そりゃあ、ああいう二枚目な感じのイケメンさんがど、童貞やっていうのに意外性があるのは解るけど-----ウチ等だって経験なしやん!え、そうやないの----?そうやろ!からかうな、もー!”

“とにかく、それで弄るのは禁止!可哀想やん!男の子にだってプライドがあるんや!それを尊重してやれんで何が女子や!”

 

きっとこれがこの人の優しさなんだと思う。

清水谷竜華さん。本当にこの人は慈悲深く優しい人なのだと思う。それは間違いあるまい。

けれども、けれども。

何故だろう。

こんなにも温かく、優しい言葉なのに―――胸の奥に激痛が走るのは。

可哀想。可哀想。可哀想。

そう。今の自分は―――どうしようもなく可哀想な人間なのだと、そう思われているのだと。そう言う厳然たる事実がそこに提示されていて。同情を受けるに値する程の恥晒しだという事実を突きつけられて。

 

メッセージが、続く。

 

“よ、意外性の男”

 

何をしてもどうしてでもこの人はここまでしてでも自分にやり返したかったのだろうか。例え―――携帯の録音機能を使ってでも、この言葉を伝えたいと思う程度には。

優しさは時に、何よりも辛い針の筵となる。

溢れんばかりの優しさは―――時として何物にも代えがたい傷を作り出すのだ。どうしようもなく、誰が悪いという事も無く。

 

その日―――須賀京太郎は静かに枕を濡らした。

青春を全うできず、

旅立ちの日に足を折り、

入院先の女性にそれを弄られ、

その友人に同情心を提示され、

 

今日という一日で、何か心が砕け散ってしまった気がするのだ。

ズキズキと痛む足首など、気にもならなかった。

あまりの、情けなさに。

 

 

それからというもの、流石にあれだけの事をやらかしたのだからもう距離をとってくるだろうと思ったものの、何故かは解らないがあの日を境にもっと気に入られたらしい。よくよく彼女は須賀京太郎の病室に顔を出してはいつもの通り会話をしてくるようになった。

「取り敢えず、須賀君の大学での目標は、“目指せ非モテ脱出”やな」

「随分なご挨拶ですねぇ。また喧嘩売りに来たんですか?」

「まあまあ、そう恨むな。あの時は確かにウチも悪かった。だからこそ、折角出来た友人や。友人のおもしろ――-もとい輝かしい未来の実現の為に一肌脱いでやろうというありがたい申し出や」

「ほほう。面白いイコール輝かしいですか。随分と関西人らしい発想ですね」

「やろ?もっと褒めてや」

「申し訳ありませんが、貴女の笑いの種になる事が輝きなら、それは昨日でお終いです。お帰り下さい」

「ちょ。ちょ、待ち―や。押すな押すな。こんな美少女が遊びに来てるのに無下にするのはアカンで。こんな風だと、絶対モテなくなるで」

「貴女の暇潰し相手をしていてもモテる気しないので結構でーす」

「まあまあ、ほら。ウチ病弱やし、竜華もおらへんし、相手して―や」

「病弱ならさっさと寝ときなさいよ」

「寝る子は育つ言うけど、ウチの身体は一向に育たんかったし、寝れば元気なるのも眉唾もんや」

「------ああ」

「その“ああ”は何に納得したんや-----?」

「いや、かつての友人を----」

タコスを食ってはぐーすか寝ていたアイツを思い出す。授業中すら寝ていたというのに、一向に育つ事の無かったあの身体を。

その時自然と視線が身体全体に向かっていたのだろうか。園城寺怜はハッと身体を掻き抱いて叫ぶ。

「やっぱりスケベやん!このエッチ!」

「はいはい。むっつりさんは黙っといてください。そもそもこの話をぶち込んできたのは貴女の方ですからね」

話の端緒は女の方からでも、、乗っかれば男がスケベ扱いとなる。この理不尽さは、実に認めがたいものがある。

「まあまあ、須賀君。ウチもあんなに面白い話を聞かせてもらった身や。須賀君がモテる為に、協力できることなら何でもやるで。―――暇やし」

「人の心配出来る身ですか」

「あん?何やその言葉は」

「女プロ雀士は、ほら------」

言葉を続けようとしたその時―――目で、静止が入る。恐ろしい程に相手に威圧を与え、また怯えるような色まで含ませ、こちらの罪悪感を煽る、目で。

「------須賀君」

「はい------」

「やめような----?そういう事言うの-----」

「はい------」

どうやら彼女も現実逃避の真っ最中らしい。

「まあほら、ウチはええねん。ウチは。―――どうせなー。正直、そこまで長生きできる身でもないやろうしな」

「-----え?」

あっけらかんと言い放ったその言葉に、声が、止まる。

その様子に気付いたのか、あからさまに慌てた様子で―――取り繕うように、声を放つ。

「あ、そんなに深刻に捉えんといて。別に今に死ぬとか容態が悪いとかそういう話やないねん。―――ただ、まあ、そう言う覚悟をもって、プロ入りしたってだけや」

彼女はひらひらと手を振りながら、言い訳を始める。

「だから―――まあ、ウチは気にせんといてや。それより!須賀君や!童貞脱出したいんやろ!やったら気合い入れて、女の子にモテるようになったりやー!」

バシバシと背中を叩く彼女の様子は、ちょっとだけ空元気を振りかざしているように思えた。

―――少しだけ感じた、違和感。

それが何なのだろうか―――少しだけ気にかかってしまった。

 

思えば、これがこの人に「興味」を持つ切っ掛けだったのかもしれない。

この人の言う、「覚悟」とはどういうものなのか―――少しだけ、気になり始めたのだと。そう、思った。




暫くこっちの更新が続くかも解らないっすね。かしこー。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

懺悔の時間

ふざけた人だった。それは別に悪い意味ではなく。

女子高出身で交際経験はおろかまともに異性と話す経験すらまともに積み上げなかった女がである。何を以てモテる為の技術論を語れるというのか。思い上がりも甚だしい。

だというのにその人は堂々とそれを口実に須賀京太郎の病室に入り浸っては、下らないやり取りに終始していた。

それが日々の光景であり、病院の人々も次第に慣れていった。少々口論がヒートアップして喧しい声が上がろうとも、ああいつもの事かとスルーする程度には。

 

そうやり取りする日々は、―――何だか腹立たしかった。

目の前にいる女の子は上から目線でこちらをからかってくるし、そのくせ妙に甘えてくる。その距離感の不可思議さに須賀京太郎は戸惑っていた。

「はあ―――。もしも、もしもや。この世の中にウチを一瞬で幸福感に満たしてくれるような枕が出来たらなぁ。ウチはずっとふわふわ~っとした気分で幸せに生きられるんやけどなー」

「竜華さんの太腿で我慢しましょうよ------」

「お、何や何や、羨ましいか~、このスケベ。このこの~。残念やったな、男のアンタじゃ一生味わえん感覚やで~」

「そりゃあ羨ましいですよ!男の夢です!」

「アンタ竜華に関しては割と素直やな-----。うん、腹立たしい!ウチにももっと素直にならんかい!」

「そりゃあ-----割と素直な対応だと思いますよ」

「おーう、言ってくれるやないか。-----せや。京太郎。ベッドに座り」

「へ?」

「お座り」

「俺は犬かなんかですか!そう言って素直に聞くとでも思っているんですか―――」

そう、言葉を発した瞬間、足早に彼女はベッドに近付くとゴロリとベッドに横たわった。

----何だ、これは。

「何ですか?」

「ほれほれ。ウチを膝枕や~」

「-----あの」

「うん?」

「普通-----足を折っている側が膝枕しますか?しかも俺は男ですよ?あらゆる意味において普通は、逆ですよね」

「うん、せやね。はい、お座り。足首を固定しているんやったら、伸ばしとけば問題ナッシングや」

「普通を遵守しません?」

「ウチにとっての普通であり常識は、膝枕は常にするものじゃなくされるものや。はい、お座り。―――ウチは、明日退院や。最後のご奉仕やと思って、な?」

「--------」

 

 

「硬!何やこれウチ針金の枕に頭を置いているんか!」

で。

結局押し切られるまま膝枕し―――眼下で彼女は文句をブー垂れている。

そろそろ夕刻に差し掛かる昼下がり。何故こんな事になっているのだろう。不思議だなぁ。

「自分で無理矢理膝枕させといて文句言わないで下さい」

正論を並べ立てるも、しかして文句は止まらない。まさしく、理不尽。

「う~。何やこれ、ただの地獄やん--------。男は皆こんな硬いんか?」

「スポーツやってれば、皆これ位にはなるんじゃないですかね?俺なんてもう鈍り切ってるんで、まだ柔い方です」

「へー。スポーツやってたんや。意外でもないなぁ、ガタイも結構良かったし-----。何やっとったん?」

「------ハンドボール、ですね。中学までやっていました」

「へー。何で中学で----」

辞めたん、と聞こうとして―――彼女は、黙った。

京太郎は、何のアクションを起こしていない。別に表情が変わった訳じゃない。

それでも―――彼女の本能の部分。ある種、彼女のオカルトの延長線上的な部分が、警告を鳴らしたのだ。―――聞くな、と。

「-----ごめんな。そこは、ちょっと立ち入りすぎた」

割と素直に、彼女はそう言った。

「----別に、聞いてもいいんですよ」

「ええの?」

「隠す事でもないですし----。単に、肩を故障したから辞めたんです」

「------そっか」

「はい」

「-----その先、聞いてもええ?」

「先なんて、無いですよ」

その声は、少しぶっきらぼうだった。

何故だろう?―――その声は、須賀京太郎でも無意識のうちに出ていた。

―――笑いながら、言ってしまえばいいじゃないか。怪我しちゃったんです、と。表情を柔らかくして、ちょっと冗談めかして。気になる女の子に釣られて麻雀はじめたんです、とでも続けて。雰囲気をどうして硬く、冷たくするのだ。そこら辺をどうとでも出来る社交性は、十分に身に着けているはずだろう―――。

けれども。

それでも。

どうしようもなく、誤魔化せなかった。

「-----医者に、この故障はハンドを続けるなら一生ものだって言われたんです。日常生活を送る分にはリハビリで全然問題なく治るけど、スポーツをやるなら、ずっと付き合っていかなくちゃいけない、って。たった、それだけの言葉で諦めちゃったんです。だから―――その先なんて、無いんです」

諦めた人間の物語に、先なんてない。

当たり前の、話だ。

「------そんな事、ないやん」

しかし―――。

眼下の彼女は、認めてくれなかった。

「なあ、須賀君。―――辛かったやろ?」

「------」

「諦める------って事が、どれだけキツイのか、ウチは想像でしか解らん。でもな、何度も何度も想像したんや。ウチが麻雀を諦めた時、どうなるんやろうって。何が残るんやろうって。その度に胸が張り裂けそうになるんや。怖くて、恐ろしくて、その先に“何もない”事が、辛くて辛くて、仕方なかった」

「-----そう、なんですか」

「須賀君。―――何かを諦めて、その果てにある辛い思いって、情けないと思う?夢を諦めた臆病者だから、こんな苦しみを味わわされてる、って思っとる?」

「------」

言葉が、出ない。

何を言うべきかは、解っている。違う。そんな大層なモノじゃない。諦める、という事実を美化しないでくれ。そう言葉にしなくちゃいけない。

だって―――だって、眼前にいる貴女は、命を削ってまで“諦めなかった”人間じゃないか。そんな人が、決して受け入れちゃいけない事なんだ。諦める、という行為を。

でも―――それでも。

自分の中に、その言葉を否定したくない自分もまた、いるのだ。

だから、言葉が出ない。言葉が出来ているのに、出ない。

いつの間にか溢れ出した涙が、嗚咽が。言葉を形にしてくれなくて。

「そんな苦しみ------何かに必死に賭けた人間しか、持つ事が出来ないに決まっとるやん------!」

彼女の両手が、京太郎の両頬に添えられる。

しっとりとした冷たさが、やけに心地いい。

「------ごめんな。須賀君。謝る。今に思えば―――ウチの言葉は、本当に無神経やった」

「そんな事、ないです」

「それで―――。ありがとう。話を聞かせてくれて。ウチも、ようやく吹っ切れた」

彼女は、微笑む。

ゆっくりと彼の頬に流れる雫を、拭いながら。

「まだ、まだ。ウチは諦める地平にあらへん。一つの対局に、命を賭けるのはどの雀士だって同じことや。確かに、人より辛い思いをせんかもしれないけど―――それでも、ウチは卓上について、思考を巡らせて、牌を握れる。その幸せだったり、その生き甲斐だったりを、ウチは今日の今日までしんどさにかまけて忘れていた」

諦めざるをえない地平に、今自分はまだいない。

ならば、諦めてはいけない。

―――勝てない。辛い。その辛さを味わえる事と、もう二度と味わえない辛さ。

天秤にかけてどちらに傾くか―――考えるまでも無い。

 

「思い出させてくれたのはアンタのおかげ。ウチに話してくれて、ありがとう。―――京太郎」

そう言葉にした彼女の頬にも、涙が溢れていた。

 

―――その瞬間に、理解できたことがある。

 

この人だから、偽る事無く言えたんだ。自分の思いを。情けないと断じていた自分の苦しみを。

自分は、救ってもらいたかったのだ。

情けない思いをとことん情けないと―――そう言ってくれることを、期待してたんだ。この人は、誰よりも諦めなかった人だったから。そう言える権利がある。だから、勝手な期待を抱いていたのだ。諦めるなんて、情けない。そう言ってくれることを。

けど。

彼女が提示した救いは―――断じるではなく、受け入れる事だった。

 

諦める事の苦しみ。それは―――拒絶するものじゃない、と。

その様を、その存在を、―――彼女の在り方のまま、受け入れてくれたのだ。

 

今この瞬間を以て―――須賀京太郎の心理に、一つ灯りがともった。

それはとても暖かくて―――また、どうしようもない自分が、映し出すものであった。

 

それでいいんだ。それがいいのだ。―――今なら、そう思える。

だから、

「俺の方も―――ありがとうございます、怜さん」

ぐしゃぐしゃに歪んだ顔で、そう彼は一つ呟いた。

 

夕焼けが、ゆっくりと光を窓辺を照らしていた。




最近、ずっとリクドウを読んでいます。苗ちゃん可愛いし柳さんカッコいいし言う事ない。ただ-----諸手を上げて“是非読んで”とは言えないかなぁ。あーあ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

竜の涙

車校の合宿所の車窓から。誰か、クラッチとギア操作とブレーキを滑らかに並行処理する方法を教えておくれ。ギアを入れようとする度にエンストするのはもういやじゃー。


園城寺怜は退院していった。

 

思い知らされたことは、たった二つ。

自分の情けなさと、自分の弱さ。

今の自分を受け入れられない情けなさ。そして、その情けなさを受け入れられた瞬間に思い知らされた、自らの弱い心。

強がっていたし、意地を張っていたし、そういう自分から自分自身が逃げ続けていた事。

 

その弱々しい自分が生れ落ちて、そんな自分が嫌いで、心の隅に追いやっていたという事実。

 

眼前に現れたあの人はまさしく“ありたかった自分”だった。

病気でもめげず諦めずただひたすらに真っ直ぐ歩み続ける人。自分にはない強さを持っている人で。

 

そして、決意した事もまた二つばかり。

自分が「何をしたかったのか」のではなく―――「何をしたいのか」を見つける事を。

もう一つは。

過去の自分と鏡合わせのように感じているあの友人を、何があろうと応援しようと。

それが―――今の自分が、真っ先にやりたいと、思った事だったから。

 

 

園城寺怜が退院して早三日。須賀京太郎は特にやる事も無くリハビリに励んでいた。

あまりにも情けない顛末を隠し続けている為、清澄の友人にも入院の事実を隠していた。隠し続けていた。それ故、今の自分に見舞いに来る人間はいない。

しかしそればかりは仕方がない。今自らが抱えている僅かばかりの寂しさの為に、この阿呆な顛末に終わった話を知らされる訳にはいかない。それはもはや使命と言ってもいい。これから一生にかけて弄り倒されネタにされるであろう事実を、知られる訳にはいかない。いかないのだ。

 

だからこそ、須賀京太郎は日々を怯えていた。

何かの間違いで自分の知り合いがここに来るんじゃないかと。

そうなってしまえば自らの命はお終いだ。男が持たねばならないプライドが粉々にバラバラにされた挙句に今度こそ命を断たれるかもしれぬ。

―――嫌だ嫌だ。知られたらどうなるのか。きっと咲はあははと笑いながら和に悪気なく伝えるのだろう。優希ならばゲラゲラ笑ってスピーカーとなるのだろう。------和は論外。単純に一番知られたくない。もう男として完全にお終いだ。お願いです神様。どうか少しばかりの慈悲を下さい。おお、ジーザス。恵みを―――。

 

コンコン。

ノックの音が、聞こえてきた。

 

終わったと思いました。

もう自分は終わりだ。誰が来ようともう詰みじゃないか。

軽く頭を抱えた後―――どうぞ、と声をあげた。

ガラガラと開く扉の先には―――。

 

「------清水谷、さん?」

黒髪ストレート正統派美女が、そこにいた。

見舞いの品にフルーツなんか持って。少しばかり気まずそう---というか居辛そうな雰囲気を絶妙に醸し出しながら。

「や、須賀君」

「あ、はい。------えっと、園城寺さんは退院しましたよ?」

「うん。知っとる。だから今日は、須賀君の見舞いや」

そう彼女は言うと、手早く近くの丸椅子を持ち、こちらのベッドの付近に近付いた。

------近付けば近づく程、その余りにも完成された女性らしさに圧倒されてしまう。

「------」

「------」

暫し、無言の時間が過ぎる。

それは致し方ない。お互い、園城寺怜を間に挟んでの関係だったのだから。お互い、友達の友達同士。しかも、二つ年上のプロポーションバッチリのハイスペック女雀士。須賀京太郎にとって最も色々と難易度が高い女性であるのは間違いない。

「え、えっと-----」

それは、相手に取っても同じこと。

二つ年下の男の子。しかも、ちょっと世慣れした感じの。女子高出身にとって、少しばかり会話に困る相手だと思う。

よくもまあ、この男の子と怜は仲良くなれたものだなぁ、と思う。病弱故に、あの子は人に偏見を持たない。その辺りは本当に凄い。

とはいえ、このまま無言で終わらせる訳にはいかない。

お願いしたい事が、あるのだ。

そして―――。

「あの、須賀君っ」

「は、はい」

「―――ごめん!」

謝りたい事が、あった。

なぜなら―――。

「え?------ちょ、ちょっと。清水谷さん、頭を上げて下さい。なんで―――」

「その-----怜と、須賀君のお話、勝手に聞いてしまったんや----」

「あ----」

お話、というのは。

あの時の―――。

 

「------」

腰を曲げて頭を垂れたまま、彼女はそのままの姿でジッと待っていた。

―――本当に、誠実な人だと思う。

隠しておけばいいのに。

別に盗み聞きなんか改めて謝る事でもないだろうに。

「あの----頭を上げて下さい」

「-------」

清水谷竜華は、ゆっくりと頭を上げる。

「その-----気にしてない、と言えば嘘になるんですけど。メチャクチャ恥ずかしいし情けないし。でも、それはまあ、結局自分の過去が還って来てるようなもんですし。だから、その、気にしないで下さい。はい」

「本当に、ごめんな----」

「ちょ、ちょっと涙目になんかならないで下さい。だ、大丈夫。大丈夫ですから」

涙まで浮かび始めた彼女の姿に慌てふためきながら彼は何とか宥める。------謝られてるのは、自分の方だというのに。何なのだこれは。

 

グスグスと鼻を鳴らしながら、彼女は―――また、真っ直ぐにこちらを見た。

「そんでな、須賀君----。一つだけ、あの話を踏まえた上で、お願いがあるんや」

「お願い、ですか-----」

「うん。------その図々しいのは、重々承知の上で」

何なのだろう。

―――実を言えば、何をお願いされるかは解らないが、何の事についてお願いされる事は、実は推測できていたりする。

「-----怜の事や」

想像は、当たっていた。この誠実さの塊みたいな人が何かをお願いするとあらば、親友のこと以外あるまい。

けれども―――この先は、全然わからない。

今の自分に、怜に何かが出来るとは思っていない。それは、ただの自惚れでしかない。

清水谷竜華は、ゆっくりと口を開く。

「-----お願いっていうのはな。ちょっとだけで、いいんや。これからも、怜とお話してあげてほしいんや」

「それは------何でですか?」

正直な所、連絡先はあるものの、病院という場所から離れたあの人とこれからも気軽に連絡してもいいものか、迷っていたりもしている。

彼女は、問いに答える。

「ウチと怜は親友や。------だからな。思う事もあるねん。ウチは、怜の重荷になってんやないかって」

「重荷-----?」

「-----ウチは、どうしても怜が麻雀をする為のモチベーションの一つや。だから、ウチの存在は、あの子を麻雀に縛り付けるモノでもある。それは、いいと思う。チームメイトからライバルになって、それがモチベーションになるのは、当たり前の事や。でもな------ウチは、麻雀に向かう怜の心の支えにはなれるかもしれん。でもな-----麻雀が心底嫌になった時、ウチはただの重荷でしかない」

「------」

「身体、本当に弱いねん。でもあの身体を酷使せな、プロの世界ではやっていけんのや。-----そういう世界に、ウチは重荷つけて、怜を逃がさんようにしてるんや。あの話を聞いた時、ウチはその事を理解できた。だからな、須賀君。もしも、もしも―――怜が、プロを辞めたいと思った時に、そっと重荷を外して、背中を押してほしいんや。それだけで、ええ」

「そんなの―――」

「出来る。須賀君なら出来る。------伊達に、全部盗み聞きした訳やないねん」

それが、彼女の“お願い”だった。

夢を諦めようとする時―――そっと、その為の支えになってくれ、という。ある意味で、何処までも残酷なお願いだ。

自分を今でも苦しめているモノは、まさしくそれなのだから。

返答は、決まっていた。

「清水谷さん。俺は------今の怜さんを、応援してあげたい」

「------」

「俺が、成れなかった姿があの人なんです。ああ成りたくて、成れなかった。だから-----もう、どうしようもなく、ファンになっちゃいました」

「------うん」

「多分、あの人は辞めたいとは思わないと思います。どれだけ苦しくても。辛くても。そういう人だから。たとえ表面上でそういう言葉を言っても、心の奥底には変わらない思いがあるんだと、感じるんです。----それすらも凌駕する程に心底逃げたいと思ったなら、その時は解らないですけど-----基本的に、自分も、麻雀に向かう気持ちを、応援したいです」

「------そっか」

清水谷竜華は、それだけを零すと、フッと寂し気に笑った。

呆れた様な、感心したような―――その笑みは、きっと自分の親友に向けれられているのだろう。

 

「清水谷さん」

「うん?」

「―――重荷なんて、言わないであげて下さい。多分、口には出さないと思いますけど、怜さんは清水谷さんの親友でもライバルでもあるんでしょうけど―――きっと、ファンだとも思うんです」

「-------」

「清水谷さんがいるから麻雀から逃れられないんじゃなくて、清水谷さんがいるから麻雀を続けているんだと思うんです。それは、重荷とは言わないと思うんです。だから、そんな風に思わないで下さい。怜さん、絶対に貴女の事大好きですから」

 

 

帰り道。

夜空を見上げ、一人歩く。

「ズルいわ、あんなの-------」

我慢の限界に達し、決壊した瞼を上に向け―――清水谷竜華は、ぼやけた月を見ていた。




ヒップホップは元々好きだったのですが、この前はじめてフリースタイルダンジョンなるものを見ました。凄く面白かった。FORKあんなにフリースタイル上手かったんだね。次も楽しみにしていたら司会が大麻で逮捕されていました。あーあ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

モテ男計画、発動

何やら現実感のない日々だった。

自転車の車輪に足を絡ませ足を折り、入院した日々の中。痛々しい感情が色々と発露する中で、彼は―――されど見て見ぬフリをしてきた過去と向き合わされる羽目になった。

夢を諦めた自分。夢を追い続ける彼女。

現実から逃げた自分。現実に立ち向かい続ける彼女。

綺麗な対比だ。

弱者と強者。人間としての心の在り様が、もう既に違っていた。

 

そう、過去の挫折を思い知らされるだけで終われれば、必死になってもう一度記憶の蓋を閉じる作業に入れるのに。

 

思い知らされたのは、そんな事じゃない。

 

夢を諦めた。挫折をした。その現実から逃げ出した。

―――それで?

その先は、何なのだ。

一度逃げ出して、それからどうした。一度逃げ出して、逃げ出したままか。

夢見た道は塞がった。そしてその道から逃げ出した。

されど、逃げ出した道は―――確かに今に繋がっているのだ。

時間は止まる事無く道を進めていく。先も後ろも無い。逃げ出したと思った道だって確かに未来に繋がっている。

 

夢を見続ける事と夢を諦める事。その二つに優劣はない。ただ違う苦しみがそこに存在して、そこから違う何かを得ただけの話なのだ。

 

逃げた。その過去は変わることが無い。

重要なのは―――逃げた道の先で、自分が何をするのかだ。

 

だから、思う。

―――自分は何をしたいのか。もう一度考えてみようかな、と―――。

ただ、そんな事を思った。

 

あの入院の日々はきっと、夢のようなものだったのだ。

自分の間違いを思い知らせる為に存在した、夢。

この夢を見させてくれた運命があるとするならば、少しばかりの感謝を捧げたい。

足を折っただけの甲斐があったものだ。

もう二度と会えないかもしれないけど。確かに自分はあの出会いに感謝している。

ただ、それだけだ

 

 

「―――おーい。京太郎。疲れたわー。はようおぶってやー」

「-------」

「京太郎?」

「------おかしいなー」

須賀京太郎は、そんな事を呟いた。

眼前に、―――確か入学式前に出会った女性雀士がいた。

キャンパスの玄関口で。

その女性は青を基調としたワンピースに、変装用の伊達丸眼鏡を装着し両手を頭の上に載せて“疲れた”とジェスチャーをしていた。

「ねえ、怜さん。------何でここにいるの?プロ雀士って暇なの?」

「入院して大会エントリーできんかったから絶賛暇人中や。―――責任取ってもらうで」

「何の?」

「知らん」

「------」

「------」

何なのだ。

この自由人っぷりは。

「あの------こんな事言いたくないんですけど。帰って下さい」

「無慈悲!」

園城寺怜は変わらず両手で頭に抱えながら、今度は嘆きのジェスチャーを行使する。

「こんな可愛い怜ちゃんが、病弱な身体を引き摺りながら、京太郎を思ってここまで来たのに-----!キャンパスに蔓延るカップルにねじ曲がった感情を手持ち無沙汰にしているだろうと-----。京太郎の鬱屈した劣等感と自己満足感を埋めてあげようと-----怜ちゃんここまでがんばったのに-----!」

「帰れ!」

入学式から、三日。

まだまだサークルの勧誘の声が喧しいキャンパスの入り口で、須賀京太郎はそう叫んだ。

「何なの!?もう正直病院での日々だけで貴女の存在はお腹いっぱいなんです!今俺、滅茶苦茶やりきった感じのモノローグを心の中で展開していたんですよ!もう会う事はないだろうって感じで!あの最後のいい感じを返せ!貴女の記憶はあの感動的な瞬間以外に蓋をさせて下さいお願いしますから!」

「残念やったな。まだまだ怜ちゃんはここにおるやでー」

不格好な丸眼鏡の奥で、心の底から楽しそうに目元を歪めていく。

彼女は須賀を弄りながらも、キャンパスをへーとかほーとか言いながら眺めている。

いや。待て。

そもそも自分は何処の大学に入学したかをこの人に伝えていなかったはずだ。

なのに、何故この女は至極当然とばかりにこの大学を引き当て、こうして自分の眼前に現れているのか。

「-----何でここに俺がいるの知っているんですか?」

「聞いたからや」

「誰に?」

「ん?―――元清澄の、のどっちにや」

「------どうやって?」

「んー?ただ聞いただけやで~。―――一人旅の開始地点で車輪に足を絡ませて骨を折った間抜けな同級生おるやろ?何処の大学にいったのか教えてや~、って」

ニコリと、彼女は笑いながらそう―――処刑宣告を行った。

恐れていた事が、現実となった。

和に、自分の黒歴史の1ページを知られた。

ショックを受け立ち尽くす京太郎の心情を知ってか知らずか―――怜はとことこと彼の近くに寄ると、隣に並び立つ。

「さあ、ここからやで京太郎」

「何がですか----。もう俺は終わりです----。和に、知られてしまった----」

「まあまあ、男は過去を振り返らないものやで?―――そら」

身体を寄せ、彼女は京太郎の手を取った。

「―――え?」

「目指せモテ街道。―――手伝うって約束したからなー。怜ちゃんも一緒に頑張るで~」

重なる指先が、やたらと軽く、柔らかかった。

羽毛のようなその柔らかさが、―――何故だか、やたらと心臓に突き刺さる様な感覚を生み出した。

「さ、―――キャンパス、案内してや」

 

 

その後。

園城寺怜と須賀京太郎は、二人でキャンパスを回って行った。

 

―――園城寺怜は何処で用意したのだろうか。野暮ったい丸眼鏡から直線フレームの眼鏡に付け替え、腰までかかるロングヘアーのカツラを装着したのでした。

先程の丸眼鏡は特徴を殺す変装であったが、今度は怜の素材をシャープに変化させる変装であった。元の素材がいいと、何をやっても似合うものだ。先程の姿よりも、はるかに注目が集まる。

------そんな女性が、自分の腕を抱きながらキャンパスを歩き回って行く。

自然と―――それは京太郎自身にも、視線が集まる事となる。

「-----怜さん」

「んー?」

「-----これが、何の特訓なんですか?」

「ふふ、よくぞ聞いてくれた!」

怜は、変わらぬ笑顔のままグッと拳を京太郎の眼前に出す。

「パッキン長身の二枚目の新入生が、入学早々早速彼女を作って腕に抱かせてキャンパスを歩き回る。これは目立つやろ。絶対に目立つやろ!」

「目立ってどうするんですか------」

「これは評判になるで~。これでアンタのこの大学での評価が、きっと悪い方向にはいかんはずや。彼女持ちだと思われるだけで、人の見る目なんて変わるものやで」

「彼女持ちだと思われたら尚更彼女なんて出来ないじゃないですか------」

「ほとぼりが冷めた頃に別れたとでも言えばええやん。最初人のものだった男がフリーになれば、何だか価値があるように見えてくるもんや。女の目がきっと変わるで。女の子と付き合えるハードルが、グッと下がるはずや」

「いや、まあ、それは確かに-----。」

一度、取り敢えず誰かが好いてくれただけの価値がこの男にある―――そう周囲の異性に思わせることが出来れば、確かにハードルは下がるかもしれない。どんな女にもモテなかった男よりかは、一度でも成功体験を味わえている男の方がよく見えるのは当たり前の話だろう。------この成功体験すら嘘だというのなら、あまりにも虚しい話だが。

しかし、それよりも更なる疑問が生まれる。

「そもそも、何でこんな事を-----」

こんな事をするだけの義理なんて、無かったはずだ。なのに何故ここまで彼女は尽してくれるのだろう。

そう疑問を呈すと―――彼女はうーん、と一つ唸った。

「何でやろうなぁ------。多分やけど、やっぱりウチ、アンタには前向きに生きてほしいんや。ただ、それだけ」

笑いかける。今度は―――少し、寂し気に。

「自信つけてほしいんや。―――大丈夫。アンタ、その辺の男なんかよりずっとカッコええし筋が通っとる。あとは自信つけるだけ。その辺は怜ちゃんが保障したる。アンタはウチの恩人や。だから、その手伝いくらいはしたる」

ドン、と―――弱々しく、拳を胸に叩きつける。

「だから暫くウチはアンタの彼女や。ガールフレンドや。よかったな。人生はじめての彼女やで~」

ニコニコと笑みながら、彼女はぐいぐいと身体を押し付け、キャンパスを歩いていく。

その表情は享楽半分といった感じであった。シチュエーションを全力で楽しんでいるのだろう。

残り半分は―――まだ、須賀京太郎には察することが出来なかったが。

 

かくして、はじまった。

―――須賀京太郎、モテ男計画。発動。




新入社員と化した丸米です。お久しぶりです。
最近変態スイス人のTwitterが私の心の癒しです。あんな風に自由に生きれたら、どれだけ楽しいのだろうなぁ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

前を向くという事

ゴールデンなウィークおーしまーい。

-------おーしまーい。


「いやぁ、楽しかった楽しかった。いい気分やわ。大学ってこんな場所だったんや」

「------それは、何より」

ケラケラと笑う園城寺怜と対照的に、須賀京太郎はげっそりと憔悴していた。

本日、彼女と過ごして理解できたことがある。

------はい。自分は何処まで行ってもチキンで小心者です。

彼女を侍らせ、突き刺さる周囲の視線に一々身体をびくつかせる、肝の小さな駄目人間でございます。

 

大学キャンパス内を案内し終わり、園城寺怜は唐突に“食堂に行ってみたい”という要望を出したと同時、返事も待たず須賀京太郎の手を引き摺り強制連行。

学食の席に着くと、勝手に抹茶パフェを頼みパクつきながら、彼女は満足気な笑顔を浮かべていた。

「大学生活、楽しそうやなー。-----ウチも、プロの誘いが無かったらここにおったんやなー」

彼女は、そうしみじみと言葉を漏らした。

ちびちびと抹茶パフェを口に運ぶ彼女は、少しだけ物憂げな表情を浮かべていた。

「------なあ、京太郎?大学生活、楽しみ?」

「ええ、まあ------」

怜の言葉に、言葉が詰まる。

何があるのか、どういう場所なのか。大学という環境がどのように自分の生活を変えていくのか。京太郎は、まだまだはっきりと掴めていないのだ。

バラ色のキャンパスライフと、あの喧しい予備校のCMでよく叫ばれている言葉だが、何処に花があるのか京太郎にはいまいち理解しかねる所があった。

「なんや、冴えん返事やな」

「そりゃあ、まあ。今の所どう楽しめばいいか解らないですし」

「------そうなん?」

こてん、と頭を横に傾げながらそう怜は尋ねた。

------ロングのカツラと眼鏡が醸す知的な雰囲気と無邪気そうな仕草のギャップが、やけに可愛らしく見えた。

そのどぎまぎを誤魔化す様に、京太郎も言葉を紡いでいく。

「だったら、怜さんだったらどうやって楽しみますか?大学」

「うん?ウチやったら?------うーん」

彼女は顎に手を置き下を俯く。何と返事を返そうか、しっかりと悩んでくれている。

暫くそうして、結論が出たのだろう。うん、と一つ頷き京太郎の目を見る。

「とにかく―――色々な人にちょっかいを出していくかなー。それを楽しみにするやろな」

「へぇ」

「だって、何をするにせよ、一人じゃつまらんやん?前までウチは竜華にべったりやったけど、折角大学に入ったのなら今度は竜華と同じくらいの親友を作りたいやん」

まあ結局大学にはいかんかったけどさ、と彼女は呟きつつも、言葉を紡ぐ。

「なあ、京太郎。必要なのは一つ踏み出す事や。そんでもって、自分の心の声をしっかりと聞く事。その二つをしっかりと守って、大学生活を送ってみ?」

「心の声----ですか?」

「せや。―――もう、自分の事を誤魔化すの、嫌やろ?」

「-------」

 

ぐさり、と来た。

 

―――そうだ。自分は、色々な自分の感情を、心の声を、見て見ぬフリをし続けて今があるんだから。

「今ここには、アンタ一人や。高校時代の友達もチームメイトもここにいない。しがらみも過去も、ここにはあらへん。―――それら全部飲みこんで、開かれた新しい場所がそこにある」

真っ直ぐに、怜は京太郎を見ていた。

偽りの無い言葉を今吐いているぞ、とこちらに伝えているように。

「こんだけアホみたいに人がいるんや。きっと何かがあるはずや。それは本気で好きになれる人かもしれん。心の底から尊敬できる人間かもしれん。人じゃなくても、新しく見つけた目的かもしれん。将来の絵図かもしれん。―――折角、こんな素敵な場所があるんや。全部探索し尽さんと、勿体ないやん」

表情は笑んだまま。楽し気に、輝くような元気さで。

彼女は京太郎に嘘の無い言葉を。

------だから、京太郎も聞きたくなった。

「------怜さんは、プロの世界で何か見つかりました?」

聞きたい。

この人が命すらも削りながら生きているプロの世界。

そこで何を見つけたのか。

「見つかったで。―――ちょっと言葉にするには難しいけど、凄く素敵なものや。この前やなぁ。ようやく見つかったねん」

朗らかな笑顔。

―――と、その奥にある力強い意思。

その二つが自然に調和した彼女は、とても―――綺麗に、見えた。

「だから、何度でも言うで―――ありがとう、京太郎。本当に感謝しとるんやで?そうは見えんかもしれんけど」

「いえ―――ちゃんと、伝わってます」

「うん。ならよし。―――なあ、京太郎」

「はい」

「―――大学生活、楽しむんやで。彼女作るもよし、何処かで仲間を作って馬鹿をするもよし。何だってええねん。大丈夫や。京太郎になら出来る」

「-----」

思えば。

ここまで一人の女性に、自分の存在を肯定された事はなかったかもしれない。

ハンドボールという心の拠り所を失った自分は、知らず知らずの内に“前向きさ”までも無くしていたのかもしれない。

後ろ向きな自分。それをどうにかしようともがいて。

 

―――今、ようやく理解できた。

この人は、そんな自分の現状を理解して、一つの支えを作ろうとしているのだ。

 

後ろよりも、前へとその足を進められるように。

------きっと恥ずかしいだろうに。

ノリがよさそうに見えて、きっと恥ずかしいはずだろうに。彼女のフリをするのも、偽りの無い本心を伝える事も。

 

けれど―――そうしてでも、彼女は京太郎に自分自身の価値を思い知らせようとしているのだろう。

 

故に、思い知る。

そんな事を今更に気付いてしまう自分の思慮の浅さを。

 

「ほら、またそんな顔をする」

怜は、ペシっと京太郎の額にチョップを叩きこむ。

申し訳なさげに表情を沈めた変化に、目敏く気付いたのだろう。

「言ったやろ。京太郎。―――アンタが歩んできた道は、何も恥ずべきものじゃないんや」

「------」

「一番辛くて苦しい思いを知っているアンタの言葉は、きっと他の人が持っていない力があるはずやで。それで救われる人も、この先いくらでもいるはずや。救われたウチが保障してやる」

「-----何だか、さっきから保障してばかりですね」

「おう。何ならウチが全部保障してやる。―――だから、前を向け色男」

グッと拳を作り、京太郎の胸板にぐりぐりと押し込む。

前を向け。

後ろ向きだった過去を受け入れたのならば。

―――そういう、メッセージ。

言葉でなく、彼女の姿を通して―――伝わった気がした。

「―――いい顔をしてるやん。よかったよかった。これで、怜ちゃんの京太郎モテ男計画は一先ず終了や。予想以上に短かったなー」

ケラケラと笑って、彼女はそう言い切った。

「ウチは、その顔が見たかったんや」

 

 

「―――おお、もしもし。竜華やん。電話で話するのも久しぶりやな。どうした?」

「あ、怜。いや、大会出てないから暇やろなーって思って。今何をしてる?」

大学でひとしきり遊んだあと、怜は夜の帰り道を歩いている時、電話が鳴り響いた。

その相手は、清水谷竜華。

心配性な親友は、度々こうして電話を入れる事がある。今日もまた、そういう日だった。

「今久しぶりに出掛けててな。その帰り道や」

「へー。買い物?」

「うんにゃ。京太郎に会ってた」

「え。京太郎って―――須賀君に?」

「うん。入院中には色々と世話になったしなー。大学にまで突貫して、」

「え、え~!何で!というか、京太郎って-----!」

「------?どうしたんや、竜華?」

少し、親友の様子がおかしい。

明らかに狼狽している様子が、携帯越しにも伝わってくる。

明らかに、京太郎の話題が昇ってからだ。

ほほう、と怜は頷く。

「―――なあ、竜華?」

「な、なんや」

「------京太郎」

ボソリと呟く様な声で、そう呟いてみる。

「う----」

竜華は言葉が詰まっているようだ。

何だか面白くなって、もう一度声音を変えて言ってみよう。そうだな、今度は―――。

「京太郎♥」

「うわああああああああああああ!」

まるで恋人に囁きかけるように、今度は言葉を発してみる。

竜華はそれはそれは面白いような反応を返す。狼狽を通り越して、電気ショックでも与えられたかのようにけたたましい叫びをあげていた。

「はいごちそうさま。―――おやすみなー、竜華」

「え、ちょっと待って怜。どういう―――」

通話を無理矢理に断ち切る。

これでいい。

もう一度かかってきたら、今度こそ本気で追求すればいい。ここで終わっても、後日ネタにして弄ってやればいい。あの天然性の親友は、本当に弄り甲斐がある。止められない。

「------ほら見た事か。アンタ、しっかりモテとるやん」

呆れたように、されど楽しそうに―――園城寺怜はそう呟いた。

「これからも―――楽しくなりそうや」

半分の月が頭上に上っている。

雲に陰る事無く、満点の如き輝きを発しながら。

綺麗やな、と一つ呟き―――彼女は帰路を後にした。




fallout4買いました。
------実家に呼び出され、雑用させられ、出来なかった。畜生------。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

欲深い竜

経理部で現在お仕事しております。比較的ホワイトだけど、小説の投稿は平日だとこの時間になってしまいますねー。申し訳ない。


清水谷竜華は色々と複雑な女性だ。

 

「うー----」

対局を終え、帰宅したのは午後十時。

彼女は家に着くや否や、着替える事も無くぱたりとベッドにその身体を沈み込ませた。

 

―――彼女は、現在お悩み中である。

家に帰るや否や自らの身体を仰向けにベッドに倒す位には。

「どないなってんかなぁ-----」

悩みの渦中には、一人の親友。そして―――つい最近出会った男の子。

「はぁぁぁ」

彼女の心に楔を打ち込んだ言葉を吐いた金髪の男の子。

彼を思い返した際に巻き起こる感情を仮に“恋”だと仮定するならば、まあ随分と安っぽい―――というよりチョロイ―――初恋という事になるが。

 

この女に関して言えば、そんな単純な話では終わらない。

この女の悩みは、恋煩いという訳ではない。

 

それは―――。

 

「------解らん!全然解らんわ!」

彼女は枕元で叫ぶ。

「------須賀君と怜。仲良さそうなのに、全然嫌な気にならへん----」

叫ぶと同時、そんな言葉すらポツリと零れた。

 

―――清水谷竜華と園城寺怜。

二人は親友だ。

最早親友という言葉すら安っぽく感じる程に、彼女等はずっと二人だった。

 

辛酸も甘味も、常に分けあって来た存在であり、青春の代名詞。

そんな親友が―――今、自分が恋(仮)をしている男と仲睦まじくしているらしい。―――京太郎、なんて名前を呼んでいるくらいには。

 

最初聞いた時は戸惑ったし、驚いた。

 

自分の初恋(仮)がここで終わってしまうのではないかと。

その後に陥る感情はどんなものだろう?

少女漫画チックな、愛憎の輪廻であろうか?それとも切なさであろうか?それともすっぱりと割り切れる心境であろうか?

 

どれでもなかった。

 

不思議なもので―――園城寺怜に対する心持ちは、一切の変化を起こす事無く、そのままであった。

 

そのあまりにも小波すらも起こらない心境の最中に、波紋を一つ投げかけてみる。

―――もし、怜と須賀君がくっ付いたらどうだろう?

これもまた少女漫画らしい波紋の投げ方だろう。

嫌な気になるだろうか?

 

「-------」

 

結論から言えば、ならなかった。

一切。

 

「-------」

 

ここまで来ると、少し自分の心に深く問いかけてみる事にした。

そもそも恋とは何だ?

恋をすれば何をしたい?

距離を縮めたいなぁ。何ならスキンシップでも取れれば飛び上がる位嬉しいかもしれないなぁ。同じ話題で盛り上がったり、一緒に映画を見に行くことが出来たら嬉しいなぁ。

そして、気付いた。

―――このラインナップの中に、“独占したい”という思いは一切存在しないという事。

 

結局の所、同じなのだ。

園城寺怜。彼女は自分の前で笑っていてほしい。されど、別の人の前で笑っている怜の姿も同じくらい好きなのだ。

それと、同じ。

自分が好きになった(仮)男の子には、笑って欲しいと思う。自分と仲睦まじくしてくれることを願っている。されど―――その笑顔が例え怜に向けられていたとしても、何も不快感は無い。

 

また一つ、彼女は思う。

「-----ウチって、チョロイだけやなくて、都合のいい女だったりするんか?」

愕然とした。

 

チョロイ。都合のいい女。―――最早最悪とも言える組み合わせではないか。駄目人間製造機。浮気型彼氏吸引機。昼ドラで散々な目にあって来た連中ではないか。

 

「嘘や―――――――――!!」

彼女は自らの聡明な頭が弾き出した結論に、思わず壁に枕を投げつけた。

 

 

 

-------実の所。この彼女自身が出した結論すら、実際はかなりズレている。

彼女は、恐らく誰よりも欲深い。

 

それが理解できるのは―――恐らくは、すぐ近く。

 

 

須賀京太郎はある種の恐怖の中にいた。

今自分の眼前に立つ何者かは、誰なのか―――。

 

とある平日の事だ。

眼前に、不審者がいる。

キャンパスの中庭を歩いている最中の事。

黒マスクに目元を隠す長鍔帽。全身を覆う橙のコートとフード。

最早性別すらも解らぬその不審者オブザ不審者が、背後より自分の肩を叩き、無言のままこちらを見据えている。

 

「えっと-----」

「-------」

「あの-----何か用ですか?」

「-------」

不審者、ブンブンと首を縦に振る。

それから、クイクイと手首を返す仕草。―――こちらに来いというジェスチャーだろうか。

 

誰が来るか。

 

「いや、名乗ってもらわないと流石に」

顔も隠す。声も出さない。

さすがにこの状況の中でついていくなんて、子供だって出来やしないだろう。

そう言葉を発すると―――。

不審者は―――あからさまに肩を落とし、震わせ、そのまま腰を折り曲げ一礼した。

 

「-------」

「-------」

無言の対峙が、暫し続く。

須賀京太郎は―――こう結論付けた。

恐らく、大学で出来た、どちらかといえば馬鹿寄りの友達が、何事かをしかけているのではないか、と。

 

なので―――無言のまま近付き、取り敢えずマスクを咄嗟に取り、帽子をずらす。

「あ」

「へ?」

そうして現れたのは―――。

「------ひ、久しぶりやなぁ------。す、須賀君------」

清水谷竜華プロ、その人だった―――。

 

「-------」

「-------」

無言の時間が流れる。

彼女が涙目のまま両手を差し出し、マスクを返してくれと無言の注文を発していた。

 

「------取り敢えず、人目が付かない所にいきましょうか-----」

「うん-----」

マスクを手に取った瞬間に素早くマスクをつける、清水谷竜華。信じられるか、往来の皆さん。これ、あの清水谷竜華なんですよ。女優顔負けの美人でモデル顔負けのプロポーションを持つ、プロ雀士ですよ。

これが―――。

「------」

この、ポンコツぶりである。

人生、何があるかわからないものだなぁ、なんて―――益体の無い事を思ったのでした。

 

 

「ごめんな-----。ごめんな------」

「いや、いいんです----。わざわざ会いに来てくれてありがとうございます」

大学近くの寂びれた喫茶店の中。

彼女は俯いたまま、繰り返し謝罪の言葉を述べていた。

 

経緯はこうだ。

 

彼女はとにもかくにも色々と自覚の無い人だ。自分がどれだけ目立つ人間であるかとか、どれだけの有名人かとか―――そう言った自分にかかる目線に全く無頓着なのだ。

幸か不幸か、彼女はこれまで一切の変装をすることなく日常を送って来た。人通りが多すぎると群衆に紛れて気が付かないし、人通りが少ない場所なら気付かれても大騒ぎにならない。彼女はサインを求める声があらば心の底からの笑顔を浮かべて対応する人間でもある。サインがうっとうしくて変装をする、という人間でも無かった。

 

だが、大学近辺に来たとき、はじめて騒ぎになりかけた。

ただでさえ大学では美人は目立つというのに、更にプロ雀士の名まで引っ提げ現れたとならば騒ぎになるのも致し方ない。

 

パニックになった彼女がとった行動が―――。

 

咄嗟に入った店で長帽子とマスクを買い、その後男物の長コートを買い、そしてここまで来たという。

「それで―――」

「うん?」

「何か俺に用があるんですか?」

「------」

「------?」

彼女は無言のまま、指をちょんちょんと突き合わせる。

「そ、その-----」

「はい---」

「用は------無いんや」

「へ?」

彼女は顔を真っ赤にしながら、言葉を紡いでいく。

「その----要件を聞かれるのは解っていたんやけど----何も思いつかんで-------。た、単に-----その-----須賀君に、会いたくなったというか-----その-----」

「------」

世の人は、言うだろう。

この一連のやりとりを“あざとい”と。

 

だが違う。

対面して解る。

 

―――この人、これを天然のままやってる。

 

少し、自意識がひび割れそうなくらい―――その愛らしさにクラクラしてきた。

凄まじい破壊力の塊が、眼前にいる。

 

―――これから、どうなるのだろう?




五等分の花嫁、面白い。単行本買おうかなー。私は三玖ちゃん派。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

竜の願い①

あんまり話自体が進まないっす。すみません-----。


何も用が無くただただ自分と会いたいから衝動的に大学までやって来た美女が眼前にいるという事実に、須賀京太郎は様々な意味で頭を抱えていた。

どうしろと?

どう解釈しろと?

解釈なぞ不可能だ。

これを色恋だと解釈できるほどの自信は持っていない。だからといってこの人の思考回路は今の所意味不明すぎて理解できない。こんな状況の中で、正しい解釈を瞬時に導き出せる人間がいるのならば、きっと眼前の彼女と同類の人間に違いない。

 

とはいえ。自分のタイプどストライクな女性にそんな事を言われて嬉しくない訳もない。

「------えっと、迷惑かけてごめんな。用もないのにいきなり大学に押し掛けるなんて。非常識やったわ。本当に、何をやっとるんやろ------」

今更になって、自分の行動を客観視出来たのであろうか。喫茶店の中、彼女は机に肘をかけ両手で顔を覆い隠していた。

「いえ!迷惑なんてとんでもない!」

唐突過ぎて困惑はしているものの、この状況を喜ばない男なんていないだろう。恥ずかしがるのはまあ仕方が無いにせよ、迷惑をかけているなんて誤解は取り除かねばなるまい。

「ホンマ?-------よかったぁ」

その言葉に少しは落ち着いたのか、眼前のレモンティーのストローに口をつける。------何だか、あんな事をされるとちゅうちゅうと茶を啜るその仕草すらあざとく思えてしまう。

さて、と少々考える。

―――これからどうしようか。

このまま喫茶店で暫くのんべんだらりと過ごし、暫く時間を潰して、じゃあバイバイはあまりにもそっけなさすぎる。わざわざ自分に会いに来てくれたのだ。理由は解らないけれども、何らかの好意を持って大学まで来てくれたのだ。これでさっさと返すのは流石に男が廃る。何かしてあげたい、とは思う。

ならばどうしようか、と考える。

二つ上のお姉さん。それでいてプロ雀士。年齢も違えば住んでいる世界すら違う。こんな人が何処に行きたいかなんて解らない訳で。

こういう時は―――。

「あの、清水谷さん」

「ん?」

「この後、何処かに行きませんか?-----その、清水谷さんが行きたい所でいいので」

素直に聞くに限ると思うのです。

恋愛経験ゼロの童貞野郎には、この程度の言葉を吐き出すにも臓腑の底を吐き出す覚悟で言わなければならないのです。相手の願望を聞く事くらい許してほしい。誰に許しを乞うているのか解らんけど。

「え?ええの?」

彼女は困惑したようにえ、え、とブンブンと周囲を見回している。実に不思議な反応だったが、混乱しているようだ。

「あ、その迷惑だったら勿論いいんですよ」

「迷惑だなんてとんでもあらへん!行く、行くわ!」

彼女は腹をすかせた子犬の如く、京太郎の言葉に喰いついた。レスポンスの速さにこちらが面食らう程に、彼女は真剣な様相であった。

「だったら、何処に行きますか?」

「せやなぁ-----あ、だったら」

彼女は満面の笑みを浮かべて、その要望を言った。

 

 

「------ごめんな」

「いえ-----」

彼女の要望。それは―――。

「知らんかったんや。ネズミ―が東京やなくて千葉にあるなんて------」

「まあ、仕方ないですよねぇ」

何度も思うけれど千葉にあるにも関わらず東京の名を冠する矛盾をどう説明するのであろうか。千葉の人間はこの事をどう思っているのだろうか。------案外、どうでもいいと思っているのかもしれないなぁ。

 

二人は喫茶店から出ると、近くの地下鉄を経由し、直行バスで夢の国までやってきたのであった。

彼女の可愛らしい要望はネズミいっぱいの例の夢の国へ行きたいという事であった。

東京と名を冠しているのだから、当然ながら東京にあるだろう。そんな思いから発せられた言葉であったのだろう。

 

残念。千葉にあるのですよ。

 

とはいえ、小一時間程度で着く程度だから、別段遠くも無いのだが。

しかし、ここまで時間を取って遠くまで案内させてしまった事を、清水谷さんは存外に気にしているようである。

―――別に、気にする事はないのに。

「それじゃあ、入場しましょうか。折角来たんですから」

「------うん」

彼女はすぐに気を取り直し、眼前の夢の入場門を見上げた。

------余程楽しみにしていたのだろうか。

「えい」

「え?」

清水谷さんは、まるで我が子の手を取る様な自然さで、京太郎の手を取った。

「―――須賀君は、ここに来るのははじめて?」

「え、あ、はい」

あまりの出来事に思考が纏まらない中、彼は凹凸の無い声でそう答えた。

「―――やったら、はぐれんようにせんとなぁ。な?」

先程までの申し訳なさそうな風情は何処へやら。彼女は興奮混じりの笑顔でぐいぐいとこちらを引っ張って行く。

「げ、元気になりましたね」

「割り切ったんや。須賀君に迷惑をかけた分、きっちりその分楽しませなアカンて。―――だから、須賀君。しっかり楽しもうや」

そう言って、彼女はぐいぐいと引っ張って行く。何というか、散歩大好きな犬がリードを引っ張り上げて先を行くような、そんな様相で。

------成程なぁ、と思う。

大人っぽく見えて実は子供のような人なんだ。この人は。

―――そりゃあ、怜さんとは相性がいいはずだ。

あの人は、子供のようにみえて大人な側面が強い人だ。

互いが互い、表裏が反対というか。お互いがお互い、欠けたパズル同士と言うか。

「あ、グッズ屋や。場所覚えとこうな。怜に土産を買って帰らんと」

夢の国ではしゃぎまわる彼女の姿は、怜という人間を通すと、余計に魅力的に思えてしまった。

何だか、不思議な気分だった。

 

 

その後。

まるで垂直落下するコースターの如き時間が過ぎていった。

グッズ屋でネズミ耳カチューシャをノリで買ってきた彼女は、自分だけで飽き足らず京太郎の分まで手に取って来た。上目遣いで着けてくれと頼む彼女の意向を拒めるわけもなく、彼は泣く泣くカチューシャをつける事に。

一つのアトラクションを味わう毎に、彼女はその一つ一つに新鮮な反応を示し、はしゃぎ倒す。味わい尽くした後に、また京太郎の手を取りぐいぐいと引っ張って行く。

------何度も言うが、この人プロ雀士である。

テレビ越しにはまるで射殺さんばかりに牌を見つめる姿しか見えないこの人の自然な姿は、京太郎の眼からしてもとても新鮮な姿に見えた。

「あー、楽しかった!ちょっと休憩しようか、須賀君」

「はい----」

しかし、この貪欲さはまさしくプロ雀士と言った所か。

目に付くアトラクションと言うアトラクションを次々と踏破していった彼女は、まるでふと思い出したかのように、休憩という言葉を吐き出した。

近場の喫茶店の中に、二人して入る。

 

------ちなみにこの人は、現在特徴的な長髪を纏め上げ三つ編みにし、その眼には伊達のボストン眼鏡をつけている。髪型と目元を変えるだけでも、十分な変装になるという京太郎のアドバイスのもと、そのようにしたのであった。

 

とはいえ、美人と言う事実には何も変わらない訳で。

嫌でも周囲からの視線は集まってしまう。

 

一度そういう、他者からの視線が入ると、どうやら一度冷静な思考力が戻るようで。

 

「あ、あ~~~~」

 

自分がノリノリで疾風怒濤の時間を通りすぎていった事実に、彼女は頭を抱えていた。

二十歳も越えた女がノリノリでネズミ耳カチューシャを身につけているという事実。それが自分だという事実。そんな現実に打ちのめされているのだ。

もう二回目ともなれば慣れたもの。京太郎は茶を啜りながらゆっくりと自分のカチューシャを外そうとして―――

「-------」

テーブル越しに、その手を掴まれる。

「-----あの」

「ウチを一人で恥かかせんといて-----」

「外せばいいじゃないですか------」

「やだ」

いや。やだ、ってなんすか。やだ、って。

「何故ですか?」

「だって、ここで外したら負けた気がするんや----」

「俺は全くそんな気しませんが----」

「ウチがするんや!だから、須賀君もそのままや!」

無茶苦茶な理論を叩きつけると、彼女も周囲の視線に縮こまる様に下を俯き茶を啜っていた。

------これ、どうなるのだろう?




初恋ゾンビをネカフェで読みました。本当に面白かった。単行本買おうかなぁ。リリス君(ちゃん)本当にかわいい。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

竜の願い②

こっちを更新。今回はシリアスオブシリアス。


熱い人生を、送りたかった。

いや、人生じゃなくたっていいんだ。

青春でよかった。

 

地下熱源から溢れ出るマグマのような情熱で、青春という炉を満たして、その熱を使った何かをカタチにしたかったんだ。

熱い気持ちを何か一つにぶつけて。

そんなものが一つ、あればよかった。

 

でも。

情熱は冷めて、炉は壊れた。

何もカタチに出来ず、青春は終わった。

 

これからもう、来ないのだろう。

何か一つのものに賭ける事なんて。

大人になったんだ。

 

大人になる事は、情熱を無くすこととイコールではない。

大人になっても、冷めない情熱を持っている人なんてごまんといる。

 

そうじゃない。

大人になる事は、――自覚的になる事なんだ。

自分の中に情熱があるのか。ないのか。

自覚無き熱源から、覚悟を込めた情熱に転嫁した炎を燃やす。

そんな人がいる一方で、

――情熱なんてもう心の中に存在しない事に、ふと気づく瞬間。

その瞬間に――もう絶望する事もない自分を知る事が出来た時。

そんな時も、きっと大人になる事であるのだろう。

 

そんな大人になりたくなかったのに。

そんな大人になるなんて、想像だってしなかったのに。

 

冷めない情熱を滾らせる仲間の中を、どこか冷めていた自分を思い知った。

そんな仲間たちに――何処か、羨望と、自分への失望と、嫉妬を覚えていた自分が心の中にいた事を。

 

大人になって、ふと自覚できた。

あの時、言葉に出来なかったモヤモヤの正体。

それが自ら判明し、自覚した時、大人になった。

 

そんな、大人になりました。

そんな。

-------成りたくもない大人に、なりました。

 

だから。

もう一度。

------もう一度だけ。

 

欲しい。

熱源となりうる居場所が。

情熱を着火できる火種が。

その為だったら。

――きっと、もう一度一生懸命に、生きる事が出来るような気がする。

 

 

「-----清水谷さん。起きて下さい」

「-----ん?」

ガタン、ゴトン。

揺れる空間と一定間隔で鳴り響く硬い音の中――彼女はぼやけた視界の中で目を覚ました。

「もう着きますよ」

「----おお、そういえば、そうやったな」

そうだった。

自分は――このチャラそうな大学生と夢の国へと行っていたんだ。

 

「そっかぁ-----」

彼女は一つ、伸びをする。

そして、顔を綻ばせる。

こんな風に羽を伸ばせたのもいつぶりだろうか。

なんと幸せな一日だろう。

自分の欲望のまま贅沢に時間を使い切った――その事実から生み出された充足感に、少し一服茶でも飲みたい気分だ。

 

機械的なアナウンスが、駅の到着を告げる。

「降りましょうか」

青年が、そう言った。

また、もっと、顔が綻んだ。

 

――アカンなぁ。

 

こんな何気ないやり取りの中だけでも、心の中がふわりと軽くなる。

きっと、こんな顔で怜ともやり取りをしているんだろう。

それが、嬉しくて仕方がない。

 

「――なあ、須賀君。どうせやったら、もうちょっとだけ」

一緒におらん、と。

彼女は到着のアナウンスの間隙を突いて、そう言った。

 

彼女は一つだけ覚悟した。

伝えなければならない事が、ある。

 

――例えそれが、彼を苦しめる事であったとしても。

 

 

「気持ちいい風やなぁ」

彼女はそう嘯いて、公園をくるくると身を翻しながら歩いていた。

「なあ須賀君」

「はい。------とても」

一日、彼女といて――須賀京太郎も、少しはこの状況に慣れて来た。

「この時間になると、めっきり人もおらんくなるんやなぁ。大阪なんか、夜になっても飲んだくれのおじさんたちが騒いでいるのに」

「この辺りは飲み屋街がありませんからねぇ」

「まあええわ。何だかウチも凄く気分がええ。――あー、気持ちいい」

彼女は酒に浮かれているかのような右往左往としたステップで公園を歩き回っていた。

そして、

「なあ須賀君」

「何ですか?」

彼女は、問いかけた。

 

「須賀君は――怜の事、好きなん?」

 

まるで通り魔だ。

自分の想定外の死角から、突如として突きたてられた、鋭い言の刃。

 

「えっと-----」

清水谷竜華の意図が掴めず、須賀京太郎は答えに窮した。

「ウチは好きやで。――本当に、大好きや」

「-----でしょうね」

「うん。――なぁ、須賀君」

「はい」

「断言するわ。――このまま、怜がプロで戦い続けてしまえば」

彼女は、ここで言葉を切る。

勢いに任せ、吐き出そうとした言葉。だがそれは――激流のような感情と共に、喉奥に詰まったのだろう。

 

聞きたくはない。

何となく、予想はついている。

 

でも――きっと誠実な彼女は、言葉にしてしまうのだろう。

「------先は、長くない」

 

 

その言葉に、驚きはなかった。

されど――じくじくと燻る絶望だけが、そこにある。

 

「それを言った上で、聞くわ。――須賀京太郎君。君は、怜の事が好き?」

「-----それは、どういう意味ですか」

「-----どういう意味なんやろうなぁ」

彼女は、一つ首を横に振った。

「――なあ。好きな人が好きな事をする為に無茶をしようとしている時に、止めるのが道理なんかな?それとも――背中を押してやるのが、道理なんやろうか?」

「------」

「ウチは、解らん。どうすればええのか。――どっちつかずや」

彼女は空を向く。

輝く臥し待ち月が、そこにあった。

「今日。須賀君とあちこち遊んで。一緒に過ごして。楽しかった。重圧の中で必死に戦う事から解放された時間って、こんな幸せなんか、って思った。穏やかだけど、楽しくて、誰かが隣にいて。――そんな日常がこの世にはあるんや。普遍的やけど、確かに存在する幸せのカタチや」

「----はい。俺も、楽しかったです」

「こんな幸せを――親友に、感じて欲しいって思うのは、やっぱり間違いなんかな?」

「そんなの、」

間違いであるはずがない。

「――でもな。解ってるんや。怜はそういう幸せに逃がしてしまったら、ずっと苦しみを負わせる事になるんやって。そういう普通の幸せにある中で――でも、ずっと、後悔を抱え続けて生きて行くんやろうな、って。大好きなものを諦めて、妥協して、そこに納めてしまった。本人が納得して、ケリを付けた上ならばいい。でも――そんな心境は、きっと棺桶の中に入るまでずっと持つ事はないんやろうな、って」

親友が大好き。

だから、無茶をして欲しくない。

だから、背中を押してあげたい。

 

きっと、この二つの中に――正解も不正解も無い。

 

「なあ、須賀君。須賀君は前、怜には頑張ってほしい、って言ってたやん?」

「-----はい」

「それは――その先に、本当の本当に、文字通りに、命を削っているとしても?」

「--------」

 

――ああ。

自分の心境と、彼女の心境。

ストン、と腑に落ちた。

 

そして。

自分は何と――自己中心的で、残酷な男であるかという事も。

 

「すみません、清水谷さん-----」

須賀京太郎は――

「俺は――それでも、あの人には――」

麻雀を、やり続けてほしい。

 

だって。

自分が失ったものを、あの人が持っているから。

肩の故障だけで冷え切った自分の情熱を抱えたまま――命ごと燃やし続けているその姿を。

 

そんなものを持っているあの人に、ずっと、ずっと。

 

――須賀京太郎は――。

 

「------そっか」

清水谷竜華は、うん、と一つ頷いた。

「――なぁ須賀君。前は、麻雀を辞めようとしたときに背中押してくれ、って言ったやん」

「はい」

「今度は、逆。――怜がどうしようもない苦しい時に、何もしなくていいから、ただ側にいてあげてほしいんや」

 

命を削って戦い続ける、園城寺怜という少女。

そんな、一人の女の子に、

「私に今あげた幸せを――ちょっとだけ、分けてあげて」

 

情熱の外にある幸せを、少しでも与えてほしい。

そんな願いを、彼女は言っていた。

 

欠けた月に雲が流れる。

ふっ、と隠れ――また現れる。

 

――その後、須賀京太郎は清水谷竜華と別れ、一人自宅に戻った。

 

何故だか、その夜は涙が止まらなかった。

 




ケムリクサというアニメを友達がやたら推してくる。見ようかなー。漫画は何でも読むけどアニメはあんまり見ない人間なのです。

しかし、予想以上にやべー世界観だったんすね咲ワールド。この先、両親共に母親とか父親なキャラとか出てくるのだろうか。何だか凄く胸が熱くなります。割と本気で楽しみ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

アラサー編
アラサー、始動


アラサーを迎えたアナウンサーが京ちゃんをひっさらう話を読みたいとリクエスト部屋にありましたので、そういった話を。ただ、ここでは京ちゃんもアラサーです。登場人物みーんなアラサーです。うわはははは。
ちょっとこの章では、
・登場人物のアラサー化。それによるキャラの変化。
・某掲示板ネタの多用。

を注意事項として書いておきます。苦手な方は申し訳が無い。


 魔王世代の既婚者を纏めるスレ

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

ほな、はじめるで。ついでやけど、二つ上の世代までまとめるわ。サービスやで。

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

奇跡の美人揃いやしなぁ。きっと皆イケメン揃えとるんやろうなぁ。

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

おーい、はようまとめんか―い。

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

楽しみやなぁ。

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

立て主寝たんか?

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

まだかね?待ちわびているんやが。

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

なお。

 

なお。

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

今年で魔王世代何歳になるんやッけ?

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

↑27か8

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

↑駄目みたいっすね------。

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

SKYN 「まだ」

HYRN 「甘い」

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

↑おお、もう------。

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

やめて差し上げろ。

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

実際、何でこんな事になってるんや?そもそも女雀士は結婚しにくい職業なんやろうけど、それでもちょっと異常やろ。

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

あのあたりの女子プロの世代って滅茶苦茶仲がいいからじゃね?男作らんでもいい意味で人生楽しめてるんやろ。

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

とよねーちゃんなんか、高校時代のチームメイトと今でもシェアハウスしているらしいし、まあそういう世代なんやろ。外野がとやかく言う事やないわな。

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

誰が最初の裏切者になるのかチキンレースみたいになっていて草生える。

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

ちなみに、

魔王世代及びその二つ上の世代のアナウンサー勢も全員未婚らしい。

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

↑嘘かと思って調べたらホンマやん!

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

あー----竹井アナも新子アナもそういや未婚か。

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

加治木実況員もか。

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

世界に通用する雀士が生まれると、その世代付近の雀士全員結婚できなくなる呪いが実在する説。

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

すこやんの世代も-------。

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

↑うん-----。

 

 

―――ゆみっち、プライベートの間くらいアナの口調じゃなくていいんだぞー。ワハハー。

え、と思った。

自分はプライベートでもあの口調をしていたのかと―――。

 

思い返せば、様々な事があったように思える。

麻雀の実況をやりたいという目標を立て、放送局に入社した。ラジオ番組から下積みを重ね三年。それからテレビ放送での実況をする事かれこれ今まで。アクの強い解説員が配置される度に隣に座らされ、頭を抱えながら実況する姿に近年地味に人気が高まり、今や加治木アナというよりも加治木実況員とネットで呼ばれるようになっていったのであった。

口下手が過ぎる時には常々フォローを入れながら。感覚的過ぎて理解しにくい時にはしっかりと言葉を言い換えながら。そもそも解説そっちのけで居酒屋語りする時にはツッコミを入れて軌道修正しながら。彼女はとかく真面目な一本気気質な女性であり、更に言えば気配りも出来て肝も座っているときている。それ故局からも“面倒な解説員は加治木アナに押し付けちゃえ”という謎の風潮が出来上がり、テレビ放送の実況として呼ばれてからずっと一貫して奇人変人の介護役という役割を担わされていたのである。

 

そんな事をずっとやってきて、早十年近く。

もう三十路の壁を超えた彼女はふと振り返って見た。

仕事は楽しかった。忙しかったけれども、自分がやりたい事を今できている。それ以上の喜びはないだろう。

そして、また思う。

自分は仕事以外に何をしてきたのか―――。

 

「-------」

彼女は局が用意してくれた1LDKマンションを今でも使用している。

一人で住むには十分すぎる部屋であるし、何よりも局が家賃負担7割をしてくれるのだ。出ていく理由が無く、彼女はずっとマンションに住み続けていた。

今や人気の実況員。彼女はプライベートの時間も、可能な限り麻雀の研究に費やした。プロ、アマ問わず、いつどのような仕事が回されてもしっかりと対処できるように。その結果として、時々友人と会う時以外に、プライベートというものはあまり無かった。

 

「-----しかし、なぁ」

仕事に打ち込み続け、邁進し続け、気が付けばもう三十路を超えた。

両親からも、それとなく見合いの誘いが来るようになり、局の後輩もぽつりぽつりと結婚する様になっていった。

今このタイミングを逃せばきっともういい出会いは無いのだろうと思う。結婚したくないと思っている訳ではない。

だが、今自分は仕事をしていたい。楽しくて楽しくて仕方がないこの仕事を、逃したくない。

どちらかを選べ、と後者を選び続け今の自分がある。

ならば、いつか自分でしっかりと前者を選ばねばならない時が、きっと来るのだと思う。

いつになるのかは、知らないが。

されどそろそろ決断せねば、取り返しがつかなくなるであろうが。

「------出会いが、そもそも、なぁ-----」

ない袖は振れぬ。

出会いもないのに結婚なんざ無理に決まっている。

出会いの場はテレビ局にしかないが、局の男共の彼女の評価はもうマシーンで固まっている。仕事を適正に終わらせる機械のようなものだ。

周囲にも自分にも妥協を許さず徹底した真面目さを持つ彼女は、同性には一種の憧れを、異性には恐怖を、与え続けてきたのだから。

―――まあ、今の所どうにもならんな。

見合いなんて真っ平御免だ。どんな男も判別がつかない猫かぶり共の相手なんざしている余裕なんて今はない。

そう思考を切り替え、今日も今日とて、彼女は送られた牌譜を眺めていた。

 

 

【悲報】須賀プロ、戦力外。

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

20XX年11月16日、男子プロ麻雀リーグの東京ジャイガンズは須賀京太郎(28)に自由契約とする旨を伝えた。

須賀京太郎プロは高校生ドラフト七位で清澄高校から入団。下位入団ながら三年目でチームの次鋒の位置を勝ち取り安定した成績を残していたものの、近年は打ち筋が見破られ攻略されるようになり、調子を落としていた。

須賀選手は「戦力外通告は一言でいえば納得。ジャイガンズは常に勝利を求めるチームですし、中堅になろうとしている大事な時期に調子を落として迷惑をかけたのだから(戦力外は)仕方がない。今後は引退も含めて、身の振り方をしっかり考えようと思います」とコメントを残し、現役続行するかどうかも含め、今後検討していくとの事。

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

もう須賀プロじゃなくなるのね------。

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

グッバイスッガ。オフの貴方は輝いてたよ。

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

まあジャイガンズやし。中堅の年齢まで貢献してくれたなら仕事回してくれるやろ。

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

むしろここから稼ぎ出すまである。

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

現役にしがみ付くより他の仕事した方が稼げそう。

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

お前等の須賀の謎の評価は何なんだよ。

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

:魔王の暴露ネタ

:徹底された弄られキャラ

:妙に高い女子力

:トーク、解説いける

これだけ揃えば、まあ。

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

こいつがいたから宮永姉妹の人間らしさが多少なりとも一般に伝わったという風潮。一理ある。

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

そんな努力もむなしく宮永姉妹は仲良く未婚のままという事実。

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

ポンコツで魔王とか、胃が痛くなる要素の二乗だから仕方ないね。責任取って須賀はこの姉妹の面倒を見るべき。

 

 

「-----あーあ」

須賀京太郎。

クビになりました。

 

「まあ、仕方ないんだけどなぁ。落ち目のおっさんなんか契約しても仕方ないしね」

元々麻雀の男子プロは女子程規模が大きくなく、その分給料も安い。須賀京太郎の場合、オフのテレビ出演の仕事での収入の方が多い位であった。

現在、28歳。

どうしたものかと思うばかり。

現役を続けるか、それか放送局のお世話になるか、もう全てを投げ出して長野に帰るか。

「------解説かぁ」

現在、須賀は放送局で解説の仕事の依頼が来ている。

オフに偶然舞い込んだその仕事をやってみると意外にも好評だったようで、彼はオフの度に解説に引っ張り込まれていた。局の人間曰く、「声がいい」らしい。声だけだと滅茶苦茶イケメンに聞こえるらしく、女性の視聴率が高くなるとか。声だけならば。-----畜生。解っていたけど声だけかよ。

 

とはいえそのおかげで取り敢えず食い扶持分の稼ぎが出来るのならば、ありがたいお話だ。

-----他のチームからも、特に誘いも無かった訳だし。ここで一つ、人生を転換するのもありかもしれない。そう、自然に思えた。




今日、はじめて車校の教官の方の本気の悲鳴を聞いた。ごめんなさい。もう二度としません----。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

妄執の果てに

お前何で結婚しないんだよ、と何度か言われた事がある。

男子のリーグといえど、プロ雀士。曲がりにもプロの世界で十年も生きて来て、所帯を持つ事すら出来なかったのかと。

 

おう、その通りだ。そう須賀京太郎は思う。

 

何故逆に出来ると思えるのか。

いつクビを切られてもおかしくはない職種。出会いなんぞさらさら存在しない環境。不安定かつ無軌道かつ不甲斐ない自らの生活。

その中でどうやって結婚しろと?

 

自分だけの不幸が身に降りかかるならばまだしも、それに他者までも巻き込めと?

自分以外の事まで責任を持てるわけがない。

そういう道を選んだのは自分で、そこに付随する諸々を犠牲にしたのは自分だ。

―――今こうしてクビを切られて、安堵の感情が幾つも存在する。

 

もうこれ以上自分の夢に縋りつく事も無いのだと。

ようやく自分の足掻きも終えることが出来るのだと。

―――自分一人でよかった、と。

 

自分の選択が、ここに来て正しかったと心の底から思う。

とても胸を張れるものでもない、むしろ男として情けない事ではあるが―――自分の夢に付き合って馬鹿を見る人間は自分一人で済んだのだ。

 

と。

様々な理由をつけた所で。

ならば―――これからどうするのか。

 

齢28。

あと数カ月もすれば29になり、再来年には30だ。

 

仕事もテレビ関係のお仕事へとシフトしていくのだろう。以前よりも遥かに安定した収入を得られる。

―――もう言い訳は通用しない。

 

「まあ、でも、もういいかぁ」

 

割に独身でも人生は楽しめそうな気がしている。

制限の無い、果ての無い自由。

誰にも頼れない。されど誰にも縛られない。その果てにある慣れきった生活。

それを捨てるのは、少しばかり惜しい。

結婚という言葉に、今の自分にさほどのリアリティがない。だから仕方がない。流れるまま生きていく中で、こう言った状況になったのだから。女に縁のない不甲斐ないアラサーという存在に。

 

まあ、それでも。

流れるままに生きて来て、こうなったのならば。

―――今後違う流れの中で、別な出会いがあるかも解らない。

 

それを楽しみに待つというのも悪くないのではないかと考えている。

―――そんなもの、期待するだけ無駄だろうけど。

そう思っていた。

思っていたのだ。

 

されど―――現実は自分が想定していた流れと見当違いに進んでいくのだと、彼は暫し後に思い知る事になる。

 

それは喜劇か。

はたまた悲劇か。

 

 

「拗らせる」と言う言葉は便利にして深い。

風邪を拗らせ肺炎になるように、人と言うのは自らの中に拗らせた代物を抱え込み生きている。

社会生活という暗い影に落とされた土壌に捻じられた自らの内心を拗らせに拗らせ、一生それを抱え込んだまま生きていかざる人間だって存在するのだ。

その病理は過去の足跡。

歩き続けたその道は、きっと心の内を拗らせに拗らせ、ついには現実と化し顕現する。

拗れに拗れた人間関係が修復困難であるように、人が自身の生き方を変える事は難しい。

歩み続けた過去。作りすぎたキャラクター。その全てが自身の歩む道に茨の棘を配置していく。

拗れた過去が作り出す拗れた未来は遥か彼方まで続く泥沼の道へと誘っていく。

 

新子憧。

28歳。

職業、アナウンサー。

 

恋人なし。男性経験なし。

男への苦手感情が高じて女子高と女子大をはしごしてきた女が選んだ職業はアナウンサー。

要領もよく機転も利くデキる女。その上で男性が苦手と嘯くギャップが大うけし一躍売れっ子アナウンサーに。

 

二十二で就職し、現在六年目。

 

お金もある。地位もある。

されど、この身はもはや―――アラサーへとまた一歩近づいたわけだ。

 

「---------」

 

今年の誕生日。

誰も祝ってはくれなかった。

一人渋谷で買ったシャンペンと苺のタルトを頬張りながら麻雀番組を見るだけの一日が終わる。そんな誕生日だった。

 

「--------」

 

無言の時間が増えた。

高校時代の友達は皆阿知賀で頑張っている。大学時代の友達も、この年になれば所帯を持っている人間が多い。そして多忙極まるアナウンサー生活。誰かと一緒にいる時間なんて、そうそう作る事なんて出来なくなる。

 

「---------」

 

さあどうする?

どうするのだ?

どうしようもないのだ。

 

いつからだろう。誕生日が忌々しく思えるようになってしまったのは。まるで命の刻限を進める死神の時計の針のように思えてしまったのは。

そうだ。

これから自分は次々と死に近づいていく訳だ。

あと三年経てばサーティーになる。それからまた同じ時間を過ごせばアラフォーだ。次に来るのはフォーティー?この人生を二度繰り返せば今度はフィフティか?

期限切れのケーキは徐々に腐臭を漂わせ、最後は何も感じられない無機物と化す。それが運命。

 

頭もいい。顔もいい。スタイルだって悪くない。なのに。なのに。何故だ。何故なのだ。

 

それは拗らせて来た痛々しく、哀しき妄執の果てに答えがある。

 

「-------待ってなさい」

 

帰ってきたいつものマンションの中、化粧を落としシャワーを浴び寝間着に着替え沈むベッドのシーツの上。彼女はぼそりと呟く。

 

「-------いつか。いつか私だけの王子様が-------」

 

新子憧。

男の苦手意識が空回りし続け出来上がった少女的ロマンシズム―――それはアラサーとなって顕現した。

拗れた結果、これである。

「------うふふ。今度は、何を買おうかなぁ。“花より野獣”今度新刊でるのよね。ふふ。うふふふふふ」

夢見がち少女の可愛げ満載の妄想癖がアラサーに搭載された。

その破壊力。推して知るべし。

 

きっといるはずなのだ。

男が苦手な私の意識を塗り替える程の、素敵で爽快な王子様が。

きっと。きっと。

こんなに頑張っている私を攫ってくれる、そんな人が―――。

 

ベッドの上で妄想に耽る。この時間こそが―――ここ二年ばかりの彼女の唯一の楽しみであった。

 

 

「―――久しぶりね。須賀君」

「はい。お久しぶりです、竹井先輩」

戦力外通知より二カ月後。

須賀京太郎は結局依頼を受ける事にした。

 

仕事の依頼を受けた瞬間、スケジュールが送られてきたが―――成程と思えた。

「須賀プロから、須賀解説員に華麗なる転身。期待しているわよ」

今やすっかり中堅アナウンサーの先輩の言葉に苦笑しながら、彼はこれからの未来を思った。

「―――ねえ先輩?」

「何かしら?」

「ここ、俺をボロ雑巾にするつもりですかね?」

スケジュールにはびっしりと------これはこれは本当にびっしりと、予定が埋められていた。

「プロリーグ大会の時期は忙しいのは解りますけど-----地方ローカル局の解説が何故にこんなに詰められてるんですか?俺、このままじゃあ一年の半分は家に帰れないじゃないですか」

「何よ。いいじゃない。楽しそうだし」

ケラケラ笑いながら、竹井久はそう言った。

「貴方人気者じゃない。各地方の連盟支部から依頼が飛ぶように来ているらしいわ。だからこんなスケジュールになっているのよ」

「はぁ------」

「男の解説者も少ないしねぇ。女性ウケもそろそろ狙わないといけないからって事で上の方も貴方に依頼出したみたいだし」

「もうそろそろいい年齢なのに、あんまり無茶させないで下さい-----」

「いいじゃない。どうせ独身じゃない」

「-------それは先輩もじゃないですか」

「いいのよ、私は」

彼女は拗ねたようにそっぽを向く。自分から話題を振っておいて理不尽だ。

「ああ、でもね、須賀君」

「はい?」

「気を付けなさいよ」

「はぁ」

気を付けなさい。

何に?

「―――ねえ須賀君。一つ教えておいてあげるわ」

竹井久は―――瓢げたいつもの調子をその瞬間だけ消し、“年上の女性”の顔を浮かべる。

「人間、年を取ってから現実と夢に板挟みされると、二つに一つしかないの。―――諦めるか、妄念と執念にしがみ付くか」

 

そして、言い切った。

 

「私は前者だけど―――雀士なんて勝負師連中は、当然のように後者を選ぶ生き物だからね」

 

だから気を付けなさい。そう彼女は言った。

 

その言葉の意味を知るのは―――もう少し、先のお話。




お久しぶりです。
社畜一年目。更新頻度が落ちてしまい申し訳ない。慣れて来たのでもうちょい頻度を上げて行こうと思います。かしこ。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

積み重ねの人生

お久しぶりです。更新します。


須賀京太郎はふぅむと頷きながら――自宅で頭を捻っていた。

 

「よし、取り敢えずこんなものかな」

考えていたのは、人生設計。

28歳:テレビ解説者

ここからスタートし、

30歳:十分な貯蓄をこの年までに蓄え仕事の量を調整する。

考えるのは、30という年齢を超えた後の事。

テレビ・ラジオの解説の仕事が何年も続けられるとはこちらとて考えていない。恐らくは選手時代よりも寿命は短いだろう。ならば、この期間、稼げるだけ稼いで後に備えておくのがいいだろう。

その後はどうするのか?

「----長野に帰って、リンゴ農園でも始めようかなぁ」

34:故郷に帰り農園を開く(仮)

現在でも十分すぎるほどの貯蓄もある。試算ではこの一年で年収も昨年の六倍(!)にもなるらしい。このまま数年も働けば、無借金で農業を始める事も十分に可能だろう。

別に農業じゃなくてもいい。テレビ解説がガッチリ嵌まってくれたのならば、そのまま続けてもいい。何なら麻雀教室兼雀荘でもはじめてみるのもいい。アラサーの未来は、意外にも輝いているようだ。

予定は結局未定のまま。まあそれもいいじゃないか。家庭の無い男の一人人生なんざ、お金さえあれば何とでもなるのだ。

 

仕事が始まるのは、一週間後から。

「-----うーん」

手に持っているのは、一枚の手紙。

中学時代からの男友達の結婚式の招待状。

「行ってやりたいんだけどなぁ-----。ごめんな、俺この日仕事だ」

須賀京太郎は欠席の欄に丸を押し、行けない旨と謝罪の言葉を記した手紙を同封し、封筒に入れた。

「どんどん、周りは結婚していくなぁ」

自分の男友達が次々と結婚していく。

その事自体は非常に嬉しいのだが、何となく自分が置いていかれているような感覚がある。

何というか----人生の留年期に入っているというか。人生のステージに上がっていないというか。

「-----結婚、かぁ」

 

------高校時代は、和をお嫁さんにしていた妄想なんてよくしていたなぁ。

その和もまだ独身な訳だけど。

今はどうだろう?

まだ結婚したいなんて思っているのだろうか。

今はあまり思っていないのだろう。

ならば、この先一年が過ぎ、二年が過ぎ、――アラフォーという人生のステージの階段上に自分がいた時、まだまだこのままでいられるのだろうか。

身体は衰え、上手い事動いてくれなくなるのかもしれない。

その中で――孤独をより感じるようになるのではないのだろうか。

 

何だか、それは確かに切ないなぁ。

 

とはいえ、現状の自分に出会いなんざないのだから、仕方ないのだけど。

ちょっとだけ-----考える必要はあるのかなぁ、などと思うのでした。

 

 

一週間。

何をするでも無しに、須賀京太郎は家でひとまず選手ごとの牌譜をまとめていた。

やる事が無い。

牌譜を纏め編纂し分析をするのは、須賀京太郎にとっての日常だった。

 

自分には、特別な才能が無かった。

だから、変わらぬことを続ける事だけが、彼にとってのか細い雀士としての蜘蛛の糸だった。

 

だが、そんな線が長く続く訳もなく。

こうしてクビという結果になった訳なのだが。

まあ、でも。

糸が切れ、落ちた所は別に地獄ではなかった。

それだけでも、幸運ではないかと思う訳でもあるのです。

 

その日常は、クビになっても抜けきれないものだった。

 

呼吸と同じ様に続けてきたモノだった。

呼吸を止めても生きて行けると言われて、じゃあ止めるかとなるかと言えばそうでもなく。

その続けてきた事が、最大限に活かせる仕事が与えられて、心の中でホッとしたというのもまた本音だった。

 

こうして、結局変わらぬ日常を過ごしている須賀京太郎の下に、着信音が鳴り響く。

スマホのあて先を見ると、――染谷まこであった。

 

「はいもしもし。須賀です」

「おお、久しぶりじゃのう。元気にしとるか、須賀。まこじゃよ」

「はい。お久しぶりです染谷先輩」

電話先では、変わらぬ快活な声が響いていた。

「戦力外になった時以来じゃのう。身の振り方は決まったかえ?」

「はい。解説の仕事を受ける事になりました」

「おお!そりゃよかった!これからまた忙しくなりそうじゃな!」

戦力外の通知を受け取り、その報道がなされた時――京太郎を心配して真っ先に電話をくれたのが、まこであった。

内心、戦力外は確信していたし、その覚悟もしていた。だから内心は落ち着いているかのように思えたのだが。

まこの声を聞いて、その声を聞いて――通話を終えた後に泣き崩れた記憶がある。

密やかでさりげない優しさと母性を持つこの人の声で、感情が抑えられなかった。

「仕事はいつからじゃ?」

「一週間後からですね」

「そうかい。長野には戻るか?」

「いえ。丁度親も旅行に行っていまして。実家に帰るのはまたの機会にしようと思います」

「おお、それは残念じゃな。戻ってきたら、いつでも店においで。歓迎しちゃるけぇ」

「はい。それは是非とも」

「それにしても、本当に良かった-----。捨てる神あらば拾う神あり。この縁は大事にするんじゃぞ」

「はい。本当、そう思います。------この歳で捨てられてこんな所で拾われるなんて思ってもみなかったです」

「-----そう自分を卑下しなさんな。京太郎。歳を重ねた人間は、積み重ねたものの大きさを周りに見られるんじゃ」

「-----」

「おんし自身が積み重ねたものの大きさを見てくれている人がいた。だから拾ってくれたんじゃ。プロの世界はここで一区切りかも解らんけど-----そこでの姿は、ちゃんと周りは見とる。だから、その仕事はおんしの今までの勲章じゃ。同情で仕事は与えられん」

「------染谷先輩」

この人は、本当に凄い人だと思う。

新しい一歩を踏み出す時――的確な言葉で背中を押してくれる。

「頑張れ、京太郎。――それじゃあ、電話切るからの。あ、そうそう」

「ん?何ですか?」

「おんし、仕事始まるまで暇なんじゃろ?それじゃあ、再就職祝いにわしからのプレゼントを送っちゃる」

「プレゼントですか?」

「そうそう。この前、友人から貰ったんだがの。どうしても使う暇がないからおんしにやる」

「へぇ。それは嬉しいですけど-----。何をプレゼントしてくれるんですか?」

「高校時代、決勝で阿知賀と当たったろ?そん時の姉妹が女将しとる宿の宿泊券じゃ。名前は確か――松実館、じゃったかの」

 

阿知賀。

何とも――懐かしい名前だった。

 

 

友達から結婚式の招待状が来た。

迷わず、欠席の欄に印をつけ、送り返した。

 

特に理由はない。

-----本当に、ないのだ。

新子憧。

三十路真っ最中、日常の一ページであった。

「はぁ」

日常の中。

ふとした瞬間――こういう他人の幸せにだってやっかみの感情が先行するようになったのは、いつからだろう。

余裕がない。

仕事が充実しているという感覚から仕事に忙殺されているという感覚に変わったのも何時からだろう。

少女漫画を、手に取ろうとして-----ふと、止まる。

本能が告げている。

今ここでこの本を取り出せば、明日の仕事の事なんてすぐに忘れてしまう。

そんな危機感で妄想の世界へのチケットを手放した。

「明日、松実館の取材だしなぁ。流石にちょっと気合い入れてかないと」

明日、憧は中継の為奈良へ行く。

かつて共に雀士として戦った戦友の元へ。

「はぁ-----寝よ」

彼女はそのまま家に作り置きしていたカレーをちょびちょび食べ、風呂に入り、歯を磨き、少女漫画原作のアニメソングをかけ、ふりふりのパジャマを着込んで、ぬいぐるみを抱いてベッドに潜り込み、寝た。

そんな、28歳の一日だった。

 

今日はいい夢見れたらいいな。

できれば明日の現実も夢のようであればいいな。

 

そんな願いを胸に抱きながら――夢の中へ。

 

探し物は何ですか?

 

いくら探しても見つからないけど――かっこいい王子様、ちょーだい。

 




今年中に仕事を辞める事を決意。

さよなら~


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

栄光に向かって走る苦役列車

こちらを更新。掲示板ネタを書きたくなったので。


 雀士とかいう闇が深い人種

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

なぜ人はあそこまでの業を背負えるのか。

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

↑はい全員魔王卓廃人コース。

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

どうでもいいから宮永姉妹とうたたんと同卓してしまった末原のビフォー・アフター画像見せてよ。

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

シーズンでの魔王姉妹の対局率末原が一番高かったんだっけ?

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

うん。酷い時は姉→姉→妹→愛宕(姉)→姉→妹のローテーションを一ヵ月で味わっていたよ。

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

あの時は本当に不憫だったよな、末原-----。

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

この末原包囲網、終わってみれば一番の大敗を愛宕(芸)に味わわされると言うオチまで含めて大笑いさせてもらったわ。普段から安定しとるけど、あの時の愛宕(貧)は本当に神がかった強さやったもんな。三面待ち崩して手牌変えてまでわざわざ末原から直撃取った辺り、読みが意味不明すぎて笑ってしまった。

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

シーズン終盤胃薬をずっと携帯してたよなwwwwwww

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

プラス、家では睡眠薬も服用している模様。

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

本当にあの時期の末原目が死んでたもんな。ファッションも何だかおとなしめだった。スカートなんか履きやがって。

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

スカートを履いただけでネタにされるのはセーラさんと末原だけや。

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

そう言えば、末原、ついさっきテレビに出てたな。

 

・名無しのオカルトさん:20xx/xx/xx

ああ。あれか。さっき松実館とかいう旅館の取材でチラッと――

 

 

肉体は一度しか死ねないが、魂は幾らでも殺す事が出来る。

本当にその通りだ。

幾度となき戦いの果て、心根は叩き伏せられ、魂は幾度となくいたぶられた。

 

シーズンで最も焼き鳥を味わった年であり、最もトンだ年でもあった。

もう本当にやってられない。

アラサーどころかもう立派なサーティーになって、みっともなく家で泣き続けていた。

あまりのプレッシャーで飯も食えず、食えない飯をそれでも何とか流し込んでいたら胃の調子がおかしくなり、胃薬を服用した辺りから睡眠もとる事が難しくなり睡眠薬にも手を出し始めた。

頭をどれだけ回転させても、理を超えた事象が雀卓に巻き起こり叩き潰される。一度雀卓で胃が逆流しかけたので雀卓に胃薬を持ち込むようになった。ちなみにその時に真正面に座っていたけったいなあの方は控室で食ってた唐揚げを緑茶で胃の中に流していた。もう絶対に叩きのめしてやると思ってたら、逆にとんでもない大敗を喫した。

もう夜の居酒屋の「焼き鳥」の看板を見る度に必死に目を逸らしたし、自由に羽ばたいている鳥を見る度に散弾銃で撃ち落としたくなった。

今年、末原は最も名の売れた一年ともなった。何故ならば、あの魔王が、旧魔王のシーズン最多得点記録を塗り替えた瞬間、その卓にいたからだ。最後、末原からの直撃を以て記録を更新したものだったから、色々な新聞の一面に「末原の直撃により記録更新」の文字が躍った。丁度その時魔王が真正面だったこともあり、雀卓に倒れ伏す末原と、記録更新に笑みを浮かべる宮永咲との対比はあまりにも残酷かつ美しい絵図だった。

 

シーズン中、胃が痛い頭も痛いついでに関節も痛いし周りからの視線も痛かった。シーズンが終わった後に胃腸炎が発覚し、メンタルクリニックには-----行かなかった。ここで異常が出てしまったらもう立ち直れないと考えてしまった為だ。

 

そんな末原恭子の惨状を見かねた仲間から渡されたのは、松実館の宿泊券だった。

一度麻雀から離れて療養しろ、とアドバイスを頂き――現在、末原は松実館の縁側でぼんやりとしていた。

 

目は死んでいた。

それもそのはず。もう魂は幾度となく殺され、その眼には心が宿っていなかったのだから。

「----あ。ふふ。鳥さん、かーわいいー」

鳥を見た瞬間、彼女はイメージの中でその足を引っ張り、地面に引きずりおろしていた。

あくまで、イメージである。

死んだ心が写した、イメージなだけである。

 

それだけである。

 

 

須賀京太郎は、引き返した。

------あんなの、聞いていないです。はい。

「あれ?須賀さん。縁側に行かないのですか?」

女将さん――松実玄さんが、そう縁側に繋がる廊下から声をかける。

 

「さっき縁側でゆっくり日向ぼっこしようと仰っていたので、お茶菓子でも持ってこようかと思っていたのですけど」

「はい。------でも、ほら。ちょっと先客がいらっしゃったようなので----」

鎮座するその女性の名は末原恭子。心拍数がゼロになったかの如く、一つたりとも動かず座っているその様相を見る限り、自分がここにいてはならないような気がしてしまったのだ。

――末原恭子。

今年はまさに「不遇・不憫・不振」の年だった。一年の大半をタイトルホルダーとの大戦で埋め尽くされ、蹂躙の限りを尽くされた彼女はシーズン後半にかけて失速を重ね、格下の相手にさえも勝ちきれない日々が続いていた。

その時のメンタルを危惧する声もあったが------もうね。見るだけで解ってしまうのです。あれはもう心の底から叩きのめされた顔だって。

君子危うきに近寄らず。君子じゃなくたって解るわそんなもん。危うきに近寄って地雷を踏みたくないのです。

その様子を見て、松実さんもあぁ、と声に出した。

「末原選手----。確かに、今年は凄く可哀想でしたよね---」

「そうですよね----」

「ほ、ほら。でも須賀さんも------あ。あぅ----」

うん。解ります。

今「須賀さんも戦力外になったんだから同じくらい可哀想な目に遭ったじゃないですか」とか言おうとしてたでしょ。

多分あまりにもあまりなその言葉を出す前に、サッと口を塞いでああいう形になったのでしょう。----いいんですよー。気にしなくてもー。

女将――松実玄さんは、確か一年の時に清澄が決勝で当たった阿知賀の人だった。麻雀をずっと続けていた人だからこそ、今の末原さんの気持ちも十分に汲んでいるのだろう。

 

「------まあ、でも。そうだよな」

格上ばかりとの対局の繰り返し。

何をやっても通用しない。何をしても全て叩き潰される。

 

それは――戦力外直前の須賀京太郎の日々と同じであった。

作りあげた自らのスタイル。その対策をキッチリ作られ、何をやっても手が作れない日々の連続。

その果てに、須賀は戦力外となった。

 

「-----ここで逃げるのも、何だかきまりが悪いよなぁ」

「ほぇ?」

須賀は突如として、また縁側の方向へ背を向け、玄はそれに首を傾げていた。

「すみません。松実さん。お茶をもう一つ追加して持ってきてくれませんか?」

「え?え?行くのですか、須賀さん」

「はい。――クビになった俺に、もう怖い物なんてないのです」

ふんふん、と鼻を鳴らしながら、ずんずんと歩いていく。

――やっぱり、元雀士として、あの姿のまま捨て置くのは忍びないものがあるのです。

 

「――失礼します」

そして。

須賀京太郎は――その魂無き女の隣に、座った。




負けが込む時はどうしようもなく負け続けるのです。まるで上流から下流に流れるように。もしくはGWの横浜のように。
-----ああ終わる。そして始める。地獄の日々が。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

綺麗な空はある日突然に

かすみさん編との同時掲載。


須賀京太郎は、末原恭子の隣に座る。

穏やかな表情を、していた。

 

シーズンの最中にいたころ、般若の如き形相で不発弾をつまみ上げるが如き様相で牌を掴んでいた姿とは見違えるようだ。

 

されど。

されど。

 

その穏やかな表情の中、その目は。目だけは。――異様な色をしていた。

穏やかだ。

本当に、穏やかなのだ。

 

ただ―ーその穏当さは澄み切った海や、広大な山に例えられるような純然たる穏やかさではない。

例えるならば、泥沼。

風も吹かぬ。鳥も鳴かぬ。あらゆる命を沼底に沈めつくした果てにある、泥。

底なしの泥が、その目に宿っていた。

 

焦点のあっていない目で虚空を見つめるその姿に、須賀は一瞬、松実館が療養所かと錯覚を覚えたほどであった。

 

「------」

沼底の目が、こちらを見据える。

そして―ー投げかけられた声も、とても穏やかなものだった。

「こん、にちわ」

少し言葉につっかえながらも、されど末原恭子は隣に座った男を認識し、そうご挨拶。

恐らくは、ここしばらく人と会話していないのだろうか。吐き出そうとする言葉が喉奥で詰まっていて、小さく、そして掠れた声をしていた。

 

「-----末原恭子さん、ですか?」

「-----ええ。はい----」

「偶然ですね。以前一度お会いしたのを覚えていますか?」

「------ああ。そういえば、見たことある気がするわ---確か」

須賀京太郎、と末原が口にした瞬間。

言葉が、止まる。

 

「------戦力外なった、雀士やったな」

「------はい」

戦力外。

その言葉を自身で吐き出した瞬間―ー穏やかだった表情に、暗雲が立ち込めていく。

 

「戦力外-------そっかぁ」

ふふ、と笑う。

笑う。

 

死にゆくような表情で、笑う。

 

「------ふふ」

 

須賀京太郎、悟る。

この人は――予想以上にやばい精神状態に置かれているのだと。

 

 

「------ど、どうしよう、お姉ちゃん---」

「どうしよう------」

その頃。松実館の女将二人は―ーその様子にいたく怯えていた。

「寒い------」

「お茶持ってきてください、って言ったって----」

あたふたと、――松実玄と松実宥は彼方からその姿を見つめていた。

 

「――あそこに足を踏み入れなければならないのぉ?」

「-----わ、私が行こうか?」

「ダメ!お姉ちゃんがあそこに近づいたら、凍え死んじゃう!――じゃあ、行ってきます!」

「-----うん。頑張って、玄ちゃん」

「これから取材もあるんだから、ここで二の足を踏むわけにはいかないのです。玄、行きます!」

そう。

もうじき、親友がレポーターとなり取材が入るのだ。

こんな所で怯えていれば、テレビの前でしっかりと受け答えすることなどできようか。

ふんす、と気合を入れると、松実玄はお盆の上にお茶を置き、そのまま歩いて行った。

------その後、繰り広げられる地獄などつゆとも知らず。

 

 

その後。

テレビ局一団が、松実館前に到着していた。

幾台ものカメラを率い、新子憧がマイクを片手に車から降りる。

「――それでは中継を繋いでみましょう。新子さーん?」

「はーい。こちら新子。私は、現在奈良にある、知る人ぞ知る老舗旅館、松実館におります」

中継が繋がれている最中。

新子憧は、精巧に象られた笑みを浮かべながら、元気にマイクを通し声を伝えていく。

「ここが松実館ですか。老舗らしい、趣のある佇まいですね。確か、一年前に改築を行ったのでしたよね?」

「その通りです。一年前、古くなっていた床面と庭先の改築を行い、旅館として更に過ごしやすくなったとお客さんからも好評をいただいているようです。――そして、長いマフラーがトレードマークのこの方が松実館を切り盛りする女将であり黒幕。松実宥さんです!こんにちわー」

カメラが動き、松実館の玄関口へ画面が移る。

そこには―ー変わらぬ姿ではにかむ親友の姿。

「こんにちわー。松実宥です。お久しぶりだね、アコちゃん」

「うん、久しぶりだね。あれ?」

玄は、と聞くと宥は後から旅館の中で会えるよ、と答える。

-----何やら、微妙な表情を浮かべているのは気のせいだろうか。

「――確か、新子アナと松実さんは、高校時代の親友とのことでしたね」

「はい。そうなんです。同じ麻雀部に所属していて、全国にまで行ったんですよー」

「ほうほう。――では、松実さん。松実館の魅力を、今一度お伝えしていただいてもよろしいでしょうか?」

「はい」

そうして、松実宥は用意していた松実館の紹介文を読み上げていく。

 

その頃。

 

地獄が庭先に実在しているとも知らず。

 

 

「ふふ-----なぁ、須賀君。どうやった、昨年とか一昨年とか」

「ど、どうとは----?」

「------その時の立場やったら、必死になって勝ちに行くやん?」

「はい-----」

「必死に策を用意して、対策も打って、いざ試合に行くやん?でも通用せんやん?------どう、やった?」

「-----辛かったですよ」

「辛いよなぁ-----。本当、もうやってられんわ。ほんま」

なんやねん、と。

そう言葉を吐き出した瞬間。

―ー堰を切った。

それはダムが決壊したような勢いであった。

「思い出すんや------あの魔王とか。その姉とか。またあのけったいな元部長とか。もう、いやや。なんやねん」

 

メゲた。

 

「うふふ-----この調子やったら、ウチも再来年はないかもなぁ。今年は対局運の悪さで籍を置かせてもらっているけど、もう誰にも勝てんくなっとる。クビ-----クビかぁ。戦力外やなぁ。-----うふふ-----」

 

クビ。戦力外。

その辺りの言葉が出てきた瞬間――目の濁りが、濃くなる気がした。

沼底をかき混ぜる棒切れが、この辺りの言葉なのかもしれない。

 

さあ。

どうするべきだろうか。

一人の男として――つまるところ、彼女が恐れる未来(戦力外通告済み)そのものである須賀京太郎、として。

どんな言葉を投げかけるべきだろうか。

いや。まだあんた戦力外になってないじゃん。

正直心の底からそう思っているのだが、今正直な内心はいったん脇に置いておこう。図星を突く正論とは基本的に心に行使される正拳に等しい。何も末原の心をこれ以上に痛めつけるためにここに居る訳ではない。

可及的速やかに、この女性の心を慰撫し精神状態を引き戻す方法は、何なのか。

須賀京太郎、悩む。

 

そして、それとなく二人分のお茶を置いた松実玄もまた、どうするべきか解らぬ迷いの森の中にいた。

――どうしよーう!お姉ちゃーん!

もう心の中で涙していた。

外から聞こえてくる、憧と姉の声。

今―ー生放送のカメラがここにきているわけだ。

今回松実館は旅館内の紹介を行う手はずである。そして、事前に改修した部分について重点的に放送してほしいと松実館側から申し出を行っていた。そして、現在須賀と末原の眼前にある庭先は、つい一年前改修した場所であった。

この二人を、カメラに収めるのか。

戦力外通告された須賀と、昨年の出来事で精神的に追い詰められている末原の二人組。

------ダメだ。

須賀はまだしも、この末原だけは映してはダメだ。

今テレビの前で体裁を整えられるだけの精神的余裕もないだろう。

まさか――この場で放送事故を起こすわけにもいくまい。

どうしよう。

本当にどうしよう。

お茶を置き、そそくさと逃げ出そうとしていた松実玄。されど、末原の姿を見て五寸釘で縫い付けられたかのようにその場を動けなくなった。

 

「-----」

 

どうしよう。

本当にどうしよう。

 

「-----お姉ちゃん」

妹、動く。

インカム越しに、――紹介文を読み上げ、今玄関から旅館内を案内しようとしている姉に話しかける。

「どうしたの、玄ちゃん」

「------私が、あの二人を別の所に行かせるから。出来れば庭の紹介を後回しにしてもらってもいい?」

「----了解」

お互い、小声で指示を出し合う。

インカムを切る。

 

「あの、お客様」

松実玄は少し潤んだ目を浮かべながら、言葉を紡ぐ。

 

「――待合室をお貸ししますので、そこで一緒にお話をしませんか?」

松実館の為。

――松実玄。動くのですのだ。

 




肉料理が好きで、自分で肉料理の店を出したいと大学を中退し調理師学校に転学した私の後輩。
調理師学校の研修で鶏を絞めて解体したショックで、今では立派なベジタリアンになました。
どうでもいい話をすみません。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

リクエスト編
ポンコツ、始動


こちらは、活動報告のリクエスト部屋での要望への消化させて頂く章となります。こちらは本当に1~3話形式の短編集となるかと思われます。何か、遅くなってすみません。
では、今回はアマルメ様の、
・インハイで出会った選手と遠距離恋愛をする京太郎と破局させたいポンコツ魔王with清澄

を題材として頂きます。


インターハイが終わり、夏休みも終わりに差し掛かった今日この頃。

須賀京太郎は、長野に帰るや否や荷物を手にし何処か県外へと向かって行ったのだという。

 

それから、四日ばかり彼は帰ってこなかった。

 

思えば、インハイの最中。

その中途から―――何故だか彼は楽し気にしていた。

雑用も牌譜集めも他校の情報収集も、事欠かずに彼はずっと行っていた。その途中からだろうか。―――彼の目に、明らかな輝きが灯るようになったのは。

人生がいきなり上向いたとでも言うかの如きそのキラキラぶりは、日常の最中ならば気持ち悪かったのであろうが、雑用に身を粉にしながら働く中においては恐ろしく神々しく思えた。

その時は、精力的に働いてくれる彼への感謝以外、何もなかった。長野に帰ってすぐまた県外へ出かけたのも、しっかり羽目を外したい思いがあったのかもしれない。

 

「―――どうしましょうか?」

「どうしようもないわい、阿呆」

「ど、ど、どうしよう。京ちゃん、まさか―――」

「落ち着いてください、咲さん。まだ推測の域は出ていません」

「そ、そうだじぇ!まさかあの犬に限って―――」

清澄高校麻雀部一同は、部室―――ではなく、近所のカフェに集まっていた。

ある目的、ある話題、ある問題提起―――とにかく、即急に確認せねばならない事が出来たからである。

それは―――。

「別にほっといてやんなさいよ」

まこは呆れながらそう溜息を吐くが、―――聞く耳持たぬ女が一人、その言葉に噛み付く。

「ほっておけるわけはないでしょう!―――須賀君に、女が出来たかもしれないというのに!」

「部長、声が大きいです!」

そう。

―――須賀京太郎。インハイ中にまさかの彼女出来ちゃった説、現在浮上中である。

 

この問題が浮上し始めたのは、新学期が始まってからだ。

彼の携帯に、頻繁にメールが送られるようになった。

それは別にいい。彼は友達が多い方だ。別段珍しい事ではない。

―――問題は、その度にその場を離れ、人がいない所で確認している事だ。

そして、その度に隠し切れないニヤつきが散見されている事。

須賀母情報によると、その傾向は家の中であらば最早隠す努力もしなくなるという。メールを確認する度に、だらしなくニヤニヤ顔を浮かべる様に、久々に気持ち悪かったと彼女は言っていた。

 

「それに―――須賀君、最近、便箋を買うようになったらしいじゃない」

これも母情報である。

彼は郵便局で、便箋をまとめ買いしていたという。それも、―――明らかに女受けがよさそうな、水玉模様のおしゃれなやつを。

「もう確定よ確定!今須賀君には彼女がいるのよ!」

「ま、まだ推測―――」

「じゃあ何よ!須賀君は男友達からのメールに一々ニヤついていると!?可愛らしい便箋で手紙のやり取りをしていると!?そっちの方が危ないじゃない!」

「だから、ちょっと静かに」

明らかに他の客から注目をされている。原因はもうとにかくやたらと興奮しきっている竹井久の所為である。そろそろいい加減にしてほしい―――そう思わないのは本人ばかり。

「―――何にせよ、ここは必ず突きとめる必要があるわ」

「何を?」

「決まっているじゃない―――その彼女が誰なのか、突きとめるのよ」

「それで、どうするんじゃい?」

「それだって決まっているわ―――所詮遠距離恋愛なんて儚いものだと、教えてやるのよ!」

力強く、竹井久はそう宣言した。グッと握り拳を天に突きだしながら。

周囲の空気が、シーンと静まり返った。

その堂々たる横恋慕の宣言は、カフェ全体にこれまた堂々と響き渡った―――その瞬間に。

ぼそり、と咲はまた呟く。

「部長-----静かに-----」

周囲の刺さるような視線に今更ながら気付いた竹井久は―――顔を真っ赤に染め上げ、テーブルの下に潜り込むように身をかがめた。

 

 

どうしましょう、と竹井久は身をかがめたまま言う。

「取り敢えず、その身をかがめた状態も目立つので元に戻って下さい」

そう和が真っ当なツッコミを入れた瞬間、素直に彼女は元の位置へと戻った。

「で―――今回皆に集まってもったのは、意思確認の為よ」

「意思確認?」

「そ。これから私は須賀君の身元調査を行うつもりだけど、それに皆が協力するか否か。その意思確認」

ふんす、と息巻き竹井久はそう言った。

「勿論皆協力するよね」

「えー-----。何で勿論なんて断言できるんですか」

咲の真っ当なツッコミを受け、竹井久はふくれっ面で周囲を見渡す。

「------悔しい。悔しいじゃない。一人だけロマンチストぶりやがって。あの生意気な後輩め」

「ただの嫉妬じゃないですか------けどまあ、いいですよ。私は協力します」

え、と咲は思わず声を出してしまった。

一番賛同しないと想定していた、和。彼女が真っ先に協力の意思を表明した―――その事実に、咲の思考に混乱が生じる。

「私もやるじぇ。犬の癖に生意気だじぇー!絶対に突きとめて恥をかかせてやるじぇ!」

「ちょ、ちょっと!優希ちゃんはともかく何で和ちゃんが!?」

「仮に須賀君が彼女を作っていたとするならば―――全国で私達が戦っている間に、女性を口説いていた可能性があるという事です。私を―――あ、いえ、部を差し置いてそのような事をするとは、見逃せる問題ではありません。不埒極まる問題行動です。捨て置く訳にはいきません」

一瞬、その台詞の中で凄まじい悪意を感じた気もするが―――放っておくことにした。きっと気のせいだ。うん。

「わしはやらんぞ。人の恋路を邪魔して馬に蹴られて死ぬのはごめんじゃけえ」

「ちぇ、まこはノリが悪いわねー」

ナイスアシスト、まこ先輩!

その流れで

「あ、あの私も―――」

「参加するわよね。なんてったって幼馴染ですものね。ねぇ、咲?」

「え、えー!ちょっと、ぶちょ」

「------咲ちゃん。もう後戻りはできないんだじぇ」

「この先の調査、貴女は必ず必要不可欠になるはずです。協力してください、咲さん」

え、何この流れ?

眼前のチームメイト三名は、三者三様の眼の色をしている。好奇?憎悪?嫉妬?何でもいい。とにかくロクでもない事だけは確かだ。

咲は困惑しながら、視線を右往左往させる。まこに助けを求めるが、憐れむような視線をこちらに向けるばかり。一体、これはどういう事だ。どういう事なのだ?

泣きそうになりながら、―――彼女は首を縦に振った。

 

ニヤリと微笑む三人が、今までの彼女達ではないようであった。

 

 

その頃―――。

「京太郎。余りにも可哀想だから指摘しないであげていたけど、そうしないでいるのも可哀想に思えてきたから指摘するわ。アンタ、表情がとてつもなくキモイ事になってるわよ」

須賀家のリビング。

母親は夕飯を共にする我が息子に、情け容赦のない言葉を放っていた。

「ひでぇ!」

「ニヤケるなら自分の部屋でやって頂戴。見るも耐えないわ」

「-------はい」

「で----一体どういう風の吹き回しよ。最近、よく勉強しているわね」

「う、うるせー。それに関しては責められる謂れなんてこれっぽっちもないだろう!」

「そりゃあそうだけどさ。いきなり訳も解らず変化されると宇宙人に脳の改造でも受けたのかしらって心配になるじゃない」

「ねーよ!」

息子のツッコミを受け、ふむんと母は頷く。

「-----相手は、頭がいいの?」

「う-------。い、いや。どうなんだろう-----。ちょっと解んないな」

「そうなの?最近英会話のラジオなんか聞くようになっていたじゃない。本気で張り切っているなら、英会話教室行かせてあげてもいいわよ?」

「いや、そこまで行くと部活に支障が出るからいいっす。あくまで、出来る範囲でやるつもりだから」

「ふーん。-------ま、いいわ。上手く行くといいわね」

「お、おう」

「遠距離ねぇ。-----アンタ、気を付けなさいよ。部活の皆も、いきなり気持ち悪くなったアンタを心配していたから」

「う-----。マジか。解った、気を付けるよ------」

そう彼は頬を掻きながら頷くと、食器を片付け、二階へと上がって行く。

その傍らには、今日も今日とて郵便局で買ってきた、水玉模様の便箋を携えて。

 

この時、まだ彼は知らなかった。

何もかもを。

今、自分を取り巻く部活仲間による陰謀を。そして、そのポンコツさによって巻き起こる様々な悲劇を。

 

まだ、知らなかった。

 

これは、遠距離恋愛に伴う、ポンコツ共の悲劇の物語―――。




如何でしたでしょうか。これからも時々、こう言った感じでリクエストを拾って行こうと思いまーす。失礼しましたー。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ボッチ編
ボッチとボッチ


ボッチさん編、はじまりまーす。


皆と、離れたくない。

心からそう思っていた。

 

離れたら、もうそこに自分はいられない。

心地いいあの大好きな友達が、もういなくなってしまう。

それは――張り裂けそうになるほどの恐怖だった。

 

自分の人生、誰かと何かをした事なんてなかった。

ずっと、ボッチ。

ずーっと、一人で。

一人で生き、完結し、何も成す事の無かった、人生。

そんな生き方に。そんな自分自身に。何も疑う事無く、自覚無き寂寥を放置し続けた。

 

意味なんてなかった。

意味なんて求めてもいなかった。

 

でも。

一人と繋がり線となり、その一人から二人と繋がり縁となった。

三人四人五人。

幾つもの線が自分を中心に繋がり縁となり、いつの間にやら、円となった。

 

自分が円の中にいる。

点で終わっていたかつての自分に。線が引かれ縁を作り円となって。

 

ボッチだった。

けれども、今は違う。

この円がある限り、自分は一人ではない。

 

ならば、この円の外に出て行ったら、どうなのだろう。

引かれた線も縁も、全て無くなり、また自分はたった一つの点になるのだろうか。

 

――それは、違う。

 

例えこの円から離れていこうと。

自分が歩いた足跡そのものが線となって、ずっと、ずっと、消えない縁。

 

それは自分の誇り。

きっとそれは驕りではないと思う。

 

それだけのものを積み重ねてきた。それだけのものを与えられた。

だから。

だから。

 

――この円の中に留まるだけじゃ、駄目だ。

そうも思えた。

自分は与えられてばかりだった。

あの円の中は、あの素敵な友達に招かれて手に入れたものだ。

 

今度は。

自分の手で。自分の足で。

線を引きたい。縁を作りたい。円を作りたい。

 

自分の知らない世界は何処までも無限に拡がっているはずだ。

この世界の素晴らしさはあの子たちに教えてもらった。

だから踏み出したい。

あの日。ボッチの世界から手を引かれて、新しい世界に足を踏み入れた。

だから。

今度は。

自分の足で。誰の手も借りず。一歩を踏み出したい。

そして――今度は自分が、手を引く側になるのだ。

 

大丈夫。今まで積み重ねてきた事を捨てる訳じゃない。

あの日々を糧に、新しい旅立ちを決めた。ただ、それだけだ。

 

 

「いいか!トヨネよ!」

「うん。衣ちゃん、どうしたのー?」

「ちゃんではない。衣は衣だ。――ではなく、衣を抱きかかえるのは止めろー!」

大学麻雀部部室内。

そこにはいつもの光景があった。

部室内の椅子に持参した座布団の上に座る姉帯豊音。そして――それに抱きかかえられ、膝の上に座らせられている天江衣の姿。

ぎゃいぎゃいと手の中にいる衣は抵抗するものの、心根の優しさゆえに本気の抵抗が出来ない。暴れて万が一手足を相手にぶつけてしまえば、と考えが及んでいるのだろう。

そして、抱きかかえている側の豊音と言えば、ぽやぽやとした雰囲気の中、褒められた子犬のようににへらと表情を崩して衣を抱きかかえていた。

「えー。折角だし一緒に対局を見ようよー。――あ、振り込んだ」

その視線の先には、大学チームメイトがこぞって対局をしている所だった。

場面は最終局面。無事新入生の振りこみにより試合が終了した。

「凄い凄い、衣ちゃん!衣ちゃんの言う通りになったー!」

「ふふん。衣の洞察眼を甘く見るでないぞ、トヨネ」

「どうして解ったの!?」

「ふふん。それ程に知りたいと言うのならば、説明しよう。あの時――」

 

姉帯豊音。

天江衣。

彼女等二人は進学先の大学麻雀部で出会い、――何だかんだで仲良くなっていた。

 

「――うむ。しかしそろそろ空腹になってきた。トヨネは、昼餉は何にする?」

「ん?私?私はねー。今日、学食でエビフライ定食が新しく出来たみたいだから、それを食べるつもりだよー」

「なに!エビフライだと!」

「そうなんだー。それにね、それにね、二尾ついてタルタルソースかけ放題なんだー!」

「二尾もついて、タルタルがかけ放題だと!――よしトヨネ。共に行くぞ」

「うん!一緒に食べよ!」

衣の提案に、満面の笑みで応える豊音。もうそれは餌を貰う前の大型犬と何も変わりはしない。

 

というのも、この両者は様々な要素が真逆故に非常に相性が良かった。

身体が大きいが、反面子犬の如き純粋さと人懐っこさを持っている豊音。

身体は小さいが、高いプライドとそれ故の優しさを持つ衣。

純粋故に偏見を持たず、その反面何かと騙されやすい豊音と、何だかんだで頼られるのが大好きな衣。

相性が悪い訳が無かった。

 

「よし、では行くぞトヨネ!」

「うん!」

そう返事をすると、豊音は抱きかかえていた衣の腰辺りを優しくつかみ、よいしょ、と一言。

そのまま立ち上がり、衣を持ち上げ、自分の首辺りまで持っていく。

衣はその動きに抵抗する事無く、豊音の首に跨る。

「さあ行こう!エビフライが我等を待っている!」

「うん、レッツ・ゴー!」

天江衣。

抱きかかえられるのは正直面白くないが――こと肩車だけは嫌いではなかった。むしろ心地よかった。

何故か?

単純な話だ。

高い所から見下ろすその視座から見える世界が、何とも自分の心を満たしてくれる風景だったからだ。

 

天江衣。姉帯豊音。

実に。実に。相性のいい二人でした。

 

 

売切御免。

「---------」

「---------」

涙目の二人が、その太文字で書かれた四文字の前に佇んでいた。

「-----ごめんねー、衣ちゃん。もう少し早く行くべきだったよー。うぅ-----」

「否。トヨネは何も悪くない。こういう事も、ままある。一陽来復。また、今度の機会を待つほかない------」

ずーん、と落ち込む二人は、上下ともに顔を下げた。

「-----取り敢えず、何かを食べようかー----」

「うむ」

豊音は腰を下ろし、衣を下ろす。

そしてそのまま食券を販売機に入れ、列の中に入っていった。

 

 

「――よし」

そんな失意に沈む二人がいるとも露知らず。

エビフライを手に入れた者がいた。

「いやー、ギリギリのギリだったな。せっかくだったらやっぱり限定品食べたいもんなー」

須賀京太郎。

現在彼は講義を終え、ひとっ走りで食堂に向かい、列を掻き分け、限定品を手に入れた。

それはまさしく戦場の如し。

なくなるかもしれぬ限定定食を手に入れんと、体育会系共の筋肉ゴリラ共の波を掻き分け掻き分け進んだ先。その果てにようやくラストのラストで掴んだ一品だった。

彼は別にエビフライをことさら食べたい訳ではなかった。

ただ限定という文字に踊らされ、試練に挑んだ馬鹿な男が一匹いるだけだ。

いや、むしろその先に試練があったからこそこのようにしたのかもしれない。

二尾のエビフライにたっぷりとタルタルソースをかけ、混み合う学食の席を探す。

「あ------」

盆を置き、椅子に腰かけんとしたその時――対面に座る女性二人を見た。

姉帯豊音、そして天江衣。共に麻雀部の先輩。

現在彼女等二人は野菜炒め定食とハンバーグ定食を前に沈み込んでいた。

「あの------先輩、何があったんですか」

「あ、須賀君---。こんにちわー」

「------」

豊音はいつもの笑顔でそう挨拶を返す。されど、いつもの爛漫さはすっかり影を潜めていた。

衣に関しては、もう挨拶する気力すらも無いといった様相であった。もう泥の中にでも沈んだかのような絶望と沈黙に伏していた。

「今日ねー。一緒にエビフライを食べようって話をしてたんだけどねー。もう、来た時に丁度無くなってたんだ―」

「------うむ」

ああ。そう言えば、天江先輩はエビフライ大好きだったなー。新入生歓迎会の時、周囲の先輩方がエビフライを山盛りにして彼女に差し出していたのを思い出した。

「----あ、須賀君は限定手に入ったんだね。よかったよー」

「そう、か。----気にせず、食すがよい。我等の分まで味わって食べてくれ-----」

いや、あの。

そんな沈み込んだ声で、そんな殊勝な事言わないでくれませんかね-----。

ここで食べる程、肝が据わってないんです-----。

 

「あの----。丁度二尾あるので、二人で食べて下さい------」

 

結局そう言う他なかった。

無理です。

この二人の視線を前に――飢えた子犬の視線を一身に受けながら、上手く飯を食べる精神状態を保つ方法を、自分は持っていない。

「いいのか!?」

「遠慮しなくていいんだよー?」

「いえ、俺は限定品だから何となく注文しただけですから!もう二人で食べて下さい!」

そう言う他なかった。

 

結局、彼女等の定食を半々にし、定食を譲った。そして譲ったら譲ったらで二尾共に衣に与えようとする豊音と折半でいいと言い張る衣のこれまた熱い譲り合いが生じていた。

 

本当、仲がいいなぁ。そう京太郎は思うのでした。




横浜の借金がこのGWに返済されることを祈念し、また令和の幕開けを記念し、新章を記しました。頼みます神様------。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

かすみさんじゅうななさい編
亭午の記


かすみさんじゅうななさい編始めます。


これは、ある時の記憶。

 

私の、記憶だ。

そこには奇跡もオカルトも無い。

ただ――純然たる現実だけが存在していた。

 

一つの出会いと別れ。

風が運んだ花弁が肩の上に乗っかり、また飛んで行った――そんな、今思うとたった一時に満たない瞬時の邂逅。

でも。それで十分だった。

それだけで、私は。私の奥にある心の内を見つけられたのだから――。

 

 

いつからだろう。

私が皆からお姉さんと呼ばれるようになったのは。

そう振る舞うようになったのは。

 

神社の娘に生まれて、その直轄の学校に入って。自分はこの先にある人生がはっきりと見えていた。

神職について、霧島で生きて行くのだろう。

別にその道を強制されていた訳ではない。

ただ、そこには見知った人々と、素敵な友達と、何処までも舗装された道があって。周りを見渡せば、藪だらけの見知らぬ道だけが存在していた。

だから、自然と用意された道にひょい、と乗っかった。

他の道を選ぶだけの情熱が、そこに存在しなかったから。

 

――霞お姉さんは、本当に余裕があって、包容力があって、-----とにかく、凄いんです!尊敬しているんです!

 

妹分がそう自慢している姿を偶然、見た事がある。

 

何だかこっぱずかしい言葉だけど、でも心の底では解っていたのかもしれない。

心に余裕があるのは、何処か悟っているから。

どういう道が自分の前に広がっているのか。その中に今自分はどこにあるのか。

それが解っているから。

だから余裕なのだ。自分は他の可能性なんてものを見る事すらしなかったから。

自分の居場所をしっかりと理解している。反転して、それ以外の道なんて目もくれていない。

それが故に持っている「余裕」は、本当に頬れるモノなのか。

私は、解らなかった。

 

「――あら」

ある日の事。

私は、ちょっとだけ幸福な光景を見る事となった。

 

「あらあら」

しゃがみ込んだその先には、一匹の猫がいた。

白色の身体に黒縁の模様がある、痩せた子猫。

 

「----ふふ。逃げないのね」

ちょいちょい、と手をやると子猫はゆっくりと近付き、にゃあにゃあと心地よさそうに鳴きながらその指先を舐め、頬ずりをした。

 

本日は土曜日。

学校も休みで、お仕事も特になかった。持て余した休日をさあ何に使おうか、と軽く頭を捻った瞬間――思い浮かんだのは散歩であった。

雨上がりの春の木漏れ日はとても清々しく、運ばれてくる風も涼やかだった。

だから外に出た。

きっと小蒔ちゃんは縁側でお昼寝でもしているんだろうなぁ、なんて思いながら、私は道路の端で子猫と戯れていた。

 

そんな、穏やかな時間の中。子猫はにゃあ、と一鳴きすると反対側の道へ視線を向けた。

そこには、同じ模様、顔立ちの猫がいた。

ああ、きっと親猫なのだろうなぁ。

子猫は視線の方向へ身体を向け、後ろ足を跳ねて走り出した。

 

その瞬間だ。

 

同時に聞こえたのだ。

 

重低音が。

 

「――え」

その重低音は、日常の中に溶け込んでいて、普段ならば気にも留めていなかっただろう。

その、タイミングでなければ。

 

道路を走る軽トラックが、通り過ぎようとしていた。

子猫が走る、その道を。

 

「あ」

最早本能だった。

その猫の動きを止めようと手を伸ばして、身体を動かしたのは。

 

それはつまり――自分の腕もトラックの前に差し出しているも同然であり。

「----っ!!」

その事実に気付いた瞬間には遅かった。

もうトラックは眼前に迫って、自分の腕ごと子猫を跳ね飛ばさんと――。

 

その瞬間。

 

雨上がりの快晴が、いきなり背中の衝撃と一緒に見えた。

「-----え?」

見知らぬ激痛を想像してきゅ、と眼を閉じた彼女は――軽い背中の衝撃だけで済んだ自分の感覚に戸惑っていた。

目を開くと、空がある。

どういう事だろうか――。

 

「大丈夫ですか!」

そんな声が聞こえて来て、それと同時に上着の襟が掴まれている事を知った。

――ああ、そうか。馬鹿な自分がトラックに轢かれる前に、親切な誰かが服を引っ張って助けてくれたのだろう。

なら、あの猫は。

 

――にゃあ。

 

背後から、また声が聞こえて来た。

「お前も、いきなり道路に飛び出すなよ」

 

そんな、溜息交じりの声がまたまた聞こえて来た。

 

振り返る。

そこには――子猫と、金髪の少年が一人いた。

何もかも助かったというあり得ない事実に――情けない事に、私は腰を抜かしてしまった。

 

 

「――本当にごめんなさい」

「いえ。大丈夫です」

結局。

安心の為か、腰を抜かしてしまった私は少年に背負われる事となった。

助けてもらって、更に助けてもらう。

何とも情けない。皆のお姉さんが聞いて呆れる。

 

――でも。

ちょっとだけ嬉しかったりも、した。

子猫は少年の頬にキスする様にペロペロと舐め、そのまま親猫と一緒にその場を去った。そのまま残された私は、少年に背負われる事となったのであった。

 

後ろから見えるその少年は耳を真っ赤にしながらこちらを振り返る事も無く私を運んでいた。----やっぱり、重いのかなぁ、私。胸の成長に合わせて増えていく体重に少々憂鬱になっていたが、この見た感じスポーツマンな男の子も、顔を真っ赤にさせるくらいの重さになってしまったのか。何となく、哀しくなってしまう。

「この先に公園があるから、そこまで運んでもらえれば」

「りょ、了解です」

彼はそう素早く返答すると、歩くスピードを速めていった。

 

先にあった児童公園まで辿り着くと、彼は砂場の前にあるベンチに私を降ろしてくれた。

ベンチに腰掛け、一つ息を吐いた。

「その-----大丈夫ですか?タクシーがいるなら、呼びますよ?」

「ううん。流石にそこまでは頼めないわ。大丈夫。ちょっと休めば歩けるようになると思うから。-----あ、そうだ。自己紹介していなかったわね。私は石戸霞っていうの」

「あ。俺は須賀京太郎といいます」

「須賀君というのね。------その、今日はごめんなさい」

ひとまず、謝る。

もう何度目かも解らぬ謝意を示す。仕方があるまい。今日の私はあまりにも情けなかった。

「あ、いえ、大丈夫ですから---」

それと、

もう一つ伝えるべき事がある。

 

「そして――ありがとう」

いつも、謝ってばかりのあの子にずっと言い続けてきた事。

――謝らなくていいわ、小蒔ちゃん。それよりもね、私は”ありがとう”が聞きたい。

そう言い続けてきた私だから、言わなくちゃいけない気がした。

 

彼は顔を真っ赤にして、「い、いえ-----」と下を俯いていた。

案外シャイなのだなぁ、なんて思って-----ちょっとだけ、顔が綻んだ気がした。

 

 

「――へぇ。須賀君は、はんどぼーる、をやっていらっしゃるんですね」

「は、はい」

はんどぼーる。

聞いた事のない競技だ。

自覚はしている。私はいくらお姉さんぶっても五重箱位のぶ厚い箱入り娘だと言う事くらい。

「その試合が明日あるからここに来ていて----で、近くに神社があるから行ってみようと思って」

彼は以前にも鹿児島に来ていたらしく、その時神社に祈った時に大活躍をしたらしい。

だから今回も神様にあやかってやろうと参拝先を求め、この辺りをうろついていた時、偶然にも、トラックに轢かれそうになっていた私と猫を見つけたと言う。

 

「-----ふんふむ」

この辺りの神社と言えば、一つしかあるまい。

「ねえ、須賀君――実は私、その神社、知っているの」

「え、そうなんですか!?」

「当然。だって私は――」

ふふん、とちょっとだけ胸を張って、私は言った。

「その神社の、巫女ですから」

彼はそれを聞くと、一つ首を傾げていた。

その反応すら面白くて――私は自然と、くすくすとした笑みを浮かべていた。

 

これが私と、須賀京太郎君との初めての出会い。

 

まず少しだけ、ここに記そうと思う。




大谷のニュース。そして今永。
今日は本当に素晴らしい日だった。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

亭午の記②

鹿児島には幾つもの神様が祀られている。

学問の神、菅原道真や武を司るスサノオ。人でありながら勝利の神として祀られた東郷平八郎の故郷も鹿児島にある。

「だから、鹿児島は凄く縁起のいい場所なのよ」

道すがら、私はそんな事を説明していた。

勝負事の運気を高める為にわざわざ足を運んだと言う須賀君の為に。

 

学校の勉強とは別に、学んできた神様の諸々。

それは特段苦痛ではなかったけど、でも知っていたからといって褒められる事はない。披露する機会も無い。自分の頭の中だけで収めて、あとは仕事の時に少しだけ使うだけ。

須賀君はふんふん、としっかりと耳を傾けながら私の話を聞いていた。

それが何だか嬉しくて、ついつい饒舌になってしまう。

 

「あ。ごめんなさい。私ばかり話してしまって」

ついぞ十五分ばかり話し続け、ようやく自分の状態に気付いた。

会ったばかりの年下の男の子に自分の知識の披露会を始めてしまった自分の姿に。

何だか、話し相手に飢えていたような、そんな印象を与えたのではないか――そう勝手に想像して、勝手に恥ずかしがっていた。

「いえ、大丈夫です。メチャクチャ為になりました」

そうカラリと笑いかける須賀君の表情は、ウソを言っているようには見えなかった。

少しだけ、安心する。

 

「そう?でも、私ばかりというのも悪いわ。----そうだ、須賀君の話も聞かせてもらえないかしら?」

「え?俺の話ですか?」

「うん。でも、確かにいきなりじゃ話に困るわね。じゃあ、その、ハンドボールって何なのか教えてもらえないかしら?」

実際に、興味があった。

私はずっと箱入り娘で、外で遊ぶ機会もそれほどなかったし、そもそも積極的に外に出るタイプでも無かった(運動神経も壊滅的だった事も多分関係があるのだろう。うん。多分)

だから、本当に競技に打ち込んでいる人の話を、一度でもいいから聞いてみたいと思ったのだ。

 

それから須賀君は、話をしてくれた。

話し方はとても丁寧だった。ざっくりとしたルール説明から入って、身振り手振りで軽い実演も行ってくれて。どういう感覚のスポーツなのか、何となくだけど理解出来た気がした(あくまで気がした、だけど)。

「へえ。そういうスポーツなのね------。それで、鹿児島で試合があるのね」

「はい。今日はこの近くであるんです。練習試合ですけど。でも全国の常連チームで、勝てればそれだけでチームに気合いが入ってくれると思うんです」

「ああ、だから今日神社にお参りに来ていたのですね」

「はい」

「今日は練習は無いんですか?」

「実は三日前に試合がありまして、今日は休養日になっています」

あはは、と笑いながら彼は事もなげにそう話していた。

 

「-----ハンドボール、好きなのね」

そう、思わずぼそりと呟いた言葉に――彼は一つ頷いた。

「はい」

短い言葉だったが、それだけでも十分な気がした。

「------ハンドボール、野球や麻雀みたいにメジャーなスポーツじゃないですけど。でも、それでも、楽しいんです」

 

そう、彼が言うと同時、神社に辿り着いた。

 

 

境内に上がる。

それから彼は柄杓を手に両手を清め、賽銭を入れ、鈴を鳴らし、拍を取り、手を合わせる。

 

その表情は、とても真剣なものだった。

縋る様な必死さではない。

神に祈る、という儀礼的行為の中で、自分の気合を入れ直していると言うか。神に頼る、というよりも――神を前に決意表明をしている、という感じを受けた。

 

その表情が先程までの童顔気味な顔と殊更に違っていて――その違和感に、少しだけ、ドキリとした。

 

「ねえ、須賀君」

祈りを終えた須賀君に、私は声をかけた。

「はい?」

「何を祈ったの?」

何となしに、聞いてみようと思った。

 

思えば、私は神様に自分の事を祈った事がなかった気がする。

儀礼の中で祈りを捧げる時、私は周りの幸せを願っていた。

 

自分の為に祈りを捧げられるほどの熱を、私は持っていなかった。

だから。

 

「そりゃあもう決まっていますよ」

彼は迷いなく、言い切った。

「もっと、チームが強くなることです」

 

そう言って、彼は笑った。

その笑い方は、何かとデジャビュしたように思えて――そして、思い浮かんだ。

――うん。ありがとう、霞ちゃん。

そう、いつも笑いかけてくれる、あの子の笑みに。

 

そう、と私は言って――ちょっとだけ、彼にこの場で待ってもらうように頼み、近付いた。

その左手を軽く握り、身体の前に持っていく。

「須賀君。手を開いて」

「これは」

「私からも、一つ贈り物」

それは、お守りであった。

幼い頃自分で作って、そのままずっと身につけていた、お守り。

「折角足を運んでもらったから、私からもプレゼント。――今日は、本当にありがとう」

「え、えっと-----いいんですか?」

「ええ。-----貰ってもらえないと、拗ねちゃいますよ」

「いや!そんな事はしません!------ありがとう、ございます!」

彼は本当に素直に表情をコロコロと変えながら、頭を必死に下げてお礼を言っていた。

「俺、頑張りますから!――石戸さん、本当に――」

ありがとう、と。

何度も彼はそう口に出して、私に言葉を紡いでいた。

 

暫くして、彼は神社を去っていった。

私以外誰もいなくなった神社は何だか殺風景に思えた。思えたけど。――心に残る邂逅の余韻が、まだ胸の奥底に心地いリズムを刻んでいた。

 

私は財布を取り出して、賽銭を入れる。

そして――願い事を託す。

 

どうか。

どうか、あの素敵な男の子に幸があらん事を。

 

そう願った。

結局、その願いも自分ではなく、他人に向けてのモノだったけど。

 

でも――他者に向ける願いは、感謝の裏返しでもある。

私が歩んでいる道。この先にある未来。

それは私を支え続けている人達が、必死になって作ってくれたからここに存在している。

 

情熱、と呼べるほどのものではないかもしれない。

でも、私の心の内に――誰かを、感謝し、敬い、幸を願う心持ちが存在していて、その為に祈りを捧げる精神性が確かにそこに確立されていて。

皆の「お姉さん」は冷めた心内の裏返しなんかではなく――皆が幸せになってほしいという祈りの一部なのだと、あの男の子との出会いの中でようやく気が付く事が出来た。

 

だからもう一つ。

これは神様じゃなく――この先にある自分の未来へ、願いを込める。

 

――いつか。あの彼のように、私だけの大切なものを見つけたい。

そう願って、私は一つ微笑んだ。

 

 

次の日。

私は清々しい気分で仕事に励んでいた。

 

そこで触れ合う人達に確かな感謝を持ちながら。

――もう迷いはしない。

 

凄く良い気持ちだった。そのはず、だったのだけど。

 

その日――やけに救急車のサイレンがやけにうるさかった事だけが、ちょっとだけ気にかかっていた。

 

 

これが、過ぎ去った過去の記録。

一つの邂逅と、少しの切っ掛け。

ただ。

落ち葉の一つでも、静かな湖であれば、波紋を作る事も出来る。

 

私にとって、この出会いはそういうものだった。

停滞していた私の中に、一つの波紋を生み出してくれた――そういう出会い。

 

あの人にとってはどうだったのかな?

私には思い測る事は出来ないけど――それでも、あの瞬間だけは、きっとよかったものだと思ってくれていたら。

きっと私は嬉しいのだろうなぁ。

 

一つ、一つ記していく。

嬉しい事も。悲しい事も。

山も谷も、私という視座から見ればあまりにも小さいものだけど。でも――それでも、それでも。あの人は色々な事があった。

谷底の中で時雨に震える様な日もあった。

山から転げ落ちた事もあったのかもしれないなぁ。

 

けれど。

その全てを一つの道と捉える事が出来れば。

いつか左回りの時計があればなぁ、なんて思った時に。

ふと、振り返れるものがあれば――今の幸福を、少しでも思い出せるものが、そこにあってくれたら。

 

故に、私はここに記します。

霧が降る日々、四季結ぶ時期の中、切り抜いた一つの過去の断片を。

 




はじめて一人称主体のお話を書いております。
前の書き方の方がいいのであれば、じきに戻そうと思います。

畜生。------ラストイニングでもう一回満塁弾出ないかにゃー。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

亭午の記③

今回はアラサー編との同時掲載です。


暖かい光の中。

 

温度を、失った。

 

 

 

全身から吹き出る汗は、いつも走り回っている時に排出されるモノじゃなかった。ナメクジに這い回されるているかのようなぞわぞわとした悪寒と共に、温度を心底から奪っていく冷や汗。

 

痛みなんてない。

 

肩を中心に全身の感覚が放棄されたかのように、何もかもが奪われていた。痛みも、思考も、何もかも。

 

 

 

仲間たちの喧騒。響くサイレンの音。

 

 

 

何も感じなかった。

 

何も。

 

 

 

なのに。

 

なんで------視界が、滲んでいるんだろう。

 

 

・ ・

 

 

――脱臼と同時に、いくつかの神経も切れちゃってるね。-----暫くはリハビリ生活になってしまう。君には辛い事だろうが。

 

日常生活には戻れるだろうけど、多分投げる動作をしてしまうと痛みが走ってしまうと思う。-----こればかりは、多分何年間かは続いてしまうと思う。ハンドボールを続けるのは、厳しいかもしれない----。

 

けど、話を聞いた限りだと、今回怪我した時の試合では、そんなに肩を動かしていなかったみたいだね。パスワークも身体の接触もそれほどなかったみたいだし。多分、試合前に肩に異変があって、試合の時に一気に負荷がかかってしまった感じかもしれないね。

 

須賀京太郎君。

 

試合が始まる前に、肩に負荷がかかる様な動作をしなかったかな。

 

肩を激しくぶつけてしまったりとか。

 

もしくは

 

――思い切り、何かを引っ張ってしまったり、とか。

 

 

高校生活の、その次の世界。

私には、決めたことがあった。

 

「――鹿児島を出るんですかー、霞ちゃん」

「うん」

私の一番の親友―ー初美ちゃんの問いに、私は答える。

「何でですかー。大学に行くなら無難に地元の国立に行けばいいじゃないですか」

「無難じゃない道にちょっと行ってみたいって思ったのよ。冒険心ね」

「気を付けてくださいよー。霞ちゃん含めてここに居る皆箱入りのお上りさんなんですからね。都会に行って痛い目見ても知らないですよー」

「あらあら。大丈夫よ。――私、人を見る目はあるもの」

「まあ、霞ちゃんはしっかりしてますから。姫様が同じことを言いだしたら、お付きの人を何人も総動員しなきゃいけないですもんねー」

はぁ、と一つ溜息を吐くと―ー初美ちゃんはさらに私に問いかける。

「それで、どうやって行くつもりですかー」

「実家に余計な負担を強いる訳だし、推薦で行けるところの中で、学費免除の特待が受けられるところに決めたわ」

「それって、永水の推薦ですよね」

「そうよ」

「枠は何個あるんですか?」

「確か、三つだったと言われてたわね」

その言葉を聞いて――初美ちゃんは、やれやれと手を掲げながら、

「------じゃあ、私もそこに行きますよー」

と。

そう言ったのでした。

え、と首をかしげたその瞬間―ーぐわ、と私に顔を近づけ(届いてないけど)捲し立てる。

「だって―ー!霞ちゃんだけずるいじゃないですか!私だって都会で大学生活送ってみたいじゃないですかー!」

私の巫女服の袖口を引っ張りながら、初美ちゃんは心の底からの叫びをあげていました。

「――いいですか?霞ちゃんの所の両親はゆるゆるのゆるゆるですけど、うち皆がそうじゃないんですよー。うちの所なんか、絶対に都会に行かせてはくれません!」

「そうなの?」

「そうなんですー!------だから、私は霞ちゃんを利用させてもらいます!」

「利用?」

「そう。――私の目がないと、絶対に霞ちゃんは痛い目に遭うから!私がしっかりと見張っててやりますよー!------という訳で、まずは霞ちゃんの家にお邪魔しますね」

「え?何故かしら?」

何故なのかしら?すぐさま今の口上を自分の両親に伝えるものかと思ったのだけれど。

「こうなりゃ霞ちゃんも霞ちゃんの両親も全員巻き込んで利用してやります。まずは霞ちゃんの家に私の存在のありがたさを説き伏せて、石戸家全員で私の県外行きを支持してもらうんですよ!」

ええ------。

本当に、文字通りに私を利用するつもりなのか。この親友は。

ちょっと呆れてしまう。

 

-------なんてのは、嘘だけど。

本当は心から嬉しい。

初美ちゃんの言葉の真偽は、本当に解り易い。

私を心配している言葉は、きっと本心。

本当に心配してくれて、だからこそここまでなりふり構わず一緒の大学に行ってくれると言ってくれているのだと思う。

 

「ふふ。しょうがないわね」

「それはこっちのセリフですよー。しょうがなく!私は霞ちゃんの所に行ってあげるんですから」

「あらあら。都会の大学に行きたいんじゃなかったかしら?」

「それとこれとは、話は別です!」

 

うん。解っているわ。

ありがとう、初美ちゃん。もう大好き。

 

 

大学生活というのは、本当に不思議の連続だった。

ここには、色んな人がいた。

違う目的と、千差万別の色と背景を持った人たちが集まった、巨大な人間交差点。

 

それが、大学だった。

一年目。右往左往していた私(と初美ちゃん)によくしてくれた人がいて、その縁もあって今は麻雀サークルに籍を置いている。

二年目になるとさすがに私も慣れて、色々な事を積極的に行うようになっていった。

 

喫茶店や書店でアルバイトをしてみたし、外国人留学生の交流会にも行った(その時、三年で当たった宮守のエイスリンさんに偶然会った。凄く嬉しかったけど、名前を忘れておっぱいさんと呼ぶのはやめてほしかった)。

色々なところに足を運び、それだけ色々な側面を知ることができた。

人が集まり、出会いを重ねていく。

その一つ一つの出会いを経て―ー私の中にある、私という人間が少しずつ深まっていくように感じられた。

 

鹿児島の皆と一時的にお別れした痛みも。

その分だけ新たな出会いを重ねていく喜びも。

 

私という人間を、少しずつ変えていく。

そのことに―ー例えようのない喜びを感じてしまう。

 

それも、彼に教えてもらったことだ。

新たな出会いの中で、私は私の中に新しい価値観が生まれた。

それ故に、積み重ねられている今を。日々を。

感謝をして、感謝をした分だけの祈りを捧げて、私は私として今を生きています。

 

――また会えたなら、絶対にお礼をするわ。

今でも彼は、渡したお守りを持ってくれているだろうか。

そうであれば、いいなぁ。

 

 

「---------」

「---------」

 

現在。

一人の男と、一人の女が向かい合っていた。

 

「--------あの」

「--------なんですかー?」

 

一人は、金髪の男性であった。

手提げポーチを下げ、ジーンズに紺のシャツにグレーのジャケットを引っ提げたこの男は、視線を足元近くに向けている。

その視線の先に、向かい合う女の顔がある。

 

その女は、街路にて―ー「巫女娘メイドカフェどうですか♡」と書かれた看板を背負って、そこにいた。

「確か、永水の――」

「------いいえー。私の名前は鹿児島系巫女娘”初”ですー。人違いも甚だしい。何処のどいつですかー。その永水っていうのはー」

 

「--------」

「--------」

 

いや。

だって。

明らかに―ー。

その表情の変遷は、きっと解り易かったんだろう。男の感情が戸惑いに起伏すると、女の表情も戸惑いに揺れる。

そして、彼女は地面を指差し―ー男に身をかがませるように求めた。

「-------いいですかー?」

「はい----」

「-------絶対に口外しないで下さいね-------!」

「--------」

 

やっぱりか、と思った。

そりゃあ、そうだ。

こんな特徴的な人、そうそういる訳がない。

 

「--------」

「--------それじゃあ」

男は手を振ってその場を去ろうとするが。

 

「--------逃がしませんよ」

その手が、掴まれる。

「私の秘密を知ったのです。-------せめて、一つ貴方に貸しを作らせてもらいますよー-------!」

 

こうして。

――須賀京太郎と、薄墨初美は出会った。

 

この出会いが――再会の切っ掛けになるとは、未だ知らず。



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

亭午の記④

誰かの幸せを願う事。

それは別に特別な事じゃない。

大切な誰かが、好きな人が、幸せであることを喜ぶ。不幸になったことを悲しむ。誰だってそんな愛情を胸に抱いて生きているはずなんだ。

だから、願う。

あの人の幸せを。

 

願い、祈る。

――その心は、でも。

どうなのだろうか。

本当に?

純粋にそれを願っているのだろうか?

 

純粋なんて、誰がわかるんだ。

白い画用紙にだって、よく見れば薄く色づいている事だって、よくある事だろう。

どうだ?

お前は、どうだ。

せせら笑うように、自分の内なる声が聞こえてくるような気がした。

お前の不幸は誰のせいだ?

誰のせいだ?

自分のせい?

そう本当に思っているのか?

いや。そう思っているんだろうなぁ。九割九分そう思っているんだろうなぁ。

でも一分たりとも-----そこに自分以外の誰かのせいにする心がないと、そう言えるのか?

どうだ?

解るか?

解らないだろうなぁ。

自分の心なんて、そんなものだ。解るはずもあるまい。

 

だって-----。

解っていたなら、なぜお前はあの時-------。

 

 

思い出す。

全国の舞台。大会会場で見えたかつて鹿児島で出会った美しい女性がそこにいたことを。

そして----会場で彼女の視界に映らぬように無意識に行動していた自分を。

 

思い出せ。

思い出せよ。

そして、問いかけてみろよ。

 

その心に一点の曇りもなく、まだ彼女を想っているのならば------何で顔を合わせないようにしていた?

顔も向けられないだろう。

夢潰え、その成れの果て。

そんな姿を知られたくない――そんな思いをお前は持っていたのだろう?

 

そして。

その因果に、お前も心のどこかに何か――思う所がないとは言えないんじゃないか。

あるとは言えないだろうが。

完全にないとも、言い切れないだろう。

 

問いかけてみろよ。

お前は――まだ誰かの幸せを純粋に祈れているのかを。

 

 

つまりだ。

薄墨初美は実技指導員なのだ。

 

地元鹿児島を離れ、はや二年の歳月が過ぎた。隔絶された世間の様相から解き放たれ俗世の毒を一身に受けた彼女はまるで水を得た魚の如く。

親友が自分のやりたいことをやっているように、自らも存分に好きなことをやり続けていた。

はっちゃけた。

反省はしている。されど後悔の二文字はなし。

省みる必要性と悔いることの無意味さを理解している彼女は、大学生活という名のモラトリアムを大いに楽しみまくっていた。

 

とはいうものの巫女たるもの流石に一線というものは弁えている。

さすがに。さすがにだ。巫女として生きてきた経験を切り売って「巫女娘」なる怪しい名称を看板にぶら下げてパチモンの衣装に身を包んでお金を稼ぐような――そんな、恥知らずかつ冒涜的行為に、その身をやつすなど-------。

 

やっちゃった。

 

やっちゃったのです。

 

「--------」

「--------」

 

彼女は実技指導員なのだ。

 

”高校時代何をしてた?”

”麻雀やっていました。それで、巫女もやってました。鹿児島出身です”

”アルバイト?”

”いえ。家のお仕事で。ちゃんと資格もあります”

 

たとえ源氏名を与えられようと、看板を掲げて店の呼び込みをしようとも、あくまで彼女は巫女としての所作を従業員に指導する立場である指導員なのだ。

現在――自身の正体を知る男の子を口封じのため店に連れ込み奢ってやっていたとしても、当然の如く指導員なのだ。

解るか?

解らないなら解らなくて結構。

それでも薄墨初美は――あくまで、あくまで、重ねてあくまで、指導員なのだ。

 

「-------へー」

「----」

だから何だって顔をしてやがりますね――そう薄墨初美は思うと同時に、これから先仮に自身のバイトが実家にばれた時のことを考えていた。あれだ。そうなったらインドに行こう。インドに行って、家族を洗脳できる超能力とか手に入れてこよう。そうしよう。

 

「----あの」

「-----なんですかー」

「一つ、聞いていいですか」

 

目の前のパツキンの青年は、割と真剣な目で尋ねる。

「その-----薄墨さんは、石戸さんと今でもお知り合いですか?」

「何ですかー。君、霞ちゃんのファンですかー?」

「------はい。そうですね。ファンみたいなものです」

ファン、「みたいなもの」

-----普通なら気味悪い言い回しだが、その少年から吐き出された様相が、何やら妙に自然体だった。ちょっぴり切なそうで、だけどとても嬉しそうで。その自然さが、違和感を限りなく拭い去っていた。

「------大学に行ってるんですね」

「ですよー。やりたいことをやりたいって、大学に行ったんですよー」

「----そう、なんですね」

目の前の少年は――とても純粋な喜びを湛えた笑顔を浮かべて、

「それは――凄く、良かった」

目を瞑って、彼は一つ何かを噛み締めるように俯く。

-------不安から解放された時のような、安堵混じりの仕草と、表情。

 

初美はその様相に首をかしげながら、少年を見る。

------いや。やっぱり見たことのない男の子だ。

 

「お代、幾らですか?」

彼は続けてそう尋ねた。

「私の奢りだって言っているじゃないですかー」

ここで、巫女のステータスを切り売りして接客業を行っているという暴挙を行っているという事実を覆い隠す為にこの青年を店に入れたというのに。奢らなければ意味がないというのが解らないのかこの金髪さんは。

「-----大丈夫です。黙っておきますから」

そう言うと彼は席の端にあった明細を手に、反論する隙も無く財布を取り出してレジへと向かう。

 

――あれ?

その財布にストラップのようについているお守りが、目に入った。

 

――あれって――。

 

同じものを、薄墨初美も持っている。

中学生の頃。確か霞が誕生日プレゼントの一つとして渡されたものだ。

 

「ちょっと待って」

思わず、初美は彼を呼び止めていた。

 

 

「------いや。俺もうお昼食べたんですけど」

「デザートでも食べますかー?」

「いや、これ以上奢っていただくわけには-------」

「いいから。君の一時間をお姉さんにちょっと買わせなさい。お代はそこのメニューから好きなだけ」

初美はさりげなく彼の横顔を無声アプリを導入したカメラで撮る。

一応弁解をしておくと、これはアルバイトの際にセクハラをされた際とかに相手を社会的に抹殺するための手段であり、決して盗撮するためのものではない。そして、世の中人助けの為にちょっとくらいルールを破ることが許容されることもこの世の中ままあるものなのだ。これは、そのための行為だ。断じて、断じて、盗撮ではない。うん。

 

「君の名前を聞いてなかったですね―。何て名前ですか?」

「須賀ですけど-----」

「須賀君ですかー。------霞ちゃんに何か御用ですかー?」

「い、いや。特に用はないんです。本当に」

はい。ちょっと動揺が見えましたねーこの金髪さん。

後ろ暗いことがあるわけでは-----なさそうです。何というか、彼が醸し出しているこの申し訳ないという感じは、緊迫感があるものじゃなくて。------こう、何というか、ばつが悪そうなのだ。

もしかして、だけど。

かつて霞ちゃんに告白した男子の一人とかであろうか。

 

ありえる。

充分にあり得る。

 

その思いが誠実であれば、きっと彼女もまた誠実な断りを入れるであろう。もしかしたら、ちょっとは仲がいい男の子だったりするのかもしれない。彼女が親しい人によく配るお守りを渡すくらいには。永水は女子高だけど、別に外の出会いがないなんてこともない。

 

------これは、面白そうですよー。

ふふん、と内心笑いながら彼女は内心ノリノリで、スマホを弄っていく。

画像を添付して、名前は須賀君ですよー、と。霞ちゃんに会いたそうにこちらを見てますよー。

さあ。

どうなるかなー。

 

------そんな、そんな。悪意のないお気楽さで。

 

「あ」

そして、気付いた。

 

「------霞ちゃんにここのバイトの事、黙っていたんでしたー」

 

回帰不能の送信ボタンを指先でノックしたその瞬間、悪意が狙いすましたように、彼女の意識はその事実に追いついた。

あ。

 

彼女は――全身を冷や汗に塗れさせていた。

面白カウントダウンが、処刑執行カウントダウンに切り替わった瞬間であった。

 

 

この時私は、本当に心躍っていたんです。

あの時の少年が青年になって、変わらぬ面影をその横顔に刻んでいたことに。

 

でも。

その変わらない面影は。

――ある日を境に彼が身に着けた、残酷な優しさで保っていたものだと。

知った日はまだまだ先だったけど。

私は、私と、彼と彼の影を交互にその時に見続けることになったのかもしれない。

 

このお話は、まだ亭午の最中。

 

落陽にはまだ、早く。

 




2位じゃダメなんですか。
ダメじゃないんです。

でもまだ夢を見させて-------。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

亭午の記⑤〇

ひっそり久々更新。



 さあさあやって参りました。

 デスマッチです。

 

 デスなマッチです。

 

 親友との邂逅が一転。このまま出会ってしまった瞬間にデスなマッチになること間違いなしの状況下。

 元永水女子麻雀部員かつ現役JDかつパチモン巫女喫茶の実技指導員(時給2000円)である薄墨初美の脳内に流れる時間は、この瞬間──きっと地球上のどの生物よりも遅い時間を得ていた。

 

 石戸霞が大学よりこの喫茶にまで足を運ぶまでの時間、おおよそ1時間であろうと推測。大学からのバスを経由し、電車で四駅ほど。それからおおよそ徒歩十分ばかりの時間を得てこの喫茶まで辿り着く。

 

 

 舐めるな。

 この薄墨初美の頭脳であらば──この程度の苦境、乗り越えて見せる。

 己が蒔いた最悪の破滅への道。きっと粉々にしてくれようぞ──。

 

「いいですか須賀君!」

「は、はい?」

「これより私はニ十分以内に店長に”有休”を申請し、この店からトンズラをこきますー! 君は偶然にも永水出身の私と道端で出会い、霞ちゃんの近況を私に尋ね、そしてぐ・う・ぜ・ん近場にあったこのお店に入った! 私は須賀君と霞ちゃんを気遣い、クールにこのお店を去り、先に会計を済ませていたのです! いいですかー?」

「えぇ...」

「ではでは! 後はごゆっくり!」

 

 そう言うと風が吹く様な素早さで彼女は店のバックヤードに赴くと、店主らしき女性と話しかけていた。

 

 ──そんな道理が通ると思いますか? いいからキリキリ働きなさい。何のために他の人より二百円高い時給をこちらが払っていると思っているの。

 ──いいんですかー? このままここにいたら、私もうこのお店で働けなくなるかもしれませんよー

 ──何を大袈裟な事を言っているんですか。

 

 言い争いの声が聞こえてくる。

 無事に生き残れればいいですね。自分が蒔いた地雷原にわざわざ五体投地するような馬鹿をやった果てであったとしても──。

 

 

 

「.....」

 

 須賀京太郎の胸中は。

 逸る様な感情もありつつ──言葉を選ぶ準備を行っていた。

 

 いつか──こんな時が来るのかもしれないとは、ずっと思っていたのだ。

 

 そして。

 

 少しだけ荒い、ドア鈴の音が響く。

 

 そこには──少しだけ汗ばんだ、かつての姿があって。

 

 京太郎は、少しだけ目を閉じた。

 

 

「は......は、はぁ.....!」

 

 積み重なったものというのは。

 自覚なく己の中に山積していくが故に──その大きさが目に見えなくなる。

 

 そして、ふとした瞬間にその思いの大きさに気付く事もまたある。

 

 石戸霞にとって、この瞬間がそうであった。

 かつてあった思い出の中にいた人物が、たった一枚の写真で送られてきて。

 

 一瞬身体が強張り、時間が止まったように頭の中がストップして。

 脳が現実を受け入れた瞬間より。思考よりも前に、身体が動き出していた。

 

「はぁ.....は....!」

 

 思ったよりも──とても大きなものであったのだと。そう自覚してからは速かった。

 普段は倹約家である霞も。大学前に停まっていたタクシーを躊躇なく使い、駅に向かった。

 駅に着いたと同時に滑り込んできた電車に間に合うように、運動慣れしていない身体に鞭打ち走った。

 

 一刻も早く、会いたかった。

 

 

 ──ずっと会いたかった。

 ──何をしているのだろうと思っていた。

 ──まだハンドボールはしているのだろうか。あの後試合はどうなったのだろうか。高校では何をしていたのだろうか。

 

 そして。

 

 .....まだ。あの時の事を覚えてくれているのだろうか。

 

 止まった時間が動き出したと同時に。

 本当に。色々な感情がそこにあったのだと理解できた。

 

 ずっと積み重ねて。それと同時に埋もれていて。思い出として過去の中に褪せていったものが。

 すっ、と掘り起こされて。色づいていく。そんな感覚に、いてもたってもいられなくなって。

 

「はぁ......は...」

 

 見えてくる。

 写真に添付された住所の建物が。

 

 

 少し慌てて玄関口を開ける。

 そこには──

 

 

「あ....」

 

 

 玄関を開けると共に。お互い、同じ声を同時に上げてしまった。

 

 

 かくして。

 幾年かぶりに、二人は再開を果たしたのでした。

 

 

「.....」

 

 

 こんにちは。薄墨初美でございます。

 現在無理矢理体調不良という事で休みをぶんどり、外から隠れて様子を眺めております。

 

 当然外なので会話が聞こえてきているわけではありませんが──窓から見える霞ちゃんを見る分には、本当に嬉しそうです。

 告白した/されたの関係ではなかろうかと推測していたが。

 それにしては気まずい雰囲気をあまり感じません。

 

「ふふん。──地獄への綱渡りをしてまでキューピッドになった甲斐があったというものです」

 

 その様をまた、窓越しにパシャリ。写真を撮ると同時──その場を離れます。

 これ以上は無粋。

 そして危険。

 何故かは解らないが──何かが抜け落ちているかのような。そんな気がしている。

 今自分は確かに地獄の綱渡りを終えたはずで。か細い綱を渡り切ったという安堵感が確かにあって。

 

 そうやって安心して立っておる地平も──まだ、何かしらのヤバさを内包しているかのような。

 

「考えすぎですよ~」

 

 そう呟いて──その場を離れました。

 

 

「えっと....お久しぶりです、でいいのかしら」

「はい。お久しぶりです石戸さん」

 

 恭しく一礼すると同時に。石戸霞は、対面の席に向かう。

 白装束の巫女──それも改造甚だしい衣装を着込んだ──店員がうよめく店内を、少し困惑したように霞は見ていた。

 

「こ....これはどういうお店なのかしら....?」

「あの....どうやら薄墨さんが好んで通っているお店だそうで」

「へ....へぇ」

 

 もしかして初美ちゃん、こんなお店に通う位に実家が恋しくなってきたのかしら、などと思った。

 

「石戸さん、麻雀やっていたんですね。全国大会見て、凄くびっくりしましたよ」

「え! 見てたの?」

「はい。──俺、実は清澄麻雀部の部員だったんですよ」

「え! じゃあ、あの時会場にいたの!?」

「はい。まあ俺は当然付き添いみたいなものだったんで。気付かなくても不思議じゃないとは思いますけど」

 

 大体控室のモニターで試合の様子見てただけでしたしねー、と頭を掻きながら京太郎は呟く。

 

 .....そうだったんだ、と霞は思った。

 

 自分と同じ部活に入ってくれたという事はとても嬉しい。

 自分の好きなものに。偶然にも興味を持ってくれたということだろうから。

 

 それと同時に、思う。

 

 ──ハンドボールは、どうしたのだろうかと。

 

「それにしても.....不思議なお店ね」

「本当ですよね。でもご飯は美味しいですね。薄墨さんから奢ってもらいました」

「あ、そうなの。──ふふ。後から初美ちゃんにはお礼を言わなくちゃ」

 

 気にはなっても。何となくそこに踏み込めない。

 何かしらの事情があったのだろうと。そう簡単に推測できるから。

 それならば──せっかく年月を経て再会できたのだから。自分と新たに出来た共通項について話した方が楽しいに違いない。

 

「大学でも麻雀続けているんですか?」

「うん。今でもサークルで活動しているわ。麻雀楽しいもの」

「.....良かった」

「.....うん?」

 

 何というか。

 凄くホッとしたような表情を浮かべたものだから。

 少しだけ気になって疑問の声を上げてしまう。

 

「いえ。ただ──」

 

 京太郎ははにかみながら、呟く。

 

「元気にされていたんだな、って」

 

 そう呟いた時。

 少しだけきょとん、としてしまった。

 

「いえ。何となく。──ほら。石戸さん、あの時車に轢かれそうになったのもあるんですけど。何となく、元気がなさそうな感じがあったので」

「えっと....そうなの?」

「あ、単なる俺の印象ってだけですよ? でも──やっぱり。あの時お守り貰った時。本当に力を貰ったような。そんな気がしたんです」

 

 お守り──。

 

 ああ、と思った。

 やっぱりこの人は、あの時の記憶を。ちゃんと覚えてくれていたんだって。

 

「.....嬉しい。あの時の事、覚えてくれていたのね」

「はい。──忘れるわけないです」

 

 そう言うと。

 少しだけ気恥ずかしそうに、彼は財布を取り出した。

 

 そこには。

 あの時手渡したお守りが、くっ付いていた。

 

「あ...」

「ありがとうございます石戸さん。──今でも、大事にさせてもらっています」

 

 ──あの時、ほんの少し邂逅しただけの男の子は。

 今もまだその時の事を覚えてくれていて。そしてその証を、今もまだ大切に持っていてくれていて。

 

 それだけで。本当にここにきて良かったと。心の底から思った。

 

 

「須賀君も、東京の大学に?」

「はい。ここから二駅先の大学ですね」

「あら。。私が通っている所と近いわ」

 

 それじゃあ、と。

 スマホを取り出す。

 

「ここで会ったのも何かの縁。──連絡先を交換しない?」

「えっと....いいんですか?」

「うん。折角だし、また遊びましょう? 須賀君もまだ東京に来て日が浅いでしょう? ──ふふ。私が案内してあげる」

 

 もうお上りさんだった自分はいない。

 もうかれこれ東京暮らしも三年目だ。男の子一人案内できる程度にはこの街にも慣れたはず。こう言う所で、少々お姉さんらしい振舞いをしておきたい。

 

 

「それなら、是非」

「ふふ。──もうスマホだって使いこなせるようになったのよ」

 

 大学でも何度も繰り返したので、連絡先の交換もお手の物だ。

 アプリを起動し、互いのスマホの画面をカメラで写す。これだけで連絡先が互いに手に入る。──どうしてこんな事が出来るのか、未だ不思議だけど。

 

「気軽に連絡してくれたら嬉しいわ」

「はい」

 

 そうして連絡先を交換すると、少し安心してしまったのだろうか。喉が渇いてきた。

 

「せっかくだから、飲み物をちょっと頼んじゃおうかしら」

 

 そういってメニュー表を取り出した──瞬間。

 

「あ」

 

 そう、京太郎が呟く。

 取り出したメニュー表の間。栞のように挟まった何かが、テーブルに落ちる。

 

 そこには──

 

「.....」

「.....」

 

 無言。

 無言の時間がそこにはあった。

 

『当店の巫女娘をご紹介❤』

 

 ──鹿児島系『本職』巫女、”初”

 

 小柄な見た目だが、本格派! 鹿児島の神社にて修行を積み神職の資格も取っているという正真正銘の巫女が、愛嬌たっぷりにお出迎え! 

 

「.....」

「.....」

 

 ──おい、指導員。

 ──必死になって逃げまわった挙句が、この帰結ですか。

 

 ......まあ、何というか。その

 じゃあの。

 

「.....何をやっているのかしら初美ちゃん」

 

 

 ──薄墨初美

 ──処刑確定



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。