ミリオンライブの1ページ (笠原さん)
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春日未来〜めめんと、もり〜

めめんともめんとるるるるる


 

「プロデューサーさん。私、貴方の事が大好きです!」

 

夕日に染まる帰り道。

太陽は斜めに道路を照らし、カラスが鳴いて帰る頃。

隣同士の影から本物のプロデューサーさんに顔を向けて。

私は、そう告げました。

 

今日二人で一日中たくさんたっくさん遊んで。

とってもとっても楽しくて。

そして、ようやく。

今までの、不思議な気持ちに気付けて。

 

気付いてくれましたか?

プロデューサーさんにカワイイって言ってもらう為に、頑張ってオシャレしてきたんです。

思ってくれましたか?

何時もと違って少しメイクした私を、大人っぽいって。

 

大好きな曲を聴いてたら、なんだか楽しくなるみたいに。

プロデューサーさんといると、とっても楽しくて。

歌を歌っていると幸せになるみたいに。

プロデューサーさんといると、とっても幸せで。

 

なんでこんな気持ちになるんだろう。

なんでこんな嬉しいんだろう。

なんでこんな幸せなんだろう。

なんでこんな…苦しくなるのかな、って。

 

その理由が、やっと分かったんです。

分かっちゃったからこそ、余計に悩んだけど。

やっぱり私は、真正面から。

自分に嘘はつかないで、素直に伝えるしかないんだ、って。

 

だから…

 

「プロデューサーさん!私と付き合って下さい!」

 

涙がでそうなくらい不安になって。

言った事を後悔しそうになって。

怖くて、足が震えてしまいそうで。

それでも、プロデューサーさんを見つめて。

 

だから…

 

「…あぁ。俺も未来の事が好きだ」

 

とっても、とっっても!嬉しかったです!

 

嬉しすぎて、その場で飛び跳ねちゃいました。

ステージを成功させた時みたいに心は踊って。

不安なんて、何処かに飛んでっちゃったみたいです。

幸せで…涙が、溢れちゃいました。

 

「おいおい、泣く事はないだろ」

 

「だっで…だっでぇ!」

 

涙が溢れる、その瞬間に。

プロデューサーさんは、抱き寄せてくれました。

たったそれだけなのに。

心がポカポカあったまって…私って、単純ですね。

 

「俺は、笑顔の未来が大好きだ。だから、笑ってほしい…って、少し臭かったかな」

 

「プロデューサーさんは臭くありませんよ?」

 

もうすぐ家に着いちゃうのが勿体無くて。

ずっとずっと、抱きついたままいたいな、なんて。

でも、門限もあるし…

少ないとは言え、人もいるし…

 

「明日からも、よろしくな」

 

「あ…その、プロデューサーさん!」

 

でも。

このまま今日はお別れなんて勿体無いですよね。

だから。

一歩だけ、踏み込んでみよう、って。

 

家の前に着いて、一度離れて向き合い。

すーっと大きく深呼吸して。

そして、また。

プロデューサーさんに近付いて。

 

チュ、と。

 

触れるだけの、簡単なキスをしました。

たったそれだけの筈なのに。

なんだかとってもとっってもあったかくて。

頭がぐるぐるしそうで。

 

「そのっ!明日からも、お願いします!」

 

バターンッ!と。

家に駆け込んで大きく息を吸って吐いて。

バクバクする心臓と連動して足まで跳ねそうに。

ううっ!って恥ずかしさと嬉しさがごちゃ混ぜになったままベッドにダイブ!

 

もちろん、後悔じゃないですよ?

そうじゃなくって、ひたすら恥ずかしくて。

明日からちゃんと顔見れるかな?

顔、赤くならないかな?

 

ピロンッ。

 

スマホに通知が一件。

見れば、プロデューサーさんからで。

内容は、改めてよろしくな、って。

もうそれだけで、尚更嬉しくなっちゃいました!

 

取り敢えずスクリーンショットを撮ってから。

こちらこそ、よろしくお願いします!って返信します。

嬉しくて、嬉しくて、嬉しくて!

まるで幸せの頂点に立っているみたいに。

 

明日からしたい事、叶えたい事。

行きたい場所、連れて行ってほしい場所。

食べたいもの、撮りたいもの。

そんな夢を思い浮かべているうちに、夢の世界に落ちていきました。

 

…でも。

明日からも、なんてそんな当たり前でありふれた。

これからも、なんてそんな日々は。

今まで通りを今まで以上に過ごせる筈の世界は。

 

簡単に、なくなっちゃうものでした。

 

 

 

 

 

 

翌日目が覚めて、ウキウキ気分で事務所に向かいました。

ぴょんぴょん跳ねる心は、まるで青信号の点灯みたいに。

少し冷たい風と舞い散る葉っぱは、まるで私を祝福するみたいに。

行き交う人々が、今までと違うみたいに見えて。

 

きっとみんな、こんな幸せを経験してきたんだなって。

スキップしそうな足を無理やり抑えようにも難しく。

ニコニコしながら、事務所に着いて。

おはようございまーす!なんて、元気よく挨拶しながらドアを開けて。

 

でも、なかなか誰からも返事が返ってきません。

あれ?何時もだったら小鳥さんが、朝から元気ね、未来ちゃんは。

あぁ、若さっていいわ…なんて返してくれるのに。

もしかして、電話中だったりするのかな?

 

事務所に入ると、みんなが少し俯いていました。

なんでしょう?足元に何かいるのかな?

もしかして落とし穴に気を付けて歩いてるとか!

なーんて、能天気に。

 

「…ねえ、未来ちゃん。落ち着いて、聞いてくれる?」

 

「あ、おはようございます!小鳥さん!」

 

なんとなーく、少しだけ嫌な予感がして。

それを吹き飛ばす為に、大きな声で挨拶して。

でも、小鳥さんの表情は変わらなくて。

もしかして、私何か失敗しちゃいましたか?って不安になって。

 

…でも。

そんな不安を吹き飛ばすくらいに。

そんな事なんて、どうでもよくなるくらいに。

小鳥さんから告げられた言葉は、凄く辛いものでした。

 

「…プロデューサーさんが、事故に遭った、って…まだ、意識を取り戻さないみたい…」

 

 

 

それから、数日。

正直、何があったのかよく覚えていません。

ただ学校に行って、レッスンを受けて。

上の空だったので、たくさん注意されちゃいましたけど。

 

あの日、あの後交通事故に巻き込まれたそうです。

幸い命に大事はないそうですが、未だに意識は取り戻していないみたいで。

あんなタイミングで言っちゃったからかな。

私があの時あんな事を言わずに、直ぐにお別れしてたら巻き込まれなかったのかな。

 

折角恋人同士になれたのに。

頑張って勇気を出せたのに。

ようやく心が通じ合ったのに。

やっと素直になれたなに。

 

明日からも、が叶わなくて。

自分のせいで、なんて自分を責めて。

意味が無いことくらいわかってます。

それでも、やっぱり辛くて。

 

「大丈夫?未来」

 

「静香ちゃん…うん!もちろん、直ぐプロデューサーさんも良くなるよね!」

 

自分に言い聞かせるみたいに、無理やり元気をだして。

レッスンルームの壁にもたれ掛かって水分補給をしている。

そんな時でした。

 

「みんな!プロデューサーさんが意識を取り戻したそうよ!」

 

小鳥さんからの報告。

それを聞くと同時に、私は走り出していました。

ジャージのまま、階段を駆け下りて。

急いでタクシーを捕まえて、そこでようやくプロデューサーさんが入院している病院が何処だか聞かされていない事を思い出しました。

 

小鳥さんや他のみんなが降りてくるのを今か今かと待って。

みんなでタクシーに乗り込み、急いで病院へ。

車内で待っている時間は、1分が1時間くらいに感じられました。

それくらいに、待ち遠しくて。

 

病院へ着くと同時、既に聞いておいた病室へと走り出します。

早く、早く、早く!

プロデューサーさんに会いたい!

プロデューサーさんの顔を見たい!

 

病室の前では、既に他のみんなが集まっていました。

そのみんなの顔には、笑顔が浮かんでいます。

みんな、嬉しいんだな、って。

まるで自分の事みたいに嬉しくなって。

 

「…開けて、いいんですよね?」

 

「面会謝絶じゃないし、いいんじゃないかしら」

 

意を決して、みんなでドアを開きます。

 

ドアの先には、ベッドの上に座るプロデューサーさん。

こっちを向いて笑顔を向けると同時に、みんなが部屋になだれ込みました。

心配かけてごめんな、とか。

よかった、みんなが元気みたいで、とか。

 

自分自身が一番大変な状態なのに、他のみんなの心配をしてて。

私の方が、泣きそうになっちゃって。

星梨花ちゃんや百合子ちゃんが泣きながら抱きついて。

その場が治るのには、しばらく時間が掛かりそうです。

 

でも、本当によかったです。

プロデューサーさんが、意識を取り戻せて。

事故の怪我はまだ完治はしてないみたいですけれど、顔色も良いですし。

これで、ようやく…

 

「よかった…プロデューサーさん!これからも!」

 

「あ、えっと…」

 

そんな時、プロデューサーさんが私の方をみて。

少し首を傾げているのを見て。

なんだか、また嫌な予感がしました。

もしかして、少し体調が悪くなっちゃったんでしょうか?

 

「大丈夫ですか?私が言うのも難ですけど、うるさくしちゃいましたか…?」

 

「そうじゃなくて…その…」

 

なんだか、他人行儀みたいな振る舞いです。

それが怖くて、不安になって。

せめて、私は笑顔で振舞おうって。

笑って、プロデューサーさんにも笑顔になって貰おうとして。

 

そう決意して、プロデューサーさんへ向かい合おうとした時。

最大限の笑顔で、プロデューサーさんが好きだと言ってくれた笑顔で。

私の喜びを届けようとした。

その、瞬間でした。

 

「可愛い子だけど…新しいアイドルの方ですか?」

 

「…え?」

 

私の表情と心は、一瞬で凍り付きました。

 

 

 

 

 

「エピソード記憶障害…ですか…」

 

一旦部屋から出て、詳しい話を小鳥さんづてに聞きました。

難しい事はよくわかりませんが、特定の事柄に対する記憶が思い出せない状態だそうです。

その思い出せない事柄の対象が、たまたま私で。

つまりプロデューサーさんは、私に関する記憶を全て失っていて…

 

「仕事に支障はないと思うわ。それに、数日もすれば未来ちゃんの事を直ぐ理解してくれると思うから…でも…」

 

「今までの事は、全部忘れちゃってるって事ですよね…?」

 

それはつまり、今まで二人で過ごして来た日々が無かった事になっちゃってて。

今まで二人で頑張ってきた道が無かった事になっちゃってて。

今まで二人で乗り越えてきたものが無かった事になっちゃってて。

そして…

 

私とプロデューサーさんの関係が、初対面のアイドルとプロデューサーにまで戻っちゃってて。

 

ようやく、自分の気持ちに気付けたのに。

ようやく、勇気を出す事が出来たのに。

ようやく、プロデューサーさんの気持ちを聞けたのに。

その全てが、無かった事に…

 

プロデューサーさんにとっては、新しいアイドルが増えたって感じなのかもしれません。

シアター組に、新しいメンバーが追加された、くらいの。

でも、私にとっては。

0に戻ったってくらいじゃなくて、それよりも押し返された気分で。

 

だって、他のみんなは今まで通りな中で。

私だけが、リセットされてる。

みんなの中で、よりプロデューサーさんに近付けた筈なのに。

みんなの中で、私だけがプロデューサーさんにとってはまだ何も知らない人って事で。

 

「少し、プロデューサーさんと二人で話してみたらどうかしら?」

 

静香ちゃんが、そう提案してきます。

ゆっくりと今までの出来事を話す事で、失った記憶を取り戻せる事もあるかもしれない。

どのくらいの確率なのかは分からないけど、希望があるのなら。

やってみるしかないですよね。

 

「よし…!私、やってみます!」

 

 

 

 

 

「ええと…か、春日未来です!」

 

「春日さん、か…ごめんな、どうにも思い出せなくて」

 

まるで、初めて会った時の自己紹介みたいに。

少しよそよそしくなりながらも、プロデューサーさんと向き合います。

でも、プロデューサーさんにそんな事を言われるのがとっても苦しくて。

申し訳なさそうな表情のプロデューサーさんを見るのが、余計に辛くて。

 

「私、アイドルになりたい気持ちだけは、1番のつもりです!お願いします」

 

元気よく、勢いで誤魔化しました。

それに、以前と同じ事を言えば。

以前と同じ事をすれば。

少しでも、記憶を取り戻せる切っ掛けになる気がして。

 

「ははっ、元気な子だな。多分、前からその元気に俺は助けられてたんだろうな」

 

「それはお互い様です。私だって、プロデューサーさんにいっぱい迷惑かけちゃったけど何度も助けて貰いましたから!」

 

本当に、忘れちゃってるんですね。

全てを忘れちゃってる訳じゃないから、プロデューサーさんはプロデューサーさんだけど。

私に関しては、ぜーんぶ。

この元気が空回りして、何度も失敗しちゃってたのに。

 

全くの別人って訳じゃなくて、以前と人柄自体は全く変わってないからこそ。

私だけが、やり直しになってるからこそ。

1から始めなきゃいけなくて。

生まれ変わったみたいですまーいっかオールオッケーなんて訳にはいかなくて。

 

だから、せめて。

笑顔だけでも、崩さないように。

私の笑顔を見て、思い出して欲しくて。

また、私の笑顔だけでも好きになってくれたらいいな。

 

「あと、春日さんじゃなくて未来って呼んで下さい。だって…」

 

だって…恋人だったんですから。

そう、言おうとして。

でも、プロデューサーさんは私の事を覚えてないから。

今言ったところで…

 

「…私は、ずっと一緒に頑張ってきたんですから!」

 

「そうだったな、未来。これからもよろしくな」

 

辛くて、苦しくて。

泣きそうになって、でもプロデューサーさんに迷惑をかけたくないから。

笑顔のまま病室からでて。

私は、逃げ出しました。

 

 

 

 

 

「うぉっほん。今日からまた、彼には頑張ってもらうよ」

 

「今まで迷惑掛けてすみません。その分これから、より一層頑張るからな!」

 

それから3週間くらいで、プロデューサーさんは事務所に戻ってきました。

奇跡的に骨折みたいな後々の生活に響く怪我はしないですんだから、早目に退院出来たそうです。

それでも病院からは無理をするなって言われちゃったみたいですけど。

そこはやっぱり、プロデューサーさんなんですね。

 

「よかった…これでまた、いつも通りですね」

 

「にゃははー、やっぱプロデューサーがいないと寂しいもんね?」

 

「心配かけてごめんな。まぁ、みんなが怪我するくらいなら俺で良かったよ」

 

わいわい、がやがや。

社長が出番を終えてすぐに、プロデューサーさんの周りにはみんなが集まりました。

そのみんなが笑顔で、幸せそうで。

喜びに満ちています。

 

「しょーがないにゃあ。退院祝いに、プロちゃんには茜ちゃんのとっておきのプリンを…あれ?ない?」

 

「あ、ごめんね?美味しかったよ!」

 

「わっほーい!退院祝いに満漢全席フルコースを振る舞っちゃいます!」

 

「退院うどん…引っ越し蕎麦があるんだし、問題ないわよね」

 

楽しそうに騒いでる部屋の端で、私は一人立ち尽くしていました。

今あの輪に混ざろうとしたところで、プロデューサーさんは私の事を覚えていないんですから。

今一緒に騒いだところで、私だけは純粋には喜べませんから。

きっと、今の私はあの楽しそうな輪を見ているのが丁度いいんです。

 

「…未来はいいの?」

 

「…うん!プロデューサーさんが元気になったなら、私はそれで充分かなって」

 

他のみんなには、いつも通りでお願いしますって言ってありました。

だって、私だけ気を使われるのって逆に辛いじゃないですか。

それなら、いつも通りの765プロの風景を見ていたくて。

それでもやっぱり、心は痛くて。

 

「…そう、未来がそう言うならいいけど」

 

「ありがとね、志保ちゃん」

 

「でもきっと、あの人ならまた直ぐに未来の事を理解してくれると思うわよ。貴女分かりやすいんだから」

 

「でへへ〜褒められ…てない?」

 

「自分で気付けるだけ進歩してるわね」

 

きっと、みんなから見た私は分かりやすい子なんですよね。

だって私は自分に嘘をつけるほど器用じゃありませんし。

周りの誰かに嘘をつき通せる程、器用じゃありませんし。

自分の心を推し殺して隠せる程、器用じゃありませんし。

 

でも。

 

みんなが大好きなプロデューサーさんと私が付き合っていただなんて、誰も気づいていない筈なんです。

たった一瞬で、私達の恋人関係は終わっちゃいましたけど。

もしかしたら、私がプロデューサーさんの事を好きだったって言うのは見ていたら分かったかもしれません。

もちろん逆に、他のみんなもプロデューサーさんが大好きだって事は見れば直ぐに分かりますから。

 

そして、そんな事実を私だけが知っていて。

私の大好きなプロデューサーさんは、私の事を覚えていなくて。

なのに、そんな事…言える筈無いじゃないですか。

言わないじゃなくて、言えないんです。

 

だって、言ったところで。

余計に辛いだけだから。

言おうとしても。

口は開かず言葉は決まらず、心だけが締め付けられるんですから。

 

 

 

 

 

それからしばらく、私がプロデューサーさんとしっかりとお話する機会はありませんでした。

むしろ、元通りになったって言う方が正しいかもしれません。

私以外にもアイドルはいっぱいいて、私一人に構っている時間なんてないんですから。

今までプロデューサーさんがいなかっな時はみんなでフォローし合っていたとは言え、それでも溜まっちゃってる仕事もありますし。

 

それでも、きっと。

恋人同士だったなら。

もっと私に構ってくれたんだろうな、なんて。

特別扱いして欲しい訳じゃない…って言うのも、嘘になっちゃいますね。

 

でも、そんなみんなに平等に優しいプロデューサーさんだからこそ私は好きになったのかもしれません。

だから、これでいいんだ。

このまま仕事を続けていればいいんだ。

いつか、それなりの関係に戻れるんだ。

 

そう自分に言い聞かせて、時間が解決してくれるの待とうとして。

これ以上傷付く事が怖くて。

自分から動く事は、ありませんでした。

 

 

 

 

 

 

「お疲れ様でしたー」

 

「あ、未来。ちょっといいか?」

 

そんな、いつもと同じ日々を過ごしていたある日。

レッスンを終えて帰ろうとする私を、プロデューサーさんは呼び止めました。

なんでしょう?

また何か失敗しちゃってました…?

 

既に私とプロデューサーさんの関係は、ある程度元に戻っていました。

プロデューサーさんは相手の事を理解しようとしてくれますし、私は分かりやすいらしいですから。

もちろん元通りと言ってもあの日より以前の、ですけど。

つまり、他のみんなと同じくらいに、です。

 

「自分なりに前の事を思い出そうとしてたんだけどさ…SNSの履歴を見たら、あの日俺と未来は会ってたみたいなんだな」

 

「…そうですよ。一緒にお買い物に行きました!」

 

嘘はついていません。

実際に、私の買い物に付き合って貰ったんですから。

でも。

SNS上では、その後にあった事は当然ながら喋っていません。

 

だから、きっと。

プロデューサーさんは、私達の関係を思い出せません。

だって、ヒントが無いんですから。

唯一答えを知っている私が、何も言わないんですから。

 

「最後に、改めてよろしくな、ってあったからさ。それ以外に何かあったのかなって。もしかしたらそこから

 

「私が改めて決意表明したんです!絶対に、一番になります!って…」

 

「…そうか。引き止めて悪かったな」

 

「いえ。私もプロデューサーさんとお話できて嬉しいですから!」

 

 

 

 

 

家に帰って、お風呂に入って。

そのまま何も考えず、ベッドに倒れこみました。

何も、考えたくなくて。

何も、したくなくて。

 

もしかしたら、さっき打ち明けていれば私は楽になれたんじゃないかな?

…そんな事ありませんよね。

だって、それで私達の関係がまたあの日に戻れる訳じゃないんですから。

それに、余計プロデューサーさんを苦しめちゃいます。

 

もしかしたら、あの日の出来事を話していれば思い出してくれないかな?

…そんな事ありませんよね。

だって、そんな簡単に解決出来る様な問題じゃありませんし。

何より、余計に私が苦しむだけかもしれませんから。

 

揺れるカーテンから見上げた空は、雲に覆われて月が見えません。

窓を開けていないのに、外の寒さが伝わってきます。

暖房をつけるためにリモコンを取るのも億劫で、毛布に包まって。

私はそのまま、意識を手放しました。

 

 

 

 

 

 

「ワン、ツー!ワン、ツー!」

 

翌日のレッスンは、なんだか何時もより難しかった気がしました。

なんでか分かりませんけど、上手く足が動かなくて。

おっきなミスはしませんでしたけど、小さなミスが多かったみたいで。

なんとなーく、上手く声が出せなくて。

 

時折脳裏をよぎるのは、当然プロデューサーさんの事でした。

レッスンに集中しようとしても、開かなきゃ消えないSNSの通知みたいにポップアップしてきます。

それを何とか頭から追い出そうとして。

そんな事を繰り返しているうちに、休憩の時間になっていました。

 

「大丈夫ですか?未来さん」

 

「ごめんね星梨花ちゃん。大丈夫、ちょっと水飲んでくるから」

 

一旦外に出て、自動販売機でお茶を買って。

そのまま外の階段に出て、気分をリフレッシュ。

冷たい風が一気に頭を冷やしてくれます。

よしっ!この後は気合い入れなきゃ!

 

ドアを開けようとして、ドアノブに手を掛けて。

 

「あれ?静香ちゃん?」

 

「あ、やっぱりここにいたのね。未来」

 

バッタリと、静香ちゃんに会いました。

どうやら私の事を探してたみたいですけど…

 

「どうしたの?静香ちゃんも外の空気を吸いに?」

 

「貴女の事に決まってるじゃない。最近はいつもだけど、今日は何時にも増して集中出来てなさそうだったんだもの」

 

そう言う静香ちゃんの肩は激しく上下していました。

もしかして、休憩に入って直ぐ私を探してくれたのかな。

休憩の時間なんだから、ちゃんと休まないとダメだよ?

なんて、その原因の私が言う事じゃありませんでしたね。

 

気を付けなきゃいけませんね。

自分だけなら兎も角、周りにまで心配かけちゃうなんて。

折角みんなが頑張ってるんだから。

私一人のせいで、迷惑掛ける訳にはいかないから。

 

「心配掛けちゃってたらごめんね?もう大丈夫だから」

 

「何かあったら…いえ、何かあるなら相談して。未来の辛そうな表情を見てると、私まで辛くなってくるから」

 

あれ?大丈夫って言ったのに。

それに、そんな辛そうな顔してるつもりは無いよ?

歌うのだって楽しいし。

ダンスだって上手くなってきてるし。

 

「だから、大丈夫だってば」

 

「大丈夫な訳無いじゃない」

 

「大丈夫だって!」

 

「大丈夫じゃない!」

 

「大丈夫だもん!」

 

「大丈夫じゃない!!」

 

「大丈夫だって…大丈夫って言ってるじゃん!」

 

「大丈夫じゃないわよ!だって…」

 

…あれ?

 

なんで私、こんなにムキになってるんだろ?

なんでそんなに、否定しようとしてるんだろ?

 

なんで…

 

「だって!貴女、泣いてるじゃない!それで…大丈夫な筈がないじゃない…!」

 

私も、静香ちゃんも。

涙を流してるんだろ?

 

 

 

 

 

「ごめんね、静香ちゃん…!」

 

静香ちゃんの泣き顔を見るのが辛くて。

私のせいで泣いてるのを見るのがつらくて。

気持ちは溢れ、渦を巻いて、何を言えばいいのか分からなくて。

私は、走って逃げ出しました。

 

走って、走って、走って。

階段を駆け下りて、誰もいない階のソファに崩れ込んで。

大きな声をだして、周りなんて気にせずに。

一人で、泣き続けました。

 

私だって!

私だって本当は、プロデューサーさんともっと一緒にいたいもん!

でも、違ったから。

私とプロデューサーさんの今の関係は、私の望んでいたものじゃないから。

 

でも、言えないから!

言ったところで、何も変われないから!意味がないから!

今までの積み重ねがあったからこそ、それをお互い知っているからこそ。

私はプロデューサーさんが好きで、プロデューサーさんも私の事を好きになってくれて。

 

何も覚えてないプロデューサーさんに向かって、私達は恋人だったんです、なんて!

そんなの…

何も覚えてないプロデューサーさんが、それで首を縦に振ってくれたとしても。

そんなの…

 

これから積み上げていけばいい、なんて。

そんな簡単に考えられる程、私の積み上げた思いは軽くありません。

これから作り上げていけばいい、なんて。

そんな簡単に組み立てられる程、私の心は強くはありません。

 

「…もう、いやだよ…」

 

自分でもどうなって欲しいのか分からなくて。

そして、やっと気付いたんです。

私は、目を背けて来たんだな、って。

ずっと逃げ続けて来たんだな、って。

 

向き合う事が怖くて、また何かが変わっちゃう事が怖くて。

だから考えないように、何も変わらないように。

ずっとずっと、目をそらし続けて。

解えの無い問題から、逃げ続けて。

 

でも、静香ちゃんは私と向き合ってくれました。

真っ正面から向き合う事が怖いのは、今ならよく分かります。

それなのに…自分が苦しくなるのも構わずに。

私と、きちんと…

 

なら。

 

私もそろそろ、ちゃんと向き合わなきゃいけませんよね。

一歩、踏み出さなきゃいけませんよね。

それが納得だとしても、諦めだとしても。

前か後ろかも、分かりませんけど。

 

『レッスンが終わったら、少しお話ししていいですか?』

 

『了解。事務所で待ってるぞ』

 

あの日を境に更新されていなかった、私とプロデューサーさんとのトーク欄。

それから最近の会話は、恋人同士とは到底思えないものでした。

 

 

 

 

 

「ごめんなさい。忙しかったですよね?」

 

「大丈夫だよ、俺も未来と話したかったところだ」

 

結局あの後、私はレッスンに戻れませんでした。

トレーナーさんには謝りの連絡を入れて、あのソファから動けずに。

ようやく重い足を引っ張って事務所へ戻ってくる頃にはヘトヘトで。

事務所の扉が、やけに重く感じられました。

 

「未来こそ大丈夫か?あんまり調子が良く無いって静香から連絡来たけど」

 

「大丈夫…じゃないかもしれませんでした。でも、今は大丈夫です」

 

きっぱりと、向き合います。

プロデューサーさんと。

静香ちゃんと。

そして…私の心と。

 

きちんと笑えていたかはわからないけど。

まだ、覚悟は決まってないけど。

少なくとも、不安そうな顔はしてなかったと思います。

 

「あ、そうだ。明日って空いてるか?」

 

「え?空いてますけど…何かお仕事ですか?」

 

「いや、少し俺に付き合って欲しくてさ」

 

「構いませんけど…何処に行く予定なんですか?」

 

「あの日、未来と一緒に出かけた場所に行きたくてな。そうすれば、何か掴めるかもしれないし」

 

…昨日までの私なら。

多分、断っていました。

でも、今なら。

 

「了解です!バッチリエスコートしてみせますから!」

 

全てを伝えて。

きちんと終わらせるのに、丁度良いかもしれません。

 

 

 

 

 

「…さっきはごめんなさい、未来」

 

「あ…静香ちゃん…」

 

事務所を出て下に降りると、静香ちゃんが私の事を待っていました。

もう夜で寒いのに、レッスン後で疲れてる筈なのに。

わざわざ、謝ってくるなんて…

 

「私こそごめんね。でも、今は本当に大丈夫だから!」

 

「そう…なら良かったわ。笑顔でいてこその未来だもの」

 

二人並んで、道を歩きます。

冷たい風は心地よくて。

心も心なし、軽くなった気がして。

あんまり内容の無い事を喋っているうちに、駅が見えて来ました。

 

「まったく…本当に良かったわ」

 

「ありがとね、静香ちゃん」

 

こんなに心配してくれてたなんて。

今更になって、ようやく気付いて。

尚更申し訳なくなっちゃったけど。

きっと今は、ごめんねじゃなくてありがとうかな、って。

 

「それにしても、事務所でプロデューサーと何を話したのよ。デートの約束でもしたのかしら?」

 

笑いながら、そう言われちゃいました。

きっとそのくらい、私は浮かれた感じだったんでしょう。

そして、静香ちゃんも元気になった私を少しからかおうとしたんでしょう。

ここでイエスと答えるのも面白いかもしれませんけど。

 

そうですね、デートの約束かー…

うーん、どっちかって言うと…

 

「失恋の約束かな。それじゃ、またね!」

 

「えっ…?」

 

笑って、私は駆け出しました。

空に浮かんだ雲の切れ端には、大きな月が浮かんでいます。

 

明日、晴れるといいな。

 

 

 

 

 

 

「ごめんなさーい!待たせちゃいましたか?」

 

「いや、俺も丁度今来たとこだよ」

 

翌日、少し寝坊しちゃって5分くらい約束の駅に遅れちゃいました。

こんなやりとりって憧れますよね。

ザ・カップルって感じで!

あ、本当にごめんなさい。

 

「それで、最初は何処に行けばいいんだ?」

 

「私に任せて下さい!あ、プロデューサーさん。今日の私、どうですか?」

 

「どう…?そうだな…何時もより大人っぽい格好で、とっても良いと思うぞ」

 

「でへへ〜。ありがとうございます!それじゃーしゅっぱーつ!」

 

 

 

 

 

 

それから。

あの日に行ったお店で洋服を見て。

あの日に行ったレストランで昼食を食べて。

あの日に行った遊園地でいっぱいいっっぱい遊んで。

 

そして、改めて実感しました。

やっぱり私は、プロデューサーさんの事が好きなんだな、って。

一緒にいるだけで楽しくて。

一緒にいるだけで幸せで。

 

今日1日くらいは、私がプロデューサーさんを独り占めしちゃってもバチは当たりませんよね?

今日1日だからこそ、精一杯遊んで楽しんで。

ひたすら、笑って。

気付けば、あっという間に夕方になっていました。

 

「えへへ〜、今日は楽しかったです。ありがとうございました!」

 

「ああ、こっちこそ付き合ってくれてありがとな。楽しかったよ」

 

「また、誘ってくださいね?」

 

「勿論だ。今日1日笑顔の未来が見れて良かった。笑顔の未来が一番素敵だよ…なんて、少し臭かったかな」

 

また、あの日と同じように。

夕焼けの道を二人並んで歩きます。

空は雲一つない快晴で。

長く伸びた私たちの影が、私たちの少し先を進んで。

 

「…以前も、この道を通ったのかな。俺たち」

 

「…もしかしたら、そうだったかもしれませんね」

 

正解です。

もしかして、少し思い出したんでしょうか。

それとも、似た様な道を通ったことがあるんでしょうか。

でも。

 

これ以上、私は…

あるかも分からない希望に縋って歩くよりも。

きちんと、もう一度。

私の気持ちを含めて、全部最初からやり直そうかな、って。

 

もう、私の家が見えて来ましたね。

この信号を渡れば、私の家です。

点滅する信号を、一旦見逃し時間稼ぎ。

さて、最後のひと時です。

 

落ち着くために、深呼吸して。

息を整え、気持ちを整え。

信号が青に変わると同時に。

私は一歩、踏み出しました。

 

「もしかしたら、以前の俺は…いや」

 

「あの、プロデューサーさん」

 

二つ並んだ影の私の方が、少し先へ進んで。

影から私の少し後ろに立っているプロデューサーさんへ、目を向けて。

 

私は、伝えました。

精一杯の笑顔を添えて。

 

「私、以前の貴方の事が大好きでした!改めて、これからよろしくお願いします!」

 

全部を一から始めるしか。

きっと前には進めない。

なら、多分。

これで、いいんですよね。

 

自分で決めたはずなのに、また泣きそうになっちゃって。

でも、きちんと伝えるべき事を伝えられました。

そのまま、後ろへ一歩踏み出せばキスが出来る距離から。

前へと振り向き、私は家を目指して走り出して。

 

その、直後でした。

 

「…未来!そうだ!思い出した!」

 

…もしかして!

 

私は急いで振り返りました。

もしかして!

プロデューサーさん、私の事を!

 

一気に視界が開けた気がして。

そして、その視界の端から。

車がスピードを落とさず走ってくるのが見えて。

 

「俺も、未来の事が!」

 

このままじゃ、プロデューサーさんが轢かれちゃう!

もうこれ以上、大切な物を失いたくない!

誰かを失うくらいなら。

それなら…いっそ!

 

「プロデューサーさん!」

 

全速力でプロデューサーさんに向かって走り。

勢いを殺さず体当たりして。

プロデューサーさんが歩道まで押し戻されたのを見て安心した後。

私の身体に、衝撃が走りました。

 

 

 

 

 

 

ぴっ、ぴっ、ぴっ

 

電子音が聞こえて、私は目を覚ましました。

ぐるっと部屋を見回すと、どうやら病室みたいです。

私自身はベッドの上で寝かされて、点滴まで着けられて…

 

あれ?

 

ガラッと勢いよくドアが開き、男の人が入ってきました。

その後ろから、髪の長い女の子も入ってきます。

お医者さんとナースさんかな?

 

「大丈夫か?未来!?」

 

男の人が、私に近寄ってきました。

そして私の意識があるのを確認すると、そのまま床にしゃがみ込んじゃって…

もしかして、私ってそんなに危ない状態だったんでしょうか?

 

ところで…

 

「未来、って…私の事ですよね?」

 

「…え?」

 

でへへ〜、なんだか思い出せないんです。

自分の名前すら忘れちゃって。

これって、キオクソーシツって言うんでしたっけ?

まるで生まれ変わったみたいですね!

 

「ところで、貴方は私の知り合い…ですよね?お医者さんですか?」

 

「俺は…」

 

あれ?言葉に困ってるみたいです。

難しい関係だったんでしょうか?

親の兄の娘の夫みたいな、説明しずらい遠い血縁関係みたいに。

まぁ、どのみち覚えてないんですからどんな関係だって初めましてなんですけどね!

 

「…俺は、お前の…プロデューサーだよ」

 

部屋の端では、髪の長い女の子が悲しそうな表情で私達を見ていました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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野々原茜〜Awaited holiday〜

あっかねちゃんだよー


 

「茜、海に行かないか?」

 

きっかけは、とっても唐突だったね。

 

特に用事もなかったけど、なんとなーく事務所に行ったあの土曜日の朝。

ドアを開けた茜ちゃんに向けられた一言目は。

茜ちゃんの思考をフリーズさせるには十分だった。

 

「おやおや?どしたの、プロちゃん。デートのお誘いかにゃあ?」

 

一旦自分を落ち着けるため。

状況を理解するため。

そしてプロちゃんをおちょくるため。

そんな冗談を言ってみて。

 

「あぁ。最近の茜、かなり頑張ってたからな。リフレッシュにどうかなって」

 

「お、おぉう…まぁいいよ!プロちゃんにエスコートされてあげる!」

 

ありゃりゃ、ほんとにデートのお誘いだったんだね…

って、それ普通にご褒美につれてってあげるって事でしょ?

それってデートになるの?

それに、もっと早くに言ってくれればオシャレしてきたのに。

 

まぁ茜ちゃんは毎日エブリデイオシャレガールだけどね!

こんな美少女と一緒に海にいけるなんて、プロちゃんは幸せ者だにゃあ…

なーんて、ふざけてみても。

こころはまるで高跳びでメダルを狙うみたいに、一気に跳ね上がって。

 

「んじゃ、行くか」

 

「え、プロちゃん仕事は?やるべき事やらずにデートなんて感心しないよ?」

 

「大丈夫だよ、そもそも俺今日休みだったし」

 

…って事は。

わざわざ茜ちゃんをデートに誘うために事務所に来たの?

それこそ連絡してくれなきゃ。

茜ちゃんがなんとなく事務所に来てなかったらどうしてたのさ。

 

「車と電車、どっちがいい?」

 

「車!で、どこの海?茜ちゃんを満足させるにはアドリア海とか美ら海水族館じゃないとダメだよ?」

 

「千葉」

 

「現実的過ぎるよ!」

 

「いやでもほら、千葉凄いぞ。夢の国もあるし」

 

ロマンがないにゃあ。

そこはせめて湘南とか伊豆とか…

って、お互い明日は仕事あるもんね。

遠くまで行くのは難しっか。

 

「それじゃ小鳥さん、行ってきます」

 

「行ってらっしゃい。運転気を付けて下さいね」

 

 

 

車の中はやけに無音で。

プロちゃんも疲れてるのかな?

だったら尚更茜ちゃんが盛り上げてあげないとね。

せっかく近くにいるんだから、楽しんで貰わなきゃ!

 

「ねぇねぇプロちゃん。どして茜ちゃんだけなの?まぁプロちゃんが二人っきりで出掛けたかったってだけかもしれないけど」

 

「そらそうだよ。ほら、こないだおっきなライブあっただろ?それなのに練習の合間合間で茜は別の仕事も頑張ってたからな」

 

「まぁ茜ちゃんだからね!元気は人一倍あるんだから、もっともっと色々やってアピールしていかなきゃ!」

 

確かに、にゃんにゃんパークは色々大変だったけどね。

最初はほんとに一人で手作りしてた茜ちゃん人形だし。

でも頑張って良かったよ、うん。

今ではこんなにメジャーになったし、プロちゃんも一緒に頑張ってくれたからね。

 

窓の外を流れる風景が、少しずつ人工物から天然物にかわっていく。

マンションに囲まれた市街地を抜け、少しずつ遠くのものまで見えてくる。

普段見ているものが減って、少しずつ見たことのない風景が増えてゆく。

それだけで、なんだか楽しくなってきた。

 

「そいえば、こないだのライブの茜ちゃんどうだった?」

 

「そうだな…最高だった」

 

「でしょー?もっと褒めていいよ?ナデナデは…降りてからでいっか」

 

多分いつもと変わらない、ありふれた日常会話。

でも、場所が違えば感じ方も違う。

海の見える道を走りながら、普段とは異なった心地よさを感じて。

気付けば、目的地が近づいてきた。

 

 

 

 

「さて、到着。車止めて砂浜まで歩くか」

 

「らじゃー!砂浜までかけっこする?多分茜ちゃん勝っちゃうけど!」

 

なんて言いながら太陽を身体中で感じて、海の匂いを吸い込む。

春が近いとは言え、まだまだ気温は低い。

少し寒いくらいだけど。

一緒に歩いてると、何故だかあったかくて。

 

「うーん、まだ流石に寒かったかな」

 

「茜ちゃんは寒くはないよ?でも泳ぐのは無理だね、氷漬けになっちゃう」

 

強い海風で砂が舞い上がり、ワンピースを揺らす。

近付いてきた海は、キラキラ光ってすごく綺麗。

水平線は遠く、端は見えない。

大きな雲がフワフワと、綿飴の様に空に浮かぶ。

 

「ひゃっほーう!ね、ね!靴脱いで少し遊ぼ!」

 

「おいおい、まだ冷たいんじゃないか?」

 

「だいじょぶだいじょ冷たっ!」

 

ひゃー!なんて声を上げながら、それでもバシャバシャ足を動かす。

跳ね上がった水飛沫が裾を濡らすのも構わず、あっちにこっちに行ったり来たり。

海水を両手で掬って砂浜へ掛けたり。

仕方ないな、なんて靴を脱いだプロちゃんの靴ギリギリに掛けてみたり。

 

「あ、ごめんほんとごめん。謝ったからもう終わり!はいっ!」

 

「はぁ…にしても、海来るの久しぶりだなぁ」

 

ふと、プロちゃんに顔を向ければ。

水平線の彼方を眺め、なんだか寂しそうに照らされていた。

…まったく、しょうがないにゃあ。

そばに茜ちゃんがいるのに、そんな表情はさせないよ?

 

「よーしプロちゃん!向こうの岩場まで競争だよ!」

 

「…おっけー、やるか!」

 

打ち合わせた訳でもないのに、二人して波打際で水飛沫を上げながら走る。

普段ダンスをやってる茜ちゃんに負けじと、いい大人のプロちゃんも全力疾走。

最初は並走してたけど、少しずつ差は開いて。

…あ、こけた。

 

「だ、だいじょぶ?プロちゃん」

 

「おっと、服は…濡れてないか。砂浜で良かったよ」

 

幸い痛くもなさそうで、笑いながら立ち上がる。

よかったよかった。

やっぱり笑ってないとね!

 

「さて、茜…まだ勝負は終わってないぞ!」

 

「あっ!ず、ずるいよプロちゃん!」

 

立ち上がって砂を払い落としたと当時、再び競争は開始する。

あはははは、なんて笑い声をあげながら。

もう勝負なんて諦めた茜ちゃんが、プロちゃんに海水を掛けたり。

プロちゃんがまた砂浜で転んだり。

 

笑い声が息切れに変わり。

さすがの茜ちゃんも体力が尽きてヘトヘトになってきた頃。

溶けたアイスみたいに広がった雲が、太陽の光を遮った。

たったそれだけで、少し気温が下がった気がする。

 

「…冷えてきそうだな。そろそろ車に戻るか」

 

「あ、ねぇねぇプロちゃん。今日はまだ一回も茜ちゃんナデナデして貰ってないよ?」

 

「そうか?まぁいいか。いつもありがとな」

 

「…ねぇ、プロちゃん。何かあった?」

 

なんとなく、言葉の端から寂しさを感じて。

何かを惜しむかの様な、まだ迷っているかの様な。

そんな当のプロちゃんは、にこりと笑って。

ポケットから、何かを取り出した。

 

「うん、茜なら大丈夫だ。これ、俺からのプレゼント」

 

渡されたのは、綺麗なピアス。

茜ちゃんが普段つけてるのより、よっぽと大人っぽいもの。

え、このシチュエーションでこういうもの渡しちゃう?

茜ちゃん、勘違いしちゃうかもよ?

 

「普段から頑張ってくれてる茜に、そしてこれからも頑張ってくれるように、ってな」

 

何かを言おうとして、我慢してる様に見えて。

しょうがないね、まったく。

プロちゃんは茜ちゃんがいないとダメダメなんだから!

 

「遠慮しなくていいよ?その代わり茜ちゃんもしないから!」

 

ふー…と一回深呼吸して。

プロちゃんは、此方に向き直った。

その目には、まだ不安はあるけど…

 

「…なぁ、茜。俺はーー

 

 

 

 

 

あの日から、季節は二巡して。

また、この日がやってきた。

あの日と同じように、砂浜へ向かって歩く自分の隣に。

一緒に歩いてくれる人は、今は、いない。

 

まったくもー…

 

あの日の翌日、プロちゃんは事務所で皆にハリウッドへ研修に行く事を打ち明けた。

当然みんな驚いたし、困惑もしてたし。

もっと言うと、本人だって前日まで迷ってた。

背中を押してあげたのは茜ちゃんなんだけどね。

 

迷いを振り払いたかった、とか。

不安だったから茜から元気をもらいたかった、とか。

プレゼントを渡すのにいい機会だったから、とか。

色々言い訳してたけど、多分茜ちゃんの事が好きなんだよね!

 

出発前のいい思い出になったんじゃないかな?

こんないい女を待たせるなんて、罪作りな人だにゃあ。

待ってる方も待ってる方なんだけどね。

…うん。

 

すこしだけ、寂しくて。

幸せに溢れてたあの日の午後を思い出す為に、時々一人で此処に来る。

周りを見ても、人はいない。

移り行く景色は夕焼けに染まり、少しだけ茜色に滲んだ。

 

寒くなってきて、帰る前に。

なんとなく思いついて、砂浜に傘を描く。

その片側に、自分の名前を。

もう片方は、あけたままで。

 

あと一年くらい、だったかな?

そのくらいなら、全然よゆーで待てるよ。

だから、帰ってきたら絶対に。

あの日は遠慮した思いと、それから積もった分を。

 

全部の休日で、返して貰おう。

 

 

 

 



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野々原茜、北上麗花〜春撒き探し〜

春巻き


 

物事と言うのは何時だって唐突だ。

 

新幹線が目の前を通り過ぎるのだって一瞬で、雨が降るのも唐突だ。

光が進むのだって一瞬で、何かが閃くのも唐突だ。

車に轢かれるのだって一瞬で、命を落とすのも唐突だ。

天気が変わるのだって一瞬で、雷が落ちるのも唐突だ。

 

特に今、出会いの季節の春。

出会いの機会は現れては消え、また再び突然現れる。

昨日まで咲いていた桜は、翌日まで咲いているとは限らない。

雨が降った日には、その日中には散り切るだろう。

 

全てにおいて物事は目まぐるしく変化し、ふとした拍子に状況は変わる。

それは至って当然の事で、起きてしまった出来事はただ受け入れるのみ。

まず、何かしらが唐突に襲いかかり。

それに対して行動出来るのは、常に後手となる。

 

だから、まぁ。

 

「ねぇ茜ちゃん、一緒に春巻きつくらない?」

 

そんな北上麗花の問い掛けに対し、返答に困る難題に野々原茜が困っていたとしてもそれは仕方のない事なのである。

 

「…春巻きってあの料理のだよね?なんでいきなり?」

 

けれど茜は動じない。

そこで思考を空白にしてしまう程彼女の脳は弱くなく。

何より、そんな唐突に慣れてしまっていた。

北上麗花のせい…おかげで。

 

取り敢えず疑問を投げ掛けるも、麗花から返ってくるのは鼻歌のみ。

鼻歌に何かヒントがあるのだろうか?

いや、ないな、と判断して茜は次の疑問を投げてみる。

春巻きを作る、必要最低条件として…

 

「まぁいいけど、食材はあるの?」

 

「そう!そうなんだよ茜ちゃん!食材がないんだー」

 

ならなんでいきなりそんな事を言い出したのか。

なんてそんな事を聞いても、返ってくるのは鼻歌だけだろう。

なにしろあの北上麗花だ。

なんだっていいのだ、理由なんて。

 

取り敢えず、なんとなーく、いきなり。

ただ単純に、春巻きが作りたくなった。

おそらく、ただそれだけだろう。

強いて言うなら今が春だからかもしれないが。

 

「だから、一緒に集めにいこ?」

 

「いいよ、楽しそうだしこの茜ちゃんが協力してあげる!」

 

「わーい、茜ちゃんと私がいれば一人力だね!」

 

「減ってるよ麗花ちゃん…」

 

と、そんな感じでこんな風に。

なんの前触れもなくいきなりの成り行きで。

予定も未定に断片的な情報で。

茜は麗花と、春巻きの具材を探す旅に出る事になった。

 

 

 

 

 

「で、何処行くの?スーパーなら逆だよ?」

 

「えっとね、星梨花ちゃんを探そ?」

 

「…おっけーおっけー、茜ちゃんもう考える事をやめたよ」

 

二人して街をジョギングで駆け抜ける。

普段からダンスをしている二人の体力は底抜けで、事務所を飛び出してからペースが落ちる気配はない。

そんな二人は今現在、どこにいるかも分からない箱崎星梨花を探していた。

ただ街を走っているだけだから、探すも何も無いのだけれど。

 

タッタッタッ。

子気味良い音を後ろに、二人はただただ走る。

そしてぐるっと街を一周して765プロのビルの前へ戻って来たところで。

階段を上がろうとしている星梨花と出会った。

 

「パンパカパーン、星梨花ちゃん!探してたよ!」

 

「あ、おはようございます茜さん、麗花さん」

 

「おはよー星梨花ちゃん、いい天気でお散歩日和だね」

 

二人の姿を確認した星梨花は、まるではしゃぐ子犬の様に髪を振って挨拶をする。

薄手のカーディガンも手に持ったカバンも、身につけているものの何もかもが本人と合っていて可愛らしい。

そんなニコニコとした天使を見ていると、日々の疲れも浄化されそうだ。

そんな星梨花としばらくお話していたところで、茜は当初の目的を思い出した。

 

「あ、そうだ星梨花ちゃん、麗花ちゃんが何か用事があるんだってさ」

 

「そう言えば、さっき私を探してたって言ってましたね。何かあったんですか?」

 

「そう、そうなんだよ星梨花ちゃん!春巻きの具材を探してるの」

 

ならスーパーに行けばいいのに。

そう内心思うも、茜は心にとどめた。

言ったところで無駄だし、そっちの方が面白そうだから。

そんな唐突な問題を出された星梨花は…

 

「すみません、今春巻きの具材になりそうなものは持ってないです。飴とお茶しか…」

 

「飴…飴!茜ちゃん、春巻きって言ったら飴だよね!」

 

「え、そうなの?…そんな気がしてきた!春巻きと言えば飴!飴と言ったら春巻きだもんね!」

 

「そうなんですか?なら、一つずつどうぞ」

 

「わぁい、ありがとう星梨花ちゃん!」

 

麗花と茜は、飴を手に入れた。

先ずは春巻きへと第一歩目を踏み出す事が出来たのだ。

そして、物事には常に対価が付いて回る。

なれば、麗花か茜が星梨花へ何かお返しするのは当然の事で…

 

残念ながら、何か渡せそうな物を二人は持ち合わせていなかった。

荷物は全て事務所の中に置いてある。

着の身着のまま飛び出したのだから当たり前のことだ。

けれど、春巻きをまだ作り終えて無い以上事務所に戻るわけにもいかない。

 

「何かないかなぁ?茜ちゃん」

 

「プレゼント出来るのは茜ちゃんの笑顔くらいかな!」

 

「え、茜ちゃんの顔って取り外せたり分けたり出来るの?」

 

「そんなアンパン男みたいな意味じゃなくて…あ、麗花ちゃん髪に桜付いてるよ」

 

地味に猟奇的な発言をし出した麗花の長い髪に、桜の花びらが一枚くっついていた。

街の中を走っているうちに、偶然ついたのだろうか。

そこで茜は思いついた。

麗花の髪から桜の花びらを取って…

 

「はい、星梨花ちゃん!お礼に春のプレゼント!」

 

「わぁ!ありがとうございます!」

 

喜んでもらえた様だ。

人生何があるか分からないものだ。

街を走っていたからこそ、この取引が成り立ったのだから。

走っていなければ事務所に居られたからもっとまともな物を渡せたのだが。

 

「それじゃ星梨花ちゃん、また後でね」

 

星梨花に手を振り、二人は事務所を後にする。

さて、次は誰に会えるだろうか。

次は、どんな物を手に入れられるだろうか。

 

 

 

「やっほー静香ちゃん!」

 

「あら、麗花さんに野々原さん…どうかしたんですか?」

 

「春巻きの具材ちょーだい!」

 

「…どうかしてましたね」

 

辛辣な最上静香の両手には、何やら大きな買い物袋がぶら下がっていた。

 

「そんな大荷物もってどしたのもがみん」

 

「今日は少し時間があるので、事務所でうどんを振舞おうと思っていたんです」

 

静香は並々ならぬ熱をうどんに持っている。

彼女が打ち、茹で、振る舞ううどんは事務所のみんなに大好評だ。

その時、麗花がにこりと笑った。

茜は察した。

 

「うどん…うどん!ねぇ茜ちゃん、うどんって絶対に春巻きだよね!」

 

察し切れていなかった。

うどんは、春巻きでは、ない。

よしんば春巻きの様に太いうどんだったとしても、それは春巻きではない。

何を以ってして、麗花がうどんを春巻きだと判断したのか、茜はさっぱり分からなかった。

 

「ねぇ静香ちゃん、私達春巻き作ってるんだ!うどんが完成したら分けてくれる?」

 

「…?野々原さん、翻訳をお願いします」

 

「グーグル先生でもエキサイト先生でも無理なんじゃないかな」

 

まぁ要するに。

麗花は取り敢えずうどんが食べたいのだ。

そこに春巻きは関係なく、あるのはうどんを食べると言う目的だけ。

ゆえに文法や文脈など必要ない。

 

「でしたら、完成したらお裾分けします」

 

「ありがとう静香ちゃん!…ねえ茜ちゃん、何かお返し出来るものない?」

 

「うーん…ぽっけに何か入ってないかな…あ、消しゴムあった」

 

「じゃあはい、消しゴムあげる!」

 

「…あ、ありがとうございます…」

 

春といえば消しゴム、消しゴムと言えば春。

それはきっと、麗花の中でだけ成り立つ方程式ではないだろう。

消しゴムは、春の代名詞なのだ。

それは茜にも、多少なりとも分からなくもない、気がする。

 

新学期が始まるこの時期、消しゴムは最も必要とされる文房具だろう。

誤字や脱字をしない人なんて、失敗をしない人なんて存在しないのだから。

そんな失敗をチャンスに変える事が出来るのが、この消しゴムという文房具だ。

それはきっと、うどんの対価としても成り立つ筈なのだ。

 

「それじゃ、代金は先払いだね。あとでうどん楽しみにしてるよ」

 

「任せて下さい、満足させてみせますから」

 

大きく息をすって、意気込みを表明する静香。

きっと、彼女なら。

みんなを笑顔に出来るうどんを完成させるだろう。

けれどそれは、少し先のお話。

 

 

 

 

二人は再び走り出した。

桜が舞い、太陽の光と春の風が流れる街を。

二人は集める。

春の欠片と、幸せの素を。

 

吸い込まれそうな広い青空は、何処までも高い。

吹き上がった桜の花びらは、その先を目指す。

なれば、自分達も、と。

二人はただただ走った。

 

既に終着点は決まっている。

目指すはクレシェンドブルー最後の一人、北沢志保。

彼女が何処にいるかは分からない。

けれど、街を走り続けていればいずれあえるだろう。

 

なにせ、今は出会いの季節なのだから。

出会いと言うのは突然で。

けれど必ず、向こうからやってくる。

だから、走った。

 

「…茜さんに麗花さん。何しているんですか?」

 

「ほら、ね?」

 

「麗花ちゃん麗花ちゃん、何がほら、ね?なのか全く分からないかにゃあ」

 

交差点で、ばったりと志保に出会った。

周りの目を気にせず走っていた二人とあまり関わりたくないようで、しかし流石に止めようと志保は声を掛けたようだ。

そんな彼女の片手には、コンビニのビニール袋が握られている。

静香ほどは大荷物ではないものの、それなりに買い物をしたらしい。

 

「ねぇ志保ちゃん、春巻き持ってない?」

 

「…ありませんけど、スーパーで買えばいいんじゃないですか?」

 

「ねぇ茜ちゃん、どうする?」

 

「もうちょっと会話を相手に寄せて続けた方がいいんじゃないかな」

 

どーしよう?なんて少し困った顔をする麗花。

当たり前ではないか、普通アイドルが事務所に向かう時春巻きは持参しない。

食べ物であれば、精々お菓子くらいだろう。

うどんは例外として。

 

「じゃあ志保ちゃん、何か食べ物持ってない?私達春巻き作りたいんだ」

 

「クッキーとポッキーなら…」

 

「クッキーだって茜ちゃん!ねえ志保ちゃん、クッキーと春を交換してくれる?」

 

「…春?」

 

「あ、でも今春っぽいものないね…どうすればいい?」

 

「私が分かるわけ無いじゃないですか…」

 

再び麗花は考えた。

春と言えば何か。

四月と言えば何か。

その中で、自分がお裾分けできるものは何か。

 

四月…四月…五月。

五月…五月病。

不安、疲れ、悩み。

それを解消出来るのは…

 

「はいっ志保ちゃん!ギュー!」

 

「っえ?あ、あの、麗花さん?」

 

麗花は、志保にハグをした。

そう、つまりは元気のお裾分けだ。

志保に、笑顔でい続けてほしいから。

もっともっと、元気でいてほしいから。

 

「よし、支払い完了だね麗花ちゃん。それじゃ志保ちゃん、クッキー貰ってくよ」

 

「…はぁ、もう良いです」

 

再び二人は走り出した。

そんな二人は、気づくことは無かった。

ハグから解放された志保が、迷惑そうながらも何故か幸せそうな表情をしていた事に。

 

 

 

二人は、公園にいた。

大きな桜の樹の下で、桜を見上げる。

はらはらと散る桜の花びらが、風に舞い優しく頬を撫で。

また再び風に舞いあげられ、何処かへと飛んで行く。

 

唐突な出会いと、唐突な別れ。

表裏一体の一期一会。

それが、春。

そんな春を、二人はただただ感じていた。

 

「…願わくば 花の下にて 春死なむ その如月の 望月の頃」

 

ぽつりと、麗花は呟いた。

それを聞いた茜は、少し不安になってくる。

もしかしたら、麗花ともいずれお別れの時がきてしまうのかもしれない。

それも、まるで花びらの様に唐突に一瞬で。

 

「…ねぇ麗花ちゃん、それって…」

 

「うん…五七五だね、って」

 

意味なんて無かった様だ。

そもそも五七五七七だ。

きっと麗花は、その詩の意味を知らないのだろう。

当然茜も分からない。

 

「ちょっと待っててね、茜ちゃん!」

 

と、突然。

麗花は走り出した。

取り残された茜は一人。

ただ、待つ。

 

一人で桜を見上げて。

一人で空を見上げて。

一人で春を感じて。

一人で…

 

「お待たせ、茜ちゃん!はい!」

 

直ぐに戻ってきた麗花に、センチメンタルな雰囲気は吹き飛んだ。

せっかくカッコ良いナレーションをしていたと言うのに台無しだ。

なんて考えながらも、茜は渡されたものを見る。

スーパーのビニール袋、その中には…

 

「…春巻き?」

 

「うん!買った方が早いかなって!」

 

「茜ちゃんの時間返して」

 

「ごめんね!楽しかったよ!」

 

「…しょうがないにゃあ。それで、何処で食べるの?」

 

その問いに、麗花はニコニコと笑顔で返した。

とっても、とっても、楽しそうな。

満面の笑みで。

いや、答えてよと言ったところで、きっと返ってくるのも笑顔だろう。

 

その時…

 

「あ、いました!」

 

「ちょっと志保、荷物そっちの方が軽いんだからもう少し手伝いなさいよ」

 

「嫌よ、私はビニールシートで手一杯だし」

 

「あれ?みんなどしたの?」

 

事務所にいた筈の星梨花と静香と志保がやってきた。

みんな各々、荷物を抱えて。

静香に至っては大きな鍋を抱えている。

星梨花は小さなビニール袋だけだ。

 

「はい、麗花さん。ビニールシートです」

 

「うどん、完成したから持って来ました。これで取引は完了ですね」

 

「私、お茶とお菓子を持って来ました」

 

ぽかんとしている茜を置いて、三人は準備を始める。

桜の樹の下でビニールシートを広げ。

ガスコンロに大きな鍋を置いて、取り皿と割り箸をセットし。

お菓子の袋を開け、準備万端。

 

「ありがとねみんな!早速始めよっか!」

 

「始めるって、何を?」

 

「決まってるじゃないですか。お花見です」

 

「誘ったのはそちら二人じゃないですか」

 

ビニールシートに五人で座り、紙コップを片手に笑う。

全てが突然で、唐突で。

けれど、それはとても幸せな時間で。

あぁ、きっとこれが春なんだな、と。

 

茜は笑って、手に持ったビニール袋から、とある物を取り出した。

 

「はい、春巻きだよ!茜ちゃんがみんなに春をお裾分けしたげる!」

 

「春巻き、結局買ったんですね…」

 

「しかも四本しかないんですけど」

 

「あ、なら私は大丈夫ですから、皆さんで…」

 

ここでようやく。

茜は麗花から色々と押し付けられていた事に気付いた。

それでも、笑顔になってしまう。

 

「…しかたない、ここは大人な茜ちゃんが遠慮するとしよう!」

 

わいわい、がやがや。

みんなで、春を囲む。

みんなで、春を楽しむ。

みんなで、春を摘む。

 

きっと、これも一瞬で。

どうせこの和やかな雰囲気も、突然終わってしまうかもしれないけれど。

主に麗花のせいで。

けれど、それで良いのかもしれない。

 

今が、この一瞬が幸せなら。

その時その時を、楽しめるなら。

突然の出会いや出来事を、喜べるなら。

それが、春なのだから。

 

物事と言うのは何時だって唐突だ。

出会いも、別れも、楽しい事も、苦しい事も。

それを全て、受け入れて。

楽しむ事が出来たなら。

 

気付いていないだけで、探してみれば。

そこには、春があるかもしれない。

 

 

 

 

 

 



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北上麗花〜彼女の見る風景〜

 

 

 

麗花が倒れた。

 

その知らせを受けたのは、メモ帳を片手に受話器越しに軽い打ち合わせをしている最中だった。

若干風邪気味で痛む喉を酷使し、なんとかいつも通りの声をだす。

あー、帰りに風邪薬買って帰らないとな。

いや、昼の休憩に薬局まで走るか。

 

そんな事を考えながら、マスクを外している為皆に少し離れて貰って通話している時だった。

デスクの向かいでその旨の連絡を受けたらしい小鳥さんが、そう呟いたのだ。

最初は事務所の誰もが冗談だと思った筈だろう。

だって、あの北上麗花なのだ。

些か自由すぎるところはあるが、体力やメンタル面に関しては人一倍の強度がある。

 

エイプリルフールならとっくに過ぎてるぞ麗花、なんて思いながら打ち合わせを終えて受話器を下す。

メモ書きを改めてパソコンで打ち直し、一息ついて。

まったくあの麗花は…なんて思いながら。

改めて、小鳥さんに事情を伺った。

 

「で、どう言う事なんですか?」

 

「プロデューサーさん…律子さんが言うには、レッスン中に麗花ちゃんが倒れちゃった、って…」

 

「…え?律子からか?!」

 

ここへ来て一気に話の信憑性が上がった。

小鳥さんは色々とユニークな人だけど、仕事に関しては常に真摯な方だ。

そんな人が嘘をついついるとは思えない。

律子に関しては疑う必要がない。

 

と、いう事は、だ。

あの麗花が、本当に倒れたという事になる。

 

「…!大変じゃないですか!早く詳しい話をお願いします!」

 

「は、はい。体調不良かどうかはまだ分かりませんが、レッスンの休憩中にユニットのメンバーが会話している最中ーー」

 

事務所にざわめきが走った。

皆各々が手に持った端末で、一緒にレッスンしていたであろうクレシェンドブルーの面々に連絡を入れる。

体調を崩していたんだろうか?足を挫いたりはしていないだろうか?

そんな心配をしながら、小鳥さんから詳しい事情を伺った。

 

麗花が倒れたと言うのは大変な出来事だがあり得なくはない事だ、と。

病院へ行くなり休息を取るなりすれば治る、と。

焦ってはいたが、まだ冷静に考えることが出来ていて。

事態は、そんな俺の予想を軽々と飛び越えていた。

 

この時、俺はまだ理解仕切れていなかった。

いや、できる筈がないんだ。

麗花が倒れた、本当の理由なんて。

それを俺は、身をもって知る羽目となる。

 

 

 

 

病院へ行くと、既に数人のアイドルと律子が麗花の眠るベッドの周りを囲んでいた。

その全員の表情が、不安で曇っている。

みんな、麗花がどれほど体力があるかを知っていて。

それが尚更、みんなの不安を掻き立てている。

 

律子に声をかけ、病室の外で詳しい事情を伺った。

現時点で判明しているのは、体調に関しては健康そのものだという事。

熱も無いし朝食も食べて来ていたという事。

倒れた時に足を挫く事も頭を打つ事も無く、本当にコロンと眠る様に意識を失ったらしい。

 

だと言うのに。

身体を揺すっても、足や頭のツボを押しても意識が戻らない。

 

医者が言うには、過度のストレスがあって精神的に参ってしまっていたのではないか、との事。

体調面でなければ、内面的な問題。

そう考えるのは当然の事で。

逆に俺たちは、それを理解する事が出来ずにいた。

 

あの麗花が…ストレス?

いつも楽しそうに、気ままに振舞っていた彼女が?

仮に何か悩みがあったとして、それは事務所のアイドル達に関することだろうか?

自分の将来の事、あるいは家庭の事だろうか?

 

思い当たる節が一つもない。

彼女はそういった素振りを一切見せていなかったのだから。

一番彼女と一緒に活動していた茜でも、心当たりは無いという。

だとしたら、一体何があったんだ…

 

病室に戻り、麗花のそばに寄る。

本当に、ただ眠っているだけの様にしか見えない。

むしろ微笑んでいる様にすら見えて。

この眠りを邪魔しちゃいけないな、なんて普段だったら思っていたくらいに。

 

…麗花、何があったんだ…

 

レッスンが多すぎた、厳しすぎたなんて事が原因だとしたら…

最近休みが少なくて、自由な時間が取れていなかった事が原因だとしたら…

麗花なら絶対大丈夫だろう、なんて楽観視していなかっただろうか?

俺の中で、自分に対する怒りがこみ上げてくる。

 

「…プロデューサー殿、今日はそろそろ…」

 

「そうだな…やらなきゃいけない事もある。麗花の事だ、明日には起きてハイキングに行きたいなんて言い出すかもしれないな」

 

なんて軽い調子で言おうとしても、心は重いままだ。

むしろ自分で発した言葉に、余計辛くなる。

何が麗花の事だ、だ。

お前はそれを過信し過ぎていたんじゃないか、頼り過ぎていたんじゃないか。

 

…倒れたのが、俺だったら良かったのに。

 

そんな意味もない後悔が湧き上がる。

いや、俺含め誰も倒れない様に。

その為に色々と調整するのが俺たちの仕事なんだ。

暗い事を考えるのはやめよう、明るくいないと麗花に笑わるだろ。

 

ーープロデューサーさんは、代わってくれますか?ーー

 

「…え?おい律子、今麗花が喋って…」

 

振り返っても、麗花の瞳は閉じたまま。

唇が動いた形跡も、意識が戻った様子もない。

…疲れてるのかもしれないな。

事務所に戻ったら何か食べるなり飲むなりしないと。

 

病室を後にした俺たちは、タクシーで事務所に戻って仕事に就いた。

けれど集中出来るわけも無く、画面上の誤字が俺を嘲笑う。

心を埋めるのは、麗花の事。

頼む、はやく目を覚ましてくれ…

 

仕事を終えて家に帰っても、心は晴れない。

窓から空を見上げても、雲に隠れて月は見えない。

軽く何か腹に入れて、風邪薬飲んでさっさと寝ないと。

明日も昼頃時間作って、麗花のとこに行くか。

 

 

 

翌日、目覚ましの音で目を覚ます。

風邪は大方治った様で、頭と身体は軽い。

けれどそれに反比例して、心は重く沈み込む。

誰からも麗花の件で連絡を寄こしていないという事は、まだ意識を取り戻していないという事なのだから。

 

取り敢えず昨日のニュースや今日の天気予報を確認する為テレビを付けて朝食を準備する。

ここで俺まで倒れたら大変な事になる。

きちんとエネルギーを補給して、一応マスクも付けて。

あ、週末は雨か…

 

と、そこで違和感を覚えた。

天気予報の画面の端に、変なマスコットキャラクターが写っている。

朝のニュースは割と可愛らしい生き物のキグルミが出てくるのは知っている。

けれど、昨日まであんなユニークな形状をしていただろうか?

 

更に良く見ると、そのキグルミが気象予報士の如く今週の天気予報を伝えている。

キグルミを着ている筈なのに、いつもと変わらないハキハキとした口調と声で。

よく分からない企画でもあったのだろうか?

と、その直後、画面が街中の映像に移り変わった時。

 

「…は?なんだこれ?」

 

俺はおもわず、素っ頓狂な声を出してしまった。

いや、は?なんだ?

俺が知らないだけで今日は仮装大会でもやってるのか?

CGって事は…ないよな。

 

画面に映ったのは、駅前の交差点。

ありふれた、毎朝見ていた、社会人や学生でごった返している交差点。

俺だって何度か通った事はあるし、なんなら家から電車で15分もあれば着く交差点。

その、筈なのに。

 

街を歩く通行人が。

みんながみんな、先程と同じユニークな形状のキグルミを着ていた。

 

 

 

 

 

落ち着け、あれだ、番組が変な企画やってるんだ。

そう自分に言い聞かせ、消え失せた食欲をなんとか取り戻しトーストを咥える。

当然味なんて分からない。

そもそも今の状況が分からない。

 

っと、そろそろ事務所に向かわないと。

変な事が気になるのはいいが、そんな理由で遅刻なんてしてられない。

時間を確認しようとスマートフォンをつけて。

壁紙にしていたアイドル達の写真が目に入って。

 

「…うそ、だろ?」

 

もう、パニックになりそうだった。

だって、写真に写っていたのは。

アイドルの姿ではなく、キグルミだったのだから。

 

 

 

急いで家から飛び出し外に出る。

街はいつも通り、通行人で溢れていて。

街頭ではティッシュやチラシを配っている人がいて。

その全員が、変なキグルミを着ていた。

 

…なんだ、これ。

あれか?熱にやられて変な夢でも見てるのか?

そうだ、これは夢だ。

だってそうとしか思えない。

 

お約束の様に頬をつねるも、痛みがこれは現実だと教えてくれて。

けれど脳はこれを現実だと受け入れてくれなくて。

クラクラする頭を押さえつけ、発狂しそうになる口を押さえつけ。

俺はなんとか駅へと向かった。

 

駅は街以上に人が多い。

我先にと改札に飛び込む人。

降りてくる人を押しのけて電車に乗り込む人。

黄色い線の内側に退がれと叫ぶ駅員。

 

その全員が、キグルミを着ている。

そう言えば、このキグルミを何処かで見た事がある様な気がするが…

そんな事よりも、本当になんでこんな事になっているんだ。

満員の車内の所為で周りのキグルミがより近くになり、恐怖感が更に増す。

 

…なんなんだ、これは。

 

まるで異世界に紛れ込んでしまった様で、吐き気がこみ上げてくる。

けれどここは通勤ラッシュの電車内。

なんとか堪える為に目を閉じて、視覚を放り捨て耳に挿したイヤホンで世界を遮断する。

はやく、事務所に辿り着きたい。

 

はやく!はやく!はやく!

 

事務所の最寄駅に到着すると同時、俺は一番乗りで電車を飛び出した。

そのまま勢いを落とさずに改札を飛び出し、事務所へ向かって全力疾走。

出来る限り周りの風景を見ない様にして、ひたすら走る。

そうだ、事務所のみんなも俺と同じで怖がっているかもしれない。

 

「おはようございます!」

 

急いで階段を駆け上がり、事務所のドアを勢いよく開けた。

みんなは大丈夫だろうか?

こんなへんてこな状況で、気が滅入っていないだろうか?

この状況を打破出来そうな朋花やまつりは状況を理解出来ているんだろうか?

 

「おはようございます、プロデューサーさん」

 

「あ、小鳥さん!おはようございます、これって一体何が…」

 

けれど、ようやく知っている人の声を聞けたというのに。

俺の絶望は更に増す事となった。

聞こえる声は間違いなく小鳥さんの筈なのに。

座っている場所は、間違いなく小鳥さんのデスクの筈なのに。

 

俺の目に写っているのは、外にいたキグルミと同じ姿だった。

 

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!」

 

思わず叫び声を上げてしまう。

なんで?なんでだ?何が起こってるんだ?!

だって、聞こえる声はいつも聞いてる小鳥さんの声なのに!

なんで、小鳥さんはそんなキグルミを着ているんだ?!

 

「お兄ちゃんどうしたの?朝からそんな叫び声あげるなんて、大人とは思えないよ」

 

「子供でも叫ばないと思うけど…プロデューサーさん、どうしたんですか?」

 

心配そうな志保と桃子の声が聞こえる。

けれど、その姿は見えない。

代わりに、その二人の声が聞こえた場所には二体のキグルミがいて。

もう、何が何だか分からなかった。

 

「おい、なんだよそのキグルミ!ってかなんなんだよ!みんなキグルミ着て!小鳥さんも!」

 

「…ほんとに大丈夫?お兄ちゃん…疲れ溜まってるんじゃない?」

 

「確かに麗花さんの事が不安なのは分かりますけど、きちんと休まないと倒れたら元も子もありませんよ」

 

だめだ、話が通じない。

小鳥さんらしきキグルミも、首をかしげている、様に見える。

なんだ?俺がおかしいのか?

これはやっぱり、夢なんじゃないか?

 

「…そうか、夢か…なんだ、焦って損したよ…」

 

直後、俺の意識はぷつりと途切れた。

 

 

 

 

…ん?俺、なんで事務所で寝てるんだ?

 

目を開けると、事務所の天井が見えた。

どうやら俺は事務所のソファで寝ていたようだ。

誰かが掛けてくれた毛布をどかし起き上がる。

時計を確認すると、今はまだお昼前。

 

なんで俺は…あ、そうだ。変な夢を見たんだった。

 

「すみません小鳥さん。俺いつの間にか寝てたみたいで…」

 

「体調はもう大丈夫ですか?心配しましたよ、いきなり変な事を言い出して…」

 

…あぁ、夢じゃなかったのか。

 

目の前に現れたキグルミが、もう夢とは思わせてくれなかった。

つまり、俺が倒れたのはおそらく精神的に参っていたからで。

なんど瞬きしたところで小鳥さんの姿は元にはもどらない。

それでも先程よりは、多少なりとも落ち着くことが出来ていた。

 

取り敢えず、これを小鳥さんにどう伝えるべきか考えるところから始めてみよう。

 

なんでキグルミを着ているんですか?

…多分、それを自身で認識出来ていないんだろうな。

小鳥さん、俺の目にはみんながキグルミに見えるんです。

…何を言っているんだこいつ、最悪精神科送りだぞ。

 

「一応、私と律子さんで出来る限りの仕事は終わらせておきましたから」

 

「…ありがとうございます。少し、疲れていたのかもしれません」

 

幸い、今事務所には小鳥さん以外いないみたいだ。

おそらく、他のアイドルもみんな…

それを見るくらいなら、これ以上誰にも会いたくなかった。

 

「でしたら、今日は休みがてら買い出しをお願い出来ますか?それと、麗花ちゃんのところへお見舞いに行ってあげて下さい」

 

「了解です」

 

正直、外になんか出たくなかった。

外は当然事務所以上に人が多い。

それが全部、奇妙な形状のキグルミに見えているんだから溜まったもんじゃない。

とは言えそんな事理解してもらえる訳もない、か。

 

タクシーを呼んで病院へ向かう。

その間も、当然ながら沢山の人が視界に入る。

その全てが、へんてこなキグルミ。

再び俺の精神がゴリゴリと削られてゆく。

 

タクシーの運転手は、一体どうやってハンドルを握っているんだろう。

キグルミなんて着た状態でちゃんとブレーキを踏めるのか?

ふとした疑問は、割と下手したら生死にかかわる問題だ。

なんとか無事病院へ着けることを祈って、俺は目を閉じた。

 

 

 

 

病院へ到着し、運転者に料金を支払おうとした時。

俺はとある事に一つ気付いた。

俺が渡した小銭をきちんと受け取り、領収書を渡して貰う。

その時、まるで綿菓子に圧力をかけたかの様にキグルミが凹んでいたのだ。

 

つまり、どうやらキグルミに見えているだけで。

本当は、本当にきちんとした人間がそこにいる、という事だ。

それもそうだ、でないとハンドルを握れない。

狂っていたのは、世界ではなくて俺の目という事、か。

 

とは言えそれが分かったところで根本的な解決には至らない。

誰かに打ち明ければ病院送り、という点も変わらない。

今俺が出来る事は、さっさと全部を諦めて、慣れて、隠し続ける事だけだ。

そんな事を簡単に出来るなら苦労しないが。

 

それともう一つ。

何処かで見た事のある奇妙な形状のキグルミだな、と思っていたが…

あれだ、麗花の落書きで見た事があったんだ。

確か…でんでんむす君、だったか。

 

麗花の書いた落書きが現実に、なんて予言の書みたいなストーリーは御免だ。

んな事が本当になったのならうちのアイドル達は当然の様に宇宙空間で生活出来ることになる。

とは言え、麗花が何かを知っていた事は間違いないだろう。

当の本人はと言えば…

 

病室の扉をゆっくりと開けた。

その先には、眠ったままの麗花。

そしてお見舞いに来ているらしきキグルミ。

ジャイアント茜ちゃん人形のキグルミだから…茜だろうな。

 

「あ、おはよープロちゃん。プロちゃんまで倒れたって聞いたけど大丈夫?」

 

「あぁ、俺も疲れが溜まってたみたいだ。気を付けないとな…で。茜、レッスンは?」

 

「こ、これから行こーとしてたとこだよ!お願いだから律子様には何卒…」

 

「急げ急げ、まだギリギリ間に合うぞ」

 

急いで支度を終えて病室を飛び出しローラーシューズで消え去る茜。

全く、心配なのはいいがレッスンはサボるな。

あの様子じゃその旨の連絡を律子に入れてないんだろうな。

それに病院内でローラーシューズなんて…

 

…ん?

なにか、おかしい。

ジャイアント茜ちゃん人形だったから、あいつを茜だとは気付けたが…

なぜ俺は、麗花を麗花だと一発で見抜けた?

 

ベッドの上で安らかに眠っている麗花に再び視線を向ける。

呼吸で上下している胸元。

解かれた、長い長い髪。

今にも開きそうな、瞼と表情。

 

「…変わって、ない…?」

 

麗花は、何も変わっていなかった。

他の人達みたいにキグルミになっていない。

見ているだけで心が不安定になりそうな形状をしていない。

何時もの見慣れた、北上麗花のままだった。

 

「…よかった…やっと…」

 

やっと…やっと、人間に会えた。

ようやく、俺でも人と認識出来る人に出会えた。

それが、嬉しくて…

俺は堪らず、涙を流してしまった。

 

けれど、麗花はまだ目を覚ましていない。

もしも、もしもだ。

このまま麗花が目を覚まさなかった場合。

俺が見る事の出来る唯一の人間の姿が、居なくなってしまう。

 

…いやだ!目を覚ましてくれ麗花!

お前がいなくなったら、この世界はあのへんなのしか居なくなってしまうじゃないか!

頼む…頼む!

絶対にいなくならないでくれ!

 

祈っても、懇願しても、涙を流しても。

都合良く麗花の目が醒めるなんて事はなく。

巡回していた病室の人からそろそろと言われ、病室から出ようとして。

その直後、麗花の枕元に置かれたスマートフォンが震えた。

 

おそらく誰かしらがお見舞いの連絡でも寄越したのだろう。

画面が明るくなり、壁紙が映し出される。

設定されていた画像は、恐らくクレシェンドブルーの五人。

撮ったのが俺だったから分かったが、麗花以外の四人はキグルミとして写っている。

 

…なんで、こんな事に…

 

怒りと悔しさは行き場をなくし、拳の中で力に変わる。

爪が肉に食い込んでも、痛みなんて感じる余裕もない。

兎に角今は、頼まれてた買い出しをしないと。

それから落ち着いて、もう一度考えてみよう。

 

 

 

 

頼まれていた日用雑貨を買い終えて事務所に戻る。

たくさんのキグルミにも、もう既に慣れ始めていた。

と言うよりも、恐らく心が磨り減っていた。

これ以上辛い思いをしたくなくて、何も考えないようにしていたんだろう。

 

事務所には、おそらく小鳥さんと律子と思わしきキグルミが会話している。

出来る限りそれを見ないようにして、買って来たものと領収書を渡す。

それから缶コーヒーを飲みきりパソコンと向かい合ったところで、俺のデスクの上に何かが置いてある事に気付いた。

これは…ノート?日記帳?落書き帳?

 

「あ、それ麗花さんのです。昨日あの時、ロッカーからカバンは持って行ったんですけど、その時置いていってしまったみたいで」

 

「あ、ありがとう志保…次行く時持ってくよ」

 

それをカバンに仕舞い込み、仕事に戻る。

パソコンは良い、キグルミを見なくて済むから。

仕事は良い、他の事を考えなくて済むから。

もういっそ、ずっとキーボード打ち続けてればいいんじゃないかなんてアホな事を思い浮かべてしまうくらいには、心は弱っていた。

 

 

 

それから一週間。

俺はもう、考える事を放棄して仕事に打ち込んでいた。

キグルミなんて、知ったこっちゃない。

そんな事を考える余裕があるなら一つでも多くの書類を完成させろ。

 

奇妙なキグルミも、もう当たり前の事だと思い始めてた。

人間恐ろしいものだ。

慣れるのが早く、慣れてしまえばなんて事はない。

最初からこうだったんだ、と思えてしまえば後は一瞬だった。

 

もちろん最初のうちは自殺すら視野にいれて暮らしていた。

けれどもうそんな事もない、慣れてしまったから。

今では見ただけどのキグルミが事務所の誰か分かる。

おかげで、もう怪訝な目を向けられる事もない。

 

それはきっと、心がもう死にかけていたんだろう。

言って仕舞えば、異世界に一人だけ投げ込まれた様なもの。

誰一人として俺の知る人はいない世界で、俺の事を知っている人達と仕事をする。

狂った歯車で、無理やり動かされていたんだ。

 

それでもなんとか、やってこられたのは。

日々の仕事が終わった帰りに、病院に行っていたから。

そこには、人間の姿の麗花が眠っている。

それを確認する事で、俺はまだ壊れていないんだと少しだけ実感することが出来た。

 

それでも、更に少しずつ心は消えていく。

何も考えず、ただただ日々働き続ける人形になる。

それこそ、まるでキグルミを着ているかの様に。

自分を消し去り、周りをシャットアウトして仕事に向き合う。

 

そんなある時、カバンの中から一冊のノートが顔を出した。

そう言えば、麗花に渡すの忘れてたな。

夕飯を食べる気力もなく、家のソファで突っ伏していた時。

ふと、魔が差した。

 

…今なら、読んでいいんじゃないか?

誰も見てないし、俺さえ黙っていればバレる事もない。

…ダメ、かな?

いいよな、うん。

 

ぱらり、と表紙をめくる。

1ページ目には、事務所への簡略化された地図が書いてあった。

おい麗花、この地点Jは事務所のJか。

なんか無駄にかっこいいな。

 

それと一緒に、麗花の壁紙にもなっていたクレシェンドブルーの五人で撮った写真が挟まれていた。

もちろん、麗花以外の四人はキグルミ。

それに違和感を覚えなかったあたり、俺はもうヤバかったんだろう。

むしろ、なんで一人だけ人間が写ってるんだ、と思ってしまうくらいには。

 

次のページを開くと、日記が書いてあった。

今日から私はアイドル!

アイドルって何するのかな?作詞?

それじゃー1曲目!プップカプップカプップカプー!

これじゃ作曲でしたね!

 

…楽しそうだな、訳わからないけど。

まぁ兎に角、麗花の楽しみという感情は伝わってくる。

それから数ページは、メモ書きだったり日記だったりが綴られていた。

時たま書いてあるナゾナゾに頭を悩ませては、全く関係のない答えで笑っていた。

 

時には、事務所の誰かの似顔絵。

少しばかり画伯なところはあるけど、特徴はつかんでいる。

茜だったり、志保だったり、静香だったり、星梨花だったり。

そのみんなが笑っているという事だけは、一目でわかる。

 

けれど、ノートの半分が過ぎる手前あたりで。

少しばかり、毛色が変わってきた。

書いてあるのは、その日あった事。

その内容が、麗花らしからぬ不安を漂わせている。

 

この五人で、ちゃんとやっていけるかな、とか。

ステージの上で、緊張せず歌えるかな、とか。

ファンの人達の期待に応えられるかな、とか。

麗花に人並みのそういった感情があったんだなと再認識すると同時、俺はまだ苦しくなった。

 

俺は、そんな麗花の気持ちに気付けていなかったのか。

そんな事も知らず、気にせずやればいいなんて言っていたのか。

ファンの視線が怖いなら、観客席にぬいぐるみでも置いてあると思って練習するといい、なんて言っていたのか。

大丈夫だ、相手が常に笑顔でいると思い込めば、それはきっと本当になる、なんて…

 

俺は、麗花の事を…

 

けれど、次のページで、俺の心は救われた。

 

練習が、とっても上手くいきました!

プロデューサーさんから、アドバイスを貰えたからかな。

ユニットのメンバーとも、とても上手くいってきる気がします。

みんなが笑顔でい続けて欲しいと、願ったからかな。

 

そんな、文書。

それはプロデューサーである俺にとって、とても嬉しいもので。

そのままの勢いで、ページをめくり。

俺は更に、後悔することになる。

 

祈ってしまった

 

それだけ短く書かれたページ。

一体、何をだ?

…いや、少しは予測がついている、ついてしまっている。

麗花は素直だ、俺が言ったその言葉を、そのまま飲み込んでしまったんだ。

 

震える指で、勢いよくページを向かう。

それを見た俺は…

 

「ゔっ…うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!」

 

込み上げる吐き気を、両手でなんとか抑え込む。

テーブルの上に置いてある水を一気に飲み切り、上を向いて深呼吸。

怖い、ノートを見るのが怖い。

それでも…これは…俺のせい、なのか?

 

描いてあったのは、俺がこの1週間で嫌という程見てきたあのキグルミが、おそらく笑顔で。

麗花曰く、でんでんむす君。

あの異形が、おそらくアイドルのイメージカラーの色鉛筆で描かれていて。

その下には、ごめんなさい、の文字。

 

そして、その文字がまるで一度濡らされたかの様に滲んでいて。

俺は耐えられず、トイレに駆け込んだ。

ちくしょう…ちくしょう!

俺のせい…なのか?俺が麗花に…

 

再び覚悟を決め、ノートに向かい合う。

続くページは、不安とイラスト。

でんでんむす君や、ジャイアント茜ちゃん人形。

そして、どうして?の文字。

 

けれど少しずつ、またテイストが明るくなってきていた。

おそらく、麗花も慣れてしまったのだろう。

楽しそうにでんでんむす君と手を繋いで買い物に行く麗花が描いてある。

それを見るだけで、少しだけ心は落ち着いた。

 

それも、そうか。

俺ですら1週間で慣れたんだ。

俺よりも心がしっかりしてる麗花なら、大丈夫だったのかもな。

よかった…

 

そんな時、とあることに気づいた。

麗花が描いた事務所の人達の似顔絵。

その中で唯一、俺だけが人間の顔をしている事に。

つまり…

 

麗花は、俺だけは人間の姿として見れていた、のか?

今の俺にとっての、麗花の様に。

急いでその次のページをめくると、今度は日記だった。

内容は…

 

プロデューサーさんだけは、普通の人です。

普通って、なんなのかもう分からなくなってきちゃいましたけど。

それでも、プロデューサーさんは普通なんです。

私にとって、唯一の普通の人なんです。

 

知らない人が見れば、何を言っているんだ?となっているだろう。

けれど、俺にはわかる。

俺には、どれだけの思いが込められていたかが分かる。

普通の人と言うのが、麗花にとってどれ程心の支えになっていたかが分かる。

 

…ごめん、麗花…ごめん…

 

プロデューサーさん、今日もナイス普通ですね!

何度か言われた、あのセリフ。

それに、一体どれ程の重さがあったのか。

あの時、俺は気付けていなかった。

 

涙を流しながら、ページを捲る。

再び内容は、ガラリと変わった。

前までのページにあった、楽しそうな雰囲気なんてない。

そこにあるのは、悲しみだけだ。

 

ーーみんなの笑顔を、もう一度見たい。

 

みんなの、笑顔…

ふと、思い出した。

彼女のスマートフォンの壁紙と、このノートの最初に挟んであった写真を。

それは、麗花にとって、とてもとても大切なもので。

 

それを麗花は、もう見る事が出来なくて。

 

みんなの顔を忘れない為に、毎日見返す事にしよう。

もう違う姿にしか見えないけど、毎日見る事で思い出し続けよう。

いつか、また元の姿を見る事が出来た日に。

誰が誰の顔だかを、必ず忘れない為に。

 

そんな文書を読んだ時。

とたんに、俺もみんなの顔が見たくなってきた。

ずっと一緒に成長してきた765プロのみんなの顔を。

今ではもう、少しずつ塗り替えられ始めてるみんなの顔を。

 

けれど、必死に写真のフォルダを漁っても。

俺と麗花以外は、みんなキグルミになっている。

画像で見る事すら、出来ない。

そんなみんなの元の笑顔を、麗花はどれだけ願ったんだろう。

 

そして、日記は次のページで最後になっていた。

それ以降は、イラストも何も書かれていない。

という事は、麗花が倒れたあの日の前日に書かれたものとなる。

意を決して、俺は開いた。

 

プロデューサーさんの調子が悪いんです。

お願いだから、倒れないで下さい。

私の前から、いなくならないで下さい。

もし、いなくなっちゃったら、私は…

 

それで、全部だった。

そして、それが全てだった。

 

もう、全て分かった。

なんで麗花が、普通に固執したのかも。

なんで麗花が、あの日倒れたのかも。

もう、全てがギリギリだったんだろう。

 

…俺も、もう限界かもしれない。

なぁ、麗花。

お前はその時、どれくらい祈ったんだ?

俺の今の願いは、ちゃんと叶うのかな。

 

みんなの笑顔が、見たいな。

俺はもう、どうなってもいいから。

麗花に、もう一度。

みんなの笑顔を、見せてやりたいな。

 

俺は祈った。

また、俺がみんなの笑顔を見れる様に、と。

また、麗花がみんなの笑顔を見れる様に、と。

祈り続けて、気が付けば俺は意識を失っていた。

 

 

 

朝、眩しい日差しで目を覚ます。

どうやら俺は、あのまま寝てしまっていた様だ。

パパッとシャワーを浴びて、朝食を食べる。

さて、また今日も何時もと同じ日々だ。

 

ぶーん、ぶーん

 

その時、連絡が入った。

送り主は律子、内容は簡潔的で。

 

『麗花が目を覚ましたみたいです』

 

確認したと同時、俺は家を飛び出した。

 

良かった!目を覚ましたのか!

俺にとっての普通が、いなくならないでくれる!

そしてタクシーを捕まえようと道で待っている時。

何故だか、違和感を覚えた。

 

街に、人がいる。

それは当たり前の事で、けれど昨日までの俺にとってはありえない事で。

つまり…

 

「…戻ってる…人が、居る!」

 

人が居る、キグルミが居ない。

当たり前の、普通の事なのに。

俺は堪らなく嬉しくて。

泣き過ぎてタクシーの運転手に慰められたくらいだ。

 

病院へ着くと、全速力で麗花の部屋を目指した。

よかった…!やったぞ、麗花!

またみんなの笑顔を見れる!

またみんなで…

 

ガラッと、扉を開けた。

 

既に沢山のアイドル達が居て。

それが全員、きちんと人の姿をしていて。

みんなが、笑顔で。

それが、嬉しくて。

 

「麗花…!」

 

俺は叫んだ。

それに応える様に、ベッドの上の麗花は此方を向いて。

けれど、麗花は。

 

…なぁ。

 

「…なぁ、おい、麗花…」

 

なぁ、麗花、だよな?

なんでなんだ?

なんで…

 

「…おはようございます、プロデューサーさん。今日は、少し特別ですね」

 

 

 

 

 

 

 



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グリP〜今日も、仕事〜

働かなければ生き残れない


 

「おはようございます」

 

いつもと同じ765プロの朝。

扉を開けると、部屋では既に数人のアイドルがいた。

そのみんながワイワイと大きな声でお喋りしていて。

どうやら、俺の挨拶に気付いていない様だ。

 

若い子達は元気だなぁ、なんて思いながら椅子に座ろうとして。

ふと、一つデスクが多い事に気付いた。

おかしいな、前見た時はなかったのに。

新人でも入ってくるのか?

 

そんな事を考えながらカバンを開けてノートパソコンを出して。

買って来たコーヒーを出して準備万端。

早速カタカタとキーボードを叩く。

いつもの様に、今日もひたすら。

 

カタカタ、カタカタ、カタカタ

 

しばらくして、再び事務所の扉が開かれた。

入って来たのはスーツ姿の男性。

けれど、それは765プロの社長ではなく。

つまり、新しいプロデューサーなのか。

 

「おはようございます」

 

「あ、おはようございます、プロデューサーさん」

 

長い髪を振って、星梨花が子犬の様に反応した。

おいおい、俺の時は反応してくれなかったのに。

少し寂しいじゃないか。

と、そんな事考えてる暇あったら仕事しないと。

 

隣のデスクは、案の定新人の席だった。

俺に挨拶くらいしてくれたって…って。

もしかしたら、邪魔しちゃ悪いと思ってるのかもしれない。

気の利く新人だ、俺も負けてられないな。

 

「それで、以前持ってきてくれって言われていたので、今日はきちんとランドセルを持ってきました」

 

「ランドセル…?俺が?」

 

「はい、もう小学生じゃないですから少し恥ずかしいですけど…これも、お仕事ですから!」

 

隣から新人と星梨花の会話が聞こえてくる。

いや星梨花、それ言ったのは俺だぞ。

そう言おうとして。

 

「うぉっほん、進展はどうだね?」

 

突然、社長に話掛けられた。

 

「こっちの書類はもうすぐ終わりそうです」

 

このくらいの作業なら朝飯前だ。

既に7割方終了している。

 

「おはようございます社長。先日頼まれていた企画書です」

 

新人もなかなか出来る様だな。

満足気に頷いて、社長は部屋へと戻っていった。

さてさて、さっさとこれを終わらせないと。

せっかくみんなの信頼を勝ち取ったんだ、もっと頑張らないと。

 

「あと、プロデューサーさん。今度時間があるときに、パパがまたきちんとご挨拶したいって言ってました」

 

「また…?まぁ、今週末あたりに時間を空けとくよ」

 

隣の会話を聞き流しながら、キーボードを叩く。

そうだ、俺は仕事をしないと。

カタカタ、カタカタ。

…よし。

 

ひと段落ついて、次の書類に取り掛かろうとしたところで。

部屋のテーブルを挟んで志保と静香が口論しているのが目に入った。

またあいつらは喧嘩してるのか…

 

「ーーだから、今はそんな事を気にしてる暇なんてーー」

 

「そんな事ですって?!そんなーーー」

 

よく聞き取れないが、何時もの流れだとしたらレッスンでなにかあって言い合ってるのかもしれない。

やれやれ、もうすぐライブが近いってのに。

まぁ喧嘩するほど仲がいいとはいうし、放っておいてもだいしあだろう。

 

カタカタ、カタカタ、カタカタ

 

ひたすらにキーボードを打つ。

そうだ、今は他の事なんて気にしてる余裕もない。

ライブが近いって事は、その分俺の仕事も多いんだから。

先ずは目先の書類をどんどん終えていかないと。

 

…よし、こっちは終わり。

えっと次は…

 

コトン、と。

 

気付けば俺のデスクの横に来ていた志保が、ガラスのコップを置いていた。

中には水が半分ほど、そして花がいけてある。

確か…金盞花、だったかな?

どこかで見た事があるから、何故か覚えていた。

 

「…まったく、プロデューサーさんはいつも頑張りすぎです」

 

「ありがとな、志保。でもこれもお前たちの為だから」

 

俺に視線を向ける事なく、志保は自分が置いた花を眺め。

そして一度目を閉じると、また何処かへ行ってしまった。

担当してるアイドルに応援されてるんじゃ、俺ももっと頑張るしかないな。

そう言えば、茜と麗花は何処にいるんだろう?

 

カタカタ、カタカタ、カタカタ

 

仕事に熱中してキーボードを打ち込んでいると、窓の外を大きな物体が飛んでいくのが見えた。

…鳥か?いや、デカ過ぎた。

一旦仕事を中断して窓を開けると…

遠くの方で、麗花が走っていた。

 

何故か物凄い跳躍力で道を駆け回っている。

アイドルって凄い。

そう言えば、前はそうやって宇宙まで走って行ったらしいな。

俺も休憩がてら、少し追いかけてみるか。

 

窓から飛び出し、麗花を追う。

麗花はそこまでスピードを出していないようで、追いつくのに時間はかからなかった。

そのまま少し後ろを走り続ける。

これが結構心地よい。

 

走って、跳んで、飛んで。

街を抜け、雲を抜け、成層圏を抜け。

気が付けば宇宙まで来てしまっていた。

これは帰るのにも時間が掛かりそうだ。

 

麗花はまだ俺に気づいていないのか、振り返る事なく走り続けている。

よくもまぁそんなに体力が持つものだ。

普段からダンスをやってるからだろうか。

それとも趣味がハイキングだからだろうか。

 

「あら、麗花じゃない。酸素足りてる?」

 

「あ、おはようございます、律子さん!」

 

「おはようって、今の日本はもうすぐ夕方よ…なんて、宇宙にそんな法則はないわね」

 

見れば、宇宙服を着た律子がいた。

うちの事務所の企画の一つは宇宙で行われているが、今日は律子が来ていたのか。

それにしても律子よ、生身で宇宙空間を走る麗花に対しての言葉がそれか。

酸素以前の問題だろう。

 

「レッスンはちゃんと終わってるの?」

 

「もちろんです!あ、地球って丸くて星みたいです!」

 

「当たり前じゃない…で、なんで走ってるのか聞いていい?」

 

「パンパカパーン!が溢れてるから!」

 

「分からないんだけど…」

 

パンパカパーンってなんだ。

麗花なりの喜びや楽しみの表現なんだろうか。

 

「…それにほら、こうやって色んな場所を走ってると思い出話が沢山増えますから!」

 

「…そう。それじゃ、私はまだ仕事があるから」

 

そのまま律子と分かれ、麗花は回れ右して地球へ向かい走り出した。

そろそろ日本は夜になる頃かな。

俺もさっさと戻って仕事の残りを終えないと。

 

 

 

 

事務所へ戻ると、もうほとんどみんな帰っていた。

恐らくいるのは社長くらいだろう。

さて、仕事の続きを…ん?

俺のデスクの上に、茜ちゃん人形が置いてある。

 

茜が置いていったのだろうか。

それにしても、市販されているものと違ってどこかハンドメイド感が漂っている。

茜が手作りのをプレゼントしてくれたのかな。

明日会ったら、きちんとお礼を言っておかないと。

 

「…よし、あと5体くらい作ろっかなー!」

 

茜の声がきこえてくる。

なんだ、まだ残ってたのか。

ならお礼を言わないと。

 

セパレーターで仕切られたスペースでは、デスクランプを点けて茜が何やら作業をしていた。

どうやら、茜ちゃん人形を作っているようだ。

一般販売の為既に工場で大量生産されてる筈なのに、なんで手作りなんだろう。

プレミア付けて高く捌く為だろうか?

 

作業はなかなか難航しているようで、まだ完成している茜ちゃん人形は3体くらいだ。

あと5体も作るとなれば、なかなか時間が掛かってしまうだろう。

俺も仕事が終わったら手伝ってやるか。

ちゃんと帰って休んで貰わないと、体調を崩しちゃうからな。

 

「あら、野々原さん…まだ残ってたんですか?」

 

「おぉもがみんよ、居残りレッスンお疲れ様!あと呼び方は茜ちゃんでいーよ?」

 

事務所へ入ってきたのは静香だった。

二人の会話からするに、静香は一人残って自主練していた様だ。

いい向上心だけど、ここ最近は忙しいんだから休んでも欲しいな。

 

「部屋の電気も付けづに何を…茜ちゃん人形の作成ですか。手伝いますよ?」

 

「あ、だいじょぶだいじょぶ。もう終わりでいいから」

 

「…野々原さんもまだ、その…」

 

「…うん、だから一人でね」

 

二人の会話がとても気になる…

あ、違う、仕事しないと。

他の事を考えてる余裕なんてないんだ。

日中は他の事をしてたせいで、まだ結構残ってるんだから。

 

カタカタ、カタカタ、カタカタ

 

そうだ、俺は仕事しないと。

でも会話が気になる…

いや、違う、仕事だ。

俺は仕事をする為にここにいるんだから。

 

カタカタ、カタカタ、カタカタ

 

「こうやって一人で夜に残って、デスクランプだけ点けて茜ちゃん人形を作ってればさ。またプロちゃんが来て一緒に手伝ってくれるんじゃないかなーって」

 

カタカタ、カタカタ、カタカタ

 

大丈夫だぞ、茜。

これ終わったら手伝いにいけるから。

 

「バカだよね、ほんと。こんなので叶う筈がないのに」

 

「机の上の花は誰が…?」

 

「茜ちゃんじゃないし、もがみんじゃないならしほりんじゃないかな」

 

「…志保は、もうしっかりと心の整理をつけられてるのね」

 

「どうだろね?無理やりにでも今はライブに向けて集中しようと頑張ってるんじゃない?」

 

心の整理…?

なんだそれは。

俺の知らないところで、何かあったんだろうか?

 

ズキン、と。

頭に激痛が走った。

 

痛い!痛い!痛い!

そうだ!あいつらの話に耳を傾けてる場合じゃない。

俺は仕事をしないと!

痛いのは仕事をしてないからだ!

 

カタカタ!カタカタ!カタカタ!

 

勢いよくキーボードを打ち続ける。

他の音を完全にシャットアウトするくらいに。

周りの声が、耳に届かなくなるくらいに。

 

「…まさか、だったよね。絶対なんてないんだなーって改めて認識させられたよ」

 

「…私もです。ずっと、一緒に頑張って進んでいけると思っていて…けれど、あの人は頑張り過ぎて…」

 

聞こえない!聞こえない!聞こえない!

キーボードの音を加速させる。

だめだ、これ以上聞いちゃいけない気がする。

これ以上何かを知ってしまうと、俺は…!

 

「…また、プロちゃんと一緒に茜ちゃん人形作りたいな」

 

「過労死だなんて…私達は、頼り過ぎて…」

 

嫌だ!

俺はまだやらなきゃいけない事があるんだ!

そんな筈がない!

だって俺は元に今、こうやって仕事をしてるんだ!

 

そうだ、仕事だ!

仕事をしないと!

はやくこの書類を完成させないと。

書類を作って、書類を作って、書類を…

 

…あれ?

俺、ここ最近ずっと事務仕事しかしてない気がする。

そういえば、挨拶回りは…?

そういえば、企画の打ち合わせは…?

 

あ…

うわぁ……

 

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!!」

 

そうだ!

俺は過労で倒れて…

でもあの日は大事な打ち合わせで。

それにまだ、みんなとトップアイドルに上り詰めてなくて。

 

まだ、みんなと頑張りたくて。

まだ、みんなを支えたくて。

意識が完全に飛ぶ直前に確か、誰かに言われたのは覚えてる。

 

ーー事務仕事なら可能だぞ、君ぃ。

 

バタン

社長室のドアが開き。

それと同時に、俺は意識を失った。

 

 

 

 

ガチャ

 

いつもと同じ765プロの朝。

ドアを開けて、事務所内へ入る。

さて、今日もまた仕事しないと。

みんなで頑張って、トップアイドルを目指さないといけないからな。

 

「おはようございます」

 

返事を返してくれたのは、社長だけだった。

怪訝そうな目を向けられアタフタしている社長に一礼して、俺はデスクに着く。

さて、今日も頑張るか。

 

いけられた金盞花は、既に枯れ始めていた。

 

 

 

 

 

 



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クレシェンドブルー〜みんな揃ってクレシェンドブルー!〜





 

何かが、足りない。

 

そんな違和感を感じたのは、アイドルユニットであるクレシェンドブルーと打ち合わせをしている最中だった。

来月末にライブを控え、少しずつ厳しくなるレッスンの合間を縫ってのミーティング。

それぞれが改善点や修正案を出し合い、形を作っていくその過程で。

何故かはわからないけれど、どうにも変な違和感を感じていた。

 

「この曲、星梨花少し遅れてるわよ」

 

「…あ、静香さんはこの時端の方が次の曲に…」

 

「わーい!わーい!」

 

「あの、麗花さんはもう少し真面目に打ち合わせを…」

 

なんだろう。

まるで、書類の重要な一文がまるまる抜けている様な。

まるで、集合写真に一人だけ写っていない様な。

まるで、満席のライブ会場で一席だけぽっかり空いている様な。

 

そんな、感覚。

 

俺のそんな疑問を置き去り、他の四人は打ち合わせを進める。

麗花は問題ないだろう、おそらく。

志保は少しダンスが遅れがちだが、他に関しては大丈夫。

静香はMCが微妙に不安らしい。

そして、星梨花と言えば…

 

「大丈夫?星梨花ちゃん」

 

「…あ、はい…大丈夫です」

 

何か、不安になる事でもあったのだろうか。

少しばかり表情が翳っている。

確かに麗花程ダンスが綺麗過ぎる訳ではないが、ライブパフォーマンスは誰にも負けないくらい伸び伸びとしていて可愛らしいのに。

一体、何が…

 

「っと、問題点はこんなもんか。それじゃ俺は他のスタッフと…」

 

「プロデューサーさん!私、いまとってもプリンが食べたいです!」

 

「…買ってくればいいんじゃないかな」

 

流石だな、麗花は。

緊張する素振りなんて見せず、さっきおやつを食べていたばかりなのにプリンとは…

スキップをしながら麗花が冷蔵庫を開ける。

中には、少し高そうなプリンが一つ。

 

「わーい!ソロプリン!ケチャップリン!」

 

「亜美か真美のだろうから食べるなよー」

 

「…え?あ…」

 

その時、星梨花がとても不安そうな表情をしていた。

思えば、この時点でしっかりと話を聞いておくべきだったんだろう。

けれど、勝手に食べるなんてどうなんだろう?なんて考えているのかな、と判断して。

そのまま、打ち合わせはお開きとなった。

 

 

 

数日後、星梨花の体調が悪いと報告が入った。

 

どうにも、レッスンに集中出来ていないらしい。

星梨花らしくもない細かいミスが多かったとか。

通しレッスン中の移動や、立ち位置のミス。

何かあったのだろうか。

 

気に掛かってレッスンルームへ行くと、星梨花は一人で水分補給をしていた。

その表情はとても不安そうで、見ているこっちが辛くなってくる。

 

「どうかしたか?星梨花」

 

「プロデューサーさん…いえ、大丈夫です」

 

「…何か、不安な事でもあるのか?」

 

どう見ても大丈夫そうには見えない。

俺と会話しているのに、星梨花はまた体育座りで顔を背けてしまった。

それから、なかなか顔を上げてくれず。

少しばかり、沈黙が続く。

 

「…プロデューサーさん。わたしが変な事を言っていたらごめんなさい」

 

「いいぞ、何でも言ってくれ」

 

その後、星梨花は一度大きく息を吸って。

そして…

 

「…クレシェンドブルーって…四人でしたか?」

 

…質問の意味が分からない。

どういう事だ?星梨花に何があった?

俺を含めれば五人だが、ユニットという事なら…

 

「…四人だぞ?麗花、静香、志保、そして星梨花で四人のユニットだ」

 

「…ですよね。皆さんに聞いてもそう返ってきて…変な事聞いてすみませんでした」

 

その時、俺はまた違和感を感じた。

自分で言っておきながら、自分の言葉に。

本当に、クレシェンドブルーは四人だっただろうか?

何か、星梨花なら分かるんじゃないだろうか?

 

「…すみません、今日はもう帰りますね?」

 

「あっ…そうか、気を付けてな」

 

この時、星梨花に何か言葉をかけてあげられなかった事を。

しばらくしてから、その時を迎えてから。

俺は、途轍も無い後悔に襲われる事になる。

 

 

 

 

 

 

翌日、なんとか時間を作ってクレシェンドブルーの打ち合わせに参加出来た。

とは言えもうほぼ形は完成しており、特に話すべき事はあまりない。

志保も静香も、あとは自分を高めるだけといった風だ。

…麗花を除いては。

 

さっきから、何故か麗花の表情は暗い、ような気がする。

一体なにかあったんだろうか?

来る途中沢山の赤信号に足止めを喰らったのだろうか?

それとも…

 

どうかしたのか?なんて声を掛けてみてもなかなか反応が返ってこない。

何時もならいつもの事か、なんて流していたであろう志保と静香すらも心配そうな表情をしていた。

 

「あの、プロデューサーさん…クレシェンドブルーって、三人でしたっけ?」

 

…何を言っているんだ?

 

「どうかしたんですか?麗花さん。クレシェンドブルーは私と静香と麗花さんの三人ユニットじゃないですか」

 

「疲れてるのか?ならこのあとは少し休んだ方がいいと思うけど」

 

全くもって、意味のわからない質問だった。

クレシェンドブルーが三人だなんて、結成当時からずっとそうだったじゃないか。

もしかして、麗花には他のメンバーが見えていた、とかか?

やめてくれよ、ホラーは苦手なんだから。

 

「あれ?じゃあ星梨花ちゃんは?茜ちゃんは?二人はユニットのメンバーじゃなかったんですか?」

 

「…星梨花ちゃん?茜ちゃん?誰のことを言っているのか分かりませんが、うちの事務所にそんな名前のアイドルは最初からいませんでしたよ」

 

「え?でも昨日まで星梨花ちゃんと一緒に練習してたよね?…そう言えば、忘れてたけど茜ちゃんが最近事務所に来てないよね?」

 

「…大丈夫か?麗花。本当に少し休んだ方が…」

 

「え…じゃあ、私が今まで見て来たものって…なんだったんですか?」

 

…麗花、相当疲れてるみたいだな。

午後のレッスンは無くして、帰って休んでもらおう。

 

 

 

その晩、麗花から連絡があった。

麗花の言っていた言葉が気になり、俺も少し調べごとをしていた時だった。

 

「プロデューサーさん!怖い夢を見ちゃいました!」

 

「子供か麗花は!」

 

と言ってから、流石にこの件がただ事ではないと気付いた。

何よりあの麗花が、ここまで焦っているのだ。

彼女にとって怖いという事は、かなりまずい状態だ。

どんな夢かは兎も角として、麗花の精神状態がかなり良くないという事が分かる。

 

「それで、どんな夢だった?」

 

「あの、プロデューサーさん…もう一度聞きたいんです。星梨花ちゃんと茜ちゃんを本当に覚えてないんですか?」

 

「…心当たりがない、と言えば嘘になる。俺も、クレシェンドブルーが何か足りない様な気がするんだ」

 

「もともとは、五人ユニットだったんです。私も自分がおかしいのかな?って不安で…あ!話したら安心してプリン食べたくなってきました!おやすみなさい!」

 

おい、それでどんな夢だったんだよ。

それ相談するために連絡してきたんじゃないのか。

まぁ麗花が少しでも安心出来たのならそれでよしとしよう。

プリン、美味しいもんな。

 

…プリン?

何故か、このワードが引っかかる。

プリン、プリン、プリン…

事務所で、誰かがよくプリンを食べてたような…

 

ダメだ、思い出せない。

取り敢えず、野々原茜という人物と箱崎星梨花と言う人物をグーグルで検索してみる。

該当検索数、0。

そんな人物は存在していない様だ。

 

…何が起こっているんだ。

そんな人物は存在しないらしい。

けれど俺は、なぜか引っかかる。

なぜか、知っていた様な気がする。

 

…明日、麗花から詳しい話を聞いてみよう。

 

 

 

 

翌日、事務所へ行くと静香と志保が既に居た。

麗花は…まだ、来ていないようだ。

取り敢えず、志保と静香にも色々聞いてみる。

 

「なぁ志保、静香。野々原茜と箱崎星梨花って名前に覚えはないか?」

 

「ありません」

 

「私もです」

 

即答された。

まぁそうだよな、俺も覚えてはいない。

ただ何処かで、聞いたことがあったようななかったような気がするだけだ。

それが何処だかも、全くもってわからないが。

 

「おっけ、麗花が来たら三人でレッスンに向かってくれ」

 

そのまま俺はデスクに着く。

色々と気になることはあるが、先ずは仕事最優先だ。

えっと、この書類が次の企画で。

あー、コーヒー淹れてからにするか。

 

「おはようございます、プロデューサーさん。コーヒー淹れましょうか?」

 

「あ、おはようございます小鳥さん。お願いしていいですか?」

 

キッチンから出てきた小鳥さんに挨拶し、そのままコーヒーをお願いする。

あ、そうだ。

どうせなら、小鳥さんにも聞いておくべきか。

 

「はい、コーヒーです」

 

ことん、と。

目の前にマグカップがおかれる。

ゆらゆらと揺れる湯気が、なんとなく心を落ち着けてくれる様な気がした。

 

「ありがとうございます。ところで小鳥さん、野々原茜と箱崎星梨花って名前に覚えはありませんか?」

 

「野々原茜…箱崎星梨花…すみません、覚えてないです…」

 

「ですよね、失礼しました…あ、それとなんですけど、クレシェンドブルーって最初から三人ユニットですよね?」

 

「…お疲れですか?プロデューサーさん」

 

「あーいえ、麗花がそんな事を言っていたので。とはいえそうだよな…」

 

気になるが、後で麗花から詳しく聞けばいいだろう。

コーヒーを一気に煽り、画面と向かう。

さて、さっさと色々終わらせないと。

 

 

 

 

麗花達がレッスンから戻ってくると、志保と静香はそのまま帰って行った。

二人曰く、すこしばかり麗花が疲れていたようだ。

あの体力お化けの麗花が、だ。

それもまた、何かあったに違いない。

 

「で、麗花…昨日見た夢ってどんなのだったんだ?」

 

「えっと、ジャイアント茜ちゃん人形に追いかけられました!それも二人に!それからずっと逃げ回ってて…」

 

…ジャイアント茜ちゃん人形?

なんだそれは、ジャイアンと茜ちゃん人形?

確かにあの厳ついのに追いかけられたら怖いが…

 

「えっと、プロデューサーさん覚えてませんか?茜ちゃん人形です、可愛くておっきいの」

 

「全く覚えてないな…んで、それに追いかけられてた、と」

 

「なんとなく、捕まったら大変な事になる気がしたんです!だって二人ですから!」

 

「…まったく分からん…ま、今日も同じ夢を見たら教えてくれ」

 

「あ、プリン食べたいです!」

 

「今は冷蔵庫にはないからな…明日、買ってくるよ」

 

「わーい!お疲れ様でした、プロデューサーさん!」

 

…まぁ、何はともあれ麗花が元気そうならいいか。

帰るときにプリン買っていこう。

なんて、楽観視して。

 

そしてまた俺は、後悔を増やす事になる。

 

 

 

 

翌日起きて冷蔵庫を覗くと、心当たりのないプリンが置いてあった。

あれ…俺、なんでプリンなんて買ったんだったかな。

地味にいいとこのプリンだけど、誰かから贈られたんだったか?

…だめだ、思い出せない。

 

誰かにあげればいいし、このプリンは事務所に持っていこう。

取り敢えず事務所に向かうと、志保と静香が既に来ていた。

よし、全員揃ってるな。

ライブも近い事だし、気合い入れていかないと。

 

「あ、志保、静香。プリン持ってきたけど食べるか?」

 

「いえ、私は大丈夫です」

 

「私もです、プリンなら麗花さんか茜さんにあげればいいんじゃないですか?」

 

「「…え?」」

 

静香と俺の声がはもった。

…麗花、さん?

茜さん?

誰だそれは。

 

静香を見れば、多分俺と同じ様な表情をしていた。

 

「…大丈夫?志保…貴女疲れてるんじゃない?」

 

「いや、貴女こそでしょ。プリンって言ったらあの二人だったじゃない」

 

…何を言っているんだ?

 

「…ん?茜さん?それって…」

 

「野々原茜さんです。何故か昨日まで忘れていましたが、麗花さんも含めて同じユニットのメンバーじゃないですか…」

 

何が起きているんだ?

クレシェンドブルーは最初から二人のユニットだろ?

とは言え志保が適当な事を言うとは思えないが…

それに、野々原茜…何処かで聞いた事が…

 

「プロデューサーさんも昨日言っていましたよね?野々原茜に覚えはないか?って…そういえば、箱崎星梨花もユニットの…あれ?」

 

志保の様子がおかしくなる。

 

「あれ?私、でも昨日までクレシェンドブルーは三人のユニットって…え、何が起きて…え?」

 

「落ち着け志保!」

 

「落ち着けるはずなないじゃないですか!私は昨日まで忘れてて…なんでですか?!貴方達は覚えてないんですか?!」

 

「落ち着きなさい志保、クレシェンドブルーは私と貴女の二人のユニットな筈よ」

 

「そんな訳ないじゃない!だってほら!みんなで撮った写真が…え?」

 

志保がスマートフォンで表示した画像。

それは、クレシェンドブルー初ライブの時に撮ったもので。

当然写っているのは、志保と静香の二人だった。

 

「そんな…どうして?え?だってあの時五人で撮った筈じゃ…」

 

「…志保、体調悪いなら帰るか?」

 

「…すみません、そうさせて貰います」

 

流石にこの精神状況でレッスンなんて無理だ。

何時もは落ち着いてる感じの志保がこれなのだから。

タクシーを呼んで志保を返す。

その間俺も静香も、一言も喋れなかった。

 

「…なぁ、静香」

 

「…すみません、私にも覚えはありませ…」

 

「だよな…」

 

志保を見送って、俺は仕事に戻ろうとした。

その時、窓際の棚の上に見た事のない物が置いてあった事に気づいた。

 

「なんだ、これ…人形か?ぬいぐるみか?」

 

オレンジ色の髪の、猫のようなぬいぐるみ。

そんなものが、三体置いてあった。

当然ながら、そのぬいぐるみに見覚えなんてない。

 

「小鳥さん、これは…?」

 

「あ、それですか?先日から何故かそこに置いてあるんです。きっと誰かのコレクションなんじゃないですか?」

 

その時、何も意識していなかったのに。

俺の口から、ポツリと言葉が漏れた。

 

「…茜ちゃん人形?」

 

「なんですか?それは」

 

俺も分からない。

ただなんとなく、これの名称が茜ちゃん人形な気がしただけだ。

グーグル検索のヒット数は…0。

そもそも画像検索でも出てこない。

 

どこで流通してるものなんだ?

もしかして、誰かのハンドメイドか?

まぁいいや、静香と志保の為にも。

ライブの色々を片付けないと。

 

 

 

翌日事務所に来ると、静香はまだ来ていなかった。

珍しいな、いつもは割と俺より先に来てるのに。

遅刻の連絡は…ない。

とすると、そのうちくるかな。

 

と、そんな感じで仕事を進めているも静香はなかなか事務所に来なかった。

サボり…って事はない、よな?

静香はそういう人間じゃないし、何よりもうすぐソロライブを控えているんだから。

このタイミングであり得るとしたら…体調を崩したか?

 

一応、静香に連絡を入れてみる。

1コール、2コール、3コール。

…なかなか出ない。

一旦切って、3分後にもう一度かけ直した。

 

10コールを回ったところで、ようやく通話が開始される。

けれどなかなか向こうからの音声が聞こえてこない。

とは言え繋がってはいるはずだ。

 

「おーい、静香。どうした?体調崩したか?」

 

『…プロデューサー…すみません、私、もうダメかもしれません…』

 

何があった?

ソロライブを目前に控えて、少しナイーブになってるのか?

ここまで頑張ってレッスンしてきたんだし、静香なら大成功させられる筈なのに。

 

『…クレシェンドブルー…五人、だったんです…それなのに、私は…』

 

「…クレシェンドブルー?」

 

聞き覚えのない単語だ。

そんな青色の種類でも存在するんだろうか?

 

『…星梨花、志保、野々原さん、麗花さん…みんな、いないんです…』

 

「だ、誰だ?誰の事を言ってるんだ?!」

 

『…すみません、しばらく、休ませて貰います…』

 

「お、おいっ!」

 

ピッ、と。

通話が切れた。

それ以降、どんなに連絡をしても繋がらない。

 

なんだ?何があった?

星梨花?志保?野々原さん?麗花さん?

誰だ?誰の事なんだ?

って言うかクレシェンドブルーってなんなんだ?!

 

意味が分からないし、ついでにかなりまずい。

このタイミングで静香がこんな状況では、ソロライブが近いって言うのに。

どうすればいいんだ?

何が起こってるのかも分からないのに。

 

小鳥さんには静香は体調不良と説明し、取り敢えずお茶を濁す。

取り敢えず、静香の家に向かわないと!

荷物をカバンにまとめて、事務所を出ようとして。

壁際の棚の上にある人形が目に入った。

 

…四体?

昨日は、三体だったよな?

誰かが持ってきたのか?

って、そんな場合じゃなかった。

 

事務所を飛び出し、タクシーを捕まえて静香の家へと向かう。

静香の家はそこまで遠くない。

直ぐに家の前まで着き、インターホンを押した。

けれど、反応はない。

 

…いるんだろ?静香。

せめて、話を聞かせてくれ。

何があった?何を思い出したんだ?

誰を…思い出したんだ?

 

インターホンを押し過ぎるのも、家の方に迷惑だ。

二回鳴らしてスルーされたところで、今度は電話に切り替える。

けれど、出ない。

…ダメか。

 

収穫はなし、トボトボと歩いて事務所へ戻ることに。

せめて、静香の声だけでも聴きたかった。

相当ふさぎこんでいた様だし、少しでも会話して楽になって貰えれば良かったんだが…

 

ぷるるる、ぷるるる、ぷるるる

 

事務所まであと10分くらいといったところで、着信が入った。

相手は…最上静香!

名前を確認して、直ぐさま出た。

 

「大丈夫か?静香?!」

 

『…プロデューサー、すみません、色々と迷惑を掛けてしまって…』

 

静香の声は、さっき以上に元気がなかった。

それどころか、こんな弱音を吐いてくるなんて…

 

「何言ってるんだ、迷惑なんかじゃないって!それで、何かあったのか?」

 

『夢を見たんです…四人のジャイアン茜ちゃん人形に、追い掛けられる夢を…きっと次寝たら、私は捕まります…』

 

茜ちゃん人形。

覚えている、事務所に置いてあったあれだ。

そして、確か昨日は三体だったのが今日は四体に増えていて。

そして、静香が夢の中で捕まったとしたら…

 

「そ、そんな事ありえないって!大丈夫だよ、そんな何度も同じ夢を見る訳もないし」

 

『ですが!…実際に、みんないなくなってしまって…きっと、私もなんです…私が忘れてしまっていたから、その罰が…』

 

「おい、静香!」

 

『…ごめんなさい、プロデューサー…ごめんなさい、みんな…』

 

「おい!」

 

『…おやすみなさい、プロデューサー…さようなら、今までありがとうございました』

 

ピッ

 

連絡が切れた。

それと同時に、嫌な予感が走った。

もしかして、いやありえない。

けれど…

 

事務所へ向かって、俺は走った。

周りの目なんて気にしてる余裕はない。

ただただ、ひたすら走って。

事務所のドアを、勢いよく開けて。

 

「戻りました小鳥さん!あの…静香の事なんですが!」

 

「お帰りなさい、プロデューサーさん…静香、さんですか?すみませんが、どちらの方ですか?もしかして、新しくスカウトした子ですか?!」

 

「…うそ、だろ」

 

小鳥さんは、静香の事を知らない。

そして、窓際の棚の上には。

人形が、五体置かれていた。

 

「…なんだよこれ…」

 

「だ、大丈夫ですか?プロデューサーさん?」

 

「…なんだんだよ!ふざけんな!なんで…俺は…」

 

そうだ、思い出した。

俺の担当していたアイドルは、静香だけじゃない。

茜、星梨花、麗花、志保、静香。

五人で、クレシェンドブルーってユニットを組んでいたじゃないか!

 

それなのに、忘れていた。

なんでかは分からない。

でも、今なら確かに分かる。

俺は、あいつらのプロデューサーで…

 

そうだ、一番最初の違和感は。

茜が、いなかったんじゃないか。

そしてそれを、星梨花は気付いていた。

それなのに、ちゃんと話を聞こうともせずに…

 

麗花は、二人のことを思い出していた。

なのに、俺はそれを信じてやれなかった。

麗花は、きっと本気で不安だったんだろう。

本当に、自分が見ていた世界はみんなとは違ってたんじゃないか、って。

 

だから、あいつは…

あの時、俺はあいつにプリンを買って。

それを、渡す事が出来なくて…

 

志保も、三人の事を思い出していた。

なのに、レッスン続きで疲れてたんだろう、なんて。

静香も、最後にはみんなのことを思い出して。

忘れてしまっていた事を、耐えられなくて…

 

初めてのクレシェンドブルーのライブの時に撮った写真。

そこには、誰も写っていない。

みんなで頑張って築き上げたものが。

跡形もなく、無くなっている。

 

…待てよ?

なんで今、俺は全部を思い出した?

そして、いなくなった奴らはみんなその直前に全てを思い出して…

…そうか。

 

全てを理解した俺は、仮眠室へとむかった。

小鳥さんも、俺が相当疲れてると思っているんだろう。

特に、何かを言われる事もなく。

全てを思い出し、心が疲れ、そして全てを理解した俺が眠りに落ちるのはそう時間もかからなかった。

 

 

 

 

夢の中。

その筈だ。

けれど、俺がいるのは事務所で。

他にアイドルはいなくて。

 

そして。

その代わりに。

ジャイアント茜ちゃん人形が、五体。

俺の事を取り囲んでいた。

 

「…なぁ、ごめんな、みんな」

 

返事はない。

少しずつ、ジャイアント茜ちゃん人形が近づいて来る。

けれど、強くなんてなかった。

そんな事よりも…

 

「…ほんとに、ごめん。気付いてやれなくて…担当アイドルなのに、忘れちゃって…」

 

身動きが取れないほど、ジャイアント茜ちゃん人形に密着されて。

少しずつ、夢の中なのに意識が薄れてゆく。

おそらく俺も、あの棚の上の仲間入りする事になるだろう。

また誰かの夢の中で、誰かを仲間入りさせようとするんだろう。

 

でも、まぁ。

それでみんなの事を忘れずに。

みんなと一緒にいる事ができるなら。

 

それで、いいか……

 

 

 

 

 

「うぉっほん!みんな、聞いてくれ。なんと、我が765プロに新しいプロデューサーが加わる事となった!」

 

新人プロデューサーの入社式。

とは言え大掛かりなものではなく、事務所のアイドル全員と挨拶をするだけの簡単なもの。

けれど新人プロデューサーからしたら緊張ものであり。

そして…

 

「ふー、これでやっと肩の荷がおりますよ。社長、もっと早く雇えなかったんですか?」

 

「すまんすまん律子君。とは言えこれからはーー」

 

そんな次の展開に期待を抱く律子と社長を置いて。

事務員である小鳥だけが、不安そうな疲れた表情をしていて。

それに、誰も気付くことなく。

 

窓際には無表情の人形が、六体並べられていた。

 

 

 

 

 

 



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北沢志保・最上静香〜はぁ…〜

注意:台本形式です


 

志保「…全く、時間がないって言うのにプロデューサーさんは…」

 

静香「ありえませんね、ほんと…」

 

P「い、いや、あのだな…」

 

志保「そう言うの、やめた方がいいと思いますよ」

 

静香「こればかりは志保に賛成です。流石にそう言うのは…」

 

P「これは志保や静香の為にって…」

 

志保「今、プロデューサーさんに発言の権利はありません。少し黙っていて下さい」

 

静香「どうしてこんな事をしたんですか?プロデューサー?」

 

P「だから、志保と静香に

 

志保「発言の権利はない、って言いましたよね?」

 

P「俺にどうしろと…」

 

 

 

 

志保「静香、その袋の中身を確認して」

 

静香「…やっぱり、そうだったんですね。戻って来た時に息を切らしていたから、そんな気はしました…」

 

P「……」

 

志保「プロデューサーさん、戻って来た時に言った言葉を思い出して下さい」

 

静香「…嘘、だったんですね」

 

P「……」

 

静香「きちんと、説明して下さい。貴方の口から、貴方の言葉で」

 

志保「色々と言いたい事はありますが、先ずはプロデューサーさんの言い分を聞きます」

 

 

 

P「…レッスンが終わって疲れてるだろうと思って、差し入れにコンビニでプリンを買ってきました」

 

静香「ネタは上がってるんです。本当にコンビニのプリンで押し通せると思ってるんですか?」

 

P「…え、駅前のケーキ屋のプリンだ。凄く美味しいって評判で…」

 

志保「なんで…!なんでそんな事を!」ドンッ!

 

P「す、少しでもお前らの力になりたくて…応援したかったんだよ…」

 

静香「分かっています、プロデューサーがそう言う人だって言うのは…でも!」

 

志保「少しは、私達の気持ちも考えて下さい」

 

P「す、すまん…?」

 

 

 

志保「忙しい仕事の合間を縫って」

 

静香「差し入れを買いに行くなんて…」

 

志保「それも、コンビニのプリンでいいのに」

 

静香「わざわざ、駅前のケーキ屋?結構並んだんじゃないですか?」

 

志保「それを隠す為に、頑張って走って」

 

静香「しかも、事務所に帰ってきてもずっと笑顔で…そんなの」

 

志保・静香「そんなの!惚れるに決まってるじゃないですか!!」

 

P「…えぇ…」

 

 

 

志保「プロデューサーさん。もう一度私達の関係を思い出して下さい」

 

P「アイドルとプロデューサーだけど…」

 

静香「それなのに、こんな事をして許されるとでも思ってるんですか?」

 

志保「当然ですが、アイドルとプロデューサーの恋愛なんて論外です」

 

静香「なのに、そんな優しくてかっこ良くて、頑張ってるところを見せられて…」

 

志保「はぁ…本当に無理です、惚れますよ?」

 

静香「…プロデューサーのせいです。こんなことになっているのは」

 

P「え、俺悪いの?」

 

 

 

志保「それに、普段からプロデューサーさんは私達に口煩く体調管理に気を付けろ、と言っていますが…」

 

静香「朝食も昼食も食べていないんじゃないですか?昨日より少し元気が無いです」

 

志保「それなのに…っ!自分の食事をコンビニで買う時間を割いてまで…駅前に走って…!」

 

静香「振舞ってあげたい…私のうどんを」

 

志保「もう少し、貴方は自分の事も気にかけて下さい」

 

静香「自分の事を差し置いて、誰かに優しくて…」

 

志保「私達は朝から貴方の事を心配していると言うのに、自分は可愛い担当アイドルの事、ですか?」

 

静香「…はぁ」

 

志保・静香「素敵」

 

P「もー仕事戻っていい?」

 

 

 

志保「また仕事、ですか…食事も取れていないのに」

 

静香「少しでも私達の為に、って…志保、どう思う?」

 

志保「無理ね、大好き」

 

静香「私もよ」

 

P「あー、この時少し志保ダンス遅れてるな」

 

志保「プロデューサーさん」

 

P「はい」

 

志保「今、一応お昼の休憩ですよね?」

 

P「はい」

 

志保「…何を、しているんですか?」

 

P「志保や静香のレッスンの映像を見ていました」

 

志保「…はぁぁぁぁぁぁぁあ?」

 

P「こわい」

 

 

 

静香「最近、よく私達のレッスン後に的確なアドバイスをしてくれると思ったら…そんな事をしていたんですね」

 

志保「レッスンが終わった後も、少しだけど一対一で色々と指摘してくれて」

 

静香「好きが大好きに変わっていたと言うのに…」

 

志保「何故、食事しながらじゃないんですか?」

 

P「いやほら、何か食べながらだと集中出来なくて…血液が脳じゃなくて消化器官にいっちゃうって言うし」

 

志保「そこまで、真摯になってくれて」

 

静香「そんなにも、私達の事を…」

 

志保「最高ですね、まったく…これが愛、ですか」

 

静香「大好きが愛に変わりました」

 

志保「この気持ちをどうすればいいんですか!」

 

P「なんなのなのお前ら」

 

 

 

志保「それと、ありがたいんですがレッスン中にレッスンルームに来るの、控えて貰っていいですか?」

 

P「え…お、俺はお前たちの頑張る姿が見たくて…」

 

静香「映像を撮っているなら、それで充分ですよね?」

 

P「…すまん、集中出来ないか…」

 

志保「プロデューサーさんが忙しいのは知っていますし、そんな中なんとか時間を工面して来てくれているのも知っています」

 

静香「そんなプロデューサーに、笑顔でレッスンルームに入ってこられると…」

 

志保「…貴方のことで頭がいっぱいになって、ダンスに集中出来ないんです」

 

静香「発声練習、全部愛の告白になりそうなんです」

 

志保「万全のパフォーマンスは見て欲しいですし、頑張ってる姿も見て欲しいんです」

 

静香「ですが、プロデューサーが来ると…胸がいっぱいになってしまって、色々と覚束なくなってしまって…」

 

志保「苦手でよく失敗していたステップを成功させた時、自分以上にプロデューサーさんは喜んでくれて」

 

静香「そのあと、嬉しさと愛しさでもう何も考えられなくなって集中出来ないんです」

 

志保「ですから…控えて下さい」

 

P「うす」

 

 

 

志保「まったく、プロデューサーさんには不満が尽きません」

 

静香「自分の事以上に心配になるわね」

 

志保「はぁ…無理です、プロデューサーさんと二人きりの絵本を描きたいです」

 

静香「話したいし声聞きたいしそばに居続けたいわ」

 

志保「理解できてますか?プロデューサーさん」

 

静香「…私がプロデューサーの嫁って事になりませんかね」

 

志保「張っ倒すわよ静香、それは私の立場だから」

 

P「…茜ー!なんとかしてくれー!」

 

 

 

P「はー…助かった」

 

茜「まったくプロちゃんは…茜ちゃんが居ないとダメなんとから」

 

P「いつもありがとな、茜」

 

茜「もうちょっとしっかりしなきゃダメだよ?プロちゃん」

 

P「返す言葉もございません」

 

茜「プロちゃんは他の子に甘いし、自分の事よりも他人を優先しちゃうしさー」

 

P「……」

 

茜「ダメダメだよ、プロちゃん。流石にもっと大人な対応しなきゃ」

 

P「すまん…」

 

茜「だからこそ、茜ちゃんはプロちゃんの事が大好きなんだし」

 

P「…ん?」

 

茜「あーこの人には茜ちゃんがそばにいてあげなきゃいけないんだって思わせるのやめたほうがいいよ?ほんと大好き」

 

P「あ、あの」

 

茜「マジプロちゃんないわー、すっげー好き。優し過ぎて恋する」

 

P「…誰かー!!」

 

 

 

 

 

 



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徳川まつり〜めめんと、もめんと〜

はいほー


 

無かった筈のお話は、唐突にページに割り込んできた。

 

朝、窓から差し込む明るさで目をさます。

燦々と降り注ぐ太陽の光は、目覚ましにセットしたアラームを乗り越えた私を容赦なく叩き起こした。

こんな時、最適解はもう一度眠る事。

この後に鳴るアラームはセットしていない。

 

おやすみなさい…

 

再び夢の世界へ潜り込もうと布団を頭まで掛けようとして。

そう言えば、目覚ましが鳴ったと言う事は何か用事があったのだと思い出した。

けれど、それが何だか思い出せない。

思い出せないと言う事は、別に大した用事ではなかったのだろうか。

 

…ダメだよね、それで誰かに迷惑かけちゃ。

 

もぞもぞと起き上がって、部屋を見回す。

そう言えば、洗面所はどこだっただろうか?

まだ寝ぼけているからか思い出せない。

徘徊するゾンビのように家中を巡り、ようやく辿り着いて。

 

…え?

 

一つの違和感、そして不安。

洗面器に取り付けられた大きな鏡。

それに映ったのは、青緑の髪をした。

おそらくは、私の筈で。

 

「…誰?この美少女」

 

私は。

キオクソーシツ?になっていた。

 

 

 

 

自分を落ち着ける為に、一度大きく深呼吸。

とは言えそんなに慌ててはいない。

なんとなーく、自分なら。

なんとでも、なんとか出来る気がしているから。

 

物の名称はきちんと覚えている。

けれど人の名称は覚えていない、と思う。

なにせ、自分の事を忘れているのだ。

今誰かと出会っても、きちんと名前を呼べる気がしない。

 

改めて、家の中を見回す。

2LDKの、おそらくアパートかマンション。

私は一人暮らし、だったのかな?

だとしたら少しばかり広すぎる気がするけれど。

 

その時、先程まで自分が寝ていたベッドを見て驚愕した。

枕が、二つ置いてある。

慌ててクローゼットを開くと、可愛らしい服が沢山。

どうやら私はなかなかファッションセンスが良い様だ。

 

…そうじゃなくて、これ…

 

目に入ったのは、クローゼットの左2割くらいに引っかかっているスーツ。

どう見ても、男物だ。

そう言えば洗面器には歯ブラシが二本と髭剃りがあった気がする。

と、言う事は…

 

私は、誰かと同棲してたのかな…?

 

ぷるるるる、ぷるるるる。

枕元に置かれた携帯電話が、突然震えだした。

間違いなく、私に電話が掛かってきたのだろう。

自分の物と言う確証はまだ無いが、十中八九当たっている筈だ。

 

恐る恐る画面を覗く。

表示されたのは…ダーリン、の文字。

どうやら以前の私はなかなか女の子女の子していたらしい。

そんなダーリンからのコールは、未だに鳴り止まない。

 

出なければ、きっとまた掛け直してくるだろう。

だとすればココで出ないと言う選択肢は無い。

それに、今の私には情報が必要だ。

再び大きく深呼吸をして、通話を開始する。

 

「も、もしもし…?」

 

「…ま、まつり、起きてるか?なかなか事務所来ないから心配してたんだよ…」

 

どうやら、私の名前はまつりらしい。

なかなかに可愛らしい名前だ。

そして、事務所、という事は…

どう言う事なのだろう。

 

「あの…えっと…」

 

「…どうしたんだ?何かあったのか?」

 

どう、伝えるべきなのだろうか。

恐らく電話の相手は私と同棲していた人で。

そんな人に対して、全部忘れちゃいました!なんて。

そんな事、言える筈が無い。

 

「ご、ごめん!直ぐに行くね!」

 

ピッと通話を終了して、また大きく息を吐く。

今になって、一気に不安が押し寄せてきた。

これから、どうしよう。

まず目先の問題として、どうやって事務所へ行こう。

 

そもそも、事務所って何?

私はモデルでもやってなのかな?カワイイし。

 

なんてアホな事を考えるのは一旦止め、部屋を漁る。

少しでも、自分に関する情報を集めないと。

ラインの履歴、検索履歴、棚にしまってあった身分証。

少しずつ、自分を組み上げるピースが揃って行く。

 

徳川まつり、19歳。

163cm、44kg。

現在は765プロダクションと言う事務所でアイドルをしている。

そして同棲相手のダーリン(仮称)は、その事務所でプロデューサーをやっている様だ。

 

…これ、隠し通すの無理じゃないかな?

 

職場が違うならまだしも、同じ事務所で働いていて。

そして、同棲しているなんて。

と、言うわけで。

やるべき事は、決まった。

 

地図アプリを開いて、765プロダクションの位置を入力。

此処から約1時間弱で着く。

それまでに話すべき事を整えよう。

そう決心して、私は家のドアを開けた。

 

 

 

街へ出てみると、人がいっぱい。

当たり前の事だけれどその全員が見た事ない人ばっかりで、まるで未来のデパートみたい。

最新のグッズに囲まれながら、見た事もない青さの空を見上げて歩く。

もちろん、事務所に遅れないくらいのスピードで。

 

あ、でももう遅刻はしちゃってるんだよね?

 

なら遅れてもいいかな、なんて考えてしまう。

と言うよりも、事務所に向かおうとすると脚が重い。

だって、伝えるべき事が事なのだから。

はーいダリーン、私生まれ変わっちゃった!なんて気軽に言える事じゃない。

 

…そもそも、私ってアイドルだったんだよね?

 

プロデューサーと同棲って、どうなのだろう。

自分の覚えている限りの認識では、アイドルは恋愛御法度だった気がする。

ならば、きっと割と誰にも伝えちゃいけない感じの事なのだろう。

ふむふむ、余計に困った。

 

まず最初に事務所に顔を出して挨拶して。

次にプロデューサーを呼んで打ち明けて。

そこで少し打ち合わせをして。

それから他の人に教えるなり病院へ行くなりしよう。

 

電車に乗って、また歩いて。

しばらくすると、道沿いのビルの窓に765とガムテープで貼られた部屋を見つけた。

きっと、ここが目的の765プロダクション。

階段を上る足は、階に比例して重くなる。

 

…ふー、頑張れ私!どうせ今は本当の徳川まつりじゃないんだから!

 

ガチャ。

ドアを開けると、見覚えがあるような無いような部屋。

その内側からは、キーボードを打つ音と誰かの騒ぎ声が聞こえてくる。

恐る恐る入ると、若目の男性が迎えてくれた。

 

「あ、まつりか。寝坊でもしたのか?」

 

「えっと…プロデューサーさん、だよね?」

 

「そうだけど…どうかしたのか?」

 

「あら、おはようまつりちゃん。どうしたの?なんだか何時もと違う気が…」

 

…やっぱり、違ったみたいだね。

だって、インターネットで調べた限り徳川まつりと言うアイドルは、少し変わった喋り方をしていたみたいだし。

でも、今の私にはそれがどんな喋り方だったか分からないから。

そして…

 

「ね、プロデューサーさん。少しお話があるの」

 

 

 

「…そうか、記憶喪失、か…」

 

全てを、簡潔的に打ち明けた。

今朝目が覚めたら、自分の事を忘れてしまった事。

知っている筈の人を、全員忘れてしまった事。

今目の前に居る恋人、つまりプロデューサーさんを忘れてしまった事。

 

それを伝えた時、プロデューサーさんの表情はもう見ていられなかった。

始めて会った筈の人なのに、その苦しさが痛いくらいに伝わってきて。

きっと、この人は。

徳川まつりが大好きだったんだな、って。

 

「ごめんなさい…私も、どうしたらいいか分からなくて…」

 

「いや、打ち明けてくれてありがとう…取り敢えず、一旦病院へ行くべきなのかな、こう言うのって…」

 

それもそうだよね。

先ずは病院に言って、解決策を教えて貰わないと。

それと、もう一つ。

徳川まつりとしての、今後の事についても。

 

「私って、アイドル…だったんだよね?それと、あなたの…その…」

 

「…そうだ、俺と徳川まつりは恋人で、分かってると思うけど同棲していた。勿論それが許されない事だってのは、お互い分かってはいたが…」

 

「それで、私の今後の生活は…」

 

「アイドル業に関しては、休養って事で一旦お休みになるな。大丈夫だ、まつりのファンは分かってくれるよ」

 

良かった。

きっとプロデューサーさんが言うのだから、ファンのみんなも優しい人が多いんだろう。

これで記憶を戻した後の徳川まつりにも、迷惑を掛けずに済む。

 

「あ、えっと…その、私は何処で暮らせばいいの?」

 

「…あー…まつりさえ嫌じゃなければ、このままでも…それとも、実家に戻るか?」

 

「なら、色々と思い出したいから今のままでいいかな」

 

話は決まった。

取り敢えず事務所側への説明はプロデューサーさんに任せて、私は病院へ向かう。

何かあった時用にと保険証を持ってきて良かった。

その道中も、道の看板や液晶パネルに映る人々を見て楽しんで。

 

途中、私のcmも見かけた。

新しいCDをリリースしていたらしい。

曲名は…めめんと…?

意味は分からなかったけれど、ネットで見た評判通りならなかなかファンシーな曲なんだろう。

 

 

 

 

お医者さんによると、この記憶喪失は一時的なものらしかった。

脳に損傷は無く、恐らく時間が経てば元に戻る、と。

原因は分からないけど、何かショックな出来事があったのかもしれない、とか。

詳しい説明は難しくてよく分からなかったけどね?

 

それと、記憶が戻った時に情報が一気に流れ込んで脳の処理が追いつかず意識を失っちゃうかもしれないけど、後遺症とかは無いから大丈夫、って。

普段から一緒に居た人達といつも通りの生活をすること。

それが一番の最善策。

特にお薬とかは貰わなかった。

 

それにしても、大きなショック、ね…

なんだろう、何かあったのかな?

あの部屋で、あの人と何か…

そうとは限らないよね、外で倒れて運んでもらったのかもしれないし。

 

 

 

事務所に戻ると、一気に大勢の女の子が押し寄せてきた。

その全員が、心配そうな顔をして声を掛けてくる。

けれど、その全員を私は覚えていなくて。

それが逆に、私の心を抉る。

 

「それで、まつりちゃんは今後しばらくの間休養を取る、と…お医者さんからは何て言われましたか?」

 

「一時的な記憶障害だから、普段通りに過ごしていれば戻る筈、って」

 

「それじゃ、無理じゃなければ765プロにも顔を出してね?きっと、まつりちゃんの助けになる筈だから」

 

事務員の音無さんとお話しして、私は事務所を出た。

今は一刻も早く記憶を取り戻して、もとの徳川まつりに戻らないと。

みんなの為にも、ファンの為にも、プロデューサーさんの為にも。

そして何より、徳川まつりの為にも。

 

 

 

 

家に帰ると、私は早速テレビとDVDをセットした。

見るのは勿論、徳川まつりのライブ映像。

自分がどんな人だったのかを知ることが、記憶を取り戻す第一歩。

そんな気がしたから。

 

『はいほー!今日はまつりと一緒に、さいっこうにわんだほーなライブにするのです!』

 

…な、なかなか凄い子だね。

いや、私なんだけど。

こう、何といえばいいのかな…

…凄い、うん。

 

とは言え一度ライブが始まってしまえば、ステージの上に立つ徳川まつりは紛れもなく最高のアイドルだった。

満員の観客席には、あふれんばかりのサイリウムの光。

大音量で流れる音楽に、負けることなく響き渡る彼女の歌声。

画面越しでも、その会場の熱気が伝わってくる。

 

…私、こんなに凄い子だったんだ。

こんなに凄い子なのに、今は居なくて。

変わりに、私が居るなんて…

こんなの…

 

ピロリンッ。

スマートフォンに通知が一件。

見れば、名前の表示はダーリン。

つまり、プロデューサーさん。

 

『俺も今日は早目に上がるけど、何か食べたい物とかあるか?』

 

彼なりに、気を使ってくれてるのかな。

それなら…

 

『私が好きだった食べ物が食べたいな』

 

こうして、少しずつ。

徳川まつりについて知っていけば。

きっと直ぐに、元に戻れる筈だよね。

 

 

 

 

「ただいまー」

 

プロデューサーさんが帰ってきた。

ビニール袋がガサガサと擦れる音がする。

色々と買って帰って来たのかな。

なら、荷物を持ってあげないと。

 

…あ、そうだ。

せっかくだし、こう言うところからも、ね。

 

「おかえりなさい、ダーリン!」

 

「だ、ダーリン…?!」

 

「だって、徳川まつりはあなたの事をそう呼んでたみたいだから…」

 

「あ…成る程な。ただいま、まつり」

 

きっと、これがいつも通りの会話だった筈。

こうやって、小さな事の積み重ねで。

私は、徳川まつりに戻れる。

そんな気がして。

 

「色々と買って来たぞ。肉まんに小籠包、それから…はい、マシュマロ」

 

「マシュマロ…?」

 

「まつり、好きだっただろ?焼きマシュマロ」

 

テキパキとテーブルに夕飯が並べられてゆく。

私も手伝おうと思ったけど、食器の場所が分からない。

手探りで引き出しを片っ端から開けて位置を確認していく。

少しでも、少しでも…

 

「よし、それじゃ…」

 

「「いただきます」」

 

二人で、食卓を囲む。

きっとこれがいつも通りのこの家の風景で。

こんな時間を、二人は幸せに感じてたんだろうな。

それが、今日一日の記憶しかない私にも分かった。

 

「それでな、今日小鳥さんがーー」

 

プロデューサーさんは、事務所の話を色々としてくれた。

誰々さんがこんな事をした、とか。

事務員の小鳥さんが妄想に没頭してしばらく気付いてくれなかった、とか。

誰々ちゃんが心配してくれていた、とか。

 

まだ顔と名前は一致しないけれど、名前と性格は分かってきた。

私と一緒にユニットを組んでくれていた子は大体覚えた。

私はなかなか記憶力がいいらしい。

ついでに可愛い。

 

肉まんはホカホカで、小籠包はあつあつで。

とってもとっても、美味しかった。

きっとこれが、徳川まつりが好きだった食べ物なんだろうね。

身体が変わった訳じゃないから、好みも多分同じな筈。

 

けれど、焼きマシュマロだけは。

何故だか、好きになれなかった。

これは、本当に徳川まつりが好きだった食べ物なのかな?

 

「さて…食器は俺が洗っておくから、先にシャワー浴びてきたらどうだ?」

 

「いいの…?なら、そうさせてもらうね?」

 

 

 

 

シャワーを浴びて、湯船に浸かって。

ふぅーって一息ついた所で、そう言えばまだ私のよく知らない男性が部屋にいる事を思い出した。

同棲しているんだから当たり前とは言え、少し気恥ずかしい。

でも、それが当たり前だったんだよね、昨日まではきっと。

 

ざばーんと頭から一気にお湯を浴び、風呂から上がる。

バスタオルで身体を拭いて、ドライヤーをかけながらパジャマを着て。

…流石に、まだバスタオル一枚で部屋に出る勇気は無いかな。

うん、まだ早いよね。

 

「あがったよ」

 

「あいよ、次俺入っちゃうから」

 

入れ替わりで、プロデューサーさんがお風呂場へと入って行った。

洗い物は既に終わっている。

特にやらなければいけない事もないし、パソコンで記憶喪失について詳しく調べてみる事にした。

おそらくプロデューサーさんがさっきまで使っていたであろうスリープ状態のパソコンを立ち上げて…

 

…あれ?開いてある?

 

表示されたのは、記憶喪失に関するサイトだった。

きっと彼も、頑張って色々調べてくれてるんだろう。

だったら、尚更。

私も頑張らないと。

 

普段から過ごしていた人と普段通りに過す。

好きだった食べ物を食べる。

行った事のある場所を訪れる。

思い出の場所であればなお良し、と。

 

言って仕舞えば、今の私は徳川まつりの別人格の様なもの。

私は徳川まつりをほとんど知らず。

記憶を取り戻した際、この忘れていた期間の事を忘れてしまう。

でも兎に角、もともとの徳川まつりに戻るのが最優先だよね。

 

なんて調べているうちに、プロデューサーさんはお風呂から上がってきた。

男の人のお風呂は早いね。

髪がまだ乾ききっていないプロデューサーさんも、なかなかかっこいい。

 

「あ、まつり。明日俺休みだし、前に行った場所に行ってみないか?」

 

「それはデートのお誘いって事でいいの?」

 

「もちろん、もしかしたらそれで何か思い出せるかもしれないからな」

 

なんてやり取りをしながら、くっつけていたベッドを少し離す。

流石に実質私は初対面の状態で、それなのにいきなり一緒に寝るのは些か緊張するだろうから、だって。

そうしてくれて安心したような、少し寂しいような。

きっと昨日までの私達だったら、一緒に寝ていただろうに。

 

「…まだ不安、か?」

 

「ううん、大丈夫。おやすみなさい」

 

「おやすみ、まつり」

 

 

 

 

翌日、特にアラームをセットしていなかったのに7時に起きた。

きっと多分、習慣だったんだと思う。

目を開ければ、見慣れない天井。

隣を見れば、まだ全然知らない人。

 

私はまた、大きな不安に襲われた。

だって、まだ全然思い出せないのだから。

全く知らない世界に一人でいる様な感覚。

このまま記憶が戻らなかったら、毎朝こんな不安に…

 

私が起きた事に気付いたのか、寝転がったままスマートフォンで調べ事をしていたプロデューサーさんがこちらを向いた。

そんな彼の表情も、不安が見て取れる。

きっと、お互いに、なのだろう。

もし私が何も思い出せなかったら…彼もまた、自分の恋人を失う事になる。

 

「…おはよう、まつり」

 

「おはよう、ダーリン」

 

当たり前の、沈んだ挨拶。

こんなんじゃいけないよね。

もっと、明るくならないと。

病…じゃないけれど、何事も気から。

 

「さ、朝ご飯作るから一緒に食べよ?」

 

「そうだな。そしたら横浜にでも出掛けるか」

 

 

 

 

 

電車を何本か乗り換えして、やってきたのは横浜。

平日にもかかわらず沢山の人が行き交う中華街。

道にずらりと並んだ露天の一つ一つが私を誘う。

耐えられず店に飛び込みそうになるも、彼と一緒と言う事を思い出して踏みとどまった。

 

「お昼にするにはまだ早いけど、食べ歩きでもするか?」

 

「そうだね。こんなに沢山のお店があるんだから、食べないと損なのです!」

 

少しだけど、姫と呼ばれた元の私に口調を寄せてみる。

動画で見た限りだと、多分こんな感じ。

やってみたはいいけど、少し恥ずかしい。

徳川まつりは、本当に素でこんな口調だったのかな?

 

恥ずかしさを誤魔化すためにも、彼からのゴーサインと共に私は店前の行列に加わった。

まずは、色々な味の小籠包から。

あつあつの小籠包を一口かじって息を吹き込み、少し冷ます。

そして次は一口で…

 

「あつっ!」

 

「そりゃ小籠包だからな…もう少し冷めてからじゃないと火傷するぞ」

 

なんて笑いながら彼も小籠包に噛り付き…私と同じ悲鳴を上げた。

 

「…思ったより熱かった」

 

「これでおあいこなのです。さ、次のお店に行こ?」

 

 

 

「さて、少し散歩するか」

 

一通り色んなものを食べて、そろそろお腹も膨れてきた頃。

一回繁華街から外れて、あてもなく散歩する事になった。

確かに少し食べ過ぎちゃった気がする。

アイドルなんだから、食事には気を付けないとね。

 

「前にも、デートで此処に来たんだよね?だったら、その時の同じコースが良いのです」

 

「うーん…完璧に同じってのは流石に覚えてないけど、出来る限りそうしてみるよ。それと…はい」

 

「うん、エスコートよろしくね?」

 

逸れない様に、手を繋ぐ。

それだけで、なんとなく安心した。

色々な不安があった筈なのに、そんなものどうでもよくなってしまうくらい。

まだ知って間もないのに、不思議な感覚。

 

きっと、私が彼を好きだったから。

全てを忘れていても、なんとなくそう感じるのだろう。

記憶がなくなっても、性格や好みまでは変わらない。

だからこそ、きっと。

 

のんびりと二人並んで歩き、港へ向かう。

少しずつ、海の匂いが強くなる。

陽射しと視線を遮る為におっきな帽子をかぶって来て良かった。

隣を歩く彼は、少し眩しそうに顔を顰めていた。

 

大通りをしばらく歩いて行くと、ビルは減り一気に視界が開けてきた。

目の前に広がるのは大きな海と空。

ボーッ、と船の汽笛の音が響く。

空を飛ぶ鳥は、とても広々と悠々と自由に行き交い。

 

「…私、此処に来た事がある様な気がする」

 

はっきりとは思い出せないけど、多分。

この景色を、前にも見た気がする。

それはきっと彼とのデートの時で。

それはきっと、記憶を取り戻すための第一歩目で。

 

「ねぇ、ここって!」

 

「あぁ、前にも二人で来た事があるぞ!写真だって残ってる!」

 

彼のスマートフォンの画面に表示されていたのは、海をバックに映る私。

それは間違いなくこの場所で。

今日みたいに、とっても晴れ晴れとした天気の日で。

今日みたいに、私は大きな帽子を被っていて。

 

「思い出せたのか?!」

 

「ううん…でも、この景色を見た事がある様な気がしてね?もしかしたら、こんな感じで沢山の思い出の場所に行けば…」

 

私は、記憶を取り戻せる。

私は、徳川まつりに戻れる。

彼は、徳川まつりを取り戻せる。

 

「さ、早く次の場所に行くのです!」

 

「あ、その前に写真撮っていかないか?」

 

「それもいいね。せっかくだし、思い出は増やしておくのです!」

 

きっと前と同じ様に。

同じ場所に立って、同じ海を背景に。

同じ晴れた空の下で。

パシャリ、と。

 

 

 

それから彼に手を引かれ、色々な場所に訪れた。

海に浮かんだ船の甲板、海の見える赤いレンガの倉庫。

大きな公園のパフォーマンス集団、小さなおしゃれな喫茶店。

そのどれもが、いつか見た事がある様な気がした。

 

歩き疲れてお腹が空いて、また繁華街に戻って。

また、色んなものを食べて。

帰りの電車の中で、少し寝ちゃって。

でも、そんな場所で寝れるって事はきっと安心出来てたんだよね。

 

電車の中でも、彼の手は放さなかった。

ずっと、手を握ったままで。

その方が、より安心出来るから。

その方が、私の心はとてもあたたかかったから。

 

家に帰ると、今度は二人で買ってきたお土産を摘みながらライブの映像を見た。

もちろん、徳川まつりのライブ。

少しでも多くの、沢山の事を思い出す為に。

少しでも早くに、全ての事を思い出す為に。

 

 

 

また、朝が来た。

昨晩テレビを見ている間に眠ってしまっていたらしい。

部屋を見回すも彼はいない。

流石に今日は仕事だった様だ。

 

ぱぱっとシャワーを浴びて、朝食を取って。

軽くメイクしたら、今日は事務所に行ってみることにした。

道は覚えている、場所も分かっている。

もしかしたら、事務所の人達と色々話すことで何か思い出せるかもしれない。

 

二日前は全く何も分からなかったけど、今なら分かる。

私はいつも、この電車に乗って事務所に向かっていた。

私はいつも、この通りを歩いて事務所に向かっていた。

確か、駅から降りて15分くらい、だったかな?

 

大体そのくらいの時間で、私は事務所に着いた。

この事務所も、いつも通っていた気がする。

少しずつ、パズルのピースが揃って行く様な。

そんな、感覚。

 

「おはようなのです!」

 

「あら、おはようまつりちゃん。体調の方は大丈夫?」

 

事務所のドアを開けると、事務員の小鳥さんが出迎えてくれた。

 

「私はもう元気なのです!…とは言えないけど、少しずつ思い出してきてる気がするのです」

 

「良かったわね…私はまだ仕事があるけど、もうみんな来てるしゆっくりしていってね?」

 

事務所をぐるりと見回すと、なんとなくまた何か思い出せそうな気がする。

と言うよりも、見覚えがある気がする。

確かこっちにキッチンがあって、こっちに社長室があって…

 

「そう言えば、昨日は何処かに行ってたの?」

 

「昨日はダー…プロデューサーさんと、デートに行ってたのです!」

 

「成る程、撮影で行ったことのある場所に行ってみたのね。それで、どうだった?」

 

「小籠包が美味しかったのです!とってもわんだほーな味わいだったのです!」

 

…やっぱり、この口調は恥ずかしいね。

流石にずっとやってると顔が赤くなりそう。

今は小鳥さんしか聞いてないからいいけど、年下の子に聞かれたらもっと恥ずかしいんじゃないかな。

 

「そう言えば小鳥さん、みんなで撮った写真のアルバムはあるのです?」

 

「あ、ちょっと待っててね。確かこの引き出しに…はい、どうぞ」

 

受け取ったアルバムを、ソファに座って開く。

一枚目の写真に写っていたのは、多分事務所のアイドル全員で撮ったもの。

五十人ものアイドルが、みんな笑顔で写っている。

もちろんその中には、徳川まつりの姿も。

 

ぺら、ぺら。

自分が写っていない写真のページも、1ページ1ページ眺める。

やっぱり、みんなどこかで見た事がある気がする。

いや、実際あるんだろうけれど。

 

みんなで合宿に行った時の写真。

ユニットのメンバーで路上で歌った時の写真。

私がCDデビューした時の写真。

一番新しいのは、夕方の海を背景にセンチメンタルな表情をしている私の写真。

 

みんな、きっと私と仲良しにしてくれたんだろうね。

私、どの写真でもかわいいね。

ファッションセンスもわんだほー!

…あれ?

 

ペラリと捲ったページに写っていたのは、生っすかスペシャルと言う番組で大量のマシュマロを出された私。

…アイドルがしちゃいけない顔をしてる気がする。

私、焼きマシュマロが好物なんだよね?

なんでこんな顔をしてるんだろ?

 

「あ、その時まつりちゃん頑張ってたわね」

 

いつの間にか隣にいた小鳥さんが、哀しいものを見る様な表情で此方を向いていた。

確かに、この量は、ね?

後ろで笑っている女の子二人はきっと悪魔なのです。

 

「でも、焼きマシュマロは私の好物な筈なのです!」

 

「プロフィールだとそうなってるけど、実際はそこまで食べないんでしょ?…あ、ごめんなさい」

 

「私は大丈夫なのです。むしろ、へんに気を遣わないで欲しいな」

 

今、何か引っかかった気がする。

プロデューサーさんは、私の好物だと行ってマシュマロを買ってきてた。

でも、以前の私はそんなにマシュマロを食べてなかったらしい、ショック療法だろうか。

それと徳川まつりちゃん、プロフィールに嘘は載せない方がいいと思うな。

 

アルバムをずっと眺めているうちに、時計はおやつの時間を指していた。

そろそろ、お暇しようかな。

ずっといても小鳥さんの邪魔しちゃうかもしれないし。

それに、少しお腹がすいてきたし。

 

「また来るのです!」

 

「じゃあね、まつりちゃん」

 

事務所を出て、少し周りを探索する。

どの道も、どのお店も。

なんとなく、本当になんとなくだけど見た事がある様な気がする。

そこまで印象が強くない場所だったりすると、はっきりとは分からないのかな。

 

…あれ?

そう言えば昨日プロデューサーさんとデートしてた時。

海に向かう、二人で歩いた道は。

はっきりと断言はできないけど、全く見覚えが無かった気がする。

 

どういう事なのかな。

色々と考えながら、スーパーで夕飯分の食材を買って帰る。

でも、今は難しい事は考えなくていいよね?

そのうち、全部思い出せる筈だから。

 

 

 

それから一週間。

 

プロデューサーさんに連れられて、色んな場所に訪れた。

撮影に使ったらしい教会、結婚式場。

デートで行ったらしいお城や山。

噴水のある公園や綺麗なレストラン。

 

そのすべてに見覚えがあって、と言う事はとても強い思い出だったって事で。

逆に、前と同じ様にってエスコートを頼んだのに全く見覚えが無い場所もあって。

私は、なんとなーく気付き始めていた。

何が原因で、私が記憶を失う程のショックを受けたのか。

 

そして、もう一つ。

異常事態と言っても差し支えない事態に陥った。

言い訳をしていいのなら、これは仕方の無い事なのだと言いたい。

だって、当たり前のことでは無いか。

 

…しょうがないよね?

だって、忘れていても性格や好みが完全に変わるわけじゃないんだから。

それなのに、彼とずっと一緒にいて、沢山の場所にデートに行って。

そして、彼の優しさに触れて。

 

…好きになっちゃうに、決まってるよね?

 

一度好きになったんだから。

ずっと好きでいたんだから。

記憶がなくなっちゃってたとしても。

また彼に恋をするのは、当たり前の事だよね?

 

だからこそ、私はまた不安になった。

 

だって、これは一時的な記憶喪失で、記憶はほぼ別人みたいなもので。

いつか全てを思い出して。

本当の徳川まつりに戻ったとして。

そうしたら、今いる私とその記憶は、どうなっちゃうのかな?

 

もし、全部を忘れちゃうとしたら。

今いる私が、居なかった事にされちゃうとしたら。

徳川まつりにとって、知らない別の何かにされちゃうとしたら。

そして、全てを思い出した徳川まつりが私を思い出せず、彼が何も言わなかったとしたら。

 

私の存在は、完全に無かった事になるのかな。

 

そんなの、怖いにきまってる。

思い出したくなくなるに決まっている。

でも、彼と過ごせば過ごす程、どんどん思い出してしまう様な気がして。

でも、彼を好きになればなる程、どんどん元の徳川まつりに戻ってしまう様な気がして。

 

スタイルの良いこの身体は。

うっすらとだけど戻り始めてるこの記憶は。

もともとは徳川まつりのもので、今の私のものではなくて。

でも、どうしても返したくなくて。

 

「…どうすればいいのかな…」

 

泣きそうになる。

多分、泣いてる。

でも、もう直ぐ彼が帰ってきちゃうから。

そしたらまた、余計に不安になっちゃうから。

 

だから。

 

今の彼に、全てを託す事にした。

全てを始めるか、終わらせるか。

それを決めるのを他の人に任せるなんて酷いことだけど。

それでも、彼に、どうしても決めて欲しかったから。

 

『明日、こないだ撮影した海に連れてって欲しいな』

 

震える手で、送信。

明日一日だけは。

私は徳川まつりではなくて。

私として、私の為に…

 

 

 

「よし、行くか」

 

「うん、楽しみだね」

 

少しずるいけど、彼に出来る限り前と同じ道で海に連れてって欲しいって頼んだ。

その方が、思い出せるかもしれないから、なんて。

そんな嘘までついて。

本当は確信に変えて、勇気をつけたかっただけなのに。

 

そして、長い道のりを終えて、日が暮れ始めた頃に海に着いて。

前にプロデューサーさんや事務所のアイドル達と撮った写真と同じ光景が広がっていて。

その景色には、見覚えがあって。

とっても綺麗な景色で。

 

二人で静かに、波を眺めて。

そんな光景も、なんとなく覚えている。

二人で静かに、夕日を眺めて。

そんな光景も、なんとなく覚えている。

 

そして…

来るまでの道には、全く覚えが無くて。

 

…やっぱり、だったんだね。

 

「綺麗な景色だね…ありがと、ワガママに付き合ってくれて」

 

「なに、まつりの為だからな。今までだって、これからだって付き合っていくさ」

 

「…ねぇ、貴方…」

 

大きく息を吸い込む。

覚悟を、決める。

例えどんな答えが返ってきても。

絶対に、泣かない為に。

 

「…私、貴方の事が大好きだよ。前までの徳川まつりとしてじゃなくて、今の私として」

 

「…俺は…俺は、徳川まつりの恋人なんだぞ…そんなの…」

 

「でも…」

 

もう一度、大きく息を吸い込んで。

そして、告げる。

 

 

 

 

「でも…覚えてないんでしょ?徳川まつりの事を」

 

 

 

 

一気に、全てが静まり返った。

波の音も、カモメの鳴き声も聞こえない。

貴方の表情も、変わらない。

お互い、なにも言葉を発さない。

 

そんな居心地の悪い空間を打ち破ったのは。

貴方の方からだった。

 

「…気付いてたのか?俺が、まつりに関する事を覚えてない事」

 

「…うん、違和感はあったの。だって、全く知らない道で案内されたり、マシュマロが好物だって言ってたり」

 

「…そうだ。俺は…何も、覚えてないんだ。行った場所はメモ帳やSNSの履歴から調べられたが…」

 

やっぱり、そうだったんだね。

だから、私は大きなショックを受けたんだと思う。

今の私よりも長い時間を一緒に過ごしてきた徳川まつりが、最愛の貴方に忘れられてしまって。

そんなの、全てを受け入れたくなくなるに決まってる。

 

「だから…ね?これからも、私と一緒に過ごして欲しいの」

 

手札は全て切った。

もう後は、貴方の返事に全てを委ねるしかない。

これ以上、何も言うべきことはない。

全てを伝えきったのだから、後は貴方の想いを聞くだけ。

 

徳川まつりの事を覚えていないなら。

そして、今の私の事を好きになってくれているとしたら。

私が徳川まつりに戻らなくても。

貴方は…

 

「…ダメだ。俺は、徳川まつりが好きだったんだ。なのに、俺が事故に遭って記憶喪失になったせいで、こんな事になって…だから、絶対に取り戻させてあげなくちゃいけないんだ」

 

「…どうして?だって、貴方にとっては知らない人なんだよ?思い出す必要だって…」

 

なんで?!どうして?!

貴方は徳川まつりについて、何も覚えてないんだよ?

それなのに、なんでそんなに…

今の私が一番見たくない、そんな哀しそうな顔をするの?

 

「それでも…俺が告げた時のまつりの表情だけは、今もはっきりと覚えてる。凄く絶望して、泣いて、叫んで…だから、俺がまつりの事を思い出す為にも、まずはまつりに全部を思い出してもらうんだ」

 

「…今の私が、居なかった事になっちゃっても…?」

 

「…あぁ。それでもだ」

 

「私は…!貴方の事がこんなに好きなのに!好きになったのに!私をちゃんと分かって、覚えてくれてるのは貴方しかいないのに!」

 

「それでも、お前は思い出さなきゃいけないんだ…!」

 

「嫌だ!私は…私は、消えたくないよ…忘れたくないよ…!」

 

「まつり…」

 

一瞬にして、距離を0にされて。

私が最も求めていて、それでいて最悪の方法で。

いままで絶対にしてくれなかった。

とっても、とっても暖かい。

 

口付けを、された。

 

私は、この感触を覚えてる。

私は、この暖かさを覚えてる。

多分、一番徳川まつりにとって印象が大きな事で。

私は、全てを思い出してしまった。

 

あぁ、徳川まつりに戻っちゃうんだな。

私、消えちゃうんだな…

頭の中で色んな情報がごちゃ混ぜになって、意識が薄れてきて。

…私、消えたくないよ…

 

「…ごめん」

 

私の意識は、そこで途切れた。

 

 

 

 

朝、窓から差し込む光で私は目を覚ました。

なんだかとっても、長い夢を見ていた気がする。

なんだかとっても、あったかい夢を見ていた気がする。

それがどんな内容だったかは思い出せないけど、最愛のダーリンと口付けをした記憶だけは残っていた。

 

「…おはよう、まつり」

 

「はいほー!おはようなのです、ダーリン!」

 

貴方はいつも早起きだね?

たまには、姫の方から起こしてあげたいのに。

それにしても、ダーリンは少し寝不足なのかな?

あんまり表情が良くないのです。

 

「大丈夫?体調がすぐれないなら、まつりが朝ごはんを作ってあげるのです!」

 

「大丈夫だよ、まつり…この後少し、出掛けないか?」

 

「まつりはおっけーなのですよ。何処へ連れてってくれるの?」

 

「こないだ撮影で行った海だよ」

 

その時の貴方は、スマートフォンで誰かの写真を見ながら。

とっても哀しそうな顔をしてたね。

 

「絶対に思い出す為に、忘れない為に…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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周防桃子〜え?お兄ちゃん耳かきになりたいの?〜

前半は台本形式です
あと多少読む人を選びます


 

P「耳かきってさ…いいよな」

 

桃子「…それ、桃子はなんて言えばいいの?」

 

P「まぁ聞いてくれ」

 

桃子「帰っていい?お兄ちゃん」

 

P「まず最初に、自分の意思じゃ動けないだろ?」

 

桃子「……?」

 

P「真っ暗で何も見えなくて、そんな状態でアイドルたちの耳の穴を弄って引っ掻いて…」

 

桃子「耳かきって棒視点なの?!」

 

P「耳かきをする側とされる側の架け橋となり、俺はただ使われるだけ…うん」

 

桃子「バッカじゃないの?うん、じゃないよ」

 

P「例えされる側が痛がっていたとしても、快楽に耐えられず身を捩っていたとしても、俺は俺の意思では動けないんだ」

 

桃子「で、お兄ちゃんは結局何が言いたいの?」

 

P「耳かき棒になりたい」

 

桃子「……」スッ

 

P「待ってくれ桃子、それは警棒だ。流石の俺もそれで耳かきされたら怪我するしまず耳に入らないし何より警棒には別になりたくな

 

 

 

 

 

P「話を戻そう」

 

桃子「桃子としてはお兄ちゃんに純粋な心を取り戻して欲しいんだけどね」

 

P「だってさ!耳の掃除に使われるんだぞ!みんなが掃除の為に俺を使い、汚れを押し付けられるんだ!」

 

桃子「熱弁しないで。それで…桃子に何を求めてるの?」

 

P「…理解が早いな、やるじゃないか」

 

桃子「別に、桃子お兄ちゃんのそう言うのに慣れてるから」

 

P「…いい、表情です」

 

桃子「それで?桃子はどうすればいいの?」

 

P「足で俺に耳かきしてくれ」

 

桃子「此処に防犯ブザーがあるんだけど」

 

P「此処に駅前のスイーツ店一日20個限定のショートケーキがある」

 

桃子「…ま、まぁ?お兄ちゃんがどうしてもっていうなら?話くらいは聞いてあげなくもないけど…」

 

P「よし、交渉は成立だ」

 

桃子「それで、詳細は?」

 

P「そうだな、先ずは詳しい説明だ」

 

桃子「急に真面目な表情になったね、お兄ちゃん。ずっとそんな感じならカッコいいのに…」

 

P「カッコいいだろ?この耳かき棒」

 

桃子「え?なんだって?って聞き返された方がまだマシな返事が返ってきたんだけど」

 

P「まぁそう言うな、この耳かき棒割と高いんだぞ」

 

桃子「それで、詳細は?」

 

P「やるべきことは単純だ。そこのソファに桃子が座り、足で俺に耳かきをすればいい」

 

桃子「……」

 

P「桃子の穢れを知らない綺麗なその足で、俺の耳を掃除するんだ」

 

桃子「…変態レベルとかじゃなくて、単純に難易度高くない?」

 

P「もちろん足で思った様に耳かき棒を繰るのは難しいだろう…俺の耳が傷付いてしまう可能性もある…だけど!」

 

桃子「…お兄ちゃん…」

 

P「そんな痛みや傷なんて、桃子と今まで乗り越えてきた日々を思えば…な?」

 

桃子「…うん、いいよ、お兄ちゃん…」

 

P「桃子…」

 

桃子「…ってバカじゃないの?!勢いと流れに飲まれそうだったけど言ってることただの変態なんだよ?」

 

P「いずれそう言った企画があるかもしれないから、練習しとけって」

 

桃子「流石に仕事は選ぼうよお兄ちゃん…」

 

P「そんな時さ、かっこよくないか?いいよ、桃子こう言うのも慣れてるから、って言えたら」

 

桃子「桃子の経歴に傷が付くだけだと思うけど」

 

P「じゃあ俺の耳も傷付いておあいこだな!」

 

桃子「はぁ…もう良いよ、真面目に聞くだけ桃子がバカだったから。それじゃ…」

 

P「…おう」

 

桃子「それじゃお兄ちゃん…床に寝っ転がって」

 

P(…ゾクッときた、幸せ)

 

桃子「ほら、早く。して欲しいんでしょ?」

 

P(録音したい…流石に怒られるか)

 

桃子「…う、上手く持てない…足でやるって難しいね」

 

P「おいおい慣れていけばいい。最初から完璧な奴なんていないんだから」

 

桃子「それもそうだね」

 

P「寧ろ素人の拙い足捌きの方が興奮すると言うかなんと言うか」

 

桃子「横顔踏むよ?」

 

P「俺がどんな業界にいるか理解出来ていないようだな」

 

桃子「はいはいご褒美ご褒美。じゃ…いい?」

 

P「おう、こい」

 

桃子「…んっ…こう、かな」スッ

 

P「上手く持ててるじゃないか」

 

桃子「そして…ほんとにいいんだよね?怪我しても桃子責任取らないよ?」

 

P「その時は俺が責任を取るさ」

 

桃子「自業自得なんだけどね、それじゃ…」

 

P(…耳元に何かを当てられている感触がする。それが耳かき棒で、尚且つ桃子が足で持っている…)

 

桃子「…んっ…あっ…上手く入らない…」

 

P(…良い)

 

桃子「…あ、入った…!」

 

P(耳かき棒が入ってきた…桃子の足に持たれている耳かき棒が)

 

桃子「…よっ…えいっ…!」

 

P(まだ勝手が上手く掴めないからか、耳かき棒の動きは小さい。だが寧ろその微微たる棒の掻く動きが俺を掻き立てる)

 

桃子「…桃子だんだんわかってきた…よしっ!」

 

P(少しずつ大きくなる棒のストローク。それが俺の耳の穴を出たり入ったり、時折耳穴の入り口に引っかかる)

 

桃子「どう?お兄ちゃんこう言うのが良かったんだよね?」

 

P「…完璧だ」

 

桃子「ヘンタイ」

 

P(…これが…天才子役アイドル桃子!)

 

桃子「どう?気持ちいい?」

 

P「あぁ、上手いぞ桃子…どこへ出しても恥ずかしくない」

 

桃子「…え、あ、う、うん。まぁ桃子は元々天才だからね」

 

P「…何か誤解した?」

 

桃子「うるさい、ほらほら!」

 

P「うぉっ…!つ、強い…!」

 

桃子「恥ずかしくないの?こんな年下の女の子に攻められて情けないい声出しちゃって」

 

P「それは、桃子が上手いから…!」

 

桃子「へー、お兄ちゃん責任は全部自分で取るって言ったくせに桃子のせいにするんだ」

 

P(足の動きが速くなった…桃子の足の動きによって生み出された桃子風が、俺の頬を撫で髪を揺らす)

 

桃子「ほらっ!ほらっ!」

 

P(ラストスパートか…!一気に刺激が強く…っ!)

 

桃子「えいっ」ガリッ

 

P「っ?!!!??!?痛ってぇぇぇぇぇぇ!!!!」

 

桃子「えっ、ご、ごめん!大丈夫?お兄ちゃん…」

 

P「だ、大丈夫だ…血は出てないし…悪いな、驚かせて」

 

桃子「えっと…ほんとに大丈夫?何処かに棒刺さっちゃったりしてない?」

 

P「俺のハートはとっくに桃子に貫かれてるよ」

 

桃子「脳が貫かれちゃってるみたいだね」

 

P「…さて、桃子」

 

桃子「…え、な、何?お兄ちゃん…」

 

P「よくも俺の耳を攻めてくれたな…おしおきだ」

 

桃子「え、お兄ちゃんがやってって頼み込んできたから桃子は仕方なくやってあげたんだけど?」

 

P「まぁまぁそういう流れって事で。それに今桃子がおしおきって単語を聞いた瞬間…少し、期待したんじゃないのか?」

 

桃子「えっ、そ、そんな事ないよ?!桃子は…別に…」

 

P「大丈夫だ、俺は桃子のプロデューサーなんだから。言葉にしなくたって伝わってるよ」

 

桃子「お兄ちゃん…」

 

P「桃子…ソファの上でいいよな?」

 

桃子「…うん」

 

P「ほら、寝っ転がって」

 

桃子「うん…お兄ちゃん、スーツのズボンから不思議な匂いがするね」

 

P「ちゃんと高頻度でクリーニングに出してるからな」

 

桃子「そうじゃなくて…なんだろ?桃子があんまり嗅いだ事ない不思議な匂いする」

 

P「桃子、気にするな。ほら始めるぞ」

 

桃子「え、えっと…よろしく、お願いします…」

 

P「ところでさ、こんな俺にも意地とプライドがある」

 

桃子「今更過ぎない?」

 

P「いくら高い耳かき棒とは言え、俺じゃない物が桃子の耳に入るなんて嫉妬で狂いそうだ」

 

桃子「お兄ちゃんが桃子の耳に入る事はこれまでもこれからも一生無いよ」

 

P「だから、さ」

 

 

 

 

 

P「桃子、この耳かき棒を俺だと思ってくれ」

 

桃子「は?」

 

P「なぁに、今は分からなくてもやれば直ぐに分かるさ…直ぐにな」

 

桃子「まぁいいけど?演技のレッスンにも思い込むのって必要だしやってあげる」

 

P「いくぞ、桃子…」

 

桃子「うん…きて」

 

 

 

 

 

手で操っている為に、先程とは違い迷い耳かき棒になる事なく耳かき棒は桃子の耳に挿入った。

そして早速、耳かき棒は自分の役職を全うせんと動き出す。

けれど桃子の耳はよく掃除されており、掻き出すべき汚れは見当たらない。

ストロークされる棒は、桃子の耳内(ナカ)の表面を少し触れるだけ。

 

…けれど、それで良い。

この耳かきにおける本来の目的は。

桃子に、快楽を与える事。

桃子に、おしおきをする事。

 

だから、俺は。

なんてこと無さそうな表情をしている桃子に。

早く終わればいいのに、なんて思っているであろう桃子に。

大してくすぐったさも感じていなさそうな桃子に。

 

こう、呟いた。

 

「桃子…今桃子のナカに入っているのは、俺だぞ?」

 

ビクンッ!

 

桃子の足が急に撥ねた。

微動だにしていなかった桃子の太ももが、震えた。

そしてさっきまでの表情は、一気に崩れる。

まるで熟したリンゴの様に、真っ赤に染まる。

 

「おいおい、危ないじゃないか急に動いたら…」

 

一体、何を想像したのだろうか。

残念ながら妄想力逞しくは無い俺には分からないが、桃子は何かを思い浮かべてしまった様だ。

一気に余裕を奪われた桃子に気付かないフリをし、俺は耳かきを続けた。

その動きに比例するかの様に、桃子の顔は更に紅く染まる。

 

「ご、ごめん…」

 

そう言う桃子の吐息がとても暖かいのが、俺の太ももから伝わってきた。

やはり、俺と桃子の間に言葉はいらない様だ。

先程までとは比べものにならないくらいの、激しい吐息。

けれどまだ声を我慢出来ているという事は、理性が残っているという事。

 

ならば、俺のすべき事は一つ。

桃子が耐えられないくらいの快楽を、この棒で与えてやる事。

強く引っ掻いたり、入り口をなぞったり。

緩急をつけて耳中を弄り、時には焦らす。

 

「…んっ…うんんっ…!」

 

少しずつ、桃子の声が漏れ始めた。

恥ずかしいのだろう、悔しいのだろう。

さっきまでなんとも思っていなかった耳かきが、こんなにも気持ちよくて。

それを必死に隠そうと抑えようと口に手を当てるその姿が、逆に俺の嗜虐心を煽る。

 

ふと桃子の太ももの方を見れば、何やら少し動いていた。

二本の太ももを、擦り合わせる様な。

桃子は演技に慣れているだけあって、その場に合わせた心情や状況を頭の中で作り出すのが上手い。

けれどそのせいで、今は俺に棒を出し入れされる想像をしてしまっていて。

 

ずりずりと擦り合わさる太ももに手を突っ込みたい気持ちをグッと抑え、俺は桃子の耳穴に集中する。

今は、この耳中からの刺激だけで桃子に快楽を与えよう。

色んな場所を耳かきして貰いたいかもしれないが、今は耳だけだ。

そうでなければ、おしおきにならない。

 

「ひゃっ…!」

 

がり、がり、がり。

一掻きする度身を捩り悶える桃子の姿は、とても扇情的だ。

足のつま先が開いたり閉じたり、時にはピンっと伸びたり。

もう先程俺の耳を攻めていた時の様な余裕は、桃子には残っていなかった。

 

「…んっ!んんんっ……!!」

 

どんどんと桃子の口から漏れる声が大きくなる。

だんだんと耐えられなくなってきているのだろう。

トロンとした桃子の瞳は、もう何処を見ているのかすらわからない。

だが、俺は耳中を掻く動きを止めない。

 

そして…

 

「桃子…もう…〜〜っ!」

 

そんな声が聞こえた瞬間。

ピタリ、と。

俺は耳かき棒の動きを止めた。

 

「…え?」

 

「さて、俺は満足したしこれくらいで終わりにしておくかな」

 

桃子が今どんな状況かなんて、問う必要もない。

吐息の激しさと上下する肩、そしてモジモジと動かしている太ももが全てを教えてくれていた。

けれど、だからこそ。

俺は一旦ここで止まった。

 

「さ、そろそろ仕事するか」

 

「ね、ねぇお兄ちゃん…」

 

「どうした?」

 

そんな桃子の表情は。

夜を求める女の表情そのもので。

さらなる刺激を求めるただの女で。

そこに天才子役アイドルとしての周防桃子はおらず。

 

「お兄ちゃんにしては悪くなかったから…えっと、その…」

 

「なんだ?きちんと言葉にしてくれないとわからないぞ?」

 

そこにいるのは。

 

「その…もっと、して?」

 

快楽を知り、快楽の虜になった、一人だった。

 

 

 

 

その日、一人の男が捕まった。

職業はアイドルのプロデューサー。

担当アイドルに手を出している、と同事務所の事務員から通報が入った。

状況酌量の余地がある為、事務所名と本名は伏せる。

 

尚本人は、耳かきになっていただけ、などと意味の分からない言葉を繰り返している。

被害者である天才子役アイドルのM.Sさんによれば「ばーか」らしい。

もうじき精神鑑定の結果が出るが、それを待つ必要も無いだろう。

常人は、耳かきにはならないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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周防桃子〜耳かき、して?〜

前作のカットされたシーン
ただの耳かきです


 

 

 

「はやく…シて?お兄ちゃん…」

 

頬を紅潮させて肩を上下させる桃子。

その耳まで既に真っ赤に染まっていて、どれほど桃子が昂ぶっているのかが伝わってきた。

俺の太ももに頭を乗せ、彼女は俺に耳の穴を晒す。

未熟な小さい桃子のソレが、俺の硬い棒を誘う。

 

けれど、ここで俺は一つイタズラを思い付いた。

そこまでシて欲しいのであれば。

そこまで挿入て欲しいのであれば。

どのようにされたいのか、桃子の幼い口で言葉にさせよう、と。

 

「なぁ桃子、お前は俺にどうされたいんだ?」

 

「え…?だ、だから、その…耳かきで…」

 

「なんだ?耳かきは耳の汚れを掃除する為の道具なんだぞ?でも桃子の耳は清かったんだ。使う必要なんて無いじゃないか」

 

「お、お兄ちゃん…桃子の言う事が聞けないの?」

 

「だから、聞いてあげるから言葉にしてくれって言ってるじゃないか」

 

うぅ…とワンピースの裾を握って顔を下に向けてしまう桃子。

けれどその仕草すらも愛おしく、俺は更に畳み掛けた。

 

「桃子は、この耳を掃除する為の道具で、どうされたいんだ?」

 

「そ…その!お兄ちゃんのソレで桃子をキモチヨくして!」

 

目を閉じ、小さな両手で自らの乙女(耳穴)を開き、快楽を求める桃子。

その表情は手で隠されているが、羞恥心と期待に溢れているのが見なくても分かる。

そこまで言って貰えたのであれば、俺もその期待に応えなければならない。

自らの棒を少しずつ、桃子の穴に近付けた。

 

「…ん〜〜っ!!」

 

まだ挿入していないのにも関わらず、桃子は既に身を捩っていた。

どうやらこれからされる事を想像してしまったのだろう。

これからどんな快楽が、刺激が襲ってくるのか。

そんな受け入れる準備をしている桃子に、俺はふーっと軽く息を吹き掛けた。

 

「ひゃっっ!!」

 

びくんっ!

たったそれだけのことで、桃子の身体が撥ねる。

どうやらこれまでの前戯で桃子の身体は敏感になり過ぎているようだ。

何とか快感を抑えようと必死に身体を抑えつける桃子に、次の刺激を与えてみた。

 

すっ、すっ。

穴の周りを、優しく弱く棒で撫でる。

それに応じて、桃子の太ももがビクビクと震えた。

吐く息は更に強く、俺の太ももを温める。

 

まだだ、まだ焦らす。

耳たぶの内側、耳の付け根。

穴に近付けたり、遠ざけたり。

少しずつ、少しずつ桃子の身体の熱を昂ぶらせる。

 

そして…ペロリ、と。

桃子の耳たぶを、ひと舐め。

 

「イっ〜〜〜っ!!」

 

ビクンッ!!

今までに無いくらいの激しさで、桃子の身体が撥ねた。

足のつま先はピンと伸び、何時も俺を踏む凛々しさはそこには無い。

ふぅーふぅーと激しく息をして硬直から解放された桃子の身体は、まだ挿入れてもいないと言うのにぐったりとしている。

 

「お…お兄ちゃん…挿入れて…?」

 

それでもなお、桃子は次を求めてやまない。

で、あれば。

俺もここは焦らさず、彼女の望み通りにしてあげよう。

 

「いいんだな?挿入れるぞ…?」

 

「はやく…きて…!」

 

そして、俺は。

桃子の穴へ、その棒を挿入した。

 

「〜〜〜っっ!」

 

余程桃子の心と身体は敏感になっていたのだろう。

棒が耳中(ナカ)に入った、それだけで、彼女は絶頂を迎えたらしい。

足の指を何とか曲げようとして、それでもピンと伸びてしまっている。

けれどその目は、もっと次を、とせがんでいた。

 

すっ、すっ、すっ。

軽く、小さく、ゆっくりと。

桃子の穴のナカを傷付け無いように、抽送を優しく繰り返す。

もちろん時折穴に息を吹きかけるのも忘れない。

 

その度にギュッと俺のスーツを力強く握る桃子の小さな手が堪らなく愛おしい。

小さな手で、跳びそうになる意識と羞恥心を無理やり引き繋いで。

太ももを何度も擦り付けて何かに耐え。

それでも目だけは、俺を求めている。

 

ガリッ。

 

「んんっ〜〜〜!!!」

 

少し強めにナカを擦ると、桃子の手は更に強く握りしめられる。

トロンと蕩けたその二つの目は、もうどこも見ていない。

口元をだらしなく開け、唇を震わせて。

振り乱された自分の髪が自分の耳に当たり、尚更彼女のキモチイイを増幅させる。

 

がり、がり、がり。

強めのストロークを、少しずつ速く繰り返す。

一回だけで、耐え難い程の刺激だったのなら。

果たして桃子は、これでどうなってしまうのだろうか。

 

「…やっ…!んっ!だっ、ダメ…っ!んんん〜〜っ!!」

 

もう、声を抑えなければならないなんて事すら頭に無いようだ。

ナカから連続で与えられる快感に、もう理性なんて吹き飛んでいる。

流石にコレを他の人に見られるのはマズイ、ここは事務所なのだから。

手を止めてそう桃子に伝えようとした…が。

 

「…お兄ちゃん…も、もっと…!もっとちょうだい…っ!」

 

「…いいんだな?」

 

さっきまでよりも強く、それでいてナカを傷付け無いくらいに。

桃子のナカを、ゴリゴリと抉る。

その度に桃子の幼い口から喘ぎ声が漏れる。

もう彼女の頭には、快感を求める事しか無い。

 

突いて、抜いて、なぞって、擦って。

その全てに、桃子は感じている。

もう何度果てたのかも分からない。

そして…

 

グリッ

 

「イッ…ぅんんっっっっ〜〜〜っ!!!」

 

一気に耐えられない快感を浴び、桃子は最大の絶頂を迎えた。

ビクビクと震える足が、なかなか止まらない。

だらだらと垂れるヨダレが、彼女の小さく綺麗な口元をヨゴしている。

そして再び俺の太ももに倒れ込み、グデンと身体中の力を抜いた。

 

 

 

 

「…満足か?」

 

「うん…」

 

今更になって、ようやく此処が事務所のソファだと思い出したようだ。

快感ではなく羞恥心によって顔を赤く染める。

急いで取り繕おうと身体を起こそうとするが、砕けた腰と足が思い通りには動かないようだ。

ぽんぽん、と優しく頭を撫でてやると安心そうに眼を細める。

 

「ねぇお兄ちゃん…そ、その…」

 

「どうした、桃子」

 

そんな彼女の目は。

羞恥と期待が籠っていて。

 

「ま、また…桃子に耳かき、してくれる?」

 

 

 

 

 

 

 

 



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宮尾美也〜はっぴー、もーめんと〜

シリーズラスト


 

キラキラと煌びやかなステージ。

満開のサイリウムの花が、会場に咲き誇って。

そんな光に満ち溢れた世界の中心で。

宮尾美也は、マイクを握って歌っていました。

 

もちろん、これが夢だって事は分かります。

ステージの中心に立つ彼女の顔以外、まるで霧に包まれているかのように見えないんですから。

ですが、夢に見ているという事は。

私にとって、とても強い想い出だと言う事なんだと思います。

 

他の人達の顔は分からないけど。

いつか、きっと。

私は全部を思い出して。

また、あの場所に立てる日が…

 

 

 

 

 

「おかえりなさい〜」

 

「ただいまー」

 

夕方、と言うには少し遅い時間ですね。

太陽はもう殆ど沈んでいて、夕焼けだったそらが黒くなり始めた頃。

家でのんびりとうたた寝をしながら外を眺めていた時。

仕事を終わらせたプロデューサーさんが帰ってきました。

 

「荷物持ちますぞ〜、お疲れ様です〜」

 

「ありがと、家に帰ってきた時に誰かが待っていてくれるなんて幸せだな」

 

「むむむ…そこは誰かが、ではなく美也が、だと嬉しいんですけどね〜」

 

なんて他愛のない会話をしながら、夕飯の準備をします。

隣には、プロデューサーさん。

それとってくれ、どうぞ〜なんて会話が。

たまらなく、心地良いんです。

 

テキパキと料理を完成させて、二人で食卓を囲みます。

いただきます、とパチンと手を鳴らして。

今日会ったことを教えて貰って。

プロデューサーさんのお話はいつも楽しくて。

 

「食器は俺が洗っておくから、先にお風呂どうぞ」

 

「ではでは、お言葉に甘えますね〜」

 

洗い物をプロデューサーさんに任せて、お風呂に入ります。

ぽかぽか、ゆったり、鼻歌を歌いそうになりながら。

ふわふわとんでーくふーんふーんふーんふーん。

お風呂に浸かってると、なんだか眠くなってきますね。

 

いけないいけない、と目を擦って体を流し上がります。

かなり長くなった栗色の髪の毛を乾かして。

歯を磨いて、口をゆすいで。

眠る準備は万端です。

 

「お先でした〜」

 

「んじゃ、俺も次入っちゃうから」

 

ぽかぽか気分がなかなか抜けず、また眠くなってきました。

でも、まだ彼におやすみなさいを言ってませんから。

のんびり、なんにもせずに。

ただただ、のーんびり。

 

夜はあんまり楽しくありません。

暗くて遠くの景色が見えませんから。

テレビはもちろん禁止です。

彼から、止められていますから。

 

そう、見ちゃいけないんです。

外の情報を、シャットアウトする為に。

だって、きっとそれは。

良い結果には、なりませんから。

 

だって…

私は、記憶喪失なんですから。

 

「あがったぞー…ん、寝てると思ったけど」

 

「まだ貴方に、おやすみなさいって言ってませんでしたから〜」

 

「眠そうだぞ、おやすみ」

 

「ふぁ〜い…おやすみなさい…」

 

何があったのか、何が起こってこうなったのか。

それは、分かりません。

今、私はプロデューサーさんの家で暮らしていますけれど。

それだって、一度世間から私を隔離する為で。

 

けれど、私に不安はありません。

何か大きなトラウマを抱えて記憶を失ってしまったのだとしても。

外に出る事が出来なくても、外を知る事を彼経由でしか出来なくても。

今の私には、彼が一緒にいてくれているのですから。

 

 

 

翌朝目がさめると、既にプロデューサーさんは仕事に行っていました。

私はのんびりと起きて、外出の準備をします。

彼からは、ダメと言われていますけどね。

少しでも、記憶を取り戻す努力をしたいですから。

 

世間一般では、宮尾美也は休養を取っている事になっているそうです。

ですけれど、変な事を勘繰るニュースや心無い方々の声は当然あるものらしくて。

そう言ったもので尚更心を傷付けるのは良くない、と。

だから私は、彼の言い付けをきちんと守りそう言ったものからは離れた日々を送っていました。

 

…でも。

 

「ふ〜…風が気持ちいいですね〜」

 

やっぱり、外には出たいですから〜。

遠くまで行く訳ではありません。

ただ単純に、外の世界を見たい。

外の世界を感じたいんです。

 

一日中ずっと家に居るなんて、気が滅入ってしまいますからね〜。

少し暑くなってきた太陽の光と心地よい風を感じながら、のんびり歩きまわります。

もちろん、周りからの視線を遮断する為に帽子は被ってますぞ〜。

日焼け止めも塗ってますし、水筒にはお茶、カバンにはサンドイッチも。

 

ふらふら〜っと歩いていると、誰も居ない小さな公園を見つけました。

ここで、一休みしましょうか。

木陰のベンチに座って、のんびりサンドイッチを咥えます。

もちろん、水分補給も忘れません。

 

風に舞う木々の枝、飛んで行く木の葉。

何処までも高い空に舞い上がって、いつしか見えなくなって。

それとバトンタッチするみたいに、今度は蝶々が飛んで来て。

目で追い掛けては、見失って。

 

自由に、気まぐれに飛んで行く世界を眺めていると、あっという間に時間は過ぎていました。

もしかしたら、少しうたた寝してしまっていたかもしれませんね。

陽はまだ傾いていませんが、もう6時間も経っています。

プロデューサーさんが帰ってくるまでには家に居ないと、心配をかけてしまいますから。

 

よいしょっ、の掛け声と共に、私は公園のベンチを後にしました。

太陽が真上にあった時よりも、少し涼しくなった道を帰ります。

もちろん、道端の新発見も忘れません。

蟻の行列や名前のわからない花は、明日もまた私をお散歩させたくします。

 

と、その時でした。

 

「…あれ?あそこにいるのって…美也ちゃん…?」

 

バクン!と。

私の鼓動は跳ね上がりました。

何かは分かりませんけど、とても嫌な感じがします。

私の足は、その場に打ち込まれそうになりそうで…

 

…おっと。

いけませんね〜、少し油断しすぎていたみたいです。

気付かないフリをして早く立ち去らないといけません。

そっちに視線を向けない様に、ペースは変えず先を目指します。

 

「何言ってるのよ、こんな場所に居るわけないじゃない」

 

もう一人の女の子が、それを否定していました。

こんな場所に居るはずがない。

テレビに出ている人を街で見かけた時の、当然といえば当然の反応かもしれませんね〜。

ありがたいですし、このままささっと帰らせて頂きましょ〜。

 

 

 

 

「ただいま帰りました〜」

 

誰も居ない部屋に、私の声がこだまします。

良かったです、プロデューサーさんはまだ戻っていないみたいですね。

いつも通りの帰宅予定だとすると、あと2時間くらいでしょうか?

それまでは、のんびりゆっくりとしてるとしましょう。

 

窓から眺める景色は、赤と青が混ざった綺麗な夕焼け。

とても綺麗で、思わず写真に撮りたくなります。

この景色を、プロデューサーさんと共有したいですから。

この優しい世界を、プロデューサーさんと…

 

そう言えば、写真と言えば。

私の携帯電話は、何処にあるんでしょう。

アイドル業界にいたのだとしたら、連絡を取る為のソレは必需品な筈です。

それに、私の事ですからいっぱい写真も撮りたくなる筈なんですけれど。

 

なんて事を考えながら暗くなっていく空を見上げていると、玄関の外から音が聞こえてきました。

プロデューサーさんが帰ってきたみたいですね。

ソファから立ち上がって、スカートのシワを直します。

彼の前では、ピシッ!っとしていたいですから〜。

 

「おかえりなさいませ〜」

 

「お、ただいま。お刺身買ってきたぞー」

 

スーパーのビニール袋を受け取って、そのままキッチンへ向かいます。

既にお刺身の状態になっているので、お皿に盛り付けるだけですけどね〜。

予約しておいた炊飯器も、丁度炊き上がりました。

二人並んでキッチンに立つ幸せを、今日も手にする事が出来ました。

 

「そういえばプロデューサー殿〜、私の携帯電話は知りませんか?」

 

「…あー…あるっちゃあるけど、その話は食後でいいか?」

 

どうやら、少しばかり重い話になってしまいそうですね…。

美味しい食事は、気分から。

辛い事を考えていては、折角の二人の食事が勿体ありません。

素敵な景色を一緒に眺めたかったんです、とだけ伝えてお箸を動かしました。

 

 

 

「で、携帯電話だったな…これ、なんだけど…」

 

「…そう、でしたか〜…」

 

プロデューサーさんから渡された携帯電話。

その画面には、大きなヒビが入っていました。

おそらく、再び起動する事はないでしょう。

そのくらいの、損傷で…

 

「お前が倒れてた時、その手元の近くに落ちてたんだ…」

 

「そう、でしたか…」

 

朧げながらも、薄っすらと思い出すのはあの日の記憶。

プロデューサーさんに救ってもらった、記憶を失ったあの日の夜。

私は、必死にストーカーから逃げて…

何処だかも分からない道を、走って、走って、走り回って…

 

「おい、大丈夫か?!無理するな…落ち着くんだ…!」

 

「…え?わ、私は…」

 

自分の表情を確かめようと顔に手を伸ばしました。

ほ、ほら…笑えて、いませんか?

そう思って、いましたけれど…

伸ばした指は、目元で濡れて…

 

「大丈夫だ…俺がついてるから…」

 

「あ…」

 

ギュ、と。

プロデューサーさんに抱き締められました。

たったそれだけの事で。

私の心は、一瞬にして寂しさから救い出され…

 

「今度、カメラを買おう。今までの写真が消えてしまったのなら、これから幸せを増やせばいい」

 

「…はい…そうですね。素敵な景色を、幸せを、一緒に共有しましょ〜」

 

優しい、暖かい、プロデューサーさんの言葉。

ですが、私の心には一つの疑問。

少しですけど、思い出してしまったあの夜の事。

その瞬間、つい数秒前のあの瞬間。

 

なんで私は、寂しかったんでしょうか?

 

普通ストーカーに追われていたのだとしたら、怖い、と言う感情が当てはまる筈です。

これからどうなってしまうのか、と言う不安を覚えるのが普通な筈です。

なのに、どうして。

寂しさ、なんでしょうか?

 

その答えが、知りたい。

けれど、知ってしまったら。

今のこの幸せな一瞬を失ってしまう様な気がして。

私は幸せな今の為に、考える事をやめました。

 

 

 

会場を埋め尽くす、サイリウムの光。

女の子なら誰もが憧れる、スポットライトに照らされたステージ。

その中心で歌う、一人の女の子。

そこに居座る、茶髪の彼女。

 

まるで画面越しに見るようなその風景は、夢だと直ぐに分かりました。

それにしては、とても鮮明で。

もしかしたら、一度私も映像で見ていたのかもしれません。

そんな、光輝く彼女を見て…

 

私は…

 

 

 

 

「おい…大丈夫か?」

 

「…すみません、少し、寂しい夢を見ていた気がします〜」

 

スーツに着替えたプロデューサーさんが、こちらに不安そうな顔を向けていました。

目元に指を当てれば、やっぱり少し濡れています。

どんな夢だったかは、もう薄れ始めていますが。

私はとても、寂しくて…

 

「…抱き締めて、くれますか?」

 

「あぁ。まだまだ時間はあるし、落ち着くまで付き合うよ」

 

大好きな彼の温もりは、私の不安を溶かします。

今が、平和なら。

この一瞬の幸せがあるのなら。

私は、ずっと…

 

 

 

 

幸せな日々は続きます。

私を大切にしてくれる、彼との暮らしはとても幸せで。

のんびりと、ゆったりと流れてゆくその一瞬一瞬が、とても幸せで。

覚えてはいませんけど、今までにこんなに幸せで心穏やかなときがあったとは思えない程、とてもとても幸せでした。

 

…違う、と、言われれば。

その通り、ですけどね〜…。

私は放棄していたんです。

考える事と、思い出す事を。

 

今が、この瞬間が幸せだから。

前は、きっと、そうではなかったかもしれないから。

もしそうでなかったとしても、今までだって幸せだったとしても。

どうしても、今を手放すのが怖かったんですから。

 

のんびりとお散歩して。

小さな幸せを発見して。

夜は彼と共に過ごして。

それで、いいじゃないですか。

 

思い出す事で失う可能性があるのなら。

思い出す必要性なんてありません。

私が心から求める幸せは。

もう既に、手に入っているんですから。

 

…それでは、いけませんか?

貴方はずっと、私の隣で笑っていてくれませんか?

私の小さな願いを、幸せを。

続けたいと願うのは、忘れたままでいたいと祈るのは。

 

いけない、ことでしょうか?

 

 

 

 

ふ〜…今日も、充実した1日でしたね〜。

空はとっても綺麗ですし、ちょうちょも見つけられましたから。

もう空は少しずつ茜色に染まってきてますけど。

今日は事務所の生放送番組があるそうで、プロデューサーさんの帰りは遅いらしいですから。

 

てくてくと、のんびり夕焼けに染まった道を歩きます。

普段とは違う帰り道なのに見覚えがある様な気がするのは、以前通った事があるからでしょうか。

そんな再び味わえる新発見を、もっともっと積み重ねて。

それを今までも、今も、これからも…

 

そんないつも通りのお散歩をしている時。

甘い時間を更に手に入れようとして。

少し欲張って、もっと初めて見る景色を集めようとして。

曲がり角を曲がった時…

 

「この道は見覚えが〜…っ!」

 

バクン、と。

いままでに無いくらい、心臓が跳ね上がりました。

一気に鼓動は早くなり、私に注意を促しています。

この道は…

 

私が、彼に救われた。

私が、記憶を失った。

私が、倒れこんだ。

あの夜の、道だったのですから。

 

一気にフラッシュバックするのは、あの夜の出来事。

聴き手なんてどうせいないだろうと、私は叫び続けた事。

そんな私を見つけた、私のプロデューサーと名乗る男性に運び込まれて、何とか助かった事。

ストーカーに追われて、必死に逃げ回った事。

 

「あれ?ほら静香ちゃん、やっぱり美也ちゃんだってばー」

 

追撃を掛ける様に。

道行く女の子の一人が、私に気付きました。

その瞬間、言い様の無い不安と寂しさを覚え。

気づいたら、私は走り出していて…

 

「だから貴女は何を言ってるのよ…彼女はーー」

 

周りをシャットアウトする様に、私はひたすら走りました。

まるであの日の様に、逃げて、逃げて、逃げ回って。

少し人通りの多い商店街に出ても、私は走り続けて。

早く、彼と二人だけの世界に、幸せに満たされた世界に戻りたかったのに。

 

『そうですね〜。そうやってれば、いつだって世界も平和なんですよ〜』

 

私は、見てしまいました。

商店街の電化製品屋の店頭に置かれたテレビ。

そこに放送されていたのは、765プロの生放送番組番組で。

その画面に映し出された、画面越しに見る彼女は。

 

紛れもなく、宮尾美也だったんです。

 

 

 

 

「ただいまー」

 

「おかえりなさい〜、プロデューサーさん」

 

いつも通りのその一瞬が。

もしかしたら、これで最後になってしまうかもしれないから。

私は思い出してしまった事を隠して。

彼とのひと時を、精一杯幸せなものにしました。

 

「ご飯、作っておきましたよ〜」

 

「お、ありがとう。今日も色々あったからなぁ…」

 

「そうですか〜。お聞きいたしますぞ〜」

 

二人で食卓を囲むその時間が。

二人で笑いながらお話をするその時間が。

二人で並んで食器を片すその時間が。

私にとっては、最後になるかもしれないから。

 

手離したくないものは、いずれ離れていってしまうものでした。

それに気付いてしまったのなら。

その一つ一つを、幸せな一瞬に…

本当に、これなら思い出さない方が良かったんですけどね。

 

ありふれた、天気の話。

綺麗だった夕焼けの話。

明日もまた、なんてお話をしながら。

私は、覚悟を決めました。

 

「さて、プロデューサーさん〜。一つお聞きしたい事があるんです」

 

「なんだー?」

 

…やっぱり、ですね。

もしかしたら、なんて思ってはいました。

気付かないふりをするのも、もう終わりかもしれません。

意を決して、なんとか口に出せました。

 

「…美也、とは…呼んでくれないんですね…」

 

「……」

 

静寂が部屋を支配します。

プロデューサーさんは表情を変えず、此方を見てきます。

ここで私が、ま〜いっかなんて誤魔化せば。

きっとまた、気付かないふりを続ける幸せな日々に戻れると分かりながら。

 

それでも私は、目を逸らさずに。

 

「…そう、か…思い出したんだな」

 

諦めた様な顔をしたプロデューサーさんが、ようやく口を開きました。

本音を言えば、今にだって誤魔化したいくらいです。

けれど、それを続けていてもお互い幸せにはなれませんから。

それに私には、逃げる場所なんてありませんから…

 

「全部、思い出しました」

 

テレビに映った宮尾美也。

微々たる違いはあるものの、私にとてもそっくりで。

けれど、生放送番組という事は。

私は…

 

「…本当に、すまなかった」

 

頭をさげるプロデューサーさん。

そんな彼は、涙を流していました。

そう、ですよね。

でも大丈夫です、貴方の優しさは伝わっていましたから。

 

彼の意図は、何となくですが分かります。

あの夜の、私の心を聞いていたのだとしたら。

いけない事だと分かっていても、誰の為にもならないと分かっていても。

少しでも、目の前の女の子に幸せを、なんて…

 

「あの夜、お前の話を聞いてな…どうしても、何とかしてやりたくなって…」

 

道行く人から間違われるくらい、私は宮尾美也に似ています。

有名人に、とても似ている。

それは決して、いい事ではありませんでした。

私の心が、限界まで擦り減るくらいには。

 

宮尾美也に似ていると言う印象しか抱いてもらえず。

宮尾美也に似てるね、なんて事しか言われず。

本当の自分を見てもらえる事なんて、滅多に無くて。

街で話しかけられた人に違うと伝えると、とてもガッカリした顔をされて。

 

宮尾美也と間違われてストーキングされた時、とても悲しかったんです。

怖いと言う感情ももちろんありましたけど。

やっぱり私は、宮尾美也として見られているのに。

それなのに、その恩恵は一切ありません。

 

見た目がそっくりで、趣味まで同じ宮尾美也をテレビで見るたびに。

なんで私じゃないんだろう、って悔しさと怒りすら覚えて。

ライブの映像がテレビで流れて、そのステージの中心に宮尾美也が立っているのを見るたびに。

彼女のせいで、私はこんな目に、なんて…

 

いい事なんて一つもない。

彼女はあんなに輝いているのに、私はこんなに辛い思いをして。

宮尾美也の偽者としての人生しかなくて。

けれどそんな理由で髪を切ったり整形するのは、悔し過ぎて出来なくて。

 

結局、恐怖と寂しさと悔しさと。

憧れと哀しさと羨ましさと辛さと。

その全てがごちゃごちゃになって、全部を放棄したんです。

もう私に、自分だけ幸せな道なんてないんだろう、と。

 

そうして全てを諦めて、全てを叫んで。

意識と記憶を失うとほぼ同時に。

プロデューサーさんに、出会ったんです。

 

「宮尾美也と似ていて自分のものにしたかったから、って気持ちが全くないと言ったら嘘になる…でも、どうしても…目の前の女の子を、少しでも…」

 

宮尾美也で、いさせてあげたかったから。

 

それを聞いて、安心しました。

その言葉はきっと、本物で。

ならきっと、この狭い世界だけなら、私は本物の宮尾美也で。

それで、充分でした。

 

「…貴方を恨んでなんていませんよ。私は、幸せでしたから」

 

あれほど、憎んでいたのに。

あれほど、辛い思いをしたからこそ。

私は、きっと。

宮尾美也に、なりたかったんです。

 

それに、彼の優しさは本物で。

そんな事に関係なく、私は彼と居る時間が大好きで。

彼と一緒に幸せを積み重ねたい、と言う想いは。

紛れもなく、本物ですから。

 

だから…

 

「明日からも、私を…宮尾美也でいさせてくれませんか?」

 

「…あぁ。お前が、それでいいのなら」

 

 

 

それからの日々は、とても楽しいものでした。

きちんと変装すると言う条件で、彼とデートしたり。

もういいだろうという事で、一緒に家でテレビを見たり。

二人でふらふらと、私が散歩していた道を歩いたり。

 

気付かないふりをやめたからこそ、気付ける幸せがあって。

二人でいる時だけですけど、私は本物の宮尾美也で。

彼女に憧れていたからこそ、私は完璧な宮尾美也として振るまえて。

そして、その上で。

 

きっと彼は、宮尾美也が大好きなんだ、って。

そう、感じました。

もちろん彼は口にはしませんでしたけれど。

見ていれば、分かりやすいものでしたから。

 

アイドルとプロデューサーの恋愛なんて、許されない。

だから彼は、宮尾美也に想いを打ち明ける事は出来ない。

で、あるなら。

アイドルでない宮尾美也である私なら…

 

でも、分かっていました。

この幸せは、今だけのものだと。

私が本当に本物の、彼だけのではない宮尾美也だとしても。

きっと、彼の事を…

 

 

 

 

予期していた通り、その日は訪れました。

帰宅した彼は、どこかよそよそしく。

きちんと目を合わせてくれる事が、少なくて。

話しかけても、どこか上の空。

 

おそらく、いえ、間違いなく。

宮尾美也が、プロデューサーさんに告白したんだと、そう感じました。

もちろんプロデューサーさんは嬉しかったでしょう。

きっとずっと大好きだった宮尾美也と、結ばれる可能性が出たのですから。

 

けれど、すぐには頷けなかったんだと思います。

だって今は、私と暮らしているんですから。

家にはまた別の、宮尾美也がいるんですから。

だから…

 

「プロデューサーさん〜、少しだけいいですか〜?」

 

私は、最後の最後まで宮尾美也で。

当然本物の宮尾美也には及ばないでしょうけど。

それでも、一つだけ勝てるとしたら。

今、この瞬間に。

 

「どうし…?!」

 

ちゅっ、と。

頬っぺたに、触れるだけのキスをしました。

それだけでもう、我慢しようとした涙は堪えきれなくて。

それでも、想いだけは伝えました。

 

「今まで幸せでした…これからは、彼女の隣で笑っていてあげて下さい」

 

私の小さな願いを告げて。

私は家を飛び出しました。

 

 

 

 

電車を乗り継いで、私は海へとたどり着きました。

その間思い返していたのは、彼との幸せな日々。

彼にとっては偽者だったかもしれませんけど。

私にとっては本物の幸せでした。

 

でも、もう。

本人に、宮尾美也としての位置と名前をお返ししないといけませんでしたから。

これから彼の隣に立つのは彼女であるべきで。

これから彼の隣で幸せになるのは、彼女であるべきで。

 

涙は、もうありません。

彼女に対する恨みは、もうありません。

むしろ、感謝しているくらいです。

そのおかげで、私はこの辛い人生で幸せな一瞬を積み重ねられたのですから。

 

それに、きっと本物の宮尾美也よりも先に。

彼とキスする事が出来ましたから。

私は、それで充分です。

唇と唇では、彼に名前を呼んで貰えませんから。

 

崖の下で打ち上がる水飛沫が視界を黒から白に染めます。

きっと、私も。

公園でみた蝶の様に、自由に。

遠くまで、飛んでいける筈です。

 

「…さようなら…結局、呼んで貰えませんでしたね…」

 

でも、願わくばせめて。

一度でいいから、彼に。

 

私の名前を、呼んで欲しかったですーー

 

 

 

 

 



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春日未来〜初めまして、プロデューサーさん!〜

 

 

初めまして、プロデューサーさん!

 

私、春日未来です!

 

よろしくお願いします!

 

……え?れありてぃが違う……ですか?

 

でへへ〜、難しい言葉は分かりませんけど、せいいっぱい頑張ります!

 

これから、いっぱいい〜っぱい迷惑掛けちゃうかもだけど……

 

それでも!アイドルになりたい気持ちだけは、1番のつもりです!

 

よろしくお願いしま

 

 

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初めまして、プロデューサーさん!

 

私、春日未来です!

 

よろしくお願いします!

 

……え?白石紬じゃないのか……ですか?

 

えっと……私、春日未来ですけど……

 

あ、あの!

 

私はその、白石紬ちゃん?って子じゃないですけど……

 

アイドルになりたい気持ちだけは、1番のつもりです!

 

これからせいいっぱい頑張りますから、一緒に

 

 

delete

 

 

初めまして

 

最上静香、14歳です

 

ところで、プロデューサーはどちらに……

 

えぇっ、あなたなんですか?

 

なんか頼りなさそうだけど大丈夫かしら……

 

……え?SSRじゃないのか、ですか……?

 

その……仰ってる言葉の意味は分かりませんが……

 

私には時間がないんです

 

これからよろしくお願いします

 

邪魔だけはしないで下さ

 

 

delete

 

 

 

初めまして

 

最上静香、14歳です

 

ところで、プロデューサーはどちらに……

 

えぇっ、あなたなんですか?

 

なんか頼りなさそうだけど大丈夫かしら……

 

……え?またダメか……ですか?

 

あの、初対面にそう言う言葉を言うのは失礼だと思

 

 

 

delete

 

 

初めまして、プロデューサー

 

私、白石紬と申します

 

私なら、アイドルになれる……と

 

そんなプロデューサーのお言葉を信じて、石川から出てまいりました

 

それでは、よろしくお願いしま……

 

……え?SSRじゃないのか……え?

 

な、あなたは何を言っているのですか?

 

と、兎に角、よろしくお願いし

 

delete

 

 

 

初めまして

 

最上静香、14歳です

 

ところで、プロデューサーはどちらに……

 

えぇっ、あなたなんですか?

 

なんか頼りなさそうだけど大丈夫かしら……

 

……折角SSR引けたのに……?

 

あの、何を言っているのかは分かりませんが……

 

これか

 

 

 

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初めまして、プロデューサーさん!

 

私、春日未来です!

 

 

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初めまして、プロデューサーさん!

 

わたし、伊吹翼でーっす!

 

キツいのは嫌いだけど、おもしろおかしくなるように頑張っていきますから!

 

プロデューサーさんも、や・さ・し・く!指導してね!

 

……え?3回目のSSRなのに……ですか?

 

え、え〜っと、わたしはその白石紬ちゃんって子じゃないですけど〜

 

プロデューサーさんをきっとドキドキさせちゃいますから!

 

よろしくお願いしまー

 

 

 

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初めまして、プロデューサーさん!

 

私、春日未来です!

 

 

 

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初めまして、プロデューサーさん!

 

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初めまして、プロデューサーさん!

 

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初めまして、プロデューサーさん!

 

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初めまして、プロデューサーさん!

 

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初めまして、プロデューサーさん!

 

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初めまして、プロデューサーさん!

 

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初めまして、プロデューサーさん!

 

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初めまして、プロデューサーさん!

 

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初めまして、プロデューサーさん!

 

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初めまして、プロデューサーさん!初めまして、プロデューサーさん!初めまして、プロデューサーさん!初めまして、プロデューサーさん!初めまして、プロデューサーさん!初めまして、プロデューサーさん!初めまして、プロデューサーさん!初めまして、プロデューサーさん!初めまして、プロデューサーさん!初めまして、プロデューサーさん!初めまして、プロデューサーさん!初めまして、プロデューサーさん!初めまして、プロデューサーさん!初めまして、プロデューサーさん!初めまして、プロデューサーさん!初めまして、プロデューサーさん!初めまして、プロデューサーさん!初めまして、プロデューサーさん!初めまして、プロデューサーさん!初めまして、プロデューサーさん!初めまして、プロデューサーさん!初めまして、プロデューサーさん!初めまして、プロデューサーさん!初めまして、プロデューサーさん!初めまして、プロデューサーさん!初めまして、プロデューサーさん!初めまして、プロデューサーさん!初めまして、プロデューサーさん!初めまして、プロデューサーさん!初めまして、プロデューサーさん!初めまして、プロデューサーさん!初めまして、プロデューサーさん!初めまして、プロデューサーさん!初めまして、プロデューサーさん!初めまして、プロデューサーさん!初めまして、プロデューサーさん!初めまして、プロデューサーさん!初めまして、プロデューサーさん!初めまして、プロデューサーさん!初めまして、プロデューサーさん!初めまして、プロデューサーさん!初めまして、プロデューサーさん!初めまして、プロデューサーさん!初めまして、プロデューサーさん!初めまして、プロデューサーさん!

 

 

 

 

初めまして、プロデューサー

 

私、白石紬と申します

 

私なら、アイドルになれる……と

 

そんなプロデューサーのお言葉を信じて……

 

……な、何をそんなに喜んでいるのですか?

 

やっと、引けた……?

 

あなたは何を言っているのですか?

 

その……私

 

 

 

 

 

アイドルになりたい気持ちなら、1番のつもりです!

 

だから、石川からでてきたんです!

 

プロデューサーさんのお言葉を、信じていましたから!

 

これからよろしくお願いします!

 

だから……

 

 

もう、消さないで下さいね?

 

 

 



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