春香「脱出ゲーム?」 (人肉タルトレット)
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第1の扉/Ⅰ.目覚め

ベースとなる世界軸はアイマス2(アニマス)。12人のアイドル達が知らぬ間に閉じ込められた謎の密室から脱出を試みる話。死亡描写あり。一応765プロ以外のアイドルも少々登場。pixivからの転載(http://www.pixiv.net/member.php?id=1445744)。


涙目を擦りながら、寝覚めの悪い身体を起こし、鉄扉に向かった。

早く此処から出たいという焦燥感と、独りぼっちと云う孤独感に駆られながら把手を捻る。

が、開かない。

捻って押しても引いても、見た目通り動く気配が無い。

「誰か、誰かいませんか!?ここから出して!お願い!!」

緊張感と圧迫感に耐え切れなくなり、鉄扉に固く結んだ拳を何度も叩きつけた。

それに合わせて、心情が口を突いて出る。

「プロデューサー!?千早ちゃん!?美希!?」

さらに、大切な者達の名前を呼ぶ。

(どうして・・・。記憶のない直前まで、確かに皆一緒に居たのに・・・。どうして、私だけが・・・)

鉄扉に打ち付けた手が赤く染まり、春香にじんわりと痛みが伝わる。

漸く観念し、微動だにもしない扉に凭れ、力無く座り込んだ。

(うう・・・、何なのこれ・・・。誘拐?監禁?どうなっちゃうんだろう、私・・・?

プロデューサーは・・・?みんなは・・・?)

途方に暮れる春香。

ふと顔を上げると、何やら妙な物が視界の端に映り込んだ。

(ん・・・?何?あったっけ、あんなの・・・)

それは、壁に埋め込まれた液晶モニターだった。

春香が起きた時、丁度モニターが背面にあった為に気が付かなかったのだ。

直ぐ様、そのモニターに駆け寄る。今は何でも良いからこの場所に関する情報が欲しい―――。

その画面には、こう書かれていた。

『天海春香様。

唐突ではありますが、今から貴女達にはこの檻からの脱出ゲームに参加して頂きます。

まずは、以下の11人の中から、「最も苦手とする人」を選び、その名前をタッチしてください。

【我那覇響】【菊地真】【如月千早】【四条貴音】【高槻やよい】【萩原雪歩】【双海亜美】【双海真美】【星井美希】【三浦あずさ】【水瀬伊織】

なお、選択されない限りこの部屋からは出られませんので御承知の程を。

では、御幸運を祈ります』

春香の胸に、ぞわぞわと得体の知れない感情が湧き上がった。

そこに挙げられた名前は全て、天海春香が所属する765プロのアイドル達だった。

―――知っている。

(私を此処に閉じ込めた犯人は、私の名前と765プロを知っている・・・)

誰だ。

(・・・亜美真美のイタズラのほうがまだカワイイもんだよ・・・なんでこんな、手の込んだ事・・・)

まさか。

(765プロ関係の人・・・?まさか、監禁なんか出来る人なんて・・・。ドッキリ企画か何か?それとも、狂信的なファンが・・・?)

止まらない、疑念。

裏付けの無い妄想が脳内を駆け巡る。

その妄想が行き場を失くした時、春香はもう一度モニターに眼をやった。

(・・・今は、此処を出る事だけを考えよう・・・)

 

じっとモニターに打たれた文字を見詰め、自分に投げ掛けられた問いに就いて思慮してみる。

「最も苦手とする人」を選べ、というものである。

何故犯人は、こんな事をさせるのか。理解など出来る訳もない。

しかし春香は、ある一節を見逃さなかった。

『今から貴女達には』。

この、達と云う言葉の意味する処は、恐らく一つ。

(・・・私以外に、誰か居る)

今の自分と同じように、監禁されている者がいる。

そしてそれは、数は分からずとも十中八九自分の仕事上の知り合い。

もしも同様の問いを他の被害者も与えられているとしたら、

その人は自分も含めた、この765プロの輪の中の誰か、である筈だ。

赤の他人からしたらこの様な問いは何の事だか検討も付かないだろう。

だから、此処に名を刻まれた、或いは彼女達に関連する人間でなければいけないのだ。

・・・しかし、此の中から苦手な人間を選べ、とは・・・?

どうも、この回答を出さなければ、此処からは出られそうも無い。

いや、たとえ誰かを選んだとして、あの鉄扉が開く保障は何一つ無いのだが。

今、自分に出来る行動は、これしかない―――。

(どうしよう・・・。「正直に答える」べき・・・?それとも、「嘘を吐く」べきなの・・・?)

それすら分からない。

そもそも、出来る事なら選びたくないのだ。苦手な人間なんて本当は誰一人として居ないのだから。

(皆、大切なアイドルの仲間なんだ・・・。苦手、なんかじゃない・・・)

もしもこの選択肢に自分の名前があったなら、迷わず自分の名前を選択していただろう。

そして、他の人間もそうするだろう。自分と同じ考えに至ったなら。

しかし、犯人も只の馬鹿では無い様である。是程の大仕掛けが出来得る人物なのだから至極当然の話だ。

抜け目無く「他人を貶める」システムを構築している。

(もう・・・、こうなったら神頼みで・・・)

春香は吹っ切れた様に、モニターの名前の上に指を翳した。

「どちらにしようかな、天のカミサマの言うとおり・・・」

よくある数え歌である。歌いながら、春香は内心で毒吐いた。

神なんてものが本当に存在するなら、私は今頃こんな得体の知れない場所でこんな思いを巡らせることも無かっただろう、と。

そうして春香の指が指したその人物は、

三浦あずさ、だった。

(あずささん・・・。確かによく迷子になって竜宮小町のみんなを困らせてたけど・・・。でも・・・)

とどのつまり、誰も押したくないのだ。

裏を返せば、誰を選んでも同じ、と言えなくもない。

仕方無く、春香はそのまま指先を【三浦あずさ】に宛がった。

(あずささん、ごめん・・・!)

モニターが『【三浦あずさ】で宜しいですか?』と云う旨の確認画面に切り替わり、

内心では苛立ち乍らも再び画面にタッチした。

するとモニターは電源が落ちたのか真っ暗になり、其れ以降何も映さなくなった。

その後、鉄扉の把手を捻っては見たものの、矢張りびくともしなかった。

する事も無くなり、先程の様に壁に寄り掛かって項垂れた。

 

物音もせず、しんと静まり返った室内。

もしも誰かが他に居るとしたら、大声の一欠けらでも聞こえそうなものだが。

この壁は相当防音性能に優れているのだろうか。

それにしても、此の部屋には布団もトイレも無い。

刑務所の牢獄の方が幾分ましに思える。尤も、収容された経験は無いのだけれど。

先程のモニターには、選択しない限り部屋から出られない、とあった。

つまり、ここにいる全ての人間が選択しなければ開かないと言う事か。

(―――他の人達は、どうするんだろう。誰を選ぶんだろう。

私みたいに、神頼みするのかな。それとも、本当に苦手な人を選ぶのかな。

やよいは・・・きっと適当だよね。誰とでもおんなじように接してるし。

雪歩もきっとそう。優しくて、誰かを嫌いだなんて言えない子だもんね。

千早ちゃんや美希はきっと、私を選ぶんだろうな。迷惑ばっかり掛けてるからな・・・。

・・・嫌だな、私が一番選ばれてたら。でも、いっか・・・。他の誰かよりは・・・)

茫然と思いを巡らせる。

そうしている内にも、疲労感が高まり、急速に筋肉が弛緩していく。

強力な眠気が春香を襲い始めた。

それは、現実逃避しようとする心理から来るものなのかもしれない。

(少し、眠ろうかな・・・。皆が選んでる間に・・・。これがもし夢なら、いいのにな・・・)

覚醒から一時間余りが経過した、その時だった。

がちゃり。

錠の開く音がした。

(あ・・・開いた・・・!?)

深い眠りへと落ちかかっていた身体は、その音に弾かれる様に、ほぼ反射的に鉄扉に飛び付き、把手を捻っていた。

ごおん、と音を立てて鉄扉が開いていく。鈍い振動が手に伝わった。

(出られる・・・やっと・・・)

息の詰まりそうな部屋を潜り抜けた、その先には・・・。

「春香!」

「!・・・千早ちゃん!?」

華奢な身体が春香の元に駆け寄って来た。

春香と同じ765プロのアイドル、如月千早だった。

「春香・・・大丈夫?怪我はない・・・?」

その顔には不安を湛え、声は震えていた。

続けて、違う声が響く。

「春香!貴女もいらしたのですね・・・」

「グス・・・みんな、やっぱりいたんだね!」

「みんな・・・。ねえ、何なんだよ、ここは?」

「こ、これ、ドッキリとかじゃ、ないよね・・・?」

四条貴音。高槻やよい。菊地真。星井美希。

春香の予想通り、其処にはモニターに記されていた765プロの面々が居た。

いや、正確には「出てきた」のだ。春香が居た部屋と同じような部屋から。

この部屋は所謂ホテルの廊下のような構造になっていた。

言わずもがな、その壁はコンクリートで覆われており、蛍光灯が炯々と光っているのみで薄暗く、更に狭い。

彼女達もまた、この異様な状況を把握できずに狼狽え、或いは悲泣していたようだ。

 

「みんな・・・!ひょっとして、あの変な投票を・・・」

春香が全員に尋ねると、皆が一斉に口を開いた。

「あれは・・・誰も選びたくなかったから、目を瞑って適当に押しちゃった」

と、やよい。春香の読みは的中した。

「・・・ミキは春香を選んだの」

と、美希。これも的中。春香からすれば外れて欲しかったのだが・・・。

「そ、そう・・・。私は・・・」

一瞬、躊躇った。自分はやよいと違って、「見て」しまっているのだ。

流石に神頼みで選んだ名を言うのは辛い。

自分もやよいと同じ様に見ずに押せば良かったと後悔した。

「やよいと同じで、見ずに押したよ・・・」

思わず嘘を吐いてしまった。

「私も・・・。早く家に帰りたいよう・・・」

べそをかきながら、双海姉妹が擦り寄ってきた。

双海亜美・真美はややませている部分があるが、まだ13歳の女の子なのだ。心底怖かったろう。

 

「大丈夫・・・。みんな、ここから出る方法を探そう。絶対に何かあるはずだよ」

怯える心を奮起させる為に、皆を煽る春香。

「うん、そうだね。こんな辛気臭いトコロ、サッサと抜け出そう。それで、ボクたちみたいな女の子をこんな所に閉じ込めたやつをぶっ飛ばしてやろう!」

真は真っ当な神経を保っているようだ。春香の決起に乗ってくれた。

「そ・・・そうね。早く帰らないと家の者が必要以上に心配しちゃうし・・・」

こんな時にも相変わらずお嬢様気質なな水瀬伊織。しかし声が強張っているのを聞くと、落ち着いて居られない様子だ。

「・・・となると、最も怪しいのは・・・あの正面の扉」

真と同じく比較的冷静な千早が言う。

彼女の言うとおり両側に部屋の鉄扉が12づつあるのに対し、正面にはそれとは違う装飾の扉があった。

こちらも重々しい鉄扉だった。

果たして開くだろうか。

真っ先に扉に歩み寄った真が、その把手を掴んだ。

「お・・・開くよ、この扉!」

驚く程あっさりと、その扉は開いた。

「よし、行こう」

春香が皆を促した、その矢先。

「し・・・少々、お待ちください・・・!」

震えた声で、四条貴音が全員を制止した。

 

「どうしたの?何か変なものでも見付けた?」

訝しげに真が訊く。

しかし、貴音の挙動は、何かを見付けた時のそれではなかった。

どちらかと言うと、何か良からぬ重大な真実に気が付いた様な、神妙な顔付きをしていた。

「その・・・、この部屋の扉の数は・・・全部で十二個ですよね・・・?」

改めて真が指で数える。

「・・・うん、そうだね。それに、最初のパネルにも11人書かれてて、自分も入れたら12人でしょ?」

多くの親友が頷く。

「・・・では、今此処に居るのは、全員で12人のはず・・・ですね?」

「・・・そりゃ、そうだよ?それがどうし・・・」

「足りないのです!」

突然大声で叫ばれて、真は怯んだ。

「・・・は?」

「ですから・・・、今この場に、11人しか居ないのです・・・!」

春香の心臓の鼓動が、どくんと大きく跳ね上がった。

薄々感付いてはいた━━━いや、認めたくなかった━━━が、貴音の一言で、漸く確信した。

居ないのだ。

自分が「投票」した人物。

―――三浦あずさが。



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第1の扉/Ⅱ.投票

サブタイトル表記を変更・統一。あと、前話の誤植を一部修正。


その場の空気が、一瞬にして凍て付いた。

「いないって・・・誰が」

普段は無邪気で元気いっぱいの少女、我那覇響が初めて口を開き、弱々しく呟いた。

薄暗くて顔をよく確認出来なかった所為で気付かなかったのだ。

雪歩や美希、やよいは、訊きたくないとばかりに隅で蹲っていた。

「・・・あずさが、いない・・・?」

誰よりも早く姿の見えない人間の名を呼んだのは伊織だった。

その場の全員に、嫌な雰囲気が圧し掛かる。

室内は冷えていて少々肌寒い位なのにも係わらず、汗が全身から流れ出していた。

「な、なんであずささんが・・・?あずささんも居る筈だよね・・・?」

真が問う。

「ええ・・・そうでなければ、部屋が十二個ある意味も無いし、あのモニターにも名前が載って・・・」

其処まで言いかけて、千早が口を噤んだ。

まさか、と云うような顔をして。

「・・・さっきの投票って、こういうことだったんじゃ・・・」

先刻の煽りから一転してずっと沈黙を守っていた春香が、震える喉から声を絞り出した。

「・・・ちょ、『こういうこと』って何だよ・・・?」

青褪めた真が咄嗟に訊き返す。

半ば感付いているのだろうが、敢えて春香は言葉を続けた。

「さっきの投票・・・あれで一番多く選ばれた人は・・・部屋から出られないんじゃ・・・」

其処まで聞いた伊織が叫んだ。

「・・・あずさ!あずさ!!へ、返事をしなさいよ!居るんでしょ!?」

「・・・無駄だよ。自分たちの部屋に居た時も、外からの音は聞こえなかっただろ?」

「くっ・・・それは、そうだけど・・・!」

真が、務めて冷静に言い放った。

此処に居る誰もがその事には気付いていた。

伊織も呼び掛けを止め、悔しそうに俯いた。

「防音もバッチリってか・・・。くそっ」

唇を噛み締め、鉄扉に思い切り拳を打ち付ける真。

「でも、まだあずささんの身に何か起こるって決まった訳じゃないし・・・

今は私達が一刻も早く此処を出て、警察にでも連絡しよ!

それで、あずささんを助け出そう!最後は、全員一緒だよ!」

本当は、そう言う春香が誰よりも怯えている。

自分が投票しなければ、あずさが独りぼっちになる事は無かったかもしれないのに。

あの、誰にも優しくおっとりで癒し系なお姉さん、三浦あずさが。

必ずこの中の誰か一人が取り残されるというのなら、それが自分なら良かったのに。

少なくとも美希は自分を選んだと言っていたのだから、自分が取り残される可能性があった筈なのに。

(あずささんさえ選ばなければ・・・。私が・・・。私の所為で・・・)

「そうだよな・・・。よし、みんな!行こう!!」

自己嫌悪に陥りそうな春香には気付かず、彼女の言葉を受けた真が皆を決起させた。

ぞろぞろと部屋を出て行く仲間達。その後を追う春香。それに縋り付く双海姉妹と、寄り添う千早。

彼女達の心は一つだった。

誰も欠ける事無く、無事に此処を出る、と―――。

 

彼女達が進んだ扉の先は、長い廊下だった。

横に三人並ぶと窮屈な程に、両側の壁は近い。

相変わらず蛍光灯の灯りは薄暗い。

慎重に、少しずつ、壁に手をついて歩いてゆく。

「長いな・・・どこまで続いてるんだ」

先頭を切って歩く菊地真が呟く。その腕にぴったりとくっついているのは萩原雪歩だ。

この集団内の年長者であり比較的冷静な四条貴音が黙ってその後に続く。

高槻やよいや星井美希は「帰りたい・・・」とか「もう、何なの・・・」と嗚咽を漏らしながら後を追う。

我那覇響や水瀬伊織も元気で口数の多い平常時とは打って変って、先刻から一言も発さない。

殿(しんがり)は天海春香と、それに縋り付く双海亜美・真美、3人を見守る千早。

765プロいちのムードメーカーである双海姉妹さえ、この状況下ではおどける余裕も無いらしい。

萩原雪歩も最初の部屋で会った時から眼に涙を溜めて黙っている。

菊地真は彼女の怖がりな性格を知っていたので、その腕をきついくらいに組んで歩く。

当の真本人も心霊怪奇の類は苦手だが、周りの者を不安にさせまいという勇敢さ、持ち前の精悍さで恐怖心を抑え込んでいるようだ。

「・・・何で犯人は、私達にあんな投票をさせたんでしょうか」

歩きながら、やよいが疑問を口にした。

中々その疑問に答える声は上がらない。

やよいも、その質問を残して黙り込んでしまった。

沈黙の後、先頭を切る真が答えた。

「・・・さあね。少なくともそいつは根性の捻じ曲がったやつだよ」

「私達の知ってる人・・・じゃないよね?」

返答を待っていたかとばかりにやよいが再び問う。

「このような悪趣味な事を企てる知人がいらっしゃるのですか・・・?」

憔悴している様子の貴音が言い放つ。

その言葉の真意は差し詰め「そんな事は有り得ない」といった所だろう。

それは無論この場の全員が思った事だ。

「それは・・・そうじゃない、けど・・・」

「・・・そんな事、訊くまでもないよ」

言いながら真はやよいを一瞥し、直ぐに視線を前に戻した。

「じゃあ、あの投票は・・・」

「ねえ、もう止めようよ、犯人の話は。ここで幾等話したって水掛け論なの。それより・・・」

美希がやよいの言及を断ち、言葉を続けた。

「本当にあずさは、私達の選択のせいで、取り残されちゃったのかな・・・?」

「何が言いたいんだよ」

真が返す。

「えっと、たまたまあずさにたくさん投票が集まって、取り残されたのかな・・・?」

心なしか春香には、「たまたま」という単語を強調したように聞こえた。

美希は、恐らく全員が適当に選んだものと考えているのか、

或いは、仲間が意図的に苦手な人物を選んだという表現を避けたかったのだろう。

春香自身も、選び方自体は運否天賦だったものの、名前を見ている以上、罪悪感に似た感情は湧いている。

必ず誰かが残るとしても、見てさえいなければ、これ程まで自己嫌悪に苛まれる事は無かったのである。

そして春香と同じ様に、思いがけず名前を目視して選んでしまった者が居るのかも知れない。

ひょっとすると、美希も・・・。

 

咄嗟に真が返す。

「そんな事、訊いてどうするんだよ・・・?それ以外に理由が思いつく?」

「・・・みんな、適当に選んだの?」

誰もが一瞬、神妙な目をして、美希を見た。

「ボクは・・・春香に。押す前、他の人が同じような部屋にいるなら被らない方が良いかと思って・・・逆に嫌われなさそうな人を押そうって、考えたから」

やや、ばつの悪そうな調子で真が一言。

「・・・実は、わたくしも春香を。同様の理由で」

さらに貴音が言う。

投票者は違うものの、2人ほど投票されたという点に於いては春香が思い描いた通りだった。

しかし、春香のもう一つの予想は次の瞬間に覆された。

「・・・私は、あずささんに・・・」

消えそうな声で、千早が口を開いた。

まさか。千早ちゃんが、三浦あずさを選ぶなんて・・・。

春香はハッとした。

(そういえば、みんなで海に行ったとき、あずささんを見て悔しそうな顔、してたような・・・?)

まさか、今でもその事が・・・?

春香は、妙に複雑な心境になった。

「私も・・・私も、あずさを選んだ」

額に滲んだ汗を光らせて、進む先を見据えたままで伊織が告げた。

それは千早よりは想像に難くなかった。

一時期、いや今もかも知れないが、同じ竜宮小町として彼女の方向音痴やスローペースに手を焼いていたから。

「・・・後の皆は、名前を見ずに選んだの?」

美希が黙秘する親友達に回答を促すと、彼女達は黙って首を縦に振った。

「・・・ミキは・・・目を伏せて、適当に指したのが、春香だったの。

 皆と同じ様に見なければ良かったんだけど、其処まで気が回らなかった。

 誰も選びたくなかったし、誰が残されたって喜べないけどね。ごめんね、春香」

憂いと悔しさを帯びた口調で話す美希。対し冷めた口調の貴音。

「同じことですよ、見ようと見まいと。必ず誰か一人は残されていた。それは不可避です」

「・・・じゃあやっぱり、最も多く選ばれちゃったあずさが・・・」

此処まで聞いた春香は冷水が背中を伝う様な感覚を覚えた。

美希が殆ど自分と同じ行動、思案をしていたと言う事もあるが、

皆の告白を纏めると、少なくとも投票した相手が分かったのは自分も含め半分の6人。

そして、自分とその中の2人があずさを選択し、残りの3人が自分という事。

この時点で、自分とあずさの票数が同じなのである。

運否天賦に選ばれた残りの6票によっては、あずさではなく自分が落ちていたし、

そもそも自分があずさに投票をしなければ、まず間違い無く自分が落ちていたのだ。

此の時の春香には、「自分が多く選ばれた」という衝撃よりも、

「三浦あずさを蹴落として自分が脱出してしまった」という衝撃の方が遥かに勝っていた。

懸念していた不安が現実のものとなってしまうとは。

「・・・ごめん、あずささん」

無意識に謝罪の念が言葉となって漏れ出した。

それは余りにか細く小さな声で、前を行く者達には届かなかったが、千早だけが確かに聞いていた。

 

「・・・みんな、扉だ」

一連の会話を遮るかの如く、真が皆に声を掛けた。

確かにその視線の先には、またしても例の鉄扉が聳えていた。

「・・・もうすぐ出られるかな」

春香がやや明るめの調子で言う。

他人に、そして自分にも希望を持たせる様に。

「大丈夫さ、きっと。入るよ」

その扉は、鈍い音で軋み、ゆっくりと奥へ開いていった。

先頭から、続々と扉の奥へと飲み込まれて行く。

罪悪感と自己嫌悪を抱え、春香もそれに続いた。



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第2の扉/Ⅰ.始まり

なお、pixivの投稿と大筋は同じですが、少々展開の異なる別ルートとなる予定です。


其処は、今まで歩いて来た狭苦しい通路とは違い、広々とした正方形の空間だった。

「また、モニターがあるよ・・・」

窓が無く、蛍光灯が僅かに灯る薄暗い部屋。

横の壁には何も映し出していない液晶モニター。

奥には鉄扉。

そして、もう一つ、奇妙な物体。

「・・・何だろう?椅子?」

真の言うとおり、部屋の中央には鉄製と思しき椅子がぽつんと置かれていた。

いや、椅子と云うよりは、四角い箱に肘掛と背凭れが付いた様な代物である。

冷たい質感の部屋に似合ってはいるが、机も見当たらず、部屋の中で圧倒的に浮いている。

しかも、どうやらその椅子はコンクリートの地面と密着しているようで、動かせそうに無かった。

「何故、斯様な場所に・・・」

と、貴音達も不思議がる。

「今は、そんなものに構ってる暇はないよ。出よう」

すたすたと、奥の鉄扉に歩み寄り、把手を握る春香。

早く、一人ぼっちで心細いだろうあずささんを救い出してあげたい。その一心だった。

それを見て、皆が駆け寄って来る。

此処まで二つの鉄扉が開いたので、此処も開くだろう。誰もがそう思っていた。

・・・が、駄目だった。

「あれ?・・・開かない・・・?」

幾等捻っても、押しても引いても鉄扉は動かない。最初の部屋と同様に。

「どういう事だ・・・?」

検討も付かず、立ち往生する11人。そこに、電子機器が電源が立ち上がる様な音が響いた。

 

「あ・・・!あれ!モニターが!」

此処に来て初めて皆に対する呼掛けをした我那覇響が指差した先には、モニターがあった。

そして、真っ白い画面に何やら黒い文字が打たれている。

「まさか、また・・・?」

「・・・投票?」

全員に不安が過ぎる。

「いや、でも・・・全員集まった中で投票なんてさせる訳・・・」

「ここまでのことでも充分異様なんだ。それ位の凶行、平気でして来るだろうね」

「それは・・・」

全員そのモニターの前に集まり、読み始めた。

『貴女達が犠牲者として選んだ仲間、三浦あずさ様は死亡します。

 間も無く、彼女の居る部屋に有毒の瓦斯を撒布します。

 尤も、貴女達が苦手だとして選んだ犠牲者ですから、懺悔や悲嘆の念は微塵も無い事でしょう。

 とは言っても、俄かには信じ難い話だと思いますので、証拠として死亡するまでの映像を流します。

 さて、この部屋では、貴女達の中から一名が残留して頂きます。

 貴女達でじっくりと話し合って、今回の犠牲者を決定してください。

 制限時間は映像の再生終了から30分とします。制限時間を過ぎましたら、この部屋にも同様の瓦斯を撒布します。

 では、ご幸運を祈ります』

全員の身体が、ギリシャ神話に登場する怪物、メデューサに睨まれたかの様に硬直した。

電流にも似た寒気が指先まで貫く。

目を見開き、大口を開けども、その驚嘆は声にはならなかった。

一体、何を言っているんだろう?このモニターは―――。

犠牲者?死亡?瓦斯?残留?

その単語の一つ一つが、11人の精神を「死」という暗黒に侵蝕していった。

それでも、何とか伊織が掠れた声を絞り出した。

「・・・ねえ、物凄く空気の読めない質問かも知れないけど・・・『有毒の』の隣は何て読むの?」

明らかに他人からすればズレた発言だが、其れに対して貴音が答えた。同じく、掠れた声で。

「・・・『ガス』です」

「そう・・・」

それ以上、言葉が続かなかった。

それから数十秒後、画面が切り替わった。

「・・・!あずささん!」

其処には、紛れも無く、彼女達の事務所の仲間である三浦あずさの姿が映し出されていた。

『ここ、何処なの~!?伊織ちゃん!律子さん!どこ~!?』

例の狭い部屋で、顔面蒼白になりながら独り咽び泣くあずさ。

「あずささん!あずささん!!」

叫ぶ春香。幾等呼ぼうと伝わる訳が無い事は自身も分かっていた。

それでも、助けを求める親友を前にして、黙っては居られなかった。

『独りは嫌!早く出してぇ!!』

「くっ・・・」

悔しそうに拳を握り締める真。

誰だって苦痛だ。人が泣き叫ぶ姿をただ見ているだけは。

『誰か~!誰・・・ぐぐっ!ぐふっ!』

「・・・あずささん!?」

突然、あずさが奇妙な呻き声を上げて噎せ返った。

『グエ・・ア・・・かはっ・・・』

喉元を激しく掻き毟り、コンクリートの上をのた打ち回る。

眼球が零れそうな程に剥き出しになり、涙と鼻水に塗れた顔は喀血と鼻血で紅く染まった。

健康的な柔肌が、見る見る青紫に染まってゆく。

「あ・・・あ・・・」

その様子を、ただ呆気に取られて見詰める11人。

『・・・ハァァー・・・ァ・・・・・・・・・』

やがて呼吸の音も聞こえなくなった頃、喉を切り裂いた両手が力無く撓垂れた。

「あず・・・さ・・・さん?」

―――それから、三浦あずさが動く事は無かった。

 

「嫌あぁぁぁあぁあぁぁーーーー!!!」

一瞬の静寂の後、絹を裂くような悲鳴を上げたのは雪歩だった。そのまま、部屋の隅に蹲る。

「・・・何だよ・・・何なんだよ、今の・・・何が起こったんだよ・・・」

腰が抜け、何が起こったのか全く理解が出来ずに何度も疑問詞を繰り返す真。

「・・・し・・・し、しん・・・」

酸素の足りない魚の様にぱくぱくと口を動かし、その場にへたり込む響。

「なん、何なの・・・これ・・・。わ、分かんない・・・分かんないよ・・・」

普段の愛敬のある笑顔は完全に消え失せ、その細目を見開いて放心するやよい。

「どうしてあずささんが・・・。私が・・・私が残っていれば・・・」

跪き、悔恨の言葉を呟きながら額を地に擦りつける春香。

「有り得ない・・・。か、常識的に考えて・・・こんなの・・・。夢でしょ・・・」

精神の何かが崩壊し、頭を抱え現実逃避を始める伊織。

「うっ・・・うぐ・・・うええ・・・っ」

余りに凄惨な映像に耐えかね、只管に胃の中の物を吐瀉する千早。

その他の面々も、蹲る、震えるといった動作を禁じ得ずに居た。

画面の向こうもこの部屋も、正に地獄絵図と呼ぶに相応しい光景だった。

渦中の11人を更に奈落の淵へ追い詰める様に、再び画面が切り替わった。

現れたのは30:00の文字。そしてその時間は、徐々に減っていく。

「・・・制限時間」

僅かだが冷静さを取り戻した貴音が言った。

「ひいい・・・!し・・・死ん・・・死んじゃう・・・嫌だ・・・」

「死にたくない・・・死にたくないよっ・・・!」

亜美や真美達は、最早弱音を吐き出すだけだった。

「お・・・落ち着いてください!皆、しっかり意識を・・・」

貴音が狂騒を鎮めようとするも、全員の狂気は昂ぶるばかりである。

「死ぬっ・・・!死ぬっ・・・!」

「ううっ・・・お母さんっ・・・」

「気を確かに!まだ私たちは大丈夫です!大丈夫ですから・・・!」

懸命な呼びかけも空しく、狂態を演じる者達の耳には届かない。

貴音も終には涙目になり、叱咤の声も次第に弱々しくなる。

「お願いです、落ち着いてくださいっ・・・!今は・・・」

 

「・・・うるせえええぇぇぇぇ!!皆落ち着けぇぇぇぇぇ!!!!」

突如響き渡った、大気を揺らす様な、怒号。

その声の主は真だった。

再び静寂が訪れる。

全員が真の方を向き直った。

「・・・皆、しっかりしてよ。まだあずささんが死んだかどうかなんて分からないじゃないか。

 さっさと此処を出て、あずささんを助けて、ろくでもない犯人を締め殺さなきゃいけないんだから。

 泣いたり吐いたりしてる場合じゃないんだよ」

抑えた声で、しかし力強く一喝する。

真自身も相当堪えている事を表情から読み取れたが、その発言は一部の仲間達を奮起させた。

「・・・うん、その通りだよ。全員で、生きてここから出るんだ。絶対に・・・」

言い聞かせるように、春香が呟く。

真が居なければ、このまま全員狂気の渦に呑まれて全てが終わっていたかも知れない。

 

「ええ、そうですね。けれど、わたくし達は一体何をすれば・・・?」

貴音が辺りを見回して言う。

言われてみれば、今回は脱出の方法を聞かされていない。

ただ、犠牲者を一人選べという言葉があったのみだ。

「怪しいのは、あれね・・・?」

そう言って、辛うじて吐き気の治まった千早が口元を拭いながら部屋中央の奇妙な椅子を指差した。

「・・・うん」

「調べてみようか」

喪心状態の数人を尻目に、真、春香、千早、貴音が椅子を調べ出す。

そのぞんざいな形状以外は、怪しい所が無い様に見える。

「座ったら電気が流れる・・・とかじゃないよね?」

と、春香。

「・・・まさか。処刑に使う電気椅子じゃあるまいし」

と、千早。

「・・・座ってみたい?」

と、真。

「えっ」

「・・・何で聞くの」

「何で、って・・・」

怖いからだ。と、3人は思った。

「・・・座ろう」

意を決した春香が、ゆっくりとその椅子らしき物に腰掛けた。

・・・何も起こらない。

「・・・何も起こらないよ。あーもう、どうしろっていうの・・・?」

座ったまま脚をバタつかせ、焦りを募らせる春香。

「駄目か・・・。これ以外に何か怪しい物なんてある・・・?」

千早も真も途方に暮れる。

「どうしよう、このままじゃ・・・。ううん、なんでもない」

そこまで言って、春香は続きを口にしてはいけないと戒め、誤魔化した。

「椅子・・・扉・・・」

貴音が何か閃いた様な顔をした。

「・・・もしかすると、これは」

「どうしたの?」

「春香はそのまま座っていてください」

「え?」

そのまま、奥の鉄扉に向かう貴音。

そして、把手を捻った。

鈍い音。振動。

鉄扉が開いたのだ。

喪心状態の者達も、物音に何事かと振り向く。

「え?開いた・・・の?」

「出られるの!?」

亜美や伊織達が、一斉に立ち上がり、希望に満ちた声を上げた。

「・・・やはり」

「うわぁ!!貴音さんっ!」

歓喜の声を上げ駆け寄る真。

「・・・まさかとは思いましたが」

「すごい貴音さん!すごすぎです!」

同じく、貴音を賞賛しつつ椅子から飛び退く春香。

その、僅か1秒にも満たない一瞬の後。

「うぐっ!!」

勢い良く鉄扉が閉まり、開いた先に一歩踏み出していた貴音は鉄扉に叩き付けられた。

その衝撃で大きく後ろに仰け反る。そこを千早が抱きかかえた。

「え!?何!?」

突然の事に狼狽える春香と真。

しかし、貴音だけが瞬時にこの部屋の仕組みに気が付いた。

 

「つっ・・・そういうことですか。まこと、鬼畜の所業ですね」

「あの、どういうこと?」

真が問う。

「つまり、何方かがあの椅子に座っていないと、開かないのです・・・この扉は」

春香達も貴音の言うその意味を把握した。

「・・・それって」

「座している状態から全力疾走をしたとしても閉まる迄には間に合わない。衣服等を椅子に置いても恐らく重量が足りない。

必ず誰か一人がこの椅子に残らねばならないのでしょう。それが、この部屋での・・・」

「そんな・・・じゃあ、また・・・」

希望を取り戻した者達は、再び絶望に打ち拉がれた。

「そんな・・・」

「駄目・・・やっぱり、ここで・・・」

再び、あずさの映像が流れた時と同じく焦りを含んだ口調で真が尋ねる。

「・・・どうするんだよ」

貴音は鉄扉の方を向いたまま言った。

「自ら此処に残る意思のある者・・・は、居る訳もありませんね。いっその事、全員でじゃんけんでもして決めましょうか?」

それを聞いた全員がギョッとした。

春香は咄嗟に反論する。

「それはいくらなんでも・・・」

「ではどうするのです?このまま手を打たねば全員が危機に晒されます。或いは、春香が此処に残るのですか?」

「うう・・・」

「・・・もう既に十五分以上が経過しております。早急に決めねばなりません」

貴音の発言は、実に的を射ていた。

先に進むには、死のリスクを冒してでも誰かが残らなければならない。

勿論、怖いに決まっている。ひょっとしたら死ぬかもしれないのだから。あずさのように・・・。

いや、何を言っているんだ。彼女が死んだとは限らないじゃないか。

しかし、あの様子を見ると、とても・・・。演技にも到底見えないし・・・。

一体、どうすれば・・・。

春香だけではない。言い出した貴音も、真も、全員が揺れていた。



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第2の扉/Ⅱ.約束

「・・・あの」

「え?」

春香達の会話に割って入ってきたのは、意外な人物だった。

最初の部屋で再会してからはおろか、普段事務所で会うときですら、自ら発言する事が少なかった仲間。

気の弱いオドオド系アイドル、萩原雪歩である。

真が訝しげに尋ねた。

「・・・どうしたの?」

「え、えっと、その・・・誰かが此処に座らないと、皆さんが先に進めないんですね・・・?」

「左様です。萩原雪歩・・・、貴女がこの役を担ってくれるのですか?」

よもやそんな度胸はあるまい、と言った風に貴音が聞き返す。

しかし雪歩の返答は、貴音の意に反していた。

「・・・はい、その覚悟です」

「えっ!?」

意表を突かれ、春香は口篭った。

しかし、真は血相を変えて引き止める。

「雪歩、だめだ!雪歩がそんな背負い込むことない!ここはやっぱりじゃんけんとかでさ・・・」

「真ちゃん、何も言わないで。私が残るって言ってるの。残りたくない子をわざわざ残す事なんかない」

きっぱりと言い放ち、今度は春香や貴音たちに向かって雪歩は続けた。

「・・・あの時、私が選ばれていれば、あんなに優しくて明るいあずささんが苦しむ事は無かったんです。

 仮に死んでいないとしても、ひとりぼっちの寂しさや苦しさは彼女にはとても辛いものだった筈なんです」

春香が咄嗟に言い返す。

「そんなの、誰だって思ってるよ!私だって・・・」

「・・・春香ちゃんや真ちゃん達は、こんな情けない私にも優しくしてくれた。

 男の人が苦手でミニライブを諦めかけた時も、呆れずに応援してくれた。

 レッスン中に、四条さんの一言に勇気づけられたこともありました。

 そういう瞬間、比喩でも何でもなく、本当に死ぬほど嬉しかったんです。

 だから、皆さんにはこんな所に残って欲しくないんです」

「雪歩・・・」

思いのたけをぶつけられ、何も返せなくなる。

そうこうしている内にも、雪歩はすっと、椅子に凭れ掛かった。

不恰好な笑顔を作って、更に真に語りかけた。

「・・・行って下さい。大丈夫です。私は死にませんよ。

 ほら、いざとなったら、素手でも穴を掘って戻ってきますから・・・なんて。はは・・・」

彼女なりの、場を和ます冗談なのだろう。

しかし春香達には、心寂しい響きを含んで聞こえた。

「でも・・・」

春香は悩んだ。

本当は、自分が残るべきではないのか。

本当に、雪歩をここに座らせていいのか。

・・・しかし、怖い。

言い出せない。

 

「・・・いいんだね、それで」

彼女の思いに気圧され、真が最後の問いかけをする。

「うん。・・・私はもう、ここを動くつもりはないよ」

「・・・皆、行きましょう。道を切り開いた雪歩に感謝をして」

貴音が真っ先に雪歩に背を向け、鉄扉に向かう。

それを見て、乱心していた双海姉妹、響、美希達が立ち上がった。

「今度こそ出られる・・・今度こそ・・・」

「ごめん・・・ゆきぴょん、ごめん・・・」

彼女達は各々の事をぼそぼそと呟きながら鉄扉へ歩き出した。

 

皆が鉄扉をくぐり抜ける中、春香だけは歩み出せなかった。

春香は、あずさの件の罪悪感から、雪歩を独りだけ残して行く事が辛かった。

「どうしたんですか?春香ちゃん、早く行って下さい」

雪歩に促されても、春香の脚は震えたまま動かない。

やはり、私が座るべきなんだ。それを伝えないと・・・。

「ゆ、雪歩・・・ホントに・・・」

「春香ちゃんは」

再び、遮られた。

「此処を出て、また普段の生活に戻って、私みたいに塞ぎ込んでいたり迷ったりしている人を助けてあげてください。

 貴女には、きっとそれができるはずです」

その口調は、自分の死を覚悟している様に思えた。

どうして、死の際で、こんなに他人を案ずる事が出来るのか。

諭されて、春香は頬に何かが伝い落ちていくのを感じた。

「・・・必ず、迎えに来るから。待っててよ。絶対だよ」

「ええ。・・・ありがとうございます」

礼を言いたいのは、春香の方だった。

こんな、死と隣り合わせの場面で、

自らも恐怖に震えながら、大切な仲間を救出するために、

自らの矜持を示した雪歩に。

「そうだ、春香ちゃん。ちょっと、耳を貸して」

「ん・・・なに?」

「あの・・・、ここを無事に出てから、で良いから・・・真ちゃんに、大好きでしたって、伝えてくれますか?」

「うん、伝える・・・だけど、できれば雪歩がここから出た時に自分で伝えて欲しいな」

「えへへ、そうだよね・・・臆病者でごめんなさい・・・ですぅ」

春香の涙腺から、涙が堰を切って溢れる。

「ごめん・・・!ありがとう・・・ありがとう・・・!」

雪歩の手を握り、震える声で告げる。

握った掌に、二滴三滴と涙が零れ落ちていく。

 

「・・・春香、行くよ」

「春香」

真や千早が急かす。

あずさや雪歩への罪悪感は完全に消え去った訳ではない。

しかし、こんなにも優しい親友に背中を押された以上、先に進まない訳にはいかない。

ゆっくりと手を離し、顔を上げた。

「・・・うん。じゃあ、またね」

「・・・はい、また逢いましょう」

自然と、再会を信じる言葉を出せた。

出る。意地でも此処を出る。そして、必ず皆を迎えに行くんだ。

もし万が一、自分が生きて帰れない事態に陥ったとしても、雪歩の様に毅然としていよう。最期の最期まで。

雪歩の想いを背中に受け止め、春香は真達の許へと走り出した。

 

春香達が部屋を出て、雪歩と10人を分かつ扉は、静かに閉ざされた。

 

薄暗い廊下を10人は行く。

誰も一言も喋ろうとはしない。

ただ、足音と、後方を歩く数名の泣き声が響くのみである。

先頭を行く春香、真、貴音は、黙々と前を見据えて邁進する。

その途中、春香は或る不安を抱えていた。

ここまで、部屋を一つ出る毎に、独りを残して来ている。

最初はあずさ。次は雪歩。

つまり、この惨劇は、最後の一人になるまで終わらないのではないか。

その懸念が現実のものとなったら、私はどうすればいいのだろう。

雪歩の矜持を無碍にしない為にも、必ず此処を出なければならない。

しかし、さっきの様に誰かを置き去りにする事などしたくない。

他人を踏み越え脱出するか。

他人を見送ってこの牢獄に残るか。

私は、その二者択一を迫られた時、どちらを選ぶべきなのだろう。

無論、2人が無事である可能性も、この先が出口である可能性も捨てきれはしない。

しかし春香には、このまま無事に出られる予感がしなかった。

まるで、悪魔か死神が自分達の後をつけ、一人一人奈落に引き摺り墜とそうとしているかのような、そんな悪寒がした。

そんな心情は他人に打ち明けられなかった。

皆の希望や勇気を揺さ振る様な事があってはならないから。

真達も、同じ気持ちで歩いているのだろうか・・・。



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第3の扉/Ⅰ.檻

次の部屋は、概ね全員の想像通りの部屋だった。

正方形の部屋。真正面にはあの鉄扉。扉の横にはモニター。

願わくば叶って欲しくなかった想像ではあったが。

しかし、これまでの部屋とは圧倒的に違う事が一つあった。

そこは椅子の部屋と同じような構造だったが、椅子等は無く、

代わりに両側の壁に五つずつ並んだ、狭い空間があったのだ。

そこには扉は無く、こちら側から中に入れるようになっていた。

その中は狭いが奥行きがあり、奥の壁が暗くて良く見えない程だった。

数人はその中を覗き込む等している。

しかし、そんな物には目もくれずに、春香は扉へと向かった。

このまま、誰も欠けずにここを出られる事を願って。

把手を掴んだ手が小刻みに震える。

お願い、開いて。

もう、誰も失いたくない―――。

しかし、その希求も空しく、その扉は動かない。

「・・・駄目だ、開かないよ」

春香は扉が開くことを期待する後方の者達に、その結果を伝えた。

「・・・そっか。って事は・・・また」

覚悟はしていたが、不安、焦燥という感情が再び心の中で頭を擡げ始める。

やはり、ここでも誰かが・・・。

そして、春香が把手から手を離すのとほぼ同時に、モニターが点灯した。

 

『貴女達が犠牲者として選んだ仲間、萩原雪歩様は死亡します。

 方法は、三浦あずさ様の場合と同じく、只今から毒瓦斯を撒布します。

 既に死亡するという事は御理解頂いている事と思いますので、映像は流しません。

 さて、この部屋から脱出する為には、一人一箇所ずつ、壁の空間の奥へ入って頂く必要があります。

 そうして頂いた後、ランダムに1名が犠牲者に選ばれます。

 制限時間は只今から30分とします。

 では、ご幸運を祈ります』

その文字の下では、30:00という表示が刻々と時を減らしていく。

「もう嫌っ・・・!早く返してよう・・・!」

「うっ・・・ひぐっ・・・」

やよい達は慟哭する。

気丈に振舞う真達も、口惜しそうに顔を顰めた。

この文章を、春香だけは静閑と見ていた。

大丈夫。雪歩達は死んでない。死なない。だって雪歩と約束したんだから。

死なないって。迎えに行くって。また逢おうって。

恐怖に圧し潰されそうに震える胸に彼女との誓いを反芻する。

私達は、死なない。誰も。

だから、進まなきゃ。

それを、伝えなきゃ。

 

春香は向き直り、皆に語り掛けた。

「みんな、落ち着いて。大丈夫、誰も死んでないよ。それに、今いる私達も死なない」

咄嗟に響が口を挟む。

「だ・・・だって・・・あの映像は・・・」

「だから、勝手に死んだって決め付けないで!急いで助けを呼べば助かるかも知れないでしょ!?」

「でも・・・」

「うん、春香の言う通りだ。今は、前に進む事だけ考えればいい。ボク達にはそれしか出来ないから」

猶も弱音を吐かんとする響を遮り、真が春香を肯定した。

思えば、此処まで全員が正気を保っていられたのは真が居たからこそかも知れない。

常に彼女達の先頭に立ち、奮起させ、励ましの声を掛け続ける真。

椅子の部屋での彼女の一喝が無ければ、彼女達の団結は崩れた儘であっただろう。

春香は再び真に感謝した。

「分かった・・・分かったぞ」

負の意識に苛まれていた響も、その言葉に啓発されたようだ。

「・・・そうだよね。ただ泣いてたってダメだよね」

「その通りよ、やよい。私達には、皆を救出する義務があるもの」

やよいや伊織も続く。

「・・・ここから出たら、犯人なんか八つ裂きだよ」

真美は何やら少々逸れた方向に執念を燃しているが、失意からは立ち直った。

「・・・さて、今回は小部屋に入れとの事ですが」

貴音が左右の小部屋に目配せしつつ言う。

彼女も此処まで冷静さを欠かず、正確な判断を出し続けている。

春香と貴音は特に会話を弾ませる間柄ではないが、この状況下ではお互いを庇護し合う。

貴音からすれば、春香とも協力せざるを得ないと言った所だろうか。

彼女も、残された2人の身を案じているのだろう。或いは、漂う死の気配に焦っているだけか・・・。

しかし今はそんな事など問題ではない。そう、此処を出る事が最優先だ―――。

 

「入ろう・・・全員で」

春香が全員を促す。

「そうだね」

さらに真が続く。

「本当に・・・」

「大丈夫・・・なのかな・・・」

先程の決起にも拘らず、不安にどよめく仲間達。

こんな異常事態では無理も無いが、春香は再度説得を試みた。

「大丈夫。誰も死なない。誰も死なせないよ」

「此処まで一度だって、目の前で死を見てきた訳じゃないだろ。

 あんな映像、信じられるもんか。仮に誰かが残る事になろうとも、絶対に救い出すから」

春香、真が再び諌める。

互いに、なるべく力強く、優しく。

「・・・うん、分かった」

「行こう!」

全員の意思が固まった。

「よっし。ボクは左手側の一番奥に行くよ」

真は先へと続く扉側に向かって左の壁の、一番奥の空間へと向かった。

「では、わたくしはその隣で」

貴音はその一つ手前に入る。

「・・・皆、入ろう、好きな所に。大丈夫だから」

何の保障も確証も無いのは明白だが、春香は皆を励ます言葉を掛けながら貴音の隣の空間に入っていった。

「私、春香の隣が良い・・・」

此処まで亜美・真美と共に春香に寄り添っていた千早はその隣を選んだ。

「大丈夫・・・大丈夫・・・」

呪文の様に呟きながら、亜美が選んだのは左の壁の一番手前。

そうして、10人は次々と空間に入っていく。

右の壁は、奥から順番に美希、響、伊織、やよい、真美が入った。

 

最も早く選択した真は、その空間の最奥を調べていた。

壁を触ったり、軽く手の甲で叩いたりしてみたが、スイッチ等の仕掛けがある様子は見られない。

何だ・・・?一体何が起こる・・・?

そう思い、視線を足元に落とすと、何か違和感を生じた。

「・・・ん?」

この奥まで蛍光灯の光が殆ど届かず、入口からは気付かなかったが、

目を凝らして見ると足元の混凝土の色が違う事が分かった。

凡そ30cm四方だろうか、正方形に赤み掛かっている。

「これか・・・?」

恐らく、何かが起こるとしたら、これだ。

あのモニターの文字、『空間の奥に入って頂く』と言うのは、この床の上に立てと言う事だろう。

その後、何らかの仕掛けが作動すると言う事か。

「皆、奥まで行った?」

全員に声を掛ける。

真の位置からは、両側の壁に視界を遮られて正面の美希しか確認できない。

そしてそれは、他のアイドル達も同様である。

「ねえ、床が赤いトコがあるけど、これ踏めばいいのかな?」

真っ先に2つ隣の春香が大声で返す。

春香の目の前には伊織。丁度、入って行く所だった。

「十中八九ね。それで何も起きなかったらお手上げだよ」

続いて貴音。

彼女も奇妙な床に気付いていた。

その向かいの響も、床に気が付いている様子だ。

「・・・入ったよ。赤色っぽい床がある・・・」

真や貴音から離れた位置からやよいが答えた。

「とにかく奥まで行ってみよう。それで何とかなるはず」

「うん・・・」

不安そうに頷く。

「真美も入ったよ。これで全員?」

一番右手前に入ったと思われる真美が声を上げた。

「さて・・・どうなるか」

貴音が怪訝そうな声で呟いた。

きっと、皆は未だ不安なんだろう。

「きっと、大した仕掛けは」

春香が皆の恐怖心を払拭しようと喋り出した、その刹那。

異変は訪れた。

 

「わっ!?」

突然、空間の出入り口近くの天井から、何かが「降りて」きた。

「な、何だ・・・?」

がらがらと轟音を響かせ、孤立した春香達の前に立ち塞がったそれは、拳一個分の間隔が空いた鉄柵だった。

「・・・柵?」

春香が不安気な含みを持った呟きを洩らす。

赤い床から離れ、そのまま鉄柵に向かってみたが、それが上がる気配は無い。

更にそれを掴んでみても、ひんやりとした感触が伝わるだけで、僅かな揺れすら生じない。

向かいの伊織も涙目になって鉄柵にしがみ付いている。

様々な方向から、「何なの!?」とか「ちょっと、これじゃあ出られないよ!」という声が聞こえてくる。

「・・・どうやら皆同じ状況のようですね」

奥の方から、貴音が呼び掛けた。

目の前の人間しか姿は見えないものの、声を聞く限り全員が同じ状況に陥っているらしい。

鉄柵にしがみ付き、助けを求める10人。

まるで、捕らえられた動物達の檻の様だ、と春香は思った。

「うーん・・・しかし、こっからどうすりゃいいんだろう?」

真が全員に言う。

確かに、全員閉じ込められたのでは、一人も鉄扉を抜ける事は出来ない。

犯人は、一体、何をさせたいのか・・・?

全員が同じ疑問を抱いた時だった。

「いっ・・・嫌・・・嫌あぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

何者かの絹を裂く悲鳴と、それに重なって地鳴りの様な音が部屋に響き渡った。

「えっ?えっ?」

「な・・・何・・・?」

どよめき出す、囚われの少女達。

「ちょっと!!どうしたの!?」

「ちょっと、誰!?何なの!!」

咄嗟にその悲鳴に返答したのは春香と真だった。

「い、嫌っ!嫌ぁぁっ!」

「おいっ!返事しろよ!何なんだよ!」

二人の声も全く耳に届いていないかの様に、金切り声を上げ続ける「誰か」。

その声は恐怖に引き攣っていて、誰のそれなのかは想像も出来なかった。

そして、彼女を代弁するかのように、別の声が上がった。

「はっ・・・春香っ・・・!」

泣き声交じりに叫ぶのは、春香の隣の人物。

「ち、千早ちゃん!何があったの!?」

如月千早だった。

かなり動揺しているらしい。

ひょっとしたら、千早の身に何か・・・?

春香の胸に凍て付く程の悪寒が走る。

 

彼女にとって千早は、誰よりも深く付き合ってきた唯一無二の親友である。

春香がニューイヤーライブ目前で心が折れてしまい仕事を休んだ時、千早は親身になって春香を支えた。

千早がゴシップ誌に過去を掲載されたショックで歌えなくなった時、春香は彼女の部屋を訪れ励まし続けた。

きっと、千早が居なくては、自分はまともにやって行けないだろうとさえ感じる程、千早は春香にとって大切な人物だったのだ。

雪歩と誓った春香だったが、千早には、千早にだけは残って欲しく無かった。

普段クールな彼女が怖がりで寂しがりやな部分を隠している事は重々知っている。

残って欲しい者など誰一人として居ないはず━━━━なのに、春香は願ってしまった。

お願い、千早ちゃんだけは無事でいて・・・。

 

そんな願いの最中、千早は言葉を続けた。

「た、高槻さん・・・高槻さんが・・・!」

慌てふためきながら、千早はその名を発した。

「えっ・・・?やよい・・・!?」

「やよいだって・・・!?」

「やよいっち・・・?」

勿論、その名は誰もが知っている。

高槻やよい。

春香は考えた。

自分の右隣は如月千早。

正面は水瀬伊織。

そして、伊織があの檻に入っていった後に、高槻やよいが檻に入ったと言った。

出口側から順に入って行っている筈だから、今、千早の正面に居るのはやよいだ。

そして、まさに今、千早が、自分自身では無く唯一目視できる正面のやよいの名を呼んでいる。

他の者も、千早ややよいの身を案じている。

つまり、何かが起きたのだ。

やよいの身に、何か。

この時、春香はまた別の理由で背筋が寒気立っていた。

―――安堵、している・・・?

千早が危機に曝されているのでは無いと理解した、その時。

息を、ついてしまったのだ。

私は、ホッとしたの・・・?

千早ちゃんじゃなかったってだけで・・・?

今、この瞬間に、仲間が苦しんでいるのに・・・?

 

「助けてぇ!!」

依然、絶叫は響き続ける。

この声は、高槻やよいのものだったのか。

普段の、柔らかでのほほんとした喋り方からは想像し難い程に変わり果てた声になっていて気付かなかった。

そして謎の地鳴りも止まない。

我に返り、春香が慌てて聞き返す。

「やよい・・・やよいがどうしたの!?」

千早は、恐る恐る目の当たりにしている事象を口にした。

「高槻さんの上の・・・、天井、天井が・・・、さ、下がって、来てる・・・!」

千早が、必死に、出来るだけ声を張り上げ、言葉を絞り出す。

「はあ・・・?天井っ・・・!?」

「そ、それって・・・」

真や伊織がぎょっとしたような声を上げる。

 

姿こそ見えないものの、やよいを除く9人は理解した。

今この瞬間に、何が起こっているかを。

そして、予感した。

そう遠くない未来に訪れる惨劇を。



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第3の扉/Ⅱ.惨劇

如月千早の眼前に広がる光景は、修羅場と言うに相応しかった。

ゆっくりと、しかし確実に沈み行く天井。

その下で鉄柵に獅噛み付いて藻掻く少女。

最早、事務所で会う明るいアイドルの面影は何処にも見当たらなかった。

それも至極当然である。

あの儘、天井が下がっていけば、間違い無く過重な混凝土の下敷きになるだろう。

「吊り天井」━━━━誰もが、フィクションの世界にしか存在しないと思っていた。

それによって、高槻やよいは死ぬ。

先程の映像の様な不確定な死や、虚構、演技などでは決してない。

紛れも無く、死亡する。

絶命。圧死。惨死―――。

やよいのその姿は、凡そ殺処分を待つ獣の其れで。

 

「ひ・・・ひぃぃ・・・!」

耐えられなくなり、奥の壁に背を預け、耳を塞いで俯く千早。

「あぁっ・・ああああっ・・・」

何も聞こえない様にと、声を漏らす。

必死に、目の前の惨劇からの逃避を試みる。

自分は助けに行けないから。自分には何も出来ないから。

勿論、最初は鉄柵を開こうとした。

しかし、所詮は無力だった。

大人の腕程の太さもある鉄柵を女の力で捻じ曲げられる筈が無いのだ。

既に、本来の高さの丁度半分ほどの位置まで、天井は迫って来ていた。

恐らく、数分後には、自分の目の前で、高槻やよいは・・・。

そんな未来が過った時、千早の脳髄に、再び嘔吐感が込み上げて来た。

「うう゛・・・うげぇぇぇっ」

目前の絶叫と地鳴りに、びちゃびちゃと自らの液体音が混ざり合う。

「・・・千早ちゃん!大丈夫!?」

隣から天海春香の気遣う声が聞こえたが、それに反応する余裕など無かった。

三浦あずさの映像を見た時に内容物を粗方戻していた為に、今は胃液しか吐き出せない。

しかし、嘔吐感は止め処無く襲い掛かり、汗、涙、洟、涎といったあらゆる体液と共に溢れ続ける。

そしてそれは、目の前で泣き叫ぶやよいも同様だ。

「ち、千早さん!千早さんっ!たっ、助けて!助けてよ!死にたくないよぉぉぉ!!」

塞いだ手の隙間から、自分を呼ぶ声がする。

どうして自分を呼ぶんだ、と千早は思った。

目に見えている人間を呼ぶのは妥当ではあるのだが。

「ああああ・・・ああああああああっ・・・」

千早は、聞こえない、振りをした。

聞きたくなかった。

どうせ救えないのだから。

 

嫌だ。辛い。

 

吐瀉物の悪臭と口腔内の残滓の酸味が、千早の気分を更に悪化させる。

 

涙が止まらない。

 

噛み締めた唇から、新たに真紅の体液が伝い落ち、白濁の水溜りを色付けた。

 

千早に考え付く選択肢は唯一つ。

祈り続ける事だけだった。

この修羅場よ、如何か直ぐにでも収束して―――。

 

「嫌っ!こんなのやだあああっ!誰かああああ!!」

天井だった混凝土は今や空間の2/3を埋め尽くしている。

やよいは床に身体を伏せ、叫び続ける。

「伊織さんっ!真さんっ!何で誰も助けてくれないのよぉぉおお!?」

「やよい!やよいっ!!」

「やよい・・・!」

他の者達には、名前を呼び返す事しか出来なかった。

大丈夫、落ち着け等という言葉すら掛けられない。

寧ろ、声を掛けるのはやよいに名を挙げられた数人だけで、他の誰も口を開こうとはしなかった。

名を呼び、励ましの言葉を掛ければ救われるのなら幾等でも声を掛けるだろう。

この檻を潜り抜け、助けに行けるのなら誰もが一秒でも早く行っているだろう。

自分達もやよいと同じ様に閉じ込められているのだから無理だという事は誰にでも分かる。

本人にだって理解し得る筈なのだ。

しかし、此の非常事態では、思考は正常には働かない。

呼んでしまう。

絶対に現れる事の無い、親友の名を。

 

「やだやだやだぁ!!もう駄目っ!死んじゃうっ!天井に潰されて、私死んじゃうよぉぉぉ!」

その涙声は完全に嗄れ、まるで老婆の呻吟の様でもあった。

叫んでいるのが本当にやよいなのかどうかすら判らなくなって来る。

声を聞いた全員が、思い描いた。

高槻やよいが堅牢な混凝土に圧し潰されて行く様を。

さっと血の気が引いていく。

死んで、しまうのか。

今、此の部屋で、掛け替えのない仲間が。

此処まで一度もその現場を目撃していない。

だからこそ、全員が気力を保って居られた。

しかし、この流れではもう疑い様も無い・・・。

 

ついには、やよい以外の全員が黙り込んでしまった。

「ねえ!誰か!何とか言ってよ!怖いよぉぉ!死んじゃうよぉぉぉ!」

誰も答えない。

「ひどいっ!私なんて如何でも良いんですか!?死んだって良いって思ってるのっ!?」

・・・誰も、答えない。

「もう嫌あああああっ!お母さああああああん!死にたく・・・グエッ!」

―――ついに、その時が訪れた。

 

「ああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!ぎい゛い゛い゛っ・・・」

唐突に、それ迄の叫びは異様な呻きへと響きを変えた。

昆虫の鳴き声にも似た奇声に。

同時に、みしみし、と何かが軋む音。

「・・・!やよいっ!?」

春香が咄嗟に様子を窺おうとする。

しかし、其れに応えるのは、怪音だけだった。

「ふぎい゛い゛い゛っ」

ぼきん、と何かが折れる音。

その音の正体は、全員が直感した。

骨が、折れたのだ。

恐らくは、頭蓋骨か脊椎辺りが。

「ググッ、ググウッ」

猶も続く奇声と、軋み。

最中、奇声は段々と弱々しくなり、軋みは鋭く折れる音へと変化する。

「や・・・よい・・・?」

今度は力無く、春香はその名前を呼んだ。

答えは無い。

「これは、まことに・・・現実の出来事・・・なのでしょうか・・・?」

異変が起きてから全く口を開かなかった貴音がやっとの事で喋り出した。

やがて、やよいの声は消え、混凝土の振動音と、不快な骨の軋みと、肉が潰される様な、ぐちゃぐちゃと粘り気のある音が部屋に谺した。

更に、鼻を突く、強烈な悪臭が漂い出す。

そして、この地獄を目の当たりにする、千早。

正確に言えば顔を伏せ、見ようとはしていない。

目前で人間が潰されている、それだけが千早を極限状態に追い詰めるに値する現実だった。

それでも、そっと顔を上げ、顔を覆った指の隙間から元々やよいが居たその場所を細目がちに眺めた。

視界の先には、つい先程まで親友が居た空間は無く、壁だけが在った。

鉄柵の間から飛び出した、血溜りに染め上げられた二本の華奢な腕を除いては。

「あ・・・あぁ・・・」

千早は、自分の下半身がじんわりとした温もりと湿り気を帯びていくのを感じていた。

そのまま、失禁すら気に留める暇もなく、自分から流れる体液が染み込んだ混凝土に身を落とした。

 

異臭と絶望感の中、全ての音が止んだ。

 

それから数十秒後、がらがらと鉄柵が大きな音を立てて上がっていった。

「・・・千早ちゃん!やよい!」

春香は真っ先に檻から飛び出し、千早たちの居る右側を振り向いた。

一瞬、息が詰まった。

「きゃああああぁぁぁぁぁあぁ!」

途端に腰が抜け、派手に尻餅を搗いてしまった。

左を向けば、檻から飛び出した二本の腕。

右を向けば、口から血を流し液体の上に横たわる親友。

異常だった。

「大丈夫!?」

「何が起こってるのよ!?」

真や伊織たちも空間から戻ってくる。

そして、全員がこの異常を認知した。

「うっ・・・!?」

「ひぃ・・・!」

「きゃああああ!!」

「う、うわっ・・・!ああっ・・・!」

春香と同じ物を目撃し、同様の反応をする亜美、真美、貴音、響達。

本当に、死んでしまった。

間違いなく、此の場で。

「静粛にしてください!再び取り乱してどうするのです!」

「あ、慌てないで!今みたいな狂騒こそ犯人の思う壺なんだよ!良いのかよ、それで!」

貴音と真が必死に場を収めようとする。

 

「・・・千早ちゃん!千早ちゃん!!」

恐怖と絶望に煽られた儘、何とか立ち上がり、春香は千早の許へと駆け寄った。

そして、身体を揺すってみる。

返事は無い。

どうやら失神しているようだ。

千早の肩を抱いた手に、ぬるりとした粘り気を感じた。

混凝土上に溜まった液体の臭いが、春香の鼻腔を刺激する。

「うっ・・・」

此処で春香は彼女が失禁と嘔吐をした事に気が付いた。

無理も無い。

目の前でこれ程の惨劇が繰り広げられたのだ、通常の神経ならば失禁だって失神だってする。

春香はぐったりとした千早の身体を背に担ぎ、部屋の中央に戻った。

 

 

「・・・行きましょうか」

中央にやよいを除く9人が集まり、真達の働きにより僅か乍らも喧騒が収拾した所で、貴音が先へと促した。

彼女も顔面蒼白、心神喪失といった様子だったが、誰かが促さなければ始まらないと思ったのだろう。

春香達にとっては、尊敬に値する責任感だった。

しかし、今回ばかりは貴音の指示通りにはならなかった。

「亜美・・・もう、歩けないよ・・・足が、震えて・・・」

「真美も・・・」

亜美と真美が弱々しく呟く。

「・・・自分、死にたくない・・・」

ちらっとやよいの肉塊を見遣り、響が続けた。

矢張り、口を突いて出るのは「死」と云う言葉。

誰もが同じ気持ちだった。

 

「あのさ」

真が一言。

「えっ」

些か怯えた様子で、響が声を上げた。

それに真が答える。

「確かに・・・やよいは、どう見たって駄目だよ。だけど・・・前の部屋に残った子達が死んだなんて決めつけられない」

「それは・・・」

気休めだ、と誰もが思った。

真自身も、気付いている。

現にこうして死人が出たのだ。

これはもう疑う余地など無い。

残ると云う事は、死ぬ事だ。

犯人は、本気で自分達を一人ずつ消していく心算なのだ。

目的など解らないし、知りたくも無い。

だが、今は落ち込んで居る場合ではない。

進む道が有るなら、進んで行くしかない。

希望が残されている限り。

その事を、真は伝えたいのだろう。

 

 

親友達にはそれは伝わったが、死の恐怖を拭い去る事は出来ない。

「でも・・・下手に行動して、また誰かが犠牲になるのは・・・」

今度は美希が問う。

「少なくとも、何かのアクションを起こさない限り、仕掛けは動かない。今まで全部そうだったしね。移動、するだけしてみようよ」

「ん、確かに・・・」

「・・・ええ、今はそれが得策でしょう。この悲劇も此処で終わるとも知れません」

真の発言に、貴音が賛成する。

貴音は更に付け加えた。

「さらに、先刻も申し上げた事ですが、未だ雪歩達が救出を待っているはず。僅かでも前進しなければ」

やや強めの口調。

それに美希が不安そうな調子で返した。

「万が一の場合は・・・その部屋で待機するって事もあるの?」

「かもね。けど、もしボクらの家族が警察に通報したとしても、此処まで助けに来るとは限らない。だから、ボクは自力で行きたいんだ」

真の考えは的を射ていた。

窓も無く音の一欠けらも聞こえない事を考えると、恐らく此処は何処かの地下施設だろう。

日本国内ではあろうが、この場所すらすぐには発見されない虞がある。

その上、例の厳重な扉や仕掛けが張り巡らされた中を進むのは警察と雖(いえど)も容易では無い筈だ。

だから、出来るだけ自分達で前に進みたい。

真はそう言いたいのだ。

 

「うん・・・分かったの」

親友の熱弁に、美希は納得した様子だ。

他の皆も、次の部屋に入るくらいなら、といった面持ちで居る。

「・・・決まりですね。・・・春香、如月千早を背負って歩けますか?」

ずっと千早の様子を見ていた春香に、貴音が尋ねた。

依然として千早は昏睡状態だ。

無論、春香だけでなく、残った全員が千早を心配してくれている。

「うん、大丈夫」

春香は成るべく気丈に答えて見せた。

「よし、行こう。皆の為に」

真が立ち上がり、ドアを開け放つ。

「もう嫌・・・早く帰してよ・・・」

「ひぐっ・・・えぐっ・・・死にたくないよう・・・」

それに重い足取りで続く少女達。

次こそ出口だ。次こそ―――。

春香は胸の内で唱え続ける。

希望からは、未だ手を離さない。

肉塊に成り果てた「元」仲間を遺して、9人は部屋を後にした。

死という名の怪物が、いよいよ少女達の心を蝕み始めた。

 



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第4の扉/Ⅰ.不安

pixiv版ではなかった響と真のシーンを加筆してます。このあたりから徐々にpixiv版の平行世界(別ルート)に入っていきます。


「・・・嫌だよね」

暗闇の廊下を行く途中、真が呟いた。

彼女の後方に続く9人には、その言葉の真意が解らなかった。

「・・・何が?」

逸早く、後の春香が真情の披瀝を求めた。

春香は、先程の部屋から、意識を取り戻さない千早を負ぶって歩いている。

響や美希が所持していたハンカチで、顔と身体の汚れを或る程度拭き取ったが、顔色は一向に優れない。

春香はそんな千早を気遣いつつ、真の応答を待った。

「皆、部屋に残るのなんて、嫌に決まっている。だろ?」

今度は問い掛けの口調に変わる。

しかし口を開く者は中々現れなかった。

答える迄も無いとでも言いたいかの様に。

「ええ、左様です。誰一人とて残りたくは無く、残らせたくも無い」

沈黙の後、貴音が力強く言い放つ。

春香を含めた幾人かが小さく頷いた。

 

「真君、どうしてそんなことを言うの?」

列の後尾辺りから、真に尋ねたのは美希だった。

何故この時機に、仲間の不安感を焚き付ける様な事を口走ったのか。

春香や貴音達も、その事は気になっていた。

何か意図があるのだろうか、と。

「・・・安心して」

真は最初の呟きと同じ音調で、問いに答えた。

「えっ?」

思いも掛けない言葉に感嘆符を上げる美希。

この状況で、しかも自ら否定的な事を言っておきながら、彼女は何を安心しろと言うのだ?

美希達には理解しかねた。

しかし春香には、彼女の呟きからある疑念が脳裏を掠めた。

それとほぼ同時に、声が漏れ出していた。

「・・・ちょっと、まさか真―――」

視線を前方に注いだ儘で、真は春香の言葉を待たず語り出した。

「次の部屋が、残る人間をボクらで決められる様な仕掛けだったら、ボクが残る」

 

辺りが、どよめいた。

「ちょ・・・ちょっと、真、何を・・・」

戸惑う響。

「冗談はよしてください・・・!」

牽制する貴音。

他の面々も、同様の事を言いたげだった。

勿論、春香も。

何を言っているのだ。残ると云う事の指す意味を、判っている筈だろう。

その心情は、言葉には為らなかった。

「ばか・・・。そんな度胸も無いのに、ヒーローぶらないで欲しいの」

そんな中で、独り冷たく遇うのは美希だ。

さらに続ける。

「それに、こんな地獄はもう終わりなの。真君が残る場所なんてない」

「・・・美希」

春香は美希に小さく声を掛けた。

彼女の発言は辛辣さを含んでいた。

しかし、春香には、真に居なくなって欲しくないという想いの裏返しにも思えた。

先程も考えていた事だが、此の場所はまず地下と見て間違い無い。

道が「上り」でないという事は少なくともこの先は地上ではないのだ。

だから美希が次で終わりと気休めを言うのは、再び誰かが犠牲になる事を恐れているからなのである。

「まあね。その時になったら、怖気付いて逃げ出しちゃうかも」

振り返り、真は美希に答えた。その顔は笑みを浮かべて含羞(はにか)んでいた。

「・・・ふん」

呆れた様子で美希は俯き、軽く息を吐いた。

ただ、残ると宣言した時の真の表情は、揺るぎ無い信念に満ちていた様に見えた。

それから直ぐに視線を前に戻し、言った。

「ほら、扉だよ」

指摘通り目の前に現れた、見慣れたあの鉄扉。

この先に、地上へと続く階段があるのだろうか。

或いは、天国へと自分達を導く階段か。

「さあ、行こうか」

言いつつ、真が扉を開け放った。

 

その奥の部屋には、何も無かった。

本当に、何も無い部屋だった。

いや、正確には奥へと続く扉が在るには在る。

だが、其れ以外には、空間も椅子も、更にはあのモニターさえも見当たらない。

これ迄の部屋よりやや小さめの、正方形の部屋。

「何だ・・・?何にも無いじゃないか」

真は周りを見渡しつつドアに向かい、先への扉を確認した。

が、案の定開かない様で、首を横に振って部屋の中央に戻ってきた。

「しかし、モニターすら無いのでは何を行えばいいのか分かりかねます」

貴音が冷静に一言。

「そうだね・・・」

春香が応える。

確かに、此処まで「こうしろ」だとか「残って頂く」等の案内がモニターによって為されていた。

其れが無くなってしまったのでは、八方塞になってしまう。

「一旦、休憩にしよう。千早も心配だし、落ち着く為にもさ。それに、待っていたら何かあるかも」

真がその場に座り込み、仏頂面で頬杖を突いた。

「う、うん」

「ええ・・・」

と、響達もそれに従った。

春香もしゃがみ込み、背負っていた千早を自身の膝枕にそっと寝かせた。

そして、なるべく優しい手付きで頬を撫ぜる。

早く眼が覚めます様に、と願いを込めて。

 

稍あって、美希が近付いて来た。

「春香・・・この部屋の事なんだけど」

「美希?」

やり場の無い目を伏せたまま、美希が不安げな口調で春香に耳打ちをしてきた。

「今までの事から考えて、一つの部屋で一人が残るのだとしたら、何も指示されてないこの部屋では・・・」

「何・・・?」

「ここで誰か一人が弱って倒れるまで出られない、って事なんじゃ・・・」

「えっ・・・」

どくん、と心臓に氷水をあけられた様な嫌な気分になった。

思わず、膝元の千早に視線を落とした。

「何言ってるの、流石にそんな事・・・」

在り得ない、とは言い切れなかった。

こんな事を企む悪辣非道、残虐且つ冷酷、悪趣味な犯人の事だ。

其れ位の凶行は平気で仕掛けて来るかも知れない。

それでも親友を不安にはさせまいと、春香は詭弁を弄した。

「・・・いやでも、それならこっちを確認するモニターか何かが必要なはず。でも、見た感じそれらしい物はどこにもない。だからきっと、それはないよ」

その言葉を受けて、美希はきょろきょろと天井と壁を見回した。

「ん・・・確かに、それもそうだね。でも凄いね、春香は。こんな時でも冷静で」

不器用に笑いながら、美希は春香を労った。

「うん、まあね。皆で出られるって信じているから」

既に一人、痛ましい犠牲者が出た事を忘れた訳ではないが、春香にはそう言う他無かった。

春香も笑みを返して、美希に訊き返す。

「それに、美希だって落ち着いて見えるけど」

「いや、ミキは駄目なの。もう、怖くて、怖くて、心が押し潰されそうで・・・」

言いながら、ギュッと自らの胸元を掴む美希。

その手は震えていた。

「うん、そうだろうね。皆もそうだと思う」

彼女が努めて普段らしく、溌剌として大人っぽい『自分』を振舞おうとしているのは分かっていた。

しかし、その中身は至って普通の幼気な乙女なのだ。

春香には、彼女に圧し掛かる恐怖が手に取る様に感じられた。

「きっともうちょっとで出られるよ。頑張ろう」

ただ、励ましの言葉を繰り返す。

自分には、それしか出来ないんだ。

皆を勇気付ける事しか。

「・・・ありがとう、春香」

励まされる度、美希は感謝の言葉を述べる。

春香が美希の顔を見詰める。

その碧色の瞳は鮮やかに潤んでいた。

 

「・・・はあ、此の儘じゃ埒が明かないな。壁かどこかに仕掛けがあるんじゃないの?」

何かが起こる気配も無いこの状況に、痺れを切らした真が立ち上がった。

「ああ、確かに。隠し扉みたいなのがあったりして」

応えつつ、春香は一旦千早を膝枕から下ろし腰を上げる。

それを見て、隣の美希も一緒に立つ。

「うん、そうかもね」

「よし、じゃあ部屋を探ってみるか。春香たちは右側の壁を調べてくれる?」

「ん、分かった」

真が願うと、春香達はすぐさま次のドアに向かって右手側の壁に歩いて行った。

他のアイドル達は、部屋の中心に座ったままで、真や春香の動向に注目していた。

貴音は、しきりに中央付近の床や天井を注視している。

「よし。とりあえず壁を叩いたり押したりしてみよう」

真は部屋の手前の端から、こんこんと手の甲で混凝土の壁を叩いていく。

しかし、特に変わった様子は無く、冷たく固い感触しか伝わって来ない。

日本の忍者屋敷に代表される、くるりと回転する壁の仕掛けは良く聞くが、

この様な混凝土ではそれも考えられないだろう。

「前みたいに、床にも何かあるかも」

春香は、壁だけでなく天井や床も注視した。

しかし、何もおかしな所は無い。

 

「・・・あのさ」

「どうしたの、響」

「なんていうか、さ・・・その・・・じっとしてようよ、もうちょっと」

地面を見つめながら、我那覇響が淡々と言葉を発する。

「このまま待ってたら・・・きっと、救助が来るかもしれないさ。下手に動くより、それを待つほうが・・・いいかなって」

調べている春香たちの顔を見ようとはしない。

「・・・うん、だから響はじっとしてていいよ。ボク達がなんとかするから」

真は、努めて優しげに、そう返した。

「だから・・・真たちも危ないし・・・みんな何もしないで待とうよ」

涙声で訴える響。

「・・・うるさいなあ」

ぼそっと、しかし確かに、真がそう呟いた。

「えっ・・・」

響が顔を上げる。

「いいよ、僕がみんなを助けるから。じっとしてるより、雪歩たちの生存に賭けて早く前に進まなきゃ」

そう語る真の顔は、響の瞳には何故だか恐しく映った。

響はすぐさま目を逸らし、おずおずと、こう呟いた。

「・・・生きてるわけ、ないじゃん・・・」

途端、真が向き直り、響の元に歩み寄った。

響の応答を待たず、真はその右手を振り上げる。

ばちん、と痛烈な音が鳴った。

思わぬ光景に他の者達も動きを止め、固唾を呑んで二人を見つめる。

「ぐうっ・・・!うう・・・まこ・・・」

「あのさ、そういう事言わないでくれるかな。ボクもみんなも恐怖に負けないように必死なんだよ」

「ひぅ・・・うぅ・・・えぐっ・・・だって、怖いもん・・・分かんないんだもん・・・」

子供のように嗚咽を漏らし泣きだす響。

「ま、真!響ちゃん、大丈夫?」

春香が思わず制止に入る。

「響は、もう黙って座っていて。怖いならさ」

「そんな言い方って・・・」

「春香も早く家に帰りたいだろ?誰かがやらなきゃ、ボクらはずっとこのままだ。だからボクはやる。それだけなんだ」

それだけ言うと、真は壁を調べる作業に戻った。

「・・・ミキも、もうちょっと調べてみるね」

美希は、響を庇う春香にそう告げて、先程まで調べていた方へと戻った。

 

泣き止まない響を見つめながら、春香は思った。

「動かない」仲間達の事を。

部屋の真ん中で真達を手伝おうともせず黙々と傍観している仲間達を。

彼女達は恐ろしいのだろう。

死が。その恐怖が。

失神している千早と、冷静に皆を制御してくれている貴音は兎も角として。

少なくとも響や伊織達はそうだ。

ずっと自分の許に擦り寄っていた亜美と真美も、今は真ん中で響達と共に自分を見ている。

要するに、死の危険性を回避したいのだ。

出来る事なら、危険を伴う探索は、他の人間に任せていたいと願っている。

もしくは、他者の迂闊な行動によって自身に危害が及ぶことを危惧している。

だから動かない。

共に探索するという選択肢もある筈なのに、それをしない。

それに関しては、当初春香は仕方が無い事だと思っていた。

極度の恐怖に曝されれば、誰でもそうなるものだと。

しかし一連のやりとりの中で、狡猾、卑怯いった侮蔑の念も抱きつつあった。

この耐え難い死の恐怖を撥ね除けて、自分達を生かしてくれた人物が居る。それなのに。

雪歩に較べて、この人たちはなんて薄情なのだ―――、と。

無論、そんな感情が全てでは無く、今は未だ信頼の方が強いが、春香は僅かな不安を抱えていた。

彼女達は、いつか私や仲間達を蹴り落として助かろうとするのだろうか・・・。

「・・・うーん、こっちは何もないみたいなの、たぶんだけど」

そんな事を考えている内に、美希は自分側の壁、床、天井を調べ終えた。

美希は真の方を振り向いた。

「真君、そっちは・・・」

「うわっ!!」

突如叫んだ真の半身が、消えていた。



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第4の扉/Ⅱ.穴

それは、一瞬の出来事だった。

真は丁度美希と向かい合う角に立っていた。

春香達が振り向いた次の瞬間、その足元に闇が広がった。

人一人分がすっぽりと納まる程度の穴が開き、その四方の床が開いた穴に対しく斜めに沈んだのだ。

其処に真が落ちていった。

それはウスバカゲロウの幼虫が作る蟻地獄さながらの光景だった。

死へ誘われた者が抗い脱け出そうとする事を決して許さない、地獄の門のようだ。

「うわああっ・・・!」

「まこ━━━━」

抜け出そうと必死に淵を掴もうとする真。

しかし、只でさえバランスを崩している上に傾斜がある為、彼女の指は何の引っ掛りも捉えられず空しく地を這った。

春香達が救出に向かう暇も無い。

悲鳴と共に、真の身体は須臾にしてその漆黒に飲み込まれていった。

どれ程の深さかは計り知れないが、僅かに草を掻き分けるような、ざざざっ、という音が聞き取れた。

真の体が完全に消えたと認識した時には、沈んでいた床は迫り上がり、元に戻っていた。

穴が塞がると、真の絶叫も聞こえなくなった。

何事も無かった様に。

 

「あ・・・あ・・・真君っ!!」

「真・・・・」

美希も、春香も、響達も、只々驚嘆の音を上げるしかなかった。

春香は辿々しく穴があった場所に向かい、床を幾度となく調べたが、そこは今や確りと埋まっており、自力で開ける事は不可能だった。

要するに、この床を踏んだら作動する落とし穴だったのだ。

余りにあっと言う間だった。

しかし、確かな事があった。

本当に、居なくなってしまった。

失ってしまった。

此処まで、他の誰より絶え間無く全員に声を掛け、叱咤し、励まし続けて来た勇敢な仲間。

菊地真を。

「私が・・・私が向こうに行っていれば・・・」

「春香・・・」

春香は後悔した。

また、『偶然にも』自分が生き延びてしまった。

勇気有る彼女を差し置いて。

 

慟哭の中、貴音が先立って正面の扉の確認に向かった。

その扉は、貴音の思惑通りに開いた。

「・・・貴音さん」

しかし春香は低い声で貴音の背中に呟いた。

ショックを受けるでもなく、まず進路の確保に動くなんて、あまりに真に対して薄情ではないか。

春香はそう考えた。

貴音もそんな春香の想いを読み取ったらしく、言葉を返した。

「・・・文字通り、彼女が身を挺して開けた扉です。早急にこの場を離れる事こそ、彼女の覚悟をふいにしない唯一の行動だとは思いませんか」

思わず口籠る春香。

「・・・そうだけど」

「それが全てなのです。或いは、春香は菊地真の思いを裏切るおつもりですか」

貴音らしい、的を射た意見だった。

「わたくしを冷酷な人間だと仰るのなら、それも構いません。ただ、わたくしは常に大切な仲間の身を案じているつもりです」

顔だけ皆の方を向き、貴音は微笑を浮かべた。

その表情からは、真を欠いた事に対する痛哭や寂寞がはっきりと見て取れた。

今の言葉に嘘は無いと感じ、さっきの勘繰りを反省した春香は、真に詫びた。

「・・・ごめんなさい。貴音さんの言う通りだ。こうなっちゃったからこそ、先に行かなきゃいけないんだよね。ありがとう、貴音さん」

「・・・ふふっ、斯様な状況です。誰も責めなど致しませんよ」

相変わらずな貴音に、春香は笑みを返した。

棘が有るものの、貴音がとても心強い存在である事もまた事実だ。

 

「・・・った」

「・・・響?」

響の口から漏れた、微かな呟き。

それに反応した、美希。

「響、今なんて言ったの?もう一回言ってみてよ」

「美希?・・・自分、何も言ってないぞ・・・」

「『良かった』って言ったよね?」

「・・・言ってない」

「真君がいなくなって、自分が助かって・・・『良かった』んだ?」

響に詰め寄る美希。

その表情からは、はっきりと怒りの感情が見て取れる。

「ち、違う!自分は・・・自分が落ちればよかった、って・・・」

「ふうん・・・そうなの・・・へえ」

「うっ、うぅ・・・」

響に侮蔑の眼差しを向ける美希。

後ろめたそうに視線を泳がせる響。

「あぁもう、さっきがらグチグチ煩いわね。私は帰りたいの。さっさと出るわよ」

出口の傍で、もたついている面々に対する苛立ちを露にする伊織。

それを、おろおろと見ているしかない双海姉妹。

「もう、やめてよ。なんでこんな所で喧嘩しなきゃいけないの・・・?」

堪らず、春香が割って入る。

「その通りです。このような不協和こそ、犯人の思う壺だということが未だ分かりませんか」

強い口調で叱咤する貴音。

その言葉に観念したか、美希は漸く響から離れ出口に向かった。

「自分・・・ホントに、嘘なんて、ついてないもん・・・ひぐっ、えぐっ」

響は溢れ出る涙を拭い、たどたどしく美希に続いた。

 

「・・・う、ん」

「っ、千早ちゃんっ!」

「千早さん!」

この時機に、千早が目を醒ました。

上半身を上げ、気分が悪そうに頭をぐらぐらさせている。

すかさず、春香がその肩を両手で支える。

美希や貴音達も心配そうに集まって来た。

「千早ちゃん、大丈夫、気分はどう?」

「うん・・・、なんとか歩けそう。それより、ここはどこかしら?・・・助かったの?」

気絶してからの事の経緯を知らない千早は、希望を持って春香に尋ねた。

「・・・いや、まだ助かってはいないよ。でも、もうすぐ終わりだから」

それを聞き、辺りを見回した後、状況の変化に気が付いたらしく、再び尋ねた。

「・・やよいは、やっぱり、だめだったのね。・・・でも、真は?」

「うん、真は・・・自分を犠牲にしてこの部屋の扉を開けてくれたんだ。だから、先に行かなきゃ」

「・・・そう」

事態を察したらしく、千早は小さく頷き、よろめきつつも立ち上がった。

「さあ、行こう。きっともう直ぐ出られるよ」

「うん」

千早が同意する。

それを見て、貴音がゆっくりと扉を潜った。

貴音の後に続き、春香は扉の奥へと向かった。

それに引っ張られる様に、傍観者達も立ち上がり、ぞろぞろと続いた。

 

暗い廊下を進むものは、今では8人となった。

春香や貴音が震える声で皆に声をかける。美希たちがそれに応える。

「大丈夫、もう少しで終わる。全部終わるから」

「・・・うん」

そんな、不毛なやりとりだけが続く。

それでも、春香は虚しく反響する励ましの言葉を絶やさない。

口を閉ざしていると、不安に胸が押しつぶされそうになるからだ。

漸く廊下の終わりが見えてきた。

春香は、思わず息を呑んだ。

貴音も、目を丸くしてそれを凝視する。

そこにあったのは、今まで見てきた鉄扉とは明らかに異なる扉。

傍には上向きの矢印が描かれたボタンが付いている。

エレベーターだ。

「みんな見て!エレベーターだよ、この扉」

どよめくアイドル達。

「えっ!?っていうことは・・・ここから出られるかもしれないってこと!?」

響が、ここで顔を合わせてから初めて彼女らしい溌剌とした声を上げた。

「ちょ・・・はやく開けて!こんな場所1分1秒たりとも居たくないわ!」

興奮気味の伊織が早口に捲し立てる。

「わ、わかってる!もう押したよ!」

ボタンを押した春香は、胸の高鳴りを抑えられない。

扉の向こうで、微かに機械の駆動音がする。

ピンポーン、と軽快な音が鳴り、扉が開いた。

その内部は貨物用エレベーターのような、広々とした作りになっていた。

「どいてっ!」

伊織は鬼の様な形相で、仲間達を押し退け我先にとエレベーターの奥へと進入する。

「みんなも早く!」

つられるように、春香も焦りを含んだ口調で誘導する。

エレベーター内の扉を見ると、ボタンはふたつだけだった。

ひとつは『地下』、その上にあるボタンには『地上』とだけ書かれている。

春香は迷うことなく『地上』のボタンを押した。

重々しく閉まる扉。上昇する感覚。

春香は壁に凭れ掛かり、深い溜息を一つだけつく。

 

「これで・・・出られるの?外に・・・」

「ええ・・・そう信じましょう」

貴音が春香に微笑む。

彼女は美しい銀髪を掻き分けて、額の汗を拭う。

その顔はやはり不安を隠しきれていなかった。

「ハム蔵・・・みんな・・・お腹空かしてないといいけど・・・」

飼っているペットへの心配を口にする響。

自分自身が置かれている状況に対する不安を誤魔化そうとしているようだ。

「もう、はやくはやくはやく・・・開いて、お願いよ・・・」

先程から伊織は全く落ち着き無く独り言を呟いている。

「だいじょうぶだよ真美、きっと・・・」

「うん・・・亜美、助かるよ、もうすぐ・・・」

亜美と真美はお互いの体を抱き合い、涙目で震えている。

千早は口を閉ざしたまま、春香の左手をそっと握り、俯き目を伏せている。

美希は眉間に皺を寄せ、いずれ開くであろう扉に意識を集中している。

そんな8人を乗せたエレベーターは、やがて緩やかに減速を始め、そして、止まった。

 

「早く!早く開けて!出しなさいよ!」

咄嗟にドアにしがみつき、どんどんと荒々しく叩く伊織。

そして、全員を焦らすようにドアは非常にゆっくりと開いていく。

途端に、なにやら土の匂いと風の音がした。

「風!?これ、直接外に繋がってたのか!?」

響が期待に満ちた声を洩らす。

「やった・・・やっと出られる・・・家に帰れるのね!?」

言いながら、伊織はドアの隙間から、身を捩りくぐり抜けていってしまった。

「ま、待って伊織ちゃん!」

「単独行動は危険です!」

何とかドアの隙間を抜け、エレベーターの外に出る。

先に抜け出たはずの伊織は、ドアのすぐ正面に茫然と立ち尽くしていた。

久々に思える外界の光景に、春香たちは絶句した。

 

「・・・さながら、刑務所ですね・・・」

そこは、四方を高さ15メートルほどの混凝土の壁に囲まれた広大な空間だった。

天井はなく、不気味なほど静まり返った夜空が見える。

そして、その地面からは、まるで森林のように草木が生い茂っていた。

壁には申し訳程度にライトが備え付けられていて、ギリギリ足元が確認できる程度だった。

「この暗い中を行けって言うのか・・・?凶暴な生き物とかいないよな・・・?」

響が、恐る恐る呟く。

春香はすかさず、フォローを入れようと呟いた。

「大丈夫だよ、足元に気をつけて歩いて行けば、いつか普通の場所に辿りつくはず・・・」

この春香の発言を遮る様に、突然『あーあー、テステス』という異様な音声が響いた。



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第5の扉/Ⅰ.鬼

正直、こういうサバイバルをアイマスでやる必要性は特にないのです。人数さえいればどんなキャラにも当てはめることができますから。でも、大人気アイドルが拉致監禁されて理不尽な行為を強いられるシチュエーションは悪くないと思うのです。


「ななな、何?誰なのっ!?」

身構える美希。

千早はきゅっと春香の服の裾を掴んでいる。

伊織が声を張り上げて叫んだ。

「誰かいるの!?出てきなさいよ!はやく家に帰して!この犯罪者!誘拐犯っ!!」

『えー皆さん静粛に。改めまして、この度は我々主催の脱出ゲームにご参加いただき、誠にありがとうございます』

「参加ですと?これは只の拉致監禁ではないですか!?」

貴音が顔も見えぬ相手に反論する。

『えー、ここから先の【扉】についてですが、皆さんに嬉しいお知らせを一つさせていただきます』

伊織や貴音の言葉には一切返答せず、言葉を続ける。

どうやらこの声は、ライトの傍に設置されたスピーカーから流されているようだ。

ということは、どこかに此方を伺うためのカメラも設置されているのだろうか、と春香は辺りを見回した。

しかし、それを見つけることはできなかった。

「そ、その嬉しいお知らせって何なんだ!!」

響が問いかける。

『それはですね、この5つ目の扉から8つ目の扉までは、上手く行けば一人も仲間を残すことなく突破できるシステムになっている、ということです』

「はっ・・・それはつまり・・・」

貴音が顎に手を添えて思慮を始めた。

『ああそうですね、言い忘れておりました。この脱出ゲーム、貴方達アイドルの数と同じ12の【扉】で構成されております』

「12・・・」

誰もが顔面蒼白になった。

今まで自分たちは4つの部屋を過ぎ、4人を失ってきた。

美希たちと話した通り、やはりこの仕掛けは人数分あったのだ。

つまりこの時点で、まだ折り返しにも至っていなかったのである。

『そして、1つの扉につき何人かを残してゆき、最終的に生き残った者が生還できる━━━━と、そんなルールです』

「そ、そんな・・・あんなのがまだあと、8個もあるって言うの・・・?」

先刻まで威勢の良かった伊織が、がっくりと膝をついた。

『ええ。そしてですね。さっきも言ったとおり、8つ目の【扉】までは誰も失う事無く進めるチャンスがある・・・代・わ・り・に』

春香はごくりと唾を飲み込んだ。

『頭のいい方ならティンと来たかも知れませんが、5~8つ目の【扉】で4人以上失うと・・・?そう、最後の【扉】までに全滅してしまうんですね~!』

つまり、この惨劇を生き延びることができるのは、多くても4人。

「ふっ・・・ふざけんなぁぁ!!帰せ!いいから帰せよこの野郎っ!!」

響が涙声で叫ぶ。

春香も泣きたい気持ちでいっぱいだった。

地獄はまだまだ終わらないのか。

 

声の主は気にせず続けた。

『そして肝心のこの部屋の仕掛けですが・・・実はもう次の部屋への扉は開いてます。ちょうど皆さんが出てきたエレベーターから真っ直ぐ進めばそこが扉です』

「なんですと!?」

驚嘆の声を上げる貴音。

当然だ、今まで誰か一人を犠牲にしなければ開かなかった扉だ。

犠牲を払わずに進めると言ったが、果たして簡単に辿り着けるだろうか・・・?

『ただし、もちろん何もないわけじゃありません。ここで皆さんにしてもらうのは・・・ずばり、鬼ごっこです。鬼に捕まる前に、頑張って扉にたどり着いてください』

「・・・は?」

春香は思わず首をかしげた。

鬼・・・ということは、自分たち以外に誰か居るのか・・・?

『では、アナウンスはこれにて終了!あっそうだ、鬼は多分皆さんも知ってる人です!それではみなさんさようなら~また逢いましょう!!』

「ま・・・待ちなさい!!まだ聞きたいことは・・・」

貴音の引き止めも虚しく、声はぷつっと途切れ、何も聞こえなくなった。

「・・・私は行くわよ。さっさと行って出るんだから・・・」

虚ろな目をした伊織が暗い中を一目散に駆けていった。

それに引っ張られるように、ずっと隅で震えていただけだった双海姉妹が同時に走り出した。

「くっ・・・自分も、はやく行かなきゃ・・・!」

響も自慢の脚力で駆けてゆく。

美希は黙って、伊織や双海姉妹とは離れた方向から進んでいった。

「春香、鬼ごっこって・・・」

千早が小声で春香に語りかける。

「うん、それも知ってる人だって言ってた。ひょっとしたら・・・」

「プロデューサーや律子嬢、小鳥嬢など、他の765プロ関係者も監禁され、同じように参加を余儀なくされている・・・?」

春香の懸念に同調したのは貴音だった。

「そ、そんなっ・・・」

「・・・しかし、今それを語ろうとも仕様のない事です。では、わたくしはあえて遠回りをして行くことに致します。二人もお気をつけて」

貴音はそれだけ残して、足早に去ってしまった。

「貴音さん!・・・そうだよね、じっとしててもしょうがないし・・・行こうか、千早ちゃん」

「・・・ええ」

春香達は、貴音が行った方向とは反対の壁際に沿って進むことにした。」

木の生い茂るこの場所は、とても視界が悪く、壁に手をついて歩くので精一杯だった。

確実に、一歩一歩気を張って進んでいく。

「・・・春香、ごめんね。私がこんな情けない様で」

唐突に、千早が春香に語りかけた。

「な、何言ってるの千早ちゃん。こんな時だもん、みんなで支えあわなきゃ」

「ううん、それにしても私は酷いわ。皆の足手纏いになってばっかりで・・・」

「そんな弱音言ってちゃダメだよ。あと、間違っても自分が犠牲になろうなんて考えないでね」

「・・・春香は強いわね」

「そんな事ないよ。私こそ普段のレッスンやお仕事がダメだから、こういう時くらい私が皆の力にならなきゃって思ってるだけ」

「そう・・・。少なくとも、私はそれで救われているわ」

「・・・えへへ、それは良かった」

たわいも無い会話。

ああ、これが夢ならば良かったのに。

そう思いながら進んでいると、ふいに視界の端に何かが蠢いた。

 

「・・・えっ?」

そして、それは凄まじい勢いで自分に近づいてくる。

「な、なに━━━━」

「危ない!春香っ!!」

咄嗟に千早に腕を引っ張られ、前につんのめった。

そして、春香がついさっきまでいた場所に、何かが叩きつけられる。

それは━━━━薪割りなどに使われる、大きなナタだった。

「ふっ、ふぅぅ・・・!!」

ナタを振り下ろした何者かは、苦しそうな呻きを洩らして恨めしそうに春香達を睨む。

「ひ、ひぃぃっ・・・!」

すぐに体勢を立て直し、前方に駆け出す。

ナタを構え直したその何者かも後を追いかける。

走りながら、千早が言った。

「春香・・・さっきナタで襲いかかってきた人、知ってるわ、私」

「・・・えっ?」

「事務所対抗の運動会に出場していた・・・確か、876プロの」

「・・・あっ」

春香も、思い出した。

大きめのマスクで顔を隠してはいたが、あの紺色の髪とヘアピンに見覚えがあった。

876プロに所属している、名前は確か・・・水谷絵理、と言ったか。

紛れもなく彼女だったのだ。

「ど、どうして876プロの子が・・・はっ、他の皆は!?」

「ええ・・・もしかすると別の876のメンバーに」

「・・・きゃぁぁぁぁぁぁ・・・」

千早が言い切る途中で、離れた場所から悲鳴が聞こえた。

「ど、どうしよう千早ちゃん!」

「今は逃げ切ることを考えましょう。幸いさっきの子は足が遅いみたいだから」

春香が振り向くと、かなり絵里との距離を離していた。

その時、その首筋に首輪の形状をした奇妙な機械が装着されていた事に気がついた。

しかしそれに疑問を呈する余裕も無く、ただ前を向いて走り続けた。

 

「あ、あんた・・・876プロの!よくも私を撃とうとしたわね!!」

伊織が対面しているのは、876プロに所属しているアイドル、秋月涼だった。

「ふ、ふぐうう!ふぐっ!!」

彼が手にしているのは狩猟用のボウガンである。

彼は初弾を伊織に打ち込んだが、ただでさえ視界も地形も悪い中、今まで手にしたこともないボウガンから放たれた矢は伊織の遥か頭上を通り過ぎた。

そこを憤った伊織に突き飛ばされ、ボウガンの弓を奪われたのだ。

「な、何よ、キモいわね・・・あんた、喋れないわけ!?」

涼も絵里と同様にマスクを付けており、時折マスクを抑え苦しそうに顔を歪めた。

「ふぐうう!うううっ!!」

「何!?言いたいことがあるなら言ってみなさいよ!ほら!」

自分を襲おうとしたことに苛立ちを隠せない伊織は、涼の上に跨り強引にマスクを剥ぎ取った。

「ぐうううっふぐぐぅ!ぐぐっ!!」

「きゃあぁぁぁぁぁあ!!嫌ぁっ!!」

マスクの下を目にした瞬間、伊織は悲鳴を発し、逃げるように涼から飛び退いた。

その口は、まるで刃物をメッタ刺しにしたかのようにズタズタに引き裂かれていたのだ。

口の中まで歯茎ごと歯を切り取られ、舌にも無数の針を刺された跡がある。

これでは喋れなくて当然だ。

「あんた・・・まさか、私たちをやらなきゃもっと酷い事するって脅されたんじゃ・・・」

「ふぐっ!ふぐっ!」

涼が大粒の涙を零して頷いた。

そしてなぜか、首元の妙な機械を指差した。

「はあ・・・?何よそれ?どうしろっていうの!?」

「はぐはぐ!はぐっ!」

痛みに耐え必死に何かを伝えようとしているが、伊織には全く伝わらなかった。

伊織の苛立ちのボルテージは上昇していく。

「ああもう!うるさいわね!!私を殺そうとしたくせに!知らないわよそんな物ぉ!!」

「ぐうううっ!!」

見苦しいとばかりに伊織は涼を蹴飛ばし、矢のないボウガンを抱えたまま伊織は一目散に駆け出していった。

 

我那覇響は、765プロ所属の日高愛と交戦していた。

愛が手にしているのは柄の長いスレッジハンマー。対して、響の得物は拾った太い木の枝だ。

「や、やめろっ!何するんだ!」

「ふぐうう!うぐっ!」

悲痛な呻きと涙を零しながら、一心不乱にハンマーを振り回している。

響は必死にそれを捌き、逃げる機会を伺う。

「くっそぉ、何でこんな事するんだよぉっ!!どうしたら・・・」

その二人の傍を、双海姉妹が息を潜めて通り過ぎようとしていた。

「ひびきん、戦ってる・・・亜美っ」

「今のうちだよ、早く行こ・・・」

しかし、響の視界はそんな二人を捉えた。

「あっ、亜美、真美!!待って!じ、自分を助けてくれぇっ!!」

「えっ・・・」

思わず双海真美は響を振り返る。

響が必死に助けを求めている。

しかし、双海亜美は一瞬顔を引き攣らせただけで、歩みを止めなかった。

「あ、亜美・・・!?」

相手はハンマー、こちらは丸腰。

助けに向かえば自分が巻き込まれるかも。

しかし、助けなければ目の前で響が死ぬ。

助かりたい。助けたい。生きたい。死にたくない。死なせたくない━━━━

「くぅっ、ひびきんっ!」

真美は迷った挙句、助けを求める響の元に駆け出していった。

「真美っ!?・・・もう、知らないよぉっ!」

踵を返す実姉を尻目にそう吐き捨て、亜美は出口の方へと急いだ。

 

余所見をしていた事、意識が分散していたことが重なり、響の足が一瞬縺れた。

その隙を見逃さず、愛はスレッジハンマーを突き出して響を押し倒した。

「う、うわぁ!」

響は盛大に尻餅をつく。

そこに、響の頭蓋を叩き割らんとする愛のハンマーが迫る。

一瞬の躊躇も許されない状況だった。

「やめてぇぇぇぇ!!」

横合いから満身の力を込めて愛に突進する。

「ふっ!?ぐぐぐっ!!」

ハンマーの軌道は大きく逸れて、へたり込む響の太腿の間に打ち下ろされた。

「ひぅっ・・・!」

「ひびきん!逃げて早くっ!」

「う、うぁ・・・わあぁぁぁ!!」

咄嗟に立ち上がり、金切り声を上げて走り去った。

「ひびきんを殺そうとしたなっ!お前が犯人かぁっ!!」

これまでの沈黙から一変して激昂する真美。

溜まりに溜まったフラストレーションが、ここにきて暴発したのだ。

よろける愛の顔面、ちょうどマスクのかかった口の辺りに思い切り拳を叩きつける。

「ぐぅぅぅぅう!!」

傷だらけの口を庇うため、愛がハンマーから手を離す。

その隙を見逃さず、真美は愛を蹴り飛ばし、スレッジハンマーを拾い上げた。

「お前なんか・・・真美たちを殺そうとするやつは殺してやるっ!!」

真美が振るったハンマー。

その初撃は愛の腰辺りに命中した。

おそらく骨盤を叩き割ったのだろう。

声にならない苦悶を湛え、その場に崩折れた。

そこに、真美は執拗なまでに追い討ちを仕掛ける。

「あずさお姉ちゃんを返せ!ゆきぴょんを返せ!やよいっちを返せ!まこちんを返せぇぇ!!」

愛の脚に、胸に、肩に、前頭部に、鉄の雨が降り注ぐ。

口や打撲痕からごぼごぼと血が滲んでは不気味な斑模様を浮かび上がらせる。

その衝撃に華奢な体が耐えられる筈も無く、愛は絶命した。

「はぁ・・・はぁ・・・」

1分後、漸く腕を下ろした。

真美の腕は、今更になって重いスレッジハンマーを振り続けたことによる疲労を脳髄に伝えていた。

それと同時に、真美の脳を埋めたのは「人を殺した」という事実。

目の前に転がる、つい先程まで日高愛だった肉塊、その瞳が。

「お前がやったんだ」と、脅すように真美を見上げている。

「あぁ、真美、真美は・・・うぇえぇぇ」

びちゃびちゃと嘔吐物が溢れ出す。

「し、仕方ないもん。先に殺そうとしてきたんだもん。真美、悪くないもん」

うわごとを呟く。

痺れた手からハンマーが鈍い音を立てて滑り落ちたのと同時に、真美は逃げ出すようにその場を離れた。

 

━━━━876プロの3人がここにいる経緯はこうだ。

彼女たちもまた、レッスンの後知らぬ間に気を失い、目覚めたら密室にいた。

ただ、765プロの面々とは違い、手術台のようなものに縛られていた。

そして、傍らの全身黒づくめにフルフェイスのヘルメットを装備した男に、こう説明を受けた。

『ここから出たかったら、765プロの面々を、武器を用いて3人以上殺せ』と。

『皆殺しにできなければ首輪型の爆弾を作動させて抹殺する。また扉の中に入ろうとしても爆破する』と。

そして、765プロのアイドル達に余計な口を聞けないようメスや縫い針で切り刻まれた。

そこで意識を失い、再び目覚めると武器を手にした状態でこの場に放り出されていた━━━━。



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第5の扉/Ⅱ.心配

貴音「あった・・・これが次への扉・・・」

最初に出口の扉に到着したのは貴音だった。

把手を引くとあっさりと開いた。

倒れるように中に逃げ込む。そこは例えるなら風除室に近い狭い空間だった。

その先の扉も手をかけてみたが、開かない。やはり残りの者が集まらなければ開かないのだろう。

「途中で悲鳴が聞こえましたが・・・皆は無事でしょうか・・・」

いかに正義感の強い貴音と言えども、得体の知れない『鬼』の蠢く森の中に戻る気はもはや起きなかった。

直接『鬼』と遭遇してはいないが、命の危険に関わるということは容易に想像できる。

貴音自身も、精神的にかなり疲弊してきていた。

 

数分後、汗で額を光らせた伊織が転がり込んできた。

「はぁっ・・・はぁっ・・・」

「おや、伊織・・・それは」

「っ!・・・なんだ貴音か・・・。これは876プロの涼から取り上げたのよ、こんなもんで私を殺そうとしたから・・・」

そう言って、ボウガンの弓をぶっきらぼうに投げ捨てる。

「狩猟用のボウガン・・・ですね。ところで今、876プロと?」

「どうやら鬼は876プロの子達みたい。二度と会いたくないわよ、口ん中ズタズタにされて喋れないようにされてたわ。凡そ私たちを殺さなきゃ助からないって脅されてたんでしょうね」

「うっ・・・なんと酷いことを・・・。しかし何故876プロまでもが・・・」

「知らないわよ、そんなの。ああ、帰りたい!」

ひと呼吸おいて、再び貴音が問いかける。

「時に、水瀬伊織・・・貴方は、相手の武器を取り上げたあと・・・どうしたのですか?」

「涼のこと?・・・蹴っ飛ばしてすぐ逃げたわよ。苦しそうにはしてたけど、またすぐ他の子の方に行ってるかもね」

「そうですか・・・他の方々が心配ですね」

ため息を一つ。

伊織は貴音の質問について考えを巡らせた。

武器を取り上げた後どうしたか━━━━つまり、無力化した敵を生かしたか殺したか、というところを聞きたいのだろう。

貴音だったら・・・自分の命を狙う敵に対しては無慈悲に止めを刺すだろうか。

確かに、武器を持った相手を放置する事は危険であることは間違いない。

しかし彼女達だって自分達と同じアイドルなのだ。

恐らく自分達と同じく拉致監禁され、訳も解らぬままに凶行を強いられているのか。

何か弱みを握られて、参加を余儀なくされたのか。

どちらにせよ、彼女達は憎むべき敵でなく、自分達と同じ被害者のはずだ。

当の秋月涼には頭に血が上っていたこともあり、辛辣な言動を行ってしまったが、彼女を殺すことは、このゲームの主催者が私達を殺すことと何ら変わりないのではないか。

・・・そこまで考えて、伊織は気分が悪くなり、それ以上の思考を放棄した。

そして、そっと貴音に語りかける。

「あんたさぁ・・・それ、私を責めてるつもり?」

「・・・どういうことです?」

「どうして危険な奴を野放しにしたのかって言いたげよ。痛めつけて動けなくしなかったのかって」

貴音は表情を曇らせる。

「そのようなこと、私は求めておりません。伊織こそ、そうしなかったことを後悔しているのではありませんか」

伊織は鼻を鳴らす。

「ふん。悪いわね。こんな状況だもの、多少攻撃的になってもしょうがないわよね、貴音?」

「私は・・・、相手がどんな状況であれ、仲間に人殺しになどなってほしくありません。むしろ伊織の返答に少々安心致しました」

「勘違いしないでよ。私は生き残りたいだけ。人殺しがしたいわけじゃないわよ」

吐き捨てるように呟く。

そうだ。きっと、貴音だって同じはずだ。

誰も狂ってはいない。

自分も、貴音も、他のアイドル達も。

何も、間違ってはいない。

二人の会話は、そこで途切れた。

 

数分後、扉の向こうから声が聞こえた。

「ひびきん早く!追いつかれる!!」

「亜美待って!嫌だっ!死にたくないっ!!」

思わず後退る貴音と伊織。

それから程なくして乱暴に扉が開き、双海亜美が転がり込んできた。

「亜美、響っ!」

「何なのよぉ!?」

開いたドアの隙間から、今まさに部屋に飛びつこうとする我那覇響と、その背後でボウガンの矢を握り締めた秋月涼の姿が見えた。

「ひぃ・・・!あいつ、まだ・・・!」

間一髪、響がドアを潜り、涼の手から逃れる。

「・・・首輪?」

扉が閉まる直前、貴音は秋月涼の首にかけられた機械的な首輪が気になった。

明らかに正気の沙汰ではない様子の涼は、ドアをがんがんと叩き部屋への進入を図る。

「嘘!?嫌っ!来ないで!!」

叫びながら次の部屋への扉に縋る伊織だが、依然として扉が開く気配はない。

貴音と亜美、響が必死に涼がこじ開けようとする扉を塞ぐ。

「ふううう!!ふぐっ!ふぐうっ!!」

「やめてよぉ!来ないでっ!もう嫌ぁぁ!」

「くっ・・・何という力!」

涙で顔をぐしゃぐしゃにして弱音を吐く亜美と、焦りと疲労に表情を曇らせる貴音。

響は歯を食いしばり、黙って扉を押さえている。

3人がかりでさえ扉は今にも開けられそうな勢いだった。

その時、ピーッという奇妙な電子音が響いた。

そして扉を引っ張っていた強い力が突然なくなった。

「ふっ!ふっ!ふっ!」

外の秋月涼は何やら慌てふためいている様子だ。

「何?諦めたの?」

「い、一体何が・・・」

そう貴音が不思議がっていると、突如、重々しい爆発音が彼女達の耳を劈いた。

「きゃあああ!!」

「な、何っ!?今の音・・・!」

何が起こったか理解できない4人。

ただ、扉を塞ぐ力を込めて待つことしかできなかった。

それから数分後、「ぎゃぁっ!」という短い悲鳴が聞こえたかと思うと、急に扉が引っ張られた。

「な、なんで開かないの!?中に誰か居るの?ミキなの!は、早く開けて!」

「開けてよぉ!真美もいるよぉ!!」

「ほ、星井美希!?」

「真美っ・・・!」

貴音たちは手を緩め、星井美希と双海真美を迎え入れた。

彼女達は満身創痍といった面持ちで、部屋に入ったとたん倒れ込んだ。

「はぁはぁ・・・ねえ、ここのすぐ外にあったアレ、一体なんなの・・・」

「誰があんなことしたのさ・・・うぐっ」

「・・・アレ、とは?」

訝しげに貴音が尋ねた。

小声で美希が答える。

「・・・その、・・・首のない、誰かの死体」

「・・・うっ」

思わず嘔吐く亜美、つられて顔を顰める響。

「先ほどの爆発は、やはり・・・」

首から上を吹き飛ばされたのだ、あの奇妙な首輪によって。

恐らくは、この部屋に無理に立ち入ろうとすると起爆する仕掛けだった、ということか。

 

「壁が見える・・・もうすぐよ、春香」

「うんっ」

息を切らして千早が言う。

ようやく春香・千早の二人組の眼前に扉が現れた。

二人は水谷絵理を撒き、ひたすら走り続けていた。

途中、遠くから聞こえる何者かの声や、爆発音に怯えながらも、無事に辿ってきた。

「うん・・・きゃっ」

扉を前にして何かに躓く。

「ちょっと、こんな時に・・・ひっ」

「あいたたた・・・何?」

暗い足元に視線を落とすと、そこには頭部のない死体が転がっていた。

秋月涼だ。

「きゃああぁ!いやぁっ!!」

「・・・あの首輪、爆弾だったのね」

千早は、水谷絵理の首に首輪が巻かれていたこと、そして先刻聞いた爆発音、そして首のない死体を結びつけ、その答を導き出した。

なぜ爆発したのかは、この扉と関係があるのか。

足元には、驚きの余り立ち上がれない春香がいた。

「春香!早く中へ!」

そんな春香の腕を掴み、千早が扉へと急かす。

そこへ、微かに足音が聞こえる。

「まずい、水谷さんだわ!」

強引にドアを開け、春香を引き入れた。

 

「はぁっ・・・何なの、あれ・・・死ぬかと思った・・・」

「生きた心地はしないわね・・・」

「二人共・・・まさか、876プロに?」

貴音が尋ねると、千早が春香を横目で見て、答えた。

「ええ・・・水谷絵理さんだったわ」

「そういえば、亜美たちも見たよ・・・あれ、愛ぴょんだったよね?」

その問いかけに、響と真美が無言で頷く。

真美は、その名前に顔を顰めている。

私は日高愛を殺しました、なんて、とても言う気にはならなかった。

響を助ける為とはいえ、殺してしまったのだ。

同じアイドルを。人間を。

再び仲間たちと合流して恐慌状態から覚める程に、その罪悪と後悔は強まっていく。

「うぷっ・・・」

「真美、大丈夫?気分悪い?」

自分を落ち着かせる方法を、真美は一つしか知らなかった。

自己の正当化。

彼女は敵だ。憎むべき敵だ。敵は殺すしかない。邪魔する奴は殺してしまえ。

それを正しいと思えば、何も苦悩することなどないのだから。

今の真美に、他のアイドル達の会話に耳を傾ける余裕など皆無だった。

そんな彼女の様子に気づき心配しているのは、実妹の亜美だけだ。

「大丈夫、亜美、ありがと・・・」

「そっか、良かった・・・」

 

「・・・やっぱり運動会の3人か」

そう千早が呟いた時、外から爆発音が鳴り響いた。

「ひぃっ・・・」

「今の・・・まさか」

外の涼と同じように、水谷絵理も・・・?

そう気付いた直後、かちゃりと錠の外れる音がした。

「あっ・・・次の部屋へ行ける・・・!?」

咄嗟に扉を引く伊織。やはり扉は開くようだ。

「・・・先行くわよ」

伊織は他のアイドル達を一瞥し、そそくさと次の部屋に入った。

それに続き双海姉妹、貴音、美希、響が続く。

「本当に、8人で次に行けるのね・・・これ以上、誰も失わなければ良いのだけど」

「うん・・・」

ここまで来ると、春香ですら死のショックを紛らわせる言葉を用いようとはしなかった。

「愛ちゃん、絵里ちゃん、涼ちゃん・・・ごめん。それと、ありがとう」

この感謝は、これまでアイドルとして共に歩んだこと、そしてこの先の扉へと私達を歩ませてくれることへの。

その言葉が不適当だったとしても、もうそれを気にする余裕も、相手もいない。

ただ、前へと歩むだけ━━━━。



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第6の扉/救い

その部屋は、今まで通ってきた地下の部屋と似通っていた。

正方形の部屋、正面に扉、扉の横には久しぶりに見る、やや大き目のモニター。

そして部屋の中央には、謎のボタンが置かれた台。

「・・・何だろう」

春香が、疑問符を洩らした、その時だった。

突然、モニターが点灯した。

そこには━━━━。

「ま、真君!?」

真っ先に美希が声を上げた。

そこには、鉄製の壁に手足を括り付けられている真が、正面斜め上から映し出されていた。

「真・・・あの時確か、穴に落ちて・・・」

そういえばそうだ。

真は穴に落ちたが、何かに着地する音を聞いた。

あの時点で、真はまだ生きていたのだ。

縛り付けられた真に意識はあるようだが、こちらの声は聞こえていない。

その首の1メートルほど横の壁からは丸鋸の刃が突き出している。

その丸鋸が収まる溝は、ちょうど真の首の後ろを真っ直ぐに通り過ぎていた。

「・・・ノコギリ?あれってまさか・・・」

美希は震えるほどの悪寒を覚えた。

『えー、5つ目の扉を抜けた皆さん、さっきぶりです。私です』

再び、先ほどのアナウンスの声がモニターのスピーカーから響き渡った。

「ちょっと、これはどういうこと!? 早く真君をこっちに返してなの!!」

美希が憤慨して怒鳴る。

『はい、この部屋でやってもらうのは、ちょっとした思考実験です。たった1人を助けるために自分を含めた大勢を犠牲にできるか・・・っていう、ね』

「・・・えっ?」

『方法はすっごく簡単です。部屋の真ん中にあるボタンを押すと囚われのマコトクンを救出できます。救出とはもちろん彼女を無事に家に帰すことです』

「ほ、ホントに!?」

美希が嬉しそうな声を上げる。

それを春香が抑えに入る。

「美希、落ち着いて! 罠かもしれないから・・・」

「う、うん、分かってるけど・・・」

『ただし、マコトクンの救出は貴方達全員の命と引き換えです。押せばマコトクンの命は保証しますが、この部屋に毒ガスを撒いて貴方たちを殺します』

「・・・えっ?」

全員の鼓動が、どくん、と跳ねた。

『押す押さないの制限時間は5分! 5分間ボタンが押されなければ次の部屋への扉が空き、以降ボタンは押せなくなります。カウントダウンは私のアナウンスが終わった瞬間から』

全員の視線が真ん中のボタンと真の映像を行き来する。

『当然皆さんが次へ進むことを選べば、マコトクンは死んでしまいます。まあ一度は死んだと思ってた命ですから。今更見捨ててもどうってこと無いでしょう』

「なんてことを・・・」

美希の声が怒りに打ち震えている。

自分達の仲間への想いを踏み躙ったことへの憤慨だ。

「下衆の極みですね、あなたは」

貴音も深い憤りを隠しきれない様子だ。

 

『ではこの辺でシンキングタイムと行きましょう。自分達を犠牲にたった1人を救うか? 元々死んでいたはずの一人をもう一度殺して次に行くか! それではアデュー!』

そして、真の映るモニターの下に5分のカウントダウンが始まった。

それと同時に、真が映るモニターに異変が起きた。

「・・・うっ、うわぁぁぁああ!! やめろぉぉぉぉ!!!」

「いやっ、そんなっ!! やめてぇ!」

「いやぁぁぁあ!!」

叫ぶ真、美希、双海姉妹。

真の首の横、約1メートルの位置にある丸鋸が駆動し、緩慢な動きで、真の首目掛けて動き出したのだ。

ボタンを押せばあの丸鋸は停止し、春香達の部屋に毒ガスが撒かれる。

5分押さなければ丸鋸が容赦なく真の頚椎を切り裂くだろう。

「あぁ・・・嘘だろっ・・・」

泣き顔で戸惑うばかりの響。

「ふざけないで!! こんなの狂ってるよ! 今すぐ止めて!!」

依然として、美希は叫び続ける。

春香は黙っていた。

ボタンを押さないということは、真を見殺しにするのと同じだ。

ボタンを押すということは、自分を含め、ここにいる全員を殺すということだ。

ならば、私はどうする━━━━?

最悪の救出劇が幕を開けた。

 

1分が経過した。

全員が他のアイドルの顔を気まずそうに見遣る。そこに一切の会話はない。

美希も真の名を呼ぶのをやめ、鋭い眼差しでボタンを見据えている。

真の悲痛な叫び声だけが谺する。

 

2分が経過した。

相変わらずの雰囲気。誰も動こうとはしない。

 

3分が経過したとき、美希の足がゆっくりと動き出した。

全員がぎょっとした顔で美希を見つめる。

「・・・ミキ、このボタンを、押す」

そう美希が呟いた瞬間、咄嗟に伊織が美希を突き飛ばした。

「きゃっ」

「・・・あんた、何考えてんの?・・・バカじゃないの?」

きっと伊織を睨み返し、美希は言う。

「・・・この先、ミキたち全員が生き残る保証はない。でもミキが今これを押せば、少なくとも真君だけは助かるの」

その言葉に、春香は、はっとした。

確かにそうだ。

この先の部屋で4人死ねば、それでもうアウトなのだ。

しかし、今、確実に一人助けられる人間が居る。そういうことだ。

「はっ、それこそタワゴトじゃない。あんな狂人の言葉を鵜呑みにするの? いいじゃない、あいつはもう一度死んだようなもんだし」

「・・・伊織は、ただ自分が助かりたいだけでしょ?」

冷淡に美希が言い放つと、鼻を鳴らして伊織が言い返した。

「ええ、そうよ。私は由緒正しい水瀬家の令嬢なの。こんな所でくたばる訳には行かないのよ。日本にとって計り知れない損失だわ」

「あっそ、じゃあミキ押すね」

再び立ち上がり、美希がボタンに手を伸ばす。

「させませんよ」

しかし今度は貴音がそれを制止した。

「ぐぅっ!!」

美希の背後から襲いかかり、羽交い締めにする。

「・・・申し訳ありません。美希の気持ちも痛いほど分かりますが、此処はどうか我慢を」

「貴音っ・・・! 何が我慢なの!? 綺麗事ばっかり!! 生き残りたいだけのくせに! クズ、クズっ! クズばっかりなのっ!!」

いつもの口調から豹変し、彼女とは思えぬ悪態を吐く。

「そのボタンを押すってことは美希! あんたが私達七人を殺すのと同じ事なのよ! 解ってんの!? 正気になりなさいよ! 人殺しになる気!?」

怒声で返す伊織。

春香と千早、それに双海姉妹は、茫然とそれを眺めているしか無かった。

響が弱々しく呟く。

「ごめん、美希、真・・・自分達は、真を救えないんだ・・・分かってよ・・・」

「ふざけんなっ! この卑怯者!!」

拘束されながら、美希は春香に訴えかける。

「春香! 押して! 私の代わりにっ! 春香もきっと、私と同じ考えだよねっ!?」

「えっ・・・あ・・・わ、私・・・」

思わぬ名指しを受け、戸惑ってしまう春香。

「春香・・・分かっているわね?」

「押したとて、真が救出される確証は無いのですよ」

釘を刺す、伊織と貴音。

「で、でも・・・僅かでもあるんだよね?押さないよりは、真が助かる可能性・・・」

「そうなの、春香! だから、だから早くボタンを!! 早くぅっ!!」

必死に泣き叫ぶ美希を見ていると、ボタンを押さなければ・・・そんな気になってくる。

春香自身も、ボタンを押すか否かで揺らいでいたのだ。

どうせこの先生き残る保障がないのなら、いっそ押してしまえば・・・と。

「嫌だぁ!! 誰か、誰か助けて!! 何でもするから!! 死にたくないよ!!」

真は失禁していた。

精悍な顔を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにしながら叫ぶ。

真を他の誰よりも慕っていた萩原雪歩なら、迷うことなくボタンを押すほどの光景だろう。

丸鋸は、いよいよその首の皮を切る寸前まで迫っていた。

 

気づくと春香は立ち上がっていた。

経過時間はもう4分20秒。5分になってしまえば、もう真を救う術はない。

悩んでいる余裕など、無かった。

ボタンに歩み寄ろうとした、そのとき。

ふいに後ろから抱きしめられた。

千早だった。

「・・・駄目。行かないで」

「ち、千早・・・ちゃん」

「お願い早くぅ! 誰でも良いから押して!!」

部屋いっぱいに、届かぬ思いが、交錯する。

 

━━━━そして、5分が経過した。

ボタンは、押されなかった。

 

「ぐっううううう゛う゛う゛・・・」

直後、鋸によって、パンケーキのごとく容易く真の喉が切られていく。

傷口から止め処なく溢れ出していく血液は、まるで勢いよく瓶から吹き出す炭酸飲料だった。

「真君! 真君! いやあぁあぁぁあぁあ!!」

「ま・・・まこ・・・まこちんが・・・」

「ごめん、ごめん、ごめん、ごめん・・・自分、助けられなくてごめん・・・!」

気付けば刃は頚椎を切断し、後は反対側の皮を残すのみとなった。

言うまでもなく、既に菊地真の生命は終わっていた。

やがて、真の頭部はその重みによって、残った皮をちぎって落ちた。

ごとん、と鈍い音を立てて。

 

貴音がようやく美希を羽交い締めしていた手を緩める。

その瞬間、美希の右手が貴音に振り上げられていた。

「ぐっ!!」

強烈な殴打を受け、よろめく貴音。

「なんで!? なんで止めたの! 目を覚ましてよ! なんでこんな馬鹿なこと、繰り返そうとするの!? ボタンを押せば、真君が助かって、全部終わったじゃない!!」

へたり込む貴音に怒鳴り散らす美希。

その横から伊織が割り込み、美希の頬に強烈なビンタを浴びせた。

「つっ!! ・・・伊織、あなたも同じなの! どうして・・・!」

「目を覚ますのはあんたの方よ、美希! 自殺願望は勝手だけど、私たちを巻き込まないで!! 死ねば丸く収まるなんて、それこそバカの考え方よ!!」

「もう・・・もうやめてよ! どうして助けられた私達が言い争わなくちゃいけないの!?」

春香が涙目で全員に訴えかける。

千早はそれに続けた。

「こういう醜い言い争いこそ犯人の思う壺だって、もう分かりきったことでしょう。起きてしまったことはしょうがない。生きてる私たちで、なんとか進むしかないのよ」

「ふうん、随分偉そうに言うわね、千早。ずっと春香の陰にコソコソ隠れてる分際で!」

怒りの収まらない伊織は千早までもを痛烈に批難する。

しかし千早は目を逸らし、次の部屋へと春香を促した。

「私達は、真に救われた・・・そう言い張るしかない。とにかく、進みましょう。さあ」

「う、うん・・・」

そう思わなければ、頭がおかしくなりそうだから。

(・・・ごめんね、雪歩。私は・・・━━━━)

双海姉妹や我那覇響も、この途轍もなく険悪な雰囲気に、ただ沈黙している他なかった。

おずおずと立ち上がり、扉へ歩き出す。

「・・・ふん。一人の命も八人の命も同じよ、馬鹿ね・・・」

伊織と貴音も続く。

「真君、ごめんね・・・助けられなかったよ、ミキじゃ・・・」

膝をつき、依然としてモニターに映し出されている真に深く頭を下げ、懺悔の姿勢を取った。

そして、まるで糸に操られる人形のぎこちなさで扉へと向かった。

もはやこれまでに置き去りしてきた萩原雪歩や三浦あずさが生きていると信じている者など誰一人として居ない。

彼女達の強かったはずの絆は、この時、壊れかけていた。

 



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第7の扉/Ⅰ.橋

「・・・何よこれ」

目の前の光景に、伊織は震える声で言葉を搾り出した。

「無理だよ・・・こんなの」

美希も同様に絶望を含んだ口調で呟く。

6つ目の扉を抜けた8人は、この部屋で自分たちが行うべき行動をすぐさま理解した。

真正面の壁には扉がある。次へ進む為の扉が。

8人を絶望させているのは、扉の前の床と彼女たちが立っている床とを隔てる、深い崖。

崖の底には、日本刀のように長く鋭利な刃物が隙間なく敷き詰められている。

そして、その崖に掛かる、女性の足の横幅より僅かに広い程度の、妙に分厚い2本の鉄板。

しかも、その鉄板はまるでホットプレートの様な構造になっている。

靴越しでなら問題はなさそうだが、直接手で触れてはひとたまりもないだろう。

長さは、約25メートル。命を張るにはあまりにも長い距離だ。

「次の扉を開けるには、この鉄板を渡り切るしかない」

貴音が淡々と語る。

「更には、加熱装置によって、手をつき這って進む事は不可能・・・立って歩くしか無いのですね」

「言われなくても・・・分かってるわよ」

あくまでも強気に、伊織が返答した。

「無理だよこんなの・・・落ちたら死ぬじゃん・・・」

床に座り込み、涙目の亜美。

真美は青褪め口を開こうともしない。

「・・・真美?大丈夫?」

見かねた亜美は姉である真美に声をかける。

「うん・・・大丈夫。大丈夫・・・大丈夫・・・」

その目は据わっている。呼吸も浅い。

譫言を喋りながら、たどたどしい足取りで、鉄板の方へ向かう真美。

「ま、真美待って!ちょっと落ち着こう!ね?」

亜美が咄嗟に真美を引き止める。

このまま行かせては渡りきれるはずもない。

 

そんな様子を眺めていた伊織が、はっきりと言い放った。

「・・・私は渡るわよ」

伊織の右足の靴が鉄骨に触れ、かつんと小気味良い音を打ち鳴らした。

「い、伊織っ・・・!」

響が緊張した声を上げる。

それに伊織が冷たく言い返す。

「話しかけないで。気が散る」

言いながら、右足も鉄骨に乗せた。

彼女を支える心強い地面は、もう足元にない。

あるのは、僅かでも踏み外せばその身を滅ぼす、非情な茨道のみである。

そんな道を踏みしめ、伊織は淡々と歩みを重ねていく。

靴底から鉄板の熱がじりじりと伝わる。

今はまだ耐えられるが、じっとしていればその温度は増していく一方だ。

目の前の扉だけを目指し、ただ歩くのみ。

「・・・私も、行くよ。じっとしてるだけはもう嫌だから」

伊織の様子を静観していた美希も、意を決した。

伊織が渡る鉄板ではなく、もう片方の鉄板にその足を掛けた。

「・・・絶対に渡る。ミキは絶対に渡れる・・・」

自己暗示のように呟きながら、美希は足元から目を逸らさずに歩いてゆく。

その後ろを、一言も発さず貴音が続く。

「行くしかないよな・・・うん、自分は完璧なんだ・・・こんなの、ただの平均台だって思えば・・・」

響も美希と同様、自身に言い聞かせながら鉄骨へと踏み出した。

こつこつと、鉄骨を踏み鳴らす音は増えていく。

「春香、私は先に行くわ」

千早は春香に一言そう告げると、毅然と鉄骨に踏み出した。

「ち・・・千早ちゃん」

春香はまだ覚悟には至らない。

こんな鉄板の上でいつものように躓こうものなら、後悔する間もなく御陀仏だ。

「大丈夫。春香なら渡りきれる。自分を信じて」

背中を向けたまま、千早が声を掛けた。

春香には、その華奢な後姿がとても大きく、愛おしく思えた。

「・・・そうだね。行かなきゃね」

僅かずつ遠ざかる千早の背に引かれ、春香もそっと鉄板にその体を乗せた。

 

「・・・みんな行っちゃったよ。ねえ、真美、まだ良くならない?」

ずっと姉の傍に寄り添っていた亜美が、取り残されているという焦燥からそう切り出した。

当の真美の顔色は一向に晴れない。むしろ悪化しているようにさえ思える。

「大丈夫・・・大丈夫・・・大丈夫・・・」

それ以外、真美は口にしない。

震える歯がカチカチと鳴っている。見開かれた目も亜美を見てはいない。

「もう・・・亜美は行くから。絶対ついてきてよ。絶対だよ」

これ以上声をかけても無意味だと判断し、亜美は先をゆく者達の後に続いた。

 

二枚の鉄板の上をゆく7人に、一切言葉はない。

ただ、ゆっくりと、ゆっくりと。ある者は足を交互に出し、またある者は摺り足で前進していく。

しかし、常に足を鉄板に付けている摺足は、鉄板の熱を絶え間なく伝えてしまう。

「・・・つっ」

摺り足の美希が、その熱さに耐えかねて足を上げた。

瞬間、美希の体が俄かに均衡をなくした。

「・・・っ!」

心臓に氷水をあけられたかのような怖気が走る。

軸を戻そうとすればするほど、思惑とは裏腹に左右に揺れる身体。

「・・・美希!」

その姿に気付いた春香が思わず声を上げた。

しかし美希はそれどころではなかった。

足元がふらつく。

やばい、落ちる。死ぬ━━━━。

しかし、美希は落ちなかった。

その肩を後ろから支えたのは、四条貴音だった。

「まずは呼吸を整えなさい。ゆっくり、焦らず、歩めばよいのです」

小刻みに震える肩を押さえ、美希の耳元に囁く。

「・・・言われなくたって、分かってるの。もういいから。触らないで」

息を荒げながらも、美希は自身を救った貴音を冷たく突き放す。

それを受けて、貴音はそっと手を離した。

「・・・失礼致しました」

きっと彼女は、菊地真の約束された救出より自分達の未確定の生還を優先した私を蔑んでいるのだろう。

そう思い口を噤んだ貴音には反論の余地がなかった。

自分の身は惜しい。

それでも、目の前の仲間は救いたい。

貴音は葛藤していた。

今の私を動かすのは善か、偽善か。

私は生き残るべき人間なのか・・・。

 

「くぅっ・・・!」

ふいに先頭から声が漏れた。

伊織だ。

対岸までの距離は僅か3メートルほどにまで迫っていた。

しかし、焦りは彼女の重心を振れさせる。

「落ちてっ・・・落ちてたまるか・・・!」

叫びとともに、大きな一歩が踏み出された。

そしてまた一歩、さらに一歩━━━━

そこで、伊織の身体は大きく傾いた。

「伊織っ!」

貴音が声を上げたのとほぼ同時に、伊織は宙に蹴り出していた。

「・・・っ!」

他の者は咄嗟に目を伏せた。

無論、起こりうる最悪の事態を想定したからだ。

「はぁっ!ああっ・・・!!」

しかし、伊織は生きていた。

辛うじて、バランスを失う前に対岸に飛びつき、そして届いたのだ。

再び安定した大地に戻った伊織は、その安堵から仰向けに倒れた。

「やった・・・やったぁ・・・!私、生きてる・・・!」

これ以上ないほどの生への実感。至福のひと時。

未だ鉄板の上を歩む者達を気にも留めず、その多幸感を体いっぱいに味わう。

たかが25メートルほどしかない鉄の橋が、これ程までに恐ろしいものだとは。

伊織に限らず、全員がその覚束無い両足からひしひしと思い知らされていた。

「・・・もう少し」

歯を食いしばり、伊織を睨みつけながら美希が歩む。

あと3歩、2歩。

「これで・・・終わりっ!」

美希のすらりとした美脚が、待ち望んだ固い地面を踏み鳴らした。

そのままの勢いでふらふらと正面の壁に手をつき、もたれ掛かる。

腰を下ろして三角座りの姿勢になり、引きつった顔で項垂れた。

「はぁっ・・・はぁっ・・・」

安全圏内に至っても、美希の身体は死への恐怖に震え続ける。

それでも、彼女はまだ信じていた。

自分がただ一人の仲間を救い出そうとしたこと、その正しさを。

 

その後、貴音、響が順番に対岸に到達した。

「はぁ・・・冷や汗が止まりませんね」

「自分・・・もう、ダメだぞ・・・心臓が、爆発しそう・・・」

現在橋を渡るものは千早と春香、亜美の3人。

未だ入口の前で覚悟を固められずにいる真美。

「・・・春香、いる?」

千早は振り返らず、自分の後をついているであろう春香に声をかける。

「うん、いるよ。大丈夫」

春香にとって、千早の背はとても心強かった。

「もう少しよ、頑張って」

「千早ちゃんも、気を抜かないようにね」

「こっちのセリフよ、少しずつでいいから落ち着いて」

「うん、気をつけるよ」

離れてしまわないようにと、言葉を交わす。

お互いの存在を伝え合う。

それが、この状況下では何よりも強い命綱になった。

「・・・くっ」

千早が、ペースを変えることなく、鉄骨から足を下ろした。

対岸へ辿り着いたのだ。

「さあ、春香」

振り返り、春香の方へ手を伸ばす。

「んっ・・・、千早ちゃん」

焦らずに、そっと、足を前に出す。

そして千早の手を取る。

その手は汗ばんでいたが、心地良い体温だった。

きゅっと春香の手を引き、待望の混凝土へと誘う。

2人は同時に倒れこみ、抱擁を交わす。

「良かった・・・春香・・・」

「うん・・・すごく怖かった・・・」

皆一様に固く冷え切った地面に座り込み、待った。

鉄板の上でたじろぐ亜美と、未だ鉄板の手前で蹲る真美を。



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第7の扉/Ⅱ.支え

4年ぶりの投稿です。


「ちょ、ちょっと・・・真美、早く来なさいよ!!」

伊織が一向に鉄板を渡る素振りを見せない真美に声を荒げてそう言った。

それは仲間の無事を案じて・・・というよりは、早く次に進みたい、という気持ち。

或いは、9つ目の扉までに死者を増やせば自身の生存が危ぶまれることへの危惧か。

「真美・・・来て!大丈夫だから!」

続いて春香が真美を促す。

伊織とは対照的に、幾分か温情を纏った声色で。

「そう、大丈夫、大丈夫」

春香に呼応したのか、真美はおずおずと鉄板に立ち、鉄板を渡り始めた。

「そう、落ち着いてっ・・・」

その瞬間こそ喜んだ春香だったが、間もなく事態は収束していないことを悟った。

真美は鉄板を歩いている。足元も見ずに。ランウェイを歩くモデルのように、当たり前に。

大丈夫、大丈夫、と呟きながら、涙と涎を垂れ流して、半笑いで。

それも摺足や慎重な足運びなどではなく、信じがたい広い歩幅で。

彼女は狂ってしまった。誰もがそう思った。

真美の進行方向、対岸を目前にして歩みを滞らせている亜美以外は。

「真美・・・真美、来てるの?」

震える声で亜美が問う。あと少しなのに、思うように足が出せない。

その間にも真美はみるみる亜美との距離を縮めていく。

 

「・・・まずいの」

思わず美希が声を上げた。

あの真美の様子を見れば、亜美と真美の接触が非常に危険であると容易に想像できる。

━━━━何とかしなければ。

美希は必死に思考を巡らせる。

真美のいる地点から対岸までは7メートル…いや、6メートルに差し掛かった所だろうか。

まだ、その手を引いて導くには遠すぎる距離だ。

今、私たちが着ている衣装では、繋ぎ合わせて命綱の代わりにすることも不可能だ。

非力なうえ心身の疲弊している私たちの腕力では、落ちる仲間を引っ張り上げることもできない。

最悪、支える側までもが一緒に落ちてしまう、ということも…ありうるのだ。

「ミキ…どうすればいいの…?」

駄目だ。自分が橋に戻ったところでどうにもならない。

しかし、このままでは二人の衝突という最悪の事態は免れない。

「星井美希、貴女のその迷いは実に正しきものです」

「えっ? ・・・貴音?」

突然、鼓膜に飛び込んだ囁き。

顔を上げると、先ほど自分の肩を支えてくれた四条貴音。

「その選択を、その決断を、このわたくしに委ねてくださいまし」

その体が、背中が、いつの間にか自分の目の前にあった。

そして、ウェーブのかかった美しい銀髪を微かに靡かせ、二人の少女が残る橋へと歩いていく。

「・・・ちょっと、待ってよ、たか・・・」

「『待って』? 何を待つというのですか? 彼女達にはもう時間がないのですよ」

「っ・・・」

振り返らず言い放った貴音の言葉に、口籠る美希。

周りの者も、貴音の行動に気付き始める。

「貴音何してるんだ? 危ないぞ・・・?」

貴音と同時期に765プロに加入した響も、動揺の含みを持たせた声をかける。

「ちっ。一人でも多く減ったらまずいってのに。どうなっても知らないわよ」

伊織はそう吐き捨てると、またぎゅっと目を閉じた。

「行くのね。四条さん・・・」

ぽつりと呟いたのは千早だ。

傍らの春香も顔を青くして、貴音に聞こえるか否かの震えた声をあげる。

「貴音さん、助けに行くつもりなの? そんなの、む…」

言い切らぬうち、千早に口を塞がれた。

「春香」

唇から離したその手で春香の手を強く握り、じっと彼女の目をのぞき込む。

「それ以上は・・・言っては駄目よ」

無茶だ、とか、無意味だ、とか、そんなことは。

絶対に、もう二度と口にするな。

そう、如月千早が、その澄み切った瞳で、春香に訴えかけたから。

春香はそれ以上何も言えなかった。

 

「お姫ちん・・・!? どうして・・・」

足許に注視していた渦中の亜美も、漸く貴音の姿を捉えた。

既に泣き出しそうな亜美には何も考えられない。

何故目の前に貴音がいるのかも、なぜか只ならぬ速度で迫る背後の足音も。

すべてが亜美を焦燥させ、正常な判断力を失わせていく。

「ど、どいてよっ、このままじゃ亜美・・・」

「良いですか。私の首に腕を回してください。力を抜いて、じっとしているのですよ」

小学校の教師が児童に語り掛けるように、落ち着いた声色で。

しかし極めて張り詰めた眼差しで。

左足を右足の後ろに下げ、僅かに膝を曲げ、腰を落とし、手を伸ばして。

はっきりと、亜美にそう告げた。

「えっ、ええっ!? お姫ちん、もしかして?」

「早くなさい! 死にたいのですか!?」

「う、うぅっ・・・!」

それはまるで、叱られた子供が泣きつくようだった。

すかさず、貴音は亜美の膝下と肩に手を回し、。

「ああああっ! お、お姫ちんっ!」

亜美は悲鳴をあげ、首に回した腕に力が篭ってしまう。

横抱き━━━━俗称で言えばお姫様抱っこの形で、亜美の身体を抱き上げたのだから。

 

「ありえないの・・・そんなことしたら・・・」

息をのみ、それを見ていた美希。

いや、橋の上の三人以外の全員が同じことを考えていた。

貴音は765プロの中では長身であり、真ほどではないにしろ筋力もある。

しかし今、彼女が立っているのは安全が保障されたステージなどではない。

足の横幅がぎりぎり収まる程度の過熱した鉄板の上なのだ。

亜美にしても、年こそ最年少だが、成長期のその身体は160センチ近くある。

二人分のバランスを取るどころではないという事は、誰の目にも明らかだった。

そして何よりもまずいのは、彼女が対岸に背を向けているということだ。

向き直ろうと足を離そうものなら、たちまち均衡を崩し、刃の海に真っ逆さまだ。

「貴音さん・・・!」

春香も無事を祈るしかなかった。

・・・いったい何に祈るというのだろう。

この期に及んで、誰が私たちを見捨てずにいてくれるというのだろう。

そんな皮肉めいた言葉が浮かんだが、とにかく、ただ、必死に、祈った。

 

「大丈夫ですよ亜美。・・・それに真美も」

「ひいい・・・」

身体を強張らせながらもわなわなと震える亜美を抱えて、貴音が言った。

「・・・大丈夫」

目の前にいるのは真美だ。

先ほどとは違い、歩幅をやや小さくして、しかし着実に前へ、前へと。

それを導くように貴音は、窓を滑り落ちる雨垂れの様に、摺り足で後ろへ退いていく。

「・・・凄いぞ」

思わず、響が驚嘆を漏らす。

抱えているのが他の誰かであれば、こうはならなかっただろうと、誰もが思えるほどに。

本当に後ろにも目があるんじゃないかと、平常時であればそう茶化していたほどに。

貴音には不思議なまでの安定感があった。

「これなら行けるかも・・・貴音、こっちまで来たら支えるから!」

美希も、とっさに対岸で貴音を迎え入れる準備に入る。

伊織は入り口の傍で、ただ額の汗を鬱陶しそうに拭っている。

「真美。そのままで聞いてください。私たちは苦楽を共にした仲間です。そうですね」

「・・・うん」

「決して、仲間や妹を押し退けてでも助かろうなどとは考えていませんね?」

「妹・・・亜美」

「そうです。ここを出て家に帰ればいつもの生活が、何より家族が待っているのです」

「・・・家族」

言葉を交わして、一歩、一歩、進んでいく。

貴音が下がったぶん、真美が近づく。

同じ目的地へと、身体を運んでいく。

 

「先ほどからの様子を見るに、鬼から逃げる道中で、何かあったのですね。おそらくは・・・辛い決断を」

「・・・真美・・・ひびきんが・・・ピンチで・・・助けなきゃって・・・思って」

尋ねる貴音。

答える真美。

「真美、無理に思い出さずとも良いのですよ。口にせずとも・・・」

「うあっ、真美、愛ぴょんが、ひっ、ひびきんのこと殺そうしてたから、悪い奴だって思ったから、そ、それで、持ってたハンマーで・・・」

「・・・そう、だったのですか」

「真美・・・愛ぴょんのこと、殺しちゃったよ。人を・・・殺しちゃったんだよ」

「貴女の選択に間違いなどありません。その葛藤と後悔は、貴女が未だ正常であるという何よりの証」

「何度も何度も、動かなくなるまで、いっぱい殴ったよ? 真美が・・・殺したんだよ?」

独白する真美。

肯定する貴音。

貴音の胸の中の亜美が目を見開いて、顔を真美に向ける。

「こ、殺っ・・・う、嘘でしょ? 真美、だって・・・」

「亜美、しばしご辛抱を。今は私と真美が話をしているのです」

「で、でも・・・ううん、ごめん・・・」

「・・・真美。辛かったでしょう。苦しかったんでしょう。よく頑張りましたね」

「真美、さ、さっき、あ、あ、亜美も、邪魔だって、思っちゃったんだよ。落としてやろうって。亜美を殺しても、たすっ、助かろうとしたんだよ。真美は、真美は・・・」

「それは真美がこのような橋の上で孤独だったからです。もう独りにはさせません」

「早く行ってよぉ。じゃないと真美また、殺しちゃう。殺したくないけど、死にたくないもん。もう殺すのやだよ。早く・・・」

誰も支えてくれない橋の上で、真美はぼろぼろと、漫画のような量の涙をこぼしていた。

端正な顎のカーブから垂れ落ちた涙の粒が落ちる度、じゅう、じゅう、と鉄板を鳴らす。

泳ぎを教わる子供と母親の様に、あるいは餌を口移しする雛鳥と親鳥の様に。

緩慢に貴音に近づいていく。

気付けば、対岸はもうすぐ傍まで迫っていた。

「貴音、いい? 支えるよ」

美希はそう言って橋に片足だけ乗せ、両手で貴音の腰をしっかりと掴んだ。

そして、その言葉に応えるように、貴音はゆっくりと背後に体重を預ける。

「くっ・・・!」

貴音が、対岸に辿り着いた。

すぐさま亜美を安全な地面に降ろし、真美に手を伸ばす。

「さあ、手を。真美」

「お・・・お姫ちん・・・!」

ぐっと真美を引き寄せ、そのままの勢いで貴音は彼女を抱きしめた。

「はぁあっ・・・!!亜美、生きてるんだよね!? 真美も・・・!」

腰が抜けたようにへたり込む亜美。

そこに春香や千早、響たちも駆け寄る。

「貴音さん! よかった、無事で・・・!」

「亜美と真美も、いったんここで落ち着きましょう。焦るとさっきの二の舞よ」

「自分、落ちちゃうんじゃないかってドキドキしたけど・・・やっぱり貴音はすごいぞ!」

生還した3人へと、口々に安堵の言葉が投げ掛けられる。

しかし、先へ進む扉の前に寄りかかる伊織の表情は固いままだ。

「ねえ、仲良しごっこはいいから早くしてくれる?」

「・・・ごっこでも仲良くできないの? でこちゃんは」

伊織の皮肉に美希がかみつく。

「やめなさい、二人とも。・・・ともかく、美希。先ほどは助かりました」

「・・・足。大丈夫なの?」

口喧嘩を諫め美希へ感謝を述べる貴音に、美希はただそれだけ返した。

「絶対やけどしてるよね、それ。ずっと摺り足だったもん。やせ我慢してるのがバレバレなの」

「お見通し、という訳ですか。治す方法もなければ、気にしている余裕もないでしょう」

その靴は焼け焦げていて、見るからに痛々しい。

「あっ、お姫ちん・・・ごめん、亜美たちの為に・・・」

「良いのです。こうして無事に辿り着けたのですから」

申し訳なさそうに頭を下げる亜美。

そして真美も。

「お姫ちん。ずっと支えてくれてありがと。真美、もうだめだと思った。本当は全然大丈夫なんかじゃなかった。ずっと喋ってくれて、聞いてくれて、ありがとう」

「真美・・・ねえ真美、本当に・・・愛ぴょんのこと・・・」

心配そうに姉に尋ねる亜美を、貴音が制した。

「もう良いのです。この状況下では何が起きようとも不思議ではありませんから」

「…ゴメン。貴音」

「…美希?」

次に頭を下げたのは、美希だった。

「ミキ、貴音に酷いことたくさん言ったの。真くんの時も。鉄板の上でも。ホントは貴音、皆のコト心配してくれてるってわかってた」

貴音は無言でそれを聞き、自分の胸の前に手を当てた。

「でも、ミキの中の思いがバクハツして、止められなくて。だからごめんなさい、なの」

「いいのです。貴女の本心が聞けて良かったと、そう思っています。貴女の精神は、まこと正しきものです」

そう言って貴音は微笑んだ。

 

貴音は、ずっと考えていた。

己が体現するべき正義について。

時には美希の自己犠牲を信じ、時には伊織の自己保身を認め。

護るもの、護られるもの、そのどちらもかけがえのないものであると。

自分の命をなにより大事にしてほしい。自分の為に死ぬなんて言わないでほしい。

いや、自分ひとりの命を捧げれば全てが終わるというのなら、それもいい。

頭では解っている。

しかし、自分は未熟だ。

そのどちらにも染まることができない。

唯一出来ることは、一緒にいる仲間を支えること。

ひとりひとり違う正しさを、肯定すること。

そのためなら、身を焼かれることも、串刺しになることも、何も怖くはない。

それが、私の中の、確かな正義だから。

 

それから程なくして、次の部屋への錠が開いた。

伊織が扉を開け、その動向に警戒する8人が後に続く。

━━━━最終的に残れる者は、最大4人。

これ以上、誰一人失いたくない。

一部の者はそのことで脳内を埋め尽くされていた。

 



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第8の扉/Ⅰ.鍵

扉の向こうは、またも屋外だった。

真っ暗な夜だ。月が煌々と夜空に浮かんでいる。

等間隔で壁に設置された照明は点灯しているが、それでも目を凝らさねば危険な暗さだ。

そして相変わらず鬱蒼とした木々と聳える石壁が行く手を阻む。

「これって・・・また」

美希が恐る恐る声を上げる。

先ほどの『鬼ごっこ』のエリアと全く同じ外観。

「・・・また何か、アナウンスがあるかしら」

千早が皆に聞こえる声量で呟く。

「もう襲われるのはたくさんだぞ・・・一気に走り抜けて行っちゃおうよ」

落ち着きなく足踏みする響。

「落ち着いてください、響。前回と全く同じ仕掛けとは限りませんよ」

と、貴音。

そんなやりとりを見ていた伊織が冷淡に言い放つ。

「いいじゃない、勝手にすれば」

「それ、どういう意味・・・?」

春香が伊織に訊ねる。

「言葉通りよ。各々が動きたいように動けばいい。それで勝手に死んだらご愁傷様。私まで危うくなったらもちろんタダじゃ置かないけど。にひひっ」

「でこちゃんはどんなときでもでこちゃんなんだね。ソンケ―するの」

半ば呆れたような顔で美希が一言。

「私は、もう少しここで待つわ」

聞こえないふりをして、伊織は入口側の壁に背を預けた。

美希は露骨に不機嫌そうな顔を伊織に向ける。

それを横目で見遣り、伊織はまたも気付かないふりをした。

「じゃあ、自分は・・・行くぞ。もう、じっとしているのは嫌だから・・・」

「響、待って! 一緒に行こう」

美希が先行する響を追いかけ、行ってしまった。

亜美と真美は、手を繋いでじっと貴音の傍についている。

 

「・・・私は、どうすればいいんだろう」

春香はここに来て、自分の正しさに一縷の不安を抱えていた。

ここを出て欲しいという雪歩の意思。身を捨てて仲間を救おうとした真の矜持。

死んで欲しくない仲間。我が身を犠牲にしても助けるべき仲間。

死の恐怖に怯える自分。死にたくない自分━━━━。

美希は、その言動から、真と同じように仲間を救いたい気持ちで一杯のようだ。

伊織や貴音の素振りに不信感を抱いてはいるものの、自己犠牲の信念は決して曲げたくないのだろう。

要するに、美希は『悪者』になりたくないのだ。

真を救うか先に進むかという選択では、不明確な私達の生存よりも明確な一人の生存をとった。

彼女はそちらを正義と信じたからだ。

しかし、もし真を救ったとして、私達はどうなる?

同じように、もがき、苦しみ、生きたいと願い僅かな希望に向かう他者は?

単に美希が真に好意を抱いていて、伊織たちに敵意を抱いていたから、もっと言うなら敵愾心からボタンを押そうとしたのなら、それは彼女のエゴではないのか?

そう、大事なのは誰一人欠けてはならない、欠けていいものなど居ないということ。

他人は勿論、自分だってそうだ。

つまるところ、春香にはもう自分の取るべき行動が分からなかった。

自己犠牲も正しい。自分で自分を護ることも正しい。

各々の『正義』がせめぎ合って、私達はばらばらになってしまったのだ。

なんて虚しい絆なのだろう。

残った私達は、昔の様に笑い合うことはもうできないのか。

いや、気持ちを曝け出した結果こうなったのならば、元々私達は相容れない人間だったと言えるのか。

上辺だけの友情? 上辺だけの関係? 上辺だけの・・・。

「春香、大丈夫? 顔色が悪いわ」

千早が春香の肩を抱き、顔を覗き込んだ。いつも以上に真剣な眼差しだ。

相当辛そうな顔をしてたんだろうな、私。

そう思い、ちょっと疲れただけだよ、と千早の手をとって微笑んだ。

千早ちゃん。あなたは・・・いま、何を思っているのだろう。

今の私にとって、確かな『善』は、きっと・・・千早ちゃん一人だけだ。

『えー、すみません。ちょっとトイレ行っててアナウンスが遅れました。どうも私です』

設置されたスピーカーから、甲高い声が響く。

「あんたね、ふざけてんじゃないわよ! 早く次の扉の開け方を教えなさい!!」

空に向かって鬼の形相で伊織が怒鳴る。

『まぁ、ルール自体は簡単です。鬼ごっこパート2です』

「・・・っ! では、再び誰かが・・・!?」

『ええそうです。ただし、次は・・・ちょっと、難易度が上がってますよ』

「どういうことよ!?」

『この森の中の地面に、12個の鍵が散らばってます。そして、そこから反対側のドアに12個のドアがあります』

「はぁ・・・!?」

「そ、そんな・・・真っ直ぐ扉に向かえばいいんじゃないの・・・?」

『まぁ全く一緒でもつまんないですし。落ちてる鍵を拾って、鍵に書かれた番号に対応した扉に入ってください。扉の先は同じ部屋につながってます』

「こんな真っ暗なのに鍵を探せなんて・・・ムチャもいいとこだわ」

『扉の向こうはセーフティエリアです。前回と同じく鬼が扉を開けることはできません。強引に入って来ようとしたら私たちが処刑しますのでご安心ください』

全員の顔がみるみる焦りを帯びていく。

また、武器を持った者達に襲われるのか。

そして、次は誰が『鬼』なのか。

しかも、こんな足元の悪さと暗さの中、鍵などという小さな物を探せというのか。

『今回の鬼は1人でー・・・あっ、そうだ。1つの扉につき通れるのは1人だけです。他の人が開けたドアに入ろうとしないでくださいね?あんまり面白くないですから』

その説明に、すかさず貴音が口を挟む。

「それを破ると・・・どうなるのですか?」

『んー。まあいいか言っちゃっても。扉はキッチリ監視してまして、2人以上同時に入ったのを確認したら、次の部屋で毒ガス撒いて問答無用で全員ぶち殺します』

「・・・くっ」

千早は唇を噛み、ひと呼吸おいて、質問を投げかける。

「でも、扉に入る前までの集団行動や鍵を複数所持する事は、禁止されてはいないですよね?」

『あ、それは全然大丈夫です。ドア通るとき一人ならね。あとは特に禁止してません。制限時間も無いです。なんなら鬼を返り討ちにしても結構です』

「そうですか・・・」

貴音が鍵を探し出そうと歩き出した、その時。

「いやああぁぁ!!」

「うわあああっ!?」

先に出発した、美希と響の悲鳴だ。

「美希っ・・・!」

春香は声の方向へ目を凝らすが、生い茂る木々に暗さが相まって全く様子を伺い知ることができない。

『おおっと、もう始まっちゃってるようですね。まあ大事な事は言ったし、精々頑張ってくださいな。それではアスタルエゴ!!』

それを最後にアナウンスは途切れた。

「なんでスペイン語なのよ、ムカつく」

悪態をつきながら、伊織は駆け出していった。

「・・・春香、千早、私は行きます。どうかお気をつけて」

「待って、お姫ちん、亜美も行く!」

「ま、真美も・・・」

貴音と双海姉妹も足早に去っていく。

「どうする、千早ちゃん。美希たちも心配だけど、鍵を探さなきゃ。手分けしたほうがいいかな」

「うん・・・それはそうなのだけど」

「お互い離れてても連絡がとれればな・・・」

春香はハッとして自身の携帯を取り出す。

今までの環境とは違い屋外ならばもしかして電波が届くのでは、と考えたからだ。

しかし、結果は圏外。春香は申し訳なさそうに携帯を閉じた。

「まあ・・・通話は無理でも足元を照らす明かりくらいには使えるでしょうね」

「あっ、そうか」

「まあ、そうね、すぐお互いのことが分かるよう横に4、5メートルほど離れて進んでいきましょう」

「うん、分かった」

千早は微笑むと、携帯の灯りを翳して歩き出した。

春香も同じように足元を注視しながらそれに並んだ。

 

 

「だっ・・・誰ッ!?」

突如として美希の前に現れたその人物は、言葉も発することなく襲い掛かった。

その顔はフルフェイスヘルメットて隠され、表情一つ読み取ることができない。

更に、全身に纏っているのは丈夫そうな漆黒のレーシングスーツだ。ひどく汚れている。

しかし背格好はそれほど大きくはない。女性・・・?

それより、何より美希を震え上がらせているのは、その手に持っている武器だった。

駆動音を轟かせ高速回転する無骨な刃。電動丸鋸、サーキュラーソー。

しかもセーフティカバーは外され、丸鋸の半円が剥き出しになっている。

「そ、そんなのでミキを殺すつもり!? やめて! 痛いよ!」

木々の隙間をすり抜け、デタラメに逃げ回る美希。

彼女は、直前まで響と共に行動していた。

しかし、サーキュラーソーを振りかざす敵が現れ、美希は響を突き飛ばして逃がし、敵を誘い出したのだ。

仲間を身代わりにして逃げるなどという発想は、初めから美希にはなかった。

自分の手に負える相手かどうかなど、推し量るまでもない。

「鍵も見つけなきゃいけないのに・・・!」

サーキュラーソーに使い慣れていないのか、敵の追跡は決して撒けない速さではない。

一度相手の視界から外れ、再び鍵探しに専念しなければ。

どんどんサーキュラーソーの駆動音が遠ざかる。

どうやら美希を見失ったようだ。

「喋れないのかな、大きなヘルメットまでして。・・・でも、あの人・・・」

冷や汗を流しながら、美希は、暗闇の中で息を潜めた。

足元に目を落とすと、何かそこそこ大きな金属らしきものが目に入った。

「あっ・・・鍵! すごい偶然なの。・・・これは2番か」

周りに聞こえない程の小声で感想を洩らし、辿った道筋を振り向く。

「あの人はノコギリの音がするから分かりやすいの。でも・・・」

そっと立ち上がる。

ふいに、人の気配を感じた。

「・・・伊織?」

「っ!」

長い茶髪を認識し、その名前を呼ぶ。

呼ばれた少女は、怯えた顔で此方を振り向いた。

「な、何よ、驚かさないでよね・・・。ところで、あんたさっき何か叫んでたでしょ」

「うん、丸いノコギリ・・・みたいなので襲われたの」

「サーキュラソーってやつかしら。武器も猟奇的になっていくのね・・・ああ怖い」

「でも、顔はヘルメットで隠れてて、誰なのかはわからなかったの」

「どちらにせよロクな奴はここにいないわ。前と同じでどっかのアイドルだったりして」

伊織が辟易した顔を見せる。

「そういえばミキ、前の『鬼ごっこ』では誰とも会わなかったの。誰だった?」

「876プロよ、私が見たのは涼と愛だけど・・・もう一人、えっと・・・絵理もいたみたい」

「そうなんだ・・・ホントに誰が、こんな酷い事・・・」

「・・・ねぇ、私はもう行くわよ。あんたみたいにボサッとしてらんないんだから」

「あ、うん・・・」

そう言い、足下を眺めて歩き出す伊織。

それを眺める美希は、少しの躊躇の後、声を掛けた。

「・・・ねぇ」

「何よ。まだ何かあるわけ?」

苛立ちを包み隠さず美希にぶつける伊織。

構わずに、美希は続ける。

「鍵、持ってないんでしょ。これ、持ってっていいよ」

美希はついさっき見つけた鍵を、伊織の前に差し出した。

「・・・美希、それ」

伊織は予想外と言わんばかりに目を丸くする。

紛れもなく、それは鍵だった。生き残りの為の切符だ。

せっかく見つけた鍵を明け渡すなんて、流石の美希でもしないだろうと踏んでいた。

皮肉たっぷりに、伊織は言う。

「真美に続いて、あんたまでおかしくなっちゃったわけ? 黙ってそれ持って一人で行けばいいじゃない」

「ミキはね、自分だけ助かろうなんて、思ってないの。誰かさんみたいにね」

そう冷淡な口調で言い、伊織の手に鍵を握らせる。

「鍵はまた探せばいいの。じゃあね、伊織。引き止めてごめんなの。死なないでね」

そう言い、今度は美希の方から離れていく。

「・・・礼なんか言わないわよ」

離れながら、伊織が呟く。

「・・・うん」

さらに、もう一言。

「せいぜい、生き延びなさい」

伊織の姿は、美希からは完全に見えなくなった。

 

 

「今の音は、何だったのでしょうか・・・」

遠くから聞こえたエンジンの駆動音に怯え、壁沿いに歩む貴音たち。

余所見をしていると、ふいに、貴音の頬に冷たいものがぶつかった。

「い、いやっ!」

「お姫ちん!?」

「どうしたの!?」

突然の事に慌てふためき、腰を抜かしてしまう。

落ち着いて良く見ると、それは高い木の枝から顔の高さに紐で括りつけられた鍵だった。

「か、鍵・・・」

はしたなく驚いてしまったことに羞恥し、おずおずと鍵を手に入れる。

「あ、それ鍵!?」

「お姫ちんすごいよ、もう見つけちゃうなんて!」

「しかし一本だけでは…この中の一人しか次へ進めませんね」

束の間、ざざざざっ、と草木を踏む音。

誰かが、近づいてくる。

亜美真美に片手で身を低くするよう指示を出し、様木の陰に隠れる貴音。同時に、足元に落ちていた小石を幾つか拾う。

(あれが鬼・・・なるほど、まこと厄介ですね)

顔は伺えなかったが、手に持っているあの刃物は厄介だ。

どうやら、私たちの存在に感づいてはいるものの、明確な位置までは分からず探っているという様子だ。

貴音はそっと木陰から顔を出し、離れたところに小石を投げた。

こつん、がさがさ、と音が鳴る。

鬼は音に気づき、その方向に向かっていった。

(使い古された陽動も、試してみる価値はあるものですね・・・)

鬼が離れていくのを確認すると、貴音は亜美と真美の方に向き直った。

「いいですか。わたくしはこれからあの鬼の動向を追います」

「へっ? な、何言ってるの!? 危ないよ!」

「そうだよ! あんなでっかいの持ってちゃ敵いっこないよ!」

「ですが放置しておけば他の者が危険にさらされます。・・・この鍵を二人に」

「あっ・・・」

先ほど貴音が手に入れた鍵を、真美の手にしっかりと握らせる。

「くれぐれも落とさないように、しっかり握っているのですよ。」

「ほ、ホントに行くの?」

「亜美たち二人じゃ怖いよ・・・一緒に行こうよお姫ちん」

一呼吸おいて、貴音は二人と視線を合わせ、言った。

「真美、亜美。二人は強くありませんが、思っているほど弱くもありません。さあ、行きなさい」

「あっ・・・」

「お姫ちん・・・」

それだけ言い残し、貴音は一人、暗闇の森に消えていった。

「・・・行こう、亜美。きっともう一本どこかにあるよ」

「そうだね、真美・・・。きっと大丈夫だよね」

「真美たちはずっと一緒にいよ。今までも一緒だったんだもん」

「そだね。一緒に鍵さがそ。二人一緒じゃなきゃ意味ないもん」

不安を拭い去るように、言葉を交わしあって、二人も前へと歩き出した。

 

「あっ! これ、鍵だよね? 千早ちゃん!!」

春香が木の幹に括りつけられていた鍵を発見し、声を上げた。

そこに、千早が近づいてくる。

「良かった・・・。その鍵は春香のものだから。私に構わず、先に行っていいのよ、春香」

「うん、でも・・・」

「大丈夫、必ず私も追いつくから。さあ、鬼に見つからないように行って」

そう背中を押し、一人歩き出す千早。

ここで千早に付き添うと言えば、後押ししてくれた千早の顔に泥を塗ることになるだろう。

「分かった。絶対だよ。絶対来てね」

誓い合って、春香は千早から離れた。

「・・・春香は死なせないわ」

春香に聞こえないように、千早は小さく言った。

自分自身に誓いを立てるように。

 

「・・・これが、扉」

伊織は森を抜け、12の扉が並んだ壁の前に出た。

美希から受け取った鍵のタグには2番と書いてある。

左から2番目の扉に、大きく2と描かれていたので、恐らくここを開ける鍵なのだろう。

「開いてよね・・・」

慌てて鍵穴に鍵を差し込む。

かちゃり。気持ちの良い音を立てて回った。

ぐっと扉を引っ張り、転がり込む。

「ふぅ・・・これで一安心ね」

そう言って扉の奥の壁に凭れる。

ふと横に目をやると、響が三角座りで佇んでいた。

「ひっ・・・。何よ、居たのなら一言くらい言いなさいよね」

「あっ・・・ごめん伊織。疲れちゃってさ」

「というかあんた、良く鍵探して来れたわね。かなり顔色悪いけど」

皮肉混じりに伊織は訊ねる。

一切姿勢も表情も変えず響が答える。

「美希が鍵をくれたんだ」

「えっ?」

伊織は驚いた。

私に渡したものの他に、もう一本見つけていたのか。

ということは、美希は生き残りのチャンスを2度も放棄したことになる。

やはり彼女は、自身の信念を曲げるつもりは一切ないのだろう。

「・・・あのバカ。お人好しも大概にしなさいよ」

眉をひそめて、伊織が言う。

それから暫く気まずい沈黙が続き、再び伊織が言葉を紡いだ。

「響、あんた普段はうるさいくらい元気で体力もあるんだから、もうちょっと明るい顔したらどう?」

「そんなに・・・ひどい顔してる? 今の自分」

「そりゃもう。ファンが見たって響だって気づかないくらいにはね」

「美希さ・・・自分に言ったんだ。一度助けられたら、絶対生き延びなきゃダメだって」

「自分自身が死にたがってるくせに良く言うわ」

「それに、鬼ごっこの時も一番年下の真美たちに助けられちゃってさ」

「へえ・・・やるじゃない、あの生意気な二人がねえ・・・」

「皆のこと見てたら・・・なんだか自分が嫌になってさ。自分ってこんなに怖がりで臆病で、全然カンペキなんかじゃなかったんだって」

「・・・貴音や美希は頭がイッちゃってるのよ。あんたくらいが普通だわ」

「自分、守られてばっかりで。自分じゃなんにも決められなくて。真と美希に怒られた時も、自分はすごく冷たい人間なんだって・・・泣きたくなって」

「それも正しいわ。・・・いいえ、それが正しい、ね」

「自分、生きてていいのかな? このまま生き残って、またアイドルやっていいの?」

縋る様な声で伊織に問う響。

「当たり前でしょ。その為に私達は歩いて来たの。こんな状況だもの、他人の事なんか考えなくていい。それは悪い事じゃない」

「・・・伊織は、自分や他の子を犠牲にしても・・・生き残るつもりなのか?」

「・・・その時が来たら、そうするわ。少なくとも私は、美希みたいに誰かの為に死のうなんて絶対に考えない」

「伊織・・・」

「椅子取りゲームってあるでしょ。あれと同じだって考えるようにしたわ。のろまなグズの負けなのよ。私は何が何でも勝ちたいの」

「勝つか・・・負けるか」

「だからあんたも、生き残りたきゃ私を殺しなさい。その覚悟だけはしておくことね」

「・・・そっか。・・・そっか・・・」

弱々しい声で呟き、再び顔を隠してしまう響。

「・・・ふん」

再び訪れた、静寂。

その静寂を破ったのは、扉は開く音だった。

それも、二回続けて。

「やったっ! いおりんにひびきんもいるよ!」

「ほんとだ! よかった・・・でもお姫ちんはまだなんだね・・・」

三、四番目の通過者は亜美と真美だ。

「まさか亜美真美が揃ってくるなんてね・・・。あんた達、鬼は見た?」

「見たよ、見たけど・・・誰なのか全然わかんなかったよ」

「うん、それにお姫ちんが鬼を追いかけていっちゃったよ」

「貴音が? やっぱりあいつもあっち側なのね・・・大した精神力だわ」

「・・・お姫ちんの事、悪く言うのやめてよ」

「そうだよ。亜美と真美の事、一生懸命守ろうとしてくれたんだもん、ずっと」

「悪かったわよ。べつに貶した訳じゃないの。私には真似できないなって」

「なんでこんな事になっちゃったんだ・・・沖縄に帰りたいよ・・・」

「・・・ああ、そうだ。亜美真美にも言っておくわ」

「えっ、何?」

「いおりんどうしたの?」

「・・・私は、この先何が何でも生き残るわよ。美希みたいな甘っちょろい事は言わない。あんた達を見捨てても生き残るほうに賭けるわ」

「・・・わかったよ」

「・・・ねえ、いおりん」

亜美と真美はぎゅっと固く手を結び、同時に息を吸い込み、そして言った。

「私たちもそうするよ。お姫ちんが命かけて守ってくれたんだもん」

「絶対にムダにはしない。できないもん」

「ふぅん。・・・上等じゃない」

目を細めて笑い顔を作る伊織。

場違いだが、その笑顔はとてもうれしそうだ、と双海姉妹は思った。

(・・・皆、強いな)

声には出さずに、響は小さく唇を震わせた。

 

ここで再び、扉の開く音。

「あ、みんな・・・!」

「あら、春香。よく無事だったわね」

春香は額の汗を拭って、入ってきた扉と扉の間の壁に背中をつけて座り込んだ。

「千早はどうしたのよ」

「えっと・・・千早ちゃんは、鍵を探してるよ。途中まで一緒だったけど」

「あんたたちのことだから、仲良く一緒にくっついてくるかと思ったわ」

「あはは・・・私もそうしようとしたんだけど、鍵を見つけたら早く行けって怒られちゃって」

「でしょうね。こんな時に転ばれたりドジられたりしちゃ命に関わるもの」

「もう!流石にそれはしないよ!」

この場の空気に似合わない笑い声を上げる春香。

できるだけ気持ちを沈ませたくないという意識の顕れだ。

「ここにいないのは・・・千早ちゃんと、貴音さんと、美希か」

「やっぱり・・・というか、不安ね。その三人は」

「何が?」

「みんながみんな、互いを庇いそうじゃない」

「・・・そうかな」

「でも千早は・・・春香だけかしら、庇うの」

「そ、それってどういう・・・」

「言ってみただけよ。深く考えないで」

「うぅ・・・」

春香はここに来てからというもの、伊織の刺々しい物言いに苦手意識を覚えていた。

こんな状況だから、保身に走ること、気が荒立ってしまうことは仕方がない。

しかし、いつもの愛嬌や茶目っ気のない伊織は、どうしようもなく怖かった。

それは、貴音も同じ。美希だって・・・。

事務所内やステージであんなに愛おしく思えていた仲間に、なぜ自分はこんなに怯えているのだろう。

この場でそんな雰囲気を望んでいる自分が・・・おかしいのだろうか。

仮に今の私達が事務所に戻ったとして、前までと同じ顔をして笑い合えるのだろうか。

そんなことばかり、春香は考えていた。

 



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第8の扉/Ⅱ.刃

一向に明ける気配のない宵闇の中。

貴音は、機を伺っていた。

鬼は今、出口の扉が視認できる距離で重量感のあるサーキュラーソーを地面に降ろし、木の幹に寄りかかってじっとしている。

待ち伏せ・・・の、つもりなのだろうか。

一人一人を追いかけるより、出口に向かう私たちを一網打尽にしようというのか。

しかし、それにはあのような大振りを余儀なくされる武器は非常に不利だ。

・・・もちろん、それはこちら側にとっては好都合この上ない。

もしかすると、鬼も私たちと同様に連れてこられてゲームを強制された被害者なのかもしれない。

仮にそうだとして、自分に相手を救う手段があるだろうか。

ないのだ。自分には、自分たち765プロの仲間しか助けられない。

だから今は、非情になれ。自分の心を鬼にしろ。

襲われたら躊躇うな。

・・・もしも、萩原雪歩や、三浦あずさや、高槻やよいや、菊地真だったら、鬼を含めた全員が無事に助かる手段を必死に考えるのだろうか。

それに千早や、春香も、きっと・・・。

(・・・このような時に、いったい何を考えているのやら・・・)

そう漏らし、貴音は自嘲笑いを浮かべた。

そして、息を殺し、足音を立てず、木陰を利用して、少しずつ近づいていく。

貴音と鬼との距離は、10メートルを切っていた。

(よし。これでもう一度陽動を・・・)

先ほどと同じ要領で貴音は遠く離れた方向に石を投げた。

がさり、と音が鳴る。

鬼がとっさにサーキュラーソーを拾い音の方向を向いた。貴音に背を向けて。

貴音は姿勢を低くし、一気に近づいた。

サーキュラソーの起動音のせいか、こちらの僅かな物音には気が付いていないようだ。

そのまま無言で鬼に飛びつく。

・・・いや、飛びつこうとした。

「はっ・・・!?」

「・・・ふっ」

短く息を吐いて、鬼が突然振り向いたのだ。

呻るサーキュラーソウが貴音の眼前に突き出される。

「ぐっ!!」

とっさに上半身を翻し、間一髪で丸鋸は宙を切った。

そのまま片手で、サーキュラーソーを持つ右手を抑えこむ。

「甘い!」

「くっ・・・そぉ・・・」

鬼が悔恨の声を漏らす。

しかしそれに気を配るほどの余裕は貴音にはない。

貴音は一瞬の猶予も許されないこの時、次の一手のみを考えていた。

鬼の顔はフルフェイスで守られている。今最も有効な攻撃は何か。

貴音は鬼の腕をつかんだまま、鬼の側面に潜り込む。

同時に、鬼の右足に自分の脚を絡ませ、体重を乗せつつ鬼の右手首を返す。

比較的単純な護身術の応用ではあるが、とりわけ武器を持つ相手には効果覿面なのだ。

「なっ・・・」

驚嘆し、そのまま仰向けに倒れ込んでしまう鬼。

同時に、どすんと、鈍い音を立てて丸ノコが地面に落ちた。

「貰った・・・!」

一瞬の隙を見逃さず、拾い上げる。

貴音には、サーキュラソーの操作方法など一切分からない。

とにかくこの武器を、鬼の手から離さなければ。

そう考え、自分の背後に向け、満身の力を込めて思い切り放り投げた。

思ったほど飛ばなかったが、それでも鬼を無力化するには十分だ。

と、貴音は確信した。

もう一度、鬼の方に向き直るまでは。

「ふん、よくもやってくれたわね」

と、鬼が言った。

「えっ?」

そこで初めて、貴音は鬼が太腿のところに何かを身に着けているのに気づいた。

一体なんだろう。腰から太腿の付け根にかけて、ベルトで固定されたバッグのようなもの。

そこから鬼が『何か』を取り出して、こちらに向けている。

・・・いや、貴音は鬼が取り出したもの、『それ』を確かに知っていた。

もっとも、彼女が一日署長の際に手にした『それ』は、本物などではなかったのだが。

知識こそないが、貴音は直感で理解した。

目の前の鬼が、サーキュラーソーに気を取られている隙にホルスターから取り出したのは。

自分に突き付けている『それ』は。

まぎれもなく、本物の。

「お返しよ」

ぱんっ。

鬼の声と、乾いた音は、ほぼ同時に貴音の耳に飛び込んだ。

「ああああっ! ぐうっ!」

同時に感じたことのないような激痛が右胸上部に走る。

どくどくと漏れ出る赤い血が地面や草葉を濡らしていく。

「はっ、あんな使えない工具だけであんたたちを止められるなんて思ってないっての」

言いながら、地面にうずくまる貴音の腹を蹴り上げる。

「ぐふっ!」

仰向けになった貴音の胸を踏み、右手に持った拳銃の銃口を頭に向けたまま言葉を続ける。

「あれは弾の節約の為に最初だけ使ってたの。どうせすぐ電池切れるだろうし」

「はあ・・・はあ・・・わたくしが奇襲を仕掛けようとしたことも・・・」

「小石の陽動には気づいてたわよ。二回とも。一回目は人数が多かったから一人ずつ片付けようと思っただけ。二回目はわざと丸ノコに注意を向けさせた」

「・・・貴女は、ただの被害者という訳でも・・・なさそうですね。目的はなんなんですか!?」

「良い事教えてあげる。残りの鍵は全部私が持ってるの。助かりたかったら私から奪うしかない。どう? 出来そう?」

「なっ・・・この・・・!」

喋りながら、貴音は不思議な感覚に陥っていた。

鬼の声。低く掠れた声だがヘルメット越しでも分かる。明らかに女性だ。

それに、どこかで聞いたような・・・。

「あなたは・・・いったい、誰なんです!?」

「それは、教える必要もないでしょ。ゲームに何も関係ないもの」

「ぐうっ・・・」

「それで・・・鍵を奪う方法は思いついた?」

貴音が受けた銃創は急所を外れてはいたものの、出血は止まらない。

意識がもうろうとしてくる。

もうさっきまでのような機敏な動きはできないだろう。

ましてこの鬼は非常に頭が回り、注意深い。ほんの数十秒の戦闘でも察することができた。

これほどの相手の虚をつくなど・・・

「・・・時間切れね。残念だけど私もあんたに構ってられる程暇じゃないのよ。まだ千早も美希もいる」

「・・・あなた、765プロのメンバーを知って・・・」

「さようなら、貴音」

ぞっとするような声色で、鬼は言う。

そして、拳銃の引き金を━━━━

「・・・誰よ」

「えっ・・・」

引かなかった。

鬼はどこか別の方向へ銃を向けたようだ。

「やめてぇっ!!」

そう叫んだのは、星井美希だった。

まっすぐ一直線に、二人の方へと走ってくる。

「なっ・・・美希!? いけません!!」

「へぇ・・・あんたから来てくれるなんて、ねっ!」

ぱん、と一発。

その弾は美希の首筋を掠めていった。

「・・・やるじゃない。私が下手なのかしらね?」

軽口を叩きつつも一切気を緩めず照準を美希に向かって定め続ける。

(美希・・・いったいどうすれば・・・?)

貴音は未だ思慮を巡らせていた。

自分ひとりではどうにもならない相手だが、美希が駆けつけた今は絶好の好機なのではないか。

自分が持てるすべての力で鬼の身体を掴み、気をそらせば。

もちろん相手は決して銃を離さないだろう。そして機を逸すれば射殺は免れない。

どこだ。隙は・・・どこだ。

「美希ィ! 貴音を殺すぞ!! いいのか!?」

「ッ!?」

あと5、6メートルといったところで、そう叫んだ鬼の言葉に、美希は足を止めた。

「いけません! 美希・・・下がるのです・・・!」

痛みを噛み殺して、貴音も叫ぶ。

それは自分の命惜しさの懇願ではない。

美希の無事を思っての一言だった。

「あ・・・ああ・・・」

美希は顔を真っ青にして立ちすくんでしまった。

無理もない。

この状況で銃を突き付けられたら誰だってそうなる。

ましてや齢十五の少女なのだ。

しかし、美希の口から発せられた次の一言は、貴音の予想に反していた。

「・・・律子?」

「は・・・?」

思いがけず、間抜けな声を上げてしまう。

「・・・チッ」

フルフェイスの鬼は何も答えない。

微動だにもせず、銃口だけは上げたまま。

「律子・・・嬢・・・?」

その名前を、もちろん、知っている。

知っているに決まっている。

765プロのアイドルグループ、竜宮小町のプロデューサー。

いや、765プロのアイドル。

何故か最初に集まった時点で居なかった、私たちの仲間。

・・・秋月律子。

「律子だよね? その声・・・どうしたの? っていうか・・・何してるの?」

震えた声で、美希が問う。

「人違いじゃないかしら。誰よ律子って・・・」

「ウソつかないで! わかるよ! どれだけ一緒にいたと思ってるの!?」

美希は声を荒げる。

対して鬼は、興を殺がれたとでも言いたげに、肩をすくめて銃口を下ろした。

「・・・律子さん、でしょ」

一言、しかしはっきりと、そういった。

「まさか、そんな・・・本当に・・・律子嬢なのですか!?」

「あんたたちの為を思ってこんなの被って暑苦しい恰好してたのに、これじゃ台無しよ」

「・・・律子・・・さん。会いたかったの」

「何笑ってんのよ。あんた今私に殺されかけたのよ。おかしくなっちゃったの?」

「律子さんも、巻き込まれちゃったんだよね。仕方なく、こんなことしてるんだよね」

「ええ、まあ、そうね」

「律子さん、ミキ、律子さんを助けたいの。どうしたらいい?」

「・・・私が助かる条件は、あんたたちの誰かが一人以上ここで死ぬこと。誰でもいいのよ。貴音でも、美希でもね」

その言葉に、美希はわずかに目を細め、再び、笑った。

「・・・! み、美希、余計なことを考えてはいけません・・・!」

呼吸を荒げ、貴音が必死に訴える。

同時に律子が貴音の傷口を強く踏みにじる。

「あぐっ・・・!」

最悪の状況だ。

この流れは非常にまずい。

もうだめかもしれない。

「律子さん。ミキね、もう疲れちゃったの。真くんも救えなかったし、この先皆を助けられる自信もない」

「ふーん。それで?」

興味なさげに相槌を打ちながらも、律子の手は再び銃を取り美希に照準を合わせていた。

「律子さんに殺されるなら、ううん、律子さんが助かるなら・・・それでいい。やって、律子さん」

ぽろぽろと、美希の目から涙が溢れる。

「笑ったかと思ったら今度は泣き出したりして・・・本当にお子様ね、美希は」

フルフェイスを被ったままで、律子の表情は伺い知れないけれど。

その口調は、どこか憐憫のような、寂寞のような、複雑な含みを持っていた。

「でも、そんな顔でお願いされちゃったら断れないわね」

「待って。最後に・・・お願い。律子さんの顔を見せて」

「断る・・・と、言いたいところだけど、最後くらい言うこと聞いてあげるわ。私もそこまで鬼じゃないし。鬼だけど」

一度ホルスターに拳銃を戻し、膝を曲げて、足元に貴音を組み伏せたまま。

自らのフルフェイスを脱いだ。

紛れもなく、秋月律子だった。

その両頬に、乾ききっていない涙の筋。

「あはっ・・・やっぱり、ミキの知ってる律子さんなの。ひさしぶりなの」

「そうね。そしてお別れよ。美希」

そう吐き捨てて、すぐさまフルフェイスを被り直し、立ち上がる。

拳銃のホルスターに手をかけた。

その直前。

ずっと地に伏して律子を見上げていた貴音が、ふと横に顔を向けて、ある事に気付いた。

(さっきわたくしが投げた丸鋸が・・・なくなっている)

いつの間に、なぜ、どうして、と考える間もなく、聞こえてきた、走る足音。

「え?」

「・・・あっ」

律子が振り返る、その刹那。

彼女の腹部に、何かが宛がわれた。

と同時に、甲高い起動音が響き始めた。

「うああああああああああ!!!!」

金切声とはこういう声を言うのだろうか。

さっきまで絶対的有利な立場に立っていた律子の腹から、夥しい血が流れだした。

サーキュラーソーの刃の回転は、ライダースーツなどものともせずに。

すぐさまその下の柔肌に触れ、彼女の臓物を切断し始めたのだから。

「ぎゃあぁっ」

堪らず貴音の横に倒れる律子。

貴音はすぐさま体を転がし、よろよろと立ち上がる。

美希はただただ、立ち尽くしていた。

「き、如月千早・・・」

「千早さん・・・やめっ」

「四条さんをやったのね! あなたが!」

「ち、ちはっ・・・待っ・・・」

「あなたが皆をっ!!」

もはや銃を構える暇もない。

一切のためらいもなく千早は鬼に馬乗りになり、その胸に丸鋸の刃を突き立てた。

「ううあうあうあうあうっ」

声にならない声を上げ、鬼の、律子の身体ががくがくと揺れた。

返り血がびちゃびちゃと降りかかっても、千早は決してその手を緩めなかった。

 

ゲーム開始前。

秋月律子は、この場所で目を覚ました。

自らの服のポケットを探ると、鍵が三つと、手紙。

記されていたのは、これからやってくる765プロのメンバーを一人以上殺さなければ自分が殺されること。

そして自分が生き残らなければ、765プロに関わる他の人物にも危害が及ぶかもしれない、ということ。

概ね、そのようなことが書かれていた。

律子は深く絶望した。

社長や小鳥さんをはじめとした事務員も、もちろん大切だ。

しかし、真っ先に彼女の脳裏を埋め尽くしたのはそのいずれでもなかった。

━━━━プロデューサー殿。

アイドル時代に自分のプロデューサーだった、現在では共にアイドルを育成している、彼。

秋月律子は彼の事を愛していたのだ。

その彼に危害が及ぶと考えだした途端、彼女の心は真っ黒な感情に支配されていった。

12人のアイドル達とプロデューサー。本来なら絶対に天秤にかけられる訳のない存在。

だが、彼女の天秤は、わずかに、765プロのアイドルたちを高く掲げてしまった。

ただ、それだけ。

それだけだったのだ。

律子は手紙を破り捨て、足でぐしゃぐしゃに踏みつけて。

傍にあったフルフェイスと武器を手にした。

そして、現在に至る━━━━。

 

「もう・・・もうよいのです! 如月千早!!」

貴音が声を張り上げたのを合図に、漸く千早が手を止めた。

「はあ、はあ・・・」

視線を落とす。

「やったわ・・・鬼は一人って言ったから、これで安心・・・」

「・・・如月千早。彼女が誰か、ご存知ですか」

「えっ? ・・・彼女?」

貴音が、傍に力なく横たわる人物のフルフェイスを震える手で外した。

千早はその、顔を見た。

「・・・っ、はっ・・・う・・・嘘」

「やはり、気づいていなかったのですね・・・」

「り、律子・・・どうして律子が・・・えっ、私・・・」

律子は、絶命した。

その姿を見て、美希が糸の切れたマリオネットの様に膝を付いてへたり込む。

「あーあ、死んじゃった。死んじゃったの。ミキ、律子さんのこと、助けてあげたかったな・・・」

その目はうつろで、律子以外、何も映してはいない。

「・・・そんな」

「千早・・・貴女の責任ではありません。今までと同じく、全員を助けることは不可能でした」

そんな貴音の一言に撃ち抜かれたように、千早の身体が弛緩する。

「・・・うぷっ、うおぇぇえ」

駄目だ。止まらない。

やよいの死に直面した時、すべて吐いたと思っていたのに。

まだ、吐き出してなかった。

私のなかに残っていた、最後のひとかけら。

それを、今、吐き出してしまった。

もう何があっても動じないと、そう思っていた。

どんな悲劇が起きようとも、決して狼狽も慟哭もしないと誓った。

人を殺すのなんて辛いに決まっている。

765プロの人間以外なら良心が痛まないかと聞かれれば、そんな訳はないと即答する。

それでも、守らなければと。

何よりも。

もし春香が襲われていたら、と考えたら。

殺さなければと、そう思ったのだ。

ところが、目の前に広がった、この光景と共に。

覚悟を決めたはずの心が、音もなく溶け始めた。

これが、最後の一線。

私が私として春香のそばに居られる、最後の一線だったのだ。

超えてしまってから、気が付くなんて。

私は、なんて愚かなんだろう。

「・・・戻れない。もう戻れないわ」

そう呟いて立ち上がった。

「そう、鍵・・・鍵は?」

その千早の言葉に、はっとして律子の、もとい、律子だったものの服を探る貴音。

「彼女が・・・残りの鍵を持っていると申していました。嘘でなければ・・・」

「嘘だといいのにね。こんなの全部・・・ぜんぶ」

立ち上がった美希がぽつりと言った。

「・・・ありました。確かに鍵が・・・3つ。これで進める」

「その傷は・・・」

「お気になさらず。春香たちが扉の向こうでわたくし達を待っているのですから」

「・・・そうね」

「美希、行きましょう。いつまでもここに残る理由はありません」

「うん、そうだね。行こっか・・・その前に」

「・・・?」

美希は既に息絶えた律子の眼鏡を拾い上げ、その瞼を閉ざした。

「律子さんの形見として、貰っていくの」

「・・・その、律子の銃は?」

誰とも目を合わさずに、千早が呟いた。

「持ってってもしょうがないの。この銃で死んでも先には進めないだろうし」

「ええ、部屋ごとに定められた規則で生死を選択しなければいけない・・・でしょうね」

「・・・じゃあ、私が持っていてもいいかしら」

と、言う間もなく銃を拾い上げる千早。

履いていたパンツと背中の隙間に拳銃を捻じ込み、シャツで隠す。

「ええ・・・構いませんよ。美希は?」

「良いと思うよ。千早さんなら使い方、間違えないだろうし」

「・・・そう」

その言葉が、たった今過ちを犯してしまった千早の胸に小さな棘になって刺さる。

もっとも美希には千早を責めるつもりなどさらさらないのだろうが。

「もし、このゲームを仕組んだ張本人が目の前に現れたら・・・その時は、これを使うわ」

はっきりと、そう言った。

その千早の決意めいた言葉に、美希も貴音も、無言で頷いた。

 

 

がちゃり。

開錠音の三重奏が、空気の張り詰めた部屋にこだました。

その異様な様相に、三人以外は息を飲んだ。

「ち、千早ちゃん!? どこかケガしたの? その血・・・!」

「貴音も、どうしたんだその傷!? なんかで刺されたのか!?」

「・・・律子さん」

「えっ?」

「鬼、律子さんだったの」

三人を除いた面々が一斉に青褪める。

「・・・は? 美希あんた何言ってんの? 律子って・・・秋月律子?」

ぼそぼそと語る美希に伊織が突っかかる。

「そうだよ。貴音が律子さんに銃で撃たれて、千早さんがそれを助けて律子さんを殺した。そうだよね」

目を見開いて春香が千早に詰め寄る。

「嘘っ・・・千早ちゃん、じゃあ、この血って」

「律子の血よ。すべて。私がこの手で、律子を殺したのよ」

それは神への、春香への、仲間達への懺悔のようだった。

「・・・貴音ぇ」

「すべて事実です、響。紛う事なき、真実です」

「・・・・・・ねえ、竜宮、どうなっちゃうの?」

亜美のこの一言から、長い沈黙が続いた。

伊織も最早何も言わなかった。

亜美も真美も、響も。

春香も。

「もういこ。貴音のケガ、じっとしてたらどんどん悪くなっちゃう」

沈黙を破って、美希がそう言って扉に向かう。

「えっ、ああ・・・そうよね」

その言葉で我に帰ったように、伊織も同行した。

「ここからまた・・・」

千早は言いかけて、口を閉ざした。

そう、ここからはまた、確実に一人一人失っていく部屋が続くのだ。

生き残れるのは、この中の四人。二分の一。

「・・・ええ。注意して進みましょう」

貴音も、そんな凡庸な一言しか返せなかった。

律子だけじゃない。

もう何人も失ってきたのだ。

真も雪歩も、あずさもやよいも。

もう帰っては来ないのだ。

そして、これからまた失うのだ。

そう胸に反芻し、八人は次の扉へと進んだ。



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第9の扉/Ⅰ.処刑

8人は部屋に入るなり、その異様さに圧倒された。

そこには、円を描くように等間隔に設置された8つの奇妙なものがあった。

それは、自分たちの身長より高いほどの大きさで、鉄で出来ているようだ。

巨大な分銅の上に女性の顔がついたような代物である。

そして、その置物の正面には取っ手がついており、開けられる造りのようだった。

「な、なんだ?」

「こ、これ・・・なに?」

「さぁ・・・ヘンテコなオブジェなの」

春香たちはその道具を不思議そうに見つめる。

隣を見ると、千早が真っ青な顔をして震えていた。

「・・・これは、まさか」

「ええ、おそらく」

貴音と千早の二人は、何やらこの道具についてなにか知っているようだった。

「ち、千早ちゃん、これ知ってるの?なんなのこれ、ちょっと不気味だよ・・・」

思わず早口になる春香。

震える声で、千早が言う。

「・・・アイアンメイデン」

「えっ?」

「直訳で、鉄の処女。中世西洋に実在したとされる処刑具です。実際に使用されたことを証明する文献はなく、反乱分子への脅しと抑止力の象徴だったという説が根強いですが」

千早の一言に、貴音が付け加える。

「しょ、処刑具って・・・え? これが・・・そうなの?」

「じ、自分も、名前だけなら聞いたことあるぞ。こんなのなのか・・・」

「・・・ひとつ、開けてみましょうか」

貴音が、最も手前のアイアンメイデンに手をかけ、ゆっくりと開いた。

その扉はとても厚い。そして内部は、女性一人がギリギリ入れる程の狭さだった。

そして、奇妙なことに、厚い扉の内側には、満遍なく穴があいている。

「・・・これ」

春香が不安そうに声を上げる。

「・・・私が知ってるアイアンメイデンには、この扉の内側に無数の釘が突き出しているの」

「それって・・・ここに人を入れて、串刺しにするってこと・・・?」

「・・・悪趣味すぎだよ」

「・・・ヘンタイ趣味だよ」

『えー、テステス。あー、どーも私です。知ってる人がいてくれて大変助かりますです』

春香の疑問に割り込む形でアナウンスが入った。

『まずご報告。5~8つ目の扉での犠牲者がゼロだったので、最終的に生き残れるのは4人になりました! 凄いじゃないですか、いやー大健闘ですよ!!』

「・・・だから何なのよ。これから4人も死ぬのよ」

むっとして、伊織が噛み付く。

『で、もう流れで分かると思うんですけど、この部屋ではそのアイアンメイデンちゃんに全員入ってもらいます。どこでもいいです』

「・・・それで、入った中の一つが・・・ってことね」

伊織が問いかける。

『ええ、もう別に私なんかいなくたっていい感じですよね。ちょっと寂しいなあ』

「ふざけないで。みんな命懸けで必死で頑張ってるんだから」

『おやおや、これは先ほど殺戮を楽しんでいた千早ちゃんじゃないですか。まだ頑張れそうですか?』

「殺戮ぅ?」

伊織が訝しげな顔で千早を見る。

千早は自身の服に付着した返り血に目を落とし、毅然と言い放った。

「そうね。取り返しのつかない過ちだわ。もうアイドルどころか歌うこともできないでしょうね」

『・・・ああ、確かにそれは悲しいですね。私あなたの曲、大好きだったんですから。蒼い鳥なんて特に』

「・・・何よ、それ」

伊織が苛立ちと怒りに声を震わせて言う。

『おっと、喋りすぎました。すいませんね。要するに好きなメイデンちゃんに入ってもらって、アタリの人以外はメイデンちゃんを出て先に進めるよってことです』

「ああそう・・・。もう、耳障りだから消えていいわよ」

『あれですよ、皆さん。アイアンメイデンに処刑されるなんてのはむしろ光栄なことですよ?なにせ記録に残ってないのですから。あなた自身が記録になれるかも知れませんよ?』

「・・・うるさいの」

そう言い、美希が真っ先にアイアン・メイデンに入り、扉を閉めた。

「・・・春香、入るわよ」

「えっ、そんな・・・だって・・・」

「どうせ入らなきゃいけないもの。恨みっこなし」

「そうね、この中の誰か1人がアウト。つまり8分の1、なかなかの確率ね」

「・・・大丈夫、春香は死なないわ」

「真美、ここに入るね・・・」

続いて真美。

「亜美はその隣・・・」

亜美。

「では私も。幸運を」

貴音。

「じゃあねみんな。生きてたらまた会いましょ」

伊織。

「先に入るわ」

千早。

「春香・・・自分も行くぞ」

響。

「・・・うう」

『おや春香ちゃん、どうしました? お友達はみんな入られましたよ?』

春香は、無意味だと知りつつ尋ねた。

「・・・このゲーム、誰が何のためにやってるの? あなたが個人的に仕組んだこと?」

『うーん・・・ここで聞いてきますか。まぁ・・・ちょっとばかし与太話でもしましょうか。アイアンメイデンの中までは声は届かないので、あなただけにね』

意外にもそれに応えるアナウンス。

『・・・誰が仕組んだか、でしたか。私はただの一観測者に過ぎません。司会進行を仰せつかってるだけです。マスターの意図は分かりかねます』

「・・・マスターっていう人がいるのね」

『ええ。あなたがたアイドルの、マスターですよ』

含み笑いで、アナウンスの声が言う。

「・・・どういうこと?」

『それ以上は教える義理もないというか、私にもわかりません。ただ一つ言えるのは、あなたたち12人の動向を観測している者達がいる・・・ということ』

「観測・・・」

『さあ入りなさい、春香。最終的なイスは4つ。あなたなら、もうなにも間違えずに元の世界に帰れるかも知れません』

その言葉に妙な後押しを感じ春香は、覚悟を決めてアイアンメイデンの中に入った。



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第9の扉/Ⅱ.痛み

(うわぁ・・・狭くて息苦しい・・・)

春香が入ってから、5分が経過した。

その内部は、辛うじて胸の前に手を置けるほどの空洞しかない。

いつまでこうしていればいいのだろう。

自分が選ばれたら・・・嫌だな。

不意に扉が開いた。

「あっ」

久しぶりの光に、目が眩む。

出た途端、手をついて地面に横たわった。

「はぁ・・・苦しかった」

春香は周りを見回したが、まだ他の者は出てきていないようだ。

なぜ、自分のところだけ開いたのだろう。

そんなことを思いながら待つこと3分。

一つの扉がゆっくりと開いた。

「はっ、はっ」

苦しそうに真美がアイアンメイデンから這い出てきた。

「真美!」

駆け寄り、肩を抱く。

「苦しかったよ・・・」

「大丈夫みたいだね・・・これって、何分か刻みで扉が開くのかな?」

「・・・そうなの?」

「わからないけど・・・」

その春香の予想通り、数分後にまた別の扉が開いた。

「ひっ、ひっ・・・狭いところは怖いぞ・・・」

響だ。

「良かった、ひびきん・・・大丈夫?」

「うん、なんとか・・・」

「これで3人・・・次は・・・」

数分後、また扉が開く。

「あぁやっと開いた! 窮屈すぎよ、もう!」

ずかずかとアイアンメイデンから出る伊織。

「あら、あんた達も出てきたの?」

「うん、最初が私で、真美で、響。多分何分か置きに扉が開いていくみたい」

「そう・・・千早、出てくるといいわね」

伊織の、相変わらずの皮肉。

「えっ・・・? で、出てきて欲しくない人なんていないよ!」

「あらそう、それもそうね」

「・・・伊織ちゃんは、本当に皆が死んでもいいと思ってるの?」

春香が聞く。

「そんなわけ無いじゃない。でももう5人死んでるのよ。今更誰か死んでパニックになんかなってられないわよ」

「・・・ホントは、一人だって居なくなっちゃいけないもん。あずさお姉ちゃんが居なくなっちゃったときから、もう元の765プロじゃないもん」

真美がぼそっと呟く。

「・・・真美」

「・・・それにしても、後は美希と千早と貴音と亜美・・・出てくるのは、多分、3人」

「うん・・・」

3人は、その時を待った。

 

「うあっうあっ・・・ふうーーー・・・」

よろよろと双海亜美が顔を出した。

「亜美っ!」

真っ先に真美が駆け寄る。

「よかった・・・よかったよ・・・亜美・・・」

「こわかったよ・・・暗くて狭くて・・・苦しかったよ」

「よく頑張ったね、二人とも。偉いよ」

「さて、あとは3人か。誰が来るかしら」

 

「・・・やっと開いたの」

「美希!」

「あれ、みんな・・・」

次に出てきたのは星井美希だった。

残るは如月千早、四条貴音。

そのうちのどちらかが・・・あの中で、死ぬんだ。

「・・・千早ちゃん」

思わず、親友の名前を呟く。

「何? やっぱり貴音より千早に出てきて欲しいって?」

にやにやしている伊織。

なんで伊織はそんな顔をしていられるのだろう。

春香は内心憤りを感じていた。

「・・・やめてよ」

少し強い口調で、否定する春香。

「・・・悪いわね。私も、とことん利己主義を装ってなきゃ、自分がおかしくなっちゃいそうなのよ」

「えっ?」

「人のことを考えてたら、心がいくつあっても足りないわ。皆大好きだから、痛くなっちゃうの。壊れそうなの。それが嫌で、自分のことだけ考えてる。私、誰よりも弱い人間ね」

「伊織」

美希が思わず声を上げる。

そこで、おそらく最後の扉が開いた。

「・・・ふう」

出てきたのは、千早だった。

「良かったわね、春香」

「うるさいよ、伊織」

春香は涙を流していた。

それは、一番の親友である千早が救われた喜びの涙か。

或いは、貴音が救われなかったことへの悲しみの涙か。

或いはその両方か、どちらでもないのか。

真相は誰にも知る由はなかった。

 

 

奥の扉の錠が開く音。

「扉が開いたの。・・・行こう」

すべてを悟り、特に感情を表すこともなく美希が行く。

それに亜美真美や伊織が続く。

「貴音・・・自分、貴音の事、大好きだったぞ。ずっとずっと、友達だぞ」

涙目でそう言い残し、響もその場を去った。

「泣いているの?」

千早が春香に問う。

「うん・・・でも、何の涙かわからないんだ。おかしいよね」

涙を拭い、歩き出しつつ春香は言った。

千早は追及はせず、その横に並んで歩いた。

かつて、一人の死にざわめき、阿鼻叫喚していた私たちが。

それほど経っていないはずの今では死を達観し、仕方ないと受け止め、進んでいる。

人間の適応力というものに、恐ろしささえ覚える。

春香は心の中で、嘲るように笑った。

 

「・・・うっ」

真っ暗闇の中で一人苦痛を味わう貴音。

扉の穴から、細く鋭い針が飛び出してきたのだ。

貴音の満身創痍の身体に文字通り止めを刺すように、体中を針が貫通していく。

「扉から、針が・・・。やはり、私でしたか・・・」

痛いのに、なぜか笑みがこぼれてきた。不思議と恐怖心は少ない。

「ふ、ふふっ・・・わたくしでよかった・・・どうせ、この傷では・・・長くは・・・」

暗闇の中立ち尽くし、その針の苦痛に身を委ねる。

このアイアンメイデンの構造は、針が体に刺さってから、失血と衰弱、或いは脳死で死に至るまでに3日掛かる場合もあるという。

緩やかに、穏やかに、貴音の命は死に抱かれていく。

 

ああ、私は、結局、とっぷあいどるに、なれませんでした。

それでも、わたくしは、決して、あの方に恥じない・・・生き様を・・・。

せめて、さいご・・・くらいは・・・けだかく・・・。

ふふっ・・・おかしい・・・なんだか・・・ねむく・・・。

ああ・・・ひびき・・・ぷろ・・・でゅ・・・さ・・・。

さよ・・・なら・・・・・・・・・あい・・・して・・・。

・・・・・・。

鉄の処女は、静かに、誰に見られることもない、アイドル四条貴音の最期をその体に刻んだ。

 



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第10の扉/Ⅰ.銃

アイアンメイデンの扉を抜けた先は、地下のように長い廊下だった。

そこを歩くものも今となってはたったの人七人。

あずさややよいの死に半狂乱していた頃とは別人のように、冷たく鬼気迫る表情の千早。

不安と苦悩に顔を曇らせる春香。

疲労を苛立ちを滲ませながらも、ただ前だけを見据える伊織。

赤く腫れた目をこすり、とぼとぼと進む響。

その肩を抱き、労るように歩調を合わせる美希。

手を繋ぎ、時々お互いの表情を確かめ合いながら歩く亜美と真美。

「千早ちゃん・・・本当にケガしてないんだよね?」

「ええ、何も心配はないわ。春香こそ、体調は大丈夫なの?」

「私は・・・平気だよ」

春香は先ほどから様子の変わった千早を気にしていた。

千早のシャツに跳ねた血の染みを見つめ、ぼんやりと考えた。

この血が全て、律子さんの・・・。

千早ちゃんが、律子さんを・・・。

きっと、自分の想像も及ばないような、壮絶なことが起こったのだろう。

千早、美希、貴音、律子にしかわからない、壮絶なことが。

何にせよ、千早ちゃんを責める気は全く起きない。

口ではあんな風に冷ややかに言ってるけど、千早ちゃんはそんな子じゃない。

・・・律子さんはなぜ、鬼にされたのだろう。

私たちと同じ側でなく、敵として戦わなければならなかったのだろう。

現在はプロデューサーという立場だからだろうか。

それにしたって、こんなのはあんまりじゃないか。

人質を取られて仕方なく、といった理由でもなければ考えられない。

根拠なんてないけど、私は律子さんが犯人だとは絶対に思わない。

 

・・・プロデューサー。

その言葉を頭に思い浮かべた時。

辛くなるからと。

脆くなるからと。

今まで無意識下で考えないようにしていた、一人の面影が。

コーヒーをこぼした様に、じんわりと思考に滲んで広がり始めた。

プロデューサーさん。

私たちのプロデューサーさん。

彼がもし、この先現れるとしたら。

それは自分たちを殺す鬼だろうか。

それとも私たちを救うヒーローだろうか。

・・・もう、どっちでもいい。

会いたい。

無性に会いたい。

思いっきり抱き着いて、彼の胸で泣きじゃくりたい。

人目なんて気にせず、彼を困らせてしまうくらい、むちゃくちゃに泣きたい。

助けて、プロデューサーさん・・・。

 

「春香、あんた自分の心配でもしてなさいよ。千早の前にあんたがドジって死ぬかもしれないわよ」

春香を現実に引き戻したのは、伊織の痛烈な一言。

春香は一瞥し、言葉を返す。

「伊織だって、焦りすぎて痛い目見るかもしれないよ」

「ふふっ、この私がいつ焦ったっていうの?」

「今だよ。ずっと汗かいてるし、眉間の皺はとれないし」

「言うじゃない春香。あんただってライオンに睨まれたウサギみたいな顔してるわよ。そういう顔を死相っていうんじゃない?」

「・・・あ、扉」

春香が呟くと、伊織は一目散に扉に向かう。

直線の長い廊下の角を曲がってすぐのところに、扉があった。

「ほら、焦ってるじゃない」

「ふん、せいぜい私の揚げ足を取りなさい。私が生き残ることに変わりはないもの」

伊織がドアノブを回した。

「・・・あ」

伊織が、ぽつりと声を漏らす。

「えっ」

伊織を除く六人が伊織の背と扉の隙間から目にしたもの。

それは、何の変哲もない腰の高さほどの丸いテーブル。

そして、その上に置かれた、一丁の回転式拳銃だった。

「伊織っ!」

美希が叫び、同時に駆け出す。

それより僅かに早く、伊織も駆け出していた。

「ダメっ!!」

春香も上擦った声を上げる。

しかし、伊織は止まらなかった。

━━━━伊織が、拳銃を掴んだ。

「・・・にひひっ」

突然不気味に低い声で笑い出す伊織。

伊織には、誰一人近づこうとはしない。

彼女が、出口を背にして、腕を前に伸ばし、美希へと拳銃を構えたのだから。

「みんな下がって!!」

咄嗟に美希が全員に声をかける。

「嫌っ! やぁあぁあ!」

「うああぁあ!!」

恐怖の余り泣き喚いて、部屋の隅に飛びついて身体を抱き合う亜美と真美。

響がヒステリックな叫び声を上げ、入ってきたドアノブを回す。

しかし、一度閉まった扉は、決して開くことはなかった。

脱出を諦め、部屋の隅へと這って逃げる。

「春香っ」

千早は咄嗟に春香の前に立ち、片手で春香を牽制する。

春香は言われるがまましゃがみ込み、千早の脇の下から、美希の様子を窺った。

「・・・はぁ。掴んじゃったね、伊織」

拳銃を向けられているというのに、美希は全く動じなかった。

そして、ため息混じりに、さも残念そうに呟いた。

「あら。私、何かおかしいことしてるかしら?」

あくまでも平然に振舞う。

しかし、美希には見透かされていた。

「手、震えてるよ」

「・・・うるさいのよ」

不敵に笑いながらも声を荒げる伊織とは対照的に、美希の声は穏やかで、どこか優しげだった。

美希も表情こそ険しいものの、まるで駄々を捏ねる我が子を宥める母親のようだ。

そう、春香は思ったが、そんなことを考えている場合ではないと頭を振った。

「ま、待って伊織! この部屋の仕掛けが、それを使うものかどうかまだ分からないから・・・」

何とか場を落ち着かせようと、説得を試みる。

仲間が仲間を撃つ瞬間など見たくもないから。

或いは、自分が死にたくないから。

どちらの思いが強いかは、春香自身にも答えられないが。

「にひひっ、周り、見てみなさいよ。他に何がある? 何もないじゃない。アナウンスのスピーカーさえ」

「で、でも!」

「それにアナウンスの奴は言ってたわ。絶対1人は落ちるって。つまり、この銃で誰かが誰かを殺さなきゃ出られないのよ。そうに決まってるわ」

伊織は淡々と言い放ち、いびつな笑顔を浮かべる。

「あんた達は、自分の為に人を殺せない平和ボケした平和主義者。だから私が汚れ役を買って出てやるって言ってるのよ。さあ、誰が死んでくれる? 立候補しないなら、私が勝手に決めるわよ? ん? にひひひひっ!」

獲物を締め上げる蛇のように、命を握る者が見せる余裕の表情。

「・・・くっ」

春香を自らの陰に庇ったまま、千早は、ゆっくりと腰のあたりに右手を回していた。

(えっ・・・?)

春香は、この時初めて気が付いた。

如月千早が、シャツの下に何かを仕込んでいることに。

それが何かまでは分からなかったが。

「嫌だ、もう嫌だ・・・」

横を見れば、部屋の隅で膝を抱えて震えるばかりの響。

その足元に、黄色がかった水溜り。

亜美と真美も震える唇を噛んで互いの肩を抱き、下を向いている。

春香にはもうどんな行動も、言葉も浮かばなかった。

このまま、伊織が私を撃つのを、ただ見ているしかないのか。

そんなの・・・辛すぎる。

伊織だって、こんなこと、したくないはずなのに。

━━━━塞ぎ込んでいたり迷ったりしている人を助けてあげてください。

    貴女には、きっとそれができるはずです。

雪歩が私に、そう言ってくれたのに。

一言、私を撃て、と。

言おうとすれば、声がかすれる。

喉が震えしまう。

何故、言えないんだろう。

何を恐れているんだろう。

・・・雪歩はこうも言った。

『ここを出て』、『また元の生活に戻って』。

その言葉が、胸に引っ掛かっているからだろうか。

あるいは、このゲームを仕組んだ黒幕に相対した時。

この私の手で、仇を取りたいからなのか。

わからない。

頭が痛くなる。

胸が痛くなる。

私は・・・伊織に、何も言えなかった。



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第10の扉/Ⅱ.閃光

「・・・伊織、それを掴んだことの意味、わかる?」

美希が諭すように語りかける。

「はぁ?」

「きっと伊織の言う通り、それで誰かを撃たないと出られないんだと思うよ。だとしても、誰にもそれを取ってほしくなかった。誰も取らないって信じたかった。それはきっと、その人にとって大事なものを、失くしちゃうって事だから」

「ふぅん、あんたにしては意味深なこと言うわね。でも関係無いわ、私さえ生き残れれば」

それを聞いて、美希は、少しの間、目を瞑った。

この時、美希は小さく唇を動かして、声には出さず何かを唱えた。

一呼吸を置いて、再び伊織を見つめる。

「・・・な、何よ」

伊織は無意識に後退りした。

美希が、ゆっくりと伊織に向かって歩き出したのだ。

「そっ、そう、あんたが死んでくれるのね、そうなのね? いい? 撃つわよ?」

「ふぅん・・・伊織にミキが殺せるの?」

伊織の脅迫じみた言葉に耳も貸さず、歩み寄る美希。

「・・・美希」

千早が、その名を呼ぶ。

「やめて!来ないで!これ以上近づいたら、ホントにっ・・・」

春香は、黙々と、いや、正確には絶句してそれを見ていた。

なんということだ。

拳銃を突きつけている伊織が、泣き出しそうな顔で怯えている。

丸腰で、拳銃を奪い取ろうとするような気配もなく近寄る美希に。

「どうして・・・」

「怖いでしょ、それを人に向けるのって」

「な、何を・・・」

「きっと律子さんもそうだったはずなの。真美も、千早さんだって」

当事者の美希と伊織以外には、その光景が信じられなかった。

「・・・やっ」

伊織の身体がついに背後の壁に停止させられた。

お構いなしに、美希は伊織に手を伸ばす。」

「・・・伊織」

とても愛おしそうに伊織の名前を囁き、美希は、伊織の身体を優しく抱きしめた。

「なっ、なに・・・するの」

伊織は、撃てなかった。

拳銃を握った手を下ろし、美希の抱擁を受け入れてしまった。

「・・・撃っていいよ」

「は、はぁ・・・?ば、バッカじゃないの、あんた・・・」

これ迄の刺々しさはなく、ひたすら困惑した弱々しい罵倒。

「ミキのこと、撃って。それで伊織が幸せになれるなら」

不格好に笑って、優しい声で。

春香の位置からは、美希は背中を向けていて、その表情を窺い知る事は出来なかった。

しかし、きっと。

今、彼女は、あの時の萩原雪歩と同じ表情をしている。

死を、覚悟したのだ。

「ほら、ここだよ。しっかり狙って。ちゃんと一発で決めないと痛いもんね」

伊織の腕を掴み上げ、自らの額に銃口を向けさせる。

「い、いっ・・・言われなくたって、あんたなんか・・・」

「でもね、ひとつだけ、約束してほしいな。嘘でもいいから、誓って欲しい」

「何? 何よ・・・?」

伊織は美希から目を逸らしつつも訊ねる。

呼吸が全然整わない。

伊織には、美希の腕が、胸が、視線が、吐息が、全てが暖かくて、苦しかった。

「ミキのこと、忘れないで。大切な仲間だったってこと。一緒にアイドルやってたこと。ミキが伊織を、伊織がミキを、大好きだったってこと、全部忘れないでいて」

「な、何よ・・・・? なんなのよ、それぇ! わかんない・・・わかんないわよ・・・」

「お願い。ミキはそれだけでいい。もう伊織のこと怒らない。馬鹿にしない」

「わかったっ、分かったから・・・一度離れてっ・・・」

それを受けて美希が伊織を放すと、伊織は膝をついてへたり込んでしまった。

暫く、伊織は沈黙を保ち、場は静寂に包まれた。

そのまま、数十秒が経っただろうか。

伊織は、おもむろに拳銃を投げた。

美希の足元へと。

「・・・えっ」

「あんたが、自分で、撃ちなさい。そこまで言うんだったら」

瞼を濡らした涙を拭い、伊織は、そう言った。

「・・・い、伊織」

「水瀬さん・・・」

その言葉に呆然とする千早と春香。

双海姉妹や響も、はっと顔を上げて二人へと視線を向けた。

ただ一人、美希だけは表情を変えなかった。

・・・そればかりか、ほのかに口角を上げ、目を細めた。

「誓うわ。あんたの言葉、忘れない。絶対に忘れない。あんたのこと、嫌いじゃなかった」

「伊織・・・」

「でも、私には撃てない。あんたを殺せない。無理よ。そんなに死にたいなら、勝手に死んでちょうだい」

「・・・ありがと。でこちゃん」

感謝の言葉を述べると、足元の拳銃を拾い上げ、一切の迷いなく自分のこめかみに向けた。

「にひひっ・・・バカね。私のこと撃ち殺そうとしないなんて」

「うーん、ミキ、銃なんて撃ったことないからちゃんと当たらないって思うな。ミキの頭の方がしっかり狙えるの」

ふたりのやり取りに、他の5人は口を挟む余裕さえない。

伊織は立ち上がり、今まさに自決しようとする美希に向かい合い、その顔を見つめた。

美希は千早や春香、隅に固まる仲間たちを見渡して、今までで一番優しい顔で微笑んだ。

「これでさよならだね。春香に千早さん。ミキ、二人のこと、ジェラシー感じちゃうくらい仲良しで羨ましかったの。亜美真美、イタズラも良いけどレッスンはちゃんとマジメにやるの。響は笑った顔がうちで一番かわいいから、ずっと笑ってて欲しいの」

「・・・うん、もう、止めないよ。大好きだよ、美希」

「さよなら、美希」

「・・・ミキミキ、死んじゃ嫌・・・ううん。こんなこと言うの、ワガママだよね・・・」

「ミキミキがいたから、真美達もちょ→楽しかったよ・・・」

「美希・・・自分、ちゃんと、見てるから。目、そらさないで、見てるから」

一人一人、言葉を交わす。

出来るだけ短い言葉に、ありったけの気持ちを乗せて。

「・・・最後に、でこちゃん。ハニーをあんまり困らせちゃ、メッ、なの」

「・・・うん」

返事と共に、伊織の赤い目から堰を切って涙が溢れた。

「・・・他にもね、頑張ってとか、ごめんねとか、言いたいこと、いっぱいいっぱいあるんだけど」

引き金にしなやかな指がかかる。

大きく息を吸う。

一筋の涙が美希の目からこぼれる。

「やっぱり最後は、ありがとう、かな」

美希は、引き金を引いた。

━━━━その、瞬間。

バチン、というけたたましい異音が響き渡った。

それと同時に、美希の体が一瞬にして閃光に包まれる。

「なッ!?」

「ひぃっ!?」

「きゃぁぁぁあ!!」

「うわ゛ああああああああああ!!」

唐突な事態に、全員が訳も解らぬまま、驚愕の悲鳴を上げる。

美希の目の前に立っていた伊織は、轟音と眩しさに、一瞬五感を奪われる。

「つっ・・・美希っ」

伊織が五感を取り戻した時には、そこに伊織の知る美希の姿は無かった。

代わりに、全身から煙を上げ、黒焦げになって倒れている人型の何かがそこにあった。

その手には、拳銃だったものと思われる、黒い残骸。

黒焦げになったのは、美希だ。

即死だった。

「み、みっ・・・・・・」

四つん這いのまま駆け寄る伊織。

もちろん、美希が死ぬということ、それ自体はその場の誰もが覚悟していたことだ。

しかし、何かがおかしい。

銃で頭を撃ち抜いた自殺にしては、明らかに、異常な状態。

「えっ・・・? どう、いうこと・・・?」

「おかしいわ、なぜ、あんな・・・。まるで、雷でも落ちたような・・・」

注視していた千早たちにも瞬時には理解できなかった。

冷静を取り戻した伊織が、『それ』をもう一度見返す。

この姿は、まるで・・・。

「・・・感電?」

その銃は、引き金を引いても弾が発射されず、代わりに超高電流・高電圧がその手に流れる仕掛けになっていた。

つまり、銃口を向けられた人物ではなく、引き金を引いた者が死ぬ。

それをその場にいるすべての者たちが理解するのに、かなりの時間を要した。

しかし、信じたくなかった。

千早だけではない、春香も、亜美も、真美も。響も。

誰よりも、水瀬伊織が。

「・・・これって・・・え? 引き金引いたら感電するってこと? じゃあ、もし、私が美希を撃ってれば・・・私が死んでたって事・・・?」

あまりにもやりきれない美希の最期に、伊織は立ち上がることもできなかった。

「何よ、私、私が、撃ってれば、死なずに済んだじゃないの、あんた・・・。わ、笑っちゃうわよ・・・にっ、ひひっ・・・」

彼女の悲痛な呟きを前に、立ち尽くす春香。

「・・・い、伊織・・・」

「け、結局、おんなじって事じゃない。何が無理よ。殺せない、よ。あんな、優しすぎるくらい優しい子を・・・私殺しちゃったじゃない・・・」

黒焦げの美希の顔は、何が自分の身に起きたかすら気付く間もなく死んだことがまざまざと見て取れる、驚嘆の表情のままだった。

「・・・許せない」

彼女の死体を見て、春香の心の中に小さく点っていた怒りの炎がめらめらと燃え盛った。

一体どこまで私たちの命と心を侮辱すれば気が済むのだろう。

こんな私たちの姿を観測して、誰が得をするというのだろう。

一体何のために、こんな涙を流さなきゃならないのだろう。

どんな理由があれば、こんなくそったれな結末を受け入れられるだろう。

このゲームを支配しているマスターこそ、最も裁かれるべき人間なのだ。

「なんだよ・・・何なんだよこれぇえええ・・・!」

響が叫んだ。

「ひどいよ・・・ひどすぎるよ」

「こんなの絶対おかしいよ・・・」

亜美と真美も、慟哭を抑えきれない。

 

千早が扉に向かう。

扉を開ける。

「皆、行きましょう」

今この場で、先導できるものは千早のみ。

そんな責任を感じてか、千早は皆に声をかける。

「・・・もう少しだけ、ここにいさせて」

もう動かない美希に寄り添い、涙声で呟く伊織。

それを尻目に、双海姉妹がそっと千早の方へ歩んで行く。

「うう、漏らしちゃった・・・。怒られちゃう・・・父さんに・・・」

「響・・・うん、まず深呼吸しよう。ね。落ち着いて・・・」

呼吸は乱れ、涙が止まらない響が春香に縋る。

響の精神は耐えられる限界をとうに超え、かなり危険な状態にあるのかもしれない。

13歳の最年少である双海姉妹は心身耗弱しているものの、意外にもタフのようだ。

やはり姉と妹、互いに理解し支えとなる相手が居るからこそ、ということだろうか。

私も、千早ちゃんの存在は今、とても大きいものになっている。

でも、他人を気遣える程の余裕がある自分は、この環境に染まって、狂ってしまったのか。

そうは思いたくはない・・・。

「・・・伊織、もういいかしら」

千早は伊織を急かす。

「・・・うん。悪かったわね。じゃあね、美希」

千早の思いを察してか、事切れた美希に名残惜しそうに別れを告げると、伊織は歩き出した。

次は、なんだろう。

部屋を出る前に、春香は美希の死体をちらりと見遣る。

あんなにみんなを守ろうとしてくれていた美希も、ついに死んでしまった。

私は、次の部屋では、彼女の様に、「優しい人」になれるだろうか。

それとも、また、「守られる人」のままだろうか。

・・・でも。

・・・私は、生きたい。

生きて、これを仕組んだ奴らを・・・。

扉の閉まる音が、やけに大きく聞こえた。

 



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第11の扉/Ⅰ.二択

扉を潜った先の廊下は短く、次の部屋への扉にはすぐにたどり着いた。

特に会話もなく、千早が扉を開ける。

中には、6つの椅子が円形に向かい合うように並べられていた。

この椅子はまるで、萩原雪歩が座った、あの椅子のようだ。

しかし、その椅子とは違う点が1つ。

6つの椅子すべての右手側の肘掛の先端部分に、赤いボタンがついている。

「今度は何をやらされるのかしら・・・。電気椅子だけは勘弁してほしいわね」

「まあ、まずは座れということでしょうね」

千早はそう呟くと、躊躇いなく椅子に腰掛ける。

亜美と真美も、疲れ切った様子で椅子の背もたれに倒れ込むように座った。

春香は座る前に、部屋を見渡した。

この先へ行く扉の上に、電光掲示板のようなものがあり、その隣にはスピーカー。

ここでも、またアナウンスか。

続いて伊織が椅子に座る。

「響、座ろう」

「死にたく・・・死にたくないよ・・・」

「死にたくないのは全員一緒よ。座って、我那覇さん」

「う、うぐっ・・・ひぐっ・・」

千早に説得され、響はまた泣く。

春香が肩を支えて椅子に座らせた。

そして春香自身もその隣に座る。

全員が椅子に座ったその瞬間、アナウンスが入った。

『えー皆さん、まずはふくらはぎを椅子の脚に、肘から先を肘掛にピッタリくっつけてください。ちょうど手のひらが赤いボタンに乗ると思います。まだ押さないでね』

言われた通りに全員が座る。

すると、ガシャンという音と共に、足掛と肘掛から枷が飛び出した。

手首と足首を拘束され、立ち上がることは叶わない。

「ちょ、なにこれっ」

困惑する春香。

「うわ、ああ・・・も、もうやだ・・・なにするんだよぉ・・・」

既に混乱状態の響。

『結構です。では説明しましょう。今回皆さんにやって頂くのは30カウントです』

「カウント・・・」

千早と伊織はピンときたようだ。

『扉の上の電光掲示板には気づいていると思いますが、この放送が終わったら、あそこに5秒まで表示され、6秒から表示が消えます。あとは自分の感覚で秒読みし、30秒経ったと思ったところでボタンを押してください。押したタイミングが最も30秒から遠い人が脱落。簡単でしょう?』

「・・・わかりました。さあ、始めて」

なぜかアナウンスを急かす千早。

『ふふっ、ちーちゃんは見かけによらずせっかちですね。全員がボタンを押した瞬間、脱落者以外の手枷足枷が外れますからね。まぁ、やってみれば分かることですし、ノーリハのぶっつけ本番でいきましょうか。では、秒読みスタート!』

ぷつっとアナウンスの途切れる音。

そして始まる、秒読み。

電光掲示板に5秒まで表示されていた時間が、ふっと消えた。

「恨みっこなしよ。私はキッチリ30秒で押すから」

念を押すように、伊織が言う。

目を瞑り、人差し指をとん、とん、と動かして時間感覚に集中する双海姉妹。

千早は身動き一つせず、ゆったりと構えている。

時間を数えながらも、春香は、響が気がかりだった。

手の震えが尋常ではない。

あれでは、30秒前に誤ってボタンを押してしまうかもしれない。

というか、しっかり数を数えられているのかどうかさえ危うい。

「あ、あれ・・・? 今何秒? ちょ、待って! あれ? 嫌ぁっ!!」

響が叫ぶ。

恐れていた事が起こってしまった。

千早と伊織は口を開かず俯いたまま。

双海姉妹はちらりと響を見たが、すぐに視線を手元に戻した。

春香は咄嗟に叫んだ。

「落ち着いて響! 今16秒!」

「えぅ、えぅっ・・・分かんないっ! もう分かんないっ!!」

「まだ! まだ押しちゃダメ! あと・・・」

「あぁぁあああ!!」

バンッ、と、鈍い音。

「・・・はぁ、あっ・・・」

響の血の気が引いていく。

響が、ボタンを押してしまった。

「響っ・・・!」

春香は絶望した。

明らかに、まだ20秒ほどしか経っていない。

これでは響の脱落が確実ではないか。

30秒には全員がボタンを押して響が・・・。

そこまで考えて、春香の頭に稲妻のような閃光が走った。

違う。そうだ、救える。自分は響を救える。

この30カウントのルールは、押した時点で最も30秒から遠かった者が脱落するのだ。

それなら、自分が、響が押した時間より遠い・・・40秒以上押さなければ、響を救って自分が残ることができる。

突如脳裏を過った究極の二択。

響を救うか。自分を救うか。

春香に、悩んでいる時間などなかった。

私は━━━━響を、

「春香!!押してっ!!!」

「・・・えっ」

叫んだのは、千早だった。

その声に揺すられたように、春香の右手に、微かに力が入った。

「あ・・・」

春香は、ボタンを、押していた。

その横で、双海姉妹もボタンを叩いていた。

恐らく、30秒からの誤差は良くて3秒程度だろう。

壊れた機械のように緩慢な動作で、春香が首を横に向けた。

千早が、安堵の表情を見せている。

「な・・・んで」

春香は訳が分からなかった。

今、確かに私は響を救おうとした。

でも、私はボタンを押した。

救えなかった。

真美を。

そう実感し、心の底から叫んでしまった。

「なんで・・・どうして邪魔したの千早ちゃん!!」

「邪魔・・・ですって?」

「せっかく・・・私にも、誰かを救えるチャンスが来たと思ったのに!」

「そう、春香・・・やっぱり響を助けようとしたのね。ボタンを押す気は、無かったのね・・・」

千早は、なぜか背もたれに頭をつけて、ふう、と一息を吐いた。

「千早ちゃん、何でそんなに落ち着いてるの? 私、こんなに・・・」

「・・・二人は間違ってないわよ」

伊織が、静かに言う。

「この状況で、生き残りたいって思うこと。それは、絶対に悪くなんかない。その逆も」

「伊織・・・」

その言葉に引っ掛かりを感じ、春香が伊織の方を向く。

そして、はっとした。

「伊織、まさか・・・!」

少なくとも、響は押した。双海姉妹もボタンを叩いた。千早ちゃんも押したはずだ。

しかし、伊織がボタンを押した所は確認していない。

そして30秒の時点で全員が押したならば、既に響以外の者が解放されていてもおかしくはない。

・・・押してない。

伊織は、ボタンを、押していない。



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第11の扉/Ⅱ.幻

「伊織、ボタンを押して」

ぼそりと、千早が言う。

それは、今の春香には、『響を殺せ』と言っているように聞こえた。

おかしいな。みんな被害者なのに。美希や伊織の言った通り、仕方のないことの筈なのに。

「もう、間に合わないわよ、きっと。どちらにしろ私、ここで残るって決めたから」

「・・・貴女にしては、ずいぶんな心変わりね。伊織」

さらに、千早が訊ねる。

「自分でも不思議だわ。それに・・・恐怖も後悔もない。清々しい気分よ」

「美希のことが・・・伊織を変えたのね」

「・・・そうね。あいつのせいだわ。向こうに行ったら、文句言ってやんないと」

「いおりんっ・・・」

「い、伊織ぃ、じ、自分のこと、ひぐっ・・・助けて、くれたのか? そんなことしたら・・・」

「そうよ。ガラじゃないけど、そういう気分になっただけ」

ここで、漸く伊織のボタンが押された。

「あたしは美希みたいにダラダラ喋るつもりはないわ。さっさと次行きなさい」

その言葉を受けて、手元のボタンを見つめながら、千早が口を開いた。

「・・・もし美希がまだここに居たら、きっと二人とも同じことを考えて、それをお互い察して、いつまでもボタンは押されないんでしょうね」

「・・・は?」

「それで、伊織が押して、美希が押してって、二人して意地張り合って。ふふ、おかしい」

「ち、千早ちゃん・・・何言ってるの?」

「・・・でもそうはならなかった。ならないのよ。私じゃあ、ね」

「だ、だから、何が言いたいのよ?」

戸惑った様子の伊織や春香をよそに、双海姉妹が恐る恐る喋り出した。

「ね、ねえ・・・これ、なんで取れないの?」

「全員押したら外れるって、スピーカーの人言ってたよね・・・?」

「・・・あっ」

春香は、気づいてしまった。

そうだ。

あのアナウンスは確かにそう言った。

全員が押した「瞬間」に、脱落者以外の枷は外れる、と。

さっき、伊織がボタンを押してから、ゆうに30秒は経過している。

こんなに長い間隔を、果たして「瞬間」と言うのだろうか。

答えは否だ。

・・・あの時、ボタンを押していなかったのは。

伊織だけじゃなかったんだ。

千早ちゃん。

今、ボタンを押してないのは、千早ちゃんだけなんだ。

「千早ちゃん!! どうして!?」

少し前にも千早に投げ掛けた、どうして、という言葉。

しかしそこに込められた意味は、全く別のものになっていた。

「ある意味、賭けだわ。伊織が押す前に、私が押してないのを気付かれて躊躇いだしたら、私から折れて先に押すつもりだった」

「なっ・・・千早あんた!!」

「今更、どうしても何もないじゃない。同じよ。美希も伊織も、雪歩も真も、みんな・・・」

淡々と語る千早の言葉に、わなわなと震える伊織。

「何てこと・・・。私がどんな気持ちでボタンを押さなかったか分かってんの!?」

「ごめんなさい、せっかくの伊織の覚悟をふいにして。でも、これが私の選択だから」

そう言って、千早はボタンを押した。

・・・千早以外の枷が外れた。

「そ、そんな、ちはやぁっ・・・!?」

倒れ込みながらも、千早を心配する響。

「千早お姉ちゃんも・・・そうなんだ」

「優しすぎるよ・・・お姫ちんもミキミキも、みんな・・・」

「あんたふざけないでよ! せっかく・・・のわっ!?」

「ねえ! どうして!? どうして私に押させておいて自分は押さないの!? ねえ!」

伊織を押し退け、立ち上がることのできない千早の肩を揺さぶり、問い詰める春香。

「んなっ、何よ・・・びっくりした・・・」

春香のあまりの剣幕に、伊織も言葉を失ってしまう。

嫌だ。

失いたくない。

千早ちゃんを失いたくない。

まだ一緒にしたいこと、一緒に立ちたいステージ、いっぱいあるんだ。

置いて行けないよ。

置いて行かないで。

「・・・春香を、守りたかった」

「っ・・・」

「けど、この手はもう血塗れ。春香と一緒にここを出ても、同じ場所にいることはもうできない」

「そんなことない! 律子さんの事なら・・・」

「私、貴女と同じ舞台に立てて良かった。もう歌は歌えないけど、こんなに大切な友達ができた」

「とも・・・だち」

「その人を救って死ねるなら、こんなに嬉しいことはないわ」

「・・・千早ちゃん、私さっき酷いこと考えちゃった。千早ちゃんが、響ちゃんのこと見捨てたんじゃないかって。千早ちゃんのこと疑ったの。そんなこと言わないで・・・言わないでよ・・・」

「・・・亜美、真美、それに響。『守られる』っていう事は、決して恥ずかしい事じゃない。無理に守る側になろうとしなくてもいい。ただし、『守ってくれた人』の事は絶対に忘れたら駄目よ。いいわね」

笑ってはいないが、その言葉は、温かかった。

「うん・・・千早・・・かなさんどー・・・」

「千早お姉ちゃん、亜美絶対忘れないよ」

「忘れられる訳ないよ。真美、千早お姉ちゃんの事大好きだよ」

「そう、よかった。・・・春香、泣いているところ悪いけど、耳貸してくれる?」

「・・・なに?」

「背中の、シャツの裏。春香にあげるわ」

「背中? ・・・あっ」

そういえば、何か背中に仕込んでいたのを見た。

それを見つけて春香は、ごくり、とつばを飲み込んだ。

千早が律子から手に入れた自動拳銃。

「千早ちゃん・・・これ」

「どこかに隠し持っていて。万が一にも暴発しないように気を付けるのよ」

無言で頷いて、こっそり、春香は服の下にしまい込んだ。

「・・・仇、私が取れれば良かったんだけど。春香の事だから、きっとそういうこと考えてたんでしょう」

「・・・すごいや、千早ちゃん。その通りだよ。この手で裁いてやりたいって思ってた」

「できることなら、こんなもの使うことなく元の生活に戻ってほしい。でも、私にそれを願う権利はないわ。決めるのは春香。辛い役目になるかもしれないけど、無茶だけはしないで。お願い」

「千早ちゃん。・・・大好きだよ」

「春香。・・・好きよ」

春香。

私の大好きな人。

あなたに嫌われる前に、私は飛び立てる。

かけがえのない弟を失って。

その穴を歌で必死に埋めようとして。

でも、決定的に足りなかった。

その穴に。

あなたはひょっこり入り込んできた。

弱い部分を曝け出しても、どれだけ冷たく拒絶しても、

その場所からどいてくれなかった。

放っておかないでいてくれた、春香。

ありがとう。

私はきっと、律子たち、そして優のところへは行けない。

業火の燃え盛る煉獄で、永遠に身を焼かれるのだろう。

それでいい。

そこが、私にお似合いの場所。

プロデューサーと、春香がくれた翼で。

醜くもがき続けてみせる。

そうだ。

せっかくなら地獄を、私の歌声て満たしてやろう。

鬼たちや閻魔様にも、私の歌を認めさせてみよう。

そうすれば、もしかしたら。

私を、皆の待つ遥か彼方まで押し上げてくれるかも。

まあ、なんでも、いいけれど。ふふっ。

・・・ねえ、神様。

最期に、春香が、好きだと言ってくれた。

私は赦されたと思って良いのですか・・・?

 

立ち上がり、春香は伊織に行った。

「・・・さあ、行こうか」

「な、何であんたが仕切ってんのよ。別にいいけど」

「えっと、確か、次で、最後なんだよね・・・亜美たちここまできたんだね・・・」

「終わらせよ、はやく・・・みんなの為に」

「自分・・・結局、みんなに助けられてばっかりだったな・・・」

「ほんっと、感謝しなさいよね。私だって何度も死にかけてんだから・・・」

「うん。次が・・・最後だよ。絶対」

後ろから、千早ちゃんが、くすくす、と笑う声。

なんだろう。

何だか私も、あんまり怖くない。

何とかなりそうな気がする。

やっと気が付いたから。

今まで味わってきた、不協和や懐疑。

それらすべてが、憎むべき敵に仕掛けられた幻だとわかったから。

初めから私たちの絆は、崩壊などしていない。

本当に大切な感情は、まだ失われてはいなかった。

この先何を失うことになっても、私たちは。

私たちのままでいられるはずだ。

私たちはまた泣くだろう。叫ぶだろう。悲しむだろう。悩むだろう。

それでも、絶対に、負けない。

圧倒的で理不尽な悪意という怪物に。

二度と、負けない。

 

密やかに覚悟を決め、春香は、次への扉を開いた。

 



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第12の扉/Ⅰ.歌

千早が残った部屋出た先は、また狭く長い廊下だった。

残った五人の足音だけが空白を埋めている。

次の扉が、12枚目の扉。

これが、私たちの命と引き換えにくぐる最後の『扉』だ。

ここを抜ければ、私たちはきっと救われる。

そのためにここまで来たのだ。

「・・・扉だ。みんな、準備はいい?」

春香の問いかけに返事はない。

彼女自身も、後ろの者たちの表情を窺おうとはしない。

そうだ、聞くまでもないことだ。

とうに覚悟はできている。

そっと、ドアノブに手を掛けた。

伊織が口を開いた。

「・・・響、亜美真美、それに春香」

「ん?」

「一つだけ、私に、誓ってほしいことがあるの。私が生きてるうちに」

「・・・なに?」

「どうしたんだ、伊織?」

「いおりん・・・?」

まだ少し腫れている瞼が、ゆっくりと開いて春香たちを見つめる。

その視線は、彼女が大事にしているうさぎのぬいぐるみに抱いている時のそれと同じ。

かつての彼女の、優しい眼差し。

「もしここを出られても、あんた達は絶対に、復讐なんて考えないで」

ドアノブを握っていた手が離れる。

誰も触れていないのに、強く肩を掴まれた感覚がして、春香は振り返った。

復讐。

私はそれを、自分を奮わせるための、先へ進むための原動力にしてきた。

こんなちっぽけな自分にそんな大それたことが出来るなんて、思ってない。

でも、それしか今の私の心にはない。

皆の仇を取る。皆を取り戻す。

私の手でゲームを終わらせる。

ただそれだけしかなかった自分に、今、春香は気づかされたのだ。

「・・・復讐」

「それはうちが、水瀬がやる。どんな手を使っても犯人を捕まえて死刑台に送るから」

「伊織・・・そんな事、自分は望んでないぞ。残った皆が元気なら、それで・・・」

「まあ、響なら大丈夫よね、解ってる。でも・・・春香」

「・・・うん」

「あんたが怖いのよ。私はね」

「何言ってるの伊織。私なんかにそんなことできる訳ないよ」

「でもやる。何も分からず一人で死んだあずさの為、希望を託して残ってくれた雪歩の為」

強く唇を噛む。

「不安と恐怖に押し潰されたやよいの為、恐怖を乗り越えて皆を励まし続けた真の為」

空っぽのこぶしを強く握る。

「仲間を殺さなきゃならなかった律子の為。最期まで自分と仲間を信じた美希と貴音の為」

震えるこぶしのなかで爪が突き刺さり血が滲む。

「大好きだった友達の・・・千早の為に」

「・・・もうやめて」

「できるできないの話じゃない。いつか、春香は絶対に復讐する。誰にも頼らず、独りで」

「はるるん・・・手、血が・・・」

「痛くないよ。こんな程度。皆はもっと痛かったし、苦しかった」

「元の生活に戻る為に皆戦った。でも今のあんたじゃ、元にはきっと戻れない」

「当り前じゃない!」

吐き出すように、春香は叫んだ。

「もう元の765プロなんて戻れないよ! 全部奪われて無くなっちゃったんだから! 奪ったやつから奪って何が悪いの!? 元に戻れないんだったら、いっそ全部壊すしかないじゃない!!」

「・・・壊す? 懐にしまってある『それ』で?」

「っ・・・!?」

思わず、春香は懐を押さえる。

「私に隠し事なんてさせないわよ。千早と別れる前。ばっちり見てたわ、二人の事。確信はないけど、鬼役の律子が持ってたものじゃないかしら」

亜美真美や響が春香の方を怪訝そうに見た。

「それって・・・春香、何のこと?」

「はるるん、千早お姉ちゃんに何か貰ったの?」

「・・・話を続けましょう。似てないようで似たもの同士のあんた達だもの。千早もきっと、それを使って自分一人で片を付けようとしてた」

「千早ちゃんの事は・・・いいじゃない・・・」

「でも、結局私を助けて残った。律子を手にかけたっていう罪悪感もあるだろうけど、きっとギリギリまで悩んだと思う。それでも最期は・・・『全てを壊す復讐』よりも『春香と元に戻る』事を選んだ。私はそう勝手に解釈してる」

「元・・・に・・・」

「それに、渡さないで春香に黙っているっていう選択肢もあったはず。ねえ、自分は元に戻ろうとしたくせに、なんでそれをわざわざ春香に託したと思う?」

「・・・わからない。わからないよ・・・」

「ここからも全部私の想像よ。千早は初めから春香が復讐に使うなんて思ってない。自分がそうしたように、『それを使わない』という選択を春香自身にして欲しかったんじゃないのかって」

「私が選ぶ・・・?」

「私でも感じる位だから、千早ももっと早く春香の復讐心に気が付いてたと思う。春香は復讐を果たせる武器を望んでる。だから渡した」

「千早ちゃん・・・」

「・・・これ以上言うのは野暮ね。千早とあんたの問題だもの。ヒントは出せても答までは言えない。というか、どんな形であれあんたが出した答えがそのまま正解なんだから」

「・・・そう。『これ』は私と千早ちゃんの問題。私は、私が正しいと思ったことにこれを使うよ」

「ええ。・・・引き止めて悪かったわね。さあ、春香、ドアを開けて」

「うん、じゃあ、行こうか」

伊織と、亜美真美と、響と、言葉もなく見つめあう。

頷いたりもせず、無理に笑うでもなく、ただ、目を逢わせる。

永遠のようなその一瞬を閉じ込めるように瞼を下ろし、春香はドアを開けた。

「・・・えっ」

その光景に、3人は驚いた。

部屋の内部は、扉が二つある以外は、彼女達も利用するようなごく普通のカラオケボックスそのものだったのだ。

少々暗めの部屋に、カラオケの入力機器とスクリーン。

机の上には歌本とマイクの他、わざわざジュースの入ったコップまで置いてある。

天井にはカメラとスピーカーだ。

「・・・最後は歌?」

伊織が呆れたように一言。

『はいどうも、その通りです。ラストはアイドルらしく、歌合戦で締めくくって頂きたいと思います』

「どういうこと・・・?」

春香は表情を曇らせる。

『皆さんには名前の五十音順に歌を歌っていただき、採点機能で点数を競います。春香ちゃんは太陽のジェラシー、響ちゃんはNext Life、双海亜美ちゃんはポジティブ!、真美ちゃんはスタ→トスタ→、伊織ちゃんはHere we go!!で。アイドルの生歌が聞けるなんて役得だなぁ』

「何であんたが決めんのよ・・・最後くらい好きな歌歌わせなさいよね」

「伊織の言うとおりだよ、しかも飲み物も生ぬるいし・・・」

「自分、カラオケってあんまり来ないけど・・・普通に歌えばいいんだよね?」

「大丈夫でしょ。ひびきん歌メチャうまいもん」

「ね。この中じゃ歌もダンスも一番っしょ。ビリははるるんかなー」

「そういうこと言わないでよ! ホントの意味で命掛かってるんだからね!」

口々に言いあいながら、マイクを手に取る。

「皆さん、緊張感がないですねー。もっと怖がっていただかないとこちらとしてもやり甲斐がないんだけどなぁ・・・。ああもちろん点数が一番低かった人がアウトですよ。ソファーの下に足枷があると思います。それを全員はめてください。早くしないとガスですよ」

「分かってるっての。ガスガスうっさいわね」

「もう今更びびってらんないっしょ」

「もう何も怖くない! ってなカンジ?」

「自分はもう、自分にできることをただやるだけさー・・・」

これをはめてしまえば、自力で出口に向かうのは不可能だ。

春香は入ってきた扉に一番近い場所で。伊織はその隣。

亜美真美はその対角線上の出口に一番近い側、響はその隣で足枷をはめた。

「・・・ねえ、みんな」

足枷を付け終わった響がおずおずと声を発した。

「なに? 響ちゃん」

「最後、くらいはさ・・・もう、みんな好きに歌おうよ。何も考えないで」

「・・・好きに?」

「そう。誰かを助けるために下手に歌おうとか、邪魔してやろうとか・・・そういうの、もうやめにしないか?」

その提案に、春香と伊織が目を合わせる。

ふっと、声に出さず伊織が笑った。

「・・・ひびきん。それ、真美も思ってた」

「亜美も。どうせ誰が残っても一緒だし。気楽にいこーよ」

「・・・ええ、そうしましょう。少し前の自分だったらマイク取り上げてでも勝ちに行こうとしてたでしょうけど。何だか私もそういうの、疲れちゃったわ」

「い、伊織はホントにやりかねないから怖いよ・・・。でも、そうだよね。恨みっこなしだね」

そう。

恨みっこなし。

恨むのは、私たち仲間じゃない。

このゲームを仕組んだ者たちだけで十分だ。

『うん、準備できたみたいですね。それでは曲は自動で入りますので、ごゆっくりどうぞ~!!』

「うう・・・」

気楽に、とは言うものの、やはり緊張はする。

アナウンスの終了と同時に、画面には「太陽のジェラシー」の文字。

出だしを外さないよう、慎重に心の中で確かめる。

「♪もっと遠くへ泳いでみたい 光満ちる白いアイランド・・・」

なかなか悪くない出だしだ。リズムもしっかりと取れている。

順番待ちの四人は黙ってカラオケ画面と春香を交互に見つめる。

(緊張で喉が震える・・・。これはこれで良いビブラートになったり・・・しないか)

不思議と、そんな楽観的なことを考えていた。

「♪そうよ永遠の夏 きっときっとドラマが始まる ・・・」

何とか歌いきり、曲が終わるのと同時に机に突っ伏してしまう。

しかし、まだ安堵するのは早い。

採点画面に映り変わる。

「・・・お願い」

得点が出た。

90.765点。

これは・・・どうなんだろう。

良いのか悪いのか、自分でもよく分からない。

「おぉ~、はるるんがこれほどの歌唱力とは・・・」

「やつは我が765プロの中でも最弱・・・だったはずなのに・・・」

「やめてよ! これでもドームまで行ったアイドルだよ!」

からかう亜美と真美に顔を赤くして怒る春香。

しかしその怒りは、犯人に抱くそれとはまったく別の感情。

愛おしい憎らしさとでも言うべきか。

「次は自分か・・・。あー、あー・・・立って歌ったほうがいいかな」

響は立ち上がり、念入りにマイクチェックをする。

Next Lifeは難度の高いダンスナンバーだ。

精神の集中が、見守る春香たちにもひしひしと伝わる。

イントロが始まり、自然と響の身体がリズムに合わせて揺れる。

「♪今こうして自分がここにいるのがよく考えたら凄く不思議で ・・・」

歌詞の一つ一つをはっきりと、噛み締めるように歌う。

やはり、上手い。

狭いのでダンスは踊れないが、上半身の振り付けもしっかりと再現している。

「♪忘れはしない君の温もりと偽り無い真剣な眼差しをずっと・・・」

・・・曲が終わった。

「はあっ・・・自分、歌ってて涙が出そうだったぞ。何回も歌ったはずなのに、皆の顔が浮かんできて、なんか悲しくなっちゃって・・・」

「て、点数は・・・?」

画面には、90.765の文字。

「あれ、これって・・・」

「はるるんも90点だったよね、確か」

「え、あ、うん・・・小数点まではちょっと・・・よく見てなかった」

「・・・面白くなってきたわね」

伊織が不敵に微笑んだ。

「じゃあ次は亜美だね。みんな合いの手よろよろ→」

怯えていた頃が嘘のように、元気を取り戻した様子の亜美。

それを見つめる真美も・・・顔は瓜二つだが、姉の風格を漂わせる穏やかな表情だ。

「♪悩んでもしかたない ま、そんな時もあるさ あしたは違うさ・・・」

今この場をそのまま言い表したような、溌溂とした歌詞とメロディが部屋を包む。

真美たちと共に合いの手を入れる。

それが点数に響くとか、亜美の邪魔とか、そんなことは考えもしなかった。

今だけは、楽しもう。

この五人での、最後のひと時なのかもしれないのだから。

 



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第12の扉/Ⅱ.奇跡

「ふぁ~、終わった終わった・・・。どうどう!?」

・・・90.765点だった。

「ま、また90点・・・接戦だね」

「・・・あのさ、多分、自分も含めて三人、全く同じ点数だと思うぞ」

「えっ」

「そうよ。私は全部ちゃんと見てた。あんたたち全員、90.765点よ」

「マジ!? すごっ!」

「うあうあー、ここでミラクル出しちゃってどうするのさー!真美プレッシャーだよ!」

春香は少し考えて、カラオケ画面を見つめながら話しかけた。

「ねえ・・・天の声さん」

『はい? もしかして私の事ですか?』

虚を突かれたように、アナウンスの声が応える。

「これってどうなるの?」

『どう・・・とは?』

「もしも最下位が私たち三人だったら、ってこと」

『私は最も点数が低い人がアウト、と言ったんです。その人数は関係ありません』

全員が息を呑む。

「じゃあ・・・もし、もしもだよ。私たち皆が同じ点数だったら・・・どうするの?」

『・・・全員が最下位と見なして生き残りゼロでフィニッシュです』

全員が絶句する。

『と、言いたいのは山々ですが、考えてませんでした。どうしましょうね、そうなったら』

「ふざけんなバカぁ!」

伊織が怒鳴る。

『・・・もう既にジャンボ当たりくじみたいな確率ですが、五人全員同じ点数なんて流れ星に当たるくらいあり得ませんよ』

「それがもし起こったら?」

『はあ・・・愚問ですね。しかしお答えします。その時は、皆さんの友情パワーに免じて、五人全員生き残らせると約束しましょう』

「へぇっ!? それマジ!?」

「おおおお!! 本当か!?」

突然目の前に降って湧いたチャンスに盛り上がる一同。

返答と同時に、スタ→トスタ→のイントロが始まった。

慌てて真美がマイクを取る。

「あ、やばっ、歌わなきゃ!」

亜美が合いの手を入れながら、危なげなく曲が進んでいく。

聞きながら、さきほどのアナウンサーの言葉を心の中で繰り返す春香。

全員同じ点数なら、誰も死なずに済む。

無論、狙って出来るほど簡単な事ではない。

さっき話した通り、余計なことは考えず、好きに歌ったらいい。

きっとそれは、みんな同じのはず。

でも、もしも同じ数字が並んだなら、私は嬉しい。

とてもとても、嬉しいのだが・・・。

「野望陰謀レインボー! ・・・うあ~、どうだぁ!?」

「・・・あぁああ!!」

得点は90.765点。

四人連続で同点だ。

「すごい! すごい! すごい!」

「これって罠とかじゃないよね!? マジのガチだよね!?」

「あんたたちうっさい! これくらいで騒がないで!」

そういう伊織の顔もやや嬉しそうだ。

「頑張って、伊織。変に意識しちゃだめだよ」

「言われるまでもないわ。私がトップになっても泣かないでよね」

Here we go!!のメロディーが流れだす。

伊織は座ったままで、画面上の音程バーに気を配っている。

詞も曲も伊織に似合った可愛らしい歌だが、それを歌う表情は真剣そのもの。

クセがあるようで非常に安定した歌い方だ。

(やっぱり上手いな・・・伊織は。努力家だからなあ)

これは・・・90点なんて、余裕で超えてしまうかもしれない。

そうなれば、伊織以外の四人は脱落・・・死亡してしまう。

しかし春香は、彼女が無事に歌いきることを祈っていた。

だって、私たちは、アイドルだから。

「♪夢にまで見た夢なんだから 私が描く夢なんだから GO!!!! ・・・」

首筋に汗を滴らせて、最後の歌詞を歌いきる。

「・・・どうかしら。ほんのちょっぴり音程外しちゃったけど」

言いながらそっとマイクを置く。

「これはもうほんと分かんないね・・・」

「お祈りするしかないよ・・・」

数字が出た。

「あっ・・・」

「うあぁ・・・」

「うあうあっ・・・」

「やっ・・・」

「やったぁぁぁぁぁああああああ!!」

90.765点。

五人全員が、同じ点数だった。

足首の枷が一斉に外れる。

「いよっしゃああああ!! 生き残りだあああああ!!!!」

「見たかあああ! これがうちらの!! 勝負強さじゃああああ!!!」

「よかった・・・もう誰も死なずに済んで・・・うあぁあぁ・・・」

抱き合って生還を喜び合う双海姉妹。

安堵と感動のあまり顔を覆って泣きじゃくる響。

「あーあ、やっぱりカラオケなんかじゃ本気出せないわ。まっ、伊織ちゃんに感謝なさい」

「本当にすごいや、伊織は・・・」

『いやいやまさか、本当にやるとは思いませんでしたよ。これも絆の為せる業か・・・』

歓喜の宴に水を差すように、アナウンスの声が飛び込む。

春香は顔を強張らせながら、問いかける。

「ねえ、アナウンスの人。ゲームはこれで終わりでしょ。最後に顔くらい見せたらどう?」

『・・・見たいですか? 私の顔』

「うん、すごく。私たちをバラバラに引き裂いたあなたたちの顔、見せてよ」

『それでは、扉を潜ってごらんなさい。全ての答えはその先にある』

「扉・・・」

そう、これが出口へ続く扉なら。私たちは潜らねばならない。

こんなところではしゃいでる時間などない。

戻らなければならないのだ。

私たちの世界へ。

「亜美、真美、響、行こう」

「あ、うん・・・!」

「こんなところ、さっさとオサラバだよ!」

「すっかり頼もしくなったわね、春香も」

「からかわないでよ! ・・・開けるよ」

春香が率先して、扉のドアノブを回す。

がちゃり。

簡単に、ドアは開いた。

 



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第13の扉/Ⅰ.絶望

「なにこれ? どうなってるの?」

「あれ? えっ? どういうこと?」

「帰って・・・きたのか?」

「・・・事務所だ」

その部屋は、765プロの事務所そのものだった。

窓はあるが、外は真っ暗だ。

ただし、それは夜の暗さではなく、「黒」で塗りつぶされたような光景。

窓の外には何もなく、まるで星のない宇宙の様だった。

蛍光灯は点っているのに、まるで時間ごと凍り付いているかのような不気味さだ。

 

「あれ・・・外、なんかおかしくない? 夜っていうか・・・何もないんだけど」

「え、ていうか入口から入ってきたのに・・・どうやって出ればいいの?」

「・・・なんか、変だよ。誰か、誰かいないのか・・・?」

その響の声に、ぱちぱちぱち、と拍手の音が返ってきた。

もちろん、五人の内の誰のものでもない。

生還を確信していた彼女たちに、再び緊張感が走る。

この部屋に、私たち以外の誰かがいる。

犯人か・・・?

思わず、春香は懐に手を伸ばしていた。

「いるわね。奥に誰か。出てきなさいよ」

伊織が一歩前に出て、強い口調で尋ねる。

「コングラチュレイション。よく頑張りましたね、みんな」

その人物が仕切りの奥、仕事机の方からこつこつと足音を鳴らし、姿を現した。

緑のショートヘアーにインカムを装着した、その女性。

この場にいる全員が、その顔を知っている。忘れる訳もない。

多くのアイドル達が駆け出しのころから陰で支えてきた彼女。

時折暴走しがちな妄想癖が玉に瑕だが、歌も上手で、親身にアイドルに寄りそう存在。

765プロの事務員、音無小鳥だった。

「なっ・・・んで・・・」

「ピヨちゃん!?」

「小鳥・・・!? なんであんたがこんなとこにいんのよ・・・」

「ずっと見てましたよ。私の演技、どうでしたか? なかなか迫真だったでしょ?」

震える声で春香が訊ねる。

「も、もしかして、あのアナウンスの声は・・・」

「そう、ここで私がずっと喋っていたのよ。でも、これはもう必要ないわね」

そう言いながらインカムを外し、机の上にぶっきらぼうに投げる。

その顔は、まるで空虚な笑顔とでも言うのだろうか。

なんとも心情の掴めない表情だ。

まさか、あのアナウンスが小鳥さんだったなんて。

春香は冷や汗が自分の背中を伝っていくのを感じていた。

私が復讐を果たすとしたら、このアナウンスの人物も・・・、と考えていた。

まさか私たちの仲間が、私たちを死へ導く案内をしていただなんて誰が思うだろうか。

私が復讐を果たすべき相手はどこにいるんだ。

「・・・質問に答えて。なんであんたがいるの?」

怒りとも戸惑いともつかない複雑な表情の伊織の質問は無視して、小鳥が寂しげに答える。

「ごめんね。辛かったでしょう。でも、この部屋で終わりよ。もう扉はない」

「ピヨちゃんが・・・犯人なの?」

「違うよね・・・? ピヨちゃんも、無理やりやらされてたんだよね?」

「ピヨ子があんなひどい事できる訳ないだろ! そうに決まってるぞ!」

必死の形相で小鳥に縋りつくが、当の彼女は全く意に介さず、ぽん、と手を叩いた。

「最後に、私と一つゲームをしません?」

「え?」

「ゲ、ゲームぅ?」

唐突な提案。

「好きでしょ。ゲーム。ここはもうすぐ消えてなくなる。それまでの暇つぶしです」

「ちょ・・・小鳥、ちょっと待って! 今なんて!?」

またも無視。机の中から古めかしい回転式拳銃を取り出した。

全員の顔色が、数時間前の様に青褪めていく。

「さあ、ルールを説明しましょう。ここにリボルバーがあります。これ凄いのよ、なんと装弾数20発なんですって」

カラララララ、と嫌な金属音を鳴らして、シリンダーが回る。

「無視しないで!! ちゃんと説明してちょうだい! 消えるってどういう事!?」

好き勝手に話を進める小鳥に堪らず掴みかかる伊織。

しかし。

その額に銃口を向けて、小鳥が拳銃の引き金を引いた。

カシンッ。

「ひッ・・・!?」

思わず飛びのく。

「ロシアンルーレット。知ってますよね、有名なギャンブルですもの。弾は4発。あなたたちが全員死んだら私の勝ち、私が死んだらみんなの勝ち。ただし引き金はすべて私が引くものとします」

春香がとっさに前に出て伊織を庇う。

まさかこうもあっさり、引き金を引くなんて。

何故だ。なんでこんなことを続ける必要がある。

「も・・・もう終わったはずでしょ!! こんなことは!!」

「ええ、ゲームは終わったし扉はもうない。これは余興みたいなものですね」

言いながら春香に拳銃を向ける。

躊躇いなく引き金を引く。

カシンッ。

「きゃあああっ!!」

思わず目を伏せる。

またも空。

「次は響ちゃんにしようかしら。おいで、響ちゃん」

「うあぁあぁああ! く、狂ってるぞピヨ子!!」

入ってきた入口の方へと逃げ出す響。

しかしドアは開かない。

「残念、途中退場は認められないわ」

パンッ、という音が聞こえたのと同時に、ドアへと追い詰められていた響の中身が、花火の様に炸裂してドアを色づけた。

彼女の顔、上顎の辺りを砕いた弾丸は、肉の壁を抉りながら首の後ろへと貫通したようだ。

そのままずるりと赤い線を引いてドアの横に崩れ落ちる。

誰の目から見ても即死だった。

「ひっ・・・響ぃ!!」

「響ちゃんっ!!!」

「ひびきんっ!!!! 嫌あぁぁ!!!」

「3発目で当たりを引くなんて、やるじゃない。次は・・・亜美ちゃんにしましょう」

カシンッ。

「はずれ。次は真美ちゃんですよ」

カシンッ。

「ひあぁぁあ!!」

「助けてええええ!!!」

隅へと這いずる亜美真美をかばうように、伊織が盾になって叫ぶ。

「あんた頭おかしいんじゃないの!? いいからさっさとそれを下ろしなさい!!」

「そして・・・最後はもちろん自分に向けて引かなきゃいけませんよね。あーん…」

言いながら、自分の口に銃を銜え、親指で引き金を引く。

カシンッ。

「ひぃぃ!!!」

「素晴らしく運がいいみたい、私。さあ次はもう一度伊織ちゃんからよ」

・・・なんだ、この女は。

まるでおもちゃの水鉄砲で遊ぶ子供のように、無邪気に引き金を引いた。

人を撃った。

本当に撃った。

春香は懐の拳銃に手を伸ばしていた。

やらなきゃやられる。

相手がどうとかという問題ではない。

殺されてしまう。



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第13の扉/Ⅱ.正解

これ以上誰も死んでほしくない。

その思いが、春香を動かした。

「やめてっ! もうやめてぇ!!」

春香が銃を持った腕を伸ばし、小鳥に向ける。

がちがちと、歯が鳴っているのが聞こえる。

当然、手も震えている。

「は、はるるんっ!!」

「な、なんでそんなの持ってるのぉっ!?」

「春香っ・・・駄目よ、それはっ・・・」

小鳥が動きを止めて銃を見つめる。

「あら、そんなものどこから・・・?」

細い指先が、ゆっくりと引き金にかかる。

小鳥は一切避けようともしていなかった。

しかし、撃てない。

これ以上、指が動かない。

もう小鳥さんは響を殺したのに。救うべき仲間ではなくなってしまったかも知れないのに。

まさかこんなにも、大好きな人を殺すことが怖いとは。

ここまで体が震えるとは。

呆然と立ち尽くす春香に向かって、にやりと、小鳥が笑った。

「ふう~、駄目ですよ、そんな風じゃ。こういうふうに狙わないと・・・」

「ちょ、ちょっとやめっ・・・」

伊織の懇願に耳を貸さず、今度は小鳥が指を動かした。

ぱん、と乾いた音。

伊織の額にぽっかりと穴が空き、すぐ後ろにいた亜美真美へどさりと倒れ込む。

銃弾は固い後頭部の頭蓋骨に食い込んで止まり、亜美真美には当たらなかった。

しかし間違いなく、伊織は死んでしまった。

「あら、本当に出ちゃいましたね。でも、貫通しないなんて。よっぽどおデコが固いのか、文字通り体を張って後ろの二人を助けたってとこでしょうか。 えーっと・・・次は春香ちゃんよね」

「うあ、あっ・・・」

一度だけ。

一度だけ引き金を引くのだ。

早くしなければ。

早く・・・。

「躊躇ったら負けなんです。こういうのは」

「ひっ・・・」

カシンッ。

不発。

「っはぁ・・・はぁ・・・」

「何安心してるの、春香ちゃん。まだ終わらないわよ、さあ亜美ちゃん」

弾は出ない。

「真美ちゃんも」

出ない。

「そして私」

・・・出ない。

「もう順番、回ってきちゃいましたよ? 撃たなくていいんですか?」

「う・・・撃つ・・・」

「そのために持ってきたんでしょ? その銃を」

「私は・・・ここに閉じ込めた犯人への復讐の為に、銃を取った。でも小鳥さんは・・・」

「・・・そういうことなら。それはやっぱり、私に使うべきですよ」

「っ・・・!!」

どくん、どくん。

心臓の音が、うるさい位に聞こえている。

「・・・だって、犯人なんて、いないんだもの」

「そ、そんな・・・」

「あるのは、私が今伊織ちゃんと響ちゃんを射殺したという事実。それだけです」

「・・・嘘だよ・・・小鳥さんだってきっと事情があるんだよね・・・?」

「やっぱり優しいですね。素敵だわ。春香ちゃん」

小鳥が引き金を引いた。

・・・不発だ。

「さて・・・あら? さっきから静かだと思ったら、二人そろって失神しちゃったのね」

双海姉妹は、気を失っていた。

倒れる亜美の口に銃口を捻じ込む。

「でも順番はちゃんと守ってもらわないと。ばんっ」

「ぶえ゛っ」

短いうめき声と共に、亜美の中身がゆるゆると流れ出して血だまりを作った。

真美もまだ目を覚まさない。

「寝ぼすけさんね。起きなさい、朝ですよー」

カシン。今度は弾が出なかった。

「うーん、そろそろ私も危ないかな? えいっ」

不発。

「・・・えーと今、何回目? ひぃふぅみぃ・・・あと多くて5回ね、たぶん」

「っ・・・もうやめてよ・・・小鳥さん・・・」

「無理ですよ。そういうふうにプログラムされているから」

「プロ・・・グラム・・・?」

「私がここであなたたちに強いることは、初めから決まってたってこと。やめたいと思ってもやっちゃうんです。こんなふうに引き金を引いてね」

カシンッ。

「亜美ちゃんと真美ちゃんも、幼い心と体でよくここまで耐えてきたわ」

バンッ。

真美の眉間から真っ赤な血がどくどくと止め処なく湧き出てくる。

ビクンと一瞬身体が跳ねたが、その虚ろな目は、もう何も見てはいなかった。

「ねえ・・・教えてよ。ここはいったい・・・何なの・・・?」

「・・・脱出ゲームという、ゲームの中ですよ」

「・・・は?」

「セーブやコンティニューはないですけどね」

「訳わかんないよ・・・全然説明になってないよ・・・」

「もうすぐ知ることになりますよ。エンディングはもう目の前。もう春香ちゃんしかいなくなっちゃったけど、クリアする方法はあります」

そっと、小鳥が自分に銃を向ける。

春香は、ここで銃弾が出ること、出ないこと、そのどちらも願う気にはなれなかった。

「・・・あらら、出ませんでした」

銃を持ち換えて、銃の射線は再び春香へと伸びる。

「もう、あと2回。私が死ぬか春香ちゃんが死ぬか、次で決まる」

「・・・小鳥さん」

「あと10秒あげます。私を撃つなり神に祈るなり好きにしてください。10秒経ったら、残り2回の引き金を引きます」

その言葉に、再び春香の腕が前へと上がる。

その手には拳銃。

━━━━私には、小鳥さんの言っている意味なんてわからない。

言葉通りに受け取るには、納得できないことが多すぎる。

でも、もう、疑うのは、やめた。

そんなことはもう、たくさんだ。

 

「・・・撃つよ」

真っすぐ、構える。

「10、9、8、7」

「・・・撃つ」

「6、5、4、3」

カウントダウンに合わせるように小鳥も構える。

「2、1・・・0」

二人は同時に引き金を引いた。

ぱんっ。

一発の銃声。

それに、窓ガラスが割れる音。

沈黙。

静まり返る事務所。

春香の銃から、硝煙が立ち上る。

小鳥の銃は・・・発射されなかった。

「・・・なんで、わざと外したの? 春香ちゃん」

春香は、小鳥の顔のすぐ横を狙い、後方の窓ガラスを撃ったのだった。

「今、私は、撃ち殺した。窓ガラスに映った私を」

「・・・ふぅん?」

「小鳥さんを信じたから。犯人なんていないって言葉を。それなら、犯人っていう幻想は私のなかにいるんじゃないかって思って・・・それを消さなきゃって、私を撃った・・・」

「そんな理由で窓ガラスを? ふふっ、なるほど。春香ちゃん、本当純粋で良い子ですね」

血の火薬の匂いが立ち込める部屋の中、けらけらと笑う。

春香はただ、仲間達の死体を見渡していた。

私の判断がもっと早ければ。

私が真っ先に、小鳥さんを撃っていれば。

でも・・・私には、できなかった。

小鳥さんも仲間だから。

17年間生きてきて、間違いなく一番悩んだ10秒間。

私たちは・・・誰を仲間と呼ぶんだろう。

一体誰が守るべき仲間で、誰が憎むべき敵なんだろう。

仲間と敵というボーダーラインは、一体どこなんだろう。

最初に襲ってきた876プロは、そのどちらなんだろう。

今目の前にいるこの女性は、そのどちらなんだろう。

律子さんを殺した千早ちゃんはきっと、彼女だと気づけなかっただけだ。

律子さんが鬼だったのも、きっと得も言われぬ事情があったからだ。

根拠などないが、確信があった。

千早ちゃんは私たちを守ってくれた仲間だ。

敵だなんて絶対に思えない。

じゃあ、小鳥さんは・・・。

・・・答えは、とっくに出ていたのかもしれない。

「小鳥さんも、律子さんも、876プロも、みんな・・・仲間だもん。敵なんかいない」

ずっと笑っていた小鳥が、ふっと真顔になる。

「・・・正解」

「え?」

「よく10秒耐えきったわ。完璧な回答よ」

そう言って自分の口に銃を銜える。

「・・・小鳥さん!!」

とっさに駆け出す。

しかし、すでに引き金に指が掛かっていた。

「さあ、私が死んだらエンドロールですよ」

ばんっ。

小鳥さんが、派手に血を噴き出し、膝から崩れ落ちた。

床が真っ赤に染まっていく。

途端、猛烈な脱力感が春香を襲った。

そして喪失感。孤独感。

あらゆる負の感情が一斉に噴き出して、彼女の脳内は無で満たされる。

「・・・終わった。一人ぼっちになっちゃった」

よろよろと、割れた窓に近づき、外を眺める。

何もない、虚空だ。

ここから飛び降りたら・・・終わり、なんだろうか。

みんないなくなってしまった。

だから、私もいなくなれば・・・。

顔を出してみる。

風もない。

温かくも、寒くもない。

ただ、虚しい。

でも、ひとつだけ、確信できることがある。

ここは、元の世界じゃ、ない。

元の世界に、帰れないのか。

私は、ここで死ぬのか。

ふと、何か大事なことを、思い出さなくちゃいけないような気がした。

少し、考える。

どうして。

なんで小鳥さんが自分に向けて引き金を引く必要なんか、あるんだ。

彼女が言っていたゲームって何なんだ。

ゲーム・・・。

「ゲーム・・・?」

突然、脳裏に浮かんできた。

ここで目を覚ます前の事。

いや、正確には、ここに「来た理由」。

私は、私たちは、ここに来る前、ライブのリハが終わった後、誘拐されて・・・。

違う。

ライブのリハなんて、やってない。

それは、嘘だ。

嘘の記憶だ。

本当の私たちは・・・。

ここでゲームをするために、ここに来たような、そんな気がする・・・。

動向を監視している人がいるという、アナウンス・・・小鳥さんの言葉も。

私はその真意を、知っているはず。

むしろ『見られる為』に、やっていたような・・・。

もう少しで、何か思い出せそうなのだ。

もう少しで、このもやもやから、脱出できそうなのに・・・。

 

「・・・か」

「えっ?」

誰かの声がして、はっと前を向く。

「・・・るか。春香」

声が聞こえる。

おかしい。

幻聴だろうか。

もうみんな、死んだはずなのに。

「春香。聞こえるか。俺だ」

「ぷ、プロ・・・デューサー・・・さん?」

大粒の涙が、雨の様に流れて、虚空に吸い込まれていく。

そっと、振り向く。

私たちが潜り抜けてきたドアの向こうから。

愛しい、温かい、声がした。

「プロデューサーさん!!」

私は走った。

窓からドアまで、ほんの短い距離を、私は全力で走った。

ドアにぶつかる。

ドアノブを回す。

力を籠める。

開かない。

「プロデューサーさん! こっちからじゃ開きません! そっちから押してください!」

「・・・春香? 聞こえているのか、俺の声が!」

大声でその名を呼ぶ。

「聞こえてます! プロデューサーさん、開けて! 開けてください!!」

「開けて、と言われても・・・俺にもどうすればいいか・・・」

「そんな・・・プロデューサーさんでも、ダメなんですか・・・?」

「・・・すまない。春香」

「謝らないでください、脱出する方法はまだ何か、必ず・・・」

「お前たちをこのゲームに参加させたのは俺だ。全て俺の責任だ」

「・・・えっ?」

「俺が、このゲームに参加することを承諾し、そしてゲームをさせた」

「あ・・・」

「こんな事になるとは思わなかった。許してくれ。春香」

突然の最愛の人の告白。

プロデューサーが、このゲームに参加させた。

その、彼自身の言葉が、春香の、どこか奥深くの部分に、響いて。

春香はすべてを、思い出した。

「・・・すまない・・・」

「・・・ふふっ」

「・・・春香?」

「ははっ、あははっ、あははははは!!!」

ドアノブに手を掛けたまま、笑った。

それはそれは、高らかに、笑った。

「なーんだ。そうだったんですね。いえ・・・そうでしたね」

「・・・は、春香!」

「じゃあ何も、心配いらないじゃないですか。プロデューサーさんがさせたことなら」

「先生! 春香が! 春香の指が動きました! 先生!!」

「何も、怖れることないじゃないですか。私、ホントに・・・」

もう一度、ドアノブを回す。

今度は、ちゃんと回った。

ドアが、開かれた。

「プロデューサーさんの事、信じてますから」

最後に、もう一言。

「・・・大好きですから」

 

━━━━視界が、白に染まった。

 



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最後の扉/Ⅰ.夢

━━━━・・・。

天海春香が、目を覚ましたその部屋は、都内某所の実験室。

最初に彼女の視界に飛び込んできたのは、自身のプロデューサーと、秋月律子の顔だった。

プロデューサーの手には、ゴーグルとヘルメットがくっついた様な巨大なヘッドセット。

・・・今の今まで、私が装着していたものだ。

「春香!!」

「ああ、安心した・・・このまま目が覚めなっからどうしようかと・・・」

「あっ・・・プロデューサーさん」

ゆっくりと顔を向け、体を起こす。

腕には点滴か何かの太い管が繋がっている。

壮年の医者が春香の顔を覗き込み、一安心、といったようにプロデューサーに目配せする。

「ふむ・・・とくにパニック症状や混乱は見られませんな。念のため、しばらく安静にね」

「春香、あんた大丈夫なの!? 余計な心配掛けさせるんじゃないわよ、もう・・・!」

「春香! 自分が分かるか!? 響だぞ!」

「はるるん!! 亜美と真美、どっちがどっちか分かるよね!?」

「ああ、春香、良かった。本当に・・・」

「みんな・・・。うん、分かる。分かるよ・・・」

伊織が、響が、亜美真美が、千早ちゃんが。

私の隣で泣いている。

生きている。

「随分、長い時間が・・かかったみたいですね」

「・・・大丈夫か? 気分は悪くないか? まだ無理に話さなくても・・・」

「大丈夫、かなりはっきりしてます。・・・ずっと、呼んでくれてましたよね」

「あ、ああ・・・。最初に全員が眠ってから、今日が3日目の夜だ。春香が最後だよ」

「そ、そんなに・・・? 確か、予定だと長くても半日程度のはずじゃ?」

申し訳なさそうに、プロデューサーの後ろに立つ研究者らしき男が応えた。

「ええ、まあ、何しろ試作段階のものですから・・・臨床実験のデータも数回しか取れていないもので。人数が多いというのもありますし、あの、誤差の範囲かと・・・」

「誤差ですって!? 三日間も眠り続けるのが誤差で済むんですか!?」

激高して研究者の肩を揺さぶる律子。

「やめろ律子! これ以上ここで責めても仕方ないだろ! ・・・それより春香だ」

「あの、プロデューサーさん、私なら大丈夫ですよ! こうして目も覚めましたし・・・」

その言葉に、しぶしぶと言った様子で律子さんも矛を収めた。

すぐ傍で椅子に座っている医者はペンを取り、質問を始める。

「ええ・・・では、天海春香さん。起きて突然の事で恐縮ですが、記憶の齟齬や混濁がないかだけ、確認させてください」

「はい」

千早や、プロデューサーたちは、神妙な面持ちで春香を見守っている。

「まず、今日が何月何日かわかりますか?」

「今日は、〇月×日です」

「・・・その通りです。では、今いるこの場所は?」

「・・・△△区、□□社の実験室です」

「あなたがなぜ今までこの実験室で眠っていたのか、わかりますか?」

「・・・わかります」

「春香さんの口から、いきさつを説明していただけますか?」

少しずつ、記憶の糸を辿り、春香は言葉を紡いだ。

「私たち765プロアイドルは、番組の企画として、数年後に実用化予定の、複数の参加者が同時に非現実的なシチュエーションの仮想世界を体験できるゲームの一種・・・確か、仮称は『脱出ゲーム』・・・を、特別に体験させてもらう事になりました」

「・・・そのゲームがどういった内容のものかわかりますか?」

「全く見覚えのない密室、しかも仲間を一人ずつ置き去りにしなくてはならないという極限状態下で、普段の生活に感謝すること、生きる意味を見出すこと、そして参加者同士の絆の強さを確かめることが目的のゲーム・・・という説明でした。また、その内容をモニターで可視化できる、と」

「貴女が今頭につけているそれは?」

「今売られている視界だけの仮想体験ではなく、薬の投与による深い催眠状態で行う、本当に仮想世界が現実だと感じるほどの・・・。ううん、えっと、簡単に言うと『複数人と夢の世界を共有して可視化する』ための装置・・・かな」

「はい・・・それで、現実世界から仮想世界に入ったのは誰ですか? また、入って何をしましたか?」

「仮想現実に入ったのは、私を含めた12人で、『ライブのリハの帰りに誘拐された』っていう辻褄合わせの記憶を与えられて・・・一人一人、犠牲にしながら・・・そして、助け合いながら・・・進んでいきました」

「途中に、参加者であるアイドル以外の人達も出てきたと思うんですが、どうでしょう?」

「はい。律子さんや事務員の小鳥さん、876プロの人、それにプロデューサーさんも出てきました」

「アイドル以外の方が登場するだろうという事は、眠る前に説明を受けていましたよね? 覚えていますか?」

「はい。『参加者全員が共通して認識する人物』がいれば、その人は『参加者を襲う理由として適当な設定』を与えられて、友情を脅かす役として現れる、ということだったと思います。実際、プロデューサーさん以外の人達に、襲われました」

「・・・はい。今はどうでしょう? 身体は痛みますか? 誰か、死にましたか?」

「手のひらに爪が刺さりましたし、私以外、皆死にました。でも本当は誰も、死んでいませんし、手も痛くありません。すべて、仮想現実で起こったことですから。でも、あの世界で皆が私に言ってくれたこと、してくれたこと、それは、本心なんじゃないかって、思ってます。あそこにいたのは、確かに本当の皆だと・・・」

「では最後。あなたは名前と年齢と職業は?」

「天海春香。17歳。765プロダクション所属の・・・アイドルです」

「・・・なるほど。確かに、記憶も精神も至って健全です。立派なもんです」

心底安心した様子で、プロデューサーが、はあ、と長いため息を吐いた。

「ああ・・・良かった。何度も言ってますけど、こんな残酷なゲームだったなんて聞いてませんよ。参加者によってゲームの内容が変化するってのは聞いてましたけど、ウチには中学生だっているんです。一生消えないトラウマになったらどうするんですか」

科学者が、おずおずと釈明する。

「あの、それが、過去の実験では仮想現実内でビンタやパンチのケンカ程度はあっても、死亡する仕掛けなんか無かったんですよ。せいぜい最初の投票とか、一人座って残らないと出られないとかそのレベルで、残された時点でその人は目を覚ましてたんです。鬼にしても精々捕まって縛り付けられるくらいで。毒ガスとか感電とか、ノコギリで切られるとか、天井に押し潰されるとか、そんなシチュエーション一度もなかったのに・・・」

これに、医者があの、と手を上げて、語り始めた。

「それはおそらく、被験者がみないい年の大人だったからじゃないでしょうか。確かに大人の方が経験や知識はありますが、基本的に恐怖という感覚には鈍感になっていくものです。たとえば子供のころ怖かった暗闇や怪談話が、大人になると平気になるような感じですな」

「・・・はい、確かにまだ30代から50代の男女でしか実験はしていませんでした」

「これに対して若い人は、恐怖や孤独、不安、痛み、そして死に敏感なんです。その為、ゲームのシチュエーションも彼女たちが最も恐怖する事や死の象徴などが色濃く反映されて凶悪かつ直接的なものになったんじゃないかと」

「・・・はあ。なるほど・・・」

「・・・あんた、本当に科学者なの? そういうのは人に試す前に専門家と話し合っておくべきところでしょうが」

あまりにも間の抜けた科学者の態度に伊織が苛立ちを隠さず言い放つ。

「その、やはり、案ずるより産むが易しというか、百聞は一見に如かずというか・・・大人だけでなく若い人の実験データが欲しかったので、その、765プロの皆さんにお願いをしたんです。まさかこんな問題があったとは。本当に、申し訳ない・・・」

「春香が目を覚まさなかったらどうするつもりだったのよ。あんた責任とれるの?」

「そーだそーだ!」

「やめちまえ! ニンゲンを!」

伊織の辛辣な批判。それを囃し立てる双海姉妹。

千早は目もくれず、春香の顔だけを愛おしそうに見つめる。

皆のその顔には、あの凄惨な仮想現実の苦痛を未だに滲ませていた。

「いやそれは・・・でも、睡眠中も特に体に異常は・・・」

「ないでしょうね。だけど確かに痛かったわよ。頭を撃たれたわ。目が覚めても、ここがあの世なのかと思った位よ。響はいい年してオネショしてたし、やよいだって泣き止むのに3時間はかかったらしいじゃない。中止にしなさい。こんな欠陥だらけのゲーム」

「亜美もちょー痛かったよ! 起きてから顔に穴空いてないか確かめちゃったよ!!」

「真美だってほんとに愛ぴょんやっちゃったのかと思ってちびっちゃったよ!!」

「うーん・・・やはり年齢制限は必須か・・・これは『夢の科学』だ、何としても成功を・・・」

ぶつぶつと頭を抱えだす研究者。

「・・・チッ」

彼をあからさまな侮蔑の眼差しで睨みつけ、すぐに穏やかな顔で春香に向き直る伊織。

「さあ、意識も戻ったことだし、早くこんなところオサラバしましょ」

手で合図をして、プロデューサーたちを促す。

「あ、私、先に色々片付けて車で戻ってますね。各所に連絡入れないといけませんし。プロデューサー殿、皆をお願いします」

「ああ、悪いな律子。じゃあ・・・」

「春香、立てる?」

プロデューサーが声をかけるよりも逸早く、千早が春香の肩を抱いた。

「あ、うん・・・。他のみんなはもう、目が覚めたんだよね」

「そうだぞ。ここにいるのはみんな、今日目を覚ました子だって」

響の言葉に、心からの声が漏れる。

「・・・生きてて、よかった」



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最後の扉/Ⅱ.現実

最終話です。ここまで読んでくださり、ありがとうございました。


そして、心身ともに健康だと判断されたアイドルたちは、プロデューサー運転する車で、一度事務所へと返されることになった。

その車内。

「・・・でも、不思議ね。夢を見てるようだったけど、春香と話したこと、全部覚えてるわ」

「千早ちゃん・・・私も、覚えてるよ」

「今考えるとかなり恥ずかしい事、言っちゃったわね。でも最後まで春香が銃を使わなくて良かった・・・」

「あ、そっか、全部映像で観れるんだっけ」

「自分はもう、見たくないぞ・・・仮想現実でも辛すぎるさ・・・」

「亜美も嫌だよ・・・やよいっちとかまこちんとか、今見たらまたゲロゲロしちゃう・・・」

「自分が死ぬところなんて死んでも見たくないよぉ・・・」

「同感。悪趣味すぎるわよ。当然オンエアなんか出来っこないし、今日の事は無かったことにしましょ」

「・・・私は、忘れたくないな」

「春香?」

「私、伊織の事、前よりもっと好きになった気がするよ」

「え? な、何言ってんの!? き、気色悪いわね・・・」

すぐに顔が赤くなる伊織。

こういうところがすごく可愛らしくて、すごく懐かしくて、涙が出そうになる。

「それに響ちゃんも、千早ちゃんも。みんなの本当の気持ちを知ることが出来て、もっと好きになった」

「春香・・・」

「美希も、貴音も、みんな・・・普段はあんなだけど、すごく優しかったもんな・・・」

「ちょっとひびきん! その言い方ホントにいなくなっちゃったみたいじゃん!」

「ひびきん現実に戻ってきて! 戻ってこないとオネショのこと皆に言っちゃうよ!」

「う、うがー!! 大声で言うなー!!」

「つーか最後のピヨちゃんとかほんとに怖かったYO・・・」

「あれって、皆のピヨちゃんのイメージってこと? ヤバすぎっしょ・・・」

「あんな楽しそうに銃乱射する事務員ウチには居ないぞ・・・」

「それを言ったら876の子たちだって酷いよ・・・確かにいいライバルだとは思うけど」

「まさかあそこまで醜悪な敵になってしまうなんて。よっぽど無意識下で強く意識してる、ということなのかも」

「ん? そういえば社長って出てきたかしら?」

「知らなーい」

「見てなーい」

「居なかったよね」

「居なかったわ」

「ピヨ子や別の事務所の子まで出てきたのに忘れられてた社長って・・・酷い目に合わなくて良かったけど、ある意味可哀想だぞ・・・」

「まっ、普段からカゲの人だもんね」

「カゲっていうか真っ黒だもんね」

「何にせよ、誰も後遺症らしい後遺症も無くてよかったわ。ゲームはあくまでゲーム。現実感がないくらいが丁度良いってことね」

「もう仮想現実はこりごりさー!! 早く貴音に会いたいぞ!」

「・・・あの、プロデューサーさん」

「ん? どうした?」

「ずっと、見てたんですよね。私たちの事。モニターで」

「ん? 確かに見てたよ」

「もしかして、最初のあずささんの時点で、何かおかしいってことになってたんですか?」

「・・・ああ。クリエイターが蒼い顔してたぞ。こんなギミックは想定外だって」

「そうでしょうね。それで、どうしたんですか?」

「俺は、想定外なら今すぐやめろと言ったんだ。でも、薬の効果ですぐには目が覚めないからもうすこし様子を見させてくれって」

「あずささんは、どんな様子でした?」

「それはもう、ひどいもんだったぞ。10歳くらい年取ったみたいに憔悴しきってた。俺を見るなり抱き着いてわんわん泣いてさ」

「抱きっ・・・!? あずさの奴、やるわね・・・」

「うひゃ~、ダイタンだぞ、あずささん・・・」

「? まあいいや。それからも酷い罠の連続で、雪歩とやよいも目が覚めてからずっと放心状態で、ああ、俺はなんて仕事を取ってきちゃったんだって思ってさ」

「・・・真は? 多分、いや相当怒ってたでしょ」

「ご明察だ。初日の最後に目覚めたんだけど。科学者の顔見た途端殴りかかって行っちゃってさ。殺す気か、早く全員起こせって。いくら仮想世界でも、自分の仲間を傷付けられるのが許せなかったんだろうな。雪歩達が止めに入ってくれなかったらやばかったよ」

「まこちんは熱血だね。でもあんな死に方したらそりゃそーなるよ・・・」

「ある意味貴重な体験だよね。生き返るなんてそれこそゲームじゃなきゃできないっしょ」

「まあ、それ見てて俺も本当にやめさせるべきなんだって思ったんだが・・・今、無理やり中断させたら残った皆が戻って来られなくなるんじゃないかって考え出して必死に堪えてた」

「何やってんのよ・・・それこそぶん殴ってでもやめさせるべきでしょうが」

「そんなことして765プロの名に泥塗ったら結局困るのはお前らだろ。いくら相手がいけ好かない科学者集団でも、手は出しちゃダメなんだよ。察してくれ」

「・・・貴音さんや、美希はどうでした?」

「そうだな・・・昨日の事だが、二人とも、起きてすぐは茫然としたり泣いたりしてたけど、モニター見て、笑ってたぞ。最後まで信じきれてよかったって」

「・・・信じきれて、ね。こっちのセリフよ、ったく・・・」

「特に美希、伊織と千早が時間計ってる所見て、でこちゃん、千早さん、大好きなの~って笑いながら鼻水垂らしてたし。二人とも今日の昼まではここにいたんだが、レッスンがあるから帰らせたよ。休みにもできたんだけど、二人がやるっていうから」

「にひひっ、美希ったら・・・。ね、お土産にババロアでも買ってってあげましょ」

「はは、そうだな。きっと喜ぶぞ」

「・・・あ、プロデューサー。自分たちが仮想世界にいたのってほんの数時間くらいの気がするんだけど、なんで現実は三日も経ってるんだ?」

「こっちのモニターは真っ暗になったり映像がついたりを繰り返してたんだよ。レム睡眠とノンレム睡眠の関係かなんかで、仮想世界も断続的に意識がなくなったりまた戻ったりしてたみたいだぞ。丁度参加者が、扉を開けて次の部屋に行くのと同じタイミングでさ」

「えっと、つまり、仮想世界でも私たち、気づかないうちに寝たり起きたりを繰り返してたって事?」

「そうみたいだ。それでその間は仮想世界の時間も進んでる。だから体感では数時間しか起きてないように感じても、実際は3日経ってたってことらしい。俺もいまいち理解が追い付かないけどな・・・」

「うあうあ~! 全然わかんな~い!」

「ちょ~むずかし~よ!」

「まあ知ったところで、どうということも無いですけれど」

「こんなこと二度とやらないだろうしね」

「・・・私、もしかしたら、ここに戻って来られなかったかもしれません」

「ん?」

「プロデューサーが呼んでくれなかったら、私はあの窓を飛び出して、そのまま・・・死んでいた」

「そんな、まさか・・・でも、呼ばずにはいられなかったんだ。モニター見てて、今にも飛び降りそうだったからな。まさか仮想現実の中の春香に声が届くとは思わなかったけど」

「・・・あっ」

「どうした春香?」

「それじゃあ、小鳥さんがいなくなった後も、モニターって?」

「ああ、映ってたよ」

「私が起きる直前に言ったこと・・・もしかして・・・聞いちゃいました?」

「・・・うん、嬉しいこと言ってくれたな。俺もだぞ」

「・・・あ、あああ、あれはノーカンでお願いしますっ!」

「そんな寂しいこと言うなよ。俺は春香の本音が聞けて良かったよ」

「あの、その、全部思いだして、安心して、つい・・・。でも、モニターの事はど忘れしてたっていうか・・・とにかく、忘れてくださいっ!!」

「いやあ、私には何のことかさっぱりわからないわね。ねえ響?」

「さあ、自分も何て言ってたか忘れちゃったぞ。なあ亜美真美~?」

「んっふっふー、お蔵入りになってよかったかもね、はるる~ん!」

「兄ちゃんとはるるんの事は、ここだけのとっぷしーくれっと! だよ~ん!」

「正直、アイドルとしてはどうかと思うけれど、まあ・・・良かったわね、春香」

「も、もぉ~! みんなも忘れて~!!」

・・・それから765プロにつくまで、会話が途切れることは無かった。

あの痛みを、あの悲しみを癒すように、私たちは笑った。

仮想現実。ふたを開けてみれば、どうということはない。

私たちは仲間で、憎むべき敵も居なかった。

ただの、長い夢。

でも、あのゲームはきっと、世に出ることはないだろう。

あんな夢の科学は、夢のままにしておいた方が良い。

そう、私は思う。

「さあ着いた。皆事務所で心配して待ってるから、元気な顔を見せてやろう」

「運転お疲れさまでした。プロデューサーさん!」

「今度あんな仕事取ってきたら承知しないんだからね! わかった!?」

「ああ、分かってるよ。これからはもっと大事にするさ」

「殊勝な心がけね。それでこそ765プロのプロデューサーだわ」

「なあ皆、あの事は皆には内緒だからな! 絶対だぞ!」

「ひびきん、それってどっちのこと~?」

「オネショの方? それともはるるんのコクハクの方~?」

「う、うがぁ~!! どっちもだぞ!!」

「ていうかそんな大声で言わないで! 恥ずかしいから!!」

「にひひっ、さあ、そんなこと言ってる内にもう着いちゃうわよ」

「・・・なんか、ドアを開けるたびに緊張するようになってるかも・・・」

「そう・・・。あんなことがあったんだもの。仕方ないわ」

「ていうか、皆に会うのメッチャ久しぶりな感じがするよ・・・」

「ほんとだよ、真美なんかちょっともう泣きそーだよ・・・」

「じ、実は自分も・・・。早くみんなに会いたいぞ!」

「・・・じゃあ、春香」

「うん。・・・開けるよ」

中から、ひそひそと話し声か聞こえる。

私たちが着いたのに気づいているのかも。

うん、私は、帰ってきたんだ。

現実の世界に。私の居場所に。

 

暖かな風を体に感じながら、春香は力強く、ドアを開けた。

 

 

 

春香「脱出ゲーム?」 TRUE END



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