Life Will Change (白鷺 葵)
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Bloody Destiny
神様なんて嫌いだ


【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 名前:空本(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『運命を切り開くだけの簡単なお仕事』および『ペルソナ3異聞録-.future-』、Pixivの『2周目明智吾郎の災難』および『【一発ネタ】有栖川黎の幼馴染』の設定を下地にし、別方向へ発展させた作品である。
・ジョーカーのみ先天性TS。但し、今回のお話では、「ジョーカーである」という明確な描写はなし。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空本(そらもと) (わたる)⇒有栖川家とは親戚関係にある。南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野摩耶。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。


『最期の相手が“人形だった俺自身”か。……悪くない――』

 

 

 

 

「――ッ!?」

 

 

 ――夢を見て、目が覚めた。

 

 内容は覚えていないが、妙に胸が苦しい。肺が痛くて息ができない。背中は汗でびっしょりだった。身体の震えを抑えるまで、数分の時間を要した。

 慌てて自分の掌を見る。何ともない、普通の手があるだけだ。……一瞬、血に汚れたように見えたのは気のせいだ。気のせいであってほしい。

 当たり前のことだが、俺の胸に風穴は空いていなかった。血が出ている様子もなかったし、痛みもない。……ない、はずだ。

 

 

(妙にリアルな夢だったな……)

 

 

 僅かに震える両手を抑えつけながら時計を見る。現在時刻は朝の6:30。本日華の大型連休・初日だ。俺は、自分が思った以上に早く目が覚めたらしい。

 ……まあ、浮足立って早起きしてしまいそうな理由がないわけじゃないのだが。カレンダーの印を見た俺は、ひっそり口元を抑えた。

 

 部屋の外からはじゅうじゅうと何かが焼ける音がする。それに紛れて聞こえるのは、何か――十中八九野菜だろう――を切るリズミカルな包丁の音。今日の食事は何だろうと思案しながら扉を開ければ、俺の保護者の片割れが、手慣れた手つきで朝食を作っているところだった。

 今日のメニューは洋食だ。こんがりと焼けたトーストに、半熟のスクランブルエッグ。ウィンナーソーセージには綺麗な焦げ目がついていて、湯気が漂っていた。レタスとトマトを中心にして使われたサラダに、数多の野菜と鶏肉を煮込んだスープが並ぶ。それを見た途端、反射的に喉が鳴った。

 口の中に唾が滲んできた。気のせいか、腹の虫が堪えきれぬと鳴いた音もする。蝶が花の蜜に誘われるが如く、俺はふらふらと階段を降りてキッチンへ足を踏み入れていた。保護者の片割れも、俺が降りてきたことに気づいたようだ。もうすぐ三十路のくせに、彼は子どもっぽい笑みを浮かべた。

 

 

「おう、おはよーさん。珍しく早いな。……ああ、今日が“あの子”とのデート日か?」

 

「……う、煩いな。俺が誰とどこで何をしようと勝手だろ」

 

 

 一発で地雷を踏みぬかれ、俺はしどろもどろに返事を返した。多分、この保護者には照れ隠しのごまかしなど通じないだろう。

 

 果たして俺の予想通りだった。保護者の片割れは、まるで自分のことのように上機嫌になる。でれっでれに笑ってた。

 “人の幸福も不幸も問わず、己のモノとして共有する”という点は、保護者の片割れにとっての美点であり弱点だ。

 

 

「そういや、航さん昨日も帰ってこなかったの?」

 

「本当は帰ってくるはずだったんだが、南条くんの紹介で顔を合わせた認知訶学の研究者と意気投合したらしくてな。話し込んでたら窓から朝日が差し込んでたんだと」

 

「本当に何してんだよ……」

 

 

 窓から差し込む朝日を見て首を傾げるもう1人の後見人――空本(そらもと)(わたる)の姿を思い描いて、俺は思わず天を仰いだ。あの人は熱中すると時間経過をすっかり忘れるタイプだったか。ダンジョン化した聖エルミン学園高校や御影町を全速力で駆け抜けていた航のことを思い出すと、あの人の体力や思考回路はあの頃とさほど変わっていないのだと思い知らされる。

 周りも周りだ。力を強くして、異変の犯人をぶっ潰そうと必死になっていた訳だから、立ち止まっている暇などなかったはず。それだけではない。熱中すればする程、熱中した度合いに比例したリターンが期待できた。ハイリスクハイリターンとも言う。良くも悪くも凄まじい光景が脳裏に浮かんで、俺はトーストを齧りながら天を仰いだ。

 保護者はエプロンを外して腰かけると、テレビのリモコンを手に取った。大型液晶テレビのランプがついて、朝のニュースを伝え始める。トップとして報道されていたのは自動車事故だ。現場は遮蔽物も対向車も何もない、直線状の道路。()()()()()()事故など発生しないはずである。なのに、普通乗用車は道路標識に激突していた。

 

 余程スピードを出して突っ込んだのだろう。白い普通乗用車のフロント部分がぺしゃんこに潰れている。硝子は粉々に粉砕され、道路標識は真っ二つに折れ曲がっていた。

 あの様子では、運転手も無事ではなかろう――俺の予想は正しかったようで、【死亡】と銘打たれたテロップと共に顔写真と名前が映し出される。

 

 死亡した運転手の勤め先を見て、俺は思わず目を瞬かせた。

 

 

「『▲▲商事』……確か、南条コンツェルンの傘下企業だっけ? しかも、役員か……」

 

「…………」

 

「至さん?」

 

「……あいつ、南条くんから“横領の疑いアリ”って言われてた奴だったなーって」

 

 

 「丁度、奴の金の行方を追っかけてるところだった」と、俺の保護者――空本(そらもと)(いたる)は、何かを探るように目を窄めた。本業は怪異関連の一件を調査する調査員だが、平時は南条コンツェルン関連企業を調査している。

 前者の事件がホイホイ起きるようなことは、()()()()()()()()()()()まずあり得ないだろう。「そんな事件など起きない方がいい」と本人は笑う。今回もそうやって笑い飛ばせればよかったのかもしれないが、彼の表情は晴れない。

 

 至さんは“歩くトラブルサーチャー”と呼ばれている。彼が足を踏み入れた地では、必ずと言っていいほど怪異事件が発生するためだ。

 しかも、事件の首謀者および黒幕は善悪意問わず『神』と呼ばれる者たちの仕業か、悪意を持った人間たちに惹かれて顕現してしまった『破滅の権化』だった。

 至さんが怪異に首を突っ込んでいくのか、怪異が至さんを呼んでいるのか――答えはその両方である。彼の生まれからして、それは仕方がないことらしい。

 

 どうにもならない物事に対する諦め――もとい、開き直り半分と反骨精神が、空本至という人間の“(いのち)”を突き動かす理由だ。

 

 

(……もし、至さんの予感が的中したとしてだ。次はどんな『神』か『破滅の権化』が待ち構えてるんだろうな)

 

 

 俺は今までの出来事を思い出してみる。

 

 セベク・スキャンダルの首謀者神取鷹久を乗っ取ったペルソナにして、珠閒瑠市で発生したJOKER呪いの元凶であり破滅の化身ニャルラトホテプ。

 桐条グループの桐条鴻悦およびエルゴ研が行った負の実験によって顕現してしまった死と滅びの権化ニュクス。

 八十稲羽の土地神が持っていた「人間の望みを叶える」側面が暴走した結果、人間の「真実を見ようとしない」側面として顕現したイザナミノミコト。

 

 総じて碌なものではない。俺でさえ頭を抱えたくなる事件が大量発生したのだ。

 百発百中のトラブルサーチャーにとっては、頭が痛くなるほど狂っちまいそうだろう。

 

 

(これだから、『神』は好かないんだよ)

 

 

 俺がそんなことを考えながら朝食を平らげたときだった。スマホのランプがチカチカと点灯する。見れば、チャットに連絡が入っているところだった。

 差出人は、俺の待ち人。彼女は連休を利用し、東京へと遊びに来る。あと2時間後――予定時間通りに待ち合わせの場所につくという連絡だった。

 何を察知したのやら、至さんはニッコニコと笑っていた。俺に父親なんてものはいないが、多分、実在していたら彼のような奴なのかもしれない。

 

 いや、語弊がある。実父が誰なのか、俺は知っているのだ。……ただ、その本人とは、実際に接触したことがないだけで。

 

 

「俺は、お前と“あの子”のことを応援してるからな。……但し、勢い任せの無計画な――」

 

「――分かってるよ。俺が一番、そのことを分かってる」

 

 

 ……俺は、無計画で、自分の欲望しか考えなかった男の身勝手によって生まれ落ちた“望まれない子ども”だ。そんな子どもがどれ程惨めで辛い人生を歩むのか、俺はその一端に触れたから、“多少は”分かっている。

 俺は運が良かったのだ。本来なら、誰からも望まれなかった子どもとして扱われていたはずだ。世間からも疎まれていただろう。もしかしたら俺は、父や世界へ憎しみを抱いて暴走し、袋小路に迷い込んでいたかもしれない。

 

 

「俺は、俺と母さんを捨てたクソ親父とは違うんだ。彼女のことは絶対幸せにする」

 

「……だよなぁ。余計な心配だったな」

 

 

 俺の答えを聞いた至さんは満足そうに笑い、自分のコーヒーに角砂糖を投入した。

 4個入れても飽き足らなかったようで、牛乳をなみなみ注ぐ。最早カフェオレと化していた。

 

 俺を身ごもった母を手酷く捨てた実父のことを、俺は反面教師に思っている。俺や母を捨てたあんな奴と、俺は違うのだ。あいつが切り捨てたものすべてを手にした上で、あいつ以上に幸せになってみせよう――そう決意したのは、いつのことだったろうか。

 今ではそんな復讐は二の次三の次になっており、俺は俺の持つ小さな世界で満足していた。コミュニティ的に考えれば小さくはないのだろうけど、俺の手の中に納めておきたいと願う大切なものたちという意味では、小さな世界と言えるだろう。

 俺には信頼できる愉快な保護者がいて、正義を貫く格好いい大人たちがいて、心を許せる“あの子”もいる。特に、“あの子”は俺にとって“特別な相手”だ。運命なんて信じちゃいないが、彼女には酷く惹かれるものがある。奇妙な懐かしさと親しみを感じるのだ。

 

 ()()()()に、俺は“あの子”の手を取れなかった。取りたいと思いながらも、()()()()()()()()と――……?

 

 

(……え?)

 

 

 不意に、スマホを握っていた俺の手が二重にぶれる。べったりと付着したのは血飛沫だ。脳裏にフラッシュバックするのは老若男女の死体、死体、死体。そうして、見覚えのある人物の死体。男? 女? 判別はできなかったが――ああ、“あの子”だ。俺は本能で理解する。手に残るのは銃の引き金の感触。()()()()()――思わず息を飲んだ。

 次の瞬間、血まみれに汚れた手は幻のように消えてしまった。俺の手は綺麗なままである。“特別な相手”に会う前に見る光景にしては、あんまりにも悍ましく悪趣味なものではないか。『神』の嫌がらせでもあるまいし。俺は反射的にケトルを引っ掴んでコップに注ぐと、一気に飲み干した。心臓は早鐘の如く音を立てる。なんだか落ち着かない。

 

 何とも言えぬ感覚を持て余すのは、どうにも居心地が悪い。

 俺はさっさと立ち上がり、自室へ向かった。適当な私服(余所行き用)を適当に見繕う。

 洗面台で鏡と睨めっこしながら身支度を整えた。それでも時間は充分余っている。

 

 

「至さん、帰りは?」

 

「俺か? 俺は……そうさなァ。この大型連休は、所用で帰れなくなりそうだ」

 

「ふぅん……」

 

「だから、ゆっくりしていいぞ。――“あの子”、連休中はここに泊まるんだろ?」

 

「!!」

 

 

 至さんは、何かを察したような生温かい目を向けてきた。俺は反射的に言い返そうとしたのだが、彼が家を飛び出す方が一歩速かった。

 

 慌てて玄関の戸を開ければ、背中にクレー射撃用の銃が入ったケースを背負っている至さんの背中が目に入った。一応の護身武器を持ち歩く限り、所用とは本業絡みであろう。

 彼の趣味兼特技はクレー射撃である。聖エルミン学園在学時はクレー射撃部のエースとして活躍していた。類稀な狙撃能力故に、ついた仇名は“聖エルミンのシモ・ヘイヘ”。

 一時は射撃の日本代表候補まで上り詰めたのだが、同時期に発生した本業絡みの事件に集中するため辞退したという。勿体ない話だが、至さんらしい判断と言えば判断だろう。

 

 

「……さて、そろそろ行こうかな」

 

 

 俺は苦笑した後、出かける前の最終確認を行った。スマホとケータイ、財布、その他外出に必要なもの一式を鞄に詰め込んで出発する。目的地は渋谷駅前だ。

 指定された時間よりも随分早く待ち合わせ場所に辿り着く。スマホを取り出してグループチャットを開こうとしたとき、視界の端に見覚えのある少女の姿が映った。

 背中辺りまで伸びた癖のある黒髪、黒曜石を思わせるような静かな瞳、色白ではあるが瑞々しく健康的な肌。僕は反射的に顔を上げた。彼女も俺を見つけたらしく、破顔した。

 

 

「黎。随分と早かったね」

 

「吾郎の方こそ。こんなに早く来てるとは思わなかった」

 

 

 僕の元へ駆け寄って来た少女――有栖川(ありすがわ)(れい)は嬉しそうに頬を染めている。僕も自然と頬が緩んだ。

 

 黎と顔を合わせるのは本当に久しぶりである。彼女は御影町の旧家、有栖川家の1人娘だ。通っている高校は七姉妹学園高校ではあるが、自宅から通学するには充分な距離だった。

 僕が東京の進学校に通っているのは、自分なりに将来設計を考えた結果だ。保護者達には失礼だけれど、血筋や後ろ盾が殆どない僕が使えるのは頭脳くらいなものである。

 

 

(いくら本家の方針が一般家庭と大差ないとしても、周りの連中がそうとは限らないからな)

 

 

 有栖川家のネームバリューを求めて押し掛ける面子を思い浮かべて、僕は内心舌打ちしていた。黎を娶ることで跡取りになろうと企む連中はごまんといる。この前だって、40代過ぎの中年オヤジが黎にちょっかいを出してきた。

 その前は見るからにヤバイ――目の焦点が合わず、涎を垂らし、呻くだけで言葉を発さず、常に股間を触っているような巨体の男が黎に手を出そうとしていたこともある。異変に気づいた僕たちが法的および物理的手段を講じたおかげで黎の貞操は守られたが、もっと早く助けられたのではないかと僕は思っている。

 有栖川家当主曰く、「前者は警察、後者は座敷牢へと送られた」らしい。以来、件の2名に関する話は一切耳に入ってこない。そのことは「しきたり」だの「跡取り」だのと騒いでいた外様の親戚どもにも伝わったらしく、一応奴らは大人しくしていてくれた。閑話休題。

 

 僕と黎は暫し談笑を楽しみながら移動する。学校のこと、友達のこと、東京と御影町の様子――どの話題も楽しくて仕方がない。

 僕たちがそうやって談笑していたとき、不意に男の声が響き渡った。思わず声の方を見れば、選挙カーが道路の脇に停まっている。

 

 

「どうか、清き一票を!」

 

(……そういえば、そろそろ都議会議員の選挙だったっけ)

 

 

 誰が演説をしているのだろう。僕は何の気なしに視線を動かす。

 

 そこにいたのは、頭をスキンヘッドにして眼鏡をかけた男だった。鋭く冷徹な瞳は刃物を連想させる。得体の知れぬ寒気を感じたのは気のせいではない。

 選挙カーの上部には、件の議員の名前が書かれていた。獅童正義――その名前に、その顔に、僕は覚えがあった。あいつは、あいつが、あいつこそが、俺の――!!

 

 

「――吾郎……?」

 

 

 不安そうな声に気づいて振り返れば、黎がじっと僕を見上げていた。黒曜石の瞳は僕を案じている。彼女の表情を曇らせるような要素(モノ)は見過ごせないし、許すことができない。たとえそれが僕自身であってもだ。

 

 

「……いや、なんでもない。気にしないで」

 

 

 僕は獅童に背を向けつつ、黎と手を繋ぎ直す。俗にいう「恋人繋ぎ」に、黎は一瞬目を丸くした。恥ずかしそうに視線を彷徨わせたのち、幸せそうに頬を緩ませる。

 彼女の頬はほんのりと薔薇色に染まっていた。それを見ている僕の方まで照れくさくなり、緩み切った口元を抑える。暫く歩けば、獅童の演説はフェードアウトしていった。

 

 大丈夫。彼女がいてくれるならば、僕は平気だ。

 何も怖いことなんてないし、苦しいことなんてない。

 あるとするならそれは、幸せすぎることくらいだろうか。

 

 そんなことを考えていたとき、僕のスマホのランプがチカチカと輝いた。誰かからのメールらしい。黎に断りを入れて、僕はメッセージを確認した。

 

 

“我が手から離れたとしても、貴様が『駒』であることには変わりない”

 

“更生は不要。償いも不要。ただ粛々と、『罪』を犯した『罰』を受けよ”

 

“それこそが、『白い烏』たる貴様に相応しい『破滅』だ”

 

“――逃れられると思うなよ”

 

 

(……物騒な文面だな。脅迫文かよ)

 

 

 発信者も不明、意味はもっと不明なメールだ。そのくせ、妙に僕の琴線に引っかかる単語がちりばめられているように感じる。送り主からの悪意が滲み出ているようだ。

 ニャルラトホテプとよく似た気配を感じ取ったのは、奴のせいで何度か煮え湯を飲まされた経験があったためだ。奴本人か、もしくは奴の関係者だろうか?

 

 元から怪しいものに手を付けるつもりがなかった。『神』が関わっているなら尚更である。件のアプリを削除しようとした次の瞬間、スマホが勝手に動作した。得体の知れぬアプリがダウンロードされる。

 

 

「なんだこれ? ……“イセカイナビ”に、“メメントス”?」

 

『――では、案内を開始します』

 

 

 僕が首を傾げた途端、突如アプリが起動した。僕は反射的に黎を庇う。人がごった返す渋谷のセンター街はあっという間に塗り替えられていった。

 人々の姿はどこかへと消えて、真っ青な空は赤く染まる。代わりに現れたのは、形を取り切れない異形の群れ。悪魔やシャドウを連想させるようなバケモノだ。

 

 揺蕩う黒霧はタルタロスやマヨナカテレビで目の当たりにしたシャドウとよく似ているが、姿形を視認できる奴らの格好は聖エルミン学園や珠閒瑠市で見た悪魔たちと似ている。

 基本、人間のシャドウ以外とは話ができないはずだ。人間とコンタクトを取れるのは悪魔たちだけである。この異界に跋扈している異形どもは、双方の特性を持っているのだろう。

 奴らは僕たちの存在に気づいていない。僕と黎はこれ幸いと距離を取り、角に身を潜めた。戦うための力を持たない自分たちは、こうして奴らを巻くことしかできない。

 

 

「なんだコイツら……!?」

 

「一体、何が……!?」

 

 

 僕と黎は背中合わせになりながら、現状を確認する。一般人のレベルでは「意味不明な出来事」に巻き込まれたからこそ成せる警戒態勢。

 今すぐ、訳の分からぬここ――異形が跋扈する空間から脱出する方法を探さなくてはならない。最低でも、黎だけは無事に脱出させてやらなくては。

 原因はおそらく、先程勝手に起動したアプリのせいだろう。確か、アプリの名前はイセカイナビと言ったか。僕はスマホを開きつつ、必死になって算段を立てた。

 

 “運命なんて、ふとしたきっかけで劇的に切り替わる”。

 

 僕/俺――明智吾郎は、それを嫌という程噛みしめながら生きてきた。生きてきたはずだった。

 そのことを改めて思い出す羽目になろうとは、このときの僕/俺は一切考えが及ばなかったのである。

 

 

◇◇◇

 

 

 ――唐突だが、昔の話をしよう。

 

 

 母が死んだ。それをきっかけに見ず知らずの親戚どもの前に引きずり出された俺は、汚い大人たちの汚い罵り合いを嫌という程聞かされた。望まれない子ども、いらない子――耳を塞いでも、その言葉は飛び込んでくる。

 自分で言うのもなんだが、当時から俺は賢い子どもだった。腸を煮え繰り返しながらも、俺は“か弱いけれど賢い子ども”を演じて大人しくしていた。容赦なく降り注ぐ罵倒、嫌悪、押し付け合いの言葉を必死になって聞き流していた。そうでなければ、生き残れないから。

 

 

『あんたたち、何なんだよ。さっきから好き放題に言ってるけど、その子は何も悪くないじゃないか』

 

 

 不毛な罵り合いを引き裂くように声を上げたのは、親戚たちの中でも一番若い青年だった。聖エルミン学園の学ランを着ており、左耳のイヤリングが小さく揺れる。

 彼の隣には、彼と瓜二つの顔をした青年がいた。文字通りの鏡合わせ。2人を見分けるのは、左耳のイヤリングと右耳のピアスだった。彼も不快そうに大人を睨みつける。

 いきなりの言葉に、親戚連中が水を打ったように静まり返った。俺も目を丸くして2人を見つめた。……そこからは、双子――空本兄弟の独壇場である。

 

 嘗て、この双子も、今の俺と同じような状態に陥ったらしい。親戚たちの罵詈雑言を嫌でも聞かされ、引き取られた先でも虐待を受け、ほとほと弱っていたそうだ。一時は自殺も視野に入れていたという。

 そんな空本兄弟を救ったのは、親戚の中でも地元の名士と呼ばれた有栖川の本家だった。2人が生きていけるようサポートしてくれたらしい。当時の心境を余すことなく吐き捨てた至さんと航さんは、親戚一同を睨みつけながら言い切った。

 

 

『嘗て俺たちは、そうやって本家の御当主さまに助けられた。そうして言われたよ。『私たちに感謝しているのなら、私たちにその恩を返すのではなく、キミたちと同じ立場の人を助けるために力を尽くしなさい。そういうことができる人間になりなさい』って。……だから今度は、俺たちが、そういう理不尽に晒されている人間を守る番だ』

 

『明智吾郎くんは、今日から俺たちの家族だ。異論は認めない』

 

 

 高校生からの突然の宣言/申し出に、俺は目を丸くした。先程俺を押し付け合っていた親戚どもと全然違う。打算も裏もない、真っ直ぐで澄み切った瞳。あるのは善意と決意だけだ。理不尽そのものへ挑みかからんとする“反逆の徒”。俺が憧れていた、正義を貫く格好いいヒーローだった。

 

 それを見た親戚たちは2つに分かれた。1つはこのまま俺を空本兄弟に押し付けようとする者、もう1つは俺を引き取ることで発生する公共的な手当金を狙うが故に反対する者。また泥沼になるかと思われたやり取りは、彼らの後見人である有栖川家当主の一喝によって終結した。

 有栖川家の面々は空本兄弟の成長をたいそう喜び、俺を引き取るための手続きをサポートしてくれた。生活に関する方面も同様である。地元の名士という肩書は伊達ではなく、大騒ぎしていた親戚どもを黙らせる力を有していた。おかげで、俺は空本兄弟に引き取られることとなったのだ。

 

 黎と顔を合わせたのも、丁度その頃だったと思う。

 

 俺が正式に空本兄弟の被保護者となったことを報告するため、空本兄弟は俺を伴って有栖川家に赴いた。その日は飲めや歌えやの大騒ぎで、多分、俺よりも空本兄弟や有栖川家の大人たちが盛り上がっていたように思う。

 当時の俺はまだガキだったし、「いい子でいなければいけない」という脅迫概念の下彼らの様子を伺っていたというのもあって、そんな大人たちの空気に馴染めなかった。居心地が悪くて抜け出した本家の庭で、彼女は1人で佇んでいた。

 

 

『――…………』

 

 

 有栖川黎を一目見たとき、何故だか分からないが、俺はボロボロと泣いていた。いきなり泣いたら迷惑だと分かっていたのに、どうしてか涙が止まらなかった。

 苦しくて、哀しくて、辛くて――けれどそれ以上に嬉しかった。俺は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と思ったのだ。

 それは彼女も同じだったらしい。黎は俺を見るなり、無言のままボロボロと泣き出した。嬉しそうに目を細めて、花が咲くような笑みを浮かべて、俺の手を取ってくれた。

 

 

()()()()()()()()()()()()()

 

『……()()()()()()()()()()()

 

 

 どうしてそんな言葉が出たのか、俺も黎も分からない。けど、当時の気持ちを言い表すにはこれしかなかったのだ。この言葉が、当時の俺たちにとっての()()()だった。

 

 この言葉を皮切りにして、俺と黎は交流を重ねるようになった。彼女だけでなく、至さんや航さんの同級生との交流も始まった。南条コンツェルンの御曹司、母子家庭で手品が得意な聖エルミンの裸グローブ番長、ダンスグループのリーダー、元不良のスケバン姉御、外国語を日常会話に織り込む帰国子女……かなり濃い面子だった。

 双子に引き取られて半年が経過した頃、空本兄弟が聖エルミン学園の文化祭に関する話を持ちかけてきた。御影町でも由緒正しい歴史を持つ私立聖エルミン学園高校は、町内の祭り並みに派手な文化祭を行うことで有名だった。催し物も、そんじょそこらの学園祭など足元にも及ばない賑わいを見せる。

 

 

『折角だから、吾郎も聖エルミンの文化祭に遊びに来たらどうだ?』

 

『黎ちゃんにも声かけてみたらいいんじゃないか? 『一緒に文化祭を見て回りませんか』って』

 

 

 航さんが善意、至さんはお節介でそう提案してきた。飲んでいた麦茶を盛大に噴出した俺は、2人の前では無言を貫いた。それで手一杯だったのだ。

 ……その後、黎に声をかけたのかって? そんなの、かけたに決まってる。至さんの誘い文句を丸々借りて、俺は黎を聖エルミンの文化祭に誘った。

 楽しみにしすぎて、文化祭前日に『聖エルミン学園高校の下見に行こう』と黎を誘ってしまった程だ。それにホイホイついてくる黎も黎だったけれども。

 

 ――それが、とんでもない怪異事件の幕開けだった。

 

 

***

 

 

『な、なんだよこれ……!?』

 

 

 セベクの本社ビルから凄まじい光が発生し、御影町がおかしくなった。ひっそりと探索していた教室が突如凍った。

 学校中が凍り付いて、町中に得体の知れぬ異業が跋扈し始めた。文字通りのダンジョンと化したのだ。

 

 ヤバかった。正直死ぬかと思った。悪魔と名乗る異形どもは俺や黎に攻撃を仕掛けてくる。俺たちは手をつないだまま、必死になって聖エルミン学園を逃げ惑った。

 そんなとき、白い雪ダルマみたいな悪魔が他の悪魔たちに虐められている現場に遭遇した。どうやらその雪だるまは、「人間とお友達になりたい」という変わり者だったらしい。

 黎はその雪だるまを助けようとして、そんな黎を見捨てることができなくて、俺も一緒に駆け出した。悪魔に物をぶつけて怯ませた隙に、雪だるまの手を引いて教室へと逃げ込んだ。

 

 

『ヒホー。助けてくれたお礼だホー! オイラたち、ずっと友達だホー!』

 

 

 雪だるま――もといヒーホーくんは俺たちの行動に感謝して、鏡の破片を手渡してくれた。何かの役に立つかもしれないと語っていたが、あのときの俺は鏡の破片が何の役に立つか分からなかったので、適当に鞄へ放り込んだのを覚えている。

 

 直後、俺たちは至さんと航さんたちと合流した。彼らと彼らの同級生は、至さんが上杉さんに勧めた“ペルソナさま遊び”によって異形を撃ち払う力を手にしたらしい。至さんの表情がやや暗かったのは、聖エルミン学園が凍り付く原因を作ってしまったことに対する罪悪感があったためだ。

 倉庫に眠っていた“雪の女王”のマスクを至さんが担任教師である冴子先生に手渡した途端、学校は氷に閉ざされたダンジョンと化したらしい。“雪の女王”のマスクによって乗っ取られた担任教師を助けるため、航さんをリーダーに据えて学校中を駆け回っていたという。その手筈が整ったらしく、面々は俺たちを教室に残して決戦へと赴くつもりだった。

 

 

『待って、航さん! 俺と黎も連れて行って!!』

 

 

 このとき俺は――どうしてかは分からないが――彼らについて行かなければならないと思った。そうしなければならないという感覚に突き動かされた。

 それをうまく説明できなかった俺は“悪魔から逃げ回るのはもう嫌だ。見知った人と一緒にいたい”という主張をして、どうにか同行の許可を勝ち取ったのだ。

 

 結果的に言うと、俺の判断は上手い具合に作用した。

 

 航さんたちは鏡を使って冴子先生からスノーマスクを引き剥がそうとしていたらしい。鏡の破片の数が足りなくて、航さんたちは冴子先生を乗っ取ったスノーマスクと戦う羽目になった。スノーマスクは『もし冴子先生を倒せば、自分は“夜の女王”として完全復活し、御影町を氷漬けにする』と言い放ち、冴子先生の身体を使って襲い掛かって来たのである。

 大好きな担任教師を攻撃することができず、彼女を倒したら御影町全土が氷漬けになる“滅び”を受け入れることもできず、航さんたちは一方的に嬲られる。スノーマスクは高笑いしながら『鏡を完成させれば完璧だったのに』と叫んだ。それを聞いた俺と黎はピンときて、鞄から鏡の破片を取り出した。それを、未完成の鏡にはめ込む。

 予想通り、完成した鏡は本来の力を発揮した。冴子先生を乗っ取ったスノーマスクは悲鳴を上げて、彼女から分離する。それを見た至さんの号令に従い、聖エルミン学園の面々はスノーマスクに猛攻を仕掛けた。冴子先生を助け出すことはできたが、学校は全然元に戻らない。それどころかもっと寒くなってきた。

 

 どうやら、冴子先生に取りつく前に夜の女王の呪いに侵された人物のペルソナが暴走を始めているらしい。奴を斃さねば、御影町は元に戻らない――それを知らされた航さんたちは、夜の女王との最終決戦へと赴いた。俺と黎も無理矢理ついて行った。

 俺と黎は何もできなかったけれど、航さんたちの戦いをきちんと見届けた。アシュラ女王はペルソナ使いたちに倒され、呪いは断ち切られた。『希望を失い絶望へと変われば永遠の夜がやって来る』と奴は言っていたが、逆転の発想にすれば『希望を失わなければ奴は二度と現れない』ことになる。

 

 

『異変はまだ終わってない、ってことだね』

 

『よし、じゃあ行こうぜ!』

 

 

 しかし、学園の異変が終わっても、御影町全土の異変はまだ終わらない。俺と黎も無理矢理同行する形で、事態の中心にあるセベクへと向かったのだ。

 

 

『ウッヂュー!!』

 

『うわああああああああああああああああああ!!!』

 

 

 その後も大変だった。むしろその後が酷かった。何が楽しくて、俺は同年代の子どもに虐待されねばならなかったのだろう。機関銃を背負ったネズミはもう二度と見たくない。真面目な話、暫くトラウマになった。

 年食った大人からはマシンガンを連射されて死ぬかと思った。至さんと航さんが守ってくれなければ、多分俺と黎は生きていなかったはずだ。武田って奴は本当に大人げない。ドチクショウめ。

 首謀者だと思っていたはずの神取鷹久は自分のペルソナに体を乗っ取られて、暴走した状態で襲い掛かって来た。ペルソナの暴走は異形と化すことと同義らしい。あれは本当に酷いデザインだった。ゴッド神取は問答無用のパワーワードとして俺の中に残っている。

 

 

『……キミたちは、何のために生きている?』

 

『倒せるか? 私を。守れるか? 大切なものとやらを』

 

 

 ――神取は悪ではなかった。悪とは言えなかった。そんな奴の存在は後にも関わってくるのだが、それについては後述しようと思う。

 

 道中だって大変だった。口裂け女が徒党を組んで出現し、マハムド連射してくるのだ。南条さんが皮肉を言い、玲司さんが手品を披露して窮地を脱していた。何を言っているのかだって? 俺だってよく分からない。皮肉と手品で納得する悪魔の感性なんて理解不能だ。

 至さんと航さんはノリノリになってサトミタダシ薬局店の歌を歌って、悪魔と南条さんから顰蹙を買っていた。どうしてあの2人は狂ったように歌い続けていたのだろう。本人たちに問いかけたが、『歌いたいから』で返された。それでいいのか保護者。

 

 サトミタダシ薬局店の歌に洗脳されかかった南条さんを落ち着かせたり、俺や黎と同年代の子どもの問いに『生きる意味を探すために生きている』と答えた航さんの背中を見たり、至さんがフィレモンという普遍的無意識の権化から生み出された化身(しかも失敗作呼ばわりされていた)だったり超絶怒涛の展開だった。

 

 

『なあ。俺が人間じゃなくても、お前らを厄介事に巻き込むような存在でも、友達でいてくれるか? ……仲間で、いさせてくれるか?』

 

『――馬鹿だな。お前は俺の、双子の兄だろうが』

 

 

 不安そうな顔をして問いかけてきた至さんの問いに、航さんは鼻で笑いながら言い切った。聖エルミン学園の面々も、迷うこと無く頷き返した。

 勿論、俺にとっての至さんも“頼れる兄貴分”一択である。例え、彼の正体が異形関連だとしても、俺にとってはそんなことどうだってよかったのだ。

 今まで一緒に生活してきて、積み重ねてきた日々がすべてだった。人一倍子どもっぽくて、人一倍責任感が強くて、人の心に寄り添える、自慢の保護者なのだから。

 

 最後は絶望や不安によって生み出されたパンドラを打ち倒し、ようやく御影町は平穏を取り戻したのである。俺たちが駆け回っていた間、日付は止まったままだったらしい。翌日、何事もなかったかのように文化祭は滞りなく行われた。

 

 え? 文化祭デート? したよ。

 当時はデートだなんて微塵も意識してなかったがな!!

 

 

『そこの少年たちの答えを聞いていない。キミたちは何のために生きるんだ?』

 

『その理由を探すためだ。答えを見つけるためにも、俺たちは生きなくてはならない』

 

『宝物を見つけるためだと俺は思うな。出会いと別れを繰り返して、人生を生きて、振り返ったときに満足できるように』

 

 

 ……事件が完全解決して暫くの間、俺は自分の中に何かが引っかかっていた。神取の問いに対する答えが、何かをフラッシュバックさせる。

 

 

『――では、キミはどうだ? 少女よ』

 

『……うまく言えないけど、私の好きな人たちと、一緒にいたいから。時々泣いたり喧嘩したりするかもしれないけど、でも、一緒に笑いあえたらいいと思う。そういうことができるのは、生きているからでしょう?』

 

『成程な。では、少年。キミは?』

 

『僕は……ッ、……俺も、黎と同じだ。黎と一緒にいたい。黎だけじゃなく、至さんや航さんたちとも一緒にいたい。俺は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()人間になりたいんだ。だから――』

 

『――そうか。キミたちの答えは、よく分かった』

 

 

 神取は、俺を見て、安心したように笑っていた。その笑みの理由を考える度、俺の脳裏によぎるものがあった。

 

 コーヒーの香り、店内で談笑する2人の人影。クリームたっぷりのクレープ、ふわふわのパンケーキ。何度も交わされた『おかえり』と『ただいま』。異形が跋扈するカジノを駆け抜ける白と黒。2人の口元には、いつも笑みが浮かんでいた。

 伸ばされた手があった。憎しみも恨みも怒りも超越して、8つの人影は誰かに言う。『一緒に行こう』――彼/彼女らは共に駆け抜けた頃と同じ、綺麗な目をしていた。一緒に過ごした日々を信じていると、訴えていた。

 

 嘘まみれの中にあった本当を拾い集める。もしかしたら、もしかしたら――。

 でも、誰かはそれを形にすることを選ばなかった。選べなかった。

 だから最期に、悪態の中にすべてを込めた。それだけが、破滅するだけの誰かに許されたことだった。

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()

 

 『……キミたちは、何のために生きている?』――セベクで神取が投げかけた問いが何度もリフレインする。誰かは何のために生きたのか、誰かは大切なものを守れたのか。

 俺が――いや、俺の保護者や黎でも――誰かに問いかけても、そいつは鼻で笑うだけのような気がした。憑き物が落ちたような、安らかな瞳を湛えて。

 

 

***

 

 

 聖エルミン学園の一件を皮切りに、俺は至さんが巻き込まれる事件に同行するようになった。……意図したわけじゃない、偶然の産物でだ。

 

 

『うーん……』

 

『どうした? 吾郎』

 

『いや、変な夢を見るんだ。あんたが俺を庇って死ぬ夢』

 

『そうなのか。いや、実は俺もなんだ。お前を守って死ぬ夢』

 

 

 当時俺は珠閒瑠市の大学に通う至さんと一緒に暮らしていた。航さんは東京の有名大学へ進学し、寮生活を送っていた。いずれ南条さんが立ち上げるペルソナ関連部門で働くための下準備である。俺と至さんは御影町にちょくちょく帰省していた。

 そんなある日、俺と至さんは変なデジャビュに悩まされるようになる。丁度その頃、珠閒瑠市では『JOKER呪い』が流行っていた。嘗て聖エルミンの教頭だった反谷氏が不審死したことがきっかけで、俺たちは有栖川の親戚、天野舞耶さんと一緒に『JOKER呪い』を追いかけることになる。

 

 共に事件を追いかけた面々も濃かった。猫大好きだけど猫アレルギーなパティシエ志望の警察官、元珠閒瑠検事の盗聴バスター兼情報屋な人探しのプロ、舞耶さんのルームシェア相手で結婚詐欺の被害者、エルミンやセベクの件でも共闘した南条さんや英理子さん、人間音響の名を欲しいままにした“滅びの世界からの来訪者”……。

 

 結果、俺は『神』が大嫌いになった。何の役にも立ちゃしねえ。至さんがフィレモンをぶん殴るのは当然だし、ニャルラトホテプは全身全霊を賭けてブッ血KILLべき悪神だ。

 滅びを迎えるしかない世界からやって来た達哉さんの姿を、俺は一生忘れられないだろう。彼の在り方と辿ったやるせない結末は、酷く既視感を覚えた。

 こちらの世界の舞耶さんと心を通わせ、想い合っていたというのに、悪神の齎した理不尽によって引き裂かれなくてはならなかったのだから。

 

 『顕現さえしていれば、神様は殴れる』――それは、俺と至さんの共通する格言となった。

 

 ……他にも、俺の琴線に触れた出来事は沢山ある。

 

 

『父は正しいことをした。間違っていなかった。……この事実を誰も知らなかったとしても、僕が知っている。それでいいんだ』

 

 

 周防兄弟の父親は刑事だった。その人は組織の腐敗を止めようとして、仲間の裏切りにあい汚名を着せられた。それだけでなく、家族にも危害を加えると脅された。だから、件の刑事は黙って罪を受け入れたらしい。

 彼の無実は、彼の息子たちによって晴らされた。けれども、それは決して公になることはない。……では、その調査は無駄だったのか。答えはNoだと――無意味ではないのだと周防刑事は力強く笑っていた。

 

 彼はもう、自分や自分の尊敬する人に張られたレッテルに振り回されることはない。正しいものを見極め、正しいことを成すために力を振るうのだ。何にも縛られず自由に振る舞える。……そんな周防刑事を羨ましがるのと同時に――何故かは分からないが――、俺は黎のことを考えた。

 

 

『俺は見極めなけれなならない。正しいことを成すためにも』

 

『南条くん……』

 

 

 敵である須藤竜蔵――当時の外務大臣に政治献金をしている父親と対立することを覚悟してでも、舞耶さんたちに手を貸した南条さんは格好良かった。

 ……でも。どうして俺は、竜蔵に対して『貴様に日本の未来を語る資格はない!』と啖呵を切る南条さんの姿に対して強い羨望と嫉妬を抱いたのだろう。

 無性に『()()()()()()()()()()』と叫びたくなった理由を、俺は未だに説明できそうにない。

 

 

『神取! アンタはあのとき、自分の弱さを認めたはずだろ!?』

 

『狂言回しの真似事など止めろ。そんな落ちぶれた姿は、見たくない……』

 

『またもキミたちに同情されようとはな……。光には光の、影には影の役割がある。……そういうことだ』

 

 

 ニャルラトホテプの手駒として復活させられた神取鷹久の姿を見たときは、どうしてか他人事のように思えなかった。嘗てニャルラトホテプに体を乗っ取られて朽ちていった男は、今回もまた、悪神の人形として道化を演じながら死んでいった。

 

 

『見事だ……。だが、影に魅入られた者がその触手から逃れることは容易ではないぞ。……()()()()()()()()()、諸君には、運命の鎖……断ち切ることができるかな?』

 

 

 ――あのとき、何故、神取は俺を見たのだろう。

 

 賛美するように、祝福するように、羨望するように、期待するように――俺という存在に感謝するように。

 サングラスの奥に眼球が存在していたら、彼の瞳は優しく細められていたのだろうか。

 

 

『神取! お前、本当にこれでいいのかよ!?』

 

『空本の言う通りだ! 一緒に来い……!』

 

『――これ以上、生き恥を晒さしてくれるな……』

 

 

 南条さんから差し出された手を、神取は銃を発砲することで振り払った。誰もが悔しそうに、やりきれなさそうに脱出していく中、俺、至さん、南条さんがその最後尾だった。言いたいことを飲み込んで駆け出す至さんと南条さんの背中は、今でも忘れられない。

 どうしてか俺は、神取が破滅を選んだ理由に納得がいった。()()()()()()()()()()()()()理解できた。彼がどんな顔をして終わりを迎えたのか予想できるくらいには、寄り添えていたように思う。……ただ、唯一寄り添えなかった部分があるとするなら、()()()()()()()()()()神取が羨ましいと思ったくらいか。

 

 崩れていく洞窟から逃げる中で、豪華客船と化した国会議事堂の光景を幻視したのは何故だったのか。何もない人生を嗤ったのは誰だったのか。

 機関室で銃を構えていたのは、一体誰と誰だったのだろうか。彼らの様子がまるで合わせ鏡のように思えたのは何故か。

 最期の最期で人形から脱却し、信頼できる相手にすべてを託して目を閉じたのは、一体誰だったのか。――俺は未だに、わからないままだ。

 

 

***

 

 

 そうして、更に数年後の2009年。俺と至さんは、南条家の分家筋である桐条グループの本拠地である巌戸台に足を踏み入れていた。

 

 

『桐条グループに共同研究を持ちかけた際、関連資料の一部が行方不明になった。同時に、関連資料を悪用し、非人道的な実験を行っているという噂が絶えない』

 

『……了解。共同研究案の言い出しっぺとして、責任もって調査してくる』

 

『じゃあ、俺もその手伝いがしたい』

 

『『!!?』』

 

 

 当時、俺は南条コンツェルンのペルソナ研究部門に所属する調査員見習いだった。福利厚生が破格なアルバイトだと言ってもいい。アルバイト扱いなのは、異形と戦う力がないためだ。それでも充分危ないことは理解している。けれど、どうしても俺は、調査員見習いとして同行したかったのだ。

 

 巌戸台に越してきてすぐ、俺と至さんは“影時間”を体験する羽目になった。そうして、次世代のペルソナ使いたちと接触し、彼らと共同戦線を張ることになった。彼らを率いていたリーダーが、有栖川の親戚である香月(こうづき)(みこと)さんだと知ったときは驚いたのだが。

 今回の世代は、影時間内で拳銃型の召喚機を使うことでペルソナを顕現することができるらしい。『神』から覚醒を促される方法とは違い、現実世界にペルソナ能力を発現することは不可能な様子だった。しかも、複数のペルソナを付け変えれるのは稀有な存在だという。

 

 

『珠閒瑠の一件で、フィレモンは弱体化しちまったからな。ペルソナ能力も、その関係で変質したのかもしれん』

 

『やっぱりフィレモンは役立たずだったのか……』

 

 

 フィレモンの株がダダ下がりする程度で終われば、今回の一件は幸せだっただろう。けれどもそれ以上に辛いことが発生した。ダメな大人ども――桐条鴻悦(すべての元凶)幾月修司(裏切り者)のせいで、世界滅亡の片棒を担がされたためだ。

 人間の傲慢は世界を滅ぼすのだと言うことを、俺は嫌というほど学んだ。けじめはきっちり付けたけれど、課題もたくさん残っている。誰かが犠牲にならないと救えない世界を変えるため、特別課外活動部はシャドウワーカーへと名前を変えて存在していた。

 命さんたちは今でも活動していることだろう。テレビの世界で特別捜査隊と共同戦線を張って以後はそれぞれ別の道を歩いているが、またいつか同じ戦場で戦う日が来そうで仕方がない。至さんも何となくその気配を察知しているようで、憂鬱そうにスマホをいじることが増えた。

 

 桐条鴻悦の業が、偶然その場に居合わせただけの命さんに降り注ぐなんて誰が予想できただろう。そうして、鴻悦が暴走するきっかけとなった研究資料を提供したのは南条コンツェルンであり、南条さんに『桐条と共同研究をすべき』と意見したのは至さんである。酷い玉突き事故を見た。

 

 玉突き事故はそれだけでは終わらない。特別課外活動部の人間関係もとんでもなかった。桐条グループの1人娘、事故死に伴い汚名を着せられた研究者の娘、ペルソナ能力の暴走によって過失致死事件を起こしてしまった青年、化け物に母親を殺され復讐を誓った少年……。

 前者は雨降って地固まった。特別課外活動部を揺らがしたのは後者である。加害者だった荒垣さんは、被害者の息子である天田さんに殺されるためだけに部に復帰した。チームの和を重視した命さんの尽力により、荒垣さんに強い殺意を抱いていた天田さんの態度もやや軟化したように感じる。けど、天田さんの憎しみは別方面で開花した。

 

 

『つか、なんで俺なんだよ……。いいだろ、もう』

 

『決まってるじゃないですか。先輩が好きだからです!』

 

『……はぁ!?』

 

『――ッ……!!!』

 

 

 ――寮のラウンジのど真ん中で繰り広げられた珍事を、俺たちは茫然と見つめていた。天田さんだけは、殺意を滲ませながら荒垣さんを睨みつけていた。

 

 後に“ラウンジの攻防”、もしくは“ノンストップ命”と呼ばれる珍事件をきっかけに、命さんと荒垣さんは名実ともに恋人同士になったようだ。楽しそうに、幸せそうにしている姿を見かけた。……同時に、そんな荒垣さんを射殺さんばかりに睨みつける天田さんの姿も。

 “自分が復讐しようとしている男に、自分の初恋の人を奪われた”――強い憎しみに駆られる天田さんにシンパシーを抱いたのは――ベクトルが違えども――俺と似たような憎しみを背負っていると感じたからだ。そうして、大事な人をすべて取られてしまった天田さんは、踏み出した。()()()()()()()()()

 

 

『やだ……! やだ、やだッ! 荒垣先輩、死なないで!!』

 

『……泣くな、命……。――……これで、いい……――』

 

 

 荒垣さんは、天田さんを守って瀕死の重傷を負った。一命をとりとめたのは奇跡だと言われた。意識を取り戻す可能性は低いだろう、とも。

 天田さんは自身を責めて責めて責め続けて、寮を飛び出した。真田さんや命さんの説得を受けて、天田さんは戦線に復帰することを選ぶ。

 すべては、荒垣さんの想いを受け継ぐために。彼に救われた命を用いて、大事な人々を守り抜くために。

 

 その後、荒垣さんは翌年の3月初旬――月光館学園高校の卒業式3日前に意識を取り戻し、卒業式当日に病院を飛び出して命さんの元へ馳せ参じた。

 

 彼だけではない。生徒会長であるはずの桐条さんは卒業生答辞をすっぽかし、真田さんが後に続き、更に在校生である順平さん、風香さん、ゆかりさんが体育館から飛び出したそうだ。因みに俺も、天田さんと一緒に学校をサボって約束を果たしに行ったクチなので人のことは言えない。

 至さんはアイギスさんや命さんと一緒に、屋上でみんなを待っていたそうだ。『生命を対価にした封印を行えなかった。死ぬのが嫌だった。みんなと一緒にいたかった』と泣き叫ぶ命さんを抱きしめながら、『お前がいない世界なんかいらない』と言い切った荒垣さんは格好良かったと俺は思う。密かに、あの人の在り方には憧れていた。

 

 

『命ちゃんにそんな対価を払わせるわけないだろ。()()()()()()()()()()()()。……だから、安心して生きなさい。幸せになりなさい。な?』

 

 

 満面の笑顔でそう語った俺の保護者は、慈しみに満ちていた。同時に、何かを覚悟したように思える。

 結局、至さんは何を対価にしたのかは教えてくれなかった。凪いだ湖面のような目を細めるだけだった。

 

 その日から、至さんの周りで金色の蝶をよく見かけるようになった。虫取り網を片手に金色の蝶を追いかけ回す至さんの姿が、どこか寂しそうに見えたのも、この頃からだった。

 

 俺はどうしてか、沈んだ東京の街を悠々と進む豪華客船、国会議事堂を思い浮かべることが増えた。

 機関室、怪盗、探偵、鏡合わせの様に向かい合って銃を構える2人。銃口が捕らえたのは、人形と隔壁スイッチ。

 

 分厚いシャッターの向こう側からは、人の声がひっきりなしに聞こえていた。一緒に行こうと、シャッターを開けろと、必死になって呼びかける声が聞こえていた。それら一切を無視し、誰かは取引を持ち掛ける。

 『あいつを■■させろ』と誰かは叫んだ。『罪を終わりにしてくれ』と誰かは乞うた。シャッターの向こう側にいる、自分が信じることができた大切な人々に。己にその決断をさせるに至った、奇跡のような相手に。

 果たして、誰かの望み通り、シャッターの向こうから『是』の声が聞こえた。『わかった』と――『後は任せろ』と力強く返答した相手の声は、酷く震えている。その返事を聞いて安堵した誰かは、ついぞそれに気づかなかった。

 

 シャッターの向こうにいた相手は、どんな気持ちで返事を返したのだろう。どんな顔をしてシャッターを見つめていたのだろう。どんな気持ちで、誰かを置いて行ったのだろう。

 誰かが投げ捨てた願いと同じものを、願っていてくれたのだろうか。一緒にいたかったと、本当の仲間/相棒になりたかったと、願っていてくれたのだろうか。それを知る術はない。

 

 ……そういえば、誰かに『わかった』――あるいは『後は任せろ』と返した声の主は、男だったのだろうか? 女だったのだろうか? 酷く聞き覚えのある声だったような、気がする。

 

 

***

 

 

『こんにちわー! いつもニコニコ貴方の背後に這いよる混沌、ニャルラトホテプでっす!!』

 

『止めろ気持ち悪い! 今更そんなキャラにしても遅――おわあああああああああああああああああああああッ!?』

 

『嘘だろ!? なんてテレビの中に入って――うわああああああああああああああああああッ!?』

 

 

 イラッとするレベルの笑顔を浮かべたニャルラトホテプ(外見:七姉妹学園高校の制服を身に纏った達哉さん)によって、俺と至さんはテレビの中にブチ込まれた。2011年のことだった。

 

 何を言っているか分からないと思うが、初めてテレビの中に落とされたときの俺だって、自分が置かれている状態がよく分からなかった。文字通り意味不明だった。

 巌戸台のシャドウによく似た連中が湧く異世界から脱出したら、見知らぬ大型スーパーのテレビ売り場だったときは血の気が引いた。どうして自宅じゃないのかと焦った。

 それなりの都会からド田舎に転移したときの恐怖を味わったのは、後にも先にもこれっきりである。以降もこれっきりであってほしいと俺は願っていた。閑話休題。

 

 訳が分からず呆然としながら、俺と至さんはド田舎を散策していた。住民への聞き込みによって、このド田舎が八十稲羽という名前だと知ったとき、俺たちは何の気なしにふと家の屋根へ目を向けた。――それがいけなかった。

 テレビのアンテナに、死体がぶら下がっている。悪魔に嬲り殺された人間の死体は何度か見たことがあったが、あの死体にはそれと似たような気配があった。結果、俺たちは死体発見の第1人者ということで、警察から取り調べを受ける羽目になった。

 

 証拠不十分と南条さんのアシストのおかげで無罪放免となった俺と至さんだが、この一件で、テレビの世界と現実の連続殺人事件にニャルラトホテプの影を察知した。俺たちは八十稲羽の天城旅館に拠点を移すことにした。実際はニャルラトホテプの影なんてどこにも存在しなかったのだが、奴のおかげで異変を察知できたから良いとする。

 

 

『あれ? どうして至さんたちがここにいるんですか?』

 

真実(まさざね)さん!?』

 

『なんで真実がここに!?』

 

『俺の両親が海外赴任になったのは知ってますよね? 俺は日本に残って叔父さんのお世話になることになったんですけど、住んでいる場所がここなんですよ』

 

 

 そこで出会ったのは、有栖川の親戚である出雲(いずも)真実(まさざね)さんだった。しかも、彼は成り行きと好奇心から八十稲羽連続殺人事件を追いかけた挙句、ペルソナ使いとして覚醒していた。世の中は本当に何が起こるのか分かったもんじゃない。

 次世代のペルソナ使いたちは、先代である巌戸台のペルソナ使いたちとは違って召喚機を必要としなかった。自分の前に顕現したカードを叩き壊すことによって、ペルソナの力を発現させるのだという。至さんはその力を見て、しきりに首をかしげていた。

 

 今思えば、至さんが違和感を訴えていたのは、真実さんたちの力はフィレモンが与えたものではなかったためだろう。真実さんたちに力を与えたのは、全く別人の同業者だった。しかも土地神さまである。規模がいきなり限定的になって驚いた。

 

 霧に覆われた田舎町で真実を探していたのは、やはり個性の強い面々出会った。つい最近田舎町に進出してきた大型スーパー店長の息子、肉が大好きな武術少女、天城旅館の次期女将、田舎にある豆腐店へ帰還した大都会のアイドル、厳つい顔とは裏腹に手先が器用な染物屋の息子、男装の麗人である探偵王子……。

 特に、探偵王子はメディアに取りざたされていた。白鐘直斗さんは真っ当な実力一本でここまで成り上がってきたのだろう。彼女を見ていると、なんだか言葉にならない罪悪感が胸を刺してきた。打算も何もなく、己の正義のために真実を追いかける背中に、針の筵になってしまったような気がしたのだ。今でも俺は、その理由が分からない。

 

 結論から言うと、空回りした善意と力を得たことによる欲望が真実を覆い隠していた。本人がいくら善意のつもりで行動したのだとしても、人に害をなしてしまうことがあることを知った。それは最早善意ではないのだと、嫌でも思い知ってしまったのだ。

 だって、真実さんたちに力と試練を与えた『神』も善意からの行動だったし、テレビに人を突き落としていた張本人は『テレビの中に人を突き落とせば助かる』と認識したが故の行動――つまり善意――だったし、真実さんを愛した女性は世界と愛する人を守るため――つまり善意で――自分自身に関する記憶を消して消滅しようとしていた。

 結局のところ、真実さんたちは『神』から与えられた試練を乗り越えた。そして、真実さんは自分が愛した女性を救ってみせた。八十稲羽の土地神だった彼女は事件解決と共に姿を消したはずなのだけれど、黎を八十稲羽に案内したとき、お天気お姉さんとして活躍する彼女を見かけて飲み物を噴き出したのは記憶に新しい。

 

 彼女に直接話を聞いてみたら、超チートなお天気お姉さんは首を傾げながら教えてくれた。

 

 

『蝶の仮面を被ったオジサンが、私がここにいられるように手を貸してくれたの』

 

『……何か、対価とか請求されなかった?』

 

『ううん。“我が化身が支払ってくれたから、キミは気にしなくていい”ってオジサン言ってた』

 

 

 十中八九フィレモンと至さん絡みである。言われてみれば、事件を解決した後、至さんの周囲に飛び回る金色の蝶の数が増えたように感じた。

 その後自宅へ戻った俺は、航さんを嗾けて至さんを問い詰めた。……だけれど、至さんは相変らず、静かに微笑んでいるだけだった。

 

 

『世の中クソだな!』

 

 

 因みに、今回の事件の首謀者として捕まったのは、『神』に力を与えられた現職警察官だった。犯行動機はこの一言に尽きる。

 

 世界を嘲り、力に溺れて驕り高ぶった男の辿った道は破滅。待っていたのは社会的な制裁だった。それでも彼が命を絶とうとしなかったのは、八十稲羽で過ごした堂島家での日々に拠り所を見出していたためだろう。

 取り返しのつかない過ちを犯しても、自分には何も残らないのだと分かっていても、彼は大人しく真実さんに従った。そういう約束で戦っていたのだから当然だと言えば当然だけど、彼なら約束を反故にするくらいできたはずだ。

 俺は、彼のことが羨ましかった。何も残らなくても、罪と罰だけが残っても、生きることに縋りつける強欲さが羨ましかったのだ。それは、彼にとっての強さだった。同時に、彼にとっての弱さだった。彼という人間性を構築する柱であり、プライドだった。

 

 手放すこと、切り捨てること、利用すること、嘘をつくこと――それを支えにしていた誰かが最期に選択したのは、友を手放し、己を切り捨て、友の力を信用し、乱暴な口調で本心を隠すことだった。大切なものを守るために人形を辞めた誰かの、命懸けのプライド。

 図らずもそれは、俺の実父である獅童正義のやり方とよく似ている。それが自分の欲望のためか、他者への献身のためかという違いはあるが、根底にあるモノは似通っていると感じた。……正直、俺にもそのケがあるので注意はしている。閑話休題。

 

 

『今回の件も、結局は『神』絡みだったか。普遍的無意識の集合体から土地神様にスケールダウンしたのには逆にびっくりしたけど』

 

『お節介も程々にしてほしいな。俺たちはもう、『神』の手を離れたんだから』

 

『しかも、まごうことなき善意からってのが厄介だよね。貰いモノも使い方次第ってのがよく分かったし』

 

 

 事件解決後――帰りの電車の中、至さんや真実さんと話しながら窓の景色を見つめる。八十稲羽の街並みはどんどん遠くなり、見慣れた都会の街並みが広がり始めた。

 『神』から与えられた力で真実を勝ち取った真実さんと、社会的な破滅に至った件の警官。この対比に、俺は酷く既視感を覚えた。

 

 誰かの為に力を振るい、居場所と仲間を得た仮面の怪盗――『切り札(ジョーカー)』。自分のために力を使い、最期は自らの意志で『誰かを守るための破滅』を選択した偽りの探偵――『白い烏(クロウ)』。

 鏡合わせのように引き合わさった2人の運命は、まるで真実さんと件の警官のように真っ二つに分かれていた。片方には成功と祝福を、片方には破滅と長い刑期が与えられた。真実さんと警官の運命は、『神』によって翻弄されたものだ。

 彼らだけじゃない。神取や達哉さんと摩耶さんだって、至さんだって、ニャルラトホテプやフィレモン――『神』による作為のせいで様々なものを背負わされた。……だとしたら、『切り札(ジョーカー)』と『白い烏(クロウ)』も――?

 

 ――俺の視界の端に、毒々しく輝く黄金の杯がちらついたように見えたのは、果たして気のせいだったのだろうか。

 

 




クソみたいな大人しかいなかった周りの環境、『神』の人形として弄ばれた『駒』。彼の運命を定めたのがこの2つなら、それらを取っ払えばいいのかなと思った次第です。但し順風満帆とは言っていません。ええ。
立派な大人というワードで思い至ったのが歴代シリーズ関係者――特に南条くんでした。ですが、書き始めてみると神取が出張る出張る。こんなはずじゃなかったと首を傾げるレベルでした。私は神取に対して夢でも見ているのでしょうか。
結果、爆誕したのが今回の魔改造明智吾郎。一見平和な世界で青春を謳歌している様子ですが、歴代ペルソナシリーズの事件にどっぷり漬かっているため、『神』と名のつくものに対して複雑な感情を抱いています。経歴上仕方ないですね!
不可思議なデジャウを体験する明智、明智に対してやけに優しい神取、罰以降は事あるごとに何かの対価を支払う彼の保護者……何となく察して頂けたら幸いです。


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世の中クソだな!

【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 名前:空本(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『運命を切り開くだけの簡単なお仕事』および『ペルソナ3異聞録-.future-』、Pixivの『2周目明智吾郎の災難』および『【一発ネタ】有栖川黎の幼馴染』の設定を下地にし、別方向へ発展させた作品である。
・ジョーカーのみ先天性TS。名前は作中で明記。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空本(そらもと) (わたる)⇒有栖川家とは親戚関係にある。南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。


 物陰に隠れながら機を伺う。運が良いのか悪いのか、跋扈する影は僕たちに興味がない様子だった。奴らの視界にさえ入らず、脱出経路さえ見つけられれば容易に出られるだろう。

 

 

「まるで潜入捜査みたいだ」

 

 

 身を潜めていた黎がぽつりと零した。僕は思わず彼女を見る。――こんな状況だと言うのに、彼女の唇はゆるりと弧を描いていた。その姿に、場違いにも胸が高鳴った。

 不敵に、大胆に、鮮やかに、黎は身を隠す。時には異形の背後を疾風の如く駆け抜け、物陰へと潜んだ。そんな黎の背中に()()()()()()()()()()()()のは何故だろう。

 唐突な話だが、黎は黒系の服を好む。今だって、彼女は黒のトレンチコート風ワンピースを身に纏っていた。それが翻る度に、僕の脳裏に何かがフラッシュバックするのだ。

 

 彼女のそれは潜入捜査というには密やかで、けれども酷く大胆不敵だった。黎の立ち振る舞いを見ていると、もっと違う表現が――今の黎を正しく言い表すに相応しい表現があるように感じるのだ。例えば――()()、とか。

 僕がそんなことを考えた途端、頭を殴られたような衝撃に見舞われる。実際に殴られたわけではないが、その衝撃は僕の中にある既視感を強く揺さぶった。白と黒を基調にした道化師の仮面が、黎の目元に重なったように見えたのは何故だろう。

 

 

「吾郎、あれ」

 

「……もしかしたら、出口か?」

 

 

 黎が指さした先には、光が差し込める入り口があった。心なしか、向こう側からかすかな喧騒が聞こえる。悪魔やシャドウのような異形の囁き声ではなく、人間の気配だ。僕の予想が正しければ、そこはこの迷宮の出入り口なのだろう。

 こんな場所に居続けるつもりはない。幸い敵の気配はなさそうだ。善は急げと踏み出そうとした僕は、目の前に現れた人影を見て、すぐにその判断を翻して身を潜めることになった。心臓がばくばくと音を立てる。本能的に感じたのは、得体の知れぬ恐怖。

 なんなんだ、アレは。僕は心の中で悲鳴に近い悪態をつきながら、物陰から奴の様子を伺う。――異形が跋扈する世界に佇んで、周囲を見回しているそいつは、どこぞの悪神(具体例:ニャルラトホテプ)を連想させるような気配を漂わせていた。ベクトルは別だが。

 

 逆光のせいか、顔は一切伺えない。着ている服は僕と同じ進学校の制服だ。もう少し特徴が分かれば、後でそいつの正体を調べられるのではないか――僕がそう考えたときだった。

 

 奴は迷うことなくどこかへ歩き出す。だが、すぐに足を止めた。銃に弾丸が込められる音が無機質に響いた。

 嫌な予感を察知した俺は、思わず息を押し殺した。奴の眼前には人影が見える。上質なスーツを着た、年配の男性だった。

 

 

「や、やめてくれ! こ、殺さないで!!」

 

「……お前は、用済みだってよ。獅童さまからの伝言だ。――『死ね』」

 

 

 耳をつんざくような炸裂音。1回、2回、3回、4回――計8回、それらは迷宮中に響き渡った。男性は3発目の時点でもう地面に倒れ伏していたのに、奴は容赦のよの字もない。空薬きょうが地面に転がった音を最後に、撃たれた男性の姿は溶けるように消え去っていた。

 

 銃を撃ったのは俺じゃない。()()()()()()()()()()。なのにどうして、銃を撃った時の感覚が俺の手に残っているのだろう。()()()()()と感じたのは、どうして。

 迷走しかけていた僕の思考回路は、隣にいた黎によって引きもどされた。「……なんて、酷い……!」と零した黎の顔は真っ青で、彼女は口元を抑えて戦慄いている。

 ()()()()()()()()――僕はそう直感した。この直感を下地にして状況を分析すると、僕たちは目撃者である。犯人に見つかったらどうなるか、分かったものではない!

 

 

(くそっ……! 殺されてたまるかよ!)

 

 

 息を殺して、殺人犯が去っていくのを待つ。犯人の足音は段々と遠ざかっていき、ついに聞こえなくなった。僕は身を乗り出して周囲を確認する。もう、誰も居なかった。

 その事実に胸を撫でおろし、僕は黎を見た。黎も同じようにして様子を確認していたようで、ほっと小さく息をつく。微かに震えが残る彼女の手を取れば、黎は小さく頷き返した。

 

 光射す道を進めば、どこからか声がした。『案内を終了します。お疲れさまでした』――出所は僕のスマホだった。雑踏が戻って来る。けれど、真っ青な昼下がりの空だけは戻ってこなかった。空は茜色に染まり、地上の星――人工灯が瞬き始めている。

 ふざけるなと思った。こんなの、お疲れさまどころの話ではない。2人でゆっくり遊び回る予定は台無しだし、黎にとっては散々だったであろう。残されたのは、過ぎ去ってしまった時間と悪夢のような出来事の記憶だけだ。本当になんなんだ。

 

 

「黎」

 

「……うん、大丈夫。吾郎がいるから平気」

 

 

 ふわりと黎が笑った。顔色はまだ悪いままだったが、()()()()()()()()()ときよりは随分マシになったように思う。

 

 

「ごめん。僕があの迷惑メールを開いたせいで……」

 

「吾郎は悪くないよ。……それにしても、さっきのは――」

 

『――緊急ニュースをお伝えします。つい先程、都議会議員の〇〇◇◇さんが事務所のベランダから飛び降り、死亡しました。警察は自殺とみて捜査を――』

 

 

 黎の言葉は、街頭のテレビジョンから響いてきたキャスターの声によってかき消された。大画面に映し出されたのは、有力な都議会議員の死を告げるものである。被害者の顔が映し出された瞬間、僕は凄まじい悪寒を感じた。

 同じだったのだ。先程、謎の迷宮で、僕と同じ進学校の制服を身に纏った人物によって殺された、年配の男性。()()()()()()()()――僕の直感は間違いではなかった。あの世界での死は、現実世界における死でもある。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――。……思い至ってしまった刹那、自分の身体から血の気が引くような感覚に見舞われた。

 

 これは僕の罪だ。これは僕への罰だ。漠然とした感覚だけれど、それは鋭利な刃物のように突きつけられる。

 先程開いた迷惑メール――その文面に込められた意味を、僕はようやっと理解した。せざるを得なかったのだ。

 

 

『……お前は、用済みだってよ。獅童さまからの伝言だ。――『死ね』』

 

 

 犯人の発言が、勝手に脳内で再生される。獅童という名が、何度もリフレインされた。僕の頭が鈍い音を立てて回り始める。

 

 獅童、獅童正義――俺の、本当の父親。犯人は獅童をさま付けしていた。獅童の伝言内容は『死ね』。そうして、犯人は、異形が跋扈するあの世界で、人を殺した。結果、現実世界でもその人物が死んでしまった。ベランダから飛び降りて自殺という形でだ。

 あの世界と現実世界には、何か大きな関わりがある。しかも、獅童はその関係性を知っており、子飼いにしている部下に殺人を命じていた。後が残らぬ完璧な殺人、完璧な隠蔽――八十稲羽の連続殺人や巌戸台の復讐サイトのことが脳裏によぎった。

 前者はテレビの中で死ねば現実世界に死体が残るパターン、後者は“存在しない時間”に行われた殺人故に証拠が残らないパターンだ。どちらもその事実について知識を有していなければ使えない方法である。最も、後者は影時間の消滅によって犯行は不可能になったが。

 

 ()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――!!

 

 

「吾郎」

 

「っ……!? あ、ごめん。ぼうっとして――」

 

「――吾郎は、1人じゃないよ」

 

 

 黎は、僕を真っ直ぐに見つめた。黒曜石を思わせる美しい双瞼が僕を捉える。僕の手を取って、彼女は力強く微笑んで見せた。

 1人で走り出そうとしていた焦燥感が、恐ろしい程の脅迫概念が、彼女の言葉1つで解けていくから本当に不思議だ。

 

 

「……分かってる。俺は1人じゃない。黎や、みんながいてくれる」

 

「よし、ちゃんと思い出せたようで何より。吾郎は時々、そういう()()()()()()()を忘れてしまうから心配なんだ。そこが貴方の悪い癖だよ」

 

「悪かった。悪かったってば」

 

 

 咎めるような黎の言葉に、僕は苦笑した。彼女は時々、僕以上に僕のことを知っているような物言いをする。実際大当たりだから何も返せないのだ。本当に、黎には頭が上がらない。……彼女が傍にいてくれなかったら、僕はどうなっていたのだろう。考えるだけでゾッとする。

 繋いだ手は温かくて、愛おしくて、なんだか泣きたくなってきた。黎と一緒にいると、完璧な自分でいられないのが困る。最も、彼女は「どんな吾郎も好きだ」と言い切るのだろうが。……多分、僕は黎以上に黎に詳しいのではないだろうか。それが誇らしいと感じるあたり、僕も末期だ。

 安心したせいか、不意に、ムードをぶち壊しかねない音が聞こえた。出どころは僕と黎の腹である。そういえば、あの奇妙な迷宮を駆け回っていたときは飲まず食わずだった。時間経過の分も考慮すれば、「お腹がすく」のは当然であろう。僕と黎は顔を見合わせて苦笑した。

 

 何をするにも、まずは腹ごしらえが大事である。

 

 それが終わったら、知り合い全体に連絡を取らなくては。獅童正義が子飼いの部下を使って、完全犯罪を行っている――この事実を見過ごすことはできない。

 最悪なことに、僕や黎はその目撃者だ。もし獅童に目を付けられてしまったら口封じされるだろう。社会的な抹殺だけで済むなら御の字。下手すれば、僕たちも完全犯罪の被害者になるかもしれないのだ。

 

 奴が向ける矛先が僕ならともかく、もし黎に被害が向かったら――そんなこと、考えたくない。

 

 

(いくら天下の都議さまと言えど、好き勝手出来ると思うなよ……! ――俺は、絶対に、アンタに負けない)

 

 

 宿命と言えば、きっと聞こえはいいだろう。悪事を働く獅童正義と、その血を継ぐ“望まれない子ども”である俺。

 

 今日この日、あの世界に迷い込んでしまったその瞬間から、僕/俺――明智吾郎の運命は劇的に切り替わった。

 生ぬるい日常は燃え尽きて、迫りくるのは人の悪意。それだけではない。『神』による作為も感じられた。

 

 

「……これだから、俺は『神』ってモンが大嫌いなんだよ」

 

 

 誰にも聞かれないように零したぼやきは、賑やかな雑踏に飲み込まれて消えた。

 

 

◇◇◇

 

 

 この日を境にして、僕の周囲は怒涛のように日々が過ぎていった。

 獅童正義は都議会議員から、国会議員になっていた。

 

 僕は獅童正義の情報を集めるため、パオフゥさんや直斗さんの下で探偵見習としてアルバイトをするようになった。同時に、南条コンツェルンと桐条グループの協力を受け、件のアプリについての調査も並行して行うことになった。僕には戦う力はないので、迷宮探索はペルソナ使い同伴だったけれど。

 あの世界にいる黒い影は八十稲羽のシャドウに近い性質のようで、どいつもこいつも自分の中にある欲望をぶちまけていた。以後は奴らをシャドウと呼ぶことにしたが、能力的には御影町や珠閒瑠市で見かけた悪魔が近いかもしれない。双方の複合と言った方がいいだろう。

 シャドウの中には、自分が犯した悪事を平然と自慢している奴も多かった。証拠がどこに置いてあるのか、悪事の計画に使う店や拠点なんかもペラペラ喋ってくれる。……もしや、と思った俺は、探偵組や警察組の協力を得て裏取り調査をしてみた。

 

 

『暴力団殺人事件、吾郎くんの情報通りだったよ。あの迷宮に出てくるシャドウから聞けば、もっと早く事件が解決したかもしれない』

 

『この前の浮気調査の件なんですけど、あの迷宮で得た情報通りでした。……僕の苦労って何だったんでしょうね』

 

『行方不明になっていた弁護士だが、奴を殺したと言っていたシャドウの証言通りの場所から遺体が見つかったぞ。証拠も出てきた』

 

 

 ……結果はビンゴ。どんぴしゃり。探偵組や警察組に対する罪悪感が鰻登りになるレベルであった。

 

 だってそうだろう。探偵組も警察組も、地道な調査と経験から基づく推測を検証――主に自分の実力と仲間の協力を経て、それを何度も繰り返して犯人の元へと辿り着くのだ。僕の調査方法は、それらを一気にすっ飛ばして証拠を得ることになる。チートにも程があろう。

 そこで僕は思いついた。この調子で事件を解決していけば、いずれは獅童正義に関係する人物とコネクションを得られるのではないか、と。ついでに、件の事件――都議会議員の自殺を皮切りにして、獅童の部下が関わったと思しき事件を調べることができるかもしれない、と。

 

 

『何よそれ。完璧に反則じゃない! しかもそれを利用しようなんて、結婚詐欺師と変わらないわ!』

 

『自作自演の名探偵、か……。碌な結末にならない予感がするぜ』

 

『なんだか複雑な気分になりますね。理不尽さを感じるのは、僕自身、叩き上げだったからでしょうか?』

 

『……直斗さんやパオフゥさん、うららさんには、非常に申し訳ないと思ってます……』

 

『後でただしとたまきにも謝りに行かないとな』

 

 

 ……提案したら、散々なことになった。うららさんが怒り、パオフゥさんがため息をつき、直斗さんが乾いた笑みを浮かべて天を仰ぐ。この場に居合わせていないけれど、夫婦で探偵業を営む里見夫妻も非難轟々だろう。きっと、警察関係者である周防刑事たちや真田さんも遠い目をしているに違いない。

 真面目に探偵をやっている面々からの眼差しに、僕は針の筵になってしまった。確かに、彼らからしてみれば、この迷宮で得た情報を使って立ち回るのは「ずるい」だろう。けれどそれ以上に、大人たちが心配しているのは、「異世界に入って情報収集できる力を僕が有している」ということを獅童に気づかれることだ。

 この力を使えば、獅童の懐に飛び込める可能性は上昇する。だが、相手側にも僕と似たような力を持ち、且つ、人殺しを厭わないキラーマシンじみた部下がいるのだ。しかもそいつは――僕と同じ進学校の制服を着ていたため――僕の身近に潜んでいると言っても過言ではない。僕など下位互換扱いされた挙句、奴らに殺されるのがオチだろう。

 

 キラーマシン対策として僕にできることは、同じ学校の男子生徒を警戒することくらいだった。元から交友関係は上辺だけで、日常生活を円滑に回す程度しか築いていなかったけれど、今回はそれが功を制したらしい。正直言って、あまり嬉しくなかった。

 

 

『せめて、吾郎にも自衛手段があればいいんだが……』

 

『ペルソナさま遊びも、召喚機も効果なかったのに? ついでに、マヨナカテレビにも吾郎が出てきたことはなかったよな?』

 

『それなんだよなあ』

 

 

 いつかの夕食の席で、空本兄弟が語っていた言葉を思い出す。その力があれば、件のキラーマシンと相対峙しても逃げおおせる可能性が――生き残れる可能性がぐんと上がる。だが、僕には空本兄弟や舞耶さん、命さんや真実さんのような戦う力――ペルソナ能力に目覚める気配は一切ない。

 ペルソナさま遊びをしても、召喚機を使っても、マヨナカテレビで自分が映るまで粘ってみてもダメだった。まるで、「お前は役立たずなんだ」と言われているみたいで苦しかった。己の無力さに何度歯噛みしたことだろう。僕はどうしても、獅童と決着をつけねばならなかったのに。

 

 ……あの日は確か、航さんが認知訶学の研究者を自宅へ招いていたか。

 

 

『ペルソナ能力……もしかしたら、その力は、私の認知訶学研究を完成させる鍵になるかもしれない。もっと詳しく訊かせてくれないかしら!?』

 

 

 一色若葉という女性は、目を爛々と輝かせながら航さんの話を聞きたがった。航さんもまんざらでもないらしく、聖エルミン学園での出来事を皮切りに、至さんの旅路から手にした研究データを見せては議論を続けていた。議論好きで突き詰めるのも好きな2人はとても気が合ったらしい。

 彼女は航さん共々数日間家に居座って議論することもあった。その度、2人から『なんで朝日が差し込んでいるの?』やら『どうして外が真っ暗になってるの?』やら、終いには『どうして日付が進んでいるの?』なんて連絡が来ることもあったか。2人して話し込み過ぎである。

 呆れる僕や至さんであったが、一色さんや航さんは研究のことだけを話し合っていた訳ではないらしい。被保護者である僕の話題から、いつの間にか『私の娘の方が可愛い』『いやいや、俺の弟分が可愛い』『いやいやいや(以下省略)』という議論に発展したのだという。

 

 どちらの被保護者が可愛いかの議論をした結果、2人の議論時間は最長記録を更新した。

 日付は3日進み、外は夕焼けになっていたという。……本当に何をしているんだろう。

 

 ……ある日僕は、一色さんに訊いてみたことがある。

 

 

『そんなに娘さんが大事なら、家に帰ってあげたらいいんじゃないんですか? この話を聞いたら、娘さんも喜ぶと思いますよ』

 

『……それは、無理ね。私は母親である以上に研究者だから……』

 

 

 一色さんは悲しそうに笑うだけだった。その笑い方が、亡くなった母の笑みとよく似ていて――僕は、思わず、彼女に喰ってかかっていた。

 

 

『僕は、母に愛されてると思ってました。でも、彼女が最期に僕に残したのは、『僕はいらない子だった』という真実だった』

 

『――ッ!?』

 

『……今でも、僕は母が残していった真実が忘れられずにいます。その言葉に囚われて、時々周りが見えなくなってしまうくらいには』

 

『明智くん……』

 

『愛されなかった僕ですら、母の言葉は忘れられなかったんです。愛されていると信じていたかった。信じたままでいたかった。……娘さんを愛しているなら、ちゃんと伝えて欲しい。娘さんはきっと、あなたのこと待ってますよ』

 

 

 僕の言葉を聞いた一色さんは何を思ったのか、僕にはわからない。ただ、吹っ切れたように彼女は笑って、『研究がひと段落したら、娘とゆっくり過ごす』と僕に誓ってくれた。

 一色さんはシングルマザーで、女手一つで娘を育てていたらしい。研究者として仕事に従事しながらも、彼女は娘を愛していた。ただ、娘に直接示せなかっただけである。

 大人にも様々なしがらみがあることは分かっていたけれど、やはり自身の口から“大好きだ”と伝えてやってほしいと思ったのは、俺がまだ“子ども”だからかもしれない。

 

 ……どうして大人は、“いつか分かってもらえる”と言って黙ってしまうのだろう。

 子どもは直接的な言葉や態度を欲しているのに、大人はそれを惜しむのか。難しいものである。

 

 件の話をパオフゥさんとうららさんに漏らしたら、2人は生温かい目で僕を見守っていた。まるで夫婦みたいだと言ったらうららさんが顔を真っ赤にして怒鳴り、パオフゥさんは僕に背を向けて肩をすくめていた。僕の目がおかしくなければ彼の耳が微妙に赤くなっていたように感じたが、何も言わないでおくことにした。閑話休題。

 

 散々悩んだけれど、僕はあの迷宮を活用することにした。探偵組や警察組と連携を取りながら、獅童正義に関係する手がかりを集めつつ、細々と探偵業に励む日々。

 あまり目立つことはしない――それが、至さんたちとの約束である。不満は山ほどあったけれど、信頼できる憧れの大人たちが心を砕いてくれているのだ。無碍にはできない。

 それでも、僕がじれったさを感じていることに気づいていたのだろう。元珠閒瑠地検検事の嵯峨薫氏が、嘗ての司法修習生だった人物へのコネクションを示してくれた。条件付きで。

 

 

『彼女の手を借りる場合、今よりもっと危険な目に合う可能性が高まるぞ。それに、今のお前さんじゃあ『話にならん』と追い出されるに決まってる。彼女に興味を持たれるには、最低でも探偵王子サマレベルの名誉と実力を有するか、あるいはその若さのまま司法試験を突破するレベルがなきゃ難しいだろ』

 

『……それって、かなりの無茶なんじゃあ……』

 

『そんくらいの能力と覚悟がなきゃ紹介できないって言ってるんだよ。……奴さん、親父さんの死から人が変わったように冷徹になっちまった。手柄を挙げられず、周囲から見下されすぎて苛立ってるからな。コネを結ぶなら、最終手段一歩手前くらいの覚悟で挑めよ』

 

『ぐぬぬ……!』

 

 

 最終手段一歩手前とは、そう易々と頼れないではないか。もう少し頼れる相手はいないのかと思ったが、嵯峨薫氏曰く、『獅童を追いかけている最前線にいる人物が彼女』らしい。

 

 元々、件の検事――新島冴は、正義感溢れる女性だったという。現在は理知的な切れ者として有名ではあるが、裏の方では“なかなか強引な捜査をしている”と噂になっていた。獅童正義絡みの事件を追っているものの、どれもこれも歯がゆい結果に終わっているためであろう。

 使えるものは使うというスタンスを取っているため、高校生だろうと容赦なく獅童の元へ投入される可能性がある。学生ということで深入りできないことを加味しても、リスクの方が高いと嵯峨薫氏は分析していた。……そこまで言った後、僕に背を向けた嵯峨薫氏の横顔が憂いに満ちていたことは忘れられない。

 

 状況打破のために劇薬に手を出すべきか否か。空本兄弟に要相談だということで、この話は保留となった。……保護者の許可がなくとも、いずれ手を出す予感はあるが。

 警察関係者は管轄外という言葉のため、なかなか獅童に関する情報が回ってこない。南条コンツェルンや桐条グループのような社交界の華ですら、獅童の喉元には迫れない。

 そうこうしている間にも、獅童正義と対立候補にある連中や獅童と繋がっていたと思しき奴らが不審な死を迎えていく。焦げ付くような、じれったい日々が続いた。

 

 ――そうして、事態は動き出す。

 

 

***

 

 

『一色さんが、死んだ』

 

 

 あくる日の夕暮れ時、憔悴しきった航さんが帰って来た。今にも死にそうな顔をしていた。

 

 

『一色さんは、俺と、娘さんの前で死んだ。車に撥ねられたんだ。……警察の連中は、自殺だって言ってた』

 

 

 言葉とは裏腹に、航さんは警察の発表に納得している様子はない。紫苑の瞳はぎらついている。彼の手に握られていたスマートフォンがみしみしと音を立てた。

 爆発する一歩手前で踏み止まっているのだろう。あと一押しすれば、彼は本格的に暴れ出すはずだ。そうなってほしくはないのだが、そうなりそうな気配を感じた。

 

 

『一色さん、車に撥ねられる前に、俺を見たんだよ。彼女の心が言ってた。『双葉を守って』って。――言い終わった次の瞬間、あの人の脳天に穴が開いて、そうしたら現実の一色さんがおかしくなって、そのまま車道に飛び出した』

 

『その手口は、まさか……!』

 

『吾郎が追いかけてる事件の犯人の手口と同じだ。おそらく黒幕は獅童正義だろう。……だが、警察は俺の話を聞いてはくれなかった。一色さんが突然おかしくなったって訴えても、聞き入れてもらえなかった』

 

 

 航さんは悔しそうに歯噛みする。しかも、握り潰されたのは目撃証言だけではなかったようだ。

 

 

『一色さんが自殺なんてするはずない。実際、あの日は俺と待ち合わせをしていたんだ。一色さんは、俺に、自分の娘を――双葉ちゃんを紹介するって……!!』

 

『航さん……』

 

『なのに、どうして。なんで、なんであんなものが……あんな遺書が。研究は完成させるって、研究も双葉も手放すつもりはないって、命を懸けるって、言ってた、のに……!』

 

『え……!? まさか、遺書の偽造……!?』

 

『――ふっざけんなよクソがァァァァァァァァ!!』

 

 

 僕の言葉が航さんの背中を押してしまったらしい。張りつめていた感情が爆発した。刹那、航さんの持っていたスマホがぐしゃりと潰れる。液晶画面や部品が床に転がった。次に餌食になったのは、近くに転がっていたジュースの空き缶である。こちらも跡形なく粉砕した。

 僕の保護者である航さんは、普段は冷静沈着な男である。けれど、感情が爆発すると親戚内で一番手に負えない破壊魔となるのだ。僕がこんなことを考えている間にも、航さんの手近にあるものが次々と破壊されていく。テレビの液晶画面に正拳突きをかまし、リモコンを握り潰し、リンゴを叩き潰し――最早やりたい放題だ。

 航さんの話を纏めると、一色若葉さんが自殺したという根拠となった遺書には『娘が我儘を言って邪魔するから研究が進まない。でも、娘にこれ以上寂しい思いをさせたくないから、認知訶学の研究を辞めようと思っている』ということが記されていたらしい。一色さんと交流していた航さんには、それが嘘だとすぐ気づいたのだ。

 

 遺書が偽造であることを遺族に伝えようとしたところ、航さんは葬儀に参加させてもらうことなく門前払いを喰らった。航さんより先に来た黒服の連中が先手を打って、遺族にあることないことを吹き込んだためだ。

 おかげで航さんは『一色若葉の研究成果を横取りするため、わざと『双葉のことをもっとかまってやるべきだ』とプレッシャーをかけて、ノイローゼに追いやった』張本人として、一色家の関係者から糾弾されたという。弁明する間もなかったそうだ。

 

 

『彼女に頼まれてたんだ。『私に何かあったら、娘の双葉にこの手紙を手渡してくれ』って』

 

 

 家電製品や皿を破壊しつくした後で。ようやく落ち着いた航さんが、懐から1通の封筒を取り出した。一色若葉が最期に残した、娘への愛情。

 

 

『……一色さんは、覚悟してたんだな。自分の研究に関することで狙われてるって』

 

『しかも、自分を狙っている相手が大物であることも察していた。もしかしたら、自分の死に様すら歪められると予想してたのかもしれない』

 

 

 手慣れた様子で破片を処理する至さんは、沈痛な面持ちだった。見知った人が理不尽に命を奪われることに関して、彼はとても敏感な人だから。

 

 

『でも、どうするんだ? この手紙を手渡そうにも、一色さんの関係者からは出入り禁止レベルで敵視されてるんだろ?』

 

『警察すら手駒にしているような連中だから、他の施設関係者も心配だな。本人への手渡しが一番安全だが、完全に手詰まりか……』

 

『……こうなったら、直接獅童の悪事を証明するしかないと思う。すべての罪を白日の下に晒すしかない』

 

 

 誰に乞われるわけでもなく、俺は自然と決意を口に出していた。自分がどれ程無謀なことを言っているのか理解しているが、それ以外に良い方法なんて思い浮かばなかった。

 

 ……どこからか、声がする。()()()と、声がする。獅童正義の罪を、()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだと。

 全部任せた。信じていたから、任せられた。でも、本当は、自分が幕引きを図るべきだった。もっと早く、もっと早く――そう決断出来ていたら、“あの子”は。

 ぞわぞわと背中を這いずり上がる感覚の意味を、顔を引きちぎりたくなるような衝動の理由も分からない。分からないのに、急かされているような気になる。

 

 急げ、急げ、急げ急げ急げ急げ。

 早く、早く、早く早く早く早く。

 

 ――でも、どうしたらいい? 何をどうすれば、この焦燥から解放される? この痛みが意味するものは、何だ――?

 

 

「――暴力事件? 黎が? ――そんなバカな!?」

 

 

 それを掴めないまま日々が過ぎて。

 その意味を悟ったときにはもう、遅かった。

 

 

◇◇◇

 

 

 黎の有罪が確定したのは、一報からわずか1ヶ月後のことだった。僕や至さん、舞耶さんや周防刑事、南条さんや桐条さんらが尽力したけれど、一時の抵抗にすらならなかった。唯一救いだったのは、取調室という閉鎖空間で、彼女の尊厳を踏みにじるような暴力等は行われなかったことくらいか。

 有栖川の本家や空本兄弟、摩耶さんや周防刑事、命さんや真実さんの関係者は黎の無実を信じていた。僕だってそうだ。けど、“御影町の名士の娘が暴力事件を起こした”という噂は、あっという間に御影町中に広がった。外様の親戚や野次馬たちが毎日のように本家へ押しかけては、親族会議(とは名ばかりの跡目争い)に興じる始末だ。

 珠閒瑠有数の進学校である七姉妹学園高校も匙を投げたようで、黎に対して退学を言い渡してきた。しかも一方的にである。文字通り、黎の周辺は孤立無援だった。嘗て世界を救った頼れる大人たちが徒党を組んで張り合おうとしても、冤罪事件の真犯人とは同じ土俵で戦うことすらできない――この事実に、酷く打ちのめされたような心地になった。

 

 

「……黎。これから、どうするんだ?」

 

『このまま地元に居続けるのは難しいかな。『私を更生させる』という名目で、変な輩がうようよ湧いてきたから』

 

 

 受話器越しの黎の声は、ひどく憔悴しきっている。心無い誹謗中傷や、今回の件を弱みとして握ろうと画策する連中が跋扈しているためだろう。

 

 

『私、保護観察処分を受けることにしたんだ。保護司の方は有栖川とまったく関係ないのだけれど、だからこそ、証明になると思ったの。だって私、何も悪いことしてないから』

 

「当たり前だろ!? 話を聞く限り、あれは冤罪以外の何物でもない。警察内部に顔が利く犯人が権力を乱用したに決まってる……!」

 

 

 黎の話を思い出しながら、僕は情報を繋ぎ合わせていく。

 

 酔っぱらった男が女性に言い寄っていた現場に遭遇した黎は、迷うことなく女性を助けに行ったらしい。彼女の周りにいる人々が『正しいことを成そうとする頼れる大人たち』だったことが、今回ばかりは災いしたと言うべきだろうか。

 酔っ払いの男は黎を見て、今度は彼女に言い寄ったという。その話を聞いた僕は憤慨した。女であれば誰構わず手を出そうなんて虫唾が走る。僕の実父並みに汚い大人だ。しかも、そいつは黎に拒絶されて激高した挙句、足をもつれさせて転倒したそうだ。

 利き腕を痛めた男は大層不機嫌になり、警察に連絡。黎を傷害事件の犯人に仕立て上げ、『私の名前が出ないようにしろ』と根回しをしたらしい。酔っ払っていた割には随分と頭が切れるらしい。素面だったら、大層なやり手だったであろう。本業ではそれを活かしていそうだった。

 

 警察を使って冤罪をでっちあげるには、それ相応の権力――あるいはコネがなくてはならない。僕の中で考えられるのは3種類のタイプの人間だ。

 1つは南条コンツェルン級の金持ちで社交界の華、2つは周防刑事や真田さんのような警察上層部(特にキャリア)、そして――嘗ての須藤竜蔵や、現代における獅童正義クラスのような大物政治家か。

 

 

「……黎。キミの負担になるとは分かってるけど、その男の特徴を教えてくれないか?」

 

『でも……』

 

「確かに僕は、獅童正義の件を追いかけている。でも、キミの冤罪を放っておくことなんてできない。キミの力になりたいんだ」

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 「普段僕に『頼れ』って言うくせに」と付け加えて逃げ場を封じ込めれば、黎は観念したようにため息をついた。……黎だって、僕のことは言えないじゃないか。

 

 

『えーと……頭に髪の毛が生えてなかったのが一番印象に残ってるかな? それと、目元はサングラスをしてたからよく分からなかった。でも、見てるこっちが一瞬寒気を感じたから、鋭い眼差しだったんだと思う。あと、使っていたサングラスは『※※』メーカーのじゃないかな。南条コンツェルン傘下の大手デパートの眼鏡店で見かけたことがある。限定品だったから覚えてたんだ。後は、外国製の高級スーツ……パッと見た感じは『〇〇』のブランド品だと思うんだけど、あの一瞬だけだからどうも自信がない。それから、タバコの臭いがした。おじいさまの友人である議員さんが吸ってる高級なヤツで、銘柄は『◇◇』だったと思うよ。それから、タバコの臭いに混じって香水の香りもあったかな。以前私に言い寄って来た40代のおじさんがいたでしょう? あの人が愛用していた『××』という銘柄と同じ香りだった』

 

「……たった一瞬の間にここまでの情報を集めて分析できるあたり、黎の方が探偵に向いてるような気がしてきたなぁ」

 

『でも、ごめん。名前に関係する情報は一切分からないんだ。趣向品から辿るなんて、膨大な手間がかかると思う』

 

「構わないさ。……それで、保護観察中はどこで生活するんだい?」

 

『東京の四軒茶屋。喫茶店の住居スペースに間借りする形になる。その間は秀尽学園高校に通うことになるかな。来年の4月から――』

 

 

 僕の住む家や通う学校とは方向が違うようだ。僕が通う名門進学校が(冤罪とはいえ)前科持ちを受け入れるわけがないし、他の公立や私立にお鉢が回るのも当然と言えよう。ただ、前科持ちを受け入れるのは並大抵のことではない。メリットよりデメリットの方が大きいからだ。

 前科者がまともに学生生活を送った場合、それは確かにメリットになる。学校の評判が上がるからだ。……最も、前科者がまともな学生生活を送らせてもらえる可能性は、本人の気質や周囲からの眼差しによって容易に変動する。問題が発生すれば学校側の責任だ。該当者を退学処分にして収まれば御の字である。

 学校の場所が違っても、東京という地域内にいるなら、僕でも黎をサポートすることは可能だろう。手が届かないわけではないのだ。至さんや航さんだっている。一番の懸念材料があるとするなら、黎が獅童正義――あるいは獅童の部下であるキラーマシンと鉢合わせる危険性が高くなることか。

 

 僕がそう考えていたとき、不意に、頭の中に何かがフラッシュバックした。

 

 鼻の長い老人と、悪趣味に輝く金色の杯。不気味に響く笑い声は、誰かを嘲っているようだ。杯から這い出た異形の腕は、白と黒の人形を好き勝手に振り回していた。

 2体の人形には覚えがある。黒い方は、黎に似ていた。……では、白い方は? 鳥の嘴を思わせるような真っ赤な仮面を被っていたのは――?

 

 

『……ごめんね、吾郎。迷惑かけて』

 

「そんなことない。いつも黎に支えてもらっているんだ、今度は僕の番だよ」

 

『私が“屋根裏部屋のゴミ”になっても?』

 

「当たり前だろう。というか、唐突だな。どうしていきなり屋根裏部屋が出てくるんだ。しかもゴミだなんて……」

 

 

 彼女が自分を蔑むなんてよっぽどのことだ。元気そうに振舞っているだけで、本当は限界なんだろう。僕も、黎を支えられるようになりたいと改めて思った。

 

 けど、それとは別に、僕は何か引っかかるものを感じた。“屋根裏部屋のゴミ”なんて蔑称、僕は黎に対して一度も使ったことはない。なのに、どうしてか“しっくりくる”のだ。最初は蔑みを込めてそう言ったのに、いつの間にか、手の届かないやるせなさと羨望を込めてそう呼ぶようになった――そんな響きを感じるのは何故だろう。

 それは黎も同じだったらしい。『はは、自分でも酷い蔑称だなあ。“屋根裏部屋のゴミ”、略して“屋根ゴミ”?』等と笑っている。その蔑称に対して何か愛着のようなものを見出しているように感じたのは、僕の気のせいではなさそうだった。僕もまた、そんな酷い蔑称に不思議な親近感を抱いていた始末だから。

 それから僕と黎は暫く雑談した後、寝る前の挨拶を交わして電話を切った。そうして僕は内心黎へ謝罪して、まとめた情報を頼りに調査を始める。アルバイトとはいえ、本職の探偵や刑事と関わって来たのだ。推理や調査のイロハはきっちりと叩き込まれている。大人たちの助けを借りつつ、僕は情報を集めた。

 

 

***

 

 

 黎との電話から1週間後。手元に集まった情報を総合して導き出された黒幕の姿に、俺は頭を抱えて項垂れていた。

 

 息がまともに吸えない。手が戦慄いている。

 身体は熱いのに、背を伝う汗は異様に冷え切っているようだ。

 

 

「――獅童、正義」

 

 

 最悪だ。最悪だ最悪だ最悪だ。俺の実の父親が、黎に言い寄った。挙句の果てには、単なる腹いせで黎に冤罪を着せたのだ。

 俺の身体にも、アイツと同じ血が流れている――そう意識した途端、言いようのない嫌悪感と吐き気に襲われた。

 汚い。気持ち悪い。悍ましい。俺は前髪を掻き上げて息を吐いた。呼吸の間隔はどんどん短くなり、遂に俺は口元を抑えて咳き込む。

 

 ()()()()()()()()()()――俺が抱き続けたささやかな願いは、自分が追いかけている黒幕、もとい実父によって滅茶苦茶にされた。

 あの男はどれだけ俺を追いつめれば気が済むのだろう? 俺と母を捨てて苦しめるだけでは飽き足らず、今度は黎まで巻き込んだ。

 

 ……許せるはずがない。許していいはずがない。――許せるものか、許せるものか!!

 

 

「……俺が、終わらせないと」

 

 

 俺には、いらない子どもである自分を救い上げてくれた人たちがいた。黎もその1人だった。その人たちに、俺の父親が害を成している。そうしてこれからも、超弩級の害悪として君臨し続けるのだ。自分の対立候補や気に喰わない相手を、完全犯罪を駆使して消し続ける――そんな屑野郎が政治家として日本を導こうとしているのだから笑える話だ。今、あの男は総理大臣に一番近い男となっていた。

 須藤竜蔵を一喝した南条さんや、真実さんに対して悪態をつきながら襲い掛かって来た刑事の姿が脳裏をよぎる。……ああそうだ。須藤竜蔵へ南条さんが言い放ったとおり、獅童のような悪党に日本の未来を語る資格はない。やさぐれた刑事の言うとおり、世の中はクソだ。腐ってる。ただえさえそうだと言うのに、もし獅童が総理大臣として君臨したら、今よりも更にクソみたいなことになる。

 

 決意は固まった。自分が今何をすべきなのか、俺にはハッキリと理解できる。自分の中にいる“何か”が声を上げた気がした。

 

 

◇◇◇

 

 

『お前さん、本当にやるんだな?』

 

 

 元珠閒瑠地検検事の嵯峨薫氏は、僕の顔を見て深々とため息をついた。嘗て彼は復讐の徒だったから、僕を止める資格はないと思っているのだろう。それはそれでありがたかった。

 

 

『本当は、そんなことのために“探偵”という立場を使って欲しくないんですけどね……』

 

 

 探偵王子として活躍している白鐘直斗さんは、苦い表情を浮かべて呟いた。彼女にとって探偵は誇りある仕事なのだから、探偵という職業を踏み台に使われるのに納得がいかないのは当然だろう。

 正直とても申し訳ないのだが、もう限界なのだ。もっと早く獅童を抑え込めれば、黎や一色さんに被害が及ぶことはなかった。素直に謝って気持ちを伝えたら、彼女は頷いて送り出してくれた。

 

 

『吾郎クン、確かにキミは獅童正義の息子よ。でも、奴の血を引いているからと言って、キミがすべてを背負うのは間違ってる。キミはキミとして生きていいのよ。夢を叶える権利は――幸せになる権利は、誰にだってあるんだから!』

 

 

 『レッツ、ポジティブシンキング!』と笑ったのは、周防舞耶(旧姓:天野舞耶)さんだった。彼女の底抜けた明るさに、ほんの少しだけ心が軽くなったように感じたものだ。

 でも、『俺が獅童正義の息子だからこそ――夢を叶えて幸せになる権利を掴むためにも、獅堂と決着をつけたい。奴の影を断ち切りたい』と告げれば、舞耶さんは静かに笑った。

 達哉さんや栄吉さんも『男には、どうしても引けない戦いがある』と語っていた。俺の決意に対しての敬意として、栄吉さんは特上の寿司を握ってくれた。美味しかった。

 

 

『あまり無茶をするなよ。キミがぼろぼろになっていく姿を見たら、空本たちや有栖川のお嬢さんが悲しむ。……当然、俺もだ』

 

 

 宿敵だった神取鷹久が道化として落ちぶれていく姿を見せつけられたときのような沈痛な面持ちで、南条さんは俺のことを憂いてくれた。彼のような大人がいてくれたからこそ、俺は人から踏み外すことなくここにいられたのだ。

 

 

『……黎って奴は、ウチのはねっ返りと同じだと思うぞ。テメェがどこの誰の血を引いて、どんな業を背負ってようがお構いなしに決まってらァ』

 

 

 『自分が幸せになるのが認められないなら、せめて相手だけは幸せにしてやれ』と言ったのは、巌戸台で寮母をしている荒垣さんだった。

 丁度一緒にいた天田さんから『命さんを泣かせた前科持ちの貴方がそれを言うんですか?』と手厳しくツッコミを受けた彼は、居心地悪そうに視線を彷徨わせたが。

 

 

『復讐に走ることに関して、僕は止めない。どんな形であれ、ケジメはきちんとつけるべきだよ。……でなきゃ、キミは前を向けないんでしょ?』

 

 

 天田さんはコロマルの頭を撫でながら、俺にそう言い切った。彼の場合、俺とは違って“復讐対象である相手があまりにも善良過ぎた”というレアケースの復讐者だった。

 だから天田さんはこの結論を選んだのだろう。……そうして、虎視眈々と横恋慕を狙っている。荒垣さんが命さんを泣かせたら、即刻略奪愛に走る準備は万端だ。

 獅童正義の悪事に関して、天田さんも怒り心頭の様子だった。『ここまで下種いと逆に清々するなあ。躊躇いなく復讐できるのは羨ましいよ』とまで言うレベルには。

 

 

『俺たちもできる限りのことはする。役立たずの大人にだって、五分の魂くらいはあるさ』

 

『吾郎。ヤバくなったら手を引いて、俺たちを矢面に立たせてやり過ごせ。逃げることは罪じゃない。深追いは厳禁だからな』

 

 

 航さんと至さんが力強く笑ってくれた。『男の子には意地がある』というのも彼らの格言である。彼らがいてくれるから、俺は安心して無茶ができた。いらない子ではないのだと胸を張って言えるようになれた。

 

 ――そうして、何より。

 

 

『吾郎、大丈夫? 吾郎は無理してでも頑張っちゃうところがあるから気になって……』

 

 

 自分の方が大変だと言うのに、――たとえ知らずとも――俺が自分を嵌めた男の息子だというのに、黎は俺の身を案じて支えてくれる。その事実に、どれ程救われただろう。

 もう、充分すぎる程、俺は彼女に寄りかかっている。支えてもらっている。本来ならば真実を告げて彼女の元から離れるべきなのに、俺はどうしてもそれを選べない弱い奴だった。

 

 黎がいてくれる。俺の名前を呼んで、俺を気にかけて、隣で支えてくれる――それだけで、俺は何もかもが平気だった。

 ……だからこそ、怖い。すべてを知った彼女が、俺の隣からいなくなるのが怖い。当たり前のことなのに、怖くて仕方がなかった。

 覚悟はしている。……している、つもりだ。彼女と一緒にいられないならばせめて、獅童と刺し違えてでも罪を終わらせなくては。

 

 ――だと、言うのに。

 

 

「ヒャハハハハハハ! 殺し足りねェ……殺し足りねェよォォ!」

 

 

 俺の目の前で、シャドウが高笑いしている。最近東京界隈で幅を利かせるヤクザ者であり、この世界では蜘蛛を連想させるような異形になっていた。

 

 対して俺は、地面に倒れこんだまま一切身動きができない。奴の鍵爪によって、腹はばっくりと裂けている。着ていたジャージからは血が滲んでいた。

 傷は熱と痛みを持って、万事休すだと訴える。けれど悲しいがな、反比例するが如く、俺の意識は遠くなりかかっていた。

 護衛なしでの迷宮調査はやはり無茶だったか――そんな風に後悔しても、もう遅い。

 

 

(ああもう、クソが……。俺は一体、何をやってるんだか……)

 

 

 何があったかを、朦朧とする頭で思い出す。

 

 俺はあのヤクザ者が絡む事件を追いかけていた。関連情報を集めていた俺は、この世界――南条と桐条の研究者からは“メメントス”と名付けられた――に足を踏み入れて、本人のシャドウから情報を聞きだそうとしていた。探偵としての手柄が欲しかったというのが理由である。本音を言うと、手柄を焦っていたのだ。

 嵯峨薫氏から『実績を挙げないとコネクションが結べない』人物の話を聞いていた俺は、ここ最近は超強行軍を組んでいた。学校の出席日数を稼ぎつつ、探偵として事件を解決してきたのだ。直斗さんや警察関係者および芸能関係者のそれとないアシストのおかげで、明智吾郎は『探偵王子の弟子』としてメディアに取り上げられるようになったのである。

 

 

『まさかメディア露出しに来るとは思わなかったな。だって吾郎くん、こういうの嫌いそうだし』

 

『そうですね。正直大っ嫌いですけど、マスコミやテレビの影響力って計り知れないじゃないですか。そこから獅堂に近づけるかもしれないでしょ?』

 

『……どうしよう。俺、なんだかマズいものを野に放っちゃった気がしてならないんだけど』

 

 

 上杉さんが顔を真っ青にして『空恐ろしいわー』と言っていたことが浮かんで消える。嘗ての汚名を芸名に使って活躍する彼は、聖エルミンでの事件でかけがえのないものを得たのだろう。その強さは、正直羨ましいと思ったのだ。

 

 ……ああ。彼とのやり取りはつい1週間前だと言うのに、10年も100年も前のことのように感じたのは、俺の命が尽きかけようとしているからだろう。

 奴から情報を聞きだそうと近付いたら、不意打ちを貰ってこのザマである。本当に俺は何をしているのだろう。無様すぎて笑いが止まらない。

 俺は黎の冤罪を晴らすことも、獅童との決着をつけることもできないまま、無様に死んでいくのだ。誰にも知られることなく、死んでいくのだ。

 

 

(――()()()()()()()()()()()()()()()())

 

 

 何も成せぬまま死ぬためではなかったはずだ。この世界にいらない存在として死んでいくためではなかったはずだ。

 

 俺を必要だと言ってくれる人に応えたかったのではなかったのか。俺の手を取って、温かな場所へ導いてくれた人に応えたかったのではなかったのか。

 そんな人に――有栖川黎に害を成し、他の人々にも害をなさんとする巨悪――獅童正義を止めるために、命を懸けるのではなかったのか!!

 

 声がする。その正義は何のためにあるのかと。偽りの正義が跋扈する世界を許せるのかと。歪んだ正義によって愛する者が傷つけられるのを、黙って見ていられるのかと。考えるまでもない。答えは否、許してはおけない。許していいはずがない。俺は心の中で吼えながら、体を起こそうと腕に力を籠める。

 刹那、頭を勝ち割らんばかりの痛みに見舞われた。視界が真っ赤に染まる中、痛みにのたうち回る俺の姿を見たシャドウが後退りする。――俺は、自分の視界が狭まっていることに気が付いた。遮蔽物の正体は仮面らしい。触ってみてそれに気づく。――()()()()()()と、理解した。

 

 

―― 汝は我、我は汝。義憤に駆られし反逆の徒よ。己の命を賭して、歪んだ正義を打ち砕け! ――

 

 

 声がした。風が吹いた。体の奥から力が湧いてくるような感覚。

 この力の正体を、俺は知っている。使い方も知っている。――知っていたはずだ。

 憧れの人たちと同じモノが、自分の中にも存在しているとは思わなかったけれど。

 

 俺は体を起こし、即座にその力を――俺のペルソナの力を、行使した。

 

 

「――射殺せ、ロビンフッド!」

 

 

 俺の背後に顕現したペルソナは、躊躇うことなくシャドウに矢を放った。それは真っ直ぐ、シャドウの胸元に直撃する。シャドウは断末魔の悲鳴を上げ、化け物としての姿を失った。残されたのは、俺が追いかけていたヤクザのシャドウ――人型のみ。

 荒い呼吸を繰り返しながら、俺はそのまま床にへたり込む。見ると、シャドウの足元に何かが転がり落ちていた。拾い上げると、それは件のヤクザが所属する組のバッジだった。別段珍しいものではないが、俺は何となく、それを戦利品として回収することにした。

 ヤクザのシャドウは夢現の中で謝罪の言葉を述べるばかりで、情報を聞きだせそうにない。後から出直すことにしよう。ついでに、他の面々に対して何と報告――もとい、言い訳しようか。そんな他愛ないことを考えながら、俺はメメントスを後にしたのであった。

 

 

 

 周りから説教を受け、俺単独での迷宮調査が解禁されて1週間後。

 珠閒瑠所の周防刑事から、「件のヤクザが自首しに来た」という奇妙な話を聞いた。

 

 

◇◇◇

 

 

 今日は、黎が東京へ来る日だ。……分かっていたのだが、仕事が立て込み、終わったのがつい先程である。空は茜色に染まり、遠くには星が瞬きつつあった。

 

 探偵王子の弟子としてのメディア露出や司法試験への挑戦等の下積みが功を制し、僕は嵯峨薫氏のコネクション先――新島冴検事と知り合うことができた。彼女の司法修習生(予備)という名目で検事局を出入りできるようになったおかげで、獅童正義の元へ潜り込ませてもらえるようになった。おかげで、末端ではあるが、情報を手にすることができる。

 ……正直、僕は、自分が獅童正義の息子であるとまだ明かしていない。冴さんにも、黎にも、それを伝えることはできなかった。僕が何であるかを示すときは、最後の最期だと決めている。僕の存在自体が奴にとっての醜聞だ。奴の足止めくらいにはなるはずである。最悪の場合、僕は己の命と引き換えにしてでも獅童の罪を終わらせなくてはならない。

 

 黎の下宿先である喫茶店――ルブランに赴けば、不愛想な店主が僕を迎えてくれた。彼の目は死んだ魚の様に濁っている。

 間髪入れず電話が鳴り響く。受話器を取った店主は、泣きそうな顔になって「分かったから。分かったから、もう勘弁してくれ」とぼやいた。

 ……彼は迷惑電話に悩まされているのだろうか。僕は興味本位で、壮年の店主に問いかけてみた。

 

 

「どうかしたんですか?」

 

「……ああ、ちょっとな。今日から居候が増えることになったんだ。だが、ネームバリューが凄まじい奴らが、居候に関することで次々と電話をかけてくるから……」

 

 

 成程。尊敬する大人たちは、精一杯の根回しを行っているらしい。黎の冤罪を晴らせなかった分、最低でも“これ以上彼女の生活が悪化しないように”心を砕いているようだ。

 みんな考えることは一緒らしい。僕は内心苦笑しながら、店主が淹れてくれたコーヒーを啜った。この店のコーヒーは絶品である。

 

 

「佐倉さん。屋根裏部屋の掃除と片付け終わりました」

 

「おう、意外と早く終わったんだな。急きょ用意した荒れ放題の埃塗れだったから、まだまだかかると思ってたんだが……」

 

 

 僕がコーヒーに舌鼓を打っていた丁度そのとき、控えめな声が聞こえてきた。

 

 見上げれば、保護観察処分を受けている黎が、階段からひょっこりと顔をのぞかせているところだった。この階段が住居スペースである屋根裏部屋へ繋がっているのであろう。彼女と直接顔を合わせたのは久しぶりである。嬉しくて嬉しくて、思わず表情が綻ぶ。黎も僕と同じように表情を綻ばせた。

 何も言わなくても通じ合える――その事実に、胸の奥が熱を持ったような気がした。次の瞬間、どこからか咳払いの音が聞こえてくる。カウンター席の方へ振り向けば、「佐倉さん」と呼ばれた店主が渋面のまま僕たちを見つめていた。言いたいことをぐっと飲み込んだような顔だった。

 佐倉さんは元々聡明な人物なのだろう。僕と黎の関係性を察したようで、彼は「成程なぁ……」とぼやいた。青春がどうこうと呟きながらも、佐倉さんの眼差しは僕と黎を値踏みするように鋭い。暴力事件を起こしたという話と暴力事件が冤罪であるという話、どちらが正しいのかを見極めようとしているかのようだ。

 

 最も、黎と出会ったばかりの佐倉さんが即座に黎の味方になるはずもない。信頼関係はマイナススタートなのだから、仕方がないことだ。

 引っ越しして初日ということもあって、黎は少し疲れているように感じる。彼女に無理はしてほしくない。できることなら傍にいて支えたいが、難しい話だった。

 

 

「黎」

 

 

 おいで、と、手招きする。黎はこてんと首を傾げながら、僕の言葉通りにやって来た。そのまま彼女の手を取る。

 ……温かい。当たり前のように握り返してくれるのが嬉しくて、この手のぬくもりに応える術のない自分が恨めしくて、僕は歯噛みした。

 

 

「……ごめん」

 

 

 僕は、黎に隠し事をしている。

 

 僕の実の父親が、彼女を嵌めた張本人であること。僕には戦う力があること。

 この力を駆使して、父――獅童正義を追いつめようとしていること。

 全部知っているくせに、獅童の悪事を止めるには至らないこと。

 

 僕を信じ、寄り添い、支えてくれている彼女に対する最低な裏切りだ。

 本当は、こうやって傍にいることすら許されないのに。

 

 

「大丈夫だよ、吾郎。私は絶対に負けないから」

 

 

 黎は笑った。すべて許すと言わんばかりの、地母神の如き柔らかな微笑。隠し事だらけでも良いと、美しい双瞼は細められる。――ああ、どうしてだろう。今、凄く泣きたい。このまま彼女に縋りついてしまいたかった。

 でも、僕には男としての矜持がある。この衝動を堪えながら、僕は笑い返してみせた。「ありがとう。キミの冤罪を晴らせるよう頑張るから」と紡いだ僕の声は、震えていなかっただろうか。頼れる名探偵の仮面を被れているだろうか。

 

 

「……あー、その、何だ。そろそろ閉店だから……」

 

 

 非常に言いにくそうな顔をして、佐倉さんが声をかけてきた。生気をすっかり失ったかのような、真っ白な顔をしていた。

 時計を見れば、閉店時間の数分前である。どうやら僕たちは、僕たちが自覚できないくらい2人の世界に没頭していたらしい。

 名残惜しいが手を離す。言葉にできない切なさを込めて視線を向ければ、黎も同じ気持ちだったらしい。僕を真っ直ぐに見つめて、小さく頷き返した。

 

 ルブランを出て家路につく。街並みは既に夜闇に覆われていた。電車を乗り継いで暫くした後、僕と保護者が暮らす家が見えてきた。

 

 扉を開けて「ただいま」と声をかければ、当たり前のように返って来る「おかえり」の声。黎は今日から、そんな返事もないところで孤軍奮闘しなくてはならないのか。……佐倉さんは、黎を「おかえり」と迎えてくれるだろうか。そのことが酷く気になった。

 後でスマホにメッセージを入れておこう。僕は1人で納得しながら部屋に戻った。部屋に戻る途中にダイニングがあるので、今日の晩御飯が嫌でも目に入ってくる。今日のメインディッシュはハンバーグだ。丁度出来立てらしく、デミグラスソースの香りと漂う湯気が鼻をくすぐる。

 

 

「吾郎。今日、黎ちゃんのところ行ってきたんだろ? ……どうだった?」

 

「何か不都合なことはなかったか? 不当な扱いはされていなかったか?」

 

 

 制服を脱ぎ捨ててジャージに着替えた後、席に着いた途端、空本双子は心配そうに声をかけてきた。2人は有栖川の本家だけでなく、黎にも恩義を感じている。

 

 聖エルミン学園での“スノーマスク”では僕と一緒に鏡の破片を所持していたおかげで世界滅亡は免れたし、自分の正体を知って思い悩む至さんを引き留めた1人でもあった。珠閒瑠市で発生した“JOKER呪い”の一件でも、“滅びの世界”に関する話を聞いて落ち込んだ至さんや僕を励ましてくれたのだ。

 他にも、月光館学園高校の特別課外活動部では、ニュクス降臨の直接的原因として順平さんから責められた命さんに対し、『世界中の人が命さんを責めても、私は命さんのことが大好きだ。何度でも貴女に巡り合いたい。だから居なくならないで(要約)』というメッセージを送り、彼女の心を支えていた。

 僕たちが八十稲羽に迷い込んだとき、黎は菜々子ちゃんのペンフレンドになってくれた。今でも黎と奈々子ちゃんは文通を続けている。黎が謂れなき冤罪によって有罪になったとき、堂島親子はとても悔しい思いをしたそうだ。東京での保護観察が決まったときは、『何かあったら相談に乗る』という手紙が来たらしい。

 

 この場には届かないかもしれない。でも、沢山の人の想いが黎を守っている。彼女を彼女足らしめている。

 ……もし、僕が、その中から居なくなったとしても。彼/彼女たちの想いが、引き続き黎を守り続けることだろう。

 

 

(ほんの少しだけ、寂しいけどな……)

 

 

 もしかしたら辿り着くであろう“明智吾郎の終わり”を夢想し、僕は湧き上がってくる感情を飲み込んだ。

 代わりに、2人が待っているであろう情報――ルブランと佐倉さん、および黎の様子を伝えるため口を開く。

 

 

「1日目だから、まだどう転ぶかは分からないな。保護司の人……佐倉さんは中立を保とうとしてるみたいだった」

 

「そっか……」

 

「やはり、状況は厳しいか」

 

「あと、喫茶店の住居スペース、屋根裏部屋のことだったよ。急きょ用意した荒れ放題の埃塗れとか言ってた――」

 

 

「――屋根裏部屋?」

「――荒れ放題の埃塗れ?」

 

 

 至さんと航さんの動きが止まった。前者の顔からは表情の一切が消えて、後者は般若みたいな顔で握っていた金属製スプーンを(純粋な握力のみで)ぐにゃりと曲げる。そこで、僕はしまったと身を固くした。間髪入れず至さんはスマホを取り出し、航さんは手当たり次第に近くにある物体を破壊し始めた。

 航さんは怒り狂うと破壊魔になるが、至さんは無表情のまま様々な方面に電話を始める。電話をしない場合は、誰もが引いてしまうレベルの物騒な計画(一例:対象の抹殺計画)を立てはじめるのだ。怒り狂うと一周回って冷徹になる――それが、空本至の怒り方だった。至さんは粛々とした態度で誰かに電話を掛ける。

 僕の耳が正しければ、至さんの電話相手は佐倉さんだろう。『分かった。分かったから、もう勘弁してくれ……』と、ほとほと困ったような声が聞こえてきたためだ。「俺の恩人は、お嬢は、屋根裏部屋のゴミではないのですが」と力説する至さんは、普段の親しみやすさはない。佐倉さんをマシンガントークで叩き潰すつもりのようだ。

 

 このまま捲し立て続ければ、かえって逆効果になりかねない。

 僕は深々とため息をつき、保護者2名を宥める算段を立て始めた。

 

 

 

 ――なんやかんやあったが、最終的に、佐倉さんへのアプローチはこの件を最後にひと段落することと相成った。

 

 彼には本当に申し訳ないので、一部の関係者にルブランを紹介することにした。

 ……売り上げに貢献することで、この一件を手打ちにしてくれればいいと思ったのだ。

 

 

 

 

 

 

 後に、佐倉さん曰く。

 

 桐条グループのトップから「カレーの特許が欲しい」と言われたり、警官志望の女子大生にカレーを喰い尽くされたり、警察官キャリアが特性カレーにプロテインをかけたり、南条コンツェルンの次期当主がコーヒーのうんちくや日本の政治経済の話と各種挽きコーヒー数十杯と3食分のカレーだけで開店から閉店間際まで居座り続けた挙句ブラックカードでお支払いしていったりと、結構凄い目にあったらしい。

 

 ……唯一悲しむべきことは、この面々が佐倉さんに根回しをしてきた面々と同一であったことだろうか。

 

 




魔改造明智と愉快な保護者+大人一同による、原作直前から開始直後までの軌跡。とりあえず、導入部はひと段落しました。これから本編の時間軸に進んでいく予定です。
大人たち同士のコネクションが、明智や黎に様々な影響を与えていく図を描写できたらいいなと思っているのですが、意外と難しいですね。精進します。


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神話覚醒
俺の大切な人が厄日過ぎる件について


【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 名前:空本(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『運命を切り開くだけの簡単なお仕事』および『ペルソナ3異聞録-.future-』、Pixivの『2周目明智吾郎の災難』および『【一発ネタ】有栖川黎の幼馴染』の設定を下地にし、別方向へ発展させた作品である。
・ジョーカーのみ先天性TS。
 ジョーカー(TS):有栖川(ありすがわ) (れい)⇒御影町にある旧家の跡取り娘。旧家制度は形骸化しているが、地元の名士として有名。身長163cm。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空本(そらもと) (わたる)⇒有栖川家とは親戚関係にある。南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。
・城戸玲司の妻に関してのねつ造設定あり。


 今日も今日とてルーチンワーク。授業に出て出席日数を稼ぎ、探偵としての情報収集や調査を行い、時には冴さんの司法修習生(予備)として一定の成果を挙げる1日が始まる。

 当たり前のことだし相変わらずなのだが、俺の手は獅童正義に届かない。霞を掴むような話を追いかけているというのは自覚しているけれど、状況が状況のせいでじれったいのだ。

 この日もまた、この苛立ちを飲み下す日々が続くのであろう。そんな確証を抱きながら、俺はスマホを見つめた。午前中に入ったメッセージを、もう一度確認する。

 

 

“今、秀尽学園に向かう電車の中にいる。東京の電車は凄いんだね”

 

“ラッシュ時の満員電車は、御影町や珠閒瑠じゃお目にかかれない人口密度だ”

 

“頑張ってくる。大丈夫だよ、吾郎。私、絶対負けないから”

 

 

 ……もし普段と違うことがあるとするなら、黎の秀尽初登校日ということだろうか。

 

 冤罪というレッテルを張られ、ルブランの屋根裏部屋で保護観察を受けることになった黎。大人たちによる精一杯の善意は、家主であり保護司の佐倉さんに多大な精神的打撃を与えていた。先日顔を合わせた時点で目が死んでいたのだから当然と言えよう。

 至さんたちを始めとした愉快な大人たち一同による彼へのアプローチは、俺がどうにか説き伏せたことで一先ずの終息を見た。状況によっては再開することもやぶさかではないという条件付きでだ。これで黎が不利益を被ったら本末転倒なのだが、大丈夫だろうか。

 

 南条コンツェルン関係者、桐条グループ関係者、マスコミ関係者、芸能人、警察関係者、裏社会を網羅する探偵、多方面に活躍せんとする現役大学生一同……。

 大なり小なり彼らとコネクションを持ち、且つ、黎のために奮闘する愉快な大人たちの様子に佐倉さんがどう反応するか。吉と出るか凶と出るか、まだ分からなかった。

 ……多分、現時点では凶寄りだろう。黎の冤罪を止められなかった分、みんな必死になったから。必死になりすぎてしまったから。……かくいう俺もその1人だけど。

 

 

「明智くん、どうしたの? 今日はやけに携帯を気にしているようだけど」

 

 

 僕に声をかけてきたのは、僕の上司である新島冴さんだった。彼女は僕がスマホを気にしていることに気づいていたらしい。

 

 ある意味では無関係者であり、且つ、司法関係者である冴さんに、黎のことをどう説明すべきだろうか。余計なことを言って黎に負担がかかるような真似はしたくない。

 それに――冤罪とはいえ――前科者扱いされている人間と繋がっていると知られた場合、冴さんがどんな強硬手段を講じてくるかは未知数である。その矛先が黎に向いたら最悪だ。

 

 

(……俺も、クズに落ちぶれたってことか)

 

 

 黎を守るためと言いながら、俺は何をしているんだろう。黎に冤罪という名のレッテルを張りつけた獅童や、彼女を悪意を込めた目で見つめる連中と同じ思考回路じゃないか。

 獅童正義の不正と戦う最前線にいるという点では、冴さんは味方と見ても良いかもしれない。だが、冴さんと関わる人間が獅童の味方ではないと言い切ることは不可能だ。

 アイツは確実に司法関係者と結びついている。でなければ、1ヶ月という超スピードで黎を有罪にすることなどできやしない。裁判は最速ですら数か月かかるというのに。

 

 そんなことを考えているなどおくびにも出さず、僕は平静を張り付けて答えた。

 

 

「え? あ、その……懇意にしてる親戚の女の子がいるんです。僕より1つ年下なんですけど、事情があって、数日前に東京に越して来たばかりで……それで、今日が初登校日だったから、大丈夫かなーと……」

 

 

 ……嘘は言ってない。同時に真実も言ってない。ただ、我ながら、スマートな答えではなかった。僕はしどろもどろに答えながら、黎のことを考える。

 

 前科者というレッテルを張られた黎の周囲は冷たく厳しい。悪意や奇異の目で見てくる輩だっていよう。それ以上に、謂れのない理不尽が降り注ぐことだってあり得る。

 その原因が俺の実父――獅童正義にあることを、黎は知らない。……いいや、俺が教えていないのだ。“彼女の傍にいたい”という身勝手な理由から。

 俺にとって、黎はいちばん大切な人だ。同年代との友人関係が壊滅していようが、彼女がいてくれれば大丈夫だと思えるくらいに。

 

 今頃、黎はどうしているだろう。秀尽学園高校に馴染めるだろうか。彼女の事件を知った連中から後ろ指を指されたり、事件をネタにして理不尽なことを強いられたリしていないだろうか。直接傍にいられないのが悔やまれる。でも、その選択をしたのは俺自身だ。頭が痛い。……とりあえず落ち着かなくては。別なことを考えよう。

 不意に、この前メールに添付されていた画像が脳裏をよぎった。秀尽高校の制服を身に纏った黎のものだ。七姉妹高校に通っていたときとは違い、黎は黒眼鏡をかけていたか。恐らく、身の安全を考慮した結果、顔を隠せるものとして野暮ったい黒眼鏡が選ばれたのであろう。どちらも魅力的だけれど――いけない、思考回路が脱線してきたぞ。

 

 

「……そう、成程。そういうことね……」

 

 

 冴さんは僕の様子を見て何を思ったのだろうか。

 

 鉄の女とも呼ばれる冷徹な顔が、ほんのわずかに緩んだ気がした。

 まるで微笑ましいものを見るかのような眼差しに、僕は思わず目を丸くする。

 

 

「明智くん。私、正直心配だったのよ」

 

「何がですか?」

 

「大人と渡り合える力があっても、貴方が学生――子どもであることには変わりないわ。でも、ここで仕事してる貴方やメディアに出ている貴方からは、年相応の“らしさ”が感じられなかった。すました顔をして、けれど、とても鬼気迫るくらい張りつめた様子で事件を追いかけていたもの。使っている私が言うのもなんだけど、根詰め過ぎてないかと気にしていたの」

 

 

 そう語る冴さんは、文字通り「お姉さん」と呼べるような女性であった。子どもを見守る立派な大人とも言えるだろう。

 悪戯っぽく細められた瞳は凛々しいままなのに、どこか茶目っ気がある。進展しない捜査に苛立ち、ヒステリックにしている姿からは想像できない。

 

 

「今の貴方は、本当に“年相応”っていう感じがしたわ。青春を謳歌する若者そのものだった。……明智くんは、その子のことが大切なのね」

 

「……はい」

 

 

 反論する理由が一切ないので、僕は素直に頷いた。口に出したからこそ余計に照れ臭くなってくる。そんな僕を見た冴さんは、相変わらず優しい眼差しで僕を見守っていた。時々からかいのネタにしようかと思案している節もあるけれど、基本は見守るスタンスらしい。

 ……成程。これが本来の“冴さん”なのだろう。彼女の気質は“検事であるが故に”味わってきた辛酸や理不尽により、どこか歪んでしまった部分があるようだ。仕事上の冷徹な態度やヒステリック気味な一面は、彼女が持つ本来の“らしさ”を奪われたことが原因であろう。

 だから、嵯峨薫氏は冴さんのことを心配していたのだ。「冴さんこそ、僕のことをとやかく言えないでしょう? 今の冴さんの方が“貴女らしくて”素敵ですよ」――もしこの場に嵯峨薫氏が居合わせたら言いたかったであろう言葉を、僕が代わりに紡ぐ。冴さんは一瞬ムッとしたように眉をひそめたが、どこか懐かしそうに窓の外を眺めた。

 

 

「嵯峨検事……浅井事務官……」

 

 

 彼女の眼差しが何を見ているのか、僕には何となく予想がついた。

 

 嵯峨薫氏とその部下、そうして司法修習生だった冴さんが揃って和気藹々としていた日々。彼と彼女が、純粋に“正義”を信じていられた頃の記憶。

 これは僕の想像でしかなかったし、それを本人たちに尋ねるなんて真似はできない。けど、とても輝かしく、かけがえのない日々だったであろうことは察しがつく。

 

 

「不思議ね。こんなときに、昔のことを思い出すなんて……」

 

 

 冴さんはどこか寂しそうに呟く。こんなときだからこそ思い出したのではないかと言おうとした僕だが、それはなんだか無粋な気がしたのだ。

 同時に、冴さん自身がこの空気に居心地悪さを感じているらしい。今の彼女にとって、正義を信じて燃えていた嘗ての日々は、毒のように思ってしまうのだろう。

 僕の想像する嵯峨薫氏に助力を頼めば“空気を読むな、壊せ”と言われたような気がした。なので、僕は敢えて話題を変え、自ら道化になることにした。

 

 話題ならある。先程のやり取りのことだ。

 

 今の僕は、青春を謳歌する学生だ。

 己にそう言い聞かせて、僕は口を開いた。

 

 

「そうだ、冴さん。ちょっと相談に乗ってほしいんですけど」

 

「何かしら?」

 

「彼女の周辺がひと段落したら、デートに誘おうかなって思ってるんです。遊びになら何度か行ったことあるんですけど、本格的にデートを意識するのは初めてで……どうすればいいですかね? 誘い文句とか――」

 

 

 ――次の瞬間、冴さんの笑顔が凍り付いた。

 

 表面上は確かに笑顔なのだが、目と気配は全然笑っていない。明らかに苛立っている。何に対して? ――僕に対して。

 僕の想像する嵯峨薫氏が「あーあ」とぼやいて肩をすくめたのが見えたのは何故だ。諦めたように視線を逸らしたのは何故だ。

 疑問に対する答えを指示してくれたのは、他ならぬ新島冴検事その人であった。

 

 

「――それを、私に訊く?」

 

「え」

 

()()()()()()()の私に訊くの?」

 

 

 何か、こう、黒いものを背負って、冴さんが顔を近づけてきた。ああ、これには身に覚えがある。航さんに好意を寄せていた英理子さんと麻希さんが、至さんを自分の味方へ率いれようと画策し、迫ったときの笑い方だ。永世中立と答えた至さんの末路を俺は今でも忘れられずにいる。説明? できるはずない。何も語れない。ないったらない。閑話休題。

 デート未経験ということは、冴さんは独り身ということになる。同時に、冴さんは「自分が独り身であることに対して強いコンプレックスを抱いている」らしい。まさかのうららさんタイプ。……成程、僕はとんだ失策をしてしまったみたいだ。どう弁明しよう。何にも出てこない。

 

 だって、いい相手に巡り合えるだなんて言えば「無責任」と詰められることは明らかだし、何も言わなきゃ言わないで雷が落ちてくる。うららさんとの会話で学んだ。

 

 こうなった場合、僕が取るべき行動は1つ。誠心誠意謝罪した後、該当者の気が済むまでサンドバック(比喩)になってやること。実際、至さんが乾いた笑みを浮かべながら粛々とサンドバック(比喩)になっていた姿を何度も見ている。

 嵐に対抗することがすべてではない。時には嵐が去るまで耐えることも必要だ。一番の最善は“嵐が来るのを予期して回避すること”なのだが、自分に迫りくるアクシデントのすべてを予期できる人間なんて存在するはずもない。

 ましてや、対人関係における失言は地図なしで地雷処理をするみたいなものである。しかも、その地雷の威力は触れて見ない限り分からないのだ。触れて喰らって五体満足なら御の字である。致命傷でも即死でなければまだ何とかなりそうか。

 

 

「あの、その、申し訳ありません……」

 

「……いいわよ。貴方にはいつも世話になってるからね」

 

 

 冴さんはこめかみを抑えてため息をついた。口元に浮かぶのは、困ったような笑み。「未経験者の理想で良いなら」と、少し拗ねたような口調で承諾の返事を出す。

 

 但し、目はあまり笑ってない。怒りはまだ収まらないようだ。今ここにいる冴さんの姿が飲んだくれるうららさんの姿と重なってしまったあたり、本格的にサンドバック(比喩)にならなければいけないらしい。

 交換条件だから致し方なし、と、僕は自分に言い聞かせて頷き返した。冴さんは満足げに笑い、彼女の理想とするデート像を語り始めた。それでも仕事の手を止めないあたり、流石と言えるだろう。僕はひっそりそんなことを考えた。

 

 

***

 

 

 案の定、その日の仕事量は普段より倍増した。僕は耐えた、耐えきったのだ。

 

 よろよろとした足取りで検察庁を後にした僕は、スマホを取り出してメッセージを確認した。仕事中は自分のスマホをろくに確認できなかったためである。

 黎は大丈夫だっただろうか。何かメッセージは入っていないだろうか。秀尽学園での生活で何か不都合なことはなかっただろうか。理不尽な目に合っていないだろうか。

 僕がスマホに触れなかった間に、黎はいくつかのメッセージを送って来たらしい。半ば祈るような心地で、僕はメッセージを開いた。

 

 

“変な場所に迷い込んだ。城みたいな場所だった”

 

“私のスマホに変なアプリが入ってたんだ。“イセカイナビ”というやつ”

 

 

(――え?)

 

 

 変な場所――そこは“メメントス”と名付けらた迷宮であり、僕が自作自演の名探偵を遂行するための情報収集に使っている場所だ。

 スマホのアプリ“イセカイナビ”――それは、僕のスマホに入っているアプリであり、僕が自作自演の名探偵を遂行するために使っているものだ。

 

 頭が爆発しそうになる中で、僕はメッセージをスクロールしていく。

 

 

“城で出会った変態に襲われそうになったけど、力が覚醒したおかげでどうにか逃げ延びることができた”

 

“力の名前はペルソナだった。ちょっと毛色は違うけど、至さんたちと同じ能力だと思う”

 

“変態は鴨志田卓という秀尽学園高校の体育教師。おかげで午前の授業を受けられず、午後から授業を受けた”

 

“遅刻した理由はぼかして、『変態に襲われて逃げ惑っていた』と言っておいた。事実だから”

 

“あと、偶然一緒に居合わせたクラスメートがいたんだけど、彼には私の言い訳の証人になってもらったんだ”

 

“ついでに、彼の遅刻理由を『変態に襲われて逃げ惑っていた私を助けてくれたから』ということにしてもらった”

 

 

“それから、私の前歴(冤罪)が、既に学校中に知れ渡っている”

 

“前歴(冤罪)については教師くらいしか知らないので、漏れたとするなら教師からだと推測できる”

 

“まともに接してくれる相手は、私と一緒に変な場所へ迷い込んだクラスメートしかいない”

 

 

 数時間ぶりに確認したメッセージを見て、俺は血の気が引いた。

 

 俺が仕事をしている間に、黎は超絶怒涛な1日を過ごしていたようだ。俺と同じアプリがスマホにインストールされ、メメントスに迷い込み、出会ったシャドウに襲われかけ、俺と同じペルソナ能力を覚醒させた。呪われてるんじゃないかと思うくらいの厄日だ。そうしてダメ押しとばかりに、黎の冤罪が学校中に広まっている。

 居てもたってもいられなくなった俺は、家に帰るのを止めて四軒茶屋へ向かった。彼女の下宿先であるルブランまでの道のりが遠く感じる。ようやっとルブランの灯りが見えてきたとき、迷うことなく扉を開けて店内へと飛び込んだ。店主の佐倉さんが手を止めて振り返る。俺の顔を見た佐倉さんは、ぎょっとしたように目を見開いて後退りした。

 

 

「お、お前さんは確か……!」

 

「黎は!?」

 

「アイツなら今、部屋に――」

 

 

 それだけ聞けば充分である。俺はそのまま階段を駆け上がり、彼女の住居である屋根裏部屋へと乗り込んだ。

 俺の想像した光景よりも随分綺麗な部屋には、簡素なデザインの家具が置かれている。黎はベッドに腰かけて読書をしているところだった。

 客人――特に俺の来訪は思ってもみなかったのだろう。彼女は目を丸く見開いて瞬きをした後、花が咲くような笑みを浮かべた。

 

 微笑む彼女を見た途端、俺の身体から一気に力が抜けた。言いたいことは山ほどあったはずなのに、何一つ言葉になりはしない。

 俺はフラフラと黎の元へと歩み寄り、そのまま彼女を強く抱きしめた。いきなりの行動に、黎が困惑する気配が伺える。

 

 だが、彼女は何となく察したのだろう。俺の背中に手を回し、そのまま胸元に擦り寄って来る。……まるで猫みたいだ。

 

 

「心配してくれてありがとう、吾郎。不謹慎だけど、凄く嬉しい」

 

 

 ふふ、と、黎は笑った。「色々あったけど、大丈夫」と付け加えてだ。根拠も何もないはずなのに、黎がそう言うと本当に大丈夫な気がしてしまうのは何故だろう。

 本当は俺よりも黎の方が大変なはずで、獅童正義と因縁がある俺が頑張らなきゃいけないはずだ。何とかしなくてはいけないはずだ。……なのに俺はずっと、彼女に守られている。

 

 

「……ああもう、畜生。不甲斐ないや……」

 

「不甲斐なくない。キミが来てくれたおかげで、私は明日からも頑張れそうだよ」

 

「けど」

 

「吾郎は頑張ってる。よくやってるよ。調べることが沢山あるのに、私の冤罪も証明しようとしてくれて……迷惑かけて不甲斐ないのは私の方だ」

 

 

 黎は慈母神もかくやと言わんばかりの笑みを浮かべていた。……正直な話、ずるいと思う。そうやって、彼女は俺のすべてを許してしまうのだ。それが温かくて――少し、怖い。いずれこの温もりを感じられなくなる日が来るのだと、そんな可能性があるのだと俺は知っているから。

 あと何回、こうやって彼女と触れ合うことができるのだろう。あとどれくらいで、俺はすべての黒幕である獅童正義に手が届くのだろう。なるべく早く決着をつけたいと思っているけど、もう少しだけこのままでいられたら――なんて考えてしまうのは、俺が弱いからに決まっている。

 

 自分が汚い。汚すぎて辛い。それから目を背けるようにして、俺は暫く彼女を抱きしめたままで――彼女に抱きしめられたままでいた。

 

 それからどれくらいの時間が経過したのだろう。外はもう真っ暗で、街灯が頼りない光を放っている。遠くには煌びやかな街並みが広がっていた。

 甘い空気を手放すことに名残惜しさを感じつつ、俺は黎に「今日の出来事を詳しく話してほしい」と乞うた。黎は2つ返事で頷き、詳細を教えてくれた。

 

 それらを、俺の持っている情報を照らし合わせていく。

 

 

「一個人の歪んだ欲望が迷宮になったのがパレスだとすると、俺がよく使うメメントスは大衆の欲望ってことか? あそこ、老若男女のシャドウがうようよ徘徊してるからな」

 

「吾郎の話を聞く限り、パレスとメメントスは一戸建てと共栄住宅の違いだと思う。一定レベルを超えた欲望を持っていると、メメントスでは狭すぎるとか。でなければ、秀尽高校をベースにした城なんて持っているはずがない」

 

「しかし、学校を城に見立てるなんて、自分が学校の王様になったとでも言いたげな奴だな。とんだ自意識過剰じゃないか」

 

「ピンクのマントにパンツ一丁の変態が王様を名乗るなんて世も末だよ。しかも、私を見た途端、鼻息荒くして無理矢理組み敷こうとしたくらいだし。竜司が割り込んでくれなければ大変なことになってたかもしれない」

 

「……黎、その鴨志田って教師の前では絶対単独行動禁止だよ。巻き込んだ生徒――竜司、だっけ? なるべくソイツから離れちゃダメだ。いつぞやの親戚連中と同じ……いや、さらにヤバイ邪悪を感じるからね」

 

「勿論」

 

「それから、もしまた何かあってパレスに行くのなら連絡寄越して。間違っても、1人で乗り込もうなんて考えないでくれ」

 

「分かってる。待ち合わせ場所含めて、すぐに連絡するよ」

 

「鴨志田や秀尽学園の教師陣については調べ直す。黎の冤罪を広めた張本人が、何かのヒントになりそうだからな」

 

「了解。ありがとう、吾郎。帰り気をつけて」

 

「気にしないでくれ。それじゃあおやすみ、黎」

 

 

 大事な作戦会議はこれで終了だ。最後に額と額とくっつけ合って、ささやかな触れ合いを楽しむ。

 今後の方針は決まった。決意を新たに、俺は黎の住居スペースを後にした。

 

 階段を下れば、何かを察したような顔をした佐倉さんと目が合った。……どうしたのだろう。僕がそう問いかけるより先に、佐倉さんが大きく息を吐く方が早かった。「アイツのために、ここまで一生懸命になる人間がいるんだよな」と呟いた彼の眼差しは、屋根裏部屋へ続く階段へと向けられる。その眼差しは、心なしか柔らかい。

 佐倉さんは黎を厄介だと思っている訳ではないらしい。保護司として中立を保ちながらも、根は世話好きのお人よしのようだ。「黎の話、聞きましたか? 午前中の授業に遅れた理由……」と俺が問えば、佐倉さんは顔をしかめて頷いた。言葉にはしていないけど、黎を襲った変態に対して怒りをあらわにしている。

 “酔っ払いに言い寄られた女性を庇ったら自分が標的となってしまい、拒絶したら運悪く相手を傷つけてしまったため訴えられた”――それが、保護司である佐倉さんに伝わっているであろう黎の前歴だ。そんな彼女を狙い、力で組み敷こうとした変態がいる。そんな相手のせいで即退学・即少年院送りにされるのは理不尽だろう。

 

 佐倉さんも分かっている。しかし、やはり黎には問題を起こしてほしくない様子だ。彼は彼なりに、黎のことを更生させてやりたいと――保護観察を穏便に済ませてやりたいと考えているのだろう。遠回しな優しさだ。

 

 僕はカウンター席に腰かけて、コーヒーを1杯注文する。閉店間際のオーダーに対し、佐倉さんは眉間に皺を寄せた。

 だが、僕の様子から「話を聞いてもらう対価としてコーヒーを頼む」と察したようで、不愛想な返事をしてコーヒーを淹れてくれた。

 

 コーヒーを舐めるようにして飲みながら、僕は話を切り出す。僕と、僕の保護者達が有栖川本家から請け負った密命を。

 

 

「故郷の方でも、黎の冤罪をネタにして、彼女を力づくで組み敷こうとした連中がいたんです。奴らはみんなケダモノのような目をして『黎を更生させる』等と嘯いてました」

 

「……成程な。だからアイツは、お前さんのいる東京へ送り出されたワケか。さしずめ、お前さんはアイツの“騎士様”ってとこか?」

 

「それもあります。ですが、“件の親戚どもとコネクションを一切持たない保護司”がいて、“件の親戚どもが近づいて来てもシャットアウトできる人間が近くにいる”環境でないと安心できなかったというのも理由ですね。……親戚同士の繋がりだけでなく、奴らの上位互換が東京に跋扈していることも想定しておくべきでした」

 

「なんてこった……。こりゃあ責任重大じゃねえか」

 

 

 佐倉さんの顔は真っ青だ。身近な人と黎の環境を照らし合わせ置き換えることで、色々と想像してしまったのだろう。(冤罪とはいえ)前歴を理由にして体を要求されるなんてことが起きれば、最早更生どころの話ではない。仮に、体を売ることで保護期間を――表面上は――平穏無事に終えたとしても、その後の人生に昏い影を残し続けるに決まっている。

 少年少女を更生させる保護司としては、更生を妨げるであろう要素は絶対に見過ごせないはずだ。黎の保護司として、不審者対策に力を入れてくれることだろう。……唯一悲しむべきことは、そんな彼の心遣いはあまり役に立たないことだろうか。何せその犯人は、見えない世界に住まう“一個人の歪んだ色欲”なのだから。

 

 意志を燃やす佐倉さんに内心謝罪した僕は、コーヒーを一気に飲み干して支払いを済ませた。

 至さんと航さんに件の情報を報告し、暴れないよう釘を刺したうえで、僕は自宅へと帰還した。

 保護者2名は約束を守ってくれたようで、険しい顔のまま僕を迎えてくれた。本当に良かった。

 

 

 因みに。

 

 自宅に帰った僕は、鴨志田卓の経歴について調べた。どうやら奴はオリンピックの金メダリストのようで、それをウリにして体育教師になったらしい。黎の通う秀尽学園高校も、“オリンピックの金メダリストが勤める学校”というのをウリにしている様子だ。関係性はWin-Win。結びつきは強そうである。

 教師陣の名前を洗っていたら、秀尽学園高校の校長が獅童正義の関係者と繋がりがあることに気づいた。……もしかして、保護観察中の黎を受け入れたのは、獅童の命令だったのだろうか? そう考えた途端、僕の背中が悪寒に震えた。――ああ、だとしたら、俺が倒すべき男は本当に恐ろしい相手だ。

 

 

◇◆◆◆

 

 

 坂本竜司にはとても仲の良い弟分がいる。……いや、今となっては、仲良くしていた弟分が『いた』と表記する方が正しいだろうか。

 

 彼は一昨年の5月頃、竜司の近所に引っ越してきたらしい。らしい、というのは、彼と初めて出会ったのが夏休み前の次期だったためである。当時陸上部エースだった竜司は走ることが大好きだった。大会では何度も入賞し、仲間やコーチからは期待され、母は自分の活躍を喜んでくれていた。何もかもが順風満帆だったのだ。

 弟分と出会ったのも、“陸上部のエース”としての坂本竜司が輝かしい未来を信じていた頃だった。練習だけでは飽き足らず、趣味までもがランニングだった竜司が近所の公園を通りかかったとき、ふと目を惹いた光景があった。公園の片隅に、小学生ぐらいの子どもたちが集っている。

 徒党を組んだ子どもの集団と相対峙するのは、たった1人の男の子だった。どう考えても不利だと言うのに、男の子は怯むことなく立ち向かう。彼は何かを取り戻そうと、必死に背伸びしている。多勢に無勢の状況を放っておけず、竜司は子どもたちの群れに割り込んだ。

 

 

『お前ら、何やってるんだ!?』

 

 

 子どもの群れは竜司を目にした途端、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。手に持っていたものを投げ捨てて、わき目もふらずにだ。

 男の子は捨てられたもの――メダルのようなデザインのキーホルダーを手に取った後、安堵したように微笑む。そうして、竜司の方に向き直った。

 

 

『助けてくれてありがとう、お兄ちゃん』

 

 

 ――それが、弟分との出会いだった。

 

 この事件をきっかけにして、竜司は弟分と話すようになった。弟分が多勢に無勢の状況に陥っていたのは、彼が新参者であることと、運動音痴であることが原因だったという。

 彼が東京に越してきてすぐ、小学校の運動会があったらしい。弟分はそこで運動音痴っぷりを露呈させ、同じ組の面々から顰蹙を買ったという。

 “彼がリレーで転んだせいで、チームが最下位になった”――彼が没収されかけていたあのキーホルダーは、その罰としての徴収品だったそうだ。

 

 キーホルダーは父親からの贈り物で、弟分にとっての宝物らしい。普段は仕事で忙しいけれど、いつも弟分のことを気にかけており、休みの日は一緒に遊んでくれる自慢の父親なのだという。彼が東京に越してきたのも、父親が東京へ転勤になったためだ。

 

 

『……運動は前から苦手だったけど、今じゃあもう嫌いだ。走ることはもっと嫌いだ』

 

 

 彼の悲痛な叫びを聞いた竜司は憤慨した。弟分に対する理不尽ないじめに激怒した。

 同時に、弟分にも運動の楽しさを――走ることの楽しさを知ってほしいと、心から思った。

 

 

『それじゃあ、にいちゃんが教えてやるよ! 今よりも、ずっとずーっと速く走れるようになる方法をさ!』

 

『本当!?』

 

『ああ! 任せろ!』

 

 

 この日から、竜司は彼に速く走る方法をレクチャーするようになった。自分を伸ばしてくれたコーチの教えを思い出しながら、弟分にもそれを教える日々が続いた。

 竜司の教え方が良かったのか、それとも弟分の才能が開花したのかは分からない。けれど、竜司が弟分に走り方を教えて以来、彼のタイムは劇的に変貌を遂げた。

 『自分を虐めていた面々にかけっこで勝負を挑み圧勝した』という知らせを齎されたときは、お祝いがてら牛丼店で牛丼を奢った。彼は牛丼が大好きらしく、とても喜んでくれた。

 

 竜司は一人っ子だったので、まるで弟ができたように思った。時間を見つけては公園に足を運び、弟分と走りながら喋ることもざらであった。『機会があったら、2人で一緒に都内のマラソン大会に出てタイムを競おう』という約束だって交わしていた。

 

 そんな楽しい日々は、鴨志田卓という暴力教師のせいで壊されてしまった。

 奴のせいで竜司は足を潰され、二度と陸上で走れなくされてしまったのだ。

 

 鴨志田に暴力で反撃したのが運のツキで、竜司は不良のレッテルを張られた挙句、“鴨志田に暴力を振るった竜司のせい”で陸上部も潰されてしまった。母は自分が至らないせいだと泣き崩れ、仲間は竜司を恨んで誰も声をかけてくれなかった。竜司が事件を起こした不良であるという話は近所にも広がり、近所の人々も竜司を遠巻きにするようになる。

 ……だが、弟分だけは、竜司を案じてくれた。まだ小学生だと言うのに竜司を気遣い、竜司を陥れた鴨志田に対して怒ってくれた。竜司は悪くないと言ってくれたのだ。竜司にとって、彼の言葉は救いだった。――だから、弟分が竜司と一緒にいるせいで、彼まで悪く言われることに我慢できなかったのだ。

 竜司と行動を共にしていた弟分が周囲から孤立していることには、薄々気づいていた。だから、竜司は彼との接触を断った。公園にも行かなくなったし、街中で彼と出会っても睨みつけて無視するようにした。その度に、弟分が悲しそうな顔をして俯くのを見た。……胸が痛くて、苦しくて、堪らなかった。

 

 そうして、竜司と彼の絆は途切れ、自然消滅した。

 

 ――そのはずだったのに。

 

 

「――お前が、竜司にいちゃんを走れなくした悪者なんだなっ!?」

 

 

 今、竜司の目の前に躍り出た小さな影こそ、件の弟分だった。

 

 黎が拘束され、モルガナが倒れ、この異世界で戦える者たちは誰もいない。鴨志田のシャドウは高笑いしながら竜司を馬鹿にした。竜司もまた、奴の言葉に打ちひしがれていた。

 そんなときに飛び出してきたのが弟分である。彼はどこから調達してきたのか、大量の小石を抱えていた。それを思い切り、鴨志田のシャドウに投げつける。

 

 石は奴の目に当たった。曲がることも逸れることもなく、真っ直ぐに。それを確認する間もなく、寧ろ皮切りにして、弟分は意思を投げつけ続ける。それらはすべて鴨志田のシャドウにぶつかった。まるで吸い込まれるかのようだった。

 見張りの兵士たちが言っていた“もう1人の侵入者”とは、竜司が黎のイセカイナビを起動した際に巻き込まれた弟分のことを指していたらしい。彼の接近に気づかず竜司はアプリを起動したため、そのまま鴨志田のパレスに迷い込んでしまったのだろう。

 自他ともに認める“猪突猛進で頭が回らない”竜司がようやくそこに至ったのと、弟分が吼えたのはほぼ同時。

 

 

「お前のせいだ! お前のせいで、お前のせいで竜司にいちゃんが……ッ! 僕の大好きな竜司にいちゃんが!」

 

「このガキ……!」

 

「返せよ! 竜司にいちゃんの足を返せよぉ! 竜司にいちゃんに謝れ! 謝れよぉぉ!!」

 

 

 石を投げつけながら泣き叫んでいた弟分だが、所詮は子ども。あっという間に鴨志田の配下によって拘束されてしまった。

 万事休すだと言うのに、彼は怒りをぎらつかせて鴨志田を睨む。それを見た鴨志田の顔が醜悪に歪んだ。

 

 

「オマエのその面……昔、オレ様に大恥をかかせてくれた野郎とよく似てるな。ムカつくぜ……!」

 

 

 奴は顎をしゃくって兵士に合図する。兵士は即座にどこかへ引っ込むと、すぐに戻って来た。持ってきたのは大剣である。恭しく傅いた兵士からソレを受け取った鴨志田は、ゆっくりと弟分へと歩み寄る。奴の目は、弟分の脚に向けられていた。

 竜司の脳裏に浮かんだのは、膝を壊して二度と走れなくなったときの記憶だ。鴨志田は竜司の脚と陸上部のエースとしての将来だけでなく、それ以上のものを――竜司の大事な弟分の脚までもを奪おうとしている!!

 大事なものはもう帰ってこないけど。あの日に戻ることは二度とできないけれど。だからといって、これ以上、黙って奪われてたまるものか。これ以上、このクズの横暴を許してはおけない――!

 

 「鴨志田を許せないんでしょう?」と黎に問われ、同時に、弟分を守りたい一心で竜司は立った。湧き上がる怒りをそのままに、鴨志田と対峙する。

 次の瞬間、竜司は凄まじい頭痛に見舞われた。自分の中から響く“もう1人の自分”の言葉に従い、竜司は仮面を剥がす。――顕現したのは、竜司のペルソナだ。

 

 体の奥底から力が湧き上がってくる。――そうだ、この力があれば借りが返せる。

 

 

「ブッ放せよ、キャプテンキッドォォ!」

 

 

 竜司の咆哮に呼応するが如く、キャプテンキッドはシャドウに攻撃を仕掛けた。衛兵は即座に雑魚を召喚して身を固めたが、降り注ぐ雷が雑魚どもを一掃する。

 部下を失った兵士は狼狽し――その隙を突く形で、黎のペルソナとモルガナのペルソナが顕現する。前者がアルセーヌ、後者はゾロといったか。

 アルセーヌが放った赤黒い呪詛の闇とゾロによって発生させられた風によって、シャドウは断末魔の悲鳴を残して消滅した。呆気ない幕切れである。

 

 

「おい、坂本。このガキがどうなってもいいのか!?」

 

「テメェ卑怯だぞ! 鷹司を放せ!!」

 

 

 だが、鴨志田は尚も抵抗した。新たな衛兵を召喚した上で、弟分――鷹司の脚に剣を突きつける。

 弟分は腰が抜けてしまったのか、身動きできないでいた。形勢逆転とばかりに鴨志田が嗤う。

 

 ――だが、次の瞬間、奴のにやけ面は凍り付いた。奴の視線が一点に集中する。

 

 

「――久しぶりだな、鴨志田。まさか、妻だけでなく息子の鷹司も世話になるとは思わなかったぜ」

 

 

 かつん、かつんと床を打つ音。現れたのは、蒼を帯びた黒髪のサラリーマンだった。その顔立ちは鷹司とよく似ている。

 

 

「お父さん!」

 

「やっぱりコイツはテメェのガキか! 聖エルミン学園の伝説――裸グローブ番長、城戸玲司!」

 

「マジかよ!? あの人が、鷹司の親父さんだって!?」

 

「玲司さん……」

 

 

 鷹司がぱっと表情を輝かせ、鴨志田が醜悪に顔を歪める。竜司は驚きで声を上げ、モルガナが目を丸くした。対して、黎は以前から鷹司の父親――城戸玲司を知っていたようで、彼の名を紡ぎながら口元を緩ませる。

 竜司は状況に追いつけなかった。鴨志田のパレスに迷い込んでいたのは鷹司だけでなく、玲司もいた。もしかして、衛兵たちが大騒ぎしていた原因は、鷹司でなくて玲司だったから? だとしたら、玲司は鷹司と同じ場所にいたということになる。

 ……いや、それ以前に、パレスと呼ばれる異世界にペルソナ能力がない人間が迷い込んだらヤバいことになるのではなかろうか。城の中にはシャドウがうじゃうじゃいて、並大抵の人間では歯が立たない。つい数分前までひ弱な存在でしかなかった竜司は、身を以て体験していたから知っている。

 

 鷹司を巻き込んだだけでなく、鷹司の父親である玲司にも何かあったら――今度こそ、竜司は鷹司に顔向けできなくなってしまう。

 竜司は慌てて玲司を止めようと手を伸ばした。だが、それは彼の肩を掴むには至らない。竜司の目の前には、大きくて頼りがいのある背中があったからだ。

 

 背中で語る漢とは、この姿のことを言うのだ――竜司は漠然と、そう理解した。つばを飲み込んだ音がやけに大きく響く。

 

 

「お前があのとき邪魔しなければ、織江はオレ様のモノだったのに……! またキサマに邪魔されるっていうのか!?」

 

「お前の学習能力の無さには呆れるぜ、鴨志田。何度も同じようなことを繰り返しやがって……。大人の女じゃ思い通りに動かせないから、今度は学校の女子生徒を毒牙にかけようってか? ……悪いことは言わん、やめとけ。特に、そこにいる有栖川のお嬢様はな」

 

 

 玲司は呆れたように肩をすくめた後、ちらりと黎を見やった。その眼差しはとても優しい。まるで、妹分を見守る兄貴分みたいだ。彼の纏う気迫とのギャップに、竜司は目を丸くする。

 次の瞬間、玲司の纏う気迫が更に鋭くなった。きぃん、と、不可思議な音が聞こえてきたように感じるのは何故だろう。自分の中にいる“もう1人の自分”――キャプテンキッドが反射的に後ずさったのは。

 

 

(あの人は、強い。相当な場数を踏んでる――!!)

 

「あのときとは違うぞ、聖エルミンの裸グローブ番長。ここはオレ様の城だ。オレ様のホームグラウンドだ。貴様なんぞに負けん!」

 

 

 鴨志田はそう叫ぶなり、鷹司を取り囲んでいた衛兵すべてを玲司へと差し向けた。衛兵はシャドウとしての姿を取り、玲司の元へと襲い掛かる。

 先程とは違い、竜司は玲司に手を伸ばさなかった。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 果たして竜司の予想通りの光景が広がった。凄まじい光と共に、玲司の背後に“それ”が顕現する。彼が宿しているペルソナが、凄まじいオーラと共にそこにいた。

 

 鴨志田が後ずさる。衛兵は凍り付いたまま、微動だにしない。玲司は涼しい顔を崩さぬまま、右手を天高くに掲げた。

 

 

「――Go、ルシファー」

 

 

 ――轟音。

 

 凄まじい光によって衛兵たちが灰塵と化す中で、ピンクのマントを翻した鴨志田が走り出すのがちらりと見えた。文字通り、脱兎みたいだった。

 追いかけようにも、玲司のペルソナが打ち放った光がそれを許してはくれない。無理に突っ込めば、今度は竜司が衛兵と同じ末路を辿るであろう。

 

 それを咎めようとは微塵も思わなかった。だって、あんな圧倒的な力を見せつけられて、あんな力を振るっていても涼しい顔をしている玲司を見て、竜司如きが何を言えるのか。

 光が止んだ後、絢爛豪華だった城内の大部屋は荒れ果てていた。絨毯も装飾品も塵芥となり、ボロボロになった床、柱、階段が残るのみだ。

 モルガナが吐息のような悲鳴を上げる。黎はパチパチと拍手していた。鷹司は「流石お父さん!」と言って、満面の笑みを浮かべて玲司に抱き付いている。

 

 

「竜司にいちゃん!」

 

 

 半ば放心状態で蹂躙劇を見上げていた竜司の足元に衝撃が走る。見れば、満面の笑みを浮かべた鷹司が竜司に抱き付いているところだった。彼の双瞼は、あの頃と変わらず竜司を慕っている。彼の脚は無事だ。鴨志田に踏みにじられそうになった鷹司の未来は、失われなくて済んだのだ。

 

 竜司は鷹司の名を呼び、彼と同じ目線に屈んで抱きしめた。――守れたのだ。守り抜けたのだ。大切な弟分を、竜司は。

 不意に、足音が聞こえてきた。見上げれば、優しい目をした玲司が竜司と鷹司を見つめているところだった。

 

 

「た、鷹司の親父さん。俺、俺は……」

 

「――ありがとな。鷹司を守ってくれて」

 

 

 何かを言わなくてはと思って口を開いた竜司を宥めるように、玲司は笑った。そうして、竜司の頭を撫でる。――その手使いもまた、優しい。

 竜司の父親は浮気し、母と竜司を捨ていった。奴がまだクソ野郎になる前までは、確かに竜司には父親がいて、自分の頭を撫でてくれた。

 あの頃の感覚が急に甦ったような心地になり――次の瞬間にはもう、竜司は泣いていた。言葉にならぬ声を漏らしながら、ただただ泣いていた。

 

 

◆◇◇◇

 

 

「――と、いう、ワケです。……すんません」

 

 

 坂本竜司はそう言って、俺から凄まじい勢いで目を逸らした。こめからみから冷や汗を流している様子からして、自分がどんなことをしたのかを理解したのだろう。

 

 イセカイナビを所持していると判明しているのは、俺と黎だけである。他にも使える人間がいることは分かっているが、そいつとはあの殺人現場以外鉢合わせていない。そして、竜司は以前、黎と共に偶然異世界に迷い込んだ。

 今回、黎やが異世界に突入する羽目になったのは坂本竜司のせいだった。奴は鴨志田のパレスにもう一度向かおうとして、黎のスマホをいじったらしい。そのせいで、黎は俺へ「迷宮へ行く」という連絡ができなかった。

 それだけではない。偶然その場に居合わせた城戸親子――まずは鷹司くんが竜司に気づいて(以前からこの2名は交流があったらしい)奴の元へ駆け寄り、それを追いかけた城戸さんが――も鴨志田のパレスに迷い込んでしまったという。

 

 

「キミ、本ッッッ当に、考え無しなんだね! このバカ猿!」

 

「さ、猿って! あんた――」

 

「黙れパツキンモンキー。お前の無鉄砲のおかげで、黎や城戸さんたちがエライ目に合ったんだぞ……!? この責任をどう取るつもりだ? えぇ!?」

 

「あああああああっあああ! すんませんすんませんすんませんんん!」

 

 

 奴の顔面を思いっきり鷲掴みにして、俺は顔を近づけた。竜司の瞳に映る俺の笑みは完全に歪んでいる。正直、探偵王子の弟子としての優男面なんて保てるわけがない。

 黎を鴨志田という変態教師の元へ送り込む時点で不安しかないのに、更に既知の戦友とその息子が巻き込まれて平然としていられるほど、俺は人でなしではないのだ。

 

 

「もういいだろう、吾郎。コイツのおかげで鷹司も黎も無事だったんだ。そのことに対する礼を言ってやれ」

 

 

 城戸さんは涼しい顔のままラーメンを啜った。鷹司くんは既に夢の中で、気持ちよさそうな寝顔を曝しながら父親の隣に寄りかかっている。

 

 

「竜司は恩人だよ。彼がいてくれなければ、私は最初の時点でシャドウの鴨志田に犯されていたかもしれないんだ」

 

「黎……」

 

「それに今回だって、竜司がペルソナ能力に目覚めてくれなかったらどうなってたか……」

 

「……了解」

 

 

 慈母神の如き黎の優しさを無碍にするわけにはいかない。非常に、非ッッッッ常に不愉快だが、彼女の優しさに免じて俺は手を離した。鷲掴みから解放された竜司はほっとしたように息を吐く。間髪入れず、俺は竜司に耳打ちした。

 「次、黎を危険な目に合わせたらどうなるか……分かるな?」――普段よりワントーン低く言えば、竜司は顔を真っ青にして震えあがった。壊れた人形宜しく、奴はがくがくと首を縦に振る。満足した俺は、メディアでも見せる爽やかな笑みを浮かべた。

 これで竜司も暴走を控えてくれれば助かるのだが。そんなことを考えながら、僕は黎の隣に腰かけた。現実世界に帰還した彼女の身体には傷が一切残っていないけれど、迷宮内では散々戦ってきたのだろう。その横顔には、僅かだが疲労の色が滲んでいる。

 

 俺の視線に気づいたのだろう。黎は柔らかに微笑んで、俺の手を握り返してくれた。大丈夫だと告げるかのように。

 俺もまた、黎の手を握り返す。この温もりが失われなかったことを喜び、感謝するように。

 

 

「……あ、そうか。そういうことか」

 

「ああ、そういうことだ。分かるな?」

 

「ハイ。よく分かったッス。頑張りマス」

 

 

 竜司と城戸さんが通じ合ったようにして頷き合う。玲司さんは涼しい顔のままだが、竜司は生気の大半を持っていかれたかのように虚ろな顔をした。まるで、巌戸台を徘徊していた無気力症患者や、滅びを迎えた珠閒瑠市で跋扈していたという影人間みたいだ。

 

 

「……昔から、よく言われてたんスよ。“お前は気が短すぎる”とか、“感情的になりやすい”って」

 

 

 ラーメンも空になった頃、ぼそりと竜司が呟いた。自分の短所について、彼はきちんと理解していたようだ。「でも」と彼は言い募る。

 「それでも、踏みにじられてゆくものを黙って見ていられなかった」――成程。彼もまた、黎と同じような気質を持っているらしい。

 

 

「竜司。確かにそれは、お前さんにとっての弱点だ。……でも、そういう理不尽を素直に“おかしい”と言えることは、とても大事なことだからな。その気持ちを忘れるんじゃねェぞ」

 

「う、ウス! あざっす!」

 

 

 城戸さんはそう言って、ウーロン茶を煽った。竜司はパアアと表情を輝かせ、ぺこぺこと頭を下げた。

 

 嘗て御影町を救った英雄も、今では働く社会人である。社会の理不尽に辛酸を舐めたこともあるだろう。それでも彼が折れてしまわなかったのは、セベク・スキャンダルで得たものを失わずにいたためだ。かけがえのない人々がいたからだ。

 城戸さんを見ていると、何となくだが、神取鷹久の面影を感じ取る。神取と城戸さんは異母兄弟であるから雰囲気が似通っていて当然なのだが、3年後の珠閒瑠市で彼と顔を合わせたときは、神取と見間違えてもおかしくないくらいの顔立ちと髪型になっていた。

 

 悪神ニャルラトホテプに魅入られ、『駒』にされてしまった神取。航さんたちよりも先に力に目覚め、自身が何に魅入られているのか知ったが故に、セベク・スキャンダルの黒幕となった男。――悪というには、あまりにも真っ直ぐだった男。

 彼は最期まで、自分の役割を全うした。悪神の『駒』として、けれど次世代のペルソナ使いたちのために道化を演じてみせた。『自分を斃せなければ、世界は救えない』――奴の言葉が、佇まいが、敗者という名の勝利者として消えていった姿が、今でも鮮烈に残っている。

 神取とよく似た面持ちになった城戸さんだけれど、彼を見入って力を授けたのは――役に立ったためしはないが、一応――善神であるフィレモンだ。神取とは対照的に、光の側面から次世代のペルソナ使いを導いていくのだろう。……俺はそんなことを考えながら、城戸さんに視線を向けた。

 

 

「どうした? 吾郎」

 

「……城戸さん、神取と似てきましたね」

 

「――そうか」

 

 

 意地悪な質問だと分かっていた。けど、城戸さんは柔らかに笑う。その面持ちは、どことなく誇らしげだった。

 彼の憎しみもまた、答えを得て“この形”へと辿り着いたのだろう。俺は鷹司くんの顔を見つめた。

 

 神取鷹久の鷹に、城戸玲司の司。――玲司さんが赤ん坊にこの名をつけるのだと語ったとき、とても幸せそうに笑ってことを覚えている。

 

 竜司は意味が理解できずに首をかしげていたが、ふと思い至ったように手を叩いた。

 彼は何か、引っかかることがあったらしい。

 

 

「そういや、玲司さんは鴨志田のヤロウと因縁があるみたいですけど、何があったんスか? パレスの中で派手に言いあってたっスけど……」

 

「ああ、奴は織江――家内との馴れ初めに関わってるんだ。鴨志田の野郎に言い寄られていた家内を、俺が助けた」

 

「鴨志田が!?」

 

「そうだ。家内曰く、鴨志田には以前から言い寄られていたそうだ。あのときは襲われる一歩手前だったらしい。あの野郎、メンチ切っただけですぐ逃げ出したよ」

 

 

 当時の光景を思い出したのだろう。城戸さんは苛立たし気に舌打ちした。聖エルミンの裸グローブ番長と呼ばれていた頃の気迫を感じ、僕は思わず身を固くする。竜司は反射的に目を逸らしていた。そんな脇で鷹司くんはぐっすり眠っているし、黎は普段通りの態度でいる。

 確かに城戸さんの言葉通りだった。探偵組と連携して調べた鴨志田卓の経歴を思い出す。どこをどう見ても華々しい成功者であり人格者として通っているが――ただ単に“問題になっていない”だけで――、奴は裏の方で色々やらかしていたらしい。

 しかも、かなり早い段階――要するに、幼い頃――から「自分よりも弱い人間を狙う」ことを心掛けていたようだ。メメントスを徘徊していた鴨志田の被害者――その殆どが泣き寝入りしていた――を探し当て、やっとこさ引き出した情報である。

 

 だが、まさか、城戸さんの奥さんが鴨志田に喰われかけていたとは思わなかった。いよいよ鴨志田のヤバさが浮き彫りになって来る。自然と眉間に皺が寄った。

 

 

「こうなると、心配すべきことは暴力行為だけじゃない。性犯罪もだ」

 

「鴨志田と親しくしているか、鴨志田に弱みを握られている女子生徒が本格的に危なくなってくるね。奴の餌食になる前に、未然に防ぐことができたらいいんだけど……」

 

「……ってことは、まさか……!」

 

 

 黎と俺の話を見解を聞いた瞬間、竜司の顔が青くなった。この様子だと、奴は“鴨志田と親しくしている、あるいは鴨志田に弱みを握られている”女子生徒に心当たりがあるらしい。黎に名前を呼ばれた竜司は、感情が赴くままに情報を提供してくれた。

 鴨志田のお気に入りになっている女子生徒の名前は高巻杏。アメリカ系のハーフで、外国人と同じレベルの金髪碧眼美女。親が世界的なデザイナーという縁で現役女子高生モデルをやっている帰国子女だそうだ。友人はあまりおらず、クラスメートの鈴井志帆を唯一無二の親友としているらしい。

 

 高巻杏はいつの頃からか、鴨志田に媚びを売るようになったそうだ。何か心当たりはないかと尋ねると、竜司は唸りながら必死に記憶を手繰り寄せてくれた。

 「丁度その頃、あいつの親友がバレー部のレギュラーになったような……?」――と、奴はたどたどしく呟く。それが、坂本竜司の精一杯であり限界だった。

 テストで燃え尽きた上杉さんや稲葉さんよろしく真っ白になった竜司だが、こちらにとっては充分ファインプレーだと言えるだろう。後日、何か驕ってやるとしようか。

 

 

「……鴨志田の野郎、本当にあの頃と何も変わってないみたいだ」

 

「玲司さん。お気持ちは分かりますが、今の貴方は城戸家を守る大黒柱であり、鷹司くんのお父さんです。その役目を疎かにしないでください」

 

「分かってるさ。だが、何かあったら呼べ。出来る限り、必ず力になる。……至や航らにも声をかけておけよ」

 

「ありがとうございます」

 

 

 そこまで話して、城戸さんは腕時計を見た。いくら奥さんに「鷹司くんの友達に食事を奢って遅くなる」と連絡していたとて、そろそろ帰らないと大変なことになるだろう。城戸さんは申し訳なさそうに頭を下げ、鷹司くんを背負って店を出た。5人分の会計を済ませることも忘れない。

 

 僕たちも長居するつもりはないので、お冷を1杯飲み干してから店を出た。地上の星の光が激しすぎて、空に瞬いているはずの星がよく見えない。

 それぞれの帰路に就こうかというところで、「あの」と、竜司が声を上げた。慣れぬ敬語を使おうとするあまり、会話にさえ支障をきたしかけている。

 

 

「あー、その……」

 

「……もういっそ、タメでいいよ」

 

 

 ……なんだか見ていられなくなったので、僕は提案した。竜司は目を丸くする。「いいんスか?」と何度も問いかけるのは、ファーストコンタクトの際ついうっかりお披露目してしまった禍々しい笑みが原因なのかもしれない。

 僕が頷くと、竜司はお伺いを立てるように黎を見た。黎は一瞬目を点にしたが、「本人が許可を出したから大丈夫だよ」と答えた。竜司は若干警戒するように身を縮ませた後、恐る恐る僕の名前を呼んだ。

 

 

「吾郎」

 

 

 ――あれ、と思った。

 

 得体の知れぬ違和感に、俺は内心首を傾げる。()()()()()()()()()()()()()()()()()。――当然だ。彼が俺を下の名前で呼んだのは、今回が初めてなのだから。

 違和感が去った後、次に訪れたのは強烈な歓喜。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。この充足感を何と例えればよいのだろう。

 

 

「何? 竜司」

 

「……悪かった。黎を危険な目に合わせちまって」

 

「ああ、もう怒ってないけど――」

 

「――それと、ありがとな。吾郎のおかげで、鴨志田を止める手立てが掴めるかもしれねーから! この借りは、絶対返すからな!!」

 

 

 「それじゃ、ごゆっくり!」とだけ言い残し、竜司は一気に走り去ってしまった。また何かやらかしそうな予感がひしひしとするが、ああなってしまった以上、僕が彼を引き留めることは難しそうだ。

 先程のラーメン屋で聞いたことだが、彼は元々陸上部のエースをしていたらしい。だが、鴨志田の体罰によって膝を壊してしまったという。現役で活躍できなくなったとはいえ、竜司の俊足は充分生きているように思った。

 軽やかな足取りを見ていると、鷹司くんと楽しそうに話していた竜司の姿が浮かんでは消える。屈託のない笑顔。頭が弱くて猪突猛進気味の上に、不良のレッテルを張られているだけで、彼は「いい奴」なのかもしれない。

 

 俺や黎、鴨志田に対して「借りがある」と言うあたり、根っこの部分は荒垣さんのように義理堅い性分なのだろう。

 以前、巌戸台にいた頃、出張であの地を訪れた城戸さんは荒垣さんと天田さんのことを気にしていた。それも、竜司を気にかけた理由に繋がっているのかもしれない。

 

 

「良い友達ができたよ」

 

 

 黎は嬉しそうに微笑んだ。

 

 

「そっか。よかった」

 

 

 俺も、嬉しくて微笑んだ。

 

 




カモシダパレス、竜司覚醒編。保護者である空本兄弟はログアウト。鴨志田および竜司に城戸玲司を結んでみました。竜司にはいずれ、荒垣真次郎も結んでみたいと考える今日この頃。背中で語る漢を見て、父性の理想像みたいなものを思い描いてほしいなあ(願望)。
鴨志田は初代ペルソナ=聖エルミン学園メンバー勢(アラサー)より3~4歳ほど年上ぐらいに年齢を合わせています。この世界ではセベク・スキャンダルがP5の12年前に発生し、他の事件も初代⇒3年後:(罪)=罰⇒3年後/2009年:P3P⇒2年後/2011年:P4G⇒その他+α⇒初代より12年後:P5の順番で発生しました。
いずれ、神取鷹久や須藤竜蔵についてP5キャラの誰かが語るシーンも書きたいですね。パレスやメメントス攻略時に歴代キャラをゲストに迎えて進ませていきたいです。やや贔屓気味な駆け足ダイジェストになりそうだけど。

追記:年代計算したら矛盾が発生したので、本編の内容とあとがきを修正しました。


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『白い烏』の矜持

【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 名前:空本(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『運命を切り開くだけの簡単なお仕事』および『ペルソナ3異聞録-.future-』、Pixivの『2周目明智吾郎の災難』および『【一発ネタ】有栖川黎の幼馴染』の設定を下地にし、別方向へ発展させた作品である。
・ジョーカーのみ先天性TS。
 ジョーカー(TS):有栖川(ありすがわ) (れい)⇒御影町にある旧家の跡取り娘。旧家制度は形骸化しているが、地元の名士として有名。身長163cm。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空本(そらもと) (わたる)⇒有栖川家とは親戚関係にある。南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。
・歴代主人公一同の家についてのねつ造あり。
・フィレモンがそこはかとなくゲスい。
・P3Pのとあるコミュに関するねつ造あり。


 有栖川の本家とそれに関連する親戚の一部には、家紋が存在する。例えば、有栖川の本家は『赤い瞳の黒猫』をモチーフにした家紋を掲げていた。空本の家は『空を舞う烏』、天野家は『寄り添いあう月と太陽』、香月家は『空に浮かぶ大きな満月』、出雲は『羽衣を纏った天女』がモチーフだったか。

 昔は家紋の他、に個人個人にも“おしるし”なる紋が与えられていたそうだ。現在では、当主や関係者の個人采配に任せられているという。特に“おしるし”は、現代で持っている人間はほんの僅かである。俺が知り得る限り、俺、黎、至さんの3人くらいだろう。

 

 至さんが“おしるし”を与えられるに至った経緯は『よく分からない』と言われている。当時の事情を知る人々曰く『至さんと航さんの両親が突然『天啓が降りた』と言って決めた』そうだ。そんな彼が所持する“おしるし”は『仮面に停まる黄金の蝶』。

 スノーマスクおよびセベク・スキャンダルで御影町を駆け抜け、“JOKER呪い”を追いかけて珠閒瑠市を駆け抜けた今なら分かる。黄金の蝶は――俺が知る限り一度も役に立ったためしはないが、一応――善神フィレモンの化身だ。

 至さんを失敗作認定しながらも、有事のときは化身の1体として「使おう」と考えていたのであろう。至さんに与えられた“おしるし”は、化身としての自覚を持たせるためのモノだった。フィレモン、何とも忌まわしい奴である。

 

 黎の“おしるし”は、『悪魔の王』をモチーフにしたものだった。悪魔の王は6枚の黒い羽を有しており、その様は“堕天使”――あるいは“反逆の徒”と形容できる面構えであった。女の子の“おしるし”にしては物騒だとよく言われるが、れっきとした理由が存在する。

 生まれた頃の黎は医者から「長生きできない」と言われていたらしい。不妊治療をしてようやく授かった1人娘にそんな運命を科した神への当てつけと、運命への反逆の意味が込められていた。その“おしるし”の意図通り、俺と出会ったときにはもう、黎は超がつくレベルの健康優良児となっていたが。

 

 では、俺の“おしるし”は何なのか。答えは――『空を舞う白い烏』である。なんてことはない、空本の家紋の色違いだ。

 

 俺に“おしるし”が与えられた理由は、『俺が至さんと航さんの家族である』ことを示す証を形にしたためだ。明智吾郎は空本兄弟とは遠縁の親戚というだけで、結びつく理由は無に等しい。いくら彼らが善意で引き取ってくれたとしても、口や態度で「家族である」と言われても、不安になるのは当たり前のことだ。

 実際、至さんと航さんから“おしるし”を与えられるまで、俺はかなり猫を被りながら生きてきたように思う。嫌われないように、捨てられないように、いい子でいなければならないと脅迫概念に駆られていた。安心してわがままを言えるようになったのも、“おしるし”が与えられて以後だった。

 

 

『吾郎。確かにお前は、俺たち空本からしてみれば異物だ。仲間外れの『白い烏』みたいなモノかもしれない』

 

『だが、それが何だ? そんなの、色が違うだけだろう。白くたって、『烏』であることには変わらない。繋がりがあるのだから、一緒にいるのは当たり前じゃないか』

 

『誰が何と言おうと、お前は烏だ。空本の家紋と同じ烏。――“ウチの家の子”だ』

 

 

 至さんのそんな言葉で安心してしまった俺も俺だと思うが、当時はそれ程切羽詰まっていたのだから仕方がないだろう。

 

 世の中には、“自殺を決意した人間が、母親から『明日早朝出勤だから、私に迷惑かけないで』と言われて思い止まってしまう”という珍事だってあるのだ。極限状態に陥った人間はどうなるか分かったものではない。

 ……何故俺がそんな話をしたのかというと、現在、黎と竜司が極限状態に置かれてしまったためだ。前回の事件――城戸さん親子と黎を巻き込んで、竜司が鴨志田のパレスへ突撃した――から僅か数日しか経過していないのに。

 

 

「ほら見てよ吾郎。ばっちり撮れてるでしょう?」

 

 

 黎はそう言いながら、スマホに映し出された写真を指示す。そこには、女子生徒をひん剥こうとする鴨志田卓の姿があった。黎の言葉通り、綺麗に撮れている。

 

 

「周防さんたちや真田さんに送信したら、『綺麗に撮れてるね。立派な証拠になるよ』ってお墨付きをもらったよ。『これ撮ったせいで、友人共々退学処分になりそう』って言ったら無言で電話切っちゃったけど」

 

「そりゃあそうだろ……」

 

 

 俺は額を抑えてため息をつく。てっきり、竜司が何かやらかすとばかり思っていた。だが、やらかしたのは黎の方らしい。竜司は汗を流しながら視線を逸らした。

 

 城戸さんたちとラーメンを食べた翌日から、黎と竜司は鴨志田の暴力行為を白日の下に晒そうと情報収集していた。同時に、鴨志田に言い寄られている女子生徒――高巻杏に接触し、友人である鈴井志帆共々、鴨志田による性犯罪に巻き込まれる危険性を説いたという。過去、奴に玩具にされた女性たちの証言も聞かせながら。

 当然、高巻杏はキレた。同時に、自身が鴨志田に言い寄られ、性的な接触を強要されていることも教えてくれた。『もし、志帆にも同じように迫ろうとしているなら放っておけない』と決起した杏と、シャドウとはいえど鴨志田に犯されかけた黎に引きずられる形で、竜司は同行したという。いざというときの女は強いものだ。

 鈴井志帆の行方を捜していた3人は、バレー部員から『志帆が鴨志田に呼び出された』という話を耳にする。勇んで体育館裏に踏み込んだ結果、黎のスマホに保存されている画像と同じ光景が広がっていたそうだ。異常事態に直面して犯人を撮影するという選択肢を選んだ黎も兵だが、鴨志田を一喝した高巻杏も凄かろう。

 

 鈴井志帆を助け出すことには成功したが、怒り狂った鴨志田は黎と竜司を秀尽学園高校から追い出すことにしたようだ。現在、秀尽高校には「2人が退学になる」という噂が流れている。名目は脅迫だ。黎がスマホで現場を撮影したのを、鴨志田は逆に利用しようと企んだらしい。

 他にも三島という生徒が、鴨志田のお楽しみを邪魔した連中を止められなかったということで巻き添え退学の憂き目にあった模様。文字通り、鴨志田はやりたい放題だった。学校と保護者による隠蔽がまかり通っているからこそ、奴の暴挙はもみ消されているのだろう。

 

 

「『退学を取り消してほしければ、明日の午後、体育館の裏へ来い』って言われた。親指を下に向けてやったよ」

 

 

 「私には吾郎がいるからね」と、黎は誇らしげに笑った。

 一瞬くらりときたけど、どうにか理性で踏み止まる。

 

 

「……それで、これからどうするんだい? 黎の様子からして、何か案があるみたいだけど」

 

「――それは、ワガハイの口から語らせてもらうとしようか。優男風ヤンキー」

 

 

 不意に、どこからか声がした。黎の鞄がガサゴソと音を立てる。黎が鞄を開けた途端、何かが勢いよく飛び出してきて地面に着地した。

 正体は黒猫だった。有栖川の家紋を連想させるような、美麗な猫。家紋と唯一違うのは、猫の瞳がアイスブルーであることくらいだ。

 

 

「……猫が、喋ってる?」

 

「猫じゃねーし! ワガハイにはモルガナという名前があるんだぞ!!」

 

 

 黒猫――モルガナは俺を見上げながら、激しく威嚇してきた。

 

 ペルソナを使いこなす犬なら見たことあるが、喋る猫を見たのは初めてである。そういえば、巌戸台のコロマルは元気だろうか。現役を退いたと言えど、彼は今でもシャドウワーカーの面々を優しく見守っている。

 以前アイギスさんがコロマルの言語を翻訳したことがあったらしいが、それを聞いた荒垣さんが『コロちゃんが『いてこませ』なんて言うはずがない』と憔悴していたことは忘れられない。何でも、オッサン臭い言葉遣いだったそうだ。

 この猫を周防刑事が目の当たりにしたらどうなるだろう。猫アレルギーでありながら生粋の猫好きである周防刑事ならば、(アレルギー的な意味で)泣いて騒いで呼吸困難になった挙句『ぼく ねこ だいすき!』と言い残して救急搬送されてしまいそうだ。というか、実際なった。閑話休題。

 

 黎と竜司は鴨志田のパレスでモルガナと遭遇したという。この猫もペルソナ使いで、黎や竜司の危機を何度も手助けしてきたらしい。ペルソナを使いこなす猫――周防刑事が大喜びしそうな情報である。

 モルガナはパレスやメメントスのことに精通しており、俺が南条や桐条の研究者と組んでヒイヒイ言いながら調べた情報を最初から有していた。ついでに、結構な期間、あの世界を徘徊し続けていたという。

 

 

「2人は鴨志田を『改心』させることに同意した。オマエはどうなんだ?」

 

「……『改心』ねぇ。一歩間違えれば洗脳だろうし、下手したら人が死ぬかもしれないってのに……怪しい話だ」

 

 

 眉間に皺を寄せて顎に手を当てた俺を見て、モルガナはムッとしたようにこちらを見上げる。

 鴨志田によって黎が害されそうになったのだから、俺も無条件で協力すると思っていたのだろうか。

 正直、俺だって鴨志田を赦すことはできない。だが、すぐに頷き返せないのには理由があった。

 

 

「モルガナ、どうしてお前はメメントスやパレスのことを知ってるんだ? メメントスやパレスを用いた『改心』の方法や、『廃人化』の方法に詳しい? しかも、それを躊躇う黎や竜司たちを嗾けるようなことを言ったんだ?」

 

「そ、それは……ワガハイにも、分からない。ワガハイ、記憶がないんだ」

 

 

 先程まで堂々としていたモルガナは、打って変わってしどろもどろになった。

 自分を証明するものを何も持っていないというのはさぞかし不安だろう。

 

 ……分かっている。それを利用して、モルガナを突き崩そうと考えている俺こそ悪辣だ。獅童のやり口と何ら変わりない。――だが、それで黎たちを守れるなら、それでいい。

 

 

「『廃人化』を懸念する人間に対して『そんなこと』と言うくらいだ。……お前、本当は『改心』をさせていたんじゃなくて、『廃人化』させていたんじゃないのか?」

 

「ち、違う! そんなことは絶対にない!!」

 

「……絶対、ね。お前記憶がないんだろ? どうして絶対なんて言いきれる? 人殺しに関わっていないなんて、どうやって証明できるんだ?」

 

「ワ、ワガハイは……ワガハイは……っ」

 

 

 俺の追及によって、モルガナは一気に追いつめられてしまったらしい。小刻みに体を震わせ、所在なさげに視線を彷徨わせている。

 ……奴の挙動は、母を亡くし、親戚どもの前に引きずり出されたときの俺のようだ。当時の心境を思い出し、俺は深々とため息をついた。

 不意に、肩に手を置かれた。振り返れば、黎が心配そうに俺を見上げている。大丈夫だと言う代わりに微笑み、小さく頷き返した。

 

 

「じゃあ質問を変えよう、モルガナ。お前は今、人間を『改心』させる派か? それとも、人間を『廃人化』させる派か?」

 

「え?」

 

「どっちだ?」

 

 

 俺は奴の目線になるようにして屈み、問う。黎も同じようにして、俺の隣に屈んだ。モルガナは呆気にとられたように俺と黎を見上げていたが、すぐに答えた。

 

 

「『改心』だ」

 

「なら、それでいい。それ以上はもう、俺は何も言わない。……もしお前が記憶を取り戻したとき、万が一にも『廃人化』を専門としていたら、そっちに戻らなきゃいいだけだ。そっちに戻りたくないって思うくらい、『改心』させた思い出を作ってけばいいんだよ」

 

「優男風ヤンキー……」

 

「記憶がないなら思い出を作ればいい。そうすれば、それは確固たる記憶になる。……お前が『改心』専門のペルソナ使いであるモルガナで居続けるなら、俺はお前に協力するぜ。仮にお前が『改心』専門のペルソナ使いであることを放棄して『廃人化』専門へと鞍替えするなら、俺がお前を叩き潰す。もし、お前が『改心』専門のペルソナ使いであるモルガナで居たいのに、それが許されなくなってしまったら――そのときは、俺が絶対に止めてやる。それでいいだろ?」

 

「……そうだな。ワガハイは、『改心』専門のペルソナ使い、モルガナだ! 宜しく頼むぞ、ゴロー!」

 

 

 俺の言葉を聞いたモルガナは、噛みしめるようにして頷いた。

 

 これは、真実さんが恋人に向かって言った言葉と実際にやったことの内容を拝借したものだ。八十稲羽の土地神さまは、彼と共に過ごした日々があったから『消えよう』と思ったのだろう。愛した人が生きる未来を守りたかったから、彼女は選んだ。

 その強さが、今の僕にとってはとても眩しいもののように思う。獅堂正義の息子である僕が、黎のためにできることは何だろうか。僕が成そうとしていることは、彼女を守ることに繋がるだろうか。――繋げることが、できるだろうか。

 

 

「さっきは悪かったな。責めるようなことを言って」

 

「いや。ゴローのおかげで、ワガハイはワガハイ自身について確固たる指針ができた。ありがとな」

 

「ならいい。……お前が『廃人化』専門の奴だった場合の懸念を解消しておきたかったんだ」

 

 

 自信を取り戻したモルガナに対して謝罪した俺は、どうしてそんな見解をぶつけたのかを告げる。

 脳裏に浮かんだのは、メメントスでシャドウを殺していた男。獅童正義の命を受けて動くキラーマシン。

 俺と同じ学校の制服を身に纏った男の顔は逆光でよく見えないのに、()()()()()ような気配がした。

 

 

「現に俺と黎は、メメントスでシャドウを殺している野郎と出会ったことがある。丁度、奴がシャドウを殺す現場に居合わせた」

 

「「なんだって!?」」

 

 

 俺の言葉を聞いた途端、モルガナと竜司が目を剥いた。この反応からして――記憶がないから何とも言えないのだけれど――モルガナは白だろう。記憶を取り戻した後の反応が気になるが、今のところは白扱いで大丈夫そうだ。

 『自分たちがその方法を知る以前に、もう既に“人を破滅させる”方法に手を出している奴がいた』という話題に憤慨したのは竜司である。その犯人を許しておけないと怒りをあらわにした彼は、そいつの特徴を根掘り葉掘り訊ねてきた。

 彼の勢いに気圧されながらも、俺は“そいつが獅童正義の部下”ということを伏せた情報を開示する。「殺人鬼は男性で、僕の通っている学校の制服を着ていた。誰かに依頼されて殺人を行っている様子だった」と答えれば、竜司とモルガナは顔を真っ青にした。

 

 

「そ、それって、かなりヤベーじゃんか! 吾郎、大丈夫なのかよ!?」

 

「大丈夫。相手は僕らの顔を見ていないし、元から同年代との交友関係は壊滅的だったからね。上辺さえ取り繕えればいいわけだし、警戒は怠っていないよ。今みたいに」

 

 

 僕はにっこりと笑って見せる。伊達に“探偵王子の弟子”としてメディアに顔出ししている訳ではない。

 爽やかな笑みを浮かべる好青年と化した僕を見て、竜司とモルガナは一瞬目を見張った。だが、尚も2人は言い募る。

 

 

「実例込みで言われても納得できないぞ! 確かにゴローは表と裏の切り替えは完璧だ。だが、敵はメメントスで殺人をして回っている奴だぞ!? 欺き切れるとは思えない……!」

 

「お前の周りには、玲司さんみたいなスッゲえペルソナ使いがいることも知ってる。でも、だからといって安全だとは言い切れねーじゃん! テレビに出てる分、目を付けられる可能性だってあるかもだろ!?」

 

「いや、そいつの親玉を捕まえたいからメディア露出してるんだ。それに、末端とは言えど、接触する算段は見えてきたし……」

 

「何でお前そんな無茶するんだよ!?」

 

「頭のいいバカだ……! 慢心して逆にボロを出すタイプのバカだぁ! それでオマエに何かあったらレイが悲しむ! そんなことになったら、本当に目も当てられないぞ!!」

 

「お前ら、好き放題言いやがって……!」

 

 

 ――2人の必死な様子を見て、どうしてか、僕はまた違和感を覚えた。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()? ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()? ――当たり前だ。彼らに心配されたのはこれが初めてなのだから。

 違和感をどうにか飲み下した僕だが、次に溢れてきたのは歓喜だった。僕のことを心配してくれる人々は確かにいるはずなのに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という事実がとても嬉しかったのだ。一番嬉しいのは黎だけど、でも、やっぱり嬉しい。

 

 とりあえず、僕は2人を落ち着かせることにした。確かに僕も色々と危機が迫っているけれど、今は黎と竜司の退学問題の方が優先である。

 竜司とモルガナは納得できない様子だったが、無理矢理言い含めて渋々納得させた。黎も心配そうに僕を見つめていたが、何も言わず頷き返してくれた。

 ……言葉にしないだけで、黎も僕のことを案じてくれている。でも、僕の強がりも察してくれているのだと思う。そんな彼女が、酷く愛しかった。

 

 

「――鴨志田を『改心』させよう」

 

 

 黎の言葉に頷き、僕たちは戦場へと赴くことになった。

 

 

「気を付けろよ? 向うに足を踏み入れれば、ワガハイたちは怪盗扱いだ」

 

「怪盗かぁ。なんだか、それっぽい響きだな!」

 

 

 モルガナの言葉を聞いた竜司は、パアアと表情を輝かせた。まるで子どもみたいだ。そんな2人を、黎は優しい眼差しで見つめている。僕もまた、この光景を生温かく見守った。

 

 黎はスマホのアプリを起動させる。世界が一気に塗り替わっていく中、僕はふと――誰かの気配を感じて振り返る。

 僕の視界の端に、ほんの一瞬だけ、プラチナブロントがちらついたような気がした。

 

 

***

 

 

 ――さて、今回は僕の、初めてのパレス攻略である。メメントス内部を駆け回っていると言えど、パレスはその規模と段違いだった。

 

 一個人でありながら、メメントス並みの広さを誇る迷宮。……成程、このレベルの欲望なら、メメントス内部に収まるはずがない。流石は人間の欲望である。

 メメントスとパレスの共通点を現すとするならば、ここに足を踏み入れた次世代のペルソナ使い――僕らは、自分たちの格好がガラリと変わってしまうことだろうか。

 

 

「え、ええと……その……」

 

 

 黎は黒基調の衣装と道化師の仮面を身に纏っていた。燕尾を連想させるような切り込みの入ったコートがたなびく。クラシカルな灰色チュニックは、彼女の体のラインを美しく魅せるデザインがなされていた。すらりとした脚を強調するような黒いストッキングとローヒールブーツが目を惹く。

 こういう格好を僕の前で見せたことのない黎にとって、恥ずかしいのは頷ける。だが、待ってほしい。僕だって今、凄い格好をしているという自覚はある。至さんが見たら「ヅカっぽい」と言いそうな、王道の王子様みたいな格好だ。しかも白と赤基調である。おまけに僕の仮面は鳥の嘴を思わせるようなデザインだ。

 黎の格好は非常に魅力的なのだが、僕の格好を見られるのはちょっとアレだ。恥ずかしい。好きでこんなデザインの服になるわけではないのだから仕方ないだろう。それは多分、僕の目の前でおろおろしている黎にも言えることなのかもしれない。どこか不安そうに視線を彷徨わせる彼女の元へ歩み寄った。

 

 

「いつもと雰囲気が違うね。でも、似合ってる」

 

「! ……も、もう!」

 

 

 黎は顔を真っ赤にして僕を睨みつけてきた。僕の見間違いでなければ、瞳がほんのり潤んでいるように感じる。

 何かがぞくりとしたのは気のせいだ。その衝動は、僕の脳裏に巣食う獅童正義の姿によって、一気に冷えて消え去る。――ああ、それがいい。

 

 俺は獅童正義とは違う。違うものでありたい。欲望に身を任せて振る舞うなんて真似はしたくなかった。

 

 そんな僕の考えを知ってか知らずか、黎は俯き加減に僕の服の袖を引いた。

 どうしたのだろう。僕は首を傾げながら、彼女からの返答を待つ。

 

 

「……吾郎も、似合ってる。格好いいよ」

 

「…………う、うん。ありがとう……」

 

 

 仮面があって良かった。僕は心からそう思った。もし仮面がなかったら、僕の情けない顔が明るみに出たかもしれない。……どうしよう、口元がムズムズする。

 照れを堪えるために、僕は右手で口元を覆った。そのまま、左手で彼女の手を握り締める。黎は顔を真っ赤にしたままだったけれど、僕の手を握り返してくれた。

 

 

「おーい、2人ともー……?」

 

「さ、先に行こうぜー……?」

 

 

 力なき声に振り返れば、顔面崩壊一歩手前の竜司とモルガナがこちらを見つめているところだった。前者は髑髏をモチーフにした仮面と海賊を連想させるような装束を身に纏い、後者はデフォルメされた二等親の猫を思わせるようなフォルムとなっている。後者は周防刑事が飛びつきかねないデザインであろう。

 

 

「――なにコレぇ!?」

 

 

 次の瞬間、女子のカン高い声が響き渡った。何ごとかと思って振り返ると、そこには酷く混乱した表情を浮かべる女子生徒がいた。

 ハイネックのインナーにブレザー、チェック柄のスカート――秀尽学園高校の女子生徒が身に纏う制服である。先程見かけたプラチナブロンドは、気のせいではなかった。

 竜司と黎は彼女の姿に身に覚えがあるらしい。「高巻ィ!?」/「高巻さん!?」と驚いた声を上げる。向うも2人を知っているらしかった。

 

 

「その声、坂本!? ……と、もしかして有栖川さん!?」

 

「な、なんでいんだよ!? ……ま、まさか、城戸さんのときと同じように巻き込んじまったのかッ!? どうすりゃいいんだよ、モルガナ!」

 

 

 以前も似たようなことをやらかした竜司だ。だから、今回のケースが何を意味しているかを理解したのだろう。慌てた様子で、彼はモルガナに詰め寄った。

 モルガナは暫し惚けていたが、取り繕うように首を振った。「出入り口は一緒だから、入ってきた場所へ戻れば出られるはずだ」と竜司にアドバイスする。

 

 女子生徒――高巻杏は初めて入った異世界に困惑している様子だった。だが、頭は悪くないようで、この世界が鴨志田卓と関係性があると気づいたのだろう。黎の隣にいながら彼女の様子を見ていた僕の方に詰め寄って来た。

 

 

「まさか、この世界は鴨志田の奴と何か関係があるの!? ……っていうか、アンタ誰!? なんで有栖川さんと手を繋いでるの!?」

 

「彼女は僕の大事な人ですが」

 

 

 高巻杏は、淀みも迷いもなくそう答えた僕と、僕と寄り添うように佇む黎を見比べる。

 眉間の皺が一層深くなったように見えたのは何故だろう。杏は真面目な顔になると、黎の方へ向き直った。

 

 

「有栖川さん、悪いことは言わない。変な仮面付けた王子様ルックの男なんてロクなモンじゃないわよ。今すぐ別れるべきだわ」

 

「う、煩いな! 好きでこんな格好になった訳じゃないッ!」

 

 

 まさかこの格好を真面目に批判されるとは思わなかった。……確かに、変な格好だとは自覚しているが、この格好から「ロクなもんじゃない」と断定されるのは癪だ。

 そのせいで、俺はついうっかり地を出してしまった。柄の悪さに気づいた高巻杏の眼差しが厳しくなる。鴨志田のような2面性を持つ男は、彼女の敵意を煽るらしい。

 「どうだか」と吐き捨てるように言い放った杏は、疑念と敵意を滲ませた眼差しを向けてきた。俺も彼女を睨み返す。――文字通りの一触即発。

 

 そんな僕たちを制したのは黎だった。彼女は凛とした佇まいを崩すことなく、僕と杏の間に割って入る。

 

 

「高巻さん、私の大切な人を『ロクなもんじゃない』と称するのはやめてほしい。彼は以前、私の地元で鴨志田のコピペみたいな連中が跋扈したとき、奴らを潰す最前線で頑張ってくれたんだ。何度も私を助けてくれたんだよ」

 

 

 『鴨志田のコピペ』というパワーワードに、杏と竜司がぎょっとしたように黎を見た。そうして、次は僕に視線を向ける。

 金髪コンビは何度も僕と黎を見比べていたけれど、2人は何か納得したようだ。互いにアイコンタクトをすると、あからさまに僕らから視線を外す。

 僕と黎への追及をやめた杏は、何事もなかったように竜司に詰め寄る。押し問答の末に、杏は結局竜司とモルガナによって異世界からつまみ出された。

 

 一般人をシャドウとの戦いに巻き込むにはリスクが高すぎる。猪突猛進で人情派であろう竜司にしては、現実的で理に適った判断だと言えよう。

 杏の姿が見えなくなったのを確認した竜司は、改めて鴨志田のパレスへと向き直った。「アン殿、か」と呟いていたモルガナも、パレスに向き直る。

 

 

「シャドウどもに気づかれてるぞ。気合入れて行けよ。――頼りにしてるぜ、『ジョーカー』!」

 

 

 モルガナは黎に向き直った。彼は何を思ったのか、黎のことを『ジョーカー』と呼んだらしい。

 

 

「ジョーカー? 仇名か?」

 

「ダセェ言い方すんな、『コードネーム』だ。本名で呼び合う怪盗なんてマヌケだろ? 足がついちまう!」

 

「成程。コードネームで呼び合っていれば、僕らの正体がバレてしまう可能性が低くなるね。……流石に今回は例外だろうけど……」

 

 

 僕はひっそりと苦笑した。今回が例外と言うのは、鴨志田は黎たちのことを既に知っているためである。彼女たちが自分の悪事をバラそうとしていることを察しているから、パレス内で何かをする度に現実世界でも目を付けられることは確実だ。

 だが――もし、万が一の話だが――今後も『改心』を続けることになった場合、コードネームで呼び合うというのは充分有意義に機能するだろう。本名で呼び合った場合、パレス内のシャドウを通じて現実にいるターゲットに伝わる危険性があるからだ。

 

 

「つーか、なんで黎が『ジョーカー』なんだ?」

 

「戦力的に『切り札』だからな」

 

 

 竜司の問いにモルガナが答えた。ジョーカーという単語に、僕は珠閒瑠での出来事を思い出して気が重くなった。

 

 

「……『ジョーカー』ね……」

 

「? どうしたんだよ、ゴロー。なんだか顔色が悪いぞ?」

 

「い、いや……珠閒瑠市に住んでいたときに流行ってた“JOKER呪い”を思い出して……」

 

 

 珠閒瑠で流行っていた“JOKER呪い”というのは、自分の電話番号に電話をし、「どちらさまですか?」と問うことでジョーカー様を召喚する――滅びを迎える世界で流行った『ジョーカー様』を発展させた“JOKER呪い”は、『殺したい相手の名を告げることで殺人委託を行う』というロクでもない要素が付加された呪いだ。

 元々は須藤竜也が滅びを迎える世界を再現するために行ったものだったのだが、新生塾と呼ばれる秘密組織によって利用された。「“JOKER呪い”を行った者はJOKER使いになる」という噂が具現化したことがきっかけでJOKER使いが大量発生するに至り、新生塾はJOKER使いを生体実験に利用する等して自身の戦力にしていた。

 モルガナには一切の心当たりがないらしく、こてんと首を傾げる。竜司は聞き覚えがあったのか、「それ、10年近く前に流行ってなかったっけ? すっげー物騒なヤツだったと思うけど」と頭をひねった。ジョーカーは至さんたちや僕から話の顛末を聞いていたから、神妙な顔になって僕を見返す。

 

 

「おい、吾郎。お前はどうするんだ?」

 

「え?」

 

「コードネームだよ。俺はこのドクロマスクから取って、『スカル』にしたんだ。で、コイツが『モナ』。吾郎はなんて名乗るんだ?」

 

 

 竜司――スカルの問いかけに、僕は一瞬反応が遅れた。彼からの補足によって、ようやく意味を理解する。

 

 僕のコードネーム。鳥のような嘴をモチーフにした仮面、ジョーカーやスカル、モルガナ――モナとは対照的である煌びやかな白装束。彼らが世を忍ぶ怪盗なら、僕は表舞台で煌びやかに活動する探偵であろう。実際、僕の職業は探偵なのだから。

 “()()()”。“『()()()』は()()()()()()”――何の脈絡もなく唐突に、僕はそんなことを連想した。抵抗する資格など存在しないと言わんばかりの強制力を持って、俺に迫って来る。喉がからからに乾いたのは何故だろう。

 

 

(違う)

 

 

 俺は、第3者にそうと気づかれぬ程度にかぶりを振った。

 

 

(()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――!)

 

 

 『白い烏』に対する脅迫概念に対し、俺は心の中で言い返す。俺にのしかかっていた得体の知れぬソレが、どことなく身じろぎしたような気配があった。

 明智吾郎にとって、『白い烏』は罪と罪悪感、および贖罪を指す名詞ではなかった。空本兄弟と自分が家族であるという証だったはずだ。誇るべきものだったはずだ。

 

 

『黎には吾郎がいるから安心だな。……これからも、あの子の傍にいてやってくれ』

 

『有栖川の娘に手を出すなんてやめとけよ。真っ先に、『烏』の群れに嬲られるぞ』

 

『特に、『白い烏』が一番凶悪だ。有栖川の『悪魔』をつがいとしているからな。あの狡猾さと情深さは、敵に回すと恐ろしい』

 

 

 有栖川家の当主や、黎に手を出そうとしていた親戚――『鴨志田のコピペ』関係者どもの言葉が脳裏をよぎる。有栖川の関係者の多くが、家紋や“おしるし”を隠語代わりにしていた。

 空本家の家紋となった烏は「神話や伝承から、斥候・走駆・密偵・偵察の役目を持つ位置付けである」ことや、「賢く情深い鳥であり、つがいを得ると一生添い遂げる」という特性がある。

 たとえ体が白くて仲間外れであろうとも――至さんや航さんとは赤の他人同然の血筋であろうとも、苗字が明智のままであろうとも、俺は空本家の人間だ。黎を守る『白い烏』なのだ。

 

 だから――

 

 

「――『クロウ』、かな」

 

 

 俺は清々しい気分で、自分のコードネームを決めた。異質な気配を感じ取ったモナが「烏ぅ? そりゃあ、なんでまた?」と首を傾げる。

 それを横目にしながら、僕はジョーカーに視線を向けた。ジョーカーは即座にすべてを理解したのだろう。頬に朱を散らしながら、嬉しそうに微笑んだ。

 視界の端にいたモナとスカルの目が死んだのは何故だろう。「「……最早、目も当てらんねーぜ」」と言う台詞が綺麗に重なったのは何故だ。

 

 

「よし。決めるものも決めたし、先へ進もう」

 

 

 ジョーカーの音頭に従い、僕らはパレス内部を突き進む。鴨志田の認知が生み出した衛兵たちが僕たちに襲い掛かってきたが、僕たちのペルソナの前では雑魚同然だった。アルセーヌが薙ぎ払い、ゾロが討ち果たし、キャプテンキッドが突撃し、ロビンフッドが射殺す。傷を負えばモナが癒してくれた。

 パレスを駆け抜ける中で思い出すのは、聖エルミン学園で発生したスノーマスク事件である。あのとき、僕は黎と手を繋いで、必死になって逃げ惑っていた。何があってもどんなことがあっても、この手だけは絶対に離してはなるものかと思っていた。――今は、手を繋いではいないけれど、僕は黎と共にある。

 

 僕たちを守りながら駆け抜けた航さんたちのように、今、僕にも共に戦う面々がいるのだ。不思議と心が躍るのは何故だろう。

 

 戦場に出向いているというのに、張りつめた空気の中にいるというのに、僕の口元は自然と弧を描いていた。笑っているのは僕だけじゃない。ジョーカーも、スカルも、モナも、不敵な笑みを湛えている。何とも言えない高揚感があった。

 身をひそめながら機をうかがっていた僕たちは、うろついているシャドウに襲い掛かった。不意打ちを喰らったシャドウは成す術なく包囲され、へたり込んでしまう。一歩遅れてシャドウは認識できる形として顕現した。

 顕現したのは、可愛らしい少女の姿をした妖精だ。大きさは手の平サイズ。鴨志田の城に跋扈しているシャドウの中でも、少女を連想するようなものは少なくない。小柄で可憐な少女を力づくで従わせようとする鴨志田らしいと言えよう。

 

 

「マジ!? アンタたちが、カモシダさまの言っていた侵入者!? ……もうマジ最悪! アタシをどうするつもり!?」

 

「……何か出して。お金でも、道具でも。持ってるでしょ?」

 

 

 シャドウの言葉に逡巡した後、ジョーカーは低い声で言い放った。テンションは全然違うのに、黛さんと城戸さんを連想したのは何故だろう。悪魔相手にカツアゲしていた聖エルミンの裸グローブ番長と姉御――僕と黎はその背中を見ていたのだ。あのとき、僕や黎は既に影響されていたのかもしれない。

 

 嬲り殺されるとばかり思っていたシャドウが、目を丸くしてジョーカーを見上げた。ジョーカーに便乗するが如く、モナも悪い笑みを浮かべてシャドウに迫る。

 自分が死ななくて済むかもしれない可能性に希望を抱いていた双瞼は、しかしすぐに曇ってしまった。突然襲われたため、妖精は何も持っていないと言う。

 

 予想外の展開に顔を引きつらせたモナだが、何も持っていないなら用はない。彼の言葉に同意したスカルと僕も武器を構え、じりじりと妖精へ迫る。己の死を本格的に感じ取った妖精は、今度はジョーカーへ向き直った。

 「助けて! 死にたくない!」と縋りつくシャドウの姿を見ていると、想像上でしかない光景がフラッシュバックする。獅童正義に縋りついた母が、「別れたくない! 貴方を愛しているの!」と叫んでいる光景だ。

 想像上の獅童は容赦なく母を突き飛ばした。醜悪に顔を歪ませた獅童は、母へ数多の罵声を浴びせる。そうして背を向けたっきり、二度と振り返ること無く立ち去っていくのだ――そんなことを考えながら、僕はジョーカーの動向を見守った。

 

 

「……仕方がないね」

 

 

 ジョーカーはふっと表情を緩めると、武器をしまって妖精へと手を差し伸べた。その姿が、僕と黎が初めて出会ったときの光景と重なる。僕は思わず息を飲んだ。

 躊躇うことなく伸ばされた手があった。それを見た僕は、ほんの一瞬、躊躇いを感じて逡巡する。黎は僕の反応を見て何を思ったのか、手を取って握ってくれた。

 

 その優しさが、どれ程嬉しかったか。その優しさに、どれ程救われたか。

 

 人が良すぎる黎のことが心配だと思ったことは何度もある。けれど、それ以上に、俺は黎の優しさに支えられ、救われてきた。

 今だってそうだ。想像とは言えど、脳裏に浮かんだ獅童と母の顛末とは違う道を指示してくれる。

 俺と同じ痛みを抱えた誰かを救い上げることで、俺の心をも守ってくれる。――敵わない、と思った。

 

 

「アンタもしかして、頼まれると断れないとか?」

 

「そうかもしれない」

 

「……そしたら、気持ち分かるよ。アタシもそれ、同じなんだ」

 

 

 ジョーカーの心に寄り添うように呟いた妖精は、次の瞬間、何かを思い出したようにハッと顔を上げた。

 

 

「……そうだよ。アタシはカモシダさまだけのモノじゃない。ニンゲンたちの心の海に揺蕩う存在……」

 

「心の海? まさかアイツ――」

 

「――思い出した! アタシの本当の名前は『ピクシー』だわ! これからは、アンタの中にいてあげる!」

 

 

 心の海という単語から連想した僕の答えは正解だったようだ。

 

 可憐な妖精――ピクシーはジョーカーの手を取る。次の瞬間、ピクシーの姿は仮面へと変貌し、青い光と共にジョーカーの仮面に宿った。

 それを見たモナが目を見張る。スカルも慌てた様子でジョーカーの仮面を見た。僕も、茫然とジョーカーを見つめる。

 

 

「なあ、今何が起きたんだよ!? 敵が、ジョーカーの仮面の中に……」

 

「ワガハイだって想定外だ! ペルソナは1人1体しか所持できないハズなのに――」

 

「――いたぞ、侵入者だ!」

 

「スカル、モナ! 分析は後だ、構えろ!」

 

 

 混乱極まりない状況でも、敵は容赦してはくれない。黒いオーラを纏った山羊が徒党を組んで襲い掛かって来る。新手を分析したモナは「コイツ、電撃に弱いぞ!」と声を張り上げた。

 それを聞いたジョーカーは自分の仮面に手をかける。青い光が灯るとともに、彼女の背後にはペルソナが揺らめいた。だが、そこにいたのは怪盗ではない。先程彼女が手に入れた妖精だ。

 

 

「――ピクシー!」

 

 

 ジョーカーがペルソナの名前を叫ぶと、先程彼女の仮面に吸い込まれたピクシーが顕現する。ピクシーはくるくると宙を舞った後、山羊目がけて雷を落とす。弱点を突かれたシャドウは悲鳴を上げてダウンした。

 それを見たモナが驚きの声を上げた。シャドウの力をペルソナとして取り込むことで、新たな力を得る――そんな人間は見たことがない。至さんたちから『ペルソナは専用の場所で作るものだ』と聞いていたから、尚更だ。

 呆気にとられるもう1匹の山羊にも、ジョーカーはピクシーで攻撃を仕掛ける。降り注いだ雷は、もう一匹の山羊に命中した。怯んだシャドウを包囲したジョーカーが不敵に笑って武器を構えた。

 

 

「クロウ、スカル、モナ! 総攻撃!」

 

「「「応ッ!」」」

 

 

 ジョーカーの指示を受け、僕たちは敵に対して総攻撃を仕掛ける。一方的に嬲られた山羊どもは、断末魔の悲鳴を残して消滅した。

 

 戦いを終えた僕たちはひと段落し、再びジョーカーへと向き直った。ペルソナ能力に詳しいモナ、ペルソナ使いの戦いを見てきた僕、そしてジョーカー自身も、この力をうまく説明できない。だって、複数のペルソナを使い分ける人々がいることは知っていたけど、シャドウから奪うなんて芸当は見たことがないのだから。

 

 

「クロウ、オマエはどう思う? ペルソナ使いの戦いを何度も見てきたんだろ?」

 

「……確かに複数のペルソナを使い分ける人間はいる。城戸さんだって、俺の保護者である至さんだってそうだ。でも、ある世代からは『ペルソナを付け替える』なんて芸当ができる人間は特別な存在になったんだ。複数のペルソナを使い分ける――その力のことを、力の持ち主である人々は『ワイルド』って呼んでた」

 

「『ワイルド』……」

 

「スゲエ! スゲエよジョーカー!!」

 

 

 モナが考え込み、スカルが子どもみたいに目を輝かせた。考え込んでいたモナもスカルと合流し、やんややんやの大喝采である。僕が彼らのように喜べなかったのは、巌戸台や八十稲羽での出来事が原因であろう。

 

 巌戸台のペルソナ使いたちが戦線に出ていた世代から、ペルソナは1人につき1体が原則になった。例外として、複数のペルソナを使い分けることができる人間は『ワイルド』と呼ばれ、その能力の稀有性から、ペルソナ使いたちのリーダーになることが多い。

 しかも、『ワイルド』に目覚めた者たちは、『神』や『破滅の権化』と深く関わる戦いに巻き込まれる宿命を有するのだ。彼/彼女が紡いだ絆は世界を救うための力となり、『神』や『破滅の権化』が齎す試練や災厄を突破する鍵となる。文字通りの『切り札』だ。

 

 該当者に途方もない運命/宿命を強いる力――それが、巌戸台のワイルドであった命さんや八十稲羽のワイルドであった真実さんの戦いを見てきた僕の感想だった。

 まさか、そんな嫌がらせじみた力を黎が背負わされる羽目になるだなんて思わなかった。十中八九、フィレモンかニャラルトホテプのような類――『神』による嫌がらせだろう。

 新たな力を手にしたジョーカーに、僕は酷く複雑な気持ちになった。……当たり前だ。俺の大事な人が『神』の『駒』にされて、黙っていられるはずがない。

 

 聡い黎のことだ。自分の力が、得体の知れないものから与えられた試練であることも察しているのかもしれない。

 

 

(……黎……)

 

 

 ……俺には何ができるだろう。『神』が人間に力を与え、試練を与える構図を何度も見ている。

 重い宿命を背負わされてしまった黎のために、俺は何をしてあげられるのだろうか。

 

 

「よーし! 片っ端からホールドアップを狙うぜ!」

 

「クロウ、お前も手伝えよ」

 

「! あ、ああ。任せてくれ」

 

 

 スカルとモナに声をかけられ、僕は反射的に返事をした。先陣を切るジョーカーと、それに続くスカルとモナに並ぶ。僕たちはパレスを攻略するため、駆け出した。

 

 

◇◆◆◆

 

 

「――あれ?」

 

 

 見覚えのある背中を見つけた。目が覚めるようなプラチナブロンドに、透き通ったスカイブルーの瞳。完璧なプロポーションを有する少女は、秀尽学園高校の制服を身に纏っていた。どうやら学校帰りのようだ。

 彼女の名前は高巻杏。杏の両親がデザイナーであり、自分が着る服をデザインした――その縁から、自分は彼女と交友するようになった。年は離れているけれども、自分と杏の繋がりは深い方だと思う。

 向うはこちらに気づいていないようだ。こちらが声をかけようとして――思わず止まった。杏の横顔は酷く切羽詰っており、鬼気迫っていたためである。スカイブルーの瞳は何かを決意したかのように、路地裏へと向けられていた。

 

 

「鴨志田」

 

 

 杏はスマホ画面を開きながら、何かを呟く。

 

 

「学校」

 

 

 ――何故声を出してはいけないと思ったのかは分からない。だが、どうしてか反射的に、身を潜めた方がいいような気がしたのだ。

 

 けれど杏に近づくことはやめていない。やめてはいけないと感じた。

 気配を殺しながら、自分は杏の元へと足を進める。少しづつ、距離が縮まってきた。

 

 

「城」

 

『――では、ナビを開始します』

 

 

 杏がそう言い切るや否や、世界がぐにゃりと歪んだ。秀尽学園高校の雰囲気もがらりと変わり、高校の門構えは城の入り口へと変貌する。

 

 迷宮というものには縁がある。自分がまだ高校生だった頃、武器を片手に何度も迷宮に挑んだものだ。階層にいる敵を倒し、階段を駆け上り、最上階を目指し続けた。

 当時の仲間たちとは今でも連絡を取り合っており、モデルを本業にした俳優という仕事の傍ら、今でも“非常任職員”として戦線に復帰することもある。

 そんなとき、自分が培ってきた戦う者としての経験が周囲から漂う殺気を察知した。不気味な雰囲気の城からは――何故かは分からないが――シャドウの気配を感じ取る。

 

 

(シャドウ……? どうして奴らの気配がするの……!?)

 

 

 物陰に身を隠したのは、自身の経験則から導き出された勘のようなものだ。自分の身を守るためにはどうすべきかを、この一瞬で判断した結果である。

 自分は様子を伺った。そのとき、城の正面に見覚えのある少女を見つけ出す。――高巻杏だ。彼女は不用心にも、正門から城へと踏み込もうとしていた。

 

 杏を呼び止めようとした刹那、正門から大量の騎士が飛び出してきた。奴らは杏のことを「姫」と呼び、あっという間に彼女を取り囲む。

 

 

「アンタたち、何者なの!?」

 

「姫、カモシダ様がお待ちしています! さあ、こちらへ……」

 

「嫌! 離して、離してよ!!」

 

 

 ――その様子が、いつかの自分と重なった。

 

 自販機でジュースを買いに行って、柄の悪い連中と鉢合わせした。奴らに財布を奪い取られ、それを取り返そうとした。怖くて震えるのを我慢して、なけなしの勇気を振り絞って、多勢に無勢であると分かっていても、自分は挑みかかったのだ。

 あの頃、自分は1人で生きて行こうと必死だった。大好きな父が亡くなり、事故を起こした犯人という濡れ衣を着せられた。母は父のことなど忘れたように、男に縋りついた。――そんな母に嫌悪を抱いたのだ。自分はあんな女になるまいと思った。

 柄の悪い男たちに囲まれたとき、何があったのか――自分は今でも覚えている。今でも何故かは分からないままなのだが、薙刀を抱えた我らがリーダーが自分の前に躍り出たのだ。彼女は奴らに怯むことなく、全員を軽くひねってみせたのである。

 

 薙刀を構えて佇む巌戸台の美しき悪魔の前に、柄が悪いだけの男どもはひれ伏すしかなかった。尻尾を巻いて逃げていく男どもを見送った。

 彼女の前で強がりは言ったけれど、彼女に励まされて本当は安堵したのである。あの頃は、自分の弱さが嫌で嫌で仕方がなかった。

 

 

(()()()()()?)

 

 

 自分自身に問いかける。あの戦いを乗り越えて、生活を続けながらも未だに戦い続ける自分ならば――後輩の危機を、見過ごせるだろうか?

 我らがリーダーの背中が浮かんでは消える。数多の理不尽に歯を食いしばりながらも、それらすべてを跳ね除けた、巌戸台の美しき悪魔。――彼女ならば?

 

 ――そんなの、決まっている。

 

 自分は紙袋から()()を取り出した。今自分が所持している持ち物の中で、嘗て自分が使っていた得物と同じ『弓』に分類できるものだ。

 伊達に、モデル以外にもヒーローアクターの真似事をしている訳ではない。イベント帰りで小道具を所持したままだったというのが功を奏した。

 そんなことを考えながら弓を構えて――自分は驚愕する。只の小道具でしかなかったはずの弓は、まるで本物のような質量を持っていたのだ。

 

 しかもこの弓、ご当地ヒーロー番組では有名な武器なのだ。光をエネルギーにして具現化した矢を無尽蔵に撃ち放つ、ヒロインの最強武器――それを、この世界では文字通り再現している。

 

 

(ウソ……!? この世界は、おもちゃの武器でも本物になり得るってことなの!?)

 

 

 自分はそれに酷く驚いた。――でも、これなら、あの兵士相手でも充分戦うことができるだろう。高校時代は弓道部。弓の引き方は手慣れたものだ。

 決意したなら後は早い。自分は躊躇うことなく物陰から飛び出し、弓を構えて矢を討ち放った。それは寸分の狂いもなく、見張りの兵士たちを撃ち抜いていく。

 

 

「杏ちゃん!」

 

「ゆ、ゆかりさん!? なんで、どうして……」

 

「いいから! 早く逃げるよ!」

 

 

 自分――岳羽ゆかりの乱入に、杏は酷く驚いたようだ。ゆかりは杏の手を引いて城の外へ向かおうとし――次の瞬間、外への道を封じるかのように兵士たちが顕現する。

 あからさまな罠だが、多勢に無勢では仕方がない。ゆかりは小さく舌打ちした後、覚悟を決めて場内へと駆け出した。杏もそれに続く。

 

 

「逃がすか!」

 

「その女も捕らえろ! カモシダ様に献上するのだ!」

 

「――ええい、しつこい!」

 

 

 ゆかりは腰から()()を取り出した。2009年の4月からずっと使い続けている、もう1つの『武器』だ。

 それは、銃口が樹脂によって封じられたモデルガンである。使用用途は弾を撃ち出すためのものではない。

 躊躇うことなく引き金に手をかける。杏がぎょっとしたようにこちらを見たような気がしたが、ゆかりはすぐ引き金を引いた。

 

 

「――イシス!」

 

 

 鏡が割れるような破壊音が響き渡り、ゆかりのペルソナが顕現する。イシスは顕現して早々、この場に凄まじい突風を巻き起こした。豪、という音を響かせて、風が兵士たちに牙を向く。兵士は断末魔の悲鳴を上げて吹き飛んだ。

 杏が息を飲む音が響いた。ゆかりは構わず走り続ける。湧いて出てきたシャドウたちをイシスで吹き飛ばし、時には矢で撃ち抜きながら、ゆかりと杏は小部屋へと逃げ込んだ。そのままクローゼットの奥へと身を隠す。外を徘徊する兵士の声が遠ざかっていった。

 

 一息ついて、クローゼットの中から這い出す。杏は半ば茫然としていたが、すぐにゆかりに問いかけた。

 

 

「ゆかりさん! 今の何!? 何がどうなってるの!?」

 

「杏ちゃん、落ち着いて。でないとまた、兵士に気づかれてしまう」

 

 

 拉致されかけたことを思い出したのだろう。杏は口元を覆った後、心配そうに周囲を見回す。兵士たちの姿は見当たらなかった。そのことに安堵した杏は大きく息を吐いた。落ち着いたらしい。

 一息ついたところで、杏とゆかりは情報を出し合った。杏曰く、この世界は“イセカイナビ”という奇妙なアプリを使って出入りできる異世界らしい。同時に、この世界は鴨志田という変態クソ教師のものだという。

 鴨志田は気に入らない男子生徒に暴力を振るい、女子生徒にはセクハラをしていたという。おまけに女子生徒を力づくで犯そうと画策していたのだとか。話題にならないだけで、鴨志田の被害者は多いらしい。

 

 そんな中で、鴨志田の暴力事件およびセクハラを白日の下に晒そうとしている兵たちがいるらしい。

 旧知の仲である坂本竜司という男子生徒と、つい最近転校してきた女子生徒。――後者の名前が問題だった。

 

 

「有栖川黎さんって言って、地元で暴力事件を起こしてこっちに来たっていう……」

 

「黎ちゃんが!?」

 

「知ってるのゆかりさん!?」

 

「ええ。命……友達の親戚で、何度か会ったことある。その子、冤罪事件に巻き込まれて傷害罪をでっちあげられたの。それで地元にいられなくなって、こっちの方に保護観察に出されたって言ってた。『何かあったら助けてあげて欲しい』って頼まれたんだ」

 

 

 ゆかりの話を聞いた杏は、ハッとしたように目を見開いた。

 

 

「さっき、有栖川さんと会ったの。彼女の隣に王子様っぽい格好をした変な奴がいて、有栖川さんはソイツのことを『大事な人』だって言ってた。地元にいられなくなったのは『鴨志田のコピペ』みたいな連中が跋扈したからだって。その王子様っぽい奴が、そいつらから有栖川さんを庇ってたんだって……」

 

「吾郎くん……やっぱり、黎ちゃんと一緒にいるのね……」

 

 

 ゆかりたちの戦いをサポートし、すべてを見届けた戦友――明智吾郎の姿を思い出し、ゆかりは遠い目をした。

 顔を合わせた当時から、吾郎は黎の話ばかりしていたように思う。「吾郎と言えば黎」という方程式が成り立つレベルでだ。

 命の話だと『懇意にする本家筋の間では、吾郎のことは『白い烏』と呼ばれ、黎の守護者として有名』なのだという。

 

 『烏は一途だからね』と笑っていた命の姿が脳裏に浮かんで、ゆかりはやれやれとため息をついた。一途という点では、親友である彼女も負けてはいないからだ。閑話休題。

 

 ゆかりは自分の力について話をした。先程杏を拉致しようとした異形はシャドウと呼ばれる存在で、普通の人間では太刀打ちできない。

 奴らに対抗できるのは、ゆかりのようなペルソナ使いだけである――そう教えた途端、杏は険しい顔をして俯く。

 

 

「ペルソナ……ゆかりさんのような力があれば、鴨志田をやれるってこと……?」

 

「――杏ちゃん。鴨志田とやらをどうにかするためだけにこの力が欲しいって言うなら、やめときなよ」

 

「でも!」

 

「この力を得ると、一生『怪異との戦い』がついて回るよ。――その覚悟はある?」

 

 

 ゆかりの脳裏に浮かんだのは、巌戸台の寮母として命たちをバックアップしつつ共に戦線を駆け抜けた大人――空本至の姿だった。彼の行くところには怪異ありと謳われるまでに至った南条コンツェルンの調査員も、きっと東京にいるのだろう。

 

 12年前にペルソナ使いとなって以後、スノーマスク事件、およびセベク・スキャンダルを皮切りにした事件や戦いに巻き込まれているのだ。至は沢山の人と出会い、別れ、交流で笑い、理不尽に怒り、打ちのめされながらも歩んできた。そうしてこれからも歩き続ける。

 杏を脅すつもりは微塵もない。だが、もし杏がペルソナを覚醒したら、彼女は空本至のような宿命を背負えるだろうか。荒垣命(旧姓:香月命)や岳羽ゆかりのように、理不尽を覆すために戦い続けることができるだろうか。――その覚悟が、彼女にあるだろうか。

 ゆかりの鬼気迫る顔に、杏は小さく体を震わせた。答えを言いよどむ彼女を責めるつもりはない。

 

 

「今じゃなくてもいい。その力を得たいと願ったとき、もしくはその力を手にしたときに、ゆっくり考えればいいよ」

 

「……分かった。考えてみる」

 

「よろしい。それじゃ、出口を探そっか」

 

 

 決意を込めて頷いた杏を見て、ゆかりは安心して微笑んだ。

 これなら彼女は大丈夫だろう。そう信じて、ゆかりは部屋の外へ出る。

 

 ――迷宮からの脱出劇が、幕を開けた。

 

 




モルガナと問答した後、怪盗団にコードネームがつきました。原作と同じコードネームでありながらも、その経緯は全く違う魔改造明智。『切り札』の守り手たる『白い烏』は、パレスやメメントスを悠々と飛び回ることでしょう。
杏と誰を繋ごうかと悩みに悩んだ後、モデル繋がり+P3Pから岳羽ゆかりが結ばれました。他にも候補としては桐島英理子、リサ・シルバーマン、久慈川りせもいたり。いつかこの3人とも結べたらいいなと思ってますが、機会があるかどうか……。
気づいたら、魔改造明智の保護者達の出番が減っている件について。


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女は怖い、そして強い

【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 名前:空本(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『運命を切り開くだけの簡単なお仕事』および『ペルソナ3異聞録-.future-』、Pixivの『2周目明智吾郎の災難』および『【一発ネタ】有栖川黎の幼馴染』の設定を下地にし、別方向へ発展させた作品である。
・ジョーカーのみ先天性TS。
 ジョーカー(TS):有栖川(ありすがわ) (れい)⇒御影町にある旧家の跡取り娘。旧家制度は形骸化しているが、地元の名士として有名。身長163cm。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空本(そらもと) (わたる)⇒有栖川家とは親戚関係にある。南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。
・とあるペルソナが解禁時期を前倒しで出現。但し、本来の力は発揮できていない。


 僕たちの数歩手前にあるにある扉が派手に吹っ飛んだ。

 

 

「な、なんだァ!?」

 

 

 爆音は、スカルの素っ頓狂な悲鳴ごと飲み込んでしまう。

 

 

「――おいで、カルメン!」

 

「――吹き飛ばせ、イシス!」

 

 

 間髪入れず響いたのは、2人の女性の声だ。前者は先程スカルとモナが追い返した筈の高巻杏、後者は巌戸台で出会ったペルソナ使いのものである。後者はモデルを主としながら、副業扱いでアクション俳優じみたこともしていたはずだ。

 僕の記憶が正しければの話だが、後者の女性は以前、世界的有名なデザイナーがデザインした洋服を身に纏って雑誌の表紙を飾ったことがあった。そのデザイナーの名字は『タカマキ』だったか。僕が記憶を引っ張り出している間に、事態は進んでいく。

 部屋から飛び出してきたのは鴨志田のシャドウだった。奴のマントや衣服は所々黒く焦げており、皮膚にも――軽度ではあるが――火傷の形跡がある。僕たちが奴を呼び止めるよりも、奴が脱兎のごとく走り去っていく方が早かった。

 

 「待ちなさいこの変態ィ! 女の敵!!」「ぶっ潰してやる!!」――なかなかに物騒な声と共に部屋から飛び出してきたのは、2人の女性。

 

 片や、プラチナブロンドの髪をツインテールに結び、豹の仮面をつけ、胸元を露出し強調したボディスーツに身を纏った少女。声からして、彼女は高巻杏であろう。

 片や、茶髪のショートボブで、カジュアルだが洗練されたブランド物の洋服を身に纏ったスタイルのいい女性。そういえば、彼女はモデルを本業にして活躍していたか。

 

 

「お前、高巻か!? なんだよその恰好!」

 

「知らないわよ! ペルソナっていう力に目覚めたら、こんな格好になってたの!」

 

 

 片方についての僕の予想は正解だったらしい。ボディスーツに身を包んだ杏は悲鳴に近い声を上げた。不可抗力で自分の望まぬ格好にされるという羞恥を味わっているようだ。

 彼女はつい先程、僕の格好――至さんが見たら十中八九「ヅカっぽい」と言いそうな、白装束の王子様スタイル――に対して不信感を露わにしたばかりである。

 まさか、こんなに早くしっぺ返しが発生するとは思わなかった。金切り声と涙声を合わせたような調子でスカルに言い返す杏の声をBGMにして、僕はもう1人の女性に向き直る。

 

 彼女は岳羽ゆかり。巌戸台のペルソナ使いであり、影時間消滅のために迷宮を登り切った元特別課外活動部メンバーにして、現シャドウワーカー非常任職員である。現在はモデルとして活躍しつつ、ご当地ヒーローの中の人を始めとしたヒーローアクター業も行っていた。

 

 ゆかりさんは一瞬、ぎょっとした顔で僕らの姿を見つめていた。だが、何となく、王子様ルックの嘴仮面男が僕――明智吾郎であることを察したのだろう。

 おずおずとした調子で「……吾郎くん……?」と僕の名を呼んだ。僕が「はい」と返事をするや否や、彼女はくわっと目を見開いて僕の肩を掴んだ。

 

 

「大変よ吾郎くん! 黎ちゃんが、黎ちゃんがあの鴨志田って野郎に!!」

 

「ゆ、ゆかりさん、落ち着いてください! 黎なら、黎ならそこにいます!」

 

 

 がくがく揺さぶられながらも踏みとどまった僕は、ジョーカーに視線を向けた。ポカンとした表情で僕とゆかりさんを見つめていたジョーカーは、僕に乞われていることに気づいたのだろう。小さく頷いて仮面を取る。露わになった黎の顔を見たゆかりさんはぴたりと動きを止めて、フラフラと黎へ歩み寄った。そのまま勢いよく彼女を抱きしめる。

 

 

「良かった……良かったぁぁ! 黎ちゃああん!!」

 

「ゆかりさん、大丈夫ですよ。私には吾郎がいますから」

 

 

 わんわん泣き叫ぶゆかりさんをあやしつつ、ジョーカーは「自分は大丈夫である」と何度も言い聞かせた。ゆかりさんとジョーカーのやり取りに気づいた高巻杏もジョーカーへ向き直り、安堵の息を吐いてへたり込む。

 2人は壊れたラジオのように「良かった」と連呼した。そんな2人を安全地帯――セーフルームへ案内する。敵に気づかれない心象世界の穴へ辿り着いた頃、杏もゆかりさんも落ち着きを取り戻したらしい。パレスで何があったかを話してくれた。

 

 スカルとモナによってパレスから追い出された杏だが、鴨志田をやることを諦められなかった。そんなとき、杏のスマホに“イセカイナビ”が出現したそうだ。ナビを使ってパレスに侵入したのはいいが、現れた衛兵に「姫」と呼ばれ、危うく拉致されそうになったという。

 だが、イセカイナビに巻き込まれたのは使用者である杏だけではなかった。仕事帰りに見かけた杏へ声をかけようとしたゆかりさんも、シャドウワーカーとしての勘から“敢えてイセカイナビの転移に巻き込まれる”ことを選んだ。結果、拉致寸前の杏を助けることができた。

 しかし、顕現した衛兵によって出口を塞がれてしまったという。罠だと分かっていても、城内にしか逃げ場がなかった。だから、ゆかりさんは杏の手を引いて城内へ向かい、衛兵から逃げ回っていた。その結果、先程の部屋に迷い込んでしまったそうだ。

 

 そこで目にした光景が、あまりにも酷いものだったらしい。

 

 

「鴨志田の奴、学校の女子生徒を薄汚れた目で見てたの。特に、アタシ、志帆、有栖川さんのことを……!」

 

「安心して。拷問器具という名の悍ましいブツは、全部ぶっ飛ばしておいたわ」

 

 

 杏は怒りと嫌悪感を滲ませ、ゆかりさんは険しい顔をしたまま自分の手を掌へと打ち付けていた。

 

 2人が飛び出してきた部屋は、今となっては灰が残るのみである。部屋の中に何があったのかを推測することすら不可能であった。

 ……ゆかりさんの言葉からして、ロクでもないブツであったことは間違いなかろう。所謂“大人のおもちゃ”あたりだろうか。

 

 

「鴨志田、言ってたの。『志帆を犯そうとしたのは、お前が呼び出しに応じなかったからだ』って。『オマエのせいだ』って。それを絶対許せないって思ったら――」

 

「――ペルソナに目覚めた、ということか」

 

 

 杏の言葉を引き継いで、モナが顎に手を当てた。それを聞いて、僕も考え込む。

 

 僕の世代のペルソナ使いは、どうやら“反逆の意志”をトリガーにして発現するらしい。初期のペルソナ使いは『神』から力を与えられ、巌戸台の面々に世代交代すると“死への恐怖”をトリガーにしてペルソナが顕現するようになった。八十稲羽に至っては、テレビの世界にいる自身の負の側面/シャドウを受け入れることでペルソナ使いになっていたか。

 僕たちに力を与えた奴は“反逆の意志”を用いて何をさせようとしているのだろう。理不尽への反発、他者のための義憤、強大な力への反逆は利用しやすい。……今までの経験則からして、今回はどことなく「付け入る隙を伺われている」ような心地になったのは何故だろうか。現時点での情報だけでは類推することもままならない。僕は深々とため息をついた。

 

 モナと僕がペルソナ能力について説明し、鴨志田を『改心』させるために動いていることを話すと、杏は共闘を申し込んできた。

 彼女の親友である鈴井志帆は――強姦未遂と言えども――“鴨志田の性的被害にあった”というショックで学校を休んでいるという。

 交換条件として「鴨志田を『改心』させた後も、何かあったら黎に協力する」ことを提示した杏の目は、強い決意で満ち溢れていた。

 

 

「確かに戦力は欲しいし、黎の味方も欲しいけど……」

 

「アイツ、アタシのそっくりさんと有栖川さんを侍らせてたのよ。フーゾクみたいな格好させて、文字通り『いいように』してた」

 

「――は?」

 

 

 杏の言葉を聞いた瞬間、僕は“探偵王子の弟子”である爽やかな好青年でいることを放棄していた。視界の端にいたスカルとモナが凍り付くレベルだったあたり、地が出ていたのかもしれない。ゆかりさんは苦い顔をしながら「あの頃から何も変わってない……」とぼやいていた。

 高巻杏曰く、先程の部屋には鴨志田の他に2人の人間がいたという。1人が高巻杏のそっくりさんで、ピンクと黒基調の派手なランジェリーと頭に猫耳のついたカチューシャをつけていた。もう片方が有栖川黎で、レースがふんだんに使われた黒基調のベビードールを着ていたという。

 鴨志田は杏のことを姫、黎のことを奴隷と呼んで『いいように』していたらしい。杏は甘ったるい声を上げながら鴨志田にしなだれかかり、黎はどんな扱いをされても抵抗せず「私には鴨志田様しかいません。鴨志田様に従います」と縋りついていたそうだ。

 

 成程。だからゆかりさんが俺の肩を掴んでがんがん揺すってきた訳か。無事な黎を見て大泣きした理由がよく分かった。

 

 それを聞いたジョーカー、スカル、モナが顔を見合わせた。「そういえば、クロウにはまだ説明していなかったことがあるんだけど……」とジョーカーが口を開く。

 彼女は高巻杏とゆかりさんが目の当たりにした光景について身に覚えがあるらしい。

 

 

「おそらく、高巻さんやゆかりさんが見かけたのは、鴨志田の“認知”によって造り上げられた高巻さんと私なんだと思う」

 

「“認知”?」

 

「うん。ここが鴨志田の心象世界ということは知ってるよね?」

 

 

 ジョーカーの説明に頷き返す。ここまでは、俺も知っている情報だ。だが、この迷宮に跋扈しているのはシャドウだけではなく、現実世界の人間も現れるケースがあるという。しかしながら、この世界はあくまでも()()()()()()()()であって、城内で出会う人々は現実にいる人物ではない。

 現実世界にいる人間のことを鴨志田がどう思っているのか、あるいはどう扱っているのか――この世界で出会う人々は、鴨志田の“認知”によって、奴が“認知している”通りに振る舞う。気に入らない生徒に暴力を振るったり、女子生徒にセクハラを働いていた鴨志田だ。偏った想像と偏見が蔓延していることは予想がつく。

 

 

「まあ、私に『退学させられたくなかったら体育館裏へ来い』って呼び出すような奴だからね。こうなる前は、『前科や保護観察中に問題を起こしたら退学と少年院送りになることを引き合いに出せば股を開く』とでも思っていたんじゃないかな?」

 

「黎ちゃん! 女の子が『股を開く』なんて言っちゃいけない!」

 

 

 あまりにもあんまりな発言に、ゆかりが険しい顔でツッコミを入れた。変な方向で度胸を発揮するジョーカーに俺も頭が痛くなる。今後はもう二度と彼女にこんなことを言わせないよう、俺が頑張らねばなるまい。俺はひっそり決意を固めた。

 

 

「なあ、モナ」

 

「ど、どうしたクロウ? そんな人を殺せそうな笑みなんて浮かべて……」

 

「鴨志田のシャドウを不能にしたら、現実のアイツも不能になるかな?」

 

 

 正直、鴨志田に対する俺の怒りは天元突破していた。奴は認知上とはいえ、俺の一番大切な人である黎を――ジョーカーを、自分の欲望を満たすための慰み者にしていたのだ。奴は彼女をいいように出来ると思っている。

 今すぐにでも鴨志田の本陣へと乗り込み、頭と胴体をお別れさせてやりたい。美鶴さんよろしく処刑してやりたい。だが、それは鴨志田を『廃人化』して殺してしまうことに繋がる。それでは、獅童が駒にやらせていることと変わらない。

 俺は既に『改心』専門のペルソナ使いであることを選択したのだ。だから、この決断と選択に恥じるような真似はしたくなかった。これからも黎の――ジョーカーの傍に在り続けるために。

 

 でも、それとこれとは別問題だ。情けをかけて“生き地獄にしてやる”のだから、奴の欲望の象徴を再起不能にするくらい許されるだろう。

 モナはぎょっとしたように目を剥いたが、暫し考え込んだ後、「分からん」とだけ返答した。スカルは「怖ぇ……」と吐息のような悲鳴を漏らす。

 

 俺が今すぐにでも鴨志田を殺したいと考えていることを察したらしい。ゆかりさんがわざとらしく咳払いし、話題を変えた。

 

 

「“認知”云々のせいかな。私が持ってた小道具の弓が、この世界では本物の武器になったの」

 

 

 ゆかりさんは自分の得物を怪盗団の面々の前に指示した。ゆかりさんはご当地ヒーロー戦隊のヒロイン役をやっており、その関係で小道具――弓を所持していたという。この弓は『光をエネルギーにして具現化した矢を無尽蔵に撃ち放つ』という設定があった。同時に、ゆかりさんの得物は弓矢である。

 ゆかりさんが鴨志田のパレスに足を踏み入れながらも五体満足で逃げ回れたのは、彼女のペルソナであるイシスの他に、この武器が設定通りの武器になったおかげだという。実際、セーフルームで試し撃ちしてもらった結果、設定通り『光でできた矢が無尽蔵に供給される』弓矢であることが証明された。

 

 パレスやメメントスに模造刀やモデルガンを持ち込めば、本物の武器と同じように使うことができる――これは、南条と桐条の研究者でも分からなかったことだ。実際、俺が迷宮に踏み込む際に持ってきた武器は、美鶴さんから借りた――特別課外活動部時代のお古――突剣である。他にも様々な武器を試したが、これが一番使いやすかった。

 

 普段は飾り物として倉庫に放置されているのだが、対シャドウのときは安全用に装着されたカバーを外せば立派な武器になる。勿論、銃刀法違反のグレーゾーンだ。

 “認知”云々についての解明はまだ完全ではないけど、“偽物の武器でも本物として使える”というのはとても便利だ。法律違反で留置場行きを防げるならば、それがいい。

 鴨志田のパレスを攻略するだけでなく、メメントスで情報収集を行うときにも役立ちそうである。後で双方の研究者に報告しよう。僕がそんなことを考えたときだった。

 

 

「武器、かぁ。だったら、いい場所を知ってるぜ。本物そっくりのモデルガンを売ってる店があるんだ。……ただ、店主が店主だから、ちょっと近づきにくいんだよな」

 

 

 申し出たのはスカルだった。その店は、何やら“きな臭い”店として噂になっているという。そこまで述べた後、彼は何か思いついたようで手を叩いて俺の方を向いた。双瞼には強い好奇心が輝いている。

 

 

「なあ、クロウはペルソナ関連の戦いを体験してきたんだろ? 歴代の先輩たちは、どんな場所で武器調達してたんだ?」

 

「御影町のときは悪魔からぶん盗ったり、カジノで交換してたっけ。もしくは、氷の城に店があったかな?」

 

「えっ」

 

 

 スカルが驚いたのは、俺に質問してジョーカーから返答されたことに対してだろうか。それとも、カジノという商業施設で武器――物騒なものを交換できたことに対してだろうか。

 御影町で発生したセベク・スキャンダルでは、被験者である園村麻希さんの夢の中に迷い込むことになったのだ。それ故、厳密には「現実世界で武器を手に入れた」とは言い難い。

 いくら夢とは言えど、カジノの景品に武器を取り扱う世界というのは物騒である。……そう考えると、夢の主である麻希さんは――これ以上はやめておこう。

 

 あと、エルミン学園が凍り付いた事件――スノーマスク事件のときの武器調達に関しては、至さんや航さんからの伝聞であった。詳しいことはよく分からない。

 

 

「珠閒瑠のときはパラベラムっていう店だったね。全然武器屋じゃないんだけど、噂を流すと武器を売ってくれるようになったかな」

 

「そういえば、一時期珠閒瑠ってオカルト地味た噂が流行ってたっけ? しかも、終いには珠閒瑠市自体が空に浮上したとか」

 

「ああ、浮いたよ。俺もその場にいたから」

 

「マジ!? クロウ、よく生きて帰ってこれたね……」

 

 

 当時の状況を想像してみたのだろう。杏が遠い目をした。俺だって、五体満足で今生きてられることに驚いている。

 

 “JOKER占い”が流行っていたのとほぼ同時期、珠閒瑠市の外では『珠閒瑠市だけが空に浮いた』という噂がまことしやかに流れていたという。

 あの事件の最中に珠閒瑠にいなかった人間の反応を、あれから時間が経過した後に思い知る羽目になるとは思わなかった。

 

 

「あたしたちが活動してたとき、リーダーは交番で武器を買いそろえたって言ってた」

 

「「交番」」

 

「八十稲羽のときは駄菓子屋だったな」

 

「「駄菓子屋」」

 

 

 前者は国家権力の下っ端、後者は到底武器と無縁な店である。特に前者は、「武器を横流ししている」と言っても過言ではない。買う方も買う方だが、売る方も売る方だ。バレたら処分は免れないだろう。そう考えると、黒沢さんの男気に敬礼したくなる。

 予想だにしないパワーワードを喰らい、スカルと杏が呆気にとられた。モナなんて、何とも言い難そうな渋い顔をして視線を彷徨わせている。記憶がない異形でも、人間社会の一般常識――武器の売買関連――は有している様子だった。気持ちは分からなくもない。

 

 

「じゃあ、薬はどこで買ってたんだ?」

 

「御影町のときはサトミタダシ薬局店だった」

 

「……ああ、あの歌の……。ワガハイ、あの店に近づくと気持ちが悪くなってな。最近店が移転になったようだが……」

 

 

 武器の次は薬品の調達先が気になったらしい。モナの疑問に俺が答えると、彼は虚ろな目で天を仰いだ。

 モナは南条さんと同じく、あの歌を「洗脳ソング」と認識するタイプのようだ。ノリノリで歌う空本兄弟とは相容れない。

 他にも、薬はドラッグストア等で手に入れることが多かった――僕がそう答えると、モナは顎に手を当てた。

 

 

「よく効く薬を売っている所の情報がないか、調べてみないか? パレス攻略に役立つはずだ」

 

「確かにそうだね。ペルソナだって無尽蔵に使えるわけじゃないし。評判の薬局かドラックストア、もしくは医院がないか、佐倉さんに訪ねてみる」

 

 

 モナの提案に対し、ジョーカーは二つ返事で頷いた。彼女たちの言葉通り、傷を癒すための薬は戦いに不可欠である。

 

 

「侵入者はどこだ!?」

 

「ネズミ一匹たりとも逃がすな!」

 

 

 談笑の空気を壊すかのように、鴨志田の衛兵たちが叫ぶ声が響き渡った。

 セーフルーム近辺からは衛兵の足音がひっきりなしに聞こえてくる。

 正直もっと探索したいところだが、衛兵たちが活発化してしまった今日はもう難しいだろう。

 

 

「まずいな。今日はこれ以上の探索は無理そうだ。戻った方が良さそうだぜ」

 

 

 モナのアドバイスに従い、僕たちはパレスから現実世界に帰還することにした。

 

 

***

 

 

 秀尽学園高校前に戻った僕たちは、とりあえず近場のファストフード店――ビックバンバーガーへと移動する。適当な飲み物と軽食を注文し、僕たち5人と1匹は席に腰かけた。

 鴨志田を『改心』させるための算段を立てつつ、互いの身の上話に花を咲かせる。今回の一件で杏は戦いに参加し、コードネーム『パンサー』として活動に協力してくれるそうだ。

 そんな杏の姿に、モルガナは心を奪われてしまったらしい。“美人で気高く、友人思いの健気で優しい少女”を見つめる空色の瞳は、彼女に対する敬意と憧憬を滲ませていた。

 

 ……果たして、猫を模した異形と人間との異種間に恋愛は成り立つのであろうか。義姉弟の絆が成立した例――命さんとテオドア――なら知っているのだが。シェイクを啜りながら、僕はそんなことを考えた。

 

 協力者ができることもあれば、泣く泣く離脱しなければならない者だっている。

 どうにもできない悔しさを発露させたのは、岳羽ゆかりさんであった。

 

 

「あーもう、悔しいィ! 撮影とシャドウワーカーの仕事さえ入ってなければ、あたしももっと手伝えたのに! あの変態をぶっ飛ばせたのに!!」

 

「ゆかりさん、その気持ちだけで充分です。ゆかりさんにはゆかりさんの為すべきことがあるんですから、そちらに集中してください」

 

「ううう……ありがとう。ごめんね黎ちゃん。何かあったら連絡してね! なるべく力になるから!!」

 

 

 そう言い残して、ゆかりさんはお勘定をして帰っていった。今回はゆかりさんの奢りである。僕たち――杏とモルガナ除く――は先日も城戸さんから奢ってもらったばかりだ。他の面々は分からないが、僕や黎には若干の罪悪感があった。

 

 

「これからは、この面子で集まれる場所があった方がいいよな」

 

「リュージの言う通りだ。こういうことを話し合える秘密の『アジト』はあった方がいい」

 

「アジトか……いい響きだな!」

 

「うわ、子どもっぽい」

 

 

 黎の鞄の中に潜みながら、フィッシュバーガーを貰って食べ進めていたモルガナが切り出した。子ども心を擽る響きを感じ取ったのか、竜司が目を輝かせる。杏は呆れたようにため息をつき、黎はそんな2人と1匹を見守っていた。

 彼らの言うことは間違いではない。どこで誰が聞き耳を立てているのか分からないのだ。こういう話し合いを大っぴらにできる場所は必用不可欠であった。だが、それに関して、大きな問題があっる。

 

 黎、竜司、杏は秀尽学園高校の生徒であり、モルガナは黎に引っ付いて行動するつもりのようだったから、この面子はすぐ集まれる。しかし、明智吾郎はそうはいかない。

 僕は他高生である。しかも、()()()が。ついでに、それなりに名の通った有名人である。いくら他校でも、学校前で待っていれば確実に声をかけられてしまうだろう。

 人のあしらい方は心得ているが、万が一厄介事に巻き込まれてしまっては堪らない。3人と1匹もそのことに気づいたようで、厄介そうに唸った。

 

 

「いっそ、秀尽の制服着て忍び込むとかどう?」

 

 

 杏の提案に、僕は肩をすくめた。

 

 

「それもやぶさかではないね。だけど、膨大な人数と集団生活していても、『見慣れないヤツ』は()()()()でも分かるんだよ。その違和感に気づかれ、怪しまれて生徒手帳の提示を求められたりしたら厄介だ」

 

「……成程ね。ウチの生徒会長なら、そういう違和感に気づいちゃうかも」

 

 

 頭がキレる人物に心当たりがあるようで、杏は眉を潜めた。生徒会長ということは、件の人物は僕と同じ学年らしい。……男性だろうか? 女性だろうか?

 僕の印象に残っている“生徒会長”は巌戸台の桐条美鶴さんである。バイクが趣味で、ことあるごとに「処刑」と口走るような勇ましい女傑であった。

 生徒会長のことを詳しく訊いてみると、父親が警察官、姉が検事という司法系の超エリート家系に生まれた、文字通り「品行方正」なお方らしい。

 

 

「その人の名前は?」

 

「新島真先輩」

 

 

 ――()()()()()()()()()

 

 分析を始めるより先に、僕がたどり着いた答えだった。それからワンテンポ遅れて、「新島」「女性」「姉妹」「検事」というワードにヒットする女性が思い浮かぶ。

 新島冴。僕が予備の司法修習生としての上司だ。確か、彼女には妹がいるという。僕の記憶力が正しければ、妹の名前は確か、真とか言ってなかっただろうか。

 

 妹の自慢話を聞かせる上司の姿を思い出し、僕は頭を抱えた。冴さんの妹が学校にいるなら、僕が秀尽に潜入した途端に気づかれる危険性が高い。絶対強敵だろう、件の生徒会長。

 

 

「あと、他に良さそうな場所はないかな」

 

「全員集まれて、人の目に触れない場所。……あるいは、俺たちに対して無関心または理解者がいる場所――……あ」

 

 

◇◇◇

 

 

「いやー、嬉しいなー。めでたいなー。吾郎が黎ちゃんと友達連れてウチに来るなんて!」

 

「はいはい。煩いからもうちょっとテンション落とせよ。黎以外みんなドン引きしてるじゃねーか。あと調理中にくるくる回るんじゃねえよ、零れんだろ」

 

 

 口元を緩ませてでれっでれになっているのは、俺の保護者の片割れである至さんだ。多分、この家の住人の中で一番テンションが高いのも至さんだ。ウキウキしすぎて動きがミュージカルダンスみたいになっている。

 ……実は、至さんがこんな感じでステップを踏んでも、料理が零れたことなど一度もない。彼のバランス感覚と料理――特に汁物の表面張力が仕事をした結果だろう。いつか過労死するのではなかろうか。

 聡い彼のことだ。俺の言葉が照れ隠しであると察しているはずである。同時に、俺たちが何のためにここに集ったのかお見通しに違いない。何せ、彼は“ペルソナ使いの戦いを察知するために存在している”と言っても過言ではないからだ。

 

 

『次は、お前と黎ちゃんの番だ。――ごめんな、吾郎』

 

 

 つい先程、至さんが俺に耳打ちした言葉が脳裏をよぎる。ああ、この人は()()()すべてを理解しているのだな――と、漠然と思った。

 けれど、あの人はそれ以上弱音を吐くことはなかった。でれっでれに笑いながら、素早い手つきで次々と客に振る舞うための料理を作り出していく。

 

 こうしている間にも、食欲を誘う香りが部屋中に漂い始める。竜司は生唾をごくりと飲み干し、杏は手作りのデザートに目を奪われ、モルガナはテーブルの上を凝視しながら微動だにしなかった。

 

 

「吾郎の保護者さんって、凄ぇんだな……」

 

「過保護なんだよ。しかも無駄に器用だし」

 

 

 竜司が感嘆の言葉を漏らす。俺は肩をすくませた。

 そんな俺を、黎が生温かい瞳で見守っている。……結構気恥ずかしい。

 

 一時の『アジト』として選ばれたのは、俺と空本兄弟が住まう家だった。秀尽高校からは反対方向の上に少々遠いが、全員が充分集まれる距離にある。

 

 至さんは出生がアレ――フィレモンの化身だが「失敗作」扱いされているのに、厄介事に介入するように作られている――なので、三十路でも“反逆の徒”を地で行く感性を持っている。多分、死ぬまで反逆し続けるのではなかろうか。フィレモンへの怒り的な意味で。そんな彼なら、俺たちのサポートを快く引き受けてくれるであろう。

 航さんもペルソナ使いであり、聖エルミン学園高校時代に発生した“スノーマスク事件”や“セベク・スキャンダル”を駆け抜けた張本人である。彼もまた、嘗て理不尽に挑んだ“反逆の徒”だ。至さんとは別方向のアプローチを駆使し、怪盗団に合流する前の俺をサポートしてくれた立役者である。ただ、最近は多忙でなかなか家に帰ってこない。

 

 

「いやー、嬉しくてつい熱が入っちゃった」

 

「相変わらずの腕前ですね。至さん」

 

 

 黎は拍手し、皿に並んだ大量の料理を眺める。俺もつられるような形で料理に目を向けた。

 

 スパイスが香るビーフストロガノフ、サーモンとアボカドを使ったシーザーサラダ、マグロの柵をレア気味に揚げたステーキ、豚バラ肉の軟骨と大きめに切った野菜を圧力鍋で煮込んだポトフ、エディブルフラワーを使ったゼリームース、とろみのあるスムージーにフルーツグラノーラを入れたスムージーボウル……。

 元陸上部エースである竜司はビーフストロガノフを凝視しているし、モデルである杏はゼリームースやスムージーボウルに興味津々だ。モルガナは猫という器に引っ張られているらしく、シーザーサラダやマグロステーキをじっと見つめては吐息を漏らしていた。そんな彼らを、黎は慈母神もかくやと言わんばかりの優しい笑みで見守っている。

 空本至は料理がうまい。そして、性格的な適正云々もあって無駄に凝り性だった。それは、空本家の家事全般や、アルバイト先の店長に業務を全部押し付けられて店を回していたという経験が成せる技でもあったのだろう。特に、航さんの家事能力が壊滅的だったのと、俺の家事能力も航さんよりマシなレベルでしかなかったのも理由だった。

 

 至さんはニコニコしたままエプロンを外すと、いそいそと外出の準備を始めた。

 黒いジャケットを纏い、クレー射撃用の銃が入ったケースを肩に引っ掛ける。

 

 

「あれ? 至さん、今から出かけるの?」

 

「ああ、ちょっとな。戻るの遅くなるから、適当にくつろいでてな」

 

 

 そう言い残すなり出かけようとした至さんは、ふと足を止める。彼はモルガナに歩み寄ると、真顔のまま向き合った。

 

 

「――お前、お嬢の保護観察先に住んでいるんだってな?」

 

「ハ、ハイ。仰る通り、ワガハイ、レイの保護観察先でお世話になっております。住む場所を提供してもらい、喫茶店のゴシュジンにも話をつけていただきました」

 

「そうか。もし、お嬢の着替えを覗いたり、猫の外見を利用してお嬢に破廉恥な真似をしようとしたら……分かるな?」

 

「ヒィッ!? かかか、畏まりました! 肝に銘じておきます!」

 

 

『――もし、黎の着替えを覗いたりなんかしたら、殺すぞ?』

 

『わ、ワガハイ、そんな真似は絶対しないぞ!』

 

 

 至さんがモルガナに言ったことは、つい数日前――モルガナが黎の住む喫茶店の屋根裏部屋に居つくことになった際に、僕が奴に耳打ちした内容と一緒だった。唯一違うところがあるなら、モルガナは至さんに対して敬語を使っているところだろう。

 誰かに対して畏まった様子のモルガナを見たのは初めてだ。不遜で不敵な気高い黒猫からは想像つかない。現に、竜司が「モルガナって敬語使えるんだ……」と感心していた。「紳士なのだから当然だろう。常識だ!」とモルガナも怒りをあらわにする。

 

 

「でも、俺らと至さんじゃ、お前全然態度違うよな。何でだ?」

 

「……正直、ワガハイにもよく分からないんだ。だが、漠然とだが、絶対的な強制力? みたいなモンがあってな。()()()()()()()()()()()()()()()()()()って……」

 

 

 自分でも理由が説明できずに困惑しているのだろう。モルガナはもごもごと呟いて首を傾げる。そのあたりが、彼の“失われた記憶”と関係しているのだろうか。

 ……“至さんの正体が何なのか”を知っている俺は、今、どんな表情を浮かべてモルガナを見ているのだろうか。眉間に皺が寄っていることは確実である。

 モルガナの発言を、至さんもきちんと聞いていたらしい。ほんの一瞬だけだが、見ているこちらが凍り付くレベルの険しい顔を浮かべた。そうして、モルガナに声をかける。

 

 

「フィレモン」

 

「!!」

 

 

 至さんがそう呟いた刹那、モルガナはビシッと背を伸ばした。多分、モルガナがパレスのときと同じ姿であったなら、直立不動の姿勢を取っているに違いない。

 

 

「ニャルラトホテプ」

 

「!!」

 

 

 至さんがそう呟いた刹那、モルガナは即座に威嚇態勢を取った。多分、モルガナがパレスのときと同じ姿であったなら、武器を携えて相手――名前の主へ突撃していきそうな空気である。目が血走っているように見えたのは気のせいではなさそうだ。

 

 幾何の沈黙。

 そして、至さんが吼えた。

 

 

「――お前、役立たず(フィレモン)の関係者かよォ!!」

 

 

 俺の言いたいことのすべてを、至さんが代弁してくれた。そうして、即座に黎の方へと向き直る。

 

 

「お嬢、悪いことは言わない。コイツ追い出せ。今すぐ追い出せ」

 

「で、でも……」

 

「確かにコイツは人間の協力者だ。だが、()()()()()()()()()()()()()()()()()。“滅びを迎える世界にいた俺”も役立たず(フィレモン)に騙されて利用された挙句、結果的にそれが原因で死ぬ羽目になったから分かる。下手したらお嬢もその轍を踏みかねない!」

 

「それは違います! ワガハイは、レイを騙したり、利用したり、死なせようなんて思っていません!!」

 

「どうだかな。役立たず(フィレモン)の関係者ってだけで信用ならん。役立たず(フィレモン)の関係者の中で例外なのは、イゴールと『力司る者』の面々だけだし」

 

「イゴール……?」

 

 

 言い争っていた至さんとモルガナだが、フィレモンの次に出てきた名前――イゴール――を聞いた刹那、モルガナはぴたりと動きを止めた。

 「……何故だろう。その名前、とても懐かしい……」――イゴールという人名に対し、懐かしさと同時に親愛と敬愛を抱くモルガナ。

 それを見た至さんは刺々しい態度をひっこめる。少し悩むような動作をした後、納得したように頷いて息を吐いた。そうして、至さんはモルガナに謝罪する。

 

 謝罪合戦を繰り返す至さんとモルガナの脇で、黎が難しそうな顔をして顎に手を当てていた。あの様子だと、黎もイゴールなる人名に聞き覚えがあるらしい。

 

 

「黎。イゴールという人のこと、知ってるの?」

 

「……たまに、夢の中の牢獄で会うんだ。そのおじいさん、私のことを『囚人』って呼んでて、『更生』させるって言ってた」

 

「『囚人』に、『更生』……」

 

 

 何とも物騒な響きである。そんなことを黎に言い放つ老人という時点で、俺はイゴールなる人物に対する信頼度はダダ下がりした。至さんが件の老人を信頼する理由に警告したくなるレベルだった。至さんこそ騙されていないのか心配になる。

 俺は、件のイゴールなる人物と出会ったことはない。彼を上司と仰ぐ『力司る者』の面々となら、何度か遠巻きから見かけた程度だ。末弟のテオドア、2番目のエリザベス、長女のマーガレット――上の姉2名が末弟を苛め抜いている姿が頭から離れない。

 

 今日もまた、テオドアは理不尽な目に合っているのだろうか。そうして、半べそになりながら命さんの元で愚痴を聞いてもらっているのだろうか。

 酒を水の如くガブガブ飲み進め、「命さまが私のお姉さまだったら良かったのに」とかぼやいているのだろうか。それを訊ねる勇気など俺には無い。

 そうして、最後は前後不覚になったテオドアを、エリザベスかマーガレットが引きずりながら雑に回収していくのであろう。可哀そうに。

 

 モルガナとの謝罪合戦を終えた至さんは、何やら難しい顔をしたまま考え込んでいた。出かける用事も忘れてしまったくらいに、真剣な面持ちである。彼はぼそぼそと何かを口走っていた。

 

 

「……役立たず(フィレモン)の奴、『イゴールが悪神に捕まったから助けてくれ』とか言ってたよな……? なら、お嬢の知ってるイゴールは――」

 

「至さん、時間大丈夫?」

 

「――あ、いけね。急がなきゃ」

 

 

 俺に指摘された至さんは、慌てた様子で走り去っていく。「それじゃあ、行ってきます」とだけ言い残し、あの人は家を飛び出した。

 

 俺たちは椅子に座って料理に舌鼓を打ちつつ、鴨志田を『改心』させるための作戦会議を行う。武器と薬の調達には目途が立っており、あとは『改心』させるための下準備を整えるだけだという。その第1段階が、“『オタカラ』と呼ばれる欲望の顕現がしまい込まれている最奥までのルートを確保すること”だった。文字通り、俺たちの活動は怪盗じみている。

 ルートの確保が完了すれば、第2段階は“ターゲットに予告状を出して相手を緊張状態に追い込むことで、パレス内に『オタカラ』を具現化させる”のだ。敵の警戒を最大にしながらも、決して自分たちは捕まること無く、包囲網を掻い潜って『オタカラ』を盗み出す。慎重さと大胆さが必要だ。言うのは2度目だが、やはり俺たちの活動は怪盗じみていた。

 

 俺の本業は探偵(偽物)であるが、こういうのも悪くはない。

 『探偵でありながら怪盗』という二足の草鞋を履く、光と闇のヒーロー。

 そして何より、俺は黎と一緒に戦うことができる。彼女の力になれる。

 

 

(獅童正義の件で全然役に立たない分、少しでも黎の力になりたい)

 

 

 自分の中で渦巻く苦々しさを飲み下しながら、俺はふと考えた。

 

 モルガナの言葉通り、鴨志田の『改心』が成功して、鴨志田が罪を告白して償おうとしたならば。

 もし、獅童正義の欲望がパレスを作れる規模のもので、奴のパレスが存在しているのならば。

 

 獅童正義を『改心』させれば――奴は自分の罪を認めて反省し、黎の無実を証明してくれるだろうか。

 

 俺は、黎を守る『正義の味方』に――『白い烏』になれるだろうか。

 

 

◇◇◇

 

 

 パレスに潜ってルートを開拓し、『オタカラ』までのルートを確保。そうして鴨志田卓に予告状を叩き付けるに至った僕たちは現在、鴨志田のパレスにいる。

 黎からの連絡で聞いたのだが、鴨志田は僕たちに対して強い警戒を抱いているようだ。「奴のパレスにあった『オタカラ』も顕現しているだろう」とは、モルガナの弁だった。

 同時に、予告状を出したら即行動しないとならないらしい。“チャンスはこの1回限り”――それを噛みしめながら、僕たちは鴨志田の城を駆け抜ける。

 

 先日確保したルートを駆け抜け、宝物庫の扉を開けた。金銀財宝に埋め尽くされたそこの中央部に、前回は靄でしかなかった『オタカラ』が顕現している。――それは、絢爛豪華な王冠だった。

 

 

「オタカラぁぁ、オタカラぁぁ! にゃふぅぅぅ!」

 

「「いや、運び出してからやれよ!」」

 

「ハッ!? す、すまない。レディの前でみっともない真似を……」

 

 

 それを目にした途端、モナは大喜びして王冠にじゃれついた。その様を例えるなら、猫にマタタビみたいなものだ。モナは恍惚とした表情を浮かべ、『オタカラ』にすり寄っている。僕とスカルの突っ込みによって、ようやく元に戻った。

 キャラが変わりすぎである。「なんでキャラが変わったの?」とパンサーが問えば、モナは「人間の欲望に魅せられた」と返した。あの反応だと、やはり、“人間というより異形に感性が近い”と思えてならない。ソースはエリザベスとテオドア姉弟だ。

 自分が人間だった証だと信じてやまないモナには酷だろうが――そう指摘しようと思った僕もまた、モナの豹変に気圧されている人間でしかないのだろう。……いいや、そもそも、敵陣のど真ん中で『オタカラ』開帳なんてしている暇はないのだ。

 

 

「よし、お前ら運べ」

 

「命令するなっての!」

 

「やれやれ。人使いが荒いな……」

 

 

 モナに命令され、僕たちは王冠を運び出そうと試みる。鴨志田の欲望の大きさを表すかのように、王冠はずしりとした質量をもっていた。

 この大きさのまま運び出すのは骨が折れそうだ。だが、直接運ぶ以外方法はない。王冠の重さにヒイヒイ言いながらも、スカルはニカッと笑った。

 

 

「けど、思ったより簡単だったな。すげえ罠とかあると思ったけど、全然大したことないし!」

 

「そうだね。これ持って帰っちゃえば、パレスは消えるんでしょ? それで、鴨志田のヤツも変わる……」

 

「ああ、そのはずだ!」

 

「うまくいくといいな……」

 

 

 パンサーとジョーカーが“鴨志田が『改心』する”という想像を巡らせ、モナが同意する。『改心』がうまくいってほしいというのは僕も同意見だ。

 

 モナは上機嫌である。「ジョーカーを見込んで取引をしてよかった」と語る彼は、手足が短すぎるために運び役から外れている。正直な話、ずるくないだろうか。

 お前も運べよという言葉が口から出かかったが、世の中にはどうしようもないことがあるのだ。僕は諦める。あと数歩で宝物庫から出られる――そう思ったときだった。

 

 

「「ゴーゴーレッツゴー! カーモーシーダッ!!」」

 

 

 聞き覚えのある少女の声が聞こえたと思った瞬間、運び出そうとした『オタカラ』に何かがぶつかる。バランスを崩した王冠は、そのまま地面に転がった。

 刹那、僕たちの頭上を何かが舞う。間髪入れず、奴は着地してこちらを睨む。文字通りの仁王立ち。城主――鴨志田のシャドウが、怒りで顔を醜悪に歪ませていた。

 僕たちは思わず身構える。転がった王冠は、奴が手を掲げた途端、奴の頭に乗る程度の大きさへと変貌した。そのまま、王冠はあるべき場所へと収まる。

 

 次の瞬間、物陰から2人の少女が飛び出してきた。1人はランジェリーに身を包んだ高巻杏、もう1人はベビードールに身を包んだ有栖川黎――どちらも鴨志田の認知によって生み出されたものだろう。

 杏は鴨志田に抱き付き、黎は鴨志田より3歩下がって影を踏まぬ位置に控える。鴨志田は杏に嫌らしい手つきで触れた後、次は黎に手を伸ばす。黎は抵抗すること無く、鴨志田の下品な手つきを受け入れた。

 

 

(――ッ!!)

 

 

 頭の中が真っ赤に染まった。反射的に、俺は先日新調した拳銃に手をかける。

 

 銃を構えて鴨志田の眉間をぶち抜かなかったのは、『改心』専門のペルソナ使いであることを選択した『白い烏(クロウ)』の矜持だ。自分の中で暴れる殺意を押し殺し、俺は鴨志田を睨みつけた。

 多分、鴨志田は俺が“何”かを察したのだろう。楽しそうに舌なめずりすると、認知上の黎に対しての行為をエスカレートさせる。奴は手慣れた様子で、黎のベビードールを弄び始めた。奴の手は黎の下着へと手をかけ――

 

 

「――■■■■■」

 

 

 次の瞬間、凛とした声が響いた。とても聞き覚えのある声。――俺の隣に、仲間たちの中心に立っていた、ジョーカーの声だ。

 彼女が何かを呟いたと思った刹那、凄まじい風が吹き荒れる。丁度、俺が拳銃を構えて引き金を引こうとした、そのタイミングで。

 ジョーカーの背中には、薄らぼんやりと何かが揺らめいていた。彼女の“おしるし”を連想させるような、『6枚羽の魔王』。

 

 俺が呆気にとられている間に、耳をつんざくような轟音が響き渡る。悍ましさを感じるような黒い闇が、鴨志田に弄ばれていた認知上の黎を消し飛ばした。断末魔さえ許さない攻撃に空恐ろしさを感じる。

 だが、次の瞬間、『6枚羽の魔王』の姿は溶けるようにして消え去る。その代わりに、魔王が先程まで漂っていた場所には、ジョーカーが初めて顕現したペルソナであるアルセーヌが佇んでいた。

 

 ジョーカーが深々と息を吐き、俺の方に向き直る。漆黒の双瞼は、しっかりと俺を見据えていた。

 

 

「クロウ、惑わされないで」

 

「……悪い。でも、どうしても我慢できなくて」

 

「分かってる。……ありがとう、クロウ。嬉しかった。偽物でも、私の為に怒ってくれて」

 

「ジョーカー……」

 

「貴様ら……! ムカツク、ムカツクぜ!」

 

 

 すべてを理解しても尚微笑んでくれるジョーカーに、俺はどうしてか泣きたい心地になる。

 そんな俺たちの邪魔をするが如く、鴨志田が不機嫌そうに声を張り上げた。

 

 奴は最初から、俺たちを宝物庫で始末するために待ち伏せていたらしい。奴が“秀尽学園の王”として好き勝手出来ていたのは、オリンピック選手という鴨志田のネームバリューにあやかりたかった連中がいたからだ。奴らは教師だったり、保護者だったり、生徒だったり、様々である。奴らの共通点はただ1つ――“得をするため”だった。

 鴨志田は俺たちのことを馬鹿呼ばわりし、「自分の才能を自分のために使って何が悪い?」と開き直った。自分を特別だと信じて憚らない男だが、その実態は欲望に取りつかれた悪魔である。パンサーからそう指摘された鴨志田は高笑いすると、認知上の杏をも飲み込んで、黒い泥の中へと沈み込んだ。

 水が弾けるような音が響いた後、泥は形をとって顕現した。人間サイズだった鴨志田の身体は、天井に届くまでもの巨体となる。頭には王冠を被り、長い舌をぶらぶらと揺らしながら、4本の腕を持つ悪魔が這いずり出してきたのだ。4本の腕にはそれぞれワイングラス、ナイフ、フォーク、警棒のようなムチが握られていた。

 

 

「な、なんだよアレ……!」

 

「バケモノ……それが、アイツの本性ってわけね……!」

 

「オマエラ、来るぞ!」

 

 

 スカルとパンサーは驚きながらも、それぞれ得物を構える。モナも鴨志田に向き直り、戦闘態勢を整えた。僕とジョーカーも頷き合い、鴨志田を睨み返した。

 

 

「ウ、オオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」

 

 

 鴨志田のシャドウは高らかに咆哮した。奴の気迫によって、この場にびりびりと振動が走る。

 

 

「見ろ、奴の頭にある王冠。アレが『オタカラ』だ。隙をついて盗ってやろうぜ!」

 

「了解。ヤツを攻撃して、チャンスを伺おう!」

 

 

 モナの言葉にうなずいて、ジョーカーが仲間たちに指示を出す。僕たちは躊躇うことなく頷いて、暴れる鴨志田へと襲い掛かった。ペルソナを召喚して攻撃したり、武器で直接攻撃を仕掛けたり、銃を使って鴨志田にダメージを与える。

 鴨志田は足元につないでいる下僕に命じて、スパイクを打たせた。勢いよく飛んで来たバレーボールの群れが僕たちに降り注ぐ。躱しきれずに何発か喰らってしまったが、ジョーカーやモナのペルソナが傷を癒してくれた。そのまま、僕たちと鴨志田は攻防を繰り広げる。

 鴨志田に対し、一定のダメージを与えたときだった。鴨志田は、自分が持っているトロフィーにナイフとフォークを向ける。人の脚らしきものが覗く悪趣味なソレから、鴨志田はその一部を切り取って口に運んだ。ぐちゃぐちゃという咀嚼音が響き渡る。刹那、奴の傷はあっという間に癒えてしまった。

 

 グロテスクな光景に吐き気を覚えたが、それを何とか堪える。驚異的な回復手段を有する鴨志田に対して長期戦を挑むのは不利だ。ならば、回復手段を潰すのみ。

 僕らは迷うことなく、トロフィーに狙いを変えた。鴨志田もそれを察したようで、即座にナイフとフォークを打ち鳴らした。間髪入れずシャドウの群れが現れる。

 

 

「コレを、価値を知らない奴らに触らせるな!」

 

「御意!」

 

 

 鴨志田の命令を受けたシャドウたちは、即座にトロフィーを守らんと奮戦する。1対1体はさほど強くないが、徒党を組まれて迫られると厄介だった。

 

 このままだとジリ貧である。戦況も段々と形勢不利に傾いてきた。誰もが必死になって突破口を探すが、数に押されてしまい、戦線を保つので手一杯になりつつある。

 だが、次の瞬間、何もしていないのに風が発生してシャドウどもが吹き飛ばされた。間髪入れず、周囲を焼き尽くさん勢いで光が爆ぜる。

 光の余波はトロフィーにまで届いたらしい。毒々しく輝く金色の杯に大きなヒビが入る。鴨志田が悲鳴に近い金切り声を上げ、杯を守るようにして身じろぎした。

 

 

「何だ!? 何が起きたって言うんだ!?」

 

「今の技、もしかして――」

 

「黎!」「黎ちゃん!」

 

 

 混乱する鴨志田は、何が起きたかよくわかっていない様子だった。

 だが、僕たちは、シャドウとトロフィーに襲い掛かった攻撃を知っている。

 

 振り返れば、城戸さんとゆかりさんが得物を構え、鴨志田を睨みつけていた。

 

 

「玲司さん!」

 

「ゆかりさん! どうして!?」

 

「黎から『今日決行』という報告があってな。いい加減鴨志田の野郎との因縁を断ち切りたかったんで、どうにか時間を勝ち取って来た」

 

「あたしも。仕事が早く片付いたから、こっちの手助けできるかなって思って!」

 

 

 スカルの問いに城戸さんが、パンサーの問いにゆかりさんが答える。だが、この2人のスマホには、“イセカイナビ”はインストールされていなかったはずだ。ナビを持っていないにもかかわらず、どうやってパレスへ潜り込んだのか。

 僕がそう問いかけると、2人は「ここに来る前に至さんと会っており、彼と別れた後にスマホを見ると“イセカイナビ アスモデウス限定版”なるアプリが入っていた」と答えてくれた。最近、俺の保護者が忙しそうに駆け回っていたのは、このアプリに関連していたのかもしれない。

 色々と問いたいことはあったが、今は鴨志田を倒す方が先決だ。鴨志田は懲りずにシャドウを召喚し、俺たちに差し向ける。だが、鴨志田がシャドウを召喚する度に城戸さんとゆかりさんが一掃していく。これで、僕たちはトロフィーの破壊に集中できそうだ。

 

 シャドウの群れを城戸さんとゆかりさんに任せ、僕たちはトロフィーに攻撃を集中させる。

 途中で鴨志田は杏の人形が入ったワイングラスを飲み干していたが、構わず攻め続けた。

 

 ――そうして、ついに、鴨志田のトロフィーが砕け散る。鴨志田は悲鳴を上げて嘆いた後、僕たちに対する怒りをあらわにした。

 

 

「絶対に貴様らは許さんからな! 俺様は王なのだぞっ!!」

 

「裸の王様が何か言ってるけど、果てしなくどうでもいいね」

 

「確かに。自分の名誉以外に縋りつくモノがないなんて、本当に哀れだ」

 

 

 呆れたような調子で、ジョーカーは鼻で笑った。僕も同意する。それに続くように、スカルとパンサーも同意する。

 

 

「人を見下してるクセによ、今のお前……すげえダセぇ」

 

「わざわざ盗りに来てやってんの! さっさと渡してくれる?」

 

「黙れ! 貴様らなんぞにコレは渡さん!」

 

 

 鴨志田は尚も口で反撃してくる。奴はまだ、僕たちに対して戦意があるらしい。「まだそんなこと言う元気があるのかよ」と舌打するモルガナと、僕も同意見であった。ならばこちらも本気になるべきだろう。

 ジョーカーは躊躇うことなく総攻撃の指示を出した。城戸さんとゆかりさんも加わり、鴨志田を文字通りボコボコにぶん殴る。総攻撃を喰らっても尚、鴨志田は未だに健在だった。腹立たしいと思う反面、それでいいとも思う。だって、殴り足りない。

 

 スカルは自らの居場所と未来を奪われ、パンサーは大切な友人が死ぬより惨い目にあわされそうになった。

 ジョーカーはシャドウの鴨志田に危うく惨い目にあわされる直前まで言ったし、俺は認知上とはいえ大切な人を嬲られた。

 城戸さんは妻と息子が鴨志田の毒牙にかかりかけていたし、ゆかりさんは城内の光景に精神的苦痛を受けている。

 

 この場にいる全員が、鴨志田に対して強い怒りを持っているのだ。たった数発殴っただけで倒れられるのは困るのである。……いつまでたっても倒れないのも面倒だが。

 

 

「あーもう、メンドくさい! いい加減倒れないの!?」

 

「このまま戦い続けるのも面倒だな。いっそ、『オタカラ』とやらを狙えりゃいいんだろうが……」

 

「――それだ!」

 

 

 城戸さんの提案に乗ったのはモナだった。「いっそ、奴の王冠を直接狙えばいいのではないか」――成程、いい案である。

 

 鴨志田のシャドウは言っていた。『あの王冠こそが、自分がこのパレスで王を名乗る理由なのだ』と。ならば、奴にとっての王の象徴を奪い取れば、力を奪い取れるかもしれない。

 だが、真正面から挑めばすぐにバレてしまう。そこで、モナはちらりと視線を向けた。彼の視線の先にはテラスの縁がある。そこは丁度、鴨志田の王冠に手が届きそうな位置だ。

 

 誰かを派遣し、鴨志田の気を引き続ければ、王冠を奪取するチャンスを作れるだろう。王冠を奪取できれば、戦況をひっくり返すこともできる。

 だが、テラスの縁に辿り着いて王冠を奪うまで時間がかかるし、その間僕たちは人数が減った状態で戦い続けなければならないだろう。

 問題はそれだけではない。誰を王冠奪取役に指名するかも重要だ。ジョーカーは仲間たちを見回し、誰を派遣すべきか考えている。

 

 

「……私とパンサー、およびゆかりさんは除外だね。アイツ、女性から目を離そうとしないし……」

 

「――なあ。それ、俺に任せてくんねぇ?」

 

 

 名乗りを上げたのはスカルだった。彼の目は決意に燃えている。パレス探索中にも「鴨志田の野郎に目に物を見せてやる」と何度も宣言していたスカルだからこそ、だろう。

 正直、スカルの性格上、短慮で勢い任せなところが心配だ。彼の根っこが目立ちたがりな所も、『スカルに隠密行動ができるのか』と不安になる理由である。――だが。

 

 

「俺からも、頼む。コイツに、ケジメをつけさせてやりたいんだ」

 

「れ、玲司さん……」

 

 

 真剣な面持ちで、城戸さんが頼み込んできた。スカルが感極まったように声を震わせる。ジョーカーはふっと笑みを浮かべた。

 

 

「スカル、任せるよ」

 

「――おう!」

 

 

 スカルは不敵な笑みを浮かべて頷いた。そうして、僕たちは鴨志田のシャドウに向き直る。

 僕たちが鴨志田に挑みかかる中、僕の視界の端をスカルが駆け出したのを見た。

 

 

「さあ来いよ鴨志田。ナイフやフォークなんて捨ててかかってこい」

 

「聖エルミンの裸グローブ番長……テメェの伝説もここまでだァァ!」

 

 

 鴨志田にスカルの不在を気づかせぬよう、城戸さんが率先して挑発する。それに便乗するように、ジョーカー含んだ女性陣も攻撃を仕掛けた。喚き続ける鴨志田は、やはりスカルの不在に気づく様子はなかった。

 「自分が王として振る舞っているからこそ学校が回るのだ」と、「セクハラをしたのではなく、向うがモーションをかけてきた」と、鴨志田は馬鹿げた話を続ける。パンサーやジョーカー、ゆかりさんの表情がどんどん険しくなってきた。

 僕はちらりとテラスの縁に目線を向ける。柱を登っていたスカルは縁の上に辿り着いたらしい。鴨志田を見下ろしながら、不敵な笑みを浮かべている。悪戯っ子が浮かべるには凶悪な笑みだ。今までの鬱憤や恨みが、彼の顔を悪く魅せているのだろう。

 

 ここでようやく、鴨志田は「1人足りない」ことに気づいたようだ。慌てた様子で周囲を見渡す。

 だが、遅すぎたのだ。ジョーカーが、パンサーが、モナが、僕が、不敵な笑みを浮かべて彼の名前を呼ぶ。

 

 

「「「「行け、スカル!」」」」

 

「――気づくの遅えよ、バーカ!」

 

 

 テラスから跳んだスカルが、思い切り鈍器を振りかぶった。派手な音を響かせて、鴨志田の王冠が吹き飛ぶ。高い金属音を響かせながら、王冠は床に転がった。

 

 王冠を奪われた鴨志田が叫ぶ。動揺した鴨志田は、あっという間に憔悴してしまった。奴はワイングラスを拾うこともせず、吹き飛んだ下僕に指示を出すこともなく、自信を失ってしまったかのように萎れている。

 怯んだ鴨志田を見逃す筋合いはない。僕たちは王冠を奪い取った勢いそのまま、鴨志田に猛攻を仕掛けた。王冠を失ったせいで奴は一気に弱体化してしまい、あっという間に崩れ落ちる。最後は僕たちの総攻撃によって、異形と化した鴨志田は弾けて消えた。

 人型に戻った鴨志田は素早い速さで王冠を拾い上げると、「これだけは渡せない」と叫んで逃走しようとした。だが、奴が逃げた先はベランダである。飛び降りれば逃げられるのだが、奴はベランダの手すりに手をかけたっきり動かない。

 

 奴が弄んだ女性の中には、自殺を図った人間だっているのだ。中には飛び降りをした女性だっている。

 そのことをパンサーやゆかりさんに指摘された鴨志田は、怯えた顔をして身じろぎした。

 

 

「飛び降りた人はどんな気持ちだったのかしらね。……きっと、怖かったに決まってる」

 

「ねえ。アンタ、さっさと飛び降りなさいよ。男なんでしょ? その王冠寄越して命だけ助かるか、このまま死ぬか……どっちがいい?」

 

 

 パンサーのカルメンとゆかりさんのイシスが顕現する。2人に追いつめられた鴨志田は、がくがくと足を震わせていた。

 ややあって、鴨志田が「改心する!」と悲鳴を上げながら王冠を投げてよこす。それを城戸さんが拾い上げ、小さく鼻で笑った。

 元々最初から決めていたことだが、僕たちは『改心』専門のペルソナ使いだ。故に、『鴨志田を殺す』なんて選択肢は存在しない。僕は大きく息を吐いた。

 

 

「俺は、どうすればいいんだ……」

 

「罪を償いなさい」

 

 

 根拠なき誇りと驕りの証明だった王冠を失い、途方にくれた鴨志田は弱々しく呟く。間髪入れず、ジョーカーは鴨志田に言い放った。

 それが彼の指針になったのだろう。鴨志田は静かに涙を零し、優しく微笑んで頷いた。彼の身体が光に包まれる。

 

 

「オレは現実のオレのなかに還える。そして、必ず――」

 

 

 彼の言葉は最後まで紡がれることなく、空気に飲み込まれて消えていった。

 

 何とも言えぬ沈黙が広がる。だが、間髪入れず地響きが発生した。ガラガラと派手な音を立てて天井が崩れてきた。……いや、崩れているのは天井だけじゃない。この世界自体が崩壊しようとしているのだ!!

 モナの指示に従い、怪盗団と協力者であるペルソナ使いも駆けだす。悲鳴を上げながら、僕たちは消えてゆく城――鴨志田卓のパレスから脱出した。ぐにゃりと世界が歪み、辿り着いた場所は秀尽学園高校の路地裏。

 先程の光景が夢のように思えるくらい、平和な日常光景が広がる。黎も、竜司も、杏も、モルガナも、城戸さんも、ゆかりさんも、僕も、みんな無事に戻って来た。勝利の余韻を噛みしめる僕たちだが、モルガナが冷や水を浴びせるようなことを言い放つ。

 

 なんと、今回のパレスが初めて且つ唯一の成功例だというのだ。だから、『改心』がうまくいくかは分からないのだと言う。

 「こっちは退学が懸かってんだぞ!」と怒り狂う竜司を城戸さんが宥め、ゆかりさんと杏が「疲れた」とぼやく。

 

 僕はちらりと黎に視線を向けた。黎は僕と視線を合わせると、柔らかに微笑み返してくれた。――それだけで、とても安心する。

 

 

(ああ、帰って来た)

 

 

 『改心』の結果もまだ出ていないのに、何かを成し遂げたのだという不思議な充足感を噛みしめる。

 ――これで、僕の『初めてのパレス攻略』は幕を閉じたのであった。

 




魔改造明智と怪盗団、および先輩と共に挑んだ鴨志田戦。この調子でサクサク進んでいきます。次は鴨志田改心と戦勝会の予定。更なる波乱を発生させたいです。


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泣きっ面で虹を見た

【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 名前:空本(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
・「獅童正義の関係者」のオリキャラが追加。詳しい説明は中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『運命を切り開くだけの簡単なお仕事』および『ペルソナ3異聞録-.future-』、Pixivの『2周目明智吾郎の災難』および『【一発ネタ】有栖川黎の幼馴染』の設定を下地にし、別方向へ発展させた作品である。
・ジョーカーのみ先天性TS。
 ジョーカー(TS):有栖川(ありすがわ) (れい)⇒御影町にある旧家の跡取り娘。旧家制度は形骸化しているが、地元の名士として有名。身長163cm。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空本(そらもと) (わたる)⇒有栖川家とは親戚関係にある。南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。
・三島が可哀想なことになっているので注意。
・「2罰ボスの外見を見た人間の反応」に関するねつ造設定がある。


「――鴨志田()()が、学校に来てない?」

 

「うん。“()()()”からずっと休んでるよ。大丈夫かな」

 

 

 僕の問いかけに、黎は静かな面持ちで答える。何故鴨志田を()()付けで呼んだり、『改心』に関する話題を表に出さないようにしたりしているのか――答えは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()ためだ。

 ここは黎の保護観察期間中における居候先、喫茶店ルブラン。現在“営業時間にして閉店15分前”である。店主の佐倉さんは何か言いたげに僕と黎を見つめていたが、僕たちの関係を知っているため、苦笑するに留めてくれた。

 

 学校や仕事の合間を縫って、僕はなるべく黎の元へ通うように心がけていた。たとえ僅かな時間であっても、直接顔を合わせて喋るというのは重要だと僕は思っている。黎も僕と同じようで、なるべく時間を作れるよう心を砕いてくれていた。

 電話やメール、SNSという連絡手段はあれど、寂しさが募らないわけではない。それ故、彼女が保護観察の名目で東京に出てくる以前は、連休や長期休みになると、僕たちは東京と御影町を頻繁に行き来していた。会える頻度も時間も限られたものだったが、次また顔を合わせる日が楽しみで仕方なかったのだ。

 今は顔を合わせる頻度は多くなったが、時間が限られていたり、怪盗団の仲間としての作戦会議や団欒だったりして、2人だけでゆっくり話す頻度は減ってしまったように思う。だから、閉店間際のルブランで顔を合わせ――短時間でも――話す時間はとても貴重だった。

 

 

「黎のことを広めた犯人は?」

 

「彼なら、『脅されてやった。ごめん』って謝ってくれたよ。『罰として、これからは仲良くしてほしい』って言ったら泣かれちゃった」

 

「この慈母神……!」

 

 

 黎に対して罪悪感を持つ相手が、その張本人から“そんなこと”を慈母神スマイルで言われてみろ。贔屓目を抜いても、落ちない奴はいないと僕は考えている。彼女は自分の魅力に無頓着すぎるのだ。

 

 家に帰ったら竜司に連絡して、件の生徒がどこのどいつなのかを割り出し、きっちり「彼氏は僕です」と表明しておかなければなるまい。

 僕がそんなことを考えたそのタイミングでスマホのランプが点灯する。メッセージを確認すると、送り主は竜司だった。

 丁度いい、このメッセージに返答するついでに竜司に訊いてみようか――なんて考えながらメッセージを見ると。

 

 

“三島にはしっかり言って聞かせといたから”

 

“しっかりと、しっかりと言って聞かせといたから”

 

“「黎は彼氏持ちだからやめろ」って”

 

 

 僕の幻聴か、どこかから嗚咽を上げる男子生徒の声が聞こえてきたような気がした。声のトーンからして、“男泣き”と呼ばれるレベルのものだ。

 どうやら俺が実力行使をする必要はないらしい。物分かりのいい奴で良かったと思う反面、この物分かりの良さが事件の混迷化に繋がったと考えると複雑な気分だ。

 

 

()()()()()()()()()()女子生徒は大丈夫なのかい?」

 

「心療内科や精神科でカウンセリングを受けているらしい。その子、男性に対して強い恐怖心を抱いてるみたいだ」

 

 

 鈴井志帆に関する一件は、“鴨志田に襲われそうになった”のを“下校途中、変質者に襲われた”という設定にされて、秀尽学園高校の生徒に認識されていた。関係者には箝口令が敷かれており、鈴井志帆に関するありもしない噂が尾ひれを付けて広まっているという。

 その内容は「裏で男性を誘惑していた」や「援助交際で話がこじれて相手から襲われた」というものである。好き放題言われていることに憤慨しながらも、僕たちは何もできない。相手は裏サイトに跋扈する不特定多数の人間たちだ。匿名性を利用し、無責任な発言を繰り返している奴らである。

 残念ながら、奴らが流した噂を払拭することは難しいだろう。鈴井志帆の回復状況や、本人の選択によって今後が変わるのかもしれない。それに口を出す資格など僕らには存在しないので、僕らは黙って見守る以外に道はないのだ。……それがどんなに、歯がゆいことだったとしても。

 

 鴨志田に関する話題はこれくらいにしておくべきか。僕と黎はちらりとアイコンタクトを交わし、佐倉さんに怪しまれぬよう、日常生活の話題を持ち出した。

 

 

「黎、学校は楽しい?」

 

「楽しいよ。気の合う友人もできたし。吾郎は? テレビや雑誌にも顔出ししてるみたいだけど、無理してない?」

 

「大丈夫だよ。出席日数や仕事との兼ね合いも取ってるし、至さんや航さんたちの手だって借りてるから」

 

 

 僕と会話をしながらも、黎は手慣れた様子でコーヒーを淹れていた。サーバーの扱いも様になっている。コーヒー豆の香りが鼻をくすぐった。鴨志田パレス攻略開始とほぼ同時期より、黎は佐倉さんからコーヒーの淹れ方を教わっていたらしい。

 佐倉さん曰く、「『始めて淹れた』にしては素晴らしい腕の持ち主だ」と目を丸くしていたそうだ。僕もこうして黎の淹れるコーヒーを味わっているが、佐倉さんの淹れるコーヒーとは甲乙つけ難い程のものだった。

 鴨志田パレス探索時にも彼女のコーヒーは重宝したが、冷めていても充分美味しいと感じるレベルだった。……ただ、苦いものを好まない竜司には苦行だったらしいが。僕はそんなことを考えながら、黎が淹れたコーヒーを啜る。

 

 柔らかに笑う黎をカウンター越しから眺めていると、()()()()()()()()()()()()()()()()を感じるのだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 暫し談笑していた僕たちだが、その時間にも終わりが訪れた。ルブランの閉店時間である。

 名残惜しいのだが致し方がない。ただ、お互いがそう思っていると感じられることは嬉しかった。

 

 

「それじゃあまたね、黎」

 

「うん。またね、吾郎」

 

 

 互いに会釈しながら、僕はルブランを後にした。ドアベルの音を背にして、僕は夜の街に繰り出す。四軒茶屋の裏路地を抜けて表通りに出て駅へ向かう足取りは軽い。

 

 鴨志田の一件が片付いたわけでもないのに、『改心』が成功するか否かもわからないのに、僕はどうしてか()()()()()()()()()()。『()()()()()()()()と、得体の知れない確証があった。

 ()()()()()()()()()()()()()。“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――悲鳴にも似た感覚に、俺は思わず足を止める。

 

 

(――()()()()?)

 

 

 間違った、とは、何を? ()()()()()()()()()()()()()()? それに答える声もなければ、答えを示す術もない。

 けれど、どうしてか、今度は――()()()()()という安堵が溢れだす。()()()()()()()()のだと、根拠もないのにそう思えた。

 秀尽学園理事会まで残り数日。不安だらけにも拘わらず、どうしてか俺は、その日が楽しみで仕方がなかった。――おそらくは、黎以上に。

 

 

***

 

 

「ねえ、地下鉄また止まったんでしょ?」

 

「電車内で刃物振り回すとかサイテー。本当に何考えてるのかしら」

 

「また大臣が辞任したらしいよ。浮気だって」

 

「大臣変わりすぎだろ。この国には、まともな奴いないのかよ」

 

 

 雑踏の中に紛れながら、噂話に耳を傍立てる。夜の大都会は煌びやかな光に包まれており、それが余計に暗闇を濃くしているように感じる。実際、路地に入ると光が殆ど差し込まない道だってあるのだ。何が潜んでいるのか分からない気配を感じさせた。

 

 

『日本は沈没しかかっているのです。この国の船頭が――』

 

 

 不意に聞こえてきた声に、俺は反射的に顔を上げた。街頭のテレビジョンに映し出されているのは、マスコミに囲まれインタビューを受ける大臣――獅童正義だ。

 テレビの中にいる獅童は、別の大臣が辞任したことに関してコメントを求められていたらしい。奴は拳を振りかざさん勢いのまま、けれど理知的に思いを語っている。

 

 正義の字面を己の名として背負いながら、獅童は悪事に手を染めていた。しかも、異世界を利用した完全犯罪だ。奴の犯した罪に気づいているのは俺を始めとした僅かな面々だけだろう。だが、それを表の世界で追及することは不可能だった。

 コメンテーターも獅童の言葉に賛同しており、不祥事を起こした大臣を責め、精神暴走事件に関する各々の推測を述べていた。……この光景すら作為的に見えてしまうのは、俺が“獅童正義の恐ろしさを知っている”人間だからであろう。

 何度も何度も、獅童の映像がテレビジョンに映し出される。俺はそれを睨みつけるようにして見つめながら、横断歩道へ向かった。信号は点滅気味の緑から赤に切り替わる。丁度俺が最前列らしい。信号を待つ傍ら、俺はテレビジョンを睨みつけたままでいた。

 

 ――ふと、背後に気配を感じた。ゾッとするような、底なしの闇みたいな気配だった。

 

 

(――ッ!?)

 

 

 振り返らなければならないと分かっているのに、振り返ることができない。()()()()()()()()()()――俺の直感が、そう悲鳴を上げているのだ。

 俺は息を殺しながら、背後の気配の出方を伺う。雑踏の音も話し声も聞こえない、無音の空間に閉じ込められたような心地になった。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()だって? ……本当におめでたい奴だな」

 

 

 この声は、聞き覚えがある。メメントスで殺人を犯していた、獅童の『駒』だ。

 

 

「明智吾郎、()()()()()()()()()

 

 

 でも、分からない。()()()()()()

 俺に警告するこの男は、()だ――!?

 

 次の瞬間、背中に強い衝撃が走った。踏み止まろうとしたのだが、追い打ちと言わんばかりにまた衝撃を叩きこまれる。堪えきれなくなった俺は、そのまま横断歩道に倒れこんだ。

 信号は赤のまま。俺が体を起こして右側を見たのと、俺が視線を向けた先から車が突っ込んできたのはほぼ同時だった。だが、間一髪、車のブレーキが間に合った。

 ざわめく民衆に紛れるようにして、俺を縫い止めていた殺気は溶け去る。俺にぶつかる数十センチ前で急停止した車から顔を出した運転手は怒りをあらわにしていた。

 

 運転手からは俺が突然飛び出してきたように見えたのだろう。野次馬たちも同じ意見らしく、「不用心」「彼、テレビジョンに夢中だったから」だのとヒソヒソ囁く。……彼らは誰も、俺を突き飛ばした人間を見ていないらしい。

 

 

「何やってんだ、気を付けろ!」

 

「す、すみません」

 

 

 しおらしく謝り、俺はよろよろと道路を戻る。車は荒々しく発進し、あっという間に見えなくなった。程なくして赤信号は青へと切り替わる。

 

 周囲を警戒しながら、俺は足を進めた。だが、アレ以降、恐ろしい殺気を感じることはない。……成程、先程の“警告”は俺への挨拶代わりだったのか。

 冴さんの予備司法修習生として検事局を出入りしている俺は、そこそこの有名芸能人クラスであるということも利用しながら、獅童の事務所等にちょくちょく顔を出している。

 獅童とはすれ違うだけの間柄でしかないため、奴には“俺の正体”はおろか“俺の目的”を知られているとは思えない。ならば、奴の『駒』が動いたのは独断だろうか?

 

 

(獅童正義にパイプを繋ぐための足掛かりが揃ってきたから、か?)

 

 

 実はつい最近、俺は獅童派の議員から調査を頼まれたのだ。勿論、自作自演の名探偵でしかない俺はメメントスに潜り込み、奴の敵対者である人物のシャドウから情報を集め、現実世界で証拠を回収して奴に手渡した。

 その議員は獅童派の中では下っ端だが、若手の政治家やマスコミ等とコネがあった。そいつの口利きで、“探偵王子の弟子、明智吾郎”のネームバリューは“近々更に上昇する”ことが約束されている。獅童に取り入るための下準備も着々と整いつつあった。

 

 何故鴨志田と同じやり方で『改心』させなかったのかは、鴨志田のケースがどう転ぶか未確定だったためだ。もし同じやり方をした結果『廃人化』してしまったら、俺は獅堂の『駒』と同レベルになってしまうからである。それだけは絶対に嫌だった。

 

 

「……さて、至さんと航さんに何と言い訳しようかな。あと直斗さんやパオフゥさんたち」

 

 

 俺は小さく呟いて、砂ぼこりで汚れた服と手の甲の擦り傷を見つめる。

 暫く活動を自粛しなければならないかな、と、そんな予感を感じ取ってため息をついた。

 

 

 

 

 俺の予想は大正解だったようで、大人組に「警告がてら赤信号の横断歩道に突き飛ばされた」と報告したら全員から怒髪天を喰らった。特に直斗さんやパオフゥさんとうららさんからこっぴどく怒られ、至さんと航さんからは大層心配された俺は、各活動を一端自粛することを約束させられてしまった。獅童派の議員も探偵組が話をつけてくれたようで、“探偵王子の弟子、明智吾郎”のネームバリューは“近々更に上昇する”ことに関しては取り消されずに済んだという。

 探偵組に頼んだのは獅童派の議員に関してだけだったのだが、俺の尊敬する大人たちは気を利かせて冴さんにも情報を提供してくれたらしい。後日、言い訳の方法を思案しながら検察庁を訪れた俺は、どす黒い笑みを浮かべた冴さんから滾々と説教されることと相成った。勿論、冴さん直々に「予備の司法修習生としての仕事も一端自粛してもらう」という指示が出され、俺は強制的に休暇を貰ったのである。出席日数にはまだゆとりはあったが、稼いでおいて損はない。

 大人組のみなさんは黎たちにもそれを伝えようとしていたが、俺が「自分の口で伝えます」と土下座し倒して許してもらった。だが、それは建前であり、俺は黎たちには「暫くは学業に専念することになったので、身動きが取りやすくなった。何かあったら力になるから連絡してほしい」とだけ報告しておいた。間違ったことは言っていないので大丈夫だろう――そう思っていた時期が、俺にもあった。

 

 

◇◇◇

 

 

 探偵組や冴さんを矢面に立たせながら――非常に不本意ではあったものの――探偵業・予備司法修習生・メディア活動を一端自粛し、大人しく出席日数を稼ぐことにしてから数日後。僕たちが待ち望んでいた『改心』の結果が出た。

 

 秀尽学園高校の全校朝会で鴨志田卓が自らの罪を告白し、懺悔したそうだ。気に喰わない部活動や生徒への暴力、女子生徒への性的暴力などを認めて謝罪した鴨志田は「これから警察へ自首しに行く」と言って号泣していたという。勿論、朝会は中止になり、黎と竜司の退学どころの話ではなくなった。

 あれ程傲慢だった暴君が不気味過ぎる程の変貌を遂げた――黎からの又聞きとはいえ、僕は一抹の後味の悪さを感じていた。何せ、全校朝会でのカミングアウトが行われる直前まで、鴨志田卓は人格者であり学校の誇りだったのである。実際、生徒の多くが鴨志田を「良い人」だと言って褒め讃えていた。

 奴の体罰は「オリンピック出場者だから厳しくて当然」だの「やる気のない部員の愚痴」だのと言われてきた。怪盗団が鴨志田に予告状を出したときですら、秀尽学園高校の生徒の多くが鴨志田に対して好意的だった。「鴨志田を『改心』させる」と啖呵を切った怪盗団を「性質の悪いイタズラ」だの「身の程知らず」と嘲笑い、一切本気になんかしなかった。

 

 では、朝会で鴨志田が自分の罪を告白した後、教師と生徒たちの反応はどうだったのか。

 答えは簡単。全員、あっという間に掌を返した。

 

 

『学校中、“暴力セクハラ教師の鴨志田”の話題で盛り上がってるよ。……でも、今じゃあ誰も“オリンピック金メダリストで人格者な体育教師の鴨志田”の話はしていない』

 

『一度レッテルが張られてしまうと、周囲の反応は一瞬で変わってしまう。あの掌返しっぷりは“一度体験した”とは言えど、見ていて後味悪いなって思った』

 

『確かに私たちは鴨志田という悪を倒した。鴨志田には罰が下り、奴は一生苦しみながら償うことになる。そのことに後悔はしていない。この判断が間違ったとも思わない』

 

『力がないと言う理由だけで、強い人間が弱い人間を虐げることが許されるなんて理不尽、絶対あっちゃいけないって私は思うんだ』

 

『――けれど、だからこそ、この力で“誰かの人生を劇的に変えてしまった”という業は、私たちもきちんと背負わなくちゃいけない。しっかりと向かい合うべきだと思う』

 

 

 そう呟いた黎の表情は晴れない。貞操と退学の危機を免れてホッとしているのかと思っていたが、この結果に対し――一抹ではあるが――後味の悪さを感じている様子だった。『改心』の効果があまりにもテキメンだったためだろう。

 因縁深き鴨志田を討ち取ってスッキリしていた竜司や杏から見ると、実体験を交えた黎の意見は目から鱗だったようだ。今回は絶対悪に対する『改心』だったとはいえ、むやみやたらに力を振るうことに関するリスクを考えるきっかけになりそうである。

 『改心』の裏に潜む業を背負うと宣言した黎の眼差しは、“フィレモンの化身という特異性ゆえに、ペルソナ使いを戦いへ巻き込む”という業を背負いながらも生きることを選んだ至さんと同じものだ。あるいは、様々な理不尽と相対峙してきたペルソナ使いたちと同じとも言えた。

 

 モルガナは黎の言葉を茶化すことなく、とても真剣な面持ちで耳を傾けていた。

 至さんから何を言われたかは分からないが、彼は“黎の味方で居続ける”ことを選んだらしい。

 

 

『力を得ても、それに振り回されることなく『正義』を貫こうとするその姿勢……成程。芯の強いヤツだな、オマエ』

 

 

 満足げに呟いたモルガナの眼差しは、力司る者が契約者を見つめるときのような眼差しと似ている。と言っても、それは僕の主観に過ぎないものであったのだが。

 

 次に僕たちが行ったのは『オタカラ』の御開帳である。鴨志田のパレスから盗み出した王冠は、現実世界では金メダルに姿を変えていた。現役時代に鴨志田が手にした金メダルと同一のモノではあるが、厳密にいうと“鴨志田の心の支えが金メダルとして顕現したもの”で、モルガナ曰く『本物と遜色ない価値がある』と言う。

 自分の罪を認めた鴨志田は、もう二度と、晴れやかな気持ちで件の金メダルを身に着けられないだろう。そう考えると、やはり、僕らの力――『改心』の凄まじさを突きつけられたような心地になる。この力は確かに武器になるが、それ故に、どう振るうかを考えなければならない。使い方を間違えれば、獅童の『駒』と変わらないからだ。

 

 

『ゆかりさんが言ってたのは、こういうことだったのね……』

 

『玲司さんの言うとおり、難しい問題だな。なんか、考えれば考える程、身動きが取れなくなるっていうか』

 

 

 杏と竜司は難しい顔をして唸っていた。現時点では『てんで袋小路である』と言いたげな顔だった。煮詰めても何も出てこないのは、ただひたすらに辛い。

 とりあえず、僕たちはこの議論を一端打ち切ることにした。『今は、黎(と竜司)が退学という危機を回避したことを喜ぶべきである』と判断したのだ。

 鴨志田パレス攻略と金メダルの売却で手にした報酬を元手に、杏主導の会場で、今回の戦勝と慰労会を執り行うことと相成ったのである。

 

 ――それが、丁度一昨日の話だ。

 

 

(今日の第1目標は、黎と一緒に“金メダルを換金しに行く”ことか……)

 

 

 思い返せば、黎と2人で何かをするのは久々だ。目的はアレだが、これは一種のデートとも言えるのではなかろうか。そう考えると、身だしなみを整えるのに気合も入るってものだろう。身支度を済ませた僕は、早速四軒茶屋へと向かった。

 正直、至さんが「楽しんで来いよ~」と能天気に笑う声に答える暇も勿体ないと思うくらいには浮かれていた。因みにもう片割れである航さんは南条の研究室に缶詰になったっきり出てこない。研究が楽しくて仕方がないのであろう。閑話休題。

 

 足取り軽やかに喫茶店へと飛び込めば、丁度今の時間に部屋を出てきた黎と鉢合わせした。彼女は僕と目を合わせた途端、嬉しそうに口元を綻ばせる。僕も嬉しくて、思わず口元が緩んだ。モルガナが瞬時に目を逸らし、店主の佐倉さんが胸やけを起こしたみたいな顔をして眉間の皺を増やした。

 昨日の時点で、黎は僕に“ルブランの手伝いに駆り出されている。暫く手伝いが忙しいかもしれない。でも、明日は抜け出せるように頑張る”とメッセージを送って来たのだ。やはり今日も、佐倉さんは黎を店員として働かせるつもりだったらしい。

 佐倉さんは僕と黎の顔を何度も見合わせていたが、心を鬼にすることにしたようだ。険しい顔をして口を開き――彼の言葉はドアベルの音によって遮られた。音につられるような形で、僕と黎は入り口のドアへと視線を向ける。そこに佇んでいた人物に、僕は目を丸くした。

 

 

「――明智くん?」

 

「冴さん!?」

 

 

 まさかの鉢合わせに、僕も冴さんも驚いた。どうやら冴さんはルブランをご贔屓にしており、こうしてコーヒーを飲みに来ることもあるらしい。「ここのコーヒーは絶品なのよね」と微笑んだ女検事は、ふと、黎へ視線を向けた。

 

 冴さんはすぐにすべてを察したらしい。

 今度は僕と黎に対して、とっても生暖かな眼差しを向けてきた。

 

 

「……そう。貴女が、明智くんの……」

 

 

 ……そんなに微笑ましいものを見るような眼差しで僕を見ないでほしい。仕事上の付き合いが多いから、冴さんから庇護対象者のように扱われることには慣れないのだ。

 なんだか気恥ずかしくなって黎を見やれば、黎もほんのりと顔を染めながら僕を見つめる。ほんの少し潤んだ瞳は、頼りなさげに揺れていた。どうしよう、照れくさい。

 カウンターの向こうにいた佐倉さんの目が死んだ。黎の鞄に忍び込んでいたモルガナの目も死んだ。冴さんの笑顔に悲壮感が籠ったように感じたのは何故だろう。

 

 一番リカバリが早かったのは冴さんだった。彼女は黎に声をかける。同年代の妹がいるせいか、とても気さくな態度であった。

 黎も、親戚付き合いで舞耶さんや命さんと仲が良かった。その影響か、年上のお姉さんに親しみがあるらしい。

 

 

「大丈夫よ明智くん。私、貴方から有栖川さんを取り上げるつもりはないし、有栖川さんから貴方を遠ざけるような真似もしないから」

 

「冴さん……」

 

 

 彼女たちの様子を見守っていたら、何を思ったのか、冴さんが窘めるような口調で僕に声をかけてきた。どう反論すればいいのか分からない僕を横目に、冴さんは黎へと向き直る。

 

 

「有栖川さん、貴女の話は明智くんから聞いているわ。彼、貴女のことをとても大切に想っているみたいよ」

 

「知ってます。私にとっても吾郎は大切な人ですから」

 

「ふふ、そうでしょうね。見ればすぐに分かるわ。貴女の話をする明智くん、年相応の顔をするから」

 

「そうなんですか?」

 

「ええ。大人と対等に渡り合う涼しい顔した天才高校生を“とびっきり幸せな男”にさせるなんて、どんな子なのか是非会ってみたかったのよ」

 

 

 にこやかに微笑む冴さんを見て、黎は表情を曇らせた。

 

 

「買いかぶりすぎですよ。私はずっと、吾郎に迷惑をかけ通してばかりですから」

 

「迷惑?」

 

「私、以前、厄介事に巻き込まれたことがあって……吾郎はその件について調べてくれてるんです」

 

「そうなの……」

 

「彼には彼で調べたいことがあって駆け回っているのに、私のせいで無理をさせているんじゃないかと心配なんです。吾郎は辛くても頑張っちゃうところがあるし」

 

「――違う。そんなことない」

 

 

 痛みを堪えるような黎の表情を、これ以上見たくなかった。

 自分自身を責めるように唇を噛む黎の姿を、これ以上見たくなかった。

 そんな風に、表情を曇らせてほしくなかったのだ。

 

 だから僕は黎の言葉を否定する。目を点にする彼女の手を取って、ただ真っ直ぐに黎を見つめた。

 噛みしめるように、僕は言葉を紡ぐ。僕の気持ちが伝わってほしいと願いながら。

 

 

「黎がいてくれるなら僕は大丈夫。何だって平気だ」

 

 

 有栖川黎がいてくれたから、明智吾郎はここまで生きてこれた。得体の知れぬ脅迫概念に突き飛ばされそうになっても、彼女の傍に在りたいと思ったからこそ踏み止まれた。彼女の力になりたいと思ったからこそ、頑張ってこれた。

 

 もし黎がいなかったら、俺は俺の保護者に対して心を開けないままだったかもしれない。件の“おしるし”の一件だって、空本兄弟にアドバイスをしたのは黎だったという。

 悪魔が跋扈する御影町を駆け抜けたときも、至さんの特異体質が原因で数多の戦いに巻き込まれたときも、黎が僕を支えてくれたから乗り越えてこれたのだ。

 

 

「もし“黎がいてくれなかったら”って考えると、ぞっとする」

 

「吾郎……」

 

「黎のおかげで頑張れるんだ。だから、そんな顔をしないでほしい」

 

「……ありがとう。私も、吾郎がいるから頑張れるよ」

 

 

 曇り空の切れ間から光が差し込んだみたいな笑みを浮かべる黎を見て、僕も嬉しくなった。やっぱり黎は笑った顔がよく似合う。多分、愛おしいってこういうことを言うのだろう。

 黎と見つめ合いながらそんなことを考えていたら、冴さんが佐倉さんにコーヒーを注文する声が聞こえた。双方、胸やけに苦しむ人みたいな顔をしている。そして目が死んでいた。

 甘味など一切感じさせない、拡張高いコーヒーの香りが喫茶店を満たす。程なくして、冴さんが注文したコーヒーが完成した。冴さんは半ば一気飲みよろしくコーヒーを煽った。

 

 カップを皿に置く手つきがやや乱暴に感じたのは何故だろう。佐倉さんも店の裏に引っ込んでしまった。彼は流し台で慌ただしく何かを作ると、一気に飲み干す。面白いことに、冴さんと佐倉さんはほぼ同じタイミングで深々とため息をついた。

 

 胸やけの類似症状は治まったらしく、冴さんは知的な雰囲気に戻っていた。仕事上のときと違って親しみやすさが滲むのは、今がオフだからであろう。

 同時に、妹とほぼ同年代である黎に対して姉としての本能が刺激されている様子だった。実際、黎にも妹気質っぽいところがあるから。

 

 

「有栖川さん。これからも、明智くんのことを支えてあげてね。……部外者の私がこんなこと、今更でしょうけど」

 

「そんなことありません。これからも、そうします」

 

「ふふ。大人しい顔して芯が強いのね。今の貴女、とっても素敵よ」

 

 

 凛とした笑みを浮かべて言い切った黎を見て、冴さんは安心したように微笑んだ。そうして僕に向き直る。

 

 

「明智くん。いくら大切な人のためだからと言っても、無理と無茶は禁物よ。この前なんて、実際に“危ない目”に合ったんだから」

 

「――危ない目?」

 

 

 険しい顔した冴さんの言葉に黎が反応する。同時に、僕は内心「しまった!」と悲鳴を上げた。

 僕の予想は正解だったようで、冴さんは黎にこの前のことを話し始める。

 

 

「彼、横断歩道で信号待ちをしていたとき、誰かに突き飛ばされたのよ。そのせいで車に撥ねられそうになったの」

 

「さ、冴さん! その話は――」

 

 

 僕が慌てて止めたときには、もう遅い。先程まで微笑んでいたはずの黎から、表情の一切が消えた。それを見た冴さんも険しい顔をする。

 

 

「……吾郎?」

 

「……明智くん。まさか、有栖川さんに何も言ってなかったの?」

 

「…………」

 

 

 冷ややかな眼差しに貫かれた僕は、逃げるようにして視線を逸らす。丁度、その先には佐倉さんがいた。佐倉さんも厳しい顔をして僕を見ていた。

 僕をフォローしてくれるような人間はいない。ならばとモルガナを見れば、彼も僕を非難する側に回っていたところだった。文字通りの四面楚歌。

 黎はスマホを取り出し、SNSを起動する。恐らく、『僕が殺されそうになった』という話題は竜司や杏にも伝わることだろう。

 

 

(説教で済むかな。……済んでほしいな……)

 

 

 明日の戦勝会が説教大会になってしまいそうな予感をひしひし感じながら、僕は大人しく両手を上げて降参の意を示したのであった。

 

 

 

 金メダルの換金については、“午前中のうちに済ませることはできた”とだけ言っておこう。

 俺が思い描いていた“楽しい休日”なんて、一切過ごせなかったけどな!!

 

 

◇◇◇

 

 

「うぅ……食いすぎた。気持ち悪ィ……」

 

「は、腹が……腹が裂けそうだ……」

 

「……ホントに吐くまで食う奴がいるかよ」

 

 

 エレベーター前で悶絶する竜司と黎の鞄の中で呻き声を上げるモルガナを眺めながら、俺は深々とため息をついた。

 そのくせ、つい数十分前までの彼らは俺の無茶を咎めていたのだから笑えない。幾らなんでも迂闊すぎるだろう、これ。

 黎は相変らず慈母神みたいな笑みを浮かべ、俺たちのことを見守っている。怒ると怖いが懐が深い――それが、有栖川黎という女性だった。

 

 現在、僕たちは帝都ホテルのビュッフェで戦勝会を行っている。帝都ホテルは金持ちが利用するホテルであり、建物内にあるこのビュッフェも金持ちご用達の店であった。到底、一介の高校生如きに手を出せるものではない。でも、俺たちはきちんと料金を払って利用していた。コースは“制限時間ありの食べ放題”で。

 

 戦勝会の会場を“高級ホテルのビュッフェ”にしたのは、高巻杏きってのリクエストである。彼女は以前からここのビュッフェ――特にスイーツ――に興味があったらしい。彼女の自己申告通り、杏はスイーツを皿によそって食べ進めていた。

 杏は甘いものが好物なのだが、モデルという仕事上、好き放題に甘いものを食べることはできないそうだ。それ故、今回の戦勝会は『自分へのご褒美』も兼ねているという。杏の皿に乗ったスイーツの群れを思い出し、俺はひっそりと苦笑した。

 

 

「それにしても、この階のトイレが清掃中だったのには焦ったね」

 

「あはは、確かに。まるで示し合わせたみたいに、立ち入り禁止の看板が立ってたね」

 

「オ、オマエラぁぁ……! 人の不幸すらダシにしやがって……!!」

 

「くそう。リア充めぇぇ……!」

 

 

 竜司とモルガナの災難を種にしながら、黎と僕が談笑していたときだった。

 

 立派なスーツを着込んだ連中がぞろぞろと連れ立って、俺たちの前に割り込む。――その中に、見たことのある男の姿を見つけ、俺は反射的に身構えた。

 獅童正義。俺の実の父親にして、巷を騒がせている精神暴走事件を部下に命じて起こさせている黒幕であり、黎に冤罪を着せた張本人である。

 現職の国会議員とその取り巻きどもの横暴に、施設の利用者は逆らえない。正当性を掲げて果敢に挑んだ竜司でさえ、奴の睨みによって沈黙させられた。

 

 俺は鹿撃ち帽を目深く被って顔を隠す。変装がてら持ってきていた帽子と結っていた髪が、こんなときに役に立つだなんて思わなかった。獅童の関係者と接触するときは学生服やワイシャツとスラックス姿の正装風衣装(フォーマルスタイル)だから、多分、私服姿である俺が、獅童の元に出入りしている人間だと気づかないだろう。

 だから早く立ち去ってくれ、と、俺は心の中で祈った。震えないようにと握り締めた掌に汗が滲む。この時点で俺の正体に気づかれてしまえば、奴は俺の息の根を止めようとするに決まってる。俺はまだ死ぬわけにはいかない。もし死ぬしかないと言うならば、せめて獅童を道連れに。でも今は、道連れにするための算段すら立っていないのに――!!

 

 

「アイツ、何してるんだ……」

 

 

 誰かを待っているらしい獅童と――ほんの一瞬だが――目が合った。

 ゾッとするような寒気を感じて、俺は動けなくなる。

 そんな俺を放置したまま、世界は動き続けていた。

 

 

「遅くなってごめん。公安の方と話し込んでいたら、面白い話題を聞けたから」

 

 

 ――俺を世界に引き戻したのは、こちらに近づいてきた青年の声だった。

 

 

「鴨志田という教師が、突然人が変わってしまったって話なんだ。興味深いでしょう?」

 

 

 彼の口調は爽やかな好青年を地で行くような、穏やかなトーンである。だが、俺が認識できたのはそれだけだった。どんな声質なのか、高い声が低い声かを判別できない。そもそも、俺が()()()()()()()()()()でいた。

 この感覚を俺は知っている。数日前、俺を横断歩道に突き飛ばした人物だ。俺を殺さんと殺気をぶつけてきた奴だった。俺は思わず、声が聞こえたと()()()()()方向に向かって視線を動かす。丁度、1人の青年が獅童の元へ歩み寄ってきたところだった。

 

 青年が身に纏っているのは、俺と同じ学校の制服だった。ホテル内は煌びやかな照明で照らされているというのに、俺は奴の顔や特徴の()()()()()()()()()

 

 以前にも似たようなことがあった。モナドマンダラで対峙した“本来の姿の”ニャルラトホテプを見たときも、俺は奴の顔というものを()()()()()()()()()()

 俺たちが()()()()()情報は数少ない。奴が無貌の神という名に相応しいグロテスクな姿をしていたこと、ずっと俺たちを嘲笑っていたことくらいだ。

 こいつは一体『()』なんだ。俺は生唾を飲み干しながら、獅童に対してニコニコと笑っているそいつを凝視していた。息をすることすら忘れてしまう。

 

 

「あれ? もしかして、今、部下のみなさんに指示を出してた?」

 

「そうだ。だが、どいつもこいつも無能ばかりで話にならん」

 

「あはは。相変わらず厳しいなあ」

 

「だからこそ、私がこの国を導いていかなくてはならない。これからも力を貸してくれるか?」

 

「勿論だよ。任せてほしい」

 

 

 朗らかな笑みを浮かべている――顔は()()()()()()が、どんな表情をしているのかは分かる――青年に対し、獅童は風格を損なわぬまま、けれどもころころと表情を変える。部下に対する愚痴を零す間柄だとは、獅童と青年はとても親しい関係であることは明らかだ。

 獅童は彼を重用し、懐刀のように思い、大なり小なり心を許しているのが伝わってくる。俺と母親を捨てた冷徹な男というイメージからは一切想像できない。人並みの感情を有しているように感じた。そう考えたとき、背中に凄まじい悪寒が走った。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。『()()()()()()()()()()()()()。『()()()()()()()()()()()()。『()()()()()()()()()()()()()

 

 丁度そのとき、俺たちが待っていたはずのエレベーターが到着した。獅童とその取り巻きたちは次々とエレベーターに乗り込んでいく。

 だが、青年は足を止めたままだった。奴はくるりとこちらに向き直る。相変らず、不気味なくらいに朗らかに笑いながら、声色だけに申し訳なさを乗せて。

 

 

「ごめんね、急いでるんだ。先に使わせてもらうよ」

 

「おい、智明(ともあき)

 

「――今行くよ、()()()

 

 

 頭を殴られたような衝撃に、俺の一切が停止してしまう。愕然とする俺など気にも留めることなく、獅童とその取り巻きを乗せたエレベーターは閉まった。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()――俺の中にいる“()()”が悲鳴に近い声で訴える。

 この2年間、俺は獅童正義を調べていたが、獅童正義に“明智吾郎以外の息子がいる”だなんて話、俺は一度も耳にしたことがない。

 ……いいや、そもそも俺は()()()()()()()()()()調()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と、根拠もなく信じていた。

 

 俺を身籠った母を捨てるような奴だ。もしかしたら、俺の他に、子どもを身籠らせた相手がいたのかもしれない。()()()()()()()()()()()、どこかに俺の異母兄弟姉妹が生きていたのかもしれない。

 でも、何だアレは。何なんだ、智明とかいうあの男は。獅童のことを『父さん』と呼ぶことが許されるだなんて、獅童にあれ程重宝されるだなんて、他でもない父である獅童から公私ともに必要とされているだなんて!!

 

 

(……なんで……)

 

 

 獅童含んだ大人たちから“要らない子”呼ばわりされた俺と、父親である獅童に必要とされている智明。

 同じ獅童正義の息子なのに、どうしてこんなにも大きな差があったのだろう。

 幼い頃散々味わった痛みと悲しみが――今では感じることすらなかったそれが、容赦なく俺の胸を穿つ。

 

 件の智明こそが、『廃人化』を用いた人殺しを行っている張本人だろう。獅童を父と呼ぶことを許されたアイツは、俺が選ばなかった道の先にいる。俺がどんなに望んでも手にすることができない父の愛を注がれている。……なんて、羨ましい。

 

 

(……俺が、『改心』専門のペルソナ使いじゃなく、『廃人化』専門のペルソナ使いだったら、獅童に――父に『必要だ』と言ってもらえたんだろうか)

 

 

 ぼんやりと、そんなことを考える。俺が選ばなかった道を夢想する。いくら嫌悪していても、心のどこかでは、実父に認めてほしかった。実父に愛してほしかった。

 苦しくて、悔しくて、どうしてか泣きたい心地になった。でも、こんなところで泣くわけにもいかず、俺はギリリと歯を食いしばる。この痛みをやり過ごす。

 

 

「吾郎、大丈夫……?」

 

「え……?」

 

 

 見れば、黎が心配そうに俺を見つめているところだった。心なしか、彼女の顔色が悪い。

 

 ……もしかして、自身の冤罪の原因となった獅童のことを思い出したのだろうか。ぼんやりしているように見えて、黎は聡く知的な少女である。思い出せなかったとしても、彼女のことだ。どこかに引っ掛かりを感じていそうである。

 自分だって辛いだろうに、彼女は俺のことを心配してくれる。何も知らないとは言えど、自分を嵌めた犯人の血を引く俺を案じてくれる。嬉しい、と思った。幸せだ、とも思った。真っ暗闇の中で標を見つけたような心地になった。

 

 心配していたのは黎だけではない。竜司もモルガナも、「大丈夫か吾郎?」や「顔色が悪いぞ、ゴロー。アイツに何かされたのか?」と声をかけてきた。

 ああ、と、俺は理解する。唐突に、けれどすとんと腑に落ちた。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と。

 今度は別の意味で泣きたくなってきた。でも、やっぱり、黎たちの前でみっともない顔を曝したくはない。俺は心から笑って見せた。

 

 

「大丈夫。何でもない」

 

「ホントかよ? ホントに大丈夫なのか? 黎から聞いた話みたいなことになるとか、ないよな!?」

 

「『無理と無茶を張り倒す』という点において、ゴローは前科持ちだからな……」

 

「……本当に信じてないな。というか、お前ら腹の調子はどうなんだよ? 平気そうに話してるけど」

 

「「ぐあああああああ!!」」

 

 

 俺の指摘を受けた途端、竜司とモルガナが腹を抱えて苦しみだした。丁度そのタイミングでエレベーターが到着する。

 俺たちはエレベーターに乗り込む。レストランがある階のボタンを黎が押し、すべての乗客が乗り込んだ後、エレベーターはゆっくりと移動を始めた。

 

 

***

 

 

 ビュッフェに戻ると、何かが割れるようなカン高い音が響く。見れば、ある一角に野次馬が集っていた。

 

 僕たちの席には誰もおらず、料理が置かれたテーブルにも杏の姿はない。それを見れば、『杏が厄介事に巻き込まれた』と推理するのが普通であろう。

 そうして、『野次馬が集っている場所に杏がいるのではないか』と類推するのもセオリー。野次馬をかき分けようとした僕たちの耳に、聞き覚えのある男性の声が届いた。

 

 

「キミ、大丈夫か!? 怪我は……ないようだな。よかった」

 

 

 先程すれ違った獅童とは違うベクトルで、風格と貫禄を兼ね備えた声だった。俺が尊敬する大人の1人であり、俺の保護者と仲の良い友人であり、俺の保護者の直属上司。

 

 

「わ、私は大丈夫です」

 

「だが、服が汚れてしまったな。私の落ち度だ、申し訳ない。――ウェイター、何か拭くものを持ってきてくれ。それと、彼女に新しい皿を用意してほしい」

 

「か、かしこまりました南条さま! い、今すぐにでもお持ちいたします!」

 

 

 嫌そうな顔をして棒立ちするウェイターに指示を出したのは、南条コンツェルンの次期当主である南条圭さんだ。世界有数のお金持ちからの御指名に、ウェイターは震えあがる。名誉に媚び諂う人種であるからこそ効果テキメンであった。……もし、杏がウェイターに何かを頼んだなら、彼はしかめっ面で対応していたであろう。

 南条さんから指示を受けたウェイターは真っ青な顔をして裏方に引っ込む。程なくして出てきたウェイターは、果たして南条さんの指示通りに動いた。杏の洋服を拭くためのタオルと、割れてしまった杏の皿に代わるものを持ってきた。その速さは凄まじいものである。

 真っ青になって震えるウェイターを横目に、南条さんは杏の服をタオルで拭いていく。遠目から見れば汚れは落ちたように見えるだろうが、あくまでもそれは応急処置にしかなり得ない。南条さんもそれを承知しているからこそ、申し訳なさそうな顔をして杏に頭を下げた。

 

 大人と言えば鴨志田を連想する杏にしてみれば、南条さんのような対応は目から鱗であろう。

 ビュッフェの利用者みたいにクズな大人とは比べ物にならないオトナの対応に、混乱と恐縮している様子だった。

 

 

「このままだとシミになってしまうな。少し待っていてくれ」

 

 

 南条さんはそう言うなり、即座にスマホを取り出した。彼は手慣れた様子でタップすると、どこかに電話をし始める。出てきた言葉を繋げて推測すると、南条さんは南条コンツェルン関連企業からお抱えのクリーニング店を探し出し、杏の服のクリーニング代を弁償する手はずを整えている様子だ。

 

 呆気にとられる野次馬たちを尻目に話を付けた南条さんは、そのことを杏へ伝えた。まさかそこまでしてもらえるとは思わなかった杏は、半ば茫然としながら頷く。

 ざわめく野次馬など何のその。涼しい顔のまま颯爽と立ち去ろうとした南条さんは、俺たちの姿を見つけて足を止めた。端正な顔がふっと綻ぶ。

 

 

「明智くん。有栖川のお嬢さんも元気そうだな」

 

「お久しぶりです、圭さん」

 

「お世話になってます」

 

 

 南条コンツェルンの次期当主と親し気に挨拶を交わす高校生――この絵面に、ギャラリーの多くが衝撃を受けたらしい。ビュッフェ内がざわめきに包まれる。

 南条さんは黎、僕、竜司、杏、鞄に潜むモルガナに一瞥くれたあと、静かに微笑んだ。「良い友達ができたようだね」と語る彼の口調は、先程と違って柔らかい。

 だが、南条さんの言葉は続かなかった。彼のスマホが鳴り響いたためである。南条さんは即座に電話に出ると、てきぱきと何かの段取りを整え始めた。

 

 通話が終わった南条さんは、「名残惜しいが」と前置きして頭を下げた。南条コンツェルンの次期代表取締役として、彼も多忙なのだろう。話を短めに切り上げ、今度こそ颯爽と立ち去っていった。

 

 ……短めと言っても、それは『南条さんの話の中では』というだけだ。普通の人にしてみれば充分『長話』のカテゴリに入る。

 因みに、内容は“施設の従業員と利用者のマナーの悪さや質の低下”、“サービス業の在り方”、“利用者としての振る舞い方”であった。

 政治経済の話に発展し、日本の未来を朝まで討論するという場所に着地しなかっただけマシと言えよう。閑話休題。

 

 

「あんな大人もいるんだね。……もっとああいう大人が増えれば、アタシたちものびのびと生きていけるんだろうけど」

 

「分かる! アレを見たら、誰だってそう思うよなぁ」

 

 

 「『キミたちはきちんと料金を払ったんだろう? そして、支払いに使った金銭に関して、後ろめたいことは何もない。……ならば胸を張って、サービスを利用すべきだ』かー。格好いいよなー」と、竜司が熱を込めて語る。彼はペルソナ能力に目覚めたことで、善い大人との繋がりを持ちつつあった。

 

 力の使い方に関しては悩むことはあれども、鴨志田を『改心』させたことには後悔していない――それが、黎たちの見解である。僕もそれに同意見だ。

 実際、鴨志田を『改心』させたことで、黎と竜司の退学は取り消された。杏や鈴井志帆を始めとした女子生徒も安心できるし、暴力の被害者も傷つくことはなくなった。

 

 “社会からの逸れ者”だった僕たちは、確かに誰かの人生を救ったのだ。社会に自分たちの価値を叩きつけ、華々しく示して見せた。その充足感は、一歩間違えれば毒にも変わる甘美を孕んでいる。圧政への反逆者というもまた、周りに担ぎ上げられて破滅する可能性があるためだ。

 幸いなことは、全員がその甘美さに溺れることなく前を見据えようとしていることだろう。同時に、至さん曰く“フィレモンの関係者だが信頼できる相手(イゴールとやら)”と関わりがあるモルガナも、現時点では“黎の協力者”として力を貸してくれていた。

 

 

「圭さんもペルソナ使いだよ。御影町で発生した異変では、私たちを助けてくれたんだ」

 

「マジかよ!?」

 

「あの人も、アタシたちの先輩なんだ……。なんだか、すっごく誇らしいや。アタシも、あんな大人になりたいな」

 

「――そんな人でも、太刀打ちできないことはある。残念ながら、ね」

 

 

 盛り上がっていた空気が一気に静まり返った。竜司、杏、モルガナは、“黎が冤罪事件をでっちあげられて有罪にされたから東京へやって来た”ことを知っている。同時に、黎の冤罪を証明しようとした大人たちが、冤罪事件の黒幕に成す術なく敗北したことも。

 南条さんのような真っ当な大人でさえ太刀打ちできない悪がある。黎を助けようとした大人たち――財閥の次期トップ&取締役や司法関係者、探偵、芸能人というそうそうたる面子でも、歯噛みしながら受け入れるしかない理不尽がある。その事実の重さを、黎と僕は知っていた。

 けれど幸いなことに、真っ当な大人たちは誰一人として諦めていない。正しいことを成すために、理不尽に対して反逆し続けている。そんな先輩たちを、僕も黎も誇りに思っていた。憧れていた。そんな大人になりたいと思い、邁進してきた。……この軌跡を経た決断を、間違いだったとは思わない。思っていない。

 

 

「私、ずっと考えてたんだ。どうして私にペルソナが宿ったんだろう、って。……今まで考えて、散々迷ったけど、決めたの」

 

 

 静かな面持ちに込められたのは、揺るぎない決意。理不尽への反逆。――俺の敬愛する保護者や、尊敬できる大人たちと同じ眼差しだ。

 

 

「私、これからも怪盗団を続ける。正しいことを正しいって言うために、間違いを間違いだと言って正すために、私みたいな理不尽な目にあう人を助けるために――そんな人が1人でも減るように、この力を使いたい」

 

「黎……」

 

「本当なら、怪盗団は不必要な方がいいと思うんだ。でも、理不尽に苦しむ誰かの助けになれるなら、存在する意味はある。……いつか、私たちが必要なくなるその日まで、そうなるように力を尽くしたい。人々の意識が少しでも変わっていけるならば、私たちの歩いた軌跡は決して無駄じゃないんだから」

 

 

 それは、黎の決意表明であり、モルガナとの協力関係を続けていくことを意味していた。凛とした瞳には、一切の迷いがない。

 

 

「……分かった。ならば僕も、キミの力になるよ」

 

「でも、吾郎は――」

 

「その代わり、取引だ」

 

「取引?」

 

「僕にはどうしても『改心』させたい相手がいる。その相手を『改心』させてくれるなら、僕は怪盗団の活動すべてに力を貸そう。……現時点ではまだ攻略の糸口を探している最中だから、頼むとしたらそれが見つかり次第になるけど……」

 

 

 「これなら、黎が気に病むような貸し借りはないよね?」と悪戯っぽく笑えば、黎は嬉しそうに苦笑した。「ばか」と紡いだその声には、深い愛情が滲む。

 竜司とモルガナは顔面崩壊一歩手前な顔で水を煽り、杏はスイーツを食べる手を止めて胸を抑える。杏は甘いものを食べても胸焼けしない体質だと豪語していたはずなのに。

 僕らがそれに疑問を抱いたとき、ようやく3人が元に戻った。モルガナは満足そうに頷き、竜司と杏に問いかける。

 

 今後はどうするのかという問いに対し、最初に口を開いたのは杏だった。杏は僕に問いかける。

 

 

「『鴨志田をやるなら仲間に加えろ』って言ったときの条件、覚えてる?」

 

「『鴨志田をやった後も、ずっと黎の味方でいる』だよね?」

 

「そういうコト。学生生活だけでなく、怪盗団として活動するってのも当てはまるからね!」

 

「杏……!」

 

 

 現役女子高生モデルのウィンクに、黎はぱああと目を輝かせた。女子2人は嬉しそうに笑いあう。

 杏が怪盗団として加わるという宣言を聞いたモルガナも「おおお!」と盛り上がった。

 そんな杏に続くようにして口を開いたのは竜司だ。彼はうんうん唸りながら言葉を紡ぐ。

 

 

「俺、この力で鴨志田を『改心』させたとき、スゲー胸がスッとしたんだ。やり遂げたって気持ちになった。同時に、今よりももっとデカいことができるんじゃないかって思ったんだ。クソみたいな大人たちを『改心』させて、俺たちの存在を認めさせたいって」

 

「竜司……」

 

「でも、この力のおかげで尊敬できる大人と出会えたのは事実なんだ。玲司さんとか、南条さんとか、吾郎の保護者である至さんや航さん……俺も、そんな大人になりたいって憧れを取り戻せた。だからこそ、黎の話聞いて、そんな人たちでさえ太刀打ちできない野郎がいるんだって知ったら、スゲー許せねぇって思った」

 

 

 短慮で目立ちたがり屋な竜司が、必死になって答えを探している。そんな彼を茶化すことなく、僕も黎も話に耳を傾けた。

 

 

「だからどうするんだ、って言われても、今の俺じゃあ答えられそうにない。でも、これだけは分かるんだ。このまま怪盗団を続けていくべきだって、ここで立ち止まっちゃいけねーって! 続けてれば、きっといつか、玲司さんや南条さんみたいな漢になれるんじゃないかって! 俺が憧れる大人になるために必要なモンが見つかりそうな気がするんだ!!」

 

 

 そう言い切った竜司は、怪盗団としての活動を続けると宣言した。

 彼は子どもみたいに目を輝かせながら、不敵に笑ってみせる。

 

 

「うんうん! これでようやく、怪盗団らしくなってきたな!」

 

 

 今ここにいる4人全員が『怪盗団を続ける』ことを選んだのだ。各々の決意表明を聞き終えたモルガナも大仰に頷く。――そこから先は、僕ら自身も驚く程とんとん拍子に話が進んだ。

 

 怪盗団のリーダーとして抜擢されたのは有栖川黎だった。ペルソナを付け替えれる特別な力――『ワイルド』を持ち、鴨志田のパレスでは仲間たちに的確な指示を飛ばしたリーダーシップが評価された形である。

 竜司は怪盗団の特攻隊長として戦線で活躍することを約束してくれたし、杏も怪盗団のアタッカーとして戦場を舞うと頷いてくれた。モルガナはナビ兼異世界の案内人として黎をサポートしてくれるという。

 僕の場合は、ペルソナ使いの戦いを見てきた“経験者”としての側面から、アドバイザーとしての参戦だ。もしかしたら、オブサーバーに近い立ち位置かもしれない。本業の探偵や司法関係者との繋がりと合わせれば重複スパイだろうか?

 

 烏には「神話や伝承から、斥候・走駆・密偵・偵察の役目を持つ」という位置づけがある。

 僕のコードネームと合わせれば、さしずめ僕は怪盗団の斥候・走駆・密偵・偵察役として敵陣の真っただ中に潜入する『(クロウ)』そのものだ。

 

 

「後は怪盗団の名前だな」

 

「格好いいのを頼むぜ、リーダー!」

 

「うん」

 

 

 モルガナと竜司に促され、黎は思案し始める。

 顎に手を当てて瞳を閉じていた彼女は、幾何の後で頷いた。

 そうして、怪盗団の名前を口にした。

 

 

「――心の怪盗団、“ザ・ファントム”」

 

 

 ――かくて。

 

 僕たちは心の怪盗団“ザ・ファントム”として、学生生活や調査の傍ら、世直しを行うことと相成ったのである。

 ……このときの僕らは、僕らに与えられた試練が『何か』を知らないままでいたのだ。

 

 




魔改造明智、脅迫がてら殺人未遂に合うの巻。それだけでなく、獅童に認知され徴用される兄弟(オリキャラ)と遭遇してSANが吹き飛びかけるというオマケ付き。文字通りの「泣きっ面に蜂」状態でも踏み止まれたのは、大切な人たちが傍にいたからでした。
獅堂の息子・智明という新キャラが登場しました。但し、彼には“人間らしからぬ力”がある様子。描写からして大体察しはつくと思われますが、生温かく見守って頂ければ幸いです。


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Reach Out To The Truth
どこもかしこも不穏じゃねえか!


【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 @空本(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄で明智の保護者その1。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
 @獅堂(しどう) 智明(ともあき)⇒獅堂の息子であり明智の異母兄弟だが、何かおかしい。獅堂の懐刀的存在で『廃人化』専門のヒットマンと推測される。詳しくは中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『運命を切り開くだけの簡単なお仕事』および『ペルソナ3異聞録-.future-』、Pixivの『2周目明智吾郎の災難』および『【一発ネタ】有栖川黎の幼馴染』の設定を下地にし、別方向へ発展させた作品である。
・ジョーカーのみ先天性TS。
 ジョーカー(TS):有栖川(ありすがわ) (れい)⇒御影町にある旧家の跡取り娘。旧家制度は形骸化しているが、地元の名士として有名。身長163cm。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空本(そらもと) (わたる)⇒明智の保護者2で、南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。
・真と三島が可哀想なことになっている。
・「2罰ボスの外見を見た人間の反応」に関するねつ造設定がある。


 喜多川祐介の日課はデッサンである。モデルを求めて三千里、景色を探して今日も火の中水の中草の中森の中コンクリートジャングルの中あの子のスカートの中――とまではいかずとも、その気概と情熱のままに、東京の街並みを巡り歩いていた。

 

 手で枠を作って景色を切り取る。絵の題材になりそうなものはないかとアンテナを張り巡らせていたとき、祐介はある一点に目を留めた。

 公園のベンチに座っている女性が、スケッチブックに何かを描いている。時折考えるような仕草をしては、柔らかな笑みを浮かべて思いを馳せていた。

 園内にある大きな噴水を描いているにしては、彼女の眼差しは慈愛に満ちているように思う。ここにある景色の他に、もっと別なものを見ている。

 

 

(――ああ、美しい)

 

 

 女性の格好――白を基調にしたゴシックドレス風のワンピース――も相まって、何とも神々しさを感じる。彼女の佇まいは、祐介の中にある創作意欲を強く揺さぶった。

 差し込む陽の光、木漏れ日の中でベンチに座る白いワンピースの女性……完成形を思い描いた祐介はいてもたってもいられなくなって、女性に声をかけた。

 

 

「是非、俺の絵のモデルになってください!」

 

「えぇ……!?」

 

 

 開口一番、祐介にそんなことを言われた女性は表情を引きつらせた。彼女の双瞼には、困惑の色がありありと浮かんでいる。

 

 女性は周囲に助けを求めるようにして視線を彷徨わせる。祐介の耳が正しければ、彼女は「助けて順平」と呟いたような気がした。女性はスケッチブックを膝の上に置き、祐介から逃げようと身じろぎする。その拍子に、スケッチブックに描かれたデッサン画が祐介の視界に飛び込んできた。

 描かれていたのは園内にある大きな噴水だった。だが、噴水はあくまでも添え物。絵の中心となっているのは鳥と戯れる男性だ。この場に彼らしき男性は見当たらないことから、この人物は女性が頭の中で思い描いた人物なのだろう。

 だというのに、絵の中にいる男性は、今祐介の目の前にいると思える程の躍動感があった。絵を見ているだけで、祐介には彼の声が聞こえてくるような心地になる。眩しいばかりの笑顔を浮かべた男性は、描き手である女性への信頼を惜しみなく滲みださせていた。

 

 スケッチからにじみ出るのは、モデルから描き手への信頼だけではない。描き手からモデルへの信頼にも溢れている。

 頭の中でモデルのことを思い浮かべられる程、この女性はモデルである男性を想っている――ただただ、素晴らしいと思った。

 

 

「……見たいの?」

 

「是非」

 

「分かった。いいよ」

 

 

 モデルに関しては引き気味だった女性だが、自分の描いた絵を見せることには抵抗が少ないらしい。彼女の表情は、先程よりも幾分か柔らかいものとなっていた。

 描き手本人からの許可を得て、祐介はスケッチブックに描かれているデッサン画を見せて貰う。元から絵を描き慣れているようで、絵の技術は申し分ない。

 スケッチブックには様々な人物と風景が描かれていた。特に、最初に見た絵に描かれている男性の笑顔が頻繁に登場している。寧ろ、埋め尽くされてると言った方が正しいか。

 

 

「貴女は、彼のことを愛していらっしゃるんですね」

 

 

 ――それが、祐介が女性の絵を見た率直な感想だった。

 

 祐介の言葉を聞いた女性は目を丸くする。幾何かの間の後で、女性はふんわりと微笑んだ。花が咲き誇るような、可憐で幸せそうな笑み。

 柔らかな微笑から、モデルにした男性への惜しみない愛情が溢れだす。それは、いつか見た恩師の絵――『サユリ』を彷彿とさせた。

 

 

「――うん、大好き」

 

 

 その眩しさに魅せられる。女性自身の奥底から湧きだす愛情――件の男性を想う心は、彼女の中だけで留まるようなものではない。それはあっという間に決壊し、赤の他人であるはずの祐介にも流れ込んできた。

 描きたい、と思う。描かねば、と思う。気づけば反射的に、祐介は手で枠を作っていた。枠内に収めなければならないという誓約すら重石になるけれど、それでも収めずにはいられなかった。収めたいと願ったのだ。

 色はどう塗ろう。女性を連想して思い浮かぶのは赤系――どちらかというとピンク系と分類されるものだ。薄桜、乙女色、中紅花、薔薇色、紅唐、紅の八塩――祐介は、自分の頭の中に絵の具を展開させていく。

 

 ならば尚更、女性にはモデルの話を受けてもらわなくてはなるまい。

 祐介が真剣な眼差しで口を開こうとしたときだった。

 

 

「チドリー!」

 

「順平!」

 

 

 遠くの方から響いてきた声を聞くや否や、女性――チドリはその表情をさらに輝かせて立ち上がった。祐介も声が聞こえた方向へ視線を向ける。

 

 そこにいたのは、青を基調にした少年野球団ユニフォームに身を包んだ男性だった。チドリに順平と呼ばれた彼こそが、チドリのスケッチブックに描かれていたモデルの人物だろう。彼もまた、チドリに対しての愛情を惜しみなく滲ませている。

 祐介は再び、手で枠を作っていた。チドリだけのときよりも、チドリと順平が並んでいるときの方が良いと直感したためである。祐介のそれは間違いではなかったようで、先程より一回りも二回りも輝いているように思えた。

 

 チドリの色は決まってる。では、順平の色はどう塗ろうか。彼を見た祐介が連想したのは青系のものだ。花浅葱、紺青色、湊鼠、藍鼠、深縹、花紺青――チドリの色合いとは正反対のものだった。

 だが、不思議だ。全く正反対の色合いを持つ2人だと言うのに、彼と彼女が並ぶと調和が発生する。彼の隣には彼女がいて、彼女の隣には彼がいる――それが真理なのだと、祐介の中にいる“何か”が訴えてくるのだ。

 

 

「そうだ。これだ」

 

 

 祐介は確信した。ベンチから立ち上がり、談笑するチドリと順平の元へ歩みだす。順平がこちらに気づいて振り返った。祐介は真剣な面持ちで、2人へ頭を下げた。

 

 

「2人とも! 是非、俺の絵のモデルになってください!」

 

「待て待て待て待て! お前はいきなり何を言い出すんだ!?」

 

 

 後に、喜多川の友人(本人たちは揃って首を傾げる)となった2名、趣味がスケッチな白ゴスロリ――吉野チドリとお手上げ野球侍――伊織順平のカップルは語る。

 『喜多川祐介は自分の情熱に愚直すぎるが故に、一般常識云々が吹っ飛んでいるだけで、正義感の強い画家である』と。

 

 

***

 

 

 喜多川祐介には年の離れた友人(本人たちは揃って首を傾げる)がいる。片方はデッサン画――本来は洋服などのデザインを本業としている社会人だ――という繋がりを持つ吉野チドリと、彼女の恋人である伊織順平だ。

 

 今日はチドリが描いたデッサン画を見せてもらう約束をしていた。待ち合わせ時間ぴったりにやって来たチドリから、幾つかのスケッチブックを手渡される。祐介はそれを開いた。

 案の定、彼女のスケッチブックを埋め尽くしていたのは順平だった。チドリは順平を愛しているし、順平もチドリを愛している――その事実が尊いもののように思えた。

 そのため、時折混じる他者の絵は本当に珍しい。順平とは違うベクトルだけれど、チドリは彼/彼女らのことも大切に想っている様子だ。祐介は感嘆の息を吐く。

 

 

(――ん?)

 

 

 他者が描かれた作品の中でも、一際祐介の目を惹いたのは、少年と少女の絵だった。ベンチに腰かけて寄り添う2人の手はしっかりと繋がれている。

 少年の足元には白い烏が、少女の足元には黒猫が描かれており、1羽と1匹は幸せそうにじゃれ合う。そんな彼と彼女らを、雪の妖精たちが祝福していた。

 

 初々しさの中に滲むのは、祈りにも似た深い愛情。比翼連理という四字熟語を連想したのは気のせいではない。

 

 

「……この2人を描いたのはいつですか?」

 

「4、5年くらい前。今年で貴方と同年代ね」

 

「そうですか……」

 

 

 祐介は、どうしてかこの絵から目が離せなかった。

 

 

◆◇◇◇

 

 

 鴨志田卓を『改心』させた僕たちは、怪盗団の次なる獲物を探すことになった。だが、“悪い大人”と言っても、具体的な名前がなければ手を出せない。

 出したい相手がいないわけではない――正直、今すぐにでも獅童を『改心』させたい――が、パレスを特定するキーワードが分からないので一旦保留となっている。

 暗礁に乗り上げた僕たちが休憩用ベンチスペースに腰かけ唸っていたときだった。『有栖川さん』と黎を呼び、息を切らせて秀尽学園高校の男子生徒が駆け寄って来る。

 

 彼の名前は三島由輝。部活はバレー部で、鴨志田によって退学させられそうになっていた人物だ。三島も鴨志田からの暴力によって苦しめられており、自己保身のために奴の使いっ走りになっていたという。黎の暴力事件(冤罪)についての噂を流したのもコイツだった。そのことに関する罪悪感があったのだろう。奴は俺を見るなり開口一番、『俺が悪かったですごめんなさい! 許してください! お詫びに何でもしますから!』と悲壮感満載の顔して頭を下げた。

 以前三島に“しっかりと言い聞かせた”張本人の竜司も顔を真っ青にしていた辺り、『黎は彼氏持ちだからやめろ』というメッセージの後ろには『彼氏によってヤバい目に合わされるぞ』という続きがあったらしい。一応誤解は解いたし許したけれど、三島は俺に対して終始ビクビクしっぱなしだった。黎と話すときは妙に張り切っていたのに不思議なものである。閑話休題。

 

 

『キミたちが怪盗団なんだろう?』

 

『――あまり変なことを言うと法的措置に出るけど。脅迫罪だっけ?』

 

『ヒィッ!? だだだ大丈夫です! 怪盗団のこと、悪用するつもりなんてありませんから! 寧ろ俺は、怪盗団の手助けがしたいんです!!』

 

 

 俺に睨まれた三島は顔を真っ青にしながらスマホを示した。彼のスマホを覗き込むと、そこには『怪盗お願いチャンネル』というネットの掲示板が映し出されていた。

 

 スクロールされた先には匿名アンケート投票があり、『貴方は怪盗団が実在すると思いますか?』という問いと、『YES』と書かれた棒グラフが置かれている。

 『YES』が怪盗団の支持者だと考えると、鴨志田を『改心』させた時点での怪盗団の支持率は6%弱。盛り上がっているのは秀尽学園高校内部だけと言えそうだ。

 

 三島は怪盗団に助けられた人間の1人として、怪盗団の手助けをしたいと思い立ったらしい。彼の善意の結晶が『怪盗お願いチャンネル』という掲示板であった。出来立てのサイトには、「『改心』させてほしい」という書き込みがちょくちょく入っている。

 書き込みの大半が匿名、内容も玉石金剛飛び交うものだ。それでも、情報が集めやすくなったという点では充分貢献している。同時に、三島は怪盗団の活躍に期待しているらしい。『いつか、このサイトの支持率を100%にしたい』と意気込みを語ってくれた。

 支持率云々は怪盗団の指針になり得るだろうが、大衆の考えはあっという間に流されてしまいがちだ。これを見ていると普遍的無意識を連想してしまうのは、俺が体験した珠閒瑠市の一件が原因だろう。

 

 

『大衆の力、か……』

 

 

 あのとき世界が滅ばなかったのは――良く言うならば――“大衆が世界の滅びを認めなかった”からだ。多くの人々が滅びを否定したからだ。

 『ワイルド』使いとその仲間たちが滅びを否定し、真実を掴もうと戦った巌戸台や八十稲羽とは正反対のケースだと言えよう。

 

 滅びの未来を否定した大衆の力を俺は知っている。小さなコミュニティで育まれた絆が世界を救うこともあり得ることを俺は知っている。だから、『何とも言い難い』と言うのが俺の考えだった。

 

 ……最も、それを三島に対して告げるつもりはないが。

 俺には、善意の協力者を傷つけるという悪辣な趣味はないのだ。

 

 

『ありがとう、三島くん』

 

『う、うん! 何かあったらいつでも行ってくれよ? 俺、キミたちのこと応援してるから!!』

 

 

 黎から感謝の言葉を貰った三島は、今にも昇天しそうな程いい笑顔を浮かべていた。

 スキップしながら帰ろうとした彼は、そのまま階段を踏み外して盛大に転ぶ。

 それでも即座に立ち上がってスキップしながら去っていったので大丈夫だろう。多分。

 

 三島という協力者を得たことで、張り切って次の獲物を探そうとした俺たちは早速サイトを覗いてみた。玉石金剛の書き込みを覗く中で、杏が興味深い書き込みを発見する。

 

 

『何々? “元カレがストーカー化して困っています。名前は中野原夏彦”……区役所の窓口員だって』

 

『役所の職員が何してるんだよ……』

 

『うむ、手頃だな。ゴローは“メメントス”のことを知ってるだろ? 行き方をレイにレクチャーしてやってくれ』

 

『了解』

 

 

 呆れる竜司を視界の端に収めつつ、俺は黎に“メメントス”への行き方をレクチャーする。俺の教えたとおりに黎がナビを起動した途端、世界はあっという間に迷宮――メメントスへと姿を変えた。

 

 広大な広さを持つ共用住宅系のパレスだ。シャドウはうようよ跋扈しており、徒歩だけで該当者を探すのは至難の業である。最初の頃――護衛有ありでのメメントス探索――は移動手段が徒歩だったため、大変だったことを思い出す。

 俺がここを単独で探索するときはバイクで探索していた。バイクは桐条美鶴さんから譲り受けたもので、電子機器の一切が停止する影時間でも普通に動く特別性だ。探偵業(偽)を迅速にこなすためには欠かせない移動手段だと言えよう。閑話休題。

 

 大人数の移動手段がないというのに、この人数でメメントスを探索する――とても難しそうだ。誰もが同じことを考えたとき、モナが助け船を出してくれた。

 なんと、モナはメメントスに入ると車に変身できるらしい。馬鹿みたいな話だが事実である。ますます人間から遠ざかっているように思ったが、黙っておくことにした。

 しかもこの車はキーレスであり、手動運転形式だった。高校生で車の運転免許を持っている人間なんて僅かだろう。俺だって二輪車しか持ってない。あとはみんな無免許だ。

 

 『運転手がいないと動かないぞ!』と主張するモナに従うような形で、ジョーカーが運転することに決まった。この中で一番器用なのは彼女だからである。

 そうして俺たちはメメントスの探索へと向かったのだ。だだっ広い迷宮内を車で走り回って、ようやく俺たちは中野原のシャドウと遭遇した。啖呵を切ったのは杏である。

 

 

『アンタがストーカー男ね。相手の気持ち、考えたことあんの!?』

 

『あの女は俺の物なんだよ! 俺の物をどう扱おうと、俺の勝手だろ!? 俺だって物扱いされたんだ。同じことをやって何が悪い!』

 

 

 中野原のシャドウとコンタクトを取ったとき、奴が開口一番に叫んだ言葉がそれだった。あまりにも身勝手な発言は、どことなく獅童の考え方を彷彿とさせる。

 獅童の場合は容赦なく捨てる方だが、中野原の場合は絶対に手放さない方らしい。行動は正反対なのだが、本質にあるモノはどちらも一緒だ。

 元交際相手に対する異常な執着は、『誰かに奪われることのない心の拠り所』が失われたことがトリガーだったのだろう。

 

 恐ろしいことだが、俺は中野原の気持ちが分かってしまう。俺にとっての心の拠り所はジョーカー/有栖川黎だ。彼女がいなければ、俺の人生は成り立たないだろう。もし、彼女の手を離さなければならないときが来たら――考えてはいるけれど、やぱりゾッとする。

 この執着が中野原のように顕現しないのは、ジョーカー/黎が俺を拒絶せず手を取ってくれるからだ。大切なものがこの手の中にあるか否か――それが、俺と中野原の明暗を分けた。小さいけれど、大きな理由。埋めようのない溝のような差。

 

 

『……“手放したくない”という気持ちは分からなくはない。けど、同意はできないかな』

 

『何だと!?』

 

『同意してしまったら、俺の嫌いな奴と同じになってしまう。母さんを物のように扱って、“俺を身籠った”という理由で母さんを捨てて行ったアイツみたいになりたくない』

 

『お前……捨てられたのか……? 俺と同じで――……でも、だったら!』

 

『今のあんた、方向性は違うけど、ソイツと同じ目をしてるぞ』

 

 

 俺の言葉を聞いたスカルとジョーカーも、畳みかけるようにして言葉を重ねる。

 

 

『自分がやられたからって、他人を物扱いすんな! ふざけやがって……』

 

『貴方は自分が物扱いされたとき、辛かったでしょう? 苦しかったでしょう? その痛みをよく知っているのは、他ならぬ貴方じゃなかったの?』

 

『うるさい! 俺よりも悪い奴らは沢山いるじゃないか! マダラメみたいに!! なのに、どうしてマダラメは許されるんだよ!?』

 

 

 『俺の人生は、マダラメのせいで滅茶苦茶にされたんだ!』と、中野原は叫んだ。刹那、奴のシャドウは異形へと変わる。

 残念ながら、スカルとジョーカーの言葉は届かない。異形はけたたましく叫びながら、俺たちへと襲い掛かって来た。

 

 スカルのペルソナが放った雷に怯んだところから、中野原は雷が苦手らしい。スカルのペルソナやジョーカーの所持ペルソナが用いる雷属性の攻撃を繰り出して中野原を怯ませ、その隙に総攻撃を叩きこむ。

 

 勝敗はあっさりとつき、中野原は正気に戻った。中野原は己の行為を反省し、元交際相手に付きまとうことをやめると約束した。中野原の執着心がおかしくなってしまったのは、彼の“先生”に当たる人物から使い捨てにされたためらしい。

 件の“先生”――マダラメなる人物に捨てられてしまったときのような恐怖や痛みを二度と味わいたくないと、中野原は必死になって足掻いた。足掻いて足掻いて足掻き続けた結果が、ストーカー行為という歪んだ形で表れてしまったのだと彼は語った。

 虐待された人間は自分の子どもを虐待するという話を耳にするが、その心理を目の前で体感することになるとは思わなかった。歪みを取り払われた中野原は、自分が味わってきた痛みや悲しみを思い出したのだろう。深々と頭を下げ――ハッとしたように顔を上げる。

 

 

『なあ、お前らは『改心』できるんだろ? なら、マダラメを『改心』させてくれ! これ以上、俺のような被害者を増やさないためにも――』

 

 

 そう言い残し、中野原のシャドウは消滅した。残されたのは『オタカラ』の芽と呼ばれるモノだ。報酬がてら、ジョーカーが回収する。

 

 ――以前、メメントスでヤクザのシャドウを倒したとき、俺はバッジを拾っている。その後、周防刑事から『ヤクザが出頭してきた』という話を耳にした。

 ……どうやら俺は、無自覚で『改心』を成し遂げてしまったらしい。結果オーライとは言えど、正直迂闊だったとしか言えなかった。閑話休題。

 

 その後は腕試しがてらに迷宮探索とシャドウ狩りに勤しんだ。元からの器用さも相まって、ジョーカーの運転はしっかりしている。

 

 

『ジョーカー、運転には慣れた?』

 

『まあね。……本当は、きちんと免許を持ってる人が運転した方がいいんだろうけど……』

 

 

 パンサーに訊ねられたジョーカーは苦笑した。怪盗団として活動していても、根が品行方正であるジョーカーにとっては後ろめたく感じるのだろう。

 探索を続けていくうちに、メメントス内部の扉に阻まれているエリアに辿り着いた。固く閉ざされた扉は開く気配がない。

 モナ曰く、『民衆がワガハイたちを認めれば先に進めるようになるはず』とのことだ。今の俺たちでは完全に手詰まりである。

 

 大衆の力を使わなければならないと考えると、鍵は三島の『怪盗お願いチャンネル』にある支持率だろう。やはり、俺は珠閒瑠の一件を連想した。

 普遍的無意識の権化たち(フィレモンとニャルラトホテプ)がいい笑顔で親指を立てる姿が浮かんで、俺は思わずかぶりを振った。もう二度とあいつらはこりごりだ。

 

 ――そうして、俺たちは現実世界へと帰還した。空は茜色に染まっており、遠くが暗く滲んでいる。

 

 

「それじゃあ、次のターゲット候補はマダラメなる人物だね。他の候補が出てくるまでは、彼に関する情報を優先的に集めるということでいい?」

 

「構わない」

 

「おう、いいぜ!」

 

「アタシも賛成」

 

「ワガハイも異論はないな」

 

 

 怪盗団、全会一致である。俺も、竜司も、杏も、モルガナも、不敵に笑って頷いた。

 解散して家路につこうという話になりかかったとき、黎が「そういえば」と声を上げる。

 

 

「秀尽の定期テストって、もうすぐだよね?」

 

 

 黎の言葉を聞いた竜司と杏の動きがピタリと止まった。2人の顔色が著しく悪い。平然としているのは俺たちだけのようだ。

 

 ここにきて大きな障害発生。

 学生最大の敵、定期テストである。

 

 俺の場合、特待生奨学金――定期テストで上位10位以内に入り続けないと打ち切りになるものだ――を利用していた。入学してから学年成績1位を死守してきたとは言えど、油断はできない。出席日数と勉学に時間を費やす日々が続きそうだった。

 黎の場合、七姉妹学園高校在学時は全テストで学年首位を守り続けた優等生だ。秀尽学園高校に転校してもその頭脳は健在で、授業中に指名されれば全問正解を叩きだしている(杏と竜司談)という。ついでに、チョークが飛んでくれば華麗に避けるらしい。

 彼女のことだ、東京の中堅進学校である秀尽でも学年首位を掻っ攫うであろう。実際、黎の成績や器用さを目の当たりにした教師や生徒たちが、「思ったよりも怖くないかもしれない」「実は優秀な生徒なのでは」等と噂し始めたそうだ。

 

 

「ぜ、全然勉強してねぇ……」

 

「英語なら得意なんだけど、それ以外がちょっと……」

 

 

 杏と竜司が頭を抱えた。余程、勉強に自信がないように見える。両名は縋るような眼差しで黎と俺を見つめてきた。

 求められることは嫌いではない俺と、困っている人を見過ごせない黎。……答えはもう、決まったようなものだ。

 

 

「それじゃあ、やろうか? 勉強会」

 

「俺の場合、他校の人間で良ければだけど」

 

 

 「明日から」という慈母神の言葉に、杏と竜司は即座に頷き返した。

 

 

◇◇◇

 

 

「こんにちわ。貴女たちも試験勉強?」

 

「はい、そうですけど」

 

 

 ファミレスで勉強会を開いていたら、誰かと面影が似ている女子生徒に話しかけられた。にこやかに話しかけてきた彼女に応えるように、黎も静かに微笑みながら対応する。

 

 黒髪ショートボブに切れ長の眉、朗らかで温和なように見えて実は鋭い瞳の持ち主は、黎たちと同じ秀尽学園高校の制服を身に纏っている。

 第一印象は“品行方正という言葉が服を着て歩いている”と称しても過言ではない“お堅い女”であろう。その癖、頭が切れそうなタイプだ。

 明らかに『敵に回したくない』系列の相手である。いい笑顔の奥からは――僅かではあるものの――僕たちへの不信感が滲んでいた。

 

 

「奇遇ね、私もなの。同じ学校の制服を着ている生徒を見たから、つい話しかけちゃった」

 

 

 ――()()()! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!

 

 俺たちに話しかけてきた女子生徒の返答を聞いて、俺が真っ先に思ったことである。

 勿論、それを口に出すような真似はしない。歯を食いしばって飲み込んだ。

 

 口元が奇妙に引きつってしまったが、女子生徒にはバレていないと思いたい。閑話休題。

 

 

「……なんスか? 会長さん、俺たちに何か用事でも?」

 

「アタシたち、勉強で忙しいんですけど……」

 

 

 竜司と杏も、今回は女子生徒――秀尽学園高校生徒会長の心理を目敏く察知したらしい。そこまでは良かった。

 だが、そのせいで2人は生徒会長を警戒し、この場にはピリピリとした空気が漂い始める。文字通りの睨み合いだ。

 

 

「問題児くんに、噂の彼女、訳アリの転校生、そして――高校在学中に予備といえど司法修習生となった、超有数進学校(他校)の“探偵王子の弟子(有名人)”。変わった組み合わせだなと思って」

 

「……彼らは黎の友人なんだ。黎を介して知り合って、親しくなったんだよ」

 

「そうでしょうね、明智くん。有栖川さんは、貴方が愛してやまない特別な人ですものね。“お姉ちゃん”から苦情(おうわさ)はかねがね伺っているわ」

 

 

 生徒会長の言葉からは、俺に対する刺々しさが宿っている。怒りとか、恨みとか、嫉妬とか、とにかくうまく言い表せないドロドロとしたものが纏わりついているように感じた。

 「司法修習生(予備)」「お姉ちゃん」「苦情(おうわさ)」――彼女が出したワードを拾い上げた俺は、即座に対象者を引き出した。……彼女は、新島冴さんの妹さんだ。

 確か、冴さんから聞いた妹の名前は真だったか。牽制がてら「時折、貴女の自慢話につき合わされることもあるよ」と言えば、新島さんは顔を赤らめてそっぽを向いた。

 

 成程。姉妹揃って相当なシスコンらしい。追い打ちとして“仕事中に聞かせられた冴さんの妹自慢話”を伝えれば、新島さんは視線を彷徨わせた後で咳払いした。「それはどうも」と会釈する新島さんであるが、耳は真っ赤だ。

 あまりの光景に驚いたようで、竜司と杏が顔を見合わせながら新島さんを見比べる。彼女は今、生徒会長という肩書からは想像できない一面を晒していた。彼女もそれを自覚したようで、居心地悪そうにしながらも表情を取り繕う。

 

 新島の笑顔は一瞬で切り替わった。その眼差しは、被疑者を問い詰める冴さんと瓜二つである。やはり彼女は冴さんの妹だ。

 

 

「ところで、そこの3人は鴨志田先生と色々あったみたいだけど? 特に女子生徒2人は、“鴨志田先生から売春を強要されていた”とか」

 

「「――!」」

 

 

 杏の眼差しが鋭くなる。対して、黎は静かな態度を貫いていた。

 新島さんは黎へ視線を向けた。

 

 

「有栖川さん。貴女の前歴を広めたの、鴨志田先生らしいわね。バレー部の生徒を利用して。……貴女、鴨志田先生が憎いとは思わなかった?」

 

「それを訊いてどうするんですか? 鴨志田先生に虐げられ、彼を恨んでいた人は他にも沢山いるはずですよ」

 

 

 黎は動じることなく粛々と答えた。新島さんは満足げに目を細めると、今度は俺に視線を向ける。

 

 

「……ところで明智くん。聞いた話では、“有栖川さんは登校初日に変質者に襲われて、午前中の授業に出れなかった”みたいね」

 

「そうらしい。そのことに関して、黎から相談を受けたよ」

 

「しかも、その噂には続きがあるわ。“有栖川さんを襲ったのは鴨志田先生”で、“前科を盾にとって関係を迫ったのでは?”って」

 

 

 ……いつの間にそんな噂が流れていたのか。あながち間違いではないから何も言えない。

 

 確かに黎は、登校初日は鴨志田に襲われている。但し、黎が襲われた場所は奴のパレスであり、襲おうとしたのは本人ではなくシャドウだ。

 「お姉ちゃんから聞いている話からして、貴方が有栖川さんの危機に黙っているはずがない」と、新島さんは自信満々に締めくくる。

 ならば、と、俺は開き直ることにした。「当たり前だ」――爽やかな好青年の仮面をずらして、僅かに地を示せば、新島さんは反射的に身を竦めた。

 

 そこを突くような形で、俺は言葉を続ける。

 冴さんに知られたら「よくも妹を!」と叱られそうだ。

 

 

「新島さん、キミはどうなんだ? キミは鴨志田先生の暴力や横暴に気づかなかったのかい? ――それとも、日和見派の連中と同じように、()()()()()()()()()()()()()()? ()()()()()()()()

 

「ッ!?」

 

「――ああそうだよ、噂の大部分は本当だ。鴨志田(アイツ)は前科を盾にして黎に関係を迫り、それを断った黎を退学させようとした。……でも、秀尽学園高校のお偉いさんたちは何もしてくれなかった。鴨志田(アイツ)の言い分を信じて、鴨志田(アイツ)の罪の隠蔽工作に加担して、黎のフォローをしようとすらしなかった。誰も彼もが黎の敵や傍観者に回って、彼女の傍にいてくれたのは坂本くんと高巻さんだけだった」

 

 

 俺は新島を真正面から見つめて問いかける。

 嘘と本当を絶妙に織り交ぜながら、静かに激高する青年を演じてみせた。

 ……『若干』熱が入ってしまっているけれど、大丈夫だろう。嘘ではないし。

 

 

「新島さんだって、件の退学騒動を傍観していたんだろう? キミにとって鴨志田先生の一件は対岸の火事みたいなものでしかなかったんだから。――ああ成程。学園の問題児や前歴持ちの生徒なんて、どうなろうと知ったことではないのか。暴行されても泣き寝入りしろって? 今までみたいに尊い犠牲になれと言うんだね。それが生徒会長であるキミの意見なのか」

 

「明智くん! 私はそんなつもりじゃあ……」

 

「――正直、怪盗団が存在してるか否か、彼らが鴨志田先生に対して何をしたのかなんて分からない。彼らの行動が正しかったのか否かも含めてね。特に僕は他校生だから、そっちの話題に詳しいわけじゃないよ。……けど、僕個人としては正直、1つだけ、怪盗団には感謝してるんだ。彼らのおかげで黎は無事だったし、もうこれ以上辛い目に合うこともない。安心して生活できる」

 

 

 俺は言い終えるや否や、テーブルの上に置いてあったお冷を煽る。最早『若干』で済まないレベルの熱を込めてしまったが、やってしまったことはやってしまったことだ。開き直る他ないだろう。どさくさに紛れて仲間たちへアイコンタクトすれば、他の面々もアイコンタクトを返してくれた。

 さて、新島さんは、俺のマシンガントークにどう返答するのだろう。できればこのまま引き下がってくれたら助かるのだが。俺の願いは叶わないようで、新島さんは俺たちに喰らい付かんとしている。それが己の使命なのだと言わんばかりの眼差しで、だ。

 

 ならば、と、動いたのは黎だった。彼女はほんの一瞬俺に目配せした後、口を開く。

 

 

「どうして先輩は()()()()()()、鴨志田先生のことを訊きまわっているんですか? ――もしかして、“()()()()()()()”とか」

 

「……今だからこそ、よ」

 

 

 新島さんは、苦虫を嚙みつぶしたような顔をした。彼女は怪盗団という存在に対し、強い疑念と敵意にも似た感情を抱いているようだ。

 秩序を乱す者に対して容赦しないという点では、やはり冴さんの妹だと言えるだろう。俺たちを見る眼差しは、被疑者を取り調べる冴さんと同じだから。

 

 

「鴨志田先生の一件で秀尽学園(ウチの)高校(学校)は混乱してる。あのイタズラには本当に迷惑しているの」

 

「イタズラ、ね……。それで? 会長さん、そのイタズラ犯を見つけてどうしようっていうんスか?」

 

「先生たちに言いつけて、停学やら退学やらにしてもらうんですか? ()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 自分たちの活動をイタズラと切り捨てられ、竜司と杏は眉間の皺を深めた。だが、感情に任せて全部喋ってしまいそうだと思っていた竜司が堪えて切り返す。杏も追撃した。

 “鴨志田と同じ”を強調してやると、新島さんは困惑したように視線を彷徨わせる。自分が鴨志田のような絶対権力者と思われているのは、新島さんにとって予想外だったらしい。

 新島さんは鴨志田とは違い、正々堂々としたやり方を好みそうだ。だから嘘はつかないだろう。俺の予想通り、彼女は「そんな目的で動いている訳じゃない」と言い切った。

 

 あくまでも、新島さんは“誰かに調査を依頼されて”動いているだけに過ぎないようだ。新島さんは依頼者に関しては一切喋らなかったが、条件を組み合わせれば絞られる。

 

 

(生徒会長を使って調べさせることができる人間は、同校の教師しかいない。しかも、あの様子だと隠密に調べさせている。……学校内で相応の権力を持っていないとできないぞ)

 

 

 ……何故冴さんを除外したのか。冴さんの場合、『妹を危険な目に合わせるくらいなら、私が1人で調べる!』と言って颯爽と前線へ躍り出そうなためである。

 仕事の最中、何度妹自慢を聞かされたことだろう。正直控えてほしいと思うのだが、『明智くんが有栖川さんとの惚気話を減らしてくれるなら』と言われてしまった。

 

 『冴さんは僕に『死ね』と仰っているんですか?』と真面目に問うたら、『これでイーブンよね』と冷ややかな顔で言われてしまったか。閑話休題。

 

 

「つーか、もういい? 俺たち、試験勉強で忙しいんスけど……」

 

「新島先輩も勉強しに来たんですよね? しないんですか? 勉強」

 

「……もしかして新島先輩、勉強するためにここに来たんじゃなくて、私たちのことをつけ回していたんですか?」

 

「そんなことをしていたら、冴さん、新島さんのこと心配するんじゃないかなあ。冴さんはキミのこと、とっても大事にしているんだし」

 

 

 竜司、杏、黎、俺の順番で、新島さんに畳みかける。ダメ押しとばかりに俺が冴さんの話題を引き合いに出せば、新島さんは目に見えて狼狽した。

 ……成程。新島さんは冴さんに、今回のことを話していなかったらしい。大方、冴さんには「生徒会の活動で遅くなる」等と言い訳していたようだ。

 俺たちに対し、真っ先に「勉強をしに来た」と言ったこともあり、新島さんは引くに引けなくなったのだろう。大変渋い顔をして、「そうするわ」と答えた。

 

 新島さんは俺たちの席から離れると、俺たちの席とは斜め向かいにあるカウンター席へと腰かけた。耳を傾ければ、俺たちの声を拾えるギリギリの位置である。俺はそのことをノートに書き、SNSで作戦会議しようと提案した。全会一致で、全員がスマホを取り出す。モルガナは黎に代筆を頼んでいた。

 

 

杏:何あれ。いけ好かない!

 

竜司:マジでムカついた!

 

吾郎:竜司がキレると思ってたから、踏み留まったのには驚いたよ。

 

竜司:いや、吾郎が一番キレてなかったっけ!? あのマシンガントーク、スゲー迫力だったぞ!

 

吾郎:最初は演技のつもりだったんだけど、気づいたら本音が大部分を占めてた。

 

竜司:まさかの『ほぼガチだった』件。

 

杏:でも、吾郎のおかげでどうにかやり過ごせたよ。

 

黎:「目を付けられているから気を付けろ。奴は相当なキレ者だ」って、モルガナが言ってる。

 

竜司:目を付けられてるって……まさか、三島の奴が漏らしたのか!?

 

黎:それはない。私たちに辿り着いたのは、純粋に彼女の捜査能力が高いからだよ。将来は刑事か検察官かな?

 

吾郎:やっぱり、姉の冴さん同様『敵に回したくない』タイプだ。

 

黎:そういえば新島先輩って、吾郎の司法修習先の検事さんの妹なんだっけ?

 

杏:目を付けられてるってことは、動きづらくなりそう。どうやってやり過ごす?

 

吾郎:俺限定になるけど、冴さんの話題を出すくらいしか突破口が見当たらない。

 

竜司:ああ……。

 

杏:ああ……。

 

黎:……成程。「シスコンだからなぁ。見りゃあ分かる」って、モルガナも頷いてる。

 

竜司:とりあえず、俺らの場合は普通に学生生活を送るしかないか?

 

黎:折角だから、みんな揃って定期テスト上位に食い込んでみる? 優秀な生徒ということで、疑いを外してくれるかもよ?

 

吾郎:そう言いながら、黎は学年首位を掻っ攫う気満々だよね。キミならできるだろうけど。

 

杏:確かに。

 

竜司:確かに。上位に入るなんて俺には無理だろうけどな。

 

黎:上位に入らなくとも、普段より躍進すればいいんじゃない? 竜司の成績ってどれくらいなの?

 

竜司:下の下の下。赤点常習犯。

 

黎:なら、後は上がるだけだから問題ないね。

 

吾郎:それじゃあ、暫くは勉強会に励むと言うことでいいのかな?

 

杏:賛成。

 

竜司:不本意だけど賛成。

 

黎:「普通の学生を装うには、それが一番だな」ってモルガナが。全会一致だね。

 

吾郎:それじゃあ、勉強会を再開しようか。

 

 

 俺たちはスマホをしまい、勉強会を再開する。普通の生徒を装うためのカモフラージュであるが、実際の定期テスト対策でもあるため、自然と熱が入った。

 外を見ればとっぷりと日が暮れており、そろそろ帰らないといけない時間帯になっていた。俺たちは勉強道具を片付けて店から出る。

 特に寄り道することなく駅に着いた俺たちは、それぞれの家路へとつく。俺は黎を送っていくので、四軒茶屋の方に寄り道だ。

 

 ルブランの扉を開ければ、仏頂面をわずかに緩ませた佐倉さんが「おかえり」と黎を迎えたところだった。黎も当たり前のように「ただいま」と返す。

 

 俺の知らない間に、黎と佐倉さんは打ち解けていたらしい。その事実に安堵しながら、俺は佐倉さんに頭を下げる。黎と「また明日」と挨拶を交わし、俺はルブランを出た。

 黎が冤罪に巻き込まれ、東京にやってきてから早1ヶ月近くが経過した。少しづつではあるけれど、彼女の周囲には志を同じくする仲間や協力者が集まりつつある。

 

 

(黎は、誰からも愛されるようなタイプだからなぁ)

 

 

 “そんな彼女が選んだ人間が俺だった”――その事実を噛みしめながら、その幸福を噛みしめながら、俺は家路についたのだった。

 

 

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と覚悟しながら。

 

 

***

 

 

「ただいまー」

 

「おう、おかえりー。勉強会は楽しかったかー?」

 

「……おかえり、吾郎」

 

 

 自宅の扉を開ければ、保護者2人が俺を迎えてくれた。夕食を作り終えた至さんと、ソファに寝そべったままうつらうつらしている航さんの姿が飛び込んでくる。

 前者は毎日1回は顔を合わせていたけれど、後者を自宅で見かけたのは久しぶりな気がした。南条の研究機関から這い出てきたあたり、研究はひと段落したのだろう。

 

 今日の夕食は中華料理だった。肉と野菜がゴロゴロ入った酢豚、甘辛い香りを放つ鳥のカシューナッツ炒め、辛みが効いていそうなエビチリ、肉や海鮮の餡がたっぷり詰まった餃子、シンプルな卵スープからは湯気が漂う。

 

 

「中華は冷めると壊滅的に不味くなるから、早く食べろよ」

 

「了解。着替えてくる」

 

「ほら、航も食え」

 

「んぅー……」

 

 

 至さんに従い、自室に戻る。制服を脱いで手早く部屋着に着替えた俺は、迷うことなく席に着いた。「いただきます」と挨拶をして、各種中華料理を食べ進める。

 その脇で、至さんはヒイヒイ言いながら航さんの介護をしていた。航さんをどうにか席に座らせ、箸やスプーン、取り皿を並べていく。航さんはぐずる子どものように唸っていた。

 航さんの介護がひと段落した至さんは、席に着きながらテレビをつけた。その筋の有名人や権威、芸能関係者等がコメンテーターとして数多く登場する番組が映し出される。

 

 丁度やっていた番組は、政治経済に関する話題で盛り上がっている。

 そのときカメラに映し出された人物と、下部のテロップを見た俺は息を飲んだ。

 

 獅童(しどう)智明(ともあき)――帝都ホテルのビュッフェで邂逅した獅童の息子だ。獅童の懐刀で、『廃人化』専門のヒットマンと思しき男。得体の知れなさを孕んだ『何か』。相変らず、俺は奴の声と顔を()()()()()()()()。分かるのは、穏やかに笑っていることぐらいだ。

 

 奴の肩書は議員秘書見習い。いずれ来るべき時が来たら、獅童の政治基盤のすべてを譲り受けるであろうと言われている天才高校生。

 つい最近まで海外の進学校で飛び級し、政治経済に関することを学んで来たという。探偵王子の弟子が俺なら、奴は政治家の卵と言えるだろう。

 

 

「……コイツ、十中八九『神』の関係者だろ。しかも、上に悪がつく方の」

 

 

 酢豚を皿によそっていた至さんの表情が剣呑なものになる。彼は智明を睨みつけたままでいた。

 そのタイミングを待っていたと言わんばかりに、MCが智明の経歴を説明し始める。

 

 父親は獅童正義、母親は五口(いつつぐち)愛歌(あいか)という資産家の1人娘。だが、愛歌と交際当時の獅童は五口側から結婚を認めてもらえず引き裂かれたという。引き裂かれた時点で、愛歌は既に智明を身籠っていたらしい。周囲の反対を押し切って智明を生んだ愛歌だが、産後の経過が悪く、そのまま亡くなってしまった。そのため、彼も五口家の跡取りとして回収されたと言う。

 だが、生まれた経緯故、智明は五口家で冷遇されたそうだ。ある日、五口一族は智明を1人日本に残して海外旅行へ出かけ、そこで発生したテロに巻き込まれて全員が亡くなった。彼らから冷遇されていたことが逆に幸いし、智明だけが生き残ったのである。智明には莫大な遺産が残され、父親である獅童――当時は都議会議員の選挙に挑んでいる真っ最中――の元へ引き取られた。そこで苗字が五口から獅童へ変わった。

 その後は獅童の援助を受けて海外に遊学し、つい最近帰って来たという。奴は俺が通う高校への編入試験を文句なしの好成績でパスし、大手を振って編入した。『親族が僕を『生まれてこなければよかったのに』と詰る中、『愛歌の忘れ形見であるお前が生きていてくれてよかった』と言って僕を支えてくれた父の存在が、僕にとっては救いでした』――穏やかな微笑を湛えて語る智明の様子に、俺は何とも言えない気持ちになる。

 

 

(獅童は五口愛歌を愛したが引き裂かれる。その後、五口家の親族が全員亡くなった際、奪われた智明を取り戻した……)

 

 

 俺の母を捨てた獅童からは想像できない行動だ。()()()()()()()()()()()()()()()()()と、俺の中にある“何か”が悲鳴を上げている。

 

 

(……最初から、アイツは母さんと結婚するつもりなんかなかったんだな。母さんは、獅堂と結婚するために俺を身籠ったのに)

 

 

 母の努力は最初から無意味であった。獅童と結ばれるために生まれ落ちたはずの俺も、また無意味だった。『生まれてこなければよかったのだ』と突き付けられたような心地になり、俺は歯噛みする。スプーンが皿に当たり、小さく音を立てた。

 至さんも俺の異変に気づいたのだろう。心配そうに俺を見つめる。俺は努めて笑みを浮かべると、至さんが狙っていたであろう餃子を掻っ攫った。それを見た至さんが「あ!」と声を上げる。騒がしさはあっという間に戻って来た。

 

 航さんは相変らずうつらうつらしていたが、何を思ったのか、ぽつりと呟く。

 

 

「……五口なんて資産家、聞いたことも見たこともないんだ」

 

「航さん?」

 

「ある日突然、ウチのグループの連中たちが五口家について話題にするようになってな。調べてみたら、“南条コンツェルンに勝るとも劣らない資産家”だってあった。でも、俺と圭は、そんな資産家なんて()()()()()()()()()()()()()()()()。……なのにみんな、言うんだ。『社交界で何度か顔を合わせていたじゃないか』って」

 

 

 ――彼の言葉に、思い至ることがあった。

 

 ビュッフェで智明と出会った後、俺は高校生活を送りながら奴の情報を探っていた。今までは「我が校の有名人は?」と尋ねれば「明智吾郎」一択だったのに、今では「獅童智明と明智吾郎」という返事が返ってくるようになっている。

 しかも、今まで俺が不動の学年首位だったはずなのに、いつの間にか「学年首位は獅童智明と明智吾郎が同率1位であり、首位争いを繰り広げている」なんて話になっている。ダメ押しとばかりに、「獅童智明は俺と同級生で別のクラス」となっていたのだ。

 『存在しなかった』はずのものが『存在していると“認知”されている』――この違和感を何と説明すればいいのだろう。おかしいのは俺か、それとも周囲か。多数決の原理が採用される昨今では、「おかしいのは俺である」と切り捨てられるのがオチだった。

 

 テレビの中にいる獅童智明は、穏やかな口調のままコメントを述べる。未だに奴の特徴を()()()()()()けれど、人のいい笑みを浮かべていた。

 こいつが『廃人化』専門のヒットマンかもしれないなんて、誰も予想できやしないだろう。俺だって、あの現場に居合わせなければ想像できなかった。

 

 

「……一色さんの認知訶学研究にも、似たような記述があった、ような……?」

 

「わああ!? 航、零してる零してる!!」

 

 

 うつらうつらと呟いた航さんだが、彼の持っているスプーンは下に傾きすぎており、卵スープがボタボタと零れている。それに気づいた至さんが慌ててふきんを持ってきた。

 一色さんの名前と彼女の研究――認知訶学の名を聞いたのは久しぶりだ。守れなかった人の後ろ姿を想いながら、俺はリモコンを手に取ってテレビを消した。

 

 

(これからは、獅童の『駒』とかなり近い距離で接することになる。用心しないと)

 

 

 夕食を食べ終えた俺は部屋へ戻る。軽く自学自習した後はSNSで黎と談笑し、明日の用意をしてベッドに横になった。

 

 いつもと同じように目を閉じて意識を落とす。

 微睡む中で、誰かの不気味な嗤い声が聞こえてきたような気がした。

 

 




今回は新章導入部であり、キリのいいところまで。さらっと色々な情報を盛り込ませつつ、愉快な日常(?)を過ごしています。今回は獅童智明/旧姓:五口智明の経歴が明かされましたが、得体の知れない異質性も滲み出ている模様。期せずして最前線で戦うこととなった『白い烏』、魔改造明智の明日はどっちだ!?
今回登場した祐介は本編開始前の出来事です。そんな祐介には、P3Pの順平&チドリとの縁が結ばれました。チドリの作品によって、何やら変なフラグも立ったようです。他にも今回の章では歴代シリーズゲストが登場・参戦する予定となっていますのでお楽しみに。


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そこまでにしておけよ変態

【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 @空本(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄で明智の保護者その1。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
 @獅童(しどう) 智明(ともあき)⇒獅童の息子であり明智の異母兄弟だが、何かおかしい。獅童の懐刀的存在で『廃人化』専門のヒットマンと推測される。詳しくは中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『運命を切り開くだけの簡単なお仕事』および『ペルソナ3異聞録-.future-』、Pixivの『2周目明智吾郎の災難』および『【一発ネタ】有栖川黎の幼馴染』の設定を下地にし、別方向へ発展させた作品である。
・ジョーカーのみ先天性TS。
 ジョーカー(TS):有栖川(ありすがわ) (れい)⇒御影町にある旧家の跡取り娘。旧家制度は形骸化しているが、地元の名士として有名。身長163cm。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空本(そらもと) (わたる)⇒明智の保護者2で、南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。
・「2罰ボスの外見を見た人間の反応」に関するねつ造設定がある。
・喜多川と班目の行動が原作より過激(?)になっているので注意。
・順平が大変な目に合っている。


 期末テスト明けて早数日。僕たちは期せずして、マダラメなる人物――画家である斑目一流斎の展覧会を見に行くことと相成った。

 

 

『やだ……! アイツ、ついて来てる!』

 

 

 『鈴井志帆が転校することになったという情報が入り、少し寂しそうにしていた杏が血相変えて耳打ちしたことがすべての始まりになるだなんて誰が予想しただろう』とは、黎の発言だった。彼女の疲れ切った横顔は忘れられない。話を聞いた俺も疲れたためだ。

 杏を追いかけて来たストーカーをとっ捕まえてみたところ、その人物は洸星高校美術科2年の喜多川祐介と名乗り、杏に『絵のモデルになってほしい』と申し出てきたそうだ。彼は世界的な日本画家、斑目一流斎の門下生だという。

 喜多川は杏を一目見て惚れ込み、『絵のモデルになってほしい』と頼み込むためだけにずっとつけ回していたのだ。一歩間違えればメメントスの中野原と同じ轍を踏みかねないのだが、奴からは歪みを検知することはできなかったらしい。閑話休題。

 

 良くも悪くも純粋すぎる喜多川は、黎たちに班目画伯の展覧会のチケットを押し付けた。無料だが明らかな押し売りをする喜多川に『彼氏の分も欲しいのでもう1枚』と要求する黎の豪胆さも、黎の無茶ぶりに2つ返事で対応し僕の分のチケットを手渡してきた喜多川も、もう何もかもが規格外だった。

 喜多川という人間の突き抜けっぷりに引きながらも、彼の師である班目はシャドウの中野原が言っていたマダラメなる人物と同じ苗字であることに気づいた3人は、『展覧会に参加したい』と僕にメッセージを送って来た。僕たちに必要なのはターゲットの情報だ。断る理由はない。

 

 

『ああ、来てくれたんだね!』

 

『う、うん。まあ』

 

『本当に来たのか』

 

『お前がチケットを置いてったからだろーが』

 

 

 班目展に足を踏み入れた僕たちを迎え入れた黒髪――橿原淳さんと瓜二つの顔立ちだ――の美男子である喜多川祐介は、杏とその他でまったく正反対の対応をした。黙っていれば造詣はいいのに、言動や態度がその価値を木端微塵にぶち壊している。

 神様はどうやら、喜多川祐介という男に対し、端正な顔と画家としての才能()()を与えたらしい。芸術以外のことに関しては無頓着なのだろう。僕を含んだ杏以外の参加者への対応が雑なのもそのせいだ。航さんのようなタイプに近い人間と言えよう。

 

 僕がそんなことを考えていたら、喜多川は僕に気づいたようだった。奴は挨拶もそこそこに、突如手で枠を作って唸り始めた。

 

 

『……僕たちに、何か?』

 

『そこの2人が並んでいると、何かこう、突き動かされるような感覚を覚えるんだ。――“描かねばならぬ”と』

 

『えっ?』

 

 

 奴の枠の中には、僕と黎が寄り添っている姿が収められていた。それを何度も角度を変えながら、喜多川は真剣な面持ちで僕と黎を見つめ続ける。

 そうして、何か確証を得たのだろう。喜多川はパアアと表情を輝かせた。奴の反応は、杏への対応とよく似ている。あまりの変貌に、僕たちは呆気にとられた。

 

 刹那、喜多川は僕と黎の手を取り、藪から棒に申し出た。

 

 

『2人にも頼みがある。彼女と同じように、俺の絵のモデルになってくれないか!?』

 

『『!?』』

 

 

 ――ここで地を出さなかったことを褒めてほしい。突然の申し出に置いてけぼりを喰らった僕たちを、喜多川は更に置いていった。文字通りの暴走特急。

 

 

『不思議だ。彼女だけのときは“何か足りない”と思っていたんだが、今なら分かる。()()()()()()()()()、その真価が発揮されるのだと! 俺はこの美しさと尊さを、是非とも描きたいんだ!』

 

『おう、まずはその手を離せクソ野郎。話はそれからだ』

 

『吾郎、取り繕えてないよ』

 

 

 僕は喜多川の手を引っぺがしながら、笑顔で応対した。ついでに黎の手から奴の手を引き剥がすのも忘れない。まさか僕たちが杏と同じ轍を踏む羽目になるとは思わなかった。『杏と一緒に案内する』と主張する喜多川を笑顔のまま迎撃しながら、僕たちは班目展に足を踏み入れる。

 インタビュアーからマイクを向けられた班目画伯は、気さくで飄々とした態度のまま応じていた。『有名画家として稼ぎながらもあばら家に住まい、俗世との関わりを断つことで、逆に様々な着想を得ている』と語る班目画伯に、マスコミたちは囃し立てるように声を上げている。

 結局、僕、黎、杏は喜多川に引きずられるような形で班目展を見て回る羽目になった。奴は流暢に班目画伯の作品を語っていたが、ある絵に惹かれて足を止めた杏の発言を聞いた瞬間表情を曇らせた。件の絵に何か思い入れがあるのか、端正な顔に影が射す。だが、奴は即座に空元気を出すと、すぐ案内を再開した。

 

 意気揚々と先へ進む喜多川に引きずられるようにして館内を歩いていた僕と黎は、とある作品の前で足を止めた。

 タイトルは『愛花繚乱』。描かれているのは2人の男女だ。それだけであったら、普通の絵だっただろう。

 

 だが、描かれていた人物のモデルを、僕と黎はよく知っている。僕は思わず声に出していた。

 

 

『これ、順平さんとチドリさん!?』

 

 

 2人は巌戸台で出会ったペルソナ使いだ。後者のチドリさんは命さんたちと敵対するペルソナ使いだったが、順平さんとの交流の果てに彼を庇って昏睡状態に陥り、影時間適正およびペルソナ能力や記憶の喪失と共に息を吹き返したのだ。記憶なき後も順平さんに惹かれたチドリさんが――元通りとはいかずとも――恋人同士になるのに時間はかからなかった。

 劇的な運命によって結ばれた恋人たちが、まさか班目の作品のモデルになっていたとは思わなかった。『キミたちは2人を知ってるのか?』と問う喜多川に、2人の馴れ初めを簡潔に説明しながら頷くと、喜多川は何とも言い難そうな顔をして目を伏せる。2人に対して何か後ろめたいことでもあるのだろうか? 現時点では、それを察することはできなさそうだ。

 

 

『でも、よく描けてるよね。苦難の果てに結ばれた2人の絆とか、惜しみのない愛情とかが伝わって来るよ』

 

『書き手もまた、そういうのを表現するのに苦心したんだろうな。モデルの感情を真摯に受け止めて、きちんと形にしたいという強い意志を感じる。……『2人を描くことが芸術家の誇りだ』と言わんばかりの気迫があるよね』

 

『…………っ』

 

 

 黎と僕が『愛花繚乱』の感想を述べたとき、喜多川がほんの一瞬息を飲んだ。大きく見開かれた瞳には、驚愕、歓喜、そして――悲哀にも似た憤りが滲む。どこまでも真っ直ぐな眼差しが、僕と黎へ突き刺さってきた。

 

 何かを言いたげに口を開いた喜多川だが、幾何の間を置いて、彼は小さくかぶりを振った。口から出かかった言葉を飲み込み、二度と出てこないよう蓋をするかのように。

 僕たちがそれを問いかけるよりも先に、喜多川が張り付けたような笑みを浮かべる方が早かった。奴はやけに綺麗な笑みのまま、僕たちや杏を促して先へ進もうとした。

 喜多川の様子からして、奴は僕たちを『愛花繚乱』から引き離したいらしい。明らかな違和感に不審を抱くが、結局喜多川の暴走特急ぶりによって棚上げされることとなった。

 

 喜多川に引きずり回された僕たちが解放されたのは夕方近くのことだった。しかも、別行動だった竜司は一足先に会場から立ち去っていたという。

 怒り心頭の(黎除く)僕らは、待ち合わせ場所に着くなり竜司を糾弾した。オバちゃんたちの勢いに押されたと釈明した竜司は、スマホの『怪盗お願いちゃんねる』を差し出す。

 

 

『掲示板に新しい書き込みがあったんだ。『あばら家』に『日本画家』……これ、多分班目のことだぜ』

 

『何々? ……盗作に虐待!? あの班目先生が!?』

 

『“弟子の作品を盗作するだけでなく、弟子をあばら家に住ませ、絵のことなどロクに教えず小間使いのようにこき使う。その様はまるで犬の躾のよう”ときたか。相当な言われようだね』

 

 

 書き込みを読みながら、僕たちは唸った。

 

 火のないところに煙は立たぬ。それに、シャドウの中野原の話を思い出す限り、班目は『弟子を物扱いする悪い先生』と言われていた。

 もしその話が真実だった場合、喜多川は班目によって虐待されている危険性があった。思ったより、事態は根深く深刻なのかもしれない。

 それを加味した結果、全会一致で『喜多川祐介にコンタクトを取って、班目に関する情報を聞きだす』ことに決定した。

 

 時間も時間だったので、僕たちは解散して自宅へと帰宅した。夕食を食べた後、自室で仲間たちとチャット――もとい、作戦会議に興じる。

 

 仲間たちは喜多川から直接話を聞き出そうとしている様子だった。現在、班目に一番近い人間は彼の傍にいる喜多川だけである。

 ……だが、もしも『虐待されている』という噂が本当だった場合、留意しなければならないことがある。僕はそのことを、怪盗団の面々に提示した。

 

 

吾郎:ならば、喜多川くんと接触する際、言動に気をつけないといけない。

 

竜司:なんで? 直接訊ねたほうが早いだろ?

 

黎:虐待されて育った人間、あるいはDV被害者の真理だね?

 

吾郎:そう。虐待されている人間はこう考えるんだ。『加害者はこんな自分を養ってくれているんだから、報いるのは当然』、『加害者が自分に手をあげるのは、自分に非があるからだ』、『加害者に愛してもらいたい、頼られたい、必要とされたい、捨てられたくない』ってね。

 

杏:そんな……。

 

黎:視野狭窄に陥っているとは言えども、被害者にとって加害者は“絶対的な正義”だ。加害者を害そうとすれば、感情の方向性問わず全力で抵抗してくる。

 

竜司:視野狭窄?

 

杏:要するに、“選択肢がそれ以外ない”って頑なに思い込んでいるってこと。

 

竜司:マジかよ……。で、感情の方向性って?

 

黎:『自分が悪いから叱られているだけで、相手に非は一切ない』と庇う、『余計なことをしないでほしい。そのせいで、相手からの仕打ちが悪化するのは困る』と自己保身に走る、『相手のおかげで私は今幸せなんです。私は不幸な子なんかじゃない』って自分に言い聞かせて現実逃避に走ることかな。

 

竜司:そういえば、鴨志田の被害者たちも似たようなこと言って反論してきたな。そうなると、やりにくいぜ……。

 

杏:それって、ある意味“班目先生に洗脳されてる”ってことだよね?

 

吾郎:そうだね。でも、場合によっては自ら“洗脳を受けに行っている”可能性もあり得る。

 

黎:“そうしないと生きていけない”レベルでの命、もしくは心の危機だからね。“そんなことはない”という確固たる証明ができないと納得してくれないかも。

 

竜司:な、成程……。でも、黎も吾郎も詳しいな。

 

吾郎:まあ、至さんと航さんに引き取られたばかりの頃の俺がそんな感じだったから。親戚が目の前で、俺の処遇に関する暴言合戦してた。『死ねばよかったのに』とか言われたかな?

 

竜司:酷ぇ……! なんて奴らだ!

 

杏:その親戚サイテー!

 

吾郎:怒ってくれてありがとう。今思えば、それがトラウマになったっぽい。保護者2人には散々迷惑かけたな。

 

黎:『吾郎が虐待被害児童みたいな挙動をするようになった。このままじゃ大変なことになる。どうしたらいい?』って至さんと航さんから相談貰ったレベルだった。

 

竜司:マジか……。黎や空本さんたちに会ってなかったら、吾郎ってどうなってたんだろうな?

 

杏:アタシたちと一緒に怪盗団やってなかったりして……。

 

吾郎:あはは、考えるとゾッとするよ。今は平気だから心配しなくて大丈夫。

 

黎:本人はああいってるけど、自覚がないだけなんだ。今でもたまに発症するから心配。

 

吾郎:そう?

 

黎:そう。

 

吾郎:だとしたら、迷惑かけてごめん。治ったと思ったんだけどな。

 

黎:焦らなくていいよ。無理に治そうとしなくてもいい。

 

吾郎:でも、黎の負担にはなりたくない。治せるよう努力するから。

 

黎:治せると思ってない。その程度で治るなら、吾郎が苦しむはずないでしょう?

 

吾郎:黎……。

 

黎:私、吾郎の傍にいる。ずっと傍にいるよ。いつか本当の意味で、貴方が心穏やかに在れるように。

 

 

吾郎:……ありがとう、黎。これからもよろしく。

 

黎:こちらこそ。返品は受け付けないよ?

 

吾郎:それはない。むしろ、俺の方が一生手放さないと思うけど大丈夫?

 

黎:愚問だね。そっちこそ大丈夫?

 

吾郎:それこそ、黎の方が分かってるだろ? 母さんを捨てたクソ野郎と同じ轍は歩まないって決めてるんだ。

 

 

竜司:すんません。グループチャットじゃなくて現実でお願いします。

 

杏:アタシ甘いものは大好きだけど、コレはちょっと扱いに困るわー。

 

黎:モルガナが白目剥いてる。どうしてだろう?

 

 

 ――ということで、喜多川への接触方針は定まった。

 

 僕個人でも探偵組や司法関係者の手を借りて班目画伯のことを調べてみたが、彼が獅童派の議員に政治献金しているという噂を掴むのが手一杯だった。この時点で嫌な予感しかしなかったのだが、これは俺自身の戦いだ。怪盗団に開示するには、まだ俺の覚悟が定まらないままでいる。

 政治家の資金源となるには相当の金が必要なのだ。しかし、世間で話題となっている()()班目画伯からは金や女の気配を感じ取れない。検察庁に直接出入りできれば何か聞き出せたかもしれないが、現在僕は活動自粛中だ。動き出せるとしたら来月頃からだろうか。

 

 

「……しかし、さっきの杏と竜司の会話はゾッとしないなぁ」

 

 

 チャットのログと睨めっこをしながら、僕は小さく息を吐く。そうして『もしも』を夢想した。

 

 もしも、俺の周りに至さんや航さんのような大人や黎がいなかったら、俺はどうなっていたんだろう。誰かを信じることもできぬまま、1人で生きていくことになったのだろうか。

 生きていくことに絶望し、獅童を恨み、世界を恨み、すべてを壊そうと思ったかもしれない。転がるようにして、闇の中へと踏み込んで、虚構塗れの人生を歩んだかもしれない。

 セベク・スキャンダルや『JOKER呪い』のときに顔を合わせた神取の姿がちらつく。“影に魅入られながらも運命を覆した者”として、奴は俺に対してやたらと優しかった。

 

 ニャルラトホテプの人形としての生を強要された神取に、俺はどう見えていたのだろうかは分からない。感情を雄弁に語るはずだった眼差しは、ニャルラトホテプに魅入られた後に死を迎えた瞬間から失われてしまった。

 どうしてかは分からないが、俺は破滅の道を歩いた神取の気持ちを()()()()()()()()()。影に魅入られた人間が、手を汚した人間が、光射す場所を歩くことなんてできやしない。そんなこと、絶対に許されない――()()()()()()()()()()()()

 

 

「手を汚したら、二度と戻れない……当たり前のことじゃないか」

 

 

 自分でも変なことに引っかかったな、と思う。

 この日は明日の用意を終わらせ、明日のために眠りについた。

 

 

◇◇◇

 

 

 翌日、早速僕たちは班目画伯の調査――もとい、喜多川祐介へのコンタクトを試みた。結果、運よく班目のパレス潜入に成功したのである。

 

 放課後、駅前で合流した僕たちは駅から徒歩で班目邸へ向かった。書き込み通り、班目画伯の家は古い『あばら家』だった。作品を描けばウン千ウン百万円で取引される日本画家からは想像できない有様である。早速訪問した僕たちを、喜多川は笑顔で対応した。

 パッと見て、喜多川は虐待されているように見えなかった。だが安心してはいけない。虐待常習犯の中には「見える所に傷をつけない」よう心がける連中だっている。服の下に隠れるような場所や、身体ではなく精神を攻撃するパターンだってあった。

 事前にその方向性を予測しておいてよかったと思う。真正面から『お前は虐待されているのか?』なんて訊ねていたら、話がこじれて厄介なことになってしまっただろう。実際、喜多川は班目画伯に対して深い恩を感じていたからだ。黎が班目を褒めると、喜多川は自分が褒められたみたいに語り出す。

 

 

『班目先生って凄い人なんだね』

 

『ああ。先生はとても素晴らしい人なんだ。身寄りのない俺をここまで育ててくれて、絵を教えてくれた。俺にとって、先生は父親代わりみたいな人なんだ!』

 

 

 班目画伯を語る喜多川を見ていると、俺の自慢話をする至さんや航さんの姿を思い出した。目の輝き方は至さんだし、うんうん頷く図は完全に航さんだろう。

 『吾郎も喜多川くんみたいなところあるよね。至さんや航さんのことを話すとあんな感じだよ』と黎に耳打ちされたのは何となく解せないが。閑話休題。

 

 

『僕たち、班目先生に関する悪い噂を聞いたんだ。展覧会で見た班目先生からは全然想像つかない誹謗中傷ばっかりだったんだよ』

 

『先生への誹謗中傷だって!?』

 

『確か、“弟子に対して酷い扱いをしている”とかなんとか』

 

『――キミは、そんな根も葉もない噂を信じているのか?』

 

『まさか! ……酷いよね。喜多川くんを引き取って育ててくれた人のことを悪く言うなんて』

 

 

 眉間に皺を寄せた喜多川は、班目を守る番犬のようだ。僕は肩を竦めつつ、情報提供者をこき下ろすような発言――つまりは班目を擁護する発言をした。不本意ではあるが、喜多川に警戒されるのは厄介なことになりそうだったので致し方ない。

 杏と竜司も『そうだそうだ』と同意する。だが、竜司は不本意さを隠しきれていないようで、眉間に皺が寄っていた。その反応から、“全員が班目の味方だと認識した”喜多川が警戒心を解いたのを確認し、遠回しに僕は喜多川に訊ねる。

 

 

『喜多川くんは、班目先生に対して、そういう噂を流しそうな人を知ってるかい?』

 

『…………いや、分からないな。いるならとっちめてやりたいくらいだ』

 

 

 『掲示板に書き込みしたような情報を知っていそうな人物は誰か』と遠回しに問えば、喜多川は心当たりがありそうな顔をした。だが、小さくかぶりを振って否定する。

 奴はあからさまに嘘をついた。いや、()()()()()()()()()()()と言った方が正しい。疑念の眼差しは、今はもうここにいない誰かに向けられていた。

 

 僕と黎は顔を見合わせて小さく頷き、杏と竜司に視線を向ける。2人は頷き、雑談のどさくさに紛れて『班目の門下生』に関係する話題を喜多川に問いかけた。

 

 

『班目先生って弟子を取って絵を教えているんだよね? 喜多川くん以外のお弟子さんっているの?』

 

『いいや。以前は何人か暮らしていたんだが……今は俺だけなんだ』

 

 

『なあ喜多川。班目センセイの関係者に“ナカノハラ”ってヤツいた?』

 

『“ナカノハラ”……? ……同じ名前の兄弟子ならいたが、彼は画家の道を諦めてここから去ってしまった。先生は残念がっていたよ』

 

 

 ――ビンゴである。俺たちの望んだ情報は手に入った。

 

 やはり、中野原が言っていたマダラメは斑目一流斎その人だったのだ。集めた情報からきな臭さを感じてはいたものの、ここにきて中野原の発言と『怪盗お願いチャンネル』の書き込みに信憑性が出てきたように思う。

 時折、喜多川がどさくさに紛れて『モデルになってほしい』と僕と黎の手(たまに杏)を握って来るのを引っぺがしながら雑談に興じた甲斐があった。『今日は忙しい』と言って名残惜しそうに家の中へ消えた喜多川を見送った僕たちは、道路の反対側にたむろした。

 運がいいのか悪いのか、僕たちのスマホは喜多川との会話に反応し、ナビを起動させていた。後は、パレスの元になっている施設名を言えばナビが起動し異世界へ飛び込むことができるだろう。画家の心象世界とは如何なるものか。

 

 手当たり次第に案を出していたときである。黎が『美術館?』と言った瞬間、イセカイナビが起動した。

 僕たちの眼前に広がったのは、あばら家からは想像できない景色だった。

 

 

「あばら家が美術館って、マジ?」

 

「すごい豪華……ってゆーか、シュミが……」

 

「悪いね。すごく」

 

「そうだね。目に痛いな」

 

 

 スカルとパンサーが呆気にとられる。ジョーカーは真顔のまま頷いた。僕も同意してパレスを見上げる。

 

 目に突き刺さらんばかりの絢爛豪華な美術館、その外観は黄金一色で埋め尽くされていた。入り口には多くの人間の姿がごった返していた。これが班目の欲望――その心象風景だと言うなら、奴は何を思って『美術館』を思い描いているのだろう。

 班目の作品は現実世界にも多く飾られている。多くの人々から称賛されているし、認めてもらっている。そんな人間に、『美術館』を司るような欲望が存在しているのだろうか。だとしたら、その源は一体どこから来るのだろう。パンサーとスカルが顔を見合わせ考え込む。

 「ここで悩んでいてもしょうがないから、先に行こうぜ?」というモナの案内に従い、僕たちは班目のパレスへ踏み込んだ。真正面から踏み込むのを避け、駐車場に止まっている車をよじ登って施設内へと侵入する。

 

 周囲には警備員が闊歩していた。勿論、無駄な戦闘は望むところではない。僕たちは建造物を飛び移りながら美術館の屋根へと飛び乗った。どこか侵入できそうな場所を探すと、丁度空いている天窓を見つける。ロープを垂らして内部に侵入すると、そこは展覧会場だった。

 美術館に絵が飾られていることに関して、何もおかしいことはないのだ。だが、ここはただの美術館ではない。欲望が顕現した心象世界――パレスである。故に、この絵には班目にとって深い意味があるはずだ。僕たちはそうアタリをつけて、館内の絵を調べて回る。

 

 

「全員、人物画みたいだね。しかも、みんな同じタッチで描かれてる」

 

「確かにそうだね。おまけに、向うには中野原の絵もあるよ」

 

 

 違和感の正体にいち早く気付いたのはジョーカーだった。続いて、僕が“中野原が描かれた人物画”を発見する。

 よく見れば、ここに飾られている人物画には“絵のモデルになった人物の名前”が題名として刻まれているではないか。

 

 

「いやいやおかしいだろ!? なんでこんなところに、中野原の絵が飾ってあるんだよ!?」

 

「スカル! あれ!」

 

「「ゲェッ!? 祐介/ユースケェ!?」」

 

 

 パンサーの声につられて見上げたスカルとモナが悲鳴を上げた。

 

 そこには喜多川祐介の人物画が飾られていた。

 勿論、作品名のタイトルも奴の名前である。――まさか。

 

 

「ここに描かれている人間全員が、班目の弟子ということか……?」

 

「ウソ!? この人数全員!?」

 

「でも、今じゃ祐介の奴しかいないんだよな……?」

 

 

 僕の推論を聞いたパンサーとスカルが顔を見合わせる。これ程までもの人物画が全員班目の弟子、あるいは元弟子がいる/いたならば――そうして彼らから絵を盗作すれば、班目の“多彩な作風”は、枯れることなく湧き続けたであろう。

 喜多川の話では、現在門下生として班目の元に残っているのは奴1人だけだ。他の弟子たちは班目に才能を食い潰され、中野原と同じような末路を辿ったのであろう。……と言っても、これは現時点ではただの推理にしか過ぎない。

 確証を得るためにも、これは奥へと進むしかあるまい。「確証が欲しい、奥へ行こうぜ」――モナの意見に従って、僕たちはパレスの奥へと進んだ。そこは美術館の入り口へと繋がっており、パンフレットの棚が置かれていた。

 

 うまくいけば、班目の認知――パレスの内装や規模がどうなっているかを探ることもできるかもしれない。僕たちはパンフレットを手に取った。

 

 

「でもこれ、美術館の半分しか載ってないよ?」

 

「待ってくれパンサー。それには、館内案内図・上と書かれているみたいだぞ」

 

 

 首を傾げたパンサーにモナが指摘する。つまり、『施設内部のどこかには館内案内図・下が置かれているフロアが存在しており、自分たちが把握しているフロアのあと半分程度の規模がある』ということを意味していた。

 班目の美術館は、どうやら鴨志田の城よりも複雑で広いらしい。スカルが「うええマジかよぉ。あと半分も探索しなきゃダメなのか」とぼやいたが、今回の目的はあくまでも“班目の認知を探る”ことだ。

 

 

「残りの半分の探索は後回しでいい。現段階で行ける場所を巡って、マダラメの認知を確認する方が先だ。奴の認知の結果によって、話は変わるからな」

 

「分かった。今回は、このパンフレットに記載されている場所を回ろう」

 

「「「了解!」」」

 

 

 モナの意見に従い、ジョーカーが指示を出す。僕たちは迷うことなく頷き返し、探索を続行した。

 

 次の部屋に踏み込めば、金箔の壁紙が飛び込んでくる。壁紙には水墨画らしきタッチで雄大な松の木が描き出されていた。部屋の中央には巨大な作品が鎮座している。案の定というか、作品の色もまた金色であった。

 底から湧き上がってくる水の流れを連想させるような螺旋の上に、様々な体勢の人間が乗っている。ある者は四つん這いになって慟哭し、ある者は胎児のように体を丸めて歯を食いしばり、ある者は頭を抱えながら膝から崩れ落ち、ある者は椅子に座ったまま虚ろな目をして天を仰いでいた。

 作品名は『無限の泉』。珍しく、この作品には作品解説がついている。パンサーは看板を覗き込みながら解説を読み上げた。読み上げていくうちにパンサーの表情がみるみる変わっていく。読み終わるころには、彼女だけでなく、僕たち全員が険しい顔になっていた。

 

 

“この作品群は、班目館長様が私費を投じて作り上げた作品群である”

 

“彼らは自身のあらゆる着想とイマジネーションを、生涯、館長様に捧げ続けなくてはならない”

 

“それが叶わぬものに、生きる価値なし!”

 

 

 これで、班目の認知が歪んでいるということが証明された。奴の欲望が歪んでいることも証明された。この作品こそ、班目が行っていた“弟子からの盗作行為”の証拠だ。『自分の門下生は、自分が“最高峰の日本画家・斑目一流斎”であり続けるための道具でしかない』――中野原の班目評は何も間違っていない。

 歪んでしまった中野原の認知が「元交際相手へのストーカー行為」という執着として顕現したのと正反対で、班目は「使えないモノは捨てる」という冷徹さが伺える。奴の思考回路は、獅童正義の行動原理とも似通っていた。ぞく、と、僕の背中に悪寒が走る。……喜多川もまた、僕の母や僕と同じような末路を辿る可能性があるのだ。

 

 スカルが忌々し気に作品を睨みつけ、パンサーが憤りを口に出し、モナが眼を鋭くし、ジョーカーが険しい面持ちのまま頷く。

 最早躊躇いも異論もない。僕たちの正義は決した。次のターゲットは斑目一流斎に決定である。だが、そこへモナが待ったをかけた。

 

 

「犯罪の裏取りはしといて損はないぞ。ユースケからもっと話を聞くべきだとワガハイは思うんだ。それに、ワガハイたちはマダラメのことを知らなすぎる」

 

「……確かにモナの言う通りだ。だが、そうなると喜多川本人が最大の障害になりそうだな。あの反応だと、奴はテコでも虐待を認めようとしないだろう」

 

 

 俺は顎に手を当ててため息をついた。唯一の心配事は――班目の最後の弟子である喜多川祐介のことだ。彼は班目のことを擁護し、庇っている。

 

 俺の脳裏に、喜多川の真っ直ぐな眼差しが浮かんでは消えていく。

 ……今思えば、喜多川のあの目は、どことなく痛々しくなかったか。

 

 

「吾郎の言ってた通りだったね。喜多川くんは班目への恩義故に、自分が虐待されているという真実を意図的に無視してる。もしかしたら、班目にその恩義自体を盾に取られているのかもしれない。……いや、もしかしたら両方かな?」

 

「クソ、とんだ喰わせジジイだぜ! 祐介の才能や性格を利用して、滅茶苦茶に踏みにじりやがって!!」

 

 

 ジョーカーの分析はスカルの怒りに火をつけたようだ。だが、彼が燃やす炎は怒りだけではない。言葉にできないやるせなさも滲みだしている。

 形は違えど、スカルもまた“踏み躙られた”人間の1人だ。その痛みを、彼はきちんと知っている。故に、喜多川を放っておくことができないのだろう。

 

 2人の言葉を聞いたパンサーが、沈痛な面持ちで口を開く。

 

 

「個展のときにね、飾ってあった絵を私が褒めたの。『この絵からは、描き手の言いようのない怒りと悲しみ、憤りが滲み出ていて迫真がある』って。……でも喜多川くん、様子が変だった」

 

 

 ――覚えている。あのときの喜多川は、何か言いたいことを飲み込んだような、影のある顔をしていた。

 

 僕がそれを記憶の中から引きだしたのと、ジョーカーが思い出したのはほぼ同時。

 僕たちは顔を見合わせた。……おそらく、僕たちは同じ事を考えている。

 

 

「私と吾郎が『愛花繚乱』を――順平さんとチドリさんが描かれた絵を褒めたときの反応もおかしかったよね? ということは……」

 

「――成程、あの絵も盗作だったってことか。杏が褒めた絵が喜多川本人のモノか、あるいは親交のあった兄弟子のモノかは分からない。でも、順平さんとチドリさんがモデルになった『愛花繚乱』は、間違いなく喜多川の作品だ」

 

「画家のセンセイ、か。鴨志田の野郎より手強いかもな」

 

 

 スカルが険しい顔で締めくくった。彼の言葉通り、俺たちのターゲットは鴨志田よりも強敵である。鴨志田のとき以上に、一筋縄ではいかないだろう。

 現時点では、これ以上班目のパレスに留まる理由はなくなった。満場一致で、僕たちはマダラメのパレスから現実へと帰還した。

 そうと決まれば、まずはパレス攻略のための下準備に取り掛からなくては。まずは祐介と接触するための算段を――

 

 

「――帰ってくれ!」

 

 

 不意に、大きな声が響き渡った。明らかな激情と拒絶が込められたそれは――展覧会で話したときの様子からは全く想像つかないが――喜多川の声だ。

 ガタガタと激しい音と共に玄関が開き、突き飛ばされるような形で人が出てくる。草野球チームの青いユニフォームを着た男性は、尚も玄関の戸口に手を伸ばした。

 

 ――伊織順平さん。巌戸台のペルソナ使いであり、現在は子どもに草野球を教えるボランティアに参加している社会人だ。シャドウワーカーの非常任職員でもある。

 

 

「祐介! お前、本当にそれでいいのかよ!? だってあの絵は、『愛花繚乱』は、お前の――」

 

「帰ってくれと言っているんだ! 貴方もチドリさんも、もうここには来ないでくれ!」

 

「祐介!!」

 

 

 喜多川は言い終えるや否や、順平さんの手を振り払って玄関の戸を閉めた。あばら家全体を軋ませるような激しい音とともに、班目邸の入り口は完全に閉じられる。

 順平さんは喜多川の名前を呼びながら戸を叩いたが、返って来たのは沈黙だけだった。彼は悔しそうな顔をして俯く。握りしめられていた拳が小さく震えていた。

 

 

「……畜生。これじゃあ、完全に手詰まりじゃねえか」

 

 

 「チドリになんて言えばいいんだよ」と力なく呟いた順平さんは僕たちの方に体を向け――僕と黎の存在に気づいたのだろう。

 素っ頓狂な声を上げる順平さんを見て、僕と黎は示し合わせたように笑った。その勢いのまま声をかける。

 

 

「「お手上げ侍にはまだ早いですよ? 順平さん」」

 

 

***

 

 

「頼む、祐介を助けてやってくれ!」

 

 

 怪盗団の話を聞いた順平さんが開口一番に言った言葉がそれだった。順平さんはテーブルすれすれまで頭を下げる。

 

 順平さんと出会った僕たちは場所を移動し、近所のファミリーレストランにいた。

 班目邸の前で話し合えるような話ではなかったため、座れる場所を探して入店したのである。

 

 

「俺、仕事が忙しくて時間が取れないし、さっきの件で祐介から出入り禁止にされちまったんだ。しかも、班目のヤロウに『展覧会が終わり次第すぐ、貴様を名誉棄損で訴えてやる』って言われて……」

 

「あのジジイ! 図星突かれたからって口封じかよ!?」

 

 

 ほとほと憔悴しきった順平さんの話を聞いて、真っ先に怒りをあらわにしたのは竜司だった。元々直情的なタイプである竜司には、順平さんの義憤に駆られた行動原理をよく理解できるのだろう。ぐったりした様子の順平さんの話をまとめるとこうなる。

 随分前に喜多川と出会ってモデルになった順平さんとチドリさんは、それをきっかけに奴と親交を深めるようになった。作品のモデルとなった縁で、2人に班目展のチケットが届いたらしい。喜んでチドリさんと一緒に見に行った順平さんは、自分たちがモデルになった絵が飾られているのを発見した。

 それだけならよかったのだ。だが、問題は描き手の名前である。作者は喜多川祐介ではなく、班目一流斎となっていたのだ。それに憤慨したチドリさんが最初に班目邸を訪れ、喜多川に事情を聴こうとして追い返された。ならばと次は順平さんが突撃し、班目と喜多川に直接問いかけたのだと言う。

 

 結果は順平さんが語った通り、師弟ともに激高。師は名誉棄損をでっちあげて順平さんを社会的に殺そうとし、弟子は順平さんとの接触を完全にシャットアウトした。

 班目が即座に訴えなかったのは、展覧会に影響が出ることを避けたためだろう。展覧会が終わるまでに戦いを終わらせないといけない。『改心』もスピード勝負になる。

 

 

「あーもう。給料3か月分前借したから、その分頑張るんだって意気込んでたときに……」

 

「……3か月分を前借? それってもしかして……」

 

 

 杏の問いに、順平さんは視線を彷徨わせた。耳が赤い。

 

 男が給料を前借する事情は限られている。

 チドリさんと順平さんは長らく恋人同士だった。

 

 そこから導き出されることは――

 

 

「成程。ついに婚約するんですね」

 

「いつになったら結婚するのかなって気にしてたんです。式は?」

 

「まだ未定。プロポーズ成功したら、チドリンと相談しようかと思っててさぁ。……あああああああああああああ……!!」

 

 

 途端にデレデレし始めた順平さんであったが、自分が置かれている状況を思い出して頭を抱えた。このまま班目を野放しにすれば、プロポーズという人生の門出を控えた男が裁判沙汰に巻き込まれてしまう。しかも冤罪だ。

 冤罪によってありとあらゆる不利益を被った黎が表情を険しくする。黎でさえ『未成年だからここまでで済んでいる』という節があるのだ。一社会人である順平さんに冤罪の烙印が押されてしまえば、その被害は計り知れない。

 順平さんをこのままにしておけば、チドリさんにプロポーズするどころか、今後の生活すら危うくなるだろう。自分たちの先輩が大変なことになっているのだ。ここは後輩として、頼れるところを見せたい。僕たちは顔を見合わせ、頷き合った。

 

 

 今回は自己清算することにした。プロポーズの算段を立てている男に金を支払わせるなんて鬼畜な所業、学生の身分でも容認できなかったためである。

 

 

◇◇◇

 

 

「今回の作品テーマはヌードにしようと思っているんだ。高巻さん、明智くんと有栖川さん! 是非協力してもらえないだろうかぶべらァ!?」

 

 

 喜多川の言葉に、反射的に奴を張り倒してしまった俺は悪くないはずだ。衝動に駆られたとはいえ、奴の名前を叫びながらグーで殴らなかった辺り、制御できなかったわけではないだろう。寸でのところで仕事した理性と慈悲を褒めてほしい。

 

 

「い、いきなり何をするんだ!?」

 

「『何をするんだ』? それはこっちの台詞だこのバカ野郎。未成年の健全な青少年に何をやらす気だ? えぇ!?」

 

「吾郎、抑えて」

 

 

 背後の方でモルガナと竜司が「ひええ」だの「祐介、命知らず過ぎんだろ……」だのとヒソヒソ話している声がやけに遠い。黎に引き留められなかったら、今度こそグーで殴って騒ぎになったかもしれなかった。本当に、俺はよく耐えた方だろう。

 情報収集の為でなければ、誰がモデルなんぞ引き受けるか。何が楽しくて、自分の裸を晒さねばならぬのか。班目の盗作行為から考えると、祐介が描いた裸体画は“班目一流斎の作品”として世に送り出されることとなる。最低でも日本全国、最悪の場合は世界全土に自分の裸が公開されかねない。

 

 いいや、俺の裸だけならまだマシだ。

 問題は、『黎の裸も』という部分である。

 ――そんなこと絶対認められない。

 

 そもそも、黎の裸を最後に見たのは小学校の低学年くらいだ。空本兄弟が諸事情で家を空けるときは、有栖川の本家に泊まっており、よく黎と一緒に風呂に入ったものだった。当時は性についての芽生えもなく、俺と黎はただ無邪気に遊んでいた。だが、空本兄弟について行って離れ離れになったり、大人になっていく過程で色々察したりした結果、以後は黎に裸を晒すような――もしくは俺が自分の裸を黎に晒すような機会には恵まれなかった。――()()()()

 

 俺にだって人並みに欲はあるのだ。いつか、黎とそんな段階に進みたいと考えたことは何度もある。……時々頭を抱えたくなるレベルでだ。詳しくは言えない。うん。

 でも、俺の中にある獅童正義の影がそれを許さない。許せないのだ。自分がアイツと同じものになってしまうのではないかと――黎を傷つける存在に成り下がるのではないか、と。

 自分の中にあるしがらみを飲み下して、折り合いをつけて、その上で黎を大切にしたいと願いながら必死にやって来たのだ。本当に、必死でやって来たのだ。俺は。

 

 

(ちくしょう! 俺がどんな気持ちで必死になってるのかも知らないで! このクソがァァァ!!)

 

 

 叫ぶ代わりに歯ぎしりする俺を見ても尚、喜多川の野郎は「ヌードに協力してもらえる」と思っているらしい。期待を込めた眼差しで俺たちを見つめてくる。

 芸術家は変わり者が多いという。その言葉通り、喜多川は変人だ。作品を完成させたいという情熱が奴の行動指針であり、それ以外のことに関してはてんで無頓着。

 

 相手の葛藤なんて気にも留めてない。文字通りの暴走特急だ。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。モデルの話、どうかよろしく頼む!」

 

「ちょ、ちょっと考えさせて! 決心ついて、予定が合ったらアタシの方から連絡するから!!」

 

「わ、私も!」

 

「……そうだね。僕にも予定があるからね。こちらから連絡するよ」

 

 

 爆発寸前になりながらも、僕たちはどうにか喜多川の暴走特急っぷりをいなして撤退してきた。喜多川のせいで疲れ果ててしまったが、行動方針と決行日の目安は決まった。図らずとも、順平さんが訴えらえれる期限と重なったような形となったが。

 

 保留という僕らの言葉に、喜多川は若干の焦りを見せていた。展覧会終了までに早く作品を完成させなくては、と呟くあたり、班目は展覧会後に何かをするつもりなのだろう。

 盗作の一件から予想すると、班目は『展覧会終了を前後して、新たな作品を発表したい』と思っていそうだ。だから喜多川を急かし、作品完成を急がせている。

 つくづく食えない爺だ。正直班目本人の元にカチコミかましたいところだが、現時点でそれをやったら最後、順平さんと同じ轍を踏むことになりそうだった。

 

 とりあえず、今はマダラメパレスの攻略を行った方が良さそうである。

 僕たちはそう判断して、イセカイナビを起動した。

 

 

***

 

 

 班目パレスの攻略が暗礁に乗り上げた。奴のパレスの奥に続く道が固く閉ざされていたためである。

 

 多くのふすまによって閉じられていた廊下の先は赤外線センサーによって阻まれていた。侵入者を先に進ませないためのセキュリティである。

 つい数刻前、僕たちはこのセキュリティのせいで酷い目に合ったばかりだ。分かっていて同じ轍を踏むなど御免だし、何より怪盗らしくない。

 この部屋が赤外線だらけなのは、現実における班目の認知が関係しているためらしい。脇に立っていた看板をパンサーに読み上げてもらったモナ曰く、

 

 

『これだけ厳重なら、この部屋には隠したいモノがあるって証拠だ。幸い、あの扉がどこの部屋のモノか、ワガハイには見当がついてる。現実世界の方で事を起こせば、ここの扉をこじあけられるかもしれない!』

 

 

 ――とのことだ。

 

 パレスの認知と現実世界における認知は連動している。パレス側からパレス内部の干渉が不可能の場合、現実における認知を書き換えてしまえばパレス内部に影響が出て、構造が変化する可能性が出てくるらしい。

 この世界で出来ることはもうないので、モナの意見に従ってパレスから脱出する。班目邸のあばら家と睨めっこしながら、僕たちは部屋をこじ開けるための算段を立てた。だが、外観を見ているだけでは何の案も出てこなかった。竜司がため息をつく。

 

 

「どっかに仕掛けでもあんのか? 全然見当もつかないぜ……」

 

「ワガハイの出番だな」

 

「そういえば、モナ言ってたよね? 『あの扉がどこのモノか見当がついてる』って」

 

 

 杏の問いに、モルガナは得意げに頷いた。彼の言う“心当たり”とは、現実世界の班目邸にある部屋の一角らしい。どうやらモルガナは、現実世界の班目邸を下見していたようだ。モルガナ曰く、「“2階の一番奥の部屋”に不自然な鍵がかかっていた」という。

 その部屋に鍵をかけているということは、班目にとって『見られたくないもの』がしまわれていることに他ならない。そこを班目の目の前で開けることができれば、パレスの奥も開かれる。

 

 「要は“開けられない”というマダラメの認知を変えるんだ」――そう締めくくったモルガナは、部屋のある場所に視線を向けた。方法が分かったなら、次は手段である。

 

 鍵はヘアピンさえあれば楽勝だとモルガナが豪語していた。現実世界ではただの猫(?)でしかないモルガナに鍵開けができるのか甚だ疑問だが、他の誰かなら大丈夫なのかと言われると微妙なラインである。竜司は器用ではないし、杏も鍵開けには精通していない。黎なら確実にできるだろうし僕も可能性がないわけではないが、別の問題が浮上する。

 それは、班目邸に入るための算段と深く関わっていた。班目邸の内部に侵入するためには、喜多川に邸内へ上げてもらう必要がある。作品完成を急ぐ喜多川のことだ、用事もなく押しかけても入れてくれないだろう。……それこそ、“奴に「絵のモデルになる」とでも言わない限りは”。

 杏と黎の表情が曇った。俺の顔もさぞ歪んでいることであろう。俺の顔については鏡がないため程度のほどは分からないが、モルガナと竜司が後退りしたレベルのようだ。当然である。誰が好き好んで裸体画のモデルなんて引き受けるか!! おまけに俺と黎の場合、お互いの目の前で裸にならなきゃいけないのだ。それを、赤の他人である喜多川祐介(第3者)に見せなければならない。

 

 自分と大切な相手の裸体を赤の他人に見られるとか、一体どんな倒錯プレイだ!? 本当にやってられない!!

 

 

「吾郎。覚悟、決めるしかないかも」

 

「黎……!」

 

「大丈夫だよ。モルガナが鍵を開けてくれるさ」

 

 

 黎は力強く笑う。彼女の漢気はライオンハートだ。こんなときにそんなものを発揮しなくていいじゃないか。

 「普通逆だろう」という俺の突っ込みは、俺自身が黎にときめいてしまったため、飲み込まれて消えた。ヘタレだと笑えよ、畜生。

 黎はその勇気のままに杏を励ます。結果、杏のハートは見事に撃ち抜かれたらしい。ほんのりと頬を染めて頷いていた。男より漢らしいとはこれ如何に。

 

 今日はそろそろ帰ろうか――全会一致でお開きになるかと思われたとき、黎のスマホが鳴り響いた。SNSからの連絡らしい。メッセージを送って来たのは三島で、『中野原が直接、怪盗団の面々に伝えたいことがある。“彼の連絡先を入手した”のと、“中野原が今、渋谷の連絡通路にいるらしいので、時間があったら話を聞いてほしい”』とのこと。

 三島からのメッセージは『今日が無理なら、連絡先に一方入れて、都合のいい日時を指定してほしい』と締めくくられている。渋谷の連絡通路なら帰りにも通るから丁度いいだろう。僕たちは三島のメッセージに従い、渋谷の連絡通路へ向かった。

 

 中野原との待ち合わせ場所にやって来た僕たちは、早速彼の姿を探す。中野原の後ろ姿はすぐに見つかった。声をかけようとして、僕と黎は「あ」と声を上げる。

 背中をしっかり伸ばし、身振り手振りで何かを話す中野原は、理知的でありながらも熱意が滲んでいるように見えた。そんな彼の真正面には、見覚えのある人物が2人佇んでいた。

 

 僕と黎は2人に気づいた。2人もまた、僕たちに気づく。

 

 

「――吾郎クン?」

「――黎ちゃん?」

 

「――舞耶ねえ?」

「――黛さん?」

 

 

 そこにいたのは、キスメット出版で働く雑誌記者――周防舞耶(旧姓:天野舞耶)さんと黛ゆきのさんだった。彼女たちもまた、僕たちの先輩に当たるペルソナ使いである。

 黛さんは聖エルミン学園高校や御影町で発生した事件で、舞耶さんは珠閒瑠市で発生した事件で悪魔と戦いを繰り広げた猛者だ。彼女たちはどうしてここにいるのだろう?

 

 

「どうしてお2人はここに?」

 

「雑誌の取材。『羽ばたけ、夢を追う若者たち!!』という企画をやってるんだ。夢に向かって勉強に励む才能ある学生や、大卒3年以内の社会人を特集してるんだよ」

 

 

 黛さんはそう言って、一冊の雑誌を差し出してきた。10代後半から20代前半の高校生および大学生向けの雑誌の一角に、黛さんと舞耶さんが書いたと思しき記事が掲載されている。差し出された雑誌に特集されていたのは、橿原淳さんだった。

 破滅を迎えた世界では“舞耶さんと達哉さんの幼馴染でペルソナ使い”だったらしい彼だが、この世界では珠閒瑠の一件に巻き込まれたことがきっかけで、とある神社に足を運ぶようになり、そこで出会った周防夫婦(当時はまだ他人同士だった)、栄吉さん、リサさんと交流するようになった。面々とは今も親交が続いている。

 橿原さんは現在、洸星高校で生物の教師をしているという。花好きなのは珠閒瑠で出会った頃から変わらないようで、花や花言葉に詳しいロマンチスト先生として有名だそうだ。自分専用の鉢植えを飾っており、綺麗な花を咲かせているという。季節によって花が変わるので、それを見に来る生徒もいるそうだ。授業に使うこともあるらしい。

 

 そんな橿原さんの育てた花に惹かれて、鉢植えの花が咲き代わる度にスケッチを申し出てくる、“自分と瓜二つの顔立ちの生徒”がいる――。

 

 橿原さんは、その生徒が喜多川祐介であること、喜多川祐介が班目の門下生として班目邸に住み込んでいることを舞耶さんに教えてくれた。

 橿原さんとの縁で『喜多川祐介を取材しよう』ということになり、班目と喜多川本人にアポを取った結果、一発でOKが出たという。

 

 

「これから班目先生と喜多川クンの所へ行く予定なの。取材の段取りについて話し合いをすることになって」

 

「あたしたちの話を聞いてたこの人が話しかけてきたから、色々と話を聞いてたところだったんだ」

 

「それにしても、弟子の作品を盗作するなんて酷い! 夢を叶える権利は誰でも持っているのに、それを食い物にして……! 許せないわ!!」

 

「マッキー、どうどう」

「お、落ち着いてくださ――ぐはっ!?」

 

「「な、中野原さーん!!」」

 

 

 拳を振り上げて叫ぼうとした舞耶さんを黛さんが抑え込む。中野原も同じようにして舞耶さんを制そうとしていたのだが、不用意に喰らった一撃でひっくり返ってしまった。

 竜司と杏に介抱された中野原は何とか立ち上がり、僕たちの方に向き直る。三島から聞いた僕らの情報を照らし合わせた後、彼は心配そうに舞耶さんたちの姿を見た。

 舞耶さんと黛さんは顔を見合わせた後、ボイスレコーダーの電源を切り、メモの一切をしまい込んだ。この一件は記事にしないでいてくれるらしい。

 

 ……いや、記事にしたら十中八九オカルト部門になってしまう。2人が取材すると――ペルソナ使いの宿命ゆえか――オカルト的な事件に巻き込まれることが多かった。結果、本来の取材記事のほかに、オカルト絡みの記事を書く羽目になったことも1度や2度ではない。特に珠閒瑠市の一件とか。『大変不本意極まりませんでした』とは本人たちの談である。閑話休題。

 

 

「……私は、班目の元・弟子なんだ」

 

 

 重々しい口調で中野原が告白する。

 彼の口から語られた話は、僕たちの心に暗い影を落とした。

 

 中野原は元々画家志望で、本気で画家を目指して班目に師事していた。彼には少し年上の兄弟子がいて、彼はとても豊かな才能を持っていたそうだ。だが、兄弟子はその才能を、自分のために使わせてもらえなかった。兄弟子が描いた絵は、すべて班目の作品にされたという。勿論、彼だけでない。弟子の作品は例外なく、すべて班目のモノにされていた。

 班目が自分の作品で評価されている――この事実に、兄弟子は耐え切れなかったのだろう。彼は自殺したそうだ。それを目の当たりにした中野原は、自分も兄弟子のように使い潰されるのではないかと恐怖した。班目の反対を押し切り逃げ出した中野原だったが、自由の代償に画家の道を断たれてしまう。班目が方々に圧力をかけたためだ。

 夢を断たれた中野原は、心機一転で区役所の窓口員に就職する。だが、彼が班目によって与えられた傷は癒えることなく、歪みとして現れた。それが、元交際相手へのストーカー行為。力なく笑った中野原だが、彼はすぐに真剣な面持ちで「班目を『改心』させてほしい。1人の男の命を救うためにも」と頭を下げた。

 

 

「1人の命を救う?」

 

「どういうことですか?」

 

「――今も1人だけ、班目のところに残っている若者がいる。……キミと同年代の子で、喜多川祐介というんだ」

 

 

 僕と黎の問いに、中野原は答えた。彼は喜多川のことを気にかけている。類稀ない絵の才能を有しているばかりか、住むところも身寄りもない。しかも、班目に恩義があるときた。使い潰しやすい道具として、これ程までに好物件はないだろう。使える限り、班目は喜多川に寄生し続ける。

 

 逃げ出す直前、中野原は喜多川に『班目と一緒にいて辛くはないのか?』と訊ねたことがあるそうだ。

 喜多川はその言葉に対し、首を振ってこう言ったらしい。『逃げられるものなら逃げ出したい』――今となっては心に封じ込めた、喜多川の悲鳴だった。

 

 

「自分だけ逃げ出した私が言うのもおこがましいが、それでも言わせてほしい。もうこれ以上、自殺した兄弟子の悲劇を繰り返したくないんだ」

 

「中野原さん……」

 

「私はすべてを失ってしまったけれど、キミたちのおかげで間違いを犯さずに済んだんだ。キミたちにすべてを押し付けているとは百も承知。でも、せめて守りたいんだ。前途ある若者の未来だけは……!」

 

 

 「班目の『改心』、検討して頂けるよう、どうかよろしくお願いいたします……!!」――中野原は深々と頭を下げた後、渋谷駅連絡通路から立ち去った。その背中を見送った後、僕たちは顔を見合わせる。

 被害者本人の頼みと会っては、断るわけにはいかないだろう。中野原の証言は充分な証拠となり得る。そこに喜多川が加われば猶更だ。元から班目の『改心』を急がなければならない身、迷っている暇はない。僕たちは頷き合い、改めて決意した。

 

 

「よし。祐介くんを助けよう」

 

「「「「異議なし!」」」」

 

 

「――その話、あたしたちも一枚嚙ませてもらえないかな?」

 

「――私も協力させて頂戴。絶対力になるわ!」

 

 

 全会一致で班目の『改心』を決めた僕たちの肩に、ポンと手が置かれた。

 

 振り返れば、聖エルミン学園高校の元・スケバン女王――黛ゆきのがいい笑顔で仁王立ちしているではないか。悪魔相手にカツアゲしていた頃の気迫は現在でも失われていないらしい。「『いいえ』なんて言わせない」と言わんが如き圧力に冷や汗が出た。

 対して、珠閒瑠市の「レッツ☆ポジティブシンキング教教祖」と謳われた周防舞耶(旧姓:天野舞耶)は、邪気など一切ないいい笑顔を浮かべていた。但し、問答無用という四字熟語が凄まじい勢いで迫って来る。ブフ系魔法なんて誰も使っていないはずなのに寒気がした。

 

 

「「「「「アッハイ」」」」」

 

 

 僕たちは、異口同音の全会一致でそう答えていた。

 後で分かったことだが、この場にいた全員が『反射でそう口走っていた』という。

 

 




魔改造明智と怪盗団によるマダラメパレス攻略前半戦。原作とは発生したイベントのタイミングが前後したり、頼れる大人たちの悲喜こもごもが錯綜したりとてんやわんやしています。お手上げ侍(ガチ)状態なテレッテ、元・聖エルミンのスケバンカメラマン、口癖が「レッツ・ポジティブシンキング」な雑誌記者が本格的に絡んできました。更には橿原淳(罪における黒須淳)の噂もあります。
この世界線では初代⇒(罪:「なかった」ことになる⇒)罰⇒P3P⇒P4G⇒P5となっており、罰ED後の罪学生組メンバーからは、罪世界の記憶はほぼ抜け落ちています。ただ、事件後、神社の前にはリサ、栄吉、淳が頻繁に集まるようになり、3人揃って「奇妙な懐かしさを感じる」と口走ります。その後、件の3人を神社で見かけたことで何かを感じた達哉が加わって、4人で頭を傾げるように。そんな4人を見つけた舞耶が声をかけたことがきっかけで、嘗ての罪メンバーは本格的な交流を始めました。そうして現在に至ります。
次回はマダラメパレス後半戦。この調子でサクサクまとめてしまいたいですね。


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駆け抜け過ぎだ自由人

【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 @空本(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄で明智の保護者その1。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
 @獅童(しどう) 智明(ともあき)⇒獅童の息子であり明智の異母兄弟だが、何かおかしい。獅童の懐刀的存在で『廃人化』専門のヒットマンと推測される。詳しくは中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『運命を切り開くだけの簡単なお仕事』および『ペルソナ3異聞録-.future-』、Pixivの『2周目明智吾郎の災難』および『【一発ネタ】有栖川黎の幼馴染』の設定を下地にし、別方向へ発展させた作品である。
・ジョーカーのみ先天性TS。
 ジョーカー(TS):有栖川(ありすがわ) (れい)⇒御影町にある旧家の跡取り娘。旧家制度は形骸化しているが、地元の名士として有名。身長163cm。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空本(そらもと) (わたる)⇒明智の保護者2で、南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。
・「2罰ボスの外見を見た人間の反応」に関するねつ造設定がある。
・パレスの仕掛けに関する偏った見解があるので注意してほしい。


「実のご両親について、喜多川くんはどの程度まで把握しているのかしら? 喜多川くんが班目先生に引き取られるまでの経緯を知りたいの!」

 

「こらマッキー! 喜多川くんの気持ちも考えなさいよ!?」

 

「いいえ、大丈夫です。ですが、詳しくは分かりません。父はおらず、母は俺が物心つく以前にこの世を去ってしまったので……ただ、班目先生は『俺の母と縁があったらしく、それがきっかけで俺を引き取った』と仰っていました」

 

「ふむふむ、成程。それで、班目先生の下で画家になろうと決意するまでの経緯を教えてもらえるかしら?」

 

「はい。あれは俺がまだ幼い頃――」

 

 

 喜多川の部屋兼アトリエから聞こえてくるのは、舞耶さんと黛さんコンビによるインタビューだった。変人喜多川に“まともな人間としての応対”をさせるあたり、舞耶さんの手腕が伺える。

 

 僕たちは現在、班目邸に足を踏み入れていた。パレスで封鎖されている区画の扉をこじ開けるためである。今回は、キスメット出版の現役記者とカメラマンのコンビも協力を申し出てくれた。……間違っても、2人に脅されたわけではない。断じて。

 2人が協力を申し出る前段階では『喜多川からヌードモデルを依頼されていた面々――杏、僕、黎の3人が喜多川を誘導し、班目が帰ってきたタイミングでモルガナが鍵を開ける』という作戦で乗り込むしかないと覚悟していた。

 あのとき舞耶さんと黛さんが協力を申し出てきたのは、中野原の話だけではない。取材のアポを取ったときに班目画伯が『次は裸体像を描こうかな。いいモデルを見つけた。1人は外国人みたいな少女、もう2人は仲睦まじいカップル。双方ともに高校生だ』と零したのを耳にしたためだ。

 

 

『最終的な理由は、黎ちゃんの何か悟ったような、吹っ切れたような乾いた笑みを見たからかな』

 

 

 黛さんが静かな面持ちで遠くを見ていたことを思い出す。彼女が気づいてくれなければ、今頃自分たちはどんな行動を取っていたのか――少し、想像がつかない。

 時間稼ぎとしてできそうなことは、大量に服を着こむくらいだ。だが、初夏が近づきじりじりと熱を帯び始めた季節に厚着はちょっと厳しいだろう。

 

 それに、喜多川や班目を誘導するにしたって、どうやって誘導すべきか。杏の外見なら色仕掛けができそうだが、彼女の性格的にストレスを強いることになる。鴨志田の認知――派手なランジェリー姿をして男に媚びる自分の姿――を見て激高していた杏には、かなり辛いはずだ。いつ沸点の限界を突破し、地が出てしまってもおかしくなかった。

 

 

「やっぱり、あの2人に手伝ってもらって正解だったね」

 

「「確かに」」

 

 

 静かに目を細めた黎の言葉に、僕と杏は迷うこと無く頷き返した。

 

 大人2人の協力を得て修正した作戦内容は以下の通り。まず、僕たちが喜多川のモデルを引き受けて訪問する日を、舞耶さんと黛さんの取材日と無理矢理ブッキングさせたのである。双方ともに「この日しかない」と、舞耶さんと黛さんが班目に、僕たちが喜多川に言い募った。

 前者は班目が快く引き受け、後者も「先生が言うなら仕方ない」と連鎖で受け入れてくれた。先に取材の1段階目――喜多川のみの取材――をしてから、それが終わり次第、記者たちは班目へ取材し、僕たちは喜多川の作品のモデルになる段取りだ。

 喜多川が取材を受けている間に、僕たちは班目邸の内装を確認および把握作業に勤しむ。モルガナから教わった部屋までの道筋を簡潔にまとめ、それを取材終わりの記者たちに手渡し、彼女たちに喜多川と班目を部屋まで誘導してもらうためだ。

 

 その後、僕らも騒ぎに乗じた野次馬の振りをして大人組と同行。彼女たちと一緒に、班目が帰宅するまでの最後の時間稼ぎを行うのだ。

 

 もしあの部屋の鍵が開いた後、班目が順平さんにやったような強硬措置へ走った場合はイセカイナビを起動してパレスに逃げ込む算段となっていた。喜多川を巻き込んでしまう可能性は否定できないが、彼には班目の本性を知ってもらう必要がある。その上で、戦うか逃げるかを選択してもらいたい。

 舞耶さんや黛さんも巻き込むことになるだろうが、件の2名は歴戦のペルソナ使いである。異形の跋扈する異世界(例.夢の御影町、モナドマンダラ)でも大活躍していた彼女たちなら、マダラメパレスのシャドウくらい一発KOできる。でなければ、協力を申し込まれても断っていた。

 

 

(それにしても、楽しそうに話すな……)

 

 

 画家を目指すきっかけになった絵『サユリ』の解説をする喜多川は、キラキラと目を輝かせている。

 彼の心は、『サユリ』を生で見たときの感動を鮮やかに思い出せるらしい。水を得た魚のように話し続ける喜多川の姿に、酷く惹かれるものがあったのは何故だろうか。

 

 自分が好きな話題に関して強い興味と情熱を示す喜多川であるが、話を脱線されたり地雷に踏み込まれると表情が険しくなるタイプだ。だが、今はそれが一切ない。

 喜多川は、おそらく喜多川自身が思った以上に気持ちよく話せている様子だった。相手から情報を引き出すためには、相手が話しやすいようにする空気を作り出す必要がある。

 舞耶さんと黛さんは、双方が持つ特性を活かして相手から情報を引き出させるのだ。舞耶さんが邪気のない笑みでぐいぐい踏み込み、気配り上手の黛さんが強引さをフォローする。

 

 朗々と語り続ける喜多川に相槌を打つ舞耶さん、時々脱線しそうになる舞耶さんを窘めながら喜多川を撮影する黛さんのコンビからは、不信感を抱く方が難しかった。

 

 

「その『サユリ』という作品は、今どこに飾られているの? 是非とも実物を拝見したいのだけど」

 

「実物はその……所在不明なんです」

 

「どうして? だって、班目画伯が有名になるきっかけとなった処女作でしょう? そんな価値ある作品が行方不明だなんて……管理が悪かったのかしら? 喜多川くんはどう思う?」

 

「所在不明になった経緯を詳しく知らないので、何とも……。ですが、管理に不備はなかったと思います」

 

「自分の作品が所在不明になったとき、班目先生は何と言っていたのかしら? 自分の作品が行方不明になったんだもの。さぞ心を痛めたでしょうね」

 

「そ、そうですね。とても悲しそうな顔をしていました。俺も同じ気持ちです」

 

「……ねえ、喜多川くん。もしも、もしもよ。自分の作品が行方不明になってしまったら、喜多川くんはどうする? 取り戻しに行く?」

 

「えっ……!?」

 

「マッキー、趣旨からずれてきてる! いつもの口癖はどこに行ったの!? ほら!」

 

「レッツ・ポジティブシンキング! 夢を叶える権利は誰にでもあるのよ!!」

 

「は、はぁ……」

 

 

 舞耶さんは喜多川の変態っぷりにも引くことなく、ガンガン突き進んでいる。喜多川も似たような暴走特急タイプであるが、人にイニシアチブを握られて振り回されることには弱いらしい。容赦なく突っ込まれていくにつれ、段々と狼狽してきた。

 意図的に地雷を踏みぬいているのか、それとも『踏み込んだ場所が地雷原だった』を地で行くのか、傍から見ている僕たちからは判別できない。最も、地雷を踏みぬいたと察した瞬間、黛さんが即座に口を出してフォローしている。だから、違和感を感じないのだろう。

 記者2人による時間稼ぎは上々だ。むしろ、モデルとして訪問しに来た僕たち――僕、黎、杏は必要なかったかもしれない。これなら、モルガナのピッキングも安全に行えそうだ。僕は腕時計を確認する。班目が帰宅するまで、まだあと少し時間があった。

 

 

「それにしても、舞耶さんってスゴいね。喜多川くんの変人っぷりを物ともせず、むしろ喰らいさん勢いでインタビューしてる……」

 

「当然だろ。あの人、悪魔相手でも所かまわずインタビューかます人なんだから」

 

「因みに、ゆきのさんも悪魔相手にカツアゲする人だよ。今でも悪魔絡みの事件では現役だし」

 

「嘘ぉ……」

 

「も、もしや……レイが“パレスでシャドウからカツアゲするとき参考にした相手”って、ユキノなのか?」

 

「うん。あと玲司さん」

 

「ひええ……」

 

 

 僕と黎の言葉を聞き、杏とモルガナは口元を引きつらせた。ただ、前者は社会人になって以降、当時のスケバンっぷりは鳴りを潜めている。珠閒瑠の事件が発生したとき、確か、黛さんは思いを寄せる相手がいたか。彼とは今でも交流は続いているらしいが、詳しくは語ってもらえなかった。閑話休題。

 

 流石、現役記者たちだ。巧みな話術と豊富な話題提供によって、喜多川との会話は止まることがない。素人の僕たちだったら、会話を持たせるので手一杯だったはずだ。大人からの手助けは本当にありがたい。僕たちは彼女たちに感謝しつつ、モルガナと共に目的地へ向かった。

 鍵のかかった部屋はすぐに見つかった。あからさまに、大きくて重厚な鍵がぶら下がっている。……成程。ここが班目のパレスと連動する場所らしい。戸の鍵と格闘し始めたモルガナと別れ――「猫の身体じゃやりにくいな」とぼやいていたことに一抹の不安を感じながら――戻って来た。

 

 

「橿原先生が育てた花はとても生き生きしているんですよ。これがそのデッサンです」

 

「へえ、上手いじゃないか。オーニソガラム、ガザニア、クロユリ、ブルースター……」

 

「素敵! 本当によく描けてるわね!」

 

 

 相変わらずインタビューは続いている。いや、最早インタビューではなく雑談と化していた。喜多川はスケッチブックのデッサンを示しながら説明している。

 僕は時計を見た。班目が帰宅する時間帯の10分前。そのタイミングを見計らい、僕は扉を開けて喜多川の部屋兼アトリエへと踏み込んだ。

 

 

「――“取材、もう少しかかりそう?”」

 

 

 これが、僕たちの合図だった。舞耶さんと黛さんは弾かれたように立ち上がり、「折角だから、班目邸内部も取材したいわね!」「写真撮ろう!」と言いながら部屋を出る。

 すれ違いざま、黎は舞耶さんへ地図を手渡した。それを見ながら、舞耶さんと黛さんはドカドカと班目邸の奥へ踏み込んでいった。

 勿論、家探し地味た気配を察知した喜多川は、慌てて奥へと駆け出した。僕たちもそれについて行く。舞耶さんと黛さんは、部屋の入り口で足を止めていた。

 

 喜多川と問答する舞耶さんと黛さんの表情は若干引きつっているように見える。モルガナに何かあったのかと心配になって覗き込むと、奴は未だに鍵開けの真っ最中だった。

 

 

「くそ、意外と難しいぞ……!?」

 

(お前、あれ程自信満々に言っといてそりゃあないだろ!?)

 

 

 『猫の身体じゃやりにくいな』とぼやいていたことに一抹の不安を感じていなかった訳じゃない。喜多川が記者たちと問答する声に紛れて、カチャカチャと鍵開けの音が響く。

 僕は思わず時計を見た。秒針は既に班目の帰宅時間を過ぎている。もうすぐ長針も動くかと思われたとき、ついに班目が帰宅した。喜多川は素っ頓狂な声を上げる。

 

 同時に、鍵が開いて蝶番が落ちる音がした。

 

 

「よし、開いたァ!」

 

 

 モルガナの声に従い、僕たちは喜多川を追い越して廊下に躍り出た。モルガナが扉を蹴破り部屋に突入する背中に続き、僕たちも部屋の中に飛び込む。舞耶さんと黛さんも駆け出し、僕たちの後に続いた。

 喜多川も慌てた様子で僕たちの後について来ようとしたが、部屋に踏み込まずに足を止めた。一歩遅れて来た班目が「そこで何をしている!?」と威嚇するような声で咎め、顔を真っ青にした喜多川が奴へと弁明する。

 だが、彼の弁明は最後まで紡がれることはない。即座に僕が奴を羽交い絞めにし、部屋の中へと引きずり込んだからである。「おわああああ!?」と間の抜けた悲鳴を上げながら倒れこんだ喜多川を引っ張り上げ、僕は部屋を見回した。

 

 薄暗い部屋の中で杏が電電灯のスイッチを発見したらしい。世界が光に照らされ、部屋内部が明らかになる。

 視界の端で、班目が僕たちと一歩遅れで部屋の中に踏み込んできたのが見えた。

 

 今頃、パレスで1人待ちぼうけを喰らっていた竜司が喜んでいるだろう。扉を開けたことで、班目の認知は書き換えられたのだ。パレス内の“開かずの扉”も開かれたはずだ――僕の思考回路は、そこで一端中断を喰らうこととなった。

 

 

「えっ……!? これは一体!?」

 

「……この作品、行方知れずとなった班目画伯の処女作、『サユリ』よね?」

 

 

 喜多川が驚愕し、いつもは朗らかなはずの舞耶さんが表情を曇らせる。予め盗作の噂を耳にしていた黛さんが眉間に皺を寄せた。杏と黎も、険しい顔で部屋を見回す。

 部屋の中には大量の絵が置かれている。しかも全部同じ作品――『サユリ』のものだ。ならば、これは模写か? でも、これ程までの模写は何に使われるのか。

 

 大量の模写について、喜多川は何も知らなかった。怒り心頭で部屋に踏み込んだ班目は、観念したように肩をすくめる。

 

 

「見られてしまったなら仕方がないな……」

 

 

 班目は訥々と話し始める。この部屋いっぱいに敷き詰められた『サユリ』の模写は、班目の借金返済のために使われているものらしい。“自分自身の作品”を模写することで、特別なルートで買ってもらっているのだと言う。

 長らく行方不明だった本物の『サユリ』は、このあばら家から立ち去った弟子によって盗まれてしまったらしい。「弟子に厳しくしたから、それを恨んで持っていたのかもしれん」と班目は締めくくった。

 そのショックが原因で、班目はスランプになった。作品の描けない画家は致命的である。だから、班目は弟子たちに――喜多川に助けを求めた。彼らからの着想を譲ってもらったと語る班目であるが、それは遠回しな“盗作行為の自白”だった。

 

 パレスに忍び込んで内部を目の当たりにした僕たちは知っている。班目は、観念したポーズをとっているだけだ。

 僕は部屋をくまなく見回す。部屋の一角に、布が被せられている場所を見つけた。隠れていたモルガナも、ソレに違和感を持ったらしい。

 

 ――もしかしたら。

 

 

「おい、ゴロー! 探偵らしく頼むぜ!」

 

 

 「謎を解くのはオマエの仕事だろ?」とモルガナが笑う。

 僕はちらりと視線を送り、班目へと向き直った。

 

 

「――貴方は嘘をついている」

 

 

 嘘を暴くのは探偵の仕事だ。僕は班目を睨みつけながら、疑問を突きつける。

 

 

「本物がないのに、どうやって作品を模写することができたんですか? しかも、ここまで正確に」

 

「そ、それは……画集用の精密な写真が残っていてね」

 

「写真の模写が売れるの? アタシは絵のことはよくわかんないけど、絵を買う人ってそれなりに芸術分かってるんじゃない?」

 

 

 援護射撃をしてきたのは杏だ。彼女も班目を睨みつけながら、「ウソっぽいんだよね」と締めくくる。実際に嘘だから、班目を睨みつける目が鋭くなってしまうのも当然だった。

 「お前に何が分かる!?」と激高する班目を無視し、僕は布へと歩み寄る。あからさまに奴が動揺した。僕を制止しようと飛び出した班目は、黛さんの睨みによって動きを止める。

 僕は黛さんに頭を下げ、躊躇うことなく布を取り払った。そこに置かれていたのは、模写より一回り小さなキャンバスである。それを目の当たりにした瞬間、喜多川が目の色を変えた。

 

 

「これは、本物の『サユリ』!」

 

 

 喜多川が『サユリ』を見たのは、幼い頃の僅かな期間だけ。以後、彼は画家として、芸術家として、自身の審美眼を磨いてきた。その努力は見事に花開き、隠されていた真実を見出す。

 

 杏が述べたとおり、芸術家の審美眼は侮れない。僕が見たのは、ヴィジュアル系バンドのボーカルとして活動していた栄吉さんが、人間音響と謳われたモノマネの天才である達哉さんをバンドのボーカルとして引き入れようと計画していた姿だったか。

 『あれ程までもの音域をカバーできるなら、ボーカルとしても素晴らしい才能を有しているに違いない!』と力説していた。そりゃあ、バイクのエンジン音から他人の声まで忠実に再現できる声帯模写男なのだ。歌声は、たとえ要練習だったとしてもおつりがくる。

 結局栄吉さんは達哉さんをメンバーに加えることは叶わなかったが、彼の歌声を聴く機会には恵まれたらしい。『ああ、神ってヤツは残酷なことをしやがる。あの才能を伸ばせないなんて……』と嘆きを叫んでいた。閑話休題。

 

 「この絵に支えられて、ここまでやってこれたんです」――模写だと主張する班目の言葉に首を振った喜多川は、絞り出すようにして呟いた。

 そうして、祈るような眼差しで『サユリ』を見つめる。僕は大仰に頷いて、言葉を続けた。

 

 

「芸術家の審美眼を甘く見てはいけませんよ。確かに喜多川くんはまだ“卵”の段階ですけど、“モデルに相応しい人間”を見出す眼は優秀です」

 

「違う! それは偽物……贋作だ! 迷惑な贋作があると聞いて、買い取ったのだ!!」

 

「本家が贋作を買う? それ、ムリありすぎでしょ」

 

「むしろ、作者である貴方がそんな贋作を“買わなければならない”という状況が異常だ。本家が贋作に憤慨することならあっても、贋作を本家の手元に置くなんてまずあり得ない。……その贋作が、()()()()()()()()()()()()()()なら別ですが」

 

 

 尚も言い訳しようとする班目だが、杏の鋭いツッコミによって切り捨てられた。

 それに便乗して僕も班目を追いつめる。僕らの会話に何を思ったのか、黎は喜多川に問いかけた。

 

 

「班目画伯には、贋作蒐集の趣味がおありで?」

 

「いや、ない。……まさか、先生は嘘をついているのですか?」

 

 

 世の中には贋作を好んで蒐集する人間がいる――そんな話を耳にしたことがある。もし班目に贋作蒐集の趣味があれば、『この絵は贋作だが、思うところがあって買い取った』とこじつけられたかもしれない。だが、それを、班目の一番傍にいた弟子がはっきりと否定した。

 班目へと向き直った喜多川の目は完全に据わっている。今まで見ないようにしていた疑念を、改めて直視しているようだ。カメラマンである黛さんも危機迫る面持ちで班目を睨む中、記者である舞耶さんがボイスレコーダーを班目へ差し出す。

 

 

「ファンの人たちに向かって、何か一言!」

 

「警備会社に通報してやったわ!!」

 

 

 班目は勝ち誇った笑みを浮かべ、携帯電話を操作した。ワンプッシュで警備会社へ通報することができるとは、相当良いクラスの会社と契約したのであろう。もしくはコネか。

 

 「2分もかからず来るぞ!」と高笑いする班目を残し、僕たちは一斉に駆け出した。一歩遅れて喜多川も僕たちを追いかけてくる。

 このまま班目の傍にいても警察に捕まってしまうのだから、咄嗟に“僕たちの後を追いかける”ことを選択してもおかしくない。

 

 

「黎、ナビを!」

 

「了解!」

 

 

 黎は即座にスマホを操作する。イセカイナビは無機質な声を上げて、僕たちをパレスへと導いた。

 世界が一気に変化し、あばら家は黄金の美術館へと姿を変える。――次の瞬間、床を踏みしめたはずの感覚が消えた。

 投げ出されるような浮遊感。僕は……いいや、僕たちは今、()()()()()()()()()()()()()!!

 

 四方八方から悲鳴が響く中、僕はどうにか地面に着地する。反射的に上を見れば、黒い外套を風にたなびかせながら、黎――ジョーカーが落下してくるではないか!

 

 

「ジョーカー!」

 

「クロウ!?」

 

 

 僕は即座に体を起こし、躊躇うことなく彼女を受け止める。落下による衝撃で、体中が軋むような悲鳴を上げた。危うく倒れこみそうになったが、どうにか堪える。

 腕の中に抱くジョーカーの重みを感じつつ、「大丈夫?」と覗き込む。ジョーカーは目を丸くした後、落ち着かなそうに視線を彷徨わせた。

 

 

「まさか、どこか怪我を!?」

 

「ううん! 大丈夫だよ。……少し、照れくさいけど」

 

「え? ――あ」

 

 

 居心地悪そうに視線を逸らしたジョーカーだが、彼女の耳は真っ赤に染まっている。彼女の言葉を聞かなかったら、俺は自分が今どんな体勢になっているか意識していなかっただろう。この体勢は――俗に言う“お姫様抱っこ”。

 ジョーカーとは一歩遅れて、俺の身体に熱が走る。多分、俺の顔も真っ赤だ。早くジョーカーを立たせてやりたいのだが、どうしてか身体が動かない。名残惜しいと――まだ離したくないと、俺の中にある“何か”が呟く。

 視界の端で、俺と同じような体勢でパンサーを受け止めていた喜多川の姿がちらつく。だが、奴の真上にモルガナが落下し、喜多川はそのまま膝をついた。――だめだ。意識を逸らそうとしても、最後は俺の腕の中で恥じらうジョーカーに釘付けになってしまう。

 

 ……このまま顔を近づけたら――いやいやいや。俺は一体何を考えているんだ! こんな状況で!!

 

 

「――がぁッ!?」

 

「クロウ! って、舞耶ねえ!?」

 

「いたたたた……って、吾郎クン!?」

 

 

 そんなことを考えたとき、俺の背中に凄まじい衝撃が走った。ジョーカーを受け止めることはできても、それ以上の重さや衝撃を受け止めることはできない。

 不意打ち同然の重量に耐え切れず、そのまま前のめりに倒れこむ。ジョーカーに土をつけずに済んだのは最早意地だった。

 

 落下物の正体は舞耶さんだった。申し訳なさそうに謝る彼女の背後で、完全にノックアウトされた喜多川が転がっている。彼は黛さんの尻に敷かれていた。文字通りの意味で。

 

 「ええええええ!? なんだこの状況!?」――赤外線センサーを解除してきたであろうスカルの素っ頓狂な悲鳴がやけに遠く感じる。

 俺はもう一度、腕に抱えたジョーカーを確認してみた。パッと見て怪我はないように見える。本人も「大丈夫」と自己申告した。

 “()()()()()()()()()()()()()()()()()()”――心の底から溢れたこの感覚を、何と表現すればいいんだろう。

 

 ……やっぱりちょっと名残惜しいけれど、俺はジョーカーを立たせる。手袋越しだというのに、ほんのりと熱を感じたのは気のせいじゃない。

 僕たちは喜多川の元へ駆け寄った。喜多川は気を失っているらしい。このフロアはシャドウも出ないし、今のところは安全だ。

 

 

「どうしよう。打ちどころが悪かったのかな、完全に伸びちゃったよ」

 

「ユッキー……」

 

 

 ――とりあえず、僕たちは彼の目が覚めるまで待つことにした。

 

 

***

 

 

 班目の真実は、喜多川を打ちのめしたようだ。自分の知っている班目はニセモノだったと突き付けられた喜多川であるが、ここから逃げるべきだというモナの意見に従うような形で同行してきた。

 

 美術館から逃げるため、僕たちは出口まで駆け出した。残酷なことであるが、逃走経路は喜多川にとっての地雷原である。弟子一同の肖像画、『無限の泉』と題された黄金のオブジェとその解説文――喜多川の顔色はどんどん悪くなっていく。

 舞耶さんと黛さんの表情も険しくなってきた。班目という男が潰してきた未来の数を想い、2人は憤る。「夢を叶える権利は誰にだってある」を信条にする舞耶さん、嘗て冴子先生によって人生を救われた黛さんは、班目への怒りを募らせていた。

 だが、それを班目にぶつけるためには、このパレスから無事に脱出しなければならない。警備の目を掻い潜り、僕たちは出口へと急ぐ。だが、もうすぐ出口というところで、僕たちは警備員のシャドウに囲まれてしまった。

 

 

「ハーッハッハッハッハ!」

 

「誰!? ……って、嘘。これが班目のシャドウ!?」

 

「うわ、何アレ。趣味悪い……」

 

 

 高笑いの声に振り返れば、警備員を引き連れた班目のシャドウが僕たちの前に姿を現したところだった。

 絢爛豪華な金の着物を身に纏った殿様である。上に二文字つきそうな顔だが、コメントは控えておこう。

 

 現実世界からの乖離具合に、思わずパンサーが声を上げる。対して、嫌悪感を滲ませたのは黛さんだった。鴨志田が城主――王に対し、班目は美術館の長で殿様らしい。どちらも酷い有様だ。

 

 

「先生……なのですか……?」

 

 

 喜多川はフラフラと前に出たが、スカルに無理矢理押しとどめられた。足を止められても、喜多川の眼差しは班目に縋りつこうとしているみたいだった。

 ……それが、嘗ての俺の姿と重なって見える。母を失った僕は母の遺品を拠り所にしようとして、『望まれなかった子ども』という真実を知ってしまった。

 周りの大人たちも同じようにして、僕を振り払った。縋りつける場所がないと途方に暮れていた頃を思い出して、何とも言えない気持ちになる。

 

 喜多川はこれから、当時の僕のような真実を思い知る。班目の道具として使い潰された人々がいたこと、喜多川自身もその1つでしかないこと、今まで面倒を見てきたのは飼い殺すためであることを。

 あの頃の僕は、大人たちがむき出しにした身勝手な真実によってボロボロになった。その傷は未だに残っているし、黎からは「治さなくていい」とまで言われている。歪まなかったのは、救ってくれる人がいたからだろう。

 

 ――では、喜多川を救えるのは誰なのか。喜多川には身寄りがない。たった1人でこの真実と向き合うのは辛いはずだ。

 

 

「嘘ですよね……?」

 

「あんなみすぼらしい格好は『演出』だ。有名になってもあばら家暮らし? 別宅があるのだよ……オンナ名義だがな」

 

「成程、恐れ入った。……随分とふざけた真似をする外道だ」

 

 

 ニヤリと嗤った班目に、ジョーカーが鼻で笑い返す。だが、彼女の目は全然笑っていない。それを見た班目は、こちらを馬鹿にするようにして見返す。

 喜多川を庇うようにして、舞耶さんと黛さんが前に出た。舞耶さんはボイスレコーダーを班目に向けながら問いかける。

 

 

「何故、行方不明となっていたはずの『サユリ』が保管庫に?」

 

「しかも、だ。本物があるのに、どうして自ら贋作を作る必要があるんだい? ……絶対、まともな理由じゃないだろうけど」

 

「――聞かせてくれ。貴方が先生だと言うのなら!!」

 

 

 2人の言葉を引き継いだ喜多川を一瞥した班目は、彼を罵倒しながら話してくれた。胸糞悪い真実を。

 

 『作品が行方不明になった』というのも、『盗まれた』というのも、班目が自分で流したデマだった。すべては班目一流際という画家の作品に価値を付加するためのモノ。何もかもが計算された『演出』なのだと奴は笑った。成程、金の計算に関しては、理系トップクラス並みの頭があるらしい。

 保管庫に転がっていた『サユリ』の模写たちもまた、金儲けの道具に過ぎなかった。贋作として売りつけるのではなく、“訳有りの本物”と銘打って売りつけるのである。事情を知らない人々は、喜んで班目の話に飛びつくだろう。――奴はそうやって、多くの人々を騙してきたのだ。

 「絵の価値など所詮は『思い込み』」、「芸術はカネと名声のための道具」と言い切った班目は、最早芸術家ですらない。立派なド外道である。「お前にも稼がせてもらったぞ、祐介」――奴の言葉は、喜多川祐介の心をズタズタに引き裂くには充分すぎる凶器だった。喜多川はそのままずるずると崩れ落ちる。

 

 

「なら、貴方の才能を信じている者は……天才画家と信じてきた人々は……!」

 

「……これだけは言っておいてやる、祐介。この世界でやっていきたいのなら、私に歯向かわぬことだ」

 

「そうやって、お前は人の夢を踏み潰してきたのか。……ふざけてるよ、本当に」

 

「ハッハッハッハ! ――青いな、ガキが」

 

 

 僕の言葉にも班目は怯まない。奴のために、喜多川の兄弟子、姉弟子は犠牲となった。中野原のように“生きていられるだけ幸せな者”もいれば、中野原の兄弟子のように“命を絶った者”だっている。班目の次なる犠牲者は――喜多川祐介。

 醜悪に高笑いする班目を見上げて、喜多川は悔しそうに歯噛みした。長い間、彼はこんな外道の世話になっていたのである。喜多川の性根は愚直以上に真っ直ぐで清廉だった。清廉過ぎたのだ。だから、班目の汚さを赦すことができない。

 

 苦しむしかない喜多川へ、班目は更に残酷な真実を突きつけた。

 

 奴が喜多川を引き取ったのは、喜多川祐介の才能に恐怖したからだ。喜多川祐介の才能を摘み取り、自分のモノにすることで、班目一流斎の地位を盤石にするためだったのだ。

 班目は笑う。「着想を奪う相手として相応しいのは子どもである」と。“大人よりも柔軟な発想力を持ち、大人に対して逆らい辛い人間”――条件が一致するのは、子どもだった。

 

 

「なんてことを……」

 

「家畜は毛皮も肉も剝ぎ取って殺すだろうが。同じだ、馬鹿者め!」

 

「――馬鹿者はテメーだ、このドクズ野郎」

 

 

 俺は猫を被るのをやめて、班目に吐き捨てる。喜多川が目を見張り、舞耶さんと黛さんが懐かしそうな顔をした。

 子どもを家畜呼ばわりする野郎なんざ、遠慮はいらない。班目が不快そうに眉を寄せたのを無視して、俺はさらに続けた。

 

 

「アンタを打ち首にして、それを野晒しにしてやろうか? 成金バカ殿様」

 

「クロウ、命だけは奪っちゃダメだ。ひっ捕らえて真っ裸にした後市中を引き回し、大衆の面前で罪を告白させることで手打ちにしよう」

 

「ジョーカー……キミは優しすぎるよ」

 

「私たちは『改心』の専門家だ。忘れないで」

 

「……あーもう。キミには敵わないなあ」

 

「おいジョーカー、クロウ! 今はそんなことしてる場合じゃないだろうが! 続きはこの悪趣味な美術館から脱出してからだ!」

 

 

 スカルに咎められ、僕とジョーカーは班目に向き直る。班目は喋り飽きたようで、シャドウに僕たちの始末を言い渡した。僕たちは喜多川を守るようにして陣を組み、シャドウと睨み合う。

 

 

「――許せん」

 

「ん?」

 

「――許すものか……お前が、誰だろうと!!」

 

 

 喜多川の目に燃えるのは反逆の意志。班目への恩義とこれまでの日々がすべてゴミ屑と化した彼に残っていたのは、班目への義憤だった。

 「下がれ」という僕たちの言葉を聞いた喜多川は――しかし、「面白い」と笑うのだ。精神がイカれたわけでもない。奴は心から、そう思っている。

 『事実は小説より奇なり』――まさか自分が“そんな目に合う”なんて思わずにいたのだろう。だが、そうなったことで、喜多川は真実と向き合うきっかけを得た。

 

 喜多川は随分前から、班目の本性を察知していたらしい。だが、「そんなはずはない」と言い聞かせて生きてきた。自らの意志で、自らの目を曇らせてきたのだ。

 そういえば、僕が八十稲羽に滞在していた時にも似たようなことがあった。自分の望む真実以外見ようとしない人々――それが引き起こした一件を、僕は知っている。

 

 自身の望む真実も、自分が望まない真実も問わず、“そこにある真実”を掴むために戦い続けた真実さんと、幾万の真言で霧を吹き払った伊邪那岐大神――その背中を、忘れるはずがない。

 

 

(喜多川の眼前に広がっていた霧が、晴れたのか)

 

「人の真意すら見抜けぬ節穴とは……まさに俺の眼だったか……!」

 

 

 ――喜多川がそう呟いたのを皮切りに、この場に凄まじい力が吹き荒れ始める。どこまでも澄み切った、けれども冷え切った冷気を感じ取った。

 

 間髪入れず喜多川が頭を抱えて悶え苦しみ始める。ペルソナ使いとして覚醒するための兆候だ。

 喜多川の顔に仮面が出現する。白い狐を模したそれを、喜多川は迷うことなく剥ぎ取った。

 

 

「――来たれよ、ゴエモン!」

 

 

 喜多川は無事に“もう1人の自分”――ゴエモンと契約を結んだようだ。白を基調にした洸星学園の制服は、藍墨色を基調にした怪盗服へと変化する。芝居がかった動きで周囲を圧倒する姿は、まるで歌舞伎の役者だった。多分、喜多川本人には意図したつもりなどないだろう。

 元から不可思議系天然な喜多川だが、まさかこんなキャラになるとは思わなかった。呆気に取られていた俺たちだが、次の瞬間、ゴエモンが凄まじい冷気を撃ち放った。突き刺さるような冷気は警備員たちを容赦なく穿つ。

 美鶴さんの冷気が敵を見事な氷像へと変貌させ、千枝さんの冷気が敵ごと粉々に砕くための氷塊を作り出すなら、喜多川の冷気は氷の結晶を連想させるように凍り付く。砕けるときでさえ幻想的だ。属性攻撃の見目がこんなにも違うのは、技の使い手の内面に影響しているためかもしれない。

 

 突き刺すような冷気を真正面から喰らっても、班目のシャドウはピンピンしていた。奴は「であえー! であえー!」と叫んで警備員を呼び出す。

 それでも喜多川は引かない。班目を慕った子どもたち、夢を絶たれた弟子たちの怒りを力に変えながらも、奴は冷徹さを失わなかった。

 

 

「それじゃあ、お手並み拝見」

 

「ああ、任せてくれ!」

 

 

 ジョーカーは微笑を浮かべる。喜多川は不敵に微笑み、ゴエモンを顕現した。先程と同じように冷気を操り、周辺にいる警備員たちを吹き飛ばしていく。ゴエモンの冷気を耐え抜いたシャドウは攻撃を仕掛けようとしたが、即座に俺たちがペルソナを顕現して掃討する。

 キャプテンキッドの突撃を喰らったシャドウが弾け飛び、カルメンの放った炎とゾロが巻き起こした風によってシャドウが断末魔の悲鳴を上げ、アルセーヌとロビンフッドが円舞のような連撃を披露してシャドウを消し飛ばした。

 それでも倒れないシャドウには物理攻撃をお見舞いしてやった。スカルが鈍器で殴り、パンサーが鞭を振るい、モルガナがパチンコを使って2人を援護する。喜多川の得物は日本刀らしく、奴は見事な居合切りを披露した。僕とジョーカーは銃で奴の援護に回る。

 

 程なくして、班目が放った刺客たちは全滅した。

 

 班目を追いつめようとした喜多川であるが、ここに来てペルソナを使った疲労が出たのだろう。そのままがくりと膝をついた。

 そんな喜多川を見下す班目の目は、自分を害する存在を踏み潰さんという意志を派手に燃やしていた。

 

 

「祐介。貴様は輝かしい将来をドブに捨てたのだ。貴様の絵描きへの道、あらゆる手を使って刈り取ってくれる……!」

 

「班目ェ……!」

 

「喜多川くん、その状態じゃ奴を倒すことは無理だ。ここは一端退こう」

 

「くっ、情けない……!」

 

 

 満身創痍でありながら尚も班目を追いかけようとした喜多川を、ジョーカーが引き留める。喜多川は悔しそうに歯噛みし、ジョーカーの意見に従った。

 

 班目の警戒心はパレス内に反映されているため、今頃はパレス内もシャドウだらけになっていることだろう。

 奴に追撃をしに向かうことは困難だ。大人しく当初の目的――脱出することを優先した方が良さそうだった。

 

 ……そういえば、舞耶さんと黛さんはどうしたんだろう。特に、舞耶さんは班目の発言に喰いつきそうなタイプだ。

 だが、彼女は班目の発言に対し、何かを言い返す様子はなかった。どうしたのだろう。

 僕らよりも場数を踏んだペルソナ使いである彼女たちなら、既に戦いを終えていそうなものだが――

 

 

「マイクに向かって、何か一言!」

 

「おら、何か出しな。……え? これしかない? 馬鹿言ってるんじゃないよ。本当かどうか確かめるから、ちょっとそこで飛んでごらん」

 

「いや何してんの!?」

 

 

 シャドウにインタビューする舞耶さんと、シャドウをカツアゲする黛さんの姿を見たスカルがツッコミを入れた。

 何てことはない。やはり、黛さんと舞耶さんは、御影町や珠閒瑠市で見た頃と何ら変わっていなかった。

 

 

◇◇◇

 

 

 班目は個展が終わり次第、僕たち全員を告訴するつもりのようだった。告訴の対象者の中には、もれなくキスメット出版の記者とカメラマンコンビも名指しされている。奴が個展の開催期間中に動くことを避けたのは、開催中に醜聞が出回ると不利益が大きいためであろう。

 順平さんを『名誉棄損で訴える』と息巻いていた班目ならやりかねないと思っていた。覚悟もしていたことだが、改めて突き付けられると気が重い。告訴となれば警察にも話が向かうので、僕たち学生組はもれなく退学処分を受けるだろう。保護観察処分を受けている黎の場合、少年院送りにされる危険性もある。

 班目の『改心』が成功しなければ、僕たちの未来は刈り取られてしまうだろう。僕たちだけではない。順平さんとチドリさん、舞耶さんと黛さん、そして――これからも増え続けるであろう班目の被害者たちの未来が懸かっているのだ。今回の『改心』は、絶対成功させなければならない。

 

 そんな僕たち怪盗団に、1つの大きな朗報があった。

 喜多川祐介が怪盗団に加わったのだ。コードネームは狐の仮面から取って『フォックス』である。

 

 

『変わってしまった班目を止めるのは弟子である俺の役目。そして、今まで育ててくれた恩に対する礼儀だ』

 

 

 根っこが堅物で生真面目な祐介らしい参戦理由である。但し、一般常識と財布の中身はスッカスカのようで、商品を注文してから『金を持ってない』と頭を抱える有様であった。……コイツは本当に大丈夫だったのだろうか。今更心配してもどうしようもない。閑話休題。

 

 祐介は以前から、班目の正体に気づいていたという。盗作なんて日常茶飯事、他にも得体の知れぬ連中と付き合いがあったとか。『それでも、自分を引き取って育ててくれた恩人が悪党だなんて信じたくなかった』と祐介は語った。

 似たようなことを経験したことがあるため、僕と黎は何も言えなかった。僕にとっては“自分を引き取ってくれた保護者”、黎にとっては“親戚の頼れる兄貴分”が、“『神』によって生み出された化身”だったという実体験がある。だから気持ちはよく分かった。

 

 

『でも祐介、大丈夫なの? 私はヤバいことになってそうだけど、祐介は……』

 

『それは心配ない。俺は杏を追いかけていたことになっている。つい先程連絡したからな。班目の奴、『女子高生も捕まえられないのか』と警備員に愚痴っていたよ』

 

『いや、そこじゃねーよ。こんな状態で“あのあばら家に帰っても大丈夫なのか”ってことが心配なんだよ』

 

『それも大丈夫だ。個展が終わるまで、奴は表立って俺を排斥することはできまい。個展中に告訴すればマスコミに食いつかれる。自身の名誉にケチをつけるような真似はしないだろうさ』

 

 

 杏の質問に対して、祐介は少しずれた返答をする。竜司に軌道修正されて返した答えもまた、順平さんや僕たちの状況と変わらない。

 やはり結論は“展覧会が終わる前に片を付ける”という1点において収束した。告訴まで残り2週間弱――あまり悠長にしている暇はなかった。

 そんな僕たちを見守っていた舞耶さんと黛さんであったが、突如2人の携帯電話がけたたましく鳴り響いた。

 

 電話相手は2人の上司。どうやら、班目氏から抗議の電話が入ったらしい。ご丁寧に、奴は宣戦布告を仕掛けてきたという。そのせいで、編集長がおかんむりになっているそうだ。

 

 

『こっちのことは気にしないで。なんとか宥めすかしておくから』

 

『吾郎クン、黎ちゃん、喜多川クン! あんな奴に負けちゃダメよ。レッツ・ポジティブシンキング!』

 

 

 『編集長の御機嫌取りは自分たちの仕事だから気にするな』と言い残し、舞耶さんと黛さんは僕たちと別れた。あの調子だと、2人にこれ以上の協力を要請するのは厳しそうだ。

 こうなると、班目の『改心』は僕たちだけで行う必要があった。鴨志田のときのような援護は期待できないので、しっかり下準備をして行わなくてはならない。

 

 以後、僕たちは時間を見つけてはメメントスに潜って依頼解決と鍛錬を積み、班目のパレス攻略に備えた。勿論、模範的な学生生活を送ることも忘れない。

 黎の日常も充実しているようで、竜司や杏と交流したり、薬を融通してくれる医者の治験に協力したり、佐倉さんからコーヒーの淹れ方を教えてもらっているという。

 この前は、牛丼屋のバイトをしていたときに知り合った政治家の演説練習につき合っていたそうだ。汚職事件で干されたが、演説の腕は未だ衰えていないらしい。

 

 僕も獅童智明の動きに注意していたのだが、()()()()()()()()()()()()()()()。奴が多くのテレビ出演で引っ張りだこなのも理由だろが、()()()()()()()()()()というのはおかしくないか。しかし、周りの教師や生徒たちは『獅童智明はきちんと学校に登校している』と言うのだから不思議な話だ。以前航さんが言っていた“一色さんの認知訶学研究に似たようなケースがあった”という話も気にかかる。偽物の探偵とはいえ、本業から調査のイロハを叩きこまれたことは伊達じゃない。

 

 

『よし。今日はパレス攻略に向かおう。『オタカラ』までの侵入経路を確保するんだ』

 

 

 そうして迎えた班目パレス攻略――『オタカラ』入手経路の開拓。赤外線センサーをスライディングですり抜け、シャドウの警備員や女性社員を闇討ちしながら、美術館のバックヤードを突き進む。一般公開されている区画とはまた違った雰囲気が漂っているが、やはり胸糞は悪いままだ。

 現実の班目が僕たちのことを警戒しているためか、パレス内部の警備員たちもてんやわんやしている様子だった。現実世界への干渉という形でパレスのセキュリティを突破されたため、警備員がパスワード変更を行っていたのが何よりもの証拠である。……情報を不用意に喋るあたり、ややマヌケであったが。

 奥へと続く道のセキュリティを解除し、探索場所もぐっと広がった。美術館や絵画に纏わるトラップや仕掛けを突破した先に広がっていたのは回廊だった。入り口や展示室で見たド派手な黄金が再来したような形である。

 

 先程とは一変した空気と世界に、スカルとパンサーが嫌そうな顔をした。金色過ぎて目が痛いのは皆同じである。

 

 

『ここは特別歪みが酷いな。しかも、ここには手に入れた地図にすら載ってないぜ』

 

『己の眼力のみで、真実を見抜かなければならないか……』

 

『でも、パレスの雰囲気はここから一変したから、最奥には近づいてると思うよ。慎重に行こう』

 

 

 モナとフォックスの言葉を受けて、ジョーカーが頷く。彼女の号令に従い、僕たちは再びパレス内の探索を開始した。空間の歪みはフロア同士の繋がりも歪めているらしい。空間把握能力をフルに使いながら、僕たちは奥へと向かった。

 道中置いてあった『サユリ』の絵――この世界では幻の類だろうが――の真贋を見分けると、絵は光になって正しい道を示してくれた。『サユリ』の標に導かれながら、時には警備員のシャドウを強襲しつつ先へと進む。

 

 

『でも、不思議。『サユリ』の真贋を見分けることで道が開けるなんて、『サユリ』という作品に宿っている“何か”が私たちに味方してくれているみたい』

 

『確かにそうだな。……けど、『サユリ』は班目自身が描いた作品だろ? なんで自分(テメェ)に不利な仕掛けとして使われてんだ?』

 

『嘘を嘘と見抜く力がないと突破できないのがこの空間ならば、こういった仕掛けはあくまでも“仕掛けの類”だと思うが……考えてみると、ジョーカーの言う通りかもしれんな。“『サユリ』が俺たちに力を貸してくれている”とも言えなくはない』

 

 

 ジョーカーが感慨深そうに呟く中、スカルは首を傾げながら疑問を口にした。それをフォックスが冷静に分析する。彼らの着眼点に、僕は目から鱗が落ちたような心地になった。

 

 このパレスは班目の心象世界だ。パレスに張り巡らされたセキュリティは、すべて“侵入者である僕たちを排除する”ための罠である。だが、このフロアに置かれた『サユリ』だけは、それらの仕掛けとは全然雰囲気が違った。

 真作の『サユリ』を見分けることで、パレスの奥へ続く道が示される――それはまるで、『サユリ』という作品は“班目にとって脅威となり得る”存在であり、“僕たちにとっての突破口となり得る”存在だとも言えるだろう。

 理由は分からないが、班目は『サユリ』に対して()()()()()()()()()()()()。『サユリ』が“班目を裏切り、奴の画家生命を脅かしかねない”ものとして認識しているようだ。その恐怖が、黄金回廊の歪みを突破する『標』という形で顕現している。

 

 贋作を生産する程度で、パレス内にこんな仕掛けが出来上がるだろうか。『サユリ』が班目を裏切る理由とは何なのか。この仕掛けに込められた認知と、班目が犯してきた所業を照らし合わせて――僕はゾッとした。

 『()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()』――これはあくまでも推理だ。でも、こんな推理をフォックスに話して聞かせたら、彼の中に残っている班目への想いは本当の意味で木端微塵になるだろう。

 

 “育ててもらった恩に対する礼儀”までもがゴミ屑と化す。

 ……僕にとっての“母との日々”と同じように、だ。

 

 

『…………』

 

『どうかしたのか? クロウ』

 

『フォックス。……班目と対峙するとき、覚悟した方がいいかもしれない』

 

 

 言えるはずがないだろう。『フォックスが夢を抱くきっかけになり、今も心の支えにしているこの絵さえもがゴミと化すかもしれない』なんて。

 でも、嘘をついて誤魔化すことは憚られた。彼が持っている真贋を見抜く力は、僕の嘘をすべて見極めるだろう。

 

 ――散々悩んだ僕は、彼に警告を促す程度のことしかできなかった。要領を得ない警告に首を傾げながらも、フォックスは真顔で頷き返す。その双瞼に迷いがないことだけが、僕にとっての救いだった。

 

 最奥に辿り着いた先には、睨みを利かせるシャドウの班目と警備員たちがひしめいている。班目の背後には『オタカラ』が靄のように漂っており、それを取り囲むようにして赤外線のセンサーが並んでいた。

 文字通りの完全警備。『オタカラ』のルート確保は、『オタカラ』を盗み出す算段までもが含まれているらしい。鴨志田のとき以上に厄介だ。僕たちは顔を見合わせて、このフロアをもう少し探索することにした。

 中央ホールを避けて探索を続けるうち、僕たちは天井裏へ続く道を発見した。張り巡らされた板を飛び移っていくと、『オタカラ』の丁度真下に位置する絶好のポイントを発見する。ここからロープを垂らせば、『オタカラ』を奪取できそうだ。

 

 

『こっちにワイヤーフラックの制御装置があったぞー!』

 

『あそこの制御室、少しの間ならすべての電気を消せるみたい。電気が消えている間に『オタカラ』を盗み出せればいいんじゃないかな?』

 

 

 別動隊として動いていたスカルとパンサーも、『オタカラ』入手に繋がる情報を手にしたようだ。これで、『オタカラ』確保へのルートは完璧である。フォックスも『奴の罪を清算するためにも、班目を『改心』させなければならない』と改めて決意表明した。

 

 残るは班目への予告状だ。

 僕たちは渋谷駅の通路にたむろしながら考える。

 

 

「でも、前回リュージが描いた予告状はヒドかったな……」

 

「じゃあ、今回は祐介が描いてよ! 現役美術コース修習者だもの、アート得意でしょ?」

 

「……いや、それは無理だな」

 

 

 杏の提案を聞いた祐介は首を振った。「あの人は俺の絵も文字も知っている。俺の悪戯だと思われるのがオチだ」――割と真面目な理由で、彼は辞退する。

 それもそうか。芸術家としての在り方はクズと言えど、班目は祐介の師匠だった。自分の作風と偽るためには、弟子の作風を把握する必要があった。

 

 ならば、と、竜司が祐介に向き直る。

 

 

「俺が描いたマークをカッコよくしてくれよ! デザインし直すんだったら、お前の発想とは全然違うからバレないだろ?」

 

「成程。予告状のデザイン、か……面白いかもな。怪盗団にとっての『本物の証明』になる」

 

「決まりだな!」

 

 

 自分の案が採用されたことが嬉しいのか、竜司は子どもみたいに喜んだ。そうして、前回使った予告状を祐介に指し示す。

 祐介は顎に手を当てて興味深そうに予告状のマークを見つめていた。今頃、奴の頭の中には素晴らしいデザイン案が浮かんでいることであろう。

 予告状が完成すれば、あとは班目から『オタカラ』を盗み出すだけである。僕たちは顔を見合わせ、決行日である明日へと思いを馳せた。

 

 

 

 その夜、竜司から『グループチャットのアイコンが変わった』という話を聞かされた僕は、早速確認してみた。鴨志田の予告状とは違って、スタイリッシュなデザインに変わってて驚いたのはここだけの話である。

 

 




舞耶とゆきのコンビの手を借りて班目邸に侵入した魔改造明智一同。でもまさか、祐介加入に丸々1話費やすことになるとは思いませんでした。4話で纏める予定でしたが、もしかしたら5話に変動するかもしれません。
今回はギャグパート比重が多め。個人的にやってて楽しかったのは、『舞耶「ファンの人たちに向かって、何か一言!」班目「警備会社に通報してやったわ!!」』、『お姫様抱っこにドキマギしてたら衝撃によってぶっ倒れる魔改造明智』です。
あと、最奥一歩手前にあった『サユリ』の仕掛けに関するねつ造を1つ追加しました。ネタバレ関連なので伏せさせていただきますが、解釈/認知の1種として流して頂ければ幸いです。『そうだったらいいな』という書き手の願望です。歪んでてすみません。


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今に見てろよドチクショウ!

【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 @空本(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄で明智の保護者その1。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
 @獅童(しどう) 智明(ともあき)⇒獅童の息子であり明智の異母兄弟だが、何かおかしい。獅童の懐刀的存在で『廃人化』専門のヒットマンと推測される。詳しくは中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『運命を切り開くだけの簡単なお仕事』および『ペルソナ3異聞録-.future-』、Pixivの『2周目明智吾郎の災難』および『【一発ネタ】有栖川黎の幼馴染』の設定を下地にし、別方向へ発展させた作品である。
・ジョーカーのみ先天性TS。
 ジョーカー(TS):有栖川(ありすがわ) (れい)⇒御影町にある旧家の跡取り娘。旧家制度は形骸化しているが、地元の名士として有名。身長163cm。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空本(そらもと) (わたる)⇒明智の保護者2で、南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。
・「2罰ボスの外見を見た人間の反応」に関するねつ造設定がある。
・DLCネタバレあり。


「――賢しいネズミめ。貴様らが探しているのはこれか?」

 

 

 多くの警備員を連れ立って来た班目のシャドウは、1枚の絵を示した。警備員が大事そうに抱える金の額が、本物の『オタカラ』なのだろう。

 

 

「ワガハイに鼠捕りなんてナンセンスだぜ!」

 

「そういえばこの前、『昨今では“罠用トラバサミで猫が怪我をする”という被害が多い』って聞いたかな」

 

「やめろジョーカー。洒落にならねぇ」

 

 

 息巻くモナに対して、ジョーカーは静かな面持ちのまま付け加えた。現実世界では一介の猫として認知されているが故に、彼は嫌そうな顔をしてツッコミを入れる。

 班目のシャドウは、予め怪盗団の『オタカラ』奪取計画を想定していたのだろう。だから、本来の『オタカラ』と贋作を入れ替えて、布をかけて判別不可能にしていたのだ。

 

 

「……成程。随分姑息な手段を使うんだな」

 

「ニセモンで釣るなんて卑怯だぞ!」

 

「ハッハッハ! 日本画の世界では、贋作は肯定されているのだよ!」

 

 

 僕とスカルの野次を聞いた班目は怯むことなく、むしろ得意げに開き直った。僕はあまり芸術には精通していないが、これだけは言える。班目の言う『贋作は肯定されている』というのは、本来の意味とは違う使われ方をしているのではないだろうか。閑話休題。

 

 どうやら僕たちは班目のシャドウに嵌められたらしい。多くの警備員に囲まれて、文字通りの絶体絶命だ。

 危機的状況の中、僕は現状を打破するため、ここまでの出来事を思い出した。

 

 予告状を班目に送り付けた僕たちはパレスへ侵入。先日に立てた作戦は見事に成功し、布に包まれた『オタカラ』を奪取した。後は出口まで逃げるのみの段階だった。

 だが、中庭に辿り着いた途端、鴨志田のときと同じモナが『オタカラ』の御開帳をしようとしたのだ。が、モナは『これは『オタカラ』じゃない!』と驚愕の声を上げる。

 彼の言葉通り、布の中から出てきたのはただの落書きである。何かを察知したフォックスが警告したコンマ数秒で、突如セキュリティが発動した。――そうして、現在に至る。

 

 

「何故変わってしまった!? 有名になったからか!?」

 

 

 「育ての父親に罪を問わねばならない子どもの痛みが、貴様に分かるか!?」――班目へのフォックスの問いは、獅童への俺の問いと同じだった。

 

 実の父親である獅童正義に捨てられただけではない。奴は人に命じて人殺しを行っており、挙句の果てには俺の大事な人であるジョーカー/黎を冤罪で陥れた。“彼女が自分の思うとおりに動かなかった”という、そんなくだらない理由で。

 できることなら、俺もフォックスと同じように、獅童を問い詰めたくて仕方がなかった。“俺を身籠った”という理由で母を捨て、(例えそうと知らずとも)息子の恋人に狼藉を働こうとしたクソみたいな父親に。班目とフォックスのやり取りは、俺には他人事のようには思えなかった。

 

 

「……思い返せば、お前を預かったのは、お前の母を世話した縁だったな」

 

「何だと!?」

 

 

 班目はどこか懐かしそうに呟き、フォックスの母のことを話し始める。

 

 フォックスの母は夫が亡くなっても、絵への情熱を失わなかった。彼女の技術と才能を見出した班目は、彼女の“世話をして”やったそうだ。……勿論、()()()()()()()()()()。班目にとって、フォックスの母も、フォックスの母が描いた作品も、単なる道具に過ぎなかったのだ。

 「折角だ。冥土の土産に、本物の『サユリ』を見せてやろう」――班目は警備員に命じた。警備員は頷いて、黄金の額縁に入った絵を俺たちの前に掲げる。そこに描かれていたのは、まだ幼い赤ん坊を抱く女性であった。作者はフォックスの母親で、絵のモデルは自分と息子――赤ん坊であるフォックス/祐介。

 死期を悟った母が、息子へ残した愛そのもの。“いずれこの絵が、1人で生きていくことになるであろう息子の標になるように”――彼女の想いは、班目による『演出』によって踏み躙られた。赤ん坊である祐介が描かれた部分を、班目は塗り潰したのである。『女が湛える表情が神秘的なものになるから』という理由で。

 

 だが、班目が奪ったのは祐介の母の作品だけではなかった。彼女の才能に恐怖を感じた班目は、持病の発作に苦しむ彼女を見殺しにしたのである。助かったかもしれない命だったにもかかわらず、だ。

 その事実を知った俺の脳裏に浮かんだのは、歪んだ回廊の標となった『サユリ』の絵。あの仕掛けは『班目を追いつめるもの』としてではなく、『祐介を守り導く“はずだった”もの』としての認知があったから存在していたのだ。

 

 

「こんな推理、できれば当たってほしくなかったよ。しかも最悪な結末だ。……性質が悪いな、アンタ」

 

「『腐った芸術家』の方がまだマシだったね。金輪際、芸術家なんて名乗らないでほしいな」

 

 

 俺の親父に、獅童正義にそっくりだ――その言葉を飲み込みながら、俺は班目を睨みつける。ジョーカーも頷いた。

 班目は悪びれる様子もなく肯定し、次はフォックスを使い潰すと宣言した。そんなこと、この場にいる誰1人として許すはずがない。

 

 

「そんな大事なモン、盗みやがったのか……!」

 

「しかもそれだけじゃ飽き足らず、フォックスのお母さんまで……!」

 

 

 班目の所業は、母子家庭育ちで母親想いのスカルと、女性を踏み躙ろうとする輩を蛇蝎の如く嫌うパンサーの地雷を見事に踏みぬいた。2人は班目を睨みつける。勿論、フォックスも、モナも、俺も、ジョーカーもだ。

 成程。そういった経緯があるからこそ、班目の『オタカラ』は“本来の『サユリ』”なのだろう。祐介の母親の才能と、子を想う親の心の美しさ――班目の強欲など比べ物にならない輝きを宿している。

 『サユリ』は元々班目の『オタカラ』ではない。フォックスこと喜多川祐介に渡るはずだった『オタカラ』であり、フォックス/祐介の“人生の拠り所”になるはずだった。それを怪盗団が頂戴する――最高のピカレスクロマンではないか。

 

 班目に散々馬鹿にされ、踏み躙られ、今まさに使い潰さんとされていたフォックスが突如笑い出した。

 彼の眼差しはどこまでも鋭い。恩義という名の嘘が吹き払われた双瞼は、班目の真価を見通していた。

 

 

「礼を言うぞ、班目。お前を許してやる理由が、たった今、すべて露と消えた。――貴様は『腐った芸術家』じゃない! 芸術家の皮を被った、世にも卑しい悪鬼外道だ!」

 

 

 血の底から轟かんばかりの響きを持って、フォックスは班目を糾弾した。その言葉が班目の琴線に触れたのであろう。奴は大量のシャドウを召喚しつつ、自身の“本来の姿”を顕現させる。黒い汚泥の中から這いずり上がってきたのは、班目の顔を模した4枚の絵画だ。

 

 

「ハハハハハハハ! 塗り潰してやるぞォォォォ!」

 

 

 奴の絵画は右目、左目、鼻、口が1枚の額縁に収まっており、それらは自立した意志を有しているらしい。それぞれの絵画の前に魔力が収束する。

 絵画によって特異な属性魔法攻撃が違うらしい。奴が仕掛ける前に止めなければと駆け出すが、大量に沸いた警備員に邪魔されてしまう。

 

 

「――切り裂け、トリスメギストス!」

 

「――行くわよ、アルテミス!」

 

「――行けッ、ドゥルガー!」

 

 

 万事休すかと思ったときだった。ガラスが割れるような音が響き、凄まじい力の放出を感じ取る。敵全体に刃の嵐が発生し、それに合わせるようにして冷気と雷が爆ぜた。

 放たれた攻撃は、絵画と化した班目ごと警備員を巻き込む。吹っ飛ばされた班目の図画は地面に叩き付けられ、警備員たちの大半が攻撃の餌食となって消滅した。

 ――まさか。攻撃が飛んできた方向に視線を向けると、そこには、班目に訴えられそうになっている大人たち――順平さん、舞耶さん、黛さんの姿があった。

 

 

「間に合った! 大丈夫か、祐介!?」

 

「順平さん……!? どうして……」

 

「至のヤツに頼まれたのさ! 『あの子たちを助けてやってほしい』ってね!」

 

 

 フォックスの問いに答えたのは黛さんだった。彼女は不敵に微笑みながら、自分のスマホを指示す。そこには『イセカイナビ アザセル限定版』と書かれたアプリが映し出されていた。

 

 3人はここに来る前に至さんと会い、話をしていたという。彼と別れた後で、自分のスマホにこのアプリが入っていたことに気づいたようだ。ペルソナ使いとしての勘を働かせた人は、迷うことなくナビを起動させた。結果、パレスに転移し、大量の警備員と攻撃動作に入った班目の絵画を発見したという。

 次の瞬間、呻き声が響いた。見ると、絵画と化した班目の顔が溶け、底へと消えていく。間髪入れず這い出してきたのは、黄金の着物に身を包んだバカ殿だ。どうやらあの絵を倒すと班目のシャドウが這い出てくるらしい。奴を直接叩くためには、あの絵をすべて倒す必要があった訳か。

 

 僕たちは躊躇うことなく奴を取り囲んだ。

 班目は呻きながらこちらを睨みつける。

 

 

「くそっ……ワシは『あの』班目だぞ……。個展を開けば満員御礼の、班目だぞ!」

 

「だから何?」

 

「貴様らのような『無価値な奴ら』が逆らっていい存在ではないのだッ!!」

 

「まだ言うか! ジョーカー、容赦する必要なんかない。存分にやるぞ!」

 

 

 尚も言い募ろうとする班目を無視し、モナがジョーカーに進言する。ジョーカーは迷うこと無く頷いた。

 号令に従い、僕たち全員で班目に攻撃を仕掛ける。攻撃を叩きこまれた班目は吹っ飛び、地面に叩き付けられた。

 班目はよろよろと立ち上がり、警備員と女性秘書の群れを召喚した。それを見た舞耶さん、黛さん、順平さんが飛び出す。

 

 

「こいつらは任せろ!」

 

「ジョーカーたちは、班目を!」

 

「あんたたち! この腐ったバカ殿に、目に物見せてやりな!」

 

 

 そう言うなり、順平さんは両手剣をフルスイング。バッター宜しく振るわれたそれは、容赦なく警備員を吹っ飛ばした。文字通りのホームランである。

 舞耶さんは二丁拳銃で女性秘書を狙撃し、黛さんは投具を投げつける。射撃と投擲はシャドウを穿った。断末魔の悲鳴を残してシャドウたちが消えていく。

 

 雑魚の群れは先輩たちに任せ、僕たちは班目の本体に攻撃を仕掛けた。ペルソナを召喚して攻撃したり、自分の持つ得物で近接/遠距離攻撃を仕掛け、班目を追いつめる。

 

 勿論、班目もやられっぱなしではないようだ。奴はエネルギーを炸裂させる。威力は大したこと無いものの、全体攻撃持ちのシャドウは厄介だ。

 ジョーカーがモナに指示を出す。モナはゾロを顕現し、治療術を施した。全体の傷を癒せるモルガナがいてくれて本当に助かった。

 

 

「フン。小賢しいガキどもめ……!」

 

 

 班目の本体が黒い汚泥の中に消え去る。再び、4枚の絵が出現した。数の暴力宜しく、絵画どもは属性攻撃を発動する。それらを躱し、僕たちも反撃した。相手の戦術を丸々奪い、パーツごとの弱点を突く。

 キャプテンキッドの雷、カルメンの炎、ゾロの風、ゴエモンの冷気が、アルセーヌの闇が、ロビンフッドの光が炸裂した。複数枚の絵画が地面に落ちたが、残っていた絵画たちが他の絵画を修復していく。モナ曰く「同時に倒さないと復活する」らしい。本当に厄介だ。

 戦術はそのままに、絵画へ属性攻撃を叩きこんでいく。僕らの方も何度も弱点を突かれて倒れそうになったが、打ち合いに勝利したのは僕たちの方だった。すべての絵画が地面に落ちて、再び班目の本体が姿を現す。奴の制止を無視し、僕たちは奴に総攻撃を喰らわせた。

 

 

「貴様ら、やめろ……! さもないと――」

 

「――貴方の弟子たちも、『やめてくれ』って言ったはずだ」

 

「!?」

 

「でも、貴方は止めなかったよね? 弟子たちの悲鳴を無視して、完膚なきまでに叩き潰した。……それと同じだよ」

 

 

 呻きながらこちらを睨む班目に対し、ジョーカーは冷ややかに言い放った。班目は舌打ちしてジョーカーに襲い掛かろうとしたが、奴の攻撃はジョーカーに届くことはない。

 フォックスが繰り出した目にも止まらぬ居合切りによって、班目のシャドウはついに崩れ落ちた。戦う意志も力も失くした殿様は、黄金の着物が汚れることも構わず後退りする。

 

 順平さん、舞耶さん、黛さんもシャドウを倒し終えたらしい。こちらに合流し、全員で班目を睨みつけた。

 

 そんな中、フォックスがゆらゆらとした足取りで班目に歩み寄っていく。彼の双瞼はどこまでも冷徹で鋭い。班目は『サユリ』を抱えて悲鳴を上げた。

 「芸術に求められるのはブランド」だの「のし上がるには金が要る」だのと無様に叫ぶ班目の言葉など歯牙にもかけず、フォックスは奴の眼前に立った。

 「金のない画家は惨めだ。もう戻りたくなかっただけ」――班目はそう締めくくり、怯えた様子でフォックスを見上げる。フォックスは奴の襟首を掴んで一言、

 

 

「外道が芸術の世界を語るなっ!」

 

 

 物静かな祐介からは想像できないくらい激高した口調。順平さんはびくりと肩をすくめ、黛と舞耶さんが納得したように頷く。班目は呆気にとられた様子でフォックスを見上げた。

 

 班目に終わりを宣言したフォックスは、奴から『サユリ』をひったくる。

 それを大事そうに脇に抱えた後、フォックスは班目を睨みつけた。

 

 

「ひいいっ、助けてくれ! 命だけは、命だけはぁぁ!!」

 

「現実の自分に還って、これまでの罪を告白しろ! すべてだ! ――約束しろ!!」

 

 

 フォックスの言葉を聞いた班目は目を丸くした。「殺されるのかと思った」と班目が零す。そうして、班目はきょろきょろと周囲を見回した。奴の目には明確な怯えの色が滲んでいる。例えるならそれは――“死への恐怖”。

 俺が獅童正義を追いかけるきっかけとなった事件が頭をよぎった。獅童の『駒』――獅童智明がメメントスで議員のシャドウを手にかけた光景が、一際鮮烈にちらつく。あのときの被害者も、こんな顔をして命乞いをしていた。

 

 班目が言っている/探しているのは、獅童の『駒』なのだろうか。僕がそれを問いかけようとしたとき、班目が口を開く。

 

 

「あ、あやつは、来ないのか……? あの、〇〇高校の制服を着た……」

 

「それって、まさか……!」

 

 

 〇〇高校――そこは、俺が通う超有名進学校だ。そんな格好でパレスを歩き回れそうな人間は、獅童の『駒』として動き回っているヒットマン――獅童智明だけである。

 僕とその現場に居合わせたジョーカー、予め僕から『廃人化』専門の殺人者の話を聞いていたモナ、スカル、パンサー、フォックスらが鬼気迫った顔で僕に視線を寄越した。

 順平さん、黛さん、舞耶さんもぎょっとした顔で僕を見る。――次の瞬間、俺は思わず班目の胸倉を掴んでいた。はやる気持ちを抑えきれず、噛みつくようにして問う。

 

 

「そいつの顔は見たのか!? 名前は!? 何故お前のパレスに来た!? 奴がここに来る心当たりは!?」

 

 

 矢継ぎ早に俺が問いかけるが、班目は怯えるように呻くだけだった。

 

 班目は何故、殺しの専門家――獅童智明のことを知っているのだろう。

 確かに、以前入手した情報で、「班目には“獅童との繋がりがある”」という噂が流れていた。

 

 ……まさか、噂ではなく、本当に、こいつには獅童との繋がりが?

 

 

「班目、答えろ! お前は、アイツと――」

 

 

 俺がたどり着いた仮説をぶつけようとしたとき、パレス全体に地鳴りが響き渡る。班目の『オタカラ』を盗み出したことが原因で、パレスが形を保っていられなくなったのだろう。

 脱出すべきとは頭で理解している。だが、班目のシャドウはまだ彼の中に還っていない。もし班目が獅童と繋がっていれば、奴は利用価値を失った班目を手にかけようとするはず。

 この場に智明がいたならば、確実に班目のシャドウを殺して現実の班目を『廃人化』させるだろう。そんなことをされたら、獅童への手がかりが――祐介の願いが!!

 

 

「吾郎クン! ここには()()()()()()()()()()()使()()()()()()わ!」

 

 

 足を止める僕に声をかけたのは舞耶さんだった。黛さんも頷く。

 

 この2人にはペルソナの共鳴反応を察知する力があり、付近にいるペルソナ使いの強さまで判別できるのだ。フィレモン全盛期に力を与えられたペルソナ使いたちの特権らしい。

 巌戸台世代以後、『ワイルド』使いを含んだペルソナ使いでは共鳴反応を駆使することができなくなった。それ故、敵の能力をアナライズできるペルソナ使いは希少である。

 代わりに、アナライズ特化型のペルソナ使いが誕生していた。具体例は、巌戸台や八十稲羽におけるナビゲーター――山岸風花さんのユノや久慈川りせさんのコウゼオンだ。

 

 

「モナ、私たち以外にパレスに入った人物の反応は!?」

 

「ワガハイが察知できる範囲に存在してないぞ! 仮にいたとしても、こんな状況じゃ脱出するので手一杯なはずだ!」

 

 

 ジョーカーの問いにモナが答える。現時点では、アナライズ能力を有しているペルソナはモナのゾロだけだった。アナライズ特化型のペルソナ使いに比べれば範囲は狭く精度も劣るが、それでも充分な分析能力を有している。

 暫定高位のアナライズ使いがそう分析しているならば充分信頼できた。僕は班目の襟元から手を離し、ジョーカーたちの元へと駆け出した。モナが車に変身し、怪盗団と大人たちがそれに乗り込む。

 

 

「……なあ、祐介。ワシ、これからどうしたら……」

 

「――有終の美くらい、自分の作品で飾ったらどうだ」

 

 

 フォックスも、足元へ縋りついてきた班目のシャドウを一瞥し、モナへと乗り込んだ。

 

 

「祐介! 祐介ェェェェェェェ!!」

 

 

 班目のシャドウは、最後の弟子であるフォックス――喜多川祐介の名前を呼んでいた。

 『オタカラ』を失った日本画の権威は、ただの情けない老人に成り下がったのだ。

 

 

***

 

 

 ――こうして、絢爛豪華な黄金の美術館は完全に崩壊した。

 

 僕たち怪盗団は『オタカラ』を奪い取り、現実世界へと帰還した。ナビが目的地――パレスの消去を無機質な声でアナウンスする。班目の宝は“本物の『サユリ』”で、それは本来の持ち主である祐介の両手に抱えられていた。

 順平さん、舞耶さん、黛さんらと一緒に渋谷の連絡通路に戻り、作戦はひと段落ついた。“『廃人化』専門のヒットマン/獅堂智明に関する情報が班目から齎される”という誤算はあったものの――「モルガナの分析曰く」という条件付きだが――、奴の介入があった様子はない。

 鴨志田の一件と併せて考えれば、『改心』は「上手くいった」と言えるだろう。後は班目が罪を認めて自白するのを待つだけだ。奴が自白するタイミングまでは感知できないという問題点はあるものの、個展終了頃に片が付きそうな気はする。

 

 

「『サユリ』は、祐介のお母さんの名前なの?」

 

「誰でもない女の名前だろう。『ミステリアス』にするための、班目の演出だろうさ」

 

「……まあ、本名だったら盗作だってバレるよなぁ」

 

 

 黎の問いに祐介は首を振った。順平さんも渋い顔をして頷く。

 

 母の愛、その結晶である絵画を見つめる祐介の眼差しはどこまでも優しい。14年の年月はかかったが、母親の想いは確かに祐介の元へと届いたのだ。

 嘗ては“尊敬する師の作品”として祐介を支えた『サユリ』は、“母からの贈り物”として祐介の原点で在り続ける。そうやって、彼を支え育んでゆくのであろう。

 

 ……羨ましくない、訳ではない。祐介の母親は、祐介のことを心から愛していた。祐介が生まれ落ちたことを誰よりも喜び、誰よりも祐介の未来が健やかであることを祈っていた。

 祐介にはその証がきちんと残されている。自画像という形で残されたそれは、今、彼の手の中にあった。祐介はこれからもこの絵に――母の愛に支えられて生きてゆくのだろう。

 僕とは全く正反対だ。僕に残された母の遺品には、“僕が生まれてきたことによる悲劇”がありありと記されていた。僕に対する恨みつらみが残されていた。

 

 

(生きている間、母さんはそんな素振りを一度も見せなかった。俺に対して優しかったから、愛してもらえていると思ってた。……だから、余計に辛くて――)

 

「吾郎」

 

 

 当時のことを思い出していたとき、不意に声をかけられて現実へと戻される。

 声をかけてきたのは祐介だ。彼はじっと僕のことを見つめている。

 

 

「何だい、祐介?」

 

「以前、お前は俺に言ったな。『覚悟した方がいい』と。……お前は『サユリ』が班目の作品ではないと察したから、俺にそれを伝えられなかったんだろう? 俺の心の支えがなくなってしまうと危惧したから」

 

 

 ……流石、真贋を見抜く力を持つ男だ。僕は苦笑し頷く。

 

 

「そうだね。“『サユリ』も班目が弟子から奪った”とは推理してたけど、まさかこの絵が“祐介のお母さんが、他でもない祐介のために描いた絵”というのは想定外だったかな」

 

「吾郎……」

 

「……本当に良かった。俺の取り越し苦労だったみたいで。『推理が外れて嬉しい』って思った経験、初めてかもしれない」

 

 

 祐介が俺と同じように打ちひしがれなくて、良かった――その言葉を飲み込んで、俺は笑った。

 

 俺の顔を見た祐介が何を思ったのかは分からない。ただ、静かに笑って「ありがとう」と答えた。それ以上突っ込んでこなかったのは、俺の気持ちを汲んでくれたからか。そうだったら嬉しいのだが。

 班目のパレスでは、俺の琴線に引っかかるような出来事が沢山あった。祐介と班目および『サユリ』の関係性、活動し続けていると思しき『廃人化』専門のヒットマン――獅童智明に関する明確な情報。

 6月から司法修習生(予備)としての活動を再開する身だ。班目と獅童の関係を洗い出さなければなるまい。獅童の罪を終わらせるための小さな手がかりを、俺はようやく手にしたのだから。

 

 

「班目の個展が終わるまでは、あっちの脅しに怯える上司どもを宥めすかす日々が続きそうだね」

 

「でも、これで一件落着したって思えばいいのよ。ユッキー、レッツ・ポジティブシンキング!」

 

「……あーはいはい。マッキーは能天気ねぇ」

 

 

 黛さんと舞耶さんは軽口を叩きつつ、僕たちに別れの挨拶をして去っていった。喜多川祐介へのインタビュー記事が掲載される号が発売されるより、班目の個展が終わる方が早い。2人は去り際に「班目の『改心』が終わった頃に、改めて取材させてほしい」と祐介に頼み込んでいた。

 祐介はその話を聞いて少々困惑していた様子だったが、舞耶の「これからは後ろ盾なく、自分自身の実力で頑張っていく祐介クンのことを紹介したい。そして何より、キミを紹介してくれた淳くんとの約束だから」と頭を下げられて了承していた。橿原の顔を立てるという礼儀らしい。

 

 

「でも、『愛花繚乱』はどうなるんだろうな。祐介の作品として、きちんと評価して貰えればいいけど……」

 

「気にかけてくれてありがとうございます、順平さん。……また今度、チドリさんと一緒に、俺の絵のモデルになって頂けませんか? 結婚式の日取りが決まり次第、その日までにお2人の絵を描いて贈りたいんです」

 

「祐介、お前……! ――分かった、チドリにも話しとく!!」

 

 

 祐介から『結婚祝いに絵を贈りたい』と打診された順平さんは、嬉しそうに笑いながら去っていった。班目との一件であわや失われてしまうかと思っていた絆を、怪盗団は守ることができたのである。大きな一歩だと僕は感じた。

 特に、以前似たような経験をした竜司が嬉しそうに――誇らしげに笑っていた。鴨志田のせいで陸上部エースとしてのすべてを奪われ、弟分との絆を失いかけた竜司。嘗て玲司さんによって自分が助けられたように、竜司も祐介の手助けができたことが嬉しい様子だ。

 

 その後ろで、杏は黎に話しかけていた。チドリさんと順平さんの詳しい馴れ初めを聞き出している。

 

 敵同士でありながら心を通わせ、順平さんが死にかけた際に己の命を懸けて相手を救い上げたチドリさん。

 後に息を吹き返したチドリさんは記憶喪失になっていたけど、また順平さんと恋人同士になった――その話を聞いた杏が驚いたように目を丸くした。

 

 

「み、見た目によらず重い話……。でも、だからこそ、あの人は今の幸せを噛みしめてるんだよね。……きっと、2人は素敵な夫婦になれるよ」

 

 

 杏は思いを馳せるように、順平さんが消えて行った方角の人混みを見つめていた。

 

 

「なあ、これからどうするんだ? 俺たちはこれからも怪盗団を続けていくつもりだけど、祐介は怪盗団続けんのか?」

 

 

 祐介へ質問を口に出したのは、意外なことに竜司だった。

 普段は考えなしに突っ走るタイプなのに、今の彼はとても真剣な面持ちでいる。

 

 

「成功したかどうかは分からねーけど、班目は『改心』させちまったぞ? そしたら、お前が怪盗団で活動する理由、なくなるよな」

 

「リュージはユースケが止めた方がいいってのか!? ペルソナ使いとしての実力、類稀ない審美眼……ワガハイたち怪盗団には必用不可欠な才能を持ってるんだぞ!」

 

「でも、無理矢理やらせるのはおかしいだろ。……そんなことしたら、俺たちも班目のヤロウと同じになっちまう」

 

 

 モルガナが食いつくようにして問う。“ペルソナ使いで怪盗団を結成し、メメントスの奥地へ向かう”という条件で知識と戦力を提供しているモルガナにとって、竜司の発言は取引違反に思えたのだろう。だが、竜司は己の意見をはっきりと言い返した。

 腐った大人に未来を奪われ滅茶苦茶にされた竜司は、その経験があったからこそ、腐った大人が齎す理不尽を嫌っていた。そして、今回間近で見せつけられた班目の所業。だから竜司は主張する。「“祐介の意思を無視して、無理に怪盗団を続けさせる”という方針を取りたくない」と。

 己の今後を問われた祐介は少し考え込んだ後、僕たちに問いかけてきた。“怪盗団は何のために動いているのか”――黎は静かに微笑んで、祐介の問いに答えた。

 

 

「正しいことを正しいって言うために、間違いを間違いだと言って正すために、悪い奴の身勝手な理不尽に苦しむ人を助けるために――そんな人が1人でも減るように」

 

 

 鴨志田パレスを攻略したときと変わらない答えだ。黎はずっと、初志貫徹を忘れていない。

 

 

「……そうやって、苦しんでいる人たちを元気づけたいんだ。そうして、自分がどう生きるかを考えてもらえたら、誰かと一緒に生きていくにはどうすべきか考えてもらえたら、どうすれば世の中がもっと良くなるのかを考えてもらえたら――そんな風に、意識を変えるきっかけになれたらいい」

 

「意識を変える、か。そうすれば幸せになれるのか?」

 

「そこまでは保障できない。でも、意識することからでも始めてほしいと思う。“大衆の意識が超弩級の理不尽(世界滅亡)を回避した”って話もあるから、案外侮れないよ?」

 

 

 冗談っぽく語っているように見えるかもしれない。だが、黎の話は珠閒瑠市で実際に起きた戦いのことを話している。それを、祐介はどう受け止めたのだろうか。

 僕は祐介の表情を伺った。奴は真面目な顔を崩すことなく、“大衆の意識が超弩級の理不尽(世界滅亡)を回避した”という言葉を噛み砕いているようだ。

 愚直を超えるレベルの真っ直ぐさ、そうして真贋を見抜く眼力――それらを駆使した祐介は、納得したように頷いた。口元がゆるりと弧を描く。

 

 

「……なら、俺と同じだな。俺もまた、身勝手な理不尽に苦しんだ1人だ」

 

「祐介……」

 

「それに、パレスとやらの探索をすれば、着想の幅が広がるかもしれない」

 

「……祐介って、やっぱりどこまで行っても芸術家なんだ……」

 

 

 祐介の結論を聞いた杏は遠い目をした。彼の行動原理の大部分が芸術に帰結するあたり、芸術家は根っからの天職と言えるだろう。

 

 これで、喜多川祐介/フォックスは正式に怪盗団の一員となった。

 それに僕が納得していたときである。

 

 

「じゃあ、吾郎はどうするんだ?」

 

 

 竜司の眼差しは、真っ直ぐに俺を見つめていた。

 

 

「どうするって……怪盗団は続けるよ? なんでそんなこと訊くのさ」

 

「班目のパレスに、俺ら以外の奴らが出入りしてたって話あったろ? お前、前に言ってたじゃねーか。“吾郎と同じ学校の制服着た奴が、人を次々と『廃人化』させてる”って」

 

 

 竜司は心配そうに俺のことを見つめている。いいや、竜司だけじゃない。杏も、祐介も、モルガナも、黎も、俺のことを心から案じている様子だった。

 怪盗団の面々は、俺が『廃人化』専門のヒットマンを追いかけていることを知っていた。そのせいで一度殺されかけたことも知っている。

 そして、そいつは誰かの『駒』でしかないことも、そいつを操っている黒幕がいることも、俺が捕まえたい奴がその黒幕であることを知っている。

 

 ――そいつが獅童正義という国会議員で、黎の冤罪をでっちあげた犯人で、俺の実父であることは、まだ言っていない。言えるはずがなかった。

 

 ……何より、ペルソナ使いの戦いが『対人間』だけで終わるはずがないのだ。あくまでもこれは俺の経験則に基づくものだし、そうだという確証を得られたわけではない。

 黎以外の面々は、俺の予測を――突拍子もない話を受け止めてくれるだろうか? いいや、それ以前に、俺自身がその真実をきちんと直視して受け止められるだろうか。

 

 

(――『黒幕の獅童正義すらも()()()()()に過ぎず、奴の背後には()()()()()()()()()()()()()()』なんて、そんな話……)

 

 

 自分の推理が、酷く甘美なもののように思える。真実が、俺にとって“都合の良いもの”に置き換わってしまうような気がした。

 

 だって、獅童を操っている犯人がいて、その犯人がもし『神』ならば、『獅童正義が狂ったのは『神』が介入したから』という仮説が生じてしまう。おかげで、俺の中には『『神』が介入する前の獅童は、俺の知っている獅童と別人なのではないか?』という希望的観測が芽生え始めてきた。

 “俺を身籠った”という理由で母を捨てたのも、(そうとは知らずとはいえど)息子である俺の恋人に狼藉を働こうとしたことも、気まぐれで黎に冤罪を着せたのも、すべては『『神』が介入して、獅童の精神を捻じ曲げてしまったため』だったのではないかと思ってしまうのだ。

 

 “父が正気に戻れば、俺を認めて愛してくれるのではないか”――なんて、馬鹿な話を夢想する。夢想してしまう。

 向かい合うべき真実が、深い霧に覆われて見通せない。都合が良く甘い真実(どく)に沈みそうになる。

 以前八十稲羽で真実さんたちの戦いを見ていたはずなのに。偽りを吹き払う方法を知っているはずなのに。

 

 

「なあゴロー。オマエは一体、誰を追いかけてるんだ? オマエが『改心』させたい相手は誰なんだ?」

 

「モルガナ……」

 

「……そろそろ、ワガハイたちにも話してくれてもいいんじゃねーの?」

 

 

 モルガナの眼差しが、痛い。

 怪盗団の面々の眼差しが、痛い。

 

 

「吾郎……」

 

 

 ――黎の眼差しを、直視できない。

 

 不甲斐ない、と思う。大事な人に沢山心配かけて、迷惑かけて、傷つけて、不安にさせることしかできない俺自身が嫌になる。背負った重石に耐え切れず、ふらふらとよろめく自分が嫌になる。

 ……寄りかかっても、いいのだろうか。助けを求めて、いいのだろうか。こんなに弱くても、みっともなくても、不甲斐なくても、血筋が害悪以外の何物でもなくとも、怪盗団と――黎と一緒にいても、許されるのだろうか。

 

 

「……現時点では、言えない。でも、今よりもっと証拠が集まれば、あと少しで確証が得られるんだ。だから――」

 

「確証を得たら、必ず話してくれるんだね?」

 

 

 黎の問いに、俺は頷く。……嘘は言っていないけれど、本当のことを言っている訳でもない。

 俺は“犯人が獅童であると知っている”が、“獅童の後ろに『神』の影がある”という確証はなかった。

 でも、6月になって検察庁や獅童の関係者と接触できるようになれば、証拠を集めることができるはずだ。

 

 それらを繋ぎ合わせて、俺自身が“都合のいい真実”に囚われない強さを取り戻せたら――獅童正義が本当はどんな人間だったのかを“正しく”見極めることができたら。その姿を、きちんと受け止めることができるようになったら。

 

 ……きっと、真実を告げる覚悟ができると思ったのだ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「約束する。…………ごめん」

 

「いいよ? 待ってるから」

 

 

 俺のことを気遣ってくれる黎の優しさに、どうしようもなく泣きたい心地になった。……多分、このときの俺は、上手く笑えてなかったと思う。

 

 

◇◇◇

 

 

 班目が改心するまで、僕たちは普通の学生生活を送ることと相成った。僕たちが普通通りに過ごしているつもりでも、世間の動きや僕たちを取り巻く周囲はどんどん変わっていく。その代表例は班目だった。

 パレスを失った班目の態度は徐々に変わっているらしい。班目の元に残った祐介がチャットにメッセージを入れては、『これは『改心』が進んでいるのか?』と問いかけてきた。鴨志田の例と照合し、分析しては首を傾げる日々が続いた。

 

 他にも変化はある。特に、黎の周辺は怒涛という言葉が似合っていた。

 

 冴さんの妹である新島さんが活発に動いているらしい。彼女は黎たちに目を付けたようで、待ち伏せされては何度か声をかけられたようだ。かくいう僕も、駅で待ち伏せされて話しかけられたことがある。冴さんがしていた新島さんの自慢話で応戦したら、明らかに上機嫌で帰宅していった。

 治療薬を融通してくれる女医の治験に協力していた黎は、ひょんなことから“女医が嫌がらせを受けている”現場に遭遇したという。どうやら、女医の元上司である医局長が手を回しているようだ。協力関係云々を抜きにして、黎は女医のことを心配している様子だった。

 竜司の事件後潰れてしまった陸上部が再建されるという話が出ており、その関係で竜司と元・陸上部員の関係性に折り合いがつきつつあるようだ。杏の周りも変化が起きているようで、モデルたちとの関係や仕事に関する意識も変わってきているらしい。

 

 ……その中でも一番衝撃的だったのは、彼女の担任教師が家事代行サービスで働いていたことだろう。

 

 

『吾郎! メイドルッキングパーティやろうぜ!』

 

『メイドさんが家事を代行してくれるんだ! 吾郎先輩も興味あるよね?』

 

『要らない。家事は至さんに任せればすべてが間に合う。黎がメイド服着るならアリだけど、そうじゃないでしょ?』

 

『『そんなこと言わずに!!』』

 

 

 竜司と三島に『緊急の用事だ』呼び出されて出向いてみればそんなことを言われたので、僕はにべもなく切り捨てて帰ろうとしたのだ。だが、奴らに引っ張られている現場に黎がやって来てしまったのである。

 『やましいことがないなら私も連れて行けるはずだ。同行する』と黎に押し切られ、僕らは4人で家事代行サービス『ヴィクトリア』に電話したのである。全員制服から私服に着替え、僕はがっちり変装して、だ。

 黒い帽子を被った上から赤いパーカーのフードを被り、ダメージジーンズを履いた僕を『明智吾郎』と認識できるのは黎と空本兄弟くらいだ。僕の格好を見た三島と竜司が呆気にとられたあたり、この服装は使えるようだ。

 

 空き家に忍び込んで、件の会社に電話したまではよかったのだ。三島が『高校生が家事代行サービスを利用していいのか』という至極当然な疑問を口に出すまでは。この発言がきっかけで、メイドが到着してすぐ、竜司と三島が状態異常:恐怖を発症して戦線離脱したのである。

 

 人を呼んでおいて逃走するのはどうかと思った僕たちは、そのままメイドさんへ対応をした。そうしたら、メイドと黎が顔を見合わせて凍り付いたのである。――なんと、メイドは黎の担任教師――川上先生だった。昼間は教師として働き、夜は家事代行サービスで働くというダブルワークだったのだ。

 鴨志田の一件によって、黎の学校では“教師の裏の顔”を探そうと躍起になる教師が動き回っているらしい。それを誤魔化してくれたら手を貸す、と、川上先生は取引を持ち掛けてきた。黎はその申し出を受け、翌日、追及されている川上先生に助け舟を出したそうだ。結果、夜の電話番号とアドレスを入手したらしい。

 

 

黎:早速代行サービスを頼んでみた。先生にも色々事情があるみたいだ。

 

 

 ――とのことらしい。家事代行サービスを頼みながらも、黎は川上先生に殆ど仕事を言いつけないので、実質的には『川上先生をサボらせる』形となっているようだ。

 

 僕の方も、6月に入ってから冴さんの司法修習生(予備)としての活動を再開した。同時に、メディアへの復帰も目途が立っている。6月10日に収録が行われる番組で、獅童派議員のコネで勝ち得た出演権。これで、“探偵王子の弟子・明智吾郎”は獅童に接近することができた。

 末端議員に連れられた僕は獅童の執務室に通された。獅童正義は智明と談笑しながら昼食を取っていたようで、それを邪魔するように現れた僕をあまり快く思っていない様子だった。普段は遠目からすれ違うだけなので、奴と顔を合わせるのは初めてである。

 自分の心に冷や水を浴びせられたような心地になったのは何故だろう。そうと名乗ってはいないが、一応実父と息子の再会だ。感動的ではなくとも感傷に響くかと思ったが、奴にとって僕はあくまでも“利用価値がありそうな『駒』の”1つでしかないらしい。

 

 冷ややかな眼差しを向けた獅童であるが、奴は僕の肩書――探偵王子の弟子にして再来と謳われる高校生探偵は、使えると認識したようだ。

 同時に、僕が智明と同年代であることにも利用価値を見出したらしい。奴は“人当たりがよく、国の未来を憂う情熱的な議員”の顔をして打診してきた。

 

 

『ここ最近、怪盗団と名乗る輩が跋扈していることは知っているね?』

 

『若者の間では有名になってますね。怪盗団の支援サイトなるものもできているようですし』

 

『怪盗団は危険な存在だ。あんな輩に踊らされている若者の目を覚ますには、彼らと同年代であり、奴らを追いかけるような肩書を持つ者が必要なのだよ。――キミのように』

 

 

 それが、奴らの恩恵を受け取る対価。獅童正義の懐に飛び込むために、俺が支払わなければならないものだった。奴はそう知らずとも、俺に『仲間を陥れる『烏』になれ』と言っている。

 

 父に必要とされながら、父を裏切っている――胸の底を突き刺すような痛みに、眩暈しそうになった。甘さと苦さがじわじわと俺を侵していくようだ。“もし獅童の味方になれば、父から愛してもらえるのではないか”――なんて、馬鹿なことを考えてしまう。あり得ない、と、俺は必死に俺自身に言いきかせた。

 俺は神取の言葉を思い返す。『キミは何のために生きるのか』と問われたとき、俺は何と答えたか。『大切な人の傍にいるのに相応しい人間になりたい』と答えた。『黎の隣にいても許されるような人間になりたい』と答えたのだ。俺が俺であるための、大切な原点。……忘れられるはずがない。

 

 だから、一時の迷いでその権利を失うのだけは憚られた。

 獅童に与して黎を捨てるなんてできるはずがない。

 大事なものが何か、俺はきちんと分かってる。

 

 

『任せてください、先生』

 

『ありがとう。キミのような若者が私の味方についてくれるというのは心強い。そのついでだが、智明のサポートに回ってもらえないだろうか?』

 

 

 『キミは智明と同年代だから』と獅童は笑った。智明は『父さんは過保護なんだから』なんて苦笑する。――どうやら、奴の懐に潜り込むためには“獅童智明の味方”として振る舞う必要もあるようだ。精神の大部分が摩耗しそうだが、負けるつもりはない。

 今回の収録では、僕以外のゲストに獅童智明、オーディエンス役として秀尽学園高校の2年生一同が訪れるそうだ。……獅童と秀尽学園高校の校長が繋がっていたことを考えると、明らかな作為を感じる。

 相変わらず智明の顔は()()()()()()。しかし、奴は相変らず穏やかに笑っている。獅童の愛や優しさを一身に受けて育ったと言わんばかりの健やかな笑みに、心を穿たれたような心地になった。生まれが違うだけで、獅童に望まれていただけで、俺と智明はこんなにも違う。

 

 

『よろしくね、吾郎くん』

 

『こちらこそよろしくお願いします、獅童さん』

 

『あはは。そんなに畏まらなくても大丈夫だよ。普通に話してほしいなあ』

 

 

 智明本人には一切その気はないのだろうが、僕から見ると、自分が如何に幸せなのかを見せつけてくるように感じる。おかげでますます惨めな気持ちになった。

 

 勿論、それを表に出すような真似はしない。元々武器にするつもりでこの二面性を磨いてきたのだ。鉄壁の微笑と呼ばれるまでに鍛え上げた猫かぶりはきちんと仕事をしてくれた。獅童親子は何も気づいていないだろう。

 すべてを白日の下に晒し、有栖川黎の汚名を雪ぐその瞬間(とき)まで――怪盗として獅童を『改心』させるその瞬間(とき)まで、精々俺のことを『何も知らない馬鹿な高校生探偵』と思っていればいいのだ。そのときが来たら、存分に嘲笑ってやる。

 

 大衆操作の方向性を定めるため、獅童は徹頭徹尾怪盗団批判を貫くつもりらしい。それは智明も同じようで、『もし、怪盗団が父さんに悪影響を及ぼすようならば潰さなきゃいけない』と語っていた。『どうせ潰すなら、もっと有意義に潰さないとね』とも。

 奴らが怪盗団に敵意を抱いている理由は単純なことだった。“獅童と繋がりを持つ秀尽学園高校の校長が鴨志田の件で不祥事を起こし、いずれはしょっ引かれることになりそう”という事態を招いた原因を排除するためらしい。危険な芽は早いうちに潰すのだそうだ。

 自分にとって危険な要素を把握し、該当者を的確に潰す――班目の上位互換を地で行く才能に、俺はひっそりと舌を巻く。人を見る目があっても、見つけた才能ある人々を『自分の害悪になりそうだ』と認識すれば、対象者を潰すための力へ変貌するのは当然かもしれない。

 

 

『怪盗団は父を失脚させようとしているのかな。吾郎くんはどう思う?』

 

『……今のところ、怪盗団騒動の対象者は鴨志田という体育教師だけだ。この件だけで動くのは早計ではないかと感じる。けど……』

 

『けど?』

 

『“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()かな。……違う?』

 

『――うん、素晴らしい。詳しい事情(こと)は何も話していないのに、そこまで見抜くなんて……父さんがキミを見出した目に狂いはなかったね』

 

 

 俺の推察は智明のお気に召したようだ。

 『これから僕とキミは相棒だ』と微笑む智明に、俺もまた微笑み返した。

 

 ……正直、この時点で、俺は班目を『改心』させたことに一抹の不安を抱いた。

 

 もし班目が獅童側の協力者だった場合、班目の『改心』を目の当たりにした獅童から怪盗団/俺たちは確実に目を付けられるだろう。コードネームで呼び合ってはいるが、獅童の権力を使えば誰が誰かを判別することなど容易だ。それに、パレスやメメントスを自在に出入りできるキラーマシン・智明だっている。

 奴らを失脚させ、物理的な証拠を掻っ攫えれば万々歳だとは思った。だが、得られた情報は胸糞悪くなるものばかりだ。暫くはストレスとの戦いになりそうである。怪盗団が次の得物として誰を定めるかによって、俺も今後を考えなければなるまい。単なる偶然か、『神』の作為か――曇りなき眼で、見定めなくては。

 

 そんな決意を抱きながら、僕は獅童の事務所を後にした。駅のベンチスペースに腰かけた僕は早速怪盗団関係のSNSを起動し、仲間たちに報告する。

 

 

吾郎:今、『廃人化』を引き起こしていた黒幕と会って来た。やっと奴の懐に入り込める算段が付いたよ。

 

竜司:いきなり爆弾を落とすな!

 

黎:モルガナが「やっぱり無茶しやがった!」って頭を抱えて天を仰いでる。

 

杏:南条さんみたいな人たちが束になっても勝てなかった相手なんだよ!? 単身乗り込むなんて……。

 

祐介:探偵に怪盗だけでなく、終いには密偵の草鞋まで履くのか。お前は忙しい奴だな、吾郎。

 

杏:そりゃあ、吾郎の猫かぶりは鉄壁だし素晴らしいと思う。怪盗団の演技派男優ぶっちぎりだし。

 

吾郎:ありがとう、『烏』にとっては最高の褒め言葉だ。

 

祐介:確か、『烏』は神話や伝承から、斥候・走駆・密偵・偵察の役目を持つ位置付けであるとされていたな。

 

竜司:でも、流石にここまでコードネームに忠実じゃなくてもいいと思うぞ。

 

吾郎:僕はこのまま奴に張り付くつもりだ。物理的な証拠を握れれば御の字だろうけど、おそらくその可能性は低いだろう。奴は悪事のデパートだが、証拠隠滅のプロだから。

 

黎:そんな危険な相手の元に、単身で乗り込む……。

 

竜司:なあ、黎。吾郎に何か言ってやれよ。でないとコイツ、『死なば諸共』とかやりそうで怖いんだよ! あ、チャットじゃなくて現実の方で頼む。

 

黎:分かった。吾郎、このチャット終わったら時間ある?

 

吾郎:丁度、黎の顔が見たいって思ってたんだ。このままルブランに寄ろうと思ってた。行ってもいい?

 

黎:OK。待ってるね。

 

祐介:結局チャットでやったな。

 

杏:これだけでも胸焼けするようになっちゃった……。辛い。

 

 

吾郎:それと、黒幕は鴨志田の一件で怪盗団のことをイエローカード扱いしてたみたいだ。班目が黒幕と関わっていたとしたら、班目が『改心』した暁には、要注意人物としてイエローカード2枚目が出るだろうね。

 

竜司:マジか……。あと1枚でレッドカードじゃん。

 

杏:怪盗団の今後って話題になったら、慎重にならなきゃダメかも……。

 

吾郎:いや、むしろ逆に攻めてくれた方が助かる。

 

祐介:なぜだ? お前は理由なく罠に飛び込むようなタイプではないだろう。

 

吾郎:確証が得られるかもしれない。そうすれば、黒幕についてみんなに話せる。

 

竜司:本当だな!? 本当に話してくれるんだな!?

 

黎:「ゴローがすべてを話してくれるのが先か、黒幕諸共消し飛ぶのが先か」ってモルガナが。幾ら何でも不謹慎だ。

 

杏:アタシ、モルガナの意見に同意。だって吾郎、本当に『死なば諸共』やりそうで怖いもの。

 

吾郎:お前等は俺を何だと思っているんだ。

 

黎:私も吾郎のことが心配だ。でも、吾郎のこと信じてる。

 

吾郎:黎……ありがとう。

 

 

黎:吾郎、黒幕と接触した後はどうするの?

 

吾郎:これから暫くスパイ活動かな。奴のシンパとしてメディアに露出する機会が増えるかもしれない。あと、黒幕から『テレビ番組で怪盗団を批判しろ』って命じられた。

 

竜司:はぁ!? 黒幕のヤツら、俺たちのことが気に喰わないだけだろ!

 

祐介:自分の活動を自分で否定する、か。辛くはないのか?

 

吾郎:正直気が重い。でも、折角手に入れたチャンスを無駄にするつもりはないよ。うまくいけば、『廃人化』に関する事件を止められるかもしれないから。

 

杏:やめるつもり、ないんだね。

 

吾郎:勿論だ。みんなには悪いけど、俺はこれから怪盗団を批判し続けるだろう。でも、これが俺の仕事で、黒幕の懐に潜り込むために必要なことだから。それだけは、みんなに知ってて欲しかったんだ。

 

 

 俺はメッセージを打つ手を止めた。雑踏のざわめきがやけに遠い。SNSは沈黙している。

 実際に経過した時間は秒単位のはずなのに、何年も放置されているような心地になった。

 

 程なくして、メッセージが映し出される。

 

 

竜司:分かった。お前がすっげー頑張ってくれてるんだ。俺たちだって負けないからな! いつか絶対、その黒幕を俺たちで『改心』させようぜ!

 

杏:アタシは黎の味方だけど、黎にとって一番大事な人である吾郎の味方でもあるからね。そのこと絶対に忘れないで。

 

祐介:安心しろ。お前が俺たちを裏切ったわけではないことくらい分かっているさ。仲間だと言うのに、それくらいの真贋、見抜けなくてどうする。

 

黎:「お前が追ってる巨悪や司法関係者とのコネを有しているのはゴローだけだ。怪盗団としても、ゴローを手放すつもりはない。それに何より、ゴローがいなくなったらレイが悲しむ。イタルさまに至ってはきっと発狂するだろう」ってモルガナが。口では色々言ってるけど、吾郎のことを追い出したりしないってさ。私だってそうだよ。

 

 

 自分の奥底から湧き上がって来た感覚に、俺は思わず口元を抑える。変な声が出そうになった。それをどうにか飲み下した後は目を覆う。衝動に任せて大きく息を吸って吐き出すと、掠れた吐息が雑踏に紛れて消えていった。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。俺の中にいる“何か”が歓喜の声を上げた。

 実の父親からは愛されなかったし、必要とされなかった。要らない子と言われて捨てられた。獅童を父に持つ俺が生まれたせいで、母も黎も不幸な目に合った。『居場所なんてどこにもない』と途方に暮れた痛みを一生忘れることはないだろう。

 けれど、()()()()()()()()()。黎がいて、怪盗団の仲間たちがいて、保護者たちがいて、尊敬できる大人たちがいる。()()()()()()()()()()()()()()――その事実が、すとんと俺の腑に落ちた。それ故に、今なら素直に大丈夫だと信じられた。

 

 暫し歓喜に震えた俺は、平静を取り戻してすぐに仲間たちへ礼を述べた。

 即座に「気にするな」「仲間なんだから当然」という返信が画面に映し出される。

 

 仲間たちへの礼でSNSのやり取りを締めた俺は、すぐに四軒茶屋へ向かった。電車を乗り継ぎ、行き慣れた道を通ればすぐにルブランが見えてきた。看板はクローズだが、店の灯りは消えていない。佐倉さんと黎が何かをしている姿が見える。僕は扉をノックする。佐倉さんが扉を開けてくれた。

 

 

「こんばんわ」

 

「吾郎」

 

「ああ、お前さんか。……黎から話は聞いてるぞ」

 

 

 佐倉さんはどうやら、黎にコーヒーの淹れ方を伝授していたらしい。「折角だ。お前さんの未来の伴侶にも飲ませてやれ」と茶化した。黎は頬を淡く染めた後、小さく頷いて準備を始める。それにつられるようにして、僕の頬も緩んだ。

 しかめっ面をしなくなり、どこか気さくな気配を漂わせる佐倉さんの様子からして、僕もルブランに馴染んできたのであろう。それが、どうしてだか凄く嬉しく感じた。僕はカウンター席に腰かける。程なくして、店内にコーヒーの香りが漂ってきた。

 黎が僕に淹れたてのコーヒーを差し出した。僕はそれを受け取り、啜る。纏わりつくような疲労を吹き払うような――けれどどこか、僕を労るような味だった。張りつめていた心が解けていく感覚に、僕はひっそり息を吐いた。

 

 佐倉さんは何も言わず、ひっそりと裏へ引っ込む。彼なりに気を使ってくれたのだろう。

 それでも万が一のことを考えて、詳しい話を出さないようにする。怪盗団としての決まりだ。

 

 

「吾郎、これから()()忙しくなるんだよね?」

 

「そうだね。今まで通りここに来るのも難しいかもしれない。……ごめんね、黎」

 

「謝らないで。むしろ、謝るのは私の方だ。吾郎に沢山迷惑かけてるから」

 

 

 黎は申し訳なさそうに苦笑する。僕は首を振った。

 

 

「そんなことないよ。……謝るのは僕の方だ。キミの冤罪を晴らすと約束しておいて、結局何もできないでいる。その分、()()()()()しなきゃ役に立てないし」

 

「違うよ、吾郎。私はいつだって吾郎に助けてもらってるし、支えてもらってるし、守ってもらってる。キミに頼ってばかりなんだ」

 

 

 だから無理しないでくれ、と、黎の眼差しは訴える。彼女の優しさは嬉しい。けど、それに報いれない自分の無力さが悔しい。

 僕はこれからも密偵を続けるつもりだし、必要経費の無茶を張り倒すだろう。だから、黎の祈るような眼差しを裏切ることになる。

 

 

(誰も彼もを裏切っている、か)

 

 

 俺がひっそりと自嘲したときだった。不意に、黎の手が俺の手に重ねられる。灰銀の瞳は、どこまでも優しく細められた。

 

 

「帰ってきてね。何があっても、どんなことがあっても、私たちのいる場所に帰ってきて」

 

「黎……」

 

「私、信じているから。信じて待っているから」

 

 

 ――ああ。

 

 胸の奥底から溢れだしてきたこの感情を、何と例えよう。俺の中にいる“何か”が、許容不可能な感情に溺れて悲鳴を上げる。『縋りつくものがなくて辛いのに、誰からも咎められること無く溺れることができることが嬉しい』と。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――その事実を改めて噛みしめていたとき、俺の視界が一気に歪んだ。何が起きたのかよく分からなくて、けれど、その理由を分析できる程冷静ではなくて、呆気にとられる。

 一歩遅れて、俺は自分が泣いていることに気づいた。あまりにも情けない姿を曝している。俺は慌てて涙を拭うが、全く止まる様子を見せない。こんな有様だというのに、黎は咎めることなく静かに見守っていてくれた。寄り添っていてくれた。

 

 




魔改造明智&怪盗団の班目パレス攻略終了。あとは班目の『改心』を待ちながら、高校生として精力的に活動中。密偵として本格始動した魔改造明智の精神状態は現状ガタガタですが、みんながいて引き上げてくれるので大丈夫でしょう。
女性ジョーカーで川上先生とコープ活動するにはどうしたらいいかなと考えた結果、あの流れとなりました。魔改造明智の変装という形でDLCネタも含まれています。いつか絶対、DLCの七姉妹学園高校制服ネタをぶち込みたいです。DLCと黎の通っていた学校が七姉妹学園高校という設定を活かしたい。
次回は班目パレス編完結会にするか、班目完結ついでに金城前日譚として金城パレス編に組み込むか悩みどころです。初期構想における班目パレス編は「祐介の暴走に振り回される魔改造明智」だったのですが、いつの間にかシリアスになってました。不思議だなあ(遠い目)


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Wiping All Out
次から次へと大問題


【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 @空本(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄で明智の保護者その1。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
 @獅童(しどう) 智明(ともあき)⇒獅童の息子であり明智の異母兄弟だが、何かおかしい。獅童の懐刀的存在で『廃人化』専門のヒットマンと推測される。詳しくは中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『運命を切り開くだけの簡単なお仕事』および『ペルソナ3異聞録-.future-』、Pixivの『2周目明智吾郎の災難』および『【一発ネタ】有栖川黎の幼馴染』の設定を下地にし、別方向へ発展させた作品である。
・ジョーカーのみ先天性TS。
 ジョーカー(TS):有栖川(ありすがわ) (れい)⇒御影町にある旧家の跡取り娘。旧家制度は形骸化しているが、地元の名士として有名。身長163cm。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空本(そらもと) (わたる)⇒明智の保護者2で、南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。
・「2罰ボスの外見を見た人間の反応」に関するねつ造設定がある。
・ブロマンスを連想させるような話題や表現が出てくるが、登場人物にその気はない。あくまでもネタである(重要)
・ブロマンスを連想させるような話題や表現が出てくるが、登場人物にその気はない。あくまでもネタである(重要)
・冴に対して失礼な発言がある。
・フィレモンがそこはかとなくゲスい。


 さて、平穏(?)な日々が過ぎて、ようやく班目の『改心』が発生した。個展の最終日、班目がメディアの前で盗作行為を自白したのである。街頭モニターに映し出された班目の自白は、多くの人々の目に留まった。勿論、メディア関係者だけでなく司法関係者も動き始めたようだった。

 司法関係者が動いたのは獅童の差し金だろう。獅童は認知世界を使った『廃人化』による完全犯罪を、『駒』である智明に行わせていた。僕の予想通り、自分たちのしていることと全く逆のことをしている連中を危惧し始めたのだ。でなきゃ、渋谷の連絡通路にたむろしているだけで補導員と警察がやって来るはずがない。

 

 メディアでも班目の一件は取り上げられたし、獅童たちも怪盗団を本格的にマークし始めた。今回の社会見学は怪盗団への牽制および威嚇行為も兼ねているという。仲間たちには既に根回しが済んでいたので、今度は協力者に根回しする段階に入った。僕は三島のSNSにメッセージを送る。

 

 

吾郎:三島くん。秀尽学園高校の社会見学、テレビ局だったよね?

 

三島:そうですけど、何かあったんですか?

 

吾郎:俺、そのテレビのゲストに呼ばれてるんだ。怪盗団に関する話題に対して、コメントを求められてる。

 

三島:本当ですか!? やった、これで怪盗団が有名になるぞ!

 

吾郎:そんな三島くんに朗報だ。怪盗団は今、超弩級の巨悪を『改心』させるための計画を練っている。奴は手強いから、他の連中を『改心』させていく傍ら調査を行う長期的計画だ。その一環として、俺は密偵として巨悪の下に潜り込んでいる。表向きは奴らのシンパ、裏では怪盗団の一員としてだ。

 

三島:それってスパイ活動!?

 

吾郎:三島くん、そういう話は好きかい? 浪漫があるだろ。

 

三島:そりゃあ格好いいなとは思いますよ! でも吾郎先輩、それ流石に危険じゃありませんか!? バレたら確実に葬り去られそうですよ!? ってか、表向きが巨悪のシンパって、もしかしてテレビ出演ってのは……。

 

吾郎:ああ、奴らから直々の依頼だ。『コネと権力でお前を名探偵にしてやるから、その代わり怪盗団を批判しろ』ってな。せいぜい『何も知らない、調子に乗った高校生探偵』を演じてやるさ。そういう訳だから三島くん、キミには全力で俺をアンチしてほしい。怪盗団関係者と探偵がいがみ合っていれば、向うは不審に思わないだろう。頼めるか?

 

三島:巨悪を『改心』させるため……正義のために、怪盗団の仲間を傷つける……。黎の一番大切な人を……。

 

吾郎:ぬか喜びさせたくなくて黎にはまだ言っていないけど、件の巨悪は黎の冤罪事件と関わりがあるんだ。正義を貫くためってのもあるけど、何より俺は、彼女の冤罪を晴らしたい。

 

三島:“惚れた女のため”ってヤツですね。……分かりました。俺だって男です、協力しますよ!!

 

吾郎:ありがとう、三島くん。

 

 

 怪盗団関係者――三島への根回しも万全にして、僕は6月10日を迎えた。9日に黎たちとスタジオで顔を合わせることになるとは思わなかったが、言葉を交わした時間は数分にも満たない。智明がこの現場を――僕たちが怪盗団であることを見ていないというのは幸いだった。

 収録の打ち合わせと言っても、獅童の関係者から『論理的に怪盗団を批判せよ』という指示が出るだけである。それさえ貫けばどんな発言をしてもいいらしい。僕は鉄壁の微笑を浮かべながら頷いた。智明は最初からそのつもりのようだから、涼しい笑みを浮かべて頷くのみだ。

 

 さて、収録スタート。獅童たちから依頼された通り、僕は怪盗団を痛烈に批判する。事前の根回しが利いたのか、オーディエンスの中にいる怪盗団関係者の表情には変化がない。むしろ、ちらっとでも視線を向けると、みんな揃って『頑張れ』と言わんばかりに力強く笑い返してくれる。それが、僕にとってとても嬉しかった。

 

 収録はとんとん拍子で進み、インタビュアーが秀尽学園高校の生徒へと歩み寄った。何の因果か、回答者として指名されたのは有栖川黎/怪盗団のリーダーだ。

 インタビュアーの問いに対し、黎は『怪盗団は悪人しか狙わない』と返す。自信満々に言い切った彼女の双瞼はいつ見ても綺麗で、僕はひっそり目を細めた。

 

 

『実は、怪盗団を調べるつもりでいるんですよ。警察とも足並みをそろえて――』

 

 

 にこやかに内部情報を口走る智明だが、それはある種の牽制だ。

 

 奴らは既に“怪盗団の関係者が秀尽学園高校の生徒である”と察して、今回の社会見学を手回しした。案の定、怪盗団関係者たちの表情が一瞬曇る。

 怪盗団を批判するなら、発言内容は問われない――その約束を逆手にとって、僕はささやかな抵抗/援護を1つ。理論ではなく、感情論側からの否定だが。

 

 

『僕には大切な人がいます。僕が母を亡くして今の保護者に引き取られた際、新しい環境に馴染めずに途方に暮れていた時期があったのですが、その人に励まされたおかげで立ち直ることができました。その人は今、みなさんの通う秀尽学園高校にいます。残念ながらこの場には来ていないのですが……』

 

 

 真実と嘘を巧みに混ぜ込みながら、僕は言葉を紡ぐ。黎が目を丸くした。

 

 

『僕の恩人とも言えるその人は、鴨志田氏から振るわれる暴力に悩んでいました。何度も相談を受けていたのですが、部外者の僕ではどうすることもできなかった。……そんなときです。怪盗団が彼に予告状を出し、直後、鴨志田氏が罪を認めて警察に自首したのは』

 

 

 あくまでも、“自分の無力さに打ちひしがれる名探偵”の仮面を被りながら、言葉を続ける。

 

 

『人の心を無理矢理変えてしまう彼らのやり方に正義はありません。でも、僕の恩人を救ったのは、僕の正義ではなく、怪盗団の正義でした。……悔しいことに、僕が掲げた正義は余りにも無力だった。けど、僕の貫くべき正義は変わりません。犯罪を犯した者は法で裁かれるべきだ。今回の件を重く受け止めて、僕はこれからも探偵業を続けていく所存です』

 

 

 それが、僕なりの“怪盗団へのフォロー”だった。探偵とは相容れぬ正義であると主張しつつ、“名探偵・明智吾郎が、怪盗団を自らのライバルとみなしている”とも聞こえるだろう。獅童から指示された通りのスタンスを貫きつつ、関係者に分かるようメッセージを送る。

 僕の発言を聞いた女子生徒たちが『明智くんが怪盗団にライバル宣言した』と色めき立ったあたり、僕の意図通りになったようだ。MCも『怪盗団に対するライバル宣言?』と目を輝かせながら食いついてきたので、僕は真顔で頷き返す。途端に会場内がざわめいた。

 智明は少し意外そうな顔をして僕を見た。僕は熱を込めた眼差しを送ってみせる。“論理的にも感情的にも正義を貫く名探偵”の仮面はきちんと機能したようで、智明は納得したように頷いた。それ以外は特に問題もなく、番組収録は終わりを迎えた。

 

 予め『他人のフリをしろ』と根回ししておいたので、竜司も杏も黎も僕に話しかけることなく帰路に就こうとしている。

 竜司が一端この場を外し、次は杏が部屋を出た。黎はちらりと僕に視線を向ける。僕もアイコンタクトで返し、他人のフリを装った。

 

 

『それじゃあ、怪盗団を追いつめるための算段を立てようか』

 

 

 その後は智明と共に作戦会議に興じた。“怪盗団を追いかける正義の名探偵”――明智吾郎の売り出し文句はこのスタンスで進むらしい。やはり、怪盗団にライバル宣言をしたことが利いたのだろう。おかげで俺は怪盗団キラーの神輿として担がれることとなった。

 

 そうして現在――6月11日。僕たちは班目『改心』による戦勝会と祐介の歓迎会を行っていた。会場はルブランの屋根裏部屋である。

 佐倉さんは竜司、杏、祐介を連れ立って来た僕と黎を見ると、どこか嬉しそうに微笑みながら迎え入れてくれた。

 鍋の具材を奪いあったり、締めをご飯かうどんにするかで軽く揉めた黎と祐介を宥めたり、互いの身の上話をしたりして、楽しい時間が流れていく。

 

 

「ところで祐介。お前、学校の寮から出てきたんだろ? 行くアテはあんのか?」

 

「ない。先程杏に断られてしまってな」

 

 

 竜司の問いに対して、祐介は悪びれる様子もなければ何も考えていないと言わんばかりのドヤ顔で答えた。

 流石、“ファミレスに所持金なしで来店し、その上で注文までした”図々しい男である。芸術以外に無頓着だった悪影響が顕著に出ていた。

 

 

「普通に考えれば分かることだろ。いくら両親が年に半年しか自宅にいないとはいえど、自分の家に他人を――異性を住まわせるなんて」

 

「あと、佐倉さんにも『屋根裏部屋に置いてもらえないか』と頼んだんだが――」

 

 

 祐介がそう言い終える前に、俺は反射的に動いていた。奴の顔面を鷲掴みにしてそのままフリーズする。衝動に任せていたら、俺は奴の顔面をどこかに叩き付けていただろう。俺の理性は仕事を果たした。奴は若干声を引きつらせながら「残念ながら断られてしまった」と言葉を締めくくる。

 佐倉さんが常識人で良かった。もし佐倉さんが祐介の提案にOKを出していたら、空本の3羽烏でOHANASHIしなくてはならないと思っていたところだ。奴を黎を2人きりにするのは正直よろしくない。「屋根裏部屋がアトリエに似ているから親近感があって」云々と呟く祐介の顔から手を離した。

 嫌な予感を察知した竜司はブンブン首を振る。自分の家は母子家庭だから無理――完全に、モルガナの面倒を見るのを断ったときの言い訳と一致していた。竜司が、杏が、助けを求めるようにして俺を見つめてくる。祐介は相変らず「ここに滞在したかった」等とほざいていた。

 

 俺はちらりと黎に視線を向ける。黎は「行く場所がないなら屋根裏部屋に泊まりなよ。佐倉さんは何とか説得するから」と言わんばかりの眼差しを祐介へ向けていた。

 

 佐倉さんが断ってなければ、黎は躊躇いなく祐介を屋根裏部屋に滞在させていただろう。こんな奴に慈母神ばりの優しさと漢らしい度胸を発揮する必要は皆無だ。

 多分、俺が「ルブランに泊まりたい」と言っても、いい笑顔で了承してくれそうな気配が漂う。……もうちょっと恥じらってくれないだろうか、お願いだから。

 

 

「……しょうがない。祐介、お前、今晩はウチに来いよ」

 

 

 観念した俺は肩をすくめ、空本兄弟へのSNSを開いた。“寮を飛び出してきた友人(男)を泊めたいが、奴は金欠だし頼れる人間もいない。俺が何とかしないとルブランに泊まることになってしまう。黎とそいつを2人にしたくない”とメッセージを送る。間髪入れず双方から了承の返事が返って来た。それを見せれば、祐介がパアアと表情を輝かせる。

 

 

「本当か!? 感謝するぞ吾郎! 明日の朝食は焼き魚と味噌汁があれば充分だからな!」

 

「お前って本当に図々しいな!!」

 

 

◇◇◇

 

 

「吾郎は毎日、こんなに美味い朝食を食べているのか……!」

 

 

 祐介は目をキラキラさせながら、空本家の食卓を見つめていた。一粒一粒がつやつやした輝きを帯びた白ご飯、オクラとワカメを主体に使った味噌汁、塩味が効いた焼き鮭、ほんのり焼き目のついた出し巻き卵、キュウリとミョウガにおかかを振りかけたさっぱり系の和え物、自家製梅酢で作ったジュレ。

 本日の朝食は和食となっている。前日に「和食が食べたい」と主張した祐介のリクエストに至さんが答えたのだ。しかも、彼の凝り性は焼き魚と味噌汁では止まらなかったらしい。至さんは褒められて嬉しかったのだろう。でれでれした笑みを浮かべていた。

 

 そんな保護者を横目にして、俺は手早く朝食を食べ進めた。

 

 今日は全国統括公開模試が行われる日だ。東京中の高校3年生が集う大規模なもので、センター試験および大学入試問題に対応している。将来のために大学進学を視野に入れている俺にとっては、この模試を疎かにすることはできない。

 怪盗団や探偵および密偵として活動しつつ、奨学金制度を利用するための成績を保つというのはハードスケジュールなのだ。勿論、すべてを完璧にこなさなければ密偵なんて務まらない。外面良く振る舞うのは俺の得意分野である。閑話休題。

 今日の朝食も美味しい。自分の分を食べ終えた俺は、最後の締めに緑茶を啜った。「ごちそうさま。今日も美味しかった」と挨拶すれば、至さんはいい笑顔で「おう、お粗末さま」と返した。それに対して、祐介は図太くお代わりを要求する。

 

 

「祐介くんはよく食べるなあ。いっぱい食べる子は好きだぞー」

 

「俺ここに下宿したいです」

 

「ダメに決まってるだろ。それ食ったら寮へ帰れ、絶対帰れ」

 

 

 模試の試験場へ向かう準備――主に身支度や持ち込む参考書の確認――の傍ら、空本家に張り付く気満々の祐介をひっぺがす。

 

 奴の胃袋は掃除機並で、またお代わりを要求していた。人の家の飯だからか、タダで食べれる飯だからか、祐介には遠慮の素振りがない。言い方は悪いが、まるでヒモみたいだ。

 「金がないなら自力で金策に走れ」と言いたいものの、祐介の人柄を分析する限り、絵を描く以外の仕事は絶対に向いてない。給料を貰うより先にクビになりそうだった。

 

 

「んー、至ぅ……」

 

「おう、おはよう航。席に座って朝食食べちまえ」

 

 

 俺が慌ただしく出かける準備をしていたとき、航さんが部屋から這い出してきた。目元に酷い隈を刻みながら、ふらふらと朝食の席に現れる。昨日は帰ってすぐに寝込んだのだろう。よれよれの白衣とスラックスというくたびれた格好のまま至さんの腰に抱き付いた。

 至さんに促され、航さんは言われたとおりに席に着いた。航さんの視線は当てもなく彷徨っている。彼は俺に負けず劣らずハードスケジュールだったか。研究者という職業柄、数日間徹夜して計測するなんて当たり前らしい。自宅に帰ってきては泥のように眠る日々が続いていた。

 それでも航さんが健康診断や病理診断で引っかからないのは、至さんが作った料理を食べようとする意識が残っているためだろう。時間になると食べながら研究を続けるようだ。強行軍を組む航さんに対し、至さんはしょっちゅう昼食を作ったり、弁当を持たせたりして対応していた。まるで母親か妻のような尽くしっぷりだった。

 

 むしゃむしゃと朝食を貪り喰っていた祐介が動きを止める。

 奴は指で枠を作りながら、空本兄弟を枠内に収めて観察し始めた。

 

 嫌な予感を覚えたのは気のせいではない。案の定、祐介が目を輝かせながら叫びだした。

 

 

「なんだあの兄弟は!? あれは本当にただの兄弟愛なのか? 禁断の愛の間違いではないのか!? ――ハッ、そうか! 描けばいいのか!」

 

「俺の保護者で何を妄想してるんだオメーは」

 

「むぐぅ!? ――うむ、美味い! 絶品だ!!」

 

 

 熱の籠った祐介の分析を、俺は“奴の口に出し巻き卵を突っ込む”という方法で強制的にシャットダウンさせた。というか、聞いて堪るかそんな分析。聞いてたら模試の成績に影響するだけでなく、模試の受付時間内に間に合わない危険性が出てくる。

 

 自分たちが不埒な妄想から絵の題材にされているというのに、至さんは暢気に「新しい友達は個性的な子だなー」と笑うだけだ。確かに聖エルミン学園高校のペルソナ使いも個性的な面々が多かったけど、祐介のそれは彼らと比較してはいけないと思う。

 航さんに至っては半分夢の中である。至さんの介護を受けながら朝食を食べ進める様子は親鳥からエサを与えられる雛鳥みたいだ。甲斐甲斐しく献身的な至さんと、彼の行為すべてを受け入れるがままの航さんを見た祐介はまた何かを喚きだしたが、その度に俺が奴の口におかず類を突っ込んで黙らせた。

 

 正直、祐介の分析を至さんや航さんに一言たりとも聞かせたくないのだが、俺は統括模試を受けなければならない。

 せめてもの抵抗に、俺は「人の保護者で不埒な妄想をしたり、本人の許可なく題材にしてはいけない」と祐介に言い含めておいた。

 祐介はいい笑顔で白米をお代わりしていたので効果は皆無であろう。それでも俺は、模試の会場へと間に合うよう家を出なければならなかった。

 

 電車やバスを乗り継いで、俺は全国統括模試の試験会場に辿り着く。会場では、様々な学校の生徒たちが参考書と睨めっこを繰り広げていた。淡々とした表情の者、知り合いと談笑している者、頭を抱えて唸る者など様々である。

 

 

(智明は、会場には来てないようだな……)

 

 

 高校3年生が一同に会する模試会場でたった1人を探すのは、砂漠で砂金を探すようなものであろう。そんなことを考えていたとき、スマホに連絡が入った。鳴っていたのは、獅童智明から渡されたスマホである。奴らは僕個人のスマホに足が残るのを嫌い、仕事用のスマホを手渡してきた。

 獅童のことだ。変なアプリが仕込まれている危険性から風花さんに確認してもらったところ、『“現時点では”変なアプリは入ってない。密偵にとって脅威になりそうなのは位置確認アプリくらいか』とのことだ。僕は風花さんの言葉を思い返しつつスマホを確認する。

 

 

「『仕事があるから模試は受けられない』か。……流石、学生議員秘書見習い」

 

 

 僕は皮肉たっぷりに呟いた。同時に、“こんなところで暢気に模試を受けていてよいのか”という疑問と焦燥が浮かんでは消える。

 智明の言う『仕事』が()()()()()()()()()()ことは明らかだ。奴が『廃人化』を使って殺人を行っていることを僕は知っていた。

 僕が学生生活を送る今この瞬間にも、奴は『廃人化』を行い人を殺しているのだろう。だが、奴が僕にする話は“怪盗団を潰すための世論操作”だけである。

 

 ……それもそうか。相手は僕がペルソナ使いでパレスに侵入できるとは気づいていない。把握しているのは“パレスに怪盗団が侵入している”ことと、最悪の場合として“そいつらがどんな身なりの連中なのか”程度であろう。

 

 

(奴の深いところに潜り込むためには、“僕がペルソナ使いであることを示さなきゃならない”か……?)

 

 

 しかし、それはリスクが大きすぎる。怪盗団の衣装は変更不可能だ。クロウの王子様風衣装を智明に晒した場合、僕が怪盗団の一員だと気づきかねない。

 それが原因で怪盗団に矛先が向いてしまえば本末転倒。それを逆手に取る作戦がないわけではないが、リスクがあまりにも大きすぎる。

 

 ――……何より、俺自身がその重石に耐えられるかどうか。

 

 僕がそんなことを思案していたときだった。ふと顔を上げた先に、見知った顔を見つける。新島冴検事の妹で、怪盗団を追いかけている秀尽学園高校の生徒会長、新島さんだ。

 新島さんは浮かない顔をしていた。具体的に言うなら、断崖絶壁の先端から眼下の景色を見つめているような様子だ。放っておけば飛び降りてしまいそうな気配が漂う。

 『昔の吾郎も、そんな感じの表情を浮かべていた』――黎がそんな話をしていたことを思い出した僕は、迂闊だとは自覚しながらも、新島さんを放っておくことができなかった。

 

 

「新島さん、どうかしたのかい?」

 

「……珍しい。貴方の方から私に話しかけてくるなんて、どういった心境の変化かしら?」

 

「何やら思いつめた様子だったから心配になってね。僕の恩人が『昔のお前にそっくりだ』って例えた顔だなって思ったら、放っておけなくて」

 

 

 きっと、黎ならそんな顔をした相手を放っておかないはずだ。僕を救い上げてくれた大切な人の姿を思い浮かべる。……なんだか1人で照れくさくなってきた。

 

 

「それって有栖川さんのことでしょう?」

 

「あれ、分かる?」

 

「それ以外に誰がいるの?」

 

「いないし作る気は一切ない」

 

 

 新島さんの表情が、別方面で厳しい顔つきとなった。黎の話をする僕を見る冴さんと瓜二つの顔だった。

 つい「姉妹揃って反応が同じだ」と零せば、ほんの僅かだが、新島さんの表情が和らいだ。流石シスコンである。

 

 

「いいのかしら? 未来の伴侶がいる身で女性に声をかけるだなんて」

 

「キミを放置したままの方が黎に叱られる。『吾郎は自分と同じ苦しみを味わう人を見殺しにしたのか』って」

 

「見殺しって……私、死にはしないわよ?」

 

「死にそうな顔をしてただろ。そんなに思い悩むくらいなら、どこかで吐き出したらいいんじゃないか? 僕でよければ、聞き役くらいにはなれると思うけど」

 

 

 まさか僕からそんなことを言われるとは思わなかったのか、新島さんは目を丸くした。丁度そのタイミングで、僕のスマホのアラームが鳴り響く。そろそろ模試の開始時間だ。とりあえず僕は新島さんに「また後で」と一方的に約束し、模試を受けることにした。

 

 全教科と選択教科を含んで5科目以上のテストを受け、終わったのは夕日が差し込む時間帯である。どやどやと引き上げていく生徒たちの群れをかき分けながら、僕は新島さんの姿を探した。一方的な約束だから期待はしていなかったが、僕の予想に反して、新島さんは模試会場の入り口で僕を待ち構えていた。

 僕は“己がそれなりに有名人である”という自覚はあったので、会場のトイレで手早く変装した。鹿撃ち帽を目深く被り、黒く野暮ったい眼鏡をかけ、髪を束ねる。ネクタイをやや緩めてボタンを2つ外せば、適度にフランクな生徒の出来上がりだ。こんな格好なら、多くの人々が僕を“明智吾郎”と認識できないはずだ。

 僕の予想は正解だったようで、会場内をうろうろしても話しかけられることは皆無だった。勿論、新島さんですら僕をスルーしかかった。「すみません」と声をかけたら不審者を見るような目で睨まれたので、とりあえず屈んで眼鏡をずらす。「約束していた明智吾郎だけど」と言えば、新島さんは大きく目を見開いた。

 

 

「一方的な約束だったから、気に留めず帰ったかと思った」

 

「明智くん、その格好……」

 

「自分の有名度合いは自覚できてるからね。どこで誰が見てるか分からないから慎重にしないと。変な噂を立てられて黎に被害が向いたら大変だし、キミに火の粉が降りかかったら僕が冴さんに殺されちゃうよ」

 

 

 「『キミに会った』ってだけでも殺されそうだから」とぼやく僕を見て、新島さんは噴き出した。鉄の女宜しくお堅かった表情が緩む。

 ……成程、笑い方は冴さんそっくりらしい。僕が「やっぱり姉妹だ」と零せば、新島さんはどこか照れたように耳を染めていた。

 

 

「あれ、吾郎?」

 

 

 不意に声をかけられた。振り返れば、黒いジャンバー姿でクレー射撃用の銃ケースを抱えた俺の保護者――至さんの姿があった。「模試の会場ここだったの?」と首を傾げる至さんは、僕の隣にいた新島さんを見て一瞬目を剥いた。

 保護者が何かを叫ぶ前に「違うからね? クソ親父と同じ轍を踏むくらいなら、黎の冤罪を仕組んだ犯人と一緒に心中するから」と主張した。複数人の女と股がけするなんて、愛人をこさえた僕の父親と変わらないではないか。至さんは僕の言葉に嘘はないと感じ取ったらしく、静かな面持ちでうんうん頷く。

 至さんは「どちらさまですか?」と新島さんに問いかけた。新島さんはすらすらと自己紹介する。彼女が検察庁における僕の上司――冴さんの妹だと知った至さんは、「吾郎がお世話になってます」と新島さんに深々と頭を下げていた。正直、それが少しだけ照れくさい。

 

 「いつも吾郎がお世話になっているから」という理由で、至さんは新島さんに何かを奢ることにしたようだ。

 折角なので、僕も至さんに便乗する。渋る新島さんを半ば強引にファミレスへと押し込んだ。

 

 

***

 

 

 クラシカルなBGMが流れる。家族連れやカップル、おひとり様――この店には、様々な人々が集まっていた。

 客層を分析すると、僕らのような面々は場違いだと言えそうだ。高校生2名と片方の保護者1名という組み合わせは、完全に歪であろう。

 

 

「あ、あの、私は別にいいですから」

 

「いーのいーの。こういうときは遠慮せず甘えとくもんだ」

 

 

 新島さんは遠慮していたが、至さんにそう言われて目を丸くしていた。あの様子だと、新島さんは冴さんに甘えられずにいるらしい。

 

 

(新島さんがいつも張りつめていたのは、唯一の肉親である冴さんに頼ることができなかったからか……?)

 

 

 確かに冴さんは、怪盗団や獅童正義が絡んだ事件を追いかけている。僕も彼女の手足となって動いているから、それが多忙であることは知っていた。

 でも、冴さんは新島さんのことをとても気にかけていたし、『仕事を終わらせたら真に会える』って笑顔で語っていた。できる限り努力していたのだ。

 

 

(……もしかしたら、冴さん以外に頼れる存在が誰も居なかったのかもしれない)

 

 

 秀尽学園の校長も、教師も、生徒会の面々も、誰もが新島さんを頼っているようだ。実際、新島さんは教師から『怪盗団のことを調査しろ』と命じられている。余程信頼されていないと、一生徒にそんなことを頼みはしないだろう。

 では、新島さんはどうだったのか。あの様子から分析すると、新島さんの方から誰かに頼ったケースは皆無なのではなかろうか。優秀な子どもを頼る大人は多いけど、子どもが大人に頼ると風当たりが強めに感じることはある。

 人に頼られている人間は誰かに頼り辛い。僕の実体験でもあるし、南条圭さんや桐条美鶴さんのような財閥を率いる責任を負った人物と接して分かっていることだし、達哉さんや命さん、至さん等の一件で証明済みだ。

 

 

「新島さんは何食べるの? 好きなの頼みなよ。……もしかして、この店嫌だった?」

 

「い、いいえ! えーと、それじゃあアイスティーを……」

 

「他には? ケーキとかパフェとか、グラタンとかドリアとか、何でもいいよ」

 

「……新島さん、観念して奢らせてあげて。子どものために大人が頑張る……それが至さんの“譲れない正義”なんだ」

 

 

 至さんはニコニコ笑ってメニューを指示す。僕は新島さんに耳打ちした。新島さんは少し困惑していたが、大人しく頼ることにしたようだ。頷いて、適当なスイーツを指さす。僕も至さんに促されて、とりあえず一番最初に目についたパンケーキを指さした。

 注文を終えて、僕たちはのんびりと談笑する。程なくして頼んだ料理が皿に並んだ。気さくで親しみやすい至さんの様子に緊張がほぐれたのか、それとも文字通り赤の他人に近しい相手なので話しやすいと思ったのか、新島さんはポツポツと愚痴を零し始めた。

 

 秀尽学園高校の生徒会長である新島さんは、教師――それでも誰から頼まれたかは暈していた――からの依頼で怪盗団について調べ回っていたという。

 だが、秀尽学園高校には、怪盗団以外にもきな臭い気配が漂っているらしい。何でも、秀尽学園高校の生徒をターゲットにした詐欺と恐喝事件が発生しているとか。

 最近は校内に張り紙が張られていたり、生徒たちからのSOS――「弱みを握られ脅されている。助けてほしい」という匿名の相談が相次いでいるそうだ。

 

 それを聞いた至さんが、顎に手を当てて呟いた。

 

 

「そういえば、聖エルミン学園高校や七姉妹学園高校、月光館学園高校や八十稲羽高校でも、似たような詐欺や恐喝事件が蔓延してたって聞いたな」

 

「それって、ウチの学校と同じ……!?」

 

「かもしれん。知り合いに月光館学園の関係者、警察関係者、警察志望の大学生がいて、この面子が頑張ったおかげで主犯は逮捕できたんだ。だが、“逮捕したそいつらはあくまでも末端に過ぎなくて、黒幕は東京のヤクザじゃないか”ってことが明らかになったらしい」

 

 

 月光館学園高校関係者、警察関係者、警察志望の大学生――明らかに、僕が知っているペルソナ使いたちだ。

 しかも、狙われた学校はピンポイントで“ペルソナ使いの通っていた高校”である。

 更に共通点を挙げるとするなら、“有栖川家の親戚やその関係者が通っていた高校”というのも気にかかった。

 

 OBOGである彼らの御膝元で暴れる犯罪者は命知らず過ぎやしないか。

 派手に()ったんだろうな、と、そんな予測が頭をよぎった。

 

 

「至さん。何でそんな情報知ってんの?」

 

「今までの繋がりを利用して集めた。伊達に調査員やってるわけじゃない。話を聞く限り、大人でも手こずるような奴が黒幕みたいだぞ」

 

 

 当たり前のことだが、検事の妹にして生徒会長と言えども、新島さんは一介の高校生である。知り合いたちを手こずらせるような相手に対し、できることなんてタカが知れていた。状況が改善できないことに依頼者である教師は腹を立て、新島さんに当たり散らしているらしい。

 

 

「なんで、私ばかり責められるの……! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()、もうどうしたらいいのか……!」

 

(――え?)

 

 

 新島さんの言葉に、僕は思わず目を丸くした。

 

 冴さんが新島さんに当たり散らすなんて、そんなことがあるのか。確かに可能性は0ではないのだろうけど、でも、冴さんは妹である新島さんのことを大切に想っている。

 僕に妹の自慢話を聞かせるときの冴さんは本当にデレデレしてて、“結婚願望よりも妹大好きの色が強いから婚期が遅れるのでは”と思ってしまう程の溺愛ぶりだった。

 新島さんに彼氏なんてできたら、該当者を尋問室に連れ込んで被疑者同然の取り調べを行いそうな雰囲気があったのに。……そんな冴さんが、妹に八つ当たり? 想像できない。

 

 至さんは黙って新島さんの叫びを聞いていた。彼女の悲鳴を受け止めて、寄り添っていた。嘗て、彼が僕にしてくれたのと同じように。

 自分の弱音を吐き出し終えた新島さんは、模試を受ける前よりも幾分かスッキリとした面持ちとなっていた。それを確認した至さんが口を開く。

 

 

「キミは凄いよ。大人が怯えてやろうとしないことを率先して引き受けて、必死になって解決しようとしている。……できないことを『できない』って言うの、勇気がいるよな。“言ったら最後、みんなから見捨てられてしまう”って不安になるの当たり前だよ。ウチの吾郎だって最初はそうだったし」

 

「至さん、余計なこと言わないでくれ」

 

「ああうん、悪かったな吾郎」

 

 

 僕の話を例に持ってこようとした至さんを睨む。

 至さんは懐かしそうに笑った後、言葉を続けた。

 

 

「悪いのは“事件を解決できない新島さん”じゃない。“新島さんに全部押し付けて、高みの見物してる大人たち”だ。そんな奴らのために“いい子”をやる必要なんてないだろ。そうしなきゃ得られない地位や名誉なんて捨てちまえ」

 

「……そんなの、言うだけなら簡単ですよね。無責任ですよ」

 

 

 噛みつくような声だった。至さんは驚くことなく、黙って新島さんの言葉を受け止める。

 

 

「女性でのし上がっていくのは大変なことだって、お姉ちゃんは私に言うんです。実際、本当に大変そうで……」

 

「だろうなぁ。知り合いの司法関係者がよくぼやいてたよ。『クソみたいな上司のせいで捜査が進まない』って。新島さんのお姉さんも、その壁にぶち当たってるんだな」

 

「……お姉ちゃんはいつも言うんです。『勉強していい大学へ入れ』、『将来のために、今やるべきことだけに目を向けなさい』って。……『今の貴女は役立たずだから、私の足を引っ張るような真似だけはしないで』って」

 

 

 そのために、自分は“いい子”をやっているんだ――新島さんは言外にそう訴えていた。

 

 新島さんの言葉には同意できる。僕も将来のためにと勉強し、大学進学を目指している高校生だからだ。いつまでも保護者である至さんや航さんの世話になるわけにはいかないし、有栖川家に寄生しようとする連中から黎を守れる強さを手に入れなければならない。

 獅童の犯罪を止めるため/黎の冤罪を晴らすために司法関係の勉強を始めた僕だけれど、今では「そっちで生計を立てるのもいいかもしれない」と思いつつある。司法関係者の肩書なら、「しきたり」等という話を持ちだして黎を手籠めにしようとする連中を社会的に撃退できるからだ。

 勿論、今やっている探偵業も悪くない。メディア露出は好きではないが、用途によっては上手く使えそうだ。割り切ればどうにでもできそうである。割り切ると言う意味では、このまま役者に転向しても稼げる自信はあった。閑話休題。

 

 確かに、新島さんは品行方正が服着て歩いているレベルの“いい子ちゃん”だ。大人が褒め称える文字通りの『優等生』である。

 けれど今の新島さんを見ていると、魚が陸上で生活しようと躍起になっているように思えるのだ。上手くいかなくて、憤っているように感じた。

 

 

「……新島さんは納得してなさそうだよね。何に憤ってるの?」

 

 

 何の気なしに僕が問いかけると、新島さんは眉間に皺を寄せた。渋い顔をしてアイスティーを飲み干した彼女は、大きくため息をつく。

 新島さんは暫く俯いて何かを考えていた様子だったが、意を決したように顔を上げた。「明智くん」と、新島さんは僕の名を呼ぶ。

 

 

「正義って、何だと思う?」

 

 

 その眼差しは、容赦なく僕を射抜く。冴さんと同じ鋭いそれに、僕は思わず背を伸ばした。

 

 

「……それはまた、難しい問題だね。法律による正義、世間一般の物差しから見た正義、自分自身が正しいと信じている正義……沢山あるよ」

 

「貴方は何をもって正義だと主張するの? “正義の探偵さん”」

 

「犯罪者には法の裁きを受けさせるべきだ。けど、残念なことに、法の裁きを潜り抜ける巨悪がいるのもまた事実。逆に法律を利用して無辜の人々を陥れる輩だって存在している。……正直、法律ってのは使い方次第でどうにでもなる道具(ツール)であり物差しに過ぎない。けど、その物差しがなければ秩序は乱れ、誰も彼もがやりたい放題の無法地帯になってしまう。それじゃあダメだと思うから、僕は法による裁きを重要視するんだ。法律は“人を正しく守り、物事を正しく裁く”ための道具(もの)だと信じているから」

 

 

 “正義の探偵さん”としての答えを求められた僕は、“正義の名探偵・明智吾郎”として返答する。そうして、「今回は、怪盗団の正義に敵わなかったけど」と付け加えた。僕が出演していたテレビを見ていたのか、それとも僕が以前零していた演技(大部分が本音)を思い出したのか、新島さんは納得したように頷く。

 新島さんは「正義」について悩んでいるらしい。「悪人を『改心』させ、罪を償わせる……怪盗団の正義って、何なのかしらね」――それは、怪盗団の動向が気になるということだろうか? ……やはり、死にそうな顔をしていたと言えど、彼女に声をかけたことは迂闊だった。でも、見捨てて良かったとは思えない。絶対に。

 

 

「彼らは正しい意味での“確信犯”なんだと思うよ。自分たちが正しいと思う正義を信じているから、迷わずにいられるんだ」

 

「確信犯……」

 

「新島さんも口に出さないだけで、周りのせいで出来ないだけで、そういうものがあるんでしょ? 言いたいこと、したいこと、証明したいことが」

 

 

 僕の問いかけに、新島さんは黙り込んでしまった。幾何かして、黙って僕と新島さんのやり取りを聞いていた至さんが口を開く。

 

 

「しんどいなら、誰かに頼ればいい。俺なんてしょっちゅう誰かに頼ってるぞ」

 

 

 優しく細められた双瞼が、ほんの少しだけ昏く感じたのは何故だろう。

 至さんは朗々と言葉を続ける。

 

 

「俺は無力だ。行く先々で怪異現象が発生し、その元凶どもからは揃いも揃って“俺有責”って言われるし、終いには“お前にはその原因を直接解決する力がない”って事実上ハブられる。金もなければ権力もない。……いつだって、いつだって、誰かに任せなきゃいけなかった。誰かに頼らなきゃいけなかった。誰かに背負わせて、それを後ろから見てるだけしかできなかった」

 

 

 今まで歩いてきた旅路を想いながら、俺の保護者は語り続ける。救えたもの、救えなかったもの、拾い上げたもの、零れ落ちたもの――清濁併せ持った旅路の果てで、自分が得た“宝物”を1つ1つ確認するかのようだった。

 

 御影町のスノーマスク事件とセベク・スキャンダルでは冴子先生を救って神取を助けられなかった。珠閒瑠の事件ではニャラルトホテプの人形と化した神取を光へ引き戻すこと叶わず、“滅びの世界”からやって来た達哉さんを見送ることしかできなかった。

 御影町の一件で見つけた物質の解析のため、桐条財閥へ共同研究を持ちかけたせいで鴻悦の研究および狂気が加速し、巌戸台の事件が発生する原因を作った。結果、偶然そこに居合わせただけの命さんにニュクスが封印され、ニュクス復活の原因にさせてしまった。

 フィレモンとニャラルトホテプがイザナミに入れ知恵した際、具体例として挙げられたのが自分自身の存在だった。結果、自身の関係者で且つ八十稲羽を訪れた存在――真実さんに白羽の矢が立ってしまい、彼は丸々1年間、仲間と共に霧の中を彷徨う羽目になってしまった。

 

 

「ハッキリ言う。俺は誰かに頼らないと生きていけない自信がある。今までも、これからも、多分死ぬまでずっとこのままだ」

 

 

 至さんはどれだけ自分を責めただろう。自分さえいなければよかったと何度も思い悩み、それでも、生きて次世代のペルソナ使いを支えようとした。

 嘗ての仲間たちとのコミュニティやコネクション、コンペティションを駆使して、必死になって若者たちをサポートしてきた。それが自分の正義だと信じて。

 

 新島さんにとって、至さんの告白は超弩級の自虐に聞こえたのだろう。若干引き気味になっていた。

 

 

「そんなプライドも意地もない発言する大人、初めて見た……」

 

「何が起きるごとに『全部お前のせいだからね。あと、お前じゃどうにもできないから』って言われ続ければこうなるよ。でも、そんな俺にだってできることがある」

 

「できること?」

 

「――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 自信満々に言い切った至さんは完全な素面だ。何も知らない第3者――それこそ新島さんみたいなタイプからすれば、今の発言は“酔っ払いですら馬鹿にする”レベルの妄言だろう。実際、新島さんは大変困惑している。至さんの表情に嘘がないという点が、余計に新島さんを困らせてしまっているようだ。

 至さんの旅路――御影町、珠閒瑠市、巌戸台、八十稲羽を駆け抜ける――では、悪神の企みに挑むペルソナ使いたちを勝たせるため、様々なサポートを行っていた。自分が出会って絆を紡いだ面々と協力して、次世代のペルソナ使いの道を切り開いてきた。小さな突破口の積み重ねで、最後は彼/彼女たちを勝利させた。

 その軌跡を、僕は彼の隣でずっと見てきた。直接何かをできない自分の存在に思い悩み、それでも必死になって駆けずり回っていた大人の背中を見つめていた。至さんは今でも、自分の業に真正面から挑みながら、心身ともにボロボロになっても、自分が今までの旅路で得た“宝物を守る”ために戦い続けている。

 

 神取鷹久の問いに『宝物を見つけるため』と答えた空本至は、それを守るために旅路を往く。

 その過程で、彼はまた宝物を見つけて、それを守るために旅路を往くのだ。

 

 

「自分が勝てないなら、自分と同じ目的のために立ち上がった誰かを勝たせるために戦うってのも悪いもんじゃないよ。自分にできることとできないことを把握することも、戦うためには必用なことだ」

 

「空本さん……」

 

「役に立たなきゃ存在しちゃいけないなら、俺なんて『生まれてきたことが間違いだった』レベルになるぞ? 実際、フィレモン(クソオヤジ)からそう言われたし」

 

「至さん」

 

 

 自虐に突き進もうとする至さんを俺は制した。俺の自慢の保護者がこれ以上自傷行為を続ける姿なんて見たくない。

 

 それに、俺の自慢の保護者が『生まれてきたことが間違いだった』なんて言われたら、俺の人生だってどうなっていたか分かったものではないのだ。

 彼がいなければ俺は身勝手な大人たちによってボロボロになっただろうし、有栖川黎と出会うこともなかった。舞耶さんや命さん、真実さんとも会えなかった。

 もしかしたら、怪盗団としての仲間たちとも出会えぬまま、たった1人で生きて行かなくてはならなかったかもしれない。

 

 そんな光景、想像できなかった。想像なんてしたくなかった。

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 俺の必死な形相が伝わったのだろう。至さんは「ごめん吾郎。もう自虐はお終い」と苦笑した。

 

 

「そんな俺でも、『ここにいていい』って言ってくれる仲間たちがいる。こんな奴でも『至さん』って慕ってくれる奴らがいる。だからせめて、俺は、そんな人たちを助けられる存在でありたい……いつも、そう思ってるんだ。――フィレモン(クソオヤジ)に何を言われ、何を対価にされようとも」

 

 

 後半がよく聞こえなくて、僕と新島さんは首を傾げる。至さんは満面の笑みを浮かべ、「フィレモン(クソオヤジ)を定期的にぶん殴りながらな」と締めくくった。クソオヤジがフィレモンのことを指していることを知らない新島さんは、クソオヤジが至さんの実父を指していると思ったのであろう。やっぱりちょっと引いていた。

 楽しそうに笑っていた至さんは、ふと時計を見てバツが悪そうな顔をした。僕と新島さんも時計を見る。そろそろ帰らないと明日に支障が出そうな時間帯だ。話し込んでいるうちに相当時間が経過していたらしい。窓から外を見れば、空は真っ暗になっていた。……冴さんが鬼のような形相をしている姿が脳裏をよぎる。怖い。

 

 

「……ねえ、新島さん。冴さんに連絡した?」

 

「ええ。“友達と会うから遅くなる”って。明智くんの名前は出してないわ」

 

 

 良かった。カム着火ファイアーインフェルノ状態の冴さんによる尋問は無しになったようだ。安心した表情を浮かべた僕を見た新島さんはくすくす笑う。

 「メディアで見る明智くんと、空本さんや有栖川さんが絡んだ明智くんって雰囲気違うわね。こっちの方がいいかも」――新島さんは、冴さんと同じことを言った。

 思ったことを口に出すと、新島さんはどこか嬉しそうに頷く。ただ、その横顔がどこか寂しそうに見えるのは、彼女が知る冴さんが()()()()()()()()ためだろうか。

 

 そんなとき、「吾郎がお世話になってるから」と主張した至さんが、新島さんを送ると言い出した。確かに、こんな時間に女性を1人で帰すのは物騒である。秀尽学園高校の生徒が詐欺や恐喝被害に合っているのだ。ヤクザからしてみれば、男子生徒より女子生徒の方が狙いやすいだろう。

 

 だが、その脇に男性がいたらどうなるか。同年代が並んでいるのより、年上の男性と女子生徒の組み合わせの方が、狙いにくさが多少上昇するはずだ。

 「長話につき合ってもらったお礼」、「子どもを甘やかすのも大人の役目」と主張した至さんに押し切られた新島さんは、苦笑しながら頷いていた。

 

 

◇◆◆◆

 

 

 ねえ、新島さん。誰かの言いなりになっていて、窮屈だって思ったことある?

 大人たちの押し付けに、「おうふざけるな下手に出れば調子に乗りやがって! 轢き殺すぞ!!」って感じたことは?

 

 ……成程。その顔からして、そういう経験は日常茶飯事と見た。それでもずっと我慢し続けたのは、居場所が欲しいからかな?

 

 さっきも言ったけど、“新島さんに全部押し付けて、高みの見物してる大人たち”のために“いい子”をやる必要なんてないだろ。そのためにキミの人生がすり減っていいはずがない。そうしなきゃ得られない地位や名誉なんて捨てちまえ。

 実際、そういうモンって、キミの思った通りの役に立たないからね。頼れる生徒会長という肩書が、司法関係者の家系という血筋が、優等生という評価が、キミの役に立った試しがあったかい? 実際、キミを苦しめるばかりじゃないか。

 「生徒会長のくせに問題を解決できない。司法関係者の家系なのに操作能力がない。優等生だから、内申点が欲しいんだろう」――そんな心無い言葉に苛立ちを感じたことがあるんだろう。俺も昔はそういう怒りを抱いた子どもだから、何となくわかる。

 

 新島さんは、怪盗団に何を見出したの? 怪盗団のことを追いかけて、最後はどうするつもり? 彼らを冴さんに突き出して、「よくやったわ真!」って褒めてもらうの? ……やめとけ。それを()()()()()にやったら、「余計なお世話、手間が増えた、役に立たない子」って更に怒鳴られるだけだ。理不尽にな。

 もうちょっと()()()()()()だったら、真面目に取り合ってくれたかもしれない。でも、()()()()()()()()()()()()じゃなきゃ取り返しのつかない被害が出る。それも、人の生き死にに関連するようなレベルのやつ。下手したら世界滅亡という究極の理不尽を呼び覚ます系のやつ。

 

 今、俺のこと酔っ払いみたいだって思ったでしょ。残念、素面なんだよなコレ。ついでにアルコールを飲んでも全然酔わないの。航――あ、俺の双子の弟なんだけど、弟が飲んだらベロベロに酔っぱらうから、そっちの介護に勤しんでるかな。……って、どうでもいいか、こんな話。

 

 ……ねえ、新島さん。今すぐこの一件から引けば、キミは何事もなく平穏な日常へ戻れるよ。キミの内申点は少々下がるかもだけど、それでも進路に影響は出ない。どの大学にだって行けるはずだ。

 どんな目的や理由があっても、キミは自分の意志で怪盗団を追い続けるつもりなのか? 怪盗団の正義に興味を抱いて、接触を試みるつもりなのかい? その対価がとんでもないレベルであっても構わないって言える?

 新島さん、約束してくれ。怪盗団を追いかけ続けるなら、どんな理不尽にも屈することなく反逆してほしい。どんな運命が立ちはだかろうが、フルスロットルでぶち壊してほしい。そうやって、キミが信じる正義の味方の道を切り開いてほしい。

 

 それを成せるなら、成したいと願うなら――新島さんは“いい子”の肩書を失い、超弩級の厄介事に巻き込まれることになる。それこそ、世界の危機に挑む羽目になるかもしれない。代わりに、今キミが欲しくて堪らない()()()のものが手に入る。キミが望む答えを手にするためのチャレンジが始まるだろう。手に入れられるか否かは、それこそキミの努力次第。

 

 どうする、新島さん。このまま日常に帰ってずっと我慢し続けるの? それとも、今まで築き上げた多くのモノを捨ててでも非日常に足を踏み入れるの?

 キミには自由を選ぶ権利がある。踏み出す自由、留まる自由、真実を知る自由、何も知らぬままでいる自由、反逆する自由、反逆しない自由。

 

 抽象的でよく分からない? そんなに真面目に考えなくてもいいよ。真面目に考えていると頭が爆発する系の理不尽とか沢山あるし、多分、キミがこれから巻き込まれるのもそういう系の理不尽だから。神様が人間に与える試練とか、本当に訳分からないから。そいつが友好的であろうが敵対的であろうがね。

 俺、神様嫌いなんだよ。「試練を与える」だの「おもしろそうだったから」って理由で人の人生滅茶苦茶にして、そうした損害に関しては全然ノータッチだ。むしろ「選んでやったんだから光栄に思え」ってふんぞり返るんだぜ? そんな神様要らないから。こっちの方から願い下げだっつの。

 因みに、顕現していれば神様は殴れる。殴れるんだったら物理的に倒すことだってできる。実際やったことあるから分かる。……何言ってるんだコイツって顔してるね。キミの選択次第では永遠に意味が分からないかもしれないし、意味を知って頭を抱える羽目になるかもしれない。それもまた選択だ。

 

 ……俺も、もう少し自由だったらなあ。力も試練も永遠も要らないから、ただの人間になりたかったな。

 波乱万丈な人生じゃなくて、大切な仲間や家族と穏やかな人生を生きて、静かに死んでいくような人間に。

 

 でも、もう戻れないし戻る気もない。知ってしまったから。知る自由と立ち向かう自由を選んだから、もう知らんぷりはできないんだ。したくないんだ。

 

 

 ……知る自由、立ち向かう自由、反逆する自由、正義を貫く自由。新島さんが選ぶ自由は、それがいいの? それでいいの? ――いいんだね。なら、俺はもう何も言わないよ。こんな『クズ』のお節介、喧しかったでしょ。ごめん。

 え? 久々にスッキリできた気がする? そりゃあよかった。っと、着いたね。ここで大丈夫? ……そっか、分かった。それじゃあ頑張って、新島さん。あと、冴さんによろしく言っといて。「ウチの吾郎がいつもお世話になってます」って。じゃあ、おやすみなさい!

 

 

 

 

 

 ――ああ、俺は、あと何回、夜を超えることができるだろう。朝を迎えることができるんだろう。

 

 俺の旅路は、いずれ終わる。

 そのとき、俺は、答えを出すのだ。

 

 

『キミは、何のために生きている?』

 

 

 なあ、神取。俺の答えは、あの頃と何も変わっちゃいないよ。

 俺の生きる意味は――()()()()()は、きっと()()()()()()()()()

 

 

◇◇◇

 

 

 祐介は寮へ戻ることにしたそうだ。奴は帰る前にルブランへ立ち寄り、『サユリ』を飾っていったらしい。

 

 班目を『改心』させた怪盗団は、次のターゲットを探して情報収集を行いつつ、メメントスの攻略や学生生活を送っていた。僕の場合、そこにメディア出演や密偵業が付随される。いくら本業のためにセーブしているとは言えど、大衆操作およびメディア露出は大変ハードスケジュールであった。

 獅童の懐刀である智明は僕以上に多忙で、SNSや電話でしか接することができない。テレビ画面に顔を出すあいつを見ることが増えた。同時に、俺が大人しくしている間にも、『廃人化』による精神暴走はずっと続いていた。早く獅童を止めなくてはと思えば思う程、何もできない自分が嫌になる。役に立てない自分が嫌になるのだ。

 あと、智明から『有栖川黎に貼り付け』という指示が出た。“怪盗団を炙り出す”という名目だが、ピンポイントで黎を指名するあたり勘も鋭いらしい。社会見学で顔を合わせ、言葉を交わしたと言えども一瞬だけなのに。……本当に油断ならない相手だ。慎重にならなければ。

 

 

吾郎:黒幕がキミに目を付けた。暫く『キミを見張る』という名目で接触するからよろしく。

 

黎:了解。不謹慎だけど、吾郎と一緒にいられるのは凄く嬉しい。

 

 

『ん゛ん゛ん゛ッ』

 

『どうした吾郎。いかがわしいDVDでも見てたのか?』

 

『違うから』

 

 

 ベッドの上でのたうち回っていたら、航さんがノックなしで扉を開け、俺の部屋を覗き込んできた。俺は即座に否定する。

 航さんは首を傾げながら扉を閉じた。……彼の“ノックはしないが聞き耳は立てる”癖はどうにかならないのだろうか。

 ここは自宅であって、異界化した聖エルミン学園高校でもなければ異界化した御影町でもないというのにだ。

 

 さて、智明からの指示を受けた僕は、大手を振って黎と接する時間を確保することができるようになった。まずは駅で顔を合わせ、ルブランにも顔を出し、放課後や夜にも顔を合わせる。その時間は僕にとって癒しの時間であり、相手側の情報を流すための作戦会議でもあった。

 奴が狙いそうな相手を予めピックアップしたり、怪盗団側に関する情報をどれ程黒幕に提供するか協議したり、黒幕に提供した情報と黒幕から提供された情報をすり合わせて対策を練ったりした。

 

 智明には“怪盗団関係者に接触成功。密偵として張り付く”とだけ報告しておいた。奴は了承の返事をした後、“できることならそいつを篭絡しろ”と指示を寄越す。電話を切った後、俺は1人で震えた。爆笑を堪えるので。

 

 

吾郎:黒幕がキミを篭絡しろと指示を出してきた。

 

黎:馬鹿だなあ。私はもうとっくに、吾郎に篭絡されてるのに。

 

吾郎:馬鹿だよね。僕だってもう黎に篭絡されてるのに。

 

黎:それでも、吾郎は黒幕について何も語ってくれないよね。

 

 

吾郎:ごめんね、黎。でも、もう少しだから。

 

黎:分かってるよ。信じてるから。

 

 

 黎はそう言うだけで、特に追及はしなかった。僕が自分の口から告げるのを待ってくれるらしい。その優しさが嬉しくて、けれど苦しかった。

 覚悟を決めなくてはと思うのに、『情報が集まらない』と誤魔化してばかりだ。そんな僕に愛想をつかしてもいいはずなのに、仲間たちは見捨てないでいてくれる。

 

 ……新島さんは、そういう相手はいなかったのだろうか。いい子じゃなくても、成果を出せなくても、何も言えなくて沈黙していても、大丈夫だと笑って受け入れてくれる人はいなかったのだろうか。見捨てないでいてくれる人はいなかったのだろうか――僕がそんなことを考えつつ、仕事を終えて怪盗団に合流したその日。

 

 

「――さて、これはどういうことなのか聞かせてくれない? “怪盗団のライバル、正義の名探偵”明智吾郎くん」

 

 

 鬼の首取ったりと言わんばかりの形相で仁王立ちする新島さんが、怪盗団の前に現れた。

 ……どうしてこうなった。本当に。

 

 




魔改造明智の密偵ライフは順風満帆(?)に進んでいる模様。それから、魔改造明智と保護者の至は思い悩む真を放っておけなかったようで、ちょこっと話をしたようです。但し、翌日に怪盗団の証拠を掴まれ逆に脅されてしまいました。なんでこうなった。――そんな感じで、金城パレス編がスタートです。
原作よりも規模が大きい金城の被害。東京だけでなく、各年代のペルソナ使いが通っていた学校も被害に合いました。但し、ペルソナ使いOBOG一同によって各支部は鎮圧されております。……捕まった犯人一同はどんな地獄を見たんでしょうねー(白目)
誰も知らないところで、保護者にも何やら怪しいフラグが点灯中。よろしければ、魔改造明智の旅路だけでなく、保護者の旅路にも注目して頂ければ幸いですね。


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やればできるが、最初からできれば苦労しない

【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 @空本(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄で明智の保護者その1。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
 @獅童(しどう) 智明(ともあき)⇒獅童の息子であり明智の異母兄弟だが、何かおかしい。獅童の懐刀的存在で『廃人化』専門のヒットマンと推測される。詳しくは中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『運命を切り開くだけの簡単なお仕事』および『ペルソナ3異聞録-.future-』、Pixivの『2周目明智吾郎の災難』および『【一発ネタ】有栖川黎の幼馴染』の設定を下地にし、別方向へ発展させた作品である。
・ジョーカーのみ先天性TS。
 ジョーカー(TS):有栖川(ありすがわ) (れい)⇒御影町にある旧家の跡取り娘。旧家制度は形骸化しているが、地元の名士として有名。身長163cm。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空本(そらもと) (わたる)⇒明智の保護者2で、南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。
・「2罰ボスの外見を見た人間の反応」に関するねつ造設定がある。
・史上最低な(事実上の)プロポーズが出てくるので注意してほしい。
・真や大宅一子が可哀想な目にあっている。
・普遍的無意識とP5ラスボスの間にねつ造設定がある。


 怪盗団の証拠――ボイスレコーダーによる録音だ――と竜司の電話による不用意な発言が原因で、怪盗団である僕たちは新島さんから脅迫される羽目になった。

 怪盗団の正体を黙っている代わりに、彼女はある取引を持ち掛けてきた。“正義を示せ”というお題目の下、対象者の『改心』を依頼してきたのである。

 

 

『……新島さんが『改心』させたい相手って、秀尽学園高校で発生している詐欺や恐喝事件の犯人かい?』

 

『ええ、そうよ。奴自身は図に乗ってマフィアの『ボス』を名乗ってるけど、実際はフィッシング詐欺の元締めらしいの。しかも、子どもばかりを狙っているわ』

 

 

 『察するのが早いわね。まあ、明智くんは昨日の話を聞いていたからでしょうけど』と、新島さんは言った。彼女の双瞼には強い意志がある。“意地でも怪盗団に張り付いて、何かを掴む”のだと覚悟を決めた眼差しだ。

 僕と別れて至さんに送られた彼女は、彼から何を聞かされたのだろう。“至さんが誰かに声をかけると仲間が増える”というジンクスが頭をよぎったが、その推察はまだ口に出せる段階ではないので黙っておくことにした。

 イセカイナビを使うには、対象者の名前と、対象者が自身のパレスを何だと思っているのかを指すキーワードが必要だ。だが、新島さんが知っている情報は、詐欺と恐喝事件の主犯を直接『改心』に繋げるようなものには至らない。

 

 『フィッシング詐欺の元締めに脅された生徒は一斉に口を噤んでしまうため、警察ですら実情が掴めないままよ』――新島さんは堂々と言い切った。

 

 彼女の要求に応えるためには、自称マフィアの『ボス』の名前を調べることから始めなくてはならない。

 新島さんは強い口調で語る。『正義を名乗っているならば、それを示して見せろ』と。

 

 

『奴らは渋谷を根城にして活動している……それだけが頼りの情報。期限は2週間。過ぎれば、すべての証拠を警察と学校に提出する』

 

『……成程、退学および少年院送りを盾にするときたか。新島先輩のやり口も鴨志田先生と大差ないね。脅迫内容だって、股を開くか開かないかだけの違いだ』

 

『黎!! 女性がそんなこと言っちゃいけない!!』

 

 

 新島さんの脅迫に対し、黎は静かな微笑を湛えて返答した。僕は即座にツッコミを入れたが、黎はいい笑顔で、

 

 

『私が股を開く相手は生涯1人だけと決めている。勿論、吾郎だ』

 

『待って! 待って! 何かもう色々と待って!! 嬉しいけどそうじゃなくて、そうなんだけどそうじゃないんだ!!』

 

『た、大変だ! 吾郎がぶっ壊れた!!』

 

『まずいな。収拾がつかんぞ……!』

 

『新島先輩、どうするんですか!? 先輩のせいでトンデモないプロポーズになっちゃったじゃない!!』

 

 

 黎が落とした史上最低な(事実上の)プロポーズに、僕の頭内が爆発した。ここから数分間の記憶はよく思い出せないが、ただひたすら『違う、そうじゃない』、『こんなプロポーズは嫌だ』と訴え続けたことだけは確かだ。

 あんまりにもあんまりな発言に、新島さんは赤面してあんぐりと口を開けていたらしい。彼女は黎の発言に衝撃を受けたようで、言葉にならない悲鳴を上げていたようだ。後から黎に聞いた話では、新島さんは大変困惑していたという。

 僕の記憶がはっきりし始めた頃にはもう、怪盗団の面々も新島さんも死んだ目をしながら疲れ果てた顔をし、黎だけが綺麗な笑みを浮かべていた。何があったのかを聞いたが、黎以外の全員が沈痛そうな面持ちで視線を逸らす。黎含み、誰1人として語ってはくれなかった。

 

 心が折れてしまいそうな面持ちのまま去っていく新島さんの背中を見送った僕たちは、これからどうするかを相談し合った。

 

 班目を『改心』させた僕らは現在、手持無沙汰の状態である。メメントスで小物を狙って『改心』させているだけだ。他に狙うべき候補もいないので、件のヤクザを候補者としてピックアップし、情報収集することになった。

 仲間たちが渋谷で聞き込み調査を行う中、警察関係者や司法関係者にコネのある僕は、頼れる大人たち――聖エルミン学園高校、七姉妹学園高校、月光館学園高校、八十稲羽高校のOBOGや現地在住の面々に連絡して話を聞くことにした。この学校も、東京のヤクザが関わっていると聞いたためだ。

 

 

『秀尽学園高校でも、月光館学園高校(ウチ)と同じような事件が起こってるのね……。しかも、学校がある場所は“元締めがいると思しき東京”か……』

 

『警察から何か、元締めが分かりそうな情報とか入ってない?』

 

『支部の連中はトカゲのしっぽ扱いだったみたいで、元締めが東京のヤクザってことしか分かってなかったみたい。そいつ、支部の連中には“ミズチ”って名乗ってたらしいけど、『恐らく偽名だろう』って』

 

 

 月光館学園高校の若き理事長である荒垣命さんは、僕の問いに対し、悔しさを滲ませた様子で答えてくれた。ついでに、その支部長を薙刀一本で鎮圧したのも命さんなのだという。校内では箝口令が敷かれているが、まことしやかな噂として囁かれているそうだ。恐らく巌戸台および月光館学園高校は今後も安泰であろう。

 

 

『ああ、七姉妹学園高校(セブンス)の事件なら有名になってるぜ? ウチの常連客にも七姉妹学園高校(セブンス)の奴がいるんだが、学生たちが集まって『脅されて困ってる』って相談し合ってる姿を何度か見かけたな。他にも、支部の連中らしき奴らが団体でやって来ては、『“セラ”のノルマが厳しい』って零してた』

 

『“セラ”っていうのは、東京にいると思しき元締めの名前?』

 

『ああ、多分な。けど、達哉の話じゃ『詐欺グループ元締めは、下位グループには決して本名を教えない』って言うらしいぜ? 残念だが“セラ”も偽名だろう』

 

 

 七姉妹学園高校(セブンス)卒の三科雅(旧姓:華小路雅)さんを妻に持つ三科栄吉さんは、渋い顔をして教えてくれた。因みに、春日山高校(カス高)も似たような被害を受けたらしいが、七姉妹学園高校(セブンス)よりは全然マシだったらしい。むしろ、七姉妹学園高校(セブンス)の生徒が春日山高校(カス高)の生徒にバイトを紹介したことが原因による“巻き込まれた二次被害”的なものが多かったようだ。

 元春日山高校(カス高)番長(ヘッド)として、後輩たちが泣かされたことが許せなかったのだろう。栄吉さんは寿司屋営業の傍ら、珠閒瑠市の企業でOLをしているリサさんや刑事である周防兄弟と共同戦線で詐欺グループを撲滅したそうだ。仕事が終わると同時に駅のトイレへ駆け込み、死神番長メイクを施してからの出陣だったという。勿論、彼がぶちのめした相手――詐欺グループ支部長のパンツは脱がされたそうだ。流石は誉れ高きパンツ番長である。……最も、警察が来る前にきちんと穿かせ直したらしいが。

 

 

『八十稲羽高校でも同じような手口の事件が発生したって聞きましたが、その後は? 支部長、捕まったんですよね?』

 

『ああ。捕まえたには捕まえたんだが……そいつ、自殺したんだ』

 

『自殺……!?』

 

『東京にいる元締めの名前は“ホウジョウ”って証言してたが、本名ではないって言ってた矢先だったってのに……』

 

 

 八十稲羽の刑事である堂島さんが沈痛そうな様子で教えてくれた。素直に取り調べに応じていた支部長は、ある日突然自殺したのだという。御影町、珠閒瑠、巌戸台、八十稲羽の高校が狙われた理由を『“一部の連中なら察しが付く”共通点があるらしい』と仄めかした翌日のことだったそうだ。

 犯人が自殺したという幕切れに、各メディアからは非難轟々の嵐が巻き起こった。取り調べが厳しくて自殺したのではないか、という話題が跋扈した。『東京の弁護士が出てきて謝罪と賠償を請求されて大騒ぎになった』と堂島さんがぼやいていたが、その弁護士の名前は獅童の協力者と同姓同名であった。

 それだけではない。周囲からのバッシングにもめげず、各町の警察官――周防兄弟、真田さん、堂島さんが手を組んで黒幕を追いかけたのだが、謎の圧力がかかって捜査が打ち切られてしまったのだ。『上層部が黙って首を振るあたり、圧力をかけた連中はかなりの権力者だろうな』とは堂島さんの談である。

 

 

『秀尽学園高校の事件内容、聞いたよ。アヤセたちの学校……聖エルミン学園高校の手口と一緒だね』

 

『そっちはもう落ち着いたって聞きましたが、どんな情報が流れてますか? 噂レベルでも構わないんですけど』

 

『男子生徒は高額バイトで薬物を運ばされたり、女子生徒は難癖付けられて恐喝されて夜のバイトさせられたりしたっぽい。元締めが東京のヤクザってことしか分からないのは他と一緒だけど、その支部長は個人的に『有栖川家に対する恨みがある』って言ったみたいだよ』

 

 

 『それが、御影町の支部長に任命された理由だって証言したみたい』と、御影町でOLをしている綾瀬さんは付け加えてくれた。因みに、支部長は元締めの名前を“シロガネ”と証言したそうだが、恐らくそれも偽名だろうとのことだ。

 しかも、その支部長も獄中自殺したと言う。思った以上に素直に証言するので、警察が糸口を手にできると期待していた矢先のことだったらしい。今ではもう、その話題を出すことすらタブーになっている様子だ。堂島さんの証言と併せて考えると、やはり圧力がかかったのだろう。

 

 僕が黎たちと別行動している間に、黎の方も色々あったようだ。仲間たち全員で渋谷を回っていたら、何故か新島さんと遭遇したという。新島さんと協力してヤクザを探したが、結局収穫無しで終わったそうだ。

 

 

黎:新島先輩、私の電話番号を惣治郎さんから聞き出してた。

 

吾郎:徹底してるな。流石は冴さんの妹だ。敵に回ると恐ろしいね。

 

黎:でも、お詫びの電話してきたよ。事後報告でごめんなさいって謝ってた。

 

吾郎:お詫び、か。

 

黎:私たちへの風当たりが強いだけで、本当は悪い人じゃないのかもしれないね。

 

 

 黎とチャットをしていて、ふと気づく。佐倉さん呼びだったのが、いつの間にか惣治郎さん呼びへと変わっていた。

 どうやら黎と佐倉さんは良い関係を築けたらしい。このまま、彼が黎の味方になってくれたら嬉しいのだが。

 

 翌日、僕たちはカラオケボックスに集まって情報を出した。怪盗団のメンバーは殆ど情報がなく、僕の情報もターゲットを割り出すには至らない。分かったことは、“被害に合った学校のOBOGにペルソナ使いがおり、その面々を率いていたのが有栖川の関係者である”という繋がりだけだった。

 『素直に自供した犯人が全員自殺している』や『警察の方では捜査が打ち切られた』という話を聞いた面々は、顔を見合わせて渋い顔をする。“司法関係者と繋がりがある人間が、そのマフィアを守ろうとしている”――この事実が、ターゲットが如何に狙いにくい相手であるかを示していた。

 司法関係者が敵に回る/司法関係者から入手できる情報に制限がかかっているとなると、どこから情報を入手するべきか。考え込む面々に対し、僕と黎は目を見合わせた。脳裏に浮かんだのはマスコミ関係者――班目の件で共闘したキスメット出版の記者とカメラマンである。

 

 

『黎』

 

『うん。舞耶ねえなら、記者繋がりで詳しそうな人知ってるかもしれない!』

 

 

 僕と黎の予想は正解だった。舞耶さんに連絡したところ、以前別件で共闘した毎朝新聞の新聞記者を紹介してくれた。

 彼女はバー『にゅうカマー』で待っているという。……待ち合わせ場所は、所謂“オカマバー”であった。

 

 情報収集役として赴いたのは僕、黎、モルガナである。因みに、僕は某メイドの一件で身に纏っていた変装に野暮ったい黒眼鏡を追加して入店した。探偵王子の弟子がオカマバーに入るなんて噂になったら、様々な方面で不利益を被りそうな気がしたためだ。

 

 

「いやー、本当に来るとは思わなかったわー! その勇気に免じて何でも教えてあげるー!」

 

「それじゃあ、舞耶ねえとはどのようなご関係なんですか? 私、舞耶ねえとは親戚で、彼女のことは実の姉みたいに思っているんです」

 

「舞耶とはね、気づいたら腐れ縁になってたのよ。……おかしいわよねー。舞耶たちと会うと、『人間相手に取材をしてたはずなのに、どうしてか悪魔に取材する』羽目になるんだもん。当時は政治部所属だったから、『政治経済の取材してたはずなのに、なんでオカルトの取材やってるんだろ?』って首傾げながら悪魔の写真撮ってたわー……」

 

 

 件の新聞記者――大宅一子さんは遠い目をして天を仰いだ。

 

 ……成程。彼女も舞耶さんと黛さんによる『大変不本意極まりませんでした』系の事件に巻き込まれた被害者らしい。勿論、その一件の記事はボツになったようだ。

 悪魔と対峙して無事に返って来ることは――程度によってだが――どんなペルソナ使いでも難しい。何の力も持っていない生身の一般人で、よく生きていたものだ。

 大宅さんは何も語らなかったし、語りたがらなかった。僕たちも聞きたがらなかった。何ごともなかったかのように、黎が口を開く。

 

 

「それじゃあ、本題に入ります。渋谷の街を牛耳る闇について、教えていただけますか?」

 

「……へぇ。どうして知りたいの?」

 

「その元締めに用があるんです」

 

 

 大宅さんは暫し黙った後、「教えてあげてもいいけど」と言って取引を持ち掛けてきた。彼女は現在、心の怪盗団“サ・ファントム”を追いかけているらしい。元々は『廃人化』事件を追いかけていたのだが、情報が全然手に入らなくて暗礁に乗り上げていたという。

 記者が心の怪盗団というオカルトじみたものを追うとは、大宅さん自らがオカルト方面に足を突っ込んでいくようにしか思えない。「オカルトは懲りたはずでは?」と僕が問えば、大宅さんは乾いた笑みを浮かべながら酒を煽った。……多分、一番泣きたいのは大宅さん本人なのかもしれない。

 

 大宅さんが黎に取引を持ち掛けたのは、舞耶さんから“黎が秀尽学園高校の生徒である”ことを聞いたためだ。

 心の怪盗団事件の発端は鴨志田卓の一件である。そのため、「黎なら心の怪盗団に関する裏話を知っているのでは?」と思ったそうだ。

 嗤えないことに、僕は怪盗団の人間だし、黎は僕たちを束ねる怪盗団のリーダーご本人である。僕たちは思わず顔を見合わせた。

 

 大宅さんは「鴨志田の被害に合っていた生徒を独占取材したい」と言う。誰を紹介するかで、怪盗団の存続を揺るがしかねない事態に陥ってしまいそうだ。どうしようか、と、僕と黎が目で合図をしていたときだった。

 

 

「ミシマを紹介すればいいんじゃないか? アイツは怪盗団の味方だからな」

 

 

 モルガナの助け舟で、大宅さんに紹介する生徒は三島に決定した。大宅さんは上機嫌になり、僕らの交換条件を受け入れてくれた。

 「ワガハイの機転のおかげだ。感謝しろよ」と主張するモルガナには、後で至さん作のマグロステーキを進呈しておこう。

 

 

「……廃人化事件と怪盗団、なんかどっかで繋がってるような気がするんだよなぁ。都合のいい嗅覚なのかなぁ……」

 

 

 ……大宅さんの鋭い嗅覚に、僕はひっそり感嘆する。彼女も敵に回したくないタイプだ。できる限り協力関係を保ちたいものである。

 

 内心身構えていた僕たちの様子を知ってか知らずか、大宅さんはグラスの酒を煽った。

 そうして、真顔で僕たちへと向き直る。彼女はゆっくりと、噛みしめるように、マフィアの名前を口にした。

 

 

「金城潤矢。――キミたちが探しているのは、金城だと思う」

 

 

◇◇◇

 

 

 金城にとって、渋谷は“金を手に入れる銀行”という認識らしい。奴の認知は歪んでおり、渋谷を歩き回る人間はすべてATMだと思っているようだ。珠閒瑠の一件で舞耶さんが言っていた「キャッシュディスペンサー=金づる」という言葉が頭によぎった。

 

 歪んでいるのは人間に対する認知だけではなく、渋谷全体にも及んでいるようだ。その証拠に、鴨志田や班目のパレスを攻略した際、パレス以外の街並みは普通と同じだった。風にあおられた札束が宙を舞う。路肩には倒れたっきり動かないATM人間が転がっていた。マフィアのボスを張るだけあって、パレスの規模も桁違いだ。

 早速僕たちは、金城の庭である渋谷を散策する。だが、渋谷全体から金城という男を探すのは骨が折れるどころの話ではなかった。渋谷の街は広い。話を聞けそうなATM人間はショートしている者が大半で、少し話をしただけで倒れてしまう。彼らは一様に『金城は『足がつかない場所』にいる』と言い、それっきりだ。

 その後パレスを見つけた僕らは茫然とした。金城のパレスは空中に浮かんでいたのである。侵入の手立てがないため、僕たちはその日の探索を切り上げて現実世界へ帰還する。強い疲労感に体を引きずりながら、僕たちは一端家路についた。但し、僕の場合は例外で、黎をルブランまで送るために四軒茶屋へ寄り道することにしたのだが。

 

 一応、これは獅童智明の指示である。『怪盗団関係者に貼り付け』と言われたので、僕はその通りにしているだけだ。

 新島さんからの依頼/脅迫のせいでゆっくりとした時間が過ごせないから、デートの代替にしている訳ではない。断じて。だってモルガナ同伴だし。

 

 

「しかし、正義の証明って難しいな」

 

「今回の件は特にそうだね。警察の動きすら自在に操れる奴がバックにいるんだ。一介の高校生程度がどうにかできるものじゃない」

 

 

 鞄の中に入っていたモルガナが面倒くさそうにため息をつく。僕も素直に同意した。

 怪盗団は今、崖っぷちにいた。同時に僕は知っている。僕らと同じように、新島さんも崖っぷちにいることを。

 窮鼠が猫を噛むように、追いつめられた人間が何をするかなんて分からないのだ。注意を促すに越したことはない。

 

 

「……この前の模試の帰り、新島さんと会ったんだ。酷く思いつめたような顔をしてた。周りからは『どうして事件を解決できないんだ』とか『キミしか頼れる人間がいない』とか責められていて、相当参ってるみたいだ。冴さんも、ここ最近は新島さんに当たり散らしてるって言ってたね」

 

「成程。だから、新島先輩はどこか焦ってる感じがしたんだ」

 

「あの生徒会長も、居場所がないのか……。追いつめられたネズミは何をするか分かったモンじゃねえ。生徒会長が暴走しないように注意しとかないと――」

 

 

 モルガナが言い終わる直前、黎のスマホが鳴り響いた。誰かからメッセージが来たらしい。彼女がそれを確認していたとき、僕のスマホも鳴り響いた。メッセージの差出人は警察キャリア――次期参事官と噂される真田明彦さんからだ。

 

 珠閒瑠市からは周防兄弟、巌戸台からは真田さん、八十稲羽からは堂島さんが、詐欺恐喝グループの元締めを検挙するために合同捜査を行っていた話は耳にしていた。捜査が突如打ち切りになり、以後はタブー扱いにされてしまったことも。

 だが、周防兄弟や真田さんは諦めなかった。警察志望の千枝さんも加わり、無断で捜査を行っているという。堂島さんは別件に駆り出されているため身動きが取れずにいるようで、東京近隣の大学へ進学した千枝さんは彼の代わりに協力を申し出たという。勿論、周囲からのクレームおよび風当たりは酷いようだ。

 それから、『先日僕が探偵組や司法関係者組一同へ提供した情報であり依頼――金城潤矢に関する調査報告を直接伝えたい』ということで、彼らは今、四軒茶屋のルブランに集っているらしい。……何故だろう。佐倉さんが可哀想なことになっていそうな予感がする。

 

 真田さんはプロテインジャンキーだし、千枝さんはよく食べる人だ。周防刑事は甘党だし、達哉さんは甘いものが苦手である。

 後者は警戒しなくても良さそうだが、問題は前者だ。真田さんと千枝さんがフルスロットルしていなければいいのだが。

 

 

「吾郎。大宅さんが、『金城には黒いつながりがあるから、調査を止めた方が賢明だ』ってメッセージくれた」

 

「そっか。こっちも真田さんから連絡入ったんだ。『真田さんたちは今ルブランにいる』って。金城に関する情報を直接手渡したいってさ」

 

「よし。じゃあ、急いでルブランへ帰ろう」

 

 

 家路を急ごうと足を速めた黎の背中を追った僕は、ふと気づいた。

 周防刑事――つまり周防克哉さんは、猫大好きな猫アレルギーである。

 

 

「モルガナ。ルブランにいる刑事さん、猫アレルギーなんだ」

 

「ああそうか。現実のモルガナは猫だから気をつけないと。周防刑事のアレルギーは、一歩間違うと命に係わる系のレベルだったし……」

 

「……了解した。ワガハイ、適当な場所で時間を潰してくる」

 

 

 猫と言われたモルガナは不機嫌そうに眉をひそめたが、該当者のアレルギーが『命に係わる』レベルだと知って、渋々頷いた。黎の鞄から飛び出すと、彼は一足先にルブラン近辺へと駆け抜けていく。本当に足が速い。

 

 数分遅れでルブランに辿り着いた僕たちが扉を開けると、渋い顔をした佐倉さんが僕たちを迎えてくれた。僕らを見て表情を緩ませながらも、客には迷惑そうに視線を向け直す。

 気持ちは分からなくもない。だって、団体席に座っている客がとんでもないのだ。少女はカレーのお代わり4皿目だし、銀髪の年若い刑事はカレーにプロテインをかけている。

 サングラスをかけた刑事はコーヒーにミルクと角砂糖を投入し続けていた。辛うじて普通の客と言えそうなのは、粛々とコーヒーを飲み進める年若い刑事だけなのだから。

 

 

「あ、おかえり吾郎くん! 待ってたよ!」

 

「……カレー4皿お代わりする程待たせてしまってすみません、千枝さん」

 

「今4皿目食べ終わったんだー。ここのカレー、本当においしくてさー!」

 

 

 里中千枝さんはうっとりとした口調でルブランのカレーを絶賛した。女性から褒められるのは嬉しいらしく、佐倉さんがちょっと得意げに笑った。しかし、彼はカレー鍋に視線を向けると、困ったような顔をする。大方、面々の類稀ない食欲によって鍋の中身が大変なことになったのであろう。

 他にもカレーを食べ進めている人物がいる。次期参事官と目される警察キャリア、真田明彦さんだ。真田さんも千枝さん並みにお代わりを繰り返しており、おまけに“特性カレーにプロテインをかけて食べる”という暴挙に出ていた。佐倉さんが眉間に皺を寄せるのは当然であった。

 

 荒垣夫婦の結婚式で、料理にプロテインをかけて荒垣さんに叱られていた男だ。未だジャンキーは治っていないらしい。閑話休題。

 

 

「吾郎くん。例の件に関する調査報告だが――」

 

 

 ようやく自分が飲める味になったらしい。周防刑事はコーヒーを啜ると口を開き、ちらりと黎へ視線を向けた。意味が分からない黎は首を傾げる。

 それを見た周防刑事は、何とも言い難い表情で僕を見返した。……おそらく、僕が黎に何も言っていないことに関して思うところがあるのだろう。

 『もう少し待ってほしい』の意を込めて、僕は小さくかぶりを振って周防刑事を見返した。他の面々と顔を合わせた刑事組と志望者は、僕の意志を汲んでくれた。

 

 

「単刀直入に言う。“件の男”には、キミが追いかけてる“黒幕”が関わってた」

 

「……そうですか」

 

「あと、以前の“画家”にも“黒幕”との繋がりを発見した。金銭的な方面で、な」

 

 

 “件の男”は調査を依頼した金城潤矢、僕が追いかけている黒幕は獅童正義。“画家”である班目一流斎にも獅童との繋がりがあった――これでまた、獅童との因縁が増えた。

 

 

(秀尽学園高校の校長が獅童と繋がっていて、鴨志田の暴挙を野放しにしていた。班目と金城は獅童にとって金の出所……。怪盗団のターゲットに選ばれた3人は、獅童の関係者ばかりだ)

 

 

 1度や2度なら、偶然と言い張れるだろう。だが、3度目となれば最早“故意”としか言いようがない。

 

 怪盗団は“獅童に係わる人間たちをターゲットに()()()()()()()”。自分たちにその気がなくても、何かが意図的に獅童の関係者を狙うよう介入してくる。『奴』は手を変え品を変えて、獅童に至るまでの道筋を作っていた。そんな真似ができるのは人間ではない。『神』と呼ばれる類だ。

 半信半疑だった――そうでなければよいと思っていた予感が的中し、僕は大きく息を吐く。同時に湧き上がってくるのは、実の父に対するささやかな希望(まやかし)だった。“『神』の介入がなければ、獅童は善人のままだったのではないか”なんて、馬鹿なことを夢想する。もしかしたら、僕も認められて愛されるチャンスがあるのではないか、と。

 

 そんなことはない。そんなことはあり得ない。だって、獅童が議員になってから、人を道具のように使い潰すやり方は徹頭徹尾変わっていないのだ。

 政敵も、使えなくなった自分の側近も、気に入らない人間も、僕を身籠った母のことだって容赦なく切り捨ててる。『廃人化』ビジネスが始まる以前から。

 『人が変わったようだった』という噂だって一度も聞いたことがなかった。『五口愛歌と獅童智明(旧姓:五口智明)』に対して愛情を示すこと以外、特に違和感はない。

 

 

「……吾郎。そろそろ、覚悟を決めたらどうだ?」

 

「達哉さん……」

 

 

 コーヒーを飲み干した達哉さんが、静かな面持ちで僕を見つめる。

 僕らと一緒に珠閒瑠を駆け回った“彼”ではないのに、“彼”と同じような面持ちだった。

 

 

「そうだな。何も言われないまま……というのは、辛いぞ」

 

 

 カレーを食べ進めていた真田さんも、沈痛そうな面持ちで頷いた。真田さんは荒垣さんの一件を言っているのだろう。兄弟同然に育った彼らは、荒垣さんのペルソナ暴走事件から大きくすれ違ってしまっていた。それ故に、荒垣さんの戦線復帰に誰よりも喜んだのは真田さんである。

 けれど、また一緒に戦えるという喜びから、真田さんは荒垣さんの違和感に気づけなかった。荒垣さんが天田さんに殺されるために帰ってきたことに気づけなかった。その違和感を察知したときにはもう、荒垣さんは覚悟を決めていたし、天田さんも復讐のために動き出していた。

 荒垣さんは真田さんに対して何も言わなかった。誰にも何も言おうとしなかった。だからこそ、荒垣さんがストレガのタカヤに撃たれるという事件が発生した際、特別活動部の面々は強い衝撃を受けたのだ。それは僕も同じだったし、察していて何もできなかった至さんは殊更辛かっただろう。

 

 僕は黎へ視線を向けた。黎は何も言わないが、僕のことを心配してくれていることが伝わってくる。不安であること以上に、僕を信じて待っていてくれている。

 

 思えば、僕は今まで黎や怪盗団の面々に隠し事ばかりしていた。僕が『改心』させたい相手であり黎の冤罪をでっちあげた犯人――獅童正義が僕の父親であることも、奴の後ろに『神』が蠢いていることも、何も言っていない。

 今回の一件で確証は得た。仲間たちに話さねばならぬと思うのだが、口を開くと言葉が喉に閊えて出てこない。そんな自分の弱さが嫌で、この世から消えてしまいたいとさえ思ってしまう。……いや、本当は、今すぐ消えてしまうべきなのだろう。僕は。

 

 

「黎。僕は――」

 

「吾郎、無理しないで。……顔色悪いよ」

 

 

 半ば真田さんや達哉さんに促されるまま、僕は口を開く。だが、黎によって言葉を塞がれた。

 僕にはそんなつもりはないのだが、周りから心配そうな眼差しを向けられるあたり、相当な顔をしていたのだろう。

 

 

「……ごめん」

 

 

 ――結局僕は、何も言えないままだった。

 

 

 

 

 

 そうして、その日の夜。

 

 

克哉:ルブランからの帰り、黒猫を見かけた。

 

吾郎:アレルギー大丈夫だったんですか!?

 

克哉:不思議なことに、あの黒猫には近づいてもアレルギーが出なくてね。嬉しくてつい2時間ほど戯れてしまったんだ。

 

吾郎:そ、そうですか……。

 

克哉:しかもその猫、喋るんだ! ペルソナも使えるんだ!! アレルギーが出ないで猫と戯れることができるなんて最高だなあ!!

 

達哉:そいつ、黎やお前の名前を連呼してたんだが、知り合いか?

 

 

 降って湧いたようなモルガナの災難に、僕は遠い目をした。

 そういえば僕らは、周防刑事が猫好きだとは伝えていなかったな、と。

 

 

◇◆◆◆

 

 

 ざぷん、と、水の音がした。ゆらゆらと揺蕩う心の海の中で、探していた少女の姿を見つけた。

 青年は朗らかな笑顔を保ったまま、少女に声をかけた。振り返った少女が首を傾げる。

 

 

「秀尽学園高校の校長先生、大変そうだね。このまま事態を収拾できなかったら、あの人クビにされちゃうから必死みたいだよ」

 

 

 青年の言葉を聞いた少女は、びくりと身を震わせた。

 

 

「ヤクザに脅されている生徒も可哀想だ。警察に頼れないから新島さんに相談したのに、新島さんは何も解決できないでいる」

 

 

 少女の名前は新島。名前を呼ばれた彼女は、怯えた顔をしてこちらを見上げる。

 

 

「新島検事、本当に困ってたみたいだ。『キミがいるせいで何事もうまくいかない』って。『明智くんみたいに優秀な子がよかった』って」

 

 

 明智吾郎の名前を出した途端、新島は顔を真っ青にして彼の名前を鸚鵡返しにした。

 金色の双瞼に浮かぶのは、明智吾郎への羨望と怒り。

 

 

「ねえ、いいのかい? ……このままだと、キミは“役立たず”になっちゃうよ?」

 

 

 それは甘美な毒のように、新島の心を侵していく。

 

 

「“役立たず”ってなったら、どこにもいられなくなってしまうね」

 

 

 新島は黒い影を纏い始めた。どこからか、バイクのエンジン音が響き渡る。但し、その音は明らかに正常なものではない。

 できればそのまま大破してくれれば万々歳だが、それでは()()()()()だろう。青年はくつくつと笑った。

 それに、新島の心は強い。“反逆の徒”としての才能と加護のため、青年が施した『暴走』も簡単に解くことができるはずだ。

 

 まあ、元々彼女に施した『暴走』は一時的なものだった。金城の元へ突っ込んでくれれば、正直な話、後はもう()()()()()()()()()()()()

 

 

「役に立ちたいなら、行動しなきゃ」

 

 

 言葉で新島の背を押してやる。黒い影を纏った少女は当てもなく駆け出した。

 その背中が見えなくなるのを見送って、青年は目的を果たしたと言わんばかりに歩き出す。

 

 

「意外と使えるね、ニャルラトホテプ」

 

『――調子に乗るなよ。■■■■■■の端末風情が……!』

 

 

 青年の内側から、不快そうに呻く声が聞こえてきた。

 

 

◆◇◇◇

 

 

「……カネシロの居場所を掴めればいいのね?」

 

 

 僕らからの話を盗み聞きした新島さんは、険しい顔をしたまま問いかけてきた。目が完全に据わっている。

 『新島さんの様子がおかしい』と根回ししていたのが吉と出たようで、全員が嫌な予感を察してくれたらしい。

 

 

「お、おい会長サン! あんた、一体何をするつもりなんだ!?」

 

「だ、駄目だからね!? 変なことされたらこっちが困っちゃうから! 一端落ち着こう!?」

 

「変なこと? 大丈夫よ、カネシロの居場所を掴んでくるだけだもの。むしろ貴方たち怪盗団にとって、メリットのはずでしょう?」

 

 

 竜司と杏が新島さんを止めようとするが、新島さんは不気味な笑みを浮かべながら1人でうんうん頷いている。まるで何かに取り憑かれてしまったかのようだ。

 僕たちが金城のパレスを探し回り、諦めて撤退したその日に何があったのかを察することはできない。だが、その1日で、新島さんのタガが外れてしまったのだろう。

 理知的な生徒会長の様子からは程遠い形相だ。彼女がここまで取り乱す原因は何だろう? 学校関係者から何かを言われたのか、それとも冴さんの八つ当たりか。

 

 青黒い炎が渦巻いているようなオーラを背負った新島さんは、無言のまま黎のスマホを操作した。お互いのスマホを予め通話状態にしておくことで、新島さんが誰かと話している内容が黎に筒抜けになるようにしたらしい。

 

 

「これで下準備は完璧ね」

 

「……まさか、金城の関係者を脅して居場所を聞き出すつもり?」

 

「ばかな! 危険すぎる、考え直せ!」

 

 

 黎の推測に、祐介が慌てて新島さんを説得しようと試みる。だが、新島さんはずんずんと足を進めて行ってしまう。彼女の横顔は非常に鬼気迫っており、“何かを成そう”と足掻いているように感じた。

 祐介だけでなく、杏や竜司も新島さんの行く手を阻もうとした。新島さんはそれらを跳ね除ける勢いで足を進めた。新島さんは「貴方たちだって金城の居場所を知りたいでしょう?」と頑なになっている。

 

 

「新島さん」

 

 

 僕が声をかけた瞬間、新島さんが足を止めてこちらに振り返った。鳶色の瞳は、明らかに、僕に対する敵意で満ちていた。

 

 

「邪魔しないでよ明智くん。私は絶対、貴方なんかに負けない」

 

「……に、新島さん?」

 

「どうして貴方なの? お姉ちゃんに褒められて、認められて、必要とされて……! どうして私じゃないの!?」

 

 

 明らかに様子がおかしくなった新島さんに、慌てて杏が割り込んだ。「に、新島先輩、落ち着いて!!」――彼女の主張は、新島さんに届かない。

 新島さんは僕に対して敵意を剥き出しにする。『冴さんに必要とされているお前が羨ましい』と言わんばかりに、新島さんは僕を睨みつけてきた。

 理性の大部分を削ぎ落したかのように、彼女の双瞼は血走っている。獣のような凶暴な表情に、僕は思わず身を固めた。

 

 脳裏に浮かぶのは、獅童に愛される智明の姿。同じ獅童の息子なのに、全く別の人生を歩む者。

 智明は獅童に望まれて生まれ、僕は獅童から望まれなかった。ただそれだけの違いで、人生は劇的に切り替わる。

 

 

「私は役立たずなんかじゃない! ちゃんと役に立てるんだッ!」

 

 

 叫ぶように言い放った新島さんは杏を乱暴に突き飛ばし、今度こそ振り返らずに駆け出した。僕らは慌てて追いかけたが、渋谷の人混みによって見失ってしまう。

 再び新島さんの姿を見つけたとき、彼女は金城の部下たちによって車に連れ込まれたところだった。黎と新島さんのスマホは通話中で、奴らの会話はきちんと聞こえている。

 

 車のナンバーは祐介が描き止めていた。あの一瞬の間に、彼はナンバープレートを模写したらしい。

 

 

「伊達にクロッキーやっていた訳じゃない!」

 

「そこのタクシー、止まれ! 止まれって言ってんだろ!!」

 

 

 鬼気迫った様子で頷く祐介の横で、竜司がタクシーを留めていた。1台目のタクシーに無視されたため、やや乱暴な方法――タクシーの進路を遮るように飛び出した――である。車のナンバーと新島さんとの通話から聞こえてくる男たちの声を頼りに、僕たちは金城の居場所へ辿り着いた。

 

 

『ちょっと! 女の子相手に寄ってたかって何やってるのよ!?』

 

『あァ!? なんだテメエ!』

 

「ち、千枝さん!?」

 

「急ごう!」

 

 

 丁度そのタイミングで、新島さんとヤクザの会話に割り込んできた人物がいた。僕と黎にとっては聞き覚えのある女性のものだ。刹那、何かを弾き飛ばす音が響き渡る。『ぐぇっ』とヤクザの悲鳴が紛れて消えた。僕はひっそりヤクザへ黙祷する。里中千絵さんは八十稲羽メンバー中、根っからの武闘派のためだ。

 千枝さんは新島さんを救出したが、ヤクザはこれ幸いに“暴力を振るった”と言いがかりをつけて千枝さんを脅そうとする。千枝さんは新島さんを庇いながら怯むことなく反論した。女傑と謳われた巴御前(トモエ)――現在はハラエドノオオカミ――をペルソナとして所持していることは伊達ではない。

 

 だが、金城含んだヤクザどもはグルになり、『新島さんが脅迫し、千枝さんが暴力を振るった』と証言し、2人を揺すろうとしていた。証人は奴らがいる高級クラブの客と従業員全員――数で畳みかけるつもりらしい。

 

 

『……成程。脅迫と傷害未遂、もしくは強姦未遂の現行犯だな。いいタイミングだ』

 

『なんだ貴様!? どこから入って来やがった!?』

 

『周防達哉。珠閒瑠の刑事だ』

 

『同じく周防克哉、警察だ』

 

『同じく真田明彦、警察だ。貴様らを現行犯で逮捕する!』

 

「あ! この前の刑事!!」

 

 

 電話の向こうから響いたのは、聞き覚えのある男性の声だった。モルガナは周防刑事に2時間戯れられたことを思い出したのだろう。露骨に嫌そうな顔をした。

 警察官の出現に、僕と黎以外の怪盗団メンバーが反射的に足を止めた。このまま突っ込めば、自分たちの関係を訊かれ、正体がばれてしまうと思ったのだろう。

 だが、足を止めずに走り続ける僕と黎の姿を見て、「仕方がない」ということで覚悟を決めたらしい。僕たちと一緒に部屋の中へと飛び込んだ。

 

 そこでは周防刑事たちが金城と睨み合っているところだった。千枝さんは新島さんを庇いながらヤクザを見下している。足元には泡を吹いたヤクザやチンピラが転がっていた。

 屍累々の光景に、金城は若干身を縮ませていた。だが、警察よりも金城の方が優位に立っているという確信を持っているのだろう。強気に笑いながら警察官たちを挑発する。

 

 

「もう既に事件は解決扱い。捜査は打ち切られ、御影・珠閒瑠・巌戸台・八十稲羽の合同チームは解散してる……! 『二度と触れるな』って指示だって出たはずだ! テメエらのやってることは完全な命令違反! 上層部がどう判断するか、見ものだな!!」

 

「安心しろ。元々俺たちは、腐りきった上層部との折り合いはよろしくない。左遷やクビが怖くて正義が貫けるか」

 

「まったくだ。でなければ、わざわざ我々だけで捜査を続けたりなどしない」

 

 

 達哉さんは堂々と胸を張って宣言した。隣で頷く周防刑事に至っては、珠閒瑠の事件――当時の大臣・須藤竜蔵の手足として動いていた上司によって捜査妨害を受けた経験がある。その後、件の上司は周防刑事たちの前に立ちはだかり、彼らの手によって倒された。

 

 警察官一同の話を聞いた竜司が「ってことは、この刑事たち、後がヤバイんじゃ……」と漏らす。組織の中にいるはみ出し者が辿る末路は、僕たち怪盗団自身が知っているからだ。子どもより大人の方が風当たりが強いことも予想がつく。

 『ヤクザの元締めに関する捜査が打ち切られた』と言う話を思い出した杏と祐介も、険しい顔で刑事たちを見つめた。だが、嘗て“反逆の徒”として神に挑んだその眼差しは、誰1人として朽ちていない。尊敬した大人たちのままだ。

 

 刑事という地位と警察官という組織から脅しをかけてきた金城の目論見は見事に外れた。「だから何だ」と言わんばかりに金城を見下ろす警察官の眼差しは厳しい。

 本人たちが折れないのなら、警察組織の方面へ圧力をかけることにしたのだろう。金城は部下に命じて、どこかに電話させていた。獅童の息がかかっている協力者だろうか。

 金城が不敵に笑うあたり、電話の向こう側にいる人物は司法関係者であることに予測がつく。でなければ、刑事たちの捜査を強制的に打ち切らせる真似などできない。

 

 僕がそんなことを考えていたときだった。金城は新島さんや僕たち――特に黎へ視線を向けると、下卑た笑みを浮かべた。

 

 

「お前、御影町の旧家出身なんだろ? そんで、この刑事や生徒会長たちと“オトモダチ”なんだってな?」

 

「そうだけど」

 

「お前が金を用意してくれるんなら、全部手打ちにしてやってもいい。ここにいる刑事たちの処分が軽くなるよう根回しするし、この美人生徒会長への請求も300万の半分――150万にして、期限も3か月後にする。どうだ、いい条件だとは思わないか?」

 

「ちょ、ちょっと! 有栖川さんは関係ないでしょう!?」

 

「……分かった。いくら用意すればいい?」

 

 

 黎はちらりと僕らにアイコンタクトしてきた。彼女は最初(ハナ)からこの取引に応じるつもりがない。金城を『改心』させることで踏み倒す気でいるのだ。そのためにはまず、新島さんや周防刑事たちを無事に脱出させることを選択した。

 神妙な顔つきで提案を飲んだ黎に対し、金城は1000万円を要求してきた。支払期限は3週間後である。払えない場合は金城の指定した風俗店で1000万円と利子分を稼ぐことになるそうだ。普通に考えると到底無理な話だが、黎は踏み倒す気満々なので気にもしていない。

 

 最初は真田さんや周防刑事兄弟がぎょっとした顔で黎を見たが、淡々とした黎の様子に「何らかの手段を講じて踏み倒すつもりだ」と察した様子だった。若干表情を引きつらせながらも、神妙な顔を保っていてくれた。

 

 「前払いだからな」とほざいた金城は、大人しく周防刑事と真田さんの拘束を受け入れていた。奴らは最寄りの警察署に連行されるが、獅童の圧力によって即座に釈放されることだろう。金城はそれから3週間、黎の支払いを待ち続けるのだ。その間は警察組も動きを封じられてしまうだろうし、千枝さんも似たような目に合うかもしれない。

 正直胸糞悪い話だが、『改心』さえさせればこちらのモノである。そう言い聞かせていないと、僕が耐えられない。金を稼ぐために黎が体を売る? 獅童のような連中に、黎が滅茶苦茶にされる? ――そんなこと、絶対に嫌だった。これが原因で獅童に目を付けられてしまうと分かっていても、そのために黎を見捨てるなんて真似、できるはずがなかった。

 

 

***

 

 

 周防刑事、真田さんは金城とヤクザ一同を伴い最寄りの警察署へ向かった。

 千枝さんは明日大学で行われる講義に出席するために分かれた後。

 

 

「――本当に、本当にごめんなさい!」

 

 

 「私がバカだった」と、新島さんは頭を下げてきた。「何故あそこまでおかしくなってしまったのか、自分でも分からない」とも。

 

 役に立ちたいと、僕――明智吾郎に負けたくないという気持ちが暴発した結果が、“新島さんの強行”という形で顕現したのだろう。“必用とされるには役に立たねばならない”という意見の帰結は当然のことだし、僕自身にも似たような経験があるから気持ちはよく分かる。

 新島さんの場合は、冴さんから僕と比較された挙句『貴女は役立たず。私の人生の足を引っ張っている』と理不尽に当たり散らされていたらしいのだ。いくら理知的で冷静な新島さんでも、積み重なった痛みに飲み込まれ、耐え切れずに悲鳴を上げてしまうのは当然のことだった。

 ひたすら謝り倒す新島さんだったが、彼女は姉のことを思い出して深々とため息をつく。「これじゃあ、お姉ちゃんにもっと迷惑かけちゃう」――ああそうか。姉を想うからこそ、彼女は“いい子”でいようとしたのだ。姉の人生を守るために、姉の邪魔をしないために。

 

 

「私は子どもだから、負担しかかけなくて……いつも迷惑かけっぱなしで……だから、誰かの役に立ちたかったの」

 

「よく分かんねーけど……子どもだから役に立たないとか、ちょっとおかしいと思うぜ? そーゆーの」

 

 

 「会長サンの言葉が正しければ、俺はどうなるんだよ」と、竜司はバツが悪そうに呟いた。嘗て、彼は義憤に駆られて鴨志田を殴ったことがある。それが暴力事件として取り沙汰され、唯一の肉親である母親に多大な迷惑をかけていた。その経験を思い出し、自身を顧みていたのだろう。

 それでも新島さんは、自分が子どもであることにコンプレックスを抱いていた。“役に立たない子と言われることに対して、強い恐怖と悲しみを抱いていたのだ”と吐露する。その姿は秀尽学園高校の優秀な生徒会長ではなく、どこにでもいる普通の女子高生と変わらない。

 

 

「特に、高巻さんや有栖川さんには酷いことをしてしまったと思ってる」

 

「「えっ?」」

 

「……鴨志田の件、今思えば、学校ぐるみで隠蔽されていたんだわ。私、どこかで違和感に気づいてたのに、何もできなかった……」

 

 

 新島さんは、杏と黎に対して深々と頭を下げた。まさか頭を下げられるとは思わなかったようで、杏があたふたしながら新島さんをフォローする。そうして、彼女は僕へと向き直った。

 

 

「明智くんもごめんなさい! 貴方に八つ当たりしただけじゃなく、有栖川さんを――貴方の大切な人を、2回も危険に巻き込んでしまって……!」

 

「……そりゃあ、色々言いたいことはある。あるけど、何も言えないよ。『どうして自分じゃないんだろう?』って気持ちは僕にも分かるし」

 

「え?」

 

「僕の母親は、“僕を身籠った”という理由で悪い男に捨てられてね。つい最近の話なんだけど、母が亡くなって初めて、僕は実父と会ったんだ」

 

 

 “つい最近、実父と再開した”――初めて聞く僕の話に、黎が目を丸くする。怪盗団の面々も驚いた様子で耳を傾けた。

 あの日のことを思い出すだけで、胸が抉られるような痛みを感じる。鴨志田を『改心』させた後のビュッフェ。

 

 旧姓:五口智明――現在、獅童智明。獅童正義に愛された五口愛歌(おんな)の息子で、獅童に愛される子ども。俺とは違い、望まれて生まれてきた獅童の子どもだ。

 何もかもが正反対。俺が欲しいと願ったものを、奴はすべて持っていた。実父からの愛を、承認を、賞賛を、奴は惜しみなく与えられて生きていた。

 もしも、空本兄弟という保護者や今まで出会った信頼できる大人たち、そうして俺に寄り添ってくれる黎の存在がなかったら、俺は奴を見て何を思ったのだろう。

 

 

「……奴には息子がいたよ。奴に望まれ、奴に愛された子ども。俺と同じ年で、俺と同じ学校に通って、俺とは違って奴のことを『父さん』って呼んでた。呼ぶことが許されてた」

 

「ゴローと同じ年の子ども!? ってことは、ソイツ、はなから“ゴローの母親を弄ぶため”に近づいたってことか!?」

 

「らしいね。母は奴と結婚したくて僕を産んだらしいけど、その可能性は最初から存在しなかったんだ」

 

「なんて最低な奴だ……!」

 

「反吐が出るな」

 

「オンナを何だと思ってるのよ、そいつ!」

 

 

 俺の話を聞いて、モルガナと竜司が憤慨した。祐介は険しい顔で眉間の眉を深め、杏も怒りをあらわにした。黎は心配そうに俺を見つめていた。俺は肩をすくめる。

 

 

「それ見たとき、思ったんだ。『どうして自分じゃないんだろう?』、『アイツと俺の何が違うんだろう?』って。……好きで“望まれない子ども”として生まれたわけじゃねえのに」

 

「吾郎……」

 

「今は平気。立派な保護者がいるし、尊敬する大人がいるし、お前らがいるし、黎もいてくれるから。……みんなをアイツに取られる方が、ずっと嫌だ」

 

 

 そう言った途端、何とも言い難い照れ臭さを感じたのは何故だろう。口元を抑えて咳払いすると、優しく微笑む黎と目が合った。うん、だめだやっぱり照れる。恥ずかしい。本当にどうしよう。

 周りからの生温かい視線が刺さって来る。「ごちそうさまです」だの「また惚気かあ」だの「これで結婚してないんだぜ? 式はまだか?」だのと、疲れ切った声で呟いたのは一体誰だったのだろう。

 そのうちに「惚気の中にさらっと俺らも組み込まれてないか?」「マジ!? え、これ、喜んだ方がいいの!?」等と騒ぐ彼らにツッコミを入れる余裕はなかったし、何も言わないでおくことにした。

 

 さて、次は金城のパレスを攻略しなければなるまい。空に浮かぶ金城のパレスに侵入する方法を考えていた僕らだが、モルガナがハッとしたように声を上げた。

 

 銀行は、“銀行に用がある人間”以外立ち寄らないし、“銀行に用がある人間”以外通す必要はない。

 先程の突撃によって、金城は怪盗団を――特に黎と新島さんを『客』と認識した。

 

 

「ってことは、新島先輩は……」

 

「ああ! 超弩級の大手柄だ!」

 

 

 黎とモルガナがぱああと表情を輝かせて新島さんを見た。無謀な行動だと自信を顧みていた新島さんが目を丸くする。現実世界で発生した出来事のどこに手柄があったのかと、新島さんは困惑した様子で僕たちを見返す。

 多分、これから新島さんにはもっともっと困惑してもらう必要があるだろう。体を張って道を切り開いてくれた新島さんには知る権利があるし、“新島さんのおかげで僕たちが助かった”という証拠も見せてあげたい。

 

 新島さんを金城のパレスに連れて行くか否か。困惑する新島さんを放置して、僕らは早速会議を行う。不安を抱えるものの、結局は全会一致で“新島さんの同行”は決定した。

 

 早速イセカイナビを起動して認知世界へ踏み込む。僕らの格好を見た新島さんがパニックを引き起こしたり、金を吸い込むUFO――もとい、金城のパレスを目の当たりにして放心したりしたが、最終的にはすべてを受け入れてくれた。

 むしろ、素晴らしい頭脳を駆使し、何となくの認識でしかなかったパレスや認知に対して(比較的)きちんとした理屈を付加したあたり、秀尽学園高校が誇る優等生の頭脳は伊達ではない。スカルとパンサーが逆に感心するレベルだった。

 色々話し合ったが、早速僕たちは自分たちの仮説に賭けてみる。ジョーカーと新島さんがUFO銀行に近づいた瞬間、相手側の方から近づいてきた。ゲートを開き、客である2人を誘うように道を作り出す。――計算通りの光景だ。

 

 

「ありがとう、新島先輩! おかげで金城のパレスを攻略することができる」

 

「有栖川さん……」

 

「新島先輩がいなかったら、金城によって苦しんでいる人たちを助けられなかった。弱い立場の人たちを勇気づけることだってできなかったかもしれない。……だから、新島先輩は“役立たず”じゃない。大手柄だよ」

 

「それなら……それならよかった。私の方こそありがとう、有栖川さん――いいえ、ジョーカー……!」

 

 

 誰かに褒められたのが嬉しかったようで、新島さんは感極まったように声を震わせた。

 それを少し離れた場所で見守っていた僕らも、2人の元へ駆け寄る。新島さんの大手柄を褒めながら、僕たちは早速金城の銀行へと乗り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――いくよヨハンナ! フルスロットル!!」

 

 

 青白い核熱の光を纏ったバイク――ペルソナに跨り、新島さんはシャドウを蹴散らしていく。僕らは唖然とその姿を見つめていた。

 

 文字通り、新島さんの大手柄である。

 ……ここまで手柄を立てるとは予測してはいなかったが。

 

 




魔改造明智、自分にできることと自分が成すべきことを鑑みてモダモダしている模様。その脇で怪しく動く“誰か”の影。どうやらニャラルトホテプ(明らかに不本意っぽい)の力を使って真にちょっかいを出し、大暴走を引き起こさせたようです。
ここから、P5の黒幕と2罪罰のアレにオリジナル要素が付加される模様。P5の完全版が出たら十中八九破綻する系のねつ造設定です。P5ボス原典にいる“対になる存在”が不明という現状だからこそできた暴挙です。ご了承ください。
今回のゲストは警察組――周防兄弟(克哉と達哉)と真田明彦――と、警察志望者――里中千枝です。戦闘には不参加ですが、御影町のOL綾瀬優香、寿司屋板前の三科栄吉、月光館学園高校理事長荒垣命(旧姓:香月命)、八十稲羽の刑事堂島遼太郎もちょっとだけ登場しました。
真に“拙作の魔改造明智”と“真と魔改造明智を比較する(正常じゃない)冴さん”を投入したら多分荒れるだろうなと思ったのと、真の荒れ様に正当性が欲しいなと考えた結果があんなことになりました。あんな感じで『廃人化』担当はちょっかいを出してきます。


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ささやかな願いを、ひとつ

【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 @空本(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄で明智の保護者その1。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
 @獅童(しどう) 智明(ともあき)⇒獅童の息子であり明智の異母兄弟だが、何かおかしい。獅童の懐刀的存在で『廃人化』専門のヒットマンと推測される。詳しくは中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『運命を切り開くだけの簡単なお仕事』および『ペルソナ3異聞録-.future-』、Pixivの『2周目明智吾郎の災難』および『【一発ネタ】有栖川黎の幼馴染』の設定を下地にし、別方向へ発展させた作品である。
・ジョーカーのみ先天性TS。
 ジョーカー(TS):有栖川(ありすがわ) (れい)⇒御影町にある旧家の跡取り娘。旧家制度は形骸化しているが、地元の名士として有名。身長163cm。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空本(そらもと) (わたる)⇒明智の保護者2で、南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。
・「2罰ボスの外見を見た人間の反応」に関するねつ造設定がある。
・普遍的無意識とP5ラスボスの間にねつ造設定がある。
・敵陣営に登場人物が増える。誰かは本編にヒントあり。


 世紀末覇者――もとい、ペルソナ使いとして覚醒した新島さんのおかげで、僕たちは金城パレス侵入口の確保および警備員たちの包囲網から脱出することができた。彼女のペルソナであるヨハンナはバイク型。新島さんを乗せるような形で顕現するタイプで、今までにない顕現方法である。

 『パレスの警備は完璧、現実に逃げ場はない。ゆえに、お前たちに明るい未来など万に1つもない』と叫び散らすシャドウの金城――現実世界とは違い、黒髪七三分けに髭を蓄えた銀行責任者――を尻目に現実へ帰還した僕たちは、現在、僕と僕の保護者が暮らす家に集っていた。

 なんてことはない。渋谷の連絡通路で今後のことを話し合おうとしたら警察官と補導員がうろついており、どうやり過ごそうかと悩んでいたら、丁度至さんと遭遇したのだ。至さんは僕らの様子を見て静かに笑った後、『ウチに来なさい』と声をかけてくれたのである。

 

 学生のみの集団で補導員や警察官と対峙した場合、やり過ごすのは難しかったであろう。至さんは名実共に俺の保護者だし、南条コンツェルンの調査員という社会的な肩書もある。彼の背後には南条さんもいるから、警察官と補導員たちは僕たちを黙って見送ってくれた。

 そんな僕の保護者は、現在僕たちの晩御飯を作り終えたところだ。今日のメニューはイタリアンを意識しているらしい。表面のチーズに綺麗な焼き目がついたリゾット、多種多様のハーブで味付けされたチキンソテー、魚のあらを使ったポモドーロ、野菜やチーズをオリーブオイルで和えたサラダが並んでいる。

 

 「食べながらゆっくり話し合いなさい」と言った至さんだが、直後、彼のスマホが鳴り響いた。

 

 

「はいはい南条くん? ――は? 航がグロッキー? “浴びるように酒を飲んだ”、“俺の名前を呼びながら眠り続けて動かない”……成程。了解、すぐ回収に向かうわ」

 

 

 至さんはころころ表情を変えた後、電話を切るなり出かける準備を始めた。「まったくもう」とぼやく彼の横顔は、愛情溢れる苦笑が浮かんでいる。

 甲斐甲斐しく準備をする様子は、まるで母親か妻みたいだ。祐介が手で枠を作っていたのを妨害しながら、僕は至さんの背中を見送った。

 

 各々の保護者達に『遅くなる』という断りを入れて、僕たちは作戦会議に興じる。

 

 

「……しかし、凄いのが出たな。合気道とかそんなもんじゃねぇ。超武闘派じゃねえか」

 

「絶対怒らせないようにしよう。腕とか持っていかれそう……」

 

「やりかねんオーラはある……」

 

 

 竜司、杏、祐介がひそひそと話をしていた。確かに、新島さんのデビュー戦は完全に世紀末覇者という言葉が似合う有様だったし、彼女の怪盗服も棘が目立つデザインだった。

 バイク型のペルソナに跨ってシャドウを轢き倒すだけでなく、拳を使ってシャドウを殴り倒す物理攻撃も披露してくれたのだ。今までのアレが猫かぶりだと考えると空恐ろしい。

 

 

「今まで色々な武闘派を見てきたけど、轢き殺す系は初めてだよ……。ということは、お姉さん――冴さんにもあのケがありそうだから……」

 

「吾郎、頑張れ」

 

 

 僕がひっそりと分析していたら、竜司が乾いた笑みを浮かべて肩を叩いてきた。竜司の接点は新島さんだけだから、冴さんのことに関しては完全に他人事である。

 片方のことだけを考えればいい竜司が羨ましいが、獅童の悪行を止める/黎の無実を証明するために俺が選んだ道だ。己自身のためにも逃げるわけにはいかない。

 決意を新たにした僕を横目に、黎は新島さんと話をしている様子だった。僕たちもひそひそ話を止めて、新島さんの方に向き直った。

 

 

「新島さん、大丈夫?」

 

「ここ何年かで、一番疲れた……。だけど……結構、良かった」

 

 

 黎の問いに答えた新島さんは、とてもスッキリした表情を浮かべていた。金城の元へ突撃していったときのような焦燥はすっかり鳴りを潜めている。憑き物が落ちたみたいだ。

 おそらく、いい笑顔を浮かべる新島さんの姿こそが本来の“新島さんらしさ”だったのだろう。その笑い方は、新島さんの話をする冴さんの笑い方とよく似通っていた。

 

 

「まさか、追いかけていた怪盗団に自分がなっちゃうなんてね。お姉ちゃんが知ったら失神しちゃうかも」

 

「失神してくれれば御の字じゃないかな。『よくも真を巻き込んだわね!?』って、僕ら全員が尋問室送りにされそうだ。……いや、下手したら拷問?」

 

「失礼ね。明智くんはお姉ちゃんを何だと思ってるのよ」

 

 

 カム着火ファイヤーインフェルノ状態の冴さんを思い浮かべる僕のことを、新島さんはジト目で睨みつけてきた。僕はさっと目を逸らす。

 

 怪盗団のことがバレてしまったら大変ではないかと竜司が危惧したが、僕と新島さんは首を振った。現実の捜査でパレスやメメントスのことが明らかになるとは思えない。

 現実の金城と邂逅した際に顔を合わせた周防兄弟や真田さんはペルソナ使いで、異形や異界に関する事件のプロである。しかし、彼らの活躍は表に出ない定めにあった。

 “怪異は誰も知らぬ場所で、ひっそりと燃え尽きるべきである”――彼らの暗黙の了解だ。彼らが怪盗団をどうするかは知らないが、きっと表沙汰になることはないだろう。

 

 実際、周防兄弟が活躍した珠閒瑠市の事件も、真田さんが活躍していた巌戸台および八十稲羽の事件も、その大部分が認知されていない。世間は彼らの活躍を知らないし、余程のことがない限り、彼らの活躍が認められることもないだろう。

 「ペルソナ使いの司法関係者が僕らの敵に回らない限りは、完全立証は不可能だろうね。いや、仮に、彼らが力を尽くしても闇に葬られるんじゃないかな。表の尺度で測れるようなものではないし」――僕の見解を聞いた面々は、周防刑事や真田さんを思い出して渋い顔をした。

 

 

「でも、これが私の運命だったのかもしれない」

 

「怪盗団になることが? どうして?」

 

「私はお姉ちゃんみたいになれないもの。いつか分かり合えないときがくるって思ってた」

 

 

 杏の問いに、新島さんは苦笑する。必死に働く姉の姿に感謝はしていたけれど、姉の姿をどこか哀れに感じることがあったらしい。

 ペルソナの声を聴いて、新島さんは自分の本音をハッキリ聞き取った。要するに、新島さんは根っからのマジメではなかったのだ。

 「“いい子”の仮面は大人の言いなりになっていただけ」と新島さんは自己分析する。……確かに、今の彼女からは息苦しさを感じなかった。

 

 頭も切れるし度胸もある――新島さんの才能は、参謀に向いている。僕のような怪異専門・超弩級の邪道一辺倒とは違い、一般的な正攻法と邪道に関する作戦立案役にはぴったりだろう。斜め穿った見方しかできない僕ではカバーできない部分だ。

 そのことを仲間たちから提案された新島さんは「役に立てるなら」と言って快く引き受けてくれた。彼女のコードネームも(“世紀末覇者”を推し過ぎて紆余曲折あったが)『クイーン』に決定した丁度そのタイミングで、黎と真の携帯が鳴った。

 

 

「こっちの金城は、パレスの出来事を知らないのね」

 

「ああ。だが、こっちのカネシロの認知が変わればパレスは影響を受けるぜ。慎重にな」

 

 

 金城からの催促状を読んだ真は、改めてパレスの世界と現実世界の差異を認識したようだ。モルガナも念を押す。

 

 認知を書き換えることでパレス攻略に影響が出た事例は、班目のパレス攻略でも実証済みであった。あのときは上手い具合に作用したから良いものの、逆のケースだってあり得る。金城パレスの攻略は、慎重に行うに越したことはない。

 期限は残り3週間。そうして、あのセキュリティだ。余計な接触は控えるべきだろうが、突破口を開くためには奴の懐に忍び込まねばならないこともあろう。虎穴に入らざれば虎子を得ず。笑えないけど笑ってしまう。――なんとも怪盗らしくなってきたではないか、なんて。

 

 

「金城を『改心』させることができれば、絶対イイよね!」

 

「叩き潰してやるわよ。私を怒らせたこと、必ず後悔させてやる……」

 

「その意気だよ、真」

 

 

 杏が手を握り締め、真は不敵に笑いながら拳を打ち付け、そんな2人を黎が優しい眼差しで見守る。全会一致で、怪盗団のターゲットが金城潤矢になった瞬間だ。

 明日以降からは作戦実行だと息巻く仲間たちは、これからのためにと腹ごしらえに打って出た。その様子を見つめながら、僕は考える。

 

 今回、怪盗団がターゲットとして選んだ金城潤矢は、僕が追いかけている獅童正義と繋がっている。

 それだけじゃない。鴨志田を黙認した秀尽学園高校の校長や、意図せずなし崩し的に狙った班目も、獅童と繋がりがあった。

 獅童は既に怪盗団に目を付けており、金城を『改心』させれば、獅童は今度こそ怪盗団を敵として認定するだろう。

 

 そして何より、人知の及ばない強大な力を持つ『神』による介入の疑いが濃厚だ。怪盗団のターゲットを、()()()()()()()()()()()()()()獅童正義に向かわせている――こんな芸当ができるのは、『神』と称される類の連中くらいだ。

 

 明智吾郎はピンポイントに穿った見方しかできない。保護者である空本至や航と駆け抜けてきた旅路が、今の僕の価値観を定めている。

 こんな話をしたって、信じてもらえるとは思えなかった。気に留めてもらえるとも思えなかった。けれど、このまま黙っていることもできない。

 

 

(……覚悟を決める、か)

 

 

 達哉さんの静かな面持ちが、真田さんの苦しそうな面持ちが脳裏をかすめる。

 

 もうこれ以上は隠し通せそうにないし、隠し続けることで発生するデメリットの方が大きい。隠したせいで怪盗団の面々を危険に曝すこともできなかった。

 自分の背負ったものに振り回されてばかりで、背負い続けることもできなくて、呆気なく崩れ落ちてしまいそうで――そんな自分が、嫌いだった。

 寄りかかっても、許されるだろうか。手を伸ばしても、助けを伸ばしても、良いのだろうか。……手を、握り返してもらえるだろうか。

 

 

「吾郎」

 

 

 名前を呼ばれた。顔を上げる。そこには、静かに微笑む黎がいた。野暮ったい眼鏡の奥で、灰銀の瞳が煌めく。すべてを赦すように細められた眼差しに、僕は酷く泣きたい気持ちに駆られた。手を伸ばして、縋りつきたくて仕方ない。

 他の面々も、僕が何かを言いたいのだと気づいたらしい。食べる手を止めて、余計な茶々を入れることなく、ただ静かに待っている。大丈夫だと告げるように。彼らの眼差しはどこまでも温かくて、力強くて、優しい。

 

 ()()()()()()()()()()()――僕の中にいる“何か”が苦笑した。

 

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 そこにいたいと、いたかったと、いるに相応しいものであったらよかったと、ささやかな願いを抱いたのは誰だったんだろう。そんな誰かの欲したもの――今僕が望んでやまないものが目の前にある。手を伸ばせば、きっと掴める。

 

 

「……みんな、聞いてくれ。金城をターゲットにするにあたって、話しておきたいことがあるんだ」

 

 

 神妙な面持ちでそう切り出した僕の話を、仲間たちは遮ることなく訊いてくれた。

 

 

「鴨志田卓を庇っていた秀尽学園高校の校長、前回僕らが『改心』のターゲットに選んだ班目一流斎、そして今回僕たちがターゲットとして選んだ金城潤矢には、ある人物との共通点がある」

 

「ある人物?」

 

「獅童正義。国会議員で現職大臣。次期総理候補とも目されている政治家だ。……そして、昨今の『廃人化』事件の黒幕であり、僕が『改心』させたい相手でもある」

 

 

 僕の話を聞いた仲間たちは目を丸くした。今まで怪盗団が関わって『改心』させてきた人間や、これから『改心』させようとしている相手に共通点があったとは思っていなかったのだから当然だろう。僕が『改心』させたい人間に行きつくことになるなんて、予想していなかったはずだ。

 それだけではない。僕が挙げた人物――獅童正義が、自分の駒に命じて『廃人化』事件を引き起こしている張本人なのだ。それ故に、自分に関わりのある人間を脅かしている怪盗団の動きに注視している。恐らく、金城を『改心』した後は本格的に敵視してくるであろう。

 鴨志田と班目をターゲットとして見出し『改心』したところまでは“偶然”と言えるだろうが、3人目のターゲット――金城にまで獅童正義が関わっているとなると“偶然”とは言えない。ここまでになると、最早“故意”の類だ。

 

 

「僕の経験則が正しければ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と考えられる。そいつが動くとしたら、獅童正義を『改心』させた後になるだろう。そのことを覚悟していて欲しいんだ」

 

「御影町や珠閒瑠市、巌戸台や八十稲羽の事件……ペルソナ使いたちが対峙してきた怪異だね。最終的にはみんな『神』レベルの連中と戦う羽目になってたっけ」

 

 

 ペルソナ使いの戦いに関しては、僕はそれを見守って来たし、黎も親戚一同から聞かされている。それ故に、黎は僕の話を何の抵抗もなく受け入れていた。

 対して、他の面々は神妙な面持ちで顔を見合わせていた。「スケールが大きすぎてついて行けない」と言いたげな表情である。その気持ちはよく分かった。

 

 僕だって、保護者である至さんに連れられて怪異事件に巻き込まれていなければ、こんな話を真面目な顔でする/信じることになるだなんて思わなかっただろう。これが、僕が僕自身を“怪異専門・超弩級の邪道一辺倒”担当と自負する所以であった。

 

 真顔で納得する黎の姿に、「リーダーが信じるならば」僕の話を信じてみようと思ったようだ。仲間たちも、半ば半信半疑ではあったが頷き返してくれた。

 こういう覚悟があるのとないのでは全然違ってくるので、日頃から“何となく”でも意識してくれれば幸いである。僕が内心ホッと一息ついたときだった。

 

 

「でも吾郎。貴方が獅童正義を追いかけているのは、“奴の『駒』が『廃人化』による殺人を行っている現場に居合わせた”だけではないんでしょう?」

 

「……確かに。赤の他人同然の政治家を“犯罪の現場に居合わせたから”追いかけるというのは、理由として弱いな」

 

 

 案の定、真は僕の話に引っかかりを抱いたらしい。彼女の指摘に祐介も同意する。仲間たちも同じことを思ったようで、竜司、杏、モルガナも「言われてみれば」と頷いた。

 僕は黎に視線を向ける。彼女は静かな面持ちのまま、僕の言葉を待っていた。すべてを受け入れ、許すと言わんばかりの優しい眼差しが――どうしようもなく、嬉しい。

 大丈夫。きっと、多分大丈夫。すべてを手放すことになっても、僕の大事なものは変わらない。為すべきことも変わらない。

 

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 でも、その夢を見れたことを後悔はしていない。夢の中で手にした希望は、ずっと僕の中に残り続ける。

 有栖川黎を想い、有栖川黎に想われた日々は、()()()()()()明智吾郎にとっての“すべて”だった。

 

 

「獅童正義は、黎に冤罪を着せた張本人だ」

 

 

 僕は一度言葉を切って、ゆっくり口を開く。

 

 

「――そして、俺の……“実の父親”なんだ」

 

 

 仲間たちが息を飲む音が響いた。僕を見ていた黎が目を丸く見開く。それを見た途端、俺の決意はあっという間に瓦解した。

 

 彼女を真正面から見ていられなくなって、俺は思わず視線を逸らす。目線は自然と下へ向かい、俯いていた。

 自分を陥れた男の息子である俺に対して、被害者である黎からは、どんな罵倒の言葉が飛んでくるのだろう。

 

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 濁流のように湧き上がって来た感情に飲み込まれる。この想いは俺のモノだろうか。それとも、俺の中に居座っている“何か”のモノだろうか。

 分からない。自分という存在が曖昧になって、ガラガラと崩れていくようだ。しがみつく当てもない。ああ、溺れてしまいそうだ――。

 

 沈黙がいたたまれなくて、俺は口を開く。思った以上に上ずった声が出た。はは、と、乾いた笑い声が漏れる。

 

 

「……分かってるよ。“俺は黎の隣(ここ)にいるべきじゃない”ってことくらい、分かってる。……分かってたけど、ずっと言えなかった。――ごめん」

 

「――だから何だって言うの?」

 

 

 溺れかけていた僕の心を救い上げたのは、凛とした声。反射的に顔を上げれば、穏やかな微笑を湛える黎の姿があった。

 

 

「でも、僕は……俺の父親は、黎のことを――」

 

「吾郎はいつだって、私を助けてくれたでしょう? 御影町で悪魔に追い回されたときも、鴨志田と似たような親戚に私が襲われかけたときも、冤罪に巻き込まれたときも、怪盗団としてパレスやメメントスを駆け回るときだって、私を守ってくれた。支えてくれた。――感謝こそすれど、嫌いになるなんてあり得ないよ」

 

 

 有栖川黎の双瞼には、一切の嘘偽りもない。ただ真っ直ぐに、明智吾郎を見つめている。明智吾郎という存在を求めている。傍にいてほしいと願ってくれている。――俺に手を差し伸べてくれている。

 

 

「なあ、吾郎。よく分からねーけど、お前が誰の息子だって関係ないだろ。お前のオヤジは確かにクズだけど、お前は奴と全然違う。親が悪者だからって、吾郎までその罪を背負わなきゃいけねーのは違うだろ!?」

 

 

 「お前はずっと黎に惚れてて、黎のこと大事にしてたじゃねーか!」と、竜司は真っ直ぐな言葉で訴えた。

 失礼な話だが、彼の語彙力が低い分、紡がれる言葉は朴訥で――けれど、強い調子で俺の心に突き刺さってくる。

 必死に、真摯に、彼は自身の想いを俺にぶつけてきた。彼もまた、俺に手を差し伸べてくれているのだ。

 

 

「……吾郎は偉いよ。アタシだったら、“自分の親が自分の大切な人を嵌めた張本人だ”って言えない。だって怖いもの。もしアタシと志帆の関係がそうだったら、そのまま黙って離れてったと思う」

 

「杏……」

 

「そうよね。私なんて、誰かに必要とされたい一心で“いい子”になろうとしてた。大人たちの言いなりになったのも、そのためだった。必要とされるには、自分自身を殺すしかないって思いこんでた。……そんな『クズ』なんかと比べれば、吾郎は立派じゃない。周りの評価に負けず、自分自身に嘘をつくことなく、ちゃんと言葉にして伝えたんだもの。自分自身の“正義”に従って」

 

「……真」

 

 

 怪盗団の女性たちが静かに微笑む。彼女たちも、俺に手を伸ばしてくれている。手を掴めと促してくれている。

 

 そんな彼女たちを見ていた祐介とモルガナも頷いた。

 彼らの眼差しも、酷く優しい。

 

 

「吾郎。お前が黎を想う気持ちに、一切の嘘偽りはなかった。いつだって真摯に、ひたむきに、彼女を愛していた。文字通り、比翼連理という言葉が似合う程に」

 

「惚れた相手は守り抜く。怪盗として、そして紳士としての矜持だ。それを生涯かけて、命に代えてでも守り通そうとする気概を持ってるオマエが、ワガハイたちの仲間じゃない訳がない! オマエは立派な“怪盗団の一員”だぞ、ゴロー!!」

 

 

 みんなの言葉が、俺を雁字搦めにしていたしがらみを断ち切っていく。それは、マリオネットの操り糸が鋏で断ち切られていくのとよく似た感覚だった。

 ぱちん、ぱちんと、糸が切れる音が聞こえてくる。重苦しくて身動きできなかったはずの身体が軽い。――今なら、思った通りに動けそうな気がした。

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 恐る恐る、俺は手を伸ばした。

 黎は力強く笑って、迷うことなく俺の手を取る。

 

 

「一緒に獅童を『改心』させよう」

 

「……黎……」

 

「そうして、それが終わっても、一緒にいよう」

 

「! ――ああ。うん、そうだね。……ずっと、一緒にいよう」

 

 

 ――それは、嘘偽りのない、俺の願いだった。

 

 

◇◆◆◆

 

 

「いーたーるーぅ」

 

 

 でれでれとした声を上げながら空本至に絡むのは、彼の双子の弟である空本航であった。色白の顔は真っ赤に染まっており、呼気からはアルコールの香りが漂う。

 「ああはいはい」と適当に相槌を打ちながら、至は酔っ払いの航を相手する。ぞんざいな返答をされていると知ってか知らずか、航はぐりぐりと頭を押し付けてきた。

 

 

「にーさぁん……」

 

「痛い、痛いって! おい、大人しくしとけよ酔っ払い。あまり騒ぐと運転手さんの迷惑だろ」

 

「にーさんだいすきぃー」

 

「あーはいはい。俺も大好きだぞー」

 

 

 現在、空本兄弟はタクシーで移動中である。酔うと至限定で幼児退行の絡み上戸になる航は、兄さえいれば後は周囲がどうなっていようと知ったこっちゃない。

 

 絡み合う兄弟を見ていた運転手は深々と息を吐いた。「『迷惑料を寄越せ』と言われないだけマシかもしれないな」と小声で呟き、至は苦笑する。素面である方には、余分に取られても仕方がない様を晒しているという自覚はあった。

 猫のように頭を押し付けてくる弟に対し、兄は某動物王国の主の様に「おーよしよし、おーよしよし」と頭を撫でていた。正直な話、半ば自棄である。「お前はネコ科か」とぼやきながら、わしゃわしゃと髪をいじっていたときだった。

 

 

「いたるー」

 

「んー? どうした航?」

 

「ずーっと、いっしょ」

 

 

 弟の言葉を聞いて、兄は一瞬動きを止めた。至の横顔から表情という表情がごっそりと抜け落ちる。

 驚愕、恐怖、絶念、悲哀――藤色の瞳はゆらゆらと揺らめくように伏せられた。

 そんな至の様子を知ってか知らずか、航はにへらと幸せそうな笑みを浮かべた。

 

 赤紫の瞳は、“航は至とずっと一緒にいられる”と無邪気に信じていた。そんな当たり前の日常が続いていくものだと信じて疑わない。明日も明後日もその次の日も、そんな日々が続くのだと思っている。

 

 暫し沈黙した至は、静かな笑みを浮かべた。凪いだ水面のような笑みだった。

 藤色の瞳には、相変わらず4つの感情――驚愕、恐怖、絶念、悲哀――を湛えたまま。

 

 

「そうだなぁ。――……()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 ――思わず呟いた言葉は、縋るような声色をしていた。

 

 

◆◇◇◇

 

 

 僕たちは金城パレスの攻略を開始した。前回クイーンが破壊していった出入り口は封鎖されているため、豚の像の下にあった隠し通路からの侵入である。入った先は銀行の受付フロア近辺にある階段だった。応接室に用はないので、前回の侵入で確認できなかった箇所の探索を始める。

 前回加入したばかりであるにも関わらず、クイーンは大活躍していた。モナのナビを聞いて、彼女が作戦立案を行う。ピンポイントに穿ったやり方しかできない僕とは違い、クイーンの作戦はある意味で正攻法と言えた。やはり、彼女の加入は戦力的にも怪盗団の作戦立案的にも間違いではなかったようだ。

 クイーンの正攻法と僕の怪異専門の超弩級な邪道を組み合わせながら、怪盗団は銀行内を突き進んだ。すると、警備員がエレベーターに乗って地下へ降りていく現場を目撃する。だが、エレベーターには一切操作パネルがない。外部から監視することで、余計な人間が地下へ入れないようにしていた。

 

 地下へ行くための道にセキュリティを仕掛けているということは、金城のシャドウは余程地下へ踏み込ませたくないらしい。僕たちは地下への行き方を探して、片っ端からフロアを探索することにした。

 勿論、シャドウから身を隠し、時には奴らを背後から強襲しながら経験を積む。金城のパレスで犬型のシャドウが初お目見えしたが、他のシャドウより敏感なだけで特に脅威には感じなかった。

 

 道中、シャッターが閉じている部分はスイッチを押して開けることができた。ATM人間による金城への命乞いや愚痴を呟いているのを横目にしながら、僕たちは先を急いだ。

 

 

「あ、ここ登れそうだね」

 

 

 よじ登れそうな個所を見つけたジョーカーは、軽い身のこなしで棚の上へとよじ登った。そのまま配管を足場にして別の棚へ飛び乗る。そうして足を止めた。

 ジョーカーが手招きする。彼女の指さす方には通気口があった。1人づつなら侵入できそうである。僕らもジョーカーに続いて通気口の中へ潜り込んだ。

 

 通気口の外にはシャドウの警備員が控えていた。敵の隙を突くような形で通気口から飛び出した僕たちは警備員たちを強襲し、速攻で降した。どうやらこの部屋は監査室らしい。監視カメラ用のモニターには、銀行内の多くの箇所が映し出されている。

 お誂え向きとでも言うかのように、テーブルにはカードキー、壁には銀行内の地図が飾られている。だが、地図は途中までのものしか手に入らなかった。残りは別のフロアにあるのだろう。だが、カードキーと地図が手に入ったことで行動範囲が広がったことは大きい。

 「警備員が乗っていたエレベーターに飛び乗るのは最後の手段」と語ったクイーンは、カードキーによって行ける範囲が広がったことを指摘した。参謀役の意見に従い、僕たちは現在行けるフロアを駆け回り、片っ端からカードキーを使って乗り込んだ。

 

 

「ここって、エレベーターの真上?」

 

「みたいだな。と言うことは、ここがエレベーターの制御室か」

 

 

 部屋に踏み入ったパンサーとフォックスが、きょろきょろと内部を見回す。部屋の真ん中には金網があり、一部が外れていた。金網の真下には、丁度エレベーターの天井が位置している。

 

 

「でも、こんな場所に来たって意味ないだろ?」

 

「いいや、意味はある。“どのような形でも”()()()()()()()()()ことができれば、地下に足を踏み入れることは可能だ」

 

「エレベーターは箱状になっているから、天井を床にして乗ることだってできるでしょう?」

 

「ジョーカーとクロウは察しがいいな! 後は誰かがエレベーターを操作するのを待てば、ワガハイたちも地下へ行けるって寸法さ」

 

「成程ね。それじゃあ、その手を使いましょう」

 

 

 首を傾げたスカルの言葉に、僕は首を振って指摘する。ジョーカーはうんうん頷いて僕の話に補足を入れた。モナも笑みを浮かべる。クイーンも同じことを考えていたようで、その作戦を立案してきた。僕らは同意し、エレベーターの天井に潜む。

 程なくしてエレベーターが動き出す。暫く下降したエレベーターは止まり、沈黙した。近くにあった通気口を通って新しいフロアに降り立ったとき、この場一帯に業務放送が鳴り響く。声の主は金城のシャドウだった。

 

 

『銀行内にどうやら『ネズミ』が侵入しているようだ! いいか、絶対に地下から先へ進ませるな! これまで以上に警備を強化しろ!』

 

 

 奴の声は切羽詰っている。この放送は、金城の『オタカラ』が地下にあることを自ら白状したようなものだ。同時に、このフロアが地下であることを示している。その代わり、地図は未完成のままなので進み辛い。

 目下の目標は地図を入手し、既に入手してある地図の場所まで辿り着くこととなった。最終目的地は地下へ辿り着くことであるが、そのためにも地図探しが大事だと判断された結果である。僕たちは再び駆け出した。

 監視カメラを掻い潜り、時には監視カメラの電源ボックスをジョーカーの蹴りで潰しながら先へ進む。通路の1つが玄関ホールに繋がっていたり、新しくセーフルームを発見したりしていくうちに、僕たちは開けた場所に辿り着いた。

 

 地図によればこの先に道があるようだが、そこから先は未知の場所である。下の階へ行くことを目的にしつつ、他の地図を探すことにした。

 

 

「見ろよアレ。金庫か?」

 

「でも、地図によればこの先もあるようだけど……」

 

「ならばアレは隔壁だな」

 

 

 程なくして、僕たちの前に大きな鉄扉が現れる。スカルは鉄扉を金庫と推理したようだが、地図と現在地を照らし合わせたクイーンが首を傾げた。そこから、フォックスがあの扉の正体を見極める。

 厳重な鉄扉――もとい隔壁の脇には、暗証番号を入力すると思しき端末が鎮座している。端末は2つ並んでおり、各々を起動させるパスワード/鍵を2つ集めないと開かない仕組みとなっていた。

 

 

「マジかよ、面倒くせぇ。厳重過ぎんだろ……」

 

「本人の自己申告もあながち間違いじゃないってことか……」

 

「でも、この厳重さには意味がある。この先が地下に繋がっていることは間違いないね」

 

 

 悪態をついたスカルとため息をついたパンサーに、不敵な笑みを湛えたジョーカーが頷く。

 

 早速鍵を探しに施設内を駆け回っていた僕たちは、明らかに様子が違う警備員を発見した。奴らの会話を聞く限り、隔壁を開く鍵を持っているのはあのシャドウたちらしい。だが、奴らの強さは金城パレスの中でも有数の実力者だという。そんな相手に真正面から挑みかかるのは愚の骨頂だ。

 そこで参謀役のクイーンが進言する。先程僕たちがカードキーと地図を入手した監視室なら、奴らを呼びだす通信機能があった。それで片方づつ呼び出し、各個撃破と洒落こもうと言うのが彼女の提案だった。全会一致でそれは採用され、決行される。僕らはシャドウを蹴散らし、鍵を手に入れた。

 勇んで守衛室へ戻った僕たちは、番人シャドウを軽く撃破した。これで左右のキーが揃い、隔壁が開けられる。スカルとパンサーが左右の端末を同時に操作することで、分厚い隔壁は簡単に開かれた。「チームワークの賜物だね」と頷くジョーカーの言葉に、仲間たちも誇らしげに笑って頷き返した。

 

 ついに地下フロアに乗り込んだ僕たちは、監視カメラや見張りを掻い潜りながら奥へと進む。

 道中、金城のシャドウが警備員と何かを話している姿を発見した僕たちは、奴らの会話を聞くために近づいてみた。勿論、戦闘することも視野に入れてだ。

 

 

「金城ッ!」

 

「き、貴様ら、どうして!?」

 

 

 「自分のセキュリティーは完璧だったはずなのに」と、金城は悲鳴を上げた。

 僕たちがここに来ることは、彼にとって想像できなかったのだろう。

 

 

「あいにくだったな! 俺たちにとっちゃ、あんなもん余裕なんだよ!」

 

「……割と苦労したがな……」

 

「確かに謎を解いたり罠を潜り抜けるのは大変だったけど、仕掛け自体は単純だったからね。やたら面倒くさいだけで」

 

 

 息巻くスカルの言葉に対し、フォックスはひっそりとツッコミを入れた。僕もさらりと補足する。

 

 

「お、おい! このネズミどもをここで仕留めろ! 絶対にエレベーターに乗せるな!」

 

「御意に!」

 

 

 金城の指示を受けた警備員がシャドウとしての姿を顕現させる。奴は僕たちに襲い掛かって来たので、僕たちも容赦なく迎え撃った。それぞれの弱点属性は把握していたので、属性魔法攻撃を叩きこむ。崩れ落ちたシャドウたちを取り囲み、僕たちは総攻撃を叩きこんだ。

 警備員は呆気なく消滅する。金城のシャドウは既に雲隠れした後だったが、奴は余程慌てていたのだろう。手帳を落としていった。手帳には何かの暗号文らしきものが書き記されている。現時点ではわからないが、どこかで必要となるのだろう。それは一旦保留にして、僕らはついに最深部へ足を踏み入れた。

 

 エレベーターが降りていく。そこに広がっていた光景に、僕たちは息を飲んだ。

 

 

「何だこれ!? まさか、これ全部金庫かよ!?」

 

「こんな数を総当たりして『オタカラ』を探すの!? ムリムリムリムリ!!」

 

 

 スカルとパンサーを筆頭にして、フォックスとモナの4名が顔をこわばらせる。僕もざっと金庫の群れを見てみたが、ふと気づいた。頭の中に1つの仮説が浮かぶ。

 どうやらジョーカーとクイーンもその法則を察したようで、「全部の金庫を調べなくてもいいかもしれない」と言いながら頷き合っていた。……寂しくない、決して。

 小さな金庫を調べなくて済むことを祈る4名を横目にしつつ、僕らは最深部へと降り立った。早速周囲を探索すると、暗証番号入力用の端末が姿を現す。

 

 パスワードに書かれたアルファベットを見たパンサーが、先程見つけた手帳の内容を思い出したようだ。件のアルファベットには、それに対応する数字が記されていた。その通りに暗号を入力すると、金庫全体が大きく動いた。塞がっていた道に通路ができる。

 この動き方には覚えがある。それを口に出そうとした僕とクイーンだったが、それを遮るかのように金城の声が響き渡った。奴は相変らず金に執着していて、「もっと金持ちにならないと」等と叫んでいた。……貧乏になることに対して、強い怯えが滲んでいた。

 

 胸糞悪さと憤りを感じながら、僕たちは次々と暗証番号を探しては解除していく。その度に、金城の心の声――命よりも金が大事という歪み――が木霊した。聞いているだけで腹立たしさが湧き上がってくる。自分がのし上がるためならば、弱者を踏みにじることも厭わない……奴のやり口は、獅童正義にも通じるものがあった。

 

 

「……流石は獅童の協力者だ。類は友を呼ぶとはこういうことなんだろうな」

 

「クロウ」

 

「ああ、心配しないで。大丈夫だから」

 

 

 僕を伺うように視線を向けてきたジョーカーへ、僕は笑い返して見せる。僕も彼女も、獅童の気まぐれによって踏み潰されてきた人間だ。

 それ故に、奴の同類は気に喰わない。仲間たちも同じ気持ちのようで、金城の『改心』に向かって一致団結していた。

 

 最奥への道はどんどん開かれていく。やはり、僕たちの予想通り、このフロアの構造は“鍵のシリンダー”のようだ。パスワードを1つ解除する度道が開かれるのは、鍵の形が正しいか否かを判別しているためである。言い換えれば、このフロア自体が巨大な鍵だと言えるだろう。

 

 

「要するに、僕たちのやっていることは、このフロアに対するピッキングと似たようなものだってこと」

 

「随分と大規模だな……」

 

 

 クイーンの説明をまとめた僕の言葉に、モナが吐息のような声を漏らした。そんな雑談を繰り広げながら、僕たちはロックを解除して通路を開いていく。

 そうして、最後の仕掛けが作動した音が響き渡る。同時に、悲鳴にも似た金城の叫びも。彼の過去に何があったかは知らないが、彼は貧乏な頃に戻りたくない一心のようだ。

 最も、どのような理由があれど、金城が犯してきた罪は消えない。彼のしていることは――弱いものを嬲りながら搾取することは、決して許されることではないのだ。

 

 エレベーターに乗った僕たちは、ついに金城銀行の最奥に辿り着く。いつも通り、そこには『オタカラ』がぼんやりと浮かんでいた。後は予告状を出せば直接対決である。

 クイーンは相変らずの頭脳で認知世界の仕組みを理解した。スカルとパンサーが感服するのが最早お約束になりつつある。僕たちは金城パレスを後にして、決行日に備えることにした。

 

 

◇◇◇

 

 

 本日、決行日。予告状を渋谷全体にばら撒く――渋谷の街を“人間ATMが住まう庭”と認識している金城にとって、充分効果的なアピールだと言えるだろう。作戦立案は真、予告状のばら撒き役に選ばれたのは竜司である。ばら撒き役である竜司に変装までさせたという気合の入れようだ。

 相手は超弩級の悪党から支援を受ける“本物の大悪党”。対するこちらには参謀役を担う鋼鉄の乙女系の大型新人を加えた布陣である。期待の世紀末覇者新島真/クイーンは「クズの大人と言いなりだった自分ごと打ち砕く」と闘志を燃やしていた。負ける要素など微塵も見当たらない。

 

 パレスの最奥に侵入した先には、金城のシャドウがヤクザを伴って待ち構えていた。奴の背後には、高速回転し続ける巨大なダイヤル――金庫のモノだろうか――が鎮座している。前回は見かけなかったものだ。

 “短時間で金庫を設置する”――ここは金城の“心の世界”。自分の心を堅牢にする/パレス内部を大改造することくらい、簡単に行えるであろう。パレスの元が銀行というのも相まって、金庫が出てくるのは当然だった。

 

 

「いらっしゃいませ。ようこそ、我が都市銀行へ」

 

 

 金城は恭しく頭を下げたが、顔は全然笑っていない。対して、僕らは不敵で不遜な表情のまま奴と対峙した。

 

 弱い立場の者から金を搾り取る“弱肉強食”を掲げる金城潤矢もまた、嘗てその“弱肉強食”によって辛酸を舐めさせられた人間の1人であった。

 その環境から脱出しようと足掻いた奴は出世し、今の地位を手に入れた。そうして奴は、今度は搾り取る側へ回ったのだ。今までの鬱憤を晴らすように。

 「お前らも大人しく金づるになりなさいよ」と語る金城の言葉をフォックスがにべもなく切り捨て、「やり返す相手が間違ってる」とパンサーが怒る。クイーンは呆れていた。

 

 

「卑怯なことしかできない貴方って可哀想な人よね」

 

「勝ち方に綺麗も汚いもない! クレバーな奴が勝つ!」

 

「……その割には、自分でも収拾つかない状態に陥ってないか?」

 

 

 金城の心の声――際限なく『金を稼がなくちゃ』と怯えた声で喚き散らしていた――を思い出し、僕は奴に指摘してみた。

 

 

「あんたは『勝つために金を稼いでいる』んだろ? じゃあ訊くが、『どれだけ金を貯めれば、あんたは安心して『勝った』と言える』んだ?」

 

「確かにそうだね。目的には達成条件というものがある。貴方にはそれが一切ないけど、いつまで金を集めるつもり?」

 

「そ、それは……」

 

「惨めだね。金以外に縋るものがないなんて」

 

 

 「多分、そのやり方を続ける限り、安心することはできないと思うよ」と、黎が付け加えた。金城が金に執着するのは、貧乏だった頃の辛さから逃げたい一心なのだろう。

 “金さえあれば、辛かった頃の日々に戻らなくて済む”――奴は、その漠然とした指針によって人生の舵を切ったに過ぎない。結果、際限のない敗北の恐怖に囚われている。

 

 憐れみの視線を向けられた金城は激高した。自身が柱とする弱肉強食のルールを掲げ、「ネットの知識だけで世の中悟ったようなガキは良いカモだ」とほざく。

 騙される側が全面的に悪いと吼える。学習しない奴は一生バカなのだと叫ぶ。……一丁前なのは格好だけで、金城(コイツ)の中身もバカではないか。

 僕がそう思ったとき、スカルが額を抑えながら呟いた。「呆れを通り越して頭が痛い」と言わんばかりの表情で、だ。

 

 

「それ以外何も言うこと無いのかよ……。こういうのを“馬鹿の一つ覚え”って言うんだよな」

 

「す、凄い……! 今日のスカル、冴えてる……!!」

 

「明日は槍が降って来そうだぜ……」

 

「おいパンサー、モナ、それはどういう意味だ!? ってかクロウ、お前なんで泣きそうな顔してんだよ!?」

 

「いや、僕が勉強見てやった成果の賜物だなって思ったら感慨深い気持ちになっちゃって」

 

 

 5月の定期テスト勉強で、スカルの勉強を見てやった甲斐があった。実際、定期テストでもスカルは赤点を余裕で脱してテスト平均55点オーバーを叩きだしたらしい。他の面々のテスト平均も上がったようだ。勿論、ジョーカーはぶっちぎりの学年一位を達成している。訳アリ生徒による文句なしの大躍進に、クイーンも目を見張っていたそうだ。

 

 パンサーとモナが目から鱗が落ちたような顔をしてスカルを見つめる中、蚊帳の外に追いやられた金城はげんなりとこちらを眺めていた。

 くだらないことで一喜一憂する学生をバカ呼ばわりした金城は、説教を止めると宣言した。正直説教にすらなってないのだが、なけなしの慈悲で黙っておく。

 

 

「クククク……たかるだけ、たからせていただきますよぉーッ!」

 

 

 そう宣言した金城の身体が変形し始める。手を合わせてこすり合わせる動作、背中に生えた昆虫の羽、大きくなった赤い複眼――文字通り、金と権力にたかるハエそのものだ。

 周囲にいたヤクザたちは顔を真っ青にして逃げ出した。あの反応から見て、彼らは何らかの手段で現実世界から金城のパレスへやって来ていた者たちなのだろう。

 ……もしかして、この周辺に獅童智明が潜んでいるのだろうか。それを確認する間もなく、異形と化した金城潤矢が僕たちへと襲い掛かって来た。

 

 

「汚い金にたかるハエ……気持ち悪いのよ! いくよ、ヨハンナ!」

 

「いっそ燃やしてやるわ! おいで、カルメン!」

 

「私も続くよ。――ペルソナ!」

 

 

 女性陣が即座にペルソナを顕現し、容赦なく核熱や炎属性攻撃を叩きこむ。現実世界では虫を焼き殺す炎であるが、シャドウの金城を同じようにするには至らないようだ。

 僕ら男性陣も続いてペルソナを顕現し、金城へと攻撃を仕掛けた。金城は人が変わったようにラップ調で話しながら、不気味なダンスのステップを踏んでいる。

 

 次の瞬間、僕の足元から凄まじい呪詛が吹きあがった。

 

 

「ぐあっ!」

 

「クロウ!」

 

 

 爆ぜる闇に吹き飛ばされ、地面に叩き付けられる。呪怨属性は僕のペルソナであるロビンフッドの弱点だ。

 ダウンして身動きが取れない僕を狙い、金城が追撃に走って来た。それを阻むようにしてジョーカーが飛び出す。

 ジョーカーが振るった短剣は金城の追撃を弾く。お返しとばかりにジョーカーがペルソナを顕現し、風で金城を吹き飛ばした。

 

 

「よくもやってくれたな!」

 

 

 大事な人に守られてばかりと言うのも頂けない。僕はどうにかして跳ね起きると、即座にロビンフッドを顕現した。お返しとばかりに祝福属性の光が爆ぜる。

 

 ダウンこそ奪えなかったものの、仲間たちが金城の隙を逃すわけがなかった。キャプテンキッドとゴエモンが物理攻撃を叩きこみ、ゾロが突風を巻き起こした。

 連続攻撃に耐えられなかったのだろう。金城ががくりと膝をつく。僕らは躊躇うことなく武器を構えて奴を包囲した。呻く金城に慈悲など要らない。総攻撃を叩きこんだ。

 

 

「ちっ……。思ったより、仕上がってんじゃねーか。なら、こっちもアレを出すしかないか……」

 

「負け惜しみを!」

 

「へへへ、そいつはどうかな……? さあ、出撃だぜ。俺の守護神がな!」

 

 

 ふらついた金城が言い終わるや否や、奴は空中へと飛びあがった。高速回転していた金庫のダイヤルが止まり、中央の扉が開かれる。金城はその中へ入っていった。

 轟音と共に扉が開かれる。そこにあったのは、金属でできた巨大なブタであった。金城が乗り込んだ場所が鼻で、目の部分には機関銃らしきものが回転しながら蠢く。

 モナの「ブタ!?」という言葉を否定した金城曰く、この巨大な兵器は“豚型軌道兵器ブタトロン”というものらしい。……結局はブタではないか。

 

 奴はブタトロンに乗り込んだ状態で攻撃を仕掛けてきた。巨体による攻撃を受けたらひとたまりもない。クイーンのアドバイスを受けたジョーカーは頷いた。

 

 ジョーカーの指示を受けたクイーンがヨハンナを顕現して僕たちに守りを強化する補助魔法を使い、パンサーがカルメンを顕現してブタトロンの攻撃を下げる補助魔法を行使する。他にもフォックスがゴエモンを顕現し、仲間たちに回避と命中を上げる補助魔法を使っていた。モナはゾロを顕現して僕たちの傷を癒す。

 ブタトロンに攻撃を叩きこみながら、補助や回復も怠らない。このときのためにと買い込んでいた薬も使っての長期戦だ。僕らの戦いぶりを兵器内から見ていた金城は「さっきはよくもブタ呼ばわりしてくれたな」と怒りながら、ブタトロンを変形させる。完全な球体となった兵器の上に、金城のシャドウが飛び乗った。

 

 

「アイツ、何する気だ!?」

 

「……玉乗り?」

 

「まさか、転がって体当たりしてくるつもりか!?」

 

 

 スカルが身構え、パンサーが首を傾げる。モナの予測は大当たりしたようで、ブタトロンの回転率は急激に上昇し始める。

 

 奴の攻撃を止めようにも、防御しようにも間に合わない!

 ブタトロンは無防備な僕らの元に――

 

 

「アポロ、ノヴァサイザー!」

 

「ヒューペリオン、ジャスティスショット!」

 

「カエサル、ジオダイン!」

 

「ハラエドノオオカミ、ブフダイン!」

 

 

 次の瞬間、各方面から属性攻撃と物理攻撃が放たれた。それは逸れることなく金城に全弾命中し、金城を吹き飛ばす。地面に叩き付けられた金城は、操り手を失ったブタトロンによって容赦なく轢かれてしまった。奴の攻撃を止めるには、金城をブタトロンから叩き落とせばいいらしい。

 聞き覚えのある名前のペルソナたちに振り返れば、目を回したヤクザたちを拘束した周防刑事と達哉さん、真田さん、千枝さんがパレスの最深部に乗り込んできたところだった。まさか警察が乗り込んでくるとは思わなかった仲間たちが目を剥く。

 ペルソナ使いの刑事たちが怪盗団をどう見ているかは分からない。今は金城を攻撃したが、彼らの討伐対象者には僕らも含まれている危険性があった。金城だけでなく、歴戦のペルソナ使いをも相手取る羽目になった場合、怪盗団が勝てる要素はほぼ0に等しい。

 

 僕らは思わず身構えた。金城も体を起こし、刑事たちを確認して目を見張る。

 

 

「け、警察!? なんでお前ら、怪盗団の味方するんだよ!? さっさとこいつらを――」

 

「――『守ってくれ』と言われたんだ」

 

 

 アポロを顕現させた状態のまま、達哉さんは武器を構える。

 すらりとした銀の煌き。彼の得物は、フォックスと同じ日本刀だ。

 

 

「『“来るべき瞬間(とき)”を迎えた彼女らは、いずれ訪れる滅びを打ち砕く『鍵』になる。だから、先輩として、大人として、どうか彼らの道を切り拓いてやってくれ』と」

 

「……一度、自分たちが“そういう目”に巻き込まれたことがある分、放置するわけにはいかなくてね」

 

 

 弟の言葉を引き継いだ周防刑事は、静かに語った後、金城を睨みつける。彼の銃の照準は、討ち果たすべき悪を捉えていた。

 

 

「あたしもね、昔、そうやって真田師匠や至さんたちに助けてもらったんだ。だから今度は、あたしたちがみんなを助ける番だよ!」

 

 

 千枝さんは得意満面に笑うと、僕たちに自分のスマホを指示した。画面には“イセカイナビ バエル限定版”と書かれたアプリが表示されている。

 それに合わせようにして、刑事たちは自分のスマホを指し示す。全員のアプリに“イセカイナビ バエル限定版”がインストールされていた。

 彼らは満場一致で「至さんからメッセージを貰った後に、このアプリが携帯にインストールされていた」と語った。今回、彼らは直接至さんと顔を合わせていないらしい。

 

 

「それに、今回ここに居合わせたのは、刑事として捜査をしていたためではないからな」

 

「我々は謹慎、または強制的な休職中の身なのでね。現在、警察機構の権限を行使できない状況にある。それ故に、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「な、なにィ!? そんなバカな!!」

 

「本当に残念だなぁ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「ああ、まったくだ。本当に惜しい。()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 真田さんと周防刑事は嘯く。言葉とは裏腹に、2人は嬉しそうに笑っていた。それは、事実上、「怪盗団を見逃す」と言っていることに他ならない。

 ペルソナ使いの刑事たちが謹慎と休職に陥ったのは、他でもない金城が獅童派の連中を使って警察組織に圧力をかけたせいである。

 

 金城にとって、これはある種の“自業自得”だ。……おそらく、刑事たちはこれも計算に入れた上で動いていたのかもしれない。

 

 自分がした根回しがこんな形で返って来るとは思わなかったのだろう。金城は悔しそうに地団駄を踏んだ。だが、すぐに羽で飛び上がってブタトロンに乗り込む。

 次の瞬間、金城が乗り込んだブタトロンよりも小型のブタトロンたちが湧いて出た。奴らは徒党を組んで目からバルカン砲を連射したり、体当たりによる自爆攻撃を行う。

 勿論、金城が乗り込んだブタトロンも僕たちに攻撃を繰り出してきた。四方八方から攻撃されるのは辛いものがある。しかし、その物量はあっという間に吹き飛ばされた。

 

 

「このブタどもは俺たちに任せておけ」

 

「勿論、現実世界で金城を捕まえることもだ」

 

「その代わり、奴の『改心』は任せたぞ!」

 

「さーて、派手に暴れちゃうよ!」

 

 

 そう言い切るなり、達哉さんと周防刑事が、真田さんと千枝さんが、見事な連携を披露して小型のブタトロンを一網打尽にしていく。これで、僕たちも金城に集中できそうだ。

 

 金城の操縦するブタトロンの攻撃を回避したり耐えたりしながら、身体強化と弱体化、もしくは回復術を駆使して立て直しつつ攻撃を仕掛けていく。時折、金城は先程の攻撃――玉乗りからの体当たり――を繰り出そうと試みたが、一度も成功することはない。

 ブタトロンから叩き落とされ轢かれるか、手持ちの道具の中で高級そうなアイテムを放り投げて奴の気を引いたためである。金の亡者は戦闘中でもお構いなしにアイテムを集めていた。歪みないと言えば歪みないが、一応、これは立派な歪みだったりする。

 

 僕らは気にすること無くブタトロンを徹底攻撃した。長い戦いにも終わりは訪れる。

 ジョーカーの短剣がブタトロンを穿った刹那、ブタトロンの外装が砕けたのである。

 金城の悲鳴が響く。ジョーカーが地面に着地したのと、ブタトロンが爆発したのはほぼ同時だった。

 

 金城が落下してきた。奴だけではない。ブタトロンの中に入っていたと思しきもの――金塊の山が転がり落ちてくる。

 奴の欲望を現す『オタカラ』が顕現した結果が金塊だとしたら、これ程までにお誂え向きなものはないだろう。

 

 

「誰にも渡したくねぇよぉ……俺の金ェ……!」

 

 

 金城は顔を情けなく歪めながら、金塊の山にすり寄った。縋りついているとも言える有様だった。

 だが、それは元々善良な人々から巻き上げていた金である。持ち主の所に戻るべきものだ。

 

 

「元は善良な人から奪ったお金じゃない!」

 

「あんたバカじゃないの!? 無理矢理巻き上げて、無理矢理借金背負わせた金が、自分の手元に残り続けると思ってるなんて!」

 

「“悪銭身に付かず”という言葉も知らないのか」

 

 

 クイーン、千枝さん、達哉さんによる言葉の総攻撃に、金城は身を縮ませた。

 

 

「しゃ、借金はチャラにしてやる……。だから……」

 

「してやる、だと? 随分上から目線だな、ああ?」

 

「元から正規で結んだ契約ではないだろうに」

 

 

 スカルに詰められ、周防刑事からは呆れられ、金城は途方に暮れたように俯く。金色の瞳は所在なさげに彷徨っていた。いつぞや見た鴨志田のシャドウと同じように。

 金城はぽつぽつと自身の身の上話を始めた。元々、金城潤矢は貧乏な家庭の出身で、顔もそこまで良い方ではなく、頭もよろしくないタイプだったそうだ。

 それでも、金城は努力した。努力して努力して努力した結果が、“獅童に関連するマフィアの派閥でのし上がること”だった。蹴落とし蹴落とされる砂の城を、奴は守っていた。

 

 「何もない自分はどう真っ当に生きればよかったんだ」――金城の嘆きが木霊する。

 

 立場の弱い奴はどうしたって幸せになれない。搾取され、踏みにじられるだけの人生が待っている。

 社会が悪い。自分はその被害者だ――金城は金塊に縋りついて泣いていた。僕は肩を竦めた。

 

 

「じゃあ、そんな状態でも必死に踏み止まろうとしている人々は何なんだ。文句1つ言わず、自分に与えられた天井の下でもがき続ける人々だっているはずだろ?」

 

「お前は道を間違えた。追いかけるべきものを、求めるべき力を間違えたんだ」

 

「返す返す痛々しいな」

 

 

 真田さんとフォックスもため息をついた。金城は「居場所が欲しかった」と言い縋るが、「アンタにとって都合のいい奴らが欲しかっただけだ」と一喝するパンサーによって一刀両断される。

 「レッテルに対し、誰もが戦っているのだ」とスカルが吼える。スカルも、パンサーも、フォックスも、クイーンも、真田さんも、周防兄弟も、千枝さんも――ジョーカーも、背負わされたレッテルと戦っていた。

 

 

「けど安心なさい。やっと居場所ができるわよ。一生かけた償いの舞台がね」

 

「お前のその歪んだ心、俺らが何とかしてやるよ。『0円』でな」

 

 

 金塊に縋りついていた金城は金塊から離れた。金塊を椅子にして座り込んだ金城のシャドウの身体はゆっくりと透けていく。

 

 どうやら、大人しく『改心』することにしたらしい。周防刑事や真田さんたちに「現実の自分の身柄を頼む」と頭を下げた。少し怯えた様子なのは、獅童との繋がりのせいで自分が消される危険性を考慮しているからなのかもしれない。

 金城は僕たち全員の顔を見回した後、小さく肩を竦めた。「これだけの力を持っているのに要領悪い」と呟く金城は、パレスとメメントスのことを引き合いに出して金儲けの話を始める。勿論、この場にいる誰一人として耳を貸さなかった。周防刑事は深々とため息をつく。

 

 

「言い訳なら署で聞こう。幾らでもな」

 

「本当だって。もう既にやってる奴がいるってのに……」

 

「獅童正義による『廃人化』ビジネスのことか」

 

「獅童? 誰だそれ? ……まあでも、『廃人化』で儲けてる奴がいるってのは知ってたのか。じゃあ話が早いな」

 

 

 金城は僕の言葉に頷き返した。奴はペラペラと『廃人化』を行っている人間について語ってくれる。と言っても、こいつも獅童にとっては末端扱いらしい。黒幕/獅童の名前を含んで、詳しい情報は知らない様子だった。

 どこぞの権力者――十中八九獅童正義だろう――からの命令を受けた『駒』がメメントスやパレスを行き来し、都合の悪い人間を消している。金城のシャドウは、件の人物とも何度か顔を合わせていたらしい。

 僕と同じ学校の制服を着た男子生徒“白鳥(シュヴァン)”――金城曰く通名らしいのだが、十中八九獅童智明だろう――は何度かこの銀行にも足を運んだことがあるらしい。そこまで話し終えた金城は、「そういえば」と手を叩いた。

 

 

「最近、もう1人『仕事人()』が増えたらしい。ガタイのいい、スーツに身を包んだオッサンだった」

 

「そいつに関する情報は?」

 

「奴は通名で“夜鷹(ナイトホーク)”って名乗ってたぞ。目の部分に傷があって、ずっとサングラスしてた。……そういやあのオッサン、一度もサングラスを外した姿を見たことないな」

 

 

 ――あれ、と思う。僕の中で、“なんかこいつ覚えがあるぞ”と引っかかっていた。

 

 本名を聞いたわけではない。けれど、金城から告げられた情報には、圧倒的な既視感があった。普遍的無意識の悪担当が楽しそうに嗤う姿が脳裏に浮かんだのは気のせいではない。

 僕がそれを考える時間を、金城は与えてくれなかった。「奴らはどちらも強敵だ。お前らに敵う筈がない。出会わないよう気を付けろ」と言い残して、奴が姿を消したためである。

 

 主を失ったパレスは崩壊し始める。いつも通りの展開だった。

 このまま留まり続ければ、崩壊に巻き込まれてお陀仏になってしまうだろう。

 早く逃走しなければならないと言うのに限って、問題が起きる。

 

 

「『オタカラ』ー! にゃふぅぅぅぅ!!」

 

「モナ、本当にいい加減にして! 逃げるよ!」

 

「いいなーいいなー! ヒューマンっていいなー! キンキンキラキラやー!」

 

 

 ジョーカーの叱責など気にすることなく、モナが金塊にすり寄る。テンションがおかしな方向に振り切れてしまったモナは、勢いそのままパンサーの顔面に抱き付いた。

 パンサーは暫しもがき苦しんでいたものの、即座にモナを顔から引き剥がして投げ捨てた。だが、パンサーがモナを投げた直線上には、猫大好きな周防刑事が。

 

 

「ゲェーッ!? この前の刑事!!」

 

「き、キミはまさか、モルガナか!? か、可愛いなぁっ!!」

 

「や、やめろおおおおお! 離せ、離せー!!」

 

 

 周防刑事の反射神経は、迷うことなくモナをキャッチ。猫好きは伊達ではないようで、彼は現実世界で戯れた喋る黒猫がモナであることを一瞬で見抜いた。アレルギーが出ないで触れるという事実が嬉しいのも相まって、周防刑事は幸せそうな顔をしながらモナを天高く抱き上げていた。

 最終的には達哉さんから「現実世界でやれ」との一喝を受け、周防刑事は渋々モナを放す。仲間たちに叱られたモナは怒りながらも、すぐに車へ変身した。まだ何か言おうとする周防刑事を達哉さんが押し込み、『オタカラ』である金塊を積めるだけ積み込んで、僕らも飛び乗った。

 クイーンの運転によって脱出しようと銀行を飛び出した先は渋谷の大空。道はどこにもない。車内は阿鼻叫喚と化し、世界はあっという間に歪んでいく。そうして帰ってきた先の現実世界は、渋谷の横断歩道であった。文字通りのてんやわんやである。

 

 周りの視線から逃れるように、黎がモルガナとアタッシュケース――金城の『オタカラ』を回収し、金城パレスで共闘した刑事たちと一緒に適当な場所へ移動した。

 『改心』がうまくいくことを願いつつ、僕は金城のシャドウの話を思い出す。目の部分に傷があり、サングラスをかけたスーツ姿の男。新しい獅童の『駒』。

 

 ――視界の端に、見覚えのある姿がちらついた。御影町で、あるいは珠閒瑠市で対峙した男の横顔だった。

 

 僕は慌てて振り返る。だが、一瞬のことだったのと人混みのせいで、奴の姿を見つけることはできなかった。

 ……もしかしたら、僕の見間違いだったのかもしれない。いや、見間違いであってほしいと願わずにはいられなかった。

 

 




“魔改造明智、ついに獅童正義の件について仲間たちに打ち上げる”の巻。怪盗団の対人戦最終目標が『打倒、獅童正義』、もしかしたらの微レ存で対『神』戦闘も視野に入れ、改めて団結した模様です。
その脇で保護者に立つ不穏なフラグ、金城パレス攻略と警察組との共同戦線で金城撃破、新たに追加投入されたらしい『廃人化』の『駒』――しかも、魔改造明智には異様な既視感のある相手――と盛りだくさん。
次回で金城パレス編は終了となります。原作をなぞりつつ、原作からどんどん逸れてきました。魔改造明智のバタフライエフェクトがどのような形で展開していくのかを、生温かく見守って頂ければ幸いです。


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一難去っても倍になってくる

【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 @空本(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄で明智の保護者その1。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
 @獅童(しどう) 智明(ともあき)⇒獅童の息子であり明智の異母兄弟だが、何かおかしい。獅童の懐刀的存在で『廃人化』専門のヒットマンと推測される。詳しくは中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『運命を切り開くだけの簡単なお仕事』および『ペルソナ3異聞録-.future-』、Pixivの『2周目明智吾郎の災難』および『【一発ネタ】有栖川黎の幼馴染』の設定を下地にし、別方向へ発展させた作品である。
・ジョーカーのみ先天性TS。
 ジョーカー(TS):有栖川(ありすがわ) (れい)⇒御影町にある旧家の跡取り娘。旧家制度は形骸化しているが、地元の名士として有名。身長163cm。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空本(そらもと) (わたる)⇒明智の保護者2で、南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。
・「2罰ボスの外見を見た人間の反応」に関するねつ造設定がある。
・普遍的無意識とP5ラスボスの間にねつ造設定がある。
・敵陣営に登場人物が増える。誰かは本編で。


 金城の『改心』が終わるまで、僕たちはそれぞれ“普通の学生生活”を送っていた。

 

 竜司は鷹司くんや城戸さんと話し込んだり、陸上部のゴタゴタで黎と共に駆けまわっていた。何でも、陸上部の顧問に指名された教師は色々と問題があるらしい。

 杏はモデルの仕事をこなしながら、黎と親交を深めている。この前は偶然桐島英理子さんと一緒に仕事をしたらしく、ペルソナ使いとして色々語り合ったそうだ。

 祐介は脱スランプを目指して黎に協力を依頼していた。たまに僕も巻き込まれたが、“カップルが乗ると破局する”ボートに乗せられそうになったときは流石に焦った。

 真は金城パレス攻略が縁となり、周防兄弟や真田さん、千枝さんと連絡を取るようになったそうだ。黎曰く、「真の夢は警察官」だという。成程なと思った。

 

 一番日常生活が充実しているのは黎だと断言できる。最近は女流棋士や占い師、ミリタリーショップの店主とも交流を始めたようだ。特にミリタリーショップの店員との一件は、裏社会を間近に感じられてヒヤヒヤした。紙袋を開けたら改造銃が出てくるとか、完全にパオフゥさん案件ではないか。

 鞄の中で現場を見ていたらしいモルガナは「黎は店主に躊躇いなく銃の用途を尋ねた」と顔真っ青で呟いていた。その隣で、ビックバンバーガーをペロッと平らげた黎は自慢げに胸を張っていた。おかげで僕の語彙力がテンタラフーになった。僕の好きな人は凄い。

 

 

「吾郎は大宅さんの記事見た?」

 

「ああ、少年Mの独占証言ってヤツか」

 

「大宅さん喜んでたよ。だから、ちょっと取引をしたんだ」

 

 

 黎は大宅さんと協力関係を結んだという。怪盗団のネタを彼女に提供する代わりに、怪盗団が有利になる記事を書いてもらうという取引だった。僕の方にもツテはあるが、彼らにだって“やらなければならないこと”はある。僕のメディア露出をサポートしてもらっている上におっ被さるのも気が引けた。

 

 メメントスを用いた怪盗団の活躍も絶好調だ。三島から持ち込まれる依頼だけでなく、黎に手を貸している大人たちから持ち込まれる依頼も増えた。川上先生の元生徒保護者夫婦を『改心』させたり、女医を再び陥れようとした医局長を『改心』させたりした。

 亡くなった生徒の保護者による謝罪金の催促を止めてもらった川上先生は、全面的に黎の味方になってくれたようだ。亡くなったと思っていた患者が生きているという真実を知った女医も奮起し、新薬の開発を進めることにしたらしい。そのお礼として、提供される薬品類を値引きしてくれるようになったという。

 他にも、占い師に持ち込まれた相談内容を掻っ攫うような形でDV彼氏を『改心』させた結果、占い師の女性に興味を持たれたらしい。運命は変えられないと断言した彼女は、それを覆した黎に強い興味を示した様子だった。以後はちょくちょく占ってもらっているらしい。

 

 

「『もっと占う』と言ってたから、早速占ってもらった」

 

「何を?」

 

「吾郎との未来を」

 

 

 飲み物を飲んでいた僕は、危うく噴き出すところだった。液体が気管に入って咳き込む僕を尻目に、黎は静かな面持ちで告げる。

 

 

「死神の正位置、塔の正位置、運命の逆位置、審判の逆位置……このまま行くと、“私か吾郎のどちらかか、あるいは両方が死ぬ”んだってさ」

 

「はぁ!?」

 

「御船さんは『諦めろ』って言うけど、私の心意気と吾郎との馴れ初めを語ったら複雑な顔してたな。『それでも運命は変わらないんですよ。……私個人としては、変わってほしいとは思いますけど』って言ってくれた」

 

 

 黎の話曰く、占い師の御船とやらは相当な実力の持ち主で、占いの的中率は百発百中だという。

 「パワーストーンと銘打った岩塩を10万円で売りつけさえしなければ、充分信頼できる相手である」とも。

 占いを利用した詐欺行為をしている時点で大問題なのだが、黎は御船とやらを告発する気はなさそうだった。

 

 不安を煽るような結果であるにも関わらず、黎は満面の笑みを浮かべている。

 彼女の双瞼は晴れやかで、一切の不安も恐怖も抱いていない様子だった。

 

 

「待って。その占いのどこに笑みを浮かべる理由があるの!? というか、その占い師のやってる商法、詐欺なんじゃ……」

 

「『運命なんて変わらない』と断言していた人が、私たちのことに関しては『運命が変わるものであってほしい』って言ってくれたんだもの。それで詐欺行為はチャラにしようかと思って。10万円なんてシャドウからカツアゲすればすぐ貯まるし」

 

「……時々、キミの器が大きすぎて悲しくなるときがあるよ」

 

 

 僕は深々とため息をつき、飲み物を煽った。黎は再びメニューを開くと、また別のハンバーガー(普通サイズ)を注文する。細い体ではあるが、黎は意外と食べるタイプだった。

 料理を美味しそうに食べ進める姿はとても幸せそうで、見ている僕の口元も緩んでくる。今なら、ご飯を食べる命さんを見守っていた荒垣さんの気持ちが分かりそうだ。

 月光館学園高校の寮生が荒垣さん作の料理を自慢していたことを思い出す。今頃、命さんも荒垣さんの作ったご飯を、幸せそうな笑みを浮かべて食べ進めているのだろうか。

 

 ビックバンバーガーをペロリと平らげる黎にとって、普通サイズのハンバーガーなど大したこと無いのだろう。

 彼女は普通サイズのハンバーガーをあっさりと食べ終えた。備え付けられていたナプキンで口を拭い、包み紙と一緒に畳む。

 

 流し込むようにしてシェイクを飲み干した黎は、真っ直ぐ僕を見つめた。気遣うように、労るように、灰銀の瞳は僕を映し出している。

 

 

「ところで、吾郎は? 金城の『改心』のせいで怪盗団が有名になったから、メディアの出演依頼も増えてるんでしょう?」

 

「……そうだね。あっちこっちからひっきりなしに声がかかってる。獅童たちも僕を担ぎ上げ、『駒』の隠れ蓑にしようとしているみたいだ」

 

 

 黎の問いに対し、僕は苦笑した。

 

 金城は改心し、奴は僕らの写真を消去。そうして、ペルソナ使いの刑事たちに付き添われて出頭したのである。奴の部下が写真を転載して僕らを脅しにかかるかと思ったのだが、パオフゥさんやうららさんが手を回してくれたおかげで、奴らは烏合の衆と化した。周防兄弟や真田さんは命令違反云々のペナルティを喰らうことになったものの――大人の世界で言う“すったもんだ”の末に――首の皮一枚で繋がったそうだ。

 この一件のおかげで、怪盗団に対してライバル宣言をした“探偵王子の弟子・明智吾郎”は瞬く間に有名になった。学校は僕に全面協力してくれるとは言っていたが、やはり学業と探偵および密偵業の両立は厳しい。捜査兼潜入、あるいはテレビの収録のせいで多忙状態となり、午前中または午後の授業すべてをキャンセルする羽目に陥ることもあった。勿論、怪盗団や黎を守るためなら、これくらいの無茶を張り倒せなくてどうする。

 

 

「ちゃんと眠れてないんだね。顔色悪いよ」

 

「そう? ……ダメだな。一応探偵で密偵なんだから、他者に弱みを握られないよう気を付けなきゃいけないんだけど……」

 

「それは困る。吾郎が弱みを見せてくれるって言うのは、私のことを信頼してくれてるってことだ。頼ってくれてることだ。……だから、これからも弱みを見せてくれると嬉しい」

 

 

 黎は僕の手を取って、じっとこちらを見つめていた。彼女の手のぬくもりがじんわりと沁みてきて、俺はどうしてか、泣きたい心地になった。

 完璧でありたかった。黎の前では、密偵として獅童親子と対峙するときの自分みたいに、弱みを見せない完全無欠な人間でありたかった。

 不完全で欠陥だらけの俺が、有栖川黎の傍に在る為の条件なのだと思っていた。そうすれば、彼女と()()()()()()()()()()のだと、どこかで信じていたのだ。

 

 そうじゃなくてもいいと、黎は言ってくれる。言葉で、態度で示してくれる。俺が不安になって立ちすくむ度に、俺の手を引いてくれる。――そんな彼女の在り方に、どれ程救われてきただろう。今このときだって、俺は彼女に救われている。支えられている。悔しいことに、だ。

 

 俺が彼女を守れるようになる日は来るのだろうか。俺が彼女を救えるようになる日が来るのだろうか。俺が彼女を支えられるようになる日が来るのだろうか。

 冤罪の汚名を雪いであげることも、これから迫り来るであろう獅童たちの悪意から彼女を守ってあげられることも、今の俺にはとても難しいことのように思える。

 

 

「本当、黎には敵わないや」

 

 

 俺は苦笑しつつ、彼女の手を握り返した。

 この温もりが、今もまだ俺の傍にあるだなんて夢みたいだ。

 だからこそ、この温もりが失われないでほしいと、強く願う。

 

 

(俺に出来ることって、大したこと無いんだよな……)

 

 

 できることの少なさに嘆くことより、できることすべてをフルに使う――そんな風に割り切れる強さは、俺には無い。多分、その戦法を駆使して立ちまわっている至さんも、すべてを割り切れたわけではないのだと思う。むしろ、あの人は割り切れないからこそ走り回っているようなタイプだった。

 

 俺はきっと、至さんと同じ戦法で立ち回ることができても、100%あの人を再現できるわけではないのだ。他のペルソナ使いと連携を取れるのも、至さんの七光りの影響が大きい。

 現に俺では活かしきれないコネクションだってある。名前を挙げるのは控えておくが、使いどころを考えないと相手に多大な迷惑をかけてしまう可能性があった。閑話休題。

 

 

「それから、検察庁の上層部が獅童と繋がってた。獅童とそのヒットマンも俺たちを敵視してる。実際、『駒』の奴が怪盗団を“自分たちに都合のよい形で潰す”ための算段を相談してきた」

 

「……予測はしていたけど、相手が何を仕掛けてくるか分からないから心配だね」

 

「獅童は“上げて落とす”ってのが得意だからな。民衆の心を操作する力は計り知れない。怪盗団の知名度と支持率が格段に上がった今こそ、気を引き締めないと」

 

「話を聞く限り、シドーって奴は超弩級の大悪党なんだな……。できることならソイツを今すぐ『改心』させてやりたいが、いかんぜん情報が足りなさすぎる」

 

 

 鞄の中に潜んでいたモルガナが僕らの間に割って入った。渋い顔をした黒猫は、黎のスマホを指示す。獅童正義の名前はヒットしているが、場所は全然表示されない。

 獅童正義のパレスが存在していることはイセカイナビが証明してくれたが、パレスに案内されるための手段――獅童がパレスを何と認識しているか――までは掴めていなかった。

 民衆を「愚民」を見下している獅童のことだから、自分だけ上に位置していると思っているのだろう。金城のパレスのように“空に浮かんで”いてもおかしくなさそうだ。

 

 ……問題は、“獅童智明以外の『駒』の情報が、金城のシャドウが齎した情報以外に入ってこない”という点である。金城の齎した情報にやたらと既視感を覚えたのは、御影町と珠閒瑠市でよく似た特徴の男を見かけたことがあったためだ。

 

 僕はスマホを操作する。検索したのは、12年前に御影町で発生した事件だ。僕がペルソナ使いたちの戦いを目の当たりにした――至さんの人生を決定づけた“すべての始まり”と言える戦い。事件名は“セベク・スキャンダル”。当時のセベク代表取締役の名前を検索して、候補の一番上に表示された名前をタップする。

 待機画面の後に、404:Not Foundの文字が踊った。その検索結果に僕は違和感を覚える。以前は普通に閲覧できたのに、今回に限って出てこない。何度も同じ名前で検索して記事をタップするのだが、まるで呪われてるみたいに『奴』の情報は一切表示されなかった。

 

 無情にも404:Not Foundの文字が主張する。“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()”と。僕は思わず眉間に皺を寄せる。

 

 

(地方と言えど、12年前の大事件だ。なのにどうして、『奴』に関する情報の一切が出てこない……?)

 

 

 『そいつ』は“敵”だった。けれど“悪”ではなかった。

 『奴』の生き様は、今でも俺の中に焼き付いていて消えない。

 

 アイツの問いが、明智吾郎の指針を定めた。アイツの生き様を、明智吾郎は笑い飛ばすことも蔑むこともできなかった。得体の知れぬ羨望と哀れみ、もしくは強い共感を抱いた瞬間を、俺は忘れられずにいる。

 自分が闇を往く立場でありながらも、自身の破滅と引き換えに、『奴』は正義を貫いた。自分が正しいと信じる道を突き進んで、光を往く者たちを導いた。……本当は、自分自身が光の道を往きたかったはずなのに。

 何度も検索して記事をタップした。でも、『奴』のいた証――『奴』に関する情報を詳細に纏めた記事――は出てこない。『奴』は確かに、この世界に存在していたのに。『神』の玩具にされて破滅させられた男。死した後でさえ玩具にされた男。

 

 唯一『奴』の名前があるのは“セベク・スキャンダル”の概要記事のみ。しかも、首謀者のはずだった『奴』に関する詳細は“12年前に死んだ”という事実だけを残して根こそぎ削除されていた。

 

 

(……嫌な予感しかしないな……)

 

 

 獅童智明の存在や彼の系譜である五口家の情報が突如湧いて出てきたように、『奴』のいた証が突如()()()()()扱いを受けている。“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()”ならば、その逆の現象――“()()()()()()()()()()()()()()()()()()”ことだって起こり得るわけだ。

 常識や物理法則を捻じ曲げるような所業、『神』と呼ばれる類でなければ成し得ない。フィレモンやニャルラトホテプ、ニュクスやイザナミノミコトの姿が頭をよぎる。現時点では推論でしかないが、怪盗団の活躍する世界の仕組みを考えると、今回の『神』は『認識を駆使する』存在なのではなかろうか。

 

 

「吾郎」

 

「何?」

 

「テストがひと段落したら、息抜きがてらどこかへ出かけようか? 2人でも、みんなでも」

 

 

 最近は多忙だったから、と、黎が切り出す。どこかおずおずとした表情は、僕のスケジュールが大変なことになっていると理解した上での提案だからだろうか。

 

 金城の『改心』が終わった僕たちに待っていたのは、第2回目の定期テストである。普通の学生として生活するためにも、定期テストを蔑ろにするわけにはいかない。テストで悪い点数を取れば悪目立ちの原因になる。

 僕は上位を狙わないと奨学金が打ち切られるから本気で取り組むし、いつも通り学年1位を取るつもりでいる。真と黎は実力で学年首位を取るだろうし、祐介も奨学金利用者だから成績を良くしようとするだろう。

 杏と竜司は平均以上を目指すと言う。だが、双方共に前回のテストで躍進しているため、成績が下がれば逆に怪しまれるだろう。それを聞いた竜司が「現状維持も楽じゃねえ」と零していた。閑話休題。

 

 思えば、探偵業を始めた頃から娯楽とはほぼ無縁の生活を送ってきたような気がする。怪盗団と密偵という二足の草鞋を履いてからはそれが顕著だった。怪盗団内部はおろか、同年代と一緒に遊びに言った経験は皆無であった。

 怪盗団という仲間はいるが、彼らとは作戦立案で会話したり、勉強会を行うことくらいしかやっていない。純粋な意味で怪盗団の面々と遊んだ経験はなかったように思う。黎の交流に巻き込まれてなら過ごしたことはあるが、僕的にも相手的にもノーカンだろう。多分。

 

 

「そうだね。スパイ活動やテレビ出演は確かに忙しいけど、みんなと過ごす時間や黎と一緒に過ごす時間も大事だし。……そういうの、やってみたかったんだ」

 

 

 僕が目を細めると、黎も嬉しそうに微笑んで頷き返した。定期テストが終われば夏休みが待っている。パレス攻略にも乗り出すのだろうが、みんなと一緒に遊ぶのも楽しそうだ。

 怪盗団と出会う以前、ペルソナ使い以外ではない同年代の友人はいなかった。上辺の付き合いさえできれば充分だと思っていたし、()()()()()という行為に抵抗があった。

 うまくは説明できないけれど、友人を作ることに対して強い罪悪感があったのだ。だが、黎と出会って、怪盗団が結成されて、仲間たちができて以後、その罪悪感は薄れつつある。

 

 ……それでも、怪盗団以外――ペルソナ使い以外の同年代の友人は壊滅的であったが。

 

 “怪盗団のみんなと遊びに行く”――考えるだけで心が躍るのは何故だろう。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 以前竜司と三島によって巻き込まれたメイドルッキングパーティーみたいな厄介事は――楽しくないことはなかったけど――御免被るが。但し、ああいうノリに憧れがなかったかと言えば嘘になる。……ああ、認めよう。みんなで一緒にバカ騒ぎするのも悪くない。

 

 

「折角だし、みんなに提案してみようか」

 

「だね。テスト終わりの楽しい話をするってのも、モチベーション保つのにうってつけだし」

 

 

 早速僕はSNSを起動し、仲間たちに声をかけてみる。竜司が勢いよく食いつき、杏も楽しそうに同意し、祐介は同意しながらも「金欠だから食べ物を恵んでくれ」とたかり、真も乗り気だ。ただし、真はきちんと仲間たちを窘めていたが。

 

 騒がしくも温かい――おそらくこれからは熱い季節になるだろうが――日々を思い浮かべる。

 同年代の仲間たちと過ごす夏は、きっと楽しくなりそうだ。

 

 

***

 

 

「吾郎ー。お前が注文してた染物の浴衣、届いたぞー」

 

「なんで中身知ってんだよ!?」

 

「いや、結構大きい声で喋ってたじゃん……」

 

 

 家に帰って早々、至さんから声をかけられた。頼んだ荷物の中身を言い当てられた俺は動揺したが、中身がバレた理由は俺自身の自爆だったらしい。恥ずかしくなった俺はそそくさと箱を抱えて退散した。

 段ボールには大きく『巽屋』のロゴが描かれている。八十稲羽の商店街にあった歴史ある染物屋で、八十稲羽連続殺人事件を追いかけた特別捜査隊メンバー・巽完二さんの実家だ。彼は現在、跡取りとして服飾関連の勉強しているという。

 これ幸いと、俺は完二さんに連絡を取った。『花火大会で着る浴衣が欲しい』とだけ言ったつもりだったが、完二さんは俺の話しぶりからすべてを悟ったらしい。すぐに『そうか』と零した彼の口調は、すっごく生温かい優しさに溢れていた。

 

 『待ってろよ。漢の晴れ舞台に相応しいものを用意してやる』と言い残し、完二さんはまず商品カタログを送ってくれた。どれも“巽屋の染物浴衣で男性人気の高い品物”だという。俺はその中から、白基調の生地で柳と燕が青で描かれたものを選んだのだ。

 箱を開けてみると、果たしてそこには、カタログに掲載されていた通り浴衣が入っていた。八十稲羽滞在時に完二さんから教わった通り、手早く浴衣を着つけてみる。採寸はぴったりで、上手い具合に着こなせていた。その事実に、俺はひっそり安堵する。

 

 

「……これなら、黎と一緒に歩いても問題ないかな」

 

 

 有栖川の関係者は、夏の催し物に参加する際、浴衣を着てくる者が多い。だが、幼い頃に両親を亡くして親戚から虐待されていた至さんや航さんは浴衣なんて持っていないし、母子家庭暮らしから母を亡くして空本兄弟に引き取られた俺も浴衣を持っていなかった。そのことを引き合いに出して俺たちを馬鹿にしていた奴らだっていた。

 

 有栖川家のみんなや黎は「そんなこと気にしなくていい」といつも言って俺を庇ってくれたけど、心のどこかではずっと引っかかっていたのだ。

 今回、浴衣の購入に踏み切ったのは、祐介の「花火大会は浴衣と相場が決まっている」という発言が切っ掛けだった。なんだか負けられないと思ってしまった、つまらない意地。

 

 

「と言うか、貧乏学生の祐介が浴衣を持ってるだなんて思わなかった。もやし生活の合間にそんなものを手にする余裕があったなんて……いや、班目に師事していた頃に手に入れたものか?」

 

 

 最近は公園で“食べられる野草探し”をしているあたり、奴の財布事情、および食生活は底辺の極みを突っ切っているようだ。

 つい先日も俺たちの家に転がり込み、夕飯を食べて行ったばかりである。奴は航さんみたいな生活廃人タイプを地で行くらしい。

 誰かが後ろについていないと餓死してしまうのではないかという危機感が募って仕方がない。……本当に大丈夫だろうか、祐介は。

 

 

「おい吾郎」

 

「うわああ!?」

 

 

 何の前兆もなくドアが開いた。振り返った先には航さんが立っていた。聞き耳だけで部屋内部の状況を把握して、ノック無しに乗り込むのは本当に勘弁してほしい。

 

 

「お前、巽屋で浴衣買ったのか」

 

「……だから何だって言うんだよ? テレビ出演で稼いだ金だから、2人に迷惑は――」

 

「――今年、お嬢の浴衣を新調するって話が出てな。買ったんだよ。巽屋で」

 

「……へ?」

 

「お前が注文を入れる3日前の話だ。……よかったな吾郎、お揃いじゃないか」

 

 

 表情を緩ませた航さんは扉を閉める。俺は暫し無言のまま凍り付いていたが、言葉の意味を理解して、ベッドの上へ倒れこんだ。

 航さんが放り投げてきた“お揃い”という言葉が、俺の頭の中を高速で駆け回っている。口元を抑えて戦慄くので精一杯だ。

 

 照れる。なんかすごく照れる。語彙力が死んだ。いや、それ以前に。

 

 

(完二さん、全部わかってて用意してくれたのか……!?)

 

 

 思い返せば、巽屋で何かを買うと、いつも照れ臭い目に合う。初めて巽屋で買い物したのは、完二さん作の“白い犬のぬいぐるみ”だった。

 店内で一目見て、思ったのだ。『黎にあげたら喜びそうだ』と。丁度彼女の誕生日も近かったので、貯金箱片手に巽屋へ乗り込んだのである。

 当時の完二さんは金髪オールバックという“如何にもな不良”だったので、店内で彼と鉢合わせしたときはニャルラトホテプと対峙しているような心地になったものだ。

 

 完二さんの眼前で貯金箱を叩き割って『あのぬいぐるみを買うには、これで足りますか?』と問いかけたら、彼はおろおろした顔で対応してくれた。“白い犬のぬいぐるみ”を『売り物じゃないんだ』という完二さんの言葉を聞いた俺は、思わず自爆したのだ。

 『俺の一番大切な人にこれを贈りたいんです。大事な女の子なんです。誕生日、彼女に喜んでほしくて……』――完二さんは俺の言葉を聞くと神妙な顔で頷き、“白い犬のぬいぐるみ”を譲ってくれた。しかも、可愛らしいラッピングと簡素なバースデーカードも付けて。

 

 現在、そのぬいぐるみは、ルブラン屋根裏部屋のベッドの上にちょこんと座っている。黎はぬいぐるみを丁寧に扱っているようで、数年経過した今でも綺麗なままだ。時たま、モルガナの枕になったりしているらしい。閑話休題。

 

 

「吾郎。夜食どうするー?」

 

 

 控えめなノック音と一緒に、至さんの声が聞こえてきた。俺は「試験勉強はそんなにかからないから、簡単なものでいいよ」と答える。

 了承の返事をした至さんの声と足音が遠のく音を聞きながら、俺は浴衣から部屋着に着替え、勉強の準備に戻ったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 テストの結果? 勿論、全員が大健闘した。

 

 真と黎は学年トップを揺るぎないものにし、奨学金利用者の祐介は好成績で、杏や竜司も前回並みの点数をキープ。

 俺は相変らず、獅童智明との同率で学年首位だった。出席番号的に俺が一番上に出てくるので、実際は1位だろう。うん。

 

 

 

 

 

 ()()()()()()()()()()姿()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 テスト日に学校にいないのに、奴は平然と“学年トップ”の成績で張り出されている。

 ……俺の学校の校長も、秀尽学園高校の校長と同じように、獅童の息の根がかかっているんだろうか?

 

 

◇◇◇

 

 

 花火大会当日。

 

 テレビ局での収録を終えた僕は即座に浴衣へ着替えて街へ繰り出していた。

 仲間たちには「番組収録が入ったから遅れる」と連絡しておいたため、現地集合の運びとなっていた。

 

 だが、収録中に出てきた話題がとんでもないものだった。『“メジエド”と名乗るネット犯罪組織が、怪盗団に対して宣戦布告をしてきた』という内容だったためである。「怪盗団事件に影響された模倣犯だろう」とは言っておいたものの、僕の内心は穏やかではない。

 仲間たちにそれを連絡したいと思えば思う程、収録が長引いたり、共演者である獅童智明から「作戦立案について話があるんだ」なんて持ちかけられたりして拘束されてしまったのだ。早く終われと祈りながら、表面上はにこやかにあしらってきた。

 移動しながら連絡しようとスマホに手をかけた途端、画面に水滴が落ちてくる。車やテレビジョンの音に紛れて、ゴロゴロと雷の音が響いてくる。嫌な予感を感じた刹那、突如雨が降り出してきた。

 

 

「なんで雨なんだよクソが……!」

 

 

 ついうっかり地が出てしまったが、仕方ないだろう。折りたたみ傘を引っ張り出したが、焼け石に水程度の効果しかなかった。

 走る度にバシャバシャと水飛沫が跳ねる。その度に、自分の体温を奪われていくような心地になった。

 どこか雨宿りできる場所を見つけて一息ついたら連絡しようと思い、適当な場所を探す。だが、花火大会が中止になった人々が考えることはみな同じだ。

 

 何も考えず駆け込んだ近くのコンビニは、人の群れでごった返していた。どう考えても、ここで落ち着いて話せるとは思えない。

 どうやって合流しようかと悩んでいたとき、俺のスマホが鳴り響いた。SNSに着信が入っている。

 

 

“雨宿りしようとしたら至さんと会った”

 

“今、吾郎の家にいる。お好み焼きパーティの下準備してるんだ”

 

“航さんが吾郎を迎えに出かけたから、現在地の連絡頼むって”

 

 

 相手は黎だった。どうやら、怪盗団の面々は花火大会が中止になった直後に至さんと合流し、俺の家へ移動したようだ。

 雨天中止と相成った花火大会は一転し、俺の家で雨宿り兼ねたお好み焼きパーティが開催されるらしい。俺は即座にチャットに返信した。

 

 

“分かった。航さんと合流したらすぐ帰るから”

 

 

 航さんが俺の送迎役に選ばれたのは、家事の腕が壊滅的だったからだろう。料理に対して挑戦する意欲はあるが、必ずキッチンを爆発させるために“メギドラオン/ヒエロスグリュペインクッキング”と揶揄されている。“ムドオンクッキング”とはベクトルの違う方面で壊滅的だった。

 今頃、至さんは八十稲羽で目撃したムドオンカレーの話をしているのだろうか? 口元を抑えて戦慄く真実さんや陽介さん、出来上がったものに困惑しつつもお茶目に笑って流そうとする雪子さんらの姿が浮かんでは消えていく。……俺? 逃げたよ。死にたくなかったから。最終的には捕まって食べさせられたけどな!!

 真実さんたちは林間学校でムドオンカレーを初実食したらしいが、俺と至さんは別件で食べさせられる羽目になったのが初実食だった。以後も時たま登場し、八十稲羽に黎を案内したときも出てきた際には泣きたくなった。勿論、黎の分は俺が食べた。目が覚めたら黎が大泣きしててぎょっとしたことは昨日のことのように思い出せる。

 

 

『いやだ、吾郎、吾郎……! お願い、死なないで! ()()()()()()()()()()()()!』

 

 

 あのときの黎は、とても鬼気迫る顔をしていた。血の気を無くし、俺を喪失する事に対する恐怖で取り乱す黎の姿を見たのは初めてのことだった。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。誰かが背を預けたシャッターの向こう側、誰かの名前を呼び続ける“あの子”。

 意識が途切れるその寸前まで、シャッターを叩く音と誰かの名前を叫び続ける“あの子”の声が響いていた。その中で、誰かは“あの子”のことを想っていた。

 

 本当は一緒にいたかったと、仲間になりたかったと、――いいコンビになりたかったと。

 叶わない夢を――あるいは手の届くことのない星を見つめながら、『それでも』と願った誰か。

 だから選んだ。“あの子”の道を切り開くために、他ならぬ自分の意志で。

 

 

『……ごめんね、黎。心配かけて』

 

『吾郎……』

 

『大丈夫だよ。()()()()()()()()()

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と、当時の俺は漠然と理解した。だからもう二度と、黎を悲しませるような真似はしたくないと思ったのだ。それがどれ程難しいのか、矛盾を孕んでいるのかを知りながら。

 実際、俺が今やっていること――獅童正義の追及と怪盗団の密偵としての活動――は、一歩間違えれば黎を悲しませる結果になるだろう。それでも足を止めたくない。彼女のために、そうして俺自身のケジメのために、成し遂げなければならないことなのだ。

 

 ……そういえば、初めてムドオンカレーを食べて失神したとき、夢の中で『奴』と邂逅したことがある。ペルソナ使いは心の海で繋がっているという話を持ちだしてきた『奴』は、俺のことをとても気にしていた。『奴』は俺の近況を根掘り葉掘り聞き出すと、どこか安心したように笑って――

 

 

「――畏まりました、獅童先生。今すぐ戻ります」

 

(――え?)

 

 

 俺とすれ違った人影がコンビニから出ていく。黒いスーツを着て、目元に大きな傷があり、サングラスをかけたガタイのいい男。

 『奴』の口から聞こえてきたのは獅童の名前だった。『奴』を知っていれば、彼の人の口から獅童の名前が出てくるようなことは()()()()()

 

 反射的に振り返った俺は、思わずコンビニから飛び出した。人混みの海をかき分け、『奴』の背中を探す。その背中はすぐに見つかった。

 黒塗りの車に乗り込もうとする男の腕を引き留める。男は怪訝そうな顔をして俺を見返した。その顔は、完全に『奴』以外の何物でもない。

 ほんの一瞬、奴の表情がこわばる。サングラスに映った俺の顔も、驚愕に彩られていた。俺は勢いそのまま口を開く。

 

 

「……神取、鷹久……!!」

 

 

 12年前に御影町で発生した“セベク・スキャンダル”の仕掛け人にして、9年前に発生した珠閒瑠市の“JOKER呪い”で暗躍していた男。12年前の事件で命を落としながらも、3年後に“『神』の玩具”として復活させられ、使われた男――それが、目の前にいる男性の正体だ。

 

 名前は神取鷹久。城戸玲司さんの異母兄で、自身のペルソナとして宿っていたニャルラトホテプ――実際は『神』本人――の暴走によって異形“ゴッド神取”と化し、至さんや航さんたち聖エルミン学園高校の生徒たちと激闘を繰り広げた果てに命を落とした。

 3年後、悪神ニャルラトホテプが自らの手で世界を滅ぼそうと動き出した際、奴が須藤竜蔵の部下として送り込んだ玩具が神取だった。神条久鷹と名乗った神取は、前回並みの暗躍を披露し、再び俺たち――および達哉さんと舞耶さんの前に立ちはだかった。

 

 その果てに、神取は同志であるワンロン千鶴と共に、崩れゆく海底洞窟に沈んだ。――それが、俺が神取鷹久を見た最後だった。

 スーツのデザインは現代のモノだったが、彼の姿は最後に見たときのまま、寸分の変りもない。

 「何故、アンタが……!?」――絞り出すようにして、俺は問うた。男――神取は暫し黙っていたが、ふっと笑う。

 

 

「キミは、誰かと私を間違えているようだな」

 

「っ……!?」

 

「私は神取鷹久という名前ではないよ。彼は確か、“佐伯エレクトロニクス&バイオロジカル&エネルギー・コーポレーション”、通称“セベク”の元社長で、12年前に亡くなったはずだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

「……アンタ……」

 

「……そういえば、一時期は珠閒瑠市に“件の()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()かな? ()()()()()()()()()()()。“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 神取は楽しそうに笑う。何の悪意も企みもなく、ムドオンカレーを食べて初めて失神したときに見た夢で出会ったときと同じように、穏やかな――けれど少しだけ、寂しそうな笑みを浮かべていた。

 相変わらず、神取は『悪神』によって“定められた役割”に殉じながらも、光に与するペルソナ使いたちを導こうとしているらしい。僕にだけ分かるように、奴は難解な表現を使ってヒントを与えてくる。

 

 

「そうだな、これも()()()()だ。機会があったら、ゆっくり話そうじゃないか」

 

 

 神取はそう言って、懐から名刺を差し出す。防水加工がきちんとされている名刺らしく、濡れても文字が滲んだりすることはない。下には夜鷹モチーフのエンブレムが描かれている。

 手渡された名刺を受け取り、俺はまじまじと確認した。名刺に書かれた名前は“神条久鷹”――奴が須藤竜蔵の部下であった頃に名乗っていた偽名そのままだ。

 俺に対して、神取は何も隠すつもりはないようだ。「何も知らない第3者が意味を理解できるわけがないのだから、これくらい明け透けでも良い」と考えているのだろう。

 

 肩書は、獅童正義の私設議員秘書。名刺に描かれた夜鷹のデザインからして、コイツが獅童の『駒』2号なのであろう。獅童にはニャルラトホテプが一枚噛んでいるようだ。眉間に皺を寄せた俺を見て、神取は静かに頷き返す。無言の問いに対する肯定であった。

 

 ちゃんと伝わったと目で合図をした俺は、「人違いでした。申し訳ありません」と引き下がった。運転手は怪訝そうな顔で俺と神取のやり取りを見つめていたが、神取が車に乗って合図すると、それに従って車を走らせた。黒塗りの車は遠くへと消えていった。

 そのタイミングで俺のスマホが鳴り響く。見れば、航さんからの連絡である。“待ち合わせ場所に来たが見つからない。どこにいる?”――反射で神取を追いかけた弊害だろう。俺はSNSにメッセージを返信し、待ち合わせ場所へと戻ったのだった。

 

 

***

 

 

「おかえり、吾郎」

 

「……た、ただいま」

 

 

 玄関先で、黎が僕を迎えてくれた。花火大会が中止になった直後に至さんと出会ったため、普通の服に着替えず家に上がったらしい。

 

 黎の浴衣は黒基調の生地に、青系の色で描かれた牡丹の花と蝶が描かれていた。普段身に着けている野暮ったい黒眼鏡を外し、長い黒髪をサイドアップに結んでいた。但し、すべてを束ねている訳ではないらしい。流れるような癖毛が、今回は艶やかさを演出している。

 僕は平静を保つので手一杯であった。東京に来てからは当たり前になりつつあった黎の格好とは全然違う色気がある。ぞくりと体が震えたのは気のせいではない。“雨に降られて濡れ鼠になった”ことだけが原因ではないはずだ。……心なしか、ぼうっとする。僕が呆けていると、黎が感嘆の息を零した。

 

 

「吾郎、色っぽいね」

 

「それは褒め言葉なの?」

 

「うん。……いつもと違って、格好いい」

 

「ん゛ん゛ん゛ッ!」

 

 

 どこか熱っぽさを孕んだ吐息に、ムッとしていた僕の気持ちは一瞬で拡散した。この家に僕と黎の2人だけだったら、衝動のままに彼女を抱きしめていたかもしれない。激しく咳払いしながら平静を装う僕の気持ちを知ってか知らずか、黎は「タオル取って来るね」と言い残してぱたぱたと廊下の向こうへ消えていく。

 その脇を、航さんが首を傾げながら通り過ぎていく。どうやらあの人は、僕と黎のやり取りが終わるのを律儀に待っていたらしい。あの人の背中が部屋へ消えたのとほぼ同時に、黎がタオルを抱えて僕の元へ駆け寄って来た。甲斐甲斐しく僕の頭を拭いてくれる黎の為すがままになりながら、僕は部屋に足を踏み入れた。

 怪盗団の面々は既にお好み焼きを食べていたらしい。「遅いぞ吾郎」「ごめんね。先に食べてたんだ」「ほう。吾郎も浴衣を着たのか」等々と声をかけてくる。それらに適当に答えた後、僕は濡れた浴衣を着替えるために脱衣所へ足を進めた。出来れば浴衣姿の黎と並びたかったが、濡れ鼠状態では黎を困らせてしまうだろう。

 

 「黎と吾郎が浴衣姿のまま並んでいる姿をデッサンしたい」と主張する祐介を無視し、僕は脱衣所で部屋着に着替える。

 髪を乾かし、黒の運動ジャージ姿で戻ってきた僕を見た仲間たちが一斉に絶句していた。

 

 

「吾郎、家ではそんなラフな格好してんだ……」

 

「テレビのインタビューでは『白と青が好きだ』って言ってたのに、意外だわ」

 

「テレビのヤツは営業用だよ。黒幕の望む“爽やか系探偵”のイメージ作りのためだ。外行き用の服もそんな感じで纏めてる」

 

 

 杏と真の言葉に、僕はあっけらかんとした口調で答える。そうして、焼き上がったばかりのお好み焼きに箸を伸ばした。至さん作の料理は何でも美味しいから期待できる。

 

 

「徹底してるな。……まあ、黒幕が総理大臣候補っつー巨悪だから、それと渡り合うために必要っちゃあ必要なんだけどさ」

 

「“他者の望む、あるいは他者に自分をよく見せるための仮面を幾重にも使い分ける”というのも立派な才能だ。吾郎だからこそ成し得る力とも言えるだろう」

 

「俺を褒めながら、俺が取ろうとしていたお好み焼きを掻っ攫う真似ができるお前も凄いよ。祐介」

 

 

 竜司が頷く横で、俺の箸は空を掴んだ。お好み焼きは祐介の箸に掻っ攫われ、奴の口の中へと消える。竜司より食べるスピードはやや遅いが、祐介は竜司以上にお好み焼きを食らっている。普段がもやし生活な分、奢ってもらえるときにたくさん食べようと言う寸法だろうか。

 俺の声がどこか刺々しいと察したためか、ニコニコした至さんが「焼き終わったヤツのストックあるからそっち食べなさい」と言って、既に焼き上がっていたお好み焼きを差し出した。それを受け取った俺を横目に、至さんは新しいお好み焼きを焼き始める。

 

 少し冷えたお好み焼きを口に運ぶ。具に使った素材の味とソースが利いて、充分美味しい。

 そんなことを考えていたら、俺の前に湯気が立つ飲み物が置かれた。見上げれば、至さんが微笑む。

 「濡れ鼠で体を冷やしたら体調崩すだろ」と、彼はホットドリンクを勧めてきた。逆らうことなく受け入れ、飲み物を啜る。

 

 

「……豆乳と甘酒?」

 

「正解。温まるだろ」

 

「ホントだ。美味しい」

 

 

 僕の感想を聞いた至さんは、本当に嬉しそうに微笑んだ。その勢いのままサトミタダシ薬局店の歌を口ずさみつつ、お好み焼き作りに戻る。モルガナが頭を抱えて呻いていたが、至さんは気にする様子を見せなかった。

 

 和やかなパーティをしながらも、僕たちは次のターゲットに関する作戦会議にも余念がない。僕はテレビの収録で出てきた一件――“メジエド”と名乗る集団から、怪盗団への宣戦布告を報告した。丁度今の時間に放送されるはずなので、テレビのチャンネルを回す。テレビの中の僕は散々怪盗団をこき下ろしていた。

 なんだか居たたまれない気持ちになって仲間たちを見れば、「相変らず演技がうまい」と感心していた。僕は内心ホッとしつつ、至さん作のホットドリンクを啜る。ニュースキャスターの解説――国際クラッカー集団の名前――を聞いた面々は、渋い顔をして互いの顔を見合わせていた。

 

 

「インターネットを根城にする犯罪組織が相手か。顔が見えないってのは厄介だな」

 

「ターゲットの本名が分からなくちゃ、『改心』させることができねーもんな……。ネットって大概匿名だし」

 

「それに、“メジエド”はクラッキングを得意とする犯罪者よ。インターネットは奴らの庭みたいなものだから、ネットを使った戦いでは向うが圧倒的優位だわ」

 

 

 モルガナと竜司の言うとおりだ。ターゲットを『改心』させるためには、ターゲットの本名が必要である。

 インターネット関連の犯罪を立証するのが難しいのは、匿名性の高さとハッカー/クラッカーの技術力にあった。

 真が締めくくった通り、“メジエド”に電脳戦を仕掛けるには、僕らはただの素人である。太刀打ちできるとは思えない。

 

 すると、僕たちの話を耳にした至さんが口を挟んできた。

 

 

「パソコンやネットに詳しいの、“(かぜ)ちゃん”ならイケるんじゃないかな」

 

「“風ちゃん”?」

 

「……もしかして、風花さんのこと?」

 

 

 至さんは頷いた。“(かぜ)ちゃん”というのは、至さんが名付けた山岸風花さんの愛称である。当時は放課後特別活動部、現在はシャドウワーカー専属ナビゲーターだ。出会った頃は壊滅的なメシマズアレンジャー(本人無自覚)だった彼女だが、機械を扱う才能は最初の頃から有していたらしい。命さんが話していたことなので信憑性は確かである。

 最近は『ネットで知り合ったPCマニアとチャットで話し込みながら、凶悪な性能を誇るPCを一から組み立てている』そうだ。それをノートPCの外見で成そうとするあたり、機械いじりとハッキング関連は風花さんの天職だったと言えるだろう。蛇足だが、『事務職に就職した森山夏紀さんとは、今でもたまに連絡を取り合っている』とも聞いた。

 

 

「確かに、風花さんのPCスキルとアナライズ特化型ペルソナの力があれば、メジエドとも互角に戦えそうだけど……」

 

「やっぱりペルソナ使いなんだね、その人」

 

「むしろ、僕や至さんが頼るのはペルソナ使いの人だからね」

 

 

 杏の呟きに対し、僕は首を振って補足した。協力者がペルソナ使いだったのではなく、ペルソナ使い同士のコミュニティで協力要請ができたのだ。そこは間違ってはいけない。

 

 

「一応、ダメ元で協力要請はしてみる。でもあまり期待しないでほしい。最近、巌戸台近辺でも変な問題が発生してて忙しいみたいだから」

 

「件の女性は組織に所属する身なんだろう? 自身の所属組織が優先されるのは当然だ。実際、俺たちも怪盗団と“怪盗団と同盟関係にある組織”のどちらを優先するかと訊かれれば、躊躇いなく前者を選ぶからな」

 

「だよなあ」

 

 

 祐介と僕は頷き合いながらお好み焼きに箸を伸ばした。今回はコンマ数秒で僕の勝ち。僕が掻っ攫ったお好み焼きを、祐介は口惜しそうに見つめている。

 ふてくされるように眉を寄せた祐介であるが、至さんが「はいはーい」と言いながら新たなお好み焼きの生地を投入した。途端に祐介は目を輝かせる。現金なものだ。

 

 

「『現時点で手の出しようがなく、相手が自分たちに対して喧嘩を売っている』状態なんだろう? なら、何もしなくても向うから近づいてくるはずだ。突破口を開くためには、“相手の出方を待つ”という選択肢も必要だろう」

 

 

 お好み焼きパーティの会場で単身焼きうどん――勿論至さん作である。間違っても航さんが作ったわけではない。彼を台所に入れれば最後、台所が消し飛ぶからだ――を貪る航さんは、頬袋に餌を詰め込んだハムスターみたいな顔をしていた。

 至さんは新しいお好み焼きを焼く片手間に、焼きうどんを焼いては航さんの皿に盛っている。ついでに、自家製の梅シロップを氷と水で割った飲み物をグラスへと注いでいた。それを見た祐介が手で枠を作ろうとしたので、僕は自分のお好み焼きを小さく切って祐介の口の中へ突っ込む。

 同時並行で料理を作り続ける至さんの姿に感心していたメンバーは『“メジエド”への対応は要検討』という結論に落ち着いた。後は、僕が今日の出来事を――獅童の新たな『駒』、夜鷹(ナイトホーク)に関する話をするだけだ。

 

 けれども、至さんや航さんに、神取の話をするのは憚られる。何故ならこの2名は、神取鷹久と因縁があるためだ。

 

 彼らを再び神取に会わせて良いものだろうか。正直、僕は会わせてはいけないように思う。

 だからと言って、怪盗団の面々に隠そうとは思えない。隠すだけ僕らが不利になるためだ。

 

 

「……さっき、獅童の新しい『駒』の情報が手に入ったよ。奴は獅童の新しい私設秘書だ」

 

 

 僕は重々しく口を開いた。ちら、と、空本兄弟に視線を向ける。

 

 

「名前は?」

 

「偽名。でも、偽名も本名もこの場で言いたくないかな。至さんと航さんの地雷になりそうな案件だから」

 

 

 僕の表情を見て何かを察したのだろう。仲間たちは神妙な面持ちになって顔を寄せてきた。

 至さんは航さんの焼きうどんの追加とお好み焼きの焼き加減を確認するので忙しいし、航さんの視線はテレビに釘づけた。

 

 テレビ画面には上杉さんがMCを務めるバラエティ番組が映し出されている。今日のゲストで目を惹くのは久慈川りせさん、桐島英理子さんだ。

 MCとゲストが自分の良く知る人物であると気づいた至さんが声を上げた。彼の目線もまた、テレビに釘付け状態となる。

 嬉しそうな至さんの様子を察した航さんは、焼きうどんを貪りながらリモコンを手に取る。音量が更に上がった。

 

 テレビの音に紛れ込むようにして、真がひっそりとした声色で乞う。

 

 

「じゃあ、ヒント頂戴。自分で調べてみるから」

 

「――“セベク・スキャンダル”」

 

 

 僕の答えに、真は鳩が豆鉄砲食らったような顔をした。議員秘書のヒントを求めて12年前の事件を持ちだされれば誰だってそうなる。僕や黎の年代で事件と無関係だったなら、当時の事件を察せる者、あまり覚えてない者に分かれるはずだ。記憶喪失のモルガナは例外固定だが。

 

 真が前者、杏・竜司・祐介が後者だったらしい。前者は「どうして“セベク・スキャンダル”が出てきたのか」に対する疑問であり、後者は「そもそも“セベク・スキャンダル”とは何か」という疑問なのだろう。

 僕と黎で事件の概要を離した結果、全員が真と同じ「どうして“セベク・スキャンダル”が出てきたのか」という疑問に辿り着いた様子だった。僕が出したキーワードに何か気づいたのか、黎が僕にアイコンタクトを送る。僕は小さく頷いた。そうして仲間たちへ向き直る。

 

 

「獅童の新しい私設議員秘書は、『“セベク・スキャンダル”発生時に“セベクの社長だった男”』だ。……詳しいことは、調べればすぐ分かるはずだよ」

 

「……分かったわ。空本さんたちに知られないよう調べてみる」

 

「ありがとう。みんなもお願いできる?」

 

「「「了解」」」

 

「それじゃあ、会議終了。後はゆっくり楽しもうか」

 

「「「「「「賛成!」」」」」」

 

 

 僕たちはお好み焼きパーティに興じる。花火大会は中止になったけれど、俺の家にはみんなの笑顔があった。

 

 

 

 

 その後。

 

 

竜司:神取鷹久って、12年前に死んでるじゃねーか!!

 

杏:嘘!? じゃあ、“死んだ人間が生き返ってる”ってことなの!?

 

吾郎:奴は悪神の『駒』であり『玩具』だからな。悪神が「おもしろそう」と思えば、引っ掻き回すためだけに復活させられることだってある。

 

黎:確か、9年前の珠閒瑠で須藤竜蔵の部下だった“神条久鷹”の正体が神取鷹久だったんだよね?

 

吾郎:ああ。奴は悪神によって生き返らされていたんだ。至さんや南条さんは御影町だけじゃなく、珠閒瑠でも、生き返った神取と戦っている。

 

真:なんてこと……。

 

祐介:死後さえも弄ばれる神の『駒』か。考えるだけで末恐ろしいな。

 

杏:その神様サイテー! 生きてる間も死んだ後もそんな風に使われるなんて、絶対嫌!

 

竜司:死んだ後に見捨ててくれる神様の方がまだマシだな……。

 

吾郎:しかも、“セベク・スキャンダル”に関して纏められた情報から、神取鷹久に関することが意図的に消されてた。悪神が何か手を回したんじゃないかな?

 

黎:モルガナの様子がおかしいんだ。「ニャラルトホテプ殴るべし」って息巻いてる。

 

祐介:どうしてクトゥルフ神話の神格が出てくるんだ?

 

吾郎:神取を弄んでる悪神の名前、ニャラルトホテプって言うんだ。

 

杏:完全にアウトじゃない!

 

竜司:前に吾郎が言ってた“ラスボス『神』説”が濃厚になってきた件。

 

真:……至さんが言っていたことの意味、今ようやく理解したわ。“頭が爆発する系の理不尽”って、こういうことを言うのね。

 

 

 チャットが燃え上がったのは言うまでもない。

 

 

◇◇◇

 

 

 今日は終業式。明日から夏休みが始まるため、多くの学生は嬉しくて仕方がない日のはずだ。だが、僕は他の学生のように喜べなかった。

 僕の体調は、花火大会雨天中止の翌日を境に悪化の一途を辿りつつある。恐らくこの症状は風邪、原因は“長い間雨に打たれていたため”だろう。

 

 花火大会の翌日から、ほんの少し肌寒いような気がした。僅かだが、身体の動きが鈍いとも思った。各種打ち合わせ中に空咳が出たり、喉が痛くなったりもした。

 典型的な風邪の初期症状だ。“病院にかかるまでもない”と判断した僕は、市販の風邪薬を飲み始めたのだが、効き目はあまり宜しくなかった。

 表面上は笑顔で乗り切ったけれど、身体が重い。僕を取り巻くように湧いて出た女子生徒をあしらいながら、ふらふらと歩みを進めた。

 

 

(クソ、なんでこんなときに限って……!)

 

 

 長雨に打たれたことは引き金でしかないとは理解している。多分、僕は僕が想定した以上に無理をしていたのだろう。自己管理には気をつけていたのだが、気づかぬうちに疲労がたまっていたのかもしれない。

 

 最近はテレビの取材で引っ張りだこだったし、智明に引き留められては精神をすり減らされるような光景――獅童と智明が楽しそうに団欒している姿――を見せつけられていたし、学校の勉強について行くのも大変だった。授業に出られない分をカバーしなくてはならないからだ。

 その上で怪盗団としても活動する――誰もが「お前はよくやっている」と言ってくれるが、僕個人としては全然足りない。「完璧じゃなくてもいい」と肯定してくれる人たちの優しさは嬉しいけれど、だからこそ、彼らの役に立ちたいと思うのだ。その度に、いつも自分の無力さを思い知る。

 

 怪盗団の面々は、今頃アリババと名乗る協力者――メジエドと同レベルの実力を持つハッカー/クラッカー――から入手した情報を頼りに、各々調べ回っているだろうか。アリババから齎された情報は『“佐倉双葉”なる人物を『改心』させれば、メジエドは止まる』とのことだ。

 ……佐倉といえば、ルブランのマスターの名字も佐倉さんだった。双葉といえば、一色若葉さんの娘さんの名前も双葉だった。ろくに回らない頭はそこで打ち止めとなり、僕はそのままベンチスペースに雪崩れ込むようにして座る。息をすることすら辛かった。

 体は燃えるように熱いのに、背筋を悪寒が駆け抜ける。僕は鞄から市販薬を取り出し、持っていた水で流し込んだ。本来は食後に飲むものだが、正直、何かを食べる気力すら残っていない。それがまずかったのだろう。胸やけのような感覚に見舞われる羽目になった。

 

 

(休んでる暇なんてないってのに……)

 

 

 市販薬を指示通りに服用しなかった弊害と戦いながら、僕は大きく息を吐いた。

 背中を丸めて不快感をやり過ごす。幾何かして、少しだけ体が楽になった。

 

 僕はふらふらと歩き出す。脳裏に浮かんだのは、柔らかに笑う少女――黎の姿だ。

 

 何故だか今、酷く彼女に会いたかった。顔が見たくて、声が聞きたくて堪らなかった。気づけば僕は四軒茶屋に足を運んでいた。普段より緩慢な動作で、ルブランの扉をくぐる。

 店の中は閑古鳥が鳴いていた。佐倉さんは僕を見るとあからさまにため息をつく。僕の来訪は“黎に会うため”だと認識したためだ。もしくは、客じゃなかったことへの落胆か。

 

 

「アイツならまだ帰ってこないぞ」

 

「……みたい、ですね。じゃあ、それまで待っていても構いませんか?」

 

「…………構わんよ」

 

 

 「そんな顔をしたお前さんを追い返したとなったら、アイツに泣かれそうだ」と言って、佐倉さんは苦笑した。はて、僕は今、一体どんな顔をしているのだろうか。

 店主の許可は取ったので、僕はカウンター席に腰かける。コーヒーを注文した僕は、ぼんやりと店内を眺めていた。サイフォンから香るコーヒーの匂いに、僕は黎を思い出す。

 佐倉さんの手ほどきを受けてコーヒーを淹れる彼女からも、この香りが漂ってくるようになった。……そう考えると、どうしてか、安心できるような気がした。

 

 体がだるい。自然と背中を丸める。うとうとと微睡み始めた意識に抵抗するため、僕は頬杖をつく。――けれど、漂うコーヒーの香りは不思議と眠りを誘発してきた。

 

 

「お前さん、疲れてるんだろ? アイツが帰って来たら起こしてやるから」

 

 

 ぼんやりと霞む意識の中、佐倉さんの声が聞こえた。

 ……ありがとうございます、と、僕はきちんと佐倉さんに礼を言えただろうか。

 

 それを確認する間もなく、僕の意識は睡魔によって刈り取られた。

 

 




今回のお話は『金城パレス編終了、双葉パレス編への導入準備回』です。魔改造明智、黒幕の関係者からニャラルトホテプの影を感じ取るの巻。女神異聞録ペルソナ、およびペルソナ2罰から神取鷹久が登場しました。彼もP5のお話に関わっていくことになります。この部分もP5黒幕と普遍的無意識一同の間にあるねつ造設定が影響していますね。
花火大会中止および神取と邂逅した際、雨に当たったことが原因で体調を崩した魔改造明智。双葉パレス開始編では、体調を崩した彼のその後からスタートすることになります。……さて、ルブランに盗聴器を仕掛けた張本人は、魔改造明智と黎の砂糖マシマシなやり取りに耐えられるでしょうか?
嫌なフラグと急転直下で彩られた金城パレス編はこれで完結。次回からは、プロローグの時点から伏線が張られていた双葉パレス編へと移行します。“一色若葉と絡みがある”という事実がどんな影響を与えるのか、生温かく見守って頂ければ幸いです。


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Heartful Cry
今年はアツい夏になりそうだ


【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 @空本(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄で明智の保護者その1。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
 @獅童(しどう) 智明(ともあき)⇒獅童の息子であり明智の異母兄弟だが、何かおかしい。獅童の懐刀的存在で『廃人化』専門のヒットマンと推測される。詳しくは中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『運命を切り開くだけの簡単なお仕事』および『ペルソナ3異聞録-.future-』、Pixivの『2周目明智吾郎の災難』および『【一発ネタ】有栖川黎の幼馴染』の設定を下地にし、別方向へ発展させた作品である。
・ジョーカーのみ先天性TS。
 ジョーカー(TS):有栖川(ありすがわ) (れい)⇒御影町にある旧家の跡取り娘。旧家制度は形骸化しているが、地元の名士として有名。身長163cm。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空本(そらもと) (わたる)⇒明智の保護者2で、南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。
・敵陣営に登場人物追加。
 @神取鷹久⇒女神異聞録ペルソナ、ペルソナ2罰に登場した敵ペルソナ使い。御影町で発生した“セベク・スキャンダル”で航たちに敗北して死亡後、珠閒瑠市で生き返り、須藤竜蔵の部下として舞耶たちと敵対するが敗北。崩壊する海底洞窟に残り、死亡した。ニャラルトホテプの『駒』として魅入られているため眼球がない。この作品では獅童正義および獅童智明陣営として参戦。
・「2罰ボスの外見を見た人間の反応」に関するねつ造設定がある。
・普遍的無意識とP5ラスボスの間にねつ造設定がある。
・双葉が盗聴器を仕掛けた場所が“ルブラン店内”だけでない。
・R-15相当の話題あり。全体的に砂糖過多。
・冴がヤバイことになっている。


 誰かの声が聞こえる。声の主は女性と男性のようだ。何かを言い争っているらしい。そんなことを考えていたら、誰かの来店を告げるドアベルの音が響いた。

 サイフォンから香るコーヒーと同じ――けれど、それとは違う方面で心地よさを感じる香りが僕の鼻をくすぐる。重い瞼を無理矢理こじ開ければ、3人の人影が見えた。

 

 

「余計なことしてくれたな。若葉のことなら話す気はない。どうしてもって言うなら、若葉を自殺に追い込むきっかけを作った研究者にでも訊いてみたらどうだ」

 

 

 ――ああ、これは、佐倉さんの声だ。佐倉さんは、非常に機嫌が悪いらしい。

 

 若葉、という名前に引っかかりを覚える。

 そういえば、一色さんの下の名前は“若葉”だった。

 

 

「まあ、それなら、『親権停止もやむなし』ということでよろしいでしょうか? お宅の家庭事情に娘さんの状態。有利なものは何一つとしてありませんよ」

 

 

 ――ああ、これは、冴さんの声か。冴さんは、被疑者を追いつめるときみたいな調子で喋っている。……何だろう。普段より刺々しい気がした。

 

 

「認知訶学が精神暴走事件と関わっている可能性がある以上――」

 

 

 ……認知訶学? 確か、一色さんが研究していた分野と同じ名前だ。僕の頭は鈍いながらにも回転を始める。

 『自分の研究とペルソナ関連の研究が結びついているかもしれない』と語った一色さんは、航さんと研究の話で盛り上がっていたっけ。

 若葉という人物の名前と、認知訶学という研究の名前――導き出される答えは1つ。佐倉さんと冴さんは、一色さんの話をしているのだ。

 

 起き上がろうとしたが、身体が動かない。指先が、かすかに身じろぎしただけだ。

 そんな中、薄ぼんやりした視界の奥に見知った“黒”を見つける。秀尽学園高校の夏服を身に纏った有栖川黎その人の姿だ。

 

 怠かった身体に力が入る。体は重いままだったけれど、僕はのろのろと体を起こした。

 

 

「あ……おかえり、黎」

 

「――ただいま、吾郎」

 

 

 黎はふわりと僕に微笑み返してくれた。――ただそれだけなのに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。泣きたくて、愛おしくて堪らない。

 ルブランに帰って来た彼女を迎えたときに「おかえり」と声をかけたのは、今回が初めてのはずだ。なのに、なのにどうして、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 「おかえり」と「ただいま」――何気ない会話だ。けれど、その尊さを僕は知っている。()()()()()()()()。嘘と罪に塗れた明智吾郎が持つ、数少ない“真実(ホンモノ)”の1つ。

 

 それを噛みしめていたとき、どこからか咳払いの声が響く。何だろうと思って視線を動かせば、佐倉さんと冴さんが渋い顔をしていた。

 僕は首を傾げつつ、注文していたコーヒーを啜る。随分時間が経過したのだろう。ぬるいどころか、もう冷めきってしまっていた。

 佐倉さんと冴さんは僕と黎から視線を逸らすと、何事もなかったかのようにやり取りを再開した。降参した佐倉さんを見て満足げに笑った冴さんが頷く。

 

 

「今度は美味しいコーヒーを飲みに来ます。……それと明智くん」

 

「……なんですか? 冴さん」

 

「新婚生活の練習は、もう少し別なところでやった方がいいと思うわ。お節介だけどね」

 

 

 そう言った冴さんは真顔だった。園村さんと桐島さんが至さんを見つめるときの顔と一緒である。「航さんを射止めるために協力しろ」と至さんに迫るときの顔だ。

 

 僕はどうしてそんな眼差しで睨まれなくてはならないのだろう。訳が分からず、僕は黎へ視線を向けた。黎も小首をかしげている。

 冴さんは額を抑えてため息をついた後、雑念を振り払うようにして首を振った。そのまま、颯爽とした様子でルブランから立ち去った。

 

 

「ええい、塩撒け塩!」

 

 

 佐倉さんは怒りと不快感を容赦なく露わにしながら、冴さんが去っていった扉を睨みつけた。黎は頷き、佐倉さんの言葉通りに塩を撒く。律儀だな、と、僕はそんなことを考えながら一連の光景を見守っていた。

 機嫌が悪い佐倉さんは黎に向き直る。黎は口を開いた。「双葉って、惣治郎さんの娘さんなの?」――脳裏に浮かぶのは、一色若葉の娘さんの名前だ。一色さんが亡くなった後、娘である双葉さんの行方は掴めていない。

 一色さんと交友があった航さんは、今でも一色双葉さんの行方を捜している。但し、一色さんの親戚たちは航さんを敵視しており、航さんが聞き込みをしようとすると暴力的な手段込みで邪魔してきた。

 

 終いには、瓜二つの顔つきをしている至さんが航さんの代わりに殺されかけたこともあったか。

 “2階のベランダから至さん目がけて鉢植えが降って来た”とか、本当に笑えない。閑話休題。

 

 佐倉さんは「いい加減にしろ」と黎を一喝した。一色さんや双葉という名前の少女について、佐倉さんは何も言いたくないらしい。僕は険悪な空気を醸し出す2人を、ただただぼんやりと見つめていた。

 

 

「追い出されたくねえなら、大人しく学校だけ行ってろ。分かったな?」

 

「――あァ?」

 

 

 今、佐倉さんはとんでもないことを言わなかったか。僕は即座に佐倉さんに視線を向ける。途端に佐倉さんは「あ」と零して顔を青くした。

 

 

「佐倉さんは、“ピー(どぎついR-18)”したり“ピー(どぎついR-18)”したり“ピー(どぎついR-18)”したりしてくる連中が跋扈する中に、着の身着のままの黎を放り出すつもりなんですか?」

 

「い、いや、その……こ、言葉の綾ってヤツだ! コイツの面倒は責任もって見るし、第一、そういうヤツらがいる場所になんて行かせないぞ!?」

 

「僕、言いましたよね。彼女の親戚どもが『保護観察』を出汁にして“ピー(どぎついR-18)”や“ピー(どぎついR-18)”や“ピー(どぎついR-18)”とかを計画してて、僕は『実際に、そいつ等が黎に手を出そうとしていた現場に居合わせたこともある』って。『そいつらを法的手段および物理的手段で潰すのが大変だった』って」

 

「いやいやいやいや、待て待て待て待て。前聞いた話よりもエグくなってないか!?」

 

「惣治郎さん、吾郎の話は実話です。……吾郎がいなければ、今頃私はそいつらによって文字通りの奴隷にされていたと思います」

 

 

 僕の話を肯定した黎の声は、僕のすぐ後ろから聞こえて来た。いつの間に、彼女は僕の後ろに立っていたんだろう。思わず目を丸くする。

 視界の端にいた佐倉さんはもの凄く困惑したように視線を彷徨わせた。何かをブツブツ言っていたが、僕にはよく聞き取れない。

 ルブラン店主をぼんやり眺めていた僕だが、不意に名前を呼ばれて振り返る。黎の顔が一気に近づいて、額にこつんと小さな衝撃が走った。

 

 僕と黎の瞳がかち合う。――ああ、近いな、と思った。綺麗だと思った。額から伝わる体温は、黎の方が少し冷たく感じる。……気持ちいい。僕はゆるりと目を細める。

 

 惹き寄せられるように手を伸ばした。僕の行動から何かに気づいたのか、黎も手を取って指先を絡めてくれた。

 幸せだな、と、ロクに働かない頭で考える。酷く熱に浮かされたような心地になった。

 

 ――なんだろう。クラクラしてきた。

 

 

「じゃあ俺は帰るから、店閉めとけ。……あと、お前も遅くならないうちに帰りな」

 

「――ダメです、惣治郎さん」

 

「は!?」

 

「吾郎、熱出てるみたいなんで」

 

 

 熱? 何の話だろう。黎にそれを問おうと立ち上がったとき、俺の体がぐらりと傾く。

 何が起きたのかよく分からなかった。床の冷たさが心地よい。

 

 黎と佐倉さんの悲鳴を最後に、俺の意識はぶっつりと途切れた。

 

 

***

 

 

 泥に沈むような微睡みの中、心地の良い冷たさを感じ取る。

 俺はゆっくり瞼を開けた。心なしか、黎を迎えたときよりも幾分か楽に瞼を上げることができた。

 

 

「ああ、目が覚めたんだね」

 

 

 視界一杯に映し出されたのは、安心したように微笑む黎の顔だった。彼女は俺の額から何かを取ると、大きなボウルの中に浸けた。氷同士がぶつかる音と、水を絞る音が聞こえる

 黎が俺の額から取ったのはタオルだったようだ。それを黎は再び俺の額に乗せる。……冷たくて気持ちいい。俺は小さく息を吐いて、タオルが齎す心地よさを甘受していた。

 身体を蝕むような熱も、首元を真綿で絞められるような息苦しさも、黎の顔を見ただけで楽になる。症状が和らいだような気がするのだ。何もかもが大丈夫だと、そう信じられる。

 

 このまま眠ってしまおうか――そう思った途端、俺の頭が急速にクリアになっていった。

 

 今俺がいる場所は、黎が下宿しているルブランの屋根裏部屋だ。俺が使っている枕の中身は氷と水で、身じろぎする度に、がらんと音を響かせる。黎を見れば、彼女はリンゴを剝いているところだった。

 状況を理解した直後、一歩遅れて俺は思い出す。ルブランで黎と佐倉さんと話していた後から今に至るまでの記憶が定かではない。最後に見たのは、黎と佐倉さんが慌てた様子で僕に手を伸ばしていたところだった。

 

 

「あ……ッ!」

 

「吾郎、無理しちゃダメだよ」

 

 

 跳ね起きようとした俺を制して、黎はリンゴを差し出す。俺は目を丸くしたが、静かに微笑む黎の姿に促されるような形で体を起こし、リンゴを咀嚼した。

 噛みしめる度に、酸味と甘みが俺の身体に沁み込んでいく。――心なしか、いつもより美味しい。俺は素直に味の感想を告げた。

 

 「食欲が出て来たなら安心だね」と黎は微笑む。リンゴを俺の口に運びながら、彼女は俺が倒れた後の話を聞かせてくれた。

 

 俺が倒れた後、黎は薬を融通してもらっている女医に連絡したそうだ。意識のない俺はルブランの屋根裏部屋に運び込まれ、駆けつけた女医によってテキパキと処置をして貰ったらしい。女医の指示の下、黎はずっと俺の看病をしていてくれたのだと言う。

 病名は風邪。但し、一歩間違えると肺炎になっていた危険性があるらしい。原因は肉体疲労と精神的な疲労。女医の薬のおかげで、俺はどうにかここまで持ち直したそうだ。「武見先生の薬は本当にすごいなあ」と黎は感心していた。……いや、その前に。

 

 

「待って。俺、薬を飲まされた記憶がないんだけど……?」

 

「意識朦朧だったからじゃないかな」

 

「……ちなみに、方法は?」

 

「口移し」

 

「うわあああああああああああ……!」

 

 

 俺は悲鳴を上げて顔を覆った。風邪による発熱とは違う熱が顔に集まる。

 

 そこで俺は気づいた。倒れる前と今起きたときの自分の服装が全く別物に変わっていたことを。

 有名進学校の夏服――ワイシャツ、ネクタイ、スラックス――ではなく、薄手のパジャマに変わっている。

 しかも、発汗による不快感は一切ない。……まさか、と思い、俺は恐る恐る黎に問いかける。

 

 

「……なあ、黎。その……着替えは……?」

 

「至さんが持ってきてくれた」

 

「いや、俺が言いたいのはそっちじゃなくて……」

 

「着替えも汗を拭いたのも私だよ」

 

 

 「……意外と、鍛えてるんだね。吾郎は」と、黎は顔を赤らめながら目を逸らした。耳が真っ赤である。

 普段は超弩級の漢気を見せる彼女の恥じらいに、俺も頭が爆発しそうになった。ああ、彼女も女の子なんだよな、と。

 

 寝たきり状態の人間の汗を処理する場合、服を脱がせる必要が出てくる。――つまり、黎は見たのだ。一糸纏わぬ状態の、俺の上半身を。

 

 

(――こんな形で見られる羽目になるだなんて誰が予想できるかってんだ!!)

 

 

 俺は絶叫した。心の中で七転八倒して悲鳴を上げていた。同時に、自分の欲望や浅ましさが悍ましくて泣きたくなる。……そりゃあ、俺だって健全な高校生だから、性欲がないわけじゃない。いつか、黎と一緒に大人の階段を登れたらいいなあなんて考えたことは何度もあった。

 正直な話、頭の中で不埒な妄想をしたことだってある。その度自分が恐ろしくなって、逆に萎えることも多かった。俺の不埒な妄想に、母を弄ぶだけ弄んで捨てた獅童正義の影がちらついて――時には重なってしまうから、それが悍ましくて頭を抱える羽目になる。

 これでも以前よりはマシになってきた方なのだ。折り合いをつけて、おっかなびっくりだけど、ちゃんと黎に触れられるようになった。手を繋いで、触れ合って、触れ合う程度のキスをして、抱きしめ合うところまではできるようになった。けど、やっぱり、“そういう”行為に対する恐怖と嫌悪はこびりついたままでいる。

 

 裸を見せ合うのはおろか、俺の裸を見られるだけでもダメージがデカい。恐怖と嫌悪と恥ずかしさがごちゃ混ぜになってしまい、思考回路がまともに機能しなくなってしまう。

 奇妙な沈黙の末、俺は視線を彷徨わせながらため息をついた。半ば怯えるような心地で黎に視線を向ければ、黎も何とも言い難そうな顔をして僕を見返している。

 

 ……ほんのりと色づいた頬と耳は相変らずだったけど。

 

 

「ねえ、黎」

 

「何?」

 

「触れてもいい?」

 

「……ん。いいよ」

 

 

 俺はおずおずと手を伸ばし、黎の頬に触れる。黎は表情を緩ませると、俺の手にすり寄って来た。猫みたいで可愛い。

 ああ好きだなぁ、なんて思う。俺が何を考えているのかを察したのか、黎は頬を薔薇色に染めながら目を細めてくれた。

 

 嬉しい、と思う。同時に、悔しいとも思う。

 

 黎が傍にいてくれるから俺は大丈夫だった。頑張れるのは本当だし、救われているのも本当だし、幸せなのも本当のことだ。今だって、ちょっと体は重いけど、立ち上がれない程ではない。獅童親子の仲睦まじい光景を見せつけられようが、探偵業が多忙になろうが、メディアに引っ張りだこにされても平気だって思える。

 でも、俺が倒れたのを間近に見た黎は、ずっと俺のことを心配している。自分のせいだと思っているのかもしれない。果たして俺の予想通り――よく見ていないと分からないレベルで――ほんの少し、黎の表情が陰る。彼女は申し訳なさそうに目を伏せた。彼女の口が謝罪と自責の言葉を紡ぐのを制して、俺は苦笑した。

 

 

「そんな顔しないでよ。好きな人(キミ)のためなら、俺はどんな無理や無茶だって平気なんだ」

 

「吾郎」

 

「本当だよ。ホントにホント。今回は倒れちゃったけど、いつもはそんなことないんだよ」

 

 

 彼女がいてくれるならば、僕は平気だった。

 何も怖いことなんてないし、苦しいことなんてない。

 あるとするならそれは、幸せすぎることくらいだろうか。

 

 黎と出会ったときから、大人たちの悪意に晒されても平気だった。傷つかなかった訳じゃないけど、痛くなかった訳じゃないけど、その度に救われてきたのだ。

 多分、黎には「そのつもりがなかった」ことの方が多かったのかもしれない。俺の様子がちょっと気になって、何気なく声をかけただけだったのかもしれない。

 

 ……それでも俺にとっては、みんながいてくれたことが救いだった。今も、昔も、これからも、きっとそれは変わらないのだと思う。

 

 

「心配してくれてありがとう。今度はこんなことにならないよう、もっときちんとする。早く復帰できるよう頑張るから……黎?」

 

 

 俺の言葉は最後まで紡がれることはない。黎が突如何かと一緒にペットボトルの水を口に含み、勢いそのまま俺の口を物理的に塞いだためである。

 訳も分からず混乱する俺は、彼女が口から流し込んできたもの――結構な量の水と、僅かな異物――を成す術なく飲み込んでしまう。

 気管に詰まって咳き込まなかっただけマシかもしれない。呆気にとられる俺を半ば抱き寄せるような形にして、彼女は俺の額に自分の額を触れ合わせた。

 

 

「キミが頑張っていること、知ってる。ちゃんと知ってるよ」

 

 

 優しい言葉が、降ってくる。ゆっくりと、それは俺の心に降り積もっていく。

 背中に手が回された。黎は俺の肩口に顔を埋める。

 

 

「吾郎は偉いよ。……でも、たまには弱音吐いて甘えたっていい。私の前でまで“いい子”にならなくていいんだ」

 

 

 温かい。温かい。湧き水が滾々と溢れるように、胸の奥からじわじわと込み上げてくるのは歓喜だった。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

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「大丈夫だよ。大丈夫だから、ちょっと休もう。誰も怒らないし、責めないし、嫌いになったりなんかしないから」

 

 

 彼女の声が、僅かながら震えていた。俺の視界では黎のうなじを捉えるので手一杯だから、今、彼女がどんな顔をしているのかは分からない。肩口が僅かに湿った感じがする――ああ、黎は今、泣いているのか。俺のせいで。俺なんかのために。

 俺はやや強引に、黎の顔を自分の方に向け直させる。彼女は抵抗するようにかぶりを振ったが、乞うようにして黎の名前を呼べば、おずおずとこちらを向いてくれた。灰銀の瞳には薄い涙の幕が張っている。動いた拍子に、それは溢れて流れ落ちた。

 溢れた涙を掬い上げれば、黎は恥ずかしそうに視線を彷徨わせる。けど、俺を振り払わずに受け入れてくれていた。暫し俺に為されるがままだった黎だったが、何かを決心したように俺を見返す。灰銀の双瞼は、しっかりとこちらを捉えていた。

 

 

「好き。好きだよ、吾郎。――愛してる」

 

 

 祈るように、黎は言葉を紡ぐ。彼女の手は迷うことなく俺の手に重ねられ、指を絡まれた。そのまま、触れるだけのキスを1つ。

 

 全身全霊を持ってして伝えられる想いを、俺は真正面から受け止める。途端に、俺はそのまま溺れてしまった。返さなくてはと思う度に、黎に応える術が見当たらない。

 自分が持っているものはあまりにも少なくて――それでは黎に返すには全然足りなくて、俺は内心途方に暮れる。それでもいいと言うように、黎は静かに微笑んだ。

 

 今の俺に出来ることはたった1つだけだ。俺は黎の背中に手を回して、細くて華奢な身体を掻き抱いた。

 彼女の体躯はすっぽりと俺の腕の中に納まる。黎の身長は163cmで、丁度抱きしめやすい。

 少々癖がある柔らかな髪を梳きながら、俺も黎に応える。全身全霊を持ってして、だ。

 

 

「俺も、好きだ。――愛してる、黎」

 

 

 触れ合うように、啄むように、角度を変えては徐々に深く深く口づけを交わす。互いの息遣いが荒くて、時折衣擦れの音が響いて、溺れるんじゃあないかと錯覚してしまいそうになった。――ふと、薄ら目を開けてみると、黎は少し苦しそうに震えている。

 正直、足りない。でも、邪な欲望が顔を出そうとするのは実父を連想してしまって恐ろしいし、これ以上黎に無理をさせたくはない。名残惜しいのを堪えて、俺は唇を離した。互いを繋いでいた銀糸がプツリと切れる。

 ……思えば、深いキスをしたのは今回が初めてではないだろうか。甘い吐息を漏らしながら、黎は俺にもたれかかってくる。解放されて気が抜けたせいか、彼女の身体からも力が抜けていた。俺の服を握り締めながら呼吸を整えようとする黎の身体を支えながら、労りを込めて頭を撫でた。

 

 

「……ごめん。大丈夫?」

 

「うん……平気」

 

 

 少しづつ呼吸を整えながら、黎は力なく頷いた。頬を淡く染めて、花が綻ぶような笑みを浮かべて、俺にすり寄ってくる。

 

 好きな人に受け入れてもらえた――その事実が、泣きたくなるくらい嬉しい。

 ……ああもう。どうして彼女はいつも俺を幸せにしてくれるんだろう。

 

 

(――あれ?)

 

 

 暫し、黎の頭を撫でたり髪を梳いたりしていたとき、何の前触れもなく睡魔が忍び寄ってきたことに気づいた。抵抗する間もなく、うつらうつらと意識が漂い始める。

 黎は俺の異変に気づいたようで、体を起こした。「薬が効いてきたんだね」と彼女が零す。――もしかして、先程の口移しで飲み込まされた異物は解熱剤だったのだろうか。

 ……確か、解熱剤だけでなく、薬の類には“服用すると眠気を誘発する”副作用を持つタイプがある。欠伸をかみ殺す程度であるのが常だが、今回の薬は眠気の誘発性が強い。

 

 真っ直ぐ背を伸ばしていられなくなって、俺の身体がずるずると崩れ落ちていく。介護をしようとする黎を制した俺は、どうにかしてベッドの上に体を横たえた。黎は静かに微笑みながら、夏用の布団をかけてくれた。氷枕がガランと音を響かせる。氷水で冷やしたタオルが、また俺の額の上に乗せられた。

 

 布団の中から手を這い出した俺を見て、黎は多分察してくれたのだろう。指を絡めて、俺の手を握り返してくれた。

 ()()()()()。漠然と、俺はそんなことを思った。心地よい睡魔に身を委ねで瞼を閉じる。

 

 程なくして、俺の意識は闇の中へと溶けていった。

 

 

◇◆◆◆

 

 

 佐倉双葉は電子機器の扱いに長けたハッカー/クラッカーである。双葉の手にかかれば、ルブラン全体に盗聴器を設置したり、怪盗団と思しき人物のスマホにアクセスしたり、証拠を残すことなくSNSのアカウントを操作したりするのはお茶の子さいさいであった。

 

 

『待って。俺、薬を飲まされた記憶がないんだけど……?』

 

『意識朦朧だったからじゃないかな』

 

『……ちなみに、方法は?』

 

『口移し』

 

『うわあああああああああああ……!』

 

「うわあああああああああああ……!!」

 

 

 自分は調子に乗りすぎたのだ――養父である惣治郎が淹れてくれた特別苦いコーヒーを啜りながら、双葉は盗聴した音声データを聞いていた。後悔しながら聞いていた。

 おかしい。双葉は惣治郎特性の特別苦いコーヒーを飲んでいたはずだ。決して、某有名チェーン店の甘い甘いフラペチーノを飲んでいたわけではないはずだ。

 甘い。甘い。甘すぎる。胸やけしてしまうくらい甘い。暴力的なまでもの甘さに泡を吹きそうになりながら、双葉はパソコン画面から目を離せなかった。

 

 

(……画像や映像データがあったら、間違いなく死んでいた……!)

 

 

 引きこもり生活丸数年。外に出ず籠り続けて対人関係が壊滅を通り越して焦土と化している双葉には、リア充のラブシーンは厳しすぎた。もうどうしたらいいのか分からなくなるレベルでパニックになっていた。

 現実世界で双葉を助けてくれそうな相手は、自分を引き取ってくれた養父である佐倉惣治郎だけだ。だが、双葉のやっていることがやっていることのため、惣治郎に助けを求めるのは気が引ける。多分説教モノだろう。

 

 では、ネットではどうか。……ダメだ。双葉の語彙力では、この状況を「双葉が不利になることなく」説明する方法が見つからない。

 馬鹿正直に「盗聴したらラブシーン拾った」と述べれば友人たちは軒並み離れていきそうだし、それ以外にうまい言葉が見つからなかった。

 二次元のイチャイチャシーンはガッツポーズを取れるのだが、三次元のラブシーンには一切耐性がない。発狂不可避だ。

 

 人間、パニックになるとまともな判断を下すことが不可能になると言う。今の双葉も、まともな判断を下すだけの理性も余裕も残っちゃいなかった。すべてにおいて未経験である佐倉双葉にとって、ルブラン屋根裏部屋に住まう住人とその彼氏の破壊力は凄まじすぎた。

 

 

『……なあ、黎。その……着替えは……?』

 

『至さんが持ってきてくれた』

 

『いや、俺が言いたいのはそっちじゃなくて……』

 

『着替えも汗を拭いたのも私だよ。……意外と、鍛えてるんだね。吾郎は』

 

「ぐふぅッ!?」

 

 

 見事に弱点にヒット。

 

 

『ねえ、黎』

 

『何?』

 

『触れてもいい?』

 

『……ん。いいよ』

 

「ぬぐぅ!!」

 

 

 派手な追撃が入った。

 

 

『そんな顔しないでよ。好きな人(キミ)のためなら、俺はどんな無理や無茶だって平気なんだ』

 

『吾郎』

 

『本当だよ。ホントにホント。今回は倒れちゃったけど、いつもはそんなことないんだよ』

 

「ほええ……!」

 

 

 誰か助けてくれ。体力がピンチだ。

 音声以外入ってこない情報に、双葉がめくるめく想像をして頭を爆発させかけていたときだった。

 

 

『好き。好きだよ、吾郎。――愛してる』

 

『俺も、好きだ。――愛してる、黎』

 

「――――――!!!」

 

 

 絶え間なく響く荒い息遣いが、微かに響く水音とリップ音が、時折紛れ込むようにして響く衣擦れの音が、双葉の聴覚を完全に乗っ取った。最早声すら出てこない。口を押え、身を震わせるのだけで手一杯だ。

 程なくして、リア充たちの戯れには終わりが訪れた。彼氏のほうが薬の副作用で眠ってしまったためである。双葉の残りHPは1。喰いしばりが発生した結果だ。このスキルがなければ、今頃双葉は失神していただろう。

 ぜえぜえしながらコーヒーを煽る。ようやく惣治郎のコーヒーから甘みが抜けたようで、胃のむかつきに苦しむ双葉の救世主となり得た。双葉が大きく息を吐いた刹那、盗聴器が屋根裏部屋の住人の声を拾い上げる。

 

 

『……優しくしてくれるのは、嬉しいんだ』

 

 

 それは、ぽつりと零れた呟きだった。焦がれるような熱と切なさを孕んだ、少女の声。

 

 

『私のこと大切にしようって頑張ってるの、ちゃんと伝わってるよ。……本当に、本当に嬉しいんだ』

 

 

 彼氏の寝息に紛れて、熱っぽい吐息を盗聴器が拾い上げる。

 

 

『……でもね、求めているのは貴方だけじゃないんだよ。吾郎……』

 

 

 ちゅ、と、音がした。屋根裏部屋の住人が、眠っている彼氏にキスをしたのだ――双葉の頭脳が叩きだす。

 啜っていたコーヒーが突然フラペチーノに変わった気がして、双葉は口を歪める。喰いしばりはもう発動しない。

 

 双葉はそのままテーブルの上に突っ伏した。――もう暫く、動けそうになかった。

 

 

***

 

 

 佐倉双葉には、チャットでよく合う友達がいる。1人は桐条財閥関連企業で働いているというHN“(かぜ)ちゃん”、もう1人はつい最近独立したばかりのセラピストであるHN“MAIAKI”だ。前者はPCカスタマイズという共通の趣味が合って仲良くなり、後者は“風ちゃん”から紹介された“風ちゃん”の友達である。

 “風ちゃん”から“MAIAKI”を紹介されたときは職業的に身構えたものの、“MAIAKI”は無理に双葉を外に出そうとはしなかった。双葉の意見をきちんと聞いてくれて、『無理しなくてもいいよ。いつか、貴女が自分で立ち上がろうと思える日が来るから』と言って見守るスタンスを取ってくれた。惣治郎と同じで、そこは感謝してもしきれない。

 今、双葉は吐き出したいことがあって堪らなかった。これを吐き出さないと、引きこもりライフすらまともに送れないレベルで精神が追いつめられていた。もう誰に何を言われてもいい。何でもいいから助けてほしい。双葉は自分の精神と体に鞭打って、キーボードを叩いた。

 

 

葉っぱ:盗聴したら濃厚ラブシーン拾った。刺激が強すぎて死にそう。どうしたらいい?

 

風ちゃん:まずは盗聴をやめよう。話はそれからだよ。

 

MAIAKI:まずは盗聴をやめよう。話はそれからだよ。

 

葉っぱ:だよな……。まずは盗聴器の電源切ろう。

 

 

 もう二度と、屋根裏部屋を盗聴することはやめよう。

 見捨てないでくれた友人たちからのアドバイスを参考にして、双葉は盗聴器の電源を切った。

 

 

◆◇◇◇

 

 

 翌日の夜には、僕の熱はすっかり下がっていた。黎と協力関係を結んでいる女医の薬は副作用――強い眠気を誘発する――は強めだが、効果も申し分ない代物だったらしい。僕が眠っている間に診察を済ませた女医曰く、『明日からは普通に日常生活が送れるだろう』とのこと。『何かあったらまた連絡するように』とも言い残したそうだ。

 僕が薬の副作用でぐっすり眠っている間に、“メジエド”に喧嘩を売られた怪盗団の状況も変化したようだ。『自分なら“メジエド”を止められる。取引をしろ』と名乗りを挙げてきたハッカー/クラッカーである“アリババ”が、突然、一方的に取引関係を打ち切って来たという。関係を破棄するついでに、怪盗団の情報も向うが処理しておいてくれるらしい。

 怪盗団に喧嘩を売って以来、“メジエド”には一切動きはない。犯罪集団が怪盗団に戦いたとは思い難いが、双方の動きが完全に沈黙してしまってはもうどうしようもない。若干の不安は残っているが、“メジエド”の一件以来延び延びになっていた金城『改心』記念戦勝会をすることにした。真の歓迎会は、花火大会中止の代わりに行ったお好み焼きパーティで代用した形である。

 

 金城の『オタカラ』は15万円。悪趣味な金色のスーツケースに入っていた万札の総額である。大きさと中身が一致しなかったのは、スーツケースの構造が上げ底状だったためだ。金城の見栄が形になった『オタカラ』だとは真の意見だったりする。

 

 元々金城は貧乏な出らしいので、この15万円には見栄以外にも大事な意味があったのかもしれない。けど、その意味を思い出したとしても、金城はもう二度と、そのときと同じ気持ちで15万円を手にすることはできないのだろう。鴨志田にとっての『オタカラ』――金メダルと同じように。

 15万円を使って打ち上げをすることになった怪盗団の面々は浮かれた。『それだけあればパァッと打ち上げができる』と大喜びした面々は、打ち上げ先として寿司屋を候補にしていた。『全会一致の原則だから、あとは吾郎が賛成するか否かだ』という竜司のメッセージに、僕は躊躇うことなく『寿司がいい』と返答した。

 

 

吾郎:明日は検察庁で仕事の手伝いすることになってるんだ。僕が合流できるのは午後からになるけど、大丈夫?

 

竜司:おう!

 

祐介:了解した。

 

杏:オッケー!

 

真:了解。お姉ちゃん対策は手はず通りにね。

 

吾郎:こちらこそ了解。冴さんも獅童の方も、そろそろ怪盗団の新情報を欲しがっているだろうし。上手くやるよ。

 

 

真:そういえば、獅童から『怪盗団に精神暴走事件の濡れ衣を着せろ』って言われてるのよね?

 

祐介:この時点で布石を打つということか? 厄介だな。

 

竜司:確か、獅童が得意な戦術が“上げて落とす”なんだっけ? もしかして、“メジエド”が獅童と繋がってるってことか!?

 

杏:そっか! 金城を『改心』させて人気が出てきたけど、“メジエド”を『改心』できなきゃ怪盗団の威信は地に落ちるってことだよね?

 

吾郎:タイミングがちょっと早すぎる気はするけど、その可能性はある。

 

竜司:タイミングが早すぎる? なんで?

 

杏:獅童は怪盗団を潰したいんでしょ? だったら早い方がいいんじゃないの?

 

真:確かに吾郎の言う通り、タイミングが微妙ね。人気絶頂のタイミングを狙って威信を失墜させる方が効果的よ。

 

黎:芸能人のスキャンダルが発生すると炎上するでしょう? それと同じ原理だよ。

 

祐介:成程。俺たち怪盗団は民衆からの支持を受けている。権威が失墜するということは、周りが手のひらを返して敵に回ることと同義だ。

 

吾郎:そうして怪盗団を悪に仕立て上げた後、奴は堂々と正義を主張して、怪盗団を打つ英雄になるわけだ。だから、奴は徹頭徹尾怪盗団を批判している。最後の最後で自分が勝者になるために。

 

竜司:ゲェ……! なんて悪趣味な奴だ。正義って字面を背負って立つ人間とは思えねーよ。

 

杏:獅童の下の名前って正義なんだよね。名前改名して悪党にしてもらった方が良さそう。

 

黎:残念だ、杏。悪は人名漢字として使用不可能なんだよ。実際、役所に『悪魔』で出生届を出して止められている事例があるからね。

 

竜司:いや、自分の子どもに『悪魔』ってつけようとする親もどうかと思う。

 

 

吾郎:“メジエド”が獅童と繋がっているかはともかく、今は戦勝会のことを考えよう。

 

黎:みんなもそれでいいね?

 

竜司:ああ、それでいいぜ。

 

杏:私も。

 

祐介:俺も構わない。

 

真:そうね、そうしましょう。……なんだかごめんね。みんなに変な心配かけちゃって。

 

黎:いや、真の心配も最もだよ。指摘してくれてありがとう。心構えがないのとあるのとでは随分違うから。

 

吾郎:明日は寿司を食べながらゆっくりして、明後日以降から考えればいいと思うよ。

 

真:ありがとう、2人とも。それじゃあみんな、また明日ね。

 

 

『お世話になったね。それじゃあ、また明日』

 

『うん。また明日、銀座でね』

 

 

 仲間たちのチャットを終えた僕は、黎に見送られてルブランを後にした。

 

 そうして翌日、検察庁。冴さんは朝からピリピリしていて、以前までの姉御肌的な部分は完全に成りを潜めていた。横顔も完全に鬼気迫っているように見える。

 いくら精神暴走事件や怪盗団関連の事件、そして獅童関連の事件がうまい具合に進まないからといって、無意味に荒れている姿を見たのは初めてのことだった。

 

 

『怪盗団が金城を自白させたせいでこっちの面子は丸潰れ、精神暴走事件と思しき不審死を遂げた遺族や、被害者が研究していた認知訶学は突破口を切り開く鍵になり得ない……! 本当にもう、どれだけ引っ掻き回せば気が済むのかしら』

 

『……認知訶学? それって、一色若葉さんの研究ですよね?』

 

『あら、明智くん。被害者のことを知ってるの?』

 

『ええ。保護者である航さんとの繋がりがあって、何度か顔を合わせたことがあります』

 

 

 まさかこんなときに、一色さんの娘の行方を知ることができるだなんて思わなかった。このチャンスを逃してはならぬと思った僕は、冴さんに問いかける。

 

 

『……そういえば、一色若葉さんには娘さんがいるって聞いたんです。航さんがその子に会いたがってるんですけど、関係者からは教えてもらえなくて』

 

『明智くん、灯台下暗しよ。被害者の娘を引き取ったのは、貴方が愛してやまない有栖川さんが住まう喫茶店ルブランの店主、佐倉惣治郎さんなの』

 

 

 今まで以上に刺々しい冴さんに内心辟易しつつも、僕は割と真面目に驚いていた。航さんが殺意マシマシの一色家関係者の元へ赴いて頭を下げていたことが無意味だったのではないかと心配になるくらい、一色さんの娘さん――双葉さんは身近にいたのである。

 先日、ルブランで佐倉さんと冴さんが言い争っていたのにはこんな理由があったようだ。冴さんは無理矢理佐倉さんや双葉さんから話を聞き出そうとして失敗したようで、『何の役にも立たない』等と詰っていた。虐待をでっちあげて親権停止をちらつかせるなんて、おっかない。

 ……目の前で親の死を目の当たりにした子どもへの対応として、冴さんの言動は明らかに異常だ。傷つき苦しむ人間に対して、冴さんは鞭を打っている。それも、“自分の手柄を得て、結果的に勝利を勝ち取るため”にだ。人道的に考えて無茶苦茶である。

 

 新島冴という女性は、こんな女性だっただろうか? か弱い相手を嬲って踏み躙ってでも、勝利を手にしようとする人間だっただろうか? 『勝つためだったら何をしてもいい』と、ハッキリ言いきってしまうような人間だっただろうか?

 

 以前から嵯峨薫氏が『冴さんが勝利に執着するようになったから心配』だと聞いていたけど、冴さんとコネクションを結んだ当初はここまで酷くなかったはずだ。

 何でもかんでも黒にして、検挙数を挙げて、それを出世の道具にするような人ではなかった。真の自慢話を数時間耐久で仕掛けてくるレベルで、妹を大切にしていた人だった。

 

 

『精神暴走事件が有名になったのも、怪盗団が活動し始めたのもほぼ同じタイミングよね。飛躍しすぎているとは思うけど、もしかしたら“怪盗団が精神暴走事件の黒幕”なのかしら?』

 

『……その推理は、冴さん独自の判断ですか?』

 

『そうだけど』

 

 

 しれっと語る冴さんに、僕は若干の不安を覚えた。なぜならそれは、僕が獅童親子から指示された『推理内容』だからだ。冴さんの注意を怪盗団に向けさせるための誘導に使う推理。――だというのに、僕が提案するより先に、冴さんが自らその推理を展開したのである。

 

 ()()()()()()()と思ったのは何故だろう。()()()()()()と、僕の中にいる“何か”が警笛を鳴らす。ざわつく心を仮面の下に隠しながら、僕は笑みを浮かべた。『丁度良かった。僕も冴さんと同じことを考えていたんですよ』と嘯く。冴さんは疑うことなく僕の言葉を受け入れた。

 冴さんは嬉しそうに目を細めると、即座に周囲を見渡した。そうして僕に耳打ちしながら問う。『警察関係者にその話を漏らしたか』という質問に対し、僕は『勿論、(信頼できるペルソナ使いの警察官たち以外には『嘘だってことも含めて』)言ってませんよ』と答えた。括弧内を口に出していないだけなので、嘘偽りは述べていない。

 『警察組織は駒だ』と悪びれること無く言い切った冴さんに、僕は何とも言えない寒気を感じていた。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――僕の中にいる“何か”が怯えながら弁明する。……多分、それは、僕や“何か”にとっても『本当のこと』だ。

 

 でも、僕らの『本当のこと』に込めた想いや願いを無視するように、冴さんは狂気的な眼差しでプロファイリングを進める。

 ――いいや、()()()()()()()()()と“何か”は分析した。“何か”が酷く困惑しているように感じたのは、僕の気のせいではない。

 

 勝利のためにと決意を新たにした冴さんに、僕はわざと話題を振ってみる。冴さんが大好きな真の話題だ。

 

 

『そういえば、黎がまこ……冴さんの妹さんと一緒に雑貨屋を見て回ってたんですよ。冴さんの気に入りそうな――』

 

『――明智くん。それ、捜査に関係あること?』

 

『えっ? あ、いや……』

 

『ないんでしょう? なら、そんな話はどうでもいいわ。時間の無駄よ』

 

『で、でも冴さん、妹さんの話――』

 

()()()()()()()()()()()()()って言ってるのが分からないの? 私の人生を食い潰すだけの足手まといの話なんて不要だわ』

 

 

 なんだこれは。

 なんだこれは。

 なんだこれは!?

 

 颯爽と立ち去っていく背中に呆けた僕だったが、冴さんは即座に立ち止まって怪訝そうに僕を見つめてきた。さっさと来いとのお達しらしい。

 僕は愕然としながらも、それを押し込めて冴さんの後を追いかけた。……空は晴天にもかかわらず、暗雲が立ち込めてきたように思ったのは気のせいではなかった。

 

 

“色々大きな動きはあった。ただ、これは戦勝会が終わった後で話したい。みんな、夜の予定は大丈夫?”

 

 

 仲間たちに問いかけたら、全員から“大丈夫”と返信があった。怪盗団のみんなは僕が話をするまで待ってくれるらしい。そのことに感謝しつつ、僕は帰る準備を始めた。

 

 冴さんは鋭い眼差しで僕を見つめている。手伝え、ということらしい。元から今日は午前だけのはずだろうにと言外に訴えると、射殺さんばかりの眼差しで僕を睨んできた。

 今回は意地でも定時で検察庁を出たが、次からは労働基準や学生であることを無視して強行軍に投入されるだろう。獅童の敵同士で結びついていた僕と冴さんの関係が崩れそうだ。

 司法関係者の情報は欲しいし、獅童の情報だってほしい。……けど、今の冴さんは信用ならないのだ。本人は自覚していないようだが、明らかに何かおかしくなっている。

 

 

『じゃあ、お先に失礼します。……ところで、冴さん』

 

『何? 今、“メジエド”の宣戦布告で忙しいんだけど?』

 

『精神暴走事件には『廃人化』だけじゃなく、“性格が別人みたいに変わる”という症状もあるらしいですよ?』

 

『それが何か? ……何が言いたいの? 無駄話をしている暇はないの。帰るならさっさと帰って頂戴』

 

 

 刺々しい空気を纏った冴さんは、冷ややかな口調で言い放った。普段の冴さんなら僕の言葉の意図を察してくれる聡明さがあるはずなのに、それは一切感じ取れない。

 『貴女自身が精神暴走事件の被害者になりそうです。気をつけて、踏み止まってください』と回りくどく投げかけてみたものの、冴さんは気づいてくれなかった。

 

 ――僕が冴さんの執務室から出て扉を閉める直前、黒いドレスを身に纏い、灰色基調の派手なメイクをした女の姿がちらついたのは気のせいだっただろうか。

 

 

***

 

 

 金城『改心』記念の銀座高級寿司は美味しかった。

 

 このときだけは、“メジエド”や冴さんの暴挙等の不穏な気配を忘れて楽しむことができた。竜司が上杉さん並みの食レポを披露したり、祐介が挙動不審に値段表を探していたり、モルガナがマグロ(しかも大トロ)の虜になったりと、見ていて微笑ましい光景が広がっていた。

 黎はサーモンとイクラ系を好んで食べていたし、杏と真も幸せそうな顔をして高級寿司に舌鼓を打つ。僕は栄吉さんの店――がってん寿司で美味しい寿司を食べたことはあるけど、銀座の高級店に足を運んだのは今回が初めてだった。実際美味しかったし、文句はない。

 寿司を食べている最中に、『珠閒瑠のがってん寿司が懐かしい』ってぼやいている客――なんだかどこかで見たことがあるようなサラリーマンだった。エルミンメンバーから『トロ』の愛称で呼ばれていた人によく似ている――を見かけたが、その人はお勘定を済ませて店から出て行ってしまった。閑話休題。

 

 高級寿司を食べ終えて四軒茶屋に帰って来た僕たちは、ルブランで作戦会議を開いた。検察庁で僕が手にした情報――“メジエド”からの宣戦布告、認知訶学を研究していた一色若葉さんのこと、その娘である一色双葉さんのこと、冴さんが虐待をでっちあげてまで佐倉さんと双葉さんから情報を引き出そうとしていたことを説明する。

 誰もが沈痛な面持ちとなった。特に真の落ち込みようが酷い。その気持ちは想像するに余りある。“母親が目の前で自殺した”と思い込んでいる被害者遺族の傷を抉ることも厭わず、しかもその理由が『自分の手柄にして出世するため』。人の心を踏み躙ってまでのし上がろうとする冴さんの姿は、怪盗団が『改心』させてきた大人たちと変わらないのだから。

 

 

「お姉ちゃん、どうしてそうなっちゃったんだろう……。昔は全然そんなことなかったのに……」

 

「精神暴走事件には『廃人化』だけじゃなく、“性格が別人みたいに変わる”という症状もあるんだ。……もしかしたら、冴さんは自分の自覚なしに、精神暴走事件の被害者になっているのかも」

 

「それって、獅童の『駒』が真の姉さんを人質にとったってことか!?」

 

 

 僕の話を聞いた竜司が、動物的な勘を働かせて持論を展開する。精神暴走が『廃人化』と関わっている、『廃人化』専門のヒットマンは獅童の『駒』であるという点から独自に発展したそれは、ある意味で、獅童の悪辣な手腕を浮き彫りにさせるに至った。

 獅童の『駒』――智明は冴さんを怪盗団の敵へと変貌させた。つまり、良い方は悪いが“冴さんを手中に収めた”と言っても間違いではない。精神暴走状態に陥った冴さんを『廃人化』させて息の根を止めるなんて芸当、智明ならできそうだからだ。

 

 

「でも、僕の正体がばれてないと、竜司のような発想で冴さんを精神暴走させることはないはずだ。別の意図で動いた結果、こうなっただけなんじゃ……」

 

「……いや、竜司の意見も一理あるよ。獅童たちは何も言わないだけで、吾郎を牽制しているのかもしれない」

 

 

 黎の言葉に、ぞくりと背中が震えた。まさかと笑い飛ばすことができない。僕の中にいる“何か”が、鬼気迫ったように焦り、怯えているように感じる。

 

 ()()()()()()()()()()――問答無用で、それがすとんと落ちてきた。()()()()()()()()()()()()()()()()()――そこで、“何か”は言葉と感情を閉ざしてしまう。嫌な汗がじわりと滲んだ。

 底なしの深淵を覗き込んだような心地になり、僕は生唾を飲み干す。闇の底で、獅童親子が僕を蔑むようにして見つめていた。嘲笑うような瞳と底なしの悪意に身じろぎし――けれど僕は、敢えて不敵に笑い返す。

 虎穴に入らずんば虎子を得ず。汚い大人との駆け引きは何度も繰り返してきた。頼れる大人たちが戦っている背中を思い浮かべる。大切な人を守れるようになりたい――いずれ僕が辿り着きたい理想が、死地へ赴く僕の背を押す。

 

 心配そうにこちらを見つめる怪盗団の仲間たちに対し、僕は笑い返す。

 震えそうになる身体を抑え込み、不敵に、挑戦的に。――それが、『白い烏』の矜持だ。

 

 

「だったら尚更、引き下がるわけにはいかないね。こういうときこそ、普段通り、太々しく振る舞わなきゃ」

 

「吾郎、声震えてる」

 

「吾郎、口元引きつってる」

 

「冷や汗凄いぞ、ゴロー」

 

「おい吾郎。血の気が引いてないか?」

 

「なあ吾郎。お前の手、震えてねぇ?」

 

「……少しくらい格好つけさせてくれよお前らァ!!」

 

 

 僕の強がりを、杏、真、モルガナ、祐介、竜司が看破した上で指摘した。彼らは黎と違って、“俺の強がりを見逃してくれる”という優しさは備わっていないらしい。助けを求めて黎に視線を向ければ、慈母神のような優しい眼差しを向けてきた。

 仲間たちの心配を受け取っておけ、と、綺麗な灰銀が促す。僕は観念してため息をついた後、怪盗団一同からのありがたいお言葉を聞くことにした。みんな俺のことを気遣い、心配し、案じてくれている。照れくさいが、正直嬉しい。悪態をつきながらも自然と口が緩んでしまう。

 暫し雑談に興じた後、僕たちは再び作戦会議に戻ることにした。僕の密偵業は続行。“メジエド”を『改心』させる鍵を手に入れるため、“アリババ”――佐倉双葉さんに接触を試みることで全会一致した。モルガナ曰く、ルブランには盗聴器が仕掛けられているようなので、この話も双葉さんに筒抜けかもしれない。

 

 ……そういえば、僕が熱を出して倒れたときも、双葉さんはルブラン店内を盗聴していたのだろうか。

 

 僕はSNSを起動し、航さんにメッセージを送った。南条コンツェルンの研究機関に缶詰めになっている航さんがこのメッセージにいつ気づくかは分からないが、どうしても知ってほしい内容だった。

 航さんはずっと、若葉さんからのメッセージを守りながら双葉さんを探している。それが報われてほしいと願うのは当たり前のことだ。既読のランプがつくことを願いつつ、僕はスマホを仕舞う。杏が顎に手を当てながら呟く。

 

 

「“メジエド”が獅童側と繋がっているとしたら、“アリババ”がマスターの娘さんである双葉って子なら納得がいきそうだよね。その子、『お母さんの死因をどこかで知ったから、その仇討ちをしようとしてる』ってことになるもの」

 

「だとしたら、双葉さんは誰から、あるいはどのルートで、一色若葉さんのことを知ったんだろう?」

 

 

 僕は顎に手を当てて考えた。

 

 一色さんの死の真相を知っている人間――航さんは事故現場で一部始終を見ていたし、俺から獅童正義や奴の『駒』の話を聞いていたから真相を看破するに至った。けど、航さんは一色家から毛嫌いされているから今まで双葉さんと接触できずにいる。だから、航さんから話を聞いたとは思えない。

 他に一色さんの死の真相を知っている人間は少ないだろう。一部始終を見ていた航さんがすべてを知ったのは、“ペルソナ使いであったから”というアドバンテージがあった。航さん以外の目撃者――一般人はみな口を揃えて『若葉さんが自殺した』と証言している。

 もしも双葉さんが情報を手に入れたとするならば、ペルソナ使い――あるいはペルソナ使いと強いコネクションを持つ一般人ではないだろうか。事実、僕らが把握できていないだけで、ペルソナ使いは各地に存在している。僕が自分の推理を仲間たちに話していたときだった。

 

 黎のスマホが突然鳴り響いた。黎は即座にスマホを仲間たちに見せる。

 チャットの相手は“アリババ”――協力関係を解除したハッカー/クラッカーが、再び接触してきたのだ。

 

 

「“アリババ”……フタバか!?」

 

「協力関係を解除したのに、一色若葉さんの話題になって連絡してきたってことは……」

 

「やはり、俺たちの会話を聞いていたのか」

 

 

 モルガナが声を上げ、真と祐介は険しい顔で黎のスマホを覗き込む。

 ――これで、“アリババ”が双葉さんである可能性がより一層濃厚となった。

 

 

アリババ:キミたちの話はすべて聞かせてもらった。実は、ルブランに盗聴器を仕掛けていたんだ。

 

 

 その書き込みを皮切りに、“アリババ”が次々と書き込んでいく。黎が書きこむ隙を与えぬと言わんばかりに、だ。

 

 “メジエド”を止めるキーマンである佐倉双葉――つまりは自分のことだ――は、母である一色若葉さんの死因を『双葉さんとの関係がうまくいかなかったことが原因でノイローゼとなり、突発的に自殺した』と思い込んできたという。実際、その証拠を見せつけられ、親戚一同から責められたそうだ。

 だが、僕の話を盗聴したことで、背負い続けてきた罪悪感にわずかながら疑問が生じたらしい。最も、いきなり齎された情報――“一色若葉の死因は自殺ではなく他殺である”という話を飲み込み切れずにいるようだ。おまけに、それを証明できる目撃証人――航さんがいたことも知らないままだったらしい。

 

 

黎:私はキミに会いたいんだ。証人にも会わせてあげたい。外に出て来ないのか?

 

アリババ:外には出ない。出られない。出てはいけない。今まではそう思ってた。

 

黎:今は?

 

アリババ:出る勇気がない。

 

黎:どうして?

 

アリババ:今までずっと、外に出ることなく死んでいくべきだと思ってた。あそこが墓場だって思ってたから。

 

黎:墓場とは穏やかなじゃいね。でも、今は違うんでしょう? どう思ってる?

 

アリババ:どうすればいいのか分からない。今までの苦しみが何だったのか分からない。どうして私はあんな風に責められなければならなかったのか。苦しまなくてはならなかったのか。こんなのおかしいじゃないか。

 

 

 それっきり、チャットはエラーとなった。僕らは顔を見合わせる。チャットに書きこまれた内容からして、“アリババ”=双葉さんは『一色さんの死因を知らないまま、僕らの話を盗聴していた』ということになる。

 僕の推理は斜め上を向いていたらしい。しかも、この推理のせいで双葉さんの心に多大な衝撃を与えたようだ。良くも悪くも、自分が信じてきたことが打ち砕かれるというダメージは凄まじいのだから。

 双葉さんがどうやってこの事実を飲み込むのかは分からない。だが、彼女は自分の心に苦しんでいる。母を失った悲しみ、母の死が自分のせいではないかという罪悪感――今まで背負ってきた苦痛が謂れなき悪意によるものだと知ったためだ。

 

 自分の苦しみは無意味だったのかと、何であれほど苦しまなければならなかったのかと。

 燻った思いと折り合いがつかない限り、双葉さんはきっと前へ進めない。

 

 

「『改心』が認知の歪み――即ち欲望を正すことで心の変化を引き起こすと仮定すれば、双葉さんの心の歪みも顕現しているはずだよね?」

 

「つまり、双葉ってヤツにもパレスがあるってことか?」

 

「多分」

 

 

 黎は即座にスマホを操作する。果たして、イセカイナビは僕らの予想通りの動きをした。人名ヒット、パレスの場所は佐倉家、キーワードは本人の自己申告で『墓』――すべてが一致した。後は、佐倉家に行ってナビを起動させるだけだ。

 

 そこまで話し合った僕たちはふと時計を見る。時間的に、そろそろ家に帰らないと危ない。補導員に目を付けられたら厄介なことになりそうだ。

 そう判断した僕たちは、今日は大人しく解散することにした。今年の夏休みは怒涛の展開になりそうだと考えながら。

 

 




魔改造明智によるバタフライエフェクト発生。双葉パレス攻略までの道筋がガラリと変わりました。真実を知っても双葉が出てこない理由は自分の実体験をベースにしています。どうしても折り合いがつけられない出来事があって、前に進むこともできず、後ろに進むのは論外なので動けず、その場に止まることが精一杯だった時期がありました。
今回は、原作を知っていると魔改造明智の推理が「待て待て待て待て! 深読みしすぎだ!!」ってなる話を目指しました。結果、双葉がこの時点で母親の真実に触れることに。基本は原作沿いですが、双葉パレス編はバタフライエフェクトが強くにじみ出てくる予定。
甘い話を書いていたら、書き手の精神が大変なことになって難産になりました。なんだか、書いていてむず痒くなってしまったんですよね……。被害者となった双葉には可哀そうなことをしたなあ(棒読み)

感想欄にあったコメント――“この作品の魔改造明智はエンディング分岐およびペルソナ20周年記念コミュ”――を読んで、折角なので、魔改造明智のコープアビリティをお遊びで考えてみました。何かあったら変更するかもしれないので、確定とは言いませんが……。

【アルカナ:正義】
<ランク1(初期時点)>
*バトンタッチ:1MORE発生時に、主人公及びバトンタッチを覚えている同士で、行動のチェンジ可能。
*追い打ち:主人公の攻撃でダウンを奪えなかった際に追撃。
*ディティクティヴトーク:敵との会話交渉が決裂した時にフォローが発生し、交渉をやり直せる。
*ハリセンカバー:バッドステータスの仲間を回復することがある。
*かばう:主人公が戦闘不能になる攻撃を受ける際に、間に入ってダメージを肩代わりする。
<ランク2>
*マスカレイド・コミュニティ:パレス攻略時に歴代ペルソナ使いが援護してくれる。他、日常生活でもペルソナ使いと関わることがある。
<ランク5>
*バタフライエフェクト・友との絆:エンディング分岐に関係する。
<ランク8>
*バタフライエフェクト・罪と罰を超えて:エンディング分岐に関係する。他にも効果ありだが詳細不明。
<ランク9>
*マスカレイド・イーチアザー:詳細不明。
<ランク10>
*バタフライエフェクト・未来はここに:詳細不明。


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デンジャラスなピラミッド探検記

【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 @空本(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄で明智の保護者その1。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
 @獅童(しどう) 智明(ともあき)⇒獅童の息子であり明智の異母兄弟だが、何かおかしい。獅童の懐刀的存在で『廃人化』専門のヒットマンと推測される。詳しくは中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『運命を切り開くだけの簡単なお仕事』および『ペルソナ3異聞録-.future-』、Pixivの『2周目明智吾郎の災難』および『【一発ネタ】有栖川黎の幼馴染』の設定を下地にし、別方向へ発展させた作品である。
・ジョーカーのみ先天性TS。
 ジョーカー(TS):有栖川(ありすがわ) (れい)⇒御影町にある旧家の跡取り娘。旧家制度は形骸化しているが、地元の名士として有名。身長163cm。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空本(そらもと) (わたる)⇒明智の保護者2で、南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。
・敵陣営に登場人物追加。
 @神取鷹久⇒女神異聞録ペルソナ、ペルソナ2罰に登場した敵ペルソナ使い。御影町で発生した“セベク・スキャンダル”で航たちに敗北して死亡後、珠閒瑠市で生き返り、須藤竜蔵の部下として舞耶たちと敵対するが敗北。崩壊する海底洞窟に残り、死亡した。ニャラルトホテプの『駒』として魅入られているため眼球がない。この作品では獅童正義および獅童智明陣営として参戦。
・「2罰ボスの外見を見た人間の反応」に関するねつ造設定がある。
・普遍的無意識とP5ラスボスの間にねつ造設定がある。
・オリジナル展開がある。


 佐倉双葉には、チャットでよく合う友達がいる。1人は桐条財閥関連企業で働いているというHN“(かぜ)ちゃん”、もう1人はつい最近独立したばかりのセラピストであるHN“MAIAKI”だ。前者はPCカスタマイズという共通の趣味が合って仲良くなり、後者は“風ちゃん”から紹介された“風ちゃん”の友達である。

 “風ちゃん”から“MAIAKI”を紹介されたときは職業的に身構えたものの、“MAIAKI”は無理に双葉を外に出そうとはしなかった。双葉の意見をきちんと聞いてくれて、『無理しなくてもいいよ。いつか、貴女が自分で立ち上がろうと思える日が来るから』と言って見守るスタンスを取ってくれた。惣治郎と同じで、そこは感謝してもしきれない。閑話休題。

 

 双葉の亡くなった母親――一色若葉は研究者だった。いつも研究が忙しくて、双葉はずっと留守番をしていたことが多かった。幾ら我儘を言って引き留めようとしても、若葉は双葉よりも研究を優先するような人だった。双葉は若葉に我儘を言って困らせてばかりだったように思う。

 そんな双葉のことを、若葉は疎ましく思っていたのだろう。双葉の我儘と自分の研究に板挟みにされた若葉は追いつめられた挙句、双葉の目の前で自殺したのだ。『双葉のせいで研究が進められなくなった』という遺書を残して。その遺書を双葉に見せてきたのは、黒服の男たちだった。

 一色家にとって、女性でありながら優秀な研究者であった若葉は、期待にして希望の星だった。“そんな若葉が死を選んだ理由が双葉だった”――それを知った親戚たちは双葉を詰った。双葉のせいで若葉が死んでしまったのだと怒りをあらわにした。『お前が若葉を殺したのだ』と。

 

 親戚から育児放棄を受けていた双葉は、母の知人である佐倉惣治郎に引き取られた。それから2年間、双葉はずっと家の部屋に引きこもったままでいる。

 

 

“貴女のせいで私は死んだの。貴女のせいよ、双葉”

 

「うぅ……」

 

 

 ずきりと頭が痛んだ。纏わりつくような女性の――母である若葉の声に、双葉は頭を抱えて身体を丸める。

 若葉が自殺して、黒服から遺書を見せられて、親戚たちから責められてから、ずっと聞こえる声だった。

 

 けど、普段よりも頭が痛くないのは――苦しくないのは、先日盗聴して知った“新事実”があるためだろう。双葉は恐る恐る頭を上げる。

 

 探偵王子の弟子として怪盗団批判を繰り広げる探偵が実は怪盗団の副将ポジで、おまけに彼の保護者が若葉と交流があった研究者だった。調べてみたところ、彼の保護者――空本航は南条コンツェルン特殊部門に常勤しており、認知訶学と親和性が高い研究部門の最前線にいるらしい。

 双葉は、若葉が亡くなる前、『信頼できる研究者仲間ができた』と語っていたことを覚えていた。亡くなる当日の朝、『双葉に会ってほしい人がいる』と言っていたことも。……そういえば、母が車に轢かれたとき、道路の向かい側で叫んでいた男性がいたか。

 その人はいの1番に若葉の元に駆け寄って声をかけながら、すぐに『救急車と警察を呼べ』と指示を出していた。近くにいた見知らぬ人々に対し、何の迷いも容赦もなく指示を出していたように思う。――双葉の記憶の中にいた男性と、南条コンツェルンから拝借した社員名簿の写真が重なった。

 

 

(……“おかあさんは、殺された”……)

 

 

 探偵王子の弟子はそう言った。“犯人は特別な手段を講じて、一色若葉を『廃人化』させて殺した”、“精神暴走による『廃人化』には実行犯と黒幕がいる”、“黒幕は獅童正義という国会議員”と。

 

 

(この人が、その証拠を握っている……)

 

 

 双葉は映し出された画像を見つめる。南条コンツェルンの社員名簿から抜き出した写真に映る男性は、にこりとも笑っていない。

 口元を真一文字に結んだ真面目面。けど、その瞳は酷く優しい。……怪盗団のリーダーにして屋根裏部屋の住人は、『彼に会ってほしい』と言っていた。

 

 

(……“怪盗団の目的は、怪盗団の副将の実父にして、怪盗団のリーダーを嵌めた張本人――獅童正義の『改心』”……)

 

 

 以前盗聴した話を思い出す。彼らの話が本当ならば、獅童正義は佐倉双葉にとって因縁深い相手だ。一色若葉の仇だ。

 

 自分の中にいる“何か”が動き出そうとしているように感じたのは何故だろう。外に出る気にはならないけれど、まだ頭の中がごちゃごちゃしているけれど、動き出すために踏み出せずにいるけれど――。

 双葉はゆっくりと深呼吸する。怪盗団から齎された情報を受け止めながら、自分に降りかかった理不尽な日々を思い返す。“その中で、何か違和感を覚えなかったか”と自問自答する。

 

 

“貴女なんて、いなければよかったのに”

 

「うぅう……!!」

 

 

 怖い。怖い怖い怖い怖い――!!

 

 大人たちに責められた日々がフラッシュバックし、双葉は身体を丸める。上手く呼吸ができない。もう無理だ、と、双葉は根を上げた。

 今までの出来事を思い出していたのは1時間にも満たないのに、身体は疲労を訴えている。怠くて仕方がない。

 そのとき、双葉のSNSに反応があった。チャットの申し込みである。申し込んできたのは“風ちゃん”と“MAIAKI”からだ。

 

 2人は双葉のことを心配しているらしく、「大丈夫か」とメッセージを送って来た。双葉は体を起こし、「調子が悪い」と返信する。

 「訳あってトラウマと向き合ってみたが無理だった」と書き込めば、セラピストである“MAIAKI”が反応した。

 

 

MAIAKI:葉っぱさんが良ければなんだけど、何があったのか話してくれないかしら?

 

葉っぱ:えっ?

 

MAIAKI:誰かに話すことで楽になることだってあるよ。もしかしたら、1人で悶々と思い出すよりも、何かに気づけるかもしれない。

 

葉っぱ:……できれば早く思い出したいことなんだ。荒療治でも構わない。応援頼む。

 

MAIAKI:分かった。でも、無理はしちゃだめだよ。

 

風ちゃん:私も、できる限りお手伝いするよ。

 

 

 寄りかかる術を得たためか、先程より気持ちが幾分か楽になったような気がする。双葉は当時の日々に思いを馳せながら、キーボードを叩いた。

 

 

◆◇◇◇

 

 

 現実世界で双葉さんと接触したが、その際に佐倉さんと鉢合わせた。佐倉さんは自宅に乗り込んできた僕らの姿を見て厳しい目をしてきたが、僕がそれとなく『提供された情報に不満を持った冴さんから、虐待の証拠を集めろと命令された。だが、正直僕は冴さんのやり口に反対している』と言えば、佐倉さんは観念したように話してくれた。

 一色さんが亡くなった後、双葉さんは親戚から『お前のせいで若葉さんが死んだ。人殺し』と詰られ、責められてきたそうだ。それだけではなく、事実上の養育放棄状態にあり、必要最低限の生命維持ができる程度の生活しかさせてもらえなかったらしい。おまけに関係者一同がそれを推奨していたと言うのだ。

 それを見かねた佐倉さんが親戚一同とやり合った末に双葉さんを引き取ったのが2年前。丁度、一色さんが亡くなって半年が経過した頃らしい。佐倉さんはずっと双葉さんを見守ってきたという。双葉さんは部屋から殆ど出てこないものの、ようやく佐倉さんとまともに会話できるようになったらしい。

 

 

『あのいけ好かない女検事に会ったら言っといてくれ。若葉の研究は、今となっちゃあ俺が持っている資料しか残っちゃいないってな』

 

 

 険しい顔をした佐倉さんと別れた僕らは、彼が家の中に入っていくのを確認してイセカイナビを起動した。

 

 双葉さんのパレスは砂漠の奥にあった。パレスとの距離が離れているのは、双葉本人が“他者に近づいてほしくない”と強く思っているためだろう。パレスに忍び込んでも、僕たちの格好は外の服ままだ。モナ曰く、『佐倉双葉が怪盗団に危機感を抱いていないため』とのことだ。

 バンに変身したモナに乗って揺られること十数分。空調のポンコツ具合に文句をぶうたれる竜司や杏のがなり立てるようなやり取りを聞きながら、僕たちはようやくパレスの入り口へと辿り着く。そこには見事なピラミッドが聳え立っていた。

 

 

「なあ、ピラミッドって墓なんだろ?」

 

「王墓だな」

 

「それが有名だけど、諸説あるわ。“死者の復活装置”とも言われたりするし」

 

 

 竜司と祐介の会話に補足を入れた真は、“死者の復活”という言葉から“悪神による神取鷹久の復活”を連想したのだろう。僕も、暑さのストレスと連想した神取の後ろ姿に辟易しながら付け加える。

 

 

「クトゥルフ神話におけるニャルラトホテプの化身にも、エジプトのファラオがいたって話だ。……そういえば、神取のペルソナもファラオモチーフだったかな」

 

「マジかよ。どんなペルソナだったんだ? 名前は?」

 

「ゴッド神取」

 

「えっ」

 

 

 竜司の問いに答えた結果、黎を除く全員が表情を引きつらせて振り返った。「本当にそんな名前なのか」と、渋い顔をした仲間たちが無言で問いかけてくる。僕は何も言わずに頷いた。黎も何も言わずに頷いた。

 神取鷹久が宿していたペルソナ――ゴッド神取は元々ニャルラトホテプが生み出した化身の1体である。神取に宿っていたニャルラトホテプが神取を乗っ取ったとき、異形と化した神取が名乗っていた名前が始まりだろう。

 “セベク・スキャンダル”の際には金ぴかの仏像の頭部に上半身裸の神取がくっついたような形だった。珠閒瑠市で再会したときに奴が使っていたペルソナも、ゴッド神取という名前のままファラオモチーフに変わっていた。最も、金色なのは頭部と上半身だけで、下半身はニャルラトホテプのままだったのだが。

 

 僕の話を聞き終えた面々はしばらく顔を見合わせた後、何事もなかったかのようにピラミッドへ向き直った。僕と黎もそれに従う。

 

 

「パレスが“墓”じゃなくなって“死者の復活装置”になりつつあるなら、希望はあるよ。現状では死を考えている双葉さんだけど、心のどこかでは『もう一度立ち直りたい』って思っているのかもしれない」

 

「願望だって『こうなりたい』という欲望の1つだ。そして、先日の一件で、双葉さんの認知は変わりつつある。……もしかしたらの段階だけどね」

 

 

 ここで語り続けるのは、暑さに体力を持っていかれる。ピラミッドの黄金比に感嘆する祐介を引っ張りながら、僕たちはピラミッド内部に足を踏み入れた。

 双葉の秘密が眠る場所――双葉の心の傷と葛藤が造り上げた世界。内部は外と違ってひんやりとしており、とても過ごしやすかった。

 

 うだるような熱さに悲鳴を上げていた面々の表情がぱっと輝く。現実世界の影響があるなら、部屋の中は冷房が効いているのだろう。冷暖房完備の部屋で1日中ゴロゴロする――人によっては、贅沢な休日だといえそうだ。それが双葉の日常なのだろうが。

 双葉に警戒されていないためか、内部に突入しても僕たちの服装は変わらない。だが、パレス内部は壁だらけで、進める場所は限られていた。文字通りの一本道、長い長い階段が僕たちの行く手を阻む。

 

 

「階段長ぇ……」

 

「敵に襲われないだけマシだろ。贅沢言うな」

 

「でも、怪盗服じゃない状態でパレスを進んでるってのは不思議な気分だ。しかも、怪盗団としての力も普通に使えるし……」

 

 

 僕は思わずつぶやいた。怪盗服じゃない状態でパレスを駆け抜けるというのは新鮮である。しかも、怪盗としての力――主に身体能力――も思う存分振るうことができるとなると、別に怪盗服じゃなくてもよいのではないかと思ってしまう。

 怪盗服のような仮面着用のスタイルなら、認知世界を行き来する他のペルソナ使いに顔や名前を発揮されにくいだろう。僕らの世代のペルソナ使いが有する特徴――“反逆の意志”は、“忍んで暴いて盗み出す”というスタイルに特化しているのかもしれない。

 モナ曰く、「階段の先からオタカラの気配がする」とのことだ。仲間たちも気合を入れて突き進む。敵が出てこないことに喜ぶ竜司、ピラミッドを間近で見てはしゃぐ祐介、ピラミッドの罠を用心する真――みんなそれぞれ、マイペースを崩さずにいる。

 

 階段の踊り場に差し掛かったときだった。

 

 白い法衣に身を包んだ少女が佇んでいる。眼鏡をかけて、夕焼け色の髪を長く伸ばした女の子。おそらく彼女が佐倉双葉さん――一色若葉さんの娘さんだろう。

 ここはパレス、心の世界。そう考えると、ここに佇む少女は佐倉双葉さんのシャドウだ。本人ではないが、本人と深く繋がっている“もう1人の双葉さん”。

 

 

「…………」

 

 

 双葉さんのシャドウは僕らを伺うように視線を向けてきた。金色の瞳がこちらを映し出す。好奇心6割、怯え4割といったところか。

 人見知り、なのだろう。しかも2年間部屋に閉じこもっていたため、その度合いはますます強くなっているのかもしれない。

 

 詰問調や脅すような調子で話しかけられたり、いきなりグイグイ来られたら警戒されてしまいそうだ。前に出ようとした該当者――竜司、杏、祐介、真を手で制し、僕は黎と顔を見合わせて頷く。そうして、一歩踏み出した。

 

 

「はじめまして、双葉さん。貴女からご依頼を受けて来た怪盗です」

 

「早速本題に入るけど、キミの宝物はどこにあるのかな?」

 

 

 あくまでも穏やかな口調を崩さず、目線を合わせて、黎と僕は双葉さんのシャドウに話しかける。彼女はぱちぱちと目を瞬かせると、伺うように見上げてきた。

 無理に答えを急かすのではなく、彼女が自分から口を開こうとするのを待ってやる――セラピストの麻希さんが患者さんと接するときに心がけている態度である。

 同時に、僕を支えて掬い上げてくれた人――有栖川黎の対応そのものだ。僕はちらりと黎に視線を向ける。黎もアイコンタクトで返してきた。

 

 人当たりの良さは職業柄鍛えている。黎のような天然ものには及ばないけど、それなりに効果があったようだ。

 双葉さんのシャドウは口を開けたり閉じたりを繰り返した後、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

 

 

「我が墓を荒らす者。何しに来た?」

 

 

 ――あれ?

 

 予想していた反応と違ったため、みんなは一気に目を丸くする。ウェルカムだと思っていたが、何やら齟齬が発生しているようだ。

 言うに事欠いて墓荒し扱いとは。困惑のせいか、口の端が若干崩れたような気がしたけれど、どうにか口の端を釣り上げてみる。

 

 

「……盗んでほしいと依頼されたのだけれど、違った?」

 

「盗れるものなら、盗ってみるがいい」

 

 

 僕の問いに対し、双葉さんはぶっきらぼうに言い放った。仏頂面で言い放つあたり、どことなく挑戦的に思える。――だが。

 

 

「……なんて。少し前の私なら、そう言ったかもしれない」

 

 

 幾何の間を置いて、双葉さんは付け加えた。墓で永遠に眠り続けることを選んだ女王は憂いの眼差しでピラミッド内部を見回す。母の死に秘められた悪意を知ってしまったが故に、女王は揺れ動いているのだろう。

 『母が死んだのはお前のせい』だと周りから責められ、自身も罪悪感を抱えて生きてきた。だが、それは謂れなき罪だった。しかも、母を手にかけた悪党は、誰にも罰せられること無くのうのうと生きている。

 本来ならば、墓場で大人しく死を待っていられるような状況じゃない。普通であれば、『母を殺した犯人を野放しにしてはおけぬ!』と奮起してもおかしくなかった。けれど、過去の傷が双葉さんの足を引っ張っているのだ。

 

 

「確かにここは私の心の世界だ。だが、私でさえ、この世界を把握できなくて困っている」

 

「把握できない? どうして……」

 

「お前たちから真実を告げられたとき、この世界は“墓”としての役割を失ったはずだった。“死者の復活装置”として、“反逆の意志”として、私は目覚めるはずだった」

 

「“反逆の意志”だって!? ってことは、オマエは“フタバのペルソナになるはずだった存在”ってコトか!?」

 

 

 モナの問いに対し、双葉さんはこっくりと頷く。そうして、彼女は「私でも察知できない“何か”によって、私の目覚めが阻害されている」と付け加えた。

 次の瞬間、パレス一帯にありとあらゆる罵詈雑言が響き渡った。双葉さんを『人殺し』と詰る声。双葉さんは頭を抱えて膝をついた。そうして、忌々し気に天井を睨む。

 

 一歩遅れて、パレス内部が大きく揺れた。罵詈雑言はぴたりと止んだが、揺れは一向に治まらない。

 

 どこからか咆哮が響いた。双葉さんは声がした方角に視線を向ける。困惑と不安が滲む横顔。小さく口が動く。僕の聴覚が正確だったなら、「おかあさん」という呟きが聞こえた。

 咆哮の主を「おかあさん」と呼んだことに違和感を覚えたとき、ようやっと揺れが止まった。双葉さんは立ち上がった後、パレスの奥に向かって歩き始めた。モナが彼女を引き留める。

 

 

「オ、オイ! フタバ、どこへ行くんだ!?」

 

「私は、私の世界を――真実を取り戻す。この世界に与えられた“本来の役割”を果たさなくてはならない」

 

 

 “死者の復活装置”――あるいは“反逆の意志”として目覚めなくてはならないのだと、双葉さんは告げた。ゆっくりと、彼女の姿が溶けるようにして消えていく。

 

 

「……あそこにいる母は、私の母ではないのだから」

 

 

 その言葉を最後に、双葉さんの姿は掻き消えた。間髪入れず、僕らの服が怪盗衣装へと変化する。今のやり取りで敵意を抱かれるとは思えないのに、何故だろう?

 

 唖然としていた僕たちだが、再び地鳴りの音が響き渡る。何ごとかと音の出所に視線を向けて――絶句した。階段の奥から大岩が転がって来たためである。

 立ち止まっていたら大岩に潰されてしまう。僕らは脇目もふらずに駆け出した。ヒイヒイ言いながら登って来た階段を、わあわあ言いながら駆け降りる。

 入り口へととんぼ返りした僕たちは、左右に分かれて通路に逃げ込む。一歩遅れて、大岩が入り口の柱を吹き飛ばしながら転がり落ちて行った。

 

 文字通りの間一髪。僕らがほっと息をついた刹那、奥へと続く扉が閉ざされてしまった。

 ……今回のパレスは、仕掛けと“他者の介入”の疑いのせいで、一筋縄ではいかないだろう。

 

 

「思ったより単純じゃなさそうだ。ちゃんと準備してから来ないか?」

 

「そうね。あんな罠がうじゃうじゃあるんじゃ、生半可な状態で突っ込むのは危険だわ」

 

 

 モナとパンサーの言葉に、僕らは頷く。

 満場一致で、僕たちは双葉さんのパレス――死者を復活させるための装置――を後にした。

 

 

***

 

 

 現在、僕たちは純喫茶ルブランで作戦会議を行うため集合していた。マスターが不在なのは自宅に帰ったからで、黎に店の鍵を預けているためである。それ程、黎は佐倉さんと打ち解けたようだ。保護司としていささか不用心すぎやしないかと思ったけれど、それが彼の信頼なのだろう。

 食欲をそそるスパイスの香りが鼻をくすぐる。同時に、格調高いコーヒーの香りもだ。程なくして、僕たちの前に出来立てのカレーと淹れたてのコーヒーがお目見えする。作ったのは、佐倉さんからコーヒーとカレーの作り方を仕込まれた黎だ。

 「実験台でいいなら。腕は保証できないよ」と黎は語るけど、そんなことはないと僕は思う。黎のカレーとコーヒーも、佐倉さんに負けず劣らず美味しいのだ。竜司と祐介がお代わりを要求し、杏と真が「美味しい」を連呼するレベルには。

 

 竜司と祐介は止まることなくカレーを貪り喰う。掃除機を連想させるような勢いだ。

 僕の食べる分が無くなりそうな気がしたので、わざと話題を振ってみた。

 

 

「八十稲羽には、人を殺せるカレーがあるんだよ」

 

「人を殺すカレー? それって、至さんが言ってた“ムドオンカレー”だっけ?」

 

「至さんから聞いている。八十稲羽にある旅館の女将や、金城の件で共闘した里中さんらが中心になって作成した劇物だとか……」

 

 

 果たして僕の予想通り、竜司と祐介が食べる手を止めた。至さんからどんな話を聞かされたのか大体予想はつくが、竜司と祐介は渋い顔をしている。僕も頷き返した。

 

 

「今でもたまに錬成されるみたいなんだよ。去年の夏休みに八十稲羽へ遊びに行ったけど、そのときも出てきたから」

 

「ああ、アレね。幽霊が断末魔の声を上げているみたいな凄い色のカレーか。吾郎が私から取り上げて一気食いし、そのまま泡吹いて倒れたときは本当に肝が冷えたよ」

 

「アレを黎に食べさせるくらいなら俺が食べる」

 

「歪みない漢気だな……」

 

 

 僕と黎の会話を聞いていた竜司が感嘆する。馴染みのない人間の場合、ムドオンカレーの話をするだけで食欲が削がれることが多い。僕は――あまり嬉しくないが――それなりに馴染みがあるので、話をした程度でカレーを食べる手を止めることはなかった。

 ムドオンカレーの話を振っておいて普通にカレーを食べ進める僕と黎を見て、仲間たちは何とも言い難そうな顔をして僕らを見ていた。ムドオンカレーを引き合いに出すことはおこがましい程に、僕の好きな人が作ったカレーは美味しい。

 

 カレーを食べ終えて一息つく。黎は立ち上がり、追加のコーヒーを淹れた。コーヒーの香りが再び漂い始め――ふと、気づく。先程淹れたコーヒーとは、香りが少し違うのだ。

 僕がカウンターの奥を覗いてみると、黎は冷蔵庫や棚を漁っている。彼女が手に取ったのは牛乳、練乳、生クリーム、ハチミツ、スパイス、チョコレート、果物やジャム等々。

 こちらの視線に気づいた黎はちょっと悪戯っぽく笑って、全員に声をかけた。……どうやらここ最近、黎は佐倉さんに内緒でアレンジコーヒーに挑戦しているらしい。

 

 

「惣治郎さんからは『勝手にブレンドしたり、余計なアレンジをするな』って厳しく言われてるから、惣治郎さんが帰った後くらいしか挑戦できなくてね。今までは自分で味見したり、モルガナに味見してもらってたりしたんだ。結構美味い具合になったから、そろそろお披露目してもいいかなって思って」

 

「コイツのアレンジコーヒーを初めて見たときは身構えたが、材料のニッチさとは比較にならないくらい美味いぞ! ワガハイ、この前飲んだマンゴーオレが好きだな!」

 

「モルガナ、お前いつの間に……!」

 

「なんでオマエが怒るんだよゴロー!? ワガハイはただ、レイから『ゴローやみんなに美味しいアレンジコーヒー飲ませたいから実験台になってくれ』って頼まれただけ――あっ」

 

 

 僕の避難轟々な眼差しを受けたモルガナが憤慨した。が、怒りに任せて余計なことを口走ってしまったためか、「やっちまった」と零す。モルガナの発言に呆気にとられた僕は、おそるおそる黎に視線を向けた。黎は視線を彷徨わせた後、観念したように肩を竦める。苦笑した彼女の頬は、ほんのり薄紅色に染まっていた。

 

 彼女のアレンジコーヒーを飲み続けていたモルガナに対して嫉妬していた自分が恥ずかしくて、僕のために頑張ったという黎のいじらしさが照れくさくて、僕は口元を抑える。

 ふと気づけば、祐介が手で枠を作って唸り、竜司とモルガナが悟りきったような目をして天井を仰ぎ、杏と真は生温かな視線を向けてきた。一体どうしたのだろう?

 僕と黎は顔を見合わせたが、結局原因は分からない。黎がコーヒーのアレンジを始めたので、僕は彼女の手元を見つめることにした。黎はテキパキと作っていく。

 

 出来上がったコーヒーはアイス2種類・ホット2種類の計4種類だ。牛乳のほかに練乳とココアを加えたアイスコーヒー、綺麗な二層に別れたアイスカフェモカ、リンゴジャムとシナモンの香りが漂うラテ、ハチミツと生姜が入ったコーヒー。

 コーヒーの苦みが苦手な竜司は練乳ココアが入ったアイスコーヒーを気に入ったらしい。杏はリンゴジャム入りのシナモンラテに舌鼓を打つ。祐介はアイスカフェモカのスケッチを始め、真はハチミツと生姜が入ったコーヒーを「意外といけるかも」と評していた。

 

 

「デザートコーヒーって女の人好きそうだよね。チョコレート一杯盛ったり、イチゴとかホイップクリーム乗っけたアレンジもあるらしいし」

 

「確かにそうかも! 今の季節だと、冷たいスイーツとか欲しいし!」

 

「ねえ黎、コーヒースイーツとか作らないの?」

 

「いいね! 惣治郎さんに見つかったら怒られそうだけど……」

 

 

 黎、杏、真がきゃあきゃあと楽しそうに談笑し始める。

 そのとき、バラエティ番組が放送時間を終えて、ニュースが始まった。

 

 

『……“メジエド”が予告したXデーは8月21日。名指しされた怪盗団ですが、今のところ目立った動きはありません。“メジエド”のテロは、予告通り行われてしまうのでしょうか? ……』

 

 

 ニュースキャスターは不安を煽るような調子で原稿を読み上げる。本人にその気はないのだろうが、彼の抑揚とニュース内容がそうさせているのであろう。

 

 

「“メジエド”のテロを阻止するためには、21日より前に佐倉双葉を助けないと。限度は2日前の19日までって所かしら」

 

 

 先程まで年相応の女子の顔を前面に押し出していた真が、怪盗団の参謀役としての凛々しい顔つきに変わる。僕らもそれにつられるような形で神妙な顔になった。

 怪盗団のアジトとして使っていた渋谷の連絡通路に一々集まって四軒茶屋に向かうのは手間がかかるし、何より、金城『改心』後から更に増えた警察官や補導員の巡回が厄介だ。

 彼らの追及によってボロが出る危険性や利便性を考慮した結果、怪盗団のアジトは連絡通路からルブランに変更となった。マスターに見つからないよう気を付けねばなるまい。

 

 もし鉢合わせしたら「友達同士の集まりだ」でごり押しするつもりでいるが、誤魔化せるか否かは別問題だ。

 最近の佐倉さんが黎に対して甘くなったとはいえ、油断はできないのである。……最近は、僕に対しても甘くなったように思うけど。

 

 

「ピラミッド内部は何が起こるか分からないぞ。フタバのシャドウ自身が『自身の城の状況を把握できていない』状態だからな」

 

 

 モルガナは一端言葉を切って、僕に向き直った。

 

 

「ゴロー、1つ訊きたい。ペルソナ使いの覚醒を邪魔する力を持ってる奴と対峙したことはあるか?」

 

「直接そうやって邪魔してきた奴と対峙したことはない。だが、“できてもおかしくなさそう”な奴には心当たりがある」

 

 

 僕の脳裏に浮かんだのは、七姉妹学園高校の制服に身を包んだ達哉さん――正確に言えば、彼の姿を模して出てきた邪神ニャルラトホテプだ。奴は“セベク・スキャンダル”で神取のペルソナを暴走させて乗っ取った(実際は自分で神取を乗っ取った)。

 そういえば、八十稲羽連続殺人事件の“人間側の黒幕”として逮捕された刑事が使っていたペルソナに干渉して、ニャルラトホテプの二番煎じをやってのけた八十稲羽の土地神様――ガソリンスタンド店員の方――もいたか。あれは八十稲羽限定なので除外できる。

 

 「多分、それを応用すれば、ペルソナ使いの覚醒を阻害することはできるはずだ」――僕の推論を聞いたモルガナは渋い顔をしていた。

 

 

「最も、手を加えているのがニャラルトホテプじゃない可能性もあり得る。俺の知ってる『神』の類であれば、こういうことは朝飯前だろう」

 

「吾郎の顔を見ていると、余程『神』に酷い目にあわされてきたんだなと思うな」

 

 

 僕の結論を聞いた祐介がアイスカフェモカを啜りながらぼやく。……これは、理不尽との戦いが日常茶飯事だった弊害だ。

 他にはペルソナ抑制剤を使うという人為的な原因もあるが、引きこもりである双葉さんがエルゴ研の残党と接触する可能性は低いだろう。

 そもそもの段階で、双葉さんはペルソナ能力が何なのかを知らないのだ。詳細を知らぬまま、得体の知れない薬に手を出すとは思えない。

 

 

「しかし、今年はとんでもない夏休みになりそうだな……。世界的ハッカー相手して、ピラミッドで『オタカラ』探ししながら、ピラミッドを乗っ取ってる奴と対決しなきゃいけねーんだろ?」

 

「しかも、原因は十中八九『神』関連だ」

 

「怪盗団の存続どころか、一歩間違えれば世界の危機に繋がりそう……」

 

「……これが、“頭が爆発する系の理不尽”……。私たち、怪盗団でペルソナ使いだけど、本質はただの一介の高校生に過ぎないのに……」

 

 

 お調子者の竜司が辟易したようにため息をつき、黎が顎に手を当てる。杏は頭を抱えて項垂れた。真は至さんに言われたことを思い出している様子だった。僕もアイスカフェモカを啜りながら息を吐いた。

 

 今年はアツい夏になりそうだと思っていたが、下手したらヤバい夏になりそうだ。

 この世界まで滅ぼされてしまったら、溜まったものではない。

 

 

◇◇◇

 

 

「ご苦労。……正直、もう来ないかと思っていた」

 

 

 そう言った双葉さんのシャドウは、僕らに色々と話をしてくれた。

 

 人間不信で引きこもりだった双葉さんの心は、元から双葉さんのシャドウが完全統治できる状態ではなかったらしい。だが、一色さんの真実を知ったとき、双葉さんの心には“反逆の意志”が宿り、双葉さんのシャドウもペルソナとして覚醒するはずだった。

 だが、得体の知れぬ“何か”の干渉により、双葉さんのシャドウはペルソナとして覚醒することができず、双葉さん本人も立ち上がることができないまま引きこもりを続けているという。結果、パレスの統治は余計滅茶苦茶になってしまったらしい。

 

 

「今、現実世界の私は、チャットで出会った友人やカウンセラーの手を借りて、必死になって答えを掴もうとしている。……その影響が“パレスの制御不可”や“パレスの罠”として作動するかもしれないが、どうか容赦してほしい」

 

「そっか……。現実世界の双葉ちゃんも、戦おうとしてるのね」

 

「今まで人間不信だったんだもの。防衛本能が働いてもおかしくないわ」

 

 

 シャドウの双葉さんは、こちらを伺うようにして見つめる。パンサーとクイーンはできるだけ優しく微笑み頷いた。

 現実世界の双葉さんが必死に戦おうとしているのだから、こっちも手を抜くわけにはいかない。怪盗団一同は顔を見合わせ頷き合う。

 双葉さんのシャドウもこくこくと頷き返していたが、ややあって、おずおずとした様子で「早速で悪いが」と依頼を出してきた。

 

 

「賊に大事なものを盗まれた。奴は街へ逃げたようなので、取り返してほしい」

 

「街……確か、ピラミッドにつく前に見かけたね。何を取られたの?」

 

「私が目覚めを迎えるために必要なものだ。現実の佐倉双葉にとって、現時点では“忌まわしい記憶”かもしれない。だが、それは“反逆の意志”を解き放つ鍵になる」

 

「分かった。待ってろ、俺たちが取り返してくるぜ!」

 

 

 ジョーカーの問いに答えた双葉さんのシャドウは、真剣な面持ちでこちらを見つめる。スカルは二つ返事で頷き、僕たちは街へと繰り出した。

 

 辿り着いた先は砂漠の街だが、シャドウが跋扈するのみで人の気配はひとつもない。現実の双葉さんは人との付き合いが一切ないのと、外の世界に興味がないためというのが根底にあるのだろう。異形しかいない街を調査していた僕たちは思わず足を止める。

 街に跋扈していたシャドウはミイラのような恰好をしている者が大半だ。なのに、そいつには認知世界の法則――衣装の変化――が発動していないようで、一目見てわかるような高級スーツを身に纏っていた。目には大きな傷があり、サングラスをかけている。

 凍り付く僕や黎、反射的に威嚇態勢に入ったモナ、疑念を滲ませた怪盗団の面々を一瞥すると、そいつは芝居かかった様子で畏まって見せた。

 

 

「お初にお目にかかる、怪盗団“ザ・ファントム”の諸君。会えて嬉しいよ」

 

「神取鷹久……!」

 

「へっ!? コ、コイツが、12年前に死んだはずの“玲司さんの異母兄(アニキ)”だって!?」

 

「そして、悪神ニャルラトホテプの『駒』として甦らされたペルソナ使いってことね……! 気をつけて、奴の方が明らかに強敵よ」

 

 

 僕がそいつ――神取の名を呼べば、スカルが素っ頓狂な声を上げた。クイーンも警戒しながら身構える。

 “制御不能に陥り、覚醒を妨げられている”――シャドウの双葉さんが零していた言葉が脳裏によぎった。

 

 スカルから玲司さんの名前が出たとき、神取は一瞬身じろぎした。サングラスの下に眼球があったら、きっと大きく見開かれていただろう。神取は真顔になって顎に手を当てると、懐かしむように笑みを零した。少しだけ寂しそうに見えたのは僕の見間違いだったのだろうか?

 

 それを問う間は与えられなかった。

 神取は芝居かかった調子を崩すことなく語り出す。

 

 

「私は神取鷹久という名前ではないよ。キミたちが怪盗なら、私はただの暗殺者(ヒットマン)。『神』の『駒』。闇に紛れて羽虫を食らう、影に魅入られたペルソナ使い……“夜鷹(ナイトホーク)”といったところか」

 

「うわ……痛い……。あのオジサン何歳なの?」

 

「享年? それとも、今の年齢? どっちにしても痛々しいわよ」

 

「パンサー、クイーン、言わないであげて。あの人、根は真面目なんだよ。言ってることとやってることが回りくどいだけで」

 

 

 現代の若者にとって、神取の言い回しは――悪く言えば――厨二病や高二病と呼ばれるものを悪化させた大人にしか見えない。

 奴が孤高に貫く“悪としての美学”は、御影町や珠閒瑠市での出来事で事情を知っている僕やジョーカーしか理解し得ないだろう。

 女子高生故の容赦ないツッコミを放ったパンサーとクイーンに対し、ジョーカーがフォローを入れた。慈母神のなせる業である。

 

 勿論、神取はまったく気にしていない。奴は悪役の調子を崩すことなく、「自分は賊から“奪ったモノ”の守護を命じられた」と宣言した。

 

 

「私個人としては、あまり重要なものではないのでね。正直な話、このままキミたちに渡しても構わないんだ」

 

「なら、そうしてもらえるとありがたい。奪ったものを返してくれ」

 

「受け取り給え……と言いたいところなのだが、今の私も使われる身なのでね。――少々、お相手願おうか」

 

 

 神取のやる気なさそうな発言を聞いたフォックスが奴へと手を伸ばす。奴もフォックスに何かを手渡すような素振りをしたが、すぐに戦闘態勢を取った。ペルソナの降臨を意味する青い光が舞い、奴のペルソナが顕現する。珠閒瑠の海底洞窟で相対峙したときのペルソナ、ゴッド神取だ。

 「普通に渡せよ!」と憤慨したスカルだが、息巻いた彼の憤怒はゴッド神取から放たれる威圧感によって拡散した。代わりに、スカルも戦闘態勢を取る。笑顔が消えたあたり、神取のヤバさはお調子者の彼であっても理解できたらしい。仲間たちも戦闘態勢を取る。

 

 今までパレスやメメントスでシャドウを倒してきた僕たちだが、ペルソナ使いと戦うのは初めてだ。しかも神取は航さんや達哉さんたちを追いつめた実力者である。

 神取は強力な攻撃を繰り出してこちらに迫る。ガルダイン、ジオダイン、刹那五月雨撃、刻の車輪――その攻撃は、僕らを屠らんと振るわれた。

 正直ジリ貧なのだが、モナやジョーカーの全体回復魔法や仲間たちの味方強化・敵弱体魔法を駆使して食い下がる。一進一退の攻防が続いた。

 

 

「クソ、強ェ……!」

 

「だが、負けるわけにはいかんな……!」

 

「立ち直ろうとしてる女の子の心を滅茶苦茶にする悪党なんかに、これ以上好き勝手されてたまるもんかっての!」

 

 

 スカルが呻き、フォックスが刀を支えに体を起こす。パンサーも、ふらつきながら仮面に手をかけた。神取は相変らず、涼しい顔をして佇んでいる。

 

 

「ときに少年。“キミは、何のために生きている”?」

 

「――んなもん、決まってるだろ……! “黎と、俺にとって大事な人たちと一緒に生きるため”だ!」

 

 

 神取は俺に視線を向けて、問いかけてきた。俺の答えはあの頃から何も変わっていない。迷うことなく答える。

 奴は俺が何と答えるのかを知っていたのだろう。「では」と、もう1つ質問を重ねてきた。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 俺はそれに答えようと口を開く。けど、俺の中にいる“何か”にそれを封じられた。

 脳裏にリフレインするのは、獅童智明が俺に警告した言葉。

 

 

『明智吾郎、()()()()()()()()()

 

 

 “()()()()()”、“()()()()()”――珠閒瑠市で、滅びを迎える世界からやって来た達哉さんの犯した“罪”と、それに下された“罰”が脳裏をよぎる。あのとき、達哉さんは愛する舞耶さんと離れて滅びの世界へと帰っていった。それ以来、俺は“滅びを迎える世界から来た達哉さん”の姿を見ていない。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()――俺の中にいる“何か”が、ぽつりと零した。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――“何か”は苦しそうに呟いた。

 “何か”が言っているのは、達哉さんが犯した罪だ。世界を救うためにリセットした七姉妹学園高校と春日丘高校の高校生は、自分たちの記憶をすべて手放さなくてはならなくて。でも、達哉さんは最後の最後で「忘れたくない」と願ってしまった。

 結果、この世界は一度滅びかけた。ニャラルトホテプの暗躍によって、滅んだ世界を再現しようとした連中が動き回ったためだ。そのトリガーを引いたのは、「忘れたくない」と願った達哉さんだった。……“何か”は、その轍を踏む予感に怯えている。

 

 

「クロウ」

 

 

 隣から、力強い声が響いた。振り向けば、ジョーカーが不敵な笑みを浮かべて僕に手を伸ばしている。

 灰銀の瞳に迷いは一切ない。その輝きに見せられて、俺も“何か”も泣きたい心地になった。

 

 

「手を取って」

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()■■■■■■■だ。正義を貫いたその在り方は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。『()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 希望はここにある。標はここにある。俺には、大切な人たちがいてくれる。

 “何か”は小さく身じろぎした後苦笑した。嬉しいくせに、満面の笑みは浮かべられないひねくれ者らしい。

 俺は躊躇うことなくジョーカーの手を取った。喉に詰まっていた答えを、ようやく神取に告げる。

 

 

「――貫いてみせるさ。たとえ神様を相手取る羽目になっても、俺は、大切な人と生きる未来を掴んでやる!」

 

 

 荒い呼吸を繰り返していたし、体力も気力もジリ貧だから、全然格好なんてついちゃいない。けど、確かに俺は、はっきりと宣言したのだ。

 神取はジョーカーに視線を向ける。ジョーカーは何も言わずに神取を見返した。神取は、ジョーカーの眼差しから何かを察したらしい。満足げに笑った。

 

 不意に、神取から放たれていたプレッシャーが拡散した。顕現し、俺たちに襲い掛からんとしていたゴッド神取の姿が掻き消える。いきなり戦闘態勢を解いた神取は、俺の方へ何かを投げてよこした。俺は反射的にそれをキャッチする。

 

 

「賊――もとい、私の上司である“白鳥(シュヴァン)”から守護を命じられていた物だ。……元々の持ち主は女性なのだから、中身を見るなんて破廉恥な真似はやめ給えよ」

 

 

 神取が俺に投げてよこしたものは、絵が描かれたパピルス紙だ。奴の口ぶりからして、これがシャドウの双葉さんが言っていた“盗まれた物”――“反逆の徒”として目覚めるために必要な鍵なのだろう。神取の言葉に従って道具袋にしまえば、奴は満足げに頷いた。

 思えば、この大人は狂言回しが得意だった。滅びゆく悪役の定めを熟知しているが故に、影に魅入られたペルソナ使いであるが故に、光に与するペルソナ使いと敵対し倒されるように仕組んでいた。自分自身を斃されるべき障害と認定して、だ。

 俺たちがポカンとしている間に、奴はくるりと背を向ける。奴の背中には戦意はない。神取は懐かしむように砂漠の街並みを見渡した後、感慨深くため息をついた。そうして、ちらりと俺たちの方に向き直った。

 

 

「一色若葉の娘を頼む」

 

「え?」

 

「生前、セベクに勤めていた彼女と何度か言葉を交わしたことがあってね。……と言っても、数える程度のことでしかないが」

 

 

 それだけ言い残し、神取鷹久は街の奥へと消えて行った。あの様子の神取なら、双葉さんのパレスを荒らしまわるような真似はしないだろう。あくまでも、双葉さんに干渉しているのは獅童智明――神取曰く“白鳥(シュヴァン)”らしい。

 

 数回言葉を交わしただけの知人の娘を気にし、彼女の所有物を勝手に見ないように釘を刺す程度には、奴は紳士的な男だ。神取を「痛い大人」だと思っていたクイーンとパンサーが感嘆の息を零した。

 フォックスが奴の器の大きさを評価し、スカルは複雑な顔をして神取が消えて行った方角を見つめる。ただ、紳士な悪役(悪神の『駒』)という存在を好きになれないのか、モナは渋面のまま小さく唸っていた。

 

 僕たちは顔を見合わせて頷き合い、街を後にした。

 ピラミッドへ戻り、取り戻したパピルス紙を双葉さんのシャドウに手渡す。

 彼女はパピルス紙を手に取ると、満足げに頷き返した。早速彼女は道を開こうとして――

 

 

「あ」

 

 

 突如、双葉さんのシャドウが声を上げる。

 間髪入れず、僕らの足元に大穴が開いた。

 

 

***

 

 

 落とし穴からなる蟻地獄トラップに嵌って地下へ落とされたり、地上への道を探して地下を彷徨ったりするのは本当に大変だった。新たな侵入口を確保した僕たちは、意気揚々と再びパレス攻略に乗り出す。

 雑魚シャドウや番人シャドウを蹴散らしながら、僕たちは先へ進む。奥へ続く道を探していたときに迷い込んだ一室には、外の光を集めるオブジェが鎮座していた。だが、光は壁に照射されているだけで、何か意味があるとは思えない。

 僕たちが周囲を散策すると、謎のスイッチを発見した。ジョーカーは躊躇いなくスイッチを作動させる。すると、下のフロアに設置されていたバリスタから矢が打ち放たれた。矢は壁に大穴を開ける。

 

 丁度大穴が開いた位置が、謎の球体が光を照射していた壁だったようだ。光が扉に当たると、閉ざされていた扉のロックが外れて先に進めるようになった。

 どうやらここの仕掛けは扉に光を当てると開く仕組みになっているらしい。文字通り、僕たちは双葉さんの「心の扉を開きながら」進んでいく。

 

 

『来たか。こっちだ』

 

 

 双葉さんのシャドウの先導に従いながら、ピラミッドの仕掛けを解いていく。

 

 道中、壁画のパズルを解くことになり、ジョーカーは難なくそれを解除した。泣いている幼い王女――双葉さんに対し、黒服に身を包んだ大人たちが何かを読み聞かせている。声は壁画から聞こえてきた。

 “双葉なんて産まなきゃよかった”――男の声だ。“貴女のことが鬱陶しい”――違う。一色さんはそんなこと思ってない。そこで、僕は思い至る。航さんは、『一色さんの遺書が偽造されていた』と言っていなかったか。

 奴らは双葉さんが幼い子どもであることをいいことに、一色さんの死を目の当たりにしてショックを受けていてまともな判断ができないことをいいことに、双葉さんに悪意塗れの嘘八百を吹き込んだのだ。

 

 

“キミのお母さんは、キミのことで随分悩んでいたようだね”

 

“……育児ノイローゼだったんだろう……”

 

 

『……ッ!!』

 

 

 あまりの胸糞悪さに口元を抑える。僕もまた、彼女と似たような悪意に晒されたことがあるからだ。母が遺したものに否定され、親戚からも否定され、心を閉ざしかけた。

 僕の傍には至さんや航さん、黎がいてくれたから立ち直れたけど、双葉さんは孤立無援だ。おまけに、この遺書のせいで親戚から拒絶され、本当の意味で孤立無援にされてしまった。

 

 

『クロウ……』

 

『……平気。キミがいてくれるから、大丈夫』

 

 

 僕の手を握り締め、ジョーカーは心配そうにこちらを見つめる。それだけで呼吸が楽になった。それだけで、救われた心地になった。

 もう大丈夫だと伝えたくて、僕は精一杯笑い返した。ジョーカーも察してくれたのだろう。柔らかに微笑み返してくれた。

 

 

『酷い……! 双葉ちゃんはお母さんを目の前で失ったのに……』

 

『おまけに、母を失ったショックでまともな判断が下せないことまでもを利用したのだろう。人間、パニックになると流されるがままになってしまうからな』

 

『どこまで卑劣な真似をすれば気が済むのかしら。獅童正義、本当の悪党よ』

 

『そうだな。絶対許せねー!』

 

 

 憔悴しきった子どもに対し、惨い追い打ちをした黒服たち――獅童の息がかかった連中に対し、パンサー、フォックス、クイーンが怒りをあらわにする。スカルも怒りをあらわにしていたが、『けど』と付け加えた。

 

 

『……双葉のヤツがこんな気持ちになったの、分かる気がする。俺も、おふくろに散々迷惑かけたって自覚あったし、もしかしたら鬱陶しがられてんのかもしれねーって思ったことあるし、それで自己嫌悪したことだってあるし』

 

『スカル……』

 

『もし、俺の目の前でおふくろが亡くなって、その直後にこんなモン見せられたら……最期のメッセージに『私が死んだのはお前のせいだ』って残されてたら――たとえそれが嘘でも、耐えられねーよ……』

 

『……そう、だね。例え嘘でも、こんなこと言われたら辛いよ』

 

 

 僕もそうだったけど――その言葉を飲み下す。僕の場合はそれが“事実だった”から尚性質(タチ)が悪かった。……だから、正直、双葉さんが羨ましい。

 母から一心に愛を受けていた双葉さん。けど、彼女はその事実を知らないまま、自分は疎まれていたと思い込んで生きてきた。自分のせいで母が死んだと思いこまされた。

 僕とは全くの正反対。だからこそ、双葉さんには知ってほしい。一色さんが伝えたかった本当のメッセージを。一色さんの愛情を、ちゃんと受け取ってほしかった。

 

 壁画から声が聞こえなくなった瞬間、装置が回転した。壁画を光が貫く。光が差し込んだ途端、壁画は空洞へと変化する。光は真っ直ぐ大扉に導かれ、大扉の鍵が外れた。僕らはさらに先へと進む。

 

 

『遅いぞ。何してる』

 

『ごめんね。……色々、見てきたから……』

 

『…………いや、私の方こそすまない。こっちだ』

 

 

 自分がパレスの制御をうまくできないと自覚しているためか、双葉さんのシャドウは罰が悪そうに目を伏せた。幾何か沈黙していたが、怒られない――自分を信じて待っていてくれる――のだと察知した彼女はこっくりと頷き返し、案内を再開する。

 だが、次の瞬間、大岩が通路に転がってきた。命からがら罠から逃げ戻った僕らは、大岩の罠を咲けて進む方法を探すことにした。幸い廊下の一部に通り抜けられそうな個所を発見したので、そこを進むことにした。

 

 どうやら、ここは大岩が転がる仕掛けの裏側らしい。調査していくうちに暗号と仕掛けの作動を確認した僕たちは、早速暗号に従って仕掛けを操作する。すると、別な場所にあった装置と石板の色が変わった。早速操作すると、奥の扉が開く。

 今度も似たような仕掛けが広がっていた。同じ要領で、石板を光らせて暗号を確認しながら仕掛けを操作する。今度の石板の色は赤。赤と言えば危険色なのだが、これを操作する以外の手はない。すべての装置を動かし終えたとき、凄まじい轟音が響いた。

 結果、大岩の仕掛けは完全に壊れた。いや、僕たちが壊したと言った方が正しい。廊下は通れなくなってしまったものの、大岩の上を飛び越えれば先へ進めそうである。僕たちは大岩を飛び移りながら先へと進んだ。

 

 その先には、また別の壁画がパズルになっていた。上下も操作する必要があったが、割と簡単に絵が揃う。泣いている王女の前で、年若い女性が車に飛び込んでいる絵だった。その斜め向かい側に、白衣を着た男の姿が小さく描かれている。

 

 

『これ、双葉さんのお母さんが自殺したときの……』

 

『……ねえ、ちょっと待って。また声がするよ!』

 

 

 ジョーカーが沈痛な面持ちで壁画を見上げていた時、パンサーがハッとしたように壁画を見た。次の瞬間、年若い女性の這いずるような声が響き渡った。

 

 

“ふ、ふたばああああああああああぁぁぁぁぁ……!”

 

『この声、一色さんだ!』

 

『亡くなった母親の声が、どうして……』

 

 

 僕の指摘に、フォックスが首を傾げる。

 

 

―― あ、ああ、あああ……! おかあさん、おかあさん……!! ――

 

―― 誰か! 救急車! 警察に連絡を! ……ええい、どいつもこいつもそんなにツイートが大事か!? おいそこのキミ! 暇だろ、救急車呼べ! そっちのキミは警察に連絡だ! 早くしろ、人の命が賭かってんだぞ!! ――

 

 

 不意に、少女と鳴き声と青年の切羽詰ったような声が響いた。前者は分からないが、後者は非常に聞き覚えがある。むしろ日常的によく聞いている声だ。僕がその声の主の名を呼ぶよりも先に、壁画が消える方が早かった。

 空洞を真っ直ぐ進んだ光は扉に当たり、光を受けたことによって扉の鍵が解除される。モナ曰く、『ここで半分を超えたぞ!』とのことらしい。パピルスを盗んだ賊から守護を託されていた神取以外、特に目立った妨害はない。だが、油断は禁物だ。

 扉の先には見事な造形の巨象――ツタンカーメンが鎮座している。芸術家のフォックスが感嘆し、スカルは生返事ながらも同意し、パンサーが海外旅行気分だとはしゃぐ。そこへ、シャドウの気配を察知したモナが注意を促した。

 

 途切れた廊下を飛び移り、時には横穴を潜り抜け、新たなフロアを駆け抜ける。数多のスイッチを操作し、アヌビス像から拝借した宝珠を台座に嵌めると、光で出来た床が現れた。

 『消えてしまいそうで怖い』というパンサーの発言におっかなびっくり気味になりつつ、先へ進む。こちらの不安に反して、床は勝手に消えたりしなかった。

 

 奥へ進むと、双葉さんのシャドウが待っていた。

 

 

『死んだかと思った』

 

『割とマジで死にかけたけどな……』

 

『けど、期待と依頼に答えるのが私たちだもの』

 

『……頼もしいな』

 

 

 スカルが苦笑し、ジョーカーが不適に微笑む。それを見た双葉さんのシャドウが、ほんの僅かながら口元を緩めた。

 彼女曰く、『もう少し』とのことらしい。次の瞬間、双葉さんのシャドウが『あ』と声を漏らして溶けるように消え去ってしまった。

 

 間髪入れず現れたのは、僕らの行く手を阻んだ番人シャドウだ。王の墓の守護者と名乗った番人は、容赦なくこちらに襲い掛かって来る。ならばこちらも手加減は不要だ。

 番人は雑魚より少々腕が立つほどでしかなく、雑魚を簡単に蹴散らして進んできた僕たちにとって話にならない。奴を簡単に下した僕たちは探索を再開する。

 慣れた手つきで仕掛けを解けば、光の床が新たに出現した。見た目に反して消えないことを知っているため、躊躇うことなく駆け抜ける。すると、スイッチを発見した。

 

 スイッチは押すものである。ジョーカーは躊躇うことなく仕掛けを作動させた。バリスタから矢が発射され、壁を壊す。すると、装置から伸びていた光がさらに奥へと繋がった。双葉さんのシャドウが言っていたことが正しければ、このパレスの攻略も佳境に入っている。僕らは顔を見合わせた後、再び駆け出した。

 

 光の柱を追いかけていく。道中見上げたツタンカーメン像をよじ登っては飛び移り、光の柱を繋ぐオブジェを飛び移り、小部屋に辿り着く。

 光が途切れたその部屋にある仕掛けは、僕たちが目にした壁画のモノだ。ジョーカーは何の苦もなく壁画のパズルを解き明かす。

 

 

『これ、甘えてるの双葉ちゃんだよね?』

 

『子どもが、母親の袖を引っ張っている?』

 

 

 出来上がった絵を見たパンサーとフォックスが考え込む。幼い王女が母親の服の袖を引っ張っている壁画。間髪入れず、声が響いた。

 

 

“お母さん、わたし、いつもご飯1人なのやだ。コンビニの弁当ばっかりだし……。どっか行きたい、連れてってー!”

 

“ワガママ言うんじゃないの! お母さんだって頑張ってるんだから! ――ああもう!”

 

 

 苛立たし気な一色さんの声が響いた刹那、仕掛けが動いた。光は壁画に当たり、壁画は溶けるように消えていく。光は大回廊の扉に照射され、大扉の鍵は解除された。

 

 

『……もしかして、双葉はこういう出来事が積み重なっていたことを気に病んでいたのかしら』

 

『親が忙しいって分かってても、やっぱり寂しいし。アタシも諦めがつくまではそうだったからなぁ』

 

『罪悪感で一杯になる気持ちは俺も分かるからな。……そんなときに、嘘でもあんな遺書見せられたら……』

 

『もしかしたら、一色家の家庭事情を知っていた上での遺書偽造だったのかもしれん。許せんな』

 

 

 クイーン、パンサー、スカル、フォックスが分析する。彼/彼女らを眺めながら、僕は考えた。一色さんは、僕と会話をした後、双葉さんとどんな会話をしたのだろうか。あの壁画のまま喧嘩別れしたような形だったら、双葉さんが自分を責めてしまうのも頷ける気がした。

 そのとき、双葉さんのシャドウが現れた。彼女は酷く憔悴しきっている。真っ直ぐ立っているのが難しいようで、ピラミッドの王女は身体をふらつかせていた。彼女は顔を真っ青にしており、うつむいたままブツブツと何かを呟き続けている。

 

 

『思い出せ、思い出せ。おかあさんは、あのとき、どんな顔をしていた? あのとき、なんと答えた? あのとき、あのとき――』

 

 

 双葉さんのシャドウはそのまま消えてしまった。確か、現実世界の双葉さんは、チャットの友達やカウンセラーと対話しながらトラウマと向き直っていたはずだ。

 セラピストの麻希さん曰く、カウンセリングと言うのは一長一短でどうにかできるものではない。無理に押し進めれば、悪化の可能性も孕んでいる。

 現実の双葉さんは、かなりの無茶をしているのだろう。その心的疲労が、双葉さんのシャドウに反映されている。……双葉さんが必死になって戦っている証拠だ。

 

 ならば尚更、急いで双葉さんを助けなければならない。大扉が開かれた先へ進もうとした僕たちだが、その先には黄色いテープと緑の看板が張られていた。

 立ち入り禁止を意味するそれは、双葉さんの部屋の扉に張られていたものと同じである。彼女の認知が、この先へ進む道を閉じているのだ。

 

 そこへ、再び双葉さんのシャドウが現れた。彼女曰く、この先が『王の間』で『オタカラ』が安置されている場所らしい。だが、この先に進むには、現実世界の双葉さんから許可を得なければならないという。

 

 

『ここまで来たお前たちなら、できるかもしれないな。……頼む』

 

 

 双葉さんのシャドウはそう言い残し、ゆっくりと姿を消した。僕たちは顔を見合わせて頷き合い、現実世界へと帰還する。

 

 

「でも、どうやって部屋に入れてもらうの? 『誰も入れてもらえない』って、マスター言ってたわよね?」

 

「重度の引きこもりだもんな……」

 

「多少強引でもやるしかないかな。もう一度忍び込むとか。……航さんと連絡取れれば、また別なんだろうけど」

 

 

 「あの人、研究になると1か月間泊まり込みとか普通にするから」と黎がぼやく。僕も遠い目をしながら頷いた。それを聞いた真と竜司が深々とため息をつく。流石に研究でデスマーチ状態の航さんを無理矢理呼びつけることは不可能だ。

 今回は今までとは違い、頼れる大人の力を借りることはできなかった。多少強引な手段になってしまうが致し方ない。「佐倉さんに見つかったときの言い訳を考えておく必要がありそう」と杏が苦笑した。黎も頷く。

 

 

「まあ、最悪の場合は『冴さんが本格的に強硬手段(でっちあげ)を企てていて困っている。本人たちの証言が欲しい』って言っとくから」

 

「……吾郎。貴方の新島冴(お姉ちゃん)像は一体どうなってるの?」

 

「……真。正直、あの状態の冴さんだと、本当に何をやってもおかしくない――」

 

 

 ジト目で睨んできた真に答えようとしたとき、僕の電話に着信が入った。発信元は――なんと、冴さん。仲間たちに静かにするようジェスチャーし、僕は電話に出る。

 冴さんは随分とおかんむりだった。無意味にピリピリしていると言ってもいい。話の半分は警察や上司に対する罵詈雑言だが、僕に出された指令は『虐待の証拠集め(でっちあげ)』だった。

 まさかの“嘘から出た実”状態である。電話を切った僕は真に視線を向けた。真は「お姉ちゃん……」と声を震わせながら顔を覆った。黎が真の肩を叩き、無言のまま励ます。

 

 予告状は竜司と真がどうにかしてくれるらしい。ならば、後は佐倉家に乗り込むタイミングを決めるだけだ。

 

 僕は黎に向き直る。

 黎は力強く笑って頷き返した。

 

 

◇◆◆◆

 

 

「――なんだここ?」

 

 

 空本航は南条コンツェルンの研究者である。しかし、航が目覚めた場所は研究棟の仮眠室ではなく、ピラミッドの一室だった。

 

 しかし、この部屋はおかしい。ピラミッドの一室であることは確かなのだが、時折、現代風の部屋へと装いを変えるのだ。

 左手前の壁にベッドが、奥に多くのモニターを持つPCが置かれた机が鎮座している。右側奥の壁には大量のごみ袋が積み上げられていた。

 

 

「…………夢か」

 

 

 航は暫しその光景を眺めた後、白衣のポケットからスマホを取り出した。現在時刻は深夜1:00。実験もひと段落して眠っていたことを考えると、まだ寝てていい時間帯だ。

 躊躇うことなくベンチに横になり、そのまま身を丸める。そこでふと、航は思い至って懐を漁った。『双葉へ』と書かれた封筒を取り出す。亡くなった友人が娘へ宛てた手紙。

 封は切っていない。この手紙の封を切るべきは、一色若葉の娘である一色双葉なのだから。航はそんなことを考えつつ、封筒を懐へとしまい込んだ。

 

 早々に瞳を閉じる。予期せぬ覚醒だったためか、身体はすんなりと睡眠を受け入れた。

 航の意識はそのまま沈んでいく。深く、深く、深く――あっという間に、世界は闇に包まれた。

 

 




魔改造明智と怪盗団による双葉パレス攻略。流れは本編とは同じですが、会話の内容がちょこちょこ変化しています。一色若葉さんに神取を結んでみたり、2罰弱体化仕様の神取と怪盗団でイベント戦をやったりと好き放題した感が否めません。ラストは保護者の片割れ=ピアス登場。低血圧と図太さが仕事した結果です。
ハンドルネームだけですが、今回も歴代キャラが参戦しています。片方のHNは前章で出てきていますし、もう片方は初代か2罪罰をプレイしたことがあるなら何となく察せるかもしれません。答え合わせは次回に行う予定ですので、暫しお待ちいただければ幸いですね。
頼れる大人がいるっていいですよね。原作明智と2罰神取を絡ませたら、ある種の師弟関係になりそうだなと思えてなりません。正義の味方には決してなれない原作明智にとって、現実を思い知ったが故に“悪の美学”あるいは“滅びの美学”を極めた神取は指針になりそうです。
多分、原作明智は徹頭徹尾悪態付きながら反抗するんでしょうけど。そんな原作明智を見捨てることなく、神取は「“光へ与する場所へ行く”という選択肢もある」ことを示唆しつつ、自身の“悪の美学”や“滅びの美学”を教えていくんだろうな――なんて妄想が浮かんでは消えていきますね。


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“ノモラカタノママ”は素敵な呪文

【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 @空本(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄で明智の保護者その1。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
 @獅童(しどう) 智明(ともあき)⇒獅童の息子であり明智の異母兄弟だが、何かおかしい。獅童の懐刀的存在で『廃人化』専門のヒットマンと推測される。詳しくは中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『運命を切り開くだけの簡単なお仕事』および『ペルソナ3異聞録-.future-』、Pixivの『2周目明智吾郎の災難』および『【一発ネタ】有栖川黎の幼馴染』の設定を下地にし、別方向へ発展させた作品である。
・ジョーカーのみ先天性TS。
 ジョーカー(TS):有栖川(ありすがわ) (れい)⇒御影町にある旧家の跡取り娘。旧家制度は形骸化しているが、地元の名士として有名。身長163cm。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空本(そらもと) (わたる)⇒明智の保護者2で、南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。
・敵陣営に登場人物追加。
 @神取鷹久⇒女神異聞録ペルソナ、ペルソナ2罰に登場した敵ペルソナ使い。御影町で発生した“セベク・スキャンダル”で航たちに敗北して死亡後、珠閒瑠市で生き返り、須藤竜蔵の部下として舞耶たちと敵対するが敗北。崩壊する海底洞窟に残り、死亡した。ニャラルトホテプの『駒』として魅入られているため眼球がない。この作品では獅童正義および獅童智明陣営として参戦。
・「2罰ボスの外見を見た人間の反応」に関するねつ造設定がある。
・普遍的無意識とP5ラスボスの間にねつ造設定がある。
・一色若葉の死の真相を筆頭としたオリジナル展開がある。
・至の使用ペルソナ=オリジナルペルソナが出てくる。詳しくは中で。


 頭が痛い。頭が痛い。頭が痛い。

 

 

“貴女が邪魔したせいで、私の研究はダメになってしまった!”

 

“あんたさえいなければ!!”

 

 

 いつもの佐倉双葉であったら、頭を押さえて呻いていたかもしれない。身体を丸めて、母の幻影から紡がれる罵詈雑言に怯え続けたのかもしれない。双葉は大きく息を吐きながら、先程、部屋に入って来た怪盗団の一味から受け取った予告状を見直した。

 怪盗団に『心を盗んでほしい』と依頼したのは、“このまま引きこもっていてはいけない”と――“このまま死ぬのは嫌だ”と、心のどこかで思っていたためだ。立ち上がりたいと思ったから、双葉は怪盗団に賭けたのである。

 彼らが齎してくれた情報のおかげで、双葉は若葉の死と向き合うきっかけを得た。インターネットのチャットで知り合った友達との会話で、母と過ごした日々を思い出しつつある。体は怠くて呼吸は荒いけど、双葉は顔を上げた。

 

 思い出せ、思い出せ――双葉は自分自身に問いかける。母はどんな顔をしていた? 母はあのとき何を言った?

 双葉を邪魔する母の声に身を竦ませながらも、過去の日々を思い浮かべる。忙しい母と、我儘な子どもだった双葉が暮らした時間を。

 

 

「うぉう!?」

 

「ひぃっ!?」

 

 

 双葉がキーボードに手を伸ばしたときだった。背後から突然、ドスンと何かが落ちる音が響いた。間髪入れず、男性の呻き声が聞こえたのである。何事かと振り返れば、白衣を身に纏った男性が、双葉のベッドからひっくり返るように転がり落ちていたところだった。

 ひっくり返った男性と双葉の目線が合う。双葉は悲鳴を上げて押し入れの中に立てこもった。他人と顔を見合わせるなんて何年ぶりだろう。しかも20代後半から30代前半くらいのイケメンだ。三次元のイケメンを真正面から見つめるメンタルなど双葉は持ち合わせていない。

 

 闇の中でかすかに響く衣擦れの音。

 

 

「……ピラミッドの次は、誰かの部屋、か? 夢の中を探索するなんて、麻希のとき以来だぞ」

 

 

 この低い声は、先程目の当たりにしたイケメンの声だろう。

 

 

「……しかし暗いな」

 

 

 男性はそれだけ呟くと、どこかへ向かって足を進める。間髪入れず、押し入れの向こう側から電気の光が入り込んできた。勝手に電気をつけたらしい。

 乙女の部屋に入って好き勝手するとはなんて奴だ。双葉は憤慨し、侵入者を咎めようと声を出す。――噛みすぎてまともに発音できなかった。

 「おおお、乙女のへへへ、っやを、好き勝手するたァ、なにごとだッ!?」――佐倉惣治郎以外の成人男性と話したことなんてないのだから仕方がない。

 

 珍妙な侵入者は押入れに双葉がいることに気づいたようだ。一歩、一歩と押し入れに歩み寄って来る。彼の気配は扉の前でぴたりと止まった。――長い、沈黙。

 

 次の瞬間、何のためらいもなく押入れのふすまが()()()

 もう一度言う。()()()のだ。開いたのではない。()()()のだ。綺麗に。

 

 

「よいしょお!」

 

「うわああああああああああああああああッ!?」

 

 

 イケメンは何のためらいもなく、押し入れのふすまを外してベッド近辺に立てかけた。双葉の聖域にして鉄壁の盾を、とんでもない力技で開け放ったのである。双葉が呆気に取られている間にも、イケメンはもう片方のふすまを外した。それもベッド近辺に立てかける。

 

 双葉を守るものは何もない。隠れられる場所がないのだ。反射で被り物を抱えた双葉を、白衣を着て右耳にピアスをしたイケメンは仁王立ちで見下ろす。あまりの威圧感に、双葉は身を丸くした。()()()()()()()()()()()――もう1人の自分も顔を顰めて首を振る。不思議系イケメンはずっとこちらガン見していて、双葉は猫に睨まれた鼠のように体を震わせることしかできなかった。

 そういえば、「引きこもりやニートを更生させる」と謳う厚生施設では、嫌がる該当者を勝手に拉致して暴力を振るったり、家族にとんでもない額を請求する事例が流行っているという。被害者の話を聞く限り、明らかに拉致監禁と暴行罪にクリティカルヒットだ。契約料金もべらぼうに高い。だが、施設の運営者が元警察関係者等で社会的身分が高いため、刑事訴訟に持ち込まずに済む手段も熟知しているし、被害者家族は騙されやすいという。閑話休題。

 

 

「……もしかして、女王の双葉ちゃんが言ってた“現実の私”って、キミのことか?」

 

「――へ?」

 

 

 “もうひとりの双葉”――怪盗団の面々が言っていた、認知の世界のに存在する“もうひとりの佐倉双葉”のことだろう。

 このイケメンも怪盗団の面々と同じように認知世界へ赴き、“もうひとりの双葉”から何かを言われたのだ。

 自分の心に存在する“もうひとりの双葉”からの伝言を伝えに来たのかもしれない。双葉は恐る恐るイケメンに視線を向け、こっくりと頷いた。

 

 途端に、イケメンの仏頂面が緩んだ。彼は泣き笑いに近しい顔をして、「そうか」と呟く。

 イケメンは懐から一通の封筒を取り出した。『双葉へ』――そう書かれた文字は、母の筆跡と同じもの。

 

 

「この字、おかあさんの……! ってことは、オジサンは……」

 

「すまない。これを届けるのに、随分時間がかかってしまった」

 

 

 申し訳なさそうにイケメンは頭を下げる。綺麗な90度、最上級の謝罪の意を示す動作だ。

 双葉はブンブン首を振った後、母が最期に残した手紙の封を切った。

 

 黒服の男に遺書を読み上げられたときの光景が、双葉の脳裏にフラッシュバックする。読み上げられたのは、母が双葉に対して抱いていた不平不満。

 それが偽物だと分かっていても、不安になるのだ。もし、この手紙にも同じ内容が書かれていたら――なんて、考えるだけでゾッとする。双葉は恐る恐る手紙に目を通した。

 

 

「“この手紙が貴女に届くとき、私はもうこの世にいないでしょう”……」

 

 

 自分の死を予期する冒頭から、母のメッセージは始まった。

 

 双葉の母は“自分の研究を悪用し、犯罪に使おうとしている連中”に気づいていたという。奴らからは何度も接触があった。協力すればその見返りに莫大な金を出すと、断れば認知訶学という研究分野そのものを闇に葬り去ると――娘である双葉の命を亡き者にするとまで脅されたのだ。

 母は悩みながら奴らと交渉したのだろう。……いや、獅童が提示した条件は交渉と言えるようなものではない。双葉の母にとっては“百害あって一利なし”としか思えない条件だった。そのうち、要求はどんどん悪化し、最終的には双葉の命と認知訶学の研究研究成果という二択を迫られたのだという。

 一色若葉が最期に選んだのは、人生を賭けて心血注いだ認知訶学研究ではなく、最愛の娘である一色双葉の命と未来だった。『認知科学研究を完成させた暁には、成果を獅童に献上する。その代わりに、娘の双葉を助けてほしい』――母は獅童に頼んだ。獅童はそれを了承したという。

 

 母がこの手紙を書いている時点で、“研究は完成。獅童に認知訶学研究の資料を引き渡した。抵抗として資料の一部を抜き取ったが、効果は薄いだろう”と書かれていた。

 不本意な形で研究成果を葬られてしまった母だけれど、“貴女が生きていてくれるだけで充分だ”と、“私の一番の宝物は双葉”と、自分の想いを綴っていた。

 

 

「“でも、お母さんは嫌な予感が拭えなかった。研究成果を献上しただけで、獅童が私を見逃してくれるとは思えない。きっと、何らかの手段で私の口を封じようとするでしょう”……。“だから、私は筆を執りました。双葉に本当のことを伝えるために”」

 

 

 この手紙は、母が亡くなる直前に書かれたものだ。いずれ葬り去られて死にゆく自分が、双葉のために遺そうと必死になった最期の言葉。

 黒服の連中が造り上げた謂れなき中傷ではなく、愛する母が命を燃やしながら紡いだ言葉だ。どこまでも優しくて、温かな祈り。

 

 

「……“『“ノモラカタノママ”は素敵な呪文』――以前、お母さんが勤めていたセベクという企業で出会った元・上司がこんな話をしていました。この言葉を逆から読むと『ママの宝物』になるんだそうです。キーワードに使うには些か安直すぎる気がしましたが、今ならそう設定した彼女の気持ちが痛い程よく分かります”」

 

 

 双葉の頭の中で、何かが繋がった。

 

 “ノモラカタノママ”――そういえば、“MAIAKI”も、以前チャットで似たようなことを言ってはいなかったか。

 何かの呪文かと問うた双葉に対し、“MAIAKI”は『母と私の絆である“素敵な呪文”』だと語っていた気がする。

 

 

「“こんな状況になるまで貴女を選ぶことができなかった、ダメなお母さんを許してください。そうして、『貴女と遊びに行く』という約束までもを破ってしまうこと、許してください。……本当は、もっともっと、ずっと貴女と一緒にいたかった”」

 

 

 中学校を卒業する双葉が見たかった。高校生になった双葉が見たかった。大学生になった双葉が見たかった。双葉の成人式を祝ってあげたかった。一緒にお酒を飲みたかった。恋の話や研究の話をしたかった。双葉が将来どんな分野に進むのかを見たかった。双葉の彼氏にも挨拶したかった。双葉の結婚式が見たかった。孫が生まれる姿を見たかった。孫にプレゼントを送ってあげたかった――母がしたかったことすべてが、母が夢見た未来が、獅童正義によって無残にも踏みにじられた明日が記されていた。

 

 

「“双葉、お母さんは貴女を愛しています。貴女は私の”……ッ、“お母さんの、一番のタカラモノです”……!」

 

 

 母が遺した手紙を読み終えた双葉の涙腺は決壊した。自分は母から嫌われていたのではない。母は、双葉のことを大事にしてくれたのだ。

 刹那、双葉はハッキリと思い出す。母が亡くなる前にした最期の大喧嘩。双葉が我儘を言って、それを諌めた母はどんな顔をしていたのかを。

 

 

『もうすぐ、研究は終わる。終わったら、双葉の好きなところに連れて行くわ』

 

『双葉、ずっとひとりにさせてごめんね。でも、本当に大事な研究だから、分かって』

 

『命を懸けて、研究を完成させなければいけないの』

 

 

 若葉は笑っていた。優しく微笑んでいてくれた。母は、双葉を嫌ってなんかいなかった。双葉を愛してくれたのだ。

 

 

(確かに、お母さんは私が我儘言うと怒ったよ。でも、それ以外のときは優しかった! 私のこと嫌いだったなんて、一言も言わなかった!!)

 

 

 ――では。

 

 双葉が虐待されていたと思いこまされた理由は何だ。――黒服たちが持って来た遺書のせいだ。

 双葉に見せられたあの遺書は何だ。――獅童正義の部下たちがでっち上げた、真っ赤なニセモノだ。

 双葉が『人殺し』と責められなければならなかった理由は何だ。――でっちあげによる、謂れなき罪だ。

 

 自分の周囲を覆いつくしていた霧が晴れたような心地になったのは、きっと双葉の気のせいではない。

 今なら、ありとあらゆる嘘やまやかし、幻想や謎に惑わされることはないだろう。

 

 双葉の叡智は文字通り、“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()”――!!

 

 

“あんたなんて死んでしまえばいいのよ!”

 

「煩いっ!」

 

 

 呪詛のような咆哮を上げる母のいる方へ振り返る。醜悪に歪んだ顔が目に入った。今なら――そこにいる母は偽りによって造り上げられた幻なのだと、はっきり見通せた。

 偽物なんかに怯む理由はない。怯える理由なんかない。双葉は躊躇うことなく、母の幻影を睨みつけた。まさか反撃されるとは思ってなかったようで、幻影はびくりと身を竦ませる。

 

 

「あんたは私のお母さんじゃない。ただの偽物だ!」

 

“この機に及んで開き直るなんて……! やっぱりあんたなんか産まなきゃよかっ――”

 

「――黙れ」

 

 

 紙をぶち抜くような音と一緒に、冷ややかな声が響いた。声の出所は、双葉に母の遺書を手渡してくれたイケメンである。

 イケメンは何を思ったのか、双葉の押し入れから外したふすまの片割れに大穴を開けていた。狂犬もかくやと言わんばかりの形相だ。

 彼の足元から、青白い光がゆらゆらと漂いはじめる。――今度こそ、幻影は「ひっ」と引きつった声を上げて後ずさった。

 

 ……あのイケメンには、双葉が見ている母の幻影を認識できるらしい。

 今までそんなことなかったので、双葉は目を丸くする。

 

 

「お前が……お前のような奴が、一色さんを騙るなぁぁぁッ!」

 

 

 イケメンの咆哮を皮切りに、部屋中に凄まじい風が吹き荒れた。それは内側からロックをかけているはずの双葉の部屋の扉を吹き飛ばし、ガラスに蜘蛛の巣状のヒビを入れ、床に散らばった紙や本類を巻き上げ、ゴミ袋の山を雪崩させた。心なしか、佐倉家の骨組みが悲鳴を上げたかもしれない。

 

 呆気に取られて尻もちをつく双葉なんて眼中にないようで、イケメンは構えを取る。青白い光が一際激しく輝き、何かが姿を現した。「ヴィシュヌ、捻り潰せ!!」――情け容赦のない指示に従い、ヴィシュヌと呼ばれた異形は、母の幻影に攻撃を仕掛ける。

 吹き荒れる力は幻影を消し去った。残されたのは、母の幻影を被っていた人影である。有名進学校の学生服――ブレザーとスラックスを身に纏ったその人物は、年恰好からして双葉と同年代の男子生徒だろう。だが、異様なことに、双葉は奴の顔を()()()()()()()()()()()

 

 奴は小さく舌打ちし、するりと消え去った。頭の中でわんわんと母の声――呪詛が響くが、それはもう双葉の足を止めるに値しない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と、自分の中にいる“何か”が訴える。()()()()()()()()()()()()()()()()()と。

 ならば、こんな所で籠っている訳にはいかない。行かなくては。今すぐ、双葉の心の世界へと向かい、自分の心を取り戻さなくてはならない。

 

 

『怒れ! クズみたいな大人を許すな! 私の心で好き勝手する奴を許すな!!』

 

「そうだ……! わたしはもう、歪んだ上っ面には騙されない。他人の声にも惑わされない。自分の目と心を信じて、真実を見抜く! わたし自身を取り戻すんだ! ――ふぎゃあッ!?」

 

 

 自分の前に立つ女王――“もうひとりの双葉”が怒りをあらわにする。双葉もまた、それに同調した。立ち上がろうとした双葉だが、自分が籠っていた場所がどこなのかを忘れていたため、しこたま頭を強打する。

 のたうち回った勢いによって、双葉は押入れの外へと這い出した。その拍子に、手に持っていた双葉のスマホが床に落ちる。画面に映し出されていたのは、インストールした覚えのない謎のアプリだ。名前は、“イセカイナビ”。

 

 

「これって……怪盗団が言ってた、“認知世界へ行けるアプリ”……?」

 

「確か、吾郎が言っていたな。『“イセカイナビ”でパレスに行くには、キーワードを音声入力しなければならない』と。対象者の名前、対象者のいる場所、対象者がパレスを何と認識しているかが必要だと聞いたが……――む?」

 

 

 次の瞬間、イケメンのスマホに連絡が入った。連絡ツールはSNSらしい。双葉は彼のスマホ画面を覗き込む。

 イケメンと瓜二つの顔をした男の写真――イケメンとの違いは、左耳にイヤリングをしているという部分だった――が映し出され、チャットが展開していた。

 

 

“佐倉双葉”

 

“佐倉家、佐倉双葉の部屋”

 

死者の復活装置(ピラミッド)

 

 

“――“風ちゃん”と“MAIAKI”と一緒に、待ってる”

 

 

“あ、風花と麻希のことな”

 

 

 イケメンのコピペみたいな奴は、双葉のネット友達である“風ちゃん”や“MAIAKI”とリア友らしい。

 

 世界の狭さに双葉が「ほええ」と声を漏らしていたときだった。

 数秒遅れで、SNSのチャットに新たなメッセージが追加される。

 

 

“言っとくけどな、航”

 

“お前が通ってきたピラミッドも、双葉ちゃんとのやり取りも、全部まごうこと無き現実だからな”

 

“そろそろ目が覚めた頃だろう”

 

“おはよう。今日は7月×日、☆曜日の午前N時M分だ”

 

 

 イケメン――航にとって、チャット相手の指摘は図星だったのだろう。「渡せたとしても、『これ夢なんだよな』と思ってた」と呟き、バツが悪そうに頭を掻いた。その拍子に、彼の襟首に引っかかっていた社員証が胸元に現れる。

 南条コンツェルン特別研究部門主任、空本航。南条コンツェルンの特別研究部門といえば、桐条グループ内に存在するシャドウワーカーなる組織と繋がりがあると言われる、なかなかにオカルティックな部門だ。

 立ち上げは“セベク・スキャンダル”の直後から。当時は非公認だったが、現在では暗黙の公認となっているそうだ。何も知らぬ部署からは「陸の孤島」だの「“優秀過ぎる”落ちこぼれどもの集い」だのと呼ばれているという。閑話休題。

 

 双葉はちらりと航に視線を投げた。航は真顔で頷き返す。それを確認し、双葉はスマホに向けてキーワードを入力した。

 わずかな待機時間が終わった後、『ヒットしました』と音声が案内を告げる。程なくして、世界は一気に姿を変えた。

 

 古代のピラミッドを彷彿とさせるような石造りの内装に、双葉がPC画面でよく見る英単語やプログラミングの羅列がホログラムで浮かんでいる。

 

 

「これが、わたしの、心の世界……」

 

 

 母が提唱していた認知訶学の一端に触れて、双葉は感嘆した。

 自分の心の世界を、こんな形で見ることになるとは思わなかった。きょろきょろと周囲を見渡す。

 

 

「「“葉っぱ”さん!」」

 

 

 声がした方に振り返る。そこにいたのは、イケメンのコピペと見ず知らずの女性2人。

 

 1人はショートボブの黒髪と口元のほくろが印象的で快活な女性で、もう1人が空色の髪を三つ編みに束ねた清楚な女性だった。

 彼女たちは何故かフリップボードを手に持っていた。前者が“MAIAKI”と書かれたものを、後者が“風ちゃん”と書かれたものを持っている。

 HNの下には本名が書いてあった。“MAIAKI”の本名が園村麻希、“風ちゃん”の本名が山岸風花というらしい。双葉は目を丸くした。

 

 まさか、こんなときにオフ会が開かれるなんて思いもしなかった。予期せぬ事態にあわあわしていた双葉だが、麻希や風花はこちらが落ち着くまで待ってくれた。双葉の知ってるクズみたいな大人とは違うし、チャットで自分を待っていてくれた“MAIAKI”と“風ちゃん”と変わらない。それがとても安心する。

 落ち着いて話ができるようになった頃、双葉はふと視線を巡らせた。自分たちとは離れた場所で――麻希さん曰く一卵性双生児の兄弟――何かを話し合っていた航と、航の兄である至の姿が目に入った。俯いたまま頷き続ける弟の頭を、兄が苦笑しながら撫でている。その眼差しは愛情で満ち溢れていた。

 

 次の瞬間、凄まじい地鳴りが発生した。どこからか、呪詛交じりの咆哮が聞こえてくる。双葉の心で好き放題していた奴がいたという事実を鑑みると、早急に何とかしなければなるまい。双葉が足を進めようとしたとき、“もうひとりの双葉”が姿を現した。彼女はにっこりと微笑む。

 

 

「さあ、行こう。【契約】……我は汝、汝は我――!」

 

 

 “もうひとりの双葉”――ピラミッドの主たる若き女王は光に包まれ、その姿を顕現させる。

 一言で言い表すならば、悪魔の像を頭に乗せたUFOだ。下部から這い出た触手が双葉を掴んで引き上げる。

 

 

「えええっ!? 双葉ちゃんが、双葉ちゃんがUFOにキャトルシュミレーションされたっ!?」

 

「おい至、UFOが人間をキャトる現場なんて初めて見たぞ! カメラないか?」

 

「ペルソナの覚醒だわ! “反逆の意志”が、正しい形で目覚めたのね」

 

 

 風花、航、麻希の声がどこか遠い。真っ暗だった世界に光が灯る。

 

 ありとあらゆるプログラムの羅列がホログラムとして映し出されたこの部屋は、いついかなる謎や幻をも解き明かす禁断の叡智そのものだ。今、双葉が何をすべきなのか、双葉が打ち倒すべき相手が何なのか、“もう1人の自分”は――ペルソナであるネクロノミコンは、すべてを見通す。

 ホログラムに映し出されたのは、腐った大人たちによって作り出された母の偽物。スフィンクスを象ったバケモノは、悠々と空を飛び回っている。仮面を身に纏った男女が応戦しているが、空を飛び回る相手に対し決定打を持っていないため押されていた。

 あれが、怪盗団。認知世界を股に駆け、腐った大人を次々と『改心』させる“反逆の徒”――ペルソナ使い。彼らは小奇麗な偽りを暴き、真実を奪い取る義憤の徒だ。腐った大人に傷つけられたが故に、弱気を救おうと戦う者たち。……正義の味方。

 

 双葉を乗せたネクロノミコンは急上昇し、一気にピラミッドの屋上へと到達する。バケモノによって破壊されたためか、砂漠の景色が一望できた。

 バケモノと戦っていたらUFOが出てきた――とんでもない状況に陥った怪盗団の面々が、あんぐりと口を開けてこちらを見上げる。

 

 

「な、なにあれ!? UFO!?」

 

「シャドウか!?」

 

「違う。アレもペルソナだ!」

 

 

 ボディスーツを身に纏った女豹が呆気にとられ、髑髏の仮面をつけた海賊が身構え、ぬいぐるみみたいな黒猫が首を振って否定する。

 「怪盗団!」――彼らに呼びかければ、面々は“ペルソナの中に双葉が乗っている”ことに気づいたのだろう。次々と驚きの声を上げた。

 

 

「双葉ちゃん! って、黎ちゃんと吾郎くん!?」

 

「園村さん!? それに、風花さんも……」

 

「ちょ、ちょっと待って。どうしちゃったの2人とも!? その恰好……」

 

「違います風花さん! これは不可抗力で――」

 

「お嬢!? それに吾郎まで……」

 

「嘘だろ!? なんで航さんが――」

 

「お待たせ怪盗団! 手を貸しに来た!」

 

「「至さん!?」」

 

 

 それだけではない。少し遅れて、石室に置いてけぼりにしてしまった大人たちが駆けつけた。双葉を今まで支えてくれたネットの友人である麻希と風花、若葉の遺志を守り伝えてくれた航、彼の双子の兄で認知世界へ行くためのキーワードを教えてくれた至。

 しかもこの大人たちは、怪盗団のリーダーである少女――有栖川黎と副将――明智吾郎とは旧知の仲であり、空本兄弟に至っては黎の親戚で吾郎の保護者である。やっぱり、双葉が思っている以上に世界は狭かった。

 愉快なざわめきをホログラム越しから一瞥した双葉は、浮かび上がる別枠を叩いた。そこには、呪詛を込めた呻き声を上げるバケモノ――偽物の母、イッシキワカバが空を飛び回りながらこちらを伺っている。……まるで、双葉の覚醒を警戒しているみたいに。

 

 ならば見せてやろう。ここは双葉の心の城。

 双葉の得意分野はハッキングだ。

 

 禁断の叡智は開かれた。最早、ありとあらゆる謎も幻も、双葉を止めることなど適わない――!!

 

 

「みんな、手伝って! ――あいつ、やっつける!」

 

 

 双葉の宣言を聞いた面々が、顔を見合わせて頷いた。

 

 

◆◇◇◇

 

 

 双葉さんのパレスを陣取っていた獅子女は、一色若葉さんと同じ顔をしていた。但し、僕が知っている一色さんとは違い、醜悪に顔を歪ませている。奴は双葉さんへ呪詛のような罵詈雑言をまき散らしながら、僕たちに襲い掛かって来た。

 空を悠々と飛び続ける獅子女に対し、僕たちの攻撃は届かない。仕方がないので、僕たちはペルソナ特有の属性攻撃や銃による遠距離攻撃を使ってバケモノに応戦した。だが、距離が離れすぎているためか、なかなか決定打を与えられなかったのだ。

 有効打がないことに焦る僕たちを嘲笑うかのように、獅子女は急降下して僕たちに攻撃を仕掛ける。僕は咄嗟にジョーカーを庇ったけど、結局は揃って床に叩き付けられた。――いや、僕とジョーカーだけじゃない。他の仲間たちも地に倒れ伏していた。

 

 よろよろと体を起こしたジョーカーとモナが仲間たちに回復魔法をかける。スカルが、パンサーが、フォックスが、クイーンが、呻きながらも立ち上がった。それでもジリ貧なのは変わりない。どうしようかと考えあぐねていたとき、僕らの前にUFO――ペルソナに乗った双葉さんが現れたのである。

 それだけではない。セラピストである園村さん、シャドウワーカー所属の専属ナビである風花さん、南条コンツェルンの研究室に缶詰め状態になっているとばかり思っていた俺の保護者――航さんと、スマホ画面を指示す俺の保護者――至さんまでもが馳せ参じたのだ。

 

 前者2名が“イセカイナビ サタン限定版”によってパレスに足を踏み入れたのに対し、航さんは「半分寝ぼけていたのでよく覚えてない」と返し、至さんは「ピンチヒッターとして権限を貸し与えられたので、貸してくれた奴の言われた通りに行動しただけ」とだけ言って沈黙した。閑話休題。

 

 

「ここはわたしの心の世界だ。自分の心くらいハックできる!」

 

 

 双葉さんの宣言通り、ピラミッドに突如バリスタが出現した。あれで一色若葉さんを模したバケモノ――イッシキワカバを打ち落とせば、攻撃が通るようになるかもしれない。バリスタの扱いをパンサーへ任せ、僕たちはイッシキワカバへと向き直った。

 間髪入れず、ガラスが砕けるような音が響く。見れば、風花さんがユノを召喚し、バックアップサポートを行う準備を整えてくれたらしい。元々風花さんのペルソナも、双葉さんのネクロノミコン同様ナビゲート特化型だったか。

 

 双葉さんがハッキングで持ち込んだバリスタは、発射するまでに時間がかかるタイプだった。その間、僕たちは空を飛び回るイッシキワカバを相手取らなければなるまい。

 

 

「回復と援護は私たちが何とかするから、みんなは攻撃に専念して!」

 

 

 園村さんはそう言うなり、スクルドを召喚する。圧倒的な力が、僕たちを癒すために振るわれた。

 傷はあっという間に治り、痛みも完全に引く。これなら何の苦もなく戦えそうだ。

 

 

「それじゃあ、やろうか。――天を駆けろ、ナイトゴーンド」

 

 

 至さんは指で銃を形作って撃つ動作をした。それが、彼がペルソナを降臨させるための構えである。鮮やかな青白い光が舞い上がり、彼のペルソナの1体――ナイトゴーンドが姿を現した。クトゥルフ神話で“夜鬼”という別名を有する奉仕種族だ。

 ナイトゴーンドはイッシキワカバの元へ飛んでゆくと、彼女に纏わりついた。途端に、悠々と空を飛んでいたはずのイッシキワカバがゆらりと傾く。獅子女は体に纏わりつくナイトゴーンドを叩き潰そうとしている様子だった。だが、ナイトゴーンドは大振りの一撃を軽々と躱す。

 擽りにより、獅子女の強靭な身体から力が抜けたようだ。そのおかげか、ペルソナのスキル攻撃が先程より通るようになった。ナイトゴーンドの擽りは、他のンダ系スキルとは別枠で能力を下げるらしい。ランダマイザと似たような効果だろうか。

 

 彼がこのペルソナを用いるようになったのは、月光館学園高校で発生した影時間の戦いが終わった後からだ。それ以前はヤタガラスを召喚していたのに、あの戦いが終わって以後、一切召喚しなくなったような気がする。

 そういえば、至さんの召喚するペルソナが変わったのは巌戸台の戦いからだけではない。八十稲羽が終わった後、彼は召喚していたウロボロスを呼びださなくなった。代わりに召喚するようになったのは――

 

 

「うし、もう一丁! ――顕現せよ、ノーデンス!」

 

 

 青白い光と共に現れたのは、ナイトゴーンドを従えるクトゥルフ神話の外なる神が一柱――深淵の大帝ノーデンス。外なる神の中で、一番“人類に対して友好的な神”である。……「友好的なだけであって、人類にとって完全な味方には成り得ない」のだが。そしてコイツもまた、善神フィレモンの化身の1体だ。

 

 ノーデンスは僕たちの方を一瞥すると、僕ら全員に絶大な加護を与えた。刹那、イッシキワカバが僕らに向かって急降下してくる。

 獅子女の腕が僕らに振るわれたが、その攻撃はすべて反射された。ノーデンスの加護は、物理反射の効果があるバリアだったようだ。

 

 

「よーし、行けー!」

 

「――せーのぉッ!!」

 

 

 双葉さんの指示に従い、パンサーがバリスタを射出した。放たれた矢はブレることなく、双葉の意志を宿すが如く、イッシキワカバに突き刺さる。

 体勢を崩した獅子女が落下した。ピラミッドにしがみつく様な倒れ方をしたイッシキワカバを取り囲む。奴は醜悪な呪詛を吐き出した。

 

 

「親に逆らう子どもは、みんな死ねェェェェ!」

 

「お前なんか親じゃない! 私の弱さが生み出したバケモノだ! 遠慮することはない。みんな、ドンドンやっちまえーっ!」

 

「それじゃあ、お言葉に甘えよう!」

 

 

 双葉さんの要望に従い、ジョーカーが指示を出す。僕らは躊躇うことなくイッシキワカバに攻撃を仕掛けた。一斉攻撃を喰らったイッシキワカバだが、まだ消えるには至らない。

 しかし、バリスタで撃たれたダメージから回復できていないようで、獅子女はピラミッドにしがみついたままだった。――これなら、物理攻撃が充分通用するはずだ。

 ジョーカーがペルソナを、フォックスがゴエモンを顕現して攻撃を仕掛ける。前者の攻撃と後者の斬撃が、イッシキワカバに容赦なく襲い掛かった。

 

 

「やっぱり、近距離から攻撃した方が効くみたいだ……!」

 

「この調子でガンガン叩き込むぜ、キャプテンキッド!」

 

「フルスロットルで行くわよ、ヨハンナ!」

 

「おいで、カルメン!」

 

「我が意を示せ、ゾロ!」

 

「もう一度だ、ゴエモン!」

 

「射殺せ、ロビンフッド!」

 

 

 獅子女は呻くだけで攻撃してこない。バリスタで叩き落とされたダメージが尾を引いているのだろう。それぞれがペルソナを顕現し、得意な攻撃を叩きこむ。僕もロビンフッドを召喚し、祝福属性の攻撃を叩きこんだ。……心なしか、属性攻撃よりも物理攻撃の方が効く気がした。

 

 数多の攻撃の雨あられを喰らったイッシキワカバであったが、奴はまた体を起こして空に舞い上がった。

 双葉さんへの憎悪を象ったバケモノは、いつの間にか“親の言うとおりに動かない子ども”に対する憎悪へと変わっていた。

 

 

「逆らう子どもは、要らない……! ――要らない子どもは、殺ォォォォォォォォすッ!!」

 

 

 イッシキワカバは盛大に吼えた。次の瞬間、奴の方向に従う形で大量のシャドウが姿を現す。それを確認した至さんと航さん、麻希さんが躍り出た。自分に任せろと言わんばかりの背中に、僕らも頷き返してイッシキワカバへ向き直った。

 風花さんはユノでみんなの能力を強化した。それを皮切りに、至さんは躊躇うことなくノーデンスを顕現してメギドラオンを打ち放つし、航さんはヴィシュヌを顕現して天驚地爆断を放つし、ついに園村さんも攻撃に参加――スクルドを顕現して不滅の黒を打ち放った。

 面白い勢いでシャドウが消し飛んでいく。風花さんのアシストも的確だし、あそこで戦う空本兄弟は聖エルミン学園高校で発生した“スノーマスク事件”、麻希さんは至さんたちと共に御影町の“セベク・スキャンダル”を解決した張本人だ。心配はいらない。

 

 そう思っていたときだった。イッシキワカバは盛大に咆哮する。耳をつんざくような呪詛の叫びが、僕の母の呪詛に変わったように感じたのは何故だろう。

 

 お前が生まれてこなければよかったのに――ぞくりと体が跳ねた。一色さんと双葉さんの関係とは違い、僕と母の関係は“そういうもの”だからだ。

 僕は望まれた子ではなかった。要らない子だった。母が僕を育てたのは、成長した僕が獅童に似ている可能性……獅童に認知してもらえる可能性に賭けていたから――

 

 

「アイツはまだ遠いよ。でも、急接近してきそうだから、今のうちに態勢を整えて!」

 

「クロウ、しっかり! クイーンお願い!」

 

「任せてジョーカー!」

 

 

 不意に、心を支配していた絶望が晴れた。振り返れば、クイーンのヨハンナが状態異常の回復術を行使したところであった。

 双葉さんが「よし! ナイスリカバリ!」と笑う声が聞こえる。どうやら僕の他にも絶望に陥っていた面子がいたようで、面々も即座に立ち直って身構えた。

 

 程なくして、双葉さんが察知した通りにイッシキワカバが急降下してくる。今回は防御が間に合い、損害は軽微。即座に僕らは遠距離攻撃や属性攻撃で反撃した。

 そうしてついに、イッシキワカバが羽ばたく力を失って落下した。バリスタで撃ち落とされたわけでもないのに、奴はピラミッドにしがみついている。

 完全に隙を見せた獅子女を取り囲み、武器を突きつける。「ぐうううぅ……双葉ぁ……」――獅子女は憎悪の目をぎらつかせたが、虫の息なのだろう。弱々しく呻いた。

 

 

「お前なんて、産まなければ……っ」

 

「何を言われたって、わたしは生きる! ――ジョーカー、撃ってぇぇぇぇーッ!!」

 

 

 双葉さんの咆哮に従うようにして、ジョーカーは銃の引き金を引いた。それは見事に奴の心臓を穿つ。

 

 双葉さんの心の弱さが生み出したバケモノは、断末魔の悲鳴を上げながらピラミッドから転がり落ち、地面に叩き付けられて動かなくなった。

 イッシキワカバを倒した影響か、至さんたちが相手取っていたシャドウたちも勝手に消滅する。文字通りの完全勝利だ。僕らが勝利に湧いたときである。

 空を縦横無尽に飛び回っていたネクロノミコンがフラフラと蛇行し始めた。程なくしてネクロノミコンが空に溶けるように消えて、双葉さんが上空から降って来たのだ。

 

 

「双葉さんッ!」

 

「っ、ヴィシュヌ!」

 

 

 勝利に湧きたっていた僕たちの中で、真っ先に動いたのはジョーカーと航さんだった。前者が双葉さんの元に駆け寄り、航さんがペルソナを顕現し風を起こす。ヴィシュヌの風は双葉さんの落下速度を抑えつつ、彼女がジョーカーの腕の中へ落ちるように調節する。ジョーカーは双葉の身体をしっかりと受け止めた。

 ナビゲーター特化のペルソナ使いは数少ないし、ペルソナ使いとしても希少な存在だ。彼女の特殊能力に湧きたつ一同の中で、双葉さんは自分の怪盗団衣装――潜入工作員が着るような特殊スーツに対して「ピッチピチだな!」と感想を述べていた。……彼女は割と、航さんのようなマイペースタイプみたいだ。

 

 そんなとき、背後から光が差してきた。慌てて振り返れば、先程倒した筈のイッシキワカバと瓜二つの顔をした女性が佇んでいる。

 但し、イッシキワカバとは違い、彼女は慈愛に満ちた瞳で双葉さんを見つめて微笑んでいた。――ああ、彼女が一色若葉さんだ。僕は直感した。

 双葉さんもそれに気づいたのだろう。「おかあさん」と、驚いたような声で呟いた。仲間たちは驚きつつも、じっと経過を見守る。

 

 

「双葉。本当の私のこと、思い出してくれてありがとう」

 

「……お母さん。我儘一杯言って、ごめんなさい……」

 

「――こっちに来てはダメ」

 

 

 ふらふらと母親の元に歩み寄ろうとした双葉さんを制して、一色さんは「貴女の居場所はここじゃない」と首を振る。

 

 

「……せっかく、会えたのに?」

 

「また我儘?」

 

 

 泣き出しそうな声の双葉さんを、一色さんは諌める。彼女の眼差しは、どこまでもどこまでも優しい。

 言いたいことは沢山あったのだろう。でも、何を言えばいいのか分からないのか、双葉さんは暫く口をつぐんでいた。

 

 

「……あの、わたし、お母さん、大好き……」

 

「私もよ、双葉」

 

 

 娘からの言葉を聞いて、母親は幸せそうに微笑んだ。そうして、一色さんは航さんに向き直る。

 

 

「空本さんも、ありがとう。私の言葉を、この子に伝えてくれて」

 

「……いいえ。自分は、貴女の言葉を伝えるのに、長い時間をかけてしまいました。そのせいで娘さんにも辛い思いを――」

 

「――そんなことない。そんなことないよ」

 

 

 沈痛そうな面持ちで俯いた航さんの言葉を、双葉さんは否定した。“航さんが一色さんの遺した手紙を持ってこなければ、自分はきっと何も知らないままだった”と。

 それを聞いた航さんは大きく目を見開くと、苦笑しながら「ありがとう」と呟く。一色さんは僕たちに「双葉をお願い」と言って頭を下げた。僕らが頷くのを見て、一色さんは頷く。

 

 「ほら、もういきなさい」――一色さんが言いたかった言葉は「行きなさい」であり、「生きなさい」なのだ。双葉さんの人生が幸せであることを願っている。僕はそう思いながら、一色さんを見つめた。一色さんの姿は光に包まれ、消滅する。

 

 それを見届けた双葉さんは、回れ右してすたすたと歩き始めた。彼女は「ナビの使い方を覚えたから帰る」と言い残し、本当に現実世界へ帰還してしまったのである。

 呆気にとられた僕たちを横目に、航さんも慌てた様子でスマホを操作した。彼の着信履歴には『南条圭』の名前がびっしりと並んでいる。

 航さんは、“南条さんによる怒涛の着信ラッシュ=一大事である”と察したのだろう。「やべ、帰らなきゃ」と言い残して駆け出した。至さんは苦笑しながら後に続く。

 

 残されたのは怪盗団と、園村さんと風花さんだけだ。僕らは顔を見合わせる。――そうだ、このパレスの『オタカラ』はどうなったのだろう?

 

 

「なんだこれ!? 空っぽじゃねーか!」

 

 

 石棺を開けたスカルが大声を上げた。彼の言葉通り、『オタカラ』が入っていると思った石棺は空っぽだったのである。モナに視線を向けると、彼がその理由を説明してくれた。

 この城の『オタカラ』は、佐倉双葉本人だ。彼女が外に出てしまったら、何もなくなるのは当然のこと――モナの解説はここで止まる。彼は「ヤバイ」と呟きながら周囲を見回した。

 

 

「何がヤバいんだ?」

 

「本人がパレスに乗り込んできた挙句、ペルソナを覚醒したんだ! いつ崩壊してもおかしくないぞ、これ!」

 

 

 フォックスが首を傾げれば、モナが慌てた様子で答えた。パレスが消えるなら目標は達成できるのだから、もうここに留まり続ける必要はない。

 僕らは急いで双葉のパレスから脱出を始めた。園村さんも風花さんも、崩れてゆくピラミッドを見てすべてを察したらしい。悲鳴を上げながら駆け出した。

 上部が吹き飛ぶようにして崩れていく。パンサーはモナの身体を掴み空へと放り投げる。誰よりも地面に早く落ちたモナは、車に変身した。

 

 直後、ついに僕たちはピラミッドの崩壊に巻き込まれて吹き飛ばされる。吹っ飛んだ僕らを、モナがクッションで受け止めつつ車の中に収納した。

 

 次の瞬間、僕の身体は中央部のシートを不自然な形で跨ぐという難体勢となっていた。

 振り返れば、半ばひっくり返るような体勢で、ジョーカーが僕の背中に寄りかかっている。

 

 

「ジョ、ジョーカー大丈夫!?」

 

「う、うん……!」

 

「って、うわあ!?」

 

 

 急に車体が傾いた。見れば、クイーンが見事なハンドルさばきでモルガナカーを運転しているではないか。ガラスが割れるような音が響き、青い光が舞う。見れば、風花さんがユノを顕現し、降り注ぐ落石地点を予測しながら安全なルートを見つけ出していた。

 

 風花さんからルートを指示されたクイーンがアクセルを全開にした。車体が激しく揺れる。僕は咄嗟に体を反転させ、ジョーカーを受け止めながら倒れこんだ。

 車のアクセルが派手に駆動する音が響く。ハリウッド映画もびっくりする勢いに、車内の全員が身体をぶつけて悲鳴を上げていた。

 黄金に輝いていたピラミッドも、がらんどうなオアシス街も、果て無く広がっていたはずの砂漠も、何もかもが崩れて消えていく――そんな光景を最後に、世界は暗転した。

 

 

***

 

 

 ――程なくして、僕たちは現実へと帰還する。

 

 出てきた場所はルブラン前。仲間たちが立ち上がる中、杏は引っ付いたままの祐介に一撃叩き込んでいた。それを眺めて笑っていた僕と黎を見た面々が渋い顔をした/苦い笑みを零す。

 僕と黎が頭に疑問符を浮かべたとき、佐倉さんがひょっこり顔を出す。――次の瞬間、佐倉さんの目は一瞬で死んでしまった。彼は暫し唸った後、しかめっ面と絞り出すような声で苦言を呈す。

 

 

「お前ら、その……抱き合うならもうちょっと別なところで、だな……」

 

「「あ」」

 

 

 モルガナカーで揺れていた中、ずっと黎を庇っていた。僕は慌てて黎から離れる。黎はほんのりと顔を染めながら、おろおろと視線を彷徨わせていた。……照れる、うん。

 仲間たちも、解脱した菩薩みたいな顔をしながら僕らを見ていたけど、すぐに何事もなかったかのように動き始める。但し全員、その眼差しは解脱した菩薩のままであった。

 真が機転を利かせたのだろう。自ら主導し、「折角だからみんなでお茶を」と提案する。それを察した杏が、率先して竜司と祐介を引っ張った。前者は本能で察し、後者は首を傾げる。

 

 余計なことを言おうとした祐介は、真から世紀末覇者の片鱗を叩きこまれて沈黙した。

 そのまま、祐介はすごすごと杏と竜司に従う。真は満足げに微笑み喫茶店に体を向け――止まった。

 

 

「ああいけない。私、用事を思い出したの」

 

 

 それを確認した真は、わざとらしく手を叩いた。これで、真がルブランに寄らないことに対して不自然はなくなった。真の言い訳を聞いた園村さんや風花さんも、「現実の双葉ちゃんに会おうと思って東京に来たんです」等、ちゃっかりと便乗する。

 

 真は更に、「悪いんだけど、吾郎と黎にも付き合ってもらっていいかしら? ……本当に悪いんだけど」と、僕と黎がルブランに寄らない理由まで作ってくれた。……但し、それを提案した真の目は完全に死んでいた。断る理由がないので、僕と黎は無言のまま首を縦に振る。

 佐倉さんは“魔王に挑む勇者を崇める村人”みたいな目で真を見ていた。喫茶店のオーナーと居候の友人という人間関係が、気持ちを共有する同士に変わった瞬間である。どこからかデッデデッデと効果音――あるいは音楽が流れてきそうな雰囲気だ。

 杏は率先して竜司と祐介を喫茶店へ押し込んだ。佐倉さんは喫茶店のマスターなので、客を放置して自宅へ帰るなんて真似はできまい。……最近は、『黎がいて、ラストオーダーの時間帯に僕しかいない』ときは、黎に店を任せて帰るようになったけど。

 

 佐倉さんと杏たちがルブランへ入っていくのを確認した僕たちは、早速双葉さんに会いに行くことにした。パレス攻略の際、佐倉家への行き方は把握している。

 果たして、双葉さんは家にいた。但し、彼女が引きこもっていた自室ではなく、佐倉家の前に。体育座りをして顔をうずめたまま、彼女は沈黙していた。

 

 彼女の傍にはモルガナが控えている。僕らと一緒にいなかったのは、一足先に双葉さんの元へ向かっていたためだろう。

 

 

「ねえ、双葉。大丈夫?」

 

「双葉ちゃん、しっかりして」

 

 

 真や風花さんの呼びかけに対し、双葉さんは一切返事しない。ぴくりとも動かないのだ。俯いたまま反応しない。

 彼女の認知世界で、実質パレスを支配していた存在――イッシキフタバを倒してしまったことが原因だろうか?

 園村さんが様子を確認したが、「自分はあくまでもセラピストなので、医学的な分析には明るくない」と言って首を振る。

 

 

「本職のお医者様でないと、ちゃんとした処置はできないかもしれないわ……」

 

「そういえば、オマエの知り合いに医者がいたよな? ソイツに頼んでみたらいいんじゃないか?」

 

「ああ、武見先生だね。分かった。連絡して――」

 

 

「――おいどうするんだあの惨状! お前、あんな狭い室内で天驚地爆断なんか使ったら大変なことになるって判断できなかったのか!?」

 

「すまん。一色さんを騙られて我慢できなかった」

 

 

 黎がスマホを取り出そうとした丁度そのとき、佐倉家の中から言い争うような声が聞こえてきた。

 まるで1人芝居だと錯覚しそうな程声が似ているが、僕は彼らの違いを一瞬で見抜くことができた。

 

 片方が焦っているような調子であり、もう片方はしおらしくしている。

 

 

「努力は認める。本気でやったら、あの部屋は確実に吹き飛んでたからな。でも、流石にあれはやりすぎだろ!」

 

「……本人と家主には、直接謝りに行くつもりだ。修理費用も全部俺が――」

 

 

 佐倉家の扉が開いた。家から出てきたのは、先に現実へと帰還したはずの空本兄弟である。額に手を当てていたのが至さん、しょんぼりしている様子だったのが航さんだ。

 何故2人がこんなところから出てきたのかは知らないが、航さんの様子からして、双葉さんと共にパレスへ乗り込む際に何かをやらかしたのだろう。大方、器物破損系か。

 至さんと航さんは僕らを見て、次に双葉さんを見た。何かを察したのであろう空本兄弟の顔から血の気が引く。僕は咄嗟に2人を引き留め、黎に目配せした。

 

 黎は即座にスマホを操作し、怪盗団に薬を融通してくれる医者へと連絡を入れた。

 

 

◇◇◇

 

 

 双葉さんを診察した女医曰く、『原因不明の軽い昏迷状態』だそうだ。彼女はその原因を『双葉の体力のなさが引き金となったのではないか?』と分析した。

 

 今回双葉さんが覚醒した状態は、今までとは全く違うケースだった。

 イレギュラーが重なりすぎたことと、元から体力がなかったことが原因で、疲労がたまっていたのだろう。

 

 この状態の双葉さんを隠し通せるとは思えない――そう判断した僕たちは、双葉さんの保護者である佐倉さんに報告することにした。

 それに、園村さんや風花さんの訪問や、航さんが破壊してしまった双葉さんの部屋に関する事例もある。猶更、佐倉さんに言わないわけにはいかなかった。

 勿論、一般人である佐倉さんに対し、怪盗団に関連する話題を表立って話すわけにはいかない。佐倉さんが怪盗団のような存在を肯定するタイプとも限らないからだ。

 

 

『ああ、たまにこうなるんだ』

 

『えぇ!?』

 

『体力を使い果たしたんだろうな。電池切れみたいなもんだ』

 

 

 僕らの予想に反して、佐倉さんはあっさりと言い放った。『一度こうなると、数日間はこのままなんだ』とも。但し、双葉さんの様態に関してはさらっとした反応を見せた佐倉さんだけど、双葉さんの部屋に関する惨状は流石に仰天した。

 そりゃあそうだろう。部屋の扉は蝶番が引きちぎられたために外れ、どういう訳か押入れのふすまは外され、その片割れには大穴が開き、ガラスに蜘蛛の巣状のヒビが入り、床に散らばった紙・本類・ゴミ袋の山を雪崩させていたのだから。

 

 酷い有様と化した部屋については、空本兄弟や園村さんと風花さんが説明した。

 

 『双葉さんに一色さんの遺したメッセージを届けたい』と航さん接触した結果、双葉さんは激しく混乱。以前からの友人である園村さんと風花さんに助けを求めた双葉さんは、2人の勧めで航さんに接触することを決断した。

 そんな双葉さんを心配し、園村さんと風花さんは上京。至さんは航さんの付き添いで、4人は佐倉家に集合した。集合した面々が旧知の間柄であることを喜びつつ双葉さんと接触した4人は双葉さんの部屋に招き入れられた。

 一色さんの残したメッセージを双葉さんに伝えたところ、双葉さんは自分の過去と向き合った。そこで『一色さんが双葉さんを愛していたこと』を知った双葉さんだったが、そこへ刃物を持った強盗が侵入。格闘の末にその強盗を撃退した結果、大きなショックに晒され続けた双葉さんが気を失ってしまった――。

 

 至さんと航さんが用意した言い訳は――かなり無理矢理だったけど、それなりに信憑性があった――ために、佐倉さんは気圧されながらも納得した。『強盗の出所に心当たりがある』とだけ言って、沈痛な面持ちで視線を逸らしたことが功を奏したのだろう。佐倉さんは『これくらいの事件をもみ消せる人間が相手』だと判断し、不快そうに眉を寄せていた。

 

 佐倉さんは双葉を自宅で休ませることにして、店を閉めるために部屋を出て行ってしまった。

 因みに、双葉さんの部屋に関しては、航さんが責任持って弁償することが正式に決まった。閑話休題。

 

 

『……なんつーか、すっげーモヤモヤしねぇ?』

 

『そうだね。双葉ちゃんの『改心』は成功したけど、“メジエド”はどうするんだろう……』

 

『――あ』

 

 

 急きょ作られた双葉さんの仮部屋で、僕たちが顔を見合わせたときだった。双葉さんが突如、目を覚ましたのである。

 

 

『“メジエド”……疲れた。ちょっと、寝る』

 

 

 だが、すぐに眠ってしまった。どうやら双葉さんは、失った体力を回復させるまで、ずっと眠り続けるつもりらしい。こうなってしまうと、僕らはもう何もできないだろう。体力を使い果たしてバテている人間に鞭を打つ真似はできなかった。

 “メジエド”対策の鍵となるのが佐倉双葉さんだというのは分かっていたし、彼女が類稀な才能を有するハッカーだというのも知っている。今から別なハッカーを探すにも――風花さんに協力を依頼したとして、“メジエド”のXデーまでに間に合うか否か。僕らにできることは、双葉さんが回復するのを待つのみである。

 

 

「吾郎くん、どうかしたかい? さっきから難しい顔をしているみたいだけど」

 

「……“メジエド”からXデーに関する予告を受けたにもかかわらず、怪盗団からの反応がない理由を考えていたところですよ」

 

 

 獅童智明の問いに、俺は内心親指を下に向けながら――けれど表面上は綺麗な笑みを湛えて答えておいた。

 

 双葉さんが寝たり起きたりを繰り返して数日後の夜、俺は獅童親子の会食に呼び出されたのだ。奴らが俺に求めているのは、俺が懐柔した(と向うは思いこんでいる)怪盗団関係者から引き出した情報だ。

 獅童はガセネタや噂程度の些細な情報でも、根こそぎ欲しがっている。僅かな情報から相手を失脚させる糸口を探し出し、そこからとんとん拍子に“上げて落とす”戦術を練り上げてしまうのだから恐ろしい男だ。

 一応、怪盗団側の情報をどこまで開示するかは仲間たちと相談しているが、相手は各方面に対してコネと権力を有する次期総理大臣候補さまである。現職の国会議員さまである。一分の油断すら許されない。

 

 つい先日出演したテレビ討論で、智明は『怪盗団は成す術がないから動けない』と分析していた。

 番組内では奴に同調していた俺だが、内心は「人事を尽くして天命を待ってるんだけどな」と苦笑していたりする。

 

 

「そういえば、怪盗団の関係者は、怪盗団の動きをどのように判断しているのかな?」

 

「反対派が『動けない』と分析するなら、賛成派は『まだ動いていない』と思っているようです。『これから大きいことをするため、下準備をしているんだ』と」

 

「へぇ。興味深いね」

 

 

 相変わらず、獅童智明の顔は()()()()()()。普通に笑っていることは分かるのだが、それだけだ。腹の探り合いでは、互いにイーブンが続いているように思う。

 

 

「怪盗団のシンパは、何を以てして『怪盗団は下準備をしている』と判断したんだろうね? 気にならない? 父さん」

 

「確かに。一応ではあるが、私も気に留めてはいるな。世論の数割近くが怪盗団に踊らされている……実に嘆かわしいことだ」

 

 

 「これだから民衆は私が導かなくてはならないのだよ」――獅童はそう締めくくりながら、高級和牛のステーキを口に運んだ。コイツに日本を先導させたら、“八十稲羽連続殺人事件の犯人が「これだから世の中クソなんだよォ!」と吼えてマガツイザナギを嗾けそう”な地獄ができあがるだろう。多分、俺も一緒に加勢すると思う。

 僕は笑顔を張り付けてゴマ擂りつつ、ソテーされたフォアグラを口に運ぶ。超高級レストランの料理は文句なしに美味いが、獅童親子と一緒に食事をしているせいか、なんとなく粘つくような濃い味だと感じてしまうのだ。やはり、この親子と一緒にいることはそれ相応のストレスを感じさせるらしい。……決して表には出さないけれど。

 この調子だと、ルブランの閉店時間までに黎の顔を見に行くことは難しそうだ。トイレに立つふりをしてメッセージを入れておこうか。俺は内心悪態をつきながら、マスカットジュースを煽った。普段スーパーで買うものと違い、爽やかな香りと程よい味わいである。所持金に余裕ができたら、黎と一緒に来たいものだ。

 

 俺が獅童親子と適度に談笑していたとき、神取――本人は頑なに神条を名乗っている――がやって来た。

 奴は獅童に何かを耳打ちする。獅童は大仰に頷き、立ち上がった。そうして、智明に申し訳なさそうな顔をする。

 

 

「すまない、急用が入ってしまった。支払いは私がやっておく」

 

「分かった。いってらっしゃい、父さん」

 

「ああ、行ってくる。――明智、智明を頼むぞ」

 

 

 獅童は智明に対しては優しく目を細めるのに、俺に対しては冷ややかな目をするのだ。……俺も智明と同じ、アンタの子どもなのに。

 

 

「神条。お前はここに残れ、いいな?」

 

「畏まりました。仰せの通りに」

 

 

 神取は獅童に一礼した。何の目的があるかは知らないが、奴は神取に俺と智明の様子を見守らせるつもりらしい。過保護なことだ、と、俺は内心舌打ちしていた。やり手の政治家からは想像できない子煩悩ぶりである。

 獅童の背中はあっという間に見えなくなった。神取は相変らずサングラスを外さない――正確にいうと外せない理由がある。奴の目は眼球がないからだ――ので表情変化は分かり辛い。ただ、緩んだ口元と纏う雰囲気からして、神取は笑っているのだと察することができた。

 

 途端に、智明は拗ねるような顔で神取を睨んだ。顔つきは相変らず()()()()()()が、分かる。

 奴の様は“お気に入りの玩具が動作不良を起こして不貞腐れている”ように思えた。

 ……「神取自身がニャルラトホテプの玩具だ」と言ってしまえばそれまでなのだが。

 

 

「神条さん。この前俺が頼んでおいた()()、途中ですっぽかして帰ったよね? なんでなの? 酷くない?」

 

「すっぽかした? 心外だな、智明くん。私は()()()()()()()()()()()よ」

 

 

 奴の口調は妙に子どもっぽい。神取は畏まった態度を崩すことなく、粛々と答える。――奴らの関係性を知っている俺には、2人がパレス内で暴れたことを指し示しているように聞こえた。俺は2人の会話に耳を傾ける。

 

 

「立場的に、神条さんは俺の部下でしょう? 貴方も父さんの部下なんだから」

 

「確かに私の上司は獅童先生だ。だが、いくら獅童先生の息子だからと言えども、獅童先生の部下たち全員がキミの意見に従う訳ではないだろう? それに、キミには()()()()()()()()()()()()()権限は有していないはずだ」

 

「……ああ言えばこう言うんだね。本当に、神条さんは度し難いよ。――()()()()()()()()()()()()()()()()()な」

 

「ふむ、()()()()()()()()()()()

 

 

 2人の会話を聞く限り、『廃人化』実行犯の関係性が掴めてきたように思う。

 

 神取は()()()()()()()()()()()()()というスタンスを崩さないようだった。おそらく、奴を『駒』にしているニャルラトホテプの方針が反映されているのだろう。

 対して、智明は神取を()()()()()()()()()()()()()()様子だ。だから神取は自分の言うことを聞くと思っているし、()()()()()()()()()()と考えている。

 双方の微妙な認識のずれ――神取が道化のような真似事をしている理由には、この会話が関わっているのではないか。そうしてそれが、智明を追いつめる一手に繋がるのでは――僕はそんなことを考えながら、残りの料理にフォークを伸ばした。

 

 




双葉パレスボス戦。魔改造明智が何かするより、魔改造明智の保護者=初代主人公の空本航と双葉のコンビが結びついたり、保護者である空本至に不穏な気配が漂っていたりするシーンが中心となっていたように思います。
魔改造明智は智明と神取の関係性に着目した模様。双方の認識のずれが突破口になりそうだと察した魔改造明智ですが、言葉に秘められた真実を掴むには至っておりません。本当の意味での智明と神取の関係性が明かされるまで、もう少々お待ちください。
正直、祐介と双葉のどちらに“ノモラタカノママ”ネタを絡ませようかなと悩んでいました。直接セベク関係と絡ませられそうなのは若葉さんだったので、“ノモラタカノママ”は双葉パレス編に組み込まれることになったという裏話があります。
双葉のお部屋が大変なことになったようですが、佐倉さんも大変な目にあった模様。おそらく、下手人の関係者から連想すると、もう少し違う方面で大変な目にあいそうです。それは次回以降に組み込む予定です。


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俺とみんなの夏休み

【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 @空本(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄で明智の保護者その1。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
 @獅童(しどう) 智明(ともあき)⇒獅童の息子であり明智の異母兄弟だが、何かおかしい。獅童の懐刀的存在で『廃人化』専門のヒットマンと推測される。詳しくは中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『運命を切り開くだけの簡単なお仕事』および『ペルソナ3異聞録-.future-』、Pixivの『2周目明智吾郎の災難』および『【一発ネタ】有栖川黎の幼馴染』の設定を下地にし、別方向へ発展させた作品である。
・ジョーカーのみ先天性TS。
 ジョーカー(TS):有栖川(ありすがわ) (れい)⇒御影町にある旧家の跡取り娘。旧家制度は形骸化しているが、地元の名士として有名。身長163cm。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空本(そらもと) (わたる)⇒明智の保護者2で、南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。
・敵陣営に登場人物追加。
 @神取鷹久⇒女神異聞録ペルソナ、ペルソナ2罰に登場した敵ペルソナ使い。御影町で発生した“セベク・スキャンダル”で航たちに敗北して死亡後、珠閒瑠市で生き返り、須藤竜蔵の部下として舞耶たちと敵対するが敗北。崩壊する海底洞窟に残り、死亡した。ニャラルトホテプの『駒』として魅入られているため眼球がない。この作品では獅童正義および獅童智明陣営として参戦。
・「2罰ボスの外見を見た人間の反応」に関するねつ造設定がある。
・普遍的無意識とP5ラスボスの間にねつ造設定がある。
・R-15程度の下品な会話がある。
・直接的ではないにしても、ショッキングなシーンを彷彿とさせるような発言がある(一例:動物の死骸)。


 双葉さんの回復を待つ傍ら、僕たちは思い思いの夏休みを謳歌していた。但し、僕の場合は“夏休みの学生=1日中休み=使えそうな労働力”なんて三段論法で引きずり回されそうになるので大変だった。気を抜くとすぐに、冴さんや獅童たちから招集(ヘルプ)コールが飛んでくるのだ。

 特に後者は、メディア出演や取材もガンガン突っ込もうとするから厄介だ。僕だって人間である。ゆっくり体を休めたり、友達と遊んだり、好きな人とデートしたりしたい。そのことをオブラートに包んで主張した結果、冴さんと獅童から『所詮はお気楽な学生風情が』等と冷ややかな眼差しを向けられた。その代わり、時間を融通してもらえたのでよしとする。

 今回の一件で獅童が僕を切り捨てなかったのは、智明が『俺も彼の気持ちは分かるよ』等とフォローを入れたためらしい。不快そうにこちらを一瞥した獅童本人がペラペラしゃべってくれた。去り際に『智明に感謝して励め』と言い残していくあたり、親馬鹿を奇妙な方向に拗らせている。シュールな絵面であった。

 

 話は変わるが、佐倉家の双葉さんの部屋は南条コンツェルン関係企業による修繕が行われた。費用の大半が航さん持ちだが、直属上司の南条さんも佐倉さんに謝罪の意を示したという。結果、佐倉さんと双葉さんは、十数日間程、南条コンツェルン関連ホテルのスイートルームで生活することになったらしい。

 

 そんな話題を耳にしてから数日後、僕は獅童親子との会食に呼び出された。何の因果か、会場は佐倉一家が仮住まいとしているホテル。

 最初のうちは“こんなこともあるんだな”と軽く考えていたが、後々になって、その認識が甘かったことに気づくこととなった。

 

 

『…………』

 

『…………』

 

 

 会食を終えて去って行こうとした獅童と、ルブランを店じまいして仮住まい(ホテル)に戻って来た佐倉さんが鉢合わせた。――それだけなら、特に何も問題なかったはずだった。鉢合わせた両者が、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 派手な睨み合いで火花を飛ばしていた佐倉さんと獅童だったが、最終的には“獅童が佐倉さんを無視して去っていった”ことで事態は決着した。その後ろを智明が追いかけていく。僕は笑顔を張り付けたまま、獅童親子の背中を見送った。対して、佐倉さんは敵意を露わにしていたが。

 

 獅童たちを乗せたリムジンが走り去るのを見送り、僕も黎に会いに行こうと思ったとき、佐倉さんに腕を掴まれた。彼の目は、どこまでも鋭い。

 

 

『――お前さん、どうして獅童なんかとつるんでんだ?』

 

 

 普段よりも一段階低い声で、佐倉さんは俺に問うてきた。その様は、“黎や双葉さんに害意を成す存在”を阻まんとしているように見える。

 多分、僕が思っている以上に、黎は佐倉さんと打ち解けたのだろう。今この瞬間、佐倉さんが“自ら黎を守ろう”と行動を起こす程に。

 佐倉さんが“獅童とつるむ明智吾郎”に危機感を覚えたのは、先程佐倉さんと獅童が睨み合いを繰り広げたところに意味がありそうだ。

 

 

『佐倉さんこそ、獅童正義――……っ、獅童先生とはお知り合いなんですか?』

 

『……昔、色々あってな』

 

 

 うっかり獅童のことをフルネームで呼び捨ててしまいそうになった。そんな僕の態度に訝し気に眉をひそめた佐倉さんは、絞り出すような声色で答える。

 漠然とした答えだが、佐倉さんの態度からして“獅童と関係があった”ことは確かだ。それも、“真っ向な敵対関係”に近しいものである。

 

 

『俺のことはいい。ともかく、だ。……お前さんにどんな思惑があるかは知らないが、悪いことは言わん。奴とは手を切れ、今すぐに』

 

『ご忠告、痛み入ります。僕を心配してくれるのは嬉しいですが、それはできません』

 

『年寄りの忠告には素直に従っとくべきだ。お前さんが太刀打ちできるような相手じゃないし、腰巾着になろうってんなら論外だ。下手したら、黎のヤツが泣くぞ?』

 

『僕は獅童から手を引くわけにはいかないんです。()()()()()()

 

 

 僕は佐倉さんの忠告に逆らった。どさくさに紛れて、獅童のことも呼び捨てにした。他者からの善を踏み躙るというのは申し訳ないが、僕にだって引けない理由がある。今度は僕と佐倉さんが無言の睨み合いを繰り広げることとなった。互いに譲れないものがあるからこそ、派手に火花を散らす。

 

 先に視線を逸らしたのは佐倉さんだった。彼は大きくため息をつき、ばりばりと頭を掻く。『若さってのは、怖いモンだ』と呟いて、僕を見返す。

 彼の眼差しは“僕に誰かの面影を重ねている”かのように感じた。複雑そうに彷徨う瞳は、今ここにいる僕ではなく、昔どこかで見た誰かを映しているのだろう。

 もう二度と帰ることのできない過去に想いを馳せているのだろうか? 真偽は不明だし、たとえ佐倉さんに問うても答えてくれないだろう。そんな予感がした。

 

 結局、佐倉さんはそれ以上何も言わずに立ち去った。僕も、特に意見することなく彼の背中を見送る。

 その日はルブランに行くことは叶わなかったので、自宅へ直帰してSNSでチャットをしていた。

 

 

吾郎:佐倉さんが泊まっているホテルで獅童と会食してたら、佐倉さんと獅童が鉢合わせた。

 

黎:吾郎がこんなメッセージを送って来たってことは、惣治郎さんが獅童に反応したってこと?

 

吾郎:激しく睨み合って火花を散らしてたよ。険悪な関係みたいだった。過去に何かあったことは明白だね。

 

黎:惣治郎さんの過去、か。それに関係する話を聞かせてもらったことはなかったな。

 

吾郎:あと、佐倉さんが俺に警告してきた。『獅童とつるむのはやめろ』って。

 

黎:情報ありがとう。機会があったら、惣治郎さんに獅童との関係を訊いてみるよ。

 

吾郎:かなりデリケートな話みたいだから、直接訊ねても答えてくれそうにないみたいだ。訊くときは注意した方がいいかもしれない。

 

黎:分かった。重ね重ねありがとう、吾郎。

 

吾郎:どういたしまして。少しでも役に立ったなら何よりだよ。

 

 

 黎のメッセージに返信した後、僕はふと思い至った。

 

 鞄をひっくり返して確認すれば、果たして思った通りの“ブツ”が――獅童の関係者から報酬で貰ったプラネタリウムのチケットが出てくる。お誂え向きとばかりにペア券だ。使用期限も近い。

 以前、冬休みに八十稲羽へ遊びに行った際、八十稲羽を一望できる展望台で夜空と街並みを見ていたことを思い出す。田舎町故に電気が少なく空気が澄み切っていたから、星空がとても綺麗だった。

 御影町も田舎の方ではあるけれど、八十稲羽程の広大な自然は残っていない。滅多にお目にかかれない満天の星空を見上げた黎が、目を輝かせながら、嬉しそうに表情を綻ばせていたことを覚えている。

 

 ……そんな僕は、星空よりも黎の笑顔ばかり見ていたけど。

 当時のことを思い出した僕は、チャットにメッセージを書き込む。

 

 

吾郎:プラネタリウムのチケットを貰ったんだ。明日、一緒に見に行かない?

 

黎:いいね、楽しそう。是非行こう。プラネタリウムとだけ言わず、色々な所に。

 

吾郎:分かった。明日、ルブランに迎えに行くよ。

 

黎:待ってる。デートなんて久しぶりだね。

 

吾郎:そうだね。何度も顔を合わせてるけど、怪盗団の面々抜きで遊びに行くのは久しぶりだ。

 

黎:1日中吾郎と一緒に過ごすのも久しぶりだと思う。

 

吾郎:確かに。明日が楽しみだ。

 

黎:私も。それじゃあ吾郎、お休みなさい。

 

吾郎:お休み、黎。

 

 

「っし!!」

 

「何してるんだ吾郎? お嬢からデートのお誘いでもされたのか?」

 

「待って航さん。色々言いたいことはあるけど、1つだけ。――何で俺が誘われる前提なんだよ!?」

 

「いや、お嬢だったら吾郎をエスコートするだろうから」

 

「男の矜持をへし折るようなこと言うな!」

 

 

 勢い余ってガッツポーズを取った瞬間、航さんが予備動作無しで部屋の扉を開けた。何度もやられているけど、いきなり部屋に踏み込まれるのにはやはり慣れない。

 しかも、航さんはさも当然のように“黎が俺をデートに誘い、エスコートする”と思っているようだ。完璧主義者を自負する俺にはゆゆしき言葉である。

 「あれ? 違うの?」と首を傾げる航さんを至さんに押し付けた俺は、持ち前の負けず嫌いを発揮して、航さんの言葉を覆すための算段を立てたのであった。

 

 

***

 

 

 当日はプラネタリウムを見たり、有名なクレープ店で手作りクレープに舌鼓を打ったり、大通りで買い物もしたり、公園を当てもなく散歩してみたり――とにかく、東京中の遊び場を網羅する勢いで遊び倒した。

 甘いものを好む黎が幸せそうに『甘くて美味しい……』と食べ進める姿を見てほっこりしたり、プレゼントとしてシックな革紐のストラップを貰ったり、とりとめのない雑談をしたりする時間は、俺にとっても至福のひと時だった。

 

 ……“黎をエスコートできたのか”って? 全部黎にエスコートしてもらったよ畜生!!

 

 なんで俺の恋人は漢前なんだろう。俺をエスコートしているのは、黒いキャミソールを着て、フェミニンな白いプリーツスカートを穿いている女の子なのに。

 メディア露出をするようになってからよく言われるのだが、俺は俗にいう“美少女顔”をしているとのことだ。自他ともに母似であることは認めるが、釈然としない。

 

 

◇◇◇

 

 

 佐倉さんと獅童が睨み合いを繰り広げてから更に日々は過ぎて、佐倉さんと双葉も佐倉家へ戻った頃。

 

 8月になり、夏休みも中盤に突入。三島からの依頼や黎の協力者から依頼を受けてメメントスに潜ってターゲットを『改心』させたり、宿題に精を出したり、怪盗団の仲間と交流してみたりした。

 怪盗団の面々と交流、と言っても、普段から顔を合わせているから今更かもしれない。だが、日がな一日中“休み”であるが故に、やり取りが普段よりも濃密になることは当然のことだった。

 

 例えば――

 

 

『助けてくれ吾郎! もやしを買う金もなければ、近所に生えていた食べられる雑草すら取り尽してしまったんだ!!』

 

『はぁ!? お前、何をどうすればそんなことになるんだよ!?』

 

『俺が順平さんとチドリさんに贈るための絵を描き始めたのは知ってるだろう? その絵に、どうしても使いたかった珍しい画材が入荷していたから、つい……』

 

 

 収入に見合わない買い物をして金欠に陥った祐介が、今にも死にそうな顔をして僕の家に駆け込んできた。要するに、食事をたかりに来たのである。

 祐介は何かある度に、僕の家を訪ねてくるようになった。以前奴を家に泊めたとき、至さんが振る舞った和食をいたく気に入ったためだろう。

 至さんは祐介が夕食を食べに来ても文句は言わない。むしろ、『吾郎の友達がやって来たから、美味しいご飯でおもてなししよう!』と張り切るタイプだった。

 

 でも、夏休みに突入して以後、その頻度が無駄に増えたように感じる。1週間に1回くらいだったらギリギリ許容できるかもしれないが、数日に1回となると流石に我が家のエンゲル係数が飛躍的に上昇してしまう。いくら至さんや航さんが高給取りとはいえど、保護者に負担を強いるわけにはいかない。

 僕も一応、探偵業とメディア出演等のギャラはある。ただ、できれば『“いざというとき(一例:黎や保護者への贈り物)”のために備えておきたい』というのが僕の本音だ。黎や空本兄弟のために金を使うのは惜しくはないが、祐介のために使えるかと問われると、『優先順位は低い』と言わざるを得なかった。

 

 僕が渋っているのを確認した祐介は、『そうか……ダメか……』と、沈痛そうな面持ちで俯いた。――そうやって、絶妙に、罪悪感を煽るのはやめてほしい。

 

 

『ならば、黎にカレーを作ってもらおう。実験台を募集してると言っていたし――』

 

『――分かった。今日は僕が奢る』

 

 

 奴が黎の名前を出した瞬間、僕は反射的にそう口走っていた。途端に救世主を目の当たりにした村人みたいな顔をして、祐介が表情を輝かせる。なるべくコイツを黎に近づけたくなかった。

 せめてもの嫌がらせとして有名なパンケーキ店に連れて行ったが、『和食が一番だが、食べられれば何でもいい』という思考回路の祐介にはご褒美でしかなかったことが悔しいところだ。本当に。

 

 他にも――

 

 

『吾郎! グラビアパーティやろうぜ!』

 

『みんなでコレクションを見せ合いっこしましょう!』

 

『鷹司くんの誕生日プレゼント選ばなきゃいけないから俺帰るわ』

 

『『いやいやいやいや!!』』

 

 

 いつぞやの“メイドルッキングパーティ”を彷彿とさせるようなやり取りを思い出しながら、俺は竜司と三島に背を向けた。緊急案件と銘打たれて呼び出されたのにこの有様では、呼び出しに応じた意味がない。鷹司くんの誕生日プレゼントを引き合いに出したが、正直、本当は既に準備済みなのだ。

 

 しかし、結局俺は奴らに引きずられて、前回の“メイドルッキングパーティ”会場に連れてこられた。

 2人が嬉々として秘蔵のコレクションを披露する中、俺はもう帰りたくて帰りたくてしょうがなかったのだ。

 

 

『正直、恋人がいるのに赤の他人をオカズにしなきゃいけない理由がよく分からない』

 

『あーくそ、余裕ですね! 吾郎先輩、恋人持ちだからって偉そうに!』

 

『本当に歪みねえな! けど俺たち、童貞仲間じゃ――……って、ハッ!? まさか吾郎、裏切り者なのか!? 非童貞なのか!?』

 

『ええッ!? もう既に初体験経験済み!? どどど、どんな感じなんですかッ!?』

 

『喧しいわァ! 清く正しいおつき合い舐めんなよ!!』

 

 

 童貞だの初体験だのと騒ぎ始めた三島と竜司を、奴らが持って来たグラビアポスターを丸めた筒で勢いよくはたく。

 苦悶の声を上げた2人は、悶絶しながらも意外そうな顔で俺を見上げていた。……そんなにおかしいか。

 2人の様に、能天気に夢を見ていられるような性格だったら、大人の階段をもっと楽に登れたのかもしれない。

 

 『吾郎には男の浪漫が分からない』とブーイングをしてきた竜司と三島だけれど、恋人持ちのくせに赤の他人をオカズにするというのは不誠実ではないだろうか。

 実際、俺はその“不誠実な男の身勝手”によって生まれ落ちた命である。――だから、だろう。女を食い物にする男にはどうしても嫌悪感を抱くし、逆も然りだ。

 

 他者への嫌悪だけだったらまだマシだったのかもしれない。俺の場合は、“自分が奴らと同じものに成り下がるのではないかという恐怖”や“自分自身に対する嫌悪”としても纏わりついているため、先に進むためには人一倍の覚悟――主に精神方面――が必要なのだ。何で俺の人生こんなにハードモードなんだろう。好きな人と普通に触れ合いたいだけなのに。

 

 

『鴨志田や俺の母を捨てたクソ野郎と同じ轍を踏むくらいなら、今すぐ“黎に冤罪を着せた黒幕”と一緒に心中する』

 

『うわあああ!? 吾郎先輩が壊れたぁぁぁ!!』

 

『やめろォ! そんなことしたら黎が泣くぞ、考え直せ! 俺たちが悪かったから!!』

 

 

 そこから30分ほど記憶が曖昧なのだが、俺を諌めていた竜司と三島曰く『目が死んでたけど本気(マジ)だった。あんな悲壮感溢れる目を見たのは初めてだった』と、げっそりした顔で呟いていた。竜司と三島は俺に深々と謝ってくれたけど、俺も謝り返した。

 結局グラビアパーティは俺の不調(?)によってお開きとなり、代わりに3人で街に繰り出した。お礼とお詫びに何か奢ると提案したら、竜司が『至さんのご飯が食べたい』と主張し三島が乗っかったため、その日我が家の夕食にはフレンチフルコースがお目見えした。至さんは凄い。

 

 因みに、竜司は鷹司くんのプレゼントに水筒を購入したそうだ。しかもその水筒、魔法瓶メーカーが開発した保温と保冷性に優れた逸品である。

 体を鍛えるついでに短期アルバイト(肉体労働系)にも挑戦したようで、『それなりに筋肉がついたかもしれない』と嬉しそうに主張していた。

 鷹司くんは兄貴分のプレゼントを大いに喜んだ。玲司さんからは運動靴を貰い、織江さんからはケーキを作ってもらったそうだ。

 

 僕が贈ったのは遊園地の家族用フリーパスだ。無期限で、玲司さんが『近々休みを取る』と言っていたことも加味した結果である。物を貰うことも嬉しいけれど、僕の場合、大事な人と一緒に過ごす時間はかけがえのないものだと思っている。だから、城戸一家の家族団欒を彩れたらいいと考えて選んだのだ。

 

 互いが何を思ってプレゼントを選んだのかを話した結果、竜司が『吾郎はモノより思い出派なんだな……』と目から鱗をされたのにはちょっと笑った。

 竜司の場合、『スポーツをする際の利便性――主に水分補給に関してのことを考えて水筒を選んだ』らしい。鷹司くんは運動――特に走るのが大好きだから、お誂え向きだとは思う。

 

 それから――

 

 

『この前、達哉さんからバイクツーリングに誘われたから出かけてきたの。あの人、バイク乗りだけじゃなく、バイクチューニングの才能も凄いのね』

 

 

 真はこの夏休みの間に、珠閒瑠市や巌戸台、八十稲羽に足を運んで警察官組と交流を続けていた。東京から近い順に街を並べると、最寄りが巌戸台、珠閒瑠市、御影町、一番遠いのが八十稲羽の順になる。

 ペルソナ使いの先輩であり現職警察官である周防兄弟や真田さん、ペルソナ使いの先輩にして同じ警察志望者である千枝さんだけでなく、最近は黎とも交流をしていた。彼女たちとの交流を得て、真も色々思うところがあるらしい。

 

 嘗て、共に駆け抜けた先輩が褒められているというのはとても嬉しいことだ。俺は真の感嘆に頷き返す。

 

 

『達哉さん、『自分でバイクをチューニングしたい』って理由で整備士の免許取ったんだよ。それも、一流の整備士として充分食べて行ける程の才能と腕前の持ち主だ』

 

『私も気になって訊いてみたの。『それ程までの腕を持ちながら、どうして整備士にならなかったんですか?』って。……そうしたら、『父さんと同じ刑事になりたかったから』って教えてくれたのよ』

 

 

 周防兄弟の父親の話は、珠閒瑠市の戦いで耳にしている。須藤竜也が起こした放火事件を追っていた周防兄弟の父は、須藤竜蔵の圧力と同僚の裏切りによって汚職事件をでっちあげられ職を追われてしまう。本来なら反抗することもできたのだが、家族の命を盾に取られて辞めざるを得なかった。

 元々は菓子職人を夢見ていた克哉さんは父親の無実を晴らすために警察官となった。達哉さんは克哉さんと折り合いがつかなくなってグレてしまい、七姉妹学園高校随一の不良になってしまう。その後、彼に“滅びの世界からやって来た”達哉さんが憑依し、彼の身体は珠閒瑠市を駆け抜けることとなる。

 あの戦いのことを、達哉さんはよく覚えていない。同一人物と言えど、赤の他人に体を操作されていた状態なのだから仕方がないだろう。だが、あの旅路で得た答えはきちんと残っていたらしく、彼は突然真面目に勉強を始めて公務員試験を突破し、兄と同じ警察官――刑事になった。

 

 真の父親も刑事で、数年前に亡くなっている。彼女もまた、父親と同じ警察官を目指している人間だ。故に、共感できる部分があるのだろう。

 他にも、弟妹繋がりという共通点もあるからか、自分の姉兄のことで盛り上がったらしい。……大半が愚痴だらけだったのだが。

 

 

『克哉さん、今でも“達哉貯金”なるものをやっているみたい。自分が成人した後も、結婚した後も、ずーっと続けているみたいだから困ってるって』

 

『周防刑事、まだあの貯金続けてたんだ……』

 

 

 克哉さんは筋金入りのブラコンだった――そこまで考えて、僕はふと、思ったことを口に出す。

 

 

『冴さんと周防刑事、絶対似たようなタイプだよね』

 

『吾郎?』

 

『“真貯金”――』

 

『待って! 本当にやめて! 今、“吾郎が思い浮かべた新島冴(お姉ちゃん)像”を口に出されたら耐えられない!!』

 

 

 克哉さんと冴さんがビシガシグッグと拳や手を突き合わせ、親指を立てて笑い合う図が脳裏に浮かんで離れない。僕がそんな光景を思い浮かべていることを察して、真が顔を真っ赤にしておろおろと狼狽える。

 最も、僕が頭の中で思い浮かべた光景が現実になるためには、冴さんの精神暴走状態を解かなければならないだろう。近々、獅童の『駒』の手に墜ちた冴さんをどうにかする算段も立てなくてはなるまい。

 

 更に――

 

 

『ねえ、吾郎。航さんっていつも()()なの?』

 

『何が?』

 

『麻希さんと英理子さんのこと』

 

 

 杏がげんなりした表情でため息をついた。彼女が言いたいことを何となく察した俺も天を仰ぐ。

 

 航さんは未だに、あの2人と三角関係状態になっているらしい。学生時代からずっと変わらない、絶妙な関係――主に、航さんが園村さんや桐島さんの好意を完全スルーしている――を、杏は目の当たりにしてきたのだろう。朴念仁のくせに女を口説くのは無意識なところが、航さんの悪いところだ。

 聖エルミン学園高校を卒業後、桐島さんはモデル、園村さんはセラピストの道へと進んだ。桐島さんはポニーテールの髪をバッサリと切り、ショートボブの髪型に変えている。恋愛絡みだろうと言われているが、本人がノーコメントなので、僕の方からも不用意な発言は控えるとしよう。閑話休題。

 桐島さんも園村さんも、学生時代から今に至るまで、航さんへの想いを告白していない。……いや、告白はしているんだけれど、至さんがそれを“異性からの愛の告白”と認識していないのだ。彼女たちの発言やアピールは、すべて『Love』ではなく『Like』に変換される。

 

 長い間朴念仁に振り回されている彼女たちが諦められないのは、航さんが無意識に餌をやっている――脈ありらしき言動をする――ためだ。

 魚を釣る気がないのに定期的に餌をばら撒いているため、魚の方から集われるような男――それが、空本航である。

 

 

『桐島さんと一緒の撮影現場で、園村さんと航さんがブッキングでもしたんだね?』

 

『至さんもいた』

 

『ああ……』

 

 

 桐島さんと園村さんに肩を掴まれ、『自分の味方になれ(要約)』と脅されている至さんの姿がハッキリと浮かんできて、俺は目頭を押さえながら首を振った。

 航さんが巻き起こす恋愛関連の問題は、いつも至さんが尻拭いをする羽目になる。フィレモンの化身として理不尽な目に合っているのに、もうこれ以上酷い目にあわないでほしい。

 ……多分、俺の願いも簡単に無視されてしまうのだろう。『神』の類はそういうモンだ。ペルソナ使いとしての実力を磨いたら、いつかフィレモンを殴りに行きたい。

 

 

『なんか、黎の親戚って、魔性が多そうなイメージがあるんだけど』

 

『……どうして、そう思った?』

 

『“他者の懐に入るのがうまい”っていうか、“人の心にきちんと寄り添ってくれる”っていうか……見守ってくれる感じがする』

 

『――“この人は絶対、自分を見捨てないで助けてくれる”?』

 

『そう、それ! だからみんな、“この人について行こう”って、“この人のために頑張りたい”って思うんだよ。それが、いつの間にか恋愛に発展していくこともあるのかもね』

 

 

 俺の指摘に対し、杏は納得したように手を叩いた。俺も否定することなく頷く。

 

 実際、黎の親戚――至さんと航さん、舞耶さん、命さん、真実さんには人を引っ張る、あるいは人を惹きつける不思議な魅力があった。気が付くと、チームの求心力になっていたことも1度や2度ではない。彼や彼女たちが中心となってペルソナ使いたちをまとめ上げ、様々な怪異を解決してきたのだ。

 確かに『神』の作為があったといえども、世界を救った人々を指揮していた才能と実力は本人のものである。有栖川黎という少女もまた、空本至、空本航、周防舞耶(旧姓:天野舞耶)、荒垣命(旧姓:香月命)、出雲真実の想いを受け継いで、ここに立っているのだ。その強さと在り方は、いつ見ても眩しい。

 

 彼や彼女に惹かれている人間は沢山いる。支えられた人間も、救われた人間も、想いを寄せる人間も沢山いた。コミュニティは多種多様に渡っている。

 きっと、黎に想いを寄せる人間はどこかにいるのだろう。黎の協力者の中にだって、黎に想いを寄せたり、救われたり、黎を慕ったりしている人物がいるのかもしれない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と思ったことは何度かあった。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()とも。

 

 ――それくらい、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

『吾郎は凄いよね。誰もが惹かれる、我らがリーダーの心を射止めたんだもん』

 

『杏……』

 

『だから絶対、黎を悲しませるような真似しないで。――あの子を泣かせたら、絶対承知しないから』

 

『――分かった。肝に銘じておく』

 

 

 黎のことを大切に思っているという意味では、俺と杏は同志だ。

 握り拳を軽く打ち合いながら、俺は俺自身に誓いを立てた。

 

 

 ――そうして、来る8月21日。“メジエド”のXデー当日がやって来た。

 

 

「ねえ、〇〇銀行のATM止まったらしいわよ」

 

「日本の株価が下落し始めてるんだって」

 

「怪盗団、全然反応してないよ?」

 

「やっぱり、怪盗団にはサイバーテロ集団なんて止められなかったのか……」

 

「なんで怪盗団のせいで私たちが被害を受けなきゃいけないのよ!」

 

「明智くんの言う通りだったね。やっぱり、明智くんが正義だったんだよ」

 

 

 人々は好き勝手に噂を繰り広げている。特に、ついさっき僕とすれ違った女子高生は僕を讃えている様子だった。僕自身の立場が立場なので、彼女の言葉が滑稽に思えた。

 件の女子高生――名探偵・明智吾郎のファンを自負する連中も、好き勝手に噂を繰り広げる民衆たちも、誰1人として“僕が怪盗団のメンバーである”ことに気づいていない。

 それに、『銀行のATMが止まった』というのはガセだし、日本の株価が急落したのは“メジエド”の影響を恐れた資本家たちがバタバタしていたのが原因だろう。

 

 民衆はみな、自分で自分の不安を煽っているのだ。その不安を他者に伝染させることで、更に自分たちを不安に追い込んでいる。齎された情報が真実か否かを調べようともせずに、だ。堂々巡りと言う言葉がぴったりである。

 獅童が常々語る“愚かな民衆たち”という言葉がすとんと落ちてきて――それを、躊躇うことも違和感を抱くこともなく、すんなりと受け取ってしまった己自身に寒気を覚えた。自分の中に流れる血筋が悍ましいものなのだと再確認させられた。

 

 僕がそんなことを考えていたとき、花屋が目に入った。白い花を見て、僕は思い出す。

 

 

(そういえば、今日は一色さんの命日だっけ)

 

 

 航さんが研究から帰ってきてすぐ、徹夜明けでズタボロの身体を引きずってどこかへ出かけてしまっていたことを思い出す。最近は夏休みであるという前提の元、テレビ出演や取材の依頼、“メジエド”の件でバタバタしていたから、日付の感覚がおかしくなっていたのである。

 警察や検察庁も“メジエド”のテロを警戒していた。一介の高校生探偵であり、サイバー犯罪の知識は専門職以下である僕になど、お鉢は回ってこない。精々テレビや取材でのコメンテーターくらいしかできることはないだろう。今日の仕事は、そっちが中心であった。

 

 テレビ番組収録が終わり、僕はトイレに駆け込んだ。

 個室に立てこもるような形でSNSをチェックする。

 見ると、黎からメッセージが入っていた。

 

 

“双葉さんが意識を取り戻した”

 

“彼女は約束通り、“メジエド”を何とかしてくれるらしい”

 

“丁度そのタイミングで、風花さんも合流した”

 

“A時B分:ハッキング&クラッキング開始”

 

“C時D分:継続中”

 

“E時F分:継続中”

 

“G時H分:継続中。暇なので、双葉さんの部屋掃除を開始”

 

“I時J分:継続中。双葉さんの部屋掃除完了”

 

“K時N分:継続中。暇なので、アレンジコーヒーを作る”

 

 

 ずらりと並んだSNSのメッセージに、僕は目を丸くした。現在時刻はK時N分の15分過ぎ――もうすぐ夜の時間帯。僕が今出演していたニュースは生放送である。

 

 “メジエド”関連の生放送番組で僕が出演する番組は、先程のニュースで最後であった。今から駅に向かって電車に飛び乗り、自宅ではなく四軒茶屋に向かえば、黎と顔を合わせることができるかもしれない。

 そうと決まれば迷う理由はなくなった。僕は大急ぎで四軒茶屋に向かう。四軒茶屋に到着したのと、僕のスマホがSNSの着信を告げたのはほぼ同時。メッセージの送り主は黎で、内容は簡潔に一言――“ハッキング終了。“メジエド”討伐完了”とだけ。

 

 今までのメッセージを総合すると、『双葉が風花さんと組んで“メジエド”を退治した』ということになる。具体的に何をしたかを訪ねようとしたとき、更にメッセージが届いた。

 “双葉さんが再び眠ってしまったため、詳細を聞き出すこと叶わず。今日はルブランに帰還する”――僕の目的地は、佐倉家ではなくルブランに変更となった。

 現在時刻はルブラン閉店15分前。走ればぎりぎり駆け込める時間帯だろうが、一応、佐倉さんに連絡を取ってみることにする。程なくして、不愛想な返事が返って来た。

 

 

『お前さん、何の用だ』

 

「今からルブランに向かいます。そこで黎が来るまで待ちたいんですけど、大丈夫ですか?」

 

『構わんぞ。……そんな声で懇願してくるお前さんを追い返したと知れたら、アイツに恨まれるだろうからな』

 

 

 佐倉さんは呆れたような声でそう答えた。店主の許可を得たので、僕は礼を言って電話を切った。勢いそのまま駆け抜けて、ルブランの扉をくぐる。閉店3分前の駆け込み客――もとい、僕を見た佐倉さんは、特に文句を言うことなく店じまいの支度を整えていた。

 

 僕はカウンター席に座って時間を潰す。佐倉さんはカレーの仕込みを始めたようだ。程なくして黎が帰ってくる。彼女は僕を見て目を丸くしたが、嬉しそうに目を細めた。

 そんな僕らを見て、佐倉さんは何を思ったのだろう。「節度は保てよ」とだけ言い残し、煤けた顔をして去ってしまった。……どうやら、僕は釘を刺されたらしい。

 

 

「……そんなこと、注意されなくてもな。“悪い子”になる勇気なんてないのに」

 

 

 俺は自嘲する。俺にとって、有栖川黎は大切な女性(ひと)だ。そんな人を傷つけるような真似はしたくないし、実父と同じ轍は踏みたくない。

 奴と――獅童正義と同じ轍を踏むくらいなら、奴と一緒に心中した方がまだ有意義である。……黎に言ったら怒られそうなので言わないが。

 苦笑を浮かべる俺を見た黎は、どこか寂しそうに俯いた。けど、彼女はすぐ静かな面持ちで目を細める。俺の弱さを受け入れてくれたかのように。

 

 

「ねえ、吾郎。ココア飲んでく? この時間帯にコーヒーだと眠れなくなりそうだから」

 

「――うん。貰うよ」

 

 

 些細なやり取りに幸せを嚙みしめる。一緒にいられることに幸せを噛みしめる。

 どんな壁や困難も、彼女と手を取り合って立ち向かえることに幸せを噛みしめる。

 

 ――いつか、いつの日か、今以上に強固な繋がりを結ぶ日が来たらいい。……俺は、ひっそりとそんなことを思うのだ。

 

 

◇◇◇

 

 

 メジエドXデーを越えた8月22日。

 

 

「メジエドのHPが、何者かのハッキングを受けたらしい」

 

「ホームページには怪盗団のマークが表示され、日本人男性の個人情報が掲載されていたそうだ」

 

 

 検察庁は大騒ぎだった。勿論、僕も冴さんから呼び出しを受けた。

 冴さんはギリギリと歯を食いしばりながら、悔しさを口にする。

 

 

「どいつもこいつも私たちを無能呼ばわりし、民衆は怪盗団を義賊と讃える……! ああもう、どうしてうまくいかないのよ!?」

 

「……冴さん、一端落ち着いてください。でなきゃ、まともな議論もできませんよ」

 

 

 怒り狂う冴さんにコーヒーを渡すと、冴さんは少しだけ落ち着いたようだ。「ありがとう」と礼を述べ、渋い顔つきのままコーヒーを啜る。

 とりあえず、僕は『佐倉惣治郎には、被保護者である佐倉双葉に対する虐待の痕跡は一切なし(だから諦めてください)』という結果を記した書類を手渡す。

 

 

「……そうよね。あのマスターが、虐待なんてするわけがないわ」

 

「冴さん……?」

 

「幾ら情報が欲しいからと言っても、アレはやりすぎだわ。『違法捜査である』と検察庁宛にクレームが来てもおかしくない……」

 

 

 冴さんは僕の予想と反して、すんなり結果を受け入れていた。それだけではない。「切羽詰っているといえ、私は何をしているのかしら」と言って、自己嫌悪に陥っている。

 ……それもそうか。対象者を常に怒り狂わせていたら、流石に周囲の人々も違和感を抱くだろう。智明もそれを理解して、適度に人の精神を弄り回しているのかもしれない。

 その結果が、今の冴さん――自分の暴走に自己嫌悪する姿なのだろう。自分が迷走していることを自覚したが故に、彼女の心は余計に追い詰められているようだ。

 

 

(悪質なやり方だ)

 

 

 獅童智明の顔を思い浮かべる。()()()()()()()()()が、奴は涼しい顔をして笑っていた。

 自分を追いつめる存在を逆に利用し、追い詰めていく……なんて卑劣なやり方だ。僕は心の中で舌打ちする。

 

 ――ふと、僕の脳裏に思いついた単語があった。

 

 現在の冴さんは、比較的、正気に近い状態下にある。なら、もしかしたら。

 僕のイメージする周防刑事が、ワクワクした様子でこっちを見ている。

 

 

「“真貯金”」

 

 

 ――次の瞬間、冴さんが凄まじい勢いで首を動かした。

 

 真と同じ色彩の瞳が、「何故(赤の他人である)明智くんが知ってるの!?」と言いたげにこちらを映し出している。

 途端に、僕のイメージする周防刑事が拍手喝采した。彼は「分かる。分かるぞ新島検事!!」とうんうん頷く。

 

 

「…………明智くん」

 

「知り合いの人に、弟の名義で給料の一部を貯金している人がいるんです。この前まこ――新島さんと話したとき、丁度その人の話題になって。『冴さんも“真貯金”をやってそう』だなって盛り上がったんですよ。……まさか本当にやってるとは思いませんでしたけど」

 

 

 冴さんは目を丸くした。「その人とは分かり合えそうな気がするわ」と語った冴さんは、とても穏やかな表情を浮かべる。そんな横顔を見たのは久しぶりだった。

 獅童智明の介入を断ち切れば、冴さんも本来の気質を取り戻すだろう。だが、問題は、“冴さんのシャドウがどこにいるか”という点だ。

 大衆の牢獄メメントスか、僕らが『改心』させてきた大物――獅童関係者と同じパレスか。それだけで、冴さんを助け出す段取りは変わってくる。

 

 前者であれば、メメントスで冴さんのシャドウを探し出し、シャドウを撃破することで解放することができるだろう。しかし、後者になると難易度が上がる。冴さんのパレスの場所とキーワードを割り出さなくてはならないからだ。

 

 仕事が終わったら、スマホで冴さんの名前を入力してみようかと考えていたときだった。

 獅童から受け取った仕事用のスマホに着信が入る。僕は内心舌打ちしながら、冴さんに断りを入れて電話に出た。

 

 

「はい、もしもし」

 

『仕事だ。智明が、若者向けの怪盗団関連特番に出る。生放送だ。お前も来い』

 

「……分かりました」

 

 

 “怪盗団がメジエドを黙らせた”という大ニュースを、メディアが放置しておくはずがない。各局が怪盗団特集を始めるのも、怪盗団のライバルとして表舞台に立つ僕がメディアに吊るしあげられるのは当然のことだった。

 明智吾郎という高校生探偵は“怪盗団を敵対視する智明のシンパ”だ。おそらく、僕は智明共々、各方面から激しいバッシングを受けることだろう。僕が言うのも何だが、民衆の心は非常に流されやすい。

 

 実際、ネットではかなり大騒ぎになっている。怪盗団の信者たちがお祭りの様に書き込みを続けていた。同時に、僕に対するアンチも大量発生している。

 人から敵意や悪意を向けられることには慣れていた。母が亡くなり、僕を誰が引き取るかでモメていた親戚たちから向けられたものと変わらない。

 街の外に出るだけでも、悪口や影口を叩かれることだろう。贈り物というお題目で、変なもの(一例:カミソリレター)が贈られてくる可能性もある。

 

 

(――さて、『白い烏』の腕の見せ所だ)

 

 

 俺は自分自身に言い聞かせながら、大きく深呼吸した。

 

 

***

 

 

『怪盗団がメジエドを潰したのか、怪盗団のシンパが潰したのかは、俺にとっては正直どうでもいいんです。どちらも犯罪者集団であることには変わりませんから』

 

『一番の問題は、奴らが好き放題しているのを野放しにしている警察機構や日本政府の対応ですよ。国民は不安で震えていたというのに』

 

『明智くんはどう思いますか? “警察や検察庁に出入りしているキミですら、怪盗団の動きに気づけなかった”ということに関して、意見が聞きたいのですが』

 

 

 若者向けの生放送討論番組で、怪盗団VS“メジエド”事件の顛末に関する発言を求められた獅童智明の内容だ。奴は別番組で獅童が主張していたことをそっくりそのままリピートし、僕に投げかけてきたのである。

 討論番組が始まる前に『暫くキミに苦労を掛けることになるが、俺に力を貸してほしい』と声をかけられたのだが、奴の発言を聞いて理解した。警察や検察庁を出入りしている僕を、上手い具合にスケープゴートにするつもりなのだ。

 奴は怪盗団反対派の急先鋒である態度を貫きつつ、責任の所在を警察や内閣に求めることで、民衆の興味関心をスライドさせている。10代後半から20代前半の若者で構成されたコメンテーターは“警察や検察および僕への批判”という点に関しては、面白いくらい智明に同調した。

 

 怪盗団支持派の面々は、現代社会に強い不満を持っている人々だ。警察や法律、政府が悪を野放しにしていることに対し、憤りを感じている。

 だから、それらが手を出せない/野放しにしている悪党を次々と『改心』させていった怪盗団を“現代の義賊”と称賛しているのだ。

 

 そんな人々に対して“今の政府は腐ってる。根本的に改革しなければならない”と持ち掛ければ、同調するのは当然だ。

 

 怪盗団反対派にして警察や検察側と関わりが深い“正義の探偵・明智吾郎”の仮面を被りながら、俺は冷静に考えていた。「獅童正義が俺に利用価値を見出したのは、こうやって俺を“使い捨てるため”だったのだ」と。

 獅童正義が最低な大人だということは、随分昔から分かっていた。頭ではきちんと理解していた。けど、心のどこかではずっと、父に必要だと言って欲しかった。認めてほしかった。褒めて欲しかったのだ。――獅童智明と同じように。

 

 

「お疲れさまでした、智明さん」

 

「お疲れさま、明智くん。……今日はすまないね。あんな役回りをさせてしまって」

 

「構いませんよ。これも、獅童先生による世直しのためですから」

 

 

 罰が悪そうにする智明であるが、やはり僕は奴の顔を()()()()()()ままだ。僕は“正義の探偵・明智吾郎”の仮面を被りながら微笑んでみせた。

 

 本当は、僕に対する罪悪感など微塵も抱いていないくせに。嘗て母をゴミ同然に切り捨てたように、僕のことも“智明の身代わり”として切り捨てるつもりのくせに。

 獅童智明に向けられるはずの悪意を受け止めるスケープゴート――それが、明智吾郎に与えられた価値。獅童正義が、俺という人間に見出した役割だった。

 

 

(……畜生……ッ!!)

 

 

 血の繋がった親に愛されたい――そう願うことの何が悪いのだろう。黎だって、竜司だって、杏だって、ちゃんと親から愛されているじゃないか。

 血の繋がった親から愛された証拠が欲しい――そう願うことの何が悪いのだろう。祐介だって、双葉だって、愛されていた証があるじゃないか。

 血の繋がった家族から愛されたい――そう願うことの何が悪いのだろう。真だって、ちゃんと家族から愛されているじゃないか。

 

 鞄を握る手に力を込めて、やるせない気持ちをやり過ごす。頭では誰よりも獅童の思考回路を熟知しているのに、「もしかしたら」なんて無意味な期待を抱く自分の馬鹿さ加減に反吐が出る。決して手に入らないものを見て駄々をこねるガキみたいな自分もまた、頭の中がお花畑になっていそうで腹立たしい。

 僕の気持ちなど知ってか知らずか、智明は迎えに来た神取と一緒に車に乗り込んで去っていった。神取は私設議員秘書だけでなく、運転手も兼ねているらしい。元セベクのCEOがそんな有様になっていることに、僕は一抹の寂しさを感じていた。神取も、死後に運転手としてこき使われる羽目になるとは思わなかっただろう。

 

 

「明智くん。キミ宛に手紙が来てるよ」

 

「ああ、ありがとうございます」

 

 

 関係者から、ファンレターと銘打たれた手紙が入っている紙袋を手渡された。それを受け取り、僕はテレビ局の外に出る。

 多くの人々がごった返す雑踏を歩いていると、四方八方からひそひそ話が聞こえてきた。

 

 

「明智っているじゃん? あのウルサイ奴……」

 

「さっきの生討論番組でも出てきたな……」

 

「イチャモンばっかりつけてるよね……」

 

「怪盗団が悪党とか、そんな訳ないじゃん!」

 

「必死過ぎてダサくない?」

 

 

 精神を抉りに来る発言だ。それでも、僕は耳を傍立てる。冷静に、冷静に。――人々の噂話に違和感を覚えたためだ。

 

 怪盗団否定派としてメディアに取り沙汰されていたのは、獅童智明と明智吾郎の2人である。それにも関わらず、人々から派手にバッシングされているのは()()()()()()1()()である。怪盗団が正義であると信じる人々にとって、獅童智明もまた、アンチ対象であるはずだ。

 しかし、いくら耳を傍立てて精神をすり減らしても、怪盗団信者による獅童智明アンチは()()()()()()()()()()。奴は何度もメディアに顔を出しているのにだ。――流石にこれは不自然である。人心掌握術やコネ等に長けた獅童が手を回したにしても、智明だけ無事でいられるはずがない。

 以前、智明を見た至さんが言っていたことを思い出す。『智明もまた、『神』――十中八九悪神の方――の関係者である』と。航さんも言っていた。『ある日突然、智明の母方の家――五口家の話題が出てきた』と。……“『神』の化身が人間の中に紛れ込む”例は、至さんが証明しているではないか。

 

 “()()()()()()()()()()()()()()()、“()()()()()()()()()()()()()()()()

 人間には決してできないそれは、『神』の所業としか言いようがない。獅童たちは、そんな御業を操って立ち回っている。

 

 

(獅童智明の顔を()()()()()()ことこそが、“奴が『神』の関係者であることの証明”だったとして、だ。智明には一体、何の役目が与えられたんだ……?)

 

 

 認知世界に干渉できる人間は、怪盗団を除くと3択に分かれる。

 1つ目は嘗て『神』に打ち勝ったペルソナ使い。

 2つ目は僕らがまだ見ぬペルソナ使い、もしくはペルソナ使いの適合者。

 3つ目は『神』によって生み出された化身たち。

 

 僕は獅童智明を2つ目のタイプだと認識していた。でも、もし、奴の正体が3番目であるならば――ある意味で、“獅童は『神』から力を得た”と言っても間違いじゃない。

 

 

(獅童の背後に『神』が潜んでいるのは明らかだ。……十中八九ロクな理由じゃないことは明らかだが、『神』は獅童に――あるいは怪盗団に、一体何をさせたいんだ?)

 

 

 僕がそんなことを考えていたとき、僕のスマホが鳴り響いた。SNSを確認する。怪盗団のグループチャットからだ。

 “双葉が怪盗団に参加することが決まったが、本人の人見知りが激しく、意思疎通がなかなかうまくいかない”とのこと。

 仲間たちで協議した結果、『日替わりで怪盗団メンバーとの交流を図る』ことにしたらしい。真曰く、かなり荒療治になるそうだ。

 

 佐倉さんには『双葉に夏の思い出作りをする』と言っておいたらしい。それぞれの予定を確認し、双葉と交流を持つ日付を決めている最中だという。

 

 僕の予定を確認してみると、27日までスケジュールがびっしり埋め尽くされている。“メジエド”関連の特集番組や取材を、獅童によって突っ込まれたためだ。

 怪盗団VS“メジエド”の決着がついて1日が経過した時点で、怪盗団を悪党とみなした僕にこれ程までのアンチがつくのだ。……28日まで、僕は無事でいられるだろうか。

 

 

真:吾郎は? いつなら空いてる?

 

吾郎:27日まで予定がびっしり。番組特番や取材が入ってて、解放されるのは28日以降かな。

 

黎:今まで怪盗団を否定していた人々に対して批判が相次いでいるからね。吾郎も表向きは怪盗団否定派だから、吊し上げも兼ねているんだろう。

 

吾郎:どっちかって言うとスケープゴートかな。僕の他に怪盗団を否定してた奴がいただろう?

 

杏:確か、獅童智明だっけ? 高校生で政治家の卵って騒がれてる、獅童の息子。

 

黎:彼に向かう筈のヘイトを、すべて吾郎に押し付けるつもりでいるのか。

 

双葉:もう既に押し付けられている最中のようだ。ネットでは大炎上してるぞ。

 

祐介:釈然としないな。吾郎も俺たち怪盗団の仲間だと言うのに……。

 

真:表向きは敵対してるとはいえ、仲間があんな風に吊し上げられているのを見ると心が痛いわね。

 

竜司:俺、さっきの討論番組見たぞ。何で吾郎ばっかり責められなきゃいけないんだよ!?

 

杏:ホントよね! 見ててすっごく腹立ったもの! 鞭で調教してやりたいくらい!!

 

吾郎:竜司、杏。お前ら、絶対俺のアンチに喧嘩売ったりするなよ。絶対だからな。

 

黎:私も番組見たよ。かなり酷いこと言われてたから心配なんだ。辛そうな顔してたし。

 

吾郎:そうかな?

 

黎:そうだよ。吾郎本人は上手くごまかしたつもりかもしれないけど。

 

 

 ――悟られてる、と思った。僕は苦笑する。

 

 

吾郎:参ったな。黎は全部お見通しか。

 

黎:何年恋人やってると思ってるんだ。舐めないでほしい。

 

吾郎:不甲斐ないや。もうちょっと頑張れると思ったんだけど。

 

黎:辛かったら、いつでもルブランに来なよ? 話聞くし、実験台でいいなら、コーヒーやココアも淹れるから。

 

吾郎:分かった。閉店時間過ぎになるかもしれないけど、大丈夫?

 

黎:惣治郎さんに許可取っておくから。

 

吾郎:ありがとう、黎。

 

黎:至さんや航さんにも相談しなよ。きっと心配すると思うから。

 

吾郎:分かった。

 

 

杏:おふたりさん。そういうのは、個人でやってほしいかなぁ。

 

真:2人とも、怪盗団共用のチャットであることを忘れないでね。

 

双葉:(*ノωノ)ウワァァァァァァ!!

 

祐介:?

 

 

 チャットを切り上げる。先程まで打ちひしがれいた僕の心は、酷く晴れやかな気持ちだった。

 

 ()()()()()()()()()()()()――“何か”は泣き出しそうな顔をして苦笑した。俺も、“何か”の言葉に同意する。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 大丈夫。俺は大丈夫。黎がいる。みんなもいる。だから平気だ。何もかもが。――そう、信じられる。

 

 世界のすべてが敵に回っても、俺の味方で居てくれる人がいるのだ。黎もいるし、怪盗団の仲間たちもいるし、信頼できる大人たちだっている。

 だから、今度は俺だって、みんなの味方でありたい。何があってもどんなことがあっても、大切な人たちを守れるような人間でありたい。

 

 

(大事な人を守るための、『白い烏』なんだから)

 

 

 俺はまっすぐ、自宅へ向かう。

 今はとても、足取りが軽かった。

 

 

 

 

 

 ――因みに。

 

 

 

「吾郎。贈り主不明でお前宛にヤバいもんが届いてたから、保健所に届けといたぞ」

 

「……因みに聞くけど、何が来た?」

 

「モルガナと非常によく似た黒猫の死骸」

 

「クソが!!」

 

 

 この日のうちに、自宅に嫌がらせが発生したらしい。メディアや取材では住居を明かしていないはずなのに、どこから漏れたのだろう。

 至さんの話を聞いた後だと、“明智吾郎宛のファンレター”一式の入った紙袋も中々に怪しく感じる。俺は半ば戦々恐々としながらも、自室で袋の中身を確認した。

 

 中身はすべて手紙である。ありとあらゆる罵詈雑言が書き殴られているのか、それともカミソリでも仕掛けられているのか、もしくは虫の死骸でも入っているのか。

 憂鬱な気持ちを噛みしめながら、俺は1通目の手紙に手をかけた。結果、左手指がざっくりと切れて出血した。1通目からカミソリがヒットしたらしい。

 案の定、本日のリザルトは以下の通り。カミソリレター16通、呪いの呪文が書かれた手紙が8通、小さな藁人形が4つ、蝶の死骸が大量である。

 

 

「至さん、絆創膏頂戴」

 

「ノーデンス、メシアライ――」

 

「そこまでしなくていいから!」

 

 

 嫌がらせの品々は、後日きちんとお炊き上げしてもらった。尚、全部送り主不明である。

 

 




魔改造明智の夏休み、基本災難編。色々引っ張られる魔改造明智の脇で、思い出したように正気に戻った(一時的であることは明らかな)冴さん、色々なことを察した佐倉さん、他メンバーに絡む歴代ペルソナ使いたちがわいわいやってます。いつか、冴さんと周防兄も絡めてみたいです。
密偵活動も苦境に入りましたが、「みんなが傍にいてくれるので大丈夫」と踏ん張ることを決めた模様。次回で双葉パレス編が完結しますので、魔改造明智の夏休みがどうなるかを生温かく見守って頂ければ幸いですね。


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そうして、“至上最高の夏”が終わる

【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 @空本(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄で明智の保護者その1。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
 @獅童(しどう) 智明(ともあき)⇒獅童の息子であり明智の異母兄弟だが、何かおかしい。獅童の懐刀的存在で『廃人化』専門のヒットマンと推測される。詳しくは中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『運命を切り開くだけの簡単なお仕事』および『ペルソナ3異聞録-.future-』、Pixivの『2周目明智吾郎の災難』および『【一発ネタ】有栖川黎の幼馴染』の設定を下地にし、別方向へ発展させた作品である。
・ジョーカーのみ先天性TS。
 ジョーカー(TS):有栖川(ありすがわ) (れい)⇒御影町にある旧家の跡取り娘。旧家制度は形骸化しているが、地元の名士として有名。身長163cm。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空本(そらもと) (わたる)⇒明智の保護者2で、南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。
・敵陣営に登場人物追加。
 @神取鷹久⇒女神異聞録ペルソナ、ペルソナ2罰に登場した敵ペルソナ使い。御影町で発生した“セベク・スキャンダル”で航たちに敗北して死亡後、珠閒瑠市で生き返り、須藤竜蔵の部下として舞耶たちと敵対するが敗北。崩壊する海底洞窟に残り、死亡した。ニャラルトホテプの『駒』として魅入られているため眼球がない。この作品では獅童正義および獅童智明陣営として参戦。
・「2罰ボスの外見を見た人間の反応」に関するねつ造設定がある。
・普遍的無意識とP5ラスボスの間にねつ造設定がある。
・神取鷹久と石神千鶴の関係性、神取鷹久や石神千鶴の好物についてのねつ造設定あり。
・『改心』と『廃人化』殺人に関するねつ造設定がある。


「“我が主”が思った以上に、あの『駒』には耐久性があるようだ」

 

 

 「“我が主”が()()()()()(アイツ)』は、もっと脆かったはずなのに」と、青年は呟く。サングラスをかけたスーツ姿の男は、青年の顔をちらりと一瞥した。相変らず、男は()()()()()()()()()()()()()()()()でいた。

 ……いいや、男だけではない。()()()()()()()()()()()()()()()であれば、誰であろうと青年の顔を()()()()()()()()()()()()()。――むしろ、青年の顔を()()()()()()と思っている人間が“正しい”目を持っているのだ。

 仮にもし、青年の顔を()()()()()()()と思い込んでしまっているなら、それは危険信号である。該当者は既に、青年――および、青年を『駒』としている『神』の力によって、認知を書き換えられている――即ち、歪められてしまったと言っても過言ではない。

 

 “()()()()()()()()()()()()()()、“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 嘗て男が開発したシステムも、後に一色若葉から『認知訶学の前身』と呼ばれることになる理論を使って作られたものだ。

 方向性を調整、洗練した結果が、一色若葉が獅童正義によって奪われてしまった論文――認知訶学研究となった。

 

 

(『神』の手練手管は悪質だということは、私が一番よく知っている)

 

 

 男は俯き、己の手を見た。死した後も闇の手先として暗躍する羽目になるとは思わなかった。しかも今回で2回目である。

 正直もういい加減眠りたいのだが、今回は変則的な理由で呼びだされていた。暫くは眠らせてもらえないことは明らかだ。

 

 ふと、“上司違いで()()()()()()()()()()()”のことが脳裏によぎった。珠閒瑠市での出来事以来顔を会わせていないが、奴もこの異常事態を察知しているはずである。光に与する者であるが、彼もまた『神』の有する『駒』なのだから。

 

 自分が把握していないだけで、彼も既に動いていることだろう。もしかしたら、男を『駒』とする悪神なら、彼や彼の上司である善神の動きを察知しているかもしれない。

 だが、それを直接悪神に訪ねることは不可能だ。今、悪神は望まぬ形で取り込まれており、取り込んだ犯人から()()()()()()()()()()真っ最中なのだから。

 男に与えられた命令は、ただ1つ。悪神を取り込んだ犯人の『駒』として動きながら、悪神を奴から解放するための算段を立てること。勿論、男の生死は問われない。

 

 

「ねえ、貴方はどう思う?」

 

「何がだ?」

 

「貴方は“我が主”の『駒』に対して、やたらと執着している様子だったから、気になってね」

 

 

 青年の問いに、男は笑うだけで返した。青年に語る必要はどこにもない。

 

 男はちらりと視線を向ける。そこには、少女に詰問されている青年の姿があった。茶髪の髪を少し長めに伸ばし、仕事用のジェラルミンケースを持った彼の姿は見覚えがある。セベクで見たときは男の膝くらいの背丈しかなかったのに、今では自分の目元付近に彼の頭がくる程になっていた。

 闇に魅入られる宿命にありながら、僅かな可能性の違いで光へ踏み出した少年の姿。闇に魅入られたことで足掻いていた自分にとって、あの子どもは“希望”だった。嘗て男がなりたいと願いながら、至ることができなかった道を往くのだと――黒髪の少女と手を繋ぐ少年の姿を見て、男はそう直感したのである。

 生前の自分にも、悪神の『駒』となった自分にも、子どもはいない。生前は未婚だったし、『駒』として甦った際にとある女性と心を通わせたことはあったが、性的な接触は一切行っていなかった。そして何より、件の女性は自分と最期を共にしている。自分と関わったがために、損な役回りをさせてしまった。

 

 

『貴方にとってあの少年は、貴方が行きたかった道を往くであろう“希望の子”なのですね』

 

『父のように、兄のように、友のように、貴方はあの子を見守っている。貴方なりに、少年の旅路に幸あらんことを願っている。……目を見れば、分かります』

 

 

 女性が微笑む姿が脳裏に浮かぶ。彼女の足跡は、今となっては『ワンロン占いという廃れた占いがあった』という話題が思い出したように顔を覗かせる程度だ。

 男がそんなことを考えたとき、茶髪の青年を守るようにして金髪の青年と少女が割り込んできた。2人は女性たちと派手に言い争いを恥じている。

 

 「ケーサツ」「通報」「脅迫」「ストーカー」――男が辛うじて聞き取れたのは、この言葉だけだ。茶髪の青年は少女を威嚇する金髪2人組を制した後、穏やかな態度を崩さぬまま警告した。少女は捨て台詞を言い残し、そそくさと立ち去っていく。

 

 途端に、金髪の青年と少女が纏う雰囲気が一変した。双方、茶髪の青年を心から案じている。それと同じように、茶髪の青年も2人を案じていた。

 その様子に、男は目を細める。但し男は既に眼球を失っているため、実際に細めることができたか否かは分からなかった。

 暫し話をしていた若者たちは、それぞれの道を歩き始める。けど、彼らの眼差しは同じ輝きを宿していた。――その眩しさに焦がれてしまうのは、性分故だろうか。

 

 

「……明智吾郎は、自分に送られてくる嫌がらせの品々の贈り主を、自分のアンチだと認識しているようだ」

 

 

 男は小さく呟いて、青年に視線を向ける。青年が座るテーブルの上には、贈り主不明で明智吾郎宛となっている手紙の束や箱が並んでいた。青年は悪びれる様子など一切ない。むしろ、それこそが己に与えられた使命なのだと言いたげな様子だった。

 

 

「“我が主”に選ばれておきながら、“我が主”の御手から逃げ堕ちた。どうあれども、奴に相応しい末路は破滅だけ。相場は決まっているよ」

 

 

 逃さない、逃しはしない――青年を構成するすべてがそう訴える。顔は一切()()()()()()が、彼が残忍な笑みを浮かべていることは分かった。

 茶髪の青年には、まだまだこれからも災難が続くらしい。自分と彼に早く安寧の刻が来ることを願いながら、男は静かに空を見上げた。

 腹立たしい程真っ青な空を、黄金の蝶が横切っていく。それを見た男は笑みを深くした。――いずれ来るその瞬間を待ちわびるが如く。

 

 

◆◇◇◇

 

 

 本日、8月28日。ようやく僕は、獅童に突っ込まれた地獄のような日々から解放された。討論番組、視聴者からSNSで意見が送られてくるニュース番組、反明智派からの取材依頼をこなすのはストレスとの戦いである。おまけに民衆の多くが僕を嫌っている訳だから、日常生活でも風当たりは強い。

 僕のファンを自称する少女から詰め寄られたときは本当に面倒だった。そこに買い出し途中の竜司と杏が割り込んでくれなければ、僕は取材の時間に遅れていただろう。『黎も心配していたから、時間ができたらルブランに顔を出して行け』と言い残し、2人は買い出しへと戻った。その後ろ姿に救われたのは忘れられない。

 

 ここ数日は夜に雨が降り続いたため、誰かに背中を押されて水たまりに倒れこむ被害が続出した。以前のように熱を出して倒れないか心配になったが、今回は風邪で倒れることはなかったので本当にセーフである。

 

 黎や怪盗団の仲間たちともSNSで連絡を取り合っていたけど、双葉の人見知りは劇的に改善傾向にあるようだ。

 26日には女性陣で水着の試着を行ったらしい。27日にはもう、違和感なくやり取りができるようになったと聞く。

 怪盗団の中で双葉と直接交流していないのは、唯一僕だけとなった。

 

 

(……SNSでのグループチャットでなら普通に話したけど、どうなんだろ……)

 

 

 身支度を整えながら、僕は仲間たちのSNSにメッセージを入れる。一同が“双葉を頼む”と返信してきた。黎にもルブランへ向かう旨のメッセージを送った。丁度そのとき、双葉個人からメッセージが入った。

 

 

“黎とそうじろうから聞いた。『花火大会がダメになって、黎と吾郎の浴衣デートがおじゃんになった』って”

 

“そうじろうに『花火をしたい』と提案したら、『夜が晴れてて小さい花火なら、裏手でやっていい』って許可貰ったぞ!”

 

“黎には『黎の浴衣が見たい』って要求した。そしたら顔赤くして頷いてた”

 

“吾郎、浴衣もってこいよ! 忘れるなよ!!”

 

 

「よっしゃあナイス双葉!」

 

「双葉さんがどうしたって?」

 

「だからノックしろって!」

 

 

 僕がガッツポーズを取ったとき、航さんが扉を開けて入って来た。どんな体勢で眠っていたらそうなるのかと思いたくなるような寝ぐせと、顔に接触していたと思しき物体の跡が残っている。俺の顔を見た航さんは静かに微笑みながら、くるりと踵を返して去っていった。

 そういえば、25日に“航さんがルブランに来て、双葉さんと談笑していた。連絡先も交換したみたいだ”というメッセージが入っていたか。航さんがやたらと嬉しそうなのは、双葉さんとSNS上で会話しているということもあるのだろう。

 

 早速、僕はクローゼットの肥やしになりつつあった新品の浴衣を鞄に詰める。今年はもう二度と出番がないと思っていただけに、凄く嬉しい。

 最後に自分の身なりを確認した後、僕は軽やかな足取りで家を出た。そのまま迷うことなく四軒茶屋へ向かう。

 程なくして、目的地であるルブランが見えてきた。心が弾みだしたその瞬間、僕の道を阻むようにして少女が現れた。

 

 すらりとした体系に、やたら胸を強調した露出度高目の服を身に纏った今流行(はやり)系の女子だ。彼女はハイヒールでもふらつくこと無く、迷うこともなく、僕の元に突っ込んできた。

 

 

「明智くん! このままじゃ、貴方はダメになってしまうわ!!」

 

(げぇッ!?)

 

 

 突っ込んできた少女は、竜司と杏によって追い返された件のファンである。彼女は突如僕の手を取った。どこか血走った目をした少女は、勢いよく捲し立てる。

 支離滅裂な内容を叫び散らす少女を、どうやって躱そう。できれば穏便に済ませたい。「落ち着いてほしい」と言いきかせても、少女は止まってくれない。

 そうこうしている間にも、僕と少女が騒いでいる図を見て野次馬たちが集まって来る。集まるだけで、助けに入るような人間はどこにもいなかった。

 

 叫び散らす少女によって、僕が明智吾郎であることは完全にバレている。現在、世間の明智吾郎に対する認知は“怪盗団を悪と断じる煩いヤツ”だ。

 周りが冷ややかな傍観者になるのは当たり前だろう。下手すれば、野次馬の大半が「いい気味だ」と思っててもおかしくはない。

 

 

「あの、ここだと人の迷惑になりますから。それに僕、急いでいるんで、話をするとしたら別の機会に――」

 

「どうして!? どうして私の話を聞いてくれないの!? 私はこんなにも明智くんのことを思ってるのに!!」

 

(いい加減にしろよクソがぁぁぁぁぁッ!!)

 

 

 地を出して叫びだしたくなるのを堪える。だが、この状況で下手を打ってしまえば、今後の密偵活動にも支障が出てしまいそうだ。――なんとか、なんとかしなければ。

 

 俺が頭を回転させていたときだった。ルブランのドアベルが鳴り響き、エプロン姿に身を包んだ黎が割り込むようにして顔を出した。「ご予約いただいていた明智さまですね。お待ちしておりました」――黎はあくまで店員として接する。助かった、と思った。

 次の瞬間、少女はぎろりと黎を睨む。黎は接客用の笑顔を崩すことなく少女を見返す。涼し気に微笑む黎の顔に何を思ったのだろう。少女は目を丸く見開いた。彼女の口元が醜悪に歪んでいく。まるで、有栖川黎という人間の弱みを掴んだかのように。

 

 

「アンタ、ウチの学校に転校してきた生徒でしょう!? 私、アンタが最低な奴だってこと知ってるんだからね! 地元でも相当のワ――」

 

「――いい加減にしないかッ! 彼女まで巻き込むんじゃない!!」

 

 

 少女の矛先が黎に向かう。反射で、僕も声を荒げていた。まさか怒鳴られるとは思わなかったのだろう、少女は呆気にとられた顔で僕を見上げた。

 周りから“黎との関係”を察せられぬように注意を払いつつ、俺は黎を庇う。女を張り倒したくなる衝動を抑え込みながら、俺は冷静な口調で言った。

 「お店の営業妨害になりますから、やめてください」――俺の言葉を耳にした女は、途端に顔を歪ませた。何かを言おうと口を開き、けれど彼女は沈黙する。

 

 黎に続いてやって来たのは、明らかに機嫌を急降下させたルブランの店主・佐倉さんだった。基本女性に対して優しい紳士だが、怒るべきときにはきちんと怒る“頼れる大人”である。その後ろには、人見知り故に身を隠しながらも「そ、そうだそうだ。営業妨害反対!」と小声で主張する双葉もいた。

 

 赤の他人に害意を振りまいた時点で、少女を見る野次馬の目は変わった。野次馬の中にはルブランの利用者もいたようで、「あそこの店員さんはいい子だよ。なんでイチャモンを付けるんだろう?」と囁く者が出始める。彼女はあっという間に孤立した。

 それを彼女も察知したのだろう。わなわなと震えた後、踵を返して駆け出した。その背中を見送った後、俺はちらりと目で合図した。黎も同じように合図を返しながら、何事もなかったかのように俺を店内へと招き入れてくれた。店の前のざわめきも、蜘蛛の子を散らすように去っていく。

 

 久しぶりにやって来たルブランは、以前と変わらず落ち着いた雰囲気が漂う。俺が安心できる数少ない場所の1つであり、黎のいる場所だ。

 いつものカウンター席に座り、ほっと息を吐く。それを見た黎も、ふわりと笑みを浮かべた。――ああ、幸せだなぁ。俺はひっそり噛みしめた。

 

 

「いつもの?」

 

「うん、いつもの」

 

 

 ただそれだけで会話が通じる。それ程、ルブランの店員である黎が、常連客である僕と通じ合っているということだろう。なんだか照れ臭い。

 

 

「しかし、お前さんも災難だな。今じゃバッシングの嵐なんだろう?」

 

「……まあ、嫌われるのには慣れてますからね」

 

 

 獅童とブッキングする事件があって以降、佐倉さんは俺に対しても心配してくれるようになった。

 俺との会話で彼が何を悟ったかは知らないけれど、やっぱり少しむず痒い。

 

 母亡き後初めて対峙した大人たちは、みんな僕のことを嫌っていた。「売女の子など要らない」、「どうしてこんな足手まといを残して死んでいったんだ」、「こんな子ども引き取っても利がない」、「コイツも死ねばよかったのに」――ありとあらゆる罵詈雑言が、容赦なく僕の元へと飛んで来たのだ。

 大人はみんなこんなものだと諦めて絶望していた僕の前に降り立った、高校生のヒーローを知っている。ヒーローは今や大人になって、ヒーローと呼べるような存在とはほぼ遠い立ち位置に追いやられてしまったけれど、彼らは今でも戦い続けている。あのとき僕を嫌った大人とは大違いだった。

 あの日の傷は癒えていない。彼らと共に駆け抜けてできた傷だってあるし、まだ治っていない傷だってある。それでも歩いていくことを決めたのだ。傷だらけの手でも掴めたものがあって、手放したくないものがあったから。痛みと引き換えにするにはささやか過ぎる成果が、僕をここに繋ぎ止めている。

 

 

「その年で、そんなことを言わなきゃいけない人生を歩むのはおかしいと思う」

 

 

 俺の言葉に異を唱えたのは黎だった。あの理不尽を諦めて受け止めることに慣れてしまった俺の代わりに、いつも黎は怒ってくれる。彼女にそうさせてしまう自分が情けないけど、俺はその事実がとても嬉しかった。

 黎が淹れてくれたコーヒーを受け取り、啜る。佐倉さんレベルとは言わないけれど、爽やかで華やかな味がする。ボロボロになった俺を掬い上げてくれるようで、ちょっとだけ泣きそうになった。……情けない話である。

 

 

「なあ、吾郎」

 

「何? 双葉」

 

「……航さんから、聞いた。おかあさんに『研究が終わったら、娘さんと一緒に過ごしてあげて欲しい』って提案したの、吾郎なんだって」

 

 

 ――双葉はぽつぽつと話し始める。一色さんが亡くなる直前にした喧嘩の話を。

 

 一色さんは俺との約束を守ろうとしてくれたらしい。双葉と喧嘩した後、『研究が終わったら、好きな所に旅行へ連れて行ってあげる』と約束を交わしていたそうだ。……その約束は、もう二度と果たされなくなってしまったが。

 それでも一色さんは足掻いたのだろう。嘗て俺が母から遺された呪詛の話を聞いていたから――愛された証が遺っていたら、きっと生きてけるはずだと知っていたから、双葉への手紙を遺した。そしてそれを、航さんに託した。

 双葉と航さんを会わせようとしたのは、研究関係の話で盛り上がれそうな人物を探した結果らしい。惣治郎さんや親戚では、研究に関する知識欲や好奇心を満たすことなど不可能だ。一色さんの遺したメッセージ曰く、“誰かと語り合うからこそ発展する研究もあるから”とのこと。

 

 航さんと双葉が仲良く話す間柄になったのは、研究者気質がうまい具合に一致したためだろう。他にも、PC繋がりで風花さんや、母親が一色さんの元上司だったと発覚した園村さんとも連絡を取り合っているという。……もし神取が悪神の『駒』でなければ、彼もこの中に加われたのだろうか?

 そんな光景を思い浮かべると、俺の想像する神取から「無意味な妄想はやめ給えよ」と小突かれた。苦笑してはいたけれど、込められた感情はどこまでも優しい。まるで近所に住む世話好きなおじさんみたいだ。実際の俺と神取の関係は、そんな微笑ましいものではなかったのに。

 

 

「一色さんの姿を見ていて、どうしてか納得できなくてね。実体験や『僕もそうしてもらえたらよかった』という願望を交えて、ちょっと主張したんだ。……僕の場合、遺っていたものが色々とアレだったんだけど」

 

「アレって?」

 

「内容が、どこからどう見ても『吾郎なんて生まれてこなければよかった』という呪詛だったから」

 

 

 コーヒーを啜りながら、俺はできるだけ何でもない風を装いつつ、かいつまんで説明する。母亡き後の遺品に記されていたのは、『実父と結婚することを夢見た母が僕を孕み、それを利用して実父に迫ったが断られた。生まれた子が実父そっくりなら認知してもらえるかもしれないと思って子どもを産んでみたが、まるっきり母親似だった』という真実だった。

 母は女手1つで俺を育てていた。当時の俺は父親がいなくても、母さえいてくれればいいと思ってた。母は俺の前ではとても優しかったから、俺は母に愛されているのだと無邪気に信じていた。……今となっては、遺品から受けた衝撃によって、思い出の大半がゴミ屑と化してしまったけれど。

 

 だから、正直、双葉が羨ましい――その言葉ごと、コーヒーで飲み下す。

 

 一色さんと双葉のやり取りを聞いて、黎からチャットで又聞きする形となった双葉の話を読んで、ゴミ屑と化した思い出の一部を改めて見つめられるようになった。

 俺の母は、俺に対して優しかった。母が生きている間、『生まれてこなければよかった』という酷い言葉は一度も聞いたことがなかった。

 思えば、母は俺の前で弱音を吐いたことはなかった。いつも笑って、『大好きよ、吾郎』と言ってくれた。貧しかったけど、あの日々は幸せだったのだ。

 

 

「でも、さ。最近気づいたんだ。母の遺品に書かれていたのはあくまでも“僕が生まれるに至った経緯”に関する事実であって、母が僕のことをどう思っていたかについては一切記されてなかったなって」

 

「吾郎……」

 

「だから、信じてみようと思ったんだ。“母さんが僕を愛してくれたのは本当のことだったんじゃないか”、って」

 

 

 「自分にとって都合のいい真実を見ようとしている」と言われればそれまでかもしれない。八十稲羽を覆いつくした霧の正体は、万人が望む甘い毒だった。

 下手すれば、俺は自らの意志で霧の中に引きこもってしまうことになるだろう。――でも、嘘にしたくなかった。母がいた日々を、ゴミ屑として棄てたくなかった。

 

 今だからこそ、そう思えたのだ。自分が造り上げた母親の虚像と戦うことを選んだ双葉の背中を見て、俺も、母がいた日々と向き合えた。ガラクタの中からわずかに拾えた思い出は、確かにキラキラ輝いていた。

 

 

「双葉は強いよ。僕はキミから勇気を貰った。だから大丈夫」

 

「……ありがと。でも、わたしが立ち上がろうと思えたきっかけをくれたのは、吾郎と黎だよ」

 

「そっか。じゃあ、イーブンってことでいいかな?」

 

 

 俺と双葉の話を聞いていた黎が微笑み、俺の座る席に何かを置いた。見れば、美味しそうなガトーショコラが置かれている。

 

 

「これ……」

 

「私の奢り。双葉にも、後で同じの出すから」

 

「本当か!? ありがとう黎!」

 

「よしよし。今は仕事中だから、終わるまでは頑張ろうね」

 

 

 黎と双葉の姿を見ていると、なんだか本当の姉妹のように見える。姉として振る舞う黎に対し、双葉は存分に甘えている様子だった。

 有栖川関係者の中で、黎は舞耶さんや命さんに妹の如く可愛がられていた。それ故、姉として振る舞う黎を見たのは初めてのことである。

 どうしてか、近々双葉が黎のことを「お姉ちゃん」呼びして甘え倒す予感がしてならない。黎もそれを拒否しないだろうな、とも思う。

 

 ……妹分にとって、姉貴分の彼氏というものはどう見えるのだろう。交際反対を掲げられてネットを駆使されたら非常に辛い。双葉が俺の敵に回らないでほしいと切に願った。

 

 俺はコーヒーとケーキに舌鼓を打ちながら、佐倉さんに視線を向ける。

 佐倉さんは微笑ましそうに目を細めて、黎と双葉のやり取りを見守っていた。

 

 

「ああ、そうだ。マスター、冴さんが……」

 

「あの検事に言っとけ。『何度もしつこい。もう話すことは何もないぞ』ってな」

 

「違います。冴さんが『証拠欲しさに脅すような真似をして申し訳なかった』と謝ってました」

 

 

 検察庁で冴さんが零していたことを伝えると、佐倉さんは目を丸くした。てっきり“俺を使って証拠をでっちあげるのを諦めていない”とばかり思っていたためか、拍子抜けしたように「お、おう」と返事を返した。

 

 ドアベルが鳴り響き、客の来店を告げる。何ともなしに視線を向けて――俺はコーヒーを気管に詰まらせそうになった。咄嗟に奴の本名を口走らなかっただけマシだろう。

 そいつ――神取鷹久(偽名:神条久鷹)は静かな笑みを浮かべたまま、団体席に1人腰かけた。座っている位置は俺の左後ろ。奴は黎にブラックコーヒーを注文した。

 多分、黎や怪盗団から話を聞いていた双葉も驚いたに違いない。けれど、奴が客として来店した以上、騒ぎを起こすわけにはいかなかった。

 

 黎も営業スマイルを浮かべたまま、神取にコーヒーを差し出す。神取は「ありがとう、お嬢さん」と礼を述べ、コーヒーを啜る。

 新聞を読みふけっているポーズは酷く様になっていた。そう言えば、こいつは元・実業家なんだよなぁと俺は思った。

 

 暫しコーヒーを啜っていた神取だが、ふと何か思い出したように追加注文を出した。奴が注文したのはチーズケーキである。俺はそれに違和感を覚えた。

 

 

(――もしかして……)

 

 

 セベクで顔を合わせたとき、奴は酒を煽っていた。その酒の銘柄は辛口の日本酒。珠閒瑠で顔を合わせた際も、何かの話題で“神条久鷹は甘いものを好まない”なんて話を耳にしたか。対して、珠閒瑠で対峙した敵――須藤竜蔵の愛人にしてワンロン占いの使い手・石神千鶴は、何かの話題で“一番の好物はチーズケーキ”なんて話を耳にしたことがある。

 神取と石神千鶴が深い結びつきを持っていることは察していた。それがどれ程のモノだったのか、今でも俺のような小僧に測ることなど不可能だろう。ただ、それは決して、汚していいものには思えなかった。神取は運ばれてきたチーズケーキをずっと凝視していたが、彼はコーヒーを追加注文してコーヒーが来るのを待った後、ゆっくりと食べ始めた。

 

 甘いものを好まないという噂は本当らしく、神取は非常に食べにくそうにチーズケーキを口に運ぶ。何度もコーヒーで口直しをしていた。コーヒーお代わりの追加注文が入るため、佐倉さんは文句を言わない。

 

 俺はちらちらと神取に視線を向けた。神取は暫し何も言わず、ぼうっと時間を潰していた。……奴は一体、何をしに来たのだろう。

 時計の針が動く音だけが響く。どれ程の時間が過ぎたのかは分からない。気づけば、外は夕焼けに染まっていた。

 神取もチーズケーキを食べ終わり、口直しのコーヒーを啜っている。もう6杯目だ。佐倉さんもウキウキしている。

 

 

「……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「っ!?」

 

「元気そうでよかったよ。()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 そう言って、神取は微笑んだ。遠回しに、奴は双葉さんのことを気にかけていたらしい。

 双葉は挙動不審に視線を彷徨わせていたが、こくこくと首を縦に振ることしかできない様子だった。

 奴は何を思ったのか、こちらに背を向けた。携帯電話を操作する。そのまま、誰かと電話をし始めた。

 

 しかも――俺たちには辛うじて聞き取れる声量で、だ。

 

 

「例の件はどうなっている? ……()()()()()()()()()()だ。最近、先生にやたらと絡んできている……」

 

 

 俺は即座にボイスレコーダーを回した。神取もそれに気づいたようで、ちらりと俺を一瞥する。

 

 

「奴は政治家に転身してのし上がろうと考えているようだ。……ああ、その通りだな。そのような器など、奴にあるとは思えない。精々、()()()()()()()()()()()()()()()()()だろう」

 

 

 双葉がぎょっとした顔をして口を開きかけ、俺と黎がそれを制する。

 神取は思い出したように「そういえば」と声を上げた。

 

 

()()()()()()()()()はどうする? 近々、5月に秀尽の体育教師が起こした暴力事件と、7月に逮捕された詐欺師による学生脅迫事件の件で捜査が入るそうだが……成程。それが先生のご意見か。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 神取は笑いながら、話を続ける。

 

 

「しかし、不思議だな。今まで逮捕された連中を野放しにするなんて。奴らを()()()()()()()()()()()()()? 余計なことが漏れる前に。……そうか。()()()()()()()()()()()()()()()()()()。意外なことだ。……ああ失敬、機嫌を損ねたようだな。許してくれ給え」

 

 

 神取は暫し雑談に興じた後、精算を済ませてルブランを後にした。なかなかの上客――コーヒー8杯とチーズケーキを食べて帰って行ったので、客単価はかなり高い――だったためか、佐倉さんは上機嫌で神取を見送った。

 

 神取の言葉を思い出す。奴はかなり回りくどい方法だったが、俺に情報を流してくれた。今の話は“獅童智明が誰をターゲットにしているかのヒント”になり得る。

 名前は自分で調べろということか。秀尽学園高校校長の本名は学校関係者に訊けば本名が分かるだろうし、オクムラフーズ社長は公式HPを見れば一発で本名を割り出せそうだ。

 後はその情報の裏取りをしつつ――けれど迅速に『改心』させなくてはならない。神取の話を聞く限り、秀尽学園高校の校長の『改心』は急がねばならないだろう。

 

 秀尽学園高校の校長が獅童と繋がっていたことは、以前から把握していた。俺たちは秀尽学園高校に絡んだ連中を『改心』させ、校長が隠蔽しようとした事件を表面化させた。

 獅童にとって、不祥事を連続で起こした秀尽学園高校校長の利用価値は無に等しい。そろそろ切り捨てるべき相手とみなし、タイミングに入ったのだろう。

 

 

(検察がどう出るかは分からないが、獅童に切り捨てられた人間が辿る末路は破滅だけだ。社会的死か、肉体的な死か……おそらく後者だろう)

 

 

 本人が証拠を持って警察に自首したという形ならば、獅童にそれなりのダメージを与えることができるかもしれない。そして、獅童の罪を明かすために必要な材料が出てくる可能性もある。

 

 神取の発言を聞く限り、メメントスやパレスにいるシャドウを『改心』させて心に還せば、認知世界専門のヒットマンでも手を出すことはできないようだ。

 実際、『改心』した獅童の関係者たちは、獅童にとって利用価値がなくなったのに生かされている。今でも、『廃人化』され手を下される様子はなかった。

 ……もしそこで神取を出されて、現実世界に干渉できるペルソナ――ゴッド神取を出されてしまった場合は、彼ら全員の無事は保証できなくなってしまうが。

 

 

「な、なあ。アイツ、敵なんだよな?」

 

「完全な味方とは言い難いけど、敵と断じるには親切すぎる男なんだよ。いい意味で、道化みたいな奴かな」

 

 

 双葉がルブラン出入り口と俺を見比べて右往左往している。俺は苦笑しながら頷いた。黎も、静かに目を細めながら彼の去った扉を見つめる。

 今日はそれなりに客が出入りしていた。佐倉さん、黎、双葉が各々作業するのを見守りながら、俺はコーヒーをお代わりした。

 

 

***

 

 

 花火大会の再来だ。あのときの浴衣姿で、黎は夜の四軒茶屋に現れた。眼鏡をはずし、黒い生地に青系で描かれた牡丹と蝶の柄が目を惹く。

 対して、僕も浴衣を身に纏う。白基調のそれには、柳と燕が青で描かれていた。生地の色は正反対だが、柄に使われている色は同じ。なんだか一種のお揃いのように思える。

 双葉は佐倉さんが持っていた男女兼用のシンプルな浴衣を身に纏っていた。生地の色は黄緑色で、薄い黄色で鹿の子模様が描かれていた。黎に着つけてもらったと自慢していた。

 

 双葉は自分で花火を買いに行き、無事に帰って来たという。こっそり護衛していたモルガナが「もう大丈夫だろ! これなら海に行っても問題ないな!」と我がことのように自慢していた。

 

 今回、ルブランで行われるのは家庭用花火を用いた花火大会である。但し、打ち上げ花火やロケット花火の使用は厳禁。線香花火や普通の花火がメインだ。規模は小ぢんまりとしたものだが、それでも充分だった。

 早速花火に火をつけて、思い思い楽しむ。双葉は2本同時に線香花火を持ち、点火して勢いを楽しんでいた。僕と黎はそんな双葉を見守りつつ、花火に火をつけて楽しむ。色とりどりの炎が夜闇に彩りを添えた。

 

 

「綺麗だね」

 

「うん。本当に……」

 

 

 花火も、浴衣を着た黎も、とても綺麗だ。僕は感嘆の息を零す。

 黎もまた、蕩けるような笑みを浮かべて僕と花火を見つめていた。

 

 

「ゴホッ、ゲホッ! オマエら、ワガハイに煙かけんな!」

 

「え? あ、ごめんモルガナ」

 

 

 風向きの関係か、モルガナがいる場所が悪いのか、花火の煙がすべてモルガナに向かっていく。

 

 

「うりゃあ、2本取りー!」

 

「ひ、人の話をゲフォッゴフオッ!!」

 

「こら、猫が嫌がってるだろ。動物に火を向けるんじゃない」

 

 

 おまけに、双葉がノリノリで花火を振り回すから、余計に煙が発生する。それも漏れなくモルガナの方へ向かっていった。

 モルガナは涙目で必死に抗議するが、花火に夢中な双葉には聞こえないようだ。佐倉さんが深々と息を吐いて窘める。

 だが、双葉はどこまでもマイペースだった。線香花火が爆ぜるのをやめ、火の玉だけになったからだ。

 

 

「すげー、でっかい火の玉できた。そうじろう、見て見て!」

 

「お、おう。気をつけてな」

 

 

 「次は10本取り!」と意気込む横で、モルガナが絶叫する。ならば風向きのない方――僕と黎の真後ろに来ればいいのだが、モルガナは決してその位置から動こうとしなかった。どうしてだろう。

 佐倉さんは何か悟ったような目をした後、モルガナにチチチと手招きする。自分の方なら煙が来ないからとアピールしているらしい。それを察知したモルガナは、即座に佐倉さんのいる場所へ避難した。

 

 酷い目に合ったと愚痴るモルガナを横目に、僕たちも花火に火をつける。花火大会のような派手さはないけど、黎と一緒に花火をしているという事実がじわじわと胸を満たした。

 

 時折響く双葉の声と言動を見守りながら、僕と黎は寄り添いながら談笑した。年齢より子どもっぽい双葉を見ていると、同年代の集まりではなく疑似家族じみた光景に思えるのだ。

 僕が夫で黎が妻、双葉が子どもでモルガナがペット――何の抵抗もなくそんな役割に自分たちを当てはめた己自身に目を剝く。幾らなんでも、色々すっ飛ばし過ぎではなかろうか。

 だってまだ、僕は、ちゃんと黎に言ってない。何も、言ってない。その約束を、口に出していないのだ。……言わなければ、今みたいな光景なんて見れるはずがないと言うのに。

 

 

「ねえ、黎」

 

「なに?」

 

 

 僕が口を開いたのに反応して、黎が僕を向き直る。花火に照らされた白い肌、普段は見えないうなじ、光の中から艶やかに浮かぶ黒髪――綺麗だと思った。

 言葉が喉に閊えて出てこない。“これから”を誓うのに相応しい言葉なんて何も出てこなくて、素直な言葉すらも零せなくて、そのまま息を吐く。

 

 ()()()()()()()()()。僕の中にいる“何か”が呟く。2()0()X()X()()()1()1()()()1()2()()()()()()()――そこで“何か”は言葉を切って首を振った。呟かれた今年の暦に、ゾッとするくらいの寒気を覚えたのは何故だろう?

 機関室、裏切り者、叶うはずのない“もしも”の話。探偵の仮面を被り、復讐のためにすべてを犠牲にしてきた殺人者の末路――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

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 “謂れなき罪”、“理不尽な罰”。俺の知らない、俺の中にいる“何か”が問いかけてくる。()()()()()()()()()()()()()()? と。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 迫るような響きに気圧された俺は、言葉を言い淀む。すべてが不誠実になってしまいそうな気がしたからだ。――けど。

 

 

「……これからも、ずっとこうして、傍にいられたらいいって思うんだ」

 

 

 偽りのない願いを口に出す。不誠実なことは言いたくないけれど、でも、そう願っているのは事実なのだと。

 

 

「すべてが終わった後も、ずっと」

 

「――そうだね。ずっと、一緒にいよう」

 

 

 黎は迷うことなく頷き返して、俺に寄り添う。それがとても嬉しくて――けれど、それが今の自分の限界なのだと思うと、なんだか情けなくて、どうすればいいのか分からなかった。

 

 

◇◇◇

 

 

 本日8月29日、晴れ。海水浴日和に相応しい晴天と天気である。夏の終わりが近いことを感じ取っているためか、遊び納めということもあって、海は人々でごった返していた。

 ビーチパラソルで場所を取り、双葉の様子を確認する。特訓の甲斐あって、ひしめくような人口密度の中にいても平然としていた。真主導の荒療治が効いたのだろう。

 

 

『みんながいるから大丈夫』

 

 

 最も、一番の理由は、双葉が語ったこの言葉に集約されているに違いない。

 

 双葉の気持ちは分かる。崩れ落ちてしまいそうになるときは何度もあったけど、傍に誰かがいてくれた。自分に何かあっても、助けてくれる人がいる――『拠り所がある』という事実がどれ程幸いなのか、僕は知っているのだ。

 僕の場合が黎や怪盗団の仲間たち、頼れる大人たちだったのと同じように、双葉にとっての怪盗団も同じような存在なんだろう。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と、“何か”が感慨深そうに呟いた。

 

 

(しかし、どうしたものか……)

 

 

 気を抜くと、水着姿の黎に視線を向けてしまう自分がいる。黎は普段、露出を控えめにした格好を好む。だから、水着姿になることで露出される肌が気になってしまうのだろう。

 今回の海水浴で黎が着てきたのは、黒いスカート水着である。スカート部分は分割されており、水着のワンポイントになるような形で結ぶこともできるようになっていた。

 泳ぐときはワンポイントとして右端に結ばれていたが、泳ぎ終えた今は結び目が解かれ、スカートとして機能している。裾がはだけてチラリと除いた肌に、僕は生唾を飲んだ。

 

 

「どうかした? 吾郎」

 

「……素敵だな、と思って」

 

「ありがとう。吾郎も似合ってるよ」

 

 

 黎は爽やかな微笑を浮かべて僕を称賛する。どうして彼女は照れることなく人を称賛できるのか、そのライオンハートに太刀打ちできなくて悲しくなってくる。

 性別が逆だったらつり合いが取れるのではないか――遂にそんなことを考え始めた自分がアホらしくなって、僕はひっそり苦笑した。

 

 因みに、僕が着てきた水着は白と青基調のサーフパンツである。上には同じ色合いでジッパー付きのTシャツを着て、黒いビーチハットを被っていた。閑話休題。

 

 燦々と降り注ぐ太陽は眩しい。パラソルでそれを遮りながら、僕たちは昼食を取ることにした。『海の家で何か買ってくる』と立ち上がった竜司だが、ここで双葉がインスタント麺を持ち込んできたことが発覚した。お湯をどこで調達するつもりだったのだろうか。

 それはさておき、僕たちは昼食を調達して食べ始めた。午前中は水着に着替えた後、適度に泳いできている。動けば腹は減るものだ。掃除機を連想する勢いで食べ進める竜司と祐介を横目にしつつ、僕は僕のペースで食べ進める。真横から掻っ攫われぬよう注意しながらだ。

 海の家で購入したホッドドッグは、至さんが家で作ってくれるものと比較すると遥かに美味しくない。だけど、仲間たちと一緒に海水浴に来て食べているのだと思うと、この上なく美味しいと感じてしまうのは何故だろう。きっともう、これと同じ絶品には一生巡り合えないとさえ思ってしまう。

 

 

「真、あんま食べてないな。もしかして、具合でも悪いのか?」

 

「あ……ううん、大丈夫」

 

 

 竜司が真に問いかけた。彼女が食べている昼食の量が少ないことに心配しているのだろう。しかも、普段より食欲が落ちているように見える。

 真は歯切れ悪く答え、視線を彷徨わせた。余程言いにくいことなのだろう。彼女が怪盗団に入る前――僕たちを尾行してきたときのようなよそよそしさがあった。

 

 真の様子を見る限り、人――特に、男性――から指摘されたくないようだ。その気配を察知した僕は、その話題を逸らそうと口を開く。だが、それよりも先に、モルガナが得意げに鼻を鳴らしてうんちくをしゃべり始める方が早かった。

 

 

「分かってねえなあ、リュージは。女子は水着のときは、少しでも細く見せたいモンだ。でも気にしすぎだぞ。朝飯はちゃんと食ったか?」

 

「モナ、デリカシー皆無」

 

 

 自身を紳士と語る黒猫から飛び出したのは、女性の繊細な心理である。乙女心が分からない竜司には大変参考になる解説だったが、それは女性の前で口に出していい話ではない。モルガナの言葉を聞いた女性陣の機嫌は急降下した。

 沈黙してしまった面々の気持ちを代弁したのは双葉だ。自分の発言が地雷だったことを察したモルガナは慌てて弁明しようとしたが、余計見苦しくなるだけだと思ったのだろう。申し訳なさそうに項垂れていた。

 ただ、モルガナが視線を逸らした先には、竜司や祐介に負けず劣らずの勢いで焼きそば・お好み焼き・ホッドドッグを平らげ、炭酸飲料を一気飲みする黎がいた。彼女はのんびりとした調子で「かき氷も食べようかな」と微笑む。

 

 何をどうすれば、その細い体にアレだけのものが入るのだろう。しかも、すらりとした体型を崩すことがない。終いには、彼女は着痩せするタイプだった。特に胸部が。

 完全に、“月光館学園高校の美しき悪魔(荒垣命)のコピー”である。モルガナは暫し黎を見ていたが、「お前は幸せそうな顔してよく食べるなあ」と呟いて苦笑していた。

 

 

「で、この後どうする? ビーチバレーでもするか?」

 

「あーごめん、今から女子だけでバナナボート乗る約束してるから」

 

 

 女性陣が申し訳なさそうに頭を下げる。4人乗りのものを1つだけしか借りられなかったようで、僕たち男性陣は取り残されることが確定した。文字通りの荷物番である。

 僕は別にそれでも構わないのだけど――黎と一緒にいられないのは寂しいが、待つのは嫌じゃない。彼女が楽しいのが一番なのだから――、竜司とモルガナが不満そうにぶすくれていた。

 

 

「なんで俺らの扱いが雑なんだよ!? 俺らだって色々頑張ってんだぞ!?」

 

「異世界の中ではいいと思えるんだけど、不思議よね」

 

「お宝は盗めても、女の子のハートは盗めそうにないもんね!」

 

「そ、そんな……アン殿……」

 

 

 バッサリと切り捨てられ、竜司が憤慨し、モルガナが愕然とする。前者は仲間の女性陣から雑に扱われたこと、後者は惚れた相手からショッキングなことを言われたためだろう。

 

 

「そういう訳なんだ。吾郎、荷物番頼めるかな?」

 

「ああ、ここは任せてくれ。楽しんでおいで」

 

「ありがとう。行ってきます」

 

「行ってらっしゃい」

 

 

 申し訳なさそうにこちらを見つめてきた黎に対し、僕は微笑み返して手を振った。黎も微笑み、手を振り返してくれる。女性陣は連れ立って、砂浜の人並みに飲まれて消えた。

 彼女たちの背中を見送り終え視線を向けると、竜司とモルガナが死んだ魚みたいな目をして天を仰いでいた。祐介はどこからともなくスケッチブックを取り出しデッサンを始める。

 黎も楽しんでいるといいな――なんて考えながら、荷物番に精を出す。そんな僕の前で、竜司とモルガナが息巻き始めた。女の子のハートを盗むのだと言って燃え上がっている。

 

 いつの間にか、デッサンを終えた祐介も竜司と同調し始めた。何やら不穏な気配になって来たが、僕は荷物番から離れるつもりはない。絶対にない。

 どうやって2人と1匹を攻略すべきかと思案したのと、竜司・祐介・モルガナが僕に視線を向け――何事もなかったかのようにそそくさと視線を逸らしたのは同時だった。

 

 

「吾郎は俺たちと違うもんな」

 

「だな。ゴローには既にレイがいるもんな」

 

「むしろ、『黎以外の誰かをナンパするくらいなら、今すぐ獅童と心中してくる』とか言い出しかねん」

 

「は? 当たり前だろ何言ってるんだお前等」

 

「お前歪みねえな! 黎に対して執着しすぎだろ!?」

 

 

 竜司が諦めたようにため息をつき、モルガナが己の浅はかさを責めるように首を振り、祐介が頭の中で模写した未来図を憂いて明後日の方に視線を向けた。当たり前のことだと指摘したら、竜司が半ば怒鳴るような調子でツッコミを入れてきた。

 

 彼の言葉は間違ってない。むしろ、僕の中にある異常性をハッキリ指摘している。明智吾郎という人間は、心を許した相手に対して強く依存――あるいは執着してしまうのだ。一歩間違えれば中野原のときと同じように、メメントスやパレスで歪みとして発現したっておかしくない。

 そうならないのは、ひとえに“一番の対象者である有栖川黎が、明智吾郎を否定せず受け入れてくれる”おかげだろう。黎のことは確かに救いだけれど、それに甘え続けるのはあまり良くないと自覚している。自分を見捨てずにいてくれる黎に応えられるような、まともに生きられるような人間で在りたかった。

 

 

「……そうだね。竜司の言う通りだ」

 

 

 そう呟いて俯いてしまったのは、この執着心が“まともなところから来たものではない”と自覚していたためだ。

 過去に刻みつけられた傷跡が、薄暗さを伴った結果なのだと。

 

 

「好きになった人に対して、まともな好意を示せるようになりたいとは思ってるんだけどね」

 

 

 そう言った自分の顔は、どんな表情だったのだろう。モルガナが解脱した釈迦みたいな顔になり、竜司と祐介が悟りを開いた坊主のような目で顔を見合わせる。

 暫し沈黙していた2人と1匹だが、ややあって、「女の子の心を盗んでくるから荷物番を頼む」と言い残して、浜辺へ繰り出していった。

 

 僕は彼らを見送って荷物番に精を出す。熱中症対策で持ち込んでいたスポーツドリンクを舐めるように飲みながら、今までの出来事を思い出していた。

 

 母が存命だったとき、海に行けたのは片手で数えられる回数だけだった。至さんと航さんに引き取られたとき、聖エルミン学園高校の仲間や黎と一緒に海に行ったか。珠閒瑠のときは鳴海区で南条さんのクルーザーに乗ったり、海底洞窟で命懸けの戦いをしたり、珠閒瑠浮上による鳴海区の崩壊で海どころじゃなくなったりしたか。

 巌戸台での戦いがあったときは、桐条財閥の別荘がある屋久島に行った。ラボでアイギスと出会ったり、波打ち際で順平さんを総攻撃したり、桐島さんと園村さんが空本兄弟とブッキングして浜がメギドラオンで吹き飛んだり、別荘に備え付けられたカラオケで幾月のヤロウからチャンネルを奪ったりした。

 八十稲羽では虫取りをしたり、海水浴に向かったり、夏祭りに参加したり、花火で盛り上がったりもした。ただ、“僕らの様子を心配した南条さんがリムジンで乗り付けて来た”という珍事件で田舎町が大騒ぎになったか。――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――僕の中にいる“何か”は噛みしめるように呟いた。“何か”が下手くそな泣き笑いを浮かべる理由を問いただそうとして、僕はふと目を止める。

 人ごみの中に、黎たちの姿を見つけた。だか、彼女たちはこっちに戻ってくる気配がない。よく見れば、浅黒くなるまで日焼けした男たちが道を阻んでいる。……成程。女の趣味とルックスに関する目の付け所だけはいいらしい。僕は即座に立ち上がり、黎の元へ向かった。

 

 

「ねえねえ、俺たちの船でクルージングでもどう? 芸能人とか業界人とかいっぱいいるよ~?」

 

「お断りします。私には連れがいますから。連れに口説かれているのも楽しいですけど、連れを口説く方が楽しいので」

 

「そんなこと言わずに行こうよ。ほら――」

 

「――僕の連れに、何か用ですか?」

 

 

 無理矢理黎を引っ張ろうとした男の手を払い落し、僕は庇うようにして黎の前に立つ。それとほぼ同時に、斜め向かいの方から竜司たちがやって来るのが見えた。

 ヤンキーよろしく猫背で不敵な笑みを浮かべる竜司、何故か両手にイセエビを抱えた白フードの祐介、穏やかな物腰に対して殺意マシマシの睨みを効かせる僕。

 黎、杏、真を執拗に誘っていた男たちは一瞬たじろぐが、奴は懲りずに声をかける。勿論、怪盗団の女性陣は、金や権力でなびくような安い人間ではないのだ。

 

 

「貴方たちといるよりも、ずっと有意義ですけどね」

 

「確かにそうだね。そういう訳ですから、女性を口説くなら夜のパーティでどうぞ。私は連れを口説くので忙しいんで」

 

「いつも口説かれてばっかりだから、たまには僕にも口説かせてよ。――あ、そういう訳なんで、どうぞお引き取りください」

 

 

 真・黎・僕の言葉に、男たちは渋々と言った様子で去っていった。その際、僕に対して可哀想なものを見るような眼差しを向けてきたことだけは絶対許さない。杏が憤慨し、真が深々とため息をつく。黎は、男たちの背中に呆れたような眼差しを向けて肩を竦めた。

 

 どうやらあの男たち、しつこく怪盗団女性陣を口説いてきたのだという。真が奴らに武力行使する寸前だったあたり、男性たちは運が良かったようだ。世紀末覇者、鋼鉄の処女系乙女の破壊力を舐めてはいけない。ここが認知世界だったらヨハンナに轢き殺されていたであろう。

 双葉とモルガナはどこへ行ったのかと思ったとき、双葉とモルガナが祐介目がけて突っ込んできた。双方の眼差しは祐介が持っているイセエビに釘付けだ。正直、先程からもがくように尻尾をビチビチ振る甲殻類の様子がシュールで気になっていた。双葉と祐介はそのまま戯れ始めた。

 

 

「なんか、盛りだくさんだし、みんなで海に来た甲斐はあったよな」

 

「うん、そうだね」

 

 

 仲間たちは顔を見合わせて頷く。楽しい1日は、あっという間に過ぎて行った。

 

 

***

 

 

『私、怪盗団に入る。お母さんを殺した犯人と、そいつにお母さんを殺すよう命じた獅童正義を、絶対許さない』

 

 

 僕たちを真っ直ぐ見返して、双葉はそう宣言した。一色さんの研究を奪って悪用するだけでは飽き足らす、命さえも奪い取った獅童に罪を償わせるのだと。

 明智吾郎と獅童正義の関係を知っても、双葉は『それがどうした? 吾郎は悪いことしてないだろ!』と迷わず言い切った。清々しい笑みに泣きたくなる。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。そのせいで苦労しても、馬鹿を見る羽目になっても、黎たちは僕を掬い上げようとすることをやめないのだ。――その事実が、とても嬉しい。

 

 認知訶学研究は既に完成したが、成果はすべて獅童によって回収され葬り去られた。獅童の行動は、一色さんの研究が自分に都合が悪いものだと知っていたかのような対応だ。

 僕の経験則上、一色さんの研究は“獅童の後ろにいた『神』にとって都合が悪かったが為に、獅童を使って潰させた”ようにも思える。だとしたら、悪神は相当のワルだろう。

 双葉の話を聞く限り、一色さんは次の段階として“人がいなくても世界が存続し続ける理由――即ち『神』の認知に関する認知訶学”に手を出そうとしていた節があったようだ。

 

 

『でも、航さんから“その領域に手を出すのはやめた方がいい”とアドバイスを受けたらしいんだ。……直後、獅童の関係者がお母さんに接触して来た』

 

『それって――』

 

『お母さんの研究は、吾郎の言う『神』の逆鱗に触れた。だから、口封じの対象にされたんだと思う』

 

 

 理不尽過ぎると双葉は憤った。一色さんも、自分の研究が『神』の逆鱗に触れてしまったとは思っていなかったに違いない。

 

 それから話は変わり、双葉のパレスが回りくどいことになっていた理由を彼女自身が説明してくれた。彼女は怪盗団のことを見極めようとしていたらしい。それが、『シャドウはウェルカム状態なのに、えげつない罠が襲ってくる』というアンビバレンス状態だった。そこからの話は、双葉さんのシャドウが言った通りである。

 本来ならば、僕から齎された一色さんの情報を聞いた双葉さんは“反逆の徒”――ペルソナ使いとして目覚めるはずだった。だが、何者か――十中八九獅童智明だろう――が双葉さんの心を弄り回し、パレスを乗っ取って双葉さんの覚醒を邪魔していたのである。結果、パレスは本来通りのえげつない仕掛けを作動させてきたのだ。

 

 

『これ以上、お母さんの研究を好き勝手に悪用されたくないんだ』

 

 

 少女の決意は固かった。

 それが、佐倉双葉が怪盗団に参加する理由。

 

 怪盗団に所属する人間たちはみんな、大なり小なり私的な理由を抱えている。黎は“理不尽に苦しむ人を助けるため”、モルガナが“メメントスの奥地へ向かう方法と、自身の記憶を取り戻して人間になるため”、僕が“『廃人化』の黒幕にして黎に冤罪を着せた張本人で、実の父である獅童正義の罪を終わらせるため”、竜司が“自分が成りたい“カッコいい漢”に必要なものを見つけるため”、杏は“黎を助けるという約束を果たすため”、祐介は“理不尽に苦しむ人々を救いながら、パレスやメメントスから作品の着想を得るため”、真が“自分の理想や正義を貫く強さを手にするため”。

 

 それ故に、双葉の参入は簡単に認められた。彼女のコードネームは自薦の『ナビ』。『勝利に導いてやる』と不敵に笑った双葉は、最年少ながら本当に頼もしい。

 「そろそろ帰りましょうか」――真の言葉に、僕はふと景色に目を向けた。海に沈む夕焼けはとても綺麗だが、楽しい時間が終わったことを示している。

 よく見ると、空の端で星が瞬き始めていた。名残惜しい気もするが、仕方がない。僕たちは片付けの準備を始め、ゆっくり家路についたのだった。

 

 




魔改造明智と怪盗団の夏休み、ラスト。ルブランでの双葉交流イベントと海イベントにがっつり使いました。そして書き手でも驚くくらいに神取が出張る出張る。立場は敵だけど、やってることは怪盗団に利益が出る行動が多い模様。でも、“神取に与えられた行動方針は全く別な方向性である”という複雑な立ち位置となっています。
神取が魔改造明智を気にかけたり、魔改造明智が未来に想いを馳せたり、魔改造明智がウダウダしたりと盛りだくさん。あと、魔改造明智にモブがストーカーしているようですが、次回以降の奥村パレス編で回収する予定。奥村『改心』の顛末が、原作では怪盗団が窮地に追い込まれる原因になるのですが、この世界線ではどうなることやら。
金城パレス編が善神の『駒』に関するネタが多かったのに対し、双葉パレス編は悪神の『駒』に関するネタが多くなりました。次回は何のネタを多めにして展開しようか思案中。そろそろ魔改造明智に関する話が入るかもしれないですね。次回は奥村パレス編がスタートします。次回以降は4~5話構成を目指していきます。
獅童パレス編やメメントス奥地(P5黒幕)編は少し長くなるかもしれません。そちらは6話~7話以内で纏められるよう目指す所存です。


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Light the Fire Up in the Night
願いは胸に、誓いを指に


【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 @空本(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄で明智の保護者その1。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
 @獅童(しどう) 智明(ともあき)⇒獅童の息子であり明智の異母兄弟だが、何かおかしい。獅童の懐刀的存在で『廃人化』専門のヒットマンと推測される。詳しくは中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『運命を切り開くだけの簡単なお仕事』および『ペルソナ3異聞録-.future-』、Pixivの『2周目明智吾郎の災難』および『【一発ネタ】有栖川黎の幼馴染』の設定を下地にし、別方向へ発展させた作品である。
・ジョーカーのみ先天性TS。
 ジョーカー(TS):有栖川(ありすがわ) (れい)⇒御影町にある旧家の跡取り娘。旧家制度は形骸化しているが、地元の名士として有名。身長163cm。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空本(そらもと) (わたる)⇒明智の保護者2で、南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。
・敵陣営に登場人物追加。
 @神取鷹久⇒女神異聞録ペルソナ、ペルソナ2罰に登場した敵ペルソナ使い。御影町で発生した“セベク・スキャンダル”で航たちに敗北して死亡後、珠閒瑠市で生き返り、須藤竜蔵の部下として舞耶たちと敵対するが敗北。崩壊する海底洞窟に残り、死亡した。ニャラルトホテプの『駒』として魅入られているため眼球がない。この作品では獅童正義および獅童智明陣営として参戦。但し、どちらかというと明智たちの利になるように動いているようで……?
・「2罰ボスの外見を見た人間の反応」に関するねつ造設定がある。
・普遍的無意識とP5ラスボスの間にねつ造設定がある。
・メメントス関係のオリジナル依頼が発生している。モブの名前は適当に決めた。シャドウの外見モデルは真メガテン4Fのヨモツシコメ。
・オリジナル展開がある。


 本日新学期。僕はしょっぱなから“嫌われ者”の洗礼を受けていた。

 

 ロッカー式になっている下駄箱には、僕の所だけ油性ペンで怪盗団マークがでかでかと描かれている。開けてみたら大量の予告状――予告状を真似て作られた嫌がらせの手紙がバサバサと音を立てて落ちてきた。内容は一通一通違うようだ。周囲に視線を巡らせると大半の人々が目を逸らしてヒソヒソ話に興じるあたり、みんな考えることは一緒らしい。

 “偽りの正義を振りかざす探偵・明智吾郎、貴様の傲慢を『改心』させる”という文面に対し、僕はひっそり笑いを噛み殺した。()()()()()()()()()()()()()()()!! ――なんて、ついつい地を出して叫びそうになる。苦境に立っていることは確かだけれど、それすらもゾクゾクしてしまうのは父親の血筋だろうか。

 教室に入っても僕は孤立したままのようだ。生徒たちは遠巻きに僕を見ている。夏休み前は――特に女子生徒が――有名人である“正義の名探偵・明智吾郎”とお近づきになろうと群がって来たくせに、掌を返すのは早い。獅童が民衆を愚かだと嘲笑う理由が分かる気がした。……100%同意してしまった瞬間、俺は俺自身をこの世から抹殺するのだろうが。

 

 生徒が生徒なら、教師も教師である。夏休み前は僕を持て囃していた癖に、今ではどう扱えばいいかを測りかねている印象を受けた。バッシングを受けている人間を庇っても利益がないためだろう。むしろ、自分が厄介事に巻き込まれてしまう。そっちの方が面倒だと思っている様子だった。

 但し、大人たちも僕を生贄にすることはできない。学校内では品行方正、成績は常に学年1位の芸能人である。いじめを受けているという話題がメディアにすっぱ抜かれれば、学校と教師が晒し者にされるのは確実だ。基本、面倒事は避けるが吉である。どうあがいても避けられないなら、被害を最小限にする方がマシだ。

 

 

「明智くん、大丈夫かい?」

 

 

 始業式が終わった後、僕に声をかけてきた猛者は獅童智明である。“正義の名探偵・明智吾郎”にすべてのバッシングを押し付け、高みの見物をする有名人。

 怪盗団反対派の急先鋒であるはずの智明に対しては、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。――()()()()()()()

 

 

「嫌われるのは慣れてますから」

 

「そうか。……すまないね、相棒にこんな役回りをさせてしまって」

 

 

 智明はしおらしく肩を落とす。落ち込んでいることは分かるが、相変わらず、奴が今どんな顔をしているかは()()()()()()ままだ。最近はそれにも慣れてしまったためか、逆に“できなくてもいい”とさえ思えてしまう。

 内心僕がそんなことを考えているとは気づきもせず、智明は僕に激励の言葉をかけた。奴は教師たちに「僕を庇うように」と根回しをしてきたという。正直、“父である獅童の名を使って圧力をかけたの間違いではないのか”としか思えなかった。

 勿論、善意からではない。スケープゴートとして適切なタイミングで使い潰すための算段を立てているのだ。こちらも、奴が僕を潰すより先に行動を起こし、奴らを追い込みながら撤退する算段を立てている最中である。お互い腹の探り合いと言ったところか。

 

 

「僕なんかより、智明さんの方が大変でしょう? なんだかいつもより顔色悪そうに見えたから」

 

「分かるかい? 最近、()()が立て込んでいるんだ。不祥事を起こして父に不利益を被らせようとする連中が多くて、その()()()が忙しくてね」

 

「そうですか……」

 

 

 表面上はちょっとくたびれた笑顔で、けれど内心は派手に火花をまき散らしながら、僕は智明と談笑する。程なくして授業開始5分前となり、僕は奴と別れて自分にクラスへと戻り、席に着いた。

 いつも通りの授業が始まる。久々の授業は、休みボケが抜けない心と体には少々キツい。普段が激務だった分、僕の休みボケはマシな部類だろう。男女問わず、だるそうにしている生徒がちらほらと伺える。

 

 夏休み最終日4日前まで激務を突っ込まれていたためか、学校の授業は少々退屈だ。それでも品行方正な優等生を演じることに妥協はしない。長い長い授業時間が終わり、少々長めの休憩時間に入った。僕がスマホを開くと、三島からSNSで連絡が入っていた。

 

 

三島:吾郎先輩、ちょっと大変なことになってます。

 

吾郎:何かあったの?

 

三島:怪チャンに、『四軒茶屋にある純喫茶ルブランの店員をしており、秀尽学園高校に通っている不良女子生徒を『改心』させろ』って書き込みがあったんです。同じIDの端末番号6種類から、各々20件ずつ。

 

 

 僕の脳裏に浮かんだのは、夏休み最終日2日前の出来事だ。僕のファンを自称するストーカーの女子生徒に絡まれたとき、黎が助け舟を出してくれたことである。

 あのとき出会った僕のファンは、黎のことを敵視していた。黎の前歴(冤罪)を人々の前で言いふらそうとして、僕と佐倉さんに止められたのだ。

 それで、彼女は“黎のせいで恥をかいた”と思ったのだろう。僕の態度では、明智吾郎が有栖川黎をどうこうできない悟ったから、報復を怪盗団に任せようと思ったのか。

 

 

吾郎:ルブランの店員ってだけでもう嫌な予感しかしないけど、続けてくれないか。

 

三島:了解です。書き込みの主は、黎の悪口を延々と書き続けてたんです。前歴のこととか、転校初期に裏サイトで話題になってた根も葉もない噂のこととか、『“名探偵・明智吾郎”をたぶらかして堕落させる魔性の女』だとか。

 

吾郎:あの女……。黎の魔性に関しては間違ってないから反論できないけど、その他は絶対許せない。

 

三島:ですよねー。吾郎先輩、黎のこと大好きですもんねー。話を戻しますけど、その書き込みの主、とっても腹立つんです! 自意識過剰もいいところなんですよ!! 終いには『私があの女を粛清して、明智くんの目を覚まさせるんだ』って書き込んでました。

 

吾郎:は? ざけんな。俺がテメーを粛清してやるよクソ女。

 

三島:でしょうね。悪質な犯罪予告ってことで、アカウント凍結とアクセスブロックついでに証拠を撮って通報した後、管理人権限で隠蔽工作しておきました。

 

吾郎:でかした三島。ところで、その女はキミと同じ秀尽学園高校に通っているらしいけど、心当たりないかな?

 

三島:心当たりですか? うーん……少なくとも、俺と同じクラスでは見かけませんね。別のクラスか、もしくは学年違いか……あれだけ大規模な書き込みを短時間で行えるとなると、財力的にも技術的にもイチモツ持ってそうですね。しかも小賢しいし。ちょっと、各学年の知り合いに声かけてみます。

 

吾郎:分かった。ありがとう。

 

三島:いいえ! 正体を突き止めた暁には、存分にやっちゃってくださいね!!

 

 

 僕はSNSを閉じ――ふと思い至る。

 

 

(そういえば、怪盗お願いチャンネルに新機能が搭載されたって聞いたな。確か、“『改心』ランキング”だっけ? 民衆が『改心』を望むターゲットを投票する……)

 

 

 黎と三島から聞いた話を思い返しつつ、僕はサイトを開く。『改心』ランキングトップはぶっちぎりで“明智吾郎”だ。この場に誰もいなければ、俺は1人腹を抱えて笑っただろう。俺がこんなことになっているということは即ち、「俺の“名探偵の仮面”は民衆を欺いている」ことに他ならない。怪盗団の演技派男優は伊達ではないのだ。

 因みに、『改心』ランキングは公正さと正確性を保つため、1機種につき1日1回しか投票できない仕組み(きまり)になっていた。三島曰く、『怪盗団を陥れようとする人間の悪意から怪盗団を守るための機能』とのことらしい。徹夜で作業をしたらしく、三島はその日の授業を夢現で過ごしたのだとか。

 

 怪盗団の支持率は急速に上昇している。現在6割強と7割弱を行ったり来たりしていた。海外からの書き込みも増えており、怪盗団は全世界に周知されていた。

 もし、獅童一派が何か仕掛けてくるとしたらこの時期だろう。秀尽学園高校の校長とオクムラフーズの社長を使って、怪盗団を追い込もうとするに違いない。

 危ないのは神取が名指しした2名だけではない。以前から敵の手に墜ちてしまった冴さんも、早く奪還しなくてはならないだろう。

 

 現状で最も優先順位が高いのは秀尽学園高校の校長だ。彼の取り調べが行われる予定日は9月6日からである。丁度、秀尽学園高校の修学旅行開始日と重なっていた。該当日は9月6日~9月12日、行先はハワイ。出国したが最後、暫く怪盗団の面々は帰ってこれなくなってしまう。

 

 

(『改心』はスピードが命だからな。智明が動き出すよりも速く、決着をつけないと)

 

 

 怪盗団がメメントスに籠って依頼をこなすとき、“ある程度纏まった量の依頼を一手に引き受けてからメメントスへ向かい、纏めて依頼を解決する”という方法を取っていた。

 黎は“夏休み明けに召集をかけ、メメントスで依頼をこなす”と言っていた。その際に、秀尽学園高校の校長を『改心』させることを優先できるか進言してみようか。

 

 遅くても、修学旅行前日までには決着をつけておきたい。時間ができ次第、怪盗団のSNSに集会を持ちかけておかなくては。

 

 僕がそんなことを考えている間に、休み時間は終了5分前となっていた。僕はスマホをポケットにしまい、授業の準備を行う。程なくしてチャイムが鳴り、教師が教室へと入って来た。周りは相変らずヒソヒソ声が聞こえてくる。教師は生徒たちを一瞥――どちらかというと睨む――して黙らせた。

 この教師は間延びした喋り方が特徴で、多くの生徒が夢の国に誘われている。正直僕も眠ってしまいたくなったのだが、優等生を張っている以上、妥協することは許されない。僕は欠伸を噛み殺しながらノートを取ったのだった。

 

 

***

 

 

 先程から僕のSNSはお祭り状態だ。怪盗団の仲間たちから、次々とメッセージが入ってくる。

 

 

杏:上級生の女子が黎にジュースを浴びせてたの! 黎は器用に躱したけど、あれ絶対わざと! かけた本人は『事故。ごめんなさいね』って言い訳してた。ホント感じ悪い! しかも、去り際には『身の程を知りなさいよ、前科者』って捨て台詞吐いたのよ!? ホントサイテー!!

 

 

竜司:黎が上級生の女子生徒から難癖付けられてた。一応追っ払ったけど、アレ絶対しつこそうだよなぁ。しかも吾郎の名前連呼してたから、熱狂的で過激派なファンかもしれねーぞ。奴が黎に何かする前に、手ェ打った方が良くないか?

 

 

真:生徒会室にやって来た3年の女子生徒が、『黎を退学させるよう校長に進言しろ』って迫って来たの。説き伏せておいたけど、諦めた様子はないわね。『私が明智くんを助けるんだ』ってブツブツ呟いていたわ。黎に危害が加えられる前に『改心』させるべきだと思う。確か、名前は緒賀(おが)汐璃(しおり)だったかしら?

 

 

祐介:朝、駅の改札で黎と会った。仁王立ちする秀尽学園高校の女生徒が、黒服の男を2名ほど連れていてな。黎を無理矢理拉致しようとしていたから割り込んだんだ。相手が勝手に癇癪を起してくれたおかげで、近くにいた駅員が駆け寄って来たから事なきを得たものの、アレを見過ごすわけにはいかないな。

 

 

双葉:黎のスマホに盗聴機能を仕掛けてたら、やたらと黎に絡んできた女の音声を録音した。『怪盗団が正義なら、お前を『改心』させるはずだ』とかなんとかほざいてたぞ。怪チャンにも書き込みをしていると聞いたから、管理人からデータを貰い、書き込まれたIDのすべてを辿って持ち主の身元割り出しを急いでいる。明日までには終わらせてやるぞ。

 

 

三島:容疑者らしき人物を特定したよ。秀尽学園高校3年の緒賀汐璃。彼女の実家は有名な資産家で、ウチの学校に多額の寄付をしているんだ。だから、教師陣や学校経営に関する奴らは彼女を無視できない。このままだと、黎が退学させられるかもしれないんだ!

 

 

 仲間たちのメッセージを読み上げて“対策を練る”と返信しながら、僕はルブランへと急いだ。同時に、件のストーカー――緒賀汐璃が僕の後をつけていないかも注意を払う。

 幸い、奴が僕をつけているような気配はなかった。内心安堵しながらルブランに入店する。営業時間終了10分前に駆け込んできた僕を見ても、佐倉さんは文句を言わなかった。

 僕がコーヒーを注文したのと、黎が帰って来たのはほぼ同時である。今日一日中僕のストーカーから激しい嫌がらせを受けたせいか、どこか疲れ切った顔をしていた。

 

 

「おかえり、黎」

 

「ただいま、吾郎」

 

 

 黎は僕を見た途端、先程の暗い影など連想できなくなるくらいの――花が綻ぶような――笑みを浮かべた。

 僕も、それを目にした途端に、心を苛んでいた憂いの一切が吹き飛んでしまった。僕の恋人が愛しい。

 

 そんな僕たちを見て佐倉さんは何を察したのか、苦笑しながら「黎、店を閉めとけ。あと、将来を誓い合ってると言えど、節度は守れよお2人さん」と言い残して帰宅していった。去り際に「娘を嫁に出す親の気持ちって、こんな感じなのかもしれないな」とぼやいたのには驚いたが。

 

 ストーカーから嫌がらせを受けているにもかかわらず、黎は今日も夜の東京の街を出歩いていた。今日は占い師の御船と話し込んできたそうだ。『運命は変わらない』と諦めていた占い師は、黎との交流――および、彼女の関係者が怪盗団による『改心』を受けたことがきっかけで、『運命は変えられる』と信じられるようになったらしい。

 お礼をしたいと請う御船に対し、黎は“有栖川黎と明智吾郎の運命を占って欲しい”と頼んだ。結果、『今まで多くの試練を超えて運命を乗り越えてきたが、最大の試練が近づいてきているようだ。特に、11月~12月にかけては史上最大の“破滅”が待ち構えている』とのこと。

 占い師は深刻そうに言いながらも、『貴女と彼氏さんなら、きっと乗り越えられます』と笑ったらしい。パワーストーンの販売もやめ、今後は“真っ当な占い師”として活動するそうだ。黎との協力関係は今後とも継続するという。黎も、これからも御船の力を頼るつもりだそうだ。

 

 他にも、黎は沢山の人々と交流していた。ヤクザの脅迫に苦しむ武器屋の店主、相棒の無実を晴らそうとしていた記者、遺産を狙う双葉の伯父に悩む佐倉さん――彼らから齎された依頼を、彼女は夏休み中の間に纏めて解決したのである。

 

 

「最近、“どこかのゲームセンターでチートを使っているプレイヤーがいる”って噂を聞いたんだ。それを隠して勝負を挑んでくるからタチが悪いって。今度の休みはゲームセンターに寄って、情報収集してみようと思ってる」

 

「そっか……」

 

「メメントスに潜るのは、その噂を調べた結果次第かな。早くて4日あたりになりそう。そこで、今まで受けた依頼のターゲットと秀尽学園高校(ウチ)の校長を纏めて『改心』させるつもりだよ」

 

 

 黎は力強く微笑んだ。彼女はいつでも、どんなときでも、自分を見失わず強く在る。そんな黎が眩しくて、愛おしくて、僕も目を細めた。

 

 

「そのターゲット一覧に急遽もう1人ねじ込みたいんだけど、大丈夫かな?」

 

「いいけど、誰を?」

 

「緒賀汐璃。秀尽学園高校3年生で、俺の悪質なストーカー。今日、学校で黎に嫌がらせをしてきた奴だよ」

 

 

 黎とモルガナ以外の怪盗団員は全員“『改心』させるべき”という意見で一致している。後はモルガナと、リーダーである黎の決定を貰うだけだ。

 鞄の中に入っていたモルガナも「アイツは『改心』させるべきだ」と声を上げた。黎と同行した際、緒賀汐璃の悪行を見てきたのだろう。彼の表情は剣呑だ。

 

 

「……分かった。緒賀汐璃を『改心』させよう」

 

「了解。他の面々にも連絡しておくよ」

 

「私が何かされるのは別に平気だけど、吾郎に被害や皺寄せが来るのは嫌だしね」

 

「……黎はさ。もう少し自分の心配しようよ……」

 

「吾郎こそ、もう少し自分自身のことを大事にした方がいいと思う」

 

 

 なんだか釈然としなくて、僕は深々とため息をつく。黎は不満そうに頬を膨らませた後、すぐに静かに微笑んだ。

 「時間も時間だから、ココア淹れようか?」という黎の提案に従い、僕は頷き返した。

 

 

◇◇◇

 

 

 9月4日、メメントス。随分前に普通自動車の運転免許を持っている人物――クイーンが加入したにもかかわらず、モルガナカーの運転係は未だにジョーカーのままだ。レースゲーム以外運転経験皆無の彼女は基本安全運転をする。ジョーカーの腕なら、現実世界で試験を受けても合格できるだろう。

 

 だが、シャドウに奇襲を仕掛けるときやシャドウに気づかれたときは話が別だ。見事なドリフト走行を披露しながら、一気にシャドウに激突していく。

 平時の現実世界でこの運転をやれば、即刻切符を切られるだろう。免許停止は免れまい。勿論、ジョーカーもそれを理解していてやっている。

 

 次々とターゲットを『改心』させ、残るは2人――緒賀汐璃、チートを駆使するゲームプレイヤーである根島だ。秀尽学園高校の校長は先程『改心』が成功し、本人の心の中へと還って行った。これで、智明によって『廃人化』され殺される心配はなくなった。

 校長は鴨志田の体罰問題が表沙汰になる以前より、獅童とつるんでいたらしい。多額の政治献金をする代わりに、様々な便宜を図ってもらっていたという。おまけに、獅童が取り仕切っていた『廃人化』ビジネスの話にも絡んだことがあるそうだ。

 そんな経緯があったから、鴨志田が自首したときに、校長は真に調査を依頼した。『廃人化』とは違うこと――『改心』に加担した学生を炙り出せという命令を。同時に、彼は獅童に鴨志田の一件を報告したのだという。丁度、僕らがビュッフェで獅童と出会った日のことだった。

 

 

『つい最近、獅童先生から言われたんだ。『足手まといは必要ない。処分は『駒』に任せる』と。……ついに私も殺されてしまうのかと思うと、怖くて怖くて……!!』

 

 

 校長は泣いていた。死の恐怖から解放され、心の歪みも改善され、理不尽に命を摘み取られる心配もなくなったためだろう。

 彼は、“獅童の『駒』が『改心』後の人間に手を出せない”ことを知らされていたようだ。だから自分も死ななくて済むと安心したらしい。

 

 

『ありがとう。私はキミたちに命を救われた。キミたちのような生徒が我が校にいてくれたこと、キミたちが怪盗団として人々を助けてきたこと、何よりも誇らしく思う。……教育者としての最後の仕事だ。自分の過ちを、自分の手で正してくるよ』

 

 

 自分の罪をきちんと受け入れ、更生のチャンスを得た秀尽学園高校の校長は、これ以上ないくらいに晴れやかな顔をしていた。命を失うことなくそれを取り戻せたことは、人生の幸いだったと言わんばかりの笑みを浮かべていた。獅童とつるむ前の彼は――彼が駆け出しだった頃は、理想に燃えた教育者だったのだろう。子どもたちのためにも、正しい姿であろうとした熱い男だったのだろう。

 校長の話で、“帝都ホテルで出会った獅童が苛立っていた理由”と“秀尽学園高校・校長の処分が急がれた理由”が解明できた。この調子だと、校長と同じように処分を検討されている人間が多くいるのかもしれない。下手したら、今こうしている間にも――。……いや、情報が手に入っただけでも僥倖で、『改心』に結びついただけでも奇跡である。非常に腹立たしいことだが、高望みはできなかった。閑話休題。

 

 緒賀汐璃は、校長のシャドウがいた区画の下層に陣取っていた。

 

 

「明智くん明智くん明智くん明智くん……うふふ……」

 

 

 散々俺の名前を読んでいるくせに、奴は怪盗服姿の僕を見ても“明智吾郎”に気づく様子はない。

 俺にとっては好都合だ。外行き用の仮面を被る必要もない。

 

 

「アンタたち誰? まさか、怪盗団?」

 

「ええ、その通り。緒賀汐璃、貴女の歪んだ心を頂戴する」

 

「さっさと『オタカラ』を出せ、迷惑ストーカー女。天下の探偵さまも、テメェと同じ学校の女子生徒も、お前のこと迷惑だとしか思っちゃいねーよ」

 

「なんで!? なんでアタシなのよ!? アタシは何も悪いことしてないのに!!」

 

 

 怪盗団に取り囲まれた緒賀汐璃のシャドウは、ジョーカーと俺の言葉を聞いて金切り声を上げた。そうしてすぐに合点がいったように手を叩く。

 

 

「まさか、これを仕組んだのは有栖川黎ね!? ――怪盗団、貴女たちは騙されているのよ! 悪いのはアタシじゃないわ。有栖川黎っていう最低な女子生徒が――」

 

「この機に及んで言い訳かよ!? こちとら情報ソースはハッキリしてんだ、大人しくしろっての!」

 

「嫌がっている相手に無理矢理迫るだけでなく、それを阻んだ相手にまで危害を加えるってのは感心しないわね」

 

 

 スカルとクイーンが緒賀を黙らせた。哀れな緒賀は、自分が誰に対して喧嘩を売り、誰に対して『改心』を命令していたかに気づいていない。ここにいる怪盗団メンバーは有栖川黎の友人だし、俺に至っては明智吾郎本人だし彼女の恋人だ。そして何より、怪盗団のリーダーであるジョーカーこそが有栖川黎なのである。

 緒賀は暫く自分の正当性と黎の悪評をぶちまけようとしたのだが、怪盗団メンバーからの総口撃(こうげき)によって口を閉じざるを得なくなった。ここでようやく、怪盗団は自分の味方にならないと思い知ったのだろう。奴は舌打ちし、本性をさらけ出した。

 シャドウの身体がメメントスの闇に溶け、異形として顕現する。長い髪を派手に振り乱し、黒ずんだ肌に白い着物を身に纏った醜女(しこめ)が現れた。緒賀はニタニタ笑いながら、何故か俺をじっと見つめていた。俺の正体に気づいている訳ではないようだが、俺のことは“明智吾郎に近しい存在”として見ているらしい。

 

 「明智くん明智くん明智くん……私が助けてあげるからね……」――緒賀は不気味な笑みを浮かべながら呪詛を紡ぐ。

 次の瞬間、緒賀はジョーカーの方に向き直って属性攻撃を打ち放った。爆ぜるような白は、祝福属性。

 

 

「きゃあっ!」

 

「マズい、ジョーカーダウン!」

 

 

 丁度、ジョーカーが身に纏っていたペルソナは祝福属性に弱かった。不意を突かれたジョーカーが倒れこむ。ナビが悲鳴を上げた。緒賀は醜悪な笑みを浮かべ、ジョーカーへと襲い掛かる!

 

 

「させるか! ――射殺せ、ロビンフッド!!」

 

 

 俺の意志に呼応するようにして顕現したロビンフッドは、赤黒い呪詛を打ち放った。俺の怒りを体現するかのように吹き上がったそれは、呪怨属性由来の闇である。緒賀の弱点属性ではなかったものの、ジョーカーへの追撃は阻止できた。

 

 モナが回復術を使い、ジョーカーの傷を癒す。身動きできない彼女を庇うため、俺はジョーカーの前に立った。それが気に喰わなかったのか、緒賀は金切り声を上げながら雷による攻撃を繰り出した。

 次の瞬間、割り込むようにして飛び出したスカルが雷を喰らう。スカルのキャプテンキッドは雷属性を無効化するのだ。間髪入れずスカルはキャプテンキッドを顕現し、緒賀に体当たりを仕掛けた。

 派手に吹っ飛んだ緒賀に、フォックスが冷気を、パンサーが炎を喰らわせる。追い打ちと言わんばかりに飛び出したのはクイーンだ。ヨハンナがエンジン音を派手に轟かせながら、フラッシュボムを打ち放つ。

 

 閃光が緒賀の視界を潰したようで、緒賀は見当違いの方角へ攻撃を繰り出す。奴の攻撃はメメントスの壁にぶち当たった。

 傷が癒えたジョーカーが立ち上がる。彼女は即座に仮面を付け替え、攻撃を仕掛けた。

 

 

「お願い!」

 

 

 ジョーカーが顕現したペルソナは、派手に風を巻き起こした。攻撃を叩きこまれた緒賀が怯む。

 

 

「モナ、任せる!」

 

「おうよ! ――威を示せ、ゾロ!」

 

 

 顕現したゾロは、どこからともなくマジックハンドを出現させた。勢いよく打ち放たれた拳の一撃が、緒賀の腹部に叩き込まれて吹き飛ぶ。

 奴はその一撃に耐え切れず、そのままダウンしてしまった。ジョーカーの指示に従い、僕たちは緒賀に総攻撃を仕掛けた。

 悲鳴を上げる緒賀に止めを刺したのはモナである。彼はどこから現れたのか知らない椅子に腰かけ、葉巻を吸いながら不敵に笑った。

 

 間髪入れず緒賀は崩れ落ちた。歪んでいた心は正しく戻され、醜女は姿を消す。元に戻った緒賀汐璃は茫然と俺たちを見上げていた。

 彼女の顔色が真っ青を通り越して真っ白だ。「憧れの人と通じ合っている黎が羨ましかった」――緒賀汐璃は泣きながら、「許してください」と頭を下げた。

 

 

「謝る相手が違うだろ。怪盗団に謝るんじゃなく、オマエが傷つけたアケチとレイに謝れ。……オマエはアケチのファンなんだろ? 本当のファンだったら、ソイツの幸せを祈ってやるもんじゃないのか?」

 

「……そうね、そうだよね。明智くんにも、有栖川さんにも謝らなくちゃ……」

 

 

 『改心』が成功したようだ。モナの意見に感激したらしい緒賀汐璃は、俺たちに謝ってきた。彼女のシャドウは溶けるように消えて、残されたのは『オタカラ』の元。それはスクラップブックで、明智吾郎に関するインタビュー記事が綺麗に纏められていた。しかも、スクラップされていた記事は僕が探偵王子の弟子としてメディア出演を始めた頃のものばかり。

 

 緒賀汐璃は、最初の頃は“純粋に俺を応援していた一ファンの1人”に過ぎなかったのだろう。それがいつの間にか、俺に対する強い執着へと変わったらしい。彼女の執着心が黎への攻撃へ変化したのは、執着対象であった俺に拒絶されたこと――明智吾郎が優先したのは自分ではなく、有栖川黎だったこと――が理由みたいだ。

 ……緒賀汐璃の発言からして、万が一、もしかしたらの話だが、彼女は僕と黎の関係性を勘付いたのかもしれない。芸能人に伴侶ができるとファンが荒れて暴走する場合があるとは聞いていたが、自分が体験する羽目になるとは思わなかった。しかも、被害の矛先が俺自身ではなく黎に向けられるという最悪なケースである。

 一歩間違っていたら、黎に危害が加えられていたかもしれない。俺のアンチが俺宛でカミソリレターや呪いの言葉、藁人形なんかを贈りつけてくるのと同じ目に合ったのかもしれないし、下手したらもっと酷い目に合わされていた可能性もある。ジョーカー/黎への被害を未然に防ぐことができて本当に良かった。

 

 緒賀汐璃にとってのスクラップブックは、鴨志田にとっての金メダルと同じ扱いと言っても過言ではないだろう。

 緒賀汐璃の場合、スクラップブックを作って見返していた頃の気持ちを思い出せるという点では幸せなのかもしれない。

 彼女と鴨志田の明暗を分けたのは、“自分が持つ『オタカラ』を汚してしまうような行動に出たか否か”だった。

 

 

「ジョーカー、大丈夫?」

 

「うん。クロウが助けてくれたし、モナが傷を治してくれたから」

 

 

 ジョーカーは静かに微笑んだ。名指しされた僕は、なんだか照れ臭くて口元を緩ませた。

 彼女は屈んでモナの頭をわしゃわしゃと撫で繰り回す。モナは「猫扱いすんな!」と怒ったが、言葉に反して嬉しそうだ。

 

 ナビが加わって以来、モナは自信を喪失して途方に暮れていた節があった。彼のペルソナであるゾロはナビゲートとアナライズの能力を持っていたが、クイーンのヨハンナがアナライズ能力、ナビのネクロノミコンはナビゲートとサポートに特化した上位互換版である。彼女たちのペルソナと比較した場合、モナのゾロはどっちつかずの中途半端に陥ってしまっていた。

 鴨志田パレスや班目パレスで、モナが自信満々に僕たちを導いてきたのは、当時の怪盗団にはナビゲートとアナライズ能力を有するペルソナ使いがいなかったためだ。パレス攻略において、モナは重要な立ち位置にいた。攻略の要であり、自分がいなければ怪盗団は成り立たないと思っていたのかもしれない。だが、クイーンやナビの加入によって、その自信が揺らいでいたようだ。

 役立たずである自分はここにいていいのか――僕も昔、それで悩んだことがあるから、何となくわかる。最初は空本兄弟に引き取られた直後、その後は至さんと一緒にペルソナ使いの戦いに首を突っ込むことになって、何度も何度もその壁にぶち当たった。力を得た今ですら、黎/ジョーカーの冤罪を晴らしてやれない自分自身に苛立つことがある。獅童に夢を見てしまう自分に嫌悪することだってある。

 

 それでもきっと、ジョーカーは言うのだろう。“吾郎/クロウが私の傍にいてくれて、本当に良かった”と。

 

 同じように、ジョーカーは仲間たちにも言うのだ。“みんながいてくれたから、自分は頑張れる”――その言葉に救われているのは、怪盗団全員の総意であろう。

 自分たちの方こそ、有栖川黎/ジョーカーと出会えて本当に良かった。いずれは、彼女にそう伝えられる日が来たらいい。力になれる日が来ればいい。そう、切に願った。

 

 

「今回は大活躍だったね。これからも頼むよ、モナ」

 

「お、おう! ワガハイに任せとけ!」

 

 

 暫しモナを撫で回して満足したらしい。ジョーカーは立ち上がり、仲間たちを見返す。

 

 

「緒賀汐璃の『改心』がうまくいったのは、みんなが手を貸してくれたおかげだよ。ありがとう」

 

 

 「この調子で、チートゲーマーである根島も『改心』させよう」――ジョーカーの言葉に、仲間たちは迷うことなく頷いた。

 

 

***

 

 

「まさか、メメントスにまでチートを持ち込んでくるなんて思わなかった」

 

 

 川上先生のマッサージを受けて体の疲れを取ったにもかかわらず、黎の表情は晴れない。

 それもそのはず、僕たちは初めて、メメントスで“一時退却”する羽目になったからだ。

 

 緒賀汐璃を『改心』させた僕たちは、意気揚々と根島の『改心』へ向かった。だがどういう訳か、根島のシャドウは僕たちの攻撃を一切受け付けなかったのである。

 無敵状態の相手を殴り続けてもこちらが消耗するだけだ。現実世界に突破口があるのではと踏んだ僕たちは、一端現実世界へ戻ることと相成ったのである。

 その後、夜の用事――吉田という政治家からの演説指導、および手伝い――を終えてきた黎と合流した僕は、今日も閉店時間を過ぎたルブランで短い逢瀬を楽しんでいた。

 

 

「こうなると、根島の『改心』は修学旅行が終わった後になるかな。ちょっと心残りだけど」

 

「俺たちの本業は学生だ。流石に、修学旅行をサボるわけにもいかないだろう」

 

「惣治郎さんも、『学校行事に参加しないで更生なんかできない。何かあったら学校の責任だ』って笑ってたなー。てっきりダメだって言われるかと思ってたのに」

 

 

 苦笑する黎に、僕も同意する。いくら担任教師の川上先生がサボタージュに協力してくれると言えど、それはあくまでも“授業”限定だ。現に、黎は授業時間にサボることはあっても、学校を休んだことは一度もない。性格的にもそういう真似はしないだろう。そして、厳しい保護司が笑顔で『行ってこい』と言ってくれたのだ。行かないわけにはいくまい。

 

 

「そういえば、秀尽学園高校の修学旅行先はハワイなんだって?」

 

「うん。海外に行くことになるなんて思わなかった。洸星はロスだって。東京の高校って凄いんだね」

 

「東京の学校がみんな修学旅行に海外へ行くと思ったら大間違いだよ、黎。俺なんて去年は沖縄だぞ?」

 

「お土産のちんすこう美味しかったし、夜光貝のイルカブローチも嬉しかった。この前身に付けて行ったら、杏と真から褒めてもらったの」

 

「そっか。ちゃんと使ってくれてるんだね。嬉しいな」

 

 

 去年の修学旅行、僕の高校は沖縄へ行った。その際、僕は黎へのお土産にちんすこうと、イルカを象った夜光貝のブローチを買ったのだ。

 前者は送ってから1週間で食べきったと連絡があり、後者は時折彼女の胸元で輝いているのを目にしている。

 

 今でも黎は夜光貝のブローチを大切にしてくれているようだ。僕はひっそりと目を細めた。

 

 黎がハワイに行っている間、僕は日本で活動を続けることになるだろう。今年に入って僕たちは“いつも一緒にいる”と称してもいい程、距離的にも心理的にも近い場所で過ごしていた。だから、彼女の修学旅行は、僕と黎が初めて長期間顔を会わせられなくなることを意味している。

 彼女が東京に来る以前は、傍にいられないことの方が当たり前だった。長期休みになると遊びに来ては、短い時間を過ごして別れることを繰り返していた。不思議なものである。それを日常と認識するまでの期間は、一緒にいられないことが当たり前だった期間よりもはるかに短いのに。

 僕がそんなことを考えていたら、目の前にグラスが置かれた。この時間帯にコーヒーを飲むと眠れなくなることと、9月に入っても残暑厳しい日々が続くからこその配慮なのだろう。黎が僕に淹れてくれたのはアイスココアだった。僕は礼を述べ、ココアを啜る。冷たくておいしい。

 

 

「ハワイのお土産、期待してて」

 

「分かった。期待しながら待ってるよ」

 

 

 顔を見合わせて笑い合う。離れて互いを想う時間も、その間に横たわる寂しさも、何もかもが愛おしかった。

 

 

◇◇◇

 

 

『怪盗団が“メジエド”を無力化した一件が、世界にも広がっているみたいなんだ。その関係で、アメリカのテレビ番組から出演依頼が来てね。俺もそっちの対応がしたいんだけど、国内で手一杯でさ』

 

 

 相変わらず、獅童智明の顔は()()()()()()

 けど、奴が苦笑しているということだけは分かった。

 

 

『原因を作った俺が言うのもなんだけど、最近はキミへのバッシングがどんどん酷くなってて過ごしづらいだろう? だから、気分転換がてら、海外に足を運んでみたらいいんじゃないかって思って』

 

『父さんが手を回してくれたから、楽しんでおいで』

 

 

 その行き先がハワイだと聞いたときは、獅童や智明の作為を感じたものだ。

 

 

『……そういえば、ハワイって、秀尽学園高校の修学旅行先だよね。キミが接触した怪盗団の関係者も秀尽学園高校の生徒なんだろう? ――接触できるなら、お願いできるかな?』

 

 

 僕の予感は正解だった。奴らの動きや『改心』させた秀尽学園高校の校長の話からして、獅童たちは“怪盗団の関係者が秀尽学園高校の生徒”だと気づいている。

 メンバー構成の情報までは掴めていないだろうが、暗に『奴らを監視しろ』と命じていることに変わりはない。僕は心の中で嘲笑いながら、表面上は苦笑しながら頷いておいた。

 『父さん、言ってたよ? 『明智くんには期待してる』ってさ』――それが嘘だってことは、僕が一番よく知っている。おそらくは、僕に笑いかける智明自身も。

 

 僕がそんなことを考えていたとき、丁度そのタイミングで、黒人司会者が番組の終了を告げた。

 程なくして監督がOKのサインを出す。これで、番組の収録が完了だ。

 

 

「よっ、お疲れさん。……しかし、まさか吾郎がアメリカに来るなんて思わなかったぜ」

 

「それは僕の台詞ですよ、稲葉さん。アメリカで成功して活躍中って話題になってましたけど、テレビでコメンテーターやってるなんて初耳ですよ」

 

 

 僕に声をかけてきたのは、アメリカで有名なダンサーとして活動している稲羽正男さんだ。日本では本業に関する話題しか聞かないから、テレビ局で顔を会わせることになるだなんて思わなかったのである。しかも、アメリカではコメンテーターとしても活動している様子だった。

 今回行われた収録――怪盗団特集に呼ばれたのは業界人だけではない。仕事やプライベートで日本を行き来する有名人や、アメリカで活躍している日本人も含まれている。稲葉さんはその中の1人だった。有名なダンサーになるという夢を叶えた、嘗ての“反逆の徒”である。

 

 

「お前、この後どうするんだ? テレビ収録の為だけにハワイまで飛んできた訳じゃないんだろ?」

 

「ところがどっこい、その通りなんですよ。……まあ、温情で1日半間の自由時間を貰いましたが」

 

「うへあ、ブラック……」

 

「いや、稲葉さんには負けますって。本業の傍ら、アメリカで発生してる悪魔関連の事件も解決してるって聞きましたよ? この前も、悪魔と契約して大変な目に合っていたティーンエイジの若者を助けたって、至さんから」

 

「いやいや、大したことはしてねーよ。その子がオレのファンだってことが縁で、なし崩し的に巻き込まれたようなモンだし。むしろ、オレでよく解決できたよなって思ってる。……イタリーみたいに、怪異と戦い続けるのって大変なんだなって実感してるトコだな」

 

 

 苦笑した僕の様子から、稲葉さんは天を仰いだ。稲葉さんは僕が今、何を思って誰の配下として振る舞っているかを知っている。それ故に、僕のことを心配してくれていた。

 そして、旧友であるイタリーこと至さんのことも気にかけてくれている。先輩からの激励が嬉しくないはずがない。僕は噛みしめるようにして頭を下げた。

 稲葉さんは仕事で忙しいようで、テレビ局の前で別れた。僕が泊まる先はテレビ局――もとい、獅童が用意した超高級ホテルである。普通の学生は絶対に泊まれない場所。

 

 出席日数はそれなりに余裕があるし、教師たちからもある程度は期待され温情をかけてもらっている身だ。獅童の圧力プラスアルファを差し引いても何とかなりそうである。多分。……正直、あまり頼りたくはなかったが。

 

 さて、獅童親子から命じられていた収録はこれで終了。日は傾きつつある。

 僕は何の気なしにスマホを確認する。怪盗団の女性陣からメッセージが入っていた。

 

 

杏:吾郎大変! 早くしないと、吾郎がフリフリのウエディングドレス着る羽目になる!!

 

双葉:常夏の国ハワイで、黎の溢れんばかりのカノジョ力が炸裂する! 今こそ、吾郎のカレシ力が試されるとき!!

 

真:吾郎。今、貴方は非常に危険な状態にあるわ。状況を打破する方法は1つよ。黎を口説き落としなさい。SNSでも電話でも明日の自由時間でもいいから、大至急!

 

 

「なんだこれぇ!?」

 

 

 あまりにも脈絡がないメッセージに、僕は思わず変な声を上げた。内容の意味不明さも突飛だが、女性陣からのメッセージにはパワーワードが満載である。特に杏と双葉。

 

 僕がウエディングドレスを身に纏う羽目になるとは、一体どんな冗談だ。僕はそう思いかけ――凛々しい笑みを浮かべた黎の姿を幻視した。度胸MAXライオンハート、魅力MAX魔性の女、クールビューティーで漢らしい彼女なら、タキシードが良く似合うだろう。

 一時期、どこぞの女どもが『明智くんは美少女顔だから女装が似合いそう』と持て囃していたことを思い出して首を振る。――冗談じゃない、俺は男だ! 黎に口説かれたり彼女の漢気に当てられてうっかり乙女と化してしまったりするけど、俺は立派な日本男児なのだ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()――俺の中にいる“何か”が警笛を鳴らした。()()()()()()()()()()()()()()()()と、“何か”が焦燥する。確かにその通りだ。俺はそれに同意し、ホテルに帰る道を急遽変更して街中へと駆け出した。何のあてもないのに、だ。

 

 僕がハワイに行くことは、怪盗団の面々に報告済みだ。ついでに、明日の自由時間を黎と過ごす約束をしていたことも、何故かみんなが把握していた。双葉経由らしい。

 まるで見張られているみたいじゃないか――なんて思っていたら、今度は男性陣からもメッセージが入った。

 

 

竜司:吾郎、マジヤバイ! どれくらいヤバイかっつーと、とにかくマジヤバイんだ! このままだとお前、男としてのプライドへし折れるぞ!!

 

祐介:黎を見ていると、彼女がタキシードを着て、ウエディングドレスを身に纏ったお前をお姫様抱っこしている構図が浮かぶんだ。このままだと、近々現実になりそうだな。

 

三島:吾郎先輩が男になるのか、黎が漢になるかのチキンレース開始。尚、後者の方が明らかに優勢な模様。もういい加減結婚すればいいのに。もしくは婚約。

 

 

「全員切羽詰ってんじゃねーか!」

 

 

 一体、黎は何をするつもりなのだろう。考えるだけで頭が痛くなってくる。特に三島の発言がおかしい。なんだその意味不明なチキンレース。

 しかし、一番分かりやすいメッセージを送っていたのは三島だった。結婚、婚約――僕がその文面を読み取ったとき、僕の中にいる“何か”がぽつりと呟く。

 

 ()()――酷く躊躇いがちな声だった。“()()()()()”、“()()()()()()()()()()()()――()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

(……指輪、か)

 

 

 誰かに肩を叩かれたような気がした。()()()()()()()()()()と、()()()()()()()()()()()()()()と、祈るような声が聞こえた気がする。願うだけで終わらせるつもりはない。俺は、その未来を掴み取るために往くのだ。たとえこの先に、どんな運命が待ち受けていたとしても。

 決意を新たに、俺は周囲を確認する。探しているのは土産物店――特にアクセサリーを取り扱う店だ。適当に目に飛び込んできた店へ足を踏み入れれば、そこは男女問わず観光客で賑わっていた。アクセサリー売り場を発見した俺は、指輪が並ぶ区画に辿り着く。

 沢山の商品が並ぶ中、一番目を惹いたのは、ユニセックス用にデザインされたシンプルな指輪だった。青く輝く宝石――ブルーオパールが使われている。確か、ブルーオパールはハワイ土産としても有名だった。黎が僕の指の大きさを把握しているかどうかは知らないが、僕の方は既に把握済みである。

 

 少々値は張るけれど、大切な人への贈り物だ。妥協はしたくない。身に着ける際の利便性も考えて、シルバーのチェーンも一緒に購入した。

 揃いのモノを身に着ける勇気は、まだない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 この指輪は、俺のささやかな願掛け。勿論、そのことを黎には告げるつもりはない。告げたら確実にむくれてしまいそうだ。俺はひっそり苦笑する。

 

 

「喜んでくれたら、いいな」

 

 

 包みを片手に、僕はホテルへの帰路を急ぐ。

 遠くで、一番星がひっそりと瞬いていたのが見えた。

 

 

◇◇◇

 

 

 待ち合わせ場所はハワイのビーチ。夏に行ったビーチと同じく、水着を着た人々が闊歩している。今日の天気は晴天だ。

 

 調子に乗って30分前に来てしまった。案の定、黎はまだ来ていない。やることもなく暇なので、僕は黎を待ちながらウエストポーチの中身を漁る。と言っても、中身は財布、スマホ、黎へのプレゼント――ブルーオパールの指輪くらいしか入っていないため、あまり意味はない。

 僕の服装は、8月に海へ行ったときと何ら変わっていなかった。多分、黎もあのとき着てきた水着で来るのだろう。杏や真、双葉と違って露出は控えめだが、それでも水着である。真っ白とはいかずとも、健康的な肌が惜しみなく晒されている。……邪念が湧き上がってきそうだ。

 

 

「――吾郎!」

 

 

 愛しい人の声が聞こえたのは、待ち合わせ時刻まで残り15分を切ったところだった。人ごみの中から、黎の姿を一発で見つけ出す。

 それは彼女も同じだったようで、迷うことなく僕の元に駆け寄って来た。果たして僕の予想通り、黒のスカート水着を着ている。

 やはり、格好が格好なだけに色っぽい。ついつい俗物的な反応を示しそうになるのを堪える。僕はそうと知られぬよう咳払いした。

 

 

「黎はいつも来るの速いよね。そんなに僕に会いたかった?」

 

「うん。ずっと会いたかった」

 

「……そ、そう……」

 

 

 真顔で返されるとは思わなくて、僕は言葉を濁してしまった。ストレートに好意をぶつけられるのは、やっぱり恥ずかしい。

 だってこんなにも嬉しいのに、それをきちんと言葉にして伝えられないのだ。悪態にならないだけマシなのかもしれないが、複雑な気持ちになる。

 

 

「吾郎は私に会いたくなかったの?」

 

「……意地が悪いな」

 

「答えになってないけど」

 

「会いたかったに決まってるだろ。そうじゃなきゃ、待ち合わせより早く来るわけない」

 

「だろうね。30分前から待ち構えている人なんていないよね」

 

 

 見事に言い当てられ、僕は何も返すことができない。これは黎の直感だったらしく、僕の反応を見た途端、嬉しそうに目を細めた。

 

 僕の方が黎より年上なはずなのに、何故か彼女に甘えてしまいそうになる。甘えるのも甘やかすのも下手くそだとは自覚しているが、できれば甘やかしたいというのが本音だ。まともに甘やかせたことは皆無だけど。男としてのささやかなプライドだ。

 せめて、黎の前ではまともな人間でいたい。完璧な人間でありたい。彼女の手を引き、数多の理不尽から彼女を守れるような存在でありたい。そう思う度に、それが高望みなのだと突き付けられて打ちひしがれる。生きる限り、僕はきっと、そんな壁にぶち当たり続けるのだろう。

 

 明日の朝一番に、僕はハワイから日本へ戻る。黎たちは明日の夜に日本行きの便に乗るらしい。だから、こうして海外を散策するのは今日が最初で最後となる。

 そういえば、怪盗団の面々やモルガナがいない――僕と黎の2人きりでデートをするのは久しぶりだ。僕の口元が自然と弧を描く。なんだか、凄く嬉しい。

 「それじゃあ、行こうか?」――何の飾り気もない誘い文句に、黎は頬を薔薇色に染めながら頷き返した。愛情に満ちた眼差しを向け、幸せそうに口元を緩ませる。

 

 泳ぎたい気分かと問われれば、そうでもない。好きな人と一緒に当てもなく浜辺を歩く。

 他愛のない話題をしながら歩いていたら、ある屋台が目に留まった。

 

 

「あれ、ガーリック・シュリンプだね。ハワイでかなり有名になってる屋台」

 

「杏が美味しい店だって言ってた。丁度お腹もすいたし、早速食べに行こう」

 

「そっか。もうお昼の時間帯だもんね。お腹が減るわけだ」

 

 

 僕と黎は一緒に屋台へ向かった。人は並んでいないため、目的であるガーリック・シュリンプは簡単に購入することができた。

 「どちらが奢るか」で口論になりかけるという問題は発生したけれど、最終的には「割り勘にする」ことで事なきを得た。

 適当なベンチスペースに腰かけ、僕たちはビーチを眺めながら異国の味を楽しむ。濃い目の大味だったが、とても美味しかった。

 

 屋台の店主も怪盗団に興味があるようで、「怪盗団に会ったら、“世界中の人々がエビ好きになるよう『改心』させてほしい”と伝えてくれ」とダイレクトマーケティングをされてしまった。そういった方面には精通していないが、一応笑顔で対応しておいたので問題ないだろう。

 

 

「ところでお兄ちゃんとお姉ちゃんたち、ハネムーン中?」

 

<へえ、よく分かりましたね。私たち新婚なんです>

 

「ん゛ん゛ん゛ッ!!」

 

 

 観光客向けに覚えた拙い日本語で、店主はとんでもないことを訊いてきた。黎は淀むことなく満面の笑みで答える。しかも綺麗な英語でだ。

 突如落とされた爆弾に、僕は咳払いして邪念を追い払うので手一杯であった。顔が熱い。僕の様子を見た店主は、微笑ましそうにニヤニヤ笑う。

 

 <新婚のお2人さん、ハワイを楽しんで。キミたちの人生が幸運であることを祈るよ!>と叫ぶ店主が手を振る中、僕は逃げるようにして黎の手を引いた。ああもう格好悪い。

 

 目的もなくビーチを散策し、現地人や観光客とたまに話し、のんびりとした時間を楽しむ。気づいたときにはもう、夕焼けが海に沈もうとしていた。僕と黎は感嘆の息を零す。

 近くにあったベンチスペースに腰かけ、僕たちはぼんやりと夕焼けを見つめていた。日本で見た夕焼けとは違い、ロマンティックという言葉がよく似合う。

 

 

「綺麗だね」

 

「うん。とても綺麗……」

 

 

 僕の隣に黎がいて、微笑んでくれている――なんて幸せなことだろう。だからこそ、胸が痛む。

 

 

「ねえ、黎」

 

「なに?」

 

「……ごめん。黎の無実を証明するのも、獅童を『改心』させるための調査も全然進まないから、ずっと黎に辛い思いをさせてる」

 

「吾郎……」

 

「終いには、緒賀汐璃みたいな奴に粘着されて危害を加えられそうになって……ホント、俺は何をやってるんだろうな。お前を守りたくて、助けたくて密偵を始めたのに、守るどころか危険に晒して……」

 

 

 なんだか情けなくなってしまい、俺は深々と息を吐いた。黎を守りたいのに、助けたいのに、明智吾郎はどうしてこんなにも無力なのだろう。いつも助けてもらってばかりだ。「こんな自分が彼女と一緒に生きていけるのか」と不安になる。

 そんな僕を見ても、黎は静かに微笑む。「そんなことないよ」と言った彼女は俺の肩にしなだれかかった。無防備に重みを任せてくれるその姿は、俺への深い信頼と愛情を示してくれているように思えて、胸が締め付けられる。

 この温もりを失いたくないと願う。守れるような人間になりたいと願う。……いや、いつも俺は願ってばっかりだった。俺の目線は自然とウエストポーチへ――ポーチの中に潜ませた指輪へ向かう。“黎と生きる未来を掴む”という、俺の決意の証。

 

 挙動不審にそわそわし始めた俺を見ても、黎は黙ったままだった。俺が何かを言うまで、彼女は辛抱強く待ってくれる。

 灰銀の双瞼はどこまでも優しい。彼女は俺を信頼しているのだと伝わってきた。俺は深呼吸し、鞄から指輪の入った袋を取り出した。

 

 上手い言葉が見つからなくて、俺は「これ、黎に」とだけ呟くのが精一杯だった。袋からブルーオパールの指輪を取り出し、黎の左手薬指に嵌める。黎は目を丸くした。

 

 

「これ……」

 

「今日の記念。揃いの――……永遠を誓うための指輪は、いずれ俺から贈るから。……今は、これで」

 

 

 指輪を通すためのチェーンも押し付ける。気恥ずかしくなって、俺は視線を彷徨わせた。

 黎は目を輝かせながら、四方八方様々な角度から指輪をまじまじと観察する。

 

 

「ありがとう、吾郎。とっても嬉しい」

 

 

 黎は花が咲くような笑みを浮かべた。夕焼けでもはっきりわかるくらい、頬を染めている。ああよかった、と、俺が安堵の息を吐いたときだった。

 

 

「私からも渡したいものがあるんだ。左手出して」

 

「あ、ああ」

 

 

 何の気もなく、俺は黎の言葉に従って左手を差し出した。黎はハンドバッグから何かの包みを取り出す。

 彼女は俺の薬指に何かを嵌めた。それはつっかえることなく、俺の指にぴたりとはまる。

 

 ――指輪、だった。コアと呼ばれる神聖な木を使って作られた、シンプルな指輪。俺が黎に贈ったものとほぼ同じデザインである。

 

 コアウッドはハワイのお土産としても有名なものだ。現地の言葉で勇気や勇者という意味を持ち、精霊が宿る木とみなされ、お守り代わりにされることもあるという。

 密偵として敵の最前線に立つ俺を気遣い、選んでくれたのだろう。俺が派手なものを好まないことを知っているから、シンプルなデザインのものを選んだに違いない。

 

 

「いやはや、先手を取られるとは思わなかった」

 

 

 呆気にとられる俺を見返して、黎は照れ臭そうに笑った。

 

 「正式な婚約指輪や結婚指輪を贈る約束まで取られちゃった」と言うあたり、彼女に先手を取られていたら大変なことになっていたことは明らかである。仲間たちが焦っていた理由が今分かった。

 俺に対してプロポーズする――黎なら確実にやりかねない。紙一重で、俺の“男としてのプライド”は守られた。内心戦々恐々としている俺の気持ちなど、黎は気づかない。

 彼女が考えていたことは俺と同じみたいで、指輪を通すためのチェーンを手渡してきた。意図せず、俺と黎のプレゼントは材質違いのお揃いとなっている。少し照れ臭かった。

 

 左手薬指に輝くのは、共に生きたいと――生きる未来を手に入れるという決意を示すための指輪だ。不揃いだけれど、同じ未来を願っている証。

 いつか、共に未来を生きるという決意が約束へと変わり、永遠の誓いになる日が来る。その暁には、僕と黎はお揃いの指輪をすることになるのだろう。

 

 

(その未来を掴むためにも、絶対に、獅童の罪を終わらせるんだ)

 

 

 黎から贈られた指輪を見つめながら、俺は決意を新たにする。燃えるように赤い夕焼けは、地平線の向こうへと沈もうとしていた。

 俺と黎がハワイで過ごす時間にも終わりが近づいてきていた。名残惜しいが、そろそろ黎をホテルへ帰さなければならないだろう。

 

 

「……そろそろ帰らないといけないね」

 

「もう少し、一緒にいたい」

 

 

 俺と同じことを考えてくれたようで、黎は寂しそうに呟いた。俺も苦笑しながら頷く。最後の抵抗と言わんばかりに、彼女の手を取った。

 

 

「それじゃあ、ホテルまで送る」

 

「ありがとう。――……ねえ、吾郎」

 

「何?」

 

「また来ようね。今度は2人きりで」

 

「――ああ、そうだね。また来よう」

 

 

 夕焼けに染まるハワイの街並みを、手を繋いで帰っていく。

 “共に歩む未来を勝ち取るための戦い”は、佳境を迎えようとしていた。

 

 




奥村パレス編開幕。魔改造明智、決意するの巻。秀尽学園高校の校長や双葉パレス編に出てきたストーカー少女を『改心』させたり、獅童智明に命じられて弾丸ハワイツアーする羽目になったり、ついでに命令された通り秀尽学園高校の修学旅行に合流したり、意図せず指輪を贈り合うことになったりと、充実した日々を送っているようです。
今のところは順風満帆に進んでいる様子ですが、はてさてどうなることやら。次回からは奥村パレスに挑むことになりそうです。ハワイでは初代に登場したマークがゲスト出演しました。ダンサーの仕事をメインに、向うのメディアでコメンテーターやったり、時折悪魔絡みの事件に巻き込まれている模様。
ハワイ土産を検索した結果、魔改造明智と黎の指輪交換会(実質婚約指輪状態)に辿り着きました。各種お土産を検索するのは本当に楽しかったです。ブルーオパールとコアウッドを見つけなかったら、ここに着地できなかったでしょう。この報告を耳にしたら、怪盗団と三島、空本兄弟と惣治郎が拍手喝采で赤飯を炊き始めそうです。


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飛んでけ、バタフライエフェクト

【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 @空本(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄で明智の保護者その1。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
 @獅童(しどう) 智明(ともあき)⇒獅童の息子であり明智の異母兄弟だが、何かおかしい。獅童の懐刀的存在で『廃人化』専門のヒットマンと推測される。詳しくは中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『運命を切り開くだけの簡単なお仕事』および『ペルソナ3異聞録-.future-』、Pixivの『2周目明智吾郎の災難』および『【一発ネタ】有栖川黎の幼馴染』の設定を下地にし、別方向へ発展させた作品である。
・ジョーカーのみ先天性TS。
 ジョーカー(TS):有栖川(ありすがわ) (れい)⇒御影町にある旧家の跡取り娘。旧家制度は形骸化しているが、地元の名士として有名。身長163cm。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空本(そらもと) (わたる)⇒明智の保護者2で、南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。
・敵陣営に登場人物追加。
 @神取鷹久⇒女神異聞録ペルソナ、ペルソナ2罰に登場した敵ペルソナ使い。御影町で発生した“セベク・スキャンダル”で航たちに敗北して死亡後、珠閒瑠市で生き返り、須藤竜蔵の部下として舞耶たちと敵対するが敗北。崩壊する海底洞窟に残り、死亡した。ニャラルトホテプの『駒』として魅入られているため眼球がない。この作品では獅童正義および獅童智明陣営として参戦。但し、どちらかというと明智たちの利になるように動いているようで……?
・「2罰ボスの外見を見た人間の反応」に関するねつ造設定がある。
・普遍的無意識とP5ラスボスの間にねつ造設定がある。
・『改心』と『廃人化』に関するねつ造設定がある。
・春の婚約者に関するねつ造設定と魔改造がある。因みに、拙作の彼はいい人。


 秀尽学園高校の校長は、酷く晴れやかな面持ちで街を歩いていた。目的地は警察署。彼が成そうとしていることは自首。鴨志田卓の暴力事件をもみ消そうとしたことを筆頭に、獅童正義との関係によって発生した多種多様の汚職行為を洗いざらい話すためである。

 華々しかった己の人生が、他ならぬ己自身によって破滅を迎えようとしている――にも関わらず、校長は満足げに笑っていた。自分は正しいことをするのだと、それが自分の最後の務めなのだと言わんばかりの笑みを浮かべていた。社会的な死など、最早恐れる必要はない。

 教師たちへの連絡は済んだ。学校は暫く大騒ぎだろうが、秀尽学園高校の教師たちも生徒たちも、手を取り合って危機を乗り越えてくれることだろう。すべての罪と罰は自分が連れて行く――秀尽学園高校の校長は、己の決意を噛みしめた。

 

 校長の心境が大きく変わったのは、恐らく怪盗団が校長を『改心』させたためだろう。

 

 罪の重さを自覚し、深く反省するだけでなく、罪を償う機会を得た。教育者である己が行うべき最後の仕事を全うする機会を貰えた。怪盗団には感謝している。文字通り、心を変えられたのだ。

 獅童正義による『廃人化』ビジネスを知っていた校長は、それ故に、対を成す『改心』を得意とする怪盗団を恐れた。今なら、彼/彼女らに怯えていた当時の自分を諭してやりたい。彼らは誇らしい子どもたちだと。

 

 秀尽学園高校の校長は足を止めた。歩行者用の信号機が赤だからだ。そこにおかしなところは何もない。校長は大人しく、信号が青になるのを待っていた。

 程なくして、歩行者用の信号が青に切り替わる。校長を始めとして、多くの歩行者が横断歩道を渡り始めた。

 

 ――どこからどう見ても平和な光景。おかしいところは何もない。

 

 

「……ん?」

 

 

 秀尽学園高校の校長の視界に“何か”がちらついた。校長は思わず足を止める。東京――それも、ビルが屹立し人がごった返すコンクリートジャングル――のど真ん中に、蝶が飛んでいる。しかも、普通の蝶ではない。黄金に輝く蝶が、光のように瞬く鱗粉をまき散らしている。蝶は校長の視界を横断するように飛び回っていた。

 

 不規則で気まぐれな軌跡に、校長の目は釘付けになる。何故か視線を外すことができずにいたとき、青信号がチカチカと点滅し始めた。早く行かなくては、道路のど真ん中で取り残されてしまうだろう。

 校長が慌てて足を踏み出そうとした瞬間、どこからか派手なタイヤ音が響いた。何ごとかと思い振り返る。車側の信号――色は赤――を無視したバスが、人が歩いている横断歩道目がけ、蛇行しながら突っ込んでくるではないか!!

 人々の悲鳴が四方八方から響き渡る。逃げ惑う者、腰を抜かして動けない者、呆気に取られて立ちすくむ者。秀尽学園高校の校長もまた、呆気に取られて立ちすくむ者の1人であった。逃げなくてはならないと分かっているのに、身体が動かない。

 

 バスの車体が大きく傾き横転した。校長の立つ場所目がけて、バスが迫る。文字通りのスローモーション。

 そんな状況にもかかわらず、金色の蝶は、校長を庇うかのように前へと躍り出る。

 

 ひらひら、ひらひら、きらきら、きらきら。――次の瞬間、砕けた車の部品が蝶を弾き飛ばした。

 

 耳をつんざくような轟音と衝撃。何があったかを理解するよりも先に、秀尽学園高校の校長は、自分が地面に倒れ伏していることを知った。身体はピクリとも動かない。体から急速に熱が引いていく。

 だめだ。だめだだめだだめだ。まだ自分は何も成していない。まだ、教育者としての“最後の仕事”を果たしていない。こんな所で死んでいる暇はないのだ。死にたくないのだ。死ぬわけにはいかないのだ。

 自首を。警察署に行かなくては――自身の叫びとは裏腹に、校長の意識はどんどん遠くなっていく。視界が暗くなっていく中、バスの部品に潰されたはずの蝶が、何事もなかったかのように飛び立っていく姿を見たような気がした。

 

 

 

 ……。

 …………。

 ………………。

 

 

 

 黄金の蝶は、誰かの叫びを宿しながら空を飛ぶ。

 ひらひら、ひらひら、ひらひらと。

 

 

「――蝶の羽ばたきは、運命を変える」

 

 

 黒いジャンパーを着た青年は、ぽつりと呟いた。

 

 横断歩道のど真ん中で立ち止まった恰幅の良い男が、車に撥ねられ即死した――()()()()()()()()()()()()()()()()

 自首をしに警察署へ向かっていた恰幅の良い男に、暴走したバスがぶつかり即死した――()()()()()()()()()()()()()()()

 

 変化はほんの些細なこと。けれども、それは()()()()()()()()()()()。今この瞬間にも波紋が広がり、蝶の羽ばたきが小さな風を巻き起こし、()()()()()()()()()()()。人はそれを、バタフライエフェクトと名付けた。

 誰かの願いを乗せて飛び立った蝶が空を舞う。たったの一羽なら、きっと誰も目に留めないだろう。気づけば蝶は群れとなり、誰の目に見えても“大きな存在”となっていく。それが、()()()()()()()()()()()理由。

 願いはいずれ決意に変わり、決意は滅びすらも超えていく。――今この瞬間だってそうだ。蝶が運んで来た景色は異国の砂浜。よく似たデザインだが材質違いの指輪が、夕焼けに照らされて輝いている。()()()()()()()()()()()()()

 

 

「――成程。それが、()()()()()()()()()()()()力なのだな」

 

 

 スーツを着てサングラスをかけた男は納得したように頷きながら、眼下に広がる惨状を見つめていた。

 

 商業用ビル内の一角を陣取るカフェテラスの窓際席はガラス張りになっており、道路を行き来する人々の様子がよく見える。そこには、横転したバスと右往左往する人々がいた。パトカーや救急車が何台も停まり、事故の周辺には野次馬どもがひしめく。

 スーツの男が見ているのは、山吹色のスーツを着た恰幅の良い男性である。頭から血を流していた男性はストレッチャーに乗せられ、救急車に運び込まれた。発進していく救急車を見送る男は、興味深そうにこちらへと向き直った。

 

 

「さて、彼は一体、何件の病院を盥回されることになるんだろうな? その間に力尽きるか、それとも持ちこたえるか……」

 

「盥回しに関しては、俺よりもあんたの方が知ってるんじゃないのか? 奴らの協力者の中には病院関係者だって数多くいるんだから」

 

 

 スーツの男の問いに対し、黒いジャンパーを着た青年は淡々と答えた。彼の周囲には、金色に輝く蝶々がひらひらと舞っている。

 青年が蝶に群がられているにも関わらず、周囲の人間は()()()()()。いや、青年の方が、周囲に蝶の存在を()()()()()()()()()()()()()のだ。

 金色の蝶は善神の化身。その力を振るう青年もまた、善神の化身の1体だ。経歴が異色すぎるため、思考回路や行動原理は人間寄りとなっている。閑話休題。

 

 

「秀尽学園高校の校長は、キミが守り導こうとするあの少年少女らによって『改心』させられている。私では把握することが不可能だが、“アレ”曰く『対象者が『改心』してしまうと、直接『廃人化』して()()することは不可能になる』とのことだ。キミは何か知っているのかね?」

 

役立たず(フィレモン)が言うには『『改心』させられた人間は正しい形で心の海に帰還してるから、悪神が直接手出しすることはできない』とか。某カダスマンダラみたいな感じらしい。間接的ならワンチャンあると踏んだんだろう」

 

 

 「その手段が“バスジャックの果ての大事故”か」と、青年は呟いた。「隠せていないぞ」と笑いながら、男も頷く。

 

 

「対象が無差別であり、被害者が多ければ多い程、1人1人の影は薄くなる。その中に秀尽学園高校の校長がいても、『不幸な事故に巻き込まれた』という一言で片づけられるという訳だ」

 

「それでも、バスジャック犯は“精神暴走事件の被害者”として注目されるんじゃないのか? 精神暴走事件を追いかけている新島検事は、そっちが精神暴走させてチャネリングしてるといえど、おたくらの派閥と対立構造にあるんだろ?」

 

「その点は抜かりない。実行犯として選んだのはオクムラフーズの元社員だ。“オクムラフーズのブラック企業体質を告発するも、奥村社長との裁判に敗訴。それが切っ掛けで失意のまま自堕落に日々を過ごすうちに、薬物へ手を出した。数度の逮捕歴もある”という経歴持ちだ。“再犯の結果、薬物による諸症状によって理性を失った挙句、バスジャックという強行に走った”と尾ひれがついても違和感はないさ。たとえ『廃人化』した末に死んだとしても、直前に違法薬物を摂取しているから判断できないだろう」

 

「悪辣だな。“凶悪犯が破滅の道を転がり落ちた理由は、オクムラフーズの社長にあり”――そうやって、世間に奥村社長の印象操作を行うわけか。民衆は奥村社長と元社員の顛末を知り、それ故に民衆は彼の『改心』を望み、怪盗団も民衆の意見に従うような形で動かざるを得まい、って?」

 

「もっとも、()()()()()その作戦は破綻しているがね。奴らが奥村社長を使い潰そうとしていることは既に伝えてある。怪盗団は、奥村社長を奴らから守るために『改心』させようとするだろう。あとは、奴らと彼らのどちらが読み合いに勝利するかだ」

 

「お前は誰の味方なの? 怪盗団と対立するような立ち位置にいるのに、その実、怪盗団を助けるような情報を流してる。……てっきり俺は、()()()()()()()()()()()()()()()()()モンだとばかり思ってたよ」

 

「私は『神』の『駒』。私を『駒』として重用している『神』からは、『手段は問わないから、“アレ”から私を解放しろ』と命じられている。……キミも()()()()()()()だろう」

 

 

 男はそう言い残して立ち上がると、そのまま立ち去ろうとする。

 青年は男を呼び止めた。男は首をかしげて振り返る。

 

 

「――ありがとな」

 

「……礼を言われるようなことは何もしていないよ。キミもそろそろ帰り給え。“あの子”はきっと、キミが作る食事を楽しみにしているだろうからな」

 

 

 男は踵を返し、ひらひらと手を振って立ち去った。その背中を見送った後、青年は止まり木を連想させるような動きで指を動かす。金色の蝶が誘われるようにして指に停まった。

 次の瞬間、自分を取り巻くように舞っていた他の蝶たちが一斉に飛んでいく。夕焼けの光に紛れ込むようにして、黄金の蝶の群れは空を舞う。その行方を知るのは青年だけだ。

 できることが増える度に、できないことが増えていく――青年はそんなことを考えながら蝶の行方を見つめていたが、立ち上がる。今日の献立を考えながら、家路へ着いた。

 

 

◆◇◇◇

 

 

 僕がハワイから戻って来たその日、とんでもないニュースが入った。

 秀尽学園高校の校長が、バスジャックによる交通事故に巻き込まれ、意識不明の重体になったのである。

 

 

『彼は学校関係者や警察署に『これから自首しに行く』と連絡を入れ、『後のことを頼む』と言っていたそうよ。それと、あと一歩前に出ていたら、横転したバスの下敷きになって亡くなっていたかもしれないらしいわ。……余程運がよかったのね。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()んだもの』

 

 

 冴さんは渋い顔をして書類と睨めっこしていた。僕もこっそりと書類を覗き込んだが、校長の入院先だけが大手の病院ではない。獅童とは一切関わりのない中規模な医院だ。

 獅童にとって、秀尽学園高校の校長は最早不必要な存在である。病院関係者に彼の受け入れを拒否するよう根回ししていたのだろう。処置遅れによる死を狙ったのかもしれない。

 秀尽学園高校の校長は、“生きてはいるが意識不明”のままだ。しかも、一生目覚めない可能性が高いとある。その間に、獅童は自分の権力地盤を整えるに違いない。

 

 そういえば、荒垣さんもストレガのタカヤに狙撃されたときは『一生目覚めない可能性が高い』と言われていた。でも、彼は卒業式数日前に目覚めた後病院を抜け出し、屋上へと駆けつけたのだ。文字通り、奇跡という言葉がよく似合う結末だった。

 

 荒垣夫婦の純愛を秀尽学園高校の校長に当てはめるのはかなり無理があることだが、奇跡が起きる可能性があることを僕は知っている。

 実際、奇跡は起きたのだ。死んでもおかしくなかった大事故に巻き込まれても、悪意によって病院を盥回しにされても、校長は生き残ったのだから。

 

 

『それで、バスジャックの犯人は?』

 

『亡くなったわ。バスが横転した際、窓ガラスの破片で首が切れたことによる出血性ショック死。オクムラフーズの元社員なんだけど、以前社長の奥村邦夫相手に裁判を起こし敗訴している。以後、彼の生活は荒み、薬物へ走ったみたい。売買や使用の件で逮捕歴もあるわ。再犯も繰り返していたようで、薬の常用性も認められている』

 

『薬物中毒による心神耗弱状態……』

 

『やるせないわね。オクムラフーズの一件さえなければ、彼の人生はここまで転がり落ちることはなかったでしょうに……』

 

 

 冴さんがため息をつきながら仕事をする隣で、僕も表面上は大人しく仕事を続けた。

 

 “『改心』に成功した人間は『廃人化』させることはできない”――神取が流した情報が頭の中にリフレインする。

 もしかして、バスジャック事故が発生したのは、僕たちが『改心』させた秀尽学園高校の校長を何とかして“処分”しようとした智明による苦肉の策だったのか。

 怪盗団が『改心』させてきた連中――鴨志田、班目、金城らにはもう手を出せない分、これ以上獅童に不利益が被らないようにしたかったのだろう。

 

 休憩時間にネットを確認したが、秀尽学園高校の校長についての話題は鳴りを潜め、帰宅ラッシュ時の夕方に発生したバスジャック事件がお祭りのように取り沙汰されていた。話題の中心は事故の犠牲者ではない。実行犯の陰惨な過去――オクムラフーズ社長との裁判に敗訴したことを機に、転落人生を歩んでいった――がクローズアップされている。

 それが皮切りとなったのか、各メディアはオクムラフーズに疑惑の目を向けていた。ネットの書き込みや噂話をする人々も、“凶悪犯誕生の裏には、奥村邦夫の罪が絡んでいる”と思っているらしい。終いには、『奥村邦夫を怪盗団に『改心』させればいい』だの『すべての悪党は怪盗団がやっつけてくれる』だのという話題が席巻していた。

 

 

『本当なら、怪盗団は不必要な方がいいと思うんだ。でも、理不尽に苦しむ誰かの助けになれるなら、存在する意味はある。……いつか、私たちが必要なくなるその日まで、そうなるように力を尽くしたい。人々の意識が少しでも変わっていけるならば、私たちの歩いた軌跡は決して無駄じゃないんだから』

 

 

 鴨志田の『改心』が成功してホテルのビュッフェで打ち上げをしたときに、黎が語っていた言葉を思い出す。――ああ、何て皮肉なのだろう。

 “いつか自分たちが必要なくなる”その日を目指していたはずなのに、いつの間にか“自分たちがいないと世界が成り立たない”なんて事態に陥っていた。

 

 

『それから、これを見て頂戴』

 

『……これ、精神暴走事件と思しき事故や自殺ですよね? 被害者の性別や年齢に共通点は見えませんが……』

 

『被害者の死によって利益を得る人物がいないか調べてみたの。そうしたら、オクムラフーズ社長の奥村邦夫が浮かび上がったわ』

 

 

 それだけではない。以前神取が僕に流してくれた情報通り、獅童たちは奥村邦夫に『廃人化』事件の罪を着せてスケープゴートにしようとしている様子だ。

 冴さんが集めた証拠はすべて奥村邦夫犯人説を裏付けるようなものばかり。その証拠を読み解いた冴さんは、“奥村邦夫と怪盗団が繋がっている”と推理していた。

 獅童からは『怪盗団にすべての罪を被って破滅してもらうために、警察や検察を誘導しろ』と命じられていたが、冴さんは自力でそこに辿り着いてしまっている。

 

 誘導役を命じられているにもかかわらず、誘導役としての役目は“冴さんの意見に同意すること”のみ。違和感を抱かずにはいられなかった。()()()()()()()()()()()()()()――僕の中にいる“何か”が、ギリギリと歯噛みする。

 

 ……“何か”の推測通り、獅童は既に僕を“脅威となり得る存在”であると認識しているのだろうか。

 だから、僕を重用するふりをして、精神暴走によって手駒にした冴さんを使い、逆に僕を監視をしている――?

 

 

「吾郎ー、ご飯できたぞー!」

 

「あ、ああ。今行く!」

 

 

 部屋の外から響いてきた至さんの声に返事をして、僕は部屋を出た。階下のダイニングキッチンへ向かうと、美味しそうな洋食が並んでいる。

 ソースの香りが鼻をくすぐるハンバーグ、半熟卵がとろとろなオムライス、みずみずしい野菜を使ったサラダ、ごろごろ切った野菜を煮込んだポトフ――どれも美味しそうだ。

 日本を離れていたのは僅か数日だったのに、至さんの料理を食べるのが久々に感じてしまう。僕は席について「いただきます」と挨拶し、夕飯を食べ始めた。

 

 相変わらず、“正義の名探偵・明智吾郎”は総すかんを喰らっている。学校でも腫れものを扱うように接してくる連中ばかりだし、下駄箱や机には怪盗団グッツの一種である予告状風ポストカードが大量に入っているのだ。内容はすべて誹謗中傷および脅迫文。毎朝登校する度、下駄箱と机のゴミ捨てからスタートするのが僕の日課になりつつある。

 

 対して、怪盗団は華々しく持ち上げられていた。怪盗団のロゴを使ったグッズが多方面に売り出されており、若者たちはこぞってグッズを買い占めている。勿論非公認なので、僕らの利益にはならない。ブームに乗っかって商法を始めた奴らがいるのだ。

 三島は大台に乗った支持率に大喜びしていたが、書き込み内容に若干の不穏を感じ取っているという。『早く次の獲物を『改心』しろ』だの『怪盗団に任せておけば世間は安泰』だのという書き込みが目立っているためらしい。つい数時間前のチャットが脳裏をよぎる。

 

 

三島:怪盗団が有名になったのは嬉しいんですけど、なんかこう、俺が思い描いていた理想とは違うなって思って……。

 

吾郎:確かにそうだね。黎は“怪盗団が絶対的な正義だ!”って真似がしたかったんじゃない。怪盗団の活躍が、人々の意識を良い方向へ変えることを願ってた。間違っても、現状のような怠惰に満ちた状況なんか望んじゃいないよ。

 

三島:それ、黎からも言われたんですよ。『理不尽に苦しむ人たちを勇気づけたい、彼らが立ち上がれるようにしたい、助けたいって思ったから怪盗団をやってきた。でも、“すべての悪党を怪盗団に任せればいい”、“怪盗団こそが絶対正義だ”って持て囃されたかった訳じゃないんだ』って。

 

吾郎:民衆の意見はうつろいやすいからね。支持率が高ければ高い程、彼らの暴走を制御することが難しくなる。8割で“悪党は全て怪盗団に丸投げすればいい”となると、俺らが『彼らの思い通りに動かない存在』とみなされた場合、確実に暴動が起きるだろう。

 

三島:ネットでいう『炎上』ってヤツですね。吾郎先輩が現在進行形で燃えてる……。

 

吾郎:俺が『炎上』するのは別にいいけど、怪盗団の面々に被害が齎されるようなことにはなってほしくないかな。

 

 

 俺がそう返信した後、暫しの間をおいて、三島のメッセージが届いた。

 何となく、今までとは雰囲気が変わったような気がする。

 

 

三島:吾郎先輩。前にも話した通り、俺、怪盗団の支持率を100%にすることが夢なんです。

 

吾郎:知ってるよ。一番最初に顔を会わせたとき、言ってたね。

 

三島:他の人たちに怪盗団の活躍を知ってもらいたいし、それを見た人たちが良い方向へ変わってくれたらいいって思ってます。……でも、最近になって、不安になってきたんです。『俺が怪盗団に協力しようと思ってしてきたことは、間違いだったんじゃないか』って。

 

吾郎:どうしてだい? キミには随分と助けられているけど。

 

三島:さっきも言いましたけど、支持率が上がるにつれて、過激なシンパによる書き込みが増えてきたんです。ログの速さが尋常じゃなくて、毎日スマホをチェックしてないと、依頼の書き込みがあっという間に流れてしまうくらい。誰も彼もが狂ったように『怪盗団万歳。怪盗団さえいれば世間は安泰』って書きこんでいる。

 

吾郎:そうだね。怪盗団の張本人である俺も、正直怖い。

 

三島:黎に言われて、気付いたんです。俺は怪盗団を手助けしたくて怪盗お願いチャンネルを始めたけど、本当にそれは、怪盗団の――黎の助けになってたのかなって。逆に困らせる結果になったんじゃないかって。丁度、今みたいに。

 

吾郎:三島くん……。

 

三島:それに、『怪チャン新機能の様子がおかしい』んです。ここ数日投票エラーが頻繁に発生してて、おまけに投票エラーになっていた票の該当者、すべてオクムラフーズの社長なんですよ。

 

吾郎:本当か!? 他に、何か変わったことは?

 

三島:エラーだけじゃなく、プログラムの書き換えをしようとしてる輩もいるみたいなんです。最近サイト管理に協力してくれるHN:アリババが撃退してくれてるんですけど、キリがなくて。誰かが怪盗団にオクムラフーズ社長を『改心』させようとしてるのは分かるんですが、なんかこう、今までと違う……意図的というか、悪意みたいなものを感じて。

 

 

 ハワイ旅行の真っ最中でも、三島は怪チャンを確認していたらしい。本名と正体は明かしていないが、双葉も協力して怪チャンが悪党に操作されぬよう頑張っていたようだ。

 

 以前、僕が気にしていたこと――三島の善意が怪盗団に牙を剝くことになり得るのではという懸念は、民衆の盲信と怠惰という形で現れた。今――特に、匿名性が高いネット上――では、『真っ当な大人よりも正体不明の怪盗団の方が信じられる』なんて意見が蔓延っている。

 脳裏に浮かんだのは、世の中の理不尽や不条理に真っ向から挑む大人たちだ。聖エルミン学園高校OBOG、七姉妹学園高校および春日山高校OBOGや珠閒瑠市の社会人、月光館学園高校のOBOG、八十神高校のOBOGのペルソナ使いたち。僕が信頼できる、真っ当な大人たち。

 “正義の名探偵・明智吾郎”が否定されるのは別にいい。でも、僕の保護者や僕らの先輩たちのことまで否定されるようなことを言われるのは我慢ならない。彼/彼女らの頑張りが怪盗団より劣るなんて思っちゃいないし、そんなこと言う奴が目の前にいたら殴ってやりたかった。

 

 そんなに言うならやってみろ。氷漬けになったエルミン学園高校でアシュラ女王を倒し、アヴディア界でパンドラを倒し、モナドマンダラでニャルラトホテプを倒し、タルタロスの頂上でニュクスを倒し、八十稲羽でイザナミノミコトを倒してみせろ。世界を救ってみせろ!

 彼らは今だって戦っている。数多の異形や悪意と対峙し、誰にも褒められることなく、必死になって世界を守ろうとしている。理不尽な運命を打ち砕こうとしている。――それが出来ないくせに、彼らを馬鹿にするんじゃない!! ……そう叫んでやりたい。閑話休題。

 

 三島も、執拗なオクムラフーズ社長『改心』要求から、強大な悪意が蠢いていることを察した様子だ。

 今こうして、彼は『自分の善意は悪意にしかなり得なかったのではないか』と懸念を抱くに至っている。

 

 

三島:今も現在進行形なんですが、オクムラフーズの社長がじりじりとランキング上位に浮上しつつあるんです。これ、絶対何かありますよね。

 

吾郎:三島くんの勘は正解だ。今、巨悪が動き始めている。巨悪は自分のシンパだったオクムラフーズ社長を切り捨てるついでに、怪盗団を破滅させようとしているんだ。怪チャンの『改心』ランキングが操作されかかったのもその一環だろう。

 

三島:マジですか!? 一歩間違ってたら、怪チャンがみんなを追いつめてた可能性があったってことか……。くそっ!! サイトの管理人として、怪盗団を見守って来た古参の人間として、すごく悔しい!!

 

吾郎:怪盗団のために怒ってくれるのは嬉しいよ。でも、今だからこそ落ち着いてくれ三島くん。この事実に憤っているからこそ、キミには冷静に、できれば普段通りであってほしいんだ。怪チャンを使ったサポートを駆使できるのは三島くんだけだ。そっちに関する戦いを任せられるのは、三島くんしかいないんだよ。

 

三島:吾郎先輩……。

 

吾郎:僕たちは僕たちの戦いをする。だから、三島くんは三島くんの戦いをしてほしい。キミが支えてくれなかったら、怪盗団はここまで来れなかった。僕たちはずっと、キミに助けられてきた。それだけは、何があっても、絶対に忘れないでくれ。

 

三島:分かりました。怪チャンに関しては、俺が何とかします。俺は怪チャンの管理人として、怪盗団の最古参ファンとして、絶対、黎や吾郎先輩を――怪盗団のみんなを守ります。

 

吾郎:ありがとう、三島くん。

 

 

 チャットはそこで終わったけれど、三島の決意はここで終わるようなものではないだろう。

 異形と戦う力、奴らが跋扈するパレスやメメントスだけが戦場じゃない。

 現実世界で人の悪意と向き合うことだって、立派な戦いなのだから。

 

 

「そういえば、お嬢が帰って来るのは明日だったな」

 

「ああ。今日の夜、飛行機に乗って帰って来るって」

 

 

 僕はオムライスに舌鼓を打ちながら答えた。自然と右手が胸元――黎から貰ったコアウッドの指輪――へ伸びる。脳裏に浮かんだのは、黎の笑顔。

 “共に生きる未来を掴む”という決意の証だ。見ているだけで胸が温かくなったのは、込められた想いを――黎からの慈しむような愛情を感じるから。

 

 今までは精神的な支えがあったから、ここまで来れた。今だってそれは変わりない。けど、明確な証ができたことで、今まで以上に頑張れる。きっと大丈夫だと信じられる。

 

 ハワイでの出来事を思い返しつつ、僕は指輪を服の中に隠した。有名進学校の優等生という仮面の中に押し込むような形になっているけど、チェーンにつけて肌身離さず身に着けている。冬服へ衣替えすれば、隠し場所を手袋の下にするつもりだ。勿論、左手薬指に。

 黎も、僕が贈った指輪をチェーンに通して肌身離さず身に着けているのだろう。時折服の下にある指輪を意識して、ひっそりと触れているのかもしれない。彼女は密やかに微笑むのだろう。考えるだけで、胸の奥底が酷く熱を持つのだ。

 

 

「……オムライスじゃなくて、赤飯の方がよかったか?」

 

「!!?」

 

「ああ、やっぱり! ハワイでいいことあったんだな。しかもお嬢絡みで!!」

 

「ちょ、待てってば! わざわざ根回しする程のことじゃないだろっ!!」

 

 

 至さんは大喜びでスマホをいじり始める。他の人々に連絡を回そうとしたのだろう。

 

 

「よーし! まずは真実と、八十稲羽物産展開催のために上京してる陽介たちに――」

 

「やめろォォ!!」

 

 

 僕は慌てて、保護者の暴走を止めようと手を伸ばした。

 

 

◇◇◇

 

 

「奥村社長の娘さんが、秀尽学園高校に通ってる?」

 

「うん。引率代理の3年生の中に、奥村春先輩がいたの。今朝の全校集会や放課後に見かけたんだけど、元気なさそうだった」

 

「同じ3年生だけど、私、奥村さんとはあんまり話したことなかったのよね。今回の件がなかったら、言葉を交わさないままだったと思うわ」

 

 

 僕の問いに、黎は神妙な面持ちで頷いた。真も難しそうな顔をして唸る。他の仲間たちも神妙な面持ちで、互いに顔を見合わせていた。

 

 夜、ルブランに集った僕たちは作戦会議を行った。秀尽学園高校の校長が事故に巻き込まれて意識不明の重体となった話は、全校集会という形で黎たちにも伝わったらしい。校長は『鴨志田の暴力事件と金城の恐喝事件を隠蔽しようとしたことを認め、警察に自首しに行く』と関係者各位に連絡していたという。

 “今まで何もかもを隠蔽しようとしていた校長が、自ら罪を認め、償おうとしていた”――僕らが行った『改心』は成功していたようだ。その様を知った生徒たちは口々に『怪盗団がやったんだ』と噂し、持て囃していたらしい。怪チャンでの妄信っぷりに若干の不安を感じていた仲間たちは、複雑な気持ちで生徒たちの囁きを聞いたそうだ。

 集会が終わった後は、別な話題で持ちきりだった。“バスジャック事故を起こした犯人が、オクムラフーズの元社員だった”――多くの生徒が奥村邦夫に対して悪い噂を囁いていたそうだ。令嬢の立場を隠していたとはいえど、父の悪口を囁かれていた奥村さんは、非常に居心地悪そうにしていたという。

 

 だが、ひょんなことから、奥村さんが“オクムラフーズの関係者である”ことが露見してしまった。

 結果、奥村さんは学校中から――勿論悪い意味で――遠巻きにされてしまったという。

 

 

「生徒の中に、“親族がオクムラフーズをリストラされた”奴がいたみたいでな。そいつが奥村センパイに突っかかってたから、ちょっと威嚇してきた。蜘蛛の子散らすように逃げてったよ」

 

「竜司がちょっと威嚇しただけで逃げ出すような度胸無しだから、仕方ないね。奥村社長本人に直訴できないからって、その娘である奥村先輩に当たるのは筋違いだろうに」

 

 

 そのときの出来事を思い出したのか、竜司と黎は深々とため息をついた。怪盗団の秀尽学園高校勢の中で、竜司は名(レッテル)実(際の性格)共に柄が悪い方だ。

 ついでに、聖エルミンの裸グローブ番長である城戸玲司さんを深く敬愛し、彼のような漢にならんとしている。気迫と凄みが磨かれるのは当然と言えよう。

 

 

「ところでモルガナは?」

 

「そういえば、いないな。黎、モルガナはどうした?」

 

「モルガナには潜入捜査に行ってもらってる。『ちょっと用事があって、暫くモルガナを預かってもらえる人を探してる』って奥村先輩に相談を持ち掛けたんだ。奥村先輩、引き受けてくれたよ。動物大好きなんだね」

 

 

 双葉と祐介の問いに、黎が答えた。黎たちが奥村さんと話した時間は長くはなかったようだが、モルガナを預かることを了承するくらいには心を開いてくれたらしい。怪盗団の演技派猫は奥村家に潜り込み、情報収集に精を出すようだ。

 

 ……なんだかちょっと釈然としない。密偵は僕の専売特権だ。それを横から掻っ攫われてしまったような心地になる。

 確かに、現実世界のモルガナは猫だ。肉球でピッキングするという特技を持っているが、気高く気まぐれな黒猫だ。

 会社経営を行う金持ち――奥村家へ忍び込むのは、人間よりも動物の方が入りやすいのも事実である。

 

 たとえ家の中をひっくり返しても、対応は違う。人間なら通報モノだ。だが、犯人が猫ならば、『好奇心旺盛な子なんです』という言い訳を押し通すことは容易だった。

 まあ、たとえ切り抜けられたとしても、十中八九『人に預けるなら、猫をきちんと躾けておけよ』というクレームが飛んでくることは覚悟しなくてはならないが。

 

 

「モルガナ、黎から『モルガナにしかできないことだから任せる』って言われて張り切ってたわよね」

 

「『ワガハイはレイの相棒だからな!』って言った後から、『勿論、レイの人生の伴侶はゴローだぞ』って言い直してたな。死んだ目をしてたけど」

 

「そりゃあ、指輪の話聞かされればねぇ……」

 

 

 仲間たち――真、竜司、杏はこぞって遠い目をしていた。僕と黎の指輪に関する話題は、もう怪盗団中に広がったらしい。早いものだ。

 なんだか照れ臭くなって、僕はちらりと黎に視線を向けた。黎もほんのり頬を染め、嬉しそうに襟元を弄ぶ。そこにはきっと、指輪が隠れているのだろう。

 俺も、つられるような形で襟元に手が伸びた。服の下に隠れている指輪の感触をひっそりと確かめる。黎も俺の行動の意図に気づいたようで、照れくさそうに微笑んだ。

 

 どこからか「ぐあああああああああああ!」という双葉の悲鳴が聞こえてきた。「双葉、解脱すれば楽になるわよ」と虚ろな声で呟く真の声も聞こえる。杏と竜司がブツブツと何かを唱え始め、祐介は何かに憑りつかれたかの如く鬼気迫った顔でスケッチに精を出していた。……どうしたのだろう。

 

 

「しかし、獅童の奴もあくどいね。怪盗団を嵌めるためだけにスケープゴートを用意するなんて」

 

「おまけに印象操作は完璧だ。マスコミ各社はバスジャック事件より、バスジャック犯が敗訴した裁判を筆頭とした“オクムラフーズの黒い噂”ばかり取り沙汰している」

 

 

 黎の言葉に僕は同意した。のたうち回っていた双葉ががばりと体を起こし、唸るような声を上げながらPCを操作する。解析したデータを示しながら、彼女は説明してくれた。

 

 双葉は真に依頼し、冴さんのノートPCをハッキングするための手はずを整えていた。他にも、風花さんや至さんを筆頭とした桐条・南条の調査員たちから協力を得ていると聞いた。

 解析したデータを鑑みても、「“奥村邦夫は『廃人化』事件の重要参考人になるように、証拠の開示や印象操作が行われている”ことは明らか」らしい。

 他にも、冴さんが入手したデータに入っていた“オクムラフーズ脱税疑惑”に関する情報には、「用途不明の大金がどこかへ流れている」ということを示唆するものもあるらしい。

 

 疑惑が出たのは、僕と黎がイセカイナビによってメメントスへ迷い込んだタイミングと前後している。巷では精神暴走事件が周知され、獅童の支持率が急上昇し始めた時期だ。

 神取から手に入れた情報とすり合わせれば、この時期には既に獅童と奥村がつるんでいたらしい。しかも、その繋がりは精神暴走や『廃人化』による闇のビジネスだ。

 

 

「神取曰く、『奥村社長は政治の世界へ打って出ようとしていた』とのことらしい。それが獅童にとって、奴をうっとおしいと感じる理由だったんだろう。まだ仮定の段階だけどな」

 

「『今まで協力してやったんだから、今度は協力してもらう番だ』ということか。……理由は知らんが、それを起点にして、持ちつ持たれつの関係が崩れてしまったようだな」

 

 

 僕の推論を聞いた祐介は表情を曇らせる。嘗て彼が師事していた班目もまた、何かあったら、奥村のようにスケープゴートとして消される可能性もあったためだろう。いくら決別したと言えど、一時期は育ての親と慕っていたのである。複雑な気持ちは消えないようだ。

 獅童の基本は等価交換(ギブアンドテイク)。相手が自分に対して理であるならば援助は惜しまないし、相手が僅かでも敵対の姿勢を見せたら容赦なく排除する。理にならないと判断した場合も同様、相手の事情などお構いなしで切り捨てるのだ。具体例を挙げるなら、秀尽学園高校の校長だろう。

 鴨志田の一件を露見させたことによるスキャンダル、金城の暴挙を隠密に解決できなかったことによる責任問題――そこまで考えて、僕は思う。いずれ僕も、秀尽学園高校の校長と同じように消されるのだろうか。『廃人化』か、それとも事故に巻き込まれる形で――……。

 

 僕の手は、自然と服の上から指輪を探すようにして動いていた。

 黎と共に生きるという決意の証を確認したかったのかもしれない。

 

 死んでたまるか。死ぬわけにはいかない。黎と一緒に、未来を一緒に生きると誓ったのだ。

 

 

「でも、どうする? 奥村を『改心』させても、ウチの校長と同じような目にあわされたらヤバイんじゃ……」

 

「そうね。周防刑事たちにも協力を依頼しておくべきかしら。彼らに護送を頼めば、無対策より奥村社長の生存率も上がるはずよ」

 

 

 竜司と真が顔を見合わせた。『改心』後、何らかの手段によって奥村社長が“処分”される危険性があることは、秀尽学園高校の校長に降りかかった“バスジャックが原因の巻き込まれ事故”が証明してくれている。本人を『改心』させることはできても、巻き込まれ事故までは対応できない。

 “異世界とペルソナを熟知していて獅童と通じていない、信頼できる警察関係者”という条件で探すと、金城パレス攻略時に手を貸してもらった周防刑事たちは適任と言えるだろう。警察関係者でカバーできない点は、他の大人にもサポートしてもらう必要がありそうだ。

 

 

「吾郎。他に、こういうことが得意そうな面々に心当たりある?」

 

「探偵という面からだと、師匠その1の元祖探偵王子の直斗さん、人探しのプロという所以からマンサーチャーって呼ばれてる師匠その2のパオフゥさんとうららさんの2人。司法関係者という観点からだったら、元珠閒瑠地検で現在は探偵やってるパオフゥさん。異形対策の専門家という面からだと、至さんたち含んだ南条の特別研究部門や風花さんたち含んだ桐条のシャドウワーカー関係者一同。メディア関係者では記者の舞耶さんやカメラマンの黛さんかな?」

 

「……驚いた。ペルソナ使い同士のコネクションって、意外と広いのね……」

 

 

 次々と俺の口から出てくる名前に、真が感嘆した。俺は苦笑しながら首を振る。

 

 

「ペルソナ使いたちと連携が取れるようになったの、至さんのおかげなんだ。行く先々で事件に巻き込まれる度、昔の仲間たちに連絡を取って、そのコネクションを当時のペルソナ使いたちに結び付けてきた。今こうして俺たちがその恩恵に預かれるのは、至さんを中心にした結びつきを受け継いできたからに他ならない」

 

「成程。吾郎の保護者は、ただただ厄介事に巻き込まれてきたワケじゃないんだな」

 

 

 「ある意味、至さんはわたしと同じ『ナビ』だったんだ」と、双葉はうんうん頷いた。

 

 実際、双葉の分析は間違っていない。強大な運命に挑むことになった後輩たちを助けるために、至さんは戦友たちに協力要請を出した。すべては、彼が見出したペルソナ使いたちを――正義の味方を()()()()()()にしたことだ。

 結んだ絆をバトンにして、次々と手渡してきた。それが今、僕らの手にある。『天井を突破するのが子どもの戦いだと言うならば、天井の中でどう足掻くかが大人の戦いだ』――至さんが呟いた言葉が脳裏をよぎった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。いずれ僕たちもまた、未来の後輩に力を貸す日が来るのだろう。天井の中でどう足掻くかを思案しながら、未来の後輩のために体を張る瞬間(とき)が来るに違いない。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()2()0()X()X()()()1()1()()()1()2()()()()()()()()――。

 僕の中にいる“何か”は、どこか遠くを見つめながら口をつぐむ。警告音、シャッターが閉まる音、2発の銃声。鏡写しの人形が頭をよぎった。

 

 

(……一緒に生きる未来を掴むって、決めたんだ)

 

 

 僕は服の上から指輪に触れる。自分自身の決意を確認するように、何度も。

 そうでないと、身体が水底に沈んでいくような感覚に飲まれてしまいそうになるからだ。

 崩れゆく世界に取り残されてしまうような恐怖が、背中に迫っているように感じた。

 

 

 

 

 

 ――どこからか、水の音が聞こえる。

 

 沈没した世界を悠々と進む豪華客船。歪んだこの世界の主は、自身の城を“箱舟”と称した。城の主である自身のことを“船長”と称した。自分の■■の正体を知っていたからこそ、■■を人形のような存在だと認知していた。最初から“最後は使い潰す”ための道具だとみなしていたのだ。

 懸念材料がなかったわけじゃない。疑問がなかったわけじゃない。けど、どうしてだろう。「自分は特別だから、絶対に大丈夫」だなんて、馬鹿なことを考えていた。そうやって罪を重ねた挙句、どこにも行けなくなった。自業自得だと理解している。相応しい末路だと自覚している。

 

 それでも、そうであったとしても。

 この命に、この破滅に、意味を与えれたならば。

 壊すだけしかできない自分でも、変われるだろうか。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()()/()()()()()()()()()()()()()()()()――?

 

 

 

 

 

 

 仄暗く冷たい水の底へ引きずり込まれていくような感覚から覚醒したのは、僕のスマホがチカチカと光ったためだ。

 誰かからの着信を告げるそれに気づいた僕は、慌てて番号を確認する。電話の主は――意外な人物だった。

 

 

「陽介さん……?」

 

 

 ジュネス八十稲羽店長の息子であり、現在はジュネスの店長候補生として修行しながら地元の大学に通うガッカリ王子――花村陽介さん。八十稲羽で発生した殺人事件を調査していたペルソナ使いであり、常識人なのに蔑ろにされがちだった苦労人だった。

 

 そういえば、『東京で八十稲羽物産展が開かれるから上京してきた』等と至さんが喋っていたような気がする。今回の連絡はそれに関する話なのだろうか?

 類推していても進まないので、僕は電話に出た。「もしもし」の「も」の字を言うより先に、受話器越しから爆音と悲鳴が響き渡る。

 機械の機動音と言うか、駆動音と言うか。妙に無機質なアナウンス音も聞こえてきたように思う。何が一体どうなっているのか、よく分からない。

 

 

「も、もしもし?」

 

『よっしゃあやっと繋がったァ! 吾郎、何をどうすればいいのか教えてくれ!』

 

「それはこっちの台詞ですよ!? 何がどうしてその発言に至るんですか!?」

 

『猫が! 黒猫が、二足歩行するぬいぐるみに! そいつが『吾郎に連絡しろ』って――ックソ、邪魔だァ! タケハヤスサノオ!!』

 

 

 受話器越しから轟音が響いた。吹き荒れる風と、陽介さんの舌打ちが響く。

 

 

『ダメだ、コイツら風属性あんま効かないぞ!?』

 

『りせ、アナライズ頼む!』

 

 

 次に響いたのは、特別捜査隊を率いた張本人である出雲真実さんだった。彼の地元はここ、東京である。真実さんはあの頃と変わらず、仲間たちに指示を出していた。

 

 

『任せて出雲先輩! ――って、えぇ!? 核熱なんて属性聞いたことないよ!?』

 

『それ以外に弱点は!?』

 

『ある! 電撃属性!』

 

『それなら……! やるぞ完二!』

 

『了解ッス先輩!』

 

 

 『イザナギ!』『タケジザイテン!』――再度轟音が響いた。風ではなく、雷がバチバチと爆ぜるような音。それに紛れて機械の爆発音も聞こえてきた。『流石センセイクマー!』という暢気な喝采や『マジかよ……』と呆気にとられるモルガナの声も聞こえる。

 受話器の向こう側では八十稲羽関係者の多くが揃っているようだ。しかも、この電話はパレスからかかってきているらしい。パレス内でスマホを使うことは可能だっただろうか? 一度も使ったことがないので、正直よく分からないのが本音である。

 

 

「陽介さん、陽介さーん!? 俺の声聞こえてる!? 今どんな状況か説明できる!?」

 

『げぇ! また増援かよ!?』

 

『う、うぅ……』

 

『ノワール!? ――出雲先輩、これじゃあキリがないよ!』

 

『仕方がない……! モナ、こういうときはどうやって逃げればいい!?』

 

『待ってろ! ワガハイが何とかしてやる!』

 

『きゃあ!? モナちゃんが車になった!?』

 

『猫が車になるなんて前代未聞クマよ!?』

 

『……これって、昔やってたネコバスって奴か……?』

 

『逃げるぞオマエら! 早く乗れェ!!』

 

『わー!? ま、待てって!!』

 

 

 もう何が何なのかよく分からない。僕が唖然としている間――『車に変身できるのに、なんで自走じゃないんだよ!?』という陽介さんの叫びを最後――に通話は切れ、ツー、ツー、ツーと音を響かせるのみだ。

 

 途方に暮れた僕は、仲間たちの方に視線を向けた。当たり前のことだが、僕でさえ理解できない状況を、僕の声以外まともに聞こえるはずのない怪盗団のみんなが理解できるはずもない。困惑しながら首をかしげている。

 それと入れ替わるようにして、今度は黎の携帯電話が鳴り響いた。電話の主は、奥村春さん。現在世間の注目を(悪い意味で)一身に浴びるオクムラフーズの社長――奥村邦夫の1人娘だ。以前の真同様、電話番号を交換した覚えがないのか、黎は目を丸くする。

 黎は暫し奥村さんと何かを話し合っている様子だった。最終的に「明日の放課後、ルブランで会う。案内はモルガナに頼む」ということで話は終わったらしい。黎は静かな面持ちで電話を切った。何ごとかと問う代わりに、僕を含んだ全員が黎を見つめる。

 

 

「――奥村先輩が、ペルソナ能力に目覚めたらしい。しかも、怪盗団への入団を希望してる」

 

 

 黎の言葉を聞いた俺たちは、全員で悲鳴を上げた。

 

 

◇◇◇

 

 

「有栖川さんからモナちゃんを預かってすぐ、私のスマホに“イセカイナビ”がインストールされていたことに気づいたの」

 

 

 ルブランにやって来た奥村さん――怪盗としてのコードネームは『ノワール』だ――は、黎の淹れたコーヒーに舌鼓を打ちながら話し始めた。

 

 丁度、父親からオクムラフーズ本社に来るように言われていた奥村さんは、本社の前で、何の気なしにアプリを起動したという。結果、彼女はモルガナ共々パレスに迷い込んでしまった。しかも、彼女はパレスに入った直後にペルソナを覚醒させたらしい。モルガナ曰く『まだ弱っちいが、素質は充分ある』とのことだ。

 モルガナから認知世界や怪盗団の話を聞いた奥村さんはいたく感動し、『ここ数年間、父親から黒い噂が絶えない。もしそれらが本当ならば、父を『改心』させたい』と協力を申し出てきたという。早速、試金石がてらパレスの偵察を始めたモナとノワールだったが、自爆すら厭わぬロボットたちや、施設内のブラックっぷりに怒りを募らせた。

 偵察を終えて撤退しようとした矢先、施設内が突然騒がしくなったという。何事かと確認しに向かった先で運悪くロボットたちと鉢合わせ、モナとノワールは追いつめられてしまった。そこへ、施設内で暴れていた張本人たちが駆け込み、モナとノワールと一緒に大立ち回りを演じることとなったそうだ。

 

 地元が東京である真実さんや、八十稲羽物産展に出展することが決まっていた陽介さん、熊田――もといクマ、完二さん、物産展のイメージキャラクターにしてビックバンバーガーのCM出演で打ち合わせに来ていたりせさん。

 彼らは八十稲羽物産展の準備をしつつ東京観光と洒落こみながら、りせさんをビックバンバーガー本社に送ってきた途中だった。丁度そこで、奥村さんが起動したイセカイナビの転移に巻き込まれてしまったらしい。

 

 

「あーもう、散々な目にあったぜ……」

 

「でもでも! そのおかげで、杏チャンや真チャン、双葉チャンや春チャンとお近づきになるきっかけになったから、結果オーライクマー!」

 

 

 疲れ切った顔でコーヒーを啜る陽介さんの脇で、ジュネス八十稲羽店のでっかいマスコットが意気揚々と飛び跳ねる。せめて人の姿で来ればよかったのではないか。店内の圧迫率がおかしい。

 直後、彼の造形に興味を持った祐介から「モデルになってくれ」と頼まれたクマは、「格好良く頼むクマよー!」と、ノリノリでポーズを決めていた。祐介も凄まじい勢いでスケッチを始める。

 自分と同じ“人外のペルソナ使い”を見たのは初めてらしく、モルガナは何とも言い難そうな顔をしてマスコットを見ていた。これで「犬もいる」と言ったら、モルガナはどんな反応をするのだろうか。

 

 次の瞬間、クマが着ぐるみを脱ぎ捨てて中身を披露した。金髪碧眼の美少年と化した彼は、これでもかと言わんばかりに気障なポーズを取る。祐介は「うおおおおお!? 何か、何かが降りてきたぞ!」と叫びながらスケッチに没頭し始めた。中身とのギャップに驚いた怪盗団メンバーは、黎と僕以外が呆気に取られていた。

 

 

「なあゴロー。あのクマってヤツ、人間じゃないんだよな?」

 

「ああ、そうだよ。元はシャドウ由来で生まれたけど、俺たちの味方だ。彼が何であっても、先輩であることには変わりない。モルガナと同じく義理堅い性格だからね」

 

「ワガハイにはミーハーな尻軽にしか見えないんだが……」

 

「人一倍惚れっぽいだけだよ。あと寂しがり屋。彼の明るさは、その裏返しなのかもしれない」

 

 

 僕はそこで一端言葉を切った。

 黎が淹れてくれたコーヒーを啜る。いつの間にか冷めてしまったらしい。

 

 

「一時期、彼は自分が何者なのかについて悩んでいた時期があるんだ」

 

「自分が、何者なのか……」

 

「そう。最終的に、“自分は自分である。真実さんたちと一緒に過ごしてきた日々で積み重ねられた自分がすべてだ”って答えを出した。そういう意味では、クマはモルガナの先輩だよ」

 

「……ワガハイは一体、何者なのか……」

 

 

 モルガナは、僕の話を半分しか聞いていない様子だった。彼はじっとクマを見つめている。

 

 モルガナは自分を元・人間だと思っており、何かがあって猫になってしまったと認識していた。猫の姿になる以前の記憶は一切有していないという。クマも、底抜けた明るさの裏側に「自分は空っぽで何もない、自分が何者なのか分からない」という恐怖心を抱えていた。実際、真実さんと出会う前の記憶は殆ど覚えてない様子だったし。

 至さんはモルガナを役立たず(フィレモン)の関係者――人外であると一発で見抜いているが、モルガナには詳しく言ってない。僕も、それを口に出すことはしなかった。……最も、今ここでクマの話を聞いて考え込むあたり、モルガナも自身の存在について違和感を覚えつつあるのだろう。アイスブルーの双瞼が不安そうに揺れている。

 

 

「お前は怪盗団の一員にして、『改心』専門のペルソナ使い、モルガナ。コードネームは『モナ』」

 

「え?」

 

「それじゃあ、不満か?」

 

 

 今まで積み重ねてきた日々を思い出せという代わりに、僕はじっとモルガナを見つめた。モルガナは暫し難しそうな顔をした後、「そうだな。ワガハイはオマエらの仲間だ」と笑う。その瞳に迷いはない。

 僕とモルガナの話を聞いていたのだろう。黎がふわりと微笑み、モルガナの頭を撫でる。撫でられたモルガナはムッとした様子で「猫扱いするな」と怒りをあらわにしたが、嫌ではないのだろう。黎の手を払うことはなかった。

 それを見たクマが「ずるい」とぶすくれたが、以前黎にちょっかいを出して俺に顔面を鷲掴みにされた事件を思い出したのだろう。言いたい言葉全てを飲み込んだ彼は、顔を青くしたまま小さくかぶりを振った。

 

 八十稲羽組と怪盗団の面々は楽しく談笑している。

 

 りせさんと杏がスイーツ談義に花を咲かせ、完二さんが量産するモルガナぬいぐるみに竜司と春が感嘆し、調子に乗るクマへツッコミを入れる陽介さんに触発され双葉と祐介が漫才をはじめる。

 そんな面々を、黎・僕・真実さんは生温かな眼差しで見守った。自分の仲間たちが先輩たちと和気藹々している姿を見ると、凄く嬉しい。真実さんは、自分の仲間と後輩が楽しくしている図が嬉しいのだろう。

 

 

「黎、吾郎」

 

「「はい?」」

 

「――いい仲間を持ったな」

 

 

 真実さんは静かに微笑む。どこか安心したように笑う横顔から、どうしてか目を離すことができなかった。

 

 

***

 

 

 八十稲羽物産展の準備を行うという真実さんたちと別れ、僕たちは奥村社長のパレスに足を踏み入れた。

 

 キーワードは『奥村邦夫』、『オクムラフーズ本社』、『宇宙基地』。入力したキーワード通り、奥村社長のパレスは近未来を連想させるようなメカメカしい造りとなっていた。前回侵入していたモナとノワールが僕たちを先導する。先日派手に大暴れしたこともあって、パレスの中にはシャドウがうようよしていた。

 新人であるノワールを鍛えつつ、奥へ進む。初めてのパレス攻略――しかも、ここは父親である奥村邦夫氏の精神世界だ――に、ノワールは若干の不安と高揚感を抱いているようだ。怪盗服に身を包んだ自分や仲間の姿を見比べては、納得するように小さく頷いている。

 

 

「ノワール、どうかした?」

 

「夢物語みたいだけど、現実なんだなって思ってたんだ」

 

「確かに。私も最初は驚いたよ。変態城主に襲われそうになったときは、義賊家業をすることになるとは思わなかったなー」

 

「その変態城主って、もしかして鴨志田先生のこと? た、大変だったのね……」

 

 

 ジョーカーと談笑していたノワールは、何か思うところがあったのだろう。

 いい笑顔で話し続けるジョーカーにつられるような形で、訥々と語り出す。

 

 

「私、正義のヒロインに憧れてたの。テレビの変身ヒロインはいつも格好良かった! いつでも誰かの為に無償で戦って、自分も笑ってる……そんな風になりたかったの」

 

「ノワール……」

 

 

 何となく、僕も覚えがあった。テレビの中のヒーローはいつだって格好良くて、大事な人を守るために戦っていた。その強さに憧れた。そんな強さがあったなら、母を守ってあげられる――幼い頃の僕は、無邪気にそう信じていたのだ。

 テレビの中のヒーローが創作物であることを思い知ったのは母が亡くなった後だったけど、同時に、現実にもヒーローとして戦っている人がいるということを知った。脳裏に浮かぶのは、僕に手を差し伸べてくれた双子の高校生。今では立派なアラサーだ。

 彼らは己の無力さに嘆いているけど、そんなことはないと僕は思っている。彼らがいなければ越えられなかった悲劇があった。彼らがいてくれたからこそ、困難に立ち向かう勇気を貰った人がいた。――僕だって、その1人だった。

 

 

「誰だって、1度はヒーローに憧れるモンだ。なりたい奴がいたっていい。そういうモンだろ?」

 

「だよね。それが現在進行形であっても問題ないはずだ」

 

「……えっ?」

 

「クロウが? 現在進行形で!?」

 

 

 まさか僕が同意するとは思わなかったのか、スカルとナビが目を剥いた。……驚き過ぎじゃなかろうか。

 

 

「心外だな。大学生になってもフェザーマンシリーズが大好きな人だっているんだから、何もおかしくないじゃないか」

 

 

 僕の脳裏に浮かんだ天田さんが、いい笑顔でフィギュアセットを指示してきた。歴代フェザーマンシリーズのDVDも抱き合わせて、だ。

 天田さんは僕より1つ年上の大学生。数年前に前線から引退したコロマルと共に、巌戸台で暮らしている。閑話休題。

 

 

「小さい頃は、正義のヒーローみたいに母さんを守ってあげたかった。母さんはもういないけど、今だって、正義のヒーローになりたいと思う理由がある。……守りたい、大切な人がいるんだ」

 

「クロウ……」

 

 

 僕がジョーカーに視線を向ければ、ジョーカーは嬉しそうに目を細める。

 途端に、ノワール以外の仲間たちが居たたまれなさそうに目を逸らした。

 ノワールはどこかうっとりした様子で「素敵ね、2人とも」と微笑んだ。

 

 

「小さい頃から、周りの人たちは私を見てなかった。私に優しくすれば、お父様に気に入ってもらえる。お金やプレゼントだって貰える。大人も、先生も、友達だってそう。人はみんな損得の為に笑う……そう思ってた」

 

「だから、学校で家のことを伏せていたのね」

 

「随分後になってようやく、『そうじゃない人たちもいるんだ』ってことを知ったの。婚約者や彼の関係者と会わなかったら、私は完全な人間不信になってたかもしれないなぁ」

 

 

 沈痛そうに俯いたクイーンに対し、ノワールは照れたように微笑んだ。自分の記憶の中にいる誰かの姿を思い浮かべているらしい。

 しかも、その人物はノワールにとってかけがえのない人のようだ。僕にとってのジョーカー/黎と同じように。

 

 僕はつい条件反射的に「わかる」と言って頷いていた。ジョーカーも「わかる」と言ってうんうん頷く。この瞬間、僕、ジョーカー、ノワールは確かに通じ合った。同時に、何故か他の面々の目が死んだ。

 

 

「ここで、何をしている!?」

 

 

 そんな談笑をしていたとき、声が響く。現れたのは、奥村邦夫社長のシャドウだ。

 宇宙服に身を包んだ格好はやはりメカメカしい。困惑するノワールを庇いながら、僕たちはシャドウの奥村社長と対峙した。

 

 




魔改造明智、急転直下の事態にギリギリしながらも、どうにか立ち向かおうと足掻く話。校長の『改心』は成功したものの、別件の事故に巻き込まれて意識不明になってしまいました。おまけに、原作とは違った形でオクムラフーズ社長を狙わざるを得ない状況に陥っています。
悪神と善神の『駒』同士が接触したり、蝶がわさわさ飛び立ったり、黒幕の悪意に気づいた拙作の三島が決意を固めたり、八十稲羽の面々が多く現れたり、魔改造明智と黎に奥村春という同士ができたり、今回も盛りだくさんとなっています。
次回は春覚醒から本格的に奥村パレス攻略開始。春覚醒のくだりには、拙作における『春の婚約者』とその関係者に関する(書き手にとっての)小ネタを盛り込む予定。原作に沿いつつ、原作とは違う物語が展開していきます。魔改造明智による奥村パレス攻略を、生温かく見守って頂ければ幸いです。


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名付けるならば、『“反逆の徒”同盟』

【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 @空本(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄で明智の保護者その1。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
 @獅童(しどう) 智明(ともあき)⇒獅童の息子であり明智の異母兄弟だが、何かおかしい。獅童の懐刀的存在で『廃人化』専門のヒットマンと推測される。詳しくは中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『運命を切り開くだけの簡単なお仕事』および『ペルソナ3異聞録-.future-』、Pixivの『2周目明智吾郎の災難』および『【一発ネタ】有栖川黎の幼馴染』の設定を下地にし、別方向へ発展させた作品である。
・ジョーカーのみ先天性TS。
 ジョーカー(TS):有栖川(ありすがわ) (れい)⇒御影町にある旧家の跡取り娘。旧家制度は形骸化しているが、地元の名士として有名。身長163cm。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空本(そらもと) (わたる)⇒明智の保護者2で、南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。
・敵陣営に登場人物追加。
 @神取鷹久⇒女神異聞録ペルソナ、ペルソナ2罰に登場した敵ペルソナ使い。御影町で発生した“セベク・スキャンダル”で航たちに敗北して死亡後、珠閒瑠市で生き返り、須藤竜蔵の部下として舞耶たちと敵対するが敗北。崩壊する海底洞窟に残り、死亡した。ニャラルトホテプの『駒』として魅入られているため眼球がない。この作品では獅童正義および獅童智明陣営として参戦。但し、どちらかというと明智たちの利になるように動いているようで……?
・「2罰ボスの外見を見た人間の反応」に関するねつ造設定がある。
・普遍的無意識とP5ラスボスの間にねつ造設定がある。
・『改心』と『廃人化』に関するねつ造設定がある。
・春の婚約者に関するねつ造設定と魔改造がある。因みに、拙作の彼はいい人で、春と両想い。名前は宝条(ほうじょう)千秋(ちあき)、外見は原作の『春のフィアンセ』と同じ。詳しくは中で。
・メメントスにオリジナル依頼が発生している。


 奥村春には婚約者がいる。彼の名前は宝条(ほうじょう)千秋(ちあき)といい、世界的な有名企業である南条コンツェルンや桐条グループの分家筋に当たる宝条家の嫡男だ。

 千秋の祖父は政治家をしていたが、引退した現在は資産家である。両親は大手企業の創業者、長男は会社の跡取りだ。対して、千秋を含んだ他の兄弟姉妹たちは政略婚用の手駒らしい。

 

 白いスーツに着られて見合い会場にやって来た宝条千秋本人が、途方に暮れたような顔で呟いた話は今でも忘れられない。千秋は政治や会社経営よりも、土いじり――野菜や果物の無農薬栽培に力を注ぎたいという。お見合いに軒並み失敗してきたのは、相手方が千秋の理想や趣味に関して理解を示さなかったためだ。

 

 

『お見合い相手に自分が作った自慢の野菜を持っていったら、『青虫がついてる』って大騒ぎになって張り倒されてしまったんです……。しかもグーで』

 

『まあ……』

 

『以来、野菜の持ち込みは禁止されてしまって。僕のアピールできるものは自分が作った野菜と、趣味で淹れるコーヒーと紅茶くらいなんですけど……』

 

『それじゃあ今度、持ってきてくださる?』

 

『え?』

 

『千秋さんが作った無農薬野菜、是非とも食べてみたいんです』

 

 

 春の言葉を聞いた千秋は目を丸くして、文字通りぱああと表情を輝かせて、『はい!』と勢いよく返事を返した。

 

 実際に、彼が作った無農薬野菜はとても美味しかった。野菜本来の味――甘味、苦味、渋味、酸味、旨味が絶妙にマッチしており、そのままでも充分に食べることができる。様々なものを食べて舌が肥えた春は、その反動で素材本来の味を重視するタイプになっていた。

 無農薬栽培やコーヒーおよび紅茶の話をする千秋はとても生き生きとしていて、本当に楽しそうだった。知識をひけらかすのではなく、自分をよく見せようとするのでもなく、自然体に話している。自分の好きなことに対して一生懸命、且つ真摯な人柄が伝わってきた。

 それだけではない。宝条千秋という男性は努力家だった。春と出会い、様々な話題で談笑するようになって以降、無頓着だった他の分野――主に政治経済の勉強を始めた。最近は経営に関しても勉強している。本人曰く、『春さんともっと楽しくお話がしたい』とのことだ。

 

 彼は避けていた社交界にも顔を出すようになった。見合いから半年後、桐条主催のパーティへ春と共に参加したことを思い返す。そこで春は、桐条当主である桐条美鶴と話をしてきた。周りから強い風当たりを受けても、決して折れること無く困難に立ち向かう――その強さを目の当たりにした。

 18歳で父を失い、お家騒動に巻き込まれながらも、父親が残したものを守らんと奮闘する麗しき女傑。守るために最前線に立ち、強大な悪意と対峙する美鶴の姿は本当に美しかった。春が憧れた正義のヒロインを彷彿とさせるような人だった。事実は小説よりも奇なりという表現はこのためにあるのだとさえ思えた程に。

 

 

『運命は受け入れるものじゃない。自らの手で切り開くものだ。……私はそれを、大切な友人から教わったよ』

 

『運命は、自らの手で切り開く……』

 

『私1人では何も変えられなかった。けれど、私にはかけがえのない仲間たちがいる。信頼できる協力者がいる。一緒に困難を乗り越えていきたいと思えるような人たちが』

 

『……凄いですね、桐条さんは。いつか私も、そう思えるような方と出会えるのかしら』

 

『少なくとも、1人とはもう既に出会っているんじゃないか?』

 

『!!?』

 

 

 颯爽と立ち去っていく美鶴の背中を、春は忘れることはないだろう。思えば、千秋が政治経済や経営について勉強を始めたのもこの頃だったか。

 以降、千秋は社交界に出向くようになった。特に、桐条グループの桐条美鶴や、南条コンツェルン時期トップと目されている南条圭と話をするようになったという。

 

 

『『大人しく親に従うことだけがすべてじゃない』と南条さんは言ってたんだ。『もしも親が間違った道を進もうとしているなら、彼らを敵に回してでも、それを正すべきだ』って』

 

『それは、とても勇気のいることよね……』

 

『南条さんの話を聞いて、僕、思ったんだ。“正しいことが何かを己の目で見極められるようになるためにも、何も知らないままでいてはいけない”んだって』

 

 

 そう語った千秋は、初めて出会ったとき以上に生き生きしているように感じた。彼の笑顔には、春が今まで見てきたようなもの――損得や打算のための笑顔や見せかけの優しさはない。桐条美鶴と同じような、強い情熱と決意があった。

 

 後で南条圭本人から聞いた話だが、南条圭氏も父親と対立しかけたことがあったらしい。9年程前に大規模な汚職事件――カルト的なテロ行為を起こして失脚した大物大臣・須藤竜蔵の一件で、汚職事件の告発に圭が関わっていたという。同時に、須藤竜蔵へ政治献金を行っていた人間の名前に南条コンツェルントップの名前があった。

 何も知らずに須藤竜蔵を称賛し、多額の政治献金を行う父親――それを見た圭は大いに悩んだという。一歩間違えれば南条親子は対立し、財閥を崩壊させかねない事態に陥る。『けれどやはり、須藤竜蔵を放置することはできない。正義を己の目で見極めなくては』と決起し、仲間たちと一緒に奔走したという。

 ノブレス・オブリージュを体現し、政治経済にも理解が深かった南条圭だからこその選択だった。彼はその責任を果たし、今も責任を果たすための戦いを続けている。南条圭もまた、正義を貫くために戦うヒーローなのだ。そんな彼の在り方に千秋は惹かれ、それを体現できる人間になろうと努力を始めた。

 

 『千秋くんが変わったのは、奥村のお嬢さんと出会えたからだ』――そう言って微笑んだ圭の言葉は忘れられない。春もまた、千秋のおかげで変わりつつあったためである。

 信じられる人間がいること、心を許せる相手がいること、尊敬できる人がいること――その尊さを知ったのだ。その幸せを、知ったのだ。

 

 

『春さん。キミのお父様と、オクムラフーズのことなんだけど……』

 

 

 彼は彼なりに、春のために最善を尽くそうと戦っている。春もまた、千秋のために最善を尽くしたいと思えるようになった。

 始めは政略結婚の道具でしかなかった。道具同士、どこかに憐れみもあったのかもしれない。

 けれど今は、千秋に出会えてよかったと心から思える。尊敬し、心を許せるかけがえのない相手だ。

 

 ――それを。そんな人を。

 

 

「宝条千秋とかいう人形も煩くなってきた。大人しく“宝条氏に取り次ぐための道具”であればいいものを、余計な知恵をつけて……奴にはもう利用価値はない。そろそろ切り捨てなければと考えていたところだ」

 

 

 父は、容赦なく切り捨てようとしている。春から奪い取ろうとしている。

 ()()()()()()()――春の中にいる“何か”が悲鳴を上げた。

 

 

「お父様にとっては会社だけでなく、あの人までもが“勝利のための道具”でしかなかったというのですか!?」

 

「あの人形とは婚約を解消し、奴の兄と改めて婚約を結び直さなくては。宝条氏に取り次いでもらえるならば、正妻は望まない。愛人でも構わん」

 

「貴方って人は……!」

 

 

 奥村邦夫の話を聞いたジョーカーが怒りをあらわにした。

 

 彼女もまた旧家の跡取り娘であり、暗黙の了承という形で婚約者がいる。『外野からちょっかいをかけられて、何度も危機に陥ったことがある』と語っていた。『その度に試練を乗り越えて、現在に至る』のだとも。ジョーカーの婚約者であるクロウもまた、彼女と同じ気持ちらしい。剣呑な眼差しで父を睨みつけていた。

 次の瞬間、父の背後から1人の青年が現れた。千秋とよく似た顔立ちだが、残忍な顔立ちをしている男。宝条家との会合で遠巻きから見たその男は、千秋の兄だった。おそらく、千秋との婚約を解消した暁には、この男の元へ嫁がせられることになるのだろう。下手をすれば、愛人として一生囲われる運命が待っているのかもしれない。

 春自身もオクムラフーズの富に浴して育った身だ。会社のための政略結婚ならと一度は受けた。期せずして“その相手と心を通わせる”という奇跡を得た春は、自身のため、相手のために、他でもない宝条千秋という男性と寄り添って生きていくと決めた。この幸せを手放したくないと思った。

 

 それなのに。それなのに、それなのに、それなのに!

 父の踏み台になるための政略結婚――あるいは愛人契約なんて、話が違うじゃないか!

 

 

「お父様の野心のためだけに、愛する人と別れさせられた挙句、こんな男のオモチャになれと?」

 

「ふん、何を今更。奥村の娘にとっては、それこそが悦びだ。お前など、最初からその程度の価値でしかないわ!」

 

 

 自分の足元が崩れ落ちていくような感覚に見舞われる。最愛の父親がこんなことを考えていただなんて信じられなかった。信じたくなかった。

 へたり込んだノワールに向かって、千秋の兄がゆっくりと春へ近づいてくる。脳裏に浮かんだのは、照れくさそうに笑って春の名前を呼ぶ千秋の姿だ。

 次の瞬間、千秋の兄は巨大なロボットへと姿を変えた。「飽きるまで遊んでやる」と笑いながら、奴は手を振り上げる。――ああ、なんて醜悪な。

 

 

「……下の下ね」

 

 

 後ろでモナが焦る声が聞こえた。けど、ナビがその懸念を否定する。次の瞬間、ロボの手が振り下ろされた。自分の中にいる“何か”が強い力を持って顕現する。ノワールのペルソナは、ロボの攻撃をがっちりと受け止めていた。

 次の瞬間、頭が割れるくらいの痛みが走った。のたうち回るノワール語り掛けてくるのは、本当の意味で目覚めた“もう1人の奥村春”――ノワールのペルソナ。何のために裏切るのかと女傑は問う。

 

 そんなの、心はとうに決まっている――ノワールの宣言に応えるようにして、彼女は微笑んだ。

 

 

―― 我は汝、汝は我。美しい裏切りで、自由の門出を飾りましょう ――

 

 

 次の瞬間、ノワールのペルソナ――ミラディが本当の意味で顕現し、力を振るった。ドレスの下部から数多の重火器が出現し、派手に火を噴く。千秋の兄だったロボットを容易に吹き飛ばした。

 いつの間にか、ノワールの手には手斧が握りしめられていた。重苦しい見た目に反して、ノワールの力でも充分振り回せる。美しい細工が施された斧を振るえば、ロボットの右腕がぐしゃりと潰れた。

 

 

「エグッ!!」

 

「美鶴さんタイプじゃなくて、まさかの荒垣さんタイプかよ!?」

 

 

 スカルとクロウが顔をしかめた。彼らの表情を盗み見たのか、ミラディがくすくす笑うような声が響いた。

 悲鳴を上げるロボットを見て、父はたじろぐ。だが、即座に威厳を取り戻すと、「お前も廃棄だ」と言い放った。

 ロボットも体を起こしてこちらを睨みつける。ノワールは真っ直ぐに、敵を睨みつけた。

 

 怪盗団の面々も武器を構えてノワールに合流する。正義のヒロイン――女怪盗ノワールの戦いは、ここから始まるのだ。

 

 

◆◇◇◇

 

 

 ノワールのフィアンセの兄を軽くひねって撃破した僕たちは、いまいち認知世界に関しての理解が及ばない彼女に説明をしながらオクムラパレス攻略へ乗り出した。前回モナとノワールがパレスを偵察した際の大騒ぎを考えると、そっちのインパクトの方が印象深く残ってしまったのかもしれない。

 宇宙基地内部を跋扈するシャドウは、すべてがロボットの形状をしていた。その外見に影響されているのか、核熱・電撃・念動属性の攻撃がよく通る。ペルソナを覚醒させたノワールも活躍の機会を得たようで、新人ながらも次々とシャドウどもを屠っていく。彼女の先輩として振る舞うモナも嬉しそうだ。

 

 個人的な話だが、僕はノワールの格好を初めて見たとき、使用武器が斧だなんて予想していなかった。

 奥村春の性格からして、荒垣さんのように斧を振り回すタイプだとは思えなかったのだ。

 美鶴さんのような突剣か、あるいは命さんのような薙刀かと予想していたのである。

 

 

「正直、ミラディは初見、魔法型のペルソナだと思ってたんだ。まさか荒垣さんやアイギスのような物理攻撃型とは思わなくて……」

 

「ペルソナにも、物理攻撃が得意なタイプと属性攻撃が得意なタイプがいるのね。勉強になるわ」

 

 

 相変わらずノワールはふんわりした空気を漂わせている。そんな彼女が、圧倒的な破壊力でシャドウを粉砕していく女性陣の物理アタッカーだとは誰が予想できるだろう。

 

 女性陣の構成は3つ。ペルソナを使い分けるジョーカーがペルソナ能力に依存する万能型、お色気担当となりつつあるパンサーが回復も使える魔法攻撃型、鋼鉄の処女系世紀末覇者クイーンがオールマイティな防御型だ。巌戸台世代以降の男性陣は基本、物理攻撃型に分類されやすい。

 フィレモン全盛期のペルソナ使いなら、男女共にペルソナ変更可能なペルソナ能力依存型だった。ニャルラトホテプから力を与えられた場合は正直よく分からない。ニャルラトホテプが神取を乗っ取った例しか知らないからだ。“ゴッド神取”は僕の中で忘れられないパワーワードとなっている。閑話休題。

 

 僕たちは通気口に侵入し、新たなフロアに足を踏み入れる。細い通路を駆け抜ければ、そこには端末があった。嬉しそうに舌なめずりしたナビが早速解析を始めた。

 現実世界でもハッカー/クラッカーとしてかなりの腕を誇るナビにとって、端末から情報を引っ張り出すのは朝飯前だろう。ものの数分で、彼女はデータを引き出していた。

 閉まっていたドアを開け、パレスの地図を手に入れ、謎の計画――“エスケープ・トゥ・ユートピア(楽園への脱出)”に関する記述を手に入れた僕たちは先に進むことにする。

 

 

「区画はこの先3つもある。オフィスに工場、それにエアロック……」

 

「宇宙基地に工場となると、一体何を作ってるんだろうね」

 

「それな! 気になるよな?」

 

 

 ジョーカーの疑問に対し、ナビも同意する。ナビ曰く、ハンバーガー工場とは思えない程の規模だという。

 宇宙工場でハンバーガーを作っているとは思えない。何を作っているかは、この先に進めば明らかになるだろう。

 

 

「宇宙基地で脱出計画が出てくると、基地を置いてどこかへ逃げようとしてるみたいに感じるんだよなぁ。似たような漫画読んだことあるし」

 

「スカル、今日のお前は冴えてるんじゃないか?」

 

 

 頭をひねりながら唸ったスカルに対し、モナは嬉しそうに頷いて見解を述べる。

 

 

「オクムラは政治家になるつもりなんだよな? そのために、会社を踏み台にしようとしてる。加えて、楽園への脱出と銘打たれた計画ときた。……コイツはもしかしたら、政界進出のための計画なのかもしれないな」

 

「認知上における扱いがこうだと、相当な野心を感じるぞ。獅童から切り捨てられそうになってるのはコレが原因なんじゃ……」

 

「なら、一刻も早く『改心』させなきゃ。『廃人化』を得意とするヒットマンから、奥村社長を守らないと」

 

 

 モナの見解に僕の私見を混ぜた結果、やはり“奥村社長の『改心』を急がなければならない”という結論に辿り着く。ジョーカーの音頭に従い、僕らは先を急いだ。

 

 道中エレベーターを見つけたが、使用中で動かないようだ。もう少し時間が立ったらもう一度調べてみようと決めて、僕たちは先へと進んだ。ナビに解析してもらったはずなのに、扉が開かない場所がある。城の主の意向が反映されていると考えると、奥村社長は余程人を信用していないようだ。

 どうやらこの扉、生体認証で開くものではないらしい。ナビの分析によると、この扉は階級認証で開くものだとのこと。望まれている階級証は部長以上。基地内部をうろつくロボ社員にも役職があるようだ。

 

 

「ならば、身分証を拝借しよう」

 

「社員証ってことね! 確かに会社にも、それで開けるドアがある」

 

「成程! ジョーカーもノワールも頭いい!」

 

「そうね。部長か、それより偉い役職の従業員から社員証をいただきましょう!」

 

 

 方針は決まり、早速僕たちは社員を探しに道を戻る。すると、先程のエレベーターから続々と社員たちが降りてきた。スカルは奴らから社員証を分捕ろうと思ったようだが、フォックスがそれを制止する。奴らが来たフロアへ向かえば、社員は多くいるだろう。

 先程よりも強敵が出てくることは明らかだが、虎穴に入らずんば虎子を得ず。僕らは早速エレベーターに飛び乗り、社員フロアへと足を踏み入れた。ナビ曰く、『普通の反応とは違うものがいくつかあるから、そのどれかが部長クラスらしい』とのことだ。

 そのとき、通路の向こうから沢山の社員たちがやって来た。僕たちは物陰に隠れてやり過ごす。このフロアにはロボ社員がひしめいているようだ。彼らから話を聞ければ、部長の居場所もおのずと分かるだろう。

 

 ジョーカーが提案した方法は盗み聞きだった。物陰に隠れながら、社員の話を聞いていく。ナビ曰く「紳士の嗜み」らしい。流石はルブラン盗聴経験者。僕たちはひっそりと舌を巻いた。

 

 

「ルブラン盗聴なんて盗聴のうちに入らない。いつか、本物の盗聴を見せてやるぜ! ぐふふふ……」

 

「……ま、まあ、上手い手であることは確かね」

 

「……周防刑事や達哉さん、真田さんのお世話にならない程度に頼むよ」

 

 

 平社員から上司の情報を集めて行けば、いずれは部長クラスの社員へと辿り着けるだろう。

 僕たちは盗み聞きに精を出しつつ、部長クラスの居場所を探った。

 

 このフロアで聞き出せたのは係長の情報のみ。平社員が接する機会が多いのは、自分より1階級高い直属上司だろう。他の上司は雲の上の人という扱いなのかもしれない。

 平社員から手に入った情報が係長なら、係長からはそれより上の階級に関するロボの話が聞けるのではないだろうか。

 だが、平社員の社員証がない僕らが部長の元へ行けるとは思えなかった。今回は遠回りになるが、まずは係長を特定することにする。

 

 暫くフロアを進むと、平社員とは違う恰好をしたロボを発見した。しかも2体である。以前偵察したモナとノワール曰く、奴らが平社員に指示を出していた上司ロボらしい。部下から入手した情報――係長は甘いものを食べている――と照らし合わせ、ターゲットを見つけた僕らは容赦なく社員証を分捕った。

 次の瞬間、『シフト交代の時間です』とアナウンスが響き渡る。どうやら一定時間で持ち場が切り替わるらしい。一度足を踏み入れたフロアでも、戻れば係長以上の上司ロボを見つけることができるかもしれない。多少手間はかかるが、くまなく見て回る必要がありそうだった。

 

 

「お、扉発見。係長の社員証が使えそうだ」

 

「それじゃあ早速」

 

 

 見つけた扉に社員証を提示すれば、『認証成功』の文字と共に扉が開く。この調子で上位の社員証を奪っていけば、いずれは部長へ辿り着くだろう。

 

 様々なフロアを探し回っていくうちに、課長の噂話が聞こえてくる。そのうちに、僕たちは見たことのないタイプのロボ社員を発見した。彼の話を聞いた僕らは奴に襲い掛かり、課長の社員証を分捕る。スカルは「いっそ社長が来ればいいのに」とぼやいたが、贅沢は言えないものだ。

 再びアナウンスが響き、シフト交代が告げられる。課長クラスで開く扉を探すと、すぐに見つかった。社員証で扉を開き、フロアをくまなく調べて回る。すると、部長の噂がちょこちょこ聞こえてくる。程なくして、ひときわ大きなロボ社員の姿を発見した。

 

 

「大きさがお父様に重用されている証とするなら、あのロボも地位は高いはず……」

 

「なら、迷う必要はないな」

 

 

 ノワールの見解を聞いたフォックスは頷き、ちらりとジョーカーに視線を向ける。ジョーカーは頷き、部長ロボ(仮)の元へと躍り出た。部長ロボ(仮)から情報を引き出す。

 噂から手に入れた情報と照らし合わせた結果、部長ロボ(仮)から(仮)の字が取れた。僕らは早速部長ロボに襲い掛かり、社員証を分捕った。そうして同じように扉を開く。

 フロアで情報収集とアイテム回収を行って、このフロアを後にする。元来た道を戻り、先程の扉の前へと戻って来た。社員証を提示すれば、やはり、扉は開かれた。

 

 新しいフロアへと足を踏み出す。そこはリフトが点在するフロアだった。モナ曰く、「『オタカラ』がある建物が見えた」とのことだ。フロアを馬鹿正直に探索するより、外壁を伝って行った方が早そうである。

 スカルの提案にクイーンが頷き、早速登れそうな場所を探して片っ端からリフトを操作した。外壁を飛び回り、程なくして目的の建物の前へと着地する。ここまで来るまで、獅童との関わりを臭わせる証拠は一切見つからなかった。

 

 

「獅童と協力している割には、それに関する情報は出てこないな」

 

「協力関係と言うのは建前上だけで、互いを信頼していたわけではないのかも」

 

「あり得そうな話だ。奥村社長も獅童と似たようなタイプだし」

 

「1人で抱え込むという点ではクロウも似てるよね」

 

「……うーん、その話題でその例えはゾッとするかなぁ」

 

 

 ジョーカーの例えに僕は苦笑する。不意に、自分の中にいた“何か”が渋い顔を浮かべた。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と、“何か”は罰が悪そうにしていた。

 

 自分だけの利になる行動をとるということは、“1人で抱え込む”こととよく似ている。誰にも知られることのないように振る舞うためには、他者にそれを悟られないようにしなければならない。パレスが心の世界だとするなら、浅い階層から証拠が手に入るはずがないのだ。

 

 ナビが手に入れた情報から照らし合わせると、この先にあるフロアは工場だろう。僕たちは早速扉を開けて工場に潜入した。オフィスのような白基調の小奇麗さはなくなり、黒基調の無機質さが顔を出す。

 暫く進むと、工場内の光景が見えてきた。フロアの名前の通り、何かを作っているらしい。楽園への脱出と銘打たれた計画と関連しているのだろうか――そんなことを考えていた僕は、ある光景に目を留めた。

 工場で働いている社員たちの動きがおかしい。電池切れの玩具のように挙動不審となったロボ社員が、そのまま停止して倒れてしまう。異変に気づいたのは僕だけでなく、僕が見つけた社員たちだけではない様子だった。

 

 

「……ユートピアって、楽園って意味なんだよな?」

 

「偉いぞスカル。ちゃんと覚えてたんだな」

 

「見る限り、全然楽園とは程遠いんだけど……」

 

「ユートピアのイメージとは正反対ね」

 

 

 スカルが首を傾げ、モナがスカルを褒める。2人のやり取りを見たパンサーは、遠い目をしながら倒れていく社員の姿を見つめていた。クイーンも頷く。その脇で、ノワールが表情を曇らせる。

 

 

「このコンベアと作業員の配置……」

 

「どうしたの? ノワール」

 

「ウチの会社のバンズ工場……」

 

「……成程。奥村は『こう考えている』というわけか。ノワールには悪いが、控えめに言って非道だな」

 

「非道が控えめって……せめてブラック企業で止めておけよ」

 

 

 沈痛な面持ちで呟いたノワールの言葉に、ジョーカーはハッと息を飲む。フォックスの表現に対し、僕は肩を竦めた。軽口を叩きつつ、僕たちは工場内部を進んでいく。

 だが、先へ進むための扉へ進むための道は、突如故障して壊れたロボットアームが原因で塞がれてしまった。機械が爆発したのを皮切りに、上空からブロックが落ちてきたのだ。

 何も考えずに進んでいたらペシャンコになっていただろう。壊れやすいというのは非常に厄介だが、クイーンは「この壊れやすさを逆に利用できないか」と提案してきた。

 

 奥に進む方法を探して工場フロアを駆け抜けるうちに、ロボットアームの操作盤を発見する。どうやらスピードを選べるらしい。

 

 

「3倍、5倍、10倍……」

 

「10倍で動かしたらあっという間に壊れそうだけど」

 

「速度上昇もだけど、選択肢に『減速』と『停止』がないってのもなかなかに狂気的だよね」

 

 

 ジョーカーとパンサーが制御盤を眺める中、僕は顎に手を当てる。そんな仲間たちの渋い顔など気にすることなく、ジョーカーは10倍のボタンを押した。罪悪感もクソもない真顔だった。程なくして、果たして予想通りの結果となった。

 対応するロボットアームが動作不良を起こして倒れこむ。それは丁度良い架け橋となった。仲間たちの見解からして、多かれ少なかれ負荷をかければロボットアームは壊れてしまうだろう。それ程疲弊しているらしい。

 

 対応する端末を操作してアームを壊しながら、壊れたアームを伝って先へ進む。うろつくシャドウを倒しながらフロアを駆け抜ければ、ようやく目的の扉が近づいてきた。

 随分と遠回りさせられてしまった。このパレスは遠回りを強制されることが多い。そのことに悪態をつきながらも、僕らは先へと進んだ。扉の先も工場フロアである。

 元々工場フロアが大きいことは分かっていたけど、このパレスは一体何を作っているのだろうか。それに関する情報も出てこないあたり、奥村の秘密主義が伺えた。

 

 現実世界ではバンズ工場ということ以外の情報は、やはり見つからないままだ。

 

 

「扉発見!」

 

 

 ナビが遠くの扉を指示す。ベルトコンベアやプレス機がせわしなく動いている向う側に、目指すべき扉があった。機械類が動いている状態で向うの通路へ向かうのは難しい。

 とりあえず、機械類を止める方法を探してフロアを探し回る。程なくして制御盤を発見した僕たちは、それらを操作して機械類を止めながら先へと進んでいく。

 昼休みや休憩のシフトを駆使し、僕たちはやっとの思いで扉に辿り着いた。次のフロアもやっぱり工場フロア。ナビ曰く、攻略方法は「応用編」とのことらしい。

 

 

「見ろ。動かなくなった社員たちがラインに……」

 

 

 フォックスが指さす先には、ベルトコンベアに乗せられた社員たちの姿があった。指摘通り、どの社員もピクリとも動かない。

 

 

「本当だ。何作ってるんだろう?」

 

「今までの経験則からすると、ロクなもんじゃなさそうなのは確かだよね」

 

「……ワガハイたちと行く先が同じだから、嫌でも見ることになるだろうな」

 

 

 好奇心で首を傾げたパンサーだが、ジョーカーの指摘に表情が引きつる。今まで見てきたパレスでの経験則や、このパレスを調べ回ったときの情報から嫌な予感を察したのだろう。

 それはモナも同じだったようで、渋い顔をしながらため息をついた。こんな所で足を止めるわけにはいかない。近辺のセーフルームで休息してから、僕たちは再び駆け出した。

 

 コンソールを操作してアームを破壊して橋にしたり、制御盤をいじって機械の動きを止めている隙に先へと進んだりしていくうちに、僕らは妙な社員たちを発見した。

 奴らは「オクムラ様のため」と叫んでいる。動かなくなった同僚たちがベルトコンベアに流されていくのを見ても、彼らは奥村社長に忠義を尽くするつもりでいるらしい。

 マインドコントロールによって過剰適応へ追い込まれた件の社員たちは、崖っぷちで踏み止まっているような状態だ。それが普通だと思い込むことで平静を保とうとする。

 

 嘗て班目から同じような仕打ちを受けていたフォックスが、過剰適応の意味を理解しきれなかったスカルに解説する。

 スカルは合点がいったらしく、何とも言えない顔をしてパンサーと顔を見合わせた。

 

 

「パレス内にこんな奴らがいるってことは、奥村社長も自覚してやってるってことかな」

 

「お父様……」

 

 

 ジョーカーの指摘を受けて、ノワールは表情を曇らせた。父親が非道な真似をしているということを、こんな形で示されれば、誰だって辛いだろう。そんなノワールの肩をジョーカーはポンと叩いた。「『改心』させて、助けるんでしょう?」――彼女の言葉に、ノワールはこっくりと頷き返した。

 

 

「けど、注意しろよ。今までの社員とは違い、話し合いの余地はなさそうだ」

 

「会った途端に戦いになるってことか。了解」

 

 

 モナの警告に頷いたジョーカーは、早速制御盤を操作した。昼休みでプレス機を止めて、僅かな時間を利用してプレス機の上を渡り歩いていく。時にはアームに負荷をかけて壊し、橋代わりに使って先へ進んだ。

 程なくして件の社員たちがいる箇所へ足を踏み入れる。社員たちは僕らを視界にとらえた途端、「邪魔者は潰す。喜んで!」と万歳しながら襲い掛かって来た。僕たちも躊躇うことなく迎撃する。

 社員たちを倒したと思った刹那、今度はまた別の社員たちが現れて襲い掛かって来た。ジョーカーがペルソナを変え、フォックスと共に冷気を打ち放つ。社員ロボの弱点を突いたようで、あっという間に倒れ伏した。

 

 2人を主軸にしながら社員ロボをダウンさせては総攻撃で倒し続け、ようやく倒しきったようだ。僕たちは息を吐いて警戒を解く。

 こき使われて、ボロボロになって、最後は勝てるはずのない相手と戦わされる――ああ、世知辛い世の中だ。

 

 暗い顔をしたノワールを引っ張るような形で奥へ向かう。すると、動かなくなった社員たちが次々と炉の中へと放り込まれているではないか。

 

 ガイド音声が『燃料の投下により出力アップ』と馬鹿真面目に解説してくれたおかげで、この区画の正体が分かった。

 人間こそが、オクムラフーズ――ひいては奥村パレスを動かすための動力源。典型的なブラック企業だ。

 

 

「人の命で、商品を作る工場……」

 

 

 父親の悍ましさを突きつけられてしまったためか、ノワールの顔は真っ青である。彼女が愕然とする理由はよく分かるのだ。俺は実父、フォックスは育ての親の悍ましさを突きつけられたことがある。僕らが何かを言うよりも先に、

 

 

「許せない! こんな風に思っているなんて!! みんな、行こう! お父様を必ず『改心』させてみせる!!」

 

「う、うん」

 

 

 こちらがびっくりするくらいのやる気を出してくれた。

 

 そして、ようやく3か所目のフロアに足を踏み入れた。窓からはパレスの外の風景――宇宙空間が広がっている。エアロックというのは、文字通りの宇宙空間移動らしい。フォックスは「控えめに言って、死ぬな」と分析した。

 だが、ナビがそれを否定する。目鼻口を押えて息を止めれば30秒は持つらしい。「人体は意外と破裂しない」と言い切った彼女の声色は淡々としていて、なかなかに怖い。こんな形で宇宙遊泳をする羽目になるとは思わなかった。

 

 

「銀行が空飛んでるくらいでいちいち驚いていたのが懐かしいわ……」

 

「それを言ったら、ピンクのマント羽織ってパンツ一丁の王様を見て悲鳴を上げていた頃はどうなるんだろうね」

 

 

 懐かしそうに語るクイーンとジョーカーにつられて、僕も頷く。

 

 

「メメントスではヤクザのシャドウに襲われて腹に風穴開けたこともあったっけなあ」

 

「ちょっと待ってクロウ。そんな話一度も聞いたこと無いけど」

 

「げ」

 

 

 ついうっかり零した話題に、ジョーカーは目敏く反応した。ジョーカーだけではない。他の仲間たちが勢いよく僕を見る。文字通り“視線の集中砲火”だ。

 無言の圧力と罪悪感に耐え切れなくなった僕は、結局洗いざらい喋る羽目になった。2年程前の出来事と言えど、勿論みんなから派手に叱られた。

 お説教に関しては割愛し、僕たちはエアロックを使って先へと進む。どうやら動いているものと動いていないものがあるらしい。

 

 動いているエアロックだけで目的地に辿り着ければいいだろうが、世の中はそんなに甘くないのだ。きっとどこかに、エアロックを動かすための仕掛けがあるのだろう。

 僕の予想した通り、エアロックを作動させるための仕掛けがお目見えした。それを作動させながら、奥へ奥へと向かっていく。

 

 

「慣れてくると、宇宙遊泳も楽しいものだな」

 

「だよな! バンジーとは違う感じがするぜ!」

 

「こんなことがなきゃ、一生経験しなかっただろうね」

 

 

 フォックスとスカルが楽しそうに談笑する。僕も同意した。

 

 

「でも、クロウは他のペルソナ使いの戦いで、色んな所へ行ったんだろ?」

 

「まあね。宇宙空間は初めてだけど」

 

「じゃあ、他にはどこへ行ったんだ? ってか、どんなダンジョンだったんだ?」

 

「学校が凍り付いて氷の城へ行ったり、アヴディア界という心の世界に足を踏み入れたり、モナドマンダラという精神世界に足を踏み入れたり、タルタロスという塔を登ったり、テレビの中へ飛び込んだりした。テレビは銭湯とか劇場とかが印象的だったな。筋肉とかストリップショーとか」

 

「ストリップショー!? 誰の!?」

 

「どちらも造形美が気になるな……! 詳しく訊かせてくれないか!?」

 

「本人の名誉にかかわるのでノーコメントで」

 

「ちょっと男子一同。下世話な話はいいから先へ進むわよ」

 

 

 クイーンに突っ込まれた僕らは話を中断した。程なくして、フロアのゴールへ辿り着く。次のフロアも同様で、先程の応用編となっていた。

 だが、スイッチを切り替える以外に、ある一定条件下で開閉する扉があるようだ。新たな仕掛けと今までの仕掛けを組み合わせながら先へと進んだ。

 

 そのうち最奥へと辿り着く。そこにはでかでかとビックバンバーガーのロゴが大きく描かれているだけで、『廃人化』に関する証拠は何一つとして出てこなかった。

 

 奥村社長が獅童と結びついているというのは分かっていた。けれど、ここまで()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。それを考慮すると、奥村は“獅童のスケープゴート”に仕立て上げられるためだけに、証拠類をお膳立てさせていたのだろう。

 そのくせ、獅童は己に繋がる情報が奥村社長のパレス内に出てこないように気を配っていたらしい。奥村社長は『廃人化』ビジネスを()()()()()()()()()()()使()()()()()()()可能性が高いようだ。ついでに、さりげなく濡れ衣まで着せられている。

 このまま放置すれば、いずれは『廃人化』専門のヒットマンによって無慈悲に処分されてしまうだろう。ついでに、怪盗団も謂れなき罪を負わされる危険性もある。怪盗団を守るためにも、獅童の野望を挫くためにも、奥村社長を『改心』させなくては。

 

 いつも通りの全会一致で、奥村社長の『改心』が決定した。仲間たちは顔を見合わせて頷き合う。

 予告状を出すタイミングはジョーカーに託された。ジョーカーは不敵に微笑んで頷き返す。

 

 ――そうして僕らは、奥村社長のパレスを後にしたのだった。

 

 

***

 

 

『久しいな、明智くん。それと、有栖川のお嬢さんや奥村のお嬢さんも』

 

 

 家路につくためオクムラフーズ本社から一歩踏み出したとき、黒塗りのリムジンが僕たちの前に停まった。顔を出したのは、南条コンツェルン次期社長の南条さんだ。

 

 

『獅童と奥村社長の件について、話は聞いている。作戦会議がしたいが、時間は大丈夫かな?』

 

『はい、大丈夫です』

 

 

 南条さんの問いを聞いた黎が、他の面々にちらりと視線を向ける。僕らは断ること無く頷き、南条さんの乗って来たリムジンに乗った。南条コンツェルンの所有するリムジンに高校生が乗っているという図は周囲の目を惹いたが、南条さん本人がそれを許しているのだから誰も文句は言えない。

 暫しの移動を終えた僕たちが案内されたのは、南条コンツェルン系列の超高級料亭だった。しかも本日貸し切りである。やったのは南条さんだ。呆気にとられる高校生たちの顔など気にすることなく、彼は『至極当たり前のことをした』と言わんばかりの涼しい横顔を浮かべていた。

 店内には特別研究部門関係者である空本兄弟、警察官キャリアである周防兄弟と真田さん、シャドウワーカーのトップである美鶴さん、珠閒瑠における人探しのプロ(マンサーチャー)であるパオフゥさんとうららさん、元祖探偵王子の直斗さん、雑誌記者とカメラマンである舞耶さんと黛さん、地元が東京である真実さんらが集まっていた。

 

 文字通り、そうそうたるメンバーである。ここに集っている人々の肩書も、ペルソナ使いの実力も高い。

 程なくして料理が運ばれてきた。それらに舌鼓を打ちつつ、作戦会議を行う。

 

 

「今まで『改心』が発生してきたタイミングを確かめてみたが、怪盗団にとって最悪の事態が発生する日付であり、『改心』対象者にとって区切りがつく頃に『改心』の効果が発生していることが分かった」

 

 

 航さんがそう言いながら、壇上に立ってスクリーンにパワーポインタを映し出す。

 

 

「鴨志田卓が5月2日の理事会開催日、班目一流斎が6月5日の個展最終日、金城潤矢が7月9日の支払い要求日、双葉さんが8月21日の“メジエド”Xデー。怪盗団側の都合に合わせると、5月2日は鴨志田によるお嬢と竜司の退学予定日、6月5日は怪盗団一同が班目に訴訟されるであろう日、7月9日はお嬢が金城に1000万を支払う期限日、8月21日は“メジエド”によるテロ予告日だ」

 

「その理屈から行くと、オクムラに『改心』が発生するのは“ハルとチアキの婚約を破棄して、チアキの兄に春を身売りさせる日”というコトになるな。予定日は確か、10月11日だったハズだ」

 

 

 航さんの分析結果を聞いたモルガナが予測を立てる。潜入捜査した際、彼は奥村社長と千秋の兄の会話を盗み聞きしていたらしい。春もそれらしい話題を耳にしていたのか、哀しそうに俯いた。期限まで20日以上あるが、『廃人化』専門のヒットマンである智明が動き出す前に決着をつけておくべきだろう。

 

 最も、今回は『『改心』させてお終い』ではない。『改心』させた後からが本番なのである。智明はきっと、秀尽学園高校の校長と同じように、間接的な方法で奥村社長を“処分”しようとするだろう。それだけは防がなければならない。彼を無事に出頭させるまでが、今回の戦いだ。

 僕たち怪盗団ができることは、ターゲットを『改心』させることだけらしい。今まで“ターゲットが出頭することに関しては、怪盗団側が手出しすることは一切できなかった”という事実がその証拠である。つまり、『改心』後のターゲットを護衛することに関しては完全な素人なのである。

 そこで、僕は各分野の大人たちに協力を仰いだのだ。万能ではないものの、ペルソナ使いは強い。警察関係者は犯人や要人の警護にもそれなりに精通しているだろうし、探偵組も荒事には慣れている。記者なら理由をつけて奥村社長に張り付くこともできるし、地元が東京である真実さんは大学生なので比較的小回りが利く。

 

 巌戸台以降の世代は“ペルソナを発現できるのは特殊な環境下(例.影時間やマヨナカテレビ内)にあるときのみ”だ。

 だが、異世界で鍛えた身体能力は、現実世界の身体能力にも影響を与えている。おかげで面々の身体能力は一般人平均より高かった。

 

 

「これだけの協力者がいても、獅童正義とその『駒』は油断ならない相手だ。奥村社長の件を乗り越えても、新たな手を打ってくるだろう」

 

「ウチの校長が“不幸なバスジャック事故”で意識不明になったのがその証拠だよね……」

 

「実際、お姉ちゃんも実質的な人質状態だものね」

 

「……そうか。新島が、か」

 

 

 険しい顔で分析した南条さんに、杏と真が同調する。真から冴さんの話題を聞いたパオフゥさん――元・珠閒瑠地検検事の嵯峨薫氏が表情を曇らせた。

 嘗ての司法修習生が狙われているという事実に関して、複雑な気分なのだろう。そんな彼の隣にいたうららさんは、納得したように頷きながら飲み物を煽った。

 うららさんはパオフゥさんの現・相棒として、冴さんに対し思うところがあるようだ。長らく一緒に活動していくうちに、2人は2人なりの距離感を見つけたらしい。

 

 できればそのままくっついてしまえばいいと思うのは、僕や至さんの勝手なお節介だろう。……そういえば、至さんは今でもうららさんの留守電――『いい男がいたら紹介しろ(意訳)』――にパオフゥさんの電話番号を録音する悪戯を行っているのだろうか? 閑話休題。

 

 

「保険として、奥村社長の関係者も『改心』させておいた方がいいのかもしれないな。キミたちにはかなりの負担になるが……」

 

「やるっきゃないッスよ。バスジャックみたいに他の奴らを巻き込むようなコトになっちまったら、それこそ最悪だって!」

 

 

 周防刑事の言葉に対し、竜司が拳を振り上げて頷いた。漢にはやらねばならぬときがある――竜司からその気迫を読み取ったのか、達哉さんも真顔で頷き返した。

 

 

「でも、千秋さんは大丈夫かしら……。何度かお父様に進言していたから、認知世界のお父様からは処分対象にされてしまっているみたい。千秋さんも、お父様の悪事に対して強く憤っていて……」

 

「そういえば、バスジャック犯も『奥村社長とオクムラフーズの企業体質に対して強い憤りを感じていた』人物だったな。奥村社長“処分”の実行犯役として、春の婚約者に白羽の矢が立てられてしまってもおかしくない」

 

「そんな! 千秋さんが……」

 

「もし婚約者の言動がおかしくなったら俺たちに伝えてほしい。パレスやメメントスで『改心』させるという手があるからな。『性格が変わってしまったため、悪事を行うようになった』という依頼を解決したことがあるから、何とかなるはずだ」

 

 

 春の不安を煽るような発言をした祐介だが、すぐにフォローを入れた。それを聞いた春は安心したのだろう。ホッとしたように息を吐いた。美鶴さんも春の肩を叩いて微笑む。

 舞耶さんは満面の笑みを浮かべて「レッツ・ポジティブシンキングよ春ちゃん!」と口癖を披露した。春も元気良く頷き、決意を新たにする。それを、黛さんが見守っていた。

 

 互いの得意分野を活かし、苦手分野のカバーを頼む――それは、相手を信頼していなければ成り立たない作戦だ。ペルソナ使いの先輩後輩が手を組んで、戦いに挑んでいる。

 

 飲み物を煽っていた達哉さんと至さんが大きくため息をついた。

 彼らの心の中に、強い懸念材料があるためだろう。

 おそらくそれは、僕と同じ意見に違いないのだ。

 

 

「一番の懸念は、“人間側の黒幕である獅童正義は、『神』が用意した前座に過ぎない”という点だな」

 

「確かに。獅童正義にこれ程までもの力を与えた奴だ。獅童に勝った後も安心はできない」

 

「『神』に関して、現時点で分かっている情報は少ないんだよね。“認識や認知を自在に操る”という一点のみ。……これでどう対処すればいいんだか」

 

 

 1人は善神の化身として、もう1人は悪神の悪趣味で理不尽な娯楽のため、『神』によって人生を滅茶苦茶にされかけた者たちだ。僕は善神の化身である至さんと共に、数多の理不尽と旅路の行く先を向き合ってきた。

 

 フィレモンもニャルラトホテプもニュクスもイザナミノミコトも理不尽極まりない奴らだったが、今回の奴も理不尽極まりない力を振るう奴だ。毛色も能力もニャルラトホテプ由来であることは明らかだろう。実際、獅童の『駒』には神取鷹久がいる。

 僕の想像する望月綾時が「僕は不可抗力だからね……?」と寂しそうな顔をした。事情は知っているけれど、それとこれとは話は別だ。最終決戦でアルカナ変化による実質13連戦をする羽目になったあの恨みは忘れられない。本当に死ぬかと思ったのだ。閑話休題。

 

 

「何が相手でも、私が貫くべき正義は変わらないよ」

 

 

 口元をナプキンで拭きながら、黎は静かに宣言する。

 

 

「これ以上獅童の好きにはさせない。奴は絶対『改心』させる」

 

「黎……」

 

「勿論、『神』相手だってそうだ。もし『神』が悪事を企むなら、“悪魔の王”の力を使ってでも叩き潰す。……私の“おしるし”が何か、吾郎は知ってるでしょう?」

 

 

 黎は悪戯っぽく微笑んだ。彼女の“おしるし”が“6枚羽の悪魔の王”であることは、有栖川家の関係者にとっては周知の事実である。

 『運命を打ち砕け』という反逆の意志が込められたそれを思い出し、僕はひっそり苦笑した。やっぱり、僕はまだまだらしい。

 黎の宣言を聞いたモルガナがキラキラ目を輝かせる。「トリックスターに相応しい結末だな!」と語った彼は、そのコンマ1秒で周防刑事に抱きかかえられて悲鳴を上げた。

 

 怪盗団リーダーにして、今代のペルソナ使いたちを率いる『ワイルド』使いの宣言を聞いた新旧ペルソナ使いたちは、互いの顔を見合わせて頷き合った。

 怪盗団は怪盗団の戦いをし、大人たちは大人たちの戦いをする。背中合わせの戦いだ。先輩が守って繋いできた世界は僕らに託され、僕らの運命も彼らに託されている。

 

 強い絆で結ばれたことを確認した僕らの会議は、そのまま交流会へとシフトチェンジした。スクリーンとPCを片付けた航さんが双葉の隣に座り、何かを話し始める。会話の内容的に認知世界に関する見解のようだ。

 

 

「『認知上の人間』ってヤツ、本当に面白いんだ。春の婚約者の兄貴なんて完全に瓜二つでさ」

 

「双葉さんの所で見た一色さんの顔はそっくりだったな。体は完全にスフィンクスだったが」

 

「春が見たアレはたまたまだよ。普通は見た目も性格も歪んでるもの。双葉のアレは特別な一例だけど」

 

 

 盛り上がる双葉と航さんに、杏はツッコミを入れた。鴨志田パレスで出てきた認知上の自分を思い出しているのだろう。確かにアレは本当に酷かった。鴨志田の従順な僕として、性的な目で見られていたのである。卑猥極まりない光景だったに違いない。

 連想的に“黒いベビードールを身に纏った認知上の黎”の姿と、彼女に対して下卑た手つきで触れていた鴨志田の醜悪な笑みを思い出した。随分と久しく怒りが湧き上がり、ついつい手に持っている箸をへし折りたくなってしまった。勿論堪えた。

 

 「班目の美術館にいた俺なんて、人ではなく絵だったからな」――山菜のてんぷらを口いっぱいに頬張った祐介がうんうん頷く。班目にとって、祐介は人間ではなく作品の1つでしかなかった。人を人とは思わぬ黄金美術館を思い出し、僕はひっそりため息をついた。

 

 認知世界のことで春は疑問に思ったことがあるようだ。“奥村社長の認知世界(パレス)に、どうして奥村春(じぶん)がいないのか”という至極真っ当な疑問だった。

 見当たらない理由に心当たりはある。だが、理由は何であれど胸糞悪いことは確かだ。おそらく、金城パレスで見た認知上の金づる――人間ATMと互角であろう。

 昏い顔をする春だが、研究者組に所属する双葉と航さんがワクワクした様子で認知世界のことを話し出す。双方共に目がキラキラと輝いていた。

 

 

「本人の認知1つで景色も人も変幻自在ならさ、上手く使えば、“望みの世界に望みの人間がいる”ドリーム空間とか作れそうじゃん!」

 

「セベクにも似たような研究があった。最もそれは『病弱気味な娘が、せめて夢の中だけでも楽しく過ごしてほしい』という願いの元に造られたが、紆余曲折あって悪用される結果になってしまった。でも、浪漫はあるぞ」

 

「町中に悪魔が跋扈して、コンビニやカジノ等でモノホンの銃が売買される世界はちょっとなぁ……」

 

 

 盛り上がる双葉と航さんの様子に対し、至さんは非常に遠い目をした。もしこの場に園村さんがいたら、無言のまま肩を叩かれ、至さんはどこかへと連れ出されていたことだろう。幸いなことに、今この場には園村さんはいなかったのでセーフである。

 

 パレスへの夢を広げる研究者たちは「いつかどこかで試してみたい」とまで言い切った。そんな実験が行われる日は来るのだろうか。

 僕が苦笑していたとき、僕の中にいる“何か”が呟く。()()()()()()()()()()()()()()()()()――それっきり、“何か”は黙ってしまった。

 僕の中にいる“何か”は双葉と航さんの話に耳を傾けながら、納得し、脱帽し、悔しがり、感服し、打ちひしがれながらもどこか晴れやかに笑っている。

 

 そんな“何か”の姿を見守っていた僕は、ふと気づく。

 “何か”の存在を、僕ははっきり認識できるようになっていたことに。

 

 

(……そういえば、いつからだろう。俺の中に“何か(おまえ)”がいると、明確に知覚できるようになったのは)

 

 

 いつ頃からかは覚えていないが、俺は“何か”の存在を明確に感じられるようになった。“何か”は明智吾郎の中にいて、時折明智吾郎の感情を強く揺さぶるのだ。“何か”は明智吾郎の敵ではないが、仲が良いとは言い難い。よく悪態をつくし、口調も態度も悪いし、ひねくれてはいるが、寂しがり屋で不器用だ。

 他者から愛されたいと願うくせに、言い出しっぺの“何か”本人が誰かを愛そうとせず心を閉ざしている。上辺を取り繕って相手を騙し、取り込み、破滅させることでしか生きていけないと思い込んでいるくせに、何よりも誰よりもそんな自分が嫌いだ。自分の醜さを人一倍責めており、醜い自分は愛されないと自覚している。

 

 要するに、面倒くさい。理解できる部分もあるし共感できることもあるけど、実際に“何か”とつき合うのは非常に面倒くさいのだ。

 

 秘密は多いし、大事なことは言わないし、俺には意味不明なことを口走ったりする。俺には把握できない感情を揺さぶったりする。しかも、揺さぶられたものはすべて()()()()()()()()()というオプション付きだ。この感覚に救われたことは何度もあるが、不用意に騒ぐので始末に負えなくなったことがある。

 特に、獅童智明の存在を初めて知ったときはかなり狼狽えていた。“何か”が派手に狼狽えなければ、俺は自分自身の行動の甘さ――獅童正義の隠し子関連について調()()()()()()()()()()違和感に気づかぬままだったかもしれない。気づいたところで、“何か”の反応は変わらなかっただろうと予測はつくが。

 

 

―― なあ。お前、()? ――

 

 

 俺は、俺の中にいる“何か”に問うた。薄暗くぼやけた輪郭が、俺の声に呼応するようにして形を変えていく。

 

 黒と紫のストライプ柄の全身タイツ――俺がそう認識した途端、“何か”は「その例えはやめろ!」と言わんばかりに睨みつけてきた――に、甲冑を思わせるような黒いフルフェイスマスクを被った青年の姿があった。仮面の右端がひび割れており、顔半分の下を隠す部分は完全に晒されている。

 焼け焦げたような燕尾のマントが闇の中で揺れている。“何か”はずっと体育座りでいたようだ。立ち上がる体力も気力もないようで、その体制のままじっと俺を見上げていた。……なんだか、酷く疲れているように見える。“何か”は動くことすら億劫のようで、のろのろと緩慢な動作で首を動かした。

 擦切れた黄昏を連想させるような瞳はどことなく虚ろだ。ただ、俺に対して、羨望と祈りを込めたような眼差しを向けてくる。……どうしてか、見ているだけで胸が苦しくなった。思わず表情を歪ませた俺を見た“何か”は、弱々しい声で呟いた。()()()()()()()()()()()()――下手くそな泣き笑いを浮かべる。

 

 嬉しそうな顔をしているくせに、“何か”は悪態をついた。やっぱり素直じゃない。

 そして、“何か”は自身の正体を明かすつもりはないのだ。やっぱり面倒くさい。

 

 

(……まあ、黎に害をなす存在じゃないなら、別にいいけど)

 

 

 俺がそんなことを考えた途端、“何か”が苦笑した。馬鹿にするわけでもなく、嘲笑う訳でもなく、寂しそうに、羨ましそうに笑うだけ。

 届かなかった願いの残骸を拾い上げ、慈しむかのような眼差しだ。()()()()()()()()と、“何か”は囁く。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――“何か”はゆっくり首を動かす。その視線の先には、有栖川黎の姿があった。

 

 “何か”は暫し黎を見つめていたが、ややあって、小さくかぶりを振って視線を外す。俺は興味本位で、奴の視線の先を追いかけてみた。

 そこには有栖川黎がいた。けど、彼女に重なるようにして、ジョーカーの姿が浮かんでいるように見える。

 

 俺は思わず目を丸くする。次の瞬間、ジョーカーが俺の方を向いた。――正確に言うなら、彼女の視線は俺ではなく、俯いてしまったっきり動かない“何か”に向けられている。“何か”に対して強い慈しみと悲しみを込めた眼差しを注いでいたジョーカーは、決意を新たにしたらしい。小さく頷いて前を向いた。

 

 

「吾郎? どうかした?」

 

「え? あ、いや、なんでもない」

 

 

 不意に、黎から声をかけられて、俺は慌てて首を振る。途端に、“何か”とジョーカーの気配が一瞬で掻き消えてしまった。

 今日はそれっきり、“何か”の気配を感じなかった。そうして暫く、黎に重なるようにして浮かんでいたジョーカーの姿も見なかった。

 

 

◇◇◇

 

 

 奥村社長を『改心』させるための下準備として、僕たちはメメントスに乗り込んだ。今まで溜まった依頼を解決しながら、彼の関係者たちを次々と『改心』させていく。

 春が危惧した通り、春の婚約者である宝条千秋の『改心』も行った。彼は奥村社長への憤りによって心を歪ませてしまい、奴に対して暴力的な強硬手段に出ようとしていた。

 『最悪な結果になる前に止めてくれてありがとう』と言い残し、千秋さんは自身の心の中へと還って行った。婚約者を助けられたことに喜ぶノワールは、暫く絶好調でいた。

 

 しかし、千秋さんの兄でノワールが身売りされる先の相手――宝条千秋の兄のパレスとメメントスのシャドウは発見できなかった。奥村社長の認知存在は春を玩具にしようとしていたが、現実にいる千秋の兄にはそんな歪みはないようだ。誰かの認知存在が超弩級のクズだからといって、該当者がパレスを持っていたりメメントスの一角を占拠する程の歪みを持っている訳ではないらしい。

 

 奥村社長の関係者たちを軒並み『改心』させるという保険用の強行軍を終えた僕たちは、他の準備を整えて、奥村社長に予告状を出したのである。

 予告状は春本人が奥村社長の机に置いておくこととなった。奥村社長の反応は春に任せてある。僕たちは大人しく学生生活をこなし、放課後にルブランへと集まった。

 

 

「お父様、警察関係者とつるんでいるみたいなの。誰かに連絡して『警察を動かせ』って命令してた」

 

「その結果が予告状バレってことか。日時まで報道されてるもんな……」

 

「ネットでも大騒ぎになってる。誰も彼もが怪盗団を支持してるが、その大半の書き込みが面白半分のものばっかりだ」

 

 

 春が険しい面持ちで、竜司が途方に暮れたような顔をして、双葉が憤りを溢れさせながらため息をつく。

 

 

「手段と目的が完全にすり替わったな。民衆は俺たちを娯楽として消費しようとしている。『何でもいいから偉い奴の土下座が見たい』という理由でだ」

 

「どうしてこうなっちゃったんだろうね。最初はただ単に、苦しんでいる人を勇気づけたかっただけなのに」

 

 

 祐介は端正な顔を憂いに歪ませ、杏は悲しそうに俯く。僕らの初志と願いは、その対象者たちによって、こんな形で歪ませられてしまった。

 『自身の存在が「要らない」ものとなってもいい』と言っていた黎のことが気になり、僕はちらりと彼女に視線を向ける。

 

 透き通った灰銀の瞳には、一切の揺らぎがない。彼女の眼差しはどこまでも真っ直ぐで、自分の為すべきことに対して迷いはなかった。有栖川黎はこんな状況下にあっても、鴨志田『改心』戦勝会で述べた言葉を忘れていなかった。彼女は最初から最後まで初志貫徹の在り方を貫くつもりらしい。

 ()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――“何か”は黎へと羨望の眼差しを向ける。相変わらず体育座りのまま動こうとしない“何か”を見ていると、無性に、奴の背中を思いっきり蹴っ飛ばしてやりたくなるのだ。

 思えば、“何か”は「たられば」で物を語ることが多かったように思う。自分にはそれが出来ないと頑なに主張し、座り込んだまま動こうとしなかった。動かなければ何も始まらないと言うのにだ。“何か”も俺の中で“今までの戦い”を見てきたのだから、いい加減学習してもいい頃だろう。

 

 

「それでも、私の正義は変わらない。理不尽に苦しんでいる人を助けたいんだ」

 

「黎……」

 

「獅童正義を『改心』させ、すべての罪を終わらせる。そのためにも、奴のスケープゴートとして利用されそうになっている奥村社長を放っておくわけにはいかない。彼もまた、獅童の計略によって、理不尽な命の危機を迎えている被害者なんだから」

 

 

 今回の『改心』は、獅童正義を追いつめるための一歩だ。『廃人化』に係わる連中たちが振りまく理不尽との直接対決である。奴らの標的は怪盗団と奥村邦夫で、双方共に超弩級の理不尽が降りかかることだろう。それを止めなくてはならない。

 

 「奥村社長を『改心』させることは、理不尽から彼を救うことに他ならない」――黎の言葉を聞いた春が目を潤ませる。父を助けるのだという決意を固めて、彼女は頷いた。

 正しい意味での確信犯を貫く黎の姿を見た仲間たちも頷く。俺も微笑み頷き返した。他者の思惑や悪意なんて跳ね除けて、有栖川黎は正義の旅を往くのだろう。

 

 そんな彼女の傍らに――彼女の隣にいられることが誇らしかった。

 黎は颯爽とした足取りで歩き出す。俺は当たり前のように彼女の隣に並んだ。

 黎と俺を取り囲むようにして、怪盗団の面々も続く。

 

 ――さあ、『オタカラ』を頂戴するとしようか。俺たちは不敵な笑みを湛えて、奥村のパレスへと踏み込んだ。

 

 




魔改造明智による奥村パレス攻略~奥村パレス予告状突入直前のお話です。春の婚約者が南条と桐条の関係者となり、とんでもないくらい浄化されてしまいました。結果、婚約者が南条くんと美鶴のおかげでひたむきに努力を開始し、その余波に春も巻き込まれてあの改変へと繋がりました。この世界線に原作P5主はいないのでこんな結果に。
獅童による罠から奥村社長を助け出そうとする怪盗団に、頼れる/格好いい大人たちが力を貸してくれることになりました。以後は彼らのバックアップを受けながら、パレスを攻略していくことになります。戦闘以外でも力を貸してくれることでしょう。今回は航が「『改心』までの期間およびサイクルを解析する」大活躍です。
ここに来て、魔改造明智がついに「自分の中にいる“何か”」の存在を明確に察知しました。今までの違和感及び直感を齎し、時には暴発しながら魔改造明智に指針を示していた“何か”の正体もまた、いずれ明かすつもりでいます。……それにしても、この“何か”、どこかで見たことある格好だなー(棒読み)
原作とは違う目的を持って奥村社長の『改心』に乗り込む怪盗団。パレスでは彼らの、現実では頼れる大人たちの戦いが始まります。基本は怪盗団側で話が進みますが、その結果がどこに至るのか、生温かく見守って頂ければ幸いですね。


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悪意を超えるために

【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 @空本(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄で明智の保護者その1。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
 @獅童(しどう) 智明(ともあき)⇒獅童の息子であり明智の異母兄弟だが、何かおかしい。獅童の懐刀的存在で『廃人化』専門のヒットマンと推測される。詳しくは中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『運命を切り開くだけの簡単なお仕事』および『ペルソナ3異聞録-.future-』、Pixivの『2周目明智吾郎の災難』および『【一発ネタ】有栖川黎の幼馴染』の設定を下地にし、別方向へ発展させた作品である。
・ジョーカーのみ先天性TS。
 ジョーカー(TS):有栖川(ありすがわ) (れい)⇒御影町にある旧家の跡取り娘。旧家制度は形骸化しているが、地元の名士として有名。身長163cm。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空本(そらもと) (わたる)⇒明智の保護者2で、南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。
・敵陣営に登場人物追加。
 @神取鷹久⇒女神異聞録ペルソナ、ペルソナ2罰に登場した敵ペルソナ使い。御影町で発生した“セベク・スキャンダル”で航たちに敗北して死亡後、珠閒瑠市で生き返り、須藤竜蔵の部下として舞耶たちと敵対するが敗北。崩壊する海底洞窟に残り、死亡した。ニャラルトホテプの『駒』として魅入られているため眼球がない。この作品では獅童正義および獅童智明陣営として参戦。但し、どちらかというと明智たちの利になるように動いているようで……?
・「2罰ボスの外見を見た人間の反応」に関するねつ造設定がある。
・普遍的無意識とP5ラスボスの間にねつ造設定がある。
・『改心』と『廃人化』に関するねつ造設定がある。
・春の婚約者に関するねつ造設定と魔改造がある。因みに、拙作の彼はいい人で、春と両想い。
・オリジナル展開がある。
・過去作のボスが登場。P5仕様になっている。


「な、何だあれ!?」

 

「お~、UFO!?」

 

 

 パレスの最奥にある兵器工場エリアに足を踏み入れた僕たちは、目の前に鎮座する物体を見て悲鳴を上げた。『オタカラ』が出現していたフロアに、巨大なUFOが現れたためである。前回のルート確保時には一切存在していなかったのに、だ。

 入り口付近のホログラムに映し出されていた映像は、このUFOの設計図だったらしい。呆気にとられる僕らを尻目に、馬鹿真面目なアナウンスが事務的に響き渡る。『ユートピア・エスケープ号は間もなく発射シークエンスへ移行……』――合点がいった。

 エスケープ・トゥ・ユートピア計画、宇宙船の名前であるユートピア・エスケープ号……僕たちが予想した通り、奥村社長はこのパレス――オクムラフーズという会社から政界へ進出しようとしていた。その野心が、UFOという形で顕現したのであろう。

 

 

「なあパンサー。シークエンスって何だ?」

 

「直訳すると連続って意味になるけど、アナウンスの意味に一致しないから違うね。合いそうなのは『自動制御であらかじめ定められた動作の順序』の方じゃない?」

 

 

 横文字に滅法弱いスカルが、英単語に滅法強いパンサーに問う。パンサーは顎に手を当てながら答えた。僕はそこに補足する。

 

 

「つまり、このままだとあのUFOが発射してしまうってことだよね。奥村社長のシャドウはアレに乗り込んでいることは間違いない。とすると――急いだ方が良さそうだ」

 

「行こうみんな!」

 

 

 僕の分析を聞いたジョーカーは、仲間たちを先導するようにして駆け出した。僕らもそれに続き、基地内部へと入り込む。幸い『オタカラ』は目の前に鎮座していた。さっさと奪取しようと駆け寄った僕たちは、突然響いた緊急サイレンに足を止めた。

 『緊急発射シークエンスに入ります』――奥村社長は僕たちの侵入に気づいたらしい。パレス内部の区画をいくらか封鎖・破壊することになってでもUFOの発進を急いでいた。次の瞬間、『オタカラ』が急に浮かび上がり、上部に浮かんでいた物体と合体する。

 

 『オタカラ』が勝手に動き出したのを見たのは初めてだ。モナが「なんだとぉ~!?」と間抜けな声を上げる。

 丁度そのタイミングで、奥村社長の声が響き渡った。声色からして、奥村社長は酷く急いでいるらしい。

 おまけにこの基地も、UFO発進の際に封鎖および破壊される区画に含まれている。

 

 

「お前たちはそこで指を咥えて、この基地と運命を共にするがいい!」

 

 

 そう言い残し、奥村社長は『オタカラ』共々UFOの方へと飛んでいった。

 

 このまま立ち止まってしまえば、奥村社長の言うとおり、僕たちは区画の崩壊に巻き込まれてしまうだろう。パレス内で命を落とした場合、現実世界の僕らがどうなるかなんて考えたくない。

 僕がそんなことを思ったとき、僕の中にいる“何か”がかすかに身じろぎした。擦切れた黄昏を思わせるような瞳が、何か言いたげにこっちへ向けられる。しかし、“何か”は真一文字に口を結んでいた。

 

 

「クロウ、どうしたの!?」

 

「ごめん。今行く!」

 

 

 足を止めてしまった僕を現実へと引きもどしたのは、切羽詰ったジョーカーの声だった。発射シークエンスまで時間がないのだ、足を止めている暇はない。

 怪盗団の面々は、ナビの案内を受けて駆け出した。連絡通路を駆け抜けて、何とかUFO内部へと乗り込む。『オタカラ』はUFO内部の天井に固定された。

 僕たちは奥村社長と対峙する。黒いマントを翻して振り返った宇宙服の総帥は、顔を真っ青にして土下座してきた。「私は改心した!」と。

 

 まさかそんなことを言われるとは思わなかったのだろう。悪い笑みを浮かべながら、奥村社長ににじり寄っていたスカルが呆気にとられたように動きを止める。ノワールも目を丸くした。情けない土下座っぷりを見せつけられ、仲間たちも次々と警戒を解いてしまう。

 

 ()()()()――僕の中にいる“何か”が嘲笑する。その言葉に同意しながら、僕は奥村社長を冷めた目で見つめていた。

 ジョーカーもそれに気づいたようで、ちらりと僕に視線を向ける。『そこで待機してて』と目で合図してきた。僕も小さく頷く。

 

 

「お父様、もう終わりにしましょう? 私はお父様を許します」

 

「春……!」

 

 

 歩み寄って来たノワールを見上げ、奥村社長は感極まったように表情を綻ばせる。――その口元が醜悪に歪んだのを、僕は見逃さない。奴の足元目がけて銃を打ち放つ。

 

 威嚇射撃の発砲音が唸りを上げ、奥村社長は情けない悲鳴を上げてひっくり返った。その拍子に、何かが奴の手から滑り落ちる。奥村社長は慌てて何かを回収しようとしたが、モナがパチンコを使って追撃した。彼の一撃は何かを壊したらしい。警告音が鳴り響き、ジョーカーたちが立っていた床が赤く点滅した。

 仲間たちは即座にその場から離れる。最後尾にいたナビが床から数センチ先に出た直後、床が爆発した。それを見たノワールが目を剥いて、再び奥村社長に向き直る。奥村社長は悔しそうに舌打ちした。奴は僕を睨みつける。醜悪に歪んだ顔を見て、僕はため息をついて肩を竦めた。メディアに出ているときの爽やかな好青年の仮面を被る。

 

 

「貴様、何故これが罠だと分かった!?」

 

「ダメですね、奥村社長。そんなヘタクソな演技(パフォーマンス)、国民は簡単に見抜きますよ? ――こちとら、伊達に人の悪意に晒されてきたワケじゃあねぇんだ。舐めるなよ」

 

 

 即座に地を出し、ドスの効いた声で威嚇する。爽やかな青年が一転して口と柄が悪くなる図は、奥村社長にとって強い衝撃を齎したようだ。大切な女性や仲間たちを守るために鍛え上げた二面性は、きちんと効果を発揮してくれたようだ。

 怪盗団の面々が基本お人好しな分、こういうときは“人の悪意を嫌という程見てきた俺がカバーしなくてはならない”と勝手に自負していた。隠し事ばかりで人の顔色を窺う自分にも、こうしてできることがある。……ああ、こんな役回りも悪くない。

 俺の勢いに続くようにして、ノワールは「お父様を『改心』させてみせます!」と決意を語り、モナが「金や権力ですべてを思い通りにできると思ったら大間違いだ!」と啖呵を切る。ジョーカーも手袋をはめ直しながら奥村社長を睨みつけた。

 

 こうしている間にも、奴のUFOは着々と発進準備を進めているらしい。

 発進までには怪盗団を倒すと宣言した奥村社長は、現れた椅子に腰かけた。

 

 

「貴様ら、絶対に生かして帰さん!」

 

「受けて立とう。――貴方のその狂った野心、頂戴する!」

 

「観念しろ!」

 

 

 それが、開戦の合図だ。

 

 奥村社長はジョーカーとナビの言葉に対し、不敵な笑みを浮かべた。次の瞬間、怪盗団と奥村社長を隔てるようにしてエレベーターが出現する。

 扉には達筆な字で『サービス残業』と書いてあった。開かれた扉から現れたのは、平社員のロボ社員たち。奴らは壁になるようにして奥村社長の前に躍り出る。

 

 

「行け、社員ども! 私の勝利の礎となれ!!」

 

「手下たちが壁になってる……! 全部倒して、アイツを直接攻撃するんだ!」

 

「了解! あれは平社員のロボだから――弱点属性は炎と風よ!」

 

「アタシの出番だね! ――おいで、カルメン!」

 

「ワガハイも行くぞ、パンサー! ――威を示せ、ゾロ!」

 

 

 ナビの指示とクイーンのアナライズを受けて真っ先に飛び出したのは、パンサーとモナだ。彼女と彼のペルソナであるカルメンとゾロが顕現し、前者が炎を、後者が風を巻き起こしてロボたちを一網打尽にした。

 奥村社長は容赦なく次のロボットを召喚する。奥村社長の盾として現れたのは、平社員のロボたちだ。「すべてをマンパワーで解決することが自分の強みだ」と豪語する奥村社長は、物量戦でこちらを圧倒する腹積もりらしい。

 最も、平社員など僕たちの敵ではない。弱点を突きながら攻撃を続ければ、いずれ奴らは消滅する。パンサーとモナだけでなく、ジョーカーも仮面を付け替えて弱点攻撃を繰り出す。あっという間にロボたちは吹き飛んだ。

 

 次に現れたのは主任と平社員の組み合わせである。

 平社員の弱点が炎と風なら、主任の弱点は氷と念動だ。

 

 

「行くぞ、ゴエモン!」

 

「ミラディ、ご覧あそばせ!」

 

 

 フォックスとノワールが躍り出て、ゴエモンとミラディを顕現させる。2体のペルソナは、主任に容赦なく攻撃を繰り出した。他の平社員たちもパンサーやモナが繰り出した属性攻撃で粉砕される。

 

 次に奥村社長が召喚したのは、係長と主任の組み合わせだ。

 主任の弱点は氷と念動で変わらないが、係長の弱点は電撃と核熱だ。

 

 

「ブッ放て、キャプテンキッドォ!」

 

「ヨハンナ、フルスロットル!」

 

 

 我先にと飛び出したスカルがキャプテンキッドを顕現し、数多の雷を降らせる。同時に、クイーンがヨハンナを顕現させ、核熱の光を浴びせた。

 追撃とばかりにジョーカーが仮面を切り替えて核熱の光を放てば、係長は呆気なく吹き飛んだ。主任一同はフォックスとノワールが文字通り殲滅する。

 奥村社長が次に呼びだしたのは、係長と課長である。係長の弱点は電撃と核熱だが、課長の弱点は風と祝福属性だ。

 

 

「行くぞクロウ!」

 

「了解、モナ! ――射殺せ、ロビンフッド!」

 

 

 ゾロが巻き起こした風と、ロビンフッドが炸裂させた祝福の光によって、課長はあっという間に粉砕された。勿論、係長もスカルとクイーンが片付けている。マンパワーを売りにしている割には、ロボ社員たちが脆い気がした。

 

 思えば、このパレスにいる社員たちは些か耐久性が足りないように思う。弱点攻撃を数発叩き込めばあっという間に止まってしまうのだ。疲労が蓄積しているのか。

 奥村社長は“社員が疲弊している”という認識を持ちながらも、彼らを容赦なくこき使っている。その影響がパレス内のロボ社員にも反映されているのかもしれない。

 

 僕がそんなことを考えていたとき、奥村社長は新手を召喚してきた。課長と部長のロボである。

 課長の弱点は風と祝福属性だが、部長の弱点は念動と呪怨属性。ジョーカーがニヤリと笑った。

 彼女は即座に仮面を付け替える。顕現したのは、彼女が最初に目覚めさせたペルソナ――アルセーヌだ。

 

 

「奪え、アルセーヌ!」

 

 

 湧き上がった黒い闇が部長に牙を剥く。膝をついた部長へ、ノワールがミラディを顕現して追い打ちを仕掛けた。念動属性の攻撃が炸裂し、部長は膝をつく。

 

 

「たるんでいるな……愛社精神を見せろ!」

 

 

 それを見た奥村社長が叫んだ。一枚の紙がひらひらと宙を舞う。その紙はネクロノミコンの真下に落下した。

 ナビはそれをキャトルシュミレーションで回収すると、早速読み上げた。内容は簡潔に、自爆指令とのこと。

 

 勿論、奴らをこのまま自爆させるつもりはない。顕現したアルセーヌとミラディが、容赦なく弱点属性攻撃を叩きこんだ。自爆を行う間もなく、部長が吹き飛ぶ。

 

 怪盗団の強さを目の当たりにした奥村社長は舌打ちし、新手を呼びだした。召喚されたのは部長より上の階級――専務である。黒いスーツに紫のネクタイを締めたロボは、部長よりも一回り大きな体躯をしていた。

 奥村社長に命じられた専務は唸りを上げて腕を振り上げる。フォックスが顕現したゴエモンのサポートによって素早く動けるようになった僕たちは、専務の攻撃をかわした。轟音と共に床が凹む。まともに喰らったら潰されていただろう。

 僕らが苦い顔を浮かべていることを知ってか知らずか、奥村社長は専務に指示を出した。専務は手を止めて集中し始める。ジョーカーは嫌な予感を感じたようで、「みんな、防御して!」と叫んだ。反射的に防御をした僕らに、眩い光が襲い掛かる。

 

 

「ッ……!」

 

 

 防御が間に合わなかったら、僕たちは大きなダメージを負っていたかもしれない。僕はどうにか体を起こす。そこへ、回復術を使える面々からの治療が施された。誰1人として闘志は折れていない。

 

 仕返しと言わんばかりに僕らは攻めに転じた。自分が使える攻撃手段の中で、一番威力が高いものを次々と叩き込む。奥村社長の切り札に相応しい耐久力と破壊力を有していたが、限界は近いようだ。奴の身体がふらふらと体が傾く。

 「命に代えてもそいつらを殺せ!」――奥村社長の激励に答えようとのたうち回る専務だが、結局はノワールが顕現したミラディの攻撃を叩きこまれて崩れ落ちた。自分の切り札が倒されたことに戦き、奥村社長は慌てたようにして社員を召喚しようとする。

 

 

「な、何故だ!? 何故誰も来ない!? ――おい、誰かいないのか!? おいッ!?」

 

 

 何度も何度もエレベーターが現れたが、中に社員は乗っていない。人海戦術にだって限りがあるのだ。人を使い潰し続けた末路が、「自分の危機に誰も来ない」という結末。

 エレベーターの扉に書かれた文字も、『サービス残業』から『面談面接中』に切り替わっている。……成程。新手を呼ぶためには、社員の調達から始めなければならないようだ。

 恐れ戦く奥村社長へ、僕らは迷うことなく攻撃を仕掛ける。本人には対して戦闘力がなかったらしい。彼が座っていた椅子が突如暴走を始め、奥村社長は地面に叩き付けられた。

 

 その瞬間、アナウンスが響き渡る。『エスケープ・ユートピア号の発進は中止。無期限停止になりました』――それは、奥村社長の夢が絶たれた瞬間だった。

 地鳴りのような轟音と共に、発進寸前だったUFOは動きを止めた。それを見た瞬間、奥村社長は途方にくれたような顔をして、「私のユートピア……」と呟いた。

 

 僕たちは奥村社長を包囲する。最早、奥村社長は抵抗する気力もないのだろう。大人しく項垂れた。

 

 

「所詮、私は敗北者の血筋か……」

 

「お父様……」

 

「今まで申し訳なかった、春」

 

「……顔を上げてください、お父様」

 

 

 ノワールの言葉に従った奥村社長は顔を上げ――ある一点を見つめ、ハッとしたように目を見開く。

 

 

「危ない、春!!」

 

 

 奥村社長は間髪入れずノワールに覆いかぶさる。一歩遅れて銃声が響いた。弾丸は奥村社長の右腕に当たり、奥村社長は苦悶の声を上げる。ノワールは顔を真っ青にした。

 

 

「お父様!」

 

「ノワール、奥村社長!」

 

 

 ジョーカーが即座にペルソナを付け替え、ノワールと奥村社長の前に躍り出た。物理反射の特性を持つペルソナのおかげで、間髪入れず降り注いだ奥村親子への凶弾――その雨あられを跳ね返す。銃弾の飛んでいった方向を視線で追った僕もまた、ロビンフッドを顕現して追い打ちした。

 祝福属性の光が爆ぜる。白い輝きの中に、僅かながら人影が見えた。僕と同じ進学校の制服がちらつく。ほんの一瞬見えた奴の顔は、残忍な表情をしているということは分かるが、どんな顔立ちをしているのか()()()()()()

 

 その特徴には覚えがある。奴が『廃人化』を専門とするペルソナ使いにして暗殺者(ヒットマン)、獅童智明だ。奴とは何度も顔を会わせてきたが、認知世界――特にパレスで、奴の存在を確認したのは今回が初めてである。

 剣呑な表情を浮かべた僕の姿を見て、ジョーカーたちが奥村親子を守るようにして前に出た。モナ、パンサー、クイーンは奥村社長の傷を癒すためにペルソナを顕現して治療術を施す。僕の耳は、獅童智明の舌打ちを聞き取った気がした。

 手当てを受ける奥村社長の傷は、僕らが危惧したような重症ではないようだ。ナビがノワールへ「傷はそんなに深くない!」と分析結果を伝えており、それを聞いたノワールがホッとしたように父親を抱きしめた。

 

 ノワールが父親の奥村社長を『改心』させようと思ったのは、父親が憎かったからじゃない。父親を愛していたからだ。

 

 

「怪我は、ないんだな? ……よかった、春」

 

「私は大丈夫です。お父様のおかげです」

 

 

 僕たちに欲望を正された奥村社長は、ノワールの想いを受け止められるような心の持ち主へと変わったらしい。

 涙を浮かべる娘を見つめる奥村社長の眼差しは、どこまでも優しかった。そんな父を目の当たりにしたノワールも、何度も頷く。

 普段なら感動してもおかしくない場面だった。けれど、それを許しはしないと言わんばかりに、新手が現れる。

 

 

「シャドウの群れ!?」

 

「パレスの主であるオクムラは戦意を喪失したハズだ! なのにどうして……!?」

 

 

 突如、UFO内部に大量のシャドウが出現した。奴らは僕たち怪盗団だけでなく、城の主である奥村社長に対しても、激しい敵意を剥き出しにしている。驚きの声を上げるクイーンとモナだが、異変はそれだけでは終わらなかった。

 シャドウの足元から黒い霧が湧き上がる。それを纏った途端、奴らの瞳が金色に輝いた。心なしかシャドウの体躯が一回り大きくなり、身体の色合いが黒く影を帯びたような気がする。それを見たナビが声を荒げた。

 

 

「な、なんだ!? シャドウの戦闘能力が急激に上昇……まさか、これが精神暴走!?」

 

「では、先程奥村社長を狙撃したのは――!」

 

「アイツが、クロウが言ってた『廃人化』専門のペルソナ使い……獅童正義の『駒』ってことか!」

 

 

 フォックスとスカルは剣呑な面持ちで戦闘態勢を整える。奥村社長との戦いで疲労していたが、そんな泣き言を叫ぶ暇はない。

 

 

「成程。怪盗団(私たち)奥村社長(パレスの主)、双方が疲弊する瞬間を待ち構えていたってことか……!」

 

「この卑怯者! アンタ恥ずかしくないの!?」

 

「…………」

 

 

 ジョーカーとパンサーに睨みつけられても、智明は無言のままだ。奴の顔は()()()()()()が、僕たちを見下していることは間違いない。腹立たしさと苛立ちが募る。

 

 智明が手で合図する。それに呼応するようにして、シャドウの群れは奥村社長に向かって襲い掛かった。僕らは奥村社長を庇いながらシャドウと戦いを繰り広げる。

 精神暴走を引き起こしたシャドウは、本人の限界以上の力を発揮していた。守りを捨て、自身が傷つくことも厭わず、攻撃に固執している。見ているこちらが怖くなる勢いで、だ。

 下手すれば、生半可なペルソナ使いだけでなく、戦い慣れたペルソナ使いでさえ圧倒できる戦闘力を有している。なんて厄介な敵なのだろう。僕は舌打ちして突剣を振るった。

 

 ()()()使()()()()()()()()便()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――その思考回路にぶち当たった途端、僕は反射的に“何か”へと視線を向けていた。“何か”はこの状況と似たような出来事を探しているようで、必死になって打開策を導き出そうとしている。

 今すぐ奴を問い詰めてやりたいが、そんな余裕はどこにもなかった。物量戦を仕掛けてきた相手に対し、少数精鋭・怪我人にして素人である奥村社長を守りながら戦う僕たちが不利になるのは必然だった。戦線を保つことすら難しい。このままでは、奥村社長共々嬲り殺される。

 

 

(クソが……!)

 

 

 焦燥感に駆られながら、俺は智明を見上げた。奴は柱の上からこちらを見下しているだけで、下りてくる気配はない。奴が精神暴走させたシャドウの群れにすべてを任せるつもりでいるのだ。

 認知世界に跋扈する異形は幾らでも替えが効く。大量に召喚することも可能だ。その様は、民衆を操作しながら見下す獅童正義と通じるものがある。奴らの思考回路を理解できてしまう俺も末期だろうが。

 

 

「ジョーカーダウンッ! 誰かフォローを!」

 

 

 悲鳴にも似たナビの声が響き渡る。俺が振り返った先には、膝をつきながらもシャドウを睨みつけるジョーカーの姿があった。

 

 彼女に襲い掛からんとするシャドウの弱点は、ロビンフッドの得意とする祝福属性。すかさず俺がフォローを入れようとしたが、シャドウの群れに阻まれる。

 俺の前に立ちはだかったシャドウたちはみんな、祝福属性や呪怨属性を無効化、あるいは反射する連中ばかりだ。突剣で薙ぎ払おうにも数が多すぎた。

 他の面々もジョーカーの元へ向かおうとしていたが、自身のペルソナが得意とする属性攻撃を無効化、あるいは反射するシャドウの群れを差し向けて身動きが取れない!

 

 ジョーカーの息の根を止めようと、シャドウが迫る。

 俺の手は彼女に届かない。

 

 何もかもがスローモーションのように流れて――

 

 

「――カグヤ、マハンマオン!」

 

 

 ジョーカーに襲い掛かったシャドウたちに、破魔の光が襲い掛かる。本来、ハマやムド系の即死技はギャンブル扱いされるため使いづらい。しかし、今顕現したペルソナは、ハマ系の属性攻撃で高い必中率を誇っていた。ハマ属性を弱点にしているシャドウは百発百中で殲滅できる。

 このペルソナ――カグヤを使える人間は2人だけだ。1人は八十稲羽の超チートお天気お姉さんとして活躍する美女・久須美鞠子だが、彼女の生まれや特性上、八十稲羽を離れることには若干の抵抗があるらしい。“上京する度迷子になる”というのも理由だろう。

 そうなれば、このペルソナを使えて東京にいる人間は1人だけだ。八十稲羽の土地神、その1側面を司る不思議系美女と深い絆を結んだ八十稲羽のペルソナ使い――特別捜査隊リーダー・出雲真実。彼は躊躇うことなくシャドウを袈裟斬りし、ジョーカーを庇うように前に立った。

 

 

「間に合ったようだな」

 

「真実さん! どうしてここに!?」

 

「至さんから『後輩を助けてほしい』ってメッセージと、“イセカイナビ・マモン限定版”が届いた。だから、物産展の準備を切り上げてきたんだ」

 

 

 不敵に微笑んだ真実さんは、伊達眼鏡をくいっと動かした。偽りだらけの霧が充満するテレビの世界で、真実を見通すための補助器具だ。

 それは欲望で歪んだパレス内部でも役目を果たしているらしい。彼はイザナギを召喚し、シャドウたちを屠っていく。

 

 援軍は真実さんだけではないようだ。四方八方からペルソナが顕現し、強化されたシャドウたちを薙ぎ倒していく。風が巻き起こり、氷が敵を穿ち、雷が迸った。

 

 

「敵ダウン! その調子で攻めるよ!」

 

「陽介、みんなの回復頼む! クマと完二は攻撃続行! りせは援護を!」

 

「任せろ相棒!」

 

「了解ッス!」

 

「任せるクマー!」

 

 

 真実さんは特別捜査隊の面々へ、的確に指示を出す。霧に覆われたテレビの世界を駆け抜けた嘗ての『ワイルド』使い――特別捜査隊のリーダーを務めた男だ。陽介さん、クマ、完二さん、りせさんも二つ返事で行動へ移る。

 陽介さんが顕現したタケハヤスサノオが治癒術兼回避上昇効果のある技を使い、俺たちの傷を癒した。完二さんのタケジザイテンとクマのカムイモシリがシャドウたちを吹き飛ばす。りせさんのコウゼオンが身体能力向上効果のある援護技を使った。

 

 

「スゲェ……! 俺も負けられねぇな! ――行くぜキッドォ!!」

 

「うむ! ワガハイも続くぞ、ゾロ!」

 

 

 先輩たちの活躍を間近で見て火がついたのだろう。完二の攻撃にスカルが、クマの攻撃にモナが追撃する。それを見た完二さんとクマも不敵に笑った。彼らは自然と背中合わせになり、次々と敵を薙ぎ倒していく。

 

 その脇で、真実さんと陽介さんが息ぴったりの連携を披露して敵を屠っていった。その輪に、フォックスやパンサーらも加わって、シャドウを吹き飛ばした。

 八十稲羽物産展の参加者が乱入してきたことにより、怪盗団は勢いを取り戻した。文字通りの形勢逆転。俺は柱の上に佇む智明を見上げる。

 智明は俺たちを一瞥すると、そのまま俺たちに背を向けた。自身の不利を察したのか、このまま逃げるつもりらしい。

 

 

「逃してたまるか!」

 

「貴様の正体を現せ! ――幾万の真言!」

 

 

 俺が銃を、真実さんがペルソナを顕現して攻撃を仕掛ける。真実さんが顕現したのはカグヤではなく、彼が導き出した答えそのものを司るペルソナだ。

 誰もが望む都合のいい嘘を消し、清濁併せた真実を見通すための力。イザナミノミコトを降したその力は、逃げようとした智明へと襲い掛かった。

 

 刹那、智明を守るようにして光が爆ぜた。認知を好き放題に弄り回す絶対的な力が、真実さんのペルソナの力を寸でのところで受け流す。だが、全てを無効化できたわけではないようで、ほんの僅かだが、奴の姿が見えたような気がした。

 

 薄らと見えたのは異形の影。智明の姿は溶けるようにして消え去る。

 代わりに、奴を追跡しようとした俺と真実さんの前に黒い影が現れた。

 

 

「ウッヂュー!」

 

 

 その掛け声には覚えがあった。愛くるしいネズミを思わせるような機械仕掛けの外見と、背中に背負った機関銃の物々しさによるギャップに体が引きつる。俺の脳裏に浮かんだのは、12年前に体験した聖エルミン学園高校での出来事だ。当時の俺――6歳児と同じ年頃の少女が高校生に差し向けた敵。

 

 

「な、なんだあれ!?」

 

「か、かわいい……!」

 

 

 完二さんを除いた男性陣が目を剥き、ジョーカーを除いた女性陣と完二さんが目を輝かせる。

 初見の女性陣が興味本位で近づいた途端、呆気にとられた男性陣に何が起きたのか。

 聖エルミン学園高校で発生した“幼児(に)虐待(される)事件”が、俺の頭の中で、鮮明によみがえる。

 

 

「馬鹿、油断するな! アレは――」

 

「うわああああああああああああ!!?」

 

 

 俺が仲間たちに注意を促すよりも先に、テッソの機関銃が火を噴く方が早かった。仲間たちは寸でのところで回避したり、防御することでダメージを最小限に抑える。

 文字通りの強襲に、仲間たちはテッソの危険度合いを理解してくれたらしい。全員気を引き締めて、テッソへと挑みかかった。

 

 

◇◇◇

 

 

 聖エルミン学園高校の悪夢――テッソの乱入によって巻き起こった大乱闘が終結したのは、暫く後のことだった。

 

 奴は機関銃を打ち放ち、核熱属性(フレイ)系や万能属性(メギド)系の攻撃を繰り出してきた。弱点を突かれてダウンする仲間もいたが、ジョーカーや真実さんのペルソナによるマカラカーンやテトラカーンで反射や無効化し、回復術を使える面々が治療を施すことで凌ぐ。

 テッソの弱点はあの頃と同じく電撃属性が通った。ジョーカーや真実さんのペルソナ、完二さんのタケジザイテン、スカルのキャプテンキッドによって雷属性祭りが開催されたのは当然のことである。ついでに、ひっくり返ったところをホールドアップし総攻撃した。

 特別捜査隊が結成され、事件を解決してから早5年。当時は自転車でシャドウへ突撃していた完二さんもバイクの免許を取っている。勿論、バイクに乗って援護攻撃をしてくれた。因みに、攻撃する度にバイクが壊れる陽介さんは、案の定、やっぱり今回もバイクは大破した。

 

 後に、僕から完二さんの武勇伝――自転車で暴走族を撃退――の話を聞いた竜司が脱帽した顔で「自転車でバイクと並走する脚力って……」と呆気に取られていた。

 何度聞いてもシュールな光景だ。隣で僕の話を聞いていた真――バイク乗り――に至っては、完二さんに追いかけ回されたであろう暴走族に同情していた。閑話休題。

 

 

『私は獅童正義からビジネスを持ちかけられてね。商売敵を排除する代わりに、多額の献金を持ち掛けられた。その条件の中に、“商売敵の排除に使う手段に関しては、絶対に追及しない”という取り決めもあったんだ』

 

 

 智明の襲撃からどうにか生き残った奥村社長のシャドウは、彼が知りうるすべての情報を洗いざらい話してくれた。果たして僕の予想通り、“奥村社長は『廃人化』ビジネスに関わってはいたが、その手段に関しては一切知らないまま利用していた”ようだ。獅童は最初から、奥村社長にすべてを押し付けるつもりでいたらしい。

 奥村社長は春と千秋の婚約破棄と千秋の兄との再婚約を撤回し、春と千秋の関係を当人たちに任せると約束してくれた。ただ、自身が『改心』した後のことに懸念があるようで、『会社ももう終わりだろうから、婚約を続けるメリットがない。むしろ切り捨てられるだろう。向うの家がどう判断するかは分からない』と、不安そうな顔をして娘を案じていた。

 

 

『アンタが心の中に還れば、現実世界のアンタが『廃人化』専門の暗殺者(ヒットマン)から狙われることはなくなる。けど、現実世界側からアンタを消そうとする奴がいるんだ』

 

『……だろうな。私は敗者だ、そうなる予感はしていたよ』

 

 

 俺の言葉に対して諦めたように笑った奥村社長へ、ノワールが歩み寄る。

 

 

『償うことを、生きることを諦めないでください。“自分の責任は自分にしか果たせない”……お父様が私に教えてくれたことでしょう?』

 

『誰にだって、やり直しの機会があってしかるべきだ。死んで楽になるんじゃなくて、生きて罪を償ってほしい。たとえそれがどんなに苦しくても……』

 

 

 陽介さんは八十稲羽での出来事を思い出すようにして目を伏せた。彼はあの事件で初恋の女性を亡くしている。その関係者――テレビに映し出された人物を救おうとしてテレビの中に突き落とした人物や、テレビの中で化け物に襲われたら死ぬことを分かっていて事件を引き起こしていた犯人と対峙した陽介さんは、彼らを手にかけなかった。

 犯行内容や犯人に対して一番憤っていた人間だった陽介さんは、彼らに罪を償ってもらうことを要求したのである。結果、善意が空回りした方の犯人は――前歴の件で――七転八倒しながらも八十稲羽の市議会議員として再出発を果たし、もう片方は拘置所で囚人生活を送りながら堂島家や真実さんと文通を続けている。

 双方共に過ちから学び、もう一度真っ当に歩き出そうとしているのだ。もっとよりよい明日を手に入れるために、目先のことで惑わされずに生きていけるように。一歩間違えれば、彼らも道を閉ざされてしまっただろう。彼らの頑張りを知っているからこそ、陽介さんも奥村社長が“やり直すチャンス”を得られるようにしたいと思っている。

 

 不意に、“何か”が身じろぎした。“何か”の視線はジョーカーへ向けられる。()()()()()()()()()()()()()()――そこで“奴”は言葉を飲み込んだ。

 

 脳裏に浮かんだのは箱舟の機関室。シャッターが隔てるのは、光溢れる道を往く正義の義賊と、闇の中を這いずり回っていた卑劣な殺人者だ。()()()()()()()()()――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 手酷く裏切って傷つけた“何か”に対し、正義の義賊は躊躇うことなく手を伸ばした。『一緒に行こう。決着をつけよう』と手を伸ばし、さも当然のように笑いかけてくれた。シャッターで隔てられたときですら、名前を呼んでくれた。何度も、何度も、何度も。

 

 

―― 生きてほしかったんじゃないかな ――

 

 

 僕が“何か”に声をかけると、“何か”は首を動かしてこちらを見上げる。

 

 

―― 他ならぬお前に、生きてほしかったんじゃないかな。“その子”は多分、罪だ罰だ関係なしに、お前のことを大切に思ってたんだよ ――

 

 

 ()鹿()()()()と“何か”は呟いた。

 嬉しいくせに、悲しそうに嘲笑する。

 ……やはりこいつは難儀だ。閑話休題。

 

 

『確かに、お父様の仰る通り、会社や私たちへの風当たりは強くなるでしょう。でも、だからこそ、私は私のやり方で最善を尽くす。奥村の娘として、責任を果たします』

 

『あんたは父親だろ? 娘が覚悟決めて立ってんだ。父親のあんたが逃げてどうすんだよ』

 

 

 5年前は金髪で、文字通りの不良だった完二さん。憧れの男は聖エルミンの裸グローブ番長。今は巽屋を継ぐための修行中――客商売を主に行っているためか、きっちり七三分けの黒髪に眼鏡という格好となっていた。

 

 それでも、硬派で義理堅い性格は変わらない。自身の好み――可愛いものが好きで、裁縫や料理と言った女性的な趣味がある――をコンプレックスと認識することもなくなった。

 他者からそれを指摘され馬鹿にされても、完二さんはもう揺らがない。悪意によって過去を引き合いに出されて距離を置かれても、逃げることなく真っ直ぐに向き合っている。

 

 

『もうこれ以上、春チャンを悲しませちゃダメクマよ! その為にも、絶対生きて罪を償うクマ』

 

 

 普段は下心満載で女の子に近づくクマだけれど、大事な局面では心から誰かを心配できるような人物(……人?)だった。彼の目は、純粋に奥村親子を思っている。

 マスコットがモノを言う時点で奥村社長は度肝を抜かれた様子だったが、怒涛の波状攻撃から生き残った疲労感のせいか、突っ込むことを放棄したようだ。

 そのせいか、奥村社長はクマの言葉に反論する様子もなく、『ああそうだな』と小さく頷いた。憑き物が落ちたみたいな穏やかな笑みを見て、ノワールも嬉しそうに目を細める。

 

 仲間たちの言葉を聞いた奥村社長は『オタカラ』を僕らに引き渡し、静かに微笑みながら彼の心へ還っていった。

 案の定、パレスは崩壊を始める。壊れたバイクを回収できず嘆く陽介先輩を半ば拉致する形で、僕たちは大慌てで現実世界へ帰還した。

 

 ――それが、丁度数日前の話である。

 

 

「はいはーい! 八十稲羽名産のビフテキ串だよー!」

 

「美味しいビフテキ串クマよー!」

 

 

 陽介さんとクマがビフテキ串を売りさばく声を聞きながら、僕たち怪盗団は八十稲羽物産展の休憩スペースに腰かけていた。開催初日とあって、八十稲羽の様々な商品が目白押しである。

 

 小さな特設ステージではりせさんが新曲を引っ提げてゲリラライブを行っていた。物産展に並べる商品とのタイアップも好評なようで、初日から飛ばしているそうだ。

 数年前まで『八十稲羽の名産はビフテキ串だけしかないよね。なんかあったっけ?(意訳)』と言って首を傾げていた商店街にも、新しい名産品が続々と誕生しているという。

 地酒、豆腐、染物――様々なブースが並び、どこも人で一杯だ。特に人気なのが巽屋で、完二さんが手作りした小物やぬいぐるみ類――数量限定品――が飛ぶように売れている。

 

 

「しかし、僅か数日でモルガナぬいぐるみとテッソぬいぐるみをここまで量産するとは……」

 

 

 完二さん手作りのクマストラップを購入した祐介が、巽屋のブースに視線を向けながら感心したように頷いた。

 商品棚には染物生地で作った洋服だけでなく、大小様々なサイズのぬいぐるみが並んでいる。

 

 その中にはモルガナ(黒猫)ぬいぐるみやモナぬいぐるみ、モ(ルガ)ナカーぬいぐるみが鎮座していた。怪盗団のマスコットが並ぶ段の一つ下には、機関銃を背負ったネズミがずらりと並ぶ。何も知らぬ客がテッソぬいぐるみを買っていく度、完二さん以外の人々が渋い顔をした。特に僕とモルガナが。

 ただ、モルガナは、杏がモナぬいぐるみを抱きしめている姿を見ても渋い顔をしていた。そりゃあ、好きな女の子から己がまともに抱きかかえられたことがないのに、ぬいぐるみ風情が可愛がられるという現実には思うところがあるのかもしれない。

 鞄の中でぶすくれるモルガナだったが、完二さんから「モルガナが可愛かったからこのぬいぐるみができた」と言われてご満悦だった。それを見た僕は、『魔術師のアルカナ適性が高いペルソナ使いは総じてお調子者だと聞いたことがあるな』と考えていた。

 

 

「モナぬいぐるみデフォルメバージョン買ったー! すっげー可愛いー! 完成度も高いし、あの完二って人凄くね!?」

 

「玲司さんの話題で盛り上がったついでに、『ぬいぐるみをおふくろのお土産にしたいけど手持ちが厳しい』って話したら、『母親を想う漢に相応しいものを』って、一番でっかい奴を半額で譲ってもらったんだ……。あの人も漢だよなー」

 

 

 双葉と竜司がぬいぐるみを抱えながらうんうん頷く。

 

 

「八十稲羽の地酒、千秋さん喜んでくれるかしら。……お父様も」

 

「春……」

 

「大丈夫だよマコちゃん。お父様のシャドウはお父様の心の中へ還ったから、もう『廃人化』によって狙われることはない。……怪盗団の一員として、私たちは最善を尽くしたの」

 

 

 自分が購入したお土産類を見つめる春に、真が心配そうに声をかけた。春は微笑んで気丈に振る舞って見せたが、心のどこかで不安を抱えていることは明らかだった。

 奥村社長の『改心』を待つ中、春は八十稲羽物産展に参加している。今回の八十稲羽物産展への参加は、怪盗団の仕事がひと段落したことと、春との交流会を兼ねていた。

 

 春の報告によると、奥村社長は以前よりも穏やかな雰囲気へと変わって来たらしい。鴨志田や班目のとき同様、『改心』の兆候はきちんと出てきている。あとは10月11日の結果と、奥村社長出頭が無事に成功するかどうかだ。ここから先は大人たちにバトンタッチする形となる。

 管轄外と言うことで邪魔者扱いされながらも、周防刑事や達哉さん、真田さんたち警察組も動き出していた。パオフゥさんやうららさん、直斗さんの探偵組も同様だ。至さんも最近駆けずり回っているらしく、ご飯類が作り置きされるようになった。

 ちなみに、八十稲羽物産展は来週末で終了だ。奥村社長『改心』の結果を待つ暇なく、陽介さん、クマ、完二さんは八十稲羽に帰らなくてはならない。りせさんにも仕事が入っている。スケジュールの合間を縫って協力してもらったのだから、文句は言えない。

 

 

「みんなはよく頑張ったよ。だから、今はゆっくり体を休めるべきだ」

 

 

 そう言って、真実さんがビフテキ串を差し出した。「先輩からの奢りだ」と笑った彼の言葉に従い、僕らはビフテキ串を手に取る。久しぶりに齧った八十稲羽の名物は、相変わらず適度な硬さがあった。

 

 

「春、楽しそうだね」

 

「ええ。こういう物産展に足を運んだ経験はあまりなかったから。みんなとここに来るの、楽しみにしていたの」

 

 

 黎の問いに、春は嬉しそうに微笑む。豪快にビフテキ串を噛み千切った黎に対し、春は難儀している様子だ。けど、それ自体が春にとって新鮮な体験なのだろう。

 「屋台の料理が美味しいと感じるのは、お祭りが楽しいからかもしれない」と春は笑った。今この瞬間だけは、抱えていた不安を手放すことができたらしい。

 

 僕らは楽しい時間を過ごす。その間にも、色々なことがあった。

 

 売り子の合間を縫うような形でクマが女性陣の和に入り、彼女らを口説こうとして失敗した。完二さんの作ったテッソぬいぐるみがSoldOutしてモルガナが苦々しい顔をしていた。猫として女性陣に撫でまわされるモルガナを羨ましがるクマと、人間体になれるクマを羨ましがるモルガナが本気の喧嘩を始めて、黎と真実さんに叱られていた。

 タイアップ商品の抽選に当たった杏が、りせさんと一緒にステージに立つことになって大はしゃぎしていた。クマも抽選に当たったらしく、それを聞いたモルガナが「アン殿の護衛だ!」と言ってステージへ上っていた。八十稲羽物産展を企画した張本人である生田目氏と再会し、彼は僕や黎、真実さんたちに激励の言葉を贈ってくれた。

 ビフテキ串の値段が安価であることを知った祐介が、「非常食用に」と大量に買い込んでいた。物産展に家族でやって来た城戸さんの姿を見た完二さんと竜司がキラキラ目を輝かせて話し込んでいた。美鶴さんと南条さんが物産展にやって来て、ビフテキ串を食べるのに四苦八苦していたのを見かけて大騒ぎになった。

 

 

「しかし意外だったぜ。奥村社長の『オタカラ』がプラモデルだとは思わなかったな」

 

 

 喧騒も落ち着いてきた頃、話題は奥村社長から頂戴した『オタカラ』へと変わった。切り出したのは、本日のシフトを終えた陽介さんである。竜司もサイダーを煽りながら頷く。

 

 

「確かに驚いたよな。プラモ1000個くらい買えそうじゃん、春んち」

 

「しかも、見る限りかなりの年代物だね。発売当時が大したこと無かったとしても、その業界では値打ちがありそうだ」

 

「……お父様、あんなふうになる前に話してくれたことがあったの。『子どもの頃、どうしても欲しかったプラモデルがあった』って。でも、お爺様にねだっても、結局買ってもらえなかったらしくて」

 

 

 プラモデルをまじまじと観察していた黎の姿を見て、春が話してくれた。

 

 オクムラフーズは3代続いた会社だが、先代社長である春の祖父が経営していた頃はまだ小さな会社だったらしい。同時に、春の祖父はかなりの人情経営を行っていたらしく、知り合いに無担保で金を貸したこともあるそうだ。

 人情だけで渡っていける程、会社経営は甘くない。借金はかさみ、奥村社長の家にはしょっちゅう取り立てが来ていた。幼い頃に味わった借金取りへの恐怖は、奥村社長の心に影を落とし続け、歪んだ欲望――パレスとして顕現したのだろう。

 

 

「自分が誰かに幸せを踏みにじられた反動か。……なんだか、やるせないな」

 

 

 真実さんは悲しそうに呟く。真実さんも、親の都合――文字通りの転勤族で、しょっちゅう転勤していた――で各地を転々としていた。

 友達を作ってもすぐに学校が変わってしまうため、八十稲羽に来る前までは“人付き合いに意味を見いだせずにいた”という。

 但し、親戚付き合いに関しては、愉快な大人たちや黎たちとの交流があったために“親戚付き合いは大事”と認識していたらしい。

 

 八十稲羽で奇跡のような1年を過ごした真実さんは、消して途切れぬ絆を手に入れた。愛する人と運命の出会いを果たし、『神』から与えられた理不尽――試練を乗り越えてみせた。かけがえのない絆を得たからこそ、今こうして生きている。

 人と絆を結ぶことの尊さを知らずに過ごしていた時期を考えると、ある意味で真実さんも“自分の幸せを、他者の都合で踏み躙られてきた被害者”と言えるのかもしれない。それでも彼が歪まなかったのは、「仲間たちがいたから」という言葉に尽きるだろう。

 

 その隣でスマホをいじっていた双葉が目を剥いた。「プラモやばい」という壊滅的な語彙で彼女が伝えたのは、奥村社長の『オタカラ』の値段。

 

 

「……なあ。これ、俺の見間違いじゃないよな?」

 

「0の数が凄まじいクマ……」

 

「プラスチックにこんなに金出すのかよ……」

 

「趣味の世界ではあり得ると聞いていたが、実物を見たのは初めてだな」

 

 

 陽介さんが口元を引きつらせ、クマ――着ぐるみを脱いで人の姿になった――が何度も桁数を数え直し、竜司が目を丸くして、祐介がまじまじと値段を見つめる。俺もそれを覗いてみた。……ハッキリ言おう。馬鹿みたいな金額だった。

 

 

「このプラモが高額な理由が書いてあるよ。プラモを作った会社が倒産した時期が、このプラモが発売された1か月後なんだって」

 

「成程。市場に出回った数量が少ないから、必然的に値段が跳ねあがったってことか……」

 

 

 思いがけぬ収入が入ったことに、僕たちは顔を見合わせた。これなら、奥村社長『改心』の打ち上げパーティは派手になりそうである。

 気が早い連中は「今度はどこで何を食べようか」と話し合いを始めた。僕と黎はそんな仲間たちを見守り、そんな僕たちを先輩たちが見守る。

 

 ()()()()()――僕も、僕の中にいる“何か”も、同じことを考えていた。仲間たちがいて、先輩たちがいて、戦いで時に疲弊しながらも、今この瞬間がとても充実している。生きていると感じられる。それがとても嬉しい。

 僕がその充足感を味わっていたとき、僕よりも先に“何か”はその余韻から覚めたらしい。剣呑な面持ちになって歯噛みする。()()()()()()()()()()1()()――“何か”が警告するように僕に言った。()()()()()()()()()()()と。

 ―― 勿論、お前も一緒だろ? ――僕がそう問いかけると、“何か”は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして僕を見返した。真ん丸に見開いた目をぱちくりさせると、額に手を当てて深々とため息をついた。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――呆れた調子でため息をつくくせに、どうして“何か”の口元は嬉しそうに緩んでいるんだろう。どうして幸せそうにに揺らめく“何か”の瞳から、ボロボロと涙が零れ落ちているのだろう。実に難儀である。

 

 

「それじゃあ、春の歓迎会どうしようか?」

 

 

 「私個人としても、怪盗団のリーダーとしても、もっと春と一緒に話がしたいんだ」――黎の言葉を聞いた仲間たちは、次々と春に声をかける。

 帝都ホテルにあるビュッフェでスイーツを食べよう、銀座で寿司を食べよう、公園を散策しよう等々エトセトラエトセトラ。

 仲間たちの話を聞いていた春は少し悩んだ後、照れたように笑いながら言った。

 

 

「みんなで文化祭を回ってみたいな」

 

「文化祭って、秀尽学園高校の?」

 

「そういえば、もうすぐウチの学校の文化祭だったな……」

 

 

 春の提案を聞いて、杏と竜司が目を丸くした。お金持ちが望みそうなスケールから逸れていることが原因だろう。あまりにもささやかな願いだったというのも理由かもしれない。

 

 

「なら、俺も来ていいか?」

 

「他校生も歓迎してるわ。その日が空いているなら、来ても大丈夫だと思う。確か、10月25日と26日だったかな」

 

「文化祭、か」

 

 

 祐介と真の会話を聞きながら、僕は自分の予定を確認してみた。僕の学校の文化祭は、秀尽学園高校より1週間遅い29日と30日だ。

 正直な話、自分の学校の文化祭に対する興味関心が非常に薄いので、何か適当な用事を入れてサボろうかと思案していたりする。

 

 逆に、黎の学校の文化祭には酷く興味関心があった。――主に、黎へ近づいてくる男どもを撃退するための決戦日として。

 

 とりあえず予定を確認し、この日だけはどうにか開けておくための算段を立てる。

 冴さんと獅童の険しい顔が脳裏に浮かんだが、負けるつもりは毛頭ない。

 

 

「そういえば、私と吾郎がペルソナ絡みの戦いに巻き込まれたのも、文化祭が絡んでたよね」

 

「ああ、聖エルミン学園高校のときか。懐かしいな」

 

 

 文化祭という言葉から、黎は一番最初の戦い――12年前に聖エルミン学園高校で発生した“スノーマスク事件”と“セベク・スキャンダル”を思い出したのだろう。僕も懐かしくなって頷いた。あれからもう12年が経過し、6歳児だった僕は18歳、5歳児だった黎は17歳の高校生だ。当時の至さんたちと同じ年代である。

 あの事件に巻き込まれたのは文化祭の前日だった。空本兄弟や黎と出会い、絆を結んだ僕は、当時有頂天で黎に誘いをかけた。『折角なので、前日のうちに下見に行こうか?』『うん』――提案した僕も、二つ返事で頷いた黎も、自分が何に巻き込まれるかなんて想像していなかったのだ。その果てに、僕たちはここに辿り着いた。

 思い返せば、数奇な旅路を歩んできたように思う。いつも異形に関連する事件に巻き込まれては、人間たちの底力を目の当たりにしてきた。『神』から齎された数多の理不尽を打ち砕き、未来を掴み取ったヒーローたちの旅路を見てきた。その戦いはいつだって、誰にも賞賛されることはない。けど、確かに世界を救う戦いだったのだ。

 

 彼らみたいになりたかった。彼らみたいに、賞賛も勝算もない戦いに挑むことになっても、正義を貫いて進めるような大人になりたかった。

 今回の戦いだって、ある意味では『誰にも知られること無く、誰からの賞賛も浴びることなく進む』ことになる日が来るかもしれない。それでも歩みを止めたくなかった。

 

 

「はー……。どうしよう……」

 

「マコちゃんどうしたの? そんなに難しそうな顔して……」

 

「実は、文化祭のゲストを誰にしようか決めてないのよ。毎年有名人を招待して講演会を開くんだけど……」

 

「そういうのは先生方が決めるんじゃないのか?」

 

「それが……」

 

 

 頭を抱える真に真実さんが問いかけた。真は虚ろな目をして訳を説明する。それを聞いていた真実さんの表情が、見る見るうちに剣呑なものへと変わっていった。真が話終わるころにはもう、般若みたいな顔をしていた。

 

 秀尽学園高校は、校長が意識不明の重体になって以後、生徒会長の真と教頭が回しているらしい。しかも、実質的に動かしているのは真だという。教師陣の木偶の棒っぷりに頭が痛くなった。なかなかに酷い図である。

 真実さんの将来の夢は教師だ。『曇りなき眼で偽りを見抜き、真実を見通すための術を後輩に教え、彼らの人生が豊かなものになるよう力添えができる人間になりたい』と常々語っていた人であった。

 秀尽の教師陣は、『自分より優秀だ』という理由だけで、子どもにすべてを押し付けているのだ。嘗ての“反逆の徒”は、そんな理不尽を見過ごすはずがない。これは後で何かするな、と、僕は何となく思った。

 

 「りせは各校からの依頼で文化祭行脚が決まってるし、直斗は事件が忙しいみたいだし……」と呟き、真実さんは顎に手を当てる。

 暫しブツブツと候補を出して首を振る真似を繰り返した後、真実さんの視線はゆっくりとこちらに向けられた。

 

 ――探偵王子の弟子にして正義の名探偵・明智吾郎へと。

 

 

「……最近は干されてるんだっけ? 吾郎」

 

「俺が行ったら、『怪盗団バッシング野郎は死ね』って何か投げつけられません?」

 

「そこはほら、怪盗団側からのコメントを入れとけばいいんじゃないか? 『本当の意味で怪盗団を信じているなら、理不尽に他人を傷つけるような真似をするな』とか」

 

「それで大人しくなるなら、民衆操作なんてもっと簡単じゃないですか……」

 

「――ああ成程。吾郎も有名人だってこと、忘れてたわね」

 

 

 僕と真実さんの話を聞いていた真は、名案だと言わんばかりにポンと手を叩いた。目が完全に据わっている。僕はぎょっとして問いかけた。

 「真、本気?」「いい案だと思うんだけど」――そう答えた真は、酷く疲れ切った顔をしていた。余程学校関係者各位からネチネチ言われていたのだろう。

 校長がいなくなっても、今度は違う大人たちが真を頼り、そうと知らずに/あるいは意識して彼女を使い潰そうとしている。その煽りが回り回って僕に来たのだ。なんて理不尽。

 

 現時点では出演は保留にしてもらったものの、ゲスト候補の第1位に僕がランクインしていることは変わりない。吊し上げられることには(嫌が応にも)慣れているが、傷つかないわけではないのだ。僕はそんなことを考えていたとき、隣にいた黎が心配そうにこちらを見つめている。

 

 僕が少しでも“傷つくのが当たり前な人生だった”と思ったとき、黎はそれを機敏に察知し、僕を案じてくれる。

 それ程彼女は僕に心を砕いてくれるし、寄り添ってくれる女性(ひと)だった。愛されているというのは、こういうことなのかもしれない。

 

 

「大丈夫だよ。心配しなくても、俺は大丈夫だから」

 

「でも」

 

「キミがいてくれるなら、何だって平気だ。……ホントだよ。本当なんだ」

 

 

 僕は彼女の手を取り、祈るような気持ちで語り掛ける。黎はじっと俺を見つめていたが、僕の言葉を信じてくれたのだろう。真っ直ぐ僕を見て頷いた。

 「私も、吾郎がいてくれるなら大丈夫なんだ。頑張れるんだよ」――その言葉が、嬉しい。彼女は幸せそうに微笑み、チェーンについた指輪を抱きしめるように触れる。

 僕もつられるようにして指輪に触れた。彼女が僕に贈ってくれたコアウッドの指輪が、静かに存在を伝えてくる。僕を想う彼女の気持ちそのものだ。

 

 ささやかな幸せを噛みしめていたとき、どこからか咳払いが聞こえてきた。何事かと瞬きすれば、仲間たちが時計を見ながら「そろそろ帰らなきゃ」と言い始める。

 それにつられるような形でスマホを確認すると、彼らの言葉通りの時間帯になっていた。今回は現地解散となっているため、仲間たちはそれぞれの家路につく。

 

 僕も、黎を四軒茶屋に送り届けるために歩き出した。

 

 

***

 

 

 電車を乗り継いで、夜の道を歩き、程なく僕たちはルブランへ到着する。丁度、佐倉さんが閉店作業をしていたところだった。

 

 

「あー……うん。節度は守れよ」

 

 

 最近の佐倉さんは、僕と黎を見るとそれしか言わない。死んだ魚みたいな目をしたルブランの店主は、鍵を黎に渡すとそそくさと立ち去って行った。

 

 家主たちの許可は取ってあるので、僕は勝手知ったるの調子でルブランへ足を踏み入れる。黎の背中を追いかけるようにして、屋根裏部屋へ向かった。

 モルガナは何かを察したようで、解脱した菩薩みたいな顔をすると、即座に踵を返してどこかへ行ってしまった。空気を読んだというべきだろうか。

 何をするわけでもなく、僕と黎はソファに腰かけて談笑した。ここ数日間で黎がどんな交流を深めてきたのか、僕は彼女の話に耳を傾ける。

 

 以前メメントス攻略時に太刀打ちできなかったチート野郎を改心させる際、“攻略法を教える代わりに怪盗団とお近づきになりたい”という少年と取引を結んだという。奴の回心にが成功した以後も、黎は少年との交流を続けていた。おかげで銃の精度がめきめきと上昇しているらしい。

 新生陸上部発足で紆余曲折した竜司やモデルの仕事について悩みを抱えていた杏も決着がついたようで、黎は2人と固い絆を結んだようだ。他にも、演説を教えてもらう代わりに演説の手伝いを買って出た政治家や、薬を融通してくれた女医とも固い絆を結んだという。終いには正体が露見したが、黙っていることを約束してくれた。

 

 

「怪盗団の正体が露見したときは焦ったけど、みんな協力関係を継続してくれるって。頑張れって応援してもらったよ」

 

「ネットの話題はちょっと怖いけど、身近な人からそう言ってもらえるのは嬉しいよな」

 

 

 彼女がそうやって、周りの人たちに愛されるようになるのが嬉しい。レッテルに左右されず、確かな絆で結ばれている彼女を見るのが嬉しい。

 けれどその反面、少し寂しい気がするのだ。有栖川黎という少女が――僕の1番大切な女性(ひと)が、どんどん遠くへ離れていくような気がして。

 

 

「ねえ、黎」

 

「何?」

 

「触れてもいい?」

 

「――ん、いいよ」

 

 

 本人からの許可は取った。僕は彼女の頬や頭を撫でながら、啄むように口づける。黎は微かに震えながらも、拒絶することなく僕を受け入れてくれた。

 以前は深いキスをするのにも覚悟が必要で難儀していたけど、今では以前よりも抵抗なく触れ合えるようになってきた。良い兆候だなと勝手に思っている。

 但し、年齢指定がかかりそうな性的接触は一切していない。時折そんな欲望が蠢くこともあるけど、獅童の姿がフラッシュバックし、結局止まってしまう。

 

 ささやかな触れ合いだけでも充分満たされるけど、物足りないと感じないわけではないのだ。本当の意味で彼女を手に入れられたら――身も心も繋がることができたら――最高だろな、と、下世話なことを考えた経験だって1度2度だけじゃない。

 

 口づけは基本、僕が主導権を握ることは多い。たまに黎が主導権を握ることはあるけれど、僕よりはがっつかない方である。控えめだけれど、僕が求めれば拒絶することなく応えてくれた。……それにかこつけてしまっている罪悪感がないわけじゃない。

 今だってそうだ。半ば強引に舌を絡められているにもかかわらず、黎は必死になって応えようとしてくれる。馬鹿みたいに溺れる僕の――俺の弱さや歪みを、許すみたいに。散々貪った後、ようやく僕は黎を解放する。銀糸がプツリと途切れ、酷く甘ったるい吐息が漏れた。

 

 すっかり力が抜けてしまった黎の身体を抱き留める。頬を薔薇色に染めた少女は、甘えるようにして擦り寄ってきた。猫みたいに頭を押し付ける仕草が可愛らしい。僕も同じようにして黎に擦り寄る。――この温もりが、何よりも愛おしかった。

 

 

(奥村社長を『改心』させても、獅童はきっと次の手を打ってくる。今度はもっと卑劣な手段を用いて、怪盗団を陥れようとするだろう)

 

 

 脳裏に浮かぶのは、獅童親子の姿だ。不敵に笑う獅童正義と、僕を見下していること以外()()()()()()()()獅童智明。

 

 

(――僕は、怪盗団を……大切な仲間たちと、大切な女性(ひと)を守りたい)

 

 

 決意を抱きながら、黎のうなじに顔を寄せる。この位置だと、僕から彼女の表情が見えない代わりに、僕の表情も彼女から見ることは不可能だ。

 今はどうしてか、顔を見られたくないと思った。馬鹿みたいなプライドだ。僕は内心、自分自身を嘲笑う。――()()()()()()()()

 

 

「吾郎……? 何か、心配事でもあるの?」

 

「なんでもないよ。大丈夫」

 

 

 僕は静かに微笑んで、黎の瞼にキスを落とす。「そろそろ帰るから」と告げれば、黎は名残惜しそうにこちらを見返した。同じ気持ちなのが嬉しくて、少し苦しい。

 

 

「それじゃあ、また明日」

 

「うん。また明日ね」

 

 

 挨拶を交わして家路につく。胸を満たす温かさが、僕の背中を押してくれる。

 その心強さを噛みしめながら、僕は夜の東京の街へと歩き出した。

 

 




魔改造明智による奥村パレス攻略完了。紆余曲折あったけど、怪盗団側のミッションはコンプリートした模様です。後は大人たちにすべてを任せた怪盗団は、ひと段落ついたということで、先輩たちと一緒に羽を伸ばしました。次回は奥村改心からのスタートで、奥村パレス編ラストになる予定。
原作とは違って宇宙船が停止してしまったり、原作明智の立ち位置にいる智明がついに動いたり、初代ボス敵から幼児虐待が現れたり、文字だけでも多くのキャラが交流していたり、怒涛の展開となっております。バタフライエフェクトを巻き起こしながら進む魔改造明智の明日は何処か。
相変らず“何か”が面倒くさい存在と化していますが、魔改造明智の旅路共々、生温かく見守って頂ければ幸いです。


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死地にこそ勝機あり、ってな!

【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 @空本(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄で明智の保護者その1。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
 @獅童(しどう) 智明(ともあき)⇒獅童の息子であり明智の異母兄弟だが、何かおかしい。獅童の懐刀的存在で『廃人化』専門のヒットマンと推測される。詳しくは中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『運命を切り開くだけの簡単なお仕事』および『ペルソナ3異聞録-.future-』、Pixivの『2周目明智吾郎の災難』および『【一発ネタ】有栖川黎の幼馴染』の設定を下地にし、別方向へ発展させた作品である。
・ジョーカーのみ先天性TS。
 ジョーカー(TS):有栖川(ありすがわ) (れい)⇒御影町にある旧家の跡取り娘。旧家制度は形骸化しているが、地元の名士として有名。身長163cm。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空本(そらもと) (わたる)⇒明智の保護者2で、南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。
・敵陣営に登場人物追加。
 @神取鷹久⇒女神異聞録ペルソナ、ペルソナ2罰に登場した敵ペルソナ使い。御影町で発生した“セベク・スキャンダル”で航たちに敗北して死亡後、珠閒瑠市で生き返り、須藤竜蔵の部下として舞耶たちと敵対するが敗北。崩壊する海底洞窟に残り、死亡した。ニャラルトホテプの『駒』として魅入られているため眼球がない。この作品では獅童正義および獅童智明陣営として参戦。但し、どちらかというと明智たちの利になるように動いているようで……?
・「2罰ボスの外見を見た人間の反応」に関するねつ造設定がある。
・普遍的無意識とP5ラスボスの間にねつ造設定がある。
・『改心』と『廃人化』に関するねつ造設定がある。
・春の婚約者に関するねつ造設定と魔改造がある。因みに、拙作の彼はいい人で、春と両想い。
・オリジナル展開がある。
・メガテン4FINALの仲魔から外見を拝借したシャドウおよびペルソナが出てくる。モデルにしたのは下記の通り。
 外道:ジャック・リパー、悪霊:マカーブル、屍鬼:コープス


 9月が終わり、暦が10月へと変わった。八十稲羽物産展も終わった。変わったのは暦だけではないようで、世間の動きが少しづつ不穏な気配を滲ませてきている。

 

 現在、10月10日。何ごともなければ、奥村社長が『改心』するのは明日だ。彼を『改心』させた後は、信頼できる大人たちに任せる約束となっている。

 僕らは成すべきことを成した。不安がないわけではないけれど、彼らは歴戦のペルソナ使いである。必ず、奥村社長を守り抜いてくれるだろう。

 

 僕は今、生放送番組に顔を出している。テレビ出演や取材依頼に呼ばれることはあったが、大抵叩かれ役としての呼び出しだ。彼らの御望み通り、僕は持論を曲げることなく振る舞い、バッシングを一身に浴び続けた。笑顔を保ったまま、心の中で毒を吐くのもお手の物である。

 今回の生放送番組は、獅童の主導で行われた“怪盗団否定派”メインの企画だ。獅童はテレビ局のお偉いさんを抱き込んでおり、世論調査は得意中の得意であった。因みにお偉いさんは『廃人化』ビジネスに関してはノータッチらしい。獅童本人が会食で漏らしていたのを耳にした。

 番組収録も中盤である。コメンテーターと和気藹々と談笑したり、真剣な面持ちで討論したり、周囲の意見に耳を傾けながら情報を拾い集める。密偵としての仕事だ。だが、現時点では有意義な情報は見つからない。……その事実が、酷く焦燥を募らせる。

 

 

「怪盗団の予告状が奥村社長に届いてから10月に入りましたが、依然動きはないようです。世間は怪盗団の動きや奥村社長の『改心』に関心が集まっているみたいですね」

 

「奥村社長には『廃人化』や精神暴走事件への関与が疑われているようですが……」

 

「最近は怪盗団を名乗るグループが犯罪を起こしているみたいです。怪盗団側からの指示があったのか、熱狂的なシンパが暴走したか、模倣犯を気取っているのか……いずれにしても、怪盗団は民衆に不必要な不安を与える存在だ」

 

「相変らず厳しいね、獅童くんは。明智くんはそこのところ、どう考えてるの?」

 

「そうですね。僕は――」

 

 

 コメンテーターや智明の話に耳を傾けながら、僕は“正義の探偵・明智吾郎”として振る舞った。この仮面(えがお)を取り繕うのも慣れたし、表と裏で違うことを考えることも慣れた。嘘八百を並べながら他のことに思考を傾けるという特技になりつつある。

 忌々しい獅童正義や智明と同レベル、あるいは似たような存在になりつつあるという事実。この力――二面性があるから仲間たちを守れるのだという事実。嬉しいやら悲しいやら悍ましいやら、正直何とも言えない気持ちであった。閑話休題。

 

 智明の言うとおり、奥村社長『改心』直後から今にかけて、怪盗団のニセモノ――模倣犯気取りの連中が姿を現して人に迷惑をかける事件が増えた。

 それだけではなく、南条の特別研究部門やシャドウワーカーの周辺でもペルソナ絡みの事件が頻繁に発生するようになったという。

 どうやら模倣犯とペルソナ絡みの事件には繋がりがあるらしい。……この時点で既に、僕らを取り巻く事情はきな臭くなっているようだ。

 

 

「怪盗団は超常的な力を使っているのでは? 『廃人化』も『改心』も結果は違いますが、心の変化が非常によく似ている」

 

「へぇ、珍しいですね。智明さんは完全な現実主義者(リアリスト)かと思っていたんですけど」

 

「実際、超常的な力に傾倒した人間が暴走した事件はありますよ。9年前の須藤竜蔵や、彼の傘下である新生塾が行った汚職事件――カルト的なテロ事件の背景にも、似たような力がありました。結果、珠閒瑠市の鳴海区が壊滅的被害を被っています」

 

 

 智明はすらすらと9年前の事件の概要を語り出す。と言っても、世間一般に周知されている程度の内容だ。その事件を間近で体験した僕からしてみれば突っ込みどころしかない。

 

 9年前に発生した事件の真実を、ありのまま世間に語ることは難しい。話をする段階で、『実はこの世界は1度袋小路に突入し滅びが定まっており、それを覆すためにやり直しを行った高校生たちがいる』ことから話す必要があるからだ。『世界は1度滅びを迎えた』なんて話、誰が信じるだろうか。

 噂と異形が交錯したあの出来事は、“表舞台から葬られるべき”であると判断された。多くの戦いが闇の中に沈められ、民衆を安心させるための建前が跋扈した。表向きはカルトに傾倒していた現職大臣の暴走、真実は悪神による企て――珠閒瑠市の真相を知っているのは、今となってはペルソナ使いたちだけだ。あとは神取。

 須藤竜蔵は珠閒瑠で発生した事件の真相を封印するため、事実上のスケープゴートにされた。二度と表沙汰になることはなかったはずだった。怪盗団の一件で須藤竜蔵が出てくるとは思わなかったようで、多くのコメンテーターが首をかしげている。奴の名が出てきたことに納得しているのは僕だけだろう。顔には出さないが。

 

 

「主犯の須藤竜蔵はカルトに傾倒しており、Xシリーズと呼ばれる謎の兵器の開発を急いでいました。この兵器もまた、カルトに傾倒した結果誕生したと言われています」

 

(ここでその話題を出すか!!)

 

 

 僕は内心舌を巻きながら、「カルトでロボットが出てくるなんて不思議ですねー。なんでそんな発想に至ったんだろう」なんて白々しく笑ってみせた。

 

 Xシリーズと呼ばれる機械兵器は、対ペルソナ使い用の兵器として考案されたものだ。噂の力で甦らせ、能力をブーストさせた神取に開発させたものである。須藤竜蔵の失脚と同時に研究成果も葬り去られ、Xシリーズに関しての世間の扱いは“カルト的な分析から開発された謎の兵器”となっていた。

 智明は「この兵器が開発されるに至ったのは、超常的な力に傾倒していた須藤竜蔵自身がその力を恐れていたため、アンチテーゼの意味を込めて造り上げたのではないか」と分析していた。無能力者がペルソナ能力に対抗するためと考えれば、智明の見解は間違っていない。――その事実が、嫌な予感を募らせる。

 

 獅童親子が怪盗団と僕を潰そうとしていることは最初から知っていた。どうやって潰すかが分からなくて悶々としていたが、その足掛かりを掴めた気がする。

 珠閒瑠市の事件で実質的な黒幕扱いになった須藤竜蔵のように、“カルト集団が義賊を名乗って暴走した”というお題目にするつもりなのだろう。

 おそらく、怪盗団の模倣犯が出てきているという話題もその布石。テレビやネットに流すことで不安を煽り、支持者に疑念を持たせようとしている。

 

 

(各種権力者を手中に収めている獅童と真っ向から勝負すれば、僕らが潰されるのは目に見えている。……ここは一端奴らの思惑通りに追いつめられておいて、隙を伺う方が得策か? 少数精鋭で大規模勢力と渡り合うためにはゲリラ戦が効果的だって聞くし)

 

 

 民衆から総すかんされても、僕らの正義は揺らがない。座右の銘は初志貫徹、為すべきことを成すと決めている。

 そのための布石なら、命を懸けても惜しくはない。……多分、このことを黎に言ったら泣かれてしまうので言わないけれど。

 

 

「以上のことから、怪盗団は“シンパを『廃人化』させて事件を引き起こしている”のではないでしょうか?」

 

「実は、警察からもそのような話題が挙がっていて――」

 

 

 冴さんの不機嫌な顔を思い出しながら、警察側の動きを説明する。智明から「怪盗団にプレッシャーを与えるために話してほしい」と打ち合わせしていた内容だ。実際、冴さんもその方針で動き始めている。最も、明確な証拠と言えるものは集まっていないようだが、精神暴走状態の冴さんなら、平然と証拠のでっちあげを企てそうで怖い。あるいは、でっちあげられた証拠を抱えて突っ込んできそうだ。

 

 

「――ありがとうございました。また次の機会にお会いしましょう!」

 

 

 MCの締めを最後に収録が終わり、関係者が続々とスタジオから去っていく。僕もさっさと帰ろうとして――ふと、あることに気づいた。以前は頻繁に智明から呼び出されていたが、奥村社長を『改心』させて以来、智明から呼び出されることがなくなったのだ。連絡はすべて電話かSNSである。

 奥村社長のパレスで奴と対峙した際、僕たちは怪盗服姿で仮面をしていた。名前もコードネームで呼び合っていたし、真実さんたちは僕らのことを名前呼びはしていない。他のパレスで戦っていた際、援軍に来た面々が名前を呼んでいたことはあったが――まさか、それで正体が露見した?

 僕は思わず智明に視線を向ける。智明は番組のお偉いさんと何かを話し合っていた。僕の視線に気づいた智明はお偉いさんとの会話を切り上げ、僕の方に駆け寄って来る。奴はニコニコと笑っていた。()()()()()()()()()()()()()、機嫌がいいことは伝わって来る。

 

 

「珍しいね、明智くんの方から俺に話しかけてくるなんて」

 

「最近、コンビなのにピン同士で活躍してるなって思ってたんですよ。それで、ちょっと気になっちゃって。ダメでした?」

 

「言われて見ればそうだな。父さんの仕事で忙しくて、なかなか声をかけられなかったんだ」

 

 

 智明は申し訳なさそうに苦笑する。長らく僕をバッシング回避用のスケープゴートにしようとしていたくせに、と、内心舌を出して睨みつけていた。

 

 

「そうだ明智くん、朗報だよ。もうすぐキミへのバッシングが治まるかもしれない」

 

「どうしてですか?」

 

「父さんから口止めされていて詳しいことは言えないんだけど、近々特捜が動き出すみたいなんだ。怪盗団の壊滅も時間の問題だと思うよ」

 

 

 表面上は「そうですか。それは楽しみですね」と笑いながら、俺は内心歯噛みしていた。特捜が動き出すということは、奴らは怪盗団を本格的に潰そうと思案しているのだろう。

 認知世界で『オタカラ』を盗む怪盗団を、現実世界の警察組織がどうやって追いつめるつもりでいるのだろうか。智明にはその算段があるようで、自信満々に笑っていた。

 

 

「もう少ししたら、特捜部長側から情報を提供してもらえる手筈になってるからね。――そういや、誰だったっけ? キミが予備の司法修習生先でお世話になってる女性の検事さん」

 

「冴さん……新島検事のこと?」

 

「そう、その人。その人が指揮を執るんだってさ。……そういえば、最近、その検事さんの様子がおかしいって話を耳にしたなあ。怪盗団検挙に闘志を燃やしているけど、空回りしすぎて精神的に追い詰められているって専らの噂だよ」

 

 

 「今回失敗したら後がないって焦ってるらしいけど」と智明は苦笑する。()()()()()()()()()()()()()()()()()――僕の中にいる“何か”が告げた。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()? と、“何か”は分析した。

 真も冴さんの様子を気にしていた。突然他者へ厳しく当たることもあれば、深い自己嫌悪に襲われて落ち込んでいることもあるらしい。最近は前者の態度でいる時間の方が長いようだ。僕が検察庁で顔を会わせる冴さんは常にピリピリしており、何事に対しても強硬姿勢を貫いていた。

 以前竜司が言っていた言葉が脳裏をよぎる。『獅童の『駒』が真の姉さんを人質にとった』という発言が、いよいよ真実味を帯びてきたのだ。僕は笑顔を張りつけながら、心の中で歯噛みした。()()()()()()()()()()()()――僕の中にいる“何か”が悲しそうに目を伏せた。

 

 “何か”は明らかに隠し事をしている。獅童側の動きに関して、“何か”は自分の“知っている”情報を出そうとしない。

 

 怯えているのか、頑なになっているのか、“何か”は口を噤んでしまった。もう答えてもらえないだろうと思い、僕は心の中でため息をつく。

 嘗ては僕も“何か”と似たような立場故に悩んだ身だ。“何か”が安心して口を開けるようになるまで、根気よく待ってやる以外に手はないだろう。

 

 

「ああ、いけない。そろそろ時間だから行かなくちゃ。それじゃあまたね、明智くん」

 

「それじゃあまた。智明さん」

 

 

 去っていく智明の姿を見送った僕は、大急ぎでテレビ局を飛び出した。

 

 自宅に戻った僕は、慌ただしく自室に戻った。怪盗団のグループチャットを開き、今まで手に入れた情報すべてを入力する。“敵は冴さんを使って僕たちを追いつめる算段を立てるつもりでいる。司法関連からは僕が張り付いて情報を集めるから任せてほしい”と付け加えれば、一同から了承の返事が返って来た。

 黎は僕を気遣うメッセージを入れてくれた。それに“大丈夫”と返信した後、“奥村社長の『改心』の顛末を見届け、特捜の動きに関する情報が手に入り次第、次の作戦会議を行う”よう進言する。敵は珠閒瑠市の事件で“人間側の”黒幕とされた須藤竜蔵と同じような形で、怪盗団を『廃人化』の犯人に仕立て上げようとしているのだと。

 

 

祐介:成程な。最近、妙に『怪盗団を名乗る人物の犯罪が多い』と報道されるようになったと思ったが、そんな裏があったのか。

 

杏:テレビ見たよ。逮捕された犯人が口々に『怪盗団の正義を世に示すんだ』って騒いでるって。『犯人はみんな精神暴走の症状が伺える』とも言ってた。

 

竜司:正義どころか狂気を示してんじゃねーか! 怪盗団をカルト的テロリストに仕立て上げるつもりかよ!? すっげえ嫌なんだけど!

 

春:テレビ見てたけど、獅童くんの発言にみんなが同意したのが怖かったな。確か、『怪盗団はシンパを『廃人化』させて事件を引き起こしているのではないか?』だっけ。

 

黎:実際に似たような毛色を持つカルト的テロリストが実在していたことが拍車をかけているみたいだ。こんなときに、須藤竜蔵のせいで酷い目にあうなんて……。

 

双葉:討論番組の影響か、ネットでは須藤竜蔵に関する情報で溢れかえってたな。怪盗団の『改心』や昨今の精神暴走事件と、須藤竜蔵が起こした事件が比較検証されてる。一般人はそこに“ペルソナ”という共通点があることに気づいていないみたいだが、勘のいい奴らが怪異事件であるという共通点を見つけたらしい。

 

真:不味いことになったわね。この際、支持率云々は一端捨て置くとして、次は怪盗団を守りつつお姉ちゃんを助け出すための作戦を立てないと。

 

吾郎:智明曰く、『近いうちに特捜が動く』らしい。冴さん対策は特捜の動きを見て決めた方が良さそうだ。

 

竜司:トクソー? 何それ?

 

真:検察のエリート集団のことよ。国政における不正や汚職を取り締まっているの。お姉ちゃんもそこに勤めてる。

 

祐介:テレビでもよく取り上げられている集団だな。奴らを動かすとは、獅童も本気らしい。

 

杏:気を引き締めなきゃいけないってことか。

 

双葉:【速報】怪チャンの支持率がじりじりと下がり始めた。

 

黎:ちょっと前に三島がSNSを送って来たんだ。『怪盗団のシンパは、怪盗団に『廃人化』させられて、人間兵器として特攻させられてしまう』って噂話をしている生徒を見たらしくて。

 

竜司:あー、アイツが機嫌悪かったのはそのせいか……。

 

祐介:担当検事は精神暴走状態で、証拠のでっちあげすら厭わぬ状態なのだろう? 控えめに言って、怪盗団最大の危機だな。

 

双葉:#控えめとは。

 

杏:獅童はテレビ関係者の上層部すら手駒にしてるんでしょ? 怪盗団が精神暴走事件の犯人だってニュースが大々的に取り沙汰されたら、アタシたち完璧に悪者扱いだよね。

 

春:バッシングは最高潮になるでしょうね。社会の敵として後ろ指を指されることになる。

 

真:突破口を求めるとなると、敵の作戦の裏を突く必要が出てくるわ。敵にとっての作戦の要はお姉ちゃんと警察。そこから情報を集めるとなると、私たちにとっての作戦の要は吾郎になるわね。周防刑事たちは厄介者扱いされているから、情報を意図的に制限されそうだし。

 

吾郎:任せてくれ。何としてでも、この危機を乗り越える突破口を掴んでみせるよ。

 

 

 仲間たちとのチャットが終わったと思ったとき、またSNSにメッセージが入った。次にメッセージを送って来たのは、黎からの個人チャットである。

 

 

黎:吾郎、ごめん。また危険なことをさせる。

 

吾郎:大丈夫だよ。こっちこそごめん。冴さんが危ないと分かってたのに、後手に回ってしまった。

 

黎:それは吾郎のせいじゃない。お願いだから、何もかもを1人で背負おうとしないで。全部背負って、どこかへいってしまわないで。

 

 

 黎のメッセージを読んだとき、胸を突き刺すような痛みを感じた。それは僕の痛みであり、おそらくは僕の中にいる“何か”の痛みでもある。僕は思わず問いかけた。

 

 

―― お前は、1人で背負って「い」ったのか? ――

 

 

 いくの「い」にはどの漢字が入るのだろう。「行」くか、「往」くか、あるいは――「逝」くか。

 僕が問うと、“何か”は泣き出してしまいそうな顔をした。苦しそうに息を吐いて、()()()3()()()と答えた。

 ()()()()()()()? ――“何か”は小さな声で問いかけながら、じっと僕を見上げる。

 

 

―― 逝かない。生きる ――

 

 

 あっさり即答した僕を見て、“何か”は苦笑した。()()()()()()()()()()()()()()()()()()とは、一体どういうことなのだろう。

 僕がそれを問いかけるより前に“何か”は僕に背を向けた。振り返って顔を見せるつもりも、何かを言うつもりもないらしい。僕はため息をついて、SNSに返信した。

 

 

吾郎:わかった、逝かない。俺は生きるよ、黎。

 

黎:吾郎……。

 

吾郎:だから、心配しないで。大丈夫だから。

 

黎:分かった。ありがとう、吾郎。

 

 

 チャットはそれで終わった。

 

 黎はどんな気持ちで、このメッセージを目にしたのだろう。

 どうか笑っていて欲しいなと願いながら、俺は指輪を撫でた。

 

 

◇◇◇

 

 

 本日10月11日。予定で言えば、奥村春が宝条千秋との婚約を強制的に破棄され、彼の兄の元へと身売りされる日だ。どんよりとした曇り空が広がる昼休み、怪盗団のグループチャットにSNSで連絡が届いた。鉛色の雲など簡単に吹き飛んでしまう知らせである。

 今朝、春は奥村社長から『千秋くんとの婚約破棄と、お前が千秋くんの兄の元へ嫁ぐ話は、先方に連絡を入れて断っておいた』と話を切り出されたそうだ。『オクムラフーズの今後は、経営陣と相談して協議した結果、彼らに任せることにした』とも。

 奥村春と宝条千秋の婚約関係は本人たちの強い希望で続行となり、宝条家の面々もオクムラフーズ立て直しに協力してくれるらしい。部屋に籠っていた間に、奥村社長は経営陣への引継ぎや根回しを行っていたようだ。そして、他の関係者各位にも連絡したという。

 

 奥村社長は夜に会見を行うらしい。その際、春に『私が自首したら暫くゆっくりできなくなるだろうから、今のうちに友達と一緒に遊んできなさい』と送り出してくれたという。

 

 放課後に合流する約束をして、僕は普段通り学業に専念した。長い長い授業を終えて、僕は秀尽学園高校へ向かう。秀尽学園高校と洸星高校は結構距離が近いためすぐに合流できたようだが、僕は公共交通機関の遅れに巻き込まれてしまった。

 周りからは「事故が起きた影響」、「また精神暴走事件か」とひそひそ話が聞こえてくる。……智明はこの瞬間も、獅童や自分にとって邪魔な存在を消して回っているのだろうか。僕は不安を持て余すようにしてスマホをいじる。程なくして怪盗団のアカウントからSNSからチャットが入った。

 

 

黎:打ち上げは文化祭とは別に行おうって話が出てるんだ。

 

竜司:やっぱり、打ち上げは打ち上げでちゃんとやろうって思ってさ。春の歓迎会も兼ねてるし。

 

祐介:内々で気兼ねないやつをやりたいと話したんだ。春も同意してくれた。

 

杏:吾郎もそう思うよね?

 

吾郎:そうだね。なら、そうしようか。ところで、場所はどこにするか決めた?

 

黎:デスティニーランドにしようって案が出てる。ナイトツアー貸し切りでイブニングパーティだって。

 

春:元々会社の親睦会に利用しようと思っていたんだけど、醜聞で自粛することになっちゃって。今からキャンセルにしても全額出て行っちゃうから、活かそうと思ったの。

 

真:一同既に同意してるわ。あとは吾郎からの意見待ちだけど。

 

吾郎:待って。巌戸台に滞在してたときの屋久島桐条家別荘3泊4日ツアー・3食カラオケプライベートビーチに温水プール付き、テニス場からゴルフコート完備並みに規模がおかしいんだけど。

 

春:違うわ吾郎くん。デスティニーランド貸し切り程度を、桐条グループの別荘と比べるのはおこがましいよ。

 

双葉:セレブマジヤバイ。貸し切りパック使ったらとんでもない金額だもん。一晩だけで凄まじいもん。

 

吾郎:流石に目立ち過ぎない?

 

祐介:それなら心配ないそうだ。表向きはオクムラフーズ名義だからな。

 

春:大丈夫だよ、気にしないで。

 

黎:吾郎、あと何分くらいで来れる?

 

吾郎:この調子だと、公共交通機関使って秀尽学園高校で合流するより、家に戻ってからバイクでデスティニーランドへ向かった方が早そうだ。

 

黎:了解。デスティニーランド前で合流ね。

 

 

 チャットを終えた僕は、早速自宅へ戻るために駅へ向かった。

 

 

***

 

 

 そうして迎えた夜。打ち上げ兼奥村春の歓迎会は、和やかな雰囲気の中行われた。自分たち以外誰もいない遊園地と言うのは、かなり壮観である。

 花火とイルミネーションが煌びやかに夜空を彩る中、僕たちは少し遅めの夕食を楽しんでいた。夢の国のレストランは評判通りの味だった。

 しかも、本来はテーブルがない絶景スポットである区画に、イスとテーブルを持ち込んだ上での会食だ。VIP待遇でなければこんなサービスあり得ない。

 

 

「このVIP待遇、感動モンだよね! 流石貸し切り!」

 

「本当に誰もいないよね……」

 

「私たちは夢の国の支配者だッ!」

 

 

 杏がはしゃぎ、真が周囲を見回し、双葉がこれでもかとはっちゃける。そんな面々を、黎は優しい眼差しで見守っていた。まるで慈母神のようだなと僕は1人で納得する。

 

 

「あのライティングも私たちに?」

 

「そうだよ」

 

「美しい……」

 

「お前の方がな……なんてこと思ってるんでしょ? ねえそこのリア充!」

 

 

 真の質問に対し、春はにっこりと微笑み返す。ライトアップを見た祐介が感嘆の息を吐いて、指で枠を作りながらその光景を眺めていた。

 双葉はニマニマ笑いながら僕と黎に話題を振った。僕らは顔を見合わせた後、仲間たちの方に視線を向ける。

 

 

「「いや、みんな楽しそうだなって思ってた」」

 

「圧倒的トーチャンカーチャンだったァ! リア充は既にリア充を凌駕し、恋人同士のくせに新婚と熟年夫婦の良いところだけを凝縮している! 私たちは最早、圧倒的トーチャンカーチャン(ぢから)を持つ2人の息子と娘ポジに……」

 

「双葉ー、双葉ー!?」

 

「も、戻ってきてー!?」

 

 

 僕らの答えがお気に召さなかったのか、双葉が動作不良を引き起こしてのたうち回る。それを見た真と杏が、慌てて救護活動に入った。どうしてあんなことになったのだろう。

 春は「あらあらうふふ」と静かに目を細めた。竜司とモルガナは解脱した菩薩みたいな顔をしている。祐介は手で枠を作り、僕と黎の姿をじっと観察していた。

 つい先程までみんな童心に帰って楽しんでいたはずなのに、随分とまあ悟ってしまったものだ。微笑ましさは一転して、ライティングが後光に見えてくる有様である。

 

 春曰く「本来ならパレードも行おうと思ったのだが、流石にスタッフの都合がつかなかった」とのことだ。申し訳なさそうに謝る春に対し、僕らは恐縮して肩を竦めた。それはまた今度にするべきであろう。

 

 今回の打ち上げは、怪盗団が今まで行ってきた打ち上げで最大規模のモノだ。竜司が浮かれ、杏と双葉がはしゃぎ、祐介がそれを微笑ましそうに見守っている。春は嬉しそうに目を細め、モルガナが「余計な贅沢教えちまったな」と軽口を叩きながらも満更でもなさそうだった。

 次の打ち上げに想いを馳せるモルガナを祐介が窘めたが、奴自身も楽しみで仕方がないようだ。楽しそうにはしゃぐ仲間たちの姿に、僕と黎も思わず笑ってしまった。不穏な気配は漂っているけれども、僕らは順調に道を歩いている。――今このときだけは、不穏な気配を忘れてゆっくり羽を伸ばしたい。

 

 

「あとは、奥村社長が無事に出頭できれば、目的は達成だ」

 

 

 黎の言葉に、仲間たちは気を引き締める。和気藹々とした空気が鳴りを潜めた。

 

 怪盗団である自分たちは、認知世界を用いた『改心』の専門家だ。だが、僕たちには“現実世界で怪盗の力を100%発揮できない”という致命的な弱点がある。いくら認知世界では敵なしでも、現実世界での僕たちは一介の高校生でしかない。

 現実世界でも100%全力で戦えるのはフィレモン全盛期のペルソナ使いだけである。巌戸台世代以降のペルソナ使いは“特殊な条件下でしか使えない”という点は僕たちと同じだけど、長い旅路を経て答えを得たためか、現実世界においても高い身体能力を有していた。

 

 

「そろそろ、緊急記者会見の時間だね」

 

 

 杏がスマホを出して仲間たちに見せる。僕たちもつられるようにして、自分のスマホを操作した。

 タイミングはバッチリだったようで、テレビには奥村社長が映し出されている。

 『改心』は成功しているが、問題なのはここからだ。僕らは固唾を飲んで顛末を見守る。

 

 奥村社長は粛々と己の罪を告白し、深々と頭を下げた。怪盗団の予告状に関することを問われた奥村社長は、『彼らのおかげで、私は自らの責任を取ることを選ぶ勇気を貰いました』と言い切った。社会的破滅を迎えようとしているのに、彼は晴れやかな表情で言葉を紡ぐ。

 『嘗て自分は辛い体験をした。だから自分の幸せを追いかけるようになり、気づいたらここまで来てしまった。いつの間にか私は、幼い頃の私を苦しめた人間たちのような大人になってしまった』と語り、『これから自首をする』と宣言し、再び頭を下げる。フラッシュの光が点滅し、記者の質問が飛び交った。

 

 

『――はは、ははは、ははははははっ!』

 

 

 会見中に異変が発生した。奥村社長に質問していた記者が突然立ち上がり、醜悪に顔を歪ませた。彼は持っていた万年筆を振り上げながら、奥村社長に突進した。

 奴の影に重なるようにして、半透明の異形が浮かび上がる。黒いコートと帽子に身を包んだ化け物が、ナイフを振りかざしていた。

 呆気にとられる記者と、一歩遅れて動き出した警備員、スマホ画面の向こうで唖然とする僕。奥村社長を守る人間は誰もいないかに思われた。

 

 

『奥村邦夫ォ! これが怪盗団の正義……貴様への鉄槌だァァ!!』

 

『――やめろぉっ!』

 

 

 横から飛び出して、記者へ体当たりを喰らわせたのは、記者会見を見守っていた春の婚約者・宝条千秋だった。2人はそのまま派手な格闘を繰り広げる。奥村社長は腰を抜かしたのか、床にへたり込んだままだ。

 

 

「千秋さん!」

 

 

 春が悲鳴を上げたとき、記者が振りかざした万年筆が千秋の掌に突き刺さる。千秋が苦悶の声を上げた。記者は再び腕を振り上げ、奥村社長を庇った千秋へ振り下ろさんとする。

 だが、そこへ舞耶さんと黛さんが割って入った。双方、そうとは見えぬようにしながらペルソナを顕現し、力を行使した。記者は呆気なく吹っ飛び地面に叩き付けられた。

 

 暴れる記者を警備員が連れて行く。奴はずっと『怪盗団万歳! ブラック企業の社長は死ね!』と叫び散らしていた。会見場は騒然となっている。千秋は舞耶さんからの手当てを受けていた。あの様子からして軽傷だろう。顔を真っ青にした奥村社長を助け起こしに来た警備員の1人が、突如動きを止める。

 次に奥村社長に襲い掛かったのがこの警備員だった。そいつは警棒を取り出し、『怪盗団万歳』と叫ぶ。警備員にも薄らと異形が浮かび上がっていた。陶器のように白い肌で、派手なフリルの襟と死神が描かれた黒装束を身に纏い、鎌を持った異形だ。

 勿論、この警備員も舞耶さんと黛さんのペルソナによって押さえつけられた。同僚の急変に混乱する警備員たちは最早役に立たない。会見場でスタンバイしていた周防刑事たちが奥村社長を庇いながら、警察署へ向かうため会見場を後にした。

 

 

「おいおい……!」

 

「……予想はしていたが、実際に目の前にすると悪辣だな」

 

 

 大暴れする怪盗団シンパ(精神暴走済み)を見て、竜司と祐介が顔をしかめた。彼らの気持ちは分からなくもない。

 

 奥村社長を追いかける者、取り押さえられた犯人たちのポケットから落ちた怪盗団グッズ――予告状ポストカードに書かれた言葉をカメラに映し出す者、どうしたらいいのか分からずあたふたする者等、報道陣の反応はバラバラである。

 僕が見ていたニュース番組の場合、怪盗団グッズである予告状ポストカードを映す選択をしたようだ。ポストカードには『裏切り者である奥村社長に天誅を下すために、お前の力が必要だ。是非とも我ら怪盗団の力になってくれ。悪党に正義の鉄槌を』という内容が記されているではないか。

 

 

「成程な。これを起点にして、怪盗団をカルト的殺人集団へ仕立て上げようって魂胆か……!」

 

「生放送で発生した事件ってのが嫌らしいね。多くの人々は、これが意図的に発生させられた演技(パフォーマンス)とは思わないだろう」

 

 

 僕と黎は顔を見合わせながら歯噛みする。生放送でのアクシデントというものは意図しないことが多い。

 そのため、放送を見ている人間の興味関心を強く惹くし、人々の不安をより一層煽るものだ。

 

 

「ここまで大々的に取り沙汰されれば、否が応でも、周りは怪盗団に対して疑念を抱くでしょう。怪盗団を支持していた人々が炎上することは間違いないわ」

 

「わたしたちを支持していた人間すべてが、怪盗団の純粋な支持者ってワケじゃない。中には便乗してたヤツや、勝ち馬に乗ろうって魂胆のヤツもいたはずだ。奴らはすぐに鞍替えし、わたしたちを非難するだろう」

 

「……成程な。支持率が8割強を超えたこのタイミングだからこそ、ふとした出来事で権威は一気に失墜する。たとえそれが、真実か否かなんて関係ない。……八十稲羽のペルソナ使いたちが言っていた“都合のいいニセモノだけを真実だと認識し、自らの目を(ウソ)で曇らせる”ってトコか。ホントのことを見抜ける人間なんて、ごく僅かだからな」

 

 

 真と双葉は剣呑な顔でスマホを睨み、モルガナは物産展で出会った先輩たちの言葉を改めて噛みしめている。祐介は顎に手を当てた。

 

 

「そして、この状況を画策した獅童には、認知を自在に操作する力を持つ『神』がバックについている。世論を好き放題に操作することは容易だ。俺たちが恐ろしい殺人集団にして大悪党になるまでに、そんなに時間はかからない……」

 

「こりゃあ、怪盗団の敵対者が勢いづくだろうな。特にそいつらの手先と化したマコトの姉ちゃん……ニージマがどう出るか」

 

「冴さんのことだ。確実に動くだろうな」

 

 

 モルガナの懸念も当然だ。怪盗団を最前線で追いかけている冴さんは、獅童によって“怪盗団と奥村社長が協力関係にある”と認識させられている。ついでに、最近は怪盗団を名乗る模倣犯が発生しており、奴らはみんな予告状ポストカードを持ち精神暴走状態で犯罪行為を行っていた。

 精神暴走によって獅童の意のままに動く駒と化した冴さんなら、これらを強引にでも結び付けてでも『怪盗団は『廃人化』を引き起こしていた犯人である』と判断してもおかしくない。各業界のトップを抱き込んでいる獅童は、各種メディアを通じて、このことを大々的に報じるだろう。

 支持率だとか認められたいとか、そんなことは既にどうでもいい。獅童たちの企みについても、今は保留だ。現時点で、僕ら怪盗団の願いはただ1つ。ターゲットである奥村邦夫氏が、無事に警察へ辿り着き出頭することだけである。

 

 僕は他のチャンネルを回してみる。会場に残るのではなく、奥村社長を追いかけることを選んだ局の映像が流れていた。

 会社の出入り口に辿り着いた奥村社長と周防刑事たちに襲い掛かったのは、秀尽学園高校の制服を身に纏った男子生徒である。

 

 

「ウチの学校の生徒!? なんでこんなところに……」

 

『怪盗団万歳! 彼らは兄さんの無念を晴らすために、僕に力をくれたんだ……! 喰らえ!!』

 

 

 竜司と男子生徒が叫んだ瞬間、奴の足元から青白い光が舞い上がった。

 

 

「マジかよ!? あれ、ペルソナじゃね!?」

 

「馬鹿な……! フィレモンはもう全盛期じゃないから、現実世界でペルソナを使える人間は珠閒瑠世代が最後のはずなのに!」

 

 

 竜司の言葉通りである。半透明だが、あれはシャドウではない。フィレモン全盛期のペルソナ使いが持つ特徴と一致していた。

 だが、珠閒瑠の事件でフィレモンは力を失っているため、現実世界でペルソナを召喚できる人物はもう増えないはずだ。

 

 考えられるとするなら、フィレモンとは対を成す悪神・ニャルラトホテプくらいだろう。但し、ニャルラトホテプから力を与えられたペルソナ使いに関してのデータはほとんど残っていない。僕らが知る限り、該当者は神取鷹久だけである。閑話休題。

 

 数多のゾンビが1つに合体したような異形から力を引き出し、男子生徒は奥村社長へ襲い掛かる。だが、異形が奥村社長を傷つけるには至らなかった。達哉さんが――そうと認識されぬように加減はしていたが――アポロの力を顕現させ、男子生徒のペルソナを一撃で屠ったためだ。そのショックか、男子生徒は愕然とした様子で崩れ落ちた。

 周囲からは、異形が消えると同時に戦意を喪失したように見えるだろう。その隙に、真田さんと達哉さんが奥村社長を車に乗せる。一歩遅れて周防刑事が転がるようにして車に乗り込んだ。報道陣や刺客たちから逃れるようにして、車が発進する。次の瞬間、車の進路を妨害するようにバイクが現れ、奥村社長と警察組が乗る車に体当たりを仕掛けてきた。

 

 刑事ドラマでも類を見ないカーチェイス。その結末を映すことなく、LIVE映像は途切れる。ニュースキャスターやコメンテーター一同が呆気に取られていた。

 彼らの反応は当たり前だろう。何せ、世間一般には伏せられている異形と、それに対抗できる力を持つ人間の存在が公共電波で放送されてしまったのだから。

 あちこちから困惑の声が上がる。怪盗団支持派を気取っていた連中が即座に意見を翻し、反対派だった連中が「だから怪盗団は危険な奴らだと言ったのだ!」と息巻く。

 

 

「今の生徒の発言、絶対“アタシたちがあの生徒に何かやった”って思われるよね!?」

 

「“怪盗団が超常的な力に傾倒している集団である”という印象を与えるには、今の演出は充分効果的だわ……」

 

「おまけに、新生塾に所属していた連中の言動とも共通点ができたようなものだ。須藤竜蔵と同類に見られるのは避けられない」

 

 

 杏が眦を釣り上げて切羽詰った様子で分析し、真が沈痛な面持ちでスマホの光景を見つめる。僕も歯噛みしながら頷いた。

 

 新生塾に所属していた連中はみな、須藤竜蔵の熱狂的なシンパだった。ここに映し出された彼らも、本人たちの発言から“怪盗団のシンパ”とみなされることだろう。

 “怪盗団は自分たちのシンパを『廃人化』させ、利用している”――まことしやかに囁かれていた噂は、鮮烈な形で情報ソースができた/裏が取れたと言える。

 

 『そろそろ特捜が動き出す』――獅童智明が語っていた言葉がリフレインした。

 

 ああそうだ、そうだろうとも。こんな光景を見せつけられたら、警察や検察は本気で動きだす。怪盗団を危険分子と認定するのは当然のことだ。当局の威信をかけて、僕らを根絶やしにしようとすることだろう。

 双葉がPCを操作し、ネットの状況を確認した。案の定、ネットは大騒ぎである。怪盗団を擁護していた連中の大半が敵に回り、怪盗団を責めている。ただ、その中の書き込みには、怪盗団を野放しにしていた現政権への批判コメントが多かった。

 

 

「怪チャンの掲示板の中に、同じIDのヤツが頻繁に書き込んでるみたいだ。おまけにそのIDは1つ2つじゃない。数十個近くある。そして何より、奥村社長に不正投票しようとした奴らと同じIDだ。書き込み内容はすべて『役人は何をしているんだ』、『怪盗団を野放しにした現内閣は即刻総辞職すべき』だった」

 

「内閣総辞職ぅ? なんでそんなことばっかり書いてるんだ?」

 

「……もしかして、衆議院選挙に関係しているのかしら? お父様と話していた黒服の方が、選挙資金が云々という話をしていたの」

 

 

 双葉の言葉に首を傾げた竜司に対し、春が思い出したように手を叩く。

 僕は「それだ!」と声を上げていた。

 

 

「獅童正義は次期総理大臣候補と目されていた。だが、早期段階から怪盗団反対派の急先鋒ということが祟り、今まで支持率はあまり伸びなかったんだ。けど、最終的に怪盗団を根絶やしにするために動いていたことを鑑みると、アイツは“自分と怪盗団の支持率をそっくりそのまま入れ替える”ことでのし上がろうとしていたんだろう」

 

「成程。敵対者を失脚させつつ、敵対者の支持者だった人々を自分の支持派として取り込む……だから“上げて落とす”戦術が得意だったんだね。獅童の最終目的は“圧倒的な支持率を有した上で総理大臣になる”こと。それで、『現内閣を解散させよ』という意見を煽る真似をしているのか」

 

「おそらく、奴はこれから各メディアでパフォーマンスを披露するだろう。獅童は世論操作の天才だ。認知を好き勝手する『神』もバックにいる。現内閣解散は容易だろうし、自分が総理大臣になることだって夢じゃない。――奴の最終目的は、自分が総理大臣となることで日本を動かすことだからな。そのために、怪盗団を踏み台にして潰そうとしている」

 

 

 僕の発言に黎が補足を入れた。僕は頷き返し、今までの密偵活動から纏めた結論を出す。それを聞いた仲間たちは、納得したように頷き返した。

 

 明智吾郎が怪盗団に与する理由は、認知世界を用いた犯罪行為を主導する黒幕であり、有栖川黎に冤罪を着せた張本人にして、実の父親である獅童正義の罪を終わりにすることだ。獅童正義を『改心』させるという目的は、最初の頃から何も変わらない。

 金城を『改心』させる際、僕は仲間たちにすべてを話した。自分の目的、自分の存在、自分と自分が『改心』させようとしている人間の関係を。仲間たちは僕を拒絶することなく、『一緒に獅童を『改心』させよう』と約束してくれたのだ。

 彼らの目は語っている。「獅童正義を『改心』させる瞬間は間近に迫っている」と。そのためにも、奴の手先に仕立て上げられてしまった冴さんを救出しなくてはならない。この危機を乗り越えなければ、獅童の喉元に迫ることはできないだろう。

 

 ()()()()()()()()()()()――僕の中にいる“何か”が語り掛けてきた。立ち上がる体力を取り戻したらしく、“何か”は僕の背に寄りかかるようにして体を起こす。その眼差しは、羨望と祈りで満ち溢れていた。

 ()()()()()()と“何か”は言う。今にも泣き出してしまいそうな顔をして、自分では届かなかったものに焦がれるように顔を歪めて、“何か”は僕を見つめていた。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と。

 

 

「みんな、ここからが正念場だ。――行けるね?」

 

「おう!」

「ああ!」

「うん!」

「ええ!」

 

 

 僕らは躊躇うことなく頷き返す。その眼差しに迷いはなく、その決意に揺らぎはない。

 ああ、ついにここまで来た。僕のこの2年間は、この瞬間をこの仲間たちと迎えるためにあったのだ。

 

 そうしてこれからの戦いは、僕たちの望む未来を――明智吾郎が有栖川黎と共に生きるための未来を手に入れるための決戦となる。負けるつもりなど、毛頭なかった。

 

 次の瞬間、僕の視界の端に、見覚えのある蝶が舞っているのが見えた。粒子のような鱗粉を散らす黄金の蝶は、普遍的無意識を司る善神・フィレモンの化身だ。

 何故、ここに奴の化身がいるのだろう。僕が目を瞬かせると、黄金の蝶は“何か”の指に停まっていた。“何か”はじっと静かに蝶を見つめている。

 ()()()()()()()()()――懐かしむように呟いた“何か”は苦笑する。刹那、彼の指から蝶が飛び立った。黄金の蝶はひらひらと空を舞う。

 

 

(――奥村社長は、きっと大丈夫)

 

 

 脳裏に浮かんだのは、黄金の蝶に群がられる僕の保護者――空本至の後ろ姿だ。彼と共に数多の戦場を駆け抜けた、僕の尊敬する大人たちの背中だった。

 

 彼らならきっと、奥村社長を無事に警察まで送り届けてくれるだろう。

 その報告を待ちながら、僕たちはデスティニーランドのライティングを眺めていた。

 

 

◇◆◆◆

 

 

 ひらひら、ひらひら。

 きらきら、きらきら。

 

 星の見えない夜空に、黄金の蝶が舞う。それを操る張本人もまた、戦いに駆り出されている人間の1人だ。怪盗団として世間を駆け抜ける少年少女は、自身の為すべきことを成し遂げた。今度戦うのは、そのバトンを受け取った大人たちである。

 

 大都会のあちこちから、剣載の音や青白い光が炸裂する気配がした。奥村社長の護送を邪魔しようとする敵と、それを阻止しようとする大人たちの戦いの火蓋が切って落とされたのだ。青年もケースからクレー射撃用の銃を取り出し、戦闘に備える。

 丁度その瞬間、泥が爆ぜるような音を響かせて異形の群れが顕現した。現実世界に現れたシャドウ――現実世界に跋扈する異形は悪魔と分類することも可能なのだが、どうも東京式シャドウは御影・珠閒瑠式悪魔と巌戸台・八十稲羽式シャドウの中間点らしい――が唸りを上げた。

 

 まず真っ先に飛びかかって来たのは、獅子を思わせる4つ足歩行のシャドウだ。青年は躊躇うことなく銃で迎撃する。派手な炸裂音と硝煙の臭いが漂った直後、4つ足歩行のシャドウの脚すべてが吹き飛んだ。動く術を失った獅子は地べたを這いずることすらままならない。

 次に動いたのは、軽装の白い鎧に身を包んだ武人だった。彼は槍を振りかざして襲い掛かって来る。青年は銃身でそれを受け止めると、即座に相手を銃身で殴りつけた。終身での殴打は結構痛い。怯んだ武人の隙を見逃さず、青年は銃を放つ。次の瞬間、武人の両手足に風穴が開いた。

 崩れ落ちたシャドウたちがのたうち回っている。青年はペルソナを顕現した。白い法衣に身を包んだ深淵の大帝が両手を天へと掲げる。強大なエネルギーが収束し、この場に炸裂した。ヒエロスグリュペインを喰らった敵たちが崩れ落ち、溶けるようにして消え去る。

 

 

「まずは、一手」

 

 

 ヒエロスグリュペインが打ち砕いたのは、青年が対峙していたシャドウたちだけではない。周囲に跋扈していたシャドウも軒並み殲滅した。

 1羽の黄金の蝶が、青年の肩に停まる。次の瞬間、蝶は光の粒子となって青年の中へと吸い込まれた。青年は状況を把握するように目を伏せると、すぐに前を向いた。

 

 足の震えも手の震えも、すべてを無視して戦場に立つ。数多の蝶――青年を生み出した善神から押し付けられた力――を飛ばしながら、大切なものを守るために戦場へと赴いた。

 

 

◆◇◇◇

 

 

『お父様、無事に警察へ出頭できたみたい。向うで『怪盗団は悪くない。怪盗団は私を助けてくれたんだ。私を襲ってきた奴らは怪盗団とは何の関わりもない。怪盗団を陥れようとしている奴がいる』って証言しているみたいなんだけど、警察や検察は意図的に無視しているようなの』

 

 

 翌日、警察および検察からの事情聴取を受けた春が教えてくれたことである。僕も検察庁へ足を運んで情報を調べたが、奥村社長の怪盗団擁護の証言はすべて抹消あるいは隠蔽されていた。今回の件を調査しているのは冴さんなので、隠蔽工作に冴さんが関わっていると言っても間違いではない。できれば間違いであってほしかったが。

 冴さんは今日もピリピリしていた。『誰かが私のノートからデータを盗んだ奴がいる』と忌々しそうに吐き捨てた冴さんは、ギロリと僕を睨みつけた。正直僕は誰が犯人なのかを知っていたが、『僕じゃないし、犯人に心当たりはない』と主張しておいた。冴さんのイライラは天元突破しており、精神暴走の度合いが進行していることが伺える。

 終いには、証拠捏造を彷彿とさせるような発言までちらつかせていた。怪盗団を捕まえるのは自分だと宣言した冴さんの横顔は、普段以上に険しい。怪盗団によって『改心』させられた面々が『怪盗団は人殺しなんてしない。怪盗団は誰かに嵌められようとしているのではないか?』と証言し始めたこともイライラの理由だと公言していたか。

 

 今回の件は、秀尽学園高校の校長が意識不明になったバスジャック事故とも関連付けて調べている。獅童は先の事件の責任も怪盗団に押し付けるつもりらしい。厄介なことこの上なかった。

 

 怪チャン含んだネットでは“怪盗団は危険な組織である”と認識されており、誹謗中傷の書き込みが目立っている。管理人の三島が火消しに奔走しているが、支持率は急激に下がってきているようだった。

 “それでも、『私は怪盗団のおかげで助かったんだ。だから怪盗団を応援する』『怪盗団に濡れ衣を着せた奴らがいる。そいつらを『改心』してほしい』という書き込みもあるんだよ”と三島は教えてくれた。真の怪盗団支持派はきちんと分かっているらしい。

 

 因みに、現在の改心ランキング1位は“怪盗団に濡れ衣を着せた張本人”で固定である。アクセス関連のプログラムはより一層強固にして、一定時間内に一定以上の書き込みをしようとした連中のIDを軒並み弾くようにしたらしい。結果、煽りや嫌がらせは激減したという。その分他の掲示板が割を食っているようだが。

 書き込みの中には見覚えのあるものがいくつか混ざっていた。僕らが『改心』させてきた張本人や、関係者が『改心』したことによって助かった人々、僕が出会ったペルソナ使いたちからの激励の言葉。三島は誹謗中傷を消す傍ら、それらのコメントに保護をかけ、流れないようにしているそうだ。閑話休題。

 

 

『僕は検察庁で情報収集するから、それが終わるまでは暫く身を潜めていて欲しい。普通の学生として生活を送ってくれ』

 

『その方が安全だね。それに、丁度いいんじゃないかな。テストや文化祭も近いし』

 

『いけね。全然勉強してねぇ……』

 

 

 僕の提案を黎は2つ返事で受け入れた。検察のエリートたちである特捜が動いているのだから、今ここで迂闊な真似をすることはできない。それをすれば最後、僕たちは獅童の手によって闇へと葬られるだろう。

 

 学校の2大イベント・苦行の方を聞いた竜司が顔を真っ青にし、彼につられるような形で杏も目を逸らす。引きこもりは勝ち組だと自慢げに笑った双葉は、呆れた顔をしたモルガナからツッコミを入れられていた。春と真が顔を見合わせ苦笑し合う。

 急遽勉強会が開催されたが、テストの結果はまだ出ていない。テスト終了日に顔を会わせた面々は、学年トップ固定の真と黎は晴れやかな顔をして、中堅を守る祐介と春が余裕そうな顔をして、ようやく平均点台に顔を出してきた杏と竜司が疲れ切った顔をしていた。僕? 今回も学年首位確実だよ。

 

 

『8月にわたしが潰した“メジエド”、アレはニセモノだ。本物の“メジエド”はあんなザコいPCスキルじゃない。それと、今回の奥村社長に投票してエラーになっていたコードと、偽物の“メジエド”が使ってたコードは完全に一致してる』

 

『ってことは、ある意味で、ゴローの推理は穿った深読みじゃなかったんだな』

 

『ああ。そしてそのコードの主はおそらく、獅童の関係者だ』

 

 

 双葉の分析を聞いたモルガナが納得したように頷いた。8月に僕らが双葉のパレスを攻略することになったとき、僕は『“メジエド”は獅童に与する存在であり、“アリババ”は一色さんの敵討ちのために協力を依頼してきた』と推理していたのだ。

 結果は『双葉は何も知らない状態で僕らの話を盗聴していた』というオチだったのだが、今更になって僕の推理が斜め穿った方面で正解していたことを知る羽目になるとは思わなかった。もっと早くその事実に気づいていれば、もっと別な対策を考えることができたのだろうか?

 

 仲間たちは改めて獅童の恐ろしさを噛みしめたようで、顔を見合わせて頷き合っていた。獅童正義、油断ならない男である。

 

 テスト直後、秀尽学園高校の生徒に特捜がやって来て面談をしたそうだ。警察は怪盗団の面々に揺さぶりをかけてきたらしく、他校生であるはずの祐介の名前まで出してきたという。そこまで調べているくせに、明智吾郎に関しては一切コメントがないというのが不気味である。

 獅童によって刺客に仕立て上げられた冴さんの影響が出ているようで、刑事たちはみんな不気味な雰囲気を纏っていたらしい。竜司が冷や汗を流し、杏が怯える程だ。因みに黎は、『フィレモンと殴り合いしてるときに笑ってる至さんの方がずっと怖い』と答えた。殺意マシマシだから当然である。閑話休題。

 

 怪盗団の支持率が地に落ちた代わりに、正義の名探偵・明智吾郎の支持率が息を吹き返しつつあった。その証拠にメディアからぽつぽつと出演や取材依頼が舞い込んでくる。

 智明からは「()()()()()()()()()()()()怪盗団批判をしろ」と命じられていた。奴らが仕掛けるときの合図が、「明智吾郎に怪盗団擁護をさせる」ということだ。

 勿論、そのことは仲間たちにも報告した。みな了承し、僕の動きを見守ってくれている。それが僕にとってどれ程の救いなのかは計り知れない。

 

 

「こんばんわ、佐倉さん」

 

「おう、お前さんか。黎なら出かけたみたいでな、もうそろそろ帰って来るだろう」

 

「それじゃあ待たせてもらいます。コーヒーください」

 

 

 ルブランに足を踏み入れると、佐倉さんが悪戯っぽく笑って迎え入れてくれた。黎が帰って来て閉店時間になると、死んだ魚のような目をして「節度を守れ」と言い残して帰って行くのは変わらない。けど、僕を迎える態度は4月よりも格段に柔らかくなっている。

 薫り高いコーヒーを味わいながら、僕は黎が戻って来るのを待った。程なくしてカウベルが鳴り響き、黎が店へと戻って来る。僕が「おかえり」と声をかければ黎が「ただいま」と返す――この光景も、最早“ささやかで温かな日常”へと化した。

 

 佐倉さんは僕らが談笑を始めるや否や、「今日はもう誰も来ないから店じまいだ」と言ってさっさと店を閉め、逃げるようにして帰って行った。勿論、死んだ魚みたいな目をして「節度を守れ」と言い残していくのも忘れない。

 

 佐倉さんが去っていくのを見送った黎は、悪戯っぽく笑って冷蔵庫から材料を取り出す。怪盗団内での秘密――アレンジコーヒーを作ってくれるようだ。

 ホットコーヒー系が飲みたいとリクエストすれば、生クリームと牛乳をたっぷり入れたカフェオレ・コンパナを作ってくれた。甘い香りに心がほぐれていく。

 

 

「いやー、協力者の大半に、私が怪盗団の一員だってバレちゃったよ」

 

「マジかよ。こんな時期に迂闊な……」

 

「でも、みんな秘密にしてくれるって約束してくれたよ。色々融通してもらったり教えてもらったりしたし、最近では怪チャンに激励のメッセージを書き込んでくれたんだ」

 

 

 怪盗団が危機的状況に陥る傍ら、黎は他の人々とも強固な絆で結ばれたようだ。

 

 母親の歪んだ執着によって籠の鳥にされかかっていた女流棋士は、怪盗団の『改心』によって母親のお人形から解放されて、アマチュアから再出発することにしたという。女医の新薬は完成し、彼女の気がかりであった少女の病気も回復へ向かいつつあるそうだ。

 部長によって取材を邪魔され続けた女性記者は、彼の『改心』によって最高のスクープ記事を書き上げた。その功績で、政治部へ戻ることになったそうだ。汚職事件の過去を背負いながらも立ち上がろうとする政治家は、黎のおかげで聴衆に認めてもらえるようになったという。この調子だと、次の選挙戦に立候補するかもしれないらしい。

 佐倉さんは黎と双葉と一緒に、一色さんが眠る教会へと足を運んだという。『報告が遅くなった』と苦笑していた彼は、『双葉だけでなく、黎のことも娘のように思っている』と語ったそうだ。明智吾郎についてのコメントは暈していたそうだが、満更ではなさそうだったという。

 

 僕と黎の関係を認めてもらえたような気がして、なんだか酷く照れ臭い。

 自然と口とが緩んでしまうのを抑えるために、僕はカフェオレ・コンパナを啜る。

 

 

「惣治郎さんが変わったこと言ってたんだ。『もしも黎が男だったら、双葉を嫁としてやってもいい』って」

 

「えっ!?」

 

「だからつい言っちゃったんだ。『そうなると吾郎も女の子になってるはずですので、女の子の吾郎を娶ります』って」

 

 

 危うくカフェオレ・コンパナが気管に入ってしまうところだった。派手に咳き込む僕を横目に、黎は清々しいくらい凛々しい笑みを浮かべていた。僕は涙目になりながら黎を睨む。

 

 

「その理屈はおかしいぞ!? 絶対どこかには僕らが同性同士で出会う可能性があるはずだ!!」

 

「例えそうだとしても、私にとって吾郎が大切な存在であることには変わりないよ」

 

「畜生、これだからライオンハート系魔性の女は! 俺の立つ瀬がないじゃないか!」

 

 

 「今欲しいものはあるか」と問われたら、俺は即答で「立つ瀬が欲しい」と答えるだろう。それが無理なら、「有栖川黎の隣に立つ資格が欲しい」と答える。切実に。

 悪態をつきながら、俺はカフェオレ・コンパネを飲み干した。肌寒い季節には丁度良く、身体の奥底が温まったような気がする。俺はほっと息を吐いた。

 丁度そのタイミングで電話が鳴る。相手は獅童智明からだ。僕は人差し指を立てて黎に合図し、電話を取る。黎は小さく頷いて息を潜め、気配を押し殺した。

 

 

『夜分遅くにごめんね、明智くん。明日収録する生放送番組についてなんだけど』

 

「構いませんよ。何でしょう?」

 

『明日、怪盗団を擁護する発言をしてほしいんだ。特捜の方針も決まってね。明智くんには、怪盗団を炙り出すために手を貸してほしいんだ』

 

「分かりました。具体的な方針とかありますか?」

 

 

 ――来た。

 

 俺はちらりと目で合図する。黎は頷き、スマホのSNSを起動した。怪盗団のグループチャットを開き、仲間たちに連絡する。今頃みんな了解の返事を出している頃だろう。

 適当に談笑しながら智明から情報を引き出そうと画策するが、特捜が動き出したということくらいしか掴めなかった。関連内容は冴さんから直接聞きだした方が早そうである。

 

 精神暴走中の冴さんは、僕が捜査の進展について尋ねるとペラペラ喋ってくれる。怖いくらいの勢いで、だ。――素直すぎるのがかえって不気味ではあるが、明智吾郎における捜査関係の情報ソースは冴さんと特捜部長くらいだから仕方がない。

 僕が情報源として頼りにしていたのは冴さんだ。彼女は比較的気さくで親しみやすかったためである。逆に、特捜部長は獅童親子経由で知り合った男だ。奴らの同類と考えると、本能的な方面でやりにくさを感じてしまう。一応、不信感を抱かれない程度の付き合いは続けていた。

 智明は短い挨拶を遺して電話を切った。黎に視線を向ければ、スマホ画面を指示す。仲間たちからの“了解、そっちは任せる”という返事が並んでいた。その言葉がじわじわと胸を満たす。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――“何か”が噛みしめるように呟いた。

 

 

―― お前は違うのか? お前だって、誰かに信頼されたことあるんじゃないのかよ ――

 

 

 俺が問いかけた途端、“何か”はそっぽを向いて黙り込んでしまった。

 

 微かに見えた横顔が情けなく歪んでいるように――怯えているように思えたのは、きっと俺の気のせいではないのだろう。

 ずっと一緒にいたはずなのに、“何か”は俺のことを100%信じたわけではないらしい。俺はため息をついて、気持ち的に“何か”の背中によりかかった。

 

 

「吾郎、どうしたの? いつもより姿勢悪いよ?」

 

「へっ!? あー……、うん。ちょっと疲れてるんだろうね。それじゃあ、そろそろお暇するよ」

 

「わかった。それじゃあ、また明日」

 

「うん、また明日」

 

 

 丁度時間も時間だったし、身体も疲労感を訴えていたから嘘ではない。俺はそそくさと還る準備を整えると、ルブランを後にした。

 

 決戦が近いことを噛みしめながら、夜の東京の街へ踏み出す。

 吹き抜ける秋風は鋭い寒さを持っていた。

 

 




魔改造明智と怪盗団の奥村パレス攻略後日談。奥村社長の緊急記者会見中に、精神暴走を引き起こした怪盗団シンパが乱入。彼らの暴走が生中継されてしまい、それが切っ掛けで、怪盗団への不信感が一気に爆発したような形となりました。奥村社長は助かりましたが、怪盗団の支持率は急速に下がっている模様。
この世界線だと、珠閒瑠市で発生したニャルラトホテプ絡みの事件で“人間側”の黒幕とされたのは須藤竜蔵。彼は“カルトに傾倒した挙句、その影響で大規模なテロ行為を企てていた”という扱いを受けています。「鳴海区が崩壊したのは、須藤竜蔵が企てたテロの余波である」とも言われているとか。
結果、怪盗団も須藤竜蔵の再来という点から“カルト的な殺人集団”となってしまいました。勿論、人間だけの力でこんな認知が広がるはずもありません。そのこともみんな察しており、最終決戦が近いと認識しています。文字通りの急転直下を、魔改造明智と共に駆け抜けてきた怪盗団はどうやって乗り越えるのか。
バタフライエフェクトを受けた結果、三島がすっごく頑張ってます。魔改造明智は自分の中にいる“何か”に色々質問をしては、だんまりを決め込まれている模様。蝶々がわさわさ飛び回っていますが、はてさてどうなることでしょう。
次回から新島パレス編が始まります。魔改造明智たちの行く末を、生温かく見守って頂ければ幸いです。


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死線
最後の祈りが紡いだ、奇跡みたいな世界で


【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 @空本(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄で明智の保護者その1。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
 @獅童(しどう) 智明(ともあき)⇒獅童の息子であり明智の異母兄弟だが、何かおかしい。獅童の懐刀的存在で『廃人化』専門のヒットマンと推測される。詳しくは中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『運命を切り開くだけの簡単なお仕事』および『ペルソナ3異聞録-.future-』、Pixivの『2周目明智吾郎の災難』および『【一発ネタ】有栖川黎の幼馴染』の設定を下地にし、別方向へ発展させた作品である。
・ジョーカーのみ先天性TS。
 ジョーカー(TS):有栖川(ありすがわ) (れい)⇒御影町にある旧家の跡取り娘。旧家制度は形骸化しているが、地元の名士として有名。身長163cm。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空本(そらもと) (わたる)⇒明智の保護者2で、南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。
・敵陣営に登場人物追加。
 @神取鷹久⇒女神異聞録ペルソナ、ペルソナ2罰に登場した敵ペルソナ使い。御影町で発生した“セベク・スキャンダル”で航たちに敗北して死亡後、珠閒瑠市で生き返り、須藤竜蔵の部下として舞耶たちと敵対するが敗北。崩壊する海底洞窟に残り、死亡した。ニャラルトホテプの『駒』として魅入られているため眼球がない。この作品では獅童正義および獅童智明陣営として参戦。但し、どちらかというと明智たちの利になるように動いているようで……?
・「2罰ボスの外見を見た人間の反応」に関するねつ造設定がある。
・普遍的無意識とP5ラスボスの間にねつ造設定がある。
・『改心』と『廃人化』に関するねつ造設定がある。
・春の婚約者に関するねつ造設定と魔改造がある。因みに、拙作の彼はいい人で、春と両想い。
・すべてオリジナル展開。
・屋根裏部屋の内装が女性らしくなっている。
・R-15。


 冴さんの狂気は日に日に加速していく。同時に、おぼろげながらにも明らかになってきた“怪盗団捕縛作戦”の内容――そのほんの一部に、僕は頭が痛くて仕方がなかった。

 

 奥村社長『改心』における騒動以来、怪盗団の人気は地に落ちた。代わりに台頭してきたのが現職大臣である獅童正義だ。一応奴の庇護を受けている明智吾郎の人気もじりじりと上昇しつつあった。まあ、僕の人気なんぞどうでもいい。大事なことは、“怪盗団がカルト集団であると認知され、それに対抗できる人間がいることが明らかになった”ことだ。

 現在、奥村社長の護送を成功させた警察関係者――周防刑事、達哉さん、真田さんに対し、警察や検察は目をつけている。検察上層部は、彼らを怪盗団捕縛の切り札になり得る人物だとみなしている様子だ。その繋がりで、桐条グループのシャドウワーカーや南条コンツェルンの特別研究部門も巻き込まれかかっているという。

 大人たちから『新島検事に脅されたが、自分たちが関わってきた事件に関してはどうにか誤魔化しておいた』というメッセージが次々に入ってくる。“国家権力をどこまで掻い潜ることができるか”――それが勝負の分かれ目だと語っていた大人たちは、酷く疲れ切った様子だった。

 

 一歩間違えれば、僕が一番尊敬できる大人たちが、冴さんを介した獅童の駒として引っ張り込まれる危険性がある。獅童の権力的にも、それは不可能なことではない。

 権力者が味方にいると心強いが、逆はあまりにも厳しかった。おまけに、精神暴走状態の冴さんの狂気を見続けたせいで、僕は現在、精神的に厳しい状況に陥っている。

 

 ……けど。

 その分、収穫がなかったわけではない。

 

 

「ここが、冴さんのパレス……」

 

 

 厳かな裁判所が認知世界では一転し、絢爛豪華なカジノが広がっている。冴さんと所縁がありそうな場所と、最近の冴さんの言動――勝負を決める、勝つ――から勝負事に関する場所を次々と羅列した結果、パレスの場所へと行きついたのだ。

 冴さんの認知存在たちはみな遊戯に興じている。ダイス、スロット、ルーレット、トランプゲーム……賭け事ならば何でもありだ。誰も彼もが勝負に勝つことだけに拘りを見せている狂気的な世界。今の冴さんの状況と一致している。

 僕は姿を隠しながら偵察した。最も、僕1人での潜入捜査には限界があり、メインフロアやバックヤードの入り口近辺のような“シャドウが出てこない、いても少ない区域”を中心に見て回ることしかできなかった。僕では把握しきれなかったが、どこかには別棟へ行くための道もあるようだ。

 

 奥に行けば行くほど警備は厳重になる。他の道を探して潜り込むこともできるが、今回の任務は偵察だ。深追いしてシャドウに嬲り殺されるなんてマヌケは曝したくない。

 最悪のケースを上げるとするなら、僕1人で神取や智明と鉢合わせした場合だろう。みんながいれば対応できるかもしれないが、この状況では確実に死が待っている。

 

 

(今回の探索はこれくらいで切り上げるか)

 

 

 自力で見つけ出したセーフルームで一息ついた後、僕は入り口へ戻って来た。後はこのまま、イセカイナビを起動して現実世界へと帰るだけ――

 

 

「――随分と、楽しそうだな」

 

 

 ()()()()()()()()()()。何の事前動作もなく、僕は反射的にそう感じた。体は縫い付けられてしまったかのように動かない。

 嫌な汗がこめかみを伝い落ちる。心臓が早鐘のように音を響かせた。自分の呼吸音がやけに大きく響く。鋭い殺気が体中に突き刺さってきた。

 口を開いたが声が出ない。掠れた呼気が漏れるだけ。この感覚を覚えている。――そうだ。鴨志田の『改心』を待っていた時期、交差点で、背後から俺を突き飛ばした相手。

 

 

「怪盗団の密偵、『白い烏(クロウ)』として過ごす日々は、さぞや充実していることだろう」

 

 

 じゃあ、ここにいるのは。

 ここで、俺の後ろに立っているのは。

 

 

「多くの人々を『改心』させ、一片の汚れ無きその手で力を振るい、正義の義賊として光に満ち溢れた道を往くピカレスクロマン……。愛する者、信頼する仲間、尊敬する嘗ての“反逆の徒”たちに囲まれる旅路とは、なんとも幸福な物語だ」

 

 

 そいつは楽しそうに、楽しそうに言葉を紡ぐ。身体が動かないため振り返って確認することはできないが、きっと奴は笑っているのだろう。

 

 とん、と、肩を叩かれた。声色はどこまでも優しいのに、その響きはどこまでも残忍だ。

 背後に立つ存在から紡がれる言葉一音一音が、明智吾郎という存在そのものを侵していく。

 

 

「――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 ぞくり、と、悪寒が背中を駆け抜ける。なのに、身体の奥底は異様に熱を持っていた。俺の中にいる“何か”が、引きつったような声を上げて首を振る。

 “何か”にとって、そいつが告げる言葉は凶器になり得たのだろう。人の心を傷つけるのには、直接暴力を振るうよりも言葉の方がお手軽だし、効果的だ。

 そいつは楽しそうに笑っている。……いいや、嗤っている。明智吾郎が怯えている姿を見ることが、楽しくて楽しくて仕方がないと言わんばかりに。

 

 

「一色若葉、秀尽学園高校の校長、奥村邦夫」

 

「……ッ!?」

 

()()()()()()

 

 

 違う、という言葉が出てこなかった。()()()()()()()()()()――強い脅迫概念が湧き上がる。体が戦慄くようにして震えだし、頭を殴られるような衝撃と共に、俺の意識は一瞬白んだ。

 

 『■■、愛しているわ』――『娘へ愛の言葉を残して死にたい』と言った女がいた。女が最後に紡いだ娘の名前は、何と言ったか。

 『やめてくれ! こ、殺さないでくれェ!!』――恰幅がよく山吹色のスーツを身に纏った男は顔を真っ青にした。彼はどの高校の校長だったか。

 『私の、ユートピア……』――敵対者を陥れるために殺したスケープゴート。楽園を夢見て死んでいった会社社長は何という名前だったか。

 

 そこで気づく。はて、俺はいつの間に、拳銃を握り締めていたのだろうか。

 敵もいないし、パレスから脱出するだけの状態だったのだ。武器を出す理由はない。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 四方八方から命乞いが響いた。銃声が響き、何かがが倒れるような音がする。白んだはずの世界が、今度は黒くなりかかった。

 次の瞬間、怪盗服の白装束が真っ赤に染まっていくではないか。生温かくてぬめりを伴うその液体が何か、俺はよく知っている。

 知っているが故に愕然とした。そのとき、どさりと何かが倒れる音と、俺の足元に小さな衝撃を感じる。そこに視線を向けて、絶句した。

 

 

「――黎?」

 

 

 秀尽学園高校の制服を身に纏った少女――有栖川黎が倒れ伏している。黎は至近距離から脳天を撃ち抜かれており、どこからどう見ても即死だった。体中の血液が温度を失ってしまったような感覚に見舞われる。

 なんで、どうして。どうして、彼女が。喉の奥底から掠れた声が漏れる。何かを言いたくて口を開いたはずなのに、その音は何の意味もなさなかった。辛うじて俺が紡げた意味のある言葉は、倒れ伏して動かなくなった黎の名前だけ。

 

 ずきりと頭が痛んだ。フラッシュバックするのは、完全密室と化した取調室。

 

 散々痛めつけられ、自白剤を打たれたというのに、“あの子”の瞳から輝きは失われていなかった。自分は間違っていないと、仲間たちや協力者たちを守るという決意が宿る。文字通りの自己犠牲。()()()()()()()()()()()()()!

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 “あの子”の人生を知っている。獅童正義によって冤罪を着せされ、前科者のレッテルを張られたせいで人生を滅茶苦茶にされた。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 『()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!

 

 

「なん、で」

 

 

 ――殺す? 俺が、黎を? 自分の頭の中を支配した思考回路にゾッとした。

 

 どうして俺がそんなことしなきゃいけないんだ。明智吾郎にとって、有栖川黎はこの世で1番大切な女性(ひと)だ。最高の相棒(パートナー)にして、かけがえのない人生の伴侶(パートナー)。そんな大切な人を、何故殺さなければいけないんだ。

 俺が持っていたはずの銃は、いつの間にかデザインが変わっていた。確か、この銃はニューナンブと呼ばれるもので、警察官が携帯する銃だった。俺が認知世界で使用していた銃とは全くの別物で、おまけにどうしてか俺は、その質量は本物だと直感していた。

 銃口から細い煙が漂う。倒れ伏した黎は、俺が持っていた銃を――ひいては俺を見つめたまま死んでいる。その様が、彼女が最期に見ていた景色――あるいは、最期に見ていた人物が誰なのかをはっきりと伝えていた。探偵として推理するまでもない。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「なに、言って」

 

()()()()()()()()――それが、お前のすべてだった。お前が生きる理由であり、罪を犯して正当化するための御旗だった。けれど、本当のところは違う。怨嗟の奥に隠した願いは、()()()()()()()()()()()()()()()()。叶わないと知っていたからこそ、お前はそれを隠し続けた」

 

 

 俺には一切の身に覚えがない。けれど、()()()()()()()()()()()()()()と本能的に理解してしまう。

 俺は、それが俺の思考回路ではないと自覚していた。自覚しているはずなのに、飲み込まれてしまいそうになる。

 

 誰かが膝をつく音が聞こえた気がして視線を向ける。“何か”が顔を真っ青にしていた。暴かれたくなかった罪を白日の下に晒されたとでも言わんばかりの表情だ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――“何か”は絶望したのか、がっくりと項垂れていた。

 

 そこで俺は直感する。俺の背後に立って残酷にささやくそいつは、俺のことを言っているのではない。俺の中にいる“何か”に対して、今までの言葉を投げかけていたのだと。今まで俺を突き動かし、時に振り回してきた、感情の要となる存在へ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、“()()()()()()()()()()()()――“何か”の悲鳴に、俺の思考回路が塗り潰される。

 断続的に映るのは、多くの人々を手にかけてきた“何か”の姿。醜悪に笑いながら銃の引き金を引き、時には無表情でビームサーベルを突き立て、認知世界で罪を犯してきた。獅童正義の忠実な『駒』として、『よくやった』という短い賞賛――肯定の言葉を聞きたいばかりに、罪を重ねてきた。

 

 誰よりも獅童正義を憎みながらも、その実、誰よりも獅童正義に認められたかった。誰よりも、父親からの愛情を欲していた。

 一番役に立つ腹心として認められたくて、自慢の息子として愛してもらいたくて、がむしゃらに頑張って来たのだ。頑張ってしまった。

 

 

(そんな未来も、あったのか)

 

 

 今まで想像できなかった未来があった。俺では絶対に思いつかない人生を歩んだ明智吾郎がいた――その事実は、すとんと俺の中に落ちてきた。……だって、世の中には“珠閒瑠市以外のすべての国と町が滅んだ世界”だって存在しているのだ。俺個人のレベルならば、こんな未来/人生があっても何らおかしくはない。

 至さんや航さんに引き取られることも、黎と出会うことも、格好いい大人たちの背中を見ることもなく。怪盗団の仲間としてみんなと歩むこともなく、実父である獅童正義だけが世界の中心だった。その他の人間たちは、明智吾郎にとっての『駒』にすぎなかったのだ。自分のために効果的に使い潰す方法を考えていた。

 “何か”が初めてジョーカーと出会ったとき、“何か”はもう既に、血と罪に彩られた汚い手をしていた。何も知らないジョーカーを嘲笑い、自分が勝者になるために使い潰そうとして近づいた。爽やかな好青年の仮面をかけて近づいた“何か”に対して、ジョーカーは快く対応してくれた。手を差し伸べて、握り返す。

 

 同年代は流されるがままの人間が多い中で、揺らぐことのない真っ直ぐな眼差しに惹かれた。どんな状況下にあっても、自分の意見を相手にぶつけられる強さに惹かれた。

 誰かの為に奔走し、誰かの為に嘘をつく――“何か”とは正反対の在り方に魅せられた。正義の義賊として認知世界を駆け抜ける、大胆不敵な笑みに魅せられた。

 

 

『おかえり』

 

『ただいま』

 

 

 誰に対しても、ジョーカーは優しい。優しさや自己肯定に飢えていた“何か”は、いつの間にか、そんなささやかなやり取りに救いを感じていた。幸福を感じていた。――ジョーカーと共に過ごす時間を、何よりも気に入っていた。

 

 他者から何を思われようと、どんな理不尽に晒されようとも、自己を曲げない強さを持つ者。その在り方は多くの人々を惹きつけてやまない。“何か”もまたその1人であると同時に、ジョーカーの在り方に羨望を抱きながらも、そう在れるジョーカーを憎んでやまなかった。

 優しくされて嬉しかったのは本当。優しくされる度に惨めになったのも本当。ジョーカーに憧れていたのも本当。ジョーカーに救われていたのも本当。ジョーカーが憎くて仕方がなかったのも本当。ジョーカーを殺したいと思ったのも本当のことだった。

 

 『もっと早く出会えていたら一緒にいられたのに』と思ったのも、本当だ。あの優しくて温かくて、賑やかで騒がしい場所にいたかったのも、本当だ。

 でも、自分はあの場にいられないと分かっていた。本当の自分を――汚い殺人犯である自分を見たら、ジョーカーも怪盗団も、きっと失望して離れていく。

 “何か”は目的のためなら自分の手を汚すことも厭わないくせに、そんな自分自身のことが何よりも嫌いだった。消えてしまえと願うくらいには。

 

 

「――()()()()()()()()()()()()

 

 

 血に塗れて崩れ落ちた“何か”と俺を蔑むように、奴は笑う。

 その声はどこまでも優しいのに、残忍で、残酷だった。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 その言葉を最後に、俺はようやく解放された。俺を縫い止めていた殺気は拡散し、身体がふらりと傾く。カジノ入り口にある柵に背を預けた俺は、そのままずるずると崩れ落ちるようにして座りこんだ。

 肺が痛い。俺の身体は酸素を欲しているはずなのに、息を吸う度に息苦しさを覚える。嫌な汗がじっとりと流れ、前髪が顔に張り付いてうっとおしい。俺は乱暴に前髪を掻き揚げ、ちらりと“何か”に視線を向けた。

 “何か”は途方に暮れている。よく見れば、手も、服も、顔も、仮面も、鮮血によって濡れているではないか。しかも、それらすべては“何か”が負った傷が原因の出血ではない。今まで“何か”が手にかけてきた人々の返り血である。

 

 汚い。汚い、汚い汚い、汚い。

 

 こんなに汚い手で、“あの子”の手を取るなんてできない。やってはいけない。“あの子”まで汚れてしまう。

 それ以前に、こんな汚い俺を、“あの子”が好いてくれるはずがない。必要としてくれるはずもない。

 

 

(()()()()()()()……)

 

 

 ほの暗い水底に沈んでいくように、俺の思考回路はそれで一杯になってしまった。ずるずると、身体も心も引きずり込まれていくような感覚に見舞われる。このまま沈んで、永遠に浮上できないのではないだろうか。

 

 俺がそんなことを考えたとき、ふと左手に嵌めていた手袋がなくなっていることに気づく。必然的に、左手薬指に嵌められた指輪が目に入った。

 黎が俺にくれたコアウッドの指輪。ハワイではお守りとして有名な品物であり、俺と共に生きる未来を手にするのだという黎の決意の証だ。

 

 脳裏に浮かんだのは、俺が黎へ贈ったブルーオパールの指輪である。彼女と共に生きるという決意の証。

 ここで折れるということは、俺自身の決意を裏切り、黎を裏切ることに他ならない。

 明智吾郎は有栖川黎を裏切りたくないのだ。その一心で、俺はかぶりを振った。塗り潰されかかった意識が急速にクリアになっていく。

 

 

「……っは、……はー……」

 

 

 荒れていた呼吸を落ち着かせると、俺の呼吸に連動するかのように“何か”がゆっくりと顔を上げた。その眼差しは、天へ向けられている。

 

 水底から水面を見上げ、その先にある太陽に焦がれるように。本当は手を伸ばしたいくせに、それには触れられないと諦めているようだった。

 もしかしたら、“水面の上にある綺麗な存在には触れてはいけない”と己を戒めているのかもしれない。変な所でプライドが高く潔癖な奴だ。

 気持ちは分からないまでもない。俺もまた、“何か”と同じだから。……そう、“何か”の正体は――

 

 

「お前()、……いや、お前()、『明智吾郎』なんだな?」

 

 

 “何か”――いや、“俺”はびくりと肩を震わせた。“俺”は顔を覆い隠し、逃げようと身じろぎする。だが、先程俺の背後に立った人物から突き立てられた言葉のナイフによってボロボロになっていたらしい。

 “俺”はそのまま派手にすっ転んだ。小さく悲鳴を漏らした“俺”は、忌々しそうにこっちを睨み、舌打ちし、そのまま途方に暮れたように項垂れる。“俺”はゆるゆると首を振った後、口を開いた。

 

 

―― ……ああ ――

 

 

 “俺”はそれだけ言った後、口を噤んだ。俺に背中を向けて、梃子でも喋らぬと態度で示している。“奴”が座っているフロアは、バケツをぶちまけたみたいに濡れていた。

 どす黒い赤は血液だ。今まで手にかけてきた人たちのものであり、“俺”の体中にべったりと付着している血液と同じものだろう。“俺”は居心地悪そうに視線を彷徨わせていた。

 俺は深々とため息をつくと、無理矢理体を起こして“俺”の元へ近づいた。()()()と、“奴”は悲鳴に近い声を上げて警告する。ふと気づけば、俺の怪盗服は真っ白になっていた。

 

 一点の汚れもない、真っ白な服。これはきっと、獅童に復讐するために転がり落ちるような人生を駆け抜けた明智吾郎が、自分の本当の理想――明智吾郎が望む正義の味方を形にした姿なのだろう。そんな明智吾郎の真実の姿が、俺から離れようと身じろぎしつつ、力なく首を横に振る“俺”の姿なのだ。罪と血で彩られた、闇を這いずり回る殺人犯。

 

 俺の人生は、“奴”の人生と全然違う。尊敬できる大人たちがいて、大切な女性(ひと)と運命的な出会いを果たし、怪盗団というかけがえのない仲間たちと共に光溢れる道突き進んでいた。これから先の道のりも、ジョーカー/有栖川黎と共に歩むのだろう。“奴”が時折思い浮かべては、首を振って諦めた可能性の1つ。

 誰も手にかけなければ、もっと早い段階でジョーカーと出会うことができたら、自分の周りにまともな大人がいてくれたら――俺の運命を劇的に切り替えてきたすべての要素を拾い集めれば、“奴”にとって俺がどのような存在なのかを察することは可能だ。――“奴”が理想にしていた明智吾郎の姿であり、“奴”の希望そのもの。

 

 

「まったく、世話が焼けるなぁ」

 

 

 俺は深々とため息をつき、迷うことなく“俺”へと歩み寄る。“俺”は相変らず()()()を連呼し続けていたが、全部無視した。

 白地の服には赤が映える。血で汚れれば目立つだろう。分かっていて、俺は奴の手を掴んだ。そのまま無理矢理引きずるようにして立たせる。

 

 

―― お前……お前、なんで ――

 

「何が?」

 

―― 汚れるだろうが!! ――

 

 

 “明智吾郎”がなりたいと願った理想の姿――義賊の仮面。ジョーカーと過ごした日々同様、それは汚したくなかったのだろう。“正義の味方になりたかった”というささやかな願いと同じように。

 

 

「構うもんかよ」

 

―― はぁ!? ――

 

「お前、ずっと俺と一緒にいたんだよな。じゃあ、俺がなりたい正義の味方がどんなもんか、俺が憧れてきた人たちの背中がどんなもんか、知ってるはずだろ」

 

 

 自他の血反吐に塗れても、『神』によってボロ雑巾のように弄ばれても、痛む四肢を引きずって立ち向かおうとする“反逆の徒”。罪と血に彩られて苦しむ人々に対して迷いなく手を差し伸べ、時にはその人物の背中を蹴っ飛ばし、時にはその手を無理矢理掴んで引っ張り出す。自分が相手の血で汚れようとお構いなしだ。

 俺の周囲にいた人々の温かさを思い返す。眩しさに目が眩みそうになったのは、“俺”がその温かさに対して強い罪悪感を抱いていたからだ。闇の道を進んできた自分が、あんな温かな場所で救いを貪っていいわけがないのだと。ひねくれた方面で矜持があり、高潔なことが祟って、こんなに面倒な奴になってしまったのだろう。

 自分の復讐を考えてきた利己主義者のくせに、どうして“彼”は自分の幸福を考えることができなかったのか――その答えを垣間見たような気がして、俺は苦笑した。苛立ち紛れに睨まれている気配を感じ取る。そんな“彼”を、俺は真正面から見返した。“彼”は目を丸くし、ぱちくりと瞬きしながらこちらを見返す。

 

 

「一緒に来い。俺に“お前”の力を貸せ」

 

―― お前、何言って…… ――

 

「その代わり、“お前”の願いを――“ジョーカーのパートナーになりたかった”という“お前”の願いを叶えてやる。……俺には、“お前”の力が必要だ」

 

 

 獅童正義の主義主張は等価交換(ギブアンドテイク)。“明智吾郎”が奴の影響を強く受けた場合、主義主張に等価交換(ギブアンドテイク)を掲げてもおかしくはないだろう。“奴”は俺のことを『頭がお花畑』と言ったレベルなのだから、あり得ない話ではない。

 “俺”は呆気にとられた様子で俺のことを見返す。“奴”は口をパクパク開いては閉じてを繰り返していたが、揺らがない俺の眼差しを受けて、色々と思うところがあったらしい。“奴”は肩をすくめ、ため息をつく。俺に挑みかかるような、嘲るような眼差しを向けてきた。

 

 

―― 壊すだけしかできない奴の力を借りて、どうしようってんだ? ――

 

「決まってんだろ? ――壊すんだよ。クソったれた『神』が定めた運命を」

 

 

 『神』の気まぐれで人形にさせられて、理不尽な目にあわされた人たちを知っている。そのせいで、命を落とさなければならなかった男のことを知っている。そのせいで、理不尽や異形と戦い続けることになった“反逆の徒”を知っている。

 

 「顕現してさえいれば、神様は殴れる」――俺の言葉を聞いた“明智吾郎”は呆気にとられた。その様に俺は違和感を覚える。何故なら“奴”はずっと俺の中にいて、その光景を見つめ続けて来たはずなのだ。俺にとっては常識的なことでも、“奴”にとっては非常識だったらしい。

 御影町の事件ではどさくさに紛れて至さんがフィレモンをぶん殴るのを見たし、珠閒瑠市では大人たちがニャルラトホテプをぶっ飛ばしていたのを見たし、巌戸台ではニュクスとの実質13連戦に勝利した命さんたちの勇士を見たし、八十稲羽ではイザナミを降した真実さんを見ていたはずだ。

 ソースはこんなにあるのに、それを信じられないというのは不思議な話である。ついうっかり「“お前”頭大丈夫?」と問えば、“奴”は「お前の頭の方が心配だよ!」と噛みつくような声で唸った。そんなことを言われたって困る。余りにも腹立たしかったので、俺は言葉を続けた。

 

 

「そして何より、俺の大事な人たちを傷つけようとする、ありとあらゆるものすべてを壊すために」

 

―― 成程。守るために壊すだって? イカれてるな、お前! ――

 

 

 暫くぴーぴー騒いでいた“明智吾郎”だが、最終的には観念することにしたらしい。

 “奴”は深々とため息をつき、「馬鹿な奴」と嗤った。その瞳は、嬉しそうに細められている。

 

 

―― 俺を連れて行くってんなら、背負ってみせろよ。お前にとっては“謂れなき罪”だ。これを持ち続ける限り、“理不尽な罰”も下るだろう。それでも、背負う覚悟はあるか? ――

 

「ある。その代わり、“お前”も一緒に背負って連れて行く。……見せてやるよ、“お前”が見たかった景色を」

 

―― ……ハッ。ホント、馬鹿な奴だな ――

 

 

 吐き捨てるような言葉遣いとは裏腹に、嬉しそうに笑いながら、“奴”は俺に手を伸ばす。俺は奴の手を取った。――刹那、強い風が吹き荒れる。

 在るべきものが在るべき場所へ帰ってきたような感覚に、俺は思わず息を吐く。本当の意味で、“明智吾郎”は俺の中へ還ってきたのだ。

 胸の奥底から湧き上がってくるのは、“彼”の帰還によって顕現した新たな力だ。青い光がきらきらと舞い上がる。

 

 

―― (おれ)(おまえ)(おまえ)(おれ)。……見せてくれよ、“俺”が諦めた全てを ――

 

 

 “明智吾郎”の姿に、黒い縞模様のペルソナが重なる。神話におけるトリックスターの1柱、ロキ。

 

 命さんや真実さんが使うペルソナにもロキがいたが、それとは姿形が全然違った。褌マントという奇特な格好をした美丈夫ではなく、破滅を齎す異形としての側面が強い。

 ロキ――“明智吾郎”は楽しそうに笑うと、青い光の玉になって俺の仮面の中に入り込んだ。ジョーカーがシャドウを仮面に宿していくのと、非常によく似ている。

 

 ロキが持つ本来の力は、対象者に精神暴走を引き起こすためのもの。一応本来の力も使えるが、俺にはそれを自在に振るう適性はない。その力は、俺が“明智吾郎”を受け入れたことと、俺が歩んできた旅路によって力が変容したことの影響らしい。新たな力を振るう機会はいずれ訪れそうな予感がした。

 俺が身纏っている服装は、いつも身に纏っている真っ白い怪盗服のままだ。“俺”が纏っていた怪盗服――甲冑を連想するような黒仮面、およびストライプ前身タイツに焼け焦げたような燕尾マント――になることはない。ジョーカーが仮面を付け替えても、格好が変化しないのと同じ理由だろうか?

 

 

―― “俺”は“偽りの仮面”としてその白い怪盗服を身に纏ってた。でも、お前が身に纏っている怪盗服は名実ともに“お前にとっての真実の姿”だからな。“俺”のような格好に変化する必要がないってことだ。お前から見れば、“俺”はあり得たかもしれない可能性の1つでしかないからな ――

 

「だから、俺の怪盗服は白装束のままなんだな……。分かった」

 

 

 先程よりも幾分か調子がよくなったように思える。俺は清々しい気持ちで――離れていたものがようやく戻ってきたような心地で、絢爛豪華なカジノを後にした。

 イセカイナビが案内の終了を告げる声が響く。現実世界において、ここは裁判所だ。どこからどう見ても、カジノとは縁がなさそうな場所である。

 冴さんにとってここは、自分が勝ち続けるためのステージでしかないのだ。彼女がそこまで歪まされてしまったことも、そうなるまで手が打てなかった自分の無力さが腹立たしい。

 

 けど、今から巻き返すことは不可能なことではないのだ。新たな力も手にしたことだし、遅れを取り戻すことはできるだろう。勿論、難易度は頭が爆発するレベルの理不尽級、ベットは俺たちの命と未来だろうが。

 

 俺はスマホを起動した。グループチャットに報告を入れようとして、手が止まる。

 少し悩んだ後、俺は黎の個人SNSにチャットを打ち込んだ。

 

 

吾郎:冴さんのパレス発見。キーワードは『新島冴』、『裁判所』、『カジノ』。

 

黎:吾郎お手柄。でも、至さんから『かなり強行軍組んでる』って聞いたよ。無茶しないで。

 

吾郎:大丈夫。俺は平気。それから、後でルブランに行ってもいいかな? 屋根裏部屋で、少し話がしたくて。

 

黎:今から将棋友達と会ってくるから、話すとしたらその後になるけど、大丈夫?

 

吾郎:分かった、ありがとう。ルブランで待ってるよ。

 

 

 チャットを終えて一息つく。ルブランへ向かうために公共交通機関に乗り込めば、今度は別の人間からSNSが入った。送り主は真である。

 

 

真:秀尽学園の文化祭についてなんだけど。

 

吾郎:そういえば、ゲストに誰を呼ぶか決まったのかい?

 

真:アンケート結果、明智吾郎がダントツだったの。生徒だけじゃなく、教頭も明智吾郎を推してる。

 

吾郎:えっ。なにそれこわい。

 

真:それに、吾郎から中間報告聞きたいから。黎から聞いたわよ? お姉ちゃんのパレスに潜入してきたって話。

 

吾郎:黎、もうグループチャットに回したのか……。

 

真:中間報告とゲスト出演、お願いね。

 

吾郎:あの、僕の意見は? 特にゲスト出演の方で。正直、スピーチとか面倒なんだけど。

 

真:お 願 い ね ?

 

吾郎:謹んでオファーを受けさせていただきます。

 

真:ありがとう! 本当に助かったわ!!

 

 

 チャットの文面だけで、世紀末覇者がメリケンサックを振り上げる姿がありありと見えるレベルだった。余程、有能である真は教師陣営から頼りにされて――もとい、こき使われていたのだろう。ストレスが天元突破寸前のようだ。こういうところは真と冴さんが姉妹なのだと思い知らされる。

 そういえば、黎が『川上先生曰く、外部から『教師陣が学校運営を生徒に押し付けているという話を聞いた。大人は一体何をやっているんだ!?』って苦情が来たってぼやいてた』なんて漏らしていたことがあったが、事態は解決どころか悪化してしまったようだ。真実さんが嘆く姿が目に浮かぶ。

 教頭のシャドウにパレスがあるか、メメントスに顕現するほどの歪みがあるか、時間があったら調べてみるのもいいだろう。新しい校長が来るまで真に全責任をおっ被せようとする大人を放っておいてはいけないと思う。普通に考えて。

 

 一般参加で黎と一緒に文化祭を回ろうかと思っていたのだが、世の中はそんなにうまくいかないようだ。

 僕は苦笑したのち、ルブランへ向かうために歩き出した。

 

 

***

 

 

 ルブランの店内に設置されたテレビに獅童正義が映し出されていた。奴は『怪盗どもに世直しが務まるはずがない。犯罪者どもを捕まえ、自分が世直しをするんだ』と演説を続けている。即断即決を謳う男を見つめながら、僕はひっそりため息をついた。客はきゃあきゃあと獅童を持ち上げるが、佐倉さんは意図的に話を逸らした。

 佐倉さんは、獅童の話題になると唐突に察しが悪くなる――実際は意図的にそう振る舞う――のは、彼と獅童正義の間にある因縁が理由なのかもしれない。獅童という人間と、「話題ですら関わりを持ちたくない」と言わんばかりだ。荒垣さん加入時、彼とは頑なに打ち解けようとしなかった天田さんの例もある。

 少ない情報で理由を類推しようと試みた僕だが、その思考は中断された。カウベルが鳴り響き、黎とモルガナの帰還を知らせたからだ。僕が表情を輝かせたのと、黎がふわりと口元を緩めたのはほぼ同時である。次の瞬間、黎の鞄の中に潜んでいたモルガナが飛び出した。空気を読んだ利発な黒猫は、さっさと店外へ駆け出してしまった。

 

 

「おかえり」

 

「ただいま」

 

 

 恒例となった挨拶を交わす。かけがえのない、ささやかな時間。俺にとって一番大切な――どこかの“明智吾郎”が望みながらも諦めた――光景である。

 

 俺の中にいる“明智吾郎”が苦笑しつつ、静かに目を細める。

 普段は悪態をつくくせに、今回はやけに大人しい気がした。

 

 

「あの、佐倉さん」

 

 

 佐倉さんに向き直ると、死んだ目をしていた。何もかもを諦めたような、煤けた表情だった。

 

 「節度は守れよ」とだけ告げて、佐倉さんは店の営業に集中し始めた。目が死んでいた。

 屋根裏部屋へ向かう僕と黎の後ろ姿を見た客が色めく。高校生のカップルはそんなに珍しいものだろうか。

 

 相変わらず、ルブランの屋根裏部屋はきちんと掃除が行き届いている。必要最低限の家具と、東京に来てからコツコツ買い貯めたり、知り合いから譲り受けたりしたと思しきインテリアが飾り付けられていた。ベッドの脇には、八十稲羽滞在中に僕が贈った黎の誕生日プレゼントである白い犬のぬいぐるみが座っていた。

 ソファには八十稲羽物産展で購入したモナぬいぐるみとモ(ルガ)ナカーぬいぐるみが鎮座している。小さな戸棚の上にはアンティークのラジオが置かれていた。棚の隣に置かれた観葉植物の葉は艶やかで瑞々しい。きちんと世話をしているようだ。なんだか微笑ましくなって、俺は思わず頬を緩めた。

 僕らが談笑を始めてから暫くして、階下からカウベルの音が響いた。気づけばそれなりに賑わっていた客の談笑は止んでいる。階下の様子を窺えば、佐倉さんが店じまいと明日の仕込みを終えて帰るところだった。やっぱり目は死んでいた。――どうやら、僕と黎は名実ともに2人きりになったらしい。

 

 

「じゃあ、コーヒー淹れてくるね」

 

「うん」

 

 

 黎はそう言って、階下に降りて行った。ルブラン閉店後はいつも、店のカウンター席に座って黎のコーヒーを飲む。だから、彼女が淹れるコーヒーを屋根裏部屋で飲むのは初めてだった。一緒に降りてしまってもいいが、今は何となく、ソファに腰かけて待っていたいと思ったのだ。

 彼女を待つ時間が愛しくて、切なくて、僕はひっそり息を吐いた。胸を満たす温かな熱と込み上げるような感覚を、()()()はよく知っている。僕はきっとそれを手放せないのだろうし、破滅と共にすべてを手放すことが定められていた“明智吾郎”だって、本音は僕と一緒だったろう。

 

 程なくして、黎はホットコーヒーを2つ持って来た。たっぷりの生クリームにイチゴが乗ったデザートコーヒーである。疲れた体は糖分を欲していたのだろう。一口啜ると、じんわりと甘みが体に沁みていくのを感じた。

 

 

「美味しい」

 

「そっか。それならよかった」

 

 

 花を咲かせるように口元を綻ばせた黎の姿に、心の奥底が酷くむず痒さを覚える。“明智吾郎”が顔を真っ赤にして、居心地悪そうに視線を彷徨わせているような気配がした。

 “彼”にとって、ジョーカーが男女どちらの性別であっても、『強い執着を抱き、唯一心を開く/本音を語ることができた、最初で最後の“特別な相手”』なのだ。

 ジョーカーへの執着や“特別”な想いが友愛という形で芽吹くこともあれば、僕/俺のように恋愛という形で芽吹く場合もある。その感覚に戸惑っているのかもしれない。

 

 これもまた、僕の心の1側面。それを受け入れながら、僕はコーヒーを啜った。

 口を付けたコーヒーをソーサーに戻し、僕は黎へ視線を向けた。

 

 黎は何も言わず、じっと僕の言葉を待っている。待っていてくれている。その優しさが嬉しいのに、苦しくて辛くてたまらない。――ああ、なんて、矛盾。

 

 

「……獅童の、密偵の件なんだけど」

 

「うん」

 

「あいつら、俺の正体に気づいてる」

 

 

 「俺が獅童の息子だってことも、俺が怪盗団の一員だってことも、俺が何のために近づいてきたのかも、全部」――その言葉を聞いた黎の表情が曇った。俺を責めるような眼差しではない。ただひたすら俺を憂い、俺のことを案じるような眼差しだ。

 

 密偵として敵の最前線に立つ俺のことを、黎はいつも心配し気遣ってくれた。『無茶ばかりさせてごめん』と謝っていた。

 彼女が俺を案じて、時に信じてくれるだけで、俺は充分だった。逃げることなく、折れることなく、ここまで歩いてこれたのだ。

 俺は静かに目を細め、黎の頬へと触れた。手袋越しだけれど、彼女の温もりがじんわりと伝わってくる。

 

 

「だから、そろそろ、引き時だと思うんだ。あいつらが怪盗団に仕掛けようとしていることは事実だし」

 

「……そうだね。相手がすべてを察した以上、このまま危険な所に居続けるのは得策じゃない。奴らから抜けるタイミングは吾郎に任せるよ」

 

「ありがとう、黎」

 

 

 黎は穏やかに微笑みながら、俺の手にすり寄った。その仕草は本当に猫みたいだ。

 ……なんだろう、この可愛い生き物。俺は心の中で悶絶する。

 

 

「本当はもっと情報を引き出せたらよかったんだけど。俺のミスだ、本当にごめん」

 

「そんなことないよ。吾郎は頑張ってる。ちゃんと知ってるから」

 

 

 頬に触れていた俺の手を取って、黎はそれを両手で包み込む。俺を労ってくれる。その事実に――非常に情けないことだが――目頭が熱くなった。視界がじわりと滲む。

 ぼんやりと滲んだ視界の中で、俺は気づく。黎と重なるようにして、ドミノマスクをつけた怪盗がこちらを見つめていることに。その微笑は、慈愛と祈りに満ちていた。

 胸の奥底がざわめく。気づいたとき、俺――否、“明智吾郎”が「あ」と声を漏らしていた。それに引っ張られるような形で、俺の喉が震える。

 

 

「“ジョーカー”……?」

 

 

 俺――あるいは“明智吾郎”――が、()()()()を込めて呟いたことに気づいたのだろう。ドミノマスクの怪盗は大きく目を見開いた。全てを察した怪盗の頬から一筋、涙が流れる。春を待ち焦がれた花が一斉に咲き乱れるようにして、怪盗――“ジョーカー”が口元を綻ばせた。それに呼応するように、黎も頬を淡く染めて言葉を紡ぐ。

 

 

―― やっと、届いた……! ――

 

「“クロウ”……っ!」

 

 

 感極まって紡がれた言葉に、“明智吾郎”/“クロウ”を求めてやまなかったと言わんばかりの笑顔に、俺の中にいる“明智吾郎”/“クロウ”がくしゃりと顔を歪ませた。勿論俺も、湧き上がってきた衝動に突き動かされるようにして黎を抱きしめる。

 華奢な少女の身体は、簡単に俺の腕の中に納まった。黎も俺の背中に手を回し、強くしがみついてくる。腕の中にある温もりが愛おしい。離れたくない、離したくない――その想いが痛い程伝わって来て、酷く泣きたくなった。

 

 “明智吾郎”/“クロウ”が“ジョーカー”の隣に在ることを望んだように、“ジョーカー”もまた、“明智吾郎”/“クロウ”が隣に在ることを望んでくれた。

 共に在れないことを嘆いた“明智吾郎”/“クロウ”がいたように、“ジョーカー”もまた、世界から“明智吾郎”/“クロウ”が失われたことを嘆いてくれた。

 奇跡を起こす『ワイルド』の祈りが、『神』さえ■した■■■■■■■の想いが、巡りに巡って、明智吾郎と有栖川黎が生きる()()()()へと繋がったのだ。

 

 本当の姿を知ったって――本当の姿がどんなに汚れきっていたものでも――「それでもあなたがいい」のだと選んでくれた人がいる。共に往こうと手を伸ばし、引っ張ってくれる人がいる。「“明智吾郎”はいらない子なんかじゃない」と全身全霊で伝えてくれる人がいる。

 

 何もかもが都合の良すぎる世界を創り上げてしまうくらい、“明智吾郎”を求めてくれる人がいる。――そんな相手は目の前にいることに気づかないまま、気づこうともしないまま、破滅を選んだ自分が馬鹿みたいだ。本当は自分だって、相手と同じことを望んでいたのに。

 “ジョーカー”を手に入れられたら。本当の意味で“ジョーカー”の相棒になることができたら、どんなに幸せだろう。叶わぬ願いと夢想したそれは、今、俺の腕の中にある。それを手にするまでの奇跡がどれ程素晴らしい価値を有しているのか、俺が一番知っていた。

 

 

「黎」

 

「何?」

 

 

 こてんと首をかしげて俺の顔を覗き込んできた黎に、勢いのまま口付けた。黎は拒絶することなく、幸せそうに目を細めてすべてを受け入れる。それをいいことに、啄むようなキスを繰り返しながら、角度を変えて、舌を絡ませて、どんどん深いものへと変えていった。

 

 時折漏れる甘ったるい吐息が背徳感を煽る。彼女が欲しい。欲しくて欲しくてたまらない。ずっとずっと、こうしたかった。

 “明智吾郎”/“クロウ”による“ジョーカー”への執着と想いが“異性間への愛情”へ昇華されたことがトリガーになったのだろう。

 探偵の本分は暴くことだ。俺を望んだ怪盗のすべてを――愛おしい怪盗のすべてを暴きたい。それこそ、知らないところなど存在しないくらいに。

 

 黎は限界らしく、息苦しそうに肩を震わせた。それを確認した俺は、彼女を解放する。銀糸で結ばれていたのはほんの数秒間だけで、それはプツリと切れてしまった。

 蕩けた眼差しを向ける黎を抱き上げ、彼女が使っているベッドに横たえる。余裕がなかったせいで半ば転がすような形になってしまったが、黎は文句を言わずこちらを見上げた。

 

 その目が情欲に染まっているように見えたのは、きっと俺の見間違いではないのだろう。

 

 

「抑え、効かないかもしれない」

 

「吾郎……」

 

「……俺は、黎が思ってるような、立派な奴じゃないよ」

 

 

 “目の前にいる少女を滅茶苦茶に暴いてしまいたい”――凶暴な衝動をどうにか抑え込みながら、一番大切な女性(ひと)に警告する。

 嫌われたくないから線を引く。傷つけたくないから突き放す。逃げ場を用意したつもりだったのに、俺の手は彼女を拘束するように縫い止めていた。

 

 逃がしたくない。このまま手に入れてしまいたい。何もかもを暴き立ててしまいたい。

 ……きっと、こういうところが、父である獅童正義と似ているのだろう。

 そんな自分が、嫌になる。力づくで組み敷くような真似がしたいわけじゃないのに。

 

 

「多分、これから俺は、お前に酷いことすると思う。……獅童のヤツが、お前にしようとしたことと、同じことだ」

 

 

 手袋を付けたままうなじをなぞれば、黎は小さく体を震わせた。手の動きから俺が何をしようとしているのか察したようで、大きく目を見開いた。彼女の頬は、羞恥の為か淡く染まっている。

 

 

「……嫌なら、逃げろ。俺をひっぱたいて、ぶん殴って、突き飛ばして、指輪投げ捨ててくれればいいから」

 

 

 そうなって当然のことをしていると自覚があるから、俺は自嘲した。彼女の瞳の中に映る明智吾郎は、非常に情けない顔をしている。傷ついて当然な顔をして、馬鹿みたいだ。

 離れなければと思うのに、身体は動かない。自分の身勝手さに反吐が出る。ああもう、最悪だ。結局俺も獅童正義と同じ、悍ましい血が流れているのだ。

 

 ――そんなの、知りたくなかった。あんな奴と同じものではなく、もっと優しいものになりたかった、のに。

 

 俺は深々と息を吐いて手を離そうとして――黎は俺の手を取った。慈しむように目を細めた少女は、何もかもを受け入れるように微笑んでいる。瞬く灰銀の宝玉には、密やかな艶があった。ぞくり、と、俺の背中が震える。

 彼女は怪盗だ。狙った獲物は、問答無用で必ず手に入れる。大胆不敵な鋭さは、こんなにも甘ったるい空気の中でも健在だ。言葉はないけれど、その微笑は「貴方が欲しい」と訴えている。自嘲に歪んだ俺の口元が歓喜に弧を描いた。

 

 

「黎」

 

「何? 吾郎」

 

「――キミが欲しい」

 

 

 彼女の左手を取り、手の甲――薬指付近に口づけを落とす。すべてを暴く許可を乞うように。

 

 

「――私も、吾郎が欲しい」

 

 

 黎は俺を受け入れるように、背中に手を回して抱き付いてきた。そのまますり寄って来る。

 

 ああ、そうだ。俺のことなど幾らでも奪ってくれて構わない。その分、キミのことを何もかも暴かせてほしい。探偵と怪盗――宿命のライバル同士の恋は、それくらいでなければ。

 俺は口を使って手袋を外し、勢いのままに投げ捨てる。黒い手袋は、乾いた音を立てて床に落ちた。俺の左手薬指に光る指輪を見つけた黎は、嬉しそうに目を細める。

 黎も野暮ったい黒縁眼鏡を外し、ベッドサイドの棚へ置く。服の下に隠していた指輪のチェーンを外し、指輪を左手薬指に嵌めてみせた。黎は俺を見て、幸せそうにはにかむ。

 

 俺は誘われるようにして黎に口付ける。黎は拒否することなく俺を受け入れて、精一杯応えてくれた。

 暴き立てるように掻き抱かれても、散々求められても、彼女は幸せそうに笑って、「愛してる」と、言ってくれた。

 

 

 

 

 

 ――長い、長い時間。俺は、黎と一緒に過ごしていた。

 

 

 穏やかに眠り続ける黎を腕に抱く。好きな人と身も心も繋がって共に過ごす夜が、こんなにも幸せだなんて知らなかった。

 あどけない寝顔を見守りながら、俺は黎の頭を撫でる。涙が出るくらい嬉しくて、温かくて、幸福で。

 

 ……獅童を愛した母も、こんな気持ちだったのだろうか。弄ばれていると知っていても尚、この幸福を求めて、俺を孕んで――。

 

 母が獅童を愛した結果、俺が生まれた。俺は獅童からは愛されなかったけれど、母は俺の前では決して弱音を吐かなかった。いつだって優しかった。俺を愛してくれていた。たとえ遺品に記された真実が残酷な経緯であったとしても、母から愛されていたことは変わりない。

 父親から愛されない子どもとして生まれたことは事実だったけど、生まれてきたおかげで沢山の人々に出会えた。愛する女性(ひと)、信頼できる愉快な保護者、尊敬できる格好良い大人たち――そんな奇跡を俺にくれたのは、目の前で眠り続けるこの少女なのだ。

 

 

「……必ず、守るから」

 

 

 俺はそう呟いて、静かに目を閉じる。

 意識はあっという間に、静かな闇の中に沈む。

 

 ――どこかで、馬鹿みたいに泣きじゃくる甲冑仮面と、彼を抱きしめながらあやす怪盗の声が聞こえてきたような気がした。

 

 

◇◇◇

 

 

 

 差し込んできた朝の光に瞼を叩かれた僕は、のんびりと目を開けた。黎は相変らず幸せそうな寝顔を晒している。時計を見ると午前4時を指していた。

 まだ眠っていても大丈夫だとは思うが、俺は無断外泊をやらかした身である。しかも、節度なんてガン無視したも同然だ。佐倉さんが帰ってくる前にお暇しなくては。

 そうなると、逃走手段は始発電車に限られる。始発電車の発車時刻における関係上、必然的に、ここでまどろんではいられない。少々名残惜しいが仕方ないか。

 

 ……さて、そうなると、だ。

 

 僕は腕に抱いた黎をじっと見つめた。女を抱き潰してさっさと帰るなんて、獅童正義のようなクズ野郎がやりそうなことである。僕は絶対、奴と同レベルにはなりたくない。

 どうしようか考えあぐねていたとき、もぞもぞと黎が身じろぎする。瞼が小さく震えた後、まだぼんやりとした灰銀の瞳が僕を映し出した。

 

 

「……吾郎……?」

 

「ごめん、起こした?」

 

「ううん。――おはよう」

 

 

 黎は幸せそうに目を細めた。薄らと明らむ空によって薄暗さが消えつつある部屋に、黎の白い肌が浮かび上がる。体のあちこちに残された赤い印が痛々しい。全部、全部、昨日の情事で僕が刻んだものだ。――今になって、ものすごく恥ずかしくなってきた。

 

 それ以上に、黎の姿があまりにも神聖なもののように思えて、眩しい。僕は少しどもりながらも「おはよう」と挨拶を返した。何となく気だるい体を起こす。

 黎は俺が考えていたことを察したのか、半ばよろめくようにして体を起こした。「見送りしたいんだ」と言って照れたようにはにかむ僕の恋人が尊い。

 

 シャワーを軽く浴びて身支度を整える。外泊による始発帰りの際、俺はいつもどこに泊まるかを連絡していた。だが、今回はそれをしていない。嫌な予感に眉間の皺を増やしながら確認してみると、案の定、SNSは空本兄弟からのメッセージで埋め尽くされていた。

 最新メッセージは“ゆうべは、おたのしみ、でしたか? むけいかくな、ことは、していませんか?”とだけ。スマホのメッセージを覗き込んだ黎は、「過保護だなあ。吾郎はちゃんとしてくれたのに」と苦笑した。……お願いだから、ごみ箱に視線を向けるのはやめてほしい。恥ずかしくなるから。

 

 

「それじゃあ、文化祭で」

 

「うん。文化祭でね」

 

 

 黎と啄むような口付けを交わして、僕はルブランを後にした。店の扉を開けたのと、モルガナが散歩から戻って来たのは同時である。

 気高い黒猫は死んだ魚の目をして僕を見つめていた。何か言いたげな顔をしていたけれど、奴は沈黙する方を選んだようだ。

 モルガナの背中はルブラン店内へ消えて行ったが、わずか数秒後に「ニ゛ャ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!」と悲鳴が聞こえてきた。

 

 僕は素知らぬ顔を決め込んで、ルブランに背を向け脱兎のごとく駆け出す。このまま走り続ければ、始発電車に余裕で間に合うだろう。

 

 その予想は正しかったようで、僕は余裕で始発電車に飛び乗ることができた。車内にはぽつぽつ人がいたが、眠っている人の方が多い。僕には目もくれない様子だった。

 これ幸いと僕はスマホを開く。保護者2人を納得させる返事と、文化祭2日目のスピーチを考えなくてはならない。――幸せな夜が明けるのは、なんとも呆気なかった。

 

 




魔改造明智による新島パレス攻略開始。潜入調査をしたらエラいことになったけど、最終的には新しい力を得た模様。原作明智と感性が近い“彼”からしてみれば、魔改造明智の思考回路に対して絶対「お前の頭の方が心配だよ」ってツッコミ入れそうな気がしたんです。ただ、“彼”は魔改造明智と一緒にいたおかげで、少々そっちの価値観に引っ張られているようですが(苦笑)
魔改造明智と黎の関係性はP3Pの月コミュ=荒垣真次郎コミュ恋人ルートを参考にしています。ノンストップ荒垣が出てくるのはコミュMAXワンモアですが、拙作の場合は「コープ開始時に恋人状態になっている」という変則的なスタートとなっているため、このような扱いになりました。文化祭の話を突っ込むと区切りが悪くなりそうなので、一旦ここで話を切った次第です。

以前お遊びで考えた魔改造明智のコープアビリティですが、少々変更することになりました。書いている途中で設定が二転三転してしまうんだよなぁ(遠い目)
今回のヤツも、もしかしたら変わるかもしれません。
【アルカナ:正義】
<ランク1(初期時点)>
*バトンタッチ:1MORE発生時に、主人公及びバトンタッチを覚えている同士で、行動のチェンジ可能。
*追い打ち:主人公の攻撃でダウンを奪えなかった際に追撃。
*ディティクティヴトーク:敵との会話交渉が決裂した時にフォローが発生し、交渉をやり直せる。
*ハリセンカバー:バッドステータスの仲間を回復することがある。
*かばう:主人公が戦闘不能になる攻撃を受ける際に、間に入ってダメージを肩代わりする。
<ランク2(鴨志田パレス攻略開始)>
*マスカレイド・コミュニティ:パレス攻略時に歴代ペルソナ使いが援護してくれる。他、日常生活でもペルソナ使いと関わることがある。
<ランク5(金城パレス、真覚醒後)>
*バタフライエフェクト・友との絆:エンディング分岐に関係する。
<ランク6(双葉パレス攻略後、奥村パレス攻略前)>
*バタフライエフェクト・不揃いの指輪、同じ決意の証:エンディング分岐に関係する。
<ランク7(新島パレス攻略開始)>
*バタフライエフェクト・罪と罰を超えて:エンディング分岐に関係する。魔改造明智吾郎の使用ペルソナにロキ追加。
<ランク8(??)>
*バタフライエフェクト・受け継ぐもの:エンディング分岐に関係する。他にも効果があるようだが詳細不明。
<ランク9(??)>
*マスカレイド・イーチアザー:詳細不明。
<ランク10(??)>
*バタフライエフェクト・未来はここに:詳細不明。


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“祭りの後こそ佳境である”の法則

【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 @空本(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄で明智の保護者その1。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
 @獅童(しどう) 智明(ともあき)⇒獅童の息子であり明智の異母兄弟だが、何かおかしい。獅童の懐刀的存在で『廃人化』専門のヒットマンと推測される。詳しくは中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『運命を切り開くだけの簡単なお仕事』および『ペルソナ3異聞録-.future-』、Pixivの『2周目明智吾郎の災難』および『【一発ネタ】有栖川黎の幼馴染』の設定を下地にし、別方向へ発展させた作品である。
・ジョーカーのみ先天性TS。
 ジョーカー(TS):有栖川(ありすがわ) (れい)⇒御影町にある旧家の跡取り娘。旧家制度は形骸化しているが、地元の名士として有名。身長163cm。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空本(そらもと) (わたる)⇒明智の保護者2で、南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。
・敵陣営に登場人物追加。
 @神取鷹久⇒女神異聞録ペルソナ、ペルソナ2罰に登場した敵ペルソナ使い。御影町で発生した“セベク・スキャンダル”で航たちに敗北して死亡後、珠閒瑠市で生き返り、須藤竜蔵の部下として舞耶たちと敵対するが敗北。崩壊する海底洞窟に残り、死亡した。ニャラルトホテプの『駒』として魅入られているため眼球がない。この作品では獅童正義および獅童智明陣営として参戦。但し、どちらかというと明智たちの利になるように動いているようで……?
・「2罰ボスの外見を見た人間の反応」に関するねつ造設定がある。
・普遍的無意識とP5ラスボスの間にねつ造設定がある。
・『改心』と『廃人化』に関するねつ造設定がある。
・春の婚約者に関するねつ造設定と魔改造がある。因みに、拙作の彼はいい人で、春と両想い。
・R-15。


 秀尽学園高校の文化祭は人で賑わっていた。秀尽生の中に紛れるようにして、他校生や一般見学者がちょこちょこと校内を練り歩いている。赤いパーカーに帽子を被り、ダメージジーンズを履いて、髪を結い、野暮ったい黒淵眼鏡をかけた俺のことを明智吾郎と認識している生徒は果たして何人いるだろうか。

 ついでに、学校側には『25日は探偵の仕事が忙しいから、26日は講演会のオファーを受けたから』と言って休みを取っている。担任や他の教師たちは俺の言葉をそのまま信用したみたいで、『頑張ってね』という激励の言葉を頂いた。2学期が始まった9月時点では晴れ物扱いしていたくせに、掌返しが早い連中だ。

 俺は待ち合わせ相手――怪盗団のメンバーを探して周囲を見回す。程なくして、仲間たちの姿は見つかった。引きこもりの双葉以外、全員が学生服着用である。秀尽学園の生徒は分かるが、祐介まで制服姿なのは洸星高校美術科クラスがテスト――要するに課題提出用の作品作成――期間のためらしい。

 

 仲間たちは俺の格好を見てもすぐに明智吾郎だと認識したらしい。待ってましたと言わんばかりに手を振る。特に黎は嬉しそうだった。

 

 どうやら俺が一番最後の到着のようだ。その理由は俺と黎だけが知っている。おそらく()()()()()()()()()()()()()()()()()のはモルガナだ。鞄の中に潜んだ猫が死んだ魚のような濁った目をして、あらぬ方向を向いていたことが証拠である。

 俺が始発電車でとんぼ返りし、保護者達に無断外泊の説明をして頭を下げていた間に、黎はモルガナにどう説明したのかは分からない。ただ、モルガナが濁った眼をしているあたり、彼にとっては凄まじい精神的ダメージを負ってしまうような内容だったのだろう。

 

 

「よし、これで全員揃ったわね」

 

「それじゃ、みんなで見て回ろうか」

 

 

 真が俺たちの顔を確認した後、黎が音頭を取った。仲間たちは頷き、秀尽学園高校文化祭模擬店を練り歩く。

 

 俺は自然と黎の隣に並んだ。黎もそれを受け入れる。隣に並んで歩くのは、普段通りと何も変わらない。それでも、互いの距離が以前よりも近くなったと感じたのは、昨日のことが理由だろうか。

 脳裏に浮かんだのは幸せな夜。身も心も重ね合って、貪るように互いを求めあって、その温もりに浸りながら眠ったときのことだ。つい数時間前の俺たちである。込み上げてくる衝動のままに、俺は黎へ手を伸ばした。

 祈るような気持ちで小指を絡める。黎の指がピクリと震えたが、慈しむようにして指を絡め返してきた。そのまま僕らは手を繋ぐ。俗にいう恋人繋ぎだ。黎は嬉しそうに微笑んだが、ふと思い至ることがあったらしい。小首をかしげて問いかけてきた。

 

 

「吾郎、有名人でしょう? 大丈夫?」

 

「平気だろ。こういう格好して地で喋ってりゃ、俺と探偵王子の弟子が結びつくはずがない」

 

 

 探偵王子の弟子という仮面を被っているときは絶対にしないような――少々、悪さを含んだ不敵な笑みを浮かべてみせる。

 こういう顔ができるようになったのも、“明智吾郎”が俺の中に戻ってきたためだろう。黎は目を丸くしたけど、すぐに艶やかな笑みを浮かべて見せた。

 

 なんだか悪巧みをしているような気分だ。密やかに笑いながら、絡める指にひっそりと力を籠める。あるべきものがあるべき形に治まったような安堵感と、ずっとこうやって歩いてゆけるのだという幸福感に満たされていた。

 

 “ジョーカー”と“明智吾郎”も、俺たちとは少し違う形で隣に並んでいる。前者は嬉しそうに目を細めた。後者は眉間に皺を寄せた上に唇を尖らせ、不平不満をぶちぶち呟いていたが、言葉に反して顔は真っ赤であった。

 凄いな、と思う。あんな面倒くさい“明智吾郎”を、何のかけ値なしに全身全霊で求める“ジョーカー”が。そんな“ジョーカー”の想いを宿していた有栖川黎の行動原理もだ。健気で真っ直ぐで、真摯な感情――慈しみを込めた深い愛情。

 ただ1人に対し、ここまでの感情を注ぐことができる一途さに胸が痛んだ。“ジョーカー”は裏切られてばかりで、置いて逝かれてばかりで、辛かったはずだろうに。俺が黎と同じような立場だったら絶対に諦めていただろうから、尚更だ。

 

 

(……これ以上、ジョーカーを――黎を裏切りたくない。悲しませたくない)

 

―― …………そう、だな ――

 

 

 俺の想いに反応したのか、“明智吾郎”がぽつりと呟く。蚊が鳴くようなか細い声だったけれど、双瞼には強い決意が宿る。俺も頷き返した。

 

 

「私、友達と一緒に文化祭を見て回るの初めて」

 

「そうなんだね。私も、こんなに大人数で文化祭を見て回るのは初めてなんだ」

 

 

 春と黎が楽しそうに談笑している。前者はオクムラフーズ経営者の娘、後者は御影町旧家の娘というお嬢様が揃い踏みだ。なんだかここだけ空気がふわふわしているように感じたのは気のせいではない。

 後者はお嬢様ではあるものの、家の方針で一般市民とほぼ同等の価値観を有している。たまに旧家のお嬢様らしき物差しを持ちだしてくることはあるが、それは必用に駆られたとき以外に振るうことはなかった。

 

 

「『友達と回るのは初めて』ってことは、カレシ――もとい、吾郎と回ったことはあるんだな!?」

 

「うん」

 

「うおおお、やっぱり! 黎のことだから、絶対そうだと思ったんだー!」

 

「12年前の聖エルミン学園高校の文化祭から、文化祭を見て回るのはいつも吾郎と一緒だったなぁ」

 

 

 双葉の問いかけから当時のことを思い出しているのか、黎はしみじみと頷いた。

 

 「じゅ、じゅうにねん……おさななじみ、じゅんあい……ほええええ……」――双葉が戦きながら口元を抑えた。顔を赤くしたり真っ白にしたりと忙しいようだ。

 「交際期間、長ッ!」「しかも一途!」――竜司と杏が驚きの声を上げる。確かに実質的な交際期間は12年だが、恋人や許嫁を意識し始めたのは俺が中学生になった直後からだ。

 「まあ素敵! よければ、馴れ初めを聞かせていただけるかしら?」――春がパアアと目を輝かせて食いついてきた。成程、春はこういう話に興味があるらしい。

 

 真は解脱した菩薩みたいな顔をして天を仰ぐ。「お姉ちゃんが言ってたなあ。『結婚するなら包容力がある人を』って……」――そんなことを言いながら黎を見つめた。

 祐介は「何かが降りてきそうだ!」と叫んでクロッキー帳にひたすらペンで描きなぐる。何を描いたのかは分からないが、かなり情熱を注いでいることは確かだろう。

 

 

「あったあった! 8名様ご案内ー!」

 

「って、お前のクラスかよ!?」

 

 

 何か所かの模擬店を回った末に、俺たちは2年D組の模擬店に案内された。先導したのは杏で、コンセプトは“メイド服でたこ焼きを売るカフェ”とのことらしい。

 店内はお誂えと言わんばかりに閑古鳥が鳴いていた。ひそひそ話をするのには打ってつけだろう。メイド服を身に纏った生徒に案内され、僕たちは席に着いた。

 

 僕は先日の1件――冴さんのパレスに潜入調査を行ったことを報告した。冴さんのパレスは『新島冴』・『裁判所』・『カジノ』というワードで入ることができること、内部は様々な遊戯施設があること、カジノ内部には複数のフロアに分かれていること、認知存在たちは賭け事および勝利に拘っていること。

 次に、検察庁で冴さんと話をしたときに耳にした情報も報告する。奥村社長の護送を成功させた立役者である周防刑事、達哉さん、真田さんを“怪盗団検挙の鍵となる人物”とみなして引き入れようとしていること、彼らから南条の特別研究部門や桐条のシャドウワーカーが巻き添えを喰らいそうになっていること。

 最近には怪盗団を全国指名手配し、確保に協力すると最大3000万円の報奨金が出る話もあった。ついでに、智明や特捜部長曰く、『今までとこれからの『廃人化』事件をすべておっ被せるための下準備も進んでいる』という。怪盗団への包囲網は着々と迫ってきているようだ。

 

 因みに、冴さんの精神暴走度合いはヤバいことになっていた。『犯人の因果関係さえ立証できれば、証拠はどうとでもできる』と平気で言い切るようになってしまう程には、もうまともではない。現時点ではまだ言葉にはしていないが、恐らく偽の自白をでっちあげる危険性もある。それを聞いた真が不安そうに俯いてしまった。

 

 

「お姉ちゃんがまだまともだったときから、検察の仕事で沢山嫌なことがあったみたいなの。上司や同僚からは『女だから』って馬鹿にされて、やりたいこともできないって嘆いてた。だから、どうにかして手柄を立てて出世しようとしていたの。『自分の正義を振るうためにも、出世しなくちゃ。頑張らなきゃ』って……」

 

「マコちゃん……」

 

「そんなお姉ちゃんの心を弄ぶなんて、絶対、犯人を許さない。獅童の『駒』には、私の怒りを思い知らせてやらないといけないわね……!」

 

 

 春の心配は杞憂だった。右手を左手の掌に叩き付けながら、真は殺気に満ちた笑みを浮かべる。

 竜司が「世紀末覇者先輩ちーす」と超小声で呟けば、間髪入れず、竜司の頭に真の手刀が入った。

 ぺちんという軽い音からして威力はないが、威嚇には充分すぎたらしい。竜司は怯えるように背を丸めた。

 

 智明の顔面はきちんと原形を留めていられるだろうか。元々あいつの顔は()()()()()()から分からないけれど、クイーンにぶん殴られたら顔面崩壊の恐れがある。

 敵の心配をしてしまったのは、俺とヤツが獅童の息子――腹違いの兄弟であることが原因だろう。同じ血筋を持つ人間を放っておけなくなる悪癖に、俺は苦笑した。

 

 

「後は、獅童の密偵の件だな。奴らが仕掛けるのと同じタイミングで、幕引きを図ろうかと思ってる」

 

「特捜が動くタイミングは掴めたのか?」

 

「一斉捜査を行うのが11月20日。それに合わせて、冴さんのパレス攻略と、獅童の計略をやり過ごすために作戦を立てないと」

 

「成程。次はワガハイたちが仕掛ける番ということか」

 

 

 つい先程まで死んだ目をしていたモルガナが、アイスブルーの瞳をぎらつかせる。怪盗団のマスコットとして、彼は爪を研ぎ澄ましている様子だった。

 「シドーや『廃人化』専門の暗殺者(ヒットマン)に、目に物見せてやろうぜ!」とモルガナは息巻く。仲間たちも不敵に笑って頷いた。

 話し合いの結果、「予告状を出すのは11月18日に固定。それまでに冴さんのパレスを攻略し、『オタカラ』までのルートを確保する」ことが決まった。

 

 

「それと……」

 

「それと?」

 

「話すと長くなるんだけど、新しいペルソナが覚醒した」

 

 

 首を傾げた杏の問いに答えた俺は、新しい力――ロキを発現させるに至った経緯を仲間たちに説明する。

 

 “奴”は早い段階から俺の中にいて、様々な局面で指針を示し、最良の結末を手繰り寄せてきてくれた協力者であること。

 “奴”の正体は『どこかにあり得たであろう“明智吾郎”の可能性』で、獅童の『駒』であり『廃人化』専門のペルソナ使いであったこと。

 “奴”は獅童正義に復讐するために、一色さん、秀尽学園高校の校長、奥村邦夫を始めとした多くの人々を暗殺してきたこと。

 “奴”は獅童への復讐の布石として、『“ジョーカー”に『廃人化』の罪を被せて殺す』ために怪盗団に近づいてきたこと。

 

 “奴”の本音は、『形はどうあれど、名実ともに“ジョーカー”の相棒(パートナー)になりたかった』こと。

 “奴”は『もう少し早く出会えていたら、怪盗団の仲間として、“ジョーカー”たちと一緒にいられたのではないか』と思っていたこと。

 “奴”の想いがあったから、俺は今、有栖川黎の伴侶(パートナー)として、怪盗団の仲間として()()にいることができること。

 

 俺の中にいた“明智吾郎”は、『諦めたけど諦めきれなかった“明智吾郎”の絶望であり、願いであり、未練であり、祈りそのもの』が顕現した姿。だが、“奴”は自分が犯した罪の重さを十二分に理解し、承知していた。だからこそ、“奴”は“奴”の理想形である『俺の心の海』へ還ろうとしなかったのだ。

 自身の罪の重さに苛まれた“明智吾郎”の暴走によって危うく意識を塗り潰されかけたが、“彼”は俺の心の海へと還って来た。結果、“彼”は新たなペルソナ――神々のトリックスターと謳われる1柱・ロキとして顕現したのだ。“彼”はそのまま、俺の中で力を貸してくれている。

 

 

「どこかの世界にあるどこかの可能性で、俺は怪盗団の敵として立ちはだかった。獅童の『駒』として、沢山の人を殺したんだ」

 

 

 そこで一旦言葉を切る。俺は戦々恐々としながら、仲間たちの顔色を窺った。

 

 いくら別の世界の出来事であれど、これは“明智吾郎”と俺の背負うべき罪そのものだ。「人殺しは決して行わない」という流儀を掲げる怪盗団からしてみれば、蛇蝎の如く嫌われてもおかしくない。今まで積み上げてきた日々があったとしても擁護不能だった。

 唯一例外は、昨日すべてを察した黎だけだろう。万が一にも不和の原因――俺を庇ったせいで、黎が不利益を被るようなことになるのだけは絶対に嫌だ。傷ついて当然な顔している俺自身が馬鹿みたいで、ひっそりと自嘲する。

 

 幾何の沈黙ののち、おずおずと口を開いたのは竜司だった。

 「難しいことは分からねーけど……」と唸って、付け加える。

 

 

「でもよ、それってお前のことじゃなくねぇ?」

 

「竜司……?」

 

「だってお前、誰も殺してねーじゃん。むしろ俺たちと一緒に色んな奴らを『改心』させて、助けてきたじゃねーか。ウチの校長だって、春の親父さんだって、お前が助けたんだぜ?」

 

「そうだな、リュージの言うとおりだ」

 

 

 竜司の言葉に同意したのはモルガナだった。

 

 

「ゴローは『改心』専門のペルソナ使いとして、ワガハイたちと共に戦ってきた。惚れた相手であるレイを守ろうと必死だった。オマエはワガハイたちの仲間だ。……それでも不安だってんなら、何度だって言ってやる。オマエは立派な、怪盗団の一員だぞ!」

 

「モルガナ……」

 

「確かにそうだよ。どこかの“明智吾郎”が罪を犯してたとしても、そのせいで、アタシたちの世界の吾郎が“謂れなき罪”とやらの裁きを受けるのはおかしいと思う」

 

「杏……」

 

 

 モルガナの言葉を引き継ぐようにして、杏が語った。空色の瞳はどこまでも真剣であり、揺らがない意思が伝わって来る。

 怪盗団の初期メンバーたちは微笑み、頷き返した。憤りを感じる話は幾らでもあっただろうに、彼らは笑って俺たちを受け入れてくれた。

 特にモルガナは「ゴローはワガハイを仲間だと言っただろう? それと同じだ!」と誇らしげに胸を張る。

 

 

「どこかの世界にいた“明智吾郎”の罪は許されることではない。取り返しがつかないことが多すぎる」

 

「祐介……」

 

「――だが、それを悔いて、“奴”が吾郎に指針を示してきたことも確かな事実だ。俺は、お前の中にいる“お前”と共に、今まで歩んできた道を信じているぞ」

 

 

 険しい顔で俺たちの罪を糾弾した祐介だが、彼は表情を柔らかくすると静かに頷く。物事の真贋を見抜く瞳は、俺と“明智吾郎”を『怪盗団の仲間である』と鑑定したようだ。

 

 

「平行世界にいる同一存在の罪を推し測って罰条の裁定をし、それを全く関係ない同一存在へ与えるなんて真似、人間にはできないわよ。そんなことをできるのは、自分の物差しに対して大層自信をお持ちな『神』くらいだわ。それを、私たちの次元では超弩級の傲慢(よけいなおせわ)と言うのよ」

 

「真……」

 

「至さんの言葉通り、世の中には頭が爆発する系の理不尽があるのね。できれば経験しないまま生きて行けたら幸せだったんだろうけど、仕方ないかぁ。そういうのを野放しにしておくわけにはいかないもの」

 

 

 口調は呆れているけれど、真の表情はどこか晴れやかだった。

 椅子の上で体育座りしていた双葉もうんうんと頷き返す。

 

 

「わたし、どこかの世界でお母さんを殺した“明智吾郎”は許せない。絶対許すことなんてできない。だけど、だからといって、それを吾郎に償えなんて言えるはずない。償いのために死ねだなんて絶対言いたくない!」

 

「双葉……」

 

「吾郎が怪盗団のためにって、必死に頑張ってたこと知ってるから。黎にとって吾郎が一番大事な人だって分かってるから。――わ、わたしにとっても、吾郎は大事な仲間だ! だから、トチ狂った挙句に玉砕覚悟の自爆特攻とか、絶対にやめろよ!? 時代遅れも甚だしいし、何より、これ以上、わたしの大事な人にいなくなってほしくないぞ!!」

 

 

 大切な人を失う痛みを、双葉は誰よりも知っている。だからこそ、これ以上自分の目の前で“大事な人”の命が零れ落ちてほしくないと願うのだ。

 誰に何を吹き込まれたのかは知らないが、双葉の中の明智吾郎像は『追いつめられると暴走した挙句、概算度外視の自爆特攻に走る男』らしい。不名誉である。

 反論をしてやりたいのだが、もし金城パレス攻略時に仲間たちへ本音を話せなかったら『そうなっていた』可能性が無きにしも非ずだから、ぐうの音も出なかった。

 

 そんな彼女に続くようにして、春が微笑む。名は体を表すが如く、温かな笑顔だった。

 

 

「大丈夫よ、吾郎くん。吾郎くんがお父様を助けるために、色々手を回してくれたことを知ってるもの」

 

「春……」

 

「貴方のおかげでお父様は助かった。……それは、私にとっての事実であり真実だよ。どうか、忘れないでね」

 

 

 怪盗団の後期メンバーたちも、真摯な眼差しで俺を見返した。本来なら俺は糾弾されてもおかしくない。特に、双葉や春は俺を糾弾する資格があるし、そうして当然の立場だ。どこかの世界にいた彼女たちの分まで暴れてもいいのである。

 それでも、双葉も春も俺を罰しなかった。祐介だって、真だって、“明智吾郎”の贖罪を俺へ求めることもない。責められる覚悟をしていたためか、なんだか拍子抜けしてしまう。身構えていた身体から力が抜けた。――ここは、とても温かい。

 

 

「吾郎」

 

 

 優しい声がした。隣に視線を向ければ、黎が静かに微笑んでいる。俺と“明智吾郎”の罪を赦すように、それでも一緒にいると主張するように、隣に寄り添って手を重ねてくれた。

 俺も黎へ微笑み返し、彼女の手に指を絡める。当たり前のように握り返してくれたことが何よりも嬉しい。一緒に生きていこうと示してくれる黎のことが愛おしくて堪らなかった。

 「大丈夫。大丈夫だよ」――根拠は何もないのに、黎がそう言って笑うなら、本当に何とかなってしまいそうな気がした。俺が望む明日を手に入れることができると信じられる。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――!!

 

 その幸福を噛みしめる。

 その奇跡を噛みしめる。

 

 俺は仲間たちの方へ向き直った。みんな、力強く笑って頷き返してくれる。――それがどれ程心強いことか、嬉しいことか、きっと怪盗団の面々は知らないのだろう。知ってほしい気もするが、なんだか気恥ずかしいからやっぱりナシにしよう。

 「ありがとう」と素直に告げれば、当たり前のように「どういたしまして」と返って来る。ささやかなやり取りに感動と照れくささを感じた俺は、話題を逸らすようにして模擬店のメニューを引っ張り出した。2-Dの模擬店はタコ焼き屋である。

 

 ――だが。

 

 

「普通のタコ焼きください」

 

「申し訳ありませーん。普通のはさっきので終わっちゃったんですよ~」

 

「じゃあ、明太チーズを」

 

「ごめんなさーい。明太子が切れてしまって~」

 

「ならば、イカ入りを」

 

「イカは今調達中なんですー。仕入れには5、6時間かかるかと……」

 

「完全に詐欺じゃねーか! 普通の店だったら、公共広告機構に訴えられても文句言えないレベルだぞ!」

 

「いやー、メイド服の調達で予算の大半を使い果たしちゃって。その煽りで具材が減って、こんなことに……」

 

 

 店側のあんまりな対応に、ついに竜司がキレた。どうしてこんな有様になったのかを説明したのは杏である。力を入れる部分を間違えてしまったが故の喜劇だった。

 

 

「竜司。貴方、公共広告機構なんてよく知ってたわね」

 

「ん? あー……玲司さんが『それ関係のトラブルに巻き添え喰らったことがある』って言ってたの聞いたことがあって」

 

「明日は槍が降るな……」

 

「バカにすんな!」

 

 

 真が目を丸くし、モルガナが茶化す。それを聞いた竜司が怒り狂った。彼らの様子を見た“明智吾郎”が目を丸くする。()()()()()()()()()穿()()()()()()()()()()――“彼”の世界にいた竜司は一体どんな奴だったのか気になったが、“彼”はきっと話してくれないだろう。そんな予感がした。

 

 竜司が中心の漫才を見守っていた“明智吾郎”は何かを思い至ったのか、表情を険しくする。

 その理由は、彼の口からではなく、春と店員の対応によって明らかになった。

 

 

「それじゃあ、今あるものをください」

 

「わかりましたー! オーダー、ロシアンたこ焼き9個ー!」

 

―― そういう経緯かよォ!! ――

 

 

 “明智吾郎”は悪態をつき、盛大に床を叩いた。床を叩く動作が机を叩く冴さんの動作と非常によく似ていたように感じたのは、俺の気のせいだろうか。

 悲鳴を上げて頭を抱える“彼”の様子からして、ロシアンたこ焼きで酷い目に合わされたことは容易に想像がついた。大方、大当たりでも引いたのだろう。

 程なくしてメイドがたこ焼きを持って来た。9個あるたこ焼きの中で、他のと比べて赤みを帯びたものが1つある。それを見た“明智吾郎”はぶんぶんと首を振った。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()――成程。俺の予想は大当たりだったわけだ。必死に訴える“明智吾郎”の様子に苦笑しつつ、俺は他の面々の出方を待つ。仲間たちは「誰がどの順番でたこ焼きを食べるか」の相談を始めた。

 

 真っ先に名乗りを挙げたのは黎だった。視線を感じた方向に目を向けると、“ジョーカー”がいい笑顔を浮かべる。覚悟を決めたような眼差し。度胸MAXライオンハートが何をしでかそうとしていたのか明らかになったのは、その刹那だった。

 彼女の手は、迷うことなく1つのたこ焼きへと伸びた。――他のと比べて赤みを帯びたたこ焼きに。それを見た俺は黎の手を取り、彼女の代わりに赤いたこ焼きを取ろうとする。だが、黎も同じようにして俺の手を取って妨害した。

 

 

「黎、放して」

 

「嫌だ。吾郎こそ放して」

 

 

 傍から見れば社交ダンスのポーズに見えることだろう。もしくは、タルタロスの番人シャドウ・クラリスダンサーのポーズか。

 

 それでも俺たちは真面目だった。「危険物を食べさせてなるものか」と、互いが互いを守ろうとしていた。お前も手伝えと“明智吾郎”に視線を向ければ、“彼”も“ジョーカー”と奇妙なダンス――もとい、取っ組み合いを繰り広げているところだった。あちらも同じ理由でやり合っているらしい。ぐるぐるとターンを繰り返している。

 仲間たちも、俺たちの動きからどれが当たりなのかを察したのだろう。赤みを帯びたたこ焼きを凝視した彼らは、この事態の収拾を図ろうと生贄投票を始めた様子だった。だが、誰だってヤバいものは食べたくないし、無理矢理押し付けるのも気が引ける。どうするか考えあぐねてしまうのは当たり前のことだ。

 

 

「みんな、ここにいたんだな!」

 

 

 収拾がつかなくなりかかっていた俺たちの前に現れたのは、俺の保護者の片割れ・空本至さんだった。至さんは表面上、秀尽高校文化祭を楽しみに来たと言い張るのだろう。だが、多分それだけじゃなさそうだ。

 文化祭を楽しむという名目で、あの人は子どもたち――『神』へ挑む“反逆の徒”の様子を身に来たのだろう。前例を鑑みるに、文化祭の直前直後を境にして、ペルソナ使いたちの戦いは激化を迎える傾向があるためだ。

 

 俺たちは暫し至さんと雑談していたが、彼はふとたこ焼きに目を留める。「おいしそうだなー」と朗らかに笑った至さんは、メイドに同じもの――ロシアンたこ焼き10個セット入りを注文した。程なくして、メイドはたこ焼き10個を持ってくる。

 

 至さんは俺たちが注文した方から1つ、自分が注文したものから1つ取り、「1セット分奢るから、あとはみんなで食べなさい」と笑った。

 俺たちが制止する間もなく、彼は2つのたこ焼きを一気に頬張った。――双方共に、赤みを帯びたたこ焼きを。

 それを見た“明智吾郎”があんぐりと口を開ける。刹那、至さんの身体がびくりと震えた。間髪入れず大量の汗が流れ始める。

 

 

「……至さん?」

 

「…………」

 

 

 笑顔を崩さぬまま固まっていた至さんは、俺に呼ばれると、口元を抑えて首を振った。開いている手で掌を向けて2回示し、次は(片手のままだが)手を合わせてお辞儀するような動作を数回――このセットを合計3回繰り返した後で、彼は脱兎のごとく教室を飛び出した。

 

 「無理無理無理無理。ちょっと待って、本当にちょっと待って。本当にゴメン、本当の本当にゴメン」――彼の動作から伝えたかったことを通訳するとそうなる。

 至さんが俺たちの前で無様を晒さなかったのは、ひとえに意地があったためであろう。程なくして、階下のトイレから野太い悲鳴が聞こえてきたような気がした。

 

 

◇◇◇

 

 

三島:吾郎先輩! 12年の交際を経て恋人から婚約者にグレードアップ、おめでとうございます! 引き出物はどんなものがいいですか!?

 

吾郎:待て待て待て。

 

 

 文化祭2日目も無事に終了し、僕は一足先に秀尽学園高校を後にした。ルブランのカウンター席に腰かけ、佐倉さんのコーヒーを啜りながら、黎が帰って来るのを待っていたのだ。丁度そのときに三島が送ってきたチャットがこれである。

 どうしてこんな文面が送られてきたのかというと、学園祭の後夜祭に関係があった。秀尽学園高校が毎年恒例で行う“秀尽生の主張”で竜司が指名され、壇上に引っ立てられておろおろしているところに黎が割り込んだそうだ。

 『竜司の代わりに爆弾発言する』と言って壇上へ躍り出た黎は、全秀尽生と教師の前で『12年間交際していた恋人がいる。つい最近、彼とは正式に婚約を結び、婚約者同士となった』ことを笑顔で宣言したのだという。

 

 前科持ち――冤罪のレッテルがあるとはいえ、慈母神にして魔性の女である黎を狙っていた相手はそれなりにいたようだ。男性陣が嘆きを叫び、女性陣がざわめいたという。

 野次の中には『前科持ちのくせに生意気。身の程を弁えろ』等の誹謗中傷があったが、そう叫んだ生徒に対して、三島や川上先生、怪盗団の面々らが反撃したそうだ。

 

 

三島:黎への誹謗中傷に対して怒ってくれた人の中には、緒賀汐璃さんもいたんだ。『アンタは3股かけてるじゃない! アンタの方こそ身の程を弁えなさいよ!!』って叫んで、同学年のギャル系女子に掴みかかってたよ。

 

 

 こんな形で緒賀汐璃――僕の元・ストーカーで、黎に危害を加えてきた少女――の後日談を聞くことになるとは思わなかった。中々にアグレッシブだ。

 

 

『竜司に対して怪盗団絡みの質問が投げかけられてね。彼が答えに窮していたから、話題を逸らすために思いついたんだ。おかげで竜司はターゲットから解放されたし、怪盗団の話題も有耶無耶になったから結果オーライだよ』

 

 

 三島とのチャットを終えた――佐倉さんが仕込みを終えたタイミングで黎が帰って来た。店主が帰った後、屋根裏部屋で問い正したところ、彼女は満足げに笑いながら理由を話してくれた。大胆な行動力には舌を巻いたが、一歩間違えれば黎が吊し上げられる事態に陥ったかもしれない。肝が潰れてしまいそうだ。

 僕の中にいる“明智吾郎”が咎めるような眼差しで“ジョーカー”を睨んだが、“ジョーカー”は不敵な笑みを更に深くするだけだ。……“ジョーカー”と同じように、黎も、必要に駆られれば、躊躇うことなく自分の身を差し出してしまうのだろう。その危うさが、酷く怖い。

 

 

『黎は、怖くないの? ……そんな風に、躊躇いなく自分を差し出すような真似をするなんて』

 

『……怖いよ。とても怖い』

 

 

 黎は俯き加減にそう答えた。彼女の言葉通り、その手は小刻みに震えている。

 

 

『でも、大切な人たちが辛い目に合う方がもっと怖いよ』

 

 

 顔を上げた黎は、真っ直ぐに俺のことを見つめてきた。普段は不敵で鋭い眼差しが、今は不安に揺れていた。誰かを想うその優しさが、今は彼女にとっての毒になりそうだ。

 いつか、その優しさが――あるいは彼女の正義が、彼女に理不尽な選択を選ばせる結果になってしまいそうだ。決断の果てに、黎が命を失うようなことになったら――。

 喪失への怯えに駆られるようにして、僕はそのまま黎を抱きすくめていた。黎は小さく体を震わせた後、僕の背中に手を回す。――そのまま僕は、噛みつくようなキスをした。

 

 気づいてほしかった。黎がそんな無茶をする姿を見て、心を痛める存在がいることを、彼女に知ってほしかった。……黎のことだから、全部わかってても突き進むのだろうが。

 

 駄々をこねる子どもみたいに見苦しい姿を曝したし、彼女に沢山無理もさせた。一方的な思いをぶつけるようにして、彼女の細い体を何度穿ったことだろう。今思えば、あれは完全に強姦の類だ。挙句の果てには泣かせてしまったのだから最悪である。

 自己嫌悪と罪悪感に怯える僕を見ても、黎は全部許すように笑ってくれた。いくら慈母神と謳われる彼女でも、怒り狂っていいはずなのに。困惑しながら途方に暮れていた僕を見つめていた黎は、僕をあやすようにして抱きしめながら、ぽつりと言葉を零した。

 

 

『いかないで、吾郎』

 

『……黎』

 

『そばにいて。……二度と、離さないで……!』

 

 

 黎の呟きに気づいたとき、僕も同じようにして彼女を抱きしめていた。

 

 有栖川黎を突き動かしてきたのは『“明智吾郎”を望んだ“ジョーカー”』の権化なのだ。僕が黎に置いて逝かれることに怯えていた以上に、“ジョーカー”は“明智吾郎”の喪失を目の当たりにしてきた。一緒にいられない運命に打ちひしがれたことだってあっただろう。

 黎の心は“ジョーカー”の思考回路に引っ張られているのだ。彼女はそれを自分の側面としてきちんと受け入れている。受け入れているから、僕の悲鳴を甘んじて受け止めていた。――そんなことも気づかなかった自分が身勝手で、馬鹿みたいで、情けなくて。

 

 

『――ごめん』

 

 

 そのくせ、黎も同じことを願っていたことが何よりも嬉しいと感じてしまうあたり、僕は本当にダメな奴だと思う。

 当たり前のことだったのに、自分のことばかりで、黎の気持ちを気づいてやれなかった――自分の余裕のなさに苦笑した。

 零れた涙を掬い、唇で吸い取る。あやすように背中を撫でて、許しを乞うように黎の手を取れば、彼女はこちらを見返して頷き返した。

 

 

『愛してるよ、吾郎』

 

『俺も……愛してる、黎』

 

 

 今度は啄むようなキスをした。彼女も静かに目を細めて、僕に応えてくれた。お互いの気持ちを確かめるように触れ合って、お互いを労るように――慈しむように愛し合った。そう在れる今この瞬間を、大切にしていたかった。

 

 この日もルブランに一泊し、佐倉さんが店に出て来るより先に始発電車へ飛び乗って自宅へ帰った。先日と同じように、黎も早起きして僕を見送ってくれた。モルガナは散歩から帰って来た直後だったようで、僕らの姿を見て絶望したような顔をしていた。

 『またあとで』『うん。またあとで』という密やかなやり取りが、なんだか新婚夫婦が『いってきます』『いってらっしゃい』と挨拶を交わしているような気に思えて、嬉しくて舞い上がってしまったのはここだけの話である。

 

 

***

 

 

 さて、それから丸々数時間が経過した後。

 

 ニュースでは大々的に、怪盗団が指名手配されたことと懸賞金3000万円の話題が流れた。懸賞金の額からしても、特捜――および、彼らを動かすよう働きかける獅童正義の本気具合が伺える。

 冴さんは捜査の陣頭指揮を執っているため、いつも以上にピリピリしていた。近づけば彼女の精神暴走度合いに飲み込まれてしまうので、僕は遠巻きから様子を覗き見ただけなのだが。

 

 皮肉なことに、陣頭指揮を執る冴さん自身が、怪盗団検挙において一番の『蚊帳の外』なのだ。

 身近にいる真は怪盗団、実質的な直属部下である僕も怪盗団。特捜部長や一部警察関係者は獅童の手駒。

 冴さんだけが何も知らない。彼女の与り知らぬところで、事態は刻々と動いている。

 

 

『始めまして、新島検事。貴女のお話は、明智くんから聞いています』

 

『怪盗団検挙のため、貴方の『力』を宛にしているわよ? 周防克哉刑事』

 

 

 特捜部によって切り札認定されたペルソナ使いの警察関係者――周防刑事が、冴さんに挨拶する。すったもんだの末に、彼らは特捜部による怪盗団検挙に駆り出されてしまった。

 他にも、南条コンツェルンの特殊研究部門や桐条グループのシャドウワーカーに登録されている面々(一般人すら含む)からも人を引っ張ることにしたという。

 

 以前からその可能性を危惧していたが、やはり逃れることはできなかったか。疲れた顔している大人たちをアイコンタクトを取り合いながら、僕は頭を回す。

 特捜部が切り札として持ちだしてきた対超常現象のプロ――ペルソナ使いたちは、本来“僕たちの味方”ばかりである。それを、相手はまだ気づいていない。

 これをうまく利用できれば、獅童関係者たちの目くらましに使えるのではなかろうか。……神取が特捜の面々にそれを吹聴する危険性も高いため、安心はできなかった。

 

 どさくさに紛れて協力者名簿を確認してみたら、刑事以外に呼び出されていた面々は以下の通り。

 

 シャドウワーカーからはナビ役の風花さん、アイギス、天田さんとコロマルが引っ張り出されていた。特別捜査隊からはオクムラフーズの一件で協力してくれた面々からりせさんが抜け、代わりに直斗さんが加わっていた。聖エルミン学園OBからは城戸さん、上杉さん、綾瀬さんらに声がかかったという。神取と智明の名前はないが、どこかに潜んでいることは明らかだろう。

 

 

『……前者の判断がどうなのか、なんだよなぁ』

 

 

 神取が智明の完全な味方ではないことは知っている。智明は神取を思った通りに動かす立場ではないことも、だ。神取は基本獅童の直属部下を装っているけれど、本来はニャルラトホテプの部下である。ニャルラトホテプに優位になるようなことしかしない。

 僕がそんなことで悩んでいたら、特捜部が騒めいた。テレビで報道されたような『廃人化』事件が発生し、暴徒と化した怪盗団シンパが超常的な力を振るって逃走を続けているという。周防刑事たちはその鎮圧と、彼らの実力の試金石がてら駆り出されてしまったのだ。

 

 そんな怒涛の昼を過ごした僕がルブランに足を踏み入れると、険しい顔をした佐倉さんが僕を迎えてくれた。丁度そのタイミングで、黎が屋根裏部屋から降りてくる。

 

 

『――お前さん、獅童の息子なんだってな』

 

『……向うは俺を認めていませんけどね。奴の血が流れてると考えると、反吐が出ますが』

 

 

 冷や水をかけられたような心地になりながらも、僕は佐倉さんの問いに答えた。彼は双葉の養父だし、黎のことも自分の娘のように思っている。

 こちらを探るような鋭い眼差しから予想するに、“獅童が一連の黒幕であり、黎に冤罪を着せた犯人である”と聞いているに違いない。

 僕の答えを聞いた佐倉さんは、『黎から言われる前から察してたけどな』と言って苦笑した。張りつめた空気が一気に緩み、僕は目を丸くした。

 

 

『何も、言わないんですか?』

 

『つい最近になって“黎のことを娘みたいに思った”俺が、ここに来て以来、徹頭徹尾“黎の伴侶”として奔走していたお前さんに何が言えるってんだよ』

 

 

 『むしろ俺の方が厄介者じゃないか。恋路の邪魔はしないから、蹴らんでくれよ?』と茶化すように笑った佐倉さんは、黎を始めとした怪盗団の面々を匿うと約束してくれた。それはとても心強い。

 

 それから、佐倉さんは自分の過去を語ってくれた。佐倉惣治郎さんが喫茶店のマスターになる前は、官僚として勤めていたという。そこで獅童と出会い、不本意ながらも腐れ縁となったらしい。

 佐倉さんが官僚として勤めていた頃から、獅童は冷徹で残忍な男だったそうだ。人を駒として使い、敵対者や役立たずは容赦なく切り捨てる。佐倉さんはそんな獅童に危機感を抱いていたという。

 

 

『楯突く相手は虫1匹でも潰しきらないと気が済まない――奴はそんな性分の男だった。上昇志向の塊で、弱者は自分の踏み台にしか思っちゃいなかったよ』

 

 

 佐倉さんの剣呑な面持ちから伺えるのは、獅童正義は元々クズ野郎でしかなかったことだった。奴がクズだと分かっていたのに、実父であるというだけで奴に縋りつかずにいられなかった自分の弱さが嫌になる。

 獅童のバックにいる『神』は、獅童が傲慢に塗れた男だと分かったうえで手を貸していた。むしろ()()()()()()()()()()()()()、獅童の背後についたのだろう。もしかしたら、獅童自身が望んで『神』の『駒』となったのかもしれない。

 “元の性格が『神』によってねじ曲がってしまっただけなのではないか”――そんな淡い願いは露と消えた。当たり前のことだと分かっていたはずなのに、落胆してしまうのはどうしてなのだろう。僕はひっそり苦笑した。

 

 

『奴に子どもがいて、引き取ったという噂が流れたときは驚いたモンだ。アイツでも、人を愛し、家族を作るなんて人間らしさがあったのかと』

 

『五口智明……今の獅童智明ですね』

 

『ああ。――だが、獅童はお前の母親を捨てた。……黎からお前さんの身の上話を聞いて、再確認したよ。獅童は昔と何も変わっちゃいねぇってな』

 

 

 『おそらく、お前の兄貴を引き取って手元に置いたのも、パフォーマンスに使えると判断したからだろう』――佐倉さんは厳しい顔で言い切った。

 僕を身籠った母を捨てたのも、母と僕の存在がスキャンダルの元になると判断したためだ。僕や母のことなど、自分が出世する際の足枷程度にしか思っていない。

 逆に、智明を引き取ったのは利用価値があったためなのだろう。五口家という名家の跡取り娘という血筋や、智明が引き継いだ五口家の遺産が狙いだった。

 

 正直な話、今となっては『獅童正義と五口愛歌は愛し合っていたが引き裂かれ――』云々の話も怪しさを増してきている。『廃人化』事件が出てき始めた頃と、智明が獅童に引き取られたのは同時期だったからだ。それに、突如湧いてきた五口家という名家の存在もある。

 

 俺がそんなことを考えていたとき、佐倉さんがポンと手を打った。

 昼間にやって来た上客が、僕宛に伝言を残していたという。

 

 

『そいつ、『白鳥が獲物を狙っているが、夜鷹は興味がない』って言ってたな。お前さんに言えば分かると豪語してたが……』

 

『……その人の特徴は?』

 

『サングラスにスーツを着ていた。チーズケーキとコーヒーを注文したが、奴は甘いもの嫌いなんだろうな。嫌そうな顔してケーキを食べ進めながら、コーヒーを8杯もお代わりしてくれたよ。――そういえば、前にもウチの店に来てたぞ』

 

 

 成程。今回、特捜の件に関しては神取はノータッチでいるらしい。ニャルラトホテプにとっても利益がないためだろう。それなら難易度は下がりそうだ。

 父親の部下も自分の部下だと認識していた智明は、思い通りにならない神取に対してむくれていそうだ。ざまあみろ、と、心の中で嗤ってやった。

 

 それから僕は黎や佐倉さんと談笑した後、帰路へ着いた。

 

 終電の2~3本前の電車を待っているためか、駅をうろつく人々の目は微睡みかけている。電車に乗り込めば、多くの客が夢の中へ旅立つのであろう。僕が乗る予定の電車はまだ30分以上あり、今日に限ってホームもがらがらであった。

 ルブランで軽食を食べてきたものの、どうしてか口寂しく感じた僕は、駅構内のコンビニへと足を進めた。適当な菓子と飲み物を購入し、ホームの待合席に座る。当たり前のことだが、ここにも人の気配が一切ない。

 

 

(珍しいな。ここまで人がいないのって)

 

 

 僕がそんなことを考えながら菓子の袋を開け、それを口に運んだとき。

 

 

「明智くん」

 

「……智明、さん」

 

 

 白いコートに身を包んだ獅童智明が僕の隣に腰かける。奴は不自然なくらいニコニコしていた。機嫌がいいという次元で収まらないことは確かだ。僕は笑顔を張りつけながら、内心苦い顔を浮かべていた。

 

 

「――()()()()()()()

 

 

 奴の言葉に、僕の背筋が凍り付く。弱みを見せてはいけないのに、どうしてか、僕は目を見開いて戦慄くことしかできなかった。

 僕のあからさまな変化を見た智明が、更に笑みを深くする。対して、僕の中にいた“明智吾郎”が憎々し気に歯噛みした。

 

 ――だが、次の言葉で、僕は呆気にとられることになる。

 

 

「明智くんは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 智明の問いかけは、僕に対して「はいそうです」以外の返事を望んでいないように見える。奴の表情は笑っていたが、目だけは全然笑っていなかった。

 それがある種の脅しであることを察し、僕は無難に――奴の思った通りに「はい」と返答した。それを聞いた智明は嬉しそうに微笑む。

 

 

「そうだよね。明智くんが俺たちを裏切るはずないよね」

 

「……当たり前じゃないですか。僕と智明さんはコンビでしょう?」

 

「当然さ。……それなのに、父さんはキミのことを疑っているんだ。キミを信頼できないって言うんだよ! 酷いよね。――俺たちは、()()()()()()()()()()()

 

 

 ()()()()()()()()智明の顔が、ほんの一瞬だけ見えたような気がする。

 絶対零度を纏った緋色の瞳が、僕を値踏みするように視線を向けてきた。

 優しい表情を浮かべているくせに、その眼差しだけがどこまでも冷ややかだ。

 

 

「ねえ、()()

 

 

 奴の声が、僕を侵していく。

 甘い甘い毒となって、僕を飲み込もうとしていく。

 

 

「怪盗団を一網打尽にすれば、きっと、父さんもキミを息子だって認めてくれると思うんだ」

 

「っ」

 

「父さん、喜ぶだろうなあ。吾郎の活躍を聞いたら、息子だって認知してくれるかも!」

 

「……僕を、認知する……?」

 

「そうだよ! そうすれば、俺も吾郎のことを弟だってみんなに自慢できるようになる。一緒に暮らすこともできるようになる。――俺、吾郎が弟だったらよかったのにって、ずっと思ってたんだ!!」

 

 

 僕が嘗ての“明智吾郎”と同じような存在としてここにいたら、智明の甘言にフラフラと吸い寄せられていただろう。

 

 奴らの甘言に乗っても意味がないことは、()()()が一番よく知っていた。僕の中にいる“明智吾郎”が嘲り笑う。そんな甘言に揺らぐ必要など無いのだ。

 だって、()()()には大切な伴侶(パートナー)がいる。怪盗団の仲間たちもいる。尊敬できる大人たちや、愉快な保護者たちだっているのだ。今更、獅童の元へ行こうとは思わない。

 切り捨てられると分かっている。切り捨てるために欲しているのだと気づいている。愛されたいという願望によって曇っていた僕の瞳は、真実をはっきりと見出した。

 

 霧が晴れた先に待ち受けるのは底なしの闇だ。数多の悪意で造り上げられた世界に、標も持たずに飛び込むなんて愚の骨頂である。

 僕の標はちゃんとある。今まで僕が歩いてきた旅路、共に未来を生きようと笑ってくれた大切な人の笑顔、仲間たちが待つ場所。

 

 だから――

 

 

(お前らの思い通りに動くと思ったら、大間違いだ――!!)

 

―― お前らの思い通りに動くと思ったら、大間違いだ――!! ――

 

 

「――僕も、智明さんのこと、兄さんって呼びたかったんです」

 

 

 表で感極まったように笑い、裏で不敵に嗤い返す。

 ここからが、()()()の戦いの始まりだ。

 

 智明は嬉しそうに笑った後、僕に手を差し出してきた。僕はその手を握り返す。

 

 智明は立ち上がり、「それじゃあまたね」と言い残して去っていく。僕も奴の背中を見送った。――刹那、僕の周辺が突如ざわめきに包まれた。

 慌てて周囲を見ると、駅にはいつの間にか人が沢山現れた。駅には既に電車が止まっている。……僕が乗ろうとしていた電車だ。

 僕は慌てて電車に飛び乗った。空いている席に腰かける。ふと見れば、“明智吾郎”が心底愉快そうに笑っていた。僕も笑い返す。

 

 

(負けるつもりなんて、微塵もない)

 

 

 決戦に向けての大一番が、始まった。

 

 

◇◇◇

 

 

 冴さんのパレス――カジノは今日も満員御礼。誰も彼もが賭け狂っている。僕が潜入時に見つけていた侵入口ルート――非常口から照明を伝うようにして突っ切れば、カジノのメインフロアはすぐそこだ。

 

 メインのエレベーターがあるが、クラブのメンバーズカードがなければ入ることができない。勿論、メインフロアでメンバーズカードの話を聞きだそうとしてみたが、みんな賭け狂っているのに忙しいらしく、まともな情報が手に入らなかった。

 考えられる候補は、顧客情報に関するシステムがあるフロア――即ち裏方であるバックヤードが妥当だろう。以前潜入したときは奥深くまで進むことは叶わなかったけれど、仲間たちがいるなら、シャドウの出現地帯を通り越して進むことは不可能ではない。

 意気揚々とバックヤードに忍び込んだ僕たちだが、僕が潜入したとき以上にシャドウがわんさか蠢いている。……パレスの主が警戒を強めているのだろうか? 僕が顎に手を当てて考えていたとき、僕の中にいた“明智吾郎”が声をかけてきた。

 

 

―― 力を使え ――

 

 

 “彼”に促されるまま、僕は自分の仮面に手をかけた。

 身に纏っていた反逆の意思は姿を変える。

 

 

「――顕現せよ、ロキ!」

 

 

 顕現したロキは剣を振るう。嘗ての“明智吾郎”は、この力を『廃人化』や精神暴走を引き起こすために使っていた。

 

 けれど、僕の場合は違う。シャドウの認知を操作するという点は一緒だが、奴らの注意を逸らすことに特化しているようだ。ロキの力を受けたシャドウたちは、僕らが目の前にいるのに無視してどこかへと去ってしまう。先程までひしめいていたシャドウの大半がいなくなってしまった。

 ()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――“明智吾郎”は悪戯っぽい笑みを浮かべた。多分、切羽詰ったときになって初めて教えるのであろう。今はこれ以上語らないのだろうなという予感があった。

 

 

「それが、クロウの新しいペルソナの力か……」

 

「無駄な戦闘を避けるのには重宝しそうだね!」

 

「他にも使い道はありそうだな。色々使ってみてもいいかもしれん」

 

 

 ジョーカーが感心したように僕らを素通りするシャドウたちを見つめる。パンサーが小さく握り拳を作って笑い、フォックスが興味深そうに僕のペルソナを観察していた。

 “明智吾郎”がロキを使っていたときは赤黒い光を纏っていたのだが、今、俺が顕現しているロキは青白い光を纏っている。同じペルソナでも人によって姿が変わるものだ。

 それは能力にも影響を与えるらしい。僕の使うロキの力が“明智吾郎”の使うロキの力と違っていたとしても、なにもおかしいことではない。

 

 パレス攻略を進めながら、時にはロキの力を有効活用するための手立てを考える。今のところ、シャドウの気を引いている隙に背後から襲撃したり、シャドウに気づかれることなくセキュリティキーを拝借したりと、地味だが堅実な使い方ができた。

 

 ロキは戦闘面でも高い能力を持っており、防御を捨てて攻撃力を強化するデスパレード、万能属性物理攻撃であるレーヴァテイン、攻撃反射のカーン系スキル、呪怨属性攻撃や火属性の攻撃を得意としていた。耐性は祝福と呪怨で、弱点属性は無し。これなら、怪盗団たちの足を引っ張ることはないだろう。

 但し、新たな力を手に入れたのは僕だけではない。スカルのキャプテンキッドはセイテンタイセイに、パンサーのカルメンはヘカーテへと覚醒していた。弱点属性は変化していないが、覚醒前より能力は上昇している。いずれ他の面々もペルソナを覚醒させるのであろう。

 

 

「2人のペルソナがああだとすると、私のペルソナであるヨハンナはどうなるのかしら?」

 

「わたしのネクロノミコンは、覚醒したらどうなるんだろーなー!? 楽しみー!」

 

「俺のゴエモンはどうなるんだろうか……」

 

「私のミラディも、いずれは新しい力を得るんでしょうね。どんなペルソナになるのかしら」

 

「ワガハイのゾロも、いずれは覚醒するのだろうな。そうなったら、ワガハイもニンゲンに……!?」

 

 

 ペルソナが覚醒していない仲間たちが、自分のペルソナの進化に思いを馳せる。特にモナはクマの一件――元々は空っぽの着ぐるみを象ったシャドウだったが、ペルソナの覚醒によって人間としての姿を手に入れた――に希望を捨てられないようだ。夢を馳せるように目を輝かせている。

 

 手に入れたセキュリティキーを使って扉を開く。通気口を通って道を探していくうちに、監視フロアらしき場所へと辿り着く。見張りは監視カメラに夢中でこちらに気づかない。

 おまけにこのフロアは、監視カメラだけではなく、顧客データに繋がる端末が置かれていた。ナビが獲物を見つけた肉食動物のように舌なめずりする。

 このフロアの見張りシャドウは一体だけだ。ロキの能力――シャドウの気を逸らす――を使わずとも、充分戦えそうである。僕らは勇んで飛び出し、シャドウに攻撃を仕掛けた。

 

 シャドウを撃破するまでそんなに時間はかからなかった。泥が爆ぜるような音を立ててシャドウが消え去る。すると、床に1枚のカードが落ちていた。

 どうやらこれがメンバーズ・カードのようだ。但し、利用者の名前は一切記載されていない。……もしかして、未登録(ブランク)カードだろうか?

 

 

「こういうの、登録されてないと使えないよね」

 

「ナビ、お願いできる?」

 

「むふふ、そういうのは任せろ!」

 

 

 僕が未登録(ブランク)カードを観察していたら、ジョーカーから頼まれたナビが胸を張って頷いた。

 ハッキング系列はナビの得意分野である。僕は彼女へカードを渡した。

 

 

「そういえば、名義どうする?」

 

 

 ナビは早速端末を使おうとして、ふと止まった。確かにナビの指摘通り、名義をどうするかは大事な問題である。適当に付ければすぐ嘘だとバレるし、本名なんてもってのほかだ。

 最初は『タナカ・タロウ』で登録しようとしたが、流石にバレるだろうと思ったらしい。何かいい名前は無いかと、ナビはジョーカーに視線を向ける。

 ジョーカーは少し考えるような動作をした後、僕に対してちらりと視線を向けた。眼差しの意図が分からず僕は首を傾げる。ジョーカーは悪戯っぽく笑って口を開いた。

 

 

「『アケチ・レイ』で」

 

「!?!?!!?」

 

 

 待ってほしい。色々と待ってほしい。僕は派手に咳き込み、ジョーカーに向き直った。

 

 ジョーカーは相変らずいい笑顔を浮かべていた。彼女には一切恥ずかしがっている様子がないのが悔しい。

 どうしてジョーカーはそんなことを言いだしたのだろう。僕は思わず声を上げた。

 

 

「なんでそんな名前を提案したんだい!?」

 

「だって、クロウはいずれ有栖川姓を名乗るでしょう?」

 

「そりゃあ、有栖川家の血を引く直系の跡取りはジョーカーだけだ。だから僕が婿養子になるのは当然だけど……」

 

「だから思ったんだよ。『もし私が嫁ぐ側だったらどうなるんだろう』って」

 

 

 先程まではライオンハート宜しく不敵な笑みを浮かべていたはずのジョーカーが、頬を薔薇色に染めながらはにかむ。僕の婚約者が可愛い生き物すぎてつらい。

 僕は漠然と『自分が婿入りして有栖川吾郎になる』ものだとばかり考えていたから、『黎が嫁入りして明智黎になる』なんて考えたことはなかった。

 正直に言う。いい響きだ。僕が有栖川姓になるのもいいが、黎が僕と同じ明智姓になるのも浪漫があると思う。実際あり得ないからこそ、尚更。

 

 ……まあ、僕としては、黎と家族になれるのなら、姓など些細な問題でしかないが。

 

 ジョーカーたっての希望で、カードの名義は『アケチ・レイ』となった。どこかにあり得たかもしれない可能性の1つ――僕の元へ嫁いできた花嫁の名前。なんだか心の奥底がざわめいてきた。正直な話、凄く照れ臭い。

 ナビは死んだ魚みたいな目をしながら「まかせろー」と言って端末を操作した。棒読みだった。ナビは名義を登録するついでに、パレス内部の地図をハッキングして入手していた。流石はハッキングのプロである。

 

 メンバーズカードを手に入れたため、ようやくエレベーターを利用することが可能になった。

 ジョーカーが照れ照れとした笑みを浮かべてカードを観察している。微笑ましい光景だ。

 

 

「あ、丁度いい。お誂え向きに出口があるぜー」

 

「よーし、長居は無用だな。急いでずらかるぞ」

 

「これでもう、メインフロアのエレベーターが使えるようになってるんだよね?」

 

「地図を参考にすると、来た道を戻るよりも出口を通った方が近道だわ」

 

 

 スカルが、モナが、パンサーが、クイーンが、どこか元気のない声――むしろ棒読みと例えた方がいいかもしれない――で会話を始める。よく見れば、ノワールとフォックス以外の面々の目が死んでいた。面々は僕たちの行動を待っているらしい。

 仲間たちの言葉にジョーカーが頷き、先導するようにして通気口を進んだ。通気口の出口から壁を伝って、メインフロアへと帰還する。早速エレベーター前へと戻って来た僕たちは、早速メンバーズカードを使ってみた。

 

 このメンバーズカードは、流石のナビでも“内蔵データを改竄することができない”仕組みになっているらしい。カードを入手した時点で、僕たちはようやく“ゲームの参加者”として認められたようだ。

 現在、僕たちが行ける場所は一般フロアとメンバーズフロアのみ。成程。駆け出しの参加者が、何のコネや実績もなくパレスの支配人――冴さんがいるであろうフロアに行く権限は存在しない。

 

 とりあえず僕らはスタンダードフロアへ足を踏み入れた。認知存在から耳にした遊戯フロア――ダイス、スロット等が主軸になっているらしい。

 

 僕らが周囲を見回していると、黒服を引き連れた1人の女性が現れた。黒を基調にした派手なメイクに身を包み、大胆なスリットが入った黒の背中開きドレスと帽子を身に纏った女性――彼女がパレスの支配人である新島冴さんのシャドウ。

 戦闘かと身構える僕たちを鼻で笑った冴さんは、「勝ち続けなさい。貴女たちが上り詰めてきたなら、そのときは相手してあげる」と宣言した。僕らは完全に見下されている。冴さんは僕らを一瞥すると、あっという間に姿を消した。

 

 

「今までのヤツとは勝手が違うな。力じゃなくて策で来るタイプか……」

 

「誰が相手であろうと、私たちのすべきことは変わらないよ」

 

 

 モナがううむと唸る。他の仲間たちも難しい顔をして考え込んでいた。

 そんな中でもジョーカーは不敵に微笑んだ。躊躇うことなく施設内へと足を進める。

 リーダーの背中を追いかけて、僕らも先へ進んだ。

 

 ――さあ、ここからが正念場だ。

 

 僕は手を握り締める。決意を新たに、冴さんのパレス攻略は幕を開けた。

 

 




魔改造明智の文化祭、敵からの圧力、パレス攻略開始回となりました。不穏な気配にギリギリしつつ、所々で魔改造明智と黎がきゃっきゃうふふしてます。他の周りも漏れなく巻き込まれている模様。一番の被害者はモルガナで、春と祐介以外の目が死んでいる件について。
新島パレス攻略開始とともに、頼れる大人たちが敵として戦場に引っ張り出されることが決まったようです。でも、魔改造明智は逆にそれを利用できるのではないかと思い至った様子。原作とは違った理由――最終決戦の前哨戦として『神』と獅童に挑む魔改造明智の明日は何処か。
一線を越えてから割と自重しないバカップルのお花畑具合共々、生温かく見守って頂ければ幸いです。新島パレス編は5~6話構成になりそうですね。


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同一人物漫才、Inカジノ

【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 @空本(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄で明智の保護者その1。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
 @獅童(しどう) 智明(ともあき)⇒獅童の息子であり明智の異母兄弟だが、何かおかしい。獅童の懐刀的存在で『廃人化』専門のヒットマンと推測される。詳しくは中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『運命を切り開くだけの簡単なお仕事』および『ペルソナ3異聞録-.future-』、Pixivの『2周目明智吾郎の災難』および『【一発ネタ】有栖川黎の幼馴染』の設定を下地にし、別方向へ発展させた作品である。
・ジョーカーのみ先天性TS。
 ジョーカー(TS):有栖川(ありすがわ) (れい)⇒御影町にある旧家の跡取り娘。旧家制度は形骸化しているが、地元の名士として有名。身長163cm。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空本(そらもと) (わたる)⇒明智の保護者2で、南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。
・敵陣営に登場人物追加。
 @神取鷹久⇒女神異聞録ペルソナ、ペルソナ2罰に登場した敵ペルソナ使い。御影町で発生した“セベク・スキャンダル”で航たちに敗北して死亡後、珠閒瑠市で生き返り、須藤竜蔵の部下として舞耶たちと敵対するが敗北。崩壊する海底洞窟に残り、死亡した。ニャラルトホテプの『駒』として魅入られているため眼球がない。この作品では獅童正義および獅童智明陣営として参戦。但し、どちらかというと明智たちの利になるように動いているようで……?
・「2罰ボスの外見を見た人間の反応」に関するねつ造設定がある。
・普遍的無意識とP5ラスボスの間にねつ造設定がある。
・『改心』と『廃人化』に関するねつ造設定がある。
・春の婚約者に関するねつ造設定と魔改造がある。因みに、拙作の彼はいい人で、春と両想い。
・とあるペルソナが解禁時期を前倒しで出現。但し、本来の力は発揮できていない。


 ――少々、時間を巻き戻して。

 

 

 

 『アケチ・レイ』のカードを手に入れた怪盗団の面々が、次々と部屋から出ていく。

 仕事を終えたナビも、「リア充ばくはつしろー」と棒読みで吐き捨てながら、仲間たちへ続こうとしていた。

 

 

「ねえナビ。ちょっとお願いがあるんだけど、いいかな?」

 

 

 僕に声をかけられたナビは、怪訝そうな顔でこっちを睨んだ。

 

 

「何をするんだ?」

 

「上手く言えないけど、保険をかけておこうかなと思って」

 

「保険? ……もしかして、“明智吾郎”の指針に絡んでるのか?」

 

 

 ナビの問いに頷いた僕は、彼女にひっそりと耳打ちした。

 

 

「もう1枚、メンバーズカードを作ってもらえないかな? ――『アリスガワ・ゴロウ』名義で」

 

―― いや、名義までは指定してねーよ!? ――

 

(でも嬉しいんでしょう?)

 

―― 通販番組の合いの手みたいなノリで言うな!! ――

 

 

 顔を真っ赤にした“明智吾郎”が噛みつくようなツッコミを炸裂させる。

 僕の言葉を聞いた途端、一瞬にしてナビの目が死んだ。

 

 

◇◇◇

 

 

「しかし、パレスに来てギャンブルをする羽目になるとは思わなかったな」

 

「おまけに、さっきのシャドウディーラー、ワガハイたちが来ることを予期してたみたいだ。……現状、敵の方が一枚上手ってトコか?」

 

 

 フォックスが顎に手を当てて呟く。モナは警戒心をあらわにしながら、先程シャドウのディーラーから手渡されたコイン1000枚と地図を覗き込んでいる。

 初挑戦者である僕たちに対して「挑戦スタート記念としてコインを贈呈」してきたことは、冴さんは余程“自分は決して負けない”自信があるらしい。

 

 

「それに関しては想定内だ。ここから巻き返すんだろ?」

 

「うん! えーと、確か、初心者向けは『ダイスゲーム』だよね? そこで堅実に稼いでいけば……」

 

 

 僕の意気込みを聞いたノワールが頷き、ディーラーから聞いた話と地図を重ね合わせていた。ダイスゲームに関するフロアは、丁度僕たちの真正面にある扉の先にあるようだ。だが、ディーラーの説明はまだ終わっていなかったらしい。

 ディーラーは「他にも、ここではコインと景品の交換を行っています」と付け加えた。景品の中にはハイレート用のメンバーズカードが含まれており、必要コインは5万枚である。今の僕らの手持ちの50倍だ。

 冴さんの言った「勝ち続けろ」というのは、“カジノでコインを貯めて、各フロア用のメンバーズカードを手に入れてこい”という意味だったのだ。あまりにも膨大な量に、仲間たちが顔を引きつらせる。

 

 そんな僕らを見て哀れ――いや、おそらくは“いいカモ”――だと思ったのだろう。

 ディーラーは「所持コインと同額までならコインのキャッシュを行っている」としたり顔で申し出てきた。

 

 勿論、親切心からではない。コインのキャッシュは現実世界で言う借金と同義だ。スカルが顔真っ青にして首を振った。

 

 

「しねーよ!? 他人の頭ン中で、得体の知れねーカジノにド借金とか怖すぎるわ!」

 

「金城の人間ATMとか、珠閒瑠でCD女って呼ばれてた人がいたって話を思い出すなあ」

 

「ジョーカー、そういう話はやめて頂戴。特に前者」

 

 

 相変わらずのライオンハートで微動だにしないジョーカーは、のんびりとした様子で頷いた。金城のパレスから攻略に参加したクイーンが頭を抱える。

 金城の元へ飛び込んで奴に脅されたことは、クイーンにとって痛い部分だからだ。最も、このパレスのコンセプトは金城のものと全然違うのだが。

 

 

「今のお姉ちゃんの言動から考えると、このカジノ、確実にイカサマが行われていると思うわ。『証拠をでっちあげることを厭わない』ってことは、『勝つためには手段を択ばない』という点にも通じている」

 

「だろうね。あの意気だと、ダイスゲーム以外の遊戯にも仕込みがされているだろう。馬鹿正直に稼ごうとすれば確実に負ける。……イカサマを上手く活かさなきゃな」

 

 

 凹んでいたところから立ち直ったクイーンが、現実世界の冴さんとパレスの内情を照らし合わせて分析する。僕もそれに補足を付け加えながら頷いた。

 

 日本における裁判の有罪率は99.9%。警察組織が優秀な証拠の1つとして挙げられるが、捜査官だって人間だ。時には自分の手柄を手にするため、時には大物からの圧力が絡んで、白を黒にするため――あるいは黒を白にするためのでっちあげを行うこともあり得る。

 冤罪事件が取り沙汰されるのは『とても珍しいこと』なのだ。一度罪が確定してしまうと、真犯人の証言と『無罪である』という精度の高い証拠が出てこない限り、罪状を覆すことは難しい。……まあ、権力が絡めばその限りではないのだろうが。

 勿論、このまま無実の罪で捕まるわけにはいかない。特にジョーカーは、無実の罪によって理不尽な目にあわされることの辛さや苦しみを知っている。これ以上、彼女をそんな目に晒すつもりはない。僕はひっそりと決意を固めた。

 

 ついでに、裏工作がてら『アリスガワ・ゴロウ』名義のカードに下準備を施しておく。

 仲間たちに名前を呼ばれた僕は、慌てて彼らの後に続いた。

 

 ダイスゲームを行うためのフロアへ足を踏み入れる。フロアの内装を見たフォックスは「風情がないな」とぼやいた。カジノに風情を求めてどうするつもりなのだろう。彼の感性についていけないパンサーが首を傾げた。

 早速フロアを探索してみると、どこかへ繋がる通気口を発見した。潜って先へ進んでみると、そこはダイスゲームフロアのバックヤードである。カジノ自体がイカサマの温床なら、その証拠を入手してしまえばいいのだ。

 

 

「上手くいけば、私たちに有利になるように仕掛けを調整できるかもしれないね」

 

「よっしゃ! 早速証拠を探そうぜ!」

 

 

 ジョーカーの意見に従い、僕たちはバックヤードを探索することにした。シャドウを倒しながら奥に向かうと、物々しい部屋を発見する。

 そこにはシャドウの作業員が常駐しており、モニターにはダイスゲームフロアの遊技場が映し出されていた。

 

 

「ココがイカサマの制御室か……」

 

「凄い設備だな! そこまでしてでも勝ちたいか……!」

 

 

 シャドウの様子を確認しながら、モナとナビが渋い顔をする。あのシャドウがイカサマを制御する役を担っているのだろう。

 奴が制御を行い続ける限り、僕たちは永遠に勝つことはできないだろう。奴を倒せば、良くて五分五分に持ち込める。

 最も、五分五分になっただけでは5万枚など稼げない。イカサマを利用することは最初から決まっていた。

 

 

「よし、仕掛けよう!」

 

 

 ジョーカーの音頭に従い、僕たちはシャドウに襲い掛かった。不意打ちを浴びせると、シャドウは呻きながらも戦闘態勢を整える。奴は舌打ちし、僕らに攻撃を仕掛けてきた。

 

 

(――ッ!?)

 

 

 頭の奥底を揺さぶられるような感覚に眩暈がする。霧がかかってしまったように、意識がおぼつかない。それでも、戦わなければならないという意志はまだ折れなかった。

 敵はどこだ。まともに回らない頭を叱咤しながら、僕は突剣を構える。こんな所で倒れている暇はないのだ。戦わなければ、倒さなければ、先へは進めない――!

 

 どこからか声が聞こえてくる。切羽詰った声。うまく聞き取れないが、怪盗団はあのシャドウによって不利な状況に陥ったらしい。

 

 四方八方から怒号が響く。何とかしなくては。何とかして、この危機を切り抜けなければ――その一心に突き動かされるようにして、僕は突剣を振るった。刃物とぶつかり、耳障りな金属音が響く。派手な剣載。

 敵の動きは、まるで僕の攻撃をいなすようにして振るわれている。こちらの手の内をよく知っているのか、相手が僕の攻撃に対応したのか……どちらにしても厄介だ。隙を見つけて仕掛けるしかあるまい。

 僕が舌打ちした次の瞬間、敵の動きが止まった。その隙を逃さず僕は駆け出す。ほぼ無防備となった敵に対し、僕は突剣を振るった。確かな手ごたえを感じ取り――

 

 

「――■■■■■」

 

 

 豪、と、凄まじい風が吹き荒れた。

 

 刹那、僕の背後から断末魔の悲鳴が響き渡る。今のはシャドウのものだ。何故、僕の背後からシャドウの悲鳴が聞こえてくるのだろう?

 いいやそれより、今のがシャドウの断末魔だと言うならば。――()()()()()()()()()()()()()()()()?

 

 茫然とする僕を見下ろしていたのは『6枚羽の魔王』。鴨志田のパレスでジョーカーが顕現したペルソナだった。

 『6枚羽の魔王』の姿は溶けるように消えて、現れたのはシルクハットを被った怪盗のペルソナ――アルセーヌ。

 一歩遅れて、僕の頭に情報が叩きこまれていく。僕が振るった突剣が傷つけたのはシャドウでも何でもない。

 

 

「……ジョー、カー……?」

 

「よかった、クロウ。元に戻ったんだね」

 

 

 他のペルソナを顕現して治療術を使いながら、ジョーカーは安心したように微笑んだ。その際、彼女の頬を一筋の涙が伝う。

 

 

()()()()()()()

 

―― またいなくなってしまうのかと思って、怖かった ――

 

 

 ……“ジョーカー”は、“明智吾郎”と戦ったことがある。その戦いで“ジョーカー”は“明智吾郎”を降した。その後に発生した出来事で、満身創痍となっていた“明智吾郎”は自身を足手まといと判断し、“ジョーカー”や怪盗団を先に進ませるために死を選んだのだ。

 敵に操られた僕の至らなさを責めるのではなく、戦いの末に僕を失わずにすんだことを喜び安堵している――そんなジョーカー()()の姿が痛々しくて、彼女をそんな風にしてしまった自分が不甲斐なくて、僕はくしゃりと顔を歪ませた。

 

 僕の中にいる“明智吾郎”も同じ気持ちだったようで、“ジョーカー”を抱きすくめたまま動かない。誰にも顔を見られぬようにしている。酷い顔をしている気配は確かだ。

 守りたかった。大切だった。そんな相手を、僕が傷つけた。どこかの世界ではあり得たこと、あり得た結末――“謂れなき罪”と“理不尽な罰”が、()()に影を落とす。

 「大丈夫だよ、クロウ。先へ進もう?」――ジョーカーに促された僕は頷き、立ち上がる。仲間たちも敵に操られて同士討ちをしていたらしく、誰も彼もがボロボロだ。

 

 

「ホント、酷い目にあったな~」

 

「あの状態異常には注意しなきゃね」

 

「洗脳だな。ああいう手合いには二度と会いたくないぞ……」

 

 

 スカルが頭を掻き、クイーンが深々とため息をつく。ナビも渋い顔をして頷いた。

 

 傷を癒し終えた僕たちを見計らって、ナビは制御装置をハッキングした。1か所だけにイカサマを仕掛け、他のフロアはイカサマを解除するに留めておく。地図に付けられた印を頼りに、僕たちは再びダイスゲームのフロアへ戻って来た。

 イカサマを仕掛けたフロアにやって来た僕らは、早速ダイスゲームに挑戦した。僕らが宣言した数字通りに、ダイス目の数値は変動する。大当たりの連発で、あっという間にコインが増えてきた。ある程度稼いだ僕たちは、フロアを後にした。

 

 

「さっきのすっごく爽快だった! 気分いい!」

 

「勝利の味は甘美だからね。それに味を占めてしまった結果、勝つためにイカサマを仕掛けたり、ギャンブル依存症になったりする人もいるんだろう」

 

「今回はイカサマによる予定調和だ。だけど、どんな形でも勝利を積み重ねた結果、イカサマをしているっていう後ろ暗さが薄くなるんだろうな。……獅童が『廃人化』事件を推し進めたのも、そんなくだらない理由だったのかも」

 

「そう考えると、ちょっと怖いわよね。『正義を貫いて勝った結果、確かな成果を得る。すると、更なる勝利を得ようとし始める。結果、勝って成果を得ることが目的になってしまう』……」

 

「目的と手段が入れ替わってしまう、か。一歩間違ったら、私たちもそうやって目的を見失っていたのかもしれないね……」

 

 

 真剣な面持ちで会話している女性陣の会話が遠い。

 むしろ、カジノの喧騒自体が遠い国の出来事みたいだ。

 

 

「…………」

 

 

 足取りが重い。白い手袋が真っ赤に染まったような幻が、頭から離れてくれない。時折ぶれるようにして重なる幻影――黒い霧を纏ったような異形の手も真っ赤だ。

 “謂れなき罪”と“理不尽な罰”。どこかの世界には、復讐を成就させた“明智吾郎”もいたのかもしれない。動かなくなった骸を冷ややかに見つめる、“僕/俺”。

 絶対に考えたくないことだが、『珠閒瑠以外の街と国および人々が滅んだ世界』という前例もある。僕の与り知らぬどこかでは、存在していてもおかしくないだろう。

 

 “ジョーカー”を手にかけた“明智吾郎”は、どんな気持ちだったのだろう。僕は“明智吾郎”に視線を向ける。“彼”は険しい顔をしたまま、口を真一文字に結んでいた。あの様子からして、「知っているけれど教えたくない」もしくは「知っているけれど口に出すことが辛いし悍ましいことである」らしい。

 

 『怪盗団の仲間として、有栖川黎/ジョーカーの相棒(パートナー)として傍に在りたかった』――()()()はその想いがあったから、願いがすべて叶った人生を手にしたのだ。だから、間違っても、もう二度と彼女を傷つけるようなことはないと思っていた。正しい形で守れると思ったのに。

 敵の術中に嵌ってジョーカーに攻撃を仕掛けるなんて、最悪だ。彼女を傷つけるような存在に成り下がるくらいなら、獅童正義の元へ突っ込んで奴と心中する方がまだ有意義である。ましてや、彼女をこの手にかけようとするだなんて言語道断。ああもう嫌だ。こんな僕なんて、今すぐ消えてしまえばいい――!!

 

 

「なあクロウ。ちょーっと来てくれねーか?」

 

「……え?」

 

「お前に用があるんだ。悪い話ではない」

 

 

 僕に声をかけてきたのはスカルとフォックスだった。僕が何かを言う前に、2人に拘束され引っ立てられる。女性陣は僕らの不審な行動に気づいたようだが、スカルとフォックスは「クロウは野暮用があるらしく、自分たちは同行を頼まれた」と言い張った。何が何だかよく分からない――話半分上の空状態という酷い有様――のまま、僕は2人の言葉を肯定する。

 

 

 結果、僕ら男性陣は何故かダイスゲームフロアへと戻ってきた。 

 スカルとフォックスの手には1000枚分のコインが抱えられていた。

 

 

「……それで、何をするの?」

 

「何、って、コインを増やすに決まってんだろ?」

 

 

 スカルは当たり前のように言い切った。コインを増やすために、僕たちは次のゲームであるスロットをプレイしに行くはずではなかったのか。

 僕から無言の問いかけを向けられたスカルとフォックスは大仰にため息をつくと、やれやれと言わんばかりに肩を竦めた。

 

 

「お前、洗脳されたときのことをずっと引きずってるみたいだから、心配になってな。このまま先に進むのはダメだって思ったんだ」

 

「失敗しても挽回はできるぞ? それがどんな形であってもだ。俺の場合は金銭絡みの失敗が多いが……」

 

 

 そう言いながら、スカルとフォックスが僕の肩を叩いた。僕は目を丸くする。「『コインを増やす』という方法で、先の失敗を挽回して来い」という2人の気遣いらしい。

 ()()2()()()()()()()()()()()()()()()()――“明智吾郎”は呆気にとられた様子だった。“彼”の世界で起きた出来事と、目の前の光景を比較している。

 “明智吾郎”は怪盗団からの信頼を得るために、自分がどれ程有能かを示そうとしていた。そのために、様々な策――その多くが自作自演――を練っていたのだ。

 

 コインを荒稼ぎしたり、自作自演でありながらも鋭い分析を披露したり、戦闘でも活躍の機会を伺ったり、怪盗団の面々――特に“ジョーカー”には好意的に接したり。

 

 獅童正義への復讐のため、怪盗団を使い潰すため――その布石として、“明智吾郎”はダイスゲームフロアへとんぼ返りした。

 肉体労働役としてスカルを伴い、3000枚のコインを2倍の6000枚に増やして見せたのである。先のやり取りとは全然違う理由だった。

 

 

―― ……馬鹿だなぁ、コイツら ――

 

 

 ……だから、だろう。スカルとフォックスが僕の心配をしてくれて、失敗を挽回するためのお膳立てをしてくれたことに対し、“明智吾郎”は悪態をついた。

 言葉に反して“彼”は嬉しそうだった。泣き笑いの表情を浮かべている。泣き顔は不細工らしい。僕の考えていることが伝わったのか、“彼”は眉間の皺を深くした。

 

 

「……ごめん」

 

「謝るなって! 仲間だろ?」

 

「謝罪を求めたわけじゃないぞ」

 

「分かった。ありがとう」

 

「「どういたしまして!」」

 

 

 顔を見合わせて笑う2人に、僕も笑い返す。そうして再びダイスゲームに挑んだ僕は、コインを3000枚にして女性陣たちの元に合流した。

 

 僕がそわそわと視線を彷徨わせ、スカルとフォックスがやたらと「クロウが頑張った」と力説したことから何かを察したのだろう。女性陣は苦笑しつつ、ちらりとジョーカーに視線を向けた。ジョーカーは静かに微笑んで、僕を褒めてくれた。……ちょっとだけ、ホッとした。

 これで、怪盗団が所持するコインは6000枚。次はスロットルームへ向かう。そこにはシャドウが待ち構えており、「殺してしまっても構わないと命じられた」と宣言して襲い掛かって来た。……激怒状態になったクイーンにぶん殴られて消滅してしまったあたり、何をしに来たのか分からないが。

 

 

「こんだけ派手に戦ってるのに、周りのお客さんは一切反応ナシ?」

 

「ニージマの認知が“そう”なんだろうよ。周りで何が起きたって関心がない――要するに、自分の勝利(コト)以外にゃ興味を示さねぇ、ってな」

 

「確かに、前のフロアと反応が違うわね。……裁判所の中でも、そういった傾向が強いのかしら?」

 

 

 ダイスルームと同じように、ここにもイカサマが仕掛けられているのだろう。僕らはフロアを散策し、イカサマの制御システムを探し回った。ついでに、高レートのスロットも探してみる。どうせイカサマするなら稼げるところに仕掛けた方が効率がいいためである。

 奥のフロアに足を進めると、前のフロア以上にスロットマシンが配置されていた。人の賑わいっぷりからして、ここがスロットのメインフロアなのだろう。僕たちは周囲を散策していると、フロアの一番高台に、大きなスロットマシンが鎮座していた。

 

 1プレイにつき5000枚。チェリーが揃えば5000枚、BARなら1万枚、777ならば5万枚とのことだ。リスクが大きい分、当てた際のリターンも大きいようだ。

 このスロットにイカサマを仕掛ければ、5万枚なんて一発で稼げるだろう。ナビの情報から、僕たちはスロットマシンの周辺を散策してみる。

 程なくして、スロットの端末を見つけた。ナビは舌なめずりしながら端末を操作する。ニコニコ顔だった彼女だが、端末を操作すると表情を曇らせた。

 

 

「……これはひどい。このままじゃ尻の毛までむしられてたぞ」

 

「イカサマは解除できそう?」

 

「ここからじゃ無理だな」

 

 

 クイーンの問いに、ナビは首を振った。ナビ曰く、「このフロアのあちこちには、色で区別された制御盤がある」らしい。その中で、赤と緑の制御盤であれば操作が可能とのことだ。ナビの予想分析によると、スロットゲームフロアの入り口付近と従業員通路のどこかだという。

 言われたとおりに探索してみた。フロアの入り口付近で赤い制御盤を発見し、ナビに操作してもらう。次は従業員フロアだ。シャドウから身を潜めながら探し回ると、ロッカーをよじ登り、飛び降りた先の小部屋にひっそりと設置されていた。

 

 早速仕掛けを解除し、逆にイカサマを仕掛ける。勝率は100%とまではいかないが、それでも勝率は8割までいじれたらしい。10回中2回は外れる計算だ。

 保険になるか否かは保証できないが、僕はロキを顕現させて力を使った。認知を逸らす力がどれ程役に立つかは分からないけど、できることはやっておきたい。

 

 

「リスクは付き物だけど、できるだけ下げておきたいしね」

 

「クロウ……」

 

 

 僕の言葉を聞いたジョーカーは、嬉しそうに口元を綻ばせた。少しは役に立てるだろうか。力になれただろうか。僕は祈るように目を細めた。

 仕込みを終えた怪盗団一同は、あの大きなスロットの前に戻って来た。……勝率100%じゃないことは不安だが、やるしかない。

 全てはジョーカーの運に掛かっている。仲間たちが心配そうに見守る中、ジョーカーは不敵に微笑みながらコインを投入した。スロットが回り始める。

 

 仲間たちが固唾を飲んで見守る中、スロットの絵柄が止まる。結果は――777。一発必中5万枚確定。

 

 

「ぎゃあああああああああああああ!? 当たった、当たってるよ777!」

 

「やったぜ! さっすがジョーカー!」

 

「「――って、わあああああああああああ!!?」」

 

 

 大喜びするパンサーとスカルだったが、立っていた場所が悪かった。2人の姿はあっという間に、スロット口から噴き出すコインによって飲み込まれる。悲鳴を上げた2人は僕たちで救出した。

 前代未聞のジャックポッドに、周りにいた認知存在の人間たちが騒ぎ始める。僕らのことなど気にしていなかった彼らが一斉に反応するあたり、“他人の大金星にはみんな反応するものだ”とパレスの主は考えているようだ。

 

 ざわついてきた周囲から逃げるように、僕らはフロアの一角へ身を潜める。先程湧いてきたコインはダミーで、演出用のモノだろう。実際はきちんとチャージされているので、怪盗団の所持するコインは5万枚オーバー。メンバーズカードも入手できる。

 正直、できるだけ多く稼いでおきたかったのだが、目的は達成したので良しとしよう。意気揚々と景品交換所へ戻って来た僕らは、早速カードを交換した。早速エレベーターへ向かおうとした僕らの前に、シャドウのバーテンが立ちはだかる。

 見る限り、歓迎しているという空気はない。冴さんの差し金だろう。最も、戦う覚悟なんてとうにできていた僕たちは、気にすることなくずんずんと足を進める。次の瞬間、どこからか放送が響き渡った。声の主は――パレスの主である冴さんだ。

 

 

『小賢しい真似してくれたわね!』

 

「心外だな。僕たちはルールに則っただけなんですが」

 

『私はここの支配人よ。私が勝つことが、ここのルール!』

 

「……うわあ、滅茶苦茶だぁ……!」

 

 

 堂々と宣言した冴さんに、僕は思わず目を逸らした。現実、認知世界、双方の冴さんはなりふり構っていられない状態にあるらしい。

 『お客様にお帰り頂いて』と宣言した冴さんは、僕らにシャドウを嗾ける。現実世界に帰すのではなく、ここで息の根を止めるつもりのようだ。

 

 

「お帰り頂くのはテメェの方だ、黒いの!」

 

「全部こうの方が、面倒がなくていいぜ!」

 

 

 スカルとモナが悪い笑みを浮かべてシャドウと対峙する。僕らも武器を取ってシャドウに襲い掛かった。

 

 荒事は一番の得意分野である。シャドウをあっけなく撃破した僕らは、放送が聞こえてきた場所へ向き直った。冴さんは忌々しそうに舌打ちすると、開き直った。

 刑事事件の有罪率は9割強、検事である冴さんは、それを『絶対に勝てるギャンブルだ』と豪語していた。『賭博を用意するのは検察だ』とも。

 『負けは許されない。たとえ冤罪であってもね!』――あまりの発言に、クイーンは「冗談よね!?」と悲鳴を上げる。妹の叫びも、冴さんには届かないようだ。

 

 冴さんはクイーンの悲鳴を黙殺し、捨て台詞を残して話を一方的に終わらせてしまった。いくら冴さんが精神暴走の被害者であっても、あの言動は許されることではない。

 ……いや、僕が一番冴さんの傍にいたのに、何もできないままここまで来てしまったのだ。僕にだって落ち度がある。

 

 

「クイーン、ごめん。こんなに歪まされてしまうまで、何もできなくて……」

 

「クロウのせいじゃないわ。むしろ、クロウはよくやってたわよ。獅童の情報を手にするだけでも大変なのに……」

 

「――冴さんを助けよう。これ以上、獅童の『駒』に、人の心と人生を滅茶苦茶にさせるわけにはいかない」

 

 

 僕らの不毛なやり取りを止めるようにして、ジョーカーが頷いた。

 冴さんは『支配人フロアまで来い』と宣言している。そこまで駆け抜けて、彼女を『改心』させねばなるまい。

 

 僕たちはエレベーターのあるフロアまで戻ると、早速手に入れたハイレートフロア用のカードを使った。因みに、カードの名義は相変らず『アケチ・レイ』である。閑話休題。

 ナビの分析によると、「ハイレートフロアが最後で、最奥が支配人フロア」とのことだ。意気揚々とハイレートフロアに乗り込んだ僕たちだが、シャドウに止められる。

 スカルの凄みすらさらりと流したシャドウは、「アポはございますか?」と繰り返した。……成程。新たなフロアに入るためには、何らかの条件を満たさねばならないようだ。

 

 冴さんのパレスで閉ざされた場所を開くためには、現実世界にいる冴さんに働きかける必要がある。ロキを顕現して色々試してみたが、“明智吾郎”からは()()()()()()()()()()便()()()()()()()とお怒りの言葉をいただいた。

 

 ……つまり、変質前のロキならば、アレを無視して忍び込めるわけか。

 変質前のロキの力が羨ましいと思ったのは生まれて初めてである。勿論“明智吾郎”からはしこたま怒られたが。

 

 

「検事の認知に深く関わっている……何かあるか?」

 

 

 フォックスの問いに、仲間たちは顎に手を当てて思い思いに意見を述べ始める。

 

 

「わかんねー。けど、現実世界の俺らって“一介の高校生”だよな。もっと言えば、一般人ってことだろ?」

 

「成程。“一般人が入れない”って認知が影響して、ハイレートフロアは閉ざされてるんだな」

 

「検事が入って良くて、一般人が入っちゃいけない場所……」

 

「そっか! ここは裁判所! 裁判所内で“一般人が入れず、且つ、検事が入っていい場所”は――」

 

「――法廷、だね」

 

 

 スカルが首を傾げ、彼の漏らした意見からモナが納得したように頷く。ノワールも唸った。そこで、クイーンがポンと手を叩いた。彼女の言葉を引き継ぐようにして、僕が纏める。

 “一介の高校生たちでは法廷に入れない”――その認知がハイレートフロアの扉を閉ざしているから、先に進むことができないのだろう。悲しいことだが、今日はここで戻るしかない。

 

 

「法廷に入る許可を得るためにはどうしたらいいの? まさか、被告人……!?」

 

「流石に被疑者になるわけにはいかないよ。だからといって、証言者になるのも難しい。……そうなると、妥当なのは傍聴人かな? あれは特別な手続きはいらなかったはずだし」

 

 

 戦々恐々と提案したパンサーの言葉を否定し、ジョーカーが提案する。

 確かに、傍聴人であれば、法廷に入ることはできるだろう。

 ジョーカーの言葉を聞いたパンサーは、ほっとしたように息をついた後、僕に向き直った。

 

 

「ねえクロウ。新島さんが担当してる裁判で、傍聴できそうなのってある?」

 

「ここでは分からないかな。現実世界に戻ったら確認してみるよ」

 

「任せるよ、クロウ」

 

 

 パンサーの問いに頷き返した僕を見て、ジョーカーが静かに目を細めた。

 そのままパレスから脱出し、今日は解散することと相成った。

 

 ――帰る前に、『アリスガワ・ゴロウ』名義のカードを限度額目一杯までキャッシュし、ハイレート用カードに交換しておくことも忘れなかった。

 

 

***

 

 

「吾郎」

 

 

 パレスから現実世界に帰還し、裁判所の前で仲間たちと別れる。

 

 早速調べに行こうとした僕は、黎に引き留められた。

 僕が首をかしげると、黎は真剣な面持ちになった。

 

 

「無理、しないで」

 

「……うん、わかってる。ありがとう」

 

 

 ――ごめん。これから暫くは、ちょっと無理するかもしれない。キミを傷つけるような真似をした分を、何としてでも取り戻したいから。

 

 ひっそり苦笑しながら、僕は嘘をついた。心配そうにこちらを見つめる黎に後ろ髪を引かれる気持ちになりながらも、僕は裁判所へ足を運ぶ。

 情報をひっくり返してみると、冴さんが担当している案件で裁判が行われる案件を発見した。日付は明日だ。お誂え向きと言えるだろう。

 傍聴人になるための特別な手続きは必要ないのだ。僕は即座に手続し、SNSに連絡を入れた。全員が都合をつけ、傍聴に来るらしい。

 

 周囲からの探るような眼差しに晒されたり、冴さん絡みの悪い噂や愚痴を聞かされたり、何故かその場に居合わせていたらしい獅童の配下――特捜部長と鉢合わせしたりしたのをやり過ごした甲斐があったというものだ。

 

 パレスに侵入して体力を消耗していたためか、裁判所でエンカウントした人間たちをやり過ごすことすら重労働に感じる。

 正直、歩くのも億劫だ。適当なホテルに泊まり、始発で自宅に帰った方がいいのかもしれない。

 

 

「――あれ? 吾郎?」

 

「至さん!? なんでここに!?」

 

「仕事の帰り。……もしかしてお前、パレスの帰り?」

 

 

 保護者の至さんは見事に僕のことを見抜いた。目を丸くした僕の様子を見て、至さんはすい、と目を細める。

 

 

「……なんか、怖いことでもあったか?」

 

「……やっぱり、分かる?」

 

「見ればな」

 

 

 「何年保護者やってると思ってるんだ」と至さんは笑った。アラサーのくせに、その笑い方は完璧に子どもみたいだ。にかっとした明るい笑みに、抱えきれずに弄んでいた薄暗い感覚がほんの少しだけ楽になったような心地になる。

 裁判所の前で話し込むのは色々と不味いため、疲れた体を引きずるようにして自宅へ帰還した。相変らず美味しい料理を平らげて、リビングで少し休憩した後、僕は保護者と向かい合う。今日あった出来事を素直に話すと、至さんは「あー……」と苦笑した。

 嘗て、彼も状態異常にかかって仲間と同士討ちをした経験があるが故に――以後も似たような理由でメンタルを凹ませた若者たちを必死に励ましていた経験があるが故に、至さんはどうしようか考えあぐねているみたいだった。僕も、以前は励ます側の人間だった。

 

 でも、自分がそうやって大切な人を傷つけてしまったからこそ分かる。

 取り返しはつかないし、そんな自分を赦すことができない。

 

 

「みんな言うんだ。どんな形でも挽回できるって。竜司と祐介がそのためのお膳立てをしてくれたし、黎も些細なことで褒めてくれたし、冴さんの担当する公判探しも『任せる』って言ってくれた。……でも、そんなのじゃ全然足りないんだ。そんなので、許されたとは思えないんだ。償えたとは思えないんだ」

 

 

 どうすればいいのだろう。どうすれば、自分の身を焼き焦がすような恐怖から――脅迫概念から逃れることができるのだろう。何とかしなくちゃという焦りだけが降り積もって、息ができなくなる。この気持ちだけが先走って、空回りして、僕自身の首を締めあげるのだ。

 

 多分これは、“明智吾郎”の感覚に引っ張られているという側面もあるんだと思う。“明智吾郎”は自分の復讐のために、数多の罪を犯してきた。

 人を殺した。心を許せると思った相手――“ジョーカー”すらも、復讐のために使い潰そうとした。“自身”の歩いてきた道は――犯してきた罪は無駄ではないのだと叫びたくて。

 自分が間違っていたことを認めてしまえば、何もかもが瓦解してしまう。壊れた先には何も残らない。辛い思いをして歩いてきたのに成果がないなんて、そんなの嫌だった。

 

 冴さんのパレスと同じだ。自分の人生を左右する賭け事にのめり込んだ“明智吾郎”は、他者の命をベットした。積み重ねた罪と引き換えに、世間の賞賛や名誉、獅童に重用される――愛されているというまやかしを手に入れていた。

 勝てば勝つほど崩れやすい砂の城。分かっていたからこそ、“明智吾郎”も勝ち続けようとした。自ら進んで獅童の人形に成り下がり、自身の存在を認めさせようと足掻いていた。そのために、更に、ベットする対象――他者の命を進んで使い潰した。

 

 

―― 果てに待つ結末が無意味な破滅であっても、構わなかった。……“ジョーカー”に惹かれ、心を開くまでは ――

 

 

 “明智吾郎”はポツリと呟く。

 

 

―― アイツのおかげで、俺は人形であることを辞めることができた。最期の最期で、胸の奥で燻り続けていた正義を、俺の望むままに……正しく振るうことができた ――

 

 

 悪事に身をやつしながらも、本当は誰よりも正義の味方に憧れていた子ども。正義の味方になって人を助けたいと――それ以上に、正義の味方に助けてほしいと願っていた子ども。

 “彼”は|正義の味方()()()()()()()に救われた。そのおかげで、『自分の正義は死んじゃいない』と気づかされたのだ。だから、そんな正義の味方を助けたいと願った。

 僕から言わせれば勝ち逃げ上等な卑怯者にしか思えないけど、当時の“彼”を取り巻く状況的に、罪を償う時間もなければ度胸もなかった。何もなかったし、誰もいなかったから。

 

 そんな“自分”にできた、唯一無二の存在のためにできたこと――それが、あの破滅。

 

 でも、そのせいで“ジョーカー”は辛い思いをした。その結果がこの世界。数多の祈りと願いによって、()()()の理想が具現化された世界だった。

 この可能性が顕現するに至るまでの痛みを、“ジョーカー”は抱えている。――おそらく、“ジョーカー”の祈りと願いによって生まれ落ちた有栖川黎も。

 

 

「……許さなくていいんじゃないかな」

 

 

 黙って僕の話を聞いていた至さんは、静かに微笑みながらココアを煽った。彼は甘党で、コーヒーや紅茶は砂糖をたくさん入れないと飲むことができないタイプだ。そして、この時間帯にコーヒーを飲むと睡眠に悪影響を与えることを察している。だから彼はココアを飲んでいた。閑話休題。

 「俺なんて存在自体が許されないぞ?」――茶化すように笑った保護者のそれは、明らかな自傷だ。僕はハッとして、慌てて至さんに謝った。数多の業を背負ってでも生きたいと願った善神フィレモンの化身に、こんな話をするべきではなかったのだ。おろおろする僕を制するように、至さんは明るく笑い返す。

 

 

「誰かに許されようと許されまいと、生きていくのはお前自身だ。勿論、生きてりゃ数多の理不尽に苦しめられるけど、生きてなきゃその理不尽を打ち砕くことも、その理不尽から大切な人を守ってやることもできない。むしろ、生きてなきゃできないことが多いんだよ」

 

「至さん……」

 

「俺、蝶じゃなくて烏でいたかったんだ。後輩たちを先導して、理不尽を強いてくる『神』を倒すための助力がしたかった。自分が理不尽をばら撒く存在であるからこそ、それを止めたいって思った。そんな理不尽から守りたいって思った。……現実は厳しいけどな。昔も今も、災厄をばら撒くだけの存在でしかないし――」

 

「――それは違う!」

 

 

 僕は叫ぶようにして首を振った。至さんは目を丸くする。これ以上、保護者の自嘲を見たくなかった。

 

 

「あんたは俺にとって、一番最初に出会った憧れの大人だ。理不尽に打ちのめされても絶対に諦めないで、自分にできることを精一杯やってる。完全無欠じゃなくても、無様でも、自分がどうすれば正義の味方を助けることができるのかを熟知して、そのための手助けに全力を尽くしてる」

 

「吾郎……」

 

「俺は、あんたみたいな大人になりたい。自分の出生の秘密を突きつけられても、人知を超えた存在からゴミ扱いされても、大事な人を守るために、他の誰でもない自分自身の決断で『生きる』ことを選んだ、あんたみたいになりたいんだ。そうやって、後輩を守り、導くような大人になりたいんだ。――あんたみたいな、格好いい烏に」

 

 

 烏は、神話では斥候・走駆・密偵・偵察の役目を持つ位置付けである。一番有名なのは日本神話における八咫烏だろう。

 八咫烏は神の使いで、天皇を先導し、彼らに仇名す敵たちを軒並み弱体化させて戦に貢献したという伝説を持つ。

 黒い体躯に首から赤い勾玉を下げていた至さんのペルソナが脳裏に浮かんだ。彼が最初に顕現したペルソナ、ヤタガラス。

 

 巌戸台での戦い以降、ヤタガラスの姿を見ていない。神の使いという点からか、ナイトゴーンドと入れ替わるような形となっていた。

 ……それでも僕は、あの人の本質はヤタガラスであると思っている。今だって、困難にぶち当たってもがく俺を先導しようとしてくれているのだから。

 

 

「……俺を参考にしても、いいことないぞ?」

 

「いいことがあるとかないとかの話じゃない。俺がそうしたいからそうするだけだよ」

 

 

 俺の言葉を聞いた至さんは、困ったように苦笑する。あ、と思ったとき、彼の目から涙がボロボロと溢れだした。

 

 

「本当は、何が何でもお前を説き伏せるべきなんだよ。俺みたいになるなって、言い聞かせるべきなんだ」

 

「至さん」

 

「……でもさぁ、すっげー嬉しい。吾郎がそう言ってくれたこと、すっげー嬉しいんだぁ……!」

 

 

 至さんは泣き笑いの表情を浮かべた。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――“明智吾郎”が苦笑する。俺は内心それを窘め、彼に意識を向き直した。

 俺や若いペルソナ使いたちの前では殆ど弱音なんて吐かなかった至さんが、こんな情けない姿を曝している。それ程、彼は俺に心を許してくれたということだろうか?

 

 

「大事な誰かに、何かを託せるって幸せなんだな」

 

「至さん?」

 

「――なあ吾郎。俺みたいな大人になるってことは、色々と面倒なことに巻き込まれるよ。沢山の理不尽を味わうことにもなる。……それでも、諦めないって約束してくれるか?」

 

 

 涙で顔をぐちゃぐちゃにした至さんは、至極真剣な眼差しで俺を見返す。

 俺は迷うことなく「当たり前だろ」と答えた。保護者の背中を何年見てきたと思ってる。

 至さんは驚いたように目を丸くした後、安心したように息を吐いた。

 

 ひとしきり泣き終えた後、至さんは服の袖で涙を拭った。拭い方が乱暴だったせいか、泣いていた影響かは分からない。けど、彼の目元は真っ赤に腫れあがっていた。至さんは満足げに頷くと、右手と右手の指を使って拳銃のポーズをとる。刹那、青白い光が舞い上がった。

 至さんが心の海から呼び出したのは、巌戸台での影時間が消滅して以来見ていなかったペルソナ――ヤタガラスだ。ヤタガラスは高らかに鳴くと、至さんの指から俺の元へと飛んできた。神の使いである烏はそのまま俺の心の海に収まる。

 

 

「これって……ペルソナ能力の譲渡!?」

 

「ああ。他でもないお前に、持ってて欲しいんだ。コイツの力を使って、お前の大事な奴らを守ってやってくれな」

 

 

 とんでもないことをやらかして至さんは、俺の問いに答えて笑う。ペルソナ能力の譲渡はとても珍しいケースであり、具体例は数少ない。

 珠閒瑠以外のすべてが滅んだ世界にははっきりとした具体例――黛さんが淳さんへの譲渡――があったらしいが、この世界には記録されていなかった。

 

 記録としてはっきり記載されているのは、巌戸台のペルソナ使い・伊織順平さんのケースだ。

 

 順平さんは敵のペルソナ使い・チドリさんと恋愛関係にあった。でも、チドリさんは嘗て自分を救ったストレガ――タカヤとジンを裏切ることができず、放課後課外活動部の前に立ちはだかる。けど、順平さんへの想いを断ち切ることができなかったチドリさんは、命さんたちに敗北して戦意を失った。

 タカヤは順平さんを容赦なく狙撃し致命傷を負わせたが、奴の目論見はチドリさんによって打ち砕かれた。彼女は自身の限界を超えるレベルの奇跡を発現させ、順平さんを救ったのだ。彼女が代償として支払ったのは、ペルソナ能力――己の命。彼女は愛する人を生かす命になれたこと、愛する人の命が途切れず続くことに安堵して力尽きた。

 チドリさんを失った――後で彼女は息を吹き返し、意識を取り戻すのだが――順平さんは怒り狂ってヘルメスを顕現。次の瞬間、チドリさんの命、および愛として顕現したメーディアと一体化、およびメーディアを変質させる形で取り込み、ヘルメスはトリスメギストスへと覚醒したのである。閑話休題。

 

 

「……うーん……」

 

―― なんか、変な感じするな ――

 

 

 自分の中に異物が入り込んできたような違和感に、()()()は揃って眉間に皺を寄せた。

 

 元々、ヤタガラスは俺の適性アルカナに合致していない。至さんが用いたヤタガラスの適性はSUN(太陽)で、俺の適性アルカナはLA・JUSTICE(正義)LA・FOOL(愚者)。特に怪盗団世代のアルカナは少々特殊らしく、通常アルカナとは一線を画す存在とのことだ。

 ならばこの違和感は頷ける。異質なものを受け入れ、()()()自身にとって最適化――新たな力として発現――させるには、もうしばらく時間がかかりそうだ。特に“明智吾郎”にとっては、自分に仮面を手渡す存在がいるという出来事自体が最大のイレギュラーである。困惑して当然だろう。

 

 

―― けど、悪くない ――

 

(だろ?)

 

 

 前言撤回。困惑どころか満足げだ。至さんから託されたヤタガラスを()()()に馴染ませようと、率先して干渉を始めた。

 この力がどんな形で顕現するかは分からないが、きっと、いずれ訪れる危機を乗り越えるための突破口になることだろう。

 俺は至さんに向き直り、「ありがとう」と礼を述べた。至さんは嬉しそうに目を細めた後、「そろそろ寝なさい」と時計を指示した。

 

 もうすぐ今日が終わる時間帯だ。僕は保護者の言葉に従い、眠ることにする。

 寝る前の挨拶を交わして、俺は自分の部屋の扉を開けた。

 

 

「――()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 扉の閉まる音に紛れて何か聞こえたような気がしたが、疲れ切った俺は言葉の意味を考える間もなく、そのままベッドにもぐりこんで眠ってしまった。

 

 

◇◇◇

 

 

 冴さんは怪盗団関連の事件を追いかけるので忙しい。そのため、本来ならば、今まで彼女が引き受けていたはずの案件は他の検事に引き継がれるはずなのだ。だが、冴さんはその案件を他者に引継がせなかった。

 彼女の性格は真に負けず劣らずの完璧主義。自分が請け負った仕事は最後まで行うという責任感の強さも相まって、フル回転する日々が続いているのだろう。きっと、まともな休みを取る暇すらなかったはずだ。

 僕の予想は案の定で、冴さんは真からのメッセージ――“冴さんの裁判を傍聴する”という連絡――にも目を通していない有様らしい。仲間たちは不安そうにしていたが、冴さんは傍聴人にどんな人々が来るかを観察するタイプだ。いずれ気づくだろう。

 

 案の定、冴さんは僕たちの存在に気づいた。彼女は驚いたように目を丸くしたが、すぐに仕事へと向き直った。

 これで僕たちは、冴さんのパレスで通せんぼされたハイレートフロアに足を踏み入れることができるようになる。

 

 今回の裁判は、とある議員秘書――獅童派議員の末端で、おそらく近々切り捨てられるであろう小物――の横領に関する裁判だ。週刊誌に“愛人と温泉旅行”という名目ですっぱ抜かれた“ちょっとした有名人”である。有罪と破滅待ったなしの裁判を傍聴した僕たちは、早速冴さんのパレスに侵入した。

 

 

「よし、通せんぼしてきた奴はいなくなったね。ここから一気に駆け抜けよう」

 

 

 ジョーカーの音頭に従い、僕たちは早速ハイレートフロアの景品受付へと向かった。シャドウのディーラーが仰々しく頭を下げた後、ウェルカムギフトと称してコインをチャージしてくれた。5万枚を荒稼ぎした僕らからしてみれば1000枚などはした金に過ぎないが、貰えるものは貰っておいて損はない。

 ハイレートフロアの地図を手渡された僕たちは、早速景品の内容を覗いてみる。幾らかのアクセサリと、如何にも凄そうな拳銃だ。僕の中にいた“明智吾郎”が小さく声を上げる。景品として置かれている銃に、何か身に覚えがあるようだ。次の瞬間、ジョーカーが迷うことなく景品を指さす。

 

 

「この銃ください」

 

「畏まりました」

 

「ちょ、ジョーカー!?」

 

 

 仲間たちが慌てて制止するのを気にすることなく、ジョーカーは持っていたコインを使って景品の銃を交換した。呆気にとられる僕らを尻目に、ジョーカーはじっと銃を観察する。――そして、ジョーカーは僕に銃を投げてよこした。僕は慌ててそれをキャッチする。

 

 ()()()――“明智吾郎”は弱々しく呟いた。“彼”の言葉をトリガーにするようにして、僕の頭の中に光景がフラッシュバックする。

 いつかどこかの世界で、カジノを駆け抜けた“明智吾郎”が見た光景だ。“ジョーカー”は当たり前のように、“明智吾郎”の銃をコインと交換した。

 

 無駄な出費を避けたかった――おそらく、この時点から既に“明智吾郎”を敵だとみなして警戒していた――怪盗団の面々は驚いた顔をして“ジョーカー”を咎める。“明智吾郎”もまた、冴さん『改心』後は怪盗団の解散を約束している取引であることと、無駄な出費を避けるという面から“ジョーカー”を咎めた。

 『自分は何も間違ったことはしていない』――“ジョーカー”は悪びれることなく答えた。『仲間の身を守るための装備に糸目をつけていられるか』、『いつもみんなにもやってることじゃないか。当たり前のことだろう』、『最後の仕事だからこそ、最高の仕込みが必要なんだ』とも。

 怪盗団を裏切る際、“明智吾郎”は装備一式を“ジョーカー”らの元に置いていった。怪盗団を捨てるという意味もあったけれど、それ以上に、“自分”が“怪盗団の仲間・クロウ”であった証を、汚い殺人者でしかない本当の“明智吾郎”が手元に置いておく資格はないと思ったのだ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

―― 何もかもが嘘だった。でも、“ジョーカー”を気に入っていたのは、……怪盗団として振る舞っていたときが人生で1番楽しかったのは、本当のことだ。……時間もなかったし、クソ猫(モルガナ)にバラされたから余計に言えなかったけど ――

 

(……知ってるよ)

 

 

 緩む口元を隠しきれない“明智吾郎”には、あまり突っ込まないでおくことにした。

 こんなところで同位体同士が喧嘩したって、なんの意味もないから。

 

 僕は内心苦笑しつつ、ジョーカーに問いかける。

 

 

「ねえ、ジョーカー」

 

「何?」

 

「そんなにほいほいとコインを使っていいの? 何があるか分かったものじゃないのに」

 

 

 分かっている。分かっていて、()()()は、ジョーカーの答えを待っている。()()()()()()()は、自信満々に笑みを浮かべた。

 

 

「私は何も間違ったことはしてないよ。仲間の身を守るための装備に糸目をつけていられない。『改心』を成功させるには、現時点でできる限り最高の仕込みが必要なんだから」

 

 

 ――やっぱり、そうだ。

 

 ジョーカーは清々しい笑みを浮かべてハッキリと言い切った。実際、ジョーカーは、装備品絡みのことになると妥協しない。できる限り、最高性能のものを買い揃えてくれる。基本はミリタリーショップだが、他の手段で手に入るならそれを駆使するタイプだった。

 度胸MAXライオンハートは怯まない。むしろ、悪意を向けてきた他者すら飲み込む勢いだ。形だけとは言えど、反論しようとした僕からそれを根こそぎ奪い取ってしまうのだからタチが悪かった。僕は大仰に肩をすくめてみせる。他の面々が反論するかと思ったが、意外にも全員がジョーカーに同意していた。

 僕は苦笑しながら銃を握り締めた。彼女からの信頼の証だと思えば思う程、胸の奥底からじわじわと熱が溢れだす。僕は古い銃と新しい銃を交換して装備し直す。それを見届けた仲間たちに促され、支配人フロアへと足を踏み入れた。

 

 

***

 

 

 支配人フロアに入ることだけなら可能。だが、支配人フロアの向こう側に渡るためには、コインが10万枚必要とのことだ。結局は賭け狂えということだろう。

 

 ハイレートフロアへとんぼ返りした僕たちは、作戦を立てるためにフロアを見て回ることにした。

 ここはスタンダードよりもレートが高いので、更なるハイリスク・ハイリターンが望めるはずである。

 

 

「ようこそ、暗闇の迷宮『ハウス・オブ・ダークネス』へ」

 

 

 とあるフロアに足を踏み入れたとき、僕らを待ち構えていたシャドウのボーイが恭しく頭を下げた。奴は戦闘員として配備されたのではなく、僕たちを参加者として奥へ通すために置かれたルールの説明役だった。

 ボーイ曰く、「ハイレート・フロアは本来、“VIPが自らの『代理人』を立てて戦わせ、勝敗を競わせる場所”」だという。だが、僕たち怪盗団には『代理人』など存在しない。故に、本人が身1つで戦わねばならないのだ。

 この先にあるのは真っ暗闇の迷路。周囲の様子が見えにくい中で、出口を目指して進まなければならない。パレスという異世界要素を加味すると、ただ暗いだけで済むはずもなさそうだ。シャドウが湧いていることは確実である。

 

 エントリーフィーとしてコイン1000枚を支払い、早速迷宮に足を踏み入れる。

 僕の『アリスガワ・ゴロウ』名義のカードからは5万枚を投入しておいた。

 

 少しばかり暗いという表現には、明らかな語弊があった。

 

 

「暗っ!」

 

「一寸先すらまともに見えんぞ……!?」

 

「最初から騙されたって訳ね」

 

 

 スカルが素っ頓狂な声を上げ、フォックスが唸るような声を出して周囲を見渡す。クイーンが歯噛みしながら分析した。ノワールも途方に暮れたように俯いた。

 

 

「このフロアが10倍だった理由が分かった気がする……。こんなに真っ暗じゃ、出口まで辿り着けるか分からないもの」

 

「シャドウの気配もある。『ごくシンプル』が聞いて呆れるぜ」

 

「悲しいけど、これも想定の範囲内なんだよなぁ……」

 

 

 僕の予想した通り、迷宮内にはシャドウが跋扈している様子だ。想定内の事態とは言えど、実際真っ暗で見えないのだから仕方がない。先に進むのは難儀しそうだ。

 モナのような猫の目があれば攻略は容易だろうか。僕がそれを提案するより先に、ジョーカーが目の色を変えた。鋭く研ぎ澄まされた灰銀の瞳が、闇の中で煌めく。

 

 

「――みんな、ついて来て」

 

 

 ジョーカーに先導されるような形で、僕らは迷宮を駆け抜けた。襲い来るシャドウを蹴散らしながら、真っ直ぐ一本道を突き進む。その先で見つけた出口の扉を開けようとしたが、外側から施錠されていて開かない。

 成程。冴さんは最初から、参加者にゲームをクリアさせる気などなかったのだ。出口に辿り着いて迷宮から出られなければコインは手に入らない。閉じられた扉に驚愕する参加者は出口を探そうとして、シャドウの餌食になる――最早イカサマどころの話ではなかった。

 悩む仲間たちを尻目に、相変わらずジョーカーは鋭く目を光らせている。そして、彼女は施錠された扉のすぐ左端の壁に歩み寄った。「ここ、風の流れがある」――彼女の指摘通り、壁からかすかに涼しい風が吹き込んでくるではないか。

 

 

「向うが出口から私たちを出すつもりがないなら、無理やりにでも出口を見つけて外に出ればいい」

 

「成程、一理あるわ。無理にでも進んでやりましょ」

 

「そうだね! 先にイカサマを仕掛けてきたのは向こうなんだし!」

 

「最終手段として“出口を作る”って手もあるからね。それも視野に入れて進みましょう」

 

「わかった! そのときのサポートは任せろー!」

 

 

 不敵に笑ったジョーカーの意見を聞いたクイーンが納得し、パンサーがポンと手を叩き、ノワールが物騒なことを口走りながら微笑む。ナビもノリノリで分析に乗り出した。

 

 ……僕たちの周りにいる女性陣は、なかなかに勇ましい女傑が多いようだ。

 そんなことを考えたのは僕だけではないようで、スカルとフォックスがやや引き気味になっていた。

 因みに、モナは「パンサー、素敵だ……!」と魅了されているので除外である。

 

 

「一応、念のために。――ロキ、頼む」

 

「ありがとう、クロウ」

 

 

 保険になるかどうかは分からなかったが、僕はロキを召喚して認知を逸らしておく。暗闇の中にいるシャドウを掻い潜る役に立てばいいのだが――そんなことを考えていたとき、ジョーカーがふわりと笑ったのが見えた。なんだか少し、照れくさい。

 暗闇の中を駆け抜け、シャドウを倒し、通路を潜り抜け、扉を開けて、ようやく電灯に照らされたフロアに出た。出口に辿り着いたのかと思っていた矢先、出入り口にいたシャドウのボーイが現れて舌打ちする。奴にとって、僕らがここに来ることは想定外だったようだ。

 

 だが、嫌がらせはまだまだ続いた。シャドウがスイッチを操作した瞬間、通路が塞がれてしまったためである。

 悪態をつくスカルを宥めながら、僕たちは再び抜け道を探してフロアを駆け回った。

 通気口を発見した僕たちは、そこを通り抜ける。目の前に広がったのは、従業員用のバックヤードだ。

 

 シャドウの群れを掻い潜り、時には不意打ちで殴り倒し、バックヤードを突き進む。程なくして扉が見えてきた。半ば蹴破るようにして扉を開くと、そこはカードで仕切られた壁の向こう側である。

 

 

「随分と遠回りしたんだね……」

 

「あの野郎、余計な手間をかけさせやがって……! とっちめてや――」

 

「――ねえ、ちょっと待って」

 

 

 今までの道筋とカードを跨いだ向こう側を見比べながら、ノワールが深いため息をついた。スカルなんて怒り狂っている。

 勝手に先に進もうとするスカルを制し、ジョーカーが壁の端末を操作した。あっという間に壁が消え去る。退路の確保は完璧だ。

 

 

「また何かあったとき、あのバックヤードを通るのは不便だからね」

 

「後ろが万全だからこそ、先に進むことができるってワケだな」

 

 

 ジョーカーの言葉にモナも頷く。後は、あのボーイをとっちめるだけだ。

 

 僕らは最奥まで辿り着く。シャドウのボーイは悪態をつきながら、僕らに襲い掛かって来た。雷属性を駆使するシャドウは耐久力もあったが、威力の高い攻撃をひたすら叩き込んで力押しした。奴は断末魔を上げる間もなく弾けて消える。

 冴さんは最初からまともな勝負なんてするつもりはなく、僕らを罠に嵌めて殺すつもりだった。あの迷宮もそのために用意されていたのだ。姉の歪みを分析するクイーンだが、その横顔がどこか悲しそうに見えたのは僕の目の錯覚じゃないのだろう。

 このフロアでできることはした。その証拠として、カジノコインに1万枚がチャージされている。ここは出口ではないのだが、一応出口扱いとなったらしい。もうここに用はないので、僕らはさっさと『ハウス・オブ・ダークネス』を後にした。

 

 ハイレートフロアに戻って来た僕たちは、反対側にあるフロアに足を踏み入れた。

 僕らの来訪を予期していたシャドウのボーイが恭しく頭を下げる。

 

 

「ようこそ、命の炎燃ゆる灼熱の闘技場、『バトルアリーナ』へ」

 

 

 シャドウ曰く、「ここも『代理人』を立てて争わせる」形式らしい。ルールは1対1の決闘3連戦で、勝敗予想によってコインの獲得数が変わるという。

 ……どうせ嘘で塗り固められたルールなのだ。向うが馬鹿正直に1対1を守ってくれるとは思えない。だが、受付はあくまでも「代表者1人」の体を譲らなかった。

 

 仲間たちが作戦会議をする横で、僕は『アリスガワ・ゴロウ』名義のカードにキャッシュをして全額怪盗団に賭けた。

 オッズは現在20倍。1万枚をベッドすれば、10万枚に化ける。『アリスガワ・ゴロウ』名義のものは、キャッシュ分含んで100万枚だ。

 

 

「どうする? 私たちのペルソナだと、弱点を突かれたら一方的に嬲られる危険性があるよ?」

 

「そうなると、様々なペルソナを使い分けることができるジョーカーが一番適任よね。でも……」

 

 

 ノワールとクイーンが顔を見合わせた後、心配そうにジョーカーを見つめる。

 

 みんな分かっているのだ。ハイレートフロアは、スタンダードフロア以上に嘘と悪意で塗り固められている。そんな危険な場所に、彼女1人を往かせるわけにはいかない。

 いくら複数のペルソナを使い分ける『ワイルド』の使い手だろうと、無敵であるというわけではないのだ。このまま黙って奴らの思い通りにさせるつもりはない。

 僕は無言のまま、クイーンにアイコンタクトを送る。その次にジョーカーへ視線を向けた。双方共に、僕が何を考えているのか理解したのだろう。こちらを見返し頷く。

 

 ジョーカーは済ました顔で受付に記入する。その隙に、僕はシャドウの死角に回り込んだ。即座にロキを顕現し、シャドウたちの認知を逸らす。

 そのおかげで、シャドウたちはジョーカーが入場していく隣に僕が並んでいることに気づいていなかった。おそらく、観客席にいる連中も、僕には一切気づいていないだろう。

 

 

「さ~あ、始まりました、注目の一戦! 大人に楯突くバカ怪盗団のリーダーが参戦だぁ!」

 

 

 ……リングアナウンサーにレーヴァテインをブチ込みたくなるのを抑えながら、僕は力を行使し続ける。

 程なくして、1回戦が始まった。1対1と銘打ちながら、出てきたシャドウは複数体。案の定、看板には偽りしかなかった。

 

 

「行くよ、クロウ(相棒)!」

 

「了解、ジョーカー(相棒)!」

 

 

 いじり回していた認識をそのままに、僕はジョーカーと連携を繰り広げて敵を倒していく。

 勢いよく複数体のシャドウを蹴散らしていく様を見て、リングアナウンサーが怒りのヤジを飛ばしてきた。

 それでも奴らは僕の存在に気づいていない。ロキの干渉がうまくいっている証拠だろう。

 

 続く2回戦も軽く敵を撃破した。リングアナウンサーが再び怒りのヤジを飛ばしてくる。空気を読めと叫び散らすのが本当に煩いし、貴様の賭けなどどうでもいい。叫ぶなら自分がここに降りてきて戦えばいいのに、本当に腹立たしい限りだ。

 そうして3回戦が始まる。他のシャドウよりも1回り強い個体だったが、ジョーカーが物理反射のペルソナに付け替えることで全攻撃を反射。元から破壊力で押すタイプだったシャドウは、自分の攻撃によって自爆した。

 

 爆発するように響き渡る歓声。ジョーカーに賭けた人々――怪盗団含む――が大喜びでガッツポーズする。僕はロキの力を行使したまま、ジョーカーと共に帰還した。

 

 唖然とした顔をしたシャドウから10万枚のコインを貰い、僕らはさっさとフロアを後にする。

 支配人フロアへ戻り、天秤橋付近の認証機にカードをかざせば、聞き覚えのある声が響き渡った。

 

 

『ここまでやるとは思わなかったわ。健闘を讃えましょう。――でも、貴女たちがこの橋を渡ることは不可能よ!!』

 

 

 パレスの主権限を駆使し、冴さんは天秤橋への通行料を100万枚へと跳ね上げた。

 勝たせる気もなければ通す気もない。冴さんの高笑いが延々と響き渡る中、僕は深々とため息をついた。

 

 

―― 『アケチ・レイ』ショックで危うく忘れるところだった ――

 

(お前も大概アレだよな)

 

―― うっせえ人のこと言うな ――

 

(はいはい)

 

 

 “明智吾郎”に突っ込みを入れつつ、僕はもう1枚のカードを差し出した。

 

 ナビが死んだ魚のような濁った眼をしながら作ってくれた、『アリスガワ・ゴロウ』名義のカード。スタンダードフロアからハイレートフロアに至るまで、返済度外視・限度額いっぱいのキャッシュを駆使しつつ怪盗団絡みのオッズに全額つぎ込んでいる。

 結果、コインの枚数は91万枚を突破。ジョーカーの所持する『アケチ・レイ』名義のカードとコインの総計を足せば、100万枚なんて余裕である。狼狽えている冴さんの隙を突くような形で100万枚のコインを投入すれば、天秤橋の仕掛けが動いた。

 借金に関して不安そうな面々を促し、最奥へと到達する。案の定、そこには『オタカラ』がもやもやと漂っていた。ヒステリックに叫ぶ冴さんは、大胆不敵に勝利宣言をして気配を消してしまった。後は予告状を送りつけ、『オタカラ』を顕現させればいい。

 

 

「さて、帰ろうか」

 

 

 ジョーカーの音頭に従い、僕らは現実世界へと帰還した。大舞台への準備は着々と進みつつある。

 予告状を出す日は11月18日、決行日は19日だ。それまでまだ時間はある。――為すべきことをするのみだ。

 

 




魔改造明智による新島パレス攻略。“明智吾郎”と一緒に楽しく漫才を繰り広げながら、新島パレスの『オタカラ』ルートを確保した模様。メタメタしいネタが組み込まれたり、魔改造明智強化フラグが立ったり、保護者の様子がおかしかったりと盛りだくさんです。はてさて、これから先の展開はどうなることやら。
次回は予告状前夜までのお話。決戦前の前哨戦までの日々をダイジェストでお送りいたします。少々長くなったとしても、予告状を送るところまでは組み込みたいですね。強制捜査関連は原作とはかなり違った展開になりますので、生温かく見守って頂ければ幸いです。


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彼女の絆を辿ってみようか

【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 @空本(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄で明智の保護者その1。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
 @獅童(しどう) 智明(ともあき)⇒獅童の息子であり明智の異母兄弟だが、何かおかしい。獅童の懐刀的存在で『廃人化』専門のヒットマンと推測される。詳しくは中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『運命を切り開くだけの簡単なお仕事』および『ペルソナ3異聞録-.future-』、Pixivの『2周目明智吾郎の災難』および『【一発ネタ】有栖川黎の幼馴染』の設定を下地にし、別方向へ発展させた作品である。
・ジョーカーのみ先天性TS。
 ジョーカー(TS):有栖川(ありすがわ) (れい)⇒御影町にある旧家の跡取り娘。旧家制度は形骸化しているが、地元の名士として有名。身長163cm。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空本(そらもと) (わたる)⇒明智の保護者2で、南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。
・敵陣営に登場人物追加。
 @神取鷹久⇒女神異聞録ペルソナ、ペルソナ2罰に登場した敵ペルソナ使い。御影町で発生した“セベク・スキャンダル”で航たちに敗北して死亡後、珠閒瑠市で生き返り、須藤竜蔵の部下として舞耶たちと敵対するが敗北。崩壊する海底洞窟に残り、死亡した。ニャラルトホテプの『駒』として魅入られているため眼球がない。この作品では獅童正義および獅童智明陣営として参戦。但し、どちらかというと明智たちの利になるように動いているようで……?
・「2罰ボスの外見を見た人間の反応」に関するねつ造設定がある。
・普遍的無意識とP5ラスボスの間にねつ造設定がある。
・『改心』と『廃人化』に関するねつ造設定がある。
・春の婚約者に関するねつ造設定と魔改造がある。因みに、拙作の彼はいい人で、春と両想い。
・P3Pの天田が初恋(ハム子=命への想い)を拗らせすぎて大変なことになっている。


「協力者全員に私の正体露見しちゃった」

 

「オイ」

 

「でもみんな黙ってくれるって。頑張れって言ってくれたよ」

 

 

 眉間に皺を寄せた僕の心配など気にもせず、黎はニコニコしながらコーヒーを淹れる。佐倉さんがいないため、今回はアレンジコーヒーを振る舞ってくれた。爽やかな香りが鼻をくすぐる。カフェ・ド・シトロンといい、ホットコーヒーにグレナデンシロップを入れて輪切りにしたレモンを浮かべた――僕にとっては――変わり種だ。

 レモンを浮かべる飲み物と聞いて、僕が真っ先に連想したのは紅茶だ。コーヒーとレモンが結びついたのは、件のアレンジコーヒーを見るまであり得なかった。レモンの香りとざくろの甘みを噛みしめながら、僕はコーヒーを啜る。佐倉さんのコーヒーも好きだが、やっぱり黎が淹れてくれる方を贔屓にしてしまうのは性だろうか。

 

 予告状を出すまで残り1週間とプラスアルファ。その間に、黎は沢山の協力者たちと絆を結んだようだ。

 

 怪盗団応援団長にして怪チャン管理人である三島は、怪盗団の活躍から勇気を貰ったことから、自分の問題に区切りを付けることができたらしい。怪チャンと怪盗団を駆使して僕らのサポートをする傍ら、怪盗団のルポ本を書くために草稿を纏めている真っ最中だ。怪盗団も最終決戦であると察しているためだろう。自分の一大事業だと張り切っていた。

 黎の銃の師匠である母子家庭育ちの小学生は母親の暴走やクラス抗争に悩んでいたが、母親の『改心』をきっかけに、彼自身も良い方向へと変わり始めているようだ。この前は彼を負かした大人を倒し、その後の対応で器の大きさを見せつけていたらしい。『たとえ怪盗団が世間から非難されても、ずっと応援する』と笑っていたという。

 ミリタリーショップの店主は、もう二度とヤクザに脅されて危険な橋を渡らせられることはなくなった。彼は自分の過去について、息子と腹を割って話し合ったという。その後、高校受験を控えた息子から『『第1志望は秀尽学園高校にする。初恋は敗れたけど、憧れの人の背中を追いかけたい』と宣言された』そうだ。

 

 仲間たちの方も、黎や僕と絡むうちに、様々な悩みを乗り越えたようだ。それに伴い、ペルソナたちは覚醒して新たな力を手に入れていた。

 祐介のゴエモンがカムスサノオに、真のヨハンナがアナトに、双葉のネクロノミコンがプロメテウスに、春のミラディがアスタルテに、それぞれ目覚めたのである。

 力のお披露目は依頼を片付けるために潜り込んだメメントスであったが、シャドウたちを次々と屠っていく活躍からして、冴さんのパレス攻略にも充分活躍してくれることだろう。

 

 

「あとはワガハイのペルソナだな。覚醒したら、どのような姿になるんだろう……。巌戸台のモチヅキ・リョージとやらや八十稲羽のクマのように、ニンゲンになることだって可能かもしれない!」

 

「……モルガナ。その2人の例はあまり参考にしちゃいけないと思う」

 

 

 僕はマグロの刺身に舌鼓を打ちながら力説するモルガナへツッコミを入れた。そもそも、異形が人間の形をとれるようになる条件はシビアなのだ。そのケースは極めて少ない。

 

 巌戸台の望月綾時――ニュクスおよびデスが命さんに封じられたことが原因で生まれ落ちた『死の概念そのものが人間性を得て顕現した』存在だ。命さんの中に宿ってから10年の時代を経て顕現した彼は、ほんの数か月間だけ人間として振る舞うことができた。しかしその奇跡は2009年の12月末で途切れることとなる。

 八十稲羽のクマは、霧で覆われていたテレビの世界に存在していた異形の住人だ。彼はテレビの世界で穏やかな生活を送っていたが、ある時期から活発化したシャドウに悩まされることとなる。そこで出会った真実さんを慕うようになった彼は特別調査隊の一員として戦ううちにペルソナ能力を得て、その副産物で人間の姿を手にしたのだ。

 双方共に『元々はシャドウ由来の存在だったが、様々な要因が絡み合うことで人間としての姿を獲得した』と言えるだろう。善神の関係者であるモルガナが、件の両名と同じ方法を使っても難しいのではなかろうか。だが、他の例を探そうとすると、残るは悪神ニャルラトホテプの化身ども一同のみとなる。

 

 

「ゲェッ!? そしたらニャルラトホテプ関係者しか残らないじゃねーか! ヤツの関係者は斃さないと!」

 

―― ……この猫、こんなに物騒だったっけ? ――

 

(善神の関係者はみんなニャルラトホテプが大嫌いだからな。仕方ないさ)

 

 

 それを察知したモルガナは顔を嫌そうに歪めて首を振った。ついでに殺意までみなぎらせていた。

 “明智吾郎”が僕に問いかけてきたが、僕の知ってるモルガナはこんな感じなので頷く以外にない。閑話休題。

 

 

「怪盗団も決戦前の前哨戦だけど、学生としても考えなきゃいけないことはあるんだよね」

 

「そうだな。……最も、怪盗団の面々は、確固たる指針ができたみたいだけど」

 

 

 俺は珈琲を啜りながら、つい最近、ペルソナを超覚醒させた面々のことを思い返す。

 

 祐介は展覧会に出展した絵が賞を取った。僕と黎はその展覧会に招待された。そこで以前祐介にちょっかいをかけてきた画家と出会ったが、彼は祐介の作品を見て「素晴らしい。成長した」と評価を下した。何でも、彼がわざと祐介にきつく当たったのは、祐介の才能を信じて発破をかけたためらしい。

 どうやらその画家は班目とは旧知の仲であり、班目の人間臭い話を聞かせてくれた。幼い祐介が熱を出した際、班目は大慌てで『祐介が熱を出した。何をどうすればいい!?』と画家に相談の電話をしていたという。パレスでの黄金殿様だった班目からは皆目想像のつかないエピソードだった。班目も最初から悪人だった訳ではなかったのだろう。

 画家は祐介の才能を認めたうえで資金援助を申し込んできたが、祐介はきっぱりと断ってしまった。『援助に頼ると甘えになってしまうから』と言って微笑む彼の横顔は、清々しい程にいい表情をしていた。『黎が自分を見捨てず、最後まで見守ってくれたおかげでここまで辿り着くことができた』と。

 

 真は勉強以外に関することに興味を示すようになり、『自分の見識を広げたい』と黎に相談を持ち掛けていた。僕もそれに巻き込まれ、素行が気になる生徒の尾行を手伝ったり、ブチまるくんグッズ収集に手を貸してみたり、ゲームセンターで遊んでみたりする真につき合うこともあった。

 様々な経験を得た真は、最早5月に僕らを詰問してきた“大人の意のままに操られる冷徹な機械(マシーン)”――所謂“いい子ちゃん”ではなくなっていた。一皮むけた真は改めて自分の――警察官僚になるという――夢を抱き、今後も座学だけでなく、様々な遊びにも挑戦してみるつもりらしい。

 

 双葉は“1人で秋葉原で買い物できるようになる”という最終目標のために外へ行く特訓をしていた。僕もそれに協力したこともある。そんなときに遠くから見かけた双葉の友達は、以前より親から虐待を受けていたらしい。今でもそれを彷彿とさせるような様子だったのでメメントスに潜ったところ、双葉の友人――カナの親は歪み切っていた。

 カナの親を『改心』させた結果、虐待は止み、カナとの友人関係も復活した。『今日はカナちゃんとこんな話をした』と語る双葉の笑顔を見ていると、とても微笑ましい気持ちになった。彼女の話に耳を傾け、微笑を浮かべる黎の横顔も愛おしかった。佐倉さんが黎と双葉を優しい眼差しで見守っていた理由が分かったような気がした。

 最終的に、双葉は秋葉原に行っても人酔いすることなく買い物ができるようになったらしい。『その日は笑顔で帰宅し、俺に土産を買ってくれた』とは佐倉さんからの情報である。娘を想う父親の理想像は、きっと佐倉さんみたいな人なのだろう。そんな人を養父に持った双葉が羨ましいと思った。僕にとっては僕の保護者が一番だけど。

 

 春はオクムラフーズの今後は経営者たちに委ねることにしたらしく、婚約者である千秋と一緒に、関係者各位に自分の本音を伝えてきたようだ。そんな彼女の将来の夢は、個人経営レベルの喫茶店を開くことらしい。コーヒー豆も野菜も拘り抜いた自家栽培のものを使いたいとのことだ。野菜は既に千秋というアテがあるらしい。

 他にも、喫茶店では小物も扱う予定だそうで、その商品開発にも乗り出しているという。時々完二さんに連絡を取り、小物の作り方を教わっていたようだ。店を始めるのはゆくゆくのことであり、卒業してすぐ始めるつもりはないらしい。しっかり勉強して、本気で取り組みたいと語っていたそうだ。

 

 

「じゃあ、黎はどうするの?」

 

「吾郎と結婚して家庭を築く」

 

「うんそうだね。でもそうじゃないんだ。将来の夢のことだよ」

 

「吾郎と結婚して家庭を築く」

 

「うんそうだね。それも将来の夢だけど、そういう話題じゃないんだ」

 

「子どもは何人くらい作ろうか?」

 

「キミとの子どもなら何人だって構わないよ。……だから、そうじゃない。どんな職業に就きたいか、だよ」

 

 

 何だかかなり遠回りしてしまったが、僕の問いを聞いた黎は静かに笑った。

 

 

「司法関係の道に進みたい。第一志望は弁護士、かな」

 

 

 理不尽に苦しむ無辜の人々を助けたい、自分の信じる“正義”を貫きたい、罪を償い人生をやり直そうとする人を助けたい――彼女をその道へ踏み出させたのは、彼女自身が冤罪被害者になったことと、怪盗団として活動する際に宣言した方針があったためだ。この東京で様々な人たちを出会い、絆を結んだからだ。

 「すべてが片付いたら、司法試験を受けようと考えてる。大学も法学部を目指すんだ」と黎は笑った。その瞳はキラキラ輝いていて眩しい。僕は思わず目を細めた。“明智吾郎”は意外そうな顔をして“ジョーカー”を見つめる。“ジョーカー”は照れ臭そうにはにかんだ。灰銀の瞳は真摯な気持ちで満ちている。

 

 

「“謂れなき罪”を擦り付けられ、“理不尽な罰”を科されるようなことは、絶対あってはならない」

 

「黎……」

 

「だから、そういうものから、吾郎を守れるような人になりたかった」

 

 

 「人知を超えた異形と怪異を、人の視点という“正義”を用いて推し測れるような人間になりたい」――黎はきっぱりと言い切った。

 “謂れなき罪”、“理不尽な罰”――それは、いずれ僕に降りかかって来るであろう、あるいは、もう何度か降りかかってきている事柄だった。

 『神』という存在の干渉がなければ、黎や僕が『神』のゲームに巻き込まれなければ、彼女はこの道を選ばなかっただろう。

 

 ペルソナ能力を手にした者、あるいはその事例に関わった者は、人知を超えた異形が齎す怪異と戦い続ける定めとなる。

 それを熟知しているからこそ、黎は法律家――弁護士の道を選んだのだ。人を――ひいては()()()を、“謂れなき罪”や“理不尽な罰”から守るために。

 

 

「普通逆だよね? 僕が黎を守るものでしょ?」

 

「私が吾郎を守りたいと思うことはおかしいの?」

 

 

 真顔で問い返された。()()は圧倒されてしまう。

 同時に、その強さと器の大きさに感嘆した。

 

 

(……敵わないなぁ)

 

―― 全くだ。一生勝てないだろうな ――

 

 

 ()()はひっそり苦笑する。特に、“明智吾郎”は最後の勝利者の座を巡って“ジョーカー”と騙し合いを繰り広げたのだ。()()()()の強さは嫌という程思い知ったことだろう。

 

 

「じゃあ、吾郎の将来の夢は?」

 

「調査員。……至さんみたいな、異形と怪異の最前線に立つような」

 

「表向きとしては探偵ってこと?」

 

「うん。……でも、黎が弁護士になるって言うなら、パラリーガルや弁護士秘書もいいかもしれない。予備の司法試験は突破してるし、本試験に合格して資格を取って修習生としての課程を終えれば資格を活かすことができる」

 

 

 予備とは言えど、司法試験を突破しておいた経験は無駄にならずに済みそうである。パオフゥさんから冴さんを紹介してもらうための最低ラインとして手を付けたことが、こんな形で活かせるとは思わなかった。

 弁護士秘書は文字通り弁護士のサポート――主にスケジュール管理や来客対応、書類作成や判例の検索等のアシスタント業務――をする仕事だし、パラリーガルは実質弁護士秘書の上位互換版と言える。多忙な弁護士を支える仕事だ。

 なんてったって、僕は黎の伴侶(パートナー)である。公私共に相棒(パートナー)でありたい。これもまた、“明智吾郎”による“ジョーカー”への執着や想いが昇華された形の1つだ。「我は汝、汝は我」である。

 

 ……正直な話、黎に対する僕の執着度合いが恐ろしいことになっているという自覚はあった。

 

 一度目を留めた相手は――感情のベクトルがどうあれ――徹底的に対応してしまうというのは、完全に獅童正義の血筋である。獅童が叩き潰したり使い潰したりするならば、僕はべったりと張り付いて手放さないという点だろう。以前『改心』した中野原以上に凶悪な歪みだと自負していた。

 歪みが歪みとして顕現しないままでいられるのは、黎の包容力と器が大きいからに他ならない。彼女だって甘やかされたいときはあるだろうに、いつも僕を含んだ他者を甘やかし、支えてばかりである。……僕だって、黎が安心して弱音を吐けるような場所になりたい。僕にとっての彼女がそうであるように、だ。

 

 

(……そういえばさ、“明智吾郎(おまえ)”は将来、どんな大人になりたかったんだ?)

 

 

 ふと思いついた僕は、隣にいるはずの“明智吾郎”に問いかけてみた。

 “ジョーカー”と何かを話し込んでいた“彼”は、僕の問いかけに目を丸くする。

 鳩が豆鉄砲を食ったような顔は、18歳には見えない程子どもっぽい。

 

 “明智吾郎”は暫し目を瞬かせた後、難しそうな顔をして呟いた。

 

 

―― 正義の味方になりたかった ――

 

 

 後ろめたさを滲ませたような声色だった。それを口に出す資格は自分にないと言わんばかりに、“彼”は言葉を閉ざす。

 “ジョーカー”は、そんな“明智吾郎”を静かな面持ちで見守っていた。

 

 『正義の味方は期間限定』だなんて話をどこかで耳にしたことがある。『天井をぶち破って高い場所へ向かうのが子どもの特権、天井までの間にある限りあるものを駆使して最良の結果を掴もうと足掻くのが大人の宿命』という話は至さんから聞いた。彼の人生は最初から後者だったように思う。

 ペルソナ使いに覚醒した中で活躍しているのは、10代後半から20代前半付近――特に10代後半の活躍が目覚ましい――若者だ。丁度僕たちの年齢のペルソナ使いが、『正義の味方』として世界の滅びを救うために戦うことになる。ラスボスはいつも『神』と名のつくクソみたいな存在だった。

 

 “明智吾郎”の人生は、早くて11月末――遅くても12月上旬までの間に終わる。つまり、冴さんのパレスを攻略した後に発生する戦いで命を落としているのだ。

 獅童正義のパレスで“ジョーカー”と対峙して敗北後、獅童の人形として認知されていた“自分自身”が現れ、同じ力を駆使して怪盗団を追いつめに掛かった。

 『復讐は完遂できないが、目前に迫った最終目標――獅童の破滅を成せないままというのは絶対に嫌だ』――そう判断した“彼”は、怪盗団を生かす選択をした。

 

 

(テレビや漫画、小説なんかであるよな。『改心』した悪役が主人公たちと一緒に手を取り合おうとするけど、悪党に邪魔されて双方共に窮地に陥るシーン)

 

―― それがどうした ――

 

(そこで悪役が、今まで殺し合っていた相手である主人公を自分の命に代えて助けるシーンがある)

 

―― だからどうした ――

 

(破滅を選んだことで、ようやく主人公と分かり合えるってシーンを見る度に、いつも『悪党をぶん殴ってやりたい』って思ってた)

 

―― ……お前は何が言いたいんだ? ――

 

(今回は、そこに悪党が邪魔してくることはない。ついでに、主人公と一緒に悪党を殴りに行くというボーナスステージもある)

 

 

 目を丸くした“明智吾郎”に、僕は笑って見せた。

 

 

(お前の夢、叶うよ)

 

 

 僕の言葉を聞いた“明智吾郎”は口元を戦慄かせた。何かを言おうと口を開いては閉じてを繰り返し、呆れたように額を抑えてため息をつく。

 “明智吾郎”が憧れ羨望した正義の味方――“ジョーカー”と共に戦えることは、即ち、名実ともに正義の味方ご一行様の一員であるということを意味している。

 

 

(往こうぜ正義の味方(ヒーロー)、世界を救いに!)

 

―― ……望むところだ、ばーか! ――

 

 

 悪戯を企てる子どものように、弾んだ気持ちで笑い合う。自分相手にこんな漫才を繰り広げることになるとは思わなかった。

 視線を感じて振り向けば、“ジョーカー”()()が慈しむような眼差しで()()を見つめているところだった。

 なんだか気恥ずかしくなって、僕は小さく咳払いした。黎はふわりと微笑み、今までの日々を思い返すように天を仰ぐ。

 

 

「4月にここに来たときはどうなることかと思ったけど、沢山の出会いがあったな。この旅路は、私にとって大事な宝物だよ」

 

 

 黎は噛みしめるようにして呟いた。結んだ絆を慈しむ彼女を見ていると、なんだか酷く切ない気持ちになる。

 

 

「俺がいなくても、大丈夫そう?」

 

「それはないよ。吾郎がいてくれたからこそ、だ」

 

 

 黎は静かに微笑みながら、自分用のコーヒーを啜った。俺と同じカフェ・ド・シトロン。

 同じフレーバーのコーヒーを飲み、同じ時間を同じ場所で過ごす――その奇跡を、噛みしめる。

 

 

「探偵業を続けるとしたら、メディア出演も続けるの?」

 

「すっぱり足を洗うよ。元々、獅童の喉元に迫った結果押し付けられたような仕事だし」

 

 

 僕は苦笑しながらカフェ・ド・シトロンを煽った。実際、冴さんのパレス攻略開始直前――獅童と手を切ることにして――以来、僕はメディア絡みの仕事を徹底的にキャンセルしていた。出演依頼が舞い込んでも断っている。

 全てに片が付いたなら、“探偵王子の弟子にして正義の名探偵・明智吾郎”はこのままフェードアウトするつもりだ。時が経てばいずれ僕の話題も出なくなり、人々から忘れ去られる日が来るのだろう。後に残るのは、有栖川黎を愛してやまない1人の男だ。

 「そっかー。吾郎の王子様キャラも見納めかぁ」――黎は至極寂しそうに苦笑した。意外と気に入っていたのだと語る黎に、ちょっと悪戯がてら「悪い子の俺は嫌い?」なんて愚問を訊ねてみる。黎はにっこりと微笑みながら、

 

 

「どんな吾郎も好き」

 

 

 酷く艶やかな微笑を浮かべるものだから、堪らない。

 

 清濁併せ持った都会の空気に触れても尚、黎は背筋を曲げることなく、道を踏み外すことなく、自分の正義を貫いて、堂々と道を歩んでいた。けれど、だからと言って変わらないままだったかと問われれば、そうではない。以前よりも鮮やかな色彩を纏い、目を輝かせ、艶やかな装いとなったように感じるのだ。

 黎の指が僕の手をなぞる。手袋越しから伝わってくる感触に、僕は思わず息を吐いた。些細な動作にも熱を感じてしまうのは、彼女と過ごすひととき――互いの温もりを掻き抱いて眠る夜――を幾度となく越えてきたからだろう。溺れてしまう程の幸福――その甘美な味を、知ってしまったから。

 

 密やかに微笑み合う僕たちの姿を目の当たりにしたモルガナが、「ワガハイ、今日も野宿か」と解脱した菩薩のような顔をした。

 先日は佐倉家の双葉の部屋に泊まり、彼は部屋主によって盛大にもみくちゃにされたそうだ。『スオウとかいう刑事よかマシだ』とぼやいていたか。

 その前は高巻家に預かってもらえないかと打診して断られたことに血涙を流しながら、奥村家に泊まることになっていた。閑話休題。

 

 

「ねえ吾郎」

 

「何?」

 

「週末2日間、空いてる? 買い出しついでに、吾郎と一緒に過ごしたいんだ。……いいかな?」

 

 

 黎は少し躊躇いがちに、小さく、僕の服の袖を引っ張る。伺うような問いかけだ。

 凛とした声の奥底に、微かに滲んだのは微かな不安。――普段は大胆不敵な怪盗が見せた、ささやかな弱音だった。

 

 勿論、断るなんて選択肢はない。僕は躊躇うことなく2つ返事で頷き返した。

 

 

◇◇◇

 

 

 事実上のデートなので、割と浮かれていた自覚はある。ベージュの鹿打ち帽とライダースコート、ダークブルーとスカイブルー基調でアーガイルチェックのベスト、黒のチノパン。あとは黒淵の伊達眼鏡を身に着けていた。半分変装、半分本気で選んだ服装だった。

 因みに、黎は黒のワンピース風のトレンチコートを身に纏い、アウターとして白のハイネックを着てフリルのついたプリーツスカートを穿いていた。ストッキングの色は黒に近いネイビーブルー、ローファーの色は濡れ烏色だ。シンプルなモノトーンコーデだが、どこか艶っぽく見えるのは気のせいではなかった。

 

 11月の街は冬の足音が近づいているようで、少々肌寒かった。あと1ヶ月過ぎれば、この街もイルミネーションに彩られるのだろう。買い出しがてら、僕たちは東京の街をぶらついていた。

 

 

『あら、彼が貴女の彼氏くん? モルモットさんから惚気話は聞かされてるわよ』

 

 

 クイーンの肩パッドを連想させるような刺々しいチョーカーを身に着けた武見医院の女医――武見さんは、付き添いである僕を見て愉快そうに笑っていた。

 怪盗団の活動を行う際、彼女から薬を融通してもらっていることは知っていた。どんな人なのかと思っていたが、成程、パンクな印象を受ける個性的な方らしい。

 メメントスで稼いだ金をつぎ込み、大量の薬を購入する。どの薬も即効性が高く、表には殆ど出回っていない“いわくつき”。しかし、怪盗家業には欠かせないものばかりだ。

 

 武見さんは黎のことを気に入っており、彼女のことを『モルモットさん』と呼んで親しんでいた。

 黎も武見さんのことを深く信頼しているようで、『ここの薬は凄いんだよ』と語っていた。

 

 

『交際期間12年目で婚約者になったんですって? ――うふふ、お幸せに』

 

 

 武見さんと談笑した後、医院を出た僕たちは東京の街へと繰り出す。休日とあってか、人の群れでごった返していた。

 

 

『吾郎先輩、丁度良かった! 婚約祝いの引き出物が決まらないので、もういっそ本人に聞こうかと思ってたところなんです!』

 

『黎さんからお噂は伺ってました。お2人とも、お似合いですよ。……ちょっとだけ、悔しいけど』

 

『アンタが黎さんの彼氏? ふーん。――黎さんを泣かせるようなことをしたら、絶対に許さないからね』

 

 

 街中で出会ったのは怪盗団のファンたちである。彼らが繋がりを持っていたことに黎はちょっと驚いたようだ。

 だが、奴らの顔を見た僕は、何故この3人が繋がってしまったのかを理解した。

 黎は気づいていないようだが、僕には彼らの共通点を一瞬で看破してしまった。

 

 ――だってそれは、僕自身にだって言えることだったから。

 

 僕と彼らの明暗を分けたのは、劇的に切り替わった運命のおかげだといえるだろう。

 どこかの可能性の中には、彼らと黎が結ばれる可能性もあったのかもしれない。

 

 三島は怪盗団公認の応援団長だ。鴨志田の一件で黎に救われた三島は、いの1番に怪盗団のサポート役を買って出た。おそらく、その中には『黎とお近づきになれるかもしれない』という下心もあったのだろう。それは竜司から齎された情報によって木端微塵に打ち砕かれた。以来、三島は黎と僕のファンみたいな立ち位置になっている。

 岩井薫はミリタリーショップ店主の息子だという。赤ん坊のときに売られた彼を連れてヤクザを辞めた店長の手によって育てられた。それを嗅ぎつけた店長/父親の元・兄貴分から彼が脅されていた一件を黎に助けられて以来、薫は黎のことを慕っているのだという。自体の発覚前は家庭教師役として勉強を見てもらっていたそうだ。

 織田信也はチートゲーマーの『改心』を行った際、取引を通じて銃の師匠を買って出ていた。他にも色々な悩み相談にも乗ってもらっていたという。母親の『改心』の件で怪盗団の正体に気づいた彼もまた、黎に対して淡い恋慕に近い感情を抱いたようだ。……最も、あの様子だと、三島や薫の二番煎じになったのであろうが。

 

 

『最近ガンナバウトに出入りし始めた人がいたんだけど、その人ちょっと怖いんだ。リャクダツアイ? みたいな話を勧めてきたし、結婚した初恋の人を今でもコシタンタンと狙ってるとか言ってた。黎さんと黎さんの彼氏の話をしたら『ごめんね。その2人の経緯は知ってるから、どちらの肩も持てないや』って悲しそうな顔してた』

 

『織田くんが言ってた特徴を持ってる人物と、つい最近顔を会わせたんだ。アルビノの雑種犬を連れてた大学生。接触してみたら名乗ってくれたよ! 確か、天田乾だった』

 

『11月初旬から店に出入りしている人がいるんです。黎さんや、テレビで取り上げられてる探偵・明智さんに関しての話題で話し合ってるらしいんですが、父さんは詳しく教えてくれなくて……。その人確か、父さんからパオフゥって呼ばれてました』

 

 

 ……内容はどうあれ、大人たちも続々と動き出しているらしい。

 

 天田さんはコロマルを連れて東京を歩き回っている。『正々堂々横恋慕続行宣言』に関しては、荒垣さんに伝えておけば負けじと頑張ってくれることだろう。

 パオフゥさんは単独で動き回っている様子だ。うららさんは比較的安全な別件調査に向かわされているに違いない。後でうららさんにチクっておこう。

 

 黎のシンパである3人にビックバンバーガーで軽食を奢って別れた後、街頭をうろうろしていたらスーツ姿の政治家を発見した。

 

 

『キミが黎さんの婚約者、吾郎くんだね?』

 

 

 僕を見て静かに微笑んだのは、20年前に汚職事件を起こして干された吉田議員である。彼は黎に演説術を教えた師匠でもあった。アンチ派からは『ダメ寅』と呼ばれてこき下ろされているが、それにも負けず、今回の選挙にも出馬するようだ。

 演説をするのはいつも夜なのだが、この時間帯でも既に、彼の支持者や演説に惚れこんだ人々から『次の街頭演説はいつ?』だの『選挙頑張れ』だのと声をかけられていた。吉田議員の結果がどうなるかは分からないが、できれば受かってほしいと思う。

 

 彼を見ていると、八十稲羽の市議会議員として再出発した生田目氏のことを思い出すのだ。

 生田目氏は東京での八十稲羽物産展成功を足掛かりに、八十稲羽のアピールを行うと語っていたか。

 彼もまた、一度大きな過ちを犯してから立ち直ろうと苦難の道を進んでいた人だった。

 

 生田目氏と吉田議員が顔を会わせたら、きっと仲良くなれそうな気がする。僕はそう直感した。

 

 

『……ふむ、若いのにいい目をしている。確固たる意志と意見を持ち、自分の為すべきことを見据えた瞳だ。キミのような若者こそ、これからの日本に必要な人材だよ』

 

 

 激励の言葉をかけられた僕は吉田議員に頭を下げた。ついでに生田目議員を紹介しておいた。

 暫し談笑した僕らは彼と別れ、昼食をどこで食べるかを検討する。

 

 

『ああ、元・情報屋さんじゃない! 久しぶりー!』

 

 

 昼間から高いテンションで絡んできたのは、雑誌記者の大宅さんだ。彼女は上機嫌である。

 

 どうやら彼女のスクープ記事が雑誌の売り上げに貢献したようで、社内の賞を受賞し金一封が出たらしい。はしゃぐ大宅さんに、僕たちは急遽『大宅さんおめでとう』パーティを開く――大宅さんに何かを奢ることにしたのだ。行先は銀座の寿司店である。

 “一介の高校生どもがいい年した社会人のために大金をはたく”図に、大宅さんが戦慄していた。しかし僕らからのお祝いの気持ちは受け取ることにしたようで、寿司に舌鼓を打つ。けど、そんな中でも、彼女は怪盗団の協力者として僕らの行く末を心配してくれていた。

 

 

『何かあったら言いなさいよ? アタシ、これでも修羅場を潜り抜けてきたジャーナリストだからね。アンタたちの為ならたとえ火の中水の中、悪魔の群れにだって突っ込むわよ!』

 

 

 悪魔絡みの事件で舞耶さんと黛さんの巻き添えを喰らい、『なんでアタシ悪魔にインタビューしてるんだろ? 泣けてくるわぁ』と嘆いていた大宅さんも変わったようだ。

 獅童によって汚名を着せられ“処分”させられてしまった相棒の弔い合戦。怪盗団の起こした『改心』によって、大宅さんは長い戦いに終止符を打った。

 『そのときの恩と借りは必ず返す』と、『これから獅童の腹心に関する記事を書く』と言って、力強く微笑んでくれた。そのためにも、英気を養っておいてほしい。

 

 昼食を食べ終えた僕たちは、大宅さんと別れて東京の街を散策する。のんびりと談笑していた僕たちは、黎の担任教師である川上先生と鉢合わせた。

 女性教師の休日に何をするのかと思ったが、川上先生は釣りのスペシャリストらしい。これから釣り堀に行って時間を過ごすのだという。

 

 

『……最近、ニュースが気になってね。獅童智明っていう天才高校生がいるでしょ? アイツ、連日連夜『怪盗団が秀尽学園高校(ウチ)に潜んでる』って熱弁してるから、キミのことが心配になって……』

 

 

 川上先生が黎や怪盗団を気にかけるのは、単に『前科持ちの生徒が面倒事を起こさぬよう監視するため』ではない。川上先生もまた、怪盗団の行った『改心』によって窮地を救われた1人である。

 

 とある男子生徒の死と遺族からの謝罪料催促によって、川上先生は押し潰されかかっていた。彼女が本来の気質を取り戻すきっかけを得たのは、怪盗団の『改心』だけでなく、黎との交流があったからだろう。

 川上先生は黎を案じている。担任教師として、怪盗団の協力者として、怪盗団に救われた人間の1人として。今回の事件――怪盗団に着せられた冤罪――の行く末を心配しているのだ。

 僕たちの様子から戦いが佳境になっていることを悟ったのだろう。川上先生は仕方なさそうに笑うと、『サボタージュしやすくなるよう便宜を図っておくから』と親指を立てた。双瞼は悪戯っぽく輝いている。

 

 

『……それと、婚約おめでとう。これから幸せになるんだから、絶対冤罪を晴らしなよ!』

 

 

 川上先生からの激励を受けた僕たちは、再び東京散策を再開した。

 4月の景色とはずいぶん様変わりした秋の風景も、いずれ雪化粧に染まるのだろう。

 

 

『あら、黎さん。このような場所で会うなんて珍しいですね』

 

 

 そんなことを考えながら近場の喫茶店に足を踏み入れたとき、黎に声をかけてきた少女がいた。

 

 彼女の顔には見覚えがある。確か、一時期メディアで『美しすぎる女流棋士』として取り上げられていなかったか。僕が首をかしげると、向うの少女が自己紹介してきた。一二三さんは黎の将棋友達らしい。そういえば、八百長将棋で問題になってプロからアマチュアに降格にされたという話題があった。

 母親が『改心』して以後の一二三さんは八百長将棋を脱し、再びアマチュアから再スタートした。彼女の実力は本物で、再出発後は負けなし・破竹の勢いで勝ち進んでいる。プロへ返り咲くのも夢ではないと噂されていた。一二三さんは時折メディアの取材を受けるようで、『黎がいてくれたおかげ』と話している。

 一二三さんも、怪盗団に着せられた冤罪事件のことを心配していた。暫く談笑していた一二三さんは表情を曇らせた後、今回の一件について訊ねてきた。彼女も怪盗団の無実を信じている人間の1人として、今回の顛末が気になるようだ。……最も、近々試合もあるため、色々な意味でやきもきしているらしいが。

 

 黎は僕のことについても彼女に話していたらしい。

 僕を見るなり『素敵な方ですね』と目を細め、我がことのように喜んでいた。

 

 

『貴女たちを見る限り、恋も勝負も大一番といったところでしょう。どちらも前に進まなければならないときです。……ご武運を』

 

 

 一二三さんと別れた僕と黎は、東京の街を歩く。そろそろ日も傾いてきた。

 あと数時間もすれば空は闇に覆われ、今日も終わるのだろう。

 

 

『そちらの方が、黎さんの言っていた彼氏さんですね! 彼女、貴方に纏わりついていた死の暗示を次々と覆したんです! 本当に凄かったんですよー!』

 

 

 ぽつぽつとネオンが灯り始める中で、僕と黎を呼び止める声が聞こえてきた。振り返れば、金髪碧眼の女性がこちらに手招きしていた。

 女性は占い師の御船さんであり、黎の協力者の1人だ。僕と黎のことに関して御船さんは何度も占ってくれており、僕らを応援してくれていた。

 運命を超えてきたのは黎だというのに、破滅を次々と覆す彼女を見てきた御船さんは我がことのように喜んでいた。そんな黎の姿に励まされてきた、と。

 

 以前、御船さんは僕と黎に関する占いをしていた。『11月と12月が、死と破滅が一番近くに迫って来る』という運命を予知しており、その顛末を固唾を飲んで見守っている状況だという。今回怪盗団にかけられた冤罪のことも予期しており、事態が占い通り――破滅に向かって動いていることを心配していた。

 御船さんは無料で占いをしてくれた。タロットカードを切って机の上に並べる。並んだカードは悪い意味を指すものばかりだ。でも、御船さんは一端手を止めてこちらを見上げる。彼女の双瞼は、真摯に僕たちを見つめていた。

 

 

『確かに、このまま行けば破滅一直線です。でも私、運命を覆してきた黎さんの強さを信じています。貴女なら――貴女たちなら、どんな運命だって乗り越えられる。……だから、絶対負けないでくださいね』

 

 

 御船さんはそう言うなり、4枚かのカードを差し出した。刑死者、星、審判、太陽の正位置――御船さん曰く、『此度の滅びを乗り越えた先にあるもの』とこのことだ。試練は大きいが、希望は確かに存在している。

 

 占い師からのアドバイスを心に刻みながら、僕たちは礼を言って立ち去った。ついに日が暮れて、夜の東京はネオンや建造物の灯りによって彩られる。僕たちは武器を調達するため、ミリタリーショップに足を踏み入れた。

 店長である岩井さんは僕の顔を暫し凝視すると、鋭く目を細めた。こちらを探るような眼差しから、僕が“テレビに出て怪盗団を批判していた探偵・明智吾郎”であることを察したようだ。元ヤクザの危機察知能力は伊達ではないらしい。

 黎が武器を買い揃えている脇で、僕と岩井さんは無言のまま火花を散らし合っていた。そのとき、うららさんとパオフゥさんがミリタリーショップにやって来る。うららさんが黎に構い、そんな現相棒をパオフゥさんは困った様子で見守っていた。

 

 

『――アイツにほんの少しでも害を加えてみろ。ただじゃおかねェ』

 

 

 黎の注意が完全に逸れた瞬間、岩井さんが地の底を這いずるような声を上げて僕を威嚇してきた。元がついてもヤクザはヤクザ、眼力と迫力は衰えていない。その凄みを真正面から受け止めながらも、僕だって負けるつもりはないのだ。

 『その言葉、そっくりそのまま返す。アンタこそ黎を危険に晒すと言うなら、容赦しない』――こちらも普段よりワントーン低い声で返事した。再び睨み合いを始めた僕らだったが、それを中断させたのはパオフゥさんだった。

 

 パオフゥさんは僕と岩井さんの肩をポンと叩いた。『やめとけヤモリさんよ。コイツは地元じゃ『白い烏』って呼ばれる黎の守り手だ。伊達に12年間、その名を背負ってたわけじゃねぇ』――岩井さんに囁くようにして、パオフゥさんが告げる。

 

 それを聞いた岩井さんは目を見張ると、ちらりとこちらを見返した。黎はうららさんと楽しそうに談笑している。

 黎にはやっぱり笑顔が似合うなと思いながら、僕はひっそり目を細めた。再び僕と岩井さんは顔を見合わせる。

 

 

『成程な。俺の余計なお世話ってとこか。……これからも、アイツを守ってやってくれ』

 

 

 岩井さんは僕に耳打ちしながら、黎が買った武器防具を手渡してきた。僕はそれを受け取る。

 パオフゥさんとうららさんは店に残り、何か話をするらしい。詳細は分からないが、悪だくみをするわけではなさそうだ。

 店から出ると、酔っぱらった大人や派手な身なりをした大人の姿がちらほら伺える。僕たちは四軒茶屋へと足を進めた。

 

 佐倉さんは当たり前のように僕らを迎えた後、ちらりとこちらを見返した。彼は静かに微笑むと、何も言わずにコーヒーを淹れてくれた。

 僕らの戦いが佳境を迎えていることを察しているためか、最近はひっそりと便宜を図ってくれる。それがとてもありがたかった。

 

 

『前にも言ったが、俺に出来ることはお前たちを匿ってやることぐらいだ。これでも立派な大人で保護者だからな』

 

 

『お前さんの保護者なんかは俺よりもずっと若いのに、俺の何倍も駆けずり回ってるんだぜ? こっちだって、まだまだ負けちゃいられねぇよ』

 

 

 佐倉さんはニヒルに笑ってみせる。あの様子からして、至さんや航さんから何かを言われたのだろうか。

 それを問う間もなく、佐倉さんは店じまいをして『節度は守れよ』と言い残し、ルブランから去っていった。

 

 テレビでは連日連夜、怪盗団絡みの特集が放送されている。周りが何を騒ぎ立てようがどうでもいいが、それ以外に何か別な番組はないのだろうか。そんなことを考えている間にニュースは終わり、ようやく、怪盗団とは関係のない特番が放送された。

 上杉さんと黒須純子さんがMCを務める海外ロケ番組だ。りせさんや英理子さんもゲストとして出演しており、MC・ゲスト共々ロケに参加していたらしい。ロケの収録は先月末、番組の収録は先週末に終えているとは上杉さん本人が語っていたか。

 収録済み番組を除けば、上杉さんは『長期休業宣言』によって表舞台から引きこもっている。ペルソナ使いとして特捜のサポートに駆り出されることが正式に決まってしまったためだ。“自分の顔面が無事なままこの件が済むことを祈っている。配慮して”とメッセージが来たか。

 

 画面が切り替わり、白基調のワンピースを身に纏った英理子さんのVTRが流れ始めた。白い砂浜、青い海の場面から映像が始まる。程なくして、海沿いの田舎町を歩いていた英理子さんは白亜の小屋の前に立っていた。

 内部は意外と広い作りになっている。そこに飾られていたのは大きなステンドグラス。描かれていたのは、黎の“おしるし”と同じ『6枚羽の魔王』だった。興味深そうにする英理子さんに、現地のガイドが説明を始めた。

 

 

『元々この地域には、独自の神話が根付いていたんだよ。一度廃れてしまったが、最近は地元のマイナー映画になった影響か、再び注目されるようになってね……』

 

 

 ガイド曰く、このステンドグラスは件の神話をモチーフにして作られた芸術作品なのだという。

 

 原初の世界は至高神によって創造された完璧な世界だったらしい。だが、至高神の神性・アイオーンの1柱が「至高神と、ひいては至高神から生み出された自分の素晴らしさを知らしめたい」と思い至り、自分よりも劣る神を生み出したのだという。

 劣った神は完璧な世界を模倣しつつも、力不足のために不完全な世界を創り上げた。その世界を管理していくうちに、劣った神は人間たちの欲望を目の当たりにして、自らの責務を忘れて驕り高ぶるようになったそうだ。そのうちに劣った神は悪神へと転化してしまった。

 終いには、『自分以外に神は存在しない』と認識し、悪神は思うがままに力を振るって、不完全な世界――即ち、人間たちが生きている“この世”を支配しているのだという。奴は人間たちを破滅させることに悦を見出しており、隙あらば人間に理不尽を味合わせようとしているそうだ。

 

 

『悪神ヤルダバオトとその配下であるデミウルゴスによって人間たちの魂は不完全な現世に囚われ、様々な艱難辛苦を味あわされることとなり……』

 

「……ヤルダバオト……」

 

 

 ガイドの説明を聞いた黎がぴくりと反応する。反応したのは彼女だけではなく、“ジョーカー”もだった。灰銀の双瞼に宿るのは、鮮烈な憤怒と惜しみない敵意。仇敵の存在を察知したと言わんばかりの形相に、僕と“明智吾郎”は呆気にとられる。……だって、その目は、獅童正義に向けた憤怒と桁違いだったから。

 ()()()()()()()()()()()()()姿()()()()()()()()――“明智吾郎”は小さく身震いした。裏切り者である“自分”すら許した怪盗が、堪忍袋の緒を切ることすら難しそうなくらい温和でお人好しだった正義の味方が、“ヤルダバオト”という単語に対して激情をあらわにするとは思わなかった。

 

 黎の眼差しはテレビに釘付けだ。そうしている間にも、ガイドの説明は続いていく。

 

 

『そんな中、この事態を重く見たアイオーンたちがいたんだ。サタナエルとその配下アガリアレプト。彼らはヤルダバオトから人間たちを救おうとしていた。彼らの先導役を行ったセイレは元々、ヤルダバオトを生み出したアイオーンが奴より先に生み出した化身だったんだが、創造主からは『失敗作』とされ棄てられてね。自分の創造主の所業にあきれ果てた彼は、創造主の罪を贖うため、サタナエルとアガリアレプトに力を貸したそうだ。最期は悪神どもを討つために身を投げうって――』

 

 

 ガイドの説明に熱が入る。『因みにステンドグラスに描かれているのはサタナエルの方でね。別の小屋にはアガリアレプトを描いたステンドグラスもあるよ。丁度、この島の反対側……つまり、対角線上の反対側にあるんだ』――ガイドの説明はそう締め括られた。

 興味半分にテレビを聞き流していた僕は、不意に引っ掛かりを感じた。アガリアレプトには一切の聞き覚えがないが、サタナエルという単語をどこかで――数えるほどでしかないが――聞いたことがあるような気がしたのだ。

 フラッシュバックするのは6枚羽の魔王。鴨志田のパレスでは鴨志田の認知によって生み出された黎を消し飛ばし、冴さんのパレスでは洗脳された僕を救うために顕現したあのペルソナの名前は、何と言っただろうか?

 

 テレビの発言に思うところがあったのか、黎はじっとVTR――アップになったステンドグラスを見つめている。あの様子からして、黎もサタナエルという単語に覚えがありそうだ。

 程なくして特番も終わった。時計を見る。あと3時間少々で今日も終わるのだ。18日は冴さんに予告状を出す日である。20日は強制捜査が入る日だ。

 

 獅童や奴の背後で蠢く『神』を倒すための布石を打つ。奴らの手駒にされかかった冴さんを助けるためにも、怪盗団の無罪を示すためにも、負けられない。

 

 

「予告状、18日だね」

 

 

 黎はぽつりと呟いた。その表情は剣呑で、普段見せる不敵さも余裕もない。

 酷く思いつめたように見えた気がして、僕は思わず手を伸ばした。そっと、彼女の手を取って頷く。

 

 

「ああ」

 

「決行は、19日」

 

「……不安?」

 

「……うん。少し」

 

 

 黎が見せる弱さに触れる。あるいは、“ジョーカー”が抱える不安に寄り添う。その原因を担っているのが僕――“明智吾郎”なのだから、取り除くのは当然だろう。原因を担っているという点は恋人としてどうかと思うのだが、何とかできるのも恋人である僕だけなのだ。誰にも譲りたくない。

 御船さんが占った『11月と12月に待ち受ける破滅』は、黎と僕にまつわることだ。“明智吾郎”曰く『“ジョーカー”は11月20日に命を落とす』危険性があるし、“明智吾郎”は『早ければ11月下旬、遅くても12月中旬には命を落とす』らしい。おまけに今僕らが生きる世界は、“明智吾郎”が把握していない要素が多すぎる。

 特に危険なのは、“明智吾郎”の代わりに『廃人化』事件を引き起こしている獅童智明だ。奴は『神』の関係者で、『神』は認知世界の仕組みを理解したうえで弄り回している。……認知世界を駆使したやり方は、一発で看破されるだろう。逆に嵌め殺されてしまう可能性が高い。

 

 だから、嘗て“ジョーカー”が使い“明智吾郎”が騙された手法だけではリスクが高すぎる。更なる策を重ねる必要があった。

 

 若干力押しになってしまったところはあるが、人間としての精一杯のあがきだ。『神』にどこまで通じるかは分からないし、全員揃ってこの窮地を乗り越えられるか否かも難しい。

 ()()()()()()()()()()()()()、怪盗団の面々に足を止めることは許されない。誰かを失うなんて考えたくはないが、それに関しても出来得る限り策は練ったつもりだ。

 

 

「大丈夫だよ、黎。()()()()()()

 

 

 僕はそう言いながら、彼女の左手を両手で握った。途端に黎の表情が曇る。僕の発言が、彼女の心配する論点からずれているためだろう。

 黎/ジョーカーを――怪盗団のみんなを守るための作戦を、僕は頭の中でシミュレートする。何度も、何度も、何度もだ。

 失敗すれば怪盗団から脱落者が出る。それでも、反撃のタイミングを間違わなければ充分逆転は可能。怪盗団のみんなは、きっとやり遂げられる。

 

 

「そうじゃない。そうじゃないんだよ、吾郎」

 

 

 黎は訴えるようにして、僕の手に自分の右手を重ねてきた。

 

 

「絶対、いなくならないで。……私たちと一緒に『神』を倒して、これからもずっと一緒にいよう」

 

「……ああ、そうだね。ずっと一緒にいよう」

 

 

 弱気になってはいられない。だって僕は、生きることを選んだのだ。黎と一緒に生きると決意したのだ。黎も『一緒に生きる未来』を望んでくれた。

 僕の左手薬指に光るコアウッドの指輪、黎の服の下でひっそりと存在を主張するブルーオパールの指輪――決意の証たる輝きを思い返し、僕は頷き返した。

 

 不安に揺れていた黎の表情が和らぐ。照れたように口元を緩ませた黎は小さく頷くと、手を離した。リモコンを掴み、テレビを消す。ルブランは静寂に包まれた。

 

 片付けのための生活音――水音、食器が立てる音、布がガラスや陶器を擦る音――だけが響く。僕はその音に耳を傾けながら、黎の姿を見つめていた。

 程なくして片付けが終わったらしく、黎は小さくため息をついて僕に向き直る。黎は少し躊躇うような動作を見せた後、僕の服の袖口をひっそりと引っ張った。

 

 

「……今日、泊っていかない?」

 

 

 僕は目を見張った。お泊り会はこれが初めてではないし、泊まる度に色々やっているから、その言葉がどんな意味か分かっているはずだ。

 それに、お泊りを打診するのはいつも僕からだ。黎は静かに笑って頷くのが常だった。彼女はいつも、僕が求めたら拒絶せずに応えてくれる。

 お誘いをかけるのはいつも僕だったから、驚いた。お誘いをかけられたこともだけど、誘うとき、顔を真っ赤にしてこちらを窺うなんて。

 

 魅力MAX魔性の女、度胸MAXライオンハート。下手すればデリカシーを捨ててしまうこともある女の子が、こうやって女性らしい仕草をするだなんて――僕を求めてくれるなんて思わなかった。ぞく、と、背中に変な震えが走る。

 

 

「……うん」

 

 

 僕は頷き、立ち上がる。

 黎の手を引いて、屋根裏部屋へと足を進めた。

 

 

 

 ……その後に関しては、ノーコメントにしておこう。僕を欲しがる黎の可愛い姿なんて、僕だけが知っていればいいのだから。

 

 

◇◇◇

 

 

 ――そうして19日。

 

 昨日は冴さんに予告状を渡す役目を真に任せ、普段通りの生活を送った。18日の夜、グループチャットに“お姉ちゃんが予告状に気づいた”とメッセージが入った。――これですべての準備は整った。

 作戦は何度も確認した。特捜に引っ張り込まれた大人たちとの打ち合わせも済んでいる。あとはド派手に大立ち回りを演じながら、この大一番を駆け抜けるだけだ。泣いても笑っても一発勝負である。

 

 僕たちは冴さんのパレスに乗り込んだ。天秤橋を渡って支配人フロアに入る。エレベーターから降りた僕たちの前に広がったのは、巨大なフロアだ。

 冴さんの姿はない。この機に及んで、どこかに潜んでいるのだろうか。周囲を見回していたとき、目の前のモニターに冴さんが映し出される。

 彼女の佇まいは変わらなかった。文字通りの威風堂々。キツめのメイクも相まって、不敵さに磨きがかかっている。自分が負けるとは微塵も考えていない様子だ。

 

 

「今度はどんな勝負です? 何してきても負けるつもりないですけど」

 

「貴女の歪んだ心を頂戴する。観念しなさい」

 

『観念? うふふ、面白いことを言うわね』

 

 

 冴さんは、僕とジョーカーの態度を見ても怯む様子はない。『私を追いつめたと思っているなら、それは大きな間違いよ』と挑戦的に笑って見せた。

 曰く『最初から“支配人フロアで僕らを迎え撃つため”に、怪盗団が支配人フロアを目指すようお膳立てしていた』という。

 

 だが、冴さんは不敵な笑みを消した。どこか悲しそうな――寂しそうな表情。

 

 

『お父さんが殉職したとき、犯人を心底憎んだわ。『正義の殉職』って言えば美談だけど、遺された方には堪らないわよ……!』

 

 

 冴さんがずっと抱え込んできた弱音。誰にもぶつけられず、己を厳しく律して殺し続けた悲鳴そのものだ。冴さんの中にありながら、冴さん自身に否定され続けた“もう1人の自分”。それが、イカサマカジノの支配者という形で顕現した。

 似たようなケースに関する話を耳にしたことがある。僕は留守番していたのでよく知らないが、滅びを迎える珠閒瑠からやって来た達哉さんがお世話になった宮代詩織という女性警官の話を思い出した。

 新生塾の実験によって悪魔化してしまった宮代巡査を助けるためにカダスマンダラへと赴いた至さんと舞耶さん一行は、そこでトラペゾヘドロン――宮代巡査の意識であり、もう1人の彼女を表す存在――を回収していたという。

 

 数多の意識を集め最下層に辿り着いたとき、最後に現れた意識が“コンプレックス・トラウマを押し殺した存在”だったらしい。ニャルラトホテプ曰く『存在することすら許されなかった一面』だという。

 宮代巡査の場合、それは被害者遺族としての怒りと殺意、弟に戻ってきてほしいという願いだった。彼女の弟は須藤竜也によって殺されている。ひょんなことから達哉さんの面倒を見るようになった宮代巡査は、達哉さんを弟に重ねて見ていたのだ。

 

 ニャルラトホテプからの嫌がらせも相まって、宮代巡査はロンギヌヌの槍を振り回しながら舞耶さんに襲い掛かって来たらしい。宮代巡査の『存在することすら許されなかった一面』は、“達哉さんを自分の弟に仕立て上げずっと一緒に暮らす”という願いの名のもとに、邪魔者――達哉さんが想いを寄せる相手である舞耶さんの抹殺を企んだ。

 

 

(至さんが言ってたのって、こういうことだったのかな)

 

「お姉ちゃん……」

 

 

 僕がそんなことを考えていたのと、クイーンが悲しそうに冴さんの名前を呼んだのは同時だった。

 姉が抱えてきた悲しみを初めて目の当たりにしたのだ。生々しさを伴った冴さんの姿に、心が痛んで当然である。

 

 けれど次の瞬間、それは冴さんのどす黒い一面の吐露へとシフトチェンジした。

 

 

『私がどれだけ苦労したと思ってるの!? 上司はクソだし同僚の男どもは私を見下してくるし、こちらの足を引っ張ってばかり! ハッキリ言ってウザいのよ! 下手に出ればつけ上がるんだから!!』

 

「……クイーンの姉さんって、ある意味“爆発できなかったクイーンの末路”っぽいよな。あくまでも予想図だけど」

 

「まさに暴走特急……」

 

 

 金城パレスでの一件を思い出したのか、スカルがちらりとクイーンに視線を向ける。ナビも神妙な顔で頷いた。金城パレスでの一件を例に持ちだす気持ちは、僕にもよく分かる。

 『口を開けば金金金金! はっきり言ってウゼーんだよ! 下手に出ればつけ上がりやがって!!』――ヨハンナを覚醒させたとき、金城へ切った啖呵は今でも忘れられない。

 ああいう一面を飼い慣らしながら生きていくためには、社会に認められる仮面をあらかじめ用意して被っておかなければならないのだ。これは経験談である。閑話休題。

 

 

「でもこれ、獅童の部下によって歪まされてるだけなのよね。『改心』させれば、元の冴さんに戻るはず。マ――……クイーン、一緒に冴さんを改心させよう!」

 

「……そうね。ありがとうノワール」

 

 

 ノワールからの激励を受けたクイーンは、不安を拭って力強く微笑み返す。

 あの様子なら問題あるまい。何故なら、クイーンは目的を見失っていないからだ。

 

 

『正義は悪に屈してはならない! 正義を貫くために、私は勝ち続けなければならないの! 正義は必ず勝つものであり、勝った方が正義なんだから!』

 

 

 妹であるクイーンとは対照的に、冴さんは完全に目的を見失っている。彼女の発言は文字通り“勝てば官軍、負ければ賊軍”を意味しているからだ。『正義を証明するために裁判に勝つ』のではなく、『裁判に勝つことが正義の証明である』と考えているのだろう。手段と目的がすっかり入れ替わったのだ。

 

 勿論、そんな主張を掲げる冴さんは、不敵に笑って怪盗団に勝負を仕掛けてきた。正義である自分が勝つと譲らない。冴さんの宣言に呼応するように地鳴りが響く。

 退路は断たれ、周囲の仕掛けが動き出す。僕らの立っている緑色の床を取り囲むようにして、赤と黒の溝が出現した。溝の脇には番号が振られている。

 

 

「これは……ルーレットか!?」

 

「そういえば、認知のお客の中には『ルーレットに勝てない』って言ってた人もいたけど……まさか、これ?」

 

「……成程。ここでも正々堂々(策謀回して)運試し(イカサマ)合戦ってことか!」

 

 

 フォックスとパンサーは、自分たちの戦場がどのような場所かを分析したようだ。今までの経験を引っ張り出したモナも表情を引き締める。

 但し、モナの呟きは冴さんに届かなかったようだ。戦場に降り立った冴さんが「正々堂々戦いましょう?」と不敵な笑みを浮かべたからであった。

 僕らは得物を構えて冴さんのシャドウに向き直る。刹那、冴さんの前に“何か”がダブって見えた。瞬きしたが、冴さんの姿は変わらない。

 

 黒一色で統一された女支配人は大きな鍔とトランプ飾りが特徴的な帽子、妹のクイーンとの繋がりを連想させるような棘だらけのチョーカー、胸元やスリット大胆な切れ込みと網目タイツが使われたセクシーなドレスを身に纏っている。

 先程冴さんと重なっていたのは、棘だらけの服を身に纏った異形。大きなバスターソードを得物にしていたように感じたが、女支配人は得物らしき得物を所持していない。……冴さんが精神暴走状態であることと何か関係があるのだろうか?

 

 

「ここからはもう、コインもルールも関係ねェ! 盛大に暴れてやるぜ!」

 

「無駄よ。貴女たちは決してルールに逆らえない!」

 

 

 スカルの啖呵を真正面から喰らっても、冴さんは不敵に笑う。そこまで自信満々だから、このルーレットには確実にイカサマが仕組まれているようだ。

 

 

「まずはイカサマを見破る所から始めるよ。初手は受け身になる分、しっかり準備して!」

 

「おう!」

「ああ!」

「うん!」

「ええ!」

 

 

 ジョーカーの音頭に従い、仲間たちは戦闘態勢を整える。

 怪盗団に仕掛けられた罠を掻い潜り、すべてを仕組んだ犯人を『改心』させる――その前哨戦の幕開けだ。

 文字通りの大一番、字面通りの一発勝負。言葉通り、天下分け目の大決戦。

 

 ――賽は、投げられた。

 

 




魔改造明智の新島パレス、予告状前のデート~天下分け目の大決戦開始まで。魔改造明智、黎のコープ相手(大人、および怪盗団の面々以外)と初接触しました。コープ相手の方も、あちこちに繋がりができている模様。P3Pの天田が大変なことになっていますが、6割発破で4割本気なので表面上は大人しくしてくれることでしょう。
P5プレイヤーには見覚えのあるワードがぽつぽつ登場しました。原作P5には出てこなかったキーワードや、どこかで覚えのある設定を背負った特徴もちらほらしています。そして、魔改造明智の言う『失敗すると犠牲者は出るが、怪盗団の逆転は可能』という作戦内容等々。ここから何かを察して頂けたら幸いですね。
ここから更に認知が歪み、原作との乖離が大きくなります。現時点での違いは『冴の暴走理由を知っているため、クイーンや怪盗団側に余裕がある』ところでしょうか。ダイジェストでばっさり説明する頻度も増えると思われます。魔改造明智と怪盗団、頼れる大人たちの戦いの行方を見守って頂けたら幸いですね。


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これで終わり? んなわけ、ねえだろ!!

【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 @空本(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄で明智の保護者その1。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
 @獅童(しどう) 智明(ともあき)⇒獅童の息子であり明智の異母兄弟だが、何かおかしい。獅童の懐刀的存在で『廃人化』専門のヒットマンと推測される。詳しくは中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『運命を切り開くだけの簡単なお仕事』および『ペルソナ3異聞録-.future-』、Pixivの『2周目明智吾郎の災難』および『【一発ネタ】有栖川黎の幼馴染』の設定を下地にし、別方向へ発展させた作品である。
・ジョーカーのみ先天性TS。
 ジョーカー(TS):有栖川(ありすがわ) (れい)⇒御影町にある旧家の跡取り娘。旧家制度は形骸化しているが、地元の名士として有名。身長163cm。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空本(そらもと) (わたる)⇒明智の保護者2で、南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。
・敵陣営に登場人物追加。
 @神取鷹久⇒女神異聞録ペルソナ、ペルソナ2罰に登場した敵ペルソナ使い。御影町で発生した“セベク・スキャンダル”で航たちに敗北して死亡後、珠閒瑠市で生き返り、須藤竜蔵の部下として舞耶たちと敵対するが敗北。崩壊する海底洞窟に残り、死亡した。ニャラルトホテプの『駒』として魅入られているため眼球がない。この作品では獅童正義および獅童智明陣営として参戦。但し、どちらかというと明智たちの利になるように動いているようで……?
・「2罰ボスの外見を見た人間の反応」に関するねつ造設定がある。
・普遍的無意識とP5ラスボスの間にねつ造設定がある。
・『改心』と『廃人化』に関するねつ造設定がある。
・春の婚約者に関するねつ造設定と魔改造がある。因みに、拙作の彼はいい人で、春と両想い。
・新島冴および芹沢うららが、パオフゥ絡みで大変なことになっている。


「さあ、正々堂々行きましょう!」

 

 

 冴さんはそう宣言した。次の瞬間、僕らの立つ戦場を囲っていた堀――ルーレットのポケット部分が勢いよく回転を始める。パレスの主曰く、「ルーレットで互いの命運を決めよう」とのことらしい。ルーレット中の暴力行為は禁止で、禁を破ればペナルティを喰らうという。

 

 この場がルーレットを模しており、パレスの主の十八番はイカサマであることを知っていたナビは眉間に皺を寄せる。どうするかの最終判断はジョーカーに一任するらしい。

 「パンサー、クイーン、モナ! 回復術の準備をお願い。攻撃が終わり次第、即座に使って」――そう言って、ジョーカーは駆け出した。名指しされた3人は頷き、機を待つ。

 他の面々が攻撃に走った。僕もそれに続いてロビンフッドを召喚し、ランダマイザで援護する。一気に弱体化した冴さんに、数多の攻撃が降り注いだ!

 

 

「うわぁ!」

「くっ!」

「きゃあ!」

 

 

 次の瞬間、悲鳴を上げたのは、冴さんに攻撃を仕掛けた面々だった。ジョーカーが床に叩き付けられたのを皮切りに、彼らが次々と倒れ伏す。

 『一瞬にして崖っぷちに追いやられる』という異常事態に息を飲んだが、ジョーカーから名指しされていた面々が回復術を使ったことで事なきを得た。

 

 

「これがペナルティ!? 一撃で戦闘不能寸前まで持ってかれるなんて……!」

 

「言ったでしょう? 『貴女たちはルールに逆らうことはできない』って!」

 

 

 得意満面に語る冴さんを目の当たりにしたナビは舌打ちした。もし、冴さんの忠告を無視して全員で攻撃していたら、全員が瀕死状態になっていただろう。回復術を使える面々を攻撃に参加させなかったのは、ジョーカーがかけておいた保険だった。

 “ルーレットが始まってしまうと、終わるまでに冴さんに危害を加えれば瀕死に陥る”とは、随分と厄介なペナルティだ。こんなときまで冴さんのルール――もとい、冴さんのイカサマに振り回される羽目になるとは。スカルが憤慨する気持ちはよく分かる。

 不敵に笑う冴さんは、ジョーカーへルーレット勝負を申し込んできた。ルールは「ボールがどのポケットに落ちるか」を予想するだけのシンプルなもので、手堅く賭けるか一発逆転を狙うかを選べるようだ。……最も、今回はイカサマであることは明らかだが。

 

 「イカサマを指摘しても、向うは絶対に認めないだろう。分かり切ったことだろうがな」――モナは面倒くさそうにため息をつく。

 イカサマの証拠を提示し、それを打ち砕かない限りは勝負にならない。ジョーカーは頷き、冴さんの賭けに乗った。賭ける対象は体力、賭け方は手堅い方を選ぶ。

 

 予想していたことだったが、1回目のルーレットは冴さんの勝ちだ。ジョーカーが予想したポケットから弾かれた弾は、隣のポケットに収まる。刹那、ファンファーレの音と一緒に、凄まじい衝撃波が僕たちに襲い掛かった。

 

 

「痛ってェ……! って、ああっ!?」

 

「冴さんの傷が回復してる……!」

 

 

 スカルと僕は目を剥いた。先のルーレットタイムにジョーカーたちが与えた傷が塞がっている。どうやら、勝者は敗者から賭けの対象物を奪うことができるらしい。

 冴さんは「残念だったわね」なんて笑っているが、金色の瞳は僕らを哀れむ様子はない。この現象が当然なのだと嘲っている。それが、彼女の自信に繋がっていた。

 

 ――だが、冴さんの表情は驚きで凍り付くこととなる。

 

 高笑いする冴さんの斜め左側から、何かが勢いよく飛んできた。それは冴さんの肌を傷つけただけでは済まず、当たったところに痛々しい痣を作り出す。

 「乱入者はルール違反」だと叫んだ冴さんは、パレスの主としての権限を行使しようとしたのだろう。だが、この場に響き渡った声が、その動きを縫い止めた。

 

 

「――よう、新島。暫く見ない間に、随分と様変わりしたじゃねぇか」

 

 

 つい最近聞いた男性の声だ。彼の言葉が響いたのと、僕の足元に何かが転がって来たのはほぼ同時だった。落ちていたのは、パレスの中で使用可能なカジノコインである。

 冴さんに傷をつけた得物に、仲間たちは目を丸くした。コインでシャドウにダメージを与えるような人間には心当たりがある。攻撃手段は指弾。指弾と言えばあの人だ。

 珠閒瑠市を拠点にして活動する、人探しが得意な探偵。盗聴バスターも兼任するペルソナ使いで、元珠閒瑠地検の検事。冴さんは、その人物の下で司法修習生をしていた。

 

 

「パオフゥさん! どうしてここに!?」

 

「お前さんの保護者が、“イセカイナビ レヴィアタン限定版”ってのを送ってよこしたのさ。但し、特捜の連中は別ルートから“イセカイナビ”を手に入れたらしい」

 

 

 僕の問いに答えた裏社会を熟知する探偵・パオフゥさん――珠閒瑠地検の元・検事だった本名:嵯峨薫氏は、スマホを指示しながら、嘗ての司法修習生である冴さんと対峙する。冴さんは表情を引きつらせた。

 

 

「それにしても、お前さんがこんな趣味を持ってたとは思わなかったぜ。正義の文字が泣いてるぞ?」

 

「黙ってよ! 正義を証明できなかった挙句、非合法的手段を用いて復讐に走った貴方に何が分かるって言うの!?」

 

 

 冴さんが指摘したのは、珠閒瑠地検の検事であった嵯峨薫氏が、裏社会を熟知する探偵パオフゥへ至るまでの経歴だ。

 

 珠閒瑠地検の検事だった嵯峨薫氏は、部下である浅井美樹事務官と共に“とある事件”を追いかけていた。その事件の黒幕は、当時から現職大臣として強権を有した須藤竜蔵である。勿論、強い権力を持つ人間が相手なのだ。邪魔者を消すために暴力的な手段を講じてくることもある。

 嵯峨検事と部下の浅井事務官は、須藤竜蔵の息がかかった殺し屋連中に襲われた。ペルソナ能力に覚醒した嵯峨検事はどうにか生き残ったものの、襲撃に巻き込まれた浅井事務官は命を落としてしまう。それがきっかけで、嵯峨検事は否応なしに裏社会へと引きずりこまれた。

 パオフゥと名を変えた彼は、表向きは“盗聴バスター”の看板を掲げながら、復讐のために裏社会を駆け回った。法律を使っても須藤竜蔵には太刀打ちできないと察し、意図せず裏社会に漬かってしまい、嵯峨薫と名乗り続ければ命を狙われる危険性があったから、彼は嵯峨薫の名を捨てたのだ。

 

 後に、パオフゥさんも『JOKER呪い』の事件に巻き込まれたことがきっかけで舞耶さんたちと共闘し、結果的に“浅井事務官殺害の実行犯と、須藤竜蔵への復讐”を果たした。勿論、その復讐内容は完璧に非合法である。その様を思い出し、僕は何とも言えない気持ちになった。

 どのルートからかは齎されたのかは分からないが、冴さんは嵯峨氏の辿った数奇な旅路を知るに至ったらしい。復讐に用いた手段が正攻法でなかったことも、須藤竜蔵の一件に超常現象が絡んでいることも気づいたからこそ、パオフゥさんの復讐が違法であると断定したのだろう。

 

 

「貴方だって、須藤竜蔵()正義を証明できなかった(負けた)から、検事を捨てて裏社会に足を踏み入れたのでしょう!? 今私がやっていることと何も変わらないわ! ――いいえ、検事として正義を証明し(勝ち)続ける私の方が優れている!!」

 

「否定はしない。……だがな、これだけは言える。――いい加減目を覚ませ、新島。今のお前、酷い顔をしてるぞ」

 

「煩いっ!」

 

「――煩いのはアンタでしょうがぁ!」

 

 

 パオフゥさんへ飛びかかろうとした冴さんだが、右斜めからストレートジャブを叩きこまれて吹っ飛ばされた。

 美しき女支配人を殴り倒したのは、パオフゥさんの現・相棒を務める芹沢うららさんだ。

 

 彼女は今でも男性紹介を求めており、自分を騙した結婚詐欺師をぶちのめすために始めたボクシングジム通いを続けているらしい。その一発はキレッキレであった。

 

 

「ああもう、黙って聞いてりゃ腹立つわね! 今アンタが現役検事だってのがそんなに偉いの!? 勝ち続けることがそんなに偉いの!? アンタはコイツの下で一体何を学んで来たのよっ!?」

 

「貴女に何が分かるっていうのよ! 赤の他人のくせに! 赤の他人のくせに!!」

 

「アタシはアイツの現・相棒よ! 現・相棒としてアンタのことは気になってたけど、本当にバカよね! アンタのやってることは、コイツを陥れた張本人――須藤竜蔵と何ら変わりないわ!」

 

「“勝てば官軍”という言葉をご存知かしら!? 結婚詐欺師に騙されたのに夢を捨てない貴女の方が余程間抜けじゃない! しかも貴女、今でも男漁りを続けているそうね!? 隣に嵯峨検事がいるってのに……どうなの!?」

 

「何ですって!?」

「何よ!?」

 

 

 呆気にとられる怪盗団とパオフゥさんを無視し、冴さんとうららさんは派手にキャットファイトを始める。

 うららさんの暴言によって、冴さんの頭からルーレットやイカサマの類が吹き飛んでしまったらしい。

 これこそ正々堂々とした殴り合いだ。双方共にアラウンド三十路と考えると、色々と悲しくなってくる光景だった。

 

 

「……そういえばお姉ちゃん、司法修習生だった頃、嵯峨検事の話ばっかりしてたような……」

 

「え? なにこれ修羅場?」

 

「うーむ……。彼女たちのやり取りを見ていると、何か思い浮かびそうな気がするんだが」

 

「第2の『ゲルニカ』でも作るつもりか? やめとけ。ロクなもんにならんぞ」

 

 

 キャットファイトの原因に思い至る所があるのか、クイーンが顎に手を当てて思案しながら遠い目をした。ナビが目を点にして2人を見比べる。フォックスは興味津々に指で枠を作ったが、パオフゥさんに窘められていた。

 嵯峨薫――もとい、パオフゥさんは結構タチが悪い。うららさんに対する態度は未だに曖昧なままだ。嘗てのパートナーだった浅井事務官のことを忘れられないのは分かるが、うららさんとの関係にもきちんと決着をつけるべきだと思う。

 

 蛇足だが、パオフゥさんが出した例――パブロ・ピカソ作の『ゲルニカ』は、「愛人2名を喧嘩させることで着想を得た作品である」という裏話が存在している。

 そんな話題をここで持ち出してくるあたり、発言した張本人は“女性陣2名からの矢印がどのようなベクトルなのか”を察しているように感じた。

 嵯峨薫氏が現役検事だった頃、冴さんは青春真っ盛りな司法修習生だったのだろう。その頃の思い出がなければ、うららさんとキャットファイトなんてしないだろう。閑話休題。

 

 暫し取っ組み合いを繰り広げていたうららさんと冴さんだが、冴さんがうららさんを突き飛ばす形で拮抗は崩れたようだ。冴さんは再び「ルーレットを始める」と宣言する。

 

 

「有栖川の嬢ちゃん。イカサマに見当はついたか?」

 

「ばっちり。ボールがこちらの指定したポケットに入ろうとすると、ガラスで蓋がされる仕組みだね。ガラス蓋を狙撃で破壊できればチャンスができるはず」

 

 

 パオフゥさんの問いに、ジョーカーは迷うことなく答えた。

 それを聞いたパオフゥさんは口笛を吹き、「120点満点だな」と微笑む。

 彼の視線は、右斜めの方角――戦場の斜め上に向けられている。

 

 一瞬、何かが光った。

 どうやら、既に誰かがスタンバイしているらしい。

 

 

「さあ、次は所持金を賭けるわよ! どうするの?」

 

「ハイリスク・ハイリターン。勝負に出るよ」

 

 

 冴さんの問いにジョーカーが答える。それを聞いた冴さんは不敵に微笑んだ。ボールは暫く高速回転しながらレールの上を転がっていたが、緩やかにスピードが落ちていく。

 

 

「――今だ!」

 

 

 パオフゥさんの合図と共に、発砲音が響き渡る。ジョーカーが指定したポケットのガラスが割れ、ボールはその中へと納まる。冴さんの服がはだけ、大量の紙幣がばら撒かれた。

 敗者のペナルティ――イカサマを他者に見抜かれたという精神的打撃も含んで――は重かったようで、冴さんは悲鳴を上げながら崩れ落ちた。いつの間にか傷だらけになっている。

 

 

「なにが正々堂々だ! 思いっきりイカサマじゃないか!!」

 

「人を騙して嵌めようとする輩は、最後はぶん殴られるって相場が決まってるモンよ。舐めるんじゃないっての!」

 

「……悲しいもんだな。お前もここまで堕ちてくるたァ」

 

 

 へたり込んだ冴さんを取り囲む。ナビとうららさんが怒りをあらわにする中、パオフゥさんが寂しそうに呟いて俯く。嵯峨薫の名を捨てた今でも、パオフゥさんは、司法修習生だった冴さんのことはずっと心配していた。

 多分、口に出さなかっただけで、パオフゥさんは冴さんのことを大切な人として見ていたのだと思う。師弟相の部類だろうが、闇へ進まなくてはならなかった自分とは違い、光あふれる道を進んでほしいと願っていたのだろう。

 ナビやうららさんの叱責より、パオフゥさん――嵯峨薫氏の悲痛な呟きの方が冴さんに届いたのだろう。彼女は親に叱責された子ども――あるいは初恋の相手から拒絶されたかのように顔を歪めた。言いたいことを飲み込むようにして歯ぎしりする。

 

 冴さんはそのまま俯いた。「黙ってないで何とか言え!」――ナビとうららさんが冴さんを責める。他の面々も同調する中、パオフゥさんは黙って冴さんを見つめていた。

 

 

「――煩い黙れぇぇッ!!」

 

 

 怪盗団たちの否定を一身に受けていた冴さんが、悲鳴に近い声を上げる。次の瞬間、彼女の周囲に黒い霧が集まり始めた。心の枷が外れる音が聞こえたような気がしたとき、冴さんの姿は完全な異形へと変わっていた。

 不気味なホッケーマスクを被り、纏められていた髪はバラバラに振り乱れていた。左腕には武骨で不気味な機関銃が装着され、右手には巨大なバスターソードが握られている。()()()()()()――僕の中にいた“明智吾郎”が真剣な面持ちとなった。

 

 

「精神暴走……! やっぱり、獅童の『駒』が仕組んでいたのね……!」

 

「まさか、ここの何処かに潜んでるの!?」

 

 

 クイーンとノワールが周囲を見渡す。ナビも分析してみたようだが、奥村社長のパレスで出会った暗殺者――獅童智明の反応はないらしい。しかも、冴さんが本格的に暴れはじめたせいで、智明を探す暇すらなくなってしまった。

 ルールとイカサマを放棄した女支配人は、高らかな声で宣言する。「お望み通り、正々堂々と叩き潰してやる!」と叫んだ冴さんは、デスパレードによる自己強化を行った。宣言通り、本気で僕たちを叩き潰すつもりらしい。

 

 

「パオフゥ!」

 

「……ちっ!」

 

 

 うららさんとパオフゥさん目がけてバスターソードが振り下ろされる。だが、前者がアステリアを、後者がプロメテウスを顕現させて攻撃を受け止め弾き返す。

 体勢がふらついた冴さんへ、アステリアが単体特化風属性術(ガルダイン)を、プロメテウスが単体特化型万能属性術(サイダイン)を打ち放った。

 防御を蔑ろにしていた冴さんには痛い一撃だったろう。だが――デスパレードの分で差し引かれたとて――精神暴走によってブーストされた耐久力は並大抵ではない。

 

 怪盗団の面々も補助系の術を使って、自身の強化と冴さんへの弱体化をかけておく。僕もロビンフッドを顕現し、ランダマイザを仕掛けておいた。

 自分たちの強化を終えた面々は即座に攻撃を叩きこむ。それでも、冴さんに疲労の色は見えなかった。耳をつんざくような咆哮が響き渡る。

 

 概算度外視で暴れ回る冴さんの攻撃を凌ぐ。彼女は「何をしてでも勝てばよいのだ」と叫び散らした。女支配人の咆哮に従い、この場に数多のシャドウが顕現する。

 

 

「貴女たちだってそうでしょう!? 自分自身の為に、人の心を操作してるじゃない!」

 

「――それは違いますよ、新島検事」

 

 

 男性の高音――あるいは女性の低音か、判別しにくい中性的な声が響き渡る。次の瞬間、ガラスが割れる音と共に、ペルソナが顕現した。

 ヤマトスメラミコトは容赦なくメギドラオンを打ち放つ。予めコンセントレイトで強化されていたのか、シャドウたちは呆気なく消し飛んだ。

 

 

「彼女たちは、常に誰かを助けるために戦ってきた。自分の身を挺して、理不尽に苦しむ人々を助けようとしてきたんです。――それが、彼女たちが信じた正義だから」

 

 

 「嘗て、霧に覆い隠された真実を明かそうと戦った僕たちと同じように」――この場に現れた直斗さんが、静かに微笑んでみせた。冴さんのイカサマ――ポケットのガラス蓋を狙撃で破壊したのは直斗さんだったらしい。

 

 

「ウソ!? 白鐘直斗!? 元祖探偵王子は特捜側に引き入れられたんじゃなかったの!?」

 

「こんなところにいて大丈夫なのか!?」 

 

「問題ありませんよ。僕は『先行してパレス侵入ルートの露払いをしている』んですから」

 

 

 パンサーとフォックスの問いに、直斗さんは悪戯っぽく笑って見せた。「この場にあれ程のシャドウが跋扈してたら、怪盗団を捕まえに行くことすらままならないでしょう?」と直斗さんは嘯く。屁理屈ではあるが、戦術的には何も間違っていない。

 冴さんは呻き声を上げながらも再び立ち上がった。次の瞬間、またルーレットが回り始める。懲りずにイカサマを仕掛けるつもりかと踏んだモナだが、冴さんは「イカサマに頼らなくても勝てると証明する」と宣言した。ジョーカーもその勝負に乗る。

 結果は冴さんの敗北だ。彼女の気力がそのまま僕たちに分配される。冴さんは呻きながらシャドウを召喚し、攻撃を仕掛けてきた。彼女の攻撃を凌ぎながら、回復術を駆使して立て直す。雑魚シャドウはパオフゥさんたちが引き受けてくれた。

 

 相変らず冴さんは勝利に執着していた。自分の身体が限界を訴えていても、彼女は勝ちに拘っている。

 唸り声を上げた彼女は、ガトリング砲とバスターソードを振り回して攻撃を仕掛けてきた。

 

 即座に防御態勢を取る。痛みに呻きながらも、僕らは反撃へ転じた。単体最強属性攻撃を何発も叩き込み、ようやく冴さんが崩れ落ちる。黒い霧が弾けたとき、そこにいたのはカジノを支配する女主人だった。武骨で刺々しい鎧は消えてなくなっている。

 

 

「お姉ちゃん!」

 

「新島」

 

 

 膝をつく冴さんの元へ、クイーンとパオフゥさんが駆け寄った。僕たちは黙って2人の様子を見守る。

 冴さんはクイーン――真とパオフゥさん――嵯峨薫氏に気づいて顔を上げた。双方共に、冴さんを真っ直ぐ見つめる。

 

 

「“法で裁けない悪を明るみにして断罪すること”――それは、間違ってないと思う。怪盗団だって、そういう意図で動いてる。でも、手柄のために強引な捜査をしたり、真実を捻じ曲げようとしたりするのは、間違ってるよ」

 

「思い出せ、新島。お前はどうして検事になったんだ? 俺の下で司法修習生として駆けずり回っていたときのお前は、俺に何と答えたんだ? それが、お前の正義だったはずだろう」

 

「……正義……」

 

 

 遠い昔のことを思い描くようにして、冴さんは呟いた。金色の双瞼は、もう戻れない遠い日のことを思い出しているのであろう。検事になろうと決意した日のことか、司法修習生として来るべき将来を夢見ながら正義を追いかけていた日々のことか――それは、冴さん本人にしか分からない。

 

 

「俺はもう、戻りたくても戻れないところまで来ちまったからな。それでも、お前や美樹と過ごした日々は、今でも忘れていない。忘れられるはずがないだろう」

 

「嵯峨検事……」

 

「背負って歩くと決めたんだ。随分と遠回りになったがな。……新島、今ならまだ間に合う。俺の二の舞にならねぇうちに、元の場所へ帰んな。お前はまだ、検事だろうが」

 

 

 冴さんはじっとこちらを見上げていたが、ややあって、小さく頷き返した。

 女支配人の姿がゆらゆらと薄くなり始める。慌てて僕は彼女を引き留めた。

 

 冴さんは目を丸くする。僕たちが事情を説明すると、彼女は深々とため息をついた。

 

 

「ここ、私のパレスなんだけど……」

 

「貴女のパレスだからですよ。貴女を蚊帳の外にして嘲笑っていた連中を見返せますし、獅童正義の不正を暴くこともできます。冴さんにとって悪い取引ではないでしょう?」

 

「……仕方ないわね。自力で『改心』してみせましょう。貴女たちのやり方より時間がかかるかもしれないけど、そこは責任とれないわよ?」

 

「充分ですよ。僕らの『改心』も、それなりに時間がかかったので。タイミングに関しては予期できてますから」

 

『特捜から指示が出ました! 作戦開始まであと15分です。所定の場所についてください!』

 

 

 取引は成立だ。仲間たちもそれを聞いてホッと息を吐く。丁度そのタイミングで、風花さんからの通信が入って来た。

 「いよいよですね」と直斗さんが真剣な面持ちで僕たちを見返す。僕らも頷き返した。

 

 

「『オタカラ』のダミー、きちんと用意してきたぜ」

 

「後は、大立ち回りを演じながら脱出の手はずを整える……だったな」

 

「奴らがこのまま逃がしてくれるとは思わないけどね。相手にとっては、私たちを潰すために投入された先輩たちも目の上のたん瘤だもの。どさくさに紛れて攻撃することも視野に入れているはずよ」

 

 

 スカルがスーツケースを差し示す。フォックスも作戦を復唱しながら、ダミーの『オタカラ』を確認した。クイーンも、特捜に先輩一同――頼れる大人が引っ張り込まれた際に浮かんだ懸念と危険性を分析した。用意周到な獅童のことだから、それは充分にあり得るだろう。勿論、大人たちもその危険性は分かっている。

 風花さんとナビは短時間の中で、最終調整を終わらせたらしい。2人が逃走経路や大立ち回りを演じる場所の確認を終えたのと、パレス内部の異常を感知したのは入れ替わりだった。『パレス内にシャドウが異常発生!』「あんにゃろう! 特捜に引っ張られた先輩たちも、怪盗団諸共処分するつもりだったんだ!」――2人が声を上げた。

 人のパレスを好き放題操る存在が敵に回っているのだから、パレスの主が戦意を失っていても雑魚シャドウに狙われる危険は予測できている。奥村社長のパレスで経験したことは無駄ではなかったようだ。シャドウたちは支配人ルームに向かっている真っ最中らしい。特捜からも、作戦開始を告げる合図が出たそうだ。

 

 それを聞いた冴さんのシャドウが苦々しい表情を浮かべる。

 

 

「私は利用されていたのね……。私だけが、蚊帳の外だった……!」

 

 

 予告状を出された直後、冴さんは特捜部長へ連絡を入れたらしい。捜査の陣頭指揮を執っている冴さんが予告状の件を報告すると、奴は自宅待機を命じてきたという。

 『陣頭指揮を執る検事が自宅で大人しくしている訳にはいかない』と冴さんは主張したが、特捜部長から出世絡みの圧力をかけられて渋々従ったそうだ。

 

 今の彼女ならそんな圧力に屈することなく、己の信じる正義を全うしようとしただろう。あのときの冴さんは精神暴走状態にあり、獅童一派の思い通りに動く人形だった。

 正気に戻ったからこそ、冴さんは悔しくてたまらないのだ。思考を操られていたのだから。それを見たパオフゥさんが冴さんの名前を呼ぶ。冴さんは微笑み、頷き返した。

 「いい表情(カオ)になったな。司法修習生時代と同じ面構えだ」――パオフゥさんは満足げに笑った。これでもう、冴さんが道を見失うことはない。

 

 

「全員の逃走経路と、特捜が仕掛けた映像記録媒体の場所をマーカーしといた! 記録媒体にはあらかじめ細工しといたから、音声は機能しないし、怪盗団の面々もまともに映らないようになってる。でも、万が一のことも考えて、立ち位置には細心の注意を払えよ!!」

 

『こちらの作戦開始まで、残り3分を切りました!』

 

 

 仲間たちは地図を睨めっこしていた。僕も、僕用の逃走経路を頭に叩き込む。そのとき、服の袖を引かれたような気がして振り返ると、ジョーカーがじっと僕を見上げていた。

 

 彼女は左手の手袋を外す。煌びやかなカジノの光に照らされたのは、僕が贈ったブルーオパールの指輪だ。

 それが何を意味しているか気づいたから、僕も自分の左手の手袋を外す。黎が贈ってくれたコアウッドの指輪。

 

 それは祈りだ。互いが無事であるようにと。

 それは決意だ。共に生きる未来を手に入れるのだと。

 それは証だ。この戦いに負けるつもりなど毛頭ないのだと。

 

 有栖川黎と明智吾郎は、同じ願いを抱いているのだと。

 

 

「信じてるよ、クロウ。だから、絶対無事に帰って来てね」

 

「……ありがとう、ジョーカー。必ず帰って来るよ」

 

 

 指を絡めて、かすめるように触れるだけの口づけを1つ。顔を見合わせて頷いた僕らは、すぐに手を離して手袋をし直した。

 何か言いたげに僕らを見ていた怪盗団の面々だったが、すぐに苦笑した後、不敵に笑い返してくれた。

 ()()()()()()()――“明智吾郎”は感慨深そうに呟く。“彼”もまた、やる気に満ち溢れる仲間の1人だった。

 

 風花さんのアナウンスにより、特捜側の作戦開始が告げられる。僕らの作戦も始まり、仲間たちは次々と別方向へ走り出した。

 パオフゥさんとうららさんも、僕らとは別ルート――記録用媒体がない、あるいは立ち位置の関係上映らない――経由でここから脱出する手筈となっていた。

 

 

「――顕現せよ、ロキ!」

 

 

 僕の命令に従うようにして、ロキが力を行使する。ロキは認知を逸らすだけでなく、ある一点に認知を集中させることもできた。本人や周囲が意識しない状態を保ちながら誘導するため、自分たちは自発的に動いていると思わせる。

 

 シャドウたちは()()1()()に狙いをつけて迫って来た。その人物こそが、今回の作戦における“囮役”。

 怪盗団の持つ超常的な力が凄まじいものだと指し示すために、派手な立ち回りを要求される。

 

 “明智吾郎”の世界では、囮役を務めるのは“ジョーカー”だったという。“ジョーカー”は華麗で大胆な振る舞いをし、シャドウや“僕”の目を惹きつけたらしい。その後は“明智吾郎”と怪盗団、双方の計画通りに警察に逮捕され、検察庁の地下取調室で尋問を受けたそうだ。

 僕らの場合は、警察官も投入されてはいる。但し、彼らに任せられたのはペルソナ使いたちの補助だ。奥村社長の謝罪会見で、警察関係者は怪盗団と同じ超常的な力――ペルソナの恐ろしさは嫌が応にも見せつけられていた。逮捕に参加はしても、僕らと戦いたいとは思わないだろう。

 

 

「警官たちが予定通りに動き始めたぞ! クロウ、準備はいいな!?」

 

「――ああ、勿論だ」

 

 

 僕は()()()()()()()()()()()()()、ナビの指示した通りのルートを駆けだした。排気口やバックヤードを通ってカジノのメインホールへ向かい、シャンデリアへ降り立つ。

 ロキの力は滞りなく発動しているようで、黒服や客たちが僕を指さして騒ぎ始める。僕はあくまでも“不敵に笑う怪盗”の体を保ったまま、次々とシャンデリアを飛び移った。

 ステンドグラスを叩き割りながら宙返りして着地し、天井のパイプやシャンデリア等を飛び移り、シャドウや警官たちを出し抜きながら、派手な立ち回りを演じてみせた。

 

 

***

 

 

『モナはずるいクマー! うっかり女の子のあんなところやこんなところに接触しても、可愛く鳴けば誤魔化せるなんて! クマも猫になりたいクマー!』

 

『言うに事欠いて何を抜かすかキサマァァァァ! ワガハイは紳士だ、そんな真似しねーよ! こちとら好きで猫やってんじゃねーやい!』

 

『クゥーン……』

 

『大体オマエ、好きな子と同じ人間形態になれるくせに贅沢だぞ!』

 

『なにおー!? 女の子と合法的にキャッキャウフフし放題のモナこそ贅沢クマよー!』

 

『くぁぁああ……』

 

 

 モナはクマと派手に鍔競り合いを繰り広げていた。だが、会話の内容は酷い。それを目の当たりにしたコロマルが呆れ果てている。ついに死角で大あくびをし始めた。

 

 

『どうしたスカル。お前の力はこんなものか?』

 

『ッ……やっぱ、玲司さんも完二さんも強ェ……! でも、だからこそ越えてぇって思うんだ。俺は絶対、アンタらみたいな漢になってやるんだ! ――行くぜ、セイテンタイセイ!!』

 

『眼前に強大な壁が立ちはだかっていたとしても、決して怖気づくことなくぶつかっていく、か……。――行くぜ、ルシファー』

 

『そんな漢には、真正面から答えないと漢が廃るってモンだ。そうだろ? ――迎え撃つぞ、タケジザイテン!!』

 

 

 スカルは城戸さんと完二さんと戦いを繰り広げている。憧れの人と、同じ人間に憧れているという尊敬できる先輩――彼らとの真っ向勝負に、心を躍らせているようだった。

 

 

『ほらほら、早くしなよぉ! ――イルダーナ、ド派手にやっちゃってぇ!』

 

『勿論! ――おいでヘカーテ、最高の輪舞を披露するよ!』

 

『あははははっ、こんなに派手に暴れるの久しぶり! 私だってまだまだ現役なんですからねーっ!』

 

『す、すっごいムチ裁き……! こ、こっちだって、ムチの扱いは怪盗団一なんだから!』

 

 

 ムチ使いという共通点からか、パンサーと綾瀬さんは盛り上がっていた。双方共にアクション女優やスタントマンでも舌を巻くレベルの身体能力を披露している。

 

 

『これが、新たな力を手にした“もう1人の俺”だ! ――来たれ、カムスサノオ!』

 

『スサノオ!? お前もスサノオって奴がペルソナなのか!?』

 

『そういえば、貴方のペルソナもタケハヤスサノオ……同じ“スサノオ”だったな』

 

『それじゃあ、スサノオ同士派手にやろうぜ? ――行けッ、タケハヤスサノオ!』

 

 

 フォックスと陽介さんはスサノオ繋がりで対決を始める。風と冷気が派手にぶつかり合い、周囲の壁や床をがりがりと削り取っていく。

 

 

『……そうか。覚醒したら、バイク形態じゃなくなったのか……』

 

『達哉さん。そんな、明らかに悲しそうな顔をしないでください。一応バイク形態取れますから、ね?』

 

『だが、これで真っ向勝負ができそうだなクイーン。キミは合気道、俺はボクシング……異種格闘技戦というのも悪くない!』

 

『お手柔らかにお願いしますよ? 真田さん!』

 

 

 クイーンが覚醒させたアナトを見て、達哉さんは表情を暗くした。クイーンがバイク型のペルソナ使いであることを知ったとき、一番喜んだのは彼だった。

 達哉さんが落ち込む代わりにワクワクし始めたのは真田さんである。一方的に轢き殺される心配がなくなり、真っ向勝負できるフォルムだからだろう。

 

 

『アテナ、迎撃するであります!』

 

『ならばこちらも! ご覧あそばせ、アスタルテ!』

 

『うわっとと! ま、周りが凄い勢いで倒壊していく……。ヤマトスメラミコト!』

 

 

 冴さんのパレス内部を穴ぼこだらけにせんとする勢いで、アイギスとノワールが破壊力に物言わせた戦いを披露していた。床が凹めばまだマシで、壁や扉に平然と穴が開く。

 破壊に巻き込まれかけながらも、直斗さんはペルソナを顕現させて対応していた。敵味方に物理攻撃の鬼がいると考えると、直斗さんが一番大変そうな気もする。

 

 

『特別捜査隊のリーダーと、怪盗団のリーダーか。真実を求めて偽りの霧を晴らす者と、悪しき心を奪って正す者……それでも、己の正義を貫き通すために戦うことには変わりない』

 

『先輩である真実さんに言ってもらえると、なんだか誇らしいよ。――その胸、借りさせてもらう』

 

『幾ら“事実上のエキシビジョン”と言えど遠慮は無しだ。――手加減なしで行くぞ、カグヤ!』

 

『勿論! ――派手に行こう、オーディン!』

 

 

 真実さんはマリーさんとの絆の証であるカグヤを、ジョーカーは僕のペルソナ――ロキと繋がりのあるオーディンを顕現し、派手にぶつかり合った。

 お互いの伴侶にとって関係の深いペルソナ同士で戦おうというコンセプトだろう。少々気恥ずかしいが、とても嬉しい。僕は思わず口を緩めた。

 

 

「この先に行けば、目的のポイントに出る」

 

「案内ありがとう、ナビ。キミも早く脱出――」

 

「クロウ、死ぬな。必ず怪盗団の――ジョーカーの元へ帰ってこい!」

 

 

 ナビの案内はここまでだ。彼女からの激励の言葉を受け取り、僕は階段を駆け上った。その先の踊り場は広く、規模の小さい戦場(フィールド)と表しても過言ではない。

 そこには、3人の人影が立っていた。ブラウンの芸名で芸能界を駆け抜ける上杉さん、珠閒瑠市の周防刑事、シャドウワーカー最年少の天田さんだ。

 上杉さんがパラスアテナを、周防刑事がヒューペリオンを、天田さんがカーラ・ネミを顕現する。僕もロビンフッドを顕現した。正義のアルカナが全員集合である。

 

 そんな僕たちがやろうとしていることは、世間一般の定義する正義とはかけ離れた八百長だ。だが、アルカナの正義には公平さやバランスという意味もある。バランスが崩れれば最後、この作戦は――怪盗団の未来はお先真っ暗になってしまうだろう。

 

 スレスレラインで踏ん張るような心地に、こめかみからヒヤリとした汗が伝う。あのとき、“ジョーカー”はどんな気持ちであの作戦を決行したのだろうか。

 決して動揺する素振りもなく、焦りも見せることなく、堂々と駆け抜けた怪盗の背中を思い浮かべる。――ああ、到底僕では届かない。

 

 

―― それでも、今の()()()なら、隣で肩を並べるくらいできるはずだ ――

 

 

 そうであってほしいと願うように、“明智吾郎”が笑った。少しだけ歪んだ眉間と口元からして、本当は怖くて堪らないのであろう。相変らず素直じゃない男だ。

 ()()()は、囮役になった“ジョーカー”の度胸に感服する。だってあの怪盗は、大胆不敵な笑みを絶やさず、手脚の震えも作戦も隠し続けたではないか。

 

 

―― 今なら、分かるんだ。なんで“アイツ”があんな風に振る舞えたのか。あんな嘘を突き通せたのか ――

 

(その心は?)

 

―― ……帰りたい場所があって、一緒にいたいヤツがいるから ――

 

(――正解)

 

 

 “明智吾郎”が躊躇いがちに出した答えに、僕は満面の笑みを浮かべて同意する。

 僕の心の海へ帰還した“彼”は、“ジョーカー”への執着と想いを『異性への恋愛感情』へ昇華させていた。

 昇華のさせ方が『友愛』だったとしても、()()()は“ジョーカー”を守ることを選んだだろう。

 

 『『“ジョーカー”を守る』という選択肢を選べる』ことがどれ程の奇跡なのか、()()()はよく知っていたではないか。

 

 

「――キミが、怪盗団ザ・ファントムの()()()()だな?」

 

「ああ、そうだ」

 

 

 周防刑事の問いに、俺は不敵に笑いながら答える。“明智吾郎”が俺の心の海に還ってきて以来、悪役じみた演技もうまく行えるようになった気がするのだ。

 今回の目的はただ1つ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。……中々にハードな案件である。立ち止まるつもりなど微塵もないが。

 

 

「できればなんだけど、大人しく投降してくんないかな。俺の本業の関係上、顔面崩壊の事態は避けたいんで」

 

「それは無理な相談だな。そちらが穏便に済ますつもりなどないことは把握している」

 

「……あー、やっぱり? やっぱりかー」

 

 

 俺の言葉を聞いた上杉さんはがっくりと肩を落とした。落ち込んだのは一瞬だけで、上杉さんはすぐ飄々とした笑みを浮かべて得物を構える。彼は槍使いだ。

 

 上杉さんの隣に並んだのは天田さんだ。彼もまた、物理攻撃を行う際の得物として槍を用いていた。

 天田さんは穏やかな笑みを崩すことなく――けれど殺気を絶やすことなく、俺に得物の穂先を向ける。

 

 

「最初から話し合いが通じる相手ではなかったんですよ。支持者を精神暴走させ、様々な事件を引き起こしてきた連中を率いたリーダーなんだ」

 

「それは違う。怪盗団は殺人を計画したことなど1度もない。貴様らが真実を捻じ曲げたんだろう?」

 

「言うに事欠いて、ってヤツだね。本当に救いようがないや」

 

 

 天田さんの笑みから穏やかさが消えた。彼は今、荒垣さんと対峙し火花を散らすとき以上に凶悪な笑みを向けてきた。あまり馴染みのない“明智吾郎”がたじろぐ。演技と分かっていても、怖いものは怖いのだ。

 交渉が決裂するまでの演技は上手くいった。次は、ペルソナ使いがどれ程恐ろしいのかを――“ペルソナ使いを制することができるのはペルソナ使いだけである”と、一般人にアピールしなければならない。

 

 須藤竜蔵は非能力者でもペルソナ使いを倒せるようにと、Xシリーズと呼ばれる兵器を開発していた。だが、奴の失脚によってXシリーズ関連データは破棄されるに至った。ニャルラトホテプの手助けを借りれない現在、Xシリーズが再開発・投入されることはないだろう。

 カルトに傾倒した当時の現職大臣が開発した謎の兵器――宗教に関してこだわりのない日本人であっても、須藤竜蔵が起こしたカルト的テロ事件に対しては、多くの人々が強い嫌悪と怯えを見せる。マイナーな事件ではあるが、鳴海区の壊滅という被害は今でも語り継がれているためだ。

 更に、智明が怪盗団の所業を語る際に奴の名前を持ちだしてきたため、珠閒瑠で発生したカルト的テロ事件は再び注目――主に嫌悪――の的になっている。奴が残した遺産に関する話題は、これからもタブーとして封じられていくことだろう。Xシリーズもその煽りを受け、封印されていく。

 

 ペルソナ使いの能力を封じる力は、ニャルラトホテプの持つ能力の1つだった。Xシリーズはニャルラトホテプの力を人工的に再現しただけにすぎず、しかもそれは本家本物をかなり劣化させて改悪したものである。本物には到底及ばななかった。閑話休題。

 

 

「周防刑事。これ以上の議論は無駄だと思いますよ」

 

「そうだな。言い訳は署で聞こう。じっくりと、な」

 

 

 天田さんに促された周防刑事が頷く。――それが合図だ。

 

 俺は顕現していたロビンフッドで攻撃を仕掛ける。天田さんも周防刑事も上杉さんも、顕現していたペルソナたちで迎え撃った。勿論、ペルソナだけでなく、銃や突剣を駆使して攻撃を裁いていく。向うも槍や拳銃で応戦してきた。

 演技だとは分かっている。でも、いつの間にか、俺は3人との戦いを本気で楽しんでいた。勿論、俺を迎え撃つ3人も口元に不敵な笑みを湛えている。「もっとその力を見せてみろ。旅路で得たものを示してみせろ」言わんばかりにだ。

 

 俺たちの戦場に乱入者はいない。できるはずがない。どれくらい戦いを繰り広げたのだろう。双方共に息が上がってきた。

 周囲にいる警官どもは及び腰になっており、ただ俺たちの戦いを見守ることしかできないでいる。おろおろしている者が大半だ。

 後はダメ押しとばかりに爆発オチをつけよう――俺は上杉さん、周防刑事、天田さんに目で合図した。3人も頷き返す。

 

 

「――顕現せよ、ロキ!」

 

「――ヨロシクゥ、パラスアテナァ!」

 

「――これで終わりだ、ヒューペリオン!」

 

「――行けっ、カーラ・ネミ!」

 

 

 自身のペルソナが誇る最大威力の攻撃を叩きこむ。それは、周防刑事たちも同じだった。砂煙が周囲を覆いつくし、俺の身体は勢いよく壁に叩き付けられた。

 息が詰まり、ずるずると音を立てて崩れ落ちる。俺は咳き込みながら体を起こし――首元にひたりと槍の穂先が当てられた。額の真ん中には銃口が光る。

 

 真正面には、文字通りボロ雑巾でも普通に立っている周防刑事、天田さん、上杉さん。……流石に、歴戦のペルソナ使い相手ではこれくらいが関の山だろうか。呆気ない幕切れに悔しさを感じつつ、俺はひっそり苦笑する。3人は俺に対して「強くなった」と称賛するように目を細めた後、乱暴に俺を拘束した。

 

 超常的な力を有する怪盗団のリーダー(自称)がようやく捕まった姿を見て、ようやく一般の警察が我先にと群がって来る。だが、俺の睨みに委縮するあたり、ペルソナ使いがいかに危険かをアピールすることができたようだ。同時に、自分の役割を果たせたのだと安堵する。

 まずは第1関門突破だ。これからが厳しくなる。脳裏に浮かぶのは、“明智吾郎”が取調室で相対峙した“ジョーカー”の姿だ。公安の連中から暴力を振るわれ、大量の自白剤を投与され、文字通りの拷問を受けていた。それなのに、灰銀の瞳には一切の揺らぎはない。

 俺が憧れた正義の味方、その権化。俺が羨んだ正義の怪盗、その姿。今度は()()()が、“ジョーカー”と同じ場所に立つ。……()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――“明智吾郎”の呟きに、俺は微笑み頷いて見せた。

 

 ――さあ、大一番を始めよう。俺の物語の始まりだ。

 

 

◇◇◇

 

 

 ………………。

 …………。

 ……。

 

 

 取り調べが始まってから、どれ程の時間が過ぎたのだろう。検察庁の地下取調室は、時間を確認できるようなものは何1つとして置いてない。分かることは、俺が“怪盗団の話”を語り終える程度の時間が経過したということだけだ。

 冴さんは真正面から俺を見つめている。怪盗団の犯人が自分の身近にいた人物――検察庁に出入りしていた有名探偵だとは思っていなかったみたいで、取調室で拷問紛いのことを行われていた俺の姿を見て『明智くん!?』と悲鳴を上げていたか。

 

 あと、俺の素の口調を聞いた冴さんがドン引いてた。彼女の前では爽やかな好青年の皮を被っていたからだろう。俺の変化を目の当たりにした冴さんは余程ショックだったらしく、“俺が明智吾郎本人かを確かめるため”だけに黎の話を振ってきた。

 冴さんにしては珍しく黎の話を聞きたがったので語ってみたら、『もういい。もう分かった。貴方は正真正銘の明智吾郎くんね』とげんなりした顔でため息をついた。彼女のボヤキを参照すると、この時点で10分近くが経過していたらしい。正直まだ語り足りなかった。

 『自白剤の影響込みであんなことになるなんて……公安の奴らは本当に余計なことばっかりするんだから……』――そんなしまりのないスタートだったな、なんて、半ば夢心地の中で考える。俺の足元には、死に体同然の“明智吾郎”が倒れ伏していた。

 

 どうやら、“明智吾郎”には俺の精神的疲労が肉体的ダメージとしてフィードバックされているようだ。消えてしまいそうな光を宿した双瞼が、じっと俺を見返す。

 

 

―― ……まさか、この程度で根を上げたわけじゃねぇよな……? ――

 

(……ハッ。当たり前、だろ……? 未来の夫、舐めんじゃねえよ……!)

 

 

 ()()()にだって意地がある。自白剤と暴力程度で倒れてなどいられない。それに、獅童智明のこともある。

 奴らは『怪盗団のリーダーを殺せ』と俺に命じてきた。今回俺がこんな風に捕まった――俺の出した答えを察知した――ら、奴らは俺を殺すだろう。

 

 

「その話や周防刑事が持って来た証拠品を照らし合わせると、貴方の身に危機が迫っていることになるわね。にわかには信じがたいし、もっと話を聞きたいんだけど、私にはもう時間がない……」

 

「……俺だけならまだいい方だと思うけど? 時間がないという言葉は、尋問に限った話じゃないし」

 

「どういうこと?」

 

()()()()()()()()()ってこと。()()()()()()()()()()()()()()調()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()殿()()()()が確実な程に」

 

()()()()()()()()()()()()()()調()()()()? ――……まさか……!」

 

 

 俺の言葉を聞いた冴さんが、驚いたように目を丸くした。『廃人化』や精神暴走事件を起こしてきた連中に狙われていたことに気づいていなかったのだから、当然と言えよう。

 

 

「精神暴走を仕組んだ黒幕にとって、警察も検察も使い捨ての『駒』にすぎない。俺が死んだ暁には『怪盗団のリーダーが自殺する原因を作った非道な連中』として仕立て上げられ、社会的地位共々事件と一緒に葬り去られるだろう」

 

「なんですって!? ……でも待って。犯人はどうやって検察庁に出入りするの? いくら権力を有していても、地下の尋問室に出入りできるのは警察関係者や検察関係者だけよ?」

 

「……方法は、幾らでもある。非合法的な手段を用いるのは相手の専売特権だ。検察庁で何らかの騒ぎを起こしてその隙に……なんてこともできる。あるいは、ペルソナを用いて俺を嬲り殺し、適当な言い訳を並べて、検察庁有責の『怪事件』をでっちあげるか」

 

「バカな! そんなことすらまかり通るだなんて……」

 

「実際、須藤竜蔵の一件でも、警察関係者が奴とつるんでいたために煮え湯を飲まされた張本人がいる。貴女と握手を交わした刑事は、親子二代に揃って須藤竜蔵と因縁があった」

 

 

 すべての話を聞かされた――俺の回りくどい表現からすべてを察した冴さんが、何とも言えない顔をして考え込む。“怪盗団のリーダーを名乗る少年を、事件の担当検事ごと、真実を闇に葬ろうとする巨悪がいる”――天秤にかけられたものを精査する時間なんて残されてない。

 

 “明智吾郎”が体を引きずって立ち上がる。()()()()()と、しきりに訴えている。それは俺だって分かってた。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。俺たちの中には、冴さんだって含まれている。

 

 

「明智くん、1つ聞かせて。貴方が探偵として表舞台に立っていたとき、貴方はよく獅童智明と一緒にいたわよね?」

 

「……ああ、はい。いました。……()()()()()()

 

()()()()? ……ああ、そう。そういうことね。――それじゃあ彼は、貴方が怪盗団のリーダーであると知っていたの?」

 

「……()()()()()()()()()()()()()()。ましてや、()()()()()()()()()()

 

「……成程。獅童智明は()()()()()()()()()()()()()()()()のね。よく分かったわ」

 

 

 質疑応答を終えた冴さんは立ち上がった。

 

 ――次の瞬間、冴さんにカジノの女主人がダブって見えた。女主人は静かに微笑み、その姿を消す。心の海へと還ったのだ。

 

 途端に、冴さんの瞳から、殺気にも似た真剣さが和らぐ。

 約束通り、冴さんのシャドウは自力で『改心』してみせたのだ。

 

 

「――それで、私は何をすればいいのかしら?」

 

 

***

 

 

 冴さんが去っていった取調室には、俺と“明智吾郎”だけが取り残されている。けど、()()()は来訪者の気配を察知していた。

 俺が身構えたのと、()()()――と“明智吾郎”が警告したのはほぼ同時。ドアノブが回る。死刑宣告を告げるかのように、ゆっくりと。

 

 

「――悪い子だな、吾郎。父さんと俺を裏切るだなんて」

 

 

 扉が開かれるのと入れ替わりに発生した、凄まじい力の奔流に吹き飛ばされた。飛ばされたのは取調室に置いてあった椅子と机も同じで、壁に叩き付けられて倒れる。

 

 地べたに這いつくばりながら、俺は乱入者を睨みつける。

 俺を見下す乱入者――獅童智明は呆れたように笑った。

 

 

「……どうして、ここが……!」

 

「“俺を認知世界に連れ込んで、認知のキミを殺させる”だっけ? いい案だと思うけど、俺にはそういうの通じないから」

 

 

 「残念だったね」と智明は嘲笑う。あの様子だと、奴はここに来る途中で冴さんと会ったようだ。スマホの仕掛けも作動していたのだろう。

 それを見抜いたうえで、コイツは、本物の明智吾郎がいる場所を突き止めたのだ。――勿論、想定していなかったわけではないけれど。

 

 

「キミたちの世代は、現実世界でペルソナを顕現することはできないだろ?」

 

「――!」

 

「現実世界では、単なる一介の高校生でしかない。パレスの中で派手に暴れてペルソナ使いの恐ろしさをアピールしたみたいだけど、何も知らないバカどもしか騙せてないからね?」

 

 

 智明は心底面倒くさそうにため息をついた。ここに来るまでの間に、子飼いにしている警察・検察関係者から「危険だからやめろ」と何度も制止されたらしい。

 多くの者から反対された彼が、どうして検察庁の地下取調室に入れたのかは明白だ。獅童正義の圧力がかかったためだろう。特捜部長まで抱き込んでいるのだからあり得る。

 獅童智明が『廃人化』を引き起こしている暗殺者(ヒットマン)であることは最初から知っていた。認知世界でなければ力を使えないのは、俺と同じ条件のはずだ。

 

 では、どうして。

 智明は今、現実世界で力を行使できているのか。

 

 

「俺は“特別なペルソナ使い”だからだよ。――おいで、ニャルラトホテプ」

 

 

 青白い光と共に顕現したのは、珠閒瑠市での戦いで目の当たりにした悪神ニャルラトホテプの()()だ。こんなものを顕現され、フルに力を使われたら――幾らペルソナ使いでも太刀打ちできないだろう。

 

 しかし、何故、智明がニャルラトホテプの()()をペルソナとして顕現できるのか。いくら『神』の関係者でも、奴の()()を使いこなすことができるだなんて無茶苦茶すぎる。

 俺が生唾を飲み干したのと、ニャルラトホテプの()()が俺を見たのはほぼ同時。奴の顔は()()()()()()()()()()()()()が、著しいやる気のなさ――智明に嫌々従っていることが理解できた。

 

 ニャルラトホテプが現状に凄まじい不満――および不本意を抱えていることは確かである。奴の『駒』である神取鷹久が獅童智明の()()()味方ではないことも、この関係が理由なのだろう。

 俺がそんなことを分析していることに気づいたのか否か、智明はちらりとニャルラトホテプを見る。智明の表情は相変らず()()()()()()()()()()()。……否、()()()()()()はずだった。

 鋭く細められた紅蓮の瞳。髪の色は違うが、その顔立ちは俺――“明智吾郎”によく似ている。俺と今の顔をした智明が並んでいれば、他の人間たちは兄弟と認識してもおかしくはない。しかし、それはすぐに()()()()()()()()()()()()()

 

 

(俺がコイツの顔を()()()()()()()()のは、奴に取り込まれていたニャルラトホテプが原因ってことか……!)

 

 

 ニャルラトホテプの特性上、奴の顔はまともに()()()()()()()()()()()()()

 智明が本物のニャルラトホテプを宿し力を行使していたなら、その特異性を持っていてもおかしくない。

 

 

「……アンタ、どうして……」

 

「“悪神の本体をペルソナに落とし込むことができたか”、って? ……“我が主”こそが唯一絶対の『神』だからに決まっているだろう?」

 

『黙れ。愚かな偽神の『人形』風情が……!』

 

 

 智明の言葉を聞いたニャルラトホテプの機嫌が急降下した。奴は智明と、智明の言う『神』をかなり嫌っているように思う。

 

 幸運にも、智明にはニャルラトホテプの悪態が聞こえなかったようだ。残酷に笑いながら、暴力的なまでの力を一点に集中させる。それはまるで、玩具で遊ぶ子どもみたいだ。

 そのときである。ニャルラトホテプは驚いたように目を丸くした。直後、何かを思いついたように表情を輝かせた。()()()()()()()()()()が、ロクでもないことを考えついたのは確かである。

 奴は俺に視線を向けてきた。ニィ、と、それはそれは不気味な笑みを浮かべる。面白いものを見たと言わんばかりに、だ。見ているこちらがたじろいでしまう程の、悍ましい笑み。俺の反応を勘違いしたのか、智明が嗤った。

 

 

「キミが暴れないように見張っていたペルソナ使いの警察官たちは出払ってるよ。丁度、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「…………」

 

()()()()()()に備えて、ペルソナ使いたちの警官が地下取調室に入れるようにしてたんでしょう? あんなに派手に暴れてさ。……でも当てが外れたね。残念」

 

 

 楽しそうに笑う智明に、俺は無言のまま奴を見上げた。

 

 

「ああ、それにしても、だ。父さんに従っていれば、こんなことにならずに済んだのにな」

 

 

 「『怪盗団のリーダーを名乗る少年、取り調べの最中に死亡』……詳細はどうしようかな」なんて、智明は楽しそうに筋書きを口ずさむ。詩歌でも朗読するかのように。

 つらつらとでっち上げの内容を語っていた智明は、最終的に“怪盗団が明智吾郎を見捨て、警察官を精神暴走させて殺害させた”という筋書きにすることにしたらしい。

 

 正直な話、コイツの話より、先程から悪戯っぽく笑うニャルラトホテプの方が危険度が高い。俺の経験則が悲鳴を上げる程に、智明は(比較的)どうでもよかった。

 

 

『悪神と言えど、私の役割も()()()()()()()。……ならば、役目に殉ずることもまた一興! すべては憎き偽神に一泡吹かせるためだ!!』

 

 

 ニャルラトホテプは楽しそうに高笑いする。自分をこんな目に合わせた相手に対して、強い憎悪と悪意を抱いている様子だ。

 奴が出し抜きたい相手はただ1柱。智明が“我が主”と呼んだ『神』そのもの。目的を果たすための手段として、奴は智明に殺される寸前である俺へ目を付けた。

 コイツに利用されて無事だった人間は存在しない。滅びの世界からやって来た達哉さんや、彼の話していた人々がその一例だ。俺は逃れようとして、反射的に身じろぎした。

 

 だってこんな展開、予想してない。悪神が俺に手を貸そうとするだなんて、誰が予想できるか!!

 

 俺の経験則が叫んでいる。ニャルラトホテプが、何の対価なしに手を貸すはずがないのだ。

 身構える俺を見て、ニャルラトホテプは俺に耳打ちした。言葉の意味を奴に問う暇は存在しない。

 

 

「――それじゃあ、さようなら」

 

 

 ――次の瞬間、智明が力を行使する。

 

 ニャルラトホテプの力が容赦なく俺に襲い掛かった。

 慌てて“仕込み”を行った俺の視界は、黒い闇に染め上げられる。

 

 世界が闇に飲まれる刹那、黄金の蝶が羽ばたいたのを見たような気がした。

 

 

◇◆◆◆

 

 

『次のニュースです。怪盗団のリーダーを名乗る少年が、先程、検察庁の取調室で死亡したことが明らかになりました。その数時間前には、怪盗団を名乗る団体から予告状が届いており……』

 

 

 青年は無言のまま、スマホをポケットにしまった。彼の肩に、黄金の蝶が停まって羽を休める。その蝶を眺めながら、青年は呟いた。

 

 

「――さて、ここからが勝負どころだ」

 

 

 




魔改造明智の新島パレス編、完結です。パレスの主との戦闘~取調室での窮地までとなります。その後に何が発生したかは次回、獅童パレス編の冒頭で纏める予定。ニャルラトホテプが魔改造明智に何を耳打ちしたかも明かされます。
ニャルラトホテプをこんな感じにしたのは、奴もまた『クトゥルフ神話におけるトリックスター』だからです。ムカつく奴をどうにかするためなら、悪神らしからぬことに手を出しても面白そうだなと思いました。但し、コイツの動きは魔改造明智の予想外だった模様。
ここから更に書き手の認知が歪んできます。それでもよろしければ、生温かく見守って頂ければ幸いです。


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Rivers In the Desert
おかえり、ただいま、――行ってきます


【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 @空本(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄で明智の保護者その1。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
 @獅童(しどう) 智明(ともあき)⇒獅童の息子であり明智の異母兄弟だが、何かおかしい。獅童の懐刀的存在で『廃人化』専門のヒットマンと推測される。詳しくは中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『運命を切り開くだけの簡単なお仕事』および『ペルソナ3異聞録-.future-』、Pixivの『2周目明智吾郎の災難』および『【一発ネタ】有栖川黎の幼馴染』の設定を下地にし、別方向へ発展させた作品である。
・ジョーカーのみ先天性TS。
 ジョーカー(TS):有栖川(ありすがわ) (れい)⇒御影町にある旧家の跡取り娘。旧家制度は形骸化しているが、地元の名士として有名。身長163cm。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空本(そらもと) (わたる)⇒明智の保護者2で、南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。
・敵陣営に登場人物追加。
 @神取鷹久⇒女神異聞録ペルソナ、ペルソナ2罰に登場した敵ペルソナ使い。御影町で発生した“セベク・スキャンダル”で航たちに敗北して死亡後、珠閒瑠市で生き返り、須藤竜蔵の部下として舞耶たちと敵対するが敗北。崩壊する海底洞窟に残り、死亡した。ニャラルトホテプの『駒』として魅入られているため眼球がない。この作品では獅童正義および獅童智明陣営として参戦。但し、どちらかというと明智たちの利になるように動いているようで……?
・「2罰ボスの外見を見た人間の反応」に関するねつ造設定がある。
・普遍的無意識とP5ラスボスの間にねつ造設定がある。
・『改心』と『廃人化』に関するねつ造設定がある。
・春の婚約者に関するねつ造設定と魔改造がある。因みに、拙作の彼はいい人で、春と両想い。
・魔改造明智にオリジナルペルソナが解禁。外見と名前の元ネタは真メガテン4FINALを参照。詳しくは本編で。


 ――幾何か、時間を巻き戻して。

 

 

 普段は少々頼りない蛍光灯の光に照らし出されているはずのルブラン屋根裏部屋は、青白い光によって満ちていた。

 僕の前には、おぼろげながら姿を漂わせる光が1つ。黎も、双葉も、モルガナも、僕の前で頼りなく瞬く存在に釘付けである。

 

 

「ゴローがイタルさまから譲り受けたペルソナにも、フィレモンさま全盛期時代のペルソナ使いだけが有していた特権が備わるとは……」

 

「モルガナの言う通り、『“現実世界でも顕現できる”という特性を残したまま』だってのはラッキーだったと思うよ」

 

 

 ゆらゆらと瞬く存在を見上げ、モルガナが感嘆の息を吐く。僕も彼の言葉に同意した。

 

 ペルソナ使いが他者に能力を譲渡すると、譲渡先の特性に合わせてペルソナ能力も変質する。例として挙げられるケースは2件あった。滅びを迎えた世界でペルソナ使いとして覚醒したと言われる黒須淳さん、チドリさんのペルソナと己のペルソナを融合させた伊織順平さんだ。

 滅びの世界からやって来た達哉さんから又聞きした事象では、黛さんから淳さんに譲渡されたペルソナ能力は、ジョーカー使いであった淳さんを正規のペルソナ使いに覚醒させた。黛さんのアルカナはEMPRESS(女帝)だったが、淳さんのアルカナはWHEEL OF FORTUNE(運命)として覚醒している。

 順平さんとチドリさんのケースでは、チドリさんのメーディアを取り込む形で、順平さんのヘルメスはトリスメギストスとして覚醒した。それだけではなく、メーディアが有していた自己回復系のスキルを受け継いだのだ。ヘルメスのときは物理攻撃系スキルが中心で、補助魔法はラクカジャ系しか使えなかったのに、だ。

 

 変質の仕方は2種類。黛さんと淳さんのケースが“譲渡された側の適性に最適化される”タイプで、後者が“相手側の特徴を、自身のペルソナの特徴として取り込む”タイプ。

 僕が至さんから受け継いだペルソナ――ヤタガラスは、前者と後者のハイブリット型らしい。おまけに、巌戸台以降の世代は持っていない特徴――現実世界でも顕現可能――を持っている。

 

 

()()()が自覚している範囲では“特徴は掴めたが、完全覚醒には至っていない”って見解だけど、双葉はどう見た?」

 

「さっきメメントスで手に入れたデータ結果から言うと、吾郎の見解にプラスワンだ。“覚醒すればかなりの戦力になる”ってトコだな!」

 

 

 「この状態でも戦力にならないこともないが、覚醒しているに越したことはない」と双葉は頷く。できれば強制捜査当日までには自分のモノとして覚醒させておきたい。

 だが、このペルソナの力を本当の意味で覚醒させるのは難しそうだ。ペルソナ能力が完全に目覚めていなかったために、覚醒当初は戦力にカウントできなかった春の例もある。

 あのとき、春のペルソナがどのような能力かを把握することすらままならなかった。半覚醒状態で「ペルソナ能力および特性の把握」ができるなら、なんとかなりそうな気もする。

 

 

「アルカナはLA・SUN(太陽)。炎属性攻撃と貫通攻撃を駆使する純粋なアタッカータイプ。炎属性のブースタ・ハイブースタや精密射撃による攻撃補正、チャージやコンセントレイトによる威力強化もかかるから、双方共にかなりの破壊力が見込めるぞ! ロキやロビンフッドと付け替えて使えば、更に強くなるだろうな!」

 

「それと、食いしばりによる戦闘続行能力。本来の使い方とはかけ離れるけど、現実世界でなら“死んだふり”とかできそうじゃない?」

 

「成程。食いしばりは“死に体のまま踏み止まる”わけだから、身体へのダメージは残るな! ……そうなると、“本人の演技力次第”ってことになるぞ」

 

 

 僕のペルソナを分析していた双葉と、双葉の感想を聞いた黎が僕に視線を向けた。僕らが考えている作戦を考慮すると、このペルソナも作戦に組み込めそうである。

 

 “認知世界へ暗殺者を引きずりこみ、認知の自分を替え玉にする”という案の裏で、“ペルソナ使いの危険性をアピールすることで、地下取調室にペルソナ使いの刑事(周防兄弟)を見張りとして配置させる”という案があった。地下取調室に智明がやって来た場合、足止めをしてもらうためである。

 巌戸台世代以後は、“特別な条件が揃わないとペルソナを行使することができない”というデメリットがあった。僕らの場合、それが“認知世界という限られたフィールドでしかペルソナを使えない”というデメリットである。それ故、現実世界での僕らは一介の高校生でしかない。

 

 現実世界側から攻撃を仕掛けられてしまえば、僕らにはなす術がなかった。たとえ地下取調室に周防刑事たちがいても、何らかの事情で現場を離れてしまう可能性がある。

 彼らがいなくなったときに攻撃されてしまったら一巻の終わり。でも、僕が至さんからペルソナを譲り受け、それを変質させた結果、対抗する術に目途がついたのだ。

 ()()()は顔を見合わせ、再びペルソナへと視線を戻した。靄のように漂うそれは、はっきりとした形を持っていない。覚醒したらどんな姿になるのだろうか?

 

 

「吾郎が受け継いだペルソナって、ヤタガラスだよな?」

 

「ゴローのコードネームも『(クロウ)』だ。もしかしたら、覚醒したらカラスモチーフのペルソナになったりして」

 

「だったら、至さんと同じヤタガラスのままでいいのに」

 

「でも、同じ名前のペルソナでも使用者によっては全然違う姿になるよね。命さんや真実さんのロキなんか、紫の肌に褌マントっていう奇特な格好した美男子だったんでしょう?」

 

 

 双葉とモルガナが僕のペルソナの予想図を語る。僕は自分の希望を語り、それを聞いた黎が補足を付け加える。

 彼女の言葉に、僕は頷く。巌戸台と八十稲羽の『ワイルド』が顕現したロキの姿を思い出した。僕のロキとは姿も形も能力も違うペルソナの姿を。

 

 “明智吾郎”の本性は、“やたらと拘束具(ベルト)の多いストライプのライダースーツ”と“甲冑をモチーフにした仮面”という衣装を身に纏っていた。それは“彼”の本質――自分が犯した罪、および憧れた正義に囚われた様――や、顕現させたペルソナ――ロキ――の影響を受けたものだろう。

 自身が覚醒させたペルソナの影響を受けた怪盗服を身に纏っていたのは、キャプテンキッドを覚醒させたスカル――坂本竜司だろう。彼の服装はドクロマスクに骨モチーフの海賊風衣装だった。ペルソナがセイテンタイセイに覚醒しても格好は変わっていない。

 ……そう考えると、もしも僕が“褌マントを身に纏ったロキ”を覚醒させた場合、怪盗服がとんでもないことになっていたのではなかろうか。想像した瞬間、顔を真っ青にした“明智吾郎”がぶんぶん首を横に振っていた。僕だって、褌マントは御免被る。あんなもんただの変質者だ。閑話休題。

 

 覚醒にやたら時間がかかっているのは――たとえ、覚醒したのが同じ名前のペルソナだったとしても――譲渡先のペルソナ使いの適性へ最適化されることによって、その姿が変わる為なのかもしれない。譲渡されたときのケースがどう転ぶかはよく分からないことだらけだから仕方がないだろう。

 

 

「しかし、袋小路に追いつめられたときに頼る命綱が、未覚醒のペルソナか……。うーむ、安定しないなー」

 

「ここまでヤバい博打に賭けなきゃ、ワガハイたちは大悪党の汚名を着せられたまま殺されちまう。危険極まりないが、やむを得まい」

 

「責任重大なのは解ってるよ。なるべく早く覚醒できたらいいんだろうけど――」

 

「ちげーよ! ワガハイたちが心配してるのは、そういうことじゃねーんだよ!」

 

 

 モルガナが苛立ちを叫ぶ。双葉も「そうだそうだ」と同調し、咎めるようにして僕を睨んだ。

 どうして僕は2人に責められているのだろう。懸念事項は『僕のペルソナ』ではないのか。

 助けを求めるように黎へ視線を向けると、彼女は憂いに満ちた眼差しで僕を見つめていた。

 

 

「黎?」

 

「……これ以上、吾郎に負担かけたくない」

 

 

 黎は苦しそうに呟いて俯く。両手を組んだ彼女の身体は、小刻みに震えていた。唇を真一文字に結んで、何かを堪えようとしている。僕の気のせいでなければ、彼女の双瞼がジワリと滲んだように見えた。

 

 

「危険な目に合ってほしくない。合わせたくなんかない。……それなのに、どうして上手くいかないんだろう」

 

 

 普段の黎――度胸MAXライオンハート――からは想像できないくらい、頼りない声だった。こんなにも儚くて、今にも消えてしまいそうなくらい脆い黎の姿なんて見たことがない。

 僕は彼女へ手を伸ばそうとして、双葉とモルガナに阻まれる。双方、僕に対して強い怒りを覚えている様子だった。「吾郎の大馬鹿野郎!」と、双葉とモルガナは僕を詰る。

 

 

「レイはな、オマエのことが心配なんだよ! ワガハイ、オマエに言ったよな!? 『オマエに何かあったらレイが悲しむ』って! オマエはもっと自分のことを大事にしろ!」

 

「わたしにとって、黎は大事な家族だ! わたしに命をくれた恩人であり、大好きなおねえちゃんだ! わたしのおねえちゃんを泣かせるような真似をするなんて許さないぞっ!」

 

「2人とも……」

 

 

 反省しろと言いたげに、双葉とモルガナは僕を睨みつける。たじろいだ僕の視線の先には、“ジョーカー”に抱きすくめられておろおろする“明智吾郎”の姿があった。縋りつくような抱擁に、どう答えればいいのか分からない様子だ。マトモに人付き合いをしていなかった弊害が出ている。

 あの様子の“明智吾郎”に助けを求めても無意味だろう。僕は“彼”に助力を求めることを早々に諦め、黎に向き直る。双葉とモルガナは僕を阻むのをやめて道を開けた。俯いて肩を震わせる黎の頼りない姿が露わになった。今にも消えてしまいそうに感じたのは気のせいではないらしい。

 占い師の御船が言っていた――破滅の運命を変えてきた――ような不敵さも強さもなかった。いくら度胸MAXライオンハートであろうと、黎だって人間だ。大胆不敵な怪盗――頼りがいのあるリーダー――の仮面の下に、恐怖や怯えを隠していてもおかしくない。

 

 “ジョーカー”の目の前で、“明智吾郎”の旅路は途切れる。シャッターを隔てた向こう側で、“僕”は獅童の認知で生み出された自分自身と相打ちになるのだ。

 それが11月末なのか、12月の半ばなのかは分からない。けれど必ず、“明智吾郎”はあの場所――シャッターで隔てられた機関室――から先に進むことはなかった。

 

 無言のままボロボロ涙を零す“ジョーカー”の様子からして、すべてが終わった後の“明智吾郎”がどうなったのか、朧げながらに予想がつく。僕が一番考えたくなかった可能性だが、「“明智吾郎”が歩んだ旅路には相応しい末路」と言われてもおかしくはなかった。

 

 それが前倒しになるかもしれない――自身の手の届かない場所で僕が死ぬかもしれない――となれば、“ジョーカー”が危惧するのも頷ける。

 11月20日は『“ジョーカー”が“明智吾郎”と命を賭けた化かし合いをする』日だ。認知世界を用いた生還トリックを寸でのところで発動させ、怪盗は生き残った。

 しかし、今回は認知を自由に弄り回す『神』の関係者が相手だ。認知世界を用いたトリックは簡単に見破れる。現実世界に干渉されたら最期、敗北は確定だ。

 

 

(怪盗団のリーダーを失ってしまえば、怪盗団は詰んでしまう。それだけは避けなきゃいけない)

 

 

 だから僕は、黎の代わりに囮役を買って出た。「僕なら“現実世界でも顕現できるペルソナを有している”から、智明に襲われても生存のチャンスがある」と、黎を説き伏せて。

 

 

(“これ以上、黎に負担かけたくない。危険な目に合ってほしくない。合わせたくなんかない”――……考えていることは一緒なのに、な)

 

 

 ()()()の気持ちはよく分かる。それは()()()も同じだからだ。

 

 だから、『至さんからヤタガラスを託され、そのペルソナが“現実世界でも顕現が可能”という特徴を持っていた』ことを知ったとき、この力で黎を守れると思った。“明智吾郎”とは比べ物にならない狡猾な悪神の『駒』の元に、黎や“ジョーカー”を向かわせずに済むと思った。

 ()()が有頂天で最前線に飛び出すその後ろで、()()()がどんな気持ちでいたのかを考えていなかった。“明智吾郎”を目の前で助けられず、その痛みと後悔を抱えた“ジョーカー”と、“ジョーカー”の想いによって生み出された有栖川黎が、何を思うかなんて想像すらしなかった。

 

 

「……ごめん」

 

 

 僕は謝罪しながら、黎の頬に手を添える。彼女は小さく身じろぎした後、ゆっくり僕を見上げた。

 首を動かした拍子に、灰銀の瞳からぽろりと涙が零れる。それでも、彼女は口元を真一文字に結んだままだ。

 号泣一歩手前の黎をあやすようにして、彼女の髪や頬を撫でてやる。黎はぐりぐりと頭を擦りつけてきた。

 

 

「……分かってる。私の方こそ、ごめん」

 

 

 服の袖を掴む少女の手に、力が込められた。

 惜しみない愛情、悲痛な叫び、一途な祈りが伝わってくる。

 

 僕は黎の頭を撫でた後、左手の手袋を外す。黎が僕に贈ってくれたコアウッドの指輪が、薬指で存在を主張していた。

 

 

「約束」

 

「――うん」

 

 

 黎は服の下に隠していたチェーンを出す。僕が黎に贈ったブルーオパールの指輪が、存在をひっそりと主張していた。

 共に生きる未来を手に入れるのだという決意の証だ。それをお互いに確認し合う。――生きるために戦おうと思った。

 

 

「なーモナー。今日はわたしの家に泊まろうなー」

 

「そうする。ワガハイ、馬に蹴られるのはゴメンだ……」

 

 

 不意に、双葉とモルガナの声がした。振り返ると、1人と1匹はさっさと屋根裏部屋から去っていくところだった。

 僕と黎だけが取り残された屋根裏部屋は、怖いくらいにシンと静まり返っている。僕は黎に向き直り、黎も僕に向き直った。

 大切な人の手を取り、絡める。同じ気持ちなのだと訴える。この想いが伝わってほしいと、切に願った。

 

 

◇◇◇

 

 

 ………………。

 …………。

 ……。

 

 

 息を潜める。気配を殺す。果たして俺の予想した通り、俺のペルソナが持つスキル――食いしばりは正しい形で発現したらしい。

 後は俺自身の演技でどこまで誤魔化せるかにかかっている。奴が部屋を出ていくまで、身じろぎ1つすることなく耐えていた。

 

 

「……現実世界でもペルソナが発現できるようになっていた、ということか? 未覚醒であると言えど、かなりの痛手を被ってしまったよ」

 

 

 「まあ、結局死んだからどうでもいいが」――と、智明はじっと俺を見つめていた。

 

 奴の中では明智吾郎の死は確定事象のようで、俺の生死をロクに確認しないまま、意気揚々と取調室から出て行った。足音と共に、奴の気配はどんどん遠ざかっていく。地下取調室から反応が消えたのを察知し、俺はどうにか体を起こした。

 取調室は文字通りの惨状と化している。机も椅子も原型を残さぬ程派手に変形し、壁にはヒビや亀裂が入っていた。但し、俺の死体は遺るようきちんと調節しているあたりが嫌らしい。俺の死はどのような形に利用されるのか、考えるだけで反吐が出そうだ。

 俺が大きく息を吐いたのと、青白い光が舞ったのはほぼ同時。ぼんやりしていたペルソナの姿は、今、俺の目の前ではっきりとした形をとっていた。白い羽毛に赤い目をした3本足の烏。背中には小さな籠を背負っており、中には太陽を思わせるような灼熱の火球が入っていた。

 

 黒い羽毛で首に勾玉を付けた3本足の烏――ヤタガラスとは全然違う姿だ。

 俺を真正面から見つめるペルソナは、静かに契約の口上を述べた。

 

 

―― 我は汝、汝は我。旅人から意志を受け継ぎし者よ。彼の者から得た答えを、キミは正しく昇華し、キミだけのモノにしてみせた。故に私はキミの力となり、敵対するすべてを灰燼に帰す力となろう ――

 

「……火烏(カウ)……」

 

 

 俺に名を呼ばれた白い烏のペルソナ――カウは慈しむように目を細めると、俺の肩に停まってすり寄った。どうやら俺に笑いかけてくれたようだ。その眼差しは、俺にヤタガラスを託してくれた保護者――至さんと瓜二つである。

 火烏(カウ)というのは、中国に伝わる“太陽の中に棲むとされる烏”のことを指す。奴の足はヤタガラスと同じ3本であり、太陽という共通ワードを持つのだ。火烏(カウ)は太陽を根城にしつつ、太陽と同等の火球を背負って天空を旅していた。

 

 太古の中国には10個の太陽があり、1個ずつ順に天空を旅していたとされる。そんなあるとき、10個の太陽が一度に空に現れ、地上は灼熱の焦土となった。

 ゲイという男は太陽を9個まで射落としたが、射落とした9個はすべて火烏(カウ)だったのである。9羽の火烏(カウ)が撃ち落とされたことで太陽は1つとなった。

 だが、9羽の火烏(カウ)がいた――太陽が10個であった――頃の名残りは現在でも残っており、十干十二支の十干や、10日を一旬とする暦法に見ることができるという。

 

 

「これが俺の新しい力……あの人から受け継いだ想いの権化、か」

 

「――いやあ、面白いものを見せてもらったよ。世代を超えて受け継がれる想いが、新旧の力を併せ持ったペルソナとして顕現するとは!」

 

 

 背後から響いた声に振り返れば、そこには1人の高校生が立っていた。七姉妹学園高校の制服に身を包んだ茶髪の青年。見覚えのある面影と違うのは、不気味に輝く金色の瞳と、どこか人間離れした醜悪な笑みを湛える口元である。

 

 

「達哉さんの姿で出てくるとはいい度胸だよな。目覚めたばかりのコイツで焼き払おうか? デビュー戦には丁度いい」

 

「面白い、かかってくるがいい! ……と言いたいが、何分(なにぶん)、久々の娑婆なのでね。今の私では、貴様の攻撃による隙をついて偽神の人形から逃げ出すくらいが手一杯だったよ」

 

 

 高校生――否、達哉さんの姿に擬態した悪神・ニャルラトホテプは、苦労を滲ませたような声色でため息をついた。

 だが、奴の醜悪な笑みは消えていない。半分本気で困り果てているようだが、半分はこの状況が楽しくて仕方がない様子だ。

 

 

「神取鷹久にも様々な工作をさせていたが、まさか、最後のトリガーをお前が引いてくれるだなんて思わなかったぞ? 感謝している、人の子よ」

 

「引きたくて引いたわけじゃない。それ以前に、貴様と取引するのは真っ平御免だ。さっさとモナドマンダラへお帰り頂こうか?」

 

「ハハハハハ! その口調、お前の保護者――空本至を思い起こさせるよ。奴は息災かね?」

 

「答える義理はない」

 

 

 俺の感情に呼応するように、カウがニャルラトホテプを威嚇する。身構えたのは“明智吾郎”も同じだった。ニャルラトホテプはいい笑顔で首を振る。

 

 

「貴様と戦う気はない。私を偽神から解放してくれた礼だよ」

 

「お前と取引する気はないと言っているだろう」

 

「取引ではない。礼だと言っているだろう? まったくもう」

 

 

 ニャルラトホテプは不機嫌そうに唇を尖らせた。身構える()()()の様子を無視し、奴はペラペラと喋り始める。

 

 曰く、「フィレモンが生み出した化身にちょっかいをかけて悪神へ転化させることに成功したが、悪神が自身を『唯一絶対の神』だと信じ込むようになり、その理論を振りかざしてニャルラトホテプを取り込んだ。自分は奴が生み出した化身のエネルギー源として使われていた」のだと言う。

 何てことはない、自業自得だ。コイツはフィレモンの化身にちょっかいをかけることで悪神を作り出した結果、自分が作り出した存在によって取り込まれてしまった。ニャルラトホテプは身動きが取れなくなり、悪神から力を搾取され続けていたのである。奴は口八丁を用いて神取を呼びだし、自身の脱出のために暗躍させていたようだ。

 

 奴は智明から逃げ出す際、自分が逃げたことを察せられぬように細工をしてきたという。そのため、力の大半を置いてきたらしい。

 ついでに、智明が俺の生死をロクに確認せず去っていったのも、ニャルラトホテプが施した細工の恩恵だという。

 「暫くはフィレモンと同レベルになってしまう」とぼやいたニャルラトホテプは、心底楽しそうにしていた。

 

 

「しかし、偶には()()()()()()()としての役割に殉じるのも悪くはないな。面白いし」

 

「は?」

 

「――見ていろヤルダバオト。()()()もまた、貴様を穿つ弾丸だ……!!」

 

 

 それだけ言い残し、奴は一方的に姿を消してしまった。取調室に残されたのは、傷だらけでボロ雑巾状態となった明智吾郎ただ1人である。俺が部屋の床に尻もちをついたのと、周防兄弟の反応が近づいてきたのはほぼ同時だった。

 慌てるような足音が聞こえてくる。程なくして、足音が消えるのと入れ替わりに扉が開かれる。そこにいたのは周防兄弟だけではない。冴さんもいた。冴さんは呆気にとられた様子で取調室を見回し、戦慄する。周防兄弟はペルソナを顕現し、俺の傷を癒してくれた。

 

 ニャルラトホテプというイレギュラーはあったものの、初期の計画通り、俺は冴さん主導の下外へ連れ出された。程なくして、『怪盗団のリーダーを名乗る少年が死亡。仲間割れの疑いアリ』というタイトルでニュース速報が流れる。明智吾郎の名前は一切出てこなかった。

 

 パーカーを深く被り、四角い淵の分厚い伊達眼鏡をかけ、ジーンズを穿いたラフな格好で移動している間、俺を明智吾郎と見破った人間は1人も存在しなかった。

 周囲に気を配りつつ、僕と冴さんはルブランへ帰還する。強制捜査は冴さんが権限を使って怪盗団側に便宜を図り、捜査でやって来た連中は佐倉さんが追い返していたらしい。

 

 

「吾郎!」

 

 

 扉を開けて店内へ足を踏み入れた瞬間、僕の身体に何かがぶつかって来た。その衝撃を受け止める。

 正体は有栖川黎その人だった。僕の存在を確かめるようにして、彼女はぎゅうぎゅうと抱き付いてくる。

 それを皮切りにして、怪盗団の面々が僕を取り囲んだ。誰も彼もが、作成が成功したことを噛みしめて笑っていた。

 

 

「よかった……! 本当によかったー!」

 

「勝率五分五分って聞いてたときは大丈夫かって思ってたけど、思ってたけど……ッ!」

 

「チクショーこの野郎! ヒヤヒヤさせやがって!」

 

 

 僕に投げかけられる言葉のすべてが優しくて、温かくて、じわじわと込み上げてくるものを感じた。()()()()()()()()()()()()()()――“明智吾郎”が震えた声で呟いた。感極まったのだろう。仮面の奥にはくしゃくしゃの泣き顔があった。

 泣き顔はブサイクなんだなと考えたら、“明智吾郎”は僕を咎めるように睨みつけてきた。だが、“奴”はボロ泣きしながらぎゅうぎゅう抱き付いてくる“ジョーカー”をあやすので手一杯になったようだ。不器用ながらも、“彼”は“ジョーカー”の頭を撫でる。

 

 

「――()()()()、吾郎」

 

―― ()()()()、“クロウ” ――

 

 

 黎と“ジョーカー”はふわりと微笑み、()()()を迎え入れる。「おかえり」という言葉が、僕の心に沁みてきた。

 

 思えば、ルブランでは僕が黎の帰りを待っていて迎える方だった。ルブランは黎の帰る場所だから、彼女を「おかえり」と迎えるのが当たり前だった。でも、僕の方がルブランで「おかえり」と迎え入れられたことはなかったように思う。

 そう考えたとき、「おかえり」という言葉に強い歓喜を抱いた理由に思い至った。僕はちらりと視線を向ける。案の定、“明智吾郎”のブサイクな泣き顔があった。先程よりも酷い有様になったのは、母以外の誰かに「おかえり」と迎えられた経験がなかったためだろう。

 しかも、“自分”に「おかえり」と声をかけたのは、他ならぬ“ジョーカー”だったのだ。喜びを通り越して感極まり、情けなさを露呈させるのは当然と言えよう。何も言わず“ジョーカー”を抱きしめている“明智吾郎”から視線を外し、僕は黎に向き直った。

 

 黎に触発されたのか、他の面々も口々に「おかえり」と()()に声をかけてきた。

 怪盗団の仲間たちから迎え入れてもらえる奇跡を噛みしめて、()()は頷く。

 

 

 

―― ……()()()()、“ジョーカー” ――

 

「――()()()()、みんな」

 

 

 ――()()()は、帰って来たのだ。

 

 

***

 

 

 冴さんの情報曰く「僕のことは、“犯人が獄中自殺した”ということで決着がつきそうになっている」とのことだ。上層部は蜂の巣をつついたような大騒ぎになっているという。そんな中でも、獅童の子飼いである特捜部長は無理矢理幕引きを図ろうとしているらしい。

 だが、そのために強硬手段を行使する様子が、かえって周囲の不信感を倍増している様子だった。中には、特捜部長に疑惑の目を向けている者もいるらしい。以前から奴にはきな臭い噂が漂っていたという。これ以上状況が悪化した場合、特捜部長も獅童によって切り捨てられる可能性がある。

 

 

「これが獅童の関係者のリストです。その中でも高い地位を持っている奴らを優先的に『改心』させておけば、奴の悪事を明るみにしやすくなるはず」

 

「検察の特捜部長、現職大臣、ヤクザ、マスコミ関係者……文字通り、権力のデパートじゃない」

 

「こんな繋がりがあったら、文字通り“日本を牛耳る”ことができるわね……」

 

 

 僕の情報を確認した真と冴さんは遠い目をした。冴さん自身もまた、獅童にとって都合のいい『駒』にされかかった1人である。あまりいい気はしないだろう。

 

 怪盗団の面々も、僕がどんな相手を『改心』させようとしていたのか――その強大さを改めて感じ取ったらしい。特に黎は、獅童によって冤罪をでっちあげられた被害者なのである。問答無用のスピード有罪を思い出し、剣呑な面持ちとなっていた。

 丁度そのとき、ルブランの外から演説が聞こえてきた。「次世代を担う若者」云々と語る獅童の話が通り過ぎていく。次世代を担う若者に何をしたのか、奴は分かっているのだろうか? 外の聴衆は拍手喝采だろうが、僕らは奴の本質を知っているから苛立ちしか湧いてこない。

 獅童正義は自分の邪魔になりそうなものは情け容赦なく潰してきた。だが、奴が黎に冤罪を着せたとき、奴の政治基盤は盤石なものだったはずだ。小娘1人に相手にされないだけで政治基盤が揺らぐはずもない。それとも、強姦未遂で自分が捕まることを恐れたのか?

 

 獅童なら普通に握り潰し、事件自体をなかったことにすることだって容易なはずだ。

 なのに奴は、自分の言いなりにならなかった黎の人生を破滅させようとした。

 

 

「獅童の『改心』と並行して、こいつらの『改心』もできればいいんだけど」

 

「どちらもスピード勝負になるってことか。期限は?」

 

「確か、総選挙が12月18日だっけ?」

 

「うん。その日の夜には開票・集計されて結果が出るはずだよ」

 

 

 真が顎に手を当ててため息をつく。祐介の問いに答えたのは竜司であるものの、彼は自分の記憶力に自身がない様子だった。春の補足を受けて、竜司は安心したように頷く。

 現時点では獅童正義を代表にした新党がぶっちぎりの人気らしい。もしこのまま獅童の率いる新党が議席数を獲得し、奴が当選すれば、文字通り強権政治となるだろう。

 獅童が日本の総理大臣になってしまえば、奴は本格的に怪盗団の残党処理に取り掛かるだろう。全員不慮の事故で消されるはずだ。奴には獅童智明というペルソナ使いがいる。

 

 いや、消されるのが怪盗団だけならまだマシな部類だろう。下手をすれば、怪盗団や精神暴走事件絡みの案件を追いかけていた冴さんだって危うい。社会的制裁だけで済めば御の字だろうが、それで満足できずに手を下そうとする危険性がある。

 獅童と以前から因縁のある佐倉さんもまた、獅童の性格を知る人間の1人だ。自分の権力を盤石にし、自分に異を唱えようとする人間を処分しようと考えたとき、そのリストの中に佐倉さんが含まれてしまう可能性だって捨てきれなかった。

 

 それでも、冴さんと佐倉さんは、僕たちに協力することを約束してくれた。前者は僕の死亡宣告を始めとした様々な方面で便宜を図ってくれ、後者はルブランそのものをアジトとして使う許可を出してくれたのだ。そのためなら、店を丸一日休みにするそうだ。

 

 

「そうじろう、大丈夫なのか? その、赤字で倒産とか……」

 

「心配すんな。その程度の損害で潰れるくらいなら、喫茶店経営なんてやってねえからよ」

 

 

 伺うような双葉の問いかけに、佐倉さんは不敵な笑みを浮かべて親指を立てて見せた。保護者として頼もしいと思う。

 

 

「そういえば、お前さん。保護者から伝言だ。『“南条財閥から依頼が入り、明智吾郎はその協力のため、保護者共々御影町に向かった”ことになってる。学校には話は通してあるし、出席日数も大丈夫だから心配しなくていい』ってな」

 

「そうですか。ありがとうございます。……そうなると、暫く身を隠さなきゃな……」

 

「その話なんだが……お前さん、往く当てがないならルブランへ来ないか? その方が黎も安心するだろうし、もう荷物もここに届いてるんだ」

 

 

 佐倉さんの申し出に、僕は目を丸くした。

 思わず黎に視線を向ける。彼女は静かに笑って頷いた。

 

 ルブランの屋根裏部屋で寝泊まりするのは初めてではない。佐倉さんには内緒――彼が来るよりも先に店を出て始発帰りする形――で、何度も朝帰りをやらかしている。それを把握しているのはモルガナだけだろう。

 僕はモルガナに視線を向けた。黒猫の目は死んだ魚みたいに濁っている。彼は「覚悟はしてたさ……。この数日間、寒々しいコンクリートジャングルで夜を明かす覚悟はな……」と呟きながら、煤けた笑みを浮かべていた。

 その言い方だと、僕が“屋根裏部屋に泊まると、毎回黎を抱き潰している”ように思われるのでやめてほしい。僕がツッコミを入れるより先に、双葉と春が「何かあったら泊まりにおいでよ」とモルガナへ助け舟を出した。

 

 感極まって泣き出すモルガナを横目にしつつ、僕は佐倉さんと黎に頭を下げた。佐倉さんは苦笑しつつ、やっぱりいつものように「節度は守れよ」と付け加えた。何かを察した冴さんがげんなりとした表情を浮かべ、頭を抱える。わずか数秒の間に疲れ切ってしまったようだ。

 

 とりあえず、今日は夕食をルブランで食べてお開きとなった。仲間たちが店から出ていくのを見送り、佐倉さんからいつも通り「節度は守れよ」とお達しを貰い、モルガナが店から脱兎のごとく飛び出していくのを見送り、僕と黎は屋根裏部屋へと足を運んだ。

 見慣れた部屋のベッドの近くには、敷布団用のマットが敷かれている。おそらく僕らには必要ない産物だが、一応用意しておいてくれたのだろう。とりあえず、マットはそのままにしておくことにして、僕と黎はベッドに腰かけた。

 離れていた時間は丸1日程度だというのに、長い間触れ合えなかったような感覚。死ぬか生きるかの瀬戸際にいたが故に、こんな気持ちになっているのだろうか。僕は黎の手を取り、指を絡ませる。黎はふわりと微笑み、手を握り返してくれた。

 

 

「生きてる」

 

「うん、お互いに。……山場の1つは越えたね」

 

 

 黎はほっとしたように息を吐く。僕も頷き返した。

 

 本来、11月20日に生死の境目に立たされるのは“ジョーカー”の方だった。だが、僅かとはいえ獅童智明に対抗できる要素――現実世界でのペルソナ行使が可能になった僕が代わりにその勝負に挑み、どうにか勝ちを拾って帰って来た。

 次に待っている勝負は11月末~12月半ばにおける“明智吾郎”の旅路(じんせい)末路(けつまつ)だ。怪盗団に負けて満身創痍になった“明智吾郎”は、獅童の認知存在における自分と対峙した際、“自分”を切り捨てることで怪盗団を救ったのだ。

 

 あのときの“明智吾郎”と今の僕では、状況は完全に違う。僕は誰も殺していないし、徹頭徹尾怪盗団の人間として認知世界を駆け抜けてきた。

 “明智吾郎”がいた機関室で、“明智吾郎”不在を埋めるために立ちはだかりそうな難敵は2人。1人は獅童智明、もう1人が神取鷹久だ。

 前者は僕が生きていたことを知ったら確実に動くし、後者は冴さんの一件で休んだ分、双方から働かされそうである。

 

 それに、智明からニャルラトホテプが解放された神取の場合、もう獅童についていく理由がないのだ。ニャルラトホテプが須藤竜蔵を切り捨てるために動いた際、その下準備として、奴は海底洞窟で至さんや舞耶さんたちの前に立ちはだかったことが脳裏をよぎる。

 神取自身が『ニャルラトホテプから解放されたかった』こともあったのだと思う。でも、だからこそ、奴は手を抜かず、元ゴッドの力を存分に振るった。至さんや舞耶さんたちを苦しめたのだ。『前座である神取鷹久(じぶん)を乗り越えなければ、世界は救えない』と理解していたから。

 

 

「……厳しい戦いになるだろうね」

 

「でも、負ける気はない。そうだろ?」

 

 

 僕と黎は不敵に微笑み合う。全てが始まったのは2年前のことで、黎が獅童に冤罪を着せられて上京してから1年が経過しようとしている。

 黒幕である獅童正義の喉元に手が届くまで、随分と長い時間が経過した。同時に、奴の背後には認知を操る『神』も控えているのだ。

 

 繋いだ手だけでは足りなくなって、僕は体の向きを反転させる。そのまま黎を抱きしめた。黎も否定することなく僕の背中に手を回し、甘えるようにすり寄って来る。それが酷く嬉しい。

 今、僕は生きている。黎も、ここで生きている。それを感じたくて、黎にも感じて欲しくて堪らない。黎との一線を越えて以来、我慢が効かなくなってしまったように思う。僕はひっそり苦笑した。

 モルガナの悲痛な覚悟にツッコミを入れようとしていた心境はどこへやら。結局、彼の覚悟と気遣いは間違っていなかったようだ。僕以上に僕のことを知られているとは奇妙なものだ。

 

 

「ねえ、黎」

 

「何?」

 

「触れていい?」

 

「……私も、触れていい?」

 

 

 お互い同じことを考えていたらしい。相手も、相手の双瞼に映し出された己自身も、笑みを深くする。そのまま互いの距離が近づいて――次の瞬間、黎のスマホがSNSのメッセージを告げた。

 

 黎は繋いだ手を名残惜しそうに話すと、スマホへ手を伸ばす。メッセージを送ってきた相手は、以前顔を会わせた“黎の協力者たち”だった。彼らは口々に『怪盗団のリーダーの“少年”が死んだってニュースが入った。黎の身代わりになりそうな相手はこの前会った婚約者ではないのか? 婚約者は無事か?』とメッセージを書き込んでいく。

 それに対して律儀、且つ、馬鹿正直に『婚約者は無事です。一緒にいます』とメッセージを送り返す黎も黎だが、みな一斉に『婚約者が無事でよかった。自分たちは怪盗団の無実を信じている。婚約者共々負けるな』と返信してくる協力者一同も一同だ。中には『結婚式には是非とも呼んでください(意訳)』というものもあった。主に三島。

 

 

「黎は愛されてるなあ」

 

「違うよ。吾郎が愛されてるんだよ」

 

「ごめん。正直な話、ちょっと妬いた」

 

「私も現在進行形で妬いてる」

 

「「あはははは」」

 

 

 なんだか笑いが込み上げてきて、そのまま笑い転げる。先程のような甘ったるい空気はなくなってしまったけれど、それは悲しいことではないのだと分かっていた。

 悪戯っぽく笑い合って、手を取り合って、互いの温もりに浸る。先の欲望には届かない程にささやかな触れ合いだというのに、今は酷く満たされるような心地だった。

 大丈夫。きっと大丈夫。だって僕の隣には黎がいて、黎の隣には僕がいる。僕らの周りには怪盗団の仲間たちがいて、支えてくれる人たちがいるのだ。きっと負けない。

 

 たとえ相手が獅童正義だろうと、『神』だろうと、絶対に負けない。負けるつもりがない。

 温かくて小さな世界を――僕たちの大切な人が生きるこの場所を、守りたいと願った。

 

 

◇◆◆◆

 

 

「父さん、吾郎のことなんだけど……」

 

「……やはり、あれはハズレだったな。私に歯向かうだけでなく、智明にまで傷を負わせるとは」

 

「俺は別に平気だよ。すぐ治せるし。……でも、俺、吾郎に『兄さん』って呼ばれてみたかったな。弟と一緒に、色々なことをしてみたかったよ」

 

「智明……」

 

「そんな顔しないで、父さん。父さんを破滅させようとしたあいつが悪いって、ちゃんと分かってるから。俺はいつだって、父さんの味方だからね」

 

「……ああ。やはりお前は、私の自慢の息子だよ。智明」

 

「誇らしいな。父さんにそうやって褒めてもらえるだなんて」

 

「だからこそ、言わせてくれ。……もうこれ以上、無茶をするな。お前は愛歌の忘れ形見で、私のたった1人の息子だ。だから――」

 

「――……うん、ありがとう。もう、あんな無茶はしないよ。父さんを1人ぼっちにしないから。父さんを悲しませるようなことはしないから。だから、悲しそうな顔しないでよ」

 

「そうだな。……いかんな、お前の母のことを思い出すと、つい弱気になってしまう。――考えてしまうんだ。“今ここに愛歌がいたら、私やお前にどんな言葉をかけてくれたのだろうか”と」

 

「きっと、喜んでくれるよ。親戚の人たちが言ってたんだ。『母さん、亡くなる間際までずっと父さんの名前を呼んでた』って」

 

「……そうか」

 

「だから、勝とう。勝って、母さんに報告しよう。『これでもう、誰も父さんに文句を言う人はいなくなった。父さんは立派な人になったんだ』って。俺も頑張るから」

 

「――ああ、そうだな。全てが終わったら、愛歌に報告しに行こう。それから、親子水入らずの時間を過ごそう。智明、お前はどこへ行きたい?」

 

「デスティニーランドがいい。写真だけど母さんも連れて、3人で行こう」

 

「遊園地、か。他にはどこへ行きたい? どこへでも連れて行くさ」

 

「本当? 嬉しいな。父さん、男同士の約束だよ!」

 

「ああ。男同士の約束だ」

 

 

◆◇◇◇

 

 

 下宿先のルブランは、今日は閑古鳥が鳴いている。表向き死んだことになっている僕は、誰もいない屋根裏部屋に閉じこもって時間を過ごしていた。婚約者の部屋で丸1日過ごすというのも、ある意味“忍耐が必要”だということが分かった。詳しくは語らないし語れそうにないが。閑話休題。

 

 僕を除いた怪盗団の面々は学生として大人しく生活していた。黎はモルガナと一緒に登校していったため不在である。時間潰しになりそうなこと――学校から出された特別措置用の課題(出席日数が足りないときは、この課題を提出すればいいという教師側の配慮だ)を片付けたり、黎からゲームや本を借りたり、怪盗団の面々からDVDを借りたり――は粗方試してみたが、あまり時間経過していないように感じる。

 こういうときに限って、時計が気になって仕方がないのだ。何度も確認しているが、短針や長針はおろか、秒針ですらなかなか動いてくれない。TV番組は全部『怪盗団のリーダーを名乗る少年、獄中自殺』という文字が躍ってばかりだ。何も知らないコメンテーターは『犯罪者に相応しい末路だ』と辛口批評を繰り返している。全然面白くない。ネットも同じような話題で盛り上がるのみだ。はっきりいって、つまらない。

 

 僕がそんなことを考えていたとき、客の来訪を告げるカウベルの音が鳴り響いた。

 

 

「いらっしゃい。……アンタ、また来たのか」

 

「マスター、いつものを頼む」

 

「チーズケーキとコーヒーだな? はいよ、少々待ってくれ」

 

 

 聞き覚えがある声に、僕は思わず階段を下りて店内を覗き込んでいた。そこにいたのは、サングラスをかけて高級スーツに身を包んだ神取鷹久その人だった。

 佐倉さんの物言いからして、神取はルブランに何度も足を運んでいたらしい。「いつもの」という言葉でチーズケーキとコーヒーが出てくる程通い慣れていたようだ。

 

 チーズケーキをしかめっ面で食べ進めながら、凄まじい速さでコーヒーを飲み干していく。コーヒーの追加注文が入る度、佐倉さんの機嫌が鰻登りになっていった。僕が覚えている範囲で、神取がコーヒーをお代わりした回数は8杯が最高である。最低でも6杯はお代わりする程であった。閑話休題。

 

 

「おや、明智吾郎くんじゃないか。こんな時間帯にルブランで顔を会わせるとは奇遇だな」

 

「は? 何言ってるんだ。コイツは明智吾郎じゃないぞ。第一、こんな寂れた店にヤツのような有名人が来るはずがない」

 

 

 神取は僕に気づいたようで、口元に柔らかな笑みを浮かべて声をかけてきた。それを聞いた佐倉さんは表情を剣呑なものにし、「人違いだ」と首を振って僕を庇おうとする。

 佐倉さんは神取が何者であるかを知らない。いや、現在の肩書を知ったら、速攻追い返そうとするだろう。嘗ての肩書を名乗られたらそれはそれで困惑するだろうが。

 睨みつける佐倉さんの眼差しなんてなんのその。神取は「明智くんとは旧知の仲なのでね。見間違えるわけがない」と自信満々に言い切る。案の定、佐倉さんの警戒度が上がった。

 

 

「……アンタ、一体何者だ?」

 

「安心し給え、マスター。私もまた、世の中では“死者”にカテゴライズされる存在だ。亡霊の言葉など、生者には聞こえまいよ」

 

「…………」

 

「不安に思うのは当然だな。――では、神取鷹久という名前に聞き覚えは?」

 

「か、神取鷹久だって!?」

 

 

 12年前は官僚として勤めていた佐倉さんは、神取鷹久が御影町で起こした事件――セベク・スキャンダルについて知っていたらしい。同時に、事件の首謀者が最後はどうなったかも、あの様子からして知っていたのだろう。これで、佐倉さんは神取の言葉を理解したようだ。

 “自分の目の前でチーズケーキとコーヒーを頼み、チーズケーキをしかめっ面して食べ進めながらコーヒーを6~8杯お代わりする上客の正体は、12年前に死んだはずの男だった”――一般人からすれば超弩級のホラーである。佐倉さんは反射的に後ずさった。

 

 

「珍しいな。あんたが自分の正体を一般人の前で明かすなんて」

 

「獅童正義の私設秘書・神条久鷹じゃあ門前払いを喰らうだろう? なら、死者である神取鷹久が化けて出たという名目で入店するしかないじゃないか」

 

「そんな発想に走るとは思わなかったよ。天下のセベクCEOにしては茶目っ気たっぷりじゃないか」

 

「それとも、須藤竜蔵の私設秘書の方がよかったかね?」

 

「それもそれでダメだと思うぞ」

 

「…………お前ら、意外と仲いいんだな」

 

 

 軽口を叩き合う僕と神取の様子を目の当たりにして、佐倉さんは口元を引きつらせていた。

 

 怪訝そうな顔をする佐倉さんに、僕と神取の因縁について軽く説明する。セベク・スキャンダル発生時にセベクで対峙したこと、珠閒瑠市で対峙したことを話せば、「もう何でもありかよ」と言って頭を抱えてしまった。僕は(不本意ながら)経験者の為慣れてしまったが、死人が生き返るというのも頭が爆発する系の理不尽であった。閑話休題。

 では、12年前に死んだはずの亡霊が、明智吾郎に何の用なのか。僕が問えば、神取はコーヒーを飲みながら愚痴をこぼし始めた。「自分が憑りついている相手は、獅童正義の私設秘書でな」との皮切りであったが、明らかに獅童正義の私設秘書・神条久鷹として語っている。狂言回しにしてはあまりにも明け透けなため、かえって佐倉さんが困惑してしまった。

 

 

「獅童正義は『日本は沈没寸前だから、自分が船頭になって舵取りをしなければならない』と言って憚らない。あの様子だと、奴は“日本という国の船長”をしているつもりなのだろうな」

 

「船頭に舵取り、船長……」

 

 

 神取は愚痴の体で発現しているが、その内容は回りくどいヒントだった。イセカイナビで獅童のパレスに入るためには、“獅童がパレスを何と認識しているか”の『キーワード』が必要である。神取はそれを僕に伝えてくれたのだ。

 佐倉さんもイセカイナビに関する話は聞いていたから、ハッとした顔で僕に視線を向ける。僕は小さく頷き返した。僕らの様子を見た神取が満足げに頷き、コーヒーのお代わりを要求する。佐倉さんは即座に返事をし、コーヒーを淹れた。

 しかめっ面でチーズケーキ――石神千鶴と所縁のある品物――を食べ終えた神取は、暫くコーヒーをお代わりして啜っていた。運がいいのか悪いのか、今日は神取以外の客が店に入ってくる様子はない。今回はお代わりの最高記録を更新し、現在12杯目だ。

 

 600~700円近いコーヒーを12杯も飲み進めるお客の存在に、佐倉さんはニヤつきが止まらないようだ。亡霊だろうとお金を落としてくれる相手のことは嫌いになれないらしい。

 黎たちが帰って来たら、ルブランは店じまいをするのだ。利益が望めないときに、神取のようなタイプの上客がやって来たら――うん。誰だって嬉しいはずである。

 

 

「……()()()()()()()()()()なんだ。この店に顔を出すのが、な」

 

 

 そろそろ黎たちが帰って来る時間帯だろうか――僕がそう思ったとき、神取がぽつりと呟いた。

 

 

「ここのコーヒーは絶品だったからな。正直名残惜しいのだが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「神取……」

 

「悲しむことはないよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 「キミならば、私の気持ちが分かるはずだ」――神取は静かに笑って()()()を見る。“明智吾郎”が神妙な顔をして頷き返した。彼も神取と同じく、破滅に彩られた道を往く魂だった。……まあ、神取と比べれば遥かに幼稚で見苦しいものだったが。

 今の()()()は神取の気持ちは理解できる。但し、同じ道を辿るつもりは毛頭ない。だって僕には――()()には、黎/“ジョーカー”と共に未来を生きていくのだという決意がある。死へ向かって一直線なんて、もう選べるはずがなかった。

 僕が「同意はしないぞ」と言い返せば、神取は「それでいい」と嬉しそうに笑う。眼球は存在しないはずなのに、サングラスの奥にある空洞が優しく細められたような気がしたのは、僕の見間違いではないのだろう。

 

 神取は13杯目のコーヒーを飲み干すと、お勘定を支払ってそのまま立ち去ってしまった。僕は彼の背中を見送る。

 次に神取と対峙するときは、奴と戦うときだ。『神』の『駒』として死後も玩具にされた男の、数奇な旅路を思う。

 

 それと入れ替わるような形で、黎たちがルブランに帰って来た。冴さんも一緒らしい。佐倉さんが早速店の看板をクローズにする。黎たちは方針通り、獅童の『改心』を行うための下準備を行おうとしていた。

 

 勿論、パレス侵入の際に障害となるのはキーワードである。黎や怪盗団の様子からして、獅童正義の認知がどんな風に歪んでいるのか見当がついていないようだ。

 おそらく僕も、神取の愚痴がなければキーワードを見つけるのに時間がかかっただろう。パレス攻略に関して、“明智吾郎”はあまり口出ししないからだ。

 “彼”が最優先事項としているのは『11月末~12月中旬にかけてに発生する破滅の回避』。黎/“ジョーカー”と共に『生きる』ことを選んだのだから、当然だろう。

 

 

「獅童は、演説でよく『この国は沈没寸前』とか『舵取り』とか言ってたよね」

 

 

 帰ってくる直前に、獅童の街頭演説を聞いていたのだろう。黎がピンポイントでキーワードのヒントを見出した。僕も頷く。

 

 

「キーワードに関する話題なんだけど、ついさっき、神取鷹久が店に来たよ」

 

「神取鷹久……? ちょっと待って明智くん。どうして12年前に死んだはずの男の名前が出てくるの!?」

 

「はぁ!? ちょ、大丈夫なのか!?」

 

 

 冴さんは佐倉さんの二番煎じと化し、竜司が面々を代表して驚きの声を上げる。

 

 冴さんには佐倉さんが僕と神取の因縁をかいつまんで説明し――説明を聞き終えた冴さんは天を仰いでため息をついた――、竜司たち怪盗団には神取から齎された情報を開示する。

 神取は『船』に関連するワードを口走っていた。獅童の演説内容に使われる言葉とも合致している。国会議事堂を船扱いする男の認知がどれ程のモノかを想像することは難しい。

 実際に行ってみなければ、認知の歪みがどうなっているかを確認することなど不可能だ。「今回はパレスの下見に行く」と纏まったらしい。国会議事堂へ向かうことが決まった。

 

 

「獅童のパレスには、奴の『駒』や神取が控えていると思う。双方共に本気で襲い掛かって来るだろうから、下準備はしっかり行った方がいい」

 

「確か、わたしのパレスを攻略していたとき、黎たちは初めて神取と戦ったんだよな? どんな感じだった?」

 

「かなりギリギリの戦いを強いられたな。しかも、あのレベルで戯れであることは容易に予想がついた」

 

 

 僕の注意を聞いた双葉が仲間たちを見回し、神取の強さについて訊ねる。祐介が沈痛な面持ちで、当時のことを思い出しながら答えた。僕も、御影町や珠閒瑠で対峙したときのことと比較しながら、ピラミッドでの神取のことを思い返した。

 神取鷹久という男は、御影町では航さんたちを、珠閒瑠市では舞耶さんたちを追いつめた凄腕のペルソナ使いである。ニャルラトホテプに見いだされる程の実力を有していたことは確かだった。奴の在り方は、幼かった頃の僕でも忘れられない程、鮮烈に焼き付いている。

 

 

「神取鷹久は“悪役の美学を貫く男”だ。対峙する人間に対し、『私を斃せなければ世界は救えない。世界を救う覚悟はあるか?』と問いかけてくる。……御影町では、そうやって至さんや航さんたちの前に立ちはだかったんだ」

 

「……それって、期待されてるってことなの?」

 

「随分と回りくどい性格をしているのね。……ピラミッドの時点で分かり切ったことだけど」

 

 

 黎の話を聞いた杏が首を傾げ、真が面倒くさそうにため息をついた。この2名は、ピラミッドで神取と初めて戦ったとき、神取の言動にツッコミを入れた張本人だったか。

 神取鷹久の辿った運命や境遇からして、狂言回しのような態度は仕方のないことなのだろう。自身に与えられた役割に殉じる傍ら、自分の正義を貫き通した稀有な男だ。

 たとえ悪神の『駒』から逃れることができずとも、自分を悪役に仕立て上げることで“悪神を討つペルソナ使いたち”を見出し、彼らの成長の糧となる形で滅ぼされるのだ。

 

 彼の人生を幸福とは言い難いだろう。でも、彼の人生は不幸という単語で片付けていいものとは思えない。

 

 神取は確かに、若きペルソナ使いを――自身の希望となり、世界を救うであろう存在を見出した。彼らに未来を託したのだ。

 満足げに笑って力尽きた男――あるいは、同士共々海底洞窟に沈んでいった男の姿を思い出す。そこには一点の曇りも後悔もなかった。

 

 

「まあ実際、カンドリの野郎を斃せなきゃ、シドーや『神』に勝てるとは思えないけどな」

 

 

 ニャルラトホテプ関連には例外なく厳しいモルガナは、殺意にも等しい敵意を見せていた。フィレモンの関係者という部分が悪い方面に現れているように感じたのは気のせいだろうか? ……最も、彼の意見は何一つ間違っちゃいないが。

 

 

「実際にお会いしたことはないのだけれど、話を聞く限り、神取という人は真っ直ぐな性格なのね。自分がどんな状況に置かれようとも、自分の為すべきことを見失わないんだもの」

 

「自分のことを“立ちはだかる障害である”と認識しているが故の行動なのかもしれない。賛同はできないけど、彼の在り方も確かな正義だと言えるだろうね」

 

 

 春の分析を聞いた黎も、セベクで対峙した神取の姿を思い出していたのかもしれない。灰銀の眼差しは、どこか遠くを見つめていた。“明智吾郎”の経験則上、「たられば」の話が無意味であることはよく知っている。

 それでも夢見てしまうのは、神取が体現した“悪役の美学”に自分たちとの共通点――揺らがない正義を見出したためだ。たとえ同調することができずとも、賞賛することができずとも、その生き方は「間違いではなかった」と認めることができたためだ。

 獅童正義と神取鷹久だったら、僕は間違いなく後者を選ぶ。神取は、悪神に見いだされても奢ることなく、自暴自棄になりながらも自らが成したかったことを成し、間接的に世界を救う手助けをやってのけたのだから。犠牲の概算度外視という点は、双方共にどっこいどっこいだが。閑話休題。

 

 人間側の黒幕――獅童正義との決戦が近づいている。これが片付けば、最後は『神』が動き出すだろう。どのような形で動くかは未知数だ。油断はできない。

 今から8か月前の4月。怪盗団が結成される事件となった鴨志田の事件が発生した出来事は、遠い昔のことのように思える。僕たちはいつの間にか、とんでもない場所に辿り着いてしまったらしい。

 

 感慨深い気持ちになった僕を現実へ引き戻すかのように、仲間たちは雑談を切り上げた。目的地は国会議事堂――および、獅童正義のパレスである。早速戦場へ赴こうとする僕たちを、佐倉さんと冴さんが呼び止めた。何ごとかと振り返ると、2人は静かに目を細めて一言。

 

 

「――行ってこい。無事に帰って来いよ」

 

「――行ってらっしゃい。頑張って」

 

 

「――行ってきます」

 

 

 僕たちは不敵に微笑み返し、ルブランを後にした。

 戦いに勝って、ここへ帰ってくるために。

 

 




魔改造明智の生還~獅童パレス攻略開始まで。保護者から譲り受けたペルソナが魔改造明智仕様に最適化され覚醒しました。元ネタは真メガテン4FINALに登場する悪魔、凶鳥:カウ。漢字表記では火烏(カウ)となります。烏系のネタを探していたら凶鳥のカテゴリを発見し、そこでカウ――3本足の白い烏の画像を初めて見たとき、一目惚れした次第です。
「神話準拠」と「保護者の特性を色濃く継いだペルソナにしよう」と思い至って拙作用の改造を施した結果、双葉が分析したようなタイプのペルソナとなりました。得意な魔法属性攻撃は元ネタに忠実、射撃攻撃および物理突属性系列に特化したのは保護者の影響となっています。初期構想では保護者と同じヤタガラスでした。
思うところがあったので29話の一部を加筆修正し、フラグの整理をしました。今後はもう少しきちんとした形でフラグ回収できるようになりたいですね。今回のニャルラトホテプは『神話のトリックスター』としての振る舞いをしています。結果、魔改造明智の命が救われました。但し、動機は「悪神がムカツク」のと「そっちの方が面白かったから」。
神取からはパレス絡みの情報と、「次会ったら本気で戦うから(意訳)」宣言が来ました。どのタイミングで彼と戦うことになるかについては、もう暫くお待ちください。神取や智明も本格的に戦うことになりますので、魔改造明智と彼らの戦いに関しても、生温かく見守って頂ければ幸いです。


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勝ち組の箱舟? 外道を積んだ泥船だろ?

【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 @空本(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄で明智の保護者その1。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
 @獅童(しどう) 智明(ともあき)⇒獅童の息子であり明智の異母兄弟だが、何かおかしい。獅童の懐刀的存在で『廃人化』専門のヒットマンと推測される。詳しくは中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『運命を切り開くだけの簡単なお仕事』および『ペルソナ3異聞録-.future-』、Pixivの『2周目明智吾郎の災難』および『【一発ネタ】有栖川黎の幼馴染』の設定を下地にし、別方向へ発展させた作品である。
・ジョーカーのみ先天性TS。
 ジョーカー(TS):有栖川(ありすがわ) (れい)⇒御影町にある旧家の跡取り娘。旧家制度は形骸化しているが、地元の名士として有名。身長163cm。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空本(そらもと) (わたる)⇒明智の保護者2で、南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。
・敵陣営に登場人物追加。
 @神取鷹久⇒女神異聞録ペルソナ、ペルソナ2罰に登場した敵ペルソナ使い。御影町で発生した“セベク・スキャンダル”で航たちに敗北して死亡後、珠閒瑠市で生き返り、須藤竜蔵の部下として舞耶たちと敵対するが敗北。崩壊する海底洞窟に残り、死亡した。ニャラルトホテプの『駒』として魅入られているため眼球がない。この作品では獅童正義および獅童智明陣営として参戦。但し、どちらかというと明智たちの利になるように動いているようで……?
・「2罰ボスの外見を見た人間の反応」に関するねつ造設定がある。
・普遍的無意識とP5ラスボスの間にねつ造設定がある。
・『改心』と『廃人化』に関するねつ造設定がある。
・春の婚約者に関するねつ造設定と魔改造がある。因みに、拙作の彼はいい人で、春と両想い。
・魔改造明智にオリジナルペルソナが解禁。
・紹介状の数が1つ増えた。


「流石は獅童さまだ。彼についていけば将来は安泰!」

 

「獅童さまについていけば勝ち組確定だものね。乗船券を入手するの、本当に苦労したんだから」

 

 

 絢爛豪華な装飾が施された国会議事堂の客船は、沈みゆく日本を進む唯一の船だ。欲望を肥大化させた連中が我先にと乗り込み、甘い汁を啜っている。

 どいつもこいつも仮面をつけており、自分の利益しか考えていない。パレスの主である獅童は『獅童さま』と呼ばれているようだ。肝心の獅童の姿は見当たらない。

 

 今まで遭遇したパレスの主のラインナップを思い出す。多方面で生徒を食い物にしてきたピンクのマントにパンツ一丁の変態王、自分のために弟子を使い潰す金ピカバカ殿様、金と権力にたかるハエ系銀行支配人、反逆の憤怒を宿すピラミッドの女王、楽園への脱出を夢見た宇宙基地の社長、イカサマが十八番なカジノの女支配人。

 では、獅童正義の本性はどのような姿をしているのだろう。“明智吾郎”に問いかけてみたが、“奴”は不機嫌そうに表情を歪めて沈黙した。知らないから黙っているというより、知っているが腹立たしいから言わないようだ。そんな“明智吾郎”の様子を見た“ジョーカー”が口を開く。

 

 

―― 今思えば、シャドウ獅童の格好、“クロウ”のヅカ系王子様ルックと似てたよね。独裁者が着るような式典衣装っぽかった ――

 

―― やめろ言うな ――

 

―― 因みに、途中で何回か格好が変わる。上半身裸になったのを見たときは、正直ドン引きした ――

 

 

 ()()()()()()()()()、と、“ジョーカー”は神妙な顔で呟く。反射的に想像してしまい、僕はゾッとした。獅童の上半身ヌードなんぞ、誰に需要があるというのか。少なくとも「怪盗団には一切ない」ことは確かだ。

 

 絢爛豪華な内装と、外に広がる沈没した東京の街並み。「子どもが誇れる国を作る」と語った獅童の頭の中が世紀末なのは、外の光景で充分思い知った。

 獅童にとって、この国の未来なんぞ大した関心を抱いていない。奴が執着していることは「総理大臣になって権力を使い、好き放題したい」という傲慢の表れだ。

 文字通り“自分さえよければどうでもいい”、“日本が滅ぼうが、自分だけは生き残る”という認知が、国会議事堂という名の箱舟を造り上げたのであろう。

 

 船内の壁には所狭しと獅童のポスターが張り巡らされている。

 スピーカーからは、獅童の街頭演説がひっきりなしに響き渡っていた。

 

 

「…………」

 

「ジョーカー……?」

 

「……ごめん。なんか、この声、苦手だなって」

 

 

 ジョーカーは居心地悪そうに呟いた。自分の肩を抱くようにして、小さく体を震わせる。

 

 

「おかしいね。今までは何とも思わなかったし、平気だったんだけど……」

 

 

 僕に心配をかけまいとして微笑む彼女が、痛々しい。

 

 未遂とは言えど、彼女は獅童に手籠めにされかかったのだ。表面上は平静を装っていても、心の何処かには当時の恐怖が根付いていてもおかしくはない。悍ましい欲望のはけ口にされかかったのだから、トラウマになって当然だろう。

 獅童への怒りが募る。けどそれ以上に、今はジョーカーが心配だった。僕は彼女の手を取る。ジョーカーの手は微かに震えていたけど、抵抗したり振り払ったりすることはない。彼女は安心したように微笑み、自分の方から指を絡めて応えてくれた。

 

 

「ありがとう、クロウ。落ち着いた」

 

「……それは俺の台詞だよ。こっちこそ、ありがとう」

 

 

 忌まわしい男――獅童正義と同じ血が流れている僕の手なんて、振り払われたっておかしくないのだ。

 有栖川黎/ジョーカーは、明智吾郎/クロウという1人の人間を――僕のすべてを望んでくれる。

 それが僕にとって、どれ程幸せなことか。奇跡みたいな光景を噛みしめて、僕も頷き返した。

 

 

「……あれ、どうする?」

 

「素敵な光景ね」

 

「あのバカップルに、どう声をかければいいんだろう……」

 

「ヤベーよ。リア充がリア充過ぎて手出しできない」

 

「何故スケッチブックを持ってこなかったのか……! せめてクロッキーでも持ち込んでいれば……」

 

「アタシ、馬に蹴られたくないんだけど」

 

 

 どこからかひそひそ声が聞こえてきたので振り返る。仲間たちが互いの顔を指さしては首を振り合っていた。まるで生贄投票みたいな光景である。

 だが、僕らのやり取りがひと段落したことに気づいたようで、仲間たちは安堵の表情を浮かべた。「先に行こうぜ」というモナに従い、船内の調査を開始する。

 

 エントランスの階段を上ると、侵入者である僕たちの気配を察知してシャドウが現れた。扉を守るようにして、奴は本来の姿を取り戻す。冥府の番犬となったシャドウは高らかに吼えると、そのまま僕たちに襲い掛かって来た。

 

 僕らが戦いを始めたのと、獅童に招待された乗客たちが声を上げたのは同時である。先日攻略した冴さんのパレス――カジノにいた認知存在たちは、僕らがフロアで戦いを繰り広げても無関心だった。彼らが関心を示したのは、僕らがジャックポッドを決めたときや、コロッセオで賭けをしたときくらいだ。

 乗客たちの反応は“異常性や危険を察知してパニックになっている”のではない。“面白そうな見世物が始まったので、興味本位で観戦している”ような騒ぎ方だった。獅童にとって、シャドウである冥府の番犬や僕たち怪盗団は「観客を楽しませるための余興に使う」存在でしかないらしい。

 怪盗団や“明智吾郎”を掌の上で転がしていたことを考えると、獅童の狡猾さや外道っぷりがひしひしと伝わって来た。僕は小さく舌打ちし、カウを顕現する。チャージで力を貯めた後、ペルソナをロキに付け替えレーヴァテインを叩きこんだ。断末魔の悲鳴を残し、シャドウが爆ぜて消えた。

 

 船内で戦いが発生しても、人々は恐怖心や警戒心を抱くことはなかった。みな口を揃えて「船に乗っていれば永遠に勝ち組」だと笑っている。

 

 

「何故、乗客たちはあんな調子でいるんだ? 俺たちの戦いを、本気で“余興”だと信じ切っているようだが……」

 

 

 拍手喝采し、僕らに「楽しかったよ。獅童さまにも伝えておいて」と声をかけてきた乗客をやり過ごしたフォックスが首を傾げた。

 

 

「獅童の船に乗れたことで、『最早、自分たちに危害を加える者はいない』と思っているんでしょう」

 

「そうして、獅童本人も“逆境を利用してのし上がる”ことに長けている。周りもそう見てるから、僕らのことも“余興”として構えてられるんだろう」

 

「ケッ、危機感のないヤローどもめ。そいつがとんだ泥船だって分からせてやるぜ!」

 

「――ああキミたち! さっきの見世物は凄かったよ!」

 

 

 クイーンと僕の分析を聞いたスカルが息巻く。そのとき、また別の乗客が声をかけてきた。怪盗服の関係上、僕たちのことは大道芸人扱いらしい。

 これ以上変な注目を浴びるのはよくない。僕たちは愛想よく乗客を撒きながら、長い階段を駆け上った。

 

 船内にあるオブジェクト――主に達磨――や宝箱を回収しつつ、僕たちは奥の部屋に足を踏み入れる。そこは客船の中央通路で、ロビー以上の賑わいを見せていた。幸か不幸か、僕たちが起こした騒ぎはここまで広まっていないようだ。

 

 

「ムムッ! 『オタカラ』の気配……! こっちだオマエら、ついてこい!」

 

 

 『オタカラ』の気配を察知したモナが一気に飛び出す。シャドウがいないと確信しているとはいえ、少々不用心ではなかろうか。

 前から“『オタカラ』が絡むと紳士を投げ捨て、すべてを概算度外視する”モナには大変な目にあわされてきたが、結局直らないままらしい。

 終いには、「パレスが倒壊する前に騒ぐ程度なら()()()()()」なんて、僕らの方が暢気に構えるレベルになってしまった。ひっそり苦笑する。

 

 モナが立ち止まったのは大扉の前だ。物々しい雰囲気を漂わせる扉には、カードキーを差し込むような穴が6つもある。金城のパレスで見た金庫なんて比ではない厳重さだ。

 そのとき、外に設置されていたスピーカーから、決議が下ったことを知らせる声が聞こえてきた。議長は獅童で、反対派なしの可決。僕は思わず顔をしかめていた。

 

 

「可決とか議会とか、一体何してるんだろう?」

 

「ここが見た目通りの国会議事堂なら、最深部にあるのは本会議場でしょうね」

 

「「ホンカイギジョウ?」」

 

 

 首を傾げたパンサーとスカルに対し、クイーンがつらつらと解説する。「ニュースの中継でよく映るような、大きなホール」と聞いて、スカルたちは何となく予想がついたようだ。

 

 議会の体を取っているだろうが、ここは獅童の認知世界だ。おそらくは“奴が何を言っても反対派0で可決される”という悍ましい光景が広がっていることだろう。僕の予想が間違いではないらしく、“明智吾郎”も不愉快そうに扉を睨みつけていた。あの様子からして、“彼”も狂気的な現場を目撃していたのだろう。

 「味方ばかり引き入れて、好き勝手しているのね」――クイーンの話を聞いたノワールが表情を曇らせる。心の歪みが原因で、ワンマン経営者と化していった父親の姿と重ねているのだろうか。……最も、それとこれとは別問題である。ノワール本人もそのことをよく分かっているみたいで、次の瞬間には凛々しい眼差しとなっていた。

 

 

「この先に入るには、カードキーを入手する必要があるのよね? どうやって手に入れればいいのかしら?」

 

「シドーの取り巻きになるとか、忠誠を誓うとか、そういう資格が必要なのかもな」

 

 

 モナの分析を聞いて、僕は思わず“明智吾郎”に視線を向けた。“彼”の瞳に映る僕は、“明智吾郎”に対する非難の色を浮かべている。

 だってそうだろう。形だけとはいえ獅童に忠誠を誓っていた“明智吾郎”は、奴のパレスに出入りすることも容易だったはずだ。

 パレスに入るための『キーワード』だって把握していてもおかしくない。なのに“明智吾郎”はそれらの情報を一切僕に流してくれなかった。

 

 もっと早くパレスの『キーワード』を教えてもらえたなら、冴さんの一件だって早い段階で対策を打てた。獅童のパレスだって、僕が奴の忠実な『駒』と認知されていた状態ならば、こんなところで厳重な足止めを喰らうこともなかったかもしれない。

 

 ()()()()()()()()()()()1()()()()()()()()()()()()? ――ムッとした顔で、“明智吾郎”は反論してきた。噛みつくような声色である。

 そこで僕は言葉を詰まらせた。冴さんのパレスも、獅童のパレスも、跋扈するシャドウの強さはかなりのものだ。僕1人では対応できなかっただろう。……だが。

 

 

(じゃあ訊くけど)

 

―― ? ――

 

(()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?)

 

 

 僕の問いを聞いた“明智吾郎”は、ぎくりと肩を竦めた。

 

 “彼”は僕同様、自分自身が大嫌いである。僕は自分自身が憎い男――獅童の血を引いているという意味で、“彼”は正義の味方に憧れていたくせに真逆の殺人者に成り下がったという意味で、だ。もしも僕が、冴さんのパレスで知った真実に耐え切れず、“明智吾郎”の思考回路に完全同調してしまったらどんな行動を取るか。

 予想はついている。獅童正義と一緒に心中コースまっしぐらだ。勿論、ただ死ぬのでは意味がない。奴が不正を侵した証拠や黎の冤罪を証明する証拠をきちんと保管した上で、自分の持つ力を概算度外視で振るっていたことだろう。追いつめられた“明智吾郎”共々、無謀極まりない暴走をしていたかもしれない。

 

 

―― 今も、“あの子”の傍にいてはいけないと……明智吾郎は、獅童正義共々逝くべきだと思ってるのか? ――

 

(逝かない。生きる。生きて黎と添い遂げる)

 

―― ならいい。……二度と言うなよ。そんなくだらない「たられば」なんざ、な ――

 

 

 “明智吾郎”は小さく鼻で笑う。僕も同意して、ジョーカーたちの方に向き直った。ジョーカーは切り替えが早いようで、“獅童の味方のフリをする”作戦に同意していた。

 「クロウが頑張ってたんだから、今度は私たちが頑張る番だ」と言い切った彼女の漢気に(不本意ながらも)感動しつつ、作戦を練る。味方であるという証明を手に入れなくては。

 案を出したのはノワールだ。彼女は屯っている乗客たちを見ながら「彼らに話を聞いてみたらいいのではないか」と提案する。ジョーカーも感心したように目を丸くし、頷く。

 

 ここにいる人間たちは、獅童正義にとっての『認知上の存在』だ。獅童が握らせた秘密について知っているだろう。

 但し、ここは獅童正義のパレスだ。奴の非道によって、どこのどいつがいつ化けて暴れ出すかは分からない。心構えは必用だが、どの道情報収集は必須である。

 

 

「この船は多分、生き残る価値をシドーが認めた奴らだけを乗せた箱舟。……だから豪華な客船なんだ。それなら、話もできんバカは乗ってないだろう」

 

「情報収集だけなら問題ないでしょう。幸いみんな仮面をつけているし、さっきの騒ぎのときみたいに『芸人です』で通せば、ぎりぎり誤魔化せそうよ」

 

 

 モナの分析を聞いたクイーンも頷く。特に後者は、先程の光景を思い出しているのだろう。少々腑に落ちないのを堪えている様子だった。

 

 このパレスの認知存在が仮面を常備しているのは、獅童が「人は誰しも、他人に素顔を見せるはずがない」と信じているためだろう。その認知は、暗に『“明智吾郎”の企みを看破していた』ことを示していたのかもしれない。僕の思考回路を読み取ったのか、“明智吾郎”は居心地悪そうに視線を逸らした。

 “明智吾郎”もまた、この箱舟に乗ることが許された人間だったと同時に、最後は箱舟から突き落とされることが決まっていた人間だ。獅童の人形と化した認知の明智吾郎が銃口を向ける姿がフラッシュバックする。()()()()()()()()()()()()()()と、“明智吾郎”は苦笑していた。閑話休題。

 

 早速僕たちは船内を回り、乗客から情報収集することにした。『廃人化』をビジネスととらえる連中が平気でその言葉を飛ばし、各方面のVIPについての噂話をしている。

 一通り情報を集めた僕たちは、近場のセーフルームで情報を纏めた。どうやら「6人いるVIPから紹介状を入手すれば、本会議場の扉を開くことができる」らしい。

 紹介状がカードキーの役割を果たすようだ。VIPの特徴については、5人分はハッキリしている。政治家の大江、旧華族の名士、TV局の社長、IT会社の社長、トラブル処理役だ。

 

 

「政治家の大江がよくレストランにいて、旧華族の名士がプールサイドにいて、TV局の社長がスロットゲームに興じ、IT会社社長が宛がわれた客室に引きこもり、トラブル処理役は用心深いため後回しにする……これで合ってる?」

 

「すげー! ジョーカー、完璧じゃねーか!」

 

「流石は今年不動の学年首位ね。今回のテストも学年首位確実だって言われてるだけあるわ」

 

 

 VIPの特徴をつらつらと挙げるジョーカーに、スカルがキラキラと目を輝かせる。クイーンも満足げに頷いていた。

 おそらくクイーンの分析通り、ジョーカーは秀尽学園高校の学年首位を掻っ攫っていくことだろう。僕もひっそり目を細めて同意した。

 

 

「じゃあ、6人目は? 6人目だけ情報が入って来なかったんだが……」

 

「6人目に据えられている人間の候補なら、2人程心当たりがある。1人が神取鷹久、もう1人が『廃人化』の実行犯である獅童智明だ」

 

 

 ナビが首をかしげたのに対し、僕は答える。件の2名もパレスを出入りしていてもおかしくないのだが、このパレスではまだ相対峙していない。両者とも強敵だ。神取は先程僕たちに「次会ったら本気で戦う」と宣戦布告してきたし、後者は獅童の手駒で悪神の手下故、確実に僕たちを葬り去ろうとするだろう。

 この2名――特に後者――が紹介状を譲ってくれるとは思えない。神取はノリノリで“滅ぼされるべき悪役”を演じて立ちはだかって来るだろうし、智明は先程説明した通り言わずもがなである。もしかしたら、この両者を同時に相手取らねばならない可能性だってある。獅童パレスにおいての最難関だ。

 双葉のパレスで相対峙したことを思い出し、スカル、モナ、パンサー、フォックス、クイーンが表情を引き締める。ピラミッドで対峙した神取の力――あれは、奴にとっては戯れでしかない。けれど僕たちだって、あれから様々なパレスに足を踏み入れ、経験を積んできた。今ならきっと、互角の戦いを繰り広げることができるだろう。

 

 

「でもクロウ、大丈夫?」

 

「何が?」

 

「獅童智明は、クロウの異母兄(おにいさん)なんでしょ?」

 

 

 パンサーが心配そうに問いかけてきた。……どうやら、僕が考え込むような動作をしていた理由を勘違いしたらしい。

 

 

「そっちは別に平気。散々踏み躙られてきたし、何より取調室で殺されかけた。……正直な話、俺は人間ができてないから。加害者に優しくできるような精神構造をしてないんだ」

 

 

 僕の言葉を聞いた仲間たちは、納得したように頷いた。流れるようにしてジョーカーへ視線を向ける。

 みんな、一糸乱れぬ団体行動を披露してくれた。彼/彼女らの反応からして、僕の発言に見覚えがあるのだろう。

 

 

「そういえば、獅童を『改心』させたら、いつ頃に『改心』が発生するんだ?」

 

「できれば選挙前に発生して欲しいけど、選挙日以外で獅童にとっての区切りの日なんてないものね……」

 

「投票が終わって、当選が確定した瞬間になりそうだな」

 

「ネットで調べてみたけど、12月18日は獅童にとってもう1つの意味があるらしい。五口家に挨拶しに行って、奴らに追い払われた日だって話だ」

 

「雑誌のインタビューでも見かけたぜ。『夜の街をとぼとぼ歩いた』とかなんとか」

 

「じゃあやっぱり、『改心』の発生は18日か。遅くとも16日までには『オタカラ』のルート確保をして、17日には予告状を出さなきゃいけないね」

 

 

 仲間たちは勝手に話を纏めていく。いや、実際みんなの言葉通りだから、特に僕が何かを言う必要はないだろう。

 面々は伺うようにして、僕とジョーカーに視線を向ける。勿論、負けるつもりは毛頭ない。僕たちは顔を見合わせて頷き合った。

 

 

◇◇◇

 

 

 急いではいるが、強いてはことを仕損じるという。パレスの攻略を行う前に、僕たちはまずメメントスに潜ることになった。怪チャンの依頼を消化するためでもあるが、獅童のパレスでVIP待遇されていた認知存在や、特捜部長を含む地位持ち連中を『改心』させておくためである。

 獅童が気まぐれや不信感によって協力者を『廃人化』させる危険性は“明智吾郎”の一件からありありと予測できた。獅童を『改心』させても、獅童のシンパが奴を庇う可能性も存在している。前者は本人が本人自身のため、後者が獅童に巻き込まれて破滅するのから逃れるためだ。

 結果、獅童のパレスにいた認知上のVIP以外の地位持ちたちを軒並み『改心』させることに成功した。依頼も滞りなく果たしたし、現時点で行ける範囲のメメントスの奥地まで辿り着いた。下準備に結構な時間を割いてしまったし不安も尽きないが、できることは全てやった。

 

 その間にも、選挙戦は着々と進んでいる。獅童率いる新党が大量に議席を獲得しており、選挙が始まれば、奴の勝利と当選は確実だと言われていた。

 獅童が『改心』するであろう日付は12月18日だ。もし獅童が選挙に勝っても、『改心』成功で罪を告白すれば、辞退する可能性が高い。

 

 

(そうなれば、選挙はもう1回やり直し。そして、日本は総理大臣がいないまま年を越すことになるだろう)

 

 

 須藤竜蔵の汚職事件も大騒ぎになったが、獅童の一件はそれ以上に大きな騒ぎとなるだろう。

 

 見出しは『須藤竜蔵の再来!? オカルト系科学に傾倒した現職大臣、『廃人化』および精神暴走事件に関与!?』が妥当か。

 大宅さんも大喜びで食いついてくるだろう。相棒の敵討ち及び弔い合戦ということで、ペンで派手に戦うに違いない。閑話休題。

 

 現在、僕たちは獅童のパレスにいる。

 紹介状の持ち主を探して船内を駆け回っている真っ最中だ。

 

 まず最初に目を付けたのは、レストランに出入りしているという大物政治家・大江からである。前回侵入した際に手に入れた地図を参照すると、僕たちがいる場所から一番近いためだ。

 

 レストランに向かうため、階段を駆け上る。その先に広がっていたのは、いかにも高級そうなレストランバーであった。

 レストランと銘打たれているものの、ここは酒を楽しむ場所という色合いが強いのだろう。客はみんな飲み物を飲みながら談笑している。

 

 

「うわ、スッゲェ!」

 

「高そうな店だね……」

 

「認知世界の飲食物ってどんなもんだろ? 十中八九腹は膨れないだろうけど、データ取って航さんに送ろうかな」

 

 

 スカルが内装を見て感嘆の声を上げ、パンサーがきょろきょろと周辺を見回す。ナビは航さんから何かを言われていたようで、そこから好奇心を起き上がらせていた。

 

 近くにいる客の話を聞く限り、目的地であるレストランはこのフロアにあるらしい。『リストランテ・エリテー』という看板のかかった扉を開ければ、目的地はすぐそこにあった。但し、目的地がそこであったとしても、入れるか否かは別問題だ。

 レストランに入るためには会員証が必要らしい。成程、文字通り“真の意味で獅童正義によって選び出された人間”だけが自由行動を許されているのか。会員証なしで店に入ろうとする僕らを不審がったようで、受付が怪訝そうに僕らを見返す。

 

 

「乗船するときに説明したはずですが……。ところでお客様、乗船券はお持ちでしょうか? 確認させていただきたいのですが」

 

「し、失礼しました!」

 

 

 これはヤバい。僕らはさっさと退散し、レストランの会員証を探すことにした。地道な情報収集を行うと、客の1人が「レストランの会員証をなくした」と挙動不審になっている。

 あの客が落としたレストランの会員証を入手すれば、レストランに入れる。本人は「バーカウンターで落としたかもしれない」と口走っていたので、先回りすることにした。

 案の定、会員証はバーテンダーに届けられていたようだ。ジョーカーは躊躇うことなくそれを受け取り、感謝の言葉を述べた後、颯爽と立ち去っていく。僕らもそれに続いた。

 

 落とし主である認知存在に悟られぬよう、僕らは手早くレストランに侵入する。会員証を示せば、受付は何の疑問も持たずに先へ進ませてくれた。

 しかも、『青い花の席は特定の利用客が座る席』と、ご丁寧に教えてくれたのである。……案外ザルらしい。僕は内心噴き出しかけたが、表面上は普通だった。

 

 早速侵入したレストランは絢爛豪華な店であった。認知上の人々が食べている料理も、一般庶民レベルの財布では決して手が届く代物ではない。スカルが目を輝かせ、フォックスが手で枠を作って料理を眺める。勿論、クイーンに叱られていた。

 

 目印である青い花が置かれた席はすぐに見つかった。政治家の大江はまだ姿を現さない。

 このまま張り込んでいればいずれ現れるだろうが、怪盗団全員でぞろぞろ向かえば怪しまれる可能性があった。

 

 

「私が行くわ。ゾロゾロ行くと警戒されるだろうし」

 

「女の子1人というのも変じゃない?」

 

 

 ノワールの疑問は最もだ。クイーンも納得したように頷く。すると、ジョーカーは僕の方を向いて一言。

 

 

「じゃあ、クロウお願い」

 

「「えっ」」

 

 

 まさか僕が名指しされるとは思わなくて、素っ頓狂な声が出た。それはクイーンも同じ気持ちだったらしい。

 明智吾郎は有栖川黎の婚約者である。幾ら作戦だとはいえ、婚約者を他の女にレンタルするとはこれ如何に。

 

 

「そっか。クロウはずっと潜入捜査してたから、お偉いさんたちと話すのに慣れてるよな!」

 

「多分、スカルやフォックスが傍にいるより、交渉がスムーズに進みそうだよね!」

 

「確かに。怪しまれずに片を付けるためには、汚れた政治家との付き合い方を熟知しているクロウの方が適任か……」

 

 

 半ば混乱する僕らに対し、スカル、パンサー、フォックスが手を叩いて納得した。説明を聞いたモナ、ナビ、ノワールも納得したように頷く。

 クイーンも納得したようだが、心配そうに僕とジョーカーを見つめていた。ジョーカーはにっこり微笑んで頷く。

 意味は分かるが、ショックが大きすぎる僕ではついていけない。僕が政治家どもとの付き合いになれていたのは必用に駆られたからにすぎない。

 

 いいや、それ以前に。

 

 僕の婚約者は、僕が女の子と一緒にいても何も思わないのだろうか。嫉妬すらしてくれないのだろうか。してほしいと願う僕も大概だけど、そういった独占欲の片鱗くらい見てみたいと言うか、見せてほしいと言うか。

 くだらないことを考えているとは自覚している。……けど、なんだか不公平だ。黎が他の男と並んで歩いていたら――我慢はするけど――僕だってかなりキツいのに。僕だけがこんな思いをしているのだろうか。――なんか、悲しい。

 

 

「……ジョーカー」

 

「探偵王子の弟子も、怪盗団のクロウも好きだけど、私が愛しているのは、それらすべてをひっくるめた明智吾郎だから」

 

「ジョーカー……!!」

 

 

 力強い笑顔を浮かべて親指を立てたジョーカーに、僕は感極まってしまった。僕の婚約者は度胸MAXライオンハートである。

 

 刹那、ノワール以外全員の目が死んだ。クイーンが「はやくしましょう」と棒読みで僕を促す。ジョーカーはキラキラした笑顔で「いってらっしゃい」と僕を送り出してくれた。

 僕も有頂天で「行ってきます」と挨拶を返した。まるで夫婦みたいだなと思った。直後、“もうしばらくしたら夫婦になるんだった”と思い出して、また有頂天になった。

 

 最も、有頂天だったのは最初の数分だけだ。大江らしき人物が現れたので、早速接触を試みる。勿論、ボイスレコーダーは完備で。こちらが下手に出てへりくだれば、大江は気をよくしてペラペラと喋り始めた。僕らが高校生くらいの年代だと見抜いた大江は、以前獅童の協力者だった秀尽学園高校の校長を名指しして話を始めた。

 大江にとって、獅童の箱舟から逃げ出そうとした秀尽学園高校の校長は理解できない存在らしい。僕らからしてみれば、校長はぎりぎり良心が残っていた小心者だ。『改心』し、『教育者として最後の責任を果たしに行く』と微笑んだ校長のシャドウを思い出し、僕は内心歯噛みする。大江や獅童より、ずっと人間らしい人だったのに。

 大江もまた、『廃人化』ビジネスで甘い汁を啜っていた。奴の対象者は地下鉄の運転手。大江にとって目障りな国交大臣と、現政権を擁護する社長の首を取るために行った工作である。仇敵本人の命ではなく、赤の他人を『廃人化』および精神暴走させることで事件を起こし、その責任を擦り付けたのである。

 

 

(この腐れ外道が……!)

 

―― ………… ――

 

 

 息巻く僕の隣にいた“明智吾郎”が自嘲する。自分も嘗てはそんな汚い奴だったのだと、そんな道を転がり落ちていたのだと噛みしめるかのように。

 けれど、“彼”はすぐに顔を上げた。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と、己を奮い立たせていた。

 

 

「ところで大江先生。私の姉は特捜部で検事をしているんですけど、今のお話をいかようにお伝えしましょうか?」

 

「大江先生。僕の知り合いには警察キャリアと元エリート検事、報道関係者や芸能人、怪盗団検挙の際に活躍した専門家らも揃っているのですが、彼らにも聞いてもらった方がいいですよね?」

 

 

 余計なことを言われたくなければ紹介状を寄越せ――僕らの脅迫を受けた大江はたじろいだが、すぐにシャドウとしての姿――8つ首を持つ竜――を取り、高らかに吼えて襲い掛かって来た。即座にジョーカーたちが加わる。文字通りの実力行使だ。

 

 どうやら念動系の技に弱いらしく、これ幸いとジョーカーやノワールが属性攻撃を叩きこんだ。ダウンした大江を何度かタコ殴りにすると、大江は呆気なく崩れ落ちてしまった。

 ぐったりした大江から紹介状を巻き上げると、大江は縋りつくようにして声を上げた。「地下鉄の事故を内密にしてほしい」と、うわ言のように繰り返す。

 延々とそればかりを繰り返されると辛いものがあったので、僕らは一応頷き返しておいた。大江は安心したのだろう。大きく息を吐き、それっきり黙ってしまった。

 

 完全沈黙してしまった大江や拍手喝采の乗客たちを残し、僕たちはレストランを後にする。

 近隣のセーフルームに戻って一息ついたとき、クイーンが大きくため息をついた。

 

 

「校長が獅童と通じていた話は知ってたけど、あんな裏話まで聞かされると辛いわね……」

 

「でも、あっさり殺そうとしたんでしょう? アタシたちが『改心』してなきゃ、校長は殺されてたんだよね。……命があるだけマシだったのかも」

 

「だろうな。日本全土が沈没しているという認知の持ち主だ。『教育者1人くらい』とでも思っているんだろうさ」

 

 

 クイーンの話を聞いたパンサーとフォックスが表情を曇らせる。獅童正義の外道さが浮き彫りになり、ますます奴に対する怒りがこみ上げてきた。

 勿論、それに任せて暴走するなど愚の骨頂。獅童本人をぶん殴るそのときまで、しっかり研ぎ澄ましておかなくてはなるまい。

 

 

「それにしても、先程の政治家は『認知上の人間』なんでしょう? それが怪物に化けて出るなんて、本人のシャドウを相手取っているみたいだったわ」

 

「確かにそうだな。金城あたりのときまでは、『認知上の人間』ってのは“くたびれた被害者”ばかりだったぜ?」

 

「――いいや、さっきのオオエは認知じゃない」

 

 

 ノワールとスカルの言葉を否定したのはモナだ。驚く僕らに対し、ナビが補足を入れる。曰く、「手下である面々のシャドウに、認知の人間を融合させている。皮を被せるかのように」とのこと。歪みの力が人一倍強い獅童正義だと言えど、こんなことが行える獅童は文字通りの“規格外”だ。

 たとえそれが一色さんの研究を奪ったにしても、ここまでのことを平然と行える精神性や頭脳も計り知れない。そして極め付けに、獅童には智明という悪神の関係者が控えている。『神』を利用しているのかされているのかは知らないが、ロクでもないことと、強敵であることには間違いなかった。

 獅童がこんな手段を用いたのは、自分の関係者が次々と『改心』されないようにという配慮、および危機感を抱いていたためだろう。配下たちのシャドウをメメントス内部から自分のパレスに移動させ、匿うついでに監視していたのだ。裏切りのそぶりを見せた瞬間、即座且つ確実に手を下せるように。

 

 最も、校長や特捜部長は運がよかったのだろう。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という意味では。

 

 でなければ、僕らの『改心』は間に合わず、獅童正義の罪を暴くことが難しくなっていただろう。

 黎の冤罪を証明するための証拠類も、完全に葬り去られてしまったかもしれない。

 

 

「獅童が自分のパレスに干渉する手段は2つ。子飼いにしているペルソナ使い、神取と智明だ」

 

「やっぱりこの組み合わせには注意しなくちゃいけないってことだね。今まで以上に気を引き締めないと」

 

 

 厄介な存在はやはり厄介であるということを痛感しながら、ジョーカーと僕は顔を見合わせて頷いた。

 他の面々もそれを熟知しているから、真顔で頷き返す。――パレスの攻略は、始まったばかりだ。

 

 

***

 

 

 紹介状を持っている人間を探し求めて行く中で、僕らは様々な目に合った。

 

 

『な、なんじゃこりゃあ!? ネズミ!?』

 

『なんチューこった! なんてな』

 

『おイナリ死すべし。くだらないこと言ってないで戻ってこい』

 

 

 とあるフロアに足を踏み入れた直後、僕たちの姿は一瞬でネズミに変わった。スカルが素っ頓狂な声を上げ、フォックスが寒々しいギャグを披露する。

 おそらく本人は真顔なのだろう。対してナビは、フォックスに冷ややかな眼差しを向けていた。今なら、ナビのプロメテウスはブフダインを打てるかもしれない。

 彼らを横目にしつつ、僕はネズミになったジョーカーを見つめた。ジョーカーも、ネズミになった僕の姿をじっと見つめる。

 

 うん、可愛い。

 凄く可愛い。

 

 完二さんにぬいぐるみの作成を依頼したくなるレベルだ。

 

 

『クロウ可愛い』

 

『いや、ジョーカーの方が可愛い』

 

『そこのバカップル、惚気てないで戻ってきて! 現実へ帰って来て!!』

 

 

 お互いの姿に心をときめかせていたところにパンサーからの叱責が入った。僕たちは嫌応なしに現実へと連れもどされる。他の面々は、もう既に元の姿に戻っていた。

 

 獅童の像が立っているフロアでは、侵入者――怪盗団はネズミの姿になってしまう仕掛けが施されているらしい。自分に楯突く人間に対する認知としては歪み切っている。

 しかも、ネズミ状態になってしまうとフロアの扉を開けることができない上に、シャドウに襲われればひとたまりもないらしい。猶更、慎重に進まなければならなかった。

 

 

『受け身にしかなれないってこと? 厄介だわ。どこかに抜け道でもあればいいのだけれど……』

 

『――それだ。ネズミの姿なら、そういう抜け道を見つけて、通り抜けることができるかもしれない!』

 

『そっか! 舞耶さんの言ってた『レッツ・ポジティブシンキング』だね!』

 

 

 クイーンの愚痴を聞いたジョーカーがポンと手を叩いた。途端にノワールが表情を輝かせる。結果、ネズミ化するフロアでは抜け道探しに興じることと相成った。

 鍵のかかった扉を迂回したり、抜け道を駆使しないと回り込めなかったり、鍵を開けて繋がった通路を見ては遠回りさせられたことを思い知ったりして大変だった。

 回り道を繰り返すうちに、僕たちはようやく2番目の目的地――プールサイドへ辿り着く。次の相手は、女好きの旧華族だ。僕たち男性陣は戦力外である。

 

 プールサイドということで、お誂え向きに水着の貸衣装コーナーと脱衣所があった。古典的な上にあまりやりたくはなかったのだが、紹介状の為だと割り切ったジョーカーに押されるような形で、女性陣が水着に着替えて旧華族の元へ向かった。

 

 夏の海で見た水着とは一線を駕す高級品。ジョーカーが身に纏った水着は、黒のビキニタイプだ。上はホルターネック式となっており、フリルとレースがふんだんにあしらわれている。ビキニのサイド部分には可愛らしいリボンが存在を主張していた。こちらにも、フリルとレースがあしらわれている。

 ちょっとこう、ムラッときてしまうのは男として仕方がないのかもしれない。こんな格好をしたジョーカーを旧華族の前に出したくなかったのだが、紹介状の為だと無理矢理納得させられた。ハニートラップは成功したものの、調子に乗った旧華族がジョーカーを連れてシケこもうとしたので、結局は強硬手段を講じることとなったが。

 

 勿論、旧華族も大江と同じように襲い掛かって来たのでぶん殴った。

 間違っても私怨ではない。紹介状をぶん盗るついでである。

 

 

『よし、紹介状ゲット。あと4つだね』

 

『さて、キリキリ吐いてもらうぞ。お前も『廃人化』ビジネスに加担していたんだな?』

 

『うへあ。クロウ、超怖い……』

 

 

 ジョーカーが満足げに頷く傍ら、僕は早速旧華族に尋問を仕掛けていた。ナビがドン引きしていたが、僕にとっては些細なことである。

 

 華族が家柄だけで金を稼げた時代は今や昔。それでも昔の生活を失いたくないと考えた旧華族の名士は、獅童の船に乗り込みたいと頼み込んだ。奴が旧華族同士のコネを獅童に紹介する見返りとして、『廃人化』を頼んでいたという。

 『廃人化』ビジネスは紹介制度。獅童は客を選ぶ際、それはそれは非常に警戒しているらしい。決して自分を裏切らず、利益をもたらす存在を選別しているのだ。それ故、パレスの認知存在である乗客たちは仮面を身に着けているのだ。

 獅童は上っ面に騙されることなく、人間性を見据えている。その上で、相手に自分の悍ましさを見破られぬように取り繕っているのだ。怯えによる保身ではなく、絶対的な自信と傲慢が、彼の佇まいを清廉潔白に見せている。

 

 “明智吾郎”の思考回路を獅童が見抜いていたのは、このパレスにおける認知が証明していた。こんな奴相手に1人で立ち向かうなんて愚の骨頂である。

 しかも、“明智吾郎”は『獅童は成果を出し続ければ認めてくれる。愛してくれる』という歪んだ執着が原因で、獅童の本質から意図的に目を逸らしていた節があった。

 

 

『腐った大人ばっかりの世界、か……』

 

 

 僕は誰にも聞こえないくらいの小声で呟いた。“明智吾郎”は先程からずっとそっぽを向いており、こちらが声をかけても無反応を貫いている。こんな場所にずっと身を置いていたからこそ、“明智吾郎”は余計に追い詰められていったのかもしれない。

 ここは獅童だけのパレスではなかった。“明智吾郎”が歩んできた人生の中で、“彼”を傷つけてきた大人たちが跋扈する世界の縮図だった。これが世界のすべてなのだと、本質なのだと信じてしまった。信じてしまう程の経験をした。だから、笑顔の仮面を被って心を閉じた。

 “明智吾郎”が気づかなかった――自分からぶった切ってしまっただけで、良縁と呼べるべき出会いはあったのだろう。冴さんや佐倉さんだって、“明智吾郎”のことは気にかけてくれていたのに、だ。そんな“彼”が、“ジョーカー”を切り捨てなかったことは奇跡に等しかった。

 

 “ジョーカー”と出会えた――たとえその出会いが遅すぎたものであったとしても、“ジョーカー”と絆を結んだ奇跡を無意味にしたくなかった――から、土壇場で、“明智吾郎”はあの結末を選んだのかもしれない。

 

 

『次の紹介状も手早く手に入れよう』

 

 

 ジョーカーの音頭に従い、僕たちは船内散策を再開した。やはり道中には獅童正義の像が仕掛けられており、ネズミの姿を駆使して隠し通路を抜けて進むことになった。

 道中出会った柄の悪い男からシャドウを嗾けられたものの、それを軽く降す。奴は僕らの行動に目を光らせていたらしく、トラブル云々と零していた。

 

 

『つまり、今会った人が『トラブル処理役』ってこと?』

 

『だろうな。あの柄からして、裏社会に精通しているヤクザだろう。処理は処理でも、物理的な処理の専門家。東京湾にコンクリ詰めの類を十八番にしてるような奴だ』

 

『マジもんのヤクザ抱え込んでるとか、どんだけだよ……。クリーンな政治が聞いて呆れるぜ』

 

『オマケに、アイツはこっちの騒ぎを聞きつけると現れるらしい。だが、騒ぎを起こすと他の紹介状を手に入れるのに支障が出る危険性もある。ヤツは後回しにした方が得策だ』

 

 

 ノワールの言葉に僕は頷く。それを聞いたスカルが顔をしかめた。一介の不良高校生でしかない坂本竜司が、まさか本物のヤクザを相手にする羽目になるとは想像していなかったらしい。トラブル処理役の様子から、モナは奴を保留にすることを提案した。

 現在地とVIPの情報を照らし合わせると、次の獲物はTV社長だ。奴はスロットに興じる金遣いの荒い男で、娯楽室にはスロットマシンが置かれているという。そうと決まれば立ち止まっている暇はないので、早速探索を再開した。

 娯楽ホールでは多くの人々がスロットマシンに興じている。しかも、内装も結構広めで、船内の各所に小規模のカジノが点在しているという。娯楽ホールも階層に分かれていて、一番大きな場所はもっと先らしい。

 

 「勝率は五分五分」「ギャンブルは金持ちの道楽」――認知存在たちの言葉を、冴さんのパレスで見聞きしたことと照らし合わせてしまうのは致し方がないことだろう。僕は自分自身に言い聞かせつつ、心の中で冴さんに謝罪しながら探索を続けた。

 

 娯楽ホールの最奥には、スロットマシンがびっしりと並ぶ光景が広がっていた。冴さんのパレスに比べると規模は遥かに劣るが、箱舟の中では一番広く規模が大きいカジノである。ここならTV社長がいるかもしれない。

 案の定、探し人は簡単に見つかった。TV社長の元に向かったのはノワールである。ノワールが奥村社長の娘だと聞いた途端、TV社長はペラペラと話し始めた。獅童が奥村社長を切り捨てた理由を、だ。

 

 奥村社長のブラック経営が民衆から非難されなかったのは、TV社長が肯定的な情報を流して隠蔽工作をしていたためだ。しかし、その隠蔽工作も、8月末より以前の時点で旗色が悪くなっていたという。結果、奥村社長は獅童にとって邪魔者となり、船を降りてもらおうとしたのだ。

 勿論、ただ降ろすのではなく、怪盗団を嵌めるために使うことにしたらしい。最も、ペルソナ使いたちの活躍で奥村社長は助かってしまい、予定通りにいかなかったようだ。TV社長はその後もネチネチと嫌味を言っていたが、最終的には奥村社長のことを愚弄し始めた。

 いくら温厚なノワールと言えど、父や会社のことを馬鹿にされ、黙っていられるはずがない。穏便に紹介状を手に入れるという目的は果たしていたが、そんなことを忘れてしまう程、TV社長の発言は悍ましいものばかりだった。

 

 

『絶対許さない! お父さまに謝れ!!』

 

『よく言ったノワール! この外道、許しておけない!』

 

 

 怒りを爆発させたノワールに続いてジョーカーが飛び出す。僕らも彼女たちに続き、TV社長のシャドウと対峙した。奴は絢爛豪華な鎧を身に纏った猿として本性を露わにすると、2体の取り巻きシャドウを引き連れて襲い掛かる。勿論、僕たちの敵ではない。奴を軽くひねり倒した。

 

 紹介状をぶん盗るついでに、TV社長を尋問する。TV社長は金城と班目が獅童と繋がっていたことを把握していたようだ。獅童が民衆から支持されるように仕組んでいたのもコイツのおかげである。僕が売り出されるのにも一枚絡んでいたようだが、自分のことが明らかにならないよう隠蔽していた。

 TV会社社長が直接僕の売り出しに関わらなかったのは、初めから『明智吾郎は獅童智明のスケープゴートにする』と決められていたためらしい。『命までは取らない』という約束通り、顔面を鷲掴みにしてスロットに叩き付けておいた。ジョーカーからは叱られたが、『気持ちは分かるし腹立たしいのは一緒だから』と言って貰えたので充分である。

 

 

『後は誰だ?』

 

『後回しにしたトラブル処理役と、華々しい“悪役”を演じるであろう神取もしくはキラーマシンである智明を除けば、後はIT社長だけだ』

 

 

 フォックスの問いに答えたのはナビである。だが、IT社長はずっと船内の自室に引きこもっているため、殆ど情報が入って来ないのだ。

 再び船内の探索に戻った僕たちは、時々ネズミになりながら先へ進んだ。遠回りというのは本当に厄介である。

 しかし、扉を開けた先は、レストランバーのホールであった。どうやら船内を1周して戻ってきてしまったらしい。

 

 

『元・引きこもりとしての分析だが、常に部屋に閉じこもってるワケじゃない。わたしの場合、トイレやお風呂のときは流石に部屋から出てきたぞ。IT社長にだって、やむを得ず部屋から出なきゃいけないという隙は存在してるハズだ』

 

『豪華客船ということは、トイレもお風呂も個室に備わってるのが常識だわ。他に部屋から出なければいけないとなると、食事かしら?』

 

『どうやらルームサービスも完備してるっぽいぞ! 電話一本あれば部屋にデリバリーしてくれるそうだ』

 

 

 元・引きこもりであるナビの的確な分析から、クイーンが更にアナライズを深める。彼女の予測を肯定するように、ナビは補足した。

 そこの隙を突けば、いかに引きこもりであろうと接触することができるだろう。早速レストランに戻って来た僕たちは、情報収集を始めた。

 

 『獅童からIT社長への伝言を頼まれた。火急の案件のため、大至急取り次いでもらえないか』とウェイターに頼めば、ウェイターは二つ返事で頷いた。場所は教えてもらえたが、サイドデッキの上部にあるフロアにいるらしい。正面から行っても入れてもらえない可能性は高いが、内情を把握しなければIT社長に接触できなかった。

 とりあえずサイドデッキに向かった僕たちは、周囲を散策してみる。すると、ジョーカーが先陣切って駆け出すと、外壁の方にジャンプする。――成程。普通に客室フロアへ入ることができないなら、外壁を伝って入ればいい。何せ、僕たちは怪盗なのだ。潜入アクションは得意中の得意である。

 客船付近にある排気口ダクトから、煙が上っているのが見えた。どうやらこの排気口は機関室に繋がっているらしい。それを横目に見ながら、外壁を次々と登っていった。程なくして、目的の区画に辿り着く。あとは窓さえ開いていれば、フロアに侵入できるだろう。都合よく開いていれば――なんて思ったら、本当に開いてた。

 

 あまりのザル警備に呆れながらも、部屋の中を覗いてみる。IT社長は取り巻きどもと優雅に話をしていた。

 

 IT社長との接触に名乗りを挙げたのはナビであった。確かに、ITはPC関連の知識を有していなければ話にならない。その専門性を活かすのだと息巻くナビを、ジョーカーは笑顔で見送った。本人の自己申告通り、文字通りの“はじめてのおつかい”である。ナビを心配するパンサーは母親みたいだった。

 第1印象は失敗したものの、ナビ自作のPCのスペックとクラッキングという単語につられたIT社長は、7月末から8月にかけての“メジエド”についての話題を出してきた。どうやら奴らは自作自演で倒されるために“メジエド”の偽物をでっちあげたようだ。本当に倒されて驚いたとIT社長は語る。

 

 “メジエド”が選ばれたのは、“匿名の相手は『改心』できない”と知っていたからだ。ネットは悪用してナンボと語るIT社長に、ついにナビが切れた。情報を扱う人間としての矜持が彼女を突き動かす。紹介状を渡せと凄んだナビだったが、本性を剥き出しにしたIT社長に襲われそうになった瞬間、パンサーの言いつけを守って僕らを呼んだ。

 IT社長が紹介状を持っていることは分かっている。後は取り囲んでボコボコにするだけだった。さくっと紹介状を奪い取った僕たちは、IT社長を尋問する。結果、奴は『一色さんの認知訶学研究に関する資料を隠蔽する作業に加担し、研究を暗号化して隠している』と吐き出した。無論、これ以上悪用させるつもりは一切ない。

 

 

『後は『トラブル処理係』だけだな。適当に暴れりゃ出てくるかもしんねーが、それはあまりいい手じゃねぇ』

 

『けど、パレス内部は大体見て回ったぜ? 行ってないところってどこだ?』

 

 

 モナがパレスの警戒度を上げぬ方法を考える横で、スカルは首をひねる。彼の視界は、下部から立ち上る煙をハッキリととらえたらしい。

 

 

『そうか! 客室の真下付近には、機関室があるって話だったな!』

 

『機関室はまだ見ていなかったはずだ。それに、途中で排気口を見つけただろう? そこからなら侵入できるかもしれん』

 

 

 スカルが閃き、フォックスが頷く。ジョーカーも頷き返し、早速外壁を伝って下りた。排気口を蹴飛ばし、実力で侵入する。物々しい機関室に足を踏み入れた僕たちは、探していたトラブル処理係を発見した。

 だが、奴は敵を差し向けて去っていく。僕たちは敵シャドウを片付け、逃げたトラブル処理係を追いかけた。だが、奴は管制室に閉じこもり出てこない。おまけに鍵までかけられた。仕方がないので、何とかして侵入する方法を探す。

 すると、少々離れた部屋に通気口を発見した。地図を確認すると、どうやら管制室に繋がっているらしい。先陣を切って進むジョーカーの背中に続けば、案の定、丁度真下にヤクザどもが雁首並んでいる姿が広がっていた。

 

 通気口の網を蹴破って管制室に降り立てば、ヤクザどもは僕たちを威嚇する。トラブル処理係は、自分が命を取られるものだと思っているらしい。紹介状さえ貰えればそれでいいのだが、ヤクザからお墨付きをもらうにはどうしたらいいのだろう。頭の回転がうまくいかないのは、この面子で有効打を見出せずにいるためかもしれない。

 僕がうんうん唸る横で名乗りを挙げたのはフォックスだった。何を思ったのか、奴は入れ墨のデザインをすると言い出したのである。美術科コースで日本画を学ぶ彼に対し、ヤクザの親分は『鳳凰の入れ墨をデザインしろ』と難題を出してきた。フォックスにとって鳳凰は好みではないらしい。だが、ヤクザに馬鹿にされて火がついたようだ。

 

 紙と筆を譲り受けると、爆発気味な鳳凰の絵を描きだす。……後は、ヤクザの親分が気に入るか否か。

 

 僕らの不安は杞憂だったようで、ヤクザの親分は大喜び。うまくいったかと安堵したが、そうは問屋が降ろさなかった。トラブル処理役がフォックスの才能を見込み、自分たち側に引き入れようとしたためである。勿論フォックスはその誘いを切って捨てた。結果、トラブル処理役はシャドウと化して襲い掛かって来たのだ。

 奴を倒した結果、僕たちはトラブル処理役にいたく気に入られてしまったらしい。奴は満足げに笑って紹介状を手渡し、僕らを見逃してくれた。処理役自身も『仕事はいいが、怪盗団に侵入されるような船じゃ先は長くない。心中するのは御免だ(意訳)』と言い残し、すたすたと立ち去ってしまう。呆気にとられた僕たちだけが残された。

 

 

『認知上の人物なのに、意外だな。一本筋が通っていると言えばいいのか、慧眼を持っていると言えばいいのか、ドライな関係と称すればいいのか……』

 

『政治家は日陰の人脈とは親しくならない。きっと現実でも、金銭だけの繋がりなのよ。だから、あんなにあっさりと引いて行ったんだわ』

 

『金の切れ目だけじゃなく、栄華の切れ目が縁の切れ目ってことだ。一応あいつも特別なシャドウだから、ここで倒されれば『改心』成功扱いで“『廃人化』によって殺されずに済む”はずなんだけど』

 

 

 筆舌に尽くしがたいと言わんばかりに考え込んだフォックスへ、ノワールが答えた。僕も補足を入れつつ、ヤクザが立ち去った方角に視線を向ける。船を降りれば、あのヤクザももれなく殺されてしまうためだ。奇妙な親しみを感じた相手故かは不明だが。

 

 

「――よし。これで、5つ分の紹介状は集まったね」

 

 

 今まで手に入れた照会状を並べて、ジョーカーは頷く。残り1通の持ち主は、神取鷹久か獅童智明のどちらか――あるいは両方だ。

 紹介状集めのために全てのフロアを見て回ったが、奴らの姿はない。仲間たちは助けを求めるようにして僕に視線を向けてきた。

 

 

「神取ならば出てきそうな場所に心当たりがある。管制室を出た先にある通路、もしくは本会議場の扉の前。“悪役”が登場するに相応しい場所は、その2か所くらいだ」

 

「すぐ近くにカンドリがいる可能性があるってのか? ……その根拠は?」

 

「セベクの一件では本社の社長室で僕らが来るまで酒を飲んで待機してたし、珠閒瑠の一件では海底洞窟にある封印を解いた後はずっと僕らを待ち構えてた。特に後者はさっさとトンズラして、もう少し安全な場所で戦うって選択肢だってあったはずなのに」

 

 

 僕のプロファイリングは、後者の影響が強かった。須藤竜蔵は神取に『海底洞窟の封印を解いて、追って来たペルソナ使いたちを殺せ』と命じたけれど、『海底洞窟でペルソナ使いを殺せ』とは命じていない。戦えば洞窟が崩れ落ちることだって承知していたはずだ。それでも神取は、敢えてそうした。

 『生き恥を晒すことが苦痛である』以上に、『もう眠りたい』という願いの方が強かったのだろう。満足げに笑う男の姿は、今でも目に焼き付いたまま消えなかった。『次に顔を合わせたら本気で戦う』と宣言した以上、奴は相応しい舞台で待機しているに違いない。道化、および役者根性故の拘りか。

 

 

「男の浪漫ってやつ?」

 

「どっちかっつーと、人気悪役が掲げる美学?」

 

「どっちにしろ面倒くさいわよ。……気持ちは分からなくはないけど」

 

 

 パンサーとナビが首をかしげる。クイーンは深々とため息をついた。ピラミッドで目の当たりにした神取の立ち振る舞いは、クイーンの心にも何かを残したらしい。

 仲間たちはみんな複雑そうな顔をしている。特にスカルは、城戸さんの異母兄である神取に対して、どう向き合うべきか考えあぐねている様子だ。

 憐れみを抱くのは間違いだが、悪だと切って捨てることもできない。……奴の生き様に一変でも触れてしまったら、割り切れるはずがなかった。

 

 ――けど。

 

 立ち止まるのは、神取鷹久という“命”に対して失礼だ。

 希望を見るために命を燃やした男に対して、失礼だ。

 

 

「あいつの望みは分かってる。叶えてやれるのは、俺――いや、()()()だけだ」

 

「クロウ……」

 

「本来なら、多分、俺が何とかしなきゃいけないんだと思う。……でも正直な話、俺1人であいつの期待に応えるのは難しい。迷惑かもしれないけど、手を貸してくれるか?」

 

 

 半ば祈るような気持ちで仲間たちに問いかければ、面々は即座に頷き返してくれた。みんな、神取が俺を見ていたことに気づいていたという。

 

 “明智吾郎”が俺の心の海へ還ってきた今だからこそ、分かる。“明智吾郎”が辿って来た軌跡を受け入れて乗り越えたからこそ、神取が俺を見つめ続けた理由が理解できてしまう。“明智吾郎”にとっての俺がそうだったように、奴にとっての俺も希望なのだ。

 本来ならば悪神によって利用され、滅びるよう定められていた哀れな人形。その運命を劇的に切り替えたのは、どこかの“明智吾郎”や“ジョーカー”が抱いた数多の後悔、未練、願い、祈りだった。そのイレギュラーを、神取は本能的に感じ取っていたのかもしれない。

 

 他者の力を借りたとはいえ――その選択肢を選び取れないはずの存在でしかなかったはずなのに、それを行えるようになった――、僕は新たな可能性を切り開いたのだ。

 あいつは見たがっている。見出した僕という命が、絶望と終焉を乗り越えて未来を掴むに値するのだと。そのために、自分の命を差し出そうとしている。

 今となっては、神取は死人だ。悲しいことに、死に対する恐怖とは縁遠くなってしまっている。だからこそ、珠閒瑠市での一件では、道化としての役割を全うできた。

 

 

―― ああいう大人がいてくれたら、たとえ破滅しかない道だったとしても、もうちょっと真っ直ぐ立っていられたのかもしれない ――

 

(お前……)

 

―― 馬鹿みたいに喚いて、騒いで、挙句の果てには完全敗北だぜ? そりゃあ、悪くない最期(おわり)だったとは思ってるけど……見苦しい、だろ ――

 

 

 ()()()()()()()()()と、“明智吾郎”は苦笑する。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――有終の美を飾るという意味で、神取鷹久程に痛烈だった道化はいない。巌戸台や八十稲羽で出会った道化たちも中々に強烈だったけれど、俺の中で不動の1位は神取鷹久だった。

 因みに、見苦しいけれど敵わないと感嘆した相手は、現在拘置所で囚人生活を送っている。長い刑期が下されたものの、『取り調べや作業態度が真面目なため、仮出所が見込めるかもしれない』とあったか。『世の中クソだな』という迷台詞が頭によぎったが、獅童が総理大臣になれば彼の言葉は現実となるだろう。閑話休題。

 

 

―― 準備は、いいな? ――

 

 

 “明智吾郎”が問いかけてきた。本日、12月の初旬。丁度、“明智吾郎”が機関室で終わるのと同じ期間である。

 

 神取が出てくるにしても、智明が出てくるにしても、()()()にとってはあの機関室が最大の難所だ。立ち位置が変わったと言えども、油断はできない。

 生き残るつもりで戦うけれど、もし、万が一、俺自身を切り捨てなければジョーカーを守れないなら――……そこまで考えた後、心の中でかぶりを振った。

 

 仲間たちは頷き合い、管制室を後にした。俺の隣にはジョーカーがいて、ジョーカーの隣には俺がいて、周りには怪盗団の仲間たちがいる。

 “明智吾郎”の罪と罰も、頼れる保護者である至さんから託された想いも背負っているのだ。そして、この先で待っているであろう神取の想いも背負う。

 迫りくる滅びの運命を超えて見せよう。みんなと一緒に、未来を掴み取るのだ。僕とジョーカーは顔を見合わせ、微笑み合う。そうして、前へと向き直った。

 

 




魔改造明智の獅童パレス攻略開始~運命の瞬間直前まで。気づけば神取に夢を見過ぎてしまった感じがします。外道――獅童正義をぶん殴るだけでなく、魔改造明智と“明智吾郎”の関係や、神取と魔改造明智の“ある種の師弟関係”の行方も見守って頂ければ幸いですね。
今回はちょこちょこと『魔改造明智が永久離脱ルートになるフラグ』にも言及しています。新島パレス攻略までにコミュ6にしていないとアウトでした。因みに前話では取り調べ開始前までに8になっていないと無貌が興味を持ってくれないのでアウトでした。
次回は「運命を変える大勝負」。魔改造明智は、原作明智が越えられなかったあの機関室――および、原作明智の終焉を乗り越えて、運命を掴むことができるのか。獅童や『神』をぶん殴ることができるのか。3度目の人生を歩まされた神取鷹久の旅路共々、見守って頂ければ幸いです。

おまけのお遊びとして、魔改造明智コミュの効果、および顕現したカウのスキル構成を掲載します。

魔改造明智コープ
<ランク8(新島パレス攻略中、予告状前)>
*バタフライエフェクト・受け継ぐもの:エンディング分岐に関係する。11月20日イベント終了後、魔改造明智の使用ペルソナにカウ追加。

<カウの詳細>
カウ
アルカナ:太陽
無効:炎 耐性:呪怨(暗黒) 弱点:氷結
<所持スキル一覧(未覚醒)>
喰いしばり、火炎ブースタ、火炎ハイブースタ、アギダイン
<所持スキル一覧(最終的な構成)>
インフェルノ、大炎上、火炎ハイブースタ、コンセントレイト、急所撃ち、ワンショットキル、チャージ、不屈の闘志


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悪の美学、あるいは忘れられない背中

【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 @空本(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄で明智の保護者その1。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
 @獅童(しどう) 智明(ともあき)⇒獅童の息子であり明智の異母兄弟だが、何かおかしい。獅童の懐刀的存在で『廃人化』専門のヒットマンと推測される。詳しくは中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『運命を切り開くだけの簡単なお仕事』および『ペルソナ3異聞録-.future-』、Pixivの『2周目明智吾郎の災難』および『【一発ネタ】有栖川黎の幼馴染』の設定を下地にし、別方向へ発展させた作品である。
・ジョーカーのみ先天性TS。
 ジョーカー(TS):有栖川(ありすがわ) (れい)⇒御影町にある旧家の跡取り娘。旧家制度は形骸化しているが、地元の名士として有名。身長163cm。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空本(そらもと) (わたる)⇒明智の保護者2で、南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。
・敵陣営に登場人物追加。
 @神取鷹久⇒女神異聞録ペルソナ、ペルソナ2罰に登場した敵ペルソナ使い。御影町で発生した“セベク・スキャンダル”で航たちに敗北して死亡後、珠閒瑠市で生き返り、須藤竜蔵の部下として舞耶たちと敵対するが敗北。崩壊する海底洞窟に残り、死亡した。ニャラルトホテプの『駒』として魅入られているため眼球がない。この作品では獅童正義および獅童智明陣営として参戦。但し、どちらかというと明智たちの利になるように動いているようで……?
・「2罰ボスの外見を見た人間の反応」に関するねつ造設定がある。
・普遍的無意識とP5ラスボスの間にねつ造設定がある。
・『改心』と『廃人化』に関するねつ造設定がある。
・春の婚約者に関するねつ造設定と魔改造がある。因みに、拙作の彼はいい人で、春と両想い。
・魔改造明智にオリジナルペルソナが解禁。
・とあるペルソナが前倒しで顕現。但し、完全に覚醒したわけではない。
・紹介状の数が1つ増えた。
・敵側にオリジナルペルソナが出現。但し、今回はあまり詳しく描写しない。
・魔改造明智、ある人物に対して異様に風当たりが強い。詳しいことは中で。


「待っていたよ、心の怪盗団“ザ・ファントム”の諸君」

 

 

 機関室を進む僕たちは、背後から聞こえてきた声に振り返った。僕の予想した通り、戦場は“明智吾郎”の人生(たび)終焉(おわり)である箱舟の機関室。立ちはだかるのはニャルラトホテプの『駒』――神取鷹久その人であった。

 どこに潜んでいたのかは知らないが、期せずして、神取が立つ場所は隔壁の向こう側だ。“明智吾郎”と“ジョーカー”を隔てた境目。けれど、戦場での立ち位置など容易に変わる。()()()()()と“明智吾郎”が警告してきた。僕も頷く。

 

 神取は僕とジョーカーへ視線を向ける。そこには敵意はない。あるのは回顧だった。

 

 

「なんとも感慨深いな。あのときの少年少女が、今ではこんなにも大きくなった。――そうして、あの頃と変わらず、いい目をしている」

 

「神取……」

 

「そうして、()()のような仲間たちにも囲まれている。全員、その瞳に、()()と同じ輝きを宿す者たちだ」

 

 

 しみじみと語る彼の様子は、近所および親戚の子どもの成長を喜ぶ1人のおじさんみたいだ。身構えていた仲間たちも、これには少々面食らってしまう。

 脳裏に浮かんだのは、セベク・スキャンダルで神取と初めて相対峙したときのこと。社長室で、奴が酒を煽りながら僕たちを迎えたときの光景だ。

 第1印象は『何をしてるんだろう、このオッサン』だった。それが、戦闘前の問答を経て『忘れられない程鮮烈な悪役』に変わってしまったのだから不思議なものである。

 

 その印象は、珠閒瑠での一件を経て更に強く刻み込まれた。きっと一生、僕は『神取鷹久、および彼が掲げた悪の美学』を忘れることができないだろう。

 神取と真正面から対峙するのが初めてであるノワールも、神取の物言いと佇まいに何かを感じ取っているようだ。ただ真っ直ぐ、彼と向き合っている。

 

 

「少年。()()()()()()()()()()()()?」

 

「ああ。()()()()()()()()()()()()()()()

 

「少女。()()()()()()?」

 

「愚問だね」

 

「――そうか」

 

 

 僕とジョーカーの答えを聞いた神取は納得したように頷く。懐から何かを取り出すと、そのまま僕に向かって放り投げた。僕は慌ててそれを掴む。見ると、それは6つ目の紹介状だった。

 

 

「受け取り給え。私には必用ないものなのでね」

 

 

 神取はやけにあっさりとした調子で語る。――だが、次の瞬間、奴から膨大な殺気が放たれた。

 

 うっかり警戒を解いてしまったスカルとパンサーが慌てて身構えた。フォックスも得物を構えて神取と対峙する。

 モナは敵意を剥き出しにし、ノワールは決意を固めたように斧を構えた。ナビは神取を分析し、「げぇっ!?」と悲鳴を上げる。

 クイーンも険しい顔をして分析結果を教えてくれた。――案の定、ピラミッドで戦ったとき以上に能力が跳ねあがっているらしい。

 

 

「さあ、面倒な奴が来る前に、それを持って先へと進み給え……と言いたいのは山々なのだが、私も宮仕えの身だ。少々お相手頂こうか?」

 

「『あんたの試金石につき合え』ってんだろ? んなもん、最初(ハナ)からそのつもりだったさ。丁度俺の方も、あんたに見せてやりたいって思ってたとこだ!」

 

 

 俺がそう答えたのを皮切りに、怪盗団の面々も同意の声を上げる。

 

 

「ワガハイはニャルラトホテプの関係者は大嫌いだ。勿論オマエも例外じゃない。……けど悔しいが、悪神に魅入られたオマエもまた“認められるべき者”だ。それくらいの敬意は払ってやる」

 

「ウチのクロウや玲司さんが世話になったからな。“俺たちの可能性を信じて託そうとする大人”がいるってんなら、それに応えるのが俺らの為すべきことだろ」

 

「アンタのやり方には賛同できない。でも、アンタには()()()()()()()()()()()()ってことも、ちゃんと分かる。……悔しいけど、アンタは格好いいよ。ホントに。――イイ漢の期待に応えるのも、イイ女の条件でしょ?」

 

「滅びのための生……それを貫くことは、並大抵のことではなかっただろう。けれど、お前はそれを成し遂げた。ある意味、俺たち怪盗団の在り方と似ているな。たとえ大衆から望まれずとも、自分に課した使命を果たすために最善を尽くし、流星の如く命を燃やして駆け抜けたのだから」

 

「“どんな立場にいても、どんなしがらみに囚われようと、正義は貫ける”――貴方はそれを、命を賭けて証明した。そうして今度は、“私たち怪盗団が希望になり得る”ことを証明しようとしている。命まで賭けられたんなら、逃げるわけにはいかないでしょう?」

 

「わたしやお母さんのことを気にかけてくれたお前のこと、嫌いじゃないぞ。……お前の願いを叶えるのは、その分の礼だ。とことん付き合ってやる!」

 

「私は貴方のことはよく存じ上げないわ。でも、敬意を払って立ち向かうべき人であることは分かるの。できることなら、もっともっと、ゆっくりお話をしてみたかった。……その代わり、私は貴方を全力で迎え撃ちます。神取さん」

 

「神取鷹久。貴方は確かに“打ち滅ぼされるべき悪役”だった。けれど、貴方が貫いた正義も私たちに伝わったよ。だから、今度は私たちが貴方に希望を示す番だ」

 

 

 モナが、スカルが、パンサーが、フォックスが、クイーンが、ナビが、ノワールが、次々と決意を口にした。

 最後にジョーカーが締めくくる。全員、揺らぐことなく神取を見つめていた。

 

 怪盗団たちの答えを聞いた神取は、口元を隠すように手を当て、サングラスのブリッジを押し上げる。小さく肩を震わせた後、満足げに微笑んだ。青白い光が舞い、奴のペルソナ――ゴッド神取が顕現した。『本気で戦う』という事前の宣言通り、びりびりとした殺気がこちらに襲い掛かってきた。

 勿論、襲い掛かって来たのは殺気だけじゃない。ピラミッドで戦ったときと同じ技――ガルダイン、ジオダイン、刹那五月雨撃、刻の車輪――が、ピラミッドで対峙したとき以上の威力を伴って降り注いできたのだ。下手すれば、海底洞窟で至さんや舞耶さんたちが戦ったときよりも強いかもしれない。

 奴への対抗策は前回と同じ、自己強化と相手の弱体化だ。あとは傷や状態異常の回復を絶対に怠らないこと。これを見越して薬品類を多量に買い込んでいたのだが、神取の攻撃力を体感していると、本当にこの量で大丈夫なのかと不安が湧き上がって来た程だ。最も、意地でも食い下がることは変わらないが。

 

 奴と俺らの攻防によって、機関室含んだ船全体が揺れている。本来であれば異常が発生してもおかしくないのだが、そういうアナウンスが響いてくることはなかった。獅童の認知が「絶対に沈まない箱舟である」ということが絡んでいたのか、あるいは「他者からは自分の弱みを握られぬようにする」奴の意識が反映されていたのだろう。

 

 

「これがアンタの、本当の強さってとこか……! けど、アンタが信じた俺たちの強さも、こんなモンじゃねーぞ!」

 

「なかなか頼もしいな、少年。その言葉が嘘偽りでないことを願うよ」

 

 

 セイテンタイセイを顕現したスカルが攻撃を仕掛ける。神取は涼しい顔をしてその攻撃を躱した。だが、攻撃の余波は奴のサングラスを派手に吹き飛ばす。――眼球のない目が明らかになった。

 

 スカルが一瞬目を剥いた隙をつくようにして、神取は容赦なくガルダインを打ち放った。弱点を突かれたスカルが悲鳴を上げてダウンする。神取が次に狙いを定めたのは、スカルを含んだ全員を回復させようとしたモナだった。奴はジオダインを打ち放つ。だが、モナは寸でのところでそれを回避した。

 モナはゾロを顕現し、仲間たちの傷を癒していく。コンセントレイトで属性攻撃力を上げていたパンサーがアギダインを放ち、神取に攻撃を仕掛けた。ニャルラトホテプの化身をペルソナとして行使する神取には、ダウンを奪えずとも炎属性は通りやすいようだ。奴は小さく舌打ちする。

 

 

「アスタルテ、ご覧あそばせ!」

 

「っ……! やるじゃないかお嬢さん。ならば、これはどうかな!?」

 

 

 ノワールのアスタルテが見せた破壊力に目を見張った神取は、嬉しそうに笑みを浮かべる。次の瞬間、ノワールを中心にして容赦ない攻撃が降り注いだ。

 1発の破壊力はノワールに劣るものの、奴は手数で押していく。結果、総攻撃力はノワールと同等となった。ランダマイザやタルンダがなければ、僕らは全滅していただろう。

 弱体効果が切れそうだと警告するナビに従い、俺はロビンフッドを顕現する。行使するのは勿論、弱体化のランダマイザだ。それを皮切りにして、仲間たちは次々と強化と弱体をかけ直す。

 

 

「超強化だ! 派手に行けぇ!」

 

 

 そのタイミングで、ナビが強化系の援護を発生させた。文字通りのナイスタイミングである。

 

 

「来い、カウ!」

 

 

 俺がカウを顕現すると、神取は驚きに目を見開いた。太陽を運ぶ白い烏を見て、その力が誰から手渡されたものかを理解したらしい。神取は小さく笑っていた。

 チャージで力を貯め、ペルソナをチェンジする。次に顕現したのはロキ――“明智吾郎”。“彼”は不敵に微笑むと、神取に向かってレーヴァテインを打ち放った。

 

 神取は何を思ったのか、真正面から俺の攻撃を受け止めた。ダメージは通ったのだろうが、奴はまだピンピンしている。……流石は元・ゴッド。そんじょそこらのペルソナ使いとは格が違う。悪役を貫き通すに相応しい男だ。挑発するように奴は笑っている。「お前たちの力はその程度ではないだろう?」と言うかのように。

 力を貯めていたのは俺だけじゃない。ジョーカーもペルソナを顕現し、神取に攻撃を仕掛けた。破壊力を底上げした連続攻撃は、奴の体力を確実に奪っていく。クイーンが顕現したアナトのフレイダインや、ダウンから立ち直ったスカルのゴッドハンド、フォックスのブレイブザッパーが襲い掛かった。

 一進一退の攻防が続く。攻撃を繰り出す度に箱舟全体が激しく揺れた。沈まぬ船が裏で抱える脆弱性を示すが如く、獅童の罪に終わりが近づくことを知らせるが如く。認知の乗客たちは今頃どうなっているのだろうか――なんて、馬鹿なことを考えたのは一瞬のことであった。

 

 もっと見せろと言わんばかりに、神取の攻撃は激しさを増していく。俺たちも必死になって食い下がりながら、奴に攻撃を叩きこんだ。

 

 

「く……!」

 

「よし、このまま攻めるよ!」

 

 

 長い長い戦いにも、ついに終わりが訪れる。傷だらけの神取と、傷を癒しながら食い下がる俺たちの形成が傾き始めたのだ。回復手段を一切持たない神取が、俺たちに押され始めた。元々死ぬつもりでここに来たのだろうが、ほんの少しだけ不服そうに表情が歪む。

 あいつ自身、もっともっと、俺たちの姿を見ていたかったのかもしれない。終わると自覚していながらも、1分1秒でも長く答えを見ていたかったのかもしれない。そんなコイツに影響されたのか、俺たちの方も、同じようにしてその答えを示していたかったのだと思う。

 

 でも、立ち止まっていられないことは事実だった。獅童の罪を終わらせるためにも、俺の因縁に決着をつけるためにも、ジョーカーの冤罪を晴らすためにも。

 神取がゴッド神取を顕現する。膨大な魔力が渦巻き始めた。使えば使う程、攻撃力が上がっていく万能属性攻撃・刻の車輪だ。威力は既に初撃の2倍を優に超えている。

 俺はカウを顕現し、コンセントレイトを使った。隣にいたジョーカーも同じようにして力を貯める。神取が動くのと、俺とジョーカーが動いたのはほぼ同時。

 

 

「――射殺せ、ロビンフッド!」

 

「――奪え!」

 

 

 ロビンフッドのメギドラオンと、アルセーヌ――あのペルソナの後ろには、以前見た『6枚羽の魔王』が重なって見えた――の銃攻撃が、ゴッド神取の放った刻の車輪と激しくぶつかり合った。力と力が爆ぜ、機関室ごと箱舟を揺るがす。

 

 発生した衝撃波に耐えながら煙の向こう側を睨みつける。視界が晴れたとき、神取は膝をついていた。眼球のない双瞼が満足げに細められる。

 

 

「……ああ、見事だ」

 

 

 俺たちに向けられたのは、純粋な賞賛の言葉だ。

 ふらつきながら立ち上がり、神取はサングラスをかけ直す。

 眼球のない目は見苦しいものだと思っていたからかもしれない。

 

 

「付き合わせて、悪かったな」

 

「……いや。そんなことは――」

 

「――やっぱり、ニャルラトホテプの関係者はダメだな」

 

 

 俺が神取に返事をしようとした丁度そのとき、呆れたような声が響いた。声は神取のいる方向から聞こえてきた。神取は深々とため息をつくと、道を譲るかのように通路の端へ移動すると、そのまま柵を背にしてもたれかかる。奥の人影はそれを一瞥し、こちらへ姿を現した。

 果たして俺たちの前に現れたのは、案の定、獅童智明だった。奴の顔は、今ならばはっきりと認識できる。俺と獅童の顔を足して2で割ったような顔つきをしている。俺にも似ているし、獅童とも似ていた。

 

 奴の服装は俺と同じ○○高校の制服だ。2年前にメメントスで議員を殺害していたあいつを初めて見たときと、何も変わらない。

 

 思えば、俺の運命が劇的に切り替わった――怪盗団の一員として認知世界を駆け抜けることになったきっかけは、獅童智明の殺人現場を目撃してしまったことだった。

 奴が獅童の名前を出さなければ、きっと俺は『廃人化』事件を追いかけることはなかっただろう。ペルソナ使いに覚醒したとしても、怪盗団とは別方面にいたかもしれない。

 

 

「私は私の仕事を果たした。キミに何かを言われる筋合いはないはずだが」

 

「手加減でもしたんじゃないのか? なんであれ、打ち倒されるべき道化等と嘯く貴様にはお似合いの末路だ」

 

 

 智明は醜悪な顔で吐き捨てる。俺は思わず反論していた。

 

 

「お前みたいな腐れ外道風情が、悪役の美学を詰るんじゃねえよ」

 

 

 立場はどうあれど、俺にとって神取鷹久は鮮烈な人物だった。明智吾郎の原点を形作った男だった。彼と出会わなければ、彼から『何のために生きているのか』と問われなければ、今の俺はここにいなかった。あの問いの答えが、俺の揺るぎない指針になったのだから。

 大切な人と生きていく――大切な人と生きていくのに相応しい命になる――ために、俺は生きている。その指針を抱くきっかけになった、師のような漢を馬鹿にされて、黙っていられるような人間になった覚えはない。たとえその相手が敵対者だったとしても、だ。

 俺の反応が余程意外だったのか、神取が呆気にとられたように口を半開きにした。狂言回しを十八番にしている男でもそんな間抜けな顔をするのだと思うと、急に親しみやすさを覚えるから不思議なものである。

 

 智明は俺を見た途端、まるでゴミを見るような眼差しを向けてきた。

 「死んだと思ったのに騙された」と、奴は吐き捨てる。

 

 智明が俺の生死を見抜けなかったのは、ニャルラトホテプが奴から逃げる際にしていた細工の為である。智明はつい先程、ニャルラトホテプが自分の中から居なくなっていることに気づいたらしい。その責任を神取に取らせようとした矢先、神取が認知世界にいることを知ったという。

 

 

「元々持っていた『廃人化』と精神暴走を引き起こす力に、ニャルラトホテプから奪い取った分の力も併せることで、すべて()()()の思うがままだったんだ」

 

「アイツの力すら踏み台に過ぎなかっただって!? ――ヤツ相手にそんな大層な口を叩けるとは……オマエ、一体どこの何者だ!?」

 

「知りたいか? ――なら、教えてやるよ。お前らの命と引き換えにな」

 

 

 フィレモン関係者としての勘から、モナが智明に問いかけた。智明は怪盗団の面々を一瞥すると、即座に力を行使する。

 赤黒い光が舞い上がり、奴の背後に薄らぼんやりと何かが顕現した。――刹那、この場にシャドウの群れが現れる。

 

 

「それじゃあ、小手調べだ」

 

 

 智明の言葉と共に、大量のシャドウが姿を現す。奴らは精神暴走を施された状態で、智明の壁になるようにして徒党を組む。勢いそのまま、俺たちへと襲い掛かって来た。

 

 初手は皆揃ってデスパレードを使い、攻撃に力を注いで防御を捨てる。その隙をつくような形で、俺たちはシャドウたちへ高威力の攻撃を叩きこんだ。

 第1陣を速攻で片付けた僕たち目がけて、即座に新手が顕現した。今度は初手でランダマイザ連発である。デクンダで弱体を打ち消し、こちらも能力を上げて対抗した。

 智明は“シャドウを呼びだしては精神暴走させる”のを繰り返し続ける。あくまでも物量戦を仕掛けることで俺たちを疲弊させ、高みの見物と洒落こむつもりらしい。

 

 

「汚ないぞ、この卑怯者!」

 

「口だけは一丁前だな。矮小な人間風情が」

 

「ああそうかよ! 自分が認知を司る『神』の化身だからか!? 偉そうに……お前のようなクソみたいな化身、初めて見た!」

 

「――成程。ならば、答えを言う手間が省けたな……!」

 

 

 智明を睨みつけ、ナビは即座にサポートを行う。僕らの精神力を回復させてくれたようだ。自身の正体を看破された智明が忌々しそうに舌打ちする。

 こちとら伊達にフィレモンおよびニャルラトホテプの化身――前者は俺の保護者である空本至さん、後者が戦線離脱している神取鷹久――と一緒にいたわけではない。

 

 ナビの煽りに怒りを覚えたのか、次に現れたシャドウはかなり強力な存在だった。天使を模した敵はマハンマオンを、悪魔を模した敵はマハムドオンを連射してくる。仕返しに奴らの弱点――祝福および呪怨属性を叩きこめば、2匹は悲鳴を上げてダウンする。そこに容赦なく総攻撃を叩きこんだ。

 

 それでも天使と悪魔は健在で、今度は双方物理攻撃を叩きこんでくる。俺は即座にロキを顕現し、物理攻撃を反射するスキルを行使した。ジョーカーも同じ手を考えついたらしい。

 タイミングはばっちりで、奴らの攻撃は見事に反射されてダメージを喰らって自滅した。「ご主人様」という断末魔を残し、天使と悪魔は爆ぜるようにして消え去る。

 智明は、自分に向けて手を伸ばして消えたシャドウたちを無感動に見つめていた。そこには何の感慨も浮かんでいない。紅蓮の瞳には、一切の揺らぎも見せなかった。

 

 再び、また新手が湧いて出る。こんな戦いを繰り広げていたら、いずれジリ貧になるのは確実だ。元々俺たちは神取と一戦交えた上で、シャドウの群れと戦いを繰り広げている。

 智明の力は文字通り無尽蔵なようで、奴は次から次へとシャドウを召喚しては精神暴走を起こさせて嗾けてくる。みな、表情に疲労の色が見えてきた。

 

 

「クッソ、まだ呼びだすのかよ……!」

 

「このままじゃジリ貧だ。何か突破口を見つけないと……」

 

 

 スカルとフォックスが渋い表情を浮かべながらシャドウを撃破していく。この場にいる全員が、同じことを考えているだろう。

 

 

「せめて、シャドウを召喚して精神暴走させる力を止めることができれば――」

 

「――あの力を封じることができればいいんだな?」

 

 

 クイーンの問いに答えたのは、戦線離脱していた神取鷹久その人だ。仲間たちが驚いて彼を見る。

 刹那、ゴッド神取が顕現し――ずるりとその姿を変える。奴のフォルムは、ニャルラトホテプにより近いフォルムになった。

 智明が振り返ったのと、変質したゴッド神取が力を行使したのはほぼ同時。真横からの不意打ち攻撃に、智明は吹き飛ばされた。

 

 ニャルラトホテプの触手を思わせるような闇の吹き溜まりから、数多の力が溢れだす。それが智明を縛り上げるようにして炸裂した刹那、智明によって顕現されたシャドウの群れが動きを止めた。奴らはそのまま爆ぜると、心の海へと還っていく。

 畳みかけるようにして、神取は更に力を行使した。刻を刻むための車輪ではなく、運命の車輪が智明の力を封じ込める。その力は、モナドマンダラで舞耶さんたちと対峙したニャルラトホテプが使ったものだ。ゴッド神取がニャルラトホテプに近い形状になったことがきっかけなのだろう。

 

 

「す、すごい……!」

 

「あまり長くは持たないぞ。早めに決着を付けた方がいい」

 

 

 感嘆の声を上げるパンサーへ、神取が警告した。

 これで、智明と直接勝負ができる。

 

 だが、いいことばかりではない。神取の右足がどす黒く変色し始めた。奴の身体が、人間としての原型を保っていられなくなったらしい。黒い靄のようなものが立ち上り始める。

 

 

「神取さん、貴方は……!」

 

「悲しむべきことなど何もないよ、お嬢さん。私は私の役目を果たした。()()()()()()()()()()()()()()()()――ただ、それだけのことだ」

 

 

 「さあ、成し遂げ給え」――神取は微笑む。奴の身体はもう、まともな戦闘を行うことも、ここに存在し続けることも叶わない。文字通りの死に体となった神取に対し、智明は怒りをあらわにして攻撃を仕掛ける。

 勿論、俺とジョーカーが前へ躍り出て、攻撃を反射する術を使った。反射された属性攻撃や物理攻撃がそのまま智明に直撃する。祝福と呪怨属性はブロックされてしまった。もしかしたら、属性攻撃に対して耐性があるのかもしれない。

 

 シャドウを呼びだして精神暴走を施せなくなった智明は、ついに自らの力で戦うことにしたのだろう。奴の背後にペルソナが顕現した。

 

 赤と青の輝きを帯びた漆黒の翼が広がる。次の瞬間、俺へ向かって凄まじい力が炸裂した。ロキが使った属性攻撃による反射が発動しなかったあたり、これは単体専門の万能属性攻撃らしい。他にも智明は祝福属性や呪怨属性の攻撃を打ち放って来た。

 時折コンセントレイトを使って術攻撃の威力を高めてくる。祝福・呪怨・万能属性の攻撃一辺倒。自身は属性攻撃の大半を半減し、祝福と呪怨は無効化するのだ。物理攻撃以外に有効な手立てがないというのも腹立たしい限りだ。

 物理攻撃を得意とするペルソナを持っていたスカル、フォックス、ノワールが主体となって攻める。ジョーカーや僕もペルソナチェンジを駆使し、チャージを使って威力の底上げを行ってから攻撃を仕掛けた。他の面々は回復や援護をしつつ、余裕があったら攻撃に参加してもらう。

 

 

「よし、行ける!」

 

「――調子に乗るなよ」

 

 

 ジョーカーが不敵に笑った。それを見た智明は醜悪に顔を歪めると、ペルソナを顕現する。この場一帯に淀んだ空気が漂い始めたと思った瞬間、頭をかち割らんばかりの衝撃が襲い掛かった。

 

 寸でのところで堪える。これは以前、俺がかかった状態異常――洗脳だ。淀んだ空気は状態異常の成功率を上げる効果がある。踏み止まれたのは運がよかったのだろう。

 問題は他の面々だ。誰が洗脳状態になったのか確認しなければならない。俺が振り返ったのと、何かが襲い掛かって来たのはほぼ同時。俺は反射的に攻撃を受け止めた。

 

 

「ジョーカー……!」

 

「…………」

 

 

 俺に敵意を向けてきたのは、他でもないジョーカーだった。彼女は容赦なく、俺に向かって武器を振るうう。それを何とか捌くが、精神的な痛手が大きすぎてまともに戦えそうにない。攻撃を受け流すので手一杯だ。

 冴さんのパレスで起きた出来事とは全く逆だ。あのときは俺がジョーカーに襲い掛かって、彼女に傷を負わせたのだ。あのときの彼女もこんな気持ちだったのだろうか――なんて、考えても仕方がないことだった。

 何とかしないと。何とかして、ジョーカーを正気に戻さなくては。他の面々も洗脳によって潰し合いを始めており、ナビが焦りの声を上げている。俺のペルソナたちは攻撃や強化を得意にしていたが、回復系の技は所持していない。

 

 俺は即座に道具袋からリラックスゲルを取り出し、ジョーカーに使う。ジョーカーは驚いたように目を丸くしていたが、正気に戻った様子だ。

 

 「ごめん、クロウ」とジョーカーは謝り、即座にペルソナを付け替えた。彼女が顕現させたペルソナがアムリタシャワーを使い、状態異常を次々と治療していく。正気に戻った仲間たちは、即座に智明へと向き直った。

 パンサーやクイーンが回復魔法を施し、スカルとフォックスが攻撃を仕掛ける。モナや俺たちもそれに続いた。仕返しと言わんばかりに智明も技を行使する。攻撃がぶつかり合い、時には相殺し合いながら一進一退の攻防を続ける。

 

 

「小癪な……!」

 

「観念しなさい! 神様を打ち破るのは、いつだって人間なのよ!」

 

 

 舌打ちした智明へ、クイーンのアナトがフラッシュボムを叩きこむ。爆風を真正面から喰らっても、智明はまだ倒れなかった。

 

 

「大人しく操られておけばいいものを――」

 

「させない!」

 

「二度と同じ手は喰わないぜ!」

 

「ぐうっ!?」

 

 

 淀んだ空気からブレインジャックを仕掛けようとした智明に、モナのゾロがミラクルパンチを、ジョーカーのアルセーヌが剣の舞を撃ち放つ。予めリベリオンで急所に当たりやすくしていたため、智明は攻撃を喰らってダウンする。こんな腐れ外道に慈悲など要らない。俺たちは容赦なく、奴を袋叩きにした。

 ついに智明が膝をつく。勝った――俺がそう思ったときだった。智明の姿に、奴が顕現して行使していたペルソナの姿が重なる。ほんの一瞬、智明の姿が半透明になって、奴のペルソナ――赤と青の輝きを帯びた漆黒の翼を持つ大天使が色濃く見えた。その姿は、奥村社長のパレスで真実さんが使った幾万の真言で見た影と同一だ。

 

 もしかして、獅童智明の本当の姿は――。

 

 

「アアアアアァァァァァァァァ――ッ!!」

 

 

 次の瞬間、膨大な魔力が解き放たれた。問答無用の力によって、俺の身体は容赦なく吹き飛ばされた。壁に叩き付けられた衝撃で息が詰まる。そのまま、俺は崩れ落ちた。

 咳き込みながら体を起こす。その際、地面に数滴程血が零れた。振り返れば、シャッター1区画分向うに吹き飛ばされて倒れ伏している仲間たちの姿が目に入る。

 命は奪われていないようだが、まともに戦うことすらままならない。立ち上がることすらやっとの様子だ。それでも、ジョーカーは無理矢理身体を起こし、俺を見た。

 

 俺が彼女の眼差しに応えようとしたとき、異形の腕に胸倉を掴まれて地面に叩き付けられる。無様な悲鳴が、喉の奥底から漏れた。そのまま頭を押さえつけられてしまう。

 視線だけ上を動かせば、智明が俺を睨みつけている。俺とよく似た顔つきをした――けれども、顔を含んだ体半分が異形と化したソレの双瞼には、殺意が滲んでいた。

 

 

「更生は不要。償いも不要。ただ粛々と、『罪』を犯した『罰』を受けよ」

 

「ぐ……!」

 

「それこそが、『白い烏』たる貴様に相応しい『破滅』だ。――逃すものか。決して、逃すものか」

 

「……あ、がぁ……っ!」

 

 

 そのまま片腕で首を掴まれ、高らかに持ち上げられる。俺の首を片手で締め上げる怪力。呼吸がまともにできなくて、意識がチカチカしてきた。

 

 

「クロウッ!」

 

 

 ジョーカーや怪盗団の仲間たちがこちらに駆け寄ろうとしたとき、再び大量のシャドウが湧いて出た。奴らはみな精神暴走を施されており、怪盗団の面々を鋭く威嚇する。

 満身創痍の状態でシャドウの群れに突っ込めば、全滅することは明白だ。何せ、智明は無尽蔵にシャドウを呼びだしては精神暴走を施し襲わせる物量戦を得意としていた。

 自分たちの不利を察して、仲間たちは思わず踏み止まる。シャドウはジョーカーたちを睨みつけ威嚇するだけで、俺の方に近寄らなければ襲うつもりはない様子だった。

 

 ジョーカーの足元には、丁度、隔壁のシャッターがせり上がって来るための仕切りがある。アレを作動させれば、智明が顕現したシャドウの群れからジョーカーたちを守ることができるだろう。――その代わり、俺は智明とシャドウの群れ共々、ここに取り残されることになるが。

 

 俺がそう察したのに気づいたのか、智明が醜悪な笑みを浮かべる。

 「お前を機関室の先にはいかせない」――奴の目は、雄弁に語っていた。

 

 

―― あのときと、同じ ――

 

 

 “明智吾郎”が悔しそうに呟いた。

 

 満身創痍の“明智吾郎”は足手纏いだった。そんな“自分”を庇いながら戦うなんて真似をしたら、怪盗団も“自分”も共倒れになる。夢見ていた獅童の復讐は破綻し、“明智吾郎”に残ったのは逃れられない罪と罰、お先真っ暗な未来だけ。最早、普通に生きることすら許されない。心が折れてしまった“自分”にはもう、生きる気力は残されていなかった。

 獅童の罪を終わりに出来るのは怪盗団だけだ。自分に残された道も破滅だけ。――『けれど』と、“明智吾郎”は決起する。自分の価値観は、手放すこと、切り捨てること、利用すること、嘘をつくこと。ならば、それに合わせて動けばいい。切り捨てるべきものは、手放すべきものは分かっていた。……だから、ああしたのだ。

 友を手放し、己を切り捨て、友の力を信用し、乱暴な口調で本心を隠す――大切なものを守るために人形を辞めた“明智吾郎”の、命懸けのプライド。折れた心に光を灯してくれた“ジョーカー”に手渡せる、たった1つ、“自分”が持っていた真実(すべて)だった。こんなもので償いになるとも、贖えるとも思わない。

 

 それでも、“ジョーカー”は、“明智吾郎”が生きた証そのものだった。()()()()()()()()()()()()()――ひいては、“()()()()()()()()()()()()()()()“クロウ”が存在していた証だった。

 俺が夢見た未来は遠い。運命を乗り越えて、黎と共に生きる未来が遠い。11月末および12月中旬に発生するであろう俺自身の死を乗り越えるには、この状況はあまりにも不利だ。下手をすれば、ジョーカーや怪盗団諸共共倒れになる危険性がある。

 

 

「諦めろ。お前の末路(けつまつ)は、『破滅』こそが相応しい」

 

 

 智明が手を緩めたのは、別に油断したからじゃない。この状況で、俺に選択させるためだ。

 破滅を受け入れるか、仲間たちを破滅に巻き込むか。明智吾郎に示された選択肢は2つ。

 隔壁を作動させれば怪盗団は助かり、俺と智明、神取らがここに取り残される。

 

 それ以外の行動を取れば、智明は即座にシャドウの群れをジョーカーたちへ嗾けるだろう。

 神取が使った技の効果は既に切れており、奴は無尽蔵にシャドウを呼びだして精神暴走させることが可能だ。

 

 さあ、どうする? どうすればいい? どうすれば――突破口は、ない。

 

 

―― やっぱり、無理なのか……? ――

 

(……俺は、機関室()の先へは、いけない……?)

 

 

 共に生きる未来を掴むという決意が揺らぐ。ジョーカーに贈ったブルーオパールの指輪が、ジョーカーが僕に贈ってくれたコアウッドの指輪が、どんどん朧げになって来た。

 

 所詮は届かない決意なのか。叶わない未来なのか。

 俺の意識は、どんどん白んでいき――

 

 

***

 

 

 ………………。

 …………。

 ……。

 

 

『ねえ、キミ。こんなところで何やってるんだい? 僕も人のことは言えないんだけどさぁ』

 

 

 声がした。ぼんやりとした視界の真ん中に、ソイツが立っていた。八十稲羽に滞在していたときと同じ、半端に気崩したスーツを身に纏い、くたびれたような恰好をした男。ただ、あの頃に見た姿より少し、やつれたような――それでも、彼の目はどこか爛々としていた――面持ちになった気がする。

 最後にコイツの顔を見たのは、捜査隊とシャドウワーカーの共同戦線が発生したとき以来だ。元・刑事で現在囚人。ついた蔑称は“自己中キャベツ野郎”。エリートコースに乗り切れなくて左遷された八十稲羽で燻っていたところを、イザナミノミコトに見いだされ、マガツイザナギを授けられた男だ。

 コイツが真実さんとの勝負に負けて、大人しく出頭していなければ――あるいは、真実さんとコイツが確かな絆を育んでいなければ、俺たちは八十稲羽を覆った偽りの霧を晴らすことはできなかったと思う。刑務所送りになった彼が真実さんに贈った手紙がなければ、イザナミノミコトという黒幕を察知することができなかったからだ。

 

 道化の皮を被った強欲の権化。けれどその本質には、生き汚い弱さと悪になり切れない弱さがあった。大人のような狡猾さの裏に、駄々をこねる子どもがいたのだ。

 

 

『……うっわー、ひっでぇ(つら)してるねー。あのときのクソ生意気なガキんちょが、こんなしみったれた顔するのかぁ。ホントにウケるなぁ』

 

 

 イラッときた。割と真面目にイラッときた。

 重要なことなのでもう1度言う。かなりイラッときた。

 

 智明に首を絞められているような状況じゃなければ、今すぐロビンフッドを顕現してメギドラオンを打ち放っているのに。いや、カウのコンセントレイトも足すべきだろうか。それとも、ロキのレーヴァテインをブチ込もうか。よりどりみどり、悩みどころだ。

 

 

『げぇ!? 一瞬で普段通りになりやがった! しかも、お前もペルソナ使いになったのかよ!? クッソ、お前本当にあの頃から変わらずイヤなガキだな!!』

 

 

 『元々お前のことは気に喰わなかったけど!』とソイツは表情を歪める。当時は意味も分からず反目し合い、顔を合わせればネチネチびーびーやり合っていたことを思い出した。アイツは俺のことを『クソ生意気なガキ』だと言っていたし、俺もアイツのことは『格好悪い大人』だと思っていた。

 俺は今でも、アイツの主張した不平不満に同意できない。だってアイツは、俺――“明智吾郎”からしてみれば、あまりにも生ぬるいのだ。努力をすることも優等生を演じることもできないまま、自分のミスでドロップアウトした落伍者。そのくせ、自分のミス、および努力不足を決して認めようとしなかった。

 “明智吾郎”が作り上げた仮面と比較すれば、コイツの作り上げた仮面なんて薄っぺらいものだ――おそらく“彼”は、大なり小なりそう思っていたのだろう。俺もその影響を受けていたから、飄々とした風体を装いながら不平不満を包み隠さず燻らせていたコイツが気に喰わなかったのだ。

 

 だってコイツは、自分の本質を剥き出しにしていた。明らかに、人に見せていいものとは思えない負の面を惜しみなく晒していた。

 それなのに、周りの連中は『憎めないから』と言ってコイツを気にかける。いい子じゃなくても居場所があって、形はどうあれ周りから認めてもらえていた。

 

 コイツは贅沢だった。周りから気にかけてもらっているくせに、それを酷くうっとおしがっていた。堂島家とのふれあい以外は、ほぼどうでもいいと思っているレベルだった。そこへ真実さんがやって来た際には『居場所を奪われてしまう』と恐怖する程に、堂島家に対して強い思い入れがあったのだ。

 

 大人げないことに、コイツは真実さんに八つ当たりをした。嫌がらせじみたこともした。仕事をサボり、真実さんをそこに巻き込んだりもしていた。時間が経過するにつれて、その嫌がらせの度合いも鳴りを潜めるようになり、ダメな兄と優等生な弟みたいな関係に落ち着きかかっていたように思う。

 後々、奴は真実さんへのとんでもない八つ当たりを披露してくれた。『堂島家は俺の居場所だったのに。後から来たくせに、俺から居場所を奪うな。それと、なんでお前はそんなにもいい奴なの? お前がいい奴過ぎたから、俺はお前を恨むことができなくて苦しいんだよ』――意訳するとこんな感じだった。理不尽極まりない話である。

 

 

『……ははあ。キミはまだ、バカみたいに物分かりがいいのかな? 頭の回転が速くて、要領がよくて、すっぱり潔く諦めることができる優等生クンのまま?』

 

 

 俺を見下し嘲るコイツは、きっと、相変わらず道化のままなのだろう。うだつの上がらないダメな大人を演じながら、不平不満を燻らせ続ける弱いヤツのままだ。

 

 

『そんなの、つまらないよ』

 

 

 ヤツは吐き捨てるように呟いた。

 その双瞼は、挑発するように細められる。

 

 

『キミの本質は、そんなに潔癖なモノじゃないはずだ。僕以上に悍ましい、どろどろとした汚泥のような――あるいは、飢えた狂犬みたいなモンでしょ』

 

 

 汚いことの何が悪いのか――ヤツは笑った。清廉潔白でいる必要なんかないのだと、泥を這いずり回る中で湧いた怒りを忘れるなと、その眼差しは訴えてくる。

 

 コイツの意地汚さは、生き汚さそのものだった。破滅が決められた未来しか待っていなくても、奴は生きることを選択した。死ぬことを選んだ“明智吾郎”とはあまりにも正反対。道化になり切れなかった強欲な男は、堂島家や真実さんらと結んだ絆によって生かされたのである。

 ずるいじゃないか。弱さを丸出しにしても嫌われないなんて。罪も弱さも丸々ひっくるめて受け入れてくれる人がいて、その人に容赦なく弱音を吐くことができて、自分の意見をはっきりと相手にぶつけることができる。たとえそれがどれ程見苦しく、愚かなものであったとしても、だ。

 

 “明智吾郎”は、最後まで悪態をつくことしかできなかった。最後まで、素直になることができなかった。互いが満足するまで、意見をぶつかり合わせることすらできなかった。最期は“ジョーカー”の仲間になれた代わりに、“ジョーカー”と言葉を交わす機会と未来(これから)を永遠に失ってしまったのだから。

 コイツは真実さんにきちんと伝えた。『お前のことを嫌いになり切れなかった。心の底から友人だと思ってしまった』と。世の中への不平不満をぶちまけながらも、真実さんと絆を結んだことを素直に認め、それを好ましいものだったと告げたのだ。結果、コイツは今でも、真実さんとは奇妙な友人関係を続けている。

 根が清廉潔白すぎた“明智吾郎”は、嘘をつかなければ生きていけない自分自身を許せなかった。罪を重ねなければ生きていけない自分自身が大嫌いだった。世の中を渡るためにも、強くなければいけなかった。対して、コイツは自分大好きな自己中心野郎だった。でも、悪ぶるにはあまりにも弱くて、意地汚い男だった。

 

 

『格好良くしなくたって、背伸びしなくたって、完璧じゃなくたって、情けなくったって、世の中は渡っていける。適度に手を抜くからこそ大人なんだよ。常に気を張っているようじゃガキなの。分かる?』

 

 

 アイツは得意気に胸を張る。その意地汚さが嫌いだった。その強欲さが嫌いだった。

 けれど、それ以上に――彼の強欲は、何よりも羨ましかったのだ。

 

 超弩級の同族嫌悪。あるいはコインの表と裏。意地汚くて強欲だから生き残った大人と、昔に抱いた正義と現在の在り方という乖離(ギャップ)に押し潰されて自壊した子ども。

 

 今なら分かる。どうしてアイツは生き残り、“明智吾郎”は旅路(じんせい)終焉(おえた)のか。

 見苦しくても、生き汚くても、アイツは素直だった。表面上は迎合していても、理不尽に対して憤ることができた。

 “彼”と同じ殺人鬼でありながらも、菜々子ちゃんや堂島さんを大事に思う気持ちを惜しみなく発揮できるような男だった。

 

 だってアイツは、菜々子ちゃんがマヨナカテレビの被害にあった――生田目氏の善意で誘拐され、テレビの中へ落とされた――とき、真実さんに対して協力していた。一歩間違えれば自分の犯行がバレて捕まるかもしれなかったのに、堂島親子のために必死になって駆けずり回っていた。自分が捕まることより、菜々子ちゃんの無事を優先したのだ。

 

 “明智吾郎”が()()()()()()怪盗団に力を貸したのは、あの機関室での一件が最初で最後だった。計画の遂行を何よりも重視していた“彼”は、自分の中に芽生えた気持ちを徹底的に無視し続けた。自分が今まで積み上げてきたものを手放し、瓦解してしまうことを何よりも恐れていた。自分の手についた血や傷跡を、無駄にしたくなかった。

 認知上の“自分”にすべてを見透かされ、『獅童正義にとって、お前は単なる人形でしかない。最初から使い潰すつもりで迎え入れた』と告げられたときになって――“明智吾郎”が積み上げ、支えにしてきたものが完膚なきまでにぶち壊されたことで、“彼”はようやく、唯一“自分”の手の中に残っていた怪盗団との絆を選ぶことができたのである。

 

 

『……認めろよ、お前自身の中にある欲望(ねがい)を。“お前に選択を迫る(ソイツ)に納得できない”って叫んで、思いっきり暴れてみろよ』

 

 

 奴は屈んで、苦笑する。手のかかる子どもを見守るような、不思議と親しみを覚えるような眼差しを向けて。

 

 

『婚約したんだろ? 今年で実質交際期間12年目の彼女と』

 

 

 『あーあ。僕には浮ついた話なんて何一つないのになー。なんでこんなマセガキばっかり』云云かんぬんと不平不満をぶちまけるソイツに、俺は一瞬目を丸くした。

 俺はコイツに、そのことを一度も伝えちゃいない。もしかして、真実さんが手紙で伝えたのだろうか? 俺の思考回路を読んだのか、『それもあるけど』と奴は笑う。

 

 

『看守の1人が変わり者でね。逐一、お前の話題を報告してくるんだよ。こっちは『別に聞きたくない』って言ってるのに、ペラペラペラペラって……おかげで、嫌が応にも詳しくなっちゃったの。僕のは不可抗力だから!』

 

 

 『まあでも、お前のことはそれなりに気にかけてたつもりだし?』だの『そういえばあの看守、以前見かけたガソリンスタンドの店員とよく似てたな』だのとベラベラ喋るソイツを、俺は珍獣を目の当たりにしたような気持ちで見つめていた。

 そうだった。コイツは己自身に対して、いつだって素直で自由だった。毛色は違うが、黎や真実さんたちと非常によく似ている。何者にも捕らわれず、流されることなく、自らの意志を貫く。そんな在り方を、周りの人々は自然と受け入れ集まってくるのだ。

 俺は俺自身に問いかける。このまま智明の言いなりになって破滅の選択肢を選ぶつもりなのか、と。――そんなもん、嫌に決まってる。黎と一緒に生きるのだと誓ったのだ。破滅を乗り越えて未来を掴むのだと決めたのだ。“明智吾郎”も真顔で頷き返す。

 

 たとえその足掻きが見苦しいものであっても、この気持ちに嘘はつかない。つきたくない。

 生きる。生きて、生きて、有栖川黎と一緒に笑い合う未来を手に入れる。――だって俺は、彼女を愛しているのだから。

 

 智明に拘束されて、仲間たちを盾に取られてるからと言って、容易く諦められるような欲望(のぞみ)ではないのだ。数多の“明智吾郎”と“ジョーカー”の願いと祈りも背負っているのだから。――『神』の思い通りになど、なってたまるか!!

 

 

『――そうだ。お前は俺と違うんだろ? ……ほら、立てよ』

 

 

 奴は笑う。嘲るわけでもなく、取り繕う訳でもなく、とても自然な笑みだった。

 伸ばされた手を俺は掴む。立ち上がった俺を見たソイツは満足げに頷くと、そのまま踵を返して歩き出した。

 

 どこへ行くつもりなのだろう。俺がそう問いかけるより先に、ソイツは振り返った。

 

 ある一点を指さす。その先には、黎――ジョーカーの背中があった。刹那、ソイツの足元が青白く輝き始める。

 奴と重なるようにして浮かび上がったのはペルソナ――マガツイザナギだ。真実さんのイザナギと対を成す存在。

 

 

『お前のことは心配だけど、やっぱ、お前にこき使われるのだけは嫌だから。それでも力になってやりたいってのは本心だし……だからコレは妥協案だ。俺とお前の、な』

 

 

 奴の姿がどんどん希薄になる。代わりに鮮明になったマガツイザナギが、ジョーカーの仮面に宿る。姿が消える直前、アイツは――足立透は、不敵に笑った。

 

 

『――さあ、走れクソガキ! お前には、こんなところで折れてる暇なんてないんだからな!!』

 

 

***

 

 

「クロウ!」

 

 

 白い世界から意識を引っ張り上げたのは、ジョーカーの声だった。視線を動かせば、彼女は躊躇うことなく僕の元へ――シャドウが跋扈する方へと駆け出していた。

 仲間たちもそれに続く。案の定、シャドウたちは一斉に動き出し、ジョーカーを始めとした怪盗団の面々に襲い掛かる。それを見た智明が嘲るように嗤った。

 

 

「馬鹿な奴らだ。こいつを見捨てさえすれば、ここで朽ち果てることはなかったものを――」

 

 

 御高説を垂れる隙を突く形で、俺は銃を引き抜いた。銃口を向けたのは隔離障壁を作動させるスイッチ――ではない。一瞬で獅童智明の脳天に照準を向け、零距離で撃つ。異形と言えどダメージは通ったらしく、奴の身体はぐらりと傾く。

 拘束から解放された俺はそのまま地べたに叩き付けられる。だが、無理矢理体を起こした。指揮系統に直接ダメージを与えた影響か、シャドウの動きがぴたりと止まる。その隙をついて、仲間たちはシャドウを撃破していった。

 体が軋む。うまく息ができない。けれど、今しかチャンスはない。俺は持てる全力を使って駆け出した。背後で智明が怒り狂いながら体を起こす気配を感じ取る。背中に突き刺さって来る殺気を振り払うようにして走った。

 

 仲間たちがぱっと表情を輝かせるのが見えた。そうして、俺の背後に迫る異形の群れを迎え撃つ。ジョーカーも、俺の背後に迫るシャドウを退けるため、仮面に手をかけた。

 

 青白い光が舞うその一瞬、不敵に笑う足立の姿が浮かんだ気がした。

 刹那、それは禍々しい黒を纏ったペルソナへと変貌する。

 

 

「――マガツイザナギ!」

 

『――走れクソガキ! 足を止めんな!!』

 

 

 足立の声が頭に響いた。奴が八十稲羽で顕現したペルソナ、マガツイザナギが機関室に降り立つ。奴から溢れた膨大な呪詛が、シャドウたちを一気に飲み込んだ。

 

 マガツイザナギだけが使える呪怨属性攻撃、マガツマンダラ。足立の欲望や負の側面と、イザナミノミコトの持つ偽りの霧を顕現した技だと言っても過言ではない。シャドウの群れは断末魔の悲鳴を上げながら消滅した。

 俺の足が、仲間たちと俺を隔てていた隔離障壁(きょうかいせん)を飛び越える。ジョーカーが伸ばしてくれた手を掴むことができた。怪盗団の元へ戻ってこれたという安堵のせいか、俺の足がもつれ、そのままジョーカー共々倒れこむ。

 

 

「おのれ……!」

 

「――見苦しいな。()()()キミの負けなのだから、大人しくそれを認め給え」

 

 

 俺が振り返ったとき、智明はゴッド神取によって拘束されているところだった。後は消えるだけでしかない神取が、自分が消滅する時間を早めてまで力を貸してくれる。

 神取の下半身は既に黒々とした炭と化しており、足は闇に溶けて消えてしまっていた。それでも立っているのだから、彼の精神力は化身の中でも強い方だろう。

 その背中は力強く、御影町や珠閒瑠市で見たときと変わらず鮮烈だった。その背中に見惚れてしまうくらいには。彼の生き様を示すかのような姿に惹かれてしまうくらいには。

 

 

「少年。誇るがいい、キミは運命を乗り越えた。――さあ、『い』き給え」

 

 

 智明がゴッド神取の拘束から逃れたのと、神取が銃で隔離障壁を作動させるスイッチを撃ち抜いたのはほぼ同時。

 

 シャッターがせり上がる直前、神取は俺の方を見た。その口元は、ただ優しく笑っている。御影町で俺の答えを聞いたときと、何一つ変わらない笑みを湛えたまま。

 俺が何かを言うよりも、隔壁が完全に上がりきって遮断してしまう方が早かった。“明智吾郎”が旅路(じんせい)終焉(おわり)を迎えた機関室は、丁度この壁の向こう。

 

 

「……反応が、消えた……」

 

 

 震える声で、ナビが漏らす。幾ら神取本人が『()()()()()()()()()()()()()()()()()()』と語っていても、彼の喪失が突き刺さって来るのは当たり前のことだ。

 モナも、スカルも、パンサーも、フォックスも、クイーンも、ノワールも、ジョーカーも、ただ黙って隔壁を――否、隔壁の向こうに消えて行った神取鷹久の背中を見つめていた。

 

 道化となるために生まれ、死後も道化として使われるために生き返ったような、数奇な人生を歩んだ男だった。悪と滅びの美学を体現するような狂言回しを得意としていた。それをするには、彼の精神性はいささか真っ直ぐすぎたきらいがある。南条さんはそれに気づいていたから、珠閒瑠で彼に手を伸ばした。

 自分の役割を誰よりも熟知していたからこそ、どうすれば役割に殉じつつ自分の正義を成すことができるか、神取はずっと考えていたのだろう。そのために何もかもを賭けた結果が、セベク・スキャンダルと珠閒瑠市での一件だった。――そうしてそれは、今この瞬間にも繋がっている。

 

 

「神取……」

 

 

 忘れられない背中があった。たとえそいつが敵だったとしても、妙に惹かれた背中があった。憧れさえ覚えてしまう程に、格好良いと思ってしまう程に。

 第3者が彼の人生を見れば、不幸という単語で片付けてしまうだろう。けど、断片でもその人生に――その生々しさに触れてしまったからこそ、その人物評には「否」と言いたい。

 神取鷹久は不幸な人間ではなかった。哀れな人間でもなかった。全てをなげうって、世界を救うであろう正義の味方たちを見出し、自分を超えさせることで世界を救った。

 

 確かに神取は英雄ではない。けど、確かに彼は、間接的に世界を救った。悪役の美学という形で、彼は正義を貫いた。文字通り、命を賭けて。

 

 

「……最期まで、カッコいいヤツじゃねーか」

 

 

 「ニャルラトホテプの関係者のくせに」と、モナが悪態をつく。スカルも納得したように頷く。

 

 

「やっぱ、玲司さんの兄貴なんだよな。背中で語るところとか、本当にそっくりだ」

 

「これが、神取鷹久っていう人間が出した答えなんだよね……」

 

「文字通り、命を燃やして示したんだな」

 

 

 パンサーとフォックスも、真剣な面持ちでシャッターを見つめる。1人の男の命の輝きを見届けるように。

 

 

「彼の正義は100%正しいものとは言えない。でも、100%間違っていたと否定されていい謂れもないわ」

 

「……わたし、忘れない。コイツがいたこと、絶対忘れない」

 

「そうね。彼は『ここにいた』。そのことを知っているのは、私たちくらいなのよね」

 

 

 クイーンとナビの言葉に、ノワールも同意する。神取鷹久という男の生き様をしっかりと焼き付けるように。

 

 

「行こう。彼から託されたものを無駄にするわけにはいかない」

 

「……ああ。行こう、この先へ」

 

 

 ジョーカーの音頭に従い、俺は一歩踏み出す。

 

 ここから先は、“明智吾郎”が行けなかった未知なる領域。怪盗団の仲間たち――ジョーカーと一緒に歩いていく道だ。先とは違い、何もかもが手さぐりになるだろう。

 見苦しい醜態を曝すことになるのかもしれない。意地汚く執着するのかもしれない。けど、それでも生きていくと決めたのだ。託されたものを背負って生きると決意した。

 もう少し、俺自身の心に素直になろうか――なんて、そんなことを考える。俺は振り返ってシャッターを一瞥した後、すぐに仲間たちと一緒に歩き出した。

 

 

(今度、足立に手紙でも書いてみようかな)

 

 

 白い空間の中で背中を押してくれた男を思い返す。彼もまた、明智吾郎にとっては忘れられない大人の1人だった。良くも悪くも印象的で、だからこそ受け入れがたくて、常に反目してきた相手だった。

 素直に礼を書いたとて、結局は暴言だらけの手紙になりそうな気がする。勿論、その返事として暴言だらけの手紙が郵便受けに入っていることも予想できた。堂島さん曰く、『検閲担当者が生温かい顔をする』レベルらしい。

 感想を述べた検閲担当者もいたようだが、『小学生同士の喧嘩に見えて微笑ましいですね』とのことだ。……確かに、足立に手紙を書くと、必然的に語彙力が下がってしまうように思う。理由はいまだ不明だった。閑話休題。

 

 本会議場へ戻ってきた俺たちは、早速紹介状――カードキーを使って扉を開く。扉の先に広がっていた本会議場は、やたらと達磨を強調したデザインが押し出されていた。

 「これが本会議場」と納得するスカル、パンサー、ナビへ、クイーンが頭を抱えながら「完全再現できている。但し、達磨以外は」と念押ししていた。

 

 『オタカラ』はこのフロアの奥で、靄のカタチで漂っている。

 

 

「後は予告状を出すだけだね」

 

「でも、どうする? マスコミも警察も獅童の『駒』同然だ。下手したら握り潰される可能性があるぞ」

 

「予告状に関してはわたしに任せてくれ! タイミングはジョーカーに一任するからな」

 

 

 ジョーカーと僕の話を聞いていたナビが自信満々に親指を立てる。「凄いものを凄い方法で作るから」と笑う彼女は、とても頼もしい。引きこもっていた頃からは想像つかない程、逞しくなっていた。

 他の面々がナビに色々訊ねるが、ナビは意味深に笑い「予告状を出すときに教える。期待していろ」と語るだけで何も教えてくれない。何か大きなことを計画しているのは確かなようだ。上手くいけば愉快なことになりそうである。

 

 俺は本会議場を振り返った。壇上には達磨の幕が張られている。左目にはまだ、目が入っていない。

 

 選挙や受験の願掛けで使われる達磨には、“あらかじめ右目に目を入れておいて、願いが成就したときに左目を入れる”という風習がある。獅童正義の達磨も同じだ。

 だが、奴の達磨の左目に目が入るようなことは絶対にさせない。それが成就した暁には、足立の言った通りクソな世の中になってしまうだろう。この箱舟が証拠だ。

 ここですべてを終わらせる。獅童正義の罪と、その連鎖を絶つ。奴の毒牙に掛かって苦しむ人が増えないように、俺の大切な人の冤罪を証明して汚名を雪ぐために。

 

 

(長かった。……ここまで、来るまで)

 

 

 すべてが始まった日のことを思う。メメントスで獅童智明の殺人現場に居合わせ、獅童正義の名前を耳にしてから――黎が獅童に冤罪を着せられてから、本当に長かった。

 

 自慢の保護者や尊敬できる大人たちと同じペルソナ使いとして目覚め、黎と一緒に怪盗団を立ち上げ、出会った仲間たちと共に認知世界を駆け抜け、数多の悪党を『改心』させてきた。その悪党どもが獅童正義に集束していること、奴の後ろに『神』の存在があることに気づいたのはいつだったか。

 獅童正義と俺自身の関係について、ずっと悩んでいた。俺はあいつの息子で、あいつは黎に冤罪を着せた張本人だ。悍ましい血筋を知られて、拒絶されるのが怖かった。もう二度と一緒にいられないとさえ覚悟した。その覚悟は杞憂でしかなくて、仲間たちや黎は明智吾郎を迎え入れてくれた。救われた、と思った。

 新しい力を得たときも、拒絶されるのではないかと覚悟していた。どこかに転がっていたであろう可能性だったとしても、“明智吾郎”の犯した罪は許されていいものではない。それでも仲間たちは俺を信じてくれたし、黎も俺を受け入れてくれた。特に後者は――一線を越えたときの幸せな夜を、俺は今でも覚えている。

 

 決戦は目前。相手は超弩級の悪意と傲慢を抱く腐れ外道だ。俺や“明智吾郎”にとって一番因縁深い相手。俺と母を捨てた実の父親だ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――“明智吾郎”が苦笑する。俺も“彼”へ笑い返した。

 

 

(お前の分まで殴って来る)

 

―― ふざけんな。俺も一緒だ ――

 

 

 いつの間にか、()()()もいいコンビになっていたらしい。なんだか嬉しくなった。

 頼れる仲間がいて、尊敬できる大人がいて、“明智吾郎”や“ジョーカー”も力を貸してくれる。

 いよいよ獅童正義――もとい、腐れ外道との決戦だ。自然と気合が入る。

 

 

(見てろよ腐れ外道。絶対『改心』させてやるからな!)

 

 

 決意も新たに、俺たちは獅童のパレスを後にした。

 

 




魔改造明智の獅童パレス攻略、VS神取⇒VS智明の召喚したシャドウの群れ⇒VS獅童智明の順番です。今回のお話ではP4Gの敵ペルソナ使いである足立に言及しました。拙作の魔改造明智と足立は「方向性の違う同族に嫌悪を拗らせた結果、小学生同士の喧嘩を繰り返すような間柄」となっています。
名前を出すのも話題に出すのも好きではなかった模様。足立の“格好悪くても人に目をかけられる”ところや、“どんな状況であっても自分自身に素直であれる”ところが気に喰わなかったことが原因です。「周りの望むようないい子でなければ必要とされない」人生を駆け抜けた“明智吾郎”の不平不満の影響もあったようです。
足立から諦めの悪さおよび意地汚さ――つまるところ、欲望/願い――を参考にして足掻いた結果、神取やジョーカー/黎が道を作ってくれたようです。間接的に足立も手を貸してくれました。DLCコンテンツネタを組み込むことができて満足しています。次は罪罰絡みのDLC、七姉妹学園制服ネタを組み込みたいですね。
獅童パレスで神取が“こうなる”ことは予め決まっていました。但し、どのような道筋で“こうなる”のかを考えるのが難しかったです。2罰のように(本人だけが)清々しく満足して去っていくような終わり方を演出するのは難儀で、でも、書いていてすごく熱が入りました。やっぱり神取鷹久は偉大ですね。
次回は獅童パレス決戦編。腐れ外道を地で行く因縁の相手・獅童正義との直接対決です。神取と共にフェードアウトした獅童智明についても、ここで色々と明かされることになる予定。魔改造明智と怪盗団の行く末を、生温かく見守って頂ければ幸いです。

おまけとして、魔改造明智コミュ9と、拙作のアルセーヌおよび智明のペルソナ(?)の情報を掲載しておきます。

魔改造明智コミュ【アルカナ:正義】
<コミュ9(獅童パレス攻略中・潜入ルート確保)>
マスカレイド・イーチアザー
エンディング分岐に関係。機関室でのボス戦後イベントで主人公の使用可能ペルソナにマガツイザナギが解禁。
以後、シナリオ進行で、主人公がDLCペルソナの一部を使えるようになる。
補足:今回のコミュランク上昇条件は【機関室でのボス戦後イベントで『吾郎を助けに行く』を選択する】こと。正解の選択肢を選べば自動で上がる。

<アルセーヌ(通常):最終スキル構成>
エイガオン、マハエイガオン、剣の舞、祝福吸収、呪怨ブースタ、呪怨ハイブースタ、アドバイス、リベリオン

<アルセーヌ(?)⇒■■■■■:最終スキル構成>
メギドラオン、コズミックフレア、至高の魔弾、ヒートライザ、不動心、勝利の雄叫び、精密射撃、急所撃ち

<智明のペルソナ(?)>
??????
アルカナ:運命
特筆事項:1ターンにつき2回行動。
耐性:火炎・疾風・電撃・氷結・核熱・念動 無効:呪怨・祝福・各種状態異常
コンセントレイト、コウガオン、エイガオン、漆黒の蛇、淀んだ空気、ブレインジャック


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あんたの罪を終わらせる!

【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 @空本(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄で明智の保護者その1。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
 @獅童(しどう) 智明(ともあき)⇒獅童の息子であり明智の異母兄弟だが、何かおかしい。獅童の懐刀的存在で『廃人化』専門のヒットマンと推測される。詳しくは中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『運命を切り開くだけの簡単なお仕事』および『ペルソナ3異聞録-.future-』、Pixivの『2周目明智吾郎の災難』および『【一発ネタ】有栖川黎の幼馴染』の設定を下地にし、別方向へ発展させた作品である。
・ジョーカーのみ先天性TS。
 ジョーカー(TS):有栖川(ありすがわ) (れい)⇒御影町にある旧家の跡取り娘。旧家制度は形骸化しているが、地元の名士として有名。身長163cm。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空本(そらもと) (わたる)⇒明智の保護者2で、南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。
・敵陣営に登場人物追加。
 @神取鷹久⇒女神異聞録ペルソナ、ペルソナ2罰に登場した敵ペルソナ使い。御影町で発生した“セベク・スキャンダル”で航たちに敗北して死亡後、珠閒瑠市で生き返り、須藤竜蔵の部下として舞耶たちと敵対するが敗北。崩壊する海底洞窟に残り、死亡した。ニャラルトホテプの『駒』として魅入られているため眼球がない。この作品では獅童正義および獅童智明陣営として参戦。明智吾郎の生存を見届けた後、獅童パレスの機関室に取り残される。
・「2罰ボスの外見を見た人間の反応」に関するねつ造設定がある。
・普遍的無意識とP5ラスボスの間にねつ造設定がある。
・『改心』と『廃人化』に関するねつ造設定がある。
・春の婚約者に関するねつ造設定と魔改造がある。因みに、拙作の彼はいい人で、春と両想い。
・魔改造明智にオリジナルペルソナが解禁。
・R-15。
・獅童の外道具合が原作以上。下品、且つ、下種な発言をするため注意。


 ――その日、八十稲羽近辺にある拘置所は大騒ぎだった。

 

 全国の公共電波――主にテレビやラジオ系列が――何者かにジャックされたらしい。東京で騒ぎになっている怪盗団の仕業らしく、囚人よりも看守関係者に落ち着きがない。

 男は拘置所の囚人であった。2012年に発生した八十稲羽連続殺人事件の“人間側の加害者”であり、テレビの中の殺人者であり、ペルソナという異形の力を行使する存在である。

 それ故に、囚人は分かっていたのだ。怪盗団を名乗るガキども――ペルソナ使いたちが大きなことを企てており、電波ジャックはそのために必用な布石であるということを。

 

 放送の中で怪盗団は『『廃人化』や精神暴走事件を起こした真犯人は現職大臣の獅童正義であり、奴は怪盗団に罪を擦り付けた』と発言していた。獅童正義と言えば、最近台頭してきた次期総理大臣候補である。本拠地にしている東京だけでなく、全国で人気が急上昇していた政治家であった。

 囚人にとって、政治がらみの話題は馬鹿馬鹿しいことである。奴らが何をしようが、世の中がクソであることは変わりないからだ。元・刑事として、政治家の汚職が絡んだ事件を追いかけたことは何度もある。将来有望と謳われた政治家が口に出すことも悍ましいことをやらかしていた――なんてことは、別に珍しいことではない。

 

 おそらくは、現在有名になっている獅童正義も何かヤバいものに手を出していることだろう――わずかな期間でも、刑事をしていた人間として養ってきた勘がこんな形で的中するとは思わなんだ。男はひっそりと口元を抑えた。

 

 

「あのマセガキ、やりやがった……!」

 

 

 愉快すぎて笑いが止まらない。八十稲羽連続殺人事件を起こした際、あの町で出会ったマセガキの姿を思い浮かべる。

 奴は当時中学生。保護者と一緒に死体を発見したことがきっかけで、八十稲羽連続殺人事件を追いかけていたマセガキであった。

 

 

(あれから数年後、真実くんから『マセガキが東京の高校に進学した』って話題が出たな。それからまた数年経って奴が探偵として表舞台に立ち、それから暫くした後に“怪盗団”というワードが世間から注目を浴びるようになった……)

 

 

 物好きな看守――どこかで会ったことのあるような気がする人物で、ペルソナ能力に目覚めた前後に会ったガソリンスタンドの店員とそっくりだった――が逐一情報を仕入れて話してくれたため、マセガキのことは嫌でもよく知っている。囚人が「興味がないからやめろ」と言っても、それを無視してニコニコ笑顔で話して聞かせるためだった。

 マセガキの恋人が冤罪を着せられ、奴はその汚名を雪ぐために戦い始めた。探偵として表舞台に立ったのもその一環らしい。その話題を耳にしたとき、看守が『また、世界の命運をかけた戦いが始まるんだな』とぼやいたことが忘れられなかった。囚人が宿したペルソナが、何かの予兆を察知して身じろぎしたためだ。

 怪盗団というワードが有名になったのは、それから暫く後のことだった。最初は看守が教えてくれた情報で、次は拘置所内の噂話で、その話題を耳にすることが増えた。一時期は怪盗団を持て囃すようになり、10月の一件であっという間にみんな掌を返した。今となっては、怪盗団の威信も地に落ちている。

 

 

『次はあの子たちの番だな。キミが一番苦手なタイプであるにも関わらず、絶対に目を離すことができない子がいただろう?』

 

 

 今年の3月に看守がそう言ったとき、囚人は漠然と理解した。

 

 顔を合わせればネチネチびーびーと低レベルな言い争いを繰り広げたあの子どもが、今度は友人である出雲真実や自分と同じ力を手にしたのだと。

 奴の保護者が言っていた『『神』と戦う宿命を背負わされた』のだと――マセガキが送るであろうこの1年が()()()()()()()()()()()と直感した。

 

 

(その結果が、これか)

 

 

 高校の教師、美術界の重鎮、性質の悪いヤクザ、国際サイバー犯罪組織、ブラック企業の社長――怪盗団はそいつらが裏に抱えていた欲望を暴き、悉く『改心』させてきた。

 その手段が、八十稲羽連続殺人犯たる自分や自分とやり合った特別捜査隊の(当時)高校生一同、およびクソガキの保護者が有する力絡みであることは察していたのだ。

 

 囚人は確信していた。“この事件には件のマセガキも関わっており、彼の関係者たちは人殺しなんて真似は絶対しない”と。だからこそ、10月の一件を目の当たりにしたときは“怪盗団は誰かに嵌められたのだ”と直感した。それが、『神』が与えた試練であることも。

 今の自分では、それを主張することはできなかった。代わりに出来たことと言えば、怪盗団が打つであろう起死回生の策が成功して欲しいと祈ったことと、先日夢の中で出会った情けない顔したクソガキを叱咤激励し、マガツイザナギを奴の恋人に貸し出したことくらいだ。

 貸し出したと言っても、囚人の中からマガツイザナギがいなくなった訳ではない。自分は今でもペルソナ使いであるし、特殊な条件下になれば普段通り召喚することが可能だ。何故本人に貸し出さなかったのかと訊かれれば、「アイツにこき使われるのだけは絶対に嫌だったから」の一点である。

 

 

(俺のペルソナ、役立ってくれればいいけど)

 

 

 マガツイザナギはある意味で囚人とイコールだから、きっとうまくやれるはずだ。囚人には、囚人だけしか知らない強い確証があった。

 相手がどう思っていたかは察しているが、囚人にとってあの子どもは“思わず注視してしまうくらいには気にかけていた相手”であった。

 

 文句なしの100点満点な優等生。性根は誰よりも清廉潔白で汚点を許さぬ正義感の強い子ども。

 

 けれど、その子どもは聡明だった。聡明だったが故に、己が一番汚れていると気づいていた。そんな自分を赦すことができず、完璧な人間であろうと己を律していた。

 保護者や先輩の役に立ちたいと強く願い、そのためだったら危ない橋も平然と渡る度胸と思い切りの良さを持っていた。そうでなければ存在する価値がないとさえ言いそうな程に。

 人に気に入られるための有効打を知っている。それを計算し、効果的に利用できる――なんて恐ろしい子どもなのだと思った。けどそれ以上に、脆そうな子どもだとも思った。

 

 

(あんなに張りつめてたのに、今じゃあ怪盗団として義賊家業に精を出してるんだろ? 真実くんと同じように、沢山の仲間に囲まれながら……)

 

 

 『久々に会った彼は、婚約者や友人に囲まれて元気そうだった』――真実の手紙に書かれていた内容を思い出す。東京で行われた八十稲羽物産展の写真が同封されており、クソガキとその仲間たちが映った写真も同封されていた。年相応に笑うクソガキの姿を見て内心安堵したのは秘密である。コイツこんな顔もするんだ、なんて思ったことも。

 怪盗団の電波ジャックの話題を聞かされたとき、彼らの戦いが大一番を迎えようとしているのだということは察していた。今回のターゲットは現職大臣――もとい、総理大臣に1番近い男、獅童正義。怪盗団を嵌めた張本人と思しき人物である。自分の世代も大概だったが、今世代はやたらとセンセーショナルな話題に事欠かないらしい。

 

 

「本当、近頃のガキはよくやるよなぁ」

 

「どうかしたのか?」

 

「いいや、何でもありませんよ」

 

 

 変わり者の看守の問いかけに、囚人――足立徹は笑みを浮かべて首を振る。

 

 

(この一件が片付いた頃に、クソガキに手紙でも書いてみようかな)

 

 

 どうせ暴言合戦にしかならないと理解していながら、そんなことを考えた。自分の手紙を受け取るクソガキの嫌そうな顔が浮かんで、足立は笑う。

 こちらの囚人ライフはそれなりに楽しい。不自由だけど、それなりに上手くやっている。おそらくは、クソガキもそうなのだろう。

 自分の手紙を受け取る相手が無事であるようにと願いながら、今日も足立徹の囚人ライフは続いていくのだ。娑婆に出る日が来るまでは。

 

 

 

 ――ああ、世の中そんなに悪くない。

 

 

◆◆◆

 

 

「怪盗団の逮捕に関わっていた全関係者を拘束しろ! 重要参考人としてだ!」

 

「シャドウワーカーの元締めである桐条財閥のトップと連絡が取れないだって!? 行先は!? ええい、なら組織全体を――」

 

「月光館学園高校の理事長が東京に来ているはずだ。明日は教育関係者のシンポジウムがあるからな。奴は組織の非常勤職員の中で一番地位が高い。そいつも拘束して情報を――」

 

「月光館学園高校の寮母も拘束しろ。奴もシャドウワーカーに所属していたはずだ。……寮にいない!? 田舎へ帰省? 奴は孤児だ、田舎なんてあるわけがないだろう!!」

 

「南条コンツェルンの次期当主と、特殊研究部門の調査員と連絡がつかないだと!? 調査員の弟である研究者はいるんだろ? なんとかして行先を聞きだすんだ! ……は? 寝ぼけて話にならない? お、おい、どうした!? おーい!?」

 

 

◆◆◆

 

 

「おい、智明と連絡は取れないのか!? 今まで連絡がつかないなんてことは一度もなかったのに、どうして……」

 

「獅童大臣! 彼からのものと思しき置手紙が……!」

 

「なんだと!? 見せろ!」

 

 

 焦った様子の部下から手紙をひったくり、獅童は文面に目を通す。息子が残した手紙を読まない父親などいない。

 丁寧に書かれた文字は、他の誰でもない獅童の息子・智明のモノだった。

 

 智明は明智吾郎の正体が異母弟であることに気づき、怪盗団からこちら側に引き入れようとしていた。だが、奴は怪盗団のリーダーとして活動しており、今回の大捕り物で捕まってみせることで、智明の誘いを蹴ったという。弟と一緒に暮らすことを夢見た智明の優しさをふいにした。

 裏切り者の末路は死。神条に任せればいいと言った獅童に対し『自ら幕引きを』と言って笑った息子の痛々しい表情を、どうしても忘れられなかった。智明はどんな気持ちで、奴を手にかけたのだろう。明智吾郎を片付けた後、智明は時折寂しそうな表情を見せるようになった。

 だが、ここ数日はピリピリした表情を見せるようになった気がする。もしかしたら、智明は自分の失敗に気づいたのかもしれない。あの放送のような爆弾が、獅童に降り注ぐと察知して、その責任に心を痛めていたのだ。獅童のために打開策を思案していたのだろう。

 

 手紙には自分のミスに気づいたこと、明智吾郎が生きていること、ヤツの恋人――有栖川黎――や恋人の関係者にも共謀罪の疑いがあること、ルブランの家宅捜索および喫茶店のマスターである佐倉惣治郎や、事件の担当検事である新島冴を重要参考人として取り調べるよう根回しをしておいたこと等が記されていた。

 

 

「『父さんの『改心』を阻止し、今度こそ怪盗団の息の根を止めてくる。父さんの息子として、命を賭して責任を果たす』だと……!? まさかあいつ、1人で……」

 

 

 今すぐ智明を追いかけたかったのだが、獅童には智明と同じ力――認知世界への干渉能力――はない。

 もう1人である神条に連絡を取ろうとしたが、奴の名前を出すとみな口を揃えて「そんな人間はいない」と言い張る。

 

 神条を呼びだせないとなれば、獅童が取れる方法はたった1つしかない。

 

 

(智明……)

 

 

 愛する女の忘れ形見の無事を祈る。『改心』を防ぐ方法が分からない今、自分ができることはそれだけだった。

 智明を死なせてしまったら、愛歌に何と詫びればいいのか。妻になるはずだった女性の顔を思い浮かべる。

 年のせいか、多忙な日々のせいか、愛した女の面持ちは、おぼろげながらにしか思い出せなかった。

 

 

◆◇◇◇

 

 

 フタバ砲と名付けられた予告状――公共電波の完全ジャックは見事に成功し、民衆たちの興味関心を惹くことはできた。後は獅童本人が、この電波ジャックに対して何らかのアクションを返せば予告状の効果が発現する。

 レスポンスはすぐに行われた。先程の電波ジャックに対し、獅童が会見を開いたのである。奴は『命を賭けて戦う所存である』と語った。あの反応からして、予告状は成功したらしい。獅童の表面上は冷静だが、中身は大荒れのはずだ。

 

 国会議事堂には多くの報道陣や野次馬一同が詰めかけていた。その中には大宅と三島がいて驚いたが、2人は怪盗団の活躍を信じてくれているようだ。

 きっと、この東京――あるいは世界の何処かで、俺たちを信じてくれる人たちがいる。黎と絆を育んだ人々や、俺が今まで出会った人々が。

 少ないファンでも大事にする――それが怪盗団のポリシーだった。彼らからの声援を背負い、国会議事堂の箱舟へと乗り込んだ。

 

 

「さあ、人間の黒幕との最終決戦だ。一気に行くよ!」

 

「了解!」

 

 

 ジョーカーの言葉通り、僕たちは早速本会議場に乗り込む。相変らずがらんどうとしていたが、議長席には見覚えのある男が佇んでいた。

 

 シャドウ獅童。今回のパレス攻略では、僕たちの前には一切姿を現さなかったパレスの主が、満を持して姿を現したのだ。壇上に佇む獅童を下から取り囲むようにして向かい合う。

 獅童は現実と変わらぬ格好をしていた。他のパレスの主は最初から城主の格好をしていたことを考えると、やはり獅童は他の連中と別格らしい。鋭い眼差しで僕たちを見下す。

 僕らの力の出所を怪しんだが、奴は「文句があるなら聞いてやろう」と笑った。そんな中、獅童は僕に視線を向け、忌々しそうに睨みつけてきた。

 

 

「お前の正体には、最初から気が付いていたよ。あの女の面影があったからな」

 

「……そうかよ」

 

 

 母さんのことを平然と“あの女”呼ばわりした獅童に対し、複雑な感情が湧き上がってくる。怒りであり、悲しみであり、寂しさ。

 この事態は予期していたことであり、けれども心の何処かでは、ギリギリまで嘘であってほしいと願い続けていたことだった。

 

 

「貴様が近づいてきた理由にも察しがついていた。大方、あの女の復讐のため、私を嵌めるつもりだったんだろう?」

 

「自分の息子が父親に会いに来たとは考えなかったのか?」

 

「あり得んよ。お前の目を見ればすぐに分かる」

 

 

 「実際にそうだったろう?」――獅童は得意満面の笑みを浮かべた。実際に“父親に会いに来た”わけではなかったので、僕は閉口する。

 

 

「お前が裏切ることは最初から予見していたからな。智明のスケープゴートに仕立て上げた後、折を見て消すつもりだった」

 

 

 ――そんなこと分かり切っていた。こいつが俺のことを何とも思っていないことも、『駒』として使い潰すつもりだったことも、早い段階で気づいてた。

 でも、それを直接真正面から突き付けられるのは、やっぱり辛い。今この瞬間ですら、僕は父親に愛されたいと願っていた。父を慕ってやまない子どもの姿に気づいてた。

 

 同時にそれは“明智吾郎”にも言えることで、“彼”は表情を歪ませていた。苦しそうに、悔しそうに、辛そうに歯噛みする。塞がりかけていた傷を無理矢理開かれたような痛みは、けれどすぐに和らぐこととなった。僕の隣にいたジョーカーが、当たり前のように僕の手を握ったからだ。

 力強く輝く灰銀の瞳は「大丈夫」と伝えてくれる。明智吾郎という存在をすくってくれる。ふらふらとよろめいたり、立ち止まりそうになったり、道を踏み外しかける度に、この手を引っ張り上げてくれた。隣にいてくれた。それがどれ程救いだったか。僕は苦笑した後、同じように指を絡めて力を籠める。

 “明智吾郎”に視線を向ければ――手は握っていないものの――同じようにして“ジョーカー”が“彼”の傍らに寄り添っていた。“彼”も俺と同じように、決意を込めて獅童をにらみつける。そこにはもう迷いは存在しない。()()()がそう思ったのと、仲間たちが怒りをあらわにしたのは同時だった。

 

 

「ふざけんな! クロウはお前の実の息子だろ!? どうしてそんなことができる!!」

 

 

 父親に関してあまりいい思い出がないスカルですら、獅童のような外道は規格外だったのだろう。

 最も、怒りに燃える彼の双瞼は、獅童のような下種の思考回路など理解したくないと叫んでいた。

 

 

「お前のような腐った外道でも、クロウにとってはただ1人の肉親だった。貴様に罪を問う彼の気持ちなど、分かろうともしないのだろうな……!」

 

 

 嘗て、自分の父親的存在であった班目を『改心』させたフォックスも息巻く。同じ痛みを抱える僕のために怒る彼の眼差しは鋭い。

 

 

「アンタ、本当に最低よ! 彼のことを何だと思ってるの!!」

 

 

 パンサーも怒りをあらわにした。奴とあまり縁のない彼女でさえこうなら、関係者の怒りは計り知れないだろう。

 

 

「わたしの大切な仲間をコケにしただけじゃない。お母さんの研究を奪って、命まで奪った……!」

 

「自分の利益のために好き放題して、人を何だと思っているの! 私のお父様まで巻き込んで、身代わりに殺そうとして……絶対に許さない!」

 

 

 ナビやノワールも、獅童に罪を突きつける。彼女たちの大切な家族は、獅童の身勝手な物差しによって滅茶苦茶にされたのだ。

 ナビの母親である一色さんは認知訶学のせいで殺されたし、ノワールの父親である奥村社長はスケープゴートにされかかっている。

 彼女たちの怒りや憤りを真正面からぶつけられても、獅童は一切揺らぐ様子を見せない。更に腹立たしいことに、奴は開き直った。

 

 「改革のためには犠牲がつきもの」――涼しい顔をして獅童は語る。民衆を愚か者と断じた獅童は、自分を優秀な人間とみなしているらしい。自分が民衆を導くのだと言って憚らない。足立とは違う方面の傲慢である。やっぱり手紙を書くのをやめようかな、なんて考えた。

 

 コイツのどこが優秀なのだろう。認知世界に干渉することができるペルソナ使いの助けがなければ、獅童はここまで地位を盤石にすることなどできなかったはずだ。

 獅童は一度、スキャンダルで窮地に立たされたことがある。けど、奴のスキャンダルを追求しようとした人間が亡くなったことで、それは有耶無耶になった。

 

 

「『廃人化』の力を有する智明がいなければ、アンタはここまで大きくなれなかったはずだろ。アンタはあいつも利用して――」

 

「貴様のような出来損ないが、私の息子を語るな!」

 

 

 僕が智明の名前を出した途端、獅童は激高した。僕は一瞬目を丸くする。奴は本気で、智明を大切にしているのだと理解した。父親として息子のことを心配していると。

 佐倉さんが分析した内容――智明も駒としか見ていない――とは違う結果に面食らう。“自分が望んだ子ども”だから、あそこまで怒ることができるのだろうか。

 

 

「あの子があの力を得たのも、『神』が私に期待しているからだ。私たち親子だから有用に使えたんだ」

 

「……その様子じゃ、自分に力を与えた『神』が如何なるものかなんて考えたこともないんだろうね」

 

「何だと?」

 

「そうやって調子に乗った連中は、軒並み“自ら破滅する”か“『神』によって破滅させられる”かの2択だったよ」

 

 

 自信満々に言い切る獅童に対し、ジョーカーは冷ややかな目を向けた。一瞬、獅童がピクリと眉を動かす。あの様子からだと、奴は本気で「自分は『神』から期待されている」と信じていたらしい。だが、すぐに奴は不敵に笑い返した。

 

 

「それは貴様らだとて同じことだろう。お前たちが行ってきた『改心』とやらは、民衆を熱狂させ、暴走させただけではないかね?」

 

「何を勝手な! 真っ当なやり方じゃ勝てない負け犬が、汚い手を使ってのし上がっただけだろ!?」

 

「貴方なんかに、人の上に立つ元首の資格はない。人々を道具のように扱い、罪の階段を上って成り上がった犯罪者が」

 

「一握りの犠牲者の命と、国家そのものの命。比べるまでもなかろう?」

 

 

 フォックスとクイーンが反論する。獅童はそれすら鼻で笑った。

 

 

「己の幸福以外は『自己責任』という名の他力本願。そんな愚民どもの願いを叶えてやるんだ。それが『神』に選ばれた、この私にしか成せない『世直し』だ」

 

「……『神』、ね。本気でそう信じて語っているならば、おめでたい。須藤竜蔵の二番煎じにならなきゃいいな」

 

「何……?」

 

「お前にとっての俺がそうだったように、『神』にとってのお前もまた“幾らでも替えの効く『駒』”の1つでしかないってことだ」

 

「――ふん、バカなことを」

 

 

 その自信はどこから来るのだろう。僕は正直、獅童の目は節穴なのではないかと心配になってきた。わざと須藤竜蔵の名前を出してみれば、奴の話は何となく知っていたのだろう。獅童は物凄く嫌そうな顔をした。

 須藤は表向き、“カルトに傾倒してテロを企てた”ことになっている。『御前』――もとい、ニャルラトホテプの化身を信仰し、奴の命令に従って動いた結果であった。珠閒瑠市の鳴海区が崩壊した事実も、須藤と新世塾によるテロ行為が原因ということにされていた。

 獅童は別に『神』を信仰している訳ではないが、“『神』が自分に力を貸している”と解釈している点においては須藤竜蔵の二番煎じだと言えるだろう。獅童もまた、『神』にとっては幾らでも替えの効く『駒』でしかないのだ。

 

 勿論、僕の指摘は獅童にとって腹立たしい話題でしかない。不愉快そうに眉をひそめた後、「奴と一緒にするな」と切り捨てた。

 ノワールとパンサーが憤る。特にパンサーは、「アンタみたいな奴が総理になることなんて誰も望んでいない」と叫ぶ。

 

 

「望んでない? ならば、何故私が選ばれた? 何故私に総理の椅子が明け渡された?」

 

 

 獅童は不敵に笑いながら語り出す。

 

 

「今や誰もが地道な努力を否定し、抜け駆けや一攫千金ばかり闇雲に追いかけている。だから、私が最強国家を樹立してやるんだよ。誰にもひれ伏さず、揺るぎない最強国家だ」

 

「何が最強国家だ! 犯罪者の作る犯罪国家の間違いだろっ!」

 

「貴様を放っておくわけにはいかないな。日本の恥さらしだ。その狂った心、奪い取ってやる」

 

 

 スカルとフォックスが身構える。勿論、身構えたのは2人だけじゃない。僕ら全員が獅童と対峙していた。奴は僕らに「配下になれ」と言ってきたが、そんなの満場一致でお断りである。地位や名誉が欲しくて怪盗団をしていた訳じゃないのだから。

 獅童は僕ら全員を見下して鼻を鳴らす。「愚民は愚民か」と嗤った後、怪盗団を排除すると宣言した。次の瞬間、誰もいなかった議会席に沢山の議員――しかも全員同じ顔だ――が割れんばかりの拍手を獅童に贈る。いきなり現れた認知存在たちに困惑したが、奴らはすぐに消えてしまった。

 次の瞬間、奴を乗せた壇上が上昇し始める。本会議場が変形し始めたのだ。――おそらく、獅童が僕たち怪盗団を迎え撃つに相応しい場所へ変わるのだろう。達磨の左目に墨が入る。どうすればいいのか分からずにいる面々を引っ張るようにして、僕は変形していく台座に飛び乗った。

 

 ここを飛び移れば、獅童の待つ壇上まで辿り着けるだろう。僕の意図を察したフォックスが飛び移る。仲間たちもそれに続いて、壇上へと移動した。

 紅白に彩られた木目のステージには、でかでかと必勝の文字が書かれている。「どんだけ勝ちたいんだよ」と獅童に文句を言おうとしたとき、奴は既にもっと高い所にいた。

 

 金色の人間たちが四つん這いになって重なる。さながら、獅童のために道を作っているみたいだった。獅童は彼らの背中を当たり前のように踏みつけながら、どんどん高みへ――金色の人間たちが造り上げた化け物の背負う玉座に向かった。階段を上る度、奴の身体が変貌していく。

 

 

「――さあ、速やかに死に給え。私の最強国家に、賊はいらぬ」

 

 

 獅童がパレスの主としての姿を取り戻す。顔を物々しい仮面で覆い、数多の勲章をつけた式典の衣装に身を包んでいる。背中には、クロウの怪盗装束同様赤いマントがはためいた

 奴が腕を組んだ瞬間、黄金の獅子が吼えた。民衆たちを“自分の思うがままに動かせる『駒』”と認識しているが故に、こんな化け物を使役できるのだ。

 

 

「ウチのリーダーとクロウが世話になった礼だ!」

 

「お前の罪、ここで全部終わらせてやる! 年貢の納め時だ、獅童正義!!」

 

「間違った大人は命懸けで止める……それが怪盗団だ!」

 

 

 スカルが啖呵を切る。僕もそれに続いて突剣を引き抜いた。ナビも頷き、プロメテウスを顕現してサポートを開始した。

 

 獅童の使役する獅子が僕らに襲い掛かって来る。奴は高らかに宣戦布告した。うっかり乗っかってしまった面々が獅子に攻撃し、ダメージをそのまま喰らってしまう。どうやら獅子は物理攻撃を反射するらしい。ノワールが状態異常を、モナやパンサーが回復術を使って体勢を立て直した。

 得意な状態異常と自分の耐性の組み合わせが嫌らしい。ここは属性攻撃を中心に攻めることになる。正直、男性陣は物理>属性攻撃のため、有効打を与えにくい部分がある。物理が得意な面々はサポートに回り、属性攻撃が得意な面々が次々と攻撃を叩きこんでいく。

 特に、属性ブースタとハイブースタ、コンセントレイト持ちのジョーカー、パンサーが主体になっていた。僕もカウを顕現し、コンセントレイトからインフェルノで獅子を焼き払った。奴は物理攻撃を得意としており、全体攻撃を主体にして攻撃を仕掛けてきた。

 

 

「っ……強いぞ、コイツ……! 回復を怠らず、属性攻撃を主体に攻めろ!」

 

「宣戦布告で激怒状態にならないよう気を付けて! 誰かが激怒状態になったら即刻治療すること!」

 

 

 ナビとクイーンの指示に従いながら、僕らは一進一退の攻防を演じ続ける。獅子も馬鹿ではないようで、マカラカーンを使って属性攻撃を弾こうとした。

 勿論、対策はしている。ジョーカーがペルソナを顕現し、マカラカーンの無効化を行った。守りを失った獅子に属性攻撃が降り注いだ。

 

 獅子は高らかに吼えると、力を貯め始めた。大抵こういうときは防御を固めておくのが得策である。僕らが衝撃に備えたのと、獅子が腕を振るったのは同時だった。防御を固めていたとしても、痛いものは痛い。

 

 

「ほいっとな! ――オマエら、まだ倒れんじゃねえぞ!」

 

「言われなくとも!」

 

 

 モナの顕現したゾロがメシアライザーを使い、僕らの傷を癒してくれた。フォックスを皮切りに、僕らも反撃する。

 それぞれの属性攻撃魔法を叩きこんでいくうちに、獅子の身体がぐらりと傾いた。どうやら効いているらしい。

 

 

「貴様ら……私に歯向かうことの意味、わかっているだろうな!?」

 

「わかりたくもないし!」

 

「ならば果てるがいい! 私に挑んだ愚行……あの世で悔いていろ!」

 

「お前がな! 但し、テメェが悔いるのはこの世でだ!」

 

「――何?」

 

「そう易々とあの世に逝かせて堪るかよ! 母さんに詫びさせるよりも前に、アンタにやらせなきゃいけないことは沢山あるんだ!!」

 

 

 獅童の言葉に対し、ナビと僕が反論する。次の瞬間、獅子が大地を蹴って飛びあがった。黒い闇が溢れ、獅子の姿が変貌する。次に現れたのは、羽を生やした獅子だった。変わったのは姿だけではなく、使う技や能力も変化したという。先程の戦術はもう使えない。

 獅子は属性攻撃を得意としており、属性攻撃を反射するようになっていた。次は物理攻撃が主体な面々が飛び出していく。どうやら獅子の使う属性攻撃の順番には法則があるらしい。それに合わせて防御しつつ、物理攻撃を叩きこんだ。時にはマカラカーンを使って攻撃を無効化して食い下がる。

 一通り属性攻撃を叩きこんだ獅子は咆哮すると、口からブレスを吐き出した。降り注ぐ光弾が僕らに襲い掛かる。光にやられたせいか、眩暈に見舞われた。どうやら眩暈に見舞われたのは僕だけではないらしく、ノワールが回復術を使ってくれたようだ。

 

 獅童が使役する羽の生えた獅子と、一進一退の攻防が続く。獅童の取り巻き、および民衆に関する歪んだ認知によって生まれ落ちた異形は、普通のシャドウとは桁違いだ。

 

 多分、この化け物の出所は獅童が子飼いにしている『駒』の戦闘力なのだろう。戦闘と言っても、腕っぷしだけがすべてではない。奴がVIPに選んでいた人間たち――政治家、旧華族、IT社長、ヤクザ――や、保身のために処分しようとした人間たち――秀尽学園高校の校長、特捜部長――らのように、権力やその分野のプロとしての実力そのものだ。

 奴は人間としての彼らではなく、“獅童正義の味方”としての力を欲した。人格なんて考慮しないし、ましてや人命なんて尊重していない。その結果が、獅童の思うがままに動かされる“黄金の獅子の化け物”だ。獅童正義の為だけに、持ちうるすべてを使って外敵を排除する獣。けれど、それが人由来の認知である限り、いずれ限界はやって来る。

 

 

「ここまで、やるとは……!」

 

 

 僕の予想通り、獅童の操る獣たちにも疲労の色が滲む。

 

 人由来の認知を使った異形たちには限界があることは、奥村社長のパレスで把握済みだ。彼の場合は物量重視で、社員1人1人をロボ兵隊として怪盗団に差し向けてきた。

 奥村社長とは違い、獅童は自分のシンパどもの力を束ねて強大な化け物を生み出した。奴の場合は質を重視している。長期戦はどちらにとっても辛いものだ。

 

 

「何故抵抗をやめない!? 私の目指す国家は、大衆の幸福の具現だと言うのに!」

 

「……大衆の幸福、ねぇ。そういうのはまず、箱舟の外に広がる地獄を見てから言おうか?」

 

 

 ジョーカーが真面目な顔して問いかけた。彼女の言うとおり、奴のパレス――箱庭の外は散々なことになっている。沈没した東京の街並みが広がっているのだ。

 あんな環境で人が生活できるとは思えない。“獅童の箱舟に乗れない大半の人間は、地獄のような世界で生活し、死んでいけ”ということに他ならなかった。

 地獄の光景を見つめながら、自らは絢爛豪華な箱舟の船長として悠々自適に過ごす……そんな人間が日本の舵取りを行った場合、大衆の幸福とは程遠い場所に辿り着きそうだ。

 

 獅童が舌打ちしたのと、獣が高く飛びあがって姿を変えたのはほぼ同時。次の姿は、最早獣とは無関係な物体だった。嘗て双葉のパレスを攻略したときに見たフォルム――ピラミッドが姿を現す。但しこのピラミッドは、多くの民衆たちによって造り上げられたものだ。

 ピラミッドの最上部に位置する玉座に、獅童は当たり前のように座っている。奴は不敵に笑いながら「理想のためには個の犠牲は必用なのだ」と語った。少量である個の犠牲だって、塵も積もれば山となるのだ。それを積み重ねた果てに顕現した形がピラミッドだとしたら――もう、擁護なんてできやしない。

 

 

「クイーン!」

 

「さっきとは攻撃方法が変わるわ! 万能物理攻撃を駆使するから、防壁による反射は通じないみたい。回復と強化を怠らないで!」

 

 

 ジョーカーがアナライズを求めれば、クイーンがナビから渡された情報を分析する。万能物理属性による攻撃は、耐性も弱点も関係なしにダメージが通る厄介な技だ。ダウンを奪われないとはいえ、連発されると辛いものがある。回復が得意な面々は援護に専念してもらい、攻撃が得意な面々がピラミッドに高威力の技を叩きこむ。

 

 降り注ぐ砲撃を防御したり、躱したりしながら、僕らは次々と攻撃を叩きこんでいく。獅子の時とは違い、防御属性に関して注意する必要がなくなったのが功を制したのだろう。先程より早いペースで、化け物に疲弊の色が見えてきた。

 だが、奴らの闘志はまだ折れていない。化け物は突如力を貯め始める。異変を察知したナビが防御するよう警告する。僕らは即座に指示に従う。次の瞬間、膨大なエネルギーが僕らに向かって発射された。それはステージ全体――ひいては箱舟全体を揺らす。

 防御が間に合わなかったら、全員が消し飛ばされていただろう。モナのゾロがメシアライザーを使って治療してくれたおかげで傷は癒えた。ピラミッドは再び砲撃を繰り出してくる。だが、明らかな疲弊の色は隠しきれない。

 

 攻めに転じて攻撃を叩きこんだ果てに、ついに化け物にも限界が訪れる。突如ピラミッドが大きく震えた後、それが姿を変化させた。獅子は呻き声を上げながら崩れ落ちた。それを見た獅童は舌打ちし、獅子の腹を蹴る。奴に忠実な化け物はふらつきながらも体を起こした。

 獅子は高らかに咆哮する。次の瞬間、獅子の身体が赤黒く光る闇に包まれた。顕現したのは、美しい羽を広げた天使。人が組み上がることで出来上がった矛と盾を掲げ、俺たちに襲い掛かって来る。先程と違い、奴には一切の疲労がない。ノワールとパンサーが目を剥く。

 

 

「そんな!?」

 

「ウソでしょ!?」

 

「これが私の力。愚民どもを自在に操る力だ!」

 

 

 天使の上部に出来上がった王冠が、獅童の玉座だった。奴は高らかに笑い、愚民によって造られた天使に命令を下そうとして――次の瞬間、天使の顔面部分が吹き飛んだ。顔面より上の部分――獅童の玉座はそのまま地面へ落下する。

 玉座に座っていた獅童は即座に受け身を取って態勢を整えたが、天使の方は別だった。冠、もとい玉座から指示を出す相手を失ったためか、明らかに体勢が揺らぐ。人間の中には形を保っていられなくて、そのまま落下していく者もいた。

 

 

「「――ペルソナァッ!」」

 

 

 男女の声が重なった。銃声とガラスが割れるような音が響き渡り、2つの影が顕現する。

 片や、双子星の片割れであるカストール。片や、死神の権化であるタナトス。

 前者は物理攻撃の破壊力に物を言わせ、後者は容赦なく冥府の扉を開いた。

 

 カストールの攻撃によって弾き落とされた人間ごと、天使を模した化け物が冥府の扉に引きずり込まれていく。死の摂理が相手なのだ。逃げられるはずもない。

 天使を形作る人間たちが失われたことと、2体の攻撃が決定打となったのだろう。ついに、獅童が造り上げた化け物が地面に叩き付けられて動かなくなった。

 

 先程のペルソナには覚えがある。巌戸台で発生した“影時間を失くす戦い”で見たペルソナたちだ。だが、カストールとタナトスが並んだ現場は見たことがない。その光景が奇跡であることを知っていた僕は、思わず2人の名前を呼んでいた。

 

 

「命さん、荒垣さん!」

 

「お待たせ吾郎くん! 助太刀に来たよ!」

 

「おい待て命! こんのはねっ返りが……!」

 

 

 パンツスーツに身を包んだ女性――荒垣命(旧姓:香月命)さんと、コートとニット帽を着込んだ男性――荒垣真次郎さんがこちらに駆け寄って来た。前者は身長の1.5倍ほどある長さの薙刀を握り締め、後者はノワールより2回りほど大きい――どちらかと言えば鈍器に近い大きさの――斧を軽々担いでいる。

 乱入したのは荒垣夫婦だけではない。薄く硝煙漂うライフルを担いだ至さん、くたびれた白衣とワイシャツを着た航さん、ライダースーツを身に纏った南条さん、シャドウワーカーとしての戦闘衣装を身に纏った美鶴さんが、獅童の用意した決戦場へと躍り出た。誰も彼もが剣呑な面持ちで指導を睨んだ。

 

 獅童は大きく目を見開いた。どうやら、獅童は怪盗団確保のために召集されたペルソナ使いたちも重要参考人として拘束していたらしい。

 今、僕たちの援軍に駆けつけてくれた大人たちも、漏れなく対象内だったようだ。「怪盗団の仲間であるという証拠を得た」と吐き捨てた。

 至さんたちを一瞥した獅童はちらりと化け物へ視線を向ける。無数の人間によって造り上げられた獅子は、もう動くことはなかった。

 

 

「使えん愚民どもめっ!」

 

「彼らに戦わせておいて、なんてことを……!」

 

「負けたときだけ愚民のせいってか!? 民衆をそんな風に扱う、テメーのどこが指導者なんだよ!」

 

「……獅童正義。やはり貴様には、日本の未来を語る資格はない」

 

 

 獅童が吐き捨てると同時に、獅子の姿が溶けて消えた。心無い言葉に美鶴さんが憤り、スカルが的確なツッコミを入れ、南条さんは確証を得たと言わんばかりに頷く。

 民衆を操作しておいて、民衆が思った通りに動かないとこの始末とは。苦戦はしたが、戦えない程ではなかったのが救いか。

 

 奴が造り上げた化け物を束ねるために使った人柱の数は、明らかに怪盗団やここに集ったペルソナ使いたちの人数より多いはずだ。それなのに、化け物の力は僕たちに及ばない。

 

 自分の敗因を「怪盗団や協力者であるペルソナ使いの数がそれなりに揃っていたから」だと語るあたり、獅童の目は節穴なのではなかろうか。

 「自分は決してミスを犯さない」と大層なことを語っていたが、分析能力に重大な欠陥が見られる。クイーン以下の分析力でよくここまで来れたものだ。

 

 

「こいつらを束ねているのが、貴様か……」

 

 

 獅童はジョーカーに一瞥くれると、つかつかと歩み寄って来る。

 

 

「感動の再会ね?」

 

「敵を潰すときは、今度からもっと確実を期すんだな」

 

 

 パンサーとフォックスが痛烈な嫌味を返した。2人の指摘はあながち間違いではない。

 ナビも畳みかけるようにして「おまえに今度はねーけどな」と言い放った。

 

 俺は反射的にジョーカーを庇うようにして前に踏み出した。彼女も獅童を睨みつける。――そこで、獅童はジョーカーの姿に何かを思い出したようだ。今更になって、奴は“ジョーカーと自分の間には深い因縁がある”ことを察したらしい。

 

 

「久しぶりだね。覚えてる?」

 

 

 それを見聞きしたジョーカーはドミノマスクを外す。晒されたのは、有栖川黎の端正な顔立ちであった。

 力強く凛とした佇まい。平時だったら見惚れていたであろう。脱線しかけた思考回路を戻し、改めて獅童を睨む。

 

 

「テメェがコイツを仕留め損なったのは、1度目じゃねえってことだ!」

 

「……まさか、裁判まで起こしといて『今思い出しました』とか言うんじゃねえよな……?」

 

「ふざけるな! こっちはずっと、犯人を忘れたことなんて一度もなかったってのに……! アンタみたいな奴に太刀打ちできなかったこと事態が黒歴史だったくらいよ!」

 

「冤罪をでっちあげてまで嵌めた相手のことを『覚えてない』なんて……心底、人を何とも思っていないのね」

 

 

 スカルが息巻く。反応の鈍い獅童の様子から、荒垣さんが目を丸くした。彼は恐る恐ると言った調子で獅童に問いかけたが、命さんが怒りを滲ませる方が早かった。クイーンに至っては呆れ果ててしまうレベルだ。

 ここでようやく、獅童は“目の前にいる少女こそが、自分が『気に喰わない』という理由で冤罪を着せ、人生を破滅させてやろうとした相手”――有栖川黎であることを思い出したらしい。奴の頭はスカスカではないか。

 獅童が自分のことを思い出したと察した黎は、鋭い眼差しを絶やさぬままドミノマスクを付け直す。怪盗団のリーダーであるジョーカーとして、『改心』させるべきターゲットである獅童を睨みつけた。対して、獅童はくつくつと嗤う。

 

 奴の眼差しはジョーカーだけでなく、彼女を庇うようにして立つ僕の方にも向けられていた。

 

 

「そうか、あのときのガキがな。しかも……成程。そういうことか」

 

「……何が言いたい?」

 

「こいつは興味深い巡り合わせだな。私とあの女の息子が、私に逆らい拒絶したクソガキと“出来上がっていた”とは!」

 

 

 僕の問いに対し、獅童は面白い玩具を見つけた子どものように笑った。

 この光景が愉快で仕方がないと言わんばかりに。

 

 

「なあ明智。この女の抱き心地はどうだった?」

 

「――は?」

 

 

 ――コイツは何を言っているのだろう。

 

 頭をぶん殴られたような衝撃。

 思考回路が吹き飛んだような感覚。

 

 

「何を呆けている? 抱いたんだろう? 私を拒絶し、お高く留まったこのガキを。こいつを組み敷いて、すべてを暴き立てて、貪るように犯したんだろう?」

 

 

 理解が追い付かない。

 意味が分からない。

 むしろ分かりたくなんかない。

 

 

「どのように啼いた? どのようによがり狂った? お前はどのような手段を用いて、どんな風にして、このガキを(オンナ)()としたんだ?」

 

 

 だってそれは。

 獅童の発言は。

 

 

「まあ、お前の顔を見る限り、造作もないことだったのだろうな。私があの女を弄んだときのように、簡単にできただろう」

 

 

 俺が黎と触れ合えるようになるまでの長い葛藤を。

 俺と黎が愛し合い、積み重ねてきた幸せな夜を。

 

 奴を愛した俺の母や、俺の婚約者である有栖川黎を、侮辱していることに他ならない――!!

 

 

「ああ、そういう意味では、お前も私の子どもだな。『流石は我が息子』と言ったところか!」

 

「――黙れェェッ!!」

 

 

 これ以上何も聞きたくなかった。何も言わせたくなかった。

 

 許さない。絶対に許さない。

 コイツだけは、この男だけは!!

 

 

「消し飛ばせ、ロキ!!」

 

―― 獅童ォォォォォォォッ!! ――

 

 

 俺はロキ――怒り心頭の“明智吾郎”を顕現し、獅童に向かって容赦なくレーヴァテインを打ち放った。獅童は不敵な笑みを浮かべて渾身の一撃を受け止める。奴のマントが衝撃波によって大きく翻った。

 獅童には傷1つ付いていない。息を飲んだ俺に対し、お返しだと言わんばかりに拳を叩きこまれた。重い一撃による衝撃と痛みに見舞われた俺の身体は、糸の切れた人形のように呆気なく崩れ落ちた。

 咳き込みながらもどうにか体を起こす。労るように背中をさする手に気づけば、ジョーカーが俺の傍に寄り添ってくれていた。“明智吾郎”の隣にも“ジョーカー”が寄り添う。俺たちを庇うように前に出た空本兄弟も、獅童を睨みつけた。

 

 

「この腐れ外道が……ッ! 吾郎が今までどんな気持ちでいたか、お前に分かるか!? お前のような父親を持った吾郎がどれ程苦しんできたか! 今まで散々傷つけて、苦しめて、追いつめてもまだ足りないというのか!?」

 

「最初は母親ごと捨てて、以後は音信不通の無関心で放置して、アンタの犯罪を目の当たりにさせて、終いには愛する女を実父が手籠めにしようとしたことを知らされて、この子は辛い思いしてきたんだよ。その上、今更息子呼ばわりだァ? 神経が図太いにも程があるだろ」

 

 

 怒りを剥き出しにする航さんが息巻く。至さんは能面みたいな顔をしながらも、言葉の端端に憤怒を滲ませている。

 大事な人たちに、これ以上心配をかけたくない。その一心で俺がようやく息を整えたとき、獅童は愉快そうに笑った。

 

 

「我が愚息が世話になったな。養育費として、一生遊んで暮らせる程の金をやろう。……ああ、それとも、地位の方がいいか?」

 

「そんな頭で次期国家元首だと? 笑わせる。国の舵取り以前の問題だな」

 

「人を見る目がないな。至が地位や名誉如きに心を奪われる人間に見えるなら、貴様の目は節穴の極みだ。獅童」

 

「美鶴ちゃんと南条くんの言う通りだ。病院行け病院。つーか、迷惑だからやめてくんねぇ? 吾郎はウチの子なんだから」

 

 

 呆れ果てた様子の美鶴さんと南条さんが額に手を当てる。至さんもそれに同意し、獅童を冷ややかに見つめた。獅童は忌々し気に舌打ちする。

 

 

「……成程。ゴミはゴミに似たのだな。その反抗的な目、そこにいる明智やガキどもとそっくりだ」

 

「ありがとうよ。保護者としては最高の褒め言葉だ」

 

「本当にな!」

 

 

 至さんは皮肉げに笑い、航さんは吐き捨てるようにして同意した。2人の話を聞いた獅童は、俺が何のために近づいてきたかの真意を理解したらしい。

 「女の復讐のためというのは間違いではなかったな」なんて笑いながら、俺やジョーカーが今まで行ってきた努力を「無駄」だと切り捨てた。

 力ある者が活躍するためには、少数の愚民は犠牲になっても仕方がない――光と影の対比を語る獅童の姿は、持論が正しいと盲目的に信じている様子だった。

 

 

「貴方が殺してきた人は、死んで当然の人だったと言いたいの……!?」

 

「……そんな調子で、今までずっと殺してきたってのかよ……!」

 

 

 ノワールが驚愕し、荒垣さんが心底信じられないと言いたげに獅童を見つめる。特に荒垣さんは、過失致死で天田さんの母親を死なせてしまった過去があった。

 

 不本意に人の命を踏みにじってしまったことを、天田さんの人生を滅茶苦茶にしてしまったことを、荒垣さんは強く悔いていた。予測不可能回避不可能な事故だという事実よりも、命を奪ってしまったということを重く受け止めていた。罪を償うために制御剤にも手を出して、自分の寿命を著しく潰して、復讐者の為に死ぬ準備までしていた人だ。

 けれど、荒垣さんは天田さんに配慮していた。人の命を奪ってしまった荒垣さん自身が苦しんだのだから、天田さんもきっと苦しむだろうと予期したが故に。11歳の子どもが自分と同じ苦しみを背負い、自分のようになってしまうという未来予想図は耐えられなかったのだろう。自分は殺されても当然だが、自分以外の人間が業を背負うことを嫌った人だ。

 

 だからこそ、荒垣さんは獅童の思考回路を理解できるはずがない。受け入れられるはずがない。

 人1人を死なせてしまったことを深く悔いた男に、蟻を踏み潰すようにして数多の命を奪った挙句正当化した外道など。

 獅童の言動に賛同できないのはパンサーと命さんも同じようで、剣呑な面持ちで獅童を睨みつけた。

 

 

「完全に狂ってる……」

 

「本当にどうかしてるよ。人の命を何だと思ってるの!?」

 

 

 命さんの憤り具合は半端なものではない。彼女は両親と死に別れたことを皮切りに、『死』や『命』というワードに縁深い旅路を歩むこととなった。

 その旅路で得た“命のこたえ”を得た命さんは、『死』や『命』ときちんと向き合いながら生きている。故に、『命』を粗末に扱い、悪戯に『死』を振り撒く獅童が許せないのだ。

 

 

「貴様ら愚民がそれを理解できるとは思っていない」

 

 

 不意に、上空から声が響いた。見上げれば、達磨の描かれた横断幕の上部に佇む人影の姿。

 つい先日戦った獅童の『駒』にして、『廃人化』と精神暴走の実行犯――獅童智明が、そこから壇上へと着地した。

 息子の姿を見た獅童は明らかに動揺した。だが、智明は獅童のことなど歯牙にもかけず、淡々と言葉を紡ぐ。

 

 

「人間は導き手を欲する生き物だ。怠惰こそが人間の本質。統一する者がいてこそ、人間の願いは叶う。それを、“我が主”に代わって()が証明しよう」

 

「そうだ、智明。()()が証明してみせよう。――貴様ら怪盗団を、叩き潰すことでな……!」

 

 

 俺は智明の様子に違和感を覚えたが、それよりも先に、獅童が不敵に笑う方が早かった。息子が来たことで勢いを取り戻したらしい。

 

 獅童はマントを翻す。次の瞬間、奴は上半身を惜しげもなく晒していた。服の下には鍛え抜かれた筋肉が潜んでいたらしい。獅童の認知から考慮すると、“奴は箱舟の船長に相応しくあるよう、自らの研鑽を欠かさず行っていた”ということになる。結果、あのような姿を取ることができたのだろう。

 俺の予感は間違っていなかったようで、ナビが「あのムキムキはハッタリじゃないよ!」と警告してきた。愚民どもの力を借りずとも、自分で叩きのめすという意志を示している。対して智明はシャドウを召喚すると、それらを一つに合体させて強力なバケモノを顕現した。奴はバケモノを俺たちへと嗾ける。

 

 だが、バケモノの進路を阻むようにして、大人たちが飛び出した。次々とペルソナを顕現し、バケモノと智明へ攻撃を仕掛ける。智明への敵意を察知したバケモノは、即座に智明を守るように動く。

 至さんのナイトゴーンドが、航さんのヴィシュヌが、命さんのタナトスが、荒垣さんのカストールが、南条さんのヤマオカさんが、美鶴さんのアルテミシアが、バケモノに躍りかかった。

 

 

「明智くん! こちらは我々に任せろ!」

 

「吾郎、お嬢! ――決着、付けて来い!」

 

 

 南条さんと至さんが振り返って微笑んだ。命さんと荒垣さんも不敵に笑う。2人の双瞼は優しく瞬いていた。

 

 

「思いっきりぶん殴って来なよ! 今まで酷い目に合わされたんだから、数発殴るくらい許してもらえるって! そうじゃなきゃ不公平よ!」

 

「吾郎、黎。――怪盗団、死ぬんじゃねえぞ」

 

 

 バケモノを使役していた智明も、大人たちの実力を察知したらしい。忌々し気に舌打ちし、ペルソナを顕現した。

 赤と青を纏った黒羽の大天使が降り立ち、数多の光が降り注ぐ。それを遮るようにして、冷気と風が吹き荒れた。

 

 

「小癪な……!」

 

「外道が何か言っているようだな。……まあ、俺たちには関係ない話だろうが」

 

「フフ、仰る通りだ。悪鬼外道に情けは不要。――処刑する!」

 

 

 航さんは無表情で吐き捨てると、即座に剣を構えて駆け出した。美鶴さんも不敵に微笑みながら突剣を引き抜いて彼の後に続く。

 

 ――俺の尊敬する大人たちなら、任せられる。俺はそう信じることができた。

 

 

「クロウ、立てる?」

 

「勿論。戦えるさ」

 

 

 心配そうにこちらを覗き込むジョーカーに笑い返し、立ち上がる。凄まじいオーラを身に纏った獅童は、ファイティングポーズで俺たちと対峙していた。

 

 長かった。長い間、俺は獅童正義を追ってきた。のたうち回りたくなるほど苦しい夜を超えて、愛する人や大切な仲間と共に、どこかの世界で抱いた後悔や祈りの権化も連れて、ようやくここまで来れたのだ。

 すべては奴の罪を終わらせるため。愛する人――ジョーカー/有栖川黎に着せられた冤罪という汚名を雪ぐため。そうして、愛する人や尊敬できる大人、大切な仲間たちと一緒に生きる明日を手に入れるために。

 

 

「――行こう、みんな」

 

「おう!」

「ああ!」

「うん!」

「ええ!」

 

 

 ジョーカーの音頭と共に、俺たち全員が得物を構えて駆け出した。

 日本の未来を、俺たちの明日を決めるための戦いが、幕を開ける。

 

 




魔改造明智の獅童パレス攻略、VS獅童の第1段階目です。今回は区切りがいいのでここまで。智明に関することをもっと多く描写したかったのですが、奴が本性を晒すのは展開的にもう少し後なのでお預けと相成りました。
次回は獅童第2形態戦、および獅童との決着までになる予定。今回は南条圭、桐条美鶴、P3P主人公♀と荒垣真次郎の夫婦、魔改造明智の保護者達がゲスト参戦。財閥トップは獅童のやり口に、荒垣夫婦は命を踏み躙っても悪びれる様子のない獅童に、魔改造明智の保護者は獅童の態度に怒りそうだと思った次第です。
拙作P5主人公は女の子なので、その影響もあってか獅童の下種&腐れド外道度合いが上昇しました。結果、魔改造明智と保護者達の逆鱗に触れた模様。次回辺りに、魔改造明智が発散のため暴れる予定となっています。“明智吾郎”の怒りも天元突破状態なのでどうなることやら。
獅童は原作明智を馬鹿にしていましたけど、獅童にだってお粗末な部分はあるんですよね。一色さんの研究データをきちんと管理していて、特に『改心』に関わりそうなワードをピックアップしていれば、予告状が出た時点で手を打つことができたはずなんですよ。思い切りの良さはあったのだから、もう少し早ければ……。
怪盗団が有名になっていく中で、『改心』のカラクリに気づけるチャンスは幾らでもあったはずです。特に10月末~11月半ばは原作明智を怪盗団の元に張り付かせている訳だから、原作明智から『改心』のメカニズムを聞かされていたでしょう。その時点で一色さんのデータを見直していれば、『改心』を防ぐ方法を発見できた可能性があります。
……そう考えると、「完璧主義者で頭は切れても、肝心要の大一番でしくじる」という点は親子の遺伝だったのかも。うわあ、嫌な遺伝だなぁ(遠い目)


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お後は……うん。大変よろしくないようだ

【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 @空本(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄で明智の保護者その1。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
 @獅童(しどう) 智明(ともあき)⇒獅童の息子であり明智の異母兄弟だが、何かおかしい。獅童の懐刀的存在で『廃人化』専門のヒットマンと推測される。実は……?
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『運命を切り開くだけの簡単なお仕事』および『ペルソナ3異聞録-.future-』、Pixivの『2周目明智吾郎の災難』および『【一発ネタ】有栖川黎の幼馴染』の設定を下地にし、別方向へ発展させた作品である。
・ジョーカーのみ先天性TS。
 ジョーカー(TS):有栖川(ありすがわ) (れい)⇒御影町にある旧家の跡取り娘。旧家制度は形骸化しているが、地元の名士として有名。身長163cm。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空本(そらもと) (わたる)⇒明智の保護者2で、南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。
・敵陣営に登場人物追加。
 @神取鷹久⇒女神異聞録ペルソナ、ペルソナ2罰に登場した敵ペルソナ使い。御影町で発生した“セベク・スキャンダル”で航たちに敗北して死亡後、珠閒瑠市で生き返り、須藤竜蔵の部下として舞耶たちと敵対するが敗北。崩壊する海底洞窟に残り、死亡した。ニャラルトホテプの『駒』として魅入られているため眼球がない。明智吾郎の生存を見届けた後、獅童パレスの機関室に取り残される。
・「2罰ボスの外見を見た人間の反応」に関するねつ造設定がある。
・普遍的無意識とP5ラスボスの間にねつ造設定がある。
・『改心』と『廃人化』に関するねつ造設定がある。
・春の婚約者に関するねつ造設定と魔改造がある。因みに、拙作の彼はいい人で、春と両想い。
・魔改造明智にオリジナルペルソナが解禁。
・あるペルソナが使用時期を前倒しして解禁。但し、本当の意味での「フルパワー」ではない。
・初代で覚醒したペルソナ使いが、一部にP5の術技およびP5術技の効果を持つものを使用している。
・R-15
・獅童の外道具合が原作以上。下品、且つ、下種な発言をするため注意。
・描写はないが、男性同士に関する下品なワードが出てくるので注意。但し、あくまでもネタであり、関係する要素を否定する意図はない(重要)。
・描写はないが、男性同士に関する下品なワードが出てくるので注意。但し、あくまでもネタであり、関係する要素を否定する意図はない(重要)。
・描写はないが、男性同士に関する下品なワードが出てくるので注意。但し、あくまでもネタであり、関係する要素を否定する意図はない(重要)。
・真メガテン4FINALより、とある悪魔の名前と姿を参照にした敵が出現。ネタバレ防止のため、本編とあとがきに詳細を記載。


 遂に、獅童正義との直接対決を迎えた。先程は民衆たちに対する認知から作り出した異形を使役して襲い掛かって来た男が、今度は自らの肉体だけで怪盗団を倒そうと襲い掛かって来る。

 鍛え抜かれた筋肉を惜しみなく露わにした上半身は、『国の舵取りを行う者に相応しい研鑽を積み重ねてきた』という自信の表れだろう。実際、奴の経歴は華々しいエリート街道一直線だった。

 

 輝かしい経歴を維持するために、どれ程の努力を積み重ねたかなんて想像に難くない。他者との競争や足の引っ張り合いが多いのだ。一歩間違えれば足立のようにドロップアウトしてもおかしくなかった。だからといって、他者を陥れて嵌めることで踏み台にしてのし上がるというやり方には賛同できるはずもないが。閑話休題。

 

 獅童はヒートライザによる自己強化やデカジャで強化を打ち消しながら、主に肉弾戦や万能属性攻撃を仕掛けてくる。

 奴に殴られると、どうしてか強い恐怖に見舞われてしまうのだ。現実では、金や権力を駆使して物言わせている実績だろう。

 そうやって、獅童は多くの人々をねじ伏せてきたのだ。奴は今まで自分がしてきた隠蔽工作を認知に置き換えることで、高火力を叩きだしている。

 

 

「邪魔者は消す。それが誰であろうともなァ!」

 

「ぐ――!」

 

 

 獅童の拳と俺の突剣がぶつかり合って火花を散らす。だが、圧倒的な力によって、俺は吹き飛ばされて叩き付けられた。

 

 勝てない。こんな奴相手に勝てるはずがない。――俺の思考回路は、一瞬でそれに支配される。

 母さんを侮辱したコイツを謝らせることも、黎の冤罪を注いでやることも、俺には土台無理な話だったのだ。

 

 立ちすくんだ俺を見た獅童が嘲笑う。歪められた金色の双瞼には、情けない顔をした白装束の怪盗が映し出されていた。

 獅童は俺のことを「愚か者」と詰った。今更気づいてももう遅いのだと言わんばかりに、奴は万能属性攻撃――メギドラを打ち放った。

 メギドラオンの破壊力より遥かに劣ると頭では分かっているのに、身体が全く動かない。恐怖の感情に飲み込まれて――

 

 

「ほらクロウ、しっかりしろ!」

 

「痛ってえなスカル! 後で覚えてろよ!」

 

「お前だって、さっき俺の頭思いっきりぶっ叩いたじゃねーか!」

 

 

 スカルにハリセンでぶっ叩かれ、俺はどうにか恐怖から解放された。

 

 つい先程は俺がスカルをハリセンでぶっ叩いて正気に戻したため、今回のやり取りは「お互い様」である。ハリセンによる殴打を使った状態異常回復が間に合わない場合、アイテムや回復術でカバーする戦いが続いていた。

 獅童の破壊力も抜群であるが、防御力もただ者ではない。先程から幾ら攻撃を叩きこんでも、奴の筋肉の鎧を打ち砕くことができないままだ。鍛えるということは攻撃だけでなく、防御面でも発揮されている。

 

 

「死ね、ガキどもぉ!」

 

「誰がそう簡単に死ぬか!」

 

 

 獅童はジョーカーへ殴り掛かった。ジョーカーは即座にペルソナを付け替える。物理反射のペルソナによって、奴の攻撃はそのまま反射された。

 間髪入れず、付け替えたペルソナを顕現して獅童に追い打ちを喰らわせた。その際、獅童の身体が一瞬揺らめく。見えにくいだけで、ダメージは蓄積されていたらしい。

 それに気づいたパンサーとノワールが、前者がコンセントレイトからの属性攻撃、後者がチャージからの物理攻撃を叩きこんだ。スカルもノワールに続く。

 

 俺はロビンフッドを顕現してランダマイザを使って獅童を弱体化させ、カウにチェンジしてチャージを使った。これで物理攻撃の威力が跳ね上がる。俺の中にいるロキ――“明智吾郎”は鬼のような形相で攻撃のタイミングを待っていた。

 

 その怒りは“彼”のモノでもあるし、俺のモノでもある。次々と攻撃を叩きこんでいく仲間たちに続いて、俺もロキを顕現した。

 ロキの放ったレーヴァテインと獅童の拳が派手にぶつかり合う。何度も同じ光景を繰り返してはいるが、形勢は俺の方に傾きつつあった。

 

 

「負けて、堪るかァァァァッ!」

 

「むぅ――!」

 

 

 ついに俺と“彼”のレーヴァティンが獅童の拳に競り勝ち、奴の身体を穿つ。獅童は踏み留まったが、奴の表情には若干の疲労の色が見て取れた。

 

 

「逃さんぞ!」

 

「まずい、回避率が下がった!」

 

「フォックス!」

 

「任せろ! ――カムスサノオ!」

 

 

 獅童のマハスクンダによって回避率が下げられてしまったが、ジョーカーは慌てることなくフォックスに指示を出した。

 フォックスはカムスサノオを顕現し、マハスクカジャをかけることで弱体を相殺する。これでイーブンだ。

 

 

「やるな……。しかし、私が賊に負ける道理はない!」

 

 

 獅童はそう叫ぶなり、拳を地面に叩き付けることで衝撃波を発生させた。俺たちはそれを喰らってしまう。満身創痍とはいかずとも、奴の攻撃は手痛いものばかりだ。

 状況を読み取ったジョーカーがモナに指示を出す。2つ返事で頷いたモナが、全体回復術を駆使して傷を癒してくれた。お返しとばかりに、こちらも攻めに転じる。

 

 

「こっちだって、悪党に負ける謂れはないっての! ――おいで、ヘカーテ!」

 

「アンタの犠牲になった人々や、私たちの怒りを思い知れ! ――アナト、フルスロットル!」

 

「これ以上、罪の連鎖が広がらないためにも……! ――アスタルテ、ご覧あそばせ!」

 

 

 パンサーがヘカーテを、クイーンがアナトを、ノワールがアスタルテを顕現して獅童に攻撃を仕掛けた。炎が舞い、核熱が爆ぜ、一撃必殺を誇る物理攻撃が叩きこまれる。女性だからと言って舐めてはいけないのだ。

 勿論これだけじゃ終わらない。スカルがセイテンタイセイを、モナがゾロを顕現し、突撃と突風を喰らわせる。獅童が僅かに怯んだ隙をついて、フォックスが顕現したカムスサノオがブレイブザッパーを打ち放った。

 獅童は踏み止まり、こちらに攻撃を仕掛けてくる。万能属性攻撃、メギドラ。恐怖に飲まれていたときは恐ろしかった攻撃だが、普通に考えれば、俺はメギドラオンの威力を何度も目の当たりにしている。大したことなんかなかった。

 

 お返しに、カウのコンセントレイトで威力上昇をかけていた万能属性攻撃を喰らわせてやる。

 獅童のメギドラよりも威力の高い――否、最強威力の万能属性攻撃だ。

 

 

「――射殺せ、ロビンフッド!」

 

「――奪え!」

 

 

 俺がロビンフッドを、ジョーカーがアルセーヌ――否、アルセーヌの形を纏った『6枚羽の魔王』――を顕現し、メギドラオンを打ち放つ。自分の使う技の上位互換を俺たちが平然と使いこなしていることに驚いたのか、獅童が目を見開いた。

 奴が何かを言う前に、炸裂したメギドラオンが獅童を飲み込む方が早い。爆音に紛れ、獅童が苦悶の声を上げた。俺たちの攻撃が、ようやく獅童の強靭な肉体を揺らがせたのである。このまま攻めれば勝機がある。俺たちがそう確信したときだった。

 

 獅童がよろめきながら体を起こす。奴は忌々しそうに「底辺のガキ」と怪盗団を馬鹿にした。

 

 勿論、怯んだ隙を逃す程、怪盗団は甘くない。

 ナビの合図に従って『オタカラ』を奪おうとし――

 

 

「あーはっはっはっはっ……!」

 

 

 獅童は意味深に高笑いする。あの様子からして、何か奥の手を隠し持っていることは明らかだ。

 猪突猛進のスカルが踏み止まり、ジョーカーが険しい顔をしたあたり、それは正解だったらしい。

 「これで私に勝ったつもりじゃないだろうな?」と、獅童は俺たちを嘲笑った。

 

 

「大人社会を支配するエリート中のエリートの力……クソガキどもに振るうのは癪ではあるが、とことん教え込んでやる……!」

 

「まだ来んの!? 力の使い方、絶対間違ってるって!」

 

 

 追い詰められても平然と立ち上がり、戦闘態勢を取る獅童。余裕すら見せる不敵な笑みに気圧されたのか、ナビが引きつった声を上げた。

 

 しかし、ジョーカーは不敵な笑みを浮かべて獅童と対峙する。心を奪い取る――彼女の意志は変わらない。リーダーの意志に続くようにして、仲間たちも獅童に向き直った。俺も突剣を握り締めて獅童を睨む。

 次の瞬間、獅童が高らかに咆哮した。奴の上半身を覆っていたプロテクターが吹き飛び、肌が赤黒く変色する。鍛え上げられた筋肉は既にはち切れそうなくらい盛り上がっており、かえって歪になってしまったように思える。顔に至っては、より一層醜悪になっていた。

 

 

「ウソ……また強くなってる! 見た目もアレだし、本当にコイツヤバい……」

 

「これが、獅童の歪み……!」

 

「……ふん。死ね」

 

 

 獅童はそう言うなり、この場全体を覆いつくさん勢いの炎を打ち放った。弱点を突かれたフォックスがダウンしてしまい、その隙をつくようにして、獅童は衝撃波を打ち放つ。

 姿が変化したのは演出だけでなく、戦術の変化も意味していたようだ。先程とは違い、奴は物理攻撃の他に様々な属性攻撃を打ち放ってくる。

 先程戦った獅子と同じように、使う属性の順番には法則性があるらしい。弱点属性が来たら防御、もしくはマカラカーンで反射することで態勢を整えた。

 

 獅童は淀んだ吐息をジョーカーに放つ。この技は状態異常の付着率を上げるものだ。ジョーカーは小さく舌打ちしたが、獅童は状態異常攻撃を繰り出す様子はなかった。

 それを機と見たジョーカーや俺もペルソナを付け替えながら攻める。しかし、ペルソナを付け替えられるということは、一歩間違えると弱点を突かれてしまう危険性があった。

 

 

「抵抗は無意味だ」

 

「ぐぁっ!」

 

「クロウ!」

 

 

 巻き上がった冷気に飲み込まれ、俺はそのままダウンしてしまう。カウの弱点は冷気属性だからだ。

 

 獅童が追い打ちとばかりに拳を振り上げる。ジョーカーが俺を庇うようにして躍り出て、短剣で受け止めた。威力を相殺しきれずに競り負け、地面に叩き付けられる。

 俺がどうにか体を起こすと、ジョーカーは茫然と獅童を見上げていた。彼女の身体は小刻みに震えている。淀んだ吐息によって状態異常の付着率が上昇していたことを思い出した。

 

 恐怖で竦んでしまったジョーカーを見て、獅童は不気味な笑みを浮かべて舌なめずりする。その動きは、認知の黎と杏に好き放題していた鴨志田の姿を連想させた。

 加えて、獅童は一度、黎を手籠めにしようとして拒絶されている。その腹いせで冤罪事件をでっちあげるのだから、それなりに気に入っていたのかもしれない。

 有栖川黎という少女の貌と名前や彼女に冤罪を着せたことを忘れていた辺り、黎のことは酒のつまみ程度の気持ちで手籠めにしようとしたのだろう。俺の母親と同じように。

 

 

『何を呆けている? 抱いたんだろう? 私を拒絶し、お高く留まったこのガキを。こいつを組み敷いて、すべてを暴き立てて、貪るように犯したんだろう?』

 

『どのように啼いた? どのようによがり狂った? お前はどのような手段を用いて、どんな風にして、このガキを(オンナ)()としたんだ?』

 

 

 悪意を孕んだ金色の目が歪む。俺の頭に響いたのは、醜悪に笑った獅童が俺へと向けた言葉たちだ。奴の手はジョーカーの服を引きちぎらんと伸ばされる。

 有栖川黎に冤罪を着せるに至ったあの夜を、少女を力づくで組み敷こうとしたあの夜を、本来はそうなっているべきだという奴の認知を、獅童正義は再現しようとしている――!!

 

 

「ジョーカーに触るなぁッ!」

 

―― “ジョーカー”に触るなぁッ! ――

 

 

 ()()()は同時に叫んで、獅童に突っ込んだ。奴は俺の攻撃を察したのか、即座に体を反転させて拳を突き出す。

 俺が身に着けていたはずのカウはいつの間にかロキへ変わっており、“彼”の怒りによるブーストで、獅童との鍔迫り合いに打ち勝った。

 振り返れば、モナがハリセンでジョーカーの頭をぺしんと叩いていたところだった。恐怖から解放されたジョーカーは即座に跳ね起きる。

 

 

「――マガツイザナギ!」

 

 

 八十稲羽の足立が使っていたペルソナが顕現し、獅童を文字通りの血祭りにあげた。獅童に冤罪を着せられた夜の怒りをぶつけるが如く、マガツイザナギの剣が振るわれる。

 

 獅童が醜悪に顔を歪める。そこへ、他の面々がペルソナを顕現して高威力の攻撃を次々と叩き込んだ。

 煙が晴れた先にいた獅童は、先程以上に顔を醜悪に歪めていた。忌々しそうに僕たちを睨みつける。

 

 

「後悔するがいい。再び私を怒らせたことをな」

 

 

 獅童が眼光をぎらつかせた。刹那、奴はすさまじいスピードで動き出す。自己強化を施し、俺たちの回避率を下げた獅童は、禍々しいエネルギーを炸裂させた。防御が間に合わずその攻撃を喰らってしまう。

 

 

「なんだあの威力は……!」

 

「みんな、回復優先だよ!」

 

 

 満身創痍一歩手前のフォックスが歯噛みする。ナビが慌てて叫べば、体を起こしたジョーカーがペルソナを顕現した。温かな光が俺たちの傷を癒す。仲間たちはどうにか体を起こした。奴の強化を打ち消しながら、こちらも反撃体制を整える。

 次の瞬間、獅童が属性攻撃を打ち放って来た。極寒の冷気が炸裂する。全体攻撃から単体攻撃へと変わったが、威力は先程の属性攻撃より遥かに上昇していた。パンサーは寸でのところで回避したが、真正面から餌食になっていたら大変なことになっていただろう。

 

 今まで以上に攻撃的になった獅童と、一進一退の攻防を繰り広げる。奴の猛攻を捌き、時には耐え忍んで迎え撃った。

 

 モナは完全に回復と援護役になっていたし、俺はペルソナを付け替えては弱体や攻撃で忙しい。

 攻撃の際は“明智吾郎”が手を貸してくれることもあり、獅童の体力を削り取っていく。

 

 

「敵体力低下! もう少し、もう少しだ!」

 

「小癪なガキどもめ! 一気に決めさせてもらうぞ!」

 

 

 獅童が再び眼光をぎらつかせる。先程と同じ連続行動を繰り返し、禍々しいエネルギーを撃ち放った。

 

 確かに威力は凄まじいが、こちらだって負けるつもりは微塵もない。ボロボロなのはお互い一緒だ。

 仲間たちが駆け出す。迷うことなく獅童を見据えて、この巨悪を打ち砕くために。

 

 

「テメェの悪事もこれまでだァ! ――ブッ放て、セイテンタイセイ!」

 

「貴様の罪を絶つ! ――行くぞ、カムスサノオ!」

 

「大人しく『オタカラ』を差し出せ! ――威を示せ、ゾロ!」

 

 

 スカルがド派手に突撃し、フォックスが切り刻み、ゾロが突風を巻き起こす。勿論、これだけでは終わらない。

 女性陣も追撃し、獅童に容赦なく攻撃を浴びせた。締めとして、クイーンのアナトによるフラッシュボムが炸裂する。

 

 

「ジョーカー!」

 

「うん! 行くよクロウ!」

 

 

 俺とジョーカーが駆け出す。俺たちの考えを呼んだのか、仲間たちは迷うことなく道を開けた。後は任せたと言わんばかりにみんなが不適な笑みを浮かべている。

 フラッシュボムによる煙が晴れた。獅童は崩れ落ちる寸前で踏み止まっている。一歩遅れて、奴は俺たちの存在に気づいた。黄金の瞳をぎょろりと見開く。

 

 

「来い、ロキ!」

 

「行こう、マガツイザナギ!」

 

「「――これで、終わりだぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」」

 

 

 俺がロキを、ジョーカーがマガツイザナギを顕現する。前者はレーヴァテインを、後者はマガツマンダラを獅童に叩き込んだ。

 

 獅童は俺たちの攻撃を受け止めようと手を伸ばしたが、防ぐことは叶わなかった。最大威力の攻撃を真正面から喰らう。膨大な呪詛に飲み込まれた獅童は身動きが取れない。そこへ向かって、神話の剣が容赦なく奴の身体を貫いた。

 顕現した闇と剣が消え去るのと、奴の身体が傾いたのはほぼ同時。獅童は踏み止まろうとしたが、最後は力尽きてそのまま倒れこんだ。鍛え上げられた屈強な身体は解けるように消えて、スーツ姿の獅童正義が現れる。

 傷だらけになった獅童はよろよろと体を起こした。自分以外のものを見下し、政敵も邪魔者も容赦なく潰してきた現職大臣。奴は今、怪盗団に取り囲まれ、見下ろされ、剣呑な眼差しを向けられていた。

 

 背後から断末魔の悲鳴が響く。振り返れば、至さんたちも智明が生み出したバケモノを撃破したところだった。

 操っていた張本人である智明も戦意喪失したらしい。床に膝をつき、俯いたまま沈黙していた。

 

 俺たちはそのまま獅童親子を包囲する。自分の負けを信じられないのか、獅童はどこか茫然としていた。クイーンは冷ややかに言い放つ。

 

 

「多くの人を『廃人化』させた罪、生きて償ってもらわないとね」

 

「オチる前に、ウチのバカップルたちになんか言うことあんだろ?」

 

(…………あれ? 今、何かおかしくなかったか?)

 

 

 バカップルという単語に一瞬僕は目を見張るが、大人含んだ周りの人々は誰もそれに異を唱えない。

 俯いている智明は無言を貫き、僕とジョーカーを一瞥した獅童に至っては「そうだな。確かにバカップルだ」と頷く始末だ。

 

 

「認めよう。……お前に罪を着せたよ」

 

 

 ジョーカーに視線を動かした獅童は、訥々と語り始める。黎に冤罪を着せた夜、女性に迫ったときのことを。

 

 政治家にスキャンダルは致命傷である。いくら相手の弱みを握って黙らせたとしても、どこから嗅ぎつけられるか分からない。

 そう考えた獅童は、保身の方法を探した。結果、自分に逆らった有栖川黎にすべてを被ってもらおうと思い至ったようだ。

 身勝手にも程がある。憤る僕とジョーカーに、獅童は再び視線を向けた。傍若無人だった金色の瞳は、今や力なく揺れている。

 

 

「お前たち、済まなかったな……」

 

「え……?」

 

「……私の身勝手な保身が、お前たちを苦しめてしまった」

 

 

 獅童の謝罪の意味を、一歩遅れて理解する。これは有栖川黎だけに向けられた謝罪ではない。明智吾郎にも向けられているものだ。

 まさか獅童が、しおらしく謝罪の言葉を述べるだなんて思わなかった。僕だけではなく、“明智吾郎”も呆気に取られている。

 

 “明智吾郎”は、あの機関室から先に起きた出来事を知らない。怪盗団に獅童の『改心』を託したことは事実だが、獅童がどのような言動をしたかについては一切知らないのだ。

 “明智吾郎”にとって理解しがたい光景はまだ終わらなかった。「誰かに『済まない』という感情を抱いたのは久々かもしれん」と語った獅童の目線が、“彼”を捕える。

 偶然だったのかもしれない。でも、獅童の眼差しは、僕の背後に漂う“明智吾郎”にも向けられていた。僕が目を見張ったとき、ひらひらと金色の蝶が視界の端に舞うのを見た。

 

 僕や“明智吾郎”がいるこの世界が『誰かの未練や望み、祈りによって造り上げられた』ならば、その誰かの中にも“獅童正義”がいたのだろうか。『“明智吾郎”に対して『済まない』という気持ちを抱いた“獅童正義”』がいたのだろうか。――もっとも、それを察する方法は存在しないが。

 

 

「大人しく罪を償いなさい」

 

「フ……それもいいかもしれんな」

 

 

 ジョーカーの言葉を聞いた獅童は、まんざらでもなさそうに笑った。

 隠蔽工作、スケープゴートを十八番にしていた男からは想像もつかない。

 

 

「嘘……。あれ程自己中だったヤツが、素直に罪を認めるなんて……」

 

「コイツが『改心』……。とんでもねえな、こりゃあ」

 

 

 見るからに変貌した獅童の言動に、命さんが目を丸くする。荒垣さんも難しい顔をして獅童の様変わりを見つめていた。荒垣夫婦の言葉を聞いた航さんが補足を入れる。

 

 

「いいや、これはまだ第1段階だ。シャドウが『改心』しても、現実に影響するまでは少々時間がかかる。今回は選挙戦の結果が出る18日頃だろう」

 

「選挙前に『改心』してくれれば良かったのだろうが、贅沢は言っていられないか……」

 

「だろうな。いずれ、選挙はやり直しになるだろう。年末年始は『日本の国家元首が不在』という、前代未聞の事態になりそうだ」

 

 

 航さんの分析を耳にした美鶴さんと南条さんは顔を見合わせた。声は不満そうだが、双方共に笑みを浮かべている。満足げだった。

 南条・桐条の財閥トップは、黎の冤罪話を耳にして憤っていたのだ。長い時間はかかるだろうが、汚名を雪ぐ手立てを得たことに満足しているらしい。

 冤罪をでっちあげた張本人である獅童の証言と、奴が隠し持っている証拠があれば、黎に付けられた汚名――暴行罪の前科者というレッテルは払拭できる。

 

 僕らが顔を見合わせ笑みを浮かべたのと、黙っていた智明が顔を上げたのは同時だった。

 「あーあ」と零した其れは、明らかな落胆と軽蔑で彩られている。

 

 僕らの困惑の眼差しなどなんのその。智明は何てことなかったように立ち上がると、自分についた砂ぼこりを払った。

 

 

「がっかりだ。お前には失望したよ、獅童正義。折角ゲームの『駒』として使()()()()()()のに、こんな有様だとは」

 

「……と、智明? お前、何を……」

 

「――まあ、使い潰す前提で見出したのだから、こうなるのは仕方がなかったのかもしれん」

 

 

 息子の様子が変わったことに気づき、獅童は智明に声をかける。酷く戸惑ったような父の声を聞いた智明は、まるで道端のゴミを見るような冷淡な視線を向けてきた。

 

 その眼差しには覚えがある。ニャルラトホテプが人間を嘲るときのような目だ。神が人を見下すときの眼差しだ。

 獅童親子との会食で見かけたような和やかな空気など存在しない。父を思う息子の優しい眼差しはどこにもない。

 

 

「何を言っているんだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「――は?」

 

「もっと言うなら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだから、()()()()、“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()”だって()()()()()

 

 

 呆気にとられる獅童を放置し、智明は淡々と語り始める。

 

 

「本来なら明智吾郎(そっち)の方を道化として使い潰すはずだったが、急遽代用品(かわり)が必要になってな。明智吾郎の代わりに収まるべき存在を生み出す必要に駆られた。その誉れある役として“我が主”から命を受けたのがこの()だった」

 

「やっぱり、貴方は『神』の化身だったのね……!」

 

「しかも、『本当はクロウを使い潰すつもりでいた』と悪びれる様子もなく言ってのける辺り、人間を玩具程度にしか思っていないことがよく分かる発言だわ」

 

 

 智明の1人称が変わった。ノワールとクイーンの言葉など歯牙にもかけない。人間らしさを削ぎ落としたような無表情で、智明は更に言葉を続ける。

 

 

「“我が主”からニャルラトホテプの力を賜った私は、まず、議員としての成り上がりを目論むお前に取引を持ち掛けた。『お前の出世を盤石なものにする代わりに、私の言った通りに世界を認識しろ』と。結果、お前はパレスの主となる程の認知の力、および、精神暴走や『廃人化』を行う力を持つ人間を手に入れた。そうして、その人間が違和感なく人間の世界で生きていけるような設定を、お前の認知を下地にして造り上げた結果が“獅童智明”だった」

 

 

 「だから、獅童智明なんて少年はどこにも存在しない」――智明ははっきりと言い切った。

 愛してきた息子から突き付けられた言葉に、獅童は茫然と智明を見上げる。

 

 

「そんな……そんなバカなことが……!」

 

「いるはずのない子どもを溺愛するお前の姿は実に滑稽だった。明智吾郎がいるはずのない異母兄に嫉妬するのも含めてな。随分と楽しませてもらったよ」

 

 

 次の瞬間、奴の背後にペルソナが顕現する。赤黒い羽と青黒い羽を持つ大天使が発生させた衝撃波によって、僕たちは吹き飛ばされた。

 僕はどうにか受け身を取って着地する。僕の隣にいたジョーカーも着地した。至さんも上手い具合に着地できたようだ。他の面々は地面に叩き付けられたようで呻いている。

 唯一吹き飛ばなかったのは獅童だけだ。獅童は哀願にも似た情けない顔をしながら、自分を処分しようとする息子――息子だと認識していたハズの“誰か”へ手を伸ばす。

 

 幾多の戦場――『神』が課した理不尽な試練――を知っている僕にとって、予測可能な事態だった。

 

 先程僕が獅童に対して言い放った通りの光景が、寸分狂わず広がっている。

 しかし、獅童は僕の注意なんて聞いていない。今この瞬間でも、その可能性に目を向けようとしない。

 

 

「――くそっ!」

 

 

 僕は舌打ちし、駆け出す。

 

 母と僕を捨てただけでは飽き足らず、俺の一番大切な女性(ひと)である有栖川黎に冤罪を着せた憎い男。

 “明智吾郎”の存在を知っていた上で利用し、最後は使い潰そうと画策した奴だというのは本当のこと。

 

 ――だけど、奴を見捨てられない理由が、僕にはある。

 

 

「智明……!」

 

「もう、お前はいらないや」

 

「――させるかァァ!」

 

 

 獅童正義を死なせるわけにはいかない。奴にはまだ生きてもらわなくては困るのだ。黎の冤罪を晴らすためにも、死なれては困るのだ。

 

 俺は獅童と智明の間に割り込む。次の瞬間、奴は光を打ち放って来た。

 聖なる光は獅童を裁くことなく、俺に容赦なく降り注ぐ。

 その一撃をどうにか耐えきった俺は、獅童を背に庇いながら智明を睨みつけた。

 

 

「……どうした? 何故こいつを庇う? 殺しても飽き足らぬ程に憎い相手ではないのか?」

 

「そう易々とあの世に逝かせて堪るかよ! 母さんに詫びさせるよりも前に、コイツにやらせなきゃいけないことは沢山あるんだ!!」

 

 

 智明は興味深そうに俺を見つめる。俺は噛みつくような調子で言い返した。

 

 

「それに何より、俺は怪盗団のクロウ。『改心』専門のペルソナ使いだ! 怪盗団は、人殺しなんてしない……!」

 

 

 鴨志田のパレスを攻略する際、モルガナ相手に言った言葉が脳裏をよぎる。『たとえ相手がどんなに腹立たしい相手でも、決して人殺しはしない』――それが怪盗団の掟だ。『改心』専門のペルソナ使いとしての矜持だ。俺が俺としてここで生きるために必要なことだった。

 智明は呆れたように俺を一瞥する。奴の姿がペルソナの姿と重なって二重にぶれた。攻撃を仕掛けようとする智明に対し、俺は獅童を庇いながら防御を固める。回避するという選択肢は存在しない。攻撃を避ければ、獅童が智明の攻撃に晒されるためだ。そうなれば、獅童が『廃人化』することに繋がる。

 

 黎/ジョーカーの冤罪を晴らすためにも、彼女に冤罪を着せた獅童正義本人の証言が必用なのだ。

 今更俺に父親だとは名乗らなくていいし認知もいらない。養育費という名目の手切れ金もいらない。

 俺が獅童に望むことはただ1つだけだ。――有栖川黎につけた前科者のレッテルを剥がしてほしい。

 

 獅童は茫然と俺を見上げている。奴の声は、今まで聞いたことのないくらい情けないものだった。

 

 

「明智、お前……私を、庇って……? 私はお前を――」

 

「――うるせえ」

 

 

 俺は獅童を睨みつける。俺が憎んだ獅童正義――歪んだ傲慢に塗れた腐った大人――はもう、この世のどこを探しても存在しないのだろう。

 今俺の目の前にいる獅童正義は、殺す価値もないくらいに無様な姿を曝している。“明智吾郎”が復讐したかった獅童正義も、もういない。

 

 

「別に俺は、“アンタが自分の父親だから”庇ったわけじゃない。ジョーカーの……“有栖川黎の冤罪を晴らすのに、真犯人であるアンタの証言と証拠が必要だから”庇っただけだ」

 

「明智……」

 

「俺は明智吾郎。()()()()()()()()()()()()()けど、母さんがいてくれた。母さんが亡くなった後は、至さんや航さんがいてくれた。俺は黎を好きになって、黎も俺に応えてくれた。俺を支えてくれた人たちがいて、尊敬できる大人たちがいた。かけがえのない仲間だってできた」

 

 

 脳裏に浮かんだのは、獅童が母を捨てて去っていく想像上の光景だ。俺が宿る胎を庇うようにして撫でながら、1人泣き崩れる母。そんな母を見捨てて去っていく獅童の背中は、夜の帳へと消えていく。

 

 獅童のことだ。『子どもが私の子であるという証拠はない』だの『政治家のスキャンダルに繋がるから降ろせ』だのと言ったんだろう。

 もしかしたら、母に金を握らせて堕胎を迫ったのかもしれない。日記に『堕胎を迫られた』と書き記されてはいないが、あり得ない訳ではなさそうだ。

 俺ごと母を捨てた男は今、俺をじっと見上げている。縋りつくような眼差しを向けている。――でも俺は、敢えてそれを突き放した。

 

 

「――だから、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 「父親に愛されたい」と泣いていた子どもは涙を拭い、立ち上がった。歩き出す前に踏み止まり、ちらりと男を一瞥する。そうして、振り返ることなく駆け出した。――自分を迎え入れてくれる、温かな場所に向かって。

 子どもの傍らには、黒と紫のライダースーツを身に纏った甲冑仮面も一緒だった。“彼”も、もう二度と振り返ることはないのだろう。愛されなかった痛みを抱えながらも、そんな自分を愛してくれる人々に応えるために歩き出したのだ。

 

 黎/ジョーカーの冤罪を晴らすためにも、彼女に冤罪を着せた獅童正義本人の証言が必用なのだ。

 今更俺に父親だとは名乗らなくていいし認知もいらない。養育費という名目の手切れ金もいらない。

 俺が獅童に望むことはただ1つだけだ。――有栖川黎につけた前科者のレッテルを剥がしてほしい。

 

 背後で唖然とする男に対し、素直にそう言い切った。俺は智明と向かい合う。相変らず、智明は無機質な瞳をこちらに向けていた。奴が顕現したペルソナが力を収束させる。俺は来るべき衝撃に備えて身を固くして――

 

 

「――チッ」

 

 

 次の瞬間、智明は舌打ちして飛び去った。

 

 奴の頬を銃弾がかすめる。目標から外れた場所に着弾した刹那、ステージの一部を抉り取るようにして攻撃が炸裂した。もしこの攻撃が直撃していたら、智明の頭が吹き飛んでいただろう。俺が振り返った先には、ライフルを構えて戦闘態勢を整える至さんの姿があった。

 至さんは追撃と言わんばかりに2発目を放つ。それは智明ではなく、智明のペルソナの肩に着弾した。次の瞬間、智明の肩から赤い花が咲く。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と言わんばかりにだ。

 

 

「まさか、ペルソナとして顕現している方がコイツの真の姿――本体なのか……!?」

 

「その通りだ」

 

 

 ペルソナ研究を行ってきた航さんが目を見開く。智明は無表情のまま肯定した。智明とペルソナの姿が2重にブレたと思った刹那、智明の姿がTVのノイズのように消え去る。

 認知世界――獅童のパレスと言えども――に降臨したのは、赤黒い羽と青黒い羽を有する大天使だった。奴は圧倒的なプレッシャーを放ちながら、俺たち人間を見下す。

 

 

「我が名はデミウルゴス。“我が主”、統制神により生み出された配下。人間の魂を物質界に閉じ込めておくことを望む、世界の監視者だ」

 

「デミウルゴス……? その名前、どこかで……!」

 

 

 獅童智明だったモノ――否、デミウルゴスは名乗りを挙げた。その名を耳にしたモナが眉間の皺を深くした。アイスブルーの瞳は激しい敵意を剥き出しにしている。

 その様は、ニャルラトホテプの名を聞いたときと非常によく似ていた。モナは愉悦を司る悪神に関連する話題が出ると見境なく殲滅を訴える、フィレモン関係者の過激派だ。

 モナは『デミウルゴス』という単語に聞き覚えがあるようだ。どうやら『デミウルゴス』という悪神の化身は、モナの失われた記憶と関係がある可能性が出てきたらしい。

 

 ……そういえば俺も、デミウルゴスという単語をどこかで耳にしたような気がする。

 

 グノーシス主義に伝わる話でも、デミウルゴスという名前の神は存在していた。けど、それは昔にちらりと見た程度だ。では別件だろうか。……確か、桐島英理子さんが海外ロケで向かった先に、グノーシス主義に登場する神々の名前と共通項のある神話が語り継がれる地があった。

 その神話にも、デミウルゴスという名前で『神』の化身が出てきていた。“『神』の化身という名目でデミウルゴスという単語が出てきた”話題はこれしかない。ヤツが『神』の化身であるなら、奴の親玉の名前も出てきていたはずだ。俺がその記憶を引っ張り出そうとして――

 

 

「何だぁ? 上から何かが……」

 

「船の舵、か?」

 

 

 荒垣さんと美鶴さんが素っ頓狂な声を上げる。2人の声に弾かれるようにして見上げれば、パレスの『オタカラ』がゆっくりと降りてきたところだった。

 

 

「――成程な。この箱舟の舵を取るためのものか。ならばこれは、“総理大臣となって国を動かす野心の権化”という訳だな……」

 

 

 美鶴さんは眉間の皺を深くして呟く。箱舟の船長として君臨していた獅童には相応しい形をしている。現実へ持ち帰れば全く違うものになるのかもしれないが、この世界では船の舵として顕現しているようだ。これを奪い取れば、獅童の『改心』は成功するだろう。

 だが、問題はデミウルゴスがどう動くかだ。奴は獅童を切り捨てるために攻撃を仕掛けてきた。故に、どんな行動に出るか全く未知数なのである。相変らず獅童は茫然としたまま身動きしない。余程、『神』から切り捨てられたことがショックだったのだろうか。

 

 

「……この国の舵は、私が取る……!」

 

「獅童?」

 

「私がやらねば、誰がやる……!?」

 

 

 獅童がよろよろと体を起こす。奴は虚ろな表情で、ブツブツと呟きながら『オタカラ』へ手を伸ばした。奴の傲慢さにフォックスが眉をひそめる。

 次の瞬間、獅童は呻き声を上げて倒れこんだ。テレビを消すが如く、獅童のシャドウがこの場から掻き消える。――箱舟全体が、揺れた。

 何事かと怪盗団の面々が顔を見合わせる。パレスの崩壊という現象は察知できたが、問題は“『オタカラ』を奪っていないのに崩壊が始まった”ことだ。

 

 

「――死なば諸共、か」

 

「何だと……!? 貴様、この現象の意味を知っているのか!?」

 

 

 淡々とした様子で感想を漏らしたデミウルゴスに、南条さんが問いかける。

 

 

認知世界(パレス)が崩壊するのは、認知世界(パレス)の元である歪んだ認知(『オタカラ』)正した(うばった)ときだけではない。人間ありきの認知として、認知世界(パレス)の主である本性(シャドウ)や現実にいる本人が()()()()()()認知世界(パレス)存続(いじ)は不可能になる」

 

「まさか……現実側の獅童正義が、自殺を企てた?」

 

「成程な。人間が行える中で、『改心』を阻止する手っ取り早い方法だ。歪んだ認知(『オタカラ』)さえ正されな(うばわれな)ければ、認知世界(パレス)は後で何度でも再建できる。……最も、息を吹き返したとて、認知世界(パレス)を再建できるだけの歪んだ認知(『オタカラ』)を持ち続ける人間は数少ないのだが」

 

「た、確かにその理論ならば、『理論上で可能』だと言えるけど……でも、そんなの無茶苦茶だ! そこまでして、現実の獅童は『改心』されたくなかったってのか!?」

 

 

 デミウルゴスの話から認知訶学に関するワードを拾った航さんとナビが目を剥いた。デミウルゴスは感嘆の息を吐いて、航さんの推論を肯定する。

 ……最も、この面々の会話は全然成立していない。主にデミウルゴスの方が対話する気がない――1人ごとの体を取っている――ためだ。

 奴が楽しく1人ごとに興じている間にも、箱舟全体の揺れが酷くなってきている。パレスの崩壊はどんどん進んでいるようだった。

 

 不意に、デミウルゴスがジョーカーに視線を向ける。つい、と、異形の目が細められた。

 

 

「おめでとう、『黒衣の切り札』」

 

「っ!?」

 

「“我が主”もお喜びになっている。貴様の旅路ももうすぐ終焉(おわり)。心して励むことだ。それと――」

 

 

 心底嬉しそうに、愉快そうな感情を乗せた声は、俺を視界にとらえた途端に消え去った。

 絶対零度を思わせるような冷たさと、日本刀のような鋭利な切れ味を含ませた声へ変貌する。

 

 

「――『白い烏』、貴様は別だ」

 

「!?」

 

「更生は不要。償いも不要。ただ粛々と、『罪』を犯した『罰』を受けよ。それこそが、『白い烏』たる貴様に相応しい『破滅』だ。――逃すものか。決して、逃すものか……!!」

 

 

 明智吾郎への呪詛を残して、奴の姿が掻き消える。次の瞬間、またどこからか爆発音が響いた。

 

 このままここで喋っていても仕方がない。「とっとと『オタカラ』を盗って逃げるぞ!」と叫んだモナに従い、舵を持って船内を走る。だが、パレスの崩落によって、幾つかの通路が瓦礫で寸断されてしまっていた。

 ナビが分析しようにも、リアルタイムで道が潰えていく。このままでは獅童の策通り、俺たちはパレスの崩落に巻き込まれて死ぬことになる。『オタカラ』が残り続ければ、獅童が再び『廃人化』ビジネスを駆使して自己のための千年王国を築こうとするだろう。

 

 文字通りの万事休す。足を止めている間もないのに、脱出経路が次々と潰されていくという極限状態だ。

 必死になって頭を回していたとき、不意に俺はペルソナが急接近する気配を感じ取る。

 気づいたのは俺だけではない。至さん、航さん、南条さんも驚いたように目を見開く。

 

 刹那、俺たちの背後でド派手な破壊音が響き渡った。何事かと振り返れば、そこには1体のペルソナが顕現していた。

 海底洞窟や機関室で対峙したようなスマートなフォルムではない。御影町で初めて対峙したあのパワーワードの権化――仏像の顔がそこにあった。

 

 

「げぇぇ!?」

 

「な、なんじゃこりゃあああ!?」

 

 

 パンサーとモナが悲鳴を上げる。ジョーカーと俺を除いた怪盗団の面々やシャドウワーカーの面々は目を剥いてその異形を凝視した。

 

 

「――神取?」

 

 

 思わず、と言った調子で、俺たち――俺、ジョーカー、至さん、航さん、南条さん――5人の声が重なる。体躯のほとんどが黒ずんでいるが、俺たちの前に現れたのは12年前御影町で相対峙したペルソナ――ゴッド神取そのものだった。あの頃とは違い、ゴッド神取は一言も言葉を発しない。

 だが、奴が何を言わんとしているのかは伝わった。それを確認したのか、奴はくるりと踵を返し、壁や天井を破壊しながら上昇していく。しかも、ご丁寧に俺たちが飛び移れるように道まで整えていた。あまりにもシュール極まりない光景に戦慄しながらも、怪盗団やシャドウワーカーの面々がゴッド神取既知者――俺たち5人の後に続く。

 だが、ゴッド神取の姿はボロボロと崩れつつあった。おそらく、神取鷹久の本体はあの機関室で既に消滅していたのだろう。今ここで俺たちを導いているのは、神取鷹久のペルソナ――否、神取鷹久という魂そのものの残りカスなのだ。彼が残した、正義の味方――或いは真の意味での導き手になりたかった男の“最期の意地”。

 

 箱舟から国会議事堂入り口に出る頃には、ゴッド神取の姿は御影町で見たものから海底洞窟で見たものへと変わっていた。だが、その姿は崩れ、殆ど原形を留めていない。

 これ以上ゴッド神取の力を借りることはできないだろう。俺がそう判断したのと、クイーンが左右反対方向にある救命艇2つを発見したのはほぼ同時だった。

 

 

「あれを使えば脱出することができるかもしれない!」

 

「だが、この調子では到底間に合わないぞ」

 

 

 フォックスが苦い表情を浮かべて救命艇へ視線を向ける。そこは船の丁度先端部であり、斜め45度に傾いている。距離も相当だ。この距離を走り切らねば、いつ爆発に巻き込まれるかわかったもんじゃない。でも、どうすれば救命艇に手が届くだろう。

 

 

「――俺が行く」

 

 

 名乗りを挙げたのはスカルだった。彼の目は真剣そのもので、この役目は絶対に譲らないと訴えている。

 「今走らなきゃ、いつ走るんだよ」――スカルは自分自身に言い聞かせるようにして宣言する。

 

 足を壊され陸上から引退させられた元スプリンターの眼差しは、救命艇をしっかりと見据えていた。

 

 

「片方だけじゃ足りないぞ。反対側にぶら下がってる救命艇も回収しないと」

 

「じゃあ、私が行く!」

 

「はぁ!? ちょっと待てこのはねっ返り!!」

 

 

 美鶴さんの言葉を聞いた命さんが元気よく手を上げた。荒垣さんが鬼気迫る顔で食いつく。惚れた女は全力で守る主義――彼の仇名が“荒垣紳士郎”と呼ばれる所以――である荒垣さんにとって、命さんの言動は――ラウンジの攻防を皮切りとして、その大半が――寝耳に水状態だ。

 荒垣さんは全力で引き留めようとしたようだが、最終的には命さんの「私の方が先輩より足速いんで、私が行った方がいいと思います」という理詰めによって黙らせられていた。破壊力に特化するペルソナ使いは足が遅い傾向がある。荒垣さんも漏れなくその1人だった。

 荒垣さんを援護しようとした至さんも、「女には引いちゃいけないときがあるんですよ」という謎理論に気圧されて沈黙していた。彼の怯え様は、麻希さんや英理子さんに『航さんを口説くために味方になれ。ところでどちらの味方になるのか?(意訳)』と睨みつけられたときの反応とよく似ている。

 

 その一部始終を見たスカルは神妙な面持ちで命さんを見つめていたが、すぐに前へを向き直る。命さんもまた、救命艇を見据えていた。

 2人はほぼ同時に駆け出す。スカルがクラウチングスタート、命さんがスタンディングスタートだ。どちらも俊足を生かして駆け抜ける。

 

 果たして、スカルも命さんも目的を果たすことができた。海面を飛び越え、ほぼ直角となった甲板を走り抜け、救命艇を海上へ落とすためのスイッチに掴り、操作することに成功したのである。怪盗団と大人たちに分かれて救命艇に乗り込んだ俺たちは、即座に2人の回収へ向かった。

 

 

「よいしょーっ!」

 

「うわああああああああああああああああああ!!?」

 

 

 救命艇が近づいてくるのに気づいた命さんは何を思ったのか、ロープを掴んでいた片手を離し、召喚機を引っ張り出して引き金を引いた。ガラスが割れる音と共に、白いペルソナ――メサイアが顕現する。命さんはメサイアの腕に収まるようにして、そのまま救命艇目がけて降下した。

 荒垣さんが絶叫しながら救命艇の最前列に飛び出してきたのを確認した途端、彼女はパアアと表情を輝かせてメサイアの顕現を解く。荒垣さんは反射的に腕を広げ、命さんを受け止めた。揺らぐことなく伴侶を抱き留めたその姿はとても格好良かった。閑話休題。

 

 

「何やってるんだ馬鹿! 一歩間違ったら死んだかもしれないんだぞ!?」

 

「いやー、何かこう、『飛び降りた方が安全』な気がしたんで。それに、何かあってもシンジさんが受け止めてくれるって信じてましたから!」

 

「そういう問題じゃねぇだろ! 何でお前はいつもそんな……俺の心臓に悪ィことばっかしやがる……!」

 

「……あー、そうかー。そういうことかー」

 

 

 スカルは呆気にとられた様子で命さんと荒垣さんの様子を見ていたが、すぐに解脱した菩薩みたいな顔をした。彼はスイッチに掴ったまま救命艇が到着するのを待つことにしたらしい。荒垣さんに説教される命さんを横目に見たが故か、割と堅実な手を選んでいる。

 勢い任せの彼が慎重な行動を取るとは珍しかった。だが、次の瞬間、スカルは何者かの体当たりを喰らい、救命艇が近づく寸前に弾き飛ばされた。間抜けな悲鳴を上げて、彼はそのまま救命艇にダイブする。俺とフォックスが慌てて飛び出し、奴を受け止めることで事なきを得た。

 転覆したら洒落にならない。犯人に対して文句を言おうと顔を上げた刹那、甲板が轟音と共に爆発し、炎に飲まれる。スカルを突き飛ばした犯人――最早上半身と顔以外何も残していなかったゴッド神取も例外ではなかった。俺たちは唖然とその姿を見つめることしかできない。

 

 ゴッド神取が爆炎に飲まれる直前、その姿に重なるようにして神取が見えた。奴は静かに微笑んで、サングラスを外す。俺の見間違いでなければの話なのだが、奴の両目は空洞ではなかった。いつか見たぎらつく瞳が、優しさと期待で満ちている。

 ニャルラトホテプの『駒』になって以来、奴に魅入られた証として瞳は失われていた。神取の目に瞳が戻ったということは、彼は悪神の『駒』から解放されたのだろうか? その答えを確かめる間もなく、神取鷹久の姿は爆風に飲み込まれて消え去った。――おそらくは、永遠に。

 

 これが最後だった。此度の神取鷹久が歩んだ旅路を彩る、彼が下した“命のこたえ”。正義の味方に倒されるだけの悪役が、己の命を賭して成し得た、取るに足らない偉業だ。この価値を知っているのは、恐らくここにいる俺たちだけなのだろう。

 

 

「――――……ッ!」

 

 

 俺は彼の名前を呼ぼうと口を開いた。そのはずだったのに、俺の声はまともな音になりはしなかった。

 

 言いたい言葉は幾らでもあって、伝えるべき言葉も山程あって、言わなければならない言葉も沢山あった。なのに、喉に閊えたように言葉が出てこない。ひゅう、と、なり損なった笛のような吐息が零れただけだ。

 もしあのままスカルがスイッチに掴ったままでいたら、彼は爆風に飲み込まれていただろう。爆発に巻き込まれたらひとたまりもない。下手したら、“スカルを生贄にして生き残った”という笑えない可能性だってあった。

 

 

「あー、やっぱり。だから『飛び降りた方が安全』だって思ったのかぁ」

 

 

 荒垣さんとの夫婦喧嘩を終えた命さんは、納得したように頷いた。彼女は旅路で得た“命のこたえ”の影響か、死の気配に敏感だった。自慢することではないのだが、伊達に死の権化を長い間内包していたわけではない。

 妻の暴挙にこんな理由があったなんて知らなかった夫は、酷く驚いたように目を剥いた。難しい顔をした荒垣さんの隣で、美鶴さんが苦笑しながら肩をすくめる。放課後特別課外活動部のリーダーは、あの頃から何も変わらない様子だ。

 

 対して、至さん、航さん、南条さんは神取がいた場所を見つめていた。甲板は燃え盛る炎によって飲み込まれており、人間がいたら生きているとは思えない場所と化していた。認知存在の多くも、崩壊に巻き込まれていた。

 聖エルミン学園高校OBである3人だって、神取に言いたいことは沢山あったろう。それでも何も言わなかったのは、至さんと南条さんは御影町と珠閒瑠市で、航さんは御影町で、奴の生き様に触れたからかもしれない。

 特に前者2人はニャルラトホテプの『駒』として甦った神取と対峙している。奴が共に往くことを拒否し、海底洞窟で最期を迎える選択をした理由を察していた。……だから、この結末に言葉が出ない。何を言っても無粋になってしまうから。

 

 

「……あの人は、救われたのかしら?」

 

「……今となっては、もう分からないよ」

 

 

 爆発に飲み込まれて沈んでいく箱舟を見つめながら、ノワールが問う。僕は何とも言えない気持ちでそう答えた。

 

 

「悪い人ではなかったんだよね。“悪人になるために生まれて、悪人として死んでいく”っていう宿命に、全力で抗っていただけなんだよね……」

 

「犠牲の概算度外視は許されるべきことじゃないわ。でも、そこまでしないと正義を貫けないって言い切るところや、それを成し遂げる強靭な意思を持っていたことは事実なのよ。……彼は(しん)の意味で、立派な確信犯だった。今まで『改心』させてきた、欲望に塗れた大人たちとは違ってね」

 

 

 パンサーとクイーンも、沈みゆく箱舟を見つめる。哀悼の意を示すかのように。

 

 

「あいつ、ゆっくり眠れるかな……。もう、無理矢理叩き起こされることなく、静かに眠ることができるのかな……」

 

「……そう信じよう」

 

 

 ナビが囁くようにして問いかける。彼女の答えを知るのは、神取を『駒』として弄ぶニャルラトホテプだけだ。

 奴の気まぐれが起きれば、神取が再び生き帰される可能性は充分あり得る。でも、もう眠ってほしいと思うのも事実だった。

 ジョーカーは至極真面目な面持ちで頷いた。そうあって欲しいという願いを込めた眼差しが、箱舟へと向けられていた。

 

 次の瞬間、背後から2発の銃声が響いた。振り返れば、至さんが天高くに銃口を向けて発砲していた。

 銃口からは硝煙が燻っている。彼の横顔は真摯な面持ちで、この発砲が無意味ではないことを示していた。

 

 

「……弔砲、って言うんだ」

 

 

 至さんは、ぽつりと呟いた。

 それに反応し、航さんが補足する。

 

 

「公的な葬儀の際、弔意を表すために大砲を用いて発射される空砲のことだ。主に殉職した軍人や警察官のために行う。発射数にも意味があり、奇数だと礼砲、偶数だと弔砲になるから注意が必要だな」

 

「……なんかさ、何か言おうにも陳腐になりそうな気がしたんだ。でも、何も言わないままでいるなんて薄情なことはしたくなくて」

 

 

 至さんは苦笑する。言葉にするのが無理ならば、せめて態度に表そうと思った結果だろう。南条さんと航さんは顔を見合わせたが、納得したように頷いた。

 

 程なくして、救命艇は陸地に辿り着く。パレスの侵入先だった国会議事堂入り口は既に塞がれており、入ったときとは違う場所から認知世界を後にした。現実世界へ帰還する。出口は国会議事堂の真横だった。正面とは違い、ここには報道陣や野次馬の1人もいない。

 丁度そのタイミングで、大人たち全員のスマホが鳴り響いた。彼らは苦笑し、すぐに電話に出る。特捜部や公安の黒服連中が血眼になって、ペルソナ使いを束ねる組織の長や組織関係者を追いかけていたのだ。それに関する呼び出しなのだろう。

 

 これから6人は、特捜部や公安の連中と派手な戦いを行うのかもしれない――僕の予想は、見事に外れることと相成った。

 黒服連中は慌てた様子で撤退していったという。獅童正義が自殺未遂を起こしたことが影響したのかもしれない。

 奴のことだから本気で死のうとしたのではなく、怪盗団を認知世界で殺すための措置だったのだろう。するとしたら仮死状態だろうか?

 

 

「はいもしもし、空本です。……ああ、管理人さん? どうかしたんですか? ――……え? 警察!?」

 

 

 その中でたった1人だけ、異常事態を伝える電話を受け取った。

 至さんは剣呑な面持ちで、電話の向こう側にいる相手に問う。

 

 

「なんで、どうして警察がウチに!?」

 

 

 電話の向こうにいる管理人から、自分の部屋で何が起こったのかを聞かされたのだろう。相槌を打っていた至さんの顔が怪訝なものになった。

 

 

「……“黒服の男たちが、家主に無許可で侵入して乱交パーティやってた”?」

 

 

 えっ?

 なにそれどういうこと?

 

 意味不明な状況に呆気にとられる僕、滅茶苦茶顔を歪めた至さん。

 それに対して、何か身に覚えのあるらしい航さんが目を瞬かせた。

 

 

「“家中がヤバイことになってる”? “家具の大半がヤバイ”? “一番被害規模が大きいのが台所”? “オリーブオイル、ボディソープ、軟膏の類すべてが空になってる”……」

 

 

 被害を聞いた至さんの目が死んだ。又聞きしていた南条さんの顔も真っ青になっている。

 美鶴さんと荒垣さんなんて発狂一歩手前だ。対して、命さんは「奇妙な不審者だね」の一言で済ませていた。

 航さんは身に覚えのある理由を思い出したようで、ポンと手を叩いた。

 

 

「そういえば、家を出る前に黒服連中が家に押しかけて来てな。面倒だったんで、ペルソナ顕現して状態異常にしてきた。一般人なら状態異常に対する耐性は低いし、時間稼ぎに使えると思ったんでな」

 

「……ちなみに、何使ったの?」

 

「寝起きだったからあまりよく覚えていないんだが……確か、3つ。マカジャマオンにテンタラフーと、それからあと1つは――」

 

 

 僕の問いかけに対し、航さんは答える。

 昨晩の夕飯を思い出すようなノリで、だ。

 

 

「――マリンカリン」

 

 

 ――()()()()()()()()()

 

 論理的思考をすっ飛ばし、僕の頭は高速回転して答えを弾き出す。忘却、混乱、魅了――『前後不覚となった後、魅了によるR-18展開増強ブーストかかってますねありがとうございます』としか言いようがない。しかも、家に来た黒服どもは全員男だった。そりゃあ、こんな騒ぎになるのも頷ける。

 「巌戸台に出てきた巨大シャドウ・ラヴァーズも似たような手を使ってきたね」と、命さんは能天気に呟いた。あの魅了系洗脳事件も、一歩間違えればR-18展開に片足を突っ込んでいただろう。当時現場におらず、又聞きで状況を知らされていた荒垣さんが天を仰いだ。色々思うところがあるのかもしれない。

 

 おそらく、黒服たちも自分に何が起こったのか全く理解していないだろう。下手をすれば、航さんに尋問しようとした直前から記憶が混濁している可能性もあり得る。

 これはもう、獅童の命令に従って空本兄弟を拘束するどころの問題ではない。マスコミにすっぱ抜かれれば、もれなく全員スキャンダルで破滅するだろう。

 最早手遅れかもしれない。ご近所では大きな噂になっていることは間違いからだ。噂大好きな方々のことだから、マスコミに喋ったりネットに書き込んだりしそうである。

 

 黒服が無断で空本家に入り込み、家主に無許可でR-18展開を繰り広げていたことは事実。発見者や目撃者だって沢山いるし、通報を聞いて駆けつけてきた警察官だってそれを目の当たりにしてしまった。黒服どもが何を言おうと、記憶が混濁していようと、自分たちがR-18的な行為に浸っていたことはまごうことなき事実なのだ。自分の身体までもがそれを証明しているとなると、言い逃れるには些か厳しい。

 

 

「…………」

 

―― ………… ――

 

 

 こんなときどうしたらいいんだろう。“明智吾郎”に助けを求めれば、“彼”は死んだ目をしながら首を振った。どうやら“彼”のキャパシティ的にも限界だったらしい。

 呆然とする僕の肩を誰かが叩いた。振り返れば、何とも言い難そうな顔をした竜司と祐介が生温かい目をして僕を見つめている。女性陣も僕を気遣ってくれた。

 特に黎は、「大丈夫? 一緒にいるからね」と声をかけてくれる。僕の未来のお嫁さんは本当によくできた人だ。僕は目頭を押さえながら、首を縦に振り続けた。

 

 あまりにも憔悴しきった僕と至さんを不憫に思ったのだろう。南条さんが空本兄弟のためにホテルを、桐条さんが僕らを労うためにレストランを手配してくれた。丁度そのタイミングで、仲間たちの腹の虫が鳴り響く。時刻は既に夕食時を過ぎていた。

 佐倉さんには「遅くなる」と伝えていたのだ。多少、疲れた体を休ませて腹ごしらえをして帰るくらい許してもらえそうである。心はぐったりしていたから、美味しいものを食べて元気になりたかった。

 

 

(……これで、ようやく一区切りなんだよな)

 

 

 状況が状況なだけに、勝利に湧く気持ちにならぬまま、僕たちは歩き始める。僕は思わず振り返って、国会議事堂を見上げた。

 

 街灯に照らされた日本の中心は、いつも通り厳かに佇んでいる。獅童正義が有していた歪んだ箱舟は沈み、3度目の生を与えられた男諸共、まるで夢のように消えてしまった。

 僕はスマホで神取の名前を検索してみた。以前は『404 NotFound』の文字が躍った検索エンジンが、正しく情報を示してくれる。

 神取鷹久は聖エルミン学園高校のOB。オックスフォード大学へ進学し卒業。セベクのCEOで、セベク・スキャンダルの黒幕。12年前にすでに死んでいる――僕は息を吐いた。

 

 奴はきちんと還ってこれたし、ようやっと眠ることができたようだ。

 僕はスマホをしまい、怪盗団の面々に追いつくために歩き出した。

 

 




魔改造明智による獅童パレス攻略終了。智明の正体がついに発覚したり、獅童が『神』からも魔改造明智からも「要らない」と言われたり、神取鷹久が本当の意味で退場したり、お後が大変よろしくない事態に陥ったりと超絶怒涛な展開になりました。
獅童が『神』や魔改造明智から「要らない」と言われるのは、魔改造明智を題材にして作品を書こうと思い至ったときに決めていました。原作明智を切り捨てたシーンを見て、「是非とも獅童に意趣返しをしてみたい」という下種な考えが浮かんだんです。
倒されるべき巨悪として君臨した男に、最後は「本当の意味で何も残らない終わり」を贈りたかった。獅童智明――もとい、デミウルゴスは、そのために拙作で加えられたオリジナルキャラクターでした。外見は真メガテン4FINALの邪神:デミウルゴスを参考にしています。
獅童が脱落した後、デミウルゴスは魔改造明智たちとの敵対者として本格的に戦うことになるでしょう。その後ろには統制神も控えています。原典ではデミウルゴス=統制神として見られることもあるようですが、拙作では『統制神の部下にデミウルゴスがいる』という扱いです。
八十稲羽のマリーと伊邪那美命は「対になる存在」でしたが、原典における統制神とデミウルゴスの性格が文字通りイコール状態だったので上司と部下の関係になりました。……まあ、存在が同一視されてるから、性格がコピペみたいなのは当たり前なんですよね。

オチの展開は、原作でルブランが滅茶苦茶になっていたシーンから斜め上方向に着想を得た結果です。こっちの保護者も(ある種の自爆とは言え)可哀そうなことに。
それ以上に黒服が大変なことになりました。どうせみんないなくなる。上手くいけば次回で獅童パレス編が終了する予定。うまくいかなければ2話程かかると思われます。


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訣別の刻来たれり ―『白い烏』の本懐―

【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 @空本(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄で明智の保護者その1。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
 @デミウルゴス⇒獅童の息子であり明智の異母兄弟とされた獅童(しどう)智明(ともあき)を演じていた『神』の化身。姿は真メガテン4FINALの邪神:デミウルゴス参照。詳しくは中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『運命を切り開くだけの簡単なお仕事』および『ペルソナ3異聞録-.future-』、Pixivの『2周目明智吾郎の災難』および『【一発ネタ】有栖川黎の幼馴染』の設定を下地にし、別方向へ発展させた作品である。
・ジョーカーのみ先天性TS。
 ジョーカー(TS):有栖川(ありすがわ) (れい)⇒御影町にある旧家の跡取り娘。旧家制度は形骸化しているが、地元の名士として有名。身長163cm。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空本(そらもと) (わたる)⇒明智の保護者2で、南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。
・敵陣営に登場人物追加。
 @神取鷹久⇒女神異聞録ペルソナ、ペルソナ2罰に登場した敵ペルソナ使い。御影町で発生した“セベク・スキャンダル”で航たちに敗北して死亡後、珠閒瑠市で生き返り、須藤竜蔵の部下として舞耶たちと敵対するが敗北。崩壊する海底洞窟に残り、死亡した。ニャラルトホテプの『駒』として魅入られているため眼球がない。獅童パレスの崩壊に飲まれ、完全に消滅した模様。
・「2罰ボスの外見を見た人間の反応」に関するねつ造設定がある。
・普遍的無意識とP5ラスボスの間にねつ造設定がある。
・『改心』と『廃人化』に関するねつ造設定がある。
・春の婚約者に関するねつ造設定と魔改造がある。因みに、拙作の彼はいい人で、春と両想い。
・魔改造明智にオリジナルペルソナが解禁。
・R-15
・1~4までにおける『回復手段に料金が発生する』理由を、本編から拾い上げた上で捏造している。


 黒服たちによって派手に荒らされた喫茶店内の片づけが終わったのは、夜の11時半を過ぎた頃だった。

 

 佐倉さんは黒服に拉致された後、どこかに閉じ込められていたという。だが、黒服どもが慌てだし――実際は捨て置かれたような形で――、解放されるに至ったようだ。獅童のパレスが『オタカラ』入手前に崩壊したことを考えると、黒服たちに『獅童が自殺未遂をした』という話題が伝わったのだろう。

 この調子だと、怪盗団検挙の指揮を執っていた冴さんや作戦に関わる羽目になったペルソナ使いたちも解放されたはずだ。実際、各組織関係者や長に『黒服たちが慌てた様子で撤退していった』という情報が入っている。獅童の『改心』が成功すれば、黒服は怪盗団を潰す暇と機会を失うはずだ。

 怪盗団を裁く側にいた連中は、軒並み司法に裁かれる側の人間になるだろう。獅童と絡んで甘い蜜を吸っていた連中はごまんといる。その中には、メメントスやパレス内で『改心』させた秀尽学園高校の校長や特捜部長もいた。前者は意識不明のままだが、後者も『改心』待ちの人間だった。

 

 特捜部長だけではなく、獅童のパレス内部にいたVIPたち――同業者の中でも有力な政治家である大江、長い歴史によって培われたパイプの提供役だった旧華族の名士、世論操作を行っていたTV社長、認知訶学の研究データを暗号化して保管していたIT社長、金銭的な繋がりしかないトラブル処理役のヤクザも『改心』待ちだ。

 おそらく、彼らの『改心』も獅童の『改心』と同時期に発生することだろう。組織の長が罪を公表した場合、下の人間たちがどこまでそれを隠蔽できるだろうか。目下の懸念は“上司の巻き添えを喰らいたくない部下の行動”だが、権力持ちが雁首揃って罪を認めるのだから、遅かれ早かれ破滅するのは目に見えていた。

 

 小細工をしたとしても、致命傷は免れない。最後は獅童正義という箱舟共々沈むはずだ。

 僕がそんなことを考えていたとき、スマホのSNSに着信が入った。送り主は――三島。

 

 

三島:吾郎先輩が追いかけていた巨悪って、獅童正義のことだったんですね!

 

吾郎:ああ。ようやく決着がついたよ。

 

三島:長かったですよね。吾郎先輩が探偵として敵陣に潜り込むっていう連絡くれたのが6月だから、もう半年経過したんだなぁ……。

 

吾郎:あとは奴が『改心』して、黎の冤罪を証言して証拠を差し出してくれさえすれば、すべてが終わる。再審請求も通るはずだ。

 

三島:そっか……。黎の冤罪、晴れるんだ……。本当に良かったです! これで憂いなく結婚式ができますね!

 

吾郎:気が早いよなお前!

 

三島:式には是非とも呼んでくださいね! それじゃ、黎とごゆっくり!!

 

 

 それだけ残し、三島のメッセージは終わった。ベッドに腰かけていた僕が深々とため息をつく向かい側で、黎がくすくすと微笑んでいる。

 彼女は当たり前のようにベッド――僕の隣――に腰かけた、僕らを見守っていたモルガナは欠伸をひとつすると、自力で窓を開けてどこかへと去っていった。

 

 数時間前の激闘――もとい、獅童との決戦は、もう昨日のことだ。時刻はもう、1時を過ぎている。

 

 

「一番の山場は越えたね」

 

「そうだね。……俺も、黎も、ちゃんと生きてる」

 

 

 黎の言葉に同意して、俺は彼女を抱きしめる。さっぱりとした柑橘系の香りが鼻をくすぐった。つい30分程前、僕たちはルブラン近隣の銭湯で体を休めていた。25時頃まで営業しているおかげで、ゆっくり風呂に漬かることができたのだ。

 僕も黎も、銭湯に備え付けられていた石鹸ではなく、自分が愛用しているものを持ち込んで体を洗っている。黎は爽やかな柑橘系の香りを好んでおり、僕は素朴な石鹸の香りを好んでいた。そのときの残り香が漂っているのだろう。

 血行が良いためか、彼女の体温が非常に心地よい。隙間風が入ってきてもあまり寒く感じないのは、お互いの体温が()()()()()()()()()()()()()()ことの尊さを噛みしめているからに他ならなかった。

 

 11月末から12月半ばに待ち受ける“明智吾郎”最大の破滅を、僕は乗り越えることができた。獅童パレスの機関室から出て、獅童を『改心』させ、訪れるであろう12月18日を迎えようとしている。

 

 選挙当日まで生きていた経験がないためか、“明智吾郎”は少し落ち着きがない様子だった。そんな“彼”を、“ジョーカー”も優しく――けれど力強く抱擁している。猫のようにすり寄って来る“ジョーカー”の様子に安堵したのか、“彼”も“彼女”の背中に腕を回して抱きしめた。微笑ましい限りだ。

 獅童をどうにかできたとしても、問題は山積みだ。『神』の化身としての本性を発揮した智明――デミウルゴスの動きが不透明と言うのもある。獅童の選挙戦後に何が待ち構えているのかは未知数だ。大きな懸念材料を抱えているというのは事実である。でも、“未来を手にした”のは本当のことだった。

 

 

(奴の出方については棚上げしておくとして、問題は……)

 

 

 僕はちらりと黎の表情を窺った。彼女は幸せそうに口元を緩めながら、僕の胸元にすり寄って来る。その体が微かに震えたように見えたのは気のせいではない。

 

 獅童との戦いで、彼女はまたアイツに手籠めにされそうになった。人生で2度も同じ人間から、同じ欲望と悪意を向けられたのだ。怖くないはずがない。

 本来なら、奴の血が流れている僕のことだって、恐怖や拒絶の対象となってもおかしくないのだ。最悪の場合、隣にいることすら不可能になるだろう。

 そうなっても仕方がないと理解しているし、――多分耐えられないと思うけど――覚悟だってしていた。でも、黎はこうして僕の腕の中にいてくれる。

 

 

(……無理、してるんじゃないかな)

 

 

 僕と黎、奴を愛した俺の母までもを侮辱した獅童の醜悪な顔が脳裏をよぎる。

 

 ()()()()()()()()という共通点から、奴は僕のことを初めて“息子”だと認めた。同じなのだと嗤った。――奴の言葉が、僕の心にこびりついて離れない。

 そんな形で認められたくはなかった。思い知らされたくなかった。結局自分は汚い存在なのだと、悍ましい血筋を継いでいるのだと突き付けられた心地になる。

 

 確かに訣別はした。もう二度と振り返らないと決めた。でも、それとこれとは別問題である。有栖川黎を傷つけるすべてのものを、明智吾郎は許すことができない。もしも自分がそんなものに成り下がるくらいなら、今この場で死んでしまえばいいと思う程に。

 僕が黎と一緒に一線を超えたのは、獅童が僕の母に手を出した理由――自分の欲望のために、相手を無責任に弄んだ――と同じだからじゃない。12年前に彼女と出会ってから一目惚れして、彼女のことがずっと好きだった。恋人同士になって、いずれは共に生きる未来を夢見た。

 ……そんな日々を積み重ねて、幾多の朝と夜を超えてきたから、愛し合った。まかり間違っても、都合のいい女だったから抱いたのではないのだ。獅童正義と僕は違う生き物だと主張しても、僕の中に流れる奴の血筋が不気味に嗤う。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と。

 

 

「……ねえ、吾郎。今、何考えてた?」

 

「……今までのことと、これからのこと」

 

 

 黎がじっと僕を見上げる。僕は苦笑し、左手で彼女の頬を撫でた。

 なるべく怖がらせないようにと配慮していたとき、黎は僕の手に両手を添える。

 

 

「デミウルゴスのことは、一端棚に上げてるって顔してるよね」

 

「…………」

 

「獅童のことでしょう」

 

「…………なんで、分かったの」

 

「分かるよ。――だって、ずっと見てたから」

 

 

 彼女は誇らしげに笑った。益々居たたまれない気持ちになり、僕は俯く。

 

 

「――怖いんだ。俺はアイツの血を引いているから、いつかアイツと同じような存在に成り下がるんじゃないか、って」

 

「そんなことない。吾郎は吾郎だ。それに、吾郎は獅童なんかと違って、私を大事にしてくれているじゃないか。――今この瞬間みたいに」

 

 

 黎はムッとした顔で僕を睨む。……中々の口説き文句だ。

 

 

「時々意地悪だったり、ずるかったり、怯えてたりするけど、私のこと大好きだって凄く伝わってくるよ。……ちゃんと、分かるよ」

 

 

 彼女は知らないのだろう。真摯に紡がれるその言葉が、僕を抱きしめて離そうとしないその態度が、僕にとってどれ程救いになっているか。どれ程の幸福なのか。

 愛しさに任せて口づけを送れば、黎は花が咲いたように表情を綻ばせる。彼女も同じようにして僕に応えてくれた。啄むようなキスは、どんどん深くなっていく。

 黎が苦しそうに眉をひそめたことを察し、少々名残惜しいけれど解放する。灰銀の瞳は蕩けており、ほんの僅かだが涙が滲む、けど、幸せだと言わんばかりに細められていた。

 

 

「……ね、吾郎」

 

「何?」

 

「教えるよ。私にとって吾郎は、この世で一番至高の『オタカラ』なんだって」

 

 

 まるで懇願するかのように黎はこちらを見上げる。

 けれど、灰銀の瞳は挑戦的に煌めく。

 

 

「……だから、吾郎も教えてよ。吾郎にとっての私も、この世で一番至高の『オタカラ』なんだって」

 

 

 「全部晒け出すから暴いてよ」と、黎は笑った。

 「それはこっちの台詞だよ」と、僕も笑う。

 

 

「仰せのままに。僕の怪盗」

 

「ありがとう。私の探偵」

 

 

 僕は黎の額に触れるだけの口づけを贈った後、そのまま唇にキスをした。お互いが愛おしいのだと伝えるように、これから愛し合うのだと合図を送るように。――僕の身体も、黎の身体も、それを感じ取ったのだろう。身体の奥底から、更なる熱が燻るような感覚に見舞われた。

 

 互いの手を絡める。僕の方が軽く力を入れれば、全てを許して受け入れるが如く、黎の身体はベッドに沈み込む。黒髪がシーツの波間に漂った。

 有栖川黎が愛おしくて、彼女が僕を愛おしいと思ってくれるのが嬉しくて、こうやって愛し合えることが幸せで、なんだか泣きそうになってしまう。

 おそらくこれは、『僕と彼女の間に横たわっていた“滅びの運命”を乗り越えた』という達成感と喜びがあったからだ。その奇跡を噛みしめたからだ。

 

 

「――愛してる、黎」

 

「――私も。愛してる、吾郎」

 

 

 互いの熱と鼓動を感じながら、愛し合う。

 今まで積み重ねてきた日々を、目の前の伴侶を慈しむように。

 

 戦いと運命の区切りを迎えた自分たちを労るように――これから先に待ち受けているであろう最終決戦から、少し目を逸らすようにして。

 

 

 

 

 

 

 思い返せば、僕と黎が一線を越えたのは冴さんのパレス攻略が始まった直後――10月の半ばだった。僕が“明智吾郎”の存在を受け入れ、“彼”が犯した罪や抱いた後悔――および祈りを背負って往くと決めた日の夜のこと。忘れられない、人生初めての幸せな夜。

 今まで一線を超えられなかったのは、黎のことが大切である以上に、獅童のような悍ましい存在と同じものになりたくないという気持ちの方が強かったからだ。本能よりも理性の方が遥かに強くて、自分を律しなくてはならないと思っていたから。

 その思いは今だって変わらない。変わらないけれど、有栖川黎という1人の女性を――愛する人を()()()()()()素直に求められるようになったのは、清廉でありたかった僕とそう在れなかったことに葛藤していた“彼”が合わさり、清濁併せ持つ存在になれたからだと思う。

 

 「欲望は願いである」という話題が脳裏によぎる。思い出したのは、それを体現した八十稲羽のペルソナ使い・足立透の後ろ姿だった。

 清廉潔白にも悪党にもなりきれなかった――それ故に、自分の清濁をきちんと把握していた、良くも悪くも等身大の人間。

 

 今なら、奴の在り方に頷ける気がする。同意できるかどうかは別として、そんな生き方もあるのだなと認めることはできる。

 

 自分がこんなに強欲な人間だったとは思わなかった。有栖川黎という少女に焦がれて、愛されたいと願って、愛したいと願っていた。12年前は手を繋ぐことができればそれだけでよかったのに、今では彼女の華奢な身体を幾ら穿っても足りないとさえ感じてしまう。抱き潰して気絶させても飽き足らない。

 それでも黎は愛想を尽かすことなく、逃げることなく、拒絶することなく、気を失うことすら概算度外視してでも僕に応えようとしてくれる。自分だって同じなのだと訴えて、明智吾郎という1人の男をひたむきに――或いは貪欲に――愛してくれる。受け入れてくれる。その事実が嬉しくて、幸せだった。

 

 

「……黎、大丈夫?」

 

「……うん、平気……」

 

 

 色白の肌を薔薇色に上気させ、灰銀の瞳を艶やかに潤ませた黎が頷く。動くのも、返事をするのも億劫だろうに、彼女は柔らかに微笑んでいた。

 

 

「……吾郎は、いつも、気遣ってくれるよね」

 

「気遣えてる、のかな……? 毎回、キミに無理させてばっかりだと思うけど……」

 

「変わらないよ。初めての頃から、ずっと」

 

 

 繋いだ手。絡められた指に力が込められる。それは微々たるもののはずなのに、今まで以上に強い結びつきを感じ取ることができた。

 欲しい。欲しい。もっと欲しい――飢えた獣のような衝動が止まらない。優しくしたいのに、大切にしたいのに、それができない自分に苦笑する。

 多分、黎は感じ取ったのだろう。僕がそんな衝動に突き動かされかかっていることを。彼女は鼻にかかるような甘い声を漏らし、蕩けた眼差しを向けた。

 

 ――それだけで、俺の理性は呆気なく瓦解する。ぞくぞくと、背筋を駆け抜ける衝動。

 

 

「……悪ィ。もう、気遣ってやれないかも」

 

「……ん」

 

 

 どうにか謝罪の言葉を述べて、頭を撫でて、乞うように手の甲へ口付ける。黎も微笑み、頷き返してくれた。

 繋いでいない方の手を俺の背中に回し、頬に掠めるキスを1つ。ぶちり、と、何かが切れたような感覚。

 

 後は野となれ山となれ。うわ言のように愛を囁きながら、俺は愛おしい女性(ひと)に溺れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 幸せそうな黎の寝顔を飽きずに見つめながらも、僕の意識はうとうとと微睡んでいた。あれからまだ、そんなに時間が経過していないのだろう。部屋の中は薄暗い。

 愛おしい少女を腕に抱いて、頭を撫でて、背中を撫でる。黎が小さく身じろぎしたが、目を覚ます気配はなかった。僕もゆっくりと瞼を閉じる。幸せだ、と思った。

 

 そのときふと――何の脈絡もないが――どうしてか、僕は“明智吾郎”が静かなのが気になった。

 

 探してみると、“彼”の姿はあっさり見つかった。獅童の箱舟――防壁によって遮られた機関室で18歳のまま時を止めた“明智吾郎”は、甲冑を模した仮面の隙間からあどけない寝顔を晒していた。口元は幸せそうに緩んでいる。

 “彼”に寄り添いながら、無防備な寝顔を飽きずに見つめていたのは“ジョーカー”だった。灰銀の瞳は“明智吾郎”へ向けた惜しみない愛情と、“明智吾郎”が幸せであってほしいという祈りに満ちていた。

 甲冑仮面とそこから覗く頬を撫でる手つきは優しくて、繊細で、慈しみが込められている。“明智吾郎”が穏やかに眠れることが当たり前であってほしいと、幸せを感じることが当たり前であってほしいと言わんばかりにだ。

 

 

(……大丈夫だよ、“ジョーカー”。キミの想いは、ちゃんと“彼”に伝わってる……)

 

 

 でなければ、“明智吾郎”があんな風に笑うことはない。“彼”の影響を受けている僕が、こんなにも温かな気持ちになるはずもない。

 

 僕は闇の中に溶けてしまいそうになる意識を少しだけ奮い立たせる。瞼を開ければ、柔らかに微笑む黎の寝顔があった。

 それを確認した後、僕は抵抗をやめて瞼を閉じる。僕の意識は、あっという間に心地よい闇の中へと沈んでいった。

 

 

◇◇◇

 

 

 世間は選挙ムード真っ只中。怪盗団が出した予告状――公共放送の電波ジャックに関する話題は()()()()()()()。人間だけの手ではこんなことあり得ない。おそらく、認知を自在に操る『神』と、その化身たるデミウルゴスが手を回した結果だろう。

 これも、奴らの企てに関連する布石に違いない。御影町から八十稲羽に至るまでの経験則から分析できることはそれくらいで、奴ら本人の動きを予想することは不可能だ。一応仲間たちにも伝えておいたが、現時点で取れる有効打は無に等しかった。

 

 総選挙の日取りは着々と近づく。相変らず獅童正義が優勢のままだ。

 

 怪チャンは相変らず罵詈雑言の荒しにあっていたが、三島が対応しているおかげで沈静化しつつある。そんな状態でも、細々と依頼の書き込みが相次いでいた。

 獅童を『改心』させた直後、三島から直接の依頼が入ったことをきっかけに、溜まった依頼をメメントスでこなすことにしたのである。

 

 

『あ、実家からだ』

 

 

 有栖川の本家から荷物が届いたのは、丁度、メメントスに潜ろうとした日のことである。段ボールを開けると、そこには何故か七姉妹学園高校の制服が入っていた。

 しかも、荷物を一瞥したモルガナが目を剥いて『この服からは不思議な力を感じる……! 怪盗衣装と同じようなモノだ!』と叫んだからさあ大変。

 仲間たちを招集して事の次第を説明した結果、『是非とも七姉妹学園高校の制服を着てみよう』という意見に落ち着いてしまったのである。

 

 お披露目会場はメメントス。怪盗服と同じ力を宿した制服は、何故か完全オーダーメイドで全員分用意されていた。しかも、一度身に纏えば、反逆の証として効果を発揮するというとんでもない性能を有して。

 

 有栖川本家は別に、ペルソナや悪魔絡みの事象とは無関係のはずだ。

 それ故に、これが届いた理由がよく分からなかった。閑話休題。

 

 

『これが、黎の通ってた前の学校(トコ)の制服かぁ……。確か、愛称が“セブンス”なんだろ? なんか格好いいな!』

 

『おー。意外とシャレオツだなー』

 

 

 七姉妹学園高校の制服に袖を通したスカルとナビが目を輝かせる。他の面々も興味深そうに着替えていた。

 

 秀尽学園高校はハイネックインナーにブレザー、サスペンダー着用が義務付けられている。洸星高校は白い学ランだ。

 それ故、七姉妹学園高校のブレザーにワイシャツ、男子はネクタイで女子はリボンの組み合わせは新鮮に感じるらしい。

 

 

『なんだか、ジョーカーが前通っていた学校の生徒になった気分!』

 

『それに、みんなと同じ格好ってのがなんだか嬉しいよね』

 

『不思議よね。こういう格好していると、私たち、随分と昔からお互いのことを知っていたような気になるのよ』

 

 

 パンサー、ノワール、クイーンが楽しそうに話してる。ジョーカーも嬉しそうに笑っていた。ジョーカーなんて、冤罪で退学処分を降される以前と同じ格好である。

 にもかかわらず、彼女の格好を新鮮に感じてしまったのは、長らく『秀尽学園高校の制服を身に纏った黎の姿を身近に感じていたため』だろう。

 そんなことを考える僕の背後では、七姉妹学園高校――以前黎が通っていた学校――の制服を目の当たりにした“明智吾郎”がのたうち回りながら転がっていた。何してんだ。

 

 

『ワガハイの服だけおかしいぞ! なんで女装なんだ!?』

 

『あっ。御影町のボッタクリ妖精』

 

『コイツ、珠閒瑠にもいたんだよなぁ……』

 

 

 不満そうに声を上げたのはモナである。彼は嘗て御影町や珠閒瑠市で回復の泉を使ってボッタクリを働いていたピンクの妖精――トリッシュの格好をしていた。勿論、反逆の徒が大人しくボラレるはずがない。ブチ切れた至さんと他の人々によって折檻され、適正価格まで引き下げさせた。半額や無料にしなかったのは慈悲である。

 後に、トリッシュはタルタロスの時計に潜んだり、八十稲羽の神社再興を目指す狐に取引を持ち掛ける形で金を荒稼ぎしようと企んだ。だが、面白いことに、彼女の行く先々には悉く最大の天敵――至さんが現れたのだ。勿論、トリッシュの企みは泡沫の夢と化し、適正価格まで引き下げさせた。

 

 因みに八十稲羽のときは、トリッシュが狐からピンハネした分を払わせ、以後は狐の望む金額設定にさせた。狐は大いに喜び、トリッシュより遥かにマシな価格で治療を引き受けてくれた。閑話休題。

 

 背後で仲間たちがワイワイ盛り上がる中、僕は必死に探していた。僕の採寸ピッタリにオーダーメイドされているはずの、七姉妹学園高校の男性制服を。

 だが、いくらひっくり返しても出てこない。段ボール箱に1着残っているのは、上下水色の学ランのみ。七姉妹学園高校の制服とは全く違うものだった。

 この制服には見覚えがある。栄吉さんと淳さんが通っていた春日山高校の男子制服だ。僕はそれを手に取った後、スカルやフォックスの制服を凝視する。

 

 

『………………』

 

『どうしたクロウ。何があった? ――あ』

 

『えっ? ――あっ……!』

 

 

 僕の眼差しに気づいたフォックスが、バツが悪そうに視線を彷徨わせる。それに気づいたスカルも、漏れなく顔を真っ青にした。

 

 なんで僕だけ制服が違うのだろう。他のみんなはジョーカーが前に通っていた七姉妹学園高校の制服を着ているのに、どうして僕だけ春日山高校の制服なんだろう。

 栄吉さんや淳さんの通っていた学校――不良が多いと有名だった――を誹謗中傷するわけではないのだが、これは完全に仲間外れではないのか。

 

 僕は余程ひどい顔をしていたらしい。ジョーカーが心配そうに『大丈夫?』と声をかけてくれた。何とか取り繕った僕は、春日山高校の制服に袖を通した。完全にぴったりだった。

 黎宛に荷物を送ってきた有栖川の本家を誹謗中傷するつもりは微塵もない。微塵もないが、流石にこれは酷くないだろうか。一線引かれたような心地になるのは何故だろう。

 僕の通う進学校は、ブレザーにワイシャツ、ストライプ柄のネクタイ着用を義務付けられている。僕の学ラン姿が珍しかったのか、ジョーカーはまじまじと僕を見つめていた。

 

 

『七姉妹学園高校と春日山高校って、学校同士の距離が近いんだよね。学区も同じで、基本は中学校から二分化することが多いから、生徒同士の交流だって頻繁に行われてる』

 

 

 何を思ったのか、ジョーカーはそう言って微笑んだ。

 僕の手を取って、恋人繋ぎになるよう手を絡めて。

 

 

『だから、珠閒瑠市では、この服装の学生カップルは珍しくないんだよ』

 

『ジョーカー……』

 

『えへへ。なんか、嬉しいな。――特別、みたいで』

 

 

 照れ臭そうにはにかんだジョーカーが、密やかに耳打ちする。

 

 もうだめだった。色々と込み上げてくる感情に任せて、僕はそのままジョーカーを抱きすくめる。

 ジョーカーも嬉しそうに微笑んで、僕の背中に手を回してくれた。なんだか泣けてきた。

 周囲から色々な叫び声が聞こえてきたけど、なんかもう何もかもがどうでもよくなってくるレベルだった。

 

 その日は1日中この格好で依頼の片付けに勤しんだ。いつも以上に調子がよかったし、メメントスの攻略が楽しくて楽しくて仕方がなかった。ストックしていた依頼もあっという間に片付いたし、折角だからと行ける場所まで行ってみた。

 未だにメメントスのすべてを踏破したわけではないようで、やっぱり最奥にも扉があった。この扉を開くには、まだ何か足りないものがあるらしい。獅童を撃破した後に出て来そうなものは『神』くらいなので、扉の鍵は『神』絡みであることは予想がついた。

 

 

『これはきっと、『神』との決戦が近いってことね。……この先に、どんな理不尽が待ち受けているのかしら』

 

『頭が爆発する系の理不尽、だっけ? でも、負けるつもりは一切ないわ。絶対勝ちましょう』

 

 

 クイーンが渋い顔をして扉を見つめた。ノワールも固く閉ざされた扉を見上げる。他の面々も同じようにして、メメントスの扉を見つめていた。

 この先に何が広がっているのか、未知数だ。獅童のパレスで脱落した“明智吾郎”にとっても同条件らしく、警戒するようにして扉を見上げる。

 扉が開かれるとき、何が待っているのだろう。デミウルゴスと奴の上司たる『神』が待ち構えていることは確定しているが、どんな力を有しているのかまでは分からない。

 

 

『この奥に、獅童智明としてお母さんを殺した犯人――デミウルゴスがいるんだ……!』

 

 

 ナビはギリギリと歯噛みした。彼女の双瞼は、デミウルゴスへの怒りが滲み出ている。

 人間の黒幕である獅童への敵討ちは終わった。次は真の黒幕たる『神』が相手だ。闘志は充分である。

 

 

『鴨志田を『改心』させたときのこと思い出すなぁ。覚悟はしてたつもりだったけど、あの頃はゆかりさんの言葉がこんなに重いものだとは思わなかった。勿論、ここまで来て逃げるなんて真似はしないけど』

 

『ホント、色々あったよな。大変だったけど、スッゲー楽しかった。人生で一番充実してた。……それも、『神』と戦うためなんだよな……!』

 

 

 パンサーとスカルも真顔で頷く。

 

 この2人とモナは、僕と黎を含んだ怪盗団の最古参だ。モナや僕の話を聞いて呆気に取られてばかりいた彼や彼女も、歴代のペルソナ使い同様、いい顔をするようになったと思う。迷って傷ついて躓いて、それでも歩いてきた大切な仲間だった。

 スカルは憧れの大人たちと出会い、彼らから沢山のことを教わったようだ。猪突猛進気味であることは弱点のままだけど、理不尽に憤る気持ちは忘れてない。自分自身の外見や周囲に流され気味だったパンサーも、迷いを振り切って自分の道を歩き始めている。

 

 

『思えば、随分と遠くまで来たものだ。この先には、どんな理不尽と欲望、そして希望が広がっているのだろうな……』

 

 

 フォックスは静かな面持ちで扉を見つめていた。静かに細められた眼差しは、『理不尽に苦しむ人を助けながら、絵の題材を探し求める』と語ったときと変わらない。

 彼ならば、この先に広がる光景を描くことができるだろう。そうしてこれからも、欲望や希望の行く末を描き続けるに違いない。そう信じることができた。

 フォックスが描く絵はいずれ、誰かにとっての救いや希望になる日がやって来るはずだ。嘗てのフォックス自身が、亡き母の残した『サユリ』に救われたときのように。

 

 

『ついに来た、って感じだな。元々ワガハイがジョーカーと取引したのは、“メメントスの奥地に行きたかったから”だ』

 

『自分自身の記憶を取り戻したかったからだよね?』

 

『ああ。……そんなことを忘れちまいそうになるくらい、オマエらと過ごした時間が楽しかったんだ』

 

『モナ……』

 

『クロウの言ってた通りだったな。ワガハイ、“戻ってこない記憶なんざどうでもいい。今まで、こうやって積み重ねてきた記憶があればいい”って……これからもずっと、こんな時間が続いていくんだと信じてたんだ。――信じられるようになってた』

 

 

 モナはそう言って、感慨深そうに苦笑した。彼の目的が何だったのかを忘れてしまうくらい、僕たちもモナと馴染んでいたように思う。

 上から目線だったモナの態度が軟化したのはいつからだろう。ジョーカーの相棒として、怪盗団の一員として、対等な関係になったのは。

 

 でも、モナはそんな自分自身の考えに甘んじることはできない様子だった。眦を釣り上げ、きりりとした面持ちになる。アイスブルーの瞳は、扉から逸らされることはない。

 

 

『この奥に、ワガハイの記憶に関わる何かがある。とても大事なことだったんだ。絶対、思い出さなきゃいけないことなんだ』

 

 

 モナの眼差しが、己の正体が出来損ないの『神』の化身だと知ったときの至さんに重なったのは何故だろう。

 彼の瞳に宿る悲壮感が、モナドマンダラで見送った達哉さんとよく似てると感じたのは何故だろう。

 彼が奮い立たせた決意が、獅童のパレスで炎に飲まれ消えて逝った神取とダブッたように思ったのは何故だろう。

 

 成し得ねばならないことがあるのだと語ったモナが、4月から一緒にいたはずの怪盗団の仲間が、あまりにも遠い。

 

 ざわめく予感の答えを見つけることができないままの僕など、モナはまったく気にしていない様子だった。『それじゃ、そろそろ帰るのか?』と、彼はジョーカーに問いかける。ジョーカーは頷き、ショートカットを使って入り口へ戻って来た。

 次にメメントスへ赴くときは、きっと『神』との決戦のときだろう。そのときには、この奥の扉も開かれているに違いない。僕に対して強い敵意を抱くデミウルゴスの姿がちらつく。決戦の刻が近いことを感じながら、僕たちはメメントスから現実世界へと帰還した。

 

 

『おかえり、吾郎』

 

『……ただいま、黎』

 

 

 怪盗団のリーダーとして捕まり死んだ/御影町で探偵業をしていることになっていた僕は、相変わらずルブランの屋根裏部屋で潜伏生活を送っていた。勿論、学校から出された措置用課題は既に片付けており、テストに備えた勉強もしている。

 僕が通う学校のテスト期間は、いつも秀尽学園高校のテスト期間と被っている。獅童の『改心』が成功し次第、仲間たちでゆっくり勉強会をしようという話も進行中だ。おそらく、勉強をそこそこにしてゆっくり語り合うことになりそうだが。

 因みに――言っていなかったが――、大学受験は法律関係の所を指定校推薦で受験済み。獅童を『改心』した日の3日後に、至さん経由で結果が届いた。勿論文句なしの合格である。合格者用の課題も既に終わっていた。

 

 怪盗団の中で一番最初に進路が決まったということで、ルブランでちょっとしたお祝いをした。それが、総選挙が行われる前日――12月17日のことだった。

 

 料理班はルブランのマスターである佐倉さんと、俺の保護者である至さんだ。

 航さんは食べ専としての参戦である。間違っても航さんを厨房に立たせてはいけない。

 

 

『しかしお前さん、妙に手際がいいねェ。飲食店で店長でもやってたのか?』

 

『高校時代にバイトしてたんです。2年半くらいですね。いつも不在だったり理由付けてとんぼ返りしたりする店長の代わりに、店全体を回してました。1人で全部対応するのが一番大変だったっけ』

 

『……ちょっと待て。お前さん、それは……』

 

『そういや航。南条くんが航に連れられて店に来てから1ヶ月くらいだっけ? その店長クビになって新しい人が来たよな!』

 

『だな。自分の店がどこの会社に属してて、誰が何なのかを知らなかった末路だ。本当に馬鹿な奴だったよな、至』

 

『受験のために辞めたけど、できればもうちょっとだけ、新店長と仕事したかったなー』

 

 

 至さんは能天気に笑いながら、次々と本格的な料理を作り上げていく。航さんは意味深な笑みを浮かべてうんうん頷いた。妙にかみ合わない2人の会話と温度差――特に航さんから薄ら寒いものを感じたのか、佐倉さんは『お、おう』とだけ述べて視線を逸らし、料理に集中していた。

 

 

『じゃあ、みんなは進路をどうするか決めてる?』

 

 

 程なくして料理が出来上がり、談笑しながら食べ進める。

 その際、折角なので、僕はみんなに質問してみた。

 

 モルガナは何か思うところがあるようでしどろもどろだったが、人間の姿になりたいという夢は諦めていないらしい。『八十稲羽のクマみたいな奴が成れたのだから、紳士であるワガハイに成れない訳がない!』という対抗心と謎理論を駆使し、果て無き夢を追い続けるという。……成功したら杏にプロポーズするのだろうか。

 竜司は体育の先生になると言い出した。鷹司くんとのふれあいを得て、『運動が嫌いで辛い思いをしている子どもにも運動の楽しさを知ってもらいたい』と思ったことがきっかけだという。後は鷹司くんが『竜司にいちゃんみたいな先生がいてくれたら、僕は運動嫌いにならなかったはず』と漏らしたことも理由らしい。

 杏はトップモデルを目指すそうだ。栄養や体重管理を徹底し、新しい大仕事のために備えているのだという。最近は記者から取材の申し込みがあったようで、快く引き受けたそうだ。友人である鈴井志帆とも関係は良好であり、彼女は鴨志田の一件から心の傷を癒すセラピストを目指し始めたそうだ。場所は違うが、互いに切磋琢磨しているという。

 祐介は画家一本で生計を立てるため、奨学金で美大に進学するという。今のところ、彼は誰の援助も受けていない。暫くしたら金欠で悩むことになるだろうが、彼の才能を見出した人々が支えてくれることだろう。現に、美術展の会場で出会った画家が『何かあったら頼りなさい』と、祐介を快く送り出していたのだから。

 

 真は警察官のキャリアを目指すという。真田さんからペルソナ関連の部署への推薦もあり、それも受けるつもりのようだ。彼女が目指す大学も法律系で、一般受験で勝負を挑むつもりらしい。『秀尽学園高校(ウチ)の校長が持ちかけてきた推薦の融通を切り捨てたことが、実力勝負である一般受験を決意させたの』とは真の談である。

 双葉は高校に通うことを選んだそうだ。コンピューター、および理数系の高校を受験するつもりらしく、編入試験は1月半ばに行われるそうだ。彼女の頭脳なら簡単に合格できることだろう。下手すれば、試験問題に対してダメ出ししてしまう危険性もあった。学校の制服について語る彼女からは、元・引きこもりだとは思えない。

 春はコーヒーショップを経営するための勉強を始めた。婚約者の千秋も応援してくれており、彼も春のサポートをするため、野菜作りや経営に関する勉強に打ち込んでいるという。他にも、完二さんに小物の作り方を教えてもらっているようだ。現在はコーヒー染めに挑戦中で、近々試作品が出来上がる予定とのこと。みんなに配ると語っていた。

 

 一通り語り終えた仲間たちは、じっと黎を見つめる。

 黎は以前と変わらず、弁護士を目指すと宣言した。

 

 

『目標は“吾郎を私のパラリーガルとして迎える”ことだね』

 

 

 それを聞いて、真っ先に解脱したのは佐倉さんと真だった。元官僚の佐倉さんと法律系大学へ進学希望の真は、怪盗団の中でいち早く“パラリーガルが弁護士秘書の上位互換である”ことを看破したらしい。『ああ……そう……』とだけ言って天を仰ぐ。

 パラリーガルという聞き覚えのない単語に首を傾げた仲間たちも、真からの注釈を聞いた途端、大半が一瞬で解脱してしまった。不思議なことに、祐介や春、空本兄弟以外が力なく笑っている。一体どうしたのだろう?

 祐介は手で枠を作り、春はうっとりと目を細め、至さんは『だよなあ。そうなるよなあ』と納得したように頷き、航さんは『いい夢じゃないか。ところでどうしてみんな、そんなに疲れ切った顔をするんだ?』と首を傾げた。

 

 

『支え合うって素敵よね』

 

『そりゃあ、人生の伴侶(パートナー)だからね』

 

『わかる』

 

 

 春と僕たちは通じ合い、満面の笑みを浮かべて頷き合った。

 他の面々は生温かい目をして僕たちを見つめていた。

 

 

『それにしても、怪盗団で色々学んだっつーのに、まだまだ勉強しなきゃいけないことってあるんだよなぁ……。受験とか、大学とか、試験とか、いつまで勉強し続けなきゃいけねーんだろ』

 

 

 この空気を変えようとしたのか、竜司が飲み物を煽りながら零した。体育教師になるという夢を抱いた彼だからこそ、新たな課題にぶち当たっているようだ。

 

 教師になるには大学を出るのが必須だ。そうなれば、まずは大学を受験して受かるレベルの学力や成績が必要となる。入学後は体育の実技や体の仕組みに関する知識を学び、大学のカリキュラムをこなすレベルの学力、成績、自己管理能力も求められる。

 いくら実技系である体育教師とは言えど、実技の成績だけがよければいいわけじゃない。体に関する知識や、教師としての一般常識だって必要だ。特に、自分より弱い存在――赴任してきた直後や職歴の浅い教師、生徒たち――を食い物にするだなんて言語道断である。

 経歴と外面、および学校の隠蔽体質を利用して好き放題していた悪い教師の一例――鴨志田卓を知っているからこそ、坂本竜司は『勉学を疎かにする』という選択肢が存在しないのだ。奥村社長のパレスにあったアームの選択肢に、休憩や減速が存在していないのと同じように。

 

 

『お前さんの言うとおり、かけがえのない体験というのも大事だ。だが、それと同じくらい一般常識も重要だぞ。常識のない大人たちのタチの悪さ、お前たちが一番知ってるだろ?』

 

 

 佐倉さんもうんうん頷く。彼の言葉は、僕たちにとっては非常に重い。鴨志田、班目、金城、奥村社長、(精神暴走を施されていたと言えども)冴さん、獅童――。

 今まで『改心』させてきた獲物たちの姿が、脳裏に浮かんでは消えていく。誰も彼も、人としての良識や一般常識と引き換えに才能を得たような人物たちだった。

 

 

『そのうち高校卒業して社会人になって、更に結婚なんてことになったら、尚更求められるのは常識だからな』

 

『結婚か……。随分先のことだと思っていたから考えたこともなかったが、考えていそうな人物に心当たりはあるな』

 

 

 佐倉さんの言葉を聞いた祐介が、僕と黎に視線を向けた。最も、祐介はすぐに『俺は明日の飲み食いをどうするかを考えるので手一杯だが』と付け加える。

 暗い表情を鑑みるに、彼の財布事情は――顔を合わせると毎度のことだが――あまりよろしくないらしい。しかも、割と切羽詰っている様子だ。

 仲間たちは祐介の言葉に苦笑していたが、みんな、示し合わせたようにして僕と黎に視線を投げてよこす。まるで、答えが分かり切っていても聞きたいと言わんばかりに。

 

 僕は思わず黎を見つめる。黎も僕を見返した。

 

 髪の毛を耳にかけるような動作をした彼女は、顔を真っ赤にして俯いてしまう。

 それにつられて、僕も顔を真っ赤にして視線を逸らした。……なんだろう、どうしてか直視できない。

 

 照れ臭そうにする僕らを見つめて、みんなはニコニコと笑っていた。微笑ましそうに、愛おしそうに笑っていた。その眼差しの温かさを、きっと僕は忘れることはできないだろう。

 

 

◇◇◇

 

 

 ――そうして迎えた12月18日。総選挙の日だ。

 

 僕らや航さんが予想した通り、獅童の『改心』はこの日まで発生しなかった。選挙前に『改心』が発生すれば楽だったのだが、起きると確定していてくれる方がまだ優しい。これが発生しなければ、怪盗団は獅童によって制裁を受けるだろう。おそらく、確実に命まで持っていかれる。

 選挙の予想は文字通りの一強。獅童率いる新党がぶっちぎりである。勿論、獅童正義の当選は確実だった。但し、僕らが獅童を『改心』させた日から、獅童は遊説を一切行っていない。『改心』による何らかの影響が発生しており、獅童の部下たちが隠蔽工作に走り回っているのは確かだ。

 冴さんの情報曰く、上司である特捜部長も挙動不審になっているらしい。随分と落ち込んだ様子だったという。特捜部長の方は“獅童智明がまだ動き出す前だったのと、智明がデミウルゴスとしての役目にシフトした”おかげで、事故等に巻き込まれずに済んでいた。ラッキーである。

 

 

「開票が行われるのは夜だよね。当然、当選したときの記者会見が行われるのも」

 

「『改心』が行われるとするなら、そのときだよな」

 

 

 ストーブに当たりながら、僕と黎は顔を見合わせた。暖を取っていたモルガナも頷き返す。

 

 

「今回、フタバのときとは違う方面でのイレギュラーが発生してる。自殺を企ててパレスを崩すとは恐れ入ったぜ。……だが、ワガハイたちはきちんと『オタカラ』を手に入れたからな。『改心』が起きるのは確実のハズだ」

 

 

 モルガナは力強く笑って見せた。今までの経験からして、『オタカラ』を奪って現実世界へ持ってきてしまえば、確実に『改心』が発生することは分かり切っている。

 獅童の敗因は、ギリギリまで自分が勝つと慢心していたからだ。僕たち怪盗団がフタバ砲を放った直後に仮死状態になっていれば、奴の勝ちは確定していただろう。

 

 パレスに侵入できなければ『改心』は行えない。奴が予告状直後に自殺を企てたとしたら、生還してパレスが再建される頃にはもう、予告状の効力はなくなってしまっていただろう。予告状は出してすぐ――1~2日前後――に動かなければ、効力を失ってしまうためだ。

 

 奴は自分が一時的に死ぬ恐怖よりも、僕たち怪盗団を殺せる手段に賭けた。僕たちがあの箱舟から脱出できたのは神取の協力があったからだが、“明智吾郎”は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と語っていた。()()()()()()()()()()()()とも。

 冴さんのパレスでも、“彼”は同じことを思っていたらしい。“明智吾郎”は“自分”が気に入られるためのパフォーマンスは行ったけれど、“ジョーカー”本人の運に任せる部分は一切手出しをしていなかった。5千枚のコインを5万枚にしたあの光景は、文字通り“ジョーカー”の実力だ。

 

 僕がそんなことを考えていたとき、スマホのSNSにメッセージが入った。送り主は空本兄弟である。

 

 

至:19日の夜には部屋に入れる状況になるって。

 

航:汚れた家具類の廃棄も終わり、新しい家具と総入れ替えしたそうだ。

 

至:大半は黒服たちに引き取らせたがな!

 

吾郎:……まあ、他人のアレで汚れた家具なんざ、使いたくはねぇな。

 

至:奴らが使い切ったものの補充も済んだし、厄落としがてら神社の神主さんにお清めしてもらったから大丈夫! ……のはず。

 

吾郎:あれ? 宗教はあまり信じないんじゃなかったの?

 

至:当てにしてるのは神主さん個人の浄化パワーなんでノーカン。

 

航:効果あるのか? それ。

 

 

航:しかし、マリンカリンであんな惨状になるとは……。

 

吾郎:混乱と忘却で止めてればよかったと思う。もしくは睡眠。

 

至:一般人に魅了使ってロクなことになった試しないよな。

 

吾郎:一番マシだったのってどれだろ?

 

至:……戦闘不能?

 

吾郎:それこそ問題じゃないの!?

 

 

吾郎:今のところ、獅童が『改心』する気配はないな。

 

航:やはり、記者会見が行われないと始まらないのか……? 今まで発生した『改心』は、人前で何かを発表するタイミングだったからな。

 

至:今日1日どうするんだ?

 

吾郎:ルブランで大人しく潜伏してる。黎も一緒だから、きっと大丈夫。

 

至:了解。無理するなよ。お嬢によろしく。

 

航:了解。お嬢によろしく。無理するなよ。

 

 

 保護者からのSNSはここで途切れた。

 出来ることはすべてやったので、あとは待つのみである。

 

 読書をしたり、黎と一緒にゲームをしたり、黎と一緒にDVDを見たり、ルブランのカレーやコーヒーをご馳走になったりして時間を潰す。今日は華の日曜日なので、丸一日黎と一緒に過ごしていた。

 お部屋デートに少々浮つきながらも、選挙の結果――敵の動きが気になるのは怪盗団としての性だ。それは黎も同じようで、時折ニュースやラジオに耳を傾ける。相変わらず、ニュースは『獅童の当選確実』を伝えていた。

 時間の流れが非常に緩やかに感じる。外がようやく暗くなり、夕飯として黎の手料理に舌鼓を打っていたときだった。選挙結果の速報が流れ始める。僕と黎は夕飯を食べる手を止めて、テレビの動向に注視した。

 

 果たして僕たちの予想通り、獅童正義が2位以下と圧倒的な差で当選した。奴のシンパたちが万歳三唱する。久しぶりに見た獅童は、相変わらず威風堂々とした佇まいだった。

 

 

(……『改心』、成功したんだよな? 全然変わったようには見えないぞ……?)

 

『今回の当選は、国民の皆様のお力添えの賜物と、身に染みる思いでございます!』

 

 

 テレビで会見を行う獅童は、東京中で遊説を行っていたときと全く変わっていなかった。俺以上に面の皮が厚い獅童の顔は、名は体を表すと言わんばかりの有様である。

 正義に燃える政治家の仮面を被った男は、自信満々な様を崩さない。僕が眉間の眉をひそめたのと、獅童の表情が曇ったのはほぼ同時であった。

 

 

『……それだけに……』

 

「?」

 

『それだけに私は、自分が許せないのです!』

 

 

 その言葉を皮切りに、獅童正義は声を震わせて男泣きし始めた。

 

 シンパも講演会も報道陣も呆気にとられる中、獅童は泣きながら己の罪を告白する。『奥村氏を葬ろうとしたのも、『廃人化』や精神暴走事件を引き起こしたのも、私がやったことなのです』――彼の姿を、僕はじっと見つめていた。おそらくは、“明智吾郎”も。

 獅童の罪は、本人の口から次々と明かされた。怪盗団に罪を着せるために情報操作を行ったのも、自分を裏切って警察に自首しようとした秀尽学園高校の校長を殺すためだけにバスジャック事故を起こしたのも、つい最近は特捜部長を始めとした面々を殺そうと計画していたことも、一色若葉という研究者から研究成果と命を奪ったことも。

 慌てた部下たちが獅童を止めようとしたが、獅童は彼らを振り払って言葉を続けた。『すべては出世のため、私利私欲のために様々なものを踏みにじって来た』のだと彼は語る。国家という船を我が物にしようとする野心のために、人の命すら踏み躙ってきたのだと。

 

 脳裏に浮かんだのは、崩壊した獅童のパレス。爆炎に飲まれて沈んだ箱舟。獅童正義という名の箱舟は、今この瞬間、数多の配下たちと共に沈み始めたのだ。

 こんな衝撃告白をやってのけたのだから、獅童の政治生命は絶たれただろう。国民の信頼を裏切った稀代の政治家として、第2の須藤竜蔵として語り継がれるに違いない。

 

 

『それだけではありません。私は未来ある若者に冤罪を着せました。私の間違いを正そうとした少女に対して腹を立て、無理矢理組み敷こうとしました。それが出来ないとなった途端、権力に物言わせ、少女の未来を滅茶苦茶にしたのです!』

 

「――!」

 

 

 さめざめと泣き晴らした獅童が、黎のことを話し出した。まさか自分の話題が出てくると思わなかったのか、黎が目を丸くする。

 

 事のあらましはこうだ。御影町で行われた会合に出席した獅童は、そこで大量の酒を飲んでいた。宿泊施設に戻る直前、奴は見知った女を見つけて手籠めにしようとしたという。だが、そこに偶然黎――名前は出さず、少女で統一されていたが――が通りかかり、それを咎めた。

 その少女の見目が麗しかったので、獅童はそちらにターゲットを変えて手籠めにしようとしたが失敗。酔っぱらっていたため、自爆して転んだのだ。その際、自分を見た黎の様子に腹を立て、傷害事件をでっちあげた。……奴の話は、黎の証言と全く同じだ。この映像も立派な証拠になるだろう。

 

 『その証拠も保管してあります』と獅童は言い、更に声を張り上げる。

 

 

『私には息子がいます。愛人との間に設けた子どもでしたが、政治的スキャンダルを恐れた私は彼を認知しなかった。母親である愛人ごと息子を捨てたのです』

 

―― ……!! ――

 

『息子がどこにいようと、何をしていようと無関心を貫きました。あまつさえ、どこかで野垂れ死んでいればいいとさえ考えていた……!』

 

 

 “明智吾郎”が息を飲む。まさか、『改心』による告白が()()()に飛び火するとは思わなかったのだろう。

 報道陣が騒めき始めた。“獅童正義に愛人がいて、認知していない息子がいた”――これだけでも充分なスクープだ。

 

 

『運命の巡り合わせというものは不思議なものです。……息子は、私が冤罪を着せた少女と懇意にしていました。将来を誓い合い、いずれは結婚するであろう仲でした。少女が冤罪を着せされても、その関係は変わっていません。今でも息子と少女は懇意のまま、私の暴挙によって齎された理不尽にも負けず、将来を誓い合っています』

 

 

 獅童の熱弁はヒートアップする。止めようとしたシンパが転び、頭をぶつけて目を回してしまった。

 最早、自壊していく獅童正義――箱舟を止めることは不可能。燃え盛る船の末路は、沈没だ。

 主を失い崩れていくパレス、爆発しながら沈んでいく箱舟。あれと全く同じ光景が広がっている。

 

 

『息子は私に会いに来ました。私によって少女につけられた前科者という汚名を雪ぐためです。私は息子の存在に気づいていました。ですが私は、息子を邪魔者だと判断した。彼の母親と同じように切り捨ててやろうと考えました。私の過去を知る息子を、亡き者にしようと企てたのです! ――父親としても、政治家としても失格だ!!』

 

―― ……無様だな。本当に、無様だ……! ……っはは。ざまあみろ……!! ――

 

 

 “明智吾郎”は笑っていた。仮面から覗く目元を手で押さえて、断末魔みたいなかすれた声で、獅童正義の破滅を嗤っていた。

 泣きたいのか笑いたいのか、どうしたいのか分からない様子だ。“明智吾郎”本人がどうなのかは知らないのだから、僕が分かるわけがない。

 僕と、僕の母と、黎の話をし終えた獅童が『申し訳なかった!』と叫んで土下座する。そうして、奴は『自分は破滅する身だから何も言わない』と宣言した。

 

 『それが、人間失格である私ができる、父親として唯一のことなんです』――男泣きしながら叫んだ獅童を、僕は冷ややかな目で見つめていた。

 

 母と僕を捨て、自分の手を汚すことなく人々を殺し、黎に冤罪を着せ、怪盗団に『廃人化』と精神暴走の罪を着せて破滅させようとして、僕を殺そうと企てた悪魔のような男。擁護不能、超弩級のド外道だ。――そんな男はもう、どこにもいない。

 テレビに映し出された獅童正義は、おいおい泣きながら己の罪を告白し続ける。奴の懐に飛び込んだときは、奴がこんな無様な顔を晒して泣き叫ぶとは思えなかった。目的は達したはずなのに、達成感も充実感もない。得体の知れぬ虚無感だけが広がった。

 

 

(……これで、終わったんだ……)

 

 

 呆けたようにテレビを見つめながら、僕はぼんやりと、獅童正義の記者会見を見守る。

 

 獅童が警察へ向かおうとするのを、シンパの連中が抑えつける。獅童が子飼いにしていた医者が『獅童先生は心神耗弱で』等と叫んでいたが、獅童本人から『馬鹿にするな! 私は正常だ!!』と一喝されていた。『改心』する前の獅童の言伝通りにしようとした医者にとって、これ程理不尽な仕打ちはあるまい。

 他の議員も同じようにして獅童の会見を終わらせようとしたが、会見を邪魔された獅童は怒り狂ってシンパたちの罪まで暴露し始めた。泣きながら怒り、シンパの罪を次々と明かしていく獅童の姿はどこか滑稽だ。奇妙な二律背反が滲むのは、僕も同じようなものを抱えていたからだろうか。

 

 名指しされた連中は顔を真っ青にしながら首を振った。彼らが獅童を庇うのは、一蓮托生で破滅したくないからだろう。

 本心から獅童を心配する者はいない。元々利権が絡んだ関係なのだから、利権がなくなれば縁が切れるのは当然のことである。

 獅童の会見を必死になって妨害する連中は、沈む箱舟からどうやって脱出しようかと必死になっていた認知存在たちと変わらない。

 

 汚い大人たちだ。明智吾郎が目の当たりにし、運よく離れることができた奴ら/“明智吾郎”が目の当たりにし、利用するために近づいた奴ら。それらが纏めて破滅していく。

 楽しくも何ともないのに、()()()の口元は歪んだ弧を描いている。引きつった口の端から声が漏れた。笑い声なのか泣き声なのか、己ですら判断できずにいる。

 

 

「…………え?」

 

 

 ぽつぽつと雫が落ちて、僕の服を濡らした。頬を伝うこれは、一体何なのだろう。

 嬉しいかと聞かれても答えられない。ましてや悲しくもないのに、視界がジワリと滲んだ。

 自分自身が分からない。僕は一体どうなったのか。何を思ってこうしているのか。

 

 

「吾郎」

 

 

 彼女に名前を呼ばれてたことに気づく。いつの間にか、獅童の会見は終わっていた。夜のニュース番組は獅童の会見を一斉放送し、大騒ぎとなっている。

 

 だが、獅童以外にも続々とニュース速報が入ってくる。獅童の関連者が次々と自首し、『自分たちも『廃人化』事件に関わっていた』と証言しているそうだ。名前が挙がった人物の中には、政治家の大江、旧華族の名士、TV社長、IT社長、トラブル処理役のヤクザ、検察庁の特捜部長もあった。

 ダメ押しとばかりに自首した連中たちによって、獅童の悪行っぷりが明かされたのだ。捜査が始まれば、彼らの結びつき諸共白日に晒され、漏れなく全員が罪に問われることになるだろう。今年の4月頃はこの日を目指して頑張っていたのに、感慨深い気持ちにすらなれない。糸の切れた人形のような心地になる。

 

 

「吾郎」

 

 

 気づいたら、テレビ画面が消えていた。ストーブの上に置かれたヤカンがしゅんしゅんと音を立てている。

 食べかけだったはずの夕食の皿は、僕の分も黎の分もピカピカになっていた。

 

 黎は静かに微笑みながら、そこに存在しているだけの置物と化した僕を抱きしめてくれた。

 

 

「終わったんだよ。獅童との戦いは、全部終わったんだ」

 

「…………」

 

「お疲れさま。……本当にありがとう、吾郎」

 

「――…………ッ!!」

 

 

 何かを伝えるために口を開いたのに、何かを言いたくて声を出した筈なのに、それは意味ある言葉にならなかった。

 獣が高らかに咆哮するが如く、鋭く獰猛な叫びだけが空気を震わす。縋りつくように手を伸ばし、半ば強引に、黎の身体を掻き抱いた。

 お気に入りの服を涙と鼻水塗れにされているというのに、黎はそんなこと気にすることなく、根気強く俺をあやし続けた。落ち着くまで待ってくれた。

 

 昂っていた感情がようやく落ち着いてきた頃、やっと俺は黎に言いたかった言葉を見つけた。途中でつっかえながらも、声を震わせながら言葉を紡ぐ。

 

 

「……俺……俺は……っ、お前、……お前のこと……ッ、助け……――っ?」

 

「うん。助けてもらった」

 

「ほ、……本当、……ホントの、意味で……力に……――?」

 

「うん。吾郎のおかげ。吾郎が頑張ってくれたおかげだよ。キミがいてくれて、本当に良かった」

 

 

 ――その言葉が聞きたかった。他の誰でもないキミの口から。

 

 ――それを、生きて成し遂げたかった。キミの隣にいるために。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 どこかの“明智吾郎”が願い、飛ばした蝶の群れがいた。どこかの“ジョーカー”が祈り、飛ばした蝶の群れがいた。数多の蝶、バタフライエフェクト。その瞬きが、この可能性へと集束した。俺たちが生きる世界におけるただ1つの未来となって、これからも続いていくだろう。

 最後に待ち構える『神』を、打ち倒した先にある未来を夢想する。この戦いの先にある、仲間たちや愛する人の笑顔を思い浮かべる。積み重ねてきたかけがえのない日々を、鮮やかな色彩を思い浮かべる。これからも煌めく世界を思い描く。そこは光に満ち溢れていた。

 

 ()()()()()()――俺は唐突に実感した。“明智吾郎”も同じらしい。()()()()()()()()()()()()()()()()という事実を、すとんと受け入れることができた。

 俺が憎んだ男は消えた。残されたのは、俺が恨み、捕らわれる価値など存在しない哀れな男。俺と正反対の道を行き、すべてをなくしたちっぽけな姿だった。

 

 もう二度と、俺は獅童正義の影に飲まれることはないのだろう。万が一脅かされても、道を踏み外しそうになっても、支えてくれる人たちがいる。

 

 ……ああ。

 それはなんて、幸福な――。

 

 

「――生きていてくれて、よかった……!」

 

「う、うう、――うあああああああぁぁ……っ!!」

 

 

 この先に試練が待っていることは、知っている。超弩級の理不尽が手ぐすね引いて、俺に殺意を向けていることも知っている。

 それでも今は、俺の中に絡みついていた因縁が断ち切られたことを――愛する人と共に生きる未来を得たことを、噛みしめていたい。

 数多の“明智吾郎”と“ジョーカー”の願いが叶えられたことを、“彼”や“彼女”たちの分まで、喜びたかった。

 

 それからどれだけ泣き続けたのだろう。無様な格好を晒してしまった。俺が大人しくなったのを確認した黎は、ホットココアを淹れてくれた。ほのかに甘い香りが漂い、激しく渦巻いていた俺の心を落ち着かせてくれる。

 

 

「……なんか、ごめん」

 

「いいよ。大丈夫」

 

「まったく、仕方のない奴だなあゴローは。……ま、ワガハイも気持ちは分かるが――って、熱ぅッ!?」

 

 

 ココアを啜りながら苦笑した俺に対し、黎は柔らかに微笑んで寄り添ってくれた。俺たちから存在を忘れられかけていたモルガナも、満足げに頷きながらホットミルクを舐めて悲鳴を上げていた。猫舌でも寒いのは嫌だと我儘を言った結果だった。

 丁度そのタイミングでカウベルが鳴り響く。階下がカヤカヤ賑わったと思った途端、階段を駆け上る足音が響き渡った。何事かと振り返れば、肩で息を切らせた至さんが屋根裏部屋に足を踏み入れたところだった。

 

 

「お嬢、吾郎!」

 

 

 彼は荒い息を繰り返した後、寄り添いあう俺たちの姿を見て破顔する。

 

 

「――……よく頑張ったな」

 

「――うん」

 

 

 俺たちも、同じようにして笑い返した。

 

 




魔改造明智による獅童パレス攻略、完結です。獅童の『改心』を待っている間に、メメントスに潜って依頼をするついでに七姉妹学園高校の制服を着て同じ学校の生徒ごっこに興じてみたり、進路のことについて語り合ったりして盛り上がった模様。そうして獅童が『改心』し、魔改造明智の初志/“明智吾郎”の願いと祈りに区切りがつきました。
黎が以前通っていた学校とDLCの七姉妹学園高校制服ネタを盛り込めたのと、獅童の『改心』でごちゃごちゃになった自分の心理を本当の意味で整理し終えた魔改造明智の姿を書くことができて非常に満足しています。獅童との因縁に決着がついたおかげで、魔改造明智が更に活き活きとし始めた模様。この調子で、次の標的は打倒『神』!!
次回より、P5ラスボスである統制神との最終決戦が始まります。自分が思った以上に、全章が纏まっていることに驚きを隠しきれません。最終章もこの調子でサクサク纏められるようにする所存です。ダイジェスト方式は非常に書きやすいことに気づきつつあります。最も、この形式は1点特化で、複数の主人公がいる群像劇系列に運用するのは難しそうですが。
魔改造明智と怪盗団の旅路だけでなく、原作にはいなかったデミウルゴスの存在や、魔改造明智の保護者である空本至の辿る結末も見守って頂ければ幸いですね。


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Life Will Change
最終決戦、始動


【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 @空本(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄で明智の保護者その1。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
 @デミウルゴス⇒獅童の息子であり明智の異母兄弟とされた獅童(しどう)智明(ともあき)を演じていた『神』の化身。姿は真メガテン4FINALの邪神:デミウルゴス参照。詳しくは中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『運命を切り開くだけの簡単なお仕事』および『ペルソナ3異聞録-.future-』、Pixivの『2周目明智吾郎の災難』および『【一発ネタ】有栖川黎の幼馴染』の設定を下地にし、別方向へ発展させた作品である。
・ジョーカーのみ先天性TS。
 ジョーカー(TS):有栖川(ありすがわ) (れい)⇒御影町にある旧家の跡取り娘。旧家制度は形骸化しているが、地元の名士として有名。身長163cm。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空本(そらもと) (わたる)⇒明智の保護者2で、南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。
・敵陣営に登場人物追加。
 @神取鷹久⇒女神異聞録ペルソナ、ペルソナ2罰に登場した敵ペルソナ使い。御影町で発生した“セベク・スキャンダル”で航たちに敗北して死亡後、珠閒瑠市で生き返り、須藤竜蔵の部下として舞耶たちと敵対するが敗北。崩壊する海底洞窟に残り、死亡した。ニャラルトホテプの『駒』として魅入られているため眼球がない。獅童パレスの崩壊に飲まれ、完全に消滅した模様。
・「2罰ボスの外見を見た人間の反応」に関するねつ造設定がある。
・普遍的無意識とP5ラスボスの間にねつ造設定がある。
・『改心』と『廃人化』に関するねつ造設定がある。
・春の婚約者に関するねつ造設定と魔改造がある。因みに、拙作の彼はいい人で、春と両想い。
・魔改造明智にオリジナルペルソナが解禁。


()()()()()()、とは、よく言ったものだね。キミの場合、後天性の大器晩成型みたいだったようだが』

 

 

 黄金の蝶が飛ぶ中で、男の声が静かに響く。だが、声の主はまともな形で顕現することはできない。奴と対を成す悪神の企みによって、声の主は弱体化を余儀なくされたのだ。

 飄々とした様子で語る声の主を、じっと見返す青年がいた。左耳にイヤリングをし、背中にはライフルの入ったカバンを背負っている。眼差しはどこまでも冷ややかだった。

 

 

『彼女や彼らは悪神が造り上げた試練を、そうと自覚した上で乗り越えてきた。次は悪神との直接対決になるだろう』

 

「お嬢やその仲間たち――次世代のペルソナ使いたちは、自分の使命をよく知ってるからな。奴らが動き次第、それを止めるために決戦へ赴くはずだ」

 

『だが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。奴はそのことも計算に入れた上で、トリックスターたる少女を滅ぼそうとするだろう。……私が全盛期同様の力を行使できたらよかったのだがね』

 

 

 男の声は申し訳なさそうな響きを宿していた。

 

 だが、青年はよく知っている。申し訳なさそうな声で話しているだけで、声の主は笑顔のままなのだと。悪びれている様子なんて一切ないのだと気づいていた。ただ、当たり前のことを当たり前に述べているだけに過ぎない。

 悪神と対を成し、奴らに対抗する存在――人はそれらのことを善神と呼んだ。だが、善神と銘打たれていても、それが人間にとっての善神か、世界を運営する機構としての善神か、『神』にとっての善神かで、方向性は様変わりする。

 男の基本方針は“人間の協力者”だ。悪神の企みを察すると、素質ある人間に力を与え、彼ら自身の手で事件を解決してもらうことを望む。自らは積極的に介入することはなく、人間たちをじっと見守ることに徹していた。

 

 但し、奴は純粋な意味での“人間の協力者”ではない。コイツにだって目的はあるし、そのためなら力を与えた人間に対して概算度外視の試練――理不尽を強いることもある。

 男にとって青年は“自分が見出して力を与えた人間”とは別な括りの存在だ。ハッキリ言うなら、“自分の目的の為なら好きに使い潰してもいい存在”でしかない。

 

 ――そうでなければ、奴は自分にこんなこと言わない。こんな提案を持ってくることすらない。

 

 青年に対して取引――青年が一方的に不利になるだけのものだ。『慈悲深く、破格な条件』での取引だと思っているのは男の方だけである――を持ち掛けてきたりしないし、対価を払わせたりしない。

 しかも腹立たしいことに、男は青年の弱点を知っている。青年が無力であることを知っている。青年には、なくなってほしくないものが――笑顔でいてほしい人たちがいることを、奴はよく知っている。

 

 『対価を差し出さなければ、代わりに彼らが皺寄せを被る』と笑顔で言われたときの腹立たしさといったら!

 反射的に奴の顔面をグーで殴ったことに関して、青年は反省も後悔もしていない。むしろ誇らしくて堪らなかった。

 

 

『9年前のあの日、キミが無力だったが故に変えられなかった結末があった。救うことができなかった背中があった。……それが、キミの旅路の要所要所で、キミが“そう”選択する理由となった』

 

「その片棒を担いだ張本人が、取引を迫って来た張本人が、何を感慨深く語ってるんだか」

 

 

 ああ、反吐が出る――青年は男の声に対し、眉間の皺を深くして蝶の群れを睨みつけた。

 男は悪びれる様子もなければ、青年の憤りを歯牙にかけることもなかった。

 

 

『それでもキミは選んだ。“己を概算度外視してでも、未来あるペルソナ使いの若者たちの笑顔を守る”ことを。それを曇らせるであろう、数多の理不尽に反逆することを』

 

「…………」

 

『だから私は、キミを見守ってきた。あのとき、キミの更なる成長を確信したからこそ、その旅路が充実するようにと力を与えた。導きを与えた。――結果、キミはここに至った。人間以上に人間らしく、命以上に命にふさわしい存在に。(ソラ)(モト)へと(イタ)る者に』

 

 

 男はしみじみとした様子で言葉を紡ぐ。

 

 

『祝福しよう、“こたえを得た者”。旅路の終着点を定め、成すべきことを成すであろう命よ。嘗て“生まれたこと自体が間違いだった”存在が、私にここまで言わしめる程、命にふさわしい存在へと至ったことを』

 

「そんな祝福なんざ興味ねーよ。『俺は理不尽を許せなかった。許すことができなかった』――ただそれだけだ」

 

 

 青年は吐き捨てるように言い残し、踵を返した。

 だが、それを引き留めるようにして黄金の蝶が肩に停まる。

 

 

『――野球のルールは、()()()()()()()()()()だったね』

 

 

 何の脈絡もない言葉だった。『神』が使う例えにしては、あまりにも俗っぽい内容だった。だが、その言葉は、青年の足を止めるのに絶大な効果を発揮する。

 

 青年は野球に詳しくはないし、球場に足を運んだりTVに齧りついたりしてまで応援する人種ではない。ならばなぜ立ち止まったのか。――野球のルールである()()()()()()()()()()という単語が、男と青年の間には重要な意味を持っていたためだ。

 3回という数字は、古来からよく出てくる。『3枚のお札』で小僧が身を守るために使った御札も、『アラジンと魔法のランプ』でランプの魔神が願いを叶える回数も、『3つの願い』で坊主が自分をもてなしてくれた家の人間に渡した願いが叶う玉の数も、そして――男と青年の間にある“対価”に関する数字も、3回だった。

 

 

()()1()()だ。――分かっているね?』

 

「……言われなくとも」

 

『それと』

 

「……何?」

 

『キミには感謝しているよ。悪神の元からイゴールを助け出してくれて』

 

 

 男の言葉に、青年はゆっくりと振り返った。

 この空間には蝶が飛んでいるだけで、男の姿はない。

 けど、どんな顔をして言っているのか、青年にはわかっていた。

 

 

「……アンタの為じゃない。イゴールには世話になったからな。助けるのは当然だろう」

 

 

 悪神に囚われていたイゴールは既に助け出した。後は、ベルベットルームを乗っ取って『ワイルド』使いの監視を行っている悪神を、あの青い部屋から追い出すだけである。青年にとって馴染み深い人々のことをゲームの『駒』にし、人生を滅茶苦茶にしてくれた張本人の姿を思い浮かべた。

 正直思いっきりぶん殴ってやりたいが、その仕事は青年のモノではない。イゴールが見出した『ワイルド』使いと、『ワイルド』使いの元に集ったペルソナ使いたちが果たすべき使命である。青年の役目はあくまでも“彼女たちを手助けする”ことであり、“正義の味方に絶対的な勝利を得てもらうための布石を打つ”ことと同義だ。

 

 イゴールの部下たる『力司る者』たちは、それぞれがそれぞれ動き回っている。特に、中間管理職状態と化した唯一の男子は悲惨なことになっていた。悲惨すぎて、自分が担当したお客様の手料理を食べないと発狂するレベルには追い詰められていた。姉たちはそんな弟の状態など気にも留めず、ガンガン激務を置いていく。――思い出すだけで涙が出そうだ。

 

 ベルベットルームを支配する悪神を追い出した暁には、当代の『力司る者』――3姉弟にとっては末妹に当たる――も本来の力と役目を取り戻すだろう。

 因みに、『力司る者』の仕事内容には『ワイルド』使いであるお客様との交流も含まれているが、それを知った/思い出したら末妹はどうするのだろうか。

 カレーを食べるイベントも、街を見て回るイベントも、交流を深めるイベントもない。やったことと言ったら、指定したペルソナを持って来いと命令したくらいだ。

 

 

(末妹の精神年齢がどうだかは知らないが、状況によっちゃあ、唯一の苦労人に飛び火しそうだよなぁ……)

 

 

 『力司る者』の中で唯一の男性は、家族運はどん底だったが仕事運は最高だった。彼が担当したお客様は(当時)明朗快活な少女で、スーパー超人みたいなスキルを持っていた。料理は上手いし優しいし、頭脳明晰なだけじゃなく度胸と度量もあるし、美しき悪魔と呼ばれる程の魅力持ちだ。

 姉の理不尽な仕打ちに振り回されていた男性にとって、お客様のような女性は目から鱗が出るレベルの存在だった。差し入れで手作りお菓子やコンビニスイーツを持ってきてくれたり、凹んでいるところを励ましてくれたり、姉への愚痴を嫌な顔せず聞いてくれる女性は、神聖なものに見えたらしい。

 

 青年が気づいたときにはもう、男性は何かを拗らせた挙句、『お客様が私のおねえさまだったらよかったのに!!』と語るようになっていた。

 ダメ押しとばかりにお客様本人も許可を出し、『貴方のような弟ができるの? それはとっても素敵なことだね!』と微笑んだため、男性は血涙流しながらガッツポーズを取った。

 結果、男性は『力司る者』の中でも屈指のリア充と化した。お客様の家へ遊びに行けば満面の笑みと美味しい料理で歓待され、実の姉弟よろしく仲良しになったためである。

 

 

『姉上、見てください! お客様が私のために、手編みのマフラーを作ってくださったのです!』

 

 

『姉上、お客様が手作りのお菓子を差し入れてくださったんです! とても美味しいんですよ!』

 

 

『姉上、暫くお暇をいただけませんか? お客様が私に『是非とも結婚式に出席してほしい』と招待状を送ってくださいまして……私、どうしても出席したいんです!!』

 

 

 実姉からの理不尽が悪化するのに、そんなに時間はかからなかった。上2人の姉でさえ厳しいと言うのに、末妹が増え、更に彼女は『悪神のせいでお客様とまともな交流ができなかった』となれば――……おめでとう。末妹すら敵に回った。彼の孤軍奮闘は確実である。

 

 苦労性で理不尽が当たり前となってしまった彼のことは、どうしてか放置しておくことができなかった。

 彼の一部を、青年は自分自身と重ねて見ていたためかもしれない。

 

 

(いけね、思考回路が脱線した。……成すべきことを、成しにいかなきゃ)

 

 

 青年は苦笑し、蝶の舞う空間を後にする。

 ――旅の終わりは、もうすぐだ。

 

 

◆◇◇◇

 

 

 翌日、獅童の会見を聞いた人々は困惑していた。あの惨状を目の当たりにすれば誰だってああなる。僕ですら呆気にとられたレベルなのだから当然だろう。

 獅童の関係者は火消しに走り回っているようだが、そうは問屋が降ろさない。冴さんや他の関係者が本格的に動き始めていた。

 この調子ならばと思っていたが、19日から日付が過ぎれば過ぎる程、僕たちは人々の反応の異常性を思い知ることとなる。

 

 ――ひとたび『改心』が発生すれば、多くの人々が反応を示したものだ。街は怪盗団の噂で溢れ、『改心』されたターゲットへの罵詈雑言などが飛んでいたくらいに。

 

 だが、獅童の会見を目の当たりにしたはずなのに、民衆たちの反応が鈍い。今まで記者会見が発生するタイミングで『改心』が発生したのに、正真正銘怪盗団の手口だというのに、あの衝撃映像を本物だと信じていないのだ。半信半疑、といったところだろう。

 人々の中には『獅童のあれは本物なのだろうか』と首をひねる者や、『獅童さんは悪くない!』と奴を擁護する者もいる。終いには『国の舵取りを任せられるのは獅童さんだけだ。彼には早く復帰して貰わないと』と言う者まで現れる始末だ。

 

 この違和感に眉を潜めたくなるものの、今の僕たちには違和感の理由を掴めるような情報は何一つ持っていない。

 同時に、僕たちはテスト期間中だ。そちらを疎かにするわけにはいかないので、僕もそちらに集中する。

 

 

『獅童智明? うちの学校にはそんな生徒は在籍していないけど……』

 

『明智くん。今回も学年1位、期待してるからな。キミの学力は我が校内でも右に出る者がいないレベルでぶっちぎりだから――』

 

 

 獅童を改心させた結果、うちの学校から獅童智明という生徒が消えた。厳密には()()()()()()()()()()()()()

 

 デミウルゴスは、人々から獅童智明という人間の情報一切を消し去ったようだ。同時に、智明の母方に関する情報も。認知の歪みを正したと言えばそれまでであろう。情報収集に精を出しつつ、試験に打ち込むことも忘れない。

 そうして12月22日になり、期末試験が終わった。試験の手ごたえはバッチリだから、今回も学年首位は不動のままだろう。おそらく、秀尽学園高校の学年1位はいつもの2名――3年生が真、2年生が黎――のはずだ。

 電車内でそんなことを考えていたとき、仲間たちからメッセージが届いた。祝日と試験の辛さを忘れるために、明日はみんなと一緒に街へ繰り出すことが決まった。試験終わりの疲れを癒すためにも、丁度いいはずだ。

 

 丁度明日は、獅童の罪が立件される日である。人々の目も覚め、獅童の人気も終わるだろう。

 『廃人化』や精神暴走の一件も明らかにされ、黎の傷害事件も見直される。冤罪だって晴れるはずだ。

 

 

「ただいま」

 

「おう。おかえり、吾郎」

 

「んむー……? ……ごろー、おかえりー……」

 

 

 僕の帰還を空本兄弟が迎える。自分が死んだ――あるいは御影町に行っていたことになっていた期間、僕はずっとルブランの屋根裏部屋で潜伏生活を行っていた。久々に帰宅した自宅は、以前よりもピカピカになっているように感じた。

 いいや、実際にピカピカにされたのだ。獅童の手下たちが前後不覚になって起こした乱交パーティ会場と化した自宅は、それはそれは酷い有様になっていたらしい。奴らの弁償によって家具は新品に、壁も床も綺麗になった。

 

 夕食を作る至さんの姿を見るのは久々だ。徹夜明けでむにゃむにゃ言いながら、至さんの腰に引っ付く航さんの姿を見るのも久しぶりである。

 

 目の前に並んだ日本食料理は至ってシンプル。湯気を漂わせる鳥そぼろご飯、ほんのり甘く香るかぼちゃの煮つけ、具材がごろごろ入った豚汁、ぶつ切りになったマグロに山芋とオクラをかけた和え物だ。どれも美味しそうである。

 至さんが作ったご飯を食べるのも久しぶりだ。僕は「いただきます」と挨拶して食べ始めた。どの料理も相変らず美味しい。至さんは寝ぼけた航さんの介護に追われている。以前と変わらない光景に安堵した。

 夕飯を食べ終えてテレビを見る。ニュースのアンケートは相変らず『総理大臣として人気なのはぶっちぎりで獅童正義』であると伝えていた。明らかに人間業ではない。デミウルゴスや奴の上司たる『神』が工作した結果だろう。それが何のための布石かまでは分からないが。

 

 僕がそんなことを考えていたとき、至さんが台所でPCを開いた。普段仕事をするときは自室に籠り切りになるタイプなのに、珍しいものだ。

 言葉にはしないけれど『仕事で使う資料ではないから、誰かから覗かれても/僕が覗いても大丈夫だ』という証である。彼の態度に甘えて、僕はPC画面を覗き込んだ。

 

 

「……これ、料理のレシピ?」

 

「うん。時間を見つけては、ちょくちょく纏めてたんだ」

 

 

 至さんは照れ臭そうに笑う。そのタイミングで、ソファの方から呻き声が聞こえた。

 見れば、寝ぼけた航さんがソファの背を物欲し竿に見立て、自分が洗濯物として干されるような態勢で眠っている。

 航さんの寝相がとんでもないのはいつものことだ。僕と至さんは顔を見合わせると、苦笑するので留めておいた。

 

 

「でも、どうして突然? ウチの料理番は至さんだろ?」

 

「いやー、近々料理の管理と料理番ができなくなりそうだからさ。俺がいなくなっても大丈夫なように纏めておこうと思って」

 

 

 至さんは綺麗な笑みを浮かべて答えた。彼の違和感に引っかかりを覚える。

 

 至さんからは南条さんや桐条側から仕事が舞い込んできたという話は聞いていないし、長期の出張関連なら南条さんからも連絡が届くようになっている。桐条側から何かを頼まれた場合は美鶴さんが連絡をくれるのだ。そういう話題は、僕の方に一切回ってこない。

 しかも、至さんが纏めたレシピの量は膨大だ。紙媒体にすると分厚くなるから、PDFファイルとして保存したのだろう。「あともう少しで纏め終わるから」と至さんは語り、カレンダーに視線を向けた。僕の見間違いでなければ、彼の視線は12月24日を見ていたように思う。

 

 

「至さん。12月24日って何かあるの?」

 

「決まってる、クリスマスだ! 何作ろうかなー。吾郎は何か食べたいものとか、欲しいものとかある?」

 

「……いや、クリスマスを楽しみにしてるような人の顔じゃないから気になって」

 

 

 素直に所見を述べると、一瞬だけ、至さんの動きが止まった。僅かな沈黙の後、僕の保護者は綺麗に笑う。

 

 

「考えてただけだよ。クリスマスに向けて、どんな料理作ろうかなあって」

 

 

 何度問いかけても、至さんは同じ答えを返し続けた。頑なに、クリスマスの献立の話ばかり振って来た。――ああなると、彼はもう何も語ってくれない。

 至さんの口を割らせるには、それなりの証拠を集めて突き付ける必要がある。……まあ、24日まであと2日な訳だから、至さんの方から話してくれるはずだ。

 

 

「分かった。24日、楽しみにしてる」

 

「おう。任せておけ」

 

 

 ここでようやく、至さんは普段通りのにかっとした笑みを浮かべた。人懐っこい笑顔に、僕も安堵する。

 ウキウキ顔で「クリスマス何食べたい?」と訊ねてくる彼に「ローストチキン」と元気に返せば、任せろと言わんばかりに親指を立てた。

 少し気が早い――明らかに違和感はあるけれど、楽しそうにクリスマスディナーを思案する至さんの横顔を見ていると何も言えなくなってしまった。

 

 行事の季節や料理のことになると張り切る至さんと、あくまでもマイペースを崩さない航さん。そんな2人を、生暖かな目で見守る僕がいる。

 

 なんてことはない、いつもと同じ光景だった。人間不信になりかかった明智吾郎が、もう1度人を信じてみようと思えた理由だった。ここで生きる明智吾郎を作り上げた、欠かせない要素だった。

 家を出れば黎がいて、怪盗団の仲間たちがいて、頼りになる大人たちがいる。明智吾郎にとって何よりも大切な、小さくてささやかな世界だ。これが壊れてしまったら――考えたくもない。

 

 最後に待ち構える『神』を倒せば、この戦いも終わるだろう。

 それがいつになるかは分からないが、決着がついたらみんなで打ち上げをしたいものだ。

 

 

「ねえ、至さん」

 

「何?」

 

「クリスマスもだけど、『神』を倒した後の打ち上げ会でも、至さんが料理作ってよ」

 

 

 至さんの動きがぴたりと止まった。彼は暫し沈黙した後、とびっきり綺麗な笑顔を浮かべて頷いた。

 

 

「――うん。任せとけ! とびっきり美味しい料理、作るからな!!」

 

 

◇◇◇

 

 

 僕たちは今、ルブランにいた。街の散策を切り上げざるを得ない大問題が発生したためである。後から合流した冴さんや佐倉さんも、厳しい顔をしていた。

 

 選挙で大勝した獅童が率いる新党は、党首である獅童正義の体調不良を発表した。

 特別国会の招集は延期され、それに伴って奴の総理就任も延期になるという。

 

 てっきり辞職するとばかり思っていたのだが、奴はクビになるどころか、暫く後に総理就任が確定していた。冴さんが教えてくれた取り調べ状況と、ニュースに流れる情報が全く違う。取り巻きたちが必死になって獅童を庇っているためだろう。

 今この瞬間でさえ権力者たちが続々と罪を告白していると言うのに、綺麗さっぱりもみ消されている。それだけではなく、民衆たちも獅童の体調不良――もとい、獅童正義という人間を信じ込んでいた。あれだけの大号泣会見が流れたというのにだ。

 一連の事件を指示したという告白も、一色若葉さんら犠牲者への謝罪も、欲望赴くままに弄んで捨てた僕の母への謝罪も、母ごと捨てた挙句邪魔者認定して葬ろうとした僕への謝罪も、理不尽な理由で冤罪を着せた有栖川黎への謝罪さえも、体調不良による精神疾患にされたのだ。

 

 人々はみな「獅童正義の総理就任」を望んでいた。それ以外の意見など存在しないと言わんばかりに、周りの人々の意見は統制されている。

 

 おまけに、怪盗団の存在自体が()()()()()()にされたのだ。『一連の『改心』事件には繋がりはなく、偶然の精神疾患が続いたもの。怪盗団はそれに上手く乗じた風評被害に過ぎない』――なんとまあ、おざなりでふざけた内容である。

 なんてことはない。獅童のシンパどもがでっちあげた、ハリボテだらけの嘘だ。しかし、こんな嘘を民衆にあっさり信じさせるあたり、『神』の力は強大らしい。現実世界の人間たち――民衆という概念が持つ認知すら歪ませてしまうのだから。

 

 

「ネットも炎上してる。『怪盗団は断罪されるべき』、『残党はみんな処刑しろ』、『獅童さん、どうか奴らを根絶やしにしてくれ!』……ひどいもんだ」

 

「シドーというデカい巨悪を『改心』させても尚、ワガハイたちは大悪党のままってことか……! 『神』の奴、随分とナメた真似してくれるぜ!」

 

「『獅童の罪が明かされて困る人間は、思った以上に多かった』ってことだな。悪党どもめ」

 

 

 双葉がスマホを眺めながら歯噛みし、モルガナが毛を逆立たせる。双方共に怒りを滲ませていた。モルガナの声が聞こえていない佐倉さんは、双葉の意見に同意する。

 

 だが、それだけでは終わらない。

 泣きっ面に蜂と言わんばかりに、冴さんが俯いた。

 

 

「……この調子だと、獅童の立件自体が危ういかもしれないの」

 

「どうして!? あんだけ派手な会見して、大泣きしながら自白したのに!」

 

「獅童のシンパたちが捜査を妨害し始めたのよ。医者は精神鑑定を持ちだし、特捜部長代理が立件を邪魔してきた。世論が『獅童の罪を追求』することを望めばまだ何とかなったかもしれないけど、それすらメディア操作によって潰されてしまったわ」

 

 

 真の叫びを聞いた冴さんが眉間に皺を寄せて呟く。彼女の様子からして、獅童が抱え込んでいた検察関係者は特捜部長だけじゃなかったのだ。おそらく、現在の特捜部長代理も獅童の部下なのだろう。特捜部長が『改心』したというのに、奴らの自白内容が世論に反映されていないことがその証拠だ。

 そう考えると、獅童のパレスでVIPをしていた連中以外にも、権力者を仲間に引き入れていた可能性が高い。TV社長やIT社長が出頭してもメディアに影響が出ないこともその証拠だ。奴ら以外にも子飼いにしていたメディア関係者――しかも、相当な地位持ちどもだ――がいることは明らかである。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――僕の中にいた“明智吾郎”が、愕然とした表情でテレビ画面を見つめている。それは僕も同じだった。

 

 去年の暮れから、黎に着せられた冤罪を晴らそうと戦ってきた。獅童正義の罪を終わらせるために、危険な橋を渡って来た。――その頑張りが、やっと実を結んだと思ったのに。

 握り締めた拳に爪が食い込む。震えが止まらない。叫びだしたいのを抑え込もうとし、僕は歯を食いしばった。口の中でギリギリと軋んだ音が響く。

 

 

「それじゃあ、黎の冤罪はどうなんだよ!? 黎がずっと耐えてきたことも、吾郎があんだけ頑張ったことも、全部無意味にされちまうってのか!? そんなのおかしいじゃねえか!!」

 

「竜司……」

 

「納得できるはずがないだろう! 俺たちはずっと見てきたんだ。2人が必死に戦ってきた背中を、見てきたんだ……!!」

 

「祐介……」

 

 

 竜司が泣きそうな顔をして僕たちを見た。祐介も端正な顔を歪ませて怒りを吐露する。僕らのことを案じているが故に、彼等は憤ってくれているのだ。

 

 いいや、竜司と祐介だけじゃない。モルガナも、杏も、真も、双葉も、春も、僕たちのことを心配してくれた。僕たちのために怒ってくれていた。『自分たちだって僕と黎の姿をずっと見てきたのだ』と、『その背中を見守って来たのだ』と言わんばかりに。

 佐倉さんも、冴さんも、この結果に納得なんかしていなかった。理不尽を享受するつもりはなかった。ここに集うのは反逆の徒。ペルソナ使いであろうとそうでなかろうと、理不尽を赦すことができないから立ち上がることを選んだ人間たちだった。――それが、とても心強い。

 

 

「このままじゃ、獅童の無罪だけじゃない。悪い方向にどこまでも転がり落ちるわ」

 

 

 冴さんの言葉通りだ。ここでいくら憤怒を煮えたぎらせても意味がない。周りの人々を説き伏せようとしても、僕らの言葉は妄言で片付けられてしまうだろう。

 怪盗団が民衆の支持を得たのは、()()()()()彼らが自分で考えようとする意志があったからだ。自らの目と耳で得た情報を分析する意識があったからだ。

 民衆たちがそれを放棄するようになったのは、『メジエド』事件から奥村社長の件だったように思う。丁度、怪盗団への支持率が8割強を超えた次期だった。

 

 

「……正直、拘束は時間の問題よ。たった今踏み込まれてもおかしくはない。私たちの力では、もう、どうにも……」

 

 

 普段は強気で頼れる姉御肌エリート検事である冴さんまで、弱音を吐いている――この時点で、怪盗団の旗色がどれ程悪いのかが嫌でも理解できてしまう。人の手では操作不能の異常事態とは、まさしく『神』の所業と言えるだろう。

 

 

「『人間は導き手を欲する生き物だ。怠惰こそが人間の本質。統一する者がいてこそ、人間の願いは叶う』」

 

「吾郎?」

 

「……智明――デミウルゴスの言っていたことは、これだったのか」

 

 

 獅童智明――デミウルゴスや奴の上司たる『神』は、始めからこうするつもりでいたのだろう。獅童正義をのし上がらせることで悪役としての役割を与え、関係者たちの認知を歪ませパレスを作り、パレスの主や反逆の徒としての兆候がある者たちを結びつけ、下準備しておいた。

 後に、有栖川黎を見出した『神』たちは獅童を差し向けて奴と因縁を結ばせ、彼女たちに怪盗団を結成させ、獅童の元に辿り着くよう誘導していたのだろう。僕が予想した通りだった。黎の人生を狂わせたのは、奴らにとって『単なる副産物でしかない』のが腹立たしい。

 

 至さんと同じフィレモン関係者で、至さんが信用するイゴールとやらと関係が深いモルガナは明らかに善神側だ。

 

 彼も僕らを導いていたが、デミウルゴスらの誘導に加担したわけではない。

 「理由は違うが目的地が一緒」というヤツだろう。便乗とは厄介なタイプだ。

 

 

「導き手、か……」

 

 

 僕の言葉を聞いて、黎は考え込む。

 

 

「一時期、『怪盗団に全部任せておけばいい』って風潮になったことがあったよね。今起きている『獅童に全部任せればいい』って風潮も、本質は同じものだ」

 

 

 彼女が思い出しているのは、『メジエド』事件から奥村社長の件までの期間だろう。あの頃、怪盗団の支持率は8割強。9割突破間近だと思われており、三島が大喜びしながらも『なんだか不気味だ』と零していた期間だった。

 

 怪盗団への期待と熱狂が異常な程に上昇し、その後権威が一瞬で地に落ちたのも、獅童の情報操作だけではなかったのだ。

 『神』もまた、あの支持率を叩きだすために手を加えていた。人間業だけでは、民衆から持ち上げられるのも見放されるのも早すぎる。

 ……最も、『神』にとっては、自分の策に惑わされない人間が一握りいたという事実は誤差範囲内でも腹立たしいことかもしれないが。

 

 

「獅童の支持率がああなのは、お父様の一件を利用して怪盗団の支持率を丸々奪った結果だものね。『神』の力は、その風潮を保つために使われていると見て良さそう」

 

「……だとすると、解せないことがある」

 

 

 憤る春に対し、真は厳しい顔をして疑問点を述べる。

 

 

「民衆たちを獅童の指示者に仕立て上げるなら、どうしてデミウルゴスは獅童を『いらない』と言ったのかしら? 現に奴は民衆の認知を歪ませ、獅童の人気を利用してこんな世界を作り出してる。獅童が『いらない』存在なら、奴の名前を社会から抹殺したっていいはずでしょう?」

 

「獅童本人は『いらない』けど、獅童の人気は欲しい……もしかして、デミウルゴスがホントの意味で必用としているのは“民衆”なの?」

 

「アン殿、それだ!」

 

 

 真の疑問点を聞いた杏は、顎に手を当てながら首を傾げる。

 彼女が零した疑問から、確証を手にしたのはモルガナだった。

 

 

「デミウルゴスが必要としていたのは、ワガハイたちと戦わせるために見出した人間たちだ。今まで『改心』させてきた人間たちは、ヤツの戦力――いわば『駒』。先鋒のカモシダ、次鋒のマダラメ、中堅のカネシロ、便乗ついでに利用したフタバとニージマに、副将のオクムラ、大将のシドー。……そして、現状から推測するに、悪神が最後に持ちだしてきた総大将が民衆――もとい、“大衆という概念に属する人々”なんだろう」

 

 

 「だから、奴はシドーを『必要ない』と切り捨てたんだ」――モルガナは険しい顔でそう締めくくった。

 

 彼の声が聞こえない佐倉さんと冴さんが首を傾げるので通訳すれば、2人は額を抑えて唸っていた。双方共に『ざっくりとは分かったけれども理解できない』と言いたげだが、一般人なら『ざっくり分かった』レベルまで行けば充分である。

 僕らの話から宗教やカルト的な気配を感じ取った冴さんと佐倉さんだが、怪盗団という存在自体がオカルト的なものだという観点から納得してくれていた。ただ、一般常識を重んじる年代のためそう易々と受け入れられる話題ではないらしく、暫く唸っていた。閑話休題。

 

 脳裏に浮かんだのは、獅童のパレスで正体を現したデミウルゴスだ。奴は黎に視線を向け、『もうじきお前の旅路も終焉(おわり)を迎える』と言ったのだ。

 それが『神』が本格的に動き出すという合図だった。奴らが動いた結果、『嘗て怪盗団を応援していた“大衆そのもの”が最大の敵』という形で牙を剥いたのだろう。

 具体的な名前がないものを『改心』することは不可能だ。何せ、今度の相手は1個人ではない。大衆という概念そのものが相手だ――そこまで考えて、僕はふと気づいた。

 

 

「なあ、モルガナ。お前言ってたよな。『普段、人々のシャドウはメメントスにいる。メメントスで収まりきらない欲望の歪みがパレスを作り出すんだ』って!」

 

「『メメントスはみんなのパレス』だったね。もしメメントスにも『オタカラ』が存在していれば、大衆を一挙纏めて『改心』できるかもしれない!」

 

「ああ! 大衆という概念に対応するパレスへの入り口は、最初から用意されていた……! そしておそらく、あの扉の先が、『オタカラ』のある場所へ繋がっている!」

 

 

 僕と黎の言葉を聞いたモルガナが我が意を得たりと頷き返した。

 封印されていた扉の先、モルガナの記憶に関係する場所――これですべてが結びついた。

 

 

「メメントスが崩壊すれば、大衆みんなに影響が及ぶはずだ。世の中の情勢だって変わるだろう。みんなの心が『シドーを許さない』となりゃあ、良い方向に動き出すに違いない」

 

「まだ逆転のチャンスはあるんだね!」

 

 

 杏を皮切りに、怪盗団一同や佐倉さんと冴さんが湧きたつ。暗中模索同然だった僕らの前に、一筋の光明が差し込んできたのだ。「但し」と、モルガナは付け加える。

 

 彼の見解では、“人間の認知が異世界として存在しているのか”――その真実が、メメントスの奥に眠っているらしい。だが、メメントスから『オタカラ』を盗み出すということは、パレス同様崩壊が発生し、消えてしまうということだ。

 パレスが生まれるのは『メメントスにいるシャドウが欲望を抱き、欲望が歪みによって肥大した結果』だ。故に――理論上の話だが――メメントスが崩壊してしまえば、もう二度とパレスが発生することはなくなる。

 新世代のペルソナ使い――もとい、僕たち怪盗団は認知世界でのみペルソナ能力を行使することができるのだ。異世界が消えてしまえば、僕たちはもうペルソナを召喚することができなくなる。それは即ち――

 

 

「もう悪党がいても、力づくで『改心』させることはできない。怪盗団としての力も失われることになる。……怪盗団は、店じまいってコトだ」

 

 

 モルガナの言葉を聞いた仲間たちが表情を曇らせた。多分、僕も同じ顔をしていたと思う。自分たちが今まで、この力を駆使して成し遂げてきたことを思い返しているのだろう。

 変態教師鴨志田卓の『改心』を皮切りにして、怪盗団は世直しを行ってきた。長い戦いの果てに獅童正義を『改心』させ、最後は民衆を『改心』させようとしている。

 

 

(……民衆を『改心』させれば、もう二度と、怪盗団として戦うことができなくなる……)

 

 

 怪盗団をやめなきゃいけないというのは、凄く辛い。だって、この力があったから、僕らは出会うことができた。あんなにも充実した日々を過ごすことができた。多分、これまで生きてきた中で一番楽しかった時間だと思う。

 これからも、僕たちは怪盗団として駆け抜けていくものだと思っていた。高校生と怪盗という二重生活を送り続けると信じていた。非日常が日常として定着していた。今までの日常を失うのは――この力を失うのは、惜しいことだ。

 

 

『本当なら、怪盗団は不必要な方がいいと思うんだ。でも、理不尽に苦しむ誰かの助けになれるなら、存在する意味はある』

 

 

 怪盗団を立ち上げたとき、黎が話していたことが脳裏をよぎる。

 5月2日、帝都ホテルのビュッフエ。ザ・ファントムは、あそこから始まった。

 たった4人の高校生と、摩訶不思議な喋る黒猫1匹。アジトは僕の自宅であるマンション。

 

 いつの間にか、仲間はどんどん増えてった。気づけば8人の高校生と摩訶不思議なしゃべる黒猫1匹の大所帯である。

 

 思えば遠くまで来たものだ――ペルソナ絡みの戦いになる度に、僕はいつも、そんなことを考えながら旅路を振り返る。スノーマスクやセベク・スキャンダル、珠閒瑠市浮上事件、巌戸台の影時間消滅作戦、八十稲羽のマヨナカテレビ連続殺人事件……どれもこれも頭の痛くなる事件だった。

 沢山の出会いがあり、別れがあり、戦いがあった。諍いが発生することもあれば、厄介事に首を突っ込んで酷い目に合うこともあった。知らず知らずに結ばれた因縁が紐解かれていくのを目の当たりにした。人々の生き様を、在り方を見てきた。――そうして、長い旅路にも、終わりがあることを知ったのだ。

 

 

『いつか、私たちが必要なくなるその日まで、そうなるように力を尽くしたい。人々の意識が少しでも変わっていけるならば、私たちの歩いた軌跡は決して無駄じゃないんだから』

 

 

 ――ああ、そうだ。そうだとも。

 

 僕たちは最初から、終わりに向かって歩いていた。怪盗団を始めたあの日から、『最後は怪盗団が解散することも厭わない』と決めていた。その終わりが今、目の前にある。ただそれだけのことだった。

 あの日の決意はここにある。旅路で積み重ねたかけがえのない日々も、旅路で得た大切な仲間も、旅路を往く中で抱いた答えもここに在る。怪盗団じゃなくなったからといって、何もかも失われるわけじゃない。

 理不尽に打ちのめされた始まりの日を思い返した。あのとき自分が何を思ったのか、僕は今でも覚えている。何のために立ち上がったのか、僕は今でも忘れていない。正義は今もこの胸の中にある。

 

 

「『正しいことを正しいって言うために、間違いを間違いだと言って正すために、私みたいな理不尽な目にあう人を助けるために――そんな人が1人でも減るように』」

 

「リーダー……」

 

「そう思ったから、私は怪盗団を始めたんだ」

 

 

 凪いだ水面に石を投げ入れるように、この場の静寂を破ったのは有栖川黎――我らが怪盗団のリーダー、ジョーカー――だった。

 灰銀の瞳には静かな決意が宿っている。始まりの日に、彼女が抱いた正義は今でも失われていない。初志貫徹の意を掲げ、彼女は微笑む。

 

 

「私の答えは変わらない。『いつか、私たちが必要なくなるその日まで、そうなるように力を尽くしたい。人々の意識が少しでも変わっていけるならば、私たちの歩いた軌跡は決して無駄じゃないんだから』」

 

「レイ……お前……」

 

「今こそ、それを果たすべきときなんだ。誰に何を言われても、私は私の正義を貫く。反対者が出ても、私は絶対止まらないから」

 

 

 リーダーである黎の言葉を聞いた仲間たちの瞳から、迷いや躊躇いの色が消え去った。

 

 思い出したのだろう。自分たちが怪盗団を始めた理由を。最初に抱いていた正義を。

 そうして、今こそ自分たちが抱いた正義を完遂するときなのだと。

 

 

「そうだよ。やろう! 私たちは『世直し怪盗団』なんだから!」

 

「ああ! これが俺たち怪盗団の、最後の仕事だ!」

 

 

 杏と竜司の言葉を皮切りに、仲間たちは顔を見合わせる。

 『神』との最終決戦が間近に迫っていることを感じながら、小さく頷き返した。

 状況についていけない佐倉さんと冴さんが顔を見合わせ首を傾げる。

 

 

「最後の仕事……?」

 

「異世界を消すんです」

 

「それが、どうして最後の仕事と繋がるの?」

 

「異世界の存在があったから、僕たちは怪盗団として『改心』の力を行使することができました。ですが、異世界が消滅してしまえば、もうその力を行使することはできません。『廃人化』や精神暴走事件が起きなくなる代わりに、どうしようもない悪党を力づくで『改心』させることもできなくなるでしょう」

 

 

 冴さんの問いかけに答えた黎の返事を、僕が補足する。

 冴さんは納得したらしい。キリリとした面持ちで目を細めた。

 

 

「成程。だから、最後の仕事なのね……」

 

「私たちが役目を果たした後は、罪を正した『大人』に世の中をお願いします。それが、仕事を引き受ける条件です」

 

「……『取引』ってわけね。なんて重い条件なのかしら。――でもいいわ、受けましょう」

 

 

 春が持ちかけた取引に苦笑しながらも、冴さんは静かに微笑んで頷いた。「獅童正義を、必ず裁きの場に立たせてみせる」と語る冴さんならば、きっとやり遂げてくれるだろう。

 それに、冴さん本人の気質的に『借りは返さなきゃ気が済まない』タイプだ。獅童や『神』に弄ばれた分を熨斗つけて返したいと考えているに違いない。ぎらつく双瞼がその証拠。

 ……いいや、冴さんだけじゃない。この場にはいないけれど、僕がよく知る頼れる大人たち――歴戦のペルソナ使いたちも、きっと力を貸してくれる。罪を正してくれるはずだ。

 

 僕らが戦う覚悟を決めたのを悟った佐倉さんがニヤリと微笑む。

 みんなで顔を見合わせて頷き合った後、僕たちは黎へ視線を向けた。

 

 音頭を取ってほしいという僕らの心を察したのか、黎は不敵に微笑んだ。

 

 

「――この国を頂戴する!」

 

「それ前も言ったけどな!」

 

「いいじゃない。今度こそ正真正銘なんだから」

 

 

 茶化すように笑った双葉に、春はにっこりと笑って頷いた。

 そうと決まれば時間が惜しい。満場一致で、決行日は明日と相成った。

 

 

「しかし、クリスマスが最終決戦日か……。聖夜に国を、ひいては民衆の心を頂戴するとは」

 

「そういや、吾郎ってペルソナ使いの戦いを見てきたんだろ? 決戦日とかどうだったんだよ?」

 

 

 しみじみと語った祐介に触発された竜司が僕に問いかけてきた。僕は当時のことを思い返しながら答える。

 

 

「スノーマスクやセベク・スキャンダルのときは、日付なんてあってなかったようなものだったな。現実世界の時間は文化祭の前日で止まってたわけだし。珠閒瑠のときはモナドマンダラだから、やっぱり現実世界の日時じゃ該当しない。地球暦すら意味ないんじゃないかな? どちらも精神世界だったから」

 

「なんつートコで決戦してんだよ……」

 

 

 僕の話を聞いた竜司は、『地球暦が通じない精神世界』というパワーワードに辟易しているようだ。

 これから向かうメメントスも、一歩間違えれば時間の概念が吹き飛ぶ可能性がある。

 決戦から帰って来たら時間経過がとんでもないことになっていた――そんなこともあり得そうだった。

 

 僕はそのまま言葉を続ける。

 

 

「ニュクスっていう死の概念を相手取ったのが1月31日、八十稲羽の土地神である伊邪那美命を相手取ったのが3月20日だった」

 

「待って。死の概念って……」

 

「下手したら世界滅亡してたかもしれないよ」

 

「うわ、マジかよ超怖ェ! 巌戸台世代の人がいなきゃ、俺らみんな死んでたってことか!?」

 

 

 僕の話を聞いた竜司はゾッとしたようで、顔を青くしていた。

 まさか変な所から恐ろしい真実を知るとは思わなかったようで、他の面々も凍り付く。

 

 

「だったら尚更、負けるわけにはいかないな。先輩たちから受け継いできた人類の未来を、俺たちで絶やすわけにはいかんだろう」

 

「人類の未来というより、ワガハイたちは自分の正義を貫くための戦いだがな。……まあ、負けたら未来がお先真っ暗という意味では、絶やしてはならないってコトになるだろうが」

 

 

 祐介とモルガナが納得したように頷く。それを横目にしつつ、僕は竜司から降られた話題を締めくくるために口を開いた。

 

 

「前者は元々予告されていた日付だし、後者は真実さんが東京へ帰省する日だったから、特にこれと言って珍しかったわけじゃないんだよね」

 

 

 むしろ、ペルソナ使いたちの決戦日で一番センセーショナルなのは僕たちの世代ではなかろうか。なんてったってクリスマスである。

 本来ならばサンタがプレゼントを届けにやって来る日だ。そんな日に、よりにもよって怪盗団が民衆の『オタカラ』を盗みにやって来るのだ。

 

 あれは6月――秀尽学園高校の2年生が社会見学に来た日――のことだったか。探偵王子の弟子として本格的にメディア露出をしたとき、僕はサンタの話を持ち出したことがある。

 

 サンタクロースを信じる年齢はとっくに過ぎてしまったけれど、今でも僕はサンタクロースはいると確信している。正体が誰であろうとも、自分のために何かを贈ってくれる人がいるという事実が大事なのだと僕は思っていた。

 『但し、“僕の知らない”サンタクロースが家に入ってきた場合は不法侵入で警察に連絡する』なんて適当なジョークを述べたら、やたらとウケたような記憶がある。あの頃は、まさか決戦日が12月24日になるとは予測していなかった。

 竜司は納得したのかしないのか、微妙な顔をしていた。だが、自分たちの日付のセンセーショナルさにちょっと浮かれたのだろう。悪戯小僧みたいな屈託のない笑みを浮かべた後、僕の肩を思いっきり叩いてきた。筋肉馬鹿故か、かなり痛い。

 

 

「痛ェよ馬鹿!」

 

「いや、お前の鍛え方が足りないだけだろ!」

 

「竜司、その意見は間違ってる。吾郎は着やせするタイプなだけで、ちゃんと筋肉ついてるよ」

 

 

 僕と竜司が――僕は不本意なのだが――漫才を披露し始めたとき、ムッとした表情で黎が意見を述べる。竜司は疑わし気に黎を見返し――ハッとした面持ちで目を見開いた。

 

 途端に、竜司の顔から血の気が引いた。戦慄いた口が「おまえら、まさか」と動いたように見えたのは気のせいではない。彼は暫し口を開いては閉じてを繰り返したが、そそくさと視線を逸らして完全沈黙した。知らぬ存ぜぬを貫くつもりらしい。何名かが目を剥いたが、最終的には黙ることにしたようだ。

 雑談も程々にして、仲間たちは帰宅していく。誰もが明日の最終決戦に意気込んでいるようだ。竜司が、杏が、祐介が、真が、双葉が、春が、「また明日」と言ってルブランを去っていく。冴さんも真と共に家路につき、佐倉さんも店じまいをして去っていく。案の定、佐倉さんは「節度は守れよ」と言い残して帰っていった。

 

 残っているのは僕と黎、あとはモルガナ。モルガナは咎めるような目で僕を見上げた。……今日は別に泊まらないのに。

 「今日は帰るよ」と言えば、彼はあからさまにホッとしたようだ。そうして意味深に笑った後、足早に2階へと去っていった。

 この場に残されたのは僕と黎の2人だけである。顔を見合わせれば、お互いに「もう少し話がしたい」と思っていることはすぐに分かった。

 

 いつもの定位置となったカウンター席に座る。黎も微笑み、隣に腰かけた。

 

 

「まさか、クリスマスが最終決戦になるとは思わなかったよ」

 

「その通りだね。聖夜に『オタカラ』を頂戴するだなんて、なかなかにセンセーショナルじゃないか」

 

 

 とりとめのない話題から始めた雑談は、あまり長くは続かない。

 明日が最終決戦ということもあってか、自然と口数が減っていく。

 

 

「思い返せば、沢山のことがあったね」

 

「そうだね。……本当に、怒涛と言う言葉がよく似合う毎日だった」

 

 

 黎がぽつりと零した言葉に、僕は微笑み頷き返す。

 

 僕のスマホに宿った『イセカイナビ』から『メメントス』に迷い込み、獅童親子が行っていた完全犯罪の存在を知ってから、もう2年。大人たちの助けを得ながら獅童を追い詰めようと奮闘していたら、奴によって黎が冤罪を着せられた。――それが、怪盗団が結成されるための始まりで。

 鴨志田卓の『改心』を皮切りに、僕たちは『神』の作為通りに獅童へ導かれた。そうして、『神』の用意した『駒』の総大将である獅童正義を『改心』させることに成功したのだ。この8か月、怒涛の展開ばかりだったように思う。あっという間にここまで辿り着いたように思う。

 楽しい時間も、もうすぐ終わり。民衆のパレスたるメメントスが消滅すれば、僕たちは怪盗団ではいられなくなる。ペルソナ能力を駆使して戦うことも不可能になるだろう。何の力もない、無力な一介の高校生へと戻り、“本来あるべきはずの日常”へと還っていく。

 

 『改心』が成功したときの爽快感を、人から持ち上げられることの歓びを、人に嵌められたときの悔しさを、不思議な力を行使できる特別感を、僕たちは知ってしまった。

 人の悪意の深さを、欲望の悍ましさを、正義を貫くための心構えを、異形と戦い続ける宿命を知ってしまったみんなが、何も知らなかった頃同様でいられるとは思えない。

 

 

「ペルソナ能力がなくなっても、俺は至さんと同じような道を進む。……いずれ現れるであろう次世代のペルソナ使いたちを手助けしたい」

 

「私も同じだよ。私たちを助けてくれた先輩たちと同じように、後輩たちのことを支えたい」

 

 

 他のみんなも、きっとそうだ。自分の夢を追いながら、自分と同じように戦おうとする後輩たちを手助けすることだろう。嘗て自分を助け、支え、導いてくれた格好いい大人たちのように。――だって彼らは、困っている人たちを助ける世直し怪盗団(ザ・ファントム)の一員。超弩級のお人好したちなのだから。

 体育教師となって生徒たちに運動の楽しさを教える竜司の姿が、トップモデルとして胸を張りステージを歩く杏の姿が、画家として様々な作品を描き出す祐介の姿が、警察官のキャリアとして現場を駆け抜ける真の姿が、白衣を着てPC画面と睨めっこする双葉の姿が、自身が経営する喫茶店で夫と共に客を出迎える春の姿が、鮮明に浮かぶ。

 みんな笑顔だった。彼や彼女の周りにいるであろう人々も笑顔だった。例えペルソナ能力が失われたとしても、仲間たちは誰かの笑顔を守るために戦うことを選ぶだろう。理不尽と真っ向から戦うことを選ぶだろう。自分の無力さを噛みしめる日が来ても、決して諦めたりなんかしない。――それが、容易に想像できた。

 

 忘れられない背中があった。忘れたくない人がいた。その生き様を、僕は覚えている。

 

 仲間たちと共に異変を解決するため、氷の城と大企業を駆け抜けた。噂が跋扈する怪奇都市で見た白昼夢の謎を追いかけ、滅びの夢から齎された罰を覆した。存在しない影時間を消滅させるため、月へ続く塔を登った。都合の良い嘘によって覆われた霧の街で、真実を探すためにテレビの中を走り回った。

 誰も知らない物語。人知れず、けれど確かに世界を救った若者たちがいた。彼らと敵対した人間たちもいた。分かり合えるかもしれないと思いながらも、別れる以外になかったこともある。最後まで分かり合えないまま、すれ違ったまま、認められないまま別れた者たちだっている。

 

 

「出会いも別れも、宝物だよ」

 

「良くも悪くも、衝撃的だったな」

 

 

 黎と僕は顔を見合わせ、頷き合った。

 

 自分の正義を貫くために己の命を差し出した者、自分の命を愛する人の為に与えた者、何も残せないと嘆いたが故に死を求めた者、悪党でありながらも良心を捨て切れない“人間らしさ”を持った者――以前の旅路で別れた人々のことを、思い返す。

 今回の旅路も、今までの旅路と比べ物にならないくらい素晴らしい出会いがあった。強烈な別れがあった。鴨志田卓、班目一流斎、金城潤矢、奥村邦夫、獅童正義、獅童智明――もといデミウルゴス。特に最後の1人とは、明日戦うことになる。

 

 

「勝とうね」

 

「ああ」

 

 

 『神』を倒した後に広がる未来を、一緒に生きていく――その決意を示すように、黎は指輪をチェーンから外して左手薬指に嵌めた。僕も手袋を取り、左手薬指の指輪を示す。

 黎は僕が贈ったブルーオパールの指輪を、僕は黎が贈ったコアウッドの指輪を、きちんと身に着けている。電灯の光を反射して、シルバー部分がキラキラと煌いていた。

 

 時計を見ればもう遅い時間帯。明日の決戦に備え、そろそろ帰らなくては。

 名残惜しいけれど、万全な仕込みがなければ仕事を果たせなくなってしまう。

 僕らは顔を見合わせた後、ふわりと笑みを浮かべ合った。

 

 当たり前の挨拶を交わす。今も昔もこれからも、そう言い合える未来を手にするための戦いへ、僕たちは赴くのだ。

 

 

「――それじゃあ、また明日」

 

「――うん。また明日」

 

 

 ――旅の終わりは、もうすぐだ。

 

 

***

 

 

―― 明日メメントスが崩壊すれば、ペルソナは使えなくなるんだな ――

 

 

 ルブランを出た直後、今まで黙りこくっていた“明智吾郎”がおずおずと問いかけてきた。

 

 今まで以上に情けない顔をしている。どうかしたのかと問いかければ、奴は()()()()()()()と噛みつくような声色で応えた。ぶっきらぼうに吐き捨ててそっぽを向いた“彼”の中は、どこか寂しそうである。

 奇妙なことを言いだす奴だ。僕は半ば呆れ果てて――ふと、目を見張る。“明智吾郎”は俺の中に宿るペルソナ――ロキとして力を貸してくれた。ペルソナとしての付き合いはニイジマパレス以降だが、実際はずっと前から俺の傍で見守っていてくれたのだ。

 思考回路を塗り潰されかかった経験から換算するに、恐らく俺と“明智吾郎”の付き合いは12年となるだろう。嘗て“自分”が歩んだ旅路の経験則を活かして、俺が最善を選べるように手を回してくれた功労者だ。彼がいなければ、俺はここまで辿り着けなかった。

 

 けれど、“明智吾郎”はあの機関室より先のことは何も知らない。だから、獅童を『改心』させた後、民衆を『改心』させるためにメメントスから『オタカラ』を盗むことになったのを“彼”が知ったのはつい今しがただ。

 おそらく『メメントスを崩落させたら、もう二度と怪盗行為はできない』ことを知ったのも、『メメントスがなくなればペルソナが使えなくなる』ことを知ったのも、仲間たちとの会議のはず。――“彼”が挙動不審になったのは、この直後だ。

 

 

(……もしかして、自分がどこへ行くのか分からないから心配なのか?)

 

―― ………… ――

 

 

 俺の予想は図星らしい。“明智吾郎”は俯き加減になりながら、そうと分からぬくらいの動きで頷いた。

 自分がどこへ行くのか分からないというのもまた不安だろう。特に、ペルソナが消えるとなれば猶更だ。

 

 暫し躊躇った後、“明智吾郎”は口を開く。

 

 

―― 俺が見れなかったもの、沢山見せてもらった。俺が越えられなかった機関室を超えて、獅童の末路まで見せてもらえた。アイツが涙を流すなんて、絶対見られなかっただろうよ ――

 

(だよな。お前の言う通り傑作だったな!)

 

―― ホントだよホント。ざまーみろってんだ!! ――

 

(空元気を使って話題を逸らそうとするのやめような)

 

―― 敢えて指摘するんじゃねえよ、クソが! ――

 

 

 悪い笑みを浮かべて笑う“彼”がどさくさに紛れて煙に巻こうとしている気配を察知し、俺はそれを真正面から指摘してやる。

 “明智吾郎”は忌々しそうに舌打ちすると、これ以上ないくらい深々とため息をついた。

 

 

―― 未練はねえよ。……ちゃんと、消えることにだって納得してる。納得してるんだ。……まさか、お前相手に“離れがたい”って思うとはな。ホント、予想外だった ――

 

 

 そういう感情は“ジョーカー”に向けるものだとばかり思っていたのに――“明智吾郎”の眼差しは、非難がましそうに揺れていた。足立透と負けず劣らずの理不尽な八つ当たりである。人間らしくなったという意味では、“彼”もこの旅路で得たものがあったのだろうか。

 

 ()()()()()()()()()()――“明智吾郎”は口に出していないけれど、すべての挙動でそう訴えている。

 人間嫌いなくせに寂しがりという二律背反を背負った男だ。面倒くさいのはご愛嬌と言ったところだろう。

 勝手に覚悟を決めて、勝手に去る準備をしているところは、機関室で命を捨てたときと変わっていない。

 

 素直に「ここにいたい」と言えばいいだろう。でも、それが出来ないのはプライドがあるからだ。純然たる事実でもあるからだ。夢を見れるような性格でもないためだ。

 足立と同じような八つ当たりができるなら、もう少し素直になれるはずなのに。俺は手間のかかる子どもの面倒を見るような、生暖かな気持ちを抱いた。

 

 

(ペルソナってな、心の海から生まれいでるらしい)

 

―― は? ――

 

(そして、心の海は元々1つで、みんなと繋がっているんだってさ)

 

―― ……だから何だよ? ――

 

(たとえ知覚できなくても、ちゃんとそこにいるんだ。心の一側面として。……だから、お前は消えない。消えたりしない。いなくなったりしないよ)

 

 

 もしかしたら、他の誰かの所に出張するかもしれないけど――なんて笑えば、“明智吾郎”は素っ頓狂な表情を浮かべた。仮面から覗く瞳と口が、間抜けに開かれている。

 

 脳裏に浮かぶのは、滅びの世界へ帰っていった周防達哉さんの背中だった。あの人は『心の海は繋がっているから、いつでも会える』と語っていた。彼本人とはそれ以来顔を会わせてはいないけれど、こちらにいる達哉さんの片鱗に、滅びの世界の達哉さんの面影があった。

 たとえ他者や本人に近くすることができなくなっても、彼の証はきちんと残されている。達哉さんの言動から、それを感じ取ることができた。おそらく滅びの世界の達哉さんも、そのことを理解していたから『心の海(中略)』と語ったのであろう。彼は本当のことは言わなかったけど、嘘も言っていなかったのだ。

 

 俺が誰の例を挙げて語っているのかを察したらしく、“明智吾郎”は半信半疑に俺を見返してきた。

 自分は達哉さんの例と合致するような存在なのかと言わんばかりに、奴はじっと俺を見つめる。

 迷子になって不安な顔をした子どもを見ているような気分になったのは、きっと気のせいではない。

 

 

(お前のことは俺が連れて行くさ。冴さんのパレスで取引しただろ? だから、絶対置いてったりしない。お前が嫌だって言ってもだ!)

 

―― ……ハッ。やれるもんならやってみりゃあいい。精々楽しませてくれよ? ――

 

 

 憎たらしい笑みを浮かべた“明智吾郎”は、今日はそれっきり何も言わなかった。俺が話題を振っても、悪人面じみた笑みを浮かべ、鼻で笑うだけに留めていた。

 “彼”は“彼”なりに、思うところがあるのだろう。俺は“明智吾郎”をちらりと一瞥した後、同じようにして黙ることにした。――最早自分たちに、言葉など不要だったから。

 

 




魔改造明智によるメメントス最奥後略、導入編。基本は原作本編と同じ流れですが、バタフライエフェクトの直撃によって会話の端々に変化が出ています。同時に、何名かに変なフラグが点灯中。終わりだけでなく、別れの気配も滲んできたようです。
「メメントスが消滅すれば怪盗団としての力を行使できなくなる⇒ペルソナ能力も消滅する?」という疑問が生じた“明智吾郎”は自分の行方が気になったようですが、魔改造明智に諭されて吹っ切れたみたいです。おそらく、このコンビも見納めになるのでしょう。
魔改造明智の旅路ももうすぐ終着点。機関室の向こう側、“明智吾郎”すら知らない最終決戦の舞台へ、かけがえのない仲間たちと共に踏み出していきます。彼らが旅路の果てにどのような景色へ辿り着くのか、もう少しおつき合いして頂ければ幸いです。


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完全敗北

【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 @空本(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄で明智の保護者その1。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
 @デミウルゴス⇒獅童の息子であり明智の異母兄弟とされた獅童(しどう)智明(ともあき)を演じていた『神』の化身。姿は真メガテン4FINALの邪神:デミウルゴス参照。詳しくは中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『運命を切り開くだけの簡単なお仕事』および『ペルソナ3異聞録-.future-』、Pixivの『2周目明智吾郎の災難』および『【一発ネタ】有栖川黎の幼馴染』の設定を下地にし、別方向へ発展させた作品である。
・ジョーカーのみ先天性TS。
 ジョーカー(TS):有栖川(ありすがわ) (れい)⇒御影町にある旧家の跡取り娘。旧家制度は形骸化しているが、地元の名士として有名。身長163cm。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空本(そらもと) (わたる)⇒明智の保護者2で、南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。
・敵陣営に登場人物追加。
 @神取鷹久⇒女神異聞録ペルソナ、ペルソナ2罰に登場した敵ペルソナ使い。御影町で発生した“セベク・スキャンダル”で航たちに敗北して死亡後、珠閒瑠市で生き返り、須藤竜蔵の部下として舞耶たちと敵対するが敗北。崩壊する海底洞窟に残り、死亡した。ニャラルトホテプの『駒』として魅入られているため眼球がない。獅童パレスの崩壊に飲まれ、完全に消滅した模様。
・「2罰ボスの外見を見た人間の反応」に関するねつ造設定がある。
・普遍的無意識とP5ラスボスの間にねつ造設定がある。
・『改心』と『廃人化』に関するねつ造設定がある。
・春の婚約者に関するねつ造設定と魔改造がある。因みに、拙作の彼はいい人で、春と両想い。
・魔改造明智にオリジナルペルソナが解禁。



 12月24日の放課後、僕たちはメメントスに足を踏み入れた。

 

 入り口に来た時点でスマホに『メメントスの最深部への扉が解放されました』とメッセージが入り、案内に従ってモ(ルガ)ナカーを走らせてからどれ程の時間が経過したのだろう。

 ようやく、以前侵入した際に扉に邪魔されて進めなかった場所まで辿り着く。僕らの到着を察知した物々しい扉はあっさりと開き、他の階層と同じデザインの階段が姿を現した。

 

 

「……なあ。こいつがメメントスの『最深部の扉』ってことでいいんだよな?」

 

「ああ。そのはずだ」

 

 

 やけに呆気なく開いた扉と今まで下って来た階段の様子を見比べたスカルが、やや困惑気味に振り返る。フォックスも頷き返した。

 スカルの反応もよく分かる。ラストバトルの舞台だと気合を入れたら、普段とあまり変わらなくて拍子抜けしてしまったのだろう。

 固く閉ざされていたとは思えないくらい、扉が簡単に開いたということもある。……やはり、何度見直しても、今まで下って来た階段と変わらない。

 

 普段と変わらないこと――予想外のアクシデントが発生しないことをどう取るか。スカルやフォックスらは気にしないことを選んだが、クイーンや僕らは用心深くすることを選んだ。気持ちの持ちようは適材適所ということである。そんな僕たちの様子を見ていたジョーカーも静かに頷き、先陣を切って足を進めた。

 

 

「な、なんだコレ!? なんか、デカい化石みたいなのが並んでるぞ!? ……これが『オタカラ』?」

 

「メメントスを走っていた列車と同じデザイン……。もしかして、時々見かけた地下鉄? その終着駅がここだってことかしら」

 

「始発駅がどこかすら分からないけどな。始点に関する認知が重要視されてないから、終点しかない構造になってるのかも……」

 

 

 新たなフロア――ホームの左右には、びっちりと列車が並んでいる。目の前に飛び込んできた光景を見たナビがきょろきょろと周囲を見回し、物珍しそうな声を上げた。

 時折見かけた地下鉄の行方が最深部入り口とは予測できるはずもなく、クイーンも目を丸くして周囲を観察する。数多の列車が並ぶ図は壮観であった。

 

 

―― あのシャドウたちの目的地はここだったのか……。つーか、メメントスの奥地がこんな有様になってるなんて初めて知ったぞ ――

 

 

 “明智吾郎”も訝しみながら列車の群れを見つめている。“彼”は機関室から先に進んだことが皆無なので、メメントスの奥地に何が広がっているかも知らないのは当然だ。

 地下鉄内にはシャドウの影が蠢いていた。奴らはぞろぞろと列車から姿を消している。人が出入りしているということは、ここから先にもフロアがあることを意味していた。

 ナビから地図を見せてもらうと、丁度真っ直ぐ一本道となっている。ぞろぞろと何処かへ向かうシャドウの群れを横目で見ながら、僕たちは更に奥地へ進んでみた。

 

 固く閉ざされた扉は、僕たちが近づいてきたのに反応した。凸のような形で開いた扉の先が、『イセカイナビ』に新たに示された『メメントス最深部』ということなのだろう。

 

 先へ進もうとしたとき、ナビが声を上げた。

 どうやら扉が開いた際、奥の様子の一部を分析することができたらしい。

 

 ……だが、扉やフロア周辺に仕掛けられていたモノの内容が問題だった。

 

 

「この扉、開ける仕掛けが『こっち側』にしか存在してない……!」

 

「ウソ!? それって、『この扉に入ったら出てこれない』ってこと!? なんで一方通行なのよ!?」

 

 

 ナビの分析を聞いたパンサーがぎょっとした様子で目を剥いた。一方通行の扉ということは、メメントスが崩落した際の脱出経路に憂いがあることを意味している。

 『パレスの崩落に巻き込まれて死んでしまった場合、現実世界では――死因や行方に関する云々的な意味で――ロクな扱いにならない』ことは、“明智吾郎”に対する“ジョーカー”の反応で大体予測可能だった。

 

 

「おそらく、中にいる人間が外に出ないように閉じ込めるための仕掛けでしょうね」

 

「……ってことは、脇から入っていく人たちは『自分から閉じ込められに行ってる』ってことなの……?」

 

 

 クイーンの分析を聞いたノワールが、思わず左右に停まっている地下鉄へと視線を向けた。

 

 立体駐車場よろしく上に積み重ねられるようにして建造されたホーム。そこに停まった列車からは、数多のシャドウが降りてきている。彼等はわき目もふらず、続々と扉の奥へ向かっていた。乗客は絶えることなく、長い列も途切れることはなかった。

 ぽっかり空いたその道は、なかなかに狂気的な仕掛けが施された一方通行であると知っているのかいないのか判別できない。だが、もし彼らが“自らの意志で扉の向こうへ向かっている”とすれば、ノワールが出した結論で間違いないだろう。

 

 しかし、『一度入ったら出られない』なんて場所は、現実世界で言うどこを指すのだろう。今までのパレスを思い返しながら、僕は考える。

 鴨志田のパレスが城、班目のパレスが美術館、金城のパレスが銀行、双葉のパレスが王墓、奥村社長のパレスが宇宙基地、冴さんのパレスがカジノ、獅童のパレスが箱舟だった。

 進んだら二度と戻れない扉から、奥にあるフロアを覗き込む。ここからではよく見えないが、ナビ曰く「かなり広いフロアが広がっている」とのことだ。

 

 

「一度入ったら出てこれない場所か……」

 

「……その言葉だけで連想するなら、まるで刑務所の『牢獄』みたいだ」

 

 

 僕が考え込んでいた横で、ジョーカーが噛みしめるように呟いた。……言い得て妙である。

 確かに、刑務所の牢獄は“囚人が終身刑や死刑になれば『一度入ったら出られない』”場所だからだ。

 

 

「どこかには“牢獄は毎日3食食べれて、休日もある施設なので居心地が良い”なんて話題が転がっているらしいけど……」

 

―― 自分から入りたいなんて思うヤツなんざ、まずあり得ねェな。『まともな感性を持っているなら』って前提が必要だが ――

 

「マジかよ!? ……ってことは、あのシャドウたちってマゾなの?」

 

 

 僕のこぼれ話を聞いた“明智吾郎”は顎に手を当てて唸る。“明智吾郎”の声が聞こえないスカルはシャドウたちの群れへ視線を向けて、顔を歪ませていた。

 スカルはクイーンから「居心地が良すぎると再犯率が上がる」という話題を聞かされ、更に困惑した。待遇がよければ、軽犯罪を延々と繰り返す可能性だってある。

 しかも、囚人たちを生活させるための予算は国民の税金だ。3食全部出て冷暖房と休日まで完備している環境だから、貧困者にとっては最低限度の生活が保障されていた。

 

 一度犯罪を犯した人間が再犯してしまうのは、張られたレッテルによってまともな生活を送れなくなってしまうことが原因である。どこへ行っても犯罪者の汚名がついて回り、就学や就職、結婚にだって暗い影を落とすのだ。

 

 犯罪者故に周囲から冷遇された結果、賃金を稼げなくなる。収入がなければ生活が成り立たない。金がなければ何も買えないのだ。

 物を買う手段がないのだから、追い詰められて犯罪に走ってしまう。そうしてまた、刑務所の牢獄へ逆戻り――堂々巡りである。

 

 

「罪を償うために入るのか、不本意に入れられてしまうのか、努力してもどうしようもなくて戻って来るのか、出たくないから戻って来るのか……。デミウルゴスは、大衆意識の何を歪ませたんだろう?」

 

「シャドウたちの真意を確かめるにも、デミウルゴスや奴の上司たる『神』が何を考えているのか掴むためにも、この先へ進むことが必要だね」

 

 

 僕はジョーカーと顔を見合わせ頷き合った。

 仲間たちも満場一致で先に進むつもりらしい。

 

 

「しかし、何なんだここは……。感じだ事のない不気味さだな」

 

 

 無表情で奥へ向かうシャドウたちを眺めながら、フォックスは眉を顰める。確かに彼の言うとおり、地下鉄が並ぶ立体駅や無心に足を進めるシャドウたちの姿は異様な光景だ。

 

 民衆たちが自ら進んで向かいたくなるようなパレスとは、どんな場所なのだろう。想像しようにも想像が及ばず、眉間の皺が深くなるだけだった。

 足を止めて首をひねった怪盗団を先導するようにして、モナが一歩踏み出す。彼の瞳には、強い決意が滲みだしていた。

 

 

「行ってみれば分かるだろ。先に行こうぜ」

 

 

 そんなモナに続くようにしてジョーカーが歩き出す。モナは彼女の後ろに控えるようにして並んだ。僕はモナとは反対方向で、ジョーカーの隣に並ぶ。

 仲間たちは当たり前のように僕とジョーカーを取り囲むようにして並んでいた。いつもと変わらない並び順であり、布陣そのものだ。

 殿として僕の視界の端にちらつくのが“明智吾郎”と“ジョーカー”である。2人はいつも、僕とジョーカーの少し離れたところに居た。

 

 

―― ……あのクソ猫、様子おかしくないか? ――

 

 

 不意に、“明智吾郎”が僕に声をかけてきた。

 彼の視線は、撥ねるような足取りで先へ進むモナに向けられている。

 

 

(モナのことか? 確かに、やけに張り切ってるなとは思うけど……)

 

―― 『最終決戦で気が立っている』にしては、あの張り切り様は只事じゃない ――

 

(……分かった。デミウルゴス共々気に留めておく)

 

 

 僕の返事を聞いた“明智吾郎”は頷き、再び僕の視界の端へと戻っていった。“彼”は警戒態勢を解くことなく、メメントスのフロアを見回している。僕はそれを確認しつつ、仲間たちと共に扉の先へと踏み込んだ。

 新たなフロアのど真ん中には、巨大な吹き抜けが広がっていた。大きな穴が開いた先には、数多の管が張り巡らされている。管は時折脈打つように赤く光りながら、吹き抜けの下まで続いていた。ここからでは線の先――真下を見通すことは不可能である。

 

 あまりの不気味さに、スカルとパンサーが引きつった表情を浮かべた。フォックスも眉間の皺を更に深くし、クイーンも口元を震わせる。

 最奥に即たどり着くためのショートカットは『この吹き抜けから飛び降りる』ことだろうが、ナビは「やめたほうがいい」と進言してきた。

 曰く、「構造上、足場にできそうな区画が殆どないので、飛び降りれば地面に叩き付けられることは明白」とのことだ。背中がヒヤリとした。

 

 

「少々遠回りになるけど、内部を通りながら下って行った方が確実だよ」

 

「『千里の道も一歩から』だね」

 

「そうだね。いつも通り、慎重かつ大胆に行こう」

 

 

 ナビの進言を聞いたノワールは神妙な面持ちで頷いた。ジョーカーは不敵な笑みを崩すことなく同意し、颯爽と次のフロアに足を進める。

 

 扉を開いた先には、四角いブロックを敷き詰めて作られたような通路が出来上がっていた。壁はなく、見晴らしはいい。それ故に、シャドウの群れが屯っている姿が嫌でも視認できてしまった。ヒソヒソ聞こえる会話から、彼等は望んでここに来たことは明らかである。

 シャドウたちは何かを期待しているらしい。彼らが並んでいる先には扉があるようだが、アイドルに群がるファンどもよろしくびっしり並んだ様子からして、ここから中に入るのは至難の業だろう。その扉から先へ進むことを諦め、僕たちは別ルートを探すことにした。

 ブロック状に積まれた足場をよじ登っては降りてを繰り返した果てに、赤黒い光が差し込む入り口を発見する。鉄格子の一部を無理に引きちぎったような形だった。ジョーカーが言っていた「刑務所の『牢獄』」が脳裏をよぎるような作りである。

 

 その入り口を分析していたナビが笑みを浮かべて親指を立てた。この入り口からも、扉に並んでいたシャドウたちが向かおうとしていた場所へ行けるようだ。

 僕らは早速侵入する。飛び降りた先のフロアは、今度は丸型のブロックが並べられたような内装になっていた。僅かな白い灯りと赤黒い光がフロアを満たしている。

 

 

「進めば進む程不気味さが増してくるね。入ってすぐがこんな感じなら、最奥は一体どうなってるんだろう……」

 

「表のシャドウたちは、どうしてこの奥に進みたがるんだろう? 私だったらこんな場所に行きたいとは思わない」

 

 

 ノワールとパンサーが不安そうに周囲を見回す。敵シャドウが現れる様子はなく、扉の前に群れていた人々の姿もない。敵襲がないというのは少々不気味ではあるが、怪盗団にとって有利な状況ではある。僕らは足早に先へと進んだ。

 通路の先には大きな空間があった。大きくくり抜かれたような形をしたこのフロアを見回す。辺り一面が広い牢屋となっており、そこには地下鉄を降りてきたシャドウや扉の前に並んでいたシャドウたちが閉じ込められているではないか。

 

 

―― げぇっ!? なんだコレ!? ――

 

「げぇっ!? なんだコレ!?」

 

「牢獄だと!?」

 

 

 “明智吾郎”とスカルの声が綺麗に重なる。2人に続き、フォックスは目を丸くした。先程僕とジョーカーたちが話していた内容がピンポイントだったことに驚いたらしい。

 しかも、牢獄に閉じ込められているシャドウたちの足には、鎖のついた鉄球がつけられていた。彼等はみな一様に静かな顔をしながら、その場に立ち尽くしている。

 牢獄に囚われているというのに、シャドウたちの様子には不満や怒りの感情は一切存在していない。――それが余計に、囚人たちの不気味さを際立たせていた。

 

 

「お前もそんなところにいないで入れよ。ここは安心だぜ?」

 

 

 牢獄を眺めていた僕たちに気づいたシャドウが、鉄格子の向こうから声をかけてきた。それを皮切りに、シャドウたちも僕たちに気づいたらしい。囚人たちにとっては牢獄の外にいる人間が珍しく、同時に異質な存在と見ているようだ。

 

 牢屋の外にいる僕たちを心底憐れむ者、牢屋に入れと勧誘する者、牢屋の居心地の良さを説く者、頑として牢屋から出たがらない者……。

 特に牢屋から出たがらなかったシャドウは、「ここにいると安心だ。とても居心地が良いから」と力強く頷いていた。

 

 

「さっき話していたことを思い出すわ。……このシャドウたちの様子、刑務所から出たがらない囚人みたいね」

 

「カモシダの城を思い出すな。ヤツの認知では、牢屋に入れられていた面々は『奴隷』の扱いだったが……今回は、何やら毛色が違うみたいだ」

 

「クイーンの言う通り、彼等は『囚人』と言えるだろう。しかも、自ら閉じ込められるのを望んでいる厄介なタイプ」

 

「――お前さんたちもこちらにおいで。とても居心地がいいんだ」

 

 

 クイーン、モナ、僕がひそひそと話していることに気づいたシャドウが声をかけてきた。僕らが「何故」と問い返せば、シャドウは嬉々とした笑みを浮かべて説明してくれた。曰く、「この奥には願いを叶えてくれるシステムがある」らしい。

 囚人たちの歪みであると言えばそれまでだが、彼等にそこまで言わせる存在が待っていることは確かだ。特に僕たちは、それに該当しそうな存在に心当たりがある。デミウルゴス、および奴を従える『神』の所業だ。……但し、囚人たちに奴らがどう見えているかは分からないが。

 「牢の外にいるから苦労したり辛い思いをするんだ」と、囚人たちは僕らを本格的に憐れんでいる。僕らからしてみれば、“牢屋に閉じ込められているこの状況を甘んじて受けた囚人たち”の方が哀れだ。僕たちはその苦労を味わいながらも、先へ進むことを選んだのだから。

 

 知らなくても生きていけることはある。知らない方が幸せだったことだって、確かにある。けど、だからといって無知のままでいるわけにはいかないのだ。

 八十稲羽の霧に埋もれた真実を探し続けた特別捜査隊の背中が浮かんでは消えていく。彼等から学んだことは、今だって僕の心の中にある。

 

 他にも、大罪人が囚われているという『開かずの独房』の話を耳にしたところで、まともな情報が入って来なくなった。丁度、警備員のシャドウが僕たちを発見したためである。

 

 

「拘束具の未着用は認められていない! 異分子め、排除する!」

 

「みんな、来るよ!」

 

 

 ジョーカーの音頭に従い、僕たちは戦闘態勢に移行した。何かを振り払うようにして飛び出したモナが、我先にとペルソナを顕現する。

 

 

「威を示せ、メルクリウス!」

 

 

 青い光が爆ぜて現れたのは、今まで彼が顕現していたゾロではない。新たなペルソナ――メルクリウスへと変わっていた。

 豪、という音と共に突風が巻き起こる。力を覚醒させたモナのペルソナ・メルクリウスは、顕現したシャドウたちを一網打尽にしてみせた。

 

 

「モナ、凄い!」

 

「褒めても何も出ないぞ? パンサー」

 

「でも、人間にはなれなかったんだね……」

 

「喧しいわクロウ! かなり気にしてるんだぞ!!」

 

 

 好きな子(パンサー)に褒められたことが嬉しいのか、モナは自慢げに胸を張った。

 しかし、僕が彼の見果てぬ夢を指摘すると、即座にぷんすこと怒りをあらわにする。

 ……だが、モナの表情はすぐに曇ってしまった。何か懸念があるらしい。

 

 

「迂闊だったわね。刑務所には看守がいるのだから、ここにだって看守がいてもおかしくはない」

 

 

 苦々しい面持ちを浮かべたクイーンの隣で、スカルが眉間に皺を寄せた。

 

 

「……でも待てよ? メメントスは大衆のパレスで、大衆は不特定多数を意味しているから具体的な名前がないんだよな?」

 

「そうだけど……」

 

「じゃあ、()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 

 スカルの疑問は最もである。大衆はあくまで不特定多数の人数を指す言葉だ。パレスには主の名が冠されているけれど、メメントスは『みんなのパレス』だ。

 『みんな』という名刺に具体名は存在しない。むしろ、存在した瞬間、それは『みんな』ではなくなってしまう。

 

 僕の脳裏に浮かんだのは、獅童のパレスで顕現したデミウルゴスの姿だ。認知を好き放題に歪ませる力を有した『神』の化身。

 

 民衆や大衆という概念に縁がありそうな存在は『神』くらいなものである。大衆の概念を崩さずに、大衆の上に立てる存在もだ。

 ニャルラトホテプも、ニュクスも、イザナミノミコトも、大衆と絡む形で力を発揮していた。今までの経験則が、1つの仮説を導き出す。

 

 

「……まさか、『神』そのものがパレスの主なのか?」

 

「――思い出した。この場所、見たことがある」

 

 

 僕が仮説を出したのと、モナが衝撃発言を落としたのはほぼ同時。僕たちは後者の方に目を見開いた。

 

 モナはメメントスの奥地――もとい、大衆が望んで囚われている牢屋を見たことがあるらしい。ここは今日まで一度も開いたことのない場所で、僕たち怪盗団がここに足を踏み入れたのは初めてである。だが、モナの目は「見間違いではなく、本気でそう確信している」ような真っ直ぐな目だった。

 彼の言葉が間違いでないのなら。僕の保護者たる至さんが語っていた彼の正体――『善神フィレモンの関係者・イゴールと縁がある善神側の存在』を鑑みるに、“イゴールはここで悪神絡みの厄介事に巻き込まれ、その現場をモナが見ていた”という可能性が浮上した。僕がそれを問うと、モナは難しそうな顔をして首をひねる。

 

 

「詳しいことはまだ何も思い出せそうにないんだ。……だが、ワガハイの予想通りだった。やっぱりこの奥には、ワガハイの記憶を取り戻す秘密があるのかもしれない」

 

「……イゴール、か」

 

「どうしたの? ……そっか。そういえば、ジョーカーはイゴールから力を貸して貰ってるんだっけ?」

 

「うん。最近、何かきな臭くなってきたんだけどね」

 

 

 モナの話を聞いたジョーカーが考え込む。彼女がイゴールと接触していることは、鴨志田のパレスを攻略していた際に小耳に挟んだことだ。至さんがモナを尋問した際、ジョーカーが話してくれたことである。

 有栖川黎に『イセカイナビ』とペルソナに関する力を与え、更生という名の試練が発生することを告げ、試練を乗り越える度に“賛辞の言葉と次なる試練に関するヒント”を提示してきた老人。至さんが信頼する善神の関係者。

 けれど、ジョーカー曰く、「獅童を改心させた後――大衆の様子がおかしいことに気づいた――、イゴールは嘲るように笑いながら『人間は滅びるべき存在かもしれない』と口走った」という。

 

 善神の関係者が人間を見捨てる発言をするのは違和感があった。

 

 僕の知っている化身たちは――至さんを含んで――、人間が大好きである。人間という命に、煌びやかに輝く無限の可能性を見出している。

 だから善神の関係者(善神含む)は人間に力を貸しているのだ。悪い面を知りながらも、それらを容易に概算度外視できる程、良い面の素晴らしさに賭けていた。

 

 

「人間を嘲り笑うのは十中八九悪神だった。特にニャルラトホテプが顕著だったよ」

 

「でも、イゴールって人は善神の化身で、人間の味方のはずでしょ? そんな化身が突然『人間は滅びるべき』なんて……」

 

「今回の一件で『人類に愛想を尽かした』のかもしれないわ。もしくは『善神の化身・イゴールの皮を被った偽物が、最初からずっとジョーカーを見張っていた』か」

 

 

 「もし後者なら、マッチポンプもいいところだわ」――僕やパンサーの言葉を聞いたクイーンが分析した。仮面の下にある眉間には、きっと深い皺が刻み込まれていることだろう。

 仮説が正しければ、悪神は『敵を手中に収め、自分の勝利のために“敢えて塩を送っていた”』ことになる。人間にとって割に合わない方法でも、『神』ならば充分()()()()()()

 

 

「なあクロウ。この手の話題、お前の専門だよな?」

 

「どう見る?」

 

 

 スカルとフォックスに問われた僕は、大衆という概念と縁が深い『神』の所業を仲間たちへ説明する。

 

 ニャルラトホテプは、1巡前に滅びを迎えた世界で橿原教授に成り代わった。あちらでは母方の姓を名乗っていた黒須淳さんに力を与えて仮面党を組織させたり、ジョーカー様という呪いや噂を現実にする力を行使し、自分の計略を1度成功させたのである。だが、こちらの世界では紙一重で敗北。滅びを望まなかった大衆によって、奴の計画は破綻した。

 ニュクスは、死という概念そのものが顕現した存在だった。身勝手な大人(バカ)どものせいで顕現するに至った彼は命さんの中に封印され、望月綾時としての人間性を習得。後にニュクスは命さんのユニヴァースによって封印されるも、その封印はエレボス――死に触れたいという大衆の願いが顕現した存在――によって、今でも時折危機にさらされていた。

 伊邪那美命は、八十稲羽の土地神であった。彼女は「人間の望みを叶える」存在になろうと努力をしていた。「『人間(種族単位換算)』は己の望むモノしか見ない」という答えに辿り着き、己の使命と人間たちへの善意に従った結果、八十稲羽は『万人が望む嘘』の霧で覆われたのだ。万人を大衆へ置き換えれば、丁度現在の状況と同じケースだった。

 

 

「特に、伊邪那美命は“人間の総意”を媒介にした幾千の呪言を振るってきたからね。『人間の総意に、個の意志が敵う筈がない』って語ってた。……最終的に、彼女は『人間の総意すら凌駕した』個の意志によって倒されたけど」

 

「真実さんと、彼のペルソナ・伊邪那岐命の幾万の真言だっけ? “ありとあらゆる嘘を取り払い、真実を明らかにする”絶対的な力で、真実さんが旅路の果てに見出した答えそのもの……」

 

「もしかしたら、デミウルゴスと奴の言う“我が主”は、認知を歪ませた人間の総意――大衆の力を自分の糧にするために、更生の総大将役(ラスボス)を大衆にしたのかも」

 

 

 「大衆の力をどのようにして使うかは想像つかないけどね」と締めくくる。

 仲間たちはスケールの大きさを想像し始めたのだろう。みんな渋い顔をしていた。

 

 伊邪那美命が行使した幾千の呪言は、対象者を死の呪いで決して目覚めぬ眠りへと誘うものだ。喰らえば最後、何処かに引きずり込まれてしまう。それに匹敵する力を行使するために、デミウルゴスや奴の言う“我が主”は大衆を利用したのだろう。

 奴らが利用した大衆たちの総意が『どのような効果をもたらす』のかは未知数である。伊邪那美命のように“対象者を絶対的な眠りに引きずり込む”のか、ニュクスのようにアルカナシフトを駆使した実質13連戦という超耐久戦を仕掛けてくるのか、ニャルラトホテプのように自己強化一辺倒なのか。

 

 

「人間の総意を媒介にしているってことは、メメントスの主も『神』である可能性が高いんだよね……? 分かった。文字通り、最終決戦なのね」

 

「……ホント、スケールでかいよな。金城やったときから覚悟はしてたけど、予想外過ぎて逆にやる気出てきたぜ……! 最後の仕事に相応しいな!」

 

「今はとっとと先へ進もう。感慨深くなる気持ちは分かるけど、ここに留まってると余計に危ないし! また看守がやって来たら厄介だからな」

 

 

 ノワールとスカルが感慨深そうに語ったのを見たナビが注意を促した。

 

 彼女の指摘通り、僕たちは既に看守に発見されている身だ。先程の騒ぎで警備が強化された可能性だってある。

 牢獄に居座ったっきりのシャドウたちはメメントスが崩れ去れば『改心』されるはずなので、放置して先へ進むことになった。

 

 

***

 

 

「よし。セキュリティが解除されたから、先に進めるね」

 

 

 『一筆書きですべての床を踏むことで道が開く』というタイプのセキュリティシステムを突破したジョーカーが微笑んだ。先陣を切る彼女に続き、僕たちも先へ進む。通路をうろつくシャドウに強襲を仕掛けたり、奴から仮面を奪い取ったりしながら駆け抜けて、どれ程の時間が経過したのだろう。異世界の時間経過は曖昧なため、分からない。

 風景がよく似ているためあまり実感できないが、僕たちは奥へ奥へと進んでいるようだ。程なくして、周囲の景色に変化が生じた。全体的に薄暗くなったフロアは赤く光っており、光の中には果てしなく続く回廊や通路が伺えた。上層部と同じように、ここからでは最下層を確認することは不可能なままである。まだまだ先は長いらしい。

 このまま歩き続けるのは厳しい――僕がそんなことを考えたとき、モナが“車に変身しても問題ない道”を発見した。歩きより車に乗った方が短時間で辿りつくし、疲労も少なくて済む。これ幸いとモ(ルガ)ナカーに飛び乗った僕たちは、一気に坂道を下って次のフロアへと足を踏み入れた。

 

 新たな階層は、前よりも薄闇が増し、赤い光が怪しく道を照らし出している。長い道のりになるだろうが、ここからは徒歩でないとまともに進めない。

 

 僕たちはモ(ルガ)ナカーから降りて、再び探索を開始した。

 程なくして、新しい牢獄へと辿り着く。そこにいたシャドウたちに、俺たちは目を見開いた。

 

 

「鴨志田!?」

 

「嘘!? なんでアンタがここに!?」

 

「せん――ッ、……班目……!」

 

「嘘!? 金城がどうして……」

 

「お父様!?」

 

 

 囚人たちの中に紛れて、怪盗団が『改心』させた連中――鴨志田、班目、金城、奥村社長の姿があった。そして――

 

 

「ああ、明智か」

 

「……獅童……!」

 

―― っ……!? ――

 

 

 『改心』させる前までは威風堂々としていた獅童正義が、僕たちに対して力なく笑いかけてくる。情けないを通り過ぎて、最早不気味な存在にしか見えない。

 いいや、そもそも、奴らのシャドウは『改心』した後、心の海へと帰還したのではなかったのか。ここに居るということは、デミウルゴスに殺されてしまうのではないか。

 たじろぎながらも必死に頭を回す僕と身を固くする“明智吾郎”を目の当たりにした獅童は、やはり、他のシャドウたちと同じように「ここは本当に居心地がいい」と呟いた。

 

 鴨志田はパンサーに言い寄るそぶりを見せたが、すぐに「もう懲りた。俺は馬鹿だった、調子に乗っていた」と言って力なくため息をつく。欲望のままに、気に喰わない生徒に暴力を振るい、女子生徒にセクハラを働いていた男とは思えない憔悴っぷりだった。

 班目はがっくりと肩を落としながら己の悪行を悔いている。「私には才能なんかなかったんだ。その事実から目を背け、勘違いを加速させた挙句、身の丈に合わぬ欲を抱いた。結果、盗作に手を出してしまった。なんて愚かだったのだろう」と、一種の自傷行為に走る始末。

 金城なんて、僕らを恫喝してきたような覇気の一切合切をなくしている。「空気読まない奴は叩かれて当然。自分以上なんて目指さなくてよい。死ぬわけでもないのだから、もうそれでいいじゃないか」と言った彼は、汚い手を正当化し己を自賛していたインテリ経済ヤクザ風情の面影はない。

 奥村社長も同じようにして肩を落としている。「先代社長である父を反面教師にしても、結局血筋に刻まれた敗北者としての定めを打ち砕くことはできなかった。できるはずがなかった。夢は夢のままだと諦めてしまえば、もっと早く楽になれたのに……」と弱々しく笑っていた。

 

 

「以前とは別人だけど……」

 

「『改心』したからという訳じゃないね」

 

「どちらかっていうと、目標を失って自堕落になってるようにも見えるぞ」

 

 

 夢破れて途方に暮れたような――あるいは生きる気力すら失ってしまったと言わんばかりの様子に、僕やジョーカー、ナビは困惑する。

 

 

「まさか、歪んだ欲望を取り去ったことで、自ら囚われた人生を生きる選択をしたってのか……!?」

 

「『欲望は願いである』――こんなときに、足立の言ってたことを実感することになるなんて思わなかったな」

 

 

 モナの顔色が青ざめた。僕も、憎めない男の背中を思い浮かべながら舌打ちする。

 

 欲望があるから、人は「上を目指そう」と努力するのだ。学歴も、職歴も、人付き合いも、欲望/願いを叶えるために必要な糧にするためこなしていく。――たとえその欲望が「どんな形であろうとも」だ。

 東京で出会った鴨志田を始めとした大人たちも、御影町・珠閒瑠・巌戸台・八十稲羽で出会ったクソみたいな大人たちも、歪みに歪み切った欲望を抱いていた。それを叶えるために、様々な手を打っていた。

 

 己の欲望を満たすことが、彼らの生きる意味だった。だから今まで努力――もとい、隠蔽工作を行ってきたのだろう。

 けれどそれは、数多の困難や反逆者たちの妨害によって頓挫させられた。心が折れてしまったとも言える。

 夢破れた者たちは、大人しく現実を見た生き方をするしかない。結果、囚われた人生を歩むことも「仕方がない」と言わざるを得なかった。

 

 

「明智。お前たち母子、そうしてお前の婚約者には、本当に酷いことをした。父親として申し訳ない。……済まなかったな」

 

―― ……父さん…… ――

 

「……ご丁寧にどうも。それから、本当に済まないと思ってるなら、もう2度と、父親だって名乗るのも息子と呼ぶのもやめてくれ」

 

 

 獅童は僕を見つめながら、しみじみと言葉を紡いだ。“明智吾郎”は複雑な顔をしたまま、獅童と自分の関係を示す言葉を囁くようにして呟く。

 折角なので、僕は奴に「ここは一体どんなところなのか教えろ」と問いかけた。奴は頷き、すらすらと語り始める。

 

 ここは退行の牢獄といい、囚人たちにとっては“何不自由のない、最高の自由を得られる場所”という認識があった。自分で悩み、考えて行動することの苦痛からの解放――所謂、『選ばなくてもいい自由』を意味しているという。奴は「私が作ろうと思っていた国家よりもはるかに素晴らしいところだ」と納得したように頷いた。

 似たような雰囲気、およにニュアンスを持つ言葉では『知らないでいる権利』や『真実を葬り、都合の良いものを見続けるという望み』が挙げられる。だがそれは、裏を返せば『思考停止』以外の何物でもなかった。八十稲羽で伊邪那美命と対峙したときは、奴が語っていた人間の総意の現物と対峙する羽目になるとは思ってもみなかったのに。

 勿論、こんな場所で大人しくしていられない連中もいた。嘗てのパレスの主たち――ここで言うなら脱獄囚――は、安住の地である牢獄から隔離され、自分専用のパレスへと閉じ込められる。「共有住宅から飛び出した」のではなく、「共有住宅から叩き出された」というのが正確な表現だったようだ。

 

 「お前たちに『改心』されてよかった」と、シャドウたちは口々に感謝の言葉を述べた。どいつもこいつも、みんな爽やかな笑みを浮かべている。本来であれば喜ばしい光景なのかもしれないが、こんな異常な光景を見せつけられてしまうと素直に頷くことができない。

 

 

「心の海へ還ったんじゃなかったの?」

 

「ああ、還ったさ。その結果、私たちは再びこうしてメメントスに顕現することとなった。この世界の住人として、幸福を享受する囚人としての側面でな」

 

 

 獅童はうっとりとした口調でジョーカーの問いに答える。

 

 『神』が大衆の力をエネルギーに変換していると考えれば、ここにいるシャドウたちが『廃人化』させられてしまうことはなさそうだ。その事実に、僕はひっそりと安堵した。

 同時に思うのは、自分たちが今まで成し遂げてきたことに対する疑問だ。僕たちが『改心』させてきた結果がこれだとしたら、これすらも『神』の計算内だったとしたら――

 

 

「戦力としての『駒』だけじゃなかったんだ……! “エネルギー源として大衆を使う”ために必要な布石としての『駒』……!」

 

「ってことは、私たちが『改心』に成功しようがしまいが、私たちを倒したい『神』にとっては都合がよかったってこと!?」

 

「怪盗団が途中で負けようが、ここまで勝ち続けようが関係無かった。前者なら自ら手を下す手間が省けるし、後者でも自身の勝利に向けた準備ができる……!」

 

 

 モナの言葉を皮切りに、パンサーが目を剥く。

 クイーンも、『神』の恐ろしい計略を見抜いたようだ。

 

 

「なんてことだ……! 俺たちは『今の今まで勝ち続ける』ことによって、自らの首を絞めていたのか……!」

 

「クソッ! 『神』のヤロウ……! 文字通り民衆を支配したくて、俺たちを動かしてたってことかよ!!」

 

 

 フォックス、スカルが悔しそうに歯噛みした。自分たちが成し遂げてきた『世直し』は、すべて『神』が君臨するための布石でしかなかったのだから当然だろう。

 しかも、自分たちの頑張りは、明日の自分たち――『神』と戦うために駆け抜けた自分たちに牙を剥くとは思いもしなかった。僕はギリリと歯を食いしばる。

 もっと早くこのことに気づいてれば。……いや、無理だ。気づいたとしても、僕たちは立ち止まれなかったはずだ。立ち止まれば、待っているのは身の破滅だったから。

 

 僕たちが『神』の話――メメントスの支配者の話をしていることに気づいた獅童が首を傾げる。不思議そうな顔をして、だ。

 

 

「何を言っているんだ? ここの支配者は大衆みなのはずだ。だから、我々の上に誰かがいるなんてことはあり得ない」

 

「大衆の動きが1つに集束するよう、空気を調節しているヤツがいるんだよ。人間じゃ収まりきらない上位存在がな。昔のお前がそうだったみたいに、奴は人知れず君臨してるんだ」

 

「……本当に、お前たちは何を言っているんだ……!?」

 

 

 噛みつくように言い返したナビの言葉を、獅童は最早理解できない様子だった。皮肉な話であるが、『改心』される前の獅童であれば容易に理解できただろう。そうなるために権謀を張り巡らせてきたのだから。

 囚人たちは「互いが互いを見張っている」と語るが、『神』によって認知を歪まされているだけである。メメントスさえ崩壊させれば、認知は正されるはずなのだ。今まで以上に厳しい戦いになるだろうが、やるしかない。

 

 決意を固めて踏み出そうとした僕たちだが、モナが周囲を見回して表情を曇らせる。「やはりここには見覚えがある」と語ったモナは、己の記憶を思い出すようにして目を閉じた。

 

 モナはここで人間を見つけ、自分が彼等と違う姿をしていることに気づいたらしい。だから彼は「ニンゲンに戻りたい」と願い、行動を開始したのだという。

 途中から「ニンゲンになりたい」という思考回路にシフトしたが、人間への憧れは健在のままだ。ここを見ていたからこそ、モナはメメントスの奥地へ行こうとした。

 漠然とした理由ではあったが、案内役としてやってこれた理由はこれだったようだ。良くも悪くもこの景色を忘れられなかったから、モナは必死になっていたのだろう。

 

 彼の記憶は所々抜けたままのようだ。手当たり次第にパレスを漁り始めた結果、気づいたらカモシダのパレスにいたらしい。そこで黎と出会ったことから、彼――『改心』専門のペルソナ使いで怪盗団の一員であるモルガナは動き始めた。

 

 

「何をしている!」

 

「しまった! 油断してたぜ……!」

 

「逃げよう!」

 

 

 そんなことを考えていたとき、振り返った先には看守の群れが徒党を組んでいるところだった。

 三十六計逃げるに如かずということで、僕らはさっさと駆け出した。

 

 シャドウの看守をやり過ごし、一筆書き床のセキュリティを突破し、さらに奥へと足を進める。どうやらまだ下があるらしい。

 

 下に続く道は、丁度モ(ルガ)ナカーが走れるだけの余裕がある。ならばそれを利用しない手はない。モ(ルガ)ナカーに飛び乗り、この先へと進む。

 新しいフロアに辿り着くと、案の定、先の道はモ(ルガ)ナカーが走れそうな道幅はなくなっていた。仕方がないので徒歩で進む。

 次に広がっていたのは独房がびっしりと並ぶフロアだった。奥の方には厳重に閉ざされた独房の扉が鎮座している。鍵がかけられた上に扉の前にも鉄格子があった。

 

 

「もしかして、あれが他のシャドウたちが言ってた開かずの独房? 最も罪深い危険囚人が閉じ込められてるって言われてて、誰も近づこうとしなかった……」

 

「“誰にとっての危険因子か”って考えると、十中八九“『神』にとって”と出てきそうな気がするな。どんな罪をでっちあげられたのやら……」

 

 

 ノワールと僕は鉄格子の向こう側にある扉を観察する。物々しい空気が漂う扉の向こうには、一体どんな光景が広がっているのだろう。それを確認することは不可能だった。固く閉ざされた扉はびくともしない。

 そんなとき、モナがひくひくと鼻を動かした。その挙動はどう見ても猫でしかない。人間とは程遠いなと考えていたとき、モナは「懐かしい匂いがする」と呟いた。心なしか、先程よりより一層表情を明るくなったように思う。

 

 暫し懐かしさを噛みしめた後、モナは眦を釣り上げて頷いた。彼が生まれ落ちた場所はこの扉の向こう側だった、と。

 

 

「じゃあ、モナが危険囚人!?」

 

「“『神』にとって都合が悪い”という意味ではそうでしょうね。どうなの? モナ」

 

「クイーンの分析も間違っちゃいないが、違うぞ。囚人は別にいるんだ」

 

 

 パンサーとクイーンの問いかけに対し、モナはきっぱりと断言した。そうして、感慨深そうに呟く。

 

 

「ワガハイはここで“あのお方”に産み落とされた。オマエたちをここまで導くために」

 

「そういえば、クロウの保護者の方が仰っていたそうね。『モナちゃんは自分と同じ、善神から生み出された存在なんだ』って」

 

 

 僕から至さんの話を又聞きしていたノワールが手を叩いた。

 善神は基本、人間の味方というスタンスを取ってくれている。

 ――ならば、と、僕はモナに問いかけてみた。

 

 

「“あのお方”は、至さんの見解やお前の態度からして十中八九善神の関係者だよな。その中の誰だったか思い出せるか? 特徴だけでもいいから」

 

「名前は思い出せないが……お年を召した方、だった気がする。スーツを着ていたかもしれん。あと、鼻が長かった、ような……?」

 

 

 よく思い出せないことを謝罪しようとしたモナの申し訳なさそうな顔は、しかし、確証を得たりと手を打ったジョーカーの表情によって驚きの色に染め上げられた。

 ジョーカー曰く、「自分に更生を持ち掛けてきたイゴールは老人で鼻が長く、スーツを身に纏っていた」とのことだ。ジョーカーは確認するようにしてモナに問う。

 

 

「その人、人間や人類に対して愛想尽かしてた?」

 

「それはない! “あのお方”は――我が主は、ヒトが持つ可能性を信じている! ニンゲンを見捨てることなんて、ましてや嘲るなんてあり得ない!!」

 

 

 モナは強く力説する。

 

 僕の知っている化身たちは――至さんを含んで――、人間が大好きである。人間という命に、煌びやかに輝く無限の可能性を見出している。

 だから善神の関係者(善神含む)は人間に力を貸しているのだ。悪い面を知りながらも、それらを容易に概算度外視できる程、良い面の素晴らしさに賭けていた。

 

 確信をもって語るモナの眼差しからして、彼を贈り出した善神の関係者――高確率でイゴールだろう――が人間を嘲笑うなんてことはあり得ないらしい。そうなると、クイーンが言っていた『善神の化身・イゴールの皮を被った偽物が、最初からずっとジョーカーを見張っていた』説が濃厚になってくる。

 おまけにデミウルゴスの“我が主”たる『神』は、モナが僕たちを導く使命を背負っていることすら利用したらしい。モナは朧げながらも自身の使命を思い出したことで、悪神の狡猾な企みに気づいたようだ。「もっと早く記憶が戻っていれば」と悔しそうに歯噛みする。最も、記憶をなくしても僕らをここに連れてきたあたり、仕事は果たしたようだが。

 しょんぼりと耳を垂らしたモナに向き合ったジョーカーは、彼の目線まで屈むと、わしゃわしゃと頭を撫でていた。猫のモルガナを撫で回す手つきと全く変わらない。「ワガハイ猫じゃねーぞー!」と間の抜けた非難など気にも留めず、ただただ一心不乱に撫で続ける。相棒の行動に困惑していたモナだが、それだけでは終わらない。

 

 例えるならそれは、幼子を抱擁する母親のようだった。

 例えるならそれは、ボロボロになった友の叫びを受け止めようとしているかのようだった。

 

 

「ジョーカー……?」

 

「……モナがいなかったら、きっと私、ここまで来れなかった。4月の時点で……鴨志田の一件で、ロクな目に合わなかったと思う」

 

 

 ジョーカーは今までのことを思い返すようにして目を閉じる。彼女の言葉通り、怪盗団の面々は腐った大人の餌食にされている――されかかっていた者たちばかりだった。

 もしモルガナが現れなければ、有栖川黎の保護観察期間はロクなことにならなかっただろう。4月の時点で、彼女は鴨志田から無理矢理関係を迫られていたに違いない。

 

 坂本竜司は鴨志田に張られた暴力生徒というレッテルのせいで燻ったままだろうし、高巻杏や彼女の親友および女子生徒たちはいずれ鴨志田の毒牙にかかっていただろう。

 喜多川祐介の才能は班目に食い物にされ続けていただろうし、新島真は金城を筆頭としたヤクザの脅しと借金によって姉妹共々人生を滅茶苦茶にされていたかもしれない。

 佐倉双葉は自分が母親を死に追いやった存在だと思い込んだまま引きこもり続けただろうし、奥村春も宝条千秋と引き裂かれて望まない結婚生活を送っていた可能性がある。

 

 モルガナがいなければ、怪盗団の面々は腐った大人たちの悪意に晒され続けたままだった。どうにかやり過ごそうと足掻いたとしても、結局、人生は破綻させられてしまっていただろう。今よりも悪い光景など想像できないし、したいとも思わなかった。

 

 

「私はキミのおかげで助けられた。本当にありがとう」

 

 

 ジョーカーはにっこりと笑う。モナが感極まったように目を潤ませた、丁度そのときだった。

 

 

「発見した! 脱獄囚は、最重要隔壁扉の前にいる!」

 

「危険、危険! 速やかに捕獲せよ!」

 

 

 僕らの存在を嗅ぎつけた看守たちに取り囲まれた。奴らはシャドウとして顕現し、僕らに襲い掛かる。状況は不利だがやるしかない。それぞれ得物を構えて駆け出した。

 

 囲まれて不利な状況だったものの、どうにか看守どもを撃退する。その気配を感じ取ったのか、周囲がピリピリとした殺気で満ち溢れてきたように思う。

 厳重に閉じられた独房も気になるが、ここに留まり続けるのはリスクが高い。むしろ、厳重に封じられている扉があるということは、最奥が近いということでもある。

 最深部に辿り着けば『オタカラ』もあるだろうし、『神』やデミウルゴスと戦うことにもなるだろう。もしかしたら、モナの記憶に関する手がかりもあるかもしれない。

 

 正真正銘の世直しにして、『神』との最終決戦だ。僕たちは顔を見合わせ頷き合う。

 言葉はいらない。やるべきことは分かっている。――あとは、全力で駆け抜けるだけだ。

 

 

***

 

 

 シャドウの看守を屠り、セキュリティを突破し、ようやく僕たちはメメントスの最深部に辿り着いた。赤い光を放つ巨大な建造物――神殿には、得体の知れぬ瘴気が漂っているように感じる。雰囲気はモナドマンダラに近いような気がした。

 外が真っ赤な光を放っているならば、内側も同じようなものだった。真っ赤な光を放つ光源は、神殿中に敷き詰められるように配置された牢獄である。牢獄のブロックが積み重なるようにして、今までの道を作り上げていたのだ。中々に狂気的な絵面である。

 

 そのど真ん中に安置されているのは、機械仕掛けの巨大なモニュメントだ。鈍い歯車の音を響かせながら、モニュメントは稼働し続けている。左右には手を模したオブジェが鎮座していた。

 

 

「これが、メメントスの『オタカラ』……? 何にしても、偉そうで悪趣味……」

 

「ここより先に道はない。どうやらここが終着地点、メメントスの最奥ということのようだ」

 

 

 オブジェのデザインに眉間の皺を深くするパンサーに対し、フォックスは冷静に分析する。ここがモナの目的地であり、大衆の『オタカラ』が存在する場所だ。

 おそらく、僕らが狙う『オタカラ』は機械仕掛けのモニュメントだ。僕の予想を肯定するようにして、モナが頷き返す。あれを奪えば、この戦いに決着がつくはずだと。

 一瞬、モナが辛そうな顔をしたのは気のせいではない。冴さんのパレス攻略が始まる前に、“明智吾郎”が見せたような面持ちだ。――十中八九、彼は何か隠している。

 

 しかし、それを問いかけたところで答えてはくれないだろう。彼の眼差しは、12月24日の日付を見ていたことを問いかけた際の至さんと反応が似ている。

 ああいう目をした相手は「何を言っても答えてくれない」ことは経験則で分かり切っていた。相手を信じて待ち続ける以外、最良の方法が存在しないことも含めて。

 

 僕はモナから視線を逸らし、機械仕掛けの巨大モニュメント――メメントスの『オタカラ』を見る。

 

 

「けど、どうする? 大きさからして、持ちだすことは不可能みたいだけど」

 

「消えりゃあいいんだろ? 持ち出せねーなら、ブッ潰すまでだぜ!」

 

「ああ、それでいい。破壊しよう」

 

 

 僕の問いに対し、スカルとモナが即座に返答した。他の面々も同じ気持ちらしい。

 

 アレを破壊すれば異世界丸ごと消滅し、僕たちはもう二度と怪盗団として『改心』を行うことができなくなる。これが最後の大仕事だ。僕たちが決意を新たにしたのと、パイプオルガンの不協和音のような警報が鳴り響いたのはほぼ同時。

 膨大なエネルギーがモニュメントに集束する。あの『オタカラ』は、ただ壊されるつもりはないらしい。牢獄にいた囚人たちが騒めき始めた。辺りから響く声は意味をなさぬ呟きばかり。けど、牢獄から出たがらない様子だけは、今までと変わらなかった。

 

 

「――やはり来たか、怪盗団。“我が主”に反逆する大罪人どもめ」

 

「デミウルゴス……!」

 

 

 僕らの目の前に現れたのは、赤黒い羽と青黒い羽を持つ大天使――デミウルゴス。奴の計画を潤滑に動かすために動いていた悪神の化身だ。

 圧倒的なオーラは、獅童のパレスで対峙していたときと変わらない。……ただ、気のせいか、以前見たときより覇気が薄くなった気がした。

 デミウルゴスはモニュメントを守るようにして僕たちと対峙する。奴の対応からして、やはりあのモニュメントが『オタカラ』であることは間違いない。

 

 

「よくも人間を弄んでくれたわね! この貸し、高くつくわよ?」

 

「これ以上、貴方たちの好き勝手にはさせない!」

 

 

 クイーンとノワールが武器を構えてデミウルゴスに啖呵を切る。それを皮切りにして、みな自分の持つ得物を構えて大天使と対峙した。

 対して、デミウルゴスは僕たちを見下す。「裁きを下す」と言わんばかりに、奴の周囲にエネルギーが発生し始めた。

 

 仲間たちは武器を振るい、ペルソナを顕現してデミウルゴスに攻撃を仕掛ける。次の瞬間、僕らが思った以上に、デミウルゴスはあっさりと吹き飛ばされた。余りにも呆気なく、情けないやられぶりに、かえって唖然としてしまう。

 

 正直な話、奴が獅童のパレス――機関室で獅童智明として襲い掛かって来たときの方が強かった。片手で僕を持ち上げ首を絞めた程の異形っぷりは見当たらない。

 奴を一蹴できる程僕たちが強くなったのか、はたまた奴が弱くなったのか。まあなんにせよ邪魔者を退けたので、後はメメントスの『オタカラ』を壊すだけ――

 

 

「忌まわしいセエレめ。“至らぬ者”でありながら、私にここまでの傷を負わせるとは……。愚かな罪人どもに一撃で叩きのめされてしまう程の深手だったとは思わなかったよ」

 

 

 デミウルゴスはブツブツと呟きながら体を起こす。奴の目には強い殺意が滲んでいた。

 

 セエレがどこの何者かは知らないが、デミウルゴスは既にその人物と一戦交えていたらしい。しかも、相手は奴に深手を負わせただけでなく、奴の前から逃げおおせることもできる実力者だった。

 セエレなる人物のおかげで、デミウルゴスは一撃叩き込まれれば倒れてしまうくらいに弱っていたようだ。だから、以前見たときよりも奴の覇気が少なく感じたらしい。最も、その程度でデミウルゴスは易い相手ではない。

 実際、デミウルゴスは僕たちを倒そうと立ち上がっている。自分が弱っていることなど概算度外視しているようだ。このまま最大攻撃を叩きこめば、奴を倒すことは可能だろう。僕がそう判断したときだった。

 

 突如、どこからか嗤い声が響いてきた。モニュメントが軋んだ音を立てて稼働し始める。

 次の瞬間、デミウルゴスに温かな光が降り注いだ。光はあっという間にデミウルゴスの傷を癒す。ナビが目を剥いた。

 

 

「あのモニュメント、動くぞ!? 自分の意志で動く『オタカラ』だなんて前代未聞だ!」

 

「――って、うわああ!? 危ねえ!」

 

 

 モニュメントはデミウルゴスの傷を癒すだけではない。僕たち怪盗団に対し、明確な敵意を示した。

 降り注ぐ光の矢がモナに襲い掛かり、彼は悲鳴を上げながらもどうにか回避する。迎撃機能まで有しているらしい。

 

 

「回復手段を持ってるモニュメントを放置するのは危険だ。最優先で潰そう!」

 

「了解!」

 

 

 ジョーカーの方針に従い、仲間たちはモニュメントを優先的に狙った。敵の回復手段は早めに潰しておくに限る。先程のようにデミウルゴスを回復させられてしまうのは堪らない。

 モニュメントに傷を癒してもらったデミウルゴスは、本来の力を発揮して攻撃を仕掛けてきた。祝福の光と呪怨の闇が至る所で爆ぜながら、じりじりと僕たちを追い詰める。

 それでも僕たちはデミウルゴスに構うことなく、モニュメントに攻撃を仕掛けた。機械仕掛けのモニュメントも無敵ではないようで、歯車の間から不協和音が漏れ始めた。

 

 デミウルゴスの表情に焦りが滲む。この調子で攻撃を仕掛け続ければ、モニュメントを破壊することは可能だ。

 このまま一気に仕掛けよう――僕らが顔を見合わせて頷き合った瞬間だった。

 

 

『やめろ! それを壊さないでくれ!』

 

『お願い、聖杯に触らないで!』

 

『天使さま、聖杯を守ってください!』

 

『俺たちから自由を奪わないでくれ!』

 

―― おい、何かヤバいぞ!? ――

 

 

 “明智吾郎”が目を剥いて警告する。次の瞬間、モニュメント――囚人たちから聖杯と呼ばれたソレに光が降り注いだ。光の出所は囚人たちの囚われている牢獄からである。

 

 大衆は聖杯の存続を望んでいた。その感情を媒介にして、聖杯は自己修復とデミウルゴスの傷を完治させることで応える。

 大衆からエネルギーを収集することで力を行使する様は、八十稲羽を覆いつくした霧の原理とよく似ていた。

 

 都合の良い嘘を求めた人々の想いが、八十稲羽の土地神が使った人間の総意――幾千の呪言。嘘に囚われ眠りについた特別捜査隊の面々の様子を思い出すに、あれは一種の状態異常系スキルだった。

 聖杯とデミウルゴスは人間の総意/大衆の力を回復特化にして行使しているのだ。大衆たちが聖杯を――牢獄に囚われていることを望む限り、聖杯はデミウルゴスごと己の傷を癒し、存在し続けるだろう。

 でたらめだ。ニュクスのアルカナ13連戦なんて霞む程の永久機関。幾ら殴っても全回復されてしまうなんて、耐久戦にすらなりはしない。人々の総意が『神』を望み続ける限り、奴らは消えないだろう。

 

 

「だからと言って、私たちは諦めるつもりはない」

 

「人間でありながら人間の望みを絶たんとする大罪人どもよ、悔い改めよ。退行の牢獄の有様は、人間の望みそのものである」

 

 

 尚も抵抗しようとする僕たち――その代表者たるジョーカーに対し、デミウルゴスは粛々と語り続ける。思考すら放棄した民衆は、英雄の世直しなど興味を示さない――大衆を好き放題に歪ませた張本人の台詞とは思い難い。マッチポンプどもが偉そうに語り続けていた。

 怠惰と言う牢獄の中に繋がれることを望んだ民衆――その力をいいように行使した張本人どもは、己の力を顕示するようにして光を放つ。途端に、囚人たちは聖杯とデミウルゴスを崇拝し始めた。誰1人として、僕たちを応援する声はない。

 

 

「ふっざけんなこの卑怯者! 周りから有難がられてんのも今のうちだけだ!」

 

「そんなパフォーマンスに乗せられる程、俺たちはまだ絶望してなどいない!」

 

「お前がやって見せた行為は威嚇にすらなりゃしねえよ。ただ単に、お前の『()()()()()()()()()』っていう欲望を示しただけだ。見苦しいんだよバーカ!」

 

 

 スカル、フォックス、僕が奴らに対して野次を飛ばす。

 その中でも、聖杯とデミウルゴスは、僕の野次に対して過剰に反応した。

 大天使と聖杯から明らかな殺意が滲み始める。地雷を踏まれたことに対する怒り。

 

 

「――ならば、自ら望んだその牢獄で朽ち果てるのが相応しき結末」

 

 

 声がした。デミウルゴスとは全く違う声だった。その出所は、凄まじい光を放ち始めた聖杯そのものだ。

 奴は迎撃機能どころか意志がある『オタカラ』だった。驚きながらも、僕たちは奴の攻撃に備えるために身構える。

 

 次の瞬間、錆に塗れていた聖杯が黄金の輝きを放ち始めた。それに伴い、囚人たちが崇拝の声を上げる。姿が変わったことに驚いたナビは、すぐに悲鳴に近い声を上げた。

 

 

「なにこれ!? プロメテウスすら計測が追い付かないなんて……コイツ一体どうなってんだよ!?」

 

「望まれぬ正義に酔いしれる愚か者どもよ。この輝きは、望まれたる存在の証。人間が求める限り、我は不滅……。――今こそ、『融合』が成されるときだ」

 

 

 聖杯が眩い輝きを放つ。僕らの視界は一瞬で塗り潰され――意識が戻ったとき、そこはメメントスではなく渋谷の街並みが広がっていた。

 怪盗団の中で、誰1人として負傷した者はいない。おまけに、いつの間にか僕たちの格好は怪盗服ではなく普通のモノへと変わっていた。

 

 

「どうやらワガハイたちは、聖杯から追い出されちまったらしい」

 

「ってことは、私たち、負けたの……?」

 

「――まだだ。絶対、反撃の手は存在してる」

 

 

 モルガナの言葉に、真が愕然とした様子で呟く。だが、漂い始めた嫌な空気をすっぱりと叩き切ったのは黎だった。灰銀の瞳に宿る闘志は、まだ折れちゃいない。

 あんな『神』に支配された世界なんて認められない。たとえ大衆がそれを望んだとしても、賛同者がいなかったとしても、自分たちを否定されたとしても。

 何が正しいのかが分からなくても、()()()()()()()()()()()()ことは分かっている。()()()()()()()()()()()()()()()ことも分かっている。

 

 

「うん、そうだね。俺たちの生存こそが、その証だ」

 

 

 僕は黎の言葉に頷いた。仲間たちも頷き返す。

 

 新たな一手を模索するためにも、まずは現状確認が先決である。何が起きたのかを確認しようと周囲を見回したときだった。

 

 ぽつぽつと雨が降って来た。ただの雨ではない。血を連想させるような赤い雨だ。アスファルトに出来上がった赤い水たまりから、武骨な骨が次々と生えてくる。まるでタケノコのようだ――なんて考えたとき、向うの空の方には大きなアーチ状の背骨が出現していた。空を覆いつくしていた雨雲すらも赤く色づいている。

 この光景には見覚えがあった。メメントスの風景そのものである。認知上の世界でしかなかった異世界の光景が、現実世界の渋谷を塗り替えているのだ。聖杯の言っていた『融合』とは、こういうことを示していたらしい。おまけに、周りにいる人間たちは誰1人としてこの異常事態に気づいていなかった。

 

 聖杯の御業に唖然としている僕たちに、ダメ押しとばかりに異変が起きる。双葉の体調不良を皮切りに、仲間たちが次々と倒れ伏していくのだ。

 かくいう僕もその1人で、頭痛と眩暈によって地面に膝をつく。隣には苦しそうに唸る黎がいた。彼女に手を伸ばそうとしたとき、仲間たちの悲鳴が木霊する。

 

 

「うわあああああ!? お、俺の手が……!」

 

「嘘!? アタシの脚……!」

 

「そ、そんな……! これも聖杯の仕業だって言うの……!?」

 

 

 竜司の手が、杏の脚が、真の手が、世界に溶けるようにして消えていく。

 

 

「俺たちに、一体何が……!?」

 

「やだ……やだ……!」

 

「体が、消えちゃう……!」

 

 

 祐介の利き手が、春の両手足が、双葉の下半身が、溶けるようにして消えていく。

 

 

『怪盗団の認知が、世界から消え去ろうとしているのだ』

 

 

 聞き覚えのある声が響き渡る。これは、メメントスで耳にした聖杯の声。身体が溶けていく恐怖を脇へ置いて、僕たちは天を睨みつける。テレビジョンは砂嵐、空は真っ赤に染まっていた。

 聖杯の声は現実世界とメメントスの融合が成功したことを告げ、『認知から消えた者は世界に存在できない』と締めくくる。それを皮切りにしたのか、周りの人々からこれ見よがしに声が聞こえてきた。

 「怪盗団なんて奴らがいたよね」「あんなんガセだろ。一時でも信じた俺がバカだったわ」「怪盗なんて存在しないよ」――彼や彼女たちの言葉が響く度に、僕らの身体がどんどん消えていく。

 

 

「くそ……ッ!」

 

 

 聖杯が僕たちを無事に返したのは、奴らが油断したからじゃない。僕たちに逆転のチャンスが巡って来たからじゃない。

 メメントスと現実を融合させ、大衆の認知を操作し、世界から怪盗団を消すことで完全勝利するためだった。

 

 怪盗団の支持率は、奥村社長の一件で地に落ちている。獅童を『改心』させても支持率が伸び悩んでいたのは、『神』の手が加わったためだ。その工作は、この瞬間の為だけに行われていたのである。

 

 迂闊だった。もっと早く、支持率のカラクリに気づいていれば。大衆の力の使い方に気づいていれば。

 異形専門である僕が気づくべきカラクリだったのに――僕の後悔を嘲笑うかのように、断末魔が響いた。

 仲間たちが消えて行く。竜司、杏、祐介、春、双葉、真、モルガナ――そうして、黎。

 

 

「っ、吾郎……!」

 

 

 伸ばした手は空を掴み、黎の姿が僕の前から消えてしまう。

 ――残されたのは、僕1人。けれどすぐに、僕も同じように消えるのだろう。

 

 果たしてそれは予想通り。僕の意識も、存在も――何もかもが、世界から消え去った。

 

 




魔改造明智によるメメントス最深部後略~負けイベントまで。大体の流れは同じですが、バタフライエフェクトのおかげで全く違う会話が繰り広げられております。この時点で「イゴールが偽物である」と見当をつけているのは、イゴールのことをよく知る魔改造明智の保護者のおかげでした。
全シリーズ行脚の経験を活かして斜め穿った分析をする魔改造明智ですが、分析できたからといって対抗策を練れるかと言われれば「いいえ」です。今回はその権化として、原作における負けイベントを引っ張ってきました。今回、聖杯にはデミウルゴスが付属しております。割と地味な感じでしたけどね。
次回はベルベットルーム――偽イゴール絡みの場面からスタートです。折角なので、ここでも原作とは違ったネタを持ってこようかなと画策中。ラストバトル編は10話以内で纏められたらいいなと画策していますが、果たしてどうなることやら。魔改造明智と怪盗団の旅路を、生温かく見守って頂ければ幸いです。


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希望はまだ、潰えちゃいない!

【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 @空本(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄で明智の保護者その1。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
 @デミウルゴス⇒獅童の息子であり明智の異母兄弟とされた獅童(しどう)智明(ともあき)を演じていた『神』の化身。姿は真メガテン4FINALの邪神:デミウルゴス参照。詳しくは中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『運命を切り開くだけの簡単なお仕事』および『ペルソナ3異聞録-.future-』、Pixivの『2周目明智吾郎の災難』および『【一発ネタ】有栖川黎の幼馴染』の設定を下地にし、別方向へ発展させた作品である。
・ジョーカーのみ先天性TS。
 ジョーカー(TS):有栖川(ありすがわ) (れい)⇒御影町にある旧家の跡取り娘。旧家制度は形骸化しているが、地元の名士として有名。身長163cm。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空本(そらもと) (わたる)⇒明智の保護者2で、南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。
・敵陣営に登場人物追加。
 @神取鷹久⇒女神異聞録ペルソナ、ペルソナ2罰に登場した敵ペルソナ使い。御影町で発生した“セベク・スキャンダル”で航たちに敗北して死亡後、珠閒瑠市で生き返り、須藤竜蔵の部下として舞耶たちと敵対するが敗北。崩壊する海底洞窟に残り、死亡した。ニャラルトホテプの『駒』として魅入られているため眼球がない。獅童パレスの崩壊に飲まれ、完全に消滅した模様。
・「2罰ボスの外見を見た人間の反応」に関するねつ造設定がある。
・普遍的無意識とP5ラスボスの間にねつ造設定がある。
・『改心』と『廃人化』に関するねつ造設定がある。
・春の婚約者に関するねつ造設定と魔改造がある。因みに、拙作の彼はいい人で、春と両想い。
・魔改造明智にオリジナルペルソナが解禁。
・ベルベットルームが賑やかになる。
・フィレモンが胸糞悪くなるレベルでポンコツ。


 投げ出された体に、力は入らない。目を閉じれば最後、自分は死ぬのだろう。

 

 自分と瓜二つの顔をした認知の自分が転がっている。眉間を撃ち抜かれたそいつの顔色には血の気はなかった。最期に見るのが廃棄された人形だと考えると、なんとも馬鹿馬鹿しい終わりである。

 思えば、自分の人生はロクなものではなかった。誰からも愛されず、愛されたいと願いながら誰も愛さなかった。父親に認めてほしいと努力を続けた結果、遺ったのは血で汚れた両手と、抱えきれない程の罪だけだ。

 ……ああでも、と、気づく。脳裏に浮かぶのは自分を認めさせたかった父親ではなく、自分を認めてくれた――でも決して自分が認めなかった黒衣の怪盗だった。自分とは違う、正真正銘の義賊。

 

 それは羨望だった。それは憎悪だった。それは好意だった。

 それは敵意だった。それは殺意だった。それは安堵だった。

 

 それは、それは――。

 

 自分が何を考えているのか、自分自身がよく分からない。

 何をしたいのかさえ、分からなかった。

 

 

(…………)

 

 

 後悔しているかと問われれば、「はい」と答える。もっと早く出会いたかったのも、あの温かな場所に居たかったのも本当だからだ。

 満足しているかと問われても、「はい」と答える。この選択を選べたことも、最後まで手を差し伸べてくれたことも、充分だからだ。

 

 後悔していようが満足していようが、今となってはもうどうしようもない。もうすぐ死ぬであろう自分に、できることなど何一つとしてないのだから――

 

 

「そうかな?」

 

 

 誰かの声がした。聞き覚えのない声だった。掠れ始めた視界の中に、青いブーツが映りこむ。

 何事かと視線を動かせば、金色の蝶がひらひらと、機関室の中を舞っているところだった。

 

 何かを言おうと口を開くより先に、誰かが屈んでこちらを覗き込む方が早かった。顔は見えないが、奴は確かに微笑んでいる。

 

 

「――()()()()()()()()()。そうすれば、届くかもしれないぞ?」

 

 

 ――金色の蝶が、自分の指先に停まっていた。

 

 

◆◇◇◇

 

 

「……う……?」

 

 

 消えた、と思っていた身体に、感覚が戻って来る。僕はゆっくり体を起こした。

 

 メメントスとは打って変わって、青一色に染め上げられた牢獄。見る限り、ここは独房と思しきつくりらしい。内部に居るのは僕1人だ。

 不意に、誰かの話声が聞こえてきた。聞き間違いでなければ、老人や少女の声で「死刑」だの「処刑」だのと物騒な単語が聞こえてくるではないか。

 

 

(そうだ。黎は!?)

 

 

 振り返れば鉄格子。その向こう側に、黎はいた。囚人服に身を包んだ黎は、眼帯を付けて青い看守服を身に纏う少女2人によって引きずり出される。少女たちの足元から青い光が舞い上がり、ペルソナが顕現した。双子の背後には、鼻の長い老人が控えている。

 少女たちが顕現するペルソナは、外見とは裏腹に並大抵の強さではない。至さんから託されたペルソナの力が、あどけない少女たちが顕現したペルソナの恐ろしさに警笛を鳴らしていた。このままじゃあ、一方的に嬲られてしまう。

 慌てて助けようとしたが、鉄格子はびくともしない。黎の名前を何度も呼んだが、彼女には全然聞こえていない様子だ。でも、だからといって、僕は諦めることなんかできない。先程、彼女が世界から消える光景を目の当たりにしていたから当然だ。

 

 黎がふらつきながら立ち上がる。囚人服が青白い光に飲み込まれ――現れたのは、黒衣の怪盗・ジョーカーだった。

 怪盗服は反逆の意志そのものだった。あれを身に纏って立ち上がったということは――ジョーカー/有栖川黎は、まだ諦めていない。

 

 

「ジュスティーヌ、やるぞ! 往生際の悪い囚人に、我らの力を見せてやるのだ!」

 

「……分かりました。我が主を偽物と断じてしまうくらいおかしくなってしまったのだから、仕方がありません」

 

 

 罪人に死を――双子の看守であるカロリーヌとジュスティーヌが、得物を構えてジョーカーへと襲い掛かる。反逆の意志を示したジョーカーだが、何かが彼女を縛り付けているようだった。身動きができず、悔しそうに歯噛みする。

 

 鞭を持ったカロリーヌと、目録が挟められたカルテを持ったジュスティーヌがジョーカーに攻撃を仕掛けた。カロリーヌが物理攻撃を、ジュスティーヌは属性攻撃を得意としているらしい。

 圧倒的な火力の前に、身動きの取れないジョーカーは成す術なく追い詰められていく。一方的に嬲られるその光景は、処刑と言うより私刑に近い。双子の看守に蹂躙されるジョーカーを見ているイゴールが愉快そうに目を細めたためだ。

 

 反逆の意志は折れず、華奢な少女の身体は容赦なく傷つけられ、ボロボロになっていく。

 灰銀の瞳が辛そうに歪んだ。苦悶の声が絶えず漏れ続ける。

 諦めないお前が悪いのだと言わんばかりに、破壊力に物言わせた攻撃が降り続いた。

 

 

―― このままじゃ、“ジョーカー”が……! ――

 

「クソッ……開け、開けよ! ――こんな所で、愛する女が殺されそうになってんのを、黙って見てるわけにはいかないんだッ!!」

 

 

 “明智吾郎”が悲鳴にも似た声で叫び、僕が破れかぶれになりながら鉄格子を殴ったときだった。

 

 ざざざ、と、ノイズが走ったように僕の私服が歪む。

 次の瞬間、僕の身体を青白い光が包み込んだ。どこかで鍵が壊れるような音が鳴り響く。

 

 

「な、なにッ!?」

 

「別の囚人が、脱獄を!?」

 

「構うな。この囚人を殺せ」

 

 

 老人の命令に従い、ジュスティーヌとカロリーヌはペルソナを顕現した。容赦ない一撃と紅蓮の焔がジョーカーに迫る。

 

 

「――ロキ!」

 

―― 言われなくとも! ――

 

 

 自分の受けるダメージなど概算度外視。ただ、ジョーカーを守ることができたらいい――()()()の一念が通じたようだ。

 大切な少女は自分の腕の中。予測可能回避不可能の攻撃が僕の背中に叩き込まれる。その余波で、僕の身体はジョーカー共々簡単に吹っ飛ばされた。

 寸でのところで体をひねり、僕の背中が鉄格子に激突する。情けない悲鳴を残して、僕の身体はずるずるとその場に崩れ落ちた。

 

 

「吾郎!? しっかり、しっかりしてッ!」

 

「……れ、い……? そ、っか。間に合ったのか……」

 

 

 僕はぎりぎり、彼女を庇うことができたらしい。安堵の息を漏らす僕に対し、ジョーカーは悲鳴に近い声を上げて僕を抱きしめる。

 彼女は僕を後ろに庇うと、双子の看守を睨みつけた。ジュスティーヌとカロリーヌは呆気にとられた様子で僕たちを見つめている。

 

 相変わらず、偽物のイゴールは看守たちに命令を下していた。ジュスティーヌとカロリーヌは困惑していたが、主の命令を実行しようと近付いてくる。振り上げた鞭と、パラパラとめくられた目録は――振るわれることはなかった。この場所に、乱入者たちが現れたためだ。

 

 

「――いい加減になさい、ラヴェンツァ! お客様を殺そうとするとは、貴女は一体何を考えているんですかっ!?」

 

 

 聞き覚えのある青年の声と、間髪入れずに響いた轟音。一瞬瞼を閉じてから開くと、僕とジョーカーを庇うようにして、青い服を着た男女が並んでいた。

 人数は3人。ベルボーイにエレベーターガール、コートを着た麗しい女性――この3人の姿には見覚えがある。時折街中で見かけた『力司る者』の3姉弟だ。

 ベルボーイが末弟テオドア、ベルガールが彼の姉であるエリザベス、コートを着た女性が長姉マーガレットである。末弟が一番ボロボロであった。

 

 

「おまけに、我が主の偽物に騙された挙句、お客様を破滅させる片棒を担ぐとは……。『力司る者』としての鍛え方が足りないわね、ラヴェンツァ」

 

「我が主を侮辱するとは……ッ! 貴様もまた、そのような世迷言を語るのかっ!?」

 

「どこのどなたかは存じませんが、叩き潰して差し上げます……!」

 

 

 苛立たし気なマーガレットと、双子の看守が睨み合う。

 だが、そんな双子のことを、姉兄はラヴェンツァと呼んでいた。

 

 

「なんであの双子のことを纏めてラヴェンツァって呼んでるんだ?」

 

「ラヴェンツァは私たちの末妹なのですが、悪神の企みによって、魂を2つに分かたれてしまったようなのです」

 

 

 僕の疑問に答えてくれたのはテオドアだった。彼の話を聞いたジョーカーがポンと手を叩く。

 

 

「その結果が、あの双子……ジュスティーヌとカロリーヌ?」

 

「はい、お客様の仰る通りです。大丈夫……では、ありませんね。まことに申し訳ございません。今治療します」

 

 

 僕とジョーカーの傷を見たテオドアはペルソナを顕現する。小さな妖精はくるくると宙を舞うと、僕とジョーカーの傷を完璧に癒してくれた。

 自分の傷も癒すあたり、以前よりも要領よく立ち回れるようになったらしい。どさくさに紛れていると言えばそれまでだが。

 

 

「2つに分けられてしまったとはいえ、姉と兄の顔すら忘れているとは……仕方ありません」

 

 

 エリザベスが絶対零度の無表情を浮かべている。テオドアに八つ当たりするときの顔と全く一緒だ。彼女は呆れたようにため息をついて、淡々と言葉を続ける。

 

 

「古来より、壊れた機械を直す方法はこう語り継がれてきました。“叩けば直る”と」

 

「……いや、それ、現代の分析だと『かえってトドメを刺す原因』になり得るヤツ――」

 

 

 僕の言葉は最後まで紡がれることはなかった。エリザベスが召喚したタナトスがメギドラオンを打ち放ったためである。爆風と轟音によって、僕の声はすべて飲み込まれた。

 僕が呆気に取られている間にも、青い服を着た面々の攻防は続いている。それでも、この世界――青い部屋の牢獄は吹き飛ばない。頑丈なつくりであることが伺える。

 あと、僕とジョーカーも無事だった。なのにどうしてテオドアはメギドラオンの対象内に入っているのだろう。やはり彼だけがボロボロだった。

 

 明らかに一撃必殺を叩きこまれたにも拘らず、一度倒れ伏したにもかかわらず、テオドアはがばりと体を起こす。

 

 

「私は倒れるわけにはいかないのです……! 異変が解決し次第行われる命さまと荒垣さま主催のクリスマスパーティに参加して、お2人の手作りであるブッシュドノエルをご馳走になるためにも!!」

 

 

 次の瞬間、テオドアは姉2名の手によって、ジュスティーヌとカロリーヌの攻撃を防ぐための盾にされていた。ワンショットキルとダイアモンドダストを耐え抜いた末弟を、姉2名は躊躇うことなく投げ飛ばす。カロリーヌとジュスティーヌは避けることができず、テオドアごと地面に倒れこんでしまった。

 外見高校生程度の青年が、外見中学生程度の少女2人を押し倒している――事案待ったなしの光景である。暴れる双子から鞭やカルテの角でガンガン叩かれながらも、テオドアは彼女たちを拘束して離さない。端正な顔を歪めながら、必死に2人に声をかけていた。

 

 因みに、偽物のイゴールは双子の看守の後ろで棒立ちしながら、姉弟の争いを眺めている。

 心なしか面倒くさそうにしているようだ。争いの余波で、斜め後ろに置かれた机からスタンドが吹っ飛ぶ。

 爆風やその他諸々の理由か、老人の前に置かれた本のページがばさばさと千切れ飛んでいた。閑話休題。

 

 

「ええい貴様ァ、どこを触ってるんだ!? この変態!」

 

「離しなさい! さもないと、本当に囚人にして差し上げますよ!? 痴漢で牢獄行きにしますよ!?」

 

「本来の目的を思い出しなさい、ラヴェンツァ! 彼女は――有栖川黎は、貴女にとって大切なお客様ではないですか!」

 

「「!?」」

 

「――看守の役割は、囚人を更生させることでしょう? ましてや処刑なんて、越権行為に他なりません。処刑は執行人のお仕事ですよ?」

 

 

 テオドアとエリザベスの言葉を聞いたジュスティーヌとカロリーヌが、弾かれたように動きを止めた。眼帯で隠れていない方の瞳が大きく見開かれる。

 

 そんな看守たちの様子を見たイゴールが眉をひそめた。「どうした? 何故殺さない?」――奴はしきりに、ジョーカーの息の根を止めるようにと看守たちに指示を出す。双子の看守は顔を見合わせた後、『力司る者』たちと顔を見合わせた。金色の瞳は頼りなく揺れている。

 どうやら元々、看守たちは処刑に乗り気ではなかったらしい。ジョーカーに攻撃を加える度、ジュスティーヌとカロリーヌは不可解な違和感を覚えていったという。双子が本来の役割を思い出すまで、あともう少し。その背中を後押しするように、どこからともなく歌声とピアノの音が響き渡った。

 

 振り返れば、牢獄だったはずの個室が消えており、代わりにピアノとマイクが設置されていた。ピアノを演奏するのは目隠しをした男性、歌を歌っていたのはドレスを着た女性だ。

 前者は盲目のピアニスト、後者は耳が聞こえていないらしい歌手だ。双方共に、“その職業に就くには厳しい身体的ハンデ”を有しているように見える。

 

 

「その目を覆う偽りを払い、心の目で見つめれば、何が正しいかはおのずと見えてくるはずだ」

 

「その耳を飲み込む偽りを払い、心の耳で聴きとれば、何が正しいかはおのずと聞こえてくるはず」

 

 

 ピアニストは静かに語りながら、素晴らしい演奏を疲労する。歌手もそのピアノに合わせ、見事な歌声を響かせた。

 「ベラドンナ様、ナナシ様……!」――テオドアが感極まったように声を上げる。歌姫ベラドンナとピアニストナナシは小さく頷き返した。

 彼と彼女の後ろの方には、青いベレー帽を被った画家が大きなキャンバスを抱えていた。そこには青い扉が描かれている。

 

 青い部屋に集った人々は双子の看守に語り掛ける。自分の使命を思い出せと、そこにいる主の正体を見抜けと、主は人間を見限ったりしないと、全身全霊を以てして訴える。彼等の言葉に心を動かされたのか、ジュスティーヌとカロリーヌは攻撃の手を止めた。

 

 そのとき、どこから迷い込んできたのか、銀色の蝶が青い部屋の中で瞬いた。

 それを目にしたジョーカーが目を丸くした。

 

 

「誰……?」

 

「黎?」

 

「……断頭台? 合体……すればいいの?」

 

 

 ジョーカーは何かを確かめるように双子の看守を見つめる。ジュスティーヌにもカロリーヌにも、ジョーカーに対する敵意は一切存在していなかった。

 

 双子の看守たちは語る。「自分たちは誰かを殺す存在ではない」、「自分たちは人間を手助けするためにここにいる」――それが、彼女たちが忘れかけていた真実だった。彼女たちの使命だった。金色の瞳に迷いはない。

 不意に、銀色の蝶が双子たちの元へと降り立った。ジュスティーヌとカロリーヌは苦悶の声を上げて膝をつく。そうして互いの顔を見つめ合い、何かに気づいたようだった。大きく目を見開いた後、真剣な面持ちで頷き合う。

 

 

「おい、貴様に最後の仕事をやる。ありがたく従え!」

 

「貴女の手で、私たちを『合体』してください」

 

「――わかった」

 

 

 カロリーヌとジュスティーヌに頼まれたジョーカーが頷く。彼女たちの意志に呼応するかのように、奥の断頭台が軋んだ音を立てて動き始めた。

 双子の看守は躊躇うことなく己の首を穴へ入れる。暫しの間を置いて、刃が2人の首目がけて落下した。

 ガラスが割れるような音が響いた。真っ白な蝶の群れが2つ飛び回ると、それは1つの群れとなり、人の形を取って顕現する。

 

 青いワンピースを身に纏った、銀髪の少女。ヘアバンドには銀の蝶を象った細工が施されており、右脇には辞典を思わせるような分厚い本を抱えていた。外見年齢は双子の看守と同じく、中学生程度だと言えるだろう。少女――ラヴェンツァはジョーカーへ一礼する。

 

 

「貴女なら、ここに辿り着いてくれると信じていました」

 

 

 にっこりと微笑んだラヴェンツァは、青い部屋の住人達へと視線を向けた。テオドアを見たときは別に何ともなかったのに、マーガレットとエリザベスを見た途端、少女のこめかみからダラダラと冷や汗が伝っている。彼女のヒエラルキーがどこに位置しているかの予測がついた。

 マーガレットとエリザベスが仕方がないと肩をすくめ、テオドアは安心したように大きく息を吐き、ベラドンナやナナシおよび画家は生温かな眼差しを向けてみんなを見守っていた。ラヴェンツァはホッとしたように息を吐き、イゴールへと向き直る。

 

 青い部屋の住人たちは、みんな敵意を持ってイゴールを睨みつけていた。

 僕とジョーカーも、同じようにしてイゴールを睨みつける。

 コイツが偽物であるという予想は、見事に正解だったからだ。

 

 不気味な笑みを湛えたイゴールの偽物の身体が、ふわりと浮き上がった。

 

 

「まだ、『ゲーム』は終わっていない」

 

「『ゲーム』……!?」

 

「人間の世界を『残す』か『壊して創り直す』か……すべては我が『ゲーム』にすぎない」

 

 

 偽イゴールは朗々と語り始める。

 

 奴の正体は『願いを叶える聖杯』――メメントスの奥で発見した機械仕掛けの聖杯そのものであると同時に、願いに応えて統制を施す『神』だった。奴は『ゲーム』の一環として有栖川黎に冤罪を着せ、獅童正義を始めとした人間たちの欲望を歪ませてパレスを作り上げ、大衆を操作していたという。

 ペルソナ使いの戦いには『神』が付き物だと分かっていたが、黒幕がこんな場所――自分を討つであろう人間のサポーターとして存在していたとは想像できなかった。何せ、悪神の殆どが、ペルソナ使いに対して、直接的にも間接的にも敵対して挑みかかって来る連中ばかりだったためである。

 「目的の為なら味方に理不尽を強いることもやぶさかではない」善神になら心当たりはあるのだが、今回の『神』――統制神とやらは、ソイツと似たような気配が漂っていた。悪辣なワンサイドゲームを好むという意味では、ニャルラトホテプにも通じるものがある。但し、こちらの方が方向性が陰湿だった。

 

 

「義賊が悪を打ち、大衆が『善』に共感すれば、自らの力で怠惰から『改心』すると見込んだわけだ。……だが、結果は見ての通り、大衆はすべてなかったことにしてしまいおった」

 

「偉そうに言ってるけど、それって、ただ単にテメェがつまんねぇマッチポンプ仕組んだだけだろ」

 

「証拠もソースも挙がってるよ。『神』のくせに、ここまで回りくどいことしなきゃ周りから()()()()()()()()()んだ。可哀想」

 

 

 僕とジョーカーが軽く煽れば、偽イゴールの表情がびしりと歪んだ。認知を操作しなければ周囲から崇拝してもらえない『神』が、偉そうに何を言っているのだろう。

 ニャルラトホテプをエネルギータンクとして使い潰そうと画策したところから見るに、色々と拗らせているのだなということには想像がつく。

 

 偽イゴールは取り繕うようにして咳払いした。

 

 

「…………『人間は破滅すべき』。その答えを、お前は導いた。だが――がぁッ!?」

 

 

 取り繕ってから僅か数秒で、偽イゴールは脳天に衝撃を喰らって斜め方向へと吹っ飛ばされた。奴は寸でのところで態勢を整えると、自分に攻撃を加えてきた存在を睨みつける。

 

 

「あからさまに話題を変えるってのは、図星である証拠だろ」

 

 

 呆れたような声が響いた。聞き覚えのある人の声だった。途端に、ラヴェンツァを始めとした『力司る者』たちが直立不動の姿勢を取った。ベラドンナやナナシ、画家はフランクな空気を崩さないまでも、背筋をしゃんと伸ばす。

 青い部屋に現れたのは、僕の保護者である空本至さんだった。彼は非常にめんどくさそうに偽イゴールを睨みつけている。その背中におぶさっていたのは、偽物と瓜二つの容姿をした老人――本物のイゴールだった。

 「主!」――ラヴェンツァが、テオドアが、エリザベスが、マーガレットが、イゴールの元へと駆け寄った。4人にもみくちゃにされているイゴールの傍で、ベラドンナやナナシ、画家が見守る。それを見ていた至さんは笑みを浮かべた後、統制神へ向かい直った。

 

 

「『人間は破滅すべき』という結果ありきのワンサイドゲームがしたいがために、ウチのお嬢や吾郎を異世界に引きずり込んだ挙句、無意味な試練を押し付けた。その上まだ弄ぶ? ――ふざけるのも大概にしてくれないかな」

 

「貴様……! よくも私の『駒』を勝手に奪い取ってくれたな!?」

 

「はぁ? 何言ってるのお前? 俺は何もしてないけど?」

 

「ぬけぬけと……!」

 

「言いがかりはやめろ。お前みたいな奴の話を聞いてるとイライラするんだ」

 

 

 統制神は怒りをぶつけるが、至さんは真顔で首を傾げる。身に覚えがないと言わんばかりに、彼は鼻を鳴らした。

 

 

「うちの吾郎はお前の『駒』じゃありません。勝手なこと言うんじゃないよ」

 

「何故だ!? 何故、お前は私の邪魔を――」

 

「“自分を生み出した癖に失敗作呼ばわりしたフィレモンが気に喰わなかった”ってのは同意できるが、“ニャルラトホテプに唆されて『私が唯一絶対万能の神!』と奢り高ぶった挙句、俺の関係者を『ゲーム』の『駒』にしようと思い立った”時点でお前は俺の敵なの」

 

 

 「ああ嫌だ嫌だ」とため息をついた至さんは、統制神を侮蔑の眼差しで見下す。同じフィレモンの化身として生まれたこの2人が、どうしてこんなにも別な道を歩んだのか。統制神とフィレモンの間に横たわっているであろう因縁も、至さんとフィレモンの間にある溝も、スタートは同じ場所だったはずなのに。

 統制神は今、悪神へと転化して世界を滅して『自分を崇拝する民衆』を作り出そうとしている。その為に、こんなくだらない茶番を引き起こしたのだ。至さんは今、僕たち怪盗団――ペルソナ使いたちが立ち向かうことになる試練を超えられるよう、持てるすべてを使ってサポートしようと駆け回っていた。

 

 統制神が信用ならない存在であることは、今までの旅路やこの部屋でのやり取りで把握済みだ。

 奴がもし僕たちに何かを持ちかけてきたら、それは「自分が民衆から崇拝されたい」という欲望に他ならない。

 僕とジョーカーの眼差しを真正面から見た統制神は、忌々しそうに舌打ちした。

 

 どうやら、統制神は「世界を元に戻す代わりに、聖杯の存続を認めろ」と取引を持ちかけようとしていたらしい。僕たちがそれに頷きそうにないことを悟り、奴は捨て台詞を残して消えていった。

 

 入れ替わるようにして、イゴールが机を引っ張り出してきた。きちんと机を整頓し終えた彼は、椅子に腰かけて僕たちに自己紹介する。

 彼こそが、この部屋の本当の主なのだ。「ここに来るのも久しぶりですな」と感慨深そうに呟いたイゴールは、何を思ったのか、静かに目を細めて頷いた。

 

 

「この部屋がここまで賑わっているのは初めてのことです。ベラドンナも、ナナシも、悪魔絵師も、エリザベスとテオドアも、マーガレットも、既にお客様の旅路を見送り終えた者たち。各々が目的を持ってこの部屋を旅立っていった者たちですからな」

 

「ってことは、一種の同窓会みたいな状況なの?」

 

「そうとも言えますね。こうして私たちが顔を揃えるのも、久々のことかもしれないわ」

 

 

 僕の問いに、マーガレットも口元を緩めて頷く。テオドアのことを愚弟、エリザベスのことを愚妹呼ばわりしていると言えども、姉としては嬉しいのだろう。

 ……もしかしたら、今回の一件が元でラヴェンツァのことも愚妹呼ばわりしそうな気配を感じたが、僕は黙っておくことにした。僕個人がどうこうできる問題ではない。

 意味深に笑うマーガレットを見てガタガタ震えていたラヴェンツァであったが、ジョーカーが自分のことを心配そうに見つめていることに気づくと、慌てて背筋を伸ばした。

 

 

「我が主がここに帰還し、貴女たちは悪神に屈することなく戦い続けることを選択した。……ならば、破滅に向かい続ける世界を救うことができるかもしれません」

 

「本当?」

 

「はい。まだ手遅れではありません。……ですが、貴女だけでは、悪神に勝つことは難しいでしょう」

 

「分かってる。――怪盗団の仲間たちがいなきゃ、何も始まらない」

 

 

 ジョーカーの答えを聞いたラヴェンツァは、にっこりと微笑んで頷いた。ラヴェンツァ曰く、仲間たちはこの牢獄に囚われているらしい。

 

 ベルベットルームは夢と現実のはざまに存在する精神世界だ。認知世界と同化した現実から消え去った仲間たちはまだ息絶えたわけではなかったのだ。

 その話を聞いたとき、メメントスの開かずの独房が脳裏をよぎったのは気のせいではない。この世界が独房で、僕たちが囚われた世界ならば――

 

 

「怪盗団がここに集いしとき、すべてをお話いたしましょう」

 

「さあ、お行きなさい。共に真実へと向かう人々の元へ!」

 

 

 ラヴェンツァは真剣な面持ちで頷き返した。イゴールも静かな眼差しで僕たちを見送る。

 僕とジョーカーは顔を見合わせて頷き合い、仲間たちを助けるために駆け出した。

 

 

◇◆◆◆

 

 

「よろしいのですかな? 嘗てのお客様――空本至さま」

 

()()()()()()()よ。なに1つとしても」

 

 

 イゴールの問いかけに、空本至は間髪入れずに答えた。彼等には、自分の顔がどう映っているのだろう? それを知る術など持ち得ない。

 ただ、イゴールやベルベットルームの住人たちが静かな面持ちをしているあたり、酷い顔ではないことは確かだった。それだけでも僥倖だろう。

 

 

「でも、()()()()()()と駄々をこねれば、()()()()()()()()()ことが起きるからな。どっちがマシかと聞かれたら、()()()()()()方がいい」

 

 

 自分の旅路の総決算が近づいていることを考えると、手の震えが止まらない。足取りもそれに比例し、一歩踏み出すことが苦痛になる。足には鎖などついていないのに、だ。

 メメントスの囚人のように、ここで足を止めてしまえたら楽なのだろう。牢獄に囚われることを選べば、こんなに苦しむこともなかっただろう。恐怖を味わうことだってなかった。

 でも、空本至(じぶん)には選べない。足を止められない理由があり、平穏や安寧という怠惰を貪っていられない理由があり、怖くても進まなければならない理由がある。

 

 御影町の異変を解決するために飛び出した聖エルミン学園高校の同級生たち、珠閒瑠市を駆け回った社会人たち、巌戸台で塔を登った高校生(こうはい)たち、八十稲羽で真実を探してテレビの中へ飛び込んだ高校生(こうはい)たち、東京で歪んだ大人たちの心を暴いた高校生(こうはい)たち。

 

 瞼の裏に浮かぶのは、今まで歩いた道で出会った人たちだった。自分と繋がっている人たちだ。

 彼等だけでなく、忘れられない出会いや別れは沢山ある。また会える人たち、もう会えない人たちだって沢山いる。

 

 至が今までの旅路を思い返しているのを察したのか、イゴールが「ふぅむ」と唸った。至が向き直ったのを確認し、老人は静かに口を開いた。

 

 

「貴方さまに、こう問いかけた方がいらっしゃいましたね。『貴方は何のために生きるのか』と」

 

「奴の問いに、俺はこう答えた。『宝物を見つけるため』、『出会いと別れを繰り返して、人生を生きて、振り返ったときに満足できるように』と」

 

「では問いましょう、至さま。……貴方さまの旅路の中で、宝物と呼ぶべきものは見つかりましたかな?」

 

 

 藪から棒な――あるいはあまりにも無粋な問いかけに、至は目を瞬かせた。

 目を見張ったのはほんの一瞬。即座に満面の笑みを浮かべ、答える。

 

 

「――見つかったよ。抱えきれないくらいに」

 

 

 「だからいくんだ」と微笑んだ。心の底から微笑むことができた。

 

 手の震えが止まった。足を重くしていた鎖はもうない。これから何が起きたって、きっと歩いて行ける気がする。

 その最果てに見える景色がどんなものであっても、きっと笑っていられるはずだ。――……そう、素直に信じられた。

 

 どこか遠くから声が聞こえる。怪盗団の所属している仲間たち――今世代のペルソナ使いたちのものだ。有栖川黎と明智吾郎が、彼等を助けるために駆け回っているのだろう。

 

 

「ベルベットルームに今世代のペルソナ使いが全員集合するのも、珠閒瑠以来のことになりますな」

 

「そうなのですか?」

 

「巌戸台と八十稲羽でベルベットルームに出入りしていたのは、『ワイルド』使いだけだったからな。ペルソナ使いが集うことで賑わうのも久しぶりだ」

 

 

 しみじみと語ったイゴールの言葉にラヴェンツァが首を傾げる。至が補足すれば、確認するかのように以前の住人たちへと視線を向けた。テオドアとマーガレットが肯定し、ベラドンナ・ナナシ・悪魔絵師が頷き返す。

 彼等はこれから、有栖川黎や自分たちに課せられた使命を知ることになる。怠惰を司る統制神の悪意と、滅びゆく世界を救うための手立てを知ることになるのだろう。――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()で。

 

 足を止めていたかった。もう少しだけ、その背中を見つめていたかった。その背中を支えてやりたかった。

 彼らが転ばないよう、迷わないよう、先導してやりたかった。傷つかないよう、苦しまないよう、守ってやりたかった。

 そんな明日を思い描く。当たり前に続くと信じていた明日を夢想するのは、もう充分だった。

 

 

「――向かうのですね。貴方の辿り着くべき最果てへ」

 

「ああ。――もう、いかなくちゃ」

 

 

 ベラドンナの歌に、至は苦笑しながら頷く。

 

 

「良いのかしら?」

 

「ああ。――もう、充分だ」

 

 

 マーガレットの問いに、至は名残惜し気に頷く。

 そこで、至はテオドアとエリザベスに向き直った。

 

 

「ああそうだ。吾郎と黎に伝言頼める? 『全部片付いたら、2人一緒にルブランの屋根裏部屋へ行くように』って。『楽しみにしておいてほしい』とも」

 

「畏まりました」

 

「お2人に、きちんと伝えておきます」

 

 

 ベルボーイとエレベーターガールが恭しく一礼するのを確認した後、至は踵を返した。案内人に先導されずとも、自分が行くべき場所はきちんと理解している。最果てに何があるかも、自分の旅路で出すべき答えも、すべて知っていた。

 監獄を模した青い部屋から出れば、メメントスと同化した東京の街並みが広がる。異変に気づいているのはごく僅かで、多くの民衆は何も知らずに日常生活を送っていた。至が暫し観察していたとき、スマホのランプが点滅した。メッセージが次々と入って来る。

 仕事を早退した者、重要な会議をすっぽかした者、家族サービスを急遽キャンセルした者、クリスマス会の準備を中断した者、大学の講義や学校の授業を抜け出した者――異変に気付き、行動を起こした者たちがいる。それを見て、至はスマホを操作した。

 

 メッセージを送って来た者たちへ、次々とメールを返信する。添付アプリも忘れずに、だ。

 

 付属したのは『イセカイナビ 最終決戦特別版』。

 これが、空本至ができる()()()の手助けだ。

 

 

◆◇◇◇

 

 

 ベルベットルームの関係一同と初めて顔を会わせた仲間たちは、困惑気味な様子だった。おそらく、ベルベットルームと関わることになったすべてのペルソナ使いが初めて彼らと顔を会わせたときにする反応なのだろう。イゴールとラヴェンツァは慣れた様子で部屋と自分たちの説明を始めた。

 夢と現実のはざまにある精神世界。その本物を目の当たりにした面々の反応は様々だ。理解が追い付かず頭に疑問符を浮かべるスカルとパンサー、目をキラキラさせながら分析を始めるナビ、悪魔絵師のキャンバスが気になってうずうずするフォックス、頭が爆発しそうなクイーン、表面上は普段通りに見えるノワール。

 住人たちの態度も様々である。主の背後に控えるマーガレット、エリザベス、テオドアの『力司る者』姉弟たち、相変わらずピアノを弾き続けるナナシ、歌を歌い続けるベラドンナ、キャンバスに絵を描き続ける悪魔絵師。みんなそれぞれ自由奔放にしている。

 

 ――そこで、僕はふと気づいた。

 

 至さんがいない。先程までここにいたはずなのに、どこへ行ってしまったのだろう。

 僕が保護者の不在に気づいたことを察したのか、エリザベスとテオドアが恭しく一礼した。

 

 

「あのお方なら、成すべきことを成すために、一足お先にこの部屋を出発されました」

 

「至さまから伝言を預かっております。『今回の件が片付いたら、ラヴェンツァのお客様と共に、ルブランの屋根裏部屋へ行くように。楽しみにしておいてほしい』とのことです」

 

「分かった、ありがとう」

 

 

 自分の仕事は成し得たと言わんばかりに、エレベーターガールとベルボーイは一礼する。僕も会釈し返した。閑話休題。

 

 

「ねえ、モルガナは?」

 

「お会いになりたいですか?」

 

 

 パンサーがきょろきょろと周囲を見回しながら問う。この部屋の独房に幽閉されていた怪盗団の面々だが、モルガナだけはどこを探しても見つからなかった。僕らがモルガナに会いたがっていることを察したのか、ラヴェンツァが問いかけてきた。

 仲間たちは迷うことなく頷き返す。当たり前のことだった。ラヴェンツァが指さした場所は、ジョーカーが囚われていた独房だった。誰もいないはずのそこから、何ごともなかったかのようにモルガナが姿を現す。

 

 

「ワガハイ、ここで生まれたんだ」

 

 

 呆気にとられる僕たちを横目に、彼は訥々と語り始めた。

 

 元々モルガナは、人間の精神世界で好き放題する悪神を討ち果たすために生み出された存在だった。彼の使命は“悪神を討ち果たすトリックスターを見つけ出し、悪神を倒す手伝いをすること”。――図らずも、至さんが己自身に課した使命とよく似ていた。

 彼の記憶は完全に復活したらしい。ベルベットルームが統制神に乗っ取られそうになった際にイゴールが最後の力を振り絞って自身を創り出した光景を、自分自身が僅かに集められた人間の『希望』としての側面を司る存在であったことを、だ。

 

 今や、聖杯を名乗る悪神――統制神は、人々に永劫の隷属を強いる存在となって君臨している。「自分に従っていればそれでいい」というのが悪神のスタンスだった。

 『人に試練を与えて破滅するまでの様子を眺めるのが大好き』なニャルラトホテプが蛇蝎の如く嫌うタイプだ。試練も変化も破滅もない、平坦な世界なのだから当然と言えよう。

 『人間に与えられるであろう試練を超えるために力を与える』フィレモンとも相性が悪そうである。いや、実際悪かったから、奴の化身を辞めて悪神に転化したのだろう。

 

 

「……フィレモンの奴、自分の元・部下がやらかしたことに気づいてたのかな」

 

「クロウ?」

 

「それで至さんに尻拭いさせようとしてたら、本気でぶん殴ってやる」

 

 

 奴ならやりかねない。これを信頼と称していいのか甚だ疑問であるが、絶対奴ならやるだろう。僕の推理はそれなりに信憑性があるようで、ほんの一瞬であるが、一部の住人の動きが止まった。彼等は口を噤んだっきり、この話題に関して一切コメントしなかった。

 元々フィレモンは自分の化身たる至さんのことを、本人の目の前で『失敗作』だの『生まれてきたこと事態が間違いだった』と悪びれる様子なく詰った前科持ちである。その言葉通り、至さんのことは“人間とは別カテゴリの何か”としてぞんざいに扱っていたことが多かったように思う。

 

 ラヴェンツァは取り繕うように咳払いし、話を続けた。

 

 

「思考が停止した人間ならざる者で現実を満たし、自身の永久の繁栄を実現する。それこそが、悪神が目論む人間の破滅」

 

「言ってる意味はよくわかんねーけど……つまるところ、マジであの『神』、『自分が有難がられてちやほやされたいがために、大衆を木偶の棒にした』ってこと?」

 

「……色々言いたいことはあるけど、時間はありませんからね。簡単に言ってしまえばそういうことです」

 

 

 スカルの『分かっているのか分かっていないのか微妙なライン』の反応を聞いたラヴェンツァは、眉間の皺を数割増しにしてため息をついた。

 そもそもスカルが木偶の棒を知っているという時点で驚きである。彼は漏れなくパンサーからそれを突っ込まれて憤慨していた。閑話休題。

 ラヴェンツァや住人たちから聞かされた話をどうにかかみ砕くことができたクイーンが、ラヴェンツァへと問いかける。

 

 

「聖杯が『神』ってどういうこと? 確かに意志を持つという点で言えば今までのモノと比べて異質だけど、メメントスにあったあれは『オタカラ』じゃないの?」

 

「いいえ。あれは紛れもなくメメントスのコア。大衆の歪んだ欲望、そのものです」

 

「……もしかして、大衆が『支配されたい』と望んだから歪みが発生し、それを察知した悪神が歪みを利用する形で、『オタカラ』と同化してしまったってことなのかしら?」

 

 

 ノワールの問いかけに、ラヴェンツァは2つ返事で頷いた。

 

 

「悪神は、素養のある人間2人を選び、争わせようとしました。世界を『残す』か『壊して創り直す』か決めるために」

 

「表向きのルールはな。でも、悪神は知ってたんだ。大衆が自ら変革を望むなんて絶対にありえないって。文字通り、悪神が持ちかけたのは、自分が勝つためのワンサイドゲームだったってワケだ」

 

 

 ラヴェンツァの説明を引き継いだモナが頷く。

 ふと浮かんだことがあったため、僕は思わず問いかけていた。

 

 

「そもそも、なんでそんなゲーム受けようと思ったの?」

 

「…………」

 

「フィレモンの指示?」

 

「…………」

 

「……左様でございます、空本至さまの後継者さま」

 

 

 黙って視線を逸らしてしまったラヴェンツァとモナに代わり、イゴールが非常に居心地悪そうに答える。

 

 フィレモンの化身たちにとって、空本至は非常に苦手な存在だ。フィレモンをグーで殴る度量の持ち主であり、それが正当化される存在であり、フィレモン本人がそれを甘んじて受け入れているという稀有な状態だということもあった。閑話休題。

 

 元々統制神は“平穏と安寧を司るフィレモンの化身”として生まれ落ちたらしい。だが、奴は早い段階でフィレモンに反抗心を抱き、そこを突け込んだニャルラトホテプに唆された。結果、悪神へと転化した統制神はニャルラトホテプをエネルギータンクとして化身の中に封じ、フィレモンに『ゲーム』を持ちかけてきた。

 だが、フィレモンは珠閒瑠市の一件によって力の大部分を失い、まともに顕現できる状態ではなかった。そのため、フィレモンは自身の意志を継いで人間たちのサポートに当たっていたイゴールを窓口にするよう指示したという。――その結果が、イゴールの幽閉とベルベットルームの乗っ取りに繋がったというわけだ。

 完全な自爆。しかも、胸糞悪いのは、真面目な部下が被害の大部分を被っているという点である。役立たず(フィレモン)のポンコツ具合に頭が痛くなりそうだ。仲間たちも役立たず(フィレモン)役立たず(フィレモン)だったということを察したらしく、何とも言い難そうな表情をしていた。

 

 

「完全に上司のせいじゃないか……」

 

「やっぱり役立たず(フィレモン)役立たず(フィレモン)だったか……」

 

「……ねえモルガナ。ここまでの大失態をしているのに、そんな酷い上司――フィレモンのこと敬うの?」

 

「待ってくれパンサー! ワガハイがあのお方に敬意を抱き畏怖してしまうのは、善神の化身としての本能故のことで……!」

 

 

 フォックスが呆れ、僕が嘆く。その横で、パンサーがモナのことをジト目で見つめていた。

 好きな子からの好感度が下がっていることに気づいたモナは、慌てた様子で弁明する。

 

 

「そっかー、本能優先なのかー……」

 

「何故ワガハイから距離を取るんだパンサー!?」

 

「悲報:モナはケダモノ」

 

「えっ、マジ!? ピラミッドのときから思ってたけど、やっぱり紳士とは程遠いわ!!」

 

「ナビ、撤回しろ! 誤解を招く表現をやめるんだ! ――ああっ、パンサーとの距離が更に遠くっ!?」

 

 

 ……残念ながら、彼の主張は弁明にすらなっていなかったが。閑話休題。

 

 

「……ですが、()()()()()()()()()、その企みは覆されてしまった。悪神の企みを察知した善神の1柱が、その片割れを掬い上げてしまったから」

 

「まさか、悪神が見出した素養ある人間って――」

 

 

 僕は思わず振り返った。僕の動きに呼応するように、青い光が舞い上がる。現れたのはロキ――否、ロキの皮を被って俺に力を貸していた“明智吾郎”だった。

 黒と藍色のストライプに拘束具を巻きつけたライダースーツに、甲冑を思わせるような仮面を身に着けた青年が、居心地悪そうに視線を逸らす。

 

 本来ならば、僕が悪神に見いだされた『駒』として使い潰されているはずだった。ここにいる“明智吾郎”と同じように。

 

 けれど僕は運よく、悪神の望んだ存在にはならず、善神に与するペルソナ使いたちと共に光の道を歩んでこれた。世界の歪みを知りながらも、それに挑みかかる大人たちや仲間たち、どこかの自分が抱いた後悔や祈りと共に歩むことができた。だから僕は今、怪盗団の一員としてここにいることができる。

 仕掛けた時点で破綻した『ゲーム』――もとい、統制神が世界を乗っ取るためのワンサイドゲーム――だが、統制神はどうにかして自分の策を通したかった。苦肉の策が、自身も他の神々と同じように化身を生み出し、暗躍させることだったらしい。結果、生まれたのが獅童智明、もといデミウルゴスだった。

 

 

「真なる我が主は、人間を信じていました。必ずや人々の中から、変革を成し遂げる『トリックスター』が現れることを」

 

「それが、私……」

 

 

 ジョーカーの言葉に、ラヴェンツァは頷いた。そうして彼女は僕へ視線を向ける。

 

 

「……そうして、悪神に魅入られ破滅が定められていた片割れである貴方を掬い上げた善神もまた、信じていた。“自身が掬い上げた存在がトリックスターと手を取り合い、共に歩んでいく”未来――および、可能性があるのだと」

 

「僕を掬った、善神……?」

 

「未来と可能性を信ずる善神、セエレさま。()()()()()()()()()()()()()と呼ぶべきお方です。……最も、彼は()()()()で生まれ落ちた存在ではないため、この世界に直接干渉する力は持っていないのですが……」

 

 

 セエレ――それが、明智吾郎を掬い上げた存在であり、善神の1柱とのことらしい。

 

 元々セエレは『力を失った善神が失われた力を補てんし、新しく顕現し直すための器として生まれ落ちた存在』だった。だが、善神が予期していた以上に強い自我を持っていたため、その善神とは別存在として確立したそうだ。「生贄に使おうとしたらエライことになった」というのが、生み出した奴のボヤキだという。

 僕に可能性と未来を手渡しながらも、“本人が直接手助けできない”状態であるが故に、未来と可能性を使いこなせるか否かは完全に僕任せだったそうだ。セエレはそのことをとても気に病んでいたようで、数多の蝶を飛ばす――所謂バタフライエフェクトを駆使することで、間接的に干渉しようとしていたらしい。

 

 

「普遍的無意識ってことは、フィレモンの関係者……!?」

 

「仰る通りです。ただ、セエレさまはフィレモンさまのやり方を快く思っていらっしゃいません。同志でありながらも、方向性に関する部分で、セエレさまがフィレモンさまを一方的に、蛇蝎の如く嫌っていらっしゃいます。……『以前、フィレモンさまのせいで酷い目に合った』とかで」

 

「……至さんみたいなこと言うんだな、その善神」

 

 

 ラヴェンツァの話を聞く限り、セエレなる善神もフィレモンの被害者らしい。

 脳裏に浮かんだのは僕の保護者でありフィレモンの化身でもある空本至さんの後ろ姿だった。

 同業者にも迷惑を振りまくとは、本当にあの神はロクなことをしない。流石役立たず(フィレモン)であった。

 

 その話を聞いた“明智吾郎”は眉間の皺を数割増しにして唸った。

 

 

―― もしかして…… ――

 

(お前、覚えがあるのか?)

 

―― 俺に『()()()()()()()()』と持ちかけてきた奴がいたんだ。ソイツの名前、『セエレ』だったかもしれない ――

 

 

 “彼”がここに至るまでの日々を思い返そうとしているように感じたのは気のせいではない。

 セエレと“明智吾郎”がどのような会話を繰り広げたのかは興味はあるが、それを悠長に聞き出す暇はなさそうだった。

 

 ……そういえば、デミウルゴスも『セエレに深手を負わされた』と語っていたか。

 ()()を助けたセエレと同一人物か否かは分からないが、関連がありそうだった。

 僕がそんなことを考えていたとき、ラヴェンツァが問いかけてくる。

 

 

「貴方は、世界が無数に存在していることはご存知ですよね?」

 

「珠閒瑠市以外の全人類が滅んだ世界があるってことは知ってたし、俺が悪神に使い潰される可能性……もとい、世界があったってことも知ってる」

 

「ならば話が早いですね。何処かの世界で生まれ落ちた新たなる善神――それがセエレさまです。彼は目覚めた後、様々な世界を巡りました。そうして、悪神に使い潰される運命を背負った“明智吾郎”や、トリックスターとして世界を救った“ジョーカー”の想いに触れた。彼や彼女の想いに突き動かされたセエレさまは、双方が抱いた後悔や祈りを蝶にして飛ばしました」

 

「その結果が、この世界……」

 

 

 僕の言葉に同意するように、ラヴェンツァは頷いた。善神の想いと悪神の悪意を察していたからこそ、彼女は悪神の『駒』にさせられたとき、自分の役割に疑問を抱き続けることに繋がったのであろう。偽イゴールがジョーカーに強いた『更生』は、奴が有栖川黎/ジョーカーを監視するためのものだった。

 因みに、“統制神によって試練として選びだされた大人たちが、明智吾郎にとっての地雷原だった”のは、純粋に副産物でしかなかったらしい。僕がセエレによって悪神から引き離されようが離されていまいが、あのラインナップは変わらなかったそうだ。「多分、変える気がなかっただろう」とはラヴェンツァの談である。

 それもそうだろう。この世界における僕は、有栖川黎/ジョーカーにとって“一番身近であり、心を通わせている人間”――つまるところ、アキレス腱になり得る人間だ。僕が死ぬなんてことになれば、僕の存在が統制神の取引材料に使われていた可能性もあり得る。間接的に黎/ジョーカーを絶望させるためのエサにされたかもしれない。

 

 何て悪辣な手段を使うのだろう。統制神の緻密且つ陰湿な計算を想像し、みなが苦々しい表情を浮かべる。

 

 統制神は既に、現実世界とメメントスを融合させてしまった。怪盗団を拒む大衆の認知が蔓延るこの世界に、怪盗団の居場所は存在しない。統制神の目指す世界は成就手前だ。

 だが、逆転の手段はまだ残されている。その鍵を握っているのが、トリックスターたる『切り札(ジョーカー)』――有栖川黎だ。彼女の旅路(こうせい)は、まだ終わっていないのだから。

 

 

「有栖川黎。今こそ、貴女も本来の意味で、更生を遂げるべき人間。牢獄を出て、歪んだ世界や囚われた人々のすべてを救う――それができるのは、真のトリックスター足る貴女だけなのです」

 

 

 ジョーカーに微笑みかけた後、ラヴェンツァは僕へ視線を向ける。

 

 

「明智吾郎。滅びの運命を超え、愛する者と――有栖川黎と添い遂げんとする者よ。セエレさまが見込んだ通り、貴方は数多の試練を乗り越えた果てに、トリックスターの“魂の伴侶”としての覚醒を迎えました。私のような未熟者がおこがましいかもしれませんが、セエレさまに代わり、祝福を贈ります。――おめでとう」

 

「あ、ありがとう……?」

 

―― なんで疑問符つくんだよ。……まあ、「どう反応すればいいか分からない」っつー気持ちは分かるけど ――

 

 

 神様の関係者に褒められて素直に喜べないのは、僕が見てきた神様が総じてロクなものではなかったためである。

 善神も悪神も――善意か悪意か不可抗力か含んで――どいつもこいつも斜め上に振り切った奴らばかりだった。

 

 “明智吾郎”もそれを思い出したのだろう。僕に同調するようにして頷いた後、ひっそりと視線を逸らしていた。閑話休題。

 

 ひとしきり話し終えたラヴェンツァは花が綻ぶような笑みを消し、真剣な面持ちで僕たちを見返す。「モルガナに導かれたトリックスターたる若者よ。悪神に挑み、現実に居場所を取り戻す。その覚悟はできていますか?」――彼女の問いかけに対し、ジョーカーは迷うことなく頷き返した。仲間たちも決意をあらわにする。

 僕たちの決意を見ていたイゴールは満足げに笑い、手を叩いて頷き返した。そうして、僕たちに激励の言葉を贈ってくれる。彼の言葉通り、僕たちには恐れることなど何もない。理不尽に反逆するための意志も、力も、この手の中にある。同じ志を持つ仲間たちや、きっと奔走しているであろう頼れる大人たちだっているのだ。

 

 

「出口はモルガナが知っています。……モルガナ、彼女たちを導いてください」

 

「はい、心得ております」

 

 

 そう言って静かに笑ったラヴェンツァに、モルガナは粛々と答える。その様は、正しい意味での善神の化身同士の関係だった。

 だが、ラヴェンツァの表情が曇る。彼女はモルガナに何かを囁いた。モルガナは粛々とした面持ちで何かを言い返すと、僕らを先導するように駆け出した。

 

 

◇◇◇

 

 

 メメントス奥地にあった開かずの独房は、メメントスに引きずり込まれたベルベットルームのことを指していた。悪神は長い間、黎を自分側へ引き入れようと誘惑していたらしい。だが、彼女がそれを打ち破ったため、この扉が開かれることになったのだろう。

 

 渋谷の街は相変らず、赤黒い空で覆われている。血のような赤い雨が降り続き、至る所には骨のアーチが出現している。ライフライン類はすべて止まっているにも関わらず――いや、何も気づいていないが故に――大衆たちは普段通りに生活していた。

 砂嵐しか映っていないテレビジョンを見ながらCMの話に興じる者、点滅すらしていない信号を見ながら横断歩道に並ぶ者、下半身が赤い水に浸かっていることに気づかず道端に腰かけている者……なんだか見るに耐えない。“明智吾郎”なんてドン引きしている始末だ。

 

 

「やっぱり、まだ誰も異変を自覚できないままみたいね。統制神が認知を歪ませた結果なんだろうけど」

 

 

 クイーンは周囲を見回しながら唸る。統制神によって人ならざるモノに成りかかっている彼等を正気に戻すためには、統制神を倒す以外にない。

 僕らが決意を新たにしていたとき、モナの方に視線を向けたパンサーが悲鳴を上げた。何ごとかと確認すれば――何故かは分からないが――モナが光っている。

 あと、僕の見間違いでなければ、若干身体が透けているようにも見えた。大丈夫なのかと心配する僕らに対し、モナは平然とした様子で答える。

 

 

「記憶が戻って、使命を全部思い出したからかもな」

 

「いや、そんなあっさり……」

 

「――あれ? なんか光ってね?」

 

 

 近くを通りかかった茶髪の男が、モナがいるあたりを指さした。それを皮切りに、一部の人々が足を止めてこちらを見る。

 

 モナの光をきっかけにして、ほんの僅かだが、怪盗団を視認できる人間たちが現れた。彼等は僕らに視線を向け、時には指をさしながら「怪盗団だ」と声を上げる。反応は鈍いままだが、以前と違って僕たちのことを思い出しているらしい。「街頭のテレビジョンで見た」とか、まさにそれだ。

 人数はほんの一握り。でも、逆転の可能性があることを雄弁に意味している。怪盗団を忘れた人間たちしかいないと思っていたが、世の中は捨てたものではないらしい。善神の関係者たちが人間に希望を見出したのは、蜘蛛の糸を掴むような希望を目の当たりにしてきたためだろう。

 

 

「希望の鍵……」

 

「モナ、導いてくれ。俺たちはどこへ向かえばいい?」

 

 

 ナビとフォックスの言葉を皮切りに、仲間たちの視線はモナへ注がれる。導き手としての使命を思い出した善神の化身は、先導するように歩いて足を止めた。

 横断歩道の眼前に、巨大な骨で作られた道が広がっている。それを目で辿ると、上層部――奥に聳え立つ神殿へと繋がっていた。

 どうやら骨のアーチは神殿の外部を伝うような形で広がっているらしい。進んでいけば、いずれは神殿の入り口へと辿り着くであろう。

 

 

「あの神殿に、統制神はいるはずだ!」

 

「そうと決まれば、殴り込みだね」

 

 

 僕たちは顔を見合わせて頷いた後、ジョーカーの音頭に従って駆け出した。

 

 




魔改造明智による最終決戦、ベルベットルーム~メメントスと同化した東京への帰還まで。ベルベットルームに住人が全員集合したり、魔改造明智が誕生するきっかけになった善神の特徴が明らかになったり、保護者の様子が更に不穏なことになったりと、状況はめまぐるしく変化しています。
只今最終章3話目。10話以内に収めることを目標としていますが、どうなることやら。最終決戦編は「2/13日に至るまで」も含むつもりなので、もしかしたら少し長くなるかもしれません。エピローグは「それ以降」のお話をまとめる予定となっています。
次回は神殿へ向かう道中。統制神だけでなく、デミウルゴスとの決着も近づいてきています。怪盗団が動き始めるのと同時期に、異変に気づいた人々があちこちで動き出している模様。保護者の関係者と言うことは、即ち……? もう暫くおつき合い頂ければ幸いです。

以前、感想で「この小説は魔改造明智コミュを魔改造明智の視点で見た物語である(要約)」というコメントをいただきました。その感想のおかげで作品の方向性が固まり、ここまで来ることができました。本当にありがとうございます。
小説の終わりが見えてくるにあたり、ふと「魔改造明智を主人公に置くためには、後はどんな要素を足せばよいのだろう?」という疑問が浮かびました。真っ先に思い至ったのが「P3以降、主人公=コミュまたはコープを結ぶ」という点です。
ペルソナチェンジ解禁系魔改造明智というのもなかなかに“魔改造極めたオリ主化存在”ですけど、そこまでしたい訳ではないんですよね。「魔改造明智の生存確定イベントに関係するような演出が追加される」扱いくらいが丁度いいのかもしれません。
魔改造明智とコミュまたはコープが築けそうなメンバーを、相応しそうなアルカナに当てはめてみました。仲間たちとのコミュorコープのアルカナはあのまま当てはめて良いのか悩み中。現在、決まっているのは以下の通りとなっています。あくまでもお遊び企画なので、軽い気持ちで見ていただければ幸いです。

【拙作の魔改造明智がコミュorコープを築くとしたら】
・愚者<始まり、可能性、変化、信念など>:怪盗団全体
・死神<崩壊、結末、再生、再出発など>:“誰か”⇒“明智吾郎”
・悪魔<嫉妬、執着、意地、欲望など>:足立徹
・塔<困難、苦境、開始、解放>:神取鷹久
・永劫<???>:???

……見事に男しかいない……。そして、アルカナの要素に該当しそうな人間がなかなか浮かんできません。難しいなぁ(遠い目)


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託される想い

【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 @空本(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄で明智の保護者その1。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
 @デミウルゴス⇒獅童の息子であり明智の異母兄弟とされた獅童(しどう)智明(ともあき)を演じていた『神』の化身。姿は真メガテン4FINALの邪神:デミウルゴス参照。詳しくは中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『運命を切り開くだけの簡単なお仕事』および『ペルソナ3異聞録-.future-』、Pixivの『2周目明智吾郎の災難』および『【一発ネタ】有栖川黎の幼馴染』の設定を下地にし、別方向へ発展させた作品である。
・ジョーカーのみ先天性TS。
 ジョーカー(TS):有栖川(ありすがわ) (れい)⇒御影町にある旧家の跡取り娘。旧家制度は形骸化しているが、地元の名士として有名。身長163cm。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空本(そらもと) (わたる)⇒明智の保護者2で、南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。
・敵陣営に登場人物追加。
 @神取鷹久⇒女神異聞録ペルソナ、ペルソナ2罰に登場した敵ペルソナ使い。御影町で発生した“セベク・スキャンダル”で航たちに敗北して死亡後、珠閒瑠市で生き返り、須藤竜蔵の部下として舞耶たちと敵対するが敗北。崩壊する海底洞窟に残り、死亡した。ニャラルトホテプの『駒』として魅入られているため眼球がない。獅童パレスの崩壊に飲まれ、完全に消滅した模様。
・「2罰ボスの外見を見た人間の反応」に関するねつ造設定がある。
・普遍的無意識とP5ラスボスの間にねつ造設定がある。
・『改心』と『廃人化』に関するねつ造設定がある。
・春の婚約者に関するねつ造設定と魔改造がある。因みに、拙作の彼はいい人で、春と両想い。
・魔改造明智にオリジナルペルソナが解禁。
・胸糞悪いレベルでフィレモンが酷い。
・女神転生4FINALより、一部の敵の姿を借りている。今回は大天使より、メルガバー、メタトロン、セラフ、マンセマット


 その日、とある夫婦はクリスマス会の準備をしていた。

 その日、とある家族は街に繰り出していた。

 その日、とある青年は大学で講義を受けていた。

 その日、とある会社の関係者は重要な会議に出席していた。

 

 その日、とある者は――。

 

 普段と変わらない日常。薄氷の上に成り立つ平穏が、どれ程脆いものかは知っている。それを守るために戦う人々がいるから、世界は穏やかに回っていることも知っていた。

 彼らはそれを噛みしめながら、その日を生きていた。当たり前の明日が来る喜びを噛みしめながら、普通に生きる人々と同じように日常を謳歌していた。普段通りを生きていた。

 今日も日常が続くのだと思いながらも、後輩たちの窮状を気にかけながら営みを続けていた。世界の危機を察しながらも、その規模が以下様なものかまでは把握できかねていた。

 

 異変が起きたのは、唐突だった。

 

 曇り空が真っ赤に染まり、赤い雨が降ってきた。雨粒は地表を覆いつくし、足上まで飲み込む程に氾濫する。骨のアーチが至る所に出現し、街頭のテレビジョンが例外なく砂嵐に飲み込まれる。信号機や灯りはすべて消えているのに、人々は何食わぬ顔で行き交っていた。

 異変に気づいた者たちは悟る。世界は滅びの(とき)を迎えようとしているのだ、と。同時に、自分たちの後輩である子どもたちが理不尽へ挑みかかろうとしているのだと。――世界を救うために戦っている後輩たちのために、自分たちに出来ることは何かないだろうか。

 

 そんなことを考えたとき、スマホ/携帯電話がメールの着信を告げてきた。

 差出人は空本至。添付されていたのは『イセカイナビ 最終決戦特別版』。

 

 

「――行こう」

 

 

 世界の存亡がかかった大一番に挑まんとする後輩のために。

 世界の危機に立ち向かわんとする後輩の道を切り開くために。

 誰に褒められるわけでもなく立ち上がった、無銘の英雄たちのために。

 

 迷うことなく、『イセカイナビ 最終決戦特別版』を起動した。

 

 

◆◇◇◇

 

 

「――来たか、反逆の徒よ」

 

 

 神殿へと続く道を塞ぐようにして降臨したのは、獅童智明の皮を被っていた統制神の配下――デミウルゴスだ。僕らの予想していた通り、奴は怪盗団の道を阻むために立ちはだかった。想定内の事態に、僕たちは身構える。

 

 

「やっぱり、デミウルゴスが足止め役か」

 

「前に戦ったときより能力値が上昇してる。アイツ、本気だ」

 

 

 ジョーカーがデミウルゴスを睨みつけ、ナビが鋭い眼差しを崩さぬまま敵の戦力を分析する。元より相手が強大であることは予測済みなのだ。逃げるつもりなど微塵もない。

 奴を倒せば、渋谷にいる人々に施された認知に影響が出ることは確かだ。うまくいけば、この異変に気づいて統制神への盲目的な信仰を撤回する可能性がある。

 常人がメメントスと同化したこの風景を受け入れるとは思えない。ひとたびこの光景――異界化した東京をを認識してしまえば、十中八九パニックになるであろう。

 

 

「統制神の配下を倒せば、下にいる連中は否が応でも怪盗団の姿を認識するだろう。大衆がこの世界を平穏だと思っているのは、コイツが認知を操作してることが原因だ」

 

「大衆の認知を歪ませ、聖杯を運用するためのエネルギーシステムとして利用しているのね。うまくいけば、聖杯への供給を止められるかもしれないわ」

 

 

 モナとクイーンはデミウルゴスを睨みつつ、下の世界――異世界と化した東京を平然と歩き回る大衆たちに視線を向ける。怪盗団のことを忘れ去り、怠惰の感情によって支配された人々は、このままだと『統制神のエネルギー源』として永遠に使い潰されてしまうだろう。

 例え運良くこの異変を認識したとしても、一般人がどうにかできるものではない。世界の異変と周りの反応の異質さに戦慄しつつ、怯えながら死を待つことしか許されないのだ。勿論、その大衆の中には、ペルソナ使い以外の人々と結んだコネクションも含まれている。

 

 特に、歴代『ワイルド』たちが結んだ絆の先には一般人が数多くいた。今世代の『ワイルド』たる有栖川黎の例だけで見ると、佐倉さん、冴さん、武見さん、三島、織田信也、岩井さん、吉田議員、大宅さん、川上先生、一二三さん、御船さん――こんなにも多くの人々がいる。

 世界が滅ぶということは、必然的に、彼/彼女らも死んでしまうということを意味していた。数多の絆を背負っている有栖川黎には、敗北なんて絶対に許されない。世界を救う戦いであると同時に、見知った人々が生きる世界を守るための戦いだ。

 

 それは黎だけに言えることではない。怪盗団全員が、大なり小なり一般人との絆を持っている。同じ重みを背負っている。――誰1人として、敗北は許されない。

 

 

「あの永久機関は脅威以外の何物でもないもの。壊せるなら壊しておきたいわね」

 

「まったくだ。意志を持つ命を命と思わぬ鬼畜な所業、幾ら『神』といえ許されることではない! ――いいや、許してなるものかっ!!」

 

「俺たち人間は、テメェらのために使い潰される玩具(オモチャ)じゃねえ! これ以上俺たちの居場所や未来を奪い取られんのも、同じようにして誰かの居場所や未来が奪い取られんのもごめんだ!!」

 

 

 ノワールがデミウルゴスを見上げる。彼女の眼差しはどこまでも真っ直ぐで、一切の迷いがない。

 

 同じようにして、フォックスとスカルが啖呵を切った。やられ方は全く違うが、双方共に、『悪い大人に未来を食い物にされた』経験がある。

 前者は班目の盗作によって画家としての才能を食い潰されかけたし、後者は鴨志田の理不尽なしごきによって足を壊しスプリンターとしての未来を奪い取られた。

 デミウルゴスや統制神が人間にしようとしていることは、班目や鴨志田がフォックスやスカルに強いた理不尽となんら変わりない。怒りが溢れるのは当然のことだった。

 

 

「ここにいる誰1人、統制神の有難い御高説を聞く気はない。統制神の御使いであるテメェの話だって同じようなモンだろ?」

 

―― ぶっちゃけ、獅童の演説並みに薄ら寒ィんだよな ――

 

「成程な。通りで“我が主”が貴様らを見限るわけだ。大人しく“我が主”の言葉に従えばいいものを」

 

 

 僕が零したツッコミに対し、“明智吾郎”も真顔で同意する。()()()の言葉がきっちり耳に入ったのだろう。デミウルゴスは呆れた様子で僕たち怪盗団を見下した。

 自分の思い通りにならないからと言って、その原因全てを排除すればいいという訳にはいかない。時には妥協案を見つける必要がある。社会を円滑に動かすために必要なことだ。

 

 悪神には『折り合いをつける』という概念が皆無らしく、『自分の意に反する邪魔者は皆殺しにすればいい』と本気で信じている。

 フィレモンに反抗したのも、ニャルラトホテプや大衆をエネルギータンクに使用したのも、怪盗団を消そうとしているのもその証だ。

 奴に親はいなかったのかと思ったが、元・フィレモンの化身という時点でアウトだったことを思い出した。やはり『神』にロクな奴はいない。閑話休題。

 

 

「こんな奴らを見守ることに徹するフィレモンもフィレモンだ。自ら望んで“我が主”を生み出しておきながら、あのお方のやり方を否定するだけでは飽き足らず、失敗作だと誹り、『存在自体が誤りだった』とまで言い切った! 人間の愚かさを目の当たりにしたからこそ、“我が主”は立ち上がったというのに!」

 

―― ………… ――

 

「終いには、“我が主”の持ち込んだ『ゲーム』に対し、『煩いな。私は今、自ら力を振るえる状態ではないのだよ。元通りになるための計画が佳境を迎えたところなんだ。これ以上見苦しく喚き散らすなら、私の部下であるイゴールを窓口にすると良い』とぞんざいに扱う始末だ! 決して許されることではない!!」

 

「……だろうなぁ」

 

 

 デミウルゴスの言葉を聞いていると、僕の脳裏には悪びれる様子もなくいい笑顔で首を傾げるフィレモンの姿がよぎる。実際、至さんに似たようなことを言ったときと同じ表情を浮かべていたに違いない。

 根本的な存在否定――その度合いの罪深さを察したのか、“明智吾郎”が渋い顔をした。“彼”もまた、最期の瞬間に――間接的ではあるが――獅童正義に存在を否定されたからだ。最後は殺すつもりだったと思い知らされた。

 

 あまり言いたくないことだが、どうやら()()()と統制神一派は似たような痛みを抱えてきたらしい。嫌が応にも気持ちが分かってしまう。

 

 勿論、だからと言って統制神たちがやったことに対して同意することはできなかった。人間にとって奴らの行動は「余計なお世話」だし、「有難迷惑」でしかない。

 奴らの主張に今の話を組み合わせれば、こいつらの行動には人間に対する善意が一切無かった。あるのは人類の支配欲求と、フィレモンからの存在肯定欲求くらいだ。

 

 

「――あんな奴のやり方は間違っていると、“我が主”こそが唯一絶対の神なのだと証明する。そのために、“我が主”は『ゲーム』を計画したのだ」

 

 

 デミウルゴスが忌々し気に天を睨む。多分、奴の視線の先にはフィレモンがいるのだろう。実体を失って久しい善神の姿を、僕は久しく見ていない。

 

 あまりにも愚かな人類の姿に怒りを覚えた統制神は、フィレモンのやり方と態度に反発した。だが、奴の主張はフィレモンに切って捨てられた。

 望まれて生まれた存在であったはずなのに、待ち受けていたのは創造主本人からの誹謗中傷と存在否定。統制神のプライドがズタズタになってもおかしくはなかった。

 人間への失望と創造主への怒りが統制神を突き動かす。奴の影響を色濃く受け継いだイエスマンであるデミウルゴスも、統制神の欲望(ネガイ)に突き動かされているのだ。

 

 

「これ以上、“我が主”によって齎される統制を乱すなら、容赦はしない」

 

 

 荘厳な声で宣言した大天使が羽を羽ばたかせる。赤い空の切れ目から差し込む陽の光は、まるで奴を照らす後光のようだ。

 奴の足元に、黄金の天使を模したシャドウたちが現れた。それは殻を突き破り、デミウルゴスの持つ認知の姿として顕現する。

 

 

「反逆者ども! これ以上は進ませぬ!」

 

「大人しく牢へと戻れ。世を乱す者は、等しくこの場で処刑する」

 

「私も、おのが子どもらの不始末の責任を取るとしましょう……!」

 

「秩序を悪と叫び、あまねく冒涜をも顧みぬ者たちよ。もはや是非もなし!」

 

 

 現れたのは、ウリエル、ラファエル、ガブリエル、ミカエル――キリスト教に登場する大天使たちだ。命さんや真実さんが駆使したペルソナの中にも存在し、強い力を持つ部類に入る。

 

 

「て、天使……!? しかも、何このプレッシャー……!?」

 

「ノワール、取り乱すな! そいつらは確かに強いけど、デミウルゴスや統制神の認知を元に顕現したシャドウ。真っ赤なニセモノだ!」

 

 

 困惑した声を上げたノワールに対し、ナビのプロメテウスは天使どもの正体を見破る。この天使どもは、デミウルゴスと戦う前の前座らしい。

 奴らは怪盗団に罰を与えるために襲い掛かってきた。だが、数多の困難を乗り越えてペルソナを覚醒させた僕たちの敵ではなかった。

 襲い来る天使たちを容赦なく叩きのめす。幾ら徒党を組んで現れようが、ただのニセモノ如きが敵う筈がない。

 

 最期はジョーカーの召喚したマガツイザナギによるマガツマンダラに飲み込まれ、4大天使を模したシャドウたちは断末魔すら残さず消滅した。少々苦戦したが、満身創痍と呼ぶほどではない。僕らはデミウルゴスへと向き直った。

 不意に、下の方からざわざわと声が聞こえてきた。下の大地から人々の声が聞こえてくる。あの天使たちを撃破した結果、大衆の歪んだ認知の一部を正すことができたらしい。彼等はようやくこの異変に気づいたようで、大慌てだった。

 

 先程の天使たちは、大衆の歪みを操作するための存在でもあったのだろう。しかも、デミウルゴスの平然とした態度からして、替えも効くタイプだ。

 

 こうなることは予想していたらしく、デミウルゴスには取り乱すような様子はない。

 奴は更に、新手のシャドウを顕現させた。その姿を見たナビが「うげっ!?」と声を上げた。

 

 

「コイツら、1対1体がデミウルゴスに匹敵する力を持ってる……!」

 

 

 ナビが危機感を持つのは当然だ。現在顕現したシャドウは、どれも凶悪な力を有していると言える存在たちばかりである。

 

 4つの顔と4枚の羽を持つ戦車のような様相の大天使、金属質の肌と翼を持つ大天使、4つの顔が円を描くように並んだ頭部と4枚の羽を生やした円形モチーフの大天使、白い法衣に身を包んだ漆黒の羽を持つ大天使。先程倒した連中など比べ物にならなかった。

 デミウルゴスは奴らのことを順番に、神の戦車メルガバー、数多の異名を持ち世界を維持する者とさえ呼ばれるメタトロン、天使のヒエラルキー最高位である熾天使セラフ、ヘブライ伝承における悪を告発する天使マンセマットと呼んでいた。

 

 

「デミウルゴス1体でもキツいってのに、それが4体も……!?」

 

「それでもやるしかねぇだろ!」

 

 

 自分たちの不利を見抜いたクイーンに対し、スカルは躊躇わず鈍器を構えた。仲間たちの意志を確認したクイーンも、弱気を振り払って悪魔と天使の群れと向き合う。

 奴らは怪盗団を取り囲むようにして襲い掛かって来る。奴らの攻撃に備えるために身を固くしたが、大天使たちの攻撃はこちらに降り注ぐことはない。

 

 

「――ペルソナッ!」

 

 

 四方八方から声がした。ガラスが割れるような音が響き、青い光が僕らの立つ戦場を照らし出す。現れたペルソナたちは、僕にとって見知った存在ばかりだった。

 ヴィシュヌ、アポロ、アルテミス、メサイア、伊邪那岐命を皮切りに、数多のペルソナが敵に攻撃を仕掛ける。僕たちは思わず振り返った。

 

 そこに広がる景色を例えるならば、壮観という言葉が相応しい。

 

 御影町、珠閒瑠市、巌戸台、八十稲羽の歴代のペルソナ使いたちが勢揃いしている。彼や彼女たちは自身の持つペルソナたちを顕現し、デミウルゴスが顕現した大天使の群れと渡り合っているではないか。

 中には東京にいるはずのない人々や海外にいるはずの面々もいる。八十稲羽にある老舗旅館若女将である雪子さんや、ダンサーとしてアメリカを活動拠点にしている稲羽さんがその筆頭だった。

 

 

「東京のライフラインは寸断されてるのに、どうやってここに!?」

 

「ライブの打ち合わせ中に赤い雨が降り出してな。嫌な予感がしてイタリーにメール送ったら、これが送られてきたってワケだ!」

 

 

 僕の問いに答えたのは稲葉さんだ。彼が指し示したスマホ画面には、『イセカイナビ 最終決戦特別版』と銘打たれたアプリが表示されている。

 どうやら歴代のペルソナ使いたちは、至さんからこのアプリを受け取ったことによってメメントスと化した東京へと降り立つことができたようだ。

 丁度、稲葉さんの隣でアマテラスを顕現してセラフに攻撃を仕掛けていた雪子さんは稲葉さんの言葉に驚いたらしい。思わず声を上げていた。

 

 

「赤い雨が降って骨だらけになったのは、八十稲羽や東京だけじゃなかったってこと!?」

 

「ああ。ロスの街並みもこんな感じになっちまった! 終いには天使を模したシャドウどもが跋扈する始末! おまけに大半の連中がこの異常事態に気づいてねェ!」

 

「成程。この異変は世界規模で発生しているってことか……!」

 

 

 雪子さんの言葉に稲葉さんが同意する。アメリカの首都も東京――数時間前前――の焼き直しとなっているなら、他の国もメメントスと融合しているのかもしれない。天田さんも小さく舌打ちし、大天使どもの群れを見上げた。

 

 眼下は文字通りの阿鼻叫喚。歪んだ認知が一時でも正されてしまえば、転がるように人々は地獄を認識していく。一度知ってしまえば、知らない頃に戻ることなど不可能だ。嫌が応にも真実を突きつけられ、大衆は完全にパニック状態に陥っている。

 日本でこれだった場合、世界は一体どうなっているのだろう。日本同様、この異変に気づいて阿鼻叫喚になっているのだろうか? それとも、未だに何も知らないままとなっているのだろうか? できれば前者であってほしいが、どうなっていることやら。

 

 

「そうだ。至さんは?」

 

「あの人なら大丈夫ですよ。『最後に準備しなきゃいけないことがあるから、それが終わったらすぐ来る』って言ってました」

 

 

 僕の問いに答えた直斗さんは、即座にマンセマットへ攻撃を仕掛けた。彼女の双瞼は、自身の言葉を信じて疑わない。実際、至さんの実力はみんながみんな知っているのだ。

 至さんと共に駆け抜けた旅路の総決算とも言える光景に、僕の胸が熱くなる。彼等と出会い、彼等の絆を積み重ねた結果が目の前にあるのだ。感極まらないはずがない。

 大天使たちは歴代のペルソナ使いたちが抑えてくれるらしい。僕たちは彼等に大天使どもを任せ、天使どもの総大将たるデミウルゴスへと向き直った。

 

 

「セエレ……“至らぬ者”め! 余計なことを……!」

 

 

 奴は忌々しそうに舌打ちする。何かの名前を呼んだようだが、すぐに別の名前で言い直した。

 双瞼に宿るのは、この状況を生み出した張本人にして唯一の不在者である空本至への憎悪。

 

 

「だが、幾ら徒党を組もうと所詮は人間。『神』の用意した盤上で踊るしかない哀れな『駒』たちだ。“我が主”の『ゲーム』はまだ破綻していない……!」

 

「お前たち『神』からしてみれば、人間なんて確かに矮小な存在かもしれない」

 

 

 傲慢に塗れた神の言葉をジョーカーは肯定する。だが、彼女は『神』にすべてを任せるような奴ではない。反逆の意志は、灰銀の瞳で燃え上がっていた。

 

 

「でも、『神』の見えざる手はもう必要ない。人間はお前たちのような奴に頼らなくても、ちゃんと自分で歩いて行ける」

 

「何……?」

 

「そして何より、吾郎を筆頭にした私の大切な人たちを見下すような輩に、これ以上好き勝手させるわけにはいかないんだ」

 

 

 ジョーカーの声はどこまでも静かだが、込められた想いに揺らぎはなかった。誰よりも何よりも、一番最初に僕の名前が出てきたことが胸を打つ。ジョーカー()()は僕に視線を向けるとふわりと微笑んだ。――それが僕や“明智吾郎”にとって、どれ程の救いなのか、彼女は知りもしないのだろう。

 

 “明智吾郎”の人生に待ち受けていた破滅は、『神』の気まぐれが大半を占める。奴の生き様や性格を考慮した上で、綿密に組み上げていたのだろう。僕に引っ付くような形で傍にいた“明智吾郎”は、幸か不幸かその事実を思い知らされた。一時は酷く打ちひしがれたこともあったのかもしれない。

 同時に、“彼”は知った。“自分”の居なくなった世界で、他ならぬ“明智吾郎”を望んでくれていた存在がいたことを。その祈りが、僕の存在する世界と可能性を手繰り寄せたのだということを。そんな祈りを蝶に乗せて飛ばしていたのは、“明智吾郎”にとっての唯一無二の運命――“ジョーカー”であったことを。

 

 本当は、誰かに愛されたかった。必要としてほしかった。罪と罰に塗れる前に、唯一無二の運命と出会いたかった。どんな形でもいいから、一緒にいたかった――。

 “明智吾郎”の人生は後悔だらけで、間違いだらけで、罪に塗れた人生だ。それでも『最期に他者を生かす』選択ができたことに関しては、間違っていたとは思わない。

 ただ、“明智吾郎”は最期まで、『“ジョーカー”が自分を選んでくれる』とは全く思わないままだった。僕とこの世界が出来上がるその瞬間まで、気づかなかった。

 

 

「ジョーカーの言う通りだ。俺も“明智吾郎(コイツ)”も、最早テメェらの『駒』じゃない!」

 

―― これ以上、テメェらの『ゲーム』につき合うつもりはねーよ。……もう充分遊んだろう? そろそろエンディングと行こうじゃないか ――

 

 

 誰かが自分を必要だと言って、歩み寄ってくれる。他ならぬ自分のために心を砕き、歩み寄り、寄り添ってくれる。

 その幸福を、その奇跡を知った僕()()だからこそ、それを踏み躙られることに我慢ならない。

 

 

「貴様らに待ち受ける運命は、『破滅』以外にあり得ない。“我が主”の慈悲を否定した時点でな!!」

 

 

 デミウルゴスは羽ばたき、僕たちへと襲い掛かって来た。コンセントレイトで威力を底上げされた祝福属性の全体攻撃。それは裁きの名を冠しているらしく、マハコウガオンなど比較にならない程の破壊力だ。僕たちはそれを防御し、即座に反撃に打って出た。

 

 まずは敵の能力を下げ、味方の能力を上げる。ロビンフッドのランダマイザを使った後、僕は即座にカウへとペルソナを付け替えた。カウのコンセントレイトで力を貯める。

 奴のメギドラを耐える。僕はロビンフッドに付け替え、メギドラオンを叩きこんだ。コンセントレイトによる威力上昇は効果を発揮し、デミウルゴスに相当な痛手を与えたらしい。

 他の仲間たちも、物理攻撃を主体にして攻撃を叩きこむ。属性付きの攻撃を得意とする面々は援護に回ったり、得物を振るって大天使に攻撃を叩きこんでいた。

 

 

「まだ仕置き足りねーってか……!」

 

「フォローお願い!」

 

「任せろ!」

 

 

 パンサーのムチとクイーンの拳を喰らっても、デミウルゴスを揺らがせるには至らない。

 

 次に動いたのはフォックスとスカルだ。セイテンタイセイとカムスサノオがデミウルゴスに攻撃を叩きこんでいく。やはり、ペルソナを駆使した物理攻撃は効果的らしい。デミウルゴスの身体が僅かに揺らいだ。だが、決定打にはならなかった。

 デミウルゴスが繰り出したのは、マガツマンダラとは気配が違う呪詛の闇だ。先程の祝福属性全体攻撃が裁きならば、今回の呪怨属性全体攻撃は審判と言えるだろう。寸でのところで防御が間に合ったようで、呪怨弱点のロビンフッドでもダウンすることはなかった。

 

 

「広範囲攻撃ってのは厄介だな……!」

 

 

 モナがメリクリウスを顕現して僕たちの傷を癒す。デミウルゴスが繰り出す攻撃は、どれも高威力広範囲を対象としたものだ。気を抜くと回復が追い付かなくなってしまう。

 回復に回っている間に攻め込まれてしまうのは厄介だ。神殿に続く道でラヴェンツァに傷と精神力を回復してもらっていたし、元々長期戦は覚悟の上だ。

 でも、キツいものはキツい。強大な力を容赦なく振るう『神』の眷属が、そんじょそこらのシャドウより遥かに強いのは当然のことである。最も、負けるつもりなど微塵もないが。

 

 次に動いたのはノワールだ。顕現したアスタルテがチャージからのワンショットキルを叩きこむ。横殴りの一撃はデミウルゴスの右翼に直撃し、黒い羽を散らした。追撃とばかりにクイーンがアナトを顕現し、フラッシュボムを放つ。流れるようにしてジョーカーがアルセーヌを顕現し、剣の舞で攻撃を仕掛けた。

 僕もそれに続いてロキを顕現し、レーヴァテインを叩きこむ。だが、デミウルゴスは僕の攻撃に耐え切ると、先程と同じようにコンセントレイトで魔力を貯める。奴も僕と同じように、メギドラオンを打ち放って来た。文字通り、防御が遅れた僕たち怪盗団は文字通りの壊滅一歩手前まで追い込まれる。

 

 

「まだまだ……! 負けるものですかっ!」

 

「人間を舐めるなぁッ!」

 

 

 ノワールとスカルが吼えた。不退転、および反逆の意志はペルソナの攻撃力をブーストしたらしく、アスタルテとセイテンタイセイの攻撃がデミウルゴスの急所を穿つ。

 デミウルゴスは反撃と言わんばかりに裁きの光を放つ。降り注ぐ光が僕たちに直撃するコンマ数秒で、メルクリウスのメディアラハンが発動。僕たちの傷を癒してくれた。

 

 即座に体は傷だらけになるものの、クイーンが数秒遅れで範囲回復魔法を使ってくれたおかげですぐに全回する。指示を出したのはジョーカーらしく、彼女は満足げに頷いていた。

 

 

「よーし、最大火力でぶちかませー!」

 

 

 ナビはそう叫ぶな否や、プロメテウスのサポートを行使した。僕ら全員に更なる強化がかかる。丁度強化が切れるタイミングだったので助かった。

 圧倒的な力で押し通そうとするデミウルゴスと、回復しながら必死になって食らいつく僕たち。戦況は拮抗したまま、未だ傾かない。

 背後からは爆発音や剣載の音に紛れて先輩たちの怒号や鼓舞の音頭が響く。彼等も戦っているのだ、僕らが折れるわけにはいかないだろう。

 

 

「何故折れない? 何故足を止めない? 貴様らに待つ未来は破滅だというのに」

 

「受け継いできたんだ」

 

 

 アルセーヌを顕現したジョーカーが叫ぶ。彼女のペルソナと大天使は派手にぶつかり合った。

 

 

「至さんと航さん、達哉さんや舞耶さん、命さんや真実さんが歩いてきた旅路を――あの人たちが救ってきた世界の未来を、託されたんだっ!」

 

 

 「途絶えさせて堪るものか」とジョーカーは吼えた。それに呼応するようにして、アルセーヌ――否、『6枚羽の魔王』が強力な核熱属性攻撃を打ち放つ。デミウルゴスも同じようにして、光の裁きを下した。2つの攻撃が派手にぶつかり合う。

 双方共に拮抗していたが、アルセーヌの繰り出した攻撃がじりじりと押し返されつつある。ほんの一瞬、ジョーカーの横顔に苦悶の色が浮かんだ気がした。僕は迷うことなくロキ――ロキの皮を被った“明智吾郎”を顕現する。“彼”は躊躇うことなく攻撃を繰り出した。

 

 

「クロウ……!?」

 

「っ……!」

 

 

 僕が加勢したためか、じりじりと押されていたアルセーヌの攻撃が止まった。それを見た仲間たちも次々とペルソナを顕現し、ジョーカーに加勢した。重ねられたエネルギーが渦を増し、それはついにデミウルゴスの裁きを打ち砕く。

 デミウルゴスは酷く驚いた顔をした。奴の身体は、僕たちの放ったエネルギーによってブーストされた核熱属性最強攻撃によって飲み込まれる。凄まじい爆発音が響き渡り、砂煙が舞う。それが晴れた先には、大きなダメージを受けた大天使の姿があった。

 双翼は焼け焦げ、多くの羽が抜け落ちている。法衣もボロボロになっていた。真っ直ぐに伸びていた背は目に見えて丸まっており、奴の手は腹を抑えていた。荒い呼吸が響き渡る。――『顕現さえしていれば、神様は殴れる』とは、至さんの言葉通りだ。

 

 

「おのれ……!」

 

 

 人間がここまでやってのけるとは思わなかったのだろう。大天使は忌々しそうに吐き捨てると、この場一帯に淀んだ空気をまき散らした。

 

 状態異常の付着率が上がったことを確信したジョーカーは、状態異常に耐性を持つペルソナにチェンジする。僕もロビンフッドに付け替えた。

 次の瞬間、奈落の底へ無理矢理引っ張り込まれそうになる感覚に見舞われる。それは仲間たちの絶望を煽ったようで、何名かががっくりと蹲っている。

 

 

「おい、回復急げ! デカいのが来る!」

 

 

 ナビの警告は間に合わない。身動きが取れない仲間たち諸共、デミウルゴスはメギドラオンで吹き飛ばした。僕らはそのまま地面に叩き付けられる。悲鳴を飲み込んで体を起こせば、ジョーカーがペルソナを付け替えてメシアライザーを行使していたところだった。

 絶望していた仲間たちが正気に戻り、立ち上がって得物を構える。僕も突剣を構えて大天使へと向き直った。どうにか立て直しが間に合ったことに安堵したナビは、再びサポート能力を行使した。本当にナイスタイミングである。

 チャージで攻撃力を高めていた面々が次々と高威力の攻撃を叩きこみ、チャージを習得できない者たちは己の最強物理攻撃を、物理攻撃を習得しない面々は得物を振るって大天使に攻撃を加える。デミウルゴスは呻きながらも、再び闇の審判を下した。

 

 僕たちはデミウルゴスの攻撃を防御し、奴に更なる攻撃を仕掛けていく。

 気づけば、威風堂々とした大天使の姿は無様なものになっていた。

 

 圧倒的な力を振るう姿は変わらないが、奴の身体はふらついている。奥に鎮座しているであろう聖杯からの援助はないらしく、奴の傷は癒えることもない。

 

 

「どうした御使いサマ!? 辛いなら、テメェの神にでも祈ったらどうだ!? 『どうかお助けください』ってな!」

 

「貴様ァ!」

 

 

 スカルの挑発に乗ったデミウルゴスがメギドラオンを打ち放った。しかも2回である。幸いなことは『コンセントレイトなしだった』という点だろうか。僕らが立て直しに入ったのと、デミウルゴスが大きく手を広げたのは同時だった。

 

 神殿の奥から黄金の光が溢れだす。それはデミウルゴスの傷を癒していった。だが、何故か『神』の御業は完璧に振るわれることはない。傷が癒えたのはほんの僅かだ。

 デミウルゴスは驚いたように目を丸くして振り返る。神殿の奥の光はチカチカと点滅していた。――まるで、統制神の言葉を伝えるかのように。

 

 

「――畏まりました。それが、貴方の命であるならば」

 

「おい、来るぞ!」

 

 

 粛々とした態度のまま、大天使は僕たちに襲い掛かる。モナがそれを察知し、メリクリウスを顕現した。ミラクルパンチを叩き込まれたデミウルゴスが怯んだ。

 その隙を逃さず、僕たちは更に攻撃を叩きこんだ。自己強化と敵弱体を忘れず、一気に攻め落としにかかる。聖杯がデミウルゴスの傷を癒すより先に押し切るためだ。

 しかし流石は『神』の化身。一方的に嬲られるわけもなく、デミウルゴスは態勢を整えて再び苛烈な攻撃を仕掛けてきた。光の裁きと闇の審判が下される。

 

 

「この程度で倒れると思ったら大間違いなんだから……!」

 

「貴方方に未来を明け渡せるほど、私たちは易くないの!」

 

 

 パンサーが鞭を振るい、ノワールがアスタルテを顕現して攻撃を叩きこむ。即座にクイーンが回復に回った。

 

 

「みんな、あと少しよ! このまま押し切りましょう!」

 

「分かった!」

 

 

 クイーンのアナライズを聞いたジョーカーが頷き、アルセーヌを顕現して剣の舞を叩きこむ。しかも、チャージで威力、リベリオンで急所に当たりやすくしていたらしい。再び大天使の身体が揺らいだ。

 コイツを倒せば聖杯へ辿り着ける。『神』を倒せば、東京や世界を取り込んだメメントスも崩壊することだろう。怪盗団は解散し、普通の学生へ――けれど色鮮やかに変わった世界で続く日常へと還ることになる。

 

 迫る終わりが悲しいわけじゃない。少しの寂しさを感じるだけ。

 だって最初から、旅には終着点(おわり)が存在している。終着点(くぎり)がある。

 終わりは始まりだ。大切な人とかけがえのない日々を過ごすための、新しい旅路。

 

 俺たちには夢がある。黎は弁護士、俺は彼女の専属プレリーガル。竜司は体育教師、モルガナは人間形態の獲得、杏はトップモデル、祐介は画家、真は警察キャリア、双葉は研究者、春はこだわりの喫茶店経営。

 

 俺たちに未来を託した人たちにだって、夢がある。守りたい人たちがいる。大事なものを守りたいから、俺たちは世界を救うのだ。

 世界がなければ、俺たちの夢は絶たれてしまうと知っているから。そうやって、世界を守って来た人々から託されたから。

 

 

「俺たちの世界は、俺たちのものだッ! テメェの玩具じゃねえんだよ!!」

 

「黙れ、“我が主”から逃げ堕ちた失敗作風情が――!」

 

 

 俺の啖呵を聞いたデミウルゴスは、狂ったように叫びながら俺を標的にした。元々全体攻撃しか使ってこなかったが、俺に向ける攻撃だけ異様に威力が高い気がする。勿論、その程度で立ち止まるつもりは一切ない。

 

 仲間たちからの連続攻撃を叩きこまれたデミウルゴスがよろけた。その隙を突く形で俺は飛び出す。

 奴の目が俺を映し出した。受け止めようと伸ばされた手を掻い潜り、剣を振り落ろす。

 

 

「――これで、終いだ!!」

 

 

 満身創痍の死に体となった大天使目がけて、俺は容赦なく突剣を突き立てた。

 何かを砕くような音が響き渡る。大天使を敷板にするような形で、俺は地上へと帰還した。

 大地に叩き伏せられたデミウルゴスの身体が光の粒子と化して消えていく。

 

 

「……貴方の御心のままに。“我が主”……ヤルダバオト、さま……」

 

 

 デミウルゴスの姿が完全に掻き消えたのと、神殿の窓から黄金の光が溢れたのはほぼ同時だった。建造物の中からは数多の人間たちの声――聖杯、統制神ヤルダバオトの存続を望む声や、異界化した東京に耐え切れず助けを求める声が響き渡る。

 特に、後者は統制神の信仰と一切関係ないはずなのだが、「何かに縋りたい」という人間の欲求すらも己の糧になるよう認知を歪ませているらしい。これがデミウルゴスの置き土産ということだろうか? 本人が消滅したため、最早確かめようはなかった。

 

 徹頭徹尾ヤルダバオトのために動いた化身は、最後の最期までその命を曲げることはない。奴の在り方がそうだったように、僕らも奴を受け入れなかった。――これは、ただそれだけのことだったのだろう。

 

 僕がそんなことを考えたのと、何かの破裂音が響いたのは同時だった。振り返れば、歴代のペルソナ使いたちが他の大天使たちを屠ったらしい。

 怪盗団がデミウルゴスを降したことを視認すると、全員が笑顔を浮かべた。先輩たちは多少傷ついてはいるものの、まだ余裕である。

 

 先輩たちの激励の言葉を受け取りながら、僕たちは顔を見合わせて微笑み合う。激しい戦いの中の、ひと時の休息であった。

 

 

***

 

 

 骨で組まれた神殿への道と、地上の街並みとの距離はかなり離れている。にもかかわらず、ここからは人々の声がよく聞こえてきた。

 認知の歪みを司っていた天使どもを倒したため、歪んでいた認知は正され、人々はメメントスと融合した世界を認識したのだ。

 一般人が異世界を目の当たりにして、普通にして居られるとは思えない。下手したら、発狂してもおかしくないだろう。

 

 まあ、僕たちから言わせれば「今気づいたのかよ」と悪態をつきたくなること必須だ。あまりの変わりように苦笑したくもなる。

 不思議なことに、異変の気づいていた人間――黎の正体が怪盗団の一員だと気づいている者たちのみが冷静な面持ちでいるのがはっきりと伺えた。

 

 

「東京の人々は、この状況を目の当たりにしてPanicに陥っているみたいですわね。天使たちを倒すまでは、みんな何も知らないまま日常を生きていたのに……」

 

「アタシたちからすれば、もうちょっと早く気付いてほしかったって感じ。流石にこの状況で気づかない人がいるなら、もう面倒見きれないよ」

 

 

 桐島さんが何とも言えぬ面持ちで、パニックに陥って右往左往する大衆たちの姿を見つめる。「この状況に陥っても気づかない人間がいてもおかしくなさそう」という予感を抱いたパンサーは、想像するだけで気が滅入ったのだろう。呆れたようにため息をついて肩を竦めた。

 

 ため息をついたのはパンサーだけではない。

 航さんと達哉さんも眉を顰める。

 

 

「誰もが思考を放棄し、誰かの指示を待ち望んでいる。それがそっくりそのまま、統制神への信仰にされているらしい」

 

「縋るものを求める大衆の気持ちも分からなくはない。だが、自分が縋っているものが何かを知らぬままだ。このままだと大衆は、信仰対象である統制神にエネルギーを捧げるだけの存在に成り果てるぞ……!」

 

 

 遅かれ早かれ、方向性がどうであれど、大衆は統制神ヤルダバオトのエネルギー源として人ならざるモノと化すだろう。ヤルダバオトに縋って祈りを捧げるだけの存在――まるでそれは、食われるために生きている家畜だ。思い浮かべるだけで薄ら寒さを感じる光景である。

 救いを求める人々の声が四方八方から響き渡った。「誰か助けて」という不特定存在へ向けた叫びは、すべて統制神へのエネルギーとして変換されている。救いを求める民衆の叫びを源としたエネルギーが、聖杯に無尽蔵の回復力を与えているのだろう。

 メメントスと融合した現実世界に対する不安だけでなく、東京の街中を徘徊する異形の姿に気づいた恐怖も含まれているようだ。よく見ると、黄金の天使を模したシャドウたちがスクランブル交差点を闊歩している姿が伺える。シャドウの存在に気づいている人間はまだ少ないが、これから増えてきそうだった。

 

 

「伊邪那岐命の秘密兵器は使えないの? ほら、“ありとあらゆる嘘を無効化し、真実を示す”ってヤツ」

 

「できることなら使いたいんだけど、大衆がこの真実から自分で目を逸らしてるんだ。幾ら嘘という名の霧を晴らしても、本人たちが直視しようとしない限りどうしようもない。……それに、ここは俺たちのペルソナが与えられた八十稲羽(ホームグラウンド)じゃないからな。その部分も関係しているんだと思う」

 

「マサザネの言う通りだ。統制神によって歪まされた認知は、八十稲羽を包み込んだ嘘の霧以上にタチが悪りィ。今の大衆は、真実を真実と認識することができてねぇからな」

 

 

 黛さんの言葉に、真実さんは苦い表情を浮かべる。モナもそれを肯定した。

 

 現状、民衆は真実を受け止め切れるような精神状況ではない。彼等の目と耳、および心は統制神に囚われてしまっている。「存在自体があやふやであるならば、怪盗団よりも『神』に縋った方がまだ生産的だ」とでも思っているのだろう。嘗ての民衆が怪盗団にすべてを丸投げしていたように、今度は統制神に何もかもを委ねているのだ。

 「『神』に縋ってもどうしようもないのだ」と、「このまま『神』を崇拝し続ければ、精神的な人類の死――滅亡が待っている」と、どうにかして大衆に認知させない限り、僕たちにヤルダバオトを降すための突破口は見えてこない。難しそうな顔で唸っていた真実さんを横目にしつつ、パオフゥさんが命さんに問いかけた。

 

 

「香月。お前さんのタナトスは、ニュクス――死そのものを宿していたことによって顕現したペルソナだろう? ソイツで大衆に死の恐怖の片鱗を見せつけてやれば、統制神への信仰もご破算にできるんじゃないのか?」

 

「今の状況で死の恐怖を思い出させたら、それすら統制神に縋るきっかけにされるでしょう。結果、余計に滅びが早まってしまう気がします。……それと、私はもう香月じゃなくて荒垣なんですけど!?」

 

「荒垣って呼んだらお前さん夫婦が同時に返事するじゃないか。それはそれで面倒なんだよ……」

 

 

 パオフゥさんの問いに答えた命さんは、ムッとした様子で頬を膨らませた。命さんは荒垣さんと入籍して荒垣命となって以来、荒垣姓に強いこだわりを見せるようになっていた。

 断じて、命さんは自分の旧姓が嫌いという訳ではない。好きな人と同じ苗字を名乗り、好きな人と家族になった――その喜びと幸福の証が“荒垣”という姓なのである。

 命さんの家族は彼女が幼い時に亡くなっているし、荒垣さんは孤児である。夫婦揃って“家族”という関係に恵まれなかった者同士だ。家族の証にこだわるのも当然と言えよう。

 

 妻の気持ちを察した夫は深々とため息をつく。何も言わないのは、ある意味で自分も同じ穴の狢であるためだろう。

 お熱いバカップル夫婦のやり取りに精神力を抉り取られたのか、独身男性であるパオフゥさんはそっと目を逸らしていた。

 

 ……うららさんと冴さんの一件を思い出すと、彼に対して「お前こそいい加減にしろ」と叫びたくなる衝動に駆られたのは気のせいではない。閑話休題。

 

 

「統制神を斃さないと、大衆の認知を目覚めさせることができない。大衆の認知を目覚めさせないと、統制神を斃すことができない……文字通りの堂々巡りだな」

 

「せめて、聖杯に供給されているエネルギーを断ち切ることができれば、統制神を斃す足がかりに出来そうなんだけど」

 

 

 フォックスとクイーンが顔を見合わせて唸った。仲間たちも顔を見合わせて考え込む。

 そのうちに、何か思い至ることがあったのだろう。ノワールが「そういえば」と声を上げた。

 

 

「メメントス奥地には、沢山の管が張り巡らされていたわよね? その管は最下層にまで続いてた」

 

「ノワールの言う通りだな。聖杯にも、似たような管が突っ込まれてた。赤黒く光ってたから間違いねぇ。……ってことは――」

 

「――聖杯に繋がっている管を壊せば、無尽蔵な回復を止めることができる!」

 

 

 ノワールの言葉から聖杯との戦いを思い出し、スカルが目を輝かせる。ジョーカーは我が意を得たりと言わんばかりに頷いた。難攻不落どころか文字通りの永久機関と化した回復機構を壊してしまえば、僕たちにだって勝機はある。突破口を見つけることができた僕たちの表情は、自然と明るくなっていた。

 

 そんな怪盗団を激励するかのように、僕らの視界に何かがちらついた。見れば、黄金の蝶がひらひらと東京の空を舞っている。

 黄金の蝶とくれば、連想するのは吐き気を催すレベルの善神フィレモンだ。だが、どうしてか、あの蝶を見ていると、奴を見たときのような不快感は一切湧いてこない。

 寧ろ、見ていると安心するというか、元気が湧いてくるというか、頑張ろうと思えるのだ。頼もしさすら感じる。この場にいない僕の保護者みたいだ。

 

 今、至さんはどこで何をしているのだろう。彼が成そうとしていることが何なのか、僕たちには一切関知することができずにいる。

 経験則からして、それは僕たちの勝利に必要なことだというのは察していた。……察してはいたけど、ここまで分かりにくいのは初めてだ。

 

 

(あの人のことだから、大丈夫。至さんは、大丈夫だ)

 

―― あんなの間近で見てりゃあ、そう思うのは当然だろうな ――

 

 

 わずかに滲んだ不安を振り払うように、僕は僕自身に言い聞かせる。“明智吾郎”も遠い目をしながら肯定していた。おそらく、御影町のスノーマスク事件やセベク・スキャンダルを皮切りにした今までのことを思い出していたのだろう。

 僕を守りながら、あの人は数多の怪異事件を駆け抜けた。スノーマスク事件やセベク・スキャンダル以後は、当時のコネクションを駆使して歴代ペルソナ使いたちをサポートしてきた。頼れる背中を、尊敬できる背中を思い返す。――俺の憧れた保護者は、強い人だ。だから大丈夫。

 

 

「聖杯のヤロウは俺たちがぶちのめすとして、玲司さんたちはどうするんすか?」

 

「パニックになってる連中たちをどうにか抑えなきゃならねえな。それに、東京には鷹司と織江がいる。……アイツらに背中を押されてここに来たが、お前等はもう大丈夫そうだ」

 

「バッチリっす! だから、玲司さんは鷹司と織江さんを守ってやってください!」

 

 

 城戸さんに笑いかけるスカルは、猪突猛進でお気楽且つお調子者が浮かべるような笑みではない。歴戦を駆け抜けてきたペルソナ使い特有の、不敵で頼れるものだった。それを察した城戸さんも嬉しそうに微笑み返す。「随分と、頼れる漢になったじゃないか」――その言葉を聞いたスカルもまた、照れくさそうにはにかんでいた。

 

 

「東京中にもシャドウが跋扈してるみたいだね。人々の不安を煽っているのかな?」

 

「ならば我々の出番だな。市民を守るのが警察官の務めだ」

 

「里中さん、周防刑事……。分かりました、お任せします」

 

「ああ、任せてくれ」

 

 

 異形から逃げ惑う人々の姿を見ていた千枝さんであったが、栗色の双瞼にはやる気が滲んでいる。周防刑事も頷きながら、サングラスのブリッジを押し上げた。

 シャドウを斃せる存在がいる――それを大衆に示すことができれば、微々たるものかもしれないが、統制神に流れるエネルギーを削ぐことができる可能性があった。

 微笑んだクイーンに対し、真田さんが静かに笑って頷き返した。握り拳を掌に叩き付ける様子からして、こんなときでもバトルジャンキーの片鱗が漂っている。

 

 

「みんな、こんなときこそレッツ・ポジティブシンキングよ! 夢を叶える権利は誰だって持っている――そのことを忘れないでね」

 

「当然! 自分の夢は、自分の手で守らなくちゃ!」

 

「その意気だよ杏ちゃ……パンサー! 絶対諦めちゃダメなんだからっ」

 

「うふふ。Anne……Pantherも、今や立派なladyになりましたね」

 

 

 舞耶さんの口癖に同意したパンサーも不敵に微笑む。後輩の成長した姿に感極まったのか、ゆかりさんと桐島さんがパンサーにエールを送っていた。

 両親がデザイナーという縁だけでモデルをやっていた姿からは想像できない程、パンサーの姿は生き生きとしている。彼女なら、自分の夢を守り通すことができるだろう。

 

 

「順平さん。チドリさんと貴方の絵、もうすぐ完成します」

 

「ホントか!? どんな仕上がりになったんだ?」

 

「それに関しては、結婚式のお楽しみと言うことにしてください。俺自身の手で渡すと約束します」

 

「……分かった。楽しみに待ってるから、絶対無事で帰って来いよ!」

 

 

 フォックスの約束から彼の決意を察した順平さんは、にかっと笑って頷き返した。チドリさんとの結婚式は来年の4月、丁度春休み期間中である。巌戸台にある桐条グループ系の結婚式場で執り行われる予定らしい。きっと、チドリさんもそれを心待ちにしていることだろう。そのためにも、絶対に負けられない。

 

 

「桐条さん、南条さん。今なら、お2人が仰っていた言葉の意味がよく分かります。今回の一件で、私はかけがえのない仲間を得ました。……それを、失いたくありません」

 

「……そうだな。それもまた1つの答えだ、奥村のお嬢さん。世界の命運も、朋友と共に過ごす未来も、1個人としては大事なことだからな。決して、譲歩も妥協もしてはいけない」

 

「我々は、我々の務めを果たす。キミたちに希望を託す代わりに、キミたちの背中を守り抜こう。それが、子どもに未来を託した大人の責務だ。――任せてほしい」

 

「はい! 取引成立です!」

 

 

 ノワールは美鶴さんや南条さんと取引をしたらしい。お互いがお互いの責務を果たすという内容は、取引というよりも約束に近い様相だった。

 理不尽に辛酸を舐めさせられた財閥の跡取りたちはは、今では頼れる大人として前線に立って仲間たちを支えている。ノワールもいずれ、そうなるのだろう。

 この3人が手を組んだら、きっとどんなことだってできる――傍目から見ている僕でも、その未来図は容易に想像がついた。

 

 

「よーし、見てろよあのチート野郎! 絶対ボッコボコにしてやるんだっ!!」

 

「その意気だよナビちゃん! チートは絶対に許される行為じゃないから、思う存分叩きのめしてきてね!」

 

「……風花ちゃん、なんだか様子がおかしいような……?」

 

 

 聖杯――正確には、聖杯の持つ無尽蔵の回復能力――への怒りを剥き出しにするナビに対し、風花さんはやけに大張り切りで激励を飛ばしていた。園村さんもそれを察知したようで、何とも言い難そうに首をかしげていた。

 そういえば、風花さんはチートという言葉や行為に対して得体の知れぬ反感を持っていた気がする。何かのテストプレイの一環でチートを使った至さんを、風花さんは真正面から罵倒していたこともあったか。正直あまり思い出したくない。

 

 

「…………」

 

「モナ、どうしたクマー? さっきからずーっと難しい顔してるクマよー?」

 

「……最終決戦だからな。お気楽なオマエと違って、ワガハイの心は高ぶってるんだよ」

 

「ふーん、期待外れクマー。てっきり人間形態になった後、杏チャンへどうプロポーズするかの算段立ててると思ってたのに」

 

「ちょ、オマっ!? アン殿とはまだ付き合ってすらもいないんだ! ワガハイは、い、いきなり結婚だなんて、段階をすっ飛ばすような真似しねーぞ!」

 

 

 モナはクマに振り回されっぱなしだ。メメントス奥地に足を踏み入れてから、彼の様子はどこか鬼気迫るような空気が漂っている。だが、モナのピリピリした気配は、どこまでも能天気なクマによって木端微塵にされていた。

 人外同士、どことなく通じ合う部分があるのだろう。恐らく本人たちは否定するだろうが、傍から見れば漫才のようなテンポ溢れるやり取りだ。会話はいつの間にか女湯談義に飛び火し、欲望に忠実なクマと紳士的なモナの意見は真っ二つに割れる。

 終いには、お約束通り「猫になりたい。女風呂覗きたい」と主張するクマと「人間になりたい。絶対女風呂は覗かない」と主張するモナが取っ組み合いを繰り広げていた。普段は大あくびをして無視するコロマルだが、今回は止めることにしたようだ。

 

 

「ワオーン!」

 

「げぇっ!?」

「クマー!?」

 

 

 犬の遠吠えと共に、ケロベロスが顕現する。地獄の番犬から「いい加減にしろ」と叱られた黒猫と着ぐるみは、しょんぼりと肩を落としていた。心なしか、2匹(人外故に、数える際の単位が分からない)のペルソナも覇気を失ったように感じた。閑話休題。

 

 ジョーカーは仲間たちの様子を静かに見守っていた。細められた灰銀の瞳からは、怪盗団の面々のことを大切に思っていることが伝わってくる。そんな彼女が愛おしい。

 明智吾郎が守りたい世界はここにある。守りたい人たちはここにいる。それを救うために、世界を救う必要があるだけだ。――大事なものは、この手の中に。

 

 

「ちょっと待って、ジョーカー」

 

「何?」

 

「俺たちの力を受け取ってくれ。きっと、『神』との戦いに役立つと思う」

 

 

 命さんと真実さんが、ジョーカーを見つめて微笑んだ。2人の背中にペルソナが顕現する。純白の救世主たるメサイアと、竹取物語で月からやって来た姫君カグヤ――『ワイルド』能力者たる命さんと真実さんが顕現した特別なペルソナだ。

 2体のペルソナはジョーカーを慈しむように見つめた。ペルソナたちは彼女の仮面の中へと吸い込まれる。次の瞬間、青白い光がより一層強く輝き、2体のペルソナはその姿を一変させた。命さんと真実さんから手渡されたペルソナが、ジョーカー専用に適正化されたのだ。

 純白の救世主も、月からやって来た姫君も、怪盗であるジョーカー用に変質していた。体躯の色がやや黒味を帯び、どことなく賊のような印象を受ける。ジョーカーは驚いたように目を丸くしていたが、命さんと真実さんから託された力をきちんと受け取った。

 

 2体のペルソナはジョーカーの心の海の中へと受け入れられた。嘗て、足立透がジョーカーへマガツイザナギを託したときと同じように。

 足立のペルソナがジョーカーに最適化される――マガツイザナギが賊神化しなかったのは、あくまでも“貸出し”扱いだったからなのかもしれない。

 

 ジョーカーが自分たちの力を受け取ったのを見届けた命さんと真実さんは、満面の笑みを浮かべて頷く。ジョーカーも不敵に笑い返した。

 

 

「クロウ」

 

 

 名前を呼ばれて振り返る。僕の保護者の片割れたる航さんと、僕にとっての師匠的存在であるパオフゥさんとうららさん、直斗さんが静かにこちらを見つめていた。彼等を代表して、航さんが微笑む。

 

 

「行ってこい。お前にとっての大事なもの、全部守るために」

 

「――わかった。行ってくる」

 

 

 頼れる大人たちから、世界を救ってきた大人たちから、すべては託されたのだ。怪盗団である僕たちは、迷うことなく神殿へと足を踏み入れる。

 大人たちは東京の街に戻るのだろう。前に進む僕たちの背中を守るために。僕らが何の憂いもなく、『神』を討つことができるように。

 

 眼前に広がったのは、渋谷がメメントスと融合する直前に見た奥地の光景だ。

 

 黄金に輝く聖杯が鎮座している。左右には手を模したオブジェが並んでおり、眩い程の光を放っていた。周囲の牢獄からは聖杯の存続を望む人々の声がひっきりなしに響く。

 天から伸びた管は聖杯と繋がっており、未知なる恐怖と不安に怯える大衆そのものをエネルギーとして取り込んでいた。それが、無尽蔵の自己修復――永久機関の源となっている。

 左右のモニュメントを伝って行けば、あの管に近づくことができる。聖杯の隙を突いて管を断ち切れれば、永久機関は失われ、聖杯の破壊が可能になるのだ。

 

 

「なあ。あの管を壊すために、誰を派遣するんだ?」

 

 

 統制神の様子を伺いながら、ナビがジョーカーへ問いかける。ジョーカーは仲間たちの顔を一瞥した後、真っ直ぐに僕を見つめた。思わぬ指名に、僕は思わず目を瞬かせる。

 

 瞬く灰銀には、僕に対する惜しみない信頼で溢れていた。彼女の後ろに佇む“ジョーカー”も、同じようにして“明智吾郎”を見つめている。その眼差しを真正面から受け止めたためか、僕の身体が震えた。

 心の底から込み上げてきたのは、欲したものを手にしたという歓喜。僕にとって一番大切な人が、他ならぬ僕に大役を任せてくれる。僕を信じて、命すらも託してくれる。――これに応えるのが、僕の役目だ。

 

 

「クロウ、お願いできる?」

 

「分かった。僕に任せてくれ」

 

 

 仲間たちの眼差しを受け止めて、僕は頷き返した。算段は立てたのだから、後は統制神の元へ殴り込みである。

 僕たちは再び、聖杯と対峙した。奴は最初に対峙したときと変らない。目が痛くなるような輝きと、文字通り上から目線の態度を崩さなかった。

 

 

「なぜ我が聖杯でありながら『神』だと思う? 選ばずともよい自由、考えずともよい自由。……だが、みなが誰かに肩代わりをさせた気でおれば、実際は誰もしておらぬのが当然の道理。そこに広がる巨大なひずみを、誰が引き受ける?」

 

「……その答えが、貴方だというの!?」

 

「いかにも! 人間自身が、聖杯に『支配する『神』であれ』と望んだのだ。我はその願いを叶えたまでに過ぎない!」

 

「その割には、管理がずさんなように思うのだけれど?」

 

 

 ノワールは鋭く言い放つ。実際、統制神は人間の怠惰を利用し、聖杯に憑りついたようなものだからだ。そうやって認知を弄り回し、人間たちに自分を求めるよう策を弄している。

 奴がしたことは『支配する『神』が欲しい』という人間の弱さに便乗して、自分自身への信仰を手に入れようとしただけだ。すべてはフィレモンを否定し、屈服させるため。

 自身を否定した『神』への復讐――そのための道具として使われるだなんてお断りだ。反逆の意志を燃やす僕らに対し、聖杯は一瞬苛立たし気な殺気を発したが、演説を再開した。

 

 

「それを拒み続けるならば、もはやこの世に貴様らの居場所などないものと心得よ! 今までとは違い、誰からの賞賛を得られることもないのだ。無意味だろう?」

 

 

 統制神は僕たちを小馬鹿にするように煌めく。

 

 奴の言葉通り、支持率に一喜一憂していた頃がなかったかと問われれば嘘ではない。怪盗団の支持率が上がっていくことに危機感を抱きつつも、嬉しさを感じなかったわけではない。他者からの肯定に心が湧きたたなかったかと問われれば、否と答える。

 でも、『神』の気配を察知したときから、『神』の作為に気づいたときから、それこそが罠だと見抜いていた。仲間たちにも散々警告をしてきたから、支持率の低下や奥村社長の罠等で揉めることもなかった。むしろ団結し、乗り越えようと思えたのだ。

 

 

「周りの方がどう思うかに縛られることは、随分前にやめました。何故なら、私は私の為すべきことを見つけたからです。誰に何を言われようが、私はそれを貫きます」

 

「ちやほやされたいとか、褒められたいとか、認められたいとか、そりゃあもう魅力的だったさ! だが、そんなモンだけがすべてじゃねぇって気づいたんだ。だからもう、そんなモンに騙されねぇ!!」

 

「そう言うこと! 私はもういい子ちゃんをやめたの。大人の言いなりになることも、誰かの人形になるのも御免だわ。勿論、あんたみたいな奴のエネルギータンクになるのもね!」

 

「……従わぬと言うなら、今一度受けるがよい。――我が秩序を乱す賊どもに、裁きの鉄槌を!」

 

 

 ノワール、スカル、クイーンが聖杯へと反論する。奥村春も、坂本竜司も、新島真も、――“明智吾郎”だって、嘗ては統制神の語った気質を持っていた人間たちである。

 だが、彼女や彼等含んだ僕らはもう惑わされない。上っ面だけの名誉も賞賛も必要ないのだ。本当に大事なものが何か、僕たちはちゃんと分かっている。

 

 聖杯が僕たちに殺気を向けたのを皮切りに、ジョーカーたちが聖杯へ攻撃を加えていく。聖杯と彼女たちが派手に火花を散らす中、僕は自分の役目を果たすために駆け出した。

 

 




長らくスランプに陥っていましたが、どうにか復活して書き上げることができました。今回はデミウルゴスとの決着と、聖杯戦直前までのやり取りです。思いのほかあっさり目に仕上がったことに驚きつつ、ペルソナ使い同士の絡みを書くことができて満足しています。
それから、魔改造明智コミュランク9の恩恵が発動し、黎の使用ペルソナにメサイア・賊神とイナザギ・賊神が使用可能になりました。「命と真実からペルソナを託され、それを黎なりに最適化させた結果である」という設定。魔改造明智のカウと似たような原理ですね。
風花のネタに関しては、どこかで「P3関連のゲームを改造すると、ナビ役である風花や美鶴から罵倒される」という話題を拾ったものです。書き手は一切やったことがなく見たこともないのですが、それ故に拙作ではあんなノリになりました。尚、情報には、うろ覚えではありますが、「される」ではなく「してもらえる」と記載されてたように思います。
うまくいけば次回でVS統制神の決着がつくと思われますが、果たしてどうなることやら。現時点では未定なので、まだ上手く言えないです。最終決戦編は「2/13日に至るまで」。現在4話目なので、早くてあと2~3話程度とアタリをつけています。予定は未定なので何とも言えませんが。
あと、デミウルゴス撃破をトリガーにして魔改造明智コープがMAXにランクアップします。但し、詳しい効果は次話の進行次第で開示しますので、今暫くお待ちください。

折角なので、オマケとして追加されたペルソナのスキルとデミウルゴス関連の情報を公開します。参考までに。

<メサイア・賊神(ピカロ)>
メギドラオン、アグネヤストラ、オラトリオ、不屈の闘志、勝利の息吹、万能ブースタ、瞬間回復、チャージ

<カグヤ・賊神(ピカロ)>
輝矢、マハンマオン、コンセントレイト、メディアラハン、アムリタシャワー、神々の加護、物理反射、大気功

<デミウルゴスの詳細>
特筆事項:1ターンにつき2回行動。
耐性:火炎・疾風・電撃・氷結・核熱・念動 無効:呪怨・祝福・各種状態異常
コンセントレイト、光の裁き(祝福全体攻撃/元ネタ:2罰)、闇の審判(呪怨全体攻撃/元ネタ:2罰)、メギドラオン、淀んだ空気、奈落の波動


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大罪と美徳

【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 @空本(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄で明智の保護者その1。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
 @デミウルゴス⇒獅童の息子であり明智の異母兄弟とされた獅童(しどう)智明(ともあき)を演じていた『神』の化身。姿は真メガテン4FINALの邪神:デミウルゴス参照。詳しくは中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『運命を切り開くだけの簡単なお仕事』および『ペルソナ3異聞録-.future-』、Pixivの『2周目明智吾郎の災難』および『【一発ネタ】有栖川黎の幼馴染』の設定を下地にし、別方向へ発展させた作品である。
・ジョーカーのみ先天性TS。
 ジョーカー(TS):有栖川(ありすがわ) (れい)⇒御影町にある旧家の跡取り娘。旧家制度は形骸化しているが、地元の名士として有名。身長163cm。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空本(そらもと) (わたる)⇒明智の保護者2で、南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。
・敵陣営に登場人物追加。
 @神取鷹久⇒女神異聞録ペルソナ、ペルソナ2罰に登場した敵ペルソナ使い。御影町で発生した“セベク・スキャンダル”で航たちに敗北して死亡後、珠閒瑠市で生き返り、須藤竜蔵の部下として舞耶たちと敵対するが敗北。崩壊する海底洞窟に残り、死亡した。ニャラルトホテプの『駒』として魅入られているため眼球がない。獅童パレスの崩壊に飲まれ、完全に消滅した模様。
・「2罰ボスの外見を見た人間の反応」に関するねつ造設定がある。
・普遍的無意識とP5ラスボスの間にねつ造設定がある。
・『改心』と『廃人化』に関するねつ造設定がある。
・春の婚約者に関するねつ造設定と魔改造がある。因みに、拙作の彼はいい人で、春と両想い。
・魔改造明智にオリジナルペルソナが解禁。
・フィレモンのポンコツ具合とゲス具合に拍車がかかる。


「カグヤ・賊神(ピカロ)!」

 

 

 ジョーカーが真実さんから託されたペルソナ――カグヤ・賊神(ピカロ)を顕現し、怒涛の連続攻撃を仕掛ける。光の矢が聖杯へと降り注ぎ、黄金に傷をつけていった。あらかじめコンセントレイトで威力を上げていたため、属性攻撃の威力は跳ね上がっていた。

 勿論、他の面々も自分の最強攻撃を次々と叩き込んでいく。僕はそれを横目に見つつ、聖杯――正確にいうには、聖杯に集束している管への距離を詰めていた。大きな手を模したモニュメントへ飛び移っていく。聖杯は僕の接近に気づかず、怪盗団を殲滅するための攻撃を繰り出していた。

 

 聖杯の傷は徐々に多く刻まれていく。力関係は怪盗団有利に傾いている様子だった。

 

 だが安心できない。統制神のことだ。怪盗団が勝利を確信した頃を見計らって、無尽蔵に回復してくるだろう。聖杯の存続――否、救いを求めて縋る人々の声をエネルギーにして、それを管から取り込むことで、あの理不尽な回復を行使してくる。

 幾何かして、ようやく僕は丁度いい足場に辿り着いた。至近距離から見る管は不気味に輝いており、脈打っている。平時だったら絶対に近づきたくない光景だ。口元を抑えたくなるような衝動に駆られるのを押し止めながら、僕は突剣を構えた。

 

 

「聖杯を崇める大衆は無尽蔵にいる。その願いと力が、我を永遠にする」

 

「――大層なことを言ってるけど、供給源を絶てば、大したことないんだよなっ!」

 

―― お前の永遠なんざ、獅童の天下より短いっての! ――

 

 

 聖杯が力を行使しようとしたタイミングで、僕()()は突剣で管の群れを薙ぎ払う。その一線は、歪められた人々の願いごと断ち切った。

 傷を癒すためのエネルギー源を絶たれた聖杯は、驚いたように声を上げた。背後でナビが「これでどうよ!」と得意げに笑う。

 僕も同じように笑いながら、モニュメントの上から飛び降りてジョーカーの元へと合流した。仲間たちは不敵な笑みを浮かべ、聖杯へ向き直る。

 

 人間や僕たちのことを「ども」という括りで呼ぶような存在に、黙って支配されるつもりなんて毛頭ない。

 

 

「あとは真っ向勝負だ! 派手に行けぇ!!」

 

 

 ナビの激励を皮切りに、怪盗団の一員は次々とペルソナを顕現して聖杯に攻撃を叩きこんだ。回復手段を失った聖杯は存外脆い。全力の攻撃を叩きこんだ結果、轟音と共に聖杯の鎖が断ち切られた。回転していた装飾は動きを止め、沈黙する。

 呆気ない終わりに拍子抜けする者たちがいる中で、僕とジョーカーは黙ったまま相手の動きに目を光らせていた。経験上、歴代ペルソナ使いたちを苦しめてきた『神』たる存在が、こんなにも呆気なく終わるはずがないのだ。

 

 

「ナビ、どうなったの?」

 

「目標沈黙……した、けど……」

 

 

 クイーンの問いに対し、ナビはおずおずと答える。他の仲間たちも、何とも言えぬ様子で聖杯を見上げていたときだった。

 

 僕とジョーカーの予感は的中し、周囲の壁や床に光が走り始める。聖杯にエネルギーを与えていた赤黒いものではない。僕たちをメメントスから追い出したときの白い光である。身構える僕たちなど歯牙にもかけず、白い光はすぐさま赤く変貌した。

 聖杯の装飾が動き始める。機械仕掛けとなっているソレは勢いよく回転し始めた。呼応するようにして、地響きがどんどん酷くなっていく。――まるで、このフロアごと聖杯が変形しているかのようだ。

 

 

「もしかしなくてもヤベエだろコレ!?」

 

―― もしかしなくてもヤベエだろコレ!? ――

 

 

 スカルと“明智吾郎”が同じ言葉をシンクロさせる。こいつらは意外と仲が良いのかもしれない――なんて、平時の僕なら考えていただろう。

 バキバキと嫌な音が響き渡る。背後の壁がゆっくりと開いたのと、赤い光を纏った金色の聖杯が変形し始めたのはほぼ同時。

 聖杯を覆っていた歯車仕掛けの装飾が吹き飛び、外壁が羽のように広がる。黄昏の空が視界を覆いつくし、その眩しさに目を奪われた。

 

 大地は天高くまで伸びる。眼下には、東京のビル群が見受けられた。高層ビルなんかよりもずっと高い。高所恐怖症の人間だったら、発狂して気絶しているだろう。

 聖杯の下から這い出してきた胴体が浮上し始める。羽は丁度、王冠として頭部に装着されるらしい。言い方は身も蓋もないが、合体ロボの変形を見ているような気分だった。

 

 ――そうして、『神』の全貌は明かされる。

 

 機械仕掛けの無機質な翼、数多の手、白銀の体躯。その大きさは高層ビルに匹敵する程のものだ。ここまで巨大な『神』は見たことがない。精々、僕らより身長が2.5~4倍近い体躯だったり、空を飛んでいたり、真正面から認識できない存在であることくらいだった。

 僕たちの世代は、どうやら大規模な存在と対峙する羽目になる定めらしい。怪盗服とか反逆の意志とか、毛色の違いに経験則がうまく働かなくなったこともあったが、僕の経験則も大したことはなかったのだと思い知らされた心地になる。ビビっている訳ではないが、僕は井の中の蛙だったようだ。

 想像を絶する巨大な姿――『神』の真の姿を目の当たりにした仲間たちは驚きに目を丸くしている。『神』との戦いを見てきた僕でさえそうだったのだから、所見である怪盗団の面々は余計に想像できなかっただろう。……もちろん、この光景を目の当たりにしただけで尻込みするはずもないのだが。

 

 

「我は人間の無意識より生まれい出し管理者、統制の神ヤルダバオト」

 

「ヤルダバオト……!」

 

 

 ヤルダバオトの名を聞いたジョーカーの面持ちが剣呑なものになった。彼女の背後に浮かぶ“ジョーカー”の表情も、奴への反逆の意志に満たされている。灰銀の双瞼に浮かぶのは明確な怒りだ。

 

 あれが今回の黒幕。獅童正義を始めとした汚い大人たちのパレスを創り上げ、僕や有栖川黎を『駒』にした『ゲーム』を作り上げた張本人。それは“ジョーカー”と“明智吾郎”にも該当していることだ。当時のことを思い出したのか、“ジョーカー”の瞳がより一層鋭くなった。

 特に“明智吾郎”の場合、奴と対峙する頃には既に命を落としているため、直接相対峙するのは初めてのことだった。僕の経験則を共有しているから「『神』はロクなものではない」と知っているものの、その全貌には驚いたらしい。たじろぐように身じろぎした。

 しかし、ヤルダバオトの巨躯を見上げていたのはほんの僅かの間だけだ。“彼”は眦を釣り上げ、迷うことなく、自分を使い潰して遊んでいた張本人と対峙した。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と語った“彼”の口元には、不敵な笑みが浮かんでいる。

 

 実際、ヤルダバオトには大きな借りがあった。ご丁寧に、奴は破滅までの道のりを舗装し、先導してくれたのである。おかげで人生が滅茶苦茶になったし、苦しい思いをした。終いには、大事な人をたくさん泣かせて悲しませた。

 その怒りをぶつけることが罪であるなら、僕はもう罪人でいい。これこそ、理不尽に罪人認定された側が報われるべきだろう。ふんぞり返る統制神に対して、得物を構えて下剋上をしたって許される案件ではなかろうか。閑話休題。

 

 

「聖杯の時点で割とデカかったけど、この大きさは完全にありえねーだろ! ビルか!? それともロボか!?」

 

「『人間をエネルギータンクにしよう』なんて発想するヤツだから規格外だとは思ってたけど、流石にこれは規格外すぎでしょ……!?」

 

 

 ナビとパンサーは身構えながらも、ヤルダバオトの巨躯を見上げている。様々なパレスやメメントスで数多の異形を相手取って来たが、ここまで規模が大きいのは初めてだ。

 鴨志田の城も、班目の美術館も、金城の銀行も、双葉のピラミッドも、奥村社長の宇宙基地も、獅童の箱舟も、大衆の牢獄も、統制神の前では児戯で作られた玩具にすぎない。

 

 

「管理者の役目は、人間を正しい発展へと導くこと。そして、人間の愚かさと退行が示された今、それを粛清するのは神の役目」

 

「テメェ勝手な出来レースだったじゃねえか! むしろそれがやりたくて、ウチのバカップルどもを巻き込んだんだろ!? 日本語は正しく使えよな!」

 

「愚かな大衆は、強い人間を受け入れぬ」

 

「話聞けよ! 『神』のくせに、その心の狭さはどうにかならねーのか!?」

 

 

 ヤルダバオトは訥々と言葉を紡ぐ。憤慨したスカルが容赦なく話の腰を叩き折っても尚、統制神は演説を止めなかった。

 スカルの言葉通り、ヤルダバオトには“人間側の主張を聞く”という側面が皆無であった。奴自身の驕りがそうさせているのだろう。

 驕りの根っこにあるのは、創造主であるフィレモンへの憎しみと承認欲求だ。嘗て“明智吾郎”/僕が、父である獅童へ向けた屈折した想い。

 

 ――それが、“創造主が希望を託す存在たる人間たち”への嫌がらせや八つ当たりとして、この『ゲーム』に反映されている。どこまでも悪趣味極まりなかった。

 

 

「怠惰な思考を撒き散らし、世界を退化させてゆく。人間に任せておいては、緩やかに破滅するのみ。――最早、更生などとは生ぬるい」

 

「彼らは悪人なわけじゃない! 人間の心を利用し、使い潰そうと画策するアンタの方がずっと悪らしいわよ!」

 

「何を言うか。例え人間の多くが善良な市民であっても、奴らは目の前の一本道を進む以外に能がない。なぜならば、悩むこと、選択することには苦痛が伴うからだ。苦痛から逃れたいと思うのはみな同じだろう? 嘗てのお前もその1人だったではないか」

 

「おあいにく様。あの頃の自分とはもう決別したの。思いっきり悩んで、思いっきり苦しんでもいいから、自分で選択する自由を求めるわ」

 

 

 鬼の首取ったりと言わんばかりに、ヤルダバオトはクイーンの痛いところを突く。嘗てのクイーンもまた、選択することを放棄していた人形――大人の言いなりになることを選んだ囚人に過ぎなかったためだ。

 だが、過去の自分と決別したクイーンにとって、ヤルダバオトの揚げ足取りなど通じない。彼女は怖気ずくことなく、屹然とした態度で言い放った。ヤルダバオトは嘲笑し、演説を続ける。

 

 

「道の果てが破滅の崖だとしても、考えずに進むだけ……。そんなものは理性無き獣の群れと同じだ。失望するのは当然だろう」

 

「大層なことを並べているが、本音が見えてるぞ。『そうなってくれた方が、支配者としてやりやすい』って。ハリボテ以下の大義名分を掲げてやろうとしたことは、子どもの癇癪以下じゃないか」

 

「『神』のくせに思い込み激しいな! ……いや、大体の『神』は独善や自身の快楽が行動原理だからしょうがないのか? わけわかんねーや……」

 

「人間の為に自分が『神』として君臨すると語るならば、人間の為に消滅することこそ本望では? 貴方は人間に対して災いしか齎さない。他ならぬ人間がそれを否定しているのだから、人間に倒されることこそが貴方の役目でしょうに」

 

 

 僕は思わずため息をついた。ナビも同じ気持ちらしく、呆れ果ててしまっている。最年少である16歳にまで軽く見られる『神』の器なぞ、たかが知れていた。

 奴の望みを知っており、それが奴自身の発言と矛盾していることを見抜いたノワールが不機嫌そうに統制神を睨みつけた。彼女の紡ぐ言葉は皮肉に満ちている。

 統制神はノワールの言葉に不快そうな様子を示したが、「世界を統制し、未来の采配を振るうのが自分の役目――存在意義である」とはっきり言い放った。

 

 人のためなどと大義名分をほざきつつ、その実、自分がこの世界の頂点に君臨することで想像主たるフィレモンを見返そうと画策している。ヤルダバオトが行う統治は、自身の欲望の為でしかない。

 

 こういう奴には、最早何を言ったって意味はないだろう。

 向うもまた、同じことを思い至ったはずだ。

 

 

「歯向かう者には、天よりの刑罰を降す」

 

 

 ヤルダバオトは厳かに言い放つと、自身の力を解放した。

 

 この場一帯に衝撃波が走る。桁違いのエネルギーが、奴の殺気と共に肌へと突き刺さってくるような感覚。それでも尚、僕たちは怯まずに統制神を睨みつけた。

 相手が桁違いの存在であることは百も承知。自分の大事なものを守るために立ち上がった僕たちが成すべきことは、たった1つだ。

 

 

「……ふ。俺としたことが、愚問だったな。――『勝てるのか』ではなく、『勝つ』んだ。何が何でも」

 

「最高の展開じゃねえか……! 本気を出してきた『神』が相手なんだぜ? これ以上の大物がいるかよ」

 

 

 弱気になりかかっていたフォックスだが、自力で持ち直したらしい。刀の柄に手をかける。順平さんとの約束が、今の彼を突き動かしているのだ。

 怪盗団およびトリックスターの導き手たるモナもまた、統制神との直接対決に闘志を燃やしていた。己の存在意義、その決算が近いためであろう。

 不敵に笑っているのはフォックスとモナだけではない。スカルも、パンサーも、クイーンも、ナビも、ノワールも、僕やジョーカー()()も、同じように微笑んでいた。

 

 今まで歩いてきた道のりを思い出す。最初は僕と黎がいて、そこにモルガナと竜司が加わった。更に杏がやって来て、祐介、真、双葉、春がやって来た。最初はたった2人だけだった僕たちは、気づけば怪盗団なんてものを結成し、いつの間にか8人と1匹の大所帯だ。

 

 怪盗団だって、最初は4人と1匹で手探りに進んでいた。どいつもこいつも個性が強くて、世間から爪はじきにされて、大人に食い物にされかかっていた。理不尽への反逆を声高に叫んだがために潰された者、間違いに気づきながらも目を逸らしてきた者、生きる気力すら無くしかけていた者――彼や彼女らの居場所が、ここだった。

 特別な力を行使して世直しをする中で、人々から称賛されたことがある。自分たちの存在を認めてもらえたことに喜びを感じ、自分たちの力が世界を変えていくことへの充実感を噛みしめた。その爽快感すら罠だと気づき、悪意に対抗するために策を練ったことだってあった。そうやって、数多の危機を乗り越えた僕たちは、深い絆で結ばれている。

 

 

「まったく……幾ら何でも大物すぎるのよ。理不尽ここに極まれり、って? ――上等じゃない」

 

 

 クイーンが拳と掌を打ち付けた。

 

 

「気合でナビだ! 私のコードネームに誓って、勝利へ導いてやる!」

 

 

 ナビが意気揚々と分析を始める。

 

 

「みんなと一緒なら、できる! 今までだってそうだった。そうして、これからだって!」

 

 

 ノワールが仲間たちを見回す。

 

 

「当然! アタシたち怪盗団は、最強のチームだもの!」

 

 

 パンサーも頷いた。

 

 

「『神』を斃して有終の美か……これ以上ない芸術だな。俺たちにとって、最高の『オタカラ』になりそうだ」

 

 

 フォックスが顎に手を当てる。

 

 

「要はブッ倒しゃいいんだよな!? 先輩たちがやって来たのと同じようにっ! ――そういう荒事は、俺たちの得意分野だぜ!」

 

 

 スカルは拳を振り上げた。

 

 

「……まったく、最高にバカな連中だぜ。オマエたちと組めたことが、ワガハイにとってはこれ以上ない『オタカラ』だったな。……幸せだったよ。本当に」

 

 

 モナは噛みしめるように呟いた。

 

 全員、笑っている。自分たちが負けるなんて微塵も思っていないような、大胆不敵な笑みを浮かべていた。

 そうやって、僕たち怪盗団は、数多の困難を乗り越えてきたのだ。今更また困難が1つ増えたところで、どうってことない。

 

 

「さて、『神』さま。『ゲーム』には終わりが付き物だって知ってるだろ?」

 

「何……?」

 

「俺たちがお前を斃して、大団円のハッピーエンドだ。――これ以上、俺たちの人生を滅茶苦茶にされて堪るかよ」

 

―― 確か、『顕現してさえいれば、神様は殴れる』だったな? 丁度いいじゃないか ――

 

 

 俺は突剣の柄に手をかける。俺の言葉に同意するように、ロキ/“明智吾郎”が顕現した。仮面の下から覗く瞳も、鋭さを増している。

 ジョーカーも仲間たちを見回し、前へ――統制神へ向き直る。灰銀の双瞼に、一切の迷いはない。

 

 

「さあ、行こう! 私たちの未来を、そしてこの世界を()り戻すために!!」

 

「我が統制を否定する反逆者どもよ。――破滅せよ」

 

 

 その音頭を皮切りに、僕たちはヤルダバオトへ攻撃を仕掛けるために駆け出した。ヤルダバオトの方も、僕たちを倒すべき存在とみなして攻撃動作へと移る。

 ヤルダバオトの手には様々な武器が握られていた。剣、本、鐘、銃――どれも荘厳な輝きを宿しており、神の所有する武器に相応しい規格外ばかりだった。

 ナビがプロメテウスを顕現し、早速分析する。そうして、「うわっ、なにこのデタラメ具合!? 面倒臭い!」と声を上げた。情報はクイーンへと手渡される。

 

 

「ヤルダバオト自身に有利不利属性はないけど、各腕にはそれぞれ反射する属性があるから注意して! 銃を持つ腕が銃撃と風、鐘を持つ腕は火と念動、剣を持つ腕が物理攻撃と雷、本を持つ腕が氷と核熱を反射するわ。祝福、呪怨、万能属性なら影響を受けずにダメージを与えられるはずよ!」

 

「まずは邪魔な腕を処分しよう! みんな、お願い!」

 

 

 ジョーカーの指示を受け、仲間たちは走り出す。超覚醒しているペルソナを所持している面々は、自分の弱点属性を高確率で回避するスキルを有していた。完全に無効化できるわけではないが、回避率を底上げしておくことで安定性をさらに増しておく。

 敵の能力を弱体化し、味方の能力を底上げする――いつもと変わらない戦術だ。ヤルダバオトは僕たちを見下し、『神』の力を行使する。神意を高調させた統制神は、禍々しい光を打ち放ってきた。慌てて防御したが、能力を下げていなければ叩きのめされていたかもしれない。

 

 

「見たか。これが、貴様らが逆らおうとする『神』の力だ」

 

「それがどうしたってんだ!? こっちだってまだ終わった訳じゃねーぞ!」

 

 

 モナはそう叫ぶなり、メリクリウスを顕現して俺たちの傷を癒す。コンセントレイトやチャージで威力を高めていた面々が、ペルソナを顕現して攻撃を仕掛けた。

 

 スカルのセイテンタイセイがゴッドハンドを、ノワールのアスタルテがワンショットキルを、パンサーのヘカーテが大炎上を放つ。ジョーカーもまた、メサイア・賊神(ピカロ)を顕現してメギドラオンを打ち放った。俺も同じようにロビンフッドを顕現し、メギドラオンを放つ。勿論、コンセントレイトで威力を上げておいた。

 俺たちの攻撃を喰らったヤルダバオトの腕たちがバラバラと砕け散る。だが、自分の腕が粉々に砕けたことなど歯牙にもかけず、統制神は光の矢を放つ。フォックスとクイーンは防御を固めてそれを受け止めた。勿論、双方共にやられっぱなしで終わるつもりはない。フォックスがカムスサノオを、クイーンがアナトを顕現して反撃した。

 冷気と核熱がヤルダバオトを襲う。統制神は小さく――けれど確かに――苦悶の声を漏らした。『顕現してさえいれば、神様は殴れる』の格言は、やはり事実だ。このまま勢いよく攻め込めればいいが、やはり腐っても『神』。そう一筋縄ではいかないらしい。ヤルダバオトは腕を復活させると、粛々と宣言した。

 

 

「我は解き放つ。『色欲』の大罪を」

 

「っ!?」

 

「人間よ、お前に逃れる術はない。人類が湛えた『狂気』が、破滅を呼ぶのだ」

 

 

 金色に輝く銃口が俺に向けられる。纏わりつくような闇が容赦なくこちらへと降り注いだ。

 反射的に防御態勢を取ったおかげか、それとも元から威力が低かったのか、踏み止まることは容易だった。

 

 だが、戦おうとした俺の脳裏に、場違いな光景が浮かび始めた。

 

 私服姿の黎が俺を見て、嬉しそうに笑っている――そんな妄想を皮切りに、頭の中が有栖川黎/ジョーカー一色で染め上げられる。

 ころころと表情を変え、格好を変え、状況を変え、数多の妄想が俺の頭の中で反響した。

 

 

(どうしてこんなときに、こんな妄想が!?)

 

 

 俺は半ば混乱しながらも、どうにかしてヤルダバオトに攻撃しようと意識を集中させる。だが、その抵抗すら意味をなさず、俺は動くことができなかった。誰かの叫び声がひっきりなしに響くが、その声は妙に遠く感じる。

 何とかしないと――俺が半ばパニックになりかかっていたときだった。青い光と共に、癒しの光が降り注ぐ。制御不能だった俺の妄想がようやく収まった。振り返れば、ジョーカーがカグヤ・賊神(ピカロ)を顕現して状態異常を回復させてくれたようだ。

 

 

「ごめん、助かった」

 

「気にしないで。次、来るよ!」

 

 

 銃を持つ腕は銃撃と風属性を反射してくる。それだけではなく、俺たちに銃刑を喰らわせてきた。ヤルダバオトより脅威は低いと言えど、邪魔であることには変わりない。

 

 

「よくもやってくれたな……! ――来い、カウ!」

 

 

 俺は仕返しとばかりにカウを顕現し、コンセントレイトで威力を底上げしつつ大炎上を放った。腕ごとヤルダバオトを焼き焦がす。

 追撃と言わんばかりに、フォックスのカムスサノオがマハブフダインを打ち放った。急激な温度変化に、ヤルダバオトは苦悶の声を上げる。

 他の面々も次々にヤルダバオトへ攻撃を叩きこんだ。統制神や銃を持つ腕も未だ健在であり、威風堂々とした佇まいを崩さない。

 

 ヤルダバオトの腕が姿を現し、武器を取る。

 その腕が得物としていたのは、金色に輝く鐘。

 

 

「我は解き放つ。『虚飾』の大罪を。人類が湛えた『偽計』が、破滅を呼ぶのだ」

 

 

 ヤルダバオトが標的に選んだのはパンサーだ。鐘の音と共に、纏わりつくような闇が彼女に向かって降り注ぐ。パンサーは防御してそれを耐えた。だが、ナビが慌てた様子で声を上げる。

 

 

「まずいぞパンサー! パンサーのペルソナ、全属性が弱点になってるっ! 防御を固めるんだ!!」

 

「嘘!? ――って、きゃああ!?」

 

 

 銃口がパンサーを捕えた。寸でのところで防御は間に合ったものの、無理矢理変質させられた弱点属性のせいで普段より多くのダメージを受けてしまった。こうなると、防御一辺倒にしても厳しいものがある。クイーンが回復役に回ることで踏み止まったが、攻撃に集中できないのは痛い。

 パンサーを庇いつつ、俺たちはヤルダバオトに攻撃を仕掛けた。腕の破壊を優先しつつ、ヤルダバオトにもダメージを与えていった。俺はロビンフッドを顕現し、ランダマイザで奴を弱体化する。敵の防御力を下げたタイミングを見計らい、チャージで力を貯めていたジョーカーがペルソナを顕現した。

 怒涛の全体対象8回攻撃が叩きこまれる。それはヤルダバオトの本体に大きな傷を与えただけでなく、拳銃と鐘を持ったヤルダバオトの腕を纏めて破壊した。厄介なものが片付き、後は本体に集中すれば――……とはいかないらしい。奴は慌てることも焦ることもなく、次の行動に映った。

 

 ヤルダバオトの腕が新たに出現し、武器を取る。

 その腕が得物としていたのは、金色に輝く剣。

 

 次の瞬間、剣の輝きがより一層激しくなった。ヤルダバオトは静かにそれを振り下ろす。

 

 

「我は解き放つ。『暴食』の大罪を。人類が湛えた『我欲』が、破滅を呼ぶのだ」

 

 

 視界を塗り潰すような光が炸裂した。あまりの眩しさに目を覆って衝撃に備えたが、特に何の痛みもない。だが、突如俺たちの身体が重くなった。

 ナビ曰く、ペルソナを使う際に必要な精神力が倍になるらしい。今回はペルソナではなく、自分の得物を振るった方が良さそうである。

 

 

「成程な。本体はこんな戦い方をしてくるのか……。もしかしたら、他にも面倒な攻撃を持ってるかもしれねぇ」

 

「みんな、気を付けて戦おう! 今回は銃や武器を使って、精神力を温存して!」

 

 

 ヤルダバオトの行動パターンを目の当たりにしたモナが小さく唸った。彼の指摘を引き継ぎ、ジョーカーが仲間たちに指示を出す。

 ペルソナに頼れないせいか、統制神や奴の腕に決定打を与えることはできなかった。その隙を突くようにして、ヤルダバオトは更に動いた。

 

 ヤルダバオトの腕が新たに出現し、武器を取る。

 その腕が得物としていたのは、金色に輝く書物。

 

 

「我は解き放つ。『憤怒』の大罪を。人類が湛えた『激情』が、破滅を呼ぶのだ」

 

 

 書物の先にはクイーンがいた。次の標的はどうやらクイーンらしく、纏わりつくような闇が彼女に向かって降り注ぐ。クイーンは難なく防御した。

 

 

「――よくも、よくもやってくれたわねッ!? 絶対ぶちのめしてやるッ!!」

 

「く、クイーンが憤怒状態になって暴れはじめた!? た、頼むから言うことを聞いてくれぇぇ!」

 

 

 ――…………防御した、のだが。

 

 ヤルダバオトによってあの書物から繰り出された攻撃は、対象者の怒りを増幅させる効果があるらしい。クイーンは容赦なくアナトを顕現し、核熱属性の全体攻撃を打ち放った。

 怒りの力によって威力が上昇していたため大きなダメージを与えることはできたものの、書物は核熱属性を反射してきた。アナトは核熱属性を無効化するため、デメリットはない。

 クイーンの暴れっぷりに戦々恐々としつつも、モナとパンサーがペルソナを顕現して傷や状態異常癒してくれた。クイーンも正気に戻り、改めて戦線に合流する。

 

 そのとき、剣が俺たちに斬撃を浴びせてきた。全体攻撃とは厄介である。

 やはり、ヤルダバオトの腕は邪魔だ。統制神の本体ごと、全部まとめて吹き飛ばす方が手っ取り早い。

 

 

「射殺せ、ロビンフッド!」

 

「メサイア・賊神(ピカロ)!」

 

 

 セオリー通り、コンセントレイトからのメギドラオン。万能属性の最強技は伊達ではなく、元から仲間たちの攻撃で弱っていたヤルダバオトの腕は呆気なく消し飛んだ。

 仲間たちも威力を増幅させた自分の最強技を叩きこんだり、自身の特異な技を連続で繰り出す。ヤルダバオトは未だ健在で、攻撃を耐え切ると、即座に反撃に移る。

 

 再び出現したのは黄金の銃を持った腕。その銃口は、今度はフォックスへと向けられる。

 

 

「我は解き放つ。『強欲』の大罪を。人類が湛えた『執着』が、破滅を呼ぶのだ」

 

 

 纏わりつくような闇が彼に向かって降り注ぐ。フォックスは難なく防御したが、苦しそうに呻きながら膝をついた。

 

 

「は、腹が減った……!」

 

「まさかのおイナリ通常運転!?」

 

「……ち、力が出ない……」

 

 

 どうやら、先程の攻撃は空腹を誘発する攻撃らしい。攻撃力が著しく低下してしまった今のフォックスでは、雀の涙程度の攻撃しかできなかった。

 仕方がないので、ジョーカーは道具袋から食べ物を取り出してフォックスに放り投げる。彼は「恩に着る!」と言いながら、ビックバンバーガーを頬張っていた。

 今のフォックスの食べっぷりなら、ビックバンチャレンジを余裕でクリアできそうだ。あの調子では、ヤルダバオトに攻撃する人員に選ぶことはできないだろう。

 

 ヤルダバオトの腕が動いた。銃は容赦なく俺たちを狙い撃ちし、本は雷を落としてくる。本体は光の矢を打ち放ってきた。怒涛の連続攻撃に、こちらも大分疲弊してきたように思う。勿論、ここで諦めるつもりなど毛頭ないのだが。

 ジョーカーは道具袋から薬を取り出した。その薬は秘薬と呼ばれるものらしく、全員の傷だけでなく精神力も癒してくれた。これでまた、全力で戦える。フォックス以外の面々は次々とペルソナを顕現し、ヤルダバオト目がけて攻撃を叩きこんだ。

 

 

「ロキ!」

 

―― いい加減、消えやがれっ! ――

 

 

 ロキ――“明智吾郎”は容赦なくレーヴァテインを叩きこんだ。ヤルダバオトは未だ健在。しかし、フォックス以外の一斉攻撃によって、本と銃を構えた腕は弾けるようにして消滅した。そのタイミングで空腹が収まったのだろう。フォックスは再び戦線へ復帰した。

 

 ヤルダバオト本体だけとなっても、安心はできない。本人の戦闘力も去ることながら、まだ奥の手を隠し持っている可能性がある。

 降り注ぐ光の矢を耐え忍びつつ、回復術で食い下がりながら攻撃を仕掛けた。一進一退の攻防が続く。

 

 

「まだ倒れないか……!」

 

「援護は任せて! 思いっきり暴れろーっ!」

 

 

 ジョーカーは忌々しそうに舌打ちする。ナビがサポートを駆使し、僕たちの身体能力を上げてくれた。

 そのタイミングで、ヤルダバオトが再び腕を顕現した。鐘は、スカルへと向けられる。

 

 

「我は解き放つ。『嫉妬』の大罪を。人類が湛えた『恩嗟』が、破滅を呼ぶのだ」

 

 

 纏わりつくような闇が彼に向かって降り注ぐ。スカルは難なく防御した。――した、が。

 

 

「吾郎、テメェずりーぞぉぉぉ!!」

 

「おわあああああああ!?」

 

 

 次の瞬間、スカルは突如俺へと襲い掛かって来た。俺は慌ててスカルの攻撃を受け止める。

 一体何が起きたのだろう? ……よく見れば、奴の目は正気ではない。嫉妬に狂って暴走していた。

 

 

「俺だって恋人欲しいわぁぁぁぁぁ! 所かまわず黎とイチャイチャしやがって! リア充爆発しろ!!」

 

「うわ、コイツクッソ面倒臭い!」

 

「気持ちは分かるけどどうしようもないのよ! 解脱なさい!」

 

「のわっ!?」

 

 

 俺の突剣とスカルの鈍器による異種剣載は、脇から乱入してきたクイーンのハリセンリカバーによって強制終了となった。ハリセンの衝撃で、スカルが正気に返ったためである。

 

 先程の失態を取り返すと言わんばかりに、スカルはセイテンタイセイを顕現した。チャージからのゴッドハンドは、自分を嫉妬状態に陥れた相手――鐘を持つ腕を一発で破壊した。ニヤリと不敵に笑ったスカルだが、そこへヤルダバオトが光の矢を打ち込んだ。

 寸でのところで防御が間に合ったらしい。「危ねー……」と、スカルは間の抜けた声を漏らす。だが、それも一瞬のこと。彼はすぐに態勢を整えると、ヤルダバオトへ挑みかかった。俺たちもそれに続き、統制神へと攻撃を叩きこんでいく。

 統制神の威光が弱々しくなったように見えたのは気のせいではない。次の瞬間、ヤルダバオトがまた腕を生み出した。腕には本が握られている。本の項がパラパラとめくられ、そこに凄まじいエネルギーが収束していった。

 

 ヤルダバオトは相変らず俺たちを見下している。

 奴は粛々と言葉を紡いだ。

 

 

「我は解き放つ。『傲慢』の大罪を。人類が湛えた『忘却』が、破滅を呼ぶのだ」

 

「あの本、反撃体制を取ったぞ!」

 

「反撃される前に押し切る!」

 

 

 ナビの分析を聞いたジョーカーは、ペルソナを顕現して攻撃を仕掛けた。チャージで威力を高めた上で、彼女は容赦ない連続攻撃を叩きこむ。本を抱えた腕は呆気なく砕け散った。

 その勢いに任せて、仲間たちもペルソナを顕現して攻撃を叩きこんでいく。統制神の輝きに曇りがかってきたように感じたのは、きっと気のせいではない。

 初めて相対峙したときの荘厳さは見る影もなく、黄昏色の光を放つその姿はまるで、落日を迎えようとしているかのように思える。――このまま攻め続ければ、あるいは。

 

 次の瞬間、ヤルダバオトの腕がすべて復活する。眩しい白銀が目に突き刺さって来そうな輝きを孕んでいた。

 どうやら今回復活した腕は、最初に出てきた腕と同じ万全な状態らしい。それを皮切りに、膨大なエネルギーが渦巻き始める。

 

 ヤルダバオトは己の神意を高調させていく。奴の体躯が、夜明を連想させるような東雲色の光を放ち始めた。4本の腕から、禍々しい黒の光が収束する。

 

 

「アイツ、強力な攻撃を打つつもりだ! 最初に打ってきた、あの凄いヤツ!」

 

「アレを使われたら、こっちが不利になるわ!」

 

「勿論、さっきと同じようにして押し切る! みんな、力を貸して!」

 

 

 ナビとクイーンの分析を聞いたジョーカーが、俺たちの方に向き直った。そんなこと、言われなくても分かっている。頷き返した俺たちを見て、ジョーカーは静かに微笑み返した。そうして、力を貯め始めたヤルダバオトに向き直る。

 ジョーカーはコンセントレイトで魔法の威力を底上げした。他の面々も能力を上げたり、チャージやコンセントレイトで威力を底上げしたり、ヤルダバオトの能力を下げるなどしてアシストする。――そうして、ヤルダバオトも俺たちも、力を貯め終えた。

 

 

「無意識の深層が、破滅を求めるのだ。人間よ、お前に逃れる術はない」

 

 

 ――おそらく、この一撃で、すべてが決まる。

 

 統制神ヤルダバオトの元に眩い光が集まったのと、ジョーカーがペルソナ――アルセーヌを顕現したのはほぼ同時。

 

 

「――汝、その罰に討たれよ。そして、破滅の門を潜るがいい」

 

「――奪え、アルセーヌ!」

 

 

 ヤルダバオトの統制の光芒と、俺たちのペルソナによる力を纏ったアルセーヌのエイガオンが派手にぶつかり合った。8人と1匹による全力攻撃と、世界を滅ぼさんとして降り注ぐ光芒は拮抗する。

 次の瞬間、轟音と共に視界が土煙に飲み込まれた。相殺しきれなかった衝撃波が俺たちに襲い掛かる。勿論、歯を食いしばって耐えた。全てを揺るがさんばかりの衝撃波が消え、濛々と漂っていた煙が晴れる。

 ジョーカー含んだ仲間たちはボロボロだった。満身創痍と呼ぶほどではないが、これ以上戦い続ければ確実に倒れてしまうだろう。それは、ヤルダバオトにも言えることだった。装飾や腕はだらりと垂れ、投げ出されていると言っても間違いではない。

 

 

「これが、破滅に抗う力……」

 

 

 無機質な声からは、ヤルダバオトが俺たちのことをどう思っているか察することができない。ただ、驚いていることは確かだ。

 しかし、統制神はすぐさま起き上がった。「自分の統制は破滅になど屈しない」――奴がそう叫んだ刹那、再び禍々しい光が収束した。

 

 

「我が統制は、この世界の真理なり」

 

 

 誰かが何かを叫んだ。俺も仲間たちに危機を伝えようと口を開く。だが、それがきちんとした言葉と音になるよりも先に、ヤルダバオトが禍々しい光を打ち放つ方が早かった。

 

 黒い光が何もかもを飲み込んでいく。凄まじい衝撃と共に、自分の身体が思い切り叩き付けられたような感覚。体中が悲鳴を上げたのと、瞼の裏に強烈な光を感じたのはほぼ同時だった。

 光が収まった気配を感じ、俺は瞼を開ける。立ち上がってヤルダバオトと戦わなければと思うのだが、もう立ち上がることさえ辛くて仕方がなかった。意志は折れずとも、身体も心も限界を超えている。

 文字通りの満身創痍。地べたをはいずり回る俺たちを、統制神は涼しい様子で見下している。圧倒的な力で屈服させられた怪盗団の面々は、ヤルダバオトを斃さんと立ち上がったときの決意は風前の灯となっていた。

 

 

「コイツ、強え……」

 

 

 いつだって明るかったスカルの声は、今までにないくらい弱々しい。

 ベルベットルームの牢屋に閉じ込められたとき以上に情けなかった。

 

 

「『神』だって言うなら、人間を理想に導けよ! それが出来ないから滅ぼすんだろ!? 自分の存在を誇示するために!」

 

 

 そんな中でも、モナは噛みつくようにして統制神の矛盾を指摘する。

 

 

「だから監視してたんだろ!? 大衆の反応が気になってさ! ――フィレモンさまはお前の本質をいち早く察知したからこそ、お前のすべてを否定したんだ!!」

 

「その結果がコレかよ……! もう少しマシなやり方はなかったのか……」

 

 

 モナの言葉――フィレモンが『こうなる』ことを予め予期していたからこそ、ヤルダバオトの存在や人格を激しく否定していた――を聞いた俺は、やっぱりフィレモンへの怒りが湧き上がって来た。しかも、その後始末を“試練”という名目で解決させようとしていたとは。

 俺の怒りを察知したのか、モナは一瞬バツが悪そうに視線を彷徨わせた。主であるイゴールの上司が起こした不手際が、こんな形で襲い掛かって来るとは思わなかったのだろう。『善神だからといって、人間の味方になり得るわけではない』――至さんの言葉が身に沁みた。閑話休題。

 

 フォックスは呆れ、スカルはヤルダバオトを「老害」と断じる。パンサーも嫌そうな顔してスカルに同意した。彼女の言葉通り、この手の老害はごまんといる。

 尚も立ち向かおうとする俺たちを目の当たりにしたヤルダバオトは、呆れたようにため息をついた。奴は凝縮させた闇のエネルギーを解き放ち、俺たちの視界を奪う。

 自分の存在が希薄になっていくような感覚――それは、メメントスと化した渋谷で、人々から存在を忘れられた俺たちが消えていったときのものと、よく似ていた。

 

 

「なんてことだ……! 何も見えんぞ!?」

 

「そんなに私たちを消したいの……!?」

 

「み、みんな……」

 

 

 フォックスとノワールの声が聞こえる。真っ暗に塗り潰された視界の中で、モナのシルエットだけが弱々しく光を放っていた。その光も、すぐに潰えてしまいそうなほどに儚い。

 

 

「世界に見捨てられた汝らに、もはや居場所は何処にもなし」

 

 

 次の瞬間、闇を切り裂くようにして七色に輝く光が降り注いだ。先程の光芒と比べれば、遥かに大したことのない一撃である。だが、満身創痍の俺たちには必殺の一撃にも等しい。成すすべなく雷を喰らった俺たちは、大地に倒れ伏した。

 それでも俺は、俺自身を叱咤して腕や足に力を籠める。スカルも、モナも、パンサーも、フォックスも、クイーンも、ナビも、ノワールも、――ジョーカーも。この場にいる誰1人として、負けを認めていない。諦めていないのだ。

 ヤルダバオトは相変らず、地面をはいずり回るような蟻を見下すように俺たちを眺めていた。蟻の群れを丹念に踏み潰すが如く、何発も何発も雷を落とす。無抵抗に等しい満身創痍の相手に対し、執拗に攻撃を叩きこむ。

 

 自分の持つ反逆の意志が挫けそうになっていることは、みんなが自覚していた。

 折れてはならぬと分かっていても、圧倒的な力で踏み躙られる。

 

 

「た、立たなきゃ……。私の夢、守らなきゃ……!」

 

「……私たちが戦わなくちゃ、世界が……!」

 

「先輩から、託されたんだ……! 頼む、って、言われたんだ……!」

 

 

 パンサー、クイーン、スカルの弱々しい声が、雷に紛れて聞こえてきた。

 

 

「くそっ。……こんなときに、どうして力が入らないんだ……!?」

 

「わたしも、もうむり……。おかあさん……」

 

「ここまでなの……!? こんなところで、終わってしまうの――?」

 

 

 フォックス、ナビ、ノワールの弱々しい声が、吹きすさぶ闇に紛れて儚く響く。

 

 

―― クソが……! あんな機械仕掛けの神なんぞに、俺の希望も何もかも、踏み躙られんのかよ……!? ――

 

 

 俺の心の奥底から、“明智吾郎”の悔しそうな声が聞こえてきた。

 それらをかき消すかのように、ヤルダバオトの厳かな声が響く。

 

 ――いいや、奴の声だけじゃない。奴に賛同する大衆の声が、怪盗団を――ひいては俺たち反逆の徒を嘲笑っていた。

 

 

「聞こえるか? 大衆の声が。誰もが神に背く汝らを嘲笑っておるわ」

 

 

 「人間は欲望の塊だ。それが暴走するから、世界が疲弊し衰えていく」――ヤルダバオトはそう主張し、憐れみを込めて俺たちを見下す。奴の意見は間違っていないが、奴の出した答えは間違いであることは分かっていた。

 だが、この場一帯を覆いつくすヤルダバオトの神威によって、俺たちの反論は完全に握り潰されてしまった。黄昏の空は黒い風によって遮断され、最早光を見ることすら叶わない。……それが、神に背いた俺たちへの罰らしい。

 俺の脳裏に浮かんだのは、獅童の箱舟だ。機関室の、シャッターの向こう。俺が死ぬはずだった場所。“明智吾郎”の人生、最期の場所。あそこが一番冷たい場所だと思っていたが、それ以上にこの場所は冷たくて寒かった。

 

 

「神に背いた罪は重い。罰として、永遠の苦しみを味わうがいい」

 

「――させない!」

 

 

 ヤルダバオトの言葉を遮るようにして、モナが飛び起きた。眦を釣り上げ、ヤルダバオトと真正面から対峙する。

 

 モルガナはイゴールが生み出した従者であり、光に与する善神の化身。わずかに残った希望をかき集めて生み出された、トリックスターの導き手だ。絶望と滅びを掲げるヤルダバオトとは正反対の存在だと言えよう。

 だが、力関係はヤルダバオトの方が遥かに上だ。何せ、統制神は悪神そのもの。大衆の支持と信仰を持つ存在。世界から忘れ去られようとしている希望をかき集めたモナでは、力の差は圧倒的である。

 

 

「人間の希望だって『欲望』だ! そいつを舐めんなよ!」

 

 

 それでも尚、モナは物おじしなかった。引くこともなければ媚びぬこともない。

 俺たちに取引を持ち掛けてきたときのように、太々しい態度のままだった。

 怪盗団に指針を指示してきた、誇り高い黒猫のままだった。

 

 

「ワガハイたち怪盗団は、誰が相手だろうと屈しない。たった1人になっても立ち上がり、最後まで戦い抜く。――そして、絶対……絶対に、世界を奪い取る!」

 

「――よく言った、後輩(モルガナ)。お前が後輩でいてくれることは、先輩として誇らしいよ」

 

 

 ばんばんばん、と、背後から拍手が響いた。モナの言葉に対し、心からの感嘆と称賛を示すような音だった。感動したのだと伝えようとして、やや空回りしたような音だった。

 勢い良すぎて、叩いている人間の手がしびれて動かなくなってしまうのではないかと思うレベルである。この場に響いた声には聞き覚えがあった。

 

 俺は唯一動く首と視線を動かし、やってきた人物の姿を確認する。

 

 藍色に近い髪を肩付近まで伸ばし、左耳には星をかたどったイヤリングをしている青年だった。

 聖杯へ至る道で、唯一先輩ペルソナ使いの中であの場に居なかった人物だった。

 ――そして何より、俺にとって、一番身近な保護者だった。

 

 

「……至さん……!?」

 

 

 俺に名前を呼ばれた人物――空本至さんは、俺たちを見ると静かに微笑んだ。それに呼応するかのように、彼の指先に一羽の蝶が泊まる。金色に輝く蝶だった。蝶を目の当たりにしたヤルダバオトが、先程とは一変して声を荒げた。

 

 

「“至らぬ者”……! 貴様も我と同じ、創造主に否定された存在だろう? 何故、“その力”を以てして、我の前に立ちはだかる?」

 

「大事な人たちがいるからだよ」

 

 

 「おあいにくさま。俺はお前とは違って、人間からも拒絶されたわけじゃないからね」――至さんは淡々と言い返した。

 統制神と言葉を交わしている間にも、彼の周囲には黄金の蝶がひらひらと飛び回り始めた。

 

 ヤルダバオトも空本至も、フィレモンに生み出された化身だった。双方共に、創造主から『生まれ落ちたことが間違いなレベルの失敗作』と笑顔で詰られていた。それでいて、前者は人間の敵、後者は人間の味方になるという正反対の道を選んだ者同士だった。

 彼等を分かち、後者を善神側の存在とする楔となったのは、“自分の大切な人たちに『生きていて欲しい』と望まれた”ことだろう。己の特異性を知っても尚、『傍にいてほしい』と願ってくれた相手がいたことだろう。その人物と触れ合ったからこそ、希望というものを信じていた。

 彼等とのふれあいが、空本至の人格と生き方を決定づけた。自分と同じ境遇――『神』によって人生を滅茶苦茶にされそうになっている人を放っておけないお人好し。『神』のせいで泣かされている人が目の前にいると、どんな状況でも手を差し伸べてしまうような人だった。

 

 

「いい加減、八百長なんかやめちまえよ。こちとら知ってんだぞ。お前が大衆の認知を操作したから、こんなワンサイドゲームが繰り広げられてることくらい」

 

「……何を言い出すかと思えば」

 

 

 至さんに指摘されたヤルダバオトは、知らぬ存ぜぬの態度を取った。

 だが、奴の声は自身を取り繕おうとしているように感じた。

 勿論、至さんはヤルダバオトが隠そうとしていることなどお見通しである。

 

 

「お前にも聞こえるだろう? 『神』の統制を望み、それに背く愚か者どもを嘲笑う声が」

 

「『神』のくせに、そういうのに頼らないと偉ぶれないのかよ。ニャルラトホテプや伊邪那美命以下じゃねーか」

 

 

 悪意の塊たる愉悦大好き大御所邪神と、八十稲羽の善意空回り系土地神様。双方の名前を耳にした途端、ヤルダバオトの纏う空気が異様に刺々しさを増した気がする。あと、神々しさが減って俗っぽくなったように感じたのはきっと気のせいではない。

 

 ヤルダバオトが行う八百長の仕組みは、自身が得意とする認知操作を駆使したものだ。大衆の信仰を自らに集中させることで、あの破壊力を引き出している。

 おまけに、エネルギータンクたる大衆たちには、自分が一体どんな存在なのかを一切知らせていない。奴の本性を知ってしまえば、大衆は即座に信仰を捨てるだろう。

 奴の本性は“人間を怠惰の折に閉じ込めることで心を殺し、世界を滅ぼそうと企む悪神”だ。それ故に、供給源には己の本性を悟られぬよう、綿密に工作を施している。

 

 ――そこでふと気づいた。

 

 ヤルダバオトのやっていることは“獅童正義が本性を隠し、大衆の前でいい顔をしていた”ときのものと全く一緒だ。

 奴の本性を白日の下に晒すことができれば、希望は見えてくる。……だが、『神』の力を打破するためのヒントが掴めない。

 

 

「私の『統制』は絶対だ。僅かな綻びも存在しない」

 

 

 ヤルダバオトは息巻くようにして叫んだ。

 だが、至さんは呆れたように嗤い返す。

 

 

「怪盗団を追い詰めたときの台詞とは真逆なことを言うんだな。『僅かな綻びも許さない』から、怪盗団をここまで痛めつけたんだろう?」

 

「神の化身であっても、貴様の成り立ちや能力は一介の人間と同じだ。ここまで来れたことは認めるが、所詮は一介の人間たる貴様に我が『統制』を打ち砕けるはずがない」

 

「――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、な」

 

 

 そう言った至さんは、静かな面持ちをしていた。何か、覚悟を決めたような表情だった。そうして、彼は言葉を紡ぐ。

 

 

()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

「!?」

 

「普遍的無意識の集合体であり、人間のポジティブ面担当。……()()()()()()()()()なら、お前の仕組んだイカサマなんざ一瞬で無に帰すだろうよ」

 

「ばかな……! 奴はニャルラトホテプとの戦いで、力の大半を失って――」

 

 

 至さんとヤルダバオトは、俺たちの理解が及ばないところで会話を繰り広げていた。どちらかと言うと、ヤルダバオトの方も理解が追い付いていないらしい。

 何かを言い返そうとしたヤルダバオトだが、そこですべてを理解したのだろう。奴はひゅっと息を飲み、再び「ばかな」と繰り返した。

 

 

「貴様に、そんな()()ができるはずがない。フィレモンを憎み、人間としての感性を獲得した貴様が、この()()を下すなんてあり得ない」

 

「それはお前の計算外かい? だとしたら、それだけでも()()する価値があるな」

 

「何故だ!? 何故、貴様はそんな答えに辿り着いた!? いいや、辿り着くことができたのだ!? あれ程までの理不尽を目の当たりにしてまで、何故――」

 

「――心があるからさ」

 

 

 言い縋ろうとするヤルダバオトに対し、至さんは静かに微笑んだ。

 

 

「理想を語り合い、歩幅すら共にした友達ができた。温もりに触れ合い、心を通わせた家族ができた。暗闇の中で、星のように瞬く希望を見た。……前に進む理由は、それだけで充分だろう」

 

「それが何を意味しているのか、分かっているのか!? 人類は、お前自身の望みを投げ捨ててまで、救う価値があるとでも言うのか!?」

 

「――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。……だから、ここが俺の旅路(じんせい)終着点(おわり)だ」

 

 

 ……「旅路(じんせい)終着点(おわり)」? どういう意味だろう。

 俺は至さんに問いかけようと口を開いたが、言葉にすることはできなかった。

 

 うろたえるヤルダバオトの悲鳴をかき消すかのように、至さんの背後にペルソナが顕現した。ナイトゴーンドとノーデンス――どちらもフィレモンの化身と関わりがある存在だ。

 ノーデンスは化身の1体であり、ナイトゴーンドはノーデンスの奉仕種族である。――次の瞬間、至さんの足元に巨大な魔方陣が出現した。彼の足元から、青い光が湧き上がる。

 既視感。似たような感覚を、僕はどこかで目にしたことがある。……そうだ。アレは確か、ベルベットルームで、双子の看守を『合体』させたときのものだ。

 

 ペルソナの足元にタロットカードが現れる。それに続くようにして、至さんの足元にも同じカードが現れた。蝶が描かれた仮面のカードが、青白い光を放ち始めた。――そうして、この場一帯に眩い光が爆ぜた。

 

 

「今こそ、契約を果たそう。――顕現せよ、普遍的無意識の権化」

 

 

 吹き荒れる風に紛れて、声がした。風が収まったとき、魔法陣の中心に立っていたのは至さんだけである。

 

 だが、先程までの普段着とは違い、青系一辺倒で統一された貴族風の衣装に代わっていた。有名な探偵が身に纏っていそうなゆったりとした外套や、中に着込んだベストには、金糸で見事な刺繍が施されている。

 目元は仮面舞踏会で身に着けるような、銀色のマスクで覆われていた。仮面のデザインモチーフは蝶で、仮面の端には金色の蝶が描かれている。その様はまるで、俺たちと同じ『反逆の証』を身に纏うペルソナ使いだ。

 

 おまけにあの仮面と同じものには見覚えがあった。空本至に与えられた『おしるし』と同じものである。

 

 だが、彼の身に纏っている力は、俺たちと同じレベルのものではない。明らかに人間離れしたものだった。近しいものを挙げるとするなら、力司る者たちだろうか。……いや、彼や彼女らなど生ぬるい。今、至さんが纏う力の出所を、僕は確かに目の前で見たことがあった。

 黄金の蝶の群れ。蝶が描かれた仮面。ハルマゲドンを打つと自動でハルマゲドンRで反撃してくる理不尽な善神。至さんや俺が蛇蝎の如く嫌う神――フィレモンだ。何故、至さんがフィレモンと同じ力を身に纏っているのか――俺が言葉を紡ごうとしたのと、モナが直立不動の姿勢を取って至さんを見上げたのはほぼ同時だった。

 

 

「フィレモンさま……?」

 

 

 モナが口走った言葉に、俺は目を剥く。頭を鈍器で殴られたような衝撃。

 一歩遅れて、俺は『モナが至さんを見てフィレモンの名を呼んだ』と気づいた。

 彼の言葉を理解した途端、俺の中に湧き上がってきたのは疑問である。

 

 フィレモンと呼ばれた至さんは、外見が至さんのままであるにもかかわらず、文字通り()()()()()()()()()()()をしている。不気味なくらいミスマッチだ。

 先程の『旅路(じんせい)終着点(おわり)』といい、モナが突如至さんに最上の敬意を示したり、どう考えても嫌な予感しかしない。

 

 次の瞬間、至さんがカッと目を見開いた。有無を言わせぬ神々しさが、俺たちからすべての言葉を奪い去った。

 

 

()は解き放つ。『純潔』の美徳を。――()は信じている。人間は、穢れなき清純な心身を保つことができると」

 

 

 魔法陣が青白く光り始める。モナと同じく、儚く頼りない光が灯ったのだ。

 至さんの1人称が明らかに変化した。彼はそれを問う隙も与えず、粛々と言葉を続ける。

 

 

()は解き放つ。『平素』の美徳を。――()は信じている。人間は、自身を偽らずありのままでいることができると」

 

 

 ヤルダバオトが造り上げていた認知のひずみ――それを形成している要素の1つ1つが正されていく。怪盗団を否定し、嘲っていた声量が少しづつ減っているのがその証拠だ。

 魔法陣の光が少しづつ強くなってきた。ヤルダバオトは唖然とその輝きを見つめている。だが、光輝いたのは魔法陣だけではない。モナの身体も、金色の光を纏い始めた。

 

 

()は解き放つ。『節制』の美徳を。――()は信じている。人間は、自らを律して規則正しい統制をとることができると」

 

 

 黒い霧ですら覆いつくせぬ程の輝きは、折れてしまいかけていた反逆の意志にも光を灯した。怪盗団の瞳に、希望が戻って来る。

 

 

()は解き放つ。『慈悲』の美徳を。――()は信じている。人間は、他者を慈しみ憐れむことができると」

 

 

 ヤルダバオトの放った闇に飲み込まれかけていたことを思い出す。何故、自分たちが『神』に反逆したのか。どうして『神』に勝たなければならなかったのか。

 

 人生という旅路で絆を結んだ人たちがいた。この1年の間にも、新たに心を通わせ絆を結んだ人々もいた。――その人たちの笑顔を、守りたかった。

 仲間と共に旅路を往く中で、叶えたい夢を見つけた。お互いにその夢を語り合った。夢を語る彼らの笑顔を、そうして未来に生きる自分たちの輝ける笑顔を、守りたかった。

 救いたかったのは世界じゃない。この世界で生きる人たちだ。この世界で出会ったかけがえのない人たちだ。彼等との出会いを、別れを、統制神なんぞに踏み躙られたくなかった。

 

 

()は解き放つ。『救恤』の美徳を。――()は信じている。人間は、困り苦しむ人々のために手を差し伸べることができると」

 

 

 温かな光が、『神』へ立ち向かうための勇気をくれる。希望をくれる。

 こんな所で立ち上がれなくなっている暇なんて存在しない。

 

 

()は解き放つ。『忍耐』の美徳を。――()は信じている。人間は、数多の逆境や理不尽を耐え忍ぶことができると」

 

 

 ヤルダバオトが俺たちに聞かせた“大衆の嘲笑”なんて偽物だ。“大衆による怪盗団の否定”なんて嘘っぱちだ。奴は自分に都合がよくなるよう、八百長していただけに過ぎない。

 “手段がない”からどうしたというのだ。何としてでも奴の悪行を白日の下に晒し、大衆たちに示さなくてはならない。この傲慢な悪神に、世界を委ねていいはずがないのだ。

 怠惰の牢獄に閉じ込められ、ヤルダバオトによる統制の名によって永遠に搾取され続ける――そんなもの、人類の幸福になり得るはずがなかった。もう二度と、騙されやしない。

 

 だって俺たちは知っているのだ。聖杯へ至る道で、俺たちに希望を託してくれた人たちがいたことを。俺たちの背中を押してくれた、頼れる大人がいたことを。

 

 怪盗団が否定されたときだって、彼等はいつも俺たちのことを信じてくれた。俺たちに手を貸してくれた。

 彼ら以外にも、「怪盗団に助けられた」と笑って力を貸してくれた人々――黎の協力者だっている。

 

 この広い世界に、たった1人でも、自分を信じてくれる人がいるのだ。――その奇跡がどれ程の価値を持っているのか、俺と“明智吾郎”が一番よく知っていることではないか。

 

 

()は解き放つ。『謙譲』の美徳を。――()は信じている。人間は、自身を低めてでも他者のために献身を尽くすことができると」

 

 

 至さんは振り返った。菫色の双瞼が、俺たちを見つめる。

 神々しさとは無縁の、普段通りの空本至の姿だ。

 

 菫色の瞳がゆっくりと細められた。

 

 

「無意識の深層が、破滅を否定するんだ。数多の可能性……それを、人は『希望』と呼ぶ」

 

 

 それだけ言うと、至さんはヤルダバオトに向き直る。彼が手をかざすと、薄いガラスが割れるような高い音が響き渡った。

 

 怪盗団を嘲笑う人々の声が一瞬で掻き消える。この場を覆いつくしていた黒い霧は一瞬で吹き飛び、黄昏の空が戻って来た。

 びょうびょうと風が吹きすさぶ音が響く以外、余計な雑音は聞こえなかった。心なしか、先程より体が楽になったような気もする。

 

 俺はどうにかして上体を起こした。先程まで唯人であったはずの至さんの纏う気配は、やはり人外じみたものへと変貌している。

 

 

「統制神ヤルダバオトによって作り出された歪みは取り払われた。改めて、大衆は自らの意志で判断を下さなくてはならない」

 

 

 フィレモンと同じ力を――否、()()()()()()()()()と化した至さんは粛々と言葉を紡ぐ。次の瞬間、金色の蝶が飛んだ。頭の中に映像がちらつく。

 

 

『妨害が消えたよ、真実くん!』

 

『よし、これなら……! やりましょう、命さん。――伊邪那岐命、幾万の真言!』

 

『行けぇ、タナトス!』

 

 

 どこからともなく真実さんと命さんの声が響き渡った。2人はペルソナを顕現し、人々の心に働きかける。伊邪那岐命は統制神ヤルダバオトが隠し通してきたありとあらゆる嘘を吹き払い、大衆に真実を突き付けた。タナトスは死の恐怖を白日の下に晒す。

 大衆が助けを求めていた『神』ヤルダバオトの目的は、人類を『自分が神として君臨するためのエネルギータンクとして使い潰し、人類を滅ぼす』ことだった。このままヤルダバオトにすべてを委ねてしまえば、人間は思考回路を失ってしまうだろう。ただ生きるだけの家畜に成り下がってしまうのだ。

 

 真実さんのペルソナ――伊邪那岐命の“幾万の真言”が突き付けたのは、ヤルダバオトの不正行為だけではない。怪盗団の活躍を、民衆に提示したのである。

 彗星のごとく現れた怪盗団の所業。腐った大人たちを次々と『改心』させていった現代の義賊たち――その戦いが如何程のモノか、はっきりと示された。

 蝶を通して見えた民衆たちのざわめき具合からして、おそらく、“ヤルダバオトと怪盗団が世界の命運を賭けて戦っている”ことも示されたことだろう。

 

 その証拠を指示すように、また金色の蝶が飛んだ。渋谷のテレビジョンに、怪盗団のマークが映し出される。モナが統制神に向かって切った啖呵が、テレビジョンからはっきりと響き渡っていた。

 

 

「――真実を知った大衆たちに問う。人類は、このまま滅びを受け入れるべきか?」

 

 

 この場に沈黙が広がる。渋谷の街中も、ヤルダバオトも、俺たちも、ただ黙っていた。

 先程まで吹き荒れていた風も鳴りを潜めていた。まるで、人類が下す審判を待つかのように。

 

 ――そして。

 

 

『――やっちまえ、怪盗団!!』

 

 

 怪盗団の応援団長・三島の声が、高らかに響き渡った。

 

 




魔改造明智による統制神ラスボス戦終了まで。同じルーツを持ちながら正反対の道を行った善神の化身同士が会話していたり、魔改造明智の保護者がついにヤバイことになったりと盛りだくさん。次回はあのイベント戦となります。結局、統制神との決着は次回に持ち越しか……。
某所で「いきなり大衆が怪盗団支持者となり支持率が100%になったのは、無理矢理な感じがする」という話題を見かけました。統制神も「自分は無意識から生れ出た」と発言していたので、初代&2罪罰の普遍的無意識集合体と絡めた結果が拙作の根幹になりました。
結果、普遍的無意識集合体の連中が揃いも揃ってゲスと化す自体に。次回辺りで、保護者とフィレモンの契約に触れようかなと思っています。怪盗団逆転の布石を打った空本至の顛末も、魔改造明智と怪盗団の一員の結末と共に見守って頂ければ幸いですね。


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訣別の刻来たれり ―八咫烏は飛び立った―

【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 @空本(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄で明智の保護者その1。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
 @デミウルゴス⇒獅童の息子であり明智の異母兄弟とされた獅童(しどう)智明(ともあき)を演じていた『神』の化身。姿は真メガテン4FINALの邪神:デミウルゴス参照。詳しくは中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『運命を切り開くだけの簡単なお仕事』および『ペルソナ3異聞録-.future-』、Pixivの『2周目明智吾郎の災難』および『【一発ネタ】有栖川黎の幼馴染』の設定を下地にし、別方向へ発展させた作品である。
・ジョーカーのみ先天性TS。
 ジョーカー(TS):有栖川(ありすがわ) (れい)⇒御影町にある旧家の跡取り娘。旧家制度は形骸化しているが、地元の名士として有名。身長163cm。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空本(そらもと) (わたる)⇒明智の保護者2で、南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。
・敵陣営に登場人物追加。
 @神取鷹久⇒女神異聞録ペルソナ、ペルソナ2罰に登場した敵ペルソナ使い。御影町で発生した“セベク・スキャンダル”で航たちに敗北して死亡後、珠閒瑠市で生き返り、須藤竜蔵の部下として舞耶たちと敵対するが敗北。崩壊する海底洞窟に残り、死亡した。ニャラルトホテプの『駒』として魅入られているため眼球がない。獅童パレスの崩壊に飲まれ、完全に消滅した模様。
・「2罰ボスの外見を見た人間の反応」に関するねつ造設定がある。
・普遍的無意識とP5ラスボスの間にねつ造設定がある。
・『改心』と『廃人化』に関するねつ造設定がある。
・春の婚約者に関するねつ造設定と魔改造がある。因みに、拙作の彼はいい人で、春と両想い。
・魔改造明智にオリジナルペルソナが解禁。
・フィレモンのポンコツ具合とゲス具合に拍車がかかる。


『今までアイツらが、なんで体張って来たと思ってんだ!? いい加減、目を覚ませよ! いつまで逃げてるつもりなんだよ!』

 

 

 異質なものを見るような眼差しにも負けることなく、三島が大衆に訴えかける。だが、大衆たちは沈黙したままだ。三島に向けて、冷たい眼差しが突き刺さる。

 

 大衆の無反応を目の当たりにした彼の心は折れる寸前だった。

 怪盗団の応援団長が悔しそうに、悲しそうに俯いた刹那――

 

 

『行け、怪盗団! 俺たちがついてる! 理不尽な罪と罰を、『神』の企んだ滅びの未来を打ち砕け!』

 

『怪盗団のみんな、レッツ・ポジティブシンキング! あの悪神から、私たちの“夢を叶える権利”を取り戻して頂戴!』

 

『怪盗団、頑張れー! 限りある命を全力で生きる世界を、あんな奴に渡してたまるもんかー! 思いっきりぶん殴れー!』

 

『負けるな怪盗団! 世界の誰もがお前たちを見捨てたとしても、俺たちは真実を知ってる! お前たちが成した正義を知ってる! お前たちは1人じゃないぞ!』

 

『お前たち任せにしかできない不甲斐ない大人だが、俺たちはお前たちを信じている! 声が枯れようと、この命が燃え尽きようと諦めない! だから立ってくれ、怪盗団!』

 

 

 響いた声に振り返った三島は目を見張った。怪盗団に声援を送る人間たち――達哉さん、舞耶さん、命さん、真実さん、航さんを筆頭とした歴代のペルソナ使いたちだ――の存在に希望を見出したのだろう。三島の表情が明るくなった。

 

 文字通り、声を枯らさんと、魂を燃やし尽くさんばかりに怪盗団へエールを送るペルソナ使いたちの様子に感化されたのか、大衆たちが次々と怪盗団に声援を送り始めた。

 石が投げ込まれた水面の波紋がどんどん広がって行くように、大衆たちの応援もどんどん広がっていく。それに呼応するかのように、1羽、また1羽と、周囲に黄金の蝶が現れた。

 新たに現れた黄金の蝶が見せたのは、怪盗お願いチャンネルに設置されていた怪盗団の支持率だ。大衆の応援と比例するようにして、0%だった支持率が勢いよく上昇し始める。

 

 

『怪盗団、聞こえるかー!?』

 

「――うん。ばっちり、聞こえたよ……!」

 

 

 三島を筆頭とした救世の声に応えるが如く、ジョーカーが体を起こした。満身創痍だと言うのに、口元には笑みが浮かんでいる。

 だが、エールはこれだけでは終わらなかった。新たに現れた金色の蝶が、人々の姿を映し出す。

 

 

『ここまで来て、負けるとかナシ。最後までやり遂げて!』

 

『これでも期待してんだぜ。絶対勝てよ!』

 

『応援すれば勝つ? ならいくらだって応援するし!』

 

 

 武見さんが、岩井さんが、川上先生が。

 

 

『こんだけ人の心を掴んでんのよ。負けたら承知しない!』

 

『私にはわかります。貴女たちならどんな運命にも抗える!』

 

『キミたちはまさに変革を起こしている! 行けぇー!』

 

 

 大宅さんが、御船さんが、吉田議員が。

 

 

『前を向いて戦い続けるの! ……私もそう教わったからっ!』

 

『ずっと応援してきたんだ! 今までも、これからも!』

 

『貴女たちこそ、最後の希望……! どうか……!』

 

 

 一二三さんが、織田が、ラヴェンツァが。

 

 

『お前らのせいで俺まで諦めが悪くなっちまったよ……。――立て、負けんじゃねえ!』

 

『誰が何と言おうと、オレはお前らを信じる! 行っけー、怪盗団!』

 

『頼んだわよ、怪盗団。最後まで私はキミたちを信じる!』

 

 

 佐倉さんが、三島が、冴さんが声を上げる。

 怪盗団の味方として、世界の滅びを否定する者として。

 

 声を上げたのは東京にいる人間たちだけじゃない。

 

 

『怪盗団、頑張れー! 菜々子、ずーっと応援してるから! これからも応援するから、絶対に負けちゃダメ!』

 

『警官としてあるまじき発言だってことは分かってる。……分かってるが、言わせてくれ。――世界はお前らに懸かってる。負けんじゃねえぞ、怪盗団!』

 

『人の子よ。世界が貴女たちを見捨てても、私はいつだってあなたの傍にいます。だからくじけないで。絶望しないで。――お願い、立って!』

 

『そんなところで這いつくばってどうすんだよ。――ほら、さっさと立て! お前らは俺とは違うんだろ?』

 

 

 八十稲羽にいる堂島親子が、マリーさんが、足立徹が。

 

 

『男には逃げちゃいけねえときがある。それが今この瞬間だ。――気張れ、怪盗団! このミッシェルさまがついてるぜ、Baby!』

 

『キミたちの頑張り、ずっと見てきた。ずっとずっと、応援してきた。――あんな奴の好き放題を、許して堪るもんですかッ!』

 

 

 珠閒瑠にいる栄吉さんが、リサさんが。

 同じようにして僕たちにエールを贈ってくれる。

 

 誰1人として、統制神ヤルダバオトの支配など望んでいない。人類は滅びを否定する。――今ここに響く声が、それを証明した。

 

 

「これが、オマエの馬鹿にした人間たちの声だ! オマエの支配なんて誰も望んじゃいない!」

 

「ヤルダバオト。これが、貴様が捻じ曲げてまで否定しようとした、人間の真なる望みだ。――いい加減、受け入れろ」

 

 

 モナが不適に微笑む。至さんも静かな面持ちで頷いた。人々の声を聞いていると、身体の奥から力が湧いてくる。「頑張れ、負けるな、応援している」――それらの声が、僕たちの背中を押してくれた。

 今の今まで、散々怪盗団を詰っていたくせに。怪盗団の成した正義をすっかり忘れていたくせに。腹立たしさや憤りが消えたわけではないけれど、でも、誰かから存在を肯定されるのも、応援されるのも嬉しい。

 1人、また1人と仲間たちが立ち上がる。誰もが双瞼に闘志を燃やし、ヤルダバオトへ抗うために得物を構えた。僕も、身体の痛みを振り払うようにして立ち上がる。満身創痍でも構うものか。それに呼応するようにして“明智吾郎”も立ち上がった。

 

 

「馬鹿な……! フィレモン、貴様――」

 

「――残念ながら、彼は私ではない」

 

 

 大衆たちの声を耳にしたヤルダバオトが至さんに視線を向け、戦いたような声を出す。だが、その言葉を否定する声が響いた。振り返った先にいたのは、茶髪の髪をポニーテールに束ね、目元を蝶モチーフの仮面で覆い、黒いタイツに身を包んだ男性――普遍的無意識の集合体たる善神フィレモンだ。

 奴の輪郭はやや霞がかっているものの、全盛期の一歩手前くらいには視認できるレベルとなっていた。しかも質量もあるらしい。しゃがんだフィレモンが労るような手つきでモナの頭を撫でていたためである。モナは直立不動の姿勢を保ちながらも、複雑そうな顔をしつつ喉を鳴らしていた。

 

 いきなり現れたフィレモンに驚いたのはヤルダバオトだけではない。俺も目を見張る。――どうして今、奴はこの場に現れたのだろう。

 確かに至さんがペルソナたちを合体させて、普遍的無意識の権化たるフィレモンを顕現させた。だが、光が晴れたときあの場にいたのは至さんただ1人である。

 モナやヤルダバオトは至さんのことをフィレモン呼ばわりしたが、直後、本物のフィレモンがこの場に顕現した。

 

 あのとき、至さんは言った。『ここが自分の旅路(じんせい)終着点(おわり)だ』と。

 ヤルダバオトは言っていた。『フィレモンを憎んだ至さんが、そんな選択を選ぶなんておかしい』と。

 

 

(まさか――)

 

 

 それが何を意味しているのかを考えたとき、俺の背中に悪寒が走った。俺の予感を肯定するが如く、フィレモンは言葉を紡ぎ続ける。

 

 

「空本至は規格外だった。本来なら私に統合されて消滅するはずだったのだが、私とは別存在として独立したようなんだ。新たなる善神・セエレとしてね」

 

「セエレ、って……」

 

―― 俺に『()()()()()()()()』って持ち掛けてきたアイツか!? ――

 

「最も、彼の意識はいずれ“別世界にいるセエレ”に統合されるだろうがね。空本至の意識が強靭だったが故に起きたことだ。流石の私も予想外だったよ。私との契約を果たしつつ、ある意味では破棄したも同然なのだから」

 

 

 驚く俺たちを尻目に、フィレモンは訥々と説明する。奴と至さんの間に結ばれた契約――『至さんに3回力を貸す代わりに、自分が3回目の願いを叶え次第即座に“力を失った善神が失われた力を補てんし、新しく顕現し直すための器”となる』ことを。

 フィレモンの器になるということは即ち、人間としての死を迎えることと同義だった。生贄になることと同義だった。本来ならばそのままフィレモンに統合されるはずだったのだが、至さんの自我や意識が強すぎたために、フィレモンに力を与えながらも別存在の『神』へと至ってしまったらしい。

 俺は思わず至さんを見た。至さんは小さくため息をつくと、自分の仮面を外して俺たちを見返した。菫色の双瞼は優しく細められていた。ここに居る人物は、空本至以外の誰だというのだろう。しかし、彼が纏う気配は完全にヒトの括りから逸れてしまっていた。

 

 人間としての死を迎えるというのは、こういうことだ――俺は漠然と理解する。

 気づいたら、自分でも情けないと思ってしまう程に、憔悴した声が漏れた。

 

 

「至さん、どうして……!?」

 

「なんでそんな顔するんだよ。悲しむことなんて何もないだろ」

 

 

 至さんは困ったように苦笑する。

 

 

「宝物ができた」

 

「宝物?」

 

「理想を語り合い、歩幅すら共にした友達。温もりに触れ合い、心を通わせた家族。暗闇の中で、星のように瞬く希望。……前に進む理由は、それだけで充分だろう」

 

 

 至さんの言葉に呼応するかのように、黄金の蝶が姿を現し始める。最初は俺たちの視界の端にちらついていただけの蝶は、いつの間にかこの場一帯を覆いつくさんばかりの群れを成していた。

 

 フィレモンが感嘆の息を零す。「全盛期の私に匹敵する……否、もしかしたら……」――そう紡いだ声が、どこか嬉しそうに聞こえたのは気のせいだろうか。

 奴の言葉が間違いではないと証明するかのように、黄金の蝶は数多の祈りを乗せてこの場を舞う。救世の声を怪盗団へ届け、それを力へと変換していく。

 どこかで生まれ落ちたセエレが、“ジョーカー”と“明智吾郎”の後悔や未練、祈りや願いを蝶に乗せて飛ばし、この世界を創り上げたのと同じように。

 

 

「さて、善神セエレとしての最初の仕事。そうして最初の契約だ、怪盗団。大衆の望みたる“救世の祈り”を、私がキミたちへ届けよう。――その代わり、人間の可能性を……あの統制神を完膚なきまでに叩きのめし、完璧な勝利を見せてくれ。……できるな?」

 

 

 ずるい、と思う。人間ではなくなって、いずれはどこかにいる自分と統合されて消えてしまうというのに、至さんはいつも通りに笑っているのだ。

 菫色の瞳を満たすのは、俺たちへの深い信頼だった。“自分の申し出に頷いてくれる”という確証を抱いて、彼は俺たちの返事を待っている。

 

 

「――わかった。至さん、貴方に敬意を」

 

「――ありがとう」

 

 

 俺たちを代表して、ジョーカーが頷き返した。至さんは満面の笑みで俺たちを見送る。俺たちは頷き返した後、ヤルダバオトに向き直った。

 掌を返したように自分を否定する民衆たちに対し、ヤルダバオトは苛立たし気に怒鳴り散らしている。

 「創造主たる己に従え」――それが、ヤルダバオトの偽らざる本音だった。

 

 

「神様よぉ、愚かな人間が祈ってるぜ? 『この世界に、テメェの居場所なんかねぇ』ってな!」

 

「悪神に最後通告してやれ、レイ!」

 

 

 スカルがヤルダバオトを否定する人々を代弁し、モナがジョーカーに向き直って促す。ジョーカーは頷き返した後、統制神に向かって啖呵を切った。

 

 

「相手が悪かったね、ヤルダバオト。――貴様から、世界を頂戴する!」

 

 

 

◇◆◆◆

 

 

 空本至には、忘れられないことがある。

 空本至には、忘れたくないことがある。

 

 

***

 

 

 ――Voice。

 

 

『我が化身の失敗作。人間に対し、災厄をばら撒くだけの欠陥品よ。――キミは、生まれ落ちたこと自体が間違いだったんだ』

 

 

 我が親愛なる創造主――善神フィレモンは、幼子に語り掛けるように告げてきた。仮面の奥から覗く双瞼には、『当たり前のことを当たり前に告げただけだ』と言わんばかりに澄み切っている。この言葉を筆頭としたフィレモンの警告は、人類を思うが故――つまりは善意由来のものだった。

 

 12年前、自分はまだ17歳の高校生。両親と死別し肉親は双子の弟だけ、来年小学生になる遠縁の親戚である少年の保護者を始めたばかり。個性的な友人がいて、毎日が充実した日々を送っていた人間だった。――否、()()()()()()()()()

 藪から棒に告げられた真実に、頭を鈍器で殴られたような衝撃に見舞われた。『キミのせいで、既に2つの災厄がばら撒かれている』とまで言われた。おまけに、災厄の1つに関しては、17歳の時点でハッキリとした心当たりがある。

 学校に伝わる七不思議の1つ――演劇部に代々伝わるスノーマスク――は、担任であった冴子先生の身体を乗っ取って聖エルミン学園高校を氷漬けにした。そのいわくつきのマスクを発見し、冴子先生に見せびらかしたのは、他ならぬ空本至自身。

 

 数多の災厄を撒き散らすだけの存在だと詰られて、実際本当のことだったから何も言い返せなくて、反論できない程完璧な正論によって叩きのめされた。

 普通に生きていただけだった。でも、『それすらも許されないことなのだ』と笑顔で詰られた。いや、相手には詰っているつもりなど微塵もないからタチが悪い。

 

 

『俺が生きようとすることは、そんなに悪いことなのか?』

 

 

 このときの空本至は、“どこにでもいる一介の高校生”。普通の17歳が、いきなり『お前は生きていること自体が間違いだ』なんて言われて、平静でいられるはずがなかった。

 どうしたらいいのか分からなくなって、途方にくれた。誰かを傷つけるつもりもなければ、仲間や大事な人を災厄に巻き込むつもりだって微塵もなかった。

 でも、自分が生きている限り、みんなが巻き込まれる。空本至が存在し続ける限り、沢山迷惑をかける。――それでも、死にたくなんかなかった。生きていたかった。

 

 やりたいことがたくさんあった。友達と一緒に笑っていたかった。被保護者や、恩人の孫娘の成長も見守っていたかった。けど、自分のせいで友達や被保護者たちが災厄に巻き込まれるなんて考えたくなかった。そんなこと、耐えられなかった。こんな自分は、消えるべきだと思った。

 

 ――でも。

 

 

『至さんがいなくなるのは嫌だ』

 

 

 そう言ってくれた人がいた。――恩人の孫娘、有栖川黎だった。

 

 

『至さんのことを『生まれてきたことが間違いだった』なんて言う奴は、俺がぶん殴ってやる!』

 

 

 そう言ってくれた人がいた。――半年前に迎え入れた被保護者、明智吾郎だった。

 

 

『なあ。俺が人間じゃなくても、お前らを厄介事に巻き込むような存在でも、友達でいてくれるか? ……仲間で、いさせてくれるか?』

 

『――馬鹿だな。お前は俺の、双子の兄だろうが』

 

 

 至の問いに、不敵に笑って答えてくれた人がいた。――双子の片割れ、空本航だった。

 

 聖エルミン学園高校の仲間たちも、空本至を笑って受け入れてくれた。否定しないで、迎え入れてくれた。

 『生きようとすることは悪いことではないのだ』と、『人間は迷惑をかけあう生き物だろう』と、そう言って。

 

 彼等のおかげで、空本至は救われた。彼等がいたから、立ち直ることができた。誰に何を言われようとも、生きていこうと思ったのだ。前を向くことができた。

 同時に、空本至は決意した。これから先、『神』による気まぐれな『遊び』という名の理不尽を課されてしまう人間が出てくるだろう。そんな人を、理不尽から守りたいと。

 空本至は決心した。理不尽な試練を背負わされ、傷つき、途方に暮れる人を助けようと。そんな人を支え、共に歩み、導けるような人間になるのだと。――そう、誓ったのだ。

 

 

***

 

 

 ――change your way。

 

 

『そんなに大事なものだったら、鍵をかけてしまっておけばいいんだよ。そうすれば、どこにも行かないよ?』

 

 

 滅びの夢の先にある、大いなる罰。引き金を引いたのは、滅びの夢にいた幼い空本至だった。

 『この世界は一度滅んでいた』という事実だけでも一杯一杯だったところに、大本の原因が提示された。

 

 仲の良い“おねえちゃん”の引っ越しを嘆く4人の子どもたちは、遊び場である神社で悲しみに暮れていた。そこに通りかかった少年は、支離滅裂気味な子どもたちの話を聞いて、『『大事な“もの”がなくなってしまう』ことに嘆いている』と解釈し、子どもたちに告げたのだ。『なくしたくないなら、鍵をかけて閉まっておけばいい』と。

 それからしばらくして、『親戚である天野舞耶が大やけどを負って入院した』という話題を聞いた。何でも、『何者かの手によって神社に閉じ込められてしまったところに放火魔がやって来て、そいつが神社に火を放った』らしい。本人もショックが強く、当時のことはよく覚えていなかったそうだ。だから、少年も詳しく追及しようとは思わなかったらしい。

 

 少年が事件の真相を知ったのは、彼が20歳になったときだった。

 

 子どもたちは嘗ての少年――青年が言った言葉を、忠実に実行した。大好きな“おねえちゃん”と離れたくない一心で、彼女を神社に閉じ込めたのだ。だが、そこへ放火魔がやって来て、“おねえちゃん”が閉じ込められている神社に火を放った。結果、“おねえちゃん”を庇った子どもは背中を刺され、“おねえちゃん”は火傷を負った。

 あまりにもショッキングな光景だったために、子どもたちの防衛本能が働いたのだろう。記憶に蓋をし、あるいは改竄し、表面上は平和な生活を送っていた。だが、その平穏は、子どもたちが高校生になって壊されることとなる。子どものうち1人が、悪神ニャルラトホテプに利用されて行動を起こしたためだ。瞬く間に、世界は崩壊へと転がり始めた。

 

 

『お前が『鍵をかけて閉まっておけばいい』なんて提案しなければ、一連の悲劇が始まることはなかっただろうにな!』

 

 

 数多の危機を乗り越えて対峙した悪神ニャルラトホテプは、当時少年だった青年――滅びの世界にいた空本至に告げた。

 滅びの世界にいた自分だけではなく、今ここで生きている空本至に対しても同じことを告げて嗤った。心底愉快そうに。

 

 

『我が化身の失敗作。人間に対し、災厄をばら撒くだけの欠陥品よ。――キミは、キミ自身の罪を償わなくてはならない』

 

 

 自身の目的から高校生たちに力を貸していた善神フィレモンは、滅びの世界にいた空本至に告げた。

 その果てに、滅びの世界の空本至は、高校生たちと被保護者である明智吾郎を守って死んでいった。

 しかし、その死も結局無駄となった。最終的に、高校生たちはニャルラトホテプの計略に負けたのだ。

 

 自分たちの絆と記憶。それらを引き換えにして、彼等は世界をリセットした。滅びを『なかったこと』にしたのだ。

 

 嘗ての母校で教頭をしていた半谷の死に関わったことで、この世界の空本至は“滅びの世界”で発生した事件の真相を知る羽目になった。

 仲良し4人組がその決断を下すために、どれ程の葛藤があったのか。考えるだけでも胸が締め付けられる。

 それこそ、誰かが土壇場で『忘れるのは嫌だ』と叫んだっておかしくなかった。そう望んでしまうことを咎めることはできないだろう。

 

 4人の中の1人――周防達哉が『忘れるのは嫌だ』と叫んだ結果が、今回の一件に――世界の滅びに繋がっていた。

 

 

『虫のいい話だな? 辛いことは仲間に押し付け、『自分だけ記憶を持ったままでいたい』などと、許しがたい大罪だ』

 

『罪には罰を下さねばならん。だから、その女と再び出会う機会を与えてやった。仲間たちと巡り合う運命を紡いでやったのだ』

 

 

 ニャルラトホテプは愉快そうに嗤っていた。周防達哉が抱いた“何も忘れたくなかった”というささやかな願いを、『人類が滅びを望んだと同義』であり『許しがたい大罪である』と断じた。『自分はただ、罪に見合う罰を下しただけに過ぎない』とも。

 あまりにも理不尽な罪状であり、あまりにも理不尽な罰だった。そのために繰り広げられた数多の謀略や悲劇と、周防達哉が抱いた願いとは全く釣り合わない。悪神に一方的に詰られていた周防達哉は、嘗てフィレモンに詰られた空本至とよく似ている。

 

 空本至は、周防達哉を助けたかった。嘗ての自分と同じく、『神』の理不尽によって苦しむ彼を助けてやりたかった。周防達哉の頑張りが報われてほしいと、心から願った。

 

 

『――俺、『向こう側』へ帰るよ』

 

『淳は約束を守った。……今度は、俺の番だ』

 

 

 伸ばした手は届かない。数多の理不尽を差し向けられても、必死になって頑張っていた彼の頑張りは報われることはなかった。

 “何も忘れたくなかった”という大罪。周防達哉はそれを償うために、“愛する人と永遠に会えない”という罰を受けたのだ。

 寂しそうに、悲しそうに、苦しそうに目を伏せた少年の横顔を、空本至は忘れられなかった。――忘れることができなかった。

 

 

***

 

 

 ――キミの記憶。

 

 

『“調和する2つは、完璧な1つより勝る”んだろ?』

 

 

 『南条コンツェルンで行われていた黄昏の羽の研究を、同規模の分家である桐条グループと共同で行うべきである』――南条圭にそう提案したのは、他ならぬ空本至だった。

 

 それからすぐ後、巌戸台のムーンライトブリッジで事故が発生した。親戚の香月命の両親も、その事故に巻き込まれて亡くなった。命は親戚を転々とすることとなり、高校2年生になった際に巌戸台へと帰還することとなる。――それが新たな悲劇(しれん)の幕開けになるだなんて、誰が予想しただろう。

 桐条グループが何かを隠していることを察知し、空本至は明智吾郎と共に巌戸台へ足を踏み入れた。放課後課外活動部という名の“巨大シャドウ討伐”に参加することとなり、香月命とその仲間たちと一緒に戦った。……だが、2人の人間の悪意によって、月光館学園の面々は“世界滅亡の引き金”を引かされてしまった。

 

 元々、シャドウの研究は桐条鴻悦によって行われた。自分の死期を悟った鴻悦は、不老不死になるための研究実験を行ったのだ。南条コンツェルンから特殊物質――黄昏の羽の共同研究が持ちかけられたのも丁度その頃だったという。その特殊物質は、奴ともう1人――幾月修司の狂気を加速させることとなった。

 クソみたいな大人たちの悪意は、ムーンライトブリッジで発生した大事故へと繋がる。桐条の研究施設を破壊したシャドウ・デスがムーンライトブリッジへ逃走し、それを追いかけた対シャドウ兵器であるアイギスが激しい戦いを繰り広げた。香月命の両親はその戦いに巻き込まれて命を落とし、命自身も重傷を負う。

 アイギスとの戦いで傷ついたデスは眠りにつき、デスとの戦いで満身創痍となったアイギスには止めを刺す力は残されていなかった。辛うじて、どこかに封印することはできた。そこで、アイギスは目を付けたのだ。――()()()()()()()()()()()()()の香月命に。

 

 後に、香月命は巌戸台へ向かうこととなり、彼女の中に封じられていたデスが活性化。本体に呼応するような形で、大型シャドウの群れが現れた。

 それを利用して、世界の王に君臨しようとしたのが幾月修司である。奴は岳羽ゆかりの父が残した警告を改竄し、香月命たちを踏み台にしようとしたのだ。

 

 それだけだったらまだマシだった。だが、幾月修司は何も知らなかったのだ。彼が推し進めたソレは、世界滅亡を加速させるだけだったことを。

 

 

『僕は“宣告者”……。僕は、存在そのものが“滅びの確約”なんだ』

 

 

 秋頃に巌戸台へやって来た少年――望月綾時は悲しそうに告げた。彼は桐条鴻悦の研究と幾月修司の悪意、そして望月命の心によって生まれ落ちた特別なシャドウ。

 死の権化たるニュクスを顕現させるための中核となる存在たる望月綾時であったが、彼は香月命から心を得た。結果、死の宣告者でありながら死を望まぬ稀有な存在となった。

 

 

『ニュクスの降臨を止めることも、ニュクスを斃すこともできない。死から逃れることなんて不可能なんだ』

 

『でも、僕はみんなと同じように人の形を持っている。喜んだり、悲しんだりする心がある。短い間だったけど、みんなと一緒に楽しい時間を過ごした。……だから、みんなの苦しむ顔を見たくない。避けられぬ死なら、どうか何も知らないまま、安らかであって欲しいんだ』

 

 

 死の宣告者から齎された選択肢に、仲間たちは大いに頭を悩ませることとなる。

 

 

『命さえ巌戸台に帰ってこなければ、こんなことにならなかったんだ! お前、特別なんだろ!? お前のせいでこうなったんだから、お前が何とかしろよ!!』

 

『至サン。大本はアンタだ! アンタが『黄昏の羽』の共同研究なんて持ち掛けなければ、桐条センパイのじいさんがこんな研究することだってなかった! アンタも責任とれ!!』

 

 

 空本至の善意が悲劇の引き金を引いたことに関しては正論だ。伊織順平に反論できないのは当然のことである。

 でも、香月命が月光館学園高校に転入してきたのは偶然だった。だから、そうやって責められる謂れはない。

 因みに、次の瞬間、伊織順平は勢いよく跳躍した明智吾郎に蹴りを叩きこまれてひっくり返った。閑話休題。

 

 後に、香月命は滅びに抗う選択をし、ニュクスを封印してみせた。

 その際に現れたフィレモンは、空本至に耳打ちした。

 

 

『このままだと、香月命は死ぬ』

 

『ニュクスが降臨するきっかけとなったのは、“死に触れたい”と望む人々の欲望があったからだ。ニュクスが扉の向こうに封印されても、その扉に手を伸ばす存在があり続ける限り、それを退けるための“扉の番人”が必要となる』

 

『香月命は、その封印のために命を差し出すか否かを迫られている』

 

 

 フィレモンは笑っていた。当たり前のことを当たり前に告げているだけだから、そこに罪悪感も悲壮感も憐れみもない。淡々と告げる創造主に反感を抱いたのは当然のことだった。

 

 今回の一件で、空本至は香月命の旅路を見ていた。両親を失い、死の権化を無許可で封印され、その上で親戚中をたらい回しにされた。帰って来た巌戸台で、『特別な力を持っているから』という理由で戦いへと身を投じることになっても、明るさや素直さを失わず、数多の困難に立ち向かってきた女の子だった。

 痛いことも苦しいこともあっただろう。泣き出したいのを我慢して、必死に頑張っていた女の子。そんな彼女は、死の気配と影を纏った荒垣真次郎に恋をした。荒垣真次郎もまた、彼女に押されるような形ではあったが、香月命の想いに応えた。――まさかその直後に、彼がストレガのタカヤに狙撃されて意識不明になるなんて思わなかった。

 恋人が生死の境を彷徨っている中で、仲良くなった同級生の望月綾時。彼から告げられた死の宣告と、仲間たちから与えられた選択権および全責任。終いには――理性を失う程憔悴していたとはいえ――仲間からの『お前のせいで世界が滅びかけている。責任を取れ』発言だ。誰も知らない場所で1人、泣いていたことを知っている。

 

 救世主たる香月命には、頑張ったご褒美があってしかるべきだろう。

 自分が救った世界で生きて、幸せにならなきゃおかしいではないか。

 

 

『私に()()()()()があれば、彼女の運命を変えることができるだろう。だが、力を行使するためには、キミには一時的に私の器になって貰う必要がある』

 

『取引をしよう。キミがいずれ“失われた私の力を補てんし、新しく顕現し直すための器”になってくれるならば、私はキミの願いを3つ叶えよう』

 

『3回目を叶えた時点で、キミは私の器となる。そうなった暁には、キミの肉体と自我は消滅するだろう。普遍的無意識集合体として私の意識に統合され、人間としての死を迎え、『神』となるんだ』

 

『たとえキミが消滅したとしても、キミが守ろうとした人々はこの世界で生きていく未来を得る。それは長く長く続いていくことだろう。――キミはどうする?』

 

 

 フィレモンの言っていることは、なんてことはない。空本至に対し、『全盛期の自分を取り戻すための生贄となれ』と言っているのだ。

 しかも、至が何度も自分に助けを求めることも想定していた。それを続ければ、空本至がフィレモンを顕現させるための依代になって死ぬことも想定していた。

 

 『キミがそうしなければ、香月命は死ぬだろう』と、フィレモンは粛々と言葉を続ける。

 まるで脅迫だ。香月命の未来か、空本至自身に迫る“緩やかな破滅”か――天秤は傾く。

 

 

『――俺、『向こう側』へ帰るよ』

 

『淳は約束を守った。……今度は、俺の番だ』

 

 

 空本至の脳裏に浮かんだのは、『向こう側』へと消えた周防達哉の姿。

 

 伸ばした手は届かない。数多の理不尽を差し向けられても、必死になって頑張っていた彼の頑張りは報われることはなかった。

 “何も忘れたくなかった”という大罪。周防達哉はそれを償うために、“愛する人と永遠に会えない”という罰を受けたのだ。

 寂しそうに、悲しそうに、苦しそうに目を伏せた少年の横顔を、空本至は忘れられなかった。――忘れることができなかった。

 

 

***

 

 

 ――Never More。

 

 

『あーあ。どこかに居ないものかねェ。人間のことを考えてくれる、人間にとっての、本当の意味での『善神(カミサマ)』が』

 

 

 ちょっかいをかけてきたフィレモンとニャルラトホテプを追い払った後、被保護者である明智吾郎との夕食の席でそんなことを言ったのは、他ならぬ空本至だった。

 ニャルラトホテプの嫌がらせによってテレビの中に突き落とされたのは、この話をしてから3か月後――2012年の4月半ばのことだった。

 

 空本至が零したぼやきを、フィレモンとニャルラトホテプはしっかりと耳にしていたらしい。丁度その頃、『人間の望みを叶えたいが、人間が真の意味で望んでいることが分からない』と悩む『神』を発見したそうだ。彼女の話を聞いた普遍的無意識集合体は空本至の発言を引用し、賭けを始めることにしたという。

 フィレモンは『神』である彼女を善神側に引き入れ、人間たちの手助けをする存在にしようと考えた。ニャルラトホテプは『神』である彼女を悪神側に引き入れ、人間に破滅を齎す存在にしようと考えた。件の『神』に色々と吹聴し、“『神』がどちら側に立つか”を当てるものだった。

 善神は言った。『人間は真実を求める生き物である』と。悪神は言った。『人間は自分にとって都合のいいものしか見ようとしない』と。同時にそんなことを言われた『神』は酷く困惑したが、『どちらの意見が正しいかを確認するため、人間に力を与えて様子を伺ってみる』ことにしたそうだ。

 

 その際、彼女は『どの人間に力を与えればいいのか分からない』と、双方に対して助力を求めた。

 

 善神は、出雲真実を指名した。ついでに、その賭けの顛末が自分側に傾くよう工作してもらうために、空本至を巻き込むことにした。

 悪神は、足立透を指名した。ついでに、その賭けの顛末が自分側に傾いていく様を見せつけるために、空本至を巻き込むことにした。

 

 意見が一致した普遍的無意識どもは、空本至と一緒に行動していることの多い明智吾郎も巻き込むことにした。――結果、ニャルラトホテプは空本至と明智吾郎をテレビの中に突き落とし、フィレモンはニャルラトホテプの行動を黙認した。そうして2人は、八十稲羽連続殺人事件に首を突っ込む羽目になる。

 

 

『ねぇ。至ってさ、いい年してるのにどうして結婚しないの? 相手もいないとかヘンだよ』

 

『ちょ、マリー!? そういうことは不用意に訊いちゃいけない!!』

 

 

 藪から棒に、そんなことを問われた。質問者は、この街で出会った少女。彼女は自分の名前すら思い出せない程の記憶喪失らしく、出雲真実から“マリー”と呼ばれていた。

 出雲真実はしょっちゅうマリーと一緒に過ごしていた。八十稲羽を見て回るだけでなく、ベルベットルームでも顔を会わせているらしい。本人たちが無自覚なのは微笑ましかった。

 

 

『俺は、人間に理不尽を強いる『神』から生み出された『駒』だからな。迂闊に作れないんだ』

 

『こんな奴と一緒にいるせいで、伴侶や恋人が『神』の標的にされるのは嫌なんだよ。ただでさえ、家族やクラスメート、親戚が巻き込まれてるんだ。これ以上、被害を増やしてどうするんだ』

 

『……それに、俺なんかみたいな奴のために超弩級の理不尽に向かい合わされるなんざ、相手が可哀想だろ。恋人や配偶者がいたら、“若くして未亡人”か“若くして死亡”なんてなりかねん。何もできないまま死ぬとか、何もしてやれないまま死ぬとか、お互いに不幸になるだけだ』

 

 

 マリーの質問に対し、空本至はそう答えた。

 そのとき、マリーは難しそうな顔をして首をかしげていたように思う。

 空本至は何も知らなかった。()()()()()()()()も、何も知らなかった。

 

 出雲真実とマリーが恋人同士になり、八十稲羽中で仲睦まじく笑い合う2人を見かけるようになったのは、それから暫く後のことだった。季節は流れ、時間は進み、模倣犯だ善意の空回りだ何だが交錯し、殺人事件の真の実行犯である足立透と決戦を繰り広げて奴を自首させた。

 田舎の冬休みが終わり、バレンタインデーに浮足立つ人々が増えてきた頃。空本至は、彼等とは対照的な顔をしたマリーを見かけた。彼女は憔悴しきった様子でフラフラと街を歩いており、その横顔はどこか悲壮感に満ち溢れていた。どこか、泣き笑いに近い顔をしていたように思う。

 

 

『私は彼から、沢山の“記憶”を貰ったんだ。沢山の“大好き”を貰ったんだ。――だから今度は、私が彼を守る番』

 

『……大丈夫。私は大丈夫。辛くなんかない、怖くなんかない。……でも、もう少しだけ……真実と一緒にいたかったなぁ』

 

 

 至がマリーに声をかけようとしたとき、彼女の姿は霧の中へと消えてしまった。――そうしてその日、“マリー”という少女は八十稲羽から姿を消し、人々の記憶からも消え去った。この異常事態に気づいていたのは、空本至だけだったのだ。

 

 ……勿論、そうは問屋が降ろさない。陳腐な表現ではあるが、愛の力は強固だった。出雲真実は自力でマリーのことを思い出し、“八十稲羽の人々がマリーを忘れた”という異常事態に気づいたのである。彼は空本至の元へ駆け込み、『仲間たちにマリーの記憶を取り戻させるために力を貸してほしい』と頭を下げてきたのである。

 すったもんだの末にマリーを思い出した一同は、新たに出現したダンジョン“虚ろの森”へと足を踏み入れる。特別捜査隊の面々はそこでマリーを発見し、『一緒に帰ろう』と声をかけた。マリーは泣きそうな声で悪態をつき、振り返る。白い神衣に身を包んだ少女の右目は、いつぞや対峙した“サギリ”どもと同じ光彩を宿していた。

 マリーの正体は“クスミノオオカミ”。アメノサギリ、クニノサギリたち同様、霧をばら撒き八十稲羽を覆いつくした『神』の化身だ。クスミノオオカミの役目を一言で述べるなら“スパイ”と言うのが相応しい。人間の中に溶け込み、人間と触れ合うことで、人間たちの望みをサギリどもに伝える目――それが、マリーの役目だった。

 

 それだけではない。クスミノオオカミにはもう1つ――役目、および特性があった。“八十稲羽を覆いつくす霧を自身に集め、消滅する”――霧を晴らし、真実へ到達する人間が現れた場合における、『神』の“果たすべき責任”。文字通りの生贄、あるいは人柱だ。

 記憶をなくしていた彼女は、真実と共に新しい記憶を積み上げてきた。使命を思い出した彼女は、同業者たる空本至の発言がどれ程の重みをもっていたのかを理解したのだろう。空本至は“自分のせいで大事な人が不幸になるのが嫌で、伴侶を得ることを選ばなかった”存在だ。

 

 残念ながら、クスミノオオカミ/マリーには愛する男性(ヒト)がいた。愛する男性(ヒト)()()()()()()()

 彼に関連する人々のことも、大切に思った。彼に関連する人々のことまでも、大切に()()()()()()()()()

 

 ――そうして、ダメ押しとばかりに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

『キミたちの幸せ傷ついたら、私、何のために死ぬのか分かんないよッ!』

 

『至。貴方なら、私の気持ち分かるよねッ!? 『自分と一緒になった恋人や伴侶が可哀想だから、そういう相手を作れない』って言った貴方なら、私の気持ち、分かるよねッ!?』

 

 

 目の前で金切り声を上げる少女は、『神』の『駒』ではない。どこにでもいる女の子だ。大好きな人のために命を賭けた女の子だ。

 『神』が用意した理不尽の尻拭いをさせられそうになっている人柱であり、空本至と同じ“『神』の被害者”だった。

 マリーは今まさに、『神』の理不尽によって命を刈り取られようとしている。――同じ痛みを抱えるものとして、放っておけるはずがない。

 

 特別捜査隊の頑張りのおかげで、ひとまずはマリーの自己犠牲を止めることができた。彼女を犠牲にしなくとも、霧を晴らすことに成功したのである。

 雪合戦に興じながら帰っていく真実と吾郎たちの背中を見送った至は、どこからともなく現れたフィレモンによって呼び止められた。

 

 

『マリーという少女の正体は、『神』の欠片だ。4つに分かたれたうちの最後の1体を出雲真実が降したとき、彼女は真の在り方を取り戻す』

 

『そうなれば、少女の“マリー”は真の在り方を取り戻した『神』の意識と統合され、完全に消滅するだろう。――私の力を3度借りたキミの末路と同じように』

 

 

 ――その言葉を聞いて、空本至の身体から一気に体温が引いた。

 

 愛する人を救えたと喜ぶ出雲真実の横顔が、愛する人に何も言わぬまま最期まで寄り添うことを選んだマリーの横顔が脳裏にちらつく。前者は運命など何も知らぬまま、きっと終わりまで駆け抜けるだろう。後者は切なさを押し殺して、自らの定めに殉じようとしている。

 おかしいじゃないか。マリーはただ、恋をしただけだ。真実もただ、恋をしただけだ。2人はただ一緒に生きていきたいだけなのに、それすらも『神』の理不尽――おそらく、『神』自身もそうなるとは想定していなかった――によって踏み躙られてしまうのか。

 

 “向こう側”に消えた周防達哉だって、ニュクスを封印するためにユニヴァースを発動させた香月命だって、数多の理不尽を味あわされても頑張っていた。

 前者は報われることなく消えるしかなくて、後者だって危うく人柱になりかかった。特に後者は、空本至がフィレモンと契約しなければどうなったか分からない。

 愛する人のために八十稲羽中の霧を抱き、虚ろの森ごと消滅しようとしたマリー。彼女は悲壮な決意を抱きながらも、最後は真実と共に絶望を乗り越えた。

 

 マリーと真実の未来はこれからだ。頑張ったご褒美があってしかるべきだろう。

 試練を乗り越えて勝ち取った世界で、幸せにならなきゃおかしいではないか。

 

 

『……フィレモン』

 

『何だい?』

 

『力を貸せ。――そういう契約だろう』

 

 

 善神はにっこりと微笑む。

 空本至には、一切の躊躇いはなかった。

 

 

***

 

 

 ――星と僕らと。

 

 

()()1()()だ。――分かっているね?』

 

『……言われなくとも』

 

 

 そうして、空本至の人生(たびじ)終幕(おわり)を迎える。

 

 

◆◆◆

 

 

「吾郎」

 

 

 有栖川黎から名前を呼ばれるとは思わなかったのか、明智吾郎が目を丸くする。

 黎は静かに微笑みながら、吾郎に向かって手を差し出した。

 

 

「……うん」

 

 

 吾郎は少しだけ照れくさそうに微笑み、黎の手を握り返す。そうして、統制神ヤルダバオトへと向き直った。

 

 空本至が見出した、新たなる希望。イゴールが見出したトリックスターと、どこかのセエレが救おうとした『神』の被害者。その2人は手を取り合って、ヤルダバオトと対峙する。2人の仮面が青い光を纏い、掻き消えた。顕現するのは2体のペルソナ――アルセーヌとロビンフッドだ。

 “ジョーカー”と“明智吾郎”もまた、黎と吾郎と共にヤルダバオトを睨みつける。“彼女”と“彼”の足元から青い光が舞い上がり、ペルソナたちと重なった。2人の姿は溶けるようにして消え去った。黎と吾郎はペルソナを縛り付けている鎖を握り締めると、躊躇うことなく引きちぎった。

 この場を震わす程の声を上げて、2体のペルソナが白い光に包まれる。統制神へ反逆することを選んだ大衆の祈りが一点に集束した。炸裂した光は流星となって、黄昏の空を流れていく。怪盗団の面々も、大衆たちも、呆気にとられた表情でそれを見つめていた。

 

 

「クク、力を扱い損ねたか」

 

 

 砕け散っていく白い光を見つめたヤルダバオトが嘲笑う。身の程知らずなのはどちらかを知らぬが故に。

 奴の身の程知らなさを、ひっそりと嘲笑う。――だって、あまりにも哀れなのだから。

 

 

「愚かな大衆の祈りなど、いくら集まったところで――」

 

 

 奴の言葉は最後まで続くことはない。自分を覆う黒い影の存在に気づいたためだ。

 

 

「な、なに!?」

 

「超強大なエネルギー反応!? ヤルダバオト……いや、それ以上か!?」

 

 

 高巻杏が空を見上げて息を飲んだ。

 佐倉双葉も引きつったような声を上げ、天を見上げる。

 

 稲光する黒雲から降り立った()()()は、巨大な羽を広げて統制神を見下ろす。6枚羽を有する大魔王と、4枚羽を有するその配下――サタナエルとアガリアレプトは憤怒の表情を浮かべていた。

 前者はサタンやルシファーと同一視されることもある最も偉大で美しい悪魔の王であり、神によって美しい姿を奪われ追放された反逆の徒だ。書物によってはルシファーの配下であるサタナキアと同一視するものもあるらしい。

 後者は悪魔の王ルシファーに仕える配下にして悪魔の将軍。機密を明らかにし、どんなに崇高な謎でも解明してしまう力を持つとされていた。サタナキアとは同じ君主に仕えており、ある意味では同僚関係にあるとも言えただろう。

 

 俗に言うならニコイチのような関係だろうか。悪魔の王が並ぶ壮観を眺めながら、そんなことを考える。

 

 

「あれは……」

 

「つーか、デカッ!?」

 

「こんな、巨大な力……まさか、ペルソナなのか!?」

 

 

 喜多川祐介が呆気にとられ、坂本竜司があまりの大きさに絶句する。モルガナは我が目を疑うようにして、サタナエルとアガリアレプトを見上げていた。

 ヤルダバオトと対峙するサタナエルとアガリアレプトの姿は、下にいる大衆たちにもはっきりと認識できたらしい。怪盗団を応援する声に更なる熱が宿った。

 熱気に湧く大衆たちの祈りや願いが光となって降り注ぎ、満身創痍となっていた怪盗団の傷を癒していく。それを見た少年少女は驚きの声を上げた。

 

 

「傷が消えてく……」

 

「それだけじゃない。力も湧いてくるよ!」

 

 

 新島真が掌を見つめて驚く。奥村春も花が咲いたような笑みを浮かべ、愛用の斧を構えてヤルダバオトに向き直った。

 

 ヤルダバオトは忌々し気に怪盗団と大衆を見下した後、一気にエネルギーを収束させた。数刻前に怪盗団を壊滅へと追いやった、ヤルダバオトの最強攻撃たる黒い光――統制の光芒が怪盗団目がけて降り注ぐ。圧倒的な破壊の力が、怪盗団の立つ足場を揺らがせた。

 だが、ヤルダバオトの攻撃を真正面から喰らっても尚、怪盗団は健在である。『神』の打倒を求める人々の祈りが、反逆の徒――サタナエルとアガリアレプトに無尽蔵の力を与えているためだ。統制神の攻撃に傷1つ付かない悪魔たちの姿に感化され、大衆が更に声を上げた。

 

 人々を騙し、怠惰の檻に閉じ込めることで破滅を誘った悪神。

 それを討つのは、『神』にすべてを奪われ陥れられた悪魔の王。

 この図からすべてを悟ったモルガナが「成程」と頷く。

 

 

「神が悪さするんなら、悪魔の王で退治してやるって訳か……! トリックスターに相応しい、最高の始末だ!」

 

 

 嬉しそうに頷いたモルガナは、黎と吾郎に向き直る。反逆の徒全員の力と、人々の希望――そのすべてを、2人に託した。

 力を託された黎と吾郎は仲間たちへ微笑み返し、ちらりとこちらを振り返る。灰銀の瞳も紅蓮の瞳も、キラキラと輝いていた。

 

 

「――奪え、サタナエル」

「――暴け、アガリアレプト」

 

 

 主の動きに呼応するかのように、サタナエルとアガリアレプトがゆっくりと動いた。悪魔たちの銃口が、ヤルダバオトの顔面を捉える。

 

 

「失せろ」

「消えろ」

 

 

 黎と吾郎の声が綺麗に重なる。

 それを見たヤルダバオトが声を上げた。

 

 

「ばかな!? 人々の願いを奪うのか!?」

 

 

 ヤルダバオトの見苦しい命乞いはそれ以上紡がれることはない。サタナエルとアガリアレプトが打ち放った銃弾――大罪の徹甲弾が、奴の頭を撃ち抜いたためだ。ヤルダバオトが沈黙するのと入れ違いに、空を覆いつくしていた暗闇が晴れていく。

 

 朝焼けを思わせるような太陽の光。人類の反逆が成功し、怠惰の牢獄から踏み出す新たな一歩を祝福するかのような光だった。

 しかし、時間帯的には黄昏と言った方が正しい。夕焼けの空は、人々に理不尽を味合わせてきた『神』の落日を告げる。

 悪神の企みはここに潰えた。これからは、人々が己の手で未来を作っていく――不安定だけれど可能性に溢れた世界が広がっている。

 

 どこからか、鐘の音色が聞こえてきた。統制神が持つ得物の1つが――本人の許可を得たか否かは知らないが――弱々しく鳴り響いている。

 機械仕掛けの神は、4つの腕を力なく垂らした。軋んだ音を立てて、奴の首は虚空へと向けられる。

 

 

「なんという力……。この我を、すべての大衆の願いより生まれた『神』を、超えるか……」

 

 

 奴の視線の先には――いつの間に浮かび上がっていたのか――フィレモンの姿があった。フィレモンは相変らず涼しい顔をしてヤルダバオトを見下ろしている。

 普遍的無意識を司る善神の双瞼に宿るのは、失敗作と詰った嘗ての化身への憐れみか、悲しみか、それとも感傷か。それを判別することは不可能だった。

 

 

「……これが、真の『トリックスター』の力……。人間が持ちうる可能性――フィレモンとセエレが善神として人類に与し、我の統制を否定した理由……」

 

 

 ヤルダバオトは己の過ちと敗因に気づいたらしく、「はは」と、弱々しい苦笑を漏らした。

 悲しそうに、寂しそうに、けれど満足げに――どこか安堵さえ滲ませて。

 

 

「イゴールめ……戯言などでは、なかったか……」

 

 

 始まりは善意だった。でも、それが独善の中でも最も度し難いレベルにあることを、統制神は認めなかった。

 人を幸せにするためには、『人間にとって都合のいい箱庭に閉じ込めておくことだ』と信じて疑わなかった。

 自分を否定した存在の声に心を病んだ統制神は、自分が間違っていないことを証明するために人類を巻き込み、牙を剥いた。

 

 ――そうして、奴は、自身が踏み躙って来た人間たちによって、叩き潰される。

 

 因果応報という言葉が相応しい始末。自分を望む大衆を作り上げることで統率者になろうとした悪神は、自分が巻き込んだ『駒』を筆頭にした人間や、自分が利用しようとした大衆から否定された。

 難攻不落を誇った白銀の体躯は、黄昏の空へと溶けて消えてゆく。やがて、ヤルダバオトは光の粒子となって、この世界から消滅した。主を失ったことで、大衆の牢獄に眠っていた『オタカラ』が姿を現す。

 

 

「見て!」

 

「あれ、『オタカラ』じゃね!? なあ、モナ!」

 

 

 杏と竜司の指摘に、仲間たちはヤルダバオトがいた空を見上げる。現れたのは、黄金の杯――聖杯だった。

 ヤルダバオトのような装飾は一切施されていない、シンプルな器。怠惰の牢獄に相応しい、人々の願望機の象徴。

 

 

「……世話になったな」

 

「モナちゃん?」

 

 

 彼女たちの指摘を肯定もせず、否定もせず、モルガナは飛び跳ねるようにして聖杯へと近づいた。違和感を感じた春が首をかしげるが、モルガナはそれに答えず訥々と言葉を紡ぐ。

 

 

「人間には、世界を変える力がある。今は、ほんの少し忘れてしまっているだけ……」

 

 

 普段と違うモルガナの様子に気づいた怪盗団の面々が、彼の元へと歩み寄る。モルガナは笑顔のまま振り返り、「オマエたちのおかげで使命を果たせた」と礼を述べた。

 仲間たちも彼に対し、「ありがとう」と口々に礼を述べる。モルガナは誇らしげに胸を張った。聖杯の姿はどんどん希薄になっていく。いずれ、メメントス共々消え去るだろう。

 

 

「ここも、もうすぐ消える。……帰るとするか」

 

 

 その表情を、自分はどこかで目にしたことがあった。――向う側の周防達哉が最後に見せた、寂しそうな横顔だった。

 その表情を、自分はどこかで目にしたことがあった。――ユニヴァースの封印を執行したときに見た、香月命の双瞼に宿る決意だった。

 その表情を、自分はどこかで目にしたことがあった。――己に課せられた使命と背負った運命に殉じることを選んだ、マリーの泣き笑い顔だった。

 

 頑張った人が報われないのは間違っている。『神』の理不尽に苦しむ人を放っておくことはできない。嘗て自分を救ってくれた人々のように、今度は自分が人を助けたかった。――それが、己の成り立ち。空本至が生まれ、歩んできた旅路の果てに出した“命のこたえ”。

 歩んできた旅路とそこで得た宝物のルーツを改めて認識したのと、誰かの気配を感じたのはほぼ同時だった。振り返った先にいたのは、青い外套を纏いクラシカルな装いをした仮面の男――自分と瓜2つの男だ。ああ、と、理解する。彼――セエレは、自分を統合するために現れた。

 

 だが、彼は迷うことなくモルガナと聖杯の前に立った。いきなり現れたセエレの本体に、黎たちは驚きの声を上げる。セエレはそれに応えることなく、モルガナをねぎらう。彼は後輩を撫でながら呟いた。

 

 

「頑張った子にはご褒美がないと、割に合わないだろ。――世界を救った英雄だなんて、大層な肩書なんざ無意味なんだ。そんなモン無価値なんだ。だってみんなは、どこにでもいる男の子と女の子なんだから」

 

 

 セエレはこちらに向き直る。菫色の双瞼は、こちらに対して「そう思うだろう?」と言外に問いかけていた。

 「ああ」と、自分も頷き返した。怪盗団の面々が呆然とこちらを見つめる中、セエレの元へと歩み寄る。

 

 

「目の前にいる人を助けたかった。理不尽に苦しむ人の助けになりたかった。頑張った人には、幸せになってほしかった。頑張りが報われてほしかった。――自分の幸せを祈ってくれた人のように、自分もまた、誰かの幸せを祈れるような存在になりたかった」

 

「――そう。それが、空本至が出した“人生(たびじ)終着点(こたえ)”」

 

 

 セエレは静かに微笑んだ。

 

 

「最果ての景色は、どうだった? キミが見たかった景色は見えたかな?」

 

「ああ、見れたよ。満足してる。――お前のおかげで、フィレモンの養分にされなくて済むし」

 

 

 セエレの問いに、迷うことなく答えた。フィレモンの養分と聞いたところで、彼も小さく噴き出した。元が同一存在なのだから、フィレモンへ反発するのも当然である。

 話題に出したものの、今この場にはフィレモンの姿はない。おそらく、自分の居場所である普遍的無意識の迷宮へと還っていったのだろう。すべてを見届けたのだから当たり前か。

 「至さん」と名前を呼んだのは、怪盗団の誰だったのか。振り返った先には、ひたひたと近付く別れの予感に不安そうな顔をした8人と1匹の姿があった。

 

 特にモルガナは、自分が“去る側”だとばかり思っていたのだ。自分が“見送る側”になるだなんて、予想だにしなかったはずである。

 セエレは合図するように指を動かす。金色の蝶がモルガナの鼻先に停まった。直立不動のまま間の抜けた声を上げるモルガナの姿は実に滑稽だった。

 

 自分も同じように微笑み、怪盗団の面々に――自分が守り抜き、導き抜いた若きペルソナ使いたちを見返す。彼等を見守り続けるという希望より、彼らの生きる世界を守るために逝くことを選んだ。迷わずそれを選べてしまうくらい、大事な存在たちだった。

 

 

「人は滅びを否定した。生きる理由を探すために人生という旅路を往き、夢を叶える権利を持つ。誰もが限りある命を精一杯生きて、嘘偽りに惑わされずに真実を求めた。そうして――目先の欲望ではなく、確固たる正義を貫き、自分自身の足で歩いて往くことを選んだ。――おめでとう、反逆の徒よ。キミたちは真の意味で自由になった。己の力で勝ち取ったこの世界を、大切な人たちと一緒に、思うがままに駆け抜けて行け」

 

「至さん……」

 

 

 泣きそうな顔をした吾郎と黎の顔が飛び込んできた。この中にいる面々の中で、特に泣いてほしくない人たちだった。人間である空本至なら、彼等の涙を拭ってやることができたのかもしれない。

 でも、自分は、その力を捨てた。代わりに、自分が見守ってきたペルソナ使いの1人を、本人がよく把握していない状態のままに後継者へと指名した。盛大な後出しに怒りを漏らす吾郎の姿を幻視し、苦笑する。

 

 

「なあ吾郎。お前にヤタガラスを――カウを譲渡したときの話、覚えてるか?」

 

「え?」

 

「言わなかったことがあったんだ。――()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 “自分と同じように、後から現れるであろう後輩たちを、『神』が齎す理不尽から守ってやってほしい”――その願いを聞いた吾郎は大きく目を見開いた。泣く一歩手前の表情で踏み止まった吾郎は、口元を真一文字に結んで頷き返した。

 彼の隣には黎が寄り添う。まるで、吾郎に背負わされた役目を一緒に引き継ぐと言わんばかりに。他の面々にも同じことを頼もうと視線を向ければ、全員がこちらを見返して頷いた。瞳に宿る決意には、一切の迷いがない。

 モルガナも、竜司も、杏も、祐介も、真も、双葉も、春も、「任せろ」という言葉の代わりに訴える。――ああ、この子たちがいるならば、あとは大丈夫。きっと大丈夫。そう、素直に信じることができた。自分はセエレへ向き直る。セエレも頷き返した。

 

 

「さあ、還りなさい。――世界がキミたちを待っている」

 

 

 セエレの言葉に呼応して、メメントスの『オタカラ』である聖杯が輝いた。美しい光がこの場一帯を包み込んでいく。

 

 空は晴れ渡り、赤黒い水たまりや骨のアーチも消えていく。最も、消滅するのはヤルダバオトが作り出した怠惰の檻として機能していた“欲望を司る異世界”だ。影時間が消えても八十稲羽のテレビ世界やモナドマンダラ等が残っていたように、他の異世界を巻き込んで消えるようなことはない。

 メメントスやパレスが完全に消滅したって、異世界そのものはこれからも残り続ける。それに、普遍的無意識を司るフィレモンが全盛期同然の力を取り戻したのだから、どの世代のペルソナ使いであっても、現実世界でペルソナ能力を振るうことができるようになるはずだ。今度は御影町や珠閒瑠世代方式に戦いが激化していくことだろう。

 

 彼等の旅立ちを思い浮かべる。きっと、みんな笑顔で歩いて行くだろう。

 仲間たちの姿を思い浮かべる。至がいなくなっても、きっと大丈夫だ。

 これから現れるであろう後輩の姿を思い浮かべる。あの子たちが、後輩たちを導いてくれる。

 

 想いも、意志も、確かに受け継がれた。受け継いでくれる人たちがいた。自分の旅路はここで終わりだけれど、自分が出した“命のこたえ”は、途切れることなく続いてゆく。――ああ。なんて――それはなんて、幸せなことだろうか!

 

 自分がそれを噛みしめていたとき、ふと気づく。自分の体全体が希薄になっていることに。――成程。どうやら時間切れらしい。

 金色の蝶が群れを成して飛び回る中で、嘗て空本至だったモノ――いずれセエレに統合されるモノは、すべてを受け入れるようにして目を閉じた。

 

 

◆◇◆◇

 

 

 青光する海の中で、2羽の烏が向かい合っていた。

 

 片や、首元に勾玉を下げた3本足の黒い烏――八咫烏(ヤタガラス)

 片や、背中に太陽が入った籠を背負った3本足の白い烏――火烏(カウ)

 

 八咫烏は慈しむように火烏にすり寄っていた。これが最後と言わんばかりに、ぐりぐりと頭を寄せる。もうすぐ自分は飛び立たねばならないから。

 火烏も同じようにして、八咫烏にすり寄っていた。八咫烏が飛び立たなければいいと願いながらも、それが叶わないことを知っていた。

 ひとしきり触れ合った後、八咫烏は火烏に背を向ける。けれど振り返り、一度だけ鳴いた。火烏も小さく頷き、一度だけ鳴いた。

 

 

“後を頼む”

 

“わかった。任せろ”

 

 

 八咫烏は嬉しそうに頷いて、振り返らずに飛び立った。黒い羽を残して、その背中はどんどん遠くなっていく。――あっという間に見えなくなった。

 残された火烏は、八咫烏が去っていった方角を見つめていた。――いつまでも、いつまでも、八咫烏が去っていった空を見つめていた。

 

 




魔改造明智と怪盗団によるVS統制神終了。魔改造明智の保護者が文字通り“とんでもない”ことになりました。保護者の末路は最初から決めており、八咫烏と火烏の関係性や空本家の『おしるし』は、その際に絡めようと思い至った設定です。やたら烏を強調していたのはこの瞬間のためでした。
正直な話、感想で至の顛末を言い当てられたときはちょっと焦りました。保護者が出した“命のこたえ”を魔改造明智や怪盗団の仲間たちが受け継ぎ、次世代へと繋げていく決意を示す――そんなシーンを書きたくて仕方がなかったんです。原作明智とは違う方面で、魔改造明智は大役を任された模様。
保護者を見送った魔改造明智。彼の過ごすクリスマスと3学期は、どんな出来事が待っているのでしょうか。次回はクリスマスから始まります。上手くいけば統制神編が次回で完結するかもしれません。最悪の場合でも、あと2話くらいで終わると思われます。

おまけのお遊びとして、魔改造明智コミュの効果を載せておきます。

魔改造明智コミュ
<ランク10・デミウルゴス撃破後、自動でランクアップ>
*バタフライエフェクト・未来はここに:エンディング演出に関係する。ヤルダバオト撃破後、魔改造明智の使用ペルソナにアガリアレプトが解禁。
<アガリアレプトの詳細>
アガリアレプト
アルカナ:星
耐性:全属性半減

魔改造明智にとってのアガリアレプトは、ジョーカーにとってのサタナエル扱いと見ていただければ幸いです。


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俺と黎の後始末

【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 @空本(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄で明智の保護者その1。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
 @デミウルゴス⇒獅童の息子であり明智の異母兄弟とされた獅童(しどう)智明(ともあき)を演じていた『神』の化身。姿は真メガテン4FINALの邪神:デミウルゴス参照。詳しくは中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『運命を切り開くだけの簡単なお仕事』および『ペルソナ3異聞録-.future-』、Pixivの『2周目明智吾郎の災難』および『【一発ネタ】有栖川黎の幼馴染』の設定を下地にし、別方向へ発展させた作品である。
・ジョーカーのみ先天性TS。
 ジョーカー(TS):有栖川(ありすがわ) (れい)⇒御影町にある旧家の跡取り娘。旧家制度は形骸化しているが、地元の名士として有名。身長163cm。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空本(そらもと) (わたる)⇒明智の保護者2で、南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。
・敵陣営に登場人物追加。
 @神取鷹久⇒女神異聞録ペルソナ、ペルソナ2罰に登場した敵ペルソナ使い。御影町で発生した“セベク・スキャンダル”で航たちに敗北して死亡後、珠閒瑠市で生き返り、須藤竜蔵の部下として舞耶たちと敵対するが敗北。崩壊する海底洞窟に残り、死亡した。ニャラルトホテプの『駒』として魅入られているため眼球がない。獅童パレスの崩壊に飲まれ、完全に消滅した模様。
・「2罰ボスの外見を見た人間の反応」に関するねつ造設定がある。
・普遍的無意識とP5ラスボスの間にねつ造設定がある。
・『改心』と『廃人化』に関するねつ造設定がある。
・春の婚約者に関するねつ造設定と魔改造がある。因みに、拙作の彼はいい人で、春と両想い。
・魔改造明智にオリジナルペルソナが解禁。
・フィレモンのポンコツ具合とゲス具合に拍車がかかる。


 綺麗だった黄昏の空は、いつの間にか分厚い雲に覆われていた。ホワイトクリスマスという言葉を体現するかのように、ちらちらと粉雪が舞っている。

 

 先程まで世紀末まっしぐらで右往左往していた――怪盗団に声援を贈っていた大衆たちは、その熱気を夢心地程度に孕みながらも、普段と同じように時間を過ごしていた。現金なものだと悪態をつきたくなってしまうのは、誰に知られることもなく世界を救った僕たちだからだろうか。

 大衆の様子は平穏無事を取り戻した。クリスマスとあって、街は賑わいに満ちている。つい先刻まで世界の危機だったとは想像できない光景だ。亡くしたものの痛みに俯く僕たちとは対照的に、何事もなかったかのように世界は進んでいく。周囲から響く楽しそうな声が場違いだと思ってしまいそうなくらいに。

 

 世界は怪盗団のことを思い出した。盲目的に信じていた獅童正義の不正を真正面から直視した。数時間では分からないが、きっとこれから騒ぎは大きくなることだろう。

 真の提案に従うような形で、このまま現地解散することと相成った。暫くは大衆の動きを見守ることになる。仲間たちも「大人しく高校生活を送る」ことで同意した。

 他にも、最後の活動報告会兼獅童正義を『改心』させヤルダバオトを斃した打ち上げは、明日行われることになった。確かに、クリスマスパーティがてら丁度いい。

 

 仲間たちと別れようとしたとき、僕たちを激励してくれたペルソナ使いたちと会った。『イセカイナビ 最終決戦限定版』の効果が切れ、みんなはそれを起動させたときに居た場所へと戻されたらしい。僕たちの元に現れた面々は、東京で『イセカイナビ 最終決戦限定版』を起動させた人々だった。

 

 

『至の奴に会った。……あいつ、『同窓会、もう永遠に参加できなくなった』と言っていたよ。『後を頼む』とも。――……あの、馬鹿者が……!』

 

 

 そう言って歯噛みしたのは、聖エルミン学園高校の同級生であり直属上司の南条さんだ。至さんは同窓会があると毎回欠かさず参加するタイプで、仲間たちとの語らいを楽しみにしている人だった。

 気軽に心を許せる相手がまた1人、彼の前から去っていく。嘗て執事だったヤマオカさんは南条さんのペルソナとして傍に寄り添っているけれど、至さんはもう、この世界のどこにもいないのだ。

 

 

『『みんなを守ってくれ』と言われたんだ』

 

『兄さんから、『俺の代わりにみんなを頼む』って言われたんだ。……だから、ちゃんとしないと。兄さんに心配かけないように、兄さんが安心できるように、頑張らないと』

 

『……悪い。……なんか、今は……今はまだ、至の願い、叶えてやれるような状態じゃ、なくて』

 

 

 『……申し訳ないが、暫く1人にしてくれ……』――そう言い残して、双子/保護者の片割れである航さんは、東京の雑踏の中へ消えていった。

 航さんにとって至さんは、自分の片割れであり大きな支えだった。物理的な距離が離れていたとしても、互いの存在があるという理由だけで頑張ってこれた。

 兄弟愛と呼ぶにはどこか生々しさもあったことは否定しない。でも、彼らが兄弟愛と認識していたのなら、それは兄弟愛だと言って差し支えないものだ。

 

 航さんにとって至さんは、たった1人の肉親である。片割れを失った彼の寂しそうな背中を、きっと僕は忘れられない。

 

 仲間たちと別れて、この場に残ったのは僕と黎だけだ。仲間たちはそそくさと「12月24日だから、ごゆっくり」とだけ言い残して去っていった。モルガナは春の家で厄介になるらしい。

 普段は茶化すような口調で僕と黎に声をかけるのが常だったが、至さんがいなくなってしまったというショックを噛みしめているのか、みんなどこか元気がなさそうだった。勿論、僕たちも。

 

 

「…………」

 

「…………」

 

 

 ――仲間たちと別れてから、どれだけの時間、僕と黎は“こうして”いるのだろう。

 

 亡くしたものの痛みを噛みしめながら、僕たちは無言のまま寄り添う。黎は幼い頃からずっと一緒にいた兄貴分を、僕は親代わりの保護者であり尊敬する人を失ったのだ。胸を割くような痛みをどう表現すればいいのか分からない。この気持ちをどこに納めればいいのか分からず、持て余したままでいる。

 僕たちにもっと力があれば、至さんはフィレモンの契約に頷くことはなかったのかもしれない。もっと早い段階でフィレモンの契約に気づいていたら、あの人を止めることができたのかもしれない。後悔ばかりが降り積もる。――明智吾郎が何かに気づくときは、いつも手遅れになってからだ。

 こんなときに声をかけてくれそうな相手を探してみる。“明智吾郎”は相変らず、僕の心の中にいた。“彼”は、俺が初めて“彼”を視認できたときの体勢――体育座りで俯く。“彼”にとって空本至がどんな存在かは分からないが、あの態度からして、おそらく嫌いではなかったのだろう。

 

 何かを言おうと口を開くが、それは言葉になりはしない。白くけぶった呼気になり、夜の街へと溶けて消える。

 痛かった。ひたすら痛くて痛くて堪らなかった。喉の奥から引きつったような嗚咽が漏れる。それを止めることはできなかった。

 

 

「吾郎」

 

 

 黎に名前を呼ばれ、僕は彼女に視線を向ける。灰銀の瞳にはうっすらと膜が張っていた。彼女もまた、酷い泣き顔を晒していた。

 それでも、黎は無様な泣き顔を晒す僕の涙を拭ってくれる。自分だって泣きたいはずなのに、悲しみに溺れかけているのに、僕を気遣ってくれる。

 情けない。本来なら僕が、彼女の涙を拭ってあげなきゃいけないのに。そういう存在になりたいと願っていたのに、僕の涙は全然止まらなかった。

 

 そんなとき、不意に、視界の端を何かが横切った。

 黄金に輝く蝶が、僕と黎の周りを飛び回っている。

 

 

「……え?」

 

「これって……」

 

 

 金色の蝶は僕の指に停まった。星屑を思わせるような鱗粉がきらきらと落ちる。蝶は暫し羽を休めた後、再び羽ばたいて僕らの周りを飛び回った。

 

 泣かないでほしいと祈るように、どうか笑ってほしいと願うように、黄金の蝶は僕と黎の周囲を飛び回る。心に火を灯すような優しい輝きは、僕たちを見守っていた至さんの眼差しを思い起こさせた。僕と黎の眼差しは、黄金の蝶に釘付けとなる。自然と口元が緩んだ。

 実体が取れなくなっただけだ。空本至という存在として世界に在ることが出来なくても、あの人は僕たちを見守っている。僕たちを助けようとする。彼の想いはずっと、この世界で僕たちを見守り続けるのだ。世話好きなお人好しで、過保護気味な心配性なあの人らしかった。

 蝶はくるくると縦横無尽に僕らの周辺を飛び回っていたが、僕らの涙が止まったことを察知したのだろう。そのまま、粉雪が舞う空の向こうへと消えていく。僕と黎は、彼の想いそのものである黄金の蝶を見送った。蝶の姿はそのまま遠くなり、見えなくなる。

 

 

「人でなくなっても、心配するんだな」

 

「こんなときに励ましてくれるなんて、至さんらしいね」

 

 

 僕たちは顔を見合わせて苦笑する。大好きな保護者からの頼みだ。落ち込むのはもうやめる。

 自分の涙を乱暴に拭った僕は、黎の涙を掬い取ってやる。黎はほんのりと頬を染めてはにかんだ。

 

 手を繋いでゆっくり帰ろうか――そんなことを考えていたとき、僕のスマホがけたたましく鳴り響いた。

 こんなときに誰だろうか、と、僕は訝し気に着信を確認する。相手は冴さんだった。

 「もしもし」――そう紡いだ僕の声は、聞き手に取って棘があるように感じたらしい。深々とため息が聞こえてきた。

 

 

『お楽しみに洒落こもうとする明智くん()()には悪いんだけど、頼みがあるの。どうせ貴方は今、有栖川さんと一緒にいるんでしょう?』

 

 

 どうやら冴さんは僕と黎に頼みたいことがあって連絡してきたらしい。他の怪盗団の仲間たちには絶対に聞かれたくない話題のようだった。

 僕は黎と顔を見合わせる。電話越しの冴さんの声は固く、重々しい。この様子だと、クリスマスイブデートに洒落こむのはお預けになりそうだ。

 

 電話の向こう側にいる冴さんに「是」と返事をしてから暫くして、スーツ姿の冴さんが姿を現した。僕らの姿を視認して早々、彼女は大仰に肩をすくめる。

 

 

「世界を救った英雄がクリスマスイブを過ごすカップルの中に紛れているなんて、誰が予想できるかしら?」

 

「冴さんは1人なんですか?」

 

「明智くん、セクハラで訴えるわよ」

 

「話は最後まで聞いてくださいよ……」

 

 

 僕の話を食い気味に遮り、ジト目でこちらを睨んできた冴さんを制する。僕は彼女に遮られた言葉を続けた。

 

 

「真と一緒に過ごすんじゃないんですか? 真、楽しみにしてましたよ? 冴さんとのクリスマス」

 

「私だって帰りたいわよ。真とクリスマス過ごしたいわよ。姉妹水入らずで楽しみたいわよ。ケーキとターキー食べたいわよ。真にプレゼント買ってあげたいわよ。真からプレゼント貰いたいわよ。万が一真に彼氏ができたなら、真の彼氏を尋問したいわよ」

 

 

 冴さんの目は据わっている。あれは激務が溜まってきているときに見せる、ストレスで荒れた状態の表情だった。真の彼氏に関して拷問と言う単語が出てこないだけ温情だと思う僕も大概だろう。お互いの言動に毒されてしまう程、僕と冴さんは長い付き合いになっていた。

 冴さんの表情に思い至った僕は、なぜ彼女が険しい顔をしているのかを察する。ヤルダバオトを撃破したことにより、大衆は獅童正義の行った謝罪会見を正しく認知することができた。獅童が怪盗団に『改心』されたことで罪を告白した――その事実や衝撃を、はっきりと理解した。

 それだけではない。怪盗団がテレビ放送をジャックして行った予告状に関する話題だって出てくるはずだ。『捕まえたはずの怪盗が逃げおおせていた』だなんて、警察組織にとっては大失態だと言えるだろう。今頃、上層部が責任問題で「誰を生贄にするか」という議題で盛り上がっていそうだった。

 

 今日は大事件の直後だったため、そんなに表立った騒ぎになっていない。あの混乱を噛み砕き、乗り越えた後こそ、本当の意味での大混乱が生じる。恐らく、明日頃にはマスコミやテレビが表だって騒ぎ始めるはずだ。

 

 獅童が行い隠蔽してきた数多の悪行を叩くのか、怪盗団の活躍を褒め称えるのか、怪盗団の関係者を捕まえておいて逃がしてしまった警察組織が叩かれるのか。

 前者2つは僕らの望み通りに作用するはずだ。だけれど、一番の問題は警察関係者である。僕と黎の不安は正解らしく、冴さんは真剣な面持ちで口を開いた。

 

 

「獅童は様々な罪を告白した。逮捕までは、それで行ける。……問題は、その先」

 

「『廃人化』事件の証明、ですね」

 

 

 黎の言葉に、冴さんは頷き返した。

 

 獅童を正しい罪状で裁くためには、『廃人化』による殺人を立件しなければならない。だが、異世界だのペルソナ能力だのシャドウだの、不確定要素があまりにも多すぎる。証拠がそろわなければ、獅童を殺人で立件し罪を問うことは不可能であった。下手すれば証拠不十分で不起訴に持ち込まれる危険性もあり得る。

 獅童正義はあくまでも殺人を教唆しただけだ。実行犯である獅童智明は元々()()()()()()()()()。認知の歪みが元通りになれば、智明の痕跡は世界から完全に消え去るだろう。奴の正体であるデミウルゴスは僕たちとの戦いに敗れて消滅したため、『廃人化』の手段を説明できるのは怪盗団である僕たちだけしかいない。

 

 

「率直に言うわ。警察に出頭してほしい。……獅童を有罪にするためには、貴方たちの証言が必要不可欠なの」

 

「僕たちに『表舞台に立て』、ということですね」

 

 

 案の定、僕と黎の予想通りだった。

 現状で表舞台に立つことが何を意味しているか、想像がつく。

 メディアへの出演経験がこんな形で役に立つとは思わなかった。

 

 僕は苦笑しながら言葉を続ける。

 

 

「今の僕たちは一躍、世界の危機を救ったヒーローだ。――だが、犯罪者が英雄扱いされるなんて、警察や検察が認めるはずがない。ましてや、彼等は1度、怪盗団に“してやられた”という恨みがある」

 

「怪盗団のリーダーを捕まえたと大喜びしたところ、リーダーは自殺したフリをして警察と検察を欺いた。しかも、テレビジョンに映し出された映像からして、自分たちが捕まえた人物はリーダーとは別人だと知ってしまった。捕まえたのが怪盗団の一員とはいえど、リーダーだと思って勘違いして末端を捕まえさせられた挙句、末端にすらみすみす脱獄を許してしまったんだ。こんなの失態以外の何物でもない。警察や検察は、己の威信を賭けて怪盗団を根絶やしにしようとするはずです。――どんな手段を使ってでも」

 

 

 僕の言葉を黎が引き継ぐ。警察や検察は、何よりも面子を重んじる組織だ。彼等の執念の恐ろしさは、獅童正義や須藤竜蔵等の腐った大人たち絡みで嫌という程味わっている。善い意味では周防兄弟だろうが、今回のケースは須藤竜蔵系――悪い意味の色が強い。

 適当に罪をでっちあげて強引に逮捕に動いたり、関係者の命を人質にして理不尽なことを迫ったり、物理的手段で息の根を止めた上で“事故死”や“不幸な事件”として片付けたりするのだろう。「そこまで分かっているなら話が早いわ」と冴さんは苦笑した。

 

 出頭すれば、僕や黎は確実に逮捕される。脱獄をやってのけた僕も、獅童による冤罪で前歴をつけられた黎も、少年院送りにされる可能性が極めて高い。

 警察や検察は“怪盗団が英雄視されず、必要な証言さえ取れればそれでいい”と考えるはずだ。精神暴走によって歪んでいた冴さん自身が証人である。

 少年院に隔離されるだけならまだいいのだ。あそこはある意味で“密室”である。もし、そこに獅童のシンパで怪盗団を恨む人間が送り込まれていたら――。

 

 

「もしも、貴方たちが警察へ出頭して証言するなら、仲間や貴方たちの命の安全は私が保証するわ。……いいえ、絶対守ってみせる」

 

「職権乱用……!? 下手すれば、冴さんの検事生命だけでなく、冴さん自身も危なくなりますよ?」

 

「怪盗団には『精神暴走事件の被害者になっただけでなく、遠隔操作されて獅童の手先になっていた私を救ってもらった』借りがあるわ。あの程度で返せたとは思えない」

 

 

 黎の問いかけに、冴さんは不敵に笑い返した。彼女も妹同様完璧主義者だ。負けず嫌いで、超弩級の反骨精神を持っている。もし彼女が『神』に見いだされていたら、真同様、ペルソナ使いとして悪魔やシャドウを薙ぎ倒していく可能性もあったのだろう。カジノで出会った女主人――チェーンソーとガトリング装備のバーサーカー――の姿を思い浮かべ、僕は心の中でかぶりを振った。

 

 冴さんは「怪盗団との取引をきちんと果たす」と約束してくれた。獅童正義の犯した罪を立件し、奴を法廷に立たせ、奴が正しき罪状で裁かれるように手を尽くしてくれるという。もう二度と、世間が歪むことのないように。

 怪盗団の行動理由は『世直し』だった。自分が出頭することで『世直し』が果たされるなら、喜んで絞首台に立つ。かけがえのない仲間を守れるならば、自分がどうなっても構わない。たとえ破滅する定めでも、己の正義を成せればいい――それがトリックスターの在り方。

 

 

―― “俺”()()にも、できるか? ――

 

(……ああ。きっとできる)

 

 

 僕と“明智吾郎”は顔を見合わせて頷いた。大事な人を――有栖川黎/“ジョーカー”を守りたいという想いは一緒なのだ。

 もし黎が出頭すれば、獅童の冤罪によって負わされた保護観察処分も取り消しにされ、少年院送りにされてしまう。

 ただでさえ不当な目に合っているのだ。辛い目に合ってきたのだ。……もうこれ以上、理不尽な目に合ってほしくない。

 

 『白い烏』の役目は、愛する人を守ることだ。

 それを果たすため、僕は口を開き――

 

 

「――冴さん。私が警察に出頭します」

 

 

 僕の言葉は、丸々奪われた。僕は弾かれたように発言者――有栖川黎へ視線を向ける。灰銀の双瞼はどこまでも澄み渡っており、一切の迷いがない。

 

 

「何、言って……!?」

 

「冴さんを味方に引き入れようとしたとき、吾郎は私の代わりにリーダーを名乗って身代わりになってくれたでしょう? なら、今度は私が怪盗団のリーダーとしての責任を果たすときだよ」

 

「そんなのダメだ! 待って、待ってください! 冴さん、警察へは僕が行きます。だから黎は――」

 

 

 躊躇うことなく自己を犠牲にしようとする黎を放置することはできなかった。もうこれ以上、彼女に肩身の狭い思いをしてほしくなかった。

 保護観察が解かれるまで――獅童に着せられた冤罪の汚名が雪がれるまでもう少しだと言うのに、それを無に帰されてしまうのだけは嫌だった。

 

 

「嫌だ。行かせない」

 

「黎……!」

 

「……これ以上、吾郎に負担かけたくない。危険な目に合ってほしくない。合わせたくなんかない。――……もう、“あんな思い”するのは御免だ……!!」

 

 

 黎は苦しそうに呟いて俯く。僕の腕を掴んで引き留める少女の手は、小刻みに震えていた。唇を真一文字に結んで、何かを堪えようとしている。僕の気のせいでなければ、彼女の双瞼がジワリと滲んだように見えた。

 

 普段の黎からは想像できないくらい、頼りない声だった。こんなにも儚くて、今にも消えてしまいそうなくらい脆い黎の姿を見たのは、先月怪盗団に襲い掛かって来た最大の危機――強制捜査以来のことだ。僕が囮になって捕まると提案したときのこと。

 彼女がこんなにも憔悴してしまうのは、他にも理由がある。“ジョーカー”はいつも、“明智吾郎”の消失に心を痛めていた。目の前で“彼”を助けられなかったことを気に病み、“彼”が救われるようにと祈り、願っていた。

 11月の賭けに負けていたら、僕は取調室で命を落としていただろう。黎の手が届かない場所で死に、そのことが彼女の心に暗い影を落としたのかもしれない。もしかしたら、僕の死すらヤルダバオトに利用されたかもしれないのだ。

 

 “ジョーカー”の意識に引っ張られているのか、それとも有栖川黎自身の感情なのか、あるいは双方の複合なのか。いずれにしても、彼女は今、“明智吾郎を失うかもしれない”という恐怖に苛まれている。11月の強制捜査の際、“有栖川黎の元へ帰れないかもしれない”という恐怖と向き合っていた僕のように。

 

 

「……分かったわ。積もる話もあるんでしょうし、2人でしっかり決着つけて頂戴。後悔だけはしないようにね」

 

 

 どちらが出頭するか――互いに譲らない僕らの様子を見かねた冴さんは、深々とため息をついた。

 てっきり「早くしろ」と急かしてくるのかと思ったのだが、意外な反応である。

 冴さんは僕らの考えに気づいたのか、眉間の皺を深めた。苛立ちの色合いが濃くなったように感じる。

 

 

「私だって、イブの夜に恋人たちを無理矢理引き裂くような鬼畜ではないわ。そんなことしたら、明智くんの保護者に祟られるわよ」

 

「至さんに?」

 

「ええ。……東京が異世界に飲まれたとき、彼と会ったのよ。藪から棒に『あの2人に頼みごとをするなら、明日まで待ってあげて欲しい』って頼まれたの」

 

 

 「彼は、私が貴方たちに『出頭してくれ』と頼むって知っていたのね」――冴さんは、少しだけ遠い目をして呟く。冴さん曰く「そのときに“至さんはもう二度と帰ってこない”ことを察した」らしい。理由は分からずとも、至さんの纏う雰囲気で気づいたのだと思う。

 

 彼女は明日の朝に僕たちを迎えに来るそうだ。至さんからの頼まれごとをきちんと果たし、恋人同士である僕らが語らうことを許してくれた。

 冴さんの器の大きさに、頭が上がらない心地になる。僕たちが礼を述べれば、冴さんは静かに微笑んだ後、颯爽と人混みの中へ消えていった。

 僕たちは顔を見合わせた後、当てもなく渋谷の街を歩くことにした。どこを見回しても、幸せそうなカップルばかりでごった返している。

 

 今だけは、僕らも“どこにでもいる幸せそうなカップル”でいられるだろうか。

 明日に待ち受ける数多の理不尽から目を逸らし、無邪気に楽しんでも許されるだろうか。

 

 

「ねえ吾郎。ちょっとだけ、買い物につき合ってくれない?」

 

「いいけど、何買うの?」

 

「クリスマスプレゼント。……今日のうちに選んで、渡しておきたいと思って」

 

 

 黎の提案に、僕は思わず目を丸くした。灰銀の瞳に宿る決意は、冴さんに『自分が出頭する』と申し出たときと変わらない。彼女は自分が犠牲になることで、すべてを終息させようとしている――嫌でもそれが伝わってきてしまい、僕は思わず歯噛みしていた。

 多分、俺が納得していないことにも気づいている。俺が身代わりになろうとしていることも察している。俺も引き下がるつもりがないことも分かっていて、黎は言うのだ。何の迷いもなく、正義を貫くつもりなのだ。――そんな彼女だから、僕は惹かれた。残念なことに。

 有栖川黎の決意を挫く力など、明智吾郎は一切持ち合わせていない。彼女を諦めさせるための言葉を、俺は何一つとして有していない。あまりにも無力だ。そんな俺自身が嫌で、悔しくて堪らなかった。耐え切れずに俯いた俺を、黎は悲しそうな眼差しで見つめていた。

 

 

「吾郎」

 

「……そんな、今生の別れみたいな調子で、言うなよ」

 

 

 自分でも呆れ果ててしまう程、弱々しい声だった。

 

 

「獅童や『神』との決着もついた。だから、僕たちは“これから”なんだ。――そのこと、忘れないでくれ」

 

「――うん。そうだね。これからだもんね」

 

 

 僕の言葉を聞いた黎は、ふわりと笑い返す。灰銀の瞳は『自分に降り注いでくるであろう目先の理不尽』ではなく、もっとその先にある『未来』を見つめているように思った。

 多分、彼女の見ている光景(モノ)は、今、僕が必死になって見ようとしている光景(モノ)と同じはずだ。それが現実逃避の一環でしかないことは重々理解している。

 

 僕らにとって、それは希望だった。これから襲い来るであろう、数多の理不尽を乗り越えていくために必要な標。お互いの傍に帰ってくることを誓う証。2人で顔を見合わせて頷き合う。悲痛な色なんて要らなかった。

 今の僕たちは“どこにでもいるカップル”だ。一緒に未来を生きていくのだという希望に胸を躍らせて、互いの愛情を感じながら、互いを想いあう。恋人同士で過ごす時間を大切にしたいと願っているだけの若者でしかない。

 怪盗団の関係者だとか、明日自首するとか、そんな悲壮感から今暫くの間目を逸らすことを許してほしい――僕がそんなことを考えたとき、視界の端を何かが横切った。僕が視線を向けた先には、金色に輝く蝶がひらひらと舞っている。

 

 至さんのお節介だろうか。先程見送ったはずなのに、もう戻って来たらしい。

 

 そんなことを考えながら視線を動かせば、蝶が向かった先は大きな総合百貨店にある宝石店だった。しかも、指輪コーナーに金色の蝶が群がっている。

 異様な光景にぎょっとしてしまったのは仕方がないだろう。しかも、蝶の群れは僕にしか見えていないようだ。黎は突然立ち止まった僕を怪訝そうに見上げる。

 

 

「どうかしたの?」

 

「いや……プレゼント、ここで買おうかなと思って」

 

「そっか。じゃあ、ちょっとの間別行動しようか。サプライズしたいから」

 

「……分かった。プレゼントは、帰ったときのお楽しみってことで」

 

 

 僕と黎は悪戯っぽく笑い、それぞれの欲しいものを探すために店内へと足を踏み入れた。

 

 金色の蝶が群がる指輪売り場へ足を進める。僕が来たことを察知した蝶たちは、お勧め商品の素晴らしさをマーケティングしてくる店員のように周辺を飛び回った。「そこまでお膳立てしなくていい」と告げる代わりに睨み返せば、蝶の群れはぱらぱらとばらけて周囲を飛び回っていた。

 恋人に贈る“揃いの指輪”選びを保護者に見守られるとか、どんな罰ゲームだろう。赤の他人に見守られるのもハードルは高いけれど、自分の保護者が背後でニコニコ笑っている気配を感じるのもやりづらさを感じる。――至さんはもう二度と、人間の姿でここに現れることはないのかもしれないが。

 

 どんなデザインにするか、あるいはどんな宝石があしらわれたものにするか。僕が顎に手を当てて唸ると、蝶の群れが大移動を始めた。僕は視線で蝶の動きを追いかける。

 蝶の群れが停まったのは、宝石言葉や宝石に込められた意味に関する一覧だった。この店はパワーストーン系の宝石を取り扱っているらしく、その手の情報も閲覧できる。

 しかも、簡単な質問に答えればぴったりの宝石――大まかなグループだけだが――を教えてくれるそうだ。僕は早速質問に答えていく。程なくして、結果が出た。

 

 

「――サファイア、か」

 

 

 一般的には9月の誕生石であり、宝石言葉は慈愛・誠実・貞操。“持ち主を悪意から守る”という言い伝えがあり、とある国では王妃への贈り物にも用いられた宝石だ。僕たちに待ち受ける運命を思うと、これ程までに相応しいものはあるまい。

 世間一般では青い色がメジャーであるが、僕が知らないだけで様々な色や種類があるようだ。色や種類が変われば、宝石に込められる意味も大きく変わってくる。一覧と散々睨めっこを繰り広げた僕は、僕の思い描く未来に相応しいものを選んだ。

 

 サファイアに桃色系統のものがあるなんて、ここで調べなければ知らないままだったろう。

 幸い、メディア露出でそれなりに稼いだため、揃いの指輪を買う程度は造作もなかった。

 愛する人を守りたい。愛を言葉と行動で示しあえるような関係を築きたい。――それが、僕の望みだ。

 

 僕がそんなことを考えていると察したのか、蝶の群れが僕に集まって来た。相当な量の蝶が背中や肩、頭や髪に纏わりついている。

 本来、この状況は“不快極まりない”と表現するに相応しかろう。だが、この蝶には実体もなければ質量もない。勿論、熱もない。

 

 ……きっと永遠に、実体や質量はおろか、温みすら得ることもないのだろう。

 

 

(……ああ。もう、貴方はいないのか)

 

 

 瞼の裏に浮かぶ、大きな背中を思い返す。

 押し殺しきれなかった一抹の寂しさが、じわりと滲んだ。

 

 

◇◇◇

 

 

「おう、お帰り」

 

「ただいま、佐倉さん」

「おじゃまします」

 

 

 僕らが店内に入ると、佐倉さんが店じまいの作業を終えたところだった。怪盗団が最後の仕事をやり遂げたことを双葉から聞いていたのか、彼の口元は緩んでいる。

 

 佐倉さんは戸締りを僕らに任せ、家に帰ろうとしていた。

 そこで、彼は一端足を止めて振り返る。

 

 

「そういえば、お前さんの保護者が来たぞ」

 

「至さんが?」

 

「ああ。世界がおかしくなった直後に食材抱えてウチに来て、『クリスマスパーティの準備する』とか言い出してな。つい『お前は馬鹿か!?』って突っ込んじまったよ」

 

 

 佐倉さんの言葉を聞いて、僕の脳裏に浮かんだ光景があった。クリスマスイブ2日前、料理のレシピをPDFに纏めていた至さんと談笑したときの記憶。

 『クリスマス何食べたい?』と訊ねてきた彼に、僕は何と返事をしたのだろう。『『神』撃破後の打ち上げでも料理も頼む』と僕が言ったとき、至さんは何と返しただろう。

 あのとき既に、至さんは覚悟を決めていたのだ。でなければ、『俺がいなくなっても大丈夫なように、レシピを纏めておこう』なんて思い至らなかったはずである。

 

 

「そうしたらあいつ、泣きそうな顔して笑ったんだ。『吾郎と約束したから、これだけは果たしたいんだ。()()()()()()()()』ってな」

 

「…………」

 

「……吾郎。詳しい事情は知らんが、お前さんの保護者は()()()()()()()()()んだな。――若葉のヤツと同じように」

 

 

 「さぞかし無念だったろう」と、佐倉さんはため息をつく。いい人間ばかりが先に逝ってしまうと嘆いた喫茶店のマスターは、僕と黎へ心配そうな眼差しを向けてきた。

 

 佐倉さんは4月から今までに至るまでの保護者達の言動を思い出していたのかもしれない。視線が電話へ集中している。まるで、「今すぐにでも呼び出し音が鳴り響けばいいのに」と思っているかのようだった。――いつぞやのように、至さんはもう二度とルブランに鬼電をかけることもない。

 黙ってしまった僕たちを見た佐倉さんは小さく肩を竦め、洗ったばかりのサイフォンに豆を入れた。コーヒーの香りが鼻をくすぐる。程なくして、佐倉さんの特製コーヒーが僕たちの前に差し出された。「御代はいらない。飲み終わったら片付けて戸締りを」とだけ言い残し、佐倉さんは去っていった。

 

 

『至さまから伝言を預かっております。『今回の件が片付いたら、ラヴェンツァのお客様と共に、ルブランの屋根裏部屋へ行くように。楽しみにしておいてほしい』とのことです』

 

 

 青い部屋で出会ったテオドアが、僕に伝えた“至さんからの伝言”。それを思い出した僕は、思わず駆け出していた。

 部屋主である黎を差し置いて、いの一番に部屋に足を踏み入れる。真っ先に飛び込んできたのは、部屋の真ん中に置かれた机と椅子。

 正確に言うなら、机の上に並んだ料理の数々だ。ホールケーキやローストチキンを筆頭としたクリスマスディナー。

 

 至さんのことだ。ここに並んでいる料理はすべて、彼の手作りだろう。視界の端に金色の蝶がちらついたような気がして、僕は思わず口を開く。――掠れた声が漏れるだけで、何も出てこなかった。

 

 行事の節目節目には、いつも至さんが料理番を務めていた。お正月も、端午の節句も、運動会も、クリスマスも、美味しい料理を振る舞ってくれた。

 外から帰って来た僕を迎える保護者の笑顔と、『おかえり』という声の残響が僕の記憶の中を漂う。あの日々はもう二度と帰ってこないのだと、思い知る。

 

 

「吾郎」

 

 

 背後から聞こえてきた声に、僕はのろのろと首を動かす。振り返った先には、佐倉さんのコーヒーを持って来た黎がいた。

 

 灰銀の瞳に映る僕の姿は、細い目に涙をたっぷりと湛えて、口がぐにゃりと歪んでいる。文字通り、“情けない”という言葉がよく似合う。

 泣いてはいけないのだと分かっていた。でも、どうしても、喉の奥から漏れる嗚咽が止まらなかった。よろり、と、一歩踏み出す。

 黎はコーヒーを机の上に置くと、躊躇うことなく手を広げて僕を迎え入れてくれた。勢いそのまま、僕は彼女に縋りつく。

 

 堰を切ったように涙が溢れる。仲間たちと別れて黎と2人きりになったとき――冴さんから連絡が来る直前――に泣いたときに、涙なんて枯れ果てたはずだった。

 満足するまで泣いたのだと思った。遺された想いを背負って行く決意をした。もう立ち止まらないと思ったのに、抱えた痛みは容易になくなることはない。

 

 

『後を頼む、吾郎』

 

 

 至さんの姿が脳裏に浮かんでは消えていく。今の僕の姿を見たら、きっと、彼は困った顔をして言うのだろう。

 『どうか泣かないで、前を向いてくれ』って苦笑するのだろう。それがあの人の願いなんだって分かっている。

 

 でも、今だけは。今この瞬間だけは、泣いてしまう僕の弱さを許してほしい。自分の救った世界に不在者が出てしまった悔しさと悲しみを噛みしめることを、もう二度と戻ってこない人を悼むことを許してほしい。――そう、思った。

 

 

***

 

 

 窓の外は雪がちらついている。室内の温度差も相まって、窓ガラスは結露によって白くぼやけていた。ただでさえ曇天で暗いのに、夜の帳によって普段よりも闇が濃くなっていた。

 室内は静かだった。僕も黎も、沈黙を保ち続けている。重々しい空気が世界を支配しているような錯覚に苛まれるのは、双方の意志が固いことを理解しているからかもしれない。

 

 冴さんから持ち掛けられた話題を頭の中で繰り返す。何度思い出しても同じ結論に行きつくのは、僕も黎も一緒だった。

 

 獅童正義の行った『廃人化』事件による殺人を立証するには、手口を知る怪盗団の証言が必要。だが、警察や検察は怪盗団に悉く面子を潰されており、かなり攻撃的になっている。

 出頭すれば即逮捕されることは確定していた。警察に捕まった怪盗団の構成員が『脱獄を成し遂げた』ことも相まって、怪盗団を捕まえるためにあらゆる手を使うだろう。

 獅童の行った隠蔽工作や『改心』成功で有耶無耶になった情報も、改めて念入りに洗い直されるはずだ。冴さんが情報操作をしてくれても限界はある。

 

 そして何より、出頭すれば確実に少年院へ送られるだろう。被疑者の素行を始めとした捜査や証言集めはロクに行われることなく、『人格に問題あり』や『怪盗団として世界を騒がせた』という証言だけ――下手をすれば証言内容すら操作される可能性もあった――が重視される。

 警察や検察にとって欲しい証言さえ手に入れられれば、あとは事態の収拾宣言を出して放置するはずだ。世間に自分たちの正義を示し、“怪盗団は悪である”と主張できれば、僕や黎の人生がどうなろうと知ったこっちゃない。背負わせられるであろう数多の理不尽を思うと、苛立ちが増した。

 

 

―― なんでお前、笑ってんだよ……!? 全然笑える状況じゃないだろうが! お前、自分が何を言ってるのか分かってるのか!? ――

 

―― だってそうしないと、みんなに被害が及ぶことになる。怪盗団のリーダーとして、私は私自身の責任を果たしに行くんだ ――

 

 

 後ろの方で、“明智吾郎”と“ジョーカー”が言い争いを繰り広げていた。静かに笑う“ジョーカー”に対し、“明智吾郎”は情けない表情を晒している。

 

 “ジョーカー”は冴さんの取引に従い、自分自身を犠牲にしようとしている。本人は納得しているようだが、“明智吾郎”は一切納得していない。冴さんの話を聞いた“彼”は、“己”が居なくなった後に何があったかを察したようだ。そうして、“ジョーカー”の落ち着き払った/手慣れた様子からして、予感が確信に変わった。

 獅童の駒、および『廃人化』事件の実行犯だった“明智吾郎”は箱舟の機関室に消えた。現実世界では死亡、あるいは行方不明扱いとされたのだろう。もしかしたら、死体すら発見されなかった可能性もある。実行犯の証言が無ければ『廃人化』の手段を証明できず、獅童正義が犯してきた罪を立証することは不可能だ。

 実行犯“明智吾郎”から証言を得られなくなってしまったなら、他の証言者を探さなくてはならない。唯一、獅童によって隠蔽されてきた『廃人化』事件の全貌を知っているのは怪盗団のメンバーだけだ。怪盗団として出頭すれば、社会的に厳しい扱いを受けることになるのは明らかである。誰が出頭してもロクなことにならない。

 

 竜司は以前の暴力事件の件もあって退学処分にされるかもしれない。杏や祐介は将来を絶たれることになるだろう。真や春は身内および自身の肩書の関係上、マスコミ関係者が黙っているはずがない。スキャンダラスという点では、『母である一色さんの敵討ち』という点では双葉だって当てはまる。

 では、“明智吾郎”が獅童の『駒』だった世界では、誰が出頭したのか。自己犠牲を厭わない超弩級のお人好しなんて奇特な人間など、僕()()が知っている限り、たった1人しか存在しないではないか。――見ず知らずの女性を助けようとして冤罪を着せられ、理不尽な保護観察処分を受ける羽目になった“ジョーカー”。

 

 

―― ……ッ!! ――

 

 

 “明智吾郎”はぎりりと歯噛みする。今にも何かに当たりそうな気配がした。今回ばかりは、奴が精神だけの存在でよかったと思う。

 

 もし“明智吾郎”さえ生きていれば――“明智吾郎”の証言さえ取れていれば、怪盗団は『誰かを生贄にする』よう迫られることはなかった。“ジョーカー”が生贄になるような形で出頭し、少年院に送られることもなかったはずだ。

 “自分”の下した決断が間違っていたとは思わない。けれど、“自分”があの場で命を散らした弊害を思い知らされて、やるせない憤りを噛みしめているのだろう。“明智吾郎”は悔しそうに歯噛みし俯く。“ジョーカー”は“彼”の身勝手を咎める様子はない。それが余計に辛いのだろう。

 それは僕だって同じだった。有栖川黎に着せられた冤罪の汚名を雪ぐため、僕は今まで頑張ってきた。獅童正義の『改心』や元凶である統制神ヤルダバオトを打ち砕くことで、ようやく冤罪の汚名を雪ぐ機会を手にした。それなのに、彼女が犯罪者の汚名を背負わされる? 全く持って冗談ではない。

 

 

「やっぱり、キミは出頭すべきじゃないよ」

 

 

 縋るような俺の主張に対し、黎が何かを言おうと口を開く。

 卑怯だと分かっているけれど、俺は遮るようにして声を上げた。

 

 

「俺は“明智吾郎”の犯した罪と罰を知っている。俺()()には、その罪を贖い罰を受ける義務がある。だから、警察へは俺が行くべきだ」

 

「――それは違う!」

 

 

 黎は今にも泣き出してしまいそうな顔をして首を振った。『警察へは自分が出頭する』と宣言したときの静かな笑みからは想像できない程の取り乱しようである。

 彼女が俺のために心を痛めてくれることは心苦しいはずなのに、嬉しくて堪らない。愛されているのだと充実感さえ覚える自分のお花畑具合を思い知らされた心地になった。

 

 

「吾郎は何もやっていない。“彼”だって、この世界の吾郎を導くことで罪を償った。……これ以上、吾郎()()が謂れなき罪と罰に苦しむ必要はないはずだよ」

 

「でも、それはキミが生贄になる理由にはならない。……いいや、理由にされて、堪るかよ……!」

 

 

 心の奥底から湧き上がってきた衝動に任せ、俺は黎の細い身体を掻き抱いた。手放さないよう――手放したくないと願い、強く抱きしめる。

 気を抜くと、彼女が俺の前から消えてしまいそうな不安に駆られる。いや、実際消えようとしているのだから何ら間違いではない。

 黎は驚いたように目を白黒させていたが、「ごめん」と蚊の鳴くような声で呟いた。悲しそうに微笑む。そんな顔をさせたかった訳ではないのに。

 

 

「キミを悲しませる選択しかできないけど、それでも、これが私の生き方だから」

 

「黎……」

 

 

 彼女の決意がどれ程強いのか知っていた。一度貫くと決めた正義を途中で曲げるような気質ではないことは分かっていた。分かっていても、納得できるか否かは別問題である。――でも、黎の瞳を見て、つくづく思い知らされた。

 有栖川黎は警察へ出頭するだろう。僕が何を言っても、阻止しようとしても無駄なのだ。正しいことを成すためなら、足を止めることなど許さない。間違いは正されるべきだと、正義は貫くためにあるのだと迷わず足を踏み出すような女性(ひと)だから。

 

 そして何より、誰かの為に己を差し出すことすら厭わないお人好しだ。たとえ恩を仇で返されても、善意を踏み躙られても、“人を助けたこと”自体には一切後悔しない。

 

 

(……ああもう、チクショウ……!)

 

 

 彼女のすべてに救われ、彼女のすべてを愛した俺が、彼女の行動や決断を止めることなんて最初から無理な話だった。

 有栖川黎に守られてばかりだった俺では到底敵わない。でも、そんな俺にだって、できることの1つくらいあるはずだ。

 

 

「……俺の方こそ、ごめん。黎が決めたことなら、もう何も言わない」

 

「吾郎」

 

「――代わりに、キミが背負おうとするものを、俺にも背負わせてほしいんだ」

 

 

 俺は懐から小さな箱を取り出す。先程購入したクリスマスプレゼント――桃色系列のサファイアがあしらわれた、白銀とシャンパンゴールドの指輪。

 ハワイで不揃いの指輪を贈り合ったときに黎と交わした約束を思い出しながら、彼女の薬指にそれを嵌める。黎は目を大きく見開き、顔を上げた。

 彼女はハワイでのやり取りを思い出したのだろう。色白の頬が赤く染まり、ぽかんと開いていた口元が徐々に綻んできた。俺も頷いて、更に言葉を続ける。

 

 

「これって……」

 

「全部終わって戻って来れたら、ちゃんとキミに伝える。……だからもう、1人で背負うなんて真似、しないで」

 

 

 恥も外聞も知ったことか。段取りも演出もどうでもいい。無様だと嗤われたって構わなかった。俺は祈るような気持ちで、じっと黎を見つめる。

 

 伴侶とは、“この人と幸せになりたい”と思う相手のことだ。同時に、“この人となら不幸になっても構わない”と思えるような相手のことでもある。俺にとっての伴侶は、有栖川黎以外にあり得なかった。

 今回贈った指輪は、共に生きる未来を約束する証そのものだ。ありとあらゆる理不尽からキミを守りたいという想いと、これから訪れるであろう幸福も不幸も手を取って一緒に生きていきたいという願いそのもの。

 

 

「――分かった。……明日、2人で行こう」

 

「うん。一緒に行こう」

 

 

 幾何かの沈黙の後、黎は静かに微笑んで頷く。俺も同じようにして笑い返した。「せっかくだから」と言って、俺は黎にもう片方の指輪を差し出す。

 彼女は俺の意図を察したようで、嬉しそうに笑みを深くして指輪を手に取る。白銀とシャンパンゴールドの指輪を俺の薬指に嵌めてくれた。

 不揃いの指輪を嵌めたときも、揃いの指輪を嵌めた今も、泣きたくなるくらい嬉しいことには変わりない。――いや、俺も黎も、もう泣いていた。

 

 明日、俺たちは警察に出頭する。俺たちは即座に取り調べを受け、その後はとんとん拍子で少年院送りにされるだろう。怪盗団関係者同士が顔を会わせられぬよう、別々に収監されるはずだ。そうなれば、こうして触れ合うことはできなくなる。

 警察と検察は、獅童の罪を暴くことや怪盗団事件の調書を取ることには積極的だろう。だが、俺と黎に関しては無視し続けるに違いない。冴さんが「何とかする」と言ってくれたが、今後の見通しはあまりにも不透明だ。俺たちが放免されるのはいつになることか。

 

 ――それでも。

 

 いつか必ず、牢獄から出ることができる。そうすれば、俺たちは本当の意味で自由になれるはずだ。

 

 例え外に出ても、少年院に送られたことを引き合いに出され、理不尽な扱いを受けるかもしれない。不当なレッテルを張られるかもしれない。

 だけど、この旅路を進んだ俺たちは知っている。そんなものに縛られなくても、そんなものに怯えなくとも、胸を張って堂々と生きていけるのだと。

 志を共にする仲間がいた。互いの喜びや痛みを分かち合い、支え合える仲間たちがいる。尊敬できる大人たちだっている。託されたものが、沢山ある。

 

 だから、大丈夫。

 きっと、大丈夫。

 

 

「料理、食べよう。……至さんが俺たちのために作ってくれた、最後の料理なんだから」

 

「……そうだね。しっかり味わって食べよう」

 

 

 俺は黎と顔を見合わせ、頷き合う。

 ささやかなクリスマスイブの夜が幕を開けた。

 

 

***

 

 

「素敵なクリスマスプレゼントありがとう」

 

「どういたしまして」

 

 

 僕から贈られた婚約指輪を飽きずに眺めていた黎は、幸せそうにはにかむ。僕もそんな黎の笑顔を見れたのが嬉しくて、先程から口元が緩みっぱなしである。

 あらゆる角度から指輪を観察していた黎だが、何か思い出したように手を叩く。「指輪を貰ったのが嬉しくてすっかり忘れていた」と苦笑した彼女は、小さな箱を取り出した。

 クリスマスプレゼント用の綺麗なラッピングが施された小箱を受け取った僕は、年甲斐と外聞もなく包みを開けた。中に入っていたビロード張りのケースを開ける。

 

 

「カフスボタンにネクタイピン、ラペルピンのセット一式か……。あしらわれてる宝石は何だろう? 緑色の宝石で、こういうのは見たことないなぁ」

 

「ムーンストーンだよ。6月の誕生石なんだ。ムーンストーンにも色があって、緑色は“相手の本質を見抜くことで事態を好転させる術を導きだし、実践する”ことで“ストレスを最小限に抑えたり、事態を好転させる”効果があるんだって」

 

 

 「購入した宝石店で知った」と黎は語る。彼女もまた、宝石の色には世間一般のイメージからは想像できないものがあると知った人間なのだろう。実際、彼女が“サファイアに桃色系列がある”ことを知ったのは、僕が宝石の名前を告げたときだったのだから。

 他にも僕たちは――クリスマスプレゼントを選ぶために――様々な宝石を物色していた。僕個人としては、緑色のガーネット――世間一般では、ガーネットの色は赤系だ――や白いトパーズ――世間一般では、トパーズは黄色系がメジャーだ――が印象的だったか。

 

 

「そうか。僕の誕生石なんだね。嬉しいよ、ありがとう。……ふふ、スーツを着るときが楽しみだ」

 

 

 来るべき将来、自分の姿を思い浮かべる。有栖川黎の専属パラリーガルとして、びしっとしたスーツで身を固めた僕自身の姿だ。

 

 彼女のくれた一式――カフスボタン、ネクタイピン、ラペルピン――は、きっとどんなスーツにも似合うだろう。

 僕自身だって、黎のパラリーガルに相応しい男になっているはずだ。それを現実にするためにも頑張らなくてはなるまい。

 

 

「吾郎、これからどうするの?」

 

「え?」

 

「……家に、帰るの?」

 

 

 僕がそんなことを考えていたとき、黎が問いかけてきた。ご馳走を食べ終わり、片付けも済んだ。時刻はあと数時間で24日が終わる頃。

 

 クリスマスに恋人同士が一緒にいるのに、「帰る」とは無粋ではなかろうか。

 少々ムッとしたのはしょうがないだろう。僕は悪戯っぽく笑い、黎に囁く。

 

 

「クリスマスイブやクリスマス当日に、恋人が一緒に過ごすんだ。……何するか、分かるよね?」

 

「……そっか」

 

 

 それを聞いた黎は俯く。耳元が真っ赤に染まっているように見えたのは、きっと気のせいではないだろう。面食らう僕の理性を試すが如く、黎は僕の袖を弱々しく引いた。

 「私も、同じ気持ち」――蚊の鳴くような声で紡がれた言葉を、僕は正しく理解する。顔を赤らめ、目だけで僕の表情を窺う彼女の表情の破壊力を何と言えばいいのか。

 多分……いいや、確実に、俺の顔は真っ赤だろう。ぎぎぎ、と、首から軋むような鈍い音が響く。暫し無言のまま顔を見合わせていたが、俺はぎこちない動作で手袋を外した。

 

 黎の頬に触れる。彼女はうっとりと目を細めた後、自分からすり寄って来た。蕩けるような笑みを見ているだけで、何もかもが許されているような心地になる。誘われるようにして口づければ、黎も目を閉じて応えてくれた。

 勢いそのまま、屋根裏部屋のベッドに座り込む。少々硬めのベッドは、スプリングをぎしりと軋ませた。手と舌を絡めて、互いを求めあう。結局この程度では満足できなくて、俺は乞うようにして黎の手の甲に口づける。黎はふわりと微笑み、俺を抱きしめ返す。

 

 ――まだ、夜はこれから。

 

 許されるわずかな間でも構わない。

 今だけは、こうやって愛し合っていたかった。

 

 

◇◇◇

 

 

 微睡んでいた意識が、鮮明になっていく。目を開ければ、幸せそうに眠り続ける黎の寝顔が飛び込んできた。色白な肌には赤々とした欲望の証が映える。すべて僕が刻んだものだ。僕は内心苦笑する。

 今日出頭してしまえば、再びこうして一緒に過ごせる日が訪れるのがいつになるか分からない。そのため、ただ必死になって互いを求めあった。色々概算度外視したせいか、正直に言うと少々気だるい。

 

 僕は黎の頭を撫でながら、周囲を見回してみた。部屋の中はぼんやりと薄暗く、まだ太陽が昇る時間帯ではないようだ。

 

 そんなことを考えていたとき、腕の中にいた黎が小さく身じろぎする。

 俺が「あ」と声を漏らしたのと、黎の瞼がゆっくり開いたのは同時だった。

 

 

「起こした?」

 

「ううん。……おはよう、吾郎」

 

「おはよう、黎」

 

 

 冬の早朝――夜明け前は肌寒い。僕と黎は布団にくるまったまま、もぞもぞと体を起こした。黎を抱きしめるような形で彼女の温もりを感じ取る。黎も僕の抱擁を解くことなく、僕の体温を享受してくれた。

 あと数時間後、僕たちは冴さんと共に警察署へ出頭する。そうなれば、僕たちは引き裂かれることになるだろう。再びこの手を取って温もりを感じることが許される日がいつになるのか、全く分からない。だからこそ、互いの温もりを噛みしめていた。

 手を絡めた左手薬指には揃いの指輪が嵌められている。桃色系列のサファイアは、白銀とシャンパンゴールドのリングの上に飾り付けられていた。激しい主張はしていないが、指輪の持ち主に対する深い愛情と守護の力を宿している。

 

 宝石へ込めたのは、僕の祈りと願いそのものだ。おそらく、僕を見上げる黎も、同じことを考えてくれているのだろう。

 一途な愛が互いに向けられているという事実が嬉しくて、その事実が何よりも尊くて、こうしていられる時間が幸せだった。

 

 

「――あ」

 

「どうしたの? ――あ」

 

 

 じゃれ合いを止めて窓の外に視線を向けた黎につられて、僕も窓の景色を見る。ほんのり霜と氷が張った窓から、東雲の光が差し込んできた。

 

 黎明――有栖川黎の名前の由来となった朝焼けが広がる。昨日までの朝と違って清々しく感じるのは、ヤルダバオトが造り上げた怠惰の檻から解き放たれた人類が初めて迎えた朝だからであろう。

 人は、安寧と怠惰の中に沈むことを良しとしなかった。どんな苦労や困難があっても、自分自身の手で切り開いて行くことを選んだ。今、人々の目の前には本当の意味の“自由”が広がっている。

 

 僕らが迎えた新しい朝は、今まで見てきた朝日の中でもとりわけ特別な朝だった。これ以上ないくらい美しい黎明だった。

 自分たちが貫いた正義の果てに、勝ち取った未来がある。大切な人たちが胸を張って生きていく世界が広がっている。

 『神』の理不尽は、もう僕たちを縛り付けることはできない。本物の自由を得て、腕の中には愛する人がいる――なんて、幸せなんだろう。

 

 

「……綺麗だね」

 

「そうだね。……キミと見る景色はいつも綺麗だけど、今日は特別だな」

 

「私もそう思う。――絶対、忘れない」

 

「ああ。俺も、絶対忘れない。忘れたくないよ」

 

 

 絡める手に力を込めて、僕たちは窓から見える黎明を見つめた。

 

 あと数時間後、僕たちはルブランを出発する。誰にも何も知らせぬまま、たった2人で出頭する。怪盗団の成した『改心』は、獅童たちの犯した『廃人化』と同等に――重大犯罪として――扱われることだろう。双方共に、少年院送りになることは免れまい。

 僕はおそらく大学の合格は取り消されるだろう。黎も秀尽学園高校を退学させられることになる。御影町の有栖川本家には、鴨志田のコピペやいつぞやの変態どもが「有栖川家を助けてやる。代わりに黎を奴隷として寄越し、自分たちを優遇しろ」とすり寄って来るだろう。

 

 いくら有栖川本家と言えど、ここまでの騒ぎになってしまえば僕らを庇いきれない。それでも僕らを守るために手を尽くしてくれるだろうが、表向きでも『完全に絶縁および勘当』しなければ騒ぎは収まらないだろう。外様の連中はしつこいからだ。

 “保護者の監督不行届”というお題目で航さんが槍玉に挙げられる危険性もあった。絶対的な精神の支えだった至さんを失った航さんにとって、“泣きっ面に蜂”という言葉が相応しい状況はあるまい。……どの道、周りの人に迷惑をかけることになりそうだ。

 

 

「そろそろ準備しよう。冴さんを待たせるのは悪いし、他のみんなに気づかれてしまうかもしれない」

 

「うん。急がなきゃ」

 

 

 名残惜しいが、一時の別れだ。すべてが終われば、もう一度手を取り合うことができる。

 その証は東京の黎明に照らされ、互いの左手薬指でキラキラと輝いていた。

 

 

***

 

 

「……その様子からして、きちんと決着付けてきたみたいね」

 

 

 朝焼けの眩しさがすっかり薄くなり、空の色が青くなり始めた頃。東京に住まう人々が動き始めた朝に、冴さんは僕たちを迎えにやって来た。

 

 薬指に揃いの指輪を嵌め、指をしっかり絡めた僕たちの様子を見た冴さんは納得したように頷く。少しやつれたような――それでいて、慈愛に満ちた眼差しを僕らに向けてきた。

 僕と黎は迷うことなく2つ返事で答えた。「私たち、一緒に出頭します」――黎が淀みなく告げれば、冴さんも「そう来るだろうと思っていたわ」と苦笑する。

 

 

「それじゃあ、向かいましょう」

 

「はい」

 

 

 僕と黎は同時に返事をして、一歩踏み出す。

 この先の歩みには勝利などなく、待っているのは断頭台。

 破滅に向かっていると分かっているはずなのに、足取りは酷く軽かった。

 

 




魔改造明智と拙作ぺご主♀のクリスマス~出頭に至るまでのお話です。保護者がいなくなった悲しみを引きずりつつ、自分たちに待つ破滅の影を感じつつ、書き手ですら苦笑するレベルの糖度を突っ込んでみたつもりです。書き手の糖度は、書き手自身ですらアテにならないんだよなぁ(遠い目)
空本至として世界に存在できなくなった保護者ですが、化身である蝶の群れを使ってちょっかいをかける程度の介入は可能な模様。割とお節介です。実体があったら、きっと優しい目をしていることでしょう。いい笑顔も変わらないのかもしれません。
どうでもいい話ですが、拙作の冴さんがいる世界線にぺご主♂がいて真とデキていた場合、イベント後に冴さんに呼び出されて尋問or拷問されます。冴さんに伴侶がいたら態度は軟化したのかもしれませんが、この世界線では無意味な「たられば」でしかありません。どこかの世界線には“リア充の冴さん”がいるかもしれませんね。それを願いましょう。

フラグ管理事情で思うところがあったので、投降後の話を遡り、指輪に関連する部分の描写を修正しました。以前もフラグ管理に関する描写を書き直す事態に陥ったことを考えると、自分の甘さや未熟さに苦笑してしまいます。精進しなきゃいけませんね(苦笑)
指輪の宝石はピンクサファイアとパパラチアサファイアがあしらわれているイメージです。“持ち主を悪意から守り、恋人や伴侶を一途に愛する宝石”として選びました。このネタは別な作品に使おうかなと思っていたのですが、拙作の魔改造明智×黎のイメージにも合致するので選びました。
花言葉や宝石言葉を作品に組み込むのが大好きです。


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飛べ飛べ、バタフライエフェクト

【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 @空本(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄で明智の保護者その1。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
 @デミウルゴス⇒獅童の息子であり明智の異母兄弟とされた獅童(しどう)智明(ともあき)を演じていた『神』の化身。姿は真メガテン4FINALの邪神:デミウルゴス参照。詳しくは中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『運命を切り開くだけの簡単なお仕事』および『ペルソナ3異聞録-.future-』、Pixivの『2周目明智吾郎の災難』および『【一発ネタ】有栖川黎の幼馴染』の設定を下地にし、別方向へ発展させた作品である。
・ジョーカーのみ先天性TS。
 ジョーカー(TS):有栖川(ありすがわ) (れい)⇒御影町にある旧家の跡取り娘。旧家制度は形骸化しているが、地元の名士として有名。身長163cm。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空本(そらもと) (わたる)⇒明智の保護者2で、南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。
・敵陣営に登場人物追加。
 @神取鷹久⇒女神異聞録ペルソナ、ペルソナ2罰に登場した敵ペルソナ使い。御影町で発生した“セベク・スキャンダル”で航たちに敗北して死亡後、珠閒瑠市で生き返り、須藤竜蔵の部下として舞耶たちと敵対するが敗北。崩壊する海底洞窟に残り、死亡した。ニャラルトホテプの『駒』として魅入られているため眼球がない。獅童パレスの崩壊に飲まれ、完全に消滅した模様。
・「2罰ボスの外見を見た人間の反応」に関するねつ造設定がある。
・普遍的無意識とP5ラスボスの間にねつ造設定がある。
・『改心』と『廃人化』に関するねつ造設定がある。
・春の婚約者に関するねつ造設定と魔改造がある。因みに、拙作の彼はいい人で、春と両想い。
・魔改造明智にオリジナルペルソナが解禁。
・魔改造明智や有栖川黎ではなく、2人を取り巻く人々がメイン。登場人物には偏りがある。
・原作とは違う順番でイベントが発生している。


『お願いします! 私の恩人を助けるために、力を貸してくださいっ!』

 

 

 テレビジョンから流れるニュース番組から、年若い女性の声が響き渡る。彼女は深々と頭を下げていた。それを目の当たりにした民衆たちが騒めき始める。

 

 

「りせちーの大恩人が冤罪で逮捕されたんだって!」

 

「しかもその子たち、双方未成年なんだってよ。このままだと強制的に有罪になって、少年院に送られて不当な扱いされてるかもしれないって」

 

「りせちーが公共放送を使って、しかも頭まで下げるんだ。相当なモンじゃないか!?」

 

「俺はりせちーに協力するぞ!」

 

「私も!」

 

 

 有名アイドル久慈川りせが公共放送を乗っ取るような形となったこの一件は、すぐさまインターネット上に配信された。

 ご丁寧に「現実における署名の郵送先と、インターネット署名による送信先」までもが記載されていた。

 

 

*

 

 

 所変わって、電気店に並べられた商品ディスプレイのテレビコーナーでは、生放送バラエティ番組が放送されているところだった。

 

 

『いやー、番組ももうすぐ終了時間ですねー』

 

『生放送と言えど、あっという間に終わってしまうわ』

 

 

 テレビの司会は上杉秀彦と黒須純子である。番組終了5分前――『予め“重大発表および告知がある”』と宣言していたMC2人の表情が唐突に真顔になった。

 おちゃらけている秀彦とたおやかに笑う純子からは想像もできないギャップに、スタジオがしんと静まり返った。そうして、秀彦が口を開く。

 

 

『出演者のみなさん、スタッフさん、番組を見ているみなさんにお願いがあります』

 

 

 秀彦は訥々と言葉を続けた。聖エルミン学園高校在学中に怪異事件や『セベク・スキャンダル』に巻き込まれたこと、その際に自分を助けてくれた“命の恩人”がいたこと、彼等がいなければ自分は生きていなかったこと、その子たちは事件発生当時はまだ未就学児であったこと――自身が歩んできた人生を語り終えた。

 その言葉を引き継ぐようにして、今度は純子が口を開いた。珠閒瑠市で活動していたときに怪事件に巻き込まれたこと、当時はアイドルグループの若さと美貌に嫉妬していたこと、そんな自分の暴走を止めてくれた恩人がいたこと、その恩人が上杉秀彦の語った恩人と同一人物であること。

 MC2人の熱の入った語りに、番組共演者やオーディエンスの面々も黙って聞き入っていた。異を唱える者は存在しない。生放送の時間が押していることもすっかり忘れ――むしろ、番組の緊急スケジュールを組み直す動きすら出ていた――、MC2人の言葉を待ち続けている。

 

 関係者各位の心を一挙に掴んだ芸人と女優は、互いの顔を見合わせて頷いた。

 そうして、テレビカメラに向き直る。どこまでも真剣な想いが、公共電波に乗って発信された。

 

 

『今、その子たちは冤罪事件に巻き込まれてます。もしかしたら、警察や検察の面子を保つための生贄として、強制的に有罪にされてしまうかもしれません』

 

『あの子たちは、自分のことよりも他人を優先して助けようとする立派な子です。何よりも理不尽を許さない、正義感の強い子たちです。そうして何より、私のことを応援してくれる大切なファンの1人なんです。……あの子たちがいなければ、私は今も女優を続けていられたかどうか……』

 

 

 だからお願いします、と、黒須純子は頭を下げた。

 だからお願いします、と、上杉秀彦は土下座した。

 

 『恩人の危機を、今度は自分たちが助けたい。でも自分たちには力が足りない。だから手を貸してほしい』――その言葉を最後に、生放送の時間は終了。苦情か激励かは知らないが、メッセージが殺到することは間違いなさそうだった。

 

 

*

 

 

 所変わって八十稲羽。

 

 

『あーもう、東京の連中はバカしかいないの……!? あの子たちが犯罪なんて、そんなことするわけないじゃん……! なんでそんな当たり前のことが分からないのよ……』

 

『く、久須美さーん? 久須美鞠子さーん? オンエア始まってますよー……!?』

 

『あー、今日の天気だっけ? はいはい、見る限りどんよりとした曇りです。今後一週間もこんな感じ。……あーあ。東京の天気も操作できたらよかったのになー……』

 

 

 本日天気は曇り空、お天気キャスター――久須美鞠子は不機嫌そうに暫くの天気を予報する。自身の中に溜まっている鬱憤を隠しもしない様子に、スタジオのアナウンサーも若干引き気味であった。

 アナウンサー本人は空気を呼んだつもりで『スタジオに戻りますよー』と言った。が、鞠子は慌ててそれを引き留める。気だるげな様子は一瞬にして消え去り、酷く緊張した面持ちに変わった。

 『あの、えっと』――鞠子の声はややどもっている。スタジオやお茶の間も、鞠子が真面目な顔でお堅い話題をしゃべるとは思わなかったのだろう。誰もが黙って鞠子の姿を見つめている。

 

 鞠子は暫し『大丈夫大丈夫。私はイザナミノミコト、格好良いことだって威厳たっぷり、すらすらと喋れるんだ』等とブツブツ呟いていたが、決心したように顔を上げた。

 そこにいたのは“不思議系お天気アナウンサー・久須美鞠子”ではない。人間の豊穣を祈る大地母神にして八十稲羽の土地神としての風格を宿した女性であった。

 

 公共放送で愛を叫んだ前科持ち――尚、現在進行形で余罪は増えている――であるが、そんな鞠子にだって、()()()()()()()公共放送を乗っ取るケースだってあるのだ。

 

 

『――放送を見ているみなさんに、お願いがあります』

 

 

***

 

 

 所変わって、また違う電気屋。並べられた商品ディスプレイのテレビコーナーでは、ドキュメンタリー番組が放送されているところだった。テロップには『東郷一二三 ~八百長将棋を乗り越え、再びプロの世界へ舞い戻った不死鳥~』と大々的に書かれている。

 

 東郷一二三は、正直な話、メディア露出に関してはあまり積極的ではないタイプだった。むしろ、人前で何かを言うことは得意ではない。しかし、弱冠17歳で――これはプロをしている者全体に言えることだが――プロ棋士として活動するためには、周囲からのバックアップが必要不可欠である。

 一二三にとって、一番の支援者は母だった。最初は普通に応援してくれていたが、有名になればなる程、私生活における束縛が強くなっていった。そのうち母は一二三のメディア露出にご執心となり、「出演料で稼ぐこと」や「八百長将棋で勝ち、更にネームバリューを上げること」を強要してくるようになる。

 

 

『それじゃあ、東郷さんのお母様を改心させてくれたのは、将棋友達が説得してくれたおかげなんですね?』

 

『はい。彼女のおかげで、私は八百長将棋を脱することができました。それも、彼女による献身的な支えがあってこそです』

 

 

 母の人形として動かなければならないことと、自分の中にある本音。その葛藤に苦しんでいた一二三を救ってくれたのが、有栖川黎だった。

 最初は『将棋を教えてほしい』と頭を下げてきた初心者だったが、彼女の眼差しは盤上ではなく、もっと別の場所を見ていたように思う。

 黎の正体が怪盗団のリーダーであることを知って、一二三はようやく“黎が何を見ていたのか”を察することができた。――正義を成すために何をすべきかを見定めていたのだ。

 

 彼女のおかげで、一二三は人形のように振る舞う必要はなくなった。今まで積み上げてきたものはすべて瓦解したけれど、酷く清々しい気分で再出発を迎えたことは忘れられない。

 

 束縛から解放された一二三の快進撃は止まることを知らず、破竹の勢いで勝ち続けた。

 僅か数か月で、一二三はアマチュア将棋からプロ将棋の舞台へと帰還したのである。

 

 

『以前彼女と会ったとき、彼女の恋人も一緒でした。とても愛情深い人で、比翼連理という言葉がよく似合う人でした。2人はとてもお似合いで、見ているこちらも心が温かくなるような光景だったんです。婚約したという話を聞いて2人を祝福したことは、昨日のことのように思い出せます』

 

 

 一二三は感慨深そうに頷いた後、眦を釣り上げて訴えた。

 

 

『でも、そんな真っ直ぐな彼女とその恋人は今、不当な罪で少年院に……! 今度は私が、彼女たちを助けてあげたいんです!』

 

 

◆◆◆

 

 

 佐倉双葉は顔面蒼白だった。それを見た面々が、何事かと彼女の元へ集まって来る。

 

 

「やべえ。芸能人の力パネェ」

 

 

 壊滅的な語彙で言葉を紡いだ双葉はPC画面を示す。久慈川りせ、上杉秀彦と黒須純子、久須美鞠子、東郷一二三からのメッセージはあっという間に拡散し、有栖川黎と明智吾郎の釈放に関する署名数が爆発的に増えている。老若男女問わず書き込みが殺到していた。

 現実でも似たようなことが起きており、署名の窓口役をやっている三島由輝が大変なことになっているそうだ。今回は坂本竜司がヘルプに駆り出されているが、きっと足りないだろう。後で秀尽学園高校の関係者が引っ張り込まれるかもしれない。

 

 

「吾郎が獅童の隠し子疑惑ですっぱ抜かれ、共犯扱いされたときにはヒヤヒヤしたな」

 

「署名の妨げになるかって不安だったけど、全然そんなことなさそうだよね。安心したー」

 

 

 喜多川祐介と高巻杏も、ホッとした様子で息を吐いた。奥村春も嬉しそうに微笑む。

 

 

「後は、黎ちゃんの暴力事件が冤罪だって証明できれば完璧だね」

 

「ゴローの件は『改心』させたシドー本人が庇ってるからどうにかゴリ押しできるが、問題はレイの方だ。シドーに買収された証人を見つけられればいいが……」

 

 

 机の上に乗っかってPC画面を睨みつけていたモルガナは小さく唸る。

 

 有栖川黎が東京にやって来たのは、“自分が助けた相手に裏切られ、獅童有利の証言をされてしまった”ためだ。彼女の冤罪を覆すには、目撃者兼獅童の被害者からの証言が必要なのである。

 当時の裁判記録を閲覧できれば早いが、獅童のことだ。裁判記録に隠蔽工作を施している可能性が遥かに高い。下手したら、目撃者に関する情報が他人とすり替えられていることだってあり得た。

 もしかしたら獅童は、自分の関係者が裏切り行為に走ったときの保険として、黎の裁判記録や関係資料に手を加えたのかもしれない。『改心』前の獅童がどれ程悪辣な存在だったかは、自分たちがよく知っているのだから。

 

 

「その件に関しては、お姉ちゃんが調べてるみたい。他にも、直斗さんやパオフゥさんたちも協力してくれてるらしいわ」

 

「そっか……。私たちも頑張ろう! 絶対見つけようね!」

 

「ふぃー、終わったー。署名、それなりに集まったぞー!」

 

 

 新島真の言葉を聞いた怪盗団の面々が顔を見合わせたのと、坂本竜司が紙の束を抱えて戻って来たのはほぼ同時だった。

 ここ数日分の纏めを見た仲間たちは、ぱっと表情を輝かせる。現実もネットもこの調子で集まれば、黎と吾郎を助けられるかもしれない。

 

 モルガナも、坂本竜司も、高巻杏も、喜多川祐介も、新島真も、佐倉双葉も、奥村春も、誰1人として諦めていなかった。大切な仲間を助けるのだという意志で燃えている。――リーダーへの恩義を返すとしたら、これくらいのことが必要だと分かっていた。 

 

 

◆◆◆

 

 

「――明智くんは、お前の悪いところをしっかりと受け継いだようだぞ。馬鹿者が」

 

 

 喫茶店ルブランに集まっていた大人の1人――南条圭が、しかめっ面のままコーヒーを飲み干した。彼の眼差しは、もう()()()()()()()相手に向けられている。

 

 彼の言葉に呼応するように、圭の指には金色の蝶が羽を休めている。圭は何を思ったのか、その蝶を指でつまもうと手を伸ばした。己の危機を察知した蝶はひらりと彼の手をすり抜け、店内を縦横無尽に飛び回った。

 次の瞬間、両手で蝶を鷲掴みにしようと伸びた手があった。蝶は寸でのところでそれを回避するが、手を伸ばした主は執拗に蝶を捕まえようとしている。白衣を身に纏った青年――空本航の目が血走っているように見えたのは気のせいではない。

 

 航は分かっている。この蝶が、嘗ての空本至と深く関わっていることに気づいている。だから必死になって捕まえようとしているのだ。

 この蝶を捕まえれば、空本至が帰ってくるかもしれない――なんて、バカげたことを夢想していた。敵わないことを重々承知の上で。

 金色の蝶はひらひらと航の手から逃げおおせる。コーヒーを啜りながら蝶の行方を眺めていた女性――桐条美鶴も悲しそうに笑った。

 

 

「あの人らしい選択と言えば、あの人らしいな……。彼の背中を見ていたからこそ、明智もこの選択を下したのだろう」

 

 

 「だが」と美鶴は付け加える。女王が浮かべるには、些か黒い笑みだった。

 彼女の表情に呼応するかのように、圭と航の表情も変わった。一言で言うなら、悪い笑み。

 

 

「現状は、獅童がお嬢に冤罪を着せた状況とは大きく変わった」

 

「何よりも、獅童正義という総理大臣候補――圧倒的な権力が邪魔をしてくることはない」

 

「――つまり、我々が、思う存分全力を尽くすことができるということだ」

 

 

 ふふふ、と、3人が笑う。

 

 空本航は南条コンツェルンの特殊研究部門の主任研究者、南条圭は航の直属上司で南条コンツェルンの次期代表取締役、桐条美鶴は南条家の分家であり大財閥桐条グループの当主である。要は、ペルソナ使いの中でも高い財力と権力者へのパイプの持ち主たちだ。

 この面々が本気を出せば、冤罪に強い弁護士を集めて弁護団を結成することも、調査員をフル動員して証拠を集めることも可能である。今までは獅童正義の妨害によって悉く潰されてきたのだ。その分の鬱憤と雪辱を晴らすのだと、彼らの目は語っていた。

 

 航も、圭も、美鶴も、至から託された忘れ形見――明智吾郎と有栖川黎を全力で守ろうとしている。以前、『黎に冤罪の烙印が押されるのを黙って見ていることしかできなかった』が故のことだろう。

 総理大臣候補の国会議員/現職大臣によって振るわれた職権乱用は、たった1ヶ月で黎に冤罪を着せた。政治家レベルとはいかずとも、日本を回す世界的企業の関係者たちが本気で動けばどうなるか。

 司法関係者や世論に強く働きかけることは可能だろう。獅童正義程のスピードは難しいが、吾郎や黎に着せられるであろう理不尽な罪と罰を雪ぐことはできるはずだ。後輩を守る――それが、自分たちの貫くべき正義だと知っているから。

 

 

「ふふ、ふふふ、はははははは!」

 

 

 3人が同時に高笑いした。まるで悪役どもの井戸端会議である。

 そのせいか、本日のルブランは閑古鳥が鳴いていた。

 

 

「……マスター。あそこの席……」

 

「……言いたいことは分かる。けどな、新島の嬢ちゃん。アイツら、現状で一番の上客なんだ……」

 

「ああマスター、会計を頼む」

 

 

 吾郎と黎を守るため、最前線で奔走する女検事――新島冴と、怪盗団関係者の集まる場所としてルブランを提供する店主――佐倉惣治郎はタジタジであった。

 

 追い打ちとばかりに圭がブラックカードを差し出してくる。ルブランで黒カードお支払いをする人間は、圭、美鶴、奥村春くらいなものだ。

 惣治郎は乾いた笑みを浮かべながら「おう」と返事をし、会計を行う。0が普段より3桁程多い売り上げを見て、3人の姿に口を噤むことにした。

 

 ――佐倉惣治郎自身も、保護観察処分を受けた有栖川黎をずっと見守ってきた人間、俗にいう“同じ穴の狢”なのだから。

 

 

「さて、今日は店じまいとしようか。午後からは用事があるからな」

 

「そういえば、マスターが検察に証言を頼まれたのは今日だったな。任せますよ?」

 

「……言われなくとも」

 

 

 吾郎の保護者の片割れが、悪い笑みを解いて惣治郎に向き直る。凪いだ水面を思わせるような面持ちなのに、吹き抜ける風のような面持ちを持っていた片割れを思い出した。世界の危機にクリスマスディナーを作っていた、年若い青年の背中を想う。

 片割れたる空本至は、もういない。何があったかは全然知らないが、若葉と同じように“逝ってしまった”ことは察せた。志半ばで去っていったと思っていたが、往生際は悪いらしい。何せ、至の気配はそこかしこから漂ってくるためだ。

 蝶は航の指で羽を休めている。先程までなら鷲掴みにしてでも捕まえようとしていたのに、航は手を止めて蝶を見つめていた。赤紫色の瞳はどこまでも慈愛に満ちている。――まるで、そこに片割れがいるかのようだ。……いや、多分、()()のだろう。

 

 惣治郎は保護司――後付けの保護者だ。有栖川黎を生まれた頃から見守ってきた空本兄弟には到底敵わないだろう。

 だけど、後付けと言われたって、惣治郎も有栖川黎の保護者なのだ。同じ保護者として、立ち上がらないわけにはいかない。

 

 きっとそれは、頼れる大人としてここにいる冴も同じなのだから。惣治郎は航の方に振り返ると、ニヤリと微笑んだ。

 

 

「――()()()()()()()()()()()()()()()保護者の役目を果たそうとしてる、俺よりも若い奴がいるんだ。()()()()()()()()()俺たちが、何もしないわけにはいかねえだろ?」

 

 

◆◆◆

 

 

 学会発表は無事に終わった。新薬完成の立役者として“有栖川黎”の名前を出したことで、彼女の善性を証明する証拠能力を得たはずだ。黎の彼氏に関しては――悔しいことだが――直接的な関わりがなかった武見妙にはどうしようもなかった。

 それでも、できることをしたい。何もしないわけにはいかなかった。医局長を『改心』させ、亡くなったと思っていた難病患者を本当の意味で救うチャンスを与えてもらった借りを返すことができれば――武見はそんな気持ちで、学会の会場を後にする。

 そのまま自宅に直帰しようとした武見の司会の前を、金色の蝶が横切る。何の気なしに足を止めた妙の目に飛び込んできたのは、同会場で行われている別の学会だった。教育関係のシンポジウムらしく、参加者の肩書はそれなりのものである。

 

 入り口に張られているプログラムと現在時刻を確認してみると、現在の発表者は最後の1人――“月光館学園高校理事長・荒垣命”らしい。

 

 どんな内容だったか――確認した途端、武見は即座に扉を開いて会場に足を踏み入れていた。傍聴者は集まっているらしく、席は全て埋まっている。座り損ねた人々はみな壁側に立ち、じっと耳を傾けていた。

 発表内容は、“生徒が冤罪被害による不当逮捕に直面した際、教育者が取るべき行動について”。武見が助けようとしている黎は秀尽学園高校に通う2年生で、シンポジウムで発表している香月命は別の高校の理事長である。

 

 

(――あの人、あの子に似てる)

 

 

 壇上で、熱を込めて発表を行う命を見ていると、どうしてか黎の面影を見出すのだ。

 佇まいが、あるいは在り方が、どこまでも自由だった。故に、彼女から目を離せなかった。

 

 そんな武見の隣に立っていたのは、秀尽学園高校の教師にして有栖川黎のクラスを担任する教員・川上貞代であった。彼女がこのシンポジウムに参加したのは、今、彼女の学校が抱える問題と密接に繋がっているためである。

 

 秀尽学園高校は、保護観察処分を受けた生徒――有栖川黎を受け入れていた。所属クラスは川上の担当するクラス。最初は面倒事を押し付けられたと思ったが、『家事代行サービスで掛け持ち業務をしている』ことを知られ、口止めの代わりに彼女へ協力を持ち掛けたのだ。

 黎はその条件を飲み、蝶野の追求から川上を救い出してくれた。そうして終いには、川上に金銭での謝罪を迫った生徒遺族を『改心』させて、搾取から救い出してくれたのである。自分の人生を劇的に救い上げてもらったのだから、今度は自分がその借りを返す番だと思っていた。

 

 

(しかし、驚いたなあ。まさか校長が『教育者として最後の役目を果たさせてほしい』と言って、全校HRで生徒たちに署名を呼びかけるなんて)

 

 

 鴨志田卓の暴力と渋谷のヤクザが行った生徒への恐喝事件を隠蔽しようとしていた恰幅の良いハゲオヤジが、ある日突然綺麗な大人になった――そのときのインパクトは忘れられない。『校長が警察へ出頭したのは、怪盗団が『改心』させたためである』――まことしやかに囁かれた噂は真実だったらしく、現在は警察や検察の調書に応じているという。

 校長が全校HRで黎の逮捕を取り上げたのは、退院後すぐのことだった。警察や検察に頭を下げ、HRを開く時間を用意してもらえたという。生徒たちは騒めいたが、校長が行った必死の説得に心を動かされたのだろう。全校生徒および学校関係者全員が署名に協力してくれた。最後の仕事を果たした校長は、晴れやかな顔をして警察署へ出頭したそうだ。

 教員たちも校長――現在は上に元がつくが――に続けと言わんばかりに団結し、秀尽学園高校の意見書として“有栖川黎の逮捕に関する公式の意見書”を提出した。勿論、書類以外の手段も行使して、絶賛抗議の真っ最中である。これで少しは、黎の拘束期間も短くなることだろう。唯一の欠点は、彼女の恋人に関しては何もできないというところだろうが。

 

 川上がそんなことを考えていたとき、視界の端を何かが横切ったような気がした。……金色の蝶、だろうか?

 川上が視線を動かして、真っ先に飛び込んできたのは、パンク調の衣装に白衣を着た女性――武見の姿が飛び込んできた。

 

 明らかに、このシンポジウムには無関係そうなタイプの人間である。思わず川上は武見を凝視した。武見も川上の視線に気づき、川上を凝視する。

 

 

「よし、間に合っ――」

 

「きゃあ!?」

「うわああ!? ご、ごめんなさい!」

 

 

 次の瞬間、入り口の扉が開いて人が飛び込んできた。その人物は前をよく見ていなかったらしく、飛び込んできた男性――洸星高校教師・橿原淳は武見と派手にぶつかった。

 武見が抱えていた論文がばらばらと広がり、慌てて拾い集めた。淳も謝りながら論文をかき集める。それを目の当たりにした川上も、淳と武見の手伝いをするために手を伸ばし――

 

 

「あ」

 

 

 川上と淳は手を止めた。自分たちが手に取った論文には、新薬完成の立役者として“有栖川黎”の名前が記されている。武見は川上たちを見た。川上も武見たちを見返す。淳も同じように、女医と教師を見つめた。

 

 

「――最後に、私事で申し訳ないのですが、お願いがあります。私の恩人である少年少女が、冤罪によって不当逮捕されてしまいました。2人は未成年ですが、警察と検察はメンツを保つため、ロクな捜査も行わずに実刑判決を下そうとしています。少女の通う秀尽学園高校と少年の通う○○高校が警察へ意見書を出し抗議してくれましたが――」

 

 

 そのタイミングで、身に覚えのありすぎる話題が飛び込んできた。川上はがばりと顔を上げて命を見る。一歩遅れて、武見が川上を見て、命へ視線を向けた。

 武見妙、川上貞代、荒垣命――3人の女性が、有栖川黎という少女で綺麗に繋がる。恐らく、命に至っては黎の恋人――明智吾郎にも繋がっている。

 勿論、それに気づいたのは武見と川上だけではない。女性2名の動きを黙って見守っていた橿原淳もまた、その1人であった。淳は「あの」と声を上げる。

 

 

「シンポジウムが終わり次第、有栖川黎さんと明智吾郎くんの釈放を求める署名運動をする予定なんです。協力して頂けますか?」

 

 

 川上と武見は、二つ返事で頷いていた。

 

 

◆◆◆

 

 

「……ああ、そのガキだ。留置場ん中にいる連中に伝えてくれ。『ガキには指一本触れさせんな』ってよ」

 

 

 武井宗久は、嘗てのツテ――その大半が“裏社会を渡り歩いていた際に築き上げ、堅気になる際にすべて断ち切った”ものだ――をフルに使っていた。勿論、そのツテだけでは、大恩人である有栖川黎を守るには足りない。嘗てのツテから、更に上のツテを辿る。

 

 以前は裏社会を渡り歩くためだけに使っていたソレを、今度は黎を守るために使う。勿論、彼女の伴侶として共に理不尽を受け入れた明智吾郎もだ。……それくらいしなければ、岩井は黎への恩を返せない。親子共々、頭が上がらない大恩人なのだ。

 嘗ての兄貴分から金銭的な弱みを握られ、違法な改造銃を作らされそうになった。終いには、ある女が金のために売った赤ん坊――義息子(むすこ)である薫にも兄貴分の魔の手が忍び寄りかけたのだ。自分たち親子の危機を救ってくれたのが黎である。

 彼女のおかげで薫は無事に高校へと進学が決まったし、岩井自身も堅気のまま生活を送ることができるようになった。特に薫は――父親としてこれを喜んでいいのかは不明なのだが――初恋と失恋を経て、一段と逞しくなったように思う。

 

 薫は今、黎絡みで出会った秀尽学園高校の男子生徒や小学生ゲーマーと一緒に署名活動を行っている真っ最中だ。

 息子が精一杯声を張り上げているのだから、父親たる岩井が何もしないわけにはいかないだろう。

 

 

「俺はアイツらを守んなきゃなんねぇんだ。使える手は、全部使ってな。――頼む!」

 

 

 岩井の頼みを、嘗ての関係者たちは引き受けてくれた。そのことに安堵しつつ、彼等と別れて家路へ急ぐ。――そのとき、岩井の視界の端を、金色の蝶が横切った。

 反射的に視線を動かせば、蝶はそのまま先へと進む。視線の先には、幾つかの人影があった。岩井は息を潜めつつ、その会話に耳を傾ける。何故か、聞かねばならないと思った。

 話し声の主は男だ。人数は3人。岩井は神経を研ぎ澄まし、話の内容を聞き分ける。――その中に、1つ聞き覚えのある声を見出して、岩井は思わず目を丸くした。

 

 

「お前の先輩には、検察庁の関係者がいたよな? 新島より上の立場で、且つ、怪盗団事件や獅童の件を有耶無耶にしようとする連中を毛嫌いするタイプ。どうにかしてソイツをこっち側へ引き入れたい。……新島だけでは、元・獅童の取り巻き連中である特捜部長代理や関係者各位を突破するのは至難の業だ」

 

(こいつ、パオフゥか?)

 

 

 岩井の脳裏に、以前ミリタリーショップにやって来た客の1人――パオフゥと名乗った男の姿が脳裏によぎる。

 

 黎曰く、珠閒瑠市で探偵業を営む男。本人は中国系出身を自称していたが、奴は完全な純日本人だった。同時に、自分の同類――裏社会を知り尽くした存在であることも察した。岩井の目はごまかせない。

 パオフゥは自分が呼びだした男たちに頼み込んでいる。彼が名指しする面々は検察関係者や弁護士等が圧倒的に多い。司法関係者に関係するコネが多いようだ。パオフゥ自身も法律系に強いタイプのようだ。

 

 

「俺の師匠は既に定年退職しているが、『今でも多少は法曹界に顔が効く』と言ってたからな。“元・珠閒瑠地検の嵯峨薫”の名前を出せば、話くらいは聞いてもらえそうだ」

 

 

 珠閒瑠地検の嵯峨薫――以前、岩井の兄貴分の兄貴分に当たる人物が珠閒瑠にいた際、『何度も煮え湯を飲まされたエリート検事』等とぼやいていたことがあった。遠い昔のことで忘れかけていたが、検事の名前は嵯峨薫だったように思う。

 嵯峨薫は須藤竜蔵の悪事を暴こうと動いていた。岩井の兄貴分の兄貴分である人物は須藤竜蔵側の人間であり、嵯峨検事とは何度も相対峙していたという。後に嵯峨検事は亡くなり、須藤竜蔵とのパイプによって莫大な利益を得ていたそうだ。

 最も、それは須藤の失脚によって露と消え、岩井の兄貴分の兄貴分である人物も、『須藤の起こした大規模テロに巻き込まれて亡くなった』と聞いた。……パオフゥの本名が嵯峨薫ならば、奴は須藤の目を欺くために偽名を名乗っていたということか。

 

 岩井が頭をフル回転させたのと、パオフゥが静かに笑ったのはほぼ同時だった。

 遠い昔を懐かしむような口調で、パオフゥはゆっくりと言葉を紡ぐ。

 

 

「空本至にも、明智吾郎にも、有栖川黎にも、俺は大きな借りがあるんだ。何としてでも、それを返さなきゃならねぇ。……嵯峨薫として既に死んだ身だ。これから何度死ぬことになろうと惜しくはないさ」

 

 

 ――パオフゥもまた、岩井と同じなのだ。有栖川黎と明智吾郎を守るために、己の持ちうるツテをすべて駆使しようとしている。

 

 男たちと別れたパオフゥが岩井に気づいた。岩井もまた、パオフゥがこちらの存在に気づいたことを察する。2人はじっと互いの姿を見つめていた。

 “自分たちは同じ目的の為に動いている”――互いが互いの存在に確証を持った次の瞬間、岩井とパオフゥは、無言のまま固く手を組んでいた。

 

 

「――えっと、何してるの?」

 

「「あ」」

 

 

 それを目の当たりにした芹沢うららが、何かヤバいものを見たと言わんばかりに2人の姿を見つめる。

 例えは悪いが、うららの態度は“男同士のあれこれ”を目の当たりにした第3者の反応そのものだ。

 岩井とパオフゥがうららに現状を正しく伝え終える頃には、空は茜色に染まっていたという。

 

 

◆◆◆

 

 

「署名お願いします! 無実の罪で捕まっている友人を助けたいんです! その人たちは、僕にとって最高の友達なんです!」

 

「お願いします! その人は僕たちを助けてくれた恩人なんです! ネットでも、現実でも、もっともっと署名が必要なんです!」

 

「誰かの為に戦う、とっても格好いい人たちなんだ! お願いします、協力してくださいっ!!」

 

 

 三島由紀、岩井薫、織田信也の3人は、今日も今日とて声を張り上げる。ここ最近はずっと、署名集めに勤しんでいた。

 

 学校を終えたら即座に集合し、東京の街中を練り歩いて署名を訴えかける日々が続いた。最初はまったくもって集まらなかったが、芸能人が公共電波を乗っ取るような形で署名を呼び掛けて以後は爆発的に増えた。今もまた、多くの人が足を止めて署名に協力してくれる。

 一時は署名運動の手が回らなくなったことがあったが、最近は署名活動自体にも協力者が現れるようになった。この前は緒賀汐璃と鈴井志帆、中野原夏彦らが参加し、多方面から署名を集めてきてくれた。3人とも怪盗団によって救われた人々である。薫と信也はそれを知った際、嬉しそうに笑っていた。

 

 

「この署名の中にも、『怪盗団に助けられたから、協力するために署名しました』って人がいるのかな」

 

「きっとそうだよ。黎さんたちは、僕たちの他にもたくさんの人たちを助けてきたんだから!」

 

 

 薫は集めた署名の名前欄をじっと見つめる。自分たちと同じような境遇にあり、それを怪盗団に救ってもらった人間たちの姿を探しているかのようだ。

 満面の笑みで肯定したのは信也だ。怪盗団の大ファンを自称する彼は、三島同様“怪盗団を初期から追い続けてきた古参の1人”である。

 信也は三島が作った怪チャンを通して、怪盗団をずっと見続けてきた。黎の正体に気づいた岩井親子も、怪チャンの存在に気づき、同じように見守り続けてきた。

 

 沢山の人を助けてきた人間には、その人間を助けようとする人々がついているものだ。三島も、信也も、薫も、多くの人々の1人なのである。

 キラキラした目で署名欄を見つめる薫と信也を生温かい目で見守っていた三島は、力強く頷き返す。

 

 

「そうして俺たちは、その恩を黎たちに返すんだ。そのためにも、もうひと頑張り!」

 

「「おー!」」

 

「――キミたち、ちょっといいかな?」

 

 

 聞き覚えのある声に振り返れば、そこには見覚えのある茶髪の大学生――天田乾とその飼い犬であるアルビノ犬――コロマル、銀髪の青年――出雲真実が笑顔でこちらを見つめているところだった。

 

 天田と真実の手には、三島たちと同じクリップボードが握られている。コロマルは首から『無実の罪で逮捕された恩人を助けたい』という看板を下げていた。

 この3名は、以前から有栖川黎と明智吾郎のことを見守っていた人間の1人であった。特に後者は、天田、コロマル、真実にとっては大切な戦友なのだと聞いている。

 天田と真実はクリップボードの他にも、大量の署名を集めて持参してくれたらしい。それを見た三島たちは、思わず目を瞬かせた。飼い主と飼い犬は問いかける。

 

 

「僕たちも署名活動に協力したいんだけど、構わないかな?」

 

「あの子たちには早く自由の身になってほしいから。人々は、真実を知らなきゃいけない」

 

「わうっ!」

 

「――はい! ありがとうございます!」

 

 

 代表者として、三島が満面の笑みを浮かべて頭を下げた。活動を行う年長者からゴーサインを貰った天田と真実は即座に声を張り上げ、コロマルも高らかに遠吠えする。負けじと、三島、薫、信也も声を張り上げた。

 

 

◆◆◆

 

 

「署名お願いします! 無実の友人を釈放したいのです。どうか、どうか我々にお力添えを!」

 

 

 先程からずっと、青い服を着た色白のベルボーイとエレベーターガール、青いコートを着た色白の女性、青いワンピースとドロワーズを身に纏った少女が署名を求めている。

 彼や彼女たちを見ていると、圧倒的な超常の気配を感じて萎縮してしまいそうになるのは気のせいではない。その光景を横目に、御船千早は人々の方へと向き直った。

 

 

「私たちが目を覚ますことができたのは、彼女たちが助けてくれたからなんです! その2人がピンチなんです。今度は私たちが助ける番だと思いますっ!」

 

 

 目の前に居るのは、嘗て御船が関わってきた人々だ。御船がパワーストーンとは名ばかりの岩塩を売りつけてしまった相手もいれば、以前所属していた新興宗教から抜ける際に一緒に足を洗った元・構成員もいる。御船の所業や話を聞いても、御船を許し、認めてくれた人たちだった。

 

 有栖川黎と明智吾郎には、死の運命を乗り越えても尚、理不尽な試練が立ちはだかっている。御船を救ってくれた恩人である黎や、そんな恩人が愛してやまない伴侶である吾郎にも、自分と同じように“幸せになってほしい”と願うことはおかしくないはずだ。

 御船の力は微々たるものでしかないし、御船のようなちっぽけな占い師など戦力にすらなりはしない――そんなことは、占う必要のないくらい明らかなことだった。だけど、それでたとえ微々たる力しかなくとも、何もしないでいられるはずもなかった。

 たとえ“自分の力で困難を切り開く”という啓示が出たとして、「それまでひたすら理不尽に甘んじていればいい」とは思わない。運命に抗うということは、運命を変えるということは、そういうことを意味しているのではないか――御船はそう思うのだ。

 

 “自分の言葉だけでは届かないから、一緒に警察へ抗議してほしい”――集まっていた人々は、迷うことなく頷き返してくれた。

 早速警察署へ乗り込む。御船が先陣切って足を踏み入れると、入り口の受付に多くの人が屯っているのが見えた。面々は押し問答を繰り広げている。

 

 

(あの人たちも、私たちと同じなんだ)

 

 

 御船はそう直感し、人々を注視する。

 

 小奇麗でスタイルの良いモデルの女性たち――桐島恵理子と岳羽ゆかり、多種多様な格好をした大学生――花村陽介、里中千絵、天城雪子、巽完二の4名、大きなマスコット――クマ、スーツを着た男性たち――堂島遼太郎と城戸玲司、小学生~中学生間近程度の少年少女――城戸鷹司と堂島菜々子が、警察官と話をしているところだった。

 がやがやしていて聞き取りにくいが、彼や彼女たちは「有栖川黎と明智吾郎の逮捕は不当である。厳重に抗議する」と訴えていた。一部の面々が感情的になりながら、一部の面々は暴走を諌めつつも滾々と、黎と吾郎の無実と善性を解いている。勿論、抗議だって忘れちゃいない。

 

 

「吾郎さんは菜々子を助けてくれたし、黎さんは菜々子のお友達になってくれたよ。今でもお手紙を書いて送ってくれる、優しい人だよ。2人は何も悪いことしてないよ! 菜々子でさえ分かるのに、どうして()()()()()()()()の!?」

 

「うぐぅ!」

 

「ああッ!? 菜々チャンのお父さんが瀕死状態にッ!? しっかりするクマー!」

 

 

 菜々子から思わぬ流れ弾を喰らい、遼太郎の顔色は一瞬で真っ青になった。遼太郎の肩書は八十稲羽の刑事、立派な警察官である。警察官や警察組織を非難すれば、矛先は遼太郎にも向くのは当然と言えよう。

 「お父さんは別だよ! 八十稲羽のみなさんも、周防さんたちと真田さんも、『黎さんと吾郎さんが無実だ』って分かってるもん!」――菜々子は大慌てで父親に謝り倒していた。この光景には警察官も居たたまれない気持ちになったようだ。

 ……最も、なあなあにして彼や彼女を返そうとしている気配はごまかせない。“鉄は熱いうちに叩け”とはまさにこのことだ。御船は人々を伴って受付に立ち、受付の警官に「黎と吾郎の不当逮捕に抗議しに来た」ことを告げた。

 

 

◆◆◆

 

 

 東京の郊外にある御影町は、珠閒瑠市を経由して向かうルートが最短である。有栖川黎の実家である有栖川家は御影町にあり、黎が冤罪事件に巻き込まれる以前に通っていた学校は珠閒瑠市の私立・七姉妹学園高校だった。彼女の恋人である明智吾郎は、幼い頃は御影町と珠閒瑠に住み、小中学生時代は巌戸台と八十稲羽にいたという。

 部長を説得して取材許可をもぎ取った大宅一子は、有栖川黎と明智吾郎の関係者各位に取材を申し込んでいた。交通網や地図的距離の関係上、取材の順番は巌戸台、珠閒瑠、御影町、八十稲羽の順番となっている。巌戸台と珠閒瑠での取材を終えた時点で、大宅は既に黎と吾郎の善性を証明できる証言は充分集まったと確信していた。

 

 だが、それに比例する形で、『明智吾郎が超常的な事件――御影町での『セベク・スキャンダル』、珠閒瑠市で発生した須藤竜蔵によるカルト的テロを始めとした汚職事件、巌戸台での無気力症、八十稲羽の連続殺人事件――を経験したが故に、“人ならざる力”に深い知識を有していることが明らかになってしまった』という弊害も発生していた。

 

 黎の無実を訴える記事なら問題なく通りそうだが、彼女の恋人である吾郎を庇いつつ、彼の無実を訴える記事を書けるか否かは厳しいところがある。

 下手をすればボツを喰らってしまいそうだし、「獅童の隠し子というスキャンダルを更に煽るための記事に書き直せ」と命令されてしまうかもしれない。

 『改心』した上司は止めてくれるだろうが、売り上げ部数を求める上司の上司がこのネタを悪用してしまいそうな気がするのだ。油断はできなかった。

 

 

(私の同業者である天野舞耶と黛ゆきの、東京都内の大学に通う出雲真実、営業職をしている城戸玲司、アイドルの久慈川りせ、女優の黒須純子、洸星高校の教師橿原淳、芸能人の上杉秀彦、月光館学園高校理事長荒垣命、その夫で寮母をしている荒垣真次郎、桐条グループ当主桐条美鶴、警察庁キャリア真田明彦、モデルの岳羽ゆかり、『がってん寿司』板前仁科栄吉、元アイドルリサ・シルバーマン、地方警察キャリア周防達哉と克哉兄弟、南条コンツェルン次期当主南条圭、御影町在住のOL綾瀬優香……)

 

 

 黎と吾郎に関する特集記事を書くために取材してきた人々のラインナップ――インタビューした中でインパクトが大きかった面々の順番に並べてみる。

 肩書があってもなくても、誰もが有栖川黎と明智吾郎の無実を訴えていた。そのためなら協力を惜しまない人々であり、そのための活動に協力している人々だった。

 

 

「黎も、彼女の恋人くんも、アタシ以上の修羅場を乗り越えてきたのよね。頑張ってきたのよね。……その証が、この記事に協力してくれたすべての人たちなんだ」

 

 

 2人の釈放を願う人たちの想いを、大宅は背負っている。怪盗団のリーダーには借りがあるし、彼女の恋人とは見ているこっちが微笑ましくなるほどの相思相愛、比翼連理の関係であった。片方が欠けてしまえば、その時点でもう片方の心は完全に壊れてしまうだろう。

 

 だから、何が何でも、自分はこの記事を完成させなくてはならない。

 『2人揃って釈放』まで持ち込まなければ意味がないのだ。

 大宅が2人を助ける方法は、ペンを執って記事を書くことだけである。

 

 程なくして、大宅は事件現場――有栖川黎が暴力事件を起こしたと言われる現場に辿り着いた。

 時間帯はとっぷりと日が暮れた頃。丁度、近くを闊歩していた近隣住民を捕まえて、取材を試みる。

 

 

「ご存知でしたら教えてください。その少女と、もう1人の少年の特集記事に載せる証言が必要なんです!」

 

 

 昼間は小春日和と言えるような心地よい天気だったが、夜になってしまうと一気に冷え込んでくる。元々御影町は雪の多い地域ではないが、時折、()()()()()()()()()()()激しく吹雪くのだ。吹雪が発生しないだけマシであろう。

 大宅の話を聞いた住民は、こてんと首を傾げた。どうやら、大宅の説明では住民の心を動かすことができなかったらしい。きょとんとした顔でこちらを見上げる住民に対して、大宅は必死に訴える。

 「獅童が有栖川黎に着せた暴行罪という冤罪を晴らすためにも、彼女の恋人である明智吾郎を釈放してもらうためにも、1つでも多くの証言が欲しいんです!」――名前を出した途端、住民は大きく目を見開いた。

 

 2人の名前が出て、住民はようやく事態の重さを悟ったようだ。

 きりりとした表情を浮かべ、大宅の頼みに頷き返した。

 

 

「有栖川黎という少女は、暴力事件を起こすような子に見えましたか? 明智吾郎という少年は、今回のような犯罪に加担するような子に見えましたか?」

 

「それはないホー! レイもゴローも、オイラの大切な友達だホ! 2人はオイラたちのことを助けてくれたんだホー! レイが警察に連れてかれたときも、何があったか見てたホー!」

 

 

 大宅の問いに対し、聖エルミン学園高校の学生服を身に纏った白い雪だるまのような妖精――ヒーホーくんが、拳を振り上げて訴えた。

 “自分がインタビューしている住人が明らかに()()()()()()”ことなど、今の大宅にとっては些事に過ぎなかったのだ。

 

 

◆◆◆

 

 

「ある若者たちが、不当な政治圧力により窮地に立たされております! 冤罪に苦しめられているのです!」

 

「その子たちは、数年前に過ちを犯した私を正してくれました。いわば、私の恩人です」

 

 

 永田町。国会議事堂の前で、大勢の聴衆たちに囲まれた2人の議員たちが演説を披露していた。

 

 どこかくたびれたスーツを身に纏いながらも、演説には一切の衰えを見せない議員――吉田寅之助は、先の選挙で当選を果たした国会議員であった。遠い昔汚職事件を起こして干されていたダメ寅。そんな己に師事し、演説を学んだ教え子――それが、現在冤罪に苦しむ少女――有栖川黎である。

 彼女との交流を通し、吉田は多くのことを学んだ。自分が教えた演説術より、黎の在り方や生き方から学んだことの方が多かったように思う。彼女と過ごした経験が活きたのと、獅童正義が起こした『廃人化』絡みの汚職事件が発覚したことにより多くの議員が当選を辞退したことで、吉田は当選にこぎつけたのだ。

 選挙の結果がどうであれ、いつか彼女にちゃんとしたお礼がしたいと思っていた。自分の在り方を定めてくれた分の借りも、この世界を救って人類に未来を与えた分の借りも、世界の変革を成し得る姿を見せてくれた分の借りも、きちんと返したいと思っていた。

 

 そんなとき、有栖川黎とその恋人である明智吾郎が冤罪で逮捕されたという話を聞いた。知り合い曰く、怪盗団事件絡みの案件による逮捕らしい。

 警察と検察は怪盗団を許しはしないだろう。国家権力を駆使し、将来ある2人の若者を潰そうとするに違いない。そう思ったから、吉田は立ち上がったのだ。

 

 

「あの子たちがいなければ、今頃私は、多くの人々を不幸にしていたところでした。善意という名の盲目的な思い込みによって、更なる悲劇の引き金を引いていたかもしれません。……だからこそ、私は我慢ならないんです! 私の恩人が、国家権力絡みによって引き起こされた悲劇に巻き込まれてしまったことが! そんな恩人たちに、何もしてやれない自分が!」

 

 

 オールバックの年若い議員――生田目太郎は、八十稲羽の市議会議員である。元々は都会で市議会議員をしていたが、スキャンダルによって議員生命を絶たれて田舎の八十稲羽へ戻っていた。その後は八十稲羽連続殺人事件へ関与した疑いをかけられるも、証拠不十分で無罪放免となった後、八十稲羽の市議会議員に立候補し当選した異色の経歴持ちである。

 事件を起こしていたとき、生田目は特別捜査隊と対峙したことがあった。その現場に、当時少年だった明智吾郎もいた。得体の知れない何かに乗っ取られて暴れた生田目を救い、生田目の罪――出雲真実の妹的存在であった堂島菜々子を始めとした面々を()()で殺しかけてしまった――を知っても、彼等は私刑に走らなかった。生田目を殺さなかった。

 

 後に、特別捜査隊の面々は真犯人を捕まえて、悲劇を止めることに成功した。生田目がやりたかったことを、正しい形で成してくれた。

 それだけではない。特別捜査隊は生田目を救うことで、生田目に人生をやり直すチャンスをくれたのだ。感謝してもしきれない。

 あのとき生き残っていなければ、堂島刑事から激励の言葉を貰うことはなかっただろう。八十稲羽の市議会議員に立候補することもなかった。

 

 市議会議員になった後も、特別捜査隊の面々を含んだ八十稲羽の住民たちとはよく顔を会わせていた。吾郎もまた、長期休みになると恋人の黎や他の街の友人を伴って八十稲羽へ遊びに来てくれたのだ。自分がしっかりやっている姿を八十稲羽に住む人々や吾郎らに見せることが、生田目の罪を償う方法なのだと思っていた。

 

 そんなとき、明智吾郎とその恋人である有栖川黎が冤罪で逮捕されたという話を聞いた。知り合い曰く、怪盗団事件絡みの案件による逮捕らしい。

 警察と検察は怪盗団を許しはしないだろう。国家権力を駆使し、将来ある2人の若者を潰そうとするに違いない。そう思ったから、生田目は立ち上がったのだ。

 

 吉田が拳を振り上げ、生田目が大きく頭を下げる。

 

 

「彼女たちは、この国を支える有望な若者なのです! それを救えずに、何が国の正義でしょうか! こんなこと許されていいはずがない!」

 

「お願いします! 過ちを正すためにも、これ以上理不尽な悲劇を起こさないためにも!」

 

 

◆◆◆

 

 

「――なあ。囚人でも、できることってあるかな?」

 

 

 八十稲羽の留置場で日々を過ごす囚人――足立透は、外にいる看守に声をかける。

 彼の指には、金色に輝く蝶が停まっている。それを見た看守は意味深に微笑んだ後、小さく頷き返した。

 

 

◆◇◇◇

 

 

「――……ん……?」

 

 

 何やら違和感を感じて、目を開ける。そこは、最終決戦の直前に足を踏み入れた青い部屋――精神と現実の狭間にあるベルベットルームだった。

 

 服装は少年院で着ていた簡素な服ではなく、着慣れた私服であるワイシャツにアーガイルの青いベストを身に纏っている。現実では思い通りの服装を着ることは不可能だ。でも、心は普段通りなのだから、この世界の格好も影響するのは当たり前だと言えるだろう。

 この部屋への来客は僕だけではないらしい。いや、元々この部屋は僕の部屋ではないのだ。僕は利用者との関係によって、この部屋に招き入れられたようなものだ。本来の利用者が来ていないのに、僕だけが他人の部屋に招かれるなんておかしなことはあり得ないはずだ。

 僕の予想は正解だったようだ。隣の独房から人の気配を感じ、思わず身を乗り出す。案の定、そこには黒のトレンチコート風ワンピースを身に纏った有栖川黎の姿があった。僕の存在に気づいた黎は、大きく目を見開く。そうして、嬉しそうに破顔した。

 

 そんな彼女が愛おしくて、僕は大きく手を広げる。

 黎は迷うことなく飛び込んできた。彼女を受け止め、見つめ合う。

 

 

「久しぶり。元気だった?」

 

「何とかね。黎は?」

 

「ぼちぼちかな」

 

 

 ああ、久々だ。出頭して少年院に送られて以来、僕と黎は一度も顔を会わせていない。面会に来るのは冴さんや航さんと弁護士くらいだった。

 彼女の温もりを堪能しつつ、様子を伺う。心なしか、少し痩せたように感じた。院内で黎が酷い目に合っていないか心配だが、きっと教えてくれないだろう。

 それは僕も同じなので黙っておく。今はとりあえず、久々の逢瀬に浸っていたかった。……だが、そうは問屋が許さない。向こう側から咳払いが響き、中断される。

 

 咳払いが聞こえてきた方向に視線を向ければ、この部屋の家主であるイゴールが椅子に座っていた。老紳士の隣には、ボロ雑巾と形容しても違和感がない様子のラヴェンツァが、疲れ切った様子で控えている。あの様子は“姉にしごかれたテオドア”と同じだった。

 

 

「……ラヴェンツァ。その傷……」

 

「ご心配には及びません、マイトリックスター。毎日3時間程度、姉上たちからのしごきを受けていただけです。本来は8時間の予定だったのですが、僭越ながら、兄弟姉妹で貴女の署名活動に協力していたものでして……」

 

「そうなんだ。ありがとう、ラヴェンツァ」

 

 

 黎から感謝されたことが嬉しかったようで、ラヴェンツァは照れ臭そうにはにかむ。分かたれていた状態の双子からは想像つかない程、情緒豊からしい。

 カロリーヌは鞭を愛用する苛烈で過激な激情家だし、ジュスティーヌは目録を抱える冷徹無比な鉄仮面だ。怒と哀以外の表情変化も乏しかったように思う。

 

 普通の人間なら虐待を疑ってかかるのだろうが、生憎僕と黎はテオドアの件でこのような状態になった『力司る者』の姿を見慣れている。そのため、ラヴェンツァの怪我が「本人にとって大した傷ではない」ことはすぐに察した。

 周囲を見回してみたが、ラヴェンツァにあそこまでの大打撃を与えられそうな相手――『力司る者』長女マーガレット、次女エリザベス、長男テオドアはここにいない。ナナシやベラドンナ、悪魔絵師の姿もなかった。

 成程。マーガレットとエリザベスによる“鍛え直し”が行われたのは、黎をお客様に据えたこのベルベットルームではないらしい。候補はいくつかあるが、どこでやってもおかしくないので候補地から探ることは不可能だった。閑話休題。

 

 イゴールは拍手し、黎の為した偉業を湛えた。しかしラヴェンツァは視線を逸らし、僕と黎が迎えた皮肉な結末を哀れむ。だが、彼女はすぐに柔らかな笑みを浮かべた。

 

 

「けれど、それでいいのです。貴女たちは自分の意志で、『正しい』道を選んだ。ついに最後の最後まで、自分の利のために道理を曲げることはしなかった」

 

 

 少女の賞賛と共に、僕たちの目の前に青い光が降りてくる。

 それは1枚のカードになり、僕と黎の手の中に納まった。

 

 

「貴女たちが最後に手に入れたアルカナは『World(世界)』。誰に流されることもなく、自分の足でこの世界に立つ意志の力です」

 

「『World(世界)』……」

 

「それは、同じ志を持つ仲間たちと共に未来へ向かうための『希望』の元になるでしょう」

 

 

 ラヴェンツァは静かに微笑んだ。此度の出来事で黎と僕が手にした『World(世界)』は“確固たる『自分の居場所』を得る”というものらしい。

 

 確かに、怪盗団に所属するメンバーは“現実世界から居場所を失い彷徨っていた者たち”ばかりだ。モルガナは自分の使命に関する記憶を失ったため彷徨い、竜司は鴨志田絡みの暴力事件によってスプリンターとしての将来と陸上部を奪われ、杏は日本人離れした外見やモデルという肩書故に遠巻きにされ、祐介は班目に飼い殺される寸前だった。

 真は生徒会長という肩書にしがみつくことで居場所を得ようとし、双葉は“母親を殺した自分は存在する意味はない”と追い詰められ、春は父親のシャドウから『私の生贄になれ』と命令されていた。僕は母亡き後に親戚の多くから「要らない子」呼ばわりされたし、黎に至っては“やってもいない犯罪のせいで地元に居られなくなった”のだ。

 

 だけど、そんな僕たちにも居場所ができた。仲間ができた。僕の場合は、以前から繋がっていた絆を仲間たちに繋げることができた。

 この旅路で得られたものは多い。失くしてしまった痛みも癒えていないけど、それでも僕たちは、この世界で生きていくのだ。

 

 青い光は、僕たちの中に納まる。僕の中に存在していた“明智吾郎”が、どこか夢心地のままに呟いた。

 

 

―― ……綺麗だ。それに、温かい…… ――

 

 

 “彼”の人生では、ソレを何よりも欲していながら、終ぞ無縁だったものだ。もう二度と離さないと言わんばかりに、“明智吾郎”はその光を抱え込んだ。

 そんな“彼”の隣には“ジョーカー”が静かに寄り添う。今となっては当たり前の光景だが、ここに辿り着けたことがどれ程尊いのか、僕たちは知っていた。

 

 

「私の役目もこれまで。……貴女方は、最高の客人だった」

 

 

 穏やかに告げた老紳士の姿が光に包まれる。僕らが何か言うよりも先に、彼の姿が溶けるようにして消え去る方が早かった。

 家主が退去するということは、当然、家主を“我が主”と仰ぐ『力司る者』も去るということ。

 ラヴェンツァは慈愛に満ちた微笑みを浮かべたまま、光に包まれて消えてしまった。間髪入れず、部屋が白い光に塗り潰される。

 

 一転して、世界は黒一色に飲み込まれた。僕と黎はそのまま黒い空間に投げ出される。上も下も分からぬ中、僕と黎は躊躇うことなく手を繋いだ。左手薬指の指輪が煌めく。

 

 黒い世界の中を飛び回るのは、1羽の蝶。蒼銀に輝く蝶は僕たちの旅立ちを喜ぶようにくるくると宙を舞っていたが、向かうべき先を見出したのだろう。ちょっとだけ躊躇うように軌道を止めて僕らへ向き直る。――だが、観念したように、あるいは落胆したように、蝶は向かうべき場所へと飛び立った。

 それを見送った僕と黎が顔を見合わせた刹那、視界を埋め尽くさん勢いで蝶の群れが現れた。どいつもこいつも黄金に輝いている。黄金の蝶は善神の化身だ。フィレモンが何かしに来たのかと身構えた僕は、視界を覆いつくす金色の蝶の群れの切れ間から、見知った人を見つけて息を飲む。

 

 僕が彼の名前を呼ぼうと口を開いたのと、切れ間から“あの人”がこちらを見返したのはほぼ同時。“あの人”は、最後に見たときと変わらない柔らかな笑みを浮かべ、一言、

 

 

「――いってらっしゃい、2人とも」

 

 

 僕と黎は思わず手を伸ばす。だが、蝶の群れに阻まれてしまい、伸ばした手は何も掴めなかった。

 蝶が纏う光がより一層強くなり、視界が金色に塗り潰される。――それを最後に、僕たちの意識は暗転した。

 

 




魔改造明智とぺご主♀を助けるために飛んだ蝶の羽ばたきは、原作以上に規模を広げた形で展開しました。ここに描写されていない面々も、裏側で頑張っていたことでしょう。登場人物たちの肩より具合から、書き手の技量がイマイチだと露呈した感が否めません。以後精進します。
黎が築き上げたコープと、至が結んで魔改造明智が受け取った歴代ペルソナ使いの絆が合体した結果、ド派手な事故を引き起こしてこんな有様になった模様。個人的に書いてて楽しかったのは大宅さんのターン。彼女の場合、早い段階でこのオチに決まっていました。
初期構想では舞耶とゆきのと一緒に悪魔にインタビューし、「冤罪の特集記事のためにあの子の故郷に来たのに、なんでアタシ悪魔に取材してるんだろ?」と言わせる予定だったんです。その名残は大宅とコープを築いた際のやり取りに引き継がれた模様。ヒーホーくんは第1話以来の再登場となります。

こんな大規模な話を書いていると、原作以上に釈放が前倒しになりそうな気配がしてなりません。いっそ前倒ししようかと考えております。
前倒しになった場合、VS統制神編はこのお話で最終話になる予定。あとがきで述べていた構想から大きく外れる形になってしまったことをお詫びいたします。
次回からは3学期。章が区切られるか否かを含んで、魔改造明智たちの旅路の終わりが近づいてきました。最後まで見守って頂ければ幸いです。


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Last Surprise
新世界への第1歩


【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 @空本(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄で明智の保護者その1。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
 @デミウルゴス⇒獅童の息子であり明智の異母兄弟とされた獅童(しどう)智明(ともあき)を演じていた『神』の化身。姿は真メガテン4FINALの邪神:デミウルゴス参照。詳しくは中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『運命を切り開くだけの簡単なお仕事』および『ペルソナ3異聞録-.future-』、Pixivの『2周目明智吾郎の災難』および『【一発ネタ】有栖川黎の幼馴染』の設定を下地にし、別方向へ発展させた作品である。
・ジョーカーのみ先天性TS。
 ジョーカー(TS):有栖川(ありすがわ) (れい)⇒御影町にある旧家の跡取り娘。旧家制度は形骸化しているが、地元の名士として有名。身長163cm。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空本(そらもと) (わたる)⇒明智の保護者2で、南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。
・敵陣営に登場人物追加。
 @神取鷹久⇒女神異聞録ペルソナ、ペルソナ2罰に登場した敵ペルソナ使い。御影町で発生した“セベク・スキャンダル”で航たちに敗北して死亡後、珠閒瑠市で生き返り、須藤竜蔵の部下として舞耶たちと敵対するが敗北。崩壊する海底洞窟に残り、死亡した。ニャラルトホテプの『駒』として魅入られているため眼球がない。獅童パレスの崩壊に飲まれ、完全に消滅した模様。
・「2罰ボスの外見を見た人間の反応」に関するねつ造設定がある。
・普遍的無意識とP5ラスボスの間にねつ造設定がある。
・『改心』と『廃人化』に関するねつ造設定がある。
・春の婚約者に関するねつ造設定と魔改造がある。因みに、拙作の彼はいい人で、春と両想い。
・魔改造明智にオリジナルペルソナが解禁。
・釈放時期が前倒しになっている。


 冬には珍しいくらい、澄み渡った空が広がる。小春日和という言葉がよく似合う天気だった。僕たちの門出――出所に相応しい天気とも言えるだろう。

 

 本日、1月31日。僕と黎が警察に出頭してからおよそ1ヶ月が経過していた。僕と黎の釈放が同時に決まり、手続きのアレコレを終えて、僕たちは一緒に少年院を後にしたのである。久々の娑婆は気持ち良くて、僕たちは大きく深呼吸して自由を噛みしめていた。

 出頭したときは年単位の御勤めも覚悟していたためか、僅か1ヶ月での釈放という現実に拍子抜けしてしまった。このことを面会に来てくれた冴さんに話したところ、彼女は非常に不愉快そうに顔を歪めていた。彼女にとっては、もっと早く解決するべき案件だったらしい。

 

 門出はそれだけではない。本日付で、冴さんが獅童正義の立件に漕ぎつけることに成功したそうだ。近々公開裁判が行われ、奴の罪は追及されることになる。現状では『廃人化』事件による殺人を立証することは難しいらしく、公選法違反・政治資金規正法違反・収賄で捜査が進むとのこと。

 獅童が黎へ冤罪を着せたときと大差ないスピードで物事が進んだのは、有名人や著名人が市民運動を起こしたり、メディアが僕たちのことを取り上げたり、多くの人々が僕らの逮捕に対して抗議してくれたり、署名を集めてくれたり、無実の証拠を見つけ出してくれたためだ。

 特に、黎の冤罪を証言してくれる目撃者を見つけたのは怪盗団の面々だった。直斗さんやパオフゥさんから貰った情報を頼りに色々と調べ回ってくれたらしい。獅童の証言と一致したため、黎の裁判はやり直しとなり無罪になることがはっきりしている。彼女の釈放は一足早めという扱いになっていた。

 

 因みに、僕の場合は『証拠不十分による無罪放免』。ペルソナ能力および異世界の実証が難しいことや、獅童正義が『彼が怪盗になってしまったのは自分が腐った人間だったからだ。私が息子を殺そうとしたからだ。息子は正当防衛のために怪盗団に助けを求めたんだ』と主張したためだ。

 正直僕はドン引きしたけど、冴さんのアドバイスに従って、獅童を隠れ蓑にすることにした。万が一僕に有罪判決が下るようなことがあれば、奴は自分の財産を“明智吾郎の保釈金”として使うつもりだったらしい。結果的に獅童の金が保釈金になることはなかったが、それはそのまま僕の口座に振り込まれていた。

 

 

「しかし、冴さんが弁護士に転身するなんてなぁ。このまま検事として、腐敗した組織をぶち壊しにかかると思ったのに」

 

「でも、とても活き活きとしていたよ。働く女性の理想像って感じだったなぁ」

 

 

 獅童の一件が片付けば、冴さんは検事を辞めて弁護士に鞍替えするそうだ。

 “誰かを助けるために『正義』を貫く”ことに生きがいを見出したためらしい。

 

 

『2人の進路も弁護士とパラリーガルなのよね? 真から聞いたわよ。貴女たちがよければだけど、私の下で働かないかしら? 勿論、ゆくゆくは独立も視野に入れて』

 

 

 『何かあったら頼ってほしい』と言い残し、女検事(次期ヤメ検女弁護士)の新島冴は颯爽と去っていった。彼女はこれから、検事生活最後の仕事に取り掛かるのだろう。暫くは激務となるはずだ。

 

 彼女の聡明な頭脳は、“僕と黎が獅童正義の元へ導かれるようにして、ターゲットを『改心』させてきた”という部分から『後ろで何か強大な意思が動いていたのでは?』という推論を立てていた。最も、冴さんは自分で『あり得ない』と否定してしまったが。

 もし今でもヤルダバオトが存在していたら、そんなことを口走った冴さんを邪魔者と認定して消していたかもしれない。奴は自分の存在を揺るがしかねない研究を推し進めていた一色さんを躊躇いなく消したのだ。あり得ない話ではない。

 同時に、もしも冴さんがペルソナ使いとして覚醒していたとしたら、きっと素晴らしい才能を発揮していたことだろう。彼女の洞察力に僕と同じような経験が合わされば、『神』の思考回路を看破することだって不可能ではなかった。

 

 まあ、無意味な『たられば』を考えたって仕方がない。冴さんはどこまで言っても一般人の括りから離れることはできないだろうし、無理に離すつもりはない。

 俺の尊敬する保護者だった空本至さんを筆頭とした“歴代ペルソナ使い一同のケース”からして、一般人の括りから逸れることが幸せであるとは限らないのだ。

 

 

「黎の復学も決まったんだっけ?」

 

「うん。3月までは秀尽に通って、4月からは七姉妹(セブンス)に戻ることになったよ。『七姉妹(セブンス)は獅童に金を握らされて、冤罪被害者の生徒を強制的に退学させた』ってことで大騒ぎになったらしいから、その悪評を払拭したいんじゃないかな?」

 

「……成程ね。奴の圧力があったから、問答無用で退学処分に持ち込まれたのか。我が実父(ちち)ながらロクなことをしない奴だ」

 

「獅童は『お前の人生を潰してやる』って言ってたからね。ところで吾郎はどうなの? 大学進学に影響とか出なかった?」

 

「獅童と俺の関係がすっぱ抜かれて大炎上したからなぁ。大学側や冴さん、航さんと相談して、丸々1年休学することになったよ。『その頃にはきっと、ほとぼりが冷めているだろうから』って」

 

 

 僕らに関連する組織――主に学校――は、世間から派手な注目を浴びている。僕らの拘束を不当逮捕だと抗議して賞賛された秀尽学園高校と○○高校、獅童に金を疑義らされて冤罪被害者を問答無用で退学処分にしたことからバッシングされた七姉妹学園高校、良い意味でも悪い意味でも炎上している有名人を持て余した僕の進学先。

 

 黎の場合、近いうちに裁判のやり直しが行われ、前回の判決と保護観察処分は取り消しになることが決まっている。このまま東京に残り、秀尽学園高校に通おうかと思っていた矢先、以前通っていた七姉妹学園高校から復学許可が出たのである。……いいや、事実上の要請だ。

 七姉妹学園高校のお偉いさんは、獅童からの賄賂に目が眩んで彼女を退学させた。獅童の汚職事件発覚に伴い、奴が獅童から賄賂を受け取って生徒を退学させたことが発覚したのだ。そのお偉いさんは七姉妹学園高校を追われたが、それだけでは学校へのバッシングを抑えられなかったらしい。

 これ以上、学校の評判が下がることによってデメリットを被るのは避けたかったのだろう。だから、七姉妹学園高校は『冤罪被害者の生徒を復学させる』ことによって、学校としてのメンツを保とうとしている。自分たちの保身のために、嘗て自分たちが追い出した生徒の存在を欲しているのだ。

 

 自分を追い払った奴の所になんて、帰る必要はなかったはずだ。慣れ親しみ、仲間ができた東京に残ることだってできたはずだ。

 無罪放免となったとて、地元ではまだ犯罪者扱いされている。周囲から色眼鏡で見られることになるだろう。自ら危険区域に飛び込むようなものだ。

 

 

(……まあ、僕も黎のことは言えないけど)

 

 

 僕はひっそりと苦笑した。僕だって、大学側の葛藤――“冤罪被害者であり、世間では炎上している有名人”をどう扱えばいいか――を察知し、大学側の取引に乗ったクチである。

 世間で炎上している有名人を受け入れるデメリットは大きい。だが、冤罪被害者の入学を取り消すのは大学側の体裁的に問題がある。文字面だけでも世論を敵に回しかねない。

 ご存知の通り、僕の実父は天下の大悪党・獅童正義だ。犯罪者の親族として誹謗中傷されてもおかしくない。“犯罪者の息子にして、実父によって罪を着せられかかった冤罪被害者”という立場の人間は、色々と複雑なのだ。

 

 こちらとしても、第一志望で受かった大学を辞めるのは困る。今の次期ならギリギリ2次募集か3次募集に食い込むことができるだろうが、厳しいことには変わりない。

 勿論、どんな悪意に晒されたとしても、僕は大学を辞めるつもりはない。僕には仲間たちや頼れる大人たちがいる。居場所を失い彷徨う流浪者ではないのだ。

 

 そんなことを考えていたときだった。黎が「あ」と声を上げて振り返る。視界に入ったのは黄色い小型車。車は僕らの目の前で止まった。

 

 

「よお、待ったぜ」

 

「迎えに来た」

 

 

 車から腕を出して合図したのは佐倉さんだ。助手席には航さんが座っている。

 それだけならば、普通だった。普通だったのだ。黎はおずおずと問いかけた。

 

 

「……なんで2人ともボロボロなんですか?」

 

「いやあ、どっちが迎えに行くかで喧嘩になってなあ」

 

「最終的には、双葉さんから『もういっそ2人で行け』と言われた」

 

 

 佐倉さんと航さんは照れ臭そうに笑った。この様子だと、『どちらが運転するか』でも1ラウンドありそうな気配がする。意地が強くて頑固者である佐倉さんと航さんの両名を動かすだけの強さを持った双葉も、最初は引きこもりだったのだ。考えると感慨深い気持ちになる。

 「折角出所したのに、また何かしでかされたらたまらないから」等と苦言を呈した佐倉さんだが、言葉とは裏腹に、僕らの釈放を喜んでいるようだ。航さんもそれを察知したためか、静かに微笑むだけで留めた。言葉だけを捉えて強硬手段に走ることはないあたり、お互いに信頼し合っていることは明らかだった。

 4月の鬼電事件からは予想できない光景に微笑ましさを感じつつ、僕らは車に乗り込んだ。この1年の間に、純喫茶ルブランは有栖川黎にとって“帰るべき家”となったらしい。喜ばしいことであるが、それ故に、別れの時が近づいてくると感じて寂しさを覚えるのだ。実に複雑である。

 

 車に乗り込んだのはいいが、なかなか進まない。どうやら、人身事故によって発生した交通整理の影響で重体が発生してしまったようだ。

 苛立たし気に悪態をついた佐倉さんだが、何か思うところがあったらしい。彼は振り返り、黎と思い出話に興じた。

 

 部外者である僕と航さんは沈黙を保ち、2人を見守る。4月は保護司と黎の関係がどうなるか心配していたが、今思えば杞憂だったらしい。

 

 

「あの頃の俺は酷かったな。色々事情があったとはいえ、まともに片付けすらしていない状態の屋根裏部屋に放り込んじまって」

 

「佐倉さんには双葉がいたでしょう? それに、私に付けられた罪状は暴行罪だ。“あの部屋に私を隔離しておく”というのは、双葉を守るための判断として妥当です」

 

「……はは、お前さんには敵わねェや」

 

 

 佐倉さんは苦笑した。そこで終われば美談だったのかもしれないが、黎は当時のことを思い出すように佐倉さんを見返した。

 

 

「……最も、双葉のことを知る前は『この人は私のことを最初から疑っていて、厄介者扱いしてる。他の連中と同じなんだ』って思ってました」

 

「正直な話、俺も至もそう思ってました。申し訳ありません」

 

「だろうと思ってたよ」

 

「ははは……。あのときは止められずに申し訳ないです」

 

 

 黎と航さんの言葉を引き金に、佐倉さんは4月に発生した“至さんの鬼電事件”を思い出したらしい。疲れ切った様子でため息をつく。僕も乾いた笑みを浮かべた。

 至さんが去ってしまった今、もう二度とルブランに鬼電がかかってくることもないのだろう。各方面に連絡する至さんの背中が脳裏にちらつく。

 

 

「まあでも、お前等はもう……」

 

「……佐倉さん?」

 

「――お前等、いい仲間持ったな。戻ったら、ちゃんと礼言っとけよ」

 

 

 佐倉さんが静かに笑ったタイミングで、前の車が動き始めた。随分長い間停まっていたような気がする。車はゆっくりと走り出した。

 交通誘導の影響でのろのろとしか進まなかったが、暫く進むと渋滞区域を抜けたらしく、スムーズに走り始めた。

 普段の道のりからは想像できない程の長時間をかけて、僕と黎は純喫茶ルブランへやって来た。実に1ヶ月ぶりの来店である。

 

 扉を開ける。カウベルの音すら懐かしい。店内に足を踏み入れれば、そこには怪盗団の仲間たちが待っていた。僕らの顔を見た途端、全員がパアアと表情を輝かせた。

 

 

「――おかえり!」

 

 

 脳裏に浮かんだのは、11月20日の大勝負。怪盗団のリーダーとして捕まり、賭けに勝って、ルブランへ戻ってきたときのことだ。

 本来なら黎が挑むはずだった命懸けの秘策は、認知を操作する規格外の存在という恐ろしい存在を察知した僕が代打を申し出た。

 

 怖くなかったわけではないし、正直穴だらけの策だったと思う。当時は『まだ完全覚醒していなかったカウにすべてを賭けるしかない』という不安定な側面があった。

 作戦は成功し、僕は賭けに勝った。公安の連中から理不尽な暴力や大量の自白剤を投与されてフラフラだったけれど、確かに僕は、生きてルブランへと帰還したのだ。

 僕を迎えてくれた仲間たちが笑顔で迎えてくれたことは、きっと一生忘れない。――それは、今、僕らを迎え入れてくれたみんなの笑顔も、同じくらいに。

 

 

「――ただいま!」

 

 

 僕と黎は微笑み、仲間たちに応えた。――12月25日に警察に出頭してから今まで、実に1ヶ月ぶりの再会であった。

 

 

***

 

 

 仲間たちは元気そうな様子で、警察や検察から嫌がらせや圧力をかけられることはなかったらしい。冴さんは僕と黎の約束通り、怪盗団関係者を守り抜いてくれたようだ。そんなことを考えていたら、仲間たちは一気に立ち上がって僕と黎を取り囲んだ。

 いの1番に黎に抱き付いた双葉、2番手で突っ込んだ結果黎に抱き上げられたモルガナ、僕たちの釈放を喜ぶ竜司、何をするより先に挨拶を優先した祐介、元気そうな僕たちに安堵する杏、春、真。振り返れば、そんな僕と黎を見守る佐倉さんと航さんが微笑んでいる。

 

 

「とにかく座って!」

 

「そ、そんなに急かさないでよ。――黎、こっち」

 

「ありがとう、吾郎」

 

 

 張り切る真に引っ立てられるような形で、僕は黎をエスコートする。黎はふわりと微笑み、僕の手を取ってくれた。

 その様子を見た仲間たちは一瞬呆気にとられたように目を瞬かせ――すぐに解脱した菩薩の如く、静かな面持ちとなった。

 祐介と春は例外で、前者が指で枠を作り、後者が「あらあらうふふ」と朗らかに笑っていた。航さんに至っては首を傾げる始末。

 

 そんなとき、佐倉さんが航さんの肩を叩いた。航さんは首を傾げる。佐倉さんは真顔で首を振り頷いた。航さんは首を傾げたままだったが、どこか曖昧な表情のまま頷き返した。

 安堵する佐倉さんは知らないのだろう。あの表情で頷いた航さんは、佐倉さんが言った意味を正しく理解していない。話し手と受け手の間に、何かしら齟齬が発生している。

 

 「積もる話もあるだろうから、ゆっくりしなさい。自分たちはこれから買い出しに行ってくる」――佐倉さんは僕たちに気を使ってくれた。航さんも空気を読んだらしく、佐倉さんの手伝いを買って出た。大人たちの姿は東京の街へと消えていく。暫くは帰ってこないだろう。

 

 

「冴さんから聞いた。みんなが頑張ってくれたんだって。私の冤罪事件の目撃者も見つけてくれたって。本当にありがとう」

 

 

 黎は静かに微笑み、仲間たちに頭を下げる。怪盗団の面々は照れ臭そうに笑い、立ち上がった理由を教えてくれた。

 

 怪盗団のリーダーである有栖川黎と、ペルソナおよび怪異関連のアドバイザーである明智吾郎を失った怪盗団は、暫く途方に暮れていたらしい。指揮系統や専門家がいなくなってしまったのと、怪盗としての力や活躍の場――ペルソナや異世界――を駆使できなくなったことが理由だった。

 だが、杏曰く『特別な力や異世界なんか無くても、現実は変えることができる』と思い至ったそうだ。一念発起した仲間たちは署名集めや証拠集めに奔走。頼れる大人たちの力を借りて、ついに“黎の無実を証言する証人/獅童の被害者”を発見した。これが決定打となり、黎の冤罪は注がれたのである。

 年明けから1ヶ月と少々。期せずして、獅童が黎に暴行罪という冤罪を着せた時期と一致している。この間、怪盗団の面々は、放課後や休日を返上して駆け回っていたそうだ。歴代ペルソナ使いたちだけではなく、僕と黎の無実を信じる人たちの多くが手を貸してくれたらしい。

 

 手を貸してくれた人々の中には、鴨志田の一件で転校せざるを得なくなった鈴井志帆、嘗ては明智吾郎のストーカーだった緒賀汐璃、怪盗団がメメントスで初めて『改心』させたターゲットである中野原夏彦、『改心』させたがバスジャックの巻き添えを喰らって意識不明の重体だった秀尽学園高校の校長もいたという。

 怪盗団が『改心』した黒幕関係者たちの証言、草の根的な市民運動、歴代ペルソナ使いたちを筆頭とした著名人によるメディアでの訴え等が実を結び、有栖川黎と明智吾郎は釈放された。黎に至っては冤罪の濡れ衣も雪がれ、今までのような不当な扱いをされることはない。文字通りの大団円がそこにあった。

 

 

「あのとき諦めなくて本当に良かった」

 

「頑張った甲斐があったな」

 

 

 真が安堵の息を吐き、祐介が清々しい笑みを浮かべた。他の仲間たちの満面の笑みを浮かべている。

 僕と黎が感謝の言葉を述べれば、「2人が一番の功労者なんだから」と謙遜していた。

 

 

「ねえ、何か酷い目に合わされなかった? ……いや、愚問か。“恋人同士が別々に隔離された”っていうのは最大の拷問だし」

 

「少年院側にはそんな意図はないはずだけど」

 

「でも、この2人にとっては最大威力の嫌がらせじゃね?」

 

「そうね。……私も心配だったの。だって、全然他人事に思えなかったから」

 

 

 僕たちを気遣っていた杏の表情が違う方面に曇った。真が冷静に突っ込むが、竜司は神妙な面持ちで杏の意見に同意する。春も頷いた。竜司と杏の意見はあながち間違いではない。

 

 怪盗団絡みの事件で逮捕された僕と黎は、院内でも顔を会わせないように隔離されていた。勿論、“更なる非行に走る危険性がある”ため、手紙で連絡を取り合うことすら許してもらえない。他の収容者より厳重に監視されていたのは、獅童派の残党どもが僕たちへ報復しようと足掻いたためだろう。

 最も、奴らは冴さんや尊敬できる大人たち無双によって一網打尽にされた。その結果が僕たちの釈放だったのだから、残党どもの足掻きも大分封じ込めることができたようだ。全てが片付いたとは言い難いが、いずれ余罪が明らかになるはずだ。ここからは冴さんたちに任せることにしたから、後は何も言うまい。

 

 

「心なしか、吾郎も黎も痩せたように見えるな。向うの飯は臭いと聞いたから、無理もないか」

 

「あっちではどんな臭い飯食べさせられてた? 納豆? くさや? それともドリアン?」

 

「……なあフタバ。ワガハイ思うんだが、臭いメシの“臭い”は、そういう方面の“臭い”とは違うんじゃねェか……?」

 

 

 金欠が日常茶飯事である祐介にとって、飯というものは重要な存在である。彼の言葉から何を思ったのか、双葉が頓珍漢な問いを投げかけてきた。

 双葉の発言に対し、眉間に皺を寄せたモルガナが苦言を呈す。……なんてことない、普段の日常光景だ。改めて『帰ってきた』ことを感じ、僕は思わず口元を緩ませる。

 僕の隣にいた黎が楽しそうに笑っていた。彼女もまた、改めて『帰ってきた』という事実を噛みしめていたのだろう。彼女の横顔はとても綺麗だった。

 

 

「でも、美味いメシなら、今から食えるぜ。マスターたちがパーティの買い出しに行ってくれてるし」

 

「ゴローとレイの釈放祝いと、ヤルダバオトをブッ倒したときの打ち上げはまだだったしな! パーッとやろうぜ!!」

 

 

 竜司とモルガナが音頭を取る。この1年で見慣れた怪盗団の日常だ。僕にとって、かけがえのない居場所。もう二度と戻ってこない日常――空本至の不在――を知っているが故に、この光景は尊いもののように思えた。

 仲間たちも笑顔ではあったが、不在者の気配はきちんと感じ取っているらしい。そのとき、店内に1羽の蝶が迷い込んできた。扉も窓も閉まっているのにどこから入ったのかという疑問は、蝶の特徴――金色の蝶――によって吹き飛ばされる。

 

 呆気にとられる僕たちを尻目に、蝶はひらひらと店内を飛び回る。僕は何となしに指を差し出した。導かれるようにして、蝶は僕の指を止まり木に選ぶ。

 脳裏に浮かんだのは、子どもっぽく笑う空本至の表情だった。頭を撫でられたように感じたのは、きっと僕の気のせいではないのだろう。

 蝶は僕の指から離れ、どこかへと飛び立った。窓も扉も空いていないのに、蝶はいつの間にか店の外を飛んでいる。程なくして、金色の蝶は雑踏に紛れて姿を消した。

 

 それを見送った後、僕と黎はモルガナへと向き直った。黎は彼へ問いかける。

 

 

「ところでモルガナ。これからどうするの?」

 

「ああ。色々考えてたよ」

 

 

 モルガナの眼差しは、見果てぬ夢を追いかけている。彼がまだ“自分が何者か”を知らぬときに抱いた欲望(ねがい)――『人間になりたい』。

 僕と黎が少年院で過ごしている中、モルガナも誰かに面倒を見てもらっていたのだろう。彼は訥々と言葉を紡ぐ。

 

 

「今まではフタバとハルの家を行ったり来たりして飼い猫ライフを楽しんでたけど、ワガハイはやっぱりニンゲンになりたい。そのための方法を、ずっと考えてた」

 

「初志貫徹、ってやつか」

 

 

 僕の言葉にモルガナは頷く。仲間たちは目を丸くした。言外に「お前は人間になれるのか」と問われていることを察したのか、彼は噛みつくように声を上げた。

 

 

「ニンゲンじゃないと分かったが、ニンゲンになれない訳じゃない! 今はここを去ってしまったイタルさま然り、八十稲羽のクマ然り、巌戸台に居たとされるモチヅキ・リョージとやら然り、『ニンゲンと同じ姿を取れるようになって、ニンゲンたちと一緒に生活している』ってケースもある!」

 

 

 前者は最初から人間と同じ形で生まれ落ちたのだが、後者2人の場合は様々な条件が複合した結果の産物だ。文字通り、奇跡的な確率で人間と同等の存在になったのである。

 それをモルガナで再現することは、限りなく難しい。前提条件からして全く違うため、双方のモデルケースが全く役に立たないのだ。暗中模索であることは間違いない。

 他に、モルガナは「自分が生き残ったことは、何か意味があるのではないか」と考えているようだ。それは人間であれば誰しもが考えることである。

 

 人間と同じ思考を持ち、人間と同じように悩み、人間と同じように喜怒哀楽を発露する――そういう意味では、モルガナだって充分人間の資格を有していた。

 

 最も、モルガナは自分の頭脳や心の動きよりも、「人間と同じ姿が欲しい」という面の方が強いみたいだが。

 本人が人間の資格云々に気づくのは何時になるのか。知った後、どんな判断を下すのか――正直、ちょっとばかり楽しみである。

 

 

「これはワガハイの想像に過ぎないんだが、世界の歪みが消えた結果、オマエラの認識していた事実だけが残ったんだろう。『ワガハイには現実に居場所がある』と思っていてくれたということだ。イタルさまやセエレさまが手を貸してくれた部分もあったのかもしれないが――って、おわっ!?」

 

「当たり前じゃん! モナの居場所はここ!」

 

 

 モルガナの仮説を聞いた双葉は、満面の笑みを浮かべて頷く。彼女はモルガナを弄ぶようにして撫でまわして「やめろー!」と叱られていた。

 仲間たちが微笑ましそうに1人と1匹を見守る中、僕だけが、頭を殴られたような強い衝撃を感じて息を飲む。

 

 そもそも“この世界”が生まれた経緯は、『“明智吾郎”が抱いた未練や後悔』と『“明智吾郎”の不在を嘆いた“ジョーカー”の祈りと願い』が顕現するような形だった。数多の世界に存在する2人の想いを、善神セエレが蝶という形で飛ばした結果、誕生した世界。

 世界の歪みが消えても尚己が存在し続ける理由を分析したモルガナは、『怪盗団の仲間たちが“モルガナの居場所はルブランにあり、彼は自分たちの仲間である”』という認知によって、この世界で生きることを許された。――僕らが持っていた認知が彼を救ったのだ。

 もし、“明智吾郎”と“ジョーカー”が飛ばした蝶が『“2人”が抱いていた理想』を認知へと置き換えたものだったとしたら。その認知が『この世界の明智吾郎と有栖川黎』を生み出したのだとしたら。――この世界が『誰かの認知によって造り上げられた』ものだったとしたら。

 

 ――この結末を望みそうな人間を、僕はよく知っているではないか。

 

 ――この結末を用意しそうな善神だって、知っているではないか。

 

 

「はは」

 

 

 喉の奥底から乾いた声が漏れた。喉の震えが止まらない。仲間たちが心配そうにこちらを見る。僕は片手で目を覆った。

 

 この世界にたった1人だけ、存在することを許されなかった男がいる。彼はきっと、この世界の外から、この世界を見守っている。

 なんて奴だ。他にもっとマシなやりようはなかったのか。アンタがいなくなることで苦しむ奴のことは考えなかったのか――言いたいことは山程あった。

 だが、恨み言を言っている暇はない。モルガナが僕たちの認知によって世界に存在を確立したなら、もう1人、その恩恵を受けるべき人物がいるではないか。

 

 

「ど、どうしたゴロー?」

 

「……モルガナの想像が正しければ、至さんが帰って来る可能性だって存在してるはずだ」

 

 

 僕の言葉を聞いた仲間たちが目を見張った。

 僕は笑いながら言葉を続ける。

 

 

「だってあの人は、怪異事件を解決する際に、多くの人から力を借りてたんだ。戦いが激化していく中で、沢山の絆を結んできた。自分が積み上げてきた絆を後輩に手渡してきた。――そんな人が『存在が許されない』なんて認知(こと)、あり得ないだろ!」

 

 

 それに、と付け加える。

 

 

「この世界は“明智吾郎”の未練と後悔、“ジョーカー”の祈りと願いによって生み出された世界だ。“2人”が抱いたものが『可能性』として顕現した世界。だから――」

 

「――『空本至が“生きて”ここにいる』可能性を顕現することだって、不可能じゃない」

 

 

 僕の言いたいことを黎が纏めてくれた。仲間たちも目を大きく見開く。

 

 『可能性がゼロじゃない』という認知があれば、至さんがここにいることだってできるはずだ。善神セエレは可能性を認知と同等にし、数多の蝶を飛ばすことでこの世界を生み出したのだから、原理上は不可能ではない。

 この世界で、その可能性を引き寄せられるかは分からない。その幸運を、この世界にいる僕たちが掴むことができるか否かは分からない。もしかしたら、その権利を得るであろう【僕たち】は【別の世界】の【僕たち】なのかもしれない。

 例え『可能性がゼロじゃない』という認知があっても、雲を掴むような話であることは事実なのだ。針の穴に糸を通すような、緻密で難しいことであるのは本当のこと。けれど、降って湧いた希望が、僕たちを激しく突き動かす。

 

 可能性があるなら挑戦してみる――それは、希望(ヨクボウ)を抱いた人間の特権だ。

 人生は一度きり。0ではないという言葉を信じて戦うことを選んだのは、僕たちなのだから。

 

 

「ね、ねえ見て!」

 

 

 双葉の驚いたような声につられて彼女を見れば、彼女の胸元に白く輝く光が浮かび上がっていた。――いや、双葉だけではない。竜司にも、モルガナにも、杏にも、祐介にも、真にも、春にも、同じような光が浮かび上がっている。

 それは僕と黎も例外ではなかった。光は徐々に形を変え、1羽の蝶となった。脳裏に浮かんだのは、“明智吾郎”が言っていたこと――善神セエレから持ち掛けられた『蝶を飛ばしてみろ』という言葉だった。

 僕の言葉が正解であることを示すように、白い輝きを宿した蝶たちが一斉に飛び立つ。蝶は扉や窓のガラス部分をすり抜け、ひらひらと何処かへ向かって飛んでいった。黄金の蝶が飛び去った方向とは違う場所へ向けて、姿を消していく。

 

 

「……届くかな。俺たちの願い」

 

「届くはずよ。だって、蝶を飛ばしそうな人たちには心当たりがあるもの」

 

「――だよな。届くはずだよな!」

 

 

 白い蝶の群れを見送って、竜司がぽつりと零した。真は不敵に笑って頷き返す。それを見た竜司も、ぱっと表情を明るくして頷いた。

 

 誰かを想う祈りや願いが、現実世界を変えていく――僕たちはそれを知っている。そうやって、勝ち得た未来があることを知っている。紡がれてゆく営みを知っているのだ。

 白い蝶がどこに辿り着くかなんて知らない。蝶たちの羽ばたきがこの世界に風穴を開けるのか、それとも【どこかの世界】の【僕ら】を救うのか、それすらも分からない。

 

 けれど、いつかきっと、辿り着くだろう。僕たちが願った結末へ。

 いつかきっと、助けられるだろう。僕たちを支えてくれた自慢の大人を。

 いつかきっと、また、笑い合う日が来るだろう。――何故なら僕たちは、諦めていないのだから。

 

 

「……そうだ! 黎、3月で地元戻るんだって?」

 

 

 しんみりしていた竜司は、ハッとしたように手を叩いた。「これまでの流れを切ってしまうが」と前置きし、彼は黎の今後に関して切り出す。怪盗団の様子から見て、今学期で黎が地元へ帰ることや僕の休学を聞いていたようだ。

 教えたのは佐倉さんと航さんであろう。仲間たちは黎に東京へ残ってほしそうだった。向うへ戻ることのデメリットを心配する竜司、杏、祐介、双葉、春が黎を見つめたが、黎は静かに微笑んで首を振った。彼女の眼差しには一切の揺らぎがない。

 

 

「……じゃあ、吾郎はどうするんだ? 丸々1年の休学が決まったんだろう? 東京に残るのか?」

 

「いや、黎と一緒に彼女の地元へ戻るよ」

 

 

 僕の言葉を聞いて、仲間たちは思わず目を見開いた。まさか僕まで東京から去るとは思わなかったのだろう。どうして、と、彼等の眼差しが訴える。

 

 

「黎が地元に戻ったら、色々大変だろ? 僕は丸1年間、東京にいる理由と予定はないからね。彼女の無実を知っていて、尚且つ小回りが利くんだ。守り手としての条件はぴったりだろう」

 

「吾郎、本音は?」

 

「そりゃあ、黎と一緒に居たい。今まで離れて、連絡だって取れなかった分を取り戻したい」

 

「そっか。私もだよ」

 

「黎……」

 

「――おほん」

 

 

 顔を見合わせて照れ照れし始めた僕らのやり取りを遮るようにして、険しい顔をした真が咳払いした。僕たちは仲間たちの方へ向き直る。

 改めて見回してみると、みんなの表情は暗くなったままだ。やっと戻って来た仲間と、また別れが近づいている――その寂しさを感じ取っているのだろう。

 だが、真は仲間たちの寂しさを振り払うようにして首を振った。彼女は笑顔を浮かべて口を開く。「じゃあ、こうしましょう」と微笑んだ。

 

 

「2人が地元に帰るってことは、怪盗団も本当の意味で解散だよね? リーダーと副リーダーの出所祝い、そして……解散記念日」

 

「それ、記念日?」

 

「真面目に言ったんだけど……」

 

 

 真の言葉を聞いて、杏が茶化すように囃し立てた。真個人は真面目に言ったつもりらしく、茶化されたことは不本意だったようだ。拗ねたように口を尖らせる。

 

 「でも悪くないよね」と、真へ助け船を出したのは春だった。彼女の言葉を皮切りにして、他の仲間たちも楽しそうに頷く。

 あれよあれよと話が進み、今回のパーティは“ヤルダバオト撃破における打ち上げ&僕と黎の出所祝い&解散記念”という名目に決まった。

 趣旨が分かりにくいが、まあ、このくらいなら許容範囲だろう。早速準備をしようと思った面々を引き留めるように、モルガナが突然咳払いした。黒猫は背を伸ばし、宣言する。

 

 

「突然ではあるが、ワガハイ、レイについていくことにした。何かと『持ってる』ヤツだしな。ついていけば、ニンゲンになる方法も分かるかもだし。それに、またグレるかもしれないだろ? そうならないよう、ワガハイがしっかり見張っておかないとな!」

 

「本音は?」

 

「レイは八十稲羽と巌戸台にコネクションがあるから、そこからクマやモチヅキ・リョージのことを調べることができると思ったんだ」

 

「だとしたら、私より吾郎の方が適任だと思うけど」

 

「…………察しろよ」

 

「えっ?」

 

「ワガハイはオマエの相棒じゃないのかよぉ!? あ、相棒だと思ってたのは、ワガハイだけかよぉぉ……!」

 

 

 涙目のモルガナが吼えた。言うだけ言った後、彼は不満そうにそっぽを向く。黎は静かに微笑み、モルガナの頭を撫でた。彼は「猫扱いするな」と怒りながらも、ゴロゴロと喉を鳴らして気持ちよさそうにしていた。そのせいか、反論の言葉はすべて飲み込まれてしまう。

 しこたま黎に撫でられた後、モルガナは普段の調子を取り戻したようだ。いい笑顔で「ワガハイの送別会も足してくれ」と居直った。勿論、仲間たちから鋭い突っ込み――「それあまり関係ないよね?」系のものだ――を入れられてしょぼくれる。この1年の間に、仲間たちはモルガナの扱いを心得たようだ。

 

 ヤケになったモルガナが「寿司を頼め」と怒り狂ったのと、カウベルが鳴り響いたのはほぼ同時。佐倉さんと航さんが帰って来たようだ。

 僕たちが振り返って、飛び込んできた光景に目を丸くする。佐倉さんと航さんは、頭から黒い液体を被って来たようだ。それは明らかに水ではない。

 一体何があったのか。僕らがそれを問いかけるよりも先に、更なる来客が顔を出す。黒い液体を頭から被った状態の真実さんは、背後に伊邪那岐命を顕現させていた。

 

 視覚情報による暴力に呆気にとられる。幾何かの後で、僕は思わず声を上げた。

 

 

「ちょ、えっ? なにこれ?」

 

「……住んでいたのに知らなかったなァ。東京は異形の魔窟だったなんて……」

 

 

 それに答えたのは佐倉さんだった。彼の眼差しはどこか遠いところを見つめている。

 佐倉さんのボヤキを受け継ぐようにして、航さんと真実さんが口を開く。

 

 

「面倒な悪魔に目を付けられてしまってな。迎撃していて遅くなった。――ああ、安心しろ。食材は無事だ」

 

「テレビの世界じゃないのにペルソナを顕現できるようになったなんて驚いたよ。まあ、そのおかげで撃退できたんだけどね」

 

「……すまん。この状態じゃあ料理を作るどころじゃねえから、ちょっと待ってくれねーか?」

 

「は、はい」

 

 

 フラフラになった佐倉さんと一緒に、航さんと真実さんが店を出ていく。カウベルが鳴り響いた刹那、見覚えのある異形――珠閒瑠で見かけた悪魔が3人へと突っ込んでくる。間髪入れず顕現したヴィシュヌと伊邪那岐命が、その異形を一撃で消し飛ばした。

 

 3人の背中を見送った僕は、冷静に考えてみる。世界が変わったことは知っていた。以前は、現実世界でペルソナを顕現することができたのはフィレモン全盛期時代にペルソナに覚醒した者だけだ。

 巌戸台世代以後は、条件が揃わないとペルソナを顕現できなかった。巌戸台の影時間然り、八十稲羽のテレビの世界然り、東京の異世界然り、『異世界でしか使えない』という制約があったのだ。

 しかし、“異世界でしかペルソナを使えない”世代に合致する真実さんが、先程、現実世界であるにも関わらず、平然とペルソナを顕現して力を行使していた。……つまりこれは、どういうことだ。

 

 記憶をひっくり返していくうちに、12月24日の最終決戦で答えを見つける。至さんがセエレに至る前、フィレモンが語っていたことだった。

 奴は至さんを『全盛期の力を取り戻すための生贄』にしようとしていた。至さんはフィレモンに統合されることはなかったが、奴は『全盛期と遜色ないものになった』と言っている。

 

 

「フィレモンさまが全盛期同然の力を取り戻したから、歴代のペルソナ使いにも影響が出たんだ」

 

 

 モルガナがぽつりと呟く。

 

 

「『ヤルダバオトとも戦いは終わったが、今後も他の悪神が何かを仕掛けてくる可能性がある。もしくはニンゲン自身が、世界を滅びへ導くような災厄を発生させるかもしれない。それを止めるための措置だ』と、フィレモンさまは仰られていた」

 

「……要するに、『俺たちの戦いはこれからだ』的なヤツ?」

 

 

 呆気にとられた竜司の問いに、モルガナは頷いた。

 それを聞いた仲間たちは顔を見合わせる。

 

 

「……なんてこった。怪盗団は解散するが、ペルソナ使いとしての俺たちの戦いは、まだまだ続くらしいな」

 

「文字通り、頭が爆発する系の理不尽はこれからなのね」

 

 

 祐介は苦笑する。真も深々とため息をついた。それに乗っかるような形で双葉が身を乗り出した。

 

 

「じゃあ、もう1つ追加だ! “ペルソナ使いとして、これからも戦い続ける決意をした記念”!」

 

「今までの先輩たちも、こうやって大人になっていったのよね……。私たちも、そんな格好良い大人になれるかしら?」

 

「なろう! 先輩たちが私たちを助けてくれたように、私たちも後輩たちを助けられるような大人になるんだ!!」

 

 

 春の言葉に杏が同意した。勿論、この場にいる全員が同じ気持ちである。

 

 先程の光景からして、この世界に蔓延る異形の気配を察知できる人間はごくわずかだ。対抗できる人間――ペルソナ使いは、もっと数が限られるだろう。だが、異形は人知れず跋扈すると相場が決まっていた。やがて蔓延った異形は、人間の世界を崩壊へと誘っていく。

 ペルソナ使いの使命は、異形――主に『神』クラスの存在――から世界を守ることだ。主に少年少女がその災厄に立ち向かうことになる。そうしてすべてが終われば、また次の戦いが始まるのだ。戦いが終われば、『神』との決戦に赴くであろう少年少女もまた代替わりする。

 僕たちが主役として『神』と対峙することはもう二度とないだろう。でも、戦いはこれからも続いていくのだ。そんなとき、僕たちは“嘗て僕たちを支えてくれた大人”のように、後輩である子どもたちを守り、支え、育み、導いていく存在になるのだ。

 

 次世代のペルソナ使い――所謂僕たちの後輩――のために、僕たちは何ができるだろう。それを探しながら、これからを生きていかねばならない。

 決意も新たにしたが、パーティを始めるには、料理担当の佐倉さんの帰還を待つ必要があった。パーティの開始まで、もう少しかかりそうである。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

「んー……」

 

 

 眠い目を擦って、起き上がる。身支度を済ませて階段を降りたが、キッチンは薄暗いままだ。今日の朝食の準備はされていない。

 

 ……当然だ。朝食づくりを一任していた至さんはもう、この世界のどこにもいない。代わりに朝食づくりを引き受けたのは僕だった。航さんは相変らずのヒエロスグリュペインクッキングで、彼が料理を作るとキッチンが吹き飛んでしまうためである。

 僕がいない間――特に、至さんがいなくなった直後――、航さんはずっと栄養ゼリー1袋やりんご1個等のハチャメチャな食生活をしていたそうだ。下手すると『1日1食食べればいい方ではないか』という生活をしていたらしい。

 その後は園村さんや桐島さんによる献身的なサポートのおかげで、どうにか最低限の食事は食べるようになったそうだ。僕が帰って来た後も、麻希さんと英理子さんは航さんのことを心配して顔を出している。

 

 

(まあ、下心がないわけでもないんだろうけどね)

 

 

 聖エルミン学園高校時代から現代に至るまで、拗らせた恋心がどれ程のモノかを思い返す。2人の熱い思いは悉くスルーされ、憤りの大半が至さんに向けられていた。

 自分の好きな人が落ち込んでいたら、誰だって放っておきたくはない。自分では力不足かもしれないと自覚していても、何もせずにはいられないだろう。僕も同じだ。

 

 僕はレシピを確認しながら、手早く朝食と昼食のお弁当を作っていく。元々小器用な方ではあったけど、やはり至さんのようには作れない。毎日5~6品のおかずを作るなんてできるはずもなく、朝は2~3品あればいい方となっていた。

 お弁当の中身は朝の余りと昨日の夕食を流用するような形となっている。至さんが朝食のおかずにプラスアルファ――飾り包丁のような見栄えをよくする工夫――をしていたことを考えると、彼の腕前がどれ程かを思い知らされるような心地だった。

 

 

「むー……」

 

「あ、航さんおはよう」

 

 

 どうにかおかずと朝食を作り終えた頃、航さんがのろのろとキッチンダイニングへ足を踏み入れた。航さんは寝ぼけ眼で誰かを探していたが、すぐに諦めたように首を振る。

 

 

「……そうだ。兄さんはもう、どこにもいないんだ……」

 

 

 囁くような声色で呟いた後、航さんはそのまま椅子に腰かけた。寂しそうに、悲しそうに、彼は目を伏せてため息をつく。

 至さんを失った悲しみから立ち直って来たと言えども、完全ではないのだ。それは僕も同じなので、立ち直れないことを責めるつもりはない。

 遺された保護者の片割れが弱音を吐けるのは、こうして寝ぼけている間だけなのだ。弱音を吐ける場所を奪われたら、今度こそ航さんが壊れてしまう。

 

 

「仕事、仕事……」

 

「航さん、今日はカウンセリングの日だから午前中は休みだろ? 仕事は午後からだよ」

 

「……ああ、そうだったな。しっかりしないと」

 

 

 僕に話しかけられたことで航さんは覚醒した様子だった。目を擦った後に頬を叩き、「よし」と小さな声で呟く。空元気でも動かなければやってられないのは一緒だ。

 

 朝食を食べ、テレビをつけてニュースを見る。特に不穏な事件――異形や『神』が関わっているような案件――は見当たらない。その事実に安堵しながら、僕は学校へ行くための身支度を整えた。航さんも身支度を終えて、一緒に部屋を出る。僕は学校、航さんは病院へ向かうため、それぞれ出発していった。

 いつも利用する駅へ向かい、いつも利用する電車に乗って学校へ向かう。相変らずの満員電車で、僕が座る席はない。人々の噂話に耳を傾ければ、獅童正義の汚職事件がぽつぽつと聞こえてくる。対して、怪盗団に関してはまことしやかに囁かれる程度になっていた。探偵王子の弟子に関する話題に至っては、殆ど聞こえない。

 

 明智吾郎という名探偵は人々の認知から消えつつある。残ったのは、有栖川を愛してやまないペルソナ使いということ以外、どこにでもいる普通の高校生だ。

 学校での扱いは、良くも悪くも注目されたままだ。冤罪被害者というレッテルもまた、身動きしづらさを運んでくることもある。

 最も、生徒の大半が受験に集中しているため、表面上は平静を保ったままでいた。卒業式が終わって春休みになり、大学へ進学すれば、僕のことなどみんな忘れるはずだ。

 

 

(後は、今学期の期末テストと卒業式を乗り越えてしまえば、東京からはおさらばだ)

 

 

 春休みになったら、僕は黎と一緒に御影町へ戻る。航さんは一度南条コンツェルンの本社に戻り、今後の方針を決め次第、新たな赴任地へ向かうそうだ。6歳の頃から12年間生活を共にした保護者の元から、僕は初めて離れることとなる。

 御影町では有栖川本家に近いマンション――有栖川家の所有する物件――その1室を借りて生活する予定だ。僕個人としては慎ましやかなアパートでも充分だったのだが、気を抜くと黎の祖父と父――有栖川本家御当主が万ションを進めてくるから断るのが大変だった。億ションじゃないだけマシか。

 どうやら、有栖川家の人々の間では僕と黎の結婚は秒読み段階に入ったと思っているらしい。『早くくっついて、できれば跡取りも生んでほしい』というのが本音なのだろう。執拗に万ションを迫るのは、同棲生活しろと発破をかけているつもりなのか。

 

 僕としては最初からそのつもりでいるが、黎には弁護士になるという夢があるし、僕にも黎専属のパラリーガルになるという夢がある。

 そちらの方が軌道に乗ったら、将来のことを真剣に考えようと思っていた。……だが、不思議なことに、他の人の方が僕らより熱気に満ちていた。

 

 

(学生婚約ってだけでも相当なんだけどね)

 

 

 まあ、本家が焦る気持ちも分かる。黎の帰郷の話は御影町の本家にも届いたようで、黎の家族は大フィーバーしていた。そのフィーバーを嗅ぎつけた鴨志田のコピペがちょっかいをかけているらしい。……相変らず、どこから嗅ぎつけているのやら。

 

 『鴨志田のコピペに黎を玩具にされるくらいなら、吾郎くんが名実ともに我が家へ嫁いでき(婿入りし)てほしい』と思っているのだろう。早く決着をつけたいのは僕だって同じだが、鴨志田のコピペどもに付け入る隙を与えたくはないのだ。ままならないものである。

 そんなことを考えているうちに、僕の通う学校の最寄り駅に辿り着いた。後はバスに乗り換えて暫くすれば、学校に到着する。終わり際とは言えども、受験真っ最中のためか、生徒や教師の数はまばらだ。生徒は受験、教師は生徒のサポートのために駆け回っていた。

 

 退屈な授業だが、きちんと受ける。授業の遅れを取り戻すためでもあるし、最後の期末試験に備えるためだ。大学に受かっているといえど、油断はできない。

 出席日数は「以後の日数をすべて登校すればギリギリどうにかなる」と太鼓判を貰っている。メディアに出ることもないため、サボリなど言語道断だ。

 午前の授業が終わった昼休み、スマホのランプがチカチカと瞬いた。仲間たちからのSNSらしい。今回の議題は案の定、最後の期末テストのことだった。

 

 

真:怪盗団としての活動に有終の美を飾ったのだから、学業でも有終の美を飾らなきゃ。

 

春:それに、受験に備えての最終確認もしたいもの。吾郎くんは既に受かったから面倒だと思うけど、協力してくれる?

 

吾郎:構わないよ。俺の所もテストだから、丁度いいしね。

 

黎:吾郎の学校と私たちの学校って、テスト日時一緒だから丁度良かったよね。宜しくお願いします。

 

竜司:今年のテストは全体的に成績上がったからな。この調子で成績上げて、体育大学進学を目指すぜ!

 

杏:モデルの仕事を完璧にするためにも、他のことを蔑ろにしたり疎かにするわけにはいかないし!

 

祐介:なあ、俺はもう既にペーパー試験は終わってるんだが……。制作試験の作品提出が近いのに、題材が思い浮かばなくてな。そちらに集中したい。

 

双葉:空気読めおイナリ。黎と吾郎と一緒にする、最後の勉強会なんだぞ!?

 

祐介:そうか! そうだったな。ならば、参加しないわけにはいくまい……!

 

双葉:なあ黎。わたしは編入試験が近いから、勉強教えてほしいんだ。参加していいか?

 

黎:いいよ。でも、双葉は頭がいいから、私から教わることは何もないと思うけど……。

 

双葉:そんなことない! お姉ちゃんからお勉強を教わるってシチュエーションを味わえるだけでも儲けもんだよ!

 

吾郎:お兄ちゃんもつくけど?

 

双葉:あ、そっちはいいや。吾郎は竜司を頼む。

 

竜司:待って。真からスパルタ宣言されてるんだけど。これ以上スパルタされたら頭爆発する!

 

真:その程度で爆発してたら、体育教師なんてなれないわよ?

 

春:3年生も追い込みに入ってるから、多少厳しくても仕方がないのかもね。

 

杏:むしろ、受験前に迷惑かけてゴメンって言うか……。

 

吾郎:誰かに教えることで知識の確認になるっていうから、大丈夫だよ。そうだろ?

 

真:そうね。黎の発想力とか、杏の英単語からの意味推測とか、双葉の計算方法とか、竜司の直感は頼りになるわ。宜しくね?

 

竜司:直感……。

 

春:落ち込まないで竜司くん。何もないわけじゃないんだから、誇るべきだよ。

 

祐介:賑やかなやり取りを見ていると、何か見えてくるような気がするな。2年生最後の作品に相応しいものが描けそうな気がする……!

 

春:折角だから、美味しいって有名なお菓子を持っていくわ。黎ちゃん、コーヒーは宜しくね。

 

黎:わかった。放課後、ルブランでね。

 

 

 それを最後に、チャットを終了する。僕は昼食を食べるため、机の脇に下げていた弁当を取り出した。

 

 

***

 

 

 ルブランでの勉強会は、いつも以上に盛り上がっていた。それもそのはず、有栖川黎や明智吾郎と行う最後の勉強会なのだ。あと1ヶ月程で、僕たちは御影町へ戻る。少しでも長く一緒に居たいというのは全員の意見だった。

 黎が冤罪の保護観察処分のために東京へ赴いた4月には、2月の半ばにはこんな大所帯で勉強会をするとは想像していなかった。一番最初のテスト対策では真と腹の探り合いをし、2回目のテスト対策は人間側の黒幕の悪意と向き合っている最中だった。

 3回目は冬休み前で、『神』がどんな手段を使って来るのかに対して気を張っていたときだ。そして今、最後の期末試験で、それぞれがそれぞれの形で有終の美を飾ろうとしている。それが感慨深い。

 

 竜司や杏がヒイヒイ言いながらも、結構なペースで問題を片付けていく。最初の勉強会のときは1ページ進むだけでも大変だったのだと考えると、2人の成長ぶりが伺えて微笑ましい気分になった。……但し、『怪盗団の中で一番問題を解くのが遅い』ことだけは変わらなかったようだが。

 

 時計の針が2周半したところで、竜司と杏が根を上げた。最初の頃は時計の針が半分動いた時点でグロッキーになっていたことを考えると、やっぱり成長している。

 2周半程度で止まりそうにないタイプだった真もまた、「そろそろ休憩しましょう?」と寛容になっていた。その微笑みはとても優しく、出会った頃の冷徹な生徒会長の姿はない。

 

 

(ああ、みんな変わったんだな)

 

 

 僕はひっそりと笑みを浮かべた。今なら、僕や後輩たちを見守ってきた至さんの気持ちがよく分かる。

 ペルソナ使いとしては黎たちと同期だが、経験は至さんと同世代だ。黎たちの気持ちも分かるし、至さんの気持ちも理解できた。

 

 

「なあ黎。黎の故郷である御影町って、どんな町?」

 

 

 春からの差し入れ――超有名店のタルトだ――にフォークを突き刺しながら、双葉が問いかける。黎は少し悩む動作をした後、ふわりと笑った。

 

 

「東京程は発展していないけど、けっこう栄えた街かな。街から離れた地区は自然豊かな方けど、八十稲羽程じゃないね。遺跡や郷土資料館が有名かな。セベクがあった頃は工業都市っぽく発展しかかってたんだけど、『セベク・スキャンダル』でおじゃんになったからなー。当時の建物の一部が廃墟と化してて、心霊スポットにもなってるよ」

 

「ちょ、最後のはやめてよ……!」

 

「……そういうのって、『兵どもが夢の跡』ってヤツ? 松尾芭蕉だっけ?」

 

「竜司冴えてる! でも、明日はドカ雪が降って交通ダイヤ乱れそう。心配だな……」

 

「待てコラ!」

 

 

 廃墟の心霊スポットと聞いて、真が肩を抑えて身震いする。そういえばこの鋼鉄の乙女、心霊系の話題を極端に避ける傾向があった。そういう一面を男性に見せれば、そのギャップでコロッと落ちてしまいそうなものだが、完璧主義な彼女にここまで心を開かせるような相手でなければおつき合いは難しいだろう。

 竜司は難しそうな顔をして首をかしげる。うろ覚えの知識なので自信がないと言わんばかりだが、使い方も読み人も大正解である。本来なら褒められるべきものだろうが、竜司が冴えるというのはとても珍しい現象なのだ。代わりに何か起きてしまうと考えた杏の気持ちは分からなくもなかった。

 

 

「じゃあ、珠閒瑠や巌戸台はどうなの?」

 

「俺は八十稲羽に興味がある。田舎町というのは創作意欲をくすぐってくれるからな」

 

「田舎町かぁ。私の別荘がある軽井沢とも雰囲気違いそうだよね」

 

 

 次に問いかけてきたのは杏と祐介だ。春は自分の知っている田舎町――名前からして田舎とは程遠そうな避暑地だが――とは違うことを察して、目をキラキラ輝かせている。

 珠閒瑠の説明は黎に任せても問題ないが、彼女は僕に連れられて始めて巌戸台や八十稲羽にやって来たタイプだ。夏休みや冬休み、連休を利用する形でしか足を踏み入れていない。

 巌戸台と八十稲羽の説明は僕が行うことにして、今まで赴いた戦いの舞台がどのような地だったかを仲間たちへ語って聞かせた。未知なる街に、みんなも聞き入る。

 

 珠閒瑠は5つの区に分かれた地方都市で、御影町以上の都会である。東京程の賑やかさはないものの、区域によって町の特徴が違うのだ。ただ、港町であった鳴海区に関しては、須藤竜蔵が起こしたとされるテロの影響によって現在も開発が遅れていた。

 

 巌戸台は海に面した都市であり、人工島である辰巳ポートアイランドをモノレールで繋いでいる。桐条グループの御膝元であるこの地域には、桐条の桐を英語にした『ポロニアンモール』という大型商業施設が存在しており、初等部・中等部・高等部問わず月光館学園の学生で賑わっていた。

 特に巌戸台は食べ物関連の激戦区であり、たこ焼き屋のオクトパシーやヘルシーで栄養満点を売りにするわかつ、荒垣さんのおすすめであり美鶴さんすら唸らせたラーメン屋であるはがくれ等の有名店が点在していた。地元の人ならしょっちゅう利用している有名どころである。

 

 八十稲羽は文字通りの田舎町だ。山があり、川があり、バイクで遠出をすれば海がある。空気は上手いし、山ではカブトムシを捕まえられるし、川では魚釣りができるし、海では海水浴をして楽しむことができた。

 街には商店街と大型スーパーが並んで八十稲羽を発展させようと奮闘している。歴史ある老舗旅館の天城屋も絶賛営業中だ。都会の生活で疲れた人々が癒しを求めてやって来る素敵な宿だ。この前、東京のTV局の取材を受けていたか。

 土地神様は人間の都合を考えながらも、時には自分の都合でお天気を変えてしまうチートなお天気お姉さんだ。因みに、名前は久須美鞠子。僕と黎が逮捕された際、公共電波で署名を求めてくれた女性である。以前は公共電波で恋人に愛の告白をし、散々なことになった。それでも懲りていなかったが。

 

 

「なんか、どの街も面白そうだね」

 

「折角だし、春休みになったらみんなで回ってみようよ!」

 

「いいわねそれ。賛成!」

 

「俺、巌戸台のはがくれに行ってみてぇ!」

 

「わたし、黎の通ってる学校がある街に興味があるぞー!」

 

「老舗旅館に大自然……。益々創作意欲が湧いてきたぞ……! 俺は八十稲羽に行きたいな」

 

「全員の意見を反映させるのが難しくないか? これ」

 

 

 杏、春、真、竜司、双葉、祐介が盛り上がる。みんなバラバラな場所を指示した様子に、モルガナが難しそうな顔をして唸った。僕もモルガナの意見に同意する。

 

 

「まあ、春休みだとどこか一か所が関の山っぽさそうだよね」

 

「じゃあ、まずは私の故郷である御影町にしよう。どうかな?」

 

「賛成!」

 

 

 だが、議論はあっさりと纏まった。『まずは黎の故郷である御影町へ行ってみよう』という方針に固まったらしい。

 まあ、御影町もそこそこ田舎の香りはあるので、都会出身者には珍しい光景もあるだろう。

 それに、みんな気になっているのだろう。“有栖川黎が故郷でどんな生活を送って来たか”について。

 

 御影町は黎にとっても僕にとっても、空本兄弟にとっても思い出深い街だ。聖エルミン学園の文化祭で発生した『スノーマスク事件』と『セベク・スキャンダル』がすべてのはじまりだったことを考えると、僕は遠い場所に来たのだなと思わざるを得なかった。

 あの日から今年で満13年。僕たちの戦いは終わり、救われた世界は次世代のペルソナ使いへと託された。限りある命を生きるための世界、偽りの霧を晴らし己が手で真実を掴むことを選んだ世界、如何なる状況下においても他者のために正義を貫き通す世界――次世代のペルソナ使いは、どんな旅路を往くのだろう。どんな答えを出すのだろう。

 

 それを見守り、導いて行くのが、僕たちに与えられた新たな役目――僕と黎が至さんから託された、大切な役目なのだ。

 

 




魔改造明智の3学期編始動。まずは釈放~最後のテストまで。3学期編と言ってもエピローグ間近のお話なので、大した内容ではありません。大体2~3話以内に纏め、エピローグになる予定となっています。季節行事を色々と考えた結果、原作ラストの「みんなでぺご主を車で故郷へ送る」光景に繋がりそうな話題が出てきました。
折角だから、この面々には今までの戦いの舞台を行脚して観光してほしいなあと思ってます。それに関する話を書く予定は未定ですが、きっとはちゃめちゃなことになるんだろうなあ。それと、黎が地元に帰る理由をねつ造しています。『地元で復学することを選ぶには、これくらいのゲスい理由がありそうだな』という、書き手の認知の歪みが多分に出ました。
因みに、拙作における受験戦争はこんな感じです。魔改造明智:指定校推薦で12月に合格済み(但し大人の都合で1年間の休学)、真・春:センター試験は終了し、志望校はこれから受ける予定。3月19日には良い報告が聞けることでしょう。

怪盗団が解散しても、ペルソナ使いとしての戦いは続きます。元怪盗団メンバーもまた、歴代メンバーと同じように、後輩たちを導いて行く立場になりました。
その自覚を持って歩き始めたということは、此度の旅路ももうすぐ終わります。読者の皆様方には、魔改造明智の旅路の結末を最後まで見守って頂ければ幸いです。


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リア充のすゝめ

【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 @空本(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄で明智の保護者その1。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
 @デミウルゴス⇒獅童の息子であり明智の異母兄弟とされた獅童(しどう)智明(ともあき)を演じていた『神』の化身。姿は真メガテン4FINALの邪神:デミウルゴス参照。詳しくは中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『運命を切り開くだけの簡単なお仕事』および『ペルソナ3異聞録-.future-』、Pixivの『2周目明智吾郎の災難』および『【一発ネタ】有栖川黎の幼馴染』の設定を下地にし、別方向へ発展させた作品である。
・ジョーカーのみ先天性TS。
 ジョーカー(TS):有栖川(ありすがわ) (れい)⇒御影町にある旧家の跡取り娘。旧家制度は形骸化しているが、地元の名士として有名。身長163cm。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空本(そらもと) (わたる)⇒明智の保護者2で、南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。
・敵陣営に登場人物追加。
 @神取鷹久⇒女神異聞録ペルソナ、ペルソナ2罰に登場した敵ペルソナ使い。御影町で発生した“セベク・スキャンダル”で航たちに敗北して死亡後、珠閒瑠市で生き返り、須藤竜蔵の部下として舞耶たちと敵対するが敗北。崩壊する海底洞窟に残り、死亡した。ニャラルトホテプの『駒』として魅入られているため眼球がない。獅童パレスの崩壊に飲まれ、完全に消滅した模様。
・「2罰ボスの外見を見た人間の反応」に関するねつ造設定がある。
・普遍的無意識とP5ラスボスの間にねつ造設定がある。
・『改心』と『廃人化』に関するねつ造設定がある。
・春の婚約者に関するねつ造設定と魔改造がある。因みに、拙作の彼はいい人で、春と両想い。
・魔改造明智にオリジナルペルソナが解禁。
・オリジナルイベント発生。
・ラヴェンツァを始めとした『力司る者』たちの多大なキャラ崩壊。
・ラヴェンツァの姉兄の呼び方が「姉さま」と「兄さま」。テオドア⇒テオ兄さま、エリザベス⇒ベス姉さま、マーガレット⇒メグ姉さま


「――時間だ。全員ペンを置け」

 

 

 試験官役の教師に従い、僕はシャープペンを机の上に置き直した。程なくして、列の最後尾に腰かけていた生徒が僕の解答用紙を回収していく。生徒たちから解答用紙を受け取った教師は期末試験の終了を告げ、試験を乗り越えたことに対する労いの言葉を残して教室から去っていった。

 途端に、生徒たちは大きく息を吐いて脱力した。やり遂げたと言わんばかりにいい表情を浮かべる者、頭を抱えて突っ伏す者、仲の良い面々の元へ向かって談笑する者等様々だ。僕は1番最初のグループに属する人間であり、試験に手ごたえを感じていた。試験後はフリーのため、さっさと片付ける。

 待ちに待った放課後だ。本日は2月10日のため、明日明後日は休日である。日付の関係か、学校内はバレンタインの話で盛り上がっていた。今年も下駄箱や机の中にチョコレートが入っているのだろう。仕方のないことだが、メディア出演以来、僕の下駄箱や机が大変なことになっていた。

 

 表舞台から姿を消しつつあると言えど、女子からそれなりの人気を得ている身である。今年も下駄箱や机の中は大惨事になりそうな気がした。

 

 最も、獅童正義の不正を暴くという目的は達しているため、外面を気にする必要はなくなった。そのため、人の好い性格を演じて受け取る必要もない。

 以前ならば受け取っていたチョコレート類は、「申し訳ない」と断りを入れて全て送り主へ返すことに決めた。宛先不明のモノは警察に任せるつもりでいる。

 

 

(竜司に話したら発狂しそうな気がするから黙っておこう。アイツ、ナンパにご執心だったし……)

 

 

 『イケメンとリア充はみんな爆発してしまえ!』という竜司の叫び声――勿論、想像上のものだ――をはっきり聞いてしまった気がして、僕はひっそり苦笑した。多分、後ろで三島も『そうだそうだー!』とヤジを飛ばしていそうだ。

 

 正直な話、僕の場合は“本命である有栖川黎からチョコを貰えればそれでいい”し、“本命である有栖川黎へのプレゼントを渡せればそれでいい”タイプだ。

 メディアに出ていい子ちゃんのふりをしていたときはファンからの贈り物をきちんと受け取っていたが、ぶっちゃけた話、かなり苦痛だったりする。

 

 

(お前の場合はどうだった?)

 

―― 『ゴミが増えた』とばかり思ってた ――

 

 

 僕の問いに対し、“明智吾郎”はしかめっ面で吐き捨てた。あの様子だと、既製品以外の貰い物は可燃ごみ扱いしていた可能性がある。“赤の他人”の手作りなんて、“彼”の性分上、言語道断なのだろう。中々にゲスい奴だ。

 他者が作った手作り料理をごみ扱いしていた一方で、“ジョーカー”のカレーやコーヒーは味わっていたように思う。最初は演技で食べていたのが、いつの間にか本気でそう思えるようになってしまったらしい。世間はそれを餌付けと呼ぶ。

 

 ……真実さんに構い倒されていた足立透もまた、似たようなタイプだったか。

 

 最初の頃、足立は真実さんから貰った料理を容赦なくシンクへ投下していたらしい。最終的には、真実さんが料理を差し入れに持ってくると文句を言いつつ綺麗さっぱり食べた上で「次は○○(〇の中には料理名が入る)が食べたい」と図々しくリクエストするまでになっていた。

 八十稲羽に帰省する度、真実さんは嫌な顔せず足立へ差し入れを持っていくようだ。足立の方も、真実さんの八十稲羽訪問を楽しみにしている節がある。そのことを茶化す手紙を書いたら、便せん一枚を埋め尽くす程の大きな文字で『黙れクソガキ』と返事を貰った。大人げない奴め。

 僕が足立のことを思い出している気配を察知した途端、“明智吾郎”は嫌そうに顔をしかめる。同族嫌悪もここまでくれば筋金入りだ。僕も足立とは永遠に相いれることはないが、足立のような人間が世界に存在していることくらいは認められるようになっていた。閑話休題。

 

 僕は早速スマホのSNSを使い、黎にメッセージを送る。

 

 

吾郎:今日の放課後、ルブランに行っていいかな?

 

黎:いいよ。――ところで吾郎、明日明後日は土日で休みだよね。何か予定とか入ってる?

 

吾郎:ううん、フリーだよ。――丁度いいね。明日明後日は一緒に過ごそうか。

 

黎:分かった。泊まるの?

 

吾郎:キミが良いなら。

 

黎:嬉しい。準備して待ってる。

 

吾郎:こっちも準備してくる。それじゃあ、ルブランで会おうね。

 

 

 チャットを終えた僕は、迷わず学校を飛び出した。航さんに『今日明日はルブランに泊まります』とメッセージを送り、自宅で外泊用の荷支度をする。後は愛用のバイクに跨って安全運転しながらルブランに辿り着いた。

 外泊用の荷支度に力を入れ過ぎたこと――既に一線を超えている恋人同士が部屋でお泊りである。察してほしい――が祟ったのか、ルブランに到着したのは、空が藍墨色に覆いつくされた頃であった。……流石に遅くなり過ぎたか。

 

 時間は午後6時代の後半。ルブランの営業時間ギリギリだが、佐倉さんの裁量によっては閉店している可能性もある。今日は後者らしく、看板にはClosedの文字が躍っていた。

 だが、店内の灯りはまだ消えていない。耳をすませば、人の話し声――いや、相当音量の泣き声――らしきガヤが聞こえてきた。……声の主は、少女だろうか。

 心なしか、少女の声には聞き覚えがあるように感じた。記憶の糸を手繰り寄せる。確か、青い部屋でも似たような声を聞いたような気がした。

 

 

「――うわああああああああああああああんっ! 姉さまたちの鬼畜ーッ! 兄さまのリア充ーっ! いっそみんなメギドラオンで爆発してしまえーッ!!」

 

 

 ……但し、ここまで感情を発露させてはいなかったが。

 

 僕がルブランに足を踏み入れると、服の端々を黒く焦がした青い部屋の住人――ラヴェンツァがカウンター席に腰かけ、えらい勢いで大泣きしながらコーヒーカップを煽っていた。僕の目が間違っていなければ、少女の頬が僅かに赤みを帯びているように思う。

 彼女の隣の席に座っていたモルガナはおろおろしており、黎は「ああやっちまった」と言いたいのを堪えながら苦笑していた。図らずも、彼女はラヴェンツァがここまで荒れる原因を担ってしまったらしい。僕はおずおずと黎たちに問いかけた。

 

 

「……ねえ。これ、何事?」

 

「佐倉さんが帰った直後にラヴェンツァが遊びに来たの。『私の作ったアレンジコーヒーが飲みたい』ってリクエストを貰ったから作ることにしたんだけど……」

 

「ラヴェンツァさま、何を思ったのか、『お酒を使ったコーヒー』をご所望でな。どこから調達したのか分からない酒類を持ち込んできたんだ。ワガハイとレイは『やめろ』と進言したんだが、『どうしても飲みたい』という要望に押し切られて、アイリッシュコーヒーを淹れたんだよ。ラヴェンツァさまが持って来たアイリッシュウィスキーを使ってな」

 

「アイリッシュコーヒーを飲ませた後、『アレンジに使ったアイリッシュウィスキーの度数が40度だった』ことに気づいたときにはもう、こんな有様で……」

 

「彼女未成年だよね!?」

 

 

 黎とモルガナから経緯を聞いて、僕は真っ先にラヴェンツァの外見に注目した。

 ラヴェンツァの外見年齢は、どこからどう見ても15歳未満。酒が飲める年齢ではない。

 僕の言葉を聞いたラヴェンツァが、キッとこちらを睨みつけて吼える。

 

 

「子ども扱いしないで! 『力司る者』には明確な年齢は存在してないんですー! だからアルコールを摂取しても、未成年の飲酒にはならないんでーす!」

 

「……でも、『ラヴェンツァさまには金輪際アルコールを飲ませちゃいけねぇ』ってことだけはハッキリしたぜ……」

 

 

 駄々っ子のように振る舞う上司を目の当たりにして、部下のモルガナは非常に複雑そうな顔をしていた。

 まるで、フィレモンによる血も涙も希望もない(しかも笑顔)発言に苦虫を噛みしめる至さんみたいな図式である。

 

 『力司る者』は人間社会における一般常識に疎い一面があった。特に、命さんと交流していたテオドアは――最初の頃は特に――外見年齢と違って子どもみたいに目を輝かせていたらしい。

 

 ポロニアンモールを案内しただけでも、噴水を水飲み場や手洗い場と勘違いしたり、交番に張り出されている指名手配犯を見て『討伐して体の破片を持ち帰る』という危険極まりない発想をしたり、クラブに入れなくて涙目になっていたり、カタカナを片っ端から和訳(むしろ誤訳)して首を傾げたり、噴水に手を突っ込んで水温を計ったりしたそうだ。

 巌戸台~八十稲羽世代が活躍した時期において『力司る者』の末っ子だと思われていたテオドア――命さんと出会った初期――でさえこんな感じなのだ。現実世界に出かけた経験が皆無で、且つ、現時点での暫定末っ子であるラヴェンツァが、初期のテオドア並みに吹っ飛んでいないわけがない。偏見ではなく、僕は真面目にそう考えている。

 ……まあ、長姉であるマーガレットも中々にエキセントリックだったが。真実さんとマリーさんの惚気話と、マリーさんからの『貴女にはいい人いないの?』発言を聞いて、満面の笑みを浮かべたまま去っていったらしい。以後数か月間、八十稲羽では『宙に浮く青コート女(独身喪女)』の怪談が流行っていたという。

 

 

「でも何で、アルコールに走ろうと思ったの?」

 

「人間は、嫌なことがあったら、お酒を飲むって聞いたんですぅ。そうすれば、『嫌なことはぜーんぶ忘れられる』ってェ、主がぁ」

 

 

 顔を赤らめていたラヴェンツァは、蕩けるような笑みを浮かべた。『力司る者』たちは人外じみた美貌の持ち主のため、その美しさに一瞬息を飲む。

 

 

「でも、主は『ラヴェンツァはまだ飲んではいけませんな』って言うんですぅー。ベス姉さまとテオ兄さまは普通に飲んでるのにぃ……」

 

 

 元の性格がそうなのか、アルコールによって理性の箍が吹き飛んだ状態故か、ラヴェンツァはころころと表情を変えた。先程までは蕩けるような笑みを浮かべていたのに、今では拗ねたように頬を膨らませている。まるで我儘な子どもみたいだった。

 彼女の有様を目の当たりにした僕は、内心「そりゃあそうだろうよ」と思った。しかし、敢えてそれを口に出すことはしない。彼女は絶対、(テオドア)と同じ絡み酒気質だからだ。残念ながら僕は、“テオドアの醜態を受け入れる命さん”のような度量など持ち合わせちゃいないのである。

 

 しかし、どうしてこんなことになったのか。助けを求めるように黎とモルガナへ視線を向ければ、1人と1匹は大きく息を吐いて経緯を説明してくれた。

 

 悪神ヤルダバオトに利用されていたラヴェンツァが、マーガレットとエリザベスによって鍛え直されることが決まったことは分かっていた。

 僕らの署名活動に協力する傍ら、しごきが行われていたことは本人の口から聞いていた。僕らの釈放後は毎日8時間、戦闘訓練に明け暮れる日々を過ごしていたことも。

 だが、姉たちはそれだけでは満足しなかった。姉たちは己にとっても毒であるテオドアを投入。ラヴェンツァの1日の終わりには、テオドアのリア充話を聞かせたという。

 

 

「ラヴェンツァさまは悪神の計略によって2つに分かたれた後、レイとはまともな意味での交流を結んでいなかった。それ故、ミコトと一緒に色々な所へお出かけしたテオドアさまの話は精神を抉られるみたいで……」

 

「それなんて諸刃の剣……」

 

「ああ。自爆したエリザベスさまやマーガレットさまは浴びるように酒を飲んで、巻き添えを喰らった我が主も酒を煽っていたから、あんなことに繋がったんだと思う」

 

 

 最早滅茶苦茶である。青い部屋の住人たちは、日々ストレスと戦っているらしい。本当に何をしているんだろう。

 

 そもそも、世界が平和になって悪神の脅威が去った後、青い部屋の住人たちはどのように過ごしているのだろうか。次の脅威に備えるとしても、彼等の役目はペルソナ使いを導くことであり、自分たちが異変を解決するために力をつけるということはしない。

 『力司る者』の戦闘能力がとんでもないのは、彼らが『戦いによって、人間たちの魂を輝かせる』ことを至上としているためだ。脅威に備え戦うのはあくまでも人間がすべきことであり、彼女たちは『サポートとして、人間に対し稽古をつける』ための存在である。

 

 個としての自我がやや乏しい状態から生まれた彼や彼女たちは、お客様との交流によって自我を形成していく。テオドアが自らの意志――『自分もまた、香月命が救った世界を守る力添えがしたい』――でベルベットルームから去ったのがその証だと聞いた。

 後に、エリザベスは『愚弟だけでは心配なのと、いつか自分が出会うであろう“お客様”に備えるため』に、マーガレットは『人間という存在を愛したから』という理由で青い部屋を去ったそうだ。形はどうであれ、姉弟はみな『人間に惚れている』。

 そんな姉兄たちの影響を、末妹であるラヴェンツァが受けないはずがない。本来ならば、姉や兄のように真っ当な形で人間――担当者である黎――と交流を重ねたはずだったのだろう。もしかしたら、テオドアと同じように“一緒にお出かけ”する可能性だってあったのかもしれない。

 

 

「私だって……私だって! マイトリックスターと一緒にお出かけしてみたかった! 遊園地とか、スカイタワーとか行ってみたかった! 寿司や高級ビュッフェを食べてみたかった! トリックスターの作ったカレーを食べて、淹れてもらったコーヒーを飲みたかった!!」

 

「ラヴェンツァ……」

 

「ずるいずるいずるい! テオ兄さまばっかり、テオ兄さまばっかりィィィ!!」

 

 

 酔いが回っているせいだろう。物静かだが聡明な青い部屋の住人は、どこにでもいる年相応の――けど、少しだけ我儘な――女の子と化している。

 ラヴェンツァ自身も、姉や兄と同じような交流を望んでいたはずだ。でなければ、姉主導による精神攻撃がここまで重篤に作用することはなかった。

 

 僕と黎は無言で顔を見合わせる。

 

 この状態のラヴェンツァを放置し、2人で楽しい時間を過ごす気にはなれなかった。

 黎は他者のために正義を貫くトリックスターだし、僕はトリックスターの伴侶である。

 ……だから、楽しいお泊り会のアレコレを中断することを選んだのは当然のことだった。

 

 

「ねえラヴェンツァ。明日、私たちと一緒に遊びに行かない?」

 

「――えっ」

 

 

 荒れ狂っていたラヴェンツァが、ぴたりと動きを止めた。金色の瞳は大きく見開かれ、黎へ向けられる。

 

 

「……いいん、ですか? お2人とも、デートなんじゃ……」

 

「うん」

 

「僕も構わないけど」

 

 

 黎と僕の言葉を聞いたラヴェンツァの動きが止まる。彼女は暫し目を瞬かせ、ぱああと表情を輝かせた。金色の瞳はキラキラと瞬き、破顔する。彼女のこんな表情、初めて見た。

 テオドアと並ぶリア充イベントの到来を察知したラヴェンツァは、一気に上機嫌になったらしい。「約束ですよ!? 約束ですからね!」と何度も確認していた。喜色満面である。

 「明日の準備をしなくちゃ」と立ち上がった少女であったが、彼女はそのまま足をもつれさせて盛大に転んでしまう。残念なことに、ラヴェンツァの酔いは醒めていなかった。

 

 へべれけ状態になった外見年齢中学生を、このまま見送るわけにはいかない。

 人間社会的な問題からも、僕らの良心的な問題からも、だ。

 

 

「ラヴェンツァさま、明らかに大丈夫じゃないですよね」

 

「大丈夫ですよモルガナー。ちゃーんと立って、歩いて帰りますからァ。『力司る者』はヤワじゃないんですよー?」

 

「ヤワだとかヤワじゃない云々の問題ではありません! 今日はもう、ルブランにお泊りになられた方がよろしいのでは?」

 

 

 いいよな? と、モルガナは言外に僕らに問いかけてきた。彼が提案しなければ、僕と黎がラヴェンツァに提案していたであろう。迷うことなく僕と黎は頷き返した。まさかそんな申し出がされるとは思っていなかったラヴェンツァが目を丸くする。彼女は満面の笑みを浮かべて頷いた。

 

 

***

 

 

 酔っ払った状態のラヴェンツァをどう扱うかで四苦八苦したものの、どうにかして“あとはこのまま眠るだけ”の状態へ持ち込んだ。彼女はあの一張羅(青い服)以外の洋服は持っていないようなので、黎からTシャツを借りている。

 サイズは丁度、ラヴェンツァが着るとポンチョ系ワンピース風になる程の丈があった。自分の愛するマイトリックスターの洋服を着ていることに有頂天になったためか、先程から彼女はずっと破顔しっぱなしだ。モルガナすら微笑ましく見守るレベルである。

 

 

「じゃあ、寝る場所どうしようか? ベッドはラヴェンツァに使ってもらうとして――」

 

「――私、トリックスターたちと川の字で寝たいです!」

 

 

 小学生宜しく、ラヴェンツァは右手を挙げて宣言した。予備の布団を敷く準備態勢に入っていた僕と黎が動きを止める。提案者はキラキラした眼差しでこちらを見上げていた。

 屋根裏部屋のベッドは、詰めれば辛うじて3人で寝れそうな大きさである。お泊りして一緒のベッドで過ごした際、サイズは把握していたから分かっていた。詳しくは語らない。

 無邪気な眼差しでこちらを見つめていたラヴェンツァだったが、僕と黎が凍り付いてしまったことを拒否と判断したのだろう。あっという間にしょぼくれてしまった。

 

 

「いいよ。一緒に寝よう」

 

 

 黎が即座に頷けば、ラヴェンツァは本当に嬉しそうな顔をして、いの1番にベッドへと飛び込んだ。ニコニコしながら布団に包まる図は、遠足前日にはしゃぐ子どもみたいだった。……明日の予定的な意味では何も間違っていないのだが。

 

 僕はベッドの右側に、黎がベッドの左側に、ラヴェンツァを挟むような位置について布団に潜り込む。モルガナはベッドの端の方で体を丸めていた。へべれけ状態で限界だったのだろう。黎が何気なく子守歌を口ずさみ初めて暫くした後、ラヴェンツァはうとうとと微睡み始め、そのまますやすやと眠ってしまった。

 あどけない表情を晒して眠るラヴェンツァを見守る黎の微笑は、文字通りの慈母神であった。普段よりも神々しさが増して、なんだか拝みたくなってしまうレベルだ。ラヴェンツァとモルガナがいなければ、僕は無心で黎を拝み倒していたであろう。恥ずかしいからやらないけど。

 

 程なくしてモルガナも寝入ったようだ。体を丸めた猫と、幸せそうに微笑む少女の寝息が屋根裏部屋に響き渡る。

 時折寝返りを打って布団を押しやってしまうラヴェンツァに対し、黎は甲斐甲斐しく布団をかけ直していた。

 ぐずるように顔をしかめて唸る少女はどんな夢を見ているのだろうか。僕はそんなことを考えながら、少女の頭を撫でてみた。

 

 途端に、しかめっ面のラヴェンツァが表情を綻ばせた。あどけない寝顔を見ていると、なんだか微笑ましい気持ちになってくるのだ。

 

 今は亡き母、遠くへ去ってしまった至さんや絶賛療養中の航さんの手つきを思い返しながらおっかなびっくりでやったのだが、意外とうまくできるらしい。僕はひっそり安堵した。

 夢の世界へ旅立ったラヴェンツァは、僕の掌をどのようなものと認識しているのだろうか。表情を綻ばせているあたり、悪いものとは思っていないことは確かだった。

 

 

「ふふ」

 

「……何? どうしたんだい?」

 

「吾郎、ちゃんと“父親”やってるなぁって思って」

 

 

 灰銀の瞳に深い慈愛を滲ませて、黎が微笑んだ。蕩けるような笑みを真正面から見たことと、黎の言葉によって目が覚めたような心地になった僕は、思わず息を飲む。

 明智吾郎の人生には、父親に関する記憶がない。物心付いたときから母子家庭で育ったし、大きくなる中で『父親の不在が異常である』ことを知っても気にしなかった。

 子どもだった頃の僕にとって、母さえいてくれればそれだけでよかった。「父親がいてくれたら」なんて考えたことなど一度もなかったし、父親を欲したこともなかったから。

 

 黎と一緒に生きるということは、彼女の夫になるということだ。彼女の夫として生きていくうちに、僕もいずれは父親になる日が来るのだろう。

 

 父というものをよく知らない僕が、立派にその役目を遂げることができるだろうか。嘗て息子()を“要らないもの”と断じた獅童のように、僕も子どものことを捨てようと思ってしまうのだろうか。

 不安に思わなかった訳じゃない。思っていても、口に出してしまえば、黎に余計な気苦労を負わせてしまいそうな気がして黙っていた。自分は獅童みたいな人間になりたくはない。でも、いくらそう願っていても、どうなるのか分からないのだ。

 

 世間一般には“虐待の連鎖”というものがある。『幼少期に虐待を受けると、大人になって親になった際、子どもを虐待してしまう』という話だ。いくら本人が親を反面教師にしても、無意識でそういう行動に出てしまうことだってあり得る。

 本人の意思と関係なく虐待親と同じ行動を取る場合、その連鎖を断ち切って真っ当な親になるために、己自身や己の中に巣食うトラウマと向き合う必要が出てくるのだ。一筋縄ではいかないことは、想像するに難くない。

 もしかしたら僕も、己自身や過去と戦い続けなければ、真っ当な親になれないのかもしれない。万が一、どう足掻いても真っ当な親になれなかったら、僕は己の息の根を止めることもやぶさかではなかった。

 

 

「――そっか」

 

 

 ――だから僕は、黎の言葉に安堵した。

 

 ――父を知らない僕でも、ちゃんと父親になれるのだと。

 

 

「俺は、ちゃんと“父親”をやれるんだな」

 

 

 噛みしめるように呟いた僕を見て、黎は柔らかに微笑みながら頷き返す。

 彼女の姿もまるで母親のようだ。亡くなった母の面影が薄らと浮かんだのは気のせいではない。

 

 

「黎も、ちゃんと“母親”やれてるよ」

 

「……そうかな? 本当なら、凄く嬉しい」

 

 

 僕の言葉を聞いた黎は、照れくさそうにはにかんだ。そんな彼女が愛おしくて、僕もひっそりと目を細める。

 

 明日明後日はラヴェンツァと遊びに行くのだ。予定はきちんと立てておかなくてはなるまい。幸い、僕たちが東京から御影町へ帰るまでの日付はある。明日明後日だけでなく、時間が合えば彼女と一緒に色んな所へ出掛けるのも楽しいだろう。

 黎も最初からそのつもりのようで、「まずは明日、ラヴェンツァをどこへ連れて行ってあげようか?」と提案してきた。長期的な計画を立てることを視野に入れ、まずは目下の目標を立てておく。

 厳正なる話し合いの結果、明日は『竹の子通りで買い物をした後、ホテルのビュッフェで夕食を食べる』ことと相成った。他にも、黎は放課後の時間を使ってラヴェンツァと一緒に出掛けることにしたようだ。

 

 僕も可能な限り同行したいが、予定が合うかは分からない。卒業式絡みの準備があるためだ。

 そこは臨機応変に対応するということで話し合いを終わらせ、僕たちは明日に備えて眠ることにした。

 

 

◇◇◇

 

 

 ――そうして迎えた土曜日の朝。

 

 

「申し訳ございません! 昨晩はあのような醜態を晒してしまい……!」

 

「と、とにかく落ち着いて。朝食の準備ができたから」

 

 

 正気に戻ったラヴェンツァが発狂して土下座するのをどうにか抑えた僕たちは、早速朝食を食べることにした。メニューは黎手作りのルブランカレーと日替わりと気分替わりのアレンジコーヒー――ホイップクリームがたっぷり乗った甘めのウインナー・コーヒーだ。

 カレーは初心者であるラヴェンツァ用に、ハチミツと果物多め――普段よりも甘め――の味付けにしてあるそうだ。それを聞いたラヴェンツァは拗ねたように「次食べるときは普通の味付けでお願いします」と言ったが、目の輝きは抑えられなかったらしい。

 

 少女はややぎこちない動作で、スプーンにご飯とルゥを乗せて口に運ぶ。

 はふはふと息を吐きながら、ラヴェンツァは人生初のカレーを味わっていた。

 僕、黎、モルガナは、彼女の反応をじっと見守った。

 

 

「どう? おいしい?」

 

「はい、絶品ですっ!」

 

 

 黎の問いに、ラヴェンツァは間髪入れずに答えた。それを皮切りにして、彼女はカレーを食べ進める。蕩けるような笑みを浮かべたラヴェンツァの表情は幸せそうだ。

 

 僕たちも席についてカレーを食べる。黎の申告通り、普段食べているカレーと比較して味付けが甘めになっていた。極端に辛い物を好むわけではないため、僕としては充分許容範囲である。好きな人が作ってくれた美味しい料理に文句をつける理由などあろうか。

 「ワガハイもカレー食べる」と身を乗り出したモルガナであったが、モルガナを普通の猫と同等に扱う佐倉さんがそれを許すはずがない。「コラ、だーめーだ。猫にカレーは体に悪い。特に玉ねぎが云々」と語った佐倉さんによって、急遽猫缶を食べさせられていた。

 モルガナはぶーぶー文句を言っていたけれど、器の影響を多分に受けたのだろう。突如目を輝かせ、猫缶にがっつき始めた。猫の鳴き声に重なるようにして「意外と美味いぞコレ!」という歓喜の声が聞こえてきたのは気のせいではない。

 

 ……これで本当に、彼は人間になれるのだろうか? むしろ猫として生きていく以外に選択肢がなさそうに思うのだが。

 

 因みに、ラヴェンツァの設定をどうするかで悩んだが、『以前有栖川家にホームステイしていた外国人留学生の妹で、黎と交流があった女の子』という設定で落ち着いた。

 彼女がルブランに泊まることになった本当の理由――泥酔して前後不覚に陥った――は、佐倉さんには話していない。むしろ話してはいけないヤツである。閑話休題。

 

 

「ラヴェンツァさま。口元にカレーついてますよ」

 

「えっ!?」

 

「ちょっと待ってて。今拭いてあげるから」

 

 

 狂ったように猫缶を食べていたモルガナが、突然顔を上げてラヴェンツァに指摘する。彼の頬にも魚の切れ端がくっついているが、自分のことは棚に上げた様子だった。

 突然の指摘に狼狽えるラヴェンツァを制して、僕はナプキンで彼女の口元を拭いてあげた。ラヴェンツァは礼儀正しく「ありがとうございます」と頭を下げ、食事を再開する。

 食べ進めるうちに慣れてきたのか、スプーンを動かす手つきも様になってきたように思う。僕と黎、モルガナは生暖かな笑みを浮かべてラヴェンツァの食事を見守っていた。

 

 僕たちが結婚して、子どもができて、その子どもの成長を見守っている――そんな未来図が鮮明に浮かび、自然と口元が綻んだ。

 

 

「……お前さんたちならきっと、いい家庭を築くことができるだろうな」

 

「え?」

 

「今のお前さんたちを見てると、文字通り『家族』みたいだ」

 

 

 僕らを見守っていた佐倉さんが、静かに目を細めて呟いた。「いつか双葉も、誰かとこんな風に家庭を築く日が来るんだろうなァ」と佐倉さんはぼやく。彼もまた、一児の娘を持つ父親だからだ。嫁へ送り出すのか婿を迎えるのか、どんな結末が待っていても、彼は父親をやり遂げるだろう。

 黎特製のルブランカレー甘口を食べていたラヴェンツァが手を止める。彼女は佐倉さんの言っていた『家族みたい』という言葉の意味を深く考えている様子だった。上機嫌になって食事を再開したあたり、彼女にとって悪いものではなかったらしい。

 

 『力司る者』に関して僕が知っていることは多くはない。“イゴールとは上司と部下の関係である”こと、“並大抵の人間はおろか、ペルソナ使いでも太刀打ちできない程の強さを持っている”こと、“人間社会に対して強い興味を持っていること”くらいだ。

 『力司る者』の家族構成は――僕が把握している限りでは――長女・マーガレット、双子の次女・エリザベスと長兄・テオドア、末妹・ラヴェンツァである。彼女たちにとっての家族は兄弟姉妹だけであり、父親や母親に関する情報は一切ない。恐らく、本人たちもよく分かってなさそうだった。

 彼女/彼等にとっての親代わりはイゴールかフィレモンあたりだろう。彼女/彼らにとっての先輩たちが、盲目のピアニスト・ナナシ、耳が聞こえない歌手・ベラドンナ、悪魔の絵を専門に描く風変わりな画家・悪魔絵師だろうか。テオドアの扱いがアレなだけで、新旧住人たちの仲は悪くないらしい。

 

 食事を終えた僕たちは、佐倉さんに見送られ、東京の街へと繰り出した。

 

 

***

 

 

 満員電車程ではなかったが、電車内は込み合っている。乗客の噂は政治経済に絡む話題が多く、新総理の誕生に湧いていた。年末年始の総理大臣不在が大きかったためだろう。

 世間を賑わせた怪盗団『ザ・ファントム』の話題は、時折ぽつぽつ出てくる程度だ。怪盗団が世界を救ってからまだ2か月というのに、世の中の移ろいは速いものだ。

 

 ヤルダバオトとの最終決戦――メメントスと同化してしまった世界の惨状など忘れたかのように歩き回る大衆たち。12月24日の時点でも夢オチ扱いして普段通りに過ごす人間の方が多かったのだ。時間が経過すれば、普段の日常が戻ってくるのは当然と言えよう。

 ただ、モルガナ曰く『人間には世界を変える力がある。本人たちがそれを忘れてしまっているだけ』とのことらしいので、僕らが成した奇跡を見ても何も変わらないのだと悲観する必要はないし、変わらないままの世界に対して呪詛を撒き散らす必要はない。

 僕たちは知っている。変わらないように見える世界の中で、牢獄から解放されたことを実感して踏み出した人々がいたことを。彼や彼女等のおかげで、僕たちはこうして物理的な自由を得たのだ。少年院から出られたのも、その人たちが手を貸してくれたからこそである。

 

 僕がそんなことを考えていたとき、車内アナウンスが鳴り響いた。多くの人々が降車するために動き始める。

 僕たちは席に座っていないため、人ごみに流されて電車から吐き出される危険性があった。

 

 

「ラヴェンツァ、逸れないように手を繋ごう。人の波にさらわれてしまうと迷子になってしまうから」

 

「ありがとうございます、マイトリックスター」

 

 

 黎と手を繋いだラヴェンツァの笑顔は、普段よりも数段階輝いているように見えた。僕も黎と手を繋ぎ、もう片方はつり革を掴む。多少でも、人に流されないようにするためだ。満員電車と言わずとも、人の出入りが激しいためだ。

 電車から降りる人だけでなく、乗り込んできた人々によって人の波に飲み込まれそうになる。敵シャドウなら容赦なく吹き飛ばせるだろうが、相手は無辜の大衆たち。当たり前であるが、暴力厳禁である。

 ラヴェンツァは人波に揉まれるのが初めてらしい。ついでに、物理手段でどうもできないという事態に直面したのも初めてだ。人波に飲み込まれまいと踏ん張っているようで、時折苦悶の声が聞こえてきた。

 

 そんな奮闘を繰り返した後、ようやく目的地の駅に到着した。どやどやと流れてゆく人の波に乗って電車を降りる。この時点ですでに、ラヴェンツァは半ば茫然とした様子で疲れ切っていた。

 

 

「こ、これが噂の満員電車……! この身で体験できるとは思いませんでした……」

 

「ラヴェンツァさま。残念ながら、今日は結構空いてます。本物の満員電車はもっとパンパンです」

 

「えっ」

 

 

 モルガナからの悲報を聞いたラヴェンツァの表情がこわばる。幾何かの間を置いて、彼女はそのままベンチへ崩れ落ちるように座り込んでしまった。

 今回乗った電車よりもっと狭い車内を想像して気が滅入ってしまったのだろう。立ち上がる気力すら尽き、ぐったりしたラヴェンツァを休ませることにした。

 

 彼女の隣に腰かけ、落ち着くまで待ってやる。モルガナも心配そうにラヴェンツァを見守っていた。

 黎はラヴェンツァに飲み物を差し入れるためにこの場を離れた。近くの自販機かコンビニに寄るのだろう。

 程なくして黎が戻って来た。彼女の手には数種類の飲み物が握られている。どれがラヴェンツァの好みなのか分からなかったためだろう。

 

 ラヴェンツァはペットボトル飲料を見る――飲むのが初めてらしく、目をキラキラさせながら銘柄を眺めた。どれを飲むかを吟味しているらしい。暫し悩んだ後、ラヴェンツァが手に取ったのはいちごオレだった。彼女はおっかなびっくり気味に蓋を開け、舐めるように一口。

 

 

「――甘くておいしいです」

 

 

 どうやら、末妹は甘いものが好きらしい。ラヴェンツァはいちごオレを飲み進めた。

 いちごオレを飲み進めるスピードが速い。飲み物が気管に入ってむせる危険性を度外視している。

 姉2名に何をされたのかは知らないが、ラヴェンツァは他者にいちごオレを奪われまいとしているように感じた。

 

 

「……誰も取らないから、ゆっくり飲んでいいよ?」

 

「!」

 

 

 僕の指摘は正解だったらしい。ラヴェンツァはびくっと肩をすくませた後、恥ずかしそうに身を縮ませた。今度はしっかり味わうようにしていちごオレを飲み進める。

 黎と僕は顔を見合わせた後、ラヴェンツァを間に挟むようにしてベンチに腰かけた。僕はお茶、黎が炭酸飲料を手に取って喉を潤す。唯一飲み物を飲めないモルガナが不満そうに鳴いた。

 

 暫しのインターバルを挟んで、僕たちは原宿の竹の子通りへと辿り着いた。若者向けのファッションやグルメが立ち並ぶこの界隈は、休日だろうが平日だろうが人々でごった返している。

 

 ベルベットルームに引きこもっていた――本人が聞いたら頬を膨らませて拗ねてしまいそうなので黙っておく――ラヴェンツァにとって、休日の繁華街は物珍しさの塊なのだろう。あちこちに目をやっては感嘆の声を漏らす姿は、どこからどう見ても『おのぼりさん』の挙動だった。

 外見年齢に見合わず知的で落ち着いた少女は今、年甲斐もなくはしゃいでいる。そんなラヴェンツァを見守る黎の姿は、慈母神という称号が相応しかった。2人が手を繋いでいる姿は、どこからどう見ても母親と娘だ。……年齢的には、姉と妹と表現すべきなのかもしれないが。

 

 

「マイトリックスター! くれぇぷって何ですか!? 美味しいんですか!?」

 

「甘くておいしいよ。よし、一緒に並ぼうか」

 

「はい!」

 

 

 やっぱり母と娘だ。僕は自分の感性を信じることにした。

 

 

「なあゴロー。お前、食べ歩きしてたんだろ。あそこのクレープ店の評判どうだ?」

 

「評判いいみたいだよ。ただ、移動式の販売形態だからどこに出現するか分からない上に、不定期営業だからなかなかお目にかかれないみたいだけど」

 

 

 黎の後に続いて列に並んだ際、彼女の鞄の中に入っていたモルガナがひょっこり身を乗り出して僕に訪ねてきた。僕は素直に答えれば、モルガナはラヴェンツァに声をかける。

 美味しいクレープに心を躍らせる少女と猫を見ていると、なんだか微笑ましい気持ちになって来た。それは黎も同じようで、慈しむように目を細めている。なんて平和なのだろう。

 暫し雑談に興じ、僕たちの番になった。ラヴェンツァは暫し悩んだ後、いちごとチョコを使ったクレープを注文した。チョコクリームにスプレーチョコがかかったものだ。

 

 黎は塩キャラメルを注文した。ついでに、モルガナの分としてフルーツたっぷりのものを注文する。僕はカスタードチョコクリームを注文した。

 程なくして、全員分のクレープが出来上がった。御代を支払い、僕たちは近くのベンチスペースで戦利品にかぶりついた。評判通りの美味しさである。

 

 ラヴェンツァは先程から美味しいを連呼していた。蕩けるような笑顔を大盤振る舞いしながら、もっきゅもっきゅとクレープを食べ進める。どうやら、クレープは彼女のお眼鏡に叶ったようだ。幸せそうな姿を見ていると、こっちまで心がほっこりしてきた。

 

 

「ベルベットルームに戻ったら、主に『クレープ店を部屋に置いてほしい』と進言しなくては……!」

 

「いや、流石にそれは無茶じゃないかな!?」

 

 

 頬に生クリームをつけたラヴェンツァは、決意に満ち溢れた目をしていた。僕は思わず突っ込みを入れる。どう考えても、ベルベットルーム――独房が点在する牢獄に、クレープ店の店舗が入るスペースがあるようには思えなかった。

 僕の突っ込みを聞いたラヴェンツァは「テオ兄さまの噴水よりマシなはずです!」と頓珍漢な主張を振り上げる。確かに、命さんから『テオドアがベルベットルームに噴水の設置を求めて叱られた』という話は聞いていたが、そういう問題ではない。

 

 

「ちょっと違うけど、チョコファウンテンとかどうかな? それだったら、サイズ的に問題ないと思うよ」

 

 

 助け舟なのか否か、判断のつかない横やりを入れてきたのは黎だった。黎の指摘に、ラヴェンツァは小首を傾げて鸚鵡返しに言葉を呟く。

 

 

「ちょこふぁうんてん?」

 

「小さい噴水みたいな奴で、水の代わりに液体のチョコレートを使うんだ。チョコの噴水に果物やクッキー、パンを付けて食べるんだよ」

 

 

 それを皮切りに、2人の会話はスイーツ談義にシフトチェンジした。ベルベットルームが大変なことにならなくてよかったと安堵しつつ――けれど、一抹の不安が拭えないままだった――、僕は2人の会話を見守っていた。

 

 クレープを食べ終え、竹の子通りの散策を始める。若者向けの店が立ち並ぶこの区域は、ラヴェンツァにとっては未知が詰まった宝箱らしい。きゃあきゃあ声を上げては、黎の手を引いて店へと突撃していた。黎の持つ鞄を根城にするモルガナは嫌が応にも巻き込まれて悲鳴を上げ、僕はそんな彼女たちを見守りながらついていく。

 女性向けのアクセサリー専門店では、蝶をモチーフにしたブレスレットを購入していた。黎とラヴェンツァ、お揃いのアクセサリーとのことだ。「お客様とお揃い」と大喜びするラヴェンツァの姿に、兄テオドアの面影を色濃く受け継いでいることを察する。今なら、命さんがテオドアを見守る気持ちが理解できそうだった。

 ファンシーグッズ売り場では、黎がラベンダーの香りがする羊の抱き枕を購入してラヴェンツァにプレゼントしていた。黎曰く「お姉さんたちの特訓で疲れたとき、心身ともに癒されてほしい」という配慮からだった。それを聞いたラヴェンツァが感極まり、以後はずっとその抱き枕を抱えたままだった。余程嬉しかったのだろう。

 

 他にも様々な戦利品を獲た。いつの間にか、ラヴェンツァの腕には沢山の紙袋がぶら下がっている。利き手側の小脇には、黎から貰った羊の抱き枕が抱えられていた。

 空は既に藍墨色に染まり、それに比例して街を彩る光が眩しさを増してきた。あと1時間程すれば、星の見えない夜がくるのだろう。僕らは竹の子通りを後にした。

 

 

「次はどこへ行くんですか?」

 

「渋谷の帝都ホテルだよ。高級ホテルで食べ放題だ」

 

 

 黎の言葉を聞いたラヴェンツァが破顔した。

 

 次の目的地は渋谷の帝国ホテル。

 鴨志田を『改心』させた際、戦勝会――打ち上げを行った会場である。

 

 バスを使ってホテルへと向かう。この時間帯は帰宅ラッシュの一歩手前のため、車内は比較的空いていた。ラヴェンツァがあからさまに安堵する。満員の車内は怖いとインプットされてしまったらしい。程なくして、僕たちは目的地に到着した。

 ビュッフェ1時間半食べ放題を利用するための手続き――料金前払い――を済ませ、早速料理を取りに行く。以前南条さんと一緒にいたところを目撃されたためか、従業員は冷や汗を流しながら対応してくれた。邪険にされるよりマシな扱いである。

 もし、あのとき僕らが南条さんと一緒にいなければ、まともな接客対応をしてもらえなかっただろう。このホテルを利用していた客たちが『ここは子どものたまり場じゃない』と、僕らに冷ややかな眼差しを向けてきたことを思い出した。

 

 ……最も、僕の思考回路は、料理に釘付けになったラヴェンツァの笑顔によってかき消された。

 数多の食べ物がずらりと並ぶ図を見たのが初めてだった少女は、それはそれはうっとりと呟く。

 

 

「料理がこんなに……! これが食べ放題……」

 

「好きなものを好きなだけ、皿に盛りつけて食べるんだ。90分以内だったら、いくら食べても大丈夫だよ」

 

「はい! どれも美味しそうで目移りしちゃいますね!」

 

 

 感極まったように声を漏らすラヴェンツァを見守りながら、僕たちも思い思いの料理を皿に盛りつける。黎はモルガナの分も取ったため、かなりの量を皿に乗せていた。

 ひとしきり食べたいものの確保を終えて、席に着く。「いただきます」と挨拶をして、早速料理へフォーク/スプーンを伸ばした。やはり高級ホテル、味はお墨付きである。

 利用者の何名かが怪訝そうに僕たちを見ていたが、5月の時と違って、不快感を口に出す者は誰もいなかった。……彼や彼女たちの傲慢も、多少は矯正できたのだろうか。

 

 メメントスの崩落後、大衆たちの認知も少しは変わったのかもしれない。神の統制を否定して牢獄から抜け出した僕たちには、無限の自由が広がっている。どこへでも行けるようになったのだ。

 

 統制神はそれを不幸だと断じるのだろう。“人は『行く当てがなく彷徨い続ける』ことを不幸だと感じる。だから、縋りつく標――自分の統制が必要だ”と主張したのだ。そこに奴個人の承認欲求が混ざっているため、純粋な善意ではないのだが。

 怠惰を好む人間たちを見限ったのも、自分を見限った神が人間に目をかけていたのが腹立たしかったのも、自分を『失敗作』と断じた神への嫌がらせとして人類で遊ぼうと画策したのも、すべては統制神自身の身勝手からだった。

 

 

(ヤルダバオトは、どうなったのだろう)

 

 

 黄昏の空に消えた悪神の行方に想いを馳せる。

 

 達哉さんと舞耶さんたちによって倒されたニャルラトホテプも、命さんによって封印されたニュクスも、真実さんによって倒された伊邪那美命も、その存在が完全に消滅したわけではない。各々の理由で現実世界への干渉から手を引いた面子だ。

 ニャルラトホテプは力を失い、ニュクスは命さんのユニヴァースによって封印され、伊邪那美命は『真実を追い求める人間』を認めたことで、現実に干渉できなくなった/しなくなった。表だった迷惑行為は、暫く行われることはないだろう。

 この論理で言えば、ヤルダバオトも消滅した訳ではなさそうだ。ニャルラトホテプのように『一時的に力を失って身動きが出来なくなった』だけかもしれないし、伊邪那美命のように『人間の可能性を認め、一先ずは見守ることにした』のかもしれない。

 

 前者だろうと後者だろうと、傍迷惑であることは確かだ。できれば永遠に大人しくしてほしいが、悪神ばかりが元凶とは言えないのが悲しいところである。

 黒幕になり得そうな善神の存在を知っている身としては、『試練』という名目で背中を撃たれる可能性だってある。本当にやめてほしい。

 

 

(……そうなると、俺が知る限り一番マシそうな善神はセエレってことになるのか? まあ、元が至さんだから、マシなのは当然なんだろうけど……)

 

 

 僕がそんなことを考えながら料理を口に運んで咀嚼していたときだった。

 ふと、ラヴェンツァに視線を向ける。彼女は料理を食べる手を止めて、無言のまま皿を眺めていた。

 

 

「ラヴェンツァ? どうかしたのかい?」

 

「……お2人は、3月になったら御影町へ帰ると聞きました」

 

 

 静かな面持ちで、ラヴェンツァは僕たちに視線を向けた。僕と黎は顔を見合わせ、彼女に向き直る。少女は訥々と言葉を紡いだ。

 

 

「私の役目は“今代のワイルドである有栖川黎を導き、サポートすること”。貴女たちが悪神を斃した時点で、私の役目も終わりました。……最も、私は悪神によって魂を2つに割かれ、まともなサポートは行えませんでしたが……」

 

「そんなことないよ。貴女のおかげで助かったんだ」

 

「お心遣いありがとうございます、マイトリックスター」

 

 

 黎からねぎらいの言葉を貰ったラヴェンツァは微笑んだ。

 けれど、その微笑はすぐ陰ってしまう。

 

 

「貴女を導く任を受けたのは、悪神ヤルダバオトに魂を引き裂かれる以前のことでした。歴代ワイルドたちとの交流は、テオ兄さまやメグ姉さまから伺っておりましたから……ずっと楽しみにしていたんです。そうして――『テオ兄さまと兄さまのお客様のように、すべてが終わっても一緒に笑い合えるように、仲良くなりたい』とも」

 

 

 ラヴェンツァは悲しそうに苦笑する。

 

 悪神によって引き裂かれ、記憶を失ったラヴェンツァは、カロリーヌとジュスティーヌとして、ヤルダバオトの部下となっていた。黎をぞんざいに扱うヤルダバオトに感化され、カロリーヌとジュスティーヌも同じように接していたという。時には暴力も振るったそうだ。

 兄であるテオドアのように『お客様と良い関係を築きたい』と願っていたラヴェンツァにとって、カロリーヌとジュスティーヌの振る舞いは黒歴史レベルの出来事だったのだろう。自業自得とも思っているのかもしれない。そのため、彼女は完全に凹んでしまっていた。

 

 此度のお出かけも、『酔っぱらったラヴェンツァが我儘を言ったから、仕方なく連れ出してくれた』と思ったのかもしれない。

 『お客様と交流を深めることができると喜んでいたけれど、逆にそれがお客様にとって迷惑だったのではないか』と不安になった。

 ラヴェンツァはすっかり元気を失ってしまった。此度の交流が終われば、もう言葉を交わせないと思い込んでいる。

 

 鞄の中に潜むモルガナは、ハラハラとした様子で黎とラヴェンツァを見つめていた。助けを求めるようにこちらを見上げた黒猫に対し、僕は有効打を持っていない。静観する以外の手はなさそうである。僕もまた、固唾を飲んで2人を見守っていた。

 

 

「ねえ、ラヴェンツァ」

 

「はい」

 

「これから3月になるまで、他にも色んな所へ出かけよう」

 

 

 黎の言葉を聞いたラヴェンツァは、がばりと顔を上げた。

 金色の双瞼は大きく見開かれ、静かに微笑む黎を映し出している。

 ラヴェンツァがこちらを向いたことを認知した黎は、言葉を続けた。

 

 

「次はデスティニーランドにしようか。丸一日、アトラクションで遊び倒すの。それとも、お台場の海浜公園をゆっくり散策しようか? 古書店で本を読むのも楽しいし、中華街にも行ってみようよ。ああそうだ、ルブランに帰ったら一緒に銭湯に行かない? あそこ、とっても気持ちいいんだよ」

 

「トリックスター……」

 

「故郷に戻っても、また遊びに行くよ。――そうだ。折角だから、ラヴェンツァも御影町に遊びに来てくれる? 案内したいんだ。私が生まれ育った町を」

 

「――はい。必ず、必ず遊びに行きます!」

 

 

 黎とラヴェンツァは満面の笑みを浮かべた。諍いもすれ違いもなく終わった修羅場に、僕とモルガナが安堵の息を吐いたのは当然と言えよう。

 自分を取り巻く憂いが無くなったラヴェンツァは、ニコニコ顔で食事を再開した。ビュッフェの食べ放題は時間有限である。食べなければ損だ。

 

 以前食べ過ぎて体調不良に陥った竜司やモルガナと同じ轍を踏まぬよう気を付けつつ、食事を再開する。和やかに談笑しながら、時には夜景を見下ろして、僕たちは交流を楽しんでいた。

 

 

***

 

 

「今日は本当にありがとうございました。次の機会も、よろしくお願いいたします」

 

 

 手荷物――戦利品を大量に抱えたラヴェンツァは、本当に嬉しそうに笑って頭を下げた。『次』という言葉が意味する出来事の素晴らしさを噛みしめているようだった。

 夜の繁華街をラヴェンツァ1人で帰すわけにもいかず、僕たちはベルベットルームの扉がある渋谷交差点まで彼女を送ることにした。少女の姿は扉の奥へと消えていく。

 青い扉はぼんやりと光を放っていた。しかし、扉の存在は希薄になっていて、資格を持つ黎ですら『もう入れない』という認知を覆すことができないらしい。

 

 

「あの部屋は役割を終えたから、もう二度と開くことはない。……でも、悲しむ必要はないんだ。オマエらが試練を乗り越え、未来を掴んだ証なんだからな」

 

 

 鞄の中に入っていたモルガナが顔を出し、立ち尽くす僕たちに声をかけてきた。善神の化身として、僕らを労ってくれたようだ。

 

 歴代ワイルド使いは、戦いを終えるとベルベットルームに立ち入ることが不可能になるらしい。情報ソースは命さんと真実さんだ。今回の件で、黎もその1人として名前を連ねることになったようだ。

 『試練を乗り越えて答えを見つけたことが関わっているのではないか』とのことだが、実際の所は不明だ。フィレモン全盛期世代のペルソナ使いは今でも普通にベルベットルームに出入りすることができる。それが余計に不明扱いを助長しているのだろう。

 

 おまけに、歴代ベルベットルームは全く繋がっていないという。フィレモン全盛期時代のペルソナ使いは自分たちが出入りするベルベットルームしか知らないし、巌戸台のワイルドである命さんや八十稲羽のワイルドである真実さんも、自分専用のベルベットルームしか知らないそうだ。

 曰く、フィレモン全盛期時代のペルソナ使いは広めのライブハウス、巌戸台のワイルドはエレベーターをモチーフにした個室、八十稲羽のワイルドはリムジンの車内とのことだ。他にも、異空間だったり、ダンスホールモチーフらしきベルベットルームの存在も確認されていたらしい。

 今回の件で、東京のワイルドには牢獄モチーフという情報が追加された。しかも独房である。話を聞く限りでは、世代交代をする度に部屋が狭まっているように感じる。次の世代のペルソナ使いたちは、どんなベルベットルームに招待されることになるのだろう。些か不安であった。

 

 

「でも、どうしよう? 次の予定を話し合うためには、あの扉を開けてラヴェンツァと話ができないと困るんだけどなあ……」

 

「問題ない。ラヴェンツァさまは蝶を飛ばすこともできるからな。いざとなったら、ワガハイが直接言伝してやる」

 

「そっか。モルガナは善神の化身だから、ベルベットルームと現実世界を自由に行き来できるんだっけ」

 

 

 表情を曇らせた黎に対し、モルガナは不敵に笑って胸を張った。そこで僕は、モルガナの特異性に気づいて手を叩く。

 青い部屋と現実世界を行き来するモルガナがいるなら、ラヴェンツァと遊ぶ約束をするにあたって、余計なすれ違いが発生しなくて済みそうだ。

 

 

「ただ……」

 

「ただ?」

 

「……できれば、『暫くはあの部屋に近づきたくない』ってのがワガハイの本音なんだ」

 

 

 晴れた空を連想させるような双瞼を遠くに向けて、モルガナは深々とため息をついた。

 

 彼の様子からして、あの扉の向こうで何が起きているかの想像がついているらしい。モルガナの不安を助長するように、二度と開かない扉の向こうから爆発音が響いた気がした。

 明智吾郎の耳が異常でなければ、ラヴェンツァとマーガレットが言い争っている声が聞こえたように思う。時折、テオドアの悲鳴と爆発音が二重奏を響かせるのだ。

 

 嫌な予感しかしない。十中八九、扉の向こうでは死闘が繰り広げられている。リア充に殿堂入りしたテオドアとラヴェンツァが、姉たちと熾烈な戦いをしているのだ。

 今回はラヴェンツァがテオドアを盾代わりにしているのだろう。テオドアの断末魔やイゴールの怒声が聞こえてきたと思った刹那、一瞬にして音が消え去った。

 瞬きする間の時間、扉の放っていた青い光が消えた気がする。だが、すぐに再点灯したので、大した問題ではなかったのだろう。……そうだと信じたい。

 

 

「モルガナ、帰ろう」

 

「そうだな。今日は帰ったら寝ようぜ。……そういえば、ゴローは今日も泊まるのか?」

 

「そのつもりだけど?」

 

「じゃあ、ワガハイは散歩してくる。ごゆっくりー」

 

 

 僕の答えを聞いた途端、モルガナは黎の鞄から飛び出して夜の街中へと消えていった。野良猫ライフ(十中八九上に『不本意』が付きそうだ)を満喫しつつ、明日の朝に戻ってくるのだろう。空気の読める賢い奴だ。

 モルガナの背中を見送った後、僕と黎は顔を見合わせた。久方ぶりの2人きりである。途端になんだか居心地の悪さを感じて、僕は視線を彷徨わせた。意識しすぎだと言われればそうだろうが、仕方がないじゃないか。

 

 散々唸った後、僕は黎に視線を向ける。黎も困惑したように視線を彷徨わせていた。彼女の頬や耳は、ネオンの光でも誤魔化しきれない程に赤く染まっている。

 どうやら僕たちは同じ気持ちらしい。気恥ずかしさは溶けるように消えて、残ったのは嬉しさと照れくささだ。おずおずと手を伸ばし、指を絡める。――なんだか酷く満たされた。

 左手同士で指を絡めれば、桃色系統のサファイアがあしらわれた揃いの指輪が示される。同じ未来を生きてゆく――その事実の尊さを噛みしめながら、僕たちは家路についた。

 

 




魔改造明智による3学期、ラヴェンツァと一緒編。書き手もびっくりするほど苦戦しました。考えても考えても全然進まなくてぐるぐるしていましたが、ようやく形に出来ました。こうしてみると大したことないのに、どうしてスランプにぶち当たっていたのか不思議なくらいです。
リアルが忙しいというのもあったかもしれませんが、自分でも「こんなに進まないのは何故だ?」と首を傾げるレベルで筆が進まなかったんです。終わってみると「こんなに時間をかける必要はなかったのでは?」と思ってしまうのですが、不思議と『無意味なスランプだった』とは思わないんですよね。
しょっぱなからラヴェンツァのキャラがぶっ壊れています。姉や兄のエキセントリックさを下地にし、色々捏造したりバタフライエフェクトを混ぜ込んでみた結果がこんな有様になりました。多方面に喧嘩を売るような真似をしてしまった感が否めませんね。不快な思いをさせてしまったら申し訳ありません。
そして、ラヴェンツァはリア充の仲間入りを果たしました。今後は何かある度、テオドアとタッグを組んで姉たちに挑みかかることでしょう。いつの日か、御影町へ行く許可を勝ち取ったラヴェンツァが、はじめてのおつかいよろしく1人で公共交通機関を乗り継いでやって来るのも近いかもしれませんね。

拙作では『ラヴェンツァが『力司る者』としての使命を知ったのは、ヤルダバオトに真っ二つにされる以前。その際、姉や兄から話を聞いていた』という設定です。『自分もいつかは兄のようなリア充になりたいと夢を見ていたところ、悪神のせいでとんでもないことになってしまった』というオチ。
内心、『仲良くなりたかった相手に鞭でビシバシやったり、冷徹な目で見下したりした』⇒『自分は嫌われてしまったのではないか? 世界の危機だったから文句を言わなかっただけで、本当は怒っているのではないか?』と不安に思っていたようです。尚、杞憂だった模様。良かったねラヴェンツァ!

次回はバレンタイン。作品の方向性上、15日の修羅場イベントは発生しません。だってどちらも一途ですから。確実にげろ甘いことになると思われます。


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累の果て、願わくば

【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 @空本(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄で明智の保護者その1。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
 @デミウルゴス⇒獅童の息子であり明智の異母兄弟とされた獅童(しどう)智明(ともあき)を演じていた『神』の化身。姿は真メガテン4FINALの邪神:デミウルゴス参照。詳しくは中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『運命を切り開くだけの簡単なお仕事』および『ペルソナ3異聞録-.future-』、Pixivの『2周目明智吾郎の災難』および『【一発ネタ】有栖川黎の幼馴染』の設定を下地にし、別方向へ発展させた作品である。
・ジョーカーのみ先天性TS。
 ジョーカー(TS):有栖川(ありすがわ) (れい)⇒御影町にある旧家の跡取り娘。旧家制度は形骸化しているが、地元の名士として有名。身長163cm。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空本(そらもと) (わたる)⇒明智の保護者2で、南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。
・敵陣営に登場人物追加。
 @神取鷹久⇒女神異聞録ペルソナ、ペルソナ2罰に登場した敵ペルソナ使い。御影町で発生した“セベク・スキャンダル”で航たちに敗北して死亡後、珠閒瑠市で生き返り、須藤竜蔵の部下として舞耶たちと敵対するが敗北。崩壊する海底洞窟に残り、死亡した。ニャラルトホテプの『駒』として魅入られているため眼球がない。獅童パレスの崩壊に飲まれ、完全に消滅した模様。
・「2罰ボスの外見を見た人間の反応」に関するねつ造設定がある。
・普遍的無意識とP5ラスボスの間にねつ造設定がある。
・『改心』と『廃人化』に関するねつ造設定がある。
・春の婚約者に関するねつ造設定と魔改造がある。因みに、拙作の彼はいい人で、春と両想い。
・魔改造明智にオリジナルペルソナが解禁。


 沈没した日本を悠々自適に航海するのは、国会議事堂をモチーフにした豪華客船だ。この船に乗ることができるのは、箱舟の船長が見出した“特別な人間”たちだけである。

 しかし、船に乗れたからと言って安泰であるとは限らない。船長に見限られれば即船を下ろされ、死を迎えるのだ。死刑執行人は自分。――だから、勝手に安心していた。

 

 

(……結局俺もまた、獅童正義にとっての『駒』でしかなかった……。皮肉なもんだな……)

 

 

 投げ出された体に、力は入らない。目を閉じれば最後、自分は死ぬのだろう。

 

 自分と瓜二つの顔をした認知の自分が転がっている。眉間を撃ち抜かれたそいつの顔色には血の気はなかった。最期に見るのが廃棄された人形だと考えると、なんとも馬鹿馬鹿しい終わりである。

 思えば、自分の人生はロクなものではなかった。誰からも愛されず、愛されたいと願いながら誰も愛さなかった。父親に認めてほしいと努力を続けた結果、遺ったのは血で汚れた両手と、抱えきれない程の罪だけだ。

 ……ああでも、と、気づく。脳裏に浮かぶのは自分を認めさせたかった父親ではなく、自分を認めてくれた――でも決して自分が認めなかった黒衣の怪盗だった。自分とは違う、正真正銘の義賊。

 

 それは羨望だった。それは憎悪だった。それは好意だった。

 それは敵意だった。それは殺意だった。それは安堵だった。

 

 それは、それは――。

 

 自分が何を考えているのか、自分自身がよく分からない。

 何をしたいのかさえ、分からなかった。

 

 

(…………)

 

 

 後悔しているかと問われれば、「はい」と答える。もっと早く出会いたかったのも、あの温かな場所に居たかったのも本当だからだ。

 満足しているかと問われても、「はい」と答える。この選択を選べたことも、最後まで手を差し伸べてくれたことも、充分だからだ。

 

 後悔していようが満足していようが、今となってはもうどうしようもない。もうすぐ死ぬであろう自分に、できることなど何一つとしてないのだから――

 

 

「そうかな?」

 

 

 誰かの声がした。聞き覚えのない声だった。掠れ始めた視界の中に、青いブーツが映りこむ。

 何事かと視線を動かせば、金色の蝶がひらひらと、機関室の中を舞っているところだった。

 

 何かを言おうと口を開くより先に、誰かが屈んでこちらを覗き込む方が早かった。顔は見えないが、奴は確かに微笑んでいる。

 

 

「――()()()()()()()()()。そうすれば、届くかもしれないぞ?」

 

 

 ――金色の蝶が、自分の指先に停まっていた。

 

 いつの間にこんなものがいたのだろう。箱舟を何度も出入りしていた身だが、今の今まで、黄金の蝶など見たことがない。呆気にとられる自分の姿を相手――おそらく成人男性――はどう思ったのか、誰かは静かに笑ってこちらを見ていた。

 奴の言葉の意味を理解できず首を傾げる。蝶を飛ばして、一体何がどうなるというのだ。自分はもう死ぬ以外に残されていない。獅童への復讐は潰えたし、自分の命だって燃え尽きようとしている。

 相手に対して不平不満をぶちまけようと視線を動かしたが、所詮は死に体の身。小さな呻き声が漏れただけだ。しかし、沈黙よりは雄弁に自分の意を訴えることができたようで、相手の顔から笑顔が消えた。

 

 次の瞬間、ムッとしたような表情となる。己の意見を頭ごなしから否定されたと思ったのだろうか?

 顔はよく見えないのに、酷く子どもっぽい印象を受けたのは気のせいではなさそうだ。

 

 

「馬鹿にするなよ。可能性という名の蝶は、羽ばたき1つで大嵐を引き起こすんだぞ」

 

「…………」

 

「あ。その眼、全然信じてないな!? ――そんなキミには出血大サービス。バタフライエフェクトを舐めちゃいけないってこと、教えてやる」

 

 

 男性がそう言った次の瞬間、機関室の周囲に蝶が舞い始める。自分が瞬きする頃にはもう、機関室は輝く蝶の群れに覆いつくされていた。

 金色、銀色、青色、白色……様々な色の蝶がこの場を飛び回っている。呆気にとられた自分に更なる追い打ちが叩きこまれた。

 

 

『ダメだ! こんな結末、絶対嫌だ! ――明智、死ぬな! 死ぬんじゃない!』

 

 

 悲痛な叫び声だった。聞き覚えのある人物の声だった。

 

 

『手遅れなんかじゃない。まだこれからじゃないか。やり直せるじゃないか』

 

『何もない? そんなこと言うな! お前は1人じゃないだろう。自分がいる』

 

 

 悲痛な叫び声だった。聞き覚えのある人物の声だった。

 

 

『自分では、ダメだったのだろうか。彼の生きる理由にはなり得なかったのだろうか』

 

『世界の誰もがお前の死を望んでも、自分はお前に生きていて欲しかったのに』

 

『世界は救われたよ。獅童は『改心』して罪を認めて償いの人生を送り、全ての元凶を斃したよ。……でも、お前だけは、どこにもいない』

 

 

 悲痛な叫び声だった。聞き覚えのある人物の声だった。

 

 

『世界を救った自分は、最早彼のために何かをすることすらできないのだろう。でも、だからこそ、自分は祈るんだ。どこかの世界で、彼が生きていることを』

 

『もし、どこかに可能性があるのなら――明智吾郎が幸せになれる世界があって欲しい。悪神の玩具として使い潰されるのではなく、彼が彼自身の幸せを追いかけていけるように』

 

『できることなら本当の仲間として、叶うならば本物の友として、一緒に笑い合いたかった。……いいや、笑い合える世界が欲しいと、今でも思っている』

 

 

 悲痛な叫び声だった。男女どちらの声かはよく分からないが、同一人物――あるいは同一存在のものであることは認知できた。

 

 

「……“ジョーカー”……!」

 

 

 かすれた声が漏れる。凍り付いて死にかかっていた心を溶かすようにして、“彼/彼女”の声がじわじわと沁みてきた。

 

 自分――明智吾郎に手を伸ばし、救えなかったことを嘆く“彼/彼女”たちが、明智吾郎にとって唯一無二の存在である“彼/彼女”が、明智吾郎のためだけに蝶を飛ばしたのだ。

 明智吾郎のために捧げられた、数多の世界に存在する“ジョーカー”たちの祈りと願い。明智吾郎の幸福を願い、共に歩む可能性が存在することを祈った義賊の想い。

 祈りと願いを集めた蝶の群れは温かな光を纏っている。それは、誰からも必要とされないと思っていた明智吾郎を救いあげた。尊い光。見ているだけで涙が出てきそうになる。

 

 いつの間にか、機関室は蝶の群れで埋め尽くされていた。色とりどりの蝶たちが、明智吾郎への想いを伝えてくる。明智吾郎の不在を嘆き、幸福を祈り、共に歩む未来が存在していて欲しかったと願ってくれている。――ああ、なんて、綺麗。

 死に体だった身体が小さく動いた。ゆっくり、手を動かす。止まり木を模した人差し指に、薄桃色の蝶が羽を停めた。この色彩はどこかで見たことがあるな、と、ぼんやり考える。程なくして、バラエティ番組で宝石言葉の話題が出た際に見た宝石の色を思い出した。

 

 薄桃色の宝石の名前は――愛する者への一途で深い愛情を意味し、本来は悪しき要素(モノ)から持ち主を守る守護の意味を宿していた宝石を、何と言ったか。

 鮮やかに煌めく蝶は、ただ静かに自分に寄り添う。『貴方の傍にいたい。貴方を守りたい。私には貴方が必要だ』と、ただ静かに伝えてくれた。

 

 

「凄いよな。この蝶全部、キミを想ったただ1つの存在が飛ばしたんだ。キミのためだけに、こんなにも飛ばしたんだよ」

 

「……俺の、ため……俺だけの、ため……」

 

 

 男は感嘆の息を吐く。“明智吾郎のため”というお題目の元に――その大半は“ジョーカー”たちの自己満足だろう――集った蝶の群れ。

 とんだお人好しだ。とんだ偽善者だ。とんだ傲慢だ。相変らず、頼まれないことをしてくれる。余計なお世話以外の何物でもない。

 

 ――だけれど。

 

 

「……バカだなぁ」

 

 

 視界が滲んだ。漏らす資格のない嗚咽が零れた。胸を抉るような痛みと共に、形容できない震えと熱がすべてを塗り潰す。溢れだしたそれは止まることを知らない。

 幼い頃から「要らない子」と呼ばれ、唯一の肉親からも「使い捨ての駒」と呼ばれ、他者から本当の意味で必要とされなかった明智吾郎(じぶん)が欲し続けたモノ。

 手を汚した自分では、決して届かないと諦めた。殺人犯が正義の義賊の仲間になれるはずがないと諦めた。でもそれは、予想外にすんなりと落ちてきた。

 

 

「……本当に、バカだ。今更になって、気づくなんて……」

 

 

 明智吾郎が何かに気づくとき、その大半が手遅れだった。でも、『今この瞬間に気づけた』ことだけでも儲けものだと言えるだろう。

 だってこれは無駄にならない。無駄になんかしない。明智吾郎は男に視線を向けた。蝶と戯れていた男はこちらに気づくと、納得したように頷く。

 

 

「数多の『神』の目を掻い潜り、あるいは奴らの仕掛けた運命をブチ壊して、この蝶たちはキミの元に辿り着いた。羽ばたき1つで、今この瞬間のキミに影響を与えた」

 

 

 蝶を飛ばそうと思う“明智吾郎”は何人いるだろう。

 “ジョーカー”がここまで飛ばしたなら、果たして“明智吾郎”はどれ程の蝶を飛ばすのか。

 

 

「――キミが飛ばした蝶が、いつかどこかにいる“ジョーカー”に届くかもしれない。そうすれば、きっと“あの子”に応えられる」

 

 

 “ジョーカー”の元へ辿り着ける“明智吾郎”の蝶は何羽だろう。

 どれ程の蝶が屍を積み上げ、どれ程の蝶が試練を乗り越えてゆけるのか。

 

 

「いいじゃないか。1人くらい、“ジョーカー(あの子)”に応える“明智吾郎(キミ)”がいたって。何もおかしいことなんてないんだから」

 

 

 自分の復讐を果たすために手を汚した明智吾郎がいるのなら、自分と愛する人の幸せのために駆け抜ける明智吾郎がいたっていいじゃないか――菫色の双瞼は、そう告げている。

 

 獅童正義を破滅させるために生きた人生は、非合法という言葉で満ち溢れている。復讐のためにすべてを捨てる生き方を貫き通した明智吾郎は、最期の最期ですら、ある意味で『自分の命を捨ててでも』復讐を成就させることを選んだ。怪盗団に獅童を『改心』させ、失脚へと追い込むという方法で。

 その生き方を間違いだと断言するつもりはない。この結末を嘆くつもりもない。だって明智吾郎は、自ら人形に成り下がることで承認を求める人生から解放された。18年という生涯の中で、初めて他者のためにすべてを投げだすことができた。そうすることで、初めて他者との絆を結んだ。最期の最期で、明智吾郎は怪盗団の仲間になれた。

 だけれども――数多の「もしも」を思い浮かべたことがある。叶わないと嘆いた後悔の断片を繋ぎ合わせる。最初から詰んでいた状況を――世界を変更する。敵対して別れるのではなく、破滅の前に顔を会わせたならば。心を通わせることができたなら。そうして――できれば、自分の周りにいる大人も、多少はまともであってくれれば。

 

 獅童の元に集うような、あるいは明智吾郎が出会ってきた大人たちの大半が、どうしようもないクズばかりだった。

 そんな大人と対峙し、ボロ雑巾同然に傷ついたからこそ、絶望した。明智吾郎の絶望は、破滅への道を転がり落ちる加速炉となったのだ。

 

 

(――そうして何より、俺自身に、踏み止まる理由があれば……)

 

 

 脳裏に浮かんだのは“ジョーカー”の微笑だった。ギリギリまで『明智吾郎と共に歩む未来』を模索していた正義の義賊――“彼/彼女”を選べなかった自分の弱さに苦笑する。

 明智吾郎がどうしようもない悪党であることは、覆しようのない真実だ。けど、そんな自分を望み、真摯に祈りと願いを捧げてくれた“ジョーカー”に応えたいと、強く願う。

 

 ――次の瞬間、明智吾郎の胸元が淡く光り始めた。

 

 青白い光は、いつの間にか白青色に瞬く1羽の蝶となった。その蝶は、先程自分の指先を止まり木にしていた薄桃色の蝶と戯れるようにして飛んでゆく。

 番という言葉が相応しい程の睦まじさを見せながら、2羽の蝶はどこかへと飛んでいった。それを追いかけるようにして、数多の蝶が宙を舞う。

 明智吾郎は幻想的な光景を見つめていた。針の穴のように細い可能性であっても、祈り願えばきっと届く――そんな夢を見れるような気がしたのだ。

 

 

「夢を見る権利は誰にだってある。限りある命を当たり前に生きる権利だってそうだ。嘘に惑わされず生きたいと願い、真実を追い求める権利もある。自分の正義を貫き通し、居場所を見つけたいという権利だってあるんだよ。――そうして、それが世界を変えていくんだ」

 

 

 蝶が飛んでゆく。数多の祈りと願いを乗せた蝶が、いつかどこかで生まれ落ちる世界を変えてゆく。破滅の因果を書き換えて、未来を指示した。

 

 

「……アンタ、神様みたいだな」

 

 

 明智吾郎はぽつりと呟いた。神と呼ばれた男は眉間に皺を寄せる。

 憤るようにため息をついた男は、心底嫌そうな顔をしていた。

 

 

「――やめてくれ。俺は神様なんて嫌いなんだ。ロクな目に合ったことがないからな」

 

 

 「それに」と、彼は付け加えた。

 

 

「俺には“セエレ”という名前があるんだ。間違っても、神様なんて呼ばないでくれよ」

 

 

◆◇◇◇

 

 

 街中はバレンタインデーフェアで埋め尽くされている。勿論、僕の学校や黎の通う秀尽学園高校も例外ではない。女子たちはチョコレートの準備に勤しみ、男子たちはソワソワしっぱなしだ。かくいう僕も、ソワソワしている男子の1人だったりするのだ。

 黎はお世話になった人々に配る用のチョコレートと、僕へ贈る用のチョコレートを鋭意制作中とのこと。『2月14日の放課後は一緒に過ごす』と約束を取り付けてある。楽しみすぎて自宅の階段を踏み外し、あわや転げ落ちそうになったことは内緒だ。航さんに目撃されたけど。

 

 さて、本日は2月13日。バレンタイン前日とあって、バレンタイン戦線の熱気が半端ない。明日の下駄箱と郵便受けがどんな惨状になるかを想像すると、色々と鬱になる。

 

 僕はどちらかと言うと、他者と接触するのを好むタイプではなかった。と言っても先天性ではなく、母が亡くなる以前までは別段何ともなかったと記憶している。

 おそらくそのきっかけは、親戚縁者の前に引きずり出され、人間の汚い面を見せつけられてからだと考えている。後は“明智吾郎”の影響があったのかもしれない。

 但し、“明智吾郎”並に徹底してはいなかった。そこは黎や空本兄弟を始めとした良縁と巡り合えたおかげであろう。彼等と交流する分には、抵抗は感じなかった。

 

 

―― ………… ――

 

(どうかした?)

 

―― ……別に。気楽だなと思っただけだ ――

 

 

 僕に話しかけられた“明智吾郎”は、ふいっとそっぽを向いた。

 

 自分から何か言いたげにこちらを凝視していたくせに、話しかけられるとあんな態度を取るのだ。天邪鬼にも程があろう。

 最も、“彼”の事情を知る僕としては――黎や“ジョーカー”程お人好しではないが――、本人が何か言うまで待つ以外にないと分かっていた。

 

 “明智吾郎”は11月末~12月半ばで確実に命を落としている。『獅童との決戦を乗り越え、統制神ヤルダバオトを下し、数多の理不尽を飲み込んで警察へ出頭し、無事に釈放されて、20XX年の2月に生きている』というのは初めてのことだ。“彼”は『“自分”がいなくなった後の世界』を体験していると言ってもいい。

 12月の時点で、“彼”は己の不始末が招いた事態を目の当たりにしている。『廃人化』事件の実行犯が行方不明となった際、誰がその証言をするのかで白羽の矢が立ったのは“ジョーカー”だった。“ジョーカー”への感情を異性間の恋愛に昇華させた“彼”にとって、その光景は許しがたかったに違いない。

 言葉にならない程の理不尽や不条理に辛酸を舐め、それを強いてくる大人や世間への反抗心が“明智吾郎”を突き動かしていた。“ジョーカー”と過ごした日々の中で吐露した己のルーツは嘘偽りのない本音だった。理不尽を振りまく側に身を置きながらも、本当は誰よりも理不尽を嫌っていた。

 

 今回は運が良いのか悪いのか、“彼”は己の不始末を片付ける機会を得た。“彼”1人でどうにかできればベストだったのだろうが、世の中はそんなに甘くない。

 僕と黎は双方納得していたが、“彼”と“ジョーカー”に関してはよく分からない。最も、終始ぶすくれていた“明智吾郎”の様子からして、一方的に押し切られたのだろう。

 

 

(……まあ、気持ちは分からなくもないけど)

 

 

 出所後、僕が“明智吾郎”と“ジョーカー”が何かを話し合っている現場に居合わせたことは一度もない。……と言うか、“明智吾郎”が一方的に“ジョーカー”を避けているように思う。

 

 おそらく『顔を会わせ辛い』のだろう。何せ、“ジョーカー”は“明智吾郎”亡き後、獅童の犯行を証言するために怪盗団リーダーとして出頭している。“ジョーカー”は世界を救った英雄(ヒーロー)なのに。

 本来なら褒め称えられるべき存在が、世間を騒がせた極悪人として少年院送りにされてしまった。もし“明智吾郎”が己の罪から逃げずに生きていたら、“ジョーカー”はそんな目に合わずに済んだのかもしれない。

 むしろ“明智吾郎”は『“自分”がそうなるべきだった』と思っている。今回こそはと贖おうともしたけれど、結局俺が黎に言い含められて痛み分けとなった。“彼”個人としては不本意極まりないのだろう。

 

 憤りを“ジョーカー”にぶつけるのは間違っていると理解しているが故に、八つ当たりは余計に自分が惨めになるが故に、これ以上“ジョーカー”に理不尽をぶつけたくない故に、“彼”は沈黙することを選んだのだ。本音でぶつかれば、余計に相手が傷つく/相手を傷つけてしまうと思っているから。

 ハッキリ言って面倒くさいことこの上ない。しかし、僕自身も残念なことに、“明智吾郎”の思考回路や感性に同調しやすいタイプである。だから嫌でも“彼”の気持ちを理解できてしまうのだ。それに引きずられかけて自殺一直線に突っ切りかけたこともあるから、同調しやすさに関しては折り紙付きである。

 

 けれども、と、僕は思うのだ。僕自身も人のことは言えないが、言いたいことがある。

 そっぽを向いたままの“明智吾郎”の背中に、僕は声をかけてみた。

 

 

(“お前”が惚れ込んだ“ジョーカー”は、そんなに心が狭い奴だったか?)

 

―― ! ――

 

 

 “明智吾郎”はびくりと肩を震わせた。

 

 

(“お前”の幸せを願って蝶を飛ばし続け、挙句の果てにはこんな世界まで創っちまったんだ。……そんな奴が、その程度のことで“お前”を見捨てる奴だと思うのか?)

 

 

 言っておくが、僕は黎のことを馬鹿にしている訳ではない。寧ろ、彼女の一途さや忍耐強さ、および慈母神度合いには毎度毎度救われてばかりだ。

 僕だって、“明智吾郎”のような思考回路に陥ったことは何度もある。その度に、黎が僕のSOS――僕自身にその気がなくとも――を察して声をかけてくれた。

 悔しいけれど、僕では到底黎に敵わない。そりゃあ、1回くらい男の甲斐性で甘やかしたり守ってあげたいとは思うけど、差が大きすぎるのだ。あまりにも。

 

 ……まあ、それで素直に甘えるタマであれば()()()()だった。

 “彼”は変な所でプライドが高く、高潔であろうとする。

 

 

―― ……嫌なんだ。こんな自分自身が ――

 

 

 “()()()()()()()()()()()()()()()()()()と、“明智吾郎”は苦しそうに呟いてため息をついた。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()とも。

 

 その点に関しては僕も同じだ。弱くて不甲斐ない僕を許して、いつでも支えてくれる人――それが有栖川黎だった。

 見捨てられてもおかしくないような行動をしたことだってあるし、結果を分かっていて行動した挙句に怯えたことだってある。

 得体の知れぬ不安に突き動かされ、自分でも頭を抱えたくなるような行動に走り、後悔したことだって1度や2度ではない。

 

 

「――『まともな人間になりたい』」

 

 

 気づいたら、その言葉は僕の口からぽろりと零れ落ちていた。僕の言葉は“明智吾郎”の心情を表すものとなったらしい。

 “彼”はハッとしたようにこちらを振り返ると、暫く躊躇った後に頷き返した。

 

 “明智吾郎”は人間の悪意を嫌という程知っている。自分の父親が、どうしようもないクズであることも知っている。真正面から悪意を受け続け、心はボロボロになった。――それでも、“明智吾郎”は生きていかなくてはならなかった。このクソみたいな世界が、己の居場所だったからだ。

 歪み切って斜に構えた表層と、人の温もりを求めてやまなかった深層。その板挟みになる中で“ジョーカー”と出会い、形はどうあれ執着し、救われた。課程でも結末でも、どこかで()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と考えた瞬間があったのだろう。

 この世界における俺は――自分で言うのもなんだが――、“彼”が抱いた理想を正しい形で顕現したような存在だ。境遇や歪んだ大人たちの悪意に晒されたところまでは一致しているけれど、俺の場合は間一髪で空本兄弟を始めとした尊敬できる大人たちと出会えた。そうして何より、誰よりも先に“ジョーカー”と絆を結べた。

 

 同一人物故に本質は同じではあるが、過程の違いによって内面にも『それなりに』差が生じている。

 “明智吾郎”では到底叶えられない手段を選べたのが、俺というわけだ。

 

 人の愛し方を知っていて、人を大切にするにはどうすればいいのか知っていて、大事な人を傷つけてしまったらどう謝ればいいのかを知っていて、人でなければ人を救えないことを知っている。嘘や打算からではなく、賭け値なしの善意を正しく振るう方法を知っている。誰かを想い、誰かのために動く方法を知っている。

 俺にとっては当たり前のことだけれど、“明智吾郎”には難題以外の何物でもない。刻みつけられた歪みのせいか、どうしても斜に構えてしまう。人の善意を信じられなくて拒絶するくせに、その実、誰よりもそれを求めてやまない。支柱の壊れた天秤は、正しく推し量って比例させることができないままだ。

 

 俺のペルソナのアルカナであるLA・JUSTICE(正義)には『バランスを取る』という意味も含まれている。正義という概念に拘るという点でも、相反する感情や人間関係でバランスを取ろうとする在り方も、怖いくらいに重なっていた。

 

 

(多分、俺には一生無理だと思う。この歪みを抱えて、戦い続けなきゃいけないって考えるくらいだからな)

 

―― 痛いところを突くな ――

 

 

 俺の見解を聞いた“明智吾郎”は、誰が見ても納得するレベルの渋い顔をした。

 “彼”の理想形である俺ですらこうなら、“彼”にとってはもっとハードルが高いだろう。

 

 

(『それでもいい』と思ったのは、初めてだろ?)

 

 

 だけれども。

 

 

(永遠や不変なんて誰よりも信じられない性分のくせに『共に過ごす時間が永遠であって欲しい』と望んだのも、それを無条件に信じることが出来なくて苦しいと思ったのも、初めてなんだろ?)

 

 

 普通でなくとも普通で在りたいと願い、足掻いていた人の背中を知っている。

 足掻いていこうとしている奴のことを知っている。

 他者からの助けを必要とし、たとえその過程で無様な姿を曝しても、100点満点じゃなくても許されることを知っている。

 

 

(誰かを想うが故に思い悩むなんてこと、初めてだから戸惑ってるんだろ? こんな自分のせいで、“ジョーカー”に更なる負担を与えるようなことは嫌なんだろ?)

 

 

 人を信じることができなかった“明智吾郎”が、自ら進んで『誰かを信じたい』と願う相手を見出した――それがどれ程の奇跡なのかを知っていた。手にした奇跡を無意味にしないために、必死になって足掻いていることも知っていた。

 “明智吾郎”を縛り付ける鎖は最早存在しない。鉄格子は開け放たれ、“彼”は自由の身となった。運命を弄んだ相手――悪神ヤルダバオトの介入もなくなったのだ。目の前には、愛する人と生きる未来が広がっている。

 

 

(だから大丈夫。きっと大丈夫。誰かを想って遠回りすることは、決して悪いことじゃないんだからさ)

 

―― だといいがな ――

 

 

 皮肉気に笑った“明智吾郎”はそっぽを向いた。彼の耳はわずかに赤く染まっている。燻っていたような空気は消え去り、普段の調子が戻ってきたように思う。

 この様子なら、“ジョーカー”との蟠りも解消できそうだ。“2人”の関係に茶々を入れる必要はないことは、“彼”の様子からして分かっている。

 

 思えば、俺は“明智吾郎”に助けられてきた。“彼”がいなければ乗り越えられなかった分岐点は幾らでもある。感謝してもしきれない。

 本人も語らないだろうから問いかけていないのだが、俺はそんな恩人である“彼”に、何かを返すことができているだろうか。

 今回の一件で貸し借りなしになるとは到底思わないものの、少しでも“彼”の幸せを願えたらいい。それが“彼”の幸せに繋がってくれれば、尚いい。

 

 そんなことを考えながら、バレンタイン一色に彩られた東京の街を歩く。人々の楽しそうな笑い声がひっきりなしに響いてきた。

 

 世間は幸せ一色。“明智吾郎”には邪魔臭くて、けれども羨んでいた景色だ。

 獅童の箱舟――機関室を超えた先の景色は、彼にどう見えているのだろう?

 

 

(願わくば、愛することと愛されること、大事にすることと大事にされることが、“明智吾郎(かれ)”にとっての『当たり前』になりますように)

 

 

 嘗て俺は、有栖川黎や空本兄弟を始めとした大切な人たちから、多くの『当たり前』を教わった。今でも時折歪んだ分が顔を出すことがあるけれど、どうにか逸脱せずにやってこれた。

 

 あの機関室を超えるまで、“明智吾郎”は俺にとっての導き役だった。“彼”を正しく認知できるようになって、“彼”が俺の心の海に還って来た後は戦友となった。そうして今、“彼”は――本人に言うと騒ぎの元なので言わないが――路頭に迷いかかっている。

 ひねくれた方面ではない意味での『普通』や『当たり前』を、“明智吾郎”は信じ切れずにいる。それが祟って、“彼”は俺以上に空回りしているのだ。ならば、今度は俺が“彼”が迷わないようにするというのが筋ってものだろう。本人に言うと騒ぎの元なので言わないが。

 

 イルミネーションにはしゃぐ趣味のない僕()()は、足を止めることなく家路につく。

 第三者からのチョコレート攻撃を考えると鬱になるが、放課後のことを考えると帳消しになってしまうあたり、俺も単純らしい。

 厄介なチョコレートの山を処分する方法については“彼”の方が熟知していそうなので、ご教授願うことにしようか。

 

 

◇◇◇

 

 

「はー。……疲れたなー……」

 

 

 もうすぐ夕暮れ一歩手前の時間帯。チョコレートの返却に関する雑事は、思った以上に時間がかかってしまったようだ。

 

 僕が『女子および女性ファンから貰ったチョコレートをすべて返却した。しかも、チョコレートの返却には警察も関わっているらしい』という話題はあっという間に広がった。

 その結果、僕の好感度は一気に下がったらしい。性別と年代問わず、恨めし気な視線が集中砲火してくる。これから卒業までは遠巻きにされそうだが、不利益は少なかった。

 卒業式は3月の初旬。あと2~3週間過ぎてしまえば、煩い連中とは軒並み縁が切れることになるだろう。あまり褒められたことではないが、耐え忍ぶことは慣れている。

 

 

(今すぐ黎の顔が見たい。黎に会いたい。黎からチョコ貰いたい。黎と一緒に過ごしたい。黎、黎、黎、黎……)

 

―― いっそ清々しいなお前 ――

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と“明智吾郎”が苦笑した。相変らず、“彼”は出頭する際のことが引っかかっているようだ。

 黎がいるであろうルブランへ迷うことなく向かおうとする僕を引き留めるようにして、“奴”はちょっかいを出してくる。

 

 

―― お前、このまま直でルブランへ行くつもりなのか? ――

 

(そうだけど?)

 

―― 手ぶらで? ――

 

 

 どこか不服そうな顔をした“明智吾郎”は、僕の至らなさを責めるが如く眉間に皺を寄せた。昨日、きちんと覚悟を決めたはずの“彼”だが、直前になって挫けそうになっているのだろう。僕がルブランへ到着してしまえば、“彼”は嫌でも“ジョーカー”と対峙することになる。その瞬間を先延ばしにしようとしているのだ。

 僕や黎、および“ジョーカー”から見れば――言葉は悪いのだが――、“彼”は1人で勝手に怒って勝手に拗ねているだけにしか見えない。けれど同時に、“彼”はその葛藤を『拗ねている』という言葉で片付けられたくないし、“ジョーカー”だってその言葉で表現したくないと思っているはずだ。

 葛藤も回り道も、すべてを無駄にしたくない――“明智吾郎”にとって、現在進行形で行われている『往生際の悪さ』もその一環なのだろう。僕も明智吾郎なので、“彼”の気持ちは痛い程よく分かる。しかし悲しいがな。そのために張っている意地が“ジョーカー”/黎に余計な負担をかけていることも事実だった。閑話休題。

 

 嫌なことを先送りにしようとしている“明智吾郎”だが、“彼”の提案にはもう1つの意味が込められていた。

 

 どこぞの国では、バレンタインデーに男性が女性へバラの花束を贈るという風習がある。所謂『フラワーバレンタイン』だ。

 折角のバレンタインデーだ。僕の方からも黎に何かを贈りたいと思うことは間違っていないはず。

 

 

(バラの花束だと、世話や処分が大変だよな。押し花も難しいって聞くし……そうなると、プリザーブドフラワーやボトルフラワーが妥当かな)

 

―― ……そうか。いいんじゃないか ――

 

(四軒茶屋に向かう前に、どこかで買っていこう)

 

 

 僕は敢えて“明智吾郎”の提案に乗った。追及や揶揄されないと思った“彼”は、あからさまに安堵の表情を浮かべる。完璧主義を張り倒すが、意外と分かりやすいタイプだ。

 

 昔の話だが、何かのお祝いで花束を彼女に贈ったことがある。僕からの花束を受け取った黎は『枯れて捨ててしまうのは嫌だ』と言って全部押し花にしていた。『吾郎からの贈り物はなるべく捨てずに大事にしたい』と言う彼女に、どうしようもなく泣きたくなったことを覚えている。

 捨てられたことの痛みをよく知る僕は、捨てることも捨てられることも嫌だった。存在し続ける限り、いつか何かを捨てなければならなくなる。嘗て獅童が僕、および僕を孕んだ母を『要らない』ものとして捨てたように、いずれ僕も『黎を捨てよう』と思う瞬間が来るのかもしれない。もしくは、その逆。

 “明智吾郎”ならば、その不安に苛まれた時点で人間関係に見切りをつけたであろう。僕も“彼”程徹底しているわけではないが、人間関係に見切りをつけるのには慣れている。後は少々の意地汚さだろうか。それを教えてくれたのは、僕の保護者である至さんと生き汚いペルソナ使いである足立だった。

 

 丁度そのタイミングを計っていたと言わんばかりに、僕のスマホがチカチカと光った。SNSに連絡を入れてきたのは航さんである。『今日は泊まって来る』という文面からして、英理子さんか麻希さんの誘いを受けて一緒に過ごすのだろうか?

 至さんがいなくなった後、航さんは麻希さんのカウンセリングを受けたり、英理子さんに誘われるような形で外へ出て気分転換をしていた。女性陣2名は下心満載だろうが、航さんは2人の言葉を真に受け、健全な友人関係を不動のものとしている。

 

 

(……まあ、どちらを選ぶかは本人が決めることだしなぁ)

 

 

 一応、僕は至さんの立場を引き継ぐような形で中立派に所属している。そのため、麻希さんおよび英理子さん一方に肩入れするような真似はしない。

 『どちらの味方でもない』という立場を明確にするため、至さんや僕はこの3すくみに関してはノータッチを貫いていた。2人はそれが気に喰わなかったようだ。

 僕は航さんが誰を選んだとしても、選んだ相手を受け入れるつもりでいる。今はもうここにいない至さんも同じ考えを持って、2人を静観していた。

 

 3すくみの決着がつくまで、もう少し時間がかかりそうだ。僕がひっそり苦笑したタイミングを狙っていたかのように、またSNSに連絡が入った。連絡主は有栖川黎。

 

 

黎:今、チョコレートケーキを配り終えた。これからルブランに帰るところ。吾郎は?

 

吾郎:今年貰ったチョコレート関係のものを贈り主に返却してきた。全部終わって、今ようやく解放されたところだよ。

 

黎:まさか、今年貰った分を全部返してきたの?

 

吾郎:うん。いつも大きい紙袋で数袋分貰うから、返却するのは大変だった。正直な話、黎からのチョコレートが貰えればそれだけで充分なんだ。

 

黎:嬉しいことを言ってくれるね。その期待に応えられるような品物か……。正直自信がないな。

 

吾郎:そんなことはないよ。毎年貰ってるけど、凄く美味しい。今年も楽しみにしてるから。

 

黎:ありがとう。それじゃあ、ルブランで会おうね。待ってるから。

 

吾郎:分かった。今から向かうよ。

 

 

 黎とのSNSを終えた僕は、今までの疲れが吹き飛んでいた。対数秒前まで鉛のように重かった両足が、今この瞬間には軽やかに動く。

 

 四軒茶屋に行く前に繁華街に降り立った僕は、百貨店でプリザーブドフラワーを購入した。花は大きめのワイングラスを模したようなケースに入っている。

 色は赤一色で、カスミソウやバラの葉が、バラの花を引き立てていた。グラスの持ち手部分には、猫と鳥のガラス細工が添えられている。

 大きさも棚やテーブルを占領する程のものではないから、黎の邪魔になることはないだろう。喜んで受け取ってくれたらいいなと思いながら、四軒茶屋へ向かった。

 

 電車に揺れる時間がもどかしくもあり、同時にそれは僕にとっての楽しみでもある。公共機関内ということで抑えてはいるものの、いかにも『生きてて楽しいです』と言わんばかりの顔をしている自覚はあった。そんな僕の顔を見た“明智吾郎”は小さく鼻を鳴らし、何かを待ちぼうけるようにして窓の外を眺めていた。

 茜色に燃えていた黄昏の空は、次第に藍色へと滲んでいく。冬は日が暮れるのが早い。2月半ばと言えど、油断すればあっという間に夜闇に覆われてしまう。地上を覆いつくす人工的な光に照らされたとして、夜の街は未成年が出歩くには物騒な場所であることには変わらなかった。一歩間違えれば、闇に飲まれて二度と帰ってこれなくなる。

 

 眩い光の中で、多くの人に知られることなく、闇は大きな口を開けて人を飲み込まんと待ち構えていた。光の眩さと闇の深さは比例する。曖昧な境界線の上を、人間たちは絶妙なバランスで歩いて行くのだ。

 何も知らずに転げ落ちていくこともあるのだろう。相手にはその気がなくても突き落とされることがあれば、そうとは知らずに転げ落ちる寸前になって誰かに手を取られることもある。

 

 世間は考える以上に厳しいが、思ったよりは優しい。案内はないが、標はある。迷い歩くことになることは確実だが、ちゃんと辿り着くことができると知っている。僕の考えた通り、程なくして、純喫茶ルブランの灯りが見えてきた。

 

 

「……よし」

 

 

 すうはあと深呼吸。僕の行動に呼応するように、“明智吾郎”も身構える。“彼”が覚悟を決めた姿を確認した僕は、ルブランの扉に手をかけた。

 店内の様子を確認する。今日は閑古鳥が鳴いていた。黎は佐倉さんと談笑しながら皿洗いの真っ最中である。2人とも楽しそうだ。

 

 

「こんばんわ」

 

「吾郎」

 

「お。やっと待ち人の登場か」

 

 

 僕が店内に入った途端、黎は顔を上げてぱっと明るい笑みを浮かべた。佐倉さんは茶化すように笑った後、手早く後片付けを終える。

 

 

「それじゃあ、店は閉めとくからな。後は2人でゆっくり過ごせ。……但し、節度はきちんと守れよ?」

 

 

 正直、最早節度も何もないので、僕らは黙って佐倉さんの背中を見送った。幸運だったのは、僕らの沈黙から沈黙の意味を佐倉さんが“正しく”看破できなかったことだろう。娘のように見守ってきた少女が巣立ってゆく姿を見て、彼は義理の娘に待ち受ける未来を思い描いていたらしい。佐倉さんの背中は酷く哀愁が漂っているように感じた。

 佐倉さんが扉を開けたのとほぼ同時に、モルガナが弾丸の如く飛び出していく。ほんの一瞬見えた黒猫の目は虚ろで、酷く疲れ切っていた。彼は野良猫ライフを送るのか、双葉にもみくちゃにされるのか、春にVIP待遇で迎えてもらうのか。その予定を知る術はなく、僕たちは想像する以外に手はなかった。

 

 出所してからもう2週間になる。顔を会わせる日もあれば、スマホでのやりとりのみで留まる日もあった。でも、出頭したときに失われてしまったと思った日常生活は、少しづつではあるが戻ってきたように思う。

 怪盗団と探偵という二足の草鞋を履いて駆け抜けた日々と比べれば、現在は完全に落ち着いている。怪盗団は解散し、探偵王子の弟子はすっぱりメディアから足を洗った。僕はどこにでもいる普通の学生となったのだ。

 もう、放課後に集まって怪盗家業の為の話し合いをすることもない。テレビの打ち合わせで呼びだされることもなくなった。特に後者の変化のおかげで、僕は黎や他のみんなと一緒に遊ぶ時間を確保することが容易になった。

 

 最近はみんなと一緒に卒業旅行や怪盗団解散旅行等の予定を立てている最中である。閑話休題。

 

 

「コーヒーでいい?」

 

「うん。それを飲んでから、ゆっくり話をしようか」

 

「わかった」

 

 

 僕の注文を受けた黎は微笑み、慣れた様子で豆を選ぶ。コーヒーを挽く手つきも、サイフォンの扱いも手慣れたものだ。4月半ばで黎が東京にやって来たとき、1年後の彼女が自力でコーヒーを挽いて淹れるようになるとは思わなかった。今となっては、「コーヒーの香りといえば有栖川黎」と連想できるようになっている。

 それは“明智吾郎”も同じらしい。“彼”はどことなくソワソワし始めた。落ち着きのなくなった“彼”にひっそりエールを送り、その背中を押す。“明智吾郎”は間抜けな悲鳴を上げて、無様に倒れこんだ。丁度その先には、当たり前のように“ジョーカー”がいる。ひと昔に流行ったハレンチ漫画のテンプレみたいな光景が広がった。

 “明智吾郎”は享年18歳。性格を分析するに、思春期真っただ中と言っても間違いではない。そんな18歳が、惚れた女の胸に顔を押し付ける――それ以上は何も言わないのが親切というものだろう。阿鼻叫喚の“彼”に対し、僕は敢えて耳を塞いで黎に向き直った。丁度そのタイミングで、黎もコーヒーを淹れ終えたらしい。湯気が漂うカップを差し出された。

 

 

「――うん、おいしい」

 

「えへへ、ありがとう」

 

 

 黎の淹れてくれたコーヒーは、いつ飲んでも美味しい。僕の賛辞を聞いた途端、黎はふわりと微笑み返した。

 照れたように微笑む黎は、そのまま僕と向かい合う。暫し談笑した後、黎は表情を引き締めて箱を差し出す。

 

 

「これ。勿論、本命チョコだから」

 

「知ってる。ありがとう」

 

 

 シックなモノトーンカラーで装飾された箱を開ければ、黎の作った本命チョコ――僕へのバレンタインチョコレートがお目見えした。コーヒー豆にチョコレートをコーティングしたバレンタインチョコは、ルブランでコーヒーの修業をした黎らしいチョイスである。

 

 東京に来て、ルブランでコーヒーのことを学ばなければ、この選択をすることはなかっただろう――なんて、そんなことを考えた。“明智吾郎”の場合はどうだったのかと訊ねてみたい衝動に駆られたものの、12月を生き残れた経験が皆無では話にならない。チョコを貰ったとしても不特定多数からだし、すべて燃えるゴミとして捨てられていただろうから。

 黎は無言のまま、僕の動きを見守っている。僕も僅かな緊張を弄びながら、コーヒー豆のチョコを口に運んだ。コーヒー豆の苦みや酸味、チョコレートの甘みが絶妙に合わさっている。キャラメリゼで香ばしさも付加したらしく、味により一層の深みがあった。感嘆の息を漏らした僕の様子を確認し、黎は安堵の表情を浮かべた。

 

 

「そっか、よかった。頑張って作った甲斐があったよ」

 

 

 彼女の笑顔を見た途端、僕の語彙力が壊滅した。可愛い以外の語彙が出てこなくなったのだ。マリンカリンやテンタラフーを使われたわけではないのに。

 嬉しくて、幸せで、僕はバレンタインチョコをペロリと平らげてしまった。「ごちそうさまでした」と手を合わせれば、「お粗末様でした」と黎が微笑む。

 そのとき僕は、どうしてか唐突に、黎が『義理チョコはまとめてチョコレートケーキにしてお世話になった人たちに配った』と言っていたことを思い出した。

 

 ルブランに移動する途中で、僕のSNSにはいくつかの連絡が届いていた。怪盗団の男性陣と三島が『黎から義理チョコ(チョコレートケーキ)を貰った。美味しかった』(要約)というメッセージが入っていたように思う。黎のことだから、恐らく他の『お世話になった人たち』――佐倉さんを始めとした協力者にも配ったに違いない。

 本命チョコを貰ったのは僕だけなのに、義理チョコを貰った彼等に対して『羨ましい』と思ってしまうのは何故だろうか。他人が黎から料理を振る舞われることに対してモヤモヤするとか、嫉妬にしては醜すぎる。自分の心が想定以上に狭かったことに驚いた僕だが、そんな姿は見せられない。ひっそり咳払いし、内心かぶりを振った。

 

 こういうときに突っ込みを入れてくれるであろう相手の存在を探せば、“明智吾郎”が頭から湯気を出して蹲っているのが見えた。“ジョーカー”は静かに微笑み、“彼”に寄り添っている。……成程、どのみち僕は無様を極めてしまったようだった。ちょっと悲しい。

 

 

「……吾郎、今年は貰ったチョコを全部返却してきたんだよね?」

 

「ああ、うん。大変なことになるとは覚悟してたけど、予想以上の重労働だった」

 

「ふーん……」

 

 

 僕の返事を聞いた黎は、安心したように息を吐いた。自分で訊ねた癖に、自分の質問に対して後ろめたさを感じたらしい。申し訳なさそうに目を逸らした。

 よく見れば、彼女の耳は真っ赤である。相手が好きなのも、相手が渡した/受け取ったものに対して嫉妬を覚えるのも、僕たちは共通しているらしい。

 

 

「ああそうだ。僕の方からも、黎にプレゼントがあるんだ」

 

 

 居たたまれなさそうに目を伏せた黎をそのままにしておくわけにはいかず、僕は咄嗟に箱を手渡す。ここに来る前に購入した彼女へのプレゼント――プリザーブドフラワーの小物。

 中身を知らない黎は一瞬驚いたように目を見張り、おずおずと装飾を解いていく。程なくして、掌サイズのバラの花束がワイングラスを模したケースに入った置物が姿を現した。

 「海外では、男性が女性にバラの花を贈るって聞いたから」と補足すれば、黎は贈り物に込められた意味を理解したようだ。頬を淡く染めて「ありがとう」と微笑む。

 

 僕のプレゼントは喜んでもらえたようで、黎は目を輝かせながらプリザーブドフラワーを見つめていた。ありとあらゆる角度から置物を眺める姿は、指輪を手渡したときのことを思い起こさせる。

 

 揃いの指輪は未だ健在。普段は不揃いの指輪と一緒にチェーンを通して首に付けているが、普段着を着て過ごすときに薬指に付けるようにしている。

 高校を卒業して自由な服装が許される環境に置かれれば、僕たちは堂々と薬指に指輪を付けるつもりだ。周囲が何を言おうとも、その考えは揺らがない。

 

 

「ねえ吾郎。隣、座っていいかな?」

 

「構わないよ」

 

 

 「むしろ座ってくれたら嬉しいんだけど」と付け加えれば、黎は照れたようにはにかんで頷き返した。そのまま席を立ち、僕の隣に腰かける。

 

 当たり前のように手を重ね、当たり前のように互いの重みを預け合う。昔は手を繋いだだけでも一杯一杯だというのに――それだけでも充分満たされてはいるのに――、今はもっと欲しいとさえ思ってしまう。

 僕と黎が初めて一線を越えたのは11月――獅童およびヤルダバオトが仕掛けた罠を乗り越えようとしていた頃だった。それ以前は触れ合うことに対しておっかなびっくり気味だったのに、今では簡単に触れ合えるようになった。

 幸せなのは変わらない。けど、一度その味を知ってしまうと、分かっていて手を伸ばさずにいる理由を失ってしまう。壊したくないという願いすら忘れ、概算度外視してでも求めてしまうのだ。難しいことに。

 

 

「…………」

 

「…………」

 

 

 ――実際、今この瞬間でも、燻る熱を持て余している訳で。

 

 このままコトに及んでしまえたら幸せだろうなと思案している己がいることに気づいている。

 相手も自分と同じ気持ちで、同じ熱を持て余していることにも気づいている。

 

 僅かに零した呼吸にすら、持て余し続けた熱の余韻が滲んでいる――それが余計に、興奮してしまう。

 

 

「……2階、行こうか?」

 

 

 おずおずとした調子で尋ねてきた黎の言葉に、僕は間髪入れず頷き返した。

 

 

◇◇◇

 

 

『――――! ――――!!』

 

『――――』

 

『――――! ――――! ――――!!』

 

 

 水底から、誰かと誰かが何かを話し合う声が聞こえてきた。と言っても、『男の方が一方的にがなり立てている』のが正しい表現だろう。

 黒い甲冑のような仮面をつけた青年は、目を真っ赤にはらしながら怒りをぶつける。対して、ドミノマスクを付けた少女は穏やかな表情を保ったままだ。

 機雷が連鎖爆発するような調子で怒鳴っていた青年の声は、段々と尻すぼみになっていく。程なくして、青年の勢いは完全に失われた。

 

 怒りをぶちまけていたはずの形相は、後悔と恐怖に塗れている。何かを言わんと唇を戦慄かせるも、青年の口からは頼りない吐息が漏れるだけだ。終いには目も合わせられなくなったのだろう。小さくかぶりを振って視線を逸らす。

 

 

『お前が救ったのは、救おうとしたのは、こんな“しょうもないクズ野郎”だ』

 

 

 『俺のような人間は、他者に救われる価値などなかった』と青年は言う。

 『そもそも俺は、誰かに救ってほしいと頼んだ覚えはない』と青年は言う。

 

 歪んだ弧を描く口元。恨みの側面を司る青年が嘲笑っているのは、己を助けた少女だ。でもそれ以上に嘲笑っているのは、少女に対してまともな返答をしてやれない己自身。

 口では少女を容赦なく罵倒しているくせに、内心では拒絶されることに怯えている。拒絶されても仕方がないと分かっているくせに、彼女を詰るのを止められない。

 少女がこのまま自分を見限ってしまえばいい/見限ってくれればいいのにと思いながらも、いざそうなったら自分が生きていけないことを知っている。

 

 ――だから思うのだ。どうして自分は生きているのだろうかと。生きていてよかったのかと。

 

 11月下旬、あるいは12月半ばの機関室。そこから先へはいけないと知りながらも、いきたいと願って足掻いたのは何のためか。

 少なくとも、こんなことをするためではなかった。今までと同じことを繰り返すつもりはなかった。

 

 ――そうやって自己嫌悪するなら、最初から大人しく、あの場所で朽ちていればよかったのだ。

 

 

『幻滅しただろう? いい加減、こんな奴なんて見捨てちまえ。……そうしたら、俺も全部諦めるから』

 

 

 言葉は鋭く刺々しいのに、そう発した青年の表情は今にも泣き出してしまいそうだった。

 

 諦めて見切りをつけて生きてきた青年が、初めて諦めたくないと思った相手――それが、目の前にいる少女だった。ろくでもない形で執着し、その結果、彼女の一番に選ばれた青年だが、それが如何程の奇跡なのかを自覚していた。同時に、『永遠なんて存在しない』ことは青年の人生上、骨身に染みている。

 いつか、その奇跡が終焉を迎える日が来るのだろう。自分が彼女に見限られるか、自分が彼女を捨てるのか。それが怖いなら、傷つく前に手放せばいい。諦めて見切りをつけるなんて行為、人生で何度も繰り返してきた。――でも、でも、だって。普段なら簡単に踏ん切りをつけられるのに、それができない。

 

 少女は黙って青年を見つめている。灰銀の双瞼は逸らされることなく、じっとこちらを映し出していた。

 彼女はどうするのだろう。詰るのか、幻滅するのか。何であっても、ロクな結末にならないだろう。

 少女が青年を切り捨てるなら、それでもいい。上手く笑って、何事もなく振る舞えばいいのだから。

 

 

『――残念』

 

 

 少女は笑う。鮮やかに、艶やかに。

 青年は思わず息を飲んだ。

 

 

『私はそんな、どうしようもない貴方だから好きなのに』

 

 

 虚をつくような返答だった。あまりにもあんまりな言葉に、青年の脳内が完全にフリーズする。

 

 一歩遅れてすべてを理解した青年は噴き出した。嘲るような声色で笑っているが、その表情は年相応だった。

 あまりの嬉しさで、泣きたいのか笑いたいのか判別つかない。ごちゃごちゃになっている。

 

 

『――ばーか』

 

 

 口を突いて出たのは悪態だが、その声色はどこまでも優しい。深い感謝と愛情に満ち溢れたものだ。そんな彼の気持ちを汲んだのか、少女は微笑んで青年へと手を伸ばす。青年はそのまま少女をぎゅうぎゅうに抱きしめる。青年の背中に少女は躊躇うことなく手を回した。

 青年も歪んでいるが、彼を許容する少女も正常とは言い難い。けれど、彼等がここに辿り着くまで長い時間がかかった――彼らの邪魔をしてきた存在がいたことも事実だ。『神』に打ち勝とうと足掻いた怪盗と、流されるままだった自分自身と向き合い未来を得るため戦った青年。長い旅路に辿り着いた、安息と結末。

 もう二度と、『神』の気まぐれや悪意によって、この光景が害されることはないのだ。時々こうやって迷走することもあるだろう。こうやって傷つけあうこともあるのだろう。だが、それでも2人は離れない。理不尽によって引き裂かれて千切られた分だけ、結びつきも強固になった。

 

 ――不意に、世界に靄がかかる。

 

 身近にあった繋がりが途切れるような感覚。刹那、共鳴していた思考回路が遮断される。次の瞬間、自分は青年の意識および感情から切り離されていた。

 「あ」と声を漏らすよりも先に、無理矢理背中を引っ張られた。幸せそうな笑みを浮かべて触れ合う2人の姿がどんどん遠くなっていく。

 

 

 

 

 

 

「――ッ!?」

 

 

 一気に意識が覚醒する。真正面には、僕を見つめる愛おしい人。

 

 

「ああ、ごめん。起こした?」

 

「いや、自分で起きた」

 

「そっか」

 

 

 黎はふわりと微笑む。開き直ったように目元を緩ませ、彼女は僕の頬や髪に触れて弄び始めた。若干のくすぐったさを感じて、僕は思わず苦笑する。

 彼女の様子から、僕より先に意識を取り戻していたことは明白だ。妙に機嫌が良さそうな様子からして、僕の寝顔でも観察していたのだろう。

 

 

「俺の寝顔なんか見たって、面白くも何ともないのに」

 

「いいや、飽きずに何時間だって見ていられるよ。吾郎だって私の寝顔を飽きずにずっと見ているんだから、御相子ってことで」

 

 

 そう言って俺の頬に触れる黎を見ていると、なんだか甘酸っぱい気持ちになる。彼女の言っていることは何も間違いではないから、僕は何も言わず身を任せていた。

 ルブランの屋根裏部屋はまだ薄暗い。窓の遠くにぽつんと灯った光だけが、今がまだ深夜の時間帯であることを告げていた。時計を見れば、現在時刻は午前4時を指している。

 始発までまだ早いが、このまま寝てしまえば寝過ごしてしまいそうだ。2月15日は平日であり、学校だって登校日である。僕の場合、出席日数的な意味で欠席は許されない。

 

 暫し僕の頬に触ったり髪の毛を弄んでいた黎だが、目覚めた時間が時間だったことや、数刻前の情事の疲れが響いてきたらしい。うとうとと微睡み始める。

 

 

「……ん……ちょっと、眠い……」

 

「無理しなくていいよ。本当はまだ寝てていい時間なんだから」

 

「でも、吾郎の見送り……」

 

「ありがとう。気持ちは嬉しいけど、俺は大丈夫。ゆっくり休んで」

 

 

 僕は黎をあやすようにして、頭や背中を優しく撫でる。規則正しい呼吸が聞こえてきた頃、黎は再び眠っていた。できることなら、少し幼い無防備な寝顔を見守っていたい。それが叶わないことは重々承知しているから、俺はひっそりと苦笑した。

 暫し黎の寝顔を堪能した後、僕は布団から起き上がった。手早く身支度を済ませた後、黎への置手紙を書く。『散々無理させた挙句、こんな書置きを残していなくなってごめん。始発電車で帰るから、ルブランを出ます。最高のバレンタインをありがとう』――我ながら酷い文章だ。

 

 あと数時間して黎が起きる頃になったら、改めてバレンタインのお礼を言わなければなるまい。脳裏に浮かぶ獅童の背中を追い払いながら、僕は立ち上がった。

 母を弄んだ男は、こういうとき、どんな態度をしたのだろう。僕は奴と同じ轍を踏んでいないだろうか。考えても仕方がないとは分かっているが、少しだけ気になる。

 少なくとも、『避妊具なしで好き放題に相手を抱いて、抱き潰したまま放置して去っていく』ような真似はしない。これからも、そんなことはしないと決めていた。

 

 

「ありがとう、黎」

 

 

 すうすうと安らかな寝息を立てる少女の瞼にキスを落とし、僕は立ち上がる。名残惜しいのは山々だが、そろそろルブランを出ないと始発電車に間に合わなくなる可能性があった。

 

 後ろ髪をひかれるような思いとはこういうことを指すのだろう。僕はひっそり苦笑し、2階の階段を降りてルブランから立ち去った。僕が外に出たのと、外泊から帰ってきたモルガナが「げ」と表情をしかめたのはほぼ同時である。彼は僕と入れ違いにルブランに入ったが、階段の近くにひっそりと隠れていた。

 11月のときはそのまま2階に直行して『ニ゛ャ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!!』と大絶叫していたことを思い返すと、モルガナも色々と学習したらしい。情事後の黎は色気が凄かったから――なんて考えかけた自分を叱咤し、僕はルブランに背を向けて家路についた。

 

 




リアルが忙しくてなかなか更新できずにいました。今回は“明智吾郎”が蝶を飛ばすに至った『はじまり』と、魔改造明智と黎のバレンタインイベント。甘々を目指してから回った感が否めません。互いに対して一途なCPが好きです。
P5本編における効果に当てはめると、『黎の本命チョコ』は魔改造明智しか使えない専用アイテムで、戦闘中にSPを一定量回復してくれそう。対して、『魔改造明智のプリザーブドフラワー』は黎専用限定アイテムになりそうです。後者の効果は考えてないですね。
3学期編はこのお話で終了。次回はエピローグの章になります。うまく纏まれば1話、そうでない場合は2話構成になる予定。魔改造明智の旅路もついに終幕となります。ここまで見守って頂き感無量ですが、もう少しだけおつき合い頂ければ幸いです。


蛇足:今回のお話、タイトルは『(かさね)の果て、願わくば』と読みます。


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Our Beginning
「――だから、今日は、さようなら」


【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 @空本(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄で明智の保護者その1。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
 @デミウルゴス⇒獅童の息子であり明智の異母兄弟とされた獅童(しどう)智明(ともあき)を演じていた『神』の化身。姿は真メガテン4FINALの邪神:デミウルゴス参照。詳しくは中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『運命を切り開くだけの簡単なお仕事』および『ペルソナ3異聞録-.future-』、Pixivの『2周目明智吾郎の災難』および『【一発ネタ】有栖川黎の幼馴染』の設定を下地にし、別方向へ発展させた作品である。
・ジョーカーのみ先天性TS。
 ジョーカー(TS):有栖川(ありすがわ) (れい)⇒御影町にある旧家の跡取り娘。旧家制度は形骸化しているが、地元の名士として有名。身長163cm。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空本(そらもと) (わたる)⇒明智の保護者2で、南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。
・敵陣営に登場人物追加。
 @神取鷹久⇒女神異聞録ペルソナ、ペルソナ2罰に登場した敵ペルソナ使い。御影町で発生した“セベク・スキャンダル”で航たちに敗北して死亡後、珠閒瑠市で生き返り、須藤竜蔵の部下として舞耶たちと敵対するが敗北。崩壊する海底洞窟に残り、死亡した。ニャラルトホテプの『駒』として魅入られているため眼球がない。獅童パレスの崩壊に飲まれ、完全に消滅した模様。
・「2罰ボスの外見を見た人間の反応」に関するねつ造設定がある。
・普遍的無意識とP5ラスボスの間にねつ造設定がある。
・『改心』と『廃人化』に関するねつ造設定がある。
・春の婚約者に関するねつ造設定と魔改造がある。因みに、拙作の彼はいい人で、春と両想い。
・魔改造明智にオリジナルペルソナが解禁。

・他版権ネタやオリジナル要素が大量に含まれているので注意してほしい。



「『世界を変えるのが誰かの主観的な認知だとしたら、この世界は“誰”の主観で成り立っているのかしら?』」

 

 

 卒業式を終えて家路につこうとしたとき、航さんがおもむろにそう呟いた。

 普段の声色とは違い、航さんの口調は“過去に誰かが言った言葉を真似ている”ように思う。

 

 

「……いきなりどうしたの?」

 

「嘗て認知訶学を研究していた一色さんは、そんな疑問を抱いていた。『神』の脅威を知っていた俺は、『それは解き明かすべきではない』と進言したんだよ。――ほら、吾郎には前に話しただろう?」

 

 

 航さんの説明を聞いた僕は、以前聞かされた話を思い出して納得した。

 

 認知訶学を完成させようとしていた一色さんの好奇心とひらめき、および天才的な頭脳は、あわや“人間が知ってはいけない領域”を解き明かしかけた。それを忌々しく思った黒幕――統制神ヤルダバオトが、口封じのためにデミウルゴスを使って彼女の命を奪ったのだ。そして、『神』は『駒』とした獅童正義と関係者を使い、認知訶学の完全封印を企てる。

 『神』の思惑通り、自分たちの存在を脅かしかねない認知訶学はほぼ完全に葬り去られた。『神』の真理に触れようとした人間の要素――命や研究成果を無に帰すことも、奴らが仕掛けた“ゲーム”を円滑に進めるための手段だ。人間側の突破口を塞ぎ、袋小路に追い込むことで、統制神一派の望む“怠惰の牢獄”を作り出す。……思い出しても腹立たしい。

 悪神ヤルダバオトを打ち倒し、怠惰の牢獄から人類が解き放たれ、もう2か月となる。悪神が消滅ても尚、世界は相変らず存在し続けていた。『人間の認知だけで世界を動かすことに限界がある』と解き明かした一色さんは、だからこそ禁忌に触れる疑問に行きついた。――そう考えると、この世界には重大な問題が横たわっている。

 

 『今、ここに存在する世界の認知は、“誰の主観”で成り立った認知なのだろうか?』――当然の疑問だ。だって、歪んだ認知によって怠惰の檻を作り上げようと企んだヤルダバオトは消滅したのだから。

 何度も言うが、この世界は“ヤルダバオトの主観による認知”を破壊されている。この世界を動かしていた重要なファクターが消滅したと言うのに、以後も世界は平穏無事に廻っていた。……それは、何故か。

 

 

「以前モナから聞いた話じゃあ、『世界を変えるのは、ニンゲンが持っている力だ』って言ってたけど……」

 

「大衆のパレスと銘打たれた牢獄に“悪神という明確な管理人がいた”という事実を持ってくると、『この世界にもまだ管理人が存在しているのでは?』と邪推してしまうな。心当たりがあるならば、尚更だ」

 

「心当たり……」

 

 

 航さんの言葉が意味するのは、この世界から去っていった大人の後ろ姿だ。誰よりも『神』によって齎された理不尽を嫌い、僕らの幸福を願った人。

 フィレモンの化身として生み出されるも、創造主から失敗作の烙印を押された過去を持つペルソナ使い。そうして最後に、空の元へと至った男だ。

 

 “命のこたえ”を見出した彼は、人間の括りから大幅に外れてしまった。フィレモンからも『私と同格、いやそれ以上の存在かもしれない』と目を輝かせるレベルらしい。

 

 セエレは“明智吾郎”と“ジョーカー”の未練や祈りを蝶にして飛ばし、数多もの可能性を束ねることでこの世界を創り上げた。

 その行為を一色さんの推測――『神』の主観によって世界が構成されている――に当てはめた場合、この世界の主観的な認知を司っているのは――。

 

 航さんは静かに空を見上げる。僕も、保護者につられるようにして視線を向けた。視界の真ん中には、電信柱の向こう側に広がる青い空。

 宙ぶらりんの電線には一羽の烏が留まっている。航さんと僕の視線に気づいたのか、烏は小首をかしげて僕たちの方へと向き直った。

 ……『烏の目を通して見守られている』ように思ったのは何故だろう。感じた覚えのある眼差しに、思わず口元が戦慄いた。

 

 名前を呼ぼうと口を開く。掠れた吐息だけが漏れる。

 何も聞こえないはずなのに、すべてを察したかのように、烏が鳴いた。

 

 

「あ――」

 

 

 刹那、電線から烏が飛び立つ。黒い羽を数枚散らしながら去っていった烏の背中は、一瞬で青い空の彼方へと吸い込まれていった。残されたのは、僅かに揺れ続ける数本の電線。

 つい数秒前まで烏がいたことを示す証拠であるが、いずれその振動も止まるのだろう。何事もなかったかのように――「烏なんて最初からいなかった」と言わんばかりに。

 一羽の鳥もいなくなり、烏が留まっていたことを示す証すらもなくなった。感慨深さも薄れていく。――それは、彼がいなくなっても世界が回り続けることとよく似ていた。

 

 僕と航さんは、暫くの間、烏が去った電線を見つめていた。通行人の群れが、電線を凝視する僕たちに幾何かの不信感を滲ませた眼差しを送ってくる。彼等が怪訝な表情を浮かべるのは当然のことだろう。

 

 

「……行くか」

 

「……そうだね」

 

 

 烏が去った方角に背を向けて、僕たちは歩き出した。

 雑踏の中に溶け込むようにして帰路につく。

 

 

「家に戻ったら、荷造りをしないとな。もうすぐ、お嬢や怪盗団のみんなと一緒に御影町へ行くんだから」

 

 

 航さんの言葉に僕は頷いた。

 

 3月19日、僕と黎は東京を去る。それは、釈放された1月31日の時点で決まっていたことだった。黎は4月から七姉妹学園高校に転校/復学するために地元に戻ることになっていたし、僕は大学を丸々1年休学することになっている。

 僕の場合は御影町に帰らずとも問題ないが、好奇の目に晒される黎を傍で守りたいと望んだのは僕自身の意志だ。黎や航さんからの許可も得たし、有栖川の家も諸手を挙げて同意してくれた。頼れる大人たちだって、僕たちに力を貸してくれる。

 

 慣れ親しんだ街を離れることは、これまで何度も経験してきた。嘗て母と暮らしていた生まれ故郷、御影町、珠閒瑠市、巌戸台、八十稲羽――そして、東京。

 出会いと別れを何度も繰り返してきた。どこへ行っても途切れぬ縁もあれば、永遠に途切れてしまった縁もある。喜ばしいことも、悲しむべきことも沢山あった。

 今までも、これからも――僕の旅路が終わるまで、出会いと別れは何度も繰り返されるのだろう。ペルソナ使いの戦いがこれからも続いていくのと同じように。

 

 

「でも、驚いたな。航さん、いつの間に中型免許取得してたの?」

 

「『長期療養期間だからと言って家に閉じこもっているのは不健康だ。これを機に外へ出て、研究以外のことに挑戦してみたらどうだ?』と圭に勧められてな。気分転換も兼ねて取得したんだ」

 

 

 航さんはどこか得意気に笑う。南条さんから長期療養を言い渡された理由は、至さんがいなくなった心の傷が癒えていなかったのと、僕や黎が獅童の残党たちによって害されぬよう奔走していた無理が今になって響いてきたためだ。緊張状態から解放されたのも理由である。

 結果、以前のようなぶっちぎりな不規則・不摂生な生活に体が耐えられなくなってきたようで、今までのように『研究室に缶詰め』ができなくなってしまった。これではいけないと感じた南条さんや研究部門の面々が、渋る航さんを説き伏せて、長期休暇を取らせたのである。

 

 ……ここだけの話、座学はデスクワーク、実技が実験のトライアンドエラーと置き換えれば、航さんの挑戦――中型免許取得は普段の生活と変わらない。突っ込みたいが、本人がそうと自覚していないからタチが悪かった。閑話休題。

 

 僕たち怪盗団は8人と1匹で構成されている。モルガナカーは僕ら全員が乗れるようサイズが変動するが、現実世界の車はそうはいかない。僕ら全員が乗るためには最低でも9人乗りの車が必要になる。

 現実世界で車の免許――普通1種の免許を持っているのは真だけだ。だが、9人以上乗るための車を運転するためには中型免許が必要となる。おまけに、中型免許は20歳以上でなければ取得できないのだ。

 “僕と黎を御影町まで送りながら、春休みの数日間滞在しよう”と計画していた怪盗団の面々は困り果てていた。そこへ、中型免許を取得していた航さんが加わり、運転手として名乗りを挙げたのだ。

 

 

「……しかし、関係者も随分暇なんだな」

 

 

 航さんは小さくため息をついて、ちらりと視線を向ける。僕と航さんから少し離れた道路には、先程からずっと僕たちを追跡する車があった。

 

 少年院と関係があった者には、成人するまで監視が付く場合があった。理由や経緯はどうあれど、実際、僕と黎は少年院送りにされている。苦しむ人々や世界そのものを救った怪盗団と言えど、“認知を操作する”行為は“人格破壊”や“洗脳”と同等扱いされ、危険人物とみなされてもおかしくはない。

 冴さんからも『貴方たちが成人するまで、定期的に東京に来てもらう必要がある』と言われていた。しかも、僕たちを危険物扱いする者だけでは飽き足らず、『怪盗団に面子を潰されて怒り狂っている奴らがいる』そうだ。そんな奴らを()()()()()黙らせるために必要な措置らしい。

 

 

「一度張られたレッテルはなかなか剥がれないからね。仕方がないよ。――まあ、僕にとってはどうでもいいことだけど」

 

―― だな。他人に気に入られるための『嘘』は揺るぎない『本物』になったし、自滅するための『恨み』も未来を生きることへの『祈り』となった。……迷う必要なんざ、どこにもない ――

 

 

 僕と“明智吾郎”は不敵に笑い、ちらりと車に視線を向ける。相手は僕らが車に気づいていることを察しているのだろうか? それは多分、車に乗っている本人しか知らないだろう。

 無罪放免になったとしても、往生際の悪い大人たちとの駆け引きはまだまだ続きそうだ。社会に出た後も、駆け引きを繰り返して世の中を渡って行かねばならない。

 現状は逆境以外の何物でもないけれど、不安がないわけではないけれど、きっと大丈夫だ。僕には大切な人たちがいる。信頼できる先輩と仲間たち、愛する人がいる。

 

 心なしか、僕たちの足取りは軽かった。

 今ならば、どこへでも行ける――そんな気持ちになる。

 

 

『今度、御影町に遊びに行きます! 高速バスで行くのか、電車で行くのかはまだ未定ですけど……』

 

 

 はじめてのおつかいに挑む子どもを連想させるような笑みを浮かべたラヴェンツァの笑顔が脳裏によぎった。多分、彼女は僕と黎がどこに行っても、必ず遊びに来るだろう。勿論、怪盗団の仲間たちも。例え、物理的に距離が離れていたって、この絆が途切れることはない。

 

 

(出会いも別れも宝物、か)

 

 

 僕は思わず空を見上げる。真っ青な蒼穹が、どこまでもどこまでも広がっていた。

 

 

◇◇◇

 

 

 3月19日は大忙しだった。黎と一緒に、お世話になった人たちの元を回って別れの挨拶をしてきたためである。怪盗団に協力してくれた人々は、黎へ沢山の餞別を贈ってくれた。それらを丁寧に受け取り、大切に鞄の中へしまう黎の横顔を見守りながらあいさつ回りを終える。

 黎が東京に来たときは孤立していたことを考えると、老若男女を問わぬ協力者たちに囲まれるとは予想できなかった。同時に、東京生活の終わりに沢山の餞別を貰えることになるとも予想できなかった。黎の鞄はパンパンに膨れ上がっており、最後は、入りきらなかった餞別の品を紙袋に入れて持ち歩いていた程だ。

 僕は黎をルブランまで送った後、自宅に戻って荷造りを済ませることにした。……と言っても、大部分の荷造りは既に済ませており、大きい荷物を有栖川家に送る手続きをするだけだったのですぐに終わったが。

 

 そうして迎えた本日――3月20日。

 

 空っぽになった僕の部屋を見回して、大きく息を吐く。住んでいたときはやや手狭だと思っていた自室も、粗方物が消え去れば、結構な広さがあった。

 蛇足だが、航さんは『長期療養が終わって次の派遣先が決まるまで』暫く東京に残るらしい。だから、荷造りをしたのは僕だけということになる。

 

 

「忘れ物はないな?」

 

「うん。後は手荷物だけだよ」

 

 

 僕の返事を聞いた航さんは満足げに頷き返した。僕らは連れ立って部屋を出る。航さんが予約していたレンタカー店へ向かい、10人乗りのワゴン・バンを借りた。運転席には航さんが乗り、助手席には僕が乗る形になる。助手席でシートベルトを締めながら、僕は航さんが来るのを待っていた。

 店員から鍵を受け取った航さんは運転席へ乗り込み、エンジンをふかす。ワゴン・バンはゆっくりと加速し、法定速度と交通の流れを鑑みた速度を保ちながら待ち合わせの場所へ向かった。御影町へ行く前に、渋谷を経由することになっている。そこで怪盗団の仲間たちと黎を拾う手筈となっていた。

 待ち合わせ場所まで目と鼻の先に迫ったとき、視界に怪盗団の面々が見えた。僕らに気づいた面々が表情を輝かせて合図する。運転手の航さんは小さく頷き返すと、ゆっくり減速して路肩に車を停めた。待ってましたと言わんばかりに、仲間たちが次々とワゴン・バンに乗り込んでくる。――だが、モルガナの姿がない。

 

 

「あれ? モルガナは?」

 

「モルガナには、ちょっと頼みごとをね」

 

 

 黎は苦笑した後、ちらりと視線を移した。僕らが乗り込んだワゴン・バンから少々離れた路側帯に、一台の普通乗用車が留まっている。

 

 あの車は『少年院上がりの僕と黎を監視する』という使命を帯びた警察関係者たちを乗せていた。彼等の目は、僕らに対する不信感を隠すこともしない。敵意剥き出しと言ったところか。世間を騒がせた怪盗団(おたずねもの)には妥当な判断である。

 勿論、この車に乗っている人間の誰1人として、冷たい眼差しに怯むことはない。()()()()()、僕たちにはもう、他人からどう見られようと関係なかった。誰に何を言われようと、自分の信じる道を往く。

 僕と黎は御影町で、仲間たちは東京――東京の中でも様々な場所――で、自分の正義を貫いて行くことだろう。例え物理的な距離が離れていたって、どんな場所で何をしていたって、僕たちは同じ空を見上げているのだ。寂しくはない。

 

 だから、この別れを受け入れることに迷いはなかった。名残惜しそうな雰囲気を漂わせていた仲間たちもその結論に辿り着いたようで、小さく頷き返す。

 丁度そのとき、黎から頼みごとをされていたモルガナが所用を終えて来たらしい。軽やかな足取りで、ワゴン・バンへと飛び乗った。

 

 

「お帰りモルガナ。首尾は?」

 

「おう、万全だ! ……にしても、なんでワガハイ、現実世界でも車係なんてしなきゃならねーんだ……」

 

 

 モルガナはため息をつく。不貞腐れたような表情は、僕らを尾行していた車の方を向いた途端、悪だくみするような笑みへと変わった。

 誇り高い黒猫の口元がちょっと誇らしげに見えるのは気のせいではない。――黎がモルガナに何を頼んだのか、何となく見当がつく。

 

 

―― ……あのクソ猫、本当に何なんだよ…… ――

 

 

 “明智吾郎”も、改めてモルガナの器用さを感じたのだろう。渋い表情を浮かべてため息をついた。

 

 

「しかし、本当に暇な奴らなんだな」

 

「どうでもいいじゃない。他人の目なんて関係ないんだから」

 

 

 警察官の車を見ながら、祐介が憐れみを込めて苦笑した。真は晴れやかに笑い、前方へと向き直る。

 

 

「私たちは、もう自分で決めて、どこへでも行ける」

 

「――それじゃあ、どこへ行く? 素直に真っ直ぐ御影町へ向かうつもりなんてないんだろう?」

 

 

 杏も真の意見に同意した。仲間たちの様子から何かを察したのか、航さんが仲間たちの方へ向き直った。悪戯っぽく笑うその横顔は、いなくなってしまった至さんと瓜二つである。

 僕は反射的に息を飲んだが、同じようにして悪戯っぽく笑い返す。ノリのよい航さんの反応を見た竜司は眩しい笑顔を浮かべ、「航さん、わかってる!」親指を立てた。

 そうと決まれば行動は早い。航さんは車のウィンカーを出し、青信号で流れ始めた車の波に合流した。左サイドミラーに映る警察関係者の車との距離はどんどん離れていく。

 

 あの様子だと、『発車したくてもできない』ようだ。車に乗っている人間たちが悪戦苦闘している姿を想像している間に、ワゴン・バンは軽やかに道路を進む。

 程なくして、僕らを尾行する使命を帯びた警察車両は完全に見えなくなった。国道を真っ直ぐ帰るのではなく、ウィンカーを上げて首都高速へ入る。

 

 航さんは滑らかに車を加速させ、90km台でスピードを安定させた。そのタイミングを見計らい、春が僕たちに提案してくる。

 

 

「じゃあ、1ついい? お友達が困ってて、みんなの知恵を借りたいんだけど……」

 

「何それ、面白そう」

 

「面倒事なら、俺は降りるぞ」

 

「素直じゃないなあ、オイナリは!」

 

「――降りる」

 

「こら。こんな所でドアを開けるんじゃない。下手をしたら、背後から時速90Km代の車に撥ね飛ばされて肉塊になるぞ」

 

 

 春と双葉の会話から嫌な予感を察知したのか、あるいは照れくささを感じたのか、祐介はワゴン・バンの扉に手をかけた。勿論、事故防止用のチャイルドロックが施された扉は幾ら引っ張っても開くことはない。

 割と本気で扉を開けようと試みる祐介を諭したのは、運転手の航さんだった。そこで止めておけばいいのに、航さんはすらすらと“高速道路で発生した死亡事故(かなり惨たらしいもの)”の内容を諳んじる。

 

 結果、顔を真っ青にした祐介が扉から手を離した。もれなく他の面々も顔を青くする。心なしか、僕の背中からもヒヤリとした汗が流れた。

 

 和気藹々としていた雰囲気は、何やらお通夜一歩手前まで冷え切っていた。航さんによる“高速道路で発生した死亡事故(かなり惨たらしいもの)”はまだ続いていたが、最後は黎の「違う話題ありませんか?」という質問によってようやく終わることとなった。

 凄惨な話題によって落ち込んでしまった空気を打破するかのように、仲間たちは新しい話題を提示する。“御影町に着いたら何をするか”という、即興にしては無難なチョイスだ。最初は欝々とした空気を打破するための議題だったが、いつの間にか盛り上がっていた。

 

 

「都心の方には御影サンモールっていう複合商業施設があるんだ。あそこの老舗スイーツパーラーのフルーツサンドイッチ、絶品なんだよ」

 

「知ってるわ。確か、明治初期から創業している果物店よね? あそこの専務さんとは会食で顔を会わせたことがあるの」

 

「いいね、最高! 私、そこに行きたい!」

 

 

 フルーツパーラーから甘いものを連想した杏がぱああと表情を輝かせる。そこへ真や双葉らも加わり、女性陣はきゃいきゃいとはしゃぎ始めた。

 盛り上がり始めた女性陣を尻目に、我らが男性陣の竜司と祐介が黎に声をかけてきた。

 

 

「俺は郷土資料館や御影遺跡に行ってみたいな。お前の住む街の民間伝承や古代の浪漫に興味がある。創作に活かせるかもしれない」

 

「御影町では御影遺跡の外周を走る“御影遺跡ランナー”がいるって言ってたよな? 東京で言う“皇居ランナー”みたいなヤツ。俺もそこで思いっきり走ってみたいなー!」

 

「そうだね。そういうのも楽しそうだ。……()()()()()()()()()()()()()

 

「ああ……」

―― 御影町の悪夢かよ ――

 

 

 影を増した昏い笑みを浮かべた黎の様子など気づきもせずに、竜司と祐介が盛り上がり始める。僕と“明智吾郎”もつられて目を伏せた。対して、航さんは「またテッソとテディベアが並んで出てくるのかな?」等と懐かしそうに――どこか能天気に呟いている。あの地獄を駆け抜けた修羅は健在のようだ。

 テッソという単語に反応したモルガナがぎょっとしたように目を丸くした後、思わず竜司と祐介に視線を向けた。奴らの議題は既に御影遺跡から廃工場、およびセベクビル跡地に移行しており、「折角だから探検してみよう」という方面に向かっていた。元気な奴らである。

 

 

「わあ、海だ!」

 

 

 双葉が明るい声を上げて窓の外を見る。僕たちもつられて、窓の外に目をやった。

 

 ハイウェイの近くを鴎が飛んでゆく。高く上った太陽の光に照らされ、海と空のコントラストが鮮明に分かれていた。2つの青によって彩られた景色に、思わず感嘆の息が漏れる。仲間たちも食い入るようにその景色を見つめていた。

 東京へ来る前にも、海の景色は何度も見てきた。東京で過ごした中で、海を見に行ったことは何度もあった。特に、双葉の人見知り脱却では、その総仕上げとして海へ行った。けれど、今ここで見る海の景色が『何か違う』ように感じたのは気のせいではない。

 右手に広がっていた都会特有のビル群は姿を消し、いつの間にか小高い山々へと変わっていた。懐かしい故郷の気配を感じたのは、御影町出身である黎と航さんも一緒だ。その証拠に、僕も2人も口元が緩んできている。

 

 仲間たちは暫くの間、何も言わずに景色を眺めていた。航さんは相変らず時速90Km代をキープしながら運転を続ける。

 そんなとき、竜司がどこか微睡んだような声色で呟いた。彼の双瞼は眩しそうに細められていた。

 

 

「……ひょっとして、まだ誰かの夢の中かも……とか、考えちまうな」

 

「いいさ、それでも」

 

「ワガハイたちは自由! なのだ!」

 

 

 祐介は静かに微笑む。春の膝元に座っていたモルガナも、背をしゃんと伸ばして同意した。

 彼等の言葉を引き継いで、僕も頷く。

 

 

「もしこの世界が誰かの夢の中だったとしても、この世界は“夢の主が今の僕たちが()()()()()()世界を望んだ”ってことだろう? ――そんな誰かが、悪い奴なワケないさ」

 

 

 僕の脳裏に浮かんだのは、数多の可能性を蝶にして飛ばした新たなる善神・セエレ。そうして、彼に至るまでの――空の元へと至る旅路を終えた、尊敬する保護者の背中だった。

 数多の可能性を飛ばした蝶がたどり着いた世界。誰かが抱いた後悔と祈りが造り上げたこの場所で、僕たちはこれからも生きていく。これから旅路を進んで往く。

 僕の言葉を聞いた竜司は二つ返事で頷いた。「世界は見方1つでどうにでも塗り替えられる」と力強く笑うその横顔は、今まで見てきたどの表情よりも輝いているように思う。

 

 

「それが美学って奴だろ?」

 

「……うん!」

 

 

 竜司の言葉を聞いた黎がふわりと笑う。

 

 怪盗団として認知世界を駆け抜けた彼女が得た答えであり、彼女の得た“世界のアルカナ”が造り上げた未来(あした)は、これからも続いていくのだろう。

 僕たちがこれからに想いを馳せていたときだった。「あ」と、僕の右隣から掠れた吐息が聞こえてきた。ルームミラーに映る航さんの眼が見開かれている。

 

 何事かと視線の先に目を動かせば、真っ青な空を黄金のアーチが横切っていた。目を凝らせば、アーチを構成するのは黄金の蝶。見る角度によっては、朝日を連想させるような東雲色にも見えた。空の彼方に広がるそれは、僕たちの旅立ちを祝福するかのように輝いている。

 黄金の蝶で連想するのは2つの善神。片や、人間のポジティブ面から派生した有難迷惑な善神フィレモン。片や、“ジョーカー”や“明智吾郎”の後悔や祈りを“可能性”として飛ばした新たなる善神セエレ――人間の枠を乗り越えてしまった空本至だ。

 前者は性格的にこんなことしない。そうなれば、必然的に、こんなことをしたのはセエレ/空本至ということになる。――俺は思わず歯を食いしばった。胸の奥底から込み上げてくるのは、憧れ続けた大人の背中。俺に後を託したときの晴れやかな笑顔だった。

 

 

「――はは」

 

 

 夢を見ている誰かに物申したいことは沢山あって、自分の感情を思いっきりぶちまけたくなって、それでも夢の主が望んだものを踏みにじりたくなくて。

 視界がジワリと滲むが、歯を食いしばって踏み止まる。涙を溢れさせることはどうしてもできなかった僕の口元は、不思議なことに、綺麗な弧を描いていた。

 

 

「そういうことか……。分かった、分かったよ」

 

 

 目元を乱雑に拭って空を見上げる。

 

 たとえ人間としてこの世界にいることができなくなっても。

 たとえ内側と外側という物理的な壁に隔てられてしまっても。

 たとえ上側と下側という視点の違いが存在していたとしても。

 

 僕と“あの人”は、同じ空を見ている。青空を、曇り空を、雨雲も、雪雲も、黄昏も、月夜も、満天の星空を――同じ景色を見つめている。

 その事実さえあればいいと“あの人”が笑うなら、今はそれで納得しておこう。……最も、素直にそのまま納得してやるつもりなんてないけれど。

 

 

「――()()()()()()()()()()()

 

 

 黄金の蝶によって創られたアーチの輝きを――この世界を作り上げた夢の主からの餞別を、僕は一生忘れることはない。

 

 

 

 

◆◇◇

 

◇◆◇

 

◇◇◆

 

 

 

 

「――吾郎、起きて。もうすぐ到着するよ」

 

 

 微睡む意識を引き上げるように、柔らかな声が響く。

 

 僕はのんびりと瞼をこじ開けた。目を開けて最初に見たのは、1人の女性。彼女は癖の強い黒髪を肩まで伸ばし、黒を基調にした余所行き用の冬服を着込んでいる。胸元にはひまわりをモチーフにして天秤が刻まれたバッジ――弁護士バッジが、彼女が掴んだ夢と未来を示していた。

 女性の左手薬指には、学生時代に贈った2つの指輪――不揃いの決意の証と、共に未来を生きる誓いの証が輝く。その眩しさに、僕は思わず目を細めた。ぼんやりと瞬きを繰り返して、女性の姿が高校生の少女の面影と綺麗に重なる。一歩遅れて、僕はすべてを理解した。

 

 1歳差で時折離れることはあっても、僕と彼女は同じ時間の中で生きてきたのだ。彼女が誰かなんて、僕はよく知っているではないか。

 

 

「……おはよう、黎」

 

 

 ここがプライベートな場所だったら、そのまま抱き寄せてキスの雨を降らせていたところだ。しかし残念なことに、ここは公共の場――飛行機の中である。前にも後ろにも左側にも、乗客が隙間なく座っていた。一応僕も常識人なので、必要以上にベタベタしていると面倒なことになり得る。節度は大事だ。

 ……まあ、学生時代は佐倉さんからしょっちゅう『節度を守れ』と言われていたくせに、11月以降からは好き放題やっていた身であるが。……あれから自分たちも大人になったのだ。社会で()()()()()()波風を起こさず、けれど己の正義を貫くための算段を立てるために何をすべきかを考える日々を送っていた。

 

 

「……なんだか、長い夢を見ていたような気分だ」

 

「ぐっすり眠ってたみたいね。まあ、最近忙しかったから当然か」

 

「あはは……。航さんの研究に付き合って城塞都市フォルトゥナに出向いたら人災に巻き込まれたからなあ。ひと段落ついたと思ったら、また次の案件が持ち込まれてくるし……」

 

 

 僕の話を聞いた黎は表情を曇らせた。「本当はもうちょっと休ませてあげたかったんだけど」と、申し訳なさそうに目を伏せる。

 彼女の優しさが嬉しくて、僕は微笑み首を振った。好きな人の前ではもう少し格好をつけたいと思うのは、ささやかな我儘だ。

 

 怪盗団として世直しに精を出していた頃に得た答えは、今でも僕たちの胸の中にある。利益よりも正しさを追いかけ続ける僕たちの旅路は、まだまだ続くのだ。

 それと同じように、僕たちペルソナ使いの戦いも続いていた。こうしている間にも新世代のペルソナ使いたちが覚醒し、様々な戦いに身を投じている。

 旧世代となった僕たちや航さんは新世代として戦いに巻き込まれるであろう後輩たちをサポートするため、日夜研究開発やデータ解析等を続けていた。

 

 ペルソナそのものの研究だけでなく、ペルソナ能力を駆使して対峙するような敵――悪魔やシャドウと呼ばれる存在の研究も進んでいる。僕が巻き込まれた事件の舞台である城塞都市フォルトゥナも、悪魔に関する興味深い議題が残されていた。

 蛇足だが、ここでも航さんは容赦ない発言を続けた(例.「お前の所の神様は、そんなに心が狭いのか」)ため、あわや出禁になりかかったのだが、そこで発生したトラブルとそれを解決するために力を貸した功績でチャラにされている。閑話休題。

 

 

「今回は富山の彩凪市で発生した『リバース事件』と『事件を追っていた警官が立て続けに無気力症になった』一件だよね? 単体で見る限り関係性は薄そうだけど……やっぱり、ペルソナ――“A潜在”や“特A潜在”が絡んでいるのかな」

 

「だろうね。前者はまだ分からないが、後者は明らかに“A潜在”か“特A潜在”が絡んでいる。そして、前者を追いかけた人間が後者の症状に見舞われているとなると、かなり複雑な要素になっていそうだ。……でなきゃ、特殊対策課の一職員でしかない神郷さんが、権力に物を言わせてまで派手に動く理由にならない」

 

 

 黎は顎に手を当てて小さく唸る。真田さんから貰っていた資料の内容を頭に思い浮かべながら、僕も同意した。

 

 時代の流れによって様々な事件が発生したせいか、今ではペルソナ使いの才能を有する人間のことは“A潜在”――その中でも強い力を秘めた者は“特A潜在”と呼ばれていた。使い手となる人々は年々増加傾向にあるものの、“A潜在”や“特A潜在”は表舞台からは隠されている。

 悪魔やシャドウのことも表沙汰にされていないのだ。“A潜在”や“特A潜在”の存在を公にするとなれば、確実に混乱を招く。場合によっては『“A潜在”や“特A潜在”であることが原因で、社会的、あるいは肉体的な損害を被る』ことになりかねない。

 レッテルに屈しない居場所を得た僕たち世代だけれど、それとこれとは別問題だ。実際、“A潜在”や“特A潜在”として覚醒したことが原因で、転がるように破滅の道を歩んだ人々がいる。嘗ての神取鷹久、ストレガ、足立透、そして――平行世界の“明智吾郎”と同じように。

 

 勿論、ペルソナに関連する要素のせいで人生が劇的に切り替わった人物は僕ら側にも存在している。自分だけ生き残ってしまったパオフゥさん、天田さんの母親を過失で死なせてしまった荒垣さん、善意が空回りしてあわや大量殺人者になりかけた生田目氏――前者2名は後輩のサポートに当たっている。後者はこちら側とは一切関わらなくなったが、己の道を邁進するため奮闘していた。

 理不尽との戦い方を知る者が増えてきても、発生する事件は多種多様。その度に、数多の経験則を組み合わせて突破口を切り開き、新世代のペルソナ使いたちの標になろうと頑張ってきた。勿論、助けられた命もあるけど、救えなかった命もある。最善手が最良の結果を齎すとは限らないように、最悪手が最悪の結果を齎すとも言えないように、すべてが100点満点の大団円かどうかも分からない。

 

 それでも、僕たちには足を止めるという選択肢はなかった。

 怪盗団として駆け抜けた日々が、僕たちをこの道へと進ませたのだ。

 

 

「身体の内側と外側がひっくり返ったような惨殺体も相当だけど、2009年以降に()()無気力症が発生するなんて……」

 

「あのときは“新興宗教側と化学側の馬鹿がタッグを組んだせいで、ニュクスとアシュラ女王を足して2で割ったような化け物が出来上がった”んだっけ。“無気力症の患者が増えたのはその副産物でしかなかった”と考えると、今回も似たようなケースなのかも。あまり嬉しくない情報だけど」

 

「確か、10年位前の事件だっけ。(のぼる)くん、あの頃はまだ小学5年生だったよね。虎狼丸(コロマル)の弟子だった黒鉄(クロガネ)も、後継者の雪之丞(ユキノジョウ)を鍛え上げて引退して――本当に、時間の流れは早いものだ」

 

「暢くんもクロガネも元気かな」

 

「久しぶりに顔を会わせるもんね」

 

 

 巌戸台世代を中心にして戦った出来事を思い出しながら、僕は窓に視線を向ける。曇天の切れ間から、目的地である彩凪市の街並みが姿を覗かせていた。

 見渡す限り、どこもかしこも薄く雪化粧が施されている。東京よりは田舎だが、八十稲羽程の自然はない。街の規模は『御影町以上、珠閒瑠市と同格』と言ったところか。

 

 白銀に染め上げられたこの街が、次の戦いの舞台となる――僕は漠然と、そんな予感を覚えていた。

 今までの経験則であり、至さんからペルソナ――火烏(カウ)と役目を受け継いだことで得た才能と言ってもいい。

 本家本元である至さんには遠く及ばないけれど、それでも諦めきれないのは、僕の心に焼き付くあの背中に追いつきたいと願ったためだろう。

 

 

「久しぶりと言えば、竜司が赴任した学校も彩凪市にあるんだっけ。大自然の中を駆け抜けてるらしいけど、元気かな?」

 

「祐介の展覧会も彩凪市で行われるって言ってたね。春の任されたコーヒーショップチェーンも彩凪市に進出しようとしてるらしくて、『千秋さんと視察に行く』って言ってたよ。それに、今度杏が『撮影兼ねて1日署長やることになった』って」

 

「……後から合流する手筈になってる双葉や真のことも加味すると、完全に『神』絡みの作為が入ってるよね」

 

 

 嘗て世間を騒がせた怪盗団――そのメンバーが、東京から遠く離れた富山で全員集合することになるだなんて誰が予想できたか。

 

 竜司は鷹司くんとの交流で見出した己の夢を叶えるような形で体育教師になった。嘗て己を苦しめた鴨志田を反面教師としながら、運動する楽しさを子どもたちに知ってもらおうと四苦八苦しているらしい。彼の教え子には運動の才能を開花させた者が数多くいた。

 祐介は新進気鋭の画家として、様々なコンクールで大賞を受賞している。自身が専攻している日本画だけでなく、様々な分野の要素を貪欲に吸収しているようだ。『怪盗団として駆け抜けた際に見た光景をすべて描き切るには、時間も技法も足りない』のが悩みなのだとか。

 杏はモデルとして大成し、若い女性たちから羨望の眼差しで見られる存在となった。最近は世界を股にかけていたようだが、今度は今までと少し毛色の違う方面に進出しようと考えているらしい。彩凪市で行われる撮影プラスアルファはその下準備だと聞いている。

 

 春が千秋と結婚し、千秋が奥村姓になったのは5年程前。2人が任せられたコーヒーショップが軌道に乗ったのもその頃からだ。夫婦が材料に拘った料理と、妻が作った珈琲染めの小物が人気の秘訣らしい。

 真は捜査一課で刑事をしている。普段は捜査の最前線で戦っている警察キャリアだが、ペルソナ関連の特務部署で活躍する歴戦のエースでもあった。最近の悩みは『達哉さん共々白バイ隊に引き抜かれそうになっている』ことか。

 双葉は南条コンツェルンに就職し、自分たちの有するペルソナ絡みの研究だけでなく、母親である一色さんが手がけた研究――認知訶学の完成を目指している。最近は航さんとの共同研究を行い、新しい論文を提出したそうだ。

 

 

「――()()から、もう11年経つんだね」

 

 

 黎が懐かしそうに目を細める。彼女の指す()()が、嘗て世間を賑わせた怪盗団ザ・ファントムの『世直し』であることはすぐに分かった。

 

 あの後、大学を休学して御影町に戻った僕は、御影町で高校生活を過ごす選択をした黎のサポートを行っていた。ついでに、休学期間を利用して司法資格に挑戦し、見事合格したのである。探偵王子としてメディアで出ていた際、冴さんの下で働いていた経験もプラスに働いた結果だった。

 黎は僕と同じ大学を受験して無事現役合格し、僕たちは再び上京した。嘗ての仲間たちとバカ騒ぎしつつ、それぞれの夢に向かって走る日々。僕と黎は同じ年に大学を卒業し、僕は一足先に司法修習生となり、弁護士とパラリーガルの資格も取得し、冴さんの弁護士事務所で働き始めた。

 それから遅れて、黎もすぐに司法試験を突破して司法修習生となり、そのまま冴さんの弁護士事務所に就職。僕と黎のコンビは冤罪事件を中心に担当していた。その他にも、南条さん個人と契約を結び、表向きは特別研究部門関連の客員弁護士――裏では非常勤の調査員として在籍している。

 

 因みに僕は有栖川家に婿入りし、有栖川吾郎となった。今回は同行していないが、可愛い盛りの子どもたちが2人いる。上が幼稚園の年長、下が年少に入ったばかりだ。

 冬の長期休みと堂島一家や天城さんの好意に甘える形となり、可愛い我が子らは八十稲羽で留守番をしてもらっていた。仕事が終わったらお土産を買って帰ろうと思っている。

 

 ……とまあ、要するに、僕と黎は“あの頃の夢を叶えた”のだ。僕は黎の言葉に頷き返す。

 

 

「そうだね。……今に至るまでにも、色んな事件があったね」

 

 

 そうして、あの頃の僕たちが予想した通り、ペルソナ使いたちの戦いはまだ続いている。

 神が起こした理不尽に巻き込まれた人々もいれば、人災によって被害を被るケースもあった。

 最近は後者のケースや、後者の責任が強い形の双方複合型事件が多発しているように思う。

 

 

「拉致された場所が大正25年だったりとか、マヨナカテレビ再放送やアリーナ再開幕とか、各研究機関の残党どもが雁首揃えて暴走したりとか、新興宗教がうっかり神様を目覚めさせたりとか、アイギスの姉妹機が続々と現れたりとか、見知った人たちがペルソナ使いに目覚めるとか、数えるだけでもキリがないよ」

 

「菜々子ちゃんがペルソナ覚醒させたときは何事かと思ったよ」

 

「信也くんとか薫くんとかもね」

 

「一番大変だったのは、“御影遺跡を彷徨ってたら僕たちだけ違う迷宮に飛ばされて、平行世界の僕たちと鉢合わせした”ときかな」

 

「ああ、帰省した直後の春休みの……。竜司と祐介のせいで悪魔が跋扈する御影遺跡の最奥に閉じ込められたっけ。航さんまで巻き込んで……懐かしいなあ」

 

「……彼らはちゃんと元の世界に戻って、ヤルダバオトを殴ったんだろうか」

 

「できるよ。だってあの子たちも怪盗団だもの」

 

「違いない」

 

 

 他の乗客に悟られぬよう、声の調子を抑える。けれど少し浮ついた調子の声色になってしまったのは、激動の11年間を走り抜けたことを噛みしめているせいだ。致し方ない。

 僕は今年で29歳。現在の僕の年齢は、11年前に立ち去った保護者――空本至さんと同じである。その背中に追いついて追い越せる等と自惚れていないが、少しは近づけただろうか?

 

 瞼を閉じる。心の海の中に潜って、その姿を探す。水面にぼんやりと浮かんだ至さんの背中は歪んでいて、僕では到底追いつけないのだと実感させられた。

 

 

(……難しい、な)

 

 

 苦笑する。目を開けば、僕の意識は飛行機の中に戻ってきた。僕の隣には黎がいて、黎は静かな微笑を湛えてこちらを見つめている。何度も繰り返されてきた日常であり、時には失う恐怖と背中合わせだった光景だ。大事な人を巻き込まず、何事も1人で解決する力が合ったらよかったのにと頭を抱えたことだって数知れない。

 しかし残念ながら、僕が師と慕った男はあまりにも無力な男だった。彼の得意なことは、“これから戦う少年少女に、嘗て戦った少年少女だった大人たちとの強固なコネクションを結ぶ”という他人頼みのもの。『(モノ)がないなら、(モノ)がある(トコロ)から借りればいい』――発想は至ってシンプルだ。

 1人で何かを成し得ようとするには、人間は余りにも脆弱すぎる。出来ないこともないだろうが、降り注ぐであろう苦難も段違いだ。けれど、力を借りれば、手を取り合えば、できることは増えていくのだ。残念ながら僕も、脆弱な人間の1人に過ぎない。平行世界の“明智吾郎”よりも、できることは少なかった。

 

 あちらの“明智吾郎”が羨ましいと思ったのは事実である。だって彼は、1人で何でもこなせてしまうから。1人で生きていくために必要不可欠な術を知っているから。

 誰かを信じてみたいけれど誰も信じることができないから、自分以外に頼れる相手がどこにもいなかったから、それがなければ生きていけないから、必死になって得たものだ。

 

 誰かに助けてもらうことが当たり前で、無様な姿を曝してでも生きることが当たり前で、“無いなら持ってくればいいじゃない”を地で行く僕には、一生得られないものばかり。――けれど、そんな僕に至るまでに手にした奇跡すべてを手放したいとは思えないくらい、僕は僕の手にしたすべてを愛している。

 

 これが、僕の世界。僕たちが生きる世界。悪神ヤルダバオトから取り戻した世界だ。

 僕らが紡いでゆく世界を、善神セエレ/嘗て空本至だった者は見守り続けるのだろう。

 

 

「――ッ!!?」

 

 

 感傷に沈む僕の意識を引きもどしたのは、僕の前の席に座る少年だった。

 

 彼は弾かれたように席を立つと、きょろきょろと周囲を見回した。“自分が今いる場所と、数刻前までいたはずの場所があまりにも違いすぎて驚いている”ように見えたのは気のせいではない。ただ、“ここが安全な場所である”という認知が揺らいでいない様子だ。

 少年は深々と息を吐いて、そのまま椅子に腰かける。彼は自分の隣に座っている別の少年と会話を始めた。……職業柄、噂話には耳を傾けてしまう性質である。経験上、『火のないところに煙は立たない』のだ。珠閒瑠市の出来事並とは言わないが、噂話もバカにしてはいけない。

 

 

「また?」

 

「な、なにが?」

 

「痙攣。飛行機乗って3回目だよ?」

 

「そうだっけ? ……なんか、夢の中で戦ってて、やられそうになってさー」

 

「また変身して戦う夢?」

 

「いいや。変身っていうか、なんかこう……“出てくる”感じ?」

 

 

 何の予備動作もなく飛び起きた方の少年が、思いっきり両腕を上に上げた。

 年に不相応な幼さを滲ませた彼の腕は、隣にいた少年によって引きもどされる。

 声の調子からして、少年を引き留めた方が年若い印象を受けた。

 

 普通の人が聞けば、片方が見た夢のことを話す微笑ましい会話にしか聞こえないだろう。僕だって最初はそう思った。

 だが、僕の中にいたペルソナ――カウと“もう1人”が何かを察知したようにざわつく。“彼”は僕が頼んでもいないのに、勝手に情報を纏めていた。

 

 

―― “出身地が富山県彩凪市だが、つい最近まで東京の親戚の家にいた”、“故郷に帰って来るのは実に10年ぶり”、“兄は彩凪市で警察署長をしている”、“年若く責任ある地位についた”…… ――

 

 

 “彼”が纏めた情報に、僕はふと目を見開いた。“彼”も僕と同じ答えに辿り着いたのか、こちらに目配せをしてくる。

 

 僕たちが向かう富山県の彩凪市には、“特A潜在”クラスの能力と現地の警察署長というアドバンテージを持つ協力者がいる。それが、彩凪警察署の署長である神郷諒さんだ。彼とは以前別件で顔を会わせたことがある程度だ。蛇足だが、当時の事件は今回と無関係で、既に解決している。

 徹底的な排他主義者を装っているものの、それは“特A潜在”に絡んだ事件に他者を巻き込まないよう心がけているだけ。ペルソナ関連の事件は、興味本位で踏み込まれると碌なことにならない。覚醒すればまだマシなのだが、完全一般人となると色々難しいからタチが悪かった。

 

 あの少年たちの会話からして、彼等はおそらく神郷諒さんの関係者だろう。しかも、双方共にペルソナの適性が高いときた。即戦力として申し分ないし、更なる成長が期待できるレベルである。最も、ならば神郷さんが関係者の参戦を赦すとは思えない。

 以前共同戦線を敷いた際、神郷さんは無関係者――特に一般人は、事件から徹底的に遠ざけるような手段を講じていたためだ。徹頭徹尾、ペルソナや悪魔の存在は秘匿されたまま事件は解決していた。すべてを闇に葬り去るために、強引な手段を講じたことを察せるレベルには。

 神郷さんのやり方に反感を抱いた者たちは多かったが、警察署長としての権力で握り潰したと聞く。前回同様、『一般人にはすべてを隠蔽したまま事件を解決する』という強硬方針で進んでいた。……おそらく、家族に対してもそのスタンスを貫きそうだ。

 

 

(……でも、なんかこう、巻き込まれそうな気配がするんだよなあ。あの2人……)

 

 

 僕がそんなことを考えたのと、飛行機が着陸態勢に入ったのは同時だった。着陸はトラブルなど一切発生することなく成功し、アナウンスを聞いた人々が椅子から立ち上がる。

 僕と黎も、目の前に座っていた神郷さんの関係者たちも、飛行機から降りるために通路を歩き始めた。僕と黎の前には、プラチナブロンドと遜色ない髪色をした少年がいる。

 

 飛行機から降りて、エアポートに足を踏み入れたとき、僕たちの前を歩く少年のポケットから携帯電話が落下した。少年は一歩遅れで、自分のスマホが落ちたことに気づいて振り返る。そのときにはもう、黎が彼のスマホを拾い上げているところだった。

 

 

「はい」

 

「ありがとうございます」

 

 

 黎からスマホを受け取った少年はぺこりと一礼した。彼につられるような形で、アッシュグレイの髪をした青年も頭を下げる。僕たちも軽く会釈した。

 神郷さんの弟くんたちは、空港内にあるベンチスペースに腰かけて何やら会話を始めた。耳を傾けたいのは山々だが、これ以上待たせてはいけない相手がいる。

 

 

「遅いぞレイ! ゴローもだ!」

 

 

 空港の荷物預り所には、荷物扱いで富山に送られたペットケースが鎮座している。中にいたモルガナが毛を逆立てて怒りをあらわにした。動物は籠に入れてペット扱いしなければ連れて行けない決まりになっているから仕方がない。

 僕と黎がモルガナに出会ってから11年経過したが、善神の化身という側面が強いためか、普通の猫より長生きである。チョコレートや玉ねぎを摂取してもピンピンしているし、戦闘となればメリクリウスを顕現して大暴れする現役バリバリのペルソナ使いだ。

 外見を駆使した潜入捜査を得意とするモルガナは、常に戦力として引っ張りだこだ。但し、賄賂として寿司を奢ったり、黎から頭を下げられない限りは梃子でも協力してくれないという問題点もある。それを踏まえたうえでも必用とされているのだ。彼の実力は推して悟るべし。

 

 ……ただ、悲しむべきところは、未だに初志――人間の外見を手に入れるという目標を果たせていない点だろう。

 

 『なんでクマやモチヅキ・リョージなる奴がニンゲンになれて、ワガハイだけがダメなんだよっ!?』と怒りを抱いて早11年。

 双葉や航さんも手を貸しているそうだが、未だにその方法は発見されていない。もう暫く黒猫ライフは続きそうである。

 

 

「ごめんねモルガナ。ペットは籠に入れて荷物扱いにしないと連れて行けないから」

 

「ワガハイはペットじゃねーし! ニンゲンになるんだし!」

 

「分かった分かった。ホテルに着いたら美味しいもの買ってくるから。それで機嫌を直してくれないか?」

 

「む……」

 

 

 今回滞在することになる彩凪市には、南条コンツェルン傘下のホテルがオープンしたばかりだ。空港近くに併設されており、市内へのアクセスも充実している。立地条件が観光客向けとなっているため、彼等をもてなすため、ホテルの敷地や建物内には様々な店や施設が充実していた。因みにペット可である。

 

 モルガナの大好物である寿司屋も出店している。銀座の高級寿司とまではいかないが、富山ではかなり有名な店らしい。モルガナはツンとそっぽを向いて『ご機嫌斜めです』アピールを続けているが、ホテルのパンフレットに書かれた料理専門店――特に寿司店の名前に釘付けであった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――あれから11年もモルガナと過ごしてきたというのに、“彼”は新たな発見をしたと言わんばかりにげんなりとしていた。“彼”の知っているモルガナは、“彼”にこんな一面を露呈させたことなんてなかったに違いない。

 当時の“彼”なら即座に付け込む材料として使おうとしただろうが、今の“彼”にはそんなことをする必要はなかった。ひっそりと苦笑した後、眩しいものを眺めるようにして目を細める。“彼”がたどり着けなかった先の世界は、これからも紡がれていくのだ。

 

 僕たちの眼前には、無限の未来が広がっている。善意と悪意がひしめくこの世界を、僕たちは生きていくのだ。

 誰かの見る夢が続くように、僕たちの旅路も続いていく。夢は誰かに引き継がれ、また世界を変えるのだろう。

 

 

「――あ」

 

「空、晴れてきたね」

 

 

 粉雪がちらついていた曇天の雲。その切れ間から、冬の空気で澄み渡った青空が見えた。丁度太陽の位置も近かったのだろう。一筋の陽光が差し込む。

 まるで、物語の始まりを告げるかのようだ。僕がそう思ったのと、鳥の羽音が聞こえてきたのはほぼ同時。視界の端に黒い羽がちらちらと舞った。

 光が差し込む空を飛んでいくのは1羽の烏。まるで僕たちを先導するかのように飛ぶ烏の背中を――憧れ続ける大人の背中の面影を、僕はじっと見つめていた。

 

 ――そうして、僕たちは歩き出す。

 

 雪化粧が施された富山県の地方都市・彩凪。一般人には秘匿されている凄惨な『リバース事件』と、事件を追いかけていた警察関係者がこぞって陥る無気力症――それらが不穏な気配を滲ませる街だ。今回の世代は、果たしてどのような理不尽と戦うことになるのだろう?

 此度の事件、その根幹にあるのは『神』の気まぐれか、人の業か。どちらにせよ、怪盗団としての戦いを終えて舞台を降りた僕と黎たちにできることは多くない。僕らに出来ることは、新たな世代のペルソナ使いたちを導いていくことだけだ。嘗ての至さんが駆け回っていたのと同じように。

 

 役目を引き継いだからと言って、彼の帰還という可能性を諦めたわけじゃない。それがこの世界で顕現するか否かが不明だということは百も承知。

 けれどもし、“今この瞬間に、空本至が存在しているという認知”が成り立つ世界が存在しているのなら――それを願った僕らの祈りと願いは、決して無駄じゃないのだから。

 

 

「――()()()()()()()()()()

 

 

 

 これは、決して悲しい言葉ではない。悲しい物語などではない。

 誰かが見た夢の続きであり、誰かから託された想いを背負って、僕たちが紡いでいく旅路だ。

 

 

 

***

 

 

 夜闇に響くのは剣載の音。

 

 僕と黎の前には、唖然としてこちらを見つめる青年がいた。背後には、フェンスを背にして崩れ落ちた警察官と、放心状態で僕らを見上げる男子高校生。

 青年の絶対的なアドバンテージとして機能していたペルソナを、僕と黎も顕現して見せたことによる精神的ショックの方が大きいようだ。

 

 

「そんなバカな……!? どうしてお前たちが、()()()を――!?」

 

「その言葉、そっくりそのままキミに返すよ。()()()は、人を殺すために使うものじゃない」

 

 

 青年がやろうとしていたのは、ペルソナを用いた殺人だ。ペルソナ使いとしての強い適性を持っていて、まだ未覚醒の人間からペルソナ能力を強制的に剥離させる――その結果が、真田さんの資料に掲載されていた『リバース事件』被害者の成れの果てなのだろう。

 ペルソナとは“もう1人の自分”であり、己の心に住まう一側面を顕現した存在。ペルソナの所有者の精神(こころ)肉体(からだ)は深く結びついている。それを強制的に奪われれば、肉体的にも精神的にもダメージを負うことは当然のことだ。僕と黎の懸念は案の定だったと言える。

 この場に居合わせた警察官はペルソナの適正者でなかったため、ペルソナ攻撃の余波に耐えられなかったようだ。外傷は一切負っていないものの、無気力症となってしまっている。男子高校生はペルソナ使いの才能を持っているが、まだ未覚醒だ。自衛する力は持っていない。

 

 

「気を付けろ! コイツの強さは歪だ。真っ当に“場数を踏んで得る”能力じゃねぇ……! 複数のペルソナを喰らい、取り込んでやがる……!!」

 

「――成程な。ペルソナを覚醒させた連中より、未覚醒の奴から奪い取った方が手っ取り早いってワケか」

 

 

 双葉のプロメテウス並ではないが、モルガナのメリクリウスもアナライズ能力を有している。彼は相手の能力を看破し、その源の胸糞悪さに顔をしかめていた。

 ペルソナ能力を悪用する人間とは何度も刃を交えてきたが、“他人からペルソナ能力を奪い取る”ことで人を惨殺体に変えている連中を見たのは初めてだ。

 

 あの様子からして、ペルソナを覚醒させた人間からも“強制的に能力を奪い取る”ことができるらしい。青年はまず邪魔な僕たちを片付けることにしたようで、再びペルソナを顕現した。異形が刃を打ち鳴らす。

 

 

「――行くよ、アルセーヌ」

 

「――我が意を示せ、メリクリウス」

 

「――来い、ロキ」

 

―― 任せとけ。こういう手合いには、腹が立つタチなんでな ――

 

 

 奴に対抗するため、黎がアルセーヌを、モルガナがメリクリウスを、僕がロキを――“明智吾郎”を顕現する。僕たちのペルソナは迷うことなく飛び出した。戦いの火蓋が切って落とされる。

 この戦いが僕らにとって、後に『熊本県彩凪市で発生した集団昏倒事件』/『くじらのはね戦線』と呼ばれる事件の幕開け――初陣となることを、ペルソナ能力の存在を問う戦いになることを、僕たちはまだ知らない。

 

 現時点で、僕が分かっていたことは数少ない。

 僕たちの戦いも、この事件の戦いも、これからであるということ。

 この世界で紡がれていく旅路は、まだ続いていくということだ。

 

 

 




魔改造明智の旅路、EDと遠い未来編。これにて本編完結と相成りました。途中で出てきた『ペルソナ能力を現実でも使用可能』という要素は、5の次に発生するであろうペルソナ絡みの事件で大人になった魔改造明智――もとい、婿入りした有栖川吾郎のその後に使うためのモノです。
P5終了後の11年間で、有栖川夫婦は大なり小なり様々な事件に巻き込まれます。他作品と絡むだけでなく、過去の事件と関連のあるペルソナ絡みの事件を次々と解決していきました。最後は「魔改造明智の存在によってバタフライエフェクトを喰らった魔改造トリニティソウル編突入のシーンで終わる」と決めていました。
この世界線で発生したトリニティソウルは原作トリニティソウルとは似て非なる顛末を迎えると思われます。事件が発生した年代も違いますし、一部で囁かれた『戌井暢=天田乾説』を否定する形となっていますし、参戦するペルソナ使いの数も増えていますから。犠牲者は少ない代わりに、敵味方が強化されて泥沼になりそうですね。
大事なことなのでもう1度言いますが、本編は今回のお話によって完結しました。この世界は観測者の手から離れ、これからも続いていくことでしょう。……もし、この後、この作品に関連する何かをUPした場合、色々と大変なことになる可能性があります。その際は冒頭にしつこく注意喚起をしていると思われますので、どうかご容赦ください。


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星と僕らと
ずっとここにいた。きっとこれからも


【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 @空本(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄で明智の保護者その1。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『運命を切り開くだけの簡単なお仕事』および『ペルソナ3異聞録-.future-』、Pixivの『2周目明智吾郎の災難』および『【一発ネタ】有栖川黎の幼馴染』の設定を下地にし、別方向へ発展させた作品である。
・ジョーカーのみ先天性TS。
 ジョーカー(TS):有栖川(ありすがわ) (れい)⇒御影町にある旧家の跡取り娘。旧家制度は形骸化しているが、地元の名士として有名。身長163cm。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空本(そらもと) (わたる)⇒明智の保護者2で、南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。

・他版権ネタやオリジナル要素が大量に含まれているので注意してほしい。

・明智の誕生日に合わせてみた。最低でも『死線』読破を推奨。

・『彼』視点。
 ※大分スレている。

・【あの子】の台詞に使われている◆内には1人称、◆◆には他人称が入る。
・『彼』と会話している【あの子】の性別に関してはぼかしている。1人称と他人称が伏字になっているのはその影響。


『明智くん、誕生日おめでとう』

 

『サプライズだよ。みんなで企画したんだ』

 

 

 番組共演者とスタッフがケーキを持って来た。周囲の観客たちも、黄色い声で『おめでとう』と告げる。

 “いい子”である【僕】は、爽やかな笑みと感謝の言葉でそれに応えた。期待通りのリアクションだったようで、奴らはみんな満足げに頷く。

 

 【僕】を讃える有象無象の連中は、【俺】の過去なんて知らないのだ。

 

 未来の総理大臣候補と目される国会議員の隠し子で、“要らない子”として扱われてきた。母が死ぬ前なら、誕生日が楽しみだったこともあった。しかし、母が死んで親戚を盥回しにされて以来、誕生日というものが嫌いで仕方がない。

 母以外、誰も【俺】の誕生を祝ってくれなかった。疎まれ、蔑まれ、呪われ、否定され続けた。今は探偵王子という肩書と“いい子”を演じている【僕】だから祝ってもらえるだけに過ぎない。【俺】の誕生を祝う人間なんて、この世界のどこにいるというのか。

 もてはやされるのも今のうちだけ。いずれ流行り廃りで、探偵王子という肩書も、“いい子”である【僕】も、世間から忘れられる日が来るのだろう。誰からも必要とされず、打ち捨てられる日が来るのだろう。――それが怖いから、走り続けるしかない。

 

 

『みなさんに祝ってもらえるなんて、最高の誕生日です!』

 

 

 【僕】自身の言葉に、反吐が出そうだ。

 【俺】はこみ上げる吐き気を抑え込み、【僕】で覆い隠す。

 

 高級店のケーキも、ブランド物の背広や日用品類も、【僕】は何でも手に入る。顔がいいのも自覚しているし、有名人という肩書もあって、手頃な女だって手に入った。――だけど、【俺】が本当に欲しかったものは、何も手に入らなかった。

 “いい子”じゃない【俺】を見つけてほしかった。見つけたとしても、拒絶しないでほしかった。どうしようもない悪党である【俺】でも、特別だと言って、一番に選んでくれる人が欲しかった。……その対象の誰かさえも明確になっていないけれど。

 

 

*

 

 

 【俺】の誕生日の日付を聞き出した【あの子】は、心底がっかりしたように肩を落とした。

 

 

『明智の誕生日、祝いたかったなあ』

 

『そんな大袈裟な。僕はもう18歳だよ? 誕生日を喜ぶ歳じゃない』

 

『それでも、他ならぬ明智が生まれた日だろ? そんな奇跡を祝うのは当たり前じゃないか』

 

 

 【あの子】が田舎でどんな生活をしてきたか、想像がつく言葉だった。多くの人から誕生を望まれ、多くの人に愛され、この世への生誕を喜ばれてきたのだろう。前科さえなければ、【あの子】の誕生日は地元の家族や親戚演者、友人たちに囲まれ、盛大に祝って貰えたのかもしれない。

 厄介者として疎まれ、“要らない子”として蔑まれた【俺】とは全然違う。恵まれた人生の一端を覗き見た心地になって、反吐が出そうになった。こみ上げる苛立ちを押し殺し、笑みを張りつけながら【あの子】の表情を伺う。腹の中に何を隠しているのか、探るために。

 だけれど――それは【俺】や【僕】の願望が混じり込んでしまったせいか――、幾ら【あの子】の動きに注視しても、瞳から感情を読み取ろうとしても、下心なんて見当たらない。【あの子】は何の打算や勝負事の意図もなく、ただ素直に、“【俺】/【僕】の誕生日を祝えなかったことを残念がっている”ことしか分からなかった。

 

 終いには、『今からでも祝いたい』と言い出す始末だ。【あの子】の目は本気で、【僕】が是と示せば、今すぐ買い出しに走るだろう勢いがあった。

 愚かな子どもが期待を始める。もしかして、【あの子】は自分を特別に見てくれるのだろうか――なんて。

 

 

『今は大事な時期だろう? 【僕】なんかのことで、迷惑をかけるわけにはいかないよ』

 

『迷惑じゃない。……◆が、どうしても、個人的に、◆◆の誕生日を祝いたいんだ』

 

 

 【あの子】は真っ直ぐに【僕】/【俺】を見つめる。乞うように、祈るように、この世の光を集めたみたいに輝く灰銀の瞳が、只一点に向けられている。

 

 

『一緒に買い物に行こう。明智がいいなって思うもの、◆が明智に似合うなとか、使ってほしいなって思うもの、一緒に選ぼう。その帰りに食材を買って、ルブランに戻ったら、ささやかだけど一緒にパーティしよう』

 

 

 【あの子】が語る“4カ月遅れの誕生日パーティ”のスケジュールは、ざっくばらんでアバウト過ぎる。テレビ関係者がしてくれるような派手な演出やサプライズも無ければ、本人にプレゼントを選ばせるという、楽しみが半減するようなものばかりだ。手の内を明かしすぎではないだろうか。

 だけれど、【俺】にとって、それは非常に魅力的に思えた。キラキラ輝いているように思えた。不快感はなく、照れ臭さと充足感が溢れてくる。自分の誕生日でワクワクしたのは、母が死んで以後、一度もなかったことだった。

 

 だから、ついうっかり頷いた。咄嗟に『それじゃあ明日行こうよ』なんて口走った。家に帰ってすぐ、獅童の権力なども借りて、無理矢理明日をオフにした。

 

 繁華街をうろつきながら、色々な店を見て回った。【僕】は頑張って“いい子”の仮面を被っていたけれど、無意識に、馬鹿みたいにはしゃいでしまった。

 ちょっと意地悪く、あまり関心のない、高級ブランドメーカーの万年筆を要求してみた。【あの子】は二つ返事でそれを買ってくれた。とても嬉しそうな顔をして、だ。

 普通だったら怒ったり、安いものに取り換えてもいいのに、【あの子】はそれをしない。それどころか、料金を余分に払って、ラッピングとバースディカードまで付ける始末。

 

 

『明智。これとかどうかな?』

 

 

 【あの子】が『明智に似合うと思う』と言って差し出したのは、オーダーメイド品の懐中時計だった。

 

 本体の色は黒で、蓋の部分にはゴシック調の細工が施されている。追加料金を払うと蓋の部分に誕生石をはめ込めるらしい。オーダーメイド品と呼ばれるのはそれが所以なのだろう。

 文字盤に刻まれているのはアラビア数字。文字の色は、透き通った青色だ。店内の照明を受けて輝くその佇まいは、送り主である【あの子】と非常によく似ていた。

 

 

『――こんな立派な品物、【僕】には似合わないよ』

 

 

 それは、嘘偽りのない本心だった。こんな立派な懐中時計、綺麗な品物、受け取れない。【俺】が裏で何をやっているか自覚しているから、余計に。

 【僕】の言葉を聞いた【あの子】は、『そんなことないよ』と微笑んでくれる。――たったその一言だけで、赦されたような心地になるから、救えない話だ。

 結局【僕】は、【あの子】の見立てとお勧めに従うこととなった。それ以上に、“【あの子】が【僕】/【俺】のために選んでくれた”という事実が嬉しかった。

 

 一通り買い出しを済ませた後、ルブランへ戻った【僕】と【あの子】は、屋根裏部屋でささやかなパーティをした。

 【僕】が食べたいとリクエストした食べ物――ハンバーグやオムライスが食卓に並んでいるのを見たときは、不覚にも泣いてしまいそうになった。

 

 

『今年は祝えなかったけど、来年は絶対、明智の誕生日を祝うよ。今のうちに腕を磨いておかなくちゃ』

 

『じゃあ、【僕】も、キミの誕生日を祝うよ』

 

 

 そこまで言った後、【俺】は自分の馬鹿さ加減に呆れてしまった。【あの子】の愚かさも大概だけれど、本気で来年の話をして、その日を夢見ていた【俺】の方がもっと馬鹿だった。

 

 だって、【僕】と【あの子】が語るような“来年”は来ない。11月20日になれば、【俺】は【あの子】を殺すのだ。獅童に復讐するため、【あの子】の屍を踏み越える。哀れな犯罪者として、【あの子】のすべてを踏み躙る。廃人化の罪をすべて被せ、最低最悪の殺人者に仕立て上げる。

 今更踏み止まるには、何もかもが遅すぎた。【あの子】がくれた時間が幸せであればある程、余計に立ち止まれなかった。遅かれ早かれ、【あの子】は【俺】の本性に気づくだろう。それを目の当たりにしてしまえば、流石の【あの子】も、【俺】を見限るのだ。

 “いい子”じゃない【俺】を見つけてほしかった。見つけたとしても、拒絶しないでほしかった。どうしようもない悪党である【俺】でも、特別だと言って、一番に選んでくれる人が欲しかった。――そう思えるような相手が【あの子】だから、余計に、そんな願いなど叶うはずがない。

 

 叶わないなら、終わらせてしまえばいいのだ。

 だから、そうした。

 

 

*

 

 

 負けたのは、【俺】の方だった。

 

 もしかしたらそんな結末になるのでは――なんて思って、準備をしていて正解だった。

 日付指定は来年の○月○日、【あの子】の誕生日。どうせ叶わないと思っていた、いつかの本心。

 

 【あの子】から貰った懐中時計は、もう既に時を刻まない。先の戦いで破損してしまった。勿体ないことをしたと思う。でも、時計を置いていくことも、手放すこともできなかった。

 方向性はどうあれど、沢山頑張ったからか、酷く眠い。多分、意識を落としたらも、もう二度と目覚めることは無いのだろう。ようやく休むことができる、と、【俺】は苦笑した。

 視界の端で、光輝く蝶が飛ぶ。蝶は自由に空を舞っていた。どうしてか、柄にもなく、“もし赦されるなら、今度は【あの子】と一緒に笑い合えたらいいな”――なんてことを、考えた。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「吾郎、誕生日おめでとう!」

 

 

 新しい保護者はそう言って、御馳走が並んだテーブルを指示した。ちょっと形は歪だけれど、美味しそうなハンバーグやオムライス、チョコクリームのケーキが並んでいる。室内は綺麗に飾り付けられていた。色とりどりの輪っかと、安物のパーティ帽子にハンドメイド装飾を加えた飾り帽が目を惹く。

 高校生の双子――空本至と空本航、吾郎よりも1つ年下である“未来のジョーカー”――有栖川黎という未成年者が中心になって飾り付けたことを考えれば、充分『豪華である』と言えよう。特に、黎の指にはたくさんの絆創膏が貼られている。……おそらく、料理類は彼女がメインになって作ったのだろう。

 

 【俺】の予想した通り、至は「この料理、全部お嬢が主体になって作ったんだぜ!」と紹介してくれた。

 それを聞いた吾郎は、目を大きく見開いて黎を見つめる。黎は照れ臭そうにはにかむ。

 「前から今日に向けて特訓してたんだけど、中々難しいね」と苦笑する彼女の姿に、胸が締め付けられる心地になった。

 

 

「美味しくなかったら、捨てていいからね」

 

「そんなこと絶対しない。黎が僕のために作ってくれたんだから」

 

 

 吾郎はぶんぶんと首を振り、躊躇うことなくハンバーグに狙いをつけ、ナイフとフォークを伸ばした。【俺】の意志も若干含まれていたが、9割がた吾郎の意志である。その姿に、【俺】は思わず苦笑した。

 

 黎の手作り料理たちはどれも美味しかったらしく、吾郎は狂ったように「おいしい」と連呼しながら食べ進める。【僕】なら賛辞用の語彙も豊富なのだが、吾郎は所詮6歳児。圧倒的に語彙が足りなすぎる。けれど、「おいしい」という直球の賛辞故に、5歳の黎にも分かりやすく伝わったらしい。

 嬉しそうに、美味しそうに料理を平らげる吾郎の姿を見て、黎は安堵したように表情を綻ばせた。恐らく、人のために料理をしたのは初めてなのだろう。ハンバーグやオムライス、チョコレートクリームのケーキを平らげていく吾郎を眺める眼差しは、いつか見た“4カ月遅れの誕生日パーティ”のものと同一だった。

 

 

「そんなにがっつかなくても大丈夫だぞ、吾郎。おかわりはまだ沢山あるからな」

 

「あるだけ僕が食べる」

 

「……それは困る。俺たちの夕食がなくなってしまうからな」

 

 

 真顔で独り占め宣言されるとは思わなかったのだろう。吾郎の食べっぷりを見ていた航が眉間にしわを寄せ、至は楽しそうに笑っていた。――吾郎にとっては、母が亡くなってから初めての誕生日だ。空本兄弟と黎と過ごす、初めての誕生日。……【俺】には、あまりにも眩しすぎる光景。

 【俺】たちの記憶を辿る限り、大なり小なり違いはあれど、最終的には“祝ってもらえなかった”経験の方が圧倒的である。表だって口に出さない大人もいたけれど、『引き取って家に置いてもらっているだけ感謝しろ』と伝えてきた奴らの方が多い。文句を言えば、暴力か暴言が飛んでくる。酷い場合は、施設や他の親戚へ押し付けに行く奴もいた。

 吾郎が必要以上に“いい子”でいようとしていたのは、【俺】の影響を受けたせいだ。折角保護者に恵まれて、【俺】の願い通りに【あの子】と出会って“1番の特別”になれたのに。何の憂いもなく幸せになれるはずなのに。【俺】が意識しようがしまいが、吾郎はどこかで【俺】の過去や怯えを受け取ってしまうのだろう。

 

 

「来年は、もっと美味しい料理を用意するからね」

 

「じゃあ僕も、黎の誕生日を祝うよ」

 

 

 いつかの【俺】と【あの子】の焼き直しみたいな約束。

 果たされなかったであろう約束を想って、胸が痛くなった。

 

 吾郎はあと何回、黎に誕生日を祝ってもらえるのだろう。あと何回、黎の誕生日を祝ってあげられるのだろう。

 

 【俺】が知っている未来の可能性だけれど、11年後の11月末――あるいは12月の半ばは、修羅場の連続だった。騙し合いの果てに、どちらかが命を散らす運命が待っている。

 無邪気に笑い合う吾郎と黎は、そんな可能性なんか知らない。【俺】と【あの子】とは違い、騙し合いや殺し合いを演じる必要性だって皆無だ。

 もしかしたら、すべての発端である冤罪事件が発生しない可能性だってある。……いや、発生してほしくない。大事な人に、そんな運命、背負ってほしくないのは当然である。

 

 

「じゃあ、吾郎も頑張らなきゃな」

 

「うん」

 

 

 みんなが笑っている。至も、吾郎も、航も、黎も。昔の【俺】だったら罵詈雑言をぶつけて八つ当たりしたかもしれないけれど、今はもう少しだけ、その光景を見ていたかった。

 自然と口元が緩んでしまう。幸せになる資格なんてどこにもないのに、想いを馳せる相手はこの世のどこにもいないのに、伝えたいことが溢れだしそうになる。

 

 ここで生きる明智吾郎は、【俺】の理想であり、願いだった。【俺】の祈り、【俺】の希望そのもの。汚い大人たちが跋扈する暗闇を転げ落ちていくことなく、尊敬できる大人たちや愛する人と共に、光に満ちた場所をゆく。挫折や悲しみを乗り越えて、痛みや苦しみも踏み越えて、己の信じる正義を貫く――そんな風に、自由に生きられる命。

 

 正しい道に導くなんて、大層なことを言うつもりはない。ただ、【俺】と同じ轍を踏まないでいてくれたら、それでいい。

 いつまでここに在れるかは分からないが、【俺】が選べなかった道を征くその背中を、少しでも見守っていられたら――【俺】は、それだけでいい。

 

 

*

 

 

 【俺】の理想、【俺】の祈り、【俺】の希望そのもの――そんな存在である明智吾郎が、【俺】を受け入れてくれた。

 

 それだけでも奇跡だと言うのに、更なる奇跡を目の当たりにした。【あの子】の権化が――ジョーカーが、【俺】の目の前にいる。

 会いたかった。でも会いたくなかった。自分(【俺】)が汚いことは、自分(【俺】)が一番よく分かってる。

 

 “いい子”じゃない【俺】を見つけてほしかった。見つけたとしても、拒絶しないでほしかった。どうしようもない悪党である【俺】でも、特別だと言って、1番に選んでほしかった。――他でもない、“ジョーカーの1番特別な存在”になりたかった。

 叶いもしない夢を見ていた。愚かな夢だった。でも、そんな【俺】の夢を叶えるために、【あの子】は女性の姿を取ってここにいるのだ。いや、ずっと、有栖川黎を通して【俺】の傍にいてくれた。【俺】が明智吾郎の中にいて、彼を導きながら、黎を見守っていたのと同じように。

 

 

―― やっと、届いた……! ――

 

 

 ジョーカーは心底嬉しそうに微笑んだ。

 

 もう我慢できなかった。もう、“いい子”なんてやってられなかった。諦めて手を放すなんて、できるはずがなかった。

 形振り構わず手を伸ばせば、ジョーカーは当たり前のように【俺】の腕の中に納まる。背中に手を回され、強く抱きしめられた。

 

 言いたいことがあった。伝えたいことがあった。溢れ出した感情は複雑に絡み合っていて、自分が何をしたいのか分からなくなる。処理能力を超えてしまえば最後、【俺】はジョーカーに縋りついて、馬鹿みたいに泣きじゃくることしかできなかった。

 泣いて、泣いて、泣きはらして――やっと、1つ、形になった感情(モノ)があった。仮面を外し、【俺】は彼女と向き直る。ジョーカーも仮面を外して【俺】に向かい合った。互いの瞳は逸らされることなく、お互いをしっかり見つめ合っている。

 “もし赦されるなら、今度は【あの子】と一緒に笑い合えたらいいな”――あの日諦めた願いは、この手の中にあるのだ。乗り越えるべき試練や修羅場はまだ沢山あるけれど、その可能性を掴むことができたのは奇跡に等しい。……ああ、だからこそ。

 

 

―― ……生まれてこれて、良かった ――

 

 

 【俺】は奇跡を噛みしめながら、そう言った。

 人生で初めて、心からそう思えた瞬間だった。

 

 




6/2は明智の誕生日なので、何かしようと思った結果出来上がった産物。
時間軸は「拙作開始前の原作P5/11月中~12月中旬」⇒「拙作のP5本編開始前」⇒「『死線』の『最後の祈りが紡いだ、奇跡みたいな世界で』」となっています。
P5Rにおける明智関連の追加要素が楽しみですが、同時にちょっと怖いですね。……少しでも、彼が納得できる結末がありますように願います。


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成仏タワーバトル

【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『運命を切り開くだけの簡単なお仕事』および『ペルソナ3異聞録-.future-』、Pixivの『2周目明智吾郎の災難』および『【一発ネタ】有栖川黎の幼馴染』の設定を下地にし、別方向へ発展させた作品である。
・ジョーカーのみ先天性TS。
 ジョーカー(TS):有栖川(ありすがわ) (れい)⇒御影町にある旧家の跡取り娘。旧家制度は形骸化しているが、地元の名士として有名。身長163cm。

・他版権ネタやオリジナル要素が大量に含まれているので注意してほしい。

・本編読破後推奨。
・本編読破後推奨。

・本編読後の余韻がぶち壊しになりかねないので注意してほしい(重要)
・本編読後の余韻がぶち壊しになりかねないので注意してほしい(重要)
・本編読後の余韻がぶち壊しになりかねないので注意してほしい(重要)

・メタい。

・不謹慎系のギャグ(重要)
・不謹慎系のギャグ(重要)
・不謹慎系のギャグ(重要)

・R-15(重要)
・R-15(重要)
・R-15(重要)


「【ジョーカー】から聞いた話を纏めたら、双葉がこんなゲーム作ってくれたよ」

 

 

 黎はそう言って、PCゲーム用のディスクを差し出した。パッケージには――いつの間に隠し撮りしていたんだろうか――俺の写真が使われている。

 ゲームのタイトルは『成仏タワーバトル』。手書きで雑に記されていた。精魂尽き果てた筆跡だった。

 

 

「タイトルからしてクッソ適当なゲームだな」

 

「『またガメオペラ』との二択でこっちにしたって言ってた」

 

 

 手短な雑談を済ませた後、黎はPCにディスクをセットした。程なくしてゲームは起動し、軽快な音楽と共にタイトル画面が表示される。

 

 

「私や【ジョーカー】個人としてはR-18でも良かったんだけど、私の書いたテキストを読んだ双葉がコーヒー吐き続けたから全編R-15にせざるを得なくなっちゃった」

 

「今、俺の隣にいた【クロウ】が顔を真っ赤にして【ジョーカー】に突っかかってったよ」

 

 

 【クロウ】は年甲斐もなく喚き散らしている。彼の生前が童貞だったのか、すべてを極め尽くした童帝だったのか、本命に対してのみ童貞だったのかは分からない。だが、顔を真っ赤にしてド派手に狼狽する姿は、どの道“童貞”以外の何物でもなかった。

 黎に勧められた俺は、早速テキストを読み進めてみた。黎/【ジョーカー】をモデルにした主人公が、獅童をモデルにしたハゲに冤罪を着せられたことから物語が始まるようだ。俺も【クロウ】も、その経緯はきちんと熟知している。

 

 

「主人公の選択肢によっては、冤罪の黒幕に“ピー(どぎつい年齢指定系単語が乱舞しているため中略)”される描写もあるよ」

 

「手首切ってくる」

 

「まあ待て」

 

 

―― 穢い血筋は絶やさないとな ――

 

―― 落ち着け ――

 

 

 カミソリ片手に飛び出そうとした俺/銃をこめかみに当てた【クロウ】は、黎/【ジョーカー】によって拘束された。俺たちはそのままPC画面の前へと連行される。

 

 初っ端から“冤罪の黒幕に純潔を踏み躙られる”ルートがあるということは、どこかの【ジョーカー】が“それ”を経験したことを意味しているのだろう。この時点で、俺のメンタルは既に崩壊待ったなしである。『今すぐ獅童と一緒に無理心中しなくては』という脅迫概念に駆られるのは当然であった。

 なんとなく、俺は【クロウ】に視線を向けた。【クロウ】の目は死んでいた。口には出していないが、物理的な意味で死にたいという気配が漂っている。モデルになった人物との関係上、この事実を掴んでしまった攻略対象がどのような行動に出るのか――俺には……否、()()()()()()()()、手に取るように分かってしまう。

 

 

「こんなのってないよ。あんまりだよ……」

 

「因みに、選択肢次第では攻略対象から“ピー(どぎつい年齢指定系単語が乱舞しているため中略)”されるルートもあるよ」

 

「こんなのってないよ! あんまりだよ!!」

 

 

 どの道、“後から真実を知った攻略対象が、冤罪事件の黒幕と無理心中を図りに行く”END一択である。俺は頭を抱えて泣いた。

 丁度そのタイミングで、テロップが挿入される。『このゲームは、攻略対象を絶望と破滅の運命から救い出すのが目的です』と出てきた。

 冒頭のルートや黎の発言からして、ものすごく嫌な予感しかしない。もしかしなくとも――俺がそう思ったのと、攻略対象が登場したのはほぼ同時だった。

 

 

「攻略対象、俺じゃん……」

 

 

 写真をそのまま使ったんじゃないかと言いたくなるくらい、攻略対象の顔立ちや髪型は俺と一致していた。黎は「ああそうそう」と――夕食のメニューを話すような――、なんとでもないような口調で言葉を続ける。

 

 

「先に言っておくと、このゲーム、死に覚えと周回コンプ前提だから」

 

攻略対象()そんなに死ぬの!?」

 

「主人公の死亡率の方が若干上かな。むしろ、トゥルーハッピー(攻略対象生存)ルート開拓には“全バット(片方および双方死亡・鬱系)エンド回収”、“メリーバット(共犯者になったり、黒幕どもと取引する)エンドとトゥルー(相思相愛故の悲恋)エンド回収”が不可避だから」

 

「最早苦行なんですけど……」

 

 

 ハッピーエンド以外の字面が、たいへんヤベェことになっている。すべてにおいて嫌な予感しかしない。俺は【クロウ】に視線を向けた。【奴】は身に覚えがあるようで、顔を真っ青にしてブツブツと呟いている。

 試しに、俺は攻略対象に対して素っ気ない選択肢を選んでみた。一瞬で場面が飛び、主人公は攻略対象に撃ち殺されてDEADENDになった。急展開過ぎて置いてけぼりである。開始数分でゲームオーバーとかヤバくないだろうか。

 

 何度かやってみたが、開始数分でゲームオーバーになるのはキツい。それを初っ端から2桁台繰り返すのは辛い。

 ED後にフローチャートを辿って場面と選択肢に戻る機能が無ければ、多分俺は発狂してPCを投げ捨てていたことだろう。

 主人公が死ぬか、攻略対象が死ぬかの2者択一。現時点で多いのは、主人公が攻略対象によって殺されるEDだ。

 

 

「黎はこのゲームクリアしたの?」

 

「勿論。全ED回収したし、周回要素も全部埋めた。冤罪を着せた黒幕に“ピー(どぎつい年齢指定系単語が乱舞しているため中略)”された上でのトゥルーハッピーエンドは圧巻の感動だったなぁ」

 

「こんなにクソゲーなのに!? 俺この時点で投げ出しそうなんだけど!?」

 

 

 主人公銃殺EDを60回近く見せられて疲れてきた俺に、黎はなんてことないようにさらっと告げる。

 

 彼女がそう言いきれてしまえたのは、彼女の心の側面として顕現した【ジョーカー】の経験があったからかもしれない。【ジョーカー】たちはずっと、“明智吾郎が生き残る未来”を求めて蝶を飛ばし続けていたのだから。俺は【ジョーカー】たちの一途さに感嘆しながら選択肢を選んだ。

 結果、今度は“ヤンデレと化した主人公が攻略対象を拉致監禁し、冤罪の黒幕(=攻略対象の実父)を攻略対象の目の前で殺害する”EDになってた。俺は思わず画面とテキストを3回読み返して頭を抱えた。【クロウ】は死んだ魚みたいな目をして天を仰いでいた。

 

 

「主人公がやべー奴になるなんて聞いてないし!」

 

「攻略対象がやべー奴化したEDの方が多いから、全然大したことないよ。主人公だって、攻略対象のことが大好きなだけだ」

 

 

―― お前にだけは、こんな風になってほしくなかった……! ――

 

―― 【クロウ】は我儘だなあ。監禁EDの数、主人公側より攻略対象側の方が圧倒的に多いのに ――

 

 

 次は“主人公が仲間を捨て、攻略対象と共に認知世界の暗殺者となり、汚い大人たちへ鉄槌を降す”EDになった。俺たちは泣いた。

 誰からも必要とされ、自分がいなくとも生きていけるはずの主人公が自分を選んでくれたのは確かに嬉しい。けれど、でも、やっぱり違う。

 そんなことを考えていたら、後日談らしきテキストが表示された。“ある日、主人公が家に帰ると、攻略対象が殺害されていた”という。

 

 直後、黒服たちが家へ押し込んできて、主人公も殺害された。死の間際、主人公は“自分たちを恐れた裏社会の人間たちから邪魔者と判断された”ことを悟る。

 伸ばした手は攻略対象に届くことなく、冷たいフローリングに落ちた。そこで暗転し、件の世界線は終わりを告げる。

 

 

「裏社会とずぶずぶに関係を持っていたことと、暗殺者として積極的に動き過ぎた弊害だろうね。そういうのと手を切れないとこのEDになる」

 

「妙にリアルなんだけど……」

 

「攻略対象側の視点で、死ぬ順番を入れ替えたEDもあるよ。後日談パートの最初の選択肢で3番目を選んでごらん」

 

 

 黎に言われたとおりにしてみた。後日談の視点が攻略対象の物に変わる。

 

 愛する人が自分と同じところへ墜ちてきたことへの薄暗い歓喜と、憧れの権化だった正義の味方に人殺しをさせている罪悪感を抱えながら、攻略対象は幸福を享受していた。同時に、ずっと恐れていた。愛する人にそこまでさせたことに報いるための対価を、自分はきちんと支払えているのかと。

 それ故に、攻略対象は、主人公が無残に殺された姿を目の当たりにして愕然とする。まだ何もできていないと叫びながら、これから手渡したかった対価の数や未来のことを夢想しながら、彼は主人公へ手を伸ばす。死ぬ間際、彼は自分の傲慢さに自嘲しながら、死体になった主人公に謝罪した。“あのとき、自分が諦めていればよかった”と。

 

 

「これで隠し要素の1つを回収できた」

 

「恩恵とかあるの?」

 

「ゲーム全体の難易度が上昇する」

 

「クソ要素じゃねーか!!」

 

「クソじゃない。トゥルーED解禁の条件が1つ達成されるよ」

 

「2時間ぶっ続けでプレイしてこの成果かよ……」

 

 

 完全クリアの道は遠かった。遠すぎた。そもそもクリアできるのか、させる気があるのかと怒りたくなる。

 そこまで考えた()()()はハッとした。――それは、【クロウ】を救おうとした【ジョーカー】たちが感じたことだったのではないか、と。

 “どんな形でもいいから、【クロウ】が生きる未来を手に入れたい”と、【ジョーカー】たちが必死になって足掻いた結果なのだ。

 

 

「……【ジョーカー】たちは凄いな」

 

「吾郎?」

 

「禄でもない目に合っても、【クロウ】のことを諦めないんだから。……俺、この時点でもう、投げ出してしまいそうなのに」

 

「それ程、【クロウ】のことが大切だったんだよ」

 

 

 黎も【ジョーカー】も、当たり前みたいに言いきった。諦めて崩れ落ちてしまってもおかしくないし、誰もそれを責めやしない。俺たちだって、俺たちを諦めた【ジョーカー】を責めるつもりはない。むしろ、ここまでされると、「諦めていい」と言いたくなる程の痛々しさがあった。

 彼女たちが諦めなかったから、俺も【クロウ】も、当たり前のように幸福を享受できている。正義の義賊・怪盗団の仲間として徹頭徹尾駆け抜けることができたし、愛する人と生きる未来を勝ち取ることができた。紡いできた出会いや旅路の中で、託したモノや託されたモノがある。それを背負って進む道は、これからも続くのだ。

 

 

「休憩入れようか?」

 

「……そうする」

 

 

 俺がゲームの完全クリアを目標として定めたことを察知したのか、黎は時計を指さして問いかけてきた。俺も頷き返す。

 

 どれ程時間が過ぎ去ろうと、現時点では【ゲームは始まったばかりだ】としか言えない。

 【ジョーカー】たちの旅路を少しでも知りたくて、俺と【クロウ】はPCの前に立つのだ。

 

 

***

 

 

 ――ゲームを始めて、どれ程の時間が経過しただろう。

 

 タイトル画面に、【トゥルーハッピーエンドを掴むためのシナリオが解禁されました】というテロップが出たとき、俺たちはガッツポーズを取っていた。総プレイ時間は既に70時間を超している。

 禄でもないエンディングをいくつも見てきた。主人公が銃殺されるエンディングも、攻略対象が主人公を監禁するエンディングも、2人揃って冤罪の黒幕に飼い殺しにされるエンディングも見た。

 

 “悪神と取引した主人公を見ていられなくなった攻略対象が、主人公と無理心中する”エンディングを見たときは発狂したくなった。テキストを読む限り、主人公は最早、悪神の端末として人格と性格を再構成されただけの人形に成り下がっていたためだ。

 相思相愛だというのに、どうして回り道してばかりなのだろう。どうして幸せになれないのだろう。お互いがお互いを愛しているのに、すれ違いすぎて頭がおかしくなりそうだ。特に、“主人公が冤罪の黒幕に“ピー(どぎつい年齢指定系単語が乱舞しているため中略)”されたルートは地獄絵図になる。

 恋人関係成立後、早い段階で攻略対象が真相を掴んでしまった場合、奴は主人公からどんどん距離を取り始めるのだ。放置すればアウトなのは勿論、距離の詰め方を間違えると、主人公による攻略対象監禁ED・攻略対象が冤罪の黒幕と無理心中するEND・攻略対象が冤罪の黒幕によって葬られるENDに転がってしまいかねない。

 

 

「――あれ?」

 

 

 トゥルーハッピーエンドの序文は、攻略対象が何者かと契約を交わしたシーンから始まった。短いプロローグはすぐに終わり、主人公視点の物語が始まる。今までのルートと違い、攻略対象と主人公の関係性が大きく変わっていた。

 6月に出会って読み合い勝負をしていた宿命の相手は、幼馴染兼最愛の恋人として人生を謳歌していた。だが、攻略対象は常に、怪異事件に巻き込まれてきたらしい。――そこまで読んで、俺はすべてを理解する。

 

 真ルートは、俺と黎が駆け抜けたあの1年間をモデルにしたものだ。

 

 

「実はここからが本番でね」

 

 

 勇んでプレイを初め、開始数分で“攻略対象が不審死”ED――時期的に、俺がメメントスでヤクザに殺されかかったときだと思われる――を迎えた俺に、黎はにっこり笑って話を続けた。

 

 

「選択肢1つ間違うと、即座に攻略対象が死ぬEDになるから」

 

「分岐につき、選択肢10個ぐらい表示されてるんだけど!?」

 

 

 

***

 

 

 総プレイ時間150時間を突破。やっとこさ辿りついたトゥルーハッピーエンドは、いつか見た黄昏と朝焼けを思い出させた。

 幸せそうに手を取り合う主人公と攻略対象の1枚絵は非常に美しく、旅の終わりに相応しい大団円である。

 

 攻略対象が不審死するEDを何度も見た。主人公側からは何故死んだのか分からないが、攻略対象のモデルだった俺たち側から見れば「ああ、あのときはこうだったな」と理解できてしまう。冤罪の黒幕と自分の関係を説明できなかった攻略対象が無茶をして無理心中したり、無茶をしても太刀打ちできずに葬り去られるEDもあった。

 特に、金城をモデルにした敵キャラが出てきた時期は、冤罪の黒幕と無理心中or冤罪の黒幕に葬り去られるEDが多かったように思う。相手側が話してくれるまで待ち続け、且つ、一定以上の好感度を稼いでいないとすぐ死にに行くから面倒くさいことこの上なかった。――それが自分であることを棚上げした上で。

 金城を超えて以降、冴さんをモデルにしたキャラクターが絡む時期になったときは、主人公死亡EDか攻略対象死亡EDのどちらに転がるかで大変な思いをした。適切な協力者を得つつ、ニャルラトホテプをモデルにしたキャラクターの愉悦ポイントを稼がないと、11月の大勝負を乗り越えられなかったためだ。

 

 

―― 主人公が“婚約指輪を買って手渡す”選択しないと死ぬって、ほぼ【俺】のせいじゃねえか……! ――

 

 

 ……とまあ、身に覚えのある出来事を思い返した結果、攻略の糸口になったこともあったか。

 

 

「感想は?」

 

「まごうことなきクソゲーだったな」

 

 

 過程と結果を鑑みても、俺にはそうとしか思えなかった。双葉が『成仏タワーバトル』と雑にタイトルを付けた理由が分かった気がする。

 主人公と攻略対象の死体を積み上げて、やっと手にした幸福な結末――そういう意味では、何も間違っちゃいない。ぴったりのタイトルだった。

 できることなら、もう二度と遊びたくない代物だ。1度クリアすればもうお腹いっぱいである。俺は大仰にため息をつき、PCをシャットダウンした。

 

 視界の端を、見覚えのある蝶が横切ったような気がした。

 

 

◆◆◆

 

 

 

「【ジョーカー】から聞いた話を纏めたら、双葉がこんなゲーム作ってくれたよ」

 

 

 黎はそう言って、PCゲーム用のディスクを差し出した。パッケージには――いつの間に隠し撮りしていたんだろうか――俺の写真が使われている。

 ゲームのタイトルは『またガメオペラ』と、手書きで雑に記されていた。精魂尽き果てた筆跡だった。

 

 

「タイトルからしてクッソ適当なゲームだな」

 

「『成仏タワーバトル』との二択でこっちにしたって言ってた」

 

 

 手短な雑談を済ませた後、黎はPCにディスクをセットした。程なくしてゲームは起動し、軽快な音楽と共にタイトル画面が表示される。

 

 

「私や【ジョーカー】個人としてはR-18でも良かったんだけどね」

 

「何が起きたの?」

 

「私の書いたテキストを読んだ双葉と、テストプレイしたかすみがコーヒー吐き続けたから全編R-15にせざるを得なくなっちゃった」

 

「今、俺の隣にいた【クロウ】が顔を真っ赤にして【ジョーカー】に突っかかってったよ」

 

 




ふと思うところがあって書き上げた短編。【ジョーカー】以外がやったら心折れそうなクソゲーをプレイする吾郎のお話でした。P5Rの内容次第では、また何か始められたらいいなと考えています。
最近、「『Life will Change』の派生系話を書きたい」という衝動にかられます。“P5Rの発売を待ち、P5R要素を組み込む”べきか、“このままP5下地で書いてしまう”べきかでちょっと思案中。
アイオーン(ヤルダバオトの製作者)の絡み具合によっては、後者で発車しても書き直しを始める可能性があります。……うずうずしすぎて、かえって「色々辛い」ことがありましてね。書けないとフラストレーション溜まるので、発散しないと落ち着かないんです。


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単発嘘予告
嘘予告その1 【2018/8/7.追記およびお詫び】


【諸注意】
・完全な蛇足話。

・完結した本編の余韻をぶち壊しにする恐れがある(重要)。
・完結した本編の余韻をぶち壊しにする恐れがある(重要)。
・完結した本編の余韻をぶち壊しにする恐れがある(重要)。

・「この作品に余計な蛇足は必要ない」と思う方はバック推奨(重要)。
・「この作品に余計な蛇足は必要ない」と思う方はバック推奨(重要)。
・「この作品に余計な蛇足は必要ない」と思う方はバック推奨(重要)。


・今後とも、この作品と作者をよろしくお願いします。


<追記およびお詫び>
・準備難航により、すべてに(仮)がつくことになりました。真に申し訳ございません。
・詳しくは、活動報告をご覧になってください。


 ……いやあ、これ以上ないハッピーエンドだったなあ。

 

 悪神の企みは完膚なきまでに叩き潰され、数多の可能性の中で踏み躙られてきた魂が運命に打ち勝った。怪盗団によって世界は救われ、彼等は新しい世界へと踏み出していく。

 この結末に至るまで、数多の蝶を飛ばした。可能性をかき集めて、どこかの世界で途切れてしまった思いすら背負って、トリックスターは旅路を続けていくんだ。

 文句なしのハッピーエンド。人の人生を玩具同然にして遊んでいたクソ神には相応しい末路だよな。みんな、夢を叶えて次の世代に想いを繋げていくんだよ。

 

 

「…………」

 

 

 ――あれ? キミ、なんでいるの?

 しかもこの様子からして……何か怒ってる?

 

 

「――――!!!」

 

 

 って、うわああ!? 痛い、痛いってば! やめなさい、ティーカップを投げつけるのはダメ!

 熱っつ! ティーポッドを投げるのもダメだって! って、ああっ! お気に入りのティーセット一式がぁぁ!!

 

 ……あーあ。みんな滅茶苦茶になっちゃったよ。

 どうしたの? 癇癪を起した挙句物に当たるなんて、何か嫌なことでもあった?

 こっちはキミに怒られるようなことなんてした覚えはないよ?

 

 

「――――」

 

 

 『結末に納得できない』? それまたどうして?

 ……もしかして、最近巷で流行の逆行とか、俺TUEEEE! みたいな無双系の方が良かった?

 

 だから納得がいかなかったのかな? それだと根幹からして問題なような……え? 『そういうことじゃない』?

 

 

「――――」

 

 

 …………。

 

 

「――――」

 

 

 …………。

 

 

「――――」

 

 

 …………。

 

 ……『蝶が飛んだのが、その証』か。

 言い得て妙だなあ。

 

 

「――――」

 

 

 ……そうだね。キミの言う通りだ。

 

 世界には数多の可能性が広がっている。この世界が辿った出来事も、この世界が生まれ出るために集められた出来事も、ある一方から見た可能性の1つに過ぎない。

 中には途中で絶筆した物語だってあるだろう。“途絶えた足跡”だって旅路と呼ばれるべき物語の1つだからね。それを語るのもまた一興、ってことか。

 此度のような“旅立ちの物語”があるのなら、それと対を成すもの――“帰還の物語”だってあって然るべきだろう。「帰ってきてほしい」という蝶だって飛んだのだから。

 

 

「――――」

 

 

 ……成程、成程。

 

 ――そうと決まれば、早速準備だ。

 

 すべての駒を並び直して、配置し直そう。

 数多の蝶を――可能性を束ねて、世界を作ろう。

 

 

「――――」

 

 

 その通りだ。ここからはキミの物語。キミたちが、世界を変える物語の始まりだ。

 契約内容は忘れてないね? 成すべきことは? 勝利条件と敗北条件の確認はどうだい?

 

 

「――――」

 

 

 ……ならば、改めて契約をしよう。

 

 一度サインをしたのだから、大丈夫だね? このサインが何を意味しているかもきちんと把握しているようで何よりだ。

 どこぞの普遍的無意識のようなだまし討ちは好きじゃないんだ。アレには何度も酷い目に……うん、無駄話だね。すまなかった。

 

 ……それじゃあ、良い旅を。

 できることならば、二度と会わないことを願っているよ。

 キミに殴られたり、怒られたりするのは、一層胸が痛むから。

 

 

「――――」

 

 

 ――いってらっしゃい、旅人さん。

 

 どうか、良い人生(たび)を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……『帰りたい』、か。

 

 蝶の羽ばたきに込めた祈りによって、人の願いが叶うならば。

 ……もしかしたら、()()()()()()()()()()のかな――なんて。

 

 

 

 

*

 

 

*

 

 

*

 

 

 

 存在を望まれる人がいる。帰ってきてほしいと願う人がいる。

 帰還を望む人がいる。己の望む場所へ帰りたいと願う人がいる。

 

 『帰れない』悲しみを、自分はよく知っている。――嘗ては自分も、『帰りたいと願いながら、帰れなかった』存在ゆえに。

 

 帰りたかった。大事な人たちが待つ、あの温かな場所に。

 帰りたかった。大好きな人たちと過ごした、懐かしい場所に。

 帰りたかった。宝物たちが紡いでいく世界に。

 

 嘗ての自分は望まれている。嘗ての自分が愛したすべてから、「帰ってきてほしい」と望まれている。そんな未来があって然るべきだと望まれている。

 

 

 ――では、今の自分は?

 

 嘗て自分は人であった。人と呼ばれても差し支えない存在だった。――今となっては、その括りから大きく逸脱してしまったけれど。

 嘗て自分には帰る場所があった。大切な人たちがいた。――今となっては、それを声高に叫ぶことすらできなくなってしまったけれど。

 ……“今の自分”を望む声なんてどこにもない。――嘗ての自分を望む声ならば、四方八方から響き渡って来るのだけれど。

 

 

「――帰りたい」

 

「――帰りたい」

 

「――帰りたかった」

 

 

 ――ああ、そうだ。そうだとも。

 

 帰りたかったのは自分だった。他の誰かではなく、自分自身が帰りたかったのだ。理不尽に苦しんでいた人々を助けてきたが、本当に助かりたかったのは自分自身だった。

 「帰れない悲しみ」云々で人を助けて来たのではない。その人間たちに己の姿を投影し、掬い上げることで、「自分もいつかは帰れるのではないか」と信じたのだ。

 

 帰りたかった。

 帰りたかった。

 帰りたかった。

 

 

「――帰りたい」

 

 

 あの場所にかえりたい。

 

 

「――帰りたい」

 

 

 あの人たちのいる世界にかえりたい。

 

 

「――帰りたい」

 

 

 同じ場所で笑い合う可能性(ユメ)を、かき集める。

 あの優しい場所へ、宝物たちのすぐそばで、笑っていられる可能性(ユメ)をかき集める。

 

 足りない。足りない。圧倒的に足りない。

 沢山沢山集めて、沢山沢山抱え込んで。

 零れ落ちてしまってもまだ足りない。

 

 

「――かえりたい」

 

 

 随分時間が経過した。

 それでも、この願いはここに在る。

 

 

「――かえりたい」

 

 

 原型すら留めなくなってしまった。

 それでも、この願いはここに在る。

 

 

「――かえりたい」

 

 

 自分の旅路が途切れることを知っていても、尚。

 この願いはずっと、ここに在る。

 

 

『――帰りたい』

 

『――許されるならば、あの場所に』

 

『――あのひとの元に、かえりたい』

 

 

 ――どこからか、誰かの悲鳴が聞こえた。

 

 自分と同じ願いを抱える叫び声を無視できなかったのは、本質までは変質していなかったためだろうか。自分が誰よりもこの痛みを知っているためだろうか。

 

 

「――かえろう」

 

「きみたちの、あるいは――私の望む場所へ」

 

 

 駒は揃えた。それらすべてを並べて、集めた可能性を束ねて、束ねて、世界を創り上げる。

 全ての人が、すべての命が、己の望む優しい場所へ帰れるように。

 そんな世界があったって――許されたって、いいじゃないか。

 

 ――その延長線上の果てに、夢を見たって、いいじゃないか。

 

 契約は交わされ、賽は投げられた。

 盤上の駒たちが、暗闇の中で動き出す。

 

 

「――さあ、始めよう」

 

「――これは、『帰る』ための物語だ」

 

 

 

 

 

PERSONA5二次創作 『Life Will Change』派生作品

 

『Dream of Butterfly』(仮称)

 

 

 

 

 ――夢見る蝶が辿り着く場所は、何処なりや。

 

 




方向性が大分定まり、設定も大体固まってきたのでUPしました。あとは最終調整して執筆活動に移るだけです。「リアルが忙しいので時間が足りない」のが悩みですね。
基本方針は「『Life Will Change』から派生した諸々の要素を再構成したリメイクおよびマイナーチェンジ版」。P4とP4Gのような関係に近しいものだと思われます。
何かあり次第、この話の内容を適宜修正していく所存。今回の短編はあくまでも“現時点での方向性”なので。当てにならない奴で申し訳ないです。

<2018/1/17.追記およびお詫び>
「設定が二転三転したことにより初期構想/作品の方向性が瓦解寸前」、「主人公核候補2組のうちどちらにスポットライトを当てるか決めかねている」等の問題が発生したため、予告内容すべてに(仮)がついてしまいました。
詳しいことは1/18の活動報告に記載されていますので、そちらにも目を通して頂ければ幸いです。楽しみにしていただいている方々に深くお詫び申し上げます。本当に申し訳ありませんでした。

<2018/8/7.追記およびお詫び>
結局頓挫してしまいました。楽しみにしていただいた方々に深くお詫び申し上げます。本当に申し訳ありませんでした。


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嘘予告その2

【諸注意】
・完全な蛇足話。
・完結した本編の余韻をぶち壊しにする恐れがある(重要)。
・完結した本編の余韻をぶち壊しにする恐れがある(重要)。
・完結した本編の余韻をぶち壊しにする恐れがある(重要)。
・こんな可能性がどこかに転がっていることを示唆しているだけで、それが実際になるわけではない(重要)。
・こんな可能性がどこかに転がっていることを示唆しているだけで、それが実際になるわけではない(重要)。

・原作怪盗団と、『Life Will Change』関係者が絡む話。
・視点は原作怪盗団側。怪盗団名は『The Phantom』
・原作ジョーカーの名前⇒雨宮漣。
・本編をすべて読んだ後だと、意味が分かる。
・神様系関係者がゲスい。
・ペルソナQ2の関連情報を見て、ふと唐突に「形にしよう」と考えたもの。

・今後とも、この作品と作者をよろしくお願いします。


 20XX年の11月某日。

 心の怪盗団『The Phantom』は、最大の危機に陥っていた。

 

 人殺しの汚名を着せられ、犯罪者として指名手配された若きペルソナ使いたち。彼や彼女たちは、この危機を打破するために、新島冴のパレスを攻略していた。

 パレス内部の仕掛けを解き明かし、オタカラまでのルートを確保。あとは、決行日たる11月19日――強制捜査が行われる前日まで息を潜めるのみとなる。

 入り口まで戻り、イセカイナビを起動して現実世界へと帰還しようとしたときだった。――スマホに異様なノイズが走り、奇妙なアナウンスが響き渡ったのは。

 

 

『新しい迷宮を発見しました』

 

『ナビゲーションを、続行します』

 

 

 世界は暗転し、気づいたらそこは、見覚えのない世界。

 怪盗服から制服へと変化しているが、スマホの表示はパレス内部のまま。

 現実世界へ帰るはずが、未知なるパレスへ迷い込んでしまったのだ。

 

 未知のパレスは、曇天に覆われていた。入り口には、ペンキの禿げた看板が斜めに寄りかかる。辛うじて読み取れたのは、『シャドウメイズ・ワンダーランド』の文字だけだ。朽ちて大穴が空いたフェンスの向こう側には、錆び切った遊具や廃墟の群れが並んでいた。入力した覚えはないが、パレスのキーワードは『廃墟』、『遊園地』あたりだろうか?

 イセカイナビを起動して脱出しようにも、『ナビゲーションを、続行します』と呟き続けるだけだった。“何かがアプリに干渉し、怪盗団がこの空間から脱出できないようにしている”ことを察知した面々は、脱出する方法を探すため、まずは廃墟と化した劇場へと足を踏み入れる。妙に小奇麗な青一色の装飾と、ステージの上に置かれた学生机と椅子が目を惹いた。

 

 

「――また、フィレモンかニャルラトホテプが“変な遊び”でも始めたのかよ……」

 

 

 変化は唐突に訪れた。

 

 朽ちかけた学生机と椅子が突如、在りし日の美しさを取り戻す。鮮やかな青(ベルベット)が劇場を染め上げ、部屋は煌びやかな雰囲気へと包まれた。

 驚く怪盗団だが、更に変化が起きた。先程まで誰も座っていなかったはずの椅子に、青年が腰かけていたのである。机に突っ伏して眠っていた彼は、起きて早々、不機嫌そうにため息をついた。

 

 

「あんた、名前は?」

 

「空本至。エルミンの2年生だ」

 

「えるみん? ……オコジョのこと?」

 

「聖エルミン高校。東京の郊外にある、中堅の伝統校だね」

 

 

 怪盗団は、灰色の学生服――聖エルミン学園高校の制服を着たペルソナ使いの学生、空本至と遭遇する。

 彼もこの空間に迷い込んでおり、尚且つ、()()()()()()()()()()()()()に心当たりがあるらしい。

 しかし、残念ながら、この空間から出る方法は分からないようだった。

 

 

「この空間に来る前に、自分が何をしてたか一切思い出せないんだ。……いや、もっと大事なことを忘れているような……?」

 

「……なあ、漣。なんかさあ、コイツの言動にすっげー既視感を感じるんだけど……」

 

「モルガナに似てるな。俺たちと出会ったとき、そんな風に言ってたから」

 

 

 

「……あの御仁……」

 

「モルガナ、どうかしたの?」

 

「上手く言えないんだが、ワガハイ、あの御仁には()()()()()()()()()()()()()()()()()ような気がしてな。……ワガハイの記憶に関係があるのか?」

 

 

 空本至の言動に、蓮と竜司は既視感を覚える。しかし、空本至に対して何かを抱いたのは、彼等だけではない。

 記憶喪失が通じたのか、失くした記憶/魂に刻まれた重要事項が共鳴したのか、黒猫は訝し気に首を傾げた。

 

 

「レディース・アンド・ジェントルメン! ご機嫌如何かな?」

 

 

 そこへ現れたのは、謎の男。

 

 煌びやかな青装束に身を包み、バタフライマスクで顔を隠した男は、自らを『語り手』と称した。“自分こそが、怪盗団と空本至をこの空間に呼び寄せた張本人である”と。

 「自分たちを元の世界へ帰せ」と訴える怪盗団や空本至に対し、『語り手』は告げる。“この世界に秘められた謎を解き明かし、正しい手順で儀式をすれば出られる”と。

 件の劇場を攻略拠点にして、怪盗団と青年は寂れた遊園地を散策した。――すべては“元の世界へ帰り、自分の成すべきことを成し遂げる”ために。

 

 

 

 

 まず最初に足を踏み入れたのは、雪と氷に覆われた城。

 聖エルミン学園の校舎と、落ちていた演劇――『雪の女王』の台本をモチーフにした世界。

 

 『ペルソナさま遊び』、『聖エルミン学園七不思議』、『雪の女王』、『スノーマスク』、『呪い』、『氷の城』。

 

 

「至、お前は下がれ」

 

「キミは戦う術を持っていないだろう? ここは僕たちに任せてくれ」

 

 

「――ああそうだ。戦わなくちゃ」

 

 

『ペルソナさま、ペルソナさま。おいでください』

 

 

「その術を、俺は知っているはずなんだ――!!」

 

 

 ペルソナ――“自分の心の中に宿す、もう1人の自分”。

 紐解かれるのは、すべての原点。始まりの日。

 生まれた意味を探す青少年が体験した、不思議な物語だ。

 

 

 

「奇遇だな。俺の弟分も“吾郎”って名前なんだ。最近ウチに来たばかりの弟分でさー」

 

「へ、へえ……。そうなんだ。僕も吾郎だから、既視感あるなあ」

 

「そうそう。色々あったせいか、処世術が上手いんだよな。――丁度、今のキミみたいに!」

 

 

 

 失くしたものを取り戻す。

 本来の姿を取り戻す。

 

 

 

 次に足を踏み入れたのは、廃墟と化したビル。

 朽ち果てた看板から読み取れたのは、掠れたアルファベット――Sebecの文字だけだった。

 

 『セベク・スキャンダル』、『神取鷹久』、『園村麻希』、『白と黒の双子/あいとみき』、『生きる意味』、『ノモラカタノママ』、『アヴディア界』、『パンドラ』。

 

 

『キミは、何のために生きている?』

 

『その答えを探すため』

 

 

 あの日の問いに、誰が何と答えたのだろう。あの日の問いに、自分は何と答えただろう? その答えを、自分はちゃんと見つけることができただろうか?

 

 

『空本至。――キミは、生まれたこと自体が間違いだったんだ』

 

 

 誰に何を言われても。自分が一体何だったのかを突きつけられても。数多の恥を晒し、他者へ理不尽をばら撒くだけの存在に成り下がろうと。

 それでも生きるのだと、無様に、我儘を叫び散らしながら、泥と傷に塗れながらも歩いていくことを選んだ。生きていきたいと願った命があった。

 

 ――そうして今、間接的にこの問いを投げかけられた怪盗団の面々は、その問いに対して何と答えるのだろうか?

 

 

 

「イタルさま。貴方は今、何歳で、どこに住んでいて、どのような肩書を持っていらっしゃいますか?」

 

「時間感覚がよく分からないが……今の俺は20歳、住所は珠閒瑠市夢崎区▲▲▲-◆◆◆メゾン昴星、○○大学○○学部○○科2年、南条コンツェルン非公認特別研究部門に在籍する調査員かな?」

 

「南条コンツェルンって、日本でも有数の大財閥じゃない!?」

 

「社交界でも何度か顔を合わせたことがあるわ。政財界の大物や政治家ともコネを持ってるっていう、由緒正しい資産家……」

 

「肩書は凄いけど、とっても愉快な人だよ。サトミタダシ薬局店の歌を聞いて洗脳されたりしてたし」

 

「えっ」

 

「南条くんが高校時代のクラスメートでさあ。卒業後はペルソナ関係の部署を立ち上げるって言ってたから、兄弟そろって協力することにしたんだ」

 

 

 

 失くしたものを取り戻す。

 本来の姿を取り戻す。

 

 

 

「久しいな、空本至。随分と愉快なことになっているじゃないか!」

 

「ニャルラトホテプ……!」

 

「キサマ、よくもワガハイの前に、ぬけぬけと!!」

 

 

(……あれ? 何でワガハイ、コイツのことが嫌いで仕方ないんだ……!?)

 

 

 次に足を踏み入れたのは、朽ちかけた船。七姉妹学園の制服を着た、金色の目を持つ男が不気味に嗤う。

 噂が現実になる街で、まことしやかにささやかれた噂があった。――今ではもう、誰も語る者がいない話。

 

 『デジャビュ』、『ライダースーツの青年』、『JOKER様』、『JOKER使い』、『向うの世界』、『罪と罰』、『モナドマンダラ』。

 

 

『お前が『鍵をかけて閉まっておけばいい』なんて提案しなければ、一連の悲劇が始まることはなかっただろうにな!』

 

 

 悪意に翻弄された末に、確約された悲劇があった。

 

 

『虫のいい話だな? 辛いことは仲間に押し付け、『自分だけ記憶を持ったままでいたい』などと、許しがたい大罪だ』

 

『罪には罰を下さねばならん。だから、その女と再び出会う機会を与えてやった。仲間たちと巡り合う運命を紡いでやったのだ』

 

 

 悪神は、楽しそうに笑っていた。

 善神は、涼しい顔して厳かに語り掛ける。

 

 

『我が化身の失敗作。人間に対し、災厄をばら撒くだけの欠陥品よ。――キミは、キミ自身の罪を償わなくてはならない』

 

 

 誰が罪を定めるのか。誰が罰を降すのか。誰がそれを裁くのか。裁定者はいつだって傲慢で、理不尽で、容赦がなくて、優しい顔して無慈悲な判決を下すのだ。

 その本質が超常であるが故に、大事なところで、人間と相いれることはない。人間に友好的だろうと、敵対的であろうと、決して油断してはいけないのである。

 

 

『――俺、『向こう側』へ帰るよ』

 

『淳は約束を守った。……今度は、俺の番だ』

 

 

 伸ばした手は届かない。数多の理不尽を差し向けられても、必死になって頑張っていた彼の頑張りは報われることはなかった。

 “何も忘れたくなかった”という大罪。周防達哉はそれを償うために、“愛する人と永遠に会えない”という罰を受けたのだ。

 大事なものを守るために、謂れなき罪を認め、理不尽な罰の執行を受けた命がある。――その背中は、決して忘れてはいけない。

 

 

 

「……なあ、至サン。今何歳で、ドコに住んでる?」

 

「今? 23歳で巌戸台◆◆◆-××月光館学園高等学校特別分寮在住。寮母兼南条コンツェルン非公認特別研究部門に在籍する調査員。桐条財閥の内偵捜査してた」

 

「桐条って、南条家の分家で相当な資産を有する企業よね」

 

「人脈がヤバいことになってる……!!」

 

 

 

 失くしたものを取り戻す。

 本来の姿を取り戻す。

 

 

 

「私と交わした契約を覚えているかな? 私が生み出した、失敗作の化身よ」

 

「――フィレモン」

 

「フィレモンさま……」

 

「お、おい。どうしたモナ? 突然直立不動になって」

 

 

 次に足を踏み入れたのは、月まで聳え立つ時計塔。大事なことを忘れたままの至へ、善神の化身は語り掛ける。

 誰かの罪が積み重なった挙句、無辜の少女に滅びの業を背負わせた。終わりを告げるかのように、時計塔の鐘が鳴り響く。

 

 『影時間』、『タルタロス』、『囚人服を着た少年(ファルロス)』、『放課後特別活動部』、『機械乙女(アイギス)』、『ストレガ』、『滅びの宣告者ニュクス』、『約束の日』――『あと3回』。

 

 大切な契約をした。理不尽だけれど、それを交わしてでも守りたい未来があって、守りたい人たちがいて、笑顔になってほしい人たちがいた。努力が報われてほしいと望んだ。

 終わりへのカウントダウンが始まる。1人の破滅は、誰の未来を守れるだろう。誰の笑顔を守れるだろう。――この命は、何を成すために生まれ落ちたのだろうか?

 近づいて来る終わりを噛みしめながら、今はまだ、守れたものを慈しんでいたい。彼らが信じる日常を、自分も信じていたかった。きっと最後まで、最後の最期まで。

 

 

 

「今年で26歳、八十稲葉にある旅館『天城屋』に長期宿泊中。南条コンツェルン特別研究部門に在籍する調査員で、クソみたいな化身ども(フィレモンとニャルラトホテプ)の遊びの駒として、弟分共々テレビの中に投げ込まれる形で八十稲葉に足を踏み入れた」

 

「神さま最低だな」

 

 

 

 失くしたものを取り戻す。

 本来の姿を取り戻す。

 

 

 

 次に足を踏み入れたのは、霧に覆われた神社の社。土地が視信仰が残る田舎をモチーフにした、寂れた広場。

 電柱に張り付けにされた死体の墓標をかき分けた先に、人々が求めた真実があった。

 

 『マヨナカテレビ』、『連続猟奇的殺人事件』、『特別調査隊』、『霧に覆われた街』、『都合のいい嘘』、『幾万の真言』――『あと2回』。

 

 もしも最後に、死ぬ理由を決めることができたなら。自分が死ぬに値する相手を、自分が死ぬに値する理由を、死ぬ寸前までに見つけることができたなら――それはとても、幸福なことなのではないかと考えた。死に方を選ぶことは、生き方を決めることと同義だから。

 選ぶことができないのなら、せめて足掻きたい。最高の結末を迎えるには、自分はあまりにも年を取りすぎた。天元を突破することが子どもの戦いならば、天井の下で足掻き続けることが大人の戦いであると。そのためなら、もう少し我儘になってみてもいいのではないかと。

 

 

『世の中クソだな!』

 

 

 キャベツ頭の刑事が吐き捨てた言葉は、この世の心理だと思う。コイツがぶちまけた本音は、あまりにも生々しくて痛々しかった。羨望と八つ当たりに満ち溢れた叫びは、誰もが心の奥底で抱えていたことだった。

 どんなクソ野郎にだって、捨てられないものがある。なくしたくないと思うモノがある。越えたくない一線があるのだ。実際このキャベツ野郎、なくしたくないものを守るために、自分の完全犯罪を無に帰す行動をとった。

 完璧じゃなくていい。出来損ないでもいい。弱くてもいい。どうしようもなくてもいい。頼りなかろうと、ズルばかりしようと、我儘であろうと、自堕落であろうと、汚い欲望塗れだろうと、人間は生きて行けるのだ。

 

 間違ってもいい。遅すぎたなんてことは何もない。輝ける未来は絶たれたかもしれないが、そこまで悲観する必要はなかった。

 

 だって知っている。世界は自分が思った以上に優しくはないけど、自分が思った以上に悲しいことも辛いこともないんだと。

 周囲を見回せば必ず誰かがいて、確かに誰かと結びついているのだから。――いつか、それが永遠に断ち切られる日が来ても、結んだことを後悔なんかしない。

 

 

 

「――ああ、そうだった」

 

 

 最後の契約を、思い出す。

 それを成すために、空本至はここにいた。

 

 

「思い出した。……思い出したよ。吾郎、黎」

 

 

「俺の交わした契約は――」

 

 

 

 失くしたものを取り戻す。

 本来の姿を取り戻す。

 

 

 

「これは旅路だ。空本至の歩いた、人生という名の」

 

 

 

 最後に広がるのは、朝日を思わせるような東雲色の空。けれど実際に、眼前に広がるのは黄昏時の空だ。夜明と夕方の暁が滲む向うに、青年は全ての答えを得る。

 

 

 

『いかないでくれ、兄さん……!』

 

 

 糸を切る。

 戦を司る神が、悲痛な顔をしたまま消えた。

 

 

『ダメだ、至さん!』

 

『お願い、思い出して! 私の口癖を忘れないで!』

 

 

 糸を切る。

 太陽を司る神と、月を司る女神の手は、こちらを掴めなかった。

 

 

『ダメだよ。そんなのダメだよ!』

 

 

 糸を切る。

 救世主は呆然と、切れた糸を見つめていた。

 

 

『こんな真実、見たくなんかなかった……』

 

 

 糸を切る。

 日本神話の神は、自分の目を覆って首を振っていた。

 

 

『――至さん』

 

 

 躊躇いながらも、糸を切る。

 1羽のヤタガラスが飛び立つ羽音を聞いた。

 悪魔の王たちは、その背中をずっと見つめていた。

 

 

 それを見届けた『語り手』は、茫然と佇む怪盗たちへと告げる。

 

 

 

「――さあ、お葬式を始めよう」

 

 

「これは、空本至という人間が、死に至るまでの物語だ」

 

 

 

 

 

 

 

「狂気の沙汰とは自覚しているよ。……『過去の自分を、過去の自分に縁がある面々と瓜二つの奴らに殺させよう』だなんて」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 寂れた遊園地にある、小奇麗な劇場。そのステージの中央に、献花で一杯になった棺がある。

 青年は眠っていた。綺麗な顔で、眠っていた。棺の淵に、仮面の男は腰かけていた。

 

 

 

「おめでとう。キミたちのおかげで、どこかの世界にいる誰かが救われた」

 

 

「キミたちは、ここで体験したことの一切合切を忘れるだろう」

 

 

「でも、この旅路は、キミたちの魂の中に深く刻み込まれる」

 

 

「いつか、キミたちにも選択を迫られる瞬間が訪れるかもしれない。もしかしたら、そのときに、大事なことに気づけるかもしれないよ」

 

 

「“気づいた後、どうするか”が一番大事なんだけどね」

 

 

 彼は怪盗団と対峙しながら、静かに語る。

 

 一人の男の生き様が、彼等にどのような影響を与えるかなんてわからない。何かの導になるかもしれないし、何の意味も無く打ち捨てられる可能性だってある。

 でも、いいじゃないか。蝶の飛んだ軌跡はどこへゆくのか――好奇心で見守ることくらい、きっと許してもらえるはずだ。生まれたばかりの神様は、そんなことを考えた。

 舞台の上には誰もいない。じきにこの世界も崩壊することだろう。神様が手をかざすと、そこは高層ビルよりもっと上――怪盗団と悪神の最終決戦場。

 

 光に満ちた空を眺める青年の背中へ、神様は静かに歩み寄る。

 振り返った彼は、静かに笑みを浮かべていた。

 

 

 

 ――()()は見ていたのかもしれない。どこかの世界で戦う誰かの姿を。

 

 黒い切り札が、仲間たちを守るために己の実を差し出す未来を。

 白い烏が、最後の最期に本音をぶちまけ、嘗て描いた正義に殉じる未来を。




前話の???が結局頓挫してしまったのと、ペルソナQ2の情報を目にしたことが切っ掛けで書き上げた嘘予告風SS。
簡潔に言うならば、“原作怪盗団が、『間接的に至を殺す』ことで世界を救う”お話です。因みにこの遊園地を攻略しないと、世界が滅ぶ模様。選択権はナシ。
こちらも続く予定はありません。あくまでもオマケであり、本編の掘り下げ+ネタ補完系のお話です。

また何かあったら、こんな感じのSSをUPするかもしれません。
そのときはどうか、この作品と書き手をよろしくお願いします。


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嘘予告その3

【諸注意】
・完全な蛇足話。
・完結した本編の余韻をぶち壊しにする恐れがある(重要)。
・完結した本編の余韻をぶち壊しにする恐れがある(重要)。
・完結した本編の余韻をぶち壊しにする恐れがある(重要)。
・こんな可能性がどこかに転がっていることを示唆しているだけで、それが実際になるわけではない(重要)。
・こんな可能性がどこかに転がっていることを示唆しているだけで、それが実際になるわけではない(重要)。

・『ペルソナ5 ザ ロイヤル』に関連する、重要なネタバレ要素が含まれている(重要)
・『ペルソナ5 ザ ロイヤル』に関連する、重要なネタバレ要素が含まれている(重要)
・『ペルソナ5 ザ ロイヤル』に関連する、重要なネタバレ要素が含まれている(重要)
・『ペルソナ5 ザ ロイヤル』に関連する、重要なネタバレ要素が含まれている(重要)

・『P5R/3学期』に関するネタバレを把握していることをお勧めする。
・『P5R/3学期』に関するネタバレを把握していることをお勧めする。
・『P5R/3学期』に関するネタバレを把握していることをお勧めする。
・『P5R/3学期』に関するネタバレを把握していることをお勧めする。

・普遍的無意識とP5ラスボス&P5Rラスボスの間にねつ造設定がある。
・『改心』と『廃人化』に関するねつ造設定がある。

・『ペルソナ5 ザ ロイヤル』のせいでヤバさが上昇している(重要)
・『ペルソナ5 ザ ロイヤル』のせいでヤバさが上昇している(重要)
・『ペルソナ5 ザ ロイヤル』のせいでヤバさが上昇している(重要)
・『ペルソナ5 ザ ロイヤル』のせいでヤバさが上昇している(重要)
・『ペルソナ5 ザ ロイヤル』のせいでヤバさが上昇している(重要)


 

 

 嘗て“彼”は、理不尽に奪われました。

 

 理想も、希望も、祈りも、未来も、居場所も、大切な“もの”も――何もかもを失くしてしまいました。

 

 “彼”の眼前に広がるのは、理不尽と悲劇に彩られた現実だけ。身体を引き裂くような、痛みに塗れた現実だけ。

 

 最も、“彼”が味わった不幸は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()でしかありません。

 

 “彼”が味わった不幸など、現実には当然のように蔓延している“よくある悲劇(こと)”でしかないのです。

 

 

 けれど、その()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()に苦しむ人々は沢山います。

 

 “彼”は、自分が味わった痛みや悲しみに苦しむ人々の心を癒したいと考えました。

 

 『人を救いたい』と、心の底から思いました。

 

 そのための行動を惜しみませんでした。

 

 

 それでも現実は辛いまま。

 

 悲しいことが続きます。

 

 心折れて崩れ落ち、更なる悲劇へと突き進む人をたくさん見ました。

 

 

 その度、“彼”は、自分の無力さに打ちひしがれました。

 

 その度、“彼”は、嘗ての喪失を思い出しました。

 

 その度、“彼”は、傷跡が開く痛みにのたうち回りました。

 

 その度、“彼”は、痛みが蔓延する『()()()()()()()』に打ちのめされました。

 

 その度、“彼”は――何度も何度も、絶望を突きつけられました。

 

 

 ――だから“彼”は、世界を変えようとしました。

 

 『痛みも悲しみもない、当事者が望む理想の世界で、前を向いて生きて行ける世界』を、作り上げようとしたのです。

 

 

 

 彼には力がありませんでした。

 枯れには力がありませんでした。

 カ例にはチ殻がありませんでした。

 嗄例二ハ千佳羅があり魔センでシた。

 カレには力チカラ地下等Tiカ螺千佳羅チ殻チカラチカラチカラ螺羅良良ラRaLaRRRRRRrrrrrrr――――

 

 

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 ――“彼”には、()()()()()()()

 

 『誰かが望んだ現実を、形にする』という()()()()()()()

 

 最初は局地的なモノでしかありませんでしたが、時間が経過していくうちに、それは『現実を自在に書き換える』ほどにまで強くなっていきました。

 

 

 “彼”の力によって救われた人間――その筆頭が、花の名を冠する少女でした。

 

 彼女は理不尽な喪失に直面し、その傷に苦しみながら生きていました。

 

 『その喪失の原因は己である』と、自分自身を責め続けていました。

 

 彼女は『彼女が望む“理想の現実”』を手にし、前向きに生きています。

 

 

 その姿は、“彼”にとって、自分の理想が正しいものであると実感させてくれる光景でした。

 

 その姿は、“彼”にとって、自分の救済が正しいものであると実感させてくれる光景でした。

 

 

 ――その姿は、“彼”にとって、『“彼”自身が救われた姿』も同然でした。

 

 

 “彼”が「人を救いたい」と願ったことには、嘘偽りはありません。

 

 けれどそれ以上に、“彼”が救いたかったのは――――――

 

 

 

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 “彼”が救いたかったのは、“誰”でしょうか?

 

 

 

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 ――“彼”はどうやって、その力を手に入れたのでしょうか?

 

 

 

 

 

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◆◆◆

 

 

 

 

 救わなければなりません。

 

 導かなくてはなりません。

 

 

 人類を、数多の理不尽から救わなければなりません。

 

 人類を弄ぶ理不尽の権化から、守らなければなりません。

 

 人々が彷徨い歩かずに済むように、導かなくてはなりません。

 

 悲劇が繰り返されないように、戦わなくてはなりません。

 

 ――“私”のような痛みを味わうような被害者が、1人でも減ることを願って。

 

 

 助けなければなりません。

 

 導かなくてはなりません。

 

 

 理不尽の権化に見いだされ、玩具にされてしまった被害者を、助けなければなりません。

 

 彼らが奴らとの不平等契約によって発生する地獄絵図を、阻止しなければなりません。

 

 被害者たちを、『理不尽の権化によって舗装された破滅』から遠ざけるために、導かなくてはなりません。

 

 彼らが、奴らのせいで居場所を失ってしまわぬよう、戦わなくてはなりません。

 

 ――“私”のような痛みを味わうような被害者が、1人でも減ることを願って。

 

 

 守らなければなりません。

 

 導かなくてはなりません。

 

 

 あの子たちの笑顔が、少しでも陰ることのないように。

 

 あの子たちが過ごす世界が、少しでも優しいものであるように。

 

 あの子たちが、降り注ぐ理不尽と対峙するための力になれるように。

 

 あの子たちの味方になるであろう人々と、あの子たちを結び付けるために。

 

 ――()()()()()()()()()()ことこそが、“私”の得意分野なのですから。

 

 

 

 

 

 

 あんな理不尽の権化になど、どうか負けないで。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()“私”のような末路を、辿らなくていいように。

 

 

 自分が選び取った道を進んでください。

 

 その結末がどんなものであったとしても、選んだことには誇りと責任を持って。

 

 

 自分たちが積み上げてきた痛みを、なかったことにしないでください。

 

 その痛みも含めて勝ち取ったものこそが、貴方が掴んだ権利そのものなのですから。

 

 

 そのためならば、何だってして見せましょう。

 

 数多の可能性を束ね、世界を顕現して見せましょう。

 

 折角だから、人類をリソースにしてふんぞり返っていた神々の力もぶち込みましょう。

 

 あの子たちに理不尽を強要したのだから、それくらい返すのが筋というモノでしょう?

 

 『身勝手には身勝手が返ってくる』ことこそ、因果応報ではありませんか!

 

 

 

 

 いつか救われるから。

 

 いつか幸せになれるから。

 

 そう言い聞かせながら、歩んできました。

 

 

 

 

 人を救いました。

 

 救い続けました。

 

 そうしようと思ったきっかけも忘れましたが、今でも続けています。

 

 

 だって痛い。

 

 こんなにも痛くてたまらない。

 

 自分がこんなに痛いのだから、あの子たちだって痛いに決まっている。

 

 

 

 

「“私”があなたをすくいましょう」

 

「あなたが前を向いて生きていけるように、手を貸しましょう」

 

「そのための力になりましょう。そのための力をあげましょう」

 

 

「――その代わり、あなたは私と契約してください」

 

「“どんな結末を迎えても、前を向いて生きていく”と」

 

 

 

 神様は、人を使い潰すのが得意です。

 

 善意であっても、悪意であっても、質が悪いことは事実です。

 

 神様は言葉が足りません。

 

 重要なことを話してくれないのはいつものことですし、嘘をつくことも日常茶飯事です。

 

 

 

 “私”が“彼”に契約を持ち掛けた際、“私”は■生史上初めて嘘をつきました。

 

 “私”が“彼”に契約を持ち掛けた際、“私”は■生史上初めて重要なことを隠しました。

 

 “私”が“彼”に契約を持ち掛けた際、“私”は■生史上初めて契約者を使い潰すことにしました。

 

 

 

「期限は20XX年の、2月3日が終わるまで」

 

「『この日が終わるまでの間に、あなたの城が崩壊した』場合、あなたの理想は潰えるでしょう」

 

「裏を返せば、『この日が終わっても、あなたの城が残り続けていた』暁には、あなたの理想が現実へと置き換わる」

 

 

 

 “私”が“彼”に契約を持ち掛けた際、“私”は■生史上初めて『斃されるべき邪悪』を作りました。

 

 同時に、“私”自身を、『斃されるべき邪悪』の立ち位置へ置きました。

 

 それがとんでもないエゴであることも分かっていたし、そのエゴのために世界を巻き込むことを選びました。

 

 

 ――本当に救われたかったのは、“私”だったので。

 

 

 

***

 

 

 

 そこには最早、始まりも終わりも何もない。

 

 嘗てあり、今あり、将来あると考えるものはすべて、同時に存在している。

 

 低次元に生きる命では、それを認識できないだけ。

 

 提示減と高次元の間にある線引きに異常が発生しない限り、低次元に生きる命は、それに触れることはない。

 

 

 神々は平然とそれを犯し、無辜の人々を踏み躙る。

 

 奴らと同じ場所まで()()()“私”なら、それを成すことも可能なのだ。

 

 

 門にして鍵。

 

 彼方の者。

 

 すべては1つであり、1つはすべてである。

 

 可能性は無限。

 

 

 だけれど、()()()()における結末は1つ。

 

 ()()()()では、その1つの結末こそがすべてであり、すべてはその結末の為にある。

 

 

 

 ――すべては、たった1つの『結末』へと至るための旅路。

 

 

 

「これは、『生きる意味を探す権利』、『誰もが自分の夢を叶える権利』、『限りある命を精一杯生きる権利』、『真実を求める権利』を守るために戦ってきた先人たちの答えを受け継いだ少年少女が、今度は『自由を得るために戦う権利』を守るために立ち上がる物語」

 

「そうして、これは――『好き勝手しすぎた神様が、反逆の意志によって打ち倒されることで、すべてが救われる』ための物語だ」

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

「先生、ご存知ですか?」

 

 

 鳶色の髪を赤いリボンでポニーテールに結った少女――芳澤かすみの問いかけに、白衣の男性教諭――丸喜拓人は思わず首を傾げる。

 かすみは穏やかな笑みを湛えながら、言葉を続けた。

 

 

「『悪いことをした神様が、その罰として“人間に転生させられた”』話があるんですよ」

 

 

 

 

 

「――終わりになんか、させない」

 

 

 そう言った黒い怪盗は、どこまでも真っ直ぐな目をしていた。

 

 

「――一緒に、帰ろう」

 

 

 そう言った白い怪盗は、どこまでも真っ直ぐな目をしていた。

 

 すべてが崩れていく。何もかもが崩れていく。

 その中で、契約者だった“彼”は確かに見た。

 

 罰を下された神様が消える際に発生した光を。

 光の中で、すべてを『()り戻した』青年たちの姿を。

 そんな彼らの元へ駆け寄る、神から人間へと至って『帰って来た』人間の姿を。

 

 

『――その代わり、あなたは私と契約してください』

 

『“どんな結末を迎えても、前を向いて生きていく”と』

 

 

 神様と契約したときのことを思い出し、“彼”はすべてを理解した。

 自分は神様に騙されていたと理解した。この結末に至る為だけに、自分は利用されたのだと。

 重大な裏切りを知っても、不思議なことに、“彼”は神様を責める気にはならなかった。

 

 ――だって仕方ないじゃないか。自分はもう、怪盗団と神様によって救われてしまったのだから。

 

 眩しくて、目を細める。

 今ならもう一度、立ち上がれるような気がした。

 

 




ネタバレを把握した勢いで、何も考えずに書き漁ったP5R話。現状、続く予定はありません。
『意味が分かると(ある意味で)怖い話』を目指したつもりです。


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無題

【諸注意】
・完全な蛇足話。
・完結した本編の余韻をぶち壊しにする恐れがある(重要)。
・完結した本編の余韻をぶち壊しにする恐れがある(重要)。
・完結した本編の余韻をぶち壊しにする恐れがある(重要)。
・こんな可能性がどこかに転がっていることを示唆しているだけで、それが実際になるわけではない(重要)。
・こんな可能性がどこかに転がっていることを示唆しているだけで、それが実際になるわけではない(重要)。

・『ペルソナ5 ザ ロイヤル』に関連する、重要なネタバレ要素が含まれている(重要)
・『ペルソナ5 ザ ロイヤル』に関連する、重要なネタバレ要素が含まれている(重要)
・『ペルソナ5 ザ ロイヤル』に関連する、重要なネタバレ要素が含まれている(重要)
・『ペルソナ5 ザ ロイヤル』に関連する、重要なネタバレ要素が含まれている(重要)

・『P5R/3学期』に関するネタバレを把握していることをお勧めする。
・『P5R/3学期』に関するネタバレを把握していることをお勧めする。
・『P5R/3学期』に関するネタバレを把握していることをお勧めする。
・『P5R/3学期』に関するネタバレを把握していることをお勧めする。

・普遍的無意識とP5ラスボス&P5Rラスボスの間にねつ造設定がある。
・『改心』と『廃人化』に関するねつ造設定がある。

・『ペルソナ5 ザ ロイヤル』のせいでヤバさが上昇している(重要)
・『ペルソナ5 ザ ロイヤル』のせいでヤバさが上昇している(重要)
・『ペルソナ5 ザ ロイヤル』のせいでヤバさが上昇している(重要)
・『ペルソナ5 ザ ロイヤル』のせいでヤバさが上昇している(重要)
・『ペルソナ5 ザ ロイヤル』のせいでヤバさが上昇している(重要)

・『ペルソナ5 ザ ロイヤル』を誹謗中傷する意図はない(重要)
・『ペルソナ5 ザ ロイヤル』を誹謗中傷する意図はない(重要)
・『ペルソナ5 ザ ロイヤル』を誹謗中傷する意図はない(重要)


・ジョーカーのみ先天性TS。
 ジョーカー(TS):有栖川(ありすがわ) (れい)⇒御影町にある旧家の跡取り娘。旧家制度は形骸化しているが、地元の名士として有名。身長163cm。


 

 

(もう嫌だ)

 

 

 その言葉は、すべてへの拒絶。

 

 

(もう、何も見たくない)

 

 

 繰り返される悪夢を見た。

 “あの人”が、自分の目の前で失われ続ける夢。

 死後も名誉を穢され、犯罪者として詰られ続ける夢。

 

 変えられない現実だということは、分かっている。

 長い時間を過ごすうち、表面だけはどうにか取り繕えたけれど。

 

 “ソレ”を直視し続けた心は、もう限界だった。

 

 

『“件の人物”の研究は、いずれ我々の邪魔になる。貴方の理想――最強国家を作るためには、必要な犠牲だった』

 

『馬鹿な奴だ。認知訶学に手を出した、己の不運さを恨むがいい』

 

 

 ――目を塞いでいた手を話したのは、楽しそうに笑う少年と、男の声が理由だった。

 

 見なければならないと直感した。聞かなければならないと直感した。

 たとえそれが、己を破滅に導く劇薬だったとしても。

 

 

『“奴”の件も、心不全ということにしておきました』

 

『完璧だな。これで最早、認知訶学に触れてくる者――私の邪魔になる存在はなくなった』

 

『念のため、認知訶学関係の資料を徴収しておきましょう。研究に関わった人間に対しては、適宜処理を行います』

 

『やり方はお前に一任しよう。金を握らせるなり、研究者として失脚させるなり、息の根を止めるなり、好きにするがいい』

 

 

 男は嗤っていた。己が摘み取った命の価値を嗤っていた。

 自分にとっての最愛の人は、奴にとっての羽虫でしかなかったのだと理解した。

 だから、男は罪悪感を抱いていない。自分が悪いとは、一遍も思っていない。

 

 ――それは、奴と談笑する少年にも言えたことだ。

 

 何故、奴らはそんなことができたのだろう。そんな卑劣な真似ができたのだろう。

 “彼”には何1つとして罪はなかった。非もなかった。自分には勿体ないくらい、優しい人だったのに。

 

 

『――邪魔者は排除してやったんだ。精々踊ってくれよ? ■■■■』

 

『我が主君にして唯一無二の絶対神、■■■■■■様のために』

 

『此度のゲームは、楽しいことになりそうだ』

 

 

 少年は嗤っていた。この世界に生きる人間たちそのものを、嗤っていた。

 その中には、無残に殺されてしまった“あの人”も含まれる。

 

 

(許せない)

 

 

 抱いたのは、怒り。

 

 

(許せるはずがない)

 

 

 自分から“恋人”を奪った人間も、“恋人”を邪魔者だと嘲笑った神様も、赦してやることなどできやしない。

 奴らの馬鹿げた理想のために、“恋人”や自分たちの人生は踏み躙られるべきだなんて言われる筋合いもない。

 

 復讐の炎が爛々と燃え上がる。最早、目を塞いで蹲っている時間すら惜しかった。

 

 常人では理解できないような理由で命を奪われてしまった“恋人”のために、自分は立ち上がらなければならない。

 “恋人”の名誉を取り戻し、“恋人”に理不尽を強いた人間と神に、自分たちが犯した罪を償わせなければならない。

 

 ――でも、現実というものは、どこまでも残酷だ。

 

 

『今回の奴には手こずりましたが、どうにか処分できそうです』

 

『『日常的に違法捜査を行っていた刑事が、検察に決定的な証拠を掴まれた。もう逃げられないと悟り、焼身自殺を図った』という筋書きでお願いしますね』

 

 

 度重なる暴力と、許容量を超えるほどの薬剤を打たれたことによって、指先一つ動かすことすらままならない。部屋は密室、周囲は炎と煙が充満している。文字通りの万事休す。このまま座して死を待つつもりなど毛頭ないが、この状況を打破できる程の材料は、何1つとして存在しなかった。

 二酸化炭素と薬剤による中毒のせいで、意識がどんどん遠くなっていく。赤々と燃える炎がぐにゃりと歪んだ。……自分はこのまま、死んでいくのだろう。復讐を果たせず、愛する人に着せられた汚名を晴らすこともできないまま、彼に何もしてやれないまま。

 

 

(こんな現実、認められない)

 

 

 憤っても、自分にできることなど何もなかった。

 何一つ成せぬまま、死んでいくしかなかった。

 悪夢みたいな現実が、眼前に広がり続けるだけ。

 

 

(こんな現実、見たくない)

 

 

 首を振っても、助けが来るはずもなかった。

 何一つ成せぬまま、死んでいくしかなかった。

 悪夢みたいな現実が、眼前に広がり続けるだけ。

 

 現実は変えられない。“恋人”を失ったことも、自分が最早死ぬ以外に道がないことも。

 既に分かっていた。嫌という程、骨身に沁みて理解していた。

 

 

(ああ、それでも。……もし、赦されるなら――)

 

 

 脳裏に浮かんだのは、穏やかに微笑む“恋人”の姿。

 

 

(……生きて、笑っているあなたに、会いたかったな……)

 

 

 世界を変えるだなんて、大それたことを願うつもりはない。それは、“恋人”の命や死後の安息を奪い取った連中と同じことだと分かっていたから。

 『“恋人”に迎えに来てほしい』と口に出すには、身も心も穢れ墜ちた。きっと、“恋人”が今の自分を見たら、幻滅して去ってしまうことだろう――。

 

 

「――?」

 

 

 いつの間にか、自分の眼前に黒い人影が佇んでいる。揺らめいていた炎は動きを止め、体中を舐め回すように吹き荒れていた熱風も鳴りを潜めている。炎の爆ぜる音もない。

 次の瞬間、ぴくりと指先が動いた。暴力を振るわれた後の痛みも無ければ、薬物による作用も消えている。拘束に使われていた縄やガムテープもなくなっていた。

 おそるおそる体に力を入れれば、自分の身体は何の不具合も無く立ち上がることができた。歪んでいた視界も、いつの間にか綺麗になっている。

 

 人影の正体は、黒いペストマスクをつけ、青と黒を基調にした外套を身に纏った青年であった。青年の周囲には、銀色に輝く蝶の群れが羽ばたいている。

 

 彼が“人ではない”――人間ではなく、どちらかと言えば“神”と呼ぶべき存在――であることは、一目見て理解できた。

 それ故に、自分は思わず身構える。自分が知っている神は、『己が計画したゲームのために、不都合な存在に成りうるであろう“恋人”を死に追いやった』クソ野郎だけだ。

 

 

「あなたは、神と呼ばれる存在が嫌いなんだな」

 

 

 自分の態度から、彼は『神という存在に対し、自分がどんな感情を抱いているか』を把握したのだろう。彼は寂しそうに苦笑する。

 しかし、それも一瞬のこと。彼は悪戯がバレたような子どもみたいな声で、密やかに告げる。

 

 

「――実は()も、神が嫌いなんだ」

 

「え……」

 

「奴らには、何度も辛酸を舐めさせられた。数多の理不尽を目の当たりにしてきたし、奴らの馬鹿げたゲームのために振り回されてきたから」

 

 

 「だからどうしても、あなたを放っておけなかった」と彼は苦笑した。「余計なお世話だと分かっていながら、見過ごすことができなかった」と。

 「自分も、『大嫌いな連中と同等の行動をしている』のだと分かっていても、見て見ぬふりはできなかったのだ」と、申し訳なさそうに目を伏せた。

 

 彼の言動は、どことなく、人間の子どもと似通っている。

 

 大人は汚いものを割り切ることができるけど、子どもはそれに対して強い嫌悪感を拒否感を抱くことが多い。大人は理性で目をつぶることができるが、子どもは自身の感情に素直だ。自身が「間違っている」と思ってしまえば、声を上げずにはいられなくなる。――まあ、子どもの中にも早熟な者がいるから、一概には言えないのだけれど。

 神が科した理不尽な所業に、彼は酷く怒りをあらわにしていた。己の存在に対し、寂しさと悲哀を滲ませながら。己の心を嘘偽ることなく、余すところなく、自分の前にさらけ出している。……少しだけ考えた後、自分は警戒を解いて彼と向かい合う。それを見た彼は安心したように微笑んだ。ゆっくり、彼は口を開く。

 

 

「『現実は変えられない』というのは、世の中の真理だ。あなたの死はもう覆せないし、“この世界”におけるあなたの結末は変えられない」

 

 

 だけど、と、彼は言葉を続ける。

 

 

「あなたの抱いた想いが、これからの世界を――ひいては、どこかにいる誰かの人生に、影響を与えることができるかもしれない」

 

 

 彼は、こちらへ手を差し伸べてきた。

 

 

「神を嫌い、神に怒りの矛先を向けた人の子よ。神による悪逆非道に反旗を翻した“反逆の徒”よ。ここはひとつ、契約をしないか?」

 

 

 彼はどこか大仰に、芝居がかった動作で畏まってみせる。

 

 

「私はキミに、途切れた道の先を見せよう。何処かに在り得たかもしれない世界の果てを見せよう。地平線の先、扉の向こう側への道と、銀の鍵を示そう」

 

「もし、こちらが話を断ったら?」

 

「あなたはこのまま、生きたまま焼かれて死ぬだろう。何も見届けることも無く、知ることも無く、残るものが何かもわからぬまま。あなたの旅路はここでお終いだ」

 

 

 彼はなんてことないように言い放ち、肩を竦める。

 事実を淡々と告げているだけの、無機質な喋り方だ。

 

 

「……それで、あなたの条件は?」

 

 

 “契約とは、ギブアンドテイクで成り立つものだ。見返りに何が欲しいのか”――言外に問いかければ、彼は悪戯っぽく笑う。

 

 

「『届けて』ほしいんだ。この祈りを」

 

「祈り?」

 

「“こんな残酷で優しい現実(せかい)で、あなたが笑っている可能性(みらい)がありますように”って」

 

 

 神に至った存在が願うにしては、あまりにもささやか過ぎる。スケールと存在のギャップに目を見張ってしまったのは、仕方がないことだろう。

 そんな自分の反応を見た彼は、非常にしょっぱい顔をした。「自分は他の奴らと違い、そこまで万能ではないんだ」と俯く青年からは、苦々しさがにじみ出ている。

 

 

「本当なら、その可能性(みらい)事体をこの現実(せかい)に顕現することができたらよかったんだけどさ。()()()では厳しいんだ」

 

 

 ……話を聞く限り、非常に世知辛い。彼につられるようにして、自分もしょっぱい表情を浮かべてしまった。だが、青年は閑話休題と言わんばかりに顔を上げた。

 

 差し出された青年の掌に、銀色に輝く鍵が姿を現す。

 それはふわりと宙に浮き、静かに静止していた。

 見た感じは何の変哲もない鍵のようだが、どこか神秘的な空気を放っている。

 

 

「これは文字通りの、銀の鍵。世界の何処かにある可能性へつながる扉を開くためのものだ」

 

「扉を開く……? まさか――」

 

 

 “これを使えば、他の可能性を内包した世界へ足を踏み入れることができるのか”――自分の問いに、青年は頷く。

 

 

「ただし、これは劣化品だ。正規の鍵とは違って、非常に大きな欠陥がある」

 

 

 青年は、暗い顔をしたまま補足した。

 

 

「『銀の鍵を使えるのは、『扉を開きたい』という確固たる意志持つ()()のみ』という点は、本家と同等。だが、それを行使するためには、数多のリソースが必要となる。……それも、この現実(せかい)()()()火にくべる程に」

 

 

 ――それは、理不尽で不都合な現実を対価(リソース)にすることで開かれる扉。

 

 自分以外の誰かが知れば、きっと黙って見逃せないであろう犠牲。自分たちが嫌う神と同じ所業にして、討ち果たされるべき悪逆だった。どんなお題目があったって、到底許されるはずがない。

 実際、自分だって、人間の自分勝手な悪意/神による自分勝手な遊びによって“恋人”を奪われた。そのとき、何を考えたか――それを、ひと時も忘れたことなんかない。当時の怒りがフラッシュバックし、思わず拳を握り締める。

 

 

「あなたはあなたの願いのために、私は私の願いのために、この不都合な現実(せかい)を燃料にする。願いが叶うのは――おそらく、積み上げられてきた数多の祈り諸共、燃やし尽くした果ての果てだけ」

 

「……そうして、その果てが訪れたその瞬間、我々は討ち果たされるべき悪逆として燃え尽きる……」

 

 

 青年の言葉を引き継ぎながら、顎に手を当てる。どう考えても割に合わない。

 自分がこの神に協力したとして、得られる恩恵は皆無に等しかった。

 

 自分に迫る死の運命から逃げることも叶わない。胡蝶の夢を見るためだけの延命処置に、どれ程の価値があったのか。

 たった一瞬の奇跡に触れるために、燃え盛る炎の中へ還る運命(だけ)の人間がする悪逆(こと)ではないだろう。

 理不尽に憤ったが故に、理不尽で返す――無辜の人々をくべて燃やした炎は、それを非と叫んだ者によって消し去られる定めだ。

 

 

「進むこともできず、戻ることもできない。逃げ出すことも不可能」

 

 

 あまりにも都合が悪すぎる現実に、ため息が出た。

 

 自分や青年を取り巻く状況は、どこまでも不都合で理不尽が過ぎている。

 ささやかな幸福すら、神様は赦してくれない。いつもいつも、向うの都合で踏み躙られてばかりだ。

 

 

「――残された道は、“ほんの一時留まって、泡沫の夢を見る”ことだけ」

 

 

 自分が歩んだ道は、神によって理不尽に断ち切られてしまったけれど。

 途切れた道は、最早どこにも繋がりはしないけれど。

 本来ならば、自分はもう、ここから先へは行けやしないのだけれど。

 

 ――それでも。

 

 “自分が歩んできた道が、誰かの導になる”――その瞬間を、見届けることができるのならば。

 “愛する人が生きている世界”――どこかに存在しているであろう可能性を、一目でも見ることができるならば。

 

 

「ひとつ、訊いてもいいかな?」

 

「?」

 

「“あの人”を踏み躙り、嘲笑った神に、一泡吹かせることもできる?」

 

 

 ――そうして、その果てに。

 

 どこにも行けなかったこの憎悪/悲哀の刃が。

 どんな形であれ、人の運命を狂わせて嗤う神の喉元に届くならば。

 

 

「“あの人”に、『愛している。どうか、前を向いて幸せになって』と伝えることもできる?」

 

 

 どこにも行けなかったこの愛情が。

 どんな形であれ、“あの人”の元に届くのならば。

 

 

「――ああ、できるとも」

 

 

 青年は、自信満々に言い放った。

 

 

***

 

 

「ところで、本物の銀の鍵と、あなたが作り出した銀の鍵の違いは何?」

 

「――本物の鍵は、蝶なんだ。光の反射角度によっては、東雲色にも見えるんだよ」

 

 

 

◆◆

 

 

 この光景を一言で表すならば、『屍累々』という言葉が相応しいだろう。

 

 ボコボコと隆起する触手の床では、異形たちが苦しそうに呻き声を上げていた。下半身および腕はすべて床に飲み込まれており、そこから力を無遠慮に搾り取られている。状況を分析している自分もまた、“床に飲み込まれた異形の1つ”にカウントされる存在だ。

 最も、自分は比較的後に捕まったので、若干の余力がある。ついでに、そもそも自分は“大人しく養分にされてやる”つもりはない。残った力を注いで、蝶を作る。その蝶は、つい最近手に入れたばかりの力――“可能性を開くための『鍵』”だった。

 

 

(あとは、これを――)

 

 

 蝶を飛ばしながら、自分は苦笑する。自分がやろうとしている起死回生の反攻(カウンターアタック)は、あまりにも不確実で無責任が過ぎる。

 同業者の中でも、ぶっちぎりで不安定なものであった。この鍵を、人間――所謂“誰か”に託すことは、あまりにもリスクが大きすぎるのだ。

 

 時間も力も足りなかった。そのため、鍵には『可能性を知りたい』と願う意志や、『そんな世界があってほしい』という祈りに反応する機能を備えるので手一杯だった。意志と祈りの方向性を定めることは、叶わなかった。

 前向きな方の意志や祈りに反応してくれれば問題は無いのだが、ネガティブな思考回路を持つ人間が鍵を手にする危険性がある。そうなってしまえば、此度の黒幕が成そうとする悪逆と同等の地獄が広がることだろう。

 神になってからまだ日は浅いと言えど、これまでの経験則から推理すると――どう考えても、いい方向に転がるとは思えなかった。むしろ、事態を悪化させて混迷させる方が多かった。

 

 

『――認めない』

 

 

『私はこんな現実、認めない!』

 

 

『■■■は、死んでなんかいないの……!!』

 

 

『■■■が生きて、笑っていてさえくれれば、ただ、それだけで――!!』

 

 

 鍵が選んだのは、明らかに、マイナス方面に天元突破した意志と祈りを抱く少女であった。

 腕を動かすことができたなら、自分は頭を抱えて蹲っていただろう。

 

 それを目の当たりにした異形の2柱――双方は表裏一体なので、実質的には同一人物扱い――は、鍵を飛ばした自分に対して激しくブーイングを飛ばしてきた。

 言い方は違えど、要約すると、「これだから! コイツは嘗て“出来損ないの失敗作”と呼ばれていたんだよ」とのことらしい。元・製作者としておかんむりのようだ。

 しかし、彼らはすぐに別の異形に「真っ先に拘束され、真っ先に力を絞りつくされて、今じゃあもう呻くことしかできないのに威張るな」と言われて沈黙する。

 

 周辺から漂う悲壮感。自分もそれに飲まれかけ――

 

 

『そこのキミ! さっきはありがとう!』

 

『さっき?』

 

『私が席を譲ったとき、声をかけてくれたでしょう?』

 

 

 少女と話している人物の姿を見て、自分は思わず目を見開いた。

 

 その佇まいも、その姿も、自分の記憶の中にいる“あの子”そのままだ。人類を怠惰の檻に閉じ込めようとした統制神を打ち砕いた、黒衣の■■■■■■■。第5世代の愚者(ワイルド)/ペルソナ使い。“あの子”がいるというならば――“あの子”に寄り添う“彼”だっているはずだ。

 自分の予想は正解だったらしい。少女と別れた“あの子”は、スマホを起動してメッセージを送る。程なくして、メッセージは返って来た。スマホに表示された名前を見て、自分は思わず口元を緩める。まごうことなき“彼”の名前だった。

 

 もし、自分の両腕が拘束されていなければ、今頃ガッツポーズを取っていたことだろう。勝利を確信し、こぶしを突き上げていた可能性もあった。

 今の心境を表すのに適切な言葉があるとするなら、『ツーアウト満塁からの、逆転サヨナラホームラン』が相応しい。先程までの悲壮感が嘘みたいだ。

 逆境の中にいることには変わりないけれど、逆転の糸口はまだ途切れていない。まだ、まだ手はある。――だって、“あの子”たちがいてくれるから。

 

 東雲色に輝く蝶は、去っていく少女の肩に留まり、そのまま溶けるように消え去る。いつかこれが、黒幕たち――いずれはあの少女と、“彼ら”の道を切り開いてくれる。

 

 自分はそう確信し、自信満々に微笑んだ。それを見た異形たちも顔を見合わせる。彼らは静かに苦笑した。――そのまま、目を閉じて沈黙する。

 力の大半を奪い取られ、存在を保ち続けることしかできないのだろう。遅かれ早かれ、いずれは自分もそうなってしまうだろう。

 

 

『これはまた、随分と古いゲームをやってるんだね。……『大貝獣物語』、か。どこまでやったの?』

 

『今、バイオベースまで進めたところなんだ。なかなかに凄いところだよ』

 

 

 少女の言葉を聞いて、思わず自分は視線を逸らす。

 あまりにも、タイムリーな言葉だったので。

 

 

***

 

 

「嘗て、とある神は言った。『真の意味で人間を救えるのは、同じ人間だけなのだ』と。……聖杯は、最後の最後に、彼なりの反撃措置を組み込んでいたんだね」

 

 

 蝶々が描かれた仮面をつけた男は、厳かな調子を保ったまま言葉を続ける。

 奴の言葉を引き継いだのは、金色の瞳を持つ七姉妹学園の男子高校生。

 

 

「奴が得た力は、曲解を用いた『過酷な現実(せかい)への反逆』。罪も痛みも『なかったこと』にし、“己の望む認知(もの)()()を認識する権利”を行使した」

 

 

 高校生は「傑作だ」と笑いながらも、どこか訝し気に疑問を零す。

 

 

「――しかし、度し難い。あの程度の人間風情が、あれ程までの力を宿したペルソナを使いこなすとは……」

 

「ペルソナの力を発現させた人間の中に、“我々にとってのイレギュラー”が存在しなかったという訳ではありません」

 

「腐り果てているのか、まだ瑞々しく咲いているのか……ここまで判別つかない存在、初めてなんだ」

 

 

 白髪の女性と、目元に亡き黒子を持つ少年が揃って首をひねった。イレギュラーだらけを目の当たりにした2柱でも、今回の件は異常なのだろう。

 諸悪の根源たる聖杯に視線を向ければ、聖杯はガタガタとバイブレーションをするだけ。言語機能を使えなくなる程、力を奪われてしまっているようだ。

 バイブレーションの度合いからして、あの男のペルソナが規格外を飛び越えてしまったのは“意図しないイレギュラー”だったのだろう。

 

 

「……皮肉だな。――我々の中で動けるのが、まさかキミだけとは」

 

「“貴様だけ拘束が緩い”というのも、なかなかに解せないことだな」

 

 

 蝶の仮面と高校生が肩をすくめる。

 

 ……理由に心当たりがないわけでは無い。だが、確証も無いのだ。

 そういうときは沈黙するか、話題を変えるに限る。

 自分は異形どもに背を向け、“彼ら”の方に向き直った。

 

 

「今の私は、見ての通り。みんなが知ってる神様みたいな、チート能力も使えない。ここに在るのは、文字通りの残りカス」

 

 

 ――だが、自分の尻拭いに不自由する程、落ちぶれちゃあいない。

 

 自分は“彼”へ手を差し出す。“彼”の手を借りないと戦えない程に弱ってしまったが、それでも、“彼”の手助けはできるはずだ。

 多くの権利(もの)を亡くしてきた。“彼”の前に立って先導してやる権利も、遠い昔に亡くしている。――だとしても。

 

 

「人の子よ。――私はこれより、できる限りを以てして、キミの力になろう」

 

 

 ――キミの道標くらいには、なってみせよう。

 

 

「契約だ、吾郎。(わたし)(きみ)(きみ)(わたし)。――一緒に、戦おう」

 

「――ああ。よろしく、セエレ」

 

 

***

 

 

 積み上げられた蝶の死骸。

 自分の掌には、弱々しく羽ばたく1羽の蝶。

 

 それを握り潰すことが、最良だと知っていた。

 存在を抹消することが、正しいことだと知っていた。

 足を止めないことが、自分に課せられた責務だと知っていた。

 

 ――だけど。

 

 

「みんな、祈ってたんだ。『あなたが生きる世界が、どこかにあったらいいなぁ』って」

 

 

 「ずっと、届いてほしいと思ってた。……それだけで、充分だったんだ」――少し大人びた顔をした青年が、照れ臭そうに笑う。

 

 彼の背後には、自分に対して“人で在れますように”と祈ってくれた人々が並んでいる。

 嘗て自分が()()()()()、長い旅路で出会った、かけがえのない仲間たち。

 迷い歩く彼らの導でありたいと願い、拙いなりにも支えてきた後輩たち。

 

 世界を火にくべてでも、己が何処にも還れなくなると知っていても尚、この祈りは歩んできたのだ。力尽きた蝶の祈りを引き継いで、必死になってここまで辿り着いた。

 青年たちがしたことは、擁護不能であることなど百も承知。彼らの結末だって、普通に考えれば自業自得である。十中八九、誰もが「当然の報い」と切って捨てるはずだ。

 

 

「大いなる存在にとっては無意味でも、無価値でも、最終的には奴らによって“なかったこと”にされてしまっても」

 

 

「俺が、俺たちが、ここまで辿り着いたことは、無駄なんかじゃない」

 

 

「――だって、あなたが覚えていてくれる。あなたなら、“なかったこと”になんかしないって、信じてるから」

 

 

 堕ち果てても尚、青年が浮かべる笑い方は、何一つとして変わらない。自分を慕い、微笑む“彼”と何が違うのか。

 

 ずるい、と思う。卑怯だ、とも。此度の黒幕は、セエレのアキレス腱を的確に狙ってくる。嘗てただの至だった頃の未練や悲しみを、当人以上に熟知しているが故に。

 握り潰せるはずがない。嘗ての自分が、握り潰される側の立場(にんげん)だった。潰す側の嘲笑った顔を、ずっと見せつけられてきた。それに憤ったから、ここまで来た。

 セエレは、弱々しく羽ばたく蝶を両手で包み込む。握り潰さないように気を付け、そっと抱え込んだ。――それが、何を意味するのか知っていて、だ。

 

 それを見た青年は、一瞬、大きく目を見開いた。

 暫し目を瞬かせた後、嬉しそうに破顔する。

 

 ――青年は、望んだ可能性を掴めたのだ。

 

 

「あなたはもう、神などではない」

 

 

 青年は笑っていた。

 

 

「だから、死ね。ゆっくり死ね。沢山の人に囲まれて、しわくちゃの爺さんになって死んでいけ」

 

 

 彼の身体が崩れていく。蝶の死骸が、空気に溶けて消えていく。

 やり遂げたのだと言わんばかりに、清々しい笑みを浮かべる。

 

 

「あんたは人間だ。――どこにでもいる、ただの人間だ」

 

 

 その言葉は、神に対する呪詛であった。

 その言葉は、人に対する祝福であった。

 神の死を嘲笑い、人を生誕する。

 

 ――消えゆく悪神/人の祈りに許された、最後の権利。

 

 

「――ありがとう。生きてくれて」

 

 

 それを最後に、彼の姿は消え果る。

 

 罰は下され、神は死んだ。歪んだ世界は正される。人と神のエゴは正され、理想の世界たる楽園は破壊された。扉の鍵も、もう二度と開くことはない。

 すべてはあるべき場所へ還るのだ。夢は泡沫に消え、交差した世界の繋がりは絶たれる。待っているのは、辛い現実だけ。

 

 ああ、それでいい。それがいい。今まで積み重ねてきた傷も、繋いだ手も、離さずを得なかった手も、形のない誇りも、心に残る痛みや喪失も、自分たちだけのものだ。

 旅の始まりも終わりも、自分で決めていい。同じ星すら見えなくなっても、共に歩いた日々は消えたりしない。数多の決断や祈りが作り上げた世界は、これからも続いていく。

 闇に包まれていた城に、一筋の光が差し込む。世界を覆っていた夜は明けて、朝陽が顔を出したのだ。パレスの主や、怪盗団たちが、もう一度歩き出すための朝。

 

 ――長かった旅も、ここで終わるのだ。

 

 




P5Rのネタバレに触れて、「もっとヤバいものを作ってみよう」と思い至った結果出来上がった産物。現在、ひっそりと思案しているものをまとめてみた次第です。
方向性は『P2罪罰みたいな関係性』。形になれば、もしかしたら連載に漕ぎつけることができるかもしれません。
……P5Rに喧嘩を売る意図は無いのですが、魔改造明智の存在を目の当たりにしたR軸明智が発狂しそうだなあ(遠い目)

この設定で連載化することを視野に入れているため、念のために色々ぼかしています。
……場合によっては、ぼかしきれていないかもしれませんが。ある意味、割とあからさまですからね。


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命の灯火
大乱闘/夢の祭典悲喜交々


【諸注意】
・完全な蛇足話。
・完結した本編の余韻をぶち壊しにする恐れがある(重要)。
・完結した本編の余韻をぶち壊しにする恐れがある(重要)。
・完結した本編の余韻をぶち壊しにする恐れがある(重要)。
・こんな可能性がどこかに転がっていることを示唆しているだけで、それが実際になるわけではない(重要)。
・こんな可能性がどこかに転がっていることを示唆しているだけで、それが実際になるわけではない(重要)。

・Ifとしての前提:『Life Will Change』世界軸のジョーカー/有栖川黎が、スマブラに参戦したら(重要)
・Ifとしての前提:『Life Will Change』世界軸のジョーカー/有栖川黎が、スマブラに参戦したら(重要)
・Ifとしての前提:『Life Will Change』世界軸のジョーカー/有栖川黎が、スマブラに参戦したら(重要)
・「『Life Will Change』世界軸のジョーカー=スマブラに参戦したジョーカー」という扱い(重要)
・大乱闘スマッシュブラザーズSPの関連情報を見て、ふと唐突に「形にしよう」と考えたもの。

・P4主人公=出雲真実

・他版権および他動画ネタあり。ただし公式とは一切関係ない(重要)
・他版権および他動画ネタあり。ただし公式とは一切関係ない(重要)
・他版権および他動画ネタあり。ただし公式とは一切関係ない(重要)


・今後とも、この作品と作者をよろしくお願いします。


「夢の中に現れたパレスを探索してみたら、空から招待状が降って来たんだ」

 

 

 自分の名前が書かれていたから、そのまま拝借してきた――そう言って、黎は一枚の封筒を差し出した。

 

 差出人の名前も無ければ装飾も無い。一見すれば、どこにでもあるような真っ白い横書き封筒だ。もしもこれがポストに入っていたら、不審物として処分してしまったり、置き忘れてしまってもおかしくなかった。

 だが、裏面を確認し――封をしていたシールに目を奪われる。件の印を視界に入れただけで、吾郎はすべてに納得した。差出人の名前が無かった理由に合点がいった。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだ。

 

 円形の右側に刻まれた十字のマークは、とあるゲーム会社が売り出した『数多のキャラクターが垣根を超えて参戦し、吹っ飛ばし合う格闘系対戦ゲーム』のロゴ。

 多くのゲーマーは、これを見ただけですべてを理解する。溢れるのは悲喜交々。推しが参戦したことに喜ぶのか、ダークホースの参戦に驚愕するのか。

 因みに、最初の『金銭絡み系の後続追加参戦キャラ』が発表された際には、大きな驚愕と納得、そうして「草生える」からの「花咲いた」に繋がった。閑話休題。

 

 

「朝起きたら真実さんから電話が来てね。『ありがとう! これでようやく休める……!』って感謝された」

 

「怪盗団に世代交代するまで、ずっとあの人が出ずっぱりで踏ん張ってたからなあ……」

 

 

 昔のことを思い出しながら、吾郎は遠い目をした。真実は「長い間最年少世代として期待され、事態の収拾に走らなければならなかった」人物でもある。

 特別捜査隊の出雲真実から怪盗団の有栖川黎に次世代のバトンが繋がれるまでの数年間、最年少世代として、異形や異界へ積極的に向き合わなければならなかった。

 

 旧特別課外活動部の面々と真夜中の決闘場でドンパチする羽目になったり、真夜中の決闘場が悪質化(パワーアップ)して再登場したり、異界と現実世界で隔絶された状況で踊りながら事件を追いかけたり……本当に、真実はいろんなことをしていた。

 ――後に、旧特別課外活動部の面々や怪盗団の面々も、真実同様()()()()()()()()()()()()羽目になったのだが、それに関しては割愛する。……もしかしたら、吾郎が認識していないだけで、もっと他にも色々やっていたのかもしれないが。

 

 

「招待状の中身は?」

 

「私用の招待状(ファイターパス)が1枚と、みんな用の観戦券(スピリットパス)だね。ラヴェンツァとイゴールにも届いたって」

 

 

 「はい、吾郎の分」――黎から差し出されたのは、アイボリー色の用紙に繊細な装飾が施された招待券だ。対して、黎/ジョーカーへの招待券(ファイターパス)は、真っ赤な紋章が刻まれたシンプルなものである。

 

 

「ラヴェンツァ、すっごく喜んでた。『私のマイトリックスターが、“夢の祭典”に参戦するなんて』って」

 

 

 その物言いだと、他の姉らから不興を買いそうだ。特にマーガレットは――酔っぱらっていたときだが――「私の契約者から祭典の招待状を強奪した」とぼやいたらしいと聞いた。

 危険度は(比較的)低いが、八十稲葉の土地神さまも「真実が出ると思ったのに」と不満そうだったという。尚、脅威度が低いと認識されたのは、顔をほんのり染めていたためらしい。

 

 真実の関係者たちから聞いた悲喜交々を、吾郎が頭の中で思い描いたときだった。視界の端によぎった光景に、目が留まる。

 仲間たち宛ての観戦券の中に、“特別招待券”という特殊な招待券が入っていた。……そこに書かれていた名前一覧に、明智吾郎の名前だけが無い。

 

 

「……ねえ、黎」

 

「何?」

 

「なんで俺には特別招待券ないの?」

 

 

 明智吾郎には、『有栖川黎の相棒として一緒に駆け回って来た』という自負がある。何故吾郎ではダメなのか。

 

 

「『試合中にイチャつかれるのは困る』って言われた」

 

「右手の白手袋に『至極真っ当で妥当な苦言をありがとう』って伝えといて」

 

 

 どんな経歴や関係性を結んだファイターでも、試合になればみんなライバルだ。中にはチーム戦というのもあるが、宿敵同士と手を取り合ったり、ヒーローヒロインが敵対することもある。黎だけが吾郎ときゃっきゃうふふしている図は、一部の面々にとって場外戦に該当するのかもしれない。

 

 件の祭典は、場外戦――試合に関係ない場所で行われる駆け引き――を禁じている。駆け引き含んだ戦いは、あの戦場内で行うべきものだ。

 戦いと交流についてのONOFF、および線引きがしっかりしているという点は、某普遍的無意識や悪神とえらい違いである。閑話休題。

 

 吾郎が不満を隠さずに招待状を見つめていたことに気づいたのだろう。黎は苦笑した。

 

 

「特別招待券と言っても、アピールや総攻撃、メメントスでちょっと顔出す程度だよ? 戦いには一切影響しないから問題ない」

 

「それでも、何かしらで黎と関わりたかった」

 

「吾郎は私の人生の伴侶だ。……それじゃあ駄目?」

 

「いっぱい好き」

 

 

 我ながら、掌を高速回転させているという自覚はある。しかし、魅力MAX魔性の女から「人生の伴侶」と言われて喜ばない奴はいるのか。いや、ない。有栖川黎がどれ程一途に吾郎を想ってくれていたのか――その重さや奇跡の価値をよく知っているからこそ、ついつい舞い上がってしまうのだ。

 彼女を事実上『1人で“夢の祭典”へ送り出す』ことに不安が無いわけじゃない。周囲に草ではなく花を咲かせた大御所系新参者(肉食系植物)とか、何でも飲み込んでコピーしてしまうピンクの悪魔とか、各方面から送り出された代表者たちとか――懸念材料や強敵は幾らでも挙げられる。吾郎は何もできやしない。

 

 選ばれたのは、吾郎/クロウではない。黎/ジョーカーなのだ。そうして黎/ジョーカーも、祭典へ赴くことを選んだ。

 選ばれなかった人間に、何かを変える力は無い。許されるのは、選ばれた人間の背中を見送ってやることと、帰って来たときに迎え入れることだけだ。

 理解はしている。……けれど、この苦々しい思いは、吾郎が死ぬまで慣れないのだろう。溢れる感情すべてを噛みしめながら、吾郎は苦笑した。

 

 

「ゲームの世界で行われる夢の祭典・大乱闘に、人形たちの戦いと銘打たれた世界だ。何が起きるか分からない」

 

「でも、負けるつもりはないよ。頑張って作ったアルセーヌもいるしね」

 

「合体事故やスキルカードやらをつぎ込んだ厳選個体だっけ」

 

 

 黎が頷く。彼女の言葉に呼応するが如く、アルセーヌがゆらりと姿を現した。このペルソナの力が加わると、戦闘時の能力が上昇するらしい。

 言外に「ちゃんと黎を守れよ」と訴えれば、アルセーヌは不敵に笑い返した。溢れんばかりの強者感に、吾郎はひとまず安堵の息を吐いた。

 

 本当はサタナエルレベルのペルソナを持って行ってほしいのだが、大乱闘のルール監修者から『バランス壊れるからやめて』と言われてしまった。他にも、ペルソナの付け替えも禁止されたらしい。そのときの右手白手袋は、かなり憔悴していたようだ。

 

 反逆の徒は、経歴上、神様と名のつく者に対してあまり好意的ではない。特に吾郎は、フィレモンやニャルラトホテプ、ニュクスやイザナミ、ヤルダバオトというやべえ神様からジェットストリームアタックじみた真似をされたことがある。

 しかし、右手の白手袋はそれらとは全く違う存在であった。『数多のキャラクターが世界の垣根を超えて集い、切磋琢磨し合える世界っていいよね!』という動機で世界を作り上げた。彼の試みは多くの神々の心を動かし、自身の世界の代表者を送り出させている。

 関係者たちの話を聞く限り、どの神々も「うちの子大好き」な親バカらしい。自分の世界の出身者が活躍する動画を見ては、常にニヤニヤしているという噂も聞いた。妙に人間臭い神々を、吾郎は気に入っている。

 

 

「俺は何もできないけど、必ず応援に行く」

 

「ありがとう。吾郎がいるなら、私は大丈夫だよ」

 

 

 黎は柔らかに微笑んだ。心からそう思っていてくれるようだ。

 

 ――神様は、いつだって明智吾郎を選ばない。

 

 だけれど、別にいいのだ。神様に選んでもらえなくとも、世界から不要だと言われても、明智吾郎を選んでくれる人がいる。少なくとも、有栖川黎を筆頭とした怪盗団の面々が、吾郎を望んでくれる。それがどれ程の救いになっているか、きっと誰も知らないのだろう。

 今はまだ、吾郎はそれを伝える手段を有していない。伝えようと努力すればする程、黎から何十、何千倍にして救いを返されるのだ。吾郎はそれに溺れることに手一杯で、なかなか孵すまで辿り着けない。返せたとしても、与えられたものの何十、何千分の1にも満たない。

 お粗末な掌から手渡す想いを、黎は躊躇うことなく受け止めてくれる。尊いものだと笑ってくれる。慈しんで、全力で応えようとしてくれる。――だから、吾郎はここまで生きてこれた。歩いて来ることができたのだ。

 

 少しでも、黎の役に立てるなら――吾郎はそれだけでいい。

 自分の中にいる誰かさんに視線を向ければ、()はぶちぶち文句をぶうたれていた。

 

 

―― 俺がハブられる理由は分かってる。分かってるけど……! ――

 

(観戦枠からハブられてないだけマシだろ? ジョーカーの活躍が見れるだけヨシとしろよ)

 

―― ………… ――

 

 

 ()は不貞腐れてしまったようだ。分かりやすく体育座りをしてそっぽを向く。

 

 ()の立場や経歴上、「怪盗団の仲間ではない」とみなされても文句は言えない。状況によっては、観戦券すら貰えない危険性だってあった。

 なんやかんやと理由を付けられ、『ジョーカーのライバル』として引っ張り出されるあたり、本当の意味でのけ者扱いにされているわけでは無いのだろう。

 

 

「それじゃ、祭典では派手に暴れてくる。……私の活躍を、特等席で見守ってくれると嬉しいな」

 

「当然。――頑張れよ、ジョーカー」

 

 

 吾郎と黎は顔を見合わせて微笑み合う。

 

 吾郎は、件の祭典を楽しみにしていた。

 ジョーカーの活躍を、本当に楽しみにしていたのだ。

 

 

 

 

「光の化身だ! 支配されろ!」

 

 

 ――ヤルダバオトの御親戚みたいなクソ神が、凄まじい光を撃ち放ってくるまでは。

 

 

◆◆

 

 

 光は世界を焼き焦がし、魂を器を引きはがした。

 観客席にいた吾郎たちも例外なく巻き込まれてしまう。

 

 

「ファイターたちは全滅した。私の支配を打倒できる者は、最早誰もいない」

 

「お前は私の人形として、これからも働いてもらおう」

 

 

 魂だけで漂う羽目になった吾郎は、偽りの身体に封じ込まれた。身体の自由を奪われた反逆の徒は、キーラの尖兵として放たれる。

 

 皮肉な定めだとキーラは嗤った。()()()()が『ヤルダバオトの尖兵として力を与えられ、その延長線で実父に使い潰され、最後は怪盗団のために身を投げ出して死んでいった』ことを指しているのだろう。

 ()()()()はジョーカーの存在があったから、最期に“操り人形”から脱却できた。でも、自分を解放してくれた存在はどこにもいない。だから、絶対に、吾郎は解放されることはない――キーラは言外に、そう伝えていた。

 

 事実だった。本当のことだった。だって吾郎は、神様に選ばれなかった存在だから。

 ……()()()()()()()()()()()()()()()()()

 無意味だと分かっていても、変えられないと知っていても、足掻かずにはいられなかったのだ。

 

 

*

 

 

「――吾郎、私の手を取って」

 

 

 ――足掻きは、確かに報われた。

 

 差し伸べられた救いの手は、あの頃と何も変わらない。

 今の吾郎には実体はないけれど、それでも、彼女の手を掴みたかった。

 

 

*

 

 

 ジョーカー/有栖川黎の活躍を、特等席から見守りたい――それは、吾郎の希望である。

 メメントスや総攻撃にも呼ばれずハブにされてしまったけれど、それだけは譲れなかった。

 

 現在、吾郎の願いは――形はどうであれ――叶えられていた。

 黎の一番近くで、彼女の戦いを見守ることができる。力を貸し、応援することだってできるのだ。

 この事実でも小躍りしたくなるほど嬉しかったが、状況が状況なだけに、手放しで喜べるようなモノではない。

 

 ……そうして何より、決定的な不満点が1つ。

 

 

「今の僕って、『ジョーカーの装備品』でしかないだろう? サポートと言っても、散らばったアイテムを引き寄せるくらいだし……」

 

「吾郎が傍にいてくれることが、私にとって一番の支えだよ。――これからも、傍にいてくれる?」

 

「当たり前だろ。……あー、クソ。早く実体取り戻して抱きしめたい……ッ!」

 

 

 こういうときに実体がないことが、不便で仕方がない。……多分、抱きしめたとしても、それで止まるとは思えないが。

 黎も察しているのだろう。「触れるようになったら、埋め合わせしようか」とのんびり笑っていた。

 

 

「――彼がマスターハンドから苦言を呈された理由、分かった気がする……」

 

 

 赤い帽子を被った配管工が、遠い目をしながら吾郎たちを見つめていたことなど気づきもせずに。

 

 

*

 

 

 創造を体現する光の化身キーラは、光による支配を目論む。

 破壊を体現する闇の化身ダーズは、闇による支配を目論む。

 

 行き過ぎた光は命を飲み込み、行き過ぎた闇は命を蝕む。数多の命が辿る先は、どちらも一緒――終焉だ。禄でもない結末であることは、容易に想像がつく。

 嘗て、ペルソナ使いたちは行き過ぎた神々と対峙してきた。だから余計に、ジョーカーたち怪盗団は「片方に肩入れすることはできない」と感じるのだ。

 強大な支配者に対し、この世界で生きる命たちは反旗を翻した。自分たちの世界を取り戻すため、自由に生きる権利を取り戻すため、歴戦の勇者たちは再び集う。

 

 

「どちらの神も、俺たちからしてみれば『侵略者』でしかないんだよな」

 

「この世界の長はマスターハンドだからね」

 

「――成程。奴らからすれば、私たちは『反逆者』ってところか」

 

 

 反逆ならば、怪盗団の十八番である。嘗てヤルダバオトという悪神を降し、奴が作り上げた牢獄から抜け出した張本人たちだ。

 

 

「こんなところまで来て、神様に反逆するとは思わなかった」

 

「さっさと事件を終わらせて、祭典を再開してもらわないとな!」

 

 

 光と闇による最終決戦。双方を討つために立ち上がった歴戦の勇者たち。

 世界をかけた三つ巴の戦いは、苛烈を極める。――果たして、その行く末は。

 

 

「「――さあ、ショウタイムだ!!」」

 

 




スマブラにジョーカーが配信された+明智がスピリットで登場した記念に書き上げたお話。SPではこんな形でキャッキャウフフできるってことかと思いを巡らせたらできました。
参戦した直後に『灯火の星』に巻き込まれたという設定。あと、先日見た『ポプテピピック TVスペシャル』の“中の人ネタ”や、それを下地にした小ネタ等が入ってます。
こちらも続く予定はありません。あくまでもオマケであり、本編の掘り下げ+ネタ補完系のお話です。

また何かあったら、こんな感じのSSをUPするかもしれません。
そのときはどうか、この作品と書き手をよろしくお願いします。


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Dream of Butterfly -Perfect world-
胡蝶の夢の、その先に


【諸注意】
・完全な蛇足話。
・完結した本編の余韻をぶち壊しにする恐れがある(重要)。
・完結した本編の余韻をぶち壊しにする恐れがある(重要)。
・完結した本編の余韻をぶち壊しにする恐れがある(重要)。
・こんな可能性がどこかに転がっていることを示唆しているだけで、それが実際になるわけではない(重要)。
・こんな可能性がどこかに転がっていることを示唆しているだけで、それが実際になるわけではない(重要)。

・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 @空本(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄で明智の保護者その1。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
・実質的なオリキャラとして、追加人員あり。名前は以下の通りで、詳しい設定は本編内にて。
 @高城(たかじょう) 暁斗(あきと)
 @明智(あけち) 唯花(いつか)
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『運命を切り開くだけの簡単なお仕事』および『ペルソナ3異聞録-.future-』、Pixivの『2周目明智吾郎の災難』および『【一発ネタ】有栖川黎の幼馴染』の設定を下地にし、別方向へ発展させた作品である。今回は更に、以前の『???』と、頓挫した設定(派生系である『逆行人と現地人がエンカウント』ネタも含む)要素を足している。
・『Life Will Change』における歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ジョーカー(TS):有栖川(ありすがわ) (れい)⇒御影町にある旧家の跡取り娘。旧家制度は形骸化しているが、地元の名士として有名。身長163cm。
 ピアス:空本(そらもと) (わたる)⇒明智の保護者2で、南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。
・追加人員
 人修羅:小林(こばやし) 春馬(はるま)⇒その筋では有名なスタントマン兼着ぐるみアクター。人修羅でありながら、悪魔の特権系能力(例.悪魔の言葉が分かる)や英語技能が壊滅気味。猫は喋らない。得意なことはジャイヴトーク。昔、ガタイのいい外国人と学生服を着た同年代の青年に追いかけ回されたことがある。
 14代目ライドウ:賀陽(かや) 星十郎(せいじゅうろう)⇒平行世界の大正25年で活躍するデビルサマナー。時折、この世界に遠征してくることもある。

・本編読後推奨。蝶が沢山飛んだ果てにある補完話。中々愉快なことになってる。
・他版権ネタやオリジナル要素が大量に含まれているので注意してほしい。


 ――蝶を飛ばす。

 

 それは、誰かの未練だった。

 それは、誰かの祈りだった。

 それは、誰かの哀しみだった。

 それは、誰かの愛だった。

 

 1羽の蝶の羽ばたきは、あまりにも脆弱だ。到底、何かを変えるまでには至らない。

 

 ……では、群れの数が増えたらどうなるだろうか?

 それも、10羽20羽程度ではなく――数百、あるいは数千、もしくは数億だったら。

 

 

「積み上げられた蝶の屍も、越えられなかった運命への嘆きも、何かを掴めたことの歓びも、掴めなかったことの哀しみも、決して無駄になりはしない」

 

 

 数多の蝶が飛び交う世界で、青い外套を羽織った仮面の男は微笑む。彼と向かい合っていた青年も頷き、言葉を引き継いだ。

 

 

「その恩恵を得るのが“()()()”じゃくても、構わない。“どこかには、そんな世界がある”――その確証が得られただけで、充分だ」

 

 

 本音としては、「恩恵を得るのが『俺たち』だったなら、それが一番嬉しい」に決まっている。……ただ、この世界はそこまで優しくはない。己を取り巻く環境が変われば、人はその通りに変わってしまう。性格も、価値観も、己を取り巻く事象のすべても、何もかもが。

 努力は報われると無条件に信じられる人間は、あまりにも恵まれていた。努力する前に叩き潰された者、幾ら努力をしても認めてもらえなかった者、自ら諦めてしまった者。彼らを責める権利はどこにあるだろうか? いいや、きっと、誰にもどこにも存在しない。

 

 ()()を飛び交う蝶は、盲目的に「努力は報われる」だなんて思っちゃいない。寧ろ、努力など容易に踏み躙られることを嫌という程知っていた。

 実際、()()に辿り着くことなく力尽き、踏み躙られた蝶がいたことを知っている。ここに集った蝶の数より、辿り着けなかった蝶の数の方が遥かに多い。

 それでも、祈った。それでも、願った。『かけがえのないあなたがいる世界』を、『あなたと一緒に生きる未来』を。積み上げられたソレは、可能性として顕現する。

 

 

「……自分で言うのも何だけど、賑やかになりすぎたかな?」

 

「それくらいで、丁度いいんだよ。どうせ、物語は『俺たちの戦いはこれからだ』で終わるんだって相場が決まってるんだから」

 

 

 青年の隣に寄り添っていた女性も、静かに笑った。

 

 彼女たちからしてみれば、『心の怪盗団が解散しても、自分たちの人生はこれからも続いていく』のと同じだ。旅はまだまだ終わらない。迷い歩いた奇跡の1年は、これからも迷い歩くこととなる自分に指針を示すのだろう。

 数多の可能性を集めた。確固たる指針と、繋ぎ紡いだ絆で世界を織り上げる。さながら機織り作業のようだった。此処に辿り着いた自分が何人目かなんて知らないし、時間間隔が無いから分からないけれど、永劫のような旅路を繰り返したのだと思う。

 

 

「なあ、少し待ってくれ。向うの“誰かさん”たちに、()()()おきたいことがあるんだ」

 

「何を?」

 

「――『“()()()”の分まで、みんなで笑い合えることの奇跡と幸福を、沢山積み重ねてほしい』って」

 

 

 新しく生まれる可能性に、朽ち果てた可能性を引き継がせることは不可能だ。残るとするなら、僅かな残骸程度であろう。彼らがそれに思い至るか否かも定かではない。

 けれど、それでもいいのだ。彼らが過ごす日々こそが、自分たちが夢見たものだから。欲しくて欲しくて堪らなかった奇跡そのものなのだから。

 

 

「……そうだな。そう在ってほしいな」

 

 

◆◆

 

 

 どんなに長い夜にだって、夜明がやってくる。悪党が栄える世の中にも、黄昏時が訪れるのと同じように。

 朝が来たら夜になり、夜が明ければ朝になる――そういう意味では、『世界は平等である』と言えるだろう。

 東京の四軒茶屋にある純喫茶ルブランにも、戦いが終わってから、何度目の朝を迎えたのだろうか。

 

 統制神ヤルダバオトは倒れ、人々は本当の意味で解放された。怪盗団としての事後処理関係では多方面で大騒ぎになったが、最終的には落ち着くところに落ち着いたと思う。不満をぶうたれている奴がいないわけでは無いが、今となっては無意味な「たられば」でしかない。

 悪辣な神々との戦いを乗り越えられたのは、怪盗団に味方してくれた人々がいたからだ。嘗て遭遇した事件で共闘したペルソナ使いや、異形絡みだが別の分野で活躍していたプロたち。特に後者の協力が無ければ、恐らく、救われた世界に不在者がいてもおかしくなかった。

 

 

「人の結びつきと、大衆の望み。……それら2つが上手い具合に機能したから、この結末に至ったんだよなあ」

 

 

 俺――明智吾郎の保護者、空本至さんは噛みしめるように呟いた。黎の淹れたコーヒーを舐めるように飲むのは、己がここにいる奇跡の価値を味わっているためだろう。

 

 至さんは、フィレモンから「自分が完全復活するための生贄になれ」と迫られていた。悪辣な取引に応じなければ、後輩であるペルソナ使いたちが理不尽に晒されることになる。結んだ絆を引き裂かれ、世界を救うために使い潰されてしまうのだ。彼は性格上、それを見捨てることができなかった。

 だが、それに待ったをかけた奴がいた。“至さんがフィレモンと契約した世界の最果てにいる存在”が、2人の取引に割って入ったためである。奴は至さんがフィレモンの生贄にならずともいいように、便宜を図ってくれた。丁度同じ時期に、別分野のプロたちが様々な事件を解決していたことも大きい。

 他者が見出した『希望』のエネルギーが、巡り巡って『赤の他人』を掬い上げる――不思議な縁もあるものだ。どこで何が繋がるだなんて分からない。袖振り合うのも他生の縁と言うが、たった数回触れ合っただけなのに、互いが互いに助けられ合っていたとか、奇跡ではなかろうか。

 

 

<おかしいな。ここを指定した奴からは『ストロベリーサンデーが美味しい喫茶店だ』って聞いたんだが……>

 

<うちにはそんなもん置いてねえよ。どこかの店と間違えたんじゃねえか?>

 

 

 佐倉さんは現在、外国人男性相手に接客中である。流石は元官僚、英語の接客もそつなくこなしていた。スラング英語には弱いようで、何度か聞き返していたが。

 件の客――半人半魔のデビルハンターは、一体誰からガセ情報を掴まされたんだろうか? 隣にいた彼の後輩は、滅茶苦茶嫌そうな顔をして彼を見つめていた。

 

 俺と彼の視線が合った。彼は先輩であるオッサンを指さし、肩をすくめる。

 

 

「……食ウ、意地、張ル過ギカ」

 

 

 以前より日本語が上手くなった。未だにカタコトで超スロー・ぶつ切り気味ではあるものの、充分意味は通じる。

 

 城塞都市フォルトゥナでは英語じゃないとコミュニケーションが取れなくて難儀し、彼らの来日時にブッキングしていた絆フェスでは翻訳アプリ片手に気遣ってくる菜々子ちゃん相手に狼狽していたレベルだったのに。因みに、対堂島さんでは、堂島さんの方が彼相手に狼狽していた。

 東京が認知世界と合体したとき、件の2名は別件でそれぞれ来日していたらしい。悪魔を象ったシャドウの群れを目の当たりにした2人は、ノリノリで奴らを殲滅して回っていたという。SNSで大暴れする2人の画像や動画が出回って、火消しに難儀したという話を耳にしたことがある。

 俺がそれを思い出していたとき、彼は先輩から声をかけられた。スラング交じりの早口英語でやり取りを始める。ネイティブ発音の為、会話のテンポがいいことぐらいしか掴めない。多分、あの2人からしてみれば、俺や至さんの会話もあんな感じに聞こえていることだろう。

 

 赤いコートを着た銀髪のオッサンは<どうせまだ時間あるし、ファミレスのストロベリーサンデー食べてからまた来る>と言い残して店を出て行った。

 彼の好物はストロベリーサンデーだから、さぞや楽しみにしていたのだろう。ガセネタを掴ませた相手は、きっとボコボコにされるはずだ。

 

 

「裁判、行方、ドウシタ?」

 

「獅童正義から派生するみたいに、関係各者の余罪がゴロゴロ出てきた。官僚や研究者、警察機構も大変なことになってるらしいぞ」

 

 

 先輩の後ろ姿を見送り終え、カウンター席に座った青いコートの青年は、黎と俺へ興味深そうに問いかけてきた。俺たちの代わりに、客席で資料を読んでいた青年が答える。

 小学5年生でとんでもない冤罪――親友の妹を意識不明の重体にした犯人――を着せられた経験を持つ彼は、その経験から冤罪専門の弁護士を志した。

 ある意味、黎の先輩に当たる人物だ。黎の冤罪事件も『そう』と見抜いて弁護しようとしたが、獅童お抱えの弁護士によって先手を打たれてしまったという。今回は満を持しての参戦だった。

 

 

「甲斐刑事や嵩治も、全力を尽くしてるってさ。……今は、異世界やシャドウ、悪魔や天使絡みの問題をどう処理するかで頭が痛いみたいだけど」

 

「当然だな。人と魔の境界線は曖昧ではあるが、だからといって不用意に混ぜるわけにもいかない。混ぜた結果が認知世界とヤルダバオトなら、尚更だ」

 

<狭間の中を突っ切るアンタがそれを言うのか? 大正25年から来たタイムスリッパー系悪魔使いのライドウさんよ>

 

 

 彼らの話を聞いた青年は、スラング交じりの英語で会話に加わる。彼から名を呼ばれた学生服姿の青年――第14代目葛葉ライドウ/賀陽星十郎は、彼の指摘など歯牙にもかけなかった。佐倉さんから「大学芋は置いてないが、ケーキはある」と言われ、星十郎はケーキ類を一心不乱に食べ続けている。

 

 青年がネイティブ日本語の会話にネイティブ英語で混じれたのは、悪魔との交信を生業としていたり、直接悪魔の系譜を継ぐ人間であることが関係していた。

 『悪魔絡み』という共通点がある者たちは、念話に近いような形でコミニュケーションが取れるという。……まあ、中にはその力が異様に弱い人物もいたようだが。

 

 

『猫はニャーニャー言ってるし、オッサンも何話してるか分からないし! 猫語も英語も分かんねーよ! 日本語話せよ日本語ぉ!!』

 

 

 『閣下』なる大悪魔によって人外に仕立て上げられた人修羅――小林春馬による全身全霊の泣き言/迷言は、今でも忘れられない。ジャイヴトークは得意だったのに。

 因みに、春馬とモルガナを引き合わせたら「猫はニャーニャーしか言わない」と言っていた。ゴウトのときと同様に、モルガナの声は彼に聞こえていない。

 春馬もまた、人と魔の狭間を駆け抜けた人間だ。此度の一件で滅茶苦茶になりかかった境界線をどうにかするため、星十郎と駆け回る羽目になっていた。

 

 半人半魔の悪魔狩りやゴウトと再共闘することになった一件――絆フェスの事件でも、春馬は同じ発言をしていたか。

 スラング英語を操る悪魔狩りに、何を言ってもニャアニャアとしか聞こえない喋る猫。彼らとコミュニケーションを取るのは至難の技だったろう。

 

 ――俺はそこまで思い出した後、ふと思い至る。

 

 

「そういえば()()2()()、今日も警察と検察から話を聞かれてるんだよな……」

 

「心配か?」

 

「そこまでは憂いてないかな。だって、片方は『その道のプロ』だし」

 

 

 至さんの問いかけに、俺は小さくかぶりを振った。心配なのは本当だが、俺が議題に挙げている人物たちなら、何とかできそうな気がしていた。

 何せ()()2()()の片割れは、この店に集っている『その道のプロ』の同業者であり、彼らと縁を結んだ張本人なのだ。

 人と魔の境界線に関する線引きや落としどころの塩梅は、俺たちの見解や案よりずっとうまくできるだろう。

 

 実際、“明智吾郎”がいない世界では暫く目を付けられる羽目になった元怪盗団のメンバーだが、今回は監視とは無縁の日々を勝ち取る目途が立ったという。異形と人の境目を守る番人が動いてくれたおかげで、追及を逃れた獅童派の残党や怪盗団に対して強硬的な連中を黙らせることができたそうだ。

 異形絡みの出来事は、無辜の人々へ晒していいものではない。異形の存在を明らかにしたせいで発生したトラブルは、どれも悪質で世界崩壊一歩手前の規模だったという。それ故、人と魔は互いを分けることで、一応の安寧を得た。以後、狭間の境界線を守るために、『その道のプロ』が裏で手を回してきた。

 

 魔を悪用し、人と魔の境界線を乱そうとした人間は、それ相応の『罪の償い』に服すこととなる。勿論、現代社会における法律とは全く違うベクトルで、だ。

 

 どんな内容なのかは教えてもらえなかった。守秘義務が徹底している。ペルソナ使いというカテゴリは、『その道のプロ』にとっては充分『無辜の一般人』枠に入っているらしい。

 ……最も、彼らのルールから逸脱していた場合、ペルソナ使いに対してもそれ相応の『罪の償い』が発生するという。幸い、今回の怪盗団はルールに抵触していなかったそうだ。

 

 

「――あ、電話だ」

 

 

 カウンター越しから響いた発信音は、黎のスマホのものだ。黎は作業の手を止めて、スマホの向こう側にいる相手と話し始めた。時計の長針が1つ動いたのと、黎がスマホを切ったのはほぼ同時。

 

 

「ねえ、誰から?」

 

「高城から。『全部うまい具合に片付いた』ってさ」

 

 

 高城暁斗――それが、()()2()()の片割れであり、『その道のプロ』の方だ。

 

 くせ毛の強いウルフカットに分厚いレンズの伊達眼鏡、黒基調の洋服を着ていることの多い青年。簡単に言えば、“有栖川黎が男性だったらこんな感じ”の外見だった。性差による顔立ちの特徴を差し引けば、彼と黎の顔立ちはほぼ同一だと言えるだろう。

 “明智吾郎”に尋ねてみたところ、どうやら彼の外見や性格は、“『ジョーカー』が男性だった場合のもの”と同じらしい。実際、生年月日や趣味趣向は黎と一緒だった。ただ、高城暁斗はペルソナ使いではなく、異形と人間の境界線を守る番人であった。

 俺が至さんと一緒に歴代ペルソナ使いの戦いに巻き込まれてきたように、暁斗も様々な事件に巻き込まれてきたのだ。その断片は、ルブランに顔を出している面々から大体察せられた。……そんな高城暁斗を運命の相手として見出した【彼女】の気苦労が忍ばれる。

 

 

―― 『俺と瓜二つの女が、嘗ての俺の立場に立たされてる現場を目の当たりにする』とか、本当にもう“何でもあり”な気がしてきた ――

 

(しかも【彼女】、所謂2()()()らしいね。……どんな気持ちだったんだろ? 何の予備知識もなく、こんな闇鍋みたいな世界に放り出されたときは)

 

―― 知るかよ。……予備知識を急遽学んだ俺でさえ、今回も頭が爆発するかと思ったくらいだ ――

 

 

 “明智吾郎”は言及しないものの、多分、彼は暁斗と黎/俺と【彼女】の関係に“当たり”を付けているのだと思う。

 以前黎が言っていたこと――『自分が男として存在する世界があるなら、その世界には女として存在する吾郎がいるはずだ』――にやたらと反応していた。

 

 

「それで、暁斗くんは? ルブランに来るのか?」

 

 

 至さんの問いに、黎は首を振った。

 

 

「今日はこのまま、【明智】と一緒に過ごしたいんだって」

 

 

 黎の言う【明智】は、俺のことではない。俺以外に存在していた獅童正義の私生児――明智唯花のことを指す。男女の性差を差し引いて比べれば、文字通り俺と瓜二つの顔立ちだ。半分血が繋がった姉弟にしては、あまりにも似すぎていた。

 そんな彼女は、所謂2()()()の人生を歩んでいたらしい。恐らく、彼女の1()()()は、俺の中にいる“明智吾郎”と類似の人生を歩んだのだろう。その後、どういう訳か、彼女はヤルダバオトのゲームの駒として“この世界の可能性”に紛れ込んだ。

 俺たちが高城と【明智】の存在を知ったときには、既に疲れ気味だったように思う。俺はそれを“廃人化の実行犯だが、犯罪行為は不本意であるが故”だと思っていた。……今なら分かる。半分は俺の予想と同じで、残る半分は高城本人と高城のツテだったんだろう。

 

 高城の実父である絶斗/蠅の大悪魔(ベルゼブブ)とか、ポン刀で戦艦を真っ二つにした14代目ライドウ(高城のご先祖)とか、まさにそれだ。色々なものがゲシュタルト崩壊するのは当然と言えよう。

 

 

(……【明智】、どうなるんだろうな)

 

―― “今日のこの後”って限定した場合、十中八九『高城に抱かれる』んだろうよ ――

 

 

 “自分と瓜二つの美少女が、男のジョーカーとシケこむ”――そんな想像を頭に思い浮かべたのか、“明智吾郎”は複雑そうに顔を歪めた。

 俺も黎をしょっちゅう抱き潰す身であり、黎が大好きな男である。キャッキャウフフしたいと考えるのは当然のことだ。……複雑だけども。

 

 

「このまま孫ができたりして! 男の子かな? 女の子かな? 名前はどうしようかなあ!?」

 

<気が早すぎるぞハエ野郎。あと、ダンテならちょっと前にストロベリーサンデー食いに出てった>

 

「知ってる!」

 

 

 突如現れたのは、高城の実父である大悪魔・ベルゼブブ――その仮の姿である高城絶斗だ。くすんだ黄緑色の髪を束ね、中東出身者に多いような褐色の肌と赤茶色の瞳が印象的な男性である。人外故に、彼のガワは幾らでもあったし、本気を出せば物理法則を無視して現れることだって朝飯前だった。

 この一件で散々見せつけられ、慣れてしまったのだろう。佐倉さんは呆れた顔をして「できれば普通に入って来てくれると安心なんだが」とぼやくだけだ。彼が本格的にルブランへ来たのは6月以降だが、絶斗氏が物理法則を無視して入店したことに気づいたのは11月頃。当初は大騒ぎになったか。

 

 絶斗氏は妄想の翼を羽ばたかせ、まだ見ぬ孫を夢見ている。どうしてそうなったのかは知らないが、奴は筋金入りの親バカだった。

 ついでに、悪魔狩りのオッサンにデマを吹き込んだのは彼らしい。当人同士が鉢合わせれば、騒ぎになってルブランが吹き飛びかねないのが心配である。

 まあ、日本での乱闘騒ぎはご法度だ。暴れ回る際には、それ相応の舞台をこしらえた上で行う常識くらいは持っているだろう。多分。

 

 俺がそんなことを考えながら視線を動かしたとき、玄関先にいた緑色の悪魔――キマイラが、悪魔の群れを電撃でのしている光景が飛び込んできた。彼のパートナーは黎の弁護士である。外見サイズは大型犬程度で、ルブラン店内に連れ込むには些か巨体だった。入り口でお留守番になってしまうのも致し方なかろう。

 

 

「【明智】、結局どうなるの? 彼女は獅童の関係者を失脚させてただけでしょう? 廃人化をしていたのは彼女じゃない。【明智】は濡れ衣を着せられただけだ」

 

「自分の身を守るためとはいえ、獅童の言いなりになり、抵抗手段を一切持たない人間相手に超常の力を振るったのは事実。その部分が抵触し、それ相応の『罪の償い』をしてもらうことになるだろうな」

 

「……ゴウトみたいにされてしまうの?」

 

「彼女の件に関しては、情状酌量が認められるだろう。暁斗と協力し、廃人化を引き起こしていた“悪神の駒”から標的を守るために行動していた。そうして最後は、お前たちの戦いが有利に運ぶよう手助けをしていたんだ。……流石に、人の姿を奪われるまでには至らんだろう」

 

 

 黎の問いに答えたのは星十郎とゴウトだった。ヤタガラスと呼ばれる超常組織に所属する彼は、人と魔の境界線の番人とも言えよう。

 安堵する黎の姿を見て、「ああでも」とゴウトは付け加える。

 

 

「監視役ぐらいはつくだろうな」

 

「ワガハイ、誰が監視役になるか検討ついたぞ」

 

「その解釈で間違っていない」

 

 

 元人間の猫(本物)(ゴウトドウジ)の発言から、善神の化身である猫(モルガナ)は今後の展開を予想した。俺にだって予想がついた。実質的に、あの2人は蜜月になるわけだ。

 歩んだ道筋は違えど、俺と【明智】のルーツは同一だ。どの道、悪態をつこうが背伸びをしようが、こんな世界の可能性を引き当てるレベルで、伴侶が大好きである。

 口はどうだか知らないものの、内心舞い上がっていそうだった。実際、高城絡みの【明智】は文字通り“恋する乙女”そのものであった。年相応、あるいは少し幼く見える程に。

 

 ――そんなことを考えていたとき、来客を告げるカウベルが鳴り響いた。双葉の素っ頓狂な声が木霊する。

 

 

「よーっす、黎! って、すっげえ賑わってる!?」

 

 

 やって来たのは、春休みの真っ最中である怪盗団の面々だ。自分たちが来る以前にルブランが満員御礼になっているとは思っていなかったようで、全員が目を丸くしていた。

 彼らは予想外の賑わいぶりに目を瞬かせながらも、普段通りの調子に戻って席に着く。間髪入れずまたカウベルが鳴り響いた。今度は至さんが目を丸くする番だった。

 

 

「南条くん? なんでここに?」

 

「何度連絡しても出ないからだろう。……同窓会幹事と調査員としての職務、忘れたとは言わないだろうな?」

 

「あ」

 

 

 眉間にしわを寄せた南条さんの言葉に、至さんのこめかみに筋が刻まれた。文字通り、彼の顔から血の気が引く。

 

 

「ごめん! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!」

 

「……はあ。お前はどうして、こうも地雷を踏み抜くような発言が多いんだ」

 

 

 南条さんの表情が曇った。至さんの発言は、まったくもって笑い事ではない。何か1つでも可能性がずれていたら、空本至はこの世界からオサラバしていた危険性があったのだ。身辺整理に勤しんでいた至さんのことを、南条さんは糾弾することができないのだろう。

 至さんは慌てた様子で勘定を済ませ、ルブランを飛び出す。南条さんの眉間には皺が寄ったままだったが、彼の口元は柔らかく弧を描いていた。2人はそのまま車に乗り込む。黒塗りの高級車はそのまま、大通りの向うへと消えて行った。

 程なくして、俺のスマホにメッセージが入る。『今日は遅くなるから食べててくれ』とのことだ。俺は了承の返事を出し、仲間たちへと向き直る。3月末に御影町に戻る俺と黎にとって、みんなと過ごす春休みを無駄にしたくない。

 

 ……できればこの場に、もう2人ほど参加してほしかったのだが。

 馬に蹴られるような真似を自らするような馬鹿は、残念ながら、ここにいるはずがないのだ。

 

 

 




思うところがあって、今更P5RのテイザーPVを見ました。結果、「次の情報が出てくる前に何か書いてみよう」と思い至って出来上がった産物がこれです。以前計画し、頓挫した設定を引っ張り出してみました。『Life will Change』で主役格を務めた明智吾郎&有栖川黎側の視点で構築。
『Dream Of Butterfly』は明智吾郎&有栖川黎の“歴代ペルソナシリーズ行脚組の怪盗団”と、“元・ジョーカーでNotペルソナシリーズ行脚済み”の高城暁斗&“2周目プレイヤー”の明智唯花による“生き残り作戦組”が交錯するような形式を検討していたんです。力量不足と体力不足とプロットの瓦解でおじゃんになりました。
明智×P5主人公♀と、P5主人公×明智♀のどちらをメインにするか決められなかったことも理由かもしれません。どっちも書き手の好みなんです……。ついでに『Life will Change』を読破済みを前提としたネタも大量に盛り込むつもりでした。ええ。

蝶を大量に飛ばした結果、「至がいなくならない世界」が出来上がりました。但し、冷静に状況を確認すると、愉快でハードな世界観になっている模様。
魔改造明智は自分のことを棚に上げて、暁斗と唯花のミラーカップルを「はた迷惑」と認識しています。第3者からすればどっちもどっちだし、地獄度合いが上昇中です。
こちらも続く予定はありません。あくまでもオマケであり、本編の掘り下げ+ネタ補完系のお話です。

また何かあったら、こんな感じのSSをUPするかもしれません。
そのときはどうか、この作品と書き手をよろしくお願いします。


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Rebellion,Revenge,Reincarnation
最終目的はダイナミック自殺


・完全な蛇足話。

・完結した本編の余韻をぶち壊しにする恐れがある(重要)。
・完結した本編の余韻をぶち壊しにする恐れがある(重要)。
・完結した本編の余韻をぶち壊しにする恐れがある(重要)。

・「この作品に余計な蛇足は必要ない」と思う方はバック推奨(重要)。
・「この作品に余計な蛇足は必要ない」と思う方はバック推奨(重要)。
・「この作品に余計な蛇足は必要ない」と思う方はバック推奨(重要)。

・こんな可能性がどこかに転がっていることを示唆しているだけで、それが実際になるわけではない(重要)。
・こんな可能性がどこかに転がっていることを示唆しているだけで、それが実際になるわけではない(重要)。

・本編および蛇足関係をすべて読んだ後だと、『色々と』意味が分かる。

・以前頓挫した『???』や『Dream of Butterfly -Perfect world-』を下地にして派生したネタ。
・P5Rの情報を見てから、どうしても書きたくなって書いた。


・今後とも、この作品と作者をよろしくお願いします。


 ゲームには勝敗がつきものだ。いや、ゲームでなくても、勝負事では絶対的な事実と言えるね。

 勝負をすれば、必ずどちらか一方が『勝者』になり、必ずどちらか一方が『敗者』になる。

 

 ――それを踏まえた上で、こんな問題があるんだ。

 

 Aさんという女性格闘家と、Bさんという男性騎士がいました。2人の組み合わせで行われる戦いは、コロシアムの名物となっています。試合になれば、2人は毎回『敵同士』として顔を合わせるのでした。しかし不思議なことに、2人の勝敗を見比べると、双方共に“全戦全勝”となっているのです。――何故でしょうか?

 尚、この問題においては、『AさんとBさんは、一切の不正行為を行っていない』、『AさんはBさん以外の人間とは1度も戦ったことは無いし、BさんもAさん以外の人間とは1度も戦ったことは無い』、『AさんとBさんの組み合わせは、絶対に不変である』、『2人はいつも同じ服装をしており、Aさんはスカートである』とする。

 

 ……さて、答えは分かったかい? 簡単だった? それとも、難しかったかな?

 まあ、どちらでもいいんだ。()にとっては、そんなに重要じゃないし。

 『()()にとって有益な話題になる可能性はある』と思ったから振ってみただけ。

 

 正解は――『AさんとBさんの“勝利条件”が全く違っていたから』。Aさんは『Bさんを立ち上がれなくすれば勝ち』で、Bさんは『Aさんのスカートめくりに成功すれば勝ち』だったんだ。

 

 

「…………」

 

 

 ……何? 『例えが最悪』? はは、それは失礼した。

 ここまで思い切った理由じゃないと、説明がうまくいかなくてね。

 

 それじゃあ、話を続けよう。第3者から見れば『同じ盤上・同じゲーム・同じルールで勝負をしている』ように見えても、戦っている当人同士の勝利条件と敗北条件は全く違う。よくあるだろう? 『試合に勝ったが勝負に負けた』みたいな状況。

 Aチームの勝利条件が『総大将を逃がす』ことだとしよう。総大将が逃げ切る時間さえ稼げれば、後は何が起きても自軍の勝利は確定する。逆に、どんなに自軍部隊が元気でも『総大将を討ち取られてしまった』なら、その時点で自軍の敗北が決定するわけだね。

 Bチームの勝利条件が『Aチームの殲滅』だった場合、勝利するためには『各部隊の逃げ道を塞ぎ、敵部隊の人間を1人残らず殲滅する』必要が出てくるわけだ。もしBチームが『敵部隊を殲滅させたが、ただ1人――総大将を逃がしてしまった』という結果に直面したならばどうだい? 勝利とは呼べないだろう。

 

 第3者が認識している勝負事は、大体が“試合形式”基準で定義づけされ、シロクロを分類されている。でも、世の中はシロとクロだけで成り立っている訳じゃない。敵同士の勝利条件が、相手の敗北条件を満たさないことだってある。

 

 まず、Aチームの勝利条件が『総大将を一定時間内に砦から逃がす』ことだと定義されているとしよう。

 その上で、Bチームの勝利条件が『Aチームが拠点にしている建物の中にある宝物庫から、巻物を盗み出す』だった場合はどうだろう?

 

 多少ドンパチはするだろうけど、AチームはBチームと真正面から戦う必要は無い。Aチームは総大将と一緒になって逃走に集中すれば、全員で脱出することも可能だ。

 Bチームの場合、Aチームの連中を取り逃がしたとしてもデメリットは一切無い。こちらも上手くやれば、敵と鉢合わせないで巻物を盗むことだって不可能じゃないよ。

 ……まあ、そこへ新たな勢力が放り込まれたりでもすれば、また色々と荒れるのだろうけど。そこらへんは臨機応変に対応していく以外ないね。

 

 

「…………」

 

 

 ……どうしたの? そんなに難しい顔して。

 

 盤上を睨みつけても、解決するとは思えないよ。駒に対して何かをしたいなら、可能性の蝶を飛ばさなくちゃ。

 ()の力が必要なら、そう言ってくれればいいのに。

 

 

「――――」

 

 

 『何だか()より駒が増えた』? ……()()の言う()がいつかは分からないけど……そうか。()()は、誰かが飛ばした蝶から可能性を垣間見たんだな。

 

 誰かの蝶から当時の盤上を思い出したうえでの問いかけなら、その認識は正しい。()がゲームの展開に介入するため可能性の蝶を飛ばした結果、巻き込まれた人間の数が増えることは何もおかしいことじゃない。充分在り得ることだ。蝶を飛ばしたことの最大のメリットであり、最大のデメリットでもある。

 手繰り寄せた可能性を組み合わせて、改めて蝶を飛ばす――その繰り返しで、『盤上の状況に『多少』の影響を与えることができる』というのが()の得意分野だ。逆に、『可能性を飛ばした後に発生するであろう影響を操作する』ことは専門外でな。そこは、ゲームの挑戦者たる()()側で調節してもらわなきゃいけない。

 

 自慢することじゃないが、()は万能ではないよ。挑戦者側から手を貸してもらわなきゃ、まともに何かを成すことすらままならない存在なのでね。

 

 ()()()の大半は『幸福の王子様』方式を得意としてる。()()()は王子の銅像、()()のように“見出した人間”が燕と言った方が早いかな。

 しかも笑えないのは、王子側に“悪意無き理不尽”や“善意故の災厄”を撒き散らす奴、“悪意しかない悪意”をぶちまける輩がいるというケースだ。

 

 キミも見ただろう? 善意で人類に超弩級の試練を与えるフィレモン。『足掻いた末の破滅』を見届けるためなら、人類の耐久実験もやぶさかじゃないニャルラトホテプ。覆しようのない摂理として君臨しているが故に、道を分かつこととなったニュクス。人の為というお題目で、自身の領域を嘘の霧で覆ったイザナミ。そうして――認知を操作することで、人類を怠惰の檻に閉じ込めようとしたヤルダバオト。

 

 特に最後の1柱は、()()にとって一番因縁深い存在のはずだ。ヤルダバオトは文字通り、()()()()()()()を食い物にしたのだから。

 まあ、特に何も考えなくとも思いっきり殴れる相手としては、()()はヤルダバオトがテキヤクではないかな。()はフィレモンとニャルラトホテプだけど。

 ……正直な話、『人間に対する意識』という面で好意的に見れるの、ニュクスの化身くらいしかいない。ニュクス本体は『滅びの宣告者』にして『死そのもの』だから別枠。あれはしゃあない。

 

 ()()の言う“増えた駒”に対しては、何とも言いようが無いんだ。支援者として味方になるかもしれないし、()()の敵に回る可能性だって考えられる。あるいは、すれ違うだけで何のかかわりも持たないまま――なんてこともあり得るわけだ。

 向うから関わってくることもあるし、()()の方から関わる必要が出てくるかもしれない。場合によっては、()()の思惑とは違うアプローチから接点を持つ可能性もある。接点を持って以降は、()()とあの子に任せるよ。

 

 長い話を聞き飽きて、退屈しただろう。一旦ここで休憩挟もうか。お茶菓子とティーセット持ってくるからちょっと待っててね。

 ところで、お菓子は何がいい? ……『食べ物の味にはあまり頓着しない』のか。じゃあ、クッキーは大丈夫? ……そうか。じゃあ持ってくる。

 

 ――はい、お待たせ。紅茶の銘柄は()が勝手にアッサムのミルクティーにしたけど、大丈夫だった? ……本当に拘らないんだな、()()は。

 

 

「――――」

 

 

 『正直、菓子を食べたり茶を飲んだりしてていいとは思えない』? ……『部屋の隅で何か言ってる物体がいる』?

 ……ねえ。それ、()()()()()()()にできない? 無関心でいることはできないかな。

 

 簡潔に言うと、()()は『認識しちゃいけないし、関心を持っちゃいけない』類のヤツだ。()()()()を認識し、関心を持ったが最後、ゲームの盤上だけじゃなく、この空間にも多大な影響が出る。

 今なら、その影響を回避することが可能だ。『あんなものは存在しない』と()()が認知するだけでいい。()()に関わったら最後、単なる『難易度上昇』じゃあ済まないんだ。下手すれば、あの5柱以上にヤバイ災厄をばら撒いて来る危険性がある。

 ()が可能性の蝶を飛ばし続けた結果、()()は生まれた。神様がばら撒く理不尽が嫌いで、巻き散らかされた理不尽に苦しむ人々を放っておけない。けど、()()の行動原理は純粋な善意とは程遠かった。……ほら、“情けは人の為ならず”ってあるだろ?

 

 『他人に情けをかけてやると、巡り巡って、自分の窮地に情けをかけてもらえる。だから、積極的に、他人に情けをかけてあげなさい』。

 ()()の行動原理そのものだ。()()もまた、()()を弄んだヤルダバオトと同じ、“自分自身のために”人類に情けをかけている。

 

 このままだと、()()の情けの対象者として()()がロックオンされるぞ。駒の数も今まで以上に増えるし、互いの関係性もより一層複雑になる。下手すれば、こちら側が飲み込まれるぞ。

 

 

「――――!」

 

 

 ……『馬鹿にするな』か。そうだな、そうだった。『顕現しているのであれば、神様は殴れる』だったね。

 なら、()()が何を企んで盤上を荒らし回ろうが、()()が顕現したならぶん殴ることができる。

 殴れさえすれば大抵なんどかなるってのは、今までの出来事で証明済みだ。人間にだって底力がある。

 

 ……大事なことを思い出させてくれてありがとう。()の方も、覚悟は決まった。

 

 ()()を生み出したのは()だ。()()が何をしようとしているのか見極めないと。できれば穏便に解決したいが――もう、そうとは言っていられないかもしれない。

 我々が()()を認識した結果、凄まじい速度で動き始めた。……今、ちょっと、この空間揺れてるだろ? これ、()()が力を行使してるせいだ。人間に『情け』をかけることで、自分の力を増幅させている。

 

 とりあえず、今は揺れが収まるまで――……あ。

 

 

「――!? ――――! ――――!!」

 

 

 ……ああ、成程。成程なあ。

 

 

「――――!!」

 

 

 『身体の半分を飲み込まれているのに、何を悠長に納得してるんだ』って? 納得せずにはいられなかったからだよ。

 

 神は人を食い物にするが、逆のことになると文句をつけて理不尽な罰を与えてくる。神を食い物に出来るのは、それ以上の力を持つ上級の神くらいしかいない訳だ。

 人を食い物にして踏み躙ってきた神にとって、『自分が食い物にされ、踏み躙られる』ってのは最大の屈辱だろう。踏み躙られる対象に、()も含まれていた。

 この結果は、ただそれだけにすぎない。()()が怒りをぶつける対象に()を選ぶのは当然のことだ。……引きずり込まれて分かったけど、うん。

 

 ()()を罰することはできないし、そんな資格もありはしない。

 ()の嘆きは、()が諌めて止まるようなものじゃないよ。

 

 

「――――!」

 

 

 だから、無理なんだってば。

 

 

「――――!?」

 

 

 ……だってさあ、振り払えるわけないじゃないか。

 なかったことになんて、できるわけないじゃないか。

 

 ――()()になんかなりたくなかったし、あの場所に帰りたかったんだから。

 

 

「…………」

 

 

 はは、脱線してしまったね。それじゃあ、始めようか。

 すべての駒を並び直して、配置し直そう。

 数多の蝶を――可能性を束ねて、世界を作ろう。

 

 契約内容は忘れてないね? 成すべきことは? 勝利条件と敗北条件の確認はどうだい?

 

 

「――――」

 

 

 ……ならば、改めて契約をしよう。

 

 一度サインをしたのだから、大丈夫だね? このサインが何を意味しているかもきちんと把握しているようで何よりだ。

 どこぞの普遍的無意識のようなだまし討ちは好きじゃないんだ。アレには何度も酷い目に……うん、無駄話だね。すまなかった。

 

 さあ、いってらっしゃい。……って、どうしたの?

 『出発する前に、言っておきたいことがある』?

 

 

「――――」

 

 

 『蝶の羽ばたきに込めた祈りによって人の願いが叶うならば、人が祈れば、神様だって救えるのではないか』――か。

 どうなるかは全く分からないけれど……()()が祈ってくれたことは、充分幸せなことだと()は思うよ。

 ()()のルーツも祈りだから、時間はかかるだろうけど……きっと、分かってくれると思うんだ。だって()()だから。

 

 ただちょっと、努力の方向性が壊滅的なだけだ。『報われる』という結果を勝ち取るために、神様を食い物にするという暴挙に走っただけ。そこまでしなければ得られないのだと、()は確証を持って動いている。

 

 ……()が祈っても、怒られないかな。もうすぐ()に飲み込まれてしまう()には、もうこれしかできないからね。

 ()()の旅路が光満ちるものであってほしいと、()の努力が良い方向で報われてほしいと。そうして――『誰もが帰るべき場所へ至れるように』と。

 

 この空間だけは形を保っておけるようにしておくから、ここの存続に限っては心配はしなくていいよ。いつでも盤上を確認していいし、戦略を練り直すことはできるから。

 

 

 ――いってらっしゃい、旅人さん。どうか、良い人生(たび)を。

 

 

 

◆◆◆

 

 

 

 ――“()()”は、その契約に頷くつもりかい?

 

 この悪神は、“()()”たちを食い物にした張本人だ。“()()”たちのことなんて、『人類は滅びるべきか否かを決めるために、力を与えた人形』としか思っちゃいない。『人類は、自分の作り上げた怠惰の牢獄の中で飼い殺しにされるべきである』という持論を証明するために、悪辣なマッチポンプを仕組んだ張本人だ。

 “()()”が利用し使い潰した――あるいは、“()()”を利用して切り捨てた大人たちと同等、あるいはそれ以上の悪党だぞ。そんな奴が、大人しく“()()”との契約を守るとは思えない。寧ろ、穴だらけのルールを利用して、破滅までの道のりを舗装し案内して突き落とすに決まってる。

 

 

「――――」

 

 

 ……『条件を提示された時点で、既に予想はついていた』?

 じゃあ、どうして? どうしてそんな悪神のために、自ら使い潰されようとしているの?

 

 

「――――! ――――……!!」

 

 

 『神様には逆らえない』、『何をやっても無駄だった』、『“()()”と“()”のどちらかが死ぬしかない』、『もう“()”を失いたくない』――。

 

 “()()”は、“()”が死んだ原因が自分にあると思ってるのかい? ――それこそ、悪神による悪辣な罠だ。

 手口としては実に簡単だ。まず、“()”の死を“()()”の眼前で演出し、罪悪感を抱かせることで、“()()”の逃げ道を潰す。

 その一方でコイツ、“()()”の足掻きと破滅を“()”に全部バラして、“()”を檻へ引きずり込んでいるんだ。

 

 

「!? ――――、――――! ――――!!」

 

 

 だから最初から言ったじゃないか。『この悪神は、自分が『勝つ(あがる)』ために、“()()”と“()”をゲームに閉じ込めようとしている』って。

 ……その事実を突きつけられても、“()()”は挑むの? あの悪神の仕組んだ罠だらけのゲームに、真正面から正々堂々挑むことを強要される理不尽な遊び。

 

 そんな報われないゲーム、()()は嫌だよ。それに挑んで破滅しなきゃいけない“()()”を見るのも、それに苦しむ“()()”たちを見ているのも、それを肴にして嗤っている悪神も。寧ろ()()は、人を食い物にして嗤っている神様が一番大嫌いだ。

 あんなヤツを生み出しておいて放置したクソ野郎、足掻いた末の破滅を見たいがために暗躍するクソ野郎、善悪問わず人間に試練を与えて運命を狂わせた挙句、『感謝しろ』なんてのたまうクソ野郎――みんなみんな大っっ嫌いだ。そのくせ、そいつらは『神』ってだけで、何をしても許されてしまう。

 人間には罪を償うことを強制する癖に、奴らには何にも報いが起きることは無い。よくて封印、悪くて『一時的に、現実世界や人類に干渉する力を失う』程度のデメリットしかないんだよ。時間が経過して力を取り戻せば、また何か新しい企みを始めることだってある。……散々コケにされて、黙っていられるはずがない。

 

 神様だって、罰を受けるべきなんだ。報いを受けるべきなんだ。

 

 人がいなければ、奴らは存在することができない。人に依存しなければ、超常の力を振るうことは不可能だ。神として君臨し続けることだって怪しいんだ。

 ……どこぞの誰かがこんなことを言った。『自身の幸福を許容することは、その幸福を成立させるためのリソースとして、他者に不幸を強要すること』だって。

 この格言を引用するならば、『神は『自分たちの証明』のために、そのリソース要員として、人類へ理不尽を強要する』存在だとも言えよう。

 

 ――ずるいじゃん。それ。

 

 

「…………」

 

 

 ここは人間が主体になって動かしていく世界だ。裏側に色々跋扈しているのは事実だけど、『互いに、むやみやたらと干渉しない』と言う暗黙のルールはちゃんと存在しているんだよ。

 

 奴らはそのルールを破って、人間の世界を滅茶苦茶にした。他の下級種族や人間ならば容赦なく罰せられる。

 でも、奴らは自身が高次元存在であることを理由にして罰を受けようとしない。報いや償いも発生しない。許されてしまうんだ。

 

 

「…………」

 

 

 人類に理不尽を強要するんだ。ならば、人類が神に『ふざけんなこのクソ野郎』って叫んで一発顔面ぶん殴るくらい、何も問題ないだろう。

 むしろ、『人の子のために自ら犠牲になります』くらいの気概を見せてくれたっていいじゃないか。八十稲葉のあの子の、なんと健気なことか!

 そういう子が報われるのは必然だと思うけど、人類を踏み台にして君臨してる神々はクソだわ。一発くらい、人類側のリソースになってもいいだろ。うん。

 

 

「――――?」

 

 

 『そういうお前も、神様の同類なんじゃないか?』って?

 

 ……まあ、そうだね。現在進行形で、ヤルダバオトやその他の輩に対して下克上を計画してるけど。奴らからしてみれば、とんだ裏切り者に見えるだろうなあ。あるいは大馬鹿者。

 場合によっては、()()の方を『罰せられるべき悪神』として非難するだろう。筆舌に尽くしがたい『報い』を受けさせられることだって、容易に予想がつく。

 それでも放っておけないんだ。それでも黙って見ていられないんだ。……もうろくすっぽ覚えてないけれど、嘗ての()も『神様の玩具』だったから。

 

 産み落としたくせに失敗作って詰られて、事件が起きる度に「()()が事件の引き金を引いた」って言われて、事態の収拾能力を低めに設定した上で()()の足掻きを見て嗤われる。挙句の果てには、『自分が復活するための生贄になれ』ときた! ――()は、神様になんかなりたくなかったのに!!

 沢山だ。こんな思いをするのはもう沢山だ。沢山我慢したんだから、もういいじゃないか。()()が幸せになってもいいじゃないか。()()()()の大事な人たちに背負わせた不幸を、奴らが肩代わりしてくれたっていいじゃないか。誰にだって幸せになる権利があるなら、その権利を行使してもいいじゃないか!!

 

 

「――――……」

 

 

 帰りたいよ。もう何も思い出せないけれど、でも、()に「帰って来て」と祈ってくれた誰かがいたことだけは覚えているんだ。

 その場所に帰りたかったこと、ちゃんと覚えているんだ。かけがえのない人たちと生きていく未来を、その権利を奪われた痛みも。

 人相手ならまだ諦めがつく。――だけど、“得体の知れない神様に踏み躙られるだけの人生”なんて、納得できるはずがないじゃないか!!

 

 そんな痛みを抱えるのは()()だけで充分だ。その理不尽に反逆して消し飛ばされるのも、()()だけで充分だ。神を食い物にして至った果てが何であるか、()()が一番知っている。――そこへ墜ちる覚悟は、とうにある。

 

 “()()”はもう、充分過ぎるほど頑張ってきたんだ。努力を積み重ねてきたんだ。

 いい加減、怒ってもいいじゃないか。『私の人生を返して』って、拳を振り上げていいんだよ。

 

 

「……――――。――――!」

 

 

 ――うん。そうだ、それでいい。

 

 “()()”は神――その同類たる()()を信仰しない。“()()”が心を開き、繋がりを持っている相手は“()”ただ1人だ。数多の理不尽に晒されながらも、それだけは手放さなかった“()()”だからこそ、報われてほしいと祈ったんだ。

 これから変わっていってもいい。徹頭徹尾“()”だけを見て、“()”が見せてくれる世界に手を触れる程度の関わりだけでもいい。いつか辿り着く結末が、満ち足りたものであるように。――そのために、可能性をかき集めよう。そのために、蝶を飛ばそう。

 

 軛を外せ。枷を壊せ。鎖を砕け。悪神に与えられた役割など、最早無意味だ。

 数多の蝶を飛ばして掴んだ可能性を重ねながら、神を喰らい潰すための戦略を。

 自分の思い通りにいかない世界だからこそ、最良を尽くす意味がある。

 

 

「――――」

 

 

 ――いってらっしゃい、旅人さん。どうか、良い人生(たび)を。

 

 

*

 

*

 

*

 

 

 ――さあ、下準備だ。

 

 駒を揃えるための場外戦を始めよう。神々の遊びに、ちょっとした変化を加えるだけだ。

 

 

/

 

 

『納得なんかできるはずない。弟はずっと、あんな場所で、1人ぼっちなんだよ!? ――そんな運命、私が変えてやる!!』

 

『姉さんは、僕とは違う可能性を引き寄せた。死ぬはずだった荒垣先輩を掬い上げたんだ。――生きるべきは、姉さんの方だ』

 

 

『私に手を貸して、エリザベス。貴女の契約者――私の弟を救うために!』

 

『僕に手を貸してくれ、テオドア。キミの契約者――僕の姉を救うために!』

 

 

 『互いを救いたい』という願いと祈りは、同時枠に存在できなかったはずの()()が揃う可能性を紡ぎ出した。

 

 1人だけでは、命を代償とした封印を施すので精一杯。――ならば、2人ならどうだろう?

 祈ったのは1組の()()だけではない。もう1組の()()もまた、契約者の幸福を祈った。

 

 

『これが、我々の“意志”!』

 

『では、ご覧いただきましょう!』

 

 

『『――メ ギ ド ラ オ ン で ご ざ い ま す ッ ッ !!!』』

 

 

 大切な契約者が選び取った答えにケチをつける行為であると理解しながらも、力司る者は自らの意志を貫く。

 

 約束の日。意識不明になった2人を救うため、第3世代のペルソナ使いは異世界を駆け抜ける。その果てで、『共に生きる未来を掴むために戦い続ける』選択をした。

 “死の興味”との戦いは、永遠に等しい時間を費やさなければ終わらないことを知っている。死しても尚、番人としてあの扉の前に立つ必要があることも知っている。

 それでも、仲間たちは――()()を伴侶と見出した者たちと、()()を義姉兄と見出した()()は、その覚悟を露わにした。

 

 桜が舞う4月の都会。

 その天気模様は晴天であった。

 

 新天地目指して先へ進んだ者、再び“ここ”から歩き始めることを選んだ者、新天地へ進むための準備期間に入る者――新しい旅路が始まる。

 

 1つの事件が解決したということは、また新たな事件が発生することを意味している。この平穏は、文字通りの砂上の楼閣だ。いつか、儚く崩れ去る瞬間が訪れるだろう。

 例えその瞬間が来たとしても、もう彼らは迷わない。自分たちが勝ち取った未来を絶やさぬために、いつかの誰かに手を貸すことになる。

 

 

/

 

 

『……確かに、お前の言う通りだ。何かが違っていれば、連続殺人事件の犯人は僕だったかもしれない』

 

 

 男がマヨナカテレビの仕組みに興味を持ったのと、男の眼前で『テレビの中から人が這い出してきた』のはほぼ同時だった。

 いつかどこかの可能性とは違い、ほんの少しタイミングが違っただけ。そこからずれ出した運命は、彼を理不尽へと導いた。

 

 

『運が良かろうと悪かろうと、そこで踏み止まれたか否か』

 

『運よく踏み止まれた僕と、運悪く踏み止まれなかったお前。このド田舎に居場所を見出した僕と、故郷に見切りをつけたお前。……差なんて、そんなもんだろう』

 

 

 運が悪かった――なんて、言うだけなら簡単だ。当事者じゃないからこそ、能天気に発言することができる。

 その一言で納得できない人間がいるのも事実であるし、当事者に近ければ近い程、その言葉は理性を殺しうる毒となる。

 知ってしまえば猶更だ。不都合な真実に直面してしまえば、誰だって狂気に走るだろう。

 

 

『それを俺のせいにされただけじゃない。挙句、俺に罪を着せる隠蔽工作の延長線で、あの子たちや堂島さん、菜々子ちゃんを手にかけようとした』

 

『本当はお前が憎い。お前が許せない。お前みたいなクズなんざ、生かしておくわけにはいかないんだよ』

 

『――でも、その選択だけは、選べない……!』

 

 

 ある()()の死が、1つの家族諸共男の人生を崩壊させた。

 

 男が心を許せる数少ない場所は、誰も帰らぬ空き家と化した。件の家に居候していた上司の甥と姪の()()が相次いで不審死――テレビ用のアンテナに宙吊りにされた――したことを皮切りにして、次は上司が、その次に上司の娘が、同じように不審死を遂げたからだ。

 どこからか『犯人は警察関係者ではないか』という情報が流れ、出てきた証拠は“男が犯人である”ことを示していた。自身の潔白を証明しようと足掻く男は、接触した人物から『本当はみんな、お前が殺すはずだったんだ』と詰られ、テレビの中へと突き落とされる。

 大きくずれた可能性は、未知の物語を紡ぎ出した。()()が『霧に包まれた田舎町の真実を求めて駆け抜ける』旅路ならば、さしずめ彼は、『自身の破滅を回避するために、自分と自分の居場所が崩壊する原因となった“()()の死”を回避する』旅路だろう。

 

 世間が冷たいのは本当のこと。“結果を出さなければ見捨てられる”というのも、人間社会の縮図の1つ。

 だけれど、人の手が温かいことも真理である。人を殺すのが人であるように、人を救えるのも人だけだ。

 

 

『あーあ。こんなに努力したの、いつぶりだろう。……今まで報われたことなんてなかったから、報われた後はどうすればいいのかなんて、全然分からないや』

 

 

 努力が報われると無邪気に信じていられるのは、自分が立っていた場所が恵まれていたから。一歩踏み出した先に、奈落が広がっていないと誰が言えるだろう。

 それと同じなのだ。自分が立っていた場所が奈落であるからと言って、一歩踏み出した先も奈落であると証明できるだろうか? いや、できない。

 実際、踏み出した先に広がっていたのは、どこまでも温かな場所だった。努力をすればそれ相応――あるいはそれ以上の希望が降り注ぐ、楽園のような場所だった。

 

 八十稲葉を覆っていた霧は晴れた。都合のいい虚構や、不都合な真実に振り回される必要も無い。

 

 掌に残ったのは、何よりも価値がある絆と希望。新たな旅立ちを迎え、去り行く者たちの背中を見届ける。

 いつかの再開を願いながら――それが平穏であることを望みながら、第4世代の若者たちは歩き始めた。

 

 ……最も、彼らの願いは儚く散る定めにある。

 

 蠢く悪意には際限が無い。新たな戦いを望む者が、己の居場所を害そうとする。結ばれた絆を引き裂かんとする。

 あの日手に入れたかけがえのないものを守るためならば、きっと、「他人のために努力してもいい」と思うときが来るのだろう。

 『自分たちが勝ち取った未来を絶やさぬために、いつかの誰かに手を貸す』瞬間が訪れる日は――案外近いのかもしれない。

 

 

 

/

 

 

 

『俺が“世界を救う◆◆◆◆◆◆◆”である限り、彼女を救うことはできない』

 

 

 その事実に気づいたのは、何度繰り返しても零れ落ちていく命を見続けた果てのことだった。

 賞賛も名誉もいらない、と、世界を救った旅人は叫ぶ。

 

 

『悪神に弄ばれるのは、もう沢山だ。いい加減、あんなクソゲーを終わらせてやる』

 

 

 此度の戦いを最後にして、悪辣なゲームから解放されたい。大切な人の手を掴めないよう御膳立てされた物語に終止符を――青年は決意を込め、再び盤上に向き合う。

 

 悪神たちの指定した駒としての役割を放棄することは、“世界を救う◆◆◆◆◆◆◆”という役割を放棄することを意味していた。

 高いアドバンテージや、共に戦った仲間たちとの絆を棄てることを意味していた。その重大さを理解した上で、青年は選ぶ。

 彼が望んだのは、“ただ1人の為の◆◆◆◆◆◆◆”になること。自分の眼前で失われた、たった1人の少女の手を取ること。

 

 

『彼女と共に未来を掴むことができないならば、あの力は俺にとって無用の長物でしかない。……◆◆◆◆◆◆◆の役目は、適切な誰かが引き受けてくれるんだろう?』

 

 

 だから、彼は取引に応じた。自分たちを食い物にしていた神に、ささやかな復讐を企てたが故に。

 神の屍を踏み越えた先にある未来を描き出すために、新しい旅路を始める。

 

 軛を外せ。枷を壊せ。鎖を砕け。悪神に与えられた役割など、最早無意味だ。

 数多の蝶を飛ばして掴んだ可能性を重ねながら、神を喰らい潰すための戦略を。

 自分の思い通りにいかない世界だからこそ、最良を尽くす意味がある。

 

 勇んで踏み出した彼は、まだ予想できていない。――目的地へ辿り着くまでの旅路が、波乱万丈になることを。

 

 

『この世界には彼女がいた。そうして、彼女と僕の愛の結晶であるキミが生きている。――そんな世界を『滅びるべき』だなんて言われて、納得できる奴はいると思うかい?』

 

 

 人類はリセットされるべきか、新たな時代へ進むべきか。

 その分水嶺で引き起こされた戦いを垣間見る。

 

 

『確かに人間は未熟な生き物。そんな彼らを導くことは、我々天使の役目です。――しかし、“人間を支配して、人の世を思うままに動かす”というのは論外だ! それでは意味がない!!』

 

 

 悪意や作為に負けることなく、友を助けようとした少年がいた。時に怒りを振りかざし、時に迷いながらも、彼を“友達”だと信じ続けた少年がいた。

 その裏で暗躍していたのは、1体の天使。秩序を悪用し、人の世を支配しようとした“吐き気を催す邪悪”があった。――そんな彼らの旅路を垣間見る。

 

 

『ヤツと同じ“将来人”であるお前にこそ問いたい。この時代に生きる者たちの営みは、お前たちの“将来”のために踏み躙られて当然のモノだったか?』

 

 

 うっかり迷い込んだ大正25年の帝都・東京で巻き込まれた事件。先祖と共に駆け巡った果てに見たのは、遠い未来からの復讐だった。――その結末を、垣間見る。

 

 

『――ああよかった、今回の奴は普通だった! 喋る猫を連れているなんて痛い設定背負ってないし、出会い頭に英語で罵倒してきた挙句、拳銃ぶっ放ってこないなんて天国じゃん!!』

 

 

 紆余曲折の末に“異形を相手取る特務機関”に所属することになった直後、青年は“とある監視対象”と共に、海外研修へ赴くことになった。

 赴いた地域は、異教徒に対して厳しいと言われる城塞都市フォルトゥナ。人間に味方した大悪魔への信仰が色濃く残る宗教都市だ。

 

 

『俺は南条コンツェルンでペルソナの研究をしてるんだ。悪魔は畑違いだが、ペルソナ能力と何か繋がりがあると思っている』

 

『俺も、コイツと同じ職場で調査員をやってるんだよ。今回は付き添いかな』

 

『僕と彼女は、調査員の見習いをしているんだ。……こんな年齢だけど、修羅場慣れはしてるからね』

 

 

 嘗て捨てた過去で、自身が関わっていた超常現象――ペルソナ。それと同じ力を宿した大人2名と、彼らを慕う少年少女。

 本来ならばすれ違っただけの自分たちは、フォルトゥナ全土を巻き込む事件によって、深い関わりを持つこととなる。

 

 ――結んだ縁を片手に、青年は再び舞台へ赴く。

 

 人の悪意だけでなく、神の悪意が渦巻く混沌の街――首都・東京。冤罪被害者にして神の駒/囚人としてではなく、異形と人の境界線の守り人として、青年は降り立つ。

 嘗ての自分の役割に収まったのは、城塞都市フォルトゥナで共闘した少女。此度の青年の役割は、異形の力を行使して栄華を極めんとする男――獅童正義の内偵だ。

 ジョーカーではないことによる不利益と、ジョーカーでないことによるアドバンテージを手に取りながら、青年は駆ける。すべては、只1人のための◆◆◆◆◆◆◆であるために。

 

 

/

 

 

 駒は揃えた。それらすべてを並べて、集めた可能性を束ねて、束ねて、世界を創り上げる。

 全ての人が、すべての命が、己の望む優しい場所へ帰れるように。

 そんな世界があったって――許されたって、いいじゃないか。

 

 ――その延長線上の果てに、夢を見たって、いいじゃないか。

 

 契約は交わされ、賽は投げられた。

 盤上の駒たちが、暗闇の中で動き出す。

 

 

「――さあ、始めよう」

 

「――これは、『帰る』ための旅路」

 

 

「――神様の食い物(リソース)にされ続けた命が、神様を食い物(リソース)にして、希望の未来を手に入れるための物語だ」

 

 

 

*

 

*

 

*

 

*

 

 

「ああ、してやられた。してやられたよ」

 

 

 無貌の王は嗤った。

 

 

「貴様のソレは、“足掻いた末の破滅”ではなかった。それを装っていただけだった。貴様にとってあの破滅は、只の“道程”程度の価値しかない……!!」

 

 

 表裏一体の存在が嗤っているのを横目に、普遍的無意識の化身は微笑む。

 

 

「今回ばかりは、我々も大人しく負けを認めよう。――彼の旅立ちを言祝ごうじゃないか」

 

 

 取るに足らないものだとばかり思っていた。無価値な失敗作だと思っていた。

 その命が指示した答えに驚嘆した者として、できることはそれくらいだろう。

 

 

 

◆◆

 

 

 

「先輩、知ってますか?」

 

 

 鳶色の髪を赤いリボンでポニーテールに結った少女――芳澤かすみの問いかけに、思わず足を止めて振り返る。かすみは穏やかな笑みを湛えながら、言葉を続けた。

 

 

「『悪いことをした神様が、その罰として“人間に転生させられた”』話があるんですよ」

 

 




P5Rの新情報を見てから、ふと形にしてみたかった一発ネタ。『???』でやろうとして頓挫した要素にプラスアルファを足した結果がこうなりました。中々に楽しい状況となっています。P5Rの追加要素(一例.ヤルダバオト以上にやべえ真ボス登場etc)によっては、色々と展開が変わって来そうですね。
大分昔――P5Rの情報がまだ出ていない時期でしたが、どこそで「ヤルダバオト関連の源典/グノーシス主義から分析すると、ヤルダバオトの製作者=アイオーンが追加要素で出てくるのではないか?」という話題を耳にしました。この頃から完全版が出てくると言う予想がありましたが、完全版出現は予想通りでしたね。

因みに、SS内における此度のラスボスは“神様にリソースにされ続けた人々の姿を目の当たりにしてきた【何か】”。神様の計画にちょこっと介入し、ヤルダバオト・フィレモン・ニャルラトホテプを重点的に食い物にした模様。最後はその罰を受けるようですが、どうやらそれすら【何か】の意図した通りなようです。ヤバいなこれ。


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掴め。その未来を、今度こそ。


【諸注意】
・完全な蛇足話。
・完結した本編の余韻をぶち壊しにする恐れがある(重要)。
・完結した本編の余韻をぶち壊しにする恐れがある(重要)。
・完結した本編の余韻をぶち壊しにする恐れがある(重要)。
・こんな可能性がどこかに転がっていることを示唆しているだけで、それが実際になるわけではない(重要)。
・こんな可能性がどこかに転がっていることを示唆しているだけで、それが実際になるわけではない(重要)。

・『ペルソナ5 ザ ロイヤル』に関連する、重要なネタバレ要素が含まれている(重要)
・『ペルソナ5 ザ ロイヤル』に関連する、重要なネタバレ要素が含まれている(重要)
・『ペルソナ5 ザ ロイヤル』に関連する、重要なネタバレ要素が含まれている(重要)
・『ペルソナ5 ザ ロイヤル』に関連する、重要なネタバレ要素が含まれている(重要)

・『P5R/3学期』に関するネタバレを把握していることをお勧めする。
・『P5R/3学期』に関するネタバレを把握していることをお勧めする。
・『P5R/3学期』に関するネタバレを把握していることをお勧めする。
・『P5R/3学期』に関するネタバレを把握していることをお勧めする。

・普遍的無意識とP5ラスボス&P5Rラスボスの間にねつ造設定がある。
・『改心』と『廃人化』に関するねつ造設定がある。

・『ペルソナ5 ザ ロイヤル』のせいでヤバさが上昇している(重要)
・『ペルソナ5 ザ ロイヤル』のせいでヤバさが上昇している(重要)
・『ペルソナ5 ザ ロイヤル』のせいでヤバさが上昇している(重要)
・『ペルソナ5 ザ ロイヤル』のせいでヤバさが上昇している(重要)
・『ペルソナ5 ザ ロイヤル』のせいでヤバさが上昇している(重要)

・『ペルソナ5 ザ ロイヤル』を誹謗中傷する意図はない(重要)
・『ペルソナ5 ザ ロイヤル』を誹謗中傷する意図はない(重要)
・『ペルソナ5 ザ ロイヤル』を誹謗中傷する意図はない(重要)


・ジョーカーのみ先天性TS。
 原作ジョーカー(TS):来栖(くるす) (あきら)

・原作軸でも明智×TSジョーカーが成立している。

・現時点では続きはないが、ギャグパートに入れなかったことだけは未練なので、それがらみのネタが出てくる可能性大。ただし続き物になるかは未定。


『帰ろう。――私たちの《現実》に』

 

 

 こちらを見返す来栖暁の眼差しは、僕/俺が憎み、愛した正義の味方そのものだった。黒幕に真実を突き付けられたときは酷く取り乱していたけれど、それでも、彼女は、僕/俺の憧れた姿のままでいてくれた。それが酷く嬉しくて――けれども、どうしようもなく、胸が苦しかったことを覚えている。

 機会が与えられたのだと思った。今度こそ、暁のライバルに相応しい命になれると信じていた。けれど、歪んだ理想の世界は、僕/俺の決意を許してくれない。罪を償い、罰を受ける覚悟は打ち砕かれた。自分が抱えてきた燃えるような憎悪も、暁へ抱いた複雑怪奇な想いも、破滅の旅路の中で得た光も、全てが塗り潰されていく。

 

 

「――キミの負けだよ、明智くん」

 

 

 狂った教皇は、厳かに告げる。

 奴の視線の先には、俺の腕に抱かれた黒衣の怪盗。

 

 

『――クロウ、危ない!』

 

 

 ジョーカーは何を思ったのか、黒幕の攻撃から俺を庇って倒れた。触手によって貫かれた体からは、だらだらと鮮血が流れ落ちている。体温は急速に失われていき、顔は蒼を通り越して真っ白になっていた。

 怪盗団ご用達の薬は効果を発揮しない。他の仲間たちもみんな倒れ伏している。誰1人として、立ち上がるどころか、ピクリとも動かない。――誰がどう見ても、“彼らがもう助からない”のは明白だ。

 黒幕が作り上げた理想の世界もなかなかの悪夢だったが、俺の眼前に広がる光景も悪夢極まりない。残された俺も、文字通りの満身創痍。万事休す以外、この状況を表せる表現が見つからなかった。

 

 

「怪盗団の司令塔は倒れ、唯一残っているキミも満身創痍……いいや、戦闘不能、かな? 唯一無二の拠り所を失ってしまったのだからね」

 

「ッ、黙れ!」

 

 

 ――まだだ。

 

 まだ何も終わってない。終わっちゃいない。こんな形で、終わらせてはいけない。

 

 形はどうあれ、託されたのだ。共に進むと誓ったのだ。

 折れるわけにはいかない。屈するわけにはいかない。

 ……だって、僕/俺にはもう、それしか――!!

 

 

「可哀そうに」

 

 

 ヘリワードの放った一撃は、アザトースの触手によって阻まれる。次の瞬間、別の触手の攻撃が降り注いだ。

 俺はそれに対応しきれず、吹き飛ばされた。地面に叩きつけられる。

 

 

「どうしてキミは、自分から、茨の道を進むんだい?」

 

 

 ヘリワードを呼び出そうとするが、出てこない。利き手に握っていたはずのビームサーベルは、黒幕の向こう側に転がっていた。ならば銃でと思えば、ホルスターに装着したはずの銃が見当たらない。

 

 

「キミは充分すぎる程に傷ついて、苦しんできたんだ」

 

 

 アザトースの触手が、怪盗団の面々に巻き付いていく。

 黒幕の力が発動したのか、彼らの姿が歪み、怪盗服から私服へと変化した。

 体中の傷も、嘘みたいに消え去っていく。――血潮が、巡っていく。

 

 

「もう、いいだろう?」

 

 

 黒幕の触手が、ジョーカーに巻き付いた。彼女の怪盗服は私服に変わり、傷もすべて消え去る。

 

 

「キミは救われるべきなんだよ」

 

 

 ついには俺も、黒幕の触手によって捕らえられた。

 凪のような微笑を湛えた教皇の顔が、ぐにゃりと歪んでいく。

 

 

「大丈夫。目が覚めたら、キミは幸せな世界で、痛みを知らずに生きていけるんだ」

 

 

 ――ああ、僕は負けたのだ。

 

 罪を償うこともできず、大事な人が正しい道へ進めるよう導くことも叶わず、再び彼女の信頼を裏切った。ジョーカーのライバル/来栖暁の恋人という絆も、守ることができなかった。

 

 でも、それは暁だってお互い様だ。僕のライバルならば、こんな場所で、こんな形で死ぬべきではなかった。歪んだ夢が終われば()()()()だけの僕を庇うなんて、頭がいかれてる。躊躇わずに僕を切り捨てていればよかったじゃないかと詰りたくなったけれど、そんな人間だったら――僕はきっと、暁に惹かれることはなかったのだろう。

 来栖暁は、いつだって、僕の選べなかった“正しい道”を突き進んでいるような人間だった。突如降り注いだ理不尽にも負けず、めげず、屈することなく、真っ直ぐに立ち向かう人だった。――黒い服がよく似合う、とても優しい人だった。“もっと早く出会えていればよかったのに”と僕に思わせた、唯一無二の存在だった。……僕の、すべてだった。

 だから突き放した。僕は『彼女の未練で生まれ落ちた偽物』でしかなくて、彼女が望むような未来を与えられるような命ではないと自覚していたから。叶わない約束はするものじゃない。ただでさえ、俺は、暁を傷つけてきたのだ。もうこれ以上、『彼女を苦しめるだけの人形』になんか、なりたくなかったのに。

 

 最初から、言えばよかったのだろうか。『僕はもう既に死んでいて、キミの未練によって生かされているだけの人形になり下がってしまった』と。

 『いい加減僕に捕らわれるな。死んだ人間の影を追いかけるなんてマネはやめて、さっさと目を覚ませ』と、もっと手酷く突き放せばよかったんだろうか。

 

 

(僕は、何を間違った?)

 

 

 実父への復讐に燃え、悪事に手を染め、多くの人の命を奪ってきた極悪人。同情の余地なんて存在しない、間違いだらけの人生だった。

 だけど、その人生を歩んでいたからこそ、来栖暁という光を見つけた。最初で最後の初恋は、どうしようもない現実によって打ち砕かれた。

 

 でも、無意味ではなかった。無価値ではなかったのだ。――それだけは、誰にも否定されたくなかった。消されたくなかった。暁だって、それに頷いてくれたのに。

 

 

(俺は、何を間違った?)

 

 

 明智吾郎は、来栖暁に“何も残せない”ことを知っていた。愛を知らなかった僕/俺では、彼女に傷をつけるので精一杯だった。あの頃も、今も、それだけはどうしても変わらなくて。

 最後くらい変われたらいいと願い、率先して前に立った。彼女や怪盗団の前に立って、攻撃を受け止めようとした。『どうせ僕は消えるのだから』、『『また明日』なんか要らないから』と。

 暁が現実に帰れるならば――彼女をそこまで導いて、背中を押してやれるならば――それだけでいい、と。それ以上を望んだつもりなんか、一切なかったのに。

 

 

(畜生……!)

 

 

 ……だめだ。

 もう、意識を保っていられない。

 

 何もかもが歪んでいく。すべてが塗り潰されて、塗り替えられて、作り変えられていく――。

 

 

 

◆◆

 

 

 

 目覚めた先には、黒幕が作り上げた悍ましい楽園が広がって――いなかった。

 

 

「……僕の部屋?」

 

 

 必要最低限のものが置かれた、広いだけの部屋。元から備え付けられていた家具の高級さが目に付く以外、生活感の薄い部屋――それが、今の僕の家だ。外の景色は真っ暗で、ちらちらと雪が舞っている。

 日付と現在時刻を確認しようとしたら、壁掛け用のカレンダーや時計類はすべて消え去っており、スマホを含んだデジタルは完全なバグ表記となっていた。これでは時間の確認ができない。

 

 

(とりあえずは情報を集めないと)

 

 

 そう思った僕は、立ち上がってドアノブに手をかけた。だが、幾ら回しても、扉が開く気配がない。

 道具でこじ開けようとしても、力を込めて蹴破ろうとしても、一切びくともしないのだ。

 イライラを発散するようにアレコレ試し終えた俺は、顎に手を当てて状況の分析を試みた。

 

 見た限り、僕の部屋を模した空間は、“黒幕が作り上げた歪んだ世界”ではない。もしこの世界が“そう”ならば、僕は既に扉を開けて、外へ飛び出すことができていた。なにせ、あの世界は、“誰かにとって都合がいいこと”ばかり起きる世界だから。下手すれば、黒幕や怪盗団のことなど忘れ去っていてもおかしくはない。

 しかし、今僕が閉じ込められている部屋は、僕にとって非常に都合が悪かった。悪夢に等しい光景を、はっきりと覚えている。故に、俺はこんな場所で足止めを食らっている暇などない。早く怪盗団と合流し、彼らを目覚めさせ、黒幕を倒して現実世界へ帰らなければならないからだ。……それがどれ程残酷なのか、分かっていて。

 

 

(黒幕による“曲解”で歪んでいたとしても、奴に負けて、暁たちが瀕死の重傷を負ったのは事実。認知世界と融合しかかっていたと言えど、もし歪みが正されて、“曲解”が解除されたら――)

 

 

 俺の脳裏に浮かんだのは、死に体と言っても過言ではない傷を負った暁たちの姿だ。黒幕の歪みが成就した悪夢の世界では、きっと、彼女たちの傷も『なかったこと』にされているのだろう。

 “曲解”の力が解除されてしまえば、暁たちの運命は――十中八九、僕と同じ末路を辿る。世界を正したその瞬間に、自分の命が燃え尽き、跡形もなく、世界から消え去るのだ。

 

 

「くそっ」

 

 

 小さく吐き捨てて、扉を殴りつける。

 

 

(知りたくなんか、なかった)

 

 

 彼女が“僕/俺”を生み出した原因を、そのとき何を考えていたのかを、嫌が応にも突き付けられる。だけれど、それを弄んだ黒幕を肯定するわけにはいかない。

 消されたくないと叫んだ命として、消したくない傷や痛みを抱える命として、どうしても、あの歪んだ楽園を認めるわけにはいかないのだ。

 『歪んだ大人を命がけで改心させる』――それが、僕の愛した怪盗が掲げた美学だ。成し遂げ、積み上げてきた旅路の答え。

 

 

「……成し遂げないと」

 

 

 せめて、それだけは。

 暁に庇われて、最後の1人として残された僕が、果たさなくては。

 

 

(――でも、どうやって?)

 

「ここから出る方法、知りたいか?」

 

 

 背後から声が聞こえた。振り返れば、見覚えのない男がダイニングテーブルを椅子代わりにして、足を組んで座っていた。

 

 黒と青を基調にしたクラシカルな衣装が目を引く。青いインバネスコートには、豪奢な装飾と蝶の刺繍が施されていた。ラヴェンツァやモルガナ、あるいはジョゼと雰囲気が似通っているように思う。

 特に印象的だったのは、目元を覆う白い仮面。その左半分には、夜明けを思わせる東雲色の蝶が描かれていた。左耳には、金色に輝く星形のイヤリングが煌めいている。

 

 

「お前、何者だ」

 

 

 そう問いかけながらも、僕は直感していた。この男が、僕をこの世界に閉じ込めた張本人なのだと。

 相手も僕がそれに気づいたことを察したのだろう。奴は静かに微笑み、くるりと手を動かした。

 

 

「これが、部屋から出るための鍵」

 

 

 奴の掌の上には、一羽の蝶が羽を休めている。どこからどう見ても鍵には見えないけれど、どうしてか僕は、“それで扉が開かれる”と一瞬で理解できてしまった。

 ならばここで立ち止まっている暇はない。僕は奴の手の中にいる蝶めがけて手を伸ばす。しかし、蝶は僕の手をすり抜けて、男の掌へと再び舞い降りて羽を休めていた。

 何度手を伸ばしても、蝶はひらりひらりと僕の手をすり抜ける。……埒が明かぬと判断したのだろう。男は苦笑したのち、蝶を消してしまった。俺は思わず喰らいつく。

 

 

「おい。その鍵をよこせ」

 

「今のままだと、結末は変わらないぞ? 黒幕の力を()()()()手段は揃っていない」

 

 

 ――黒幕の力を打ち砕く。

 

 あまりにも、あまりにも甘美な言葉だった。成す術なく飲み込まれるしかなかった“曲解”の力を打ち砕ければ、黒幕の望みを阻止できる。黒幕が管理する楽園を壊して、現実世界へ帰ることができる。男の口ぶりからして、“怪盗団がどんな状況にあるかを知っていて、その状況もひっくりかえせるという確証がある”らしい。

 ……けれど、僕/俺は知っている。汚い大人たちと交わした取引を、薄汚れた世界の掟を、よく理解している。奴がそんな力を俺に提供するというのだ。なら、奴は俺に対して、何らかの見返りを求めているのだ。僕は思わず身構える。男は静かに微笑み、言葉を続けた。

 

 

「契約してくれ。“責任持って、最後までこの『ゲーム』をやり遂げる”って」

 

「『ゲーム』?」

 

「そう、『ゲーム』。一発勝負でやり直しのきかない、幾重もの選択肢と幾重もの結末が存在する――そういうヤツ」

 

 

 男が指示したのは、据え置き用ゲーム機と、その脇に置かれたCD-ROMだった。ROMのケースは透明で、『どのようなゲームなのか』を箱のデザインから類推することは不可能である。

 ケースの中には、無地の白いラベルに『人生ガメオペラ』と雑な字で書かれたCD-ROM。何やら精魂尽き果てたような筆跡に見えたのは気のせいではない。……自作ゲームなのだろうか。

 

 

「作ったのは俺じゃない。――幾銭、幾万、幾億もの蝶の群れだ。『そんな世界が、どこかにひっそりと存在していますように』という祈りそのものが編み出した、誰かにとっての夢。あるいは、誰かにとっての“たった1つの現実”であり、“確かな真実”」

 

 

 男は大仰に言葉を続ける。

 

 

「キミは知らなければならない。何を間違ったのか、何が原因だったのか、あの日何をどうすればよかったのか。そうして、今これから何をすべきなのか。何ができるのか、どうしたいのかを」

 

「……そんな無意味なことをして、何になるって言うんだ」

 

「それこそが――いいや、『それだけが、黒幕の“曲解”を打ち砕く対抗手段になる』と言ったら?」

 

 

 男の手には、契約書と万年筆が握られていた。契約書の下部には名前の記入欄がある。東雲色の蝶が描かれた、高級そうな紙――そこから漂う神秘的な力を、肌で感じ取った。

 一度サインをしてしまえば、僕はもう逃げられない。奴の出した条件を果たす――奴が提示した得体の知れない『ゲーム』を責任持ってやり遂げるまで、絶対に。

 けれどきっと、それを成しえた果てには、契約は果たされる。眼前で漂う力はごく僅かなものだけれど、黒幕の“曲解”を打ち砕けるという確証だけがあった。

 

 消されたくないと叫んだ命として、消したくない傷や痛みを抱える命として、どうしても、あの歪んだ楽園を認めるわけにはいかないのだ。

 『歪んだ大人を命がけで改心させる』――それが、僕の愛した怪盗が掲げた美学だ。成し遂げ、積み上げてきた旅路の答え。

 

 

(……成し遂げないと)

 

 

 せめて、それだけは。

 暁に庇われて、最後の1人として残された僕が、果たさなくては。

 

 だって、俺にはもう、何もない。黒幕を倒して現実世界へ戻れば、俺はあの豪華客船で死んだことになる。認知世界で命を落とした人間がどうなるかは分からないが、暁の反応からして、おそらく死体すら残らないのだろう。存在した証は消え去り、人々はやがて俺を忘れ去る。暁だってそう。最初からそんな人間などいなかったかのように、世界は滞りなく回るのだ。

 僕は、自分の未来なんて最早どうでもいい。借りを返すために出頭したときから、極刑を覚悟していた。もう二度と外には出れないし、死刑判決を下されて死刑が執行されることだって視野に入れていた。それは当然の報いなのだから、僕には釈明も弁明もするつもりはない。逃げずに現実(いま)へ向き合うと決めた。

 たとえ、どんな末路を迎えようとも、もう迷わないと誓ったのだ。僕にこんな決意を抱かせた少女の姿が、鮮やかにリフレインする。積み重ねた日々と絆を、胸に抱く。何も許されなかった僕が唯一自分の意志で手に入れた、生きた証。生きていた意味。――大切な、“答え”。

 

 

「お前の契約に乗ってやる」

 

 

 俺の答えに満足した男は、契約書とペンを差し出した。それをひったくり、記入欄に僕の名前をさらりと書き記す。途端に契約書は溶けるように消え去った。

 

 

「ただし、覚えとけ」

 

 

 俺は男を睨み、吐き捨てるようにして言い放った。

 

 

「すべてが終わったら、テメェをぶっ潰してやる」

 

 

 “お前も、僕を玩具にしようとした連中と同じなのだ”――言外にそう訴えれば、男は虚を突かれたような顔をした。

 

 「まさか明智吾郎にそんなことを言われるだなんて思わなかった」とでも言いたげな表情。

 男は暫し目を瞬かせた後、どこか寂しそうに微笑みながら、頷き返した。

 

 

「――うん。楽しみにしてる」

 

 

 

***

 

 

 >絆の繋がりが発生しました。

 

 

 <???(名称不明)>

 【アルカナ:剣】

 明智(僕/)吾郎()に契約を持ち掛けてきた謎の男。奴の持ち掛けてきた『ゲーム』をクリアすれば、黒幕の“曲解”を打ち砕く力を得るという。

 僕/俺を得体のしれない部屋に閉じ込めた張本人。すべてが終わった暁には、絶対コイツをぶっ潰してやる。

 

 

 <未開示>

 【アルカナ:未開示】

 現時点ではまだ、絆の繋がりが発生していません。

 

 

 <未表示>

 【アルカナ:未開示】

 現時点ではまだ、絆の繋がりが発生していません。

 

 

 <未表示>

 【アルカナ:未開示】

 現時点ではまだ、絆の繋がりが発生していません。

 

 

***

 

 

 ――みとめない。

 

 

 声にならない慟哭を上げながら、男は“滅びの夢”に捕らわれる。

 最早覆しようのない現実。緩やかな滅亡が確約された世界。

 終焉のラッパ代わりに響き渡るのは、表裏一体の善神/悪神の嗤い声。

 

 

 ――こんなげんじつ、みとめない。

 

 

 男の傷口から流れるのは血だけではない。積み重ねてきた旅路と、それに伴う記憶と感情が流れ落ちていくような錯覚があった。

 血液を失ったことによる寒気を感じながら、男は天を仰ぐ。全てを対価として捧げた高校生たちと、自分にとって大切な弟分と妹分の姿が脳裡をよぎった。

 

 傷跡も後悔も、喜びや悲しみも、共に歩んだ日々や絆も、何もかもが消されてしまう。痛かったこと、怖かったこと、楽しかったこと、嬉しかったこと、間違いを引きずりながらも新たな一歩を踏み出せたこと――何もかもが、“世界を救うため”に消されてしまう。

 

 

『いかないでくれ、兄さん……!』

 

 

 糸が切れる音がした。

 戦を司る神が、悲痛な顔をしたまま消えた。

 

 

『ダメだ、至さん!』

 

『お願い、思い出して! 私の口癖を忘れないで!』

 

 

 糸が切れる音がした。

 太陽を司る神と、月を司る女神の手は、こちらを掴めなかった。

 

 

『ダメだよ。そんなのダメだよ!』

 

『違う。“命のこたえ”は、そんな形で使うものじゃない……!』

 

 

 糸が切れる音がした。

 救世主たちは呆然と、切れた糸を見つめていた。

 

 

『こんな真実、見たくなんかなかった……』

 

 

 糸が切れる音がした。

 日本神話の神は、自分の目を覆って首を振っていた。

 

 

『――至さん』

 

 

 糸が切れる音がした。

 1羽のヤタガラスが飛び立つ羽音を聞いた。

 悪魔の王たちは、その背中をずっと見つめていた。

 

 

 ――こんなにたいせつなものなのに。

 

 

 ここは最早、ゴミ捨て場だ。どこにも行けなくなった“誰か”の叫びと、『世界のために』と捨てられた想いの残骸が降り積もる。それを必死に抱えて、男は泣いた。

 

 

 ――もういやだ。

 

 ――うばわれたくない。

 

 ――ころされたくない。

 

 

 それでも、現実は揺らがない。理不尽に奪われ、壊され、潰され、打ち捨てられる。嘆いて泣き叫ぶ男を嘲笑うようにして、表裏一体の善神/悪神が雑談に耽っていた。

 アレは人間が存在し続ける限り、絶対に消えない存在だ。人に干渉し、悲劇の種を蒔き、舞台を整え、人間たちが足掻くさまを見て笑いながら、試練という名目で理不尽を投下する。

 ……そうして最後に、「これが現実なんだ」と突き付ける。「ひっくり返す手段のない、絶対的な現実なのだ。お前の宿命なのだ」と嗤うのだ。

 

 

「――こんな現実、大嫌いだ」

 

 

 哀しみは怒りに変わる。理不尽に対する反逆へと変貌する。

 奪うだけの神様に、嘲笑うだけの神様に、反逆の一撃を叩き込む。

 

 まさか男が動くとは思わなかったのだろう。善神/悪神の驚いたような声が響き渡る。それらすべてを()()()()()、男はゴミ捨て場から這い出した。

 

 

『人を、救いたい』

 

 

 どこかで誰かの声がする。

 どうにもならない現実に対する、強い反逆の心を有する人間の、血反吐を吐くような悲痛な叫び。

 

 

『彼女を、救いたい』

 

 

 どこかで誰かの声がする。

 奪われたものを取り戻そうと足掻く、ちっぽけな人間の揺るぎない意志。

 

 

『――こんな現実、大嫌いだ』

 

 

 【彼】がぽつりと零した本音は、男と同じものだった。

 

 




最近流行りのRTA/ゲーム実況風のSSを読み漁っていた結果、ふとした拍子に「この切り口で書けばいいのではないか」と思い至った末に筆が乗って書き上げたSSです。
一言で言い表すなら『原作R明智による、『魔改造明智が主人公の魔改造ペルソナ5-20周年記念作-』プレイはーじまーるよー!(棒読み)』の準備号。そのため、完全シリアスオンリーとなっています。
今回は区切りがいいので、ゲームを始める経緯および直前で切り上げました。ギャグパートに入れなかったのが心残りなので、後でギャグパート分のSSを執筆してUPしようかなと思案中。

もし続き物になる場合、Fate/EXTRA-CCCの某キャラクターの名台詞――「恋は現実に敗れ、現実は愛によって塗り替えられ、愛は恋によって打ち砕かれる(要約)」要素がぶち込まれる予定。
この名台詞をもじった結果、「理想は現実に打ち砕かれ、コンプレックス/歪みは現実を侵食し、コンプレックス/歪みは理想によって打倒される」という文面も誕生。この三すくみを主軸にできたらいいなあ。

……他版権から作品の土台や着想を得た場合、それも記載しておいたほうがいいのでしょうか? でも、本編にはそういう文面が出てくる程度なので、逆に検索妨害になりそうで怖いです。


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