この儚き幻想の地で為すべき事は。 (マイマイ)
しおりを挟む

~幻想の地へ~
プロローグ ~“贄”の幻想入り~


新連載、スタートです。
少しでも暇潰しになってくだされば幸いです。


 それは、突然の出会いであった。

 

「もし、そこの学生さん」

「えっ?」

 

 いつもと変わらない日常、学校へ行って授業を受けて、今日は部活が休みだから友達と遊ぶ約束をして。

 そんな一般の学生が経験しているであろう日常の中で現れたその出会いは、あってはならないものであった。

 

「……僕、ですか?」

 

 家と学校を繋ぐいつもの通学路には、僕以外の学生は見受けないので僕は声を掛けてきた人物に話しかけた。

 そこで初めて相手の顔を見て……凄い美人である事がわかり、内心驚いてしまう。

 

 長い金の髪の先端に小さなリボンを取り付け、まだまだ寒い冬の季節だというのに胸元が開いているドレス姿の女性は、優雅に日傘を差しこちらを微笑みながら見つめていた。

 何処かのお嬢様なのかと錯覚してしまう程の綺麗な容姿に、おもわず見惚れそうになってしまいそうになる。

 呆けた顔をしていたのか、女の人が僕を見てくすくすと笑ってきたものだから、僕は恥ずかしくなりながらも我に返った。

 

「どうしたのかしら?」

「い、いえ……そ、それより僕に何か用ですか?」

 

 緊張からか、上擦った声を返してしまう。

 この周辺では、少なくとも僕が今まで生きてきた中では出会う事などなかった程の美人を前にしては、緊張するなというのが無理な話だ。

 そもそもモデル顔負けの容姿を持つ女の人が、ただの学生である僕に声を掛けるなど一体どういうわけなのか。

 ……まさか、怪しい勧誘の一種か何かか? そんな危惧を思い浮かべていると、女の人は再びにっこりと僕に向かって微笑みを浮かべる。

 

「貴方に、会いに来たの」

「えっ」

「貴方に、会いに来たのよ」

 

 そう言って、女性はますますその笑みを深めていった。

 

「…………」

 

 何故、だろうか。

 世の男が聞いたら喜びそうな台詞を、とても綺麗な女の人に言われたというのに。

 僕が最初に感じたものは、()()であった。

 

 決して、まだ一月の中旬前の空気の冷たさから来るものではない。

 普通に生きているのなら決して経験しない筈の悪寒を、当たり前のように理解し当たり前のように感じ取っていた。

 

「……えっと、よくわかりませんが急ぎの用事があるので」

 

 一刻もここを離れなければ、そんな強迫観念のようなものに圧され、早口でそう言いながら僕は踵を返す。

 だけど、その行動に移るには少しばかり遅かったようで。

 

「――困りますわ。せっかくいい“(にえ)”が見つかったというのに」

「え……」

 

 踵を返し、女の人に背を向けたはずだというのに。

 僕の目の前には、先程と変わらぬ女の人の笑顔があり。

 

「一撃で、死なないでくださいましね?」

 

 あくまでも笑みを崩さぬまま、女の人は右手で持っていた日傘で、僕の心臓がある部分を貫いた。

 

「えっ……えっ?」

 

 ……避ける事など、できるわけがなかった。

 今まで普通の学生として生きてきて、護身術とかそんなものを習っていない僕に避けられる道理などなかったのだ。

 

「あ……」

 

 不思議と、痛みはそれほどではなかった。

 けれど酷い喪失感が全身を駆け巡り、指先から少しずつ感覚が失われていく。

 身体が重い、立っていられなくなって前のめりに倒れ込んだ。

 

「……あら、このまま死んでしまうのかしら?」

 

 視界はもう機能していない中、女の人の声だけが聞こえてくる。

 ほんの少しの驚きと呆れ、そして失望の色を乗せたその声は、かろうじて僕を繋ぎ止めてくれていた。

 だがそれも数秒、そもそも心臓を貫かれてどうしてまだ意識があるのか。

 普通ならとっくに死んでいる筈なのに、どうして尚も僕は意識を失わずにいるのかが不気味だった。

 

 いや、本当はとっくに死んでいてそれを認識できていないだけなのか。

 ……ああ、でも眠くなってきた。

 

「期待外れね、生への執着心が薄い……せっかく面白い能力が眠っているのに」

 

 もう、よく聞き取れ、ない。

 だけど、見下されているという事だけは理解できて……心底腹が立った。

 どうしてこんな目に遭わないといけないのか、それを知らないままここで殺されるなどまっぴら御免だ。

 

「さようなら人間、無意味な人生でしたわね」

 

 ふざけるな。

 いきなり人の心臓を刺し貫いて、勝手に失望して消えるなんて許さない。

 血はさっきからずっと流れ続けているし、視界は真っ暗で人としての機能なんか殆ど死んでいる。

 

 けれど、ここで死んでたまるかと歯を食いしばった。

 死にたくないと思ったのが何よりの理由だけど、同時にこんな目に遭わせた目の前の相手に一言文句を言ってやりたかった。

 感覚はなくなっているけれど、精一杯全身に力を込める。

 

「――そう、それでいいのよ」

 

 何を、言っているのか。

 立ち去ろうとしていた女性が立ち止まり、再び僕の元へと戻ってきたと思ったらおかしな事を言い出した。

 

「生きたいのでしょう? 死にたくないのでしょう? ならこの理不尽から自力で脱してみせなさい。――貴方には、その力がある」

 

 うるさい。

 話しかけるな。

 こっちは今にも死にそうなんだ、そんな挑発めいた声なんか聞いている余裕なんてない。

 

 心の中で悪態を吐いていると、それが生きる活力になったのか消えかけていた感覚が戻り始める。

 同時に燃え上がるような熱が全身を駆け巡り、思考を茹だらせていった。

 その熱は不快感をこちらに与えるものの、そのおかげか眠気は吹き飛び意識が覚醒していく。

 

「そう、自らを解放して内側にある力を引き出すの。

 死に直面した今なら腑抜けたこの世界で生きている貴方でもそれがわかる筈、いいえ……死にたくないのなら、私が憎いと思ったのならそれこそ死に物狂いで身体に覚えさせなさい」

「っ、うる、さい…………!」

 

 いい加減頭に来て、喉元までせり上がっている嘔吐感を無視して叫んだ。

 ……それが、“引き金”となったのか。

 

「え……?」

「…………ふふふ」

 

 どくんと、鼓動が爆発したかのように高鳴った。

 何が、起きたというのか。

 混乱する自身の思考など知らぬと、内側から何かが()()()()()()()()()()

 

 正体不明のこの感覚は一瞬でこちらの思考を真白に染め、意識を断裂させていった。

 今度は耐えられない、既に九割以上の意識は消え、一秒後には完全に消えようとする中で。

 

「――合格よ。私の……いいえ、私達の世界の可愛い可愛い生贄さん」

 

 最後まで腹の立つ物言いを放つ、女性の声が聞こえたような気がした……。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

1月10日① ~宵闇の襲撃~

 冷たい風が、頬を叩く。

 

「……うっ、つ……」

 

 意識が戻ると同時に、土の感触が顔全体に広がっている事に気がついた。

 ……土の感触?

 

「っつ……あれ、なん、で……?」

 

 気だるさを抗いながら立ち上がると、周囲は見知らぬ光景に変わっていた。

 ザワザワと夜の風でざわめく木々、舗装などされていない獣道とも呼べる土の地面。

 所謂“森”と呼べる場所に、僕は倒れ込んでいた。

 

「…………どこだ、ここは」

 

 自分の記憶にはない場所だ、そもそも僕はどうしてこんな見知らぬ土地で倒れていたのか。

 とりあえず、ここに到るまでの経緯を思い出そうと頭を捻ったが。

 

「っ、い、て……」

 

 胸を中心に、不快感と嘔吐感が一斉に襲い掛かり思考が中断させられた。

 ……そこで漸く気がついた、自分の服に小さくない穴が空いており、その周囲が血で汚れている事に。

 

「あ、れ……なんだよ、これ……」

 

 服を脱ぐと、穴の先に()()が残っていた。

 一応塞がってはいるものの、周囲にこびり付いた血の量が決してこの傷が浅いものではなかったと証明している。

 思考を蝕む不快感と嘔吐感はやはりこの傷痕から押し寄せているようだ、けれど……。

 

「……なんで、こんな怪我をしているんだ……?」

 

 僕は、何故こんな傷を負っているのか思い出す事ができなかった。

 それだけではない、僕はこの傷を負った経緯はおろか……。

 

「――僕は、誰だ?」

 

 ……これが記憶喪失というやつなのだろうかと、何処か他人事のように考えてしまう。

 実際に他人事にように考えているのだろう、あるいは混乱し過ぎて思考が停止してしまってるのか。

 

「…………」

 

 とにかく、いつまでもこんな所で立ち尽くしていても事態は変化しない。

 まずは人が居る場所に移動しよう、ただ周囲が木々に囲まれているからどの方角にいけばいいのか。

 

 暗いせいか、この森は居るだけで恐怖心を煽られる。

 早く移動しよう、そう思った僕はすぐに足を動かそうとして。

 

「――ねえ、あなたは食べてもいい人間かしら?」

 

 背後から掛けられた、幼い少女の声を聞いて。

 僕の身体は、凍りついたかのように固まってしまった。

 

 ……振り向けない、振り向いてはいけない。

 今の声は、自身の破滅へと導く悪鬼の声だと理解すれば、固まるのは当然であった。

 

「……聞いてる? あなたは、食べてもいい人間なの?」

 

 少し不満げに、後ろの声は再度問う。

 

「っ」

 

 その声で緊張が僅かに解かれたのか、僕は脇目も振らずにその場から全速力で駆け出した。

 はっきり言って今のこの状況には理解が追いつかない、それでも今は逃げる事しか考えられなかった。

 生物としての生存本能が、僕に『逃げろ』と叫び続けている。

 

「は、ぁ……ぐっ……」

 

 ろくに舗装もされていない獣道は、少しでも油断すれば躓いてしまいそうになるほどに走りにくい。

 それでも走った、すぐ背後に迫っているどうしようもない“死”への恐怖から逃れたい一心で足を動かし続ける。

 

 ――息がつまる。

 乱立する木々の中を、足を取られそうになりながらも走る事は相当負担なのか、すぐに息が上がり足を止めようとしてしまう。

 それもあるだろう、けれど何よりも……胸に刻まれている傷痕がどうしようもなく僕の身体を蝕んでいた。

 服や肌に付着していた血は尋常な量ではなかった、それを考えれば今の僕の身体には圧倒的なまでに血が足りていない。

 

「速い速い、お兄さん……結構頑張るね」

「っ、あ……ぐうっ!!」

 

 耳元で、先程と同じ声が聞こえた。

 全速力で走り続けているというのに、酸素が行き渡っていない身体を酷使し続けているというのにまだ離れてくれない。

 

 まだ遅い、もっと速く走らなければ。

 相手はすぐ傍に居る、ならもっともっと速く走って逃げ続けろ。

 出口は見えず一向に終わりが訪れなくても走れ、そうしないとこんなわけのわからない状況で僕は――

 

「――けど追いかけっこは飽きちゃった、ここまでにするね」

「っ――――!?」

 

 耳ではなく脳に直接語りかけるような声が、霞みかかっていた意識を現実へと引き戻す。

 同時に反応する肉体は、まず両足を止め地面を滑りながら全力でその場から回避する選択を選んでいた。

 

「っ、ぁ……!?」

 

 風切り音が、うねりを上げる。

 同時に襲い掛かる激痛は、右肩から押し寄せそのまま地面に倒れ込んでしまう衝撃を与えてきた。

 そのまま地面に倒れ込み動けなくなった僕の身体の上に、小さな重みが押し寄せる。

 

「えっ……」

「ふふっ、結構楽しかったよお兄さん。顔も見ずに逃げられたのは初めてだったかなー」

 

 その重みの正体を見て、僕はおもわず固まってしまった。

 

 ……小さな、女の子だった。

 

 当たり前のように死の恐怖を与え、ただただ逃走する事だけを考えさせられた相手の正体は、十も満たぬ少女の姿をしていれば固まりもする。

 短い金の髪に赤いリボンを結び、黒を基調とした服を身につけた可憐な容姿の女の子は、馬乗りになりながら僕にニコニコと微笑みかけていた。

 

 その笑みが、どうしようもなく恐ろしい。

 無邪気で可憐な笑みだからこそ、その恐ろしさを一層感じさせた。

 

「その変な服装から察するに、お兄さんは“外来人”みたいだね」

「外、来人……?」

「別に気にする事なんかないよ、だって……どうせすぐにわたしに食べられて死ぬんだから」

 

 微笑みに、妖艶さと悪寒を走らせる恐ろしさが加わった。

 わたしに食べられる、つまり目の前の少女は僕を文字通り食すというのか?

 カニバリズム、人間の肉を食べるという習慣や行動を意味するそれを、この子は行なおうとしている。

 

「なん、で……」

「そんな事気にすることなんかないって、というより……もう喋らないでくれない? 耳障りなのよ、外来人の声って」

 

 少女の表情から微笑みが消え、絶対的な憎悪を瞳に宿しながら僕を睨む。

 見た目とはまるで違うその視線は、ぶるりと僕の身体を大きく震わせた。

 

「あんたみたいな外来人はわたし達に喰われるだけの餌なの、だから余計な抵抗なんてしないでさっさと喰われてしまえばいいの」

 

 少女の口が開かれる。

 ……なんだ、それは。

 なんなのだ、その物言いは。

 

 こっちはまだ状況をまるで理解していないというのに、いきなり襲われて喰われかけて、おまけに暴言を吐かれた。

 喰われるだけの餌だと断言され、恐怖よりも怒りがふつふつと湧いてくる。

 相手が小さくて可憐な容姿を持つ少女だとしても関係ない、こんな事を言われてただ黙ってやられるなんてまっぴらだ。

 

「それじゃあ、いただきまーす」

「…………けるな」

「ん? 何か言った?」

 

 余裕を隠そうともしない少女の態度に、今度こそ僕は聞こえるように叫ぶ。

 

「――ふざけるなぁっ!!」

 

 こんな叫びに意味などない、謂わば負け犬の遠吠えと言える精一杯の強がりだ。

 それでも一言言い返してやりたかった、一矢報いてやりたいと僕は叫びながら無意識の内に右手を少女へと伸ばす。

 勿論この行動も無意味な反撃に過ぎず、目標も定めていなかった右手はそのまま少女の頭に結ばれている赤いリボンを掴んで。

 

「っ、ぎ、あ――ああぁぁぁぁぁっ!!?」

 

 目を見開き、限界まで身体を仰け反らせながら絶叫する少女の姿を、視界に入れた。

 馬乗りになっていた僕の身体から弾けるように離れ、蹲りながら両手で頭を抱え苦しげな声を上げ続ける少女。

 ……何が起きたのか理解できず、僕は逃げる事も忘れ茫然と少女を見つめる事しかできなかった。

 

 荒い息を吐き出し続けながら、少女は尚も苦しみ続けている。

 その光景は尋常なものではなく、殺されかけたというのにおもわず心配してしまうほどに痛々しい。

 

「う、ぐ……何を、した……!?」

「うっ……」

 

 怒りと憎しみを込めた目で、少女は苦しみながらも僕を射殺すつもりで睨みつける。

 その眼光におもわず小さな悲鳴が口から飛び出し、忘れていた逃走という選択肢が脳裏に浮かび上がった。

 すぐに立ち上がり、少女から背を向けて逃げようとして――地面に倒れ込んだ。

 

「あ、え……?」

 

 もう一度起き上がろうとして、また倒れる。

 何故、という疑問を抱くと同時にまた起き上がって、また倒れた。

 

「あ……」

 

 視界が霞む、意識が薄れていく。

 起き上がる力は消え失せ、どんなに歯を食いしばっても動けなくなった。

 

 ……限界が、訪れたのだろう。

 元々浅くはない傷を負って血が足りない状態で、あんなにも走り回ってまた怪我を負った、だというのにここまで酷使すれば倒れるのは当然だった。

 ただそれだけの事であり、結局僕がこの状況から助かる道理など初めから存在する筈もなく。

 

 目の前に、自身の命を奪う存在が居るというのに。

 僕の意識は闇へと落ち、そのまま意識を失ってしまった……。

 

 

 ■

 

 

「…………うっ」

 

 地面を踏み歩く音が、聞こえる。

 でも足を動かしているのは僕ではない、そして身体に伝わる僅かな揺れを感じ誰かに運ばれている事を理解した。

 目を開ける、最初に移ったのは肩辺りまで伸びた金の髪。

 

「気がついたか?」

「えっ?」

 

 僕をおぶってくれている金の髪を持つ人から、声を掛けられた。

 優しい声色で、僕を心配するようにその人は視線だけを僕に向ける。

 

「あ……」

「待て。気持ちは判るが一度落ち着いてくれ、わたしはもうお前を襲わないし襲うつもりもない。まずはこちらの話を聞いてくれると助かる」

 

 ――悲鳴が、出そうになった。

 僕をおぶってくれているのは、僕より少しだけ年下に見える女の子。

 

 けれどその容姿は多少大人びたものに変わっているものの、今の今まで僕の命を奪おうとした少女に瓜二つであった。

 困惑する僕に、少女はばつが悪そうな顔を見せながら自らの名を口にする。

 

「まずは自己紹介といこう。わたしはルーミア、『宵闇の妖怪』と呼ばれる化物だ」

「…………妖怪?」

 

 その単語に、首を傾げた。

 妖怪という言葉は知っている、けれどそれはあくまで創作の中に存在しているものの筈だ。

 でも彼女には実体があるし現に僕を背負っている、空想の存在ではない。

 

「その反応は当然だな。お前達“外の世界”の住人にとって妖怪というのは幻想の存在と成り果てている。

 だがわたしは嘘など言っていないし、お前が夢を見ているわけでもない。

 ――ここは幻想郷、人間に忘れられし妖怪や妖精、神々が暮らす仮初めの理想郷さ」

 

 皮肉めいた口調で、少女はそう言った。

 

 ……理解が、追いつかない。

 幻想郷? 妖怪や妖精や神様が暮らす世界?

 何を馬鹿なと言ってやりたかったが、あんな目に遭わされておいてそんな言葉が出てくるほど僕は愚かであるつもりはない。

 

「……どうして、僕を殺さない? さっきは食べようとしていたじゃないか」

 

 容姿や背丈は変わっているものの、このルーミアと名乗る少女が先程の少女だとわかっているからこそ、そんな疑問を口にする。

 するとルーミアは僕の問いに申し訳なさそうな表情を見せつつ、答えを返してくれた。

 

「さっきのわたしはあまりに子供でな。見境なく襲ってしまった事は……許してくれとしか言えない」

「…………」

「勿論お前がわたしを許す必要などないし許せないだろう、だがせめてお前に負わせてしまった傷の詫びだけはさせてくれ」

 

 そう言ってから、ルーミアは顔を前に向け歩く事に集中し始めた。

 

 ……正直、彼女の言う通り許すつもりはない。

 

 何せ殺されかけたのだ、そんな相手に慈悲など向ける余裕なんて存在していなかった。

 けれど僕の身体はこうしておとなしく背負ってもらう事しかできない程に衰弱しているので、逃げる事も叶わない。

 

「…………信じても、いいの?」

「できる事なら。少なくとも今のわたしはお前に迫る脅威からお前を守る事を誓う」

 

 視線は向けず、けれど強い決意と優しさを込めた口調でルーミアは言った。

 それを容易に信じる事は難しい、でも今の僕に逃げる事なんかできないので余計な事を考えるのはやめた。

 そう思うと少し気が楽になり、余裕が生まれた僕は漸く見慣れぬ竹林の中を移動している事に気がついた。

 

 天まで伸びるのではないかと錯覚するほどの成長を見せる竹達が、夜空の殆どを覆っている。

 周囲に視線を向けても同じ景色が続いており、自分が何処を移動しているのかわからなくなってしまいそうだ。

 

「ねえ、訊きたい事があるんだけどいいかな?」

「わたしに答えられる事なら」

「なら、ここは何処? 僕を何処へ連れて行くつもり?」

 

「ここは“迷いの竹林”と呼ばれる場所だ、成長が早い竹達に覆われたこの場所は人間はもちろん妖精や妖怪も迷ってしまう天然の迷宮だな。

 お前を連れて行こうとしている場所はこの竹林の中にある“永遠亭”という診療所だ、そこには腕の良い医者が居るからお前の傷もすぐに治してくれる」

「迷いの竹林に、永遠亭……」

 

 聞き慣れない単語だ、やはりここは僕にとって未開の地なのか。

 ……いや、その表現は些か間違いでもある。

 

「わたしからも、1ついいか?」

「いいけど、何?」

 

「名前を訊いていなかったからな。もちろんお前が名乗りたくないのなら無理にとは言わないが……」

「……ごめん。それは無理なんだ」

「謝る必要なんかないさ。殺しかけた相手に心を許すなどありえないのだからな……」

「そうじゃないんだ。そうじゃなくて……僕は、自分が何者なのか判らないんだ」

「…………何だと?」

 

 ルーミアの足が止まる。

 こちらに視線を向ける彼女の表情は、やはり驚きを含んだものに変化していた。

 

「だから僕が君の言う外来人とやらかもよくわからないんだ」

「……いや、おそらくお前は外来人だ。その服装は幻想郷では見ない服装だからな」

「ところで外来人っていうのは?」

 

「幻想郷は周囲に結界が張られ外界から遮断された世界なんだ。その結界の外の世界に住む人間の事をわたし達は外来人と呼んでいる。

 通常は結界により外の世界と幻想郷は行き来できないが、色々な要因と一部の妖怪の仕業でこの幻想郷に迷い込んでくる事があるんだ。直接見たわけではないが人里に暮らす事を決めた外来人もいるらしい」

「そうなんだ……」

 

 外の世界とは、妖怪のような幻想の存在など殆ど居ない科学が発達した世界らしい。

 成る程、科学という単語は馴染み深いものなので、そう思う僕は確かに外の世界の人間なのかもしれない。

 妖怪とやらに襲われる経験などなかったし、その妖怪が現実には居ないという認識を抱いていた僕はルーミアの言っている事は正しいのだろう。

 

「しかし記憶喪失か……一体どういう経緯でお前はこちらに来たのだろうな」

「…………わからない」

「まあそう悲観する事はないさ。とりあえずお前がこれからどうするのか決めるまでは、わたしがお前を守る事を誓おう」

「ルーミア……」

 

 そう告げる彼女の口調は、先程以上に優しいものであった。

 だからこそわからない、彼女が先程の少女と同じ存在だというのならここまで別人同然の態度を見せる理由がない。

 僕の相手を見る目が無いだけかもしれないが、今の彼女は本気で僕の身を案じ守ろうとしてくれている。

 

「ねえルーミア、どうして僕を助けてたの? それになんだか急激に成長しているような気がして……」

「ああ、それは“封印”が一時的とはいえ解かれたからだろうな」

 

 そう言って、ルーミアは左指で自らの頭を指差した。

 そこで気がつく、ルーミアの髪に結ばれていた赤いリボンが無くなっていた。

 

「私の髪に結ばれていたリボンは封印札の一種でな、それをお前が解いたから肉体が成長したんだ」

「…………僕が解いた?」

 

「……やはり無意識だったのか。お前が封印されていたわたしに喰われようとした時にリボンに触れただろう? その際に完全ではないが封印が解かれたんだ」

「えっ……?」

 

 ちょっと待て、僕にはそんな能力などないしそもそもそんな本来人間に備わっていない能力を持っているのなら、あの時だって逃げ(おお)せた筈だ。

 だがルーミアの口調に嘘は込められていない、つまり彼女の言っている事は事実なのか……?

 

「お前には何かしらの力が宿っているのは確かだ、現にわたしが爪で傷つけた肩の傷も塞がりかけている。人間の自然治癒能力を遥かに超えた再生速度だ」

「…………」

 

 右肩に視線を向ける、するとルーミアの言う通り傷が塞がりかけていた。

 確かにこれは普通ではない、こんな短時間で塞がるような小さな傷ではなかった筈だ。

 それに胸の傷も今ではすっかり痕すら残さず完治している、この傷の出所はわからないが明らかにおかしい。

 

「…………」

 

 途端に、自分自身が何か得体の知れないモノに思えて恐くなった。

 自分で自分がわからないという事が、ここまで恐怖を抱くものだとは思わず、気味が悪くなった。

 

「――恐れる事はない」

「えっ?」

「お前は人間だ。妖怪であるわたしがそう思うのだから間違いない、仮に人間を超えた力を持っていたとしてもお前自身が正しく使えればいいだけの話だ」

 

 その言葉は、僕の心中を読んだかのような言葉だった。

 ――自分自身に向ける恐怖が、和らいでくれた。

 

「ありがとう、ルーミア」

「殺しかけた相手に感謝するとはな……お前は優しいというか、少し抜けているんじゃないか?」

 

 からかいの意味を込めて、ルーミアは笑う。

 それがなんとなく恥ずかしくて、僕は何も言わず無言を貫く。

 

「ルーミアだって、殺そうとした僕を助けてくれているじゃないか」

「……信じられないかもしれないが、私は元々人間が好きなんだよ。妖怪だから説得力がないだろうが」

「じゃあ、さっきは……」

「封印を施されていた時の私は精神も幼くなっていてな、妖怪としての本能に従う事しかできなくなっていたんだ。すまない……」

「あ、いや……」

 

 少し、空気が気まずくなった。

 先程の事を気にしているのに、今の僕の発言は不用意に彼女の心を傷つけてしまうものだ。

 僕は被害者だし彼女は加害者ではあるけど、ちょっと無神経だったかもしれない。

 

「少し休むといい。永遠亭までもう少し掛かる」

「……そうさせてもらうよ」

 

 気まずさからぶっきらぼうに言って、僕はそれを誤魔化すように目を閉じた。

 僕の態度にルーミアは何も言わず、けれど少しだけ歩を進める速度を緩めてくれた。

 

 吹く風は冷たく、月の光が殆ど届かないこの場所は薄暗く恐ろしい。

 けれど背負われている今は不思議と心地良く、僕はその安心感に身を委ねる事にした……。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

1月10日② ~ナナシ~

見知らぬ土地に辿り着き、妖怪と呼ばれる少女ルーミアに襲われたけれど、どういうわけかその少女に助けられてここが「幻想郷」と呼ばれる世界である事を知った。

ただ正直、ここが妖怪が居る世界という事よりも……自分の事が何も判らない方が。
自分自身が記憶喪失に陥ってしまっているという事のほうが、驚愕の事実だった。


「――はい。こんなものかしらね」

「ありがとうございます。八意先生」

 

 『永遠亭』という診療所に辿り着いた僕は、八意永琳(やごころ えいりん)さんという女医さんに治療してもらい、漸く一息つくことができた。

 とはいえ傷口は塞がっているので、足りなくなった血を体内で生成する『増血薬』という薬を飲まされただけで治療は終わったのだが。

 

「ルーミアから聞いたけど記憶喪失なんですってね?」

「はい。それで八意先生、記憶喪失を治す方法って……あるんですか?」

「ないわね」

 

 ばっさりと問いかけを両断され思わず閉口してしまった僕に、八意先生はあくまで口調を乱さず説明してくれた。

 

「人間の脳は複雑なのよ。勿論方法が無いわけではないけど……廃人になってしまっては意味が無いでしょう?」

「…………」

 

 どうやら、これ以上訊かない方がいいみたいだ。

 少しだけ背筋が寒くなった僕を見て、八意先生は何が面白いのかくすくすと笑い出した。

 ……この人、凄い美人だけどちょっと変わってるな。

 

「それより驚いたわ。どうやってルーミアの封印を解いたの?」

「……僕にもわからないんです。そもそも僕は自分が何者なのかもわからないし」

「そうだったわね、ごめんなさい」

 

 軽率な発言をしたと思ったのか、八意先生は僕に向かって頭を下げた。

 

「気にしないでください。それより……その、実はお金が……」

「いいわよ別に。あなたの事情は聞いているし、面白い身体を診れたから」

「…………はい?」

 

 なんだか、聞き捨てならない言葉を聞いたような気がしてつい八意先生を凝視してしまった。

 けれど八意先生は何も言わず意味深な笑みを見せるだけなので、きっと気にしてはいけないのだと無理矢理自分に言い聞かせる事にした。

 

「ところであなた、これからどうするの?」

「…………」

「外来人のようだけれど自分の事は名前も含めてわからない、これじゃあ外の世界に戻っても行くあてがないでしょう?」

「ええ。……外来人が幻想郷で生きるとすれば、やっぱり人里に行くのが一番なんでしょうか?」

「…………」

「? 八意先生?」

 

 急に黙ってしまった八意先生に、首を傾げる。

 

「……とにかく今はゆっくり休みなさい、それだけを考えればいいわ」

「え、あ、はい……」

 

 それだけ言って、八意先生は部屋を後にした。

 途端に部屋に漂う静寂感、もの悲しさに襲われ布団に潜り込んだ。

 

 それにしても、八意先生はどうして急に黙ってしまったのだろうか。

 ほんの少し違和感を覚えたものの、今は休むべきだと思い目蓋を閉じた。

 

「おーい、入るぞー」

「ちょっとてゐ、ノックしなさいよ!!」

 

 眠ろうとした矢先、突然部屋の扉が開かれ2人の女の子が入ってくる。

 1人は紫の髪にブレザー姿の女の子、もう1人は桃色の半袖ワンピースを着た黒髪の小さな女の子。

 2人とも八意先生やルーミアに負けないくらい可愛らしい容姿だけど、頭にはそれぞれ兎の耳のようなものが生えている。

 きっとこの子達も妖怪なのだろう、コスプレみたいだと思ったのはここだけの話だ。

 

「ふーん……へー、ほー」

「あの……何か?」

 

 てゐ、と呼ばれた女の子がこちらをじろじろと見つめてくる。

 その視線は品定めをしているようで、少々居心地が悪い。

 

「こら、てゐ!!」

「あだあっ!?」

 

 ブレザー姿の女の子が、怒鳴り声を上げながらてゐさんに拳骨を落とした。

 とても良い音がしたのでものすごく痛いのだろう、うずくまったままプルプルと震えるその姿にそっと同情を送った。

 

「すみません。ウチの馬鹿兎が失礼な事をして……」

「いえ、それでえっと……」

 

「鈴仙です。鈴仙・優曇華院・イナバ、それが私の名前です」

「はじめまして優曇華院さん、僕は……その」

「永琳師匠とルーミアから聞いてます、記憶を失っているようで……」

 

 元気出してくださいねと言ってくれる優曇華院さんにありがとうと返す。

 妖怪だけど、優曇華院さんもルーミアと同じように優しい妖怪さんのようで安心した。

 

「あら……?」

「?」

「あなた、凄く優しい波長ね。見ていて安心感を覚える波長なんて珍しいわ」

「えっと……ど、どうも……?」

 

 正直何を言われているのかよくわからなかったが、とりあえずお礼を言っておいた。

 と、てゐさんが僕と優曇華院さんの間に割って入り、にやにやとした笑みを向けてくる。

 

「……何よ、その顔は」

「いやー、鈴仙にも春が来たなーって思ってさ。男をそんなに褒めるのなんて初めてじゃない?」

「べ、別にそういう意味じゃないし……」

 

 優曇華院さんの顔が僅かに赤らんだ、それを見ててゐさんはますます笑みを深めていく。

 ……ああ成る程、からかわれてしまっているのか。

 優曇華院さんは赤らんだ顔で否定するが、てゐさんのからかいは終わらない。

 

「よかったなお前、鈴仙みたいなエロ兎に好かれて」

「誰がエロ兎だ!!」

「アンタだよアンタ、その無駄に実った脂肪が全てを物語ってるじゃない」

「なんですってえっ!!」

 

 さっきとは違う意味で顔を赤くする鈴仙さんを見て、てゐさんは小さく「やべっ」と呟いたと思ったら、目にも止まらぬ速度で部屋から逃げ出してしまった。

 ……凄い逃げ足だ、でもてゐさん。

 

「アイツ……覚えてなさい」

 

 物凄く怒っている鈴仙さんと2人っきりには、しないでくださいよ……。

 

「――起きたのか、元気そうで安心したよ」

 

 優曇華院さんの迫力に少し怯えていると、ルーミアが安堵の表情をこちらに向けながら部屋へと入ってきた。

 

「原因の一部とはいえ、迷惑を掛けてしまって申し訳なかった。改めて謝らせてくれ」

 

 そう言ってルーミアは僕に向かって深々と頭を下げてくる。

 不意打ちに近いその光景に、咄嗟に言葉が出てこない。

 けれど伝えたい事があったから、どうにか落ち着きを取り戻しつつ僕は彼女に向かって口を開いた。

 

「僕はもうルーミアの事を怒ってない。そりゃあ殺されかけたりしたけど君は最後には僕を助けてこの永遠亭まで連れてきてくれた、だからもう気にしなくていいんだ」

「……感謝する。お前のその優しさを決して裏切らないと誓おう」

「え、あ、いや……」

 

 そんなに大仰な反応をしなくてもよかったのだが、これが本来のルーミアなのかもしれない。

 

「……あなた、本当にルーミア? 見た目は少し成長した程度だけど、雰囲気や立ち振る舞いは別人ね」

「別人のようなものだからな、“封印”の事やこうなった経緯は話しただろう?」

「それは聞いたけど、本当に彼が?」

「嘘を言ってどうなる? こいつには何かしらの力が……っと、いつまでもお前やこいつでは不便だな。まだ名前も思い出せないのか?」

「うん……」

 

 僕としてもお前やこいつでは少し気になる、とはいえ新たに自分の名前を考えるというのは……。

 

「――名前がないんだったら名無しの権兵衛、“ナナシ”でいいんじゃない?」

 

「えっ?」

「ちょっとてゐ、アンタ何言ってんの?」

 

 いつの間にか部屋に戻ってきたてゐさんが言い出した提案を聞き、僕達は視線を彼女へと向ける。

 

「何ってコイツの呼び名だよ」

「そうじゃなくて、そんなふざけた呼び方なんかできるわけないでしょって言ってんの」

 

 先程の悪戯の事があるからか、優曇華院さんのてゐさんに向ける口調は厳しめだ。

 それにしても、名前がわからないからナナシ……正直、安直とは思った、が。

 

「僕は、別にそれでもいいですけど」

「えっ、でも……」

「自分で自分の名前を考えるのは大変ですし、僕は構わないです」

 

 考えなければならない事は他にもある、特にこだわりがないので本当の名前がわかるまで僕の呼び名は『ナナシ』で決定だ。

 

「んじゃ、宜しくねナナシー」

「はい、よろしくてゐさん」

 

 早速その呼び名で呼ばれたが、特に違和感も不快感もない。

 お前やこいつ呼ばわりと比べてマシだからか、すんなりと受け入れられた。

 

「ではナナシと、そう呼ばせてもらうぞ?」

「うん、よろしくねルーミア」

 

 握手を求められたので、それに応じて彼女と握手を交わす。

 

「……ナナシさん、でいいんですね? 私の事を鈴仙でいいですから」

「わかりました、鈴仙さん」

 

 改めて名前を呼ぶと、鈴仙さんはにっこりと微笑みを返してきた。

 僅かに動悸が早まった、女の子の笑顔は別の意味で破壊力があると誰かが言っていた気がしたけど、それは誰だったか。

 

「ウドンゲ、てゐ、あまり彼と話して負担を掛けては駄目よ」

「あ、師匠」

「何か用?」

 

 てゐさんの問いには答えず、部屋に入ってきた八意先生は僕が居るベッドへと近づいてきて。

 

「ねえ、もしあなたがよければ暫くこの永遠亭で働く気はないかしら?」

 

 そんな事を、言ってきた。

 

「えっ」

「し、師匠?」

「…………」

 

 僕、鈴仙さん、てゐさんの順番で上記の反応を八意先生に見せる中。

 

「……どういうつもりだ?」

 

 ルーミアだけが、驚きながらも厳しい視線を八意先生へと向けていた。

 その瞳には確かな疑惑の色が込められており、納得する答えを言わなければ許さないと告げている。

 

「彼は記憶を失っているし身体も万全な状態ではない、それに何より身寄りの無いというのなら医者として放っておくわけにはいかないわ」

「わたしは建前を聞いているんじゃない。本音を話せと言っているんだ」

「これが本音よ。男手も欲しいと思っていたし……それで、どうかしら?」

 

 八意先生の視線が、僕に向けられる。

 正直、その提案はこの幻想郷で頼れる人もお金もない僕にとって願ったり叶ったりなものだけど……本当に良いのだろうか?

 

「もちろんすぐに決める必要はないわ、あなたの身体はもう少し療養が必要だから。

 でも悪い話ではない筈よ? 働くといっても内容は雑用が殆どだから大変ではないだろうし、ウドンゲもフォローしてくれるでしょうから」

「…………いいんですか?」

「私の方から提案しているのだから、良いに決まっているでしょう?」

 

 ……なら、その言葉に甘えさせてもらおう。

 そう思った僕は、その提案に頷きを返そうとして。

 

「やめておけナナシ、体の良い実験台にされるだけだ」

 

 厳しい口調でそう言い放つルーミアが、間に割って入ってきた。

 

「そこまでマッドサイエンティストになったつもりはないわよ、というかそのナナシって彼の呼び名?」

「話を逸らすな。……お前達にとってナナシはいきなり現れた患者に過ぎない筈だ、そこまでする義理はないと思うが?」

「あなたこそ随分彼に入れ込むわね、もしかして惚れた弱みというヤツかしら?」

 

 冗談めかした口調で八意先生がそんな言葉を口にして。

 瞬間、部屋の空気が一変した。

 

「っ……」

 

 最初に全身を駆け巡ったのは、あの時以上の恐怖と重圧だった。

 部屋全体が地獄の釜の中に変化したかのような、言い様のない熱気が漂い始める。

 八意先生とてゐさんは涼しい顔をしているが、事態を敏感に感じ取っているのか、鈴仙さんの表情が険しくなっていく。 

 

「……冗談よ。そんなに怒らないで頂戴」

 

「わたしはこの幻想郷の理を知らないナナシの命を奪おうとした、だが彼はそんなわたしを赦してくれた。妖怪がどんなものかも知らぬ世界で生きてきたであろう筈なのに、ましてや自分自身の事もわからず不安に駆られている筈だというのにだ。

 だからこそ彼が1人で生きていけるまで守りたいと誓っただけだ、俗世にまみれた下賎な言葉で片付けられては困る」

 

「下賎、ね。男と女ならば恋に落ちてもおかしくはないでしょうに」

「彼は人間だ。妖怪であるわたしに……自身の命を奪おうとした化物に、仮にそんな感情を向けられても困るだろう」

 

 空気が、身体を押し潰そうとする重圧が霧散していく。

 おもわず肺から空気を押し出すように吐き出す、思っていた以上に身体に掛かっていた負担は大きかったようだ。

 

「……すまない。やはりまだ“封印”が完全に解かれていないようだ、だからこんな子供のような真似をしてしまった」

「私は別に気にしていないわ。それでナナシ……でいいのよね? 彼女はこう言っているけど……あなたも私を信用できない?」

「いえ、そんな事はありません。――御迷惑を掛けますが、宜しくお願いします」

 

 そう言って頭を下げる。

 

「自分の家だと思っていいわ。宜しくねナナシ」

「まあ色々とこき使ってあげるわよ」

「この悪戯兎の事は基本無視して良いですからね? ナナシさん」

 

 3人の優しい言葉に、おもわず口元の笑みが隠しきれなかった。

 ……いや、正確には3人じゃなく八意先生と鈴仙さんだけだけど。  

 

「明日から手伝おうと考えているかもしれないけど、今はゆっくりと身体を休める事だけを考えなさいね?」

「はい、わかりました」

「それももし独りが物寂しくなったら、私達の誰かに添い寝をお願いしてもいいわよ?」

「な、何言ってるんですか……」

 

 もちろん冗談だと理解しているが、おもわず上擦った返事を返してしまった。

 

「ウドンゲでもいいしてゐでもいいし、もちろん私でも……ね?」

「っ」

 

 悪戯っぽい笑みに妖艶さが加わり、逃れるように視線を逸らす。

 こういうからかいには免疫が無いようで、顔がどんどん熱くなっていくのが何となく悔しかった。

 

「師匠……」

「あらいいじゃない。ウドンゲも彼の事は結構好きになってるでしょ?」

「な、何言っているんですか!! そ、そりゃあナナシさんは良い人なのは確かですけどそういうのはもっとこう、時間を掛けてですね……」

 

「……意外と、乙女なのね」

「どういう意味ですか!!」

 

 がーっ、と怒る鈴仙さんの怒声を適当に受け流しつつ、八意先生は今度こそ部屋からいなくなった。

 それを怒りながら追いかける鈴仙さん、そんな彼女を見て肩を竦めるてゐさんも部屋から居なくなり……残ったのは、僕とルーミアだけとなった。

 

「…………」

「…………」

 

 なんとなく声を掛ける事が憚られ、そのまま無言の時間を過ごしていると……彼女は、少し思案するような表情を見せてから。

 

「…………添い寝、しようか?」

「い、いいです!!」

 

 つい全力で返答してしまった。

 ルーミアのような美少女に添い寝などされたら、女の子に免疫などない僕の精神が保たない。

 気恥ずかしさからの全力返答を聞いて、ルーミアは僅かに眉を寄せ、近くの席に座り込んだ。

 

「悪いがこの部屋には居させてもらうぞ、お前を守ると誓ったからな」

「あ、うん……」

 

 ……とにかく今はゆっくりと休もう、怪我はすっかり無くなったとはいえ身体は消耗しているのだから。

 ベッドに潜り込み目を閉じるとやはり疲れがあったのか、すぐに眠気は訪れ僕はそれに逆らう事なく眠りの世界へと堕ちていく。

 

「ゆっくり休めナナシ、今は……ただ休む事だけを考えればいい」

 

 優しい声色で、僕にそう告げるルーミアの声を耳に入れると同時に。

 僕の意識は、そこで途切れ暗闇の中へと潜っていった……。

 

 

 ■

 

 

「――それで、一体何の意味があってアイツをここに置いておく気になったのさ」

 

 記憶喪失の少年、ナナシの部屋を後にして各々の部屋へと戻ろうとする前に、てゐは前を歩く永琳に問いを放った。

 先程の提案に疑問を抱いたのは、ルーミアやナナシだけではない。

 てゐもまた師匠である永琳に疑問を抱き、鈴仙もまた己の師匠に対し怪訝な表情を向け同じ考えを巡らせていた。

 

「さっきも言った通りよ。男手が欲しかったし彼もここでは身寄りが無いのだから、お互いにプラスになる提案を与えただけ」

 

 返ってきた答えは、先程と変わらぬものであった。

 当然てゐも鈴仙もその答えで納得する事などできない、しかし彼女達の師はそれ以上の答えはないと背を向け歩を進めていく。

 

「それにさっきの態度もよくわかんないんだよね、お師匠様にしては随分と俗世にまみれた態度だったんじゃない?」

「彼の反応が面白かったんですもの、幻想郷の住人とは違う態度は新鮮に思えてついやり過ぎちゃったわ」

 

 苦笑する永琳に、てゐは目を細める。

 元々彼女に真意を問い質すのは無理だと思っていたのでさして気にする事もなかったが、問いかけずにはいられなかった。

 彼は確かに幻想郷の住人に比べて温和というか、底抜けの御人好しで平和主義者なのだろう、ルーミアとのやりとりを見ればすぐにわかる。

 からかい甲斐があるのも認めるし、性格自体も決して悪くはない。友人になるには中々の好条件を持った少年だ。

 

 だがそれだけだ、かといってこの永遠亭に住まわせる道理には繋がらないのは明白であった。

 永琳にはそれなりに他者に対する情はある、しかし永い年月を生きている聡明さが、“情”よりも“益”を優先する。

 つまり彼女にとってあのナナシという少年が自らの益と判断したからこそ、手元に置いておこうと考えているのは明白であった。

 

「あのルーミアの封印を解いた力に、興味が湧いたの?」

「さあ、どうかしらね?」

 

 振り向く事なく、永琳は答える。

 てゐの問いかけに否定も肯定もせず、けれどわざとらしく嘘だとわかる答えを返され因幡の白兎は眉を潜めた。

 

 彼は“優しい”人間だ、だが得体の知れなさは底が見えない程に深い。

 ルーミアの封印を解いた事も、彼女から受けた傷を短時間で治したあの治癒能力も、永く生き続けている彼女から見ても異常の一言に尽きる。

 そんな人間など聞いた事も見た事もない、この幻想郷には人間でありながら人間の領域を超えた存在が居るものの……異端具合で言えば、彼の方が勝っていた。

 

「てゐ、ナナシさんは暫くここに居た方が良いと思うわ」

「あれー? 鈴仙ってば、もしかして本当にアイツに惚れた?」

「……人里の外来人に対する認識を、知らないわけじゃないでしょ?」

「…………」

 

 その言葉で、てゐはからかおうとした口を閉じる。

 

「とにかく2人とも、ナナシがここに住むとしたらできる限り助けになってあげてね?」

「はい……わかりました」

「…………気が向いたらね」

 

 それで会話は終わり、3人は各々の部屋へと戻っていく。

 その前に、てゐは鈴仙へと声を掛けた。

 

「ねえ鈴仙、どう思う?」

「どう思うって言われても……とりあえず、師匠の言う通り彼がここで働くのならできる限りフォローするつもりよ」

「やれやれ、鈴仙はもう少し自分で考えるって事を覚えた方がいいよ」

「うるさいわね、てゐこそそんな過剰な反応をしなくてもいいじゃない」

「……わかってないね」

 

 見た目は幼い少女の姿ではあるが、因幡てゐは並の妖怪とは比べものにならない年月を生きてきた。

 だからこそわかるのだ、彼に心の底から信頼を寄せてはいけないと。

 たとえ彼自身に害は無くても、彼の内面に巣くうナニカを受け入れることはできない。

 

「彼だって自分自身がわからなくて不安なんだから、変な事しないでよ?」

「はいはい、わかってますよ」

「本当にわかってるのかしら……」

 

 どっちが、心の中でそう言いながらてゐは自室へと戻る。

 厄介なものを招き入れてしまったかもしれない、そう思いながらも彼女の口元には愉しげな笑みが浮かんでいた。

 

 今の幻想郷は少々刺激が少なくなっている、なら少しばかり“毒”が流れ込んでもそれはそれで面白いだろう。

 そもそも自分はこのようにあれこれ考える性質ではない、長生きはしたがだからこそ刹那的な愉しみを求める時もある。

 だから今はナナシという少年の事で気を揉むのはやめておこう、寧ろ逆に愉しませてもらわなければ。

 

 因幡の白兎は静かに笑う、少女の身とは思えぬ黒い笑みで。

 まるで、これから少年に試練や災厄が訪れる事を願うように……。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

1月15日 ~洗礼~

記憶喪失になった僕が気がついた時には、幻想郷という世界へと迷い込んでしまった。
とりあえず永遠亭という場所で傷を癒してもらったけど……これからどうしよう?


 朝が、来た。

 最初に感じたのは、頬から伝わる冬の寒さ。

 布団から出たくない衝動に駆られながらも、勢いで抜け出して布団を畳む。

 

「寒っ……」

 

 時刻は現在六時半を過ぎた所だった。

 他のみんなはもう起きているだろう、着替えを済ませ部屋を出る。

 竹林の隙間から零れる陽の光。

 

 僕が永遠亭に来て、5日目の朝がやってきた。

 

「あ、おはようございます。ナナシさん」

「おはようございます、鈴仙さん」

 

「今日も寒いですねー」

「まだ冬ですからね、ナナシさんはちゃんと寝れました?」

「はい、鈴仙さんはどうでした?」

「あはは……実は私、あまり寒いのは苦手で」

 

 そんな会話を交わしながら、台所へと向かった。

 今日は白米にジャガイモのお味噌汁、それと出し巻き玉子と焼き鮭の和風メニューにしよう。

 

「助かります。前までは私1人でごはんの支度をしていましたから」

「大変だったんですね……」

 

 慣れた手つきで下拵えをしつつ渇いた笑みを浮かべる鈴仙さんを見ると、大変だったのだろうというのが否が応でも理解できた。

 まあここに住まうのは鈴仙さん達だけでなく、数十もの妖怪兎さん達も居るらしく、毎日ではないにしろ彼女達にも食事を作っているという話なのだから相当に大変である。

 

「でもナナシさんが料理できるとは思いませんでした」

「記憶を失っても、こういう事は身体が覚えているものなんですね」

 

 八意先生曰く、記憶喪失になる前も常日頃から料理をしていたからこその恩恵らしい。

 ちょっとした事とはいえ力になれるのはいいのだが、常日頃から料理をしていたであろう僕は1人暮らしだったのだろうか。

 

「ナナシさん、永遠亭での生活は慣れました?」

「はい、皆さんとても優しいですから。鈴仙さんには特に色々と教えてもらっていますから、感謝してます」

「あ、あはは……いいんですよ。師匠からも言われていますし、困った時はお互い様です」

 

 少しだけ気恥ずかしそうに、鈴仙さんはそう言った。

 雑用程度しかできないものの、それでもよくしてくれる永遠亭の皆さんには頭が上がらない。

 だからせめて、というわけではないがこういった些細な事でも役に立てるのならば嬉しいものである。

 

「でもナナシさん、これからどうするんですか? こちらは別にいつまで居てくださってもいいですけど……ずっとこのままというわけにはいきませんよね?」

「そう、ですね……とりあえずは、ここでの仕事を覚えながら幻想郷を見て回りつつ生活しようと思っています」

 

 記憶を戻す明確な方法がない以上、まずはこの幻想郷での生活に慣れる事が最優先だ。

 それには住まわせてくれているこの永遠亭での仕事を覚え、それから人里などの人間が居る場所に行って……万が一、つまりこの地に永住する可能性を考えて基盤を作る。

 今の僕にできる事はそれくらいだ、それからの事はその時に考えよう。

 

「おはよう、2人とも」

「おはようございます、師匠」

「おはようございます、八意先生」

 

 台所にやってきた八意先生と挨拶を交わす僕と鈴仙さん。

 と、焼き鮭がもうすぐできるからそろそろごはんと味噌汁をよそい始めないと。

 

「そういえば師匠、姫様はまだ戻られないんですか?」

「ええ。放っておいても大丈夫よ、それにあの子が前以上に活動的になった事は喜ばしい事だもの」

「……あの、今更ですけど挨拶とかしなくていいんですかね?」

 

 この永遠亭には、本物の“かぐや姫”が居る。

 とはいえ所用で出掛けているらしく会った事はない、八意先生曰くふらっと出掛けてはふらっと帰ってくる事が稀によくあるらしい。どっちだ?

 

「帰ってこないあの子が悪いのだからナナシが気にする事ではないわ。まあ戻ってきたら軽い自己紹介でもすれば充分よ、あの子もきっとあなたを気に入るでしょうから」

「それならいいんですけど……」

 

 それにしても、噂のかぐや姫ってどんな人なんだろう。

 鈴仙さんはこの世の者とは思えぬ美しさを持っているが、時折平然と魅力的な笑顔で無茶振りをするという、聞くだけではよくわからない人物らしいが……。

 どうやらまだ会えないようだ、残念ではあるが次の機会を待つ事にしよう。

 

 ■

 

 朝食を食べ終わったら、時刻は九時を回っていた。

 鈴仙さんは薬の販売業務の為に人里へ、てゐさんは竹林の警邏という名のサボり。

 そして僕はというと……。

 

「気分が悪くなったら、すぐに言いなさいね?」

「はい、わかりました」

 

 竹林を抜け、人が近づかぬ土地の大地を踏みしめていた。

 八意先生に連れられ、僕は『無名の丘』と呼ばれる土地へと向かっている。

 

 幻想郷でも危険地帯だと呼ばれるその場所に僕を連れて行くことを、当初鈴仙さんは反対した。

 けれど八意先生はその言葉を無視し、けれど僕に行くか行かないかの選択肢を選ばせる権利を与え……世話になった人達の役に立ちたかった僕は、同行を願い出た。

 きっと僕の答えは思慮の浅い考えなのだろう、でも幻想郷の事を知りたいのならば色々な場所を見て回るのが一番手っ取り早い。

 

「そういえば、あなたのナイト様は何処へ行ったのかしら?」

「ナイト…………もしかして、ルーミアの事ですか?」

「だってそうじゃない、あんなにも甲斐甲斐しくあなたを守ろうとするんだもの。ナイト様と呼ぶべきじゃない?」

 

 少しばかりの皮肉を込めたその言葉に、僕は苦笑を浮かべることしかできなかった。

 ルーミアは今、僕の傍には居ない。

 なんでも封印されていた時の『友人』に今の自分を説明する云々と言っていたが……まだ戻ってきていなかった。

 

「あなたを守ると誓ったくせに、職務放棄なんて駄目なナイト様だと思わない?」

「ルーミアにはルーミアの都合がありますから、僕の都合で振り回すわけにはいきませんよ」

 

 ただまあ、少々不安ではあるのは否めない。

 

「先に言っておくけど、勝手な行動だけは謹んでね」

「……そんなに、危険な場所なんですね」

 

「ええ、だってそこは昔『間引き』があった鈴蘭畑だもの。普通の人間はもちろん妖怪だって安易には近づかない忘れられた土地の1つ」

「…………」

 

 間引き、という単語におもわず背中が冷たくなった。

 その言葉の意味を理解できないわけではない、こういう話を聞くと幻想郷という世界が決して人間に優しい世界ではないというのを思い知らされる。

 そして同時に、こういう考えに至るという事は記憶を失う前の僕は如何に平穏無事な世界で生きてきたのかを理解した。

 

「でも、どうしてそんな危険な場所に?」

「毒を採取する為よ。様々な薬の材料になるから、時折採取しに出掛ける事があるの。――見えてきたわ」

 

 丘を上がり、その先に広がる光景に……おもわず足を止め魅入ってしまった。

 草原に広がる一面の鈴蘭、白い世界はそれだけで芸術品の粋に達している。

 だが、この景色全てが人にとって害であり、八意先生の言った通り危険な場所であると思考よりも本能が訴えていた。

 

「……大丈夫?」

「だ、大丈夫です……ちょっと肌寒くなっただけですから」

 

 大丈夫だ、情けない話ではあるけど何かあっても八意先生が傍に居るのだから。

 そう思うと幾分気が楽になり、少しだけ軽くなった足取りで『無名の丘』へと足を踏み入れようとして。

 

 

――全身が、思考が、一瞬で沸騰した。

 

 

「あ、え……?」

「ナナシ……?」

 

 八意先生の声が、どこか遠くから聞こえたような気がした。

 反応を返す事もできず、前のめりに倒れ込む自身の身体を他人事のように認識する。

 勢いよく地面に倒れ、衝撃と痛みに襲われるが茹だった思考ではそんなものを気にする余裕などなかった。

 

「なん、で……?」

 

 息をするのも困難になってきた。

 ヒューヒューという僅かな呼吸音が、嫌に頭の中へと響く。

 何が起きたのか理解できない、そして自分がどうなるかも判らない。

 

「――ふふん、どうよ人間。そんな隙だらけだからやられるのよ」

 

 近くから、幼い少女の声が聞こえる。

 だが顔を上げる気力すら湧かず、相手の顔を見る事ができない。

 

「は、ぁ……」

 

 とうとう呼吸すらできなくなり、視界が霞んでいく。

 五感は機能を停止し、意識の欠片も無くなった。

 

 ……僕は、死ぬのだろうか。

 こんな事なら、鈴仙さんの意見を聞いて永遠亭に居れば良かったのかもしれない。

 でも自分の命が尽きる事よりも、そのせいで皆に迷惑を掛けてしまう方が嫌だなあと思うと同時に。

 プツリと、テレビの電源が切れるように意識が断裂した。

 

 

 ■

 

 

 …………闇の底から少しずつ浮かび上がるように、断裂した意識が戻っていく。

 最初に感じたのは額を覆うひんやりとした冷たさ、それが心地良くてこのまま身を委ねたまま眠りに就きたくなる。

 

 けれど起きなくては、だって八意先生がいきなり倒れた僕を心配しているだろうから。

 迷惑を掛けている事を謝る方が先決だ、まだ朦朧としたままの意識で考えながら、僕は目蓋を開けた。

 

「あら、起きたのね」

「…………えっ?」

 

 見知らぬ緑髪の女性が、僕を見つめている。

 額には濡れタオルが置かれており、それが先程のひんやりとした感触の正体だと認識しながら上半身だけを起き上がらせる。

 

 花の香りに包まれた部屋、丸い木造のテーブルにイス、床に敷かれた花柄のカーペット。

 部屋の至る所に飾られた可愛らしく美しい花々が、この部屋全体に明るい空気を与えつつ輝きを見せていた。

 

 ……見知らぬ部屋、というよりも見知らぬ家のベッドで僕は眠っていた。

 ここは一体何処なのだろうか、もしかして僕はまだ夢の中でこの光景は幻なのか……。

 

「身体の方はどうかしら? 生きているのも驚いたけど……だるかったり、重かったりしてる?」

「…………えっと」

 

 優しく問われ、とりあえず自らの身体をチェックする。

 

「っ」

 

 身体が、少し重く感じられた。

 軽い貧血になった気分だ、油断して気を抜くとまた意識が落ちそうになる。

 

「起きたわよ、思っていたよりも早い目覚めだったみたい」

 

 女性が、台所であろう場所に向かって声を上げる。

 その声を聞いて奥からこちらへとやってきたのは……八意先生と、見知らぬ小さな金の髪を持つ少女。

 

 人形のような可愛らしさを持つその少女は、何故か僕をばつの悪そうな、けれど敵対心を乗せた視線を向けてくる。

 この少女とは初対面の筈だが、明らかに好かれていないのは目に見えて明らかだ。

 何かしてしまった覚えもなく困惑していると、八意先生が僕を見て安堵の表情を零した。

 

「具合はどう?」

「あ、大丈夫です……まだ少し身体が重いですけど、意識もはっきりしてきましたし。

 それで、その……ご心配をお掛けして、すみませんでした」

 

 頭を下げる、すると八意先生はそんな僕に呆れを含んだ溜め息を吐き出した。

 

「あなたには何の非もないのに謝る必要などありません、謝るのはあなたの事を守れなかった私の方よ」

「そんな、別に八意先生が謝る事なんて」

「ええそうね、だって一番悪いのは……この子なんですもの」

 

 緑の髪の女性が、冷たい視線で小さき少女を睨みつける。

 その視線を受けて八意先生の後ろに隠れる少女、その態度や表情は見た目相応の少女のものだった。

 

「メディ、彼に謝りなさい」

「だ、だけど……こいつは人間で、侵入者で……」

 

「彼は私達永遠亭の住人であり、私の弟子でもあるの。だというのにあなたは手を出してしまった、それが許されない事だというのが理解できないほど……幼稚なわけではないでしょう?」

「う、うぅ……」

 

 八意先生と女性に睨まれ、小さき少女は逃げ場を完全に失っていた。

 流石に可哀想だ、どうやら先程の異常は彼女によって引き起こされたというのは話の流れからして理解できたけど……このまま責められている光景を見るのは、忍びない。

 

「あの……とりあえずそうやって睨むのはやめませんか? その、可哀想ですし……」

 

 2人の迫力が凄くてどもってしまいながらも、どうにかその言葉を口に出す。

 すると2人の視線がこちらに向かれ、八意先生が先程と同じような溜め息をわざとらしく大袈裟な動作で吐き出した。

 

「……あなた、この子に殺されかけたのよ? それなのに助けようとするの?」

「えっ、殺されかけた?」

 

「この子の名は“メディスン・メランコリー”、あらゆる毒を操る事のできる見た目も中身もまだまだ子供の妖怪なの。さっきの異常だってこの子が自らの能力を用いて人間なんか簡単に死に絶える量の毒をあなたの体内にぶちまけたのよ」

「…………」

 

 おもわず、少女――メディスンに視線を向ける。

 視線を逸らされた、けれど否定しないという事は八意先生の話は本当だという事か……。

 途端に恐怖心が身体に震えを起こさせる、見た目はまだ五歳程度の少女に見えないこの子が人の命を奪おうとしたという事実が恐ろしくて堪らない。

 

「その様子だと理解したようね、それで……どうするの?」

「えっ?」

 

 間の抜けた声を出してしまう、どうするって……何をだ?

 

「この子はあなたの命を簡単に奪おうとした、ただ自分に近づいてきたという短絡的な理由で。

 だからこそしかるべき罰を与えるのは当然ではあるし、あなたが望むのなら……同じ目に遭わせてしまう事も赦される」

「…………」

 

 その言葉は、まるで悪魔の囁きのように聞こえた。

 それってつまり……殺す事を容認するって事なのか?

 

「じょ、冗談だよね永琳……?」

「……他者の命を奪うという事は、逆に奪われるかもしれないという事なのよメディ。まさかあなた、そんな覚悟も抱かずに生物の命を奪おうとしたのかしら?」

「あ、ぅ……」

 

 八意先生の声には、聞いているだけでも身体が震え上がる冷たさが込められていた。

 それを直接向けられているメディスンはすっかり怯え、縋るような視線を緑髪の女性に向けるが。

 

「諦めなさいメディ、彼女の言っている事は正しいわ」

 

 返ってきた言葉は、あまりにも残酷で覆しようのない正論だけであった。

 

「さあナナシ、どうするのかしら?」

「えっと……」

 

 どうするか、なんて急に言われても返答に困る。

 なんだか八意先生は僕に報復をしろと言っているような気がして、少し気分が悪い。

 

 確かに僕はこの小さな妖怪に命を奪われかけた、それも何の意味もなく道端の小石を蹴るかのような軽々しさでだ。

 それは確かに許されないし、僕だってその事実には怒りを覚えている。

 

――だけど、それとこれとは話は別だ。

 

「……メディスン、だったよね?」

「ひっ!?」

 

 声を掛けたら、怯えたような声を上げられてしまった。

 なんだか自分が悪い事をしているような気がしたが、構わず言葉を続ける。

 

「君は反省しているの? 反省しているのなら、もう次からは無闇に人や妖怪を襲わないって約束できる?」

「えっ……」

「約束できる? もしできるのなら……今回の事は忘れる」

「…………えっ?」

 

 心底理解できない、そう言いたげな表情で僕を見るメディスン。

 八意先生も緑髪の女性も眉を潜め、僕の言葉の意図を探ろうとしている。

 だが、僕が今放った言葉に特別な意味などあるわけがなかった。

 

 許すと言ったら許す、もちろん彼女が反省して今回のような事を起こさないと確約してくれるならの話だが。

 殺されかけた相手に向ける言葉と態度ではないと僕自身も理解しているが、かといって彼女に僕が味わった苦しみを与えてやりたいとは思わない。

 報復が間違いだなんて見当違いな考えを抱いているわけではないけれど、単純にそんな気が起きないし起こしたくなかった。

 

「…………どうやら、本気で言っているのね」

 

 驚きと、ほんの少しの呆れと、あとは……賞賛、だろうか。

 緑髪の女性は上記の呟きを零しながら、その端正な顔を僕の眼前へと近づける。

 

「っ……」

 

 緊張が走る、輝夜さんや八意先生達とは違う美しさを持つ女の人の顔が目の前にあれば、緊張するなという方が無理な話だ。

 

「本当にそれでいいの?」

「え、ええ……」

「……そう。あなたがそれでいいのなら別に構わないけど」

 

 そう言って僕から離れ、女性は僕の右手に自身の右手を重ねた。

 暖かく柔らかい感触が右手全体を包み込み、少しだけ気恥ずかしい。

 

「いい加減名前を名乗ろうかしら。わたしは“風見幽香(かざみ ゆうか)”、花が大好きな妖怪よ」

「あ、えっと……はい、ありがとうございます……風見さん?」

「幽香でいいわ。――メディ、あなたからも彼にお礼を言いなさい」

「…………」

 

 しかしメディスンは何も言わず、謝るつもりは無いようだ。

 その後も幽香さんが注意しても意味は無く、そればかりか逃げるように家を飛び出していってしまった。

 

「まったく、あの子は……」

「あの、そこまで怒らなくても……」

「謝って済む問題ではないとしても、それすらできないというのはまた話が違ってくる。それは判るわよね?」

「それは、まあ……」

 

 悪い事をしたなら反省して、償わなければならない。

 ……僕の態度は、やっぱり甘いんだろうか?

 

 

 ■

 

 

 結局、メディスンは帰ってこなかったので僕達もそのまま幽香さんの家を後にした。

 八意先生は今すぐに彼女が生成する毒が必要ではないと言ってくれたけど、手に入らなかった原因は……僕だよね、やっぱり。

 

「あ、そういえば八意先生。僕を助けてくれてありがとうございました」

「えっ、何のこと?」

「とぼけないでくださいよ。メディスンの毒を僕の身体から摘出してくれたのは八意先生ですよね?」

 

 命の恩人への礼を遅らせるなど、抜けている。

 勿論言葉だけで済ませるつもりは毛頭ない、僕のできる範囲で今回の恩を返していかなければ。

 

「…………」

「? 八意先生?」

 

 急に立ち止まり、僕に向かって少しばかり呆けた表情を見せる八意先生。

 かと思いきや急に思案顔になったと思ったら。

 

「……成る程、そういう事」

 

 よくわからない呟きを零し、再び僕の前を歩き始めてしまった。

 

「…………」

 

 今の呟きは、どういう意味だったのだろうか。

 問い返してみたかったものの、正直あまりよく聞き取れなかったので一先ず追いつこうと足を動かす事にした。

 

「ナナシ、今日は付き合ってくれてありがとう」

「いえ、というよりご迷惑ばかりお掛けしてしまって……」

「いいのよ別に。私はそんな風に思っていないし、それに……」

「それに?」

「……いいえ、なんでもないわ」

 

 またしてもよく聞き取れない呟きの後、なんとなく会話が途切れてしまい。

 結局、永遠亭に帰るまで無言のまま歩を進める事になってしまった……。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

1月20日① ~紅き館へ~

前回は大変だった……まさか、いきなり殺されかけるとは。
でもメディスンと風見さんという妖怪の知り合いができたから、良しとしようそうしよう。


「永琳、お前に客だ」

 

 永遠亭の中には、八意先生の許可が無ければ入れない薬の材料を保管する貯蔵庫がある。

 手伝いとして八意先生と共に今日の実験で使う材料を探していると、ルーミアが上記の言葉を放ちながら部屋へと入ってきた。

 

「誰かしら?」

「【紅魔館】のメイド長だ、客間には案内してある」

 

 お客様ならお茶を用意しないとな、そう思い一足先に部屋を出ようとした僕を八意先生が呼び止める。

 

「ナナシ、お茶はいいからあなたも来て頂戴」

「えっ、でも……」

「いいから」

 

 少々強引な物言い、八意先生にしては珍しい態度であった。

 怪訝に思いつつも頷きを返し、僕は2人と共に客間へと赴く。

 

「待たせたわね」

「いいえ、お気になさらず」

 

 客間の椅子に座っていたのは、ルーミアの言っていた通りメイドさんであった。

 僕達が部屋に入ってきた事を確認し、椅子から立ち上がり恭しくお辞儀をするその姿はその美しさも相まって一枚の絵を思わせる。

 

 ……メイド服が珍しいというのもあるが、銀の髪を持つメイドさんの幻想的な美しさに思わず魅入ってしまう。

 と、視線に気づいたのかメイドさんと目が合った。

 

「……こちらの方は?」

「あっ……は、はじめまして。僕はナナシという者でして、永遠亭に居候させてもらっている身で、えっと……」

 

 魅入ってしまった事を誤魔化そうとして、上手く言葉が出てこずしどろもどろになってしまった。

 

 ……八意先生、苦笑いしないでください。

 ルーミア、呆れたような表情をでこっちを見ないで。

 僕だって自分が醜態を晒しているのを理解しているんだ、追い討ちを掛けるような真似はしないでいただきたい。

 

 2人はひどい態度を僕に見せてくるものの、メイドさんは優しいのかそれとも空気を読んだのか、僕の間抜けな反応を見ても態度を変えず自らの名を明かしてくれた。

 

「はじめましてナナシ様。私は紅魔館という館にてメイド長を勤めさせていただいております、十六夜咲夜(いざよい さくや)と申します」

 

 自己紹介をしてから、先程のように綺麗な一礼をする十六夜さん。

 

「よろしく、十六夜さん」

「咲夜、で結構ですよ。ナナシ様」

「じゃあ、咲夜さんで」

 

 お互いに笑みを浮かべ合う、優しそうな人でよかった。

 

「仲睦まじいのは結構だけど、ここに来た目的は話してくれるかしら?」

 

 このまま雑談する流れになりかかったが、八意先生の言葉で場の空気が変わった。

 おもわずビクッと身体を震わせてしまうほどに強い口調だった、八意先生……機嫌が悪いのかな?

 

「実は……お嬢様が体調を崩してしまわれまして、おそらく風邪かと思うのですが正確な症状がわからないので、診察に来ていただきたいのです」

「あら、それは珍しいわね。吸血鬼なんて殺しても死なないぐらいの頑丈さだけが取り柄なのに」

「……吸血鬼?」

 

 その単語に、反応を見せてしまう。

 吸血鬼といえば人の血を啜る西洋の妖怪の代表的存在だ、強大な力と凄まじい寿命を持つ夜の王。

 物語の中ではよく見かける存在までいるとは……さすが幻想郷、ちょっと会ってみたいと思ってしまった。

 

「いいわよ、そういう事ならすぐに行きましょうか。ナナシも吸血鬼を見たがっているみたいだから」

「うっ……」

 

 あっさりと看破されてしまった、そんなに顔に出ていたのか?

 ともあれ診察に行くという事はれっきとした仕事なのだ、手伝い程度ではあるけどやるべき事はやらないと。

 そう自分に言い聞かせミーハーな気持ちを抑えつつ、僕は八意先生の指示の元、準備を進めるのだった。

 

 ■

 

 永遠亭を出て、竹林を抜け、僕は咲夜さんの案内で【霧の湖】へと赴いた。

 数メートル先もまともに見えない濃い霧が、湖全体とその周囲を包み込んでいる。

 日の光は完全に遮られており、防寒具を身につけていても肌寒さを感じるほどに気温は低くなっていた。

 

 湖を半周し、中央に繋がる橋を渡っていくと、中央に浮かぶ孤島に建てられた紅い館が見えてきた。

 紅い、赤いじゃなく紅い。

 否が応でも血の色を連想させるその外観は、正直見ていて気分の良いものではなかった。

 

 入口であろう巨大な門が見え、その門の前に仁王立ちをしている中華風の服で身を包んだ赤髪の女性が僕達を、正確には咲夜さんを見て人懐っこい友好的な笑みを浮かべながら声を掛けてきた。

 

「お疲れ様です、咲夜さん」

「お疲れ様、美鈴(めいりん)

「竹林のお医者さんもわざわざ来てくださってありがとうございます」

 

 八意先生にお辞儀をする女性、咲夜さんから自分以外の紅魔館の住人は全員妖怪だと聞いていたからこの人も妖怪なのだろうけど、腰の低さからかそうは見えない。

 

「咲夜さん、こちらの方は?」

「この方は永琳女史の弟子であるナナシ様よ。

 ナナシ様、彼女は紅美鈴(ほん めいりん)と申しまして、この館の門番と庭師の役割を果たしている妖怪です」

「ご紹介に(あずか)りました、紅美鈴と申します。気軽に美鈴と呼んでください、ナナシさん」

 

 先程と同じにこやかで友好的な笑みを向けながら、右手による握手を求めてくる美鈴さん。

 当然それに応じ握手を交わす、この妖怪さんとも友達になれそうで嬉しい。

 ここに来る道中にてルーミアからこの紅魔館は危険だと警告を受けていたけど……なんだ、大袈裟に言っただけか。

 

――美鈴さんに見送られ、門を通り美しい中庭を経由してから、館の内部へと入る。

 

「…………」

 

 内部は外以上に紅く、それも床や壁だけでなく天井までそれ一色だから目に悪い。

 おもわず顔をしかめると、僕の心中を察したのか咲夜さんが苦笑を浮かべる。

 

「吸血鬼の館ですので。我慢してくださると助かるのですが……もし無理そうなら遠慮なく仰ってくださいね?」

「あ、はい……」

 

 気を遣わせてしまった……八意先生と共に吸血鬼さんの診察に来たのだからしっかりしないと。

 自分にできる事など限られるが、恩に報いるためにもできる限りの手伝いはこなさなくては。

 

「咲夜ー、おかえりー!」

 

 エントランスホールに居る僕達の元に、1人の小さな少女が走り寄ってきた。

 濃い黄の髪、赤い瞳、真紅を基調にした服。

 そして何より目に付くのは、少女の背中から生えている枯れ枝に七色の結晶がぶら下がったような形の翼……だろうか?

 十にも満たない幼い少女にしか見えないが、その翼で彼女が人間ではない存在だと認識できた。

 

「……妹様」

「?」

 

 若干の違和感を、咲夜さんから感じられた。

 何故だろう、なんだか咲夜さんが目の前の少女を……恐がっている?

 

「あなた達、誰? 見ない顔ね。私はフランドール・スカーレット、この館の主のレミリア・スカーレットお姉様の妹よ」

「八意永琳、竹林の医者よ」

「ルーミアだ、名前くらいは聞いているだろう?」

「僕はナナシといいます。はじめましてスカーレットさん」

 

 フランでいいよー、僕の言葉を聞いてスカーレットさん……もとい、フランさんはそう言ってにかっと笑みを浮かべる。

 見た目相応の、可憐で無邪気な笑みを見て思わず頬が綻んだ。

 

 館の主の妹という事は彼女も吸血鬼だろうが、恐ろしさはまるで感じられない。

 吸血鬼のイメージとはかけ離れたフランさんに別の意味で驚き、けれど友好的で良かったと安堵する。

 

「妹様、申し訳ありませんがお嬢様の所に行かねばなりませんので……」

「あ、そっか。ごめんなさい、呼び止めたりして」

「いえ……それでは、私達はこれで」

 

 少しだけ早口で言いながら、咲夜さんは僕達に移動を促す。

 またも違和感、確かに急いで診察してほしいと思う気持ちはわかるけれど……。

 

「――――ぁ」

「?」

 

 背後から、小さな呻き声のようなものが聞こえ振り返る。

 そこに居るのはフランさんだけ、こちらに向きながらも顔を下に向けている彼女にどうしたのかと歩み寄ろうとして。

 

「――後でね、お兄ちゃん」

 

 そんな呟きを放ってから、フランさんはその場から去っていってしまった。

 ……お兄ちゃんって、僕に言ったのか?

 だとしたら少し気恥ずかしい、あの子の兄でもないのに……。

 

「ナナシ、早くいらっしゃい」

「あ、はい!!」

 

 八意先生に呼ばれ、慌ててみんなの後を追いかける。

 すぐさま追いつき、会話もなく歩く事暫し……大きな扉の前で咲夜さんが立ち止まった。

 

「お嬢様、お連れ致しました」

 

 扉をノックしつつ声を掛ける咲夜さん、すぐさま「入りなさい」という返事が返ってきた。

 咲夜さんが扉を開け、僕達が中へと入ると。

 

「――わざわざ来てもらったというのに、こんな恰好で申し訳ないな」

 

 キングサイズのベットに座る、青みがかった銀髪の吸血鬼が僕達を出迎えてくれた。

 十にも満たぬ愛らしい容姿を持つ少女の見た目ではあるが、背中に生えた悪魔を連想させる漆黒の翼が彼女を吸血鬼だと誇示していた。

 

「……っ」

 

 息が詰まる、呼吸が上手くできない。

 少女の姿を視界から外せず、見れば見るほど生命の灯火が消えていくような感覚に襲われた。

 

「ぐ、ぅ……!」

 

 強引に、首を捻らせる勢いで無理矢理視界を少女から逸らす。

 すると息苦しさはすっかり消え去ってくれた、な、何だったんだ今のは……?

 困惑する僕の耳に、くすくすといった小さな笑い声が聞こえてきた。

 顔を上げると、吸血鬼の少女が僕を見てからかうような笑みを浮かべている。

 

「ああ、すまない。人間が混じっていたものだから少し“魔眼”を使ってしまった」

「……彼は私の弟子であり家族の一員よ、無礼を働くのならこのまま帰ってしまうけどいいかしら?」

「吸血鬼、次にナナシへ何かしてみろ。その首……斬り飛ばすぞ?」

「ほぅ……」

 

 空気が冷たく、重くなっていく。

 いまいち状況が掴めないが、一触即発の雰囲気になっている事だけは理解し、慌てて両者の間に割って入った。

 

「ちょ、ちょっと待ってください! どうして喧嘩する空気になっているんですか!?」

 

 さすがにこの纏わり付くような重圧感漂う空気に触れれば、危機を覚えるというものだ。

 ここへはレミリア・スカーレットさんの診察に来たというのに、どうして喧嘩する流れになるのか。

 

「ナナシ、コイツはお前に“重圧”の魔眼を向けた。あのままお前がコイツの瞳を見続ければ意識を失っていたんだぞ」

「…………」

 

 じゃあ、さっきの息苦しさは彼女の瞳を見てしまったからなのか。

 魔眼というのは生まれつき、もしくは魔術を用いて生み出される瞳だとルーミアから聞いている。

 相手を見るだけで瞳に込められた魔術を施す事ができ、そしてそれが並大抵の実力者では使えないものだという事も聞いていたけど……それを易々と使用できるのだから、流石吸血鬼と言うべきかと暢気に感心してしまった。

 

「お嬢様」

「わかっている。――そこの人間、からかいが過ぎた。許せ」

「え、あ、はい……お気になさらず」

 

 謝る気など毛頭ない、尊大で高圧的な言葉。

 明らかに自分が悪いと思っていない態度だが、僕が返せたのは間の抜けた返答だけ。

 

 魔眼の効果がまだ身体に残っているのか、身体も思考も上手く働かない。

 そんな僕の様子を心配してか、咲夜さんが近くのソファーへと案内してくれたので、それに甘えてふかふかの高級感漂うソファーへと座り込んだ。

 

「診察に来たのだろう? なら早くやってくれ」

「相変わらず、態度だけは大きなお子様ねあなたは」

「随分と機嫌が悪いな竹林の医者、そんなにあの人間にちょっかいを出したのが気に入らないのか?

 何を考えているかわからないヤツだと思っていたが、お前も意外に女だったらしい」

 

 くつくつと笑う吸血鬼の少女、対する八意先生はあからさまな挑発を受けても眉1つ動かさなかった。

 

「そういうのはいいわレミリア・スカーレット、見る限りそこまで重くはないようだけれど妖怪風邪のようだしちゃんと診察しないと悪化する危険性があるわ」

「……ふん、つまらんな」

 

 つまらなげに吐き捨て、それから静かになる吸血鬼の少女――レミリア・スカーレットさん。

 すぐさま持ってきた鞄から道具を取り出し診察を始める八意先生、おっと……僕も手伝わないと。

 

「ルーミア、ナナシを見ていてあげて」

「言われなくてもそうするさ。――お前は休んでいろ、魔眼の抵抗力がないお前にはコイツの瞳は強力過ぎる」

「あ……れ?」

 

 ルーミアに軽く肩を押さえつけられただけで、立ち上がる事ができなくなる。

 彼女の言う通り、魔眼の力にすっかり参ってしまっているようだ。

 

「随分と大事にしているんだな。一体何を企んでいるんだ?」

「彼は身寄りがないのよ。外来人の上に記憶も失っているから」

「ほぅ……記憶喪失か。話には聞くが実際に見るのは初めてだな」

 

 スカーレットさんの視線がこちらに向けられる。

 まるで此方を品定めするかのような目を向けられ、居心地が悪くなって視線を逸らした。

 

「おい、ナナシといったか?」

「は、はい」

 

 呼ばれたので気まずさはあるが視線を戻すと、スカーレットさんは僕の顔を見て愉しげな笑みを浮かべながら。

 

「お前、ここで働く気はないか?」

 

 よくわからない事を、言ってきた。

 

「……えっ?」

「最近ホフゴブリンという働き手を確保できたが、まだまだそこに居る咲夜の負担は大きいんだ」

 

 だから男手がほしいと思っていたの、そう言いながらスカーレットさんは一瞬で僕の眼前へと移動した。

 

「っ」

 

 鼓動が早まる、緊張からかそれともスカーレットさんの端整な顔立ちが近くにあるからか。

 そんな僕の反応を楽しむように、スカーレットさんはますます笑みを深めながら言葉を続ける。

 

永遠亭(そっち)に居るよりは良い待遇を約束しよう、どうだ?」

「ど、どうだと言われても……」

 

 あまりにもいきなり過ぎる提案に、思考が追いつかない。

 だというのに返答を迫られれば、まともな返事など返せる筈がなかった。

 

「悪い話ではないと思うけどね。わたしが人間を雇おうと思うなんて珍しいんだから」

 

 答えを急かすように更に詰め寄ってくるスカーレットさん、近い近い……!

 赤い瞳は「はい」か「YES」以外の返答は許さんと告げており、その迫力に圧され頷いてしまいそうになったその時。

 

「えいっ」

「いにゃあっ!?」

 

 突然、スカーレットさんが素っ頓狂な声を上げて文字通り跳び上がった。

 そのまま後方宙返りをして顔面から地面に激突、更にお尻を押さえながらゴロゴロと転がり回り出す。

 

 ……なんだこれ、僕だけでなく咲夜さんやルーミアもスカーレットさんの奇行にポカンとしてしまう。

 ただ1人、注射器を持ってにっこりと微笑みを浮かべている八意先生を除いて。

 

「はい、後は栄養のあるものを摂って1日程度休めば大丈夫よ」

「う、うぐぐ……い、いきなり人の尻に注射をするヤツがあるか! わたしはな、注射は嫌いなんだぞ!?」

「500年以上生きているくせに、見た目に相応しい幼さね」

「う、う……うー!!」

 

 がーっ、と両手を上に挙げて全力で怒ってますといった反応を見せるスカーレットさん。

 うーうー鳴きながら……もとい、唸りながら八意先生を怒る彼女の姿は、正直その……たいへん可愛らしい姿だった。

 先程のような威厳に満ちた口調と態度を間近で見ていたから尚更そう感じる。

 

「…………」

「……咲夜さん、何故スカーレットさんをビデオカメラで撮っているんですか?」

 

 というかいつの間に構えていたのだろう、無言で今のスカーレットさんを撮る咲夜さんは少し恐かった。

 あと心なしか息が荒いような気がするけど、気のせいだろう……うん、気のせいだ。

 

「お嬢様、可愛らしいですね……」

 

 うへへ、なんて笑い声なんか聞こえないぞ、うん。

 ただなんとなーく、咲夜さんと距離を離した方が良いと思ったのでさりげなく横に移動する。

 ……まだ、この珍妙な光景に終わりは迎えないようだ。

 

「帰るか?」

「う、うーん……」

 

 正直、ルーミアの提案に二つ返事でOKしてしまいたくなった。

 けれど八意先生の手伝いに来た以上、そんな勝手は許されない。

 かといって止める事など僕に出来る筈もなく、ただただ早く終わってくれないかなあと思う事しかできないまま。

 

 

――そんなに退屈なら、楽しいゲームを開始しましょうか。

 

 

「え――――」

 

 知らない女性の声が聞こえた、それを頭で理解した時には。

 高所から落ちていくような浮遊感を味わいながら、僕は()()()()()()()()()()()

 

「な、え……っ!?」

 

 何が起きたのか理解できない、ただわかるのは自分の身体が今も下に向かって落ち続けているという事だけ。

 先程まで確かにあった地面の感触は既になく、漆黒の闇が広がる光景を視界に収めながら奈落へと落下していく。

 明らかに普通ではないこの状況に上手く頭が働かず、けれどすぐにそれは終わりを迎えてくれた。

 

「いっ!? っつー……」

 

 唐突に景色が変わり、同時に感じる鈍痛に顔をしかめる。

 見事にお尻を強打してしまった、涙目になりながらも再び現れた地面の感触に安堵しながら。

 

「――いらっしゃい、お兄ちゃん。

 ようこそ、フランのお部屋へ」

 

 歌うような幼い声で僕を歓迎する、金の髪を持つ吸血鬼。

 フランドール・スカーレットが、無邪気な微笑みを僕に向けている姿を目にした。

 

「…………」

 

 見た目相応の、人形のような可憐で美しい微笑みは、見る者を魅了する力があった。

 だが、どうしてか僕にはその微笑みが死への宣告に思えてならなかった。

 見るだけで背筋は凍りつき、やがて意識そのものすら停止してしまう恐ろしさが垣間見えている。

 

 逃げろ、と。

 生物としての本能が、けたたましく全力で警鐘を鳴らし続けていた。

 まるで首筋に鋭利なナイフを押し当てられているかのようだ、逃げたくても少しでも動けばその瞬間に死んでいる。

 そう思わせるフランドールさんの微笑みは、真っ直ぐ逃がす事なく僕に注がれていた。

 

「呆けちゃってどうしたの? もしかして……殺されるって思っちゃった?」

「っ」

 

 その声で、どうにか凍り付いていた意識だけは現実へと戻ってきてくれた。

 とはいえ状況は変わらない、いや最悪なんてとうの昔に振り切っている。

 

「そんなのつまんないよ、だってまだ遊んでもいないんだよ?」

「何、を……」

 

 掠れた声で問いかける、するとフランドールさんは嬉しそうに笑みを零して。

 

「――弾幕ごっこ、はじめよっか?」

 

 こちらの事情とか、心境とか、そんなものなどまるでお構い無しにそう告げて。

 瞬間、僕と彼女の周囲におびただしい数の光弾が出現した……。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

1月20日② ~片鱗~

吸血鬼が住まう紅魔館という場所に、診察の為に赴く事になった。
そこで主であるレミリア・スカーレットさんにからかわれたり勧誘されそうになったりしていると、突如として僕は彼女の妹であるフランドール・スカーレットさんの部屋へと何者かに連れて行かれてしまう。

困惑する僕に、フランドールさんは瞳に狂気の色を宿しながら、弾幕ごっこという幻想郷における勝負を仕掛けてきた……。


『――――』

 

 全員の視線と意識が、先程まで彼が居た場所へと向けられる。

 しかし居る筈の彼――ナナシの姿は消え去っており、全員が何者かに彼が連れ去られたと理解すると同時に。

 

「っ、フラン……!」

 

 レミリアだけが、その異常に気がついた。

 

 ――フランの部屋に、誰かが入った。

 地下にある妹の部屋には常に監視の目が行き届いている、だからこそすぐに侵入者に気づく事ができた、が。

 

「……なんで、アイツが」

「お嬢様……?」

 

 ギリ、という音が聞こえてくるほどに歯を噛み締める主の姿に、咲夜は怪訝な表情を見せた。

 焦りと驚愕、その2つの感情を隠そうともしないレミリアはすぐに地を蹴り部屋を飛び出した。

 

 どういうわけかはわからない、だが今この瞬間にナナシはここから一瞬でフランの部屋へと移動してしまった。

 それが何を意味するかなど考えるまでもない、間違いなくフランは()()()()使()()()遊ぶだろう。

 あの子はまだ手加減を知らないし、ナナシがあの巫女や魔法使いとは違って戦える力を持っていない事も理解していない。

 

「……間に合うか」

 

 既に弾丸のような速度で駆け抜けるレミリアでも、到着する前に終わっている可能性は否定できない。

 ……何をこんなにも必死になっているのか。

 一刻も速く辿り着かねばと思うと同時に、冷静な自分がそんな考えを巡らせる。

 

 確かにこの事態を無視すれば色々と面倒にはなる、身内がしでかそうとしている事を止めようとしているのは間違いない。

 けれど、それ以上にレミリア自身がナナシの身を心から案じていた。

 それが解せない、如何に客人であり気に入っているとはいえ……。

 

「気に入っている、か……」

 

 そう、レミリアはナナシを気に入っている。

 会ったばかりの、記憶喪失という多少珍しい立場だがそれだけの少年を、自らの懐に置いている咲夜と同じように気に入っている。

 

「フン……」

 

 自分の心を鼻で笑いながら、レミリアは更にスピードを速めた。

 もうすぐ地下にあるフランの部屋へと到着する、色々と考えるのは面倒事を解決してからだ。

 そして、レミリアは重厚な造りの扉の前に辿り着き、両手を用いて躊躇いなくその扉を――フランの部屋の入口である扉を開いた。

 

 ■

 

 静寂が訪れたレミリアの自室にて、永琳は1人ソファーに座っていた。

 既にルーミアと咲夜は飛び出したレミリアを追って部屋にはいない、永琳もナナシの身を案じすぐさまそれに続こうと思ったのだが。

 それができない理由ができたので、未だに彼女は部屋に留まっていた。

 

「――何が目的なのかしら?」

 

 誰も居ない部屋の中で、上記の問いかけが静かに響く。

 当然、彼女の問いに答える者など居るわけがない、筈であったが。

 

「おお恐い恐い、そんなに殺気立たないでくださいませ」

 

 部屋の中の空間に、歪みが生じる。

 やがてその歪みは空間そのものを裂き、大量の巨大な目玉がひしめく不気味な世界が顔を出した。

 その常軌を逸した世界から、1人の女性が現れ永琳の前に降り立つ。

 

 足元まで届きそうな金の髪を持つその美女の名は、八雲紫。

 大妖怪、幻想郷の賢者と称される存在ではある彼女の登場に、永琳は嫌悪感を隠そうともせずに相手を睨みつける。

 

「無駄な会話をするつもりはないの、私がここに残った理由はナナシにしでかした奇行の説明をしてもらう為よ。それ以外の戯言を聞く耳なんか持たないわ」

 

 放つ声に極限まで冷たさを孕ませ、怒気を隠そうともしない永琳。

 その有無を言わさぬ物言いと迫力を受け、八雲紫は内心冷や汗を掻きながらも平静を装いつつ答えを返す。

 

「あの子を成長させる為ですわ、それが後々彼の為になるもの」

「ナナシの為ではなく、あなたの為じゃなくて?」

「…………」

「自身の能力を用いて彼をここから地下にあるフランドールの部屋へと移動させた。戦う力なんて持たない彼を加減を知らない吸血鬼の元に送り込んだ意図は何?」

 

 フランドール・スカーレットは、姉であるレミリア以上に子供である。

 吸血鬼としての強大な能力を持ちながら、それに対する加減の仕方をまるで学んでいない。

 そんな彼女の元にナナシを送ればどうなるかなど……容易に想像できる。

 紫の行動は獰猛な肉食の獣に餌を与えるに等しい行為だ、それがわからぬ彼女ではあるまい……だからこそ、永琳には解せなかった。

 

「ですから、成長させる為ですわ」

「っ、命の危険に晒す事がどうしてあの子の成長に繋がるというの!!」

 

 勢いよく立ち上がり、普段の彼女からは想像もできない激昂を見せる永琳。

 空気が奮えビリビリと音を鳴らし、けれど自分のペースを取り戻した紫は冷静に問いに答えた。

 

「――それも、あの子の力の副産物」

「えっ?」

「永琳、今のあなたはあの子を……ナナシと呼ばれるあの人間を、永遠亭の住人として認め大切に想っている。

 この短い期間でそこまでの信頼を寄せるのは、あの子の内に眠る力によるものなの」

「……あの子の力とは、一体何なの?」

 

 人間とは思えぬ自然治癒力、ルーミアに施された封印を一部とはいえ解いたあの力。

 それだけでは彼の力の全容は見えない、けれど紫の口振りからして彼女は彼の中にある力の正体を知っている。

 だが紫は意味深な笑みを浮かべるだけで、永琳の問いかけに答える様子を見せない。

 

「あの子は外の世界で生きてきた、神秘を忘れた世界に生きてきたからこそ……内に眠る力にも多くの枷が取り付けられている。

 だからこそ力の解放には並大抵の手段では叶わない、あの子には自らの“死”を理解しそれを乗り越えてくれなくては……自らの力を解放する事はできないのです」

「……だからフランドールの元へ?」

「ええ。あの吸血鬼が持つ狂気の境界も操りましたから……ふふっ、きっと明確な死を体験してくれるでしょうね」

「…………」

 

 成る程、とりあえず奇行の意味はある意味理解できた。

 だが、納得などできるわけがない。

 荒療治、などという言葉では片付けられない乱暴すぎるその手段は、永琳に溢れ出しそうな怒りを抱かせるのに充分過ぎる。

 

「それで彼が死んだら、どうするのかしら?」

「その時は、その時ですわ」

「……なんですって?」

「彼の内にある力は決して消えたりはしない、たとえあの人間が死んだ所でその力は別の人間に宿るだけ」

 

 だから、ここで死んだ所で面倒事は増えるものの困る事はないと紫は冷徹に笑う。

 あまりに非情で傲慢な、妖怪らしい人間を軽視する考え方。

 その発言は、彼を自分達の一員だと認めている永琳には許容できない言葉であった。

 

「私に怒りを抱くのは結構ですが、助けに行かなくて宜しいのですか?」

「っ……」

 

 滅してやりたい、という衝動がその言葉で霧散する。

 もう訊く事などない、そもそもこれ以上目の前の存在と話などしたくない。

 

「……今回だけは見逃してあげるわ。けれど覚えておきなさい紫、これ以上あの子の平穏を脅かすというのなら」

 

――それ相応の報いを覚悟していなさい。

 

 怒りに満ちた瞳でそう訴え、永琳はそのまま紫に背を向け部屋を後にする。

 その後姿を眺め、再び静寂に包まれた部屋の中で紫は暫しその場から動かず佇みながら。

 

「そうよ、もっともっと幻想郷の者達と信頼関係を結びながら力を解放していきなさい、“無名の癒し手”さん。

 それがこの世界の安寧に繋がるの、“贄”であるあなたには……まだまだ頑張ってもらわないとね」

 

 命の灯火が尽きようとしているナナシに向けてそう呟き。

 紫は能力を用いて空間を裂き、レミリアの部屋から音もなく消え去った。

 

 ■

 

「うっ……!?」

 

 左肩に鈍痛を感じ、顔をしかめる。

 ズキズキと痛む肩を右手で庇いながら、意識はあくまで正面に向けた。

 

「っ、うぁ……!」

 

 迫る光弾、様々な色を宿す大玉はキラキラと輝きおもわず見惚れる美しさがあった。

 だがそれは僕にとって命を刈り取る死神の鎌と同意、見惚れれば容易くこの身を砕き意識どころかこの生命を奪い去る。

 

「逃げてばっかりじゃつまんないよナナシ、反撃しないの!?」

 

 狂気の笑みを浮かべながら、甲高い声でフランドールさんは僕にそう言い放つ。

 冗談じゃない、こっちは死にたくない一心でさっきから逃げ惑っているというのに、相手はあくまで戯れているだけなのは正直腹が立つ。

 

 弾幕ごっこ、この幻想郷で人妖が勝負をする際に用いる遊び(ゲーム)

 けれどそれはあくまで戦える者にとっての遊び(ゲーム)でしかない、僕のように空も飛べず弾幕なんて勿論使えない人間は、挑まれれば玩具にされるだけ。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 

 どう足掻こうとも、ナナシは目の前のフランドール・スカーレットに殺される未来しか残されていない。

 弾幕ごっこでも、放たれる攻撃に殺傷能力が全く込められていないわけではない。

 ましてや僕に防御なんて器用な事はできない、刻一刻と肉体は壊され衣服には既に多量の血が付着している。

 

 自分の身体が今どうなっているかなど確認したくない、どうせ酷い事になっているだろうしそもそも確認している余裕など存在していなかった。

 フランドールさんはあくまで僕を使って遊んでいる、だから迫る弾幕にも避けるスペースはあるしその速度も目で追えないわけではない。

 それでも数は多く、当然死角から迫る攻撃に対処しきれず光弾が身体に叩き込まれその度に意識を奪われそうになる。

 

「くっ、そ……!」

 

 どうしようもない。

 背後には出入り口であろう重厚な扉があるものの、既に開かない事は確認済みである。

 今の僕にできる事など、必死に逃げて逃げて逃げ続けて……無様な姿を相手に見せる事しかできない。

 

 ……部屋の隅に転がっている、原型を留めていないぬいぐるみが目に映った。

 いずれ自分もあのぬいぐるみのようになってしまうのか、無慈悲に容赦なくこの身を滅ぼされてしまうのかと思い心が震える。

 あまりにも理不尽だ、一体僕が何をしたのかとできる事なら喚き散らしたかった。

 

「はっ、は、あ……はぁっ」

 

 自暴自棄になりそうな心に喝を入れ、両足に力を込める。

 死にたくない、こんなわけのわからない状況で死ぬことなんてできないと己に言い聞かせた。

 たとえすぐ傍まで迫っている死を回避できないと理解させられても、生きる事を諦めるなんてことだけはしたくなかった。

 

「――もう、いいや」

「え――」

 

 退屈と僕に対する失望を宿しながら、フランドールさんは呟きを零す。

 それが何を意味するかなど、彼女の周りに展開される今まで以上の密度を誇る弾幕を見て、瞬時に理解した。

 

 ……ここまでだ、もう逃げられない。

 先程のような避けられるスペースはなく、一斉に放たれれば逃げる事などできない弾幕がフランドールさんの周りに浮かび上がっている。

 

「結構楽しかったよ、お兄ちゃん。けど……逃げるだけで反撃しないから飽きちゃった」

「待っ――」

「もういらないよ、お兄ちゃんは」

 

 にっこりと微笑みながら、フランドールさんは冷たくそう言い放つ。

 その言葉は、僕を生物と認めていない冷徹で狂気に満ちた言葉だった。

 彼女にとって僕は玩具であり、そしてもう遊ぶ価値もないモノという認識だからこその発言に、愕然とする。

 

 多くの妖怪は人間を見下し餌としか見ないと、八意先生から聞かされていた。

 けれど改めてその認識の差を目の当たりにすると、頭が真っ白になった。

 

 道端に落ちている小石を蹴るような感覚で、他者の命を簡単に奪う。

 お前は羽虫程度の存在だと、そんな程度の価値でしかないと、言われているような気がして悔しくなった。

 だが、それ以上に……他者に対してそんな認識を抱いてしまうフランドールさんを見ていると、悲しくなった。

 簡単に命を奪う事に躊躇いなど持たず、それが当たり前だと思っているのが、悲しいと思ったのだ。

 

「……ナナシ、どうして私を憐れむの?」

「えっ?」

「私を見るその目、私の事を憐れんでいる目よ。殺そうとしている相手にどうしてそんな目を向けるの?」

 

 そんなの、僕だってわからない。

 自分の命を奪おうとしている相手に、憎しみや怒りを抱かずに悲しいと思ってしまう自分の心が、理解できる筈がなかった。

 死ぬのは嫌だし痛いのだって嫌に決まっている、けど僕はフランドールさんに対して憎しみなんて抱けなかった。

 

「変なの。450年くらい前に見た人間達は、皆お姉様や私に対して憎しみと殺意しか抱いていない目を向けてきたのに」

「…………」

「まあ、いいや。――それじゃあね? お兄ちゃん」

 

 右手を掲げ、そのままその手を振り下ろした。

 瞬間、浮かんでいた光弾の雨が僕という存在を滅しようと一斉に降り注ぎ。

 

「――そこまでだ。フラン」

 

 背後の扉が開いたと思った瞬間、赤い槍が僕の横を通り過ぎて。

 迫る光弾の雨を、全て粉砕し無力化した。

 

「っ、お姉様……」

「客人に対する礼儀がなってないぞフラン、遊びたい気持ちは判るがやり過ぎだな」

 

 そう言って僕を守るようにフランドールさんの前に出たのは、青みがかった銀の髪を持つ吸血鬼。

 

「……スカーレット、さん」

「存外にしぶといなナナシ、まだ原形を留めているとは思わなかったよ」

 

 そう言って僕に向かって笑みを見せるスカーレットさんは、どことなく安堵しているようにも見えた。

 そしてすぐさまフランドールさんへと向き直った彼女は、ビリビリと空気を震わせながら怒気を孕んだ口調で自身の妹を戒めようとする。

 

「何故こんな事をした?」

「お兄ちゃんが遊びに来てくれたんだもの、だから遊んであげただけよ」

「ナナシ“で”遊んだの間違いだろう? コイツは人間だが大切な客人でもあるんだ、それなのに玩具にするなど……」

「変なお姉様、いつもは人間を見下しているくせに……どうしてお兄ちゃんにはそんなに優しくするのかしら?」

「…………さてな」

 

 空気の震えが、強くなっていく。

 これはスカーレットさんの怒り、自らの妹の行動に対する怒りの表れであった。

 ……拙い、悪寒が走り僕はスカーレットさんとフランドールさんの間に割って入ろうとするが。

 

「っ、ぎっ……!?」

 

 身体はもう限界だったのか、息が詰るほどの激痛が走りその場に座り込んでしまった。

 歯を食いしばって痛みに耐えるが、呼吸をする度に痛みが走り何もできない。

 

「見ろフラン、コイツは“霊夢”や“魔理沙”とは違う。それなのに一方的な弾幕ごっこでお前は彼をここまで痛めつけたんだ」

「だから?」

「…………お前がここまで子供だとは思わなかったわ、キツイ仕置きが必要のようね!!」

 

 スカーレットさんの身体から、赤いオーラが吹き荒れる。

 僕でも明確に認識できる力の塊は、部屋全体に突風を巻き起こした。

 戦うつもりなのか、それもこんなに凄まじい力を用いてなんて、喧嘩で済むレベルの話じゃない。

 

「待ってくださいスカーレットさん、そんな力を使ったらフランドールさんが」

「あの子も吸血鬼だからちょっとやそっとじゃ死なないわよ」

「そういう問題じゃありません、妹に対して向ける力じゃないですよ!!」

「……黙ってて。大体これだけ痛めつけられてあの子を心配するなんてどういう神経をしているの? いいからここから消えなさい」

 

 これ以上話すつもりはないと背中で語りながら、同じく力を解放したフランドールさんに意識を向けるスカーレットさん。

 ……駄目だ、このまま2人を戦わせるわけにはいかない。

 

 スカーレットさんの言う通り、吸血鬼の肉体は僕が想像している以上に頑強なのは間違いないだろうし、フランドールさんの命を奪う事まではしない筈だ。

 けれど普通の生物なら死に絶える程のダメージを与えるつもりなのは想像に難くない、そしてそれがどれ程の痛みを伴うのかもきっと僕には理解できないだろう。

 

 そんな痛みをフランドールさんに与える事など、認められない。

 確かに彼女によって痛めつけられたこの身体は今だって泣きそうなぐらい痛い。

 でもそれとこれとは話は別だ、死なないからといって2人が傷つけあうのも戦い合うのも黙ってみている事なんかできない。

 

「ナナシ!!」

「ナナシ様!!」

「えっ――――うわっ!?」

 

 突然背後から身体を引っ張られ、部屋の外へと出されてしまった。

 視線を後ろに向けると、ルーミアと咲夜さんが僕を見て安堵と悲痛を織り交ぜた表情を向けているのが見えた。

 

「よかった……無事、というわけではないが生きていたか……」

「ルーミア、咲夜さん……」

「ナナシ様、すぐに手当てを。一刻も早くここから離れましょう」

 

 咲夜さんがそう言った瞬間、館全体が大きく揺れた。

 ……戦いが始まってしまったのだ、部屋の中からは絶えず爆撃めいた音が聞こえてくる。

 

「くっ……」

「おい、何をしようとしているんだ!?」

 

 すぐに部屋に戻ろうとする僕を、ルーミアが身体を掴んで引き止めた。

 

「止めないと……」

「何を言ってる、死にたいのか!?」

「……ナナシ様、お嬢様と妹様ならば大丈夫です。お互いにお互いの命を奪う事態にはなりません」

「そうじゃないんです。たとえ死ななくても……無意味に傷つくのを、黙って見ているわけにはいかない」

 

 たとえ強大な力を持つ妖怪でも、誰かが傷つくのは嫌だ。

 痛みや苦しみがどんなものか判るからこそ、誰かが傷つくのは認められない。

 ましてやその原因の一端が僕にあるのならば、止めなくてはいけない責任がある筈だ。

 

「お前にできる事なんか何もないんだ、今は避難して永琳にこの傷を」

「わかってます。戦う力の無い僕が2人の間に入った所で殺されるだけだ」

「なら――」

「それでも、僕のせいで2人が互いを傷つけ合うなんて絶対に認められない!!」

 

 叫び、ルーミアの手を振り解いて再びフランドールさんの部屋へと飛び込むように入った。

 ……そこで繰り広げられている戦いは、ただただ僕の目を圧倒させる。

 

 縦横無尽に室内を飛び回りながら、接近戦や弾幕による攻撃を繰り出していくスカーレットさんとフランドールさん。

 2人の姿は目で追える筈もなく、けれど爆心地の中に居るかのようなこの状況が戦いの激しさを物語る。

 

 ここに居ればすぐに死ぬ、一秒後には簡単に両者の戦いの余波に巻き込まれ死んでしまう。

 それを理解したが、そんなこと今の僕には関係ない。

 

 止めなくてはならない、この無意味な戦いを。

 姉妹でこのような殺し合いにしか見えない戦いをするなんてあってはならない、妖怪だろうが何だろうが家族で戦うなんてそんなの。

 

「――やめろおおおおおおおおっ!!」

 

 そんなの、絶対にあっちゃいけない事なんだから……!

 

「っ、ナナシ……!?」

「アハッ、わざわざ殺されに来たの? お兄ちゃん」

 

 2人の視線が僕に向けられ、動きを止めたスカーレットさんとは違い、フランドールさんが嬉々とした表情で僕に向かってくる。

 左手を振り上げ、僕の身体を引き裂こうとしている姿を見ても、僕は自ら彼女に向かって走っていった。

 止める策なんてないし考えてもいない、ただ一心にこの戦いを止めたいという感情だけで動く。

 

「っ」

 

 身体が、熱い。

 痛みから来る熱とは違う、内側から溢れ出しそうになる熱が全身に浸透していく。

 ……知っている、この感覚を僕は知っている。

 記憶にはなく、けれどこの身体が覚えていると訴えていた。

 

「あ……」

 

 景色が、まるでスローモーションのようにゆっくりと動いている。

 視界に映るのは、僕に向かってその鋭い爪を振り下ろそうとしているフランドールさんの姿のみ。

 

「――――えっ」

 

 今はただ、この戦いを止めたいという事しか考えていないからか。

 僕の目はフランドールさんの姿だけでなく、その内側に巣くう()()を映していた。

 彼女の根底を支配するような、紫色の霧状の何かが見える。

 

 それが何なのかは判らない、けれど漠然とソレがフランドールさんを蝕んでいるモノだと認識でき、取り除かなくてはという強迫観念に突き動かされると同時に。

 自身の内側から、溢れ出しそうになる“光”を認識して、僕は自分のすべき事を真に理解した。

 

「っっっ」

 

 その光を、外へと取り出そうとする。

 僕の意志を受け入れ、その光は力となって僕の身体へと一瞬で刻まれた。

 

「うおおおっ!!」

 

 叫びながら、無我夢中で右手を伸ばす。

 目指す場所はフランドールさんの内から見える異端の霧、それを消し去ろうと必死に手を伸ばした。

 

「えっ!?」

 

 フランドールさんの目には、僕の行動が奇行に見えたのか。

 彼女の動きが僅かに鈍り、その恩恵もあって一瞬早く僕の右手が彼女の身体に触れてくれた。

 

「――消えろっ!!」

 

 彼女の身体に巣くうモノにそう告げながら、自らの力を流し込む。

 流し込む、といってもこの力は決して他者の身体を傷つけるものではない。

 

 この力は、“癒し”の力。

 単純に傷を癒すだけではない、理を正しきものに戻す再生の力だ。

 ――霧状の何かが、フランドールさんの身体から霧散していく。

 その間僅か数秒、けれどその数秒が過ぎ去った時には。

 

「――――」

 

 ぐらりと、視界が揺れる。

 四肢に力は入らず、けれどフランドールさんに巣くっていた霧が消えてくれた事に安堵しながら。

 

「ナナシ!!」

「お兄ちゃん!!」

 

 心配そうに僕の名を呼びながら、駆け寄ってくる姉妹の姿を見て。

 安堵のため息を吐き出して、抗う事なく沈むように意識を手放した。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

1月21日 ~ナナシの危うさ~

戦いは、終わった。
終わらせる事ができた、けれど力を使った僕はその反動で倒れてしまい……。


――光が、見える。

 

 漆黒の世界を照らす小さな光。

 今にも消えそうな程に儚いものだけれど、網膜に焼き付くほどの輝きを見せている。

 

 その光に触れてみたくて、同時に消してはならないと思ったから必死に手を伸ばした。

 五感が朧気のまま手を伸ばし……やっと触れられたと思った瞬間。

 

「ぁ……」

 

 光が大きくなっていき、あっという間に僕の身体を包み込んでいった。

 視界は奪われ、同時に暖かなものが身体に流れ込んでいく感覚が訪れる。

 恐怖はない、寧ろこのままこの光に身を委ねてしまおうと思い始めていた。

 

――――お前が居るべき場所は、ここではない。

 

 誰かが、遠い声でそう言った。

 光に包まれ、まどろむ自分を戒めるように。

 

――――成すべき事を果たせ、それがお前の役目なのだから。

 

 それは、どういう意味ですか?

 問いかけは声に出ず、やがて意識はこことは違う場所に引っ張られていく。

 ……声はもう、聞こえなかった。

 

 ■

 

「…………」

 

 見知らぬ洋風の天井が、視界に広がっている。

 上半身を起こし、周囲を見回すとそこに広がるのはやはり見知らぬ部屋だった。

 ふかふかのベッドに丸テーブル、小さめのシャンデリアといった洋風の部屋。

 

「……えっと」

 

 頭が上手く働かない、身体も鉛のように重くなっていた。

 ゆっくりゆっくり何があったのか思い返していき……数分かけて、自分が何をしたのかを思い出すと同時に。

 

「あ……」

 

 部屋の中央付近に置かれた机に突っ伏しながら眠っている、フランドールさんの存在に漸く気がついた。

 肩を上下させながら、小さな寝息を放つフランドールさん。

 ……とりあえず、あのまま寝かせると身体に悪いし起こした方がいいか。

 

「っ、あ、れ……?」

 

 ベッドから降りて立ち上がろうとするが、力が入らず前のめりに倒れそうになる。

 どうにか両手を突き出して顔面からの直撃を免れたものの、その体勢のまま動く事ができない。

 

「う、く……」

 

 顔をしかめながら、どうにかこうにかベッドまで戻った。

 参った、一体どれだけ衰弱しているんだ……?

 自分が弱っていると自覚できたからか、強い空腹感を覚え小さく腹が鳴った。

 

「……ん、にゅ……」

 

 と、フランドールさんに動きが見られた。

 身体を揺らし、ゆっくりと彼女は目を開き……ベッドに座っている僕と、視線を合わせる。

 

「…………ナナシ?」

「あ、えっと……おはよう、ございます?」

 

 どんな反応を返せばいいのか判らず、とりあえずと朝の挨拶をしてみた。

 対するフランドールさんは何も反応を示さず、気まずい空気が流れ始めたと思ったら。

 

「……ぐすっ」

「えっ……!?」

 

 突然、フランドールさんの瞳から涙が零れ始め、思考が固まってしまった。

 ポロポロと涙を流す彼女に、僕は何もできず狼狽するばかり。

 すすり泣く音が暫し部屋に流れ、やがて泣き止んだ彼女は乱暴に涙を拭ってから。

 

「――ごめんなさい。お兄ちゃん」

 

 僕に向かって、深々と頭を下げながら謝罪の言葉を口にした。

 

「…………」

 

 ああ、成る程。

 彼女が何故僕を見て泣き出し、そして謝ったのか理解する。

 僕を傷つけた事を後悔し、申し訳なく思い、勇気を出して謝ってくれた。

 それが判っただけで、あの時の痛みも無意味ではないと思えて……嬉しくなる。

 

「フランドールさん、僕は今みたいに反省して謝ってくれただけで充分です」

「…………」

「でも約束してほしい。理由もなく誰かをその力で傷つけるような事は……もうしないでくださいね?」

「っ、うん……約束するよ。絶対にその約束は守るから……」

 

 その言葉と涙を見せながら浮かべる笑みだけで、充分だ。

 

「じゃあもうこの話はおしまいにしましょう、どうせなら仲良くなりたいですから」

「うん!! 私も同じ気持ちだよナナシ、だからそんな敬語なんてやめて私の事は“フラン”って呼んでね?」

「え、あ……はい、じゃあフラン……で、いいのかな?」

 

 少し躊躇いがちに名前を呼ぶと、フランドールさん……フランは、嬉しそうに表情を綻ばせた。

 そこまで喜ぶ事なのかとも思ったけれど、実際に嬉しそうにしているから良しとしよう。

 

 ■

 

「――すまなかった」

 

 フランと友達になったのは喜ばしい事なのだが、強い空腹感を思い出し朝食を用意してもらう事にした。

 咲夜さんお手製の朝食を、フランと……同席したスカーレットさんの3人でいただく事になったのだが。

 その前にと、スカーレットさんは僕に向かって上記の言葉を口にしながら深々と頭を下げてきた。

 

「お、お姉様……?」

「お前に対して謝罪だけでは許されない事をしてしまった、レミリア・スカーレットの名に懸けてこの非を詫びる事を誓う」

「…………」

 

 突然の言葉に、反応できない。

 彼女の言葉の意味が理解できないわけではない、ただ僕にとって今回の件は既に“過去の話”でしかなかったから驚いたのだ。

 それなのにこのような厳格な姿勢を見せられれば驚くというものである、というかお腹空いたから正直後にしてほしい。

 しかし雰囲気的にそんな事は言えないので、僕も改めて佇まいを正してから自らの気持ちをスカーレットさんに返した。

 

「僕としては、これ以上今回の件について言及するつもりはありませんので、スカーレットさんも気にしないでくださると助かるのですが……」

「……それ、本気で言っているのか?」

 

 信じられないようなものを見るような視線を向けられた、解せぬ。

 と思ったらフランまで同じような視線を……いや、まあその気持ちは判らなくもないけど。

 

「フランは今回の事を反省して、無意味に力を使って誰かを傷つける事はしないと約束してくれました。

 そして僕は生きているし、こうして食事や寝床も用意してくださっていますから、それで充分です」

「しかしだな……」

「なら……1つだけ。フランの事を怒らないであげてくれませんか?」

「むっ……」

 

 僅かに眉を潜めるスカーレットさんを見て、予測が当たった事を確信した。

 スカーレットさんはこの紅魔館の主、吸血鬼としてのプライドや責務を重んじる性格だというのは短い付き合いでもなんとなく理解できていた。

 だからこそ今回のフランのやった事を容易に許すことはできないと考えているだろう、けれどそのせいでこの姉妹の仲が悪くなってしまう事を僕は望んでいない。

 

 なかった事にはできない、それぐらいは僕にだって判る。

 だから反省するように願った、そして彼女の態度を見ればきっと大丈夫だと認識できたからこそこの話をこれ以上蒸し返す気にはならないのだ。

 

「ふむ……正直な話、お前の甘さというよりも能天気さには呆れよりも恐怖を覚えるよ」

「うっ……」

「だが他ならぬお前がそれでいいというのならそうしよう……と言いたいが、そういうわけにはいかない」

 

 歴史あるスカーレット家として、今回の件を不問にする事などはできないとレミリアさんは言う。

 たとえ被害者である僕が望まなくとも、こちらの非をなにかしらの方法で償わなければ吸血鬼としての誇りとスカーレット家の家としての沽券にかかわる。

 大袈裟な……正直そう思ったものの、レミリアさんの考えもわかったので納得する事にした。

 

「とはいえどうするか……金品などは望まないだろうし、ナナシは何かないか?」

「ないですよ。そもそも僕はもういいって言っているんですから……」

「……ではこうしよう、とりあえず今は保留にするとして……ナナシが力を欲した時に、喜んで協力する。それならばお前も気にする必要はあるまい?」

「まあ、それなら……」

 

 ようするに“貸し”を作っておくという事なのだろう、もうなんでもいいやと思ったのですぐに承諾する事にした。

 無碍にするのは失礼だと思ったし、何よりここで余計な一言を返せば……冷め始めている咲夜さんの朝食が食べられない。

 

「……ではそろそろ朝食にしようか」

 

 僕の心中を察したのか、スカーレットさんがそう言ってくれたので。

 

「い、いただきます」

「いただきまーす!!」

 

 両手を合わせ、朝食を食べ始めた。

 クロワッサンにベーコンエッグにサラダ、目玉焼きはトロリと半熟具合。

 永遠亭では和食だけだったから、洋食は久しぶり……かもしれない。

 

「あ」

「? ナナシ、どうしたの?」

「……八意先生達に、連絡しないと」

 

 きっと心配しているだろう、特に八意先生と鈴仙さんは僕が頼りないせいか特に心配しているかもしれない。

 

「それならば心配するな、既に竹林の連中には使い魔を送って連絡しておいた」

「あ、ありがとうございます」

「迎えが来るまで好きなように寛ぐがいいさ、遠慮をしなくてもいいよ」

「そうだよお兄ちゃん、フランが紅魔館を色々案内してあげようか!?」

 

 身を乗り出す勢いでそんな事を言ってくるフラン。

 そういえば、色々ゴタゴタしてたから紅魔館をゆっくり見ることなんてなかったな。

 ならお願いしようかな、そう思い口を開いた瞬間……視界が揺れた。

 

「っ……」

 

 左手で額を押さえる、視界は先程と変わらず揺れていた。

 朝食を食べて少しはマシになったと思ったけれど、僕の身体はまだ本調子には程遠いようだ。

 

「ナナシ?」

「……ごめん、少し休ませてもらえるかな」

「そうだな。顔色も悪いし案内は次の機会にした方がいい」

「えー……」

 

 不満げに唇を尖らせるフランだが、僕の顔を見てそれ以上は何も言ってこなかった。

 ……あまり、人に見せて良い顔色ではないようだ。

 幸いにも食欲はあったので朝食は全て平らげ、スカーレットさんはフランを連れて……。

 

「ああ、そうだ」

「?」

「ナナシ、これからはわたしの事はレミリアでいいし敬語も要らないよ」

 

 お前は、わたしの友人になったのだからな。

 そう言って、びっくりするくらい妖艶な笑みを見せられたものだから。

 そんな不意打ちに対応できるわけがなく、僕は顔を赤らめレミリアさんから視線を逸らす事しかできなかった。

 

 ■

 

 ベッドに身体を預けながら、ぼーっとする事暫し。

 気がつけば時刻は午前十時を回っていた、朝食を食べたのが確か七時半ぐらいだったから……二時間以上ぼけーっとしていたのか。

 でもその甲斐あって体調は先程よりずっと良くなっていた、この分なら今日一日休めば元に戻ってくれる筈だ。

 

「――ナナシ様、咲夜です。入っても宜しいでしょうか?」

「咲夜さん? はい、どうぞ」

 

 失礼します、そう言いながら部屋に入ってきた咲夜さんの手にはモップ等の掃除用具が握られていた。

 もしかして部屋の掃除をするつもりなのだろうか、もしそうならここから出ておかないと……。

 

「部屋の掃除に来たわけではありませんよナナシ様、ゆっくり休んでいてください。その代わりというわけではありませんが……少し、お話をしませんか?」

「えっ、それはいいですけど……」

 

 僕の返答にありがとうございますと返しながら、部屋の隅に持っていた掃除用具を立て掛ける咲夜さん。

 そして僕が居るベッドへと歩み寄ってから。

 

「――ありがとうございました、ナナシ様」

 

 これ以上ないくらいの感謝の念を込めて、彼女は僕に向かって深々と頭を下げてきた。

 

「はい?」

「お嬢様と妹様の戦いを止めてくださった事、そしてお嬢様に妹様を叱らぬように仰ってくださった事、本当に感謝しております」

「いえ、そんな……感謝されるような事は……」

 

 あの願いはあくまで僕の自己満足、今回の件で2人の間にわだかまりが残ってしまうのが嫌だっただけだ。

 

「……お嬢様も妹様も、お互いにお互いとどう接していいのかまだ完全に見極めていないご様子なので、ナナシ様の寛大な御心には感謝しかないのです」

「? 咲夜さん、それは一体どういう意味なんですか?」

 

 レミリアさんもフランも、お互いにお互いとどう接していいのか判らない。

 実の姉妹だというのに、それはおかしいのではないかと思い問いかける。

 

「妹様は495年以上、地下で幽閉されていたのです。当然その間、お嬢様と共に過ごすという事は叶いませんでした」

「えっ!? な、なんで……」

「妹様には強大で危険な力が宿っているのです、まあ尤も妹様自身が引き篭もっていたからこそつい最近まで地下から出なかったというのもありますが」

「…………」

 

 成る程、さっきの言葉の意味が今の説明で理解できた。

 姉妹でありながら今まで家族として過ごす時間が殆どなかったのなら、お互いにお互いとどう接すればいいのか判らないのは当然だ。

 思い返せば、レミリアさんはフランに対して何処か高圧的な物言いで話していたし、フランはレミリアさんに対して見下すようにしながらも強がっているようにも見えた。

 

「前に起きたとある“異変”を経て妹様も地下以外の場所で過ごすようにはなりましたが、お嬢様との間には僅かな壁を作っているように見えるのです。

 500年近くの溝はそう簡単に埋まらないのは私とて理解しています、少しずつでもいいからお互いに歩み寄ってくだされば良いと私は思っているのです」

 

 その意見は、正しいと思った。

 すぐに遠慮ない家族としての振舞いなどできるわけがない、故に少しずつでもいいから姉妹としての時間を大切にしてほしい。

 紅魔館のメイドとしてではなく、レミリアさんの従者からでもなく、ただ純粋に……あの2人を慕うからこそ願う咲夜さんの想いは尊く正しいものに映った。

 だからこそ、今回の件によって2人の溝が深まる事を彼女は危惧し、事を大きくしようとしなかった僕に感謝したのだろう。

 

 ……やっぱり、この選択を選んでよかったと改めてそう思える。

 あくまで偶然ではあるけれど、目の前で僕に感謝してくれている彼女の危惧を晴らせたのだから。

 

「咲夜さんは、本当にレミリアさん達の事が大切なんですね」

「はい。生きている限りはずっと一緒に居ると、誓った御方ですから」

 

 自らの誓いを改めて言い聞かせるように、誇らしげな表情を見せながら咲夜さんは言った。

 その忠誠心は本当に強く、僕なんかが考えに及ばない程に大きなものなのだろうと認識させられた。

 そして同時に、そんな忠誠心を向けられるレミリアさん達と友人になれた自分が、ちょっとだけ誇らしくなった。

 

「……不思議な方ですね、ナナシ様は」

「?」

「人の身でありながら、お嬢様の事はあくまでも知り合いであり友人と思ってくださっている。命を奪いそうになった妹様の事もそう思っているのですから驚きです」

「それ、は……」

 

 確かに、普通に考えれば僕はおかしい人間なのだろう。

 殺されかけた、それも無慈悲に容赦なく蹂躙しようとした相手に対しても、理不尽こそ感じたが憎しみは抱いていない。

 それは人として何かが欠落しているようにしか思えない、人間というのは痛みや理不尽を与えてきた相手を憎む事でしか己を保てない生物だ。

 全てを赦そうとする菩薩にでもなったつもりなのか、とにかく僕は色々な意味で普通ではないと認識せざるをえない。

 

――気味の悪い、生物だ。

 

「…………」

 

 一度そう思ってしまうと、自らに抱く嫌悪感は瞬く間に増していく。

 さっきの選択だって、打算と偽善に満ちたものでしかないのではないかと思わずにはいられない。

 

「ナナシ様」

「っ、咲夜さん……?」

 

 僕の思考を中断させるように、咲夜さんは突然僕の手を自身の両手で包み込むように握り締めてきた。

 顔を上げると、咲夜さんは悲しそうに顔を曇らせ僕に視線を向けている。

 

「すみません、ですが何だかナナシ様がお辛そうでしたので……」

「……いえ、ただ殺されかけた相手に何の憎しみも抱かない自分が気味の悪い存在だと思っただけですから、気にしないで……」

「っ、それの、何が悪いのですか?」

「えっ……」

 

 咲夜さんの視線が鋭くなる。

 それがまるで怒っているような気がして、否、明らかに彼女は怒っていた。

 

「それは優しさというものなのです、争いを好まず、どんな理不尽も受け入れ、相手を赦し、歩み寄ろうとする強さです。それの何処が気味の悪いものだというのですか?

 御自分で御自分を貶める事などありません、少なくとも私は……ナナシ様のその考えは正しいものだと思っていますから」

 

 真っ直ぐに、強い口調で咲夜さんは言う。

 その真剣な目と表情を見て、彼女は本気でそう思っているのが判り、自分自身に対する嫌悪感が少しだけ薄れていくのを感じた。

 

「ぁ……も、申し訳ありません。いきなりこんな……」

 

 慌てて僕の手を放し素早い動きで離れる咲夜さん。

 羞恥心からか僅かに頬を赤らめるその姿に、おもわず頬を綻ばせた。

 ……それがお気に召さなかったのか、彼女の視線に冷たさが宿り背筋に悪寒が走った。

 

「どうやら、お辛そうに見えたのは私の気のせいだったようですね」

「あ、その、咲夜さん……?」

「人の恥ずかしがる姿を見て笑うなんて、ナナシ様は見た目とは違ってとても意地悪な殿方だとよーーーく理解しました」

「ちょ、それは誤解ですって!!」

 

 弁明しようとするが、咲夜さんは僕に向かってにっこりと、それこそ何も話せなくなるくらいに恐ろしい笑みを見せてきた。

 その迫力に圧されて縮こまる僕にも、咲夜さんは笑みを浮かべるだけで何も言ってこない。

 笑ったわけではないというのに、この態度はあんまりではないか。

 口には出さず心の中で悪態を吐く、だって口に出したら数倍にも返ってきそうだから言えるわけがない。

 このまま針の筵状態が続くのだろうか……そう思った矢先。

 

「――ちょっとナナシ、一体何をしてるのよ」

「そーだそーだ、結構良い雰囲気だったのに……お兄ちゃんってば乙女心をわかっていないわよねー」

 

 ノックもせずに部屋へと入ってきてそんな事を言い出す、スカーレット姉妹が現れた。

 2人とも不満げに唇を尖らし、僕を責め立てるような視線を向けてきている。

 ……もしかして2人とも、今までのやりとりを覗いてたんですか?

 

「当たり前だ、咲夜が男と2人っきりになるなんて初めてだからな。ここは主としてお節介をしたくなるだろう?」

「本当にお節介ですね、それ」

「お、お嬢様……ナナシ様とは別に、そういった関係では……」

「そんな事は知っているさ。だが咲夜、はっきり言ってお前には全然男の気配がない。このままでは行き遅れるのは目に見えている」

「余計なお世話です!!」

 

 本当に余計なお世話である、というか多分本音はそんなものじゃない。

 この2人はただ僕達をからかう材料が欲しいだけだ、咲夜さんもそれが判っているから怒っているのだろう。

 

「そもそも、ナナシ様をそんな事に巻き込むなんて迷惑だと思わないのですか?」

「思わん」

「言い切ったよ」

 

 それも踏ん反り返りながら、「一体何が悪い?」と言わんばかりの態度で。

 これには咲夜さんも絶句し、呆れたように溜め息を吐きながら頭を抱え始めてしまう。

 

「お互いにお互いでは不満なのか? こう言ってはなんだが、それなりにお似合いだと思うけどね」

「な、何言っているんですか……」

 

 顔が熱くなる、くそっ、からかわれているのは判っているのに。

 

「咲夜もナナシの事を気に入ったんでしょ? そうじゃなかったらさっきみたいにお前が何の警戒もなく他者の手を握り締めるなんて真似をするとは思えないし」

「…………」

 

 咲夜さんは無言を貫く、けれどその顔は赤く染まっていた。

 

「見ろナナシ、咲夜がこんな風に羞恥心を露わにするのは珍しいんだ。つまり脈ありという何よりの証拠であってだな――」

「っっっ」

 

 瞬間、視界が赤く染め上げられた。

 一体何が起きたのか、すぐに理解はできない。

 

 先程まで居た筈の咲夜さんの姿は、影も形もなくなっており。

 先程まで愉しげな笑みを浮かべていたレミリアさんは、自らの身体から流れる血の海に沈んでいた。

 一瞬にも満たぬ刹那の間に作り上げられたこの惨劇に、僕もフランも言葉を失う中。

 

「……あー痛い、アイツめ……いくらからかいが過ぎたとしても脳天を銀のナイフでめった刺しにする事ないでしょうに」

 

 レミリアさんはむくりと起き上がり、頭部に刺さった十数本のナイフをブツブツと文句を言いながら抜いていった。

 またしても言葉を失い、目の前に広がるスプラッターな光景から視線を逸らす事しかできない。

 ……なんだか気分が悪くなってきた、吐きそう。

 

「心配するなナナシ、銀のナイフは吸血鬼に対して弱点ではあるが、流石に死ぬほどの事ではないから」

「わ、わかりました……わかりましたから、頭から血をドバドバ出しながら平然とした顔で近寄ってこないでください……」

 

 暫く、この光景は夢に出てくるかもしれない。

 押し寄せる吐き気と戦いながら、僕は必死にレミリアさんを見ないように視線を逸らし続けた。

 

 ■

 

「――大丈夫?」

「え、ええ……大丈夫です……」

 

 迎えに来てくれた八意先生の心配そうな問いに、渇いた笑みしか返せなかった。

 紅魔館の正門前には、レミリアさん達がわざわざ見送りに来てくれたのだが……咲夜さんはやはりというか少し気まずそうだ。

 

「ナナシ、いつでも紅魔館に遊びに来るといい。歓迎するよ」

「今度は色々と案内してあげるね、お兄ちゃん!!」

「あ、ありがとう……」

「随分と仲良くなったのね、ナナシ」

「ええ、まあ……」

 

 視線を咲夜さんに向ける。

 ……やっぱり、気まずいまま別れるのは本意じゃない。

 

「咲夜さん」

「あ、はい……なんでしょうか?」

「えっと、その……」

 

 声を掛けたはいいものの、何を言えばいいのかわからなくなる。

 そんな僕にどこかワクワクしたような視線を向けるレミリアさん達、気が散るんでやめてください。

 向けられる視線を無視しながら、暫し思考を巡らせて……言いそびれていた事を思い出し、口を開いた。

 

「さっきは、ありがとうございました」

「……はい?」

「僕の事を優しいと言ってくれて、凄く嬉しかったです」

 

 さっきは言えなかった感謝の言葉を、はっきりと彼女の顔を見て告げた。

 最初は何を言われているのか判らなかったのか、キョトンとする咲夜さんだったが。

 

「――私はただ、自分の正直な気持ちを口にしただけですよ」

 

 穏やかな表情と声で、そう言葉を返してくれた。

 気まずさは消え、僕達はお互いに笑みを浮かべ合う。

 和やかな雰囲気に包まれ、自然と気持ちも晴れやかなものになっていく。

 ああ、今日は良い一日になりそうだ……。

 

「そこだナナシ、男らしく咲夜を抱き寄せて唇を奪うのよ!」

「お姉様、それはちょっといきなり過ぎると思うの。ここはまだ知り合ったばかりだしハグ程度で抑えておかないと」

「ナナシにはその程度でも難問ね。何せ輝夜のからかいに毎回たじろいでいるもの」

 

「…………」

 

 お三方、うるさいです。

 それと八意先生までレミリアさん達と悪ノリしないでください。

 

 

 

 

「……それじゃあ、また」

「はい、ナナシ様」

 

「あっさりしてるわねー、もっとこう……ないの?」

「そうそう。ナナシもそうだけど咲夜も淡白よねー」

 

 吸血鬼姉妹、うるさいですよ。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

1月24日① ~妖怪の山~

幻想郷の日々は過ぎていく。
大変な毎日ではあるけれど、今日はどんな日になるのかワクワクもする。
さあ、今日は何が待っているのかな?


 ごちそうさま、と全員で手を合わせ朝食の時間を終える。

 さて、今日も1日永遠亭にて仕事を励むとしよう、と思った矢先。

 

「――今日は、あったかーいお鍋が食べたいわねえ」

 

 ポンポンとお腹を擦りながらそんな事を言うのは、蓬莱山輝夜さん。

 艶やかな黒髪と愛らしい笑顔が特徴的な、この永遠亭で八意先生と同等かそれ以上の権限を持つ女の人だ。

 でも本人は至って温厚で心優しい、時折誰も逆らえない笑顔でとんでもなく無茶な要求を放つ事もあるけれど、それはご愛嬌。

 

「……姫様、朝ごはんを食べたばかりなのに」

「ふふっ、実は昨日から思っていたのよ。今日は特に寒いから絶対夕ごはんはお鍋がいいなー」

「食い意地が張った姫様だこと……」

「まあまあ、それじゃあ色々買い物しないと」

 

 食材の備蓄も残り少なくなってきたし、今回の事が無くても買出しには行かないと。

 だとすると今日は人里に行かなくてはいけないだろう、そういえば……人里に行くのは、今回が初めてだな。

 

「――ウドンゲ、てゐ。里への薬売りと買い物はあなた達2人でしなさい」

「あ、はい……了解しました」

「はいはいー」

 

「あ、僕も」

「ナナシ、あなたは私の手伝いをして頂戴」

「えっ、でも備蓄も少ないから買い物の量も多くなりそうですし……」

「いいのよ。2人に任せなさい」

 

 有無を言わさぬその物言いに圧され、何も言えなくなってしまう。

 けど、なんだか八意先生達が僕を人里に行かせないようにしているように思えた。

 

「ナナシさん、こちらの事は気にしないで師匠をお手伝いをお願いします」

「そーそー、みんな鈴仙がなんとかするから」

「アンタも来るのっ!!」

 

 鈍い打撃音が、てゐさんの頭から響き渡る。

 鈴仙さんの拳骨を受け、ぐったりとしたまま動かなくなったてゐさんの首根っこを掴み、鈴仙さんは行ってしまった。

 ……大丈夫かな、割とシャレにならない音だったけど。

 

「さあナナシ、今日もお手伝いよろしくね?」

「はい、わかりました」

「あ、ちょっと待って永琳」

 

 八意先生と共に研究室へと行こうとした僕達を、輝夜さんが呼び止めた。

 

「どうしたの?」

「今日は何か急ぎの用は入っているのかしら?」

「いいえ、今日は新薬の実験だけの予定だけど……」

「なら今日一日、ナナシを貸してくれないかしら?」

 

 にっこりと微笑みながらそんな事を言ってくる輝夜さんに、僕も八意先生もキョトンとしてしまった。

 というか貸してくれって、僕はレンタル用品ですか?

 

「……それは構わないけど、この子に何をさせるつもりなの?」

「やーね永琳ってば、ナナシに対して随分過保護になってない?」

「質問に答えてほしいのだけれど?」

「あらこわい、別に危険な事はさせないわよ。ただちょっと彼を連れて出掛けたいだけ」

 

 とは言うものの、では何処に行くのかと問いかけても輝夜さんは答えようとはしない。

 危険な事はさせない、とは言うものの何とも煮え切らない彼女の態度に僕はもちろん八意先生も難色を示した。

 でもわざわざそんな事を言うのだ、もしかしたら大切な用事なのかもしれない。

 

「八意先生、もし先生がよろしければ今日は輝夜さんについて行ってもいいですか?」

 

 そう思ったので、助け舟ではないが八意先生にそう進言してみた。

 

「……いいわ。じゃあナナシは今日輝夜の面倒を見てくれるかしら?」

「は、はい!」

「面倒を見るって……まあいいか、それじゃあ準備してくるからナナシも動きやすい恰好に着替えてね?」

 

 そう言って自分の部屋に戻っていく輝夜さん、動きやすい恰好に着替えてと言われたので、僕も一度自室に戻る事にした。

 

「ごめんなさいねナナシ、あの子って時々強引になる所があるから」

「いえ、でも何処に行くつもりなんでしょうね?」

「あなたが一緒だから危険な場所に行くとは思えないけど……気をつけてね?」

 

 わかりましたと返しつつ、自室に向かう。

 ……正直、どこへ連れて行かれるのか少々不安な気持ちはある。

 けれど八意先生の言ったように、危険な場所ではないだろう、多分。

 

 ■

 

 危険な場所ではないだろう。

 そう楽観視していた少し前の自分を、鼻で笑いつつ怒ってやりたくなった。

 

「どうしたの?」

「……輝夜さん、ここが何処だか判ります?」

 

 問いかけに対し、輝夜さんは前方に広がる険しい“山”を見てから、キョトンとした顔を僕に向けてきた。

 そう、山である。そして幻想郷で一般的に“山”と呼ばれる場所は一箇所しかない。

 

「妖怪の山でしょ?」

「判っているなら、僕の言いたい事はわかりますよね?」

「思っていたより大きいわよね、驚いちゃった」

「違う、そうじゃない」

 

 まるで危機感を持たない輝夜さんに、おもわず強いツッコミを返してしまった。

 僕達の目の前に広がる山の名は“妖怪の山”といい、幻想郷でも比較的危険度が高い山だ。

 ここには妖怪の中でも有名な“天狗”が存在しており、他にも“河童”などの多種多様な妖怪が住まう山だと前にルーミアから教えてもらったからこそ、強い危機感を覚えていた。

 しかも今の季節は冬、山道には当然雪が残っている状態なのでこのまま登るのはかなり危ない。

 

「帰りましょう、今すぐに」

「どうして? 大丈夫よ、妖怪が来ても私が守ってあげるから」

「いや、そういう問題じゃなくてですね……」

「大丈夫大丈夫、ほらいきましょ?」

「ちょ、ちょっと輝夜さん!?」

 

 手を引っ張られ、柔らかな感触にどきりとする。

 しかしすぐに我に返り抵抗しようとするが、ズルズルと引っ張られるだけでまったく意味をなさない。

 

 綺麗で可愛らしい女の子に引っ張られるという傍から見たら珍妙な光景を繰り広げつつ、僕達は山の中へと入ってしまう。

 緩やかな傾斜のある山道を僕の手を握ったまま迷い無く進んでいく輝夜さんと、必死に無意味な抵抗を繰り返しつつ帰りましょうと訴える僕。

 

「ナナシは心配性なのよ、そこらの妖怪なんて私からしたら赤子同然なのに」

「そういう問題じゃないんですよ、ルーミアから聞いたんですけど山に住む天狗達は余所者に厳しいって話なんですから、勝手に入ったらどんな目に遭わされるか……」

「大丈夫、私が守ってあげるから」

 

 そう言ってむんと胸を張る輝夜さん、頼もしいけど女の人に守ってもらうというのは情けない事この上ない話ではないか。

 まあ、確かに僕は戦う力なんて無いからそういう状況になるのは目に見えているけど、それとこれとは話が別なわけで……。

 

「そもそも、どうしてこの山に行こうと思ったんですか?」

「ここには秋の神様が居るって話なの、その神様は姉妹なんだけど凄く美味しい野菜を栽培してる事でも有名なのよ。この季節だと……そうね、大根にちょっと早いけどさつまいもとか?」

「……もしかして、今夜の鍋の材料を確保しに?」

「ご名答。だってイナバ達にだけ負担を掛けるなんて申し訳ないじゃない?」

 

 その言葉を聞いて、僕は帰りましょうとは言えなくなってしまった。

 仕えるべき部下とも呼べるべき人達にも、上辺ではない優しさを向けられる輝夜さんの気持ちを知れば、さっきのように帰ろうなどとは言えなかった。

 

「そうならそうと最初からそう言ってくれればよかったのに」

「だってナナシの反応が面白いんですもの、さっきの態度だって予想通りだったし」

「…………」

「でもその様子だと、私の気持ちを察してくれたみたいね」

 

 そう告げる輝夜さんは、嬉しそうに微笑んでいた。

 その笑みは、綺麗とか可憐とか、そういった表現では足りない程の魅力が備わっており。

 間近でそれを見た瞬間、思考はあっさりと漂白した。

 

「? ナナシ、どうしたの?」

 

 小首を傾げながら訊いてくる輝夜さんの言葉も、どこか遠くから聞こえてくる。

 まるで前にレミリアさんに向けられた魔眼の如し威力を見せる彼女の笑みは、さすが帝すら魅了したかぐや姫だと余計な事を考えてしまうくらいに凄かった。

 呼吸が上手くできない、だというのにおもわずごくりと喉が動いた。

 心臓の音は早鐘のようにうるさく喚いているし、それなのに視線は彼女から背ける事ができなかった。

 

「……あららら、ナナシってば本当に純粋なのね。悪い事しちゃったわ」

「っ」

 

 その声で、どうにかこうにか我に返る事ができた。

 落ち着け、落ち着くんだ。

 まずは視線を逸らせ、いつまでも相手をじっと見ているなんて失礼なんだから。

 

「……は、あ」

 

 深呼吸をして、止めていた呼吸を再開させる。

 視線を逸らせたからか、鳴り響いていた心臓は少しずつ落ち着きを取り戻していき、真っ白だった思考も元に戻ってくれた。

 

「ごめんね?」

「あ、いえ……輝夜さんが謝る事なんてないですよ。僕の方こそじっと見たりしてすみません」

 

 改めて視線を戻し、謝罪しながら頭を下げる。

 

「ううん、ナナシが謝る必要なんか無いの。寧ろ緊張してくれて嬉しかったわ」

「えっ?」

 

 おかしな事を言い出す輝夜さんに、首を傾げた。

 

「だって私の事を意識してくれたってことでしょ? 殿方にそういったものを向けられるなんて久しくなかったから、嬉しくなったのよ」

「っっっ」

 

 意識している、などと言われて再び緊張が全身に走った。

 そんな僕に輝夜さんは楽しそうに、嬉しそうにくすくすと笑うばかり。

 くそう、完全にからかわれてしまっているではないか。

 だが反撃などできない、顔が赤くなっているであろう状態でそんな事をしてもこちらが火傷するのは目に見えているのだから。

 

「ナナシを連れてきてよかった、男の人と一緒に居て楽しいと思えるのなんて初めてだもの」

「それは、楽しい玩具的な意味でですか?」

 

 ささやかな反抗とばかりに悪態を吐く僕に、輝夜さんは変わらない笑みのまま首を横に振って否定する。

 その動作一つ一つが一々意識させてくるものだから、せっかく落ち着いてきた心臓がまた速まっていった。

 

「都で暮らしていた頃は、みんな私の美しさだけを見ていたけど、ナナシは私の心をちゃんと見てくれてる。

 もちろん永琳やイナバも私の内面を見てくれているけど、男の人でそうしてくれたのはナナシが初めてなのよ?」

 

 だから嬉しいと、言葉を裏付けるような優しい笑みを浮かべ輝夜さんは言った。

 優しい返答に悪態を吐いた自分が恥ずかしくなった、別の意味で顔を赤くさせる僕の頭を輝夜さんはあやすように撫で始める。

 突然の行動に驚いたものの、気恥ずかしさよりも心地良さが増したのでおとなしく撫でられる事にした。

 

「……まあ、私があなたの事を気に入ったのは……そうならざるをえなかったからというのもあるでしょうけどね」

「えっ?」

「なんでもないわ」

 

 輝夜さんの手が、頭から離れる。

 名残惜しいと思ってしまい、開きかけた口を慌てて閉じた。

 

「ふふっ、もっと撫でてほしかった?」

「っ、そんな事ないですよ」

 

 すぐさま否定するが、輝夜さんは僕の心中などお見通しとばかりにくすくすと笑うばかり。

 くっ、人生経験の差があるとはいえこうまで一方的だとやはり悔しい。

 

 見てろ、いつかは反撃してやるからなーと、口には出せないので心の中で反論を返す。

 しかし再び手を握られ、そんな決意など綺麗さっぱり消えてしまった。

 ……駄目だ、これは当分どころか永遠に勝てそうにないと勝手に敗北感を味わっていると。

 

「っ」

 

 風が吹いた。

 それなりに強かったから、おもわず空いている手で顔を覆い視界を遮ってしまう。

 風自体はすぐに止んでくれたので、僕は視界を遮る手を退かして。

 

「え――――」

 

 僕達を囲むように立っている、複数の存在に気がついた。

 

「あら、白狼天狗じゃないの」

「白狼天狗……!」

 

 輝夜さんの呟きを聞いて、おもわず身構えた。

 白い獣の耳と尻尾を持つ、天狗という種族の中では下っ端に分類するのが白狼天狗だ。

 主に山の哨戒を任としており、妖怪としての力は天狗にしては弱い部類だとルーミアは言っていた。

 

 だが、僕のような人間にとっては脅威以外の何者でもなく、しかも五人という人数で囲まれてしまえば完全に詰み状態だ。

 おまけに相手側の視線には、僕達に対する警戒と敵対心が露わになるほどに込められている、歓迎などされていないのは明白だった。

 

「――この山に何の用だ?」

 

 その中のリーダー格なのか、大柄の男性天狗が威圧感を込めてこちらに問いかけてきた。

 ……声を聞くだけで身体が僅かに震える、けれど輝夜さんは微塵も動じずに僕を守るように一歩前に出て問いかけに答えを返した。

 

「この山で暮らしている秋の神様に会おうと思っているの、あなた達の邪魔はなんてするつもりはないから通してくれる?」

 

 こちらに敵意はないと友好的な意志を込めて輝夜さんはそう返すが、周りの白狼天狗達の険しい表情と雰囲気は変わらない。

 

「早々に立ち去れ。今なら見なかった事にしてやる」

「山を穢す事もしないし資源を奪いに来たわけでもないのよ?」

「最後の忠告だ。これ以上進むのならば、相応の覚悟をしてもらう事になる」

 

 聞く耳持たずとは、この事か。

 こちらの意見など完全に無視し、あくまでも去るように促すその姿は、正直不快な気分にさせるものだった。

 余所者には厳しいとルーミアは言っていたけど、想像以上だ。

 

 けれどここで事を荒げるのは得策ではない、現に白狼天狗達の敵意は殺気に変わりつつある。

 本当にこれ以上山の奥に進もうとすれば、彼等は容赦なくその手に持つ太刀で僕達を斬り捨てるだろう。

 

「輝夜さん、帰りましょう」

 

 震える足を動かして彼女に近づき、上記の言葉を告げるが。

 

「そうね、私もそう思ったけど……彼等の態度が気に入らないから気が変わっちゃった」

 

 怒っているような強い口調で、真っ向から彼等と敵対する言葉を言い放った。

 

 瞬間、白狼天狗達の纏う空気が一変する。

 変わりつつあった敵意は完全に此方に対する殺気に変わり、全員が手に持っている太刀を構え始めてしまった。

 っ、拙い……! このままじゃ怪我程度で済まない事態に発展するぞ……!

 

「最近運動不足だったから丁度良いわ、相手してあげる。

 ――けど、ナナシに手を出したら五体満足で居られなくなるから、注意なさいな?」

 

 ああ、もう、どうしてそうも喧嘩を売るんですか輝夜さんはっ。

 とにかく逃げなくては、握ったままの手に力を込めてその場から全力で駆け出そうと足に力を込め。

 

――大きな揺れが、山全体に響き渡った。

 

「っ、チィ……こんな麓の方まで降りてきたのか……!」

 

 白狼天狗の1人が、苛立ちと焦りを含んだ悪態を放つ。

 大きな揺れはすぐに収まったが、すぐに小さな揺れを感じ取りそれがだんだんと大きくなっている。

 地震ではない、これは何か大きな物体が猛スピードで移動を続けているような揺れだ。

 

 先程とは別の緊張感に襲われる。

 小さな揺れがだんだんと大きくなっているという事は、その正体がこちらに近づいているという事に他ならない。

 しかも白狼天狗達の様子を見るに、この山に住まう者達にとっても脅威だという事だ……!

 

「輝夜さん!!」

 

 すぐにこの場から離れようと、彼女に声を掛ける。

 だが遅い、揺れの大きさは最高潮に達し。

 

――異形の生物が、複数の大木を薙ぎ払いながら僕達の前に姿を現した。

 

「なっ、ん……!?」

 

 現れたソレを見て、言葉を失った。

 まるで小さな山のような大きさを誇るソレは――百足の妖怪であった。

 赤黒い身体に百は優に超える数の足、百足をそのまま巨大化させたようなソレは、ビリビリと空気を震わせるような奇声を放っている。

 

 ある意味で正しく妖怪らしいその姿は恐ろしくも醜悪で、おもわず顔を背けたくなった。

 だが逸らせない、そんな事をすればたちまちあの妖怪は奇声を放つ口を大きく開き僕を容易く丸呑みにするだろう。

 漠然と理解できた、あれは傍にあるものならばなんでも喰らい尽くす怪物だ。

 人ではない存在と出会い知り合えたからか、異形の存在を比較的冷静に観る事ができていた。

 

「隊長、どうしますか……!?」

「とにかくあれを止めるぞ!!」

「この者達は」

「今は放っておけ!! アレを止めるのが先だ!!」

 

 白狼天狗達の意識が完全にこちらからあの妖怪へと向けられる。

 こちらとしても好都合な展開だ、今の隙に輝夜さんを連れて山を降りる事が――

 

「…………」

 

 山を降りる? このまま、アレを放っておくというのか?

 そんな考えが脳裏に浮かび、動かそうとした足が止まった。

 あの怪物を放っておけば、沢山の犠牲が出る可能性が出てくる。

 

 いや、もう既に犠牲者は出ているのかもしれない。

 だってあの妖怪の身体の至る所に、体液であろう緑色の液体だけでなく。

 他の生物のであろう、赤い液体が付着しているのだから。

 

「――――っ」

 

 それを視界に入れた瞬間、どうしようもなく腹が立った。

 あの妖怪の所業が許せなくて、逃げる事なんて忘れてしまった。

 

 生きる為の食事ならば誰も非難する権利はない、人間だって他者の命を奪って糧にする。

 けどアレは違う、空腹でなくとも見えるもの感じるもの全てを喰らい、蹂躙し、命を奪う存在だ。

 そんなものを野放しにはしておけない、しておけないが……。

 

「くっ……!」

 

 僕には戦う力などない、妖怪に出会ったら喰われるだけの非力な人間だ。

 咲夜さんから譲ってもらったナイフがあるが、それで太刀打ちできる相手ではない。

 何もできない、僕に出来ることなど何もない。

 悔しくて唇を噛み締める、手は握り拳を作り憎々しげに妖怪を睨み付けた。

 

「あっ、ぐ……うあぁぁっ!!」

「っ!?」

 

 白狼天狗の1人が、相手の身体に巻き付かれ拘束された。

 ギシギシという音がここまで聞こえるほどに強く締め付けられており、苦しげな声を上げながら血を吐き出している。

 他の白狼天狗達はすぐに仲間を助けようとするが、まるで触手のように蠢く足に襲われそれも叶わない。

 

 ……殺される、あのままではあの天狗は間違いなく殺される。

 助けようと、助けなければならないと当たり前のように思い、駆け寄ろうとする僕を。

 

「待った。ナナシじゃ助けられないわよ?」

 

 輝夜さんが、掴んだままの僕の手に力を込めて引き寄せてしまった。

 

「輝夜さん、放してください」

「正気? ナナシだって死にたいわけじゃないのに、どうしてそんな自殺行為に等しい事をしようとするの?」

「あのままじゃ死んでしまいます、助けないと!!」

「さっきまで自分を殺そうとしていた相手を助けるの?」

 

 本気で理解できないと、輝夜さんは視線で訴えてくる。

 わかっている、彼女の言っている事は正しいし理解できないのも当然だ。

 あの妖怪がこの場に出てこなければ、あのまま僕は白狼天狗達に襲われていた。

 それなのにそんな相手を助けようとする、その行動はあまりにも馬鹿馬鹿しく理解できないものに映るのは当然と言えよう。 

 

 でも、それでも。

 目の前で命が失われようとしているのを見て、何もしないなんて選択は選べなかった。

 

「……理屈じゃないのね。助けたいというあなたの想いは」

 

 そう言って、輝夜さんは何か眩いものを見るような視線を僕に向け、懐から何かを取り出した。

 それは、宝玉のような七色の実が取り付けられた、枝だった。

 身の一つ一つがこの世のものとは思えぬ美しさを放ち、どんな芸術品すらこの枝の前では霞んでしまうだろう。

 けれどそれ以上に、枝から溢れ出しそうになっている凄まじい力の波に言葉を失った。

 

「大事な家族の願いは、できる限り叶えてあげないとね」

 

 僕から手を放し、一歩前に出て枝を構える輝夜さん。

 瞬間、七色の実が輝きを見せ始めうねりを上げていく。

 狙うは前方で暴れまわっている百足の妖怪一点のみ、そして実の輝きが臨界に達すると同時に。

 

「――蓬莱の玉の枝、夢色の郷」

 

 力ある言葉を解き放ち、神宝を横一文字に振るい放った。

 刹那、虹色の光が実から撃ち放たれる。

 

「うわっ!?」

 

 吹き荒れる風に、両足に力を込める事で吹き飛ばされるのを防いだ。

 その間にも光は真っ直ぐ百足の妖怪へと向かっていき、途中で虹の光弾へと姿を変える。

 

「…………」

 

 極光の輝きを見せるそれを見て、心底見惚れてしまった。

 目を奪われるとはまさにこの事か、息苦しさすら感じる風の中でその輝きだけを視界に収める。

 時間にして数秒もなかっただろう、けれど僕にとってこの瞬間は無限にも感じられた。

 

 虹の極光が着弾する。

 それと同時に一気に光が爆発するように広がり、全てを白一色に染め上げた。

 それで終わり、輝夜さんが放ったあの光は触れる物全てを例外なく消し飛ばす光だ。

 その直撃を受けてしまえば、どんな強固な装甲を纏おうが紙切れのように吹き飛ばす。

 

 そうして、光の世界が消え去った時には。

 静寂が訪れ、百足の妖怪は初めから居なかったかのように跡形もなく消滅していた。

 

「…………凄い」

 

 自然と、そんな呟きが零れた。

 混乱してしまっているのか、その場に立ち尽くす事しかできず、それはあの光に巻き込まれても傷1つなかった白狼天狗達も同じであった。

 

「うっ、うぅ……」

「っ」

 

 苦しげな声で、我に返った。

 そうだ、脅威となるあの妖怪が消えたとしても怪我人が居る。

 既に仲間の白狼天狗達が駆け寄っているが、全員が表情を凍り付かせていた。

 嫌な予感が頭によぎる、そしてそれは。

 

「――間に合わなかったみたいね。あの白狼天狗……もう永くないわ」

 

 輝夜さんの言葉で、単なる予感ではないと思い知らされてしまった。

 

「…………」

「仕方がないわ。如何に肉体が人間に比べて強固だとしても死なないわけではないもの、寧ろひしゃげずに原型を留めているだけ流石天狗と言うべきかしらね」

 

 あくまでの冷静に、輝夜さんは事実だけを口にする。

 すぐ隣に居る筈の声が、上手く聞き取れない。

 

 ……間に合わない、それを受け入れるわけにはいかなかった。

 認めるわけにはいかない、だって今にも消えてしまいそうな命を前にして、泣いている人達が居る。

 妖怪でも、失われる命を悲しむ心は持っていると知っているから。

 

――だから、何もしないまま諦めるわけにはいかない!!

 

 地を蹴って走り出し、もう虫の息になっている白狼天狗へと駆け寄った。

 掠れた吐息、病的なまでに青白く変色した肌、締め付けられてあらぬ方向に折れ曲がった腕や足。

 もうすぐ命の灯火が消えそうになっている姿は、直視できないほどに痛々しい。

 

「何をするつもりだ、貴様!!」

「黙って!! 集中できない!!」

 

 怒鳴る白狼天狗を一喝しながら、目を閉じ意識を集中させる。

 ――僕の中に眠る力は、“癒し”の力だ。

 フランとの件でそこに辿り着いた今ならば、この力を使えるかもしれない。

 

 否、何が何でも今ここで使えるようにならなければならない。

 それが叶わなければ目の前で苦しげな息を吐くこの子を、白狼天狗の()()を救えない。

 何年何十年生きているかは判らないけれど、見た目はまだ幼さすら残るこの少女を、何としても救いたいと願った。

 

 できる筈だ、一度は使えたこの力を今使えないでいつ使うのか。

 自身の内側に手を伸ばす、己の精神に無我夢中で語りかける。

 

「っ、ぐ……うっ」

 

 鈍器で殴られたような激痛が、脳を痛めつける。

 これは警告だ、これから扱う力はナナシという存在にとって不相応の力、使うのは危険だと訴える警告だった。

 ……その警告を無視し、更に手を伸ばした。

 

「あ、う、ぐ……」

 

 頭痛が酷くなっていく、痛みは際限なく増していきじわじわと全身にまで広がっていくようだ。

 だが耐える、助けたいという一心だけで歯を食いしばって耐え続けて……脳裏に、光が見えた。

 それはあの時と同じ光、身体に刻まれた光だと認識した時には。

 

「な、何だ!?」

「…………」

 

 僕の両手には、黄金の光が浮かび上がっていた。

 ……身体が熱い、全身に焼けた鉄を押し付けられているようだ。

 その熱は強い痛みと不快感を招き、身体を掻き毟ってやりたい衝動に襲われる。

 

「あとは、これを……」

 

 余計な事を考えるな、今はこの光をこの子に与えるんだ。

 両手に宿った光を譲り渡すように、腕を伸ばして白狼天狗の少女の額に乗せる。

 僕の意志に応え、黄金の光は手から離れ少女の身体を包み込んだ。

 光はゆっくりと沈み込むように少女の中へと消え、完全に無くなった時には。

 

「こ、これは……!?」

 

 少女の吐息は穏やかなものになり、身体中に刻まれていた痛々しい傷痕も折れ曲がった部位も全て元に戻ってくれていた。

 成功した、これ以上ないってくらいに上手くいってくれた。

 思わず自分自身の褒めたくなる結果に口元を綻ばせ、ついつい全身の力を抜いてしまい。

 

「っ、いっ、ぎ……!?」

 

 油断した身体に、特大の痛みが一斉に押し寄せ。

 我慢する事などできずに、視界が暗転し意識を失ってしまった……。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

1月24日② ~癒しの力~

輝夜さんに連れられて、妖怪の山に行く事になってしまった。
案の定、そこに住まう天狗達に囲まれ絶体絶命の事態に陥ったが、突如現れた巨大な妖怪によって1人の天狗の女の子が重傷を負ってしまう。

放っておく事なんてできなくて、僕は自らの力を用いて治療をしたのだが……そのまま意識を失ってしまったのだった。


 ……後頭部に、柔らかい感触がした。

 それに頭を誰かに撫でられている? 一体これは……。

 

「あ、目が醒めた?」

「…………はい?」

 

 視界に広がる、どこか安堵したような笑みを浮かべる輝夜さんの顔。

 起きたばかりなせいか、暫し彼女と見つめ合うこと暫し。

 

「――うわあっ!?」

「あら」

 

 自分が輝夜さんに膝枕してもらっている事に気がついて、慌てて跳び起き彼女から離れた。

 

「っ、いっ……」

 

 ぐらりと視界が揺れる、頭痛も押し寄せおもわず顔をしかめた。

 ……ここはどこだ? それに僕は今まで何をしていたのか。

 ズキズキとする頭を押さえつつ記憶を遡り……気を失う前の事を思い出し顔を上げた。

 

「そうだ、あの白狼天狗の女の子は……!」

「はいはい、とりあえず一旦落ち着いて、ね?」

 

 ぽんぽんと、あやすように輝夜さんに頭を撫でられ、彼女の言う通り一旦落ち着く事に。

 そういえばここは何処なのだろうか、周囲を見回すとよくわからない機械が色々乱雑に置かれている小屋の中に居る事に気がついた。

 倉庫か何かなのだろう、でもどうして幻想郷に機械があるのか。

 外の世界とは違い、この幻想郷には機械類は殆ど存在しないと聞かされているので、この小屋は不可解な場所であった。

 

「輝夜さん、僕達は一体……」

「あの天狗をあなたが助けた後、私達は天狗達に拉致られて河童の住処に連れて来られちゃったのよ」

「ら、拉致!?」

 

 にこやかな笑顔でなにとんでもない事を言っているんだこのお姫様は。

 拙い、こんな事態を招いた事が八意先生の耳に入ったら、多分僕の命は無い。

 あの人は輝夜さんに対して少々……いやかなり過保護な面がある、それはもう鈴仙さんに影で「親馬鹿」と呟かれるくらいに。

 ……嫌な汗が出てきた、そんな僕の様子に気がついたのか輝夜さんは苦笑を浮かべる。

 

「真に受けすぎよナナシ、半分は冗談なんだから」

「……半分は?」

「そもそも私が天狗なんかに遅れを取るわけないじゃないの、ただ倒れたあなたを休ませてあげたかったからおとなしくしていただけよ」

 

 だからこれ以上ここに居るつもりはないと、輝夜さんは立ち上がり倉庫の扉を開いた。

 外に出る輝夜さんの後を追い僕も外に出て……目の前に広がる光景に、目を見開いたまま固まってしまった。

 

――最初に理解できたのは、鼻腔に突き刺さるような血の匂い。

 

 大きめの湖を取り囲むように、木製の小屋が連なりよく見ると湖の中にも建物が見える河童の住処は、地獄に変化していた。

 焦燥と悲痛を織り交ぜた声があちらこちらから響き渡り、川原に敷かれた巨大な布の上には多くの天狗達が並べられている。

 その殆どが目を背けたくなるような裂傷に苛まれ、苦しげに表情をしかめながらこの地獄が終わってくれる事だけを願っていた。

 

「…………これ、は」

「さっき消滅させた妖怪の事は覚えてる? あれ……どうやら一匹だけじゃなかったみたいなの。

 この山のあちこちに現れて、天狗達がその討伐に駆られたんですって」

「それで、こんなに怪我人が……」

 

 見る限りでも数十人、それにここが河童達の住処だと考えると怪我人はもっと多いだろう。

 茫然と立ち尽くす僕に、輝夜さんはあくまで調子を崩さないまま。

 

「さあ、帰るわよナナシ」

 

 そんな、よくわからない事を言ってきた。

 

「こんな様子じゃ残念だけど、今夜の夕食の材料は確保できそうにないもの」

「この惨劇を、放っておくんですか!?」

 

 おもわず、声を荒げてしまった。

 けど輝夜さんの発言には、納得ができない。

 今この瞬間、目の前で多くの天狗達が苦しんでいるというのに、何もせずに立ち去れと言われ納得できるわけがなかった。

 

「……あなたが優しいのは知っているけど、じゃあどうするというの?

 永琳やイナバじゃあるまいし、私にも貴方にも薬の知識なんて存在しないし材料だって無い。

 それにさっき天狗達に襲われそうになったのを忘れたの?」

「それ、は……」

 

 冷静に、淡々と、輝夜さんは食い掛かった僕を諭すように正論を並べる。

 彼女の言っている事は正しい、これ以上僕達がここに居た所でできる事など……。

 

「…………」

 

 いや、それは違う。

 確かに僕には傷を治す薬の知識など無い、あくまで八意先生や鈴仙さんの手伝いくらいしかできない。

 だけど、この身には普通の人間には決して宿らない力がある。

 

「よしなさい、ナナシ」

 

 これから僕が何をしようとしているのか、何を考えているのか。

 全て判った上でそう言い放つ輝夜さんの声が、妙に頭に響き渡る。

 

「さっき倒れたのをもう忘れたの?

 ここで何もしなくとも、貴方に責は無い。これだけの数に対してさっきの力を使えば、意識を失うだけでは済まなくなるわ」

 

 またしても、輝夜さんは正論だけを口にする。

 あの力は僕にとって分不相応、たった1人でも意識を失ったのに、数十という数に使おうとすれば肉体ではなく精神が焼き切れるのは目に見えていた。

 先程体験したあの痛みを思い出すだけでも、身体が震える。

 それだけで決意が揺らぎそうになる、けれど。

 

「……すみません、輝夜さん」

「…………」

「痛いのも苦しいのも嫌だけど……それ以上に、何もしないで見て見ぬ振りをする方が嫌だから」

 

 頭を下げ、その場から駆け出す。

 あの力の正体は判らないけれど、正しい使い方は理解できている。

 そして、この地獄を皆が乗り越えられるようにする事こそ、僕の思う正しい使い方だと思ったから。

 

「すみません!!」

「えっ? ――あっ、君は確か竹林のお姫様と一緒に居た」

 

 忙しなく動き回っている1人を、強引に呼び止める。

 青髪を左右2つに束ね、水色の上着と緑のキャスケットを身につけた小柄な少女は、僕を見て驚きつつもどこか安堵したような表情を浮かべていた。

 

「僕にも手伝わせてください!!」

「え、だけど……君には関係ない事なんだよ? 気持ちは嬉しいけどさ……」

「いえ、このまま何もしないなんてしたくないんです。それに僕には傷を治す力があります!!」

「傷を治すって……じゃあ、天狗様が言っていたように“椛”の傷を治してくれたのは君だったの?」

 

 椛、という名前には聞き覚えはなかったが、すぐに先程の天狗の少女だと理解し、頷きを返す。

 すると女の子は少しだけ考えるような仕草をした後。

 

「――いいよ。でも一応変な事をしないか見張らせてもらうから」

 

 妥協するようにそう言って、僕の申し出を受け入れてくれた。

 勿論と僕は頷き、その少女についていく。

 

「時間がないから名前だけ名乗っておくね、私は河童の河城(かわしろ)にとりっていうの」

「僕はナナシです、河城さん」

「にとりでいいよ」

 

 河童の女の子、にとりさんについていった先は……簡易性の医療所であった。

 川原と同じように多くの天狗や妖怪達が並べられ寝かされているが、その身に刻まれた傷はより重く痛々しいものだ。

 おそらくここは特に重傷を負った妖怪達が運ばれてくる場所なのだろう、場に漂う血の臭いが身体を震わせる。

 

「……大丈夫?」

「っ、だ、大丈夫です!!」

 

 臆してる場合じゃない、ここに来た理由を思い出すんだ。

 一度目を閉じ、意識を内側へと押し込む。

 思考をクリアにさせてから、僕は重傷者の1人の前に座り込んだ。

 

 見るも無惨な、人間であるのならば死を待つばかりの出血と傷が視界に映る。

 改めて妖怪の強靭な生命力に戦慄すら覚えながら、僕は“力”を開放していった。

 つい先程も使用した恩恵か、多少の精神集中で内側に宿る光へと到達し手を伸ばす。

 

「……光?」

 

 隣で僕を見張るにとりさんの声を何処か遠くから聞きながら、両手に宿った光を重傷者へと手渡すように開放する。

 黄金の光は重傷者の身体を覆うように光り輝き――少しずつけれど確実に、刻まれた傷を治していった。

 いや、これはもう治療というよりも復元に近いかもしれない、自分の指が容易く埋め込めそうな裂傷すら映像の逆再生を見るかのように戻っていくのだから。

 

「――――ふぅ」

 

 気がつくと、全身がぐっしょりと汗で濡れていた。

 同時に脱力感と頭痛に苛まれるが、さっきのように気絶しないだけマシだというものだ。

 どうやら相手の傷の深さによって力を使った時の反動も変わるらしい、これならまだ……。

 

「っ、あ、ぐ……」

 

 少し油断した僕に対する戒めなのか、頭痛が一気に酷くなった。

 おもわずうずくまりそうになるのを堪えながら、視線をにとりさんに向けると。

 

「ちょ、ちょっと! 酷い顔色だよ!?」

 

 よほど酷いのか、血相を変えて心配されてしまった。

 

「大丈夫、です……それよ、り、次の、人を……」

 

 口が上手く動かせない、それでもどうにか立ち上がって隣に横たわる次の重傷者の元へと向かった。

 大丈夫だ、まだ意識はあるし感覚だって残っている。

 今の自分にできる事を、まだ理解に至っていないこの力を使って助けられる命を助ける事がやるべき事だ。

 

「ふぅぅぅぅ……」

 

 強引に痛む身体を落ち着かせながら、次々に怪我人に力を注ぎ込んでいった。

 2人、3人……10人を超え、しかしまだ終わりは見えない。

 

「も、もういいよ。やめなって!!」

「えっ……?」

 

 突然のにとりさんからの制止の声に、手が止まった。

 視線を向けると、何故か彼女は何か得体の知れないものを見るような目で僕を見つめていた。

 どうして彼女は僕をそんな目で見るのか判らず、呆けた目を向けてしまう。

 

「君、今自分がどんな顔になっているか判ってるの? 今にも死にそうなくらいに顔色が悪くなってるし、もうやめなって!!」

「…………」

 

 成る程、どうやら想像以上に酷い顔になっているらしい。

 使えば身を滅ぼすのは判っていた、だから輝夜さんだってわざわざ止めてきた。

 

――それが、どうしたというのか。

 

 辛いのも苦しいのも、初めから理解していた。

 それでもこの力を使いたいと思ったのなら、最後までその意地を貫かなければ。

 くだらない意地でも、無謀な考えでも、関係ない。

 

「……ありがとうございます、にとりさん」

「ナナシ……?」

 

 僕のようなただの人間が、こんな力を持っているのには何か意味がある筈だ。

 それが何なのかはまだ判らないけれど、今ここで苦しんでいる妖怪達を助ける事は、きっと正しい使い方だと思ったから。

 だから、途中で投げ出す事も諦める事もしたくない……!!

 

「は、ぁ……」

 

 大丈夫、大丈夫だと己に言い聞かせていく。

 思い込みの力もなかなか侮れないのか、そう思うと少しだけ身体の痛みが和らいでくれたような気がした。

 

「よしっ……」

 

 この思い込みがどこまで続くか判らない以上、急がなければ。

 再び精神を内側へと沈ませ、治療を再開した。

 

 ■

 

「――こうして、ナナシの力によって妖怪達に犠牲者は出なかったのでした、めでたしめでたし!!」

「ほえー……」

「へー……」

 

 楽しげに話を締めくくる輝夜さんに、鈴仙さんは驚きてゐさんは珍しく感心したような声を放つ。

 ……妖怪の山の一件を終え、色々と根掘り葉掘り聴かれる前に永遠亭に帰ってきた僕達だったのだが。

 

「……どこへ、行っていたのかしら?」

 

 入口で仁王立ちをしながら、それはもう色々な意味で目を逸らせない笑顔を貼り付けた八意先生とエンカウントしてしまった。

 その迫力に圧され、事の顛末を話した結果――僕と輝夜さんは揃って正座させられ八意先生からガミガミとお説教を受ける羽目となってしまう。

 まあ、妖怪の山という人間の僕にとっては危険地帯に足を踏み入れただけでなく、力を多用したのだから八意先生が怒るのも当然だ。

 

 で、足が痺れた動けなくなった僕を尻目に、輝夜さんは鈴仙さん達に今回の件を面白おかしくまるで絵本を読むかのように話し始め現在に至る。

 かなり脚色して、僕がヒーローのような扱いをするものだから少し恥ずかしい。

 

「ナナシさんの力って、本当に凄いんですね……」

「いや、無我夢中でしたし1人を治療する度に疲労困憊になりましたから……」

 

 今だって深刻ではないものの、頭痛はするし身体の節々が痛んでいる。

 ……だけど、解せない点が1つあった。

 結局、僕が力を用いて治療した数は全部で48人、でもその全ての治療が終わった後も……僕は意識を保っていられた。

 勿論唸りたくなるくらいの痛みは全身から響き渡っていたし、気を失っていた方がマシだとも思ったけど、どうにか耐えられるレベルだった。

 

「ナナシ、どうしたの?」

「あ、いえ……自分で言うのも何ですけど、よく気絶せずに治療が続けられたなって」

「ああ、そんなの簡単よ。だって私の能力で貴方へと掛かる負担を遅くしたんだから」

「……えっ?」

 

 あっけらかんと、輝夜さんはよくわからない事を言い出してきたので、おもわず彼女を凝視してしまう。

 

「今だってそうよ、私の能力を用いて貴方に襲い掛かっている負担を少しずつ遅らせて日常生活を送れるようにしているの。

 まあ暫くはその痛みや軽い眩暈に襲われるけど、そうしなかったら貴方の身体は負担に耐え切れずに壊れてしまうだろうから我慢して頂戴ね?」

 

 聞き捨てならない事を平然と言い放つ輝夜さんに、開いた口が塞がらなかった。

 いや、壊れるってそんな簡単に……。

 

「それだけの力なのよ、ナナシが用いた力は。

 人間の肉体や精神程度では決して宿ってはいけない異端の力、それをちゃんと理解しないといつか本当に壊れてしまうわ」

「…………」

 

 初めて見せる、厳しい表情で放つ輝夜さんの言葉を聞いて、何も言えなくなってしまった。

 輝夜さんは本気で僕の身を案じ、この身に宿る力の危険性を理解しているからこそ、僕に警告を促している。

 

 ――今の言葉は、決して忘れてはならない。

 忘れるなと、己の心に深く深く刻み込んだ。

 

「はい、そこまでにしておきなさい輝夜」

「そうですよ姫様、夕ごはんにしましょう!」

 

 そう言って、八意先生と鈴仙さんは輝夜さんのリクエストだった鍋を持ってきた。

 中身はかぼちゃをメインに謝礼としてにとりさん達から貰った沢山の野菜をふんだんに使ったほうとう鍋。

 肉や魚は入っていないけれど、身体だけでなく心を温めてくれるような鍋に、ごくりと喉が鳴った。

 

「美味しそう!」

「質の良い野菜を用いたから美味しいわよ、これもナナシのおかげね」

「そんな事ないですよ、輝夜さんが協力してくれたからで……」

「謙遜する必要なんかないわよナナシ、貴方はもっと自分の自身を持ちなさいな」

 

 そう言って輝夜さんはにっこりと微笑み、褒めるように僕の頭を撫でてきた。

 ……この上なく恥ずかしい、八意先生達はこっちを見てニヤニヤしてるし、輝夜さんはそれに気づいているのかますます笑みを深めていく。

 ええいっ、僕を玩具にするのはやめたまえっ。

 

「な、鍋が煮詰まるから食べましょうそうしましょう!!」

「そうね。じゃあ永琳達は先に食べてていいわよ、私はもう少しナナシを困らせ……もとい、愛でるから」

「ちょっと、輝夜さん!?」

 

 抗議の声を上げる僕を完全に無視し、輝夜さんは尚も僕の頭を撫で回してくる。

 完全に愛玩動物のそれである、僕は犬か何かなのだろうか。

 八意先生達は既に意識を鍋に向けながら楽しく談笑しているし、助けてくれないんですかそうですか。

 

「ナナシは可愛いわねー、こんなに初々しい反応は初めて見るわ」

「……悪かったですね、どうせ僕は女の子に慣れてない男ですよ」

 

 せめてもの反撃にと、悪態を返してみる。

 すると、輝夜さんは急に撫でるのをやめたと思ったら。

 

「――なら、女の子に慣れてみる?」

 

 素早く僕の首の後ろに両手を回し、だんだんと顔を近づけて……。

 

「こらっ」

「あいたっ」

 

 良い音を響かせながら、八意先生の放った手刀が輝夜さんの頭部へと叩き込まれた。

 僕から離れ頭を両手で押さえながらうずくまる輝夜さん、助かった……。

 

「悪戯が過ぎるわよ輝夜、からかうのはいいけど行き過ぎは駄目」

「……いや、からかう事自体を止めてほしいんですけど」

 

 永遠亭での僕の立場がどんなものなのか、なんとなーく悟れた瞬間であった。

 

「だって本当に可愛いんですもの。永琳だって私と同じ気持ちでしょ?」

「…………」

「八意先生、なんで黙るんですか?」

 

 この態度は、好かれていると好意的に解釈するべきなのだろうか。

 少なくとも嫌われてはいないようだけど、素直に喜べない。

 

「ナナシさん、一々気にしていたらここじゃ生活できないですから……」

 

 やけに説得力のある言葉を放ちながら、僕に鍋の具が入った器を手渡してくれる鈴仙さん。

 ……もういいや、鈴仙さんの言う通り深く考えても無駄な気がしたから。

 そう自分に言い聞かせ、僕は夕ごはんを食べ始めたのだった。

 

 うん、美味しい。

 

 ■

 

 美味しい食事を終え、入浴を済ませると、時刻は夜の九時を過ぎていた。

 身体に走る痛みはまだ続いているものの、輝夜さんの能力とやらの恩恵か殆ど気にならない。

 軽い筋肉痛程度まで抑えられているのだから、在り難いものである。

 

「…………ふぅ」

 

 けれど痛みの代わりに、身体の奥底から湧き上がるような熱を感じ、中庭へと赴いた。

 冬の空は星空で埋め尽くされ、その輝きはずっと見ていても飽きを見せないものであった。

 

「……この熱も、能力の反動なのかな」

 

 使えば身を滅ぼす力、それが僕の持つ“癒し”の力。

 まだ全容は判っていないけど、あまりほいほいと使用していいものではない事だけはあの痛みで理解できている。

 

 ……だけど、もしもの話だけど。

 これから先に、今回のような悲惨な光景を前にして、僕は使わないという選択肢を選ぶのだろうか。

 そんな出来事に遭遇する度に、あの苦しみを味わいながらも僕は見知らぬ誰かを助けていくのだろうか?

 

 そんな事を繰り返し考えていると。

 廊下の方から、足音が聞こえてきた気がして身体と意識をそちらに向ける。

 

「眠れないの?」

 

 そう言いながら現れたのは、いつもの服ではなく薄い水色の着物を身につけた八意先生であった。

 纏めている銀髪は解かれており、普段とは違うその姿におもわず言葉を失ってしまった。

 沈黙する僕に、八意先生は僅かに口元を歪ませる。

 笑みとは違うその表情に、また別の意味で何て声を掛けていいのかわからなくなった。

 

「今日は本当にお疲れ様、輝夜の面倒を見てくれて助かったわ」

「いえ、そんな……というより、僕が輝夜さんに面倒を見て貰ったと言った方が正しいですよ」

「ふふっ、ならそういう事にしておくわ」

 

 何が可笑しいのか、くすくすと笑う八意先生に首を傾げる。

 それはからかいの意味が込められたものではなく、暖かみのある親愛と感謝を込めたものだった。

 と、八意先生は急に笑みを引っ込めたかと思ったら、真剣な表情で僕に視線を向ける。

 

「……判ってはいると思うけど、もうその力は使わない方がいいわ」

「…………」

 

 八意先生の警告に、僕は反応を返せなかった。

 正しいのは八意先生の方だし、僕だってあんな思いは金輪際味わいたくない。

 だというのに、肯定も否定もできないとはどういう事なのか。

 

「自己犠牲は何も生まない、何も残せない。あなたが力を使って苦しめば私は……私達は心配するわ」

「……すみません」

「謝る必要なんかないの。でも今の言葉だけは覚えておいてね?」

 

 優しく諭すような彼女の言葉を、ゆっくりと咀嚼するように心の中に埋め込んでいった。

 そうして数分、僕も八意先生も無言のまま視線を交わし続ける。

 向けられる視線はただ優しく、母性溢れる暖かいものだった。

 その優しさに報いたい、自然とそう思える視線に僕は気がついたら。

 

「八意先生」

「何かしら?」

「この力を、自由に扱える方法はありますか?」

 

 気がついたら、そんな言葉を口にしていた。

 

「…………」

 

 八意先生は答えない。

 けれど僕が上記の問いかけを放つのを判っていたように、苦笑を零してから改めて僕の問いに答えを返してくれた。

 

「無理よ。あなたが人間で無くならない限り、いいえ……人間でなくなってもその力を自由に扱える事なんてできないわ」

 

 はっきりと、八意先生はその場凌ぎの嘘など混ぜずに現実を口にする。

 自分自身予想はしていたのか落胆は少ないものの、望んでいない答えについ溜め息を吐いてしまう。

 

「ナナシ、あなたは普通に生きればいいの。そんな力が無くたってあなたは私達永遠亭の一員で家族のようなものなのだから」

「……ありがとう、ございます」

 

 その言葉にも、嘘偽りはないだろう。

 それが凄く嬉しくて、口元に浮かぶ笑みが抑えられない。

 だけど、心のどこかでその言葉を完全に受け入れられないでいた。

 

 嫌なわけじゃない、身寄りのない僕を助けてくれただけでなく面倒を見てくれている永遠亭のみんなには感謝が耐えない。

 僕が受け入れられないのは、その言葉に甘える自分自身だ。

 何もできないままではいられない、僕は僕にしかできない事を探さなくてはいけない。

 そう思うからこそ、僕はこの力を……まだよく理解し切れていないこの力を、自由に扱いたいと願っていた。

 

「明日も仕事があるのだから、もう寝なさい」

「はい、おやすみなさい。八意先生」

 

 おやすみ、そう言って八意先生は自室へと戻っていく。

 その後ろ姿を見送ってから、僕は再び冬の空を見上げた。

 

「……僕は、何ができるんだろう」

 

 ぽつりと零した呟きは、すぐに空へと消えていった。

 答えは出せず、僕はそのまま部屋へと戻り明日に備えて眠りに就く。

 

 

 いつかは、さっきの言葉の答えが見つかりますようにと祈りながら……。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

1月28日 ~友達作り~

妖怪の山での一件は無事というわけではないけど解決した。
自身に宿る力の強大さを改めて自覚し、自分に何ができるのかを考え始める事にした僕は、今日も幻想の世界で生きていく……。


「――ナナシ、今日は休みなさい」

「えっ?」

 

 朝の九時過ぎ。

 朝食を食べ、人里へと薬を売りに行く鈴仙さんを見送った後、八意先生は僕にそんな事を言ってきた。

 

「ここに来てから毎日頑張ってくれているもの、たまにはゆっくりしなさい」

「でも……」

「大丈夫。急患は居ないし今日は新薬の実験もするつもりはないからのんびり過ごすといいわ」

「う、む……」

 

 優しい口調でそう言われてしまうと、これ以上は食い下がれない。

 しかし参った、急に休めと言われても……何をすればいいのか。

 永遠亭に来て手伝いや薬の勉強ばかりだったから、ここに来て自分が何の趣味もないつまらない人間だという事に思い至ってしまった。

 

 本当に拙い、かといって輝夜さんの相手をするのは正直御免だ。

 さてどうしよう、竹林の中を散歩しようにも迷った挙句に野良妖怪の腹の中に収められる未来しか見えない。

 

「どうした?」

「うわあっ!?」

 

 突然背後から話しかけられ、盛大に驚き軽く飛び跳ねてしまった。

 そんな無様な僕を見てクスクスと笑うのは……金の髪を持つ少女、宵闇の妖怪ルーミアであった。

 

「……急に話し掛けないでよ、ルーミア」

「すまないな。だがこうやってたまには妖怪らしい事もしないと、忘れてしまいそうになるからな」

「どういう事それ……まあいいや、それよりどうしたの?」

「何か考え事をしているように見えたからな、どうしたんだ?」

 

 問われたので、今日は休みを貰って何を過ごそうと考えていた事を話した。

 

「そうか、今日は休みなのか……」

「何か休日の良い過ごし方は無いかな?」

「お前、趣味とか無いのか?」

 

 うぐっ、嫌な質問をしないでほしい。

 そんな心中が顔に出てしまったのか、ルーミアの僕を見る目に何だか同情の色が見られるようになった。

 ええいっ、そんな目で僕を見るんじゃない。

 

「……なら、今日は私に付き合ってくれないか?」

「いいけど、何処に行くの?」

 

 訊ねると、ルーミアは僕に向かって小さく笑みを見せながら。

 

「霧の湖だ。――ちょうどいい機会だから、私の友人達を紹介しよう」

 

 そう言って僕の手を取り、そのまま空を飛び始めたのだった。

 

 ■

 

 今日も霧の湖は霧に包まれている、当たり前だが。

 陸地はそうではないものの、湖の中はまともに見えず中央付近に建っている紅魔館は影も形も見えなかった。

 

「ルーミア、こっちこっちー!!」

 

 湖の陸地へと降り立つと、2人の小柄な少女達が僕……というよりルーミアを迎え入れる。

 見た目だけならば可愛らしい少女にしか見えない彼女達であるが、背中にはそれぞれ氷で出来た羽根と昆虫を思わせる羽根が生えており、人間ではない事を示していた。

 初対面ではあるが、後学の為に幻想郷の人外について書かれている“幻想郷縁起(げんそうきょうえんぎ)”の中に彼女達が載っていたので、名前を思い出し先に自己紹介をしようと口を開いた。

 

「はじめまして、チルノさん、大妖精さん」

「あれ? なんであたいと大ちゃんの名前を知ってるんだ?」

 

 青髪の少女、チルノさんがキョトンとした顔で僕を見る。

 

「ルーミアからある程度は聞いていましたし、幻想郷縁起にチルノさん達が載っていましたから」

「げんそうきょう……えん、ぎ?」

「ほら、妖精や妖怪の事が書かれてる書物の事だよチルノちゃん、寺子屋にもあったでしょ?」

 

 大妖精さんが説明するが、チルノさんは「そうだっけ?」と首を傾げるばかり。

 その姿にがっくりとうなだれる大妖精さん、ルーミアも呆れているのか額に手を置いていた。

 

「まあいいや。えっと……アンタ誰だっけ?」

「ナナシ、といいます」

「ナナシ……ああっ、アンタがルーミアの言ってた変な人間ねっ!!」

「……変な人間?」

 

 じろりと、ルーミアにジト目を向ける。

 すぐさま僕の視線から逃れるように顔を逸らすルーミア、この子は2人にどんな紹介をしたのだろうか。

 

「よろしくねナナシ、あたいはチルノ! こっちは友達の大妖精の大ちゃん!!」

「はじめまして、ナナシさん」

 

 改めて名を名乗ってくれた2人に、軽く会釈を返す。

 妖精というのは見た目と同じく思考も子供寄りだと幻想郷縁起には記述してあった、なのでなるべく物腰を柔らかくするように意識しながら接するよう心がける。

 その甲斐はあったのか、とりあえずチルノさんにも大妖精さんにも変に恐がられたりはしてないようで一安心、なのだが。

 

 少しの違和感が、2人の間から感じられた。

 僕を恐がっているというわけではないのだが、なんていうか……意外なものを見るような視線を向けられているような気がしたのだ。

 

「2人とも、ナナシは外来人だが大丈夫だと前に説明しただろう?」

「う、うん……そうなんだけど……」

「わかってるよルーミア、ナナシは外来人だけど悪いヤツじゃないってサイキョーのあたしにはわかるよ!」

 

「…………」

 

 今の会話を聞いて、初めてルーミアと出会った時の事を思い出す。

 そういえば彼女は僕が外来人だと知って、露骨に嫌悪感を露わにしていた。

 それに八意先生達は僕を人里に行かせないようにしているし、外来人というのはこの幻想郷にとってあまり良い立場ではないらしい。

 

「あ、あの……気を悪くしたのなら、ごめんなさい」

「いえ、そんな事はありませんから気にしないでください。その代わりというわけではないですけど……僕みたいな外来人って、幻想郷で生きる人達にとって歓迎されない存在なんですか?」

「…………えっと」

 

 話していいものかといった様子で、口を噤む大妖精さん。

 躊躇いを見せる彼女の代わりとばかりに、隣に居たチルノさんが僕の問いに答えてくれた。

 

「あたしも詳しくは知らないんだけどね、結構前に沢山の外来人が里にやってきたんだって。そいつらが好き勝手やったせいでみんな外来人ってやつ等の事あんまり好きじゃなくなったんだ」

「好き勝手やったというのは、里で暴れたとかですか?」

「暴れたというよりは様々な犯罪行為を行なったと言った方が正しいな、窃盗や暴行は勿論として里の備蓄を食い荒らしたり人妖問わずに喧嘩を売ったり……封印されていた時の私やチルノ達にも被害が及んだんだ」

「……凄く恐かったです、口や鼻に沢山リングみたいなのを付けてる恰好も恐かったんですけど、私達と同じ言葉で話しているのに全然意思疎通ができませんでしたし……」

 

 その時の事を思い出したのか、大妖精さんは肩を縮こませ小さく震える。

 ……成る程、詳細は判らないけどその外来人の集団は里と一部の妖怪妖精にとって厄介な存在だったという事か。

 ルーミアが僕を外来人だと知って怒りを露わにしたり、八意先生達が僕を人里に行かせようとしない理由が漸く判った。

 

「その人達は、まだ里に?」

「ううん。いきなり居なくなったみたいだよ、あたし達も見なくなったし」

「――“神隠し”にでも遭ったんだろうさ」

 

 何処か嬉しそうに、ルーミアは呟き口元に冷たい笑みを見せた。

 神隠し、というものかの詳細は判らないものの……要するに()()()()()なのだろう。

 自業自得と蔑むつもりはないけれど、それ以上の被害が出ない事には安堵する。

 それと同時に、ルーミア達や永遠亭のみんなに対して申し訳ない気持ちで一杯になった。

 

「ナナシ、なんか辛そうだけど……お腹痛いの?」

「そういうわけじゃないですよ、ただ……僕と同じ外の世界の人間が、沢山の人に迷惑を掛けたと思うと申し訳なくなって……」

「? なんでナナシがそんな事考えるんだ? ナナシは何も悪い事なんかしてないのに」

 

 心底不思議そうなチルノさんを見て、僕は自然と嬉しい時に浮かぶ笑みを作っていた。

 彼女は優しい、外来人の連中による被害に遭ったというのに、同じ外来人の僕は悪くないと言ってくれている。

 

「チルノの言う通りだナナシ、大体どうしてお前が思い悩む必要がある?」

「確かに僕は直接被害を出したりはしていないけど、僕という外来人が居るだけで周りの迷惑になる事だってあると思うと……」

「考え過ぎだ、お前は変な所で頭が悪い」

 

 ぴしゃりと、情け容赦なく辛辣な言葉を放つルーミアにおもわず小さく唸ってしまった。

 いや、確かに考え過ぎかもしれないけど……ってチルノさん、人を指差して笑わないでくださいよ。

 

「ナナシは変なヤツだなー、でもルーミアの言ってた通り良いヤツだね!!」

「変は余計だよチルノちゃん。ナナシさんも気にしたら駄目です、少なくとも私達はナナシさんが悪い人じゃないって判っていますから」

「チルノさん、大妖精さん……」

 

 ああ、もう本当に情けない。

 初対面の相手に気を遣われるなんて、余計に申し訳なくなった。

 だけど、そんな事ばかり考えていたら2人の優しさを無碍にしてしまうから、今は一々気にするのは止めにしよう。

 

「ありがとうございます、本当に……ありがとう」

「……へへへ」

「ふふっ、どういたしまして」

 

 出来る限りの感謝の言葉に、2人は嬉しそうな笑みでそれに応えてくれた。

 ……だけど、まだ人里の外来人に対する印象は悪いままというのは少しばかり気になった。

 いつか里に行ってみたいと思っているし、なによりも悪い印象を抱かれたままというのは嫌だと思ったのだ。

 

 無理な話ではあるけれど、できる事ならば誰もが仲良くなれればいいと思っているから。

 だから解り合えたらきっとそれは素晴らしい事だと、信じたい。

 

「そんな事より、早く遊ぼうよ!!」

「いいですよ、何して遊びましょうか?」

「えーっとね……あ、その前にナナシ、いつまであたし達に敬語使ってるの?」

「えっ?」

「なんか気持ち悪いから普通に話してよ、大ちゃんもそう思うでしょ?」

「えっ!? いや、気持ち悪いとは思わないけど、私も敬語なんか使わずに話してくれた方が嬉しいです」

「…………あ、うん」

 

 気持ち悪いって言われて、一瞬思考が停止した……。

 チルノさん、いやチルノみたいな可愛らしい容姿の幼女に言われるのは、想像以上にキツイものがある。

 ま、まあいいや……チルノも深い意味で言ったわけではないのだろう、多分。

 

「それで、何をして遊ぶつもりだ? 言っておくが、ナナシの事を考えて発案しろよ?」

「じゃあ……鬼ごっこは?」

「私は構わないが、飛行は禁止だぞ?」

「えっ、なんで!?」

 

 当たり前である、そのルールが適用されて僕が鬼役になったら完全に詰む。

 というわけで、飛行禁止というルールの元、鬼ごっこの鬼役をじゃんけんで決めようとして。

 

「……?」

 

 霧に覆われ中が見えない湖の中から、激しい水飛沫の音が聞こえてきた。

 何か大きなものが水の中で暴れまわっているような、激しい水音が幾度となく聞こえてくる。

 それも1つではない、最初に聞こえたものよりも小さいが、もう1つ別の水音が聞こえてきた。

 

「何だ……?」

「この湖には、大型の妖怪魚が生息してるみたいですけど……」

 

 だとすると、その妖怪魚が顔を出してきたのだろうか。

 けど随分と長いな、そう思っていると。

 

「た、助け……っ、助け……!」

 

 そんな声が聞こえ、場の空気が一変した。

 

「今の声は……!?」

「あの声……わかちゃんだ!!」

「ちょ、ちょっと待ってチルノちゃん!!」

 

 湖の方角に飛び立とうとするチルノを、大ちゃんが慌てて手を掴んで引き止める。

 

「放して、大ちゃん!!」

「駄目だよチルノちゃん、こんなすぐ前も見えないくらい濃い霧の中を飛んでいったら、妖怪魚に呑み込まれちゃうかもしれないし」

「だけど今の声はわかちゃんの声だったんだ、きっとその妖怪魚に襲われてるんだよ!!」

 

 だから助けに行くと、再び湖に向かおうとするチルノ。

 彼女を大ちゃんと2人で止めつつも、どうしたものかと思考を巡らせる。

 大ちゃんの言う通り湖はまともに確認できないほどに霧が濃く、安易にあの中に入れば危険なのは明白であった。

 

「…………?」

「ナナシも放してってば!!」

 

 暴れるチルノの手を掴んで止めながら、僕は視線を霧へと向け続ける。

 ……感じる違和感、僕の目が霧の中にある“異端”を映し出していた。

 

 この霧は自然のものではない。

 人為的な要因によって作り出されたものだと、知らぬ知識が僕の頭に訴えかけていた。

 

「……魔法で生み出された霧、ならその基点に干渉すれば晴らす事が、でき、る……?」

 

 初めから知っていたかのように、知らずにこの霧の本質を理解する自分に……寒気がした。

 この知識は一体何なのか、何故そんな事を理解できるのか、浮かぶ疑問は瞬く間に増えていく。

 

「っ」

 

 今はそんな事を考えている場合じゃない筈だ……!

 知らぬ知識だろうが関係ない、この霧を何とかできる可能性を持っているのなら利用させてもらわねば。

 目に力を込めて、睨むように霧を見つめ続ける。

 

「――チルノ、僕が霧を晴らしたらすぐにそのわかちゃんって子を助け出してくれ」

「えっ……ナナシが?」

「僕を信じて。必ず何とかするから」

 

 何とかできる筈だ、既に僕の中では“答え”を見つけ出している。

 この霧の湖にある霧の殆どは、“魔法使い”によって生み出された魔力が込められた霧だ。

 故に天候に左右されずに常時展開されており、その魔法使いが解除しなければいつまでも残り続ける。

 

――だから、僕の力でこの霧を一時的に霧散させるしかない。

 

 頭に流れる未知の知識が、僕の力の一部を明かしてくれている。

 僕の力は“癒し”の力、けれどそれは決して傷を治すという意味だけではない。

 

「いくよ、チルノ!!」

「よーし、いけーっ、ナナシ!!」

 

 両手を天に掲げ、内側にある力を解放していく。

 すぐに黄金の光が両手に集まり、掌の上に球体として形成させた。

 傷を治す以外での意味、それは自然に生み出されたものではない存在を“癒す”事ができるという意味だ。

 今回のように人為的に生み出された霧を“癒す”――自然ではないものに干渉し、消し去る効力がこの力にはある。

 

「……はあああああっ!!」

 

 両手を勢いよく振り下ろし、光の球が霧の中へと消えていった。

 刹那、一瞬だけ周囲が眩い光に包まれ、次の瞬間――霧の湖に漂っていた霧が全て霧散した。

 同時に見える巨大な魚と、それに襲われている半身が魚の所謂“人魚”と呼ばれる少女の姿が視界に映される。

 

「わかちゃーーーーーーーーん!!」

 

 弾け飛ぶような勢いで、チルノが湖に向かって飛び立った。

 彼女の怒りを表すかのように周囲の温度が下がっていき、地面の草花が霜に包まれていた。

 

「チ、チルノちゃん……!」

「こいつ……わかちゃんをいじめるなーーーーーっ!!!!」

 

 大きく飛び上がり、両手を振り上げるチルノ。

 その小さな両手から生み出されるのは、全てを押し潰し叩き潰す程に巨大な氷塊であった。

 容赦も遠慮も抱かず、チルノはその氷塊を妖怪魚目掛けて叩き落とした。

 

 響く爆音。

 衝撃が周囲の空気を震わせ、彼女の一撃をまともに受けた妖怪魚は悲鳴すら上げずにそのまま湖へと沈んでいった。

 それには構わず、チルノはわかちゃんと呼んだ人魚の少女の両脇を掴み、こちらへと戻ってくる。

 そして彼女を陸地へと上げると……僕達はおもわず息を呑んだ。

 

「ひどい傷……」

「だ、大丈夫……ちょっと鱗が剥れただけだから……」

「大丈夫なわけないよ!! 血も沢山出ちゃってるし……大ちゃん、どうしよう!?」

「ど、どうしようって言われても……」

 

 慌てるチルノ達だが、よく見るとあまり傷は深いものではないようだ。

 八意先生や鈴仙さんの手伝いをいつもしているおかげか、それくらいは認識できるようになっていた。

 とはいえ放っておける類の傷でもないのは確かだ、なので僕は彼女の傍で跪き、一番傷の深い部位――彼女の尾へと手を翳した。

 

「な、何を……?」

「ナナシ、もしかして……わかちゃんの傷、治せるの?」

「やってみるよ。――恐がるなって言う方が無理な話なのはわかるけど、僕は君に危害を加えるつもりはない事だけは信じてほしい」

 

 なるべく恐がらせないようにそう言いながら、僕は彼女の身体に力を注いでいった。

 すぐに頭痛や眩暈が身体を襲うものの、何時ぞやの時と比べれば充分に我慢できるものであった。

 光が彼女の身体を包み込み、やがて血は止まり傷も全て綺麗さっぱり無くなってくれていた。

 

「…………ふぅ」

 

 終わった事を確認するように息を吐く、頭痛は……するけど大丈夫だ。

 この力にも慣れてきたのかもしれない、使う度に意識を失っていた時に比べれば格段に進歩している。

 

「すごい……傷が、みんな治っちゃった……」

「ナナシ、ホントに凄いよ!!」

「あはは……ありがとう」

 

 キラキラとした眼差しを向けてくるチルノに、苦笑を浮かべる。

 大ちゃんはただただ目の前の光景に驚きを隠せず、ルーミアは何か言いたげに僕を軽く睨みつけていた。

 きっと力を使った事に対して怒っているのだろう、けど勘弁してもらいたい。

 この人魚の女の子と面識はなかったけど、友達であるチルノの友達なら助けたいと思ってしまったのだから。

 

「…………」

「あっ、大丈夫? 傷は治したと思うけど……まだ何処か、痛い所があったりするかな?」

「…………」

「? えっと、もしもし?」

 

 問いかけるが、人魚の少女はこちらの声に反応せずただじっと僕を見つめ続けていた。

 なんだか瞳を潤ませ、頬を赤らめている、やっぱりまだ痛い所があるのだろうか。

 

「わかちゃん、どうしたの?」

「っ、あ、えっと……チルノちゃん、助けてくれてありがとう」

「いいよ別に、それよりわかちゃんが無事でよかった!!」

 

 にかっと微笑むチルノに、人魚の少女も嬉しそうに微笑んだ。

 と、此方に視線を戻す人魚の少女であったが……なんだか、僕を見る目に違和感を覚えた。

 恐怖や警戒心のような負の類ではないけれど、目の中に恍惚な色が見えているというか。

 

「…………あ、あの。貴方様のお名前は何と仰られるのですか?」

「えっ、あ……ナナシ、ですけど」

「ナナシ様、ですね……」

 

 慈しむように僕の名前を連呼する人魚の少女、彼女の反応に僕達は顔を見合わせて首を傾げていると。

 

「助けてくださってありがとうございましたナナシ様、私はわかさぎ姫と申します」

 

 人魚の少女、わかさぎ姫さんは自らの名前を明かしてから。

 

「その……いきなりこのような事を言われても、驚くと思うのですが」

 

 身体をもじもじさせ、顔を先程以上に紅潮させながら。

 

「――私と、お付き合いしてはくださいませんか?」

「…………………………はい?」

 

 よくわからない事を、言ってきたのだった。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

1月30日 ~人里~

ルーミアの友人である、チルノと大ちゃんと親友になれた。
幻想郷での知り合いが増えて嬉しいけど、なんだか人外の知り合いばかり増えているのは気のせいだろうか?

まあそれはともかく、4人で仲良く遊ぼうと思った矢先、妖怪魚に襲われている人魚の少女を助けたんだけど……。


 内側に意識を向け、“癒し”の力に手を伸ばす。

 力は黄金の光となって右手に宿り、その光を目の前で座っている妖怪兎の裂傷が刻まれ血を流している傷口へと注ぎ込んだ。

 光は傷を包むように一度強く発光してから、妖怪兎の身体へと溶けるように消えていき。

 

「……おおー」

「ふぅ……どうかな? 他に痛い所はない?」

 

 光が完全に消えた時には、妖怪兎の怪我は綺麗さっぱり治っていた。

 その光景に周囲の妖怪兎達も感心したように見入っており、ちょっとだけ気分が良くなった。

 

「八意先生には、力を使ったのは内緒だよ?」

『はーい!!』

 

 元気よく返事を返してから、妖怪兎達は一斉に竹林へと向かって走っていった。

 遊ぶのはいいのだけれど、遊びが過ぎて怪我をして血をボタボタ流しながら帰ってくるのはあまり精神衛生上よろしくないので、もう少し自重してほしいものである。

 それに八意先生に力は使うなと言われているから、今のを見られると色々と拙いわけで……。

 

「ナナシ」

「…………」

 

 背後から、優しい声で名を呼ばれた。

 けれど振り向けないし、何か恐ろしいものと対峙したかのように冷や汗が止まらない。

 判るのだ、声は優しいけど相手がめっちゃ怒ってる事が。

 けれどこのままというわけにもいかず、何より後ろの威圧感に耐えられないのでゆっくりと振り向いた。

 

「……八意、先生」

「どうしたの? そんなに怯えて、何か悪い事でもしたのかしら?」

 

 恐い、見惚れるくらいに綺麗な笑みなのにものすごく恐い。

 間違いなく力を使ったのを見られていた、誤魔化す事などできるわけがないと判断し、僕はすぐさま頭を下げた。

 

「ごめんなさい」

「……まったく、安易に力は使うなと言った筈でしょう?」

「そ、それはそうなんですけど……結構酷い傷でしたから」

「妖怪兎なんて頑丈さだけしか取り得がないのだから、放っておいても大丈夫です」

「い、いくらなんでもそれは言い過ぎじゃ……」

 

 反論してみたが、一睨みされすぐさま萎縮してしまった。

 情けないと言うなかれ、すっごい恐いんだもん八意先生のにらみつける攻撃は。

 

「優しいのは結構だけど、自分を蔑ろにしては駄目よ?」

「はい……気をつけます」

 

 素直に忠告を聞き入れる、八意先生は僕の身体を心配して言ってくれているのだから。

 

「それで、体調は大丈夫なの?」

「はい、身体が慣れてきたのか負担は殆どありません」

「だからといって過信しては駄目だからね?」

 

 はいと答えると、八意先生は納得してくれたのかにらみつける攻撃をやめてくれた。

 ふぅ、なんだか寿命が縮まったような気がする、そう思ってしまうほどに迫力があるのだ。

 

「ちょっと来てくれる? あなたにお客様よ」

「僕に、ですか?」

 

 誰だろう、ルーミアはわざわざお客なんて呼ばれ方されないだろうし。

 ……まさか、わかさぎ姫さんではない、よね?

 

「残念ながらあの人魚ではないわよ、告白されたのだから気になるわよね?」

「うっ……」

「でもあなたも酷い人ね。結局返事は保留にしたんでしょ?」

「誤解です」

 

 その発言には異議を唱えたい。

 保留じゃなくちゃんと断わった、いや勿論あんなにも可愛らしい容姿の女の子に告白されたのは男として嬉しいけど……出会ったばかりだったし、何より、その。

 まあとにかく、あの場できちんと「お付き合いできません」と答えたし、彼女も「わかりました」と言ったから僕に非はない……はずだ。

 

 そんな自分に対する言い訳をしながら、八意先生と共に客間へと赴くと。

 

「連れてきたわよ。“慧音”」

「ああ、すまない。――はじめましてナナシさん、私は人里で寺子屋の教師をしています上白沢慧音(かみしらさわ けいね)と申します」

 

 こちらに向かって立ち上がり、丁寧に一礼をしつつ名を名乗る1人の女性。

 すぐに此方も名を名乗ってから、向かい合うように座り話を聞く事にした。

 

「えっと、上白沢さんは……」

「慧音、で結構ですよナナシさん」

「じゃあ僕もナナシと呼び捨てにして結構ですし、敬語も使わなくて大丈夫です」

「ではナナシと、そう呼ばせてもらうぞ?」

「はい。それで慧音さんは僕に用があるみたいですけど……初対面、ですよね?」

 

 まだ僕は人里に言った事がない、上白沢さんの事は幻想郷縁起である程度は知っているがそれだけだ。

 だというのに彼女は僕を訪ねてきた、一体これはどういう事なのだろう。

 すると慧音さんはばつが悪そうな表情を見せてから、少し躊躇いつつも口を開いた。

 

「……天狗の新聞を見たのだが、君は他人の傷を瞬く間に治す力があるらしいな?」

「えっ? ええ……でも、天狗の新聞って?」

「天狗は全員ではないけれど定期的に新聞を発行しているのよ、まあその殆どが単なるゴシップ記事や捏造記事ばかりだけど」

 

 僕の疑問を隣に座る八意先生が答えてくれた。

 前に輝夜さんと一緒に行った際に巻き込まれた一件で、僕の力を知った天狗がそれを内容にした新聞を発行し人里に配布したらしい。

 こっちの許可も取らずに……そう思ったが、今回のような事はよくある事らしい、それでいいのか?

 

「正確には違いますし僕自身も自分の力の全容を理解しているわけじゃないですけど……その解釈でも間違いないと思います。ですけどそれがどうしたんですか?」

「…………実はな、君のその力を貸してほしいんだ」

「えっ、それって里の誰かが怪我をしたって事ですか?」

 

 僕の問いかけに、慧音さんは頷きを返しつつ詳しい内容を話してくれた。

 事の始まりは五日前の事、夜遅くに里の住人が何者かに襲われたのが始まりだった。

 襲われた人は幸い身体の数箇所に切り傷を負っただけで済んだものの、犯人の顔は見えなかったそうだ。

 

 その次の晩、別の住人が襲われ1人目よりも深い傷を負わされた。

 鋭利な刃物で斬られたかのようなその傷は深く、その人は今も療養中らしい。

 

 だが慧音さん曰くその2人はまだマシだという、2日前の晩……3人目の犠牲者が出てしまった。

 受けた傷は今まで一番酷く、峠は越えたもののいつ容態が悪化するかわからない状況らしい。

 おまけに3人も犠牲者が出て里の自警団は毎晩見回りをしているというのに、犯人の特定はおろか姿すら確認できていないそうだ。

 

「ここまで来ると犯人は妖怪なのは間違いないというのが里の見解だ、何より犯行現場の路上には僅かに妖力の残滓(ざんし)が残っていた」

「あの、どうしてそんな酷い傷を負っているのに永遠亭に治療を頼まなかったのですか?」

「……身内の恥を話すようで心苦しいのだが、今回の現場周辺の住人達は人間ではない者に対して些か敵愾心を強く向ける傾向にあってな」

 

 人里、と言っても一枚岩ではないらしく、妖怪に対して友好的な考えを持つ人も居れば、人間ではないというだけで妖怪は勿論妖精やその他人外も決して受け入れないという考えを持つ人も居るとの事だ。

 そして今回の被害を受けた場所はそんな考えを持つ人達が暮らす場所らしく、それで永遠亭での治療を拒否したのだ。

 

「しかし3人目の犠牲者は里の中でも古くから存在する名士の1人息子でな、その父親がナナシの噂を聞き入れ……」

「それで連れて来い、と? 随分と身勝手な話ね」

 

 冷たい口調でそう告げる八意先生だが、正直僕も同じ意見を抱いていた。

 向こうの気持ちも判るけど、だからって慧音さんを使って強引に話を進めようとするそのやり方は、好ましくなかった。

 慧音さんもそれは充分に理解しているのか、心苦しそうに表情を曇らせている。

 

「けれど僕は人間ですけど里の住人じゃありません、それなのに連れて来いと言われたんですか?」

「それはナナシが人間だから、いざとなれば御しやすいと思ったのでしょうね」

 

 ……なんだそれ、自然と眉間に皺が寄っていってしまう。

 つまり体よく利用しようという魂胆なわけか、ここまでくるといっそ清々しい。

 

 あ、慧音さんが居た堪れなくなったのかどんどん身体を縮こませてる。

 なんだかこっちが悪い事をしているような気分になってきた、よくよく考えたら慧音さんも板ばさみになってるんだよね。

 これは、このままさようならってわけにはいかないな。

 

「――わかりました慧音さん。行きましょう」

「ほ、本当か?」

「…………」

 

 僕の発言に慧音さんは表情を明るくさせ、八意先生は責めるような視線を向けてきた。

 その視線だけで挫けそうになるが、こちらとて負けるわけにはいかない。

 

「僕の力は誰かの助けになる事に意味があると思うんです、それにわざわざ尋ねて来たのにこのまま帰らせるわけにも……」

「今回の件はあくまで里の問題、何より向こうが私達の協力を望んでいないわ。それにねナナシ、あなたも判っているとは思うけど」

「利用しようとしている事は僕にだってわかります、それでも……苦しんでいる人の助けになるのなら、僕は何とかしたいです」

 

 身勝手な話だけれど、譲れないものだってある。

 八意先生は暫く僕を睨むように見つめ――やがて、呆れを含んだ溜め息を吐き出した。

 

「勝手になさい。後悔しても知らないから」

「……ありがとうございます」

 

 感謝を示す為に深々と頭を下げてから、立ち上がった。

 そうと決まれば善は急げ、里に向かおうと慧音さんと共に永遠亭を後にする。

 思わぬ形で人里に行く事になったけど、できる事ならみんなにお土産でも買っていこうかな。

 

 ■

 

 刺さるような鋭い視線が四方八方から注がれる。

 竹林を抜け、人里に趣き、慧音さんに案内された場所は大きな屋敷だった。

 旧家という意味での名士の家らしい、庭も離れも完備する屋敷の中に案内された。

 

 この家の1人息子さんの部屋に案内され、早速とばかりに治療を開始する。

 ただ、やっぱりというべきか此方を微塵も信用してはいないようで、この家の主人は勿論多くの使用人が監視するような視線を向けてくるのは正直参った。

 少しでも妙な真似をすれば許さないと目で訴えており、部屋の空気も重苦しく気が滅入るばかりだ。

 気持ちは判るけど、そちらの都合で呼びつけておいてその態度はどうなのかと思いつつ、精神を集中させて力を解放する。

 

 相手の怪我は腹部が一番酷く、手足にも複数の裂傷が刻まれている。

 故に両手に宿した黄金の光を相手の全身を包み込むように展開させ、一度に全ての傷が治るように力を使用した。

 

「っ」

 

 身体に走る痛みと倦怠感、やはり相手の傷の深さによって反動の大きさは違うらしい。

 けれど使用すればするほどにその反動は小さくなっている、この力に身体が慣れてきているという事なのか。

 黄金の光が相手の身体に吸い込まれ、その光が収まった時には。

 

「………………治ってる」

「っ!? ま、まことか!?」

 

 全ての傷は癒え、痕すら残さずに消滅してくれていた。

 ほっと胸を撫で下ろしつつ深呼吸、今回は別の意味で緊張したからどっと疲れた。

 ……うん、頭痛はするけど意識はハッキリしているし問題はない。

 大分この力にも慣れてきた、これならいずれ多くの人を助ける事ができるかもしれない。

 

「よくやった。感謝するぞ」

「あ、いえ……自分にできる事をしただけですから」

 

 早々に立ち去ろうと、立ち上がる。

 謝礼を貰うべきなんだろうけど、正直これ以上ここには居たくなかった。

 この家の主人は感謝の言葉を述べはしたけど、形式上のものでしかないと声色だけで判ったからだ。

 それに周りの視線も、物珍しいものを見るような……見世物扱いされているような気がして、気分が悪い。

 

「報酬は何を望む?」

「では、今後何かありましたら永遠亭を尋ねて下さい。僕……いえ、私なんぞよりも頼りになる方々がいらっしゃいますから」

「…………覚えておこう」

 

 ちっとも覚える気はない返答を受け、溜め息が出そうになる。

 この機会に永遠亭の宣伝でもしようかと思ったけれど、この家の人達には意味を成さないようだ。

 向こうも用が済んだ僕には早く出て行ってほしいのか、使用人に玄関まで連れて行くように命じたので、これ幸いにと屋敷を後にする事にした。

 

「……疲れた」

 

 おもわず口に出てしまうほどに、疲労感が身体に蓄積していた。

 自分のできる事で助けになろうと決めていたし治療して後悔はしていないけど、ああまであからさまな態度を見せられるとは正直思っていなかった。

 きっとこの屋敷の人達にとって僕も恐ろしく不気味な妖怪と同類なのだろう、治療を終えた時の視線で否が応でも理解できた。

 

「ナナシ!」

「慧音さん……」

 

 ずっと屋敷の前で待っていたのか、慧音さんはほっとしたような表情を浮かべながらこちらへと向かってくる。

 

「終わったのか?」

「はい。傷も全て治りました」

「……信じていなかったわけではないが、本当に治してしまうとは驚きだ」

「それよりどうしたんですか? ここで待っていたみたいですけど……」

「待つのは当たり前だ。こっちの身勝手な都合で巻き込んだというのに、案内して終わりというわけにはいかないだろう」

 

 大真面目な顔でそんな律儀な事を言う慧音さんに、おもわず苦笑を浮かべてしまう。

 そこまで気負わなくてもいいのに、幻想郷縁起にも書かれていたけど本当に生真面目な性格をしているようだ。

 

「それでだな、せめてものお礼がしたいのだが……」

「そんな事気にしなくても……ああ、でも永遠亭のみんなにお土産を買っていきたいので、何かオススメのものとかありますか?」

「……欲が無いな君は、今時珍しいぞ」

 

 そう言いながら、慧音さんは僕を連れてある場所へと案内してくれた。

 そこは里でも評判らしい団子屋であった、前に鈴仙さんが食べたいと言っていたお店だ。

 ただここはいつも人気で並ばなければ団子は買えず、かといって仕事の為に里に来ている状態ではそんな余裕などあるわけもないので買えないと愚痴っていたっけ。

 

「店主、慧音だが……」

「おおっ、慧音先生。できていますよ」

「ありがとう、助かるよ」

 

 店の人と何やら話し始める慧音さん、暫しの会話を経て慧音さんは店の人に大きめの紙袋を受け取り、こちらへと戻ってくる。

 

「ナナシ、受け取ってくれ」

「これは……?」

「君の事だから土産を買おうと思っていただろう? ここの団子は人気だからな、永遠亭の皆も喜ぶ筈だ」

「あ、ありがとうございます」

 

 紙袋を受け取る、中を見るとみたらしや餡子、三色団子などがぎっしりと詰まっていた。

 その数は十や二十では利かない、土産を用意してくれたのは嬉しいけどこれだけの数を買うお金は……。

 

「私の奢りだ」

「えっ、でも……」

「いいんだ。というより、今はこれぐらいしかできない事を許してほしい」

 

 気まずそうに、申し訳なさそうにそう言ってくる慧音さんに、首を傾げた。

 

「嫌な思いをしただろう? 君は純粋な善意で今回の身勝手な要望に応えてくれたというのに……」

「……慧音さんって、エスパーですか?」

「やはり嫌な思いをしたのか……すまない、ナナシ」

 

 頭を下げて謝られてしまった、なんだか気まずい。

 そもそも慧音さんが謝る必要などない筈なのに、生真面目というかなんというか。

 だけど、彼女の真摯な姿を見てさっきの嫌な気分が吹き飛んでくれた。

 

「ありがとうございます慧音さん。慧音さんがそう言ってくださるだけで充分ですから」

「……そう言ってくれると助かるよ、しかし度し難いものだな……自分の知識では計れないからといって、頭ごなしに否定し拒絶するなど」

「仕方ないですよ。僕だって初めて幻想郷に来た時にルーミアに襲われましたけど、その時はただただ恐いって気持ちと腹立たしさしかありませんでしたから」

 

 それを考えると、あの家の人達の態度だって仕方ないと納得できる、気分は悪いけど。

 何よりも、助けられて良かったという達成感の方が強いから、それで充分なのだ。

 

「君は若いのにしっかりしているな」

「周りに大人が沢山居ますから、それにしっかりしないと幻想郷では生きられませんよ」

「ふふっ、そういう考えができるからこそしっかりしているというんだ」

 

 まるで教え子を褒めるような言葉に、少しだけ気恥ずかしくなった。

 ああ、現金な話だけど改めて今回の依頼を受けてよかったと思えた。

 

「そういえば慧音さん、犯人の方は……」

「それは君が気にする必要などないさ。頼りになる協力者も居るし今夜にでも解決するだろう」

「そうですか、それはよかった」

 

 そういう事ならば、彼女の言う通り気にする必要はないだろう。

 一件落着、そう思うと自然と身体から疲れを感じ始めた。

 能力を使用しただけではない、精神的な疲れだ。

 もうここで僕にできる事もする事もない、早く永遠亭に帰ろう。

 

「慧音さん、それじゃあそろそろ失礼させてもらいます」

「ああ、そうか。……って、1人で永遠亭に帰れないだろうに」

「あ」

 

 そういえば、僕1人じゃあの竹林の中を突破できない。

 間抜けな自分が恥ずかしくなり、そんな僕を見て慧音さんは苦笑を浮かべていた。

 

「安心しろ。勿論私も同行するから」

「すみません……あ、それなら慧音さんもみんなと一緒にお団子を食べませんか?」

 

 これだけの量だ、いくら永遠亭のみんなで食べようと思っても余ってしまう可能性がある。

 僕の提案に、慧音さんは快く了承してくれた。

 

「ナナシ」

「はい、なんですか?」

「もし君が良ければだが、いつでも里に遊びに来るといい。歓迎するよ」

「……ありがとうございます」

 

 少しだけ嫌な事もあったけど、今日も良い一日で終わってくれそうだ。

 何せ人里に行く事もできたし、慧音さんという知り合いもできたのだから。

 

 その後、永遠亭に戻った僕はみんなと一緒にお土産のお団子を食べ楽しい一時を過ごした。

 ただ、今回の件で八意先生からは皮肉を言われ、力を使った事に対して鈴仙さんと輝夜さんからお小言を貰う羽目になってしまったのだった。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2月2日 ~ナナシの受難……?~

思いがけない理由で人里に行く事ができた。
少しだけ嫌な思いもしたけど、知り合いも増えたし何よりも里に行けたのだからよしとしよう。


「――お疲れ様でした、ナナシさん」

「いえ、鈴仙さんもお疲れ様でした」

 

 竹林の中を、鈴仙さんと2人で歩く。

 前回の件もあったのか、八意先生から人里に行く許可が貰えるようになったので、今日は鈴仙さんが普段している里への薬販売の手伝いをしに行く事に。

 一軒一軒訪問して、足りなくなった薬の補充や新しい薬の宣伝や販売。

 鈴仙さんの行なっている仕事は思っていた以上に大変だった。

 

「毎日ではないとはいえ、今まで1人でやっていたんですね……」

「あはは……まあ、てゐは役に立たないし師匠は私に押し付けるから仕方がないというか……でも酷いんですよ、こちとら商売の知識や経験なんてないのにこんな仕事をさせられて、今まで何度上手くいかずに怒られたか」

 

 唇を尖らせながら愚痴を放つ鈴仙さん、さっきからずっとこんな感じである。

 よほど普段の仕事内容に対する不満が溜まっていたのだろう、けれど彼女の性格を考えると面と向かって八意先生達に言える筈もない。

 ……いや、鈴仙さんじゃなくても八意先生達に愚痴は言えないな、だって恐いし。

 

「でもナナシさんが手伝ってくれて本当に助かりました。ナナシさん人当たりが良いですし物腰も柔らかいから、すぐ信用されていましたし」

「そうですかね?」

「そうですよ。私、どうも愛想良くするのが苦手でして……」

 

 それは、商売する側としては割と致命的な問題なのでは?

 ま、まあ人には得手不得手があるし、しょうがない……のかもしれない。

 

「……これからも、手伝ってくれたら嬉しいなあ、なんて」

「勿論です。僕にできる事があったら何でも言ってください」

「そ、そうですか? じ、じゃあ……今度人里に行った時に、一緒に甘味処に行ってくれますか?」

「えっ? 別に構いませんけど……」

 

 なんとも不思議なお願いを了承すると、鈴仙さんは表情を明るくさせ「約束ですからね?」と念を押してきた。

 わざわざお願いなんかしなくても、そんな事ならいくらでも付き合うのに……変な鈴仙さん。

 でも嬉しそうだから別にいいか、そう思いながら竹林の中をゆっくりと歩いていると。

 

「かげちゃん、頑張れ頑張れ!!」

「が、頑張れじゃないわよ……うぐぅ~」

「?」

 

 竹林の奥から、何やら女の子の声が聞こえてきた。

 鈴仙さんと互いに顔を見合わせてから、声の主を確認しようとその方向へと足を進める。

 そこに居たのは2人の女の子、1人は前に霧の湖にて知り合った途端に唐突な告白をしてきた人魚の少女、わかさぎ姫さんだった。

 近くに水場がないせいか、水がたっぷり入った巨大な桶の中に入っている。

 

 そしてもう1人は、わかさぎ姫さんの入った桶を台に乗せて引っ張っている獣の耳と尻尾を生やした、ドレス姿の女の子。

 ひーひー言いながら引っ張っている辺り相当重いのだろう、見た限り大の大人が五人ぐらい居ないと持ち上がらなそうなくらい大きいのだから。

 

「あの子……確か今泉影狼(いまいずみ かげろう)、だったわね」

「鈴仙さん、あの子の事知っているんですか?」

「この竹林に住む狼女ですよ、けど何やってんだろあれ……」

 

 2人して怪訝な表情を向けてしまう、けど大変そうだし手伝ってあげようか。

 そう思い、2人に声を掛けようとして……わかさぎ姫さんと、目が合った。

 

「……ナナシ、様?」

「あ……こ、こんにちは。わかさぎ姫さん」

 

 少し上擦った声を出してしまった、やっぱりこの間の唐突な告白が尾を引いているらしい。

 暫し見つめ合う、というかわかさぎ姫さんがこちらを凝視しているので視線を逸らせないと言った方が正しい。

 

 ……一向に何も言ってこないので、もう一度声を掛けようと口を開いた瞬間。

 

「ナナシ様ー!!」

「えっ――はぐぁっ!?」

 

 頭部に衝撃を受けながら、真後ろに倒れ込んでしまう。

 痛みと衝撃で混乱している思考では、今の状況を理解する事ができない。

 というか苦しい、息が……でき、ない……。

 

「ちょ、な、何してるのよ!!」

「きゃあ!?」

「っ、げほっ……げほっ、げほっ」

 

 停止していた呼吸ができるようになり、咳き込みながら新鮮な空気をすぐさま取り込んでいく。

 助かった、どうやらわかさぎ姫さんが顔に抱きついてきたせいで首が絞まっていたらしい。

 

「だ、大丈夫?」

 

 心配そうな表情で僕に駆け寄ってきてくれる今泉さんに、大丈夫と返す。

 

「ナナシさんにいきなり何するのよ!!」

「……あなた、ナナシ様の何ですか?」

「な、何って……その、友人……だけど」

「なら邪魔しないでください、私はナナシ様に用があるんですから!!」

 

 再び此方に視線を向け、近づいてくるわかさぎ姫さん。

 

「お久しぶりですナナシ様、会いたいと思っていた時にこうやって巡り合えるなんて……やっぱり私達、運命の赤い糸で括りつけられているんですね!!」

「いや、それを言うなら結ばれているじゃないですかね?」

 

 違う、そうじゃない。

 まだ混乱しているのか、見当違いなツッコミを入れてしまった。

 

「ナナシ様、これから何か予定はありますか? ないなら私とデートしてください!!」

「えっ、えっ?」

 

 デートって……あのデートだよね?

 いきなり過ぎる展開についていけない中、わかさぎ姫さんはこっちの返答を聞かずに手を掴んでぐいぐい引っ張ってくる。

 抵抗しようとするが、見た目がか弱そうだけどさすが妖怪というべきか、そのままズルズルと引っ張られていく……。

 

「ちょっと待ったーーーーーっ!!」

「姫、少し強引過ぎるよ」

 

 そんな僕達の間に割って入る鈴仙さんと今泉さん。

 

「かげちゃん、どうして邪魔するの!?」

「いや、だってこの人困ってるし……」

「ま、まさかかげちゃんもナナシ様を狙って……!?」

「お願い姫、話聞いて」

 

 疲れきった表情でわかさぎ姫さんを宥めようとする今泉さんだが、会話が成立していない。

 

「わっ」

 

 なんて声を掛ければいいのか判らず傍観していると、鈴仙さんはいきなり僕の手を掴み走り出してしまった。

 それも全速力でだ、それに気づいたわかさぎ姫さんがこっちに止まるように言ってくるが、鈴仙さんは無視するし僕はというと引っ張られている衝撃が強すぎてまともに口が開かない状態だ。

 

 結局、そのまま僕は鈴仙さんに引っ張られたまま竹林を駆け抜け……永遠亭まで走らされる羽目となった。

 

「はぁ、はぁ……はぁ」

「ふぅ……ここまで来れば大丈夫ね」

「はぁ……れ、鈴仙、さん……急に走り出して……はぁ、どうしたんですか?」

 

 おかげで、わかさぎ姫さん達を置き去りにする形になってしまった。

 さすがに今の対応は良くないと思い問いかけると、鈴仙さんは何故か不機嫌そうに唇を尖らせていた。

 

「……ナナシさんは、あの人魚とデートしたかったんですか?」

「えっ?」

「だとしたら、悪い事しちゃいましたねっ」

 

 ふんっとそっぽを向かれる。

 ……どうしてかはわからないけど、どうやら僕は鈴仙さんを怒らせてしまったらしい。

 けどその理由が判らず、なんとなく声を掛けづらくなってそのまま永遠亭の中へと入る事になってしまった。

 わかさぎ姫さんも傍に居た今泉さんも妖怪だから大丈夫だとは思うけど、今度会ったら謝らないとな。

 

 でも、デート……か。

 疑っていたわけではなかったけど、わかさぎ姫さん……本当に僕が好きなのか。

 

 ■

 

 今度会ったら謝らないと。

 そう思っていたけれど、再会は意外と早いものであった。

 

「……どうぞ」

「ありがとうございます、ナナシ様」

「……ありがとう」

 

 僕の淹れたお茶を受け取って、ニコニコと微笑むわかさぎ姫さんと申し訳なさそうな様子の今泉さん。

 向かい側の席には八意先生と、先生の隣に立ちこめかみをピクピクさせている鈴仙さんが居り、漂う空気は正直あまり良いものではない。

 

 ……それにしても、まさか再会が数十分で叶うとは思わなかった。

 あの後、逃げ出した僕達を追いかけようとしたわかさぎ姫さんに、今泉さんは。

 

「姫、今回は諦めたら?」

 

 そう言ったのだが、わかさぎ姫さんはそれを拒否。

 そればかりか物凄い剣幕で今泉さんに迫り、その迫力に敗北した彼女はそのまま永遠亭までわかさぎ姫さんを連れてきてしまった。

 あの馬鹿でかい桶ごとである、そのせいか玄関で迎えた時の今泉さんの疲労困憊を通り過ぎた表情はおもわず八意先生を呼んでしまう程に凄まじかった。

 

「……それで、一体ここに何の用なのかしら?」

 

 口火を切ったのは、八意先生。

 少し威圧を込めたその問いかけを受け、わかさぎ姫さんは僅かに脅えながらもはっきりと質問に答えを返す。

 

「ナナシ様との交際を認めてもらう為です!!」

「違うでしょ!!」

 

 わかさぎ姫さんの発言に、隣に座っていた今泉さんが即座にツッコミを入れた。

 なんて素早く力強いツッコミだろうか、あれは普段からツッコミし慣れていると見た。

 

「…………ナナシは、断わったと聞いているけれど?」

「そう簡単にこの恋を諦めたくないんです、ナナシ様は人でありながら人魚である私を見ても態度を変えずに当たり前のように助けてくれました。

 妖怪にも分け隔てなく優しさを向けられる、そんなナナシ様に惹かれたんです」

 

 真剣な眼差しをこちらに向けながら、自身の想いをはっきりと告げるわかさぎ姫さん。

 その想いは強く、そしてとても大きなものだった。

 疑っていたわけじゃない、けれどここまで大きな気持ちだとは思わなくて、言葉が見つからない。

 

「あら、愛されているのねナナシ」

「……ありがとうございます、わかさぎ姫さん。そう言ってくれるのは、本当に嬉しいです」

 

 嘘偽りのない感謝を込めて、そう言った。

 嬉しそうに頬を綻ばすわかさぎ姫さん、けど……まだ僕には、彼女の想いには応えられない。

 

「でも、僕は女の子と交際するとか、そういう事は考えられないんです」

「…………」

 

 酷い男だ、僕は。

 わかさぎ姫さんのような女性に想いを告げられるだけで幸運だというのに、それを断わるなんて贅沢にも程がある。

 けれど中途半端な気持ちで彼女と付き合うなんて、それこそ不誠実だ。

 

「……そう、ですか。残念です」

 

 困ったように、悲しそうに笑うわかさぎ姫さんを見て、おもわず謝罪の言葉を口走りそうになってしまう。

 でも謝るのは違うと思ったから、何も言わずただ黙って彼女の言葉を待つ事にした。

 

「でもナナシ様、恋人は無理でも友人になら……なってくださいますか?」

「っ、それは勿論! 僕でよければ」

「はい。では()()()友人からという事で!!」

「……ん?」

 

 なんだか含みのある発言のような気がしたが、気にせず彼女と握手を交わす。

 

「良かったね、姫」

「ありがとうかげちゃん、でも……ナナシ様の事、好きになったら駄目だからね?」

「わ、わかってるよ……」

 

 釘を刺すように今泉さんにそう言ってから、わかさぎ姫さんは何故か鈴仙さん達に意味深な笑みを向け始めた。

 傍から見るとニコニコとした友好的な笑みなんだけど、鈴仙さんが露骨に眉間に皺を寄せている辺り、彼女にとってはあんまり良い笑顔ではないようだ。

 あ、よく見たら八意先生の表情も険しくなってる、なんでだ?

 

「……あなたも大変ね」

「えっ?」

 

 何故か、今泉さんに同情された。

 どうしてぽんぽんと肩を叩くんですか? 不安になるからやめてください。

 

「――ナナシ、ウドンゲ、お客様がお帰りになるそうだから見送ってあげなさい」

「は、はい」

「わかりました」

 

 まだ帰るって言っていないのに、なんだか八意先生強引だな。

 けれど向こうもちょうどよかったのか、特に何も言わなかったので鈴仙さんと2人で玄関まで見送る事に。

 

「姫の事は心配しないで。ちゃんと霧の湖に送るから」

「心配してないけどね、これっぽっちも」

「れ、鈴仙さん……?」

 

 真顔で暴言を放つ鈴仙さんに驚く、機嫌悪いのだろうか。

 しかしわかさぎ姫さんは気にした様子もなく、にこにことしたまま……。

 

「優しくないうさぎさんですね、ナナシ様の爪の垢でも呑んだらどうですか?」

 

 訂正、ばっちり気にしてました。

 睨み合う鈴仙さんとわかさぎ姫さん、それを少し離れながら見守る僕と今泉さん。

 なんだこの構図、というか2人はいつまで睨み合っているのでしょうか?

 

「ナナシ様、皆さんに意地悪されたらすぐに行ってくださいね? 私が全身全霊を込めて、貴方様を癒して差し上げますから」

「あ、えっと……ありがとう、ございます」

「残念だったわね。そんな機会なんて一生訪れないわよ」

「失礼なうさぎさんには聞いていませんけど?」

 

 ああ、またしても雰囲気が険悪な感じに……。

 どうして2人して好戦的なんですか、いつもは穏やかで争い事を好まない性格なのに。

 

「…………前言撤回、大変な原因の半分はあなただわ」

「えぇー……?」

「姫もそうだけど、あの妖怪兎も苦労するわよきっと……」

「どうして僕を見ながら言うんですか?」

 

 そう今泉さんに問いかけるが、返ってきたのは呆れを含んだ溜め息だけだった。解せぬ。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2月5日 ~博麗神社の宴会~

今日も今日とて、幻想郷の生活は続いていく。
さあ、今日はどんな1日になるのだろうか?


 提灯を持ちながら、夜道を歩く。

 舗装がされていない道は少々歩きづらく、周囲が木々に囲まれているため少々恐い。

 

「神社に続く道とは思えないわね」

「あはは……飛んでいければいいんですけど、僕が飛べないからご迷惑をお掛けします」

「あ、ナナシさんが謝る必要なんてないんですよ。悪いのはあの巫女なんですから」

 

 割と本気の口調でそう言いながら、隣に歩く鈴仙さんはその巫女さんに対する愚痴を繰り返す。

 僕と鈴仙さんは現在、この幻想郷でも重要な場所である“博麗神社”へと向かっている。

 というのも、永遠亭に一昔前の魔女のような黒い服と大きな黒い帽子を身につけた女の子、霧雨(きりさめ)魔理沙(まりさ)さんが来たのが事の始まりであった。

 

「今日、神社で宴会をするから来い」

 

 開口一番、僕の姿を見るなりそう言い放ちさっさと箒に跨って帰ってしまった魔理沙さん。

 当然ながら呆気に取られ、八意先生達に事情を説明した所……気になるなら行ってくるといいと外出の許可を貰えた。

 ……まあ、確かに気にはなるし何よりもすっぽかしたら面倒な事になりそうだと本能的に察知したので、選択肢など初めから存在していなかったが。

 

 とはいえ博麗神社は碌に舗装されていない獣道を通り、長い階段を登った先にあるという。

 野良妖怪に襲われる危険性がある事を考慮し、鈴仙さんが護衛兼付き添いとして来てくれる事になり現在に至る。

 ルーミアも一緒に来てくれれば良かったんだけど、最近彼女とは会えていない。

 僕を守ると言っていたのに……まあ、彼女には彼女の都合というものがあるし、守ってもらうのが当たり前だと思うなんて愚の骨頂だ。

 

「――相変わらず、無駄に長い階段ね」

 

 二百段はあろう階段を見上げながら、心底嫌そうな呟きを零す鈴仙さん。

 さすがに僕も表情を強張らせた、八意先生や輝夜さんが「碌に参拝客が来ない寂びれた神社」と言っていたのは決して皮肉ではないのかもしれない。

 荷物もあるのに……げんなりしながら、一段一段登っていく僕と鈴仙さん。

 

「鈴仙さん、僕は後でいいですから鈴仙さんだけでも……」

「いいんです。たまには歩かないと」

「いや、鈴仙さんって普段から八意先生のお手伝いとか人里に行ったりとかしてますよね?」

「それを言うならナナシさんだってそうですよ、とにかく気にしなくていいんです」

 

 強い口調でそう言われてしまい、それならばと納得して登る事に集中する。

 運動不足だと認めたくはないけれど、自然と息が上がっていく。

 けど黙々と登ったおかげか、割とすんなり神社へと到達する事ができた。

 

 既に宴会は始まっているのか、見た限り十人にも満たない少ない人数ながらも周囲に喧騒を呼んでいる。

 中には見知った人達もちらほら見え、挨拶をしようかと思った矢先。

 

「おっ、ちゃんと来てくれたのか。偉い偉い」

 

 僕達の前に、強引な方法で宴会に誘ってきた霧雨魔理沙さんが姿を現した。

 

「こんばんは、霧雨さん」

「おう、こんばんはだな。けど霧雨さんじゃなくて魔理沙でいいよ、敬語もなしでさ」

「えっと……じゃあ魔理沙でいいかな?」

 

 バッチリだ、そう言いながら人懐っこく元気溢れる笑顔を見せる魔理沙。

 見ているこっちも元気になりそうな笑顔に、自然と頬が綻んだ。

 

「…………」

「? 鈴仙さん、どうしました?」

「いえ……その、私とはいつまでも敬語でさん付けなんですねって思っただけです」

「えっ、あー……」

 

 まあ、確かに言われてみればそうだけれど、正直今更な気がした。

 それに鈴仙さんだって、今までそんな事言わなかったのに突然どうしたのだろうか。

 とはいえ、こちらを不満そうな表情で見てくる辺り、彼女にとっては重要な事だろう。

 

「じゃあ……鈴仙、って呼んでもいいのかな?」

「っ、はい!!」

 

 途端に嬉しそうに表情を明るくさせる鈴仙さん、もとい鈴仙。

 いきなりなれなれしくなって嫌じゃないかなとも思ったけど、彼女の表情を見る限り杞憂のようだ。

 ……ところで魔理沙、どうして僕を見てニヤニヤと笑っているのでしょうか?

 

「気にするなよ、はははっ」

 

 なんとも気にならざるをえない返答である、なんとなくではあるけれど気分が悪くなった。

 

「――見ない顔ね、あなた誰かしら?」

 

 そう問いかけながら現れたのは、魔理沙と同年代に見える黒髪の少女。

 紅白を基調とした巫女服……のような衣服に身を包んだその少女は、頬を赤らめ少々酒の匂いがする息を放ちながら僕の前に立ち止まった。

 幻想郷縁起にも書かれている、というよりもこの女の子はこの幻想郷でも指折りの有名人。

 人間の絶対的な味方であり幻想郷の秩序の象徴、今代の“博麗の巫女”。

 

「……博麗(はくれい)霊夢(れいむ)さん」

「あれ? 前にどこかで会ってたっけ?」

「あ、いえ、幻想郷縁起の中に書かれていたのを覚えているってだけで、初対面ですよ。

 僕はナナシと名乗っている者です、縁あって永遠亭で居候をさせてもらっています」

「ふーん、あなたが天狗の新聞で書かれてたナナシなのね……思っていたよりも、普通な見た目じゃない」

 

 ジロジロとこちらを観察するような視線を向けてくる博麗さん。

 少し困った顔になっていたせいか、鈴仙さんが僕を守るように博麗さんの前に割って入ってきた。

 

「……何よ?」

「ナナシさんが困ってるじゃない、その失礼な視線を向けるのはやめて」

「別にそんなつもりはないわよ、そんな事よりもアンタが宴会に参加するなんて珍しいじゃないの」

「あんた達がナナシさんに変な事をしないか監視する為よ、どいつもこいつも変な連中だから不安なの」

 

 敵愾心を隠そうともせず、刺々しい口調を飛ばす鈴仙さんに、博麗さんの表情がむっとしたものに変わる。

 周囲の空気も重苦しいものに変わっていくが、近くに居る魔理沙はまるでこの光景を愉しむかのようにさりげなく距離を離しながら眺めるだけで止めようとはしてくれない。

 拙い、なんだか一触即発な空気になってきている……と、止めないとっ。

 けど話しかけただけだと意味はないし、話題を逸らさないと……。

 

「あ、あのっ。台所貸してくれませんか!?」

「…………は?」

 

 博麗さんの目が点になる、そりゃあそうだ。

 けれど僕だって話題を逸らす為に頓珍漢な事を言ったわけではない。

 

「実は下拵えをした食材を持ってきまして……ここで調理しようかなっと思ったんです」

 

 言いながら、両の手にそれぞれで持っている手提げ袋を見せ付けるように少し掲げた。

 強引とはいえ招待された以上、やはり此方も何か料理の一つでも用意した方がいいと思ったのだ。

 殺伐とした空気が霧散していく、ごはん効果恐るべし。

 

「……これ、何?」

「できてからのお楽しみです」

「お肉?」

「それも入ってます」

「ナナシ、愛してる」

 

 お肉を持ってきたら愛の告白をされた、これは吃驚だ。

 ……もしかして博麗さんの所の食事環境、あんまり宜しくないのかな。

 ああ……魔理沙と鈴仙が博麗さんを憐れみの目で見てる。

 

「向こうに台所に続く裏口があるから、早く作ってね?」

「あ、はい……」

 

 指差す方へと歩いていく、後ろから「お肉お肉~♪」という博麗さんの声が聞こえたけど、何も言えなかった。

 これは早く作ってあげないと怒られるな……すぐ出来る料理に決めてよかった。

 台所へと赴き、その中にある一番大きな鍋を取り出す。

 2つの手提げ袋から取り出すのは、色々な野菜とメインの鶏肉だ。

 

「鍋ですか?」

「うおあっ!?」

 

 背後から声を掛けられ、変な声を上げながら跳び上がってしまう。

 すぐさま聞こえるくすくすという笑い声、視線をそちらに向け……驚かしてくれた人にジト目を送ってやりながら、その人物の名を呼んだ。

 

「……咲夜さん、何するんですか」

「驚きました?」

「驚きますよ、いきなり背後から話しかけられれば」

 

 此方の文句など完全に無視し、鍋に視線を向ける咲夜さん。

 

「まだ外は寒いですからね、良い判断だと思います。ところでどんな鍋にするつもりなのですか?」

「……トリスキです、胸肉とモモ肉しか用意できませんでしたから少し物足りないとは思いますけど」

「スキヤキではなくトリスキですか……それはまた珍しいものですね、お嬢様の分はありますか?」

「ええ、大丈夫です」

 

 気を取り直して、調理を開始する。

 とはいっても下拵えは済んでいるし、トリスキは材料を入れて味付けをして少し煮てできあがりの料理だ。

 湯通しも予め終わらせているから、すぐにできるだろう。

 

「手際が良いのですね」

「永遠亭では、鈴仙と一緒に料理当番をしていますから。それと記憶を失う前もよく料理をしていたのか身体が覚えているみたいなんです」

「ナナシ様が紅魔館で働いてくださると、私の負担も減るのですが……」

「……そんなに大変なんですか?」

 

 おもわずそう訊いてしまったが、それは間違いであった。

 質問を受けた瞬間、咲夜さんは盛大にため息を吐いてから……溜め込んでいた愚痴を放ち始める。

 

「妖精メイドは自分の面倒しか見れず、ホフゴブリンは戦力になりますがそれでも最低限です。

 だというのにあの広い館の掃除や洗濯、更には地下にある大図書館の整理整頓を手伝わされたりお嬢様の気紛れに悩まされたり……」

「……あの、咲夜さん?」

「メイド長なのですから当然の業務だと理解はしているとはいえ、やはり大変だと思う事はあるのです。

 だっていうのにお嬢様はこちらの状況など考えずに我儘放題ですし、最近では妹様がその気紛れに参加する事もありますし……」

「さ、咲夜さん……?」

 

 こちらの声には一切反応を示さず、咲夜さんは尚も紅魔館に対する……というより、大半がレミリアさんに対する愚痴を放ち続けた。

 特殊な仕事干渉に加え生真面目な性格のせいか、咲夜さんはそういった悩みを1人で抱え込んでしまうようだ。

 ……これは、かなり長引きそうだな。

 でもこっちもトリスキが完成する間は時間があるし、少しでも咲夜さんの不満が軽減できるのなら好きなだけ愚痴ってもらおう。

 

 そう思い聞き役に徹する事十分弱、その間もずーーーーっと咲夜さんの話を聴き続けた。

 紅魔館の事情は全く知らないけれど、メイド長という立場である咲夜さんは安易に弱い所を見せられないのかもしれない。

 責任がある立場に居る人は本当に大変だ、今の咲夜さんを見ると否が応でもそう思える。

 

「…………あっ、も、申し訳ありませんナナシ様!!」

 

 ずっと愚痴を放っていた事に気づいたのか、慌てて頭を下げる咲夜さん。

 恥ずかしいのか頬を赤らめ、申し訳なさかこっちを見ようともせず視線を泳がせている姿に、つい苦笑してしまった。

 

「気にしなくていいですよ咲夜さん、寧ろ僕としては嬉しかったですから」

「えっ?」

「愚痴を言えるって事は、少なくとも僕の事をある程度信頼してくれているからでしょう? それが嬉しいんです」

 

 こんな自分でも、些細な事とはいえ誰かの役に立てる。

 それが嬉しいと思えるし、何より……自分がここに居て良い理由になってくれるから。

 

「咲夜さんは僕なんかと違って毎日が大変ですから、色々と溜め込んでしまうと思います。だから今みたいに溜め込んでしまったものを吐き出したい時はいつでも言ってください、聴く事しかできませんけど」

「ナナシ様……」

「トリスキもできましたから、皆さんの所に行きましょう。すみませんけど器を持っていってくれませんか?」

「……はい、お任せください」

 

 少しは溜め込んだものが無くなったのか、どことなく咲夜さんの表情がすっきりしたものに変わったような気がした。

 自然と口元に笑みが浮かぶ、少しは役に立てたようでよかった。

 

「いい匂い……」

「にーく、にーく!!」

「霊夢……気持ちは判るが落ち着いてくれ」

 

 宴会の会場に戻り、さっそくトリスキが入った鍋を中央へと置く。

 ……さっきから博麗さんが「にーく、にーく」と謎の歌を涎を口元から出しながら歌っているのを聞いていると、なんだか悲しくなってくる。

 

「あら、珍しい鍋ね」

「こんばんはレミリアさん、これはトリスキといいましてスキヤキの仲間みたいなものです」

「スキヤキ……聞いた事があるわ、ところでこれ……ナナシが作ったの?」

「えっ、ええ……まあ」

 

 作ったと言っても、あまり手間のかかる料理ではないので自慢にもなんにもならない。

 しかしレミリアさんは此方に感心したような表情を向けながら、口元に怪しい笑みを浮かべ出した。

 

「よーし、食べよう食べよう!!」

「ちょ、なに一番に食べてるのよ萃香!!」

 

 角の生えた小柄な少女が我先にと鍋に手を伸ばし、それを鬼の形相で止めようとする博麗さん。

 あの、量はありますから2人で奪い合うのはやめてください。

 

「意地汚い巫女と鬼ね……」

「鬼……?」

 

 角の生えた少女へと視線を向ける、確かに大きくて捻れた角は鬼のように見えるけど……。

 

「想像とは違うでしょうけど本物の鬼よ、あんたなんか指一本で粉々にできる力を持っているから、死にたくないならちょっかいを掛けない事ね」

「……肝に銘じておきます」

 

 今までの経験を思い返し、レミリアさんの言葉には素直に頷く事にした。

 この幻想郷では見た目と中身は違う人外が多い、きっと現在博麗さんと壮絶なトリスキの奪い合いをしている少女も、とんでもない大妖怪なのだろう。

 でも、そんな大妖怪である鬼と食べ物の奪い合いをできる博麗さんって……。

 

「しかし器用だなお前は、家事全般は得意なのか?」

「ええ、まあ……居候の身ですし、今の僕にできる事はこれくらいですから」

 

 八意先生から色々と教わっているけれど、まだまだ付け焼刃の領域でしかない。

 ならばせめてと炊事洗濯掃除ぐらいはできなくては、申し訳ないではないか。

 

「……やはり惜しいな、紅魔館の執事にならないか?」

「なりませんってば」

「いいじゃないか。どうせあの怪しい医者の実験台になるのがオチだ、それにフランに咲夜も喜ぶ」

 

 そうだろ、なんて言いながらレミリアさんは咲夜さんへと視線を向ける。

 

「はい、ナナシ様でしたら信用できますし、私は大賛成ですわ」

「理由はそれだけではないだろう?」

「…………なんのことでしょうか?」

 

 そう言ってそっぽを向く咲夜さん、心なしか頬が赤くなっているような気がした。

 そんな咲夜さんを、レミリアさんはニヤニヤとからかうような笑みを向けている。

 

「決まりだな。じゃあ明日からこっちに越してこい」

「いや、ですから……」

 

「――何言ってるのかしら? 駄目に決まってるじゃないそんなこと」

 

 強く厳しい口調を放ちながら割って入ってきたのは、鈴仙だった。

 彼女はキッとレミリアさんを睨みつつ、僕を守るように前に出てきた。

 

「勝手に勧誘しようとしないでよ、大体人間のナナシさんを吸血鬼のあんた達の所で働かせられるわけないじゃない」

「馬鹿を言うな。わたしは咲夜の血を吸ってはいないぞ? ……たまに、吸いたくなる時もあるが」

「それを抜きにしたって認めるわけないじゃない、もう二度と言わないで」

 

 ……なんだか、鈴仙の様子が変な気がする。

 僕を守ろうとしてくれているのは判るのだけれど、随分攻撃的過ぎるような気がするのだ。

 レミリアさんの強大な力がわからない彼女ではないだろうし、無駄な争いを避けようとするいつもの様子は見られない。

 

「わかったわかった、そう興奮するな」

「だ、誰が興奮してるっていうのよ!!」

「だから落ち着け。――咲夜、お前も苦労しそうだな」

「…………」

 

 何が可笑しいのか、レミリアさんは咲夜さんにそう言ってからからと笑い出す。

 

「まあいいさ、今はナナシの作ってくれたトリスキとやらを食べさせてもらう事にしよう」

 

 そして何故か僕に意味深な笑みを送るのだった。

 ……何なんだ、一体。

 

 その後、特に何事も無く宴会は楽しく過ぎていった。

 だけどその時の僕は気づいていなかった。

 

 宴会を楽しむ僕を、遠目から眺める鬼の少女の存在に……。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2月6日① ~人攫い~

博麗神社での宴会で、新しい友人を作る事ができた。
お酒は正直抵抗があったけど、また宴会に参加できたらいいなと思い、気分良く永遠亭に戻ったのだけれど……。


「……ん、ぅ……?」

 

 喧騒が聞こえ、眠っていた意識が浮上していく。

 今日はなんだか騒がしいな……兎達が騒いでいるのだろうか。

 

「…………あれ?」

 

 目を開けて最初に映ったのは……見慣れない和風の部屋だった。

 喧騒は襖の先から聞こえてくる、不思議に思いながらそこを開けると。

 

「おっ、あんちゃん目が醒めたのか?」

「……えっ?」

 

 瞬間、凄まじいまでの酒の匂いで頭がクラクラした。

 だがそんなものは瑣末な事であり、こちらに視線を向ける者全てが人外というのはどういう事なのか。

 複眼に複腕、上半身だけが肥大化している者も居れば、全身に棘を生やし体色が緑色という者も居る。

 

 部屋を見渡す限りここは居酒屋なのは判ったが、そこに居る者全てが妖怪という光景に言葉が見つからない。

 茫然としている僕を、周りの妖怪達は興味深そうにじろじろと見つめてくる。

 ……いや、正確には“捕食者”としての視線を向けてきていると言った方が正しい。

 

「――ごめんよナナシ、力加減を間違えちゃったみたいだね」

 

 そう言って僕の前にとてとてと近寄ってきたのは、頭に捻れた角を生やした小柄な少女。

 昨日の宴会で会った鬼の少女、伊吹萃香(いぶき すいか)さんだった。

 

「伊吹さん……」

「萃香でいいって。痛い所とかないよね?」

「え、ええ……萃香さん、ここは一体どこですか? 僕は確か永遠亭に居た筈なんですけど……」

 

 直前の記憶を思い返すと、自室で八意先生の調合表を見て勉強していた事が頭に浮かんだ。

 けれどその後の記憶はなく、問いかける僕に萃香さんはあっけらかんとした口調で。

 

「攫ったんだよ、私が」

 

 よくわからない事を、言ってきた。

 

「……はい?」

「だからナナシの事を攫ったんだって、昔から鬼は人間を攫うものなんだよ?」

 

 知らなかったの、なんて暢気な事を言ってくる萃香さんに、言葉を失った。

 当たり前だ、そんなそれこそ挨拶を交わすかのように「攫った」などと言われて茫然としない方がどうかしている。

 

「どうしてそんな……」

「理由なんて些細なものさ。とにかく今のナナシにできる事は、この中に混じって宴会を愉しむ事だよ」

「……申し訳ありませんけど、帰らせてもらいます」

 

 流石に身勝手過ぎるその言葉に、僕は短くそう告げて萃香さんの横を通り抜けようとする。

 

「それはやめておいた方がいいよナナシ、だってここは“地底世界”なんだから」

「…………」

 

 動かしていた足がピタリと止まった。

 普段僕が過ごしている場所は地上世界と呼ばれ、地底世界とは文字通り地下深くにある世界の名称である。

 そこにはかつて地上を追われたり危険な為に封印された妖怪達が暮らしている世界だと、前に幻想郷縁起で読んだ事があった。

 

「判ったみたいだね、外に出たらそこらに居るヤツ等に呆気なく喰われちゃうよ? まあそれでもいいなら、止めやしないけど」

「……あなたは、僕に何を望むんですか?」

「そんな仰々しい考えなんてないさ。ただ昨日の宴会で馳走になっただろ? それのお礼がしたいのと……私の古い友人がナナシに会ってみたいって言っていたからさ」

「…………」

「安心しなよ、こっちの用件が済んだら責任を持って地上に帰してやる。鬼は嘘を吐かない生物なんだ」

 

 からからと笑いながら勝手な事ばかり言う萃香さんを、睨みつけたくなった。

 けれどそんな命知らずな事はできない、周囲は妖怪に囲まれているし機嫌を損ねればどちらにしろ生き残る術はないだろう。

 初めから選択など、僕には与えられる事などなかったのだ。

 

「……信用しても、いいんですね?」

「信用するしかないの間違いじゃない?」

「…………」

 

 我慢できなくなって、キッと萃香さんを睨みつけてしまった。

 けれど彼女はそんな僕の態度に興る所か、何故か嬉しそうに笑みを浮かべ持っていた瓢箪を口に含み何かの液体を飲み始める。

 

「萃香、可哀想だからそこらにしておきな」

 

 彼女を戒めるような声が聞こえ、僕の目の前に長身の女性がやってきた。

 長く綺麗な金の髪を下ろし、右手には大きな赤色の盃を持っている。

 額には星が描かれた一本の角、きっとこの人も萃香さんと同じ……。

 

「悪かったね。こいつはちょいとばかりからかいが過ぎる所があるんだ、気を悪くしたなら謝るよ」

「いえ……ところで、あなたは?」

「あたしは星熊勇儀(ほしぐま ゆうぎ)、まあ見ての通り鬼さ」

 

 よろしくね、豪快でありながらどこか好感の持てる笑みを見せながら自らの名を明かす星熊さん。

 厭味も含みもないその笑みを見たせいか、内側にあった不信感や緊張感といったものが少しずつ緩んでいく。

 

「はじめまして星熊さん、僕はナナシという者です」

「アンタの事は萃香から聞いてるよ、というよりさっきコイツが言ってたアンタに会いたいって言った古い友人ってのはあたしの事なんだ。けどまさかこんな強引な手を使って連れてくるとは思わなくてねえ……」

 

 すまなそうに眉を下げ、頬を掻く星熊さん。

 そこまで恐縮にされると、なんだかこっちまで申し訳ない気持ちになってきてしまう。

 なのですぐさま「気にしないでください」と返すと、納得したのか星熊さんの表情が元に戻る。

 

「勝手な話ではあるけどさ。少しだけでもいいから付き合ってくれると助かるよ、勿論アンタが今すぐに帰りたいというのならあたしが帰してやる」

「えー、せっかく連れてきたのにー」

「馬鹿な事を言ってるんじゃないよ萃香、こんな強引な方法で連れてくるこっちに非があるんだ」

「昔はこんな感じだったじゃないか」

「時代は変わっているんだ、そんなのお前さんなら判っているだろうに」

 

 星熊さんのそんな言葉を聞いて、萃香さんは口を閉ざす。

 ……さて、どうしようか。

 勿論すぐに帰らなければならないと思っている、きっとみんな心配しているだろうから。

 それにこんな強引な手段は好きではない、鬼はそういうものだと頭ではわかっていても納得などできるわけがなかった。

 

 だけど……正直、興味が無いわけでもなかった。

 星熊さんは信頼できそうだし、幻想郷縁起には危険な場所としか書かれていなかった地底世界の事を知れるいいチャンスなのかもしれないとも思ってしまった。

 何よりも、理由はわからないけどわざわざ僕に会ってみたいと思っている星熊さんを前にして、さっさと帰るというのも正直気が引ける。

 

「……でしたら、せめて永遠亭に連絡だけはさせて貰えませんか? きっと心配しているでしょうから」

「それなら任せてよ、私が連絡しておくから」

 

 そう言うと萃香さんは掌から小さい萃香さんを作り、何か指示を出し始めた。

 少しして小さい萃香さんは大袈裟に敬礼をして、そのまま居酒屋を飛んで出ていってしまった。

 

「よーし、そんじゃ飲もう飲もうそうしよう!!」

「え、ちょっと……」

 

 こちらの言い分など聞く耳持たず、萃香さんは強引に僕に盃を持たせ透明な液体を注ぎ込んでいく……って、これお酒だ。

 

「昨日の宴会じゃ殆ど飲んでなかったみたいだしさ、美味い地底の酒を存分に味わってよ」

「あの、僕未成年……」

「そんな堅苦しい事は言いっこなしさ、なあみんな!?」

 

 星熊さんの言葉に、全員が賛同するように騒ぎ立てる。

 これは、もう逃げられないな……。

 この幻想郷には未成年の飲酒に対する法なんてものは存在していないから、気にするだけ無駄なのかもしれない。

 既に周囲は先程以上の喧騒を振り撒きながら、思い思いに宴会を楽しんでいる。

 

「あたし達の奢りだ、気にせずじゃんじゃん飲みな!!」

「……じゃあ、少しだけ」

 

 これも経験だ、そう思う事にしよう。

 あまり飲み過ぎないようにしないと、そう自分に言い聞かせながら僕も周囲と同じくこの宴会を楽しむ事に決めたのだった。

 

 ■

 

「…………ふぅぅぅ」

「…………」

「これは……凄いもんだね……」

 

 驚きと、ほんの少しの呆れを込めた視線をこちらに向けてくる星熊さんと萃香さん。

 対する僕はふわふわした良い気分だったので、2人の視線には構わず盃に注がれている酒を一気に飲み干した。

 苦味と辛味が喉を駆け抜け、けれどすぐにそれは消え喉越しの良さだけが残る。

 もちろんそれだけじゃなく濃厚な味わいと嫌味のない芳香が飲む者をどこまでも楽しませてくれていた。

 

 要するに……物凄く美味しい。

 酒を飲みなれていない僕ですら素直に美味しいと思えるのだ、人ではない者が作る酒は文字通り人以上の出来の酒になるという事なのか。

 ただ、些か飲みすぎたかもしれないと自分の周囲に無造作に倒れている空の酒瓶に視線を向ける。

 周囲の妖怪達も、僕の飲みっぷりに驚愕しているし一部に至っては引いている始末。

 

「お前さん、本当に人間かい?」

「あはは……やっぱり、飲み過ぎましたかね?」

「もう軽く三升は飲んでるよ……しかも地底の酒は人間には強すぎるのに、なんでそんなに飲んでほろ酔い程度で済んでるんだ?」

「さあ……なんででしょうか」

 

 まあでも、確かに不可解というか異常である、自分で言うのもなんだけど三升も飲んでいるなんて人間業じゃない。。

 もしかして僕って、実は人間じゃないとか?

 

「結構時間が経ったね……ナナシ、愉しめたかい?」

「はい。ありがとうございます星熊さん、萃香さんも」

 

 ここに連れてこられた経緯は無視できないけど、宴会を楽しめたのはまごうことなき事実だ。

 だから2人に対して精一杯の感謝を込めて、頭を下げた。

 

「勇儀で構わないよ。けど楽しんでくれて何よりだ、あたし達も久しぶりにこんなに飲める人間と一緒に過ごせて楽しかったよ」

「……今更だけど、ごめんね?」

「もういいです。でも萃香さん、次はこんな事はやめてくださいね?」

「はーい」

 

 ここに来てもう数時間は経過している、かなり飲んでしまったし……そろそろ帰らせてもらおうか。

 そう思い、勇儀さんに声を掛けようとしたのだが。

 

「……ナナシ、ちょいと付き合ってもらえないかい?」

 

 先に勇儀さんからそんな事を言われ、帰るタイミングを逃してしまった。

 

「いいですけど、どこにですか?」

「それは歩きながら話すよ。萃香、アンタはどうする?」

「私はパス、好き好んで行く場所じゃないしまだ飲み足りないよ」

「そうかい……じゃあナナシ、行こうか?」

「あ、はい。それじゃあ萃香さん、失礼します」

 

 足早に店を出ようとする勇儀さんを慌てて追いかけるため、萃香さんへの挨拶をそこそこに外へと出た。

 地底世界だからか、外はまるで夜のように暗くけれど不可思議な光が幾つも漂っているおかげか少し薄暗い程度のものだった。

 こっちだよ、そう言って歩き始める勇儀さんを追いかけ彼女の隣に並んで歩く。

 

「ナナシは、“(サトリ)妖怪”の事は知っているかい?」

「覚妖怪……たしか、心を読む力がある妖怪の事ですよね?」

 

 僕の言葉にその通りと返しつつ、勇儀さんは話を進めていく。

 

「この地底ではみんな好き勝手生きているんだけど、当然そいつらがあまり身勝手な事をしないように管理する者が居るんだ。

 そいつの名前は“古明地(こめいじ)さとり”、名前からでもわかるように覚妖怪でね……ナナシには、そいつの友達になってほしいんだ」

「友達、ですか?」

 

 思ってもみなかった頼み事に、驚きを隠せない。

 人間に妖怪の友達になってくれと頼まれるなんて、誰が予想できるのか。

 

「さとりは対峙した者の心を望む望まない関係なしに読んでしまうタイプの覚妖怪でね、だからこそ沢山の読みたくもない心を読んできたんだ」

「…………」

「そのせいもあって普段は地霊殿っていうあのデカイ建物に引き篭もってペット達と暮らしてる、けどあたしはもっと友人を増やしてほしいと思っているんだ」

 

 旧都の中心部に建つ大きな洋館に視線を向けながら、勇儀さんは静かな口調で言う。

 その様子は大切な友人を想う姿そのものであり、けれど……。

 

「お節介だって、思ってるだろ?」

「それは……」

「いいんだ、あたし自身も自覚してる。だけどそれでもあの子にはもっと外に目を向けてほしいと思っているんだ、この世界はアンタが思っているより汚くないと知ってほしいと思ってる」

「でも、どうしてその役目を僕に?」

 

 コミュニケーション能力が欠落しているわけではないと思うけど、だからって特別優れているわけでもない。

 そんな僕に覚妖怪さんの友人になるように頼むなんて理解できず、勇儀さんの意図が読めずに問いかけてしまった。

 

「最初は頼むつもりはなかったんだ、でも一緒に酒を飲み合って語り合ってお前さんが真っ直ぐな心を持つ人間だって理解できた。

 きっとお前さんならさとりと友人になってくれる、そう確証できたから頼もうと思ったんだ」

 

 躊躇いも気恥ずかしさもなく、真っ直ぐな目と口調でそう言ってくる勇儀さん。

 正直、過大評価もいいところだとも思ったけれど、僕はすぐに彼女の頼みを引き受ける事にした。

 僕自身がその覚妖怪さんと知り合いになりたいと思っているし、何よりも僕をそこまで評価してくれた勇儀さんに応えたいと思ったから。

 

 

「――相変わらずお節介な方ですね、勇儀さん」

 

 

 歩を進め、地霊殿の正門付近までやってきた僕達の前に、上記の言葉を放ちながら1人の小柄な少女が立ち塞がった。

 癖のある薄紫の短い髪に、胸元付近に浮いているコードに繋がれた赤い目が特徴的なその女の子は、ゆっくりとした足取りで此方に歩み寄ってきた。

 

「はじめましてナナシさん、私は地霊殿の主である古明地さとりです。さっそくですけど……お帰りください」

「…………えっ?」

 

 にっこりと、可憐で友好的な笑みを浮かべているのにとんでもなく冷たい言葉を放たれた。

 言葉だけではない、笑みこそ友好的だが向けている雰囲気はこちらを拒絶する意志で溢れている。

 話すことなど何もないから早く帰れと、古明地さんは言葉に出さずに訴えかけていた。

 

「おいおいさとり、いくらなんでも冷たすぎやしないかい?」

「この人の為を思えば至極当然の反応だと思いますけどね。――私と友人になりたいなどという考えは、即刻捨て去った方がいい」

 

 何故それを、一瞬そう思ったが彼女が覚妖怪だという事はつい先程聞いたばかりだ。

 僕らと対峙し、心を読んで知ったのだろう。

 

「その通りです。それがわかったのなら即刻お帰りください」

「……古明地さん、僕はナナシという者で地上の永遠亭にて暮らしている人間です」

「知っていますよ。何故自己紹介を?」

「それは勿論、古明地さんとお知り合いになりたいからです」

 

 たとえ心を読んでこちらの事を理解したとしても、ちゃんと言葉で自らの事を話さなければ意味は無い。

 古明地さんは帰れと言っているけど、それで「はいそうですか」と帰るつもりなどなかった。

 

「……呆れたものです、初対面で冷たくあしらったというのに、あなたはまだ私と友人になるつもりがあるのですか」

 

 呆れたように、ほんの少しだけ驚いたように古明地さんは呟きを零す。

 確かに彼女の態度は事務的で冷たいものだったかもしれない、笑顔を浮かべながらだったから余計に印象が悪かったのも否めない。

 でも、それは決して彼女が僕を嫌っていたり嫌悪感を抱いているからではない以上、友人になるのを諦めたくはなかった。

 

「わかっていないようですから、はっきりと仰いましょう」

 

 またも先程のような一見友好的に見えて、此方を拒絶する意志を込めた笑みを見せる古明地さんは。

 

「――私は、あなたと友人になるつもりなどありません。帰ってください」

 

 先程以上に冷たく、感情が込められていない言葉で、再度僕を拒絶した……。

 

 

 ■

 

 

「――お空、ちょっとお待ちよ!!」

「うにゅ?」

 

 スタスタと地獄の洞窟を歩いていく親友の地獄烏――霊鳥路(れいうじ)(うつほ)を、赤髪に猫の耳を生やした火車の少女――火焔猫燐(かえんびょう りん)が追いかけながら声を掛けた。

 強い口調で放たれたその声に反応し、空は足を止め親友の方へと振り向く。

 対峙した燐の咎めるような視線を受け、空は表情を歪ませ足を止めた事を後悔した。

 

「お空、これ以上進むのは駄目だよ」

「えっ、なんで?」

 

 かくんと首を傾げ頭上に「?」マークを浮かべる親友の姿に、燐は盛大に溜め息を吐き出した。

 事の始まりは少し前のこと、今日は非番なので何をしようかと空と話していたのだが。

 

「洞窟探検しよう!!」

 

 そう言うやいなや、空は地霊殿を飛び出し燐も慌てて後を追い……現在に至る。

 別にそれだけならば彼女を咎める必要はない、彼女は身体は成熟しているが精神はまだまだ子供の域を脱していない。

 突拍子の無い行動に出たり、子供っぽく遊びまわったりする事だって、何度もあった。

 

 だが今回は止めねばならない理由がある、彼女が向かおうとしている先は……この地底でも近づく事が許されない未知のエリアなのだから。

 元々ここは地獄の一部、この広大な土地の全てを把握している者は既に居らず、まだまだ未開の地が広がっているのが現状である。

 安全と余計な事態を招く事を防ぐ為に、地底の者達は安易にそのエリアに近づかないようにという暗黙の了解があるというのに……この鳥頭は平然と破ろうとしているのだ。

 燐が怒るのも当然であり、しかし良くも悪くも真っ直ぐな空も引き下がらない。

 

「お燐も一緒に行こうよー」

「何言っているんだい、この先には入っちゃいけないってさとり様にも言われてるでしょ?」

「そうだけど……お燐は興味ないの? この先に何があるのか」

「それは……」

 

 正直に言えば、興味はあった。

 とはいえ、そんな身勝手が許されるわけではない。

 

「あたい達が勝手な事をしたら、さとり様が周りに色々と言われるんだよ? お空だって、さとり様に迷惑を掛けたいなんて思ってないだろ?」

「……それは、そうだけど」

「なら戻ろう? 代わりに他の事ならなんでも付き合ってあげるからさ」

「うん!!」

 

 よかった、親友が単純で。

 割と酷い事を考えつつ、燐は踵を返した空の横に並びこの場から離れ始める。

 

「ところでお空、なんでこの奥を調べようと思ったのさ?」

「調べようと思ったわけじゃないよ、単純に興味が湧いただけ」

 

 そんなんで行こうとしないでおくれよ、咎めるようにそう言い放つ燐に空を苦笑を浮かべ。

 

「そこの嬢ちゃんら、ちょっといいかい?」

 

 唐突に。

 離れようとしていた洞窟の奥から、第三者の声が響き渡った。

 

「っ」

「うにゅ?」

 

 咄嗟に立ち止まり、燐は身構えつつ振り返った。

 洞窟の奥からのっそりと姿を現すのは、見慣れぬ長身の男性であった。

 

 無精髭を生やし髪はぼさぼさでまるで手入れが行き届いていない、全体的にだらしない印象を受ける中年の男。

 だが歪ませた口元は粗暴の一言に尽き、人の形をしているが自分達と同じ獣のような存在だと燐は思った。

 

「……あんた、誰だい?」

「俺かい? 名乗るほどのモンじゃねえさ」

 

 返す言葉はあくまで軽く、しかし殺気に満ちた声。

 冷たい殺意に燐はおもわず身体を震わせ、いまいち状況が判っていなかった空は――瞬時に表情を変えた。

 

「いいね。そっちの黒髪の嬢ちゃん、あんたは俺の敵になれそうだ」

「っ、お空!!」

 

 拙い、この男は底が知れない。

 飄々としているくせに、少しでも此方が動けば喉元に喰らいつかんばかりの獰猛さを全身から醸し出していた。

 スペルカードルールがこの幻想郷に浸透する前の命のやり取りを、この男は躊躇いなく行なおうとしている……!

 

「お前……敵だな?」

「……さあな!!」

 

 男の姿が燐の視界から消える。

 そう思った時には、既に男は2人との間合いを詰め今まで何一つ握っていなかった右手には。

 漆黒の、二メートルを優に超える大剣があった。

 

「っ……!?」

 

 速過ぎる、相手の動きに反応できない。

 全力で回避しようとしても、その前に男の大剣が叩きつけられこの身を両断される。

 

「うおっ……!?」

 

 だが、燐の命を奪おうとした男の凶器は彼女には届かなかった。

 その前に戦闘態勢に入った空が咆哮を上げ、能力を用いた爆発が男を弾き飛ばす。

 

「お空、逃げるよ!!」

「えっ――わあっ!?」

 

 空の手を掴み、燐は全力でその場から駆け出した。

 この洞穴は特別広くはない、戦うには適さない場所だからこそ離れるというのもある。

 だがなによりもだ、あの男は()()()()からやってきたのだ。

 未知のエリア、地底に住む者ですら近づかない場所からやってきた者など、安易に相手などできるわけがない。

 

(かといって旧都に戻ればさとり様達に被害が及ぶかもしれない……どうすれば)

 

 逃げる事に意識を割きながらも、燐はこの状況を打破する考えを巡らせる。

 だが、遅い。

 

「面白い力だな、ここで仕留めるのは勿体なさすぎるが……まっ、観念してくれ」

 

 空の能力を用いた強力な爆発をまともに受けたというのに。

 まるで初めから傍に居たかのように、男は2人との間合いを詰めていた。

 

「っ、ぁ……!」

「おり――」

「遅え」

 

 風切り音が響く。

 完全に、致命的なまでに反応が遅れた2人は完全に出遅れてしまい。

 

 

 男の大剣が、横殴りに彼女達の身体に叩き込まれた…………。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2月6日② ~現れたモノ~

博麗神社の宴会にて知り合った鬼の少女、伊吹萃香さんにいきなり攫われて地底世界へと連れて来られてしまった。

そこで出会った星熊勇儀さんという鬼の女性の頼みで、覚妖怪である古明地さとりさんという方と友達になろうと思ったのだが、いきなり辛辣な態度を向けられてしまう。

そんな中、地底のある一角である異常が発生している事に、僕達はまだ気づいておらず……。


「……冷たいねえさとり、心を読めるお前さんならこの子が嘘を吐いてないってわかっているだろうに」

 

 お帰りください、そう冷たく言い放った古明地さんを責めるように勇儀さんは言い放つ。

 対する古明地さんは非難する勇儀さんの言葉に一切気にした様子も見せず、再度僕を拒絶した。

 

「いつまで呆けているんですか? ここにはもう用はない筈です、早々に地上へ戻りなさい」

 

 睨み付けるようにこちらを見つめながら、強い口調でそう言ってくる古明地さんに、反応を返せない。

 冷たい態度を向けられているのがショックというのもあったけど、なんというか……違和感を覚えたのだ。

 

「気のせいですよナナシさん」

「あ……」

「私はあまり他人の心を読みたくないのです、汚い本心を見る度に……不快な思いをしなければなりませんから」

 

 確かな怒りと悲しみの感情を込めて、古明地さんは上記の言葉を吐き捨てた。

 勇儀さんの言った通り、彼女は今まで沢山の嫌な心を読んできたのだろう、今の言葉でそれがよく判った。

 

「判った気になられるのも不快です」

「す、すみません……」

「謝られるのでしたら、早くここから居なくなってくださいませんか?」

 

 と、取り付く島もない……。

 これ以上ここに居てもお互いの為によくない、そう判断した僕は今回は諦めようとこの場を離れようとするのだが。

 

「――さとり、随分と物言いがキツイじゃないか。まるでこの子を自分から遠ざけようとしているように見えるよ?」

 

 勇儀さんが一歩前に出て、古明地さんと対峙した。

 

「ええ、人の心は醜いもの……それを遠ざけたいと思うのは当然ではありませんか?」

「そりゃそうだ。けどあたしにはそれが理由でナナシを遠ざけようとしているとは思えないんだよ」

「えっ?」

 

 それは、一体どういう事なのか。

 古明地さんに視線を向ける、けれど彼女は表情1つ変えずに反論を返した。

 

「何を根拠にそう言っているのですか?」

「鬼は嘘を吐かない生物だ。だからかね、他人が嘘を吐いているのか吐いていないのかが何となくわかるんだよ」

「……根拠は何ですか、と訊いているのですが」

「心を読めるアンタなら気づいている筈だよ、この子の心が澄んでいる事ぐらい。だからこそあたしも萃香もこの子が気に入ったんだ。

 ――さとり、アンタはナナシの心を読んで嫌な思いをしてほしくないと思っているから、わざと今みたいな態度で遠ざけようとしたんじゃないのかい?」

 

 再度問いかける勇儀さんに、今度は何も答えようとしない古明地さん。

 肯定はしていない、でも彼女が見せた態度は否定もしていなかった。

 ……もし彼女の本意が勇儀さんの言った通りだとするなら。

 

「古明地さん」

「勇儀さんの推測はあくまで推測、私の本心ではありませんよナナシさん」

「それは、本当に?」

「本当です。……本当に呆れたものですね、これだけ冷たくされてもまだあなたは私と友人になりたいと思っているのですか?」

 

 当たり前だ、だって拒絶の意志が偽りである可能性があるのなら、こちらが諦める道理はない。

 

「何故そこまで拘るのですか? あなたには他に友人がいらっしゃるではありませんか、私のような覚妖怪に固執する意味など……」

「僕自身が古明地さんと友達になりたいと思ったからです、それだけじゃいけませんか?」

「…………」

「最初は勇儀さんに連れてこられただけですけど、古明地さんと友人になりたいと思ったのは僕自身の意志です」

 

 はっきりと、嘘偽りもなく本心を話す。

 理由などただそれだけでいい筈だ、人間とか妖怪とかそんなものに縛られるつもりなんて毛頭ない。

 

 古明地さんの僕を見る目が驚きと困惑の色に変わる。

 それはそうだ、僕だって人間と妖怪の関係性がどんなものなのかは知っているし、それならばこんな考えなど抱かないというのが当たり前の認識だ。

 だけど、それでも僕にとってそんなものなど関係ない。

 

「……さとり、ここまで言われてもアンタは自分の心を偽るのかい? 心を読める覚妖怪としてはあまりに情けないと思うんだけどねえ」

「…………後悔する事になります。私は否が応でもあなたの心を読んでしまう、見られたくない事だってあるでしょう?」

「それは、まあ……だけど仕方ないじゃないですか。覚妖怪ってそういうものなんでしょう?」

 

 僕達が呼吸をしなければ生きていけないように、覚妖怪にとってはその行為は呼吸をするに等しいものなのだろう。

 生きているのならばそうせざるをえない、それをどうして否定する事ができるというのか。

 心を読まれたくないのは本音だ、僕は心を読まれても構わないなんて言えるほど器の大きい人間じゃない。

 

 でも心を読まれるリスクがあるとしても、友人になりたいと思った心は偽れなかった。

 沢山の繋がりを持ちたいと思う自らの心を、否定する事なんかできなかったのだ。

 

「……本当に、呆れてしまいますね。あなたのような人間は初めて見ました。

 私のような覚妖怪を否定せず、かといって全てを肯定する事もせず友人になろうとする……本当に、おかしな人」

 

 そう告げる古明地さんの表情は、言葉とは裏腹に笑顔であった。

 それも先程のような他者を拒絶するようなものではなく、見た目相応の可憐で綺麗な笑みだった。

 

「あ、あの……可憐とか、綺麗だなんて思わないでください。さすがに……照れてしまいますから」

「あ……はい……」

 

 古明地さん、その態度も可愛らしいですよ。

 思わずそんな考えを巡らせると、古明地さんは顔を赤くしてこちらを睨んできた。

 ……すみません古明地さん、でも仕方ないんですよ可愛いと思ってしまったんですから。

 

「っ、で、ですからそんな事考えないでください……!」

 

 ますます顔を赤らめていく古明地さん、可愛い……。

 って、これじゃあ堂々巡りじゃないか、いったん落ち着こう。

 勇儀さんは勇儀さんで古明地さんの姿を見てからからと笑っているし、なんとも奇妙な空気が流れている。

 まあ、この様子なら古明地さんと友人になっても別に問題は……。

 

 

――どさり、という何か重いものが高い場所から落ちてきたような音が響く。

 

 

「――――えっ?」

 

 呆けた声を上げる古明地さん。

 けれど僕も勇儀さんも、“それ”を見て同じ反応をせざるをえなかった。

 

 ……誰かが、倒れている。

 1人は黒髪の大きな漆黒の翼を生やした女の子、もう1人は赤髪の一部を三つ編みにして猫耳を生やした女の子。

 2人とも妖怪だというのは理解できたが、正直そんな事はどうでもよかった。

 どうして、何故――倒れている2人は、数メートル離れたここからでもわかる程の血を流し、微塵も動こうとしないのか。

 

「お、空……お燐……」

 

 両手で口元を押さえ、信じられないものを見るかのような表情のまま、古明地さんは身体を震わせている。

 その様子からして知り合いなのだろう、それも単なる知り合いや友人ではないもっと深い関係の。

 

「お空、お燐!!」

 

 弾かれたように地を蹴って、一直線に倒れている2人に駆け寄っていく古明地さん。

 数瞬遅れて勇儀さんが動き、その後に僕も駆け寄ろうとして。

 

 

 古明地さんに迫る、巨大な銀光を見た。

 

 

「――、ぁ」

 

 それは、見知らぬ男が放つ大剣による一撃であった。

 風を切り裂きながら放たれたそれは、真っ直ぐ古明地さんの首を狙っている。

 

――避けられない。

 

 古明地さんも自分に迫る死の一撃に気づいたが、もう遅い。

 回避する事も防御する事も間に合わず、一秒後には彼女の首は胴と離れる。

 勇儀さんが向かっているけれど、それでも間に合わないのは明白であった。

 

 ……駄目だ。

 

 こんな唐突に、何の慈悲もなく命が奪われようとしているのに、何もしないなんて許されない。

 最後の瞬間まで足掻くんだ、間に合わないというのなら……()()()()()()

 

 急げ。

 動け、わかっているのか。

 このまま何もしなかったら、目の前で古明地さんが……!

 

 ■

 

「えっ……!?」

「……何だと?」

 

 古明地さんと、彼女に大剣を振り下ろした男の驚愕に満ちた声を、どこか遠くから聞いたような気がした。

 自らの両腕の中には、茫然とこちらを見つめる古明地さんの姿が。

 何が起きたのか僕自身も理解できず、古明地さんを抱きかかえたまま茫然としてしまう。

 

「ナナシ!!」

「っ」

 

 勇儀さんの叫び声を耳に入れると同時に、頭上から迫る死の一撃に気がついた。

 回避は間に合わない、だから――無我夢中で、()()()()()()()()

 

「…………」

 

 地面を砕き、石塊を撒き散らせる男の一撃が少し離れた場所から見える。

 ……今度は理解した、どういう原理かはわからないけれど。

 僕は今、何の予備動作もなく一瞬で離れた場所へと瞬間移動したのだ。

 さっき古明地さんを助ける事ができたのも、この力が発動したからに他ならない。

 

「チッ……何だよ、何の力もない人間の坊主かと思ったら、こんな芸当ができるとはな」

 

 鬱陶しそうに、けれど何故か少しだけ愉しげに男が呟く。

 瞬間移動、ジャンプ能力と呼ぶべきこの力に対する考察は後だ。

 今は未だこっちに絶殺の意志を向けてくる男から、どう逃げるか考えなくては。

 

 幸いにもジャンプ能力は、治癒の力と同じく自由意思で扱える。

 初めて発動させた筈なのに、この身体が使用方法や効果、有効範囲などを理解していた。

 現状では一度のジャンプでおよそ五メートル程度しか移動できない、遠くまで離れるには何度もジャンプを繰り返すしかないだろう。

 だけどそれができない理由が、古明地さんの視線の先に存在している。

 

「お空、お燐……」

 

 彼女の視線の先に倒れている、お空とお燐と呼ばれた妖怪少女2人を見捨てるわけにはいかない。

 傷だって酷いし意識も失っている、一刻も早く治療をしなければ危ない可能性も存在していた。

 しかし、安易に2人に向かってジャンプしても大剣によって斬り捨てられる。

 迷っている暇はない、ここは一か八か2人に向かって移動を――

 

 

「――よくやったよナナシ、後は任せな」

 

 

 それは地の底から響くような、力強く身体が震え上がるような声だった。

 同時に僕を褒めるその言葉には確かな優しさと暖かさが込められており、視線を声の主である勇儀さんへと向けると同時に。

 

 

 圧倒的な力の奔流が、この場を、否、地底世界を支配した。

 

 

「――――」

 

 男に向かって、勇儀さんはゆっくりと身構え自らの力を解放する。

 行なった行為はただそれだけ、ただそれだけでここにいる全員の身体と思考が凍りついた。

 

 なんだ、あれは。

 なんなのだ、この力は。

 

 デタラメ、などという表現ではあまりに陳腐な程の強大な力。

 それが勇儀さんただ1人の身体から、ジェット噴射のように放出されている。

 今にも噴火する活火山のようだ、人の常識では到底計れない力そのものを見せ付けられれば、ちっぽけな思考など彼方に吹き飛ぶのは当然であった。

 

「こりゃ凄ぇ、さすが鬼といったところか?」

 

 その力を一身に向けられているというのに、男は口元を吊り上げ軽口を叩く。

 鬼という強大な妖怪、その中でも特に力の強い勇儀さんを前にしても、男の調子は変わっていなかった。

 この男もまた、勇儀さんと同じく人の常識では計れぬ領域に手を伸ばしている存在なのかもしれない。

 

「……コイツは無理だな、今の俺じゃ敵わねえか」

 

 ぽつりと男は呟き、全身に纏っていた殺気を霧散させる。

 

「降参するっていうのかい? アンタとは楽しい喧嘩ができそうだと思ったんだけどねえ」

「そりゃあできるだろうさ、けどそこのお嬢ちゃんがなかなか強くてな、結構消耗してんのよ。だからそっちの覚の嬢ちゃんを殺したらすぐに離脱しようと思ったんだが……いや、世の中上手い具合には動いてくれないもんだ」

 

 肩を竦める男からは完全に戦意を感じられず、かといって降参する様子も見られない。

 逃げるつもりか、勇儀さんも同じ事を思ったのか男に向ける視線を鋭くさせる。

 対する男は、そんな勇儀さんには目もくれず。

 

「おい坊主、お前の名前はなんていうんだ?」

 

 世間話をするかのような気軽さで、こちらの名前を訊いてきた。

 

「……ナナシ」

「ナナシ? こりゃまたおかしな名前だが……覚えておくか」

 

 そんな呟きを耳に拾ったと思った時には――男の姿は消えていた。

 一瞬、瞬きの間に影も形もなくなった事実に驚愕する。

 向こうも瞬間移動の類を用いたのか、全員で周囲を見渡すがやはり男の姿は無い。

 

「ちっ、逃げるなんざ男らしくないねえ……」

 

 吐き捨てるように言いながら、溢れ出していた力を抑え込む勇儀さん。

 それで周囲の空気も元に戻っていき、金縛りに遭っていたかのように動かなかった身体が動くようになってくれた。

 

「お空、お燐!!」

「わっ!?」

 

 僕の身体を突き飛ばす勢いで、古明地さんが2人の元へと駆けていく。

 そうだった、まずはあの2人の傷をなんとかしないと。

 古明地さんの後を追って、倒れている2人の前に跪く。

 

「古明地さん、2人の傷を治します」

「えっ、治すって……」

「アンタ、そんな芸当もできるのかい?」

 

 頷きを返しながら、意識を内側へと押しやる。

 この感覚にもだいぶ慣れた、すぐに内にある光へと手を伸ばし黄金の光が両手に宿った。

 2人の傷は深い、妖怪だからこそ生きてはいるけど一刻も早く楽にしてあげないと可哀想だ。

 そう思った僕は光の範囲を広げ、2人同時に治療しようと試みる。

 

「っ……」

 

 身体が悲鳴を上げ始めた。

 治癒の力に加え、先程使ったジャンプ能力は確実に僕の身体を壊している。

 だけどこの程度ならば耐えられる、こんなもの痛みのうちに入るわけがなかった。

 

 だってそうだろう、目の前で血を流したまま意識を失っている2人や。

 そんな2人を心配して泣いている古明地さんに比べれば、こんな痛みなんて我慢できる筈だ。

 

「ぁ、っ……」

 

 黄金の光が、2人の傷を修復していく。

 そして、目に見える範囲での傷が完全に消え去った時には。

 

「…………うにゅ?」

「……あ、あれ? あたいはたしか……」

 

 2人は意識を取り戻し、古明地さんや周囲を見渡しながら困惑していた。

 目を醒ました2人を見て感情が爆発してしまったのか、古明地さんが飛び込むように2人を抱きしめた。

 

「ふぅ、良かっ、た……」

 

 安堵して全身から力を抜いた瞬間、ぐらりと視界が揺れる。

 慌てて体勢を立て直そうとしたのだが、それも叶わず地面に倒れ込んでしまう。

 

「っ、ナナシさん!?」

「……大丈夫、です。少し……疲れただけですから……」

 

 瞼が重い、意識が底なしの闇へと落ちてしまいそうだ。

 

「ナナシ、ゆっくり休みな。何もかも忘れて……今は休むんだ」

「は、い……ありがとう、ござい、ます……」

 

 勇儀さんの言葉に、甘える事にしよう。

 すんなりとそれを受け入れると、もう限界だと意識が一気に途切れていき。

 

 助ける事ができたという強い達成感を全身で感じながら、沈むように眠りに就いた。

 

 

 

 ■

 

 

 

 地底世界の遙か上に位置する地上に、ナナシ達の前から姿を消した男が舞い降りる。

 周囲を確認して勇儀が居ないのを認識した男は、ほっと安堵の息を零す。

 

「――生粋の戦士と名高い“ヴェルム”も、鬼の四天王の一角は恐ろしいか」

「あ?」

 

 男――ヴェルムの前に姿を見せるのは、巨人と呼べるほどの長身を持つ男であった。

 堀の深い顔立ち、瞳の奥に見えるのは震え上がるほどの闘志。

 筋骨隆々なその肉体には数え切れぬ傷が刻まれ、常に戦いの中に身を置いてきた証となっている。

 

「誰だ?」

「ヴィラ、そう名乗っている者だ」

「そういう事を訊いてるんじゃねえ、オレに何の用だと問いかけている」

 

 大剣の切っ先をヴィラと名乗る男に向けながら、ヴェルムは射抜くような視線を向けつつ問いかける。

 常人ならその視線を向けられるだけで意識を失いかねない重圧が込められており、しかしヴィラと名乗った男には塵芥の効果もない。

 涼しげに視線を受け流しながら、ヴィラは静かに己が目的を明かす。

 

 

「共に、ここを闘争の世界へと変えてみないか?」

「……なんだと?」

「妖怪達の最後の理想郷などと言われているこの世界を、かつてのような争いが絶えぬ世界にしてみないか、と言ったのだ」

 

 

 その後。

 ヴェルムとヴィラの姿が、幻想郷から消えた。

 彼等の姿を見た者も会話を聞いた者も居らず、しかし。

 

 この2人の出会いが、少しずつこの世界を蝕み始める事になる……。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2月7日 ~八咫烏~

危機は去った。
傷を負った古明地さんのペット達の傷も治せたし、後はゆっくり休むとしよう……。


「――この度は、地底の者がご迷惑をお掛けして申し訳ありませんでした」

 

 謝罪しながら頭を下げる地底の覚妖怪、古明地さとりに永琳は気にするなと返す。

 今回のナナシに降りかかった災難の原因は、謝る彼女の近くで暢気に酒を飲み明かしている萃香と勇儀なのだ。

 

 2人の鬼の態度に、永琳は音も無く立ち上がり、素早く遠慮なしに2人の頭部に拳骨を叩き落とした。

 しっかりと拳に霊力を込めたその拳骨は、頑強な鬼の肉体にも明確なダメージを与え、2人はそのあまりの痛さに頭を押さえながら悶絶し始めてしまった。

 

「それで、ナナシの容態は?」

「え、ええ……今朝方に目を醒ましまして、身体共に異常は見当たりませんでした」

 

 心を読んで無理をしていないのも確認している。

 さとり達が用意した朝食もきちんと食べてくれたので、問題はないだろう。

 彼女の報告を聞いて、とりあえず安堵する永琳。

 

「申し訳ないのだけれど、あの子の好きにさせてあげてもらえるかしら?」

「わかりました。ですが……宜しいのですか?」

「何を?」

「ナナシさんに早く帰ってきてほしいという、あなたの心が見えたものですから」

 

 覚妖怪としての性を、つい出してしまうさとり。

 

「…………いいのよ。寂しがるのは鈴仙だけだから」

「……そうですか」

 

 嘘ですね、とはさすがに言えなかった。

 目の前の相手の機嫌を損ねるのは好ましくない、ついつい余計な事を言ってしまったとさとりは内心反省する。

 

「それにしても、地底に現れたというその男は、一体何者なのでしょうね」

「結構腕の立つヤツだったよ、あのまま戦っていたらいい喧嘩ができたんだろうけどねえ」

 

 実に残念だと能天気な不満を漏らす勇儀に、さとりは非難の色を込めた視線を送る。

 こっちは家族であるお空とお燐が傷つけられたというのに、その反応はなんだ。

 

「ありゃあ地底のモンじゃなかった、かといって地上のヤツとは思えない程……血生臭いヤツだったよ」

「お燐の話では、地底でも誰も近寄らぬエリアから現れたという事ですので、此方としても詳しい事は……」

 

 あの世の、閻魔辺りならばわかるかもしれないが、連中が話してくれるとは思えなかった。

 旧地獄である今の地底世界ができたのも、連中の傲慢で身勝手な政策の結果なのだから、まず真実を追究しても無駄だろう。

 

「別に興味が無いから問題ないわ。ナナシに危害が加わらなければ」

「……随分と、あの人間を大事に想っているのですね」

「なし崩し的とはいえ弟子にしたのだから大事にするのは当然よ、それに物覚えが良くて素直で優しいのなら尚更でしょう?」

「まあ、確かにそれはそうですが……」

 

 永琳の言う通り、彼は優しく素直な心の持ち主である。

 覚妖怪である自分とすら友人になろうとするし、お空やお燐達ペットも既に彼に対して心を開き始めていた。

 素直過ぎて思わぬ考えを読んでしまう事もあったが、今のところ彼に嫌う要因は見当たらない。

 

 彼は良い人間だ、それは間違いないが……逆に、さとりにはそれが不気味であった。

 彼からは強い欲望が見つからない、人間は勿論妖怪ですら当たり前のように持つ欲が彼には存在していないのだ。

 それはあまりに異常すぎる、まるで彼は他者にとって都合の良い……。

 

「…………」

 

 嫌な考えを頭から振り払う。

 この先は考えるなと、さとりは自分に言い聞かせた。

 

(彼は信用できる人だ、それだけで充分よ……)

 

 

 

 ■

 

 

 

 今回は寝込む事になるかなあ。

 そう思ったのだが、半日眠ったら身体は本調子を取り戻していた。

 治癒の力に新しい能力を多用してしまったけど、負担は思ったよりも軽かったようだ。

 

 とはいえ僕の身体はあくまで人間、頑丈とはいえないので念のため1日この地霊殿で休むように言ってくれた古明地さんの厚意に甘える事にしたのだけど……。

 

「……あの、お空ちゃん」

「何?」

「離れてくれない?」

「ダメ!!」

 

 さっきから地獄鴉の女の子、霊鳥路空――通称お空ちゃんが逃がさぬとばかりに僕の身体を抱きしめていて身動きがとれない。

 もちろん此方の要望ではない、どうしてこうなった?

 

「さとり様から、おにいさんを守るように言われてるもん」

「いや、そうだけどさ……僕を抱きしめる必要は無いと思うんだけど?」

 

 守ろうとしてくれるのは伝わってくるし嬉しいけど、こっちとしては心臓に悪い状況が続いているのは勘弁願いたい。

 お空ちゃんの身体は、大人の女性顔負けの成熟さだから、密着されると……その、色々と困る。

 

「おにいさんは、おくうにぎゅーってされるのは、いや?」

「そ、そういうわけじゃないんだ。

 けどねお空ちゃん、男っていうのは女の子に抱きつかれると緊張したり色々と変な事を考えてしまうから、家族とか好き合ってる相手以外にはしない方がいいんだよ」

 

 やんわりと、言葉を選んで説明する。

 だけどお空ちゃんはよく理解できなかったのか、頭に「?」マークを浮かべながら首を傾げてしまった。

 ……なんで身体はこんなに成長しているのに、そういう知識を持っていないんだこの子は。

 

「えーっと……おにいさんはおくうのこと嫌い?」

「えっ、そんな事はないよ。お空ちゃんは優しいし好きだよ、もちろん友達として」

「えへへ……おくうもおにいさん大好き、お互いに好きならぎゅーってしてもいいよね?」

「いや、だからね……」

 

 やっぱりわかってないよこの子は。

 けど、無邪気に笑いながら抱きしめてくるこの子を、無理矢理引き剥がすなんて真似はできなかった。

 ……別に彼女の豊満な胸が当たって気持ち良いとかそういう邪な気持ちは断じて……ない、筈だ。

 

「……んにゅ、なんか……眠くなってきちゃった……」

「急にどうしたの? お空ちゃん」

「わかんない……」

「眠いのなら、ベッドに行かないと」

「ぅ、ん……」

 

 大きな欠伸をしながら立ち上がり、お空ちゃんはそのまま僕ごと部屋のベッドに……。

 

「って、ちょっとお空ちゃん!?」

「おやすみなさい……」

「いや、おやすみなさいじゃなくて……」

「……すー……すー……」

 

 寝るの早っ!?

 ……どうしよう、完全に動けなくなった。

 眠っているのに僕を抱きしめる力は一向に緩まず、かといって起こすのは憚られる。

 でも近くで聞こえる寝息とか体温とか……妙に意識してしまいそうだ。

 

「…………」

 

 うん……これは、無理だな。

 溜め息を吐いてから、全身から力を抜きつつ目を閉じる。

 脱出は不可能、かといって気持ちよく寝ているお空ちゃんを起こすのは論外。

 

 なので――僕も寝る事にした。

 人間、諦めが肝心という事である。

 

「おやすみなさい」

 

 お空ちゃんの高い体温に包まれているからなのか。

 まどろみはすぐに訪れ、意識もゆっくりと薄れていった。

 女の子に抱きしめられながら眠る、なんとも気恥ずかしいものだけど心地良さが勝っているのでたいして気にはならず、あっという間に意識は眠りの世界へと旅立ってくれた……。

 

 ■

 

 ……浮遊感を覚え、目を開けた。

 視界に広がるのは先程の部屋……ではなく、闇よりも深い漆黒の世界。

 現実味が薄い、まだ夢の中に居るのか?

 

〈まあ、そんなようなもんだ〉

 

 何も見えず何も聞こえない世界の中で、突如として響く男の声。

 青年を思わせる若さ溢れるその声の主は、驚いている僕の事など構わずに、まるで世間話をするかのような口調のまま――その姿を現した。

 

〈よっ、眠っているのに精神を引き摺り出すような真似をして悪いな〉

「…………」

 

 現れたソレを見て、言葉を失った。

 灼熱の業火に身を包み、赤い瞳を輝かせる巨大な鳥。

 姿形は鴉に似ているけれど、その大きさは小さな山を思わせる巨大なものであった。

 

〈あー……やっぱ驚くよなあ〉

「いえ、驚いた事は驚きましたけど大丈夫です」

〈おっ? 肝が据わってんな、こんな状況で落ち着いていられるなんざたいしたもんだ〉

 

 割と本気の口調で褒めてくれる炎の鴉に、曖昧な笑みを浮かべる。

 この一月足らずで色々な目に遭ったから、慣れたというか受け入れざるをえないだけでしかないのだ。

 

〈まずは自己紹介といこうや、オレの名は“八咫烏(やたがらす)”。名前くらいは知ってるだろ?〉

「八咫烏って……」

 

 八咫烏。

 太陽の化身とも呼ばれる三本足の鴉……だったか。

 そして、とある事情でお空ちゃんの身体に宿っている神様が何故僕の前に現れたのか。

 

「……僕はナナシと名乗っている者です、それで八咫烏様は」

〈ああ、別に畏まる必要なんかねえぞー? オレはフランクな神様を目指してるからな、敬語もいらねえ〉

 

 そう言ってニカッと笑う八咫烏。

 フランク過ぎやしないかこの神様……けど話しやすい空気を作ってくれたのは、正直ありがたい。

 

〈どうしてオレが現れたのか疑問に思ってるんだろ? 実はな、ちょいとお前さんに頼みたい事があるんだよ〉

「頼みたい事、ですか?」

〈ああ、それでその内容なんだが……お前の身体を貸してほしいんだ〉

「…………えっ?」

 

 言葉の意味がわからず、間の抜けた反応を見せてしまった。

 身体を貸してほしいって、まさか……。

 

〈待った、今のはオレの言い方が悪かったな。お前にはオレを降ろす為の“依代(よりしろ)”になってもらいたいんだよ〉

「依代?」

 

〈要はお空みたいにオレという神をその身に宿してほしいって訳だ。

 当然そっちにもメリットはある、オレの力を宿せば妖怪に襲われても真っ向から自衛できるぞ。お前さん結構襲われやすそうだからな〉

「それは……まあ」

 

 僕には自衛手段はない、新しく得たジャンプ能力はせいぜい逃走や回避にしか使えない。

 それを考えると確かにメリットはある、だけど向こうには僕の身体に宿る理由があるとは思えないんだけど……。

 

〈理由ならあるぞー。まあ聞いても胸糞悪くなるような世知辛いもんだから、聞かない方がいい〉

「世知辛いって……」

〈神様にも色々あるんだよ、色々な……〉

 

 疲れたようにため息を吐く八咫烏。

 その様子を見ると、深く突っ込む事はできなかった。

 

 ……さて、どうする?

 

 話の内容は理解できた、そしてそれが僕にとっても価値があるという事もだ。

 だけど、確かめなければならない事もあった。

 

「……1つ、いいかな?」

〈おう、なんだ?〉

「僕みたいな人間が、八咫烏のような力を得たとして……それを正しく使えるかな?」

 

〈知らん〉

 

 あんまりな即答を返される。

 知らんって……こっちは真面目に訊いているのに。

 

〈正しい力の使い方なんぞわからんからな、何が正しくて何が間違ってるなんざそれぞれの立場や考え方でコロコロ変わっちまうもんさ〉

「それは、そうかもしれないけど……」

 

〈お前が正しいと思った事に力を使えばいい、お空の傷を治した時だってそうする事が正しいと思ったからだろ?〉

「……そう、だね」

 

 何が正しくて何が間違っているのか、結局は自分で捜すしかないのかもしれない。

 ……よし、覚悟を決めよう。

 彼の力を受け入れる選択を選ぶ、きっとそれが僕にとって“正しい”事だと思ったから。

 

〈――よろしくな、ナナシ。今日からオレとお前は運命共同体だ!!〉

「っ、ぐっ……!」

 

 八咫烏の灼熱の身体が、体内に入ってくる。

 すぐに僕という人間の許容を軽く超えるエネルギーが内側で暴れ、焼き尽くさんと勢いを増していく。

 太陽の炎、脆弱な想像などでは決して計れないその力は、確実に僕の身体を融解させていった。

 

 ……肉体が、保たない。

 神の器になるには、僕という存在では明らかに力不足だ。

 肉体だけでなく精神すら焦がされ、今にも消えてしまいそうになる。

 

〈落ち着け。これはお前の敵じゃない〉

「……僕の、敵じゃない」

〈そうだ、抗ったり抑え付けようとするんじゃなくて、静かに受け入れればいい〉

 

 消えてしまいそうな意識の中、八咫烏の声が響く。

 受け入れる……抗うのではなく、あるがままに受け入れる……。

 何度も何度も自分に言い聞かせながら、荒れ狂う炎の熱に耐え続けた。

 

 この炎は僕の命を奪うものではなく、僕を守り僕を導く神の炎。

 ならば受け入れられない道理は無い筈だ、それに……この力を正しく使いたいと願ったのならば、乗り越えなければ。

 自分自身の為だけじゃない、こんな僕を依代に選んでくれた八咫烏の気持ちにも応えたかった。

 

 そう思うと同時に、少しずつ体内の炎が溶け込んでいくような感覚が押し寄せてきた。

 炎と一体化するような感覚に戸惑いつつも、八咫烏の言葉を思い出し静かに受け入れていく。

 

〈……お空より早いか、こりゃ凄いもんを見つけちまったな〉

 

 八咫烏の声が、どこか遠くから聞こえる。

 そう思った瞬間、体内の炎が一層激しさを増しながら肉体だけでなく視界すら赤く染め上げて……。

 

 

「おにいさん」

 

 

 熱も消え、視界も元に戻った時には。

 僕の意識は元の部屋に戻っており、そんな僕をお空ちゃんがじっと見つめていた。

 

〈ようこそ“こちら側”へ。歓迎するぜナナシ〉

「ヤタ君、本当におにいさんの中に入れたんだ……」

〈おいおいお空、お前信じてなかったのか? あとヤタ君はやめろ、こっ恥ずかしいから〉

 

 八咫烏とお空ちゃんが普通に会話してる……。

 同じ神を宿しているからか、どうやら八咫烏の声は共有して聞こえるようだ。

 

「えへへへ」

「?」

 

 此方を見ながら、お空ちゃんが嬉しそうに笑っている。

 

「どうしたの?」

「あのね、おにいさんがおくうと同じになってくれて嬉しいの!」

 

 これ以上ないってくらいの笑顔を見せるお空ちゃんに、なんだか気恥ずかしくなった。

 でもいくらなんでも喜びすぎじゃないか? そう思ったけれど、次のお空ちゃんの言葉でその意味と……八咫烏の真意を理解した。

 

「ヤタ君の力を使えるのっておくうしかいなかったから、その……ちょっとだけだけど、ホントにちょっとだけだけど……寂しいなって思っちゃった事があるの」

「…………」

「だからね、おにいさんにもヤタ君が宿ってなんだか仲間ができたみたいに思えて……嬉しくなったの」

 

 普通の力ではない神の力、それは持つ者を特別な立場に追いやり孤独を生む。

 お空ちゃんにはお燐さんという友人がおり、古明地さんという主がおり、沢山のペット達が居る。

 だけど、八咫烏の力を持つという立場として見れば、お空ちゃんは孤独だったのかもしれない。

 そして彼女の中に居た八咫烏はそれをわかっていたからこそ……依代になれる僕に自らを取り込ませようと思ったのかもしれない。

 

(八咫烏は、優しいね)

〈いきなりなんだよ? お前が何を考えているのか知らんがそれは買い被りってモンだ、こっちの都合でお空に余計なものを交わらせちまったんだからな〉

(それでもだよ。少なくとも僕にとっては)

〈……恥ずかしくなるから、やめれって〉

 

 それきり、八咫烏は黙り込んでしまった。

 照れているのがまるわかりな彼の反応に、僕と声が聞こえていたお空ちゃんは顔を見合わせ小さく笑い合う。

 

 

 

 こうして、僕は八咫烏という神様の器となった。

 いきなり地底に攫われてきたけれど、終わってみたら友達が増えてくれたので僕としては嬉しい出来事として終わってくれた。

 

 

 だけど、所詮僕は浅はかな考えしか思い浮かばない子供でしかなくて。

 今回の出来事と、八咫烏という存在を受け入れた結果が周囲に何を生むのかを、まるで理解していなかったのだ……。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2月10日 ~里での出会い~

八咫烏という神様と肉体を共有するという非常識なイベントがあったけど、漸く日常が戻ってきてくれた。

永遠亭のみんなにも迷惑を掛けてしまったし、お仕事頑張らないとっ!!


「鈴仙、この家で最後?」

「そうですね……お疲れ様でした、ナナシさん」

 

 人里にて、鈴仙と一緒に薬の販売作業を終え、並んで歩く。

 地底から永遠亭に戻り、いつもの日常はすぐに戻ってきてくれた。

 鬼に攫われたり謎の男に襲われたり、八咫烏のこの身に取り込んだりと色々あったけど、地上での日常はちっとも変わらなかった。

 

「少し早く終わりましたね、もしよかったらこれから一緒に甘味処に行きませんか?」

「そうだね。それに前に約束もしていたし行こうか」

「はい!」

 

 永遠亭に戻る予定を変更し、2人で甘味処へと向かう事にした。

 

〈青春だねえ、こんなエロ可愛い兎ちゃんとデートとはやるじゃねえかナナシ〉

(デートじゃないよ、前に約束していたから一緒に行くだけさ。それと鈴仙をそんな風に見るのはやめてほしいんだけど?)

〈……お前、それ本気で言ってんのかよ。兎ちゃんも可哀想に〉

 

 呆れたように溜め息を吐く八咫烏、なんとなく馬鹿にされているような気がした。

 というか普通に会話に参加しようとしないでほしい、八咫烏の声は一部を除いて僕以外の人には聞こえないんだから、うっかり素で反応してしまったら危ない人間に思われてしまうではないか。

 

「――御主人、一体どうするつもりだい?」

「えっと……ど、どうしましょうか店主さん?」

「いや、こっちに聞かれても困るんだがね……」

 

 店の前に赴くと、入口付近で何やら問題が発生したのか三名の人物が対峙し合っている。

 1人は店の制服を着ている辺り店主なのだけれど、他の二名は……どうやら人ではないらしい。

 

 鼠を思わせる耳と尻尾を生やした小柄な少女が、金に黒のグラデーションの髪を持つ長身の女性を軽く睨んでいる。

 対する長身の女性は、小柄な子に睨まれあたふたと慌てていた。

 

「とにかく無銭飲食をした以上、黙ってはいさよならってわけには……」

「そ、そんな……待ってください、その……財布を寺に忘れてきただけで」

「だけど今は金を持っていないんだろ? なら無銭飲食じゃないか」

「うぐぅ……」

 

「…………」

「ナナシさん、入らないんですか?」

 

 鈴仙が促してくるけど、さすがに困っている人を横目に店に入るのは躊躇いがあった。

 初対面で赤の他人ではあるけど、涙目になっている長身の女性はどうも放ってはおけない。

 

「……あの、お財布を持っていないんですか?」

 

 お前馬鹿だろ、そう言い放つ八咫烏の言葉を無視しつつ、思い切って話しかけた。

 突然見知らぬ人間が割って入った事で全員が面食らったような表情を浮かべたが、すぐに店主である男性が僕の問いに答えを返す。

 

「ああそうだ、こっちとしてはこのまま黙って帰す訳にはいかなくてね……」

 

 まあ尤もである、飲食して代金を払わないなんて言語道断だ。

 しかし女性の方は財布を忘れただけで食い逃げをするつもりはなさそうだし……徐に懐に入っている財布の中身を確認する。

 ちょくちょく八意先生からお小遣いという名の給金を貰っているので、それなりの額は入っていた。

 

「もしよろしければ僕が代わりに払いますので、今回は大目に見てあげる事はできませんか?」

「えっ!?」

「そういう事ならこっちは別に構わんが……いいのかい?」

「ええ、お願いします」

 

 店主から金額を聞き、財布からその分のお金を取り出し手渡す。

 長身の女性が止めようとするけど、それではいつまで経っても問題が解決しそうにないので軽く受け流した。

 

「……お嬢さん、次からは気をつけるんだよ?」

「は、はい……本当に申し訳ありませんでした」

「それじゃあ、僕はこれで……」

 

 一連のやり取りを見ながら僕を呆れたように見つめる鈴仙と共に、店へと入ろうとする。

 

「あ、あの!!」

「気にしないでください、僕が勝手にやった事ですから。お礼も何もいりません」

 

 あくまでも今のは僕の自己満足でしかない、恩義を感じられても困ってしまう。

 なので有無を言わさぬ物言いでそう告げたのだが、長身の女性はなかなかに頑固者であった。

 

「そういうわけにはいきません、今は何も返せませんが……必ずこの御恩を返します。

 私の名前は“寅丸(とらまる)(しょう)”、こちらは私の部下の“ナズーリン”。里にある“命蓮寺”にて僧をしております」

「……僕はナナシです。寅丸さん」

「ナナシさん、ですね? それでは今回はこの辺で失礼させていただきます。必ず今回のお礼は致しますので……」

 

 こちらが恐縮してしまうくらいの丁寧さで一礼した後、寅丸さんは行ってしまった。

 部下と呼ばれたナズーリンさんも、こちらにぺこりと一礼して寅丸さんの後を追い、それを見届けてから今度こそ鈴仙と共に店へと入った。

 

「――ナナシさん、御人よしが過ぎるんじゃないんですか?」

「まあ、わかってはいるんだけどね……」

 

 注文を終えてから、早速とばかりに鈴仙に苦言を呈されてしまった。

 

「まあ、でも命蓮寺の連中だからナナシさんを利用しようとはしないだろうけど……」

「鈴仙はさっきの人達の事、知ってるの?」

「詳しくは知りませんけど、さっきの連中は里の外れにある命蓮寺っていうお寺の関係者です。

 さっきの寅丸星は毘沙門天の遣いらしくて、そこの住職の“(ひじり)白蓮(びゃくれん)”って僧侶は人と妖怪はおろか神も仏も平等という考えを持っているそうですよ?」

 

〈ああ、なんかどっかで感じた事がある力だと思ったら……あのイケメン毘沙門天のだったか〉

「へえ……凄い人だったんだ」

 

 正直、そんな風には見えなかったのはここだけの話だ。

 なんともほんわかした雰囲気で、温厚さが前面に出ているせいか凄みのようなものは感じられなかった。

 でもお寺の関係者ならあの丁寧さは納得できる、少し腰が低すぎるようにも思えたけど……。

 

「それにしても、全て平等かあ……その聖さんって人も、違う種族でも一緒に生きられれば良いなって思ってるんだね」

 

 さすがに神も仏も一緒とは思っていないけれど、人と妖怪が共に生きられれば良いなあと思っているので、会った事はないけれどその聖さんって人には共感が持てた。

 しかし、僕の言葉を聞いた鈴仙の表情はなんともいえないものに変わっており、その考えには否定的なのが見て取れる。

 

「ナナシさん、こう言っちゃなんですけど……それはあくまで理想論だと思いますよ?」

「……それは、まあ」

「そもそも妖怪は人間に恐れられてなんぼの生物なのに、人間と仲良くなったら自己を確立できずに消えちゃいます。人間と妖怪の平等なんてそれが理解できてない人の発言にしか思えませんね」

「…………」

 

 ぐさりと、鈴仙の言葉が胸に突き刺さる。

 乱暴な物言いかもしれないけど、彼女の言っている事は正論だ。

 幻想郷で生きる妖怪とて外の世界で人間に恐れられなくなったからこそ、ここに流れ着いたようなものなのだから。

 

 人から恐れられなくなった妖怪は、いずれこの幻想郷からも消え去り……初めから存在していなかったかのように全ての者から忘れ去られる。

 それぐらいは幻想郷生まれじゃない自分だってわかっている常識だ、でも恐れられるとしても……仲良くできないなんて事はきっとないと信じたかった。

 だってそうでなければ、妖怪兎である鈴仙と人間の僕がこうして共に向かい合って団子を食べているなんて光景も、嘘のように思えてしまうから……。

 

「あ、ご、ごめんなさい……私、ナナシさんを否定するつもりじゃなくて……」

「鈴仙が謝る事なんて何もないよ、僕は気にしてないしそもそも鈴仙が言った事は間違いじゃないんだから」

「…………」

 

 少しだけ、空気が気まずいものに変わってしまった。

 ……難しい問題だ、生きている環境も存在意義も違う種族が、共に生きるというのはきっと想像以上に厳しいのだろう。

 

「鈴仙、すぐに解決しない話を続けても埒が明かないし、せっかく美味しい団子が目の前にあるんだから楽しく食べよう?」

「そう、ですね……すみません」

「だから、謝る必要なんかないってば」

 

 少々強引に空気を変えると、鈴仙もこちらの心中を察してくれたのか表情を和らげ少しずついつもの空気に戻ってくれた。

 いけないいけない、さっきみたいな内容は友人同士で話すようなものではないのに……気をつけなければ。

 

 反省しつつ団子に舌鼓を打つ、うん、美味い。

 1つ2つと食べていく内に、すっかり元の空気を取り戻し鈴仙と楽しく談笑する事ができた。

 ……その半分以上の内容が鈴仙の八意先生や輝夜さん、そしててゐさんに対する愚痴だったのはご愛嬌だ。

 

 ■

 

 しっかりと永遠亭のみんなへのお土産を買ってから、店を出た。

 後はこのまま帰るだけだけど……まだ時間には余裕がある。

 

「鈴仙、他に何処か寄りたい場所とかある?」

「えっ!?」

「? どうしてそんなに驚くの?」

 

 ただ寄りたい場所があるのか訊いただけなのに、何故か物凄く驚く鈴仙に首を傾げる。

 それにどことなく顔が赤い……というか、挙動不審だ。

 

〈おっ、デートの続きをご所望とはなかなかの甲斐性だぞナナシ〉

(デートって……もしかして鈴仙、勘違いしてるのか?)

〈この態度を見ればわかるだろうが、お前って童貞だけあって鈍いな〉

(それは関係ないだろ!!)

 

 なんて事を言うんだこの神様は、当たってるけどさ……。

 とにかく誤解を解かなければ、あたふたしている鈴仙に声を掛けようとして。

 

「すみません。ナナシさんというのは……あなたですか?」

「はい?」

 

 背後から声を掛けられ、おもわず振り向くと。

 

「っ!?」

「…………?」

 

 そこには、先程出会った寅丸さんと。

 僕を見て目を見開いて驚愕している、金髪に紫のグラデーションという変わった髪をした女の人の姿が見えた。

 

「先程振りです、ナナシさん」

「寅丸さん……でしたよね? どうしたんですか?」

「先程の事を彼女に……ああ、その前に自己紹介をしなければなりませんね、聖?」

「…………」

「……聖? どうしたのですか?」

 

 寅丸さんの声にも、聖と呼ばれた女性は固まったままじっと僕を見つめ続けている。

 ……この人がさっき話題に出してた聖白蓮さんか、こういってはなんだけど……服装といい髪形といい、僧には見えない。

 というか、彼女は何故さっきから僕を見て驚いているのだろうか?

 

〈へえ……魔法使いか、それもかなりの実力の〉

(そうなの?)

〈おまけに僧としての法力も兼ね備えてやがる。見た目は若い巨乳ねーちゃんだが……かなり歳くってやがるな〉

(……最後のは完全に蛇足だよね)

 

「聖」

「っ、ぁ……星、どうしたのですか?」

「どうしたって……聖こそどうしたんですか?」

「そ、そうでしたね……申し訳ありません」

 

 おほんと咳払いをして佇まいを直してから、聖さんは改めて此方を向き自己紹介を始めた。

 

「聖白蓮と申します。そちらの妖怪兎さんは知っていると思いますが、命蓮寺という寺で僧をしている者です。先程はこちらの寅丸星がたいへんお世話になったそうで……」

「ナナシです。寅丸さんにも言いましたけど気になさらないでください、僕の自己満足で関わっただけですから」

「いえ、そういうわけには……」

「本当に大丈夫です。偶然あの光景を目にして行動に移っただけですから、聖さん達が感謝する事も恩を感じる必要もありませんよ」

 

 恩を売りたくて助けたわけじゃない、寅丸さん達がきちんと感謝してくれているのならそれで充分だ。

 

「…………」

 

 その旨をきちんと伝えると、聖さんはまた僕をじっと見つめ始めた。

 ……どうして、懐かしむような慈しむような目で僕を見てくるのか。

 少し居心地が悪くなり、彼女から視線を逸らす。

 

「……似ていますね、あの子に」

「えっ?」

 

 聖さんが何か呟いたような気がしたけど、よく聞き取れなかった。

 と、向こうを睨むように鈴仙が僕の一歩前に出た。

 

「あの、ナナシさんがいいと言っているんですからもういいですよね?」

「鈴仙……?」

 

 なんだか鈴仙、怒ってる?

 言葉の端々に棘を感じるし、僕と聖さんの間に割って入るようにしているし。

 

〈おーおー、面白くなってきやがった〉

(何面白がってるのか知らないけど、なんか険悪な空気になってるんだから黙ってて)

 

「……あの、貴女は彼とは一体どのようなご関係で?」

「関係って……その、えっと……」

「友人で兄弟子……じゃなくて、姉弟子です」

「…………ナナシさんは黙っててください」

 

 正直に話したのに、睨まれた!?

 

「と、とにかくこっちはお礼とかそんなの要らないので、失礼します!!」

「わっ」

 

 いきなり鈴仙に腕を引っ張られ、その場から駆け出してしまう、が。

 

「お待ちください」

「おおうっ!?」

 

 如何なる術を使ったのか。

 既に五メートルは離れていたというのに、聖さんは一瞬で僕達の前へと周り込んできた。

 

〈肉体強化の魔法だな。それもかなり高位のだ〉

「な、なんですかいきなり!!」

「……また、会えますか?」

 

 怒鳴る鈴仙を無視して、聖さんは僕の手を取って上記の問いを投げかけてくる。

 その瞳は真剣そのもので、そして今にも泣きそうな程に弱々しいものだった。

 縋るようなその視線に、僕は視線を逸らす事もできずに頷きを返した。

 

「っ、よかった……約束ですよ?」

 

 本当に嬉しそうに微笑む聖さん、それを見て違和感に襲われる。

 初対面の相手に向ける笑みにしては、あまりにも感情が込められ過ぎている。

 まるで愛しい家族に向けるような笑みに見える、それが僕には解せなかった。

 

 ■

 

「まったく……美人だからって鼻の下を伸ばして……」

「別にそういうわけじゃないよ、別にまた会うくらいいいじゃないか」

 

 竹林を歩き永遠亭に向かう間、鈴仙はずっと不機嫌なままであった。

 どうやら彼女にとって聖さん達はあまり仲良くしたくない人達らしい、良い人そうなんだけどな……。

 

「大体、初対面なのに馴れ馴れしいというか……」

「……そういえば、確かに初対面にしてはやけに踏み込んだ態度だったよね」

 

 馴れ馴れしいとまでは思わなかったけど、違和感を覚えるくらいまではという印象を受けた。

 寅丸さんはそうでもなかったけど、あの聖さんって人はおかしな態度を見せていたなあ。

 僕を見て驚いたり、やたらと僕とまた会いたがっていたり……。

 

(もしかして……一目惚れ? なーんて……馬鹿馬鹿しい)

〈いや、意外とそうでもねえかもよ?〉

(そんなわけないだろ。自分で言ってて寒くなるくらいありえないっての)

 

 ただ、だとするとあの態度は何だったのか。

 聖さんはあの時、僕に対してどんな感情を向けていたのだろう。

 

〈あの僧侶、お前さんを別の誰かと重ねて見てやがったな〉

(別の誰か?)

〈それが誰かはわからねえが、あの必死な態度を見る限り……家族か恋人か、とにかく大切なヤツだったのは間違いねえだろう〉

(……成る程)

 

 だとすると、聖さんのあの態度にも納得できた。

 別の誰かと重ねてみているのなら、初対面でのあの態度にも理解できる。

 また会いたいと言ってきたのも、そういう事なのだろう。

 

(でもさ八咫烏、もしその予測が当たってるとして、僕と重ねて見ていた人は……)

〈まあ、もう会えないヤツなんだろうさ〉

(……そうだよね)

 

 近い内に、その命蓮寺というお寺に行こうと決めた。

 単純に興味があるし、何より聖さんが会いたがっているのなら早めに行ってあげようと思ったのだ。

 

「――おかえりー」

 

 永遠亭が見え、門前まで差し掛かるとそこで待っていた輝夜さんが出迎えてくれた。

 

「あれ? イナバってば随分とご機嫌斜めだけど、何かあった?」

「……なんでもないです。それより姫様、お土産買って来ましたので宜しければどうぞ」

 

 そう言ってさっさと永遠亭の中へと入っていく鈴仙。

 それを不思議そうに見つめてから、輝夜さんはこちらに振り向いてにんまりと嫌な笑みを見せてきた。

 

「なによなによー、もしかしてデートが失敗しちゃったとか?」

「デートなんてしていませんよ、ただちょっと……」

 

 里であった事を、輝夜さんに説明した。

 

「へー、ふーん……成る程、つまりナナシが悪いと」

「なんでそうなるんですか……?」

「当たり前じゃないの。……あなたはもう少し察しが良くなりなさいな」

「痛っ!?」

 

 額にでこピンされた、地味に強力だったのでおもわず蹲ってしまう。

 

「大袈裟ねー。ほら、蹲ってないでさっさとお土産を寄越しなさい」

「……誰のせいだと思っているんですか」

「ナナシが悪い、永琳とてゐに訊いても同じ反応をされるわよ」

「えぇー……?」

 

 

 

 で。

 色々解せなかったので、八意先生とてゐさんに里での事を話したら。

 

「……ナナシ、もう少し頑張りなさい」

「どうでもいいんだけど、お前が悪いのは確かね」

 

 輝夜さんの言う通りの回答が返ってきてしまいました、解せぬ。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2月13~14日 ~少女達のバレンタイン~

「…………」

 

 紅魔館の厨房にて、この館のメイド長である十六夜咲夜はある一点をじっと見つめ続けていた。

 彼女の視線の先にあるのは、黒い長方形の物体。

 それは“チョコレート”と呼ばれる食品であり、彼女はとある理由からこの材料を使った菓子作りに対して思案に暮れていた。

 

「――咲夜、何をしているの?」

「っ」

 

 ビクッと咲夜の身体が大きく跳ねる。

 不意打ちに等しいその声掛けの主であるレミリア・スカーレットは、従者の様子のおかしさに首を捻りつつ、厨房へと足を踏み入れた。

 

「仕事は終わったの?」

「お、お嬢様……は、はい、とりあえずの仕事は完了しております」

「それならいいけど……何を見ているの?」

 

 咲夜が注いでいた視線の先に目を向けるレミリア、そこに置いてあるチョコレートを見てから……彼女は壁に取り付けられているカレンダーを見て、にやーっと意地悪じみた笑みを浮かべた。

 

「へー、ふーん、ほー」

「な、何でしょうか……?」

「いや、咲夜にもこういった一面がある事がわかって嬉しくなっただけさ。

 ――明日はバレンタインだ、ナナシに渡そうと思っているのだろう?」

 

 瞬間、咲夜の顔が一気に赤く染め上がり、それを見たレミリアはますます口元の笑みを深めていった。

 なんと初々しい反応か、それもあの咲夜がだと、レミリアは内心笑いが止まらなかった。

 

「あ、あの……その……」

「別に恥ずかしがる必要なんかないでしょ? お前はただ前に世話になった礼がしたいだけなんだからさ」

「…………」

(おや……?)

 

 てっきり赤い顔のまま反論してくると思ったのだが、咲夜は何も言わず黙り込んでしまう。

 そんな彼女を見てレミリアは浮かべていた笑みを消し、彼女にある問いかけを投げかけた。

 

「咲夜」

「は、はい」

「お前……本気でナナシに惚れたのか?」

「…………」

 

 またも無言、肯定はせずとも否定はしないという曖昧な態度。

 いつもの彼女らしからぬ姿に、レミリアはふむ、と顎に手を置き思案に暮れた。

 珍しく異性の相手と仲の良い姿を見せられたので、興が乗ってからかっていたが……本気になってしまったのだろうか?

 

 まあそれはそれで面白い、あの咲夜が男に惚れるなど初めてだからだ。

 しかし、どうやらそう決め付けるのは早計かもしれないと、咲夜の照れたようなそれでいて困ったような表情を見て、レミリアはそう思った。

 

「……お嬢様は」

「うん?」

「お嬢様は、恋をした事はありますか?」

「無いよ。そもそもわたしに釣り合う男との出会い自体ないんだから」

 

 肩を竦めるレミリア、そんな主を見て咲夜はおもわず苦笑する。

 予想通りな返答もそうだが、このような問いを主に言い放った自分が可笑しいと思ったのだ。

 

「お嬢様には、私がナナシ様に対して恋慕しているように見えるのですか?」

「えっ、うーん……そういうわけじゃないんだけどさ。もしかして……わたしの早とちりだった?」

「……わからないのです。私がナナシ様をどう思っているのか」

「ああ……」

 

 その言葉で、レミリアは理解した。

 彼女は今悩んでいる、自分自身の感情を持て余して迷っている。

 ……それが嬉しくて、レミリアは先程とは違う慈しみが込められた笑みを浮かべた。

 

「お嬢様、何を笑っているのですか?」

「ごめんごめん、別に咲夜を馬鹿にしているわけでもからかっているわけでもないよ。

 ただ嬉しかったんだ、お前がこんな風に年頃の少女らしい姿を見せてくれた事なんて、今までなかっただろう?」

「それは……お嬢様に出会う前も今も、ずっと闇の中で生きていますから当然ですわ」

「ああそうだ、夜の女王であるわたしの従者であるお前も闇の中で生きる者。だがな、今みたいに人間らしさを見せてくれるのは好ましい」

 

 自分に絶対の忠誠を誓っているが故に、彼女は時折完璧を目指そうとするのだ。

 向上心があるのは良い、だがその結果として人でありながら人間らしさを失うのはレミリアにとって面白くない。

 人間でありながら悪魔の従者、十六夜咲夜という少女はそういった立ち位置だからこそ栄えるのだ。

 

「咲夜、ナナシの事は嫌いではないのだろう?」

「……はい。お優しい方ですし温厚で話しやすく、嫌える要素を見つける方が難しいです」

 

「わたしもアイツは気に入っているよ、御人好しという次元を通り越した危うさと不気味さはあるがそれもまた魅力の1つだ。

 フランも気に入っているしこの館で働いてくれたらとも思っている。――今はそれで充分じゃないか?」

「えっ?」

「少なくともお前はアイツを好ましく思っている、それが親愛から来るものかそれとも異性に対する愛情からなのかはわからなくとも……今はそれだけで充分じゃないのか?」

 

 答えを急ぐ必要などない、寿命の短い人間だとしてもまだ時間は充分にあるのだから。

 レミリアとしてはさっさと答えを出してほしいと思っているが、待つのもまた一興だと己に言い聞かせる。

 

「……そう、ですね。お嬢様の言う通りだと思います」

「当たり前だ。わたしはお前の主なんだぞ?」

 

 胸を張ってドヤ顔をかますレミリア、良い事言ったと言わんばかりである。

 ……確かに良い事は言ったとは思うが、ドヤ顔のせいで台無しだ。

 やはり主は長い間カリスマを維持できないようだ、まあこれはこれで可愛らしいのでよしとする。

 

「咲夜、お前何か失礼な事を考えなかったか?」

「いいえ、気のせいですわ」

 

「……まあいいわ、それよりそのチョコレートを使って何か作ってくれない? 小腹が空いちゃったのよ」

「すみません、ナナシ様に渡す分しかありませんので」

「……お前、主を後回しにするとか」

「代わりにプリンを用意致しますので」

「よし、許す」

 

 速攻で怒りを霧散させるレミリアに、咲夜は内心苦笑する。

 はーやーくー、子供のように急かす主を見て、咲夜は自身の能力の1つである“時止め”を用いてプリン作りを開始したのだった。

 

 

 ■

 

 

「はい、これ」

「えっ?」

 

 朝。

 いつものように、寝ている輝夜さんを起こしに行ったら、既に起きていた彼女は長方形の箱を手渡してきた。

 綺麗にラッピングされたそれを反射的に受け取ったものの、意図がわからず呆けてしまう。

 

「ナナシ、今日がバレンタインだって事を忘れてない?」

「バレンタイン……」

 

 壁に掛けられているカレンダーに視線を向ける。

 今日の日付は2月14日、確かにバレンタインの日だった。

 

「呆れた、男なら今日に備えて女の子からのポイントを稼いだり、そわそわしたりするものじゃないの?」

「後者はともかくとして、前者はどうかと思うんですけど……」

 

 ふむ、つまりこの箱の中身はチョコレートというわけか。

 バレンタインのことなんて忘れていたけど、貰えたのは素直に嬉しかった。

 

「輝夜さん、どうもありがとうございます」

「いいのよ別に、だってソレ里で買ってきた市販品だもの」

「それでもですよ、わざわざ買ってきてくれたんですからお礼を言うのは当然です」

 

 貰えた事に感謝するのは当たり前だ、気持ちには気持ちで返さなくては。

 すると輝夜さんは呆れたように肩を竦め、苦笑を見せた。

 

「それじゃあ、ホワイトデーは期待しているわよ?」

 

 手をヒラヒラさせながら、輝夜さんは行ってしまった。

 さて、じゃあ台所に行って朝食の支度の続きを……。

 

「ナナシ」

「八意先生、どうしましたか?」

 

 此方に向かってきた八意先生にそう訊ねると、いきなり黒い物体を投げ渡された。

 それはまごうことなきチョコレート、ハート型に象られたそれを受け取った僕は、おもわず八意先生に視線を向けた。

 な、なんでハート……? なんだか変に意識してしまう。

 

「どう? ドキドキした?」

「…………正直」

「素直でよろしい、こっちもわざわざこの形にした甲斐があったわ。それじゃあ早速食べてくれる?」

「でも、もう朝食ですよ?」

 

 しかし八意先生は「いいから」と強い口調で促してくるので、仕方なく受け取ったチョコレートを一口齧り……。

 

「っ、ちょ、うぇ……」

 

 その味に、顔をしかめ口に入れたチョコを吐き出してしまいそうになった。

 ……しょっぱ甘い、ただただしょっぱ甘い。

 しかもその甘さとくどさと言ったら、無理矢理呑み込んでも口の中で残る程だ。

 

「どう?」

「……正直に言っていいなら、美味しくないです」

 

 貰っておいてあんまりな回答だが、それほどまでに悪い意味で強烈だったのだから仕方がない。

 うぐ、舌がピリピリしてきた……何が入ってるんだこのチョコは。

 と、僕の身体に変化が訪れた。

 

「効いてきたみたいね」

「何を入れたんですか? なんだか身体が軽くなってるんですけど……」

「滋養強壮効果のある薬を独自の比率で混ぜ合わせた特製のチョコレートだもの、まあそっちを重視したから味は五の次くらいになってしまったけど」

「せめて二の次ぐらいにしてくださいよ……」

 

 とはいえ、確かに身体に残っていた疲労感などは綺麗さっぱり消えてくれていた。

 ただ口周りは最悪の一言に尽きる、効き目重視の栄養食品だと思えば食べられるか……。

 

「ともかく、ありがとうございます……」

「気にしなくていいわ。実験も兼ねているから」

「…………」

「冗談よ。最近のあなたは特に働き過ぎなのだから、無理はしないで頂戴ね?」

「はい……うぷっ」

 

 身体は軽くなったけど、気分は悪くなってきた……。

 これは朝食を食べるのは無理そうだ、そう思った僕は八意先生に事情を説明して部屋で休む事にした。

 

「……失敗だったかしら」

 

 八意先生、やっぱり実験も兼ねていたんじゃないんですか?

 

 ■

 

 結局、午前中はベッドの中で過ごす事になってしまった。

 けどその甲斐もあって気分も良くなってきたし、そろそろ起きて仕事の手伝いをしないと。

 そう思った矢先、部屋の窓からコンコンという音が聞こえ開けてみると。

 

「こんな所からすまないな」

「ルーミア?」

 

 そこには、僕に向かって右手を挙げるルーミアの姿があった。

 

「具合が悪いのか?」

「まあ、色々ありまして……それよりルーミアはなんで部屋の窓から来たの?」

「本当ならちゃんと入口から入るつもりだったんだが、チルノ達を待たせていてな」

「……大変だね、ルーミアも」

 

 僕が封印の一部を解いてしまったせいで、見た目も精神も封印される前より成長してしまったルーミア。

 そのせいか、今の彼女はいつも遊んでいる友達の保護者的ポジションに納まってしまっている。

 それだけでもなんだか申し訳ないのに、彼女はまだ最初に僕を襲った負い目を感じて守ろうと考えてくれているのだから、余計に申し訳なかった。

 

「それはいいんだ。それより、これを受け取ってくれ」

「?」

 

 手渡されたものを受け取る、長方形のラッピングされた箱……。

 

「もしかして、バレンタインのチョコレート?」

「ああ。だがこれは私のじゃないんだ、わかさぎ姫からお前にと渡すのを頼まれてな」

「わかさぎ姫さんから……」

「本当は自分で手渡したかったそうだが、おいそれと湖から出られる身体じゃないから泣く泣く断念していたよ」

 

 そんな彼女が、わざわざ用意してくれたのか。

 その気持ちが凄く嬉しくて胸に暖かくなった、これは早速食べさせてもらわないと。

 なるべく丁寧に包装を剥がし、箱を開けて……ルーミアと共に絶句した。

 

 入っていたのは確かにチョコレートだ、別に変な形をしていたとかおぞましい匂いを発していたとかそういった異常はない。

 異常はなかった、少なくともチョコレートにはだ。

 問題なのは、そのチョコの上に置かれたメッセージカードに書かれた内容である。

 

“私の鱗入りです、美味しく食べてくださいね?”

 

 鱗って……えっ、いや、冗談だよね?

 どうすればいいのかわからず、固まる事暫し。

 

「……じゃあ、私はこの辺で」

「えっ!? ちょ、ルーミア!?」

 

 僕が止めるよりも早く、ルーミアはその場から飛び去ってしまった。

 ず、ずるい……面倒な事になったから、僕に押し付けて逃げるなんて。

 

「…………」

 

 ……食べないと、駄目だよね?

 カードに書かれた内容が本当か嘘かわからないけど、どちらにせよ用意してくれた事には変わりないんだ。

 だったらちゃんと食べるのが礼儀である、そう自分に言い聞かせてチョコレートを口に含んだ。

 

「…………美味しい」

 

 普通に美味しかった、甘さも控え目で食べやすい。

 なんだか拍子抜けというか、安心したというか……。

 

〈お前も大変だな……〉

(はは……でも、こうやって女の子がバレンタインの日にチョコレートをくれるのは、本当に嬉しいよ)

 

 ちゃんとホワイトデーのお礼を考えないとな。

 そう思いながら、わかさぎ姫さんのチョコレートに舌鼓を打つ。

 ……鱗、本当に入ってるのかな。

 

「――ナナシさん、起きていますか?」

「鈴仙? どうぞ」

 

 失礼します、そう言いながら部屋に入ってくる鈴仙。

 走ってきたのか、呼吸を少し荒くしている。

 

「……ナナシさん、それ」

「ん? ああ、これはルーミアが持ってきてくれたんだ。作ってくれたのはわかさぎ姫さんだけど」

「ふーん…………良かったですね」

 

 っ、なんだか悪寒が……。

 それと鈴仙の此方を見る目が恐くなっているような。

 

「他の女の子から貰っているなら、私のなんかいらないですね」

「えっ、鈴仙も用意してくれたの?」

「……ええ、まあ」

「いらないなんて思わないよ、僕としては貰えたら本当に嬉しいから」

 

 なんだかねだっているような感じになって恰好が悪いような気がしたけど、正直な気持ちなので訂正はしない。

 僕の言葉を聞いて、唇を尖らせていた鈴仙はやがて懐から小さな箱を取り出した。

 

「じゃあ……これ」

「ありがとう、鈴仙」

「言っておきますけど、不味くても文句は受け付けませんからね」

「鈴仙は料理上手だし大丈夫だよ、それに万が一不味かったとしてもせっかく作ってくれたのならちゃんと食べるさ」

 

 早速とばかりに箱を開けさせてもらい、中に入っていた一口大のチョコを口に含んだ。

 あっ、サクサクとした歯ざわり……クランチチョコだこれ。

 

「美味しいよ、鈴仙」

「ぁ……よかった」

 

 ほっとしたような表情を浮かべる鈴仙、自信がなかったのだろうか?

 そのまま一気に食べ、満足感を得た僕はおもわずほぅ……と、息を吐いた。

 

「喜んで、もらえました?」

「勿論、寧ろ申し訳ないくらいだよ。僕なんかにここまでしてもらえて……」

 

 

「そ、そんな事ありません! ナナシさんに喜んでもらおうと作ったんですから!!」

 

 

「えっ……」

「あっ……」

 

 ……沈黙が、部屋に訪れる。

 鈴仙の顔は真っ赤に染まり、きっと僕の顔も赤くなっているだろう。

 今の言葉はどういう意味なのか、問いかけようとしても口が上手く動かない。

 

 鈴仙も何か言いたげだけど、僕と同じく何も言えない状態に陥っていた。

 2人して互いを見つめ合うという珍妙な光景を繰り広げる事暫し、自分達だけでは破れないこの沈黙を来訪者が破ってくれた。

 

「おーい、2人して何見つめ合っちゃってんの?」

「っ、て、てゐ!?」

「ち、違うんですよこれは!!」

「何が違うのかよくわかんないけど……ナナシに客だよ」

 

 じゃあ私はこれで、さっさと部屋を去るてゐさんと入れ替わるように入ってきたのは……。

 

「あ、咲夜さん」

「ご無沙汰しております、ナナシ様」

 

 相変わらず丁寧な一礼を見せてから、部屋へと入ってくる咲夜さん。

 なんだか緊張しているように見えるけど、気のせいかな?

 

「今日はどうしたんですか?」

「まずはお嬢様と妹様からの伝言を。“暇だから遊びに来い”との事です」

「あー……近い内にお伺いさせてもらいます」

 

 フランはともかく、レミリアさんはかなり怒ってるなこれは。

 なかなか行ける機会に恵まれないけど、行かないとどんな目に遭わされるか……。

 

「お願い致します。……そ、それと……これを」

 

 言いながら、咲夜さんは僕に小さな箱を手渡してきた。

 

「咲夜さん、これはもしかして……」

「チョコレートです、食べていただけますか?」

「ありがとうございます、咲夜さん」

 

 箱を受け取る、鈴仙のを食べたばかりだからこれは後で食べよう……。

 

「……食べて、いただけないのですか?」

「えっ、今すぐですか?」

 

 食べないんですか、口では言わず目で訴えてくる咲夜さんに、もちろん勝てる筈もなく僕は箱を開けた。

 中に入っていたのは丸い形をしたトリュフチョコ、金箔が鏤められ高級感を醸し出している。

 さすが咲夜さん、鈴仙に負けないくらい美味しそうなチョコだ。

 

「いただきます」

 

 1つを手に取って口に含む。

 じんわりと広がる甘さ、噛めば噛むほどに濃くなっていく味は決して濃厚過ぎるわけでもなく、幾らでも食べられそうだ。

 

「とても美味しいです、咲夜さん」

「……よかった」

 

 先程の鈴仙と同じように、ほっとした表情を浮かべる咲夜さん。

 

「それでは、私はこれで」

「わざわざすみませんでした、このお返しは必ず」

「ふふっ、お気になさらないでください。私がナナシ様に作りたいと思ったのですから」

「あ……そ、そうですか……」

 

 他意はない、それはわかっているのにそんな事を言われてしまうとおもわずどきりとしてしまう。

 ……バレンタインの事を忘れていたとはいえ、まさか女の子からチョコを貰えるとは思わなかった。

 一部はちょっと……いやかなり食べるのに躊躇いがあるものだったけど、素直に嬉しい。

 

「……ナナシさん、あのメイドのチョコと私のチョコ、どっちが美味しいですか?」

「えっ? うーん……どっちも同じくらい美味しいから甲乙付けるなんてできないよ」

 

 そもそも鈴仙はクランチチョコで、咲夜さんはトリュフチョコ。

 比べようが無いではないか、そう答えたら鈴仙が不機嫌そうにこちらを睨んできた。

 も、もしかして咲夜さんに負けるのが悔しいのか……?

 

〈ある意味では当たってるけどよ……お前、本当にガキだな〉

 

 八咫烏には馬鹿にされる始末、解せぬ。

 

 それはともかく、こうしてバレンタインの日は過ぎ去っていった。

 最終的にこれ以上チョコは貰えなかったけど、僕からすれば充分過ぎるほどに貰えたのでとても嬉しい。

 ……お返し、何にしようかな。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2月16日 ~ナナシと大僧正~

今日はお仕事はお休みだ。
前に会う約束をした人に、会いに行かないと……。


 人里の中を、1人で歩く。

 今日は鈴仙の手伝いではなく、前に交わした約束を果たす為に、里外れにあるらしい“命蓮寺”へと向かっていた。

 

〈ナナシ〉

(何?)

〈約束しちまった手前、こうして会いに行くのはしょうがねえとしてもだ、深入りするつもりがねえのなら浅い関係に留めておけよ?〉

(……それって聖さんの事? なんで?)

 

 問いかけるが、八咫烏からの返答はなかった。

 その態度に訝しんでいると、前方に命蓮寺の入口と。

 こちらに向かって笑顔で手を振っている、聖さんの姿が見えてきた。

 

「こんにちは、聖さん」

「こんにちはナナシ、来てくださってありがとうございます」

 

 ぺこりと一礼してから、どうぞと聖さんは寺へ入るように促してくれた。

 

「今日は寺のみんなは出払っていますので、皆の紹介はまた別の機会にしましょう」

「はい。ところでどんな人達が居るんですか?」

「みんなとても良い子で可愛い女の子ばかりですよ、殆どが妖怪ではありますけどね」

 

 そんな事を話しつつ廊下を歩いていく。

 やがて客間へと着き、聖さんはお茶を淹れに入ってしまったので、座って待つ事に。

 お寺、とはいってもそういった部屋以外は普通の家と変わらないんだな……。

 

〈茶、飲んだら帰るぞ〉

(……ねえ、さっきから変だよ? もしかして聖さんが気に入らないの?)

〈そんなわけねえだろ、あんな巨乳ねーちゃんが嫌いとかありえないって〉

(じゃあなんでそんなに帰りたがってるの? あとその表現は失礼だからやめた方がいいよ)

〈…………お互いの為にならねえからだ〉

 

 よくわからない答えを返してくる八咫烏。

 どういう意味かと訊いてみるが、またも無言を貫くのみ。

 お互いの為にならないって……本当にどうしたんだろう。

 

「お待たせしました」

 

 お茶とお饅頭を持って、聖さんが戻ってきた。

 ……とりあえず考えるのはやめよう、そう思い僕は意識を此方と向かい合うように座った聖さんへと向ける。

 

「遠慮しないでくださいね?」

「ありがとうございます、いただきます」

 

 ご厚意に甘え、饅頭とお茶に手を伸ばす。

 永遠亭は兎達でいつも賑やかだけど、この命蓮寺は2人だけという事もあるのかとても静かだ。

 時々聞こえるのは木々のざわめきだけ、のんびりした空気は心を穏やかにさせていく。

 

「…………」

「…………」

 

 穏やかな空間の中に生まれる違和感。

 ……聖さんが、こっちを見ながらニコニコと微笑んでいる。

 向ける視線がとんでもなく優しいものだから指摘するのは躊躇われたけど、さすがに訊かずにはいられない。

 

「あの……何か?」

「えっ、あ、いえ、なんでもありませんよ」

 

 挙動不審な反応を見せる聖さん、なんでもないように見えませんけど……。

 とはいえ深く追求するのも何なので、それ以上は何も訊かずお茶を啜る。

 

「――ご馳走様でした」

「はい、お粗末さまでした。……すみませんが、此方に来ていただけますか?」

「えっ、はい……」

 

 立ち上がり、聖さんの元へと移動する。

 すると、彼女は自分の太股をポンポンと叩きつつ、僕に視線を向けてきた。

 ……待った、そのジェスチャーはまさか。

 

「……違ったら申し訳ないんですけど、もしかして膝枕しようと思ってます?」

「はい、正解です」

 

 どうぞ、なんて言ってくる聖さんだけど、ハイわかりましたとはいかない。

 そりゃあそうである、女の人に膝枕してもらうとか恥ずかしいことこの上ないし、何よりそこまで親しい間柄でもないのに……。

 

「…………あれ?」

 

 視界が横になっている。

 地面に向いている方からは、何やら柔らかい感触が。

 

「痛くありませんか?」

「はい、大丈夫……じゃなくて、いつの間に!?」

 

 いや、本当にいつの間にか膝枕されていた。

 あの一瞬でである、素早いとかそんなレベルではない。

 

「あの、聖さん……」

「お嫌ですか?」

「…………」

 

 そんな不安そうな声で言われたら、反論できない。

 何の意図があるのかはわからないけど、別に抵抗する理由が無いのならおとなしくしていた方がいいのかもしれない。

 それに柔らかくて暖かな感触は、大きな安心感を生み身体の力を程よく抜いてくれる魅力があった。

 所詮僕も男という事なのか、正直この膝枕に抗える自信がない。

 

「ふふっ……」

「んっ……」

 

 優しく、ゆっくりと頭を撫でられる。

 それがまた心地良くて、自然と目を閉じてただひたすらにその感触に身を委ねた。

 なんだか眠くなってきた……このまま寝てしまってもいいだろうか。

 そうだそうしよう、心地良さに抗えず僕はそのまま優しさの中に沈んでいこうとして。

 

「…………命蓮」

 

 ぞわり、と。

 おもわず身体を震わせてしまう程に恐いと思ってしまった、聖さんの呟きを耳に入れた。

 

 ……今のは、何だったのか。

 たった一言、誰かの名前であろう呟きを聞いただけで身体が震えた。

 声に込められていた狂おしいまでの愛情と、執着をその身が感じ取ったからだろうか。

 

〈……ああ、そういう事かよ〉

 

 八咫烏の、侮蔑を込めた声が聞こえた。

 そう思った瞬間、全身に軽い衝撃が襲い掛かり。

 

「……ナナシ?」

「…………」

 

 そう思った時には、僕の身体は僕の意志とは無関係に動き、聖さんから離れ彼女を冷たい目で見下ろしていた。

 それを何処か他人事のように見る、否、実際に他人事になっていた。

 身体が動かせない、けれど僕の身体は勝手に動いている。

 

(八咫烏、僕の身体を動かしているのは君なのか……?)

〈悪いなナナシ、ちょっとばかり身体を貸してもらってるぞ。すぐに返すから安心しろ〉

 

 何を勝手な、当然抗議したが八咫烏は耳を貸さず僕の口で聖さんを責め立てる。

 

「元々何も言わないつもりだったがな……お前がそういう態度をナナシに向けるのなら話は別だ」

「……あなたは、何者ですか?」

「オレは八咫烏、わけあってナナシに依代になってもらいこいつの身体の中にいる者だ」

「八咫烏……」

 

 驚きを見せる聖さん、というかあっさり信じるのか。

 聖さんは僧侶で魔法使いだから、八咫烏が表に出た事で何かしらを感じ取ったのかもしれない。

 

「聖白蓮、どこかで聞いた事があると思ったが……あの聖命蓮の姉か」

「っ、命蓮を知っているのですか?」

「会った事はないが毘沙門天から聞いている、かつて最高位の大僧正とまで謳われた伝説の僧だとな」

 

 命蓮、そういえばさっき聖さんが呟いていたのもその名前だった。

 同時に理解する、聖さんが僕を誰の姿と重ね合わせていたのかを。

 

「かつて死に別れた弟の代用品を、ナナシにやってもらおうって魂胆か?」

「何を……」

「だからこそお前はナナシに対してこうまで積極的になったんだろ? それにあの呟き……家族を失った寂しさを代わりを用いて埋めようってか?」

「違います、私はそんな……」

 

 すぐに否定する聖さんだが、その口調は僕でもわかるほどに弱々しいものだった。

 ……そうか、八咫烏が危惧していたのはこういう事だったのか。

 だからすぐに帰りたがっていたし、あまり聖さんと交流を持つなと警告したんだ。

 

「別にそれが間違ってるなんて偉そうな事を言うつもりはねえ、それだけ大事だった家族に似てるヤツが現れたのならそう思っちまうのもしょうがねえさ。

 だがな、それにナナシを巻き込むのは許さん。コイツはただ純粋にお前との交流を深めたいと思っているのに、それを裏切る行為をするというのなら……」

(っ、八咫烏!!)

 

 やめろ、それ以上は。

 それ以上、聖さんの心を傷つけるな。

 

 溢れんばかりの激情が、爆発したかのように飛び出した。

 それを聞いた八咫烏は言葉を止め、やがて呆れと仕方なさを含んだ溜め息を吐き出す。

 

「……ナナシが怒るんで、ここまでにしてやる。

 だが忘れるな、たとえお前にとってナナシがお前の弟に似ているとしてもナナシはナナシだ。代わりになんかなりゃしねえんだ」

 

 八咫烏がその言葉を放つと同時に、先程と同じ衝撃に襲われる。

 同時に八咫烏の精神が内側へと戻り、いつものように身体が動かせるようになった。

 すぐさまどういうつもりかと問い詰めようとするが、話す事などないのか八咫烏はそのまま僕の身体の奥底へと引っ込んでしまった。

 これでは会話ができない、というか八咫烏だけこういう事できるのか……。

 

「…………」

「ぁ……」

 

 周囲の空気は、最悪なものになっていた。

 八咫烏が好き勝手言うだけ言って逃げたから、どう声を掛けていいのかわからず、押し黙る事しかできない。

 聖さんも顔を俯かせ、表情は見えないものの……ショックを受けているのは手に取るようにわかってしまう。

 

 どうして八咫烏は、あんな言い方をしたのか。

 僕を亡くなってしまった弟さんの代わりにしようとしたと言っていたけど、聖さんだってそんな意図は無かったんじゃないのか?

 確かに彼女の行動を顧みれば八咫烏の言葉にも説得力はある、けどだからって……。

 

「…………ごめんなさい、ナナシ」

 

 ぽつりと、顔を俯かせたまま聖さんが僕に向かって謝罪する。

 その声は震え、まるで子供のように小さく儚いものであった。

 

「聖さんが謝る事なんて無いんです、八咫烏が言い過ぎただけで……」

「いいえ。彼の言っていた事を否定する事はできません……私は、貴方を亡き弟である命蓮の姿を重ねて見ていました」

 

 許しを請うように告げ、聖さんは命蓮さんの事を話してくれた。

 

 自身の法術の師であり、家族であり、友であり、支えであった命蓮さん。

 そんな彼が自身よりも早く亡くなった事で、聖さんは“死”に対する恐怖を抱き魔の道を歩み始めたそうだ。

 

 人としての生を捨てる決意を抱かせるほどに、聖さんにとって命蓮さんという人物の存在は計り知れなかった。

 今は自分を慕い共に歩んでくれるもう1つの家族に恵まれているが、それでも彼女の中から命蓮さんの存在は決して消えたりはしない。

 それでも日々を過ごす中では、あくまでそれは思い出の1つに留まっていたのだが……僕との出会いで、その思いが再び表に出てしまった。

 

「ナナシは命蓮の若い頃に似ていますから、一瞬だけ本気で命蓮が私の前に現れたのかと思いました」

 

 だからこそ、初めて会った時にあれだけの驚きを見せたのか。

 ……なら仕方ないではないか、大切な家族に似ている人と会えたのなら、代わりとして接してしまってもそれは。

 

「八咫烏様の言う通り、間違っているのは私の方です」

「……だけど、それだけ大切な家族と似ている人に会ったのなら」

「それはあくまで一時の夢、そればかりか私はあなたを“ナナシ”という人物ではなく“命蓮に似ている命蓮の代わり”としか見なかった。あなたの全てを蔑ろにしているに等しい愚行を、私は犯してしまったのです」

 

 自らを責めるように、聖さんは言った。

 

「許してください、などと言う資格など私にはありません。僧でありながら欲に溺れあなたを傷つけてしまった……その償いは、必ず」

「ちょ、ちょっと待ってください!!」

 

 話が大事になっているので、慌てて制止した。

 償いとか、聖さんは何を言っているんだ?

 彼女が償う事なんて、何一つないというのに。

 

「聖さん、僕に償うことも許される必要もないんですよ。だって別に何も悪い事なんかしていないじゃないですか」

「えっ……で、ですが私は」

「大切だから、本当に大切だったから僕と弟さんを重ねてしまったんでしょう? その気持ちは……少しだけですけど、判る気がしますから」

 

 僕には、家族と呼べる人は居ない。

 本来なら居るかもしれないけど、記憶を失っている今では存在しないのと一緒だ。

 それでも、大切な人を失い悲しむという人としての気持ちは、理解できる。

 だから誰にも聖さんを責める事はできないし、してはならないと思ったのだ。

 

「僕は、聖さんの弟さんの代わりにはなれません」

「…………」

「だけど友人にはなれると思うんです、そして僕自身が聖さんと友達になりたいと思っています。

 だから今回の事でわだかまりのようなものを残したくない、ですからさっきの事はもう気にしないでくださいませんか?」

 

 八咫烏が聞いたら「甘い」と斬り捨てる事を言っているけど、それでも僕は言いたかったのだ。

 気にしないでほしかったから、今回の感情を否定して拒絶しないでほしかったから。

 僧侶だって心がある、迷う事だってあるし家族を想うが故に見せてしまう弱さだってある筈だ。

 

「…………本当に、そういう所も似ていますね」

 

 聖さんが微笑む、とても自然で柔らかな笑顔を浮かべている。

 

「ナナシ、私と……友人になってくださいますか?」

「勿論です。聖さん」

「では、私の事は白蓮とお呼びください。私とあなたは友達なのですから」

「はい、白蓮さん!!」

 

 お互いに右手を差し出し、握手を交わす。

 その瞬間、僕と白蓮さんは友人になる事ができた。

 

「えっ……わぶっ」

 

 突然手を引っ張られ、抱きしめられる。

 顔が白蓮さんの豊満な胸に挟まれ、恥ずかしいやら息ができないやらで思考がこんがらがった。

 

「すみません、少しだけ……このままで」

「うぶぶ……」

 

 わ、わかりました……わかりましたから、白蓮さん。

 お願いですから、もう少しだけ抱きしめる力を緩めてください。

 む、胸が……僕には刺激が強すぎます、あと呼吸が上手くできないので……。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2月20日 ~紅魔館の“鬼”ごっこ~

幻想郷での日々は、のんびりゆっくりと過ぎていく。
さあ、今日はどんな一日が待っているのかな?


 薄暗い赤い館、吸血鬼の城である紅魔館を駆け抜ける。

 息は上がり足がもつれそうになるが、速度は決して緩めない。

 何故なら、そうしなければ捕まってしまうからだ。

 

「待てー、お兄ちゃーん!!」

「ほらほら、このままじゃ捕まるわよ?」

 

 楽しそうなフランと、意地悪そうに笑うレミリアさん達スカーレット姉妹が後ろから僕を追いかけてくる。

 どうしてこんな事に……泣きたくなるのを我慢しながら、ただただ逃げ続けていく。

 

 事の始まりは少し前、前に咲夜さんから聞いた会いに来いというレミリアさんの言葉に従い、紅魔館へと赴いた。

 咲夜さんが作ってくれたお菓子や紅茶に囲まれながら、楽しいお茶会のはじまりはじまり……になる筈だったのだが。

 

「それにしてもだ。ナナシ、咲夜に言伝を頼んでから実際に来るまで随分と間が開いたな?」

「あ、すみません」

「……まあいいさ、わたしは寛大だからね。

 とはいえ……何も罰を与えないというわけにはいかないな」

 

 全然寛大じゃないですね、口から出そうになった言葉を無理矢理呑み込んだ。

 でも罰って……噛まれたりとかされるのだろうか?

 よく見るとレミリアさん牙が生えてるからなあ、噛まれたりしたら凄く痛そうだ。

 

「そう身構えるな、痛い事は多分しないさ」

「多分?」

「そうだな……少しわたしとフランの遊びに付き合ってくれればいいさ」

 

 予想とは違う言葉に、拍子抜けしそうになりながらも安堵する。

 遊び相手になればいいだけなら、特に問題はないだろう。

 

 ……それが間違いだったのだ。

 

「フラン、鬼ごっこでいいわね?」

「うん、いいよー」

「鬼ごっこですか、じゃあまずはじゃんけんで鬼役を……」

「まあ待て、まずは咲夜が用意してくれたお菓子を楽しもうじゃないか」

 

 で。

 3人で他愛ない話をしながら、美味しいお菓子と紅茶に舌鼓を打った。

 のんびりとした平和な時間を過ごし、それで終わり……だったらどんなに良かった事か。

 

「――では、そろそろ始めるとしようか」

「ナナシ、頑張ってね?」

「えっ?」

 

 その言葉の意味を理解するよりも早く。

 僕は、2人の身体から溢れ出し始める妖力を全身で感じ取り、身を震わせた。

 

「鬼役はわたし達姉妹、お前は逃げる側だよ」

「えっ……えっ?」

「十秒待ってあげる。逃げられる範囲は館の中だけだからね?」

 

 そう言って、ゆっくりと数を数え始めるスカーレット姉妹。

 逃げるのが僕だけで、鬼は2人って……冗談ですよね?

 しかし数を数えるのを止めない2人を見て、冗談ではないと理解した僕は、全力でその場から逃げ出して……今に至る。

 

 一応手加減をしてくれているのか、僕が走る速度と2人の追いかけてくる速度はほぼ同じだ。

 だがそれでは逃げ切れない、此方の体力が先に尽きて捕まるのは目に見えている。

 

〈幼女2人に追いかけられるとか、一部の紳士が見たら羨ましがられるな〉

(ちっとも嬉しくないよ!! というか、力を貸してよ八咫烏!!)

〈いや、命の危険がないのに神であるオレの力を貸せるわけねえだろが、男なら自力でなんとかせんかい〉

(無茶言うな!!)

 

 人間と妖怪では地力が違うというのに、なんとかできるわけないだろう。

 八咫烏はああ言っているが、絶対に今の状況を見て楽しんでいるから力を貸すつもりがないに決まっている。

 ああ、もう、本当にこの神様は肝心な時に……。

 

「――追いついたよ、お兄ちゃん」

 

 真横から聞こえる声を耳に入れると同時に、僕は半ば本能でしゃがみ込んだ。

 刹那、先程まで僕の上半身があった高さにフランのレーヴァテインが横切った。

 

「ちょ、何するのさフラン!!」

「何って……攻撃だよ?」

「鬼ごっこの最中に攻撃とか普通しないけど!?」

 

 しかも今のは避けなければ真っ二つにされるような攻撃だった、遊びの範疇を越えた一撃だ。

 

「何を言っているんだナナシ、脆弱な人間の鬼ごっことスカーレット家に伝わる鬼ごっこを一緒にするな」

「代々伝わる鬼ごっこなんてあるわけないでしょ!! この鬼、悪魔!!」

「確かに吸血“鬼”で悪魔だが……それが一体どうしたというんだ?」

 

 っ、駄目だこの吸血鬼姉妹、完全に楽しんでる……。

 

「なんだかんだいいつつも避けられたじゃないか、少し会わない内に成長したようでわたしは嬉しいぞ」

「……遊び相手になれるからですか?」

「賢しくなったじゃないか」

「チクショーッ!!」

 

 泣き叫びながら、再び全速力で駆け出した。

 だがこのままでは本当に捕まる、というより捕まる前に命が消える気がする。

 どうすればいい、どうすれば……逃げ出しながら全力で思考を巡らせこの状況を打破する手段を思いつこうとして。

 

「…………あれ?」

 

 気がついたら、僕は廊下ではなく『大図書館』と書かれたプレートがある大きな扉の前に立っていた。

 レミリアさん達の姿は見えず、代わりに僕の前に居たのは……この館のメイド長である、十六夜咲夜さんだった。

 

「咲夜さん……?」

「館内が騒がしいので何かと思ったら……申し訳ありませんナナシ様、お嬢様方の戯れに巻き込まれる事になってしまいまして……」

「あ、いえ……気にしないでください」

 

 謝罪する咲夜さんにそう言いながら、僕の頭は混乱していた。

 たった一瞬にも満たない時間で、見知らぬ場所に移動している今の状況が理解できない。

 自身のジャンプ能力によるものではない、そもそもあれは僕の視界に映る場所にしか移動できない。

 困惑する僕の心中を察したのか、咲夜さんはこの状況の経緯を説明してくれた。

 

「私が時を止めてナナシ様をこちらまで移動させてもらったのです」

「……時を、止める?」

「私には時を止めたり時間を遅くしたり早めたりできるのですよ」

 

 さも当たり前のような口調で、咲夜さんは右手に持つ金の懐中時計を見せながら自らの能力を明かす。

 ……時を止めるなんて、それこそ常軌を逸した反則級の能力じゃないか。

 自分の治癒能力が可愛く思える程のその力に、驚きを隠すことができずそんな僕に咲夜さんは苦笑を浮かべる。

 

「あっさりと信じるのもナナシ様らしいとは思いますが、そこまで驚かれるのは中々新鮮な反応ですね」

「あ……すみません」

 

 慌てて謝り頭を下げる、僕が見せた態度は彼女にとって失礼だと思ったからだ。

 他者にはない力を持つ者に対し、物珍しげな態度を向けるなどそれでは珍獣を見るようではないか。

 

「頭を上げてくださいナナシ様、私は一切気にしておりませんから」

「……ありがとうございます」

 

「ふふっ、ナナシ様は少々他人の顔色を伺い過ぎているような気がしますわ。もっと堂々とすればいいのに。

 まあそれはともかくとして、ナナシ様は暫くそこの扉の先にある“大図書館”に隠れてていただけますか? その間にお嬢様達にナナシ様を追いかけないように言っておきますので」

「すみません、お手数をお掛けします」

「いえいえ、元はといえばお嬢様方の気紛れが原因なのですから」

 

 それでは、そう告げて咲夜さんがこちらに向かって一礼したと思った時には……彼女の姿は消えてしまっていた。

 時を止めて移動したのだろう、目の前で能力を見せられても正直半信半疑だ。

 

〈人間には過ぎた力を持ってやがるなあの嬢ちゃん、幻想郷にはそういうのが多いな全く〉

 

 八咫烏の言葉を受け流しながら、僕は目の前の大きな扉に手を掛けた。

 割とすんなりと扉は開き、中に入り……その広大さに目を見開いて固まってしまう。

 

 天井は高く、優に六メートルは越えているだろう。

 横幅も数百メートルと広大であり、驚くべきは……その殆どのスペースを天井に届きそうなほどの高さの本棚で埋め尽くされている点だ。

 目に見える範囲では本棚の中にはぎっしりと本が収められており、入りきらないのか下に積み重なっている所もある。

 高い所の本を取る為であろう簡易式のエレベーターのようなものも設置されており、一体ここには何千……何万何十万という本があるのだろうか。

 

〈こりゃあすげえな、こんだけの本があるって事も驚きだが……その殆どが魔導書だぞ。これだけの魔導書が一箇所にある場所なんて初めて見たな〉

 

 八咫烏もさすがに驚いたのか、そう告げる声には驚愕の色が込められていた。

 大図書館の名に恥じぬこの空間で、暫し立ち尽くしていると。

 

「――侵入者にしては、随分と隙だらけなのね」

 

 僕の前に、パジャマのような衣服に身を包んだ紫の髪を持つ少女が降り立ってきた。

 こちらを警戒するように睨んでいる少女に、驚きつつも僕は事情を説明した。

 

「ぼ、僕は侵入者じゃなくて、ナナシという者でして……」

「ナナシ? じゃああなたがレミィ達が言っていた変り種の人間?」

「……多分、そうだと思います」

 

 認めたくはないけど、否定もできないのでとりあえず頷きを返した。

 すると紫髪の少女は此方を値踏みするような視線を暫し向けた後、自らの名を明かす。

 

「私はパチュリー・ノーレッジ、この大図書館の管理者……のようなものをさせてもらっているわ。

 種族は魔法使い、こう見えても一応百年以上は生きている魔女なの。レミィ……レミリア・スカーレットとは一応親友よ」

「はじめまして、ノーレッジさん」

「パチュリーで構わないわ。それより……この大図書館に何の用かしら?」

 

 ノーレッジさん、もといパチュリーさんの問いかけに僕は先程までの経緯を話す。

 すると彼女は呆れたように溜め息を吐き、僕に同情めいた視線を向けてきた。

 よかった、パチュリーさんは良識があるんだ……いや、決してあの姉妹に良識が無いとかそういう意味ではないけど。

 

「そういう事なら暫くここに居なさい、ただ静かにしている事と無闇にここの本に触れない事、いいわね?」

「はい、わかりました」

「ん……どっかの白黒と違って物分りが良い人間ねあなたは、あの子もこうだったらいいのだけれど…………来なさい、小悪魔」

「はーい!!」

 

 パチュリーさんの声に、赤髪の少女が2人こちらへと飛んでくる。

 白いシャツに黒いベストにロングスカートで身を包んだ長髪の少女と、上の服装は同じだがミニスカートで髪は短い少女。

 どちらも頭と背には黒い羽根のようなものが生えており、小悪魔と呼ばれた事から彼女達は人間ではなく悪魔なのだろう。

 全然悪魔のイメージとは違う容姿に面食らっていると、短髪の方が僕に向かってにやーっとした笑みを向けてくる。

 

「パチュリー様、この子……食べちゃってもいいんですかー?」

「えっ……?」

「背丈はそれなり、顔は悪くない……しかも童貞とあっちゃ、悪魔としては放っておけませんからねー」

 

 にじり寄って来る短髪の悪魔少女、その赤い目は妖しく光り僕を逃がすまいとする狩人の目に見える。

 なんだか男としての危機が迫っているような気がしたが、そんな彼女を隣に居た長髪の悪魔少女が重い拳骨を叩き込み強引に黙らせた。

 頭を押さえ地面をゴロゴロと転がる短髪悪魔少女、鈍く重い音がしたから相当痛いんだろうな……。

 

「……妹が失礼を致しました」

「あ、いえ……」

「私達はパチュリー様の使い魔である低級悪魔、ですので名前はありません。

 とはいえそれでは不便ですので私は“こあ”、妹の方は“ここぁ”と名乗っていますので、そう呼んでください」

「わかりました、こあさん。ここぁさん……は、大丈夫ですか?」

 

 転がるのは止めているけど、微塵も動かず時折痙攣してる……。

 しかしパチュリーさんもこあさんもそんなここぁさんには目もくれず、僕を奥の席と机がある場所まで連れて行く。

 

「あの、ここぁさんは……」

「いいんです。お客様に対してあのような態度を取るあの子が悪いんですから」

「あなたは紅魔館の主であるレミィの客人なのだから、あんな態度が許されるわけないわよ」

「別に僕は気にしてないので、許してあげてくれませんか?」

 

「――さっすが、女の子の身体を知らない童貞君は言うことが違う」

「うわぁっ!?」

 

 背後からいきなりここぁさんに抱きしめられた、いつの間に復活したんだ?

 うぐっ、背中に柔らかな感触が……。

 

「ふふふっ、初々しい反応ね~。ますます食べたくなってきちゃった」

「あ、あの……すみませんけど、離れてくれませんか?」

「そんな事言って本当は嬉しいくせにー、ほーらあなたのココはこんなに大きく……ふごぉっ!?」

 

 ここぁさんの顔面に突き刺さる、エメラルド色の水晶。

 その衝撃は凄まじく、彼女はそのまま吹き飛んでいき近くの壁に叩きつけられてしまった。

 

「…………」

「本当にごめんなさい。ああいう子だからしばらく男を遠ざけていたのだけれど……逆効果だったみたい」

「うぅ……悪魔らしいと言えばそれまでだけど、どうしてあんなにエッチな子に育っちゃったのかしら……」

 

 どうやら、ここぁさんには2人も結構手を焼いているらしい。

 でもやり過ぎなような気がする、だってまた動かなくなっちゃったし。

 

「っ、けほっ、げほっ!!」

「パチュリー様!!」

「えっ?」

 

 突然咳き込み出したパチュリーさんに、険しい表情を浮かべ慌てて駆け寄るこあさん。

 優しく背中を擦るこあさんだけど、パチュリーさんはますます咳き込んでいき只事ではない事態だと認識させられる。

 

「大丈夫ですか!?」

「パチュリー様は生まれつき喘息持ちでして……ここぁちゃん!!」

「ちょっと待ってて!!」

 

 一気に図書館の中が緊迫した空気に包まれる。

 そうこうしている間にも、パチュリーさんの顔色は悪くなる一方で咳き込み方だって尋常じゃなくなっていた。

 命の危険に晒されるのは時間の問題だ、だから僕は席から立ち上がりパチュリーさんの元へと駆け寄る。

 

「すみません、ちょっとジッとしていてください」

「げほっ、ぐ……ナナ、シ……?」

 

 右手を気道の部分へと翳し、内側にある癒しの力を取り出す。

 力は黄金の光となって右手に宿り、ゆっくりとそれをパチュリーさんへと注ぎ込んでいった。

 

「これは……!?」

「っ……」

 

 痛みが走り、肉体が警鐘を鳴らす。

 それを無視して力を注ぎ込み……およそ十秒ほど経っただろうか。

 黄金の光が手から消え、そのままパチュリーさんから離れると。

 

「…………嘘、落ち着いたわ」

「ええっ!?」

「ふぅ……」

 

 単純な傷ではなかったけれど、病気にも効果があって良かった。

 ただパチュリーさんの喘息が重いものだったのか、それとも傷の治療ではなかったからなのか、消耗は激しく身体が重くなっていた。

 ……今日はもうゆっくり休んだ方がいいな。

 

「……あなた、今何をしたの?」

「僕には傷を癒す力があるんです。それでパチュリーさんの喘息を治した……わけではないんですけど」

 

 傷を癒す事はできるのだが、どうにも喘息のような病気系には完全な効果は望めないようだ。

 一時的に症状を和らげる事はできるみたいだけど、もっとその病気に対する知識を得ればまた違ってくるのかもしれない。

 

「成る程、レミィが気に入るわけだわ……魔法使いである私の身体に干渉して喘息の症状を和らげるなんて……魔法に例えたら最上位に該当する力よそれ」

「そう、なんですか?」

「ええ、種族である魔法使いの肉体は人間のものとは違うのよ。無意識的に魔力を帯びている身体には別の力を送りにくいの。

 自らが唱えた治療魔法なら効果は見込めるけど私の喘息は生まれつきでしかも呪いに近いほど重いのよ、だから治療魔法では治す事はおろか症状を和らげる事もできない」

 

 だから、症状を和らげた僕の力にパチュリーさんもこあさんも驚いたそうだ。

 また汎用性が高い能力になってるな……力が成長しているという事なのだろうか?

 

「けれどあまりその力は使わない方がいいわね」

「……ええ、色々な人からよく言われています。人間の僕には負担が大きいって」

「それもあるけど……それだけの力よ、必ずそれを利用しようとする者が現れる。危惧すべき点はそちらの方が大きいわ」

「…………」

 

 もう利用された事がありますけどね、とは言えなかった。

 

「とにかく助かったわ、ありがとう。借りができてしまったわね」

「そんな……僕が勝手にやった事ですから、そんな風に考えなくてもいいですよ」

「……呆れた。こういう時はキチンと恩を売っておかないと後悔するわよ?」

「むっ……」

 

 それはそうかもしれないが、そういうのは嫌なのだ。

 顔に出てしまっていたのか、パチュリーさんは僕を見て肩を竦めため息を吐き出す。

 けれど浮かべる表情はなんだか優しく、隣に居るこあさんといつの間にか居たここぁさんも僕に向ける表情は柔らかいものだった。

 

 ……なんだか居心地が悪い、それに恥ずかしくなってきた。

 

「――失礼致します」

 

 そんな空気を払拭するような声が、大図書館に響く。

 入口の扉が開き、入ってきたのは咲夜さんと……スカーレット姉妹。

 ま、まさか鬼ごっこの続きをするのか? そう思った僕はおもわず身構えてしまう。

 

「大丈夫ですよナナシ様、お嬢様も妹様もやりすぎたと反省しています。そうですよね?」

「え、ええ……悪かったわねナナシ、ちょっとやりすぎたわ」

「ご、ごめんねお兄ちゃん……反省しているから、許してくれる?」

「うん、それはいいけど……何かあったの?」

 

 なんかやたらと脅えている様子にそう訊ねると、2人はなんでもないと口を揃えて言い返してきた。

 明らかに何かあった態度である、でも凄まじい勢いで首を横に振り続ける2人を見るとそれ以上は訊けなかった。

 そんな姉妹の横に立つ咲夜さんはいつもの様子だったけど……何故だろう、ちょっと恐く見えてしまった。

 

「レミィ、彼……面白いわね」

「なんだパチェ、ナナシと仲良くなったのか?」

「そう言えるほどではないけれど……そうね、友人にはなりたいと思ったわ」

「ほぅ……根暗で友達付き合いの悪いお前がそんな事を言うとはな」

 

「ナナシ、そういうわけだから……私と友人になってくれるかしら?」

「え、ええ……それはいいんですけど……」

 

 ちらりと視線を横に向けると、顔面に氷の塊を叩き込まれ悶絶しているレミリアさんが映った。

 確かにレミリアさんの言動は失礼なものだったけど、氷柱みたいに鋭い氷の塊を魔法で作って叩き込まなくても……。

 

 

 

 その後、パチュリーさんとこあさん達を加えて、改めて紅魔館でお茶会が開催された。

 レミリアさんがパチュリーさんに余計な事ばかり言って、それに怒ったパチュリーさんが魔法をレミリアさんに叩き込み……という光景が複数回行なわれたのは余談である。

 ただ傍から見るとその光景は恐ろしいと思うと同時に、仲の良い友人が戯れているようにも見えたので、ほっこりしたのは内緒だ。

 

〈いや、普通に惨劇だろアレ……なんか腕とか足とかあらぬ方向に曲がってるぞ?〉

(そう思うようにしたんだから、余計な事は言わないで)

〈あ、ハイ〉

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

~深淵の宵闇~
2月25日① ~蝕む闇~


幻想の地に、小さな闇が現れる。
それは少しずつ、確実に大きくなっていき。

やがて全てを巻き込む、大きな漆黒へと変化していく……。


「おっとっとぉ~」

「おいおいー、大丈夫かー?」

 

 夜の人里の中を、ふらふらとおぼつかない足取りで歩く2人の中年の男達。

 どちらも呂律は怪しく、たらふく酒を飲み泥酔状態であるのは目に見えて明らかな2人は、楽しげに口笛なんか吹きつつ千鳥足で里の中を歩く。

 既に里に光はなく、男達の持つ堤燈から灯る光だけが周囲を照らしていた。

 

「かあちゃーん、今帰るぞー!!」

 

 無駄に大きな声を上げつつ、2人はそれぞれの家へと向かって歩き続ける。

 辺りは暗いが家は互いにすぐ近くにある、異常なまでに静まり返った里の道を歩いて、酔っ払い共は帰路に着いた。

 

「…………んー?」

 

 けれど。

 酔って低下した思考でも、2人はいつも歩いている筈の道が“いつもの道”ではないような気がしてきた。

 少々盛り上がって閉店まで居酒屋に入り浸り、こりゃあ帰ったら怒られるなあと思ってしまう程に夜が深まった時間。

 

 それだけならば今まで何度も経験している。

 だが、2人の思考と神経はそれだけではないという認識を抱き始めていた。

 

 ……あまりに静か過ぎる。

 確かにもう夜は遅い、それでもまだ真夜中というわけでもない。

 だというのに、まるで世界に自分達しか居ないのではないかと錯覚させられるほどに、周囲には静寂だけが存在していた。

 

「……なあ、早く帰ろうぜ?」

「お、おう……そうだな」

 

 歩を速める、さすがに走りはしないが早歩きになった。

 既に酔いは醒めており、自然と荒くなりそうな息遣いを抑えながら、2人はただひたすらにそれぞれの家へと帰ろうとする。

 

 何を不安に思う事があるのか。

 別に周囲に変なものが居るわけじゃない、夜遅くなんだから静かなのは当たり前。

 そう自分に言い聞かせながらも、2人の中に芽生えてしまった不安と悪寒は消えるどころか増していくばかり。

 

 2人には何か特別な力などない、ただの一般市民だ。

 勘が優れているわけでもなく、だというのにただ漠然と「ここは危険だ」と自身が訴え続けている。

 早歩きだった足はいつの間にか小走りとなり、やがて全力疾走へと変化した。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……」

「は……は、はぁ……」

 

 つんのめるように走り、ただただこの恐怖から逃げたくて2人は走った。

 誰も居ない、居る筈が無いのに後ろを振り向けば第三者が居るように思えて仕方がない。

 

 ……自分達の家の前に着いたというのに、彼等は止まらずに全力でその場を通り過ぎる。

 止まれない、この恐怖が無くならない限り止りたくないと、喉がカラカラになり息も絶え絶えになっても走り続けた。

 走って走って走り続けて、とにかくどこか明るい所に行きたいと願い続けて、そして。

 

「え…………?」

「あ…………?」

 

 そして、2人は漸く理解に至った。

 里の外へと続く門の前で、2人は立ち止まる。

 家から遠く離れた場所に来てしまったと今更気づき、しかも何故急に止まってしまったのかも疑問に思った。

 

 そもそも、どうして自分達は正体も掴めぬ、見えもせぬ恐怖に脅え逃げ続けていたのか。

 あまりにも馬鹿馬鹿しい、自分で自分を笑いたくなる愚行だ。

 

「…………男かぁ、それもおじさん2人……まあ、しょうがないか」

 

 だって、最初から。

 自分達は、“ソレ”から逃げる事なんてできる筈がなかったのだから。

 

「でも残すのは勿体無いからね、キチンと食べてあげるさ」

 

 闇よりも深い、深淵の更に奥深くから聞こえてきそうな声。

 それを耳で広うと同時に、2人の目は見えなくなった。

 

「ぁ、ギ……!?」

「ぉ……」

 

 次に手の感覚が消え、動かそうとした足の感覚も同時に消え去った。

 その絶大な不快感と痛みに耐えかねて悲鳴を上げようとしても、もう喉どころか……2人の顔は完全に消えていた。

 否、消えたというのは適切ではない。

 2人の顔は文字通り溶けていた、ずぶずぶと、蠢く闇が咀嚼をするようにゆっくりと。

 

「…………ふぅ、不味い」

 

 蠢く闇の中から、小さな少年が起き上がった。

 十にも満たぬ小さな身体だが、内から溢れ出す深淵の闇を身に纏うその姿は、人間ではなく妖怪のものだ。

 少年は自身の黄色に近い金の髪をくしゃくしゃと掻きながら、不満げに唇を尖らし呟きを零す。

 

「やっぱり年老いた人間は美味しくないなあ、食べるとするなら子供か……若い女が一番だ」

 

 少年にとって、今の惨劇は単なる“食事”でしかなかった。

 食べたくない類のものであったが、少年には入り好みをしている余裕などない。

 

「封印が解けたのはいいけど、力を取り戻すまではもう少し掛かるかな……」

 

 消耗した自身の身体の修復の為に、少年は幻想郷にとって禁忌の1つである里での人喰いを行なった。

 尤も、つい最近まで外の世界で封印されていた少年にとって、幻想郷の掟など守る意味などないものではあるが。

 ……いや、それは正確ではない。

 たとえ少年が幻想郷に生きる妖怪だったとしても、このぬるま湯のような仮初めの世界など笑いながら蹂躙する。

 

「随分と人間に優しい世界になったもんだ……そんなだから腑抜けになるんだよなあ、妖怪共は」

 

 どこか侮蔑を込めた呟きを放ち、少年は自らが生み出した闇の中へと沈んでいく。

 僅か数秒、それだけの時間で凄惨な光景を生み出したこの場には何もかもが消え去ってしまう。

 里の中は再び静寂が訪れ、誰もがこの惨劇に気づく事はなかった……。

 

 

 ■

 

 

「――えっ、入れない?」

 

 今日は薬の販売の日、鈴仙と共に人里へと赴いたのだが。

 里へと入るための門の前で、門番であろう2人組の男性に入るのを止められてしまった。

 

「何かあったんですか?」

「……すまないが、暫く部外者を入れるわけにはいかなくなった、お引取り願おう」

 

 有無を言わせぬ物言い。

 詳細は話さないが、早く帰れと視線が訴えている。

 

 嫌な態度だ、鈴仙も向こうの物言いにムッとした表情を浮かべる。

 ……仕方ない、今日は戻ろう。

 踵を返し竹林へと戻っていく、隣に並んで歩く鈴仙は……やはりというか、不満顔。

 

「相変わらず、人里の連中は変わらないのね」

「けど何があったんだろうね?」

「知りませんよそんなの、まったくもぅ……」

 

 これは、かなり頭に来たみたいだな。

 まあ気持ちはわかる、あんな言い方じゃ相手の気分を害するだけだというのがわからないのか。

 それはともかく、薬の販売ができないとなると、暇ができる。

 時間が空いたのなら、八意先生に色々と勉強を教えてもらおうかな。

 

〈枯れてんなーお前、隣の兎ちゃんをデートに誘うとかないわけ?〉

(八咫烏、うるさいよ)

 

 なんてやり取りをしつつ、竹林の中を歩き永遠亭へと戻る。

 偶然入口で八意先生と鉢合わせし、すぐに帰ってきた僕達を見て首を傾げながら問いかけてきた。

 

「あら、どうしたの?」

「里の中に入るのを止められたんです、理由は教えてもらえませんでした」

「相変わらずでしたよ師匠、ホントに失礼な連中ですよね里の人間は」

「そう怒らないの。そうねえ……じゃあ鈴仙は今日は休みでいいわ」

 

 八意先生がそう言うと、鈴仙は目を見開いて驚きを見せる。

 いや、確かに吃驚するけどそこまで驚かなくても……。

 

「……ナナシは客間に行きなさい、あなたに客よ」

「えっ、あ、はい……」

 

 その場から逃げるように立ち去る、すぐに後ろからは「師匠、なんで耳を引っ張るんですか痛い痛い痛い!!」という鈴仙の悲鳴が聞こえてきた。

 誰だろうなあと思いつつ、途中で台所に寄ってお茶を用意してから、客間へと赴く。

 部屋の中に居たのは、白い髪に白い獣の耳と尻尾を持つ、白狼天狗の少女であった。

 

「お久しぶりです」

「えっ?」

 

 どこかで会った事があっただろうか、記憶を思い返すがいまいち思い出せない。

 僕が首を捻っていると、白狼天狗の少女はいきなり僕の前に跪き頭を下げ出す。

 

「あ、あの、何を……?」

「あの時は己の身も顧みず助けてくださって、ありがとうございました」

「あの時? あの時って……」

 

 …………あ。

 そこで僕は漸く思い出す、この少女は前に輝夜さんと一緒に妖怪の山に行った時に助けた子だ。

 結局碌に話す事はなかったけど、一番重傷だったから思い出せた。

 

「大百足の妖怪と戦ってた白狼天狗さん……でしたよね?」

「はい。犬走(いぬばしり)(もみじ)と申します、椛とお呼びください」

「……それはわかりましたから、まずは顔を上げてくれませんか?」

 

 まるで主に従う従者のような姿の椛さんに、おもわず顔が引き攣ってしまう。

 天狗は人間よりも遥かに上位の存在だし、天狗自身がそう思っている筈だというのに、今の彼女からはそれを感じられない。

 最大限の感謝と申し訳なさ、そして忠義のようなものだけが感じられた。

 顔を上げてくれた椛さんと改めて向かい合うように座り、とりあえず持っていたお茶を差し出してから用件に入った。

 

「それで、今回はどのようなご用件ですか?」

「……今更で大変申し訳ないと思いますが、あの時の恩を少しでも返したいと思いまして」

「恩? もしかして……傷の治療に関してですか? だとしたら、別に気にする必要なんか……」

「そういうわけにはいきません、ましてや私は貴方様にお礼の言葉すら言えず一月以上も何もしなかったのです。無礼に無礼を重ねてしまった事はお詫びのしようも無いかと思いますが……」

「い、いや別に僕は気にしてませんし……」

 

 だからお礼なんていいです、そう言っても椛さんは一歩も引き下がってくれなかった。

 確かにあれから一月ぐらい経つけれど、お礼とかそういうのは考えてなかったから正直何を今更な話なのだ。

 椛さんの気持ちも解るけど、そんな仰々しく考えられるのは苦手なんだよなあ……。

 

「何でも致します。それだけの恩を貴方様から与えられたのですから」

「うーん……」

 

〈何でもするって言ったな? よし、じゃあまず服を……〉

(エロガラスは黙ってて)

 

 必要はないけれど、せっかくお礼をすると言ってくれているのだ。

 ここはそのご厚意に甘えさせてもらおう。

 

「じゃあ、お願いしたい事があるんですけど」

「はい、何なりと!!」

 

 うわ、ものすごい目をキラキラさせ始めた。

 忠犬という言葉を頭に浮かべつつ、僕は椛さんにあるお願い事をして。

 

 やはりというべきか、彼女はそのお願いの内容を聞いてなんともいえない微妙な表情を見せてきたのであった。

 

 ■

 

「……欲がないのは結構ですが、いくらなんでも無さすぎではないでしょうか」

 

 竹林の中を飛びながら、椛は呆れを込めた呟きを零した。

 だが先程の彼とのやり取りを思い出せば、呆れもするというものだ。

 

 当初の彼は椛達“妖怪の山”の住人達にとって、侵入者でしかなかった。

 だが彼のおかげで数多くの白狼天狗達の命は救われ、特に助かる見込みもない程の傷を負った椛にとって、ナナシは誰よりも恩を報いたい存在であった。

 だというのに、彼が先程言ったお願いというのは。

 

【今度山の幸を分けてくれませんか? それと、僕と友達になって欲しいです】

 

 である。

 明らかに受けた恩と釣り合っていない。

 逆に何か企んでいるのではないかと勘ぐってしまったが、彼の目を見ればそれが本気である事がすぐに判り……違う意味で驚いてしまった。

 

 拍子抜けというか、いまいち釈然としなかったものの……椛にとって、彼の態度は好感が持てるものであった。

 図々しくないし、温和で礼儀正しい、頭に浮かぶ鴉天狗の上司とはえらい違いだ。

 話していて苦痛がないというのは、それだけで嬉しい。

 

「ふふっ……」

 

 自然と口元に笑みを浮かべながら、椛は楽しげに飛行を続ける。

 気が緩み、ふわふわとした気分のまま彼女は帰路へと着いていたせいか。

 

 

 自分を見つめる捕食者の存在に、気づくのが遅れてしまった。

 

 

「…………」

 

 地面に降り立ち、周囲に視線を向けながら背中に背負っている愛用の太刀を手に取り身構える。

 視界に映る範囲では竹林しか見えず、けれど彼女の研ぎ澄まされた感覚が自分を狙っている存在を感じ取っていた。

 

「……何者だ?」

 

 威嚇を込めた低く重い声を放ち、気配の正体へと問う椛。

 応答はなく、けれどその正体はあっさりと彼女の前に姿を現した。

 

「子供……?」

 

 現れたのは、まだ年端もいかぬ容姿の少年。

 金の髪に赤い瞳を持ち、黒を基調とした衣服に身を包んだ十にも満たぬ見た目の幼子であったが、椛は先程よりも更に警戒の色を濃くする。

 

 このような場所に居る以上、ただの幼子ではない事は明白。

 何よりも、椛の獣の如し直感と本能が目の前の相手を異端だと認識している。

 

「下っ端の犬風情でも、最低限の危険感知能力は備わっているみたいだね」

 

 見た目相応の、少し高い声で少年は楽しげに椛を挑発する。

 その小馬鹿にした態度の言葉を受けた椛だが、怒りよりも恐怖心が勝り彼女を縛り付ける。

 頬には冷や汗が伝わり、喉はカラカラと渇き、少しでも気を抜けば目の前の相手の威圧感に押し潰され倒れ込んでしまいそうだ。

 

「恐いの? でも恥じる事はないさ、ただ君は自分の身の程を弁えているだけなんだからさ」

「――はああああっ!!」

 

 全身を縛る恐怖心を吹き飛ばすように叫び、椛は地を蹴った。

 自身が出せる最高の速度で、一撃の元に相手を斬り伏せようと間合いを詰める。

 対抗する隙など与えない、幸いにも相手はこちらを完全に見下し侮っているので隙だらけだ。

 文句なしの踏み込み、剣士として優れた能力を持った椛の横一文字に振り抜いた太刀は、彼女の狙い通りに少年へと届く。

 

 

 否、届く……筈であった。

 

 

「っ、が……!?」

 

 刹那、彼女の右頬に襲う衝撃。

 当惑と痛みにより、彼女はおもわずたたらを踏みつつ後退してしまう。

 ……何が起こった? この痛みは一体何だ?

 ズキズキと痛む右頬を左手で庇いつつ、まだ混乱したままの思考で椛は正面を見て……固まった。

 

「身の程を弁えているかと思ったけど、所詮は駄犬。こんな程度か」

 

 何故、という疑問が椛の脳裏を占める。

 届いた筈の剣戟は届かず、そればかりか……少年に反撃を許された。

 それはこの際どうでもいい、この少年が人間ではなく何か得体の知れない存在なのは承知で立ち向かったのだ。

 彼女が疑問に思うのは、少年が何も獲物を持っていない事であった。

 

「素手、だと……!?」

 

 そう、素手で反撃を許した。

 太刀と素手、圧倒的なまでに間合いでは太刀の方が優れているというのに、尚も負けた。

 それが椛には信じられず、この状況下でも放心してしまう程の衝撃を彼女に与えてしまっていた。

 

「でも実力自体はそれなりにあるから、いい実験台になりそうだ」

「っ……!」

 

 後ろに跳躍して、更に後退する。

 自ら間合いを離してしまう行為ではあるが、一先ず後退して仕切り直しをしなければ。

 だが、彼女が後退し地面に着地した瞬間。

 

「っ、あ、ぐ……!?」

 

 彼女の額に、大砲のような衝撃が炸裂した。

 

「ぅ、くぅ……!」

 

 顔をしかめながらも、どうにか太刀を構える。

 訳が判らない、先程の跳躍で相手との距離はおよそ八メートルは離れていた筈だ。

 それを一息もかからずに詰められ、額に一撃を受けるなど冗談ではない。

 

 椛は既に少年に対し微塵も気を緩ませてはいなかった、だというのに容易く二撃目を許してしまえば困惑するのは当然だ。

 しかもその一撃も素手によるものだった、それも殴られるまで放たれた事すら理解できないほどに素早く重い一撃。

 

「実はさ、僕は今まで封印されていて、力を取り戻すために手当たり次第に人も妖怪も関係なく喰らってきたんだけどさ……」

「っ……!」

 

 互いの距離は再び詰められている、この距離では満足に反撃ができない。

 今度は追撃されないように、意識を集中させながら椛は後退しようとして、竹林の異常に気がついた。

 

「な、ん……!?」

 

 いつの間にか、先程まで広がっていた竹林は姿を消しており。

 辺り一面を、闇よりも深い漆黒の空間へと変化してしまっていた。

 出口などない無限に続いているのではないかと錯覚してしまう空間に、椛は完全に閉じ込められてしまっていた。

 

「それなりに力を取り戻せたと思ったんだけど、どの程度取り戻せたのかわからないんだ」

「チィ……!」

 

 この正体不明の空間を作ったのが目の前の少年なら、逃げる事は叶わない。

 ならばと、椛は剣にとって最適の間合いである一足一刀――ショートレンジまで移動してから、反撃に移る。

 

「かといって無闇に大妖怪に喧嘩を売れば負ける可能性も出てくるからさ」

 

 敵は動かない。

 椛にとって優位な間合いに移動しようとしているのに、少年はペラペラとよくわからない話を展開させながら。

 

 彼女の反撃など許さず、鳩尾を右の拳で貫いた。

 

「ぐ、ぎ……っ」

 

 空気が、強引に吐き出される。

 

 

 

 

「だから……お前で試させてもらうよ?」

 

 にっこりと、この場には似つかわしくない愛嬌のある笑みを浮かべながら。

 少年は、身体をくの字に曲げ咳き込んでいる椛の身体を、左の拳で殴り飛ばした。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2月25日② ~光の力~

闇が、竹林に現れた。
ソレは白狼天狗を襲い、喰らおうとしている。

無銘の癒し手はそれに気づいた時、如何なる選択を選ぶのか……。


 “それ”に気づいたのは、椛さんを見送ってから縁側で輝夜さんと一緒にのんびりとお茶を飲んでいた時であった。

 八意先生から今日は休めと言われたので、ちょうど暇をしていた輝夜さんと共にお茶を飲む事にして、他愛ない話で盛り上がっていた。

 そんな中、竹林の奥から刺すような寒気が漂ってきて、いつもとは違う空気を感じ取りその場で立ち上がる。

 

「…………何だ?」

 

 永遠亭の外の広がる竹林が、いつものものとは思えない異界と化しているように感じられた。

 明らかに空気が違う、その明確な正体は掴めないものの、関わるなと警鐘が鳴り響いている。

 

「何か、変なのが竹林に現れたみたいね。

 ナナシ、今日は永遠亭から出ない方がいいわ」

 

 少し強い口調で、輝夜さんは僕にそう告げる。

 それだけ危険な存在だという事だ、僕ですら認識できるその正体は。

 

「輝夜さん、この空気は一体……」

「何かの妖怪でしょうね、でもこの禍々しさ……遙か昔の、まだ残忍さだけしかなかった妖怪特有の空気が濃いわ」

「っ、そんな危険な妖怪がこの竹林に居るんですか!?」

「安心なさいな。この永遠亭には私と永琳の結界が張られてる、おいそれと侵入できないわよ」

 

 いや、それも確かに心配事の1つではあるけれど、気にしている点はそこじゃない。

 それだけ危険な存在が竹林に居るという事は、現在そこに居るであろう他の妖怪達。

 たとえば今泉さんや……山に戻っている途中であろう椛さんが、鉢合わせでもしたら。

 

「してるでしょうね」

「えっ?」

 

 僕の心中を読んだかのように、輝夜さんは。

 

 

「だから、さっきの白狼天狗……この嫌な空気を撒き散らしてるヤツと、出くわしちゃったみたいよ?」

 

 

 事も無げに、聞き捨てならない事を平然と言い放った。

 それを聞いた瞬間。

 

「っ」

 

 弾かれたように地を蹴り、外へと出ていた。

 竹林の中を駆け抜ける、この肌を刺すような悪寒を追えばそこに辿り着ける筈だ。

 

〈おいおい落ち着けって、死にたいのかお前?〉

(八咫烏ならこの悪寒の正体がどれだけ危険か判るだろう!? 僕にだってわかるぐらいなんだから)

〈そりゃあそうだが……お前1人で何ができるんだよ?〉

(1人じゃない。八咫烏が居る!!)

 

 僕自身に戦う力は無い、けれど八咫烏なら戦える。

 僕ですら判る程の凄まじい悪意の塊を撒き散らす相手だ、話し合いで済むはずがない。

 

〈オレ頼みかよ……〉

(運命共同体なんでしょ?)

〈それを言われると弱いが……少しは己の身を省みる事をだな……〉

 

 小言は無視する、それよりも一秒も早く椛さんの元に向かう事だけを考えろ。

 足場の悪い地面など関係なく駆け抜ける、息が切れ始めるがどうでもいい。

 悪い予感ばかりが頭を過ぎる、このまま全力で向かっても間に合わないのではないかと馬鹿げた事を考えそうになる頭を乱暴に振った。

 

 急げ急げ急げ……!

 椛さん、お願いですから……無事でいてください!!

 

 

 ■

 

 

 椛と少年の戦いは、まだ終わりを見せないでいた。

 いや、これは戦いではない、一方的な蹂躙だ。

 

「がっ……!?」

 

 後頭部に強い衝撃が刺さり、一瞬意識が遠のく。

 それをどうにか耐え抜き、しかし彼女の眼前には次なる一手が迫っていた。

 

「くっ……!」

 

 身体を捻ってその一撃を避ける。

 左の頬を掠める一撃、それだけでも皮膚を切り裂き鮮血が舞った。

 華奢な細腕から繰り出されている筈の一撃は、頑強な妖怪の肉体などそれこそ紙のように粉砕する破壊力があった。

 

「かはっ……」

 

 紙一重で避けられた、それを自覚する前に肉体には衝撃が響く。

 あまりに速過ぎる一撃に、肉体が追いつかない。

 的確に、確実に相手の身体を壊し尽くすソレに、息を呑む暇すらなかった。

 

 まるで拳の雨だ。

 まともに受ければ意識を失いかねない威力があるというのに、その速度はまさに雷の如し。

 無茶苦茶な軌道で襲い掛かるソレを前にすれば、並の妖怪はおろか天狗であっても瞬く間に沈み勝敗が決するだろう。

 

「……ふうん、よく耐えるね」

「ぐぅ……!」

 

 それでも椛がどうにか持ち堪えているのは、彼女の類稀なる剣士としての能力と千里眼の恩恵があるからだ。

 目では追えない、しかし全てを見通せると謳われる千里眼の能力と、彼女が積んできた剣士としての経験を駆使して急所だけは逃れる。

 

 だが反撃する余裕など椛にはなかった。

 剣を振るおうとすれば、その前に相手の拳が彼女の心臓を貫く。

 妖怪故に即死はしないかもしれないが、次の一手で頭蓋を砕かれ、結局待っているのは死だけだ。

 反撃は許されず、かといって逃走はできない。

 

 少しずつ、けれど確実に椛の身体は壊され削られていく。

 倒れるのは時間の問題、それでも椛には反撃のチャンスを手繰り寄せる一手は存在しない。

 

「下っ端と言ったのは訂正するよ、君は白狼天狗の中でも抜きん出た実力を持ってる」

 

 ゆらりと、相手の身体が揺れた。

 違う一撃が来る、直感でそう感じ取った椛は致命傷だけは避けようと両腕を交差して顔を守り。

 

 真横から、意識を刈り取る一撃が叩き込まれた。

 

「ぁ……あ……?」

 

 脳が揺れ、意識が落ちる。

 防御の構えなど無意味とばかりにすり抜け、叩き込まれたその一撃は彼女が初めて受けた致命傷であった。

 

「く、あ……!」

 

 受身など考えず、真横に転がる。

 瞬間、先程まで顔があった位置に槍のような鋭い一撃が通り過ぎた。

 

「ぐっ、う……」

 

 転がりながらも体勢を立て直し、反撃の構えではなく防御の構えを取った。

 相手の追撃が来ると予測しての構えは、見事的中する。

 

「ごぶっ……!」

 

 それでも、相手の一撃は彼女の防御をすり抜け顔を強打した。

 鼻血を出しよろける彼女に迫る、相手の肘。

 遠のきかけている意識でそれを見た椛は、咄嗟に身体を横にずらす。

 

「ぐ……!」

 

 左肩に落ちる衝撃。

 今の一撃で破壊されたのか、痛みは感じるのに左肩から下はぴくりとも動かなくなっていた。

 

「う、おおおお……!」

 

 しかし、ここに来て勝機が訪れた。

 無事な右手だけで剣を振り上げる、狙うは相手の首。

 もうこれ以上は耐えられない、防御もまともにできない以上捨て身の一手を放つしか残されていなかった。

 

「とった……!!」

 

 白銀の刃が振り下ろされる。

 神速の一撃は、風を切り裂きながら少年の首を斬り飛ばそうとして。

 

 

 ガ、という鈍い音を響かせながら。

 少年の指が、椛の右肩を貫いていた。

 

 

「あ……あ……」

 

 あと一歩、あと一歩の時点で止まる椛の斬撃。

 右肩を貫かれた影響か、まるで石化したかのように動かなくなった彼女の剣を見ながら、少年は薄く笑い。

 

「惜しかったね、お・ね・え・さ・ん」

 

 嘲るように言って、彼女の鳩尾に掌底を叩き込み吹き飛ばした。

 

「あ、ぐっ、が……!?」

 

 受け身など取れない程の衝撃で吹き飛ばされる椛の身体。

 背後の竹を容易くへし折り、それでも止まらず地面を滑るように飛んでいく。

 剛速球のように殴り飛ばされた椛は、最後はゴロゴロと地面を転がりながら、漸く太めの竹に叩きつけられ。

 

「――椛さん!!」

 

 先程友人になったばかりの、彼の悲痛な叫びを耳に入れながら、活動停止に陥った。

 

 

 ■

 

 

「椛さん!!」

 

 ぴくりとも動かない彼女へと駆け寄る。

 すぐに抱き起こし、彼女に刻まれた痛々しい傷痕を見て、戦慄した。

 

「……なんで、こんな」

 

 白を基調とした天狗衣装は赤く染まり、彼女の顔には裂傷や打撲痕が残されている。

 頭部からは血が流れ、髪や耳を汚し、それが致命傷だと物語っていた。

 

「人間? ふーん……こんな血と死肉に包まれた竹林で、ただの人間に会えるとは思わなかったよ」

 

 振り返り、こちらへと向けられる小さな身体。

 チルノや大ちゃんと同じ程度の大きさだが、身に纏う空気は醜悪で、見るだけでも心が凍りつきそうだ。

 あれは人間ではなく妖怪、それも危険度で言えば極高などという生易しい評価では決して現せない、恐怖を具現化した存在だ。

 

「男……なのは残念だけど、若いからいいか。

 悪いけど、餌になってもらうよ? そっちの犬っころと一緒にね」

 

 相手が、ゆっくりと近づいてくる。

 口元には薄い笑みを浮かべ、敵ですらないと瞳が訴えていた。

 ……ふざけるな。

 椛さんを地面に寝かせ、真っ向から相手を睨みつける。

 

「……もしかして、戦うつもり? やめときなよ、ただの人間がボクに立ち向かうなんて……余程の大馬鹿のようだ」

 

 ヤツが笑う、心底可笑しいと腹を抱えて笑い出す。

 ああそうだとも、人間が真っ向から妖怪に立ち向かって勝てるなんてありえない。

 そもそも地力が違い過ぎる、向こうがその気になれば秒を待たずに僕なんか消滅させられる。

 

「…………どうして、こんな酷い事をしたんだ」

 

 けれど。

 今の僕にとってそんな事実など、どうでもよかった。

 ただ椛さんをここまで痛めつけ傷つけた目の前の妖怪が、どうしようもなく憎かった。

 

「どうして? そんなの訊いてどうするのか?」

「いいから答えろ、どうしてこんな事を」

「……これだから、身の程を知らないガキは嫌いなんだ」

 

 相手の此方を見る目が、変化する。

 汚らわしいものを見るような瞳で、射抜くように僕を見つめてくる。

 その瞳から目を背けず、真っ向から睨み返した。

 気持ちで負ければそれまでだ、勝ち目がなくても負けたくはなかった。

 

「…………はっ」

 

 小さな嘲笑が聞こえた時には、もう勝負は決まっていた。

 視界から相手の姿は消え、再び現れたと思った時には、相手は眼前で拳を引き絞っていた。

 

「っ、この……!!」

 

 見えなかった……!?

 とにかく避けろ、避けないと一撃で殺される……!

 

〈この馬鹿、何やってんだ!!〉

「うわっ!?」

 

 身体が勝手に動いた。

 刹那、相手の拳が放たれ、けれど僕の身体に命中せずに空を切る。

 

「あ、っ……」

 

 危なかった、八咫烏が咄嗟に僕の身体を操作しなければ、今の一撃で腹に風穴が空いていた。

 見た目で侮っていたつもりなど毛頭なかったが、それでも相手の力量は想像を遥かに越えていた事実に、愕然とする。

 

〈ナナシ、代わるぞ!!〉

 

 八咫烏が僕の身体を使おうとするが、僅かに遅かった。

 既に相手は次弾を放ち、秒を待たずに命中する光景が広がっている。

 

「…………」

 

 間に合わない。

 相手の拳は、人間である僕の身体など軽く破壊できる。

 八咫烏が僕の身体を操作するよりも早く、相手の拳はこちらに届く。

 

 当然止められない、ジャンプ能力も反応が追いつかず発動する前に事切れる。

 ……わかっていた事実だ。

 僕では、ここに来たところで何もできる事などないと、初めから判りきっていた。

 

――相手の拳は、的確にこめかみを狙っている。

 

 鉄槌めいたソレを受ければ、こめかみどころか顔全てが吹き飛ぶ。

 選択を誤った、椛さんに駆け寄る前に八咫烏に身体を貸しておくべきだったのだ。

 僕には何もできない、誰も守れない。

 人間としても弱く、戦う力などない僕にこいつに太刀打ちする術は存在しない。

 

 死のイメージが頭を占める。

 でも、それを受け入れる事はどうしてもできなかった。

 だってそんな事になったら、一体誰が。

 

 誰が、後ろに居る椛さんを助ける事ができるんだ?

 

 止めなくては死ぬ、防げなければ死ぬ。

 そんな事は認められない、ならどうする?

 武器などない、あるのは自分の身体のみ。

 避ける事も防ぐ事もできないのなら、向かってくる力を相殺させるしか道はない。

 

「…………、ぁ」

 

 引き出せ。

 引き出せ。

 引き出せ。

 

 僕の力では相殺なんかできない、僕の能力はあくまで治癒などの補助系の能力だ。

 攻撃に適したものではない、だから……八咫烏の力を引き出す。

 できる筈だ、いや違う、やらなければ。

 急げ、やるんだ、八咫烏を受け入れられたのなら、その力を引き出す事だってできる筈なんだから。

 

 そうしなければ殺される、力が無ければ殺される。

 後の事なんか考えるな、今はただ後ろに居る椛さんを助ける事だけを……!

 

 ■

 

「う、嘘……!?」

 

 その光景を、僕の代わりに意識を取り戻した椛さんが代弁した。

 

「な、に……!?」

 

 初めて見せる、相手の驚愕に満ちた声。

 それと同時に空へと消えていく黄金の光を、僕はぼんやりと見つめていた。

 死ぬ寸前まで陥って精神が沈黙してしまったのか、危機を脱していないというのに僕は茫然と空を見上げてしまっていた。

 

「こいつ!!」

 

 憎悪を込めた目を、僕に向けてくる敵。

 そいつの左腕は、いつの間にか初めから存在していなかったかのように消え去ってしまっていた。

 

 否、正確には僕が()()()()()()()()

 殺される瞬間、無我夢中で右手を突き出し――そこから放たれた黄金の光によって、相手の左腕は消し飛んだ。

 その力は太陽の光、僕の中に居る八咫烏の力であった。

 

〈お前……オレの力を使ったのか!?〉

 

 八咫烏の驚愕に満ちた声を聞きながら、僕は繰り出される相手の拳を見た。

 今度こそ殺される、そんなのは……嫌だ。

 

「う……」

 

 右腕でガードする。

 瞬間、拳全体を包み込むように光が溢れた。

 

「っ、ぎぃ……!?」

 

 搾り出すような悲鳴を上げながら、ヤツが後退する。

 僕を砕こうと放った右の拳は、黒々と焦げ付いていた。

 

「う……おおお」

 

 右腕に宿った光が、剣の形に形成されていた。

 腕自体が光の剣となり、それに触れた相手の拳が焼け焦げたのだろう。

 闇に生きる存在にとって、この光は己を滅ぼす死の鎌に等しい。

 

「――うぅぅぅぅうおおぉぉぉぉぉっ!!」

 

 ならば討てる、目の前の存在を。

 光の剣を振りかざしながら、地を蹴った。

 

「くっ、このガキィィィ……!」

 

 闇が、周囲に広がっていく。

 おもわず足を止め、迫る漆黒を光の剣で斬り裂いた。

 斬った闇は瞬く間に霧散していき、周囲の光景がいつもの竹林へと戻ってくれた。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……」

 

 荒い息が、妙に響く。

 ……先程まであった闇は消え、それと同時にヤツの姿も消えていた。

 終わった、のか……?

 周囲に視線を向けても、ヤツの姿は見えない。

 

〈逃げられたな……だが、充分だ〉

「あ、ぅ……」

 

 八咫烏の言葉を聞いて、緊張が解けたのか。

 その場で膝をつき、右手に展開されていた光の剣を消し去った。

 身体に残るのはいまだ解けぬ緊張感と、殺されかけたという恐怖心だけ。

 

「……ナナシさん、大丈夫ですか?」

「あ、も、椛さん!! 駄目ですよ、立ち上がったりしちゃ!!」

「大丈夫です、こう見えても頑丈なんですから」

 

 安心させるように微笑みながらそう告げる椛さんだが、痛々しい傷痕が消えたわけじゃない。

 すぐに治療を……そう思ったが、立ち上がる前に力が抜けその場で倒れ込んでしまう。

 

〈無茶すんな、オレの力を使ったんだぞ? ……しかし驚いたな、オレの力をお前自身が使えるようになるまではもっと時間が掛かると思ったんだが〉

(……無我夢中だったから、よくわからないや)

 

 もう一度身体に力を入れ、今度こそ立ち上がる。

 まずは永遠亭に戻らないと、僕も椛さんも……ボロボロだ。

 

「また、助けられてしまいましたね」

「あ、いえ……そんな事は」

「ナナシさん、ありがとうございました」

 

 優しい笑みを向けながら、僕に対して最大限の感謝を込めて言葉を放つ椛さんを見て。

 ああ、助ける事ができてよかったなと、心が喜んだ。

 

 それと同時に、椛さんを傷つけたアイツに対する怒りが、ふつふつと沸き上がっていく。

 目的なんて知らないし興味もない、けれどアイツは放っておけない存在だ。

 椛さん以外の犠牲者も出てきてしまう可能性がある、それだけは避けなくては。

 

(八咫烏)

〈お前、面倒事に首を突っ込む気か?〉

(アイツは許せない、それにこのまま放っておいたら被害が増えるかもしれないし、放ってはおけないよ。だから君の力を自由に使えるように……強くならないと)

〈……やれやれ、まっ……主人がそう決めたのなら、オレからは特に反対しないさ〉

 

 とは言いつつも、明らかに呆れを色を言葉の中に込めている八咫烏。

 確かに呆れるのも当然だ、所詮僕は人間でしかない、危険な存在に立ち向かえる力なんて無いのだ。

 だけど、アイツを野放しにはできないという気持ちの方が遥かに勝っている。

 

〈だが今はゆっくり休め、そっちの嬢ちゃんも連れて八意女医に診てもらった方がいい〉

(……そう、だね)

 

 アイツへの怒りは、一先ず奥底に沈めていこう。

 今は身体を休ませよう、耳鳴りがしてきたし四肢の感覚も曖昧になってきた。

 頑丈ではないのに無理をし過ぎた、気をつけないと。

 

 すぐにその場に転がって、目を閉じて眠りたい衝動に抗いながら、僕は椛さんと共に永遠亭に向かう。

 身体が妙に熱い、八咫烏の力を使ったからだろうか……?

 茹るような熱を全身から感じながら、帰路へと着く。

 それになんだか痛みも発してきたような気がする、これは本当に早く休んだ方が良さそうだ。

 

 隣を歩く椛さんに心配だけは掛けさせないように、平静を装いながら歩く。

 ……結局その日は、身体を蝕む熱は消えてはくれなかった。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2月27日① ~惨劇の現場~

戦う力がほしい。
謎の妖怪の手から生き延びた僕は、そう強く願った。

自分にできる事をする為に、八咫烏の力を使いこなせるようになるために。
そして何よりも、簡単に他者の命を奪おうとするアイツを止める為にも、強くならないと……。


 強くなる、そう決めた。

 だから八咫烏の力を自由に使えるようにする……と、決めたのはいいものの。

 

〈お前、基本的な事がまるでなってないから。まずはその身体と心構えを鍛えないと話にならん〉

 

 いきなり出鼻を挫かれてしまった、それはもうバッサリと。

 基本的な事がなっていない、それは即ち……僕自身がまるで鍛えられていないという事だ。

 常日頃から鍛えていないのだから、身体が作られてないのは確かである。

 

 それだけじゃない、何よりも僕には命の奪い合いという環境に慣れていない。

 そういった空気に触れ、その中でもきちんと己を保てるようにならなければ、話にならないと八咫烏は言った。

 

〈まあ、その辺はもう少し経験すれば大丈夫だろうけどな〉

 

 何度も襲われた甲斐があったじゃねえか、さらりと酷い事を言ってくる八咫烏に文句を言いながら、大の字になっていた身体を起こす。

 ……身体の節々が痛い、腕や足を動かそうとすると鈍い痛みが押し寄せてくる。

 

「だ、大丈夫ですか……?」

「うん、大丈夫。鈴仙が気にすることなんかないよ」

 

 少し焦った様子の鈴仙にそう言いながら、立ち上がる。

 身体作りと“戦闘”という環境に慣れる為に、永遠亭の中にある小さな道場で鈴仙に鍛えてもらうように頼み込み、早速とばかりに組み手をしてみたのだが。

 まあ、予想通りというか、まったく敵わず逆にボコボコにされてしまった。

 言い訳のしようがない惨敗である、わかっていた事だけどちょっと悔しい。

 

「でも鈴仙は凄いね。月の玉兎の中でエリート中のエリートって言われてただけはあるよ」

「あ、あはは……そんなたいしたものじゃないですよ」

 

 謙遜する鈴仙だけど、素人目から見ても本当に無駄なんて微塵も無い動きだった。

 彼女は月に居た頃、他の玉兎……妖怪兎達の中では抜きん出た戦闘の才能の持ち主だったらしい。

 だからこそ当時の上司に可愛がられ、その才覚を伸ばそうと厳しい鍛錬を積んできたそうだ。

 

 前々からその話は聞いていたけれど、今日初めて鍛錬をしてもらい……その言葉の意味を真に理解した。

 空気が一瞬で変わったのだ、初めて見せる“戦士”としての鈴仙に、僕はすぐさま格の違いを思い知らされた。

 後はまあ、攻め込んでは返り討ちにされ、失神を繰り返し、どうにかこうにか目で追えるくらいになったと思ったら、彼女が少し加減を無くすと同時に振り出しに戻る。

 

 それを何度も何度も行なって、気がつけばもう二時間以上が経過していた。

 結果としてはこっちは大の字になってぜーぜー言っているのに対して、鈴仙は息を乱すどころか汗1つ流していない。

 人間と妖怪という種族の差はあるけれど、これもまた経験の差というのものなのだろう。

 

「どうぞ」

「あ……すみません、椛さん」

 

 竹で作られた水筒を手渡してくる椛さんに、感謝しつつそれを受け取る。

 

「……あのさ、いつまで居るの? 確かあなたの傷はもう治っている筈なんだけど」

「滞在の許可は貰っている、ああだこうだと言われる筋合いは無いと思うが?」

「そりゃあないけど……」

 

 不満げな表情を浮かべながらも、鈴仙はそれ以上何も言わず押し黙る。

 彼女の言う通り、椛さんの傷はもう治っていた。

 だというのに彼女は山に帰らず、そればかりか。

 

「もしそちらがよろしければ、暫くここへ滞在させてはもらえないでしょうか?」

 

 などと言い出し、意外にも八意先生と輝夜さんがあっさりとOKを出し、今に至る。

 あの2人が許可した際に何やら厭な笑みを浮かべていた辺り、何か含みがあるんだろうけど。

 それから椛さんは永遠亭にて雑用を手伝いつつ、今のように僕の世話を甲斐甲斐しくしてくれている。

 曰く、「一度ならず二度までも命を救ってくださったのですから、これぐらい当然です」との事だけど、そこまでしなくてもなあ。

 

「そういえば椛さん」

「はい、なんですか?」

「率直に訊きたいんですけど、僕って戦いの才能とかってあります?」

 

 アイツを止める、そう決めた以上は戦わない道は選べない。

 だからこそ今はこうして鍛えてもらっているのだ、とはいえ強くなろうとしている手前、やっぱりそういうのは気になる。

 椛さんなら剣士として凄腕だしさっきの鍛錬を見ていたから、きっとわかるだろうと問いかけてみたのだが。

 

「あー……えっと、その……」

 

 返ってきたのは、なんとも返答に困るといった様子であった。

 ……うん、いいよ、今のでわかったから。

 どうやら僕にそういった才は存在しないらしい、半ば予想していたけど……悲しい。

 

「で、でも動きに早くも無駄がなくなってきていますし、成長はしてますって!!」

「そ、そうですよ!!」

 

 うん、必死にフォローされると余計にヘコむのでやめてくださいお願いします。

 なんだか泣きそうになってきた、そんな中。

 

「――邪魔するわよ?」

 

 道場の扉が開かれ、紅白の巫女服に身を包んだ少女。

 博麗の巫女である、博麗霊夢が入ってきた。

 

「霊夢?」

「……変わった面子ね、なんで天狗がここに居るの?」

「そちらには関係ないと思うのですが?」

 

 わざわざ面倒そうに、辛辣な言葉を言い放つ椛さん。

 しかし霊夢は微塵も気にした様子もなく、僕へと視線を向けた。

 

「それもそうね、こっちも興味ないし用があるのはナナシだから。

 それでナナシに訊きたい事があるんだけど……あんた最近、ルーミアと会ってる?」

「ルーミアと? いや……実はここ二週間近く会えてないんだ」

 

 最後に会ったのは、バレンタインの日だったか。

 その後はドタバタと忙しかったし、地底に行ったりもしていたから。

 

「そう……ならいいわ。邪魔したわね」

「ちょっと待って、ルーミアがどうかしたの?」

「…………」

「霊夢……?」

 

 沈黙する霊夢に、なんだか嫌な予感がした。

 ルーミアを捜しているであろう彼女の目が、僕にはひどく恐ろしいものに映っている。

 話を聞かないわけにはいかない、さりげなく彼女に歩み寄り安易に帰らせないようにした。

 

「霊夢、答えてくれるかな?」

「……人里で、ちょっとした事件が起きたのよ」

「それにルーミアが関係してるって事?」

 

 頷く霊夢。

 

「ルーミアのによく似た妖力の残滓が見つかったのよ、なら話を聞いてみようと思うでしょ?」

 

 彼女を捜す理由は話すものの、霊夢はそれ以上の詳細を話そうとはしない。

 里に入れなかった時があったけど、そういう事だったのか……。

 

「里で何があったの?」

「…………」

「おいそれとは話せないような事件が、起きてしまったのか?」

 

 霊夢は答えない、その態度で嫌な予感が増した。

 ……頑なに部外者は入れようとはしない里の態度、そして霊夢が見せている沈黙。

 その2つで、否が応でも事の重大さを認識できそして。

 

「――人が消えているのよ、人里から」

 

 彼女の口から、放たれてはならない言葉が紡がれた。

 

「消えている……」

「神隠し、とでも言えばいいのかしらね。

 最初は2人の男性、証言によると飲みに行った帰りにそのまま行方不明。そして一昨日には、一気に十数人の人間が消えているわ」

「それをルーミアがやっているっていうのか?」

「それはわからない、けれど居なくなった被害者の家屋からはアイツに似たの妖力の残滓を感じられる。無関係とは思えないでしょ?」

 

 確かに、それは彼女の言う通りだ。

 けれど腑に落ちない点が1つある、彼女の妖力に“よく似た”というのはどういう意味なのか。

 

「妖力っていうのは私達人間が持つ霊力と同じで各々違うものなのよ、まったく同じ妖力を持つ別個体の妖怪というのは存在しないわ」

「じゃあ、よく似ているっていうのはどういう事なの?」

「考えられるとするなら……親子みたいな血縁者ね。ルーミアに家族が居るなんて聞いた事はないけど」

「消えているって言ったけど、その……えっと……」

「死体はないわ。ただ忽然と、初めから存在していなかったかのように消えてしまったの。身体の一部が見つかったという報告もないわ」

 

 言いづらい事をはっきりと告げる霊夢。

 でも、だとすると本当に神隠しのように消えてしまったのか。

 ……とにかく、このままにはしておけない事態になっている事だけは確かだ。

 

「霊夢、僕も手伝うよ」

「はあ? ……その気持ちは嬉しいけど、勝手な事をされても困るのよ。里の中はピリピリしてるし、里の住人じゃないアンタにうろうろされたら余計な問題に発展する可能性も……」

「それだけじゃない、僕には追わないといけない妖怪が居るんだ」

「? 何の話なの?」

 

 霊夢に一昨日あった事を話す、すると物凄い剣幕で怒られた。

 妖怪と真っ向から対峙して戦ったのが拙かったのだろう、手に持っていたお祓い棒で容赦なく叩かれ妖怪の危険性をこれでもかと力説される。

 心配してくれているのは判るけど、叩く力にもう少し加減が欲しかった……。

 

「まったく……いい? 言っておくけど、その妖怪とやらを追いかけるのは絶対に許さないからね?」

「……そういうわけにはいかないよ。アイツの闇は……放ってはおけないものなんだから」

「…………闇?」

 

 霊夢の表情が変わる、何かに至ったような……思案に暮れる顔。

 彼女は暫し何かを考え込み、顔を上げると同時に僕に里に来るよう言ってきた。

 

「でも、里に入るなって……」

「事情が変わったわ、それに協力する気はあるんでしょ? ああ、それとそっちの2人は来ないでよ? 今の里に妖怪が入ると面倒だからね」

 

 霊夢の言葉に反論しようとする鈴仙と椛さんだが、里の事情を考慮してか口には出さなかった。

 反対していた彼女が突然協力を申し込んできた理由は判らないが、できる事をしなければ。

 すぐさま八意先生に事情を説明して、許可を貰ってから僕は霊夢と共に里へと向かったのだった。

 

 ■

 

 身体が、ぶるりと震える。

 目の前に広がるのは、一軒の家屋。

 一昨日被害に遭い、今も行方知れずとなっている家族が住んでいた家屋らしいが……。

 

「……アンタも感じられるみたいね、この家の異常さに」

「霊夢、ここ……本当に人が住んでいた場所なの?」

 

 そう言いたくなるほどに、この家はおかしかった。

 ここまで別の世界からやってきたような、昼間の中に夜があるような、矛盾した空間。

 里へとやってきて、霊夢に真っ直ぐここへ連れてこられたけど……来た事をおもわず後悔したくなるほどに、恐ろしい地獄の入口を目の当たりにしていた。

 

「ここだけじゃない。里の点々にこういった場所があるのよ」

「……この家の、人達は」

「今も見つかってない、手掛かりだってないけど……」

 

 そこまで言って、霊夢は押し黙ってしまった。

 ……その先は、言わなくても判る。

 判るから、それ以上彼女が口にしない事に感謝しつつ、中へと入った。

 

「…………ぁ」

 

 中は、何の変哲もない光景が広がっていた。

 3人分の布団、その内の1つは小さかったからきっと子供のものだ。

 他に目立ったものはない、ただここに暮らしていたであろう人間がいないだけで、静寂に包まれている普通の家だった。

 ただその静寂は、酷く歪で吐き気を催す程に恐ろしく……認めたくない現実を思い知らせてくる。

 

「消えてる……本当に、この家は()()()()()()()……」

 

 人が居た形跡など感じられず、完全に気配が途絶えた空間と化している。

 それだけで判る、判ってしまう。

 もう、この家には、否、ここと同じ様になっている家に居た者達は、全員……。

 

「……家を出ましょう。酷い顔になっているわ」

 

 真っ青になっているであろう僕を、霊夢は気遣ってくれた。

 けれど僕は首を横に振ってその提案を拒否する。

 まだ何もしていない、協力すると決めたのにただ事件現場に入って気分を悪くするだけなんて許されない。

 

(八咫烏、この空気……)

〈ああ、ひでえモンだ……完全に喰われたな。ここに居る住人達は〉

 

 怒りを言葉に乗せながら、八咫烏は言った。

 傍から見れば、建物に何の損傷もないこの現場は綺麗なものだ。

 だが中身は凄惨で、直視できない闇が広がっている。

 残っているものは気分を害する妖力の残滓と、無情な現実に対する憤りだけ。

 

「アンタも判る? ルーミアに似た妖力の残滓があるって」

「うん、だけどこれは……」

 

 確かにルーミアの妖力に似ている、でもよくよく意識を集中させると別物だ。

 今までの体験と八咫烏を受け入れた恩恵で、こういった芸当もできるようになっている僕だからこそなのか、漂う妖力の残滓が彼女のものとは違うと明確に認識していた。

 というよりもだ、僕はこの妖力の持ち主が誰なのかを理解しているような気さえした。

 

「っ」

 

 でも思い出すのが恐くて、頭に浮かぼうとした光景を振り払おうとする自分が居た。

 

「駄目だ、そんな事じゃ……」

 

 情けない自分を叱咤する。

 お前は何のためにここに来た? 自分にもできる事があるかもしれないと思ったから、協力すると言ったのだろう?

 思い出せ、お前はこの妖力が何なのかを知っている。

 つい最近ソレを目の当たりにして、尚も立ち向かったではないか。

 

「……そうだ、これは」

「? ナナシ、どうしたの?」

 

 沸き上がる恐怖を怒りと使命感で蓋をして、僕は改めて現場を見た。

 漂う空気を肌で感じ取り、何度も何度も己の中で確認してから。

 

「霊夢、この妖力は……ルーミアのものじゃない。これは……僕と椛さんが一昨日戦った妖怪のものだ」

 

 確信を込めた声で、霊夢にそう言った。

 

「……そう、やっぱりね」

「え、やっぱりって?」

「アンタがさっき話した妖怪の話を聞いてね、もしかしたら犯人はそいつなんじゃないかって思ったのよ。

 一昨日の戦いで負傷したソイツは、自らの身体を修復する為に里の人間を襲った。アンタの話と今の発言で確証が持てたわ」

「……ちょっと待って、じゃあ」

 

 僕が、あの時アイツを倒せなかったから、今回の被害者が……。

 

「言っておくけど、アンタに非なんてこれっぽっちもない事を忘れないで。自分のせいで……なんて口にしたらしばくわよ」

 

 本気の口調で釘を刺し、僕の考えを否定する霊夢。

 その気持ちは嬉しい、だけどそう考えてしまう。

 自惚れているのはわかっている、過ぎた事を考えても仕方のない事も理解している。

 

〈ナナシ、今は自分を責めてる状態じゃねえだろ。自分にできる事をすると決めたのなら迷わず前に進め〉

 

 無意味な事をするなと、八咫烏にも釘を刺された。

 ……そうだ、今はそんな事を考えている場合じゃない。

 より一層アイツを早く見つけなくてはならなくなった、これ以上犠牲を増やすわけにはいかない。

 

「とにかく家を出ましょう。アンタのおかげで犯人は判ったし……まずはルーミアを見つけるわよ」

 

 霊夢の声に無意識に反応し、一緒に家を出る。

 精神的に酷く疲れてしまったのか、足を動かすのが億劫だ。

 まるで鉛になってしまった感覚に戸惑いながら、これからの事を彼女と話そうとして。

 

「よ、妖怪だ!!」

 

 通行人の、悲鳴に近い叫び声を耳に入れながら。

 僕達の前に降り立った、ルーミアへと視線を向けた。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2月27日② ~憎しみの光景~

里で人が消える事件が発生した。
しかもその手掛かりとしてルーミアの名が挙がり、気になった僕は霊夢の許可を貰って人里へと赴いた。

そして、現場に入った瞬間、前に椛さんと共に撃退した妖怪の仕業だと判断し、霊夢と共に家を出ると。
僕達の前に、捜していたルーミアが姿を現した……。


「ルーミア……」

「…………」

 

 僕達の前に姿を現した彼女の視線は、事件のあった家屋へと向けられていた。

 眉を潜め、やがて何かを悟ったように表情を変え、憎々しげに唇を噛み締めるルーミア。

 そのまま彼女は何も言わず、この場から離れようとするが。

 

「待ちなさい、ルーミア」

 

 当然のように、それを許す霊夢ではなかった。

 もちろん僕だってこのまま彼女を行かせるつもりはない、訊きたい事があるのは僕だって同じなのだから。

 霊夢の声に反応し動きを止めるルーミアであったが、此方に向ける彼女の視線は鋭く冷たいものであった。

 何も詮索するな、関わるなと、赤い瞳がそう訴えている。

 

「アンタ、今回の件で何か知っているわね?」

「…………」

「悪いけど、答えるまでここから逃がすつもりはないから」

 

 拒否を続けるのなら実力行使で聞き出す、そう言い放つ霊夢に対し、ルーミアは無言のまま。

 しかしゆっくりと、彼女は内側から妖力を放出し始め、抵抗する意志を見せ始めた。

 空気が詰まる、場が重苦しい空間に変化していき……その空気を破ったのは、周りで眺めていた里の住人達であった。

 

「妖怪め、貴様が今回の首謀者なんだろう!?」

「…………」

「ちょうどいい、巫女様にこのまま退治されちまえ!!」

「ちょ、ちょっと……」

 

 勝手な野次を飛ばす周囲の反応に、霊夢も僅かに困惑する。

 拙い、ただでさえ今回の件で里の空気は悪くなっているというのに、関わりを持っているであろう妖怪のルーミアの登場は、あまりに間が悪いものだ。

 周囲から響く怒声と憎しみの視線は、ただ1人の少女へと向けられ続ける。

 

 まだ彼女が犯人と決まったわけではないのに……このままじゃ騒ぎが大きくなるだけだ。

 それを止めようと、僕と霊夢は落ち着くように周囲の人達に言おうとして。

 

「……なら、妖怪らしく暴れてやろうか?」

 

 僕達にではなく、周囲の者達に向けて殺気を向けるルーミアに気づき、意識を再び彼女へと向けた。

 ルーミアは口元に薄い笑みを浮かべ、一瞬のうちに右の手に漆黒の剣を握り締める。

 無骨で重厚な西洋の剣を思わせる、刀身が闇よりも深い漆黒の刃を、周囲に向けるルーミア。

 その行為は周りに脅威と認識させるには充分過ぎる、現に先程まで好き勝手罵詈雑言を並べていた人間達は一斉に逃げ出し始めていた。

 

 ……おかしい、今の彼女の行動は自らの首を絞める行為だ。

 身の潔白を証明するばかりか、これでは自ら今回の事件の犯人だと認めるかのような振る舞いではないか。

 それとも、彼女は本当に今回の事件の犯人なのか……?

 

「アンタ、自分が何をしているのか判ってるんでしょうね?」

「判っているさ。それで、博麗の巫女は里で騒ぎを起こす妖怪を前にしても、何もアクションを起こさないつもりか?」

「……ここまで考えなしの馬鹿だとは思わなかったわ、ルーミア」

 

 声に怒りの色を滲ませながら、霊夢は臨戦態勢へと入った。

 右手に持つお払い棒の先をルーミアに向けながら、博麗の巫女として妖怪を退治する意志を見せる。

 

「ま、待ってよ霊夢!!」

「邪魔しないでナナシ。……コイツを信じていたわけじゃないけど、里に危害を加えようとする態度を見せられたら、巫女として退治しないわけにはいかないの」

「そ、それは……だけど」

「所詮人間と妖怪だ、相容れるわけがないだろう? ナナシ、お前も邪魔をするのなら……容赦はしない」

 

 しっかりと敵意を込めて、ルーミアは僕を睨みつける。

 言葉通り、邪魔をするのならこの剣でお前を斬り捨てると、彼女の目が告げていて……酷く、腹が立った。

 

「……ふざけるな、ルーミア」

「何……?」

「こんな無意味な争いを引き起こして、君は何を考えているんだ? 僕達はこの事件の犯人を見つけないといけない、君と無意味な戦いをする暇はないんだ!!」

「無意味じゃないさ、私がこの事件を引き起こしたのだからな」

 

 ?

 それは、霊夢はもちろん僕にだって判る嘘であった。

 何故彼女はこんな嘘を吐くのか、犯人を庇っているとでもいうのか……?

 

「どうした? 何人も犠牲を出した妖怪を前にして、恐くなったのか?」

「調子に乗るのもいい加減にしなさいよ、そんなに退治されたいのなら……お望み通りにしてあげるわ!!」

 

 霊夢の姿が消える、それと同時にルーミアは右手に持つ剣を上段に構えた。

 直後に響き渡る鈍く重い打撃音、間合いを詰めお祓い棒を振り下ろした霊夢の一撃を、ルーミアは真っ向から剣で受け止める。

 両者のぶつかり合いはそれだけで周囲のものを吹き飛ばす突風を生み、あまりの破壊力からか受け止めたルーミアの足が踝付近まで地面にめり込んだ。

 

 続いて霊夢は左足による回し蹴りをルーミアの脇腹に叩き込み、彼女を真横に蹴り飛ばす。

 すぐさま左指に霊力が込められた霊具、通称“封魔針”と呼ばれる退治道具を彼女に向かって投擲した。

 霊力のブーストによる恩恵か、放たれた封魔針の速度は凄まじく、空気を切り裂きながらまるで弓のようにルーミアの身体へと突き刺さり。

 

「…………」

 

 その直前、彼女が放った横振りの一閃で封魔針は全て粉々に砕かれてしまった。

 

 ……茫然と、その戦いを見る事しかできない。

 再び間合いを詰め接近戦を行なう霊夢と、それを真っ向から相手取るルーミア。

 スペルカードルールではない、かつて人間と妖怪の間で行なわれていた命の奪い合いに、目を奪われる。

 互いに互いの命を奪おうと、容赦など微塵も抱かずに攻撃を繰り出し、どちらも一歩も譲らない。

 

〈おい、このままでいいのか?〉

 

 八咫烏の声が、やけに遠くから聞こえる。

 目の前で行なわれている死闘に、心が奪われていたのか、反応も遅れてしまった。

 

(止めさせたいよ、だけど下手に介入すれば……)

〈まあとばっちりを受けて死ぬかもしれねえな、けどよ……お前自身は止めたいんだろ?〉

(当たり前だよ、だってルーミアは今回の事件の犯人じゃない筈なんだから!!)

 

 彼女が何を考えて、こんな行動に出ているのかは判らない。

 でもこんな戦いはさっきも言った通り、無意味なものだ。

 即刻止めさせなくてはならない、そして彼女に詳しい話を訊くべきだ。

 

〈そうこなくちゃな。それで、一昨日使ったオレの力は、しっかり使えるのか?〉

(……やってみる!!)

 

 両の手を握り拳にし、光の剣のイメージを固めていく。

 すると、すぐさま両手は一昨日使った黄金の光に包まれ、剣の形状へと変化してくれた。

 太陽の力である八咫烏の恩恵が込められた光の剣、闇に生きる妖怪にとって決定打となる武器の1つを構えながら、僕は2人の動きに意識を向ける。

 

 正直、はっきりと目で追えるほど僕の動体視力は優れていない。

 だから狙い目は、互いの距離が一度離れた瞬間だ。

 

「ぐっ……」

「きゃっ……」

「っ、今だ!!」

 

 互いの攻撃を弾き合い、両者の距離が離れると同時に地を蹴った。

 だが遅い、霊夢もルーミアもすぐさま追撃の一手を繰り出そうと、ほぼ同じタイミングで動き。

 

「なっ!?」

「なに……!?」

「くっ、ぅ……」

 

 間一髪、2人の攻撃の軌道に光の剣を合わせ、両者の一撃を受け止める事に成功した。

 お、重い……衝撃で腕が吹き飛んだかと思った……。

 僕の介入により空気が一新したのか、2人はとりあえず間合いを離し、攻撃の手を止めてくれた。

 

「ふぅ……」

「ア、アンタねえ……死にたいの!?」

「ご、ごめん……でも、2人には戦ってほしくなかったから……」

「そういう問題じゃ……っ」

 

 キッと僕を睨む霊夢だったが、心中を察してくれたのかそれ以上は何も言ってこなかった。

 彼女の優しさに感謝しつつ、改めてルーミアに視線を向ける。

 

「ルーミア、教えてくれ。君は今回の事件の犯人を知っているんだろう?」

「だから、その犯人は私だと……」

「それは違う、だって現場に残されていた妖力の残滓はルーミアのによく似ていたけど、まったくの別物だ」

 

「…………」

「君は犯人を庇っているんじゃないか? そうじゃないのなら、あんな嘘を吐く理由も意味もない筈だ」

「…………」

「一昨日の夜、僕は椛さんと一緒に見た目が小さな男の子の妖怪に襲われた。そしてここに残されている残滓は……ソイツの妖力と同じなんだ」

 

 アイツが犯人なのは間違いない筈だ、だからこそルーミアの発言には納得なんかできない。

 そして如何なる理由があろうとも、簡単に人の命を奪った相手を庇うなんて事も、許容できなかった。

 

「ルーミア、ソイツとは一体どんな関係なんだ? 庇っていないというのなら、それを教えてくれ」

「…………それ、は」

 

 躊躇いの色で瞳を揺らしながら、ルーミアは口ごもる。

 けれどそれ以上急かすような真似はせず、黙って彼女を見つめ返答を待った。

 それから暫く経ち、意を決したような、どこか諦めた様子を見せながら、ルーミアはゆっくりと口を開き。

 

 

「――くらえ、妖怪!!」

 

 

 彼女に向かって投げられた石を、咄嗟に身体で受け止めた。

 

 ガッ、という鈍い音が額から聞こえ、そこに痛みが走る。

 一体何だ、顔をしかめつつも石が投げられた方向へと視線を向けると。

 そこに居たのは、まだ小さな少年がルーミアに向けて怒りと憎しみを宿した目で睨みつけている姿が、広がっていた。

 

「ちょっと君、何て事をするの!?」

「コイツは悪い妖怪なんだ、だから俺がやっつけてやる!!」

 

 そう言って、少年は足元に転がっていた小石を拾い上げ、再びルーミアに向けて投げ放つ。

 何度も何度も拾っては投げを繰り返し、その内の幾つかは彼女に当たりそうだったので、その全てを叩き落した。

 

「っ、お前、なんで邪魔すんだよ!!」

 

 止めるに決まってるでしょ、こんな事しちゃ駄目だよ。

 そんな典型的な説得の言葉が、出てこない。

 

 

 だって、こっちを見る少年の目に映る憎悪の色が、あまりに大きく……恐ろしいと思ったから。

 

 

 まだ年端もいかない子供が見せる目ではない、向ける相手を射殺さんとばかりの憎しみが、見るだけで思考を凍らせる。

 ……これが、妖怪に向ける人間達の憎しみの大きさなのか。

 それだけではない、石を投げつけるという行為を行なった子供達を、周りの大人達は誰一人として咎めようとはしなかった。

 苦言を呈しているのは霊夢だけ、後の大人は子供の行為を肯定していた。

 

〈あの子供はおそらく今回の被害者の息子か何かなんだろうな、まあ……こんなのはよく見る光景だ〉

 

 別段おかしい事ではないと、八咫烏は驚くべき事を平然と言い放つ。

 これが当たり前? 他者に石を投げ、殺意と憎悪を向ける子供が居るのが当たり前だというのか。

 そしてそれを肯定するだけの大人達が居るこの光景が、間違いではないというのか。

 

〈命を奪われてんだ、奴さんの心情ってのも察してやれ〉

 

 それは、判る。

 憎しみを晴らせる相手が居るのなら、晴らそうとするのが人間だ。

 だけど、だからってこんなの……肯定されるべき行いじゃない。

 

「おい、聞いてんのかよお前!!」

「っ」

 

 膝に衝撃、下を見ると少年が僕の右足をおもいっきり蹴り上げていた。

 

「妖怪なんていても邪魔なだけなんだから、退治して当然だろ!? それなのに、なんでお前は巫女様の邪魔をしてソイツを庇うんだよ!!」

「……彼女は犯人じゃない、犯人は別に居るんだ」

「その証拠が何処にあるっていうんだよ!? 第一、同じ妖怪なんだから退治されて当たり前なんだから、邪魔する方が間違ってんだ!!」

「っ」

 

 右手を握り締め、拳を振り上げる。

 今の発言だけは許されない、いくら妖怪だからって退治されるのが当たり前だなんていう考えは……!

 

「――やめなさいナナシ、気持ちは判るけど落ち着いて」

 

 振り上げた腕を、霊夢に掴まれる。

 ……そうだ、冷静にならないと。

 こんな小さな子供に暴力を振るおうとするなんて、どうかしてる。

 拳を解き、腕を降ろしてから僕はルーミアの手を掴み踵を返した。

 

「ここじゃ落ち着いて話せない、だから場所を変えよう」

「……そうね。それが賢明だわ」

 

 霊夢が周囲の人達に「この妖怪は今回の事件の事情を知っているので、自分が監視する」と伝え、そういう事ならと周囲の人達も納得の色を見せる。

 ただそれでも、一部の人はルーミアや僕をまるで汚物を見るかのような視線を向けてきていた。

 気分が悪い、一刻も早くここから離れたいと身体が願っており、無意識の内に早足で歩き出していた。

 

「神社に行くわよ」

「…………うん」

 

 吐き気がする、尚も背中に突き刺さる視線が痛い。

 それをなるべく気にしないようにしながら、僕は霊夢達と一緒に里を出た。

 ……自分の浅はかさに、腹が立つ。

 結局僕の行為は、余計な確執を生んでしまうだけだったんだ……。

 

 

 ■

 

 

「――あーあ、可哀想に」

 

 目に見えて沈んでいるナナシを、遠くから眺めながら嘲笑を送る1人の少年。

 里の人間を襲い、“食事”としてその肉体を蹂躙した元凶は、けらけらと笑いながら先程の光景を覗き込んでいた。

 

「相変わらず人間は醜いねー、お前らだって家畜を無惨に屠殺して糧にしてくせにさ、いざ自分達に被害が及ぶと被害者面するんだもん」

 

 ああ、本当に醜く度し難い生物だと、少年はせせら笑う。

 どんなに年月を経ても本質は変わらない、心も身体も脆弱な生物。

 そのくせ自尊心だけは無駄に高いのだ、妖怪にとって餌でしかないという事も理解できない愚か者。

 

「でも、だからこそ絶望した時の顔は見ていて楽しいんだ」

 

 正直な話、やろうと思えば里の殆どを自らの闇で埋め尽くし、蹂躙する事は可能だった。

 それをしなかったのは思っていた以上に里に展開された霊夢の結界が強固だったのと、何よりも。

 

「いっぺんに味わったら、今みたいな茶番は見られないもんね」

 

 だから少しずつ、じわりじわりと減らしていこう。

 その度にあいつらは憎悪の光を見せてくれる、闇に生きる妖怪にとって極上の餌となる憎悪を。

 ああ、それを味わえるのが今から楽しみでしょうがない。

 

「……それにしても、ルーミアは相変わらず人間に甘い」

 

 先程までの歪んだ笑みから一転して、つまらなげな表情を浮かべ、少年は侮蔑するようにルーミアの名を呟く。

 

「だから人間なんかに封印されるんだ、まあ……ボクも人の事は言えないけど」

 

 ただ、それももう終わりだ。

 抑圧されてきた妖怪としての欲を、抑える事などできやしない。

 自由気ままに人を襲い、人を喰らい、人に恐怖を与えていく。

 およそ妖怪らしい、けれどこの幻想郷では禁忌とされる行いを、少年は冒していく。

 

「さて……今宵も闇が深い。今日は何人喰らおうか?」

 

 黒い波が少年を包み、それが消え去った時には少年の姿も消えていた。

 周囲に残るのは静寂のみ、けれど少年は気づかない。

 

 人間をせせら笑う自分を、ただ黙ってじっと見ている女性が居た事に……。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2月27日③ ~妖怪の賢者~

ルーミアが詳しい事情を知っている可能性がある。
そう思った霊夢と共に、僕は彼女を連れて博麗神社へと向かう事にした……。


 長い石階段を登っていく。

 相変わらず博麗神社に続く階段は長く険しい、こういった所を改善しないと参拝客なんて来ないんじゃないか?

 なんてどうでもいい事を考えていたら、後ろに居た霊夢に小突かれてしまう。

 

「いたっ、何するんだよ?」

「アンタ、今失礼な事考えてたでしょ?」

「……そのような事はありませんです」

 

 もしかして、霊夢もさとりさんと同じく心が読めたりする?

 これも博麗の勘というものなのだろうか、だとしたら彼女の前で余計な事を考えない方がいいな……。

 

「ん……?」

「霊夢?」

 

 突然飛翔し、一気に神社へと飛んでいってしまう霊夢。

 慌てて追いかけ、階段を登りきると。

 

「……なんでアンタがここに居るのよ?」

「あら、相変わらず冷たいのね、霊夢は」

 

 霊夢が、見慣れない女の人と対峙していた。

 長く綺麗な金の髪を風で靡かせ、日傘を差すその姿は美しく優雅に映る。

 導師風の服装に身を包み、口元には優しい、けれど何故か妖しく思える笑みを浮かべる女性は、こちらに気づいたのか視線を向けてきた。

 

「こんにちは」

「え、あ、こんにちは……」

 

 挨拶をされ、慌てて返事を返しつつ頭を下げる。

 凄い綺麗な人だ……幻想郷には、本当に綺麗だったり可愛いだったりと、容姿に優れた女の人が多い気がする。

 顔を上げると、女の人は僕に一度にこりと微笑んでから、視線をルーミアへと向けた。

 

「――“ルカ”の封印が、解かれてしまったわね」

「どういう事だ“紫”、あの封印が解かれるなんて……」

「形あるものはいつか壊れるもの、とはいえ今回のは腑に落ちないけれど……どうするつもりなのかしら?」

 

「……ちょっと、2人だけで話してないでこっちに説明しなさいよ」

「ああ、ごめんなさいね霊夢」

 

 文句を言う霊夢に謝りつつ、女性はゆっくりと此方へと歩み寄ってきた。

 その仕草1つ1つにどきりとする、綺麗だからというのもあるけれど……何故だろう、自然と身体が強張った。

 

「はじめまして。私の名は八雲(やくも)(ゆかり)、この幻想郷の創設者の一人にして妖怪の賢者と呼ばれる大妖怪です」

「え、あ……はじめまして、八雲さん」

「ふふっ、そんな堅苦しい呼び名は止してくださいな。気軽に“ゆかりん”と呼んでください」

「え、えっと……」

 

「なにがゆかりんよ。気持ち悪い」

「気持ち悪い!?」

 

 容赦のない霊夢の一言に、八雲さん撃沈。

 そ、そこまで言わなくても……ほら、なんか体育座りし始めたし。

 

「まあ見ての通り、妖怪の賢者なんて名乗ってるけどあくまで自称だから」

「自称じゃないもん!!」

「もんとか言わないでよ、歳考えたら?」

「がはっ!?」

 

 吐血した!?

 そんなのショックだったのか、八雲さんはそのまま動かなくなってしまった。

 ……見た目は二十歳ぐらいだけど、やっぱり妖怪だから長く生き続けているんだろうなあ。

 だから今の言葉はショックだったのだろう、でも痙攣するのはやめてください不気味です。

 

「胡散臭さが服を着て歩いているような存在で、出てくるだけで周囲に迷惑を撒き散らすだけだから、係わり合いにならない方がいいわ」

「もうやめて、ゆかりんのライフはとっくに0だから!!」

 

 あ、泣いちゃった。

 さっきまでのカリスマ溢れる姿など微塵もなく、子供のように泣く八雲さん。

 そんな彼女をあくまで冷たくあしらう霊夢、そして再び泣く八雲さん……なんだこの悪循環は。

 

「酷いじゃないの霊夢!! 彼の私に対する印象が最悪になったらどうするの!?」

「大丈夫よ紫、マイナスはどう足掻いてもマイナスのまま変わらないから」

「元々印象最悪だった!?」

 

「あ、そんな事はないですよ?」

「いいのよナナシ、こんなのに優しさを向けなくても」

「うぅ~……小さい頃はあんなにも可愛かったのに、育て方間違えたのかしら……?」

 

 よよよとしな垂れる八雲さんだが、同情されたいのか時折霊夢をチラ見している。

 ……うん、霊夢が辛辣になるのが少しわかった気がした。

 

「ナナシ~、霊夢がいじめる~!!」

「ちょ、ちょっと……抱きつかないでください……」

 

 む、胸が当たってる当たってる!!

 でも強引に引き離すのもさっきのやりとりを見ると可哀想だし、どうすれば……。

 

「やめなさいっての!!」

「ごきゅっ!?」

 

 八雲さんの顔が横にブレた。

 霊夢が容赦なく彼女の首に手刀を叩き込んだようだ、なんか聞こえちゃいけない音が聞こえたけど、大丈夫なのか?

 地面に突っ伏したまま八雲さんは動かない、生きてる……よね?

 

「さっさと起きなさい紫、こっちはいつまでもくだらない茶番をしてるほど暇じゃないのよ」

「…………ぅい」

 

 何事もなかったのかのように起き上がり、神社の奥へと向かう霊夢についていく八雲さん。

 どうやら大丈夫なようだ、やたらと首をゴキゴキと鳴らしているけど、大丈夫……な筈だ。

 

 ■

 

「それで、今回の元凶は一体何者なの?」

「……あの、その前にどうして私だけお茶が用意されていないのでしょうか?」

 

 控え目に手を挙げつつ小さな抗議をする八雲さんだったが、霊夢に一睨みされ呆気なく静かになった。

 妖怪の賢者の威厳なんて皆無である、ただ単に霊夢が色々な意味で凄いだけかもしれないが。

 流石にこれ以上の脱線は身の危険を感じたのか、こほんと咳払いをしてから八雲さんは話し始めた。

 

「元凶の名はルカ、闇を操る大妖怪であり、ルーミアの弟よ」

「ルーミアの、弟!?」

「お前達人間のような血の繋がりがあるかは疑わしいがな、私とルカは気がついたら闇の中から生まれていた。同じ闇の中で誕生したから姉弟という関係になっただけさ」

 

「彼女ら姉弟は妖怪の中でも抜きん出た力を有していたから、幻想郷創設の為に協力してもらおうと近づいたのが出会いだったわ」

「ふーん……でもこんな事をしでかす輩だから、協力なんて得られなかったってわけ?」

「……私は紫の話してくれた幻想郷に興味を抱き協力する事を誓ったが、ルカはそんな世界など認められないと言ってな……袂を分かったんだ」

 

 それから永い年月が経ち、漸く幻想郷の基盤が出来上がった頃。

 まるで見計らったかのようなタイミングで、ルカが多数の妖怪を引き連れ、幻想郷の地を攻め込んできたそうだ。

 人と妖怪の共存など認めない、そんな考え方を持つ妖怪達はその時代では今よりも多く、だからこそ幻想郷という場所を許容する事ができなかった。

 

「結局、私とルーミア、それとその時代の巫女の協力でその軍勢は纏めて叩き潰して、残ったルカは力の殆どを奪った後にこの地に封印しましたとさ、めでたしめでたし」

「なにがめでたしよ、なんでそんな危険な妖怪をこの地に封印したの?」

「ここは優れた霊脈が通っている土地よ、妖怪の封印場所としてこれだけの好条件は中々見つからない」

 

 八雲さん曰く、「他にも厄介な妖怪や妖獣を多数封印している」との事だ。

 これには霊夢も絶句し、僕も顔が引き攣ってしまう。

 

「本当は霊夢が一人前の博麗の巫女になってから教えようと思ったんだけどね」

「悪かったわね。……それより、どうして封印が解けたの?」

「それがわからないのよねー、あれには博麗の巫女と私、更にルーミアの力を封印してその力を用いてまで強化したのに……」

 

 ぶー、と唇を尖らせる八雲さん。

 

「……もしかして、僕がルーミアの封印を解いてしまったから?」

「それは違うぞナナシ、確かにお前は私に施されていた封印を解いたが完全にではない。何よりルカに施した封印が解ける程のものではなかった」

 

 だから気にするなと言ってくれるルーミアに、笑みを返す。

 だが、そうなるとその原因というのは一体何なのだろうか。

 大妖怪である八雲さんですらわからないのだ、考えても仕方がない事かもしれないが……少し、嫌な予感がした。

 

「今は分からない事を考えても仕方がないわ、それよりもそのルカってヤツの居場所を見つけないと……」

「見つける必要はないわよ、今夜も里に現れる……力を奪ってから封印したから、今のあの子はお腹が空いて仕方がないでしょうから」

「……なら、今夜そいつをぶっ飛ばせばいいわけね」

 

 そう言って握り拳を作る霊夢、でも……あいつが今夜も里を狙うのか。

 ……今日は、絶対に犠牲を出したりなんかしないぞ。

 

「お願いね霊夢、それと……ナナシも」

「えっ?」

「霊夢の手伝いをしてほしいの、やってくれるかしら?」

 

 まさかの言葉に、おもわず呆けてしまう。

 てっきり僕には何もするなと言ってくるだろうと思っていたから、驚いた。

 

「ちょっと、本気で言ってるの?」

「ええ。彼の……正確には彼の内に在る八咫烏の力は太陽の光、闇に生きる私達妖怪にとってこれ以上の武器は存在しない。

 あの地獄鴉のものとは違って、彼のは純粋な光の力だもの。周囲に悪影響を及ぼすものではないから協力してもらいなさい」

 

 言って、八雲さんは持っていた扇子を自分の横に振るった。

 それと同時に扇子が通った場所の空間が裂け、中から数多くの目玉が蔓延る不気味な空間が現れる。

 あれは“スキマ”と呼ばれる、隙間妖怪である彼女だけが扱える異空間だ。

 

「じゃあ、私は準備があるから一度帰るわね。ルーミアもいらっしゃい」

「……ああ」

 

 立ち上がり、八雲さんが作ったスキマの中に入っていくルーミア。

 と、その前に彼女は動きを止め、こちらに視線を向けながら口を開いた。

 

「ナナシ、正直……私はお前に今回の件に関わるのは反対だ」

「…………」

「だが、お前は本気でルカを止めようと思っているのだろう?」

「うん、僕1人じゃ何もできないけど……友達を傷つけて、無意味な犠牲を生んだアイツを放ってはおけない」

 

 改めて決意を口にすると、ルーミアは呆れたように僕を見て小さくため息を零した。

 やっぱり彼女も僕の考えが無謀だと理解しているのだろう、けれどそれ以上は何も言わず黙ってスキマの中へと入っていった。

 

「ふふっ、ルーミアもナナシの決意を汲んであげようと思ったみたいね。けれどナナシ、決して無茶をしては駄目よ?」

「はい、ありがとうございます八雲さん」

「いいのよ。あなたに頑張ってもらうのは……私の望みなのだから」

「えっ?」

 

 よくわからない事を口走ってから、八雲さんもスキマの中へと入り、そのまま消えてしまった。

 さて……僕も、一度永遠亭に戻ろう。

 準備するものなんてないけれど、夜になるまでゆっくり休んでおかないと。

 

「霊夢、僕は永遠亭に戻るよ」

「そ、私も丁度準備したいものがあるから助かるわ。……だけど、本当にアンタも来るの?」

「足手まといには、ならないようにするよ」

「それを願っているわ」

 

 神社を出る。

 階段を降りながら、ずっと静かだった八咫烏へと話しかけた。

 

(迷惑掛けちゃってごめんね、八咫烏)

〈気にすんな、お前さんの好きにすればいい。だがあの胡散臭いねーちゃんの言ってた通り、無茶だけはするなよ?〉

(この件に関わる事自体が既に無茶かもしれないけどね……ところで、八咫烏も八雲さんが胡散臭いように見えるの?)

 

 見た限り、中々にお茶目なお姉さんといったイメージなんだけど。

 大妖怪で妖怪の賢者と呼ばれる程の凄い存在には見えなかったのは、ここだけの話だ。

 

〈正直、あんな風に腹の底が見えない相手は苦手でな〉

(ふーん……)

 

 まあ、確かに何を考えているのかわからないけれど、胡散臭さまでは感じなかった。

 霊夢に散々いじめられていたからだろうか、どうにも情けない印象が拭えない。

 

〈とにかくだ。戦うと決めた以上はしっかりやれよ?〉

(う、うん)

 

 自身があるわけじゃないけれど、とにかく霊夢の迷惑になる事だけは避けないと。

 あ、それと……鈴仙達には内緒にしておかないとな。

 まず間違いなく反対されるだろうし、最悪永遠亭から出してくれない可能性もあるから。

 

 ■

 

 夜の里は、恐いくらいに静かだった。

 あのような凄惨な事件があったからだろう、周囲の家屋の明かりは完全に消え去っている。

 その中を、堤燈を持ちながら歩く僕と霊夢、そして……僕のように今回の件に首を突っ込んできた魔理沙。

 

「こうも静かだと、さすがにちょっと不気味だな……」

「なら帰りなさいよ魔理沙、今回の相手は弾幕ごっこで片付けられるヤツじゃないんだから」

「そうはいくか。私だって妖怪退治屋なんだからな、手柄を独り占めされるのも癪だ」

 

 異質な空気に包まれた中を歩いているというのに、魔理沙の態度は相変わらずだ。

 今まで霊夢と共に数多くの異変を解決してきたスペシャリストは伊達じゃない、緊張して身体が震えそうになるのを堪えている僕とは大違いだ。

 

「それにしても、ルーミアの弟かあ……本当に退治してもいいのか?」

「これだけの事をしておいて、退治しないなんて選択肢はないわ。完膚なきまでに叩き潰さないと」

 

〈勇ましいもんだねえ。見た感じお前よりも年下のお嬢ちゃんだっていうのに〉

 

 まったくである、霊夢も魔理沙もいつものような調子を崩さない。

 見た目では一番の年上であろう僕が緊張しているというのに、場数の違いか。

 けど僕だって遊びに来てるわけじゃない、借り物の力でもみんなの助けになれる筈だ。

 

〈あんまり気負うなよ? それとなナナシ、確かに元はオレの力だが、それを扱うのはあくまでお前の力量だ。自信持て〉

(ん……ありがと)

 

 そこで会話を止め、ただひたすらに里の中を歩く。

 当然ながら人とすれ違う事はなく、けれど誰かに見られているような奇妙な感覚を覚えた。

 その視線を、僕は知っている。

 

 居るのだ、この里のどこかに、アイツが。

 どこから仕掛けてくる? それとも、僕達が警戒する事を悟って今夜は仕掛けないつもりか?

 警戒心は最大まで高め、いつ襲われてもいいように全身に力を込める。

 

「おいおい、いくらなんでも警戒し過ぎじゃないか?」

「……魔理沙、ナナシは一度今回の元凶と戦ってる。それだけ相手の恐ろしさが判ってるって事よ」

「ふーん……でもさ」

 

 立ち止まり、懐から八角形状の物体を取り出す魔理沙。

 マジックアイテム“ミニ八卦炉”を右手に持ち、前方に構えながら。

 

「――随分と、相手はこっちをなめてるんじゃないか?」

 

 音もなく現れた、ルカを睨みつけていた。

 

 こちらに視線を向けながら、ルカは口元に歪んだ笑みを浮かばせている。

 それはまるで上質な餌を見つけられたかのように映り、自然と握り拳を作ってしまっていた。

 椛さんを襲い、そしてこの人里に生きる人達を食い漁ったコイツを、改めて許せないと怒りを湧かせる。

 

「よかった。お腹が空いてる時に餌が自分からやってきてくれて」

「……餌、ね。随分な物言いじゃない」

「当然だろう? お前達人間なんて、こっちからすれば餌でしかないんだから」

 

 世界の常識を語るかのように、ルカは言い放つ。

 尊大で、傲慢な態度を隠そうともしないその言葉に、その場に居た全員の表情が険しくなった。

 と、ルカは突然視線を僕へと向け――まるで塵を見るかのような目を見せながら。

 

「まずお前から喰ってやる。――人間風情が、ボクの身体を傷つけて許されると思うなよ?」

 

 絶殺の意志を見せながら、瞬時に自らの身体の中から漆黒の闇を溢れ出させた。

 それはすぐさま槍のような形状に変わり、数十もの闇が僕の身体を貫こうと迫る。

 

 それを。

 

「やっぱり、私達をなめてるみたいだな!!」

 

 ミニ八卦炉から放たれた光が、闇の槍を全て消滅させた。

 それと同時に、霊夢がルカに向かって踏み込む。

 

 右手に持つお払い棒を横に構えつつ、真っ直ぐルカとの間合いを詰める霊夢。

 その速度は疾風の如し、瞬く間に互いの距離をゼロにした彼女は、殺気を込めてお祓い棒を横一文字に叩き込んだ。

 ルカは追撃する余裕などなく、そのまま彼女の一撃は相手の胴を薙ぎ払って。

 

「!?」

 

 刹那、霊夢の表情が驚愕に満たされる。

 一撃を受けたルカの身体は、確かに上下真っ二つに薙ぎ払われた。

 だがそれと同時に分けられた身体が黒く染まり、網のように霊夢へと襲い掛かったのだ。

 

 突然の事態に霊夢の反応が遅れる。

 あれでは間に合わない、そう判断した僕はすぐに八咫烏の力を引き出した。

 

〈プロミネンス・レイ!!〉

「通れっ!!」

 

 右掌から撃ち出される、黄金の光。

 それは霊夢を覆い尽くそうとした闇を貫き、霧散させる。

 

「霊夢、大丈夫か!?」

「……ええ。悪かったわねナナシ、助かったわ」

 

 霊夢に駆け寄る魔理沙、僕もその後に続こうとして――横に跳んだ。

 

「ぐっ!?」

 

 脇腹に走る衝撃と鈍痛、受身も取れずに地面に転がってしまう。

 顔をしかめながら立ち上がり、攻撃が来た場所へと視線を向けると。

 

「本当に邪魔だなお前、そんなに死に急ぎたいのなら……先に殺してやるよ!!」

 

 膨れ上がった殺気を隠そうともしないルカが、僕に向かって闇の剣を討ち放とうとしている光景が広がっていた。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2月27日④ ~立ち向かう者達、VSルカ~

ルカを止めるために僕と霊夢、そして魔理沙の3人は人里を歩く。
そして紫さんの言葉通り、人を喰らう為に深淵の宵闇は姿を現す。

逃がしはしない、必ずここで倒さないと……!


 大妖怪。

 妖怪という存在の中で、特に秀でた力を持つ存在を、畏怖を込めてそう呼ばれる。

 メジャーなものでは鬼や天狗なども、大妖怪と呼ばれる存在だ。

 

 ただでさえ人間と妖怪の間には、埋められない地力がある。

 それが大妖怪ともなれば、圧倒的なまでの戦力差というものが生まれるだろう。

 

――けれど、目の前の光景はその概念を真っ向から否定するものだった。

 

「チィ……!」

 

 舌打ちをしつつ、後退していくルカ。

 それを自然な動きで、左右に散りながら追いかける霊夢と魔理沙。

 当然その間にも絶え間なく追撃を手は緩めず、魔理沙が放つ星型の魔力弾と霊夢の札や封魔針がルカを襲う。

 

 鋭く、それでいて正確で、しかもその攻撃は()()()()()

 彼女達が問題を解決する際に用いるスペルカードルールが原因なのか、確実に相手を追い詰め命を奪おうとする攻撃が……美しいと思えたのだ。

 様々な光を放つ星々の魔法と、赤い軌道を発しながら縦横無尽に飛び交う霊札。

 

 人間と妖怪などという概念など真っ向から吹き飛ばし、互角以上の戦いを見せる2人に、僕は何もできずただ魅了された。

 ……思い上がりも甚だしい、僕など最初から必要なかったのだ。

 霊夢と魔理沙、この2人の前ではどんな妖怪もおいそれとは敵わない。

 

「ちょっと魔理沙、あんまり周囲に被害を出さないでよ!!」

「わかってるっての、お前だってあちこちに針が刺さりまくってるじゃないか!!」

 

 言い争いをしながらも、2人の意識はルカだけに向けられている。

 数多の戦いを駆け抜けてきた歴戦の戦士、見た目はまだ幼さすら残す少女達でも、その力は少女のそれではない。

 

「な、なんだよ君達……随分と大人気ないじゃないか!!」

「妖怪に掛ける情なんてあると思ってるの?」

「右に同じだ。特にお前みたいな悪党は、許すわけにはいかないさ!!」

 

 終わりは近い、このままの状態が続けばルカの敗北は免れないだろう。

 あまりにも呆気ない、けれどあの2人だからこそこのような状況になったのだ。

 

「封魔陣!!」

「うぉ……っ!?」

 

 霊夢が展開した蒼い輝きを見せる結界の中に、ルカは完全に閉じ込められた。

 更に魔理沙が放った束縛魔法により、全身を雁字搦めにされる。

 

「はい、おしまい」

「ふぅ……結構手ごわかったなコイツ、でもちょっと物足りないかも」

「馬鹿言ってんじゃないわよ、今のコイツは紫達に力の殆どを奪われた状態なのよ? 寧ろその状態でここまで抵抗される方が驚きよ」

 

 言いながら霊夢は、ルカを閉じ込めた結界に更なる霊力を込めていく。

 このまま消滅させるつもりだ、また封印では今回のような危険性がある以上、妥当な考えである。

 

「……いや、参ったね。まさか君達のような子供……それも女なんかにここまで追い詰められるとは思わなかったよ」

「おい、女“なんか”っていうのはどういう意味だ?」

「そのままの意味だよ、小娘」

「お前、自分の立場がわかってるのか?」

 

 暴言に浴びせられ、表情を険しくさせながらルカに迫る魔理沙。

 そんな彼女を腕で制しながら、霊夢は結界に霊力を込め続ける。

 

「おい霊夢、そこまでしなくても大丈夫だろ?」

 

 確かに魔理沙の言う通り、少々過剰とも言える霊夢の行動には違和感を覚えた。

 2人の前では防戦一方だったルカの状態は、お世辞にも万全とはいえず呆気なく拘束された。

 霊夢の結界の中に閉じ込められ、更に魔理沙の拘束魔法で動きすら封じられているのだ。

 それなのに彼女は結界の頑強さを増させる為に霊力を注いでいる、てっきり消滅させる為に霊力を送っていたと思ったのだが……。

 

「そっちの変な巫女服の子は判ってるみたいだよ、ボクという存在の大きさをね」

「……お前、よくもまあそんな情けない恰好で余裕見せられるよな」

「それは当然だよ、だって慌てる必要なんかないんだから。

 最初はそっちの思わぬ連携と力に驚いたし追い詰められたのも確かだ、けど」

 

 それでも、ボクには勝てないさ。

 追い詰められている、今にも消滅させられそうとなっているというのに。

 ルカは口元に歪んだ笑みを浮かべ、上記の言葉を口にする。

 

 ……何か、変だ。

 確証はないけれど、このままここに居てはいけないと直感した。

 一刻も早くルカを退治する事よりも、形振り構わず逃げた方がいいと己が訴えている。

 

「……魔理沙、ナナシをお願い」

「は?」

「何かあったら、ソイツを守ってあげて」

 

 視線をルカに向けたままそう告げる霊夢の頬に、冷や汗が伝う。

 彼女も、何かを感じ取ったのかもしれない。

 もはや一刻の猶予もないと、彼女は懐から札を取り出しルカを消滅させようとして。

 

 

「――遊びは終わりだ、小娘共」

 

 

 世界が、闇に包まれた。

 

 ■

 

「――始まったようね」

 

 里の遙か上空から中を見下ろしていた紫は、ぽつりと呟きを零した。

 彼女の視線の先には、少しずつ広がっていく底なし沼のような闇が、映っている。

 やがてそれは里の全てを呑み込むだろう、そしてそれに呑まれた者がどんな末路を辿るかなど、紫には判りきった事だった。

 

「まさか……だが、ルカの力は殆ど失われている筈じゃなかったのか!?」

「どうやら想定外の事態が発生したみたいね、誰の助けを貰ったのか知らないけど……全盛期に近い力を既に取り戻している」

 

 どうやら、霊夢達はルカを本気にさせてしまったようだ。

 やはりまだまだ未熟だ、追い詰めたと誤解して相手に猶予を与えるなど二流だというのに。

 

(まだまだ、霊夢も甘い)

 

 そう思いつつ、紫は里全てを包み込むような結界を展開させた。

 

「おい紫、何をしているんだ!?」

「何って……ルカの闇が外に漏れないように、閉じ込めただけよ」

「なっ、お前……正気か!? 中に居るナナシ達はどうなる!?」

 

 紫が放った結界から出るには、無理矢理破壊するか彼女に頼んで入口を作る以外の方法はない。

 だが当然3人にそんな余裕などないし、何よりも……彼女の結界のせいで、外から助けに行く事もできなくなってしまった。

 

「妖怪退治は博麗の巫女の務め、これで命を落とすのならそれまでだし、おまけの2人はでしゃばった結果でしかないでしょ?」

「っ、ふざけるなよ紫!!」

 

 見捨てるような発言を聞き、ルーミアは紫に飛び掛かろうとして……後退した。

 スキマの中から現れた彼女の式、八雲(やくも)(らん)がこれ以上近づく事を許さぬと此方を睨みつけているからだ。

 

「ありがとう、藍」

「いえ、ですが紫様……あのまま放っておけば、里の人間達は」

 

「そうねえ……このままじゃ全員死んじゃうわねえ」

「紫!!」

 

 何なのだ、彼女のこの態度は。

 間違いなく幻想郷の危機だというのに、この賢者はまるで他人事のように傍観するだけ。

 そればかりか、まるでルカの助けをするようなこの行動には、ルーミアはもちろん彼女の式である九尾も眉を潜める。

 

「紫様、霊夢達を助けないのですか?」

「んー……とりあえず、もう少し見てましょうよ」

「いい加減にしろ紫、ルカの力が戻っているのならナナシ達だけじゃ……」

「いいから見ていなさいルーミア、藍も」

 

 ぴしゃりとルーミアの言葉を遮ってから、紫はこれ以上話す事はないと口を閉ざす。

 そんな彼女に当然ながら怒りを覚えるルーミアであったが、彼女の結界が展開されてしまった以上、此方からできる事は無事を祈る事だけだった。

 

(さあナナシ、見せてみなさい。貴方の幻想郷を守りたいという想いが本物なのかどうかを。そして……貴方が本当に“贄”となってくれるのか、私に見せて頂戴)

 

 ■

 

 それは、まさしく一瞬の出来事だった。

 霊夢がルカに攻撃を仕掛けようとした瞬間、ヤツの身体から霧のように闇が広がったのだ。

 いや、あれはもう霧というよりも火山の噴火に近い。

 

「霊夢、魔理沙!!」

 

 闇の中で2人の名を呼ぶ。

 自分の姿すら見えない中で、とにかく安否を確認したくて呼び続けた。

 

「……くそっ!!」

 

 だが応答はなく、悪い予感ばかりが頭を過ぎる。

 もしかしたら、もう2人はルカに襲われて……。

 

「っ」

 

 馬鹿な考えを一瞬で消し去りながら、右手に光を集めていく。

 とにかくまずは視界の確保が最優先だ、とはいえこの闇は普通の暗闇とは違う。

 光すらも呑み込むの闇を払うには、太陽の光を持つ八咫烏の力が必要だ。

 

「消えろっ!!」

 

 右手を大振りに振るい、放たれた光が闇を消し去っていく。

 広がり続けていた闇はすぐに消え去り、人里の風景とその場から動いていなかった霊夢と魔理沙の姿が見え。

 

 それと同時に。

 無防備になっている霊夢の背後から。

 ルカが、自らの闇で作り上げた槍で、彼女を貫こうとしている光景、が。

 

「れ――――」

 

 半ば無意識のまま、地を蹴った。

 ……このままでは殺されると、思考が理解するよりも早く身体が動いた。

 

「え――?」

 

 霊夢がこちらに気づく、背後のルカの存在には気づいていないようだ。

 彼女の背中にヤツの槍が迫る、秒を待たずにそれは彼女の華奢な身体など容易に貫き、命を奪う。

 

――間に合わない。

 

 魔理沙がルカに気づく。

 だが遅い、追撃なんてする余裕などなかった。

 

――止められないと、殺される。

 

 でもそれは無理だ、咄嗟に身体が動いたけど力を出すにはどうしても一呼吸は掛かる。

 それでは間に合わない、かといってあれを防ぐ手立ても見つからない。

 

――いや、それは違う。

 

 彼女を助ける方法はある、単純な話だ。

 ルカに攻撃して動きを止める事も、防御する事もできないのなら。

 

 

 この身を、盾にすればいいだけなのだから。

 

 

「あ、ぐぅぅ……っ!!」

「えっ……ちょっと、なんで!?」

 

 すぐ後ろから、驚愕に満ちた霊夢の声が聞こえた。

 あまりの衝撃に、受けた腹部がごっそり吹き飛んでしまったように思えた。

 ……吐血する、まるでポンプのようにせり上がってくる血液を地面に吐き出した。

 

 足はガクガクと震え、今にも崩れて倒れそうになる。

 けれどヤツの槍が腹部に刺さっている為に、倒れる事は叶わない。

 

「あ……」

 

 意識が、薄れていく。

 瞼が重い、このまま閉じてしまったらもう二度と目覚められないと判っているのに、どんなに力を入れても少しずつ閉じていこうとする。

 

「……お前は最後に苦しめて殺そうと思ったのに、馬鹿な奴だよ」

「っ、ぎっ!?」

 

 槍が身体が強引に抜き取られた。

 一緒に生きる為に必要なモノも抜かれたのか、身体が前のめりに倒れ、動かせなくなる。

 明確な死、何度か体験したからか、それがすぐそこまで迫っていると否が応でも理解する。

 

「ナナシ!!」

「お前……!」

 

 怒りに任せ、魔理沙がルカに向かって魔力弾を放つ。

 その数は三十を越え、逃げ場など与えないかのように広範囲に展開されたが。

 

「はっ」

 

 ヤツは薄く笑い、その全てを一瞬で消し飛ばした。

 

「なっ!?」

「これだから人間は単純だ。とはいえ、溜め込んでいた力を出させたのはたいしたもんだよ」

「こいつ……」

 

 変わっていた。

 姿形は変わらずとも、確かにルカは今までとはまるで別人のように変貌していた。

 溢れ出る妖力の大きさは、僕が感じたどんな妖怪よりも深く、恐ろしい。

 痛みで断裂していた思考が鮮明になる程に、今のルカから放たれる力は絶大だった。

 

「だがここまでだ。人間風情がこのボクに勝てると本気で思っているのか?」

「くっ……」

 

 じりじりと、少しずつ後退していく魔理沙。

 彼女は僕なんかより場数を踏んでいる、だからこそわかるのだ。

 目の前の存在には、打開策など浮かぶ筈がないと。

 

「ああ……腹が減った」

 

 ヤツの赤い瞳が、霊夢と魔理沙を見据える。

 その奥から見えるのは“捕喰”の色、ヤツは2人を完全に餌として認識していた。

 

「ぐ、うぅぅ……!」

 

 立ち上がろうと全身に力を込めようとするが、出てくるのは情けない唸り声だけ。

 

「馬鹿!! 動こうとしないの!!」

「そういう、わけには……いかない」

 

 僕を抱き起こしている霊夢の怒鳴り声を無視しながら、尚も立ち上がろうとする。

 だってそうしなければみんな殺される、罪もない里の犠牲者と同じように、ヤツに食われてしまう。

 そんな事は認めない、認められるはずがない。

 

「あ、ぐ、く……」

「だから動かないで!! アンタ、血が沢山……!」

 

 それがなんだ。

 血なんて後で八意先生に輸血してもらえばいい、今はそんな事を考える必要なんかない筈だ。

 僕がここに来たのは、これ以上の犠牲者を出さない為。

 だったら、今みたいに無様に転がっている事なんて許されない。

 

「何できない、まま、じゃ……」

「……ナナシ」

「ぐ、あ……」

 

 立ち上がれ、立ち上がるんだ!!

 立って、アイツを倒す。

 借り物の力だけど、唯一僕がヤツに対抗できる八咫烏の力を使って、絶対にヤツを……!

 

「……なんで、そこまで」

「霊夢……?」

 

 何故だろうか、彼女は僕に得体の知れないものを見るような目を向けている。

 すぐそこまでルカが迫っているというのに、霊夢はただ茫然と僕を見つめていた。

 

「アンタ、このままじゃ死ぬのよ? お腹に穴が開いて血だってたくさん出てるのに、どうしてそこまでして戦おうとするの!?」

「…………ああ」

 

 成る程、確かに彼女の疑問はもっともだ。

 身体は死に体、不用意に動けばそれだけ早く死に至る状態だというのに、立ち上がろうとするなんて異常でしかない。

 

「……戦うと、アイツを倒すと、誓ったから」

「だから、なんで自分を蔑ろにしてまで他人を守ろうとするのよ!? そんなの……ただの偽善じゃない!!」

 

 霊夢の言葉は、罵倒に近かった。

 アンタのやっている事は愚かだと、彼女らしい真っ直ぐな言葉。

 わかっている、わかってはいるけれど……自分自身が、それを曲げたくないと思っている。

 

「里のみんなは何も悪くないのに奪われたんだ。大切な人が、家族が、友人が、あんな人の命をなんとも思わないようなヤツに」

「…………」

「僕は、それが許せない。そして今、アイツは霊夢を殺そうとした」

 

 友達を、自分の目の前で殺そうとした。

 それでもう、本当に我慢がならなくなったんだと思う。

 自分の命とか、全身に走る激痛とか、死ぬかもしれない恐怖とか、そんなものなど微塵も考えなくなるくらいに。

 

「霊夢も魔理沙も、僕にとって大切な友達の1人だから、だから……守りたいと、思ったから……」

 

 僕が戦う理由など、それだけで充分だ。

 戦いたいわけじゃない、戦闘狂じゃあるまいし、平和でつつましい生活が一番だと考えている。

 それでも戦おうと思ったのは、守りたい友達や助けたい里の人達が居るから。

 

「それだけの理由で、アンタは」

「はは……自分でもおかしいって思っているけど、それでも」

 

 そう願ったのなら、貫き通したいと思ったのだ。

 記憶を失い、名前を失い、何もわからぬまま幻想郷という世界で生きる事になって。

 何もなかったからこそ、自分で決めた事を貫こうと決意した。

 

「…………そう、アンタってそういう人間なのね」

「えっ、霊夢……?」

 

 何を思ったのか、霊夢は突然驚くぐらい優しい微笑みを向けながら、僕の頭を撫で始めた。

 まるで子供を褒めるように、慈しむように、その手は優しく暖かった。

 それから彼女は僕の頭から手を離し、立ち上がりながらゆっくりとルカに向かって歩みを進めていく。

 

「魔理沙、ナナシをお願い」

「お、おう……」

 

 彼女から放たれる気迫に圧倒されたのか、魔理沙は呆気なく道を譲り後退する。

 

「……アンタの思いは、私が代わりに果たしてあげるわ。だから今は休んで、お願いだから」

「霊夢……」

「アンタの考え方は、馬鹿だと思うわ。でも……同時に尊いと思う」

 

 だから、アンタの決意は絶対に無駄になんかしない。

 そう言って、霊夢は真っ向からルカと対峙する。

 

「なんだ、一斉にかかってこないの?」

「…………」

「それにしても随分と巫女の質も下がったもんだ、そんな屑に守られないといけないとはね」

「…………」

「ぬるま湯に浸かっている分際で、思い上がっているからこうなるんだ。上には上がいるって事を理解できたかい?」

「…………」

 

 嘲笑うルカに対しても、霊夢は無言を貫く。

 ただ黙って相手を見つめるその後ろ姿は、小柄な少女のものとは思えない程に大きく、そして恐ろしいと感じた。

 味方である彼女から発せられるものは、どこまでも深く冷たい殺意と……怒り、だろうか?

 

 それに気づかないのか、ルカは尚もべらべらと喋り続ける。

 そして、いい加減霊夢からの反応がない事につまらなく感じたのか、ルカが口を閉じた瞬間。

 

「――もう、終わりでいいの?」

 

 静かに、地の底から響き渡るような低い声で、霊夢はそう言った。

 

「…………」

 

 その姿に、ルカも漸く気がついたのかもしれない。

 今の霊夢は、先程までとはまるで違っていた。

 雰囲気は勿論、身に纏う力も何もかもが違っておりそして。

 

「じゃあ――――殺すわ」

 

 風が吹き、霊夢の姿が視界から消えたと思った時には。

 

「ギッ、ガッ!?」

 

 鈍い打撃音と共に、ルカの口から醜悪な叫び声が放たれた。

 ……何が起きたのか、一目見ただけでは理解に及ばない。

 ただ霊夢がルカと接触するほどに近い距離まで移動しており、対するルカは……顔をまるで鈍器で殴られたかのようにひしゃげさせている。

 

「コイ――ギィッ!?」

 

 搾り出すようなルカの悲鳴。

 とんでもなく鋭い肘鉄が、ヤツの顔面にめり込んだ。

 ミシミシという骨が軋む音がここまで響き、しかし霊夢の攻撃は終わらない。

 

「ふっ――!!」

「ごっ、が、あぁぁっ!?」

 

 掌底、蹴り上げ、踵落とし。

 たった一息で三撃、そのどれもが必殺の一撃だと理解できる破壊力の攻撃が、ルカの身体を釣瓶打つ。

 あまりにも速く、僕も魔理沙も彼女の動きを目で追う事ができなかった。

 

「ご、いづううぅぅぅぅぅぅぅっ!!」

「…………」

 

 ルカの身体から闇が放出され、さすがに危険だと判断したのか霊夢は一度後ろに跳躍して距離をとった。

 対するルカの表情は憤怒に溢れ、しかし顔の至る所からは血がとめどなく流れ続けている。

 端整だった顔立ちは醜く歪み、おもわず同情してしまう程に凄まじい形相となっていた。

 

「男前になったじゃない」

「ふざけるなあっ!! お前、自分が何をしたのか」

「それはこっちの台詞よ、覚悟は……できてるんでしょうね?」

 

 ぞわりと、全身が震えた。

 それほどまでに今の霊夢の声は恐ろしく、背筋が凍りつく程に冷たかった。

 

 

「――さあ、妖怪退治よ。自分のしてきた事を反省する間もなく消滅させてやるわ!!」

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2月27日⑤ ~霊夢の怒り、雌雄を決する虹の極光~

 それは戦闘ではなく、一方的な“殲滅”であった。

 駆け抜ける風となった霊夢が、大妖怪であるルカを一方的に攻め立てている。

 

「くっ……!?」

 

 ありえないと、今の自分の状況を認めたくないかのように、表情を歪ませるルカ。

 だが、その気持ちは僕や魔理沙にもよく理解できた。

 それほどまでに……今の霊夢は、異質な強さを見せ付けているのだから。

 

 如何なる奇跡か、幾度となく瞬間移動を繰り返し、絶え間なくルカの死角を突いていく。

 そして放たれる札や封魔針の威力は、明らかに先程よりも上がっていた。

 

「チィッ!!」

 

 ルカが不利と悟り、一度彼女と距離を離そうとしても。

 

「ガッ……!?」

 

 その時には、霊夢は既にヤツの背後に移動しており、無防備となった背中にとんでもなく気合いの入った踵落としを叩き込んでいた。

 周囲の地面が揺れるほどの衝撃を放ちながら、地面に叩きつけられるルカ。

 そこに降り注ぐ破魔札の雨、しかも着弾すると同時にダイナマイトのように爆発するのだから、こちらにまで被害が及ぶ。

 

「霊夢のヤツ、人には周囲に被害を出すなって言ったくせに……」

 

 ぶつくさと文句を言いつつも、魔理沙はその場から動けない僕の為に防御魔法を展開してくれていた。

 ……それにしても、本当に霊夢はどうしたのだろうか。

 彼女が強いというのは知っている、けどこれは僕の想像を遥かに越えた強さだ。

 

 破魔札で大穴が開いた地面から飛び出すルカの身体には、決して無視できない傷が刻まれている。

 闇の槍が霊夢に迫る、計十五にもなるそれを見ながらも彼女の表情は変わらない。

 無表情のまま、瞬間移動を駆使してその全てを回避する。

 

「……アイツ、なんか、恐いな」

 

 ぽつりと零した魔理沙の呟きに、僕は無意識に頷いていた。

 そう、今の彼女は……なんだか恐ろしいものに変貌したように見えてしまう。

 能面のように表情を変えず、確実にルカの肉体を破壊していくその姿は、延々と同じ作業を繰り返す機械のように映る。

 先程彼女が見せてくれた優しい笑顔が頭の中に残っているからこそ、より恐ろしさが増していた。

 

 けれど、それが嫌というわけではなかった。

 だって今の彼女の攻め方は確かに恐ろしいものに見えるけど、相手を怒りこそすれ憎しみを抱いて戦っているようには見えなかったから。

 何か自分にとって譲れないものの為に、その為に戦っているように見えるから、さっきとは別の意味で目を奪われた。

 

「ガァァァァッ!!」

 

 ルカの聞くに堪えない叫び声と共に、周囲の闇が何かを形作っていく。

 それらはすぐに先程のような槍状の物体になったが、その数は倍以上にまで増えている。

 

「いい加減に、しろおおおぉぉぉっ!!」

 

 怒りの声に呼応して、闇の槍が一斉に霊夢へと襲い掛かる。

 百近いそれは秒を待たずに彼女の身体を容赦なく針千本にするだろう。

 だが、霊夢はあくまで視界をルカに向けながら両手を自身の胸の前でパンッ、と合わせ博麗の巫女の秘術を発動させ追撃を仕掛けた。

 

「夢想封印・瞬」

 

 ほぼ同時、文字通り一瞬で彼女の周りに八つの虹色に輝く光球が生み出される。

 主の命を待たずに光球は迫る闇の槍へと向かっていき――その全てを相殺した。

 

「なっ!?」

 

 驚愕するルカ、それも当然だ。

 あれだけの範囲の攻撃を、ただの一瞬で相殺させるなど予想できるわけがない。

 動きを一瞬止め、僅かな隙を見せるルカに霊夢は肉薄し。

 

「がふっ!?」

 

 まずは右の拳をルカの腹部に叩き込み。

 

「ごあっ!?」

 

 続いて左の拳で強力なアッパーカットをお見舞いしてから。

 

「ぎゅっ!!」

 

 ぐるん、と勢いをつけた後ろ回し蹴りを、容赦なく首へと突き刺した……!

 

 地面を削りながら吹き飛んでいくルカに向かって、霊夢は両手で持った破魔札を投げ放つ。

 彼女の手から離れた札はまるでミサイルのように飛んでいき、ルカの身体に触れると同時に先程以上の大爆発を引き起こした。

 

「…………」

 

 痛みも忘れるほどに、目の前の光景に目を奪われる。

 魔理沙も同様に茫然としており、完全に蚊帳の外状態だ。

 

「……が、ぎぃぃぃ」

 

 もうもうと立ち昇る煙の中から、這い出るようにルカが姿を現す。

 その姿は悲惨なもので、全身から血を流し右腕に至っては半分以上消失していた。

 

「な、なんで……こんな、ガキにボクが……」

「そんなボロボロの状態でも減らず口が叩けるのね、そうやって他者を見下さないと己を維持する事ができないのかしら?」

「ふざけるなあっ!! お前みたいな未熟な巫女如きが、どうしてボクの身体をこうも一方的に」

 

「――天火明命(アメノホアカリ)って神様、知ってる?」

 

 ルカの言葉を遮って、霊夢は上記の問いを口にする。

 ……アメノホアカリといえば、太陽の火や熱を神格化した神だったか。

 

「闇に生きる妖怪は、太陽の光は武器になるって事を思い出してね」

「ま、まさかお前……“神降ろしの秘術”が扱えるっていうのか!?」

 

 狼狽し始めるルカに、霊夢はしてやったりと凄まじい邪悪な笑みを浮かべる。

 もはやどっちが悪者かわからない光景である、しかし神降ろしというのは一体何なのだろうか。

 

〈神霊の力を借りる事ができる上級の秘術の1つだ、あの若さでソレを使えるとはたいした嬢ちゃんだな〉

 

 八咫烏が説明してくれた、というか今の今まで反応がなかったのはどういう事なのか。

 問い質してやりたかったものの、今は霊夢達の方に意識を向けるのが先決だ。

 とはいえ、もう勝負は決まったと言えるだろう。

 

 神降ろしの秘術の恩恵か、今の霊夢の攻撃全てにルカにとって致命的となる太陽の力が込められている。

 だからこそあれだけのダメージを与えられたのだし、更にその恩恵がまだ続いているというのなら、ヤツに打開策はない。

 それに何より、今の霊夢からは誰にも負けない程の凄まじい気迫と闘志が吹き荒れんばかりに溢れ出している。

 何が彼女をそうさせたのかはわからないけれど、今の彼女に勝てる存在なんかいないんじゃないかと本気で思える程に頼もしい。

 

「さて……じゃあ、そろそろ覚悟を決めてもらおうかしら?」

「覚悟? 覚悟だと!?」

 

 ルカの瞳に、先程以上の怒りが宿る。

 ……ここまで一方的にやられても、まだ他者を見下せるのか。

 自分よりも下位の存在だと認識しているからこそ、ルカは今の状況を認めず自分を追い込む霊夢を憎んでいる。

 彼女の言う通り、他者を見下さなければ己を維持する事すらできないのかもしれない。

 

「大妖怪であるこのボクを、お前みたいな未熟なガキ巫女が、本気で倒せると思っているのか!?」

「倒すわよ。だってそれが私の仕事であり存在意義だもの」

「あそこに居る屑に庇ってもらわなければ、さっきの攻撃で死んでいた雑魚の癖に、生意気を……!」

「…………屑、ですって?」

 

 瞬間、重苦しかった周囲の空気が、更に重くなった。

 それと同時に、霊夢のルカに向ける瞳には直視できない程の殺意と敵意が宿っていた。

 

「……確かにナナシは馬鹿かもしれないわ、だってああも簡単に自分の身を投げ出して私を庇うんだもの。

 そればかりか、死ぬと判っていても自分で誓った約束を果たそうとして……本当に、馬鹿よ」

 

 遠慮なく人を批難しながらも、そう告げる霊夢の口調は優しいものであった。

 愚かではある、でもその生き方は決して間違ったものではない。

 そう言ってくれているような気がして、なんだか嬉しくなった。

 

「でもね、アンタや私みたいな自分の事しか考えられないようなヤツが、アイツを馬鹿にする権利なんかない。人として尊い生き方を貫こうとしているアイツを、アンタみたいな愚者があーだこーだと口を出す事は許さないわ!!」

「っ、ボクが……愚者だと!?」

 

「……霊夢」

「へぇ……まさかアイツの口から、あんな言葉が出るとはなあ」

 

 本当に意外だったのか、上記の言葉を呟く魔理沙は本気で驚愕している。

 でも、それは僕も正直同じ気持ちであった。

 

 霊夢とはまだ知り合って間もない間柄だけど、彼女はきちんと現実を見据えて動くタイプの女の子だ。

 僕のような理想論を語らず、ただ現実を見て行動する。

 そんな彼女が僕の考えを「馬鹿」だと正直に告げつつも、決して否定せずあまつさえ「尊い」と言ってくれたのだ。

 

「ボクを誰だと思っている? かつて大妖怪として多くの人間や妖怪に恐れられた……」

「だから何? 時代遅れのロートルよ、私からすればね」

「ロッ……!?」

 

 ルカの表情が、驚愕のまま固まる。

 霊夢の暴言も凄まじいものだけど、ここまで来て尚も変わらないルカの心中も凄まじいものだ。

 物凄い力を持っているのは充分に理解できている、そして人間とは比べものにならない程の年月を生きているのもわかる。

 だけど、それだけに固執して他者を認めず、受け入れず、見下す事しかできないヤツの姿は……。

 

「……ふざけるな、ふざけるなふざけるなふざけるなあっ!!」

「…………」

「たかだか人間風情が、このボクを……大妖怪であるボクを見下す事が、許されると思っているのかあっ!!」

 

 激昂するルカの表情には、もはや一片の余裕も見られない。

 追い込まれているのだ、それも霊夢の言葉ではなく自分自身の自尊心に、ヤツの心は蝕まれていく。

 その姿は、倒すべき相手だというのにひどく可哀想に見えてしまい。

 

「……もう、やめるんだ」

 

 思わず、そんな言葉を口にしてしまっていた。

 

「なん、だと……!?」

「もうこれ以上、自分を追い込むな。これ以上続けたら本当に独りになるぞ?」

「っ、何を訳のわからない事を……!」

 

「そうやって誰も彼も否定して、見下して、一体何が残るっていうんだ?」

 

 残るものなど、得られるものなど何もない。

 向かう先はただの孤独、独りぼっちという現実だけだ。

 そんなの、あまりにも悲し過ぎる。

 

 勿論、コイツを許すつもりなんかない、罪が消えるわけではない。

 だけど、それでも今のヤツの姿はあまりにも……。

 

「あ、憐れんだな!? ボクを、お前みたいな屑が憐れむのか!!」

「…………」

「ゆ、許さない……お前みたいな何の力もない、八咫烏が居ても足手纏いなゴミが、ボクを憐れむなんて……!」

 

 ルカの殺気が膨れ上がり、その全てが僕に向けられる。

 だけど今の僕には恐ろしいと感じず、ただヤツの言う通り……憐れんでいたのかもしれない。

 

「……ナナシに憐れまれるのも、当たり前じゃないの」

「な、何だと!?」

「まあ、それがわからないからアンタはそうやって自分以外を否定するんでしょうけど」

「だ、黙れええぇぇぇぇぇっ!!」

 

 ヤツの叫びと共に、地面から闇が噴き出してくる。

 ……勝負を決めるつもりだ、霊夢もそれがわかったのか両手を広げ必殺の一手を用意した。

 

「霊符――」

「人間如きが……人間如きがああぁぁぁアアァアアアアアアァア!!!!」

 

 吹き荒れる闇が、全てを呑み込もうとうねりを上げる。

 ヤツの怒りを具現化したかのようなそれを前にして、僕は右手に力を込め。

 

「――夢想封印!!」

 

 霊夢は、虹色の極光を放つ博麗の秘術を、一斉に撃ち放った。

 八つの光弾は1つとなり、光線となってルカの闇と衝突する。

 

「わっ!?」

 

 瞬間、周囲にスパークを放ちながら眩い光を放ち、両者の一撃は凌ぎを削り合う。

 吹き荒れる突風の中、魔理沙は腕で顔を覆い足に力を入れて吹き飛ぶのをどうにか堪えていた。

 

 ……足りない、あれでは届かない。

 漆黒の闇は極光すら呑み込もうと肥大化を続け、少しずつではあるが霊夢の夢想封印を文字通り溶かし始めている。

 霊夢もそれに気づいているのか、更なる霊力を夢想封印に送り続けているが、それでも届かない。

 

(力が足りないんだ……だったら!!)

〈よせナナシ、そんな身体でオレの力を使うな!!〉

 

 八咫烏の叫びは、完全に無視した。

 ここで何もしないわけにはいかない、身体に走る痛みも無視して立ち上がる。

 

「っ、ぐっ……!?」

 

 ああ、本当に痛い。

 痛くて痛くて泣きそうで、どうしてこんな辛い思いをしなきゃいけないんだと叫びたくなる。

 ……だけど、そんな弱音なんて吐けない。

 霊夢があんなに頑張っているのに、僕達や里を守ろうとしているのに。

 

「――負けるわけには、いかないっ!!」

 

 右腕に宿る黄金の光。

 その手を掲げ――光の帯は、天高く伸びていく。

 出し惜しみも、加減もいらない。

 今の僕ができる最大の力で、アイツを倒す……!

 

「うっ……」

 

 ぐらりと、視界が揺れた。

 拙い、本当に意識が途切れそうに……。

 

「しっかりしろって、ナナシ!!」

「……魔理沙」

 

 後ろに倒れそうになる僕の身体を、魔理沙が支えてくれる。

 これなら……いける筈だ!!

「いけナナシ、ぶった切ってやれ!!」

「う――おおおおぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

 極限まで伸びた光の剣を、叫びと共に振り下ろす。

 放たれた光の剣は闇に呑まれかけた夢想封印と混ざり合い、虹色の剣へと生まれ変わった。

 

「な、にぃぃぃぃぃっ!?」

「通れええええええええっ!!」

 

 闇が、消えていく。

 虹の極光の前に、ヤツの闇が霧散していく。

 そして、完全に消え去った闇の守護を失ったヤツは、その目に憎悪と驚愕を宿したまま……。

 

 

 ■

 

 

 どうやら終わったようだ、里を覆い尽くそうとしていた闇が少しずつ晴れていく光景を目にして、紫はそう確信した。

 それにルーミアが展開した結界を解くと同時に飛び出していったのだ、心配する事はないだろう。

 

「紫様、どうでしたか?」

「大丈夫よ藍、全部終わったわ。まあ結末は私の望んだものとちょっと違ったものになってしまったけど」

「では……ルカを倒したのは、あの子ではないと?」

「正確には霊夢と協力してだったけど……正直、今回の件は彼に始末してもらいたかったわ」

 

 残念ですわー、さして残念でもなさそうに言う主を見て、藍は首を傾げる。

 ……今回の件を、彼女は博麗の巫女である霊夢ではなくナナシに解決してもらおうと思っていた。

 それが藍には理解できない、幻想郷での異変を解決するのは巫女の役目だというのに……。

 

「あの子には、成長してもらわないといけないのよ」

「成長、ですか……?」

「もちろん霊夢もだけど、あの子はあくまで幻想郷の秩序を守る博麗の巫女であってくれればいい」

「……紫様は、彼に一体何を望むのです?」

 

 ただの一般人で、外の世界で生きてきた彼を紫は強引に幻想郷へと連れてきた。

 だというのに今の今まで接触はせず、自由に行動させ……幾度となく命の危険に晒されても尚、助けようとしなかった。

 あまりにも不可解だ、元々あまり考えの読めない主ではあるが、今回のは余計に理解できない。

 

「藍、あなたはどうして今回の件が起きたと思う?」

「えっ?」

「……ルカの封印は絶対に解けない筈だった、なのに今回の事態が起こったという事は、幻想郷の地そのものに異変が起き始めていると考えていいわ」

 

「では、何者かが暗躍していると?」

「それもあるでしょうけど、何より……この大地が磨耗してしまっているという事よ。だからこそあの子には成長してもらわないと困るの」

「しかし紫様、彼は確かに不可思議な力を持っているようですがただの人間です。その身に八咫烏を宿しているからといっても……」

「違うわよ藍、八咫烏の力はどうだっていいの」

 

 そう、紫が望んでいるナナシの力は八咫烏のものではない。

 死への恐怖と体験によって目覚めに至った力、他者を“癒す”力にこそ着目しているのだ。

 今はまだ他者の傷を癒す程度の領域ではあるが、あの力が成長すればいずれは……。

 

「ふふっ……早くその時が訪れてくれればいいのだけれど」

「…………」

「そろそろ帰りましょう、私達の出番は終わったわ」

「御意に」

 

 スキマを開き、紫は藍を連れてその場から消え去ろうとする。

 その前に、彼女はもう一度視線を人里に……正確には、ルーミア達に支えられているナナシへと向けながら。

 

「頑張りなさいな、貴方はいずれ……この地の“贄”になるのですから……」

 

 口元に邪悪な笑みを浮かべながら、ぽつりと不気味な言葉を呟き。

 今度こそ、境界の彼方へと消えていった……。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

~ナナシの幻想郷日和~
3月9日 ~式の式の悩み~


戦いは終わり、少年は平穏な日々へと戻る……。


「――では、また何かありましたらご連絡ください」

「はい、ありがとうございましたナナシ様!!」

「……失礼します」

 

 一礼して、民家を後にする。

 ……これで僕の担当エリアは終わりかな。

 周囲に視線を向ける、そこに広がるのはいつもの人里の光景だった。

 

「……もう、10日か」

 

 あの異変から、10日という時間が流れた。

 悲しみは消えないものの、里の空気は前と同じものにまで戻ってきてくれた。

 いつものように薬の販売もできるようになったし、異変の傷痕は少しずつではあるが消えていってくれているようだ。

 

「こんにちは、ナナシ様」

「あ、こんにちは……」

 

 道行く人に挨拶され、こちらも頭を下げ反応を返す。

 

 ……あの異変の後、どういうわけか里の人達の僕を見る目が変わっていた。

 どういうわけか、僕は「里の為に博麗の巫女と共に悪しき妖怪と戦ってくれた英雄」と周囲に認識されてしまっている。

 もちろん僕自身が周りに言ったわけではないし、霊夢や魔理沙だって目立つ事を嫌う僕に気を遣ってそんな話は里の人達にしてはいない。

 

 だというのにこれである、感謝されるのは嬉しいが……持ち上げすぎだ。

 霊夢曰く、「どこぞの胡散臭い妖怪が噂でも流したんでしょうね」との事だが、そう言われ心当たりは……あった。

 でも、彼女の予測が当たっているとしても、その意図は読めない。

 僕を英雄扱いにして、一体あの人に何のメリットがあるというのか……。

 

 とはいえ、好意的に見られるようになったのは此方としてもありがたいのは確かだ。

 あの一件以来、里の妖怪に向ける敵意や恐怖といったものが大きくなっている中、永遠亭はその被害を被らないのだから。

 尤も、全ての人間が僕や永遠亭に対して良い感情を抱いていないのも、また事実なのだが。

 

「鈴仙は……まだ終わらないのかな」

 

 僕も慣れてきたので、お互いに負担が減らす為に別々のエリアの販売をする事にしている。

 早く終わったらそれぞれ自由行動をするように決めているのだが、さて……どうしようかな。

 

「ナナシー!!」

「んっ……? ふごっ!?」

 

 名前を呼ばれそちらへと向くと同時に、腹部に鈍痛が走った。

 その勢いのまま後ろに倒れそうになるが、どうにか堪え視線を下に向けると。

 

「……チルノ、どうしたの?」

「ナナシの姿が見えたから、とりあえず不意打ちしてみた!」

 

 とりあえずで不意打ちしないでください、腹部に頭突きをかましてきたチルノの頭に拳骨を落としながら、彼女を引き離す。

 

「ぬおお~、痛い~」

「……チルノちゃん、何やってるの?」

「ん?」

 

 うずくまり頭を押さえるチルノを見るのは、大ちゃんこと大妖精……ではなく、ネコ耳を生やした少女であった。

 チルノと同じくらいの背丈、けどこの子の内側にある妖力には覚えがある。

 初対面ではあるが、少女の身体から発せられる力には八雲さんと似たものを感じられた。

 

「こんにちは」

「あ、こ、こんにちは……」

 

 慌ててぺこりと頭を下げるネコ耳の少女、どうやら大ちゃんと同じく礼儀正しい子のようだ。

 

「君は……八雲さんの知り合い、かな?」

「えっ!? あ、えっと……私は紫様の式である藍様の式の、(ちぇん)と申します!!」

 

 ややたどたどしい口調で自己紹介をする少女、橙。

 八雲さんの式の、そのまた式、成る程だから八雲さんと似た力があるのか。

 

「ナナシさん、ですよね? 紫様と藍様からナナシさんの事は聞いています」

「はじめまして、橙さん」

「橙で結構ですナナシさん、それよりチルノちゃんが失礼をしてすみませんでした」

 

 そう言ってまたしてもぺこりと頭を下げる橙に、気にしないでと返す。

 そもそも彼女が謝る必要なんかない、謝らないといけないのはまだうずくまっているチルノなのだから。

 

「ナナシ、今ヒマ?」

「まずは謝らんかい」

「あいたっ!? う~……ごめん」

「はいよろしい。それで暇と言えば暇だけど、どうかしたの?」

 

 遊べというのだろうか、まあ少しぐらいなら……。

 

「なんか甘いもの奢って?」

「…………」

「すごく痛い!?」

 

 おもわず、無意識の内にもう一度拳骨を叩き込んでしまっていた。

 こうまで遠慮無しだといっそ清々しくなる、もちろん奢ってなどやらないけど。

 

「用件は終わり? なら僕はもう行くから」

「わわっ、待ってください!! そうじゃなくて、傷薬か何かがあるなら分けてほしいなあって……」

「えっ?」

 

 橙の言葉を聞き、動かそうとした足を止める。

 詳しく話を聞くと……彼女が住む“マヨヒガ”という場所に住む猫達が、怪我をしてしまったらしい。

 野生の猫だから怪我をするのは当たり前、そう思っているがさすがに放っておくのも可哀想と薬を売っている僕の元へと来たそうだ。

 因みにチルノは途中で橙を見つけて、特に意味もなくついてきただけである。

 

「わかった、擦り傷や切り傷に効く薬で良いかな?」

「はい! あの、でも……その、お金が」

 

「いいよ。今回はサービスするから」

「えっ!? でも……」

「気にする事ないよ、友達の為にわざわざ尋ねてきてくれたんだから、無碍になんてできないさ」

 

 本当はよくないけど、八意先生にきちんと話して給金から引いてもらえばいい。

 それにここだけの話だけど、こういったケースは橙だけではなく一部の里の人達でもやった事があるのだ。

 だから内密に、こっそりと彼女に塗り薬タイプの薬を手渡した。

 

「ありがとうございます!!」

「ナナシ太っ腹ー、じゃあ太っ腹ついでにあたしにも何か甘いものでも」

「……はいはい、それじゃあ甘味処でも行こうか」

「えっ!?」

 

 せっかく要望に応えようと思ったら、とんでもなく意外そうな顔をされた。

 まあチルノもまさか自分の我儘が通るとは思っていなかったのだろう、それはそれで食えない話だけど。

 

「橙も一緒に来る?」

「い、いいんですか?」

「勿論。時間はあるし普段あまり使わないお金を使う機会だからね」

「よっしゃ! じゃあ前に大ちゃんとみすちーが言ってた場所に行こう!!」

 

 言うやいなや、颯爽と走り出すチルノ。

 ……精神年齢が子供の彼女に無理強いはできないが、それでも少しは遠慮しろと思った僕は間違ってないと思う。

 ほら、橙が僕に向かって申し訳なさそうな顔してるし、友達を困らせるなよ。

 

 ■

 

「――へえ、じゃあ橙の御主人様の八雲藍さんって九尾の狐なんだ」

「はい、怒るととっても恐いですけど、藍様はとっても綺麗で優しくてかっこいいんです!!」

 

 それぞれ食べたい甘味を頼んでから、談笑を楽しむ。

 とはいえ、話題を出すのは橙であり、内容は自らの主人であり八雲さんの式神である九尾の狐、八雲藍さんの話だ。

 本当に楽しそうに、誇らしげに橙は藍さんが如何に凄いかを語り、おもわず苦笑してしまうほどに興奮した様子を見せていた。

 

「橙は、本当に藍さんを尊敬しているんだね」

「はい! いつか藍様のような凄い妖怪になるのが夢ですから!!」

「でもさー、アイツってすっごいカマボコだよね」

 

 横から割って入ってきたのは、さっきまで黙々と白玉あずき(アイスクリーム付)を食べていたチルノだった。

 だけど、彼女の言葉に僕も橙もキョトンとしてしまう。

 カマボコって、言ったよね今……。

 

「……チルノちゃん、カマボコって何?」

「何って、橙の主人の狐の事だよ。アイツっていつも橙の心配ばっかりしてるし、この間なんかわざわざあたし達の遊びに口出してきたじゃんか」

「えっと……それでどうしてカマボコなの?」

「だってああいう心配性なヤツって、カマボコっていうんでしょ?」

 

 いや、なんでそっちがキョトンとするの?

 ますます橙は混乱し、僕もその意味を理解しようと頭を悩ませる。

 

 ………………あ、もしかして。

 

「チルノ、もしかして“過保護”って言いたいの?」

「そうとも言うわね!!」

「そうとしか言わないけど」

 

 なんだカマボコって、本気で意味がわからなかったぞ。

 どうしたらそんな間違いに辿り着くのか、妖精の頭はよくわからない。

 

「……藍様が心配するのは、仕方ないよ」

「橙……?」

「だって、私が未熟者だから……藍様にいつも迷惑掛けてるから、しょうがないの……」

 

 さっきまで様子は消え、目に見えて橙は元気を無くしていた。

 顔は俯き、二又の尻尾も垂れ下がりしょんぼりとしてしまっている。

 

「私が藍様の式として相応しくないから……」

「なんでそう思うのさ? 橙は頑張ってるってあたしも大ちゃん達も知ってるよ?」

「あんなのじゃ足りないの、でも全然成長できなくて……この間だって、藍様のお仕事の手伝いを申し出たのに、結局失敗しちゃって……それも、同じ失敗をしちゃった事もあるし」

 

 その失敗とやらの出来事を思い出してしまったのか、橙の瞳に涙が溜まっていく。

 ……もしかして、この子は。

 

「私、藍様の式に相応しくないのかな……?」

「そんな事ないよ!!」

「……どうして、そんな風に思えるの?」

「勘!!」

「…………」

 

 チルノ、君らしいとは思うけどこの状況ではいただけない。

 胸を張って根拠の無い事を言うチルノを見ながら、橙は小さくため息を吐き出した。

 まあチルノの事はこの際置いておくとして……()()()したままというのは、彼女の為にも藍さんの為にもならない。

 お節介なのは充分承知しているけど、ここは口を挟ませてもらおう。

 

「――少なくとも、僕には藍さんが橙を迷惑がってるとは思えないな」

「えっ?」

「ナナシもそう思うよね!?」

 

 同意を求めるチルノに頷きつつ、その言葉の根拠を知りたいであろう橙の為に言葉を続ける。

 

「さっき橙は「同じ失敗をした」って言っていたけど、つまり藍さんは一度失敗した手伝いをまた橙に頼んだって事だよね?」

「はい……」

「もし藍さんが橙の事を迷惑としか見ていないのなら、失敗した相手に手伝いを頼むと思うかな?」

「それは……でも、結局失敗しちゃったし……」

 

「……正直、僕なんかが藍さんや橙のしている仕事の大変さを判る事はできないと思う。

 だけど何度も失敗している橙を、藍さんはまだ式神にしているままなんでしょ? なら橙の事を迷惑としか思っているとは思えないんだ」

「…………そう、でしょうか?」

 

 少しは納得してくれたのか、橙の表情に少しだけ明るさが戻る。

 ――今の彼女の心境を、僕はよく理解できた。

 僕だって同じ事を考えるからだ、八意先生や鈴仙の手伝いで失敗してしまった時、上手くいかなかった時に相手に迷惑を掛けてしまっているという罪悪感が芽生えてしまう。

 

 2人は「気にするな」と言ってくれるけど、当の本人からすればどうしても気にしてしまうものなのだ。

 相手が大切だと思えば思うほどに、迷惑を掛けてしまったという事実に対するショックは大きくなる。

 気にしてはいけないのに気にしてしまい、やがてそれが次の失敗に繋がり……そんな嫌なサイクルが出来上がってしまう。

 

「橙はさ、藍さんのお仕事を手伝うのは負担だと思ってる? 嫌だと思ってる?」

「そ、そんな事ないです! 大変だって思う事もあるけど、いつか藍様のような立派な大妖怪になりたいですから……」

「きっと藍さんも同じ事を考えているから、失敗してしまう橙にも手伝いを頼んでいるんだと思うよ」

 

 成長してほしいから、失敗しても次のチャンスを与える。

 藍さんが式神を只の道具としてしか見ていないのなら、とっくに橙を見限っている筈だ。

 それをしないという事は、そういう事なのだろう。

 

「橙、失敗すると確かに申し訳なく思うし、相手が失望したらどうしようって不安になるよ。僕だって失敗する度にそう思ってしまうんだ」

「…………」

「だけどね、「成功しか知らない」なんていうのは人間にも妖怪にも居ないと思う。誰だって失敗を重ねて今の自分を作っている筈だ」

 

 失敗でしか学べない事もある、前に僕や鈴仙がとある失敗をした時に八意先生が言ってくれた言葉だ。

 僕にとって八意先生は「できない事なんて何もない」存在だと思っていたから、その言葉には驚いた。

 

『誰だって同じ失敗をしているわよ。私なんか今でも作った事のある薬の調合に失敗したりしそうになったり……若い時なんか、それこそ星の数ほどの失敗を重ねては叱られたわ』

 

 苦笑混じりに告げられた言葉を聞いて、少しだけ気にし過ぎないように考えられるようになった。

 どんなに凄い力を持っていても、どんなに凄い才能を持っていても、失敗しない存在なんていない。

 そう考えられるようになってからは、前よりも八意先生達の手伝いが上手くいくようになってくれた。

 

「一回で上手くいかないのなら二回目で、二回で上手くいかないのなら三回、四回で。

 成功に近道なんてないんだ、そしてそのスピードもそれぞれ違う。だから橙は橙のスピードで成長していけば良いと思うよ」

「そーそー、よくわかんないけど橙らしく頑張ればいいんだよきっと!!」

 

 わかんないのに口を挟むチルノだけど、彼女の言葉には同意できる。

 自分らしく頑張るしかないのだ、結局自分と他人は違うのだから。

 ……まあ、それが理想論で状況によってはそれが通用しない場合もあるが、わざわざ口に出す必要などない。

 

「――ナナシさん、チルノちゃん、ありがとうございます!!」

 

 だって、悩みを払拭できたかのように満面の笑みを浮かべる、橙の顔が見えたのだから。

 

 

 ■

 

 

「橙」

「えっ? ――あ、藍様!!」

 

 甘味をしっかりと味わい(ついでにそれぞれのお土産を買ってから)外に出ると、橙を呼ぶ1人の大妖怪が姿を現した。

 八雲さんによく似た服装の、金の髪に九本の尻尾を生やした絶世の美女。

 橙が名を呼びながら駆け寄るのを見る限り、この人が八雲さんの式神であり、橙の主人である八雲藍さんだというのがわかった。

 

「すまないが、これから時間はあるか? 結界の修繕の手伝いをしてもらいたいのだが……」

「っ、はい!! 橙に任せてください!!」

「むっ……? そ、そうか……ではこの紙に書かれている場所に向かってくれ」

「はい!!」

 

 藍さんに一枚の紙を受け取ると同時に、物凄い勢いで橙は飛んでいってしまった。

 そんな彼女の様子に呆気に取られる藍さん、やがて視線をこちらに向け……何か納得したような表情を見せる。

 

「成る程……あの子に入れ知恵をしたのは君か」

「えっと……」

「ああ、いや、責めているわけではないんだ。寧ろ感謝しているよ、最近あの子の元気がなかったからね」

 

 寧ろ感謝していると、藍さんはそう言って微笑みを見せた。

 ……九尾の狐って伝説では国を傾かせた美貌を持つって言われているけど、納得できる気がする。

 

「貸しがまたできてしまったね」

「……また?」

「ああ、いや、気にしないでくれ。……これからもあの子の事を気に掛けてくれると助かるよ」

 

 それではな、そう言って藍さんは橙の後を追うために飛び立っていってしまった。

 

「アイツ、橙のお母さんみたいだよね」

「うん……確かにそうかも」

 

 式神と主人の関係って、親子みたいなのかもしれない。

 それはともかく、時計を確認すると結構な時間が過ぎている事に気づいた。

 さすがに鈴仙の方も終わっただろうし、僕も帰らないと。

 

「じゃあチルノ、そのお土産をちゃんと友達に渡してね?」

「もちろん!!」

「……食べたりしないでね?」

「…………もちろん!!」

 

 おい、なんで間があったんだ。

 なんだか不安になってきたが、そろそろ鈴仙と合流しないと。

 帰ったら帰ったで八意先生の手伝いと、輝夜さんの遊び相手をしないといけないんだから。

 

「……もぐもぐ」

「って、なんでお土産なのに早速食べてるのさ!?」

 

 ねえ、人の話聞いてた!?

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3月13日 ~ホワイトデーに向けて~

「――こんにちはー」

 

 地上の光が届かぬ、地底世界。

 そこに存在する大きな館、地霊殿に僕はとある理由から訪れていた。

 大きな入口の扉を開き、暗いながらも神秘的な美しさを放つ中央ホールを視界に捉える。

 

「えっ、ナナシさん……?」

「あ、こんにちは。さとりさん」

 

 ちょうどそこを歩いていたさとりさんと出くわし、ぺこりと一礼。

 対する彼女は、まあ当然というか僕の姿を見て驚いていた。

 そりゃあそうだ、なにせ人間である僕が地底に1人で居るなど本来ならばありえない。

 

「……そんな理由で、わざわざこの地霊殿にいらっしゃったのですか?」

「あはは……まあ」

 

 さすが覚妖怪のさとりさんである、あっさりと僕の目的を読んでしまった。

 僕がここに来た理由を読んだ彼女の表情は、予想通り驚きと呆れを含んだものだった。

 それは仕方ないと僕も思う、だってその理由というのが……。

 

「おにーさーーーーーん!!」

「えっ――わぶっ!?」

 

 顔面に柔らかい衝撃が走り、そのまま後ろに倒れ込む。

 そのまま誰かに抱きしめられるが、顔が完全に柔らかい感触に圧迫されて息ができない。

 必死にもがくが抜け出せない、あっ……なんかだんだんと意識が……。

 

「やめなってお空!!」

「うにゅっ!?」

 

 スパーンッ、という小気味良い音が響き、僕を抱きしめていた女の子――お空ちゃんが離れてくれた。

 慌てて呼吸をする、あ、危なかったかもしれない……割と本気で。

 ……でもちょっぴり惜しいなと思ってしまった、ごめんお空ちゃん。

 

「…………」

 

 うぐっ、さとりさんのこちらを見る目が痛い。

 心を読んだのだろう、これ以上おかしな事は考えないので許してくださいお願いします。

 

「お兄さん、久しぶり!! ヤタくんも!!」

〈おう、久しぶりだなお空、でもヤタくんはやめろって言ってるだろ?〉

「おくうに会いに来てくれたの? そうだよね?」

「あ、えっと……」

 

 それも確かにある、なるべく早く会いに来ると前に約束したから。

 けど、今回地霊殿に来た理由はお空ちゃんに会いに来たわけでも遊びに来たわけでもないのだ。

 

「――いいですよ。こちらは一向に構いませんので」

 

「助かります」

「いえ、ですがあなたも大変ですね」

「? さとり様、一体何の話をしているんですか?」

 

 首を傾げながら説明を求めてくるお燐さん、お空ちゃんも真似して首を傾げてこちらを見つめてくる。

 そんな彼女に苦笑をしながらも、さとりさんは僕の代わりに説明してくれた。

 

「明日はホワイトデー、ナナシさんはチョコレートをくれた人達にお返しのお菓子を作ろうとしているのよ」

「へー……おにいさん律儀だね、でもなんでわざわざ地霊殿に?」

「自分が居候している永遠亭は勿論、台所を貸してくれるであろう紅魔館でも無理なのよ。そこに居るメイド長から貰っているようだから」

「成る程、だからこの地霊殿なら、と」

 

 さとりさん、説明ありがとうございます。

 どうせなら渡すまで秘密にしておきたいと思ったのだ、まあきっと八意先生や輝夜さんにはバレているだろうけど。

 

「お燐、案内してくれるかしら?」

「かしこまりました!! じゃあおにいさん、ついてきてくれるかい?」

 

 歩き出すお燐さんについていく、その後ろをまるで雛鳥のようについてくるお空ちゃん……だったが。

 

「お空、あなたには仕事があるでしょう?」

 

 そんな彼女を、さとりさんがやんわりと止めてくれた。

 

「うにゅ~……でも、せっかくお兄さんが来てくれたのに……」

「自分のすべき事をしないで遊ぶのは許しません、それにナナシさんもそんなあなたの事は嫌いになっちゃうかもしれないわよ?」

「いってきます!!」

 

 背中の大きな翼を羽ばたかせながら、凄いスピードでお空ちゃんは地霊殿の外へと飛び出していってしまった。

 

「ふふっ……ナナシさんに嫌われるのが、本当に嫌みたいねあの子は」

「お兄さん、愛されてるね~」

「あはは……」

 

 このこの、と肘で軽く小突いてくるお燐さんに、曖昧な笑みを返す。

 でも、お空ちゃんがこんなにも僕に懐いてくれるのは、あくまで八咫烏の事があるからで……。

 

「いいえ、それは違いますよナナシさん」

「えっ?」

 

「お空は確かに単純で無邪気ですが、私以上に人を見る目はあります。無垢だからこそ他者の本質を捉えるのが上手なんです。あなたが他者に好かれるような人だからこそ……お空はここに居る誰よりも早くあなたを信頼し懐いたのでしょう」

 

「……そう、でしょうか」

「そうだよ。それにあたい達だってお兄さんの事は好いてるんだからさ、自信持ちなって」

 

 ……他者に好かれるような人、か。

 正直、僕自身が自分をそう思えないけど、2人の言葉は素直に心へと入ってくれた。

 少なくとも、その好意を裏切るような事だけはしないように心がけよう。

 

 ■

 

「――よし、こんなものかな」

 

 持ってきた材料全てを用いて、できる限りの量のお菓子を作り、一息ついた。

 これだけの量があれば、バレンタインでチョコをくれた人達にもお返しができるだろう。

 あとは綺麗にラッピングをして……。

 

「もぐもぐ……」

「…………えっ!?」

 

 ラッピングをしようと、一瞬だけお菓子から視界を離したと同時に、“その子”は姿を現した。

 気配を感じさせず、けれど先程まで隣に居たかのような気軽さでその少女は姿を現し、お菓子を口に運んでいる。

 一体何者なのか、ここに居るという事は少なくとも人間ではないようだけど……。

 

「むぐむぐ……うわーっ、これすっごく美味しいよ!!」

「えっ……」

「あなた、お料理がすごく上手なのね、お姉ちゃんの作るお菓子に負けないくらい美味しい!!」

「お、お姉ちゃんって……」

 

 なんだこの子は、敵意は無いようだけど……。

 無邪気にこちらへと質問してくる少女に、おもわず身構えてしまうが。

 

「……あれ? それは……」

「んー? それってこのサードアイのこと?」

 

 少女の胸元付近に浮かぶ、第三の目。

 さとりさんのものとは違いその目は閉じているけど、ソレは確かに覚妖怪の特徴の1つだ。

 それにさっきお姉ちゃんと言っていた、じゃあこの子は前にさとりさんが話してくれた彼女の妹の……。

 

「君は、もしかして古明地こいしさん?」

「そうだよ。よくわかったね」

「前にさとりさんが話してくれましたから、それよりこいしさんは僕に何か用だったんですか?」

「こいしでいいよー、敬語もいらないし。特に用事はなかったんだけど、美味しそうなお菓子があったからつい……」

 

 てへへ、と無邪気に笑うこいしちゃん。

 勝手に食べた事に対する罪悪感はあるようだけど、それとこれとは話は別である。

 

「あいたっ!?」

 

 勝手に食べた事はうやむやにはできないので、お仕置きを込めてこいしちゃんの頭を軽く小突く。

 

「何するの~?」

「勝手に人の作ったお菓子を勝手に食べたこいしちゃんが悪い、悪い事をしたらどうするの?」

「てへぺろ♪ ――すごく痛い!?」

 

 おもわず、さっきより強い力で拳骨を落としてしまった。

 仕草は可愛かったが、謝っていない以上は甘やかすわけにはいかない。

 

「うぅ~……ごめんなさい」

「はいよろしい。……沢山作ったから、みんなで食べよう?」

「いいの!?」

「うん。というより、元からそのつもりだったからね」

 

 材料は沢山持ってきたし、台所だって借りているのだから何も返さないなんてわけにはいかない。

 僕のその言葉にこいしちゃんはその場で跳びはねながら喜びの表現を見せる、そんなに嬉しかったのか。

 とりあえず、渡す分はラッピングしないとね……。

 

 ■

 

「――うま、うまままままっ!!」

「ちょ、お空一気に食べ過ぎだって!!」

「ずるーい!!」

 

 我先にと用意したお菓子を食べるお空ちゃんを、お燐さんとこいしちゃんが阻止しようと彼女の身体を引っ張る。

 あの……まだあるから、そこまでがっつかなくても大丈夫だよ?

 

「まったくもぅ……お空ったら」

「ま、まあ作った側からすれば喜んでもらえるのは嬉しいですけど」

 

 あはは、と笑う僕とお菓子を奪い合いをしている3人を見て呆れたようにため息をつくさとりさん。

 けど、そんなさとりさんの浮かべる表情は、優しい笑みだった。

 地底世界という人間にとって恐ろしい所だけど、ここには確かな平和がある。

 それをこの目で見れて、何故か心底ほっとしている自分が居た。

 

「…………地上では、大変だったようですね」

「えっ……」

「すみません。ですがナナシさんの心が……痛みを発しているようでしたから」

 

 それは、僕にとって不意打ちに等しい言葉だった。

 痛みを発している、その言葉の意味など考えなくとも理解できた。

 

「助けられなかった命を思うのはわかりますが、ナナシさんのそれは少々傲慢とも言えます」

「…………」

「如何にあなたに八咫烏の力が宿っているといっても人間です、救えない命や守れない命……それが存在するのは当然ではありませんか?」

「……そう、ですね。わかってはいるんですけど」

 

 ルカによって殺された人達は、もう戻ってこない。

 そして残された者達の痛みと悲しみは、薄れる事はあっても消えることなどありえない。

 被害者の遺族の悲しみをこの目で見たからこそ、余計に考えてしまう。

 

 ルカは倒した、人里も既にいつもの空気を取り戻している。

 後悔したりもしもの事を考えても仕方がない、意味がないと判っているのに……これではさとりさんの言う通り、傲慢が過ぎる。

 

「すみませんさとりさん、嫌なものを読ませてしまって」

「……謝るべきなのは私の方です、いくら心を読む覚妖怪とはいえ今のは余計な一言でした」

「そんな事ありません。改めて言ってくれたのは本当に助かります、僕って今みたいにウジウジと考えてしまうようですから」

 

 こんなんじゃ駄目だ、せっかく平和な時を生きているんだから。

 思考を切り替え、視線をお空ちゃん達に向けると……ああ、まだお菓子の取り合いしてる。

 しかも殆ど無くなってるし、食べてくれるのは嬉しいけどもう少し味わって……。

 

「ねえねえお姉ちゃん、私良い事思いついたの!!」

「ひゃっ!?」

 

 さとりさんの口から、素っ頓狂な声が出た。

 まあそれも仕方ないだろう、いつの間にかこいしちゃんがさとりさんの背後に居て大きな声を出したのだから。

 それにしても、さっきもそうだったけどこいしちゃんって時々気配が完全に無くなる時があるな。

 

「こ、こいし……良い事って?」

「うん。ナナシをこの地霊殿に置いてあげようと思って」

「えっ?」

「は?」

 

 同時に目を点にする僕とさとりさん、一方のこいしちゃんはそんな僕らなど構わず言葉を続ける。

 

「ここならナナシを利用しようとする人間は居ないし、お姉ちゃん達だって嬉しいでしょ?」

「……ちょっと待ちなさいこいし、利用っていうのは」

「あれ? お姉ちゃん心を読めるのに知らなかったの? ――人里にはね、ナナシを利用しようとしてるヤツが、いっぱい居るんだよ」

 

 無邪気に笑いながら、冷たい口調でこいしちゃんは言い放つ。

 ちょっと待った、なんでこいしちゃんがそんな事を……。

 

「事実なのですか?」

「えっと……まあそういう事もありましたけど、たった一度だけですし」

 

 それにだ、あの時のはあくまで自分の意志でやったのだから、利用されたなどという認識はない。

 あの以降はあんな無茶な要求はなかったし、こいしちゃんの言葉はちょっと大袈裟なだけである。

 

「ナナシは甘いなー、そんなんだから体よく利用されるんだよ?」

「……こいしちゃん、悪気が無いのはわかるけど今の言葉は」

「薬売りの最中に、その能力で傷を治せって一方的な要求を全部呑んでたのに? 時には能力の反動で苦しんでいたのに?」

「…………」

 

 なんでそれを、とは言えなかった。

 確かにそういった事はちょくちょくあった、反動がある能力だから傷みを発した事だってあった。

 

「僕の意志で治したんだ。利用したとかされたとかそういうわけじゃないよ」

「ナナシはそう思っていても、治してもらった側はそう思ってないみたいよ? 影でナナシの事笑っていたもの、「馬鹿な偽善者」だって」

「…………」

「勝手に恐がってるのも居たよ? 「何か企んでいるんじゃないか」って疑心暗鬼になってて、変だよねー」

 

「――こいし、よしなさい」

 

 静かな、しかし耳にはっきりと残る声で、さとりさんはこいしちゃんの言葉を制した。

 彼女の迫力に圧されたのか、こいしちゃんは口を閉ざす。

 

「別にナナシの事をいじめてるわけじゃないよお姉ちゃん、ただ判ってなかったみたいだから」

「ええ、それは私にだってわかるわ。でも不用意に教えていい事でもなかったでしょ?」

「……………………ごめんね? ナナシを傷つけるつもりはなかったんだよ?」

「……わかってるよこいしちゃん、別に僕は気にしてないから」

 

 そう、気にしていない。

 やせ我慢などではない、ただなんとなく……そう思われているかもと思っていたから、衝撃は少なかっただけ。

 僕だっていつまでも馬鹿なままじゃないつもりだ、普通じゃない力を持っていてそれを周りに見せればどんな目で見られるかなど、おおよそ見当は付く。

 

――けど、別にどう思われても構わないのだ。

 

 さっきも言ったが僕の意志で力を使った、ただそれだけだ。

 感謝されるつもりはないし、感謝される為に能力を使って傷を治したわけじゃない。

 ただ僕は、この力を正しく使いたいと思っただけでしかない。

 

「ナナシさん……」

「本当に気にしてないんです。それにこいしちゃん達みたいに心配してくれる人達だって居てくれる事を、知っていますから」

 

 それはもちろん、里にも居てくれている。

 それで充分ではないか、全ての人に好意的に見られる存在などこの世の何処にも居やしない。

 なら悪く見てくる人達の事より、友達だと思ってくれる人達の事を考えたほうがずっといい。

 

「……強いのですね、ナナシさんは」

「そ、そんな事ないですよ」

「あー、ナナシ照れてるー」

「ちょっとこいしちゃん、やめてよ……」

 

 ああもう、からかわないでくれ余計に恥ずかしくなるから。

 ……さとりさん、どうして僕をそんな微笑ましそうに見つめてくるんですか。

 

「それで、ナナシはこの地霊殿に住む気はないの?」

「えっ? おにいさんここで暮らすの!?」

「いや……せっかくだけど、永遠亭で学ぶ事もあるし遠慮しておくよ」

 

 それにだ、勝手に住む場所を変えるなんて真似はできない。

 失礼だし何よりも……いや、背筋が寒くなるからこれ以上考えるのはやめよう。

 にっこりと微笑みながら弓を構える八意先生と、それを楽しげに眺める輝夜さんの姿が脳裏に浮かんだ。

 

「じゃあ、今日は一緒に寝よう!!」

「なんで?」

「はーい、おくうも一緒に寝たいです!!」

「じゃあ私とお空とナナシで寝ようねー?」

 

 あの、ちょっと?

 どんどん話を進めていく2人に、完全に置いてけぼりをくらってしまう。

 待って、もしかして今日はここに泊まる事は決定なの?

 

「ナナシさん、付き合ってくれませんか? ……こいしがこんな風に地霊殿に留まるのは珍しいですから」

「えっ、それってどういう事ですか?」

「……少し事情がありまして、こいしはよくここから居なくなるんです。それにナナシさんの事を気に入ったようですから……」

「はあ、まあ僕はいいんですけど……その、女の子と一緒に寝るというのは」

 

 こいしちゃんはともかくとしてだ、お空ちゃんと一緒に寝るのは……その、少し困る。

 具体的には説明できないが、とにかく困るのだ。

 

「やはり、胸の大きな女の子が好きなようですね。ナナシさんも殿方だったというわけですか」

「……それについては真っ向から否定できませんが、そんな冷たい目を向けるのは何故でしょうか?」

 

 変な事なんかしませんよ、というかそんな勇気なんて僕にあるわけがない。

 

「そうでしょうね。ナナシさんがそういった男性ならば反対していますから」

「でしょうねって……」

 

 信頼はされてる……のかな?

 そう思う事にしよう、決して僕が女の子に手を出せないチキンな男だと思われていない……筈だ。

 

「じゃあおにいさん、お風呂も一緒に入ろうね?」

「勘弁してください」

 

 さとりさん、お空ちゃんにもう少し女の子としての自覚を持たせてくださいお願いします。

 

「でも、内心は嬉しいですよね?」

「…………」

「否定しないんだー、ナナシのスケベ」

 

 ええい、やかましいっ。

 年頃の男をからかうものじゃありませんっ!!

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3月14日① ~ナナシのホワイトデー~(前編)

「こんにちは、チルノ、大ちゃん」

「おっ? ナナシじゃない!」

「こんにちは、ナナシさん」

 

 霧の湖にて、遊んでいるチルノと大ちゃんを見つけ、挨拶を交わす。

 傍には2人の知り合いだろうか、見慣れぬ女の子が2人が居た。

 

「リグル、みすちー、コイツが前に言ったナナシだよ」

「はじめまして、リグル・ナイトバグです」

 

 ボーイッシュな恰好をした女の子が、ぺこりと頭を下げる。

 リグル・ナイトバグ、幻想郷縁起に書かれていた蛍の妖怪だ。

 ということは、こっちの鳥のような羽根を生やした女の子は……夜雀の妖怪、ミスティア・ローレライか。

 

「はじめましてナイトバグさん、それとローレライさん」

「リグルでいいですよ」

「私も、ミスティアで結構ですから」

「わかったよリグル、ミスティア」

 

 互いの自己紹介を終えてから、湖へと視線を向ける。

 ……わかさぎ姫さんは、湖の中かな?

 

「ナナシ、どうしたの?」

「わかさぎ姫さんに用があったんだ。けど居ないみたいだから……まずは別の用を済ませるよ」

 

 言いながら、僕は八意先生に借りた大きめの鞄を開く。

 中から出すのは……昨日地霊殿で作った、お菓子の入った袋。

 

「おーっ、菓子だー!!」

「はい、みんなで分けてくれるかな?」

「えっ?」

「いいんですか?」

 

「うん、今日はホワイトデーでしょ? だからチョコレートを貰った人にお返しをしているんだ。それと同時に、せっかくだから知り合った人達にもお菓子を配ろうと思って」

「あ、ありがとうございます!!」

「これ……ホワイトチョコクッキーだね」

 

 どうやら気に入ってくれたようだ、嬉しそうに受け取り食べ始めた4人を見てほっとする。

 さて、わかさぎ姫さんが居ない以上、まずは紅魔館に……。

 

「ナナシ様ーー!!」

「おわあっ!?」

 

 巨大な水飛沫が上がり、湖からわかさぎ姫さんが飛び出してきた。

 そのまま彼女は僕の身体に抱きつき、衝撃に耐え切れず2人して地面に倒れこんでしまう。

 

「はぁはぁ……お久しぶりですナナシ様、はぁはぁ……」

「ちょ、なんで息荒いの!? それに服が濡れるから離れてくださいお願いします!!」

 

 しかもなんかぬめぬめする、生暖かい吐息を耳に吹きかけないでーっ!!

 

「……わぁ」

「す、凄い……」

「おー……」

「み、見ちゃ駄目だよ皆……」

 

 ちょっとー、助けてくれませんかねー!?

 あと大ちゃん、みんなに見るなとか言いつつ一番ガン見してるんですけど!?

 

「最近会えませんでしたから、ここでナナシ様分を補給しないと……」

「なんですかそれ!? とりあえず離れてください、渡すものもありますから!!」

「えっ、渡すもの?」

 

 決死の叫びが届いてくれたのか、わかさぎ姫さんが僕から離れる。

 うおぉ……全身びしょ濡れになってしまった、わかさぎ姫さんってこんなにアグレッシブだったか?

 まあとりあえず今は何も言うまい、というか早くしないとまた押し倒されそうだ。

 

「わかさぎ姫さん、これ……どうぞ」

「……これは?」

「ホワイトデーのお返しです。中身はチョコマシュマロとキャンディーですが……」

 

 気に入ってくれると嬉しいのだが、内心ちょっとドキドキしながら彼女の反応を待っていると。

 

「――不束者ですが、宜しくお願い致します」

「何が!?」

 

 何故か返ってきた反応は、理解不能な言葉だった。

 いや、言葉の意味は判るけどそういう考えに至った経緯が意味不明なのだ。

 

「えっ、わざわざ手作りのお返しをしてくださったという事は……私を貰ってくれるという意味じゃないんですか?」

「あ、いや、そういうわけじゃ……」

 

 ま、まさかここまで重く受け止められるとは……。

 

「……ナナシー、男らしくないぞー」

「えぇー……?」

 

 まさかの外野からの言葉である、ちょっと待った僕が悪いの?

 

「違うんですか……?」

「うぐっ………………すみません、感謝の気持ちは勿論ありますけど、そういった事じゃないです」

 

 心苦しいが、はっきり言わないと余計な誤解を招くだけなので、正直に返した。

 するとわかさぎ姫さんは少しだけ寂しそうに笑ったものの、すぐに無理をしていない自然の笑みを浮かべ。

 

「ありがとうございますナナシ様、大切に食べさせてもらいますね」

 

 最大限の感謝を込めて、お礼の言葉を言ってくれた。

 ……想いに答える事ができないのが申し訳ないと思うのは、やっぱり身勝手なのだろうか。

 でも判らないのだ、誰かを異性として好きになるという感情が。

 少なくともそれが判る時が来るまでは、安易な返答はできない。

 

「わかちゃんのも美味しそうー……」

「じゃあ、みんなで一緒に食べましょうか? ナナシ様、よろしいですか?」

「えっ……あ、それは勿論」

 

 立ち上がる、次は……紅魔館に行かないと。

 

「あれ? 何処行くの?」

「紅魔館に行ってくるよ。咲夜さんからもチョコレートを貰っているから」

 

「…………咲夜さんって、あのメイドの人間ですか?」

「ええ、わざわざ作ってくれたのでそのお返しをと」

「そうですか……ナナシ様は、律儀ですね」

 

 ぷぅ、と頬を膨らませるわかさぎ姫さん、口調も心なしか少し棘がある。

 

「わかちゃん、ヤキモチ?」

「……だってだって、他の女の子がナナシ様に近づくのが嫌なんだもの!」

「あ、あはは……」

 

 すみません、わかさぎ姫さん。

 曖昧な事しかできなくてすみません、必ず答えは返しますから……。

 

 ■

 

「…………えぇ?」

 

 わかさぎ姫さん達と別れ、紅魔館へと来た僕は、門前で間の抜けた声を出してしまった。

 いつもなら門の前で美鈴さんが立っていて。

 

「あ、こんにちはナナシさん」

 

 と、友好的な笑顔を見せてくれるのだけれど。

 

「あが、あががが……」

 

 その彼女が、門の前で血塗れのまま倒れていた。

 倒れた美鈴さんの傍には、指にナイフを挟んだまま仁王立ちしている咲夜さんの姿が。

 一体何があったのか、聞いてみたいが咲夜さんの背中からでも感じられる凄まじいプレッシャーに、声を出す事すら憚られる。

 

「…………ナナシ様、ですか?」

「ひぃっ!?」

 

 くるりとこちらに振り返った咲夜さんを見て、おもわず悲鳴を上げてしまう。

 だってしょうがないではないか、今の咲夜さん……返り血で赤く染まっているのだから。

 猟奇殺人も真っ青な光景に、開いた口が塞がらない。

 

「ナナシ様? ……ああ、ご安心ください。美鈴にはお仕置きをしていただけですから」

「お、お仕置き……?」

「はい。今日は暖かな陽気に恵まれているとはいえ、美鈴ったら居眠りをしていましたから……」

「あ、あの……お仕置きってレベルをとっくに超えているような気がするんですけど……」

 

 美鈴さんの身体には、咲夜さんが放った銀のナイフがこれでもかと突き刺さっている。

 まるで針千本だ、ピクピクと痙攣を繰り返しているし……生きてる、よね?

 

「ご安心を。いつもの事ですから」

「何がいつもの事ですか!!」

「うわあっ!?」

 

 い、生きてた!?

 いや、失礼だけど、そう思えてしまうぐらいの惨状なんだから仕方がない。

 というか美鈴さん……まずは止血と身体中に刺さっているナイフを抜かないと……。

 

「酷いですよ咲夜さん!!」

「居眠りしていた美鈴が悪いのでしょう?」

「うっ……で、でもナイフ百連発はやり過ぎですって!!」

 

 確かに。

 しかし咲夜さんは涼しい顔で美鈴さんの抗議を受け流す、見た限りこのやりとり……割と頻繁に行なわれているようだ。

 

「あのー……」

「申し訳ありませんナナシ様、美鈴のせいで」

「私のせいですか!?」

「美鈴黙って。それでナナシ様、今回のご用件は一体何でしょうか?」

「……無視されたあ」

 

 しくしくと泣き出す美鈴さん、あの……血がダラダラ出てますけど。

 いや、やめよう。きっとこのスプラッタな光景は気にするだけ無駄なのだ。

 無理矢理自分にそう言い聞かせ、僕はさっさと用件を済ませる事にした。

 

「咲夜さん、これを受け取ってもらえますか?」

「……これは?」

「今日はホワイトデーなので、そのお返しです」

「えっ……」

 

 僕の言葉を聞いて、咲夜さんは目を見開いてキョトンとした表情を向けてきた。

 きっと意外だったのだろう、ただ何故そのままの表情で固まったまま動かなくなってしまったのか。

 美鈴さんも咲夜さんの姿に違和感を覚えたらしく、しっかりとナイフを抜き取ってから僕と一緒に咲夜さんを眺めていると。

 

「……っ」

 

 一瞬で、顔を真紅より赤くしてしまった。

 まるで林檎のようだ、それに心なしか身体が小刻みに震えているような……。

 美鈴さんと顔を向け合い、首を傾げ合う。

 

「…………し、失礼致します!!」

「えっ、ちょ、咲夜さん!?」

 

 叫ぶように言って、咲夜さんは踵を返し紅魔館へと走り去っていく。

 あ、転んだ……でもすぐに立ち上がって館の中へと行ってしまう。

 ……本当にどうしたんだろうか、もう一度美鈴さんと顔を見合わせる。

 

「ナナシさん、咲夜さん……どうしたと思います?」

「わかりません……僕、何かしたんでしょうか?」

「うーん……」

 

 とりあえず、考えてもわからないので……戻るとしよう。

 

「あ、美鈴さん。これをレミリアさん達に渡してもらえませんか?」

 

 言いながら、レミリアさん達への分のお菓子を美鈴さんに手渡す。

 本当なら直接渡すのが礼儀なんだけど、まだ行かないといけない場所はあるし、あまり時間を掛けて遅くなってしまったら心配を掛けてしまう。

 

 任せてください、そう言ってお菓子を受け取った美鈴さんに一礼をしてから、僕は紅魔館を後にしたのだった。

 

 ■

 

「咲夜」

「っ、お、お嬢様……」

 

 紅魔館の中を爆走する咲夜は足を止め、こちらに生暖かい視線を送ってくるレミリアを見た。

 ……嫌な予感が脳裏に走る、おそらく次に放たれる主の言葉は自分にとって非常にめんどくさいものだと予感し。

 

「可愛かったな、お前」

 

 案の定、めんどくさいものだった。

 しかしレミリアのその言葉は、今の咲夜には充分に効くものだったらしく、彼女の頬がまた赤くなった。

 

「まさかナナシにお返しを、しかもその包装を見る限り手作りを貰えるとは思わなかったから、思考が停止したのだろう?」

「……お嬢様、わかっているのならそっとしておいてください」

「嬉しかったのなら素直にそう言って、キスのひとつでもかましてやればよかったのに」

「…………お嬢様、そっとしておいてください」

 

 咲夜の声が震えている、これ以上からかうと羞恥心で何をしでかすか予測できない。

 そう思ったレミリアは呆れたように肩を竦めつつも、それ以上は何も言わなかった。

 その隙に横を通り抜けようとする咲夜に、レミリアは最後の一言だけ告げた。

 

「よかったな」

「……はい」

 

 去っていく咲夜の後ろ姿を見つめつつ、レミリアは口元に嬉しそうな笑みを浮かべる。

 なんとも初々しくもささやかな喜びだろうか、他者からすれば本当に瑣末なものだが……咲夜にとっては、極上の喜びとなったのだろう。

 それがレミリアには嬉しかった、大事な従者の幸せは自分の幸せなのだから。

 

(ナナシ、感謝するよ。これからもできれば咲夜に小さな幸せを与えてやってくれ)

 

 

 

 

 

 




ホワイトデー……? ホワイトデーです、はい。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3月14日② ~ナナシのホワイトデー~(後編)

「こんにちはー」

「こんにちはー!!」

「えっ?」

 

 命蓮寺の門前にて、大きく挨拶をしたら近くで掃除をしていた女の子が挨拶してきた。

 犬耳に似た耳を頭に生やした小柄な少女は、こちらをニコニコという無邪気で可愛らしい笑みを浮かべている。

 

「こんにちは、白蓮さんはいらっしゃいますか?」

「こんにちは、白蓮さんはいらっしゃいますか?」

 

「……えっ?」

「あ……ごめんなさい。私って山彦(やまびこ)なので、ついつい条件反射的に……」

 

 てへへと頭を掻きながら謝る犬耳の女の子。

 幽谷(かそだに)響子(きょうこ)と名乗ったその子は、白蓮さんを呼んできてくれると言ってくれたので、お願いをしてこの場で待たせてもらう事にした。

 

「おや? 君は……たしかナナシだったか?」

「あ、こんにちはナズーリンさん」

 

 寺の中から出てきたのは、前に会った鼠妖怪のナズーリンさんと……その主人である、星さんだった。

 そうだ、先に2人に渡しておこう。そう思いバックを開きお菓子が入った袋を取り出す。

 

「星さん、ナズーリンさん、これどうぞ」

「? ナナシさん、これは一体……?」

「今日はホワイトデーで、お返しを配っているんです。それと同時にお世話になった人や知り合った人達にも配っていまして……」

「……君は、なんていうか真面目というか……変わっているな」

 

 お菓子を受け取りながら、ナズーリンさんは苦笑を浮かべつつそんな事を言ってきた。

 まあ、確かにそう言われてしまうのも仕方ないと僕自身も思う。

 でも結局は僕の自己満足と、これからも仲良くなりたいという願望による行動なので、止めるつもりはない。

 

「ありがとうございますナナシさん、私はもちろんナズーリンも嬉しいですよ?」

「……まあ、ちゃんとした贈り物を受け取って嬉しくないと思うほど、ボク……私は薄情ではないさ」

「いえ、喜んでもらえて僕も嬉しいです」

 

 お世辞、ではないだろう。星さん達はそんな事をするような妖怪さん達じゃないはずだ。

 ところでナズーリンさん、今自分の事を「ボク」って言ったような……気のせいかな。

 

「ナナシ」

「こんにちは、白蓮さん」

 

「おっすおっす!!」

「こんにちは、はじめまして」

 

 白蓮さんの傍に居る、2人の女性が挨拶をしてきた。

 

「白蓮さん、この人達は?」

「前に紹介できなかった私の家族……弟子達です。この子は村紗(むらさ)水蜜(みなみつ)、この子は雲居(くもい)一輪(いちりん)、そして彼は一輪の相棒である入道雲の雲山(うんざん)です」

 

「よろしくねー、あたしの事は村紗でも水蜜でも、どっちでもいいから!」

「私の事も好きに呼んで頂戴、敬語もいらないわ。もちろん雲山もね」

「はい、水蜜さん、一輪さん、雲山さん」

 

 セーラー服に黒髪が村紗さんで、尼さんのような頭巾を被っているのが雲居さんか。

 ……雲山さん、でかいな。それにこう言ってはなんだけど顔が恐い。

 

「雲山の顔、恐いでしょ?」

「え、あ、いえ……そんな事はないですけど……」

「いいのよ気を遣わなくて、大抵の子供は泣いちゃうくらい恐いんだから」

 

「…………」

 

 あ、なんか雲山さん落ち込んじゃった。

 意外と繊細なんだな……こう言ったら失礼かもしれないけど。

 

「ところでナナシ、今日はどうしたのですか?」

「あ、そうでした」

 

 白蓮さん達に星さん達と同じお菓子を手渡す。

 

「……これは?」

「お世話になった人や知り合った人達にお菓子を配っているんです」

「まあ……」

 

 驚きの表情を見せる白蓮さん、他のみんなも僕の行為に驚いているようだ。

 

「そちらがよろしければ貰ってもらえますか?」

「勿論ですよナナシ、本当にありがとうございます」

 

 そう言って、白蓮さんはそっぽを向く。

 あれ? もしかして口ではああ言っているけど、実は迷惑だったかな?

 なんだか小さく震えているし、鼻を押さえ出したのは何故だろう。

 

「……気にしなくていいよナナシ、キミに気を遣っているわけでもないから大丈夫だ」

 

 僕の心中を察したのか、ナズーリンさんがそんな事を言ってきた。

 それならいいけど……少なくとも水蜜さん達を様子を見るに、喜んでくれているから良しとしよう。

 

「西洋のお菓子ってなかなか食べられないからありがたいよー、ありがとねナナシ!!」

「これ、あなたが自分で作ったの? だとしたら器用ね」

「喜んでもらえて何よりでした、それじゃあ僕はこれで……」

 

 さて、次は博麗神社にでも……。

 

「ナナシ」

「はい……?」

 

 白蓮さんに呼び止められたので、返事をしつつそちらへと振り向いた瞬間。

 

「わぶっ……」

 

 いきなり、ぎゅっと抱きしめられてしまった。

 顔全体に広がる柔らかな感触と、ほんの少しの息苦しさ。

 それが白蓮さんの胸元に埋もれているという事実を物語っており、一気に顔に熱が帯びる。

 

「あ、あの……」

「……偉いですね、ナナシは」

 

 ぎゅっと抱きしめながら、僕の頭を優しく撫でる白蓮さん。

 その手つきはただただ優しく、気恥ずかしさよりも心地良さが勝るほどに安らいだものだった。

 

「本当にありがとう、こんなにも優しい心を持ってくれて……私は本当に嬉しいですよ」

「白蓮さん……」

 

 その声が、頭を撫でるその手が、僕から身体の力を抜いていく。

 周りに人が居るのに、見られているのに、そんな事なんてどんどんどうでもよくなって。

 今はただ、この安らぎに縋っていたいという思いだけが募っていった。

 

(……お母さんって、こんな感じなのかな?)

 

 つい、そんな事を考えてしまう。

 家族の事をまだ思い出せない僕にとって、この安らぎはきっと母親の母性を感じ取るものなのだろう。

 ……白蓮さんには、失礼かもしれないけど、ね。

 

「ふふっ、ふふふ……」

「…………」

 

 あの、白蓮さん?

 どうしてそんな不気味な笑い声を出しているんですか?

 ちょっと、いやかなり恐いのでやめていただきたいのですが……。

 

 ■

 

「――はい霊夢、どうぞ」

「…………」

「魔理沙も、どうぞ」

「貰えるものなら遠慮なく貰うけど、本当にいいのか?」

「もちろん、魔理沙には前にも世話になってるし」

 

 場所は変わり、博麗神社。

 いつものように境内の掃除をしている霊夢と、それを茶化しつつ用意されたお茶を飲む魔理沙に出会った僕は、2人にお菓子を手渡した。

 魔理沙は喜んでくれたようだが、霊夢は受け取りこそしたものの先程から無言のままだ。

 

「霊夢、もしかして甘いもの苦手だった?」

「違うよナナシ、霊夢のヤツちょっと面食らってるだけだって。日頃の世話にって手作りの菓子を渡される事なんて今まで皆無だったからな」

「そうなのかな……?」

 

 もしそうなら、別に良いんだけど。

 

「にしても……ナナシってマメだな、普通男がこんな風にするなんて珍しいんじゃないか?」

「そうかな? でも霊夢達は僕にとって大事な友達の1人だし、前に宴会に誘ってくれた事だってあったし、ほんのお返しだよ」

「そういう考えが出る事自体、幻想郷の住人らしくないんだよなー」

 

 魔理沙の言葉に、引き攣った笑みを浮かべてしまう。

 どれだけ幻想郷の住人は自分勝手なイメージを持たれているのか、ただ……明確に否定できない。

 

「……ナナシ」

「なに?」

「アンタが友達で、本当に良かったわ」

「そ、そう……」

 

 現金なやつ、ぽつりと呟く魔理沙の言葉におもわず頷きそうになってしまった。

 けれどそれ以上に、そこまで霊夢の食事事情が切羽詰っているのかと心配になってしまった。

 ……また何か作ったら、定期的にお裾分けしようか。

 

「そういえば……アンタ、1人で神社に来たの?」

「そうだけど?」

「飛んできたの?」

「そうだよ。前は飛べなかったけど八咫烏を受け入れてから、少しずつ鈴仙達に練習を付き合ってもらって飛べるようになったんだ」

 

 最初に飛べた時は、感動したものだ。

 何せ僕の頭の中では人間という生物は空を飛べないという先入観があったから、感動もひとしおだ。

 ちなみに、それを鈴仙達に言ったら笑われてしまった、解せぬ。

 

「…………」

「? 霊夢、どうしたの?」

「ううん……飛べるようになって、よかったわねナナシ」

「うん、空を飛ぶって気持ち良いね。まだちょっと恐いけど」

 

「それはちょっとわかるかな。私も初めて箒を使って飛んだ時は正直恐かったよ」

「あ、やっぱり?」

 

 魔理沙と2人、空の話題で盛り上がる中で。

 

「…………」

「……霊夢?」

 

 何故か、霊夢は僕をなんともいえない表情を浮かべながら見つめていた。

 危惧するような、不安を抱いているような目で僕を見ている。

 けれどこちらがどんなにどうしたのかと訊いても、彼女は「なんでもない」の一点張り。

 本当にどうしたのだろうか、魔理沙と2人で顔を見合わせ首を傾げるばかりだった。

 

「美味いなーこのクッキー、ナナシって男の割に器用だよな」

「確かにね。男なのに料理上手って結構貴重よ?」

「喜んでもらえて、よかったよ」

 

 自分の作った食べ物を、美味しそうに食べてくれるのは本当に嬉しいものだ。

 また作りたいという意欲が湧いてくるし、作って良かったと本当にそう思える。

 

「こーりんのヤツも、これぐらいの甲斐性があればなー」

「こーりん?」

森近(もりちか)霖之助(りんのすけ)香霖堂(こうりんどう)っていう古道具屋を営んでる半妖の男性よ。きっと会えば今の言葉の意味が判るわ」

 

 香霖堂といえば、時折鈴仙が輝夜さんの命令で古いゲームを買いに言っている場所だ。

 機会があったら行ってみようか、思えばこの幻想郷で男性の知り合いが殆どいないし。

 

「それじゃあ、僕はそろそろ永遠亭に戻るよ」

「おう、クッキーありがとな」

「どういたしまして」

 

「霊夢もお礼言えって、嬉しかったんだろ?」

「……じゃあ、忠告を1つあげるわ」

「えっ?」

「ナナシ、アンタのその優しい性格はとても好感が持てるものだし尊いものだと思うわ。だけどね……あんまり、誰かに手を差し延べるばかりというのもやめておいた方がいい」

 

 ……いきなり、よくわからない忠告をされてしまった。

 良い奴だという認識を抱いてくれているというのは理解できたけど、手を差し延べるっていうのはどういう意味なのだろうか。

 

「その様子だとよく判ってないみたいね……まあ、だからこそなんでしょうけど」

「霊夢、一体何を……」

「なんでもないわ。……クッキーありがと、そっちがよければいつでも遊びにいらっしゃい」

「う、うん……」

 

 なんだか、もう一度訊くのが躊躇われる。

 もう訊くなと、さっきの言葉は聞き流せと霊夢の目がそう告げているから、結局それ以上は何も言えず神社を後にした。

 だけど、さっきの言葉の意味は本当になんだったのかな……?

 

 ■

 

「――皆さん、いつもありがとうございます」

 

 永遠亭へと戻り、ちょうど居間で寛いでいる全員に、お礼を言いつつお返しを渡す。

 とりあえずみんな受け取ってくれたものの、そんなに意外だったのか全員が驚きの表情を浮かべていた。

 

「あの……そんなに意外でした?」

「えっ、あ、ち、違います! まさかお返しをいただけるなんて思ってなかったから、吃驚しちゃっただけで……」

 

 最初に反応を返してくれたのは鈴仙だった。

 手と耳をわたわたと急がしそうに動かし、なんだか弁明しているようなその姿につい苦笑してしまう。

 

「ほ、本当はすっごく嬉しいんです。その……ありがとうございます、ナナシさん」

「それならいいんだ、喜んでもらえば僕も嬉しい」

「意外だったのは確かかなー、ナナシがバカ真面目なのは知ってたけど律儀すぎでしょ」

「こら、てゐっ!!」

 

 怒る鈴仙に、てゐさんはニヤッと笑みを見せながら逃げ出し、鈴仙もそんなてゐさんを追いかけていってしまった。

 別に気にしなくていいのに……てゐさんらしい物言いなのだから。

 

「なんだか申し訳ないわね、私のは単なる実験だったのに」

「やっぱり実験だったんですね、あのチョコ」

 

 わかっていた事だけど、気がついたら八意先生を軽く睨みつけていた。

 さすがに悪いと思ったのか、八意先生は小さく苦笑し僕に向かって両手を合わせごめんなさいというポーズを見せる。

 

「本当にごめんなさいね、ちゃんとお詫びはするから」

「いえ、別にそこまでは……」

 

 瞬間、右の頬に柔らかな感触と水音が響いた。

 ……八意先生の顔が近い、それこそキスができるまでに。

 ちょっと待った、じゃあ今の感触は……。

 

「……どう、かしら? お詫びになったでしょう?」

「…………」

「永琳、顔が赤いわよ?」

「っ、こほん……と、とにかくナナシ、お返しはありがたく頂戴させてもらいますね」

 

 珍しく慌てた様子でそう捲くし立てたと思ったら、八意先生は逃げるように居間から出て行ってしまう。

 だが、今の僕にそんな事を考える余裕などある筈もなく、ただ黙って右の頬を押さえる事しかできなかった。

 

「ふふっ、永琳ってばなかなかやるじゃない。ナナシもよかったわね、永琳みたいな美人にキスをしてもらえるんだもの」

「……やっぱり、今のは」

「まあ口にしなかったのは永琳らしいといえばらしいけど、なんにせよ珍しい光景が見れただけでも充分に楽しめたわ」

 

 言いながら、輝夜さんはゆっくりと僕に近づいてくる。

 浮かべる笑みには妖艶さが宿り、彼女はそのまま僕の顔へと自分の顔を近づけて……。

 

「っ!?」

 

 咄嗟に飛びのく、その後……輝夜さんの笑い声が聞こえてきた。

 

「可愛い反応ね、本当にナナシは見ていて飽きないわ」

「か、輝夜さん!!」

 

 くそっ、顔が熱い。

 からかわれているのは判っているのに、どうしても意識してしまう。

 そんな滑稽な僕を見て輝夜さんは大袈裟に逃げ出す素振りを見せながら、居間から出ようとして。

 

「ナナシ、お返しありがとう。本当に嬉しいわ」

 

 なんて、とんでもなく綺麗な笑みで純粋な感謝の言葉を言うものだから。

 僕は何も言えず、ますます顔を赤くさせる事しかできなかった。

 

「……くそっ、ずるいなあ輝夜さんは」

 

 1人になって、熱を帯びた顔を冷やしつつ1人ごちる。

 あんな言い方をされてしまっては、何も言えなくなるのは当たり前ではないか。

 

 ……まあ、喜んでくれたからよしとしよう。

 そう自分に言い聞かせ、僕も居間を後にする。

 もうすぐ夕食の時間だ、鈴仙はてゐさんを追いかけているだろうから僕が作らないと。

 

 

――こうして、幻想郷のホワイトデーは過ぎ去っていくのであった。

 

 

 

 

 




ホワイトデー色が薄い……まあしょうがないですね。
次回はあの二刀流剣士が出る予定です。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3月24日① ~半人半霊の少女剣士~

 ――鈴仙と2人、人里の大通りを歩く。

 目的は今日の夕食の材料探しではあるが……献立が思いつかない。

 

「ねえ鈴仙、何かリクエストとか聞いてる?」

「そうですねえ……姫様と師匠はなんでもいいって言っていますし、てゐは「肉が食べたいと申しておる!!」とか言ってましたけど……」

「……てゐさんの言い方はともかくとして、肉かあ」

 

 昨日も一昨日も肉だったから、今日はメインを魚にした方が良いと思うんだけどなあ。

 輝夜さんも八意先生もなんでもいいって言っているのなら、今回はてゐさんのリクエストは却下しよう。

 

「鈴仙、今日のメインは魚にしようか?」

「そうですね。じゃあ魚屋さんに行きましょうか」

 

 行動を決め、僕達は魚屋へと赴く。

 それにしても……幻想郷には海が無いのに、どうして魚を確保できるのだろうか。

 川魚だけというのならまだ判るけど、明らかに海に生息する魚も売られているし……謎だ。

 

「あら? あれは……」

「?」

 

 鈴仙の視線が、魚屋の店主さんと会話している刀を背負った女の子へと向けられている。

 銀の髪を短く揃え、長刀と短刀の二刀を背負った小柄な女の子。

 その子の近くには白い団子のような物体がふわふわと浮かんでおり、少々困り顔で店主さんと会話している。

 

「悪いね妖夢ちゃん、そんなにデカイのは取り扱ってないんだよ」

「そう、ですか……わかりました、ご無理を言ってすみませんでした」

 

 店主さんにぺこりと頭を下げ、魚屋を離れ始める女の子。

 

「妖夢、どうしたの?」

「えっ? あ……鈴仙さん」

「鈴仙、知り合いなの?」

「はい。彼女は私の友達の魂魄(こんぱく)妖夢(ようむ)、冥界の住人なんです」

 

「あ、お初にお目に掛かります。魂魄妖夢と申します」

 

 丁寧なお辞儀をしてくれる魂魄さん、慌ててこちらもぺこりと頭を下げた。

 それにしても冥界って、確か罪の無い死者が成仏するか転生するまで過ごす場所……だったか。

 とある異変を経て、一部の生きている者も気軽に行けるようになったという話だが、それがなんだか矛盾しているように思えるのは僕だけだろうか?

 

「僕はナナシです。よろしく魂魄さん」

「妖夢で結構ですよナナシさん、ところでお二人は……逢引ですか?」

 

「あっ……!? ち、違う違う違う!!」

「ううん、違うよ。夕食の買い物をしている途中なんだ、妖夢もそうなの?」

「ええ……そうなんですけどね……」

 

 そこまで言って、妖夢は先程のように困り顔を浮かべる。

 

「……もしかして、またそっちの主人が無茶振りをしてきたの?」

「え、あ、あはは……」

 

 鈴仙の言葉に、渇いた笑みを浮かべる妖夢。

 ……どうやら、彼女が仕えているであろう主人も輝夜さんや八意先生のような人のようだ。

 

「幽々子様……あ、冥界の幽霊管理をしている私の主人なのですが。その人が「食べ切れないくらいの大きな魚が食べたい」と仰られて……」

「うわあ……」

「それは、また……」

 

 鈴仙と2人、妖夢に同情を込めた視線を向ける。

 本当に無茶振りだ、成る程さっきの魚屋でのやりとりはそういうわけだったのか。

 食べきれないくらいの大きな魚なんて、それこそ外の世界のクジラとかじゃないと該当しない。

 

「鈴仙さん、大きな魚に心当たりはありませんか? もうこうなったら自力で捕まえるしかないので」

「そう言われてもね……」

 

 なかなかに無理な話である、海がない幻想郷ではそんな大きな魚なんて……。

 

「あ」

「? ナナシさん、どうしました?」

 

「……心当たり、あるかも」

「ほ、本当ですか!?」

「う、うん……だけど、捕まえられるかな……?」

「それならご安心を。この桜観剣(おうかんけん)白楼剣(はくろうけん)があれば巨大魚など恐るるに足らずです!!」

 

 素早く抜刀し、何やらむんっと力を入れる妖夢。

 危ないから里の真ん中で抜刀しないでください、辻斬りですかあなたは。

 それに彼女は勘違いをしている、そういう意味で捕まえられるのかと思ったわけではないのだ。

 

「じゃあ……ダメ元で行ってみる?」

「お願いします!!」

「ナナシさん、心当たりって何処なんですか?」

 

「えっと……妖怪の山」

「……えぇっ?」

 

 ■

 

「――申し訳ありませんが、お引取りください」

「そ、そんな!?」

 

 妖怪の山の麓にて、妖夢の悲鳴じみた声が響く。

 

 彼女が所望する巨大魚の事なのだが、この妖怪の山に生息していると前に椛さんから聞いたことがあった。

 時折天狗や河童が食用として捕まえているというし、それならばと思ったのだけど。

 やはりというべきか、僕達の前に姿を現した椛さんは上記の言葉を放ち、山へと入る事を認めてはくれなかった。

 妖怪の山の住人は余所者に対する風当たりが強い、予想はしていたけど……無理か?

 

「ナナシさんでしたら大丈夫ですけど……」

「え、どうしてですか?」

「前に私達の治療をしてくださったじゃありませんか、その件が天狗達の間に広まっていますから」

「……じゃあ、僕に免じて今回は特別に……とかは、ダメですか?」

 

 そう言うと、椛さんはあからさまに困ったような表情を見せてきた。

 やはりダメか、まあ我ながら無茶苦茶な要求だというのはわかっていたけど……。

 

「――大丈夫ですよ椛、通しちゃっても」

 

 強い風が吹き、それと同時に僕達の前に1人の女性が降り立ってきた。

 お空ちゃんよりも小さいものの、黒く大きな翼を生やした黒髪の女性は右手にペンを、左手にノートのようなものを持ち、僕へと近寄ってくる。

 浮かべる表情は友好的な笑みに見えたものの、なんとなくではあるがこの女性に対して警戒心が芽生えてしまう。

 

「はじめましてナナシさん、わたしは鴉天狗の射命丸(しゃめいまる)(あや)と申します。先日はどうもありがとうございました」

「い、いえ……」

「どうやら山に入りたいようでしたので、わたしの方から上司である大天狗様には許可を貰いましたので、どうぞお入りください」

「えっ、いいんですか?」

 

 思いがけない言葉に繰り返し問うと、射命丸さんはにっこりと微笑み肯定の意を込めた頷きを見せる。

 しかし、喜ぶ僕とは対照的に他の皆の表情は訝しげなものであり、椛さんに至っては射命丸さんに対して明確な敵意のようなものを向けていた。

 何やら場が険悪な空気に包まれ始めている、その中でも射命丸さんはニコニコ顔を引っ込めようとしない。

 

「おやおや、わざわざ山に入る許可を貰ってきたというのに、その態度はあんまりではありませんか?」

「……そうですね。どうもすみませんでした」

 

 射命丸さんに頭を下げながら謝罪する妖夢だが、その言葉には固さが残っていた。

 あきらかに妖夢は射命丸さんに対して良い感情を抱いていない、というよりもこの場に居る全員が射命丸さんを警戒していた。

 それでもニコニコと友好的な笑みを浮かべ続ける辺り、射命丸さんも良い性格をしている。

 

「椛、案内をしてあげてね? 大天狗様の指示よ」

「……一体、何を企んでいるのです?」

「わたしは大天狗様の指示だと言った筈だけど? 一体何を勘ぐっているのかしらねえ」

「…………皆さん、こちらです」

 

 これ以上の問答は無意味だと思ったのか、何も言わず案内を始める椛さん。

 僕達もそれについていき、少し遅れて射命丸さんがついてきている。

 

「ナナシさん、無視してください」

「あ、はい……」

 

 椛さんに強い口調で言われ、おもわず頷く。

 とりあえずこっちの用件を済ませるとしよう。

 

 ■

 

 椛さんに案内されたのは、大きな峡谷(きょうこく)だった。

 周りをゴツゴツとした岩肌に囲まれ、下を流れる川は轟音を響かせている。

 ……空を飛んでいるとはいえ、こんな場所に居るというのはちょっと恐いな。

 

「この辺りに生息しているヤツなら大きさも味も充分でしょう。少し待っていてください、誘き出しますので」

 

 そう言って、椛さんは自身の服を脱ぎ出し……って、ちょっと待った!!

 

「な、なんで脱ぐんですか!?」

「なんでって、これからあの川の中に入るんですから、服を脱がないと……」

「いや、あの……」

「大丈夫です。下はサラシに褌ですから」

 

 そういう問題ではないと思うのは、僕だけでしょうか?

 とりあえず目を瞑って視線を逸らし、椛さんを見ないようにする。

 

「では……飛び出したらお願いします。妖怪魚は獰猛なものが多いですから」

 

 物騒な事を言ってから、椛さんは躊躇い無く川へと飛び込んでいった。

 普通の人間ならすぐに流されてお陀仏だけど、妖怪である彼女にとっては小川のようなものなのだろう。

 

〈何やってんだ、戦闘の準備をしろ。嬢ちゃん達はもう身構えてるぞ〉

(わ、わかってるよ……)

 

 獰猛な妖怪魚を捕まえるのだ、油断してれば僕なんてきっとひと呑みにされる。

 

「ところで、鈴仙さんとナナシさんもここまで付き合ってくださってよろしかったのですか?」

「私としては、ナナシさんは安全な場所に居てほしかったんだけど……」

「提案したのにそんな事できるわけないだろ? そんな事より……僕としては、射命丸さんの事が気になるんだけど」

 

 ちらりと、視線を上空へと向ける。

 そこに居るのはこちらに向かってカメラを構えている射命丸さん、椛さん曰く妖怪魚との戦いをカメラに収めてそれを自身が発行している新聞のネタにしようとしているらしい。

 天狗は自作で新聞を作るという話は聞いていたけど、まさかネタにされるとは……。

 

〈ナナシ、来るぞっ!!〉

「っ」

 

 八咫烏の叫びを聞いた瞬間。

 川の中から凄まじい水柱が上がり、そこから僅かに顔をしかめた椛さんと。

 

「で、でかっ!?」

 

 全長八メートルはあろうまさしく巨大魚と呼ぶべき怪物が、飛び出してきた。

 身体の形は鯛のようなものだけど、とにかくその大きさは規格外だ。

 

「これだけ大きければきっと幽々子様も満足してくれる筈……参ります!!」

 

 背中に背負っていた刀を抜き取り、妖怪魚に向かっていく妖夢。

 一息で相手との間合いを詰め、そのまま両断する勢いで右の刀を横一文字に振るい。

 

「っ!?」

 

 刹那、両断された筈の妖怪魚の姿が妖夢の前から消え去った。

 剣戟は空を切り、完全に無防備となった妖夢。

 そこに、上空から彼女を呑み込もうと大きく口を開いた妖怪魚が迫る……!

 

「妖夢!!」

 

 銃声が響く。

 鈴仙が指から放った妖力弾が妖怪魚の身体に直撃し、僅かに軌道がずれる。

 その隙に妖夢はどうにか離脱し、妖怪魚はそのまま川へと飛び込んでいった。

 

「妖夢、大丈夫!?」

「は、はい……鈴仙さん、ありがとうございます」

「……今、ありえない挙動をしましたね。あの魚」

 

 そう、妖夢が斬撃を繰り出した瞬間、妖怪魚は落下していた自らの身体を上空へと飛ばして彼女の一撃を回避したのだ。

 飛行能力まで持っているなんて……魚という概念が音を立てて崩れてしまいそうだ。

 

「何をやっているんですか、もっと頑張ってくださいよー」

「遠巻きに見ているだけなのに、偉そうな事言わないでくださいよ!!」

「射命丸様は黙っていてください!!」

 

 大ブーイングを受ける射命丸さんだが、それでもカメラを構えている辺り相当だ。

 出会ったばかりだけどなんとなくわかった、この人は周りから嫌われるタイプだと。

 

「次で決めます!!」

 

 左の刀を鞘に収め、両手で長刀を構える妖夢。

 刀身に彼女の霊力が集まっていき、淡いエメラルドの光が纏い始める。

 

「断命剣――」

 

 妖怪魚が、再び水の中から飛び出し、大きく口を開けながらこちらに向かってくる。

 それを見据えながら、妖夢は長刀を大上段に構えながら吶喊し。

 

「――冥想斬!!」

 

 自身の必殺剣を、真っ向から妖怪魚の身体へと叩き込んだ……!

 

 舞い散る鮮血、彼女の一撃は確かに妖怪魚の身体を鋭く斬り裂いた。

 しかし致命傷には至らないのか、妖怪魚は僅かにくぐもった声を上げるだけでその進行は止まらない。

 本当に頑丈なヤツだ、そう思いながら僕は右手を前に翳し、灼熱の光を撃ち出しつるべ打ちにする。

 黄金の光は妖怪魚の身体に命中し、高熱でその身を焦がしていくがそれでも止まらない。

 

「こいつ……!?」

「下がって!! ――インビジブルフルムーン!!」

 

 鈴仙の瞳が赤く輝き、そこから極大の砲撃が放たれる。

 赤い砲撃は妖怪魚の巨体を弾き、動きを止めた隙に椛さんが動いた。

 

「おおおおっ!!」

 

 裂帛の気合と共に、放たれる斬撃。

 威力、勢い共に完成されたその一撃は、妖怪魚の身体に直撃し。

 

「っ、なっ!?」

 

 甲高い音を響かせつつ、椛さんが持っていた太刀の刀身がへし折れてしまった。

 ……なんだ、あの怪物は。

 あきらかに妖怪魚というカテゴリーを逸脱している、こんなものを時折椛さん達は捕まえているっていうのか?

 

「……なんだコイツは、こんなヤツは今までこの山に居なかった筈なのに」

「えっ、それってどういう事よ!?」

「おかしいんです、確かに山に居る妖怪魚は巨大で丈夫な個体が多いのは確かですが……これだけの頑強さを持つヤツなんて、初めて見ます!!」

「って事は……もしかして、ひじょーに拙いってこと……?」

 

 冷や汗が、頬を伝う。

 正直、そこまで深刻に考えていなかった。

 だが今の状況は拙い、このままだと下手をすればここに居る全員があの怪物の胃の中に……。

 

「うーん、なんとも雲行きが怪しくなってきましたねー」

「射命丸さん……」

 

 いつの間に移動してきたのか、射命丸さんが僕の隣移動し思案顔を浮かべていた。

 

「椛の言う通り、あそこまで強力な力を持っている妖怪魚なんて確認されていなかったんですけどねー……これはスクープですよスクープ!!」

「言ってる場合ですか!!」

 

 ダメだこの鴉天狗は、彼女にとってこの危機的状況よりもスクープの方が大事なのか。

 そうこうしている内に、妖怪魚は完全に空を飛んでおり、まるで上質な餌を見つけたかのようにダラダラと涎を……。

 ……食おうとしていますね、完全に。

 

「て、撤退ーっ!!」

「了解!!」

 

 鈴仙の声に、全員が満場一致で逃げ出した。

 当然追いかけくる妖怪魚、何処に逃げればいいのか見当も付かないが、とにかく今は全速力で逃げなくては。

 

「いいですよその必死な顔、あ、顔こっちに向けてください」

「黙れパパラッチ!!」

「人が必死こいて逃げてるのに、なんでアンタは写真撮ってるのよ!!」

「喧嘩してる場合か!!」

 

 あーもぅ、どうすればいいんだこの状況っ。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3月24日② ~VS怪物妖怪魚、炎の断迷剣~

冥界の住人、妖夢と人里と出会い彼女の主人の無茶振り……もとい、お願いを叶える為に妖怪の山へとやってきた。

そこに居る妖怪魚を捕まえようとしたんだけど、その想像以上の大きさに大苦戦。
一度逃げる事にしたけど……どうすればいいんだ?


「いいですよー、もっと緊迫感のある表情をお願いしまーす」

「射命丸様、気が散るんで黙っててください!!」

 

 椛さんの怒り心頭といった声が響き渡る。

 だがまあ仕方ない、現在僕達は川を下るように逃げており、後ろからは当然妖怪魚が泳ぎながら追いかけてきている。

 そんな状況だというのに、僕達の前を飛びながら器用にカメラのシャッターを押しまくっている射命丸さんを見れば、怒鳴りたくなるものだ。

 

「でもこのままだと麓まで行っちゃいますね、どうするんですか?」

「…………」

 

 確かに、このまま逃げ続けても事態は好転しない。

 そればかりか、あんな危険な妖怪魚を麓まで……つまり、霧の湖付近まで連れて行ってしまう事になる。

 

 だがどうすればいい? 現状ではあの妖怪魚に決定打を与える手段が見つからない。

 椛さんは武器を折られてしまったし、僕や鈴仙の攻撃もまともに通じなかった。

 唯一、妖夢の斬撃は通ったけど致命傷には程遠い、何か良い手はないのか……?

 

「……皆さん、少しでいいのでアレを相手をお願いできませんか?」

 

 意を決したような妖夢の言葉に、全員の視線が彼女に集中する。

 

「あの妖怪魚の装甲はかなりのものです、ですが冥想斬の一撃は通用しました。

 ならば、私の全霊力を込めた一撃ならば仕留められるかもしれません。生半可な攻撃が通じない以上、これに賭けたいと思うのですが」

「ほ、本当に通用するの妖夢?」

「わかりません、ですがこのままヤツをこの山から出す訳にもいきませんし、何よりも私にはあれを幽々子様の元へ持っていく必要があります」

 

 このような状況だというのに、妖夢はあくまでも主の願いを優先している。

 ……その心が届いたのか、まず最初に椛さんが止まり僕達に向かって背を向けた。

 

「いいでしょう。此方としてもあのような危険な生物を山から出す事もこのままにしておく事もできません、ですが……必ず仕留められるようにしてくださいね?」

「は、はい。任せてください!!」

「えぇー……ホ、ホントにまたアレの相手をしないといけないの?」

「恐いのなら、隅っこで震えていても結構ですよ?」

「バ、バカにしないでよ!!」

 

 鈴仙、声が震えてる……。

 無理をしないでと言っても、「大丈夫ですから!!」と引き下がらないのは彼女らしいというべきか。

 だけど光明は見えた、僕達は妖夢が力を溜めている間、どうにかアレを引付けておかないと……。

 

〈盛り上がってる所悪いが、あの嬢ちゃんだけの力じゃ無理だぞ?〉

(えっ……!?)

 

 打開策を見つけたと思った矢先に、八咫烏から空気を読めない言葉が飛び出す。

 

〈空気が読めないって……まあそれはともかくとしてだ、あの怪物魚の皮膚はとんでもない堅さだ。

 嬢ちゃんの剣技や霊力が悪いってわけじゃないが、それでも今一歩届かないだろうなあ〉

(そんな……じゃあどうすればいいのさ!?)

〈それは知らん。元はといえばお前が首を突っ込んだ案件だ、責任を持ってお前達だけで解決しろ〉

 

 なんて無責任な!?

 ……だけど、八咫烏の言葉は決して間違ってはいない、乱暴ではあるけど。

 

 でも、もし今の言葉が本当だとしたら打つ手がなくなってしまう。

 妖夢は次の一撃に自分の力を全部使うつもりだ、それで倒せなかったら彼女抜きで戦う事になる。

 

 既に椛さんと鈴仙は、妖怪魚の気を引くために囮役を実行している。

 このまま何もしないわけにはいかず、かといって先程の八咫烏の言葉が僕の行動を鈍らせる。

 

〈ったく……しょうがねえなあ、じゃあヒントをやるよ〉

(えっ?)

〈あの嬢ちゃんだけの一撃で届かねえのなら、単純に足し算をすれば良い〉

 

 それだけを言って、八咫烏は今度こそ引っ込んでしまった。

 足し算……つまり妖夢の斬撃に、別の力を与えればいいという事なのか?

 別の力、だけどただ単純に他の人の霊力や妖力を与えたところでたいした意味は……。

 

「…………あ」

 

 そうか、そういう事か。

 八咫烏の言葉を理解した僕は、囮役……ではなく、長刀を構えたまま力を溜めている妖夢の元へ向かう。

 

「ナナシさん……?」

「妖夢、この刀は自分以外の力を付与する事はできるの?」

「えっ? ええ、おそらくは可能かと思われますが……」

「なら妖夢はそのまま力を溜めることに集中して!!」

 

 言うと同時に、精神を集中させて内側へと意識を潜り込ませる。

 両手を翳し、そこに八咫烏の炎を展開して……それを、少しずつ妖夢の刀へと送り込んでいく。

 

「ちょ、ナナシさん!?」

「大丈夫。これは八咫烏の炎だ、今からこの力を妖夢の刀に付与する。そうすれば斬撃の破壊力が更に増す筈だ!!」

 

 そう、これがきっと八咫烏が言いたかった答えだと僕は思う。

 ダメージこそ殆ど与えられなかったものの、先程の僕の攻撃は相手の皮膚を傷つける事ができた。

 つまり威力が高ければきちんと通じるという意味であり、一番大きなダメージを与えられた妖夢の斬撃と合わせれば、決定打となりえる筈だ。

 

「こんな事しかできないけど、後は頼むよ妖夢」

「ナナシさん…………もちろんです、あなたの力は決して無駄にはしません!!」

 

 妖夢の剣に、青白い光が宿る。

 八咫烏の炎と彼女自身の霊力が混ざり合い、際限なく大きく輝きを増していく。

 空気がビリビリと震え、近くに居るだけで刀身に込められた力の大きさを理解できた。

 

「――参ります」

 

 凄まじい力の奔流とは対照的に、妖夢の放った言葉はただ静かだった。

 ゆっくりと刀を右上段に構え、鋭い瞳は暴れ回る妖怪魚だけを捉えている。

 

「お膳立ては、してあげますよ」

 

 そう言って、傍観者だった射命丸さんは懐から紅葉の形をした扇子を取り出し、横振りに振るった。

 瞬間、椛さんと鈴仙を後方に吹き飛ばしながら、妖怪魚の巨体を丸々包み込むような竜巻が発生する。

 

「す、凄い……」

「まがりなりにも鴉天狗ですからね、じゃあ後は宜しくお願いします」

「…………」

 

 空気が変わる。

 相手は自身を包む竜巻で動けず、寸前にまで迫っている死の一撃にようやく気づいたようだが、もう遅い。

 

「断迷剣――」

 

 紡ぐ言葉自体は、先程の冥想斬とまったく同じ。

 だが放たれる一撃は先程の比にあらず、全身全霊を込めた彼女の必殺剣は主の命により解放された。

 

「――迷津慈航斬(めいしんじこうざん)!!」

 

 そのままシンプルに、振り下ろされる蒼い光の刃。

 何の捻りもないただの斬撃だが、その破壊力はまさに“必殺”の領域だ。

 射命丸さんが放った竜巻を文字通り斬り裂き霧散させ、少しの威力の衰えを見せぬまま妖怪魚の身体を斬り裂いた。

 鮮血は炎によって一瞬で蒸発し、僅か一秒にも満たぬ時間で彼女の剣は妖怪魚の身体を二つに分けその命を奪い去る。

 

「…………」

 

 振り下ろしたままの体勢で、妖夢は口元に笑みを作る。

 勝利を確信し、同時に主の願いに応えることのできた喜びを現すかのようなその笑みは。

 僕にはとても眩しく、美しいものに映ったのだった……。

 

 

 ■

 

 

「……これはまた、凄いものね」

 

 霊達が住まう世界、冥界にある屋敷“白玉楼”にて、八雲紫は呆れとも驚きともとれる言葉を呟く。

 いつものように暇を持て余していた彼女は、友人である西行寺幽々子の所へと遊びに行き、時間も時間なので夕食を頂こうというセコい真似をしようと企んだ。

 彼女の予想通り、ちょうど夕食の時間だったのだが……テーブルに用意されていた料理の数に愕然とする。

 

「紫様、いらっしゃいませ」

「こんばんは妖夢、ところで……これは何かしら?」

 

 テーブルを指差す紫、そこに広がるのは十や二十ではきかない魚料理の山であった。

 量にして数十人分である、まあ量に限っては“いつもの事”なので別段驚くことは無いが……これだけの魚を、海も無い幻想郷でどうやって用意したというのか。

 

「聞いてよ紫、妖夢ってば私の無茶振りに応える為にわざわざ妖怪の山に行ってくれたのよ~」

「……ああ成る程、また貴女の奔放さに巻き込まれたって訳ね」

 

 やれやれと首を振りながら、紫はそっと渇いた笑みを浮かべている妖夢に同情を送る。

 ……ただ、1つだけ彼女に訊かなければならない事があった。

 

「妖夢、妖怪の山に行ったようだけど……よく天狗達が通してくれたわね」

「いえ、実は私だけでは通してはもらえませんでした」

「……どういう事なの?」

 

 紫の問いに、妖夢は事の経緯を説明した。

 

「そう……ナナシがね」

「紫様は、彼の事を知っているのですか?」

「知っているも何も、紫が今熱中している男の子よね~」

 

 からかうような幽々子の言葉に、けれど紫は否定の意を示さない。

 彼女の態度に妖夢は驚き、言葉の意味をどう解釈したのか頬を朱色に染めさせた。

 

「ゆ、紫様……それはつまり、その……ナナシさんの事をですね」

「ふふっ、紫にもようやく春が来たのね~」

「…………ええ、そうかもしれないわね」

 

 ああそうだ、紫はナナシの事を心底惚れている。

 尤も、それは男女間における甘酸っぱいような意味ではないのだが。

 

「し、正直驚きました……」

「私もよ妖夢、最初に紫から訊いた時は笑い転げちゃったもの」

「……良い性格をしているわね、幽々子は」

 

 ジト目で親友を睨みつつも、紫はあくまで“本心”は語らない。

 紫にとって必要なのは彼自身ではない、彼が持つ八咫烏とは違う能力だ。

 正直な話、それ以外に興味など無いし湧きもしない。

 

「でもナナシさんって人間なのに凄いですよ、まさか桜観剣に八咫烏の炎を纏わせるなんて……」

「あら、そんな芸当ができるようになったの?」

「えっ、あ、はい。そのおかげでこの妖怪魚を倒す事ができましたし」

「……ふふっ、そうなの」

 

 それは重畳、彼は確実に成長を続けているようだ。

 そうでなくては、わざわざ外の世界の記憶を消して真っ白な状態で幻想郷に連れてきた意味は無い。

 当初は期待外れならすぐに殺し、彼の内にある能力を別の人間に引き継がせようと思ったが……この分ならば問題はないだろう。

 

「紫」

「なにかしら?」

「あなた、一体何を企んでいるのかしら?」

「何の事かしら?」

 

 綻びは、既に出始めている。

 急いだところで結果は得られないが、かといって今更代わりを見つける余裕はない。

 故に彼には更なる成長を遂げてもらわねば困る、それも自らの意志で。

 

「……まあ、いいわ。ところで夕食がまだなら、一緒に食べる?」

「ええ、頂こうかしら」

「じゃあ妖夢、おかわりとお酒、お願いね?」

「はい、了解しました」

 

 ()()()が訪れるまで、はたして彼はどこまでの成長を果たせるのか。

 期待とほんの少しの不安を心に残しつつも、紫はあくまで賢者の顔を崩さない。

 

 

 

 

 

 だが、聡明な彼女でも気づかない事はある。

 大きくなりつつある綻びが、彼女の一番大切な存在すら呑み込もうとしている事に……。

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4月1日 ~四月馬鹿達~

「ナナシ」

「なんですか? てゐさん」

「結婚して」

「っ、げほっ、ごほっ」

 

 突然の発言に、おもわず飲んでいたお茶を噴き出しそうになってしまった。

 

「な、何を言っているんですか!?」

「わたしは本気だよ? 実はね、ずっと前からナナシのこと……」

 

 潤んだ瞳を向けながら、ゆっくりと僕の所へと近づいてくるてゐさん。

 その視線から逸らす事ができず、かといって逃げる事もできず……気が付いたら、ちょうど彼女が馬乗りになるような体勢になってしまっていた。

 頬を赤らめ、もじもじとする彼女の姿はとても可愛らしく、こっちの顔も熱くなっていく。

 

「ナナシ……」

「ま、待ってくださいてゐさん。いきなりそんな事言われても僕は……」

 

 そう言っても彼女は止まってくれず、吐息がかかるぐらいまで迫られて……。

 

「てぇゐっ!!」

「あだっ!?」

 

 おもいっきり、頭突きをお見舞いされた。

 突然の事態と痛みで思考は停止し、悶絶しながら混乱していると。

 

「あはははっ、ひっかかったひっかかった!! ナナシ、今日はエイプリルフールだよ?」

「う、ぐ……エ、エイプリルフール?」

 

 ズキズキと痛む頭を押さえながら、カレンダーを見やる。

 確かに今日の日付は4月1日、エイプリルフールの日だった。

 ……ちょっと待て、じゃあ僕はからかわれたというのか?

 

「いやー、初々しい反応が見れて満足満足」

「…………」

「そう睨まないでよナナシ、今日は嘘を付いても許されるんだよ? それに、アンタだって満更でもなかったでしょ?」

「な、何を言っているんですか!!」

 

 ちくしょう、明確に否定できない自分が情けない。

 ひとしきり笑って満足したのか、てゐさんは最後に小馬鹿にしたような笑みを浮かべて部屋を出て行った。

 くっ、あのう詐欺さんめ……毎度毎度引っ掛かる僕も僕だけど。

 

「どうしたの?」

「あ、輝夜さん……」

「おでこが赤くなってるわね、ちょっと見せて」

 

 輝夜さんの細い指が、ゆっくりと僕に近づいてくる。

 避けるのは失礼かと思いじっとしていると、まるで壊れ物を扱うかのような優しい手触りで、輝夜さんは僕の額を撫でてくれた。

 

「っ」

「あら? 今度は顔が真っ赤になったわね」

 

 さっきとは違う緊張が走り、そんな僕を不思議がりながら輝夜さんは両の手を僕の額に添える。

 それだけでは止まらず、もたれ掛かるかのように輝夜さんは身体を僕へと預けてきてしまった。

 柔らかくて、軽い感触が否応もなく緊張を増幅させ、呼吸も上手くできない。

 

「ますます赤くなった、大丈夫?」

 

 眼前にはきょとんとした輝夜さんの顔、永遠の美しさを放つ美貌を前にして思考が停止する。

 ま、拙い……これ以上この甘美な時間を満喫してしまったら、色々と拙い。

 口で説明するのは憚られる事態に発展しかねない、けれど跳ね除けるなんて僕にはとても……。

 

「…………んふふ」

「んがっ……」

 

 いきなり鼻を摘まれ、変な声が出た。

 それも結構強めだったから、放された後は結構痛かった。

 

「本当に可愛らしい反応ね、おもわずもっと悪戯したくなっちゃった」

「か、輝夜さん……?」

「ナナシ、愛してるわ」

「っ」

 

 今度こそ、呼吸が止まった。

 

 

「好き好き、アイラブユー!!」

「あ、あの……その……」

「本当に愛しているわ、ナナシ」

 

 耳元で囁かれる。

 ぞわりと身体が震え、止まっていた呼吸が動き出した。

 

――顔が迫る。

 

 てゐさんと同じように、互いの吐息が掛かる距離まで輝夜さんの顔が近づいてきている。

 このままだと唇が触れ合ってしまう、それなのに拒めず振り払うことすらできない。

 二十センチ、十センチ、五センチ……そして、二センチほどまで狭まった瞬間。

 

「えいっ」

「わっ」

 

 額に軽い衝撃が走る。

 ……デコピンをされた、唖然とする僕を見て輝夜さんはそれはもう楽しげに笑っていた。

 

「……もしかしなくとも、からかいました?」

「ご名答。あなたをからかうのって楽しいんだもの」

「おかしいと思ったんですよ、いきなり好きだの愛してるだの言うんですから……」

 

 平静を装いながらも、僕の鼓動は早鐘を打っていた。

 女性に耐性がない僕にとって、今の嘘はなかなかに心臓に悪いものだ。

 まあ、それを知っているからこそてゐさんも輝夜さんもからかうんだろうけど。

 

「輝夜さん、いくらエイプリルフールだからって今みたいな嘘はやりすぎだと思いますよ」

 

 別にそこまで気にしていなかったが、せめてものお返しにと反論してみた。

 

「ふふっ、ごめんなさい。でもナナシ、愛してるは言い過ぎかもしれないけど……大好きなのは本当よ?」

「っ」

「これはウソじゃないから、ね?」

 

 そう言って、部屋を後にする輝夜さん。

 ……ダメだ、やっぱりあの人には一生勝てそうにない。

 顔、熱いな……暫くジッとしていよう。

 

 ■

 

「ナナシさんナナシさん」

「鈴仙、どうしたの?」

 

 顔の熱を冷ましてから部屋を出ると、何やらいつもと違う様子の鈴仙に声を掛けられた。

 そのいかにも「これから悪戯します」と言った様子は、とてもわかりやすく彼女らしい態度だ。

 

「実は私って……生物じゃないんですよ」

「えっ?」

「私は月の叡智が生み出した、サイボーグなんです!!」

 

 何故かドヤ顔を決めつつ、そんな事を言ってくる鈴仙。

 いや、サイボーグって……嘘をつくなら、もう少し信じられる嘘をつけばいいのに。

 これもまた鈴仙らしいといえばらしいけど、あまりにも自信満々に言ってくるものだから反応に困る。

 

 

「――あらウドンゲ、あなたもようやく気がついたのね」

 

 

「…………えっ?」

 

 八意先生の言葉に、僕も鈴仙も固まってしまった。

 えっ、ようやく気がついたって……えっ?

 いや、だって今のは鈴仙の冗談じゃないのか?

 

「いつ気がつくのかと思ったけど、思ったより早かったわね」

「え、や、し、師匠……?」

「自覚できたようで嬉しいわ、もしかしたら一生気づかないのかと心配したのよ?」

「えっ……えっ?」

 

 身体を震わせ、ダラダラと冷や汗を流す鈴仙。

 一方の八意先生は、狼狽している彼女を前にしても、真剣な表情を崩そうとは……。

 

「……んん?」

 

 いや、よく見ると口元が僅かに吊り上っている。

 鈴仙はすっかり混乱している為に気づかないようだけど……これは、あれだな。

 

「八意先生、それ嘘ですよね?」

「あら、どうしてそう思うのかしら?」

「隠すのなら、その笑みも隠してくださいよ」

 

 しかもこれ見よがしに、わざとらしく笑みを深める辺りタチが悪い。

 

「今日はエイプリルフールだから、便乗してみたわ」

「……鈴仙、本気で信じちゃってますよ」

 

 ちらりと、八意先生と共に鈴仙へと視線を向ける。

 先程の八意先生の言葉をすっかり信じてしまっている今の彼女は、全身を震わせ、目は虚ろ、ブツブツと何かを呟き続けている。

 批難するように八意先生へと視線を戻すと、「てへぺろ」とどっかで見たようなポーズを見せ付けてきた。

 

「どうしましょうか?」

「それはこっちの台詞なんですけど」

「そうねえ……このままだと流石に可哀想だし。鈴仙ー、正気に戻りなさいな」

 

「ブツブツ……」

「あ、ダメねこれは」

「簡単に諦めないでくださいよ!!」

 

 なんでこんなにやる気がないんだこの人は。

 僕も呼びかけてみるが応答なし、マジでどうしよう……。

 

「……うん、こうなったら最終手段ね」

「えっ――うわあっ!?」

 

 後ろから突き飛ばされ、身構えていなかった僕はそのまま鈴仙も巻き込んで地面に倒れ込んでしまう。

 

「いてて……ごめん、鈴仙……」

「…………」

 

 膝打った……地味に痛い。

 何をするんですかと八意先生に文句を言おうと立ち上がろうとして……僕はそれに気づく。

 眼前には顔を赤らめた鈴仙、対する僕は彼女を押し倒すような恰好のままで……。

 

「わああっ!! ごめん鈴仙!!」

 

 慌てて飛びのくように鈴仙から離れる、せっかく冷ました顔の熱はすっかり熱くなってしまっていた。

 や、やばい……女の子を押し倒すなんて、完全に拙い事態だ。

 怒られる、そう思い身構える僕だったが。

 

「…………」

 

 対する鈴仙は何も言わず、黙って僕を見つめていた。

 その視線も非難めいたものではなく、なんだか熱っぽくて何か期待するようなものに見える。

 ……期待って何だ? それよりどうして鈴仙は怒らないのだろうか。

 

「あ、あの……鈴仙?」

「……っ、あ、ぅ……ごめんなさい!!」

 

 何故か謝罪の言葉を叫ぶように放ちながら、猛ダッシュで走り去っていく鈴仙。

 そのあまりの素早さと態度に、僕はその後ろ姿を黙って見つめる事しかできなかった。

 

「あらら……これは予想以上の反応ね」

「……八意先生、鈴仙はどうしたんでしょうか?」

「あらあら、こっちも予想以上の酷さね」

 

 呆れたような視線を向けられてしまった、何故?

 

「というか八意先生、いきなり突き飛ばすなんて酷いじゃないですか」

「ごめんなさいね、でも鈴仙も正気に戻ったしよしとしましょう」

「あれを正気に戻ったというのでしょうか……?」

「大丈夫よ。その内いつもの鈴仙に戻るから」

 

 だから心配しないでと先生に言われ、釈然としないながらも納得する事にした。

 それにしても疲れた……エイプリルフールって、こんなに疲れる日だったか?

 僕もついでだから何か嘘でもついてみようかと当初は思ったが、もうそんな元気はない。

 

 この調子だと外に出たら他の人にもからかわれそうだから、今日は永遠亭から出ないようにしよう。

 そう思い、この日はおとなしく永遠亭でのんびり過ごす事にしたのだった。

 

 

 

 余談だが、暫く鈴仙には避けられるようになってしまった。

 ぐぬぅ……元凶は八意先生だが僕にも少なからず責任があるから仕方ないかもしれないけど、友達に避けられるというのは地味に精神的ダメージがあるな。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4月12日 ~無縁塚~

「こんにちはー」

 

 魔法の森のすぐ傍に、とある古道具屋がある。

 名前は“香霖堂”、ここには外の世界から流れ着いた様々な道具が置いてあるそうだ。

 今回、輝夜さんから前もって頼んでいたというレトロゲームを取りに来たんだけど……店の外観を見て、驚いた。

 

 別に建物そのものがおかしいわけじゃないんだけど、外にバス停の標識やら車のタイヤやらフェンスやらが無造作に置かれているのはどういう事なのか。

 ちょっとだけ不安になりながら、挨拶をしつつ店の中へと入ると……これまた足の踏み場もない程に物に溢れた店内が姿を現した。

 マトリョーシカに日本人形、よくわからない毒々しい色をしたキノコに中身の入っていないティッシュ箱。

 埃の被ったレコードに車のハンドル……もうジャンルとか時代とかそういったものを超越している散乱具合である。

 

〈こりゃあひでえな、ゴミ屋敷か?〉

 

 八咫烏の失礼極まる発言にも否定できないほどに、店内は酷い有様であった。

 というかここは本当に店なのかと思ってしまう、僕がげんなりしていると……奥から長身の男性がやってきた。

 

「いらっしゃい。おや……見た事のない顔だね」

「こんにちは、永遠亭の者ですが輝夜さんの注文していたものを買い取りに来ました」

 

 メガネを掛けた銀が混じった白髪の男性に用件を伝える。

 この人は香霖堂の店主である森近(もりちか)霖之助(りんのすけ)さん、輝夜さんの話によると人間と妖怪のハーフらしい。

 ……美形である、長身も相まって身なりをきちんと整えるだけで周囲の女性は黙ってはいない程に顔が整っている。

 本当に幻想郷には美男美女が多い、それとも半妖だからという理由もあるのだろうか?

 

「……何か?」

「あ、いえ、それで注文の品は……」

「ああ、きちんと用意できているよ」

 

 そう言って森近さんはカウンターの近くにある棚から、1つの箱を取り出し中身を見せてくれた。

 黄色の手の平サイズのカセット、タイトルも輝夜さんに言われたものと同じだ。

 

「ありがとうございます、森近さん。代金はこれで足りますか?」

「ちょっと待ってくれ。……うん、問題ないね。毎度どうも」

 

 箱を受け取る、これで目的は果たしたけど……。

 

「あの……少し店内を見ても構いませんか?」

「ああ、勿論いいとも。何か入用があったら遠慮なく声を掛けてくれ……と言いたいが、生憎と私用があってね」

「そうなんですか、ではまたの機会に覗かせてください」

「本当にすまない。せっかくの貴重で真っ当な客に対してする態度ではないな……」

 

 本当に申し訳なさそうに眉を潜め、森近さんは言う。

 ……貴重で真っ当な客って、それじゃあ僕以外は全然真っ当じゃないみたいな言い方だな。

 そんな僕の心中が表情に出ていたのか、森近さんは少しだけ渇いた笑みを見せつつ言葉を返してきた。

 

「他の連中は、黙って持っていくか「ツケ」という名のこれまた勝手な持ち出しをするヤツしかいなくてね……」

「……それは、お客ではないのでは?」

「ああ……君は真っ当な考え方ができるんだね、よかったよ」

 

 森近さん、その発言はおかしい。

 あれーおかしいな、それとも僕の考えが変なのかなー?

 ダメだ、これ以上この話題を引っ張ったら森近さんに申し訳なく思える。

 

「と、ところで森近さんはこれからどちらに?」

「霖之助でいいよ、それに君が良ければ堅苦しい敬語もいらないさ。それで質問の答えだが……今から“無縁塚”に行こうと思ってね」

「えっ、無縁塚って……」

 

 その地名は僕だって知っている、この幻想郷の中でも屈指の危険地帯だった筈だ。

 なんでも結界の綻びが特に強くて、様々な世界の物が流れるという話だ。

 当然単なる物だけではなく、危険な生物も該当するらしく……幻想郷生まれの住人でもおいそれとは足を運ばない場所だと聞く。

 

「あそこには珍しいものが流れ着くからね、それにとある取引相手も居るんだ」

「……大丈夫なんですか?」

「心配してくれてありがとう。でもあそこにはよく立ち寄るし一応これでも自分の身ぐらいは守れるさ」

 

 そう言いながら、霖之助さんは背中に巨大なリュックサックを背負い、壁に掛けられていた一本の刀を左手で掴み上げる。

 ……やっぱり護身用の武器が必要なくらいには、危険な場所なんだな。

 

〈首を突っ込むと、またあのエロ兎ちゃんが涙目になって心配するぞー〉

 

 判ってるよ、あと鈴仙をそう呼ぶなって前に言ったぞエロ鴉。

 だけど、いくらよく立ち寄るといっても万が一の事があれば……そう思ってしまった以上、はいさようならとはいかない。

 八咫烏が呆れるのもわかるしバレたら鈴仙達に色々と言われるのもわかるけど、やっぱり無理だ。

 

「霖之助さん」

「なんだい?」

 

「――僕も連れて行ってください、護衛役として」

 

 ■

 

 魔法の森を抜け、再思の道という道を通り抜けた先に、無縁塚は存在する。

 足元には両手で持てる程度の小さな石が乱雑に埋められており、霖之助さん曰く「無縁の仏に対する墓標のようなもの」らしい。

 その多くが外の世界から紛れ込んだ人間だというのだから、もしかしたら僕もちょっと運命が違っていたらここに埋まっていたのかもしれない。

 

 ……自分で考えて、恐くなってきた。

 警戒はしておかないと、外から紛れ込んできた人間を狙って妖怪達も待ち構えている可能性があるかもしれないのだ。

 

「しかし、君は本当に人が良いね。魔理沙の言っていた通りだ」

「……自惚れているだけですよ。僕だって彼女達に比べたら全然弱いんですから」

「だが魔理沙は褒めていたよ、人間の男にしては根性がある。僕とは大違いだってね」

 

 そんな談笑を繰り返していたおかげか、ピリピリとした緊張感は幾分か和らいでくれた。

 これも霖之助さんが色々と話しかけてくれたおかげだ、大人な対応に感謝しかない。

 それに僕がついていく事を許可してくれただけではなく、わざわざ僕用に護身用の刀を貸してくれた。

 正直剣なんてまともに扱えないけど、その心遣いは素直に嬉しい。

 

「しかし……無縁塚も広くなったものだ」

「そうなんですか?」

「ああ、元々は広い土地ではなかったんだが……結界の範囲が広がったのか、それとも交点する部分が増えたのか原因はわからないけどね」

 

 元々はせいぜい2~3キロ平方キロメートル程度の土地しかなかったのだが、今ではその五倍近くまで広がっているらしく危険な植物や猛毒の池も存在しているらしい。

 既にここには幻想郷はもちろん外の世界にも存在しないような、それこそ御伽噺に出てくるような化物も生息しているので、幻想郷縁起に記載された時よりも危険度が増しているそうだ。

 それがわかっていながら蒐集するのをやめない辺り、霖之助さんも相当なコレクターのようで。

 

 そんな会話をしていると、僕達の視界に木製の掘っ立て小屋が見えてきた。

 とりあえず雨風を凌げればいいやといわんばかりの適当さで建てられたそこには、霖之助さんの取引相手が住んでいるらしい。

 

「入るよ」

 

 ノックをするが、相手の返事を待たずに扉を開く霖之助さん。

 その後に続いて中に入ると、そこに居たのは……意外な人物であった。

 

「あれ? ナナシじゃないか」

「ナズーリンさん? じゃあ霖之助さんの取引相手って……」

「知り合いだったのかい? 君の言う通り彼女は僕の取引相手さ、ダウザーとしての能力を生かしてこの無縁塚で色々な宝物を捜しているんだ」

「かなりふっかけてくるがね、あの時といい本当にキミは商売人とは思えないよ」

 

 ジト目で霖之助さんを睨みつつ皮肉を放つナズーリンさんだが、当の本人はその視線と言葉を軽く受け流した。

 

「まあそう怒らないでくれよ。それで取引の話に移りたいのだけれど……」

「すまないが、取引できるような物を拾っていないんだ。……最近の無縁塚は、どうも物騒でね」

 

 肩を竦めつつ、口調に若干の緊張を込めてナズーリンさんは言った。

 

「元々ここは物騒だと認識していたつもりだったんだけどね」

「そういう意味じゃない事ぐらい判るだろうに。

 三ヶ月程前からここの空気が変わってきているんだ、人間の死体はもちろん妖怪の死体もよく見かけるようになった」

 

 前々からそういった光景は、この無縁塚では見えてきたが、その数は確実に増えているとナズーリンさんは言う。

 だからここ最近はまともに蒐集できなくて困ると愚痴を零すナズーリンさんだが、明らかに異常なこの状況に疲れているようにも見えた。

 

「より危険な場所になったと、そういう事かい?」

「だろうね。部下達にも無闇に外に出ないように言い聞かせているけど……」

「……ナズーリンさん、そんなに危険な状態になっているのならどうして命蓮寺に行くなりして無縁塚から離れないんですか?」

 

 当たり前といえば当たり前の問いを訊くと、ナズーリンさんはこちらに決まっているじゃないかと言わんばかりの表情で。

 

「宝があるからさ。それ以外に一体何があるんだい?」

 

 ちょっとカッコいいかもしれないけど、普通に考えたらツッコミをしたくなるような答えを返してきた。

 ……いいや、本人が気にしていないのなら僕がとやかく言う必要も筋合いもない。

 

「ふむ……となると、ここはおとなしく帰った方が賢明のようだ」

「ああ、キミのような戦闘能力のない半妖はすぐに餌になるだろうからね」

「失礼だな君は。――そういうわけだからナナシ、せっかくついてきてくれたのに悪いね」

「いえ、僕が勝手についてきただけですから」

 

 本音を言うと、どんな物が取引されるのか見たかったからちょっと残念である。

 だがまあ、事情が事情だから次の機会でもあったら見せてもらおう。

 ……だけど、三ヶ月程前か。

 

〈何考えてんだ?〉

(……別に)

 

 くだらない、こんなのただの偶然だ。

 頭に浮かんだ馬鹿馬鹿しい考えを取っ払い、帰ろうとする霖之助さんにならい立ち上がる。

 

「ナズーリン、気をつけてくださいね?」

「わかっているよ。ボク……私にはどこかあぶなっかしいご主人を支えるという仕事があるからね」

「……ナズーリンさん、どうしてわざわざ“私”って言い直すんですか?」

 

 やっぱりこの間のは聞き間違いではなかったようだ。

 しかしナズーリンさんは僕の問いに、表情を苦々しくさせ答えようとはしてくれない。

 

「あ、もちろん無理に話してほしいわけじゃないですか……」

「……そういうわけじゃないんだ。ただ……あまりにくだらない理由だから、笑われないかと思っているだけで」

「笑ったりなんかしませんよ、ねえ霖之助さん?」

「…………」

 

 ちょっと、なんで目を逸らした上に何も言わないんですかあなたは。

 絶対に笑う気だこの人、内容はまだ聞いていないけど。

 ほらー、ナズーリンさんがとてつもなく冷たい目で睨んでるじゃないですかー。

 

「……ナナシ、キミにだけなら話せるから少し耳を貸してくれ」

「あ、はい」

「ひどいな。僕には聞かせられないのかい?」

「逆に訊くが、聞かせられると思っているのかい?」

 

 うんうんと、同意するように何度も頷いた。

 これは心外だとばかりに肩を竦める霖之助さんだが、こっちが心外だと言ってやりたい。

 まあそれはともかくとして、ナズーリンさんの傍まで近づき耳を貸すと。

 

「……一人称が“ボク”だと、毘沙門天の代理であるご主人の部下としての示しがつかないと思ってね」

 

 成る程、納得と思う理由を教えてくれた。

 

「まあ、でも……キミのように気にしない人の前では、一々気にする必要もないのかもしれないけど」

「そうですよ。無理をする必要なんかないんですから」

「ありがとうナナシ、キミはまだ少年といえる見た目なのに随分と精神は成熟しているね」

 

 なんか凄い褒められた、ちょっと恥ずかしい。

 笑う必要がなかったから笑わなかっただけで、そこまで褒められる事はないと思うだけどな……。

 

「村紗やぬえ辺りが聞いたら、きっと指を指して笑う転げるだろうさ」

「こんな事でですか?」

「箸が転がっても笑うような連中だからね」

 

 小学生ですか?

 

「ナナシ、そろそろ行こうか?」

「はい、わかりました」

「……ちなみに、さっきの会話は」

「教える気はありませんから、知りたかったらナズーリンさんに訊いてください」

 

 まだ諦めてなかったのか、意外としつこいな。

 霖之助さんの横を通り抜け、先に出ようと扉を開いて。

 

「――ああ、よかった。無事だったんだね」

 

 扉を開けると同時に、僕を見て安心したように笑みを浮かべている男性の姿が、視界に入った。

 突然の事に反応ができず、間の抜けた顔のまま黙って男性を見上げる事しかできない。

 

 法衣に身を包み、180はあろう長身の男性はそんな僕にも優しく温和な笑みを崩さない。

 見た者に安心感を与えるその笑みは、自然と男性に対して警戒心を抱かせる事を忘れさせていく。

 初対面である筈なのに、この人の笑みを見ただけで僕は信頼すら抱こうとしていた。

 

 それにだ、この人の事は……どこか見覚えがある。

 会った事があるわけじゃない、けどこの雰囲気は誰かに似ているような……。

 

「…………誰だい?」

 

 ナズーリンさんの声で、我に返る。

 一方の男性は彼女の声など聞こえないとばかりに無視し、僕に語り掛けてくる。

 

「怪我らしい怪我もしていないようで安心したよ。けれどこんな危険な場所に居てはいけない、さあ……私が安全な場所まで送ってあげよう」

 

 言うと同時に、その人は僕の手を握り締めた。

 壊れ物を扱うかのような握り方だ、だけどいくらなんでもこのままおとなしくついていくつもりはない。

 

「ちょ、ちょっと待ってください。あなたは一体……」

「ああ、そうか……後ろの妖怪達が恐いんだね」

 

 微笑んだまま、冷たい声でそう言いながら懐に手を伸ばし、男は何かを取り出した。

 それは握る為の柄を中心とし、上下に小さな刃が取り付けられた物体であった。

 たしかあれは金剛杵(こんごうしょ)と呼ばれる、法具の1つであったと記憶している。

 それも五鈷杵(ごこしょ)という中央の刃の周囲に四本の刃が取り付けられた種類の法具だ。

 

「っ」

 

 ぞわりと、背筋が凍った。

 この男は危ない、まるで仏のような笑みの中に……直視できない闇が存在している。

 妖怪が持つものとは違う闇、それがナズーリンさんと霖之助さんに向けられていると理解した瞬間。

 

 

「――消えろ。薄汚い妖怪め」

 

 

 五鈷杵の片側の刃から、光の剣が現れ。

 男は瞬時に僕の横を通り過ぎ、2人へと間合いを詰め。

 その刃で両断しようと、容赦なく死の一撃を繰り出した……。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4月12日② ~狂いし聖人~

無縁塚に霖之助さんとやってきた僕は、そこで暮らしているナズーリンさんと出会った。
彼女から最近無縁塚の様子がおかしいという話を聞いていた矢先、突然現れた男の人がナズーリンさん達に襲い掛かって……。


 振り下ろされる光の刃。

 それは迷う事なく、躊躇いなど見せず、突然の事態に思考が追いつかないナズーリンの身体を二つに分けようとして。

 

「っ、ぐ、ぅ……っ」

 

 間に割って入った霖之助の刀が、その進行を妨害した。

 しかし受け止めた彼の表情は苦悶に満ち、刀を握る手は大きく震えている。

 

(な、なんて重い一撃なんだ……!)

 

 片手で、それも無造作に振り下ろされた一撃だというのに、その衝撃はまるで巨人の拳を受け止めたかのようだ。

 ……正直、反応できたのも受け止められたのも偶然に過ぎなかった。

 多少の心得は持つものの霖之助は剣士ではない、すぐに斬り伏せられるのは明らかであった。

 

「…………」

「えっ……?」

 

 しかし、男の刃は霖之助を襲わず、何故か一歩下がって攻撃を中断してしまった。

 霖之助にとっては九死に一生を得る行為ではあるが、何故このまま攻め続けないのか……。

 

「――貴様、半妖だな?」

 

 先程以上の冷たい声で、男は霖之助を睨みながら呟く。

 

「薄汚い妖怪の血を混じらせた、人ならざる化物め……ここに存在しているという事実に虫唾が走る!!」

「…………」

 

 その言葉に、霖之助は怒りを抱くよりも、ただ驚愕した。

 これほどまでに妖怪を憎む存在を、彼は見た事がなかったからだ。

 半妖である彼は、大結界が形成され今の幻想郷ができあがる以前から生きている。

 だからそこらの人妖よりも人と妖怪の関係性は知っていたつもりだったが……男の態度を見て、その認識を改めざるをえなかった。

 

「…………」

 

 一方で、ナズーリンは上記の言葉を吐き捨てた男の言葉に、過去の記憶を呼び覚ましていた。

 ……知っている、男の態度と言動を彼女はよく知っていた。

 かつての時代、外の世界で当たり前のように全ての人間が妖怪を認識していた時、多くの人が妖怪に向けていた態度と似通っている。

 似通っているというよりもまったく同じだ、ただ妖怪という理由だけで憎しみを際限なく増大させていた時の人間と、目の前の男は同じだった。

 

「――いい加減にしてください!!」

 

 霖之助と男の間に割って入りながら、ナナシは相手を睨みつけながら叫んだ。

 突然の事に思考が停止してしまったが、我に返った以上このような奇行は見過ごせない。

 そう考えたナナシはすぐに止めに入り……男は、そんな彼の態度に目を見開いて驚愕していた。

 

「…………何故、庇うんだい?」

「当たり前です、ナズーリンさんも霖之助さんも僕の大切な友人なんですから。それ以前にいきなり殺そうとするのを黙って見ていられると思っているんですか!?」

「“コレ”は妖怪だよ? それもそっちの男は半妖だ、そんなものを庇う意味などないじゃないか」

「なっ……」

 

 その発言に、3人は何度目になるかわからぬ驚愕に襲われる。

 目の前の男が、なにか得体の知れない生物に見えて3人はぶるりと悪寒から身体を震わせた。

 妖怪であるナズーリンと半妖の霖之助を、まるで部屋の隅に積もった塵のような無意味で無価値なものとしか見ていない。

 

 妖怪だから殺す、妖怪の血を宿した半妖だから殺す。

 シンプルで、ナナシにとっては常軌を逸した思考回路。

 妖怪に対しても友としての認識を抱く彼にとって、男の発言は到底許容できない。

 

「……そうか。君は騙されているんだね、もしくは脅迫されているのかな」

「何を……」

「だからソレらを友だと言ったんだ、そうだね……そうでなければそんな狂った発言は出ないものさ」

 

 男の冷たい瞳が、ナナシを捉える。

 先程見せた暖かさなど微塵も感じられず、同時に目の前の相手が自分を滅する存在だという認識を抱かせる。

 

――コイツは敵だと、ナナシは明確に理解すると同時に力を解放した。

 

「……この力は」

「僕の友達を殺すというのなら、容赦はできません!!」

 

 右手を男に翳し、黄金の光を放つ。

 高熱を帯びたそれは真っ直ぐ男に向かっていくが、こともなげに光の刃にて霧散させられる。

 

「ん……?」

「この……っ」

 

 けれどそんな事は想定内、そもそも今の一撃はフェイントの為のものだ。

 先の攻撃を弾いている隙に、ナナシは男との間合いを詰めていた。

 霖之助から預かっている刀を握り締め、相手を両断するつもりで一気に抜刀して。

 

「――――」

 

 浮遊感に襲われる。

 自分の身体が吹き飛ばされている、それを自覚すると同時にナナシの背中に鈍痛が走った。

 大きな破裂音、次に理解したのは地面を滑っていく自分自身。

 まるでボールのように弾み、転がり、気がつくと……ナナシは小屋の壁の一部を破壊しながら外へと放り出されていた。

 

「ぁ……が、ご、ぉ……」

 

 声が出ない。

 全身がバラバラになってしまったかのような衝撃と痛みが襲い掛かってきているのに、悲鳴すら出せない。

 思考が断裂する、激痛で視界が火花を走らせている。

 呼吸ができず、けれど身体は空気を求めて肺を動かし続けるから、余計に痛みが走った。

 

「う、ぶ……ぇぇ……っ」

 

 赤い塊が、ナナシの口から吐き出された。

 それが吐血だと理解するのに数瞬、大地が彼の血によって真っ赤に染まっていく。

 

「……殺しはしないよ。君は人間だ、妖怪に毒された人々を救うのが私の役目の1つだからね」

「ふ、ふざけるなぁっ!!」

 

 逃げ出したい恐怖に駆られながらも、ナズーリンは男を睨みながら怒声を飛ばす。

 

「あんな……あんな事をしておいて、何が救うだ!! ボクを殺したいのならボクだけを狙えばいいだろう!?」

「目を醒まさせてあげようと思ったんだ。彼は貴様等のような存在を友だと言った、それが間違いだと理解するには言葉だけでは足りなかったようだからね」

「っ、貴様ぁぁぁぁ……っ!!」

 

 この男は、やはり狂っている。

 行動に一貫性が無く、それでいて放つ言葉は心から思った事をそのまま口にしていた。

 それが狂っていないと何故思えるのか、得体の知れないなどという生易しい言葉でこの男は図れない。

 

「……君は、一体何者なんだ?」

「半妖風情に名乗る名前などない。――消えろ」

 

 金剛杵を振り上げる男、展開されている光の刃は先程以上の出力を放っている。

 ……次の一撃は防ぎきれない、かといって逃げる事もできないだろう。

 ナズーリンは相手を睨むことしかできない無力な自分を怨み、霖之助は刀を構え最後まで抵抗しようと試みる。

 

「っ」

 

 後ろに振り向き、背後に向かって振り上げていた金剛杵を振り下ろす男。

 刹那、彼の眼前にまで迫っていた黄金の光が光の刃によって霧散する。

 

「…………」

「はー……はー……はー……」

 

 自分に向かって右手を翳したまま、荒い息を繰り返すナナシを見て、男は驚く。

 殺しはしなかった、だがそれでもすぐに立ち上がれる程の加減はしていない。

 現にナナシはやや虚ろな目で此方を睨み、荒い息を放ち時折口から血を吐き出している。

 おそらく先程の激痛はまだ彼の身体を蝕んでいるだろう、だというのに彼はナズーリン達を守るために立ち上がった。

 

「……どうして、そこまでするんだい?」

「言った、筈です……僕の友達を、傷つけるのは……絶対に……」

 

 そこまで言って、赤い塊を口から吐き出すナナシ。

 ぐらりと身体が揺れて倒れそうになるのを必死に堪えるその姿を見て、男は悟った。

 

「君は、操られているわけでも騙されているわけでもないんだね。本気で……心の底から、コレらを守ろうとしている」

「当たり前、です……!」

「……理解できない。でもこれだけはわかる……君は、まるで仏のような慈悲深い人間なんだ」

 

 なにか尊いものを見るような目で、男はナナシを見据える。

 

「くっ、は……」

〈……これは、逃げた方がいいな。お前じゃ勝てねえぞ〉

(うるさい、こんな状況で逃げられるわけがないだろう! いいから力を貸せ八咫烏!!)

〈逃げられるぞ? どういうわけか相手はお前さんを殺したくないらしい、だったら後ろに居るヤツ等を見捨てれば……〉

 

(――それ以上言ったら、絶対に許さないからな!!)

 

 怒りの声で八咫烏を黙らせながら、ナナシは内側にある力を引き出していく。

 ……今までの力では足りない、この男には敵わない。

 

(もっと力を……八咫烏の力を、引き出すんだ……!)

〈お、おい無茶すんな。お空と違ってお前には制御棒も第三の足も分解の足もねえんだ。もっとお前が成長してからじゃねえと〉

(それじゃあ遅い、今すぐに次の段階に進むんだ!!)

 

 内側の光に手を伸ばす。

 それがナナシ自身を蝕み、破滅の道へと向かわせる行為だとしても、関係なかった。

 確かに八咫烏の言う通り、この男は何故か自分を殺すつもりはない。

 逃げようと思えば逃げられる、きっとこの男は自分を追ってこないと確信できた。

 

 だが、そんな事をすればナズーリンと霖之助は助からない。

 そんな事は認めない、ナナシにとって2人はもう失いたくない大切な友人なのだ。

 だから逃げない、そして無茶だろうが危険だろうが今自分が宿している八咫烏の力を引き出す事に躊躇いはなかった。

 

「ぐ、ああああ……!」

 

 周囲の温度が、少しずつ上がっていく。

 それは空気を熱し、地面を熱し、ナナシを中心とした地面に亀裂を走らせていった。

 

「……それ以上はやめなさい。君の宿している力は強大過ぎる、このままそれを使えば君自身の身体が」

「知らない、この力で守りたいと思った人達を守れるのならそれでいい!!」

「他者の、それも妖怪風情の為に何故そこまでできるんだ? 自分の身を削ってまで何故……」

「友達、だから……そして、この力を自分の思う正しいものの為に使いたいからです!!」

 

 地面の亀裂が大きくなり、周囲の大地を揺らしていった。

 熱は更に上昇し、視認できる程の青白い炎がナナシの身体を包み込む。

 蒼き炎、先程とは比較にならない強大な力が彼の身体を覆っている。

 

「ぐ、熱っ……」

 

 吹き荒れる蒼い炎は制御できない証なのか、明確な熱を以てナナシの身体に襲い掛かっていた。

 まだ身体には激痛が走っている、その上で炎による熱となれば苦しみは倍加する。

 それでも、彼は力の放出を止めずに逃さぬとばかりに男への視線を一瞬たりとも逸らしたりはしない。

 

 一方の男は、ナナシに対し同情するような……憐れむような視線を向けていた。

 他者の為に自身を省みない行為は、確かに素晴らしいものであり中々できる事ではない。

 けれど自己犠牲の果てに残るものは決して良い結果ではないという事を知っているから、男のナナシに向ける瞳には憐れみが宿るのは必然であった。

 

 しかし、男が彼に対し抱く感情はそれだけではない。

 ……遠い昔の記憶、男にとっては大切で忘れてはならない“ある者”の姿が、彼と重なる。

 

 その者はただ優しかった、自分だけではなく他人に対しても惜しみない慈愛を向けていた。

 それは男にとって誇りであり、いつか自分が目指そうとしていた姿でもあった。

 既にその者とは会えぬ関係になってしまったが、その誓いだけは今でも男の中に宿っている。

 

「似ているね、君は……私の大切な人と」

「……?」

「私にはね、姉が居たんだ。優しくて、少しお茶目な所はあったけど何にでも一生懸命で……君のように、誰かの為になにかしようとする人だった」

 

 言いながら、男は光の刃の切っ先をナナシに向ける。

 

「私は君を傷つけたくはない、けれど君が言葉だけで引き下がらないのは理解できた。だから……申し訳ないが、力ずくで君を黙らせる」

「…………」

 

 ナナシは何も答えず、纏う炎を更に大きくさせた。

 真っ向から相手をするというその意思表示に、男は感謝するように微笑みながら。

 

「――はああっ!!」

「がああっ!!」

 

 一気に踏み込み、光の刃をナナシに向かって振り下ろし。

 ナナシも同時に動き、蒼き炎を纏った自身の身体をぶつける勢いで、男に向かって吶喊した……。

 

 

 

 ■

 

 

 

「? 美鈴?」

 

 紅魔館の門の前にて、咲夜は美鈴への差し入れを持ってきたのだが……彼女の様子がおかしい事に気づき、首を傾げつつ声を掛けた。

 しかし美鈴からの反応はなく、ただ黙ってじっとある方向を睨みつけていた。

 

「美鈴」

「…………ふぇ? あ、咲夜さん」

「どうかしたの? 寝てないのは評価するけど、ボーっとしてるみたいだけど」

「人がいつも寝てるみたいな言い方しないでくださいよ……ちょっと、大きな“気”のぶつかり合いを感じたものですから」

 

 そう言って、美鈴は見ていた方向へと指差す。

 ……あそこは確か魔法の森方面だったか、だとするとどこぞの白黒魔法使いが弾幕ごっこに励んでいるのだろう。

 別にたいした事でもなかったようだ、なので咲夜はここに来た用件を済まそうと手に持っていたお菓子入りのバスケットを美鈴に渡そうとして。

 

「…………」

「美鈴?」

 

 またしても、彼女が厳しい表情を浮かべている事に気がついた。

 今度は先程の場所ではなく、門の前方へと視線を向ける彼女に、咲夜も視線をそちらに向けると。

 

「……誰かしら」

 

 こちらに向かって歩いてくる、見慣れない少女が視界の中に入ってきた。

 

 色素の薄い水色の髪、光の無い琥珀色の瞳。

 病的なまでに青白い肌と小柄な身体、質素な服装など全体的に人形を思わせる風貌だ。

 どこに焦点をあてているのか、その少女は咲夜達には一瞥すらせずそのまま紅魔館の門へと近づいていき。

 

「ちょっと待ってください、お嬢様のお客様ですか?」

 

 当然のように、美鈴によって止められた。

 進行方向へと割って入られ少女は立ち止まるが、何も言わずにただじっと美鈴を見据える。

 その無機質な瞳は吸い込まれそうで、不気味さも相まって美鈴は僅かに表情を引き攣らせた。

 

「すみませんが、お嬢様のお客様で無いのでしたらお引き取りください」

「…………」

「……もしこのまま通ろうとするのでしたら、こちらもそれ相応の対応をとらせていだだきます」

 

 あくまで穏便に、しかし侵入しようとするのなら決して容赦はしないと告げつつ、美鈴は少女に帰るよう促す。

 それでも少女は何も答えず何も反応せず、美鈴を見つめ続けていた。

 

(……なんでしょうこの子は、喋れないようには見えないしこちらの言葉が理解できないとも思えませんが……本当に人形みたいですね)

 

 こちら側の忠告を無視しているのだから、力ずくで追い返しても良い筈なのに、妖怪とはおもえぬ温和な美鈴はあくまで平和的解決を望んでいた。

 しかし傍らに居た咲夜はそうは思わず、少女の首筋に銀のナイフを突き付け出した。

 

「ちょ、咲夜さん……」

「ここは悪魔の館よ。忠告も満足に聞き入れない愚か者には死しか待っていないわ」

「…………」

「これが最後の忠告よ、二度とこの館に近づかないというのなら命だけは助けてあげる」

 

 脅しではない、そう告げるようにナイフを持つ手に力を込める咲夜。

 すると、少女は視線を咲夜に向け――よくわからない呟きを、放った。

 

「……種族、人間」

「えっ……」

「能力……時を止める力、これは……コピーできない」

「あなた、何を……」

 

 突然の発言に動揺を見せる咲夜を無視し、少女は美鈴に視線を向け新たな呟きを零す。

 

「種族、妖怪……能力、気を扱う力……これは、コピー可能」

「……何を」

 

 言っているんですか、美鈴がそう口にする前に……少女は徐に彼女の左手を握り締めた。

 理解できない、理解できないが……この少女は危険だ。

 本能とも呼べるものが美鈴にそう訴えかけ、彼女は一瞬で右手に自身の生命エネルギーである“気”で生成した気弾を生み出した。

 

「星脈弾!!」

 

 小柄な少女なら容易く呑み込める程の大きさまで膨れ上がった白い気弾を、美鈴は躊躇い無く少女に向かって放つ。

 至近距離、それも不意打ちに近い一撃を前にして、少女は握っていた美鈴の手を放し。

 

 

 

 

 

「――星脈弾」

 

 

 美鈴と()()()()()()()()を生み出して。

 迫る彼女の気弾に、己の気弾をぶつけ周囲に白い光が広がり爆発音が響き渡った。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4月12日③ ~狂気の目覚め~

ナナシ達が無縁塚にて、謎の男と戦っている最中。
霧の湖にある存在する紅魔館でも、とある事件が起こっていた……。


「っ……!?」

「美鈴!?」

 

 爆撃めいた破裂音を聞きながら、美鈴は少女から後退する。

 それは決して仕切り直しのものではなく、逃げる為の後退であった。

 

(今のは、星脈弾!? けどなんで……!?)

 

 確かにこの技は世界で美鈴しか使えない技ではない、“気”を扱える者ならば修行次第では使えるようになるだろう。

 しかし目の前の少女からはそういった鍛錬の形跡は見つからない、この力を扱えるからこそ美鈴にはわかるのだ。

 先程までの少女からはその力を感じられなかった、だというのに今は……自身と同等近くの“気”の力を感じられる。

 

「くっ……!」

「これが“気”……生物の生命エネルギーを用いた力」

「この……っ」

 

 美鈴の瞳が変化する。

 もはや彼女にとって目の前の存在は単なる小柄な少女ではない、倒すべき敵だ。

 無力化させる、などという気概では倒せぬと理解し、“殺す”つもりで彼女は力を解放した。

 

「はっ!!」

 

 “気”を乗せた右の拳を打ち込む。

 その一撃を、少女は右腕を自身の“気”を用いて弾き、それと同時に美鈴の懐へ。

 

「天龍脚!!」

 

 それを予期していた美鈴は、虹色の“気”を纏う右足を少女に向かって撃ち放った。

 至近距離からの渾身の蹴りは、風を切り裂きながら少女の身体へと突き刺さり。

 

「っ、固い……!?」

 

 美鈴は、まるで鉄塊を蹴ったかのような衝撃と痛みに襲われた。

 ……ありえない、なんなのだこの少女の身体は。

 肉を持つ生物のものとは思えない硬さだ、強度だけでいえば彼女の主である吸血鬼に匹敵する。

 

「……そこ」

「しま……っ」

 

 気づいた時には、もう遅かった。

 美鈴の蹴りを受けて身体をくの字に曲げていた少女は、何事もなかったかのように体勢を立て直し足払いを仕掛ける。

 小柄で細身の肉体からは想像もできない、鋭くも重いそれは容易く美鈴の体勢を崩した。

 

 転びそうになる美鈴はすぐに体勢を立て直そうとするが、その前に少女の右手が彼女の左足を掴み上げる。

 そしてぶんっ、という音を響かせるほどの勢いで、少女は片手で美鈴の身体を紅魔館の壁目掛けて投げ飛ばした……!

 

「が、っ……!?」

 

 時速二百キロはゆうに越えた速度で、美鈴の身体は壁へとぶち当たりそのまま瓦礫の中へと沈んでしまう。

 

「…………」

 

 それを見届ける事はせず、少女は残る咲夜も沈めようと身体を彼女へと向け。

 

「……?」

 

 気がついたら、少女の周囲には数十ものナイフが浮かび上がっており。

 その全てが、必殺の速度を以て少女の肉体を蹂躙した。

 

「美鈴!!」

 

 鮮血を撒き散らす少女には目もくれず、咲夜は瓦礫の中に消えてしまった美鈴へと駆け寄ろうとする。

 いくら頑丈な美鈴とて、あんな速度で投げ飛ばされれば無事では済まない筈。

 

「っ!?」

 

 真横から殺気を感じ、咲夜は咄嗟に時間を止めた。

 瞬間、彼女以外の世界がモノクロに変わり、時が止まる。

 

――既に咲夜の眼前には、少女の手刀が迫っていた。

 

「……何なの、コイツは」

 

 美鈴の蹴りを受けてもその動きに精彩を欠いた様子はなく、そればかりか先程よりも速くなっている気さえした。

 先程の攻防だけで、目の前の少女はまるで別人のように成長しているというのか。

 そんな勘違いを覚えてしまう程に、この少女は常軌を逸していた。

 

「っ、お嬢様の元へと行かせないわ」

 

 加減も躊躇いも慢心も一切無く、咲夜は一度この場から離れ少女との間合いを広げてから――能力を解除する。

 

「…………?」

 

 咲夜を見失い、隙を見せる少女に咲夜は霊力を解放させた。

 

「夜霧の幻影殺人鬼……!」

 

 放たれる銀のナイフ、その数は都合三十七。

 その全てに霊力のブーストを込め、赤いオーラに包まれた弾丸は一斉に少女へと向かっていった。

 すぐに自身に向かってくる攻撃に気づいた少女であったが、眼前にまで迫っているそれを回避する事など不可能。

 

「とった……!」

 

 あれで倒せる、などという楽観的な思考は抱かない。

 ただあれを受ければ少なくとも動きを鈍らせられる……そう思った咲夜だった、が。

 

「――采光乱舞」

 

 その場で高速回転を始める少女、それと同時に彼女の身体からは虹色のオーラが吹き荒れ始めた。

 それがバリアの役目を果たしているのか、迫るナイフの弾丸を全て破壊し……無効化してしまった。

 

「ぁ……」

 

 呆気なく防がれ、おもわず茫然と立ち尽くす咲夜が見せる隙を逃さず、少女は間合いを詰める。

 左手には既に気弾を生成しており、少女は迷わず咲夜の腹部に自身の左手を添え。

 

「星脈弾」

 

 腹部が爆発したかのような衝撃を与え、咲夜の身体を吹き飛ばした。

 受身もとれず、ざざざ……と地面を滑っていく咲夜。

 それを一瞥しながら、少女はぽつりと謎の呟きを零す。

 

「能力の模倣、完了……館の内部、把握……」

 

 地を蹴り、紅魔館の内部へと侵入する少女。

 道中で何事かと騒ぎ立てる妖精メイドやホフゴブリン達には目もくれず、少女は一心にある場所へと向かう。

 まるで構造を熟知しているかのような迷いの無さで、少女が向かった場所は……紅魔館の地下。

 一際豪華で堅牢な扉の前に辿り着き、少女はそのまま扉を開け。

 

「? あら、どちら様?」

 

 この部屋の主である、フランドール・スカーレットを視界に捉えた。

 

「…………」

「どうしたの? 黙り込んじゃって……もしかして、話せないの?」

「…………」

「……あなた、私に何の用なの?」

 

 少女の態度に腹を立てたのか、フランは立ち上がりキッと相手を睨みつける。

 その瞳は向けられるだけで恐怖心を煽り、金縛りに遭うほどに強く恐ろしい眼差しであった。

 だが、それを一身に受けているというのに少女は眉一つ動かさず、ゆっくりとフランに向かって歩み寄っていく。

 

「いいや、そっちが無視するなら……壊すわ」

 

 背中の羽根に付いている宝石のような物体の切っ先を少女に向けるフラン。

 そこから放たれる七色の弾丸、その一つ一つが少女の肉体を抉り砕く破壊力を持っていた。

 

「…………」

「えっ……!?」

 

 まるで機関銃のような勢いで放たれる七色の弾丸の雨。

 その全てが少女へと襲い掛かり……その全てが少女には掠りもしなかった。

 目の前の光景が信じられず、フランの身体が固まる。

 そんな彼女の反応に、少女は小さく嘲笑しながら接近し、ゼロ距離まで間合いを詰めた。

 

「こんの……っ!!」

 

 少女を睨みつつ、フランは“レーヴァテイン”を発動。

 炎の剣は一瞬で臨界まで達し、地面ごと相手を抉り砕こうと振り上げるが。

 

「うっ……!?」

 

 その前に、少女の手がフランの顔を掴んでしまった。

 しかし何故か掴む手に力は込められておらず、困惑するフランに少女は。

 

「種族、吸血鬼……能力、あらゆるものを破壊する“目”を持つ……そして、内側に抑えられぬ力と狂気を発見」

「放れなさいっての!!」

 

 ここまでの至近距離では、レーヴァテインは当たらない。

 そう判断したフランは右足による蹴りを少女の胸へと叩き込んだ。

 吸血鬼としての怪力を込めたその一撃は、レーヴァテイン程ではないにしろ並の相手ならば充分必殺の領域に至る一撃だ。

 

 しかし。

 

「――その力と狂気、コピーは不可能」

「う、嘘……!?」

 

 加減などしてない、していないというのに少女はフランに蹴られたまま平然と言葉を放っていた。

 

「あなた、一体……」

「だが、開放は可能。――“楔”を打ち込む」

 

 何も持っていなかった少女の手に、何かが握り締められた。

 それは釘のような片方の先端が鋭く尖った棒状の物体、毒々しい紫のオーラに包まれたそれを、少女はフランを見据えながら。

 

「……!?!?」

「その力と狂気を、開放しろ」

 

 彼女の肉体へと、深々と“呪い”を突き刺し彼女を()()()()()()()

 

 

 ■

 

 

「――があああっ!!」

 

 およそ人の放つものとは思えぬ叫び声を上げながら、ナナシは縦横無尽に空を駆け抜ける。

 全身を蒼い炎で包み込み、秒単位で周囲の空気を焼きながら彼は倒すべき敵と認識した男とぶつかり合っていた。

 

 光の刃でそれに応戦する男に対し、ナナシが繰り出すのは――単なる“体当たり”。

 拳や蹴りでも、刀による斬撃でもない、ただの体当たりだけで彼は男と拮抗している。

 技術などという上等なものなどないその攻撃は、あまりにも陳腐であり……同時に、恐ろしいものであった。

 

「八咫烏様の炎か……確かに、凄まじいものだよ」

 

 ナナシの纏う炎は只の炎ではない、太陽の化身である八咫烏の炎だ。

 その熱量、エネルギーは並大抵のものではなく、それを纏っている彼がぶつかるだけで凄まじい衝撃が男を襲う。

 余剰エネルギーが周囲に影響を及ぼしている点を見ても、彼の中に存在する力の強大さを認識できる。

 

(……だが、あの姿は危険だな)

 

 あれだけの余剰エネルギーを周囲に撒き散らしているという事は、彼があの力を制御していないという事だ。

 もはや暴走に近い、このままでは八咫烏の炎が他ならぬ彼自身の身体を焼き尽くす可能性がある。

 

「うおおおおっ!!」

「やめるんだ、このままだと君の身がもたないぞ」

「うるさい!! あなたを倒すまで、止まらないぞ!!」

(力に呑まれ始めている……厄介だな……)

 

 金剛杵を握る手に力を込めながら、男はナナシの猛撃を凌いでいく。

 傍から見れば互角の光景を繰り広げているものの、それを遠くに非難して見ているナズーリンと霖之助は表情を曇らせる。

 このままではナナシの身が危ないと理解しているのは男だけではない、この2人もまた彼の暴走しかかった姿に気がついていた。

 

「……あのままだと、ナナシは」

「力を制御し切れていないようだね、君の危惧通りあのまま戦い続ければ……彼は自らの炎で灰になる」

「っ、わかっているのなら助けないとっ!!」

「……君はあの中に入れるのかい?」

 

 その言葉に、ナズーリンは押し黙る。

 それは……無理だ、割って入れば忽ちこの身を滅ぼされるだろう。

 しかしこのまま何もしないなどという選択はできない、彼は他ならぬ自分達を守るために戦っているのだ。

 

(考えろ、彼の助けになる方法がある筈だ……!)

 

 思考は全開に、彼の助けになる策を全力で模索する。

 ……だがそれは、少しばかり遅かったようだ。

 

「っ、がっ!?」

 

 もう何度目になるかわからぬぶつかり合いの果てに、押し負けたのはナナシであった。

 苦悶の表情のまま背中から地面に叩きつけられ、そのまま動かなくなる。

 

「な、なん、で……」

〈当たり前だこの馬鹿! くそっ、オレの力を随分無駄遣いしやがって……!!〉

 

 力を込めて立ち上がろうとするナナシだが、身体はピクリとも動いてくれない。

 

「当然だよ。人間である君が八咫烏様の力をそこまで引き出したのは驚いたけど……その反動と消耗も計り知れない」

「くっ……!」

 

 自分を見下ろす男に、ナナシは睨み付ける事しかできない。

 殺されるのか、そう思ったナナシだったが……次に放った男の言葉は、驚くべきものであった。

 

「安心しなさい、私は君を殺すつもりはない。君は生きるべき人間だ」

「何、を……」

「君のその心の強さと他者に向ける優しさは貴重なものだ、そしてその力は人を守る事だけに使うべきだ」

 

 動けぬナナシの身体を、男は優しく抱き上げる。

 

「はな、せ……!」

「妖怪なんかにその慈悲を与える必要なんかないんだ、大丈夫……君もいずれわかるさ」

「違う、僕は……」

 

「待て!!」

 

 この場からナナシを連れて立ち去ろうとする男に、ナズーリンは叫んだ。

 そんな彼女に男は絶対零度の視線を向け、そのあまりの冷たさに萎縮するナズーリンだったが、己を鼓舞して立ち塞がった。

 

「か、彼は連れて行かせない!!」

「……この子を休ませたい。だから消えろ」

「ふざけるな! そんな理屈が……」

 

 そこまで言いかけた瞬間、ナズーリンの眼前に光の刃の切っ先が向けられる。

 少しでも動けばそのまま首を斬り飛ばされる、それを理解してナズーリンは言葉を失った。

 

「向こうの男は利口だよ、とはいえ……いずれ殺す命に変わりはないが」

「やめ、ろ……」

「もう喋らない方がいい。だいぶ消耗してしまっているからね」

 

 そう言って、男はナナシの額に指を当てる。

 すると、ナナシは糸の切れた操り人形のように力なく腕を垂らし、意識を失ってしまった。

 

「ナナシ!!」

「これが最後の忠告だ、この子に免じて今回だけは滅するのをやめてやる」

「くっ……」

 

 駄目だ、打つ手が無い。

 自分では止められない、ナナシを助ける事は叶わない。

 またしても己の無力さを思い知らされ、ナズーリンは悔しさから歯を食いしばった。

 

「理解できたようだな」

「……ああ、ちょっと待ってくれないかい?」

 

 今度こそこの場から去ろうとする男に、今度は霖之助が声を掛けた。

 忌々しげに彼を睨む男だったが、対する霖之助の表情は何故か落ち着いたものであった。

 

「彼を連れて行くのは僕としても認められない、ここは引き下がってはくれないだろうか?」

「……これ以上囀るのなら、本当に殺すぞ?」

「そういうわけにはいかないさ。そもそも君は何者なんだい? 何故そこまで妖怪を憎む?」

「貴様に話す意味はない。――もういい、見逃そうと思った私が甘かったようだ」

 

 絶殺の意志を宿した視線を、2人に向ける男。

 その視線にナズーリンは身体を震わせ、霖之助は……何故か笑みを浮かべ始めた。

 恐怖心から来る笑みではない、それはまるで勝利を確信したような笑みであり。

 

 

――刹那、空間が軋みを上げてとある大妖怪が姿を現した。

 

 

「っ!?」

 

 全身に悪寒が走り、男は無意識の内にその場から後退した。

 それと同時に先程まで男が居た空間に亀裂が走り、数え切れぬ程の目玉が浮かぶ不気味が空間が顔を覗かせる。

 

「なんだと……!?」

 

 突如として、腕からナナシの重みが消える。

 まるで初めから存在していなかったかのように、男の腕から彼の姿が消えたと思った時には。

 

「――この子は渡せないの、ごめんなさいね」

 

 不気味な空間から現れた、金の髪を持つ絶世の美女の両腕に、抱きかかえられていた。

 瞬時に身構え、光の刃を美女に向ける男。

 

「貴様……妖怪だな?」

「ええ。私の名は八雲紫、名前くらいは知っているでしょう?」

「……その子をどうするつもりだ? 汚らわしい妖怪風情が触れていい子じゃない」

「まあひどい。これでも毎日身体のお手入れは欠かせていませんのに」

 

 大袈裟にショックを受けたような動作をする紫に、男の視線がより一層鋭くなる。

 

「この子は大切な友人なの、守ろうとするのは当然でしょう?」

「……友人、だと?」

 

 その言葉の、何が可笑しかったのか。

 男は突如として声を出して笑い出し、紫の言葉を否定した。

 

「笑わせるなよ八雲紫、貴様はその子を友人だとは微塵も思っていない。貴様のその瞳の奥にはその子に利用しようとしているどす黒い感情が渦巻いている」

「…………」

「やはり妖怪というのは度し難い存在だ、千年以上経ってもそれは一向に変わらないな!!」

「……随分と永い時を生き続けているようですわね、いいえ……あなたは一度死んでいる。死人が生き返るとは面妖ですわ」

 

 歪んだ笑みを浮かべながら上記の言葉を口にする紫に、男は忌々しげに表情を強張らせる。

 

「あなたは何者ですの? それだけの法力の強さと気質……私の記憶が確かなら、あなたは聖白蓮の弟である……聖命蓮ではなくて?」

「なっ!?」

「…………」

 

 男は肯定せず、けれど否定もしなかった。

 しかし紫の言葉は信じられる話ではない、特にナズーリンに至っては尚更だ。

 

「否定しないのですわね」

「貴様と話す舌を持たぬだけだ。それに――これから死に行く者達に、真実を語る意味などない!!」

 

 言うと同時に、男は地を蹴った。

 光の刃を振り上げ、まずは無駄なお喋りを繰り返す紫を一刀の元に斬り伏せようとして。

 

――その体勢のまま、一瞬で消え去ってしまった。

 

「えっ……!?」

「……逃げた?」

 

 周囲に視線を向けるナズーリンと霖之助だが、男の姿も気配も見つからない。

 ……逃げたというのだろうか、あのような殺気を放ちながら?

 2人が困惑する中、紫はあくまで冷静に思考を巡らせる。

 

(逃げた、というよりも“回収”されたと考えた方がいいわね……)

 

 そこまで考え、まずはナナシを休ませてあげようと紫はスキマを開く。

 

「お2人はどうしますか?」

「僕は同行するよ。ナズーリンはどうするんだい?」

「…………」

 

「信じられないのも判りますが、あの男の宿す法力の気質はあの僧侶と同じものよ」

「……わかっている」

 

 だが、それでもナズーリンには信じられる事実ではなかった。

 

「……霖之助さんはどうするんですの?」

「店に戻るよ。ナナシの事は……」

「責任を持って永遠亭に連れて行きますわ、これから忙しくなりそうだから」

「? それは、どういう意味だい?」

 

 霖之助の問いに、紫は面倒になったとばかりに溜め息を吐きながら。

 

 

 

「――紅魔館が襲撃されて、吸血鬼の妹が消えましたわ。そして主であるお子様吸血鬼も重傷を負ったそうです」

 

 これから更に厄介な事態を引き起こすであろう事を危惧しながら、決して聞き流せない事実を口にした……。

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4月13日 ~仕組まれた生き方~

 …………熱い。

 身体が、内側から焼けているかのようだ。

 じくじく、じくじく、そんな音が聞こえてくるような気さえした。

 

「……うっ、く……」

 

 熱は少しずつ、確実に広がっていく。

 身体だけでなく、心も溶かすかのような熱に、思考が茹だる。

 それから逃れたくて、振り払うように手を振ろうとして……感覚が無い事にようやく気がついた。

 

「は、ぁ……うぅ……」

 

 手の感覚がない。

 足の感覚がない。

 全身の感覚が、ない。

 

 この身を溶かす熱が、全てを消し去ろうとしている。

 逃れる術はない、そもそもこの熱は人間如きがどうこうできるものではないのだ。

 

 そう、人間のままではこの熱は。

 この力は、扱いきれるものではない――

 

〈おい〉

「っ、あ……っ!!」

 

 八咫烏の声で、現実に引き戻される。

 永遠亭の自室で、僕は布団の中に寝かされていた。

 ……感覚は、あるな。

 さっきのは夢だったのか、五感どころか身体の全ての感覚が消え去ってしまったような気がしたけど……。

 

「……あっつ……」

 

 身体が、燃えるように熱い。

 それに全身の節々がひどく痛む、筋肉痛とはまた違う刺すような痛みだ。

 

〈オレの熱がお前の身体に残っているんだ。力を使い過ぎた反動だな〉

「…………」

 

 痛みと熱は、明確な不快感を与えてくる。

 それを無視して、何が起こったのか思い出そうとする。

 

〈あの2人は無事だ、今はそれぞれの場所に帰ってる。怪我らしい怪我も負ってない〉

(……そっか、でも一体誰があの状況で助けてくれたんだ?)

〈…………八雲紫だ〉

(八雲さんが?)

 

 意外な人物の名前が出て、驚いた。

 どうしてあの人が僕達を助けてくれたのか、何故襲われている事に気がついたのか。

 浮かぶ疑問も、それ以上に気になる事があるせいか、僕はすぐに忘れて八咫烏に次の問いかけを放った。

 

(あの男は?)

〈逃げた。というよりいきなり消えた、どういうわけかは判らんがな。それからもう丸一日お前は眠っていたんだ〉

(そう……)

 

 とにかく、あの2人が無事でよかった。

 八雲さんにもお礼を言わないといけないし、その前に……八咫烏には謝らないと。

 

(ごめんね八咫烏、また無茶な事をして心配掛けて……)

〈……いや、いい〉

 

 てっきり怒られ、嫌味の1つや2つは覚悟していたのだが、帰ってきた言葉は呆気ないものだった。

 

〈謝らなきゃいけないのは、オレの方だ〉

(えっ?)

 

 謝るとは、どういう事なのか。

 思い返しても、僕が謝る事はあっても彼が謝る事などなかった筈だ。

 疑問に思っていると、八咫烏は僅かに間を開けてから。

 

〈――ナナシ、お前の過去を観てしまった事を許してほしい〉

 

 そう言って、八咫烏は謝罪の言葉を口にした。

 

(僕の、過去……?)

〈正確にはお前の今までの記憶だ、お前がオレの依代となり互いの繋がりも深くなってきた。だがそれは同時にお前の魂との繋がりが深くなった事を意味する〉

(……どういう、意味?)

〈魂とはその者の全ての軌跡が記録されている媒体のようなものだ、つまりお前自身が忘れ去ってしまった記憶も全てそこに記録されている。

 先の戦いでお前がオレの力を更に引き出せるようになったと同時に繋がりがまた深くなった、……お前が眠っている間に、オレはお前の今までの記憶を観てしまったんだ〉

 

 だから八咫烏は僕に謝った、でも彼は決して故意に観たわけではなく半ば強制的に観てしまったらしい。

 でも、僕は別に気にしていない、というか気にする必要なんかなかった。

 だって観られた所で困る記憶なんて持ち合わせていないだろうし、何よりも……記憶喪失である自分からしてみれば、その記憶は他人の物のようなものなのだから。

 

(いいよ謝らなくて。別段興味があるわけじゃないし)

〈……興味がない? 自分の記憶なのにか?〉

(うーん……まあ、確かにまったく気にならないといえば嘘になるけど、だからってどうしても知りたいとも思わないし……)

 

 今の僕はナナシ、永遠亭で八意先生達の手伝いをしながら幻想郷で生きている人間だ。

 だから記憶を失う前の自分に、そこまでの執着はなく、しかし。

 

〈…………そういう事かよ。あの女ぁ〉

 

 そんな考えに至る事自体が間違いであり異常である事を。

 僕は、八咫烏の言葉で思い知る事になる。

 

〈ナナシ、お前は外の世界に戻れ。今すぐにだ〉

(は……?)

 

 八咫烏が何を言っているのか判らず、間の抜けた反応を返してしまった。

 そんな僕には構わず、彼は尚も言葉を続ける。

 

〈お前はここに居ない方がいい。少なくともあの女……八雲紫が居るこの幻想郷には〉

(……八咫烏、急にどうしたの? 八雲さんが何をしたっていうんだ?)

〈あの女はお前の恩人なんかじゃない、そればかりか今のお前を作り出した元凶なんだ〉

(げ、元凶……?)

 

 切羽詰ったその声で、八咫烏が決して冗談の類を言っているわけではないというのは理解した。

 ただ、それでも言葉の意味を素直に受け入れる事はできず、困惑してしまう。

 

〈お前は外の世界では高校生と呼ばれる学生だった。

 親は共働きであまり家に居なかったが、学校ではそれなりに友人に囲まれていた。部活はバレー部に所属、今まで大きな怪我を負った事や事件に巻き込まれた事もない、至って普通で平和な日々を過ごしていた〉

(……それが、記憶を失う前の外の世界で暮らしていた僕なの?)

〈そうだ、そしてそんな平和な世界で生きてきたお前をこの幻想郷に連れてきたのが……あの八雲紫だ〉

 

(八雲さんが……)

〈それだけじゃない、あの女はお前をここに連れてくる前にお前を殺しかけた。いやあの様子じゃお前が死んだ所で構わないといった様子だった〉

 

 忌々しげに、八咫烏は吐き捨てる。

 ……信じられない、八雲さんが僕を幻想郷に連れてきた張本人だという事も勿論だけど、殺しかけたという事実が信じられない。

 だが八咫烏の声に込められた八雲さんに対する明確な怒りと憎悪の感情が、その言葉に嘘偽りなどないと告げていた。

 

〈オレが観たのは学校の帰り道、突然八雲紫がお前を襲い命を奪おうとした光景だけだ。あの時どういった会話を交わしたのかは判らないが……アレがお前を殺そうとしたのは紛れもない事実だ〉

(で、でもどうしてあの人が僕を殺そうとする必要があるんだ? 僕はただの人間だったんだろう?)

〈これは推測だが、限りなく“死”に近づけることによってお前の中に在った力を強引に引き出そうとしたんだろう。結果としてお前は自らの力を引き出し一命を取り留めたが手段としてはあまりにもお粗末で強引だ〉

 

 ……そういえば、初めて幻想郷で目覚めた時、怪我をしていたっけ。

 でもその傷は殆ど塞ぎかかっていて、思えばあれは八雲さんによって負わされた傷だったのかもしれない。

 

〈人は死に近い経験を経て己の力に目覚めるケースがある、お前のように幼年期から特に修行もせずに日々を過ごしていた者の力を目覚めさせるには、確かにそれが一番手っ取り早いだろうさ〉

(……あの人が、それをする理由は?)

〈知らんし、知りたくもないな。だが判るのはあの女がお前の中に在った力を自らの為に利用しようとしているという事だけだ、そしてその為にお前の生き方すら捻じ曲げた。

 ナナシ、お前は友人と認める者は勿論顔も知らぬ誰かの為に自らを犠牲にしようとする自己犠牲の塊のような考えを持っている。だがな……その考えは、八雲紫によって植え付けられたものなんだよ〉

 

(それは、どういう)

〈記憶を失う前のお前は確かに御人好しで穏やかで、一見すると今のお前と大差はなかった。それでもあそこまでの自己犠牲の精神は持ち合わせていなかったんだ。

 あの女はお前の記憶を奪う際にお前の考え方すら作り変えた、ご丁寧に前の記憶に対する執着心まで薄れさせてな〉

 

(…………)

 

 なんだよ、それ。

 じゃあ僕が自分の記憶に無頓着なのも、誰かの為に戦おうと思ったのも、みんな八雲さんの思惑だっていうのか?

 

〈今まで普通の人間として生きてきたヤツが、いきなり妖怪やら何やらと戦えるか? そんな事は不可能だ、できるとすれば元々ソイツが人間として欠陥した部分があるか……お前のように、外的要因がなければ辻褄が合わん〉

(でも、そんな事をする意味は何?)

〈普通の人間だったお前に幻想郷の恐ろしさを体験させ、何度も“死”に近い経験を積ませる事によってその力を伸ばすのが目的なんだろうさ、元凶でありながら信頼関係を結ぼうとする……反吐が出やがる〉

 

 ……まだ、八咫烏の言葉を完全に信じられてない自分がいる。

 当たり前だ、信頼していた相手が今の自分の状況を作った元凶で、しかも勝手に考え方すら捻じ曲げたなんて言われて誰が信じられるのか。

 でも、僕の中で確実に八雲さんに抱いている感情は変わってしまった。

 八咫烏の言葉や予測が真実だとしても、彼女の目的やそれを行なった理由などは予測さえもできない。

 

〈ナナシ、すぐに外の世界に戻るべきだ。紅白の巫女さんに頼めばすぐに戻してくれる。不安になるかもしれんがオレもこのままついていく、少なくともこの地に留まるよりかはマシだろう〉

(…………)

〈オレの言葉が信じられないのもわかる、だがあの女がお前に害をなす存在だと判った以上、ここに居るのは危険だとわかるだろう?〉

 

 それは、理解できた。

 でも、すぐにここを離れて外の世界に戻ったところで、自由にあちらへと移動できる八雲さんからは逃げられない。

 それ以前に、僕自身が幻想郷(ここ)を離れたくないと思っているのも……八雲さんによって思考回路を改竄されているからなのか。

 

〈問題なのは八雲紫だけじゃない、どうも最近の幻想郷は揺らいでやがる。地底での一件も今回の事も……まったくの無関係だとは思えねえんだ。

 だとすると十中八九お前は巻き込まれる、今の考え方を刷り込まれたお前は必ず首を突っ込むからだ〉

 

 そういう意味でも、幻想郷を離れろと八咫烏は訴える。

 ……でも、本当にそれでいいのか?

 もちろん僕だって平穏を望む、戦いたいわけじゃない。

 だけど、あんな奴らがまた現れて、関係ない人達が酷い目に遭ったら……。

 

 こういう考えも、八雲さんによって操作されたものなのだろうか?

 自分が本当に考えている事、望んでいる事がわからなくなった。

 

〈……流石に性急すぎたな、悪かった〉

(ううん……)

〈今は休め。だが身体の調子が戻ったのならすぐに外の世界に帰った方がいい、向こうにはお前の家族だっているんだから、記憶喪失のまま戻ってもなんとかなる〉

 

 そうか、そういえば外の世界には僕の両親が居るんだった。

 ……こうまで無頓着なのは、やっぱり異常だな。

 八咫烏の言葉を信じるしかないのかもしれない、そう自覚しながら休もうと布団へと潜る。

 

 疲労が蓄積していたのか、すぐに瞼が重くなった。

 今は何も考えずに眠る事にしよう、あれこれ考えるのは……後回しだ。

 それが問題の先延ばしになるとわかっていても、今は何も考えたくなかった。

 

「…………」

 

 八雲さん、あなたは僕に何を望むんですか?

 あの優しげな笑みの裏では、何もわかっていない僕を嘲笑っていたんですか?

 あなたは、一体何を……。

 

 

 ■

 

 

 竹林を駆け抜ける1人の妖怪兎、因幡てゐは大きく舌打ちを放つ。

 現在、永遠亭には暢気な姫様と眠っているナナシしかいない、師匠である永琳と後輩の鈴仙は所用で出掛けているからだ。

 ああ、そういえばさっき吸血鬼のお子様とその門番が運び込まれたっけか……そんな事を考えながらも、彼女は一向に動かす足の速さを緩めたりはしない。

 

――何かが、永遠亭に向かってきている。

 

 それを察知すると同時に、彼女の部下から上記の報告が入ってきた。

 てゐはすぐさま永遠亭へと戻ろうと全速力で走り出し、その行動に気づいたのかその何か達も同じように速度を速めてきた。

 かなりの速度だ、地上での速さなら誰にも負けないと自負しているてゐですら、いずれ追いつかれると思わせる程に。

 

「……まいったね、コイツは……」

 

 長年生き続けて培われた直感が、彼女に警鐘を鳴らし続ける。

 ここから離れろと、相手にするなと訴える自分自身を無視しながら、彼女は一刻も速く永遠亭に戻ろうと更に速度を上げた。

 限りなく面倒ではあるが、ここで逃げれば後で永琳にどんな仕置きをされるかわかったものではないし、何よりも……てゐ自身が気に入っている永遠亭に手出しされるのは、気に入らない。

 

「っ、とと……っ!?」

 

 地面を削りながら、慌てて立ち止まる。

 同時に、てゐが走り抜けようとした軌道上に黒いナイフが通り過ぎた。

 ……このまま走っていたら、真横から頭部にナイフが突き刺さっていただろう。

 軽く冷や汗をかきながら、てゐはナイフが飛んできたであろう方向へと視線を向け――驚愕した。

 

「な、んだよ、これ……」

 

 ナイフを投げてきたのは、人型の黒い影のような存在であった。

 肌も、目も、何もかもが黒く、人形を思わせる。

 だがそんな事よりも、その影が紅魔館のメイド長である、十六夜咲夜と瓜二つな姿なのはどういうわけなのか。

 

 彼女だけではない、その近くには紅美鈴とレミリア・スカーレットの姿によく似た影も見られ、偽者だと判っていながらも驚愕に値するには充分過ぎる。

 

「やばっ……!」

 

 目の前の光景に暫し茫然としていたてゐであったが、すぐに我に返りその場を駆け出した。

 一瞬遅れて影達も動き出し、レミリアの影は両手から黒い爪を伸ばし臨戦態勢へと入った。

 

(永遠亭には行けないな……どうしよ……)

 

 このまま永遠亭に戻れば、わざわざこの影達を案内する羽目になってしまう。

 それだけはできない、ならば今は全速力で逃げてこれらを撒くしかない。

 

 

 

(まいったね、どうも)

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4月13日② ~狂気の吸血鬼、君臨~

何故自分が幻想郷に来たのか、八咫烏によって明かされる真実は……ナナシにとって信じられぬものであった。

一方、竹林の中ではてゐがレミリア達の姿形を真似た謎の影達と遭遇し、襲撃されていた……。


 刃が奔る。

 銀光を放ちながらこちらを串刺しにしようとするナイフを、てゐは上手く身体を捻って回避する。

 その間にも走る速度は微塵も落とさず、彼女は夜の竹林を駆け抜けていった。

 

 彼女の後ろから追いかけてくるのは、十六夜咲夜、紅美鈴、レミリア・スカーレットの形を模した影のような存在。

 しかし模しているのは姿形だけではない、どういうカラクリかソレらが宿す力は本物に限りなく近い。

 当然、そんな奴等を相手にできるほどの力はてゐには無く、彼女はひたすら逃げの一手を行使する。

 

(とはいえ、このままじゃ追いつかれるな……)

 

 地の利でも地上での機動力でも、てゐはあの影達よりも上だと自負している。

 だがあの中に居るレミリアの影はさすが吸血鬼を模しているだけあるのか、並の天狗以上の速度で此方との距離を少しずつ縮めてきている。

 本当に反則だと内心舌打ちをしつつ、それでもてゐには逃げる事しかできなかった。

 

(というか、アレ等は一体なんなんだ? 偽者なのは判るけど模造品にしては宿す力の大きさが本物と殆ど同じなんて、どんな秘術を用いたんだか)

 

 永い年月を生きたてゐでも、そんな芸当にもそれができる心当たりも思い浮かばない。

 ……そんな事を彼女が考えている中、レミリアの影が動きを見せた。

 

「いいっ!?」

 

 まさしく一瞬、瞬きよりも速い動きでレミリアの影はてゐの前へと現れた。

 全速力で走っているので方向転換も急停止もできない、なのでてゐは速度を緩めぬまま自身に向かって右手の爪を振りかざそうとするレミリアの影を見据え。

 

「どっこいしょーーーーっ!!」

 

 迫る爪の一撃をギリギリの間合いで避けながら。

 一瞬でどこからか取り出した巨大な杵を両手で構え、容赦なくレミリアの影の脇腹へと叩き込んだ……!

 鈍い打撃音が竹林に響き、小柄なレミリアの影の身体は真横に吹き飛ぶ……事はなかった。

 

「マジッすか!?」

 

 容赦のない一撃も、数秒動きを止めるだけでダメージを与える事はできなかった。

 どうやら肉体の頑強さもオリジナルと同じらしい、恨めしい視線を送る暇もなくてゐは杵を投げ捨てつつ影の横を通り抜ける。

 

「無理ゲーにも程があるでしょ、これは!!」

 

 てゐとて長い年月を生きてきた妖怪だ、それなりの力を有してはいる。

 そんな自分の渾身の一撃があの結果に終わり、我慢できずに叫んでしまうのも致し方ないのかもしれない。

 

「あーっクソ、なんで私がこんな目に……」

 

 一体いつになったらこの不毛な鬼ごっこは終わってくれるのか、いい加減うんざりしてきたてゐの前に、第三者が現れる。

 

「…………」

「あ、もこたん!!」

 

 その者を視界に捉え、てゐは安堵の声を上げながらそちらへと駆けていく。

 彼女の視線の先に居るのは、この竹林に住む不老不死の人間――蓬莱人である藤原(ふじわらの)妹紅(もこう)であった。

 よっしゃ、これで勝つる。白髪の長い髪を風で揺らしながらじっとこちらを見据えている妹紅を見て、てゐは勝利を確信するが。

 

「っ、うぎゃ……っ!?」

 

 他ならぬ妹紅による蹴りの一撃が、彼女の身体に突き刺さった。

 突然の事態に反応できなかった彼女はその一撃をまともに受け、近くの竹に叩きつけられ激しく咳き込む。

 

「ぐ……げほっ、ちょ……もしかして、前に鈴仙と一緒に悪戯した事に対する仕返し? 悪いけど、今はそんな状況じゃ……」

「…………」

 

 ゆっくりとてゐに近づいていく妹紅、その瞳には明確な敵意が込められていた。

 ……彼女は後ろから迫る影とは違い本物だ、だからこそこの行動には不可解さしか感じない。

 彼女とて後ろに居る影達の異常さには気づいている筈だというのに、何故こちらを攻撃するのか。

 

「…………すまないな」

「は……?」

 

 ぽつりと、謝罪の言葉を放ちながら、妹紅は炎に包まれた右手をてゐに向ける。

 冗談の類ではない、それを理解したてゐはすぐさまその場で地を蹴った。

 逃げなくては、どういうわけかはちっとも判らないが、今の妹紅は自分にとって敵となっている。

 

「うわあっ!?」

 

 だが、後方に大きく跳んだてゐの身体を、妹紅から放たれた炎が包み込む。

 瞬く間に彼女の小柄な身体が炎に呑まれていき、妹紅は僅かに表情を曇らせながら一気に終わらせようと炎の威力を高めようとして。

 

――その炎が、蒼い炎によって霧散された。

 

「…………」

「う、ぐ……」

 

 全身を焼きながら、地面に向かって落ちていくてゐ。

 

「てゐさん!!」

 

 それを抱きとめたのは、1人の少年であった。

 瞳の奥に迷いと困惑を宿した、黒髪の少年。

 

「妹紅、さん?」

「……やあ、ナナシ」

 

 少年――ナナシも妹紅も、お互いの事はよく知っていた。

 会話を交えた事は決して多くないものの、少なくとも互いに友人と呼べる程の仲だ。

 だからこそナナシは彼女の行動に驚きを隠せず、妹紅は彼の登場に唇を噛んだ。

 

「どうして……なんでてゐさんを」

「…………」

「それに咲夜さん達に似てるそいつらは、一体何なんですか?」

 

 まるで付き従うかのように、3人の影達は妹紅の周囲に佇んでいる。

 ナナシの問いに妹紅は何も言わず、ただ黙って自身の身体を炎に包み込ませる。

 その態度はお前を殺すと明確に告げており、ますますナナシは困惑した。

 

「ナナシ……逃げた方がいいよ」

「てゐさん、大丈夫ですか?」

「あー……大丈夫大丈夫、ちょっと焼けただけだからさ」

 

「……一体何があったんです? 紅魔館での事はレミリアさん達から聞きましたけど、あの影みたいな奴等は……」

「それが私にもわかんないんだよねー、もこたんが敵対してくる理由もだけど。でも今はそんな事を考えてる余裕はないと思うよ?」

「…………」

 

 確かにてゐの言う通りだと、ナナシは彼女達に意識を向ける。

 アレがなんなのかも、何故妹紅がこんな事をしているかもわからないが、このままここに居ては間違いなくやられてしまう。

 てゐの部下達である妖怪兎に彼女が追われている事を知らされ、慌ててここに辿り着いたまではよかったが……不利な状況なのは変わりなかった。

 

「……ナナシ、お前には手を出すつもりはなかったが……安易に首を突っ込んだ自分自身を怨んでくれ」

「妹紅さん、どうしてこんな事を」

「…………すまないな」

 

 妹紅が動く、それと同時に影達も動いた。

 

「くっ……!」

 

 まともに戦って勝てる相手ではない、そもそもナナシに妹紅と戦う気など微塵もなかった。

 なので彼は一先ず逃げようと、彼女から背を向け全速力で飛び去った。

 

「どうすんの!?」

「と、とにかく逃げます!!」

「逃げ続けられる相手じゃないよ、ナナシだったら戦えるだろう!?」

「……それ、は」

 

 判っている、戦わなければ自分もてゐも無事では済まない。

 それはわかっているが、それでも今のナナシには誰かと戦うなんてできなかった。

 

(僕は、自分の意志すら八雲さんに操作されている。もしかしたらこうしててゐさんを助けようと思ったのも、本当の僕の意志じゃないのか……?)

〈ナナシ、今は迷ってる場合じゃねえ。あんな話をしてしまったオレが言える立場じゃねえが、ここは戦って切り抜けるぞ!!〉

(だ、だけど……それは本当に僕がやるべき事なの? そりゃあ咄嗟に飛び出してしまったけど……これだって僕の望んだ事じゃないかもしれないんだろ!?)

 

〈っ、今は余計な事は考えるな。このまま逃げ続ける事なんざできねえってお前でも判るだろうが!!〉

(わかってるよ、だけど……どうすればいいのか僕だってわかんないんだ。何が僕が本当に望んでいる事なのかわからないんだよ!!)

〈……ナナシ〉

 

 迂闊だった、己の浅はかさを八咫烏は心底怨んだ。

 あの事を彼に話すのが速すぎたのだ、もっと時間を掛けてゆっくり説明しなければならなかったのに……。

 

「ぐっ……!」

「えっ?」

 

 背後から妹紅のくぐもった悲鳴と打撃音が聞こえ、ナナシに咄嗟にその場で止まり後ろを振り向いた。

 

「――大丈夫か?」

「レミリアさん!?」

 

 ナナシ達と妹紅達の間を割って入るような形で現れたレミリアは、ナナシの無事に安堵しながら妹紅達を睨みつけた。

 

「出来の悪い人形共だな、わたしはもっと美しいし咲夜や美鈴はもっと感情豊かだぞ? 駄作も駄作だ」

「……邪魔をするな、吸血鬼」

「気安く話しかけるな蓬莱人、貴様……何をしているのか判っているのか?」

 

 空気が震える、レミリアの怒りに呼応するかのように紅い魔力が彼女の身体が溢れ出した。

 

「そんな状態でよく吼える……邪魔をするなら、まずお前から片付けてやる」

「言ったな? 貴様等の相手などこの状態で充分だ」

 

 そう言いながら、レミリアは()()()()()()()()右腕を手刀の形に構える。

 ……今のレミリアには、本来在る筈の左腕が存在していなかった。

 これは紅魔館襲撃の際に負った傷であり、しかし決してあの不気味な少女によるものではなく……その少女と共に紅魔館を去ってしまった実の妹である、フランから受けた傷であった。

 

 何が起きたのかはレミリアもわからない、だがフランは自身の中に存在する“狂気”に呑まれ暴走を始めてしまったのだ。

 当然力ずくでも止めようとしたレミリアであったが、実の妹相手という事もあり本気になれず呆気なく敗れ、フランのレーヴァテインによる一撃で左腕を消し飛ばされたのだ。

 吸血鬼の再生能力ならばいずれ元に戻るものの、同じ吸血鬼から受けたダメージからかその再生は遅い。

 故に今のレミリアの戦闘能力は全開時の半分程度まで落ち込んでおり、それでも彼女はナナシを守る為に永遠亭を飛び出した。

 

「貴様が何を企んでそんな出来損ないを付き従えているかは知らんが、そんな不出来な人形風情をこの世に留まらせるつもりはないぞ!!」

「…………」

「適度に痛めつけてフランの居場所を吐いてもらう、どうやら貴様は紅魔館を襲撃した者と繋がっている可能性があるようだからな」

 

「……お前もか」

「なに……?」

 

 吸血鬼の聴力が妹紅の呟きを拾うが、それの意味を問う前に彼女達が一斉にレミリアへと襲い掛かる。

 ……この状況は、圧倒的に不利だ。

 それを十二分に理解しながらも、レミリアは臆する事なく立ち向かっていった。

 

 ■

 

 駄目だ、あのままじゃ。

 妹紅さんと3人の影を相手にしているレミリアさんを見て、当たり前のように彼女の敗北を予期できたのに、僕はてゐさんを抱きかかえながら戦いを眺める事しかできずにいた。

 加勢しないと、そう思っているのに足が動いてくれない。

 

 ……戦えない、自分自身の事もわからない今、戦う意志が湧いてこない。

 守りたいと思った、自分の全てを懸けて守りたいと願った。

 その全てが嘘だった、八雲さんによって都合の良いように作られた嘘の感情だった。

 その事実が、僕の身体を金縛りのように封じ込める。

 

「ナナシさん!!」

「……美鈴、さん」

 

 永遠亭を飛び出してきたレミリアさんを追いかけてきたのか、至る所に包帯を巻く痛々しい姿の美鈴さんが僕達の前に姿を現した。

 彼女はまず僕達の無事を確認して安堵の表情を浮かべ、その後すぐに四対一という圧倒的なまでに不利な戦いを強いられているレミリアさんの加勢をしようとして。

 

「美鈴、お前はナナシとついでに兎を守っていろ!!」

 

 他ならぬレミリアさんの声で、その足を止めた。

 

「お、お嬢様!?」

「悪いがわたしにはそいつらを守っている余裕はない、だからお前が代わりに守れ!!」

「無茶ですよお嬢様、ただでさえ弱っているのに多勢に無勢じゃないですか!!」

 

 美鈴さんの言葉は正しい、既にレミリアさんは防戦一方になってしまっている。

 でも美鈴さんが加勢してくれればなんとかなるかもしれない、それはレミリアさんだってわかっている筈だ。

 

「ナナシの傍に居ろ、自分自身すら疑っているコイツを独りにするな!!」

「――――」

 

 その言葉で。

 頭の中が、真っ白になった。

 心臓を掴み上げられた言葉で、僕の内側全てを暴いてしまった。

 

「……なん、で」

「ぐっ……!?」

 

 こちらに向かって弾き飛ばされるレミリアさん、それと入れ替わるように美鈴さんが地を蹴った。

 今度は美鈴さんが彼女の代わりに妹紅さんと戦い始め、それを見たレミリアさんはそのまま僕の元へと歩み寄ってくる。

 

「すまん、美鈴。少し……時間を寄越せ」

「…………、ぁ」

 

 茫然と彼女を見る僕に、レミリアさんは一瞬だけ申し訳なさそうに表情を歪めた。

 

「……すまないな。お前にとって今の言葉は傷を抉るような行為だったろうが……つい、口に出てしまった」

「どう、して……」

「わかったのか、か? あくまで予測だったよ、だがお前の瞳の奥に迷いと困惑の色が見えた。それ以上に……自分自身に対する嫌悪の色が、見えてしまったんだ」

 

 ……嫌悪?

 僕は、他ならぬ自分自身に嫌悪しているというのだろうか。

 

「その顔では気づいていなかったようだな。何があったのかは知らんが、今のお前は他ならぬ自分自身を疑い嫌悪している。……少し前の、フランと似ている」

「フラン……?」

「あの子もな、自分の能力と生まれつき備わってしまった“狂気”をずっと疎ましく思っていたんだ。最近ではなりを潜めていたがきっと今でもアイツは自分自身を嫌っている。

 そんなあの子と今のお前の目がとてもよく似ていたのでな。感情的になってしまったんだ」

 

「…………僕、は」

 

 声が、出てこない。

 そんな僕に、レミリアさんは優しく微笑みながら頭を撫でてくれた。

 小さい子をあやすようなその行為に気恥ずかしさを覚えながらも、それ以上の安心感に包まれる。

 

「何があった? 前に見せてくれたような強い意志を今のお前からは感じられん、何か……あったのだろう?」

「…………」

 

 知られたくないと、思った。

 でも同時に、この内側に溜まったモノを吐き出してしまいたいとも思った。

 そんな事をしている場合ではないのはわかっている、今だって美鈴さんはたった1人で戦っているんだ。

 だけど、それでも……今ここで吐き出さなければ、きっと一歩も歩けないとわかってしまった。

 

「……僕は、外の世界の人間なんです」

「ん? 記憶が戻ったのか?」

「いいえ、でも……僕との繋がりを深めた八咫烏が、僕の魂から僕の失われた記憶を見たんです……」

 

 それから僕は、ぽつりぽつりと、少しずつレミリアさん達に話した。

 八雲さんに殺されかけ、この幻想郷に来た事。

 その際に、彼女によって今の自分を造り上げられた事。

 本当に自分が望んでいる事、願っている事、考えている事がわからなくなってしまった事。

 

 びくびくと恐がりながらも、何度もつっかえながらも、僕はレミリアさん達に話した。

 レミリアさんもてゐさんも何も言わず、ただ黙って僕の話を聞いてくれた。

 

「どうすればいいのか、わからなくなってしまったんです。自分が何をしたいのかもわからなくて……自分が決めた答えが、信じられなくなってしまったんです」

 

 それが本当に僕自身が考えたのか、それとも八雲さんが造った僕が考えた事なのか。

 何をすべきかも定まらなくて、迷う事しかできなくなってしまった。

 

「……成る程な。お前の不気味なまでの自己犠牲の精神と寛容さには、そういうカラクリがあったわけか」

「ナナシ……」

「僕は、どうすればいいんでしょうか? どうすべきなのか……答えが、見つからないんです」

 

 八咫烏の言う通り、全部投げ出して外の世界に帰るべきなのか。

 きっとそれが一番楽な道だと思う、だからこそ八咫烏はその選択を強く推したのだ。

 ……だけど、それが正しい事なのかと疑問に思う自分がいる。

 かといってこのまま幻想郷で生きる事が、八雲さんの望むような“ナナシ()”を演じる事が正しいとも思えなかった。

 

「だ、そうだが。師匠のお前はどう思うんだ?」

「えっ……?」

 

 僕の背後に向かって問いかけるレミリアさん、後ろを振り向くとそこには。

 

「……八意先生、鈴仙」

 

 僕に向かって悲痛な表情を浮かべている鈴仙と、ジッと僕を見つめる八意先生の姿があった。

 ……いつの間に居たのだろうか、様子を見るに今の会話は聞かれていたようだ。

 だがちょうどよかった、聡明な八意先生ならきっと答えを教えてくれる筈だ。

 

「八意先生、僕は……どうすればいいんですか? 教えてください」

「…………それは、無理よ」

「えっ」

 

 予想だにしていなかった言葉が返され、愕然とする。

 八意先生は申し訳なさそうに僕を見つめながら、静かに首を横に振った。

 

「それはあなた自身が見つけないといけない答えよ、全てを捨てて外の世界に戻るのも、幻想郷で生きる事を選ぶのも……私にとっては、どちらも正しい答えだと思うわ」

「だけど、僕の考えが本当に僕自身のものなのかわからないんですよ? それなのに、どうやって答えを見つけろって言うんですか!?」

 

 搾り出すように、責めるように八意先生に向かって叫んだ。

 ただの八つ当たりに等しい醜悪な行為、それでも八意先生は僕に対して謝るように顔を伏せるだけだった。

 ……今の僕は、何もない空っぽの人間だ。

 為すべき事もわからず、自分の事も理解できず、喚き散らして殻に閉じこもることしかできない。

 

「僕は、どうしたら……」

「……ナナシさん」

 

 頭を抱えうずくまる僕を、鈴仙が抱きしめるように包み込んでくれた。

 

「大丈夫ですナナシさん、たとえあの妖怪が何かしようとしても私が守ります。何があっても私が傍に居ますから……答えなんか出さなくていいんです」

「……鈴仙」

「今まで通り生きればいいんです、あの永遠亭で……みんな仲良く暮らせばいいんです、それで充分じゃないですか?」

 

 だからもう苦しまないでと、僕以上に僕の事で胸を痛める鈴仙の目が、そう告げていた。

 ……心が、その言葉に頷こうとしている。

 そうだ、何も答えを出さなくてもいいじゃないか、鈴仙の言う通り今までのように永遠亭でのんびり暮らせばそれはどんなに――

 

 

「――みーつけた、お・ね・え・さ・ま」

 

 

 楽しげな声が、戦場に響いた。

 この場には似つかわしくない幼く可愛らしい、けれどどうしようもなく恐ろしい声の主は。

 

「ひひ……ひゃははははっ!!」

 

 その紅い瞳に直視できない闇を抱えて、竹林の空に君臨していた。

 

「……フラン」

「いひ、ひひひひ……」

 

 口元を歪ませ、狂った笑い声を上げるフラン。

 明らかに様子がおかしい、あれがレミリアさん言っていた“狂気”に蝕まれたフランだというのか。

 右手にはレーヴァテインを持ち、彼女の周りには眷属のように巨大な目玉に蝙蝠の羽のようなものを生やした生物が浮かんでいる。

 

「あれは……イビルアイ、魔界の低級悪魔の一種ね」

「というか師匠、あの吸血鬼……精神の波長がメチャクチャになってますよ!!」

 

「チッ……こんな時に現れるとは」

「……あはっ」

 

 フランの姿が消える。

 

「が、っ……!?」

「なっ!?」

 

 そう思った時には、既に彼女はレミリアさんの身体にレーヴァテインの刀身を突き刺していた。

 炎の剣に貫かれ、流れる血を蒸発させながら、レミリアさんはキッとフランを睨む。

 

「よわーい、お姉さまってばこんなに弱かったのー?」

「ぐ、く……」

 

 身体を貫かれたまま、レミリアさんは右足を蹴り上げる。

 それを簡単に回避し、フランは再び空へと戻りケタケタと狂った笑い声を竹林に響かせた。

 

「お嬢様――ぐぅぅっ!!」

「美鈴さん!!」

 

 駄目だ、美鈴さんも限界が近い。

 

「鈴仙、あなたはあっちの加勢を。この吸血鬼は私に任せて」

「わかりました、師匠!!」

「てゐはナナシを守ってあげて、イビルアイ達がそっちに向かうとも限らないから」

「あいあい、そんじゃナナシはここを離れよう」

 

 そう言って、てゐさんは僕の手を掴んでこの場から離れようとする。

 

「ちょ、ちょっと待ってくださいてゐさん!!」

「何? ……戦う事もできない、迷ってるだけのアンタに一体何ができるっていうのさ?」

「っ……」

「でもそれはしょうがないと思うよ? 誰だって今のアンタを責める事なんかできやしないんだから、気にしないで永遠亭に戻ろう?」

 

 ……そうだよ、今の僕にできる事なんて何もない。

 ここに留まっていたって、みんなの迷惑になるだけじゃないか。

 迷う事しかできない、自分を信じる事もできない僕なんかに、何ができるっていうんだ。

 

「イビルアイ達、みんなみんな壊しちゃえ!! そしてフランはー……今度こそ、お姉様を壊す!!」

「っ、くっ……!」

 

 レミリアさんの前に出て、彼女からフランの攻撃を庇う八意先生。

 だが結界を張る隙もなかったのか、文字通り身体を張って八意先生はフランの攻撃を受ける事になってしまった。

 

「うぅ……」

「し、師匠!? あぐっ……!」

 

「鈴仙、八意先生!!」

 

 拙い、あのイビルアイとかいう生物まで攻撃に加わってしまったら、みんな保たない……!

 

「……じゃあね、お姉様」

「くっ!!」

 

 片膝をつくレミリアさんに、レーヴァテインの刀身を大きく振り上げるレミリアさん。

 回避も防御もできず、レミリアさんはただフランを見上げる事しかできない。

 八意先生も受けたダメージが大きいのか、レミリアさんの命を奪おうとするフランを止める事は叶わない。

 

「ぁ……ああ……っ」

 

 見ているだけでいいのか?

 このまま傍観するだけで、目の前で僕を友人だと認めてくれた彼女の命が奪われるのを、黙ってみていることしかできないのか?

 ……それは、違う、筈だ。

 だけど、この考えだって本当の僕の望みだとは限らないし……。

 

〈…………ナナシ〉

(八咫烏?)

〈ここで何もしなければ、お前は外の世界に戻る決心をしてくれると思ったから何も言うつもりはなかった。だがお前の心の中にはレミリア達を救いたいと、この状況をなんとかしたいという想いに溢れている〉

 

(僕の、心に……)

〈それがお前自身の願いなのかあの女の造り出したお前の考えなのかはオレには判らん。だが……素直にその心に従うのが、今のお前にとって正しい選択だとオレは思う〉

(……僕は)

〈すまねえな。お前に外の世界に帰れと言っておきながら身勝手な事ばかり押し付けてしまっている……でもな、お前にはオレの力を正しい事に使ってほしいとも思っているんだ〉

 

 正しい事の為に、力を使う。

 ……そうだ、八咫烏を受け入れた時に僕はそれを願った。

 少なくともその願いは、その想いは……僕自身のものだった筈だ。

 

 

 

 

――ならば今は、その願いだけを信じて迷いを消し去ろう。

 

 それがきっと、今の僕にとって正しい選択の筈なんだから……!

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。