おっちゃんアート・オンライン (てりや)
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 気が付くと、暗闇の中にいた。

 

 何も見えず、何も聞こえない。

 それどころか、肉体の感覚すら酷く曖昧だった。

 まるで宇宙に投げ出され、不可視の海を漂っているような感覚だ。

 

 果たして、どれくらいの間そうしていただろう。

 

 変化は突然訪れた。

 

 ちょうどテレビに電源が通ったように、光が弾け、目の前に古めかしい街並みが出現した。

 石畳やレンガなど、異国の佇まいがある。

 街の中心部には噴水があって、円柱が周囲を取り囲んでいる。

 

 俺は体の感覚を取り戻し、噴水の近くに降り立った。

 

 自分の格好をしげしげと見つめる。

 スーツではなく、中世の傭兵のような格好をしている。

 

 その時、何者かの声が朗々と響いた。

 

『私の名前は茅場晶彦。今や、この世界をコントロールできる唯一の人間だ』

 

 俺は驚いて背後を振り返る。

 

 そいつは幽霊のように佇んでいた。

 全身を赤いローブで包み、フードを目深にかぶっている。

 

 俺はフードの中を覗き見て、思わず後ずさった。

 顔がなかった。

 フードの中では粘性のある影がドロドロと蠢めていた。

 

『諸君は今後、この城の頂を極めるまで、自発的にログアウトする事はできない』

 

 影は耳障りな声で囁いた。するとどこからともなく鎖が伸びてきて、俺の手足に絡まった。

 力を込めるがビクともしない。

 

 なにしやがる。

 

 俺は恐怖して叫んだ。

 しかし、影は全く動じた様子もなく、人差し指を口元の辺りで立てて見せた。

 静かにしてろ、ということらしい。

 

 こちらが黙ったのを確認して、影は満足したように台詞を続ける。

 

『諸君らにとって《ソードアート・オンライン》は、既にただのゲームではない。もう一つの現実と言うべき存在だ』

 

 ほとんど意味不明な言葉の羅列。

 静かに肌が泡立つ。

 まるで死神の呪詛だ。

 

『今後、ゲームにおいて、あらゆる蘇生手段は機能しない。ヒットポイントがゼロになった瞬間、諸君のアバターは永久に消滅し、同時に……』

 

 不意に、影が口を噤んだ。

 

 訝しむ俺に、影は奇妙な物体を差し出して見せた。

 気味の悪い、ブヨブヨとしたゼリーのようだった。

 皺のよった白い表面には、黒い筋が蜘蛛の巣状に走っている。

 

『諸君らの脳は、ナーヴギアによって破壊される』

 

 影が狂ったように笑い出す。

 

 その時、俺は気がついてしまった。

 影が持っているのは、俺の脳ミソだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ピピッ、ピピッ……

 

 アラームが鳴っている。

 八時三十分。少し遅めの朝だ。

 

 意識が覚醒した後も、俺はしばらくの間、ベットの上でその音を聞いていた。

 

 メニューウィンドを開くのは簡単だ。

 揃えた二本の指先を、真っすぐに振り下ろすだけ。

 まるで魔法のように現れた紫色のパネルを操作し、やかましいアラームを止める。

 

 ここは仮想空間に創造されし剣の世界《ソードアート・オンライン》の中だ。

 

 色々な勝手がリアルと違うが、すっかり慣れてしまった自分がいる。

 望まぬこととはいえ、長い時間をゲームプレイヤーとして過ごしていれば当然のことだ。

 

 カタナ使いのオーマ。

 それが今の俺の肩書きだ。

 

 営業職のリーマンでもなければ、吉高雄一という男でもない。

 そんな当たり前は、あの日、デスゲームが始まった瞬間に破壊されてしまった。

 

 とはいえ、ルーチン化しつつあるここでの毎日は、現実世界とある意味一緒だ。

 仕事に出かけるように迷宮へと向かい、モンスターを倒し、得た金や経験値で生活していく。

 

 無論、HPの全損が死に直結する絶対のルールはある。

 しかし、繰り返すうちにそんな危機感も弛緩していくのが人間というものだ。

 全く慣れとは怖ろしい。

 

「遅いお目覚めだナ、おっちゃん」

 

 なんてことを考えていると、ここにいる筈のない、知った女性の声がした。

 俺はまさかと思って、仰向けのまま首を巡らせた。

 

 声の主は、我が物顔でソファーに腰掛けていた。

 彼女は小柄で、野暮ったい暗褐色のマントを羽織っている。

 珍しくフードが下ろされていて、金褐色の髪が首筋の辺りでカールしている様子が見えた。

 頬には、似つかわしくない三本髭のペイントがなされている。

 大きな瞳と相まって、どこか小動物を喚起される風貌だ。

 それは彼女が《鼠のアルゴ》という渾名を頂戴するひとつの要因に違いなかった。

 

 いつからそこに?

 ていうか、どうやって入った?

 

 軽いパニックから立ち直るのに数秒を要した。

 そういえば昔、彼女に合鍵を渡していたと思い出す。

 

「...お前か」

 

 俺は沈黙の末、口を開いた。

 

「いきなりご挨拶だネ。美女が顔を見せに来てやったのニ」

 

 アルゴは以前と変わらずマイペースな様子だ。

 にんまりと笑った顔には、愛嬌と狡猾さが絶妙な加減でブレンドされている。

 俺は多少の非難を込めて言った。

 

「連絡くらいよこせよ」

「起きてると思ったんダ」

「こっちにも身支度ってもんがあるんだぜ」

「そんなの、今更じゃないカ」

 

 彼女の言にも一理あるが、いい年してグースカ寝ている顔を見られるのはちょっと気まずい。

 

「にひひ、かわいい寝顔だったヨ」

 

 見抜かれたようだ。

 

「モテる男は辛いな」

「寝言は寝て言うんだネ」

  

 アルゴが俺の冗談を切り捨てる。

 こういったやりとりも、ひどく久しぶりのように感じられた。

 

「元気だったか?」

「お陰さんでナ。そっちは?」

「どうせ知ってるだろ、情報屋」

 

 情報屋というのは彼女の仕事のことだ。

 モンスターの弱点からアイテムの入手方法、個人のプライベートまで幅広い情報を取り扱っている。

 その気になれば、情報屋としてのツテを使って大抵のことは調べられるだろう。

 

「本人から直接聞きたいときもアル」

「そうか。まぁ、ボチボチってとこだ」

 

 それを聞いて、アルゴは訳知り顔で笑う。

 

「なんだよ?」

「いや、なんでもなイ」

 

 俺はフンと鼻を鳴らした後、毎朝の習慣に従い、アイテムストレージから愛用のキセルを取り出した。

 吸って煙が出るだけのオモチャだが、喫煙衝動を紛らわすのにもってこいだ。

 はやくゲームをクリアして、本物の煙草で一服したいと思う。

 

「やれやれ、それがないとベットからも出られないのかイ?」

「そうだ。悪いか」

「おいしイ?」

「どうだろうな」

 

 何か思い立ったらしく、アルゴがベットまでやってきて、白いシーツの上に腰かけた。

 

「一口くれヨ」

 

 妙に近い距離感と、そのセリフに俺は若干戸惑った。

 

 分かってやっているなら大したものだ。

 

「ほらよ」

 

 アルゴは渡されたキセルをためらいなく口に含み、慣れた感じで煙を吐き出す。

 

 俺はふと、彼女は何歳なのだろうと考えた。

 

 リアルのことは極力聞かない、という不文律がこの世界にはあるので、それなりに長い付き合いでもお互いの素性については謎が多い。

 

 年齢に関しては、リアルのそれを反映したキャラクターの姿から推測できるのだが、彼女の場合は判断が難しいと言える。

 

 容姿だけでいえば確実に未成年である一方、妙にこなれた雰囲気と言葉遣いからは大人の女性を感じる。

 いくら考えても年齢不詳という言葉以外出てこない。

 

 いつか折を見て聞いてみよう。

 そしてその時の答えは決まっている。

 

 その情報は百万コルだナ!

 

「ふーん。やっぱメンソールって、あんまり好きじゃないナー」

 

 くるりと回転させたキセルを俺の口に突っ込み、アルゴが離れていく。

 

 俺はその背中になんとなく声をかけた。

 

「情報屋の仕事は順調か?」

「ンー、順調っちゃ順調かナ。どうして?」

「何の用もなしに、こんな所来ないだろ。なにか頼まれごとでもあるんじゃないかと思ってな」

 

 ぷかーっと煙を吐き出す。

 

 俺とアルゴの間に、ちょっとした友情以上の何かがあるなんて自惚れてはいない。

 一時期パーティを組んでいたので、その延長で付き合いがあるだけなのだ。

 彼女がわざわざ顔を出すからには、何か理由があるに違いなかった。

 

「そんなことは無いけどナ。まぁ、たしかに用事はあル」

 

 アルゴはそう言って、情報屋にふさわしい笑みを刻んだ。

 

「その前に、外で遅めのモーニングとしようゼ。おっちゃんの奢りでナ」

「いや、なんでだよ」

 

 俺はベットから重たい腰を上げた。

 

 

 



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 良くも悪くも、垢抜けない雰囲気のカフェ。

 俺はふわふわの卵サンド、アルゴはたっぷりのハニートーストを注文し、ぺろりと平らげた。

 

 店内は俺たちとNPCの店員しかいなかった。

 

 この世界の一日は、もうとっくに始まっている。

 今は迷宮やモンスターのいるフィールドが大繁盛といった所だろう。

 

 ブラックをすする俺に対し、甘々のコーヒーをぐい飲みするアルゴは言った。

 

「悪い話じゃないと思うけどナー。報酬五万コル」

「確かに悪い話じゃないが……」

 

 五万コル。

 コルとは《ソードアート・オンライン》の通貨であり、これだけあればメイン武装をアップグレードしたついでにちょっとした贅沢ができる額だ。

 

 ただし、対価として求められる仕事は、中々にハードなものだった。

 

 俺はメールで送信されてきた画像を今一度確認する。

 

 綺麗な黒髪の少女が写っている。

 背景には白と青の海岸線。

 彼女は溌剌とした笑顔をカメラに向けており、とても楽しそうな様子だった。

 少なくとも、禁忌を侵した人間のようには見えない。

 

「コイツがラフコフの生き残り、か」

 

 前提として、俺達の置かれた状況はデスゲームの虜囚である。

 ひとたびHPがゼロになれば、ハードのナーヴギアが暴走。

 頭にすっぽりと被さったそれが大出力の電磁波を発し、脳はあっという間に茹で上がってしまうという仕組みだ。

 

 そんな中、プレイヤー狩りという狂気の沙汰に及んだ集団が《ラフィン・コフィン》。

 略してラフコフ。

 プレイヤー全員を恐怖に陥れた、殺人者ギルドに他ならない。

 

 とはいえ、それも過去の話。

 

 大手ギルドを筆頭に討伐隊が組織され、多大なる犠牲を払いつつもラフコフを壊滅に追い込んだ。

 筈だった。

 

「全員捕らえるか、やっちまった訳じゃなかったんだな」

 

 流石のアルゴも神妙な顔つきをした。

 

「もともと、不慮の事態が重なった作戦だったからネ」

「というと?」

「おっと、これ以上はヒミツなんダ。売りもやってなイ。悪いネ」

 

 職業柄、アルゴはこういう切り返し方をよくする。

 タダで情報を渡すようでは、情報屋失格なのだそうだ。

 対価を要求することで、発信する情報に責任を負い、それが最終的には信頼に繋がるらしい。

 見上げたプロ根性である。

 

 それにしても、彼女が売らない情報とは珍しい。

 この件には、それなりに深い事情が絡んでいるのかもしれなかった。

 

「いいさ。ただ、この話は少し考えさせてくれ」

 

 話とはつまる所、写真の少女の捜索に協力して欲しいという事だった。

 

 人探し程度、本来アルゴにとって難しい仕事ではないが、対象がラフコフの生き残りだとすると事情が変わってくる。

 スピードやスニークに特化したアルゴのステータスは、いざ戦闘となると貧弱すぎて、万が一の事態に対処できない。

 

 そこで保険が必要になったのだろう。

 

 分かる話だし、彼女との付き合いは長いので協力してやりたい気持ちは勿論ある。

 しかし、ラフコフというワードが二の足を踏ませる。

 リスクはできるだけ回避したい。

 

 俺は普段から、確実な勝利、確実な生還のみに固執してきた。

 だからこそ、トップに食いつき、それなりのスキルとステータスを保持していても、命を張るような場面には極力顔を出さないのだ。

 

 生き残るためなら臆病者を公言し、それを恥とも感じない。

 そんな厚顔さを持つのが、いわゆる普通の大人だ。

 

 対照に、アルゴはよくやっている。

 

 リスクしかない情報屋という仕事をたった一人でやってきた。

 それは単に金のためだけではなく、プレイヤー全員にとって必要な事だからだ。

 

 確かな情報に基づいた行動は、プレイヤーの生存率を飛躍的に向上させる。

 強いてはそれが、ゲーム攻略の近道になるわけだ。

 普段の言動からは想像できないが、アルゴの行動原理にはそんな一面が見え隠れもする。

 

「分かるヨ。詳しい背景は現段階じゃ言えないが、リスキーな仕事には違いなイ。持ち帰ってよく考えてくれよナ」

「そうさせて貰う。連絡は数日以内に」

 

 頃合いだな。

 

 店員を呼び、支払いを済ませる。

 

「悪いネ」

「いや、今日は久しぶりに会えてよかった。また顔を見せに来いよ」

 

 アルゴは意外そうに目をパチクリさせた。

 

「柄にもない事言うと、死亡フラグが立っちゃうゼ」

「お前も素直なら多少可愛げがあるんだがな」

「お生憎、可愛げなら有り余っているヨ」

 

 苦笑する俺に、上機嫌な様子のアルゴは言った。

 

「そうダ。おっちゃんにいい事を教えてやるヨ。勿論、サービスでネ」

「へぇ、どういう風の吹き回しだ?」

「日ごろの感謝をこめて、ってやつかナ」

 

 胡散臭いセリフ。

 嫌な予感がした。

 

 アルゴは勿体ぶるようにニヤリと笑い、続けた。

 

「おっちゃんが個人的に借りている金。返済が滞っているらしいネ」

 

 心配事を言い当てられ、ギクリと体が固まる。

 カジノで大負けした結果、知り合いという知り合いに借金をした事は記憶に新しい。

 一体どこで知ったのか。

 いや、情報屋に対して野暮な疑問である。

 

「……」

 

 沈黙を肯定と受け取ったアルゴは、トドメの一撃を放った。

 

「そのうちのK氏がネ、返済が滞っていることに腹を立てて、近々、軍に仲裁を依頼するつもりらしいヨ」

 

 俺は絶望的な気分になった。

 

 それは不味い! 

 

 アインクラッド解放軍は、ゲーム内で最大のギルドだ。

 治安維持という名目で権力を拡大させつつあるこのギルドは、近頃プレイヤー間のトラブルにまで介入してくるまでになった。

 しかし、現実の司法権力とは違い、所詮素人連中の集まり。

 彼らに悪と判断されたら最後、徹底的で、理不尽な程の断罪が下される。

 

 俺の場合、身ぐるみを全部はがされた上で、牢屋にぶち込まれる羽目になるだろう。

 

「……」

 

 瞬間、アルゴの思惑を理解した俺は、静かに敗北を受け入れた。

 

「さて困った事になったナー。ところで、借金は全部でどれくらいあるのかナ?」

 

 白々しいにも程がある。

 彼女は全てを把握しているに違いなかった。

 

「……四万と、八千コル」

「おや、丁度今回の報酬で払いきれる額じゃないカー。渡りに船とはこの事だネ」

 

 その船の行先はきっと、狡猾な女にこき使われる地獄に違いない。

 

「打ち合わせの必要があるな」

 

 それを聞いて、アルゴは勝利の笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 



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 夜。

 星明りの下を、彼女は歩いていた。

 道の両側には木々が鬱蒼と生い茂っていて、視界はあまりよくない。

 

 だからだろう。

 忍び寄る男たちに、彼女は気づくことができなかった。

 

 彼らの持つ刃がギラリと光る。

 仮想世界の偽物と侮るなかれ。

 それは真に、命を奪う力を秘めている。

 

 気づいたときには、彼女は三人の男に囲まれていた。

 咄嗟に逃げ道を探すが、包囲網を破る事は既に不可能だった。

 

 獲物を目前にした男たちは、笑みを隠そうともしなかった。

 

「……なんだヨ、お前ら?」

 

 彼女はフードの奥から問いを投げかける。

 その言葉は、普段からちょっと想像できないくらいに震えていた。

 

「仕事熱心が過ぎたな情報屋」

「まさか、ラフコフか?」

 

 動揺するアルゴに、正面に陣取った男が短剣をクルクルもてあそびながら言った。

 

「知っているぞ。そこら辺でアキさんの事を聞きまわっているだろう? まさに墓穴を掘ったというわけだな」

 

 短剣の切っ先を彼女に突きつける。

 

「お前はここで死ぬ」

 

 彼の表情は恍惚として、心底嬉しそうだった、

 

「脳みそを焼かれて死んじまうんだ。さぁ、教えてくれよ。今どんな気分だ?」

 

 アルゴは黙ったままだった。

 その反応が彼は気に食わなかった。

 

「おい、命乞いしろ! 死にたくありませんって這いつくばれ!」

 

 依然として黙したままのアルゴに、彼は舌打ちした

 

「もういい、やっちまえ」

 

 退路を塞ぐ二人が間合いを詰める。

 貧弱な装備しか持たない彼女では、三人の相手はとても務まらないだろう。

 

「くっ、ふふ」

 

 しかし彼女は、この絶望的な状況で愉快そうに笑いだした。

 

「まったく、絵に描いたような屑だナ。お前らは」

「何?」

「そんなお前らには、絵に描いたような結末がお似合いダ」

 

 それは追い詰められた者の雰囲気ではなかった。

 

「出番だヨ、おっちゃん」

 

 低い声が応じる。

 

「人使いが荒い奴だ」

 

 突如として聞こえた第三者の声に、男たちは動きを止める。

 

「誰だ!?」

 

 叫んだ男の腕が、切り飛ばされて宙に舞う。

 

「は?」

 

 男は呆然と切り口を見つめた。

 さらに両足を切断された男は、状況を把握する前に行動不能に陥る。

 HPは狙ったように数ドット残されていた。

 

 神速の剣技を見せつけたのは、まるで夜の帳から滲み出てきたような男だった。

 長身で引き締まった体躯。

 外見はステータスになんら影響を与えないが、その体つきは肉食獣のような強靭さを予感させる。

 鋭い瞳が男たちを睥睨している。

 手にはカタナを携えていた。

 鈍色のガントレットとレギンス以外、これといった金属具は身に着けていない。

 流離いの傭兵か、剣客のような姿だ。

 

 激高したラフコフの男が槍を突き出す。

 しかし、彼はあらかじめタイミングが分かっていたように、それを容易く躱して見せた。

 

 その胴を袈裟に切り裂いて、首筋にカタナの切っ先を御する。

 瞬きする間の出来事だった。

 

「武器を捨てて、跪け」

 

 一撃でHPを五割近く失ったラフコフの男は、戦意を喪失して彼に従う。

 彼はその肩を足で踏みつけた。

 

「そのまま這いつくばれ」

 

 言葉から、静かな軽蔑と怒りが覘く。

 瞬く間に戦力を削がれ、最後の一人となった者が茫然と呟く。

 

「お前は、誰だ?」

「……三十路のヒーローだよ」

「なに?」

「冗談だ。本気にするな」

 

 決まり悪そうに台詞を区切った男の手がかすみ、ナイフが投擲された。

 標的の膝に深々と突き刺さったそれは、付与されたスタンの効果によってラフコフの動きを封じ込める。

 

 仕事は終わったとばかりに、彼はカタナを鞘に収めた。

 

「お疲れサン」

 

 頃合いを見計らって声をかけたアルゴに、オーマは非難の目を向けた。

 

「だから言ったんだ。ろくな事にならないって」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ラフコフの少女、アキの捜索が始まって数日が過ぎた。

 

 その間、俺がしたことはストーカー行為だった。

 情報収集をするアルゴの背中を、ハイドしながらひたすら追いかけまくる。

 誰かに見つかった日には、犯罪者の謗りを免れない徹底ぶりだった。 

 そんな苦労の末に、先程の場面があったのだ。

 ラフコフの残党と目される彼らは、アルゴを単独だと勘違いし、まんまと罠にハマってくれた。

 

 しかし、俺は達成感よりも不安を感じていた。

 それは成功と喧伝されていた、ラフコフ討伐作戦の真実を知ってしまったからである。

 

 首領の《PoH》を含む多くのメンバーは、討伐作戦を生き延び、未だに捕らえられていない。

 

 つまり、俺たちの捜索しているアキは氷山の一角で、背後にはまだ多くの敵が潜んでいるわけだ。

 

 くしくも、今回の襲撃でそれが証明されてしまった。

 

 事実を隠蔽したギルド連合の考えも分からないではない。

 多くの犠牲者を出した挙句、作戦が失敗したとなれば、内外共に信頼を失ってしまう。

 一方で、ラフコフの生き残りを野放しにする事もできない

 そこでフリーで動ける情報屋のアルゴに、仕事が舞い込んで来たという具合だ。

 

 正直な感想を言おう。

 どう考えても、俺たちの手に余る仕事である。

 

 しかしアルゴは何を言っても聞き入れず、終いには一人でもやると言い出す始末。

 最終的に折れたのはこっちだった。

 

 転移クリスタルで捕らえた三人を牢屋に送り、俺は不機嫌を隠すことなく言った。

 

「控え目にも最悪な作戦だったな」

「またカ、その話は決着がついただロ」

「そうだけどな……ああ、クソ」

 

 自分を囮に使って平然としている彼女に、今更、何を言っても無駄なことは分かっている。

 雇い主な手前、彼女の作戦に強く反対しなかった自分も悪いのだ。

 

「怒るなヨ。上手く行ったじゃないカ」

「そういう問題じゃない。今回は雑魚だったから何とかなっただけだ。いい加減、お前は慎重さを身に着けるべきだな。だから俺はーー」

 

 昔の話を蒸し返そうとし、寸前で思いとどまる。

 

「……いや、もう過ぎたことだな」

「全くダ」

 

 アルゴがフンと鼻を鳴らして、フードの端を引っ張った。

 辺りはしんと静まり返っている。

 

 俺はため息交じりに言った。

 

「約束してくれ。アキが見つかるまでだ。そこからは一切、ラフコフに関わるのはよそう」

「ああ、分かったヨ」

「別口の仕事でもだぞ」

「そこまで指図されるいわれはないネ」

 

 アルゴはぷいとそっぽを向いた。

 俺は冷静になるために深く息を吸った。

 

「……だったら、身内の頼みなら聞いてくれるか?」

 

 その言葉に、フードの中で彼女の表情が動く。

 

「どういう意味ダ?」

 

 俺は慎重に言葉を選びながら言った。

 

「アルゴ。俺たち、もう一度情報屋としてやり直さないか? お前には戦力が必要だし、俺には纏まった収入がいる。お互いに必要なものを提供し合えると思うんだが」

 

 収入がいる、というのは正直なところ建前だ。

 今はカジノのせいで火の車だが、普段はそこまで困窮していない。

 

 この提案をしたのは、やはり、彼女の無鉄砲が目にあまるからだ。

 誰かかがブレーキ役にならない限り、彼女にはずっと命の危険が付き纏うだろう。

 

『お前といると、命がいくつあっても足らん』

 

 過去、そんな台詞を彼女に向かって吐き捨てた記憶が蘇る。

 その後は結局、ケンカ別れのようにパーティを解散したのだった。

 当時のことは、お互いの胸にシコリとなって残っている。

 俺が間違っていたとは思わないが、アルゴを他人として切り捨てることは難しいと気付いた。

 ならば、目の届く範囲で監視してやればいい。

 

 俺の言葉を聞いて、アルゴは感情の篭らない声で言った。

 

「……ただし、条件付きって事カ」

「そうだ。まずラフコフとは一切関わらない事。それと、俺とお前は対等だ。誰が上でも下でもない。仕事の事は二人で決める」

「ずいぶんな要求じゃないカ」

「このくらい、大目に見る価値はあるだろう」

「自信家だナ」

「事実を言ったまでだ」

 

 長い沈黙が流れる。

 彼女がふっと笑った。

 降参だと言わんばかりに。

 

「分かったヨ」

 

 俺はその笑顔に、思わずほっとさせられる。

 彼女にもおそらく煮え切らないものがあった筈だが、とりあえず水に流してくれるらしい。

 それは素直にありがたい話だ。

 

「条件は飲んでやル。その代わり、きっちり働いて貰うからナ」

「ありがとうよ」

「後悔するなヨ。サボりは減給だゾ」

 

 アルゴは念を押すように人差し指をたてて見せた。

 

「信用されてねぇな」

「前科があるからネ」

「チッ、覚えてたか」

 

 決まり悪さに頭をかく。

 これからは精々真面目に励むとしよう。

 

「あと、さっきはありがとう。中々かっこよかったゼ」

 

 珍しくアルゴが殊勝な態度を見せる。

 俺は少しばかり得意になって言った。

 

「やるもんだろ?」

「ああ。膝が笑ってなかったらもっと良かっタ」

「嘘つけ、そんな訳あるか」

 

 その後、俺たちは一度本拠地へ戻る事にした。

 それは大手ギルドが集う最大規模の街。

 プレイヤーの築き上げた、秩序と権力の座す場所だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




はじめまして、てりやです。
拙い作品ですけど、感想いただけると嬉しいです。


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 ゲームの中でも実力派の精鋭と名高い《血盟騎士団》。

 そのギルド本拠地の応接間。

 副団長のアスナは、噂に違わぬ美少女だった。

 

 こちらをまっすぐ見つめるヘイゼル色の瞳からは、吸い込まれるような謎の引力を感じる。

 キリッとして形のいい眉が、真面目らしい本人の性格を良く表していた。

 

 彼女の凄い所は、プレイヤーとしても一流だという事だ。

 素早い剣捌きで《閃光》の二つ名を頂くほどだった。

 それに大人顔負けの事務能力も加われば、例を見ない若さでナンバー2に据えられる理由も分かる。

 

 依頼主への報告という要件で俺たちは彼女の元へ訪れた。

 アスナとアルゴはやけに親しげな様子で、知己であるという話は本当だったのかと意外に思う。

 情報屋の顔の広さには頭が下がる。

 

「ところで、そちらの人は?」

 

 鈴の音ような声でアスナが言った。

 どうやら俺の存在が忘れられていたわけではなかったようだ。

 

「ああ、紹介が遅れたネ。ウチの出戻り従業員のオーマだヨ。仲良くしてやってくレ」

 

 なんだそれは。

 

 ふざけた紹介に、俺は内心で青筋を立てた。

 第一印象が大事だというのに。

 

「……アルゴと組ませてもらっているオーマだ。よろしく頼む」

 

 無愛想な挨拶になってしまったが、アスナは気にした様子もなく、それとは別件で眉を僅かばかり持ち上げて見せた。

 

「オーマさんって、《秘剣》のオーマ?」

「なんだ知っているのカ?」

 

 とアルゴ。

 彼女は早くも来客用のソファーにふんぞり返っている。

 コイツの図々しさは、時と場所を選ばずに発揮されるようだ。

 

「コロッセウムの最多優勝者でしょ? 驚いたわ。まさかアルゴさんと組んでるなんて」

「熱烈なプロポーズを受けたんでネ」

 

 経歴を知られてこそばゆいやら、聞き捨てならぬ台詞に憤慨するやらで俺は忙しかった。

 

「また下らない冗談を」

「にひひ」

 

 アスナが口を開いた。

 

「貴方が手伝ってくれるなら心強いです。よろしくお願いしますね」

 

 彼女はそう言ってニッコリと笑った。

 

 その後は捜査の進捗状況や確認事項など具体的な話が続いた。

 

 襲撃された事にアスナは強い危機感を抱いたらしく、ギルド連合で協議するべきだと息巻いていた。

 

「俺が捕らえたメンバーは何か?」

「いえ、ずっと黙秘したままです」

 

 俺の質問にアスナが答えた。

 だとすれば結局、アキの捜索自体に大きな進展はなかったと言える。

 あれだけ苦労しておいて、それは許容できない。

 

「一度、そいつと話がしたいんだが、大丈夫か?」

 

 アスナが微妙に疲れた顔をした。

 

「本来なら私の許可で問題ないんですけど、牢屋の場所は軍の管轄エリアということになっているので、彼らに一度話を通す必要がありますね」

 

 その様子から、このテーマについて何度かイザコザがあったのだろうと推測する。

 俺はアスナに同情しつつ、アインクラッド解放軍に許可を仰ぐメールを送りつけた。

 

 そこへ、ソファーで寛いでいたアルゴが声をかけてきた。

 齧歯類よろしく茶菓子を頬張っている。

 

「おっちゃんが仕事熱心なのも珍しいナー」

「そうか?」

「ようやく従業員としての自覚が目覚めたようだナ」

「何様のつもりだ?」

 

 ついツッコミを入れてしまう。

 

「二人は親しいんですね」

 

 アスナがティーカップを優雅に持ち上げながら言った。

 

「そう見えるか?」

 

 俺は若干の皮肉を込めて言う。

 と同時にアルゴも口を開く。

 

「寂しい中年だから、仕方なく仲良くしてやってるんダ」

 

 これ以上は不毛なやり取りになりそうなので、俺はやれやれと肩を竦めて会話に終止符を打った。

 

「そういえば、キー坊とは最近どうなんだヨ。アーちゃん」

 

 アルゴが話題を変える。

 アーちゃんの次はキー坊か。

 コイツはまともに人の名前を呼べないのだろうか。

 

「彼とは、もう全然会ってないわ。私も血盟騎士団に入団して、やる事が増えちゃったから」

「ふーん、早いとこより戻しちゃいなヨ。きっとキー坊も寂しがってると思うゼ。毎晩枕を涙で濡らしているかモ」

 

 にひひ、とアルゴが下品に笑う。

 アスナは可愛らしく頬を赤くした。

 

「私とキリト君は、そんな関係じゃないし!」

「へー。そうなんダー」

「そうよ」

「そんなアーちゃんにとっておきの情報があるんだが、どうすル? 今ならサービスして五十コルにしとくヨ」

 

 この期に及んで金儲けを企むアルゴに俺は呆れた。

 がめつさもここまで来れば大したものだ。

 副団長様のお淑やかさを少しは見習って欲しいものだと思う。

 

「その辺にしとけ。ほら、食べカスがついてるぞ」

「えっ、どの辺?」

「左上だ」

 

 アルゴは舌でペロリと唇を舐めて見せた。

 

 メールの着信音が聞こえた。

 アインクラッド解放軍からの返信だった。

 周りくどい文章で、囚人との面会を許可する旨が書かれていた。

 

 俺は座っていたソファーから立ち上がる。

 

「許可が降りたみたいだ。ちょっと行ってくる」

「一人で大丈夫カ?」

「ああ、大した用事じゃないしな。また後で落ち合おう」

 

 アスナにも挨拶して応接間を後にする。

 退室する間際、女子達はランチをどこにするかという話題で盛り上がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地下牢は薄暗くてカビ臭かった。

 前を案内する軍のプレイヤーに付き従い、階段を下る。

 靴音が不気味に反響した。

 

 鉄格子の向こう側に、俺が捕らえたラフコフのメンバーがいた。

 神経質そうな眉の、長髪の男だ。

 

「外してくれないか」

 

 軍のプレイヤーは論外だと言わんばかりに首を振った。

 俺は舌打ちを堪える。

 コイツらの相手はもううんざりだった。

 

 彼は金品をいくらか手渡すと、態度が一気に軟化した。

 

「三十分だけだぞ」

「どうも」

 

 牢屋の中で男と対峙すると、僅かに記憶が蘇る。

 戦闘中、男は槍を使っていた。

 

「聞きたい事があるんだ。話してくれないか?」

 

 いくら質問しても男はニヤニヤと気色悪い笑みを浮かべるばかりだった。

 

 男が強気でいられるのは理由がある。

 ゲームのシステム上、ここでは如何なる手段を用いてもHPは減らないし、身体的苦痛を与えることもできない。

 黙っていればこちらが退散すると思っているのだろう。

 事実、これまで連中はそうだったに違いない。

 

 俺はアイテムストレージから小瓶を取り出した。

 中には無色透明の液体が入っている。

 

「なんだそれは?」

 

 男が始めてそれに興味を示した。

 

「お前もきっと気に入る」

 

 スポイトに液体を含み、男の口へ持っていく。

 男は抵抗したが、顎を掴んで少々揺さぶってやると大人しくなった。

 

 液体を飲んだ男は、はじめはその不味さに顔をしかめていた。

 しばらくすると、体をくの字に折って床に這いつくばる。

 目をかっと見開き、口からはヨダレが漏れ、尋常じゃない荒い息を吐き出す。

 

 この世界に真の意味での毒は存在しない。

 しかし、独自に調合できる調味液によって、このような効果を引き起こすことができる。

 味覚エンジンのバグだ。

 早々に規制対象となったので、知っている者は情報屋を含めごく僅かである。

 俺も詳しい作り方は知らない。

 押収した物を使ったまでだ。

 

 男は今、激しい吐き気と目眩に襲われている筈だった。

 

「た、たすけて」

 

 息も絶え絶えの男に、俺は顔を近づけた。

 

「なら、誠意を見せるんだな」

 

 

 

 



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 真っ赤に熱せられた木炭。

 網を乗せ、肉を焼く。

 そんな野蛮とも言える行為が、なぜこれ程までに心を躍らせるのか。

 

 香ばしく焼かれた表面に滴る肉汁。

 アツアツのそれを黄金色のタレでコーティングし、口へと運ぶ。

 

 肉の旨味が溢れ、甘い油が舌の上で踊る。

 そこへゴマダレの風味が加わり、口内はちょっとしたお祭り騒ぎだ。

 

 美味しさで頬がキュッと窄まる。

 

 すかさず、ジョッキに並々と注がれたエールを注ぎ込む。

 

 ホップの爽やかな苦味、麦の香りが駆け抜ける。

 喉を潤し、あらゆる味覚をさらに昇華させる。

 

「プハー! 堪らん」

 

 ダン! 

 アルゴは勢いよくジョキをテーブルに叩きつけた。

 

 昼から飲む酒と焼き肉。

 罪悪感も相まって、もはや悪魔的な魅力がある。

 

 少々上品さに欠けるランチの相手は、なんとあの血盟騎士団のアスナ様だ。

 彼女もまた嬉々とした様子で肉を焼いている。

 最近、このような店から足が遠のいていたらしい。

 

 そう、いくらお洒落だ映えだと取り繕っても、やはり根本的な味覚への欲求に抗うことはできない。

 

 みんな肉が好きだ。

 

 アスナはこの期に及んでまだ人目が気になるのか、ひと昔前のようにマントをすっぽりと被った赤ずきんスタイルでやってきている。

 

 確かに、副団長のアスナ様が焼き肉してたなんてちょっとしたスキャンダルになりそうだ。

 彼女はただのギルドの重役ではなく、このデスゲームおいて偶像としての役割も担っている。

 イメージは大事である。

 

「すっかり皆のアーちゃんになっちゃったネー」

 

 突拍子もない独白に、アスナは目をパチクリさせる。

 酔いが回ったわけではない。

 残念ながら仮想世界の酒はノンアルコールだった。

 

「最近随分忙しくしているみたいじゃないカ? ちゃんと休んでいるかイ?」

 

 アスナは苦笑した。

 

「なんだか、お母さんみたい」

「まだそんな歳じゃないけどネ」

「もーだめ、連勤よ連勤」

「へー、何連勤?」

「えっと」

 

 アスナは両手の指を、めぐるましいスピードで折っていった。

 

「23連勤」

 

 流石のアルゴも驚かされた。

 ブラック企業顔負けの数字だ。

 アスナはうんざりした様子だった。

 

「こうやって抜け出してくるのにも一苦労だわ。しかも護衛がいるのよ? 信じられる?」

「護衛ってなんの?」

「私のよ」

「ぶふっ、マジかヨ」

 

 アスナなら護衛の護衛が務まるような気がするが、それとはまた別の問題だろう。

 要はそれだけ大事にされているのだ。

 

「じゃあ、どこかに隠れているわケ?」

「まさか。巻いてきたわよ」

「あー、悪い子だネ」

「仕方ないでしょ。プライベートまで浸食されたら堪らないわ」

「確かにナー。あ、店員さん、カルビ追加デ」

 

 同性同士の他愛ない会話は心地よかった。

 女性プレイヤーは圧倒的に数が少ないので、こうやって気兼ねなく喋れる友人は貴重である。

 

「そういえば、オーマさんとはどこで知り合ったの? 馴れ初めを聞きたいなー」

 

 巡り巡って彼の話題となり、アルゴは目の前ので育てている肉から視線を上げた。

 

「何だそノ、付き合ってるみたいなニュアンス」

「あれ、違うの?」

 

 アスナが意外そうに首を傾げる。

 どうやら揶揄う意図はなくて、ただの天然だったようだ。

 

「あのネェ。どの辺で勘違いしちゃったワケ?」

「どの辺って……雰囲気で、直感的に」

「もっと観察眼を磨いた方がいいネ。ただの腐れ縁だヨ」

 

 エールで口を湿らせる。

 

「でも、オーマさんって結構かっこいいじゃない? 意識した事はないの?」

 

 アルゴは思いもよらない言葉に耳を疑った。

 なんという乙女脳だろうか。

 いや、それよりも追及すべき事がある

 

「おっちゃんが、かっこいい? 何ソレ? ボケなのカ?」

「違う違う。それにイケボだし」

 

 しばらく考えた末、アルゴはぴんと思いついた。

 

「アーちゃんって、年上好き?」

 

 だとすれば、これは中々に価値のある情報だ。

 同時に、キリトは苦戦を強いられる事になるだろう。

 アルゴは脳内に例の少年を思い浮かべ、お気の毒に、と静かに手を合わせた。

 

「もー、違うって」

「キー坊が可愛そうだネ」

「またその話!」

「にひひ、お返しだヨ」

 

 やはりアスナは揶揄いがいがあっていい。

 不意を突かれた借りを返し、アルゴは多少満足して笑った。

 

「そもそも、おっちゃんと私じゃ凸凹もいいところダロ」

「そんな事ないと思うけど……」

「しかも肉付きのいい女が好みなんだト。あんなスケベ、絶対にゴメンだネ」

 

 そこでアルゴは、網の上でコゲはじめた肉に気がついた。

 

「……あー、やっちゃっタ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アスナと別れ、アルゴは街の中をぶらついた。

 

 石畳のメインストリートは多くのプレイヤーやNPCが集まっていてとても賑やかだ。

 

 立ち並ぶ露店から、景気のいい掛け声と香ばしい匂いがする。

 子供の手を引く母親や、若いカップル、迷宮に向かうプレイヤーたちを横目にしながら、アルゴはオーマの姿を探した。

 

 しばらくして、ベンチで食事をしている彼を発見した。

 

 オーマは露店で買ったらしいホットドッグをゆっくりと租借し、道行く人々をぼんやりと眺めていた。

 

 尖った顎に、こけた頬。

 かといって病的な感じはせず、スポーツマンのような精悍さがある。

 整った髭は彼なりのお洒落らしい。

 まったく、どうでもいい話だが。

 

 確かに、かっこ悪くはない。

 

 アスナの話を思い出し、渋々ながら認める。

 

 しかし、だから付き合うとか意識するとか、それとこれとは別の問題だ。

 

「待たせたナ」

 

 オーマが顔を上げる。

 

「いや、別に」

 

 彼は大きな一口でホットドッグを平らげ、包み紙をクシャクシャにしてポケットに入れる。

 

「副団長との会食はどうだった?」

「中々に有意義だったゼ。興味深い情報も手に入れられたしナ」

「お前、友達なくしちまうぞ」

「余計なお世話だヨ」

 

 フンと鼻を鳴らし、立ち上がったオーマを見上げる。

 ゆうに百八十センチはあると思われる長身の前では、アルゴはまるで子供同然だ。

 

「そっちこそどうなんダ? 何か収穫ガ?」

「ああ、あったぞ」

 

 予想外の返答に、アルゴは少なからず驚いた。

 まさかあの囚人が口を開くとは思わなかった。

 

「本当カ? どんな手を使ったんダ?」

「女好きのヤツだった。副団長の連絡先と交換だ」

 

 適当にはぐらかすオーマに眉を顰める。

 

「言う気はないって事カ?」

「どうでもいいことだ。重要なのはヤツの持ってた情報に尽きる」

 

 アルゴはそれ以上聞くことを諦めた。

 確かに彼の言う通りだ。

 

「ここじゃなんだ。少し場所を変えるか」

「分かったヨ」

 

 二人はメインストリートの外まで歩くことにした。

 ここの賑わいに比べるといくらか閑散とした場所に、拠点代わりにしている宿屋がある

 

 道中、アルゴはオーマの背中を追いかけていた。

 歩幅が違うので、いくら彼が気を使っていても、必然的にアルゴが遅れをとることになる。

 

 足を動かしながら、アルゴはちょっとした考え事をしていた。

 それが注意散漫につながり、すれ違ったプレイヤーと肩をぶつけてしまう。

 

 相手は肩幅の広いタンク(盾役)のプレイヤーであり、アルゴは簡単によろめいた。

 アルゴとぶつかった男は太い眉を顰め、吐き捨てるように言った。

 

「気をつけてくれ」

 

 大手ギルドが集中するこの街は、高レベルのプレイヤーが多い。

 いわばゲーム攻略の要となる連中だ。

 しかし、そんな輩の高慢な態度が気に入らなかったアルゴは、ただで引き下がることをしなかった。

 

「そっちこそ、でかい図体なんだから気をつけナ」

「なに?」

 

 男が立ち止まる。

 期せずして、鼠と熊のにらみ合いのような構図が出来上がった。

 

 男の連れも立ち止まり、不穏な空気がメインストリートの一角を支配した。

 

「どうかしたか?」

 

 そこへやってきたのは、どこか緊張感の欠けるオーマだった。

 

 タンクの男がじろりとオーマに視線を送る。

 

「なんだアンタ?」

 

 まるっきり喧嘩腰の言い方だったが、オーマは特に気にした風もなくアルゴの肩に手を置いた。

 

「コイツの仲間だ。なにか失礼があったみたいだな。あとでちゃんと言っておくから、勘弁してくれないか」

 

 男の視線がオーマの天辺からつま先までを観察する。

 

 身に着けている装備で、そのプレイヤーのレベル帯はだいたい分かる。

 アルゴの貧相なものと違い、オーマの装備は最前線の攻略組と比べても遜色ない。

 

 男は尊大な態度で言った。

 

「そのチビをちゃんと教育しとけよ」

「ああ。悪かったね」

 

 最後にアルゴを一瞥して、男たちはゾロゾロと立ち去っていく。

 

 アルゴはその間、マシンガンのごとく罵倒を思いついていたが、それを発射する機会はついぞ訪れなかった。

 代わりに、怒りの矛先はオーマに向いた。

 

「余計な事をするんじゃなイ!」

「相手にするな。時間の無駄だ」

 

 オーマの言う事は至極まっとうで、それがまた腹立たしかった。

 肩に置かれた手を振りほどいて、アルゴは先を急いだ。

 後ろからオーマが付いてくる

 

「ったく、なんだヨ。あの態度」

「紀元前のおサルだと思ったらいいさ」

「おっちゃんも少しは言い返したらよかったのニ」

「いやぁ、喧嘩は恐ろしいからな」

「よく言うゼ」

 

 アルゴが鼠ならオーマは狸だと思った。

 

「とにかく面倒は勘弁してくれ」

「はぁ、分かったヨ」

「他人じゃないんだ。お前の問題には目を瞑れないからな」

 

 アルゴは何か重要な事を言われたような気がして、オーマの方を振り返った。

 

 オーマはいつの間にか取り出したキセルをふかしている。

 

「どうした?」

「いや、なんでもなイ」

 

 それは乙女脳の弊害に違いなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




てりやです。
拙い文章ですけど(以下略


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 背の低い草原は原始の地球を想わせる。

 

 所々岩の剥き出した大地は、はるか彼方まで続いていて、微かに白んだ空との境界線が分からないほどだった。

 

 遠目に崩れかけた塔が見える。

 

 悲嘆に暮れるように佇むそれは、草原に不気味な影を落としていた。

 

「物寂しい所だナ」

 

 俺は傍のアルゴに同意した。

 

「だが、後ろ暗い奴らが集うにはもってこいの場所かもな」

「今度は当たりを引けるかナ?」

「そう願おう」

 

 例の囚人が吐いた情報により、アキの捜査は劇的に進展した。

 

 現在ラフコフは細分化したいくつかグループに別れており、その全容を把握している者はいないらしい。

 そのうちの一つ、アキを事実上のトップに据えたグループはこの周辺に潜伏中だという事で、俺たちはフィールドをしらみ潰しに調査していった。

 

 アキが目の前の塔に潜伏している可能性は高い。

 この周辺は《狼の巣》という設定で、一匹と邂逅したら最後、遠吠えで仲間を呼び寄せられるという危険地帯になっている。

 その分、プレイヤーは近寄り辛く、潜伏するには便利な立地である。

 

 俺たちは狼を発見したら大きく迂回し、慎重に時間をかけて塔まで到達した。

 

 塔は間近にすると、遠目に見たときより一段と大きく感じられた。

 表面には軟弱なツタが絡まり、積み石の隙間から枯れ草が顔を出している。

 

 入り口は崩れていて、ここから中に入ることはできそうにない。

 周辺をぐるりと回ると、塔のどてっ腹に大穴が空いていた。

 

 アルゴと頷き合い、ひとつ深呼吸をして塔の内部へ侵入する。

 

 ここが残党の拠点だとすると、もういつ連中と遭遇してもおかしくはない。

 

 俺とアルゴ、二人のハイドの熟練度はそれなりもので、そう簡単に看破できるものではないが、手は自然とカタナの柄にかかっていた。

 これを抜く場面になったら、最悪の一歩前といってもいいだろう。

 戦闘だけは避けなけれならない。

 戦った所でなんの特にもならないし、多人数を相手にして勝てるとも思えないからだ。

 

 螺旋状の階段を上り、最上階へ出た。

 そこはちょっとした空間があって、並んだ円柱が長い年月により風化し、無残な姿を見せつけていた。

 中央にある黒くのっぺりとした石は、おそらく祭壇だろう。

 何を祭っているかは定かでない。

 塔のどこを見ても宗教的な意匠は見つからなかった。

 

 最上階からは、フィールドの隅々まで見渡せるような気がした。

 朝日は地平線で足踏みしているようで、まだ顔を見せてない。

 

 ここまで隅々まで探したが、プレイヤーの気配は一切なかった。

 今回も空振りだろうか。

 

 ほっと息を突き、軽口を叩こうとしたところ、後ろからアルゴに口をふさがれた。

 俺は後ろを振り向き、その理由を知った。

 

 まるで亡霊のように、祭壇を中心にして複数の人影が浮かび上がってきた。

 その数は二十を下らない。

 全員が漆黒のローブに身をつつみ、顔を隠している。

 背中には笑う棺桶(ラフィン・コフィン)のマークが刻みこまれ、彼らの所属を何よりも雄弁に語っている。

 

 一気に体温が下がった事を自覚しつつ、俺はアルゴと共に円柱の影に隠れた。

 一体どこに潜んでいたのか。

 地下や隠し部屋といった可能性が頭を駆け巡り、俺は自らの不注意を責める。

 しかし幸運な事に、まだ俺達の存在は気づかれていない。

 

 慎重に彼らを観察していると、その中央の人物がおもむろにマントを脱いだ。

 傍らに大きな黒い狼を侍らせている。

 ビーストテイマーだ。

 

 彼女の長い黒髪が零れ落ちた。

 華奢な輪郭に、整った鼻梁。

 少し垂れた目元が顔全体に柔らかさを持たせていた。

 

 それは間違いなく、探し人のアキだった。

 アルゴが興奮気味に、小声で囁いた。

 

「……見つけタ」

「ああ、ずらかるぞ」

 

 もうここには一秒だっている理由はない。

 アキの居場所が分かっただけで、依頼達成には充分な情報だ。

 アルゴがアイテムストレージから転移クリスタルを取り出す間、俺はじっと集団の様子を窺っていた。

 

 アキが全員に向かって口を開く。

 

「皆さん、よく集まってくれました」

 

 集団が彼女に敬意を表すように一礼する。

 その異様な光景に肌を泡立たせた。

 どういう理由か知らないが、全員がアキに服従、もしくは心酔しているような様子だった。

 

「今日も私たちの使命を果たしましょう。……と、その前に、来客があるようですね」

 

 アキがハイドしている俺たちに視線を向けた。

 黒い狼が牙をむき出して唸っている。

 

「この子の鼻は誤魔化せませんよ。情報屋さん」

 

 背筋が凍る思いをしたのもつかの間、俺はアルゴに向かって叫んだ。

 

「転移を! 早く!」

 

 もはや何の意味もなくなったハイドを解除し、カタナを引く抜く。

 

 ほぼ同時にアルゴも転移クリスタルを掲げた。

 しかし、それは上空からの襲撃者によって破壊されてしまう。

 

 純白に輝く、大きな鷹だった。

 

 鷹は翼を広げ、アキの差し出した手に留まった。

 

 二匹の獣を従えたアキがニッコリと笑う。

 

「そう急ぐこともないでしょう。私に会いたかったのではないのですか?」

 

 ずらりとこちらを取り囲んだマント男を睨みつつ、俺は脱出の隙を伺った。

 

 無理だ。

 

 一部の隙もない。

 

 背後のアルゴをチラリと見る。

 

 彼女はこわばった表情で、一縷の望みを懸けるように短剣を構えていた。

 

「……ここから、飛び降りろ」

「え?」

「お前の敏捷性なら、壁のとっかかりを利用して無事に降りられる筈だ」

「でも、おっちゃんは……」

「俺はこの愉快な連中とよろしくやってる。早く助けを呼んでこい。お前が頼りだ」

 

 アルゴは躊躇いを見せたのも一瞬、ある種の決意を込めて頷いた。

 

「すぐ戻ル」

 

 分かり切った事だが、彼女が援軍を連れて戻ってくる頃には決着がついている。

 

 アルゴの気配が消えた。

 

 咄嗟に後を追おうとしたマント男にカタナを向ける。

 

「おい、女のケツ追いかけてる場合かよ」

「貴方は、逃げないのですか?」

 

 アキが不思議そうな顔をして言った。

 

「なんで逃げなきゃならん。俺はお前らより強い」

 

 無論、はったりだ。

 アキはそれを聞いて可笑しそうに笑った。

 

「貴方みたいな人、好きですよ。健気で愚かしい所なんか特に」

「そりゃどうも」

「今日という日の始まりに、貴方を救うことができて幸いでした」

「救う?」

 

 突拍子もない言葉に、俺は思わず聞き返す。

 アキは手を合わせながら、「はい」と嬉しそうに言った。

 

「死をもって、貴方をこの世界、強いては苦痛の全てから解放します」

 

 彼女は冗談を言っているようには思えなかった。

 信じがたい事に本気なのだ。

 つまり、このマント男たちは、彼女の思想に賛同する敬虔な信者といったところか。

 

 こんな状況にも関わらず、俺は思い切り顔を顰めた。

 

「馬鹿かお前?」

 

 男たちから殺気が漏れ出す。

 一方、アキは俺と会話の余地がある事を喜んでいた。

 

「容易に受け入れてもらえない事は理解しています。死は恐ろしいですから。でも、怖がらなくていいんですよ。優しく逝かせて差し上げます」

 

 ほんのり頬を染めるアキは、物騒な取り巻きと獣に囲まれていなければ、恥じらう乙女のようだった。

 しかし、彼女が狂気と呼ばれる精神の持ち主である事は疑いようもない。

 

「そういう問題じゃねぇよ、お嬢ちゃん。お前が命にどんな価値観を持っていても自由だが、それを人に押し付けるんじゃねぇ」

 

 死は救いである。

 そんな動機で理不尽に殺された人がいるとしたら、それこそまったく救いのない話だ。

 俺は怒りが湧いてくるのを感じた。

 

「押し付けるつもりはありません。ただ、私は使命を全うしたいのです。他でもない皆さんのために」

「何を言っても無駄ってか」

「ふふ、そうかも知れませんね」

「はっきり言っておくが、お前らは間違ってる。ただの殺人者だ」

「ご理解して頂けなくて残念です。では、身をもって救いを体感して頂きましょう」

 

 まずは集団のうち、三人が前に出る。

 全員でいっせいに来られるのが最悪のパターンだったので、とりあえず首の皮一枚だけ繋がった。

 

 マント男たちが間合いを詰めて来た。

 得物は全員が短剣で、すばしっこいタイプだ。

 この手の連中は武器に麻痺なり毒なりを付与しているので、あまり攻撃を喰らうと状態異常に陥るかもしれない。

 懐に入らせないのが鉄則だ。

 

 低い所から突進してきた一人目を迎え撃つ。

 振り下ろしたカタナが短剣にぶつかって火花を散らす。

 

 流石に一撃でヒットを許すほど甘くはない。

 この間戦った連中より、レベルもスキルも上だ。

 

 敵を押し返すと、すぐ横から二人目。

 少々迎撃が遅れて、接近を許してしまう。

 ひゅんと恐ろしい風切り音がし、刃が首を掠めていく。

 その男の泳いだ体を蹴り飛ばす。

 

 三人目は背中側から突きを繰り出してきた。

 しかし、油断のためか軌道に全く工夫がない。

 敵の短剣を叩き落とし、急所の首を真一門に裂いた。

 深紅のライトエフェクトが弾け、敵が怯む。

 

 俺はカタナを腰だめにもってくる。

 技の初動を感知し、システムアシストが俺の体を劇的に加速させた。

 発動した居合系のソードスキルは、人間の動体視力で捉えることができない程の神速をもって、入れ替わりに襲いかかってきた二人を薙ぐ。

 

「なるほど、お強いですね」

 

 瞬く間にHPの大半を失った手下を眺め、アキは感心したように言った。

 

「確かに、私たちの中に貴方ほどの剣士はいないようです」

「そうだ。戦えば、お前らの半分は道連れだ。見逃した方が得だぞ」

 

 自分の戦力を見せつけた上での交渉。

 それは俺にとって、生存をかけた最後の手段だった。

 

 しかし

 

「無駄ですよ」

 

 アキの言葉に呼応するように、倒れていた三人が動き出す。

 こちらを取り囲む男たちの包囲も一層縮まった。

 

「私たちは死を恐れない。さぁ、存分に戦いましょう? リディア、バラン。お前たちも行きなさい」

 

 アキが二匹の獣を解き放つ。

 

「……そうかよ。くそったれ」

 

 それが精一杯の虚勢だった。

 

 

 

 

 



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 俺は強靭な狼の前足に押さえつけられて、身動きがとれない。

 

 そいつはバランという黒狼で、俺がなにか怪しい動きをしようものなら、すぐに喉笛を噛みちぎるつもりらしい。

 

「やってくれましたね。まさか、本当に半分近く倒してしまうなんて」

 

 俺は僅かに首をめぐらして、服の埃を払うアキを視界に入れた。

 その肩に、白い鷹のリディアが留まる。

 

 空から飛来するリディアと、地上のバラン。

 両者のコンビネーションに加え、マント男たちの猛攻により、俺は無様にも敗北した。

 宣言通り、マント男は半分ほど片付けてやったものの、もはや何の意味もない。

 生殺与奪はアキの手中にある。

 

「なぜですか?」

 

 アキは不思議そうな目で俺を見下ろしていた。

 俺はかすれた声で答えた。

 

「何がだ?」

「なぜ皆さんにトドメを刺さないのです?」

 

 倒れ伏した男たちは、いずれも四肢の欠損か武器の損失という理由で戦闘不能になっている。

 

 俺はこの機に、命乞いをするべきだと考えた。

 

 一人も殺していない。だから助けてくれ、と。

 

 もはやプライドを優先している場合でないことは明白だ。

 しかし、そんな思惑とは裏腹に、口が勝手に動いてしまう。

 

「お前ら人殺しと、一緒にするな」

 

 グルル……

 

 言葉が理解できたわけではないだろうが、バランが牙を剥いて威嚇してくる。

 

「こら、やめなさい」

 

 アキが子犬を嗜めるような調子で注意すると、バランは渋々牙を引っ込めた。

 彼女は頤に手を当て、何かを考えている。

 

「なるほど、あなたはあなたなりの正義に従ったわけですね。そのためなら、命も惜しくない、と」

 

 アキの独白をそれとなく聞きながら、俺は審判の時を待っている。

 

 俺は、死ぬかもしれない。

 

 それを冷静に受け止めている部分もあれば、動揺し、叫び出したい衝動に駆られている部分もある。

 一種の混乱状態のため、吐き気まで覚える始末だ。

 

 こういう時、映画の主人公はどういう心持ちなんだろうか。

 とてもじゃないが、彼らのように振る舞うことはできそうにない。

 

「オーマさん、私はあなたが気に入りました」

「なに?」

 

 予想だにしない言葉に、俺はつい間抜けな声を出してしまった。

 気に入った、とはどういう意味なのだろう。

 先ほどの受け答えで、アキの琴線に触れる何かがあったとは思えないが。

 加えて、彼女が俺の名を呼んだことも疑問である。

 

「なぜ、俺の名前を知っている?」

 

 俺とアキは今日が正真正銘の初対面だった。

 アキは嬉しそうに質問に答える。

 

「あら、有名人じゃないですか。コロッセウムの《秘剣》。中年のカタナ使いと来たら、真っ先にピンと来ますよ。それに私、あなたのファンだったんです」

 

 アキがかがみ込んで、目をキラキラさせながら言った。

 おそらく、プレイヤーを何人も殺してきているというのに、なぜこのように純粋な目ができるのか。

 

 アキは興奮気味に続けた。

 

「でも、ファンだから気に入ったわけではありませんよ? あなたは信念のために、命すら賭けました。それは結果として私たちと敵対することだったけれど、根幹にあるものは同じです」

 

 アキの右手が霞み、ナイフが俺の首筋に突きつけられる。

 俺はゴクリと生唾を飲んだ。

 

「すなわち愛」

 

 アキは恍惚とした表情のまま、ナイフの切っ先で俺の喉を撫でていった。

 ダメージが入るほどのものではないが、急所に感じる金属の冷たさには思わずゾッとさせられる。

 

「私のものになって下さい。オーマさん。お気づきではないかも知れませんが、あなたの愛は歪んでいるのです。私が本当の愛を教えて差し上げます」

 

 アキはさらに距離を詰め、耳元で囁くように言った。

 

「退屈はさせませんよ? その代わり、力を貸して」

 

 冗談じゃない。

 サイコパスの片棒を担ぐなど、絶対にごめんだ。

 しかし、これは紛れもないチャンスである。

 彼女の話に乗っかれば、少なくともしばらくの間、命は保証される。

 

 その時、俺の脳裏に無残に殺されたであろうプレイヤーたちの姿がよぎった。

 無論、幻だ。

 そんな正体不明の感慨で、命を棒に振ってたまるか。

 

「……そのナイフと、狼をどかしてくれ。生きた心地がしない」

「それは、私の提案を受け入れるということですか?」

「ああ、お前の考えに感銘を受けたね」

「ふふ、嘘つき」

 

 アキが笑った。

 人の考えがこんな短時間に変わるわけはなく、アキもそれを心得ている。

 

「まぁ、何事もまずは形からと言いますしね。いいでしょう」

 

 アキがナイフを引き、それと同時にバランが退く。

 俺はとりあえず、ほっと一息ついた。

 

「で、俺はどうするといい?」

「私たちと来て頂きます。それと、あの少女も」

 

 あの少女。

 それがアルゴを指すことは瞬時に理解できた。

 

「どういうことだ?」

「あなたを何の縛りもなく、自由にさせておくわけがないでしょう」

 

 俺はアキを睨みつけるが、彼女は涼しい表情で続けた。

 

「街の中にも同志はいます。中層レベルのプレイヤー程度なら、難なく連れてきてくれるでしょう。あなたはくれぐれも、馬鹿なことを考えないようにして下さいね」

 

 何ということか。

 俺は不甲斐なさに歯を食いしばった。

 アルゴを逃したつもりが、結局、巻き込んでしまう羽目になった。

 彼らに囚われるとは即ち、アキの気まぐれによっていつ「救済」されてもおかしくない状況ということだ。

 

 イチかバチか。

 俺は右手でカタナを柄を探る。

 アキの目がスッと細くなった。

 

「やめた方がいいんじゃないですか?」

「そうだゾ。やめときナおっちゃん」

 

 聞こえてはいけない声がした。

 俺は目を剥いて、周囲を見渡した。

 

 いた。

 黒い祭壇の近くに、小さくて不敵な情報屋の姿があった。

 朝日を浴びて、短い金髪がオレンジ色に輝いている。

 

「ばかやろう、なんで戻ってきた!」

 

 彼女は一人だった。

 それもそのはず。

 こんな短時間で援軍を連れてやってこれるはずがない。

 そもそも最初から期待などしていなかった。

 彼女が安全地帯にあればそれで良かったのだ。

 

 アルゴは悪びれもせず、いつものようにニヤリと笑って見せた。

 

「約束も守れないようじゃ、女が廃るってもんダロ?」

 

 去り際、彼女が残した言葉を思い出す。

 

 すぐ戻ル。

 

 確かに、彼女はそう言った。

 だからといって、こんな状況下で律儀に守る奴があるか。

 

 アルゴの登場に、アキは多少驚いていたようだが、すぐに平静さを取り戻して言った。

 

「これはこれは、手間が省けました。あなたに用があったのです」

「へぇ、奇遇だネ。私もだヨ。そこのおっちゃんを返して貰おうか」

 

 アルゴの態度は実に堂々としたものだった。

 

「ダメです。彼はもう私のもの。あなたには首輪になってもらいます」

「首輪?」

「ええ、彼を従順にする首輪です。ペットに噛まれては堪りませんから」

 

 それを聞いて、アルゴは顔をしかめた。

 

「お前とは心底相性が悪そうだヨ」

「私もそう思います。ですから、手早く済ませましょう」

 

 マントの男たちが、彼女に対する包囲網を縮める。

 彼女にとっては一人でも荷が重い相手だ。

 

「まさか、一人でなんとかなると思ったのですか?」

「逆に聞くけど、何の策もなしに戻ってくると思ったカ?」

 

 アルゴは不敵に笑いながら続けた。

 

「お前らに、とびっきりの情報を教えてやるヨ」

 

 ポンと軽快な音を立てて、アルゴがアイテムストレージを開いた。

 祭壇に具現化されたアイテムが並ぶ。

 

 脈打つ心臓、獣の頭蓋骨、黒い土塊。

 

 どれも生々しく、邪悪な雰囲気を纏っていた。

 

「これだけ集めるのに苦労したヨ。なにせ急ぎだったからね」

「……あなた、何をするつもりですか?」

「呼び出してやるのサ。ありがたい神様ってヤツを」

 

 最後に、アルゴは自らの髪を一房、短剣で切って祭壇に置いた。

 

「これで全部ダ」

「早く、彼女を捕らえて!」

「もう遅いヨ」

 

 その時、恐ろしい咆哮が辺りに響き渡った。

 祭壇から黒い影が伸び、そこから毛むくじゃらの手が現れた。

 太さは俺の胴体ほどもある。

 続いて這い出てくる全身もまた巨大で、羽や尻尾を合わせた全長がどれくらいになるか想像もできない。

 金色の瞳が辺りを睥睨する。

 顔立ちは人と獣を掛け合わせたような感じで、長い牙が下顎から生えている。

 

 それはフロアボスを彷彿とさせる、ネームドのモンスターだった。

 名前は《カルガラ》と読める。

 表示されるHPバーは五段で、明かに多人数のレイド戦を想定したものだ。

 

 俺は勿論のこと、アキやその取り巻きも呆気にとられている。

 唯一平然としているのは、事を仕組んだアルゴだけだ。

 

「こんな風に、特定条件を満たすと現れる裏ボスがいるんだヨ。自分たちのアジトに何が祀られているか、しっかりと勉強しておくんだったナ」

 

 得意気なアルゴの背後で、化物がカッと口を開ける。

 

「おいおい!」

 

 俺が全速力で彼女に覆いかぶさった瞬間、凄まじい衝撃波が背中を掠めていった。

 

 紫色の稲妻だった。

 放射線状に広がったそれは、塔の最上階を更地にする勢いで駆け抜ける。

 連中の殆どは上手く避けたようだが、何人かは直撃をくらって身動きが取れなくなっている。

 なんにせよ、大混乱だ。

 

「ヨー、おっちゃん。今のうちに逃げるゾ」

「言われなくても」

 

 俺はアルゴの背中を押し、自らもその後に続く。

 背後では、化物と激しい戦いを繰り広げる音がする。

 もはや俺たちにかまっている余裕もないようだった。

 

「お前は大した奴だ」

 

 俺の独白に、彼女は答えた。

 

「これで借りは返したゼ。カッコつけめ」

 

 



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 化物の出現に乗じ、塔を脱出した矢先の出来事だった。

 

 白い矢が複数、凄まじい勢いで足元につき刺さった。

 この世界に、一部の例外を除いて遠隔武器は存在しない。

 それはテイムされたモンスターの特殊能力だった。

 

「クソ、あの鷹か!」

「おっちゃん、後ろ!」

 

 アルゴの声に、咄嗟に反応した体が刀を引き抜く。

 黒い狼が地面から飛び出してきた。

 ギリギリの所で牙を受け流し、返す刀でバランの胴体を切り裂く。

 キャン、と鳴き声を上げ、狼が飛び退いた。

 

「やはり躱しますか」

 

 カツンと音を立てて、アキが瓦礫の山から降りてくる。

 感情の抜け落ちたその表情にゾッとしながら俺は言った。

 

「いい加減、見逃してくれないか?」

「これだけ手酷くやられておいて、見逃すわけがないでしょう」

 

 アキは自らも短剣を引き抜き、脱力したような構えを見せながら言った。

 

「もういいです。早く救われて下さい」

 

 二頭の獣がいっせいに襲いかかってくる。

 アキ本人はアルゴの相手をするつもりのようで、そちらの方に切りかかっていった。

 アルゴを庇ってやりたい所だが、二頭を相手にそれどころではない。

 能力を忌憚なく使った波状攻撃に翻弄される。

 バランが地上に出てくる瞬間を狙うはいいものの、リディアの遠距離攻撃によって上手くカバーされてしまっている。

 HPが残りわずかなため、強引に攻めるのも無しだ。

 

 俺は狼に斬りかかると見せかけて、寸前で動きを止める。

 リディアの白い矢が空を切った。

 いくら連携が優れていても、所詮AIでは限界がある。

 このようなフェイントは見抜けない。

 射撃のため、直線的な軌道で下降していたリディアにナイフを投擲する。

 翼にそれを受け、白い鷹は霧揉みしながら墜落してきた。

 

 その隙に放ったソードスキルがリディアを捕らえ、HPを残らず吹き飛ばす。

 ぴしり、と音がしたかと思うと、リディアは無数のポリゴン片となって砕け散った。

 

 俺がカタナを振り切った隙を狙い、バランがすかさず攻勢に出る。

 一頭を仕留めた今、バラン単体での脅威はこれまで半分以下であり、奴にとって俺を仕留めるチャンスは今しかない。

 それを理解しているからこそ、バランの動きに素早く対応できた。

 

 ソードスキルの硬直から解放されるやいなや、コンパクトに柄を突き出し、飛び込んできた狼の鼻を殴る。

 狼の噛みつきが空振りに終わる。

 無念そうな奴の瞳と目があった。

 

「残念だったな」

 

 バランにトドメを刺し、アルゴの方へ視線を送る。

 

 キン! 

 

 まさにアルゴの短剣が、アキによって弾き飛ばされる決定的な瞬間だった。

 アキは逆手に持った短剣を振り下ろそうとしている。

 対するアルゴは無防備な状態だ。

 しかも体勢が崩れていて、攻撃を躱せそうにない。

 

 俺は咄嗟にソードスキルを発動させた。

 一瞬で間合いを詰める、突進系のスキルだ。

 

 その時、俺は刹那の判断を迫られた上、冷静さを欠いていた。

 故に、急所を外すという配慮を忘れてしまったのだ。

 

 気づいた時には、背後からアキの心臓部を串刺しにしていた。

 

 アキは胸から生えた刃を、びっくりしたように眺めていた。

 次いで、宙に泳いだ視線は、急激に減少する自らのHPを眺めているのだろうか。

 

 俺は腕が痺れたようになって、全く動かせなかった。

 

 命が尽きる寸前、アキはこっちを向いて、ニッコリと笑いながら言った。

 

「あなたに、救いがありますように」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、駆けつけた攻略組のプレイヤーたちは、マント男を一人残らず捕らえた。

 アルゴよって召喚された《カルガラ》は、散々暴れ回った挙句、かの《黒い剣士》によって葬られたようだ。

 

 こうして、俺たちの仕事は一応の決着をみた。

 ギルド連合の目的は達成され、俺も晴れて借金地獄から解放されたわけだ。

 

 しかし、俺は素直に喜べないでいた。

 一人の少女の命を、この手で奪ったからだ。

 

 俺が刺したのはゲームのアバターで、直接彼女の肉体に手を下したわけではない。

 

 彼女は何人も人を殺していて、まともな人間じゃなかった。

 

 アルゴを守るためには、ああするしかなかった。

 

 言い訳をしようと思えばできるが、殺人を正当化する理由としてはどれも不十分だ。

 そもそも、正当化すること自体が間違いなのではないかと思う。

 だから俺は、自らの罪を受け入れようと考えた。

 アキという少女のこれまでとこれからを、一生背負い続ける覚悟だ。

 それは到底背負いきれるものではないにしても、彼女の死を思い出して苦しむことがせめてもの贖罪になるだろう。

 

『偽善者』

 

 クスリとアキが耳元で嗤った気がした。

 

「おっちゃん」

 

 ぼんやりとキセルをふかしていた俺に、アルゴが声をかける。

 彼女とのタッグが再開してからというもの、毎日が忙しい。

 気が付けば、こうして休憩できる時間も貴重なものとなっていた。

 

「どうした」

 

 俺は手ごろな切株に腰を掛けていた。

 木漏れ日が差し込み、そよ風を受けて木々がざわめく。

 

 ここはフィールドに点在する休憩スポットで、エリア内に留まっている限り、モンスターからの襲撃をうける心配はない。

 

「今日は早めに切り上げて、明日は休みでいいゼ」

 

 思わぬ言葉に、俺は手にしたキセルを落としかけた。

 俺がどれだけ休みをねだっても、がんとして譲らなかったアルゴが自らその話を持ち出すとは。

 

「……何を企んでいる?」

 

 アルゴは腕を組んだまま、じろりと流し目をくれる。

 

「働きたいんだったら、別に構わないけド?」

「いや、ぜひ休もう」

 

 即答する俺に、アルゴはやれやれと肩をすくめた。

 

「あんまり中年をこき使っちゃ可愛そうだからネ。少し疲れているようにも見えたから、この機会にゆっくり休むといいヨ」

 

 あれでいて案外、アルゴは人を良く見ている奴だ。

 見抜かれた恥ずかしさもあって、俺はおどけるように言葉を返した。

 

「お前もようやく年長者に対する配慮ってもんが分かり始めてきたようだな」

 

 アルゴはそれに直接返事をしなかった。

 ただ、嫌味ったらしく口を開く。

 

「精々休みを満喫するといいヨ。また例の如何わしい店にでも行くんダロ?」

 

 如何わしい店、とは男のロマンが詰まったアレだ。

 仮想世界にも性欲を持て余した人間は存在して、そんな需要によって成り立つ商売がある。

 俺は自分のプライベートが筒抜けになっている事実に戦慄した。

 ワザとらしい咳払いをし、キセルの煙を吸い込む。

 

「アルゴ。勘違いしてるみたいだが、あれはだな……」

「あー、汚いおっちゃんの言い訳なんて聞きたくなイ」

 

 殴るふりをすると、アルゴはサッと躱して舌を出して見せた。

 

 この野郎。

 

 ため息をついた後、急に可笑しくなってフッと笑った。

 

「お前は明日どうするんだ?」

 

 なんの気なしに聞くと、アルゴはさも当然のように言った。

 

「一人でできる仕事をやるつもりだヨ」

「まさか、休まないのか?」

「休みっていっても、特にやりたいこともないシ」

 

 俺は彼女の勤労精神に飽きれた。

 なぜ若い連中はこんなにも真面目なのか。

 力の抜き方というものを心得ていない。

 

「じゃあ、明日は俺に付き合えよ」

「え?」

 

 今度は、アルゴが思い寄らないといった様子でこちらを見た。

 

「やることないんだろ?」

「でも」

 

 アルゴが珍しく歯切れの悪い調子で言った。

 

「私がいない方が、羽を伸ばせるんじゃないカ?」

 

 俺はまじまじとアルゴを見た。

 こんな遠慮がちな言葉を、彼女から聞く日がくるとは驚きだ。

 普段の図々しさは一体どこに行ったのやら。

 

 伏し目がちになった瞳に、長いまつ毛が掛かっていた。

 クルクルとした髪の毛を、彼女は無意識のうちに指で弄っている。

 

 俺はアルゴの頭にポンと手を置く。

 ぎこちなくグリグリと頭を撫でていると、アルゴが困ったような上目遣いで言った。

 

「なんだヨ」

「お互い、そんなに気を遣う仲でもないだろ。もっと気軽でいいんだよ」

 

 アルゴは人見知りのネコよろしく体を固くしている。

 頭から手を離し、彼女を解放してから俺は続けた。

 

「それに、嫌な相手はわざわざ誘わない」

 

 さらに言えば、情報屋としてタッグを組んだり、共に命の危機に挑んだりもしない。

 

「そうカ」

 

 アルゴは短く答えて、そっぽを向いた。

 

「じゃあ遠慮なく、付き合わせてもらうヨ」

「そうしてくれ。若い女が隣にいると、自慢できるしな」

「……しょーもない男だネ」

 

 俺の冗談に、アルゴは今日一番のあきれ顔を披露してくれた。

 

 結局のところ、こうした日常のために、これまでの骨折りがあったのだろう。

 少々不本意ながら、俺はそう思わずにいられなかった。

 

 

 

 



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 一仕事終えた俺とアルゴは、街をぶらぶらと歩いた後、ちょっとした気まぐれで酒場に入った。

 

 時は夕方。

 

 酒場は同じようにダンジョン帰りのプレイヤー達で賑わっていた。

 

 テーブルでは頻繁に乾杯が交わされ、笑い声がそこかしこで上がっている。

 

「賑やかだな」

「ああ、いいことダ」

 

 俺たちは酒場の隅っこのテーブルに腰掛けて、エールを二つとつまみを注文する。

 会話を少し交わすうちに、NPCのウエイトレスがエールを運んできた。

 

「じゃあ、俺たちも」

「乾杯するとしよーカ!」

 

 ガツンとジョッキを打ち付け合って、キンキンに冷えたそれを喉に流し込む。

 ゲームの仕様上、酔えないのが残念だが、労働の後の一杯はやはり旨い。

 リアルでは仕事帰りに、よく居酒屋でひっかけていたのを思い出す。

 もっとも、その時は一人酒だった。

 

 俺は至福の表情で串焼きを頬張るアルゴを見る。

 気持ちいい程の食いっぷりだ。

 

「...なんだヨ」

 

 ジロジロ見ていると、アルゴが少し恥ずかしそうに顎を引いた。

 俺は無粋だったと思い知り、彼女から視線を逸らす。

 

「いや、俺の分も食っていいぞ」

「え、なんデ?」

「歳を食うと胃腸が油物を受け付けないんだ」

「それVRで関係あるカ?」

 

 そう溢しながらも、アルゴは嬉々と串に手を伸ばす。

 俺はそれを内心で微笑ましく見ていた。

 

 空のジョッキがみるみると増えていく。

 

 話しているうちに、不思議とお互いの声のトーンは上がっていった。

 

 品のない下ネタでひとしきり笑いあった後、アルゴはテーブルに頬杖を付きながら小馬鹿にしたように言った。

 

「そんな調子じゃ、おっちゃん一生結婚できないヨ」

「余計なお世話だ。それよりも自分の心配をしろ自分の」

「私はまだ若いからいいんだヨ。おっちゃんと違ってネ」

 

 余裕が窺えるアルゴに、俺は年長者として忠告することにした。

 

「言っとくが、アラサーなんてあっという間だから」

「またまた〜」

「いや、これマジだから。特にお前みたいな奴は気がついたらアラフォー目前になってたりするから」

「...何を根拠ニ」

「お前、理想高いだろ」

 

 どーん、と指を突きつけるとアルゴは痛いところを疲れたようにグッと黙り込んだ。

 

「どうせイケメンの金持ちと結婚して玉の輿になりたいとでも思ってるんじゃねーの? 残念、無理だよ。かく言う俺も昔は女子アナと結婚したいと思ってた」

「うえーん、夢見ちゃ悪いってのかヨ!」

 

 嘘泣きをするアルゴの肩を叩いた。

 

「本気で金持ちと結婚したいなら、副団長の半分でもお淑やかさを身につけるんだな。男はああいうのが好みだ」

「うるせー、私は誰にも媚びないんだヨ。おっちゃんこそ、歳いってるくせに包容力不足じゃないカ」

「なるほど、だから結婚できないのか」

 

 俺は素直に頷く。

 アルゴはヤケを起こしたように、エールをがぶ飲みし始めた。

 

「ほら、また食べカスついてるぞ」

「え、どの辺?」

 

 アルゴはてんで違うところを擦っている。

 俺は剛を煮やし、親指で彼女の唇についた食べカスをとった。

 

「...あ、う」

 

 手を出してから、その行為がちょっとデリカシーにかけると気がついた。

 恋人ならいざ知らず、女性の顔になんの断りもなく触れるのは良くない。

 

「あっ、悪い」

「いや...」

 

 少し気まずい雰囲気になってしまうテーブル。

 

 その時、やたらとバリトンの効いた声の持ち主が俺の肩を小突いた。

 

「よお、オーマじゃねぇか! 奇遇だな、こんなとこで!」

「げ、エギル」

 

 そいつは長身の俺よりさらに背が高かった。

 加えて雄牛のように逞しい肉体と彫りの深い顔立ちをしている。

 浅黒い肌はアフリカ系の血が混じっているように思える。

 

 彼はエギル。

 数少ない俺の友人であり、タンク兼、アイテム屋の店長である。

 

「おいおい、ご挨拶だな。久しぶりに会ったってのに」

「悪い悪い。しかし、相変わらず濃い顔面してんなぁ、お前」

「スカンク野郎。お前はいっつも気の抜けた面してるだろうが」

 

 俺とエギルは憎まれ口を叩きながら拳を突き合わせる。

 ポカンとこちらを眺めるアルゴを尻目に、エギルが小声で囁いてきた。

 

「しかしお前、女の趣味変わったな。なんというか、ティーンは色々と不味いだろ。確かに別嬪だが...」

「違う馬鹿。仕事のパートナーだよ。鼠のアルゴ。聞いたことぐらいあるだろ?」

「へぇ、あの情報屋か」

 

 するとエギルは胸に手を当てて、アルゴに見事な挨拶をして見せた。

 

「はじめまして、エギルです。噂の情報屋がこんな可愛らしいレディーだったとは驚きだ」

「へぇ、あんた中々見る目あるネ」

 

 俺がオエっと舌を出すと、エギルが俺の肩に置いた手をギリギリと締める。

 痛い痛い。

 

「こいつとは友人でしてね。よかったらご一緒させてくれませんか?」

「勿論だヨ。私もおっちゃんの相手はウンザリしていた所ダ」

 

 その瞬間、俺は会計を割り勘にする事に決めた。

 

 エギルの小話で酒の席は中々に盛り上がった。

 しかも彼はアイテム屋の店長をしているだけあって、中々に情報通だった。

 アルゴは殊更興味深そうに聞いている。

 

「そういや知ってるか。今月のコロッセウムの個人戦、あのヒースクリフが出場するらしいぞ」

「《神聖剣》か。ビックネームが出てきたな」

 

 ヒースクリフといえば、あの血盟騎士団の団長にして、右に立つ物のいないとされる凄腕のプレイヤーだ。

 加えて、唯一のユニークスキル《神聖剣》の使い手である。

 まさに英雄と呼ぶに相応しい人物だ。

 

 そんな彼が、一介のイベントに顔を出すとはどういった思惑があるのだろうか。

 

「どうよ。元チャンピオンとして血がうずかねぇか?」

「別に。俺はただ賞金目当てでやってただけだしな」

「つれねぇ野郎だな。お前に賭けて金儲けしてやろうと思ったのに」

「なるほど。わざと負けてスカピンにしてやるのも手だな」

「てめぇ...」

 

 エギルが青筋を立てる。

 見事なスキンヘッドと相まって、中々の迫力だ。

 赤ん坊がいたら泣き出すに違いない。

 

「そもそも、俺には情報屋の仕事があるんだ。いまさらコロッセウムに出場する気はねぇよ」

「いや、ちょっと待てヨおっちゃん」

 

 そこで口を挟んだのはアルゴだった。

 彼女はジョキを縁をなぞりながら言った。

 

「中々面白い話じゃないカ。今回のコロッセウム。出場する価値があるゼ」

 

 ああ、この顔だ。

 

 俺は彼女の顔を見て苦々しく思った。

 

 アルゴがこういう顔をする時は大抵ろくなことがない。

 

 俺はため息をついて彼女に尋ねた。

 

「で、今回はどんな悪巧みをしてるんだ?」

 

 

 



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10

コロッセウムは、古代の決闘場をモチーフにした巨大建造物だ。

 

大理石の円柱に見事なアーチ。

それが幾重にも重なり合って、楕円形のシルエットを構成している。

 

かつて求心力を失ったローマ皇帝が、人心を掌握するために作った娯楽施設。

その意味合いは、時代を跨ぎ、VR環境で再現された今でも大きく変わることがない。

 

つまり、デスゲームに閉じ込められた人々の数少ない娯楽であり、上位プレイヤーの所属するギルドが権力を誇示する場所なのだ。

 

俺はそんなコロッセウムの待合室で、遠くに聞こえる歓声をそれとなく聞いていた。

 

「どうした、緊張しているのか?」

「ああ。もう帰りたい...」

「ふざけんな、お前にゃ大金ぶっ込んでんだ。最悪でもベスト4まで残らなきゃ許さん」

「ふん、金の亡者め」

 

俺はエギルを横目で睨んだ。

この物好きは、どうやらセコンドにでもなったつもりらしい。

頼んでもいないのに相手の情報やら戦い方についてアドバイスしてくる。

大方、アルゴの入れ知恵だろうが。

 

「こんなガチムチが隣に控えてちゃ、やる気も失せるってもんだ」

「悪かったな、お前のスイートじゃなくて」

「おい、なんでそうなる」

 

彼は俺の質問に直接答えず、片方の眉をコミカルに持ち上げて見せた。

ムカつく。

 

俺は無視を決め込んで、剣の素振りに取り組む事にした。

 

鞘に収めた刀を引き抜き、宙に斬撃を刻む。

切っ先を蛇にように唸らせ、仮想敵の動きに追い縋っていく。

首を跳ね飛ばすイメージを最後に、ふうっと息を吐いた。

 

エギルが関心したように言った。

 

「大したもんだな。目で追うのがやっとだ」

「そりゃどうも」

「お前ならギルドから引く手数多だろうに。なんでどこにも入らないんだ?」

 

彼の問いに俺は肩を竦めて見せた。

 

「人付き合いが苦手なんだ」

「まぁ、なんでもいいが。ここじゃソロは目の仇だ。油断するなよ」

 

ギルドの連中が幅きかせている以上、なんの後ろ盾も持たないソロの肩身が狭いのは当然だと言えた。

試合中のみならず、あらゆる場面で嫌がらせを受ける事だろう。

それでも、俺は不敵に笑って見せた。

 

「エギル、誰に物を言ってんだ?」

 

その時、タイミング良く呼び出しがかかる。

エギルは苦笑していた。

 

「行けよ、チャンピオン」

「ああ」

 

俺は入り口へ向かって歩き出した。

 

コロッセウムに一歩踏み出した瞬間、余りの眩しさと歓声に一瞬身が竦む。

 

テンションの高い解説者がマイクに向けてがなっている。

 

「さぁ、西方から現れたのはこの男。解説はいらねぇな野郎ども!《秘剣》のオーマだ。お帰りチャンピオン!」

 

わぁっと雛壇に座る観客が叫ぶ。

俺はそれに軽く手を上げて答えた。

 

対戦相手は既に位置についていた。

得物は片手剣と盾。

バランスに秀でているが故に、もっとも使い手の多いスタイルだ。

 

俺より十は若いと見える青年は、緊張した面持ちで唇をギュッと引きむすんでいる。

 

程なくして開始の合図が響き渡る。

 

先手を取ったのは相手だ。

 

素早く間合いを詰めると、隙の少ない突き技を繰り出してくる。

回避するこちらに対し、小刻みにステップを踏んで追撃してくるあたり中々油断ならない。

 

「おおっと、早くも防戦一方の”元“チャンピオン。流石にブランクが長すぎたかー?」

 

その間に解説者が茶々を入れてくる。

 

好き勝手言いやがって。

 

内心で文句を言いながら、俺はわざと隙を作って相手の大振りを誘った。

狙い通り、相手はソードスキルのモーションに移る。

 

キィン、と片手剣から閃光が弾け、目にも止まらぬスピードで剣先が真一門に振り払われる。

見てからでは対処が間に合わないが、俺は相手がモーションに入った時点で行動に移っていた。

 

素早いバックステップで技の間合いをギリギリ逃れると、今度は自らがソードスキルを発動させる。

剣を振り切ってガラ空きの胴に二連撃。

一発目はもろに入り、二発目は盾でガードされた。

決定打には足らずとも、相手の体制を崩す事には成功している。

 

俺は勝負を決めるべく、さらに距離を詰めていった。

 

盾を正面にかざす相手に対し、左右に攻撃を散らしながら決定打を狙う。

そして握りの甘くなった片手剣を弾き飛ばし、盾を蹴って転ばした瞬間、喉元に刀を突きつける。

 

「全く危なげのない勝利! 初戦じゃ全力を出すまでもないって事か? よろしい、二回戦に進んじゃってくれよオーマ!」

 

掌返しで会場を盛り上げる解説者に呆れつつ、俺は踵を返しで出口へ向かう。

 

エギルはそこで笑みを浮かべながら待っていた。

 

「コングラチュレーション。初戦突破おめでとう」

 

彼と軽く拳を突き合わせながら、ふと、アルゴはどうしているのかと考えた。

彼女は俺をコロッセウムに出場するように駆り立てた後、いそいそと何処かへ出かけていってしまった。

 

また妙な事に首を突っ込んでいないといいが。

 

 

 

 

 

 

アルゴは得意のハイドを使って町中を歩いていた。

ある人物を追って、人混みをするりするりと躱していく。

彼が赤いマントを翻し、人気のない路地に入った所でアルゴはニンマリと笑った。

 

「団長さん」

 

アルゴは彼に声をかけた。

姿の見えない相手から話しかけられたというのに、その男は特に驚いた様子もなく、アルゴのいる辺りへ肩越しに視線を送った。

 

「誰だね? 隠れたままでは失礼だよ」

 

その落ち着いた低音は良く響いた。

彼の見事な白髪は首の後ろで一本に結ばれており、ユニコーンの尻尾のようだ。

顔立ちは穏やかで、若々しいおじ様といった感じだが、目だけが異様な迫力を称えている。

静かで底が知れない湖ーー

 

それがアルゴが抱いた血盟騎士団団長、ヒースクリフの第一印象だった。

 

アルゴはゴクリと喉を鳴らしたあと、「こりゃ、失礼」と隠蔽を解き、魔術師のようにパッとその場に姿を現した。

 

「鼠のアルゴと言いマス。以後、よろしくしてくれヨナ」

 

それだけでヒースクリフは彼女のことを理解したようだった。

 

「情報屋が私になんの用かな? 生憎、少し時間に追われていてね。手短に頼むよ」

 

こちらを突っぱねるような態度だが、アルゴは彼の関心ごとがどこにあるか知っていた。

彼女はヒースクリフの長身を見上げながら、ちょっとしたプレゼンを始めるような気分で話し始める。

 

「団長さん。オイラは、アンタが今やろうとしていることの障害を取り除いてやりたいんダ。無論、見返りは頂くがネ」

「ほう」

 

ヒースクリフは興味深そうに顎に手をやり、アルゴを吟味するような目で見つめた。

 

「続けて」

 

アルゴは笑みを深くした。

得物がシッカリと針にくっついている感覚。

自分の采配次第で交渉の成否が分かれるというこの緊張感が、アルゴに情報屋を続けさせる一つの理由である

アルゴは舌で唇を湿らせた。

ここからがいい所だ。

 

「血盟騎士団は精強ダ。でも、真のトップたるには数が足りない。そんなことはオイラに言われるまでもなく分かってるよナ? そこでアンタはコロッセウムに目を付けタ。ここで表彰台を独占にする前代未聞の功績を打ち立てたらどうだろうカ? 血盟騎士団の市場価値は跳ね上がル。そのタイミングで団員を広く募集したいというのがアンタの思惑ダロ? 出場メンバーを見てすぐにピンと来たヨ。三位は幹部の誰か、二位はあーちゃん、一位は自分ダ。違うかイ?」

 

ヒースクリフはふっと笑みを浮かべた。

どうやら時間を無駄にせずにすみそうだ、という風に頷く。

 

「別に隠すつもりもなかったが、情報屋というのは中々に目ざといな。

正解だよ。さて、その上で私の障害とは何かな?」

 

アルゴは人差し指を立てた。

 

「《秘剣》だヨ、団長さん。コイツはアンタにとって悪いダークホースだゼ。コロッセウムの優勝経験はダントツだし、戦闘センスじゃアンタに勝るとも劣らないとオイラは見てル」

 

酒場でオーマを説得した時から、アルゴにはこのビジョンが頭にあった。

それは彼に対する無条件の信頼と、客観的なデータの集積によるものである。

オーマの実力は、《神聖剣》にすら届き得る。

 

「彼のことなら知っている。その上で私の団員が上を行くと思っているのだが?」

「ふふ、そりゃアセスメント不足だナ。油断していると喉笛に噛みつかれるゾ。そうなりゃアンタの不敗神話もお終いダ。少なくとも保険をかける価値はあると思うがネ。幸いにして、《秘剣》とはちょっとした知り合いダ。オイラなら話をつけられるゼ」

 

観客には悪いが、このような八百長の行為などギルド間でしょっちゅう見られることだ。

利益や権力が絡んだ時点で、競技組織は腐敗する。

それはオリピックでも散々証明されてきたことだ。

 

ヒースクリフはとりあえず沈黙した。

鉄面皮の下で一体何を考えているのだろうか。

やがて彼はゆっくりと口を開いた。

 

「君が求める見返りとはなんだね。それを聞いてから判断したいのだが?」

 

至極当然の話だ。

原価なくして利益は計れない。

流石に彼はその事をよく分かってる。

 

メリットは提示した。

あとは自分の欲しいものが彼の天秤で釣り合うかだ。

 

「迷宮のマップデータを公表して欲しいんダ。現状、それは有力ギルド同士で秘匿し合ってル。血盟騎士団が公表し始めたら、その流れも変わるダロ」

 

アルゴの要求を聞いて、ヒースクリフは初めて感情を表に出した。

即ち、不思議そうな表情だ。

 

「...それは君にとってどんな利益があるのかね?」

「その情報で助かる命がアル。この世界は生き残ってなんぼダ。一人でも多くの人間とゲームクリアを迎える以上の利益があるカ?」

 

その瞬間、彼は瞳をきらりと光らせた。

興味深い対象を見つけた科学者のような、貪欲で無邪気な視線だ。

アルゴは彼のそんな一面に少し不気味なものを感じて顎を引く。

 

「なるほど」

 

ヒースクリフは考える素振りを見せたが、アルゴの交渉にはおおよそ満足している様子だった。

 

「君の要求は分かった。ただ、私としては《秘剣》というプレイヤーについてもう少し吟味したいな。彼の予選の成績次第で判断したいのだが、構わないかね?」

 

アルゴとしては即決が欲しかったが、致し方ない。

交渉とはお互いにとって最良の着地地点を探す行為だ。

これでオーマの価値をヒースクリフが強く理解し、完全に納得の上で合意ができれば、後も遺恨を残さずに取引ができる。

 

「勿論サ。いい返事を期待しているヨ」

 

その場を去ろうとするアルゴの背中に、ヒースクリフが声をかけた。

 

「ああ、今度はちゃんとアポを取ってくれると助かる。君は少々刺激的だからね」

 

アリゴはニヤリと笑い、わざとらしく腰を折ってみせた。

 

「肝に命じるヨ。団長さん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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