『ZOIDOS Genesis 風と雲と虹と』第三部「動乱」 (城元太)
しおりを挟む

第弐拾話

 蒼天に鳶色のシュトルヒが甲高い鳴き声をあげて輪を描く街道を、二足歩行の中型ゾイドが進んでいた。本来両肩に装着されるジャイアントホイールを、荷車に利用し、前足で器用に押している。小さく丸い外耳に丸みを帯びた体形、白と黒の色分けとも相まって愛らしい姿で歩いていく。

 南半球の卯月、盛夏の頃。下総の大地は一面黄金の麦の穂に覆われていた。麦秋を貫く一本道を、同じく金色のシリンダーに彩られたバンブリアンが長閑に歩む姿は、此処が政争から遠く離れた場所であることを感じさせた。

 パンダ型ゾイドの操縦席に座る丈部(はせつかべ)子春丸(こはるまる)は、即製の手押し車に積まれたリーオの(けら)(=粗鉄、この場合「粗メタルZi」)を見下ろし、額の汗を拭う。

「いぢ、今日のお務めが終わればまた府中(※石岡)に向がうがらな」

 手にしたリーオ製の髪櫛を見つめ、常陸訛りの独白をする。櫛を紅色の袋に入れると大事そうに懐に納め、前を向きなおした。

「ありゃ、なんだっぺ」

 2足歩行の機体高ゆえか、黄金にさざめく麦畑の海の向こう側から見覚えある2機のゾイドが視界に入った。

「ディバイソンだな。常羽御厩の多治経明様のもんとは色が違うべ。それと……おお、村雨ライガーだ。将門の殿(との)のお帰りだ。検非違使にはなれたかのう」

 バンブリアンは一度手押し車を離し、4足歩行形態に変形する。接近する村雨ライガーとディバイソンの進行の邪魔にならないよう、街道の傍らに機体を寄せて停止した。

「小次郎様、お懐かしゅうございます。岡崎村の駆使、子春丸でございます。まずはお帰りなさいまし」

 風防を開けた操縦席で、子春丸は人懐っこい笑顔を浮かべていた。

 小次郎も村雨ライガーの風防を開き応じる。

「子春丸、主も息災であったか」

「お蔭様で元気です。都からお帰りで御座いますか」

「ああ、これから鎌輪に戻る。母上たちは達者であろうか」

 途端に子春丸の表情が曇る。不穏な雰囲気を察し、小次郎は子春丸に再び問いかける。

「伯父達が来たのだな」

「詳しい事は手前の様な者が申すべきことではございませぬ。まずはお急ぎでお帰りくだせえ」

「合い分かった」

 小次郎は短く礼を言うと、村雨ライガーの歩みを速めて鎌輪の館に機体を向けた。子春丸はその時、付き従うディバイソンの後方警戒・対空要員席の装甲を開き、坂東の風に射干玉色の髪を(なび)かせる美女の姿を目にした。

「都の女だ……小次郎様もなかなかの御仁で……」

 羨望とも取れる失笑を潜め、2機のゾイドが離れていくのを暫く見送っていた。

 

 桔梗は香ってくる土の匂いを懐かしく感じていた。

 歩行速度を上げたことで振動が若干大きくなり、十七門突撃砲が微かに上下する。

 束ねた髪も風に歩調に合せて旗の様に靡いた。

(ここが下総なんだ)

 舞い上がる埃に霞む進路を見遣り、あの日の事を思い返していた。

 

                  *

 

 ロードゲイルを破壊されたあの日、緩やかな振動によって目覚めた。見慣れぬ操縦席の中、少し窮屈な姿勢で眠っていた。前席に男の広い背中が座る。

「……(ぬし)は、確か……」

「目覚めたか。痛みは無いか」

 空かさず身構えようとしたが、肩に激痛が奔り容易に動かせない。両足にも鈍痛が残り、見れば手厚く巻かれた包帯に血が滲んでいる。桔梗は、いま自分が傷だらけであることに気付いた。

「我を如何にするつもりだ。押領使に捕縛させようというのか」

 言い放ってから、胸も苦しいことを知る。肺も衝撃で圧迫されていたのだ。前席の武士は振り向かずに応える。

「捕縛するなら縄でぐるぐる巻きにしてとっくにして居る。それなら最初からゾイドの後席などに乗せぬわ。桔梗よ、お前を救いたいのだ」

 桔梗は呼吸する度に肺に込み上げる圧迫感を堪え、声を絞り出して返す。

「なぜその様なことをする。貴様が滝口の小次郎将門であることは知っている。追捕する側でありながら、なぜ群盗の私を救うのだ」

其方(そなた)が美しかったからだ」

「な……」

 この時小次郎は単純に「桔梗の髪が美しかった」と言った心算(つもり)であった。辯の立たない武骨な坂東武者は、自分の放った言葉がどの様な意味を持つかも考えずに使っていた。

 そしてそんな心中を察するはずもない弱り切った桔梗にとって、それは殊更(ことさら)に特別な意味として受け取られた。

 身体中が熱くなり、呼吸は別の理由で苦しくなる。

(何なんだ、この男は)

「その様子では当分動けまい。暫くは私と共に過ごすこととなるぞ」

 重ねて小次郎は、言葉の意味を考えずに使う。最早桔梗には返す言葉はなかった。

 小次郎は興世王の口添えで借宿の手配を頼む。「女を囲いたい」と、そのままの意味を口にすると、興世王は詳細も聞かずに館の離れを提供してくれた。小次郎は、その背後で薄笑いを浮かべる興世王を知らずに。

 村雨ライガーの操縦席から抱きかかえられ、敷かれた(とこ)にそっと横たえられた桔梗を見下ろし「早く治癒すると良いな」と言って去って行った。小次郎が去った後暫く、桔梗は胸の高まりが収まらなかった。

(何なの、あのひとは)

 桔梗はその日、傷の痛みも胸の(つか)えも覚えず、深い眠りに落ちて行った。

 

 小次郎は日に数回、傷の様子を見に訪ねてきた。桔梗の素性を聞こうともせず、献身的に世話をやいてくれた。困難な状況にある者を黙って見過ごせない性格と、誤った言葉の使い方により誤解をしたままの桔梗は、いつしか複雑な感情を育てていった。

 傷が癒える頃、坂東への同伴を聞かれた時、桔梗は俯きつつ小さく「うん」と頷く。

 小次郎はそれが傷の痛みによって声が出ないものと、また誤解をしていた。

 

 坂東へ出立の日、道中を共にすると紹介された初老の武士が告げた。

「お前はこれから儂の娘、孝子となる。途中、(せき)の通過には、将門殿の(さい)とするよりも何かと都合が良いのだ。わかったか」

 その伊和員経の言葉も、桔梗の想いに追い打ちをかけてしまった。

(私が、この武者の妻に……)

 群盗の女頭目と判らぬよう、持てる金子(きんす)を目一杯払って、都でも華やかな女房装束を纏わせると、見る者が見ても判らぬ程、淑やかな女性になっていた。鏡に写る姿を見て、桔梗は今までと違う自分に驚いていた。

(どこまでもついて行ってやる。このひとの最期を見届けてやるのだから)

 その感情が二つの意味を持つことを知りつつ、桔梗は自分を納得させ、この男の育った郷とはどんな所かを知るという理由で坂東行きを決意した。だから待ち遠しかった、鎌輪の館がどんなところなのか。だが。

 

「あれが、武士の館なの……」

 桔梗は思わず声に出してしまっていた。

 

 懐かしい築地塀(ついじべい)が見える。都に身を置く間、何度も瞼に浮かんだ鎌輪の館は、しかし小次郎を変わらずに受け入れることはなかった。

 あまりの変わり様に声が出ない。

 息を呑む、とはこの事かと思うほど、小次郎は衝撃を受けた。

 ディバイソンの頭部装甲を上げ、伊和員経が小次郎に問いかける。

「殿、こちらが鎌輪の館で御座いますか。失礼ながら(えら)く荒れていて、とても武家が住む場所とは思えませぬ。先程の駆使の思い違いで、最早御兄弟達はこの館から別の棟に移られたのではないのでしょうか」

 そうかもしれない、いや、そうに違いない。

 村雨ライガーに伏せの姿勢を取らせ、カウルブレードに掴まりつつ降り立つ。幼い頃から嗅いできた土の匂いは変わらない。だが、ぼろぼろの矢倉も、荒れ果てた馬場も、とても自分達兄弟を育んできた館とは信じられなかった。

 曲がり屋の奥、動く白い影がある。小次郎は身構えた。

「誰かいるのか。俺はこの館の惣領、都より戻った平将門だ」

「兄者か」

 廃屋同然の格納庫から現れたのは、スナイパーライフルの右の銃身を失い、所々の装甲板を失ったケーニッヒウルフであった。

「兄者、漸く戻られましたか」

「いたのか三郎。この有様は一体どうしたというのだ。四郎の便りで駆けつけてみれば、この廃れ様。母上は、それに将平や将文、将武、将為達は」

 矢継ぎ早に問いかけたところで、三郎将頼が応じられないことは知っている。それでも問いかけずには居られぬ程、小次郎は(たか)ぶっていた。

「まずは館に入ってから申し上げます。母上も待っております」

 小次郎は再び絶句した。

 母上がまだこの館にいるのか。こんな廃墟のような館に。

 自分の不在の間に起きた出来事が、予想以上に縁者を苦しめていたことを、小次郎は痛感していた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第弐拾壱話

 盛夏の常陸野、立ち昇る朝靄に(けむ)る筑波峰を仰ぎ見つつ、小次郎は伊和員経と共に真壁、服織(はとり)の館へと向かっていた。本来上総介である平良兼(たいらのよしかね)が常陸に居を構えているのも、(ひとえ)に源護の娘と招婿婚(しょうせいこん)(=妻問婚)による結果である。那珂から久慈に亘って広大な所領を有する源家の一族は、高望王(たかもちおう)を祖とする坂東の桓武平氏一族と婚姻を結ぶことにより、所領の支配の安定化を図った。結果、小次郎の伯父国香、叔父良兼、良正が源護の婿として源家の姻族に組み込まれた。良兼が館を服織に移した理由もそれである。そして新たに、末娘(あや)が、従兄貞盛との婚儀を進められている。

 小次郎は村雨ライガーの中、懐から取り出した古代ゾイド文字の刻まれたリーオの櫛を見つめた。

 都での仕官の目的は、彩を(めと)るためだった。ところが自分は滝口の衛士の位を(なげう)ってしまい、一方の貞盛は左馬(さま)(じょう)として今も都に勤めている。三郎将頼が語ったところの、源家三兄弟のバーサークフューラーによる所領侵食により、既に源家と間には深い溝ができてしまっている。嬥歌(かがい)の夜に交わした約束が果たされることは難く、あの夜唇に覚えた柔らかな刺激も、二度と交わされることもないと思っていた。

「将門の殿、如何なされた」

 並走してきたディバイソンの操縦席から員経が問いかける。

「いや、なんでもない」

 小次郎は僅か一年前の出来事が、遥かな過去の出来事の如く思え、自分が置かれた立場の重さを噛み締めた。

 

 鎌輪に戻った夜、三郎や四郎から話を確認すると、大凡は先の四郎将平の便りに記された事実に相違なかった。翌日には早速常陸大掾(ひたちのだいじょう)を勤める平国香(たいらのくにか)の元に使いを出し、下総の惣領として所領蚕食に対する問答を望んだが、常陸の伯父は物忌みを理由に断り、会見が叶うことはなかった。露骨に問題を有耶無耶にしようとする態度が見て取れたため、小次郎は歯噛みしつつも次の手段を考える他なかった。

「いっそ確約なしに館を訪れては如何でしょうか。ならば叔父君達も断れぬことと存じます」

 老練な員経の進言は、若年者のみの鎌輪では心強かった。国香に会見を断られた以上、次に向かうべきは上総の良兼である。今は常陸の服織に起居していることを確認すると、小次郎は虚を突いての会見に臨むべく、早朝より員経のディバイソンを伴い、村雨ライガーで出立したのだった。

 

 騰波ノ江(とばのえ)を迂回する為、鬼怒川沿いに北上している途中、超硬角を鈍く輝かすもう一機のディバイソンが現れた。

「小次郎の殿、久しう御座います」

「経明殿、息災で在られたか」

 常羽御厩(いくはのみんまや)の別当多治経明(たぢのつねあきら)が、朝露に泥濘(ぬか)るんだ大地を踏み締め近寄ってきた。

「お帰りなさいませ。都よりお戻りとは存じ上げず御挨拶が遅れました。ところでそちらの御仁は」

「将門の殿に仕える事となりました伊和員経と申します。経明殿、同じディバイソンを駆る武士(もののふ)故、以後懇意に願いたい」

 一通りの名乗りの後、経明は事の流れを小次郎に語った。やはり四郎の便りに準じており、殊の外源家三兄弟の乱行に激高していた。

「官牧である常羽御厩でさえ、飼育しているランスタッグを奪っていく始末。服織に行くのであれば是非ともお供したい。良兼殿にも、義兄弟の粗暴な振舞いを伝えましょうぞ」

「今回は話し合いに行くのだ。事を荒立てるつもりならば同伴は許さぬぞ」

 小次郎の諌めに経明は頻りに恐縮している。だが一方で、小次郎は思案せずには居られなかった。

 源家の侵攻が性急過ぎる。関係を結ばぬ一族より容赦なく簒奪するのは、あれだけの所領を持ちながら不自然であったからだ。もとより下総は、鬼怒と利根の乱流と信太の流海に囲まれた途切れ途切れの狭い土地ばかりである。何故伯父達が、自分如きの所領を狙うのかが解せなかった。

 程無くして、小次郎はその理由を知ることとなる。

 

「なんだこの死骸は」

 鬼怒を渡り、騰波ノ江の北に達した頃、湖畔の葦津に累々と横たわるフロレシオスやアクアドン、バリゲーターにカノントータスなどのゾイドが遺棄されているのを目の当たりにした。

 一様に赤い斑点状の膿疱(のうほう)を発している。

「これは都の海浜に打ち捨てられていたゾイド群と同じでは」

 員経が声を上げる。

「ゾイドウィルスです」

 多治経明は風防も開かず告げる。

〝良兼か国香か、はたまた護かは存じ上げませぬが、どうやら都から持ち帰ったゾイドの中に悪性の病巣を孕んだ物があったらしく、これらの疱瘡は下総から鬼怒を越えた常陸や下野で大流行しております。一度ゾイドに罹患すると最早施し様は無く、こうして湖沼に打ち捨てられるばかり。良兼達が下総を蚕食しているのも、この疱瘡によるものでもあるのです〟

 見るも無残に横たわるゾイドに、小次郎の胸は痛んだ。

 この事を知っていれば、せめて都よりワクチンプログラムを持ち帰ったものを。このままでは坂東のゾイドが失われてしまう。ふと思い浮かんだのは、未だに都に残る太郎貞盛のことであった。

 従兄の父国香が小次郎の土地を侵しているという理由での帰郷のため、理由も告げずに去って来た。だが貞盛であれば理由を言えば必ず対策を取ってくれるはずだ。小次郎は恥を忍んででも、坂東の現状を都の貞盛に伝え、更には懇意にしていた蔵人所の藤原師氏にも懇願し、ワクチンプログラムの送付を願うことを考えていた。

〝小次郎の殿、あまり近づきますと感冒(うつ)りまするぞ〟

 まだ息が有り、小刻みに震えるバリゲーターを見遣りつつ、小次郎は二機のディバイソンを引き連れ服織の館に向かって行った。

 

 服織の館には古びた土塀が連なり、鎌輪より大きな矢倉がある。良兼との縁組により譲られた、元は源護の別荘としての館であった。

 門の前に達し、小次郎達がゾイドから降りようとした時であった。

 館の内部が騒がしい。ばたばたと翼を羽ばたかせ、中で何かが甲高い鳴き声を上げている。

「ゾイド、でございましょうか」

「わからん。ただ館の内で騒動が起きている事だけは確かだ」

 村雨ライガーから降りるのを止め、小次郎達はゾイドの操縦席で身構えた。

 門扉が内側を激しく叩く音がする。郎党達の「姫様、お止め下さい」「危のうございます、お降り下され」という諌めの言葉が聞こえる。

 突然、土塀の向こう側で眩しい光が煌めいた。

〝あれはパラクライズ。又もや姫が御立腹か〟

「経明、何のことだ」

 小次郎の問いを待つことなく、見詰めていた門扉が突き破られる。吹き飛ぶ扉の向こう側より、(すみれ)色をした孔雀型ゾイドが跳び出してきた。

〝やはり良子姫のレインボージャーク。未だ空に飛び立つ技も会得出来ずに乗り回しておられるとは。全くとんだ御転婆だ〟

「良子?」

 幼き日、良兼のダークホーンの尾部銃座に座り上機嫌で戯れていたのを覚えている。叔父の脇で花の様な無邪気な笑顔を湛え、自分と三郎に面し、頻りに「小次郎兄さま、三郎兄さま」と付き纏って来たあどけない少女を思い出す。

 父良持の回忌の日、年頃になったとだけ良兼から伝え聞いていた。記憶を遡り、あの従妹であれば、この程度の御転婆も無理はない、とも思えた。

 理由は知らぬが、年端も行かぬ乙女が武士の誉れであるゾイドを容易く駆ることは諌めねばならない。小次郎は村雨ライガーを中央に、両脇を員経と経明のディバイソンで門の前を固めさせた。

〝碧いライガーとディバイソン、そこをおどきなさい〟

 機外拡声器から若い女の声が告げる。

「姫、あまり御転婆が過ぎますぞ」

 村雨ライガーは勢いをつけて後肢で立ち上がり、跳び出してきたレインボージャークを抱え込むように、難なく捕まえる。

 衝撃を抑えるため、小次郎は村雨ライガーをそのまま仰向けに倒した。背部のムラサメブレード基部を器用に操作し、がっちりと四肢でレインボージャークを抱え横向けになって停止した。

 横倒しとなった操縦席から、二つの元結に髪を束ねた人影が立ち上がる。

「何をするの、貴方は誰ですか」

 小次郎も風防を開き、横倒しの村雨ライガー頭部から立ち上がった。

「相馬の小次郎将門です。良子姫、お戯れはほどほどに……」

 言って小次郎は息を呑んだ。

 そこにいたのは、あの日ダークホーンの尾部銃座で(はしゃ)いでいた少女ではなく、見目麗しく成長した乙女の姿であった。

「小次郎兄さまですって?」

 互いの視線が交わる。

 その再会が、平将門を更なる戦乱へと導き、やがては坂東全体を巻き込んだ動乱の因となる事を、二人の若者は未だ知る由もない。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第弐拾弐話

「まあ、そんな硬い顔をするな」

 純友は注いだ盃を差し出すが、眼前に座した若者は陰鬱な表情を崩さぬまま目を背けている。

「伯父上殿、今がどの様な事態かお判りですか。何故に私が小一条大臣忠平様より伊予の国府まで遣わされたのか」

明方(あきかた)よ、諌め言葉は酒が不味くなる。折角の淑人(よしと)様との宴であるというのに」

 差し出した盃を戻し、自ら飲み干すと、純友は甥の藤原明方(ふじわらのあきかた)の隣で温和な井出達で酒を嗜む武官を見遣る。紀淑人はゆっくり盃を差し出し、純友も無言で酒を注いだ。

伊予守(いよのかみ)殿、今宵は宴が目的ではありませぬ。先の厳島に於いての安芸の海賊衆との騒擾、既に都にまで達しております。遡れば、摂政下向の際のアースポート襲撃にも伯父上の日振島の海賊衆が関わっているとの噂まで飛び交っておるのですぞ。いくら私が甥とはいえ、これ以上庇いきれませぬ」

「あれは我らの所業だ。そんなことも知らなんだか」

 事も無げに言い放つ純友に、明方は途端に肩を落として座り込む。

「伯父上、伊予守の前でそれを言ってしまっては……」

「私もとっくにわかっておるよ、のう、純友殿」

 伊予守紀淑人は動じることなく酒を味わっていた。

「良い米を使っているようだな。この銘は何処のものだ」

「さすが淑人様。さすればこれは筑紫の銘にて……」

 瀬戸の内海に面した伊予の国府、その管轄する津で、巨大要塞型ゾイド、ドラグーンネストが半身を水面から晒す。艦橋の奥、宴と称した非公式の参議は夜が更けるまで続けられた。

 

 翌日、伊予の国府から日振島に向かう魁師紀秋茂(きのあきしげ)が操るダークネシオスの艇内で、純友は常の如く拱手しつつ瞑目している。

「頭、昨夜は飲み明かしでしたか。甥子様も淑人様も変わりなき様子。何か情報は引き出せましたか」

 海流に身を任せ、時折昨夜の酔いが残るのか生欠伸を繰り返し、やがて忌々しげに語り出した。

「明方の奴め、忠平に籠絡さえおって。いくら藤原北家に名簿(みょうぶ)を並べていても先は見えて居ろうに、全く若い奴は。

 それと秋茂、あの話はやはり本当であったぞ。備前権介の小野好古が、紀淑人の後任として追捕南海凶賊使に就任し、更には山陽南海両道凶賊使まで兼任するということだ」

 秋茂は深い嘆息を洩らした。物憂い気分を振り払うように、ソーラージェネレーターの発電可能深度へと機体を上昇させる。鏡面の様な水面が歪み、耐圧に優れた玻璃の蓋越しに艇内に光を呼び込んでいた。

「とうとう淑人殿が身を退く事となりますか。そして今度は小野の一族。氏彦もやりづらかろう」

「これまでは同族のお前がやりづらかった分と変わらぬよ。だが祖父(たかむら)以来の小野氏族が全兵力を投入すれば、ドラグーンネストを含めホエールキング以上の兵力も差し向けることだろう。明方の話では、伴彦真と平安生にも声が掛かっているそうだ。ソラの奴らは淑人殿の様な懐柔策を止めるつもりなのだ」

「淑人様は良いお人でしたからなあ」

「秋茂、思い違いをするなよ。淑人が良いのではない。あれは海賊衆を緩やかに宥めただけであって律令の腐敗を取り除く事など出来はしない。

 明方と同じく、籠絡されてしまってはならぬ。俺達の目的は飽くまで都の制圧と海の民の独立だ。ソラに向かって搾り取られ続けるつもりは無いのだ」

 純友は鋭く言い放つ。

「……承知措きます」

 秋茂は身を硬くして、ダークネシオスの操縦桿を握り締める。掌にはいつの間にかびっしりと汗をかいていた。

 

 日振島に到着した純友を待っていたのは、一足前に着岸したゾイド回収用のホエールキングであった。ゾイドウィルスに冒され、全身に赤黒い水疱を纏った瀕死のゾイド達が次々とホエールキングから吐き出されていく。吐き出された先には島の対岸に繋がる隧道があり、その天蓋には菌の着床を促す無数の噴霧装置と培養漕、そして瀕死の骸を運ぶ履帯が続いていた。全身白無垢の作業着を纏い、口も頭も布で覆った作業監督員が作業塔から覗き込む。目だけを出した佐伯是基が、到着したダークネシオスを見つけ軽く手を上げた。

 ゾイドウィルスが人に感染をしないのはわかっているが、海浜に打ち捨てられ、循環液が腐敗し、その上磯の香りが混じった臭いは耐えがたく、是基もその場凌ぎとは知りつつも口を覆っていたのだった。噎せ返る悪臭を堪え、純友が声を張り上げる。

「ラウス肉腫ウィルスは着床したか」

 是基が、無言で両腕で輪を作った。

「楽しみだな」

 隧道の先に広がる海面には、異様な光景が広がっていた。

「アーミラリア・ブルボーザ、貴様を必ず生長させてやる」

 異臭も気にせず、純友は隧道の向こう側の光を見つめていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第弐拾参話

 土塀の外で、ムラサメブレードと4本の超硬角が盛夏の陽射しを乱反射させていた。

 ここまで典型的な親子喧嘩に対峙して、小次郎は(いささ)か滑稽な気分になっていた。同族での所領を巡る問題を談判するため、陰鬱な感情に占められつつ良兼の館に押しかけたのに、目の前では父親に背を向けて座る良子の姿がある。

「これ良子、客人の前だぞ。下がっておれ」

 宥める良兼を無視しながら、良子は時折小次郎を見るのみだった。伊和員経、多治経明を両脇に控えさせ、苦笑する他に無い小次郎は、良子の横顔に仄かに母の面影を重ねていた。姪であれば伯母に似るのも当然やもしれぬが、良兼と亡き父良持とは異母兄弟である。良子の面影は母の血とは無縁の、坂東の大地が育んだ乙女の美しさであり、それが母と重なるのかとの想いに捉われていた。

(あや)殿とは違う美しさだ。これがこの地に生きる者の本当の美しさなのだろうか)

 一向に機嫌を直さない良子を前に、談判もまた滞ったままであった。

 屋敷の奥から茶菓を持った小袖姿の夫人が、くすくすと忍び笑いをしながら現れる。

「陽子叔母上殿、お久しうございます」

「お母さま、小次郎兄さまですよ。レインボージャークを捕まえられた時は驚いたけれど、全然ゾイドを傷つけずに押さえられてしまったのでとても驚きました。

 兄さまは御立派になられました。公雅(きみまさ)公連(きみつら)たちも、小次郎兄さまみたいに凛々しく育ってほしいです。変な女に騙されずにね!」

 言葉の末が刺々しい。太郎貞盛と同じく、やはり原因は、父が若い側室を持ったことへの反発であったのだ。良子の実母も幾分冷ややかな視線を良兼に向けると、穏やかに良子を宥めた。

「これから小次郎殿はお館様と大切なお話があるのです。我ら女の出る幕ではありませぬ。奥へ下がりましょう」

「女の出る幕が無いのなら、なんであの女は所領の事に口を差し挟んで来るの」

 間髪入れず返した言葉に、さすがの良兼も声を荒げた。

「惣領のやり方に娘が口を出すな。陽子よ、良子をすぐに奥へ連れて行け!」

「私は小次郎兄さまと一緒がいいんです。出てくなら父上が何処かへ行けばいいでしょ」

「まあ、落ち着きなさいませ良子姫。後ほど時を取ってゆっくりとお相手させて頂きます。私も叔父上にお話がある故、此処は一つ、お父上の言いつけに従っては下さらぬか」

 堪らず小次郎が助け船を出すと、良子は掌を返したように微笑み立ち上がった。

「兄さま、約束ですよ。このお話が終わったら必ず私の処に来てくださいね。待っております。

 父上は早く話を終わらせて!」

 前髪に見え隠れする小さな白い額に皺を寄せ、良兼を向いて小さく舌を出す。そして小次郎には大きな丸い瞳を向け微笑むと、母陽子と共に良子は屋敷の奥へと去って行った。

 良兼が大きな溜息をつく。釣られて小次郎も経明も員経も溜息をつく。

 村雨ライガーが土塀の向こう側で大きく伸びあがって欠伸をする。

 空には相変わらず、鳶色のシュトルヒが輪を描き舞っていた。

 

 談判は平行線のままだった。所領の統治に関し、小次郎が穏当にその返還を要求するも、良兼は言を左右にして憎々しいまでに言い逃れを繰り返した。員経も頻りに小次郎の言葉を補ったが、地縁に疎い故に充分な反論が出来ず、また経明も御厨の件を挙げて論じるも、感情の昂ぶりを抑えがたく激高しがちだった。それが良兼の謀事とわかっていても小次郎には有意な方策を採る事ができなかったのだ。

 口角泡を飛ばし論争する経明を前に、良子と対したときとは対照的に、良兼は冷たく言い放った。

「今日の談義はこれまでだな」

 無念の思いを抱きつつも、小次郎は員経と顔を見合わせた。

(事を急くのは得策ではない、か)

 今回は突然の来訪であり、無礼は小次郎方にもある。未だ論じ足りない様子の経明を宥めつつ、良兼の前から去ることとした。

 屋敷の回廊で、憤懣やる方ない経明を背に、小次郎は思案に暮れていた。

「手強い相手ですな、叔父上は」

「ああ。だが強気の背景には、やはり源家三兄弟がある事もわかった」

 所領の簒奪には、常にバーサークフューラー、ジェノブレイカー、ジェノザウラーが現れ、恫喝紛いで良民に土地を寄進させ、分割された下総の地は源護と良兼、国香によってそれぞれの荘に取り込まれていた。

「相手は同族。骨肉の争いになりますな」

 小次郎は無言で回廊を進んで行った。

 

「あの女、嫌いです」

 元結二つで束ねた髪を頭の横から垂らし、屋敷の馬場に立ったレインボージャークを見上げつつ、良子は険しい声で言った。

「だって私と幾つも歳は変わらないのよ。それを母親と呼べと言われたって」

「良子、小次郎殿の前ですよ、およしなさい」

 陽子は武家の嫁として、夫良兼が何人かの側室を持つのも止むを得ないと割り切っている。しかし未だ良子は、見目麗しく成長したとはいえ、心は少女のままなのだ。父良兼の事が許せないのは、それが父への愛情の裏返しであると気付かぬままに。

「小次郎兄さまだったら、側室なんて置きませんよね」

「答えられませぬ。私には正室さえ居りませぬ故」

 すると急に、良子は大きな黒い瞳を輝かせ、小次郎を見つめる。

「ならば兄さま、良子を正室にお迎えください」

 突然の申し出に、小次郎の胸は高鳴った。まだ幼く、戯れに放った言葉である筈とわかっているのに、激しく心が揺さぶられたのだ。

 レインボージャークの隣に控えていた村雨ライガーが立ち上がる。嬥歌の夜、彩との逢瀬に心奪われ、気も漫ろのまま操縦桿を握っていた時と同じく、主の心を読み取りむずかりはじめたのだ。

「どうしたのだ、村雨ライガーは」

 怪訝な顔で員経が見上げる。小次郎は慌てて駆け寄り、村雨ライガーに伏せの姿勢を取らせ、下顎を撫でた。

(のう、お前もそろそろ男の気持ちを酌んではくれぬか)

 小次郎の心も知らず、碧い獅子は満足そうに喉を鳴らす。

「兄さま、私も村雨ライガーに乗せてください」

 駆け寄った良子が小次郎の腰の辺りに抱き着いた。

 操縦席に乗せる為、(かいな)にかかえて引き上げると、二束に纏めた髪のうなじから香しい薫りが漂う。背伸びをして、母の香を衣に纏わせているのだろう。少女と女との狭間の青い果実に、小次郎は軽い眩暈を覚えた。

〝半玉の女はいいぞ〟

 ふと藤原玄明の言葉を思い出し、小次郎は僅かに自らを蔑んでいた。

 

 それから半日、良子は小次郎と共に村雨ライガーで真壁の地を駆け巡った。

 服織の館に戻った時には既に疲れ果て、充足し切った寝顔のまま小次郎に擁かれ母の元へと返された。

 目的こそ果たせなかったが、小次郎は何か大きなものを得たような気がしていた。

「……良子姫」

 知らずに口遊んだその名に、村雨ライガーがまたむずかる。

 鎌輪の館の空に、星明りが点っていた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第弐拾四話

 孝子と呼ばれるようになってからひと月が過ぎる。最初その名で呼ばれても他人事の様に気付かぬことは多かったが、慣れ親しむと、次第にそれが自分の本当の名前であるように思えるのが不思議であった。

 朝の驟雨に洗われた庭先の緑が、宝石の如き滴を纏っている。昇るにつれ強くなる陽射しに滴は消え、土塀の向こうではディバイソンが所領の巡回へと出立していった。桔梗は庭先の緑を眺めつつ、傍らに立て掛けられた姿見に写る自らの横顔を意識せずにはいられなかった。

 父親代わりの伊和員経が仕度した丈の短い(あこめ)は、(うちぎ)姿と比べると幾分幼く見えもした。しかし伏せ隠した元の名に合せたのか、淡い紫の桔梗色に染め上げられた(あこめ)は、本人さえも驚くほどに(みやび)な輝きを鎌輪の館で放った。最初に与えられた朱色の女房装束よりも更に上質の衣である。

「娘が生きておれば、お前と同じ位の齢であった」と員経が語った。桔梗に亡き娘の姿を重ねたに違いない。

 御簾の向こうに小さな影が現れる。絵巻物から抜け出したような桔梗の姿に、小次郎の末弟達が時折覗きに来ていたのだ。知らない振りをして庭先の緑を見つめていると、(うぐいす)張りの床を大股で歩んでくる音がした。

「こら。六郎、七郎。員経の娘君を覗くとは何事だ」

 今度はぱたぱたと回廊を去っていく小さな足音が聞こえる。思わず桔梗は口を押さえ笑った。御簾が上がると、坂東の日に焼け、精気を取り戻した凛々しい武士の姿がそこにあった。

「弟達の無礼はなかったか……孝子」

 刹那、その名を呼ぶのに逡巡したようだが、小次郎は桔梗の向かいに胡坐をかいた。

「可愛い舎弟殿達です。もう少し親しんでくれても良いものを」

 微笑む桔梗を、小次郎もまた満足そうに眺めていた。

「主がこれほどまでに雅やかだったとは信じられぬわ。これが都を長きに亘り騒がせてきた群盗の頭目とはな」

 言葉の終わりは幾分声を潜め告げる。彼の女は少し体を強張らせた。

「聞かぬのですか、我が素性を」

「何をだ。お前の事は滝口の時に総べて調べ上げている。今更聞く事などあるのか。それとも、何かを明かしたいのか」

「いえ……」

 桔梗は口許を抑え視線を逸らす。小次郎は、俯く桔梗を前に告げる。

「人には明かせぬ過去があるものだ、まして女の身にはそれが多いものと、太郎が言っていた。俺は群盗であるお前を救った。だから俺にも明かせぬ過去ができたのだ。

 俺は四郎の様に聡明ではない。ただのゾイドが好きな坂東武者に過ぎぬ。だからお前の過去等に興味はない。不自由な暮らしと思えばいつでも出て行け。気に入ったなら居ても良い。それで良いだろう」

 小次郎は高らかに笑い、そして桔梗の肩を強く叩いて立ち去って行った。

 小次郎の無垢なまでの信頼と優しさは、桔梗にとって嬉しくもある。だが先程叩かれた肩の余韻は、この武骨な坂東武者が桔梗を同じゾイド乗りとして認めているだけであり、ロードゲイルと刃を交えた仇敵として敬うだけで、どれ程姿形を飾っても女として見てはいないことも悟ってしまったのだ。

「所詮私はゾイドに乗りなの?」

 桔梗の前は深い溜息をついた。

 晴れ渡る空の下、ケーニッヒウルフと村雨ライガーの模擬戦開始の咆哮が聞こえていた。

 

 模擬戦は、開始と同時に中断された。

 鬼怒の河岸の葦原から、全身を泥に塗れたゾイドが突如姿を現したからだ。基部と装甲部の隙間からは、未だに泥水が滴り落ちている。河底の水草を端々に纏い、それが道なき道を貫いてきた様子が見て取れた。

剣狼(ソードウルフ)ではないか。真樹殿の上兵、文屋好立(ふんやのよしたつ)殿か」

 ケーニッヒウルフに比べ幾分小柄な狼は、そのまま速度を緩めることなく鎌輪の館に突き進んでくる。

「様子がおかしい。三郎、俺とお前で並走し、事あらば挟み込んで脚止めする。行くぞ」

 村雨ライガーが跳び上がり、王狼もそれに続く。

 全速で剣狼と擦れ違った瞬間、村雨ライガーはターンピックを突き刺し極地転回を為し剣狼の脇にぴたりと並走した。風防を覆う装甲の一部が割れ、操縦席内部の様子が覗える。小次郎は目を細め、内部に(うつぶ)せになっている操縦者の姿を確認する。遅れて王狼が、剣狼の右脇に並走を始めた。

「鎌輪へ向かえという指示だけを忠実に守っているに違いない。三郎、剣狼の速度を村雨と王狼で抑える。俺が跳び移って指示を解除する、いいな」

〝村雨はどうします〟

「案ずるな、此奴は自分で何とかする」

 言うが早いか、村雨ライガーが剣狼の前に勇躍し、頭を抑えて速度を削いでいく。挟み込んで王狼が右を抑え、次第に剣狼の歩みが削がれていく。

 村雨ライガーの風防が開く。小次郎が跳び移り、剣狼の外耳に掴まった。主の動きを忖度し、村雨ライガーは更に剣狼の歩みを抑え続けた。

 頭部風防脇の緊急開閉把に手を掛け、小次郎が風防を抉じ開けた。人ひとりが滑り込めるほどの隙間が空く。前方に鎌輪の館が迫っている。小次郎は臥せったままの操縦者を退かし、思いきり制動をかけた。

 剣狼の四肢がその機体半分の径の円弧を描き、直角に向きを変えて停止する。足元に穿つ皺に、著しく土の塊が吹き飛んだ。

「止まれぇー!」

 小次郎の叫びに応じる様に、剣狼は館の土塀直前で、四肢を踏ん張り機体を停止させたのだった。

 額の汗を拭い、操縦席脇に伏している操縦者を見る。三郎の言うように、その武士が文屋好立なのだろう。だがなぜ国玉の小父の上兵が、泥塗れのまま鎌輪に向かって来たのか。

「兄者、無事か」

 王狼がゆっくりと近づく。無人とはいえ、小次郎の意志を汲み取った村雨ライガーも遠巻きに寄って来た。

「大事ない、俺は無傷だ」

 風防を開け放ち立ち上がる。安堵する三郎の王狼の向こう側、小次郎は更に見慣れぬゾイドの姿を認めた。

 赤と黒と淡紫の3機の竜が、脚部から炎を噴き出し滑るように接近してくる。中央の淡紫の竜は、背部に刃を幾振も備えている。

「ジェノザウラー、ジェノブレイカー、そしてバーサークフューラー。源家三兄弟だ」

 三郎将頼が憎々しげに睨み付ける。朝の驟雨が乾ききらない地を焼き、明確な悪意を持った3機の凶悪な竜が、平将門に迫っていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第弐拾五話

 混迷の極みの中、桔梗は決断した。

 未だに意識が戻らず横臥したままの文屋好立を前に、小次郎三郎を欠く館の家人達は只管(ひたすら)狼狽(うろた)えるだけであった。立て続く混乱により、小次郎の母犬養の君でさえ目に見えて動揺している。幼い弟達は恐れ母にしがみ付き、数少ない郎党も手立てを失い茫然とする。伊和員経は戻らず、四郎将平は菅原景行の元にいる。

「五郎殿、六郎殿、この方の鎧を脱がせ楽な姿勢にさせて。清き水を桶に汲み頸元を冷やすように。母御殿、好立殿の介抱と、幼き弟君達をお願いします。

 郎党衆、すぐにゾイドの準備をしなさい。この方が乗って来た剣狼はまだ動くはず。サーボモーターは外さぬまま関節部に詰まった泥を洗浄せよ。それと背のリーオの剣の展開を確認しなさい。もし刃毀れがあれば教えて。整備と並行してレッゲルを補給、完了次第、私が剣狼で出撃します」

「無茶でございます。孝子様が出撃なさるなど……」

「聞こえぬか。早く行け」

 垣間見せた元群盗の顔に気圧され、郎党達は蜘蛛の子を散らすように馬場に駆けて行った。堀に取水口を放り込むと、高圧洗浄銃で泥に塗れた剣狼を流し始める。吹き飛ぶ水草の下から、鮮やかな丹色(にいろ)の装甲が現れた。

「これより加勢します、小次郎様」

 館裏手での整備の槌音を聞きつつ、桔梗は正面矢倉門の外で威嚇する3匹の竜を凝視していた。

 

 ジェノザウラーとジェノブレイカーが脚部アンカーを展開し固定した。頭部から尾部までを一直線に揃え、集束荷電粒子砲発射の態勢を整えている。口腔に装備された砲身の先には、村雨ライガーとケーニッヒウルフ、そして鎌輪の館があった。

 中央のバーサークフューラーの頭部天蓋が開き、中から煌びやかな大鎧(おおよろい)を纏った武官が姿を現す。操作盤に片足を載せ、周囲を睥睨し高らかに宣した。

「我は源護の長子、(たすく)である。

 鎌輪の館主に申す。先に平真樹が兵、文屋好立の操る剣狼がこの館に逃げ込んだ。大国玉の真樹は、我が伯父平国香殿と所領に於いての折衝中、無礼にも談議の場を蹴って逃れたのだ。非礼は好立方にあり、坂東武者にして有るまじき(ぎょう)である。速やかに剣狼並び好立を我らに渡してもらいたい。

 猶、真樹は鎌輪の惣領殿の姻族故、(かくま)うという覚悟がおありならそれでも結構。但し即座に、我ら源家に仇為す敵として討伐する。惣領殿、返答は如何に」

 小次郎も村雨ライガーの風防を開き、正面のバーサークフューラーを見据える。

「我は平小次郎将門、鎌輪の惣領にして父良持より下総家督を受け継いだ。詳細の事情は知らぬが真樹小父は我が母の血縁、更には館に庇護を求めて来訪した客人をみすみすお渡しするのは坂東武者にとって武侠を欠く。『窮鳥も懐に入れば猟師殺さず』の格言の如く、今文屋好立殿は傷を負っておられる。怪我人を寄って鷹って仕留めたとあらば、源家の勇名にも傷が付くであろう。孰れ機会を見計らい解決に至られよ。ここはこの平将門に免じ、御引取願いたい」

 小次郎は魔装竜や虐殺竜の構える荷電粒子砲の砲口にも怯むことなく道破した。その堂々たる態度に気圧され、源扶は言葉に詰まったかに見えた。

「将門、貴下と論じる気はない。大人しく渡すか渡さぬかの覚悟を決めた上で応えられよ」

「渡さぬ」

 小次郎は即答した。そして扶は激高した。

「良かろう、では集束荷電粒子砲の威力を示すのみ」

 機内に戻った扶がバーサークフューラーを後退させる。ジェノザウラーとジェノブレイカーの頸部と尾部の放熱板が跳ね上がり、それぞれが荷電粒子コンバーターの作動を開始した。

 小次郎は、それが脅しであることも充分理解していた。所領の多くを失い、落魄れた身の上とはいえ、仮にも鎌輪の館を焼き払ったとすれば下総の国府も看過できない。場合によっては都にまで召喚され、煩雑な取り調べと手続きが必要となる。

 だが同時に、全くの無傷で済むとも思ってはいない。仮に直撃を避けるとしても、館或いはゾイドに何らかの打撃を与えなければ源家三兄弟の面目が立たなくなってしまう事態に追い込んだのもまた事実である。

「三郎、国府に訴えられた場合に備え、映像を記録しておけ」

 小次郎の言葉に応じ、ケーニッヒウルフは三連スコープを備えるヘッドギアを装着した。館の前からは動けない。そしてムラサメブレードも展開は出来ない。こちらから手を出したと見做されれば、かえって源家の思う壺に(はま)ってしまう。互いに一歩も引けない状況の中、荷電粒子コンバーターが低く唸り続けていた。

 

 緊張を破ったのは、館の土塀から跳び出してきた丹色の狼ゾイドであった。

「好立殿、気が付かれたのか」

 村雨ライガーが振り向き、竜達が荷電粒子砲の軸を逸らす。双方の先に、ソードウルフの舞う姿があった。

〝小次郎様、加勢します〟

「桔梗……孝子か、乗っているのは」

 小次郎が思わずその名を口走り、慌てて言いかえる頃に、剣狼は睨み合う源家と平家のゾイドの前を駆け抜けていた。

 その出現に末弟源繁(みなもとのしげる)が取り乱し、ジェノザウラーの集束荷電粒子砲が天空に向け放たれた。地磁気により光芒は曲線を描く。青白い線条はやがて地平線を越える辺りで落下し、丁度その下にあった騰波ノ江の湖水を水蒸気爆発へと導いた。

 荷電粒子砲の発射が戦闘の口火を切った。

 ムラサメブレードが氷の刃を展開する。

 ケーニッヒウルフもデュアルスナイパーライフルを構える。

 そしてソードウルフが背中の二振のエレクトロンハッカー(ダブルハックソード)を閃かせ、アンカーを穿ったままのジェノザウラーの頭部を踏み付けた。ロングレンジパルスレーザーライフルが基部から切断され、黒き虐殺竜が横倒しとなると同時に地表に達した。

 村雨ライガーが赤き魔装竜にストライクレーザークローを叩き込む。フリーラウンドシールドを用い、やっとの思いで体勢を整えたものの、赤い盾は大きく歪んでいた。

 後退したバーサークフューラーが、バーニアスラスターによって一気に間合いを詰め、バスタークローを振り翳しケーニッヒウルフに襲いかかる。回転する凶悪な刃を、横合いから入り込んだソードウルフのリーオの剣が受け止めた。

「笑止」

 バスタークローの刃が折れた。バーサークフューラーが仰け反る。源家の長子であっても、桔梗の前には敵わなかったのだ。しかし、それが再び怒りに火をつけた。

 三匹の竜は地表を滑り間合いを取ると、一斉に荷電粒子砲発射態勢をとった。口腔の砲身が燐光を発する。ホバリング機能を持たない村雨ライガーでは、到底間合いを詰めることができない。

 間に合わない。

 小次郎は強く願った。

 村雨ライガーよ、もう一度あの力を。

 表示板が輝く。あの力だ。

「疾風ライガー!」

 

 焔の繭に包まれたかと思うと、次の瞬間、碧き獅子は緋色の獅子へとエヴォルトしていた。

「これが、龍宮の地震竜を破った力……」

 桔梗の前は、変化した疾風ライガーの姿を目の当たりにした。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第弐拾六話

 久しく絶えていた家人郎党揃っての笑い声が、鎌輪の館から上がっていた。

「痛たっ……小次郎殿、もう御勘弁願います。当方未だに傷が癒えきっておらぬので」

 左手を吊った文屋好立が脇腹を押さえ屈みこむ。

「許されよ。生憎(あいにく)怪我人は(ぬし)一人しかおらぬのでな」

 小次郎も上機嫌で笑っている。伊和員経が茶を口に運びつつ口惜しそうに語る。

「都での一件は伺っておりました故、村雨ライガーの変化(へんげ)した姿を是非にでも拝見したかったのだが、また見逃してしもうた。殿は今度は覚えておられるのですか」

「それがのう。俺も良く覚えておらぬのだ」

「私とケーニッヒウルフは一部始終を見ておりました。映像もしっかりと記録しております。もの凄い速さで、こう、まるで疾風の如き姿で――」

「当たり前だ、あれは疾風ライガーだ」

 三郎将頼の頭を乱暴に叩くと、小次郎は再び破顔一笑した。それを見る桔梗の前も、小次郎と等しく喜びと安堵を覚えていた。

 

 村雨ライガーが疾風ライガーにエヴォルトした時点で勝敗は決した。間合いを取らねば発射できない荷電粒子砲装備のゾイド達に、疾風ライガーは一瞬の隙も与えず立て続けにストライクレーザークローを叩き込んだ。エクスブレイカー等の近接用武器で襲いかかろうとする源家のゾイドを、小柄なソードウルフが懐に入り込み攪乱する。ムラサメディバイダーとムラサメナイフ、そしてダブルハックソードが敵の装甲を自在に切り刻んでいく。ぼろぼろと装備が崩れ落ち、バスタークローが、フリーラウンドシールドが、そしてハイパーキラークローがそれぞれ基部から切断されていった。

「未だ続ける御積もりか」

 足元に黒い虐殺竜と赤い魔装竜が横たわる場所で、ムラサメディバイダーとエレクトロンハッカーを頸元に突き付けられ立ち竦むバーサークフューラーがあった。

 

「それにしても、孝子様があれほどのゾイド乗りとは思いも及びませんでした。まして初めての剣狼を」

 桔梗の前の素性を知らぬ三郎が感嘆している。僅かに小次郎は表情を曇らす。

「三郎殿、それが武家の娘というものでございます。如何ですかな、我が娘に稽古をつけてもらっては」

 咄嗟に気転を利かし、伊和員経が辻褄を合わせた。三郎将頼は無邪気に大きく頷く。

「是非もない。ではそれまで好立殿のソードウルフをお借りしたいのだが宜しいか」

 痛みを堪えながら笑って応じる文屋好立を前に、三郎は拳を握りしめる。その時末弟の七郎将為が桔梗に駆け寄った。

「孝子様が姉上になってくれると嬉しうございます」

「え?」

 ゾイドの襲撃にも動じなかった桔梗が、その言葉には動揺した。

「姉上が欲しいと思っていました。だから私の姉になってはくれませんか」

 座が一瞬静まる。皆が小次郎と桔梗とを代わる代わる見つめる。

「それも良い考えかもしれぬのう」

 母、犬養の君の言葉であった。

「小次郎もいつ迄も子供ではあるまい。孝子殿が都より共に下向したのは、女として心に決めたものあっての上であろう。員経殿、父として孝子姫のお気持ちは御存知なのでしょうか」

 員経も僅かに口籠る。小次郎と共に桔梗の過去を知るが故に、こればかりは言葉に詰まってしまったのだ。だがそこはやはり員経であった。

「武家にとって縁を結ぶのは家の大事とは存じ上げております。ただ、母御殿。男親として、せめて少しの間、この鎌輪と下総の地について知りたく思います」

 時間を作ってくれという婉曲な願いに、犬養の君も微笑みを返した。

「そうですね」

 それだけ言うと、また先程と同じように談笑を始めていた。

 幼い弟達が無邪気に桔梗に纏わりつき、それを桔梗も楽しげに遊んでいる。

 男女の関係に疎い小次郎とはいえ、さすがに母の問い掛けの意味は察していた。しかし、自分の中に一切桔梗へのその類の感情を抱いたことが無かった。

 馬場の村雨ライガーは、(むずが)ることなく静かに機体を休めていた。

 

 後にわかったことだが、小次郎の母方の小父平真樹と、父方の伯父平国香及び国香の義父となった源護の所領が、先年氾濫した騰波ノ江の洪水により境が曖昧となったことが諍いの原因であった。平真樹は上兵文屋好立らを率いてまずは平国香の館に交渉に訪れたが、元より交渉に応じる気の無かった国香は源家三兄弟を加勢に呼び寄せ、真樹の手勢に一斉に襲いかかったのだった。多くのゾイドが討取られる中、包囲網を突破し無我夢中で脱出したソードウルフは騰波ノ江へと逃げ込む。対岸に渡り終えた頃にはレッゲルも残り少なく、機体のあちこちに損傷を負っていたため、好立はゾイドの自律機能に任せ姻族の住む鎌輪の館へと向かわせたのだった。だが、装置は戦闘により正常な機能を失っており、結果鎌輪の館への突入となってしまったのだ。

「常陸に於いても、ゾイドウィルスの蔓延は石田(=国香)や筑波(=護)の地にて猖獗(しょうけつ)を極めており、皆少しでも多くの土地が欲しいのです。率いた従類が僅かなのを見て、我が惣領平真樹様を亡き者にしようと、画策したのです」

 小次郎の手には、平真樹の文屋好立の安否を尋ねると同時に、自らの無事を伝える手紙が握られている。文書を目で追いつつ、小次郎は静かに言った。

「真樹殿の無事は確認した。だが、このまま引き下がるとも思えぬな」

 床から半身を起した好立は、座した小次郎に己が案ずる懸念を語る。

「武勇に於いては小次郎殿は申し分ない。だが、なにせ相手は前常陸大掾の嵯峨源氏だ。更には良兼殿との姻を結ぶ儀がでています、面倒なことにならねば良いのだが」

「誰の事だ」

 小次郎は間髪入れずに問い直す。好立は少し驚いて、その問いの意味を探った。

「ああ、婚儀の事でございますな。

 それはほれ、殿と戦った長子源扶と、良兼殿の長女、良子姫ですよ」

 桔梗には、小次郎の顔が(にわか)に色を失っていくのがわかった。

 刹那の沈黙の後、小次郎が軽く苦笑しつつ告げる。

「姫はまだ早いだろう」

「嫁ぐには充分な齢とは思いますが? 寧ろ今まで婚儀の話が上がらなかったのが不思議なぐらいで。どうも良子姫は気性が激しいようですが」

 脇腹を押さえる好立を前に、小次郎は頭に血潮が一斉に逆流したような感覚に襲われていた。

 良子姫が、行ってしまう。

 馬場の村雨ライガーが突然立ち上がり、主人のいる方向に向き直る。低く唸った後、鬨ならぬ咆哮を上げていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第弐拾七話

 良子はレインボージャークに語りかけた。

「なぜあなたは、私を乗せて飛んでくれないの」

 度重なるパラクライズによって、レインボービームテイルは封印されている。しかし、飛行能力を司る風切り羽(フェザーカッター)は拘束を免れ、時折ゾイド自らの意志で羽ばたく仕草を繰り返していた。鋼鉄岩(アイアンロック)の里から、戯(たわむ)れに父が(たずさ)えて来たゾイドである。郎党が何度か試みて、数回空を舞ったものの、この孔雀型ゾイドは(かたく)なに飛ぶことを(こば)んでいた。

 あれから何度乗ってみても、やはりレインボージャークは飛び立つことはなかった。

 それは自分がゾイド乗りとして未熟な証と、良子は考えていた。

 では優れたゾイド乗りとはどんな者か。

(小次郎兄さま――)

 想い描くのは、数年ぶりに再会し、凛々しい坂東武者に成長していた従兄の面影ばかりであった。

 

                  ※

 

「良子姫には、我が源家の長兄(たすく)との婚儀の話を進めます」

 冷たく言い放つ源小枝(みなもとのさえ)の後ろには、娘と側室との(せめ)ぎ合いに困惑する良兼の姿があった。

「お父さま、良子はそんな話一度も……」

「武家の娘の役割を知らぬ齢でもあるまい。近隣に姻族を増やし、地縁を盤石なものにする。その覚悟無くして、今まで良兼殿に育てられてきたとは(おっしゃ)るまいな」

 背後で申し訳なさそうに視線を逸らす父がいる。予てより、初老になって若い側室に籠絡されている父に怒りを感じていたが、今は怒りを通り越し憐憫の情を抱いた。地縁の大切さはわかっている。だが、自分と同年輩の義母に、こうまで明け透けに命じられるのは如何にも癪に触った。良子は有らん限りの皮肉を込めて、丁重に返答した。

「御側室小枝(さえ)様に申し上げたき事が御座います。私平良子も坂東武者の娘である以上、ゾイド(さば)きに秀でた者の元へ嫁ぎとう御座います」

 小枝が鼻で短く息をつく。

「兄上はバーサークフューラーを操る優秀なゾイド乗りである。源家の惣領としても、また良子殿の婿として遜色はない」

「ならば御側室様に御伺い致します。

 先日鎌輪にて、源家三兄弟が小次郎将門様に完膚無き迄に叩きのめされた事は御存知ですね」

 息を呑み、言葉を失って立ち(すく)む小枝の後ろで、相変わらず狼狽する良兼の姿がある。小枝の顔は真っ赤に染まり逆上寸前である。良子は執拗だった。

「聞けば整備不良のケーニッヒウルフに、手負いのソードウルフしか援護の無い小次郎将門様は、見事に村雨ライガーを操り源家の竜どもを叩き伏せたとか。これぞ坂東武者でございます。さすが小次郎兄さまですねえ、お父さま」

 その呼び掛けは、良子が最大の嘲りを込めて投げた一言であった。堪らず良兼が割って入る。

「良子、いい加減口を慎め。小枝や、今日はこの辺りにして……」

 怒りのあまり声を発することの出来ない小枝の背中を押し、良兼達は回廊を去って行く。二人が去ると、内衣(うちぎぬ)を抱えた実母陽子が、良子の間に入れ違いにやってきた。

「その頑固さは誰に似たのだか」

 諌めの言葉の裏には、若い側室の傍若無人さを叩いた小気味良さが滲み出ている。

「だって母さま、良子は真実を言ったまでです。小次郎兄さまのほうが、ゾイド乗りとして強いのは本当でしょ。良持伯父さまと父上は母違いです。ならば小次郎兄さまの処に嫁ぐ事の方が、武家の娘として正しいとは思いませんか」

 母は穏やかに応じていた。

「良子や、武家の娘に想いなどあってはならぬ。確かに小次郎殿は秀でたゾイド乗りですが、今は源家との結び付きを強めることが必要です。女は道具に過ぎぬ、それは私も、そして小枝殿もね」

「そんなの、良子は嫌です」

 良子は立ち上がり、内衣を畳む母を見て告げる。だが母は冷静であった。

「あなたが小次郎殿を慕っているのは、母とて女ゆえわかります。だが所詮一時の感情です。

 何より相手がどう想っているか、確かめたのですか」

「それは……」

 良子は途端に意気消沈し、その場に座り込んだ。

(兄さまは、都より戻った時、館に孝子という美しい姫を伴って来たと聞いている。その女性はゾイドの扱いにも長けていて、源家の竜を兄さまと息の合った攻撃でたちまちの内に捻じ伏せたという。まさか小次郎兄さまは、その孝子姫と既に契りを結んでしまったのでは)

 揺れ動く乙女の青い心は、瞬時に山の頂から谷底まで落下する。そしてその代償として、心中に都合の良い幻想を思い描くものである。良子は母に聞かれるのも気にせず、その幻想を口にしていた。

「もし兄さまが良子をさらってくれれば、父上も考えを変えるでしょう。母さまも、そうして父上に迎えられたのでしたものね」

「またそのような絵空事を。もはや略奪婚など許される時代とは違うのですよ」

 母はただ笑うばかりである。

 だがそれは、良子が想い描いた絵空事ではなかった。

 

                   ※

 

「玄明、なぜお前が良兼叔父の館の見取り図を持っているのだ」

 広げた図面には、詳細な間取りが描かれている。小次郎は改めて、土豪藤原玄明(はるあき)の顔を見た。

「余計な事は問わぬものよ。少なくとも俺は、坂東名家の(やかた)図全てを手に入れている」

「鎌輪もか」

「この館には奪うに目ぼしき物も無き上、生憎持ち合わせておらぬ」

 どこまで真実かは知らないが、玄明は怪しげな笑みを浮かべ、服織(はとり)の館図を指示(さししめ)していた。

「良兼のダークホーンは普段馬場の奥に繋がれている。起動にこそ時間がかかるが、鈍重なゾイドと思って侮るな。奴の瞬発力は並ではない。さて、女房衆の控えている間にどの様に潜入するかだ」

「俺が村雨ライガーを館の外で暴れさせ、その隙に良子姫の間に押し入り連れ去るつもりだが?」

 小次郎は事も無げに答える。

「呆れた奴だ。(ぬし)のゾイドは勝手に暴れてくれるのか」

「気心の知れた奴よ。ゾイドと武士とは一体だ」

 自信に満ちた言葉に、玄明もそれ以上追及することはない。

「わかった。その絆とやらを信じよう。問題はその後だ。騒動が起きれば館も厳重に閉門されるだろう。入るは易いが出るは難いぞ」

 小次郎は暫し瞑目し、再び馬場を指差した。

「良子姫のレインボージャークを奪い、脱出しよう」

 あの談判の日に見た菫色の孔雀であれば、飛翔して土塀を跳び越えられると小次郎は考え、その策を打ち明ける。

「使用可能であれば、尾羽を展開してパラクライズを発射する。さすれば叔父殿のゾイドも傷つけずに脱出できる」

「大丈夫か、その孔雀は未だに飛べぬと聞くぞ」

 小次郎は立ち上がり、玄明に背を向けると肩越しに振り向いた。

「お前は惚れた女が他の男に嫁ぐのを、指を咥えて見過すのか」

 刹那の沈黙、そして湧き上がる哄笑。傍らに立ち上がり、思いきり小次郎の背中を叩き付けた。

「主も一皮剥けたようだな」

「お前にとやかく言われる筋合いは無いぞ」

 執拗(しつこ)く背中を叩き続ける剛腕を、小次郎は立ち所に捻りあげる。

「こりゃ堪らん。勘弁だ、勘弁……。ふう、腕が引き千切れるかと思ったぞ。

 ところで小次郎、源家の長兄から嫁を奪うとは、完璧に源家を敵に回すことになる。あの姫様――(あや)と言ったか――は諦めるのだな」

 小次郎は一瞬だけ、青く(けぶ)る筑波の嶺を見つめる。

 心は決まっていた。

 あのひとは、仕官叶った太郎貞盛が幸せにしてくれるだろう。

 直ぐに玄明に向き直る。

「決行は新月の今宵だ」

 武骨な坂東の男が、小さくも、己にとっては大きな野望を胸に奮い立っていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第弐拾八話

 略奪婚は古く東方大陸の俘囚の地で行われてきた風習であり、南島の一部の土俗の間では依然継続されていると聞く。だが易姓貴族の末裔であり、卑しくも一族の惣領にあたる小次郎が土俗の風習に倣うのは如何にも乱暴だった。加えて略奪婚とは、各部族内にも一定の規則に従い行われ、奪われる女性側の家に事前に通知して後、日時を指定せずに決行されるものなのだ。

 よってあまりに身分不相応であり、素性に問題がある男性に対しては親族から断固として拒否され、場合によっては国衙や郡司に訴えられる場合もある。

 ところが小次郎と良子の場合に限ってみれば、家柄も近く、或る意味同族内での出来事として訴訟までに至る事は考えられない。但し、先に良兼の正室陽子が語ったように、既に所領を構え地縁を固めようとする土着の武士団にとっては、安易な略奪婚によって貴重な血縁を奪われることは大きな損失となる。これもまた暗黙の裡に「高貴な出自を持つ者は、下賎な行いは慎む」という習いにもなっていた。

 小次郎はその暗黙の掟を破ろうとしている。今回は時間が無かったのだ。

 心の何処かに後ろめたい物が閊えていたが、それさえも突き破る熱い想いが込み上げた。

 

 運命の人、などと軽々しく表せないが、最早それ以外に表しようもなく、良子に魅かれてしまった。

 自分を愚かと思う。

 藤原玄明にも同じことを言われた。「主も大馬鹿者だ、そして男は皆大馬鹿者だ」と。そして

「馬鹿な事をどこまで真剣に成すかによって、男の器量は決まってくる」とも。

 物を知っていないようで、妙なところで真理を衝いてくるのが不思議な男だった。

 足音を忍ばせて進む村雨ライガーがまた(むずか)る。

「お前だけが頼りなのだ、しっかりやってくれよ。それから、くれぐれもムラサメブレードを展開して暴れてはならぬぞ」

 操縦桿を握りながら気持ちを込めて宥め(すか)す。碧い獅子は若干不機嫌そうな唸り声をたてたものの、再び歩調を整えて歩んでいった。

 服織の館に到着する。月は無く、満天の星空が広がる。小次郎は時間と共に村雨ライガーが行動を開始するよう調整すると、自らは(くさむら)に潜んだ。

 鎌輪でこの事を知る者はいない。玄明も、この様な事に関して口は堅い。

 三郎には「夜駆けにいってくる」とだけ告げて来た。訝しむ様子もなく「御注意くだされ」とだけ言うと、ケーニッヒウルフの修理を続けていた。

 気になったのは、夕刻、妙に桔梗が行先を尋ねてきたことだった。

「今宵はどちらかにお出かけですか」

「ああ、少しな」

 気が利いた応答が出来ず、口ごもるその様子に、敏感に何かを感じ取ったような気がした。

(やはり元群盗の女頭目だけあって鋭いな)

 それが己を慕う女の勘であることに、小次郎は未だ気付いてはいなかった。

 

 時ならぬ咆哮が、辺り一面に響き渡る。

「頼んだぞ、村雨ライガー」

 (あるじ)を乗せることにより能力を発揮するのは、ゾイドによって個体差がある。村雨ライガーほどに使い込まれると、自ずと主人の意志を理解し行動できるようにもなる。だが、咄嗟の状況に応じた判断能力は、やはり操縦者の搭乗時と比べれば劣ってくる。村雨ライガーは主の謂い付けを守り、ムラサメブレードを納めたまま、単調に咆哮して走り回るだけであった。わらわらと館から鋼鉄の獣が現れる。

「マーダーか。厄介だな」

 ダークホーン出撃の露払いとして、3機の小型ゾイドが出現した。旧式のゾイドだがホバリング機能を有し、最高速度は村雨ライガーを凌駕する。

「なんとか時間を稼いでくれ」

 その間に、小次郎は玄明から借り受けた侵入道具一式を使い、服織の館の土塀を越えた。玄明の見取り図通りに館に侵入すると、外の騒動を聞き付けた女房衆が、木戸の隙間から顔を出して(うかが)っている。

 いた。

 薄い紅色の内衣を纏った乙女が、不安そうに村雨ライガーの方向を眺めている。傍らには母陽子がある。

「良子姫」

 暗闇から忽然と現れた想い人に、良子は唖然として見つめ、そして次には満面の笑顔を浮かべた。

「小次郎兄さま、良子を奪いにいらっしゃったのですね」

「そうだ、今宵あなたをさらいに参った。母殿、御免」

 陽子の目の前で、小次郎は内衣姿の良子を小脇にかかえ駆け出していた。

 呆気にとられていた母は、玉響(たまゆら)に呟いた。

「若いって、素敵ね」

 

 馬場からは丁度ダークホーン部隊が出撃を終えた頃合いであった。残るは菫色の孔雀のみである。

「姫、レインボージャークの起動は出来ますか」

「え? はい、できますが……。兄さま、このゾイドは未だに飛べません。館から逃げることもできません」

「やってみなければわからぬだろう。それに良子姫、これからは〝兄さま〟ではなくなるのだぞ」

 その言葉に良子は胸が熱くなった。想い人によって願いを遂げられる喜びが、怒涛の如く流れ込んで来たのだ。

 足場によじ登り、レインボージャークの風防を開く。狭い操縦席に(またが)る広い背中に、良子は思いきり抱き着いた。

「用意は良いか」

「はい、あなた様」

 小次郎もまた、その初々しい言葉の響きに気持ちが高鳴った。操作盤に電源が入る。

「村雨が危ない」

 良兼の率いるゾイド群が、孤軍奮闘する碧き獅子を次第に追い詰めている様子が判る。事態は一刻を争う。

「飛べ、レインボージャーク」

 操縦桿の操作に従い、馬場から走り出した菫色の孔雀は、しかし以前と同じく飛び立とうとはしなかった。

「お願い、私たちを乗せて飛んで」

 良子が小次郎の背中越しに叫ぶ。

 風切羽(フェザーカッター)が僅かに羽ばたいた。

「飛べ、レインボージャーク、頼む」

「レインボージャーク、お願い」

「飛ぶんだ、飛んで我らを解放(ときはな)ってくれ」

「お願いです、飛んで」

「飛んでくれ」

「飛べ」

 二人の叫びが重なった時、菫色の孔雀は拘束されていたレインボービームテイルの枷を弾き飛ばした。

 甲高い喚声を上げると、左右の翼を一斉に伸ばし思いきり羽ばたいた。助走をつけ、大地を思い切り蹴りつける。二人は心地よい浮遊感を覚えた。

「浮いた」

 ふわり浮かぶと、マグネッサーウィングを輝かせ、一気に空中に身を躍らせる。初めての飛行に小次郎も驚きを隠せない。だが安穏として空中浮遊を楽しんでいる余裕はなかった。

「村雨を救うぞ、パラクライズは撃てるか」

「大丈夫です。レインボージャーク、頼むわよ」

 再び甲高く啼くと、機体を旋回させ館の外へと勇躍した。

 周囲をマーダーに囲まれ身動きが取れない場所で、村雨ライガーが3機のダークホーンに豪雨の如き威嚇射撃を浴びていた。ハイブリッドバルカンが足元に銃創を刻んで行く。

〝小次郎、降りてこい。これは何の真似だ〟

「父上だわ」

 無線から伝わってくるのは、ダークホーンを操る良兼の声であった。このままでは村雨ライガーも無事に済まない。

「良子姫、多少手荒なことをするが良いか」

「はい。

 それと、もう私も良子姫ではなく、良子とお呼びください」

「わかった。いくぞ良子」

 レインボージャークが低空から村雨ライガー目掛けて降下した。アイアンフットネイルでムラサメブレード基部を掴みこむ。この位置であれば照射の死角になる。

「パラクライズを頼む」

「はい」

 呼吸を整え、二人はゾイドの機能を一時的に麻痺させる輝きを放った。

 周囲が錦の光に包まれ、真昼の様に明るくなる。次々と機能を停止する良兼のゾイドを尻目に、レインボージャークは村雨ライガーを掴んだまま舞い上がった。

〝おのれ小次郎、娘をどうするつもりだ〟

 機能停止を免れた無線装置から、良兼の怒りに満ちた声が響く。

「父上、良子は小次郎様の元へ参ります。御心配には及びません」

〝小次郎、なんの恨みがあって、我が家の娘を籠絡する〟

「叔父上、平将門は良子殿を嫁にすることに決めました。(いず)れ必ず正式な御挨拶に参ります。それまで、どうか御容赦を」

〝許さん、許さんぞ……〟

 無線の到達範囲から脱したのか、次第に良兼の声は途切れて行った。

 

 小次郎は満天の星空の中、背中に小さな温もりを感じながら語った。

「これから共に歩むぞ、命尽きるまで」

「私もです、あなた様」

 良子は身体ごと小次郎の背中に預け、夢見る様に答えた。

 二人の若者を乗せた菫色の孔雀が舞う星空に、青く筑波嶺が浮かび上がっていた。

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第弐拾九話

 鎌輪の館は日に日に活気が満ちていった。

 桔梗に加え、新たに良子という女性が加わり華やかさが増した事もある。しかし何より惣領である平小次郎将門自らが陣頭指揮を執って、下総の大地の開墾に精を出していたからだ。

 嘗て鎮守府将軍として活躍した亡き父良持を慕う領民は多い。その父親譲りの風貌を備えた小次郎が、村雨ライガーと共に荒れ地を耕し、汗水流して働く姿は、源家三兄弟に蹂躙され、国香を初めとした同族の収奪による荒廃も撥ね除ける活力を周囲の領民に与えたのだ。

 領民達は皆、親しみを込めて呼んだ。「小次郎様」、「将門様」と。

 泥濘の地を干拓し、森林の木の根が残る地を興し、土塗れになって働く村雨ライガーや、超硬角に縄を結わえ付け、残滓を運ぶディバイソンがある。それこそがゾイド本来の姿ともいえた。

 ジェネレーターは地に根を降し、徐々にその枝振りを広げていく。

 (おそ)い若芽が萌え出で、初秋には間もなく訪れる冬に備え、草木はその身に蓄えを増していく。そしてソードウルフが時折館の外に出て、巡回がてら小次郎や員経に屯食(=弁当)を届けに現れていた。

「何分孝子様の方が、私よりも上手く扱えますのでな。いや、参りました」

 桔梗はあの一件以来、文屋好立よりこの丹色のゾイドを永く借り受けることを許されていた。領民達も巨大な二振の刃を備えた剣狼の頭部操縦席で、射干玉(ぬばたま)色の髪を靡かせる美女に憧れ、敬慕の意を込めて「孝子姫」と呼ぶ。すると桔梗は雅やかで眩しいばかりの微笑みを返すのであった。

 

 

「私もレインボージャークで、あるじ様の仕事のお手伝いをしとうございます」

 良子は不服そうに、新たな母となった犬養の君の横で溢していた。だが母は、姪から娘となった若い新妻の不機嫌の原因が他にある事を、到に見抜いていた。

「良子、最近(からだ)の具合は如何ですか」

「至って健勝です。ただ、少し喉が渇きます。それと()い物が好きになりました。鎌輪の館に来て、嗜好が変わったのかもしれません。

 それより母様、なぜ私はゾイドに乗ってはならぬのですか。孝子様だってああしてソードウルフでおやかた様をお助けしているというのに」

 その言葉の裏側に「少しでも愛する人の傍に居たい」という心が明け透けに見え、母は思わず口許を袖で隠して笑う。

「そのうちわかりますよ。とにかく、今は空を飛ぶなど成りませぬ。この母の願いは聞いてもらえますか」

 良子は大仰に背筋を立てて答えた。

「勿論です。母様の言い付けは守ります。

……ところで、何ですかこのたくさんの(さらし)布の帯は」

 母は答えず、ただ静かに笑うのみであった。

 

 (から)に近かった館の倉には、次第に麦や雑穀の蓄えが増えてくる。小次郎はそれを独占することなく、浮浪の民となって常陸や上総から流れ込んできた民に、当面の糧と班田耕作の当初の出挙(すいこ)として無償で貸し与えたのだ。慈愛の情を以てすれば乃ち民も従う。荒廃していた耕地も新たに土地を与えられた流民達によって拓かれ、南半球の皐月の秋には豊かな収穫として館を潤していった。

 そして小次郎にとって、目出度き事は重なった。

 

「まことか、良子」

 俯きかけ、僅かに頬を赤らめた新妻が、小さく頷く。自分の腹の辺りに右掌を当て、小声のまま答える。

「はい……あなた様の、御子でございます……」

 言ってすぐに両掌で顔を覆った。その仕草に、僅か数か月前まで奔放に振る舞っていた娘の面影はない。乙女から女へ、そして母親へ。恥じらう良子を前にして、新たに父になる者が歓喜の声を上げる寸前、良子は顔を覆っていた両手を解き思いきり夫に抱き着いた。

「皆には内緒にしていてくださいね。だって、初産だからまだ何もわかりません。もう一度母様に御相談してから、皆にお話ししたいと思います。

 誰よりも先に、あなた様にお知らせしたかったから」

 囁く様に、歌う様に、良子は小次郎の耳元で呟いた。

 小次郎は溢れんばかりの喜びを堪え、一言「おう」と言ったきり、良子の間を大股で後にした。残された良子は、少し潤んだ瞳で、愛を添い遂げた夫の後ろ姿を見送っている。そして回廊の影には、同じように小次郎の背中を見つめる女性の姿があった。

「小次郎様、そして良子様。おめでとうございます……」

 言葉とは裏腹に、目尻から熱いものが零れ落ちるのに気が付いていた。桔梗色の(あこめ)に、涙の染みが広がるばかりであった。

 そしてもう一つ、過去が桔梗を追いかけて来ていた。

 

 桔梗でなければ気付かない程微細な振動であった。

 屯食を届けた帰り道、並木の揺らぎが変化し視界が歪む。豊かに実った田園を宵の秋風がそよぐ頃、館へ急ぐソードウルフの前に忽然と姿を現したゾイドがあった。

「メガレオン、龍宮の(くさ)(忍者)か」

 まるで虚無から湧き出る様に、次第に全身を顕していく。半身ほど姿を見せたところで、狩衣を着た武官が降り立ち頭を垂れた。

「桔梗の前、秀郷様よりの檄です。形に残さぬようとの達しなので、口伝します」

 (ましら)のような身軽さで剣狼の頭部に瞬時に攀じ登り、桔梗に耳打ちをする。再びメガレオンの背部搭乗区画に戻ると、掻き消すように宵に溶け込んで消えて行った。

「……常陸に加え、上野、上総でも挙兵の動きがあるか。源護と平国香、良兼が動きだしたな。兄は高みの見物、あの方らしい」

 止めた歩みを再び始め、剣狼は一路鎌輪の館へと進む。その先には立ち込めた雨雲が、星を覆い隠していた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第参拾話

 黄金色の集光板を輝かせ、青いゾイド群が鎌輪の館に姿を現した。

「久方ぶりに御座います、良文叔父御殿」

 凱龍輝を中央に、中型の牛型ゾイドと小型の竜型ゾイドが次々と到着する。

「小次郎、息災で何よりだな。お前も嫁を貰ったとか。目出度いのう」

「叔父上もお元気そうで。私の不在時にはいろいろと便宜を図って頂きありがとうございます。相模に御挨拶に参ろうとも思ったのですが、なかなかその機会が見いだせず」

 村岡五郎良文は、屈託なく答える。

「解って居るよ。我も東海道に跋扈(ばっこ)する海賊衆の追捕に忙しく、甥の嫁を見に来る機会を失っておったわ」

 海賊衆という言葉にふと、小次郎は藤原純友と名乗った男の顔を思い浮かべた。そしてあの時の「美味い酒など酌み交わそうぞ」という言葉が妙に懐かしかった。

「小次郎、如何した」

 幾分漫ろになった甥を良文が訝しむ。小次郎は体裁を取り繕い、凱龍輝を見上げた。

「相変わらず勇壮でありますな、叔父上の竜は。ところで、このブロックスは」

 凱龍輝の背後に、中型と小型の二機が伴っている。良文は自慢げに語り出した。

「あの猛牛型はディスペロウ、小型の方がエヴォフライヤーだ。元来凱龍輝の援護をする為に産み出されたブロックスでな、それぞれにチェンジマイズすることにより凱龍輝の更なる強化が得られる。

 苦労したぞ、鴻臚館(こうろかん)貿易を経て、デルポイとエウロペから漸く手に入れたのだからな。聞くところによると、飛燕、月甲の他に、雷電と呼ぶ追加武装があるとか。いつかこの凱龍輝に真なる力を備えることを目論んでおる」

 自慢げな姿が、良文もまた小次郎と同じゾイドを愛する坂東武者であることを示していた。

「良文殿、お久しうございます」

「叔父様、お久しぶりです」

 矢倉門の下、いつの間にか三人の女が迎えに出ていた。

「義姉上、御健勝で何よりです。

 それと良子か。覚えておるか、村岡の良文だ。良兼殿の館では小さき頃何度か会っておる。そうか、あの幼き()の子が。美しくなったのう。それと……」

「孝子殿です」

 母が応え、桔梗は深々と頭を垂れた。鬢より落ちた射干玉の解れ毛に、良文は僅かに心を奪われた様子だった。首を傾けて小次郎を振り向き笑う。

「お前が良子を嫁にもらったと聞いていたが、側室まで設けたとは聞いておらなんだぞ」

 慌てて弁解しようとしたものの、凱龍輝自慢に快くした勢いか、それとも桔梗の美貌に酔ったのか、良文は戸惑う小次郎達にも構わず続ける。

「孝子様ですか。都のお方とお見受けする。どうかこの朴念仁の甥を宜しく頼みます。

 いや、亡き良持兄者も安心しておろう、何分小次郎は奥手奥手と懸念されていたからのう。それが一度に女人(にょにん)二人とは」

「違います、孝子は私の上兵伊和員経の娘にて……」

 寸刻、小次郎は叔父の説明に時間を割く事となる。その間、良子は表情を変えずに微笑む桔梗の横顔を時折窺い見ていた。

(自分であったら絶対に動揺するのに。なぜこの方は微笑んでいられるのだろう)

 胎内に新たな命を身籠ってより、良子は特にこの都からやってきた美女を気にかける様になっていた。

 自分が身重(みおも)の体になり、夫は日々の精を持て余しているに違いない。同じ女だからこそ、孝子が小次郎を自分と同じか、それ以上に慕っていることは感じている。

 自分より年長の孝子が、明らかに自分より明眸皓歯の美女であることは認めざるを得ない。母からも「惣領として側室を持つは止むを得ない事。孝子殿との間に男と女の関わりがあったとしても、正室であるあなたは泰然として居なければなりませんよ」と言い含められていた。

 確かに、孝子と夫は親しい間柄ではあったが、しかしそれは如何様にしても男女のものではなく、ゾイドを介した棟梁と上兵との関係であった。夫が自分を最も愛していてくれるからとも信じたかったが、それ以上に不自然なのだ。

 孝子と夫の間には、男女を越えた何かが在る。

 若い良子には、群盗桔梗の前の正体にまで、思い及ぶには至らなかったが。

「良文叔父上、いつまでゾイド談議をお続けですか。相変わらず皆様ゾイドのこととなると話は尽きませんね」

「おお、四郎か。お前も更に英明になったようだな。相変わらず景行公には世話になっているのか」

 待ちかねていた四郎の案内により、凱龍輝と良文達は館の矢倉門をくぐって行く。頻りに笑っていた良文の顔が、小次郎とすれ違う時一瞬だけ強張った。

「今日は火急の件があって参った。すぐに評定(ひょうじょう)を開きたい」

 低く絞り出す声が、決して良文がゾイド自慢の為に訪れたわけではないことを物語っていた。

 

「良子の略奪婚については、良兼兄も諦めている。問題は源家だ」

 広げた所領図を指し示し、良文が小次郎達を前に渋面を浮かべている。

「常陸より蔓延(まんえん)したゾイドウィルスによって、坂東南部は猖獗(しょうけつ)を極めている。下総まで伝染が及ばなかったのは、小次郎が国香兄達と孤立していたのが幸いしたといえよう。

 しかし、これから冬にかけての農閑期、従類・伴類の募兵は容易となる。

 相模にも来たのだ、国香兄の檄文がな」

 良文が、隣の四郎に書面を渡し、それを員経と三郎が覗き込む。

「〝平将門を討て〟と」

 評定が重苦しい雰囲気に鎖される。良文は書面を所領図に重ねた。

「同様のものが良兼、良正にも送られているはずだ。最近良正は水守(みもり)の館を源家から与えられ、アイスブレーザー及びジークドーベルの混成部隊を編制し終えた。国香兄のレッドホーン部隊と源家の竜を加え奇襲を受ければ、鎌輪など一溜りもないだろう」

「叔父御殿は、これを知らせに」

 小次郎が良文を見る。

「良子の件はお前に無礼があったのは確かだが、一族揃ってお前を潰すほどの理由にはならない。寧ろ背後で控えている源家がそれを機会に、ウィルスに冒されていない下総を狙って暗躍しているのだ。私も国香兄に小次郎討伐を命じられたが、海賊追捕を盾に兵は出さぬ。だがそれでも戦は避けられない」

 予測されてはいたが、良文の齎した情報は衝撃であった。

「小次郎、降伏して所領を手放すか」

「それはできません」

 良文の速断を迫る物言いに、小次郎は間髪入れず返答する。それは惣領とすれば当然であった。

「だとすれば、早急に軍を整え迎撃準備をすべきだが、戦えるか」

「断固として戦います。坂東武者の誇りにかけて」

「よかろう」

 小次郎がそう答えることは、良文にも予め判っていたようであった。何度か無言で頷く仕草をすると、良文は改めて小次郎に向き直り告げた。

「そこで提案なのだ。お前の母君を、相模で引き取らせてはくれぬか」

「母上を、ですか。まずは相談して見ねばわかりませんが、それは何故に」

 的を射ない申し出に、小次郎は当惑する。

「良持兄が身罷って久しく、義姉も年老いた。これ以上戦乱の中に身を置かせるのは痛々しい。幸い相模は気候も温暖で、義姉の身体にも過し易いと思う。何より義姉の無事である姿を、私が見守りたいのだ」

 良文は真剣であった。それは嘗て父良持と競いあった恋の成就を、老境を前にして成そうとする良文の想いと取れた。小次郎が良子という伴侶を得ていなければ、或いは解せないことであったかもしれない。良文の純愛を貫こうとする高潔な姿勢が、小次郎には何よりも嬉しかった。

「わかりました。戦いに臨むには、母は最早辛いかもしれません。良き機会です。叔父御殿にお任せしたく思います」

「小次郎、感謝する」

 それが叔父良文と、そして母との永遠の決別となることを、小次郎は朧げに見越していた。

 

「寂しくなりますね」

「ああ」

 同衾(どうきん)する良子の言葉に小次郎は答える。

「武家の嫁としての習いも知らない未熟な私に、母様はいろいろと教えてくださいました。私が身籠った時も、いち早く晒布で御襁褓(おむつ)を準備して頂きました」

 静かに啜り上げる声がする。宵闇の中、良子は込み上げる嗚咽を堪えていた。

「将武、将為殿も、行かれてしまうのですね」

「ああ、六郎も七郎もまだ幼い。母と共に相模に向い、孰れ叔父より伊豆の地を拝領する約束を頂いた。あれも俺の弟だ。必ず立派な坂東武者になるさ」

「はい」

 暗い天井を見つめる小次郎に、良子は静かに身を寄せる。

「あなた様、どうか御無事で」

「心配するな。俺は良子の腹の子の父となるのだ。源家のバーサークフューラーも、水守のアイスブレーザーも打ち破って見せる」

 寝返りを打った小次郎は、胎内の子に留意しつつ良子を抱き締める。

 秋風が強さを増してきた。雨戸を叩く風の音が、館の回廊に響いていた。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第参拾壱話

 水守の館を出立したジークドーベル部隊が筑波のバーサークフューラー部隊と合流し、既に出撃を終えていた石田の荘の部隊を含め、一路鎌輪に向けて進撃を開始したという情報が石岡の常陸国司藤原維幾(これちか)より齎された。

 私怨を晴らすために大規模なゾイド部隊を動かすことは律令によって禁じられている。だがそれを抑えるだけの力を持たない(おおやけ)にとっては、これを飽くまで同族内部の紛争として扱い、国衙は介入することを回避してしまった。

 一方で、形ばかりの警告を鎌輪に発することにより、国府の体面を保とうとしたに過ぎない。その段階では水守の軍勢の数は確認できず、ただ「動いた」という知らせでしかなかった。

 小次郎は既に、掻き集められるだけのゾイドと郎党衆を鎌輪周辺に待機させておいた。多治経明や文屋好立、そして桔梗などの精鋭を揃えていたものの、やはり数に於いて劣勢であることだけは否めなかった。

 意外にも、飛来した敵の使者であるフライシザースによって、水守勢の兵力は下総への侵攻前に鎌輪側に通達される。これにより、両陣営のゾイドの兵力比較が可能となった。

 

○水守側の兵力

 アイスブレーザー(平良正;指揮、館主)

 ジークドーベル(搭乗者不明。機種から判断して兵または上兵、従類)×4

※平国香(石田の荘)よりの増援

 レッドホーン(平国香;惣領)

 レッドホーン(平繁盛;上兵、貞盛の弟)

 レッドホーン(他田真樹;上兵)

 レッドホーン(搭乗者不明;兵、従類)×2

※平良兼(服織)よりの増援

 ダークホーン(平公雅;兵、良子の弟) 

※源家よりの増援

 シュトゥルムフューラー(源扶;惣領)

 ジェノブレイカー(源隆;上兵)

 ジェノザウラー(源繁;上兵)

 ゲーター(搭乗者不明;兵、従類)×2

※その他の増援部隊(一部に明らかな僦馬の党や俘囚の流民が紛れ込んでいる)

 ヘルキャット(搭乗者不明。伴類)×3

 グランチュラ(搭乗者不明。伴類)×2

 ディロフォース(搭乗者不明。伴類)×3

 モルガ(搭乗者不明。伴類)×2

 シェルカーン(搭乗者不明。伴類)

 ボルドガルド(搭乗者不明。伴類)

 フライシザース(搭乗者不明。伴類)

 機種不明ブロックス(搭乗者不明。伴類)×5

 

○対する鎌輪側の兵力

 村雨ライガー(平将門;指揮、惣領、館主)

 ケーニッヒウルフ(平将頼;上兵(じょうへい)

 ディバイソン(伊和員経;上兵、平将文;(つわもの)

 ソードウルフ(孝子=桔梗;兵、実際は上兵)

※平真樹(大国玉郷)よりの増援

 サビンガ(文屋好立;上兵)

※御厨からの増援

 ディバイソン(多治経明;上兵)

※待機

 レインボージャーク(平良子)

 ナイトワイズ(平将平;学士、機体は菅原景行より借用)

 

 小次郎が充分なゾイドを動員出来ない事を見越しての侵攻であり、形の上でこそ指揮は平良正ではあったが、実質上は桓武平氏の棟梁たる平国香による。この兵力開示措置は、可能であれば甥将門との衝突を避け、穏便に下総の土地を割譲させることを国香が目論んだとも考えられる。

 ゾイド部隊の編制を見ると、良子を巡る女論を原因とした場合、最もゾイドを投入すると考えられた良兼が、僅か一機のダークホーンのみしか増援していない。やはり軋轢があるとはいえ、舅として娘良子の夫将門と戦うのを躊躇い、形式的に息子公雅だけを派兵したのだ。

 更には、参戦しているブロックスや小型ゾイド搭乗者に“伴類”と呼ばれる者が多数存在している。これは独立した武装私営田農民“従類”に対する者で、状況に応じ戦闘に参加する自由農民、或いは群盗の類である。

 東方大陸の坂東、及びその奥の蝦夷地に於いての戦は、敵の所領を完全に破壊する殲滅戦であった。勝利者は占領地での資産の略奪を行えるという暗黙の掟があり、戦況を睨んで、強い側、勝ちそうな側に味方する輩なのだ。少しでも兵力差を付けたい水守勢にとって、信用は置けないものの威嚇の必要性からこれらのゾイドの同伴を許していた。よって騰波ノ江の南西付近に水守勢が陣を張る頃には、上記の数に加え更に伴類は寄り集まり、無数の大小のゾイドが並ぶ光景となっていた。

 鎌輪勢に対する水守勢の兵力差は初期の段階で凡そ五倍。敗北は略奪による所領の荒廃を生む。小次郎はこれまでの生涯で最大の局面に立たされていた。

 

「敵部隊は対岸に陣を張り、現在補給を行っている模様です」

 サビンガを使い、騰波ノ江を越えてきた文屋好立が報告する。

「未だ(ちょう)を交わしておらぬので、攻撃は受けませんでしたが、それを差し引いても圧倒的兵力差に油断している様子は確か。多勢とはいえ所詮烏合の衆、攻め崩す手立ては在りまする」

 気休めなのか、本心なのか、呼吸も荒く報告する。サビンガの複合感知眼(センサーアイ)が記録した配置図を前に、小次郎を囲み鎌輪勢の武士達が覗き込んでいた。

「確かに好立殿の報告通り、敵は烏合の衆だ。良正叔父はまだ戦いに慣れていない。その上源扶と国香伯父までいれば、『船頭多くして舟山登る』の(ことわり)の如く指揮系統は必ず混乱する。伴類の小型ゾイドは恐れるに足りん。員経、ここは正面突破か」

「集束荷電粒子砲を砲台とすると、開けた場所からの突進は危険です。寧ろ敵の先陣を野本の湿原に誘い込み、混戦に持ち込めば源家の竜の荷電粒子砲を封じられるかと」

「囮となって誘導するゾイドが必要だな。俺が村雨で出るか」

「兄者、(しょう)自らが先陣を切るなど無謀だ。その役目、この将頼にお任せくだされ」

「三郎様、その役目こそ私が。接近戦である以上、銃より刀が、そして王狼よりも剣狼の方が有利です」

「そうだな。誘導には孝子に願うとする。三郎は石田のレッドホーン部隊を狙撃してくれ。あの重装甲は、村雨のストライクレーザークローも弾かれるやもしれぬのでな」

「止むを得ません。孝子様の方が私より遥かにゾイドの扱いに長けているのは認めます。ですがどうか、無理をなさらぬように」

「ありがとう、三郎様」

「あなた様、私とレインボージャークは」

「身重の躰で飛行は無理だ。良子には四郎と共に館の守りを願いたい。員経と五郎は伏兵となり、万が一館に近づくゾイドがあれば十七門突撃砲で蹴散らせ。怒涛となって押し寄せてきたならば、そのときこそパラクライズを放ってくれ」

「承知しました。馬場にて乗り込み、待機しております」

「四郎は良子を守れ。館が陥ちた時は、良子とともに景行公の処まで逃げろ」

「この様な時にお力になれず……」

「気にするな。お前も自分に出来ることをやれ。

 いいか、皆聞いてくれ。今度もまたあの力――疾風ライガー――に変化できる保証はない。着実に敵ゾイドを一機ずつ葬り、俄か作りの水守勢を打ち崩す」

「小次郎の殿、これは提案なのだが」

「経明殿、何か意見でも」

「もし敵軍が崩壊し、逃げ帰ることがあれば、一度可能な限り追撃してもよいかと」

 大胆な多治経明の提案に、その場が一瞬静まる。敗北するつもりはないが、勝利の可能性も難しいと思える中、その先まで見越した戦術に、誰もが唖然としたのだ。

「度重なる下総への侵攻、これをこのまま許し続ければ後顧の憂いと成ります。一度徹底的に叩いてこそ、所領の安堵に繋がるかと」

「爽快ではないか」

 文屋好立が声を上げる。

「今まで散々荒らされてきたのだ、目にもの見せてくれようぞ」

 大言壮語かと、小次郎は思った。だが、その言葉に座が盛り上がったことも確かであった。小次郎は員経と、そして桔梗と目を合わせると、経明以上に声を張り上げた。

「よおし、良正に一泡吹かせてやろうぞ。鎌輪の意地を見せてやる」

 一斉に上がる鬨の声に、一同の士気は最高潮に達した。

(頼むぞ、村雨。そして疾風)

 小次郎は、見上げる先にある碧き獅子に祈りを込める。

 

 此処に、平将門にとって初めての(いくさ)、『野本の合戦』の火蓋が切って落とされようとしていた。

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第参拾弐話

 開戦を告げる牒を携えて来たのは、良兼に所属するダークホーンであった。

 対峙する鎌輪勢の陣に接近し、尾部銃座より降り立ったのは他ならぬ良子の実弟公雅(きみまさ)だった。初陣に加え、使者としての重圧に緊張した面持ちで書状を差し出す。

「御使者殿、平小次郎将門しかと受け取りました」

 布陣の中央で村雨ライガーに搭乗する小次郎が、代理の四郎将平が牒を受け取ると同時に宣した。その後ダークホーンは自陣に向けて回頭する。尾部銃座から背部観測席に移動した公雅が、緑色の風防を閉めきる前に振り返る。

「小次郎殿、姉上は元気ですか」

 姉弟が引裂かれて争う悲劇を垣間見る。

「案ずるな。女を戦に巻き込みはしない」

 遠ざかるダークホーンの背に、小次郎は自らに誓いを立てるかの如く叫んでいた。

 

 戦の始まりを示す矢合わせに、アイスブレーザーのハイパーフォトン粒子砲とケーニッヒウルフのスナイパーライフルの試射が交わされた。

 小次郎は〝ハヤテ〟の力の発現を終始待ち望んでいた。最初から疾風ライガーに変化しておけば、速度に勝る源家の竜にも匹敵するだろう。心の中で、いや、題目の如く「疾風ライガー」の名を何度も口遊(くちずさ)んでみていた。しかし村雨ライガーにその兆候は見られない。未だ己が愛機の潜在能力を引き出せないことに、小次郎は切歯扼腕する思いであった。

 水守側からすれば、鎌輪勢の陣は集束荷電粒子砲の有効射程ではあるが、緒戦からそれが放たれることはなかった。圧倒的兵力差を盾にして、正面からの格闘戦を挑んで来たのである。先陣のレッドホーンが大地を揺らし突進するが、追い上げてきたジークドーベル部隊が赤い動く要塞を追い越し前面へと躍り出る。

〝手筈通りだ。頼む〟

 装甲に覆われた風防の隙間から、「了解」を示す桔梗の腕が見えた。

 丹色の狼が勇躍する。

 主戦場は騰波ノ江が入江状に張り出した場所で、それに繋がる野本の葦原の湿地帯と、収穫を終えた冬の乾田が続く。地盤の固い地表は少なく、下総特有の地形となっている。レッドホーンやダークホーンなど重量級ゾイドにとって不利であるが、ジェノザウラーの様なホバリング機能を有する陸戦ゾイドには無関係である。但し荷電粒子砲の発射はアンカーを打ち込める場所に限定されてくる。寡兵ではあるが、小次郎にとっては慣れ親しんだ地の利を生かすことが出来る。敵の主力から湿地帯までは二町(約220m)。遮るもののない乾田の上を、剣狼は不規則な蛇行を繰り返すことで敵部隊の誘導を開始した。

 レッドホーンの大口径三連電磁突撃砲とジークドーベルのフォトン粒子砲が豪雨となり、剣狼の周囲に降り注ぐ。しかし突進しながらの行進間射撃は狙いが定まらず、(いたずら)に乾田を掘り興すばかりだった。

 土煙が煙幕となって剣狼の姿を覆い隠す。小次郎の予想通り、指揮系統が一本化されておらず、小毅(≒小隊)毎に勝手に攻撃をしていたのだ。

 その頃、後方の高台に移動し塹壕に身を隠し終えたケーニッヒウルフが、先頭のレッドホーン目掛けて稜線射撃を開始した。スナイパーライフルの徹甲弾は初弾にして命中し、レッドホーン右脚関節部から派手に吹き飛ばした。前肢を失った赤い巨体は、翻筋斗(もんどり)を打って部隊後方へと転がっていき、両陣営通しての初の戦果となる。

〝やった、当たった〟

 興奮気味の三郎の声が響く。鎌輪勢は寡兵を以て大軍に挑むため、戦闘中通信装置を開放していた。

「油断するな三郎、位置を察知されぬ間に射撃を続けろ」

 小次郎の言葉通り、狙撃者の存在に気付いた水守勢は一斉に部隊を散開させる。土煙の中から赤い機体が2機姿を現し、内1機の襟に貫通弾があったが、今度は致命傷にならず怒涛の進軍は継続された。

 未だ見えない狙撃者の存在を探るため、鎌輪勢の頭上に巨大な桒形(くわがた)と翼を備えたブロックスが飛来する。

「煙幕弾展開。好立、あの飛び桒形を叩けるか」

〝承知〟

 前日水守の勢力を知らせた無人のフライシザースに、頭部を(むささび)型に換装したサビンガが襲いかかる。ウイングスラッシャーを振り翳すと、一度は仕留めそこなったものの、二度目にして左翼の付け根を切断し、錐揉みとなった桒形は大地に激突していった。

 散開したジークドーベルとレッドホーンは、自らが撃ち込んだ弾丸の硝煙によって視界を閉ざされたままだった。硝煙の中に金属を切断する甲高い音が響く。土煙に紛れ潜んでいた剣狼が、抜き身のエレクトロンハッカーを叩き付けたのだ。頸部から袈裟懸けに切断され、真っ二つとなってジークドーベルが吹き飛ぶ。残骸が後陣のヘルキャットに激突し、光学迷彩を解かれ姿を露呈していた。

 その時桔梗は、後方から接近する淡紫の竜を察知した。

「シュトゥルムブースター装着のフューラー、扶か」

 小振りのエクスブレイカーを大上段に振り翳したシュトゥルムフューラーは、会稽の恥を晴らさんとばかりに剣狼に襲いかかる。

「貴様の相手をするつもりなどない」

 桔梗はエレクトロンハッカーを垂直に突き立てて、エクスブレイカーをアクティブシールドごと受け止めた。加速のついたシュトゥルムフューラーの刃は重く、エレクトロンハッカーの基部ごと捻じ切られるような衝撃を受ける。

「さすがに一筋縄ではいかぬようね、でも!」

 エクスブレイカーとエレクトロンハッカーの切り結んだ部分を支点に、剣狼は足元を滑らせ半回転する。シュトゥルムフューラーの背後を取る形となった剣狼は、ホバリングを担う脚部の噴射口目掛け前肢のストライクザンクローを叩き付けた。一時的に噴射機能を失い体勢を崩した竜は、まるで独楽(こま)の様に極地回転を行い、戦闘能力を封じられる。その隙を狙い、再び桔梗は葦原に向け剣狼を走らせた。

 シュトゥルムブースターの驚異的な加速により、前方の葦原まで僅かという場所で、剣狼は追い付かれた。狙い定めたエクスブレイカーが剣狼の頭上に迫った時、葦原から跳び出す碧き獅子があった。

「御免」

 横一閃に薙ぎ払ったムラサメブレードが、シュトゥルムフューラーの本体ごと上下真っ二つに切断する。

 攻撃はゾイドコアに達した。制御を失ったブースターは暴走し、扶を乗せた上半分はそのまま騰波ノ江の湖上まで吹き飛ぶと、轟音を上げて爆発四散した。

「ひとぉつ」

 小次郎が叫んだ。

 

 後衛で控えていたジェノザウラーとジェノブレイカーが、混乱する前衛のレッドホーンとジークドーベルの群れの中に突入してきた。長兄扶のシュトゥルムフューラーを失ったことにより、形振(なりふ)り構わず集束荷電粒子砲を放って鎌輪勢を殲滅するつもりなのだ。

 ジェノザウラーがアンカーを据え付ける足場を捜し、僅かに速度を落とした瞬間、迷彩色の擬装布を振り払い、葦原の奥から黒い鋼鉄の塊、即ち多治経明のディバイソンが突進してきた。

 跳び上がった黒い猛牛は、ジェノザウラーの腹部に超硬角を深々と突き刺し、そのまま全重量をかけて圧し掛かる。レッドホーンと同じ重量級ゾイドでありながら、葦原に点在する岩盤を選び潜伏し、混戦を衝いて突撃を敢行したのだ。

 縺れ合う黒い2機のゾイドの落下の瞬間に、ぐしゃっ、という不快な音がした。ジェノザウラーはディバイソンに比べて関節部など頑丈な造りとは言い難い。超硬角と同じ重金属で鋳造された前脚二本の蹄により、ジェノザウラーは完膚なきまでに踏み潰され、機体ごと湿地帯に斃れたのだった。

 

 桔梗は、シュトゥルムフューラーに匹敵する驚異的な速度で接近する機体を察知した。

「来たな頭目」

 猛進してきたのは、白銀の装甲に白銀の翼を持つ黒い猟犬、良正の駆るアイスブレーザーであった。射撃の軸線から機体を逸らせようと跳び退いた時、桔梗はその傍らを眩しい光の弾丸が掠め飛ぶのを目にした。

 眩惑され視力を失う。直撃すれば光の粒子にまで分解されたはずだが、それ以外にも閃光弾としての効果も備えていたのだ。眩惑されている僅かな間に、桔梗は機体に激しい衝撃を受けた。

「どうした剣狼、動け、なぜ動かない」

 ジェノブレイカーの放ったマイクロポイズンミサイルが命中し、剣狼の機能を停止させた。

 四肢を硬直させ擱座する剣狼を、レッドホーンを引き連れた源隆のジェノブレイカーがエクスブレイカーで投げ飛ばす。

 丹色の狼は泥塗れとなり、騰波ノ江の湖底へと沈んで行った。

 

「孝子殿がやられました」

 多治経明のディバイソンが村雨ライガーに並ぶ。前方には3機のレッドホーンとジェノブレイカー、そしてアイスブレーザーが迫る。頭上をサビンガが飛び去って行く。

「好立殿、何処へ」

〝孝子殿の処だ。奥の手を使いまする。暫くの猶予を〟

 貴重な飛行ゾイドのため、文屋好立の離脱は痛い。だが平真樹の上兵である以上無理強いはできない。小次郎は手持ちのゾイドで対処するほかないと腹を括った。

「三郎、前線に上がれ。員経、後衛はあとどれくらいいる」

大凡(おおよそ)小型20機、後方にダークホーンが離れて1機です〟

 やはり平公雅は参戦をしないらしい。

 村雨ライガーとディバイソンの脇を、瞬時に加速したアイスブレーザーとジェノブレイカーが飛び去った。

(まず)い、館に向かっている」

 守備に残っているのは伊和員経と六郎将文のディバイソンのみ、到底2機の大型ゾイドに太刀打ちできるはずもない。

 

「経明殿、ここを頼む」

〝お任せください〟

 多治経明のディバイソンが四肢を開き雄叫びを上げる。背中の十七門突撃砲のメガロマックスが炸裂した。

 炎の豪雨の中、レッドホーン1機が擱座するが、中破してもなお、2機の動く要塞はディバイソンに迫ってきた。超硬角とクラッシャーホーンとが衝突し、激しく火花を散らせる。残ったもう1機のレッドホーンが、ディバイソンの脇腹を突き刺し横転させた。多治経明は、激突の直前、横合いから突き上げたレッドホーンに指揮官を示す白い線が入っているのを見た。

「……あれは、石田の荘、平国香の機体か」

 吹き飛んだディバイソンは、横転して一時的に全機能を失った。

 

 鎌輪の館に向かって、ジェノブレイカーとアイスブレーザーが突き進む。追撃する村雨ライガーとの距離はますます広がる。

 間に合わない。

 このままでは、員経が、将文が、将平が。そして良子が。

 その時、表示板に輝く文字が現れた。

「わかったぞ」

 エヴォルトの謎が氷解した瞬間、小次郎は叫んでいた。

(形だけ念じてみたところで心は通じないのだ。心底〝ハヤテ〟の力を欲し、そしてそれが村雨に認められてこそ、この変化が成し得るのだ。

 俺は最初から村雨に頼ろうとし過ぎていた。

 違うのだ、これは俺達の力なのだ。今こそその力を開放する時、共に戦うぞ、村雨ライガー。そして――)

「疾風ライガー!」

 焔の繭を突き破り、緋色の獅子が現れる。

「頼む、疾風ライガー。良子を守るのだ」

 

 疾風ライガーは炎の矢となった。

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第参拾参話

 ソードウルフは硬直したまま動かない。被弾した天蓋の隙間より、次第に泥水が滲み出してくる。生殺し同然に溺れ死ぬのも、今まで自分の犯してきた業の報いかもしれない。だが、道連れとなるこのゾイドは哀れであった。

「ごめんなさい。あなたの命をこんな形で奪うことになるなんて」

 死を覚悟した時、桔梗は今までになく素直に、そして幼い頃に戻っていた。脳裏に遠い過去の記憶が蘇る。下野(しもつけ)唐沢山(からさわやま)から兄と望んだ風景。武蔵野の台地に霞む富士の姿。

(一度、武蔵を見たかった)

 泥水が頬に滴り思わず目を瞑る。視覚を閉ざしたその時、微かに人声が響いてきた。

〝孝子殿、孝子殿。何処に居られる。文屋好立だ。返答して下され〟

 水面ぎりぎりを飛行するサビンガの通信が、湖底のソードウルフに届いたのだ。集音装置に齧り付き叫ぶ。

「好立殿、此処です。騰波ノ江、坤の方位より約一町の湖水。周囲に葦原の群生があった。剣狼の形に薙ぎ払われているはずです」

〝御心配召さるな。このサビンガの赤外線探知装置の眼力をもってすれば……よし、見つけた〟

 あまりに早い探知に、桔梗は(いささ)か拍子抜けした。だが続く好立の言葉は更に意外だった。

〝今一度戦線に復帰して頂く。少しでも戦えるゾイドが欲しいのだ〟

「でも、どうやって……」

 確かにサビンガの通信を受信してから、剣狼の機器は回復を始めている。しかしポイズンミサイルの毒が回った状態では、参戦しても足手纏いになるだけだ。

〝題目を転送する。合図をしたら共に詠唱してくだされ〟

 好立の言葉通り、表示盤に文字が現れる。息を吹き返した機器が一斉に点灯を始め、同調状態を示す計器の波形が激しく変動を始めた。「動ける」。希望は確信に変わった。

〝宜しいか、孝子殿〟

「ええ。行けます」

〝行きますぞ。Zi――〟

「ユニゾン!」

 湖水が爆発的に噴き上がり、水煙の中心より翼を持つ丹色の虎が出現していた。

 

 小次郎は疾風ライガーの前方を突進するレッドホーンを発見した。アイスブレーザー、ジェノブレイカーとともに鎌輪の館を目指している。これ以上敵を招き入れることは出来ない。ムラサメナイフ、ムラサメディバイダーが展開した。

 レッドホーンが疾風ライガーに気付いた時には、既に背中の後ろから頭部にかけて斜めに切断された後だった。

「ふたぁあつ」

 赤い金属の塊と化したレッドホーンは、頭部を失った下半分の四肢だけが暫く走り続け、その後急激に勢いを失い横倒しとなる。吹き飛ばされた頭部を含む上半分は、搭載されていた弾薬に誘爆して小爆発を繰り返し、やがて黒焦げとなって燃え尽きて行った。

 小次郎はまだ、それが平国香搭乗のレッドホーンであることを知らない。

 鎌輪の館が見えた。土塀の前には超硬角を振り上げた伊和員経のディバイソンが構えているが、敵の狙いは館である。ディバイソンでは高速移動するゾイドを2機同時に抑えることはできない。三郎将頼の王狼も、伴類の小型ゾイド群に手古摺っている。

 既にアイスブレーザーが矢倉門に取り着き、その直後にはジェノブレイカーが迫る。

「員経、将文、頼む」

 十七門突撃砲の一斉射撃をも潜り抜け、黒い闘犬が身を躱し矢倉門を潜り抜けようとする。その時、ディバイソンの影から鹿型ゾイドが跳び出し、構えた巨大な金色の角でアイスブレーザーを機体ごと受け止めた。ヘルブレイザーとブレイカーホーンとが激しく火花を散らせるが、グラビティーホイールの出力を全開放にして質量を増加させたランスタッグの前に、黒い闘犬が弾き飛ばされた。

「玄明、なぜお前が」

〝それはこっちの台詞だ。なぜ俺を呼ばぬ。御蔭で出遅れてしまったぞ〟

 スラスターランスを振り翳し、頻りに前脚の樋爪で地面を蹴立てる。

〝俺の(つわもの)を連れてきた。小者は任せろ〟

 見れば4機のランスタッグが一斉に角を振り翳し水守勢に向かって行く。

 立ち上がったアイスブレーザーは、右のヘルブレイザーと白銀の安定翼が根刮(ねこそ)ぎ失われ、ハイパーフォトン粒子砲もだらりと下を向いたままとなっている。

〝良正叔父、最早勝負はつきました。(いさぎよ)く退かれよ〟

 亀裂の入ったアイスメタル装甲の隙間から赤い眼が怪しく光った。アイスブレーザーからの返答はない。

 轟音を立ててジェノブレイカーが後退する。騰波ノ江の上空で停止すると、頭部から尾部にかけて身体を一直線に伸ばした。

 小次郎はジェノブレイカーが『野本の戦い』の経験を元に、強力なスラスターパックを活用した空中からの集束荷電粒子砲発射態勢を取ったことに気付いた。湖上では疾風ライガーでも対処できない。射撃の軸線上には員経のディバイソンと、そして卑怯にも、鎌輪の館が位置している。

 口腔が燐光を放つ。発射の前兆である。

 小次郎は自らを捧げる覚悟を決めて身構えた。

「この身を呈しても良子を守る。済まぬ、疾風」

 己の命と引き換えに、愛する人を守る愚かさは重々承知している。それでも咄嗟に選んでしまう行動だった。

「俺はまだ、俺の子を抱いておらぬのに」

 良子の健やかな笑顔と、未だ見ぬ子の朧げな笑顔が脳裏に浮かぶ。

「愚かな父親を許してくれ」

 少しでも荷電粒子砲の照射角度を狭めるために、小次郎は湖上のジェノブレイカーに向かって飛躍していた。

 殲滅の閃光が放たれる直前だった。

 赤き竜が叩き落された。

 暴発した集束荷電粒子砲が湖水を蒸発させ、再び周囲は白い闇に覆われた。

 ジェノブレイカーを踏み台にして対岸に降り立った丹色の虎がいる。

〝ワイツタイガー・イミテイトにございます〟

 剥き出しのコアと脚部、頭部に操縦席だけを乗せたサビンガらしき抜け殻の様なゾイドが叢から現れる。

「好立殿、何だその姿は。それにあれがソードウルフなのか。まるで別のゾイドのようだが」

〝エヴォルトとは別の技にて、ソードウルフとサビンガが合体変化した姿です。孝子殿も御覧の通り無事ですぞ〟

 ワイツタイガーの尾が搭乗者の感情を示すが如く揺れていた。湖水面が泡立ち、赤い竜が浮上する。

「未だ動けるのか」

 浮上したジェノブレイカーが怒りに任せ、レーザーチャージングブレードとエクスブレイカーを闇雲に振り上げ突進する。

「勝負」

 疾風ライガーが跳ぶ。

 ジェノブレイカー頭部のチャージングブレードをクラッシュバイトで噛みつき、両頬のチェイスパイルバンカーを二本同時に叩き込む。レーザーチャージングブレードごと竜の頭部装甲が破壊され、内部の骨組みが剥き出しとなった。ストライクレーザークローでフリーラウンドシールドを毟り取り、ムラサメディバイダー渾身の一太刀で、胴体中央から竜を完全に断ち斬った。

「みぃっつ」

 疾風ライガーが吠え、背後でジェノブレイカーが爆発四散した。その隙に、アイスブレーザーが高機動ブースターを全開にして離脱していた。

「良正叔父、卑怯ですぞ」

 叫んだところで戻るはずも無い。水守勢は指揮の平良正が敗走し、国香と源家三兄弟が斃れたことで総崩れとなった。

 疾風ライガー形態が見る間に解けて行く。小次郎も、村雨ライガーにとっても、気力の限界であった。去りゆくアイスブレーザーの尻を眺めつつ、伊和員経のディバイソンが寄り添い天蓋を開いた。

「殿、勝ち(いくさ)に御座います」

「ああ、俺達の勝ちだ。五郎は無事か」

 後方警戒・対空要員席の装甲が開かれ、紅潮した少年が立ち上がる。

「小次郎兄上、やりました、勝ちました」

 元服直後の試練を乗り切った弟が、誇らしげに拳を握りしめていた。

 

 ワイツタイガーが駆け寄る。

「孝子よ、大事ないか」

「私は無事です。それより、玄明殿が追撃を始めております」

 見れば、伴類の操る小型ゾイド群をランスタッグが蹴散らしている。傍らには弾丸を撃ち尽くし、身体を伸ばして身を休める三郎の王狼があった。

「玄明、程々にしておけ」

〝馬鹿を言うな。このまま石田まで攻め込むぞ。貴様が止めても俺は止めんからな〟

 積年の恨みを晴らすべく、ランスタッグが崩壊した国香の兵を蹴散らしていく。

 戦の興奮から解放された疲労感から、小次郎は半ば放心して眺めていた。

 それが、更なる戦乱の火種になるとも気付かずに。

 

               第三部「動乱」了

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。