オリヴィアとヴァニラの過ごす時間 (くりおね/八千草)
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ヴァニラとジンジャークッキー

 ある日の平和な午後のこと、指揮者はオリヴィアとヴァニラの暮らす部屋の前にいた。

ちょうどヴィオラの練習中らしく、外にも微かに豊かな響きを持った音色が届いていた。

こほん、と一つ咳払いをして強めにヒモを引き呼び鈴を鳴らすと演奏が止まり、

代わりにとたとたとこちらに駆けてくる足音が聞こえてきた

 

「お、コンダクターじゃん。よく来たね いまオリヴィアと替わるからさ」

 

出迎えてくれたのはヴァニラ ヴィオラの音精オリヴィアの持つ裏の人格にして勝ち気な性格の女の子だ。

いや、そのままでいいのだ、とヴァニラに告げる。

 

「ん?なんだよ。オリヴィアに会いに来てくれたんじゃないのか?」

 

それももちろんだが、ヴァニラにも自分は会いに来た。そのために前もってヴァニラが表に出ていることの多い時間というのも、オリヴィアに尋ねて知っていたのだ。 

オリヴィアと良い仲を築いてからはこうして彼女の部屋を訪ねることも数回あったが、

その度にヴァニラはオリヴィアを優先して、二人の時間を過ごすようにしてくれる。

オリヴィアとヴァニラは意識を共有することができるので完全に引っ込んでしまうことこそあまりないものの、

彼女はオリヴィアを大切に思って常に慮っているため、自分は影に徹しようとする事が多いのだ。

 

「ふ~ん、アタシにも会いに、ね」

 

ヴァニラは腰に手を当てながら上半身ごと動かし、こちらの頭から爪先までを覗き込むようにして一周観察し

 

「ま、いいさ。 歓迎するよコンダクター」

 

ニカッ、と歯を見せるようにして笑顔を作った。

そうだ、特に今日はヴァニラに食べてもらおうと手土産を持ってきたのだ と告げると

 

「何か持って来たと思ったら へぇ、気が利いてんじゃん。とりあえず、茶でも出すからさ 座っててくれ」

 

そういってティータイム用のテーブルと椅子を勧めてくれた

 

「で?一体何を買ってきてくれたんだい?」

 

二脚のティーカップに紅茶を運んできてくれたヴァニラ。

ヴァニラはお菓子が好きだと聞いたので、評判の焼き菓子屋でクッキーを買ってきたのだ、と告げると

 

「お、オリヴィアから聞いたのか?いいじゃんいいじゃん」

 

手渡したクッキーの包のリボンを解いて 真っ白な皿にきれいに斜めに並べながらヴァニラは興味津々の様子で

クッキーの一つをつまんで裏表返しながら眺めている。

 

「それじゃ、いいよな? 早速、いただきま~す」

遠慮せずどうぞ、とすすめると上機嫌のままヴァニラはかぷり、と持っていた一枚にかじりついた

 

……かかったな。

 

「!?」

 

ヴァニラの表情が一転、驚愕に染まる。

そのまましばらく固まって、どうするのかと観察しているとやがて震えながらクッキーをゆっくりと皿に置き

 

「か」

 

か?

 

「か、辛れぇ~~~!!」

 

口を両手で抑え、眉をひそめ目を細めながら 涙目になっているヴァニラ

申し訳ないが、なかなか可愛いな などと思っていると

 

「ほ、ほんらくらー、はんらよこれぇ!?」

 

こちらを涙目のままにキッと睨みつける。

 

「あ、あらし、ほんろ もぅらめ……うぁぁ」

「こ、こんらくらー、れったい ゆるさらい……から、なぁ」

 

そう言いながら、急にヴァニラの首がカクン、とうつむいた。

そして次に顔を上げたヴァニラはどこか悪戯ぽく笑いながら、口の中のクッキーを咀嚼しこくん、とのみこむと

 

「ふふふ……もう、ヴァニラったら こんなにも美味しいのに」

 

こちらに向かってやわらかく微笑みかけた

 

「すみません……指揮者さん。つまらない、イタズラに付き合わせてしまって」

 

オリヴィアに完全に交代した彼女は、こちらを気遣うように軽く頭を下げる。

いや、いいのだ。オリヴィアの作戦に完全に乗っかったのは自分なのだから

 

「それにしても、おいしい、クッキーですね……辛くて、刺激的で 焼きたてのいい香りがします。」

 

そう、ヴァニラに食べさせたのはピリリと辛い、ジンジャークッキーだったのだ。

ヴァニラは確かにお菓子は好きだが、それはほとんど甘いもので、辛いものは苦手 そういうものはいつもオリヴィアの担当になるのだった。

 

「もう…ヴァニラったら、そんなに指揮者さんを責めてばかり ヴァニラがいけないのよ?あなたったらせっかく指揮者さんがお茶会に誘ってくれても、すぐに引っ込んでしまうんだから」

 

オリヴィアの心のなかでは、まだヴァニラがこちらへの恨み言を吐き続けているようだ。

そう、今回のことはオリヴィアと示し合わせて 一計を案じたのだ。 自然な形で、オリヴィアとヴァニラと自分、三人でのお茶会を楽しみたいと。

 

オリヴィアの中のヴァニラに語りかける。 妙な悪戯をして済まなかった ちゃんとヴァニラの好きそうな

甘い味のクッキーも用意してあるから、出てきて一緒にお茶会を楽しまないか、と。

 

「ほら、いつまでも……いじけていないで? こっちのクッキーは甘いあま~い、バニラフルーツクッキーなんだって?……ね」

 

ヴァニラを説得するオリヴィアの様子を見て、これは時間がかかりそうか?と思っていたのだが

やがて彼女は恨めしげにこっちを刺すような視線を送りながら

 

「今度のはホントに大丈夫なんだろうな?」

そう、言った

 

ああ、もちろん と答えながらもう一つのクッキーの包みを解いて更に並べる。

自分たちは二人で一人、とヴァニラは言う。

だけどそれは違うんじゃないかとも思う。目の前の躰に宿る二人の少女。それぞれが好きな味の二種類のクッキー。

窓からの少し傾いた光が差すテーブルで、これから"三人でのお茶会"が始まるのだ。

期待に胸を膨らませながら、指揮者はヴァニラが駄目だと言ったクッキーを一つつまみ上げ囓ると、

これは、結構辛いな。と言ってはははと笑ってみせた。

 

 

 



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屋根の上のヴィオラ弾き

 夜の闇の名残がまだ残る明け方の空のかすかな明るさと肌寒さの中、かすかに聞こえてくる軽快なヴィオラの演奏にヴァニラは目を覚ました。

 

 

『ん……?ここは……外か?』

 

「あ……ごめんヴァニラ、起こしちゃったかな」

 

 

ヴァニラと同じ体を共有するオリヴィアは、演奏の手を止めて謝罪を口にする。

 

 

『いや、全然構いやしないよ。けど、珍しいなこんな朝早くから練習なんて。それに……ん?』

 

 

オリヴィアの"内側"から眠気混じりにあたりの様子を確認するヴァニラは今置かれている状況の奇妙さに気がついた。

 

 

『なんだ?ここ……屋根の、上か?』

 

「そう。ちょっと、ね。 上ってみたくなって。」

 

『ふうん……珍しいこともあるもんだな。』

 

 

まだ目の覚めきらないヴァニラはそれきり少し黙ってしばらくぼんやりと街の景色を眺めていた。

オリヴィエもそれにつられてしばらく二人で黙っていたが、やがて屋根の端に用心して腰を掛けると

 

 

「ねえ、ヴァニラは聞いたことある?」

 

と、問いかけた。

 

『ん?何をだ?』

 

「"屋根の上のヴァイオリン弾き"のお話。」

 

『え?ああ、なんとなく聞いたことがあるような気がするな何だっけ、歌劇……じゃなくて民話か何かだったかな。』

 

「うん、そうだね」

 

 

両手を口の前にかざしてはあ、と息をつき細くしなやかな指を温めるようにしながらオリヴィアは答える。

 

 

「主人公は貧しいユダヤの牛乳売で、迫害から逃れながら妻と3人の娘と慎ましやかに暮らしているの」

 

『うん』

 

「3人の娘はそれぞれ結婚相手を見つけるんだけど、主人公からしたらどれも簡単には認められない縁で、そのたびに悩んで自分たちの生きてきた人生とかしきたりを思い返すんだけど。」

 

「そんなときにどこからともなくそのヴァイオリン弾きは現れて、悲しいこと、苦しいこと、嬉しかったこと……簡単にはいかない人生のいろんなことをのせて小躍りしながら軽快なヴァイオリンを奏でるんだって。」

 

『面白いやつもいるもんなんだな。あ、いやそういうお話か。』

 

「"私達はみな屋根の上のヴァイオリン弾きのようなものだ"って主人公は言うんだ。そのお話をちょっと思い出して……」

 

『それでちょっと屋根の上で弾いてみたくなった、ってことか』

 

「それでね、あの……私達も……いま、この世界に暮らす大勢の人達もみんな、今同じように苦しみとか……色んな思いを抱えて生きているけど」

 

『ああ、文明ギルドとの戦いも奴らに奪われる人の悲しみも まだまだ終わらないしな。』

 

「私も……私達も、そんな人達の思いを乗せて、寄り添う演奏ができるかな……って」

 

『……できるさ、できるに決まってるだろ?オリヴィアならさ』

 

「私なら、じゃないよ。」

 

 

そう言うとオリヴィアは少し眉をひそめて不満げにしながら続ける。

 

 

「私達2人で、だよ……。」

 

『……』

 

「ねえ、ヴァニラ。そう……約束してくれる?これからも一緒いてくれるって。2人で一緒に、大切なものを守っていこうって。」

 

『……ああ、そうだな。』

 

 

(もし、あたしがいなくなったとしても オリヴィアならきっと、やっていけるよ それが……一番いいんだ。)

 

返事とは裏腹に、心のうちに暗く重い気持ちを抱えながらも決して悟られないようにヴァニラは軽快に答える。

 

 

『まっ、あたしらはヴァイオリンじゃなくてヴィオラ、なんだけどな "屋根の上のヴィオラ弾き"ってとこか!』

 

 

いつの間にか空もだいぶ明るくなり、まだ寒さは残るが夜明けが近いのを感じさせた。

 

 

『で、どうする?そろそろ家の中入る?』

 

「ううん、もう少しだけこうしていようかなって。」

 

『そうだな、あたしも少しはヴィオラ、練習したいしな。』

 

 

へへ。と笑いかけながらそう応えるヴァニラの存在を強く感じながらオリヴィアはゆっくりと立ち上がると

 

 

「また、新しい一日が始まるね。」

 

 

穏やかに、軽やかに慣らすようにしてヴィオラを奏でながら朝日が街の屋根々々を照らす頃まで、2人で今はのんびりと陽が上るのを待った。

 

 



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