覇王の冒険 (モモンガ玉)
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覇王の誕生

楽しかっ(ry
 ※小説1巻参照

見切り発車でゴー


私は昼間だというのに薄暗い森の中を走っていた。

息など森に入る前から切れている。砕けた右の拳からは血が滴り、極度の緊張の中でも感じる痛みは増し続けている。

ただ立ち止まれない理由を左手に掴み、走り続けていた。

しかし悪夢との距離は開かない。

 

「あっ・・・」

 

妹が木の根に躓き、前のめりに倒れた。背後に詰め寄った騎士が下卑た笑い声と共に剣を振り上げる。

 

「ネムッ!」

 

妹に覆いかぶさり、押し倒すように庇う。背中に焼けつくような痛みが走るが、そんなことに気を取られている暇はない。

私は妹を、ネムを守らなければならない。身を挺して逃がしてくれた両親のためにも、2人で死ぬわけにはいかないのだ。

せめて妹だけでも生きて逃がして、両親の想いに応えなければならない。1人の姉として、可愛い妹を逃がしてあげたい。

 

「お姉ちゃんっ・・・!」

「ヒヒヒ、お前らはよく頑張ったよ。もう諦めろって。」

 

背から流れる血を見たのだろう、妹が心配そうに私を呼ぶ。

 

「隊長・・・この村で最後ですので遊びはほどほどにお願いします。」

「この俺に口出しするのか? お前から殺してもいいんだぞ。」

 

隊長と呼ばれた男の不機嫌そうな言葉に、もう1人の騎士は黙り込む。

実際のところ、この状況から妹が逃げ出すのは不可能だろう。逃げられたとしても、家族を失い、村を失った少女が生きていけるほどこの世界は甘くはない。

こんな外道の集団に日常を、村を壊されたことに怒りが沸いてくるが、単なる村娘にできることなど何もない。

せめてもの抵抗に、剣を構える騎士を涙を湛えた瞳で睨みつけることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(うわ!?)

 

しかし思いに反して自分の体が動いた。

突き出したのは騎士の鎧を殴りつけて砕けた右手。更なる激痛を予感して顔を歪めた私の目に映ったのは、いつの間にか綺麗になった自分の手と―――錐もみしながら派手に吹き飛ぶ外道の姿だった。

 

「「「え?」」」

 

間の抜けた声がシンクロする。

私には、この場において最も困惑しているのは私だろうという、奇妙な自信があった。なにしろ全身鎧をまとった大人を片手で吹き飛ばしたのだから。

そして先ほどから聞こえる妙な声。

 

(な、なんだこいつら? 転移させられた? そんな魔法聞いたことがないが・・・最終日に大掛かりなPKなんていい趣味してるなぁ。ていうかもう最終日は終わったはずなんだけど・・・バグか?)

 

再び私の手が勝手に動き、空中で妙な動きを繰り返す。

 

(コンソールが開かない? GMコールも反応がない。《伝言(メッセージ)》は・・・ダメか。)

 

「お、おいお前! 何しやがった!」

 

2人目の騎士によって謎の声は中断させられる。

その言葉がトリガーだったかのように、私の手が虚空に添えられ――

 

心臓掌握(グラスプ・ハート)

 

何か柔らかいモノを握りつぶした。

 

 

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

 

 

「あの、あなたは誰なんですか?」

 

俺の口が勝手に動き、言葉を発した。視界は左右に揺れている。

――いや、状況的に見て異質なのは俺なのだろう。

目線の高さ、服装、肌、声、そして胸の膨らみ。どれをとってもこれが別人の体であることは明確だ。何らかの理由でこの少女の体と同化してしまったのだろう。

骨すら辞めて霊体化してしまうとはどうなっているんだ。

 

そしてこの世界だが・・・ゲームではないだろう。

森の涼しさにアクセントを加える木漏れ日、頬を撫でる爽やかな風、微かに漂う血の臭いに、仄かに香る汗の混じった甘い匂い・・・

 

「あ、あの・・・」

「お姉ちゃん・・・?」

 

顔が熱くなるのを感じる。俺の精神とこの体は完全に連動してしまっているようだ。主導権がどちらにあるのかは今の時点では判別できないが、今の俺の心情は完全に悟られているだろう。

孤独な人生を歩んできた俺にこの距離は近すぎる。いや、正確には距離など1mmも開いていない訳だが。

慌てて雑念を振り払い、現状に向き合う。

 

(それにしてもこれ、一体どういう状況なんだ?)

 

「わかりません・・・いつも通りに水を汲んでいたら突然帝国の騎士たちがたくさん攻めてきて、村を・・・お父さんとお母さんをっ・・・」

 

そう言って俺の―――少女の目に涙が浮かぶ。

会話が噛み合っていない気もするが、今は置いておく。

俺は思考で会話できたことに驚きながらも、少しの情報を纏める。

ここは恐らく帝国ではない国にある村落、その近くの森だろう。魔法は問題なく使えるようだ。村人に心当たりがないのならこれは誅殺ではなく殺戮。少女との会話が成立したことから、ここが異世界であるという考えに信憑性が増した。成立する会話や動く口、匂いなど、現代の技術と法では再現できない。そして俺はなぜか少女とボディシェアリング中である。

 

何らかの手段を見つけるまでは少女と共に過ごすことになる。流星の指輪(シューティング・スター)を使えば元に戻れるだろうが、それは最後の手段にしておくべきだ。それにアンデッドの姿よりも人間の姿のほうが余計な敵を作らなくて済む。要するに隠れ蓑だ。

そうなると、このまま事態を静観して宿主ともいえる少女が四六時中塞ぎ込むことになってはたまらない。

今も焦りの感情が俺に流れ込んできている。異世界初日から沈鬱な気持ちになるのはご免だ。

それにこれは利の無い話ではない。少女や村人に恩を売ることで今後の活動がやりやすくなる。この騎士がただの先兵だとしても、魔法詠唱者(マジック・キャスター)に殴殺される兵を送り付ける飼い主などたかが知れている。なによりこいつらは――不愉快だ。

無辜の民(恐らく)に対する殺戮に怒りを覚えたモモンガはここで思考を打ち切る。そうと決まれば鏖殺だ、と。

 

 

 

 

――中位アンデッド作成 死の騎士(デス・ナイト)――

 

詠唱と共に虚空から黒い霧が現れ、足元の騎士を包み込む。騎士は全身から黒い液体を溢しながら歪な動きで立ち上がり、やがてその液体は騎士を完全に飲み込んだ。

 

(うげっ!)

「「ひっ・・・」」

 

見慣れない光景に当の本人も妙な声を上げる。何しろユグドラシルとは全く違うショッキングな登場だったからだ。怒りも鳴りを静めてどこかへ行ってしまった。

困惑しているうちに、膨張した液体は空気に染み込むように掻き消え、2mを超えるアンデッドの騎士が立っていた。

 

しかし今も襲われているであろう村を思うと、いつまでも呆けているわけにはいかない。

 

死の騎士(デス・ナイト)よ、この村を襲っている騎士を殺せ。1人も逃がすな。」

 

そしてモモンガは口をパクパクしている幼女に目を向け、手を伸ばす。

 

睡眠(スリープ)

 

モモンガの魔法により気絶したように倒れる幼女を体が勝手に受け止め、近くの木の根元に寝かせた。

どうやらこの体に主導権というものは無く、互いに好きなときに動かせるようだ。

そのことにモモンガは安堵する。

下手に自分に主導権があると、体を奪ったような形になり少女との関係に不和が生じる。

かといって自分の意思では動けないとなると、何もできない退屈な毎日になっただろう。

これがどちらも好きにできるというのがちょうどいい塩梅に思われた。

それでも他人(少女)の体に異物(モモンガ)が紛れ込んでいるという事実は変わらないが、力を貸すことで我慢してもらおう。

 

(えっと・・・まずは自己紹介かな? 俺はモモンガ。君の名前は?)

 

こんな形での自己紹介なんて初めてだけどね、と付け加える。

自分は恐らく少女の倍くらいの年齢だし、これから共に過ごすのだからと敬語は使っていない。

 

「え? あ、私はエンリ・エモットといいます。」

 

少女はまだ状況が掴めていないようで、聊か困惑気味だ。

それも当然だろう。何しろ憑依(?)している自分ですら何がなんだか分からないのだから。

 

(そうか。エンリ、どうやら俺たちは脳内で会話ができるみたいだ。声に出さなくてもいいよ。)

(え? じゃあやっぱり、あなた――モモンガさんは私の中にいるんですか!?)

(話が早いね。正直俺も何がなんだか分からないんだけど、今言えるのはひとつ。俺が君の力になれるってことだ。)

(ぁ・・・)

 

そこでようやく彼女は先ほどまでの事実に気づいたようだった。

即ち――自分が恐るべき膂力を発揮し、おぞましいアンデッドを生み出したということに。

 

(村には死の騎士(デス・ナイト)を向かわせた。この程度の連中なら十分だろう。君はやりたいことがあるんじゃないのかい?)

(そうだ! お父さん、お母さん!)

 

モモンガは頷くと、寝ているネムに守りの魔法をかける。

そして無様に吹き飛んで木にめり込みながら絶命している男を死の騎士(デス・ナイト)へと変えた。

 

(よほどの事がない限りこれで安全だろう。念のため護衛を付けておこう。)

(あ、ありがとうございます。)

 

エンリは顔を引き攣らせながらも、ここまで遠回しに自分を殺すことに何の意味もないことを理解しているため、モモンガを信じて駆けだす。

 

(自分の心配はしなくていい。こうなった原因が分かるまでは君は俺だ。まだ死にたくないからね。)

(はい!)

 

エンリの両親の見た目を知らないモモンガは捜索をエンリに任せ、周囲を警戒しつつも興味深げに視界に映る世界を眺める。今でこそ荒らされた家ばかりだが、大きな間隔を空けて建てられた木造住宅は、どこか牧歌的な雰囲気を感じる。

現実世界ではまず見ることのなかった風景だが、何故か懐かしさを感じてしまう。

ここが異世界なのだという実感と、未知を求める冒険心が沸きあがってきた。

 

ふと、エンリが立ち止まった。

 

「ああ・・・」

 

瞳から涙が零れる。悲しみと絶望が伝わってくる。そこに混じる微かな怒りは、俺の物だろうか。

――こいつらは、俺の異世界への第一歩目に“俺”に涙を流させるのか。

 

不快な感情に顔を顰める。

モモンガには、元の世界への未練など何もない。生き甲斐を失った世界に戻りたいなど誰が思うだろうか。

そんなモモンガにとって、今日という日は記念すべき1日なのだ。それを汚されて、放っておけるはずがなかった。

 

(俺は、エンリの両親を生き返らせることが出来るかもしれない。)

「・・・え?」

 

まだ試していないから断言はできないが、蘇生の短杖(ワンド・オブ・リザレクション)を使えば復活は可能だろう。だが、まだ補充の目処が立たない以上、現時点でこれは貴重なアイテムだと言える。

両親だけならいいが、これを吹聴されて村人全員にせがまれると面倒だ。

 

いや―――

 

(ただし、条件がある。)

「なんでもします! だから!!」

 

モモンガは、まだ数刻の付き合いしかないエンリを信じることにした。

この憑依が本当に一時的なもので、1時間後には現実世界に帰っているかもしれない。

もしそうなればアイテムの無駄遣いになるだろう。

しかしそれがなんだというのか。そもそも現実世界にユグドラシルはもう存在しない。

あるいはこれが夢だというのなら―――俺は俺のやりたいようにする。

そしてこの行動を後悔することはないだろう。

何故ならこれは、モモンガの欲求を満たすための行動でもあるのだから。

 

(旅に出たいんだ。)

 

だからモモンガは素直にやりたいことを伝えた。

 

(俺はこの辺りの人間じゃなくてね、今では人間かどうかすら怪しいものだけど。とにかくこの世界を見て回りたいんだ。さっきの森を、この村を、この国を、周辺の国を、その向こうの海を、そしてさらに向こうにあるかもしれない大陸を。

 だから一緒に、旅に出てくれないか?)

 

一体何十年かかるか分からない話にエンリは唖然とする。ただの村娘として十数年生きてきた自分には余りに危険で、スケールの大きな話だった。

しかしそれは決して不可能なことではないと思う。

この人の力は圧倒的だ。そしてそれが今自分に宿っている。そこらのゴブリンやオーガなど歯牙にもかけないだろう。

そして今、モモンガさんは私だ。身を危険に晒すような無茶はしないはず。

それなら―――

 

「わかりました。」

(そうか!)

「ただ・・・ひとつだけ、お願いを聞いてもらえますか?」

 

ひとつだけ私の頼みを聞いてくれるなら、どこまでも喜んで付いていこう。

 

(ん?)

 

一体なんだろうとモモンガは続きを促す。

 

「たまにでいいんです。この村に、カルネ村に帰ってきてもいいですか?」

 

無理な話だとエンリ自身理解している。

旅に出て遠くを見て回りたいと言っている人に対してカルネ村を長く離れたくないと言っているのだ。

こんな矛盾、まだ幼いネムでも気づくだろう。少なくない時間と労力を使って想像できないほどの距離を移動しても、また同じ道を戻れというのだから。

そもそも救ってもらった身でありながら更に願いを叶えて貰おうなど、断られても文句は言えない。

それでもエンリは、生まれ育った、両親と暮らした村を捨てたくはなかった。

 

(なんだ、そんなことか。)

 

だからエンリは、何でもないことのように答えるモモンガに深い感謝と、

 

(俺の使える魔法に《転移門(ゲート)》という物があってね。一度目にした場所ならばどれだけ離れていても転移できる。毎日だって帰れるさ。)

 

更に深い畏敬の念を抱いた。

 




初めまして、ここまで読んでいただきありがとうございます。
小説を書くのは初めてなので右も左もわからない状態です。
妄想を文章にするのって大変なんですね・・・。

捏造になりますが、モモンガ様は骨の残滓が多少残っているという設定です。敵ならば人間を殺してもなんとも思いません。

できるだけ読みやすくなるように頑張ります。
突っ込みどころが多数あると思いますがお付き合い頂ければ幸いです。

※魔法表記を統一しました。


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覇王と英雄

2018/10/18 サブタイトルを「ガゼフ・ストロノーフ」から「覇王と英雄」に変更しました
      本文は変更無し


モモンガは思わずため息をついた。足元でエンリの両親とネムが眠っている。

あの後両親の死体をエモット家に運び込み、蘇生したのだ。しかし上手い誤魔化し方が思い浮かばなかったモモンガは一先ず眠らせた。

「刺されて死んだ? やだなー気のせいでしょ」なんて言われても納得するはずないだろう。

仕方ないので《記憶操作(コントロール・アムネジア)》で済ませようと思ったのだが、MP消費量の桁が違った。

早い段階で魔法の変質に気づけたのは嬉しい誤算ではあるが、この魔法の疲労感は凄まじい。今後は奥の手にしておくべきだろう。

そんな疲れ切ったモモンガの表情は嬉しさと怒りが綯い交ぜになった複雑なものだった。

というのも――

 

(良かった・・・でもあいつら、許せない!)

 

エンリである。

記憶操作(コントロール・アムネジア)》は、使用する際に対象の記憶を1から辿っていく必要がある。

そしてモモンガとエンリが同じ体にいる以上、モモンガが見たものはエンリにも見えてしまうのだ。

両親が殺されたのは知っていても、めった刺しにされたなどと知るはずもない。普通ならもっと怒ってもいいところだが、そうしないのは奴等の行く末を知っているからか。

 

エンリが見て(見せられて)いるのは、遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)。対象はもちろん広場で騎士を蹂躙している死の騎士(デス・ナイト)だ。逃げる相手は殺し、向かってくる相手は盾で弾いている。遊んでいるのだろうか?

騎士の1人が剣を掲げ、何かを叫んでいる。それを聞いた騎士は、突撃する者と撤退準備をする者に分かれた。

最後尾にいた騎士の笛の音がここまで響いてきた。増援を呼んだのだろう。

 

(あいつが隊長かな?)

 

モモンガは死の騎士(デス・ナイト)との繋がりを利用して指示を出してみる。

 

――今叫んでいた騎士と、増援の中から2人を選んで森に連れ込め。残りは殺せ。

 

「――ォァァァァァ・・・」

 

遠くから死の騎士(デス・ナイト)の雄叫びが聞こえてくる。言葉がきちんと届いたのだろう。

思念で命令が出せるとは便利なものだ。

 

(エンリ、あのアンデッド(デス・ナイト)をどう思う?)

(え?)

 

突然の質問にエンリは言い淀む。正直に言ってもいいのだろうか?もしかしたら激昂して今度は(モモンガさん)が村を滅ぼすかもしれない。せっかく助かったのに自分のせいで村を失くすなんて絶対に嫌だ。

でも、とエンリは思い出す。

村が襲われていると知ったとき、そして両親の亡骸を見つけたとき。心の奥底に流れ込んでくる感情があった。初めての感覚に戸惑ったが、それは確かな怒り。モモンガさんの感情が共有されたと考えるのが自然だ。

決して悪い人間ではないのだろう。

 

――俺はこの辺りの人間じゃなくてね

 

先ほどのモモンガの言葉が脳裏を過る。彼が以前どこにいたのかは分からないが、もしかしたら自分にとっての常識は彼にとっては未知なのかもしれない。

ならばこれはモモンガにとって重要な質問になるだろうと、正直に答えることにした。

 

(とても――怖いです。あんなに強いアンデッドは聞いたこともありません。あの数の騎士を相手に遊ぶ余裕があるなんて、神話を目にしているみたいです。)

 

エンリは一世一代の賭けに出た気分だった。自分の言葉で村の未来が左右されるかもしれないと。しかしその決意に反してモモンガから帰ってきたのは、間の抜けた声だった。

 

(えぇー・・・)

(え?)

(いや、良いことを聞いたよ。ありがとう。)

(は、はぁ・・・)

 

エンリはほっと胸を撫でおろした。

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

(――まじか?)

 

墓穴を掘る作業をエンリに任せ、モモンガは先の出来事を振り返る。

捕まえた騎士たちに質問をしてみたのだが、誰も死の騎士(デス・ナイト)を知らなかった。騎士たちの証言は大体エンリと同じだった。

死の騎士(デス・ナイト)はこの世界に存在しないアンデッドなのかもしれない。少し早まったか?

次に地理に明るくないモモンガがした質問は「お前たちの国はどこだ?」というものだったが、何故か皆一様に顔を引き攣らせる。

モモンガが訝し気な顔をして死の騎士(デス・ナイト)をチラリと見ると、下っ端らしき男が慌てて「スレイン法国です」と答えた。

質問と回答が食い違っているのだが、何気に大きな情報を得てしまった。しかしこいつらが知っているものなど自らの出自くらいで、この作戦の意味などは何も聞かされていなかった。

生かして返すとモモンガという存在が露見してしまう可能性が高いため、実験がてらに殺しておいた。自分(エンリ)が青い顔になったのが分かったが、必要なことだと理解してほしい。

 

(上位アンデッド創造には媒介が弱すぎたのかな?)

 

竜雷(ドラゴン・ライトニング)》であっさり死んだ騎士を蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)に変えようとしたのだが、騎士を包んだ液体は膨張の途中で弾けて消えてしまった。

スライムの死体をはぐれメタルに変身させるような物なのでこれについては諦めた。

そして残りの2人を死の騎士(デス・ナイト)に変えて周辺の警戒を命じた後、森から出てきたのだ。

 

考え事をしていると、死の騎士(デス・ナイト)から反応があった。

 

(ん?)

(モモンガさん? どうしたんですか?)

 

エンリは村人の埋葬を終え、家族の元へ向かっているところだった。

 

(いや、死の騎士(デス・ナイト)から報告があってね。なんでも傭兵らしき集団がこっちに向かってきているらしい。)

「え!?」

 

エンリの声に周囲の村人が此方を振り向く。

 

(怪しまれるよ、声には出さないで。)

(ご、ごめんなさい。)

 

エンリはペコペコと頭を下げながら歩きだす。

しかしついさっき騎士に襲われたばかりだというのに今度は傭兵の集団が攻めてきたと聞いて驚くなというほうが酷だろう。

 

(心配するな、この村には俺がいるんだ。いざというときは奥の手を使うさ。)

 

モモンガはエンリを落ちつかせるため、優しい声を出す。

実際、この体についてよく分かっていない状態で強者と戦うのは避けたい。もしものときは躊躇なく奥の手を使うだろう。

ユグドラシルではロールプレイに全力を注ぎ、上の下くらいの強さであったが、単身で状況をひっくり返せるスキルやアイテムは複数所持している。

ユグドラシルにつぎ込んできた時間は伊達じゃない。

 

モモンガは腹部を摩る。

大丈夫だ、どういう仕組みか知らないが最終手段(ワールドアイテム)は確かにここにある。

 

エンリから困惑が伝わってくるが、セクハラ目的ではないので勘弁してほしい。

誤魔化すように声に出す。

 

「さて、今度は俺たちがお出迎えしてあげようじゃないか。」

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

「頼む、間に合ってくれ・・・!」

 

戦士団の戦闘を行く男、ガゼフ・ストロノーフはこれまでに通ってきた村々を思い起こす。

点々と転がる死体、焼かれた家屋、村人の多くは広場のような場所でまとめて殺されていた。

しかしどの村にも数人の生き残りがいた。

 

副団長の言うようにこれは罠なのだろう。生き残りの村人を街まで護衛させることによって此方の戦力は減ってきている。政に疎い自分でもそんなことくらい理解できた。そもそも貴族たちが難癖をつけて装備を剥ぎ取ってきた時点で薄々感づいていた。

それでもガゼフには村人を見捨てることはできなかった。

自らのせいで愚かな貴族たちの謀略に巻き込んでしまった。武力だけが取り柄だというのに、防ぐことが出来なかった。

生き残った村人を街まで護衛することが、ガゼフにとってせめてもの贖罪だった。

 

「戦士長、見えてきました! ――カルネ村です!」

 

部下の言葉にはっと顔を上げる。

村から慌ただしい雰囲気は漂ってこないし、煙が上がっている様子もない。

今度こそ間に合ったのだと安堵するガゼフの目に、村へ続く道に立つ少女の姿が映った。

 

「全員、速度を落とせ!」

 

前の村から全速力でここまで駆けてきた。このままの速度で近づいては少女を驚かせてしまうだろう。

ガゼフの部隊は各々が使いやすい武具を選んで装着する。遠目から見れば、この不揃いな集団は傭兵団にしか見えないだろうと、自分でも思っている。これは見栄えよりも実戦を意識した結果なのだが、やはり貴族からは「気品がない」と攻撃の対象にされた。

 

ゆっくりと速度を落とし、少女と十分に距離を置いて停止する。せっかく間に合ったのに不要な警戒心を持たれたくはなかった。

ガセフは名乗りを上げるために口を開こうとしたが、意外にも先に声を上げたのは村娘のほうだった。

 

「あ、あの・・・カルネ村に何か御用でしょうか?」

 

やはりと言うべきか、少女の言葉からは恐怖と困惑が感じ取れる。

ガゼフは少しでも警戒心を解いてもらうために、部下に馬から降りるよう指示した後自分も地に降り立つ。

 

「私はリ・エスティーゼ王国、王国戦士長ガゼフ・ストロノーフ。

 この近隣を荒らしまわっている帝国の騎士達を討伐するために王の御命令を受け、村々を回っている者である。」

 

少女は驚いたように目を見開き、すぐに訝しげな顔になる。

よく表情の変わる娘だ。

 

「何か立場を証明できるものはありますか?」

 

先ほどまでの弱々しい話し方とは打って変わり、気丈に質問を投げかけてきた。

暗に「お前偽物じゃないのか?」と言っているようなものなのに、村娘は冷静に見える。

不思議に思いながらもガゼフは誠意を見せることで信じてもらうことにする。

 

「申し訳ないが今は持ち合わせていない。しかし漸く襲撃前に間に合うことができたのだ。どうか信じてほしい。」

 

ガゼフは深く頭を下げる。部下がざわつき、少女は何故か嬉しそうに微笑んでいる。

 

「戦士長様、頭を上げてください。疑うようなことを言ってすみませんでした。村長を呼んできますので、村の入口でお待ちいただけますか?」

「ああ、感謝する。」

 

少女は村のほうへ駆けて行った。

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

「なに!?」

 

村長宅に案内され、話を聞いたガゼフは椅子を蹴飛ばし、立ち上がった。頭が怒りと混乱で埋め尽くされるが、目の前で怯える夫妻を見てどうにか冷静になった。

椅子を立てて、謝罪を入れつつ座りなおす。

 

「では何故・・・その、この村は無事なのだ?」

 

慎重に言葉を選ぶ。

ガゼフが狼狽えるのも仕方ないだろう。なにしろ漸く間に合ったと思った村が既に襲撃済みだったのだから。

しかしそれにしては生き残りが多すぎる。今までの村では良くて数人。60人以上の生存者が出た村など流石に無かった。

焼かれた家屋も少なく、かなり中途半端な状態だ。

襲撃中に帰還命令でも出たのだろうか。

 

「それがその・・・説明しづらいのですが、見たこともないアンデッドが現れまして。村を襲っていた騎士たちを全て殺してしまったのです。」

「全て、だと? その死体はどこに?」

「はい、村のはずれにある物置小屋に運んであります。」

 

村長に案内されて物置小屋に来たガゼフは言葉を失った。

そこにある死体は2種類。鎧が大きく拉げたものと、芸術品のような切り口で両断されたものだ。

不思議なことに、後者の死体は全て首を落とされている。

 

村長の話を纏めると、現れたアンデッドは身長2mを超える大男、巨大なタワーシールドとフランベルジュを持ち、圧倒的な膂力と防御力、そしてあろうことか騎士たちを弄びながら1人も逃がさない敏捷性を見せつけていたという。

 

フル装備なら戦えるかもしれないが、今そのアンデッドと戦えば確実に死ぬ。

ガゼフにそう思わせるほどに、騎士たちの死体は悲惨な状態だった。

 

(これは王都に帰って報告せねばならんな・・・彼女たちに依頼する必要があるやもしれん。)

 

脳裏に個性豊かな面々を思い浮かべていると、部下の1人が慌てた様子で駆け寄ってきた。

 

「戦士長! 周囲に複数の人影。村を囲むような形で接近しつつあります!」




次回はNGNSNの登場です

※魔法表記を統一しました。


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覇王の初陣

(モモンガさん?)

(ん?)

 

思考でモモンガに問いかける。エンリは今、再び家に戻って体を休めていた。

――先ほどのモモンガの行動には驚かされた。

「俺たちがお出迎えしてあげようじゃないか」なんて気取った言い方をしたくせに、いざ傭兵団(だと思っていた集団)と対面すると、「怪しまれるといけないから」とエンリに丸投げしたのだ。

この特殊な状況を見破られることを恐れるのは理解できる。できるのだが、初対面の相手にいきなり「ん? お前エンリじゃないなっ!?」などと言われたらそっちのほうが恐ろしい。

変なところで慎重なモモンガに困惑しつつも、恐る恐る腰に武器を提げた一団に声をかける羽目になったのだ。

 

しかし今気にしているのはそこではない。

 

(いや、なんだかさっきからご機嫌だなーって。)

 

戦士長と別れてから、より正確には戦士長が頭を下げてからというもの、モモンガの機嫌が妙に良いのだ。

それは会話からも読み取れるし、さっきから心に喜びの感情が流れてくるのだから気づかないはずがなかった。

これだけを聞けば、人に頭を下げさせることに喜びを感じる特殊な趣味の人だと思われかねないが、流れてくる感情はどちらかというと憧れ、羨望のようなものであったため、邪推することはなかった。

 

(だってさっきの人、戦士長だよ?)

(そう言ってましたね。すごい人に会えたからうれしいってことですか?)

 

これだけの力を持ちながら小市民のようなモモンガを想像し、そのチグハグさをなんだか可愛らしく思い、思わず笑みがこぼれる。

 

(それもあるかもしれないけどね。

 王国の戦士長って言ったらかなり強いはずだし、高い地位にいるはずだろう?でもそれを笠に着ずに、ただ自分を信じてもらうためだけに村娘に頭を下げるなんてなかなか出来ることじゃない。それに馬や彼の部下たちは疲労しているようだったし、村を救うために全速力でここまできたんじゃないかな。)

 

長々と語られた内容に、エンリも漸くモモンガの言わんとすることが理解できた。

 

(つまり戦士長様がかっこよかったってことですか?)

 

ふふっと声にだして笑うエンリ。

失礼な態度だが、別に責める気は起きない。

 

(英雄とはあんな人のことを言うのだろうね。)

 

自分で言って恥ずかしくなったモモンガは、少女の頬を赤く染めた。

 

 

 

 

目を覚ました家族と抱き合い、再会を喜ぶエンリに体を任せ、モモンガは死の騎士(デス・ナイト)からの報告に頭を悩ませる。

どうしてこうも機嫌が良いときに限って面倒ごとが降りかかってくるのか。

しかし今回は自分にできることは無さそうだ。

何しろ今の自分はただの村娘で、表立った行動は何もしていないのだから。そんな少女が突然「魔法詠唱者(マジック・キャスター)らしき一団が近づいてきた」なんて言っても信じてもらえないだろう。

だが、モモンガの心は静かだった。

 

――今回は戦士長(英雄殿)がいるから村に被害が出ることはないだろう。

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

程なくして、村人全員が村長宅に集められた。

村長夫妻を含め、事情を知る者たちは皆不安そうな顔をしている。その雰囲気を感じた村人たちも何事かが起こっていることを察し、暗い雰囲気が伝播していく。

 

(モモンガさん、一体なにが起きてるんですか?)

 

答えは期待していなかった。モモンガは圧倒的な力をもっているとはいえ、全知全能ではない。それに、何が起きているのか知っているのならまずエンリに伝えるだろう。エンリの危機はそのままモモンガの危機なのだから。

しかし、モモンガはさらりと答える。

 

(少し前に死の騎士(デス・ナイト)から魔法詠唱者(マジック・キャスター)の一団を発見したと報告があった。たぶんそのことじゃないかな?)

(えぇ!? なんで教えてくれなかったんですか!)

 

モモンガはここに集められる前から敵の存在に気づいていたという。

完全に取り囲まれる前に、死の騎士(デス・ナイト)を使って一点突破すれば十分に脱出できたはずだ。相手の力量を見ずに断言できるほどに、あのアンデッドは圧倒的だった。

それが此方には4体もいるのだから、逆に奇襲を仕掛ければ事態はいい方向に転がったと思う。

ただの村娘がこう考えるのだから、より状況を理解しているモモンガならば更に良い手を打てただろう。それなのにモモンガが行動しなかったのは何故か、少し考えて――すぐに結論に至る。

 

(・・・戦士長様がいるからですか?)

(よく分かってるじゃないか。)

 

そう言ってモモンガは照れたように笑う。

本当に変な人だ。また笑いがこみ上げてくるが、ぐっと堪える。今はこの妙なギャップを微笑ましく思っている場合じゃない。

 

(笑い事じゃありませんよ、村で戦闘なんてことになったら人や畑に被害が出るじゃないですか!)

(それは大丈夫じゃないかな?)

 

モモンガは自信をもって言う。

 

(戦士長ならきっと村に被害が出ないようにしてくれるさ。村を囮にして逃げるような人間だったら、初めから息を切らしてこの村に来たりしないよ。)

(それは確かにそうですけど・・・)

 

さっきから自分ばかりが焦っていて微妙な気持ちになる。

そういえば村の男の子も英雄譚が好きだったなぁ、男の人はみんな英雄に憧れるのかなぁ。などと逃避気味に考えて、重要なことを聞く。

 

(それで、戦士長様は勝てるんですか?)

(無理だろうね。)

 

エンリは口をあんぐりと開けて固まる。なんとか声が出ないように抑えたが、身を寄せ合っていた家族はエンリの唐突な行動に困惑している。

しかし、そんな視線を間近に感じても冷静さを取り戻すことはできなかった。

今まで呑気に脳内で返事を返し、戦士長様を信用していたモモンガが、戦士長様が負けると言っているのだから仕方ないだろう。

それでは村は、家族はどうなるのだろう。モモンガの余裕綽々な態度を見れば私は安全なのは間違いないが、他の人々はそうとも限らない。

両親を蘇生してもらう前にモモンガが話していた魔法を使えば、自分だけ転移して逃げることは可能だろう。

だが(エンリ)は居場所を失ってしまう。

故郷も、友人も、家族も・・・

 

(まぁ話を聞いて。)

 

モモンガの言葉に漸く我に返る。

 

(俺は何も感情で戦士長に全て丸投げした訳じゃない。もっと打算的な考えからだよ。)

(? どういうことですか?)

 

ただの村娘には、その言葉だけで理解することはできなかった。

 

(簡単なことさ。俺はまだこの世界の魔法詠唱者(マジック・キャスター)を見たことがない。だから戦士長に戦ってもらって相手の実力を測るんだよ。もし俺が勝てないような相手だったら、戦闘のどさくさに紛れて皆で包囲の外に逃げればいい。)

 

なるほどとエンリは思う。

もしこの村が戦場になっても、あの4体のアンデッド(デス・ナイト)を使えば転移する時間は容易に稼げそうだ。

冷静に、冷酷に判断していたモモンガに対し、よく話も聞かずに狼狽えていた自分が恥ずかしくなって俯いた。モモンガはそんなエンリを気にした素振りを見せずに話題を変えた。

 

(そういえばエンリ、好きな色ってある?)

(え?)

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

モモンガの予想した通り、戦士長は現状を簡単に説明し、「折を見て逃げてくれ」と言い残して敵へ突っ込んでいった。

死の騎士(デス・ナイト)の報告では、敵の数は戦士団の倍以上。それは戦士長も把握しているはずだ。それでも躊躇うことなく民のために死地へ飛び込むその背中を、モモンガは眩しそうに見送った。

頼もしい存在が去った今、室内は再び重苦しい雰囲気に包まれる。

エンリは家族に適当な言い訳をして、その場を後にした。

 

 

 

 

 

人目に付かない場所に移動してモモンガが取り出したのは、やはり遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)だった。

操作方法は前に使った時に2人して探したため、しっかりと身に付いていた。

 

戦士長に視界を合わせると、既に戦闘は始まっていた。

天使によって包囲された戦士団は明らかに劣勢で、倒れている者も数名いた。

その中でもモモンガの目を引くのは、魔法詠唱者(マジック・キャスター)の一団が操る天使だった。それはモモンガにとって見慣れた、ユグドラシルに登場するモンスターだった。

 

炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)?)

「知ってるんですか?」

(ああ。第3位階魔法によって召喚できる天使だな。)

「だ、第3位階・・・」

 

エンリは周囲に人がいないからか、声にだしてモモンガと会話していた。

もし誰かが通りかかればエア会話している変な女にしか見えないが、本人がいいなら何も言わなくていいだろう。

 

(第3位階がどうかしたのか?)

 

エンリから驚きと恐怖の感情が流れてきて、モモンガは問いかける。

 

「第3位階といえば常人が到達できる最高の魔法と言われている領域ですよ!?それが1、2、3・・・全員!?」

 

召喚されている天使と敵の魔法詠唱者(マジック・キャスター)の数を照らし合わせ、今度はエンリから絶望の感情が伝わる。

しかしモモンガにとってそれはどうでもよかった。今エンリはなんと言った?

 

「ま、待てエンリ。第3位階が最高の魔法?」

 

思わずモモンガも声に出してしまう。

エンリが自分の常識とは余りにもかけ離れたことを言うものだから、聞き直さずにはいられなかった。

今まで余裕の態度を崩さなかったモモンガの焦った様子に、質問の意図は分からないが直ぐに答えなければと、エンリは知っている情報を伝える。

 

「は、はい。たまに村に来る友人からそう聞いています。第4位階は天才、第5位階は英雄の領域だそうです。」

(なんだと・・・)

 

絶句するモモンガに、エンリの不安はさらに募る。

ふと遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)に映る、他の天使とは雰囲気の違う立派な個体を見る。

この天使が、モモンガの知っている魔法ではあり得ないような強さだったのかもしれない。第6位階以上の魔法で呼び出される天使だったのかも・・・。

 

「はっ、ははははは!」

(モモンガさん・・・?)

 

モモンガの初めての行動にエンリは目を白黒させる。

今日会った(?)ばかりの人物だが、村人たちの前では体を勝手に動かすことはせず、エンリの日常を尊重してくれていた。考え事も聞こえないようにしてくれるし、生き返った両親と再会したときなど、恩人(モモンガ)の存在を忘れてしまうほどに静かだった。

それがどうしたのだろうか。村人たちは皆村長の家に集まっているとはいえ、こんな大声を出しては誰かが気づいて寄ってくるかもしれない。

モモンガがおかしくなってしまうほどに強大な敵だったということだろうか?

理由はどうあれ、とにかく落ち着いてもらわなければならない。敵が想像を絶するほどの強さだったとしても、逃げるにはモモンガの力が必要なのだ。

エンリは笑い続けているモモンガに声をかけた。

 

(モモンガさん、落ち着いてください! 大丈夫ですか?)

(あぁ、いや、ごめんエンリ。あまりの事態に笑ってしまった。)

(やっぱり・・・あの天使はもの凄い魔法で召喚されているんですね?)

 

モモンガはきょとんとした顔をした。

何かおかしいことを言っただろうか・・・

 

(あの集団は大した敵じゃない。今のは俺の常識から余りに外れたことを聞いて驚いただけだよ。誰にも聞こえてなきゃいいけど・・・)

 

そういって謝るモモンガ。しかしエンリは最初にさらりと言われた“私の常識から余りに外れた”言葉を理解するのに精いっぱいだった。

 

「それじゃあ、行こうか。」

(え?)

 

エンリが先ほどの言葉を理解する前に、その体は駆け出していた。

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

「何者だ?」

 

突然の乱入者に、魔法詠唱者(マジック・キャスター)の指揮官が誰何の声を上げる。

舌打ちでも聞こえてきそうなほどに苛立った様子だが、それも仕方ないだろう。あと2、3度ほど天使による波状攻撃を繰り返せば、確実に俺は死んでいたのだから。

 

乱入者は此方を一瞥し、少し考える素振りを見せて、答えた。

 

「ただの村娘ですよ。」

「――馬鹿にしているのか?」

(む?)

 

この落ち着いた声は―――そう、村に入るときに出会った少女のものだ。

しかしなぜ彼女がここにいる?それにあの格好は・・・

 

「君は、あのときの・・・」

 

全身の痛みを堪えて絞り出すように発した言葉は、不快感を隠そうともしない声に遮られた。

 

「ただの村娘がそのような鎧をもっているものか!」

 

少女は、立派な全身鎧を纏っていた。目の覚めるような赤に、各所の見事な意匠。

柔らかく広がるスカートは戦いの中に品を持たせている。このまま舞踏会に行っても違和感がないのではないかとすら思う。

 

指揮官の言葉を聞いた少女は得意げに胸を反らし、嬉しそうに言う。

 

「いい鎧でしょう? これは素材集めからデザイン、制作まで全て仲間が手掛けたものなんですよ。」

 

まぁ、ただそれに似せた紛い物ですけどね。

そう付け加える少女の言葉に重ねて敵の指揮官は指示を出す。

 

「まあいい、やることは変わらん。半分の天使をあの女に当てろ。邪魔者を消してから獣の息の根を止める。」

 

指示を受けた魔法詠唱者(マジック・キャスター)たちは、一斉に動き出す。

先ほどまでと何も変わらない、微妙にタイミングをずらした連撃が襲い掛かってくる。魔法による攻撃も全て此方に向けられているようだ。

しかし逆にありがたい。

何故あの少女が突然立派な鎧を着てここに現れたのかは分からないが、俺がこの場にいるのは民を守るためだ。例え自ら戦場に飛び込んできた無謀な村娘だとしても、黙って殺されるのを見ているつもりはない。

魔法が全て此方に向けられているなら、少女のほうに向かう天使を全て落とせば助けることはできる。

 

――実際のところ、自分ですら生き残れない状況で他人を守るなど不可能な話だ。だが己の生き方を変えることはできなかった。

 

痛む体に鞭をうち、全身に力を籠める。

決死の覚悟を胸に秘めたガゼフの前に――

 

「武技!! <六光――」

 

一陣の、赤い風が吹いた。

 

「なっ!」

 

それは驚嘆の声。

自分が発したような気がするし、敵の指揮官のものだったようにも思う。はたまた周囲を取り囲んだ魔法詠唱者(マジック・キャスター)のものだろうか?

ただひとつ確かなことは、ここにいる誰もがその光景に慄き、感嘆し――見とれていることだった。

 

少女はいつの間に取り出したのだろうか、身の丈ほどもあるグレートソードを苦も無く片手で振り回す。それが2本。

正面の敵は袈裟切りに、後方の敵は縦に両断し、左右から攻めれば手を広げて踊るようにその場で回る。

少女が動くたびに天使の体は欠損し、光の塵となって消えて行く。

 

夕日の中で鮮やかに舞うその姿は、さながら舞踏会のようだった。

 

(美しい・・・)

 

例えるならば、戦場に咲く一輪の薔薇。

ただし棘が長く鋭い、触れることを許されない危険な薔薇だ。

それに触れれば無傷ではいられないだろう。

 

彼女は一体何者なのかという、真っ先に考えるべきことを後に回して呆けている自分に驚く。

 

(俺はもっと朴訥な男だと思っていたのだがな・・・案外口が回るじゃないか。)

 

生きるか死ぬかの瀬戸際には決して似合わない、穏やかな笑みを浮かべる。

ただ、死ぬ前に一矢報いようと思っていた男の頭に、生への渇望が漲る。

 

「お前は――何者なんだ!!」

 

最初と同じ問いが繰り返される。

しかしそこに込められた感情は全く違うものだった。得体のしれない存在に対する恐怖が確かにそこにあった。

ガゼフですら武技を使わなければ断ち切れない天使の体を、まるでバターでも切るように、ディナーのステーキよりも容易く切り裂いたのだから。

少女は剣先を下ろし、指揮官を見据える。

 

「少し聞きたいことがあるんです。」

「なに?」

 

しかし少女が発したのは、問いへの返答ではなかった。

彼女がここへ来た目的がそこにあるような気がして、ガゼフも耳を澄ます。

 

「あなたは死の騎士(デス・ナイト)というアンデッドを知っていますか?」

「――貴様、それをどこで聞いた。」

「ふふ、人の口に戸は立てられませんよ。」

 

少女は楽しそうに笑った後、振り返る。

 

「戦士長様、彼らの正体に心当たりはありますか?」

「ああ、あいつらは――」

 

答えようとしたガゼフを、少女は手で制した。

 

「じゃあ一先ずこの場を切り抜けましょうか。」

 

――散歩に行きましょうか。

それと同じトーンで逆転を宣言する少女を、頼もしいと感じてしまう。

 

王国戦士長であったガゼフはいつも頼られる側の人間であった。部下や民からの羨望をその身に受け、常に指標とならなければならなかった。

己と肩を並べられるのは、嘗て戦ったブレイン・アングラウスくらいだろうという自負もあった。

しかし彼女がいれば、負ける気がしない。

何も気負うことなく背中を任せられる人物が、突如目の前に現れた。

 

獰猛な笑みを浮かべて少女に答える。

何故ここにいるのか、その鎧は何なのか、一体その膂力はどこから来ているのか。聞きたいことは山のように積もり積もっていた。しかし今この場で必要なのはそんな無粋な言葉ではない。

だからガゼフは端的に答えた。

何も変わらない、同じ言葉で。

 

「ああ、感謝する。」

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

そこからの戦いは圧倒的だった。

その見事な鎧の効果なのか、少女への魔法は全て掻き消える。飛来する魔法からガゼフを庇うように少女が動き、場所を入れ替わるように動いたガゼフが隙を突こうとする天使を捌く。

 

日が沈み、月灯りだけが照らす薄暗い空間を、塵と化した天使が照らし出す。

片や優雅に、片や無骨に、ライトアップされた戦場(ステージ)を舞い踊る。

 

時折隙を見て少女から投げつけられるナイフに、1人、また1人と敵が倒れていく。

相変わらずどこから取り出しているのか分からないが、スカートの内側にでも括り付けてあるのだろうか。

 

ガゼフが右に出れば、同時に少女が左へ動く。前に出れば、背を庇う。

動きを理解し、完璧なタイミングで合わせてくる彼女に内心で舌を巻いた。

 

(かなり戦闘に慣れているな。剣技のほうはイマイチだが・・・まるで歴戦の指揮官のようだな。)

 

これは前衛の動きと機微を完璧に理解していないとできない動きだ。素人が即興でできるような代物ではない。

連携を完全に把握しながらも技が熟達していないその様は、前線に出ない指揮官を思わせた。

 

そんな微妙に正解に近いことをガゼフが考えていると、遂に敵の指揮官が痺れを切らす。

 

「私を守れ! 最高位天使を召喚するッ!!」

「えっ!」

 

敵の指揮官が取り出した水晶を見て、少女が素っ頓狂な声を上げる。

 

(まずいな。俺にはあれが何なのか分からないが、彼女が恐れるほどの物となると・・・)

「ハハハ! まさかこれを使うことになるとはな。見よ!最高位天使の尊き姿を!――威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)

 

少女が口をあんぐりと開けて固まる。女性が人前でする顔ではないが、それほどの事態なのだろう。ガセフは握る剣にさらに力を籠めた。

 

掲げられていた水晶が砕け、空中に光が収束していく。巨大な球状になったそれは、弾けるように内側から破られた。

現れたのは翅だけの怪物(モンスター)

少女が恐れていた理由を目の当たりにし、不屈の覚悟を決めていたガゼフも一瞬呆ける。

勝てるはずがない、あれは人が相対していい領域ではない。

直感がガゼフにそう告げる。命の危機に瀕している際の直感は、理屈よりも信頼できる。それは長年の戦いで得てきた教訓だ。

だからガゼフは腹の底から叫ぶ。

 

「逃げるんだ! 君の身体能力なら振り切れる!」

「させると思うのか?我らの切り札を見せた以上、生かして返す訳にはいかん。」

「くっ!」

 

敵の指揮官を睨みつける。

視界の端に映る少女は、恐怖に支配されていた。

手足は震え、眉は八の字になり、瞳の端からは涙が浮かんでいる。奥歯は噛み合わずカタカタと音を鳴らしている。

その姿にガゼフは悟る。

 

――そうか。君が逃げ切れないほどの敵なのか・・・。

 

先ほどまでの、圧倒的な膂力と敏捷性を兼ね備えた頼もしい存在は掻き消え、守るべき村人がそこにいた。

ならば、

 

「最後まで、俺の信念を貫くッ!!」

「無駄な足掻きはよせ! 善なる極撃(ホーリー・スマイト)を放て!」

 

天使が抱えていた笏が砕けて、その破片が周囲を囲む。

ガゼフは腰を沈め、一気に駆け出し―――その襟首を掴まれた。

 

「うぐっ!」

 

我ながら間抜けな声が出た。ガゼフを引き留めた少女はそれを気にすることなく、唐突に言う。

 

「戦士長様、私も武技を使えるんですよ。」

 

一体何の話だと訝しげな顔をして振り返ったガゼフの目に映ったのは、恐怖や絶望など微塵も感じさせない、頼もしい、村娘の笑顔だった。

 

そのまま後方に投げられる。二転三転して漸く立ち上がる。

先ほどまで立っていた場所は、天から降り注ぐ光の柱に覆われていた。

 

「―――っ!!」

 

守るべき村人――いや、戦友を失ったというのに、その名を知らない。叫ぶことができない。

それが酷くもどかしくて、奥歯を噛みしめ、血が滲むほどに拳を握りしめる。

 

「フハハハハ! 漸く邪魔者が塵に帰ったぞ! さあ、お前たち。獣に止めを刺すぞッ!」

「貴様ああああ!!」

 

激昂するガゼフの耳に、あの時の声が響く。

今日会ったばかりの、二言三言しか言葉を交わしていない少女。しかしそれは、とても懐かしく感じた。

 

「武技! ――<現断(リアリティ・スラッシュ)>!!」

 

戦場に暴風が吹き荒れる。

不可視の刃は、翅の怪物(モンスター)を水平に両断した。体を半分にされた天使は、そのまま落下し、地に落ちる前に光の粒子となって消滅した。

術者が消え、少女を包んでいた光の柱が消え去る。

そこには1本のグレートソードを両手に持ち、振りぬいた姿勢のまま立つ無傷の少女の姿があった。

 

「あ、あり得ない・・・魔神すら一撃で滅ぼす攻撃をその身で受けて、む、む無傷など!!」

「いえ、さすがに無傷ではありませんよ。」

 

そう言った少女に反応するように、鮮やかな赤いヘルムが砕け、掻き消えた。

 

「続きをしますか? これ以上カルネ村に被害を出すなら、私はあなた達の国と敵対することになります。」

「む、村に手を出すつもりはない! 私はそこの男さえ殺せれば―――」

「同じことです。」

 

少女から怒気が漂う。

それはただの村娘とは思えないほどの気魄。ガゼフも思わず息を呑む。

 

「あなた達は戦士長様を殺すために村を襲って回っていたのでしょう?

 他国の戦力を削る目的なんてひとつしかない。お前たちが俺の日常を壊すというのなら――」

「分かった、手を引く! 上にも伝えておこう! お前ら、撤収するぞ!」

 

少女の雰囲気が急変し、命の危機を感じた指揮官は部下を連れて逃げるように去った。

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

(君は一体何者なんだ・・・)

 

ガゼフは去っていく魔法詠唱者(マジック・キャスター)の一団を見送る少女を眺める。

やがて敵の姿が完全に見えなくなると、少女は力なく座り込んだ。

 

「ふぅ・・・」

「お、おい、大丈夫か!?」

 

少女が振り向き、答える。

 

「はい、なんだか力が抜けちゃって・・・」

「無理もない、あれだけの戦いの後なのだから。それよりも――」

 

ガゼフは少女に問う。

何故あの一団を見逃したのか。あれほどの武技は見たことも聞いたこともない。それほどの武技を使う彼女ならば、奴等全員捕縛することも不可能ではなかっただろう。

それだけに、みすみす見逃したことを疑問に思った。

 

「いえ、実をいうとあの武技には大きな弱点がありまして・・・」

「む?」

 

距離を超えて切り裂いたあの見事な武技に弱点などあるのだろうか?

 

「あれは体への負担が大きすぎて、使うとこの通り思うように動けなくなってしまうんです。」

「あぁ、なるほど・・・。」

「はったりが効いてよかったです。もし諦めずに攻撃してきたら流石に勝てませんでしたからね。」

 

その言葉に2人して笑う。

 

――本当は戦士長を見捨てるのも、無暗に敵を作るのも避けたいモモンガが咄嗟に考えた苦肉の策であるなどと、ガゼフに分かるはずもなかった。

 

ひとしきり笑いあった後、ガゼフが口を開いた。

 

「聞きたいことは色々あるのだが・・・まずは名前を教えてはくれないか?」

 

少女は思い出したような顔になり、微笑む。

 

「そういえば名乗っていませんでしたね。私はエンリ・エモットといいます。」

「そうか、エモット殿。俺はガゼフ・ストロノーフ。ガゼフでいい。」

 

改めて名乗り、少女(エンリ)に右手を差し出した。

こうして2人は、友になった。

 

 

 

 

 

 

―――互いの呼び方についてひと悶着あったのだが、最終的に「ガゼフさん」「エンリ殿」に落ち着いた。

 




エンリの好きな色については来ている服を参考にしたのですが、よく見たらこれ茶色…?
いや、きっと赤だよね。

紅蓮一様
誤字報告ありがとうございます。


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覇王の回想と決心

(騙された・・・!!)

 

今、エンリは床に正座させられている。

ガゼフから敵の情報を聞きながら村に帰ったエンリを待ち受けていたのは、安堵の表情を見せる村人たちと、目を赤く腫らした家族だった。

 

今も父親が顔を真っ赤にして怒鳴り続けている。母など再び泣き崩れそうだ。

聞けば、エンリが村長宅を出てから一向に戻ってこないため、全員で村中を探し回っていたらしい。脅威がすぐそこまで迫っているというのに逃げることなく自分を探してくれたみんなに、嬉しさと申し訳ないという気持ちが沸きあがってくる。

 

だが、今頭に渦巻いている感情は、違うことに向いていた。

話は数時間前に遡る。

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

「私を守れ! 最高位天使を召喚するッ!!」

「えっ!」

 

(あれは魔封じの水晶!? ユグドラシルのアイテムもあるわけか・・・最高位天使ということは熾天使(セラフ)クラスか?これは本気を出さないとまずいな。)

 

モモンガが言っていることの意味は一切理解できないが、最高位天使が相手だとしてもなんとかなりそうな口ぶりに安堵する。

 

「ハハハ! まさかこれを使うことになるとはな。見よ!最高位天使の尊き姿を!――威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)

 

エンリは敵の掲げた水晶が砕けて出てきた怪物(モンスター)をみて、恐怖を覚えた。しかし、見た目は言い繕っても異様としか形容できない天使だが、何故か神聖なものの様に感じる。

あんな天使とまともに戦えるなんてすごいなぁと他人事のように考えていたが、

 

(モモンガさん・・・?)

 

モモンガが絶句していることに気づいた。

これはもしかしてモモンガが知っている魔法ではあり得ないような――というのは経験済みなので、落ち着いてモモンガに問う。

 

(あの、モモンガさん? どうしたんですか?)

(あれが最上位天使・・・? 適当なことを言って切り抜けようとしているのか? ――ああそうか、第3位階が最高の魔法なんだったな。)

 

事情を話さずに1人納得するモモンガに、不満げな顔をするエンリ。

それを知ってか知らずか漸くエンリへ反応を見せるモモンガだが、その内容は信じられないものだった。

 

(ちょっと実験したいことがあるんだけど、いいかな?)

(なんですか?)

 

言い知れぬ不安を感じて微妙な返答になる。

 

あのモンスター(ドミニオン・オーソリティ)は第7位階魔法の《善なる極撃(ホーリー・スマイト)》を使えるんだけど、それを受けてみようと思う。)

(えええ!?)

 

ここへ来る途中、モモンガの能力によって大抵の攻撃は無効化できることを知った。

それがエンリの肉体に及ぶのかどうかは魔法詠唱者(マジック・キャスター)との戦闘で確認できたが、その効果は驚くべきものだった。

雨あられと降り注ぐ魔法が目前で霧のように消え、時折飛来する鉄球が顔に命中しそうになっても、その直前で壁にぶつかったように跳ね返る。

反射的に目を閉じそうにはなるものの、エンリは何の痛痒も感じなかった。

 

しかし、実験というのだから、あのモンスターの魔法は無効化できないのだろう。そもそも第7位階魔法など神話の領域ではないか。

それほどの魔法を受けても無傷で済むと思えるほど、自分の体が頑丈だとは思っていない。

 

(い、いやですよ!死んじゃうじゃないですか!)

(大丈夫だよ、蘇生アイテムを用意するから。)

 

そういってモモンガは周囲に気づかれないように手を空間に差し込む。

遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)を取り出すときになんども見せられた光景なので、今更驚くことはない。

空間から取り出したひとつの指輪を、一瞬だけガントレットを消して素早く指に嵌める。

 

(この指輪があれば死んでも即座に復活できる。まぁそうなったときに俺がどこに行くのかまでは分からないけどね。)

(それって結局2回死ぬだけじゃないですか!)

 

そうかもしれないね。そう呑気に笑うモモンガからは、不安を感じない。

モモンガが冷静でいられるのには理由があった。

自分の中に意識を集中させると、残っているHPやMPが把握できるのだ。相手の攻撃によって死ぬことは絶対にないと言い切ることができた。

では何故こんな実験をするのかというと、単にダメージを負う感覚を体験してみたかっただけなのだが、それを言うとエンリに怒られるため伏せておいたのだ。

 

「逃げるんだ! 君の身体能力なら振り切れる!」

 

ガゼフの声が聞こえてくる。

 

(私だってそうしたいよ・・・)

(まぁそう怖がらないで。エンリの体で俺の力が発揮できることはこれまでの戦いで分かってるじゃないか。だったら防御力も俺のものが宿っているはずだろう?)

(うぅ、それは・・・)

(きっと大丈夫だよ。)

 

モモンガはそう言って目に浮かんだ涙を拭い、ガゼフを投げ飛ばすと、落ちてくる光の束を見上げた。

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

(騙すなんて人聞きの悪い。こうして無事に帰ることができたじゃないか。それにあの実験は今後のためにも必要なことだよ。)

 

モモンガの言うように、旅に出るのなら自分の状態を調べることは必要だっただろう。それに結果的には痛みすら感じなかった。

ただムズムズするような感覚を受けただけで、体にはなんの異常も無かった。攻撃を受けた感想が「すごく眩しかった」で済むようなレベルで自分の体が頑丈になっていたのだ。

 

だが、その結果だけを見て納得することはできなかった。

エンリは、自分の危機とモモンガの危機が直結するため、無暗に危険に飛び込むことはしないだろうと考えてモモンガを受け入れたのだ。

それがどうだ。今回モモンガは、自ら率先して第7位階魔法(神話の領域)に直撃しに行ったのだ。信じられない。

モモンガは死なない自信があったんだろうし、万一に備えて即時復活するという英雄譚ですら聞かないあり得ないアイテムまで保険に用意した。

万全の状態だったのは理解できるのだが、天から落ちてくる光を眺めている間の恐怖は、帝国騎士(どうやら偽装らしいが)が可愛く見えるほどだった。

 

(すごく怖かったんですよ!? 死ぬかと思ったんですから! 大体ですね、一撃で倒すことができるのにわざわざ攻撃に当たりに――)

(わ、分かった、もうしないから。許してください。)

 

放っておくといつまでも続きそうな勢いに、思わず言葉を遮る。

ダメージを負う感覚は体験できたし、自分の力が攻守含めてエンリと共有されていることも確認できた。この分なら他のプレイヤーに敵対されない限りは死ぬことはなさそうだ。

 

――プレイヤー、か。

ガゼフから得た情報では、あの魔法詠唱者(マジック・キャスター)の集団はスレイン法国の特殊部隊だろうとのことだった。

村を襲った騎士もその名を出していたし、間違いないだろう。

そして敵の指揮官が持っていた魔封じの水晶と、それに込められていた魔法。この世界の住人ではあれを再現することは不可能だろう。

ならば、法国には他のプレイヤーがいると考えるのが自然だ。その人数も分かっていない段階で不興を買うのは絶対に避けたい。

偽装兵は皆殺しにしてしまったが、特殊部隊を全員生還させたのだから我慢して貰えるだろう。

それに、モモンガは特に悪事を働くつもりはないのだが、相手がそうだとは限らない。

今後は慎重に行動する必要がありそうだ。

 

面倒なことがまたひとつ増えたが、嬉しいこともあった。

炎の上位天使(アークエンジェル・フレイム)を見たときからある程度予想はついていたのだが、死の騎士(デス・ナイト)はこの世界にも存在していたのだ。

しかし指揮官の様子からあまり公にされていない情報らしいため、軽率に死の騎士(デス・ナイト)を生み出すのは控えよう。

 

(ちょっとモモンガさん、聞いてるんですか!?)

「おいエンリ、聞いてるのか!!」

 

それは奇しくも同じタイミングだった。

エンリがモモンガへの抗議に集中する余り、上の空になっていたのを見咎めた父親が怒鳴ったのだ。

名を呼ばれたエンリはビクリとする。

 

「まあまあエモットさん。娘さんが心配だったのは分かりますが、それくらいにしてあげてください。」

 

余りに長い説教を見兼ねたガゼフが助け舟を出す。

 

「しかしですな・・・」

「それに、エンリ殿が助太刀して下さらなければ、我々は全滅していたのですから。」

「え?」

 

父親が――いや、周囲の村人全員が、あっけにとられた顔をする。

何を言っているんだ?と声に出さずとも聞こえてきそうだ。両親を含めた村人は皆、エンリが野次馬根性で戦場を見に行ったものと思っていた。

エンリは頭を抱えた。

 

「それは――どういうことですか?」

 

ガゼフはエンリの様子を見て、しまったと思う。村人には秘密にしていたのだろう。

その理由は分からないが、今更どうしようもない。覆水は盆に返らないのだ。

内心でエンリに謝りながら事のあらましを伝えた。

 

話を聞いた者は皆一様に黙り込み、エンリを見つめる。

これまで共に村で生活してきて、そんな素振りを見せたことなど一度もないのだから仕方ないだろう。感じる視線の中に異様な存在を忌避する類のものが無いのが救いか。

どう説明したものかと悩むエンリに、モモンガが声をかける。

 

(大丈夫だよ、言い訳は考えてある。俺が言うことを繰り返すんだ。)

 

「えっと、実は――」

 

エンリの話した内容を要約するとこうだ。

逃げ込んだ森の中で妙な格好をした魔法詠唱者(マジック・キャスター)と出会った。その魔法詠唱者(マジック・キャスター)は自分を追いかけてきた騎士を難なく倒し、エンリの傷を癒してくれた。

彼が「飲めば力を得られる」と差し出した怪しげな薬を、どうせ死ぬならと自棄になって飲んだところ、力が漲ってきて、いくつか不思議な魔法を使えるようになった。

鎧を呼び出す能力もそのうちのひとつだ。

 

「そんなことが・・・すまないエンリ殿。話さないほうが良かったのだろう?」

「いえ、口止めされていた訳ではありません。内緒にしておいたほうがいいのかなって勝手に思ってただけなので。」

 

無論、この返答もモモンガの入れ知恵である。

まだ出会って1日も経っていないエンリの口調を真似る自信などモモンガにはなかった。

そんなことで、エンリとは長い付き合いの村人や家族を騙せるはずもない。

 

話に出てくる魔法詠唱者(マジック・キャスター)が怪しすぎるような気もするが、事実を伝えると面倒なことになりかねない。

エンリの人付き合いに変化が生じるのは確実だ。

できるだけエンリの生活を壊したくはなかった。

 

「では、この村を襲っていた騎士を皆殺しにしたという強力なアンデッドもその御仁によるものだと考えていいのか?」

「はい、魔法詠唱者(マジック・キャスター)様が何かを唱えると突然現れました。」

 

それを聞いたガゼフは安堵した表情を見せ、考え込む。

 

「その御仁は今どこにいるのか分かるか?」

「いえ、それは・・・両親を探すために別れてからのことは分かりません。」

「そうか、是非とも礼がしたかったのだがな。」

 

そう言ったガゼフの表情からは邪な思いを感じない。

本当にただ感謝の気持ちを伝えたいだけなのだろう。どう考えても怪しすぎる魔法詠唱者(マジック・キャスター)だというのに先入観を持たないその姿勢は、ガゼフの人柄を如実に表していた。その実直さに、モモンガは彼のことが心配になったほどだ。

 

「あの、ガセフさん。あの人(架空の人物)は私にとって恩人なんです。できるだけ迷惑をかけたくないので、彼のことは秘密にしておいて頂けませんか?」

 

もっともな理由を付けてガゼフを口止めする。

ガゼフは王国戦士長だ。おそらくそれは王国の戦士として最高の立場だろう。そんな彼の周囲には王族や貴族などの面倒な連中がいることは確実。

謎の魔法詠唱者(マジック・キャスター)について調べられると面倒どころの騒ぎじゃなくなる。唯一の接触者であるエンリは連日招集を受けるだろう。異世界に来てまで嫌なしがらみに縛られるのはご免だ。

それに、その怪しすぎる存在などは最初からいないのだから、根掘り葉掘り聞かれると非常に困ってしまう。そうなるとエンリに猜疑の目が向けられるだろう。

 

「ああ、約束しよう。エンリ殿の恩人なのだ、私も迷惑はかけたくないからな。ところでエンリ殿はこれからどうされるのだ?」

 

ガゼフの質問に村人が首を傾げるが、モモンガはその質問の意図を理解していた。

これだけの力を持つ人間を放っておくのは余りに愚かだ。取り込めば絶大な戦力になるが、逆に敵につくと脅威になるのだから。

だからここははっきりと意思を示しておかなければならない。

 

「私は旅に出ます。」

「エンリ!?」

 

両親の驚愕をそのままに、話を続けようとする。

しかし、続きを話したのはモモンガではなかった。

 

「救ってくれた魔法詠唱者(マジック・キャスター)様と約束したんです。旅に出て、この世界を見て回るって。恩返しのために、どんなに遠くても未知を探しに行くって決めたんです。それに、魔法を使えばいつでもここ(カルネ村)に帰ってこれると言ってくれました。

だから私は、旅に出ます。」

 

そう言った少女の顔は、決意に満ちていた。

その表情を見て異議を唱える者などいなかった。

 

「そうか。少し残念だが恩人との約束なら仕方ないな。ならばもし王都を訪れることがあれば是非私の家を訪ねてくれ。エンリ殿は私の恩人なのだ、歓迎しよう。」

 

その奇妙な連鎖的関係に、室内は穏やかな笑いに包まれた。

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

村長宅を後にし、村人は各々の家へ帰った。戦士団は薬草による簡単な治療を済ませ、一晩借りることになったいくつかの空き家で休んでいる。

普段は日の入りと共に1日を終える村人にとって、今はかなり遅い時間だと言える。

村はすぐに静かになった。

しかし、そんな村を歩く1人の少女がいた。

 

(さっきは随分かっこよかったじゃないか。エンリも旅が楽しみなのかい?)

 

モモンガが上機嫌に問いかける。

 

「楽しみじゃないと言えば嘘になりますけど、さっき言ったことは紛れもない本心ですよ? モモンガさんにはたくさんの命を救ってもらったんですから。でもまた無茶なことしたら意地でも村から離れませんからね。」

(ははは、心配しなくてもいい。君を死なせたくないからね。)

 

本当にモモンガは口が上手い。

英雄に憧れていることを知られて羞恥していたほどなのだから、今のも特に深い意味は無く無意識なのだろうが、それだけにたちが悪い。

もう騙されないぞと心に誓う。

彼の口車にのっても碌な目に合わないというのは今日のことで身に染みた。彼の言葉をそのまま鵜呑みにすることは控えよう。

 

(それにしても、エンリは働き者なんだね。今日1日であれだけのことがあったのに。)

 

エンリは片手に水瓶を提げていた。

これまでは水が入っていない状態でも両手で抱えていたのだが、モモンガと同化してからはその体躯ではあり得ないような力を発揮できるようになった。

水瓶の口を指でつまんで悠々と歩いている今のエンリを、もし両親が見ようものなら卒倒してしまうだろう。

 

「何言ってるんですか、モモンガさんの所為ですよ? いっぱい汗かいちゃったんですから。」

 

モモンガから動揺が伝わる。これから何をするつもりか理解したのだろう。

やはりさっきのは無意識で言ったに違いない。

 

(え?い、いや、俺の体力も共有されてるはずだから汗なんて掻いてないと思うんだけど。)

「私が掻いたのは冷や汗ですからね。」

(あ・・・)

 

モモンガはそれきり静かになった。

何を言っても口撃の対象になるのは明らかなのだから当然だ。正直エンリはまだまだ言い足りないのだが、反省しているのは事実な様なので自分からクドクド言うのはやめた。

 

そうこうしているうちにエンリの家に到着する。胸は先ほどから高鳴りっぱなしだ。

零れそうなほどに水を注いだ瓶を小脇に抱えて、戸口を開く。

 

(あの、モモンガさん。)

(え゛っ! な、なにかな?)

(・・・)

 

感情の共有など必要ないほどに動揺がダダ漏れだった。

対照的にエンリは冷静に告げる。

 

(あのですね、今モモンガさんは私で、私はモモンガさんなんですよ?)

(そ、そうだね。)

(つまりこの体もモモンガさんなんです。自分の体にドキドキしてどうするんですか。)

(そうは言ってもなぁ・・・。)

 

呆れたような物言いをするエンリだが、正直なところ悪い気はしなかった。

決して裕福とは言えない暮らしの中では女を飾る余裕はない。毎日の畑仕事で少し筋肉がついてしまった体に焦りを覚えていたのだ。

 

しかし男であるモモンガは私の体にドキドキしている。それは女としての自信を取り戻すのに十分なことであった。

無論誰にでも肌を晒すつもりはないが、モモンガは自分の中でノーカウントである。

何より肌を晒しても襲われる心配はない。

 

エンリは着ていたお気に入りの服を脱ぐと、下着も綺麗に畳む。

桶に水を少し移して、タオルに染み込ませてから軽く絞った。

村には浴場という高級なものは無いので、村人が身を清めるときはこうして布で拭くか川辺に水浴びに行くのが普通だった。

 

大きく屈んで足首から上に向けて丁寧に拭き上げていく。時折タオルを軽く洗ったり水を入れ替えるのを忘れない。

太ももの辺りで心臓が大きく跳ねだすが、彼が慣れるまでは仕方ないだろう。こんな気持ちで身を清めるなど初めての経験だった。

 

両の足を拭き終えると次は腕。

やはり少し筋肉がついている・・・農具を振るい続けた掌は少し硬くなっているのだが、モモンガさんはどう思うだろうか?

 

背中側が終わって、最後は正面だ。

下腹部からへそ、鳩尾、決して小さくはない双丘へと差し掛かり―――床に落ちた赤い水滴に気が付いた。

 

慌てて鼻の下を拭うと、やはり。

 

(モモンガさあああん!!!)

(ひぃ、す、すみません!)

 

 

 

 

 

―――結局2人は最後まで気づかなかったことだが、胸の高鳴りは決してモモンガだけのものでは無かった。

そう簡単に割り切れるほど、村娘は達観していなかったのである。

 




後半はオマケのようなものです。
モモンガ様が慣れる日は来るのか…!

さーくるぷりんと様、NKVD様
誤字報告ありがとうございます。


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森林の覇王

※今回は少し捏造が入ります


トブの大森林。

リ・エスティーゼ王国と隣国バハルス帝国を隔てるように聳え立つアゼルリシア山脈、その南の麓を取り囲むように存在する、極めて広大な地域である。

全域にゴブリンやオーガが生息し、奥へ進むにつれ跳躍する蛭(ジャンピングリーチ)巨大昆虫(ジャイアント・ビートル)森林長虫(フォレスト・ワーム)等の多種多様なモンスターと遭遇することになる。

狭い視界や不安定な足場も相まって魔境とされており、地図も満足に作られていない。

まさに人類未踏の地だ。

 

ここはその大森林東部。赤い全身鎧姿のエンリが歩いていた。

厳密にはバハルス帝国の領土とのことだが、見回りの兵士どころか住人すらいないのだからエンリもそれを気にすることは無かった。

 

何故魔法の使用が制限される鎧を着ているのかだが、それはエンリの要望だ。

モモンガの力があれば大抵の敵は何でもないことはよく分かっている。実際、襲い掛かってきたゴブリンの群れをまさに鎧袖一触で吹き飛ばしてしまった。

しかし不安なものは不安なのだ。外界との間に赤い鎧を挟むと恐怖心が綺麗に無くなった。《善なる極撃(ホーリー・スマイト)》でさえ凌ぎ切ったこの鎧はエンリの心の拠り所となっている。

例え全てモモンガの演技だったと知っていても、頼もしさを感じずにはいられなかった。

 

「うーん、空気が美味い! これが森の匂いってやつなのかなぁ。」

 

モモンガはテンションが上がりっぱなしである。

先ほどから何か見つけるたびに子供のようにはしゃいでいた。村の近くの川や群生している花、果てはその辺の蝶にまで大喜びする始末である。

これには流石に苦笑せずにはいられなかった。

 

「モモンガさん、まるで初めて森に来た子供みたいですよ。」

「はは、実際初めてなんだから仕方ないじゃないか。」

 

つい口を衝いて出たセリフだが、良い気分のところに水を差してしまったかなと不安になるエンリ。だが、モモンガにそれを気にする様子は無い。

エンリにとっては見慣れた光景だが、彼は心から楽しんでいるようだった。

 

「あ、あれは・・・マツィタケ!? それもあんなに!!」

 

トブの大森林にのみ自生すると言われているマツィタケは、豊かな香りと独特な歯ごたえから富裕層にはかなりの人気があった。しかしその入手難度の高さからほとんど流通しておらず、天然物となると貴族でも滅多にお目にかかれない代物である。

庶民からすると最早伝説レベルの食材に、エンリのテンションも鰻登りだ。

 

「マツィタケ? それは美味しいのかい?」

「ええ、市場に滅多に出回らない高級食材です。焼いたり蒸したり、どんな食べ方をしてもおいしいと聞いています。村にそんなお金はないので実際に食べたことはないですけど、余裕のある貴族が大枚をはたいて探し回るほどの味らしいですよ!」

「よしエンリ、確保だ!」

「はい!」

 

エンリがマツィタケを右手で摘み取り、それを左手で受け取ったモモンガがアイテムボックスへ突っ込む。妙にテンションが高い1人会話をしながら空間へ手を抜き差しする異様な女の姿がそこにあった。

しかしここは野盗も寄らない大森林。人目を憚る必要など無い。

人類未踏の神秘に溢れた森は、まさに食材の宝庫だった。

 

こうしてエンリはマツィタケに引き寄せられるように奥へ、奥へと進んでいった。

 

――普段のエンリならば森の東部を支配する巨人の言い伝えを思い出したはずだが、目前に現れた伝説を前に、耳にしたことがあるだけの言い伝えなど無力であった。

 

「ん? なんだお前は。」

 

マツィタケの事で頭がいっぱいになっていたエンリに声がかけられる。

 

「え?」

 

突然のことに顔を上げる。

最早エンリ達はここが大森林の深部であることを忘れていた。採集に熱中するあまり、このような秘境に普通の人間がいるはずが無いということに気付けないでいた。

帝国の人だろうか?などと呑気に考えていたエンリの目に映ったのは当然人間ではない。

そこに立っていたのは身長2メートルを超えるトロールだった。

 

「ニンゲン? ブァッハッハ! これは傑作だ、餌が自分からやってきたぞ!」

 

背後に付き従う3体のオーガがトロールと似たような笑い声を上げる。

その非常に下品な笑い方はモモンガを酷く不快にさせた。これまで機嫌よくマツィタケを採取し、一体どんな味がするのだろうと今から期待していたモモンガは、その落差に怒りさえ覚える。

 

「愚かなニンゲンよ、食われる前に名乗るがいい。東の地を統べる王である、グ、が名乗ることを許してやる!」

(グ? 何を言っているんだこいつは。)

 

その横柄な態度にモモンガの怒りは増していく。

エンリを餌だと言い放ったのだから話し合いなど意味を為さないだろう。

今にも気絶しそうなエンリの代わりに、モモンガが苛立ちを隠すこと無く答えた。

 

「エンリ・エモットだ。」

「ブ、ブァハハハハ! なんて臆病な名だ、脆弱なニンゲン共に相応しいな!」

 

今度は腹を抱えて笑う。

本当に不愉快な連中だ。いい気分を台無しにするだけでは飽き足らず名を貶してくるとは。名によって勇敢さを判断する奇妙な価値観が少し気になりはしたが、殺意のほうが勝った。

 

「今夜は御馳走だぞ。そいつを殺せ。」

「メス、ウマイ、ヒサシブリ!」

「オレ、オマエ、クウ!」

 

オーガが突進してくる。

モモンガは溜息をつくと、先頭のオーガの側頭部に裏拳を浴びせ、残りのオーガの頭を掴んで地に打ち付けた。

トロールが再び不快な声を上げる前に、創造した1本のグレートソードを槍投げの様に投擲する。常人の目では追えない速度で飛翔したそれは、狙い違わずトロールの喉を貫いた。

 

「立つ鳥跡を濁さずってね。」

 

モモンガは鎧を消すと、空いた穴が気色悪く蠢くトロールと頭部が消えたオーガを燃やす。焼け跡も、血の跡すらも残さない見事な焼き方だ。

その炎を見て香ばしく焼けたマツィタケを幻視し、涎を垂らすモモンガだった。

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

(あー、びっくりしたぁ。)

(本当にね。あれだけ人を不快にさせるのが上手いモンスターなんて初めて見たよ。それに喋ってたし。)

(喋るところを見たのは初めてですか? その辺にいるゴブリンやオーガも普通に喋りますよ。その前にモモンガさんが倒しちゃってるだけで。)

 

モモンガは気を晴らすために森の散策を続行した。とはいってもマツィタケを乱獲しすぎると二度と取れなくなる可能性があるので、今は気の向くままに歩いているだけである。

水をかけられたようにボルテージが下がった2人は、口を動かすこともなく会話していた。

 

「ここに何の用だ?」

(またかぁ・・・。)

 

エンリがうんざりしながら突然かけられた声の方へ振り返ると、黒い鱗の蜥蜴人(リザードマン)がいた。

モモンガがいれば例え大森林に1人でいても大抵は安全だと理屈だけでは分かっていたエンリだが、今日の探索で数多のモンスターと出会い、漸く精神的な面でも慣れてきた。

 

(しかし今度は話ができるタイプみたいだよ。)

 

蜥蜴人(リザードマン)は警戒心を隠そうともせず、十分に距離を取っている。此方を餌だと宣う様子も無い。

これを異文化交流の好機と見たモモンガは、友好的に接することにした。

 

「森を探検していただけですよ、そんなに警戒しないで欲しいな。」

「そんな装備でか?」

 

蜥蜴人(リザードマン)は訝しげに立派な赤い鎧を見つめる。

その華美な装飾は一見すると性能よりも見栄えを重視しているように思える。しかし蜥蜴人(リザードマン)は、この鎧が並々ならぬ性能を持っていると見抜いていた。

彼には、この人間が何らかの目的をもってここまで遠征に来た強者にしか見えなかった。

 

「これは失礼。」

 

そう言って鎧を消すと、蜥蜴人(リザードマン)に問いかける。

 

「私はエンリ・エモットという者です。それで、あなたがここにいるということは、近くに蜥蜴人(リザードマン)の棲家があるんですか?」

「教えると思うか?」

「それもそうですね・・・うーん。」

 

この蜥蜴人(リザードマン)はモモンガにとって初めて出会った理知的な亜人種だ。どうしても信じて貰いたかった。

 

「ではこうしませんか? 私に目隠しをして武器を突き付けていてもいいですから、あなたの棲家に連れて行ってください。」

「――行ってどうする。」

「私はあなた達の事を知りたいだけです。」

 

その言葉に蜥蜴人(リザードマン)は警戒を幾分か緩めたようだが、まだ距離を詰めることはしない。

 

「お前は、人間たちが俺たち亜人種をどう思ってるのか知らないのか?」

「はぁ、知ってますが・・・。」

(エンリ! 人間は亜人種をどう認識してるんだ!?)

(えぇ!?)

 

蜥蜴人(リザードマン)は、普通に知ったかぶりをしたモモンガに気付くことなく言葉を続ける。

 

「それと同じだよ。俺たちも人間に同じ感情を持ってるってことだ。俺はそうでもないが。」

 

エンリから話を聞き終えたモモンガは納得する。

人間は基本的に亜人種を忌避しており、討伐の対象とするのが普通らしい。嫌われれば嫌うといった感情の鏡レベルの話ではなく、最早戦争相手だった。

だがモモンガに亜人種を忌避する気持ちなど微塵もない。何しろ彼がリーダーを務めていたギルド、アインズ・ウール・ゴウンには異形種しかいなかったのだから。

亜人種だからと言って特別な感情は沸かない。

 

「私もあなたと同じですよ。人間種と亜人種の違いなんて姿形くらいでしょう。寝て起きて食べて、寿命が来れば死ぬんですから。」

 

 

蜥蜴人(リザードマン)――ザリュースは瞠目した。

彼は集落を出て、体に烙印を押された“旅人”である。今は集落に戻っているが、旅先では様々な出会いがあった。

しかし初めから友好的な人間など1人もいなかった。亜人種である蜥蜴人(リザードマン)を恐れ、忌避し、攻撃してくる者もいた。優れた戦闘能力に加えて凍牙の苦痛(フロスト・ペイン)を持つザリュースは負けることこそ無かったが、向けられる忌避の視線に何とも思わない訳ではなかった。

それでも放浪を続け、時には正体を隠し、また時には会話を盗み聞きして様々な情報を手に帰ってきたのだ。

 

そんな人間たちと関わってきたザリュースだからこそ、目の前の人間が嘘を言っていないことが理解できた。その視線に混じるのは断じて忌避ではなく――純粋な、好奇心だった。

その初めての“出会い”を、信じたいと思った。

 

「疑って悪かった、俺は緑爪(グリーン・クロー)のザリュース・シャシャだ。よろしくな。」

 

そう言って右手を差し出す。これも旅先で知った人間の作法だ。

少女が微笑み、その手を握り返した。

 

「はい、ザリュースさん。こちらこそよろしくお願いします。」

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

モモンガは満足気な顔で森を歩く。歩き疲れたエンリはモモンガに体を任せていた。

疲れたと言っても体力は飛躍的に向上しているため、精神的な部分だが。

 

――ザリュースに連れられて訪れた彼らの集落は、意外にも文化的なものだった。

当初は洞窟かどこかに塒を作っているものと思っていたが、彼らは湿地に木造の家を建てていたのだ。世帯ごとに家を持ち、子と暮らす姿は見た目さえ違うが人間と同じものだろう。

 

蜥蜴人(リザードマン)達に簡単な挨拶を済ませた後、ザリュースが見よう見まねで生け簀の制作に取り組んでいるということを知り、それを見に行くことになった。

モモンガは生け簀について多少の知識があったらしく、「嘗ての仲間からの受け売りだが」と前置きをしてからアドバイスを与えた。何故かザリュースと生け簀談義で盛り上がり、様々な案を出し合うと、試作まで始めたのだ。

モモンガはその作業の合間も、主食は何なのか等蜥蜴人(リザードマン)の生活について質問を続けた。強い者が族長になるという原始的な部分には少し驚いた。

その後、知識と作業のお礼にと食事も御馳走になった。少し遅い昼食だったが、普段食べない魚の味は中々良かった。もちろんモモンガのテンションは上限を振り切っていた。

 

そうやって蜥蜴人(リザードマン)との交流を重ねて知的好奇心を満たし、帰途について、今に至る。

モモンガと同化していると言っても、流石に少し疲れてしまった。

 

「そんなに疲れた? つまらなかったかい?」

(いえ、ザリュースさん達とのお話は新鮮でしたし、楽しかったですよ。でも色々あったからちょっと疲れちゃって。)

「はは、本当に今日は遊び尽くしちゃったね。」

(はい、怖いこともありましたけど本当に楽しかったです。)

 

エンリが村ですることなど畑仕事か裁縫しかなかった。そんな彼女にとって、この1日はこれまでの人生で最も濃い物だったと断言できる。

未知を解き明かしていく冒険。

それを求めるモモンガの気持ちが、今のエンリには良く理解できた。

 

「フフフ、漸くマツィタケを食す時がくるのか・・・待ちきれないぞ!」

(モモンガさん、悪い人みたいになってますよ。)

 

そんな他愛ないことを話している2人の耳に、聞きなれない音が入ってきた。

大地を揺すぶるような、重い地響き。その音は徐々に、確実に大きくなっていく。

 

(な、何かすごいのが向かってきてません?)

(うん、一応警戒しておこうか。)

 

モモンガが鎧と2本のグレートソードを装着する。

そしてその音が間近に感じられるようになり、遂には停止した瞬間――

 

「むっ!」

 

硬質な音が響いた。

エンリは自分の体だというのに何が起こったのか理解できなかったが、体勢から考えると飛来してきた何かを弾いたのだろう。

 

「それがしの初撃を完全に防ぐとは見事でござる・・・。それほどの相手は・・・もしかすると初めてかもしれぬな。」

(あわわわわわわ・・・)

 

その深みのある静かな声に、エンリはギリギリだ。

対してモモンガは聞こえてきた言葉に耳を疑っていた。

 

(それがし・・・ござる?)

「さて、それがしの縄張りへの侵入者よ。今逃走するのであれば、先の見事な防御に免じ、それがしは追わないでおくが・・・どうするでござるか?」

(モモンガさん! 逃げましょう、すぐに!)

 

エンリが泣きそうな声で嘆願してくるが、モモンガは何となくその姿を見たくなった。

相手の言葉を鼻で笑い、答える。

 

「愚問だな。それよりも姿を見せないのは自分の姿に自信が無いのか? それとも恥ずかしがり屋さんなのかな?」

「ほう、言うではござらぬか、侵入者よ。ではそれがしの偉容に瞠目し、畏怖するがよい!」

 

そう言って声の主が茂みを踏み分け、姿を現す。

 

(ぁっ・・・)

 

――エンリの意識はそこで途切れた。

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

エンリが意識を取り戻したのは、柔らかい絨毯の上――ではなく、精強な魔獣の上だった。

再び意識を失いそうになるが、ぐっと堪えてモモンガに問いかける。

 

(モモンガさん・・・これは?)

(ああ、起きたのかい。何だか懐かれちゃってね、森の賢王と言うらしいよ。今はハムスケって名乗らせてる。)

「も、森の賢王!?」

「ど、どうしたでござるか!? 姫!」

 

その返答に再び叫びそうになった口をモモンガが塞ぐ。

 

「いや、なんでもないよ。そういえばハムスケは賢王と呼ばれるほどの大魔獣だったなぁと改めて思っただけさ。」

「おお、姫にそう言って貰えるとそれがしも鼻が高いでござる!」

 

得意げに少し上を向くハムスケの頭を撫でてやりながら、エンリに状況を伝えた。

 

(何故か背中に乗って移動してほしいって言われてね。断ったんだけど悲しそうな目をするものだからつい・・・。それと姫呼びもやめろって言ったんだけど聞かないんだよ。)

 

エンリが聞きたいのは、何がどうなれば森の賢王が自分に付き従うことになるのかということだったのだが、モモンガにかかればこの程度容易いかと強引に納得する。

移動も楽だしこれでいいか・・・と逃避気味に考えながら、徐々に近づく村を眺めた。

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

日の入り直前のカルネ村。

いつもなら1日を終える準備を始め、徐々に静まり返っていく時間帯だが、今日は喧騒に包まれていた。

それは先日の襲撃の際とは真逆の騒がしさ。

酒に酔って素面ではできない一発芸を見せる大人と、それを見て大笑いする者たち。

ひたすら食べ物を口に運ぶ者もいれば、何故か未調理の食材に拝んでいる者もいる。

 

そう、カルネ村は今――マツィタケパーティーの最中である。

 

エンリが持ち帰った大量のマツィタケを見た村人たちは、驚愕する者と不思議そうな顔をする者に別れた。前者はマツィタケの存在を知る者、後者はそうでない者だ。

だが、詳しく話を聞いた村人は皆、音を鳴らして唾を飲み込む。

エンリがこれを売るのではなく、村の皆で食べたいという意向を示したとき、村人たちは狂喜乱舞して大急ぎで準備を始めた。

 

七輪のような物に火を灯そうと四苦八苦している村人たちを見たモモンガは、待ち遠しいとばかりに懐からマジックアイテムを取り出す。

そのチャッカメンというマジックアイテムを使って、全ての七輪のような物に一瞬で火を付けて回ったのだ。その不思議な便利アイテムを物欲しそうに眺める村人だが、今はそんな場合じゃないと再び準備に取り掛かる。

初めは恐怖の眼差しで見られていたハムスケも、せっせと準備を手伝いすっかり溶け込んでしまった。

 

モモンガはマツィタケの芳醇な香りと歯ごたえを楽しみながら、これからのことを考える。

 

(今回はマツィタケを持ち帰れたからいいけど、今後もカルネ村で暮らして行く中で何もしないっていうのはまずいよなぁ。畑仕事してたら旅ができないし。)

(じゃあ冒険者をやりながら旅をすればいいんじゃないですか?)

 

あまりの美味しさに涙を流しながらエンリは答える。

何気なく言った一言だが、モモンガの食いつきは良かった。

 

(冒険者!? 楽しそうじゃないか!)

(そうですか?)

 

2人の次の行先が決まった。

 




少し駆け足気味です。

以下捏造設定
・ハムスケの体毛は気を緩めれば安い絨毯程度の柔らかさになる
・今後出番があるか分からないマジックアイテム


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覇王の長い夜

(結構賑やかな街じゃないか。)

(そうですね。私も初めて見たときには人の多さに驚きました。)

 

2人は今、エ・ランテルの商店街を歩いている。

予定では冒険者組合を訪ねた後、今夜の宿を探してから街の散策をするはずだった。しかしやはりというべきか、モモンガは街に入るなりキョロキョロと周囲を見回し、田舎者よろしく興味深げに歩き回り始めたのだ。

何となく予想できていたエンリは、何も言わずに散策に付き合った。

 

そして彷徨っているうちに商店街を発見した。

立ち並ぶ露店には食べ物や衣類等の日用品が並べられ、店主が声を張り上げて客寄せをしている。モモンガはそんな店の全てを冷やかして回っていた。

仕方のないことだろう、何しろお金がないのだから。しかし自分の姿で商品について詳しく質問したあげく、1銅貨も落とさずに去るというのを繰り返すのは辞めて欲しい。

 

(ん、エンリはここに来たことがあるのかい?)

(はい、何度か。とは言ってもモンスター討伐の依頼に来ただけなので、街のことについてはよく知りませんけど。)

(なるほど。じゃあこの街に知り合いはいないのか。)

 

エンリが気軽に話せる相手がいるのなら、情報収集のためのコネクション作りをしなくて済む。

もちろん冒険者をやって行く上で横の繋がりは重要になってくるだろう。名前からして危険と隣り合わせの職業なのだから。しかしその冒険者について何も知らないモモンガは、彼らの世界での常識を知らない可能性がある。

例えば“冒険者は夕食の前に必ず踊る”という風習があったとして、それを知らずに1人で食べ始めてしまうと非常に浮いてしまうだろう。

デビューに失敗すると大抵は暗い未来が待っているものだ。それは避けたかった。

 

(いえ、2人ほどいますよ。村にたまにくる薬師の男の子と、そのおばあちゃんです。)

(おお!)

 

思わぬ偶然に喜ぶモモンガ。さっそく情報収集のためにエンリに提案する。

 

(じゃあ挨拶しに行かないとね。しばらくはこの街にいるだろうし。)

(それは賛成ですけど・・・挨拶が済んだらすぐに組合に向かいますからね? もういい時間なんですから。)

 

エンリの言葉に空を見上げると、太陽は既に傾いて夕日に変わろうとしていた。

時間を忘れて観光に勤しんでいたモモンガはそれに気付いていなかった。

 

(そ、そうだね。少し急ごうか。)

 

 

 

 

「えっと、確かこの辺りなんだけど・・・。」

 

エンリの案内で、工房らしき建物が並ぶ区画に出た。

その知り合いも店を構えているらしく、名をバレアレ薬品店というらしい。周囲から漂う臭いを考えると、この通りには薬草を扱う店が密集しているのだろう。

あまり好まれることの無さそうな刺激臭だが、それすらもモモンガには新鮮なもので深呼吸を繰り返して楽しんでいた。

エンリは眉根を寄せていたが。

 

「んー・・・あった!」

 

記憶の中の物と一致したのだろう、エンリがひとつの店の前で立ち止まる。

それは他の店とは一風変わった作りをしており、店と工房が繋がっていた。規模も周囲の物より一回りほど大きく、高級な店なのだろうと推察できる。

エンリは扉をノックしてから遠慮がちに開いた。

 

――店なのだから何も気にせず開いてもいいと思うのだが、これがこの世界の常識なのだろうか。いや、エンリはカルネ村の外のことはほとんど知らないんだよな。

 

そんなことを考えていると、少年の素っ頓狂な声が聞こえてきた。

 

「いらっしゃいま―――エ、エンリ!?」

「久しぶり、ンフィーレア。」

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

「そんなことがあったなんて・・・」

 

エンリは、少年――ンフィーレアが用意した飲み物で軽く喉を濡らしてから、カルネ村で起こった出来事を簡単に伝えた。それを聞いたンフィーレアは呆然とする。

無論村を救ったのは怪しい魔法詠唱者(マジック・キャスター)ということになっている。

2人の会話の親しさから、ンフィーレアが村を訪れたのは2度や3度では無いことが分かる。薬師として何度も村を訪れるうちに、少なくない村人と交流したのだろう。

 

彼は意を決したように握り拳を作ると、勢い良く立ち上がる。

 

「エンリ!!」

「な、なに?」

 

突然のことに大きく肩を震わせるエンリ。

 

――まずいな。

モモンガは黙考する。この少年の様子を見るに、エンリに恋心を抱いていることは確実だろう。顔を赤らめ、小刻みに震えるその姿はまさに思春期の少年の告白シーンだ。

幸いエンリは少年の想いに気付いていないようだが――何故ここまであからさまな態度に気付かないのか疑問だが――もしこの少年の想いが成就しよう物なら、モモンガの異世界生活は少年に永久就職して終了する。

勿論エンリが望むのであれば全力で解決策を探すだろう。見つからなければ流星の指輪(シューティングスター)の使用も考慮する。もしそれも失敗すれば、潔く諦めよう。

だがこの状況を最も簡単に、確実に突破する方法がひとつある。

 

「も、も、もし困っていることがあったら言ってよ。できる限り助けるからさ!」

「ありがとう! 本当にンフィーレアは私には勿体ないぐらいの友人だわ!」

 

考えている間にも2人の会話は進み続け、ンフィーレアの顔の赤みも増し続ける。

 

「そ、それで、あの・・・僕は薬師として稼ぐことができるし、蓄えもそれなりにあるんだけど・・・」

「うん?」

 

ンフィーレアが唐突に話題を変えたことで、エンリは反応に困る。

 

「だからその・・・僕とけ、けっ」

(いかん!!)

「あのっ! ンフィーレア!」

「えっ! ど、どうしたのエンリ?」

 

ンフィーレアは一世一代の告白を遮られて不安そうな顔をしている。エンリもモモンガの行動にかなり驚いているようだ。

だがモモンガはそれ以上に動揺していた。

 

――いくらなんでも早すぎるだろ! まだ付き合ってすらいないじゃないかッ!!

 

モモンガは出来るだけエンリの交流を阻害することは避けたかった。

エンリは村の恩人だからとこの状況を受け入れてくれたようだが、自分が彼女の人生を狂わせている存在であることを理解しているモモンガは、せめて彼女の人付き合いくらいは守ってやりたかった。

だが、自分を殺して彼女の中で無感情に過ごし、その生を終えることができるほど聖人でも無い。何も為さないまま実質的に死ぬのはご免だ。

嫉妬する者たちのマスクが脳裏を過ったモモンガは、心を修羅にする。

 

「私がこの街に来たのは、冒険者になるためなんだ。」

「冒険者!?」

「うん。」

 

エンリの言葉遣いに感じた違和感は、同時に襲ってきた驚愕に吹き飛ばされた。

 

魔法詠唱者(マジック・キャスター)様から頂いた薬で、すごい力が沸いてきたのは話したよね?」

「うん、聞いたけど・・・」

「その方とある約束をしたんだ。でもそれを守るためにはお金が必要になる。」

「そ、それなら僕が――!」

 

引き留めるための糸口を見つけ、慌てて言葉を挟もうとする。

ンフィーレアの気持ちは、モモンガにもよく理解できた。自分が好きな女の子が自ら危険な世界に飛び込もうというのだから、心配になるし、何をしても止めたくなるだろう。

生憎モモンガにその経験は無いが心情を察することはできた。

 

「流石にそこまで迷惑はかけられないわ。」

 

何か思うことがあったのか、少年の言葉を遮ったのはエンリだった。

 

「僕は君がっ」

「聞いて、ンフィー。私を心配してくれてるのは分かるし、すごく嬉しい。でもこれは私がしなくちゃいけない――ううん、私がしたいことなの。それに魔法詠唱者(マジック・キャスター)様が言ってくれたわ。君を死なせたくないって。私はそれを信じてる。」

 

それはンフィーレアとは対照的な、酷く落ち着いた態度だった。

しかし彼は今の言葉に、重要な、とても重要なワードが入っていたことに気付いた。

どんな状況で発した言葉なのかは分からないが、それはまるで――。

 

「エンリ・・・君はその人のことを、ど、どう思ってるの?」

 

ンフィーレアにとっては、絶対に聞いておかねばならないことだ。この返答次第では、彼はもう立ち直れないかもしれない。

しかし聞かずにはいられなかった。

 

「え? 恩人だと思ってるけど。」

「そ、それ以外で、何かないかな。」

 

妙に焦った様子のンフィーレアに、首を傾げながらも考えるエンリ。

 

「うーん・・・子供っぽい?」

「・・・それだけ?」

「あとは偶に意地悪なところがあったくらいかなぁ。魔法詠唱者(マジック・キャスター)様が気になるの?」

 

エンリの純粋な返答に言葉を詰まらせる。

彼女の表情に嘘をついているような様子はなかった。

 

「ぼ、僕も第2位階までしか使えないけど魔法詠唱者(マジック・キャスター)だからね。やっぱり優秀な人の話は聞いてみたくて。」

 

言いながらエンリの瞳を見つめる。そこに不安や迷いといった感情は見当たらなかった。

彼女の決意は固い。最早何を言っても無駄だろう。

 

「引き留めてごめんね、エンリ。プレートを持ってないってことはまだ組合には行ってないんでしょ? 日が沈む前に行ったほうがいいよ。」

「気にしないで。じゃあ行ってくるね!」

「うん、またね。」

 

そう言って店から出ていくエンリを見つめる。

小さな嫉妬心から彼女の信念を曲げようとした浅はかな自分を、軽蔑しながら。

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

エンリは組合への道を急ぐ。何度か訪れているので場所は把握していた。

通行人が此方をチラチラと伺っているが、気にしている暇はない。

 

(モモンガさん、さっきは驚きましたよ。時間が迫ってるならそう言ってくれればよかったじゃないですか。)

 

エンリは都合よく勘違いしてくれていた。

モモンガが突然冒険者になることを打ち明けたのは100%打算によるものだ。しかし窓から差し込む夕日に気付いたエンリは、なるほどと納得してしまったのだ。

丁度いいので乗っかることにする。

 

(悪かったよ、俺も気付いて焦っちゃってさ。)

(またすぐに会えるでしょうし、そんなに気にしてないですよ。それより、なんで鎧着てるんですか? すごい目立ってる気がするんですけど。)

 

モモンガは何故か得意げにそれに答える。

 

(いいか、エンリ。これから入る世界は大抵荒くれものが多いんだ。舐められたら終わりだと思っていい。最初のインパクトが大切なんだよ。)

(はぁ、そうなんですか。)

 

冒険者の社会を知らないエンリは生返事をすることしかできない。モモンガも知らないはずだが何故こんなに自信を持って言えるのだろうか。

 

そんなことを脳内で話していると、冒険者組合に到着した。

モモンガは概ね予想通りのファサードに胸を躍らせる。事前の情報収集に失敗したことなど既に頭の外だ。意気揚々とその小洒落たウェスタンドアを勢いよく両手で押し開く。

当然、ほとんどの視線が此方に向けられた。

 

ビクリとしそうになるエンリを抑え、悠然とした態度で受付へと歩を進める。

ニヤニヤと笑いながら見つめる者と、値踏みをするような目で見る者、そして怯えるように様子を窺う者がいた。最後の視線に困惑していたモモンガだが、横合いから聞こえた声に納得する。

 

「おいおい、なんだありゃ。パパのプレゼントかぁ?」

「バカやめろっ、あの鎧はやばい!」

 

首にプレートが下がっていないのを目敏く見つけた冒険者の嘲るようなセリフを、怯えた様子の冒険者が窘める。

要するに彼らはこの鎧の性能に気付いていたのだ。なかなか出来る奴等だと感心する。

 

普段のモモンガなら、この様に馬鹿にされれば仕返しのひとつでもするだろう。しかし、彼は今機嫌がよかった。これは所謂“お約束”というやつだ。

上機嫌のまま、受付嬢に話しかける。

 

「冒険者の登録をしたいのですが。」

「はい、此方で承ります。・・・あの、失礼ですが大森林近郊から来られた方ですか?」

「ん? どうして・・・あ。」

「はい、かなり噂になっています。」

 

モモンガ達は視線の()()()()に漸く気付く。

周囲に耳を澄ますと、「赤い突風」「人間投石機」「亜人」などと聞こえてきた。最後のはいくらなんでも酷いだろう。

エンリは頭を抱え――ようとしたが、手続きを進めるモモンガに阻止された。

 

――それは数日前の事。

冒険者になるためにエ・ランテルへ赴くことを決めた2人は、しばらく帰れなくなるだろうからと、出発を何日か遅らせることにした。

それでネムと遊んでいたのだが、モモンガの魔法のおかげで退屈することは無かった。空を飛んだ時などモモンガも含めて3人で大はしゃぎしたものだ。

その合間にもモモンガは周辺の探索を怠らなかった。

森を制覇するには日数が足りないため、村の近辺を調べることにした。

 

最初はゆっくりと周囲を見て回り、片手間にオーガを弾きながら地図を作っていった。それが一段落すると何故か「タイムアタック」などと言い出し、地図に引いた線の通りに走り始めた。全力で、だ。

その途中でゴブリンを1体蹴飛ばした。

 

コースを回り終えると、何かの呪文を唱えてもう1度回り始めた。

今度は景色が追いきれないほどの速度だった。風が気持ちよかったのか、「俺を止めることはできない」と悪い人モードに入り、1周目と同じくらいの時間で10周した。

おそらくその間にオーガやゴブリンを弾き飛ばし、複数の冒険者に目撃されてしまったのだろう。

 

「え? 魔獣を連れ込めるんですか?」

「はい。組合に魔獣登録をすれば連れ歩いて頂いても構いません。ただ魔獣が問題を起こした場合、登録者の管理が問われますのでご注意ください。前例はありませんが問題の規模によっては投獄されることもあります。エモットさんは魔獣を従えておられるのですか?」

「ええ、可愛らしい魔獣を1体。円らな瞳をしているんですよ。」

 

モモンガは周囲に奇行がバレていることを気にした風もなく、受付嬢と談笑している。可愛らしい魔獣などと嘘をついているのは、連れ込みを拒否されるのを恐れているのだろう。森の賢王だと正直に言えば断られるに違いない。いっそ断られればいいのに。

 

精強な魔獣を引き連れることで更に奇異の視線が増えるだろうと予見したエンリは、逃避気味に考えた。

そんなモモンガと受付嬢の和やかな雰囲気を吹き飛ばすように、ウェスタンドアが荒く開かれた。その大きな音に驚き、エンリの時よりも数段早く来訪者へ視線が集中する。

 

「大変だ! 共同墓地に大量のアンデッドが出現した!!」

「なに!?」

 

その一言で組合内は騒然となる。

 

「墓地とはどこにあるのですか?」

「こ、ここから西へ向かったところです。組合の方で確認できたら冒険者の皆さんに緊急の依頼を出しますので、申し訳ありませんがここでお待ちいただけますか?」

 

まるで他人事のように質問するモモンガだが、受付嬢のほうは平静を保てずにいる。

 

「いえ、その必要はありません。」

「え?」

 

なんとか営業スマイルだけは保っていた受付嬢の表情が、ついに困惑を露にする。

話が聞こえていた冒険者達は、まさか逃げるつもりじゃないだろうなと耳を欹てた。

 

「私が先に行って確認してきましょう。情報が本当なら、ついでに解決してきます。」

 

そう言うと新品のプレートを首にかけ、颯爽と組合を後にした。

付近の者は皆、そのあまりな態度に唖然とした。

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

(はぁ、冒険者がこんなにも夢の無い仕事だったとはなぁ。これじゃ詐欺じゃないか。)

 

屋根伝いに駆けながらモモンガが愚痴をこぼす。

 

(知らなかったんですか? 冒険者はモンスター専門の傭兵みたいな物ですよ。)

(・・・知らなかったよ。)

 

何で教えてくれなかったんだとでも言いたげだ。

実際エンリの様子を振り返ってみると、確かに冒険者生活を楽しみにしているような様子は無かった。本当に旅と並行した金策のために提案しただけなのだろう。

どうやら冒険者の主な仕事内容はこの世界の常識のようだ。

ンフィーレアから話を聞けなかったことを今になって後悔する。

 

(でも凄く乗り気だったじゃないですか? こうして墓地にも向かってますし。)

(そりゃあ早くランクを上げたいからね。)

 

銅級(カッパー)の仕事内容を軽く聞いてみたのだが、夢が無いどころの話じゃなかった。

荷運びや薬草取り、比較的安全な近場までの護衛がほとんどなのだ。これなら1人でマツィタケ狩りでもしていた方が楽しいし、より多く稼げる。

であれば、大きな功績を立てて目立つことによって特例での昇級を狙うしかない。

受付嬢の話では、新たに発見された遺跡の調査や危険地域の地図作成等の依頼も稀にあるらしい。だが、かなりの危険が伴うために高位の冒険者に依頼されることが多いそうだ。

 

ならば狙いはひとつ。最高位のアダマンタイトだ。

初めは冒険をしつつゆっくりとランクを上げるつもりだったのだが、こういう事情なら仕方ない。

アダマンタイト級ならば全ての依頼を受けることができるはずだ。まさに選り取り見取り。楽しそうな案件だけを受けつくして、村にお土産を持ち帰るのだ。

 

(確かに早くランクを上げて稼ぎたいのは分かりますけど、あんな大見得切らないでくださいよ。私に友達ができなくなっちゃうじゃないですか。)

(むぅ・・・)

 

そこを突かれると痛い。

 

(まあ、決めるときにはビシッと決める女? うん、それでいいじゃないか。)

(もう! それにしたって限度があると思いませんか!?)

(お、ここが墓地みたいだな!)

 

実際には数百メートル先に視認していたのだが、身体能力に物を言わせて一気に距離を詰める。

地に降り立ったモモンガが周囲を見回すと、既に複数の冒険者が墓地の入り口に集まっていた。最低でも銀級(シルバー)。銅や鉄級の冒険者は普通、避難誘導等を行うのだろう。

だがモモンガにそんなことは関係ない。

今の最優先目標は「浮かないよう周囲に溶け込むこと」から「とにかく目立つこと」にシフトしているのだ。

 

とりあえず近くにいた冒険者達に声をかけた。

 

「どんな状況ですか?」

「見ての通り、突然大量に発生したアンデッドをここで食い止めている状態です。既に衛兵の方に組合まで知らせに行って貰いましたが、援軍が間に合うかどうか・・・。」

 

一目で分かる緊急事態であるため、お互いに挨拶などはしない。今なら格下の銅級(モモンガ)銀級(彼ら)に気軽に話しかけても問題無いと判断したが、どうやら正解だったようだ。

 

「こんな事はよくあるんですか?」

「普段はせいぜいスケルトンが数体くらいなのである。このように数百体規模での出現は前代未聞であるな。」

「心配しなくてもいいぜお嬢ちゃん。君は俺が守ってやるからよっ。」

 

最初に答えた男は訝しげな顔をしたが、代わりに不思議な喋り方の男が答える。

がっちりとした体躯とぼさぼさの髭は、まさに荒くれものにしか見えない。しかしその表情と声音は妙に優しく、彼の穏やかな人柄を象徴しているかのようだ。

他のメンバーも此方を見下すような態度はとらなかった。良いチームだ。

チャラい男は無視した。

 

(なるほど。確実に何者かが裏で糸を引いているな? いいじゃないか、精々踏み台になってもらうとしよう。)

(モモンガさんって興奮すると悪い人モードに入りますよね。)

(な、何言ってるんだ。悪者はあちらさんだろう?)

 

ついゲーム時代の癖でロールプレイしているのを見咎められて赤くなる。

恥ずかしいと自分でも思っているのだが、どうしても抜けきれないのだ。いや、捨てたくないのかもしれない。これも輝かしい思い出のひとつなのだから。

 

嘗ての仲間を思い出して感傷に浸りそうになるが、今はそれどころじゃないと頭を振る。目の前に用意された絶好の機会を、最大限に利用しなければならないのだ。

 

(さて、始めるとしようか。)

(そうですね。)

 

エンリは、墓地の入り口へと真っ直ぐに進み始めたモモンガに答える。

もう慣れたものだ。1週間程度の付き合いしかないというのに、後の行動が手に取るように理解できた。

だが今回は止める気も、恐怖に固まっているつもりもなかった。

 

エンリの頭に浮かんだのは、あの日のカルネ村。

家族を失った悲しみは凄まじいものだった。モモンガがいなければ今頃自分がどうなっていたのか分からない。あんな思いはもう二度としたくないし、させたくない。

 

目の前にいるアンデッドの群れが溢れだそうものなら、一体この街はどうなってしまうのだろうか?

勇敢に立ち向かうのだろうか。諦めて立ち尽くすのだろうか。あの日の両親のように自ら犠牲となって子を逃がすのだろうか。

想像するだに恐ろしい。

そんな事態をただ眺めていることなど、エンリにはできなかった。それならば、自分が少し怖い思いをするほうが100倍はマシだ。

 

そしてモモンガの意思も理解している。心から冒険を求めていることも、この事態を都合のいい案件程度に捉えていることも、村に愛着を持ってくれていることも。

だからエンリは初めて戦闘に介入することにした。

 

(モモンガさん。このアンデッド達は、周囲の冒険者にも倒せますか?)

(ん? まあ倒すこと事態は容易だろうね。でもこの規模になると壊滅一直線かなぁ。)

 

珍しく戦闘前にエンリが冷静でいることを不思議に思い、モモンガが足を止める。

エンリからは微かに恐怖の感情が伝わっている。しかし質問の内容は「周囲の冒険者でも対応できるか」。普通ならモモンガが勝てるかどうかを聞いてくるはずだ。

 

(そうですか。じゃあ、少しアンデッドを残して行きませんか?)

(は? 一体何を―――いや、話を聞こうじゃないか。)

 

顔に笑みが浮かぶ。それは傍から見ればどこぞの組織の女幹部にしか見えない類の笑みだろう。エンリはそれに文句を言わない。言えないのだ。

これからやろうとしていることは、まさに悪だくみと言えるものだから。

 

(モモンガさんは1体も残さず殲滅しながらすすむつもりだったんですよね? でもそうすると、どれだけの偉業を為したのか分かりづらいと思うんです。

 勿論そんなことをしなくても十分に英雄級の功績だとは思いますが、語り手が敵の脅威を理解していた方が都合がいいと思いませんか?)

(・・・ははは! 女っていうのは怖いなぁ。)

 

納得し、愉快そうに笑うモモンガだが、その言葉は流石に心外だ。

 

(ちょ、ちょっと、やめてくださいよ! 私はモモンガさんが早く冒険したいって言うからプレートを――)

(ああ、分かってるよ。ありがとう。)

(っ! も、もう!!)

 

自分から冷やかした癖にエンリの苦言を止めるモモンガに、不満げな顔をする。

だが緊張は晴れた。今ならにこやかにあの軍勢へ飛び込めそうだ。

 

(さあ、役者(アクター)になるとしようか。)

(はい!)

 

モモンガは歩みを再開する。

やがて門に辿り着くと、その閂を蹴り上げる。

 

「お、おいお前!! 何を――」

 

衛兵の言葉を無視し、そのままの足で硬く閉ざされた門扉を蹴り飛ばした。

勿論力は加減しているため門自体が吹き飛ぶようなことは無い。しかし門前に張り付いていたアンデッドは別だ。

骸骨(スケルトン)はそこらの砂利のように早変わりし、動死体(ゾンビ)は腐った肉体を四散させながら彼方へと消え去る。アンデッドの軍勢を襲った暴風と肉の雨の影響は、まるでドミノ倒しのように波及していった。

 

あまりの事態に敵も味方も音を立てる者はいない。さっきまでの喧騒が嘘のように消え失せた静寂の中、1人の少女の声だけが響いた。

 

「これから敵の首魁を叩く。ここは君たちに任せよう。」

 

その言葉を聞いてもほとんどの者の理解が追い付かない。視界に映っている現状が頭に浸透してこない。

だが1人、いち早く回復した冒険者が声を上げる。

 

「か、銅級(カッパー)の分際で仕切ってんじゃねえ! 自分が何やったか分かってんのか!?」

 

お前こそ敵前で何を言ってるのか分かってるのか、という言葉は飲み込んだ。目上の人間を尊重するのは社会人の常識だ。

運良く難を逃れて此方へ侵入してくるアンデッドを切り捨てながら辟易する。

どこの世界にも格下を見下す存在はいるものだ。

 

「おや? ミスリルの冒険者はこの程度のアンデッドに怯えるのですか?」

「テメ・・・」

 

顔を真っ赤にした愚かな男を、仲間らしき冒険者が窘める。

何故あんな男と共に行動しているのか本気で理解ができない。目の前であのような無様を晒されればどんな素晴らしい冒険の最中でも興が醒めるだろう。

 

「では、頼みましたよ。」

 

モモンガは腰を落とすと、2本のグレートソードを鋏のように交差させて正面に構えた。何をするつもりなのかと、付近の冒険者が此方に注目する。狙いは直線上のアンデッド。風圧と飛び散った死体で結構な数のアンデッドを倒せるはずだ。

残るアンデッドは彼らの処理能力を少し上回るが、死人が出るようなことはないだろう。組合からの援軍が間に合うまで粘ることは容易だ。

 

完璧なる戦士(パーフェクト・ウォリアー)

 

アンデッドの歩く音に忍ばせて唱える。

モモンガの魔法詠唱者(マジック・キャスター)としての筋力では、この分厚い肉の壁を突っ切るのは少々難しい。だが100レベル相当の戦士の筋力ならば、ゴールテープよりも容易く通り抜けられるのだ。

 

「私の道を遮るのなら――例え世界だろうと切り裂くッ!」

 

モモンガはその場に残像だけを残し、風となった。

壮絶な衝撃波が周辺を襲う。人間は近くの物にしがみつき、知性の無いアンデッドは力のままに吹き飛ばされた。

 

「この数なら俺たちでも抑えられる! あの人が首謀者を捕えるまで、ここを守り抜くんだ!!」

「おうよ!」

 

墓石すら綺麗に無くなったその通り道に目もくれず、的確な指示を出したのは4人組のリーダーだった。

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

(あー、緊張したなぁ。でも大成功だったね。これはミスリルもあり得そうだ。)

「最後の何なんですか!? いくら何でもあれはダメですよっ!」

 

モモンガが満足気に頷くが、エンリは顔を真っ赤にしていた。

確かに演技をしようという話にはなっていたが、あれは大言壮語どころか妄言の域だ。

ランクが上がっても恥ずかしさでもう街を歩けない。

 

(あれも作戦の内だよ、エンリ。人間っていうのは他人の成果を語るとき、内容を3割減らしているんだ。あれくらい言わないと「ちょっと強い人」止まりになっちゃうよ。)

「だから何度も言ってますけど限度っていうものが――」

(ここは一応敵地だよ。声を出すとまずい。あ、ほら気付かれた。)

(うぅ・・・ごめんなさい。)

 

釈然としない物を抱えながらも、大きすぎる失態に何も言えなくなる。

モモンガの余裕な態度を見ると問題は無いのだろうが、今後どんな敵が現れるか知れない以上、同じことを繰り返す訳にはいかない。ここはしっかりと反省しておくべきだろう。

 

「こんばんは、良い夜だね。」

「冒険者か。どうやってここまできた。」

「走って来たんだよ。」

 

禿頭の男は表情を歪めると、不快感を隠さずに舌打ちした。

代表して声を上げたことと尊大な態度から、あの男がリーダーだろうと当たりを付ける。

 

「カジっちゃーん、どしたの~? んー?お客さんじゃーん。私も混ぜてよ。」

 

男の舌打ちを聞いてか、奥の霊廟から1人の女が現れる。女はモモンガを見るなり、邪悪な笑みを浮かべる。

しかしモモンガの視線はそれを捉えていなかった。女が横に連れている薄絹を着た少年。その長い前髪には見覚えがあった。

 

(ん? エンリ、あれは――)

「ンフィーレア!?」

 

その少年は日暮れ前に訪れた薬品店で出会った、ンフィーレア・バレアレだった。両の目からは血を流し、それを痛がる素振りも無くただ立ち尽くしている。

エンリの声を聞いて何も反応を返さないところを見ると、精神支配を受けているのだろう。不快感に顔を歪めるが、すぐにエンリの表情に上書きされる。

 

「ど、どうしてここに・・・それにその怪我・・・」

 

エンリの様子を見た女は、その口を耳まで裂いて嗤う。

 

「アハハハハ!! これは傑作だわ~、もしかして恋人奪っちゃった? アッハハごめんねー。でもお姉さん何もしてないから安心してー、ちょぉっと目を潰しただけだよん。」

 

その衝撃に耐え切れず、膝を突く。見開かれた瞳からはとめどない涙が溢れ出た。

 

「そんな、そんなこと・・・うっ、うぅ・・・」

「え? ちょ、ちょっと待ってアハハ! ここまで来て、そんな鎧まで着といて、それはないでしょ!! 少しはやるかと思ってたのに、ヒ、ヒィ、アッハハハハハ!」

 

エンリの嗚咽を聞いた女は更に甲高く笑う。今にも転げだしそうな勢いに、禿頭の男も呆れ果てた様子だ。だがこの場において1人だけ、場違いな存在がいた。

 

「はぁ・・・」

 

 

その“男”は、深呼吸のように深いため息をついて立ち上がる。

涙に濡れた顔に、烈火の如き怒りを湛えて。

 

「覚悟は、出来ているか?」

 

少女が、脅すような低い声を上げる。みっともなく流した涙を拭うこともせず、怒りだけが込められた声だった。

豹変した態度に苛立ち、スティレットを引き抜く。

 

「あ? ンだその顔。まさかこのクレマンティーヌ様に勝てるとでも思ってんのか?」

 

クレマンティーヌは、元とはいえ彼の漆黒聖典所属、第9席次であった。その法国最強の部隊を欺いて至宝を持ち出し、秘密結社ズーラーノーンに鞍替えしたのだ。

新参者でありながら既に十二高弟の座に上り詰めた彼女は、自他共に認める”英雄級の力を持つ性格破綻者”だ。

銅級(カッパー)の冒険者ごときに負けるなど、彼女でなくとも考えないだろう。

 

「勝つ、だと? 何か勘違いをしているようだな。俺はこれからお前を――嬲るんだよ。」

「は? アッハハハハハハハ! カジっちゃん、こいつ狂いやがったよ!! 仲間殺られて相討ち覚悟で突っ込んでくる馬鹿は大量に見てきたけど、こんなの初めて! ヤバい、こいつ最高だわ!!」

 

クレマンティーヌは心の底から笑った。ここまで面白いオモチャはいつぶりだろうか? これまでの人生でこれ程までに愉快な気持ちになったことはあるだろうか?

いや、無い。今この瞬間こそ、自分の生涯における絶頂の瞬間だと、確信した。

そんな幸福を齎してくれた相手に最大限の敬意を籠めて、全力で、長く遊んでやろうと決めた。

 

ケタケタと笑うクレマンティーヌに構わず、開戦を促す。

 

「いいからかかってこい。多少腕に自信があるようだが、その矜持を綺麗に圧し折ってやろう。

 お前など所詮井の中の蛙に過ぎないと知れ。」

「あら~ん? いいのかなーそんなこと言っちゃって。今度は泣くくらいじゃ済まさねぇぞ。」

 

右手にスティレットを構えると深く屈み、地を掴む。

一度も避けられたことのない、必勝の構えだ。

 

「そんじゃーまず右腕から行きますよーっと!」

 

言うが早いか、矢のように駆け出した。

速度に体重を乗せた彼女の突きは、どんな堅牢な鎧であろうと突き破る。例え狙いを伝えたところでそれを見切ることなど不可能だ。

残像を追うことができたとしても、グレートソードの遅い一撃など容易く避けられる。武技を使うまでもない簡単な作業だった。

 

しかし次の瞬間、クレマンティーヌが見たものは噴き出す血潮ではなく―――迫りくる土だった。

 

「え?」

 

初めての異常事態に理解が追い付かず、受け身も取れずに頬を強かに打ち付ける。

 

「なんだ? それがお前の全力か?」

「な゛にふぉ・・・」

 

鈍い痛みに歪んだ顔を上げ、つい先ほどまで泣き崩れていた少女を見上げた。

彼女の手にはグレートソードなど握られていない。あるのはただ、血の滴るガントレットだった。その表情に、背筋が凍る。

 

「愚かなお前に教えてやろう。お前は今の俺にとって”最も大切な物(宿主)”を、酷く傷つけてしまったんだよ。」

 

未だ少女の怒りは留まることを知らず、顔は歪み続けている。クレマンティーヌにとってそれは、悪魔にしか見えなかった。ここまで来て漸く自らの浅慮を嘆く。

 

相手の力量に気付かずその逆鱗に触れるなど、自分だけは決してないと思っていた。

実際にこいつからは何も感じないのだから。だが今は、それが逆に奇妙であることに気付く。これだけの力を持ちながらそれを悟らせないのは、彼女が知る限り2人しかいない。

まさか、こいつは・・・

 

――神人?

 

慌てて背後を振り返る。そこにあったのは、首から血を流すただの死体だった。

クレマンティーヌは決して油断などしていなかった。戦闘中に標的から目を離すなど油断していたとしても絶対にあり得ない。こんな芸当ができるという時点で、自らの推測が正しかったことを裏付けている。

 

「ああ、そうだ。ちょっと実験したいことがあるんだけど、いいかな?」

 

正真正銘の人外を相手取ってしまったクレマンティーヌは、恐怖に言葉を返すこともできない。

 

「大昔の文献に、傷口を焼くと止血できると書いてあったんだ。それってどの程度の傷まで対処できるんだろうね?」

「ひっ・・・」

 

悪魔(少女)が空間からひとつの巻物(スクロール)を取り出すと、グレートソードを振り上げる。

 

「や、やめて・・・あ゛あ゛あああ!!」

 

2人きりの共同墓地に、甲高い声が響き渡る。

木霊のように、何度も、何度も。

 




Q.木霊でしょうか?
A.クレマン「いいえ。」

アインズ様が完全戦士化状態で木の棒を使っていたので、スクロールも使えるかもしれないと思いました。違ったら捏造設定ということでよろしくお願いします。

さーくるぷりんと様、kuzuchi様
誤字報告ありがとうございます。


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覇王の噂

王都リ・エスティーゼ。

カルネ村やエ・ランテルを含めた、アゼルリシア山脈の西側を主な領土とするリ・エスティーゼ王国の首都である。

聳え立つ王城から続く大通りは石畳によって舗装され、馬車や人が行き交い活気に満ちている。立ち並ぶ家屋も立派な物ばかりだ。

しかし新鮮さや華やかさは無く、歴史を感じさせる、悪く言えば時に取り残された都市でもあった。

 

そんな王国を裏から蝕むのは巨大犯罪組織、八本指。

8つの様々な部門からなる集合体のような組織のため協調性は皆無と言っていいが、貴族との癒着は非常に強い。私腹を肥やすことしか頭にない愚かな貴族を騙し、日々暗躍を続けていた。

彼らによって破滅へと追い込まれた人間は数知れない。例え貴族だろうと、反抗的な態度をとればすぐに潰されてしまうのだ。権力を得た悪とはそれ程に厄介だった。

 

その強大な組織に、5人で挑む者達がいた。

王国に2チームしか存在しないアダマンタイト級冒険者、青い方こと“蒼の薔薇”である。

リーダーが貴族だったり、素顔を一切晒さないメンバーがいたりとかなり異色なチームだが、その実力と圧倒的華やかさにより歩くだけで噂になる有名人達だ。

 

彼女らは今、王都に於ける最高級宿の酒場で八本指打倒の計画についての話し合いを終えたところだった。

 

「ところで、みんなも噂くらいは聞いてるわよね? あのエ・ランテルの――」

「“返り血”のエンリか? 単身大森林に潜りオーガを焼いた炎でマツィタケを炙るという。」

 

漆黒のローブで全身を覆い、仮面で顔を隠した人物、イビルアイが答える。

 

「“死者狩り”と聞いてる。」

「違う。“剛脚”のエンリ。」

「俺は“世界殺し”って聞いたぜ?」

 

姉妹であるティアとティナ、男と見紛うほどの偉丈夫ガガーランがそれに続く。

しかしひとつとして発言が一致することはなかった。

リーダーのラキュースは視線を上げて息をつく。

 

「これだけの異名を欲しいままにするなんて・・・一体どんな人物なのかしら。」

「案外“亜人”ってのが正解だったりしてな。」

 

冗談めかしたガガーランのセリフにも、ラキュースの憂い顔は晴れない。

冒険者にとって強者の情報を集めるのは常識だ。協力し合う関係になれれば良し、最悪でも敵対することは避けなければならない。

その強さを知ることはもちろんだが、信仰している宗教や、特殊な主義主張などは重要な情報だ。冒険者同士が不幸な行き違いによって衝突し、殺し合うというのは然程珍しい話ではない。

特に正義感の強いラキュースはその傾向が強かった。

彼女は例え対象が亜人であろうと、殺戮の現場を見過ごすことができない。人間も亜人も同じ命だと考えているのだ。

その強い意思が災いし、嘗ては法国の特殊部隊とまで戦うことになってしまった。

 

仲間を危険に巻き込んだ経験があるラキュースは、霧のようにその正体を掴ませないエンリ・エモットに言い知れぬ不安を感じていた。

彼女の姿は、語る人間によって二転三転するのだ。

畏敬の念を籠めて語る者がいれば、恐怖の対象として語る者もいる。あるときは明るい村娘、あるときは礼儀正しい商人然とした少女。落ち着いた女性であったり、田舎から出てきた子供のようであったり。

情報が錯綜しすぎて頭がどうにかなりそうだった。

 

「2人は他になんか知らねぇのか?」

「もち、調査済み。」

「隙は無い。」

 

姉妹が得意げにピースサインを作る。

元は暗殺組織に所属していたティアとティナにとって、情報収集はお手の物だった。とはいえエ・ランテルまでは結構な距離があるために直接赴く訳には行かず、噂話をかき集める程度のことしかできなかったが。

 

「筋力が尋常じゃない。見た目は村娘。」

「だがそれがいい。」

 

短く、端的に話す2人だが、だからこそ信用できる。

ティアとティナの出自はチームの皆が知るところである。情報が生命線となる世界で生き抜いてきた彼女たちは、信憑性が高いと判断した物しか伝えない。また、言葉に深い意味を持たせるようなことも無い。

数ある噂話の中から外見と、その強さの一端だけでも実質的な確定情報として得ることができたのは大きかった。

 

「ほう? 人は見かけによらんな。ただの村娘がアンデッドの群れを突っ切って、ズーラーノーンの幹部とその取り巻きを屠ったのか。その功績で一足飛びに白金(プラチナ)、と。」

 

自分の見かけを棚に上げるイビルアイに突っ込みを入れようとしたラキュースだが、それは姉妹によって遮られた。

 

「イビルアイ、その情報は古い。」

「あの騒ぎの後、またやらかしてる。」

 

正体を隠しているイビルアイは基本的にチーム以外の人間と交流することがない。

自分が世情に疎いことを自覚している彼女は、素直に質問した。

 

「今度は一体何をやったんだ?」

「ああ、それなら俺も聞いたぜ。なんでも墓地の一件の数日後に―――」

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

失敗した。

 

モモンガは内心でため息をつく。

クレマンティーヌの痕跡を完全に消した後、ンフィーレアの自我を奪っていたレアアイテムを躊躇なく破壊した。コレクションとして欲しい気持ちはあったのだが、エンリのことを思うとそんなことはできなかった。

意識を失ったままのンフィーレアを担いで墓地を出たモモンガを迎えたのは、割れんばかりの大歓声だった。

モモンガはそれに対し軽く手を振るだけで応えると、首謀者が奥で転がっていることを伝えてそそくさとその場を後にしたのだ。

英雄のように称えられるのは決して悪い気分じゃなかった。しかしそれ以上に胸中を渦巻く感情が、歓声を浴び続けることを拒否させた。

彼が感じているのは、強い後悔。

 

エンリがンフィーレアの惨状を見て傷つき、絶望に打ちひしがれた時。モモンガにもまた荒れ狂う波のような感情が生まれた。

友を失う恐怖と、その後の悲しみ。それは幾度となく経験してきたことだ。

しかしそれらは全て、やむを得ない事情があってのことだった。断じて他人によって強引に奪われた物ではなかった。

これまでに彼が経験してきた苦痛に倍する程の悲しみが押し寄せてくる。その感情は、モモンガが最も嫌悪するものだった。

そして怒りに身を委ねたモモンガは、エンリに大変ショッキングなシーンを見せてしまったのだ。

 

あの日以来エンリの様子がおかしい。どこか上の空なときがあるというか、以前よりも2人の間に距離が開いたような気がする。流れ込んでくるのは、気まずそうなごちゃごちゃとした感情ばかりだ。

だがそれはどうしようも無いことだった。

普段から「悪い人みたい」と言われることはあったが、あのときのモモンガは丸っきり悪人だった。あの姿こそが彼の本質だと思われても反論できる自信がなかった。

どうにかして誤解を解かなければならない。

 

 

――まずいわ。

エンリは黙考する。モモンガがンフィーレアと会ったのは、バレアレ薬品店に訪れたときが初めてのはずだ。それより以前には会いようが無いのだから。

店内で話したときもほとんどエンリが対応していたし、個人的な話をする時間も無かった。モモンガがンフィーレアに対して抱く感情など“友人の友人”でしかないはずだ。

だが彼は何と言った? 「今の俺にとって最も大切な物」。確かにそう言い放った。

つまりモモンガは男色家・・・いや、エンリの体にドキドキしていたのだから両刀なのだろう。そしてンフィーレアに一目惚れしてしまった、と。

余りに予想外な展開に、モモンガとどう接したらいいか分からない。とりあえず彼が暴走しないように、あまりンフィーレアには近寄らないほうがいいかもしれない・・・。

 

実のところ、エンリは共同墓地での一件をそこまで気にしてはいなかった。

あそこまで徹底的にやるとは思っていなかったが、決して無意味に残虐なことをしたのではないということくらい分かっている。自分のために怒ってくれたのは伝わって来たし、ンフィーレアへの暴行は許し難いことだ。

それに、時折あの女の鎧から弾け飛んでいたのは冒険者のプレート。これまで数多の罪無き人間を殺してきたのだろうから、あんな末路を辿っても仕方ないと思う。

心にはトラウマを植え付けられたが。

 

 

このようにして互いに見当違いなことを考えながら歩いているのは、エ・ランテル近郊にある森。墓地での騒ぎがあってから塞ぎ込んでいる(ように見えた)エンリを見兼ねて、付近を探索してみようとモモンガが提案したのだ。

しかし未知を求めるモモンガも、冒険の良さが分かってきたエンリも、ここまで通して無言だった。理由は違えど気まずいという思いは共通だったのである。

 

(ん?)

 

ここに来て、漸くモモンガが沈黙を破る。

 

(ど、どうしたんですか? モモンガさん。)

(あ・・・いや、あれなんだけどね。)

 

ぎこちなく会話しながらモモンガが指をさした先に見えるのは、岩肌にぽっかりと空いた穴だった。その両端には見張りらしき男が立っている。

見るからに不法者たちの塒と言った具合だ。

 

(野盗か何かの隠れ家、ですかね? すごい怪しいんですけど。)

(うーん、確かにあれはどう見ても・・・んっ、これだッ!!)

(え?)

 

モモンガに天啓がひらめいた。

至って単純な話だ。自分が悪人だと誤解されているのなら、善を為せばいい。ちょうど目の前に手頃な相手がいるじゃないか。

エンリを驚かせてしまったようだが、今は誤魔化している時間も惜しい。早く彼らに仲直りのきっかけになって貰わなければならない。

 

(えっと・・・そう、俺はあいつらが許せない。残らず捕えて衛兵に突き出そう!)

(そんなに悪いことをした人たちなんですか?)

(ああ、それはもう凄いぞ。何か伝説の暗殺集団みたいな感じだな。)

 

悪人を捕まえるにもまずは塒へ突入しなければならない。ならばエンリを乗り気にさせないことには何も始まらないのだ。口から出任せで言い募る。

 

(凄い強そうな響きですけど・・・)

(うーん、アンデッドよりは強いんじゃないかな?)

(あ、そうなんですか。)

 

アンデッドより強いという程度ならモモンガの敵ではないだろうと安堵するエンリ。ここが攻め時だと更に言葉を重ねようとするが、見張りに気付かれるのが先だった。

 

「おいお前! 隠れて何をしている!」

(あー、ばれちゃったか。)

 

言葉こそ残念がっている者のそれだが、説得の手間を省くことができたモモンガは心の中でガッツポーズを決めていた。観念したような素振りで見張りの男に姿を晒す。

2人の男は息を呑む。

まるでドレスのような赤い鎧に、整ってはいるがまだ垢抜けない村娘といった容貌。極めつけにまるで重量を感じさせない両手のグレートソードは――

 

「なっ! ――“人間投石機”!?」

「いや、あの姿は間違いねぇ! ザックの言ってた“世界殺し”のエンリだ!!」

 

同一人物である。エンリの雄姿を目にした冒険者たちがこぞって異名を考えるものだから、敵前で情報を擦り合わせる羽目になるという副次効果を生み出していた。

だが相手が納得するのを悠長に待つモモンガではない。さっさと鳩尾に一撃を入れて気絶させると、男が持っていた道具の中から縄状の物を取り出して大岩に縛り付けた。

エンリの顔は隅々まで赤く染まっていた。

 

(モモンガさん、大変なことになっちゃってるんですけど・・・。)

(・・・ごめん。)

 

仰々しすぎる二つ名が飛び出して来て、さしものモモンガもただ謝ることしかできなかった。

 

 

 

エンリに自らの善人っぷりを見せつけようと意気込んでいたモモンガだが、その思惑は外れた。

正義のヒーローよろしく敵をなぎ倒して行く予定だったのだが、モモンガの力を垣間見たならず者達は一目散に遁走を始めたのだ。無論逃がす訳には行かない。塒への殴り込みは、追い込み漁のように奥へ奥へと誘導する作業の様相を呈していた。

念のため入口には《転移門(ゲート)》で呼び出したハムスケを待機させているのだが、逃げ出してきた者は容赦なく斬り捨てるように言い含めてある。

今回は犠牲者を出したくないので、誘導作業は慎重に行っていた。

 

「お前が侵入者か? ・・・ほう、まさかこんな大物が来るとは。」

 

しかしあろうことか、逃げ出す仲間に目もくれず立ち向かってくる者がいた。

全く整えられていない紺色の髪と無精ひげは、自らの外見に頓着していないことを容易に理解させる。全身の引き締まった筋肉は無駄がなく、敏捷性を損なわないギリギリのラインを維持しているようだ。

これまでの雑兵とは明らかに違う風格を感じさせる男だった。

 

「お前がこの集団のリーダーなのか?」

「いや、違う。俺は雇われているだけの傭兵だ。」

 

指揮官を潰せば後の作業はスムーズに行えるだろうと思ったのだが、違うのなら用はない。これまでと同じように軽く力を見せつけようとするが、その男は剣の柄に手を掛けた。

 

「ん? 私と戦うつもりか?」

「当然。ただの女を虐める趣味はねえが、お前は別だ。俺は強いヤツと戦うために野盗なんぞに雇われたんだからな。」

 

どうやらこの塒の主は野盗のようだ。最初のエンリの予想が的中していた。

男の言を信じるのなら、彼はただ力だけを追い求めてここに来たのだろう。何が彼をそこまで掻き立てるのかは知らないが、中ボス戦のような展開にモモンガの心は高鳴る。

だがこの男は野盗に与していたとはいえ、悪事を働くために雇われたのではない。護衛等で間接的に悪事を働くことはあったのだろうが、これまでの相手以上に慎重に扱わなければならないようだ。

 

一方エンリは、一人称を「私」に変えただけで口調の違和感が消えると思っているらしいモモンガに頭を抱えていた。敵地だから傲慢な態度をとろうと意識しているのは分かるが、知り合いと話すときは絶対に自分が担当しようと決めた。

 

「そうか、ならば相手をしてやろう。多くの強者と戦ってきたのだろうが、一応忠告だ。私はこれまでの相手より格段に強いぞ。」

「そいつは楽しみで仕方ねえな。――ブレイン・アングラウスだ。」

 

ブレインは獰猛な笑みを浮かべて腰を落とすと、堂々たる名乗りを上げる。

その憧れのやり取りにモモンガの鼓動は更に早まった。

 

「――エンリ・エモット。」

 

感動に声が震えてしまわないように、力強く名乗り返す。

ブレインの目を気にすることなくグレートソードを創造し、両手に構えた。彼もそれに驚くことはない。このグレートソードには特殊な魔法が込められており、大きさを自在に変えることができる便利な武器だと認知されているのだ。

誰かが勝手に流した噂をそのまま利用したのである。

 

互いに油断無く見つめ合うが、動き出すことは無い。モモンガがブレインの構えを見て、その戦い方を理解したからだ。

 

(刀使いと戦った経験があるようだな。厄介だ。)

 

ブレインが得意とするのは居合。抜刀と斬撃をひとつの動作に収めることで素早い攻撃を可能にし、敵の隙を突くことができる攻撃だ。

これは初見殺しのような面があり、受けた経験がある相手は考え無しに距離を詰めてくることはしない。必殺技を封じられる形となったブレインはその戦い辛さに歯噛みした。

 

永遠に続くかのように思えた睨み合いだが、先に動いたのはモモンガだった。

素早く後方へ跳躍し距離を取ろうとする。グレートソードはブレインが装備している刀よりも攻撃範囲が広い。そうはさせまいと間合いを維持しようとする。

 

「ちっ!!」

 

しかし飛来したグレートソードがそれを許さなかった。

片手で軽々と振り回されるだけでも脅威となる武器を、まるで飛び道具のように扱うなど一体どれだけの筋肉があれば可能となるのか。

そのほっそりとした体躯に似合わぬ膂力に舌打ちする。

 

「汚いとか言わないでくれよ?」

「言わないさ、殺し合いなんだからな。だがその数は反則じゃないか?」

 

軽口を叩き合う間にも、次々と凶器が投げ込まれる。

最初は無造作に投げ込まれていたが、段々と狙いは正確になり、意地の悪い攻撃に変わっていった。避けたくなるようなスレスレの位置にグレートソードが接近するが、それを避けずに見送る。常人なら反射的に身を反らしてしまっただろう。そしてタイミングをずらして飛来したグレートソードに貫かれるのだ。

地や壁に突き刺さった凶器は障害物となり、徐々に回避する場が無くなっていく。

だがそれすらも利用する。柄を掴むと力任せに角度を変えて盾とし、グレートソードの軌道を変える。

ブレインは全てを避けきっていた。傷ひとつどころか髪1本落とさせない見事な回避である。

 

「こりゃ、分が悪いなッ!!」

 

間隙を縫って腰に下げていた物を自らの足元へ投げつける。

着弾点からは大量の煙が噴き出した。

 

「逃がさんぞ!」

 

モモンガは焦る。ここで逃げられればハムスケの餌食になってしまう。意地でも確保しなければならなかった。

これまで保っていた距離を捨て、先ほどまでブレインが立っていた場所へと駆けだす。

 

「はっ、誰が逃げるって?」

 

しかしブレインは、その場を動くことなく待ち構えていた。

小馬鹿にしたように笑い、勝ちを確信した笑みを浮かべる。

 

「汚いとか――言うなよな!!」

 

目に追えぬほどの早業がモモンガを襲う。ブレインへ投擲していたグレートソードの数倍はあろうかという剣速だった。

 

ブレインがモモンガの突進に正確に合わせることができたのは、武技<領域>を使用していた為だ。

この武技は使用者の周囲の空間を完全に知覚することができる。

そこへ<瞬閃>の上位技である<神閃>を併用することによって、濃い煙で視界が塞がれている中でも精密に、神速の一撃を繰り出すことができたのだ。

彼の奥義とでも呼ぶべき秘剣「虎落笛(モガリブエ)」である。

 

「む!」

 

モモンガは予想外の反撃に驚くも、その反射神経は人間を超越している。

咄嗟に右手を上げて迫りくる刃の軌道を塞いだ。

だがブレインは、まるでそれを予見していたかのように刀の柄を引き寄せる。領域によって相手の動きは完全に把握しているのだ。

そのまま流れるような動きで、その剥き出しの顔へと突きを放った。

 

()った!)

 

避けようの無い一撃がモモンガを襲う。右手が刀を鷲掴みにしようと動いているが、その化け物のような身体能力を以てしても間に合うことは無いと()()していた。

大きめの瞳へと吸い込まれるようにして刃が進む。ブレインがその光景に安堵し、舞い上がる血潮を幻視し始めた頃―――

 

「なにっ!!?」

 

刃が、止まった。

ブレインは周囲の全てを認識していた。武技によって鋭敏化されたその知覚力でグレートソードを避け続け、気を見て自らの奥義を発動したのだ。

そして彼は、この異常事態も正しく知覚した。

少女が刃を掴む前、切っ先がその瞳を貫く一瞬前に、壁にでもぶつかったかのように急停止したことを。

 

「すごいな、本当にすごい。私に攻撃を当てるなんて大したものだよ。意図して当たりに行ったことはあるけど、今のは完全にやられたね。」

「当てた、だと? ・・・何を言ってやがる。」

「確かに当たったさ。効かなかったがね。」

 

ブレインは眩暈を覚えた。

あの攻撃が効かないはずがない。人体にはどうやっても鍛えられない箇所が存在するのだ。眼球を鉄のように硬くするなどどうやっても不可能だ。

 

「は、離せ! 化け物っ!」

「酷いじゃないか。私は人間だよ。“亜人”なんて呼ぶ失礼な連中もいるがね。」

 

ブレインは蹴りを入れて刀を奪い返すと、全力で後方へ飛んだ。

最初の攻撃を思い返すと最も愚劣な行動に見えるが、ブレインを苛む恐怖心が頭の回転を鈍くした。

それに気付いていないかのように少女は両手を広げる。

 

「続きをしようか。全力で向かってこい、天才剣士よ!」

「っ・・・う、うああああああああああ!!!」

「えっ」

 

ブレインは背を向け、一目散に逃げ出した。石に躓き、壁にぶつかりながらの無様な逃走である。

これから繰り広げられるであろう更に熱い闘いに燃えていたモモンガは、豹変したブレインのあまりな姿に追うことも忘れて立ち尽くしていた。

 

(行っちゃいましたけど・・・。)

(ああ、行っちゃったね・・・。)

 

一応、奥へ追い込むという当初の目的は達成したことになる。冷静に考えれば、逃げて貰ったほうが殺さずに済むので良かったとも言える。

だが、ぶつける先を失った闘争心を抱えたままのモモンガは釈然としない。

全てのグレートソードを消してからトボトボと歩を進めた。

 

 

 

「これは・・・。」

 

それは歩き出してすぐに見つけた。

土や岩しかない洞窟の中に鉄格子が見えたのだ。不自然に思ったモモンガがそこへ近づくと、予想した通りの光景があった。

閉じ込められていたのは4人の女性。身綺麗にしてはいるが手足に枷を付けられ、身に着けているのは下着だけだった。

彼女達がどのように扱われていたかなど火を見るよりも明らかだろう。

 

「こんなの、許せない・・・!」

 

モモンガも拉致・監禁を許せるような悪人ではない。だがエンリの怒りはその比では無かった。4人の女性もエンリを見て怯えている程だ。

同じ女性として何か感じる物があるのだろうと、モモンガは口を挟まなかった。

 

「急ぎましょう。」

(そうだね。)

 

4人の目があるため、モモンガは声に出さない。

初めより随分早く歩き、すぐに最奥の部屋へ到着した。

 

「放て!!」

 

2人を出迎えたのは真っ直ぐに飛んでくる無数の矢。その軌道と速度から、クロスボウから発射された物だろう。

モモンガはグレートソードを振り払い、その全てを明後日の方向へ吹き飛ばす。

威力の乗った矢を剣の一薙ぎで対処した圧倒的存在に、誰もが硬直する。

 

(モモンガさん。全員の動きを止められますか?)

(ああ、適当に力を見せれば従うと思うよ。)

 

ブレインにやったように、数多のグレートソードを投げつけた。敵は既に驚きで固まっているため、その足元や後方の物置らしき建物に次々と剣を突き立てる。

轟音と悲鳴だけが響き続けた。だがそれはすぐに止み、静まり返る。

 

「全員、そこに並びなさいっ!!」

 

野盗達は逆らうことなくバリケードをずらし、我先にと整列し始める。少女の前に総勢15人の男が一列に並んだ。

エンリはゆっくりとその右端へと近付く。

 

薄暗い洞窟に、男の呻き声が15回上がった。

 

 

 

「姫! 無事だったでござるか!」

「うん、ハムスケ。ご苦労様。」

 

洞窟から出たエンリ達を出迎えたのは、ハムスケと――4人の冒険者だった。

3人は気絶し、残る1人もハムスケに怯えて震えている。しかし勇敢にも意識を保っていた彼女も、エンリの姿を見て遂に気を失った。

 

今、エンリの鎧は返り血に塗れている。洞窟の最奥で1列に並んだ男たちを、1回ずつ殴りつけたのだ。

だが不思議なことに死者はでなかった。拳が当たるすんでのところで、モモンガが逆方向に力を加えていたからだ。

エンリの意思でとった行動とはいえ、「あんなに力が出るなんて思わなかった」と言われてはまたしても関係性に溝が出来てしまう。モモンガは内心で冷たい汗を大量に流していた。

 

そんな訳で今、エンリの後ろには21人の男女がいる。ブレインを除いた野盗の面々と囚われていた女達だ。団長にブレインの行方を尋ねたところ、どうやら抜け穴から脱出したらしかった。失態だと思わなくもないが、彼は根っからの悪人では無かったので放っておくことにした。

他にも結構な数の団員が所属しているらしいが、洞窟内の金品を全て運び出し、入口を大岩で塞いだので自然消滅するだろう。これで全て一件落着だ。

 

こうして22人と1匹は、エ・ランテルへの帰途に就いたのだった。

 

エンリから酷い誤解を受けていたことを知ったモモンガが飛び上がり、あの言葉の真意を聞いたエンリが顔を真っ赤に染めたこと以外は大したハプニングも無く無事に帰還した。

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

「―――ということらしいぜ。その野盗ってのが付近を騒がせてる“死を撒く剣団”らしいってんで、その功を称えてミスリルになったんだと。」

 

ガガーランの長話がようやく終息したのだが、姉妹がそれに補足する。

 

「それで終わりじゃない。」

「野盗の17人、冒険者になった。」

「はあ!?」

 

常に冷静に物事を見るイビルアイが間抜けな声を上げた。

 

2人の話では、野盗達は普通に衛兵詰め所へと連行されたらしい。

しかし何故かエンリ・エモットが冒険者組合長との面会を求め、彼らの更生のために冒険者の地位を与えてやってくれと申し出たのだ。

普通なら捕えられた野盗の末路などひとつしか無い。しかし洞窟での戦利品を全て差し出すと言って懇願するエンリ・エモットの熱意と心意気を買い、組合長はそれを許可した。

 

話を聞いた野盗達はあまりに慈悲深い処置に感動し、“近衛兵団”の名で17人のチームを発足。「俺たち程度では彼女に釣り合わない」と言い残し、依頼を受けること無く武者修行に出たという。

 

「なんて優しい人なの・・・心配してたのが馬鹿みたいだわ。」

 

ラキュースは涙ぐむ。正義感の強い彼女は、エンリといい友達になれると確信した。

 

「でもよ、少し甘すぎじゃねえのか?」

「うむ、裏がありそうだな。」

「きっとそんなことないわ。考えすぎよ。」

 

――ラキュースは信じ切っているが、事実これには裏がある。悪人でさえも救い上げるところをエンリに見せたいという打算塗れの行為だった。

エンリの様子がおかしかったのはとんでもない勘違いが原因だったことが発覚したが、せっかく頑張ったんだからと策を続行したのだ。

 

「ついでに、新しい異名も得てる。」

「“幾億の刃”と、“血塗れ”のエンリ。」

「「「あぁ・・・」」」

 

漏れた声は尊敬か、感嘆か、はたまた呆れか。

それぞれが、それぞれの想いを彼女(エンリ)に馳せた。

 




覇王の軍勢、爆誕

グレートソードの創造数に上限が無いことと、ブレインの煙玉は捏造です。

さーくるぷりんと様
誤字報告ありがとうございます。とても助かります。


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覇王の近衛

※オリモブが出てきます。ていうかオリモブだらけです。あまり本編に関わりの無い話(になる予定)です。


死を撒く剣団。

彼らは今頃、断頭台に立たされているはずだった。

多くの冒険者や貴族、商人の馬車に襲撃をかけ、身ぐるみを剥いできた。

生活に窮した者や貴族への恨みを持つ者など悪事に手を染めた理由は様々だが、許されざる行為を働いてきたのは確かだ。

しかし今冒険者となり生を許されているのは、拠点へ殴り込みをかけてきたエンリ・エモットのおかげである。

彼女は本来冒険者が得るべき戦利品を全て投げ打ち、自らの地位が危ぶまれる可能性を意にも介さず憎むべき野盗の命を繋いでくれた。今後も生きていくための食い扶持まで用意して、だ。

どうしようもないひねくれものだった野盗に、やり直す機会を与えてくれた。

そんな彼女へ少しでも恩を返したいというのが全員の想いだった。

 

 

冒険者組合の一室を借りて行われたチーム名決定会議は荒れに荒れた。

17個もの案が提出され、投票によって数を絞ろうとしたのだが、全ての得票数が横並びになってしまったのだ。あの一瞬だけは皆口を開けて固まり、静かな空間になった。

だが奇声と怒号が飛び交う会議は続けられ、日が暮れる頃になって漸く案が2つに絞られた。

“エンリ親衛隊”と、“近衛兵団”である。

そこでもう1度投票が行われ、司会を務めていた受付嬢の厳格な審査のもとで開票作業が行われた。

結果は1票差で“エンリ親衛隊”に決まり、団長がテーブルに拳を打ち付けた。しかし受付嬢の「他チームの個人名を入れるのはちょっと・・・」という今更な言葉により満面の笑みになる。

“近衛兵団”は団長の発案だったのだ。

 

しかしそんなお祭り気分は1人の男の発言で終わりを迎える。

 

「だが、俺達が姐さんを守ることなどできるのか?」

 

その場の全員が口を噤んだ。

エンリの力の一端を見ている彼らは、自分達など盾にすらなれないだろうと自覚していた。同じ戦場に立っていることすらも邪魔にしかならないと。

 

「じゃあよ、俺達が強くなればいいんじゃねーの?」

 

言葉だけを見れば適当に相槌を打っただけのように聞こえるが、その目は真剣そのものだ。恩人の足を引っ張ることなど死んでもご免だと全員が思っていたのだ。

そこで、恐縮しながらもエンリを招き、武者修行の旅に出ることの許可を願い出た。

普通なら、昨日まで野盗だった者の言葉など信用できない。適当なことを言ってエ・ランテルから逃げ出そうとしていると思われるだろう。

命の恩人からそのように思われるなど心が張り裂けそうだった。だが、その恩人のためにも今はどんな苦痛にも耐えなければならない。

 

「え? いいですよ?」

 

そんな彼らの想いに反して、意外すぎるほどに軽く許可を出された。

その余裕な態度を見て、皆の背に一筋の汗が伝う。「妙な事をすれば例えどこにいようと殺す」。彼女は言外にそう告げているのだ。

そして彼女は付け加えた。

 

「それならカルネ村に向かってはどうですか? あそこは私の出身地なんです。カルネ村を拠点にして、トブの大森林で訓練するといいと思います。村には私から伝えておきますね。」

 

その言葉だけで全員が真意を理解する。

つまり、「村の仕事を手伝いながら特訓しろ。もしも村に被害が出ようものなら地獄を見ることになる」ということだ。

これは恩人から課せられた試験だ。元野盗が一般人との生活に馴染めるのか、信用に値する存在なのか。

絶対に彼女の信頼を勝ち取り、共に戦場へ立つ。団員達はそう心に刻んだ。

 

――元野盗が言葉の裏を血生臭く読むなど、エンリは想像すらしていなかった。

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

「あれがカルネ村かー。」

 

村へ続く街道を17人の男達が歩く。

 

「お前ら、姐さんが育った村だ。くれぐれも問題は起こすなよ。」

「もちろんだ。」

「それ何回目だよ、心配しすぎだぜ団長。」

 

この和やかな雰囲気は一見すると周囲を全く警戒していないように見える。しかしながら、その目は油断なく辺りを見回していた。

元は裏の世界の住人である彼らはゴブリンやオーガなど恐れていない。警戒しているのは“元”同業者の方だった。そこそこ大きな組織だった死を撒く剣団を恨みに思っている者は多く、暗殺者を派遣されることも少なくなかったのだ。

 

「貴殿らが近衛兵団の方々でござるな?」

 

だからこそ声がかけられる前にその存在に気付けたのだが、気付いたところでどうしようもなかった。

その偉容を見て動ける者などそうはいないのだから仕方のないことなのだが。

 

「・・・もしかして違ったでござるか?」

 

この言葉遣いと外見から、エンリの使役している魔獣であることは分かる。カルネ村に向かうなら共に生活することになるだろうと、事前に話を聞いていたのだ。

しかし、話の内容と実際の魔獣とは全く違う物だった。

エンリは「可愛い魔獣」であることを強調していた。そして思いを馳せるように遠い目をして「あの円らな瞳がいいんです」というのだ。

エンリの言葉を鵜呑みにしてしまった愚かな自分に嫌気が差す。彼女の価値観と自分達の価値観が一致しているなどどうして思えるのだろうか。あれほどの強者ならば、人間を優に超越した魔獣でさえ可愛いものだということくらい容易く想像できたはずだ。

 

「うーむ、長旅でお疲れなのでござろうか・・・。」

 

魔獣が叡智に溢れる瞳を向けてくる。

彼らは短くない時間硬直していたことに、漸く気付いた。問いかけを無視するなど相手が魔獣で無くとも失礼な行為だ。慌ててそれに答えた。

 

「い、いや、すまない。我々が近衛兵団で合っている。」

「おお、それは良かったでござるよ!」

 

返答を聞いた魔獣は嬉しそうに頷き、自己紹介をしてきた。団員も1人ずつ名乗っていく。それが済むとハムスケは背を向けた。

 

「ではこれから村長殿のもとへ案内するでござるよ。」

「ああ、よろしく頼む。」

 

こうしてハムスケの後に続き村へと入る。

その間の団員の話題は、もちろんエンリのことだ。洞窟で見せられた強さだけでも酒の肴には十分なことなのに、こんな魔獣まで従えているのだから話すなというほうが無理な話だった。

 

「ここでござる。村長殿は中にいるでござるよ。ではそれがしはこれにて。」

 

そう言ってハムスケは去って行った。

暫くその背を目で追う。すれ違う村人は皆ハムスケと挨拶を交わし、楽しそうに談笑を始める者までいた。流石は彼女の故郷、普通の村人に見えるがかなり肝が据わっていると感心した。

あまり見つめて気付かれると怖いので、観察を中断して村長宅のドアを叩く。

扉はすぐに開かれ、警戒する素振りも無く迎え入れられた。話はしっかりと通っているらしい。しかし全員で押しかけると少々手狭になるので、団長だけが中に入った。

 

「ようこそおいでくださいました。近衛兵団の方ですね、話は伺っております。」

「はい、私は団長のアベックです。これからよろしくお願いします。」

 

アベックは丁寧に挨拶する。

同じ臣下(だと思っている)であるハムスケとは対等な立場として話すが、村人に対しても同じように接する訳にはいかない。

彼らは生まれ変わったのだ。普通の社会に適応できなければエンリに顔向けできない。この村がエンリの故郷であることも彼を慎重にさせた理由のひとつだ。

絶対に迷惑はかけられないし、ましてや不快感を抱かれるなど論外だ。

 

「ではエンリからの伝言も含めてこれからのことをお話ししますので、そこにおかけください。」

「では失礼して。」

 

村長が語った内容は驚くべき物だった。

エンリが彼らの訓練のメニューを用意してくれたというのだ。訓練相手としてハムスケ、リザードマン、そして強力な()()の助っ人が協力してくれるらしい。

チームを3つに分けて、一定のサイクルで相手を変えながら模擬戦闘を繰り返すというのが訓練の内容だった。

 

「どうされたのですか?」

「あぁ、いえ・・・姐さんの優しさに感動してしまって。」

 

何から何まで面倒を見てもらっていることに、恥ずかしさよりも先に嬉しさがこみ上げてきてしまった。

村長は“姐さん”が誰を指しているのか分からずに不思議そうな顔をしていたが、やがて納得したのか満面の笑みを浮かべた。

 

「そうでしょう、そうでしょう。エンリは村の宝ですよ。」

「ええ、全くその通りです。」

 

2人は固い握手を交わす。

――こうして、近衛兵団の地獄の日々が幕を開けた。

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

カルネ村の朝は早い。

空が白み始めた頃には皆起きだし、1日の支度を始める。何から手を付けるのかは人それぞれだが、大抵の村人は水汲みからだ。

顔を洗ったり、寝汗を拭き取ったり、料理に使ったりと、水は朝から人の生活に大きく関わってくる。そのため少し離れた水汲み場まで水瓶を抱えて往復するのだ。

しかし今、それは村人の仕事では無くなっていた。

 

「おはようございます、アベックさん。今日もありがとうございます。毎日やって頂かなくても偶には自分達で行きますよ?」

 

朝の新鮮な空気を吸いながら柔軟体操をしていた村人とすれ違った。

 

「気にしないで下さい。これも私達の鍛錬のためですから。」

 

村人達の日課であった水汲みは、今では近衛兵団の仕事になっている。

彼らは村人達が起きるよりも1時間ほど早く目を覚まし、付近の川まで水瓶を抱えて走るのだ。17人でせっせと往復を繰り返し、全ての村人の家へと使い切れない量の水を運んでいた。何故井戸を使わないのかというと、距離が近すぎるからだ。

ちなみに水質に問題がないことは村長に確認済みである。

 

「いやー、助かりますな。本当にエンリは頼りになる方々を連れて来てくれた。」

「そう言って頂けると我々も鼻が高いです。彼女には返しきれない恩義がありますので。」

 

2人は笑い合った。

 

「そうだ、今晩食事を御馳走しますよ。良ければエンリの話を聞かせてもらえませんか?」

「ええ、喜んで。私も姐さんについて語りたいですしね。では準備があるのでこれで。」

「それは邪魔をしてすみません。」

「いえいえ。」

 

アベックの往復はエモット家の分で最後だった。

彼は近衛兵団へあてがわれた家へ歩き出す。17人が暮らすというので、他の家々よりも随分大きな物が建てられた。完成するまでは散り散りとなって村人達の家に世話になったのだが、皆とても良くしてくれて恐縮してしまった。

 

アベックの顔はニヤついている。どう見ても悪人のそれだが、長年連れ添ってきた表情は中々抜けてくれない。

エンリの父親に感謝されるなど幸福以外の何物でもないのだ。加えて今夜はエンリについて語らうことができる。それも彼女の家族と。

 

「今日は良い1日になるな。」

 

アベックは笑顔で鎌を手に取った。

 

 

 

「うおおおおおおおおお!!!」

 

アベックは右手の鎌を振り回す。周囲にいる16人の仲間達も同様だ。

彼らは顔に残虐な笑みを浮かべ、左手には刈り取った()()を抱えていた。

 

「ディーフ! ガフ! そっちの具合はどうだ!!」

「最高だぜ!! 久しぶりに心が満たされちまってるよ!」

「ふん。この程度の相手、今更どうということはない。」

 

ぶっきらぼうに答えるガフだが、その表情は隠しきれていない。彼は獰猛な笑みを浮かべて、誰よりも早く仕事をこなしていた。

近衛兵団に属する者は皆、この瞬間に幸せを感じずにはいられなかった。

 

「あ、あの・・・皆さん?」

 

カルネ村は今、収穫期に入っている。本来は人手が足りなくなった畑の世話が兵団の仕事だった。しかし、収穫作業を始めると聞いたアベックが「全て任せてくれ」と願い出たのだ。

きつい訓練で体得したステップと見事な剣(鎌)捌き、隙の無い連携を駆使し、信じられない速度で作業をこなしていった。

何故かテンションが最高潮に達している面々に村人達は困惑気味だ。

彼らにとって何かを成し遂げた達成感、即ち「手塩にかけた作物が実を結ぶ」というのは初めての経験であるため、興奮してしまっても仕方が無いことだろう。

だが口ぶりが全く平和じゃない。

呆気にとられている村人に気付いたディーフは、名残惜しそうにその場を離れて村人達が固まっている場所へ近付いた。

 

「わりぃ、村長。何か収穫してると楽しくなってきちまってよ。怖がらせちまったか?」

「いえいえ。少し驚きましたが、畑仕事の楽しさを分かって貰えると嬉しいものですな。」

 

そういうことかと納得した村人の視線は、子供を見守るような微笑ましい物へと変わっていった。

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

「この村にそんなことがあったのですか・・・。」

「はい。魔法詠唱者(マジック・キャスター)様にはなんとお礼を言っていいのやら・・・お礼どころか姿を見ることも叶いませんでしたが。」

「私も会ってお礼を言いたいですね。この村は私の第二の故郷ですから。」

 

1日で作業を終えてしまった近衛兵団と村人達は、当然手持ち無沙汰になってしまった。

彼らが村を訪れてからというもの、畑仕事にかかる時間がかなり短くなったのだ。暇を持て余した村人は内職を始め、徐々に生活に余裕が出て来ていた。

 

訓練に行くにも微妙な時間だったため、兵団のメンバーは各自自由に過ごしている。アベックはエモット夫妻の誘いもあり、少し早く家を訪れていた。

 

「しかし魔法詠唱者(マジック・キャスター)殿と出会ったのが姐さんで良かった。強大すぎる力は大抵が悪用されますからね、その点姐さんなら心配無い。」

「そのように言って頂けるとは、エンリは良くやっているようですね。」

「ええ、それはもう。街に滞在していた期間は長くありませんが、素晴らしい話ばかりが聞こえてきましたよ。」

 

アベックは視線を上げると、眩しい物を見るように目を細めた。

 

「お姉ちゃんの話聞きたいな!」

「よし、いっぱい聞かせてあげるぞ。」

 

興味津々に此方を見つめる赤毛の少女に、思わず優しい口調になる。

膨大な数のアンデッドや一撃で切り伏せられたであろう敵の首魁の話は、まだ幼いネムには刺激が強い。所々表現に注意しながらエンリの英雄譚を話して聞かせた。

 

「すごいすごい! もうミスリルっていうのになっちゃったんだ!!」

「ああ、そうだ。君のお姉ちゃんはエ・ランテルでたくさんの人たちを助けたんだよ。」

「村にもハムスケ様を残してくれて、本当に優しい娘に育ったな・・・ネムもエンリを見習うんだぞ。」

「はーい!」

 

感慨深げに頷く父親と、無邪気に笑うネム。これまで無縁だった暖かい空気に、アベックの荒んだ心が洗われていく。

 

「私達も姐さん同様ここを拠点にしたいと考えていますので、今度村を襲うような輩がいても全員守り通してみせます。安心してください。」

「ははは、あなた方とハムスケ様がおられるのです。不安を感じている村人などいませんよ。」

 

エモット家の面々を安心させるため、そして改めて胸に決意を刻むために口にした言葉だが、思っていたより陽気に返されて気恥ずかしさを覚えた。

 

「そういえば近衛兵団の方々はどのような訓練をされているのですか?」

 

何の気なしに質問したのだろうが、アベックは返答に困る。

訓練相手である4人の助っ人こと死の騎士(デス・ナイト)の存在は、ハムスケから口止めされている。より正確にはエンリからだ。

それ自体に疑問はない。エンリなら凶悪なアンデッドを使役していても不自然ではないし、その姿を見れば村人が怖がってしまうだろうという配慮があっての処置だと理解できる。どう誤魔化したものか・・・。

頭を悩ませたアベックだったが、4人については適当にぼかしておけば何とかなるだろうと訓練内容を話した。

 

「訓練の内容はほとんど固定されていて、それを5日の周期で繰り返すのですが――」

 

 

近衛兵団はまず、エンリの言いつけ通りに3チームに別れた。

勿論1チームの班長はアベックが担当した。しかし残る2チームの班長は誰が受け持つかという話になり、実力のあるディーフとガフが任命された。

そしてそれぞれのチームで別々の相手と戦い、1日ごとに相手を交換していくのだ。4日目は全てのチームが合流し、リザードマンと集団戦の訓練を行って連携を深める。最後に休息日だ。

 

アベック班の場合はハムスケ、死の騎士(デス・ナイト)、リザードマン、集団戦、休息といった具合である。

 

 

「ほう、中々きつい鍛錬ですね。そんな中で村の仕事まで手伝って頂けるとは。」

「まだまだですよ、姐さんには遠く及びません。もう少し実力が付いてきたら集団戦の相手にハムスケ殿も加わって貰おうと考えています。」

 

実際非常に苦しい訓練だった。

最初の内はハムスケの尻尾の動きすら見えず、死の騎士(デス・ナイト)には何もできずに弾き飛ばされ、リザードマンにはタコ殴りにされた。

手加減されているため致命傷に至ることは無かったが、自らのあまりの不甲斐なさに枕を濡らさない日は無かった。だが彼らの心が折れることもまた、無かった。

ただエンリに恩返しをしたい一心で強者へと立ち向かい続けたのだ。

今では棍棒を装備した死の騎士(デス・ナイト)1体を1チームで抑えられる程にまで成長していた。

 

「これはエンリもうかうかしていられませんな、すぐに追い抜かれてしまいそうだ。」

 

本当にそう思っていそうな声音に、思わず苦笑が漏れる。

 

「あれほどの高みにいる姐さんを追い抜くなんて、どれだけ時間があっても足りそうにありません。しかし、そうですね・・・いつかは横に並び立ち、共に戦いたいものです。」

 

アベックは晴れやかな笑顔で答えた。

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

エ・ランテル外周部、倉庫内。

本来そこにあるはずの兵糧は消え失せ、代わりに40人余りの男達が集まっていた。皆一様に屈強な体格をしており、顔に傷を持っている者も少なくない。その外見と纏っている雰囲気を見れば、誰もが腰を抜かすだろう。

そして見る者が見ればその正体に気が付く。彼らは塒の襲撃時に外に出ていて難を逃れた、死を撒く剣団の残党だった。

 

暇な時間を雑談で潰していた男達は、倉庫内に響く複数の足音で静まり返る。漸く待ち人が来たのだ。

 

「よお、久しぶりだな。ガフ。」

「やはり事を起こすのはお前だと思っていた、イジカル。」

 

2人は邪悪な笑みを浮かべ合う。

イジカルは、死を撒く剣団の結成当初から所属していた古株である。策を巡らせることを得意としているが、腕前も確かだ。ブレインが雇われるまでは、彼が死を撒く剣団で最強の男だった。

人を人とも思わぬ残虐性で標的を嬲る、正真正銘の悪である。しかし人を束ねるカリスマは持ち合わせておらず、リーダーにはなり得なかった。

イジカルと仲のいい者は、彼がアベックの地位を強引に奪おうとしていたことを知っている。

 

「俺も、お前ならここに来るって思ってたぜ。お前は根っからの悪人だからな。」

「フフ、昔は色々やったもんだ。」

 

その談笑を遮るように1人の男がガフへ近付き、羊皮紙を手渡した。

 

「それが計画内容だ。お前の仕事はカルネ村への侵入を手引きするだけ。簡単だろ?」

「なるほどな・・・。」

 

ガフは羊皮紙を開くが、イジカルの言葉を聞いて顔を上げた。読む必要は無いと判断したのだ。

 

「エンリとかいう平和ボケした小娘に誑かされた間抜け共を粛清するんだよ。見せしめに首を晒して組織内の意識を徹底的に―――」

 

イジカルの言葉は続かなかった。

ガフに羊皮紙を渡した男の首が飛んだのだ。その予想外な光景に何も言えなくなる。

 

2人は共に行動することが多かった。多くの死線を潜り抜け、数多の財宝を掻っ攫って来た。ガフは拷問こそ好まなかったものの、人を騙すことに躊躇することのない悪人。イジカルの野望を聞いた時も「トップなど誰でもいい」と興味なさげに答えたことから、敵に回ることはないだろうと近付いたのだ。

ガフには忠義心など無く、利のある方へ流れる人間だったはずだ。決して40人以上の敵を6人で相手取るような馬鹿では無い。

 

「ちっ、狂ったか? お前が俺に勝てる訳がないだろう。それにこの人数差だぞ、何を考えている?」

 

交渉が決裂したことに不快感を露にする。

一体何が気に食わなかったのかは分からないが、此方の思惑を話してしまった以上は消さなければならない。

 

「俺が勝てない? 一体いつの話だ。」

「なに?」

 

ガフの態度には余裕が見えた。お前らなど敵ではないと、視線が語っていた。

思い返せば、先ほどの斬撃も目で追うことができなかった。鞘から抜くのは見えたが、反応する間もなくそれが振るわれた。

だが、それは突然のことに理解が追い付かなかっただけにすぎない。戦闘となれば誰しもが精神を研ぎ澄ます。イジカルならば受けることはできるだろう。

しかし他の5人がそれを黙って見ているはずがない。負けるとは思えないが、今は1人でも犠牲を出す訳にはいかないのだ。数を減らしすぎると、他の野盗に標的にされてしまう。裏切者を潰すどころの話では無くなるのだ。

彼は渋々決断した。

 

「まあいい。お前ら、撤収だ。」

「うーす、やってる?」

「っ!」

 

返答の代わりに呑気な声が響く。振り返った先には、入口を塞ぐように立つディーフと5人の元団員がいた。既に全員が剣を抜いている。

 

「ディーフ、お前もか!」

「わりぃなー、外の生活も悪くないって思っちまったんだわ。」

 

ガフが入ってきたのは裏口だった。つまり最初から仕組まれていたのだろう、逃げ場など存在しなかった。戦闘を避けることはできない。

先ほどの剣技を全員が習得しているのだとしたら、死を撒く剣団はかなりの被害を受けるだろう。だが、相手は12人。此方の3分の1にも満たない人数だ。

それならば十分に勝機はある。死を撒く剣団の壊滅は最早免れないが、死んでは何にもならないのだ。

動揺している仲間を叱咤するように叫んだ。

 

「クソッ、アベックの野郎! 入口に突撃だ、1人でも多く生き残るぞ!!」

「おお!!」

 

40以上の人間が一斉に動き出す。しかし、ディーフが飄々とした態度を崩すことはなかった。

 

「包囲殲滅戦だ。ちーっと人数が足りねえが、まあこいつらなら余裕だろ。」

「ディーフ、あまり油断するな。訓練通りに行くぞ。」

「あいよー。」

 

静かな夜に、怒号と剣戟の音が響く。

駆け付けた衛兵が見たものは、数多の死体と、生き残りを縛り上げる12人の冒険者だった。

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

「本当に良かったのでござるか? 嘗ての仲間だったのでござろう?」

 

夜明け前のカルネ村。普段なら村人は未だ床に就き、誰もいないはずの広場に5人と1匹が集まっていた。

イジカルが部隊を分ける可能性を考え、村にアベック班が残ったのだ。ガフへの誘いそのものが近衛兵団を村から引き離すための罠だった場合、ここを守ることができるのはハムスケだけになってしまう。それでも蹂躙は容易だろうが、手が足りない。アベックは村人を1人も死なせる気がなかった。

村人に隠している死の騎士(デス・ナイト)はできれば使いたくない。

 

「姐さんの村を襲う計画を立てた奴なんざ敵でしかない。例え相手がハムスケ殿だろうとな。」

「ほー! いい心がけでござるな!! これからも共に姫へと忠義を尽くそうでござる!」

「もちろんだ。その為にもまだまだ強くならなきゃいけないな。」

 

朝日が昇り、決意に満ちたアベックの横顔を照らした。

近衛兵団の新たな1日が始まる。

 




はい、アレを言わせたかっただけです。

命名はABC(アベック)DEF(ディーフ)GH(ガフ)IJKL(イジカル)となっております。


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覇王の動向

「でもね、みんなは色々言ってるけどきっといい人だと思うのよ。私は絶対に友達になれると確信しているわ。」

「うふふ、あなたにそこまで言わせるなんて、私も会ってみたいわ。今度連れて来てはくれませんか?」

 

2人の女性が話しているのはヴァランシア宮殿の一室。

王都リ・エスティーゼ最奥に位置するロ・レンテ城、その敷地内に存在する荘厳な宮殿だ。これは大きく分けて3つの建物から構成されている。その内のひとつ、最も大きな建物が王族の住居として使われており、現在ラナーとラキュースが談笑している場所である。

 

「それは分からないわね。私もまだ友達になれてないし、そもそも貴方は気安く人と会える立場じゃないでしょ?」

「お友達を作ることくらい、許してもらえますよ。」

 

ラナーは太陽のように笑った。

本気でそう思っていそうな友人に、ラキュースは頭を抱える。彼女は非常に能天気なところがあるのだ。放っておけば本気で会いに行き兼ねない。

 

確かにエンリ・エモットをラナーと会わせたいとは思っている。勿論実際に会って人となりを見極めてからになるだろうが、例え合格点に達していたとしても面会は難しい。

ただの冒険者が私的に王族と会うなど本来はあり得ないことなのだ。

ラキュースは貴族の出であり、アダマンタイト級冒険者としてその名を馳せていることから、あらゆる方面からの信頼を獲得している。蒼の薔薇のメンバーがラナーと面会できるのも彼女の信頼あってこそだろう。

 

そして未だ噂話の域を出ないが、エンリ・エモットは平民だ。それも田舎の村娘である。

現在はミスリル級冒険者ではあるが、彼女が王族と面会していたなどと知れれば貴族派閥から攻撃の的にされてしまう。ラキュースはひとつだけ2人を会わせる方法を思いついてはいるのだが、情報が大きく欠如している今、それを話すつもりは無かった。

 

「ダメよ、ラナー。聞くところによると彼女は平民の出。バレたら大変なことになるわ。」

「むぅ・・・お友達に平民も貴族もありません。ラキュースだってそう思ってるでしょ?」

「全く貴方は・・・。」

 

これは駄目だと説得を諦める。

ふと時計を見ると、思っていたより長い間話し込んでいたことに気が付いた。エンリ・エモットのことになるとつい夢中になってしまうのだ。

まだ語り足りないのだが、今日の内に達成しなければならない依頼があるため渋々立ち上がる。

 

「私はもう行かないと。ラナー、変な気は起こさないでね?」

「もう、私は子供じゃありませんよ!」

 

頬を膨らませながら全く怖くない威嚇をしてくるラナーを後目に、部屋を後にした。

 

 

 

 

「そろそろ王都に来る頃だと思ってたけど、遅いわね。それにランクの上がり方も。」

 

離れて行く足音を確認し、無感情な声で呟いた。目まぐるしく変わっていた表情はまるで幻覚だったかのように消え失せている。

この姿こそが、第3王女ラナー・ティエール・シャルドルン・ライル・ヴァイセルフの本質である。

彼女は人並み外れた叡智を持って生まれてしまったために、周囲の人間を愚かな動物としか認識できなかった。そして周囲の大人達はそんな彼女の考えが理解できず、奇妙な物を見る視線を突き付け続けたのだ。

結果として彼女の性格はこれでもかというほどに歪み、悪魔とも化け物とも言えるような存在が生まれてしまった。噂話や小間使いの所作など、ごく小さな情報から正解を導き出すのだからそう形容されても仕方ないだろう。

ラキュースが「蒼の薔薇に加入してもらえればラナーと会わせることができる」と考えているのも見抜いている。他にいくらでもやりようはあるのだが、蒼の薔薇に引き入れることができれば自然な形でエンリ・エモットを新たな駒とすることができる。だからこそ彼女に会いたいと思っていることを強調したのだ。

 

「彼女では無かった? でもそうなると戦士長が生還したことの謎が解けないわ。」

 

ラナーはガゼフ・ストロノーフが絶対に生還できないことを知っていた。

愚かな貴族共が下らない派閥争いを続けて国を腐敗させ続けている現状に、遂に法国が痺れを切らしたのだ。存在しないことになっている特殊部隊が出張ってくることもお見通しだった。

何らかの一助が無い限り戦士長は死ぬはずだった。それを覆したのは同時期に現れた尋常ならざる実力を持つ冒険者、エンリ・エモットである可能性が非常に高い。

 

「分からないわね・・・陽光聖典を退けるほどの実力者なら既にアダマンタイト級になっていてもおかしくない。それがミスリルだなんて。」

 

彼女は頭の中で組み上げた情報を1から読み直して行く。分からない問題があれば、まずは最初に立ち返るのが正解へと至る近道なのだ。

突然の出現から始まり、陽光聖典との戦闘、アンデッド騒ぎ、死を撒く剣団・・・。

 

「あら?」

 

そしてそれは功を奏し、ラナーは不可思議な点に気付く。

これまでの村娘としての生活。村を襲った騎士は皆殺し。陽光聖典は故意に逃がす。ズーラーノーンの幹部は容赦なく一撃。死を撒く剣団は救った。

この奇妙な二面性は・・・

 

ラナーはその整った顔に歪み切った笑みを浮かべた。

 

「うふふふふ、これは大きな弱みを握ってしまったかもしれませんね。彼女は今頃何をしているのかしら。」

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

「これが新しい情報です。」

 

バハルス帝国皇帝、ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスは秘書の差し出した文書を鷹揚に受け取る。

彼は皇帝の座について間もなく、無能と判断した貴族を一挙に排した。貴族位を強制的に剥奪し、反抗してくるものは容赦なく潰したのだ。その苛烈な行いから内外に“鮮血帝”の名で知られることとなった。

だが彼は無意味にこのような暴挙に出た訳では無い。

国を腐敗させる愚か者共を駆逐するのと同時に、権力を1ヵ所に集中させることで国の安定を図ったのだ。その素晴らしい統治と、有能な者は平民からでも徴用する姿勢により、国民の絶大な支持を獲得している。

 

「ん? ロウネ、これは確定情報か?」

「はい、現地の調査員からの報告です。」

「はははっ! こいつは聖女にでもなるつもりか?」

 

現在この部屋にはジルクニフを含めた4人の人間しかいない。

普段は支配者然とした態度を崩すことは無いのだが、信頼している部下の前ではこうして冗談を言うこともあった。

それでも部下が忠誠心を失わないのは偏に彼のカリスマによるところだ。

 

「陛下、それは?」

 

白い髭を長く伸ばした老人が問いかける。

 

「最近現れたというエ・ランテルの冒険者だよ。なんでも登録して直ぐに白金(プラチナ)まで駆け上がったらしい。この報告書にはミスリルと書いてあるがな。」

「ほう、それは素晴らしい人材ですな。」

「全くだ。どうして王国なんかに行ったのやら。」

 

最も信頼を寄せている人物、フールーダに愚痴を零しながらも頭を回転させる。

突如現れた新進気鋭の冒険者、エンリ・エモット。彼女の行動に一貫性が見られないことがジルクニフを大いに悩ませていた。

だが今回入ってきた情報で大体の予測を付けることができた。

つまり、“ポーズ”だったのだ。憎むべき相手である野盗団を、敢えて救う。これにより自らの善良性を主張し、裏で行っている何事かを隠すベールとしているのだろう。

ズーラーノーンの幹部を躊躇なく屠っていることから、奴らとの関係性は無い。ならば現時点で最も有力なのは村を襲った犯人への復讐だ。追撃部隊の連中を殺すことなく見逃したのは、泳がせることによって主犯を炙り出そうとしたのだろう。

 

――この瞬間まで俺に真意を悟らせないとは、優秀だな。

 

「ところでバジウッド。数百のアンデッドを強行突破し、ズーラーノーンの幹部を一撃で屠るというのはお前にも可能か?」

「それは流石に無理がありますよ。四騎士が揃ってても分かりませんね。」

「ふむ、つまり1人で四騎士と同等か、それ以上ということか・・・欲しいな。」

 

背を椅子に預け、天井を見上げる。

 

「聖女様は今何をしているのかな?」

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

八本指本部、会議室。

その広い部屋で9人の男女が顔を突き合わせていた。彼らは密輸部門、麻薬取引部門、奴隷売買部門、警備部門などの8つの部門の長達と、そのまとめ役だ。

部屋には彼らの護衛として30人程の人間もいるため、広々とした会議室も少し手狭に感じる。彼らは今定例会議の最中だった。

 

「そのエンリ・エモットとかいうのが死を撒く剣団を潰したのか。」

「ああ。先にも言った通りそいつの実力は確からしい。」

 

死を撒く剣団は八本指の息がかかった組織ではないため、消されても彼らが気にすることではない。しかし力を武器に生きる裏社会の人間は、強者の情報を収集することに余念がない。冒険者達がするよりも早く、正確に有益な物を集めていた。

 

「雇うか?」

 

警備部門の長、ゼロが声を上げた。

彼らが警備するのは専ら他部門の人間、或いは土地である。つまり八本指に歯向かってくる馬鹿がいなければ彼らは破産する。突然出現した強者は取り込めば戦力の増強になるが、それ以上に金になるのだ。

 

「私はいいわ。邪魔してるやつはいるけどそいつじゃないだろうし。」

「此方も今は不要だ。だがその内雇うことになるかもしれん、そのときは頼む。」

 

ゼロはただ頷くだけで答え、後のことは関係無いとばかりに目を瞑った。

 

「ではしばらくは静観し、此方へ下るなら警備部門へ、敵対するなら抹殺するということで異論はないか?」

「ちょっといいかしら?」

 

ほとんどの者が頷く中、コッコドールが右手を上げる。

コッコドールが率いるのは奴隷売買部門。

嘗ては多くの娼館を経営し八本指の中でも上位の業績を記録していた。しかし「黄金」と称される忌まわしい第3王女により提唱された新たな法のおかげで、残る娼館はたったの1個だ。

金持ちに流す奴隷の数も目減りし、現在は下火にあった。

 

「その娘、どうせ殺すならうちにくれない? 勇名を馳せた女冒険者って相当な稼ぎ頭になると思うのよねぇ。」

「ふむ。反対意見のある者はいるか?」

 

勿論挙手する者はいない。

王国の裏側を支配し大悪を為す彼らにとって、その程度の胸糞悪い話など高級料亭で食事をしている中で聞かされても何とも思わない程に聞きなれた物だった。

その様子にコッコドールは機嫌よく笑った。

 

「決まりね。将来のエースは何をしているのかしら?」

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

「では最後の議題だが・・・エンリ・エモットだな。」

 

スレイン法国、大神殿内部。

そこに最高神官長及び六大神官長が集まり、ひとつの卓を囲むようにして座っていた。法国の重要事項はこの会議によって決定される。彼らの行動によりこの国の、ひいては人類の未来が確定するのだ。

その重責を担う彼らは、年齢に関わらず頭髪に白が混じり、顔に刻まれた皺は日々増え続けていた。

 

「また彼女の話か? ズーラーノーンの幹部を殺したのだから、人類にとって害となる存在ではないと結論が出たではないか。」

 

エンリの話はもう何度もこの会議に取り上げられていた。始まりは陽光聖典が敗走した事件である。

彼らは任務に失敗したものの、威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)すら一撃で屠った強者の情報を生きて持ち帰った。厳罰を覚悟していたニグンだが、英断により隊員を1人も欠けさせることなく連れ帰ったとして処罰されることは無かった。

入隊条件が非常に厳しいエリート集団である陽光聖典は、その1人1人が貴重な戦力なのだ。竜王国を侵犯しているビーストマンとの戦闘に駆り出されていることもあって、できるだけ損耗は避けなければならない。ニグンの判断は責められる物では無かった。

 

「それが新たな厄介事を引き起こしてくれてな。エ・ランテル近郊の野盗の塒を単身で急襲し、その場にいた野盗を全て更生させようとしているらしい。」

「ん? それの何が問題なのだ。」

 

不思議そうに首を傾げた男を小馬鹿にするように老婆が笑う。

 

「だからお前は舐められるんじゃよ。小娘1人なら不在を狙って王国の戦力を揺るがすことができた。しかしこのまま手下を増やされると我々の作戦が阻害される確率が上がる。王国の寿命が多少ではあるが伸びてしまうじゃろ?」

「ああ・・・なるほど。」

 

馬鹿にするように丁寧に説明されて不快感を抱くが、その考えに至ることができなかったのも事実なため言い返すことはできなかった。

 

「では、どうするのだ? 彼女1人でさえ陽光聖典を退ける力量を持っている。暗殺は容易ではないだろう? 冒険者に漆黒聖典をぶつける訳にもいくまい。」

「それをこれから話し合うんじゃろうが。」

 

まさしくその通りな切り返しをされて渋い顔になる。

 

「そうだったな。はあ、彼女がここへ来てくれれば簡単なものを・・・今は一体何をしているのだろうか?」

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

彼女はショッピングを楽しんでいた。

 

(うーん、まず何から買おうかなぁ!)

(依頼は受けてないから時間はたっぷりあるよ。)

 

2人は嘗てモモンガが冷やかして回った商店街にいる。

ズーラーノーンと野盗の件でかなりの報酬を貰ったため、財布はボールのように膨らんでいるのだ。野盗の塒から持ち帰った戦利品は全て組合と都市の上層部へ寄付したが、報酬は別として扱われた。今度は店の時間だけ奪って帰る迷惑な客ではない。

 

(それにしても珍しいですね、モモンガさんからお買い物に誘うなんて。こんなことをしても危ない実験には協力しませんよ?)

(失礼な。冒険がしたいっていうのは俺の個人的な要望だろう? 今はエンリも興味を持ってくれてるみたいだけど、俺だけの願いを叶えるのはフェアじゃない。エンリもやりたいことをやっていいんだよ。)

 

このショッピングはモモンガの提案したことだった。

エンリの普段着といえば村から持ってきたお気に入りの服か、創造した鎧しかない。魔法を使えば衣服の洗浄は素早く済むが、彼女は1人の女の子としては飾り気が無さ過ぎた。

もしもモモンガに遠慮して自分のために金を使っていないのだとしたら、それは彼の望むところでは無い。

そこで「女性の趣味といえばショッピングだろう」と半ば決めつけてみたのだが、エンリの反応を見る限り大成功のようである。

 

(そうですか・・・変なことを言ってごめんなさい。でも我慢してるとかじゃなくて、村での生活に慣れてるからお金を使い慣れてないんですよ。こんな大金持ったこともないですし。)

(我慢してる訳じゃないならそれでいいよ。金なんてこれからどんどん入ってくるんだから、使い切るつもりで買い物を楽しめばいい。お土産の分と宿代は残してね。)

(そんなに使いませんよ!)

 

言いながらもエンリはそこら中を見回している。モモンガの心配も妥当だと言えるだろう。

暫くの間せわしなく動き回っていたエンリだが、アクセサリーを主に扱っている店の前で立ち止まった。指輪やピアスなど様々な物が展示されている。

 

「あ、このネックレス可愛いですよ! どうですか!?」

 

羽ばたく鳥を象った銀のネックレスを手に取り、迷うことなく試着した。

売り物に勝手に触っていいのだろうか?

 

「お客さん、悪いがうちは値下げはしない。銅貨1枚たりとも――ど、銅貨1枚でいいですよ!!」

「え、いいんですか!? 今値下げはしないって・・・」

「局所的タイムセール中なんですよ! いやあ貴方は運がいい!」

「やったー!!」

 

どうですか?という言葉を値切りと勘違いしたのだろう、店主は丁重にお断りしようとしたが、エンリの姿を見て態度が豹変した。その変わり身の速さにモモンガが動転したほどだ。

しかしこれは不味い。

周囲の者は店の主人へ憐れむような視線を向けている。“局所的タイムセール”に駆けこもうとする心の無い者はいなかった。

エンリは店主が青い顔になっていることに気付いていない様子だが、このままでは全ての店で同じ光景が繰り返されることになる。次の異名は“値切りのエンリ”辺りだろうか。

 

それはあんまりだと焦ったモモンガは路地裏へ飛び込んだ。

エンリは他の店へ行きたがっていたが、これも彼女のためだ。少しの間我慢して欲しい。

 

(早速そのネックレスつけてみないか? プレートが邪魔だから外そうか。)

(え、でもこれって身分を証明する役割もあるんですよね、大丈夫なんですか?)

(ただの買い物に身分を証明する必要なんて無いよ。ほら、この際だから髪もほどいてイメージを変えてみよう。)

 

言葉では提案の形を取ってはいるが、今体を動かしているのはモモンガだ。プレートを外すとアイテムボックスへ投げ込み、買ったばかりのネックレスを着けた。

三つ編みを解くのもお手の物だ、エンリがしているのを何度も見てきた。エンリよりも先に起きた時など、暇なのでモモンガが髪を結っているのだ。

手早く済ませると櫛を取り出して髪を整え、手鏡にその姿を映した。

 

(どうだい、別人みたいだろう?)

(わあ、自分でも驚くほどの変化ですね。でもどうしてこんなことを?)

 

エンリの疑問も当然だろう、これではまるで変装だ。

だがモモンガとて奇異の視線を向けられ続けることにいい気持ちはしないのだ。街を回るときくらいは何も気にせずゆっくりと過ごしたかった。

しかし、本当のことを話せばエンリは落ち込んでしまうだろう。いい気分のところに水を差される不快さはこの世界でも何度も味わって来た。知らないほうがいいということもある。

 

(有名人は歩くだけで視線を集めるものなんだ。気軽に買い物を楽しむためにも街を歩くための格好は必要だと思わないかい?)

(なるほど・・・じゃあ次は服屋さんですね!)

(ああ、行こう!)

 

見事誘導に成功したモモンガは、拳を天高く掲げた。

 

 

 

「いらっしゃいませ、どのような服をお探しですか?」

「え? あ、えっと・・・」

 

エンリは口籠る。店に入った瞬間従業員に話しかけられるとは思っていなかったのだ。

エンリの家族が着ていた服は、どこか家庭的な手作り感があった。このような店に入ったのは初めてなのだろう。モモンガも洒落た店に入るなどあまり経験の無いことだが、年上として代わりに対応することにした。

 

「特には決めていないので色々見せてもらえますか?」

「はい、この場で寸法の調節も致しますので気に入った物があればお呼びください。」

「ありがとうございます。」

 

かなり緊張したが不審な点は無かったはずだ。従業員が此方の正体に気付いた様子も無かった。これでゆっくりと服を物色することができる。

 

(ふぅ、助かりました。お洒落な服屋さんって選ぶのも手伝ってくれるんですね、ビックリしちゃいましたよ。)

(俺もこういう店は初めてだからドキドキしたよ。それじゃ、見てみようか。)

(そうですね!)

 

店はそこそこの広さがあり、男性服と女性服が中央で分けられ所狭しと並べられていた。女性物のコーナーでも、雰囲気別、種類別に整頓されており、見て回りやすい内装になっている。

従業員がエンリの正体に気付かなかったこともあり、モモンガは心の中の“お気に入りの店リスト”に初めて店名を加えた。

 

(すごい多くて迷っちゃいますね・・・あ、これいいなぁ。)

(そこに鏡があるよ。)

 

エンリは服を1着手に取り、壁に備え付けられた姿見の前に立つとそれを自分に重なるように持ち上げた。

少し子供っぽいような気もするが、年相応の女の子らしい物だ。

 

(おお、似合ってるじゃないか。)

(そうですか? えへへ。)

 

エンリは嬉しそうに笑った。自分でも少し似合うと思っていたのだろう。

早速精算所へと向かおうとするエンリだが、それをモモンガが引き留めた。

 

(せっかくだからもう少し見て行こうよ、もっと良いものがあるかもしれない。おっ、あれは・・・)

 

視界の端に映った黒いジャケットに歩み寄る。手に取って広げてみると、それは所謂革ジャンだった。モモンガは実際に着たことは無いのだが、なんとなく憧れてしまうのだ。

 

(モモンガさん、ここギリギリ男性物のコーナーですよ?)

(いや、お父さんへのお土産にどうかなって。カッコイイじゃないか。)

(うーん、でもあんまり似合わないと思います。)

 

それもそうかと思い直し、元のように綺麗に戻す。それが済むと再び女性物のコーナーへと戻り、様々な服を物色し始めた。この店を気に入ったモモンガは、村へのお土産もここで買おうと思ったのだ。

 

(あ、これなんかどうだい?)

 

次に目を付けたのはデニムシャツ。裾の部分が袖よりも短くなっている物だ。

 

(ちょっとワイルドじゃないですか? 似合う気がしないんですけど。)

(これはお母さんへのお土産にと思ってね。頑丈そうだしきっと長持ちするよ。)

(あー、確かにお母さんなら似合う。)

 

エンリからも好評なようなので母親へのお土産は決定した。

その位置を覚えたモモンガは、可愛らしい雰囲気の服が置いてあるコーナーへと移動しつつ、割と重要なことを聞いた。

 

(そういえばエンリ、家族の服のサイズは分かる? ここの服は自分で手直ししようとするとかなり大変そうだけど。)

(覚えてますよ。偶に私が服を作ったりするので。)

(流石、家事は万能だね。)

(褒めても何も出ませんよ?)

 

話ながらも2人は目の前にあるいくつもの服を眺め回している。特にエンリの目線は熱心だ。この世界に生まれて16年目にして漸く女の子らしいお洒落ができるのだから、その感動は計り知れない。

 

(これにしようか。絶対似合うよ。)

 

モモンガが手に取った服は、フリルがふんだんにあしらわれた可愛らしい物だ。その明るい色彩は今しがた開いた花弁のような元気な印象を与える。それを見たエンリの顔が一気に紅潮した。

 

(に、にに似合いませんよ!! で、でも一応、試着だけはしてみようかなぁ?)

(だからお土産だって。)

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

「ふぅ、美味しかったぁ。」

 

モモンガとエンリが同時に声を発し、見事にシンクロする。

あの後、2人はかなりの長時間店内をうろついていた。

清算の時に従業員と軽く話をしたのだが、店の者は皆エンリの正体に気付いていたらしい。入店時には流石に分からなかったようだが、何時間も店内にいるエンリが何度も視界に入り、遂に思い出したのだという。

しかし彼らは表情をコロコロと変えながら買い物を楽しむエンリを見て、嬉しそうに微笑むだけだった。

店の評価がモモンガの中で天井知らずに上がったのは言うまでもない。

 

そうして店から出たときに漸く昼食を取っていなかったことに気付き、普段は入らないリッチなレストランで食事を済ませたところである。

服装も完全に変えたお忍びモードのエンリに気付く猛者はいなかった。

 

「おや? もしかしてエンリさんですか?」

 

だが、声を聞いてしまえば話は別である。

しまったと一瞬身構えるが、その相手を見て安堵した。

 

「ペテルさんでしたか。」

 

ペテル・モーク。冒険者チーム“漆黒の剣”のリーダーである。

彼らとはエ・ランテルに訪れた最初の夜に出会った。モモンガの行動により混乱した場を纏め、多くのアンデッドを倒すのに貢献したとして金級(ゴールド)に昇格している。

実際に現場を見ていた漆黒の剣の面々はエンリに残虐なイメージを持たず、普通に接してくれる数少ない冒険者だ。

モモンガも話がしやすい彼らを好意的に思っていた。

 

「すごい大荷物ですね。」

「驚いたのである。」

「君にそれは似合わないぜ? 鞄だけ持ってたほうが綺麗だ。」

 

エンリの抱える大荷物をさり気なく持ってあげようと手を伸ばすチャラ男(ルクルット)を躱しながら、3人に答えた。

 

「こんにちは、皆さん。今日は依頼を受けずに街を回っていたのですが、つい夢中になって買いこんでしまって。」

「なるほど、それでそんな格好を。」

 

ペテルが納得したように頷いた。面倒ごとを避けるために変装していたことを理解したのだ。ダインとニニャも同様だが、チャラ男(ルクルット)だけは頭を抱えて嘆く。

 

「それってひょっとしてデート!? うわーそうだよなぁエンリちゃんをほっとく男なんかいねーよなぁ。それでお相手は?」

「ルクルット、いい加減にしないか。」

「くどいのである。」

「デリカシーが無さすぎますよ。」

 

仲間からの辛辣な言葉にも軽く舌を出すだけだ。

漆黒の剣と知り合ってからまだ間もないが、これは彼らと会ったときのお約束のような流れになっている。モモンガがあまり気にしていない様子を見せるので、3人も本気でルクルットを咎めることはしなくなっていた。

自分のせいで彼らの関係に亀裂が走るのは避けたいし、気にしていないのも事実なのでモモンガは何も言わない。

 

「そういえば、組合の方がエンリさんを探していましたよ。」

「私をですか?」

 

モモンガは首を傾げる。問題となる行動は起こしていないはずだ。

 

「恐らく指名依頼であるな。この短期間で指名が来るとは流石なのである。」

「ああ、なるほど。」

「僕達も早く指名依頼が来るくらいの実力を付けたいですね。」

 

そう言ったニニャの目には何か暗い物を感じた。個人の問題に深入りするのはマナー違反なので、モモンガはそれに気付かないフリをする。

 

「焦りは禁物、身に余る依頼は自らを滅ぼすだけである。」

「それは分かっているのですが・・・。」

 

ニニャの様子に雰囲気が重くなる。

 

「俺はエンリちゃんに指名を受けてほしいんだけどなー。」

「それじゃあ組合に行って来ますね。知らせていただいて助かりました。」

 

ルクルットの言葉を無視して踵を返すエンリの態度を見て、場が和やかな笑いに包まれる。

 

(本当に良いチームだ。)

(そうですね。)

 

モモンガはルクルットを嫌っている訳ではない。寧ろ気楽な態度で話しかけてくれるので友達になりたいとも思っている。

だがここは彼の意思を尊重して、()()()()をすげなくあしらうことにした。

 

モモンガは「くぅーっ」と奇声を上げているムードメーカーを横目で見ながら、組合へ続く道を歩いた。

 





kuzuchi様
誤字報告ありがとうございます。


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覇王の計略

(へぇ、これは興味深いな。)

(何がです?)

 

モモンガは草の1本すら見えない荒れ果てた地を歩いていた。

太陽は高く昇っているが、森の中のように薄暗い。無論日の光を遮るような建物などあるはずもなく、その原因は数十メートル先を見通すことさえ困難な濃い霧だ。

ここ、カッツェ平野では当たり前の光景だった。

王国、帝国、法国、竜王国の境に存在するこの平野はアンデッドの多発地域として広く知られており、用も無く立ち寄る者はいない。来るのは定期的にアンデッドを間引きに来る冒険者か、腕試しに来たチンピラくらいの物である。

 

(俺はある能力を持ってるんだけど・・・そうだ、エンリも何か感じないかい?)

 

エンリは集中するように目を閉じ、顔を少し下げる。

 

(うーん、確かにモヤモヤした落ち着かない感じがします。共同墓地のときと似たような感じかな?)

(おぉ、それだよ。アンデッドを感知する能力なんだ。)

 

モモンガの能力による感覚をエンリも感じることは予想できていたのだが、その結果に満足して笑みを浮かべる。しかしそれは半分引き攣っていた。

 

(あの・・・何か取り囲まれてるっていうか、包み込まれてませんか?)

 

エンリの言うように、全ての方向からアンデッド反応があった。前後は勿論のこと、右も左も上下からもだ。

見る限りそれらしき姿は無いのだが、先も見通せぬ霧の中では不安ばかりが募った。

 

(そうなんだよね。これは多分霧が反応してるんだ。アンデッドの反応がある霧なんて面白くないかい?)

(不気味なだけなんですけど。)

 

モモンガは興味をひかれたようだが、エンリはとてもそんな気分にはなれなかった。

彼にとってはその辺のアンデッドなど腕の一振りで済む相手だろうが、一般の冒険者ではそうはいかない。濃い霧に遮られた視界の中で、突然近くにアンデッドが現れるのだ。感知まで阻害されているとなっては奇襲され放題な状況である。

もし自分がモモンガの力を持っていなかったら?

そんなことを想像したエンリは身震いし、落ち着きなく周囲を見回した。

 

「なに道草食ってやがる。ビビってんのか?」

「あ、ごめんなさい。」

 

今ここにいるのは2人だけではない。エ・ランテルのミスリル級冒険者、クラルグラとの共同依頼でアンデッド討伐に来ているのだ。

 

(なんで謝るんだ。無視しておけばいいだろう?)

(お願いだから顔には出さないでくださいね。)

 

モモンガがこの調子であるため、彼らとの会話は全てエンリが担当していた。

彼女としても常に高圧的なイグヴァルジの態度は好ましくないのだが、これ以上の悪名を広めたくはないのだ。同じミスリル級同士で喧嘩したとあってはまた妙な噂が尾ひれを付けて一人歩きしかねない。

変装をすることで気兼ねなく街を歩けるようにはなったが、いつかは正体を隠すことなくそれができるようになりたかった。

そんなエンリにとってこの状況は非常に不味い。主にモモンガの機嫌が危ういところまで降下しているのだ。今にも口論に発展しそうな雰囲気に、内心で冷や汗を流していた。

 

では何故このような面倒な事態になったかというと、話は数日前に遡る。

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

「わざわざ呼び立ててしまってすまないね。」

「いえいえ、それでご用件とは?」

 

組合がエンリを探しているという話を漆黒の剣から聞いたモモンガは、真っ直ぐに冒険者組合へと向かった。両手に抱える大荷物を受付へ預け、案内された部屋に入る。そこに待っていたのは組合長であるプルトン・アインザックだった。

 

「実は君に依頼をしたくてね。指名依頼というものだ。」

「組合から直々にとは一体どのような内容なのですか?」

「それなんだが、今回は別の冒険者チームと共同で依頼を受けてほしいのだ。」

 

モモンガは目を瞠る。冒険者組合長である彼はエンリ(モモンガ)の実力を知っているはずだ。本気の姿を人前に晒したことは無いとはいえ、並外れた実績を見せつけた。大抵の仕事はエンリ1人に任せても問題無いと判断するはずだ。

そんな相手に集団での行動を求めたこと、組合からの直接の依頼であることから、並々ならぬ事態であると考えるのは当然のことだった。

 

「それほどの相手ということですか?」

 

自然と目に力が籠る。モモンガですら油断できないモンスターが出現したとすれば足手纏いを連れて行く訳にはいかない。場合によっては即座に逃走を選ぶ可能性すらある。

これまでは大した敵と出くわすことなく生活してきたが、油断は容易に破滅を齎すのだ。

 

「いや、明確な討伐対象は定めていないのだが・・・」

 

言い淀む組合長に小首を傾げる。何にせよ強大な敵が現れた訳ではないらしい。そのことにエンリとモモンガは安堵した。

 

「その、一気にミスリルまで上がった君に良い感情を持たない冒険者も多くてな。」

「あー・・・。」

 

しかし、それを聞いて先の展開を把握できたモモンガは何とも言えない声をだす。エンリは良く分かっていないようだが、続くアインザックの言葉に暗澹たる気持ちを抱いた。

 

「理解が早くて助かるよ。今回の依頼は君の実力を示すこと。ひねくれ者達が納得するだけの力を見せつけることだ。」

(そんな・・・。)

 

エンリの思いも仕方のないことだろう。アインザックはただでさえ噂の絶えない現状に、更なる火種を撒けと言っているのだ。直前まで街をぶらつき、気兼ねなく買い物に勤しむ楽しさを感じたばかりのエンリには辛すぎる宣告だった。

 

「君にこんなことを頼むのは心苦しいのだが、どうか理解して欲しい。彼らをそのままにしておけば君の身に危険が及ぶばかりか治安の悪化も懸念される。なまじ力を持っているだけに組合に叛意を向けられると少々厄介なのだ。引き受けてはくれないだろうか?」

「・・・同行する冒険者についてお聞きしても?」

 

そんな物は聞かなくても分かっていた。間違いなくあの時に煽ったミスリル級冒険者達だろう。名声を得ることで素早くランクを上げようと勇猛さをアピールしたのだが、完全に失敗だった。策戦は悪くなかったが、選んだ相手が悪かった。

いや、と思い直す。あの時の男は銅級(カッパー)を馬鹿にしているような口ぶりだった。もし彼があの場に居合わせなかったとしても、すんなりとランクを上げたエンリに敵意を持ったに違いない。

 

「ミスリル級冒険者のクラルグラというチームだ。名前くらい聞いたことがあるだろう?」

「ええ、見たこともありますよ。」

 

予想が的中してこれ程に落胆することもそう無いだろう。モモンガは遂に頭を抱えた。

 

「その依頼内容なら行先はどこでも構いませんよね。」

「もちろんいいとも。ただあまり危険な場所は避けてくれ。彼らも一応エ・ランテルでは最高位の冒険者チームだからね、失いたくはない。」

 

とても依頼を断れるような雰囲気ではない。モモンガにできるのは未知の探求を兼ねることで気を紛らわせることくらいだった。

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

モモンガ達と時を同じくして、カッツェ平野を歩く4人の男女がいた。

 

「今日はなんだか少ないわね。」

「ああ、このままじゃ元が取れないな。」

 

帝国騎士すら恐れる霧の中を慣れた様子で進む。

彼らは“フォーサイト”。帝国の首都を拠点として活動しているワーカーチームだ。その実力はミスリル級ともオリハルコン級とも言われる知る人ぞ知る有名人達である。

 

ワーカーとは組合を介さない冒険者のような物で、積まれた金額によっては汚いことに手を染めることもある。言うなれば裏社会の冒険者だ。

その性質から危険な依頼が回ってくることが多く、罠に嵌められることも少なくない。冒険者ならば、事前に組合が情報を集めて裏が無いことを確認した依頼を受けるのだが、ワーカーにそのような組織はない。自らの足を使って安全を確保しなければならないのだ。

しかしその分依頼料は高くつくため、実入りは悪くなかった。

 

「今日は少し奥まで行ってみるか?」

「いつものルートを通る準備しかしていませんし、危険なのでは?」

 

リーダーであるヘッケランの言葉に、ロバーデイクが難色を示した。

彼らはワーカーとしては珍しく仲間を尊重し合っているチームだ。偶然に集まったような4人だが、今では仲間のためならば死ぬことも厭わないと思うほどに絆を深めていた。

先の行動を決めるときも強引なことをせず、互いの意見を出し合い吟味するのがフォーサイトのやり方だ。

 

「今日はいいんじゃない? もう誰かが掃除した後みたいだし、ほんとに赤字になっちゃうわよ。」

「――私はどちらでも構わない。」

「よっし、決まりだな。」

 

票を入れなかったアルシェを除いて2対1。今回はロバーデイクが折れることとなった。自分達の実力ならば大抵のアンデッドは容易く倒せると思っている彼らは、それ以上問答を繰り返すことは無かった。

それは決して自惚れなどではない。事実フォーサイトは骸骨(スケルトン)動死体(ゾンビ)の群れくらいなら難なく殲滅することができる実力者である。長い戦闘経験により多少格上の相手でも勝利を収めることができる。

平野の奥地へと歩き出しながら、頼れる仲間がいるからきっと大丈夫だと全員が思っていた。

 

―――アンデッド狩りに先客がいたのは全くの偶然だ。しかしその偶然と自信によりとんでもない事態に巻き込まれることになるなど、この場の誰にも予想することはできなかった。

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

「こんなもんだな。お前の出る幕はねえってことだ。」

 

此方に向かって来た数体のアンデッドを危なげなく倒したクラルグラの戦いを、モモンガはただ眺めていた。

連携はそこそこできるようだ。ミスリルのプレートは伊達ではないらしい。

 

「怖いなら帰ってもいいんだぞ。お前にカッツェ平野はまだ早いんじゃねえか?」

 

問題点はイグヴァルジがうるさいことだろうか。エンリを意識しているらしくやたらと大声で指示を飛ばしまくるのだ。黙って戦っても勝てるような相手に必死になっているのは少し可笑しかったが、口に出すとエンリに叱られるため黙っていた。

 

「しかしこんな雑魚ばっかりじゃ張り合いが無いな。なんだって組合はこんな依頼を出してきたんだ?」

(本当に鬱陶しい。)

(我慢ですよ、我慢。)

 

クラルグラには今回の依頼に隠された達成目標は聞かされていない。「お前らのリーダーを納得させるための指名依頼だ」などと言われれば誰だろうと不快に思うのだから当然だ。

だが張り合いが無いのは事実。アンデッドの群れを蹴散らす程度では実力を認めては貰えないだろう。

 

(そういえばこの人達ってあそこにいましたよね?)

(うん、俺が怒らせた人だね。)

 

エンリが言っているのは2人がエ・ランテルに訪れてすぐに起こった事件のことである。敵前で味方(エンリ)に喚き散らしていたのだから彼女の記憶に残っていても不思議では無かった。

 

(じゃあモモンガさんの力は知ってると思うんですけど、なんで認めてくれないんですか?)

 

あの夜のモモンガは目立つために大言壮語を並べ立てていた。その自信に満ちた態度に加えて、数百のアンデッドを吹き飛ばすほどの力を見せつけた。それでも認めて貰えないとなると一体何をすればいいのだろうと疑問に思ったのだ。

 

(あれは認めたくないんだよ。自分達がコツコツと依頼をこなして上げて来たランクに一気に追いついた存在が気に入らないんだ。面倒なタイプだね。)

(なるほど・・・。)

「どうやら新手のようだな・・・ちっ、また雑魚か。まあいい、お前はその辺で静かにしてろ。」

 

イグヴァルジがまたも悪態をつくが、エンリも相手をするのに疲れたようで言われた通り何も言わず静かに観戦する。強力な敵が現れないことには何をしても無駄だというのは彼女も理解していた。

 

「おい、何度も言わせんな。こんな雑魚相手に魔法なんざいらねえんだよ、魔力を無駄遣いするな。・・・有効な武器がないだあ? その辺の石でも使って殴りつけろ!」

 

そのあんまりな指示にクラルグラの魔法詠唱者(マジック・キャスター)は目を丸く――しなかった。とはいえ本当に石で近接戦を挑む訳にも行かないので、握り拳ほどの大きさの石を拾っては骸骨(スケルトン)に投げつけた。

 

(どうして仲間にもこんなにキツイ言い方するのかな? 一緒に危ない場面を戦ってランクを上げてきたはずなのに。ずっとこの感じだといつか愛想を尽かされませんか?)

 

イグヴァルジの怒声を聞いたエンリが疑問を呈する。

 

(クラルグラの動きを見てれば分かるよ。皆イグヴァルジの言葉に従ってるし、嫌な顔を見せてもいない。これまでの戦いを通して彼の指示が正しいってことを理解してるんだと思う。実際に彼の指示で窮地を切り抜けて来たんだろうね。俺だったらその前にチームを抜けてるけど。)

(私もちょっと自信がないです・・・。)

 

2人して肩を竦めた。

改めて戦況を見ると、現れたアンデッドは既に大半が残骸と化していた。残る敵は骸骨(スケルトン)が2体。

 

「本当に俺達には軽すぎる依頼だな。後は俺1人で十分だ、お前達は休んでおけ。」

 

そう言ってイグヴァルジが駆け出す。まだまだ余裕のありそうな足取りで素早く駆け寄り、その首を刎ねようと剣を振りかぶった。そのまま骸骨(スケルトン)の首が宙を舞い、この戦闘は終わりを迎えると思われたが―――それよりも早く骨の破片が撒き散らされた。

イグヴァルジの剣は骸骨(スケルトン)を押し潰した骨の塊に弾かれる。

 

締めを邪魔されたイグヴァルジが忌々し気に見上げた先にいたのは、骨の竜(スケリトル・ドラゴン)だった。

 

「はっ! 漸く骨のある奴が現れたぞ!」

「骨だけにってか?」

「あ?」

 

茶化した仲間を睨み付ける。この程度でムキになるイグヴァルジも大概だが、こうなることは容易に想像が付くにも関わらずわざわざ茶化した彼は何がしたかったのだろうか。

だが彼なら話ができそうだと踏んだモモンガは、その男を会話の相手に選んだ。

 

骨の竜(スケリトル・ドラゴン)はこの辺りではどれくらいの強さなのですか?」

「は?」

 

聞かれたことが今更な内容だったことに驚いているようだ。これまではイグヴァルジの悪態に辟易した様子を見せて沈黙していたエンリが、急に話しかけてきたことに対する困惑もあるだろう。

だが骨の竜(スケリトル・ドラゴン)が目の前にいるということもあり、大きな間をあけることなく答えた。

 

「カッツェ平野ではかなり上位のアンデッドだな。滅多に会えないモンスターだよ。」

「へえ・・・それにしては皆さん落ち着いていますね。」

「前に戦ったことがあるからな。あの時は苦労したが、今回は取り巻きもいないし楽勝だと思うぜ。」

 

その言葉通り、クラルグラの面々に焦った様子は見られなかった。

それを見たモモンガは露骨に落胆する。骨の竜(スケリトル・ドラゴン)如きがこの平野では強者とされるレベルで、しかも出現数は多くないという。そんなことでは組合長からの依頼は永遠に果たせそうにない。

 

(ん、数か・・・そうだな。)

(何をする気なんですか?)

 

エンリは早くもモモンガが何かを企んでいることに気付いた。モモンガは新しい悪戯を思いついた子供のように笑い、その質問に行動で答える。

 

――下位アンデッド創造 骨の竜(スケリトル・ドラゴン)――

 

スキルの発動により黒い霧が発生する。しかしそれはカッツェ平野の霧によって隠され、視認は困難だった。加えて全員の視線が骨の竜(スケリトル・ドラゴン)に集中しているため、誰にも気づかれることは無い。

こうして無事に誕生した骨の竜(スケリトル・ドラゴン)は悠々と霧を掻き分け姿を晒した。

 

「っ! イグヴァルジ、まずい!」

「あぁ!? この程度の相手になにビビって――」

 

物凄い形相で振り返ったイグヴァルジの表情が一瞬消える。しかし、すぐに機嫌が悪そうな物へと戻った。

 

「2体目か、やっと熱い戦いができるってもんだろ。焦ってんじゃねえ!」

「あ、ああ、すまない。」

 

声を上げたクラルグラのメンバーが武器を構え直す。

イグヴァルジの目は真剣そのものだ。生半可な気持ちではこの場を乗り切ることは難しいと理解しているようだった。これまで数々の強敵と立ち会って来たことを伺わせる。

 

――下位アンデッド創造 骨の竜(スケリトル・ドラゴン)――

 

その様子を見たモモンガは再びスキルを発動した。

一触即発の雰囲気の中、重い足音が大気を震わせる。音の方向を怯えた様子で観察していた面々は、姿を現した3体目の骨の竜(スケリトル・ドラゴン)を見て遂に平静を失う。

 

(流石にやり過ぎだと思うんですけど・・・。)

(クラルグラと協力して骨の竜(スケリトル・ドラゴン)を2体倒したってだけじゃインパクトが小さい気がするんだよね・・・超弱いし。)

(そう思ってるの多分モモンガさんだけですよ?)

 

そんなこと無いと思うんだけどなぁ、と彼らの言動を振り返る。

ミスリル級のプレートは確かに高位の冒険者だと言える。冒険者の世界では上から数えた方が早い地位ではあるのだ。しかしアダマンタイト級には遠く及ばず、その実力には大きく差があると言わざるを得ない。聞く話によるとアダマンタイト級の冒険者達は“人類の最終兵器”とまで評されているというではないか。

それを踏まえるとミスリル級冒険者でも倒すことができる骨の竜(スケリトル・ドラゴン)のたかが数体では、絶対にイグヴァルジを納得させることはできないだろう。

 

「あ、ありえねえだろ・・・なんでこんなにいるんだよ・・・。」

「クソッ、俺達に依頼が回ってきたってのはこういうことだったのか!」

「ただのアンデッド狩りって言ってたよな?」

 

口々に恨み言を吐き捨てる。武器を放り、膝を突く者もいた。

表情を変えないのはモモンガとエンリだけだった。これが自然に発生したアンデッドだったのならエンリも動揺しただろうが、彼女はこの骨の竜(スケリトル・ドラゴン)がモモンガの作り出した物だと知っている。

サイズは此方が勝るが死の騎士(デス・ナイト)のほうが強そうだと冷静に考えていた。

 

「奴らは単純な攻撃しかできない、無駄にデカい図体に騙されんな!!」

 

だがもう1人、冷静に指示を出す男がいた。メンバーの全員が生存を諦めた中でイグヴァルジだけが剣を握りしめていた。

 

(おー、勇敢なところもあるじゃないか。)

(そうですね、ちょっと見直しました。)

 

彼の言葉を聞き、膝を突いていた者が立ち上がろうと動く。

しかしそれよりもモモンガの手が動くほうが早かった。

 

(えっ! もうやめてあげても――)

 

――下位アンデッド創造 骨の竜(スケリトル・ドラゴン)――

 

エンリが言い終える間もなく4体目が中空から姿を現す。

4度目の地響きに、イグヴァルジ以外の全員が莞爾として笑った。

 

「イグヴァルジ、お前と英雄を目指して駆け回った日々、悪くなかったぜ。」

「ああ、振り回されることも多かったが俺も充実した毎日だった。」

 

クラルグラは最後の言葉を交わし始める。戦う気は完全に失せたらしい。

 

(心折れちゃってるじゃないですか。何もここまでしなくても・・・。)

(それくらいじゃないと困るんだよ。俺が自分の意思で助太刀したんじゃ何の意味も無いんだ。向こうから助けを求めてくるくらいに絶望的な状況じゃないと、きっと同格だとは認めてくれない。彼ら(クラルグラ)を怖がらせるためじゃないからね?)

 

嘗てエンリから悪人だと思われていた、と思っていたモモンガは懇切丁寧に解説する。あの件は自分の勘違いだったとはいえ中々辛い経験だった。

 

「・・・おいお前、手を貸せ。お前に助けられるのは癪だが、俺達だけでどうにかするのは難しそうだ。」

 

この破滅的な状況に瀕して漸く協力を申し出る。イグヴァルジは意地でも自分達でなんとかしようと目論んでいたが、たった5人、それも魔法詠唱者(マジック・キャスター)を含めたチームで、魔法への完全耐性を持つと言われる骨の竜(スケリトル・ドラゴン)4体を相手取るほど愚か者ではなかった。

彼は断じて仲間思いなリーダーでは無いが、メンバーを死なせたことは無い。性格に重大な問題を抱えてはいるがミスリル級の名に恥じない程度の判断力は持ち合わせていた。

 

だがモモンガは、この期に及んでまだ横柄な態度を崩さないイグヴァルジに益々嫌悪感を募らせる。まだ骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の数が足りなかったかと思いスキルを発動しようとするが、エンリが口を開くのが先だった。

 

「イグヴァルジさん、勘違いしないでください。」

 

エンリの言葉に怪訝そうな表情をする。モモンガもその言葉の意味を理解することができなかった。

 

「私があなた達を助けるというのは間違ってます。共同で依頼を受けてるんですから、協力して敵を倒すのは当たり前のことですよね?」

「・・・ちっ、解釈は好きにしろ。お前ら、いつまで馬鹿なことをやってるつもりだ? 俺達がこんな所で終わる訳ねえだろうが!」

 

舌打ちをしてから呆けているメンバーを叱咤するイグヴァルジの表情は、いつもの不機嫌そうな物だ。しかしモモンガにはどこか嬉しそうな笑みが混ざっているように見えた。

 

(やるじゃないか、エンリ。これで()()は達成したも同然だ。)

(モモンガさんがまた変なことしようとするからですよ! いくら嫌な相手でもエ・ランテルには必要な人間だってアインザックさんも言ってたじゃないですか。心を圧し折るようなことはやめてください。)

 

子供を叱るように言うエンリに、モモンガも反論する。

 

(いや、あれは組合長からの依頼のために必要なことで――)

(最後のもですか?)

(うっ・・・。)

 

5体目を召喚しようとした時に黒い感情が無かったと言えば嘘になる。だがそれほどにイグヴァルジの態度が鼻についたのだ。もう少し脅かしてやろうと思うくらいには。

生死の境にいる中で唯一の希望(モモンガ)を不快にさせる度胸は見上げたものだが、それに感心するだけで済む次元は既に飛び越えていたのだ。

エンリも同じ当事者なのだからモモンガの気持ちは良く理解している。だからこれ以上の追求はせず、前に歩き出した。

 

(とにかく! やっと依頼が達成できそうなんです。後はお願いしますね?)

(・・・はい。)

 

モモンガは2本のグレートソードを取り出すと、指示を出した。

 

「私とイグヴァルジさんの2人で1体ずつ倒して回ります。残りの方は他の骨の竜(スケリトル・ドラゴン)を引き付けつつ全力で逃げ回ってください。あまり離れないでくださいね。」

「お前と2人で、だと?」

「はい。敵の攻撃は全て受け持ちますので、イグヴァルジさんはダメージを与えることだけを考えてください。」

 

クラルグラと行動を共にした時間はかなり短いが、敵意を向けているのがイグヴァルジだけだというのは一目瞭然だった。アンデッド騒動のときにも仲間に窘められていたのだから、そうではないかとは思っていたが。

それならばモモンガが実力を見せつけるべき相手はイグヴァルジただ1人。

適当に骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の攻撃を受け流しながら時間をかけて共闘すれば、このひねくれ者からの敵意は消えるだろう。同じミスリル級の彼がエンリを認めれば自ずとエ・ランテルの冒険者全体がエンリを認める事になるという寸法だ。

 

「まあ、それしかねえか。」

 

また「お前が仕切ってんじゃねえ」とでも言われるかと思っていたモモンガだが、意外とすんなりと受け入れられた。早くも共闘効果が現れている。

これまで静観を決めていた骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の内3体が一斉に動き出す。不思議なことにエンリの方向に向かってくるものはおらず、全てがクラルグラのメンバーの方へと突進していった。

勿論それらはモモンガの創造したアンデッドである。彼らを殺さないように命令してあるため、死人を出すようなへまはしない。

 

モモンガの指示に従わないはずの“野良”の骨の竜(スケリトル・ドラゴン)が今まで動かなかったのは、行動を起こそうとする度にモモンガの命令によって妨害されていたからだ。

野良が動こうとすればモモンガの骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の尻尾や翼で進路を塞がせていた。

 

「それじゃあ、伝説を作りに行きましょうか。」

「おう!」

 

突然テンションが上がったイグヴァルジに気づくことなくスキルを何度か発動した。それにより新たに6体の骨の竜(スケリトル・ドラゴン)が創造され、霧の向こうへと展開する。

もしも呆気なく倒しきってしまった場合は追加でこれらに襲わせるのだ。

これで準備は万端、盾役を宣言したモモンガは一足早く骨の竜(スケリトル・ドラゴン)へ踏み込んだ。

 

当然初撃はモモンガへ向かう。制御下に無いアンデッドではあるが、彼からしてみればかなり低レベルな敵だ。目を瞑っていても対応できる程度の速度だった。

 

「――遅いな。」

 

鞭のように撓りながら接近した尻尾をグレートソードの腹で弾く。防ぐだけのつもりだったのだが少し砕いてしまった。

虫食いのように尾が欠けた骨の竜(スケリトル・ドラゴン)が咆哮を上げる。骨だけの体に痛覚があるとは思えないため、大きなダメージを受けたことは感じるのだろう。

 

(うわ、思ってたよりかなり脆いんだけど!)

(もっと手加減しないとまずいですよ!!)

 

常人では信じられないような会話を繰り広げるが、幸いそれを聞き取れる者はいない。

 

「ふん、1人でミスリル級ってのは伊達じゃないらしいな。」

 

普段のイグヴァルジならイカサマだなんだと騒ぎ立てただろうが今は違う。仲間を失うかもしれない程の危機に、意地を通している暇など無かった。

彼が目標を達成するためには仲間に死なれては困るのだ。名声を得るために何事も完璧にこなさなければならない。

 

「あなたの実力も見てみたいですね。」

「ちっ、調子に乗ってんじゃねえ!」

 

さっさとしろと言わんばかりに煽りを入れる。早期に決着がつくのは避けたいが、長引きすぎると不審に思われる可能性が高い。モモンガの骨の竜(スケリトル・ドラゴン)がいつまでも攻撃を当てないのだから。

 

言っている間にもイグヴァルジが剣を叩きつける。斬撃属性のダメージは大きく軽減されてしまうのだが、手数で補おうとしているらしい。

激しい連撃を見舞うイグヴァルジへと骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の視線が移り、踏みつぶそうと前足が動いた。イグヴァルジはそれを視線の端で捉えてはいるのだが、その場を動くことはしなかった。

イグヴァルジの視界に、思っていた通りの光景が映る。振り下ろされた足をエンリが蹴飛ばしたのだ。攻撃の軌道がずれ、イグヴァルジの一寸横から激しい土煙が舞う。

 

「信じて頂けているようで嬉しいですよ。」

「お前の蹴りは1度見てるからな。」

「ふふ、あの時ですか。流石に墓地の扉よりは頑丈な体をしているようですね。」

「今のは本気じゃ無かっただろうが。」

 

ただ肩を竦めるだけでそれに答える。

モモンガがあの時と同じ力で蹴りつければ骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の足を吹き飛ばすことは簡単だ。しかしそれができない理由をイグヴァルジは理解していた。

そんなド派手な倒し方をしてしまえば他の3体も此方を危険視してくる。知性の無いアンデッドとはいえその程度のことは本能で判断できるのだ。エンリの反射神経と膂力は大したものだが、この数の骨の竜(スケリトル・ドラゴン)を相手に立ち回ることなど不可能だ、と。

 

自信家のイグヴァルジは“拮抗した状況を演出されている”という屈辱的な考えに至ることは無かった。

 

「本当にかてぇ鎧だな、どこで手に入れた?」

 

再び振り抜かれた尾を片手で受け止めたエンリを見て問う。

モモンガはダメージを与えないように寸止めしたのだが、グレートソードによるダメージが相当な物だったらしく完全に砕けてしまった。半分の長さになった尻尾を見て焦りを覚えながらも振り向く。

 

「それは秘密ですよ。あなただって聞かれても答えないでしょう?」

「いちいち気に障る女だな。」

 

モモンガは表情を変えることなく敵へ向き直ったが、誰にも見えないところでは不快感で溢れていた。

 

(なんでこんな奴がミスリルなんだ、あり得ないだろ・・・ん?)

(4人、ですか・・・どうします?)

 

モモンガのスキルによる感知能力を共有していたことを自覚したエンリは、コツを掴んだのか使役しているアンデッドからの報告も理解できていた。

東の方角に展開させていた骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の2体が4人の人間と遭遇、戦闘に突入したというのだ。予備の戦力を削られることを懸念したが、どうやら骨の竜(スケリトル・ドラゴン)2体でかかれば殺せる程度の相手らしかった。

 

(うーん、4人の正体は分からないけどその程度の強さなら問題ないと思う。勝手なことをされても困るし一応こっちに連れてこよう。)

(大丈夫なんですか? 偉い人だったら面倒なことになりそうですけど・・・。)

(その時は身を守ってあげれば厄介事には巻き込まれないと思うよ。増援を呼ばれて計画を邪魔されるのも嫌だろう?)

(それもそうですね。)

 

早速4人組を殺さず誘導するように指示を出し、そろそろ1体目を終わらせようと骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の腹を蹴り上げる。絶妙な力加減で放たれたそれは骨で構成された体を散らすことなく、致命的なダメージを与えた。

そして同時に切りつけたイグヴァルジの攻撃によって敵の体力が尽き、遂に骨の残骸へと姿を変えた。

 

「はぁ、はぁ、やっと死にやがったかクソが! あいつらの方は――」

 

全力で剣を振るい続けていたイグヴァルジはダメージこそ受けていないものの、既にかなり息が上がっている。それでも休むことなく仲間の救援に向かおうと後ろを振り向いた。

彼の野望など知らないモモンガはそれを見てほんの少し感心するが、クラルグラの面々に危害が加わることは無いので呑気に声を遮った。

 

「ところでイグヴァルジさん。カッツェ平野に冒険者以外の人が来ることはあるのですか?」

「は? こんな時に何言ってやがる!」

「いえ、少し気になることがありまして。」

 

のんびりとした態度に表情を歪めるが、モモンガがその場を動く気配はない。激しい闘いの後だというのに疲労した様子を微塵も感じさせないエンリに、イグヴァルジも彼女の実力を認めざるを得なかった。

1体倒したとはいえエンリの加勢が無ければクラルグラは全滅する。何が気になってこんな状況で常識的な質問をしているのかは知らないが、イグヴァルジはそれに答える他なかった。

 

「普通の人間が立ち入ることはまず無い。肝試し程度に足を踏み入れれば待っているのは絶望だけだ。」

「なるほど。では東の方角から人間が来たとすれば、帝国の冒険者だと考えていいのでしょうか?」

 

それを聞いたイグヴァルジは嫌そうな表情に変わる。

 

「東から何か来てんのか?」

「少々特殊なマジックアイテムを持っておりまして、それに反応があったのです。東から、というのは何か不味いのですか?」

 

イグヴァルジは苛立たし気に貧乏ゆすりを始め、考え込むように下を向いた。

その様子を見てこの場に引き寄せるのは失敗だったかと不安になる。

 

「・・・ああ、少し面倒だ。帝国からってことは冒険者か帝国騎士、最悪ワーカーの可能性もある。」

「ワーカー、ですか?」

「ちっ、田舎者はそんなことも知らねえのか。フリーの冒険者みてえなもんだ、基本的に組合から追放された奴が多い。性根の捻じ曲がった奴らばかりだな。」

 

それをお前が言うのかと吹き出しそうになるが、鋼の意思でぐっと堪えた。イグヴァルジはプライドの高い人物だ。それを笑えば力を認める以前の話になってしまう。

しかし笑いを堪えるような表情を完全に消し去ることはできなかった。その妙な顔を見たイグヴァルジが眉根を寄せる。

焦るモモンガだが、噂の来訪者によって助けられた。

 

「あ、来ましたよ。あれが私の言っていた人です。」

「ったく、こんな時に面倒・・・なっ!?」

 

追い立てられるように戦場へ転がり込んできた4人組。その首にプレートは下げられていない。騎士風の格好をしている者もいないため、イグヴァルジが言うところの“最悪”だろう。

だが彼が驚いたのはそんな些事に関してではない。4人を追うようにして霧から現れた新たな骨の竜(スケリトル・ドラゴン)を見てしまったからだ。

 

「まだいたんですか・・・これは時間がかかりそうですね。」

 

強力な敵が増えたというのにエンリは態度を崩さない。イグヴァルジは無様に狼狽えてしまったことに、エンリの存在に安堵してしまっていることに、歯噛みする。

彼が拳を硬く握りしめている間にも、新たな敵は攻撃を開始する。魔力の残りが少ないのか、動きが鈍い魔法詠唱者(マジック・キャスター)へと2体同時に足を振り上げた。

 

「おいそこの馬鹿! なにチンタラしてやがる、こっちに敵押し付けて死ぬつもりか!?」

「死なせませんとも。」

 

言うや否や、モモンガが駆け出す。思念で骨の竜(スケリトル・ドラゴン)に文句を付けながら。

 

――お前ら、もっと派手な攻撃はできないのか!!

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

「ちくしょう、どうなってんだ!!」

「喋る暇があったら走りなさい!」

 

フォーサイトは死に物狂いで走っていた。背後には2体の骨の竜(スケリトル・ドラゴン)

 

メンバーの多数決の結果、カッツェ平野の奥地へと進むことになった。

小銭稼ぎのアンデッド狩りとはいっても、準備にはそれなりの費用がかかるのだ。食料やポーション、矢などの消耗品も買い込まなければならない。基本的に弱いアンデッドしか発生しないため、命知らずの馬鹿は「過剰な準備は不要だ」と言う。しかし時折強力な物が出現するのもまた事実。準備不足で死ぬなどという馬鹿らしい話はご免だった。

そんな訳で赤字を避けるために先へ進んだのだが、この事態はあまりにも想定外すぎた。

 

「っ!」

 

長い全力疾走に耐え兼ね、遂にアルシェが足をもたつかせる。魔法詠唱者(マジック・キャスター)である彼女はフォーサイトの中で最も体力が少ないのだ。

 

「アルシェ、大丈夫!?」

「――私はもう駄目。皆だけでも逃げて。」

 

アルシェは全身で息をしていた。自分で言うように最早まともに動けない状態なのだろう。しかしフォーサイトは、簡単に仲間を切り捨てられるような普通のワーカーでは無かった。

 

「んなことできるかよ!」

「そうですよ、アルシェさん。あなたを見捨てたりしません。」

「――ありがとう。」

 

感動的なシーンだが、アンデッドがそれを見て何かを感じることなど無い。フォーサイトの絆を嘲笑うかのように2体が同時に足を振り上げる。その先にいるのは、まともに動けないアルシェ。

意地でもそれを受け止めようとロバーデイクとヘッケランが動くが、そこへ罵声が浴びせられた。

 

「おいそこの馬鹿! なにチンタラしてやがる、こっちに敵押し付けて死ぬつもりか!?」

「王国の冒険者か!?」

 

他に人間がいたことに希望を見出し、振り返ってしまう。

自分が行動を止めた一瞬の隙でアルシェを死なせてしまうことに気付くが、もう遅かった。嫌がる首を無理やり回し、血に塗れているだろう場所へ視線を向ける。

しかしヘッケランの目に映ったのは押しつぶされた仲間の姿ではなく、2本のグレートソードで骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の攻撃を受け止め、堂々と立つ赤い戦士だった。

 

「無事ですか?」

 

赤い戦士は敵から目を離し、顔を此方に向ける。

ヘッケランはその容貌に覚えがあった。

 

「あ、あんたはまさか・・・血塗れのエンリか?」

 

エンリはビクリと全身を震わせる。

これまでも仰々しい二つ名が飛び出してきたことは確かにあった。しかし“血塗れ”などという不穏すぎる物は流石に無かった・・・と思う。聞いた者が十中八九誤解するであろう二つ名を考えた者には絶対に文句を言ってやると心に決めた。

 

「はい、エンリ・エモットです。血塗れ、というのはちょっと分かりませんが・・・。」

「すまない! あんたは気に入ってないんだな。何にしてもあんた程の有名人がいれば助かりそうだぜ!」

 

骨の竜(スケリトル・ドラゴン)の足を押し返したモモンガは軽く頷く。

 

(イグヴァルジさんが言ってたのとは雰囲気が違いますね。)

(うん、多分この4人が特殊なんだと思う。動けない仲間を救おうとしていたみたいだしね。いつかは帝国にも行きたいし、知り合いになっておこうか。)

(私もこの人達とは友達になれそうな気がします。)

 

物々しい二つ名を知っていても気軽に会話を交わしてくれるヘッケランを見て、エンリも嬉しそうだ。

 

「では手早く片づけましょうか。動ける方は手伝ってくださ――」

「うぐっ、お゛え゛え゛えええぇ!!」

「え、ちょっ」

「「「アルシェ!?」」」

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

(私、そんなに怖いですかね・・・。)

 

ワーカーの女性が緊急事態に陥ったため、モモンガは言葉通りに手早く事を済ませた。フォーサイトを誘導させた骨の竜(スケリトル・ドラゴン)をさっさと倒し、残りは撤退させたのだ。モモンガの力を見た者は全員目を丸くしていたがやむを得なかった。

漸く命の危機が去り気が抜けたのか、全員がその場に座り込んだ。まるでここがカッツェ平野であることを忘れているような様子である。

 

その間エンリは滂沱の涙を流し、落ち込んでいた。

後姿を見ただけで盛大に嘔吐された経験のある人間などこの世界のどこにもいないだろう。つまり彼女はこの世界の誰にも理解されない程の深い悲しみの底にいた。

だが、モモンガも当事者、というより同一人物であるため同じ気持ちだった。精神は別でも体は共有しているのだ。原因が分かるまではエンリは自分だと認識していた。初対面の女性に嘔吐されたのだから、そんなモモンガのショックもまた非常に大きい。

 

「あの、大丈夫ですか?」

 

涙を拭ったモモンガが遠慮がちに問いかけ、未だ少女の口から垂れたままの吐瀉物をハンカチで拭きとった。

呆然としていたアルシェは遂に我に返り、わなわなと震えだす。

 

「ご、ごめんなさい。誰にも言わないから許して欲し・・・ください。」

 

語尾を言いなおし、深く頭を下げた。

気のいい者なら笑って許すところだが、モモンガの目は険しい物へと変わる。アルシェが何か自分の秘密に気付いている様子だからだ。場合によっては対処しなければならない。

 

「・・・何を知っている? 詳しく聞かせて欲しいな。」

 

アルシェは俯いたまま、自分が見てしまった物を説明する。

 

「私は、相手が使える魔法の位階を知ることができる生まれながらの異能(タレント)を持ってい・・・ます。それであなたが第10位階・・・いや、それすらも超えた――」

「どうしたの?」

「何かまたご迷惑をおかけしましたか?」

 

ただならぬ雰囲気を感じたフォーサイトのメンバーが近づいてくる。彼らによってアルシェの言葉を遮られたが、彼女が怯えていた理由は十分に把握できた。

 

(はあ、感知阻害の指輪を外していたのがまずかったか・・・まさかそんな生まれながらの異能(タレント)があるとは。)

(私ってそんなに・・・)

(エンリ、そろそろ戻ってくるんだ。どうやら彼女が嘔吐したのは別の理由からみたいだよ。)

(え?)

 

理由を説明すると、エンリの暗い感情が徐々に晴れて行く。

対してモモンガは自分の迂闊さを嘆いていた。モモンガが感知阻害の指輪を外していたのには勿論理由がある。彼の持つ装備は、どれもこの世界において破格の性能なのだ。一介の村娘であるという設定がある以上、それらを見せびらかすのは好ましくない。唯一付けていたのは万一に備えての復活の指輪だけだ。

しかし、このような生まれながらの異能(タレント)の存在を確認した以上、今後は常に身に着けておかねばならない。鎧を装着している間は他の指輪も全て着けていた方がいいだろう。

 

「いえ、どうやらアルシェさんが錯乱しているようなので・・・。」

「アルシェ、本当に大丈夫?」

 

言いながらモモンガは懐からひとつの指輪を取り出す。勿論、感知阻害の指輪だ。それを指に嵌めるとアルシェの額に手を翳した。

不審に思ったロバーデイクが声をかけてくる。仲間に何かされそうなのを見てとって、その表情はあまり友好的な物ではない。

 

「その指輪は?」

「安心してください、精神の安定を取り戻すことができるマジックアイテムです。」

 

彼の表情は温和な物に戻ったが、不信感は消えていないようだった。

 

「そんなことまでして頂かなくても《獅子ごとき心(ライオンズ・ハート)》を使えばいいのでは・・・。」

「まあ、そこまで高価な物ではありませんし、あまり使う機会も無いのでここで使ってしまおうと思いまして。」

「そうでしたか。二つ名に似合わずお優しい方なのですね。」

 

モモンガは困ったように、ロバーデイクは晴れやかに、イミーナは嬉しそうに笑った。

アルシェだけは引き攣った笑みを浮かべていたが、フォーサイトの2人は錯乱しているだけだろうとあまり気にしていない。

 

(――2人は悪くない。これは知らないふりをできなかった私の失敗。他のみんなを巻き込むことはできない。・・・クーデリカ、ウレイリカ、ごめんね。)

 

化け物の存在に気付いてしまった自らのタレントを恨めしく思う。

タレントのおかげで窮地を乗り越えてきたことは何度もあった。事前に敵の力量をある程度把握できるというのは、ワーカーの世界では非常に大きなアドバンテージとなる。強大な敵に出くわせば戦いを避け、やり手の魔法詠唱者(マジック・キャスター)がいるチームとは仲良くするようにしてきたのだ。

しかしそのタレントが原因で生を終えることになってしまった。

秘密を握った自分が生き残る術は無い。ならばその情報を文字通り墓場まで持って行き、事情を知らない仲間だけは見逃してもらえることを願おう。

そう決心したアルシェに、耳を欹てていなければ聞こえないほどの小さな詠唱が聞こえて来た。

 

記憶操作(コントロール・アムネジア)

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

(吐いた理由が“拾い食いしたリンゴが腐ってた”ってあんまりじゃないですか?)

(仕方ないじゃないか、他に思いつかなかったんだから。)

 

エ・ランテルの街道を6人が歩く。

道行く人々はその首にかけられた()()()()()()のプレートを見て横にずれ、賞賛と羨望の眼差しを送る。エ・ランテルの冒険者で初となるオリハルコン級の登場に、走り回ってはしゃぐ子供の姿も見られた。

 

「今回は同時に昇格したが、先にアダマンタイトになるのは俺達だ。覚えておけよ。」

「それは私も頑張らなければなりませんね。」

 

イグヴァルジはニヤリと笑った。

 

(相変わらず嫌な男だな。)

(オリハルコンになったのに今度は文句を言ってこなかったじゃないですか。私達も彼を認めてあげましょうよ。)

(これは認めるとか以前の問題じゃないかな・・・。)

 

胸中はどうあれ、漸く厄介事を片づけることができたので表には出さない。無駄な口論を繰り広げて再び敵意を持たれても困るのだ。だからモモンガは当たり障りのない会話に専念した。

 

「イグヴァルジさんの仲間を見捨てない態度、感動しましたよ。まさに英雄という感じでした。」

「は? い、いや俺はそんなもんに興味はねえよ・・・。」

 

言葉とは裏腹に、背けた顔には満面の笑みが浮かんでいる。

イグヴァルジが冒険者となり、常に上を目指しているのは至極単純な理由だった。

彼が幼少の折、故郷を訪れた吟遊詩人(バード)の語った英雄譚に憧れたからだ。見てくれからは想像もつかないようなピュアな動機である。それからというもの、モンスターについて学び、自己鍛錬に明け暮れる日々を過ごした。その心境は昔から少しも変わっておらず、言うなれば少年の心を持った大人だ。

しかし、憧れが高じるあまり道を急いてしまった。

チームの仲間を英雄になるための道具程度にしか思わず、今回の戦いで彼らの救援に向かおうとしたのも、仲間を失うことで名声に傷が付くのを恐れたからに過ぎない。性格がひねくれてしまったのも強い憧れが原因だった。

 

だがモモンガがそんなことを知るはずがない。英雄のようだったと褒めはしたが、それは単なる社交辞令なのだ。冗談で場を和ませようと考えても自然なことだった。

だからこそ――

 

「まあ、素行のせいで台無しですけどね。」

「て、てめえっ!!」

 

余計な一言を発してしまったとしても、誰も責めることはできないだろう。

 




やっぱり吐いちゃった。

高機動トウモロコシ様
誤字報告ありがとうございます。


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覇王の森

「ただいま!」

「おかえり、エンリ。」

「お姉ちゃん!!」

 

勢いよく戸口を開けたエンリへと、赤毛の少女が飛び込んでくる。それは最早飛び込むというよりも突進の類だったが、モモンガの身体能力を駆使して完全に勢いを殺した。

狭い玄関でネムを抱えたまま器用に回り、そっと立たせる。

 

「ネム、元気にしてた?」

「うん! お姉ちゃんみたいになれるように優しくしてたよ!」

「え?」

 

エンリは首を傾げる。

以前に村に帰ってきたのは近衛兵団について事前に知らせに来た時だ。

村長に野盗襲撃の経緯を話し、どうか受け入れてくれないかとお願いした。最初は断られると思っていたのだが「エンリが信頼しているのなら」と快く引き受けてくれた。それからハムスケとリザードマンに訓練相手になってくれるよう頼んだのだ。自分の訓練にもなるということで彼らも快諾してくれた。

 

だからエンリが妹に見せたのは圧倒的な力だけ。

ならばネムの言葉は“私も強くなりたい”としか捉えられないのだが、優しくしていたというのはどういう意味だろうか。

その疑問には父が答えてくれた。

 

「兵団の方々が良くエンリの話を聞かせてくれるんだよ。何でもエ・ランテルでは多くの功績を残して、沢山の人々を救ったというじゃないか。今やエンリは時の人だと聞いているぞ。」

「あ、あはは・・・うん、頑張ってるよ。」

「そう照れないでいいのよ。エンリが良い子に育ってくれて嬉しいわ。」

 

両親が褒めちぎってくるが、ただ苦笑いを返すことしかできなかった。

どうやら近衛兵団は村人へと流す話を選んでくれているらしい。家族の反応を見る限り“血塗れ”やら“返り血”といった恐ろしい異名は知らないようだ。

そのことに深く安堵しつつ、懐から無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァザック)を取り出した。

 

「エンリ、それは?」

 

突然取り出したそれに、父が興味を示す。

 

「物がたくさん入るマジックアイテム。これにお土産を入れてきたの。」

「おお、それは楽しみだ。」

 

家族が注目している中、焦らすことなくお土産を取り出しテーブルに並べた。モモンガプロデュースの革ジャン、デニムシャツ、フリフリのワンピースだ。袋には他にも高価な食材やアクセサリー類などが入っている。これらは服のサイズが分からなかった村人達への物だ。

 

「どう? みんなに似合うと思うんだけど。」

 

そう言って革ジャンを父へ、デニムシャツを母へ、ワンピースをネムへと手渡した。

皆一様に手触りや頑丈さを確認し、自分に合わせてみている。

 

「これは・・・いい手触りだ。高かったんじゃないのか?」

「かわいー!」

「私はこれ? ちょっとワイルド過ぎないかしら。」

「俺はお前にピッタリだと思うぞ。」

 

各人思い思いの反応をする。ネムは服を掲げて室内を走り回っていた。

家族が喜んでいる様子を見て、エンリの口元も綻ぶ。

 

「お金は気にしないで。冒険者のお仕事でいっぱい稼いでるから。」

「あら、一家の大黒柱がエンリに変わっちゃったわね。」

「ははは、俺も負けてられんな。」

 

ひとしきり笑いあうと、父が笑顔のままで口を開いた。

 

「ところでエンリ。今回は長く居られそうなのか?」

「うーん、どうだろう? 今日はまた大森林に入るつもりだけど。」

「てことはマツィタケ狩りに行くの!?」

 

母の言葉に、父の目も輝く。

 

「ああ、あれは良い物だったな! また食べたいものだ。ネムも欲しいだろ?」

「うん! おいしかった!」

 

一斉に期待の眼差しを向けられるが、エンリは首を横に振った。

 

「ううん、今回はまだ行ったことの無い場所に行くの。前のマツィタケは東側で採れた物だから。でも見つけたら持って帰るね。」

「そうか・・・。」

 

少し残念そうな顔をする3人だが、エンリにもそれは理解できる。あまりのおいしさに感動して人目も憚らず涙を流してしまった程なのだ。

村人達はあの味を忘れられず、近衛兵団に護衛を頼んで採集に行こうとしたこともあった。わざわざ危険を冒させる訳にはいかないということで丁重に断られたが。

 

「じゃあ、そろそろ行くね。」

「もう? まだ早いんじゃないのか、もっとゆっくりして行けばいいじゃないか。」

「日が暮れるまでにはまた戻るから大丈夫。」

 

心配そうに見つめていた父だが、その言葉を聞いて安心したようだった。

 

「夕飯を作って待ってるわね。」

「うん。行って来ます!」

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

(喜んでもらえてよかったです。モモンガさんの選んだ服、意外と好評でしたね。)

(実は結構自信があったんだよね。)

 

村を出たエンリはすぐに森へと入り、ハムスケの縄張りを通って大森林西部へと向かっていた。前回の探索では森の南と東を回ったので、残るは西と北だ。冒険者の仕事があるので大森林へ立ち寄ることができる機会はあまりないが、モモンガにとって最も手近に存在する未知なので、暇を見つけてゆっくりと制覇するつもりでいた。

エンリの話によると、大森林の西部には“西の魔蛇”と呼ばれる魔獣が棲息しているらしい。同じく森の一部を支配していたグやハムスケの力量を見る限りは大丈夫そうだが、一応警戒しておく必要があるだろう。

 

「やっぱりここは何度来てもいいなぁ。」

 

モモンガが声に出し、森の空気を肺へ取り込む。鼻をくすぐる森の香りを十分に堪能してから大きく息を吐いた。

以前エ・ランテル近郊の森にも入ったのだが、やはり都市が近くに存在することである程度整備されていた。馬車が通れる程度に道が切り開かれ、中腹には山小屋のような物も見受けられた。

それに比べてトブの大森林はまさしく“自然”である。人が侵入するには危険すぎる場所なので、一切手が加えられていないのだ。人工的な建造物はおろかまともな道すらない。時折獣道と思しき物が散見される程度だ。

 

「それがしの支配地を気に入っていただけて嬉しいでござるよ!」

「うん、モンスターも少ないし最高だね。」

 

ハムスケが得意げに鼻を鳴らした。

今モモンガはハムスケの上に乗って移動している。エンリは最初こそハムスケに怯えていたが、自分に懐いている様子を見てペットに対するような愛着が芽生えていた。今では仲のいい友達のように接することができる。

 

(この辺りには無いなぁ・・・。)

(うん? 何がだい?)

 

エンリが脳内で漏らした声に反応する。落胆のような感情も感じた。

 

(いえ、なんだかよく分からないんですけど、周囲に生えている山菜がなんとなく分かるんです。それでマツィタケが無いか探してたんですけど――)

「なんだって!?」

(えっ!?)

 

唐突な大声に、ハムスケの体が大きく跳ねる。不安そうに此方を見上げるハムスケを安心させるように撫でながら、頭を回転させた。

――エンリは俺のスキルであるアンデッド感知の感覚を感じ取ることができた。これは彼女も俺の能力を引き出せると考えていいと思う。ならばエンリが得たスキルを俺が使うこともできるんじゃないか。

 

モモンガは胸の奥へと意識を集中させる。そこには確かにアンデッド感知に似た感覚があった。しかしそれは朧気な物ではなく、どの方向に何が生えているか、情報として頭の中に入ってきたのだ。

 

(これは・・・すごい、すごいぞエンリ! 多分マツィタケを採集しているうちにレベルが上がったんだ!)

(そ、そんなにですか? かなり地味な気がするんですけど。ていうかレベルってなんですか?)

 

恐らく大量のマツィタケを採集した経験値で職業(クラス)レベルが上がったか、新たな職業を獲得したのだろう。それにより周囲に生えている植物を感知するスキルを得たのだ。これまでのアンデッド騒ぎ等でも経験値が入っていそうだが、エンリに新たな能力が芽生えたのはこれが初めてだ。理由はある程度予想がつく。

戦闘と採集の大きな違い。それはエンリが能動的に起こしている行動かどうかだ。つまり、どちらの意思で体を動かしているか、そこに経験値の行方についての鍵があるはずだ。もしエンリが自分の意思で体を動かして戦闘、或いは訓練を行えば、本物の武技を使えるようになる可能性もある。

 

(いや、待てよ・・・?)

 

野盗の塒を襲撃した時、彼らを殴ったのはモモンガの意思ではない。あの攻撃により標的を倒すには至っていないが、戦闘による経験値が入っているかもしれない。

この世界のレベルアップシステムを知らない現状ではまだ判断できず、検証する必要がありそうだった。

 

「この辺りから森の西側に入るでござる。」

 

ハムスケの声に思考を遮られるが、既にやるべき事は考えた。後はエンリにお願いするだけだ。モモンガは鎧を創造してから懇願した。

 

(エンリ、君に頼みたいことがあるんだ。)

(嫌な予感しかしないんですけど・・・。)

 

エンリは山菜の位置を感じる能力も、モモンガの力のひとつだと思っていた。しかしそれを聞いて思考に没頭していた様子を見ると、どうやらそうではないらしい。このタイミングでの頼み事となると、やはり実験の類なのだろう。

 

(もちろん断ってくれてもいいよ。でもこれは今後に大きく関わってくるかもしれないんだ。)

(まあ、私にできそうなことなら・・・。)

 

真摯に頼むモモンガを見ると、これから行うことが重大な意味を持っているということが容易に理解できる。出来得る範囲でではあるが協力したほうがいいだろうと思った。

 

(この森で出会うゴブリンとオーガを全てエンリが、素手で倒して欲しい。)

(す、素手ですか!?)

(大丈夫、俺がオーガを片手で倒すのを見て来ただろう? 同じことをエンリがするだけだよ。)

 

確かにモモンガの言う通りだ。

彼の膂力に加えて大抵の攻撃を無効化する能力もあるため、危険は全く無いと言っていいだろう。素手で戦いを挑むのは少し怖かったが、村を襲った騎士を殴りつけた時と比べると、その恐怖心は極小さな物だ。

だからエンリが示したのは、拒絶の意ではなく疑問だった。

 

(それは分かりましたけど、どうしてそんなことを?)

(えっと・・・簡単に言うと、エンリ自身が強くなれる可能性があるからだね。俺の力の成長はもう限界まで来てるんだけど、エンリは違う。だからこの実験が成功すれば他の便利な能力や武技が使えるようになるかもしれないんだ。今回の山菜感知みたいにね。)

(なるほど、それは確かに大事ですね。)

 

エンリが成長することによって新たな能力を得ることができれば、自身の安全にも繋がる。今回に限っては非常に魅力的な実験だった。

 

「姫、敵でござる。」

「丁度いいところに来てくれたね。ハムスケはそこで見てて。」

 

モモンガがハムスケから飛び降り、エンリに体を委ねる。

 

(もしものことがあれば俺がどうにかするから、心配しないで。)

(はい、やってみます。)

 

言っている間にも4体のゴブリンと1体のオーガが近付いてくる。

エンリは取り敢えずとばかりに先頭のゴブリンを蹴り上げる。不格好に放たれたそれは地面を削り、盛大に土煙を巻き上げた。弾け飛んだ石が後ろにいたゴブリンの額に直撃し、弾け飛ぶ。敵の群れはその圧倒的な力に驚き踵を返そうとするが、駆け出した勢いを消すことができないでいる。

 

(うーん、蹴りは微妙だね。じゃあ次は殴って見て。)

(は、はい。)

 

一瞬で2体のゴブリンが凄惨な状態になってしまったことに驚きながらも、身長の低いゴブリンを殴ろうと構える。そのとき、エンリの脳裏に電撃のような信号が走った。

――低い位置を、殴る。

頭に思い浮かんだ光景をなぞるように態勢を変えた。

両足の間隔を空け、右足を軸として弧を描くように左足を後ろに下げると、流れるような動作で深く腰を下げる。半身の姿勢のまま上体を前傾させ、肩の高さまで左手の拳を引き付けた。

 

(こ、これはッ!!)

 

モモンガの驚きを置き去りにするように、高速の一撃が放たれる。地を擦るような低い位置から、目に追えない拳撃がゴブリンを襲った。

その場にゴブリンの体が転がり、遥かに遅れてその頭部が嫌な音を立てて着地した。漸く方向転換に成功したオーガ達が一目散に逃げ出すが、エンリはあまりの事態に動けなかった。

 

(な、なんですか、これ・・・。)

 

未だに拳を振り抜いたまま固まっている。アキレス腱伸ばしのような姿勢で拳を掲げる姿は傍から見れば異様だが、2人にそれを気にしている余裕は無かった。

 

(俺にもよく分からないけど、多分武技か攻撃スキルだよ! 戦い方を教えてくれる能力っていう線もあるけど、とにかくエンリにも戦闘能力があるんだ!)

「お見事でござる、姫! 格好よかったでござるよ!」

 

1人と1匹は興奮しているが、エンリの心は困惑で埋め尽くされていた。

 

(感覚的には3つ目が一番近いと思います。頭の中に映像が流れてきて、それを真似したんです。)

(なるほど。蹴りでは発動しなかったところを見ると、何らかの条件があるか、拳による殴打にしか適用されないか・・・。)

 

これがユグドラシルにも存在した物であればすぐに理解できるのだが、エンリはこの世界の人間だ。モモンガにとって未知の技術である武技の可能性が最も高い。その場合はゼロから検証していかなければならないだろう。師匠が欲しいところだ。

 

(あ、あの。こんな力いつの間に身に付いたんですか?)

(まだ実験しきれてないから推測だけど、素手による戦闘に限定される能力だとすれば、間違いなく野盗を殴った時だろうね。名付けるなら、そう―――“エンリ拳”辺りか!)

(それは嫌です。)

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

その後2人と1匹は大森林東部に棲息するモンスターを狩り回った。結果として分かったことは、モモンガの推測が概ね正しかったことだ。

エンリが会得したのは、戦闘中に拳を用いた攻撃をしようとした場合、最適な姿勢を瞬時に教えてくれる能力。モモンガの知識に無い能力だったため、この世界特有のスキルか武技だと思われる。暫定的に武技と呼ぶことにした。この武技はモモンガにも使用することができた。アンデッド感知能力の件から考えて、互いの能力はその存在を認知するまでは気付けないのかもしれない。

グレートソードを装備しての戦闘もしてみたのだが、剣を用いた戦闘能力は芽生えていなかった。やはり能動的な行動が鍵になっているらしい。

 

それから残念なことに、エンリとモモンガのステータスは合算されない可能性が高かった。かなりの数のモンスターを狩ったのだが、能力値が上昇したような実感が湧かないのだ。あくまでユグドラシルでの話だが、たった1レベルの差でも馬鹿にできない変化がある。

PvPをかなりの回数こなしてきたモモンガにはその違いがよく理解できるはずだが、最後までレベルアップしたような感覚は無かった。

考えられるのは“モモンガがエンリのステータスを上書きしている”ということだろうか。

 

だとしても、エンリが既に100レベルに到達しているモモンガと一体化しても尚成長できるということが確認できたのは非常に大きかった。ステータスが変わらずとも新たなスキルや武技を獲得することができるのだ。モモンガは新しい職業が実装された時のような高揚感を覚えた。

エンリとしても戦闘面の全てをモモンガに頼りきっていたため、少しでも力になることができるのは嬉しいことだった。率先して戦おうとは思わないが。

 

 

「東、南と来て次は西という訳かのう?」

 

十分な検証を終えて満足しているところに、何もない空間から声がかけられた。モモンガは声のした方を向き、透明化で姿を隠しているモンスターと()()()()()()()

 

「なっ、見えておるのか!?」

「まあ待ってくださいよ。」

 

途端に逃亡を図ろうとしたナーガの腕を掴む。当然振りほどこうと抵抗してきたが、自身の攻撃が全く通じていないのを見て遂に静かになった。

 

「何故殺さん。儂も賢王と同じように配下にするつもりか?」

「勘違いしないで欲しいのですが、ハムスケは自らの意思で私に従っているだけです。強制してはいませんよ。」

 

その言葉にナーガの視線がハムスケに動く。視線の意味を感じ取ったハムスケは大きく頷き、肯定した。

 

「いかにも。それがしは姫を仕えるべき主人と定めたでござる。」

「お主ほどの魔獣が、か・・・。では何の用があって儂の縄張りに侵入したのじゃ。」

 

モモンガはどう返答したものかと悩んだ。

本来の目的は森の探索だ。しかし道すがらエンリが新たな能力を得ていることが発覚し、様々な検証をすることが主目的に変わっていた。

このナーガが透明化を看破された程度で逃亡を選んだことから考えると、その時の様子をどこからか見ていたのだろう。ひたすらモンスターを倒して回る様はただの暴力装置にしか見えない。対話が可能な相手かどうかを確かめるために透明化して近付いてきたのだと推察できる。

 

「まず先に謝らせてください。あなたの縄張りを荒らしてしまい申し訳ありません。」

「それは気にせんでもいいわい。グの奴が姿を消してからは警戒して部下を巣に籠らせておったからの。」

「それは良かった。」

 

初めに対話を選んだだけあって理知的なモンスターらしい。今危害を加えるつもりが無いことを態度で示したため逃げられることは無いだろうと、握っていた腕を離した。

 

「今回は急な目的ができてモンスターを討伐していたのですが、それは既に達成しました。私が森に踏み入ったのは探索がしたかったからです。」

「探索? そのためにトブの大森林に入るとは珍しい人間じゃな。それほどの力があれば容易いことか。」

 

ナーガに此方を疑っている様子は無かった。無駄に疑って怒りを買えば勝ち目が無いことを理解しているのだろう。得体の知れない人間と森の賢王がつるんでいるのだから。

 

「私はあなたに危害を加えるつもりはありませんし、できれば友好的な関係を結びたいと考えています。良ければ名前を教えて頂けませんか? 私はエンリ・エモットです。」

「リュラリュース・スペニア・アイ・インダルンじゃ。亜人種と友好的に接したいとは本当に珍しい人間じゃの。」

「ふふ、良く言われます。あなたのような聡明な相手だと誤解も無く済むのですがね。」

「・・・グが消えたのはそういうことか。全く愚かな奴じゃ。」

 

どうせこの人間を餌だなんだと喚いて機嫌を損ねたのだろう、と頭の中で正解に辿り着いた。

モモンガは先ほどから気になっていることを質問する。

 

「東にいたトロールと面識があるようですね。支配者同士が会うのは普通なのですか?」

「いや、ほとんど無い。儂が奴に会いに行ったのは枯れた森の調査を共同で行おうとしたからじゃ。賢王は縄張りに入った者は問答無用で殺すからの、グよりタチが悪いわい。」

「縄張りを守護するのは当然のことでござる。」

 

ハムスケがいつもの得意げな表情をするが、モモンガは未知を感じさせるワードに食いついた。

 

「枯れた森?」

「そうじゃ。この森の奥に広がる大地で、草の1本に至るまで枯れておる。そこへ入って生きて帰った者はおらん。その死んだ土地が徐々に広がってきておるのじゃ。」

「なるほどなるほど・・・。」

 

モモンガは深く、何度も頷く。

 

(広がってるって・・・カルネ村まで広がると思いますか?)

(今の時点では何も言えないね。原因究明のためにも1度行ってみるべきだと思うけど、どうする?)

(棲家を失ったモンスターが出てくるかもしれませんし、行きましょう。)

(よし、善は急げだ。)

 

モモンガの力を信頼しているだけでなく、多少の戦闘経験を積んで自信が付いてきたエンリは迷うことなく賛成した。

 

「リュラリュースさん、私をそこへ案内してもらえますか?」

「なに? お主とて危険じゃぞ。」

「元はグと共に行くつもりだったのでしょう? 私と共に行った方が生存率は高いと思いますよ。」

「それもそうじゃな・・・分かった、案内しよう。」

 

こうして一行は枯れた森へと赴くことになった。

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

「ここじゃ。」

 

リュラリュースに連れられて森を小一時間ほど歩き、目的地へと到着した。

そこは彼の言葉通り草木が1本たりとも生えていない死んだ土地だった。森との境は線を引いたかのようにはっきりしており、人工的とも思えるような枯れ方だ。浅黒く変色した土からは生気の欠片も感じられなかった。

 

「原因といえば・・・あれしか考えられませんけど。」

「じゃろうな。」

 

エンリが指さした先を見もせずに答える。

そこには高さ100メートルを超えようかというほどの巨木が聳え立っていた。死んだ土地の中心部に、1本だけ。

 

「取り敢えず行ってみましょうか。」

 

リュラリュースは息を呑み、拳を握りしめている。この地に侵入した者が帰ってこなかったというのも、あの巨木が関係していると考えるのは自然なことだ。それでなくともあの大きさだ。畏怖を感じるのも無理はない。

しかし見てみないことには何も始まらない。

 

「本当に行くのか? あれがただの木であることなどまずないじゃろう。生還できる可能性は限りなく――」

「姫が出来なかったことを他の誰かが達成することなど不可能。失敗すれば待つのは死あるのみでござるよ。」

「確かにこの一帯でお主に敵う者などおらんじゃろうな・・・。」

 

もどかしいとばかりに言葉を被せるハムスケだが、それを不快に思った様子は無かった。リュラリュースは遂に覚悟を決めた。

 

「念のためすぐに全員が脱出できるようにはしておきますから、安心してください。」

「全く、本当に得体の知れん小娘じゃ。」

 

どうやってか鎧を掻き消したエンリを見てため息をつくと、皆同時に踏み出した。

その巨大な樹木は距離が縮まる毎に大きさを増して行くように感じる。時折風に揺られ、枝葉の隙間から鳥が飛び立つ。これが普通に森の中に生えていたのなら、ただの巨木にしか見えないだろう。

そして何事も無く木の根元まで到達した。あまりに巨大なそれは、見上げても視界に収め切ることができない。

モモンガは座り込み、木に背中を預けるとひとつの水差しを取り出した。3つのグラスを並べ、それぞれに水を注いで行く。

 

「・・・何をしておる?」

 

あまりに唐突で、場にそぐわなすぎる行動に思考が固まった。

モモンガはただにこやかに笑う。

 

「大きな栗の木の下では仲良くするのが定説らしいですよ。さ、どうぞ。」

「姫、これは栗の木ではないと思うでござる。」

「少しは緊張感という物を・・・ん、この水美味じゃのう。」

 

リュラリュースのグラスへおかわりを注ぎながらこれからのことを話した。

 

「状況的に見てこの巨木が周辺の土から栄養を吸い取っているのでしょうね。となると伐採すれば解決しそうですけど、勿体ないので少しだけ堪能しましょう。」

「風流でござるなぁ。」

「ふむ、たまにはこういう娯楽もよいか。」

 

リュラリュースが納得したのを見て、アイテムボックスから食料を取り出した。食事や睡眠が不要となるマジックアイテムはあるのだが、それでは味気ないので普段は着けていないのだ。モモンガの場合は食事を携帯してもかさばらないため、不便は無かった。

 

こうして穏やかな談笑を始めた。普段は何をしているのか、娯楽は何なのか、主食は、塒は等々。

モモンガの質問攻めが終われば今度はリュラリュースの知識欲を満たす番となり、ハムスケも交えてこれまでの冒険を聞かせた。リザードマンとも交流を持っていることを聞かせた時は嬉しそうに笑った。この時初めて心からエンリのことを信用したのだろう。

 

 

一行はいつまでも雑談をやめず、幾度も水を注ぎなおし、喉を湿らせる度に饒舌になっていった。時間を忘れ長い時間語らっていた彼らだが、遂にそれを遮る者が現れる。

 

「おや? もしやエンリ・エモット殿では?」

 

声のした方へ振り向くと、みすぼらしい槍を持ち、地に付くような長い黒髪をした男が立っていた。その周囲で十余名の武装した男女が油断なく此方を見つめている。

無論接近には気付いていたため、攻撃を仕掛けてくればすぐに反撃できるよう準備していたが、この世界ではかなり上位に位置するだろう武具を全員が装備している様にひとつ心当たりがある。攻撃してくる様子も無いため、会話に応じることにした。

 

「ええ、そうです。あなた方はスレイン法国の特殊部隊、で合っていますか?」

「流石ですね、武装を見ただけで言い当てるとは。」

「この規模でそれほどの装備を整えるとなると、それしか考えられませんから。」

 

隊長らしき青年は肩を竦め、訝し気な表情で問いかけた。

 

「お三方はここで一体何を?」

「ピクニック、ですかね。」

 

ざわり、と場が揺らぐ。

何かおかしなことを言っただろうかとモモンガは首を傾げた。

 

「まさかこの木がどういった存在なのか知らない訳ではないでしょう?」

「勿論知っていますよ。ですから大森林の探索ついでに伐採しようかと思いまして。」

「なっ!」

 

青年―――隊長は遂に声を上げた。

巨木の根元に人影を確認したときは“命知らずが度胸試しに来たのだろう”と考えていた。

しかし近付いてよくよく見てみると3つの人影の内2つは人ですら無かった。その偉容と滲み出る威圧感から、森の賢王と西の魔蛇だろうというのが部隊内での共通認識だった。

だがそうなると森の支配者2体と楽し気に談笑している人物は一体何者なのか。遂にその人物がエンリ・エモットであることを認識した時、隊長が感じたのは“納得”だ。陽光聖典を単独で退けるほどの実力者なのだから、強大な魔獣を前にして平然としていても不思議はない。

しかし彼女は、巨木が破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)と目されている存在だと知りながらもその膝元でピクニックを楽しみ、()()()()()()するとまで言い放った。

この女性はどれだけの力を内包しているのか・・・神官長達の言うように、神人である可能性は非常に高いだろう。何としても敵対は避けなければならない。

 

「それで、皆さんはどうしてここへ?」

 

自分と同格であるかもしれない相手の声で我に返る。向けられている視線は猜疑的な物だ。関係性を崩す訳にはいかないため、誤解されてはならない。

 

「我々もこの木の対処に来たのです。」

「私の代わりに伐採して頂けるのですか?」

「はい、そのために来ました。」

 

それを聞いた少女が笑みを浮かべる。

 

「それは助かります。これで解決ですね、リュラリュースさん。」

「うむ、手間が省けたわい。この者達は強い、もしものことがあっても危険は無かろうて。」

「では探索の続きでござるな!」

 

そう言って去って行く一行を眺めて安堵の息をつくが、それで終わりでは無かった。

 

「そうだ、言い忘れていたことがありました。もう聞き及んでいるとは思いますが、もしもカルネ村に被害が出れば、私は不本意な形で貴国へ赴くことになります。どうかお忘れなきよう。」

「え、ええ、承知しています。」

 

少女はにこりと笑い、一礼してから今度こそ去って行った。

 

「・・・計画の変更が必要だな。」

「上も納得するでしょう。破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)を迂回させて王国に向かわせれば済む話ですが、村に危害が加わらないと思うはずがありません。ケイ・セケ・コゥクの存在を教える訳にもいきませんし。」

「ああ。恐らくあの少女は俺と同格レベル。破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)を倒されたあげく法国へ敵対されれば、被害は甚大な物になる。」

「厄介ですね・・・あの魔獣達との接し方を見ると、最早トブの大森林も彼女の支配下にあるということなのでしょうか?」

「だろうな。」

 

ひとつため息をついた隊員達は、世界を滅ぼす魔樹を討伐するための行動を開始した。

 

 

 

――その様子は、モモンガにより全て見られていた。

 

(やはりあれはただの槍じゃ無いな。それにあのチャイナドレス・・・精神支配系なのは確実だけど、指示を何でも聞くようになるのか、自害を強制するだけなのか・・・。前者だと王国を滅ぼすために使おうとしたのかな。釘を刺しておいて良かった。)

(あの木自体がモンスターだったなんてビックリしましたよ。あの人達とは戦いたくないですね・・・。)

(うん。法国に対してはどれだけ警戒しても損は無さそうだ。)

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

「はぁ、どうして私がこのようなことを・・・。」

 

1人の女性がぼやく。今は単独での任務を遂行中であるためよろしくない行為なのだが、その声は見張りの兵には届かなかった。

 

「手早く済ませて帰るとしましょう。」

 

夜闇に紛れ、塀を飛び越える。身に着けた漆黒の鎧の重さなど感じさせない軽やかな跳躍だった。何らかのマジックアイテムを使用しているのか、着地の音も、鎧同士がぶつかる金属音すらもしない。

難なく王都リ・エスティーゼへの侵入に成功した。

 



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覇王と王都

「姐さん! お戻りになってたんですね!」

「あら、兵団の皆さん・・・え?」

 

エンリを見かけた近衛兵団の面々が笑顔で声をかけてきた。これから再びエ・ランテルへ向かおうとしていたところだが、入れ替わるように村に帰還したようだ。

彼らは問題無く溶け込めているらしく、村人達からの評価は非常に高い。訓練の合間に仕事を手伝ったり、近場までの護衛を引き受けたりと村へ献身的に貢献していると聞いた。

噂話にフィルターをかけてくれている件も含めてお礼を言おうと思ったのだが、彼らが身に着けている物を見て固まった。

 

「なんですか、それ・・・?」

 

近衛兵団の者は全員、白金(プラチナ)のプレートを首にかけていた。

流石にエンリよりはかなり遅い昇級だが、モモンガの力を得ている自分と比べるのは違うだろう。この短期間で白金(プラチナ)までランクを上げるというのは、冒険者の常識で考えると異例の出世と言える。

 

「も、申し訳ありません!!」

 

団員は一斉に頭を下げた。1人の少女に17人の屈強な男達が最敬礼している光景は何とも不思議な物だ。村人達はエンリが彼らのトップだと思っているので表情を変えることは無い。

だがエンリは怪訝な顔をした。

謝るということは後ろめたい事があるということだ。何か不正を働いてランクを上げたのだとしたら、冒険者組合へ報告しなければならない。

 

「3チームに分かれて数をこなしているのですが、流石に姐さんに追いつくまでには至らず・・・。」

「ああ、そういうことですか。」

 

つまりランクを上げる速度が遅くて叱責を受けているのだと思っていたらしい。その程度の事で文句を言うつもりは無いし、そもそも異常に早いのだから文句を言う隙が無い。

何か良からぬ事をやっていた訳ではないことに安堵し、笑いかけた。

 

「思ってたよりずっと早い昇級だったから驚いただけですよ。怒っている訳ではありません。」

「おお、頑張った甲斐がありました!」

 

褒められたことが余程嬉しいのか、肩を抱き合って喜んでいる。

見ていて微笑ましいのだが、そろそろ出発しなければ日が暮れてしまう。久しぶりの再会だが馬車を予約している時間に遅れてはまずいので、モモンガが《転移門(ゲート)》を開き言外に急いでいることを示した。

 

「これからどこかへ向かわれるんですか?」

「はい。1度エ・ランテルへ戻ってから馬車で王都に行く予定です。」

「王都、ですか・・・姐さんなら大丈夫だとは思いますが、あそこには厄介な連中がいます。お気を付けて。」

 

何のことだろうと首を傾げるが、ひとつ頷いて漆黒の門の中へと入って行った。

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

「ここが王都か!」

 

モモンガは満面の笑みを作り、両手を広げて景色を見回した。

道行く人の数はエ・ランテルよりも数段多い。検問所から延びる道は石畳によって舗装され、立ち並ぶ建物は立派な物ばかり。元の世界で実際に見ることの叶わなかった、大昔のヨーロッパのような風景だ。時折聞こえる喧騒や、通りを大急ぎで走るコックのような格好をした者、ガタガタと大きな音を立てる馬車などの騒がしさが非常に心地よかった。

エ・ランテルも活気に溢れた賑やかな場所だったのだが、流石は王都といったところか。

道の真ん中で立ち尽くすモモンガを邪魔そうに避けて行く者も多いが、そんなことにも気付けない程にテンションが上がっていた。

 

(まずは散策ですか?)

(当たり前じゃないか! エンリも見てみたいだろう?)

(もちろんです! やっぱり服屋さんが気になるなぁ。王都なんだからいっぱいありますよね。)

(エ・ランテルよりは絶対多いよ。しっかり変装もしてきたし、今日はひたすら観光だ!)

(はい!)

 

エンリは街を回る時のための変装スタイルで王都に来ていた。エ・ランテルのお気に入りの店で購入した衣装で身を包み、三つ編みも解いて無造作に下ろしている。

王都には王国戦士団以外の知り合いが1人もいないため、例え声を上げたとしても正体を見破られることは決してない――

 

「失礼ですが、エンリ・エモットさんではありませんか?」

 

と思っていた。

慌てて辺りを見回すが、周囲の者がその声に気付いた様子は無い。そのことに胸をなで下ろしてから漸く、爆弾を投下してくれた相手の方へ振り向いた。

 

「はい、そうですけど・・・あなたは?」

 

声の主は、長く美しい金髪で顔の半分を覆いつくした女性だった。この世界では上等な部類に入る黒い鎧を身に纏い、首には冒険者プレートがかけられている。

 

「お会いできて光栄ですわ。私、帝国で冒険者をやっております、レイナと申します。」

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

時は変わってバハルス帝国、王宮内の一室。皇帝の住まう城に相応しい装飾が施されたその部屋に、3人の男女が集まっていた。

王宮の主であるジルクニフと、護衛の任に就いているバジウッド、そして呼び出しを受けたレイナースである。

 

「今回お前に頼みたいのは、聖女様への接触だ。」

「エンリ・エモットですか・・・。」

 

あまりジルクニフと話す機会の無いレイナースですら、その名は聞き飽きる程耳にした。驚くべき早さでプレートのランクを上げ続ける新人冒険者。力だけでなく思慮深さも備えており、最近まで皇帝に“復讐”という真の狙いを気付かせなかったという。しかしその行いから、王宮内では“聖女様”というのが彼女を指す隠語になっていた。

 

「お前にはミスリル級冒険者レイナとして王都に潜入し、彼女の情報を収集してもらう。」

「・・・何故私なのですか? 私ではとても目立ってしまうと思いますわ。」

 

髪で覆った顔の半分を、更に隠すように背ける。

レイナース・ロックブルズは貴族の出だ。高貴な身分でありながらも自らの領地を己が手で守護することに誇りを持ち、侵入してきたモンスターをその手で倒してきた。

しかしある時、倒したモンスターの死に際の呪いにより、顔半分が常に膿を分泌し続ける醜い物に変わってしまった。それを治癒する方法は見つからず、醜聞を恐れた家は彼女を追い出し、変わり果てた姿を見た婚約者は逃げ出した。

レイナースは自分を捨てた者達への復讐と解呪を生きる目的とし、そのために皇帝に仕えているのだ。

ジルクニフの協力によって復讐は終えているものの、呪いの解除方法は未だ見つかっていない。その容姿と四騎士という地位を持つレイナースの名は、そこそこ力のある者なら誰でも知っている。

彼女の疑問は尤もな事だった。

 

「うむ。四騎士が接触を試みれば普通の人間なら気付くだろう。しかし力の無い者を送り込んだところで相手にされない可能性が高い。それに相手は村娘、世情に疎いという報告も上がっている。仕事をこなしている中で呪いを受けたことにすれば気付かれることはあるまい。」

「では“ミスリル級冒険者”について詳しくお聞きしてもよろしいでしょうか?」

 

忌避してやまない“呪い”という単語に舌打ちしそうになるが、何とか堪えた。

 

「冒険者ならば敵国に行っても問題にならないのと、親近感を持たせる狙いがある。力を示すのにも丁度いいだろう。本当は対等な立場で行きたいところだが、オリハルコン級で無名というのは言い訳が難しいからな。」

「しかし本人は騙せたとしても、周りが黙っているとは思えませんが。」

「ああ、だがそれは他の3人も同じことだ。ならば四騎士の中で一番逃げ足の速いお前が選ばれるのは、自然なことだろう?」

「・・・なるほど、承知いたしましたわ。」

 

呪いを解く方法を探すことが現在の生きる目的であるレイナースにとって、帝国よりも文化、魔法共にレベルの低い王国へ向かうのはあまり好ましいことでは無い。しかし、皇帝との利用し合う関係は崩したくないため渋々ながら頷いた。

 

「上手く接触に成功したなら、友好的な関係を築け。それからさり気なく王国の腐敗しきった現状を説き、帝国に興味を持たせるんだ。恩を売っておくのを忘れるな?」

「はっ。」

 

こうして彼女は王都へ向かうことになった。

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

「わあ、紅茶って初めてなんですけど美味しいですね。」

(俺はコーヒー党だけど、これはいいなぁ。)

「ふふ、淑女の嗜みですわ。」

 

モモンガとエンリはまんまとカフェに連れ込まれていた。

エンリの噂は帝国まで轟いているらしく、それに憧れたレイナは本人を一目見たいと遥々王都へやってきたらしい。

同じ冒険者の知り合いができれば、帝国へ赴いたときに融通が利きやすくなるだろうと喜んで誘いに応じたのだ。皇帝の思惑など露知らず、2人は呑気に紅茶の香りを楽しんでいた。

 

 

「帝国にはもっと美味しいお店が沢山ありますのよ。」

 

他の客や従業員に聞かれては雰囲気を壊してしまうため、小声で言う。

 

「そうなんですか。村ではほとんど水か、たまに果実水を飲むくらいだったので想像もできません・・・。」

「よろしければ私が案内しますわ。」

「はい、帝国へ行くことがあったら是非お願いします。」

 

レイナースは優しく微笑むことで答える。今では呪いが解けた後にやりたいことを日記に書き連ねることが趣味になっているが、嘗ては良い紅茶を探すことが楽しみのひとつだった。良質な茶葉を扱っている喫茶店にはいくつか心当たりがある。

紅茶で釣りつつ、情報収集へと移行した。

 

「少し不躾な質問ですが、やはり冒険者になられたのは徴税が厳しいからですか?」

 

冒険者の世界では、個人の問題を詮索することはマナー違反とされている。常に人手不足である組合が手あたり次第に冒険者のプレートを渡すため、正義感から来た者や身分証が欲しいだけの者など様々な人間がいるのだ。相手によっては質問するだけで激昂することもある。

ある種賭けのような質問だが、出自に関する事前情報が正しければ問題は無いはずだ。

 

「いえ、私がいたカルネ村は確かに貧しいところでしたけど、王様の直轄領だったので重税がかけられているというような事はありませんでした。冒険者になったのは、ちょっと恥ずかしいんですけど身も蓋もない言い方をすればお金のためですね。」

(やはり本当の目的は言いませんわね。けれど、金銭的な問題を抱えているのが事実だとすれば此方に引き込むのはそう難しくは無いかもしれませんわ。)

 

エンリ・エモットの真の目的、即ち“襲撃犯への復讐”という点で言えば、ジルクニフほど頼れる相手はいないだろう。その卓越した頭脳と権力を以て短期間で結果を出す男だ。自分(レイナース)という実例もある。

 

「そうだったのですか。王国では飢餓に喘ぐ民が多いという噂を耳にしたものですから・・・変なことを聞いてしまい申し訳ありません。」

「気にしないでください。そういった話は行商人の方から聞いたことがありますから、多分事実なんだと思います。帝国では珍しいことなんですか?」

「ええ。現皇帝が即位されてからは貴族が好き勝手な行動を取れなくなりましたの。貧富の差は簡単には消えませんが、貧困に苦しむ村などは少なくなりましたわね。村娘が貴族に攫われるといった事も滅多に起こりませんわ。」

「へえ・・・。」

 

興味津々といった具合に目を輝かせ、少し身を乗り出してきた。これまでと少し違った反応に戸惑うが、食いつきがいいことには間違いないのでここぞとばかりに畳み込もうとする。

 

「おかわりはいかがですか?」

 

しかしそれは、従業員によって遮られた。

 

「あ、いえ、私は大丈夫です。」

「私も満足いたしましたわ。」

「かしこまりました。」

 

エンリが紅茶を飲んだ感想を聞いていたのだろうか、ウェイトレスは嬉しそうな笑みを浮かべながら一礼し、去って行った。

だがレイナースの心は少しだけ穏やかではない。

 

(もう少しでしたのに・・・。)

 

自分の仕事はエンリ・エモットを帝国へと誘導することまで。そこから先は皇帝がどうにでもするだろう。逆に言えば自分の仕事こそが最も難しいと言える。後一歩というところまできて邪魔されるのはあまり気持ちのいいことでは無かった。

 

「じゃあ、そろそろ出ましょうか。」

「そうですわね。」

 

まずい。このままでは店を出て別れることになるだろう。帝国に少しでも興味を持っている今こそが最大のチャンスなのだ。日を改めて会うこともできなくは無いだろうが、顔を合わせる度に自国の自慢話をしていては流石に不審がられる。

最悪狂信的な愛国者だと誤解され、距離を置かれる可能性すらある。そうなればエンリからの好感を得るどころか、帝国が変人の集まりだと思われかねない。ただでさえ呪いのせいで再会できるかは分からないというのに・・・。

だが、エンリの次の一言によりレイナースの顔に心からの笑顔が浮かんだ。

 

「私はこれから王都を見て回ろうと思うのですが、よかったらレイナさんも一緒にどうですか? まだここに来て日が浅いんですよね?」

 

それはレイナースには、女神の声のように聞こえた。

 

「ええ、ええ! 喜んでご一緒させていただきますわ!」

「え? えっと、良かったです。」

 

エンリがオーバーなリアクションに面食らっているが、それを気に掛ける余裕は無かった。舞い込んだ思わぬ幸運に対して感じてしまった幸福感。それは長く、とても長い間忘れていた感情だった。

その久しぶりの感覚はとても心地良い物だった。そのことに更なる喜びを感じ、連鎖していく。まるで空白の時間を埋め合わせるかのように増幅した感情は、すぐにレイナースの心を埋め尽くした。

 

レイナースはいつものように、時折布で顔を拭っていた。それに付着した黄色い膿に気付かないはずがないだろう。紅茶を楽しんでいる最中にそのような物を見せられれば、普通は不快感を抱く。そして次に嫌悪感を抱くはずだ。化け物を見るような視線を此方に向けてくるはずだった。

だが彼女は違った。上司でも、同僚でもないただの初対面の人間だというのに、醜い自分を躊躇いなく誘ってくれたのだ。

彼女となら友達になれるかもしれない。分け隔てなく、嘗ての自分にもいた友達のように接してくれるかもしれない。

レイナースは、この巡り合わせに深く感謝した。

だが彼女の目的は変わらない。呪いを解くまでは運命の出会いであろうと切り捨てる。その鉄の覚悟で忌避の視線を耐え抜いてきたのだ。

 

(失敗したくはありませんわね。)

 

エンリと殺し合うのはできれば避けたい。任務に失敗すれば帝国の敵となる危険がある。冒険者である以上政治や国同士の争いに手を出すことはできないが、何事にも例外はあるのだ。

今のレイナースはこれまでにないほどやる気に満ちていた。

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

(頭がいいのは分かってたことだけど、流石に驚いたわね。)

 

王城を出たラキュースは1人で大通りを歩いていた。

今回ラナーに会いに行ったのは、八本指が運営していた麻薬密造地から回収した機密文書らしき物を見せるためだ。見たことのない文字で書かれており、周辺の国で使われている言語では無いことは確かだった。誰の目から見ても暗号である。

解読方法を探すために相談しようと思っていたのだが、なんとラナーはその場ですらすら解読を始め、あっという間に内容を暴いてしまった。

彼女に対して“能天気なところはあるけどしっかりした女性”という印象しか持っていなかったラキュースは、冷や汗を流さずにはいられなかった。ここまで頭が回ることは知らなかったのだ。

 

(でも、おかげで漸く奴らの拠点がはっきりしたわ。逃げられる前に決着を付けないと。)

 

麻薬を栽培している畑は、これまでに幾度も襲撃をかけてきた。下っ端の下っ端である売り子を捕えたところで何の意味も無い。そのため大本である生産地を直接叩いてきたのだ。

文書が存在している支部が陥落したという情報はすぐに伝わる。そうなれば大規模な襲撃を恐れて拠点を変えるに違いない。

それを見逃せば再び居場所を突き止めるのに相当な時間がかかり、その間も奴らの暗躍は止まらないだろう。無理をしてでも攻勢に出る必要があった。

 

(まずは報告ね。)

 

頼れる仲間が待っている宿屋へと急ぐラキュースだが、不意にその足が止まった。

その目に映っているのは、漆黒の鎧を纏う女性。長く伸ばした髪の間から美しい顔が半分だけ覗いている。

 

(あれは“重爆”のレイナース? こんなところにいるはずが・・・闇の人格が見せている幻覚!?)

 

ラキュースはその女性を注意深く観察する。隣に立っている少女には見覚えが無いが、四騎士と親し気に話している様子を見ると、帝国の工作員か現地協力者といったところか。

外見は至って普通の街娘で、一見無害にしか見えない顔立ちだ。レイナースと行動を共にしているのを目撃していなければ絶対に気付けなかっただろう。

 

「ギガントバジリスクの群れ、ビーストマンの群れ、アンデッドの群れって・・・群ればっかりでしたね。」

「繁殖期なのかもしれませんわ。」

「アンデッドの繁殖期・・・?」

 

出て来た単語には聞き覚えがあった。現在組合に張り出されている高位冒険者への依頼だ。レイナースが首に冒険者のプレートをかけていることから、自分が冒険者であることを強調するための演技と考えるのが妥当だろう。

しかしその会話に少女が参加しているのはどういう訳なのか。少女が着けているのはプレートではなく、銀のネックレスだ。身分を偽っている可能性はあるが・・・。

 

(全く情報が足りていない・・・大事な時だっていうのに。)

 

本来ならば宿屋へ直行し、計画を練らなければならない。だが帝国四騎士の1人が王都へ潜入しているとなっては放っておけない。

ラキュースは慣れない尾行を開始した。

 

 

 

(つけられていますわね・・・隠れる気があるのかしら?)

 

レイナースには一瞬でばれていた。当然ながらラキュースの尾行など素人丸出しで、護衛の任務に慣れている四騎士の目は到底誤魔化せない。

それは感知スキルを持たないモモンガでも気付けるレベルの物だったが、浮かれ気分の彼は前しか見えていなかった。

 

「レイナさん、どうしました?」

 

突然黙り込んだレイナースへ、エンリが語りかける。

 

「尾行がついていますの。」

「っ!」

 

エンリが声を上げかけるが、すんでのところで抑えた。

 

「何か心当たりは?」

「私、帝国では少しばかり名が知れていまして・・・恐らくはそれに関する相手かと。」

「なるほど。とにかくここでは不味いですね、人気の無い方へ行きましょうか。」

「ええ。」

 

同時にくるりと向きを変え、真っ直ぐに歩き出した。王都で最も人目に付かない場所など訪れたばかりの2人には分からない。だから組合でチラリと目を通した地図で見た場所――墓地へと向かったのだ。

 

(雰囲気が急変した・・・此方が本当の姿ですか。陛下を欺くだけのことはありますわ。)

 

親しみやすい村娘のような態度は消え去り、冷静沈着な戦士の表情がそこにあった。あの尾行に気付けなかった事実には能力を疑わざるを得ない。しかしその存在を知らされた時の端的な確認といい適格な判断といい、場慣れしている様を伺わせる。

尾行の対処に慣れているということは、対人戦闘の経験が豊富であることは確実。やはり裏の世界を渡り歩いているのだろう。

 

()()という目的は最早確実ですが、これも報告した方がよろしいですわね。)

 

ジルクニフはエンリの目的が復讐であると確信していたが、その信憑性を増す情報が無駄ということは無いのだ。

エンリがあまりにも無防備に情報を垂れ流していることに若干の不安はあるが、情報の精査は自分の仕事ではない。質よりも量を持ち帰る方が先決だと自分を納得させた。

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

(この辺りでいいかな。)

 

2人は尾行者を引き連れたまま、墓地の入り口へ辿り着いた。軍事拠点とされているエ・ランテルの墓地よりは流石に小さいが、此方の規模もなかなか大きい。

尾行者も人気の無い方へ誘導されていることには気付いているはずだが、追跡を辞める気配は無かった。余程レイナを重要視しているのか尾行の初心者なのか、はたまたエンリの正体に気付いている者なのかは知らないが、此方としては好都合だ。

モモンガは懐からひとつの巻物(スクロール)を取り出し、呪文の詠唱と共に軽く放った。

 

「《兎の耳(ラビッツ・イヤー)》」

 

巻物(スクロール)に炎が灯り、灰となって散る。同時にエンリの頭部に一対の耳が生えた。まるで本物のようにぴょこぴょこと動くそれに、特に意味は無いが両手を添える。

 

「それは?」

「聴覚を増幅する魔法です。見た目は・・・まあ、気にしないでください。」

(すごく気になるんですけど・・・。)

(多分似合ってると思うよ。俺も見てないから分からないけど。)

 

エンリは自分がどういった状態なのか確認することができない。

だが、耳から入ってくる情報量が増えたことは感じた。大音量で聞こえてくる訳ではなく、音を拾う範囲が大きく広がり、小さな物音でもはっきりと認識できていた。追跡者と思しき人間の息遣いまで聞き取れる程である。

だからこそ、現状には全く関係ない音でも聞き漏らすことは無かった。

 

(この音・・・墓地からですか? 何してるんだろう。)

(掘っているのは間違いないね。1人みたいだし葬式では無さそうだ。墓荒らしかな?)

 

金属を地に突き立てるような音と、土が落とされる音。それが何度も規則的に響いていた。日が沈み暗闇に包まれた墓地に1人でいるだけでも怪しいというのに、穴を掘っているというのでは不審者以外の何者でもない。

わざわざ魔法を発動したのは相手の位置と数を把握するためなのだが、偶然にも対応すべき案件を見つけてしまった。

 

「レイナさん、墓地に人間がいます。恐らくただの墓荒らしです。どうしますか?」

「そうですわね・・・もし尾行している者と戦闘になれば目撃されてしまいますわ。厄介なので先に対処しておきましょう。」

「そうですね。」

 

一応レイナの意見も確認し、墓地内へと歩を進める。尾行者も同様だ。

 

(対処ってどうするんですか?)

(レイナさんの出方にもよるけど、気絶させて適当な記憶に書き換えれば済むと思うよ。)

 

そう気楽に考えていたモモンガの目に映ったのは、予想外の――いや、それもあり得ると思っていた光景だった。それに大きく心を乱されたのはエンリだけだ。

眼前にはスコップを両手に持つ厳つい男。ここまでは想定していた物と一致している。しかしその足元に転がっている物はエンリには想像し難く、許し難い状態の物・・・人間だった。

全裸で投げ出されたその女性の体は痣で覆われ、顔面はボールのように膨れ上がっている。変色した全身から血が滲み出し、虫よりもか細い息でかろうじて生きている状態だった。

どんな凄惨な虐待を、どれだけの時間受ければこのようになるのか、エンリには全く理解できない。ただ分かるのは、此方を睨みつけている男に対する殺意だけ。

 

エンリの脳裏に家族の姿がちらつく。

こんな事態だというのに、思い起こした記憶の中の両親は穏やかに微笑んでいた。傍らには無邪気に笑うネム。その和やかな光景に―――血が混じる。徐々に広がっていく赤い染みは家族を飲み込み、遠ざかって行った。エンリを置き去りにして遥か遠くへ。

 

――この人にも、家族がいたのかな?

 

頭にビリビリと電流が走る。今すぐその男を殺せと叫んでいる。やることは簡単だ、頭に流れて来た映像に体を委ねてしまえば全てが終わる。だがほんの少しだけ残った理性がそれを拒む。この激情を受け入れてしまえば、きっともう戻れない。

 

(・・・もしも誰かが、あと少しだけ優しかったなら、こういうことにはならなかったかもしれないね。だけどそうじゃなかった。)

 

モモンガの悟ったような声が聞こえてくる。彼には自分の全てが伝わっているだろう。とても隠すことができないほどの悲しみと、暗く渦巻く物が。

そしてもし彼が悪魔だったなら、妖しく囁きかけただろう。「躊躇うことなど何もない」と。

だが、彼は優しかった。

 

(それでも今は落ち着くんだ、エンリ。近衛兵団が言ってたことが少し気になる。拷問した後で俺が殺すよ。)

 

ただしそれは隣人愛の類では無かった。

その優しさが向けられているのは、この場においてたった1人。

 

「わ、私、は・・・」

 

――私はただ、みんなが楽しく笑っていられればいいんです。

その言葉が発されることはない。様々な感情で混濁した頭と震える唇から出すことのできた声は、これだけだった。

 

一瞬の気の緩みで理性のダムは決壊し、電撃のような信号で支配される。戦い方を教えてくれるだけのはずなのに、激情が、エンリの心が体を突き動かしてしまう。そんな物は偽善に過ぎないとでも言うように、葛藤するエンリを嘲笑うかのように。

言うことを聞いてくれない左足が一歩踏み出した。

 

(そうか・・・それが君の望みなら――)

「ち、ちがっ!」

 

握りしめた拳が真っ直ぐに男へと向かっていく。時間がやけに間延びして感じられるが、攻撃を止めることはできなかった。

 

「待ちなさい!」

 

本当の意味で自分の手を汚す時が来たのだと半ば諦めかけた頃、背後から声がかけられた。それと同時に、腕に大きな逆方向の力が加わる。誰かに掴まれている訳ではない、モモンガがブレーキをかけているのだと経験から理解できた。

結果的に男は死なずに済んだが、歯を撒き散らしながら吹き飛び、動かなくなった。

 

 

 

ゆっくりと振り向いた少女の顔を見て、ラキュースは息を呑んだ。

それは怒りに満ちた物では無い、悲しい物だった。悲しみ、怒り、憐れみ、安堵、様々な感情が入り混じったような何とも言えない表情だ。だが、頬を伝う一筋の涙が少女の心情を痛いほど良く教えてくれる。

 

「アダマンタイトのプレート・・・蒼の薔薇の方ですか? こんな所までつけてきて、一体何の御用でしょうか。まさかこの男を庇う訳ではありませんよね。」

 

その表情は一切変わらないのに、口だけは雄弁に語ってくる。その姿はとても哀しく、ラキュースの心は酷く痛んだ。尾行がばれていたことなど気にならない程に。

 

「その前に、あなたの名前を教えて頂けませんか?」

 

だが、聞いておかねばならない。

少女の突きは凄まじい物だった。一歩踏み込む気配を見せた時に制止の声をかけたのだが、言い終える前に男を吹き飛ばしていた。

一目見ただけで分かる。その強さは帝国四騎士を凌ぎ、蒼の薔薇の面々にも引けを取らない物だ。

帝国がそれほどの強者を隠し持っており、それを王都へ投入したとなると、次の戦争で王国は壊滅的な打撃を受けるだろう。少しでも情報を得てラナーに伝えなければならない。

しかし、その思いは完全に杞憂だった。少女がプレートを首にかけ、2本のグレートソードを地に突き刺したのだ。冒険者ならばそれだけで相手が誰なのか理解できる。

 

「私はエンリ・エモットです。それで、ご用件は?」

 

あまりの衝撃と感動に、答えを返すことができない。

 

「ああ、やっと会えました・・・やはりあなたは優しいのですね!!」

「はい?」

 

少女の正体を知り、全ての糸が繋がった。

“重爆”が王都へ潜入していたのはエンリ・エモットと接触を図るため。ミスリルのプレートを付けることで無知な村娘を騙し、取り込もうとしていたのだろう。エンリが変装をしていたのも無用なトラブルを避けるためだ。しかし帝国には身長や顔立ちが伝わっていて付け込まれてしまったというところか。

だが自分がその思惑に気付くことが出来た。これ以上帝国に好きにされることは無い。

 

そして垣間見たエンリの人柄。

虐げられ、死の淵に追いやられている女性を見て我が事のように傷付き、涙を流している。自分が信じていた噂の通りだった。これまでも多くの悪と戦い、その姿を誤解されてきたのだろう。でなければ“血塗れ”に代表されるおどろおどろしい異名の数々が広がるはずがない。

彼女になら八本指のことを話しても大丈夫だと思った。

 

「いえ、失礼しました。私はその男の所属する組織と拠点を知っています。しかし・・・。」

 

ラキュースの視線がレイナースへ動く。

ただの部外者ならまだ良い。しかし四騎士となるとこの重大な情報を伝える訳にはいかない。

 

「私も協力いたしますわ。」

「えっ!?」

 

――しかしレイナースは恩を売る好機を見逃さなかった。自国の内情にすら明るくないエンリと違い、周辺国にもその名を轟かせる八本指の存在は熟知している。王国で奴隷を扱うことができるのは最早彼らしかいないということも。

 

「レイナさん、いいんですか? あなたには関係の無いことだと思いますが・・・。」

「恐らく犯人は八本指でしょう。彼らの密造した麻薬は帝国にも回ってきていますの。決して無関係ではありませんわ。」

「いえ、流石に他国の方を巻き込む訳には・・・。」

 

ラキュースは焦った。

レイナース程の地位にあれば王国の汚点を知っていても何ら不思議はない。だが彼女は信用できない。

彼女の言うように、八本指は帝国にも麻薬を流している。帝国としては看過できない問題だろう。だが積極的に八本指の駆逐に関わってこなかったのには理由がある。国を蝕み弱体化させている存在を利用しているのだ。収穫期に仕掛けている戦争も合わせて、大きく衰退した所を併呑するつもりだろうというのがラナーの考えだった。

ならば今回の襲撃に参加するふりをして、此方の動きを八本指へ伝えられる恐れがある。

 

「レイナさんはとても良い人ですよ。信じていいと思います。」

「・・・分かりました。ではレイナー――さん、よろしくお願いします。」

「ええ、こちらこそ。」

 

早く会いたいと焦がれていた少女が断言した。

エンリはとても優しい心の持ち主だ。その信頼を裏切って敵へ情報を流したとなると、レイナースの評価は地に落ちる。つまり帝国へ取り込むことは不可能になるのだ。戦争している国に恩を売られるのはあまり好ましくないが、エンリがここまで信じ切っている人物なら問題ないだろうと自分を納得させた。

 

「では場所を移しましょうか。宿屋に仲間が集まっているはずなので、女性を治療してから向かいましょう。」

「治癒魔法が使えるのですか? でしたら此方の巻物(スクロール)をお使いください。」

 

少女が懐から巻物(スクロール)を取り出し、気絶している男の方へ歩き出した。

 

「エンリさん? 一体何を?」

「私達の存在が露見しないように、おまじないをするだけですよ。」

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

(エンリ、大丈夫かい?)

(・・・はい、ごめんなさい。)

 

エンリとモモンガは、蒼の薔薇の冒険者――ラキュースに連れられ、彼女達が活動拠点としている宿屋を訪れている。

その道中で、エンリが嗚咽を上げて泣き始めた。モモンガの問いかけにも答えず、嫌悪の感情を渦巻かせてただただ涙を流し続けた。それは宿屋に到着し卓を囲んでも収まらず、事情を知らない面々を驚かせた。

ラキュースの話を聞いた彼女達は優しく見つめるような視線を向けてきた。普通に考えれば、女性を襲った悲劇に悲しんでいるのだと思うだろう。

今エンリの胸中にある感情を知っているのはモモンガだけだ。

 

(私はあの時、自分の心に負けたんです。人はみんな変われるって、アベックさん達みたいに良い人になれるって分かってたのに・・・私はあの人を殺――)

(エンリ。)

 

再び黒く染まり始めたエンリの心を見兼ねて、言葉を遮った。

 

(世の中には、生きてちゃいけない人間っていうのが確かに存在するんだよ。今回は偶々それが目の前に現れたってだけなんだ。エンリの行動は何も間違っていない。)

(そんなことありません! 兵団の皆さんは変われたじゃないですか!)

(あの人達はまだ()()に嵌っていなかったってだけだよ。

 少し辛い事を聞くけど、村を襲った騎士にも同じことを言えるかい? アンデッド騒ぎを起こした組織の人間達、冒険者を大量に殺したあの女はどう?)

(そ、それは・・・。)

(堕ちた人間はもう救えない。救えないんだよ、エンリ。奴らはただ害を撒き散らす存在。人間には戻れないんだ。)

 

――それでも、私は・・・。

 

エンリの心は、ただ沈んで行く。

 



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王都のモモンガ

薄い照明に照らされた閑散とした酒場。すべてのテーブルには純白のクロスと花瓶が置かれ、豪華な内装も相まってそこらの酒場とは違うことを嫌でも認識させる。そこに腰を下ろす者は数えるほどしか無い。全ての冒険者の憧れである最高級宿の宿泊費は、当然ながら簡単に支払える額ではない。ここでは見慣れた光景だった。

その広い空間の奥、いくつものテーブルを素通りしたその先にある隅の席、最も目立たないテーブルが彼女達の指定席となっている。一見すると地味な位置取りだが、王国最強と名高い彼女達が座ることによって最も華のある場所へと昇華していた。

そこへ集う7人の女性は酒場の人間の視線を釘付けにした。普段は目を付けられることを恐れて関わることを避けているが、尋常でないことが起こっていることは確かだ。反射的に聞き耳を立ててしまうのも無理はない。

しかしどれだけ耳を澄ましたところで、彼女達の声が聞こえることはない。仮面の魔法詠唱者(マジック・キャスター)の魔法によって音が遮断されていることも、この場の全員が理解していた。

 

「遅かったな、ラキュース。それで、そちらの見慣れたお客さんと見慣れないお客さんはどういう事情だ?」

 

ガガーランが警戒を隠すことなく問う。泣きじゃくる街娘には見覚えが無いが、その横にいるのは間違いなく“重爆”のレイナース。身に纏う雰囲気と他にない容姿から、それ以外の何者でもないことは明らかだった。

 

「えっと、どう説明したらいいのかしら・・・。まず此方がオリハルコン級冒険者のエンリ・エモットさん。」

「は? こいつが?」

 

眼前で涙を流し続けている女性が噂の絶えないエンリ・エモットであることを知り、目を丸くする。ガガーランと同様に訝しげな視線を向けていたイビルアイも似たような反応だ。ティアとティナだけは察しが付いていたのか、驚きは薄い。

 

「そしてこの人がレイナー――さんなんだけど、ちょっといい?」

 

ラキュースが4人の座るテーブルへ歩み寄る。左手を突いて顔を中央へ寄せると、もう片方の手を口元へ添えた。同時に4人もそこへ顔を近づける。

 

「“重爆”がここにいるのは、恐らくエンリさんを帝国に取り込むためよ。街で偶然見かけて後をつけたんだけど、そこで娼館の人間と出くわしちゃって・・・。」

「なるほど、それで・・・。」

 

イビルアイが横目でエンリを眺める。

違法娼館で行われている事の一端を垣間見てしまったのだろう。そこに立つのは物々しい二つ名に似合わない純情な少女だった。

 

「ラキュースの予想が正しかった訳か。だが、それを分かっていて何故ここに連れてきた? これ以上エンリ・エモットと接触させるのはまずいだろう。」

「そうなんだけど、“重爆”が八本指の襲撃を手伝うと言い出したのよ。エンリさんも彼女のことを信頼しているみたいだし、断れなくて。」

「じゃあよ、レイナースの正体を明かせばいいんじゃねえのか? 陰謀があって近付いて来たって教えてやりゃあ、泣き虫の嬢ちゃんも――」

「それはダメ。」

「ガガーラン、脳筋。」

 

姉妹に言葉を遮られ、片眉を上げる。無論これはただのポーズであり、短くない付き合いの仲間に不快感を抱くことなどそうそう無いのだが。

 

「悔しいけど、国としての魅力では帝国には敵わないわ。エンリさんは村の出身でしょう? 村への愛着はあっても国への執着はないと思う。村の平和を約束する代わりに軍門に下れとでも言われたら――」

「滅ぼす側に回りかねないってか。面倒なことになっちまってるな・・・。」

「だが、エンリ・エモットの前で妙な事が出来ないということでもあるぞ。ただでさえ手が足りないんだ、ここは利用したほうがいい。」

 

帝国が大した変装も無しに四騎士を送り付けてきたのは、見つかったとしてもどうにでもなると踏んでのことだろう。事実四騎士、それもレイナースを捕える事など簡単なことではないし、これを問題にしたところで帝国の侵略が止まることはない。エンリを王国に繋ぎ止める鎖すらないのだ。むしろ八本指という王国の暗部を見せてしまい、貴重な人材が他国へ流出する可能性が高まった。

内外から為されるがままの状態に歯噛みしつつも、全員が頷いた。

話が纏まったところで、示し合わせたように一斉に元の姿勢に戻る。

 

「お待たせしました、まずは座ってください。」

「ありがとうございます。」

 

ラキュースが椅子を引く。レイナースは優雅に一礼して、エンリは無言でそれに腰を下ろした。

蒼の薔薇がレイナースについて話し合っている間にエンリの嗚咽は止んだ。しかしその涙を拭うことはなく、流れた跡が未だ鮮明に残ったままだった。

 

「エンリさん・・・大丈夫ですか?」

「はい、みっともない姿をお見せして申し訳ありません。」

 

エンリは表情が抜け落ちたような顔のまま、平然とした声で答えた。

ラキュースはこの光景を見るのは二度目。前回は様々な感情で彩られた顔だったが、声の調子はあのときと全く同じ物だった。

 

「では早速状況の説明をしたいのですが、その前に。レイナさんにエンリさん。おふたりは今回の件に協力してくださると認識してもよろしいですか?」

「もちろんですわ。」

「ええ、協力させてください。」

 

八本指の構成員に攻撃を仕掛けていたことから確認するまでもない事のように思えるのだが、これは重要なことだ。聞いておかねばならなかった。

 

「ありがとうございます。現在の状況ですが、私達は八本指の所在を突き止めることに成功しました。しかしこの事は恐らく相手にも伝わっているので、急がなければなりません。明日にでも襲撃を決行する予定です。」

「八本指は8つの部門からなる組織と聞いていますわ。この人数では戦力不足ではありませんか?」

「その通りです。当初はチームを2つに分け、迅速に1つずつ処理していく予定でした。」

「蒼の薔薇だけで、ですか? 王国の衛兵や戦士団に頼むことはできないのですか?」

「本当に何も知らないんだな。」

 

エンリの呈した疑問に、イビルアイが溜め息混じりに説明する。

 

「八本指は多くの貴族を取り込んでいる。国を動かす大貴族やそこらの衛兵、誰が八本指の手先なのか見当も付かない。これは秘密裏に行わなければならない作戦なんだ。」

「そこまで腐って・・・いえ。少なくともガゼフさんなら大丈夫なはずです。」

 

エンリの様子には明らかな落胆と失望が見えた。視界の端に映るレイナースの唇が僅かに吊り上がる。

ラキュースは大きな危機感を覚えたが、嘘を伝える訳にもいかない。

 

「戦士長の率いる王国戦士団は王直属の親衛隊なんです。それが王の元を離れて八本指の征伐に向かうのは色々と問題が・・・。」

「貴族の横やり。」

「ガゼフは動けない、無能。」

「――ふふっ。」

 

ティアのあんまりな物言いに、遂にエンリの顔に笑みが浮かぶ。

それを見たラキュースも跳ねて歓びを露にしたいところだったが、ぐっと堪えて軽く微笑むだけに留めた。

 

「でしたら、3箇所分くらいの手勢なら私が用意できます。」

「噂の近衛兵団か?」

「ええ、まあ。」

 

ガガーランが腕を組み、眉根を寄せる。

 

「・・・それはやめたほうがいいな。生半可な力で拠点を潰せるほど甘い組織なら、ここまで国に浸透できねえ。最近鍛え始めたばっかの連中じゃあ返り討ちにされるだけだぜ。」

 

戦力が少しでも増えるのは喜ばしいことだ。現時点で集まっているのはたったの7人。2人か3人のチームで巨大組織の拠点を潰すというだけでも成功するか怪しい。それを一夜に何度も行うのだから、制圧に失敗するどころか全滅の可能性もあった。

それでも、実力の足りない者を襲撃に参加させる訳にはいかない。無駄死にするだけならまだいい。警戒心を強めた組織が撤退を早め、見つからない場所に潜伏してしまうかもしれないのだ。

それを理解しての事なのか定かではないが、エンリは気負うことなく答えた。

 

「大丈夫ですよ。街のチンピラに負けるほど軟弱な鍛え方はしていないはずですから。」

「甘く見過ぎ。」

「そこらのごろつきとは訳が違う。」

 

姉妹の忠告もどこ吹く風とばかりに肩を竦める。

 

「同じですよ。私の真なる力を以てすれば、英雄もまたチンピラに等しい。」

「っ!?」

 

ラキュースは目を見開き、卓上へ身を乗り出した。まるで電光のような速度で行われたそれは、姿が消えたようにも見えた程である。

その視線が向けられている本人は、酷く落ち着いた様子で両肘を突く。指を絡ませて手を組むと、そこへ顔を寄せて口元を隠した。大きな悩みを抱えている姿勢にも見えるが、その目に宿る光はオーガを射殺せるのではないかと思うほどに鋭い。

対照的にゆっくりと行われた一連の動作を見たラキュースは、益々平静を失っていく。

 

「エンリさん、まさかあなたは――!!」

「私の二つ名の意味・・・お見せしましょう。」

 

エンリは不敵に笑った。

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

モモンガは17人と1匹の前に堂々と立つ。

円らな瞳を少しだけ鋭くして此方を見つめるハムスケと、緊張した面持ちの近衛兵団。その背後に見えるのは巨大な木箱。前後左右どこを見回しても同じ物ばかりが並んでいる。唯一確認できる外の情報は、くり抜いたように四角形になった夜空だけだ。

この区画は倉庫街として利用されており、民家はほとんど存在しない。わざわざ四方から死角になっている場所を選んだこともあって、発見される可能性は極めて低い。それに加えて、モモンガは蒼の薔薇との会議の直後に彼らを呼び出した。つまり今は夜中。誰かに見られるとすれば、それは何か()()な仕事に就いている者くらいだろう。

 

「まずはこれを読んでくれ。」

 

モモンガがくしゃくしゃになった羊皮紙を懐から取り出し、ぞんざいに放る。アベックが両手を差し出すが、その軌道が大きく外れていたため片手を伸ばして受け取った。

羊皮紙を広げると、そこに記されているのは3行だけ。それぞれ密輸、金融、奴隷売買の文字で始まり、その後に住所らしき物が続いている。

 

「姐さん、これは?」

「招待状だよ。」

「招待状・・・?」

 

兵団の面々の表情が困惑で埋め尽くされる。こんな時間に呼び出しを受けたものだから、緊急の要件だと思っていたのだ。

だがすぐに、彼らの予想が間違っていなかったことを知る。

 

「うん、王都裏側観光ツアーのね。昇級祝いに私が申し込んでおいた。ガイドを務めてくれるのは誰だったかな。八本腕? 六指・・・?」

「あ、姐さん、そりゃあ――」

「もちろん予定が合わないなら断ってくれて構わない。私が今から中止を伝えに行く。」

「なっ!!」

 

近衛兵団の者は皆、エンリが何を言っているのか理解していた。

王都裏側観光―――即ち、八本指との戦争。

自分達がそれを拒めば、エンリは1人で王国最大の犯罪組織へ喧嘩を売ると言っている。そんなことを許容できるはずがなかった。

 

「予定など何も入っていません! ありがたくお受けします!」

「そうか、それは良かった。では明日・・・いや、今日の夜だな、各班それぞれの場所へ集合してくれ。割り振りは任せる。詳細な日程はまた伝えるよ。」

 

そういって踵を返し、ゆっくりと去って行く。この場の全員が、徐々に小さくなっていく背中を木箱に隠れて見えなくなるまで見つめ続けた。やがて遠ざかる足音も聞こえなくなり、夜の静寂に包まれる。虫の羽音すらしない空間に、彼らはただ立ちすくんでいた。

未だにドヤ顔を続けているハムスケだけは、鼻をひくつかせて辺りを見回していたが。

 

どれだけの時間が経過したのか分からなくなった頃、アベックが歩き出す。その先にあるのはただの木箱。その唐突な行動に目をやる者は1人としていなかった。

木箱まであと10歩というところまで来ても、彼は止まらない。あと3歩、2歩、1歩のところで漸く立ち止まり、拳を振り上げた。

 

「クソッ! クソ、クソ、クソがッ!!」

 

殴りつけた木箱に穴が空く。穴に嵌った腕を忌々しそうに引き抜くと、別の場所を殴りつけた。何度も何度も繰り返し殴りつける。腕を抜く度に鮮血が舞うが、それを気に掛けることは無く、止めに入る者もいなかった。

 

「八本指め・・・姐さんに何を見せやがった!」

「あんな姐さん、見たことが無いな。」

 

彼らは、エンリを傷付ける方法がひとつしか無いことを知っている。

圧倒的強者である彼女に何かしたところで、その心はこゆるぎもしない。エンリを傷付けたいのなら他者を嬲るしかないのだ。

沈黙が一転して険悪な雰囲気が漂い始めた中、ディーフが軽い足取りでアベックへと近付く。その手から羊皮紙を抜き取り、少し眺めてから頷いた。

 

「わりぃが、ここは俺が貰うぜ。」

 

指さしたのは“奴隷売買”と書かれた行。

 

「そこを選ぶからには失敗は許されんぞ。しくじれば・・・分かってるな?」

「俺がトチると思ってんの?」

 

視線が交錯する。

ガフが脅すような事を言ったのは、ディーフの失敗を恐れたからではない。ここにいる誰もが奴隷売買部門――娼館への襲撃を望んでいるのだ。自分達の慕う存在を傷付け、まるで別人のようにしてしまった憎き存在、その可能性が最も高い場所を破壊したい。それが共通の想いだった。

エンリの頼みでないのなら、残りの2箇所など無視して全員で押し掛けただろう。

 

「分かった、娼館はお前に任せる。」

「おい、アベック!!」

「落ち着くんだ、ガフ。ここまで具体的な指示を受けたことなど今までにあったか? 私達は姐さんに任された。漸く役に立てる時が来たんだ。これをもっと重く受け止めろ、感情に流されるな。」

 

まだ言い返そうとする雰囲気を見せたガフだが、歯軋りの音を響かせて黙り込んだ。

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

モモンガは1人、通りを歩く。

王城から続く大通り。昼間は多くの人が行き交い喧騒に包まれていた場所だが、その広い道を進むのはモモンガだけだ。

 

(蒼の薔薇の人たちに大見得を切っちゃったけど、流れ的に仕方ないよね。)

 

視界に映るのは石畳で舗装された道と、歩を進める自らの足。

 

(ああでも言わないと認めてくれないと思ってさ。)

 

照明の無い街路。月明かりだけが照らす薄暗い道を歩く。

 

(・・・ああ、近衛兵団の事かい?)

 

舗装されている区画が終わり、砂を踏みしめる音が規則的に夜の街に響く。

 

(荒事を別の物に例えるというのはよくある話じゃないか。それで笑いを取ることができれば士気も上がるんだよ。)

 

人がいなくなり静まり返った露店が密集している地域を抜け、宿泊する予定の宿を通り過ぎる。

あてどなく、縮こまった背中を更に小さくして、ただ黙々と歩く。

 

(ははは、失敗しちゃったみたいだけどね。)

 

ふと足を止め、視線を上げる。大通りとは対照的な粗い道が続き、こぢんまりとした建造物が並んでいる。正面に高く聳える塔のてっぺん、その上に広がる雄大な星空を眺めた。瞳に溜まった涙が溢れ、頬に一筋の線を作る。これはどちらが流した物か、彼にも分からない。

 

「エンリ、返事をしてくれ。もう、1人は嫌だ・・・。」

 

夜闇に溶けて消えてしまいそうな掠れた声で呟く。

モモンガは1人、歩いていた。

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

(眩しい・・・。)

 

横合いから差す光に眉を顰める。いつの間にか閉じていた瞼を光から庇うように腕で覆った。

どうやら眠っていたらしい。昨夜はひたすら歩き続けていたはずだが、今は柔らかいベッドに横になっている。精神的に疲労していたからか記憶が曖昧で、どうやって宿に辿り着いたのか思い出せなかった。まるで二日酔いの朝のように気怠い。

ふと自分が寝ているベッドから、より正確には自分の横から漂う良い匂いに気付く。それに引き寄せられるように寝返りを打つと、左手が何かとてつもなく柔らかい物に受け止められた。

 

「んぅ・・・。」

 

艶めかしい声がやけに遠くから聞こえた気がする。意識がはっきりしないままに、漸く重い瞼を上げた。

視界いっぱいに映ったのは、未だ見慣れない、生気に溢れる美貌。今にも鼻先が触れ合いそうな、吐息がかかるほどの距離。自然とその艶やかな唇へと視線が動く。

一気に顔が紅潮し、鼓動がドラムロールの如く早まるが―――

 

「ひょわああああああ!!」

 

それを自覚するよりも、ベッドから転げ落ちる方が早かった。

その珍妙な叫び声と盛大な落下音を聞き、女性が跳ね起きる。

 

「何事!? って、エンリさん。どうしたの、怖い夢でも見た?」

(な、何が起こっている。何で昨日より親しげなんだ。)

 

身体を起こしたラキュースを凄まじい速度で視界から外す。彼女は一糸まとわぬ、とまではいかないが、非常に肌色の多い格好をしていた。急いで視線を落とした先にもまた、肌色。自分もラキュースと同じような格好だったのだ。目のやり場に困ったモモンガは、首を90度に回して壁を見つめる。ベッドの脇に備えられた卓の上に、2人の衣服が綺麗に畳まれていた。

ベッドが軋み、すらりと伸びたラキュースの足が目に映る。白く透き通ったそれはガラス細工のように光輝いて見えた。彼女はそのまま立ち上がり、少し屈むと手を差し出した。

躊躇いながらもその手を掴む。今度はラキュースの瞳を見つめ、決して視線を下げないように。

手を借りて何とか立ち上がったモモンガは、急いで後ろを向いて問いかけた。

 

「あの、これは一体どういう状況ですか・・・?」

「やっぱり覚えてないのね。エンリさん凄かったのよ、ビックリしちゃった。」

(な、なんだってーーっ!!)

 

モモンガの頭の中は更に混迷を極める。

彼女の言葉は、これまでに何度も見てきた光景をフラッシュバックさせた。仕事での失敗、女友達と自棄酒、ホテルでの目覚め・・・。もちろんその経験は無いが、昔のドラマでは頻繁に見かけるシーンだった。

 

(なんてことだ・・・俺はどうすれば・・・。)

 

昨夜の記憶を必死に漁る。蒸気が出るほどに頭を働かせるが、それらしい記憶は一切見当たらない。自棄になって何がなんだか分からなくなっていたのだろうか。

 

「まあ落ち着いて。何か飲みながらゆっくり話しましょう。」

 

ラキュースが2人分の衣服を手に取り、朝日よりも眩しく微笑んだ。

 

 

 

「はい、どうぞ。」

「ありがとうございます。」

 

ラキュースがカップに紅茶を注ぎ、丁寧に差し出す。震える手を必死に抑えて取っ手を握るが、カップとソーサーが触れ合ってカタカタと音を立てた。紅茶の表面が波打ち、今にも零れそうだ。まるでモモンガの心情を形容しているかのようだった。

 

「えっと・・・大丈夫?」

「え、ええ。いただきます。」

 

溢れてしまわないように注意しながらカップを持ち上げ、口元へ寄せる。その果実のような爽やかな香りは、ざわつく心を多少ながらも落ち着かせてくれた。火傷しないようにゆっくりと、少しだけ口に含む。

 

「どう? お口に合うかしら。」

「とても美味しいです。飲みやすい味ですし、香りがいいですね。頭がすっきりします。」

「そうでしょ。朝はいつもこれを飲んでいるの。」

 

ラキュースは嬉しそうに2回頷くと、自らも紅茶を手に取った。彼女がカップを置くのを待ち、本題へと入る。

 

(大丈夫だ、ラキュースさんに変わった様子は無い。妙な事にはなっていないはずだ! 自然に、自然に聞けばいいんだ。)

 

親密さが増しているということを意識の外へ追いやる。

まるで呪文のように“自然に”と繰り返し、意を決して口を開いた。

 

「そ、それで・・・昨夜は一体何があったにょでしょうか?」

(全然無理でしたーッ!)

 

過度に意識して言葉のひとつひとつに力を込めた結果、ド派手に噛んでしまった。これでは何が起こったのか大体察していると言っているような物である。焦りによって再び混乱し始めた頭を沈めようと、カップを手に取る。

ラキュースは彼の失態を気にした風もなく、口元を隠して上品に笑った。

 

「本当にビックリしたわよ。急に座り込んだと思ったら眠ってるんだもの。」

「え?」

「あっ・・・ぐ、偶然! 偶然エンリさんを見かけて、奇遇にもその瞬間を見かけたの。本当よ? 土で汚れてたみたいだったから体を拭っておいたんだけど、迷惑だった?」

「な、なるほど・・・!」

 

やはり妙な事は何も無く、至って普通の話だった。彼女が半裸になっていたのは、余計な物を身に着けていると眠れないタイプだからというだけだろう。エンリもそうであると仮定して、服を着せないまま寝かせたとすれば納得できる。

モモンガは張りつめた糸が緩むように脱力し、肩を落として項垂れた。彼は作戦会議が終わった後、兵団の担当する場所を紙に書いてもらってからすぐに宿屋を出たのだ。自分の連絡先を伝えることをすっかり失念していた。それさえ忘れていなければこんなハプニングに陥ることは無かったのだが、過ぎた事は仕方ない。

首を傾げて不安そうに此方を見つめるラキュースを安心させるために、両の手の平を突き出した。

 

「いえいえ、迷惑だなんてとんでもない。とても助かりました、ありがとうございます。」

「良かった。もうあんなところで寝ちゃダメよ? 今は物騒なんだから。()()。」

「そうですね、不用心でした。」

 

こうして話が一段落した時、室内に腹の音が響く。昨日色々な事があって夕食をとっていなかったのだ。緊張が弛緩したことで体が空腹に気付いたらしい。

ラキュースが席を立ち、微笑を浮かべる。

 

「よかったら外で朝食をとらない? 丁度いいお店があるの。」

「それはいいですね、是非行きましょう。」

 

2人は手早く紅茶セットを片づけた。

 

 

 

「ふぅ・・・。」

 

店から出たモモンガは満足気なため息を漏らし、腹部をさする。

早足気味に向かった大衆食堂でのオーダーはラキュースに任せた。この店を良く知っているであろう彼女に頼んだ方が良い物が食べられるというものだ。

店員が運んできたのは、ありふれた朝食。目玉焼きの横に2枚のベーコン、瑞々しい野菜のサラダと、主食のパンだ。飲み物には果実水が用意された。

それらは特別美味ではないが、まさしく“丁度いい”物だった。朝食として重すぎず、けれども程よく胃を満たす。ラキュースが勧めるのも頷けた。

 

「エンリさん、今日の予定は何かある?」

 

ラキュースが少し緊張気味に問う。

何か重大な事を聞いているような様子に小首を傾げた。

 

「いえ、特にはありませんが。」

「そう! じゃあ少し付き合ってくれないかしら。私が王都を案内するわ。」

「・・・。」

 

モモンガは歩みを止めて俯いた。陰の差した表情をラキュースが心配そうに覗き込む。

数瞬の間そうしていた2人だが、やがてモモンガが顔を上げ困ったように笑った。

 

「そうですね、お願いします。」

 

彼女と共に行動することが少しでもエンリの心を軽くしてくれれば・・・。

モモンガにはそう願うことしか出来なかった。

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

「少し失礼を・・・。」

「おおっと、そうはいかねえ。」

 

腰を浮かしたレイナースの肩に腕を回し、強引に座らせる。

 

「今日の夜は長くなりそうだからな。もっと親睦を深めようぜ?」

「普段なら感心しないところだが、今日くらいは戦う前に酒を酌み交わすのも悪くないだろう。」

「あなたはまだ子供ではありませんか。お酒を飲んではいけません。」

「な、なんだとっ!」

 

イビルアイがテーブルを叩いて立ち上がった。

彼女は見た目こそ未成熟な子供だが、その正体は伝説の吸血鬼“国堕とし”。人間の寿命では考えられない時間を生きており、彼女にしてみれば周囲の全ての人間こそが子供なのだ。しかし体の成長は完全に止まってしまっている。プライドのために秘密を公にするなどできるはずもなく、こうして屈辱的な扱いを受けることは少なくなかった。

レイナースはそんなことを知る由もないのだが、イビルアイへ視線が集まったのをいいことに脱走を図る。

 

「私はエンリさんに用がありますの、申し訳ありませんがお酒を嗜む暇はありませんわ!」

 

言いながら勢いよく立ち上がり、脱兎の如く駆け出す。

椅子が音を立てないまではいいが、背を向けての逃亡はあまり気品のある物ではない。時に躊躇なく外聞を捨てる姿勢こそが、彼女の逃げ足の早さの秘訣なのだ。

 

「ティア!」

「がってん。」

 

とはいえ、事前に打ち合わせ済みである蒼の薔薇のチームワークにはとても及ばなかった。スキルを使用して素早く背後に接近したティアにより羽交い締めにされる。不利な体勢となったレイナースに為す術はなかった。

 

「一体これはどういう――ひゃあ!」

「くんかくんか、よいにほい。」

「・・・お前は何をやっているんだ。」

 

蒼の薔薇が裏で打ち合わせていた事。それは現在行っているように、レイナースを足止めし、宿へ釘付けにする作戦だ。

その目的は言うまでもなく、エンリ・エモットに王国への帰属意識を持ってもらうため。彼女は、少なくとも八本指との戦いが終わるまでは王都に滞在することになる。その後どこへ行くのかは彼女の気分次第なのだ。この一件が解決するまでに何かアクションを起こす必要があった。

しかし、彼女は国の暗部を見てしまった。そんな場所をたった1日で好きになってもらうなど並大抵のことではない。それでも出来る限りの努力はしなければならない。王国最強と謳われる自分達に匹敵する強者が味方に付くのか、敵となるかの瀬戸際なのだから。

 

そんな訳で、1人がエンリに“綺麗な王都”を見せ、残りの4人で邪魔をしてくるであろうレイナースを抑えるという作戦が立てられた。考案者はラキュース、会議の進行役もラキュース、エンリの案内役に立候補し、強引に決定したのもラキュースだ。

彼女は自分が案内役であることの重要性を熱弁すると、後は任せたとばかりに宿を飛び出していった。

 

「別にあんたをどうこうしようってんじゃねえ。仲良くしたいだけだよ。」

「仲良くしたいのならこの人を引き離して欲しいのですけれど・・・ち、ちょっと、どこを触っていますの――」

「よいではないか、よいではないか。」

「いいぞ、もっとやれ。」

「ハハハハ!」

 

こうして大騒ぎしている間も、音を遮断する魔法はしっかりとかけている。周囲の者にはさぞ不思議な物に見えているだろう。

 

「まったく・・・。」

 

何とも言えない状況になりつつあるが、レイナースの足止めに成功しているのは事実。

仲間の奇行を目の当たりにしたイビルアイの仮面の下は、複雑な表情に彩られていた。

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

モモンガは手すりを掴み、眼下に広がる街並みを見下ろした。

建物も、馬車も、家路を急ぐ人々も、全てが小さく見える。

 

「いい眺めですね。」

「そうでしょ。普段は誰も来ないけど、ここが王都で一番綺麗な景色が見られる場所よ。」

 

2人がいるのは、昨夜モモンガが見た高い塔。

今日は1日中ラキュースに連れられて様々な場所を訪れた。王都で有名な観光スポットから何でもない八百屋まで、ありとあらゆる場所へ行き、沢山の人と出会った。

それでも、エンリが反応を返すことは無かった。唐突に妙な行動をしても、大げさな物言いをしても、抗議の声を上げるどころか何の感情も伝わってこない。王都を一望している現在に至っても、水の波紋程度の揺らぎすら無かった。

 

何となく右手を上げ、王都を訪れた時に通った門を指さす。

 

(あそこから王都に入って、あそこでレイナさんに出会った。あの店で紅茶を飲んで、あっちの店で服を見て・・・あの露店で飲み物を買って、冒険者組合に行って、それから――)

 

すらすらと宙を泳いでいた手を固く握り締める。

空を見上げると、赤く染まった雲が触れそうな程に低く見えた。

 

(許さんぞ・・・死など生ぬるい程の苦痛と絶望を与えてやる・・・。)

 

ゆっくりと沈んで行く夕日を忌々しげに睨んだ。

 




大冒険伝説様、kuzuchi様
誤字報告ありがとうございます。


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薔薇の強襲

―――私は、何をしてるんだろう。

 

モモンガと最後に会話してから、体の全てを委ねて自分の中に引きこもった。

暗く閉ざした心の中で、ただひたすらに考え続けた。

彼の呼びかけが聞こえた気がする。彼の様々な感情が伝わってきた気がする。しかし、それに答えるだけの気力が沸かない。

 

暴力に晒された女性を見て、それを棄てようとする男に殺意を覚えてしまった。感情が命じるままに体を動かし、男を殺しかけた。

いや、殺したと言っていい。ラキュースの制止が無ければ確実にそうなっていたのだから。

 

人は誰だって変われる。十分に生活ができるような環境を用意して、ほんの少しだけ背中を押してあげれば普通の人間に戻ることができる。そうして“死を撒く剣団”は“近衛兵団”になったのだから。あの男だって、兵団に加入してもらえば改心してくれるはずだ。

 

――村を襲った騎士にも同じことを言えるかい?

 

その質問に答えることはできなかった。

騎士達だって変われる。沢山の人と触れ合って温かさを知れば、きっと良い人になれる。だが、心の底では彼らを憎らしく思う。村を焼き、隣人を殺し、両親を手にかけたあの男達が、憎い。

そんな者達を救いたいなどとは毛ほども思えなかった。

墓地にいた男も同様だ。救えるんだという気持ちと、許せないという気持ちがある。ひょっこりと現れた矛盾が酷く苦しい。

 

救うか、殺すか。

つい最近まで単なる村娘でしかなかった自分に、今ではそれを選択する力がある。敵の切り札である翅の怪物を一撃で倒し、精強な魔獣を屈服させ、見上げるような巨木のモンスターの足元でくつろげる程の、絶大な力を宿している。

これまで深く考えることはしなかったが、他人の生殺与奪など自分の機嫌次第でどうにでもなるのだ。気に入らない人間を消すことに苦労は無いだろう。

自分の主観で他人の生死を選択する。自分はその業を受け入れられるだろうか。その重圧に耐えられるだろうか。

 

自分はこれまでに何人もの人間を殺してきた。それはモモンガによって行われたことで、どこか他人事のように捉えていた。殺されても文句が言えない事をしてきた相手なのだから、特に気に病むことは無かった。

今になって殺すことに思い悩むのは。我が儘なことなのだろうか。

 

「本当に、もう救えないんでしょうか。殺すしかないんでしょうか。」

 

ただでさえ纏まらない思考が、考えれば考えるほど混濁していく。自分が何を考えているのか、何がしたいのか、分からなくなっていく。

長く思考の海に浸っても、結論を出すことはできなかった。

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

「そろそろ時間ね。」

 

まともに先を見通すことのできない薄暗闇の中、7人は定位置で1本の蝋燭を取り囲んでいた。

酒場の営業時間はとうに過ぎており、彼女達以外は客も従業員もいない。照明も全て落とされている。街灯の無い大通りを歩く者もおらず、内外共に静寂に包まれていた。

自然と委縮してしまいそうな雰囲気の中、卓を囲んでいた女性の1人が立ち上がる。

 

「エンリさん、近衛兵団の方々は?」

「彼らには直接現地へ向かうよう指示しました。開始時刻も伝えてあります。」

 

ラキュースはひとつ頷き、視線を外すと卓を囲む仲間達を見渡した。

 

「では、最後に確認をします。ティアとティナは暗殺部門。」

「了解、鬼ボス。」

「了解、鬼リーダー。」

「イビルアイ、ガガーランは賭博部門。」

「おう。」

「うむ。」

「レイナさんは近衛兵団の方と共に奴隷売買部門。」

「・・・承りましたわ。」

「そして最後に、私とエンリさんで警備部門。よろしくね、エンリさん。」

「はい、こちらこそ。」

 

ぐるりと回った視線が再びエンリの元へと戻り、一瞬だけ片目を瞑る。

その意図が分からなかったモモンガは、とりあえずウィンクを返しておくことにした。

秘密の合図のような物を堂々と交わされ、他の面々はあまり面白くない。ガガーランがテーブルに頬杖を突き、呆れた表情で問いかけた。

 

「けどよ、本当に2人で大丈夫か? 警部部門っつったら六腕がいるところだろ。何人かは他の護衛に回ってるだろうが、ゼロは確実にいると思うぜ。」

 

謎多き組織である八本指だが、“六腕”の名は広く知られている。警備部門最強の6人にして、八本指最強の戦闘集団。その実力は冒険者のアダマンタイト級に比肩するとも噂され、八本指に対抗しようとする者が現れない理由のひとつになっている。

 

「安心して、エンリさんの実力はこの目で見てるわ。彼女とのコンビなら大丈夫よ。」

「自信があるのはいいけどよ、慢心し過ぎじゃないか? 警備部門を最後に回して全員でかかればいいと思うんだがな。」

 

六腕の存在だけでも厄介だが、警備を生業としている以上、構成員の1人1人が平均以上の戦闘能力を有しているはずだ。

 

「警備部門は真っ先に潰さなきゃいけない。組織の戦力さえ奪ってしまえば、一部を取り逃がしたとしても大きな問題にはならないわ。これは誰かがやらなきゃいけないことなの。」

「・・・そうかい。死ぬなよ、ラキュース。」

「皆も、気を付けて。」

 

その言葉を最後に立ち上がった彼女達の表情は、真剣そのものだった。

 

 

 

「エンリさん、準備はいい?」

 

自身の身長の倍はあろうかという高さの塀を見上げながら、突入の確認を取る。

返事はすぐに返ってくると思っていた。しかし、暫く待ってもエンリの声が聞こえない。どうしたのだろうと顔を横へ向けると、彼女は力無く俯いていた。

 

「ラキュースさん。八本指の連中は、何度牢に入れても意味が無いんですよね。」

「ええ、貴族との繋がりを利用してすぐに釈放されるわ。」

「殺すしか、ないんですよね。」

「・・・少なくとも六腕に関しては、その通りよ。」

 

上位にある者達を消して組織を瓦解させなければ、この戦いは終わらない。仮に八本指を束ねる者達全てを同時に捕えたとしても、甘い蜜を吸いたい貴族が釈放してしまうのだ。

これは宿での話し合いの際、既に伝えている。流石にもう忘れたということは無いだろう。ラキュースには、エンリが必死に自分に言い聞かせているように見えた。

 

(本当に優しい人だわ・・・できれば巻き込みたくなかった。)

 

後悔の念を抱き顔を伏せる。

その視界に映るエンリの足が、漸く鎧によって包まれた。話に聞く鎧を呼び出す能力だろう。だが、それは噂通りの物ではない。

ゆっくりと顔を上げ、エンリの鎧を眺める。

どれだけ瞬きを繰り返しても、それは目の覚めるような紅ではない。例えるなら、昏き深淵の底を覗き込んでしまったかのような、漆黒。

不意に吹き抜けた風が、赤いマントを柔らかく揺らした。

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

「何かあったか?」

「いや、何も。上もここと同じような状態だな。」

 

階段から降りてきたイビルアイに問いかけるも、予想通りの返答に肩を落とす。

ガガーランは体ごと後ろを向き、広い室内を見渡した。

あるのはただの床と壁。椅子はおろか、テーブルのひとつすら無い。まるで人のいなくなった廃墟のような状態だが、そうでないことは素人目にも明らかだった。壁や床に規則的に残っている跡が、最近までそこに家具類が置かれていたことを物語っている。

 

「一歩遅かったってところか。」

 

悔しさを隠すことなく拳を強く握り締める。

作戦開始時刻と同時に踏み込んだ時、賭博部門の本拠は既にもぬけの殻だった。まるで高級宿のような外観で周囲に溶け込んでいるのだが、家具も人の姿も見当たらない。1階が受付及び待合室、上階が賭場として使われていたことは床の汚れ具合から推察できたが、それだけだ。

 

「まだ()が残ってるぞ。」

「・・・そうだな。何か手がかりが残ってりゃいいんだが。」

 

2階へ続く階段の横にぽっかりと空いた穴。その先には地下へと続く長い階段があった。当然そこにあったはずの照明は取り払われ、終点を見通すことはできない。

これは2人が見つけた物ではなく、最初から隠すことなく存在していた。手前の床が日に焼けていないところを見ると、普段は棚か何かで見えないようにしているのだろう。

逃げるのに必死で隠蔽するのを忘れていたのか、地下の存在が知られても問題無いのか。堂々と晒された秘密通路は何とも不気味に見えた。

 

イビルアイが魔法を発動し、小さな光源を作り出す。まだ敵が残っている可能性を考え、足を踏み外さずに歩ける程度の明るさに留められていた。

罠が仕掛けられていないか簡単に確認し、ガガーランが先に踏み出す。突発的な出来事に関しては、重装備であるガガーランの方が対応しやすいのだ。イビルアイの反射神経ならば即座に防御魔法を展開することも可能だが、魔力はできるだけ温存しておきたかった。

 

「ガガーラン、どう思う?」

 

イビルアイが前触れも無く口を開いた。

多くを省略した言葉だが、その意味を聞き返すことは無い。

 

「地下通路を逃亡中ってのが一番嬉しいんだが、そうはいかねえんだろうな。上と同じような光景が広がってるんじゃねえか?」

「私も同意見だったんだが・・・。」

「ん?」

 

言い淀むイビルアイに、足を止めて振り返る。

いつも自信を持った物言いをする彼女にしては珍しい光景だった。

 

「妙だとは思わんか? 奴らがわざわざ建物の構造を晒すはずがない。」

「そうかもしれねえが、今は考えるより行動だぜ。俺達だけ成果無しってのはまずいだろ?」

「・・・ああ。」

 

イビルアイは靄を振り払うように頭を振ると、歩みを再開する。

警戒しつつゆっくりと降りていたのだが、何事も無く下層へ辿り着いた。階段が終わってすぐのところに鉄製の扉がある。ガガーランの身の丈よりもやや大きな扉には無骨な傭兵の模様があしらわれ、重厚感を漂わせている。

慎重に近付いて取っ手を掴み、ゆっくりと押し開いた。

 

「こいつは・・・。」

 

目に飛び込んできたのは、眩い光。地下に採光用の窓などあるはずもなく、これが人工的な光であることは確実。《永続光(コンティニュアル・ライト)》が付与された光源がそのまま残されているのだろう。逃亡の際にこれ以上の荷物は持ちきれないと判断されたのか、あるいは――。

 

「お待ちしておりましたよ。」

 

未だ光に慣れない目を強引に開き、声のした方向を見ようと顔を上げる。

階段にしては踏面も蹴上も大きな段差がいくつも続き、最下段に腰ほどの高さの塀。その塀によって円形に囲まれた場所の中心部にその男は立っていた。

 

「闘技場たあ、洒落た場所を選んだな・・・マルムヴィストさんよ。」

「私如きの名を貴方がご存じとは光栄ですね。」

 

眼前に広がっていたのは、闘技場だった。

地上から続く階段は、客席部分の中間辺りに繋がっていた。観戦に来る貴族はそう多くないだろうに、客席はかなりの数が収容できる作りになっている。数百人は軽く入るだろう。

如何に巨大組織といえども、ここまで大規模な物を裏で作り上げていたことに驚愕を禁じ得ない。

 

「やはり罠だったということか。しかし、お前1人で私とガガーランに勝てると本気で思っているのか?」

「まさか。しかし、金を受け取った以上やらなければならないのですよ。逃げる時間くらいは稼がないと六腕の名に傷が付きますしね。」

「ほう? つまり、ここの連中はまだ中にいるのか。」

「おっと、これは何たる失態。地下通路からの逃亡を知られてしまうとは。」

 

マルムヴィストはわざとらしく拳を額に当てる。

その気取った仕草に構うことなく、男の背後に見える入場門を顎で指した。

 

「ここは俺に任せろ。イビルアイは逃げ腰の連中をとっ捕まえてくれ。」

「おやおや、いいのですか? 2人一斉に来られては私に勝ち目が無かったところですが。」

「はっ、俺1人でも十分だぜ。」

 

マルムヴィストの安堵しているのか挑発しているのか分からない言葉も聞き流し、軽々と跳躍する。ガガーランの鍛え抜かれた筋肉は見た目にそぐわない敏捷性を発揮し、難なく塀を飛び越える。大きく砂を舞わせながら着地すると、素早く刺突戦鎚(ウォーピック)を構えた。

軽く目を上へ向けると、ガガーランの跳躍よりも遥かに高い位置にイビルアイの姿が見えた。

 

「では頼む。できるだけ早く戻る。」

「おうよ。」

 

イビルアイはそれだけ言うと向きを変え、全力に近い速度で入場門へと飛び去る。

2人は、すぐに闇の中へと消えた彼女を動くことなく見送った。

 

「追わない、か。奥で待ち構えてやがるな?」

「ばれていましたか。下手な芝居を打つ必要もありませんでしたね。」

「よく言うぜ、隠す気なんか無かっただろ。」

 

男が肩を竦め、レイピアを引き抜く。いよいよ戦闘が始まるかのように思えたが、その手は下げられたままだ。これから殺し合いをする人間とは思えない穏やかな笑顔でひとつの提案をしてきた。

 

「ここは賭博部門ですし、賭けをしませんか? 賭け金は互いの命で。」

「おもしれえ。勝負の内容は?」

「ルールは単純ですよ。どちらが先に、肉塊になるか。」

 

その勝敗の付け方は野蛮極まりない物だった。

ガガーランは彫りの深い顔に、更に深い笑みを浮かべる。

 

「乗ったぁ!」

 

その場に豪快な粉塵を残し、マルムヴィストへ肉薄した。

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

「これが拠点?」

「しょぼい。」

 

双子は揃って眼前の建物を眺めた。

王都の外れに暗殺部門の本拠が存在するとのことで襲撃に来てみたはいいが、この外観は期待外れもいいところだった。全て木材を用いて建てられた建物は既に朽ち果て、そよ風が吹いただけで倒壊してしまいそうだ。屋根はところどころ剥げ落ち、頼りない壁には多くの隙間が空いていた。

敷地内も荒れ放題で、草は鬱蒼と茂り、歪な形の木々が無秩序に乱立している。

これが本当に奴らの塒だとしたら、「八本指などとうの昔に壊滅した」と言われても信じてしまいそうな惨状である。

 

「私は表。」

「私は裏。」

 

とはいえ、何も確認をせずに作戦終了とはいかない。簡単に分担を決めると、姉妹の内1人の姿が掻き消えた。これはスキルを使用して移動したためであり、その軌跡は常人では決して感知できない。

まるでその瞬間を待っていたかのように、あばら家の扉が軋みを上げて開かれた。

 

「ヒヒヒ、まんまと策に引っかかるとは、蒼の薔薇の双子は馬鹿なのか。」

()()部門を名乗るなら、もっと気配を殺すべき。」

 

無論、双子はあばら家に潜む人間の気配に気付いていた。それを分かっていて戦力を分けたのだ。

敵の発する殺気、視線、気配がはっきりと知覚できていた。本人達は隠れているつもりだったのだろうが、“忍者”である彼女達からしてみれば、それは三流以下の技術。警戒に値しない烏合の衆と言えた。

 

「生憎と俺は暗殺部門の人間じゃないんでな。分かるだろう?」

「全く知らない。誰?」

「は?」

 

自信に満ちた表情で話していた男が素っ頓狂な声を上げる。

 

「・・・警備部門だ。ここまで言えば――」

「知らない。」

「ろ、六腕の――」

「知らない。」

「サキュロン―――!!」

「全然知らない。」

「ふざけんなッ!」

 

謎の男は遂に地団太を踏んだ。

 

 

 

 

 

何も無いはずの建物の影から、突然少女が現れる。髪は後ろで1つに括られ、身を包んでいるのは赤を基調とした身軽な装備。俊敏性を意識した装束は自然と露出を増やしていた。

普段から何の感情も示さない表情をそのままに、街道を歩いているかのような軽さで歩み出す。少々釣り目がちながらも不思議な魅力を感じさせる容貌を、月明りの下へ晒した。

 

「23人。」

 

ぽつりと、ただそれだけを呟く。何も知らない者が聞けば、意味を為さない単語にしか聞こえないだろう。しかし、それが魔法の合言葉だったかのように周囲の草や木々がガサゴソと音を立てた。

 

「さすがは元イジャニーヤの頭領殿。全部お見通しか。」

 

ぞろぞろと草むらから這い出て、或いは木から飛び降りてきたのは、総勢23人の男。それは決して諦めを孕んだ緩慢な動きではなく、獲物を追い詰める獣のような機敏さで1人の少女を円状に取り囲んだ。

それを見た少女はがっくりと項垂れ、大きなため息を溢す。

 

「はぁ・・・。」

「どうした、流石の頭領殿もこの人数相手じゃお手上げか?」

「失格。」

「――っ!」

 

元の姿勢に戻った少女の顔を見た男達は、息を呑んだ。

その表情にはやはり何の変化も無い。暗殺部門の精鋭23人を相手取って、感情に揺らぎを与えることすらできていない。挙句の果てには“失格”の烙印まで押された。

 

「ふ、ふん、下らんはったりはやめておけ。手早く済ませるぞ。」

 

敵のリーダーらしき男の声で、23人が一斉に円の中心にいる少女へと躍りかかる。暗殺部門の名に恥じず無駄の感じられない動きだが―――次の瞬間、少女の姿が消えていた。

 

「お前達に足りない物。それは―――」

「上か!!」

 

頭上から降る声に顔を上げる。降り注いでいたのは声ではなく、いくつものクナイだった。それは1本も外れることなく、次々と男達の肩に突き立って行く。

ひらひらと木の葉のように舞いながら包囲の外へ着地した少女は、またしても姿を消す。

 

《闇渡り》

 

「ぐぎゃっ!」

 

少女とは反対方向にいた男の1人が悲鳴を上げた。

 

「服装、隠形、声、姿勢―――」

 

少女がひとつ言葉を発する度に、離れた場所で悲鳴が上がる。

 

「思考、聴力、筋力、判断力。そして何よりも―――」

 

23度悲鳴が上がったところで少女の動きが止まり、男達に背を向ける。両足を揃えて直立すると、両手の人差し指を立て、片方の人差し指を掴んだ。所謂“忍法”のポーズである。

右足を引いて腰を落とし、印を解いて両手を後方へ振り払う。

 

「ロマンが、足りない。―――《爆炎陣》」

「ぐわああああぁぁっ!!」

 

盛大な爆発が戦いの終わりを告げた。

 

 

 

 

 

「くそっ、俺だって六腕だってのに。畜生、何で・・・。」

「そろそろいい?」

 

謎の男の独り言が漸く小さくなってきたタイミングで声をかける。男は我に返ったように顔を上げると、必死の形相で問い詰めてきた。

 

「なあ、本当は知ってんだろ? “幻魔”のサキュロントだよ。」

「知らない。」

 

身振りまで交えて自分をアピールしてくる男をバッサリと切り捨てた。

実際のところ、勿論サキュロントの存在は知っている。しかし話に聞くサキュロントと今目の前にいる男では、実力に差があり過ぎた。つまり「こんなに弱そうな六腕など聞いたことも無い」と言っているのだが、初対面の人間が彼女の言葉を理解することなど不可能だろう。

 

「・・・もういい。だったらその身に刻め。警備部門最強の6人“六腕”が1人、“幻魔”のサキュロントの名を!」

 

言い終えるよりも早く、サキュロントの姿が6つに増える。

 

「さあ、どれが本物の俺か、分かるか、なっ!?」

「影分身は忍者の特権。」

 

少女の姿もまた、対抗するように6つに増えていた。

焦りに魔法の制御を誤ったのか、サキュロントの作り出した幻影が掻き消える。その隙を逃すことなく、6人の少女がそれぞれ全く同じ動きで飛びかかった。

 

「問題。本物のティナはどれ?」

「ク、クソ!」

 

本物を見分ける能力など持ち合わせていないサキュロントは、運を天に任せて剣を突き出す。予想だにしていなかった事態に敗北を確信していたのだが――ずぶりと、切っ先が沈みこむ感触が伝わった。5つの幻影も動きを完全に停止している。

 

「かはっ。」

 

腹部に剣を突き立てられた少女が吐血する。

思わぬ幸運に踊り出しそうになる心を抑えながら腕を捻り、剣を乱暴に引き抜いた。

 

「はは、はははっ! 俺の勝ちだ!!」

 

少女の体がゆらりと揺れ、膝から崩れ落ち―――ひょいと顔を上げた。

 

「残念。」

「え?」

 

残り5人の少女が、再生ボタンを押したかのように同時に動き出す。

 

「全員本物の()()()でした。」

「ぐがあッ!!」

 

4本のクナイが、四肢の付け根を正確に穿つ。

《影分身の術》は、質量を持つ分身を作り出すスキル。サキュロントが生み出した幻影とは根本から異なるのだ。

身体を支える力を失い、崩れ落ちるサキュロントの襟首を最後の1人が掴んだ。

 

「ただの幻影には負けない。」

「そ、その問題・・・色々卑怯だ、ろ・・・。」

 

全身を駆け巡る激痛に、サキュロントの視界が暗くなって行く。意識を失う直前、大きな爆音と弾け飛ぶ木片が目に入った。

 

「グッドタイミング?」

「ジャストタイミング。」

 

気を失ったサキュロントの影を踏むように、相方のティナが現れる。崩れ落ちたあばら家など目に入っていないかのように、2人同時に親指を立てた。

ここでの任務は完了した。貴重な情報源まで手に入れることに成功し、万々歳といった状況だ。しかしやはりというべきか、姉妹は表情を変えることなく、淡々と事後処理を始めた。ティアが無造作にサキュロントを担ぎ、ティナがそれを先導する。

慣れた様子でこの場を後にしようとしていた2人だが、不意に足を止める。

風上から、何やら焦げ臭い風が流れ込んできたのだ。

 

「燃えてる。」

「あそこは貴族の家。」

 

その言葉に呼応するかのように、姉妹が見つめる先に火の手が上がった。

建物に遮られて全容は把握できないが、それは王城に近い、貴族の家が密集している区画だ。

 

「どうする?」

「・・・次の集合場所に向かう。」

 

2人の脳裏に“鬼ボス”と呼んで慕う女性の悲しげな表情が浮かんだが、姉妹は淡々と仕事をこなした。

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

「はあ、はあ、はあ・・・っ!」

「お待ちください、アングラウス様!」

「ついて来んじゃねえ、ガキ!」

 

ブレイン・アングラウスは夜の王都を駆ける。

過去のトラウマから全力で逃げるために。

 

(クソッ、あの化け物女、俺を消しに来やがったのか!!)

 

彼は嘗て、死を撒く剣団という野盗に与していた。

王都の御前試合で初めての敗北を味わって以降、努力という言葉を知り、ただ強くなるためだけの日々を送っていたのだ。己を磨くためならばどんなことでもやってきた。

そうして彼はガゼフ・ストロノーフにも劣らない力を手に入れた。最早自分とまともに戦える相手などストロノーフしかいないと――驕っていた。

 

彼の誇りと自負は、年端のいかぬ少女によって一瞬で打ち砕かれた。

 

あの時の少女は遠距離からの攻撃に専念していた。彼の攻撃など通用しないというのに。

彼は遊ばれていたのだ。少女は、彼が非道に手を染めてまで手に入れた力を嘲笑ったのだ。

その恐ろしい女が今、王都にいる。

今夜は何となく気が立って中々寝付けなかった。気晴らしにと夜の王都を徘徊していると、見つけてしまったのだ。忘れもしない、あの横顔を。

 

――続きをしようか。全力で向かってこい、天才剣士よ!

 

どこからでもかかってこいと言わんばかりに両手を広げた少女を思い出し、身震いする。

あの姿はまさしく、魔王。

暇を持て余した魔王が闘争を求めて地上へ降り立ったに違いない。

 

(ん? 待て・・・そうか、そうなのか。)

 

ブレインは、はたと思う。

唐突に立ち止まったため、自分を追っていた少年がよろけた。

 

(思いを踏みにじったのは、俺の方だったのか・・・。)

 

あの時の少女は確かに遊んでいた。楽しそうに、まるで子供のようにはしゃいでいた。

ブレインは、自分程の強者はそう存在しないと自負している。ならばあの魔王も、強者と剣を交わすのは久しい事であるはずだ。

 

――天才剣士よ!

 

再び魔王の声が頭に響く。寝ている間も収まらなかった全身の震えが、漸く止まった。

目に鋭さが蘇る。自然と口元が綻ぶ。

数日ぶりに上げられた彼の顔には、無邪気な笑顔が浮かんでいた。

 

(ったく、あれほどの女に認められてたってのに俺は・・・。今行くぜ、魔王。)

「アングラウス様・・・?」

 

心配そうに問いかけてくる少年と、初めて視線を合わせた。

 

「クライム、だったか。死にたくないならここから離れな。」

「え?」

 

状況が理解できていない少年をそのままに、肌身離さず握っていた刀をゆっくりと引き抜く。

 

「これが・・・俺の覚悟だ!!」

 

愛刀が月明りに照らされ、妖しく輝く。

時間をかけて抜刀したというのに、その決意を表現するかのような風切り音が鳴った・・・

 

「ごがっ!?」

 

かのように見えたが、風切り音を上げていたのは飛来した木片だった。

後頭部を襲った突然の衝撃に反応しきれず、うつ伏せに倒れ込む。

 

「ア、アングラウス様・・・アングラウス様ああああああぁぁぁぁっ!!!」

「し、死んでねえよ・・・。」

 

 

 

(確かこの辺りだったな。)

 

ブレインは1人でエンリを見かけた路地裏に戻っていた。

木片が高速で飛来するという異常な事態を目の当たりにしたクライムは同行を希望したのだが、これから行うのは生死を賭けた闘い。宿敵であり恩人でもあるガゼフの知り合いを巻き込む訳にはいかなかった。

彼はブレインの口車に乗せられ、ここから離れた場所を見回っている。

 

(準備は・・・今からじゃ無理か。)

 

自らの腰をさする。

そこには何も無い。身体能力を一時的に向上させるポーションも、前回の戦闘で使った目くらましも、提げられていない。あるのは不安から己を守るように握り締め続けた刀だけだ。

だが、それだけで十分。

 

(俺の全てをぶつけてやる。お前を倒し、今度こそ俺は最強の男に・・・なんだ?)

 

頭上から耳を劈くような爆音が響く。

上を見やると、大きな石の破片が大量に降り注いでいた。

 

「何だってんだ、今日はやけにかてぇ雨が降りやがるな。」

 

やれやれと愚痴を漏らしながらも、石が当たらない位置に移動する。

油断さえしていなければ、この程度のことは朝飯前なのだ。

 

「ん、あれは・・・。」

 

しかしブレインは、飛来物の落下地点へと移動した。




ブレイン「お久しぶりです。」


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村娘の戦い

「エンリさん、その鎧は・・・。」

 

エンリが身に纏った漆黒の鎧を見て、ラキュースが問いかける。

王都にまで響いていたエンリの噂によれば、彼女が纏うのは深紅の鎧であるはずだ。身体能力や性格については様々な憶測が飛び交っていたが、鎧に関してだけは疑いようもないほどに1つの情報に収束していた。

返り血で染め上げられたかのような紅の鎧だと。

 

初めてエンリと対面した墓地では、2本のグレートソードを目にしただけだ。噂に聞く深紅の鎧はまだ1度も見たことが無いため、おおよその性能も噂を頼りに推測するしかなかった。

だが、少なくともこの漆黒の鎧が並々ならぬ性能を秘めていることは容易に理解できた。そこいらの刃では傷も付けられないだろう。自らの所持する魔剣・キリネイラムならあるいは、といったところか。

 

「ラキュースさん。」

 

エンリがこれまでで一番低い声を発する。

 

「今の私はエンリではありません。私は―――」

「やっぱり・・・そういうことなのね。」

 

その先を聞くまでも無く、ラキュースは全てを察した。

酒場での打ち合わせの際にひしひしと感じていたものが、間違っていなかったと。

 

「今のあなたは、エンリさんの中にいるもう1人のエンリさん、でしょう?」

「っ・・・! なんで・・・?」

 

エンリが―――いや、もう1人のエンリが驚きの余り後ずさる。

 

「最初に宿で話し合いをしたときから薄々と感じてはいたの。確信を得たのは今だけど。」

「そう、ですか。これからは気を付けなければいけませんね。」

「それで、あなたは何と呼べばいいのかしら?」

「・・・では、モモンと。」

 

モモン。

ダーク・エンリだとか、アウトサイド・エモットだとかいう名前を想像していたのだが、案外可愛らしい名前が出てきた。

いや、優しく心を解きほぐして洗脳していく悪魔という設定ならアリか・・・?

そういう設定なら―――

 

「では行きましょう、モモン。」

 

呼び捨てにしても問題ないはず。相手は悪魔という設定なのだから。

 

「ん・・・あぁ、ラキュース。」

(よし、間違ってないわね。)

 

思いがけないところで同志に出会い、ラキュースはご機嫌だ。

早速目の前の塀を飛び越えようと、跳躍の姿勢をとる。

 

「その前に頼みがある。」

 

だがモモンは態勢を変えず、話を続けた。

 

「さっきも言った通り、今の私はエンリではない。これから私が行うことを見ても、これまで通り接してくれると嬉しい。」

 

その声は尻すぼみに小さくなり、自信の無さを伺わせる。

威圧感のある鎧で控えめにお願い事をされると、ギャップが凄まじい。

 

モモンは、気取った言い回しや過剰な演技をしてもドン引きしないで欲しいと言っているのだろう。その心配は杞憂だというのに。

当然エンリの持つ趣味については秘密にするし、自分も同志であることは今回の戦いの後で告げるつもりだ。仲良くなりたくない訳がない。

 

「これまで通りとはいかないわ。」

「そうか・・・。」

 

モモンが力無く項垂れる。裏の人格の割に随分と頼りない。

ラキュースは1歩距離を詰めて中腰になり、俯いたモモンの目を真っ直ぐに見据えた。影になって見えないが、そこに目があるであろう兜の隙間を。そして力強く親指を立てる。

 

「これまで以上、よ!」

 

自信なさげなモモンを安心させるように、満面の笑みを浮かべる。

彼女(モモン)の目が一瞬輝いたような気がした。

 

「本当にありがとう。では、行こうか。」

 

言いながら、モモンは握り拳を振りかぶっている。

やる気十分といったところだ。これから潜入という地味なことを行うのに、やる気に満ち満ちていても大丈夫なのだろうか。少し心配になってきてしまった。

 

「え、ええ。」

 

ラキュースの返事は、辺り一帯を揺るがすような轟音に掻き消された。

モモンが掲げた拳を振り抜いたのだ。

拳が直撃した塀は粉砕され、瓦礫へと早変わりする。とてつもない殴打を受けた塀には人が3人ほど並んで通れるほどの穴が空いていた。

 

余りの光景に、開いた口が塞がらない。

普通はギリギリのタイミングまで気付かれないように、密かに行動するべきだ。堂々と壁を突き破るなどあり得ない。

いやそもそも、この分厚い壁を拳ひとつで破壊できるものだろうか。モモンが武技を発動したようには見えなかった。

 

放心するラキュースを余所に、モモンはずかずかと土煙の中を進んでいく。

慌ててその背中を追いかける。これだけ大きな音を立てておいて侵入するのは危険だが、1人で行かせるのはもっと危険だ。

 

「ちょ、ちょっとモモン、なんてことを―――」

 

土煙を抜けた先では、腕組みをした大男が待ち受けていた。

 

「どう侵入したところで、いきなりボス戦のようだからね。」

 

その男には覚えがあった。丸太のように太い手足と、全身に刻まれた紋様。

八本指最強の戦闘部隊“六腕”のリーダー、ゼロだ。

その横に控えているのは“不死王”デイバーノック。

 

(で、あいつらは・・・。)

 

ラキュースの目に留まったのは、館の2階。

バルコニーにいる集団は、警備部門の戦闘員ではない。豪奢な衣服に身を包んだ若い男女の集団が顔に嘲笑を浮かべて傍観している。中には紅茶を啜っている者までいる始末だ。その容姿からすると、八本指と結託している貴族の跡取りだろう。

八本指のメンツを保つための公開処刑か。

 

(私に顔を覚えられるかもとか考えないの? 本当に間抜けね。)

 

この様子を見るに、蒼の薔薇が八本指に襲撃をしかけることは事前に察知していたはずだ。それを知ってなおこの場にノコノコ現れるとは、親が少しだけ不憫に感じる。

 

「随分と派手な登場だな。静かに入ってこれんのか?」

 

能天気な若者達に呆れていると、ゼロが口を開いた。

本当は自分も静かに行動したかったのだが、こうも堂々と待たれていると結果は変わらなかっただろう。

 

「いやすまない、ノックのつもりだったのだがね。」

「なかなかに面白い冗談だ。」

 

これ以上の問答は不要とばかりにゼロが拳を構える。

モモンも自然な形でそれに応じるものだと思われた。しかし、モモンは武器を構えるどころか、着用している鎧を消し去った。

この場にいる全員が目を丸くするが、モモンはそれを気に留めた素振りも見せない。

 

「殺す前に聞いておきたいんだが、貴様の組織の所有物に娼館があるはずだな?」

「ああ。それがどうした?」

 

モモンの眉間に皺が寄り、目尻が吊り上がる。それは普段のエンリからは想像もできないような形相だ。

付き合いの浅いラキュースでも分かる。

怒っている。彼女は今、とてつもなく怒っている。

 

「トップは誰だ。どこにいる。」

「ふん、なるほどな。」

 

ゼロはその問いかけに答えず、口角を上げる。

 

「処分予定の女が消えたとか言ってたが、やはりお前だったか。ならば、ここは言わないほうが楽しめるということか?」

 

その此方を馬鹿にしたような態度に、モモンは心底嫌そうに舌打ちした。

 

「どうした、早くご自慢の剣を出せ。始められんだろう?」

「・・・まあいい。聞く方法はいくらでもある。」

 

そう言ったモモンが一瞬、横目で此方を見た。

 

(私の目を気にしてる・・・? いやいやまさか、ね。)

 

拷問でもして強引に聞き出すつもりなのか。

いくら演技が入っているからといって、いたぶられた女性を見て涙を流すような少女にそんなことができるとは思えない。

ならば、魔法か何かで口を割らせる手段があると考えるのが妥当だ。

物理的な戦闘をこなせる魔法詠唱者(マジック・キャスター)というのもあり得ない話ではない。実際に自分がそうなのだから。

あの目に追えない速度の打撃も、魔法で後押ししたものである可能性は高い。

もしそうだとすれば、彼女は同志であり、自分と同等の戦力を持ち、似た戦闘スタイルであるということになる。

 

(私とエンリさん、すごく似てるわね・・・。)

 

ゼロがモモンガを挑発し、モモンガの腸が煮えくり返っている中、ラキュースは1人そんなことを考えていた。

 

「いつまでも待たせておくのもなんだが・・・。」

「なんだ、まだ何かあるのか?」

 

会話の最中にも構えを解かなかったゼロだが、ここに来て漸く姿勢を戻す。

いい加減にしてくれとでも言いたげな表情だ。

 

「俺だって早く済ませたいさ。だが―――」

 

ゼロが緊張の糸を緩めたのも束の間、すぐに臨戦態勢を強いられることになった。

モモンの姿が跡形も無く消えたのだ。

それには足音も風切り音も風圧も伴わず、姿だけが忽然と消え去った。

 

「目障りだぞ?」

 

ゼロだけでなく、デイバーノックとラキュースも声のした方向へ咄嗟に振り向く。

バルコニーの手すりの上にしゃがみ込んでいる人影。此方からは逆光になっていてシルエットしか見えないが、貴族が意味も無くそんな行動をとることはない。間違いなくモモンだろう。

 

(《次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)》・・・想像以上ね。)

 

次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)》は短距離を一瞬で移動する、第3位階に属する魔法だ。

膂力の底上げ等の補助的な魔法が得意なのだろうと踏んでいたが、ここまで実戦的な魔法が飛び出してくるとは思っていなかった。

淑女にあるまじき格好でしゃがんでいるその小さな影を感心しながら見つめていると。

その背から、絶望が噴出した。

 

「ひぅっ!」

 

黒いオーラを幻視してしまう程の強烈な殺気。腐敗した風が体を突き抜けたかのような凄まじい嫌悪感。この世全ての悪感情を濃縮したような気配が空間を侵食した。

あらゆる隙間から恐怖が心にねじ込まれ、刻まれていく。

 

全身から冷たい汗が噴き出した。

鼓動が早まり、体温が上昇する。

不快だ。とてつもなく気分が悪い。今すぐ邪魔な鎧を脱ぎ去ってしまいたい。油断すると体が勝手に地面でのたうち回りそうだ。

頭が意味の無い衝動で支配されていく。自分が自分でなくなったように。

正常な思考が緩やかに停止していく―――。

 

「――――ぐぅっ、《獅子ごとき心(ライオンズ・ハート)》!!」

 

意識が途切れるすんでのところで魔法を唱えられたのは、長い冒険者生活の賜物か。

なんとか平静を取り戻し、荒い呼吸を繰り返す。

 

(なに、何なの今の!? 殺気というよりも・・・。ていうか味方の威圧に怯えてどうするのよ私!)

 

モモンの放ったそれは殺気などという生易しい物では無い。

身体に纏わりつく濃厚な死の気配。生命を投げ出したくなるほどの絶望だった。

現に、目の前に広がる光景はまさに地獄絵図だ。

貴族達は皆一様に意味の無い単語を叫び、泣き喚いている。

手から落としたグラスの破片の上を転げ回る者、柱や手すりにひたすら額を打ち付けている者、失禁して放心している者と状態は様々だが、まともな者は1人としていない。

 

その異様な光景を背に悠々と歩いてくる1つの影があった。

変わらず黒い絶望のオーラを身に纏い、ゆっくりと近付いてくる。今度は《次元の移動(ディメンジョナル・ムーブ)》を使わず、此方を威圧するように。

1歩、また1歩と彼女が地を踏みしめる度に、強大な存在感に飲み込まれそうになる。影になって表情は上手く見えないはずなのに、その瞳だけは不気味に輝いて見えた。

怖い。彼女が味方でなかったら迷わず撤退するほどに恐ろしい。

普段の温厚な態度からはかけ離れた、容赦の無い威嚇。それはまさしく、闇の人格だった。

 

「酷い汗だな。具合でも悪いのか?」

 

全身が汗でぐっしょりと濡れているが、ゼロも平静を取り戻していた。

デイバーノックが魔法をかけたのだろう。アンデッドには精神への作用が効かないため、デイバーノックだけはモモンの放つオーラをものともしていない。

 

ラキュースはこっそり生活魔法を使い、ばれないように自分の汗を綺麗にした。

 

「お前程度なら近付くだけで殺すこともできるが、せっかくだ。本気で行くぞ。」

 

モモンが手を振り払うと、彼女を包み込んでいた黒いオーラが掻き消えた。同時に、モモンから感じていた圧迫感が消滅する。

 

「今この時、本当の意味で俺がこの世界に出現することになるのかな。

 こんにちは。さようなら。」

 

ゼロへ向けて手を伸ばす。

魔法を発動する態勢だ。もう誰が何を言おうと問答無用で攻撃するだろう。

それを察したゼロが地を蹴る。

 

「オオオオオ!!」

 

拳を握りしめ、ただ真っ直ぐにモモンへ突進する。

やけくそな行動にしか見えないが、ゼロがこの場を切り抜けるにはこれしか方法が無かった。

先ほどのモモンの行動で、彼女(モモン)が紛れもない強者であるのは誰の目にも明らかだ。一撃でも魔法を受ければ、致命的なダメージになる。そしてモモンとゼロの間には、魔法を避けられるほどの距離はない。ならば、魔法の発動を阻害するしか道は無い。

対するモモンは、そんなゼロを見てただ嘲笑を浮かべているだけだ。魔法の発動が確実に間に合うのだろう。その指先から魔法陣が現れる。

 

(さて、私は・・・。)

 

背中の浮遊する剣群(フローティング・ソーズ)の切っ先を標的へ向ける。狙いはデイバーノック。魔法でモモンを妨害しようとしているようだが、そうはさせない。

 

(今回は脇役だけど、仕事はしなくちゃね。)

 

時間差をつけ、5本の剣を順番に射出した。

攻撃に気付いたデイバーノックも剣を打ち落とそうと杖を此方に向ける。これでモモンの魔法が中断されることはないだろう。

そうしてデイバーノックの動向に注意しつつも、モモンを視界に収める。彼女がどのような魔法を行使するのか、興味津々なのだ。発動の兆候を見た感じでは死霊系のようだったが、その中でも何の魔法が使えるのか。

 

(―――え!?)

 

しかし、モモンは魔法を発動などしていなかった。

だらりと下げられた両腕には少しの力も込められておらず、目は見開かれ、口が半開きになっている。要するに、こんな状況の中で、彼女は呆けていた。

このままではゼロの拳をまともに受けてしまう。

 

「エンリさん!!」

 

エンリのことをモモンと呼ぶことも忘れ、彼女の方へ駆け出していた。

その一瞬の時間で間に合うはずもなく、ラキュースが数歩駆けたところでゼロの拳は彼女の頬に直撃し、吹き飛ばされる。

 

(一体、何なの・・・?)

 

今、この目に確かに見た。エンリの表情がはっきりと変わったのを。

場にそぐわない呆けたものから、涙目の笑顔に。

 

 

 

「本当に、もう救えないんでしょうか。殺すしかないんでしょうか。」

 

痛い。けど痛くない。不思議な感じ。

自分の内側に意識を向ければ分かる。私は少しも傷付いていない。

このままモモンガさんに嫌な事を全部任せても何も問題ない。事態の収拾という意味では。だけどそろそろ自分の答えを出さないと。自分で解決しなきゃ、先に進めないと思うから。

 

そうして、()()()は立ち上がる。

 

「あなただって、何か理由があるんじゃないんですか? 悪いことをしているのも、そうしなきゃいけない理由があったんじゃないですか?」

「あ?」

 

ゼロが間の抜けた声を出すが、エンリは続けた。

 

「きちんと説明すれば、償いの機会はきっと与えられ―――」

 

言い終えるより先に、これが返事だとばかりにゼロの拳が飛んでくる。

見えてはいたが、エンリは避けなかった。再び体が宙を舞い、地面を転がる。着ていた服は全身泥塗れだ。

 

「さっきは死を覚悟したが、とんだ肩透かしだ。

 お前はあれか? この世界の悪人は皆、仕方なくそうなったと思ってるのか? 下らんな。」

 

その表情は、戦闘が始まる前の嫌そうなものに戻っていた。

ゼロの足に刻まれた紋様が光を放つ。スキルによって強化された蹴りが、倒れたままのエンリの腹に叩き込まれた。

エンリは受け身をとることもなく、高速で流れる景色を眺める。

 

 

人は誰だって変われる。悪い人も良い人になれる。死を撒く剣団の改心を見たときから、そう信じていた。今は悪い人でも、そうせざるを得ない理由があったのだと思った。きっと誰しもが、生まれ持った性質や育った環境に関係なく、心を入れ替えることができると。

死を撒く剣団のことだけじゃない。私は知ったのだ。心の中に引きこもっていた長い時間、気持ちの整理をつけようと意識の奥へ奥へと沈みこんでいた。そこで見た。気付いたと言った方が正確かもしれない。モモンガの心の奥底に眠る彼の本質。悪。極悪。絶対悪。手も付けられないような闇の極致。カルマ値、-500。

そんな彼ですら今や見るもの全てに好奇心を示し大はしゃぎする子供のようで、今まで行動してきた中では特に悪行も働かず、私の生活をできる限り尊重してくれる良い人だ。

だけどそれらは劇的な変化あってこそだ。例えば、誰かに生活の基盤を整えて貰うこと。例えば、自分でない他の誰かと一体化すること。

そんなことは普通に生活していたのでは起こり得ない、奇跡のようなものだ。ましてや本人に改心の意思がないのであればどうしようもないことだ。

 

「もう死んだのか?」

 

壁に空いた穴からゼロが顔を覗かせる。館の方に飛ばされ、壁を突き破っていたようだ。

身体に覆いかぶさっていた瓦礫をどかし、起き上がった。

 

「で、平和ボケは治ったか?」

「・・・はい。」

 

これは、私の意思。私がすべきこと。私が望んでやること。

彼に頼り切っていた私を捨てる。力を持つことの意味、その責任をしっかりと受け止める。

 

「やっとモモンガさんの言っていたことが分かりました。」

 

死を撒く剣団の改心は、モモンガの起こした奇跡だ。彼の力と知恵があってこそのものだ。

そんなことを事もなげに成したモモンガを見て、それが簡単なことなのだと錯覚していた。何を寝ぼけていたのだろう。私が彼ら(八本指)の真似を簡単にはできないように、彼ら(八本指)もまた、簡単に良い人にはなれない。

人の心は簡単には変わらない。いくら私が願っても、一方通行の想いでは()()()()

 

エンリの体を光が包み込む。光は徐々に輝きを落とし、完全に消えた頃には深紅の鎧が月明りを反射していた。

ゼロの表情が楽し気に歪む。

だが、戦いを楽しませるつもりなど無い。いつかモモンガが言っていた。モモンガの力は、私がその存在を知らなければ引き出せない、逆もまた然り。だけど私は、モモンガの持つ膨大な数の魔法を知っている。何も直接魔法を見る必要はないのだ。彼と私は一心同体。昔の思い出を振り返るように深く集中すれば、ぼんやりと見えてくる。まだ全体から見れば、ほんの少しの魔法しか知らないのかもしれないが、それで十分だ。

右手をゼロへと伸ばす。これで戦いは終わる。

 

「《心臓(グラスプ)―――」

 

しかし、ゼロとエンリでは経験の差が大きすぎた。2人の間には、魔法の詠唱が間に合うほどの距離は開いていない。ついこの間まで村娘だったエンリには、戦いのいろはなど分からない。

一足飛びに距離を詰めたゼロの拳は下からエンリの顎に直撃し、派手に上方へ吹き飛ばした。天井をぶち抜き、2階の床へ打ち付けられる。

 

「<足の豹(パンサー)>、<腕の犀(ライノセラス)>!」

 

1階からゼロの声が聞こえ、間を置かずして足元からゼロが飛び出してきた。落下音で大体の位置を把握していたのだろう。攻撃が当たりはしなかったものの、足場が不安定になり、数歩よろめく。

そうしている間にも、ゼロの拳が次々と飛んでくる。絶え間なく正確に、此方が避ける方向を見越しているように打撃が繰り出される。

エンリは間合いを取るどころか攻撃の半分も避けきれていなかった。

 

(だったら!)

 

魔法以外にも攻撃の手段はある。

エンリは自らが会得した武技を発動させた。“戦闘”を全く経験したことのない自分にピッタリの、戦い方を教えてくれる武技。脳裏に電気のような信号が走り、イメージが浮かぶ。ただそれをなぞればいいのだ。ゼロが少しでも警戒して距離を取った瞬間を狙う。

 

これまで防戦一方で壁の方へ追いやられ続けていたエンリが不意に一歩踏み込み、頬へ向けて全力の一撃を放つ。

ゼロは腰を落としてエンリの打撃を容易く躱し、カウンターのパンチでエンリを壁際まで突き飛ばした。

 

「・・・気味が悪いな。」

 

ふと、ゼロが言葉を挟む。

休戦というわけではなく、エンリが魔法を発動しようとすれば即座に妨害できる位置。

再びスキルを使い、腕と足の紋章が輝いた。

 

「お前、戦闘経験が無いだろう。素人にも程がある。打撃は単調、魔法の発動は隙だらけ。かと思えば威圧と耐久力は一線級。いや、今まで見た中で最高峰だ。」

 

エンリは何も答えない。

この場で何か発言したところで、自分には何のメリットも無い。

ゼロも口を閉ざす。答えを期待しての発言ではなかったようだ。

しばしの沈黙の後、ゼロが決心したように細く息を吐いた。

 

「何かに利用できないかと思ったが、ここで殺しておくか。」

 

ゼロが高速で接近する。エンリには、まるでゼロが目の前に瞬間移動してきたかのように映った。思わず反射的に顔を逸らし、両腕で顔を庇う。

ゼロは防御に構うことなく、腕の上から拳を叩きつけてきた。

これまでの攻撃とは比にならない衝撃がエンリを襲い、館の壁を突き破って外へと投げ出される。この調子では路地まで弾き飛ばされるだろう。

重力に引っ張られながら、エンリはふと思った。

 

(なんで私、吹き飛ぶんだろう?)

 

モモンガが戦っていたときに何度か敵の攻撃を受けたことはあるが、そのときは自分の体は微動だにしていなかったし、衝撃に耐えて踏ん張ってもいなかった。

すぐに答えに行きつくであろうそんな疑問は、2階からの落下という短い時間では解決できなかった。

 

「―――っと。」

 

手足を投げ出して慣性のままに落ちていた体は、空中で止まった。

 

「おいあんた、大丈夫か―――うぇっ!?」

 

そう感じたのは錯覚のようで、実際には誰かが地上で受け止めてくれたようだ。

ラキュースかと思ったが、その腕は太くてゴツゴツしている。

その男の顔には覚えがあった。

 

「ブレイン・アングラウスさん・・・?」

「エンリ・エモット―――!?」

 

 

 

予期せぬ遭遇に、ブレインの額から脂汗が噴き出る。

今にも手足が震えだしそうだった。

 

(何ビビってる。俺は決めたじゃないか。)

 

剣技だけに捧げてきた己の人生、その全てを余すことなくぶつけてやる。

そう自身を一喝し、決意を胸に込める。

ブレインとしては今すぐに戦いを始めたかったのだが、状況を見るに、そうは行かないらしい。上空から気配を感じ、大きく跳び退った。エンリを両手に抱えたままで。

先ほどまでブレインが立っていた位置から、轟音と共に大きな砂塵が舞う。

 

「どうやら取り込み中みたいだな。」

 

砂ぼこりが晴れるのを待たず、中からゼロが歩み出た。

すぐに襲ってこないところを見て、エンリをゆっくりと立たせる。

 

「ほう、見た顔だ。ブレイン・アングラウスだな? これはまた随分な大物が来たものだ。」

「“闘鬼”ゼロ、か。」

「ガゼフ・ストロノーフを追い詰めた男が、そんな雑魚とつるんでいたとは。堕ちたものだな。」

「はあ? 一体何を―――。」

 

ブレインにはゼロの言葉を理解するのは難しかった。

ブレインの見立てでは、ゼロとブレインの間に大きな力量差は無い。そんな相手がエンリを雑魚呼ばわりしているのだ。一体何がどうなっているというのか。

エンリとゼロを交互に見比べる。確かにゼロが全くの無傷であるのに対して、エンリは土や埃で汚れている。客観的に見てエンリがゼロに苦戦していることは明白だ。

 

(手加減している・・・?)

 

自分が洞窟でエンリと遭遇したときと同じ状況か。

思いあがって彼女に戦いを挑み、自分が彼女と同等の強さだと勝手に思い込み、勝利を確信する。そうしてエンリを追い詰めたところで知るのだ。それまでの戦いがエンリにとっては単なるお遊びに過ぎないことを。グレートソードを放り投げる膂力と刃を眼球で受け止める防御力があれば、向かうところ敵無し。片腕でも掴まれればそれでアウトなのだ。

 

「傍から見れば憐れなもんだな。」

「憐れだと?」

 

腰に下げた刀に手を掛ける。

 

「あぁ、憐れだとも。これからお前が辿る運命は既に決まっているのに、未だそれに気付いていない。覚悟も無いまま最期を迎えるんだろう。あまりに憐れで涙が出そうだ。」

 

ゼロは微妙な表情を浮かべている。

恐らくまだエンリ・エモットの真の強さを目にしていないのだから、当然だろう。仮にその力を目にしてなおこの態度を維持しているのであれば、相当な実力者か、或いはバカだ。

 

「だけどな―――」

 

姿勢を低く取り、右手を柄に添える。

 

「例えお遊戯だとしても、俺が負けた相手に他の誰かが優位をとっていやがる。

 そいつはどうにも、我慢ならねえ。」

「あの、アウングラウスさん。」

 

 

 

唐突に現れたブレインはどうやら味方に付いてくれるようだ。

だが、今回に関しては誰の手助けも欲しくない。エンリにとってこの戦いはターニングポイント。自分自身で決着を付けるべきだと考えていた。

 

「アングラウスさん、すみませんが・・・。」

「・・・オーケー、分かった。」

 

表情を見て察したのだろう、言葉の先を聞いてくることは無かった。

ブレインは困ったような微笑を浮かべ、右手を頭の後ろに添えた。

 

「余計な真似をして悪かったな。無粋なプライドは引っ込めるさ。」

「・・・ありがとうございます。」

 

気を遣ってくれたブレインへ軽く頭を下げ、改めてゼロへと向き直る。

 

「気を落とすな、アングラウス。すぐに相手をしてやる。」

「そうかい。俺はあんたとは戦えないと思うがな。」

「フン。」

 

言葉に込められた皮肉も、この場にいる人間の中では発言者本人にしか理解できない。

敢えて言うなら、理解できたのはエンリの中にいる4人目くらいだ。

 

「次の一撃で終わりだ。」

「私も、本気で行きます。」

 

ブレインが生唾を飲む音が聞こえた。

 

ゼロは早くブレイン・アングラウスと戦いたがっている。自分との戦いを終わらせるために、本気の攻撃を繰り出してくるだろう。

ゼロは体の紋様を光らせるあのスキルを使用してくるはずだ。その隙を突けば魔法の発動は十分に可能。ただし、攻撃魔法を使おうとすれば、直ちに距離を詰めてくる。ゼロの体に刻まれた紋様が全て光る前に、補助魔法をかけなければならない。

ならば、私たちにでき得る全てを、私にできる限りの範囲で。

 

先ほど纏ったばかりの鎧が掻き消えた。

エンリは特に何もしていない。ということは、モモンガか。それが何故なのか理解できなかったが、きっと何か意味があるのだろう。

集中するために長く息を吐きだし、しっかりとゼロを見据えた。

 

「<足の豹(パンサー)>!」

 

「《上位幸運(グレーター・ラック)》」

 

「<背中の隼(ファルコン)>!」

 

「《上位硬化(グレーター・ハードニング)》」

 

「<腕の犀(ライノセラス)>!」

 

「《上位攻撃強化(グレーター・ストレングス)》」

 

「<胸の野牛(バッファロー)>!」

 

「《上位全能力強化(グレーター・フルポテンシャル)》」

 

「―――<頭の獅子(ライオン)>!」

 

「―――《完璧なる戦士(パーフェクト・ウォリアー)》!」

 

両者とも、同時に大地を蹴る。砕けた石畳が四方へ散った。

常人に知覚できない速度で距離を詰め合う。体感速度は異常な程だった。

 

(教えて・・・!)

 

脳に電撃が走る。

さっきは簡単に避けられてしまったが、今の私は全力全霊。外したりはしない。

 

「これが私の―――心臓掌握(グラスプ・ハート)!!」

 

エンリの手は狙い違わずゼロの胸を貫いた。

突進の勢いで腕が深々と沈み込み、二の腕まで刺さっている。ゼロの背中から生えた真っ赤な腕の先には、脈動する心臓。

 

「負けた相手、か・・・。」

 

ブレインを横目に、ぽつりと呟いた。

大量の血を吐き出し、掲げていた拳が力無く下がる。再び開いたその目は、既に焦点が合っていなかった。

 

「ばけ、もの・・・が・・・。」

 

エンリはその感触をどこか懐かしく感じながら、一息に握りつぶす。

ゼロはそれきり動かなくなった。

 

 

 

「は―――はっ、はぁっ―――。」

 

あれが、“本気”。

余りにあっけなく終わってしまった戦いを前に、上手く呼吸ができない。詰まる息を強引に吐き出し、空になった肺に必死に空気を取り込む。苦しい胸に手を当てると、限界まで早まった鼓動を感じた。

全身に鳥肌が走り、身震いする。刀を握りしめる力がいつの間にか強まって、左手が痺れていた。

 

(勝てるのか、あれに・・・一体誰が・・・。)

 

果たしてあの速さを<領域>で知覚できるのだろうか。かろうじて見えたとして、思考と対応は間に合うのか。あの防御力を突破して攻撃を弾くことなど―――。

今の自分にはその自信が全く無かった。

エンリが此方を振り向き、ゆっくりと近付いてくる。

思わず小さな悲鳴を上げ、数歩後退った。

 

「えっと、アングラウスさん・・・?」

 

エンリが困惑した表情を浮かべる。

 

「は、ははは。情けないよな。」

「・・・? 何がですか?」

「俺は今度こそ逃げないって、例え勝てなくとも死ぬまで戦う覚悟でここへ来たんだ。

 それがこれだよ。」

「え、えっとぉ・・・。」

 

震える両手を投げ出し、空を見上げた。

エンリは首を傾げるだけで、何も言わない。ブレインの言葉の真意を測りかねているようだ。

 

「だけどダメだ。俺は剣に人生の全てを捧げてきた。だけどさっきのお前の戦いを見ると―――」

 

強く歯軋りを鳴らし、服の胸元を握った。

 

「怖いんだ。死ぬことがじゃない。俺の人生を、そのひと欠片すら見せられずに終わってしまうかもしれない。そう思うと怖くてたまらない・・・。」

 

膝を突き、力なく項垂れる。

俺は戦士として終わりだ。勇敢に散る度胸もなく、敵の目の前で戦意を喪失し、首を差し出すとは。

 

「つまり、強くなりたいと。」

 

背筋が凍った。

恐る恐る顔を上げると、先ほどまでおろおろしていたエンリはどこにもいなかった。今は真っ直ぐに立ち、真剣な眼差しで此方を見下ろしている。

1度相対したからこそ分かる。今話しているのは()()()()()エンリ。ブレインから見れば、今までのエンリの方が異常な状態だった。

 

「恐怖は大切ですよ、アングラウスさん。無暗に突っ込んで命を落としては何の意味もない。貴方は立派です。そう自分を卑下しないでください。」

「え・・・?」

 

予想外の言葉に頭が追い付かない。

エンリはしゃがみ込み、膝を突いたまま呆然としているブレインと目線の高さを合わせた。

 

「では、アドバイスをしましょう。

 洞窟で戦った感じだと、対人戦闘スキルは十分伸びているようなので、あとは別の職業(クラス)の―――ゴホン。例えば、そうですね・・・モンスターと戦ってみるのはどうですか? 効率は悪いかもしれませんが、貴方はまだまだ強くなれます。」

 

そう言ってエンリは立ち上がり、反転して遠ざかっていく。

ブレインが我に返ったのは、それから10秒以上経った頃だった。

 

(俺との戦いを、覚えて―――。)

 

石畳の上で大の字に寝転がり、夜空へ手を伸ばす。

自然と口角が上がり、笑いが込み上げた。

 

「は、ハハハ、ハハハハ! そうか、俺はまだ、強くなれるんだ・・・!!」

 

去って行ったエンリの後ろ姿を思い出す。

あの小さくて、大きな背中を。

 

「いつか追い付いて見せるさ。追いかけるのは慣れっこだ。」

 

あと魔王とか言って悪かった。

そう心の中で付け加えた。

 




robot三等兵 様
誤字報告ありがとうございます。


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覇王と王城

(モモンガさん、どうしましょう・・・。)

(エンリ、どうしよう・・・。)

 

もう何度繰り返したか分からないやり取り。2人はかれこれ数時間、この場から動けずにいた。

彼らがへたり込んでいるのは、正方形の部屋。3つの壁には本来あるべき窓が無く、廊下に面している部分には壁すらない。廊下から此方の様子が丸見えで、廊下を挟んだところにある無人の部屋もよく見える。

それもそのはず、ここは牢屋なのだから。

 

(と、とりあえず落ち着いてあの人に話しかけてみよう。)

 

唯一エンリたちの視界の中にいる人物は、牢の番をしている兵士のみ。

とりあえずは当たり障りのないところから会話を試みる。

 

「あ、あのー、ちょっと喉が渇いちゃったなー・・・なんて・・・。」

(だ、大丈夫なんですかモモンガさん!)

(部屋に水道がないし大丈夫・・・だと思うんだけど・・・。)

 

さしものモモンガも投獄された経験など無い。

何をどうすればいいのか分からないというのが本音だった。

番をしていた兵士は、穏やかでない心境の2人を取り残してどこかへ歩いていってしまった。

 

(行っちゃいましたね・・・。)

(うーん、どうしたものか。)

(どうしましょうかねぇ。)

 

振り出しの会話に戻る。

2人してうんうんと唸って打開策を考えていると、此方へ近付いてくる足音が聞こえた。牢全体に音が反響するせいか、ただの足音がやけに大きく聞こえる。

その音にホラー物の映画を連想して無駄にドキドキしていると、鉄格子の端から先ほどの兵士が顔を覗かせた。

 

「はい。」

 

兵士が床にグラスを置く。

グラスには溢れんばかりの水が入っていた。

 

(2文字・・・だと・・・。)

 

勇気を出したモモンガの会話作戦は、2文字の返答で終了した。必要以上に会話をしないようにしているのか。

しかし、飲み物を頼んでおいて飲まないのも不自然なので一応グラスに口をつける。

 

「あ、おいしい。」

 

水だと思っていた液体から予想外に味がして、思わずエンリが言葉を口に出す。

グラスに注がれていたのは水ではなく果実水だった。

この状況も相まって久しぶりに美味しい物を口にできた気がして、一息に飲み干した。実際には数時間前まで楽しく飲み食いしていたのだが。

 

「あの、お代わりとか頂けますか・・・?」

 

意図せずとはいえ、エンリが味の感想を口にしたのはファインプレーだ。自然な形で次の会話につなげることができる。

捕まっている身の上でお代わりを頼むのはどうかと思ったが、状況が状況だ。ちょっとした情報だけでも手に入れたかった。

 

「はい。」

 

再び兵士が床にグラスを置く。

空になったグラスに注ぎなおすのではなく、2つ目のグラスが登場した。

 

(なんという用意周到さ! こいつ、できる・・・!)

 

不自然にならないよう礼を言いつつグラスを受け取り、空のグラスを差し出す。

兵士もまた、自然な流れで空のグラスを受け取った。

 

(うーん、おいしい。)

(おいしいですねぇ。)

 

この場においては、兵士の方がモモンガよりも上手だった。会話の糸口を失ってしまったモモンガは最早手も足も出ない。美味しい果実水を飲んで和むことしか出来ない。

かのように思われたが、都合良く鐘の音が鳴る。王都内では1日に1回鳴る、昼時を知らせる鐘だ。

この機を逃す手はないと、会話作戦を続行した。

 

「すみません、お腹が空いたんですけど・・・。」

 

「はい。」

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

時は数時間前、エンリとモモンガが牢に入れられる前のとある食事処。

まだ早朝だというのに、店内は笑いと喧騒に包まれていた。

 

「果実水をください。」

「あいよ。」

 

店主へ注文すると、のそのそと棚から瓶を取り出し、ひとつ大きなあくびをしてからグラスへと注いだ。

 

「お待ちどう。」

 

カウンターに置かれたグラスを受け取る。店主は寝ぼけ眼をこすっていた。

こんなに眠そうにされると流石に申し訳なくなる。

 

「あの、ごめんなさい、こんな朝早くから大勢で。」

 

それを聞いた店主がハッと気付いたように目を見開く。

 

「あぁ、いかんいかん。蒼の薔薇の皆さんには世話になってますからね、気にせんでください。詳しくは聞いてませんが、今日はめでたい日なんでしょう?」

「えぇ、まぁ。」

 

店主は此方に背を向け、自らの頬を数回叩いた。気合いを入れ直しているようだ。

店主が言ったように、今日は王国にとってめでたい日。正確にはめでたい日になるであろう日。

八本指との戦いを終え、休む間もなく祝勝会というわけだ。

この場には戦いに参加した者たちが集まっているが、ハムスケだけは例外だ。森の賢王と謳われた伝説の魔獣を連れ込んではお店の人が腰を抜かしてしまうため、今は宿でお留守番。帰ったらたくさん撫でてあげよう。

 

「そこで私の超技“暗黒刃超弩級衝撃波(ダークブレードメガインパクト)”があのエルダーリッチを――――」

「どっちが先にミンチになるか勝負だーとか言ってきたからよぉ、俺は敢えて動けなくなるまでボコってやったわけよ。あの時のあいつの顔ったら―――」

 

店内の様子を見渡すと、それぞれ思い思いに楽しんでいる様だった。どの拠点でも激しい闘いが行われたはずだが、皆元気そうでホッと胸を撫で下ろす。

その喧騒を背に、私は1人バルコニーへ向かった。

 

 

バルコニーの手すりに両肘を乗せ、手の平に顎を乗せる。

空はまだ白み始めたところで、その静謐さは故郷を思い起こさせた。頬を撫でる風が冷たくて心地良い。

 

「・・・これで良かったんですよね。」

(どうだろうね。)

 

私は今日、人の命を奪った。

私の体はこれまでに幾人もの命を奪ってきたが、それは“自分がやった”とは言い難いもので、自らが持つ力の強大さを自覚できていなかった。だけど今日のは違う。紛れもなく自分の意思で、自分の手で殺した。

 

(八本指は力のある貴族を使って文字通り好き勝手にしてた。壊滅させたのは王国にとって喜ばしいことだけど・・・そういうことを聞きたいんじゃないんだよね。)

 

静かに頷く。

 

(それが正しいことかどうか、明確な答えは無いと思う。それはエンリが決めることじゃないかな。)

「そう、でしょうか。」

 

自分では、今回の行動は正しかったと思っている。

たくさん考えて、迷って、やっと導き出した答えを選んだのだ。その結果を容認できるかどうかと聞かれれば、自分で出した結論なんだから、できるに決まっている。だけどそれは(エンリ)の考えで、(モモンガ)の考え。客観的に見て、私は正しいことができたのだろうか。

恐らくこの国には、私たちを止められる人間はいない。もしかしたらこの世界にだって存在しないかもしれない。何かを間違えても、私を咎め、罰を与えることが出来る者はどこにもいない。それが力を持つことの意味。誰にも抑えられない以上、私は無意識の内に、いとも容易く、魔王となり得るのだ。自分で考え、判断することがこんなにも苦しいものだとは思わなかった。

この世界で私だけが、正しいと信じて間違いを犯しても、それが問題とならないのだから。

 

「それはなんだかずるいような・・・。」

「そんなことないわ。」

 

背後からかけられた突然の声に驚いて、びくっとした。いくら強い力を身につけても心の方は変わらないみたいで、それが残念なような安心したような、複雑な気持ちだった。

振り返ると、ラキュースが立っていた。

彼女は軽く微笑んで、私の横まで来て手すりへ体重を預け、街並みを眺めた。

 

「ごめんね、“対話”を邪魔しちゃって。エンリさんとゆっくり話をするのはこれが初めてかしら。」

「あ・・・はい、そうなります。」

 

彼女は、私の中にもう1人の人格が宿っていることを知っている。

普通ならこんな話信じて貰えないだろうし、会うたびに人柄が違うかもしれないなんて不気味だろう。だけどこの人はすんなりと話を受け入れ、仲間にも秘密にしてくれている。私以外でモモンガをモモンガと認識し、接してくれる唯一の知り合いができたのだ。これは私にとっても嬉しいことだった。

 

「あなたは今まで、()()()()()()はモモンにやってもらっていたのよね。」

「どうしてそれを・・・?」

「話が聞こえちゃって。」

 

そう言っていたずらっ子のように舌を出す。しかしすぐに街並みへ向き直って、優しい笑みへと変わった。

よく変わる表情を見ていると飽きなくて、私はそのまま彼女を見つめていた。

 

「私はエンリさんの考え方、好きよ。」

「え?」

 

彼女は空と城壁の境界を見つめたまま続けた。

 

「誰しもが、心の奥には善がある、理由無き悪はいない。優しい考え。エンリさんらしいわ。」

「でも、それは間違いでした。」

「そうね。少なくともゼロはあなたの理想から外れていた。エンリさんの情愛を以てしても救えない、そう考えた。だからあなたが―――エンリ・エモットが、ゼロを殺した。」

 

今まさに考えていた事柄を突き付けられる。

震えだしそうになる手を押さえつけるように両の拳を握りしめ、深く頷いた。

私は決して間違ったことをしていないと確信している、そう伝えるために。けれども同時に、ラキュースの口から否定の言葉が飛び出すことを恐れた。彼女が良い人だと知っているからこそ、彼女からの否定がとても怖かった。

そんな私にラキュースの瞳が向けたのは、優しい眼差しだった。

 

「あなたが必死に考えていたことは、モモンの様子で分かったわ。モモンが不安になるほど一生懸命考えて、色んな道を探った結果、殺すしかないと判断したのよね。

 だけど優しいエンリさんは考えてしまう。」

 

ラキュースの両手が私の肩に添えられた。

 

「本当にこれで良かったのか、他の人なら違う形で解決できたんじゃないかって。」

「・・・はい。」

 

どうしてか、私の声は震えていた。

何故この人はこんなにも私のことが分かるんだろう。私の考えを、悩みを、すらすらと当ててしまうのだろう。打ち明けてもいない相談に真摯に乗ってくれるのだろう。

腕が、胸が、唇が震える。もう怖くはない。なんだか暖かくて。

心の奥から込み上げてくる気持ちを必死に堪えた。

ラキュースが手を私の頭の後ろに回し、自らの胸元へ押し付けるように引き寄せた。

 

「大丈夫、あなたは正しいことをしたわ。誰もあなたを責めたりなんかしない。

 だけどもし、あなたがそれを罪と感じて、あなたを苦しめるなら―――」

 

私はもう、我慢なんかできていなかった。

 

「私も一緒に背負ってあげる。」

 

頬に当たっているラキュースの服がしっとりと濡れているのを感じて、私が涙を流していることに気付いた。

それからはもう歯止めなんか効かなくて、恥ずかしげもなく泣き声を上げた。ラキュースの背中をしっかりと掴んで、室内で騒いでるみんなに気付かれるかもしれないなんて考えもしなくて、わんわん泣いた。

 

どうして泣いているのかはよく分からなかった。

悩みを打ち明けられたからか。私のことを分かってくれるからか。自分の行動を肯定してもらえたからか。優しい言葉をかけられたからか。たぶん、全部。

この人と出会えて良かった。そう心から思ったのは確かだ。

 

 

 

泣きじゃくるエンリの頭を撫でながら、気付かれないように後ろを向く。

予想通り、バルコニーの様子が見える窓にこの場の全員が張り付いていた。誰一人として例外なく、穏やかな笑みを浮かべて。帝国への勧誘を画策しているレイナースですら。

私が人差し指を立てて唇に当てると、皆静かに席へ戻り、店内の喧騒が戻ってきた。

 

エンリを抱き寄せたのは、彼女の泣き顔を誰にも見せないためではない。エンリの視界に誰も入れないようにするためだ。

エンリは私の同志。即ち、自分の中に闇の人格が存在している、という設定を持つ者。けれど彼女は本当に“モモン”というもう1人の自分を確立しつつある。モモンと悩みを相談していたのがその証拠だ。エ・ランテルのアンデッド事件の首謀者を殺すことができたのも、モモンという心の防壁があってこそなのだろう。別の人格と対立構造を作っている私とは違い、彼女はモモンのことを友人、或いは心の拠り所のように認識している節がある。

しかしモモンという存在も結局は自分自身。そんな相手への相談は、単なる自問自答でしかない。エンリは悩みを相談しているつもりでも、結果的に自分の内側に悩みを押し込んでしまっているのだ。

だからここで、想いを全て吐き出して欲しかった。心に積もった感情に押しつぶされてしまう前に。

 

「だけどその気持ちは忘れないで。」

 

エンリが落ち着いてきた頃を見計らって声をかける。

鼻水をすすったり、ひっくひっくとしゃくり上げたりしているが聞こえているだろう。

 

「今の優しい気持ちは捨てないで。私は今の、ありのままのエンリさんが好きよ。

 もしもまた辛くなったら、私が話を聞いてあげるわ。」

 

ぎゅっと、エンリが服を握る手が強くなる。

しばらくの間そうしていた2人だが、不意にエンリが離れる。1歩、そしてもう1歩と後ろへ下がった。それから鼻をすすり、目を擦る。

 

私の想いは伝わっただろうか。上手く伝えられただろうか。

エンリの行いが正しいもので、気に病むことは一切無いこと。モモンに頼りすぎて、モモンこそが真の自分だと誤認しないでほしいこと。

そんな心配は、顔を上げたエンリの表情を見て消し飛んだ。

もう大丈夫だと言わんばかりの、耳まで真っ赤な満面の笑顔。

 

「よし!」

 

私は腰に手を当てて力強く頷いた。

もうこの話はおしまい、の合図だ。人前で泣いたのが今になって恥ずかしくなってきたのか、エンリはえへへと照れ笑いを浮かべた。

 

「さ、食べましょ。みんな待ってるわ!」

「はい!」

 

 

ほんのり赤い目尻と濡れた胸元を気にすることなく、2人は店内へ戻って行く。それを指摘する者は当然いない。皆口々に自らの活躍を語った。

衛兵がエンリを捕えに押しかけてきたのは、これから数刻後だった。

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

(あのとき、モモンガさんも泣いてましたよね。)

 

ブッと、口に含んでいた料理をモモンガが吐き出してしまった。

番をしている人が運んできた料理だ。もしかしたら怒られるんじゃないかと、兵士の方を伺った。

 

「はい。」

「あ、どうも。」

 

これまた手際よく兵士から渡された雑巾で、散らばった料理を掃除する。

 

こんな状況が、私はとても楽しかった。投獄されて喜ぶなど異常でしかないが、牢にすんなりと入れられてしまった自分を見て、酷く安心してしまったのだ。

何故なら、“私に罰を与えられる者はいない”という考えがただの思い上がりだったから。

そういえば、何故かモモンガには一般人のような気の小さいところがたまにあるのだ。彼が衛兵を蹴散らして王都を練り歩くはずがない。

 

(泣いてたって、一体何のこと―――)

(私に隠せるわけないじゃないですか。)

(ううむ・・・。)

 

困ったような唸りを上げる。

私とモモンガは同じ体に同居していて、心も深いところで繋がっている。流す涙は同じでも、彼の感情はひしひしと伝わってきていたのだ。

だが、その涙の意味までは分からない。

 

(笑わないでね。)

(笑いませんよ。)

 

モモンガは恥ずかしそうに頭を掻きながら言った。

 

(・・・お母さんみたいだなって。ちょっと思い出してた。)

「プフッ―――。」

 

思わず声が漏れてしまった。

慌てて口を覆うが、その行為には何の意味も無い。私の感情もまた、彼に伝わるのだから。

 

(笑わないって言ったじゃないか!)

(す、すいません、そういうのじゃないんです―――フフッ。)

(うわあああ!)

 

何も彼を笑ったのではないのだ。

実年齢は知らないが、まだまだ若いラキュースに向かって「お母さんみたい」なんて言うものだから、本人に言ったらどんな反応をするだろうと考えてしまった。その結果の失笑であり、モモンガを馬鹿にするつもりは全くない。

 

(だってさ、聞いてくれよエンリ! あの全てを受け止めてくれる感じとか、無条件な優しさとか、あの安心感を与えてくれる微笑みとか、あとあと―――)

 

モモンガが顔を真っ赤にしながら弁明する。顔が火照って熱くなってきた。

盛大に取り乱しているモモンガを見ていると、もう少しからかってみたいという気がしないでもなかったが、流石にそれは悪いと思い直す。私が約束を破って笑ってしまったせいなのだし。

私も必死になって彼を落ち着かせ、笑ってしまった理由を話し、誠心誠意謝罪した。

少しずつ顔の火照りは引いて行ったが、完全に顔の赤みが引くまでは少々時間がかかった。

 

モモンガはようやく落ち着きを取り戻したのだが、再び顔が火照り始める。

当然これも彼の感情によるものなのだが、理由は聞かずとも察することができた。あれだけラキュースの持つ母性について熱く語っていたのだから、羞恥を感じるのも無理はない。そのことについては何も触れなかった。

恐らくは、モモンガはラキュースよりも年上だ。それでもラキュースに母性を感じたのは、家族の温もりを欲していたからという可能性もある。早くに母親を失くして、母の姿をラキュースに重ねたのかもしれない。家族を失う喪失感は―――知っている。

 

「来たか。」

 

突然兵士が声を上げる。誰かに話しかけたというよりは、呟きのような声量。

これにはモモンガも驚いたようで、もじもじと弄んでいた指先を止める。

兵士の言葉通り、反響する2つの足音が耳に届いた。金属同士がぶつかる音も聞こえる。少なくとも1人は武装をしているのだろう。そしてどういう訳か、鼻歌まで聞こえてきた。

その奇妙な2人組は、特に此方を焦らすことなく姿を現す。

 

「あら意外。手錠もしてないのね。」

「丁重に迎えろとのことでしたので。」

「キズモノにされたら困っちゃうし、ありがたいわぁ。」

 

来訪者の1人は軽い武装をした兵士。そしてもう1人は―――オカマだった。

女性らしい化粧はしているものの、身長・骨格・筋肉、どれをとっても女装に向いていない。趣味は人それぞれだが、異様な容姿に開いた口が塞がらなくなってしまったことは仕方ないと思う。兵士の護衛付きということは偉い人なのだろうか。

モモンガと2人で目を丸くしていると、その謎の男と目が合った。

 

「初めましてエンリちゃん。あたし、コッコドールっていうの。」

「ど、どうも・・・初めまして。」

 

やけに馴れ馴れしく名前を読んできた男に返事をしていると、視界の端に牢の番をしていた兵士が映った。果実水や昼食を用意してくれた人だ。何やらポケットに手を突っ込みながら此方へ近付いてくる。

 

「昨夜はずいぶんご活躍だったみたいじゃな~い?」

 

ガチャガチャ

 

「六腕がみーんなやられちゃって主戦力の警備部門は全滅。」

 

ガチャガチャ

 

「私のお店もめちゃくちゃになっちゃったし、」

 

ガチャガチャ

 

「エンリちゃんに稼いで貰わないと―――って何かうるさいわね。」

 

男の視線が横へずれる。私もそれに続いた。

視線の先で、牢屋の扉が軋みを上げながら開いていく。番をしていた兵士が鍵を外していたのだ。

男が慌てて兵士へ詰め寄った。

 

「ちょ、ちょっとちょっとぉ! 何してくれてるのよぉ!?」

 

兵士は腕を掴もうとしてきた男をひらりと躱し、軽く背中を押した。どこにそんな力が入っていたのか、男は大きく態勢を崩し、たたらを踏む。そこに兵士の足が差し出され、躓いた男は見事に牢の中へ転がり込んできた。

兵士もそれに続いて牢へ入ってきたが、男の方には目もくれず、私の手を取り強引に立たせる。手を引かれるままに廊下へ出ると、兵士が扉の鍵をしっかりと閉めた。

 

「よし、と。それじゃ行きますか。」

 

くるりと番をしていた兵士が向きを変え、すたすた歩きだす。軽装の兵士も続いた。

もう何もかもが理解できなかった。突然牢屋へ入れられて、かと思えば飲み物や料理はおいしくて、今度は唐突に出してもらえた。投獄体験イベントだろうか。そんなものに申し込んだ覚えは無い。

 

「あの―――」

「ん? ああ、俺はロックマイアー。レエブン候の使いだ。」

「あ、エンリ・エモットです。」

 

つい自己紹介を返してしまった。

 

「それで、これはどういうことなんでしょうか?」

 

私は牢の前から動いていなかった。

これではまるで脱獄だ。レエブン候というのが誰かは知らないが、理由も分からないまま彼らについて行く気はあまり起きなかった。

 

「おいおい、真面目か。そんな顔するなよ。」

 

固く結んだ口元を見て察したようだ。

呆れたような、感心したような、判別しづらい口調だった。

 

「この事は国王も知ってるらしい。安心しな。」

「王様が!?」

 

王様公認で私を牢から出すような用事があるらしい。ますます分からなくなってしまった。

 

「兵士さん。私、どうなっちゃうんでしょうか・・・。」

「んー。普通に考えれば、何か美味いモンでもくれるんじゃないか?

 あと俺はここの兵士じゃなくてだな、あいつを捕まえるために変装して―――」

 

囚人に美味しい物を与えるために態々牢から出すのが普通なのだろうか。

私と貴族とでは住んでいる世界が違うんだなぁとしみじみ思った。

 

「あ! ちょっと、待ちなさいよぅ!」

 

では鼻歌混じりに悠々とここへ来ながら、自分と入れ替わるように牢に入れられたあの人は何だったのだろう。モモンガはどうしてか教えてくれなかった。

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

国王及び六大貴族、その他特に力を持つ貴族が一堂に会する宮廷会議。

平常時は定期的に行われるものだが、何か大きな問題が発生した場合には臨時で招集がかかることもある。今現在も、一夜にして終結した八本指との抗争とそれに付随する動乱について話し合うため、臨時開催されていた。

突然の招集だというのに脅威の出席率である。平常時に一切顔を見せない貴族も参加していた。それもそのはず、八本指が壊滅したなどという手紙を受け取れば、寝間着のままでも家を飛び出すだろう。王都に住む全ての者に影響があるのだから。その影響が利益なのか不利益なのかは、人によって異なる。

 

「エンリ・エモットを今すぐ極刑に処すべきだ! あの女の部下が我が家を燃やしたのだぞ!」

「あれは君の別宅だろう。」

「財産が燃やされたことに変わりはない!」

「私の家も奴らに燃やされた!」

「誰か見た者でもいるのかね。」

 

会議は迷走していた。

八本指について深く掘り下げられると困る者は多い。それらの者が論点をすり替えた。

八本指襲撃と同時刻に高級住宅街で発生した謎の火災。その犯人がエンリ・エモットだと主張し始めたのだ。当然それに異を唱える貴族も大勢現れる。国の病巣を取り除いた功績を評価し、感謝する者達だ。

会議はエンリを責める側と擁護する側で二分され、荒れに荒れた。

 

「騒ぎに乗じて邸宅を襲撃する計画を立てていたのではないか? そうすれば八本指に罪を擦り付けられる。火事場泥棒が自ら火事を起こすとは、参ったな。」

「逆に八本指がエンリ・エモットを排除するために仕組んだ可能性もあるだろう。」

「しかしその女の素性が知れぬ以上、悪事を働かないと断言はできないぞ。」

「王国の冒険者よりも八本指を信じるというのか? この売国奴め。」

「な・・・! 貴様、表へ出ろ!」

 

 

「失礼します!」

 

そんな怒号飛び交う部屋に、紙の束を持った男が入る。

本来は好ましくない行為だが、白熱した話し合いは口論となり、更には乱闘にまで発展しそうな勢いで、ほとんどの貴族が気付かなかった。気が付いたのは、その報せを待ち兼ねていた国王、ランポッサⅢ世とレエブン候のみ。

国王は恭しく渡された紙束に軽く目を通すと、深いため息をついた。

 

「ザナックの言った通りになったか・・・。」

 

弱弱しい呟きは貴族の罵声に掻き消され、誰の耳にも届かない。

その代わりという訳でもないが、背後に控えていた護衛に指示を出した。護衛はひとつ頷くと、レエブン候の下へと駆け寄る。これでレエブン候の私兵が動く手筈になっていた。そして息子の言う通りならば、八本指の幹部も同時に捕えられる。

ランポッサはおもむろに杖をついて立ち上がり、肺一杯に空気を吸った。

 

「騒々しい!!」

 

室内が一斉に静まり返る。

声の大きさに驚いたのではない。その言葉を発したのが王であったためだ。これまでランポッサは貴族間の対立をできるだけ抑えようとしてきた。つまり、できるだけ穏便に済むよう、収拾がつかなくなった頃に皆を諫めるスタンスだったのだ。ここまで語気の荒い物言いは初めてだった。

 

「レエブン候、これを。」

「拝見します。」

 

レエブン候は王が差し出した紙束を仰々しく受け取り、貴族達へ向き直る。

そして紙を読める位置まで持ち上げると、わざとらしく咳払いした。まるで、皆の前で読み上げることが予め決まっていたかのように。

 

「なになに、ブルムラシュー候の屋敷より多数の契約書を発見・・・ほう、奴隷売買ですか、これは興味深い。他にも帝国との繋がりを示す証拠もあったと。」

 

全員の視線がブルムラシュー候に注がれる。

大半が侮蔑の眼差しだが、中には同族を憐れむ視線もあった。

 

「な、なんだそれは! 私は知らんぞ!」

「お次はリットン伯ですか。」

 

室内のほとんどの者が―――より具体的には、貴族派閥に属する半数以上の者が、ぎょっとして振り返る。レエブン候は今、紙をめくってからリットン伯の名を口にした。もしあの紙束全てが貴族の悪事を纏めた物だとしたら・・・。

扉の近くにいた貴族が数歩後退る。だが、時は既に遅かった。

唯一の逃げ道である扉から数十名の兵士がなだれ込む。この場の貴族に逃げ場は無かった。そもそもこのタイミングで逃げ出しては、罪を認めているようなものなのだが。

 

「頃合いを見て別宅を燃やすよう指示が記載された書類を発見・・・これはエモット殿の潔白が証明されましたな。カルヴァドス辺境伯の屋敷からは―――」

 

次々と貴族の名が呼ばれ、その都度兵士によって拘束されていく。最初は窮屈だった室内も、少しずつ広々と感じられるようになっていった。

そんな中、とても貴族とは思えない屈強な男が歩み出た。王国で最大の兵力を保有するボウロロープ侯だ。

 

「レエブン候、それに王よ。まさかとは思うが、諸兄の不在を狙って屋敷へ侵入したのではあるまいな?」

「ええ、その通りです。」

 

あからさまに怒気を孕んだ声色に、レエブン候は飄々と返した。

ボウロロープ侯の歯軋りが響き渡る。

 

「しかしとにかく時間が無い。まだ全体の調査は済んでいないのですが、一部を先に持ち帰らせたのです。」

「いけしゃあしゃあと・・・自分達が何をしたのか分かっているのか! 国が割れるぞ!」

 

王を超える軍事力を持っているボウロロープ侯がそれを口にするのは脅迫に近い。

レエブン候は困ったように首をすくめ、1枚の紙を差し出した。

 

「しかしですな、嫌疑がかけられているのは貴殿も同じなのです。」

「ふん、馬鹿馬鹿しい。私の屋敷の警備を抜けて侵入などできるものか。捏造だな。」

「そちらには戦士長に向かって頂きました。王より賜った令状と共に。」

「何・・・?」

 

貴族達が拘束されて牢へ連れていかれている中も態度を崩さなかったボウロロープ侯に、初めて動揺が見えた。

確かな実力を持つ戦士長が押しかけてきたというだけでも、屋敷の衛兵が立ち向かって行くかは怪しいものだ。それに加えて令状まで手にしていたのなら、間違いなく屋敷内へ案内するだろう。

 

「いや、あり得ん。あり得んのだ。私があのような下衆な連中と関わる訳が―――」

「ではそれを証明すれば良いのです。ただし、ここではない場所で。」

「・・・関わりが無いことの証明など、どうすれば・・・。」

 

呆然とするボウロロープ侯に、2人の兵士が近付く。

ボウロロープ侯は特に抵抗することなく、すんなりと拘束を受け入れた。

 

 

 

(ああ、今日はなんと素晴らしい日なのだ。)

 

レエブン候は1人、王城内の廊下を歩いていた。

宮廷会議は、貴族派閥の過半数と王派閥の一部を投獄するという王国史上最大の珍事を以て終了した。奴らは貴族とはいえ、王の弱体化、つまりは国力の低下を喜ぶクズだ。今回の件で王国は確実に明るい未来へと進めるだろう。

それもこれも八本指という後ろ盾が消滅したからこそ。下手に問題を突っついて不審死する心配が無くなったため、このような強硬手段に出たのだ。

 

「これは、ザナック王子。」

 

廊下で見知った相手―――共謀者を見かけ、礼を取る。

ザナックは壁に寄り掛かったまま半笑いを浮かべてこれに答えた。

 

「はは、連行される貴族共の蒼褪めた顔は、中々見ものだったぞ。」

「それは何よりです。私も部屋から出ていく連中を見ている間、小躍りを我慢するのが大変でした。」

 

この騒動は計画通り。いや、全て仕組んだ訳ではないのだから、計算通りという方が正しい。

その計算はほとんどがもう1人の共謀者、ラナー王女によるもので、自分はコネクションの面でしか役に立てていないのが少々歯がゆい。

 

「それにしても驚きました。ボウロロープ侯の屋敷から八本指との繋がりを示す痕跡が見つかるとは。」

「なに、簡単なことだ。兄の部屋から出たヤバイ資料を、金と一緒に屋敷の小間使いに握らせただけだからな。」

「・・・力だけでは人望は集まらないということですか。」

 

王女から、バルブロが八本指から賄賂を受け取っているという話を聞いたときは耳を疑った。仮にも第一王子の身でありながら、国を蝕む組織から金を受け取っていたというのだから。ザナックの嬉しそうな様子を見ると、どうやらそれは真実であったようだ。「兄を蹴落とす材料が出来た」と顔に書いてある。

 

「こうなってみると八本指様様だな。繋がっていた馬鹿共はもちろん、邪魔者を排除する材料になってくれるのだから。」

 

繰り返される過激な発言に、思わず周囲を見渡す。廊下に人影が無いことを確認し、胸を撫でた。

ザナックが言っているのはボウロロープ侯のことだ。

彼は王国最大の軍事力を以て、六大貴族の1人として数えられている。その武力への拘りの強さは、ガゼフ・ストロノーフ率いる戦士団の発足を聞きつけて、自らも精鋭部隊を作るほどだ。毎年の恒例行事となっている帝国との小競り合いでも、頼りになる存在ではあるのだ。

だが彼は、貴族派閥の一員として権力闘争に明け暮れてしまった。私に言わせればそれこそが彼の罪。王国に混乱を齎す者は敵だ。

我が領地を完璧な状態で息子に譲る計画が揺るがされるのだから。

 

「王子、ここではそういった発言は・・・。」

「ん? ああ、そう構えなくても良い。仕事熱心なメイド達は捕まった貴族共にご執心だ。

 ここを通る者と言えば―――そら来た。」

 

ザナックの視線を辿ると、ロックマイアーと軽装の兵士、それから此度の主役であるエンリ・エモットが歩いてくるのが見えた。

カルネ村という田舎出身だと聞いていたが、街娘のような風貌だ。王都に来てすっかりシティーガールに染まったらしい。衣服に乱れは無く、手首に痣も見受けられず、頬に米粒が付いている。ロックマイアーは言いつけ通りしっかりともてなしていたようだ。

軽装の兵士は、ロックマイアーと同じく我が親衛隊の1人。魔法で八本指の手先となっていた兵士に姿を変え、コッコドールを誘導させた。

 

ロックマイアー達は既に此方に気付いていたようで、私に目配せをしてからエンリの背中を軽く叩くと、足早に去って行った。王城へ勝手に私兵を連れ込んでいたことがバレると少々まずいため、任務達成後は速やかに城を出るよう指示しておいたのだ。

1人取り残されたエンリは、所在無さげにキョロキョロしている。ロックマイアーは何も伝えていないのだろうか。

此方へ近付いてくる気配が無いため、自分からエンリの方へ歩み寄った。

 

「初めまして、エンリ・エモット殿。私はエリアス・ブラント・デイル・レエブンと申します。」

「あなたがレエブン候ですか? 良かった・・・。」

 

エンリは胸に手を当て、ほっと一息ついた。どうやら私の名は伝わっているようだ。

ザナックが横合いから歩み出て、普段見せている顔からは想像もできない爽やかな笑みを浮かべる。

 

「私の自己紹介も必要かな?」

「あ、はい。お願いします。私はエンリ・エモットです。」

「あぁ、そう・・・。」

 

ザナックは私や王女の前でこそかなり砕けた態度だが、そこまで親しくない相手の前では普通に王子をやっているのだ。上位者の体裁を保つのは上手い。

自分の顔がエンリに知られていなかったことに少々、いやかなり落ち込んでいる様子だが。

 

「私はザナック・ヴァルレオン・イガナ・ライル・ヴァイセルフ。リ・エスティーゼ王国第二王子だ。」

 

ザナックの自己紹介を聞いたエンリの顔から、さっと血の気が引いていった。

慌ててその場に傅く。その速さたるや、風圧で前髪が揺れた程だ。

 

「は、初めまし―――お初にお目にかかります、王子! 何分田舎者ゆえ、どうかご無礼をお許しください!」

「お、おう・・・。」

 

挨拶を交わした感じではやはり田舎者らしいのんびりとした印象を受けたが、それとは打って変わって、はきはきとした丁寧な言葉遣いだった。まるで人が変わったようだ。

 

「まぁそう畏まる場でもない、緊張するな。」

「はい。」

 

エンリが返事をして立ち上がるが、その顔には依然緊張があった。貴族や王族といった存在には全く接点を持たずに生きてきたのだろうから、無理もない。

ザナックが小さくため息をつく。力を抜いたのだろう。エンリ・エモットに対しては王族としての威厳を見せるより、砕けた態度で接したほうが親しみを持たれると考えたのか。これからの国の激動を考えると、エンリ・エモットとは出来るだけ早く友好関係を築いておきたいため、それには賛成だ。

 

「それにしてもお前、そんな格好で父に会うつもりか?」

 

言いながら、ザナックは自らの頬をつつく。

その意図に気付いたエンリが顔に手を当て、頬に付着した米粒に気付いた。少し顔を赤らめてから軽く会釈をして感謝を伝え、再び顔が蒼白になる。

 

「父って・・・私が王様に会うんですか!?」

「なんだ、レエブン候の私兵はそれも言っていなかったのか?」

「どうやらそのようです。」

 

慌てふためくエンリを余所に、ザナックが身を翻す。

 

「先に妹のところに行くぞ。何か服を借りるといい。」

「妹・・・ラナー王女殿下ですか!?」

「妹のことは知っているのか・・・。」

 

 

 

部屋に扉のノックが響く。

一体誰だろう。クライムには引き続き情報収集をさせているし、レエブン候が戻ってくるには早すぎる。エンリ・エモットをお父様―――国王に会わせて、そのまま私の下へ連れてくる手筈だ。御付きのメイドも呼んでいない。可能性として最も高いのはやはりレエブン候達か。

 

「どうぞ。」

 

そこまで逡巡してから入室の許可を出す。

扉から顔を覗かせたのは、予想通りの3人だった。

 

「よう、妹よ。」

「まぁ、お兄様。どうなさったのですか?」

「こいつがみすぼらしい格好をしているものでな。何か着せてやってくれ。」

 

兄が2人の後ろに隠れていた女の背を推した。

出てきたのは当然エンリ・エモット。バランスを崩してふらついたが、すぐに直立して顔を上げ、私と目が合った。

さて、その顔に浮かぶのはどんな感情だろう。私を目にした女が抱く感情は2つに絞られる。羨望か、もしくは嫉妬。前者であれば完璧な少女を、後者であれば間抜けな少女を演じればいい。容姿では敵わなくとも、勝てる部分があると思わせるために。

エンリ・エモットが浮かべたのは、羨望の眼差しだった。

 

(・・・?)

 

しかし、それは一瞬で消えた。

エンリから全身を隈なく見つめられている。観察されている。感心したような顔に変わり、何かを思い出すように視線が泳ぐ。

比較している? 一体誰と?

自分で言うのもなんだが、この国で私と同レベルの美貌を持つ女性はラキュースくらいだ。自然に考えれば彼女と比較されていることになるが、この反応はどうにもおかしい。

ラキュースと数日行動を共にした程度で、見慣れたような反応をするはずがない。

そう、見慣れている。間違いなくエンリ・エモットはこれまでに多くの美女を目にしている。でなければ説明がつかない訳だが、どのような環境にいればそんなことに―――。

 

「どうされました、ラナー殿下。」

「どうされましたは私のセリフですよ、レエブン候。男性は外で待っていてください。」

 

予想外の反応で呆けてしまった。少し怒ったように頬を膨らませて、兄とレエブン候を扉の方へと押しやる。苦しいが、エンリ・エモットは誤魔化せるはずだ。2人を誤魔化せなかったとしても、私の本性を知っているのだから、さして不自然にも思わないだろう。

 

しかし、これは想定以上に難敵だ。

敵に対する対応のチグハグさから、別の人格が存在する可能性が高いと読んでいた。カルネ村が襲撃された際に何らかの原因で力を得て、それと同時に新たな人格が芽生えたと考えれば辻褄が合う。その仮説は今のエンリの様子を見て確信へと変わった。

だが、肝心の第二人格は基本的に表に出てこないらしい。クライムが蒼の薔薇から聞き出した情報によれば、エンリ・エモットはとても優しい性格をしている。ならば、敵が殺されていない事件はエンリ本人が、それ以外を第二人格が担当したのだろう。

具体的には、カルネ村襲撃・アンデッド大量発生事件・そして今回の八本指騒動。

直接みて掴んだ情報は、私と同程度の美貌を持つ女性を見慣れているという異質さのみか。判断材料が少なすぎて、迂闊な言動ができない。人格が2つだけだと断定することすら危ういかもしれない。

 

「えっと、あの・・・私は―――」

「まあまあ、お話は後でゆっくりしましょう? あまりお父様を待たせるのも悪いわ。」

「そ、そうですね。」

 

尤もらしい理由をつけてエンリの自己紹介を遮る。ガチガチに緊張して震えた声。これはエンリ本人の物だろう。

現状で無暗にエンリと会話するのはまずい。間違いなく村娘である本人はまだしも、もう1人の気に入る行動が読めない。エンリ本人から分離した人格ならば趣味嗜好も全く同じだと考えるのが自然だが、そうでなかった場合が最悪だ。

とにかく今は、エンリ・エモットに似合う服を全力で見繕おう。

 

 

 

という訳で、俺は王の前に跪いていた。

何が“という訳”だ、と自分で突っ込みたくなるほどに色々な事が起きた。まさかの逮捕、からの釈放、貴族・王子・王女と会い、現在は国のトップである国王に謁見している。レエブン候たちも付いて来ているとはいえ、プレッシャーが半端じゃない。

 

(ラナー様、本当に綺麗・・・。ラキュースさん以外にもこんなに綺麗な人がいるなんて、やっぱり王都はすごいですね。)

(俺もびっくりしたよ。あれほどの美人が2人もいるなんて。)

 

思わずナザリックのNPCを思い出してしまったレベルだ。

ギルドメンバーが新しいNPCを作る際、モデリングはほとんど仲間の1人に依頼されていた。その道のプロがギルドに所属していたのだ。結果、人間とあまり変わらない外見をしている女性キャラは1人残らず絶世の美女となった。

そんなNPC達と比較しても遜色ない美貌を持つ女性が、この世界には2人もいた。しかも片方は王女で、片方は凄腕の冒険者。天は二物を与えたというのか。

 

「立ってはくれぬか、エモット殿。余は―――私は、ただ感謝を伝えたいのだ。」

 

そんなことを考えて2人で現実から逃避していたのだが、どうやらこの逃げ出したい状況と向き合う時間が来たようだ。王の言葉通り立ち上がる。

王の前に引っ張りだされてどうこうされる訳ではないことは既に分かっていた。それ以外で国王が直々に会って話したい用事と言えば、八本指を壊滅させたことの礼と褒美くらいだろう。

 

「いえ、私は蒼の薔薇の皆さんをお手伝いしただけです。大した事は・・・。」

「此度の件でも感謝しているが、もっと前のことだ。戦士長を助けてくれただろう?」

「え・・・ああ、あの時のことでしたか。」

 

王が話しているのは俺がこの世界に訪れた直後のこと。ガゼフ・ストロノーフを法国の特殊部隊から助けたことだった。

あの件に関しては戦士長に口外しないようお願いしていたため、考慮から外していた。いや、厳密にはエンリが力を得た経緯を秘密にしていたのだったか。それについても王にだけは話している可能性があるが、これだけ厚い信頼を寄せているのなら、王も無暗に口外したりはしないだろう。

 

「私の腹心の部下にして友人であるガゼフを救ってくれたこと、深く感謝する。

 ついては、何か礼がしたいのだ。何でも言ってくれ、私にできる範囲で応えよう。」

「そんな・・・私は当たり前のことをしただけです。それに平民の私が―――」

 

俺が平民という言葉を口にすると、王は心底愉快そうに笑った。

それはもう、高笑いと表現するのが適切なほどの大笑いだ。

 

「既に多くの貴族が投獄されるという珍事が起きておるのだ。今は身分など気にせずとも良い。文句を言えるほど余裕のある者などおらぬ、遠慮する必要はない。」

 

衝撃の事実すぎる。俺が囚われている間に一体何があったというのか。

この世界の社会構造などろくに知らないが、貴族というのは割と好き勝手が許される特権階級ではないのか。そんな人たちが一斉に捕まるとは、どんな悪事を働いたのだ。八本指に協力している貴族がいるのは知っているが、まさかそんな連中が大量にいたのだろうか。正直もう少し解説が欲しいところだったが、王に口出しするなどという恐ろしいことはできない。

いやいや、そんなことよりもまずは望みの物を考えなくては。

 

(自由をくれ・・・なんて言ったら怒られるかな?)

(絶対怒られますよ。私でも分かります。)

 

ですよね。

王国としては、アダマンタイト級冒険者である蒼の薔薇と並び立って八本指を退けたエンリを手放したくない。行動の制限はしないまでも、行先くらいは知りたがるだろう。

だけど今欲しい物と言えばそれくらいだ。

何かないのか、王の負担にならない手頃な褒美は―――。

 

『何か美味いモンでもくれるんじゃないか』

 

ふと、ロックマイアーの言葉が頭を過る。

あるじゃないか、とても手頃な褒美が。王宮の料理にはとても興味がある。王の財布のダメージも最小限で済む。これ以上ないくらいの名案。

心の中のロックマイアーがサムズアップした。ありがとう、ロックマイアーさん。

 

「そう急かしてはエンリさんが困ってしまいますよ、お父様。このお話は後日改めて、というのはどうでしょう?」

 

美味しい物と言いかけて口が“お”の形になったところで、王女から助け舟が入る。

ラナーが此方を向き、ウィンクした。なんと頼りになるお姫様だ。実のところ所望する褒美は美味しい物と決めたところなのだが、そこは言わぬが花だろう。

 

「おお、それもそうか。エモット殿もそれで良いかな?」

「はい。そうして頂けると助かります。」

「では何か考えておいてくれ。そういえばラナー、エモット殿と話がしたいのだったな。」

「はい、お父様。」

 

まだ続くのか。それが俺の正直な感想だった。

貴族や王族との交流など滅多に経験できないことで、とても名誉なことではある。だがこのまま行くと一生分の鼓動を使い切ってしまいそうだ。昨日から徹夜なのも相まって、俺が睡眠不要の特性を持っていなかったら今頃ぶっ倒れているだろう。

 

「私の用も済んだ。部屋でゆっくり話してくると良い。」

「はい。では行きましょう、エンリさん。」

「は、はい・・・。では、失礼します。」

 

扉の方へ歩いて行くラナーの後に続こうとしたが、視界の端に映るザナックの口元が動いているのが気になった。視線は俺とばっちり合っているのに、声は出していない。読唇術スキルは持っていないが、気合いで唇の動きを読んだ。

 

(き・・・を・・・つ・・・け・・・ろ・・・。え、なにされるの俺。)

(冗談だと思いますよ?)

(だよね。)

 

相変わらずザナックはにやにやと半笑いを浮かべていることだし、からかっているだけなのだろう。

謎の忠告は気にしないことにして、国王にもう1度頭を下げてから部屋を後にした。王様の前での作法なんて全く分からないが、失礼な部分は無かった・・・と思いたい。

 

 

 

兄も随分余計な真似をしてくれる。紅茶を2人分のカップに注ぎながら、内心で呟いた。

エンリが大して気にも留めていないから良かったものの、余計な警戒心を与えられては困る。私の戦いはこれからなのだから。私とクライムが誰にも邪魔されずに生活できる場所を手にするために、どうにか目の前の女を引き込まなければならない。

先ほどの王との会話を見た感じでは、第二のエンリ―――仮に偽エンリとしよう―――はあまり恐るべき相手とは言えない。中身はエンリとさほど変わらない一般人で、警戒すべき点は人命を奪うことに躊躇が無いところくらいか。

偽エンリが美女を見慣れている可能性については考慮から外しても問題ないだろう。どこぞの王の魂でも入り込んでいるのかと考えたが、帝国の皇帝のようなカリスマ性は皆無だ。飛びぬけて頭がきれる訳でもない。

何しろ、褒美に下らない物を所望しようとした程なのだから。固辞し続けるのも、無理難題を吹っ掛けるのも無礼と考え、手頃な褒美を探していたようだが、口が“お”の形になった時には肝を冷やした。美味しい物などと言われてはせっかくの功績が台無しだ。父へ売った恩はもっと有効な場面で役立たせてもらう。

 

「どうぞ。」

「ありがとうございます。」

 

エンリにティーカップを差し出し、私も対面に座った。

偽エンリにとって人の命は恐ろしく軽い。最低でもアイツを怒らせることだけは避けなければならない。その上でエンリ、偽エンリ両者からの好感度を稼ぐ。ついでに情報を得られれば完璧だ。

 

「そういえばエンリさん。」

「はい?」

 

エンリが小首を傾げる。今表にいるのはエンリの方か。

気付かれないよう目線は自然に保ち、意識の全てをエンリの表情に注いだ。

 

「そのドレス、良かったら貰ってくれないかしら。」

「本当ですか!?」

「ええ、よく似あっているわ。」

 

エンリが立ち上がり、着ているドレスを眺め回す。

口元は満面の笑み。ごく自然な反応だ。目の方も変わらない―――いや、変わった。

値踏みするような視線。使い道は無いが手に入るのならば嬉しい、といったところか。

癖を矯正するのは非常に難しい。それが意図せず染みついたものならば猶更。特に目の制御は意識しても上手くいかないことが多い。そこから考えを読み取るのは造作もないのだ。

偽エンリにとってドレスは使い道の無い物、つまりは男。それでも欲しがるということは、コレクターなのだろうか。エンリから分離した自我ではなく、完全なる別人だ。

 

「ありがとうございます、すごく嬉しいです・・・!」

「うふふ、なんだか私まで嬉しくなっちゃうわ。細かなサイズの調整は―――」

「大丈夫です、得意ですから!」

 

エンリが自信満々に握り拳を作る。

裁縫が得意ならば家事全般がこなせると見ていいだろう。腕の筋肉の付き具合から、力仕事もやっている。カルネ村ならば畑仕事か。明るく真面目な性格のようだ。

エンリの人となりはかなり掴めてきた。後は偽エンリの方だが、此方はあまり気にしなくてもよさそうだ。エンリに優しくしていれば自動的に好感度が上がっていく。逆に言えば、エンリに不快な思いをさせれば一気に不興を買うということだ。虎の尾を踏んだ八本指には本当にご愁傷様と言うほかない。

 

「良かったらこれまでの旅のお話を聞かせてくれないかしら。」

 

それからの私は話を聞くことに専念した。

相手が欲しいところで質問を挟み、相手が望む反応をし、適度に私の意見を述べる。

エンリが何か目的を持って冒険者になったのではなく、旅そのものを楽しんでいるようだったのが少し厄介だが、概ね満足な結果が得られた。

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

ラナーとの雑談が終わり、今は宿への帰り道。見送りのメイドとは城を出たところで別れ、ようやく緊張感から解放された。まだロ・レンテ城の敷地内だが、晴れ晴れとした気分だ。外の空気が美味い。

ラナーから譲ってもらったドレスは既にアイテムパックにしまい、エンリの私服に着替えていた。ドレス姿で街を徘徊するのは目立ちすぎる。エンリには言わないが、あれを着る機会が今後訪れるのか、未だに疑問だ。

 

(あぁ~、疲れました・・・。)

(ほんと、大変な1日だったね。)

 

エンリがまるで仕事終わりの俺のようだ。年頃の少女にはとても似合わないものだが、口にはしていないからギリギリセーフか。

 

(先に寝てるといいよ。俺も宿に帰って眠るから。)

(そうですか? ではお先に・・・。)

 

そう答えたエンリの意識はすぐに途切れた。

慣れてしまえばこの状況は実に快適だ。いつでも周囲に気付かれずに相談し合えて、体の一切を委ねて休むこともできて、何より孤独がない。

こうなった原因が分かるまでは君は俺だ。俺が言ったその言葉をエンリは覚えているだろうか。

―――まだしばらくはこのままでいたいと言ったら、エンリは怒るだろうか。

 

「エンリさーん!」

 

遠くから聞こえた呼び声に、俯いていた顔を上げる。城門の向こうでラキュースが手を振っていた。周囲の視線を気にすることなく、手をブンブン振り回している。何だか申し訳なくなって、小走りでラキュースの下へ向かった。

すっかり“エンリ”と呼ばれて反応するようになってしまったなと、苦笑が漏れた。

 

「迎えに来てくれたんですか?」

「本当は城内まで行きたかったんだけどね。」

 

近くの門衛が気まずそうに身を竦ませた。

ラキュースの様子を見る限り、何も嫌味で言った訳では無さそうだ。しかし、アダマンタイト級冒険者という肩書が彼を委縮させてしまうのだろう。有名すぎるのも一長一短なようだ。

 

「さ、早く帰りましょう。みんなエンリさんのことを待ってるわ。」

 

ラキュースが踵を返す。俺も横に並んだ。

 

「それが、エンリはもう寝ちゃいまして。」

「え? あれ、敬語キャラに変えたの?」

「ラキュースさんは先輩ですし。」

 

ポケットからオリハルコンのプレートを取り出し、ラキュースに見せる。

アダマンタイトを目指すかどうかは後でエンリと相談しよう。

 

「もう、モモンの時はそんなこと気にしなくていいの! 普通にしなさい普通に。」

「は、はあ・・・。」

 

ラキュースの中では、俺は粗暴な人物と位置付けられているのだろうか。実はロールプレイをしているとき以外は敬語がデフォルトだったりするのだが。エンリに対して敬語を使っていないのは、早く遠慮の無い関係になりたかったからだし。

これからの付き合いで粗暴なイメージを払拭すればいいかと、ポジティブに考えた。

 

「歩きながら眠れるなんて、便利ね。」

「本当にそう思うよ。かなり疲れてるみたいだったから、先に寝かせたんだ。」

「ふーん、じゃあ代わりに体を動かしてるの? 優しいのね。」

 

優しい。その言葉を聞いて、会話が途切れる。

俺は果たして優しい人間だろうか。いや、そんなことは絶対にない。

 

「俺は優しくなんかありませんよ。」

「優しいわよ。エンリさんのためにあんなに怒ってたじゃない。」

 

ラキュースは俺とゼロが対面した時のことを言っているのだろう。そういえばあの時の俺は範囲を考えずに絶望のオーラを発動していた。もしラキュースを巻き込んでいたのなら、悪いことをしてしまった。

―――そう、俺が優しくない所以はそこにある。

 

「・・・今の俺はエンリにしか優しくない。そんな人間を優しいとは言わないよ。」

「あら、私には優しくしてくれないのかしら?」

 

ラキュースが俺の顔を覗き込む。そのあまりの近さに、思わず数歩後退ってしまった。

彼女は俺の反応を見て楽しんでいるようで、クスクスと笑っている。

 

「男の子みたい。」

「男ですから。」

「ふふ、そうだったわね。」

 

そんな他愛のない話をしながら歩く帰り道は、なんだかとても新鮮だった。

 

俺とエンリが王都でやるべきことはまだ残っている。けれどまずは宿へ帰ろう。今は毛布と枕が恋しい。

 




作者「今回で王都編を終わらせよう」
文字数「普段の倍ィ!」
作者「ああああああ!!」

そして終わらない王都編


火災に関しては、ほんのちょっぴりしか描写してない&1年以上間が空いているため、覚えている人は1人もいないと思います。
そんなことがあったんだなぁ程度で大丈夫です。

nekotoka 様
誤字報告ありがとうございます。


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覇王と薔薇

独自設定・捏造設定があります。


目が覚めると、宿のベッドで仰向けに寝ていた。

両の手足はだらしなく投げ出され、体にかけられていたであろう毛布は、ベッドの下に落ちていた。私はこんなに寝相が悪かっただろうか。落ちた毛布を拾い上げようと体を捻ると、全身が軋みを上げる。寝違えてしまったらしい。

そういえば、帰り道をモモンガに任せて先に眠ったんだ。

 

(モモンガさん、起きてますか?)

 

返事は無い。

痛む体に鞭を打ち、強引に起き上がる。体が重い。頭がぼーっとする。窓から差し込む光がいやに眩しかった。こんなに気だるいのは変な時間に寝てしまったせいだろうか。

まだ慣れない太陽の光に目を細め、床に落ちた毛布もそのままに、ふらふらと洗面所へ向かう。

 

「わぁ・・・。」

 

鏡に映った私は悲惨な状態だった。

開き切らない目の下には隈があり、髪の毛はボサボサ。凶悪犯罪者のような人相だ。こんな顔、モモンガにだって見せられない。

相変わらずゆったりした動きで蛇口を捻り、いつもよりも強く顔を洗う。それから手に付いた水気を少しだけ切って、髪の毛にペタペタと触れる。ん、この寝癖は強敵だ。

 

それにしても、この水道という物は便利すぎていけない。

エ・ランテルに足を運ぶこともあったため、存在自体は知っていた。しかしいざその恩恵にあずかると、自分が村で毎朝やっていることは何なんだと思ってしまう。それほど画期的な装置なのだ。

よし決めた。今度モモンガと“カルネ村に水道を引く大作戦”を決行しよう。

そんな取り留めのないことを考えていると、不意にノックの音がした。急いでタオルを手に取り、顔を拭いながら返事をする。

 

「レイナです。少しお時間よろしいでしょうか。」

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 

タオルをアイテムパックに投げ入れ、ベッドの方へ駆ける。落ちた毛布を見られるのは流石に恥ずかしいのだ。

自分の体の状態も忘れてフラフラと駆け出した私は、椅子に足を引っかけ、派手に転んだ。宿中に大きな音が響く。今1階にいる人は間違いなく天上を見上げただろう。

そして当然、レイナが心配して扉を開ける。うつ伏せに倒れている私と目が合った。

 

「あ、あはは・・・。」

 

 

 

ティーカップを口元へ寄せ、鼻から空気を吸う。紅茶の香りが鼻孔をくすぐり、少しずつ頭が活性化していく。寝起きの紅茶は良い、癖になりそうだ。今度村へお土産を買う機会があったら茶葉にしよう。

 

「申し訳ありません、お休みのところを。」

「い、いえいえ。丁度起きたところなので。」

 

レイナが淹れてくれた紅茶を少し口に含み、ソーサーへ置く。

先ほどから彼女は随分と思い詰めた表情をしているが、突然押し掛けたことは何も気にしていない。寝起きの調子がよろしくなかったため、紅茶を持ってきてくれたことに感謝すらしている。

 

「実は、エンリさんに謝りたいことがあるのです。」

「私にですか?」

 

だが、レイナの表情が暗いのには別の理由があるらしい。

特に何かされたという記憶もないため、微妙な反応を返すことしかできない。再びカップを手にし、話の続きを待った。

 

「冒険者のレイナという人間は存在しません。私はバハルス帝国の皇帝、ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス陛下に仕える四騎士の1人、“重爆”のレイナース。レイナース・ロックブルズです。」

「そ、そうなんですか。」

 

よく噛まなかったなぁと感心しつつ、とりあえず紅茶を啜る。少しずつ覚醒してきたとはいえ、寝起きの頭では情報を処理するのに多少の時間がかかった。

つまり、身分を偽っていたということか。

 

「どうしてそんなことを?」

「理由は多々ありますが・・・エンリさんと違和感なく接触するため、ですわね。帝国に興味を持って頂きたかったのです。」

「なるほど。」

 

気付けば空になっていたカップを置き、うんうんと頷く。

要するに、レイナースは帝国を訪れて欲しいと言っているのだ。もちろん何か理由があって近付いたのだろうが、結局は私から赴くことになるのだから、結果は変わらない。モモンガが周辺の国を見逃すはずがないのだ。旅行的な意味で。

私は八本指との戦いを手伝ってくれたことに感謝しているし、モモンガもレイナースを責めたりしないだろう。だから私は、彼女を安心させたいと思った。

 

「紅茶がおいしいお店を案内してくれる約束、楽しみにしてますよ。」

「ええ、お任せください!」

 

レイナースの―――いや、皇帝の目的は私でも察することができる。これまでの経験を経てなおそれに気付かないほど、愚かではないつもりだ。それに関してはモモンガと相談する必要があるが、恐らく帝国の観光を諦めることは無いだろう。比較的穏便な手段で接触してきたのだから、敵対の意思は無いはずだ。

 

 

 

「ふぅ・・・。」

 

レイナースの足音が消えたのを確認し、糸が切れたようにベッドへうつ伏せに倒れ込む。自然と小さなため息が漏れた。

さっき飲んだ紅茶で頭は冴えてきたのだが、体の方はまだまだ怠い。今日は何もする気が起きない。まぁそういう訳にもいかないのだが。規則正しい生活は大事だという教訓を得た、そうプラスに考えよう。

寝返りを打って仰向けになり、アイテムパックから遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)を取り出す。モモンガが起きるまでやることがないため、単なる暇つぶしだ。

鏡には、私が宿泊している宿を上空から俯瞰した景色が映っている。何となく王都全体が見たくて、鏡を操作する。

 

「あっ。」

 

思っていた以上に縮尺を小さくしてしまった。これでは人通りどころか街道すら見えない。まぁこれはこれで普段見られない景色で、暇つぶしには丁度いい。

そのまま何の気なしに視点を横へずらすと、鏡面が白い靄で埋め尽くされた。ほぼ1年中霧に覆われている謎の大地、カッツェ平野だ。初めてあそこを訪れた時はすごく気味が悪かったのを覚えている。

だけど、何故だろう。今なら平気な気がした。

 

(うーん、行ってみようかなぁ。)

 

夜にはラキュース達に会って今後の方針を話し合わなければならない。だが《転移門(ゲート)》を使えば移動時間はほとんど無いに等しい。太陽は既に傾きかけているが、時間の心配は不要。

寝そべった態勢のまま、無造作に唱える。

 

「《転移門(ゲート)》」

 

自分とシーツの間に現れた禍々しい暗闇に、吸い込まれるように落ちていく。

カッツェ平野に良い思い出なんて皆無で、おまけにモモンガという頼れる存在がぐっすり眠っているにも関わらず、どうして私は躊躇なく向かうことができるのか。それは単に、“今なら平気かもしれない”という感覚が本当かどうか試してみたかったからだ。そんなちっぽけな好奇心に従っただけ。

私もすっかりモモンガさんみたいになっちゃったなと、苦笑が漏れた。

 

転移門(ゲート)を抜けた先で華麗に後方宙返りを決め、軽やかに降り立つ。ゼロと戦った時に散々吹き飛ばされたせいか、宙を舞うことには慣れてしまった。こんな曲芸じみた離れ業も今の私なら軽くできる。

できるのだが、体が痛い。寝違えたことを忘れて調子に乗ってしまった。悲鳴を上げる背中を労わるように摩りながら、周囲を見渡した。

 

転移したのは、カッツェ平野の中心付近。相変わらず霧で視界が悪く、周辺に意味のある構造物は見えない。赤茶けた地面には、雑草すら生えないのではないかと思えた。

その光景をしっかりと目に焼き付け、瞼を閉じる。呼吸を整えてから両手を広げ、大きく深呼吸した。

 

(うん、やっぱり大丈夫。)

 

アンデッドが頻出する危険地帯のど真ん中に1人。並の人間なら即座にパニックに陥りそうな状況でも、恐怖は微塵も無い。それどころか安らぎすら感じる。いつまでもこのひんやりとした空気に包まれていたい。まるで実家のような安心感に、両手を上げて体を伸ばすと、心なしか体の痛みが和らいだ気がする。

確かに私は、ゼロとの激戦を経て多少自信が付いた。だけどここまで心境に変化があるだろうか。どうもそれだけじゃない気がする。これもモモンガの影響なのだろうか?

 

(1人で考えても分からないわね。)

 

この体については、自分よりもモモンガの方が詳しい。

私は小難しいことを考えるのをやめ、霧の中を1歩踏み出す。この心地良い空間を散策しようと思ったのだ。だがここで閃いてしまった。

 

―――馬に乗ってお散歩がしたい。

理由も無しにこんな突拍子もない思いつきをしたのではない。昨日、王城とそこで暮らす人を見てしまったから。端的に言えば、優雅な生活に少し憧れたからだ。

平民の私が貴族や王族の真似事をしても笑われるだけだが、幸いにもここには人目が無い。何をしても恥ずかしくない。やってることはおままごとだけど、恥ずかしくない。

 

「《完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)》」

 

とはいえ、私も1人の女の子。例え人目がなくとも、屋外で堂々と着替える胆力は持ち合わせていない。

魔法で透明人間になり、アイテムパックから例のドレスを取り出す。丈の調整はまだしていないが、どうせ見る人もいないのだ。多少だらしなくとも構わない。それから結っていた髪を下ろし、アイテムパックに入っていた花を髪に挿す。モモンガが森で採集していた野花だ。少しだけお借りします。

 

「わぁ・・・!」

 

手鏡に映った自分を見て、思わずため息が漏れる。宿の洗面所で発した言葉と同じでも、そこに込められた感情は全く異なる。

気分は完全にお姫様。豪華な居室も従者の1人も存在しないが、そんな気分だからそれでいいのだ。

後は馬の調達をどうするかだ。普通の人間ならばカッツェ平野のど真ん中で馬の調達など不可能だが、私にはアンデッドを作り出すスキルがある。だが、それにはひとつ問題があった。

 

(馬のアンデッドっているのかなぁ。)

 

私はアンデッドを作成するスキルを持ってはいるが、どんなアンデッドを作れるのかまでは知らない。モモンガと感情は共有しているものの、知識はその範疇ではない。彼がこれまでに生み出したアンデッドは死の騎士(デス・ナイト)骨の竜(スケリトル・ドラゴン)くらいで、馬のアンデッド、もしくは馬に乗っているアンデッドを作ったことはない。

骨の竜(スケリトル・ドラゴン)は大きすぎるし、死の騎士(デス・ナイト)の肩に座るというのも、何か違う気がした。

 

そういえば、と思い出す。

モモンガが1度、“ペイルライダー”なるアンデッドを作り出そうとして失敗したことがあった。ライダーというからには、何かに乗っているはずだ。それが馬なら良いが、別の魔獣に乗っている可能性のほうが高いかもしれない。騎士の死体を使って作成に失敗するほど、高レベルなモンスターだからだ。

自分の内側に意識を向け、アンデッド作成スキルについて深く掘り下げてみた。しかし、分かるのはスキルの効果くらいで、ペイルライダーがどんなモンスターなのか、他にどんなモンスターを作り出せるのかは分からない。

 

だが、スキルの効果を確認できたのは大きな収穫だった。どうやら素材を用いずにアンデッドを作った場合、それは一定の時間が経過すると消滅するらしいのだ。それならどんなモンスターが出て来ても安心だ。

私は軽い気持ちでスキルを使った。

 

――上位アンデッド作成 蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)――

 

発動と共に、虚空に黒い靄が現れる。なんだか懐かしい光景だ。靄が徐々に収束し、やがて球状になった黒い塊からアンデッドが姿を現す―――はずだったのだが、靄は一直線に地面に吸い込まれていった。

 

「え、あれ? なんで!?」

 

思わずしゃがみ込んで靄が吸い込まれた場所に手を突こうとしてしまうが、今はドレスを着ていることを思い出して踏みとどまる。王女から譲り受けた高級なドレスだ、汚したくはなかった。

 

(ん・・・どうしたの、エンリ?)

 

予想外の事態に私の心が大きくざわつき、モモンガが目を覚ます。

それに少しほっとした。彼がいれば何が起こっても大丈夫だと思える。無責任に全てを押し付けたくはないが、やはり安心感が違った。

私は今起こったことを簡潔に話そうと口を開く。が、その前に。

 

「ハハハ!」

 

軽快な笑い声と共に、地中から騎兵が飛び出した。地を砕いて出てきたのではなく、まるですり抜けるようにして現れた。

その男は音も立てずに降り立つと、馬に乗ったまま此方を向く。

 

「まさか再び騎士道を歩める日が来ようとは! この剣、御身に捧げましょう!」

 

そう言って腰の剣を鋭く抜き放ち、高々と掲げた。

何故か異常にテンションが高い。

 

(再び・・・?)

 

モモンガは男の発言に疑問を感じたようで、黙り込んでしまった。

疑問を感じたのは私も同じだ。そして同時に、やってしまったと後悔の念が沸く。男の言葉から類推するに、恐らく、いや間違いなく、私は何かを素材としてアンデッドを作成してしまったのだ。この騎兵が時間の経過によって消滅することはなく、命が潰えるまで存在し続ける。だが、モモンガは何も言ってこない。差し迫った危険や問題は無いということか。

それに彼は今起きたところで、私が何故アンデッドを作成したのか知らない。とりあえずの処遇は私に任せるつもりのようだ。

 

「あの、蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)さん―――」

「ハハ! それでは呼び辛いでしょう、何か名前を付けては下さらんか!」

 

これはまた、凄まじい難題が降りかかってきた。

人や動物に名を付けたことなど1度もない。モモンガも森の賢王にハムスケという可愛い名前を付けてしまう程だから、ネーミングセンスがあるとは言えないだろう。しかし、下手な名前を付けると怒らせてしまうかもしれない。

 

「ん~・・・ペイちゃん?」

 

私が思い悩んでいると、独りでに口が動く。

その相変わらず可愛いネーミングに頭を抱えた。

 

「オオ! ペイちゃん・・・なんと勇ましい響きか!」

「えぇ・・・。」

 

かなり強そうな外見で威圧感があるのに、そんな可愛い名前でいいのだろうか。私は特に文句がある訳ではないので、本人さえ良ければいいのだが。割と真剣に悩んだのに、あっさり解決してしまった。

というか、そもそも蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)―――ペイちゃんを生み出したのは私とモモンガで、言うなれば私たちは彼の創造主だ。そんな相手に“怒られるかもしれない”という考えが浮かぶこと自体が既に間違いなのかもしれない。

早くこういうことには慣れないと・・・でも無理だろうなぁ、怖いし。

 

「して、私は何をすれば良いのですかな?」

「そうでした!」

 

スキルが謎の挙動を示し、生まれたアンデッドが妙にハイテンションで、唐突に名付けが始まるという3つの不慮の事態が重なり、本来の目的を忘れていた。

幸いにもペイちゃんは私の望んだ通り、馬に乗ったモンスターだった。これで夢のお散歩タイムが実現する。

 

「実は馬に乗ってみたくて。少し貸して頂けませんか?」

「むぅ、そうなるといざという時に御身をお守りできませんぞ・・・。それから敬語は無用に願いたい。私が恐縮してしまいますのでな、ハハ!」

「あ、分かりま―――分かったわ。」

 

最近はモモンガやラキュースをはじめ、目上の人とばかり話していたため、すっかり敬語で話すことに慣れてしまっていた。最後に敬語以外で誰かと喋ったのはンフィーレアと会った時くらいか。

しかし、そうか。生み出されたアンデッドが主人から存在意義を奪われるのは可哀想だ。

 

「じゃあ、一緒に乗ってもいい?」

「なんとぉ!!!」

 

ペイちゃんが馬から転げ落ち、後ろ向きに3回転した。

 

(なんていうか・・・すごいアンデッド作ったね、エンリ。)

(今それ言いますか!? 褒め言葉になってませんよ!)

 

あまりのオーバーアクションに少々引き気味のモモンガ。

ペイちゃんがここまでハイテンションなのは決して私のせいではない・・・はずだ。私のどんな部分から影響を受ければこんなに明るくなるというのか。それとも他人から見れば普段の私はこんな感じなのだろうか。いや、それだけは無い。

私が悶々としている間にペイちゃんは馬上に戻り、此方へ手を差し出した。

 

「お手をどうぞ、お姫様(プリンセス)。」

(・・・。)

(・・・。)

 

モモンガさん、ここで静かにならないで。そして視線を下に向けるのをやめて。

ペイちゃんは私の服装を見てこの対応をしたのだろう、見事に私の意図を汲み取ってくれている。ペイちゃんは何も悪くない。だが、モモンガが起きてしまったのが誤算だった。さっきは彼の存在を頼もしく感じていながら何を勝手な、と自分でも思う。だけどこの場面は見られたくなかった。

聡明なモモンガなら、このドレス姿を見ればきっと気付いてしまう。私がお姫様に憧れ、子供のようにおままごとをしていたことに。下がろうとする目線に必死に抗いながら弁明した。

 

(こ、これは違うんです!!)

(俺は何も言ってないよ、エンリ。)

 

微笑ましい光景を見た時のような、和やかな感情が伝わる。

もう恥ずかしさでどうにかなりそうだった。

 

 

 

(そういえば、モモンガさん。)

(うん?)

 

結局、今はペイちゃんと共に馬の上。彼があたふたするエンリの腰に手を回し、有無を言わさず抱え上げたのだ。しばらくは恥ずかしそうに俯いていたエンリだが、もう吹っ切れたらしく、霧の中の乗馬を楽しんでいた。

 

(八本指と戦ったとき、私すごい吹き飛んでたじゃないですか。でもあれっておかしいですよね。)

(あー・・・そうだね。)

 

あれには驚かされた。

俺は低位の物理・魔法攻撃を無効化することができるが、それは文字通りの無効化。攻撃によるダメージと、それに伴う影響を全て無効化する。

だが、エンリがゼロから攻撃を受けた際、そのパッシブスキルが不自然な挙動を示した。攻撃のダメージを完全に遮断しつつも、攻撃による衝撃はそのまま通された。この世界に転移した影響でパッシブスキルが変質したと考えればそれまでだが、その可能性は限りなく低い。戦士長と共に戦った魔法詠唱者(マジック・キャスター)の集団が、このスキルの存在を実証してくれている。

 

(俺にも本当のところは分からないんだけど、一応の仮説はあるよ。)

(聞きたいです。)

 

俺は飛びぬけて頭が良い訳ではないが、結果から考察することくらいはできるつもりだ。

 

(なんて言えばいいのかな・・・俺とエンリは完全に一体化してるけど、状態はかなり不完全なんだよね。)

(不完全、ですか?)

(うん。ある程度の攻撃無効化は、俺のパッシブスキル―――常に発動しているタイプのスキルなんだけど、あの時のエンリは“自分がやらなきゃ”って強く思ってたよね?)

(はい。)

 

あの時のエンリからは、滾るような、確固たる意志を感じた。

 

(その想いが無意識の内に、俺のスキルである攻撃無効化を、心の深いところに落とし込んじゃったんじゃないかな。だけど攻撃が効かないっていう意識はあるから、中途半端にスキルが発動してたんだと思う。)

(な、なるほど・・・?)

 

理解したようなしてないような、微妙な反応だ。だがこれ以上説明するのは難しい。何しろ俺ですら感覚的にしか掴めていないのだから。

俺のパッシブスキルが半分アクティブスキル化しているのは随分前から気付いていた。睡眠の状態異常を無効化するはずの俺が、毎晩すやすや眠れているのだ。しかし、睡眠無効スキルを意識の表層へ持ってくると、途端に眠気から解放される。

 

(うーん・・・イメージ的には、頭の中で会話する時と、1人で考え事をする時の違いかな?)

(あぁ!)

 

心の上層と下層。俺とエンリが思考で会話する時に使い分けている、“エリア”のような物だ。分かりやすく例えるならば、会話するエリアが居間、思考するエリアが個室といったところか。

今の説明で得心が行ったようで、エンリがぽんと手を叩く。

 

(つまり、戦っていた時の私の中では、攻撃無効スキルがその2つの意識の中間にあったってことですか?)

(そうそう!)

 

エンリと一体化しているからこその不完全な状態。普通に飲み食いして、普通に眠って、普通にはしゃぐことができる不完全さなら大歓迎。自分が作ったアバターはかなり気に入っているが、あの姿のままこの世界に来ていたなら味わえなかった贅沢だろう。意図してこんな状況になった訳ではないが、エンリには感謝してもしきれない。

 

「エモット殿!」

 

エンリの疑問が解決して満足していると、突然背後から名を呼ばれた。かなり切羽詰まった声色だ。

馬ごと反転してみれば、長い黒髪に、みすぼらしい槍を持った男。前に大森林で出会った、スレイン法国の特殊部隊に属する青年だ。その整った顔立ちに似合わない剣呑な表情で槍を構えている。

 

「エモット殿、逃げ―――」

「ほほう! 我が主に刃を向けるとは、清々しいまでに愚か。その愚行、身を以て悔いるがいい!」

 

ペイちゃんが剣を抜き放つ。想定外に自我を持った蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)だが、主以外の話は聞かないらしい。

まずいところを見られてしまったなぁと焦りつつも、睨み合う両者に事情を説明した。

 

 

 

「では、この強大なアンデッドを使役していると言うのですか!?」

「ええ、まぁ。」

「なんという・・・!」

 

“隊長”を名乗る男が目を見開き、絶句する。

無理もないだろう、蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)は上位アンデッド作成で作り出せるモンスター。この世界基準だと、世界を滅ぼしかねない強さだ。隊長の反応を見るに、その強さは正しく認識できているのだろう。そんなモンスターを使役しているというのだから、俺に対する警戒心は最大まで引きあがる。

 

「それで、貴方はどうしてここに?」

 

だが、警戒しているのは此方も同じ。

あの巨大樹との戦闘を盗み見して以来、法国には可能な限り関わらないようにしようと決めたのだ。彼らの戦闘力や身に着けている装備は、この世界では破格。プレイヤーの影が見え隠れしている法国は危険だ。

 

「実はエモット殿に用事があり、カルネ村へ向かっていたのです。ですが非常に強力な気配を感じ、ここに。」

「そういうことでしたか。それで、用事とは?」

「はい。1度我が国までお越し頂きたいのです。」

 

俺は苦い表情を隠さなかった。言外に“行きたくない”と告げるためだ。

もしも蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)を見られていなかったのなら、まだ考えたかもしれない。しかし、この男はアンデッドを使役するという俺の力の一端を垣間見て、蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)を強大なアンデッドだと認めたうえで、自国へ招こうとしているのだ。

それは「こいつが何をしても抑え込める」と言っているようなもの。それが事実なのか単なる自惚れなのかはさておき、事前情報も無しに訪れることができるほど、法国を信用していない。

 

「ご安心を、少々お話を伺いたいだけですので。」

 

俺の表情を見た隊長が、爽やかな笑みで優しい声を出す。

物凄い好青年っぷりだが、生憎と俺は男だ。ほだされることはない。

 

「それは貴国に赴かなければならない理由になっていないと思うのですが。」

「それが、神官長―――国を治める者達が、直接会いたいと申しておりまして。」

「なるほど・・・。」

 

国を治める者。王国でいうところの、王や一部の貴族達と同程度の地位の人間か。ならば、話がしたいのなら直接来いとは言えない。面倒事に巻き込まれることを恐れて法国行きを渋っているのに、自ら波風を立てることになってしまう。

 

「・・・少し考える時間を頂けませんか?」

「もちろんです。では、また後日伺いましょう。」

 

隊長は一礼すると踵を返し、走り去っていった。恐らくは全力疾走で。蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)を警戒してのことだろう。

同じ状況なら俺もそうしたと思う。

 

「そう心配召されるな、彼の国へ赴く際には私も御一緒しましょう。」

「ペイちゃん、それじゃ逆に警戒されちゃうよ・・・。」

「ハハ! これはしたり!」

 

未知な部分が多い法国との接触を考えると気が重い。だが、この男の快活な笑い声を聞いていると、不思議と大丈夫な気がしてくる。先ほどの発言を聞く限りでは生前の記憶があるようだが、果たしてその正体は何なのか、非常に気になるところだ。

いや、それよりも。辺り一帯が霧に包まれているために時間の感覚が怪しいが、夜には蒼の薔薇の面々と会わなければならなかった。まずは蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)を人目に付かない場所に隠さなければ。カルネ村の上空で非実体化でもさせておくか?

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

「おいラキュース。一体どうしちまったんだ?」

 

そわそわと落ち着かない私に、ガガーランが呆れた声を出す。

蒼の薔薇が利用している宿の1階部分にある酒場。その定位置で、エンリがやってくるのを今か今かと待ちわびていた。宿の扉が開かれる度に高速で振り返る私を見兼ねたのだろう。

 

「余程あの小娘が気に入ったようだな。いっそこのチームに誘ったらどうだ?」

 

それはイビルアイも同様で、頬杖を突いたまま放った言葉は、どこか投げやりに聞こえる。

 

「私だってそうしたいわよ。」

「してえのかよ!」

「文句は無いでしょう?」

 

チームに引き入れたいという意向を率直に表したのが予想外だったのか、ガガーランが大声を上げる。それから飲んでいた酒を置いて腕を組み、考え込むように唸り声を上げた。

 

「考えてみりゃあ確かに。泣き虫は治す必要があるが、性格は良いし、ゼロを1人で殺った実力者だ。文句はねえな。」

「ラキュースの話通り支援魔法も使えるのなら、前衛も後衛もこなせる。本当に悪くないかもしれないな。」

 

ガガーランの考えに納得したイビルアイも、真面目な意見を口にする。最初に勧誘の話を出したのは彼女なのだが、そこまで深く考えての発言ではなかったようだ。

盟友(エンリ)を褒められると気持ちが良い。ドヤ顔が抑えられない。

 

「当然よ! まだチームを組んでいないのが不思議なくらいだわ。」

「何でお前がニヤけるんだよ・・・。」

 

やれやれと首を振ったガガーランは、ジョッキの中身を空にしてから店員におかわりを注文した。まるで水か果実水のようなペースで飲んでいるが、いつものことだ。

 

「じゃあ今からでも誘うか? 今回共闘した仲だ、互いの実力もある程度把握してるし、丁度良いタイミングだと思うぜ。」

「えっ・・・それはちょっと―――」

「ん? 何か不都合があるのか?」

 

言い淀んだ私に、イビルアイが首を傾げる。純粋な疑問の目。

これまでの会話の流れから、私がエンリの“蒼の薔薇”加入に賛成の立場なのは明白。にも関わらず勧誘に躊躇するのは不自然だ。何か勧誘できない事情があるのかと思ったのだろう。

 

「いえ・・・変に焦って関係が壊れたら―――」

「だっははははは!!」

「思春期の男児かお前は。」

「そ、そんなんじゃないわよ!」

 

親友を失うことを恐れて何がいけないのだ。やっと見つけた理解者なのだ。それでなくとも、彼女の噂を聞いた時からずっと、友達になりたいと思っていた。そんな相手に勧誘を拒絶されたら、そしてその後気まずい関係になってしまったら、立ち直れないだろう。そう声を大にして言いたいところだが、自らの趣味を露見してしまう可能性があるため、ぐっと我慢した。

 

「これからはラキュースのことも童貞って呼んだ方がいいか?」

「おいおい、無垢なる白雪(ヴァージン・スノー)の輝きが増してしまうぞ。」

 

普段はこういった会話に参加しないイビルアイまで、ガガーランと一緒になって茶化してきた。私は彼女達に“チームの仲間”としての顔しか見せてこなかった。だから“友人”という関係に苦悩する私が新鮮で、面白いのだろう。

2人の話を真剣に聞いていると精神がもたない。適当に相槌を打ってあしらった。

ガガーランがやっと冷やかしに飽き始めた頃、宿の扉が軋みを上げる。

 

「エンリさん!」

「よう、遅かったじゃねえか。泣き虫の嬢ちゃん。」

「ちょっとガガーラン、失礼でしょ。」

 

蒼の薔薇が互いに冗談を言い合えるのは、既に深い関係を築いているからだ。その程度で距離を置くことがないと分かっているからこそ、気軽に口にできる。

私達とエンリは確かに八本指を共に打倒した戦友だが、軽口を叩けるほど親密とは言えない。

 

「けどよぉ、ラキュース。変に知らねえフリしたら、それはそれで気まずいだろ? さっさと弄って水に流しちまったほうが楽だと俺は思うね。」

「む・・・一理あるわね。」

「気にしていないので大丈夫ですよ。ありがとうございます、ラキュースさん。」

 

エンリが照れくさそうな笑みを浮かべ、此方へ歩いてくる。気分を害した様子はなく、むしろ吹っ切れたように見える。私もガガーランの豪胆さを見習うべきなのか。

 

「そう? それならいいんだけど。」

 

言いながら、自然に自分の横の椅子を引く。他にも空いている席はあるが、エンリはひとつ礼を言ってそこに腰を下ろした。それから集まっている面々を眺め回すように目線を泳がせる。

 

「ティアとティナならいないぞ。」

「あ、そうなんですか。」

「警護の依頼に行ってんだ。あいつらの隠形はすげえからな。」

 

視線の意図に気付いたイビルアイが姉妹の不在を説明し、ガガーランが補足した。エンリがそれに納得したように頷く。

 

「なるほど。まだ残党が残っていないとも限りませんしね。」

「ああ。そういうことだ。」

 

エンリは、警護の対象がラナーとザナックであることに気付いたのだろう。そのことを察した2人も感心したように頷き、一瞬の沈黙が流れる。

切り出すならここだ。

 

「さて、本題なんだけど。」

 

私の言葉に、全員の表情が引き締まる。まるで部屋の空気が一変したようだ。この切り替えの速さは流石と言うべきだろう。

 

「エンリさん・・・蒼の薔薇に入らない?」

「え?」

「そっちからかよ!」

 

エンリが困惑し、イビルアイがテーブルに突っ伏し、ガガーランから鋭い突っ込みが入った。私もここで言うつもりは無かったのだが、ガガーランのような太い精神を見習ったのだ。

―――正直に言えば、誘いたいという思いが先行してしまったのだが。

 

「エンリさんはアダマンタイト級の実力を持ってるわ。今はどこのチームにも入っていなかったわよね?」

「うーん・・・私は自由奔放というか、1人での行動が多くて。だからチームを組んでいなかったんですよ。私ではお役に立てないかと―――」

 

あ、モモンだ。

直感的にそう思った。

 

「安心しろ。私達は個別に依頼を受けて行動することが多い。加入したからといって、縛りはしない。」

「現にティアとティナは別行動してるしな。まぁ難しく考えねえで、たまに一緒に依頼を受けるくらいの気持ちで入っちまえよ!」

「蒼の薔薇の一員という事実だけでも、色々融通が利いて便利だぞ。」

 

モモンの言葉を遮り、2人が捲し立てるように続けざまに攻める。今ほど彼女達の存在を頼もしく思ったことはない。

エンリはしばらく考え込んでいたが、ついに顔を上げた。返事を聞くのが少し怖くなって、心臓が大きく跳ねる。

 

「じゃあ、私なんかでよければ・・・。」

「なーにが“私なんか”だ。百人力じゃねえか!」

「よろしくな、エンリ。」

 

ガガーランが高らかに笑い、イビルアイが“小娘”ではなく“エンリ”と呼ぶ。

そして私は―――

 

「よろしくね!!」

 

嬉しさのあまり、思わずエンリを抱きしめた。

2人がニヤニヤとこちらを見ているが、一体何を期待しているのか。女同士なのだから、おかしな点などどこにもない。あの子(ティナ)と同じ趣味もない。何も動じることなく、自然な動きでエンリから離れた。

 

(ん?)

 

だが、エンリの様子は自然ではなかった。

顔が真っ赤に染まり、目線がせわしなく泳いでいる。

 

「よ、よよよろしくお願いします!」

 

勢いよく立ち上がって、あり得ない噛み方をしながら挨拶し、腰を90度に曲げた。

 

(んんん?)

 

数秒間その姿勢のまま固まっていたが、彼女が再び見せた顔からは赤みが綺麗に消え、いつも通りの笑顔が浮かんでいた。

―――あぁ、なるほど。ガガーランから褒めちぎられて恥ずかしかったのね。

 

「本当に良かったわ。早速エンリさんの歓迎会をしたいところだけど、その前に。」

「ようやく本題か。」

 

エンリを呼び出した本来の目的は、雑談をするためでも、チームに誘うためでもない。娼館から助け出した女性達と、エンリが墓地で救った1人の女性の今後を話し合うためだ。

 

「今、彼女達はどちらに?」

「全員この宿にいる。ここはたけぇからな、空き部屋は大量にあるんだ。」

「そうなんですね。その分のお金はいつか―――」

「いつか返す、とか言うなよ。」

 

イビルアイが言葉を先取りし、鋭い声を上げる。彼女にしては珍しく、その声には怒気が孕んでいるように聞こえた。

 

「自分のしでかした事の責任を負うのは結構なことだが、全てが自分の責任だと思い込むのはただの傲慢だ。」

「お、流石はイビルアイ先生。優しいねぇ。」

「―――黙れ。」

 

ガガーランの言葉で落ち着いたのか、頬杖をついてそっぽを向いた。

エンリはまだよく分かっていないようで、首を傾げている。

 

「彼女の言いたいことを要約するとね。あなたが気負う必要はないってことよ。」

「もっと言うなら、もう蒼の薔薇の仲間なんだから俺達を頼れってとこだな。」

「・・・ふん。」

 

これまで共に過ごしてきたから分かる。この「ふん」は気恥ずかしさを紛らわす時の「ふん」だ。

 

「まだ難しいかもしれないけど、いつでも頼っていいんだからね。」

「はい!」

 

エンリは朗らかな笑顔を浮かべた。

だが、何故かその笑みが驚愕に塗り替えられる。あり得ない物を見たような、大きな焦りを含んだ表情だ。一体どうしたのかと私が尋ねる間もなく、彼女はこの場から転移魔法で姿を消した。

何かとてつもない事態が起こったのだろう。そういう時こそ、頼って欲しいのに。

 




少し駆け足気味です。


以下捏造設定
・人間であるエンリと融合したことにより、パッシブスキルのオンオフが可能に
・作られたアンデッドの素が強いほど、色濃く元の人格・記憶が反映される


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覇王と竜王

前回までのあらすじ


八本指の最後の悪あがきにより囚われの身となったエンリとモモンガ。しかし国王のカウンターにより無事に釈放。ついでに悪さをしていた貴族共を一掃することに成功。

一方エンリは、お姫様の生活に憧れて、馬代わりにペイルライダーを召喚!?
法国に目を付けられちゃった!

その後蒼の薔薇との話し合いでチームへの勧誘を受け、悩んだ末にそれを受け入れたモモンガ達だったが・・・?


真夜中のトブの大森林。人類未踏の地とされるこの森に街灯などあるはずもなく、鬱蒼と生い茂る木々の間から零れる月明りも微々たるものだ。この薄暗闇の中では数歩先を見通すのがやっとで、日の落ちた後に森に入る人間などいない。例え太陽のある内でも、冒険者でない一般の者は、護衛無しでこの森に踏み入ることはしない。

 

本来であれば無人であるはずのその森の中を、赤毛の少女が息を切らして走っていた。服の袖口は拭った涙で重くなり、見えない足場に何度も躓き、泥だらけになりながらも必死に走る。少女が顔を恐怖に染めながら背後を振り返ると、()()が月明りを反射し、白く輝くのが見えた。

 

「やだ、やだ・・・!」

 

まだ幼い少女の足では、追手を振り切るほどの速さで走ることができない。背後から追いすがる金属音は、徐々にその大きさを増して行く。少女と追手との距離が後数歩分というところまで縮まったところで、少女が木の根に足を取られ、地面を転がった。跳ねるように上体を起こし、振り返る。視界に追手の姿はない―――

 

カシャン。

 

すぐ側から金属音が上がった。

いる。密度の濃い木々でその姿は隠されているが、今すぐにでも襲い掛かれるほどの距離に何かがいる。

 

「どうして、どうしてこっちにくるの。あっちいってよぉ!」

 

涙ながらに喚く少女の声を聞いても、追手の歩みは止まらない。

少女は痛む体に構うことなく、荒れた地を這った。体を気に掛ける余裕はない。地上に浮き出た木の根や転がっている石の上を通り、膝や手の平から血が滲む。背後の金属音が瞬時に近付いてくることはなかったが、足音はゆっくりと、だが確実に近付いてきている。そして少女に手が届く位置まで接近した、その時。

 

ドシン、ドシンと、腹に響くような大きな音が前方から上がった。少女を追っていた者の動きが止まり、音の鳴る方向を見据える。その足音は、金属音の主とは比にならない速度で距離を詰め、焦らすことなくその姿を現した。

身の丈が少女の数倍以上はあろうかという巨漢。森の暗さでその全容は把握できないが、巨大な盾と剣を装備した騎士であることは確認できる。その騎士は一瞬たりとも立ち止まらず、真っ直ぐに突っ込んでくる。少女が怯えて身を伏せるが、騎士は少女に構うことなくその頭上を跳び越えた。

 

「オオオアアアアァァァァ――――!!」

 

耳を劈くような雄叫びと共に、甲高い音が響き渡る。騎士が盾を使って、追手を押し込んでいたのだ。少女はそれを呆然と眺めていたが、騎士の盾が腕ごと弾き飛ばされたのを見て我に返り、両手を突いて立ち上がる。

痛みに顔を歪めた少女の目に映ったのは、土煙を上げながら倒れる大男の姿だった。

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

(なにッ!?)

 

エンリが浮かべた微笑みを、俺の驚愕が塗り替える。いや、俺だけの表情じゃない。エンリからも同じ感情が流れて来ていた。

彼女も感じたのだろう。死の騎士(デス・ナイト)とのリンクが途切れたのを。

 

(モモンガさん、これって―――!!)

(まずい、まずいまずいまずい、まずいぞ!)

 

俺が作った死の騎士(デス・ナイト)達はトブの大森林の、カルネ村に比較的近い位置に潜伏させていた。その内の1体からのリンクが消失、つまりは殺されたのだ。死の騎士(デス・ナイト)はこの世界ではかなり強い部類で、高い防御力を持っている。それを倒すほどの何者かが、カルネ村に接近している。

その人物が敵か味方かなど考慮している暇はない。行先も適当に転移魔法を使い、ラキュース達との挨拶も無しに宿屋を後にした。

 

降り立ったのは、王都の外周を囲うように存在する城壁の上。

普段外している指輪を装備するためにアイテムパックに手を突っ込んだが、時間が惜しい。即時に復活する指輪を乱暴に取り出し、指に嵌めながら死の騎士(デス・ナイト)と連絡をとる。

 

死の騎士(デス・ナイト)、一体どうなっている!?」

 

思念で意思疎通できるため声に出す必要はないのだが、逸る気持ちを抑えきれない。

 

―――森ニ侵入者アリ。赤毛ノ少女ヲ追跡中。

 

全身の毛が逆立った。赤毛の少女というのはネムで間違いないだろう。想定していた中で最悪の事態だ。

何故この時間に森にいるのかだとか、何故ネムを追うのかだとか、そんなことはどうでもいい。

 

「《転移門(ゲート)》!」

 

エンリが《転移門(ゲート)》を使い、漆黒の門が現れる。そのまま一切の躊躇なく転移門(ゲート)へと飛び込んだ。

門を抜けた先には死の騎士(デス・ナイト)の残骸が転がっていた。周囲を見てみると、雑草の一部が掻き分けられ、何者かが通った跡が残っている。より鮮明に確認すべく、スキル“闇視(ダークヴィジョン)”を呼び出した。

地面に残された痕跡は、大人の男くらいの大きさの足跡。それから、ところどころに付着した血。

走り出したエンリに身を任せ、作成したアンデッドとの繋がりを利用して指示を出す。

 

蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)!」

『はっ。』

「森に侵入者がいる、俺の妹を助けろ!」

『承知。侵入者は如何いたしますかな?』

「―――殺せ!!!」

 

俺は怒りを隠すことなく叫び、《飛行(フライ)》を使って宙を舞う。

どこの誰だか知らないが、随分と舐めた真似をしてくれたものだ。例え侵入者を捕えることが出来たとしても、殺す前に情報を聞き出す自信がなかった。

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

「はぁ、はっ、はぁっ―――」

 

少女は再び走り出していた。依然金属音は後を追ってきている。

 

まだ明るかった時間―――エンリがまだ眠っていた頃に、ネムは1人で大森林へ足を踏み入れた。“ハムスケ様のおかげで森にモンスターがいない”と、大人達が話しているのを聞いたからだ。だから1人でも大丈夫だと思った。1人で薬草を持って帰り、自分も両親に褒めてもらいたい、ただそれだけの理由だった。

だが、不幸にも彼女は森で迷ってしまった。人の手が加えられていない大森林、行きも帰りも道はない。大人でさえ単身で挑むことはない大自然は、年端のいかぬ少女にも、等しく脅威として立ち塞がった。

 

「ゴアアアァァァ―――!」

 

耳を塞ぎたくなるような咆哮と共に、横合いから巨漢の騎士が飛び出す。騎士はネムと追手との間で立ち止まり、巨大な盾を地に突き立てた。

頼もしい巨体と、それに見合った立派な盾。攻撃を捨てた構えからは、かなりの時間が稼げるように思われた。だが、先ほどと同じように、2度の轟音の後、いとも簡単に騎士が崩れ落ちる。

 

「う、うぅ、おねえちゃん・・・たすけて、おねえちゃん・・・ううぅ―――」

 

ネムは死の騎士(デス・ナイト)の存在を知らない。1度モモンガが作成したところを見たことはあるのだが、当時の記憶は《記憶操作(コントロール・アムネジア)》によって書き換えられている。つまり、死の騎士(デス・ナイト)が味方だと認識できないのだ。

森で何かに追われるというのは、ネムに嫌な記憶を思い起こさせる。それに加えて、謎の騎士達が次々とネムを庇うように死んでいく。ネムにはとても理解の及ばない状況で、これでもかという程に混乱していた。

それでも必死に走る彼女に不可視の縄のような物が巻き付き、身動きを封じられた。

 

「いや、はなして! やだ、やだあ!」

 

ゆっくりと持ち上げられ、足が地面から浮いた。息苦しい程に強く締め付けられてはいないが、どれだけもがいても拘束は緩まない。ネムの体を包むザラザラとした感触は、彼女の知る縄のものとは程遠く、その異様な太さも相まって恐怖心を掻き立てる。

 

一際大きな金属音が鳴った。一度ではない、短い間隔で連続して。

これが意味することはネムにも理解できた。追手が全力で距離を詰めようとしているのだ。例え拘束から逃れられたとしても、自分の足ではどうすることもできない。

焦りはやがて諦めへと変わっていった。

 

「そりゃあああ!!!」

 

半ば諦めかけて静かになった瞬間、何もない場所から大声が聞こえた。同時にふわりと無重力感に包まれる。

ネムは空を舞っていた。放物線を描くように、高く、高く。大森林の木々よりも高い。上空からの視点では、追手に向かって突っ込んでいく3人目の騎士が見えるが、それを気にかける余裕はない。最高点を過ぎて徐々に落下していく中、悲鳴を上げながらじたばたと無意味にもがくことしかできなかった。だが、地面に直撃する前に、ふわりと受け止められた。

 

「ひっ・・・!」

 

ネムは巨漢の騎士の腕の中にいた。これだけの体躯の騎士が何人も現れたというだけで既に不気味なのに、今はその顔が間近にある。暗闇のおかげで遠目からは分からなかったその顔を目にし、思わず悲鳴が漏れた。剥き出しの歯に、瞳の無い眼窩。騎士は生者ではなかった。

騎士は震えだしたネムの悲鳴などどこ吹く風とばかりに、ゆっくりとネムを地面に下ろす。そして雄叫びをひとつ上げ、ネムが飛ばされてきた方角へ走り去っていった。

ネムは訳も分からないままに騎士を見送ると、反転して走り出し―――何かにぶつかって、尻餅をつく。恐る恐る見上げると、そこには馬に乗った騎士がいた。さっきまで助けてくれていた巨漢の騎士ではない。どちらかと言えば、その容貌は追手の方に似ている。

ネムは悟った。あぁ、もう逃げ場はないのだと。

 

「お、おねえちゃん・・・うぅ・・・。」

 

既に立ち上がる気力も体力も消え、その場に蹲って泣き始めた。どうしてこんなことに。そんな悔恨の念がネムの心を苛む。

それを聞いた馬上の騎士―――蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)はぴくりと体を震わせ、ネムへゆっくりと歩み寄る。馬が地を踏むたびに、馬蹄が乾いた音を立てる。その姿は、さながら幽鬼のようだった。

蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)が怯えて縮こまっている少女を抱え上げ、馬の上に座らせる。困惑した表情で見上げるネムの頭を優しく撫でながら、瞳に溜まった涙を拭い、声を発した。

 

「困りますなぁ鎧の御仁。我が主の領域を土足で荒らし、あまつさえその妹君に涙を流させるとは。覚悟はよろしいか、不届き者よ。」

「・・・そんなつもりじゃ、なかったのだけどね。」

 

気まずそうな声と共に、金属音の正体が月明りの下にその姿を晒す。

全身を白金の鎧で包み込んだ騎士。その周囲には、複数の大剣が浮遊している。

 

「言い訳は無用。我が主はお怒りだ、謝罪の意はその命で示せ。」

「それは難しいな。今は差し出す首も無いのだから。」

「ふむ。それはそれとして、後ろに気を付けたまえ。」

 

白金の騎士がその言葉を最後まで聞く前に、鎧の頭部が消えた。弾け飛んだ兜が木の幹に当たり、空虚な音が響く。首が消えた状態のまま、鎧は背後を振り返る。そこにはいつの間にか、両手の拳を合わせて振り上げている女性(エンリ)が立っていた。口は堅く結ばれているが、見開かれた瞳が、燃え盛る怒りを表している。

頭の無い白金の鎧は釈明するように手の平をエンリに向けるが、エンリはそのまま拳を振り下ろした。胴体部分が圧し潰され、難を逃れた手足の鎧もバラバラになって周囲へ散らばる。僅かばかりの金属音を最後に、辺りに森の静寂が戻った。

 

「おねえちゃん、おねえちゃん!!」

 

エンリへ両手を伸ばしながら馬から飛び降りようとするネムの脇を蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)が抱え、ゆっくりと下ろす。待ち遠しいとばかりにばたつかせていた足が地に付くと、砲弾のような勢いでエンリの胸元に飛び込んだ。

 

「もう大丈夫よ、ネム。お姉ちゃんが来たからね・・・!」

 

エンリがネムを強く抱きしめる。それはネムを安心させるためというよりは、ネムの存在をしっかりと感じて自分が安心するためという方が近い。

間に合ったことに安堵し、エンリの頬を涙が伝った。

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

 

俺達はネムにポーションを飲ませ、カルネ村へ向かった。ネムは森を駆け回って相当に疲れていたのだろう、腕の中でぐっすり眠っている。もちろん背後には、いつでも戦えるように蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)を控えさせている。

 

(あの鎧、スレイン法国でしょうか。)

(どうだろう・・・確たる証拠はないけど、可能性としては一番高いね。)

 

動かなくなった空の鎧を調べてみたのだが、どこかの国への所属を示す物は見つからなかった。あの場に残された痕跡からは、遠隔操作型の魔法兵器だろうということしか分からなかった。

だが、俺の召喚した死の騎士(デス・ナイト)を全て倒した猛者だ。そんな物を作り出せるのは、周辺諸国の中ではスレイン法国しか思い当たらない。では何故、という話になるのだが、それが分からない。

 

(脅し、なんですかね・・・。)

(うーん・・・。)

 

カッツェ平野で会った隊長の様子を見る限り、強硬手段に出てくるとは考え辛い。しかし単に彼の人柄が良く、穏便に済ませようとしただけという可能性も大いにある。なにせ戦士長を殺すことで王国の国力低下を目論んでいた国だ、楽観的に捉えることはできない。国が一枚岩ではなく、強引に国へ招こうとした一派が存在するのかもしれない。

 

(確認の意味でも、法国には行った方がいいかもしれないね。)

(はい。もし法国が犯人なら、私達が行くまでこういうことが続くかもしれませんし。)

 

これは本当に護衛としてペイちゃんを連れて行く羽目になるかもしれない。法国が俺達をどうこうしようと考えていないのなら、事情を話せば受け入れてくれるはずだ。

そして問題になってくるのが、カルネ村の警備。今回、死の騎士(デス・ナイト)は非常にいい働きをしてくれた。彼らがいなければネムの救出は間に合わなかっただろう。全滅してしまった彼らの穴をどう埋めるか。

警備兵としてアンデッドを使用するならば、死体を媒介にしなければすぐに消えてしまうため、使い物にならない。一応カルネ村にも墓地はあるが、村人の死体を使うのは流石に忍びない。エンリがペイちゃんを作り出したようにカッツェ平野で無差別にアンデッド作成を行うことも考えたが、あれは蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)が非実体化できるから地上に出て来れたのだ。上位アンデッド作成に耐えうる死体がまだ埋まっている可能性は低いし、どれだけ深い位置に死体があるのか分からない以上、作り出しても意味がない可能性がある。

 

「ペイちゃん、死体が埋まってる場所って心当たりないかな? できれば数も欲しいんだけど・・・。」

 

死体のことは元死体に聞いちゃえ。

そんな短絡的な発想から出た言葉で、良い返事は期待していない。

 

「ふむ、死体。となると、あの御業を用いて配下を作りたいと、そう理解してよろしいですかな?」

「うん。見張り兼護衛の死の騎士(デス・ナイト)が全滅させられちゃったからね・・・。」

「でしたら、いい場所がございますぞ。」

「そうだよなぁ・・・ん!?」

 

良い返事は期待していないと、そう思っていた時期があった気がする。

 

「心当たりがあるのか!?」

「ハハハハ! 何せ私も先ほどまで埋まってましたからな!」

「おぉ!」

 

なにこのアンデッド。レベル的にこの世界では無双できる強さだろうし、普通に意思疎通できるし、何故か生前の記憶持ってるっぽいし、有能すぎてちょっと怖くなってきたぞ。

何はともあれ、アンデッドの材料にアテがあるようで助かった。

 

さて、考えることが盛り沢山で軽く頭が痛くなってきたが、まずはラキュースに謝らなくては。緊急事態だったため何も言わずに飛び出してきたのだ。彼女達からしてみれば、突然消えたというほうが適切か。

 

「《伝言(メッセージ)》―――ラキュースさん、聞こえますか。」

『あ、エンリさ―――モモンね。』

 

ラキュースはどちらが話しているのか、ぴたりと言い当てた。

いくら何でも見抜くの上手すぎないか。今敬語使ったのに。声のトーンとかで分かってしまうものなのだろうか。

別に彼女を騙そうと思って敬語を使ったのではなく、まだ慣れないから無意識に敬語が出てしまうのだ。それでもどちらが話しているのか当ててしまうラキュースに、俺は内心で舌を巻いた。

 

「すみません、話の途中で抜けちゃって。」

『ううん、気にしないで。もっと頼ってって言った矢先だったから、少し傷付いただけ。』

「うっ・・・。」

『ふふふ、冗談よ。それで、大丈夫だったの? 私達はまだ酒場にいるけど、戻ってこれそう?』

 

“何があったのか”と聞かないところに、彼女なりの優しさを感じた。

実際それを聞かれると少し困るのだ。話を放り出して飛び出す程の事態。適当な言い訳は思いつかないし、正直に話そうにも、どうやって大森林の異変に気付いたのか説明しなければならなくなる。

 

「どうだろう。スムーズにいけばすぐに帰れると思うんだけど。」

 

本来ならばすぐにでも会議に戻るのが筋なのだろうが、今はやるべきことがある。

あの白鎧は俺基準で言えばそこまで強くないし、蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)でも撃破可能な程度の強さだった。しかし、この世界では指折りの強者に数えられるレベルなのは間違いない。

そんな刺客があっさり倒されるとは思うまい。既に白鎧の敗北が黒幕に知られているとしても、新たな手駒の用意に少なからず時間がかかるはずだ。それはつまり、此方が安全に対策を用意できる時間も今だということだ。

 

『何か手伝えることはある?』

「ラキュースさん・・・察して欲しい。」

 

ラキュースはエンリの秘密を知っている。というか、()()()()()()()

他にも言い辛いことがあるということは分かってくれるだろう。

 

『そう―――無事に帰ってきてね。』

「え? は、はい。」

 

ラキュースは真剣な口調でそう言い残し、《伝言(メッセージ)》を切った。

心配されるようなことするつもりはないが、はぐらかしたせいで何か誤解してしまったのかもしれない。まぁ、その時はその時だ。

 

「ペイちゃん、案内を頼む。」

「お任せを。配下にするには丁度いい死体だと思いますぞ!」

「それは助かるよ。」

 

 

 

ペイちゃんに連れられてきたのはカッツェ平野だった。案の定というか、やっぱりここだよね。

立派な馬の上に2人。ペイちゃんの胸に体を預け、背もたれ代わりにして座っていた。鎧は当然硬かったが、姿勢を調整してくれているのか、座り心地は悪くなかった。

相変わらず深い霧に夜半ということも相まって、周囲はほとんど見通せない。そんな中でキョロキョロしても仕方ないので、目を瞑ってうとうとしていた。一定のリズムで小気味よく鳴る馬蹄の音や、時折吹き抜けるひんやりした風が気持ちいい。

 

ペイちゃんは迷いのない足取りで霧の中を進んだ。

散見される建物の跡らしきものしか目印と言える代物はないが、右に左に方向転換しながら目的地へ向かう。カッツェ平野に障害物などほとんど存在しないのに、まるで街中を歩いているようだ。

ペイちゃん曰く、歩き慣れた土地だから、かつての街を思い浮かべて歩いたほうが間違いないのだとか。

 

そんな話をしていると、ふと疑問に思う。彼はどんな時代に生き、どんな生活をしていたのか。

当然の疑問は、まどろんでいく意識の中で霧散する。

ゆりかごに揺られているような感覚に包まれて、いつしか俺は眠りに落ちていた。

 

 

 

(―――ンガさん。モモンガさん!)

「ん・・・。」

(着いたみたいですよ。)

 

エンリの呼びかけで目を覚ます。

寝ぼけ眼を軽く擦りながら辺りを見渡すが、未だ暗闇は晴れていなかった。

随分長く寝たような気がするのだが、この様子なら数分しか経っていないだろう。質の良い睡眠がとれたのだろうか。ちょっと得した気分だ。

 

「お目覚めですか、主よ。」

「あぁ。」

 

ペイちゃんに体重をかけながら、目一杯に伸びをする。

 

「いやあ、これはいけない。ペイちゃん枕は寝心地が良すぎるね。」

「ハハ、それは至上の喜びですな! 何ならベッド代わりに使って頂いても構いませんぞ?」

「案外アリかもしれないなぁ。」

(モモンガさん、私も一応年頃の乙女なんですけど、忘れてません?)

(もちろん覚えてるさ、冗談だよ。)

(冗談には思えませんでしたけど?)

(ごめんなさい。)

 

実際問題。

カルネ村が何者かによる襲撃を受けて警備兵が全滅し、急遽代わりを補充しなければならないという緊急事態の中でだ。ここまでの安眠を提供するペイちゃんという存在は、業界に旋風を巻き起こす画期的な寝具なのではなかろうか。

なんてことを思いながら、慣れない手つきで馬から降りる。

 

「ここでいいのか?」

「はい、私の部下だった者達が埋まっておるはずです。」

「ふむ。」

 

蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)になることが出来た男の部下か。

ペイちゃんは生前に相当な強さを持っていたはずだ。その部下であれば、その者もまた相応の強さを持っているのだろうか。もしそうであれば蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)軍団も作れるかもしれない。

いや、この世界は強くなることが極端に難しい。

王国を例に考えてみると、一般的な強さから頭ひとつ抜けたガゼフという人間がいる。しかし彼の率いる戦士団の構成員1人1人は大した強さではない。

期待しすぎても仕方ないか。

まずは様子見だ。大抵の人間の死体は死の騎士(デス・ナイト)にすることができるため、中位のアンデッドなら大丈夫だろう。

 

――中位アンデッド作成 集合する死体の巨人(ネクロスウォーム・ジャイアント)――

 

(あれ、死の騎士(デス・ナイト)じゃないんですか?)

 

エンリが困惑した声を上げる。集合する死体の巨人(ネクロスウォーム・ジャイアント)はこの世界では作ったことがないし、エンリも聞いたことがないはずだ。

たしかに戦闘で役に立つのは圧倒的に死の騎士(デス・ナイト)なのだが、今回別のアンデッドを作成したのは当然思うところあってのことだ。

 

(今回4体の死の騎士(デス・ナイト)がサクっと突破されちゃったのは、攻めが単調だったのも一因かなぁと思ってるんだ。)

(なるほ、ど?)

死の騎士(デス・ナイト)の有用性は、アタッカーへの攻撃を逸らすところにあるからね。)

 

PvPを経験したことのないエンリには分かりづらいだろう。新人プレイヤーをたまたま見かけておせっかいを焼いていた時のことを思い出しながら、懇切丁寧に解説した。

死の騎士(デス・ナイト)は敵のヘイトを完全に引き付ける特性と、一度だけどんな攻撃でもHP1で耐える能力を併せ持っている。盾として非常に優秀なモンスターで、俺のお気に入りだ。

だが、それが真価を発揮するのはアタッカーがいる時だ。死の騎士(デス・ナイト)の攻撃能力は低く、単体では少々硬いモンスターに過ぎない。今回の襲撃者のように一撃で死の騎士(デス・ナイト)の体力を1にできる者にとっては脅威になり得ない。

そこで、死の騎士(デス・ナイト)の他にも多彩なアンデッドを揃え、少しでも襲撃者を手こずらせるのだ。俺が到着するまで耐えることが、警備兵たちの勝利条件と言えるからな。

 

「来ましたな。」

 

エンリへの解説が一通り済んだところで、ペイちゃんの声がかかる。

耳を澄ますと、地響きのような音が聞こえ始めた。

始めは微かに聞こえるだけだったそれは、やがて大きくなり、地面が振動するほどのものになり。

 

「うわっ」

 

地を突き破ってそれは現れた。

巻き上げられた土が雨あられと降り注ぐ。いつの間にか目の前にいたペイちゃんが蠅でも振り払うようにぱたぱたと手を振る。その小さな動きからは連想できない風が巻き起こり、風圧で此方に向かう土埃を吹き飛ばしていた。

 

「とりあえず成功か。」

(おっきいですねぇ。)

 

晴れた土煙の中から4メートルを超える巨人が姿を現す。全身が人骨で構成された、ちょっと強度が心配な体だ。急いで地上まで来たためか表面がポロポロと崩れているが、じわじわ再生している。どういう原理だろうか。

集合する死体の巨人(ネクロスウォーム・ジャイアント)はそんな己の体を隅々まで見回している。禍々しいアンデッドに似つかわしくない動作で、ちょっと愛らしい。

 

死体がどれくらいの深さに埋まっているかわからないため、アンデッド化した死体が地上まで出て来れるか心配だった。だが、集合する死体の巨人(ネクロスウォーム・ジャイアント)はたしかに地中を掘り進んできた。

これなら大抵のアンデッドは大丈夫だろうと次の作業に取り掛かろうとした、その時。

 

「ベえええええええ!?」

 

産声のような絶叫が響いた。

何事かと振り向くと、集合する死体の巨人(ネクロスウォーム・ジャイアント)が頭を抱えていた。

 

(まさか、こいつも・・・?)

(まぁ、そんな気はしてましたよね・・・。)

 

じゃあ俺は失敗したのか?

普通にコミュニケーションがとれるアンデッドを作成できたのはペイちゃんが初めてだが、その前例で行くと、上位アンデッド作成にも耐えうる素材だったということになる。なんてもったいないことをしてしまったんだ・・・。

 

「ナ゛んで集合する死体の巨人(ネクロスウォーム・ジャイアント)なんスかぁ!」

 

本人も御立腹だ。

どうせなら格好良くて強いアンデッドが良かったのだろう。意識が残っているのなら当然だ。なんだか申し訳なくなってきた。

 

「ア゛ぁんまりだああァァァ!!」

「主人の前で騒がしいぞ、ライノ。」

 

ペイちゃんがどこかで聞いたような雄叫びを上げる彼のことをライノと呼んだ。

生前の部下だと言っていたから、顔見知りなのだろう。

 

「ダんちょう!? もしかして団長っすか! いいっスねぇそんなに強そうなアンデッドになれて!」

「ハハ! 当然ではないか、私は強いからな!」

 

褒められて嬉しいのか、ペイちゃんまで騒がしくなった。いや、今のは嫌味も含まれていると思うが。

それにしてもライノの言葉の始めが濁っているのは何なのか。発言する度に薪を割るような音が鳴っているのだ。

それは彼の口元に注目するとすぐに分かった。

どうやら口周りの骨が邪魔らしい。声を出す度に邪魔な骨を弾き飛ばしている。だが、飛ばした骨もすぐに再生するため、発言する度に破壊しなければならないようだ。

シュールだ。

 

「それから、私を団長と呼ぶな。今はペイちゃんだ。いい名だろう!」

「ベイちゃん!? だっははははは、なんスかそれ! なんでそんな面白い名前を名乗って―――」

 

ライノの首が飛んだ。

いや、そのずんぐりした体はどこからが首かは分からないのだが、頭部と呼べる部分が胴体から分離した。

見れば、ペイちゃんが抜刀している。目にもとまらぬ早業である。

ライノの方は、胴体の断面からもりもりと人骨が盛り上がり、新たに顔を形成している。再生の仕方はお世辞にも綺麗とは言えない。というか気持ち悪い。

集合する死体の巨人(ネクロスウォーム・ジャイアント)にこんなチートじみた再生能力はない。強力な素材を用いたおかげで強いアンデッドが生まれたのだろうか。

 

「ナ゛にするんスか! だん―――ペ、ペイちゃ・・・ぶっふふ」

「この勇ましき名はエンリ様より頂いたもの。貶すのなら貴様を殺さねばならんぞ。」

「エ゛ンリ? 誰っスかそれ。」

 

ペイちゃんから殺気が噴出する。

それは俺がびくりと体を震わせるほどに強烈なものだった。咄嗟にペイちゃんを止めようと振り向くが、既にそこにペイちゃんの姿がない。

 

「屍に戻れ、ライノォ!」

 

ペイちゃんは大きく跳躍し、ライノに斬りかかっていた。

上段に構えた剣を躊躇なく振り下ろす。

対するライノは素手。応戦する術は無い。

 

「ア゛まい!」

 

ライノは骨で構成された巨大な両手を合わせるようにペイちゃんの剣を挟む。

真剣白刃取りだ!

だが、ペイちゃんの剣の威力も尋常ではない。勢いを殺されながらも、ライノの手の平の骨をゴリゴリと削っていく。やがてそれは手首の辺りまで到達し、手の平を抜け―――

 

「あっ」

 

ライノの頭に突き刺さった。

しかし、そこまでだ。剣は完全に止まり、ライノを両断するに至っていない。

 

「ライノ、貴様はいつから主君の名を忘れるようになったのだ、この不忠者めが!」

「ダんちょうこそ、俺の同輩じゃなかったんスか! 誰の差し金っスか!?」

「む?」

 

ペイちゃんが困惑した雰囲気を纏う。

 

「ライノ。貴様の主君は誰だ。」

「ア゛ちらにいらっしゃる、()()()()()っス。」

 

ライノが巨大な手を俺の方へ向ける。

 

「いや、あの方は我が主、エンリ様だ。」

「ン゛?」

「ん?」

「「・・・んんん?」」

 

そうか、そうなるのか。

ペイちゃんはエンリが俺のスキルを使って作成した。ライノは俺自身が作った。だから仕える主人の名がそれぞれ違うのだ。

こいつらにも詳しい説明が必要なようだ。

 

 

●◎●◎●◎●

 

 

ふわりと部屋の空気の流れが変わるのを感じ、閉じていた瞼を上げる。目線を動かすと、見知った老婆が無邪気な笑顔を浮かべて立っていた。してやったりとでも言いたげな表情だ。

 

「久方ぶりじゃな、ツアー。」

 

この部屋の主である“白金の竜王(プラチナム・ドラゴンロード)”ツァインドルクス=ヴァイシオン―――ツアーは、その名の通りドラゴン。ドラゴンは非常に優れた知覚能力を有するが、竜王の名を冠するツアーのそれは、一般的なドラゴンを遥かに上回る。

そんなツアーに気付かれることなく接近するという悪戯を楽しんでいたのだろう。

 

「なんじゃ、挨拶すら忘れてしまったのか?」

「はは、すまないねリグリット。かつての友に会えて、感動に身を震わせていたんだ。」

「友ねぇ?」

 

リグリットの視線が部屋の中を彷徨う。

 

「わしの友は、中身が空っぽの鎧なんじゃがのう。」

「それについては200年前から謝っているじゃないか。この体のままでは、君たちと旅はできなかっただろう?」

「ふふん。それで、あの鎧(わしの友)はどこへ行ったんじゃ?」

「たった今、壊されてしまったよ。」

 

それを聞いたリグリットの顔の皺が、より深くなる。

 

「・・・100年の揺り返しが来たか。今回は世界に協力する者ではなかったのか?」

「分からないな。彼女が本当にぷれいやーなのかも、確認できていないんだ。」

 

ツアーが目を付けているのは、最近頭角を現した冒険者であるエンリ・エモット。彼女がぷれいやーであると断定できるだけの情報が無い。仮にそうだと仮定すると、この世界への順応が早すぎる。溶け込み方が尋常じゃないのだ。だからこそ引っかかる。最近になってやって来たぷれいやーでないのなら、何故今までその力を隠し持っていたのか。

 

「それなのに、不幸な行き違いがあってね。」

「ほう? 詳しく聞こうじゃないか。」

 

床にどっしりと腰を落ち着けるリグリット。ツアーは説明のために口を開いた。気分的には、説明というよりも言い訳の方が近いのだが。

 

 

―――ツアーはエンリ・エモットから話を聞くためにカルネ村に向かっていた。

日没後を選んだのは、その時間なら確実に家にいるだろうと考えたからだ。不在だったとしても、エンリ・エモットの家族は自宅にいるだろう。家族を通して約束を取り付けることができればそれでよかった。

できるだけ人目に付かないように大森林を歩いていたのだが、そこでトボトボと寂し気に歩く幼女を見かけた。何故危険な地域を幼女が1人で、と不審に思い、話をしようと近付いた。それがいけなかった。

幼女はツアーの鎧を見るなり、脱兎の如く駆け出した。

ただでさえ足場の悪い大森林だ。夜目の効かない人間が深夜に全力疾走すれば、すぐに転倒する。その幼女も幾度となく転げ回っていた。これ以上怯えさせまいと声をかけながら少しずつ距離を詰めていたのだが、どうやら幼女の耳には届いていなかったようで、助けを求めるように両手を前に差し出して逃げるばかりだった。

そして当然、大森林には大量のモンスターが潜んでいる。飛び出してきたのがアンデッドだったのには驚いたが、幼女を早く落ち着かせなければ命が危ないと思った。

遂に幼女は、透明化を駆使するモンスターに捕まった。これはいよいよまずいと思ったツアーは全力で距離を詰めた。それに驚いたのか、モンスターは捕えていた幼女を投げ出して逃げて行った。なんてことをするんだと、逃げたモンスターを放置して幼女の飛んで行った方へ行くと、強大なアンデッドと、怒り狂うエンリ・エモットに遭遇したのだ。

 

 

「―――という訳でね。私の心象は最悪さ。」

「なるほどのう。それは確かに、不幸な行き違いじゃな。」

「仕方ないさ、間が悪かったと諦めるしかない。ただ、これからどう誤解を解こうかと考えると、気が重いのだけどね。」

「それについては心配ないじゃろう。」

「ん? どういうことだい?」

 

自信満々な物言いに、ツアーが首を傾げる。

 

「おぬしは名を名乗ったのか? 実際に接触したのは、おぬしではなくただの鎧。次は違う方法で接触して、初対面のフリをすれば問題なかろう。」

「それは・・・ちょっと気が引けるね。」

「はは、相変わらず律儀なやつよ。そういえば、知り合いに良いゴーレム職人がおってのぉ。」

 

ツアーは唐突に変わった話題に困惑しつつも、楽しげな友と言葉を交わす感覚に懐かしさを覚えていた。

 



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