一撃のプリンセス〜転生してカンフー少女になったボクが、武闘大会を勝ち抜くお話〜 (葉振藩)
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予選編
生まれ変わりました(ただし女の子に)


(=゚Д゚=)にゃぁす!


 ボクは薄れた意識のまま、病院の天井にある蛍光灯の光をぼんやり見つめていた。

 

 手足に力が入らない。指一本さえ動かすのが難しい。

 

 呼吸がうまくできず、息苦しい。横隔膜がちゃんと収縮してくれない。

 

 心臓の刻む鼓動のリズムが不規則だ。早くなったり遅くなったりとせわしない。

 

 今、ボクが仰向けに横たわっているベッドの傍らには、心電図を始めとする、数々の医療機器。

 

 視線を下に落とすと、そこには男のお医者さんと数人の看護婦さん、そして、両親が立っていた。

 

 みんなそれぞれ違った表情でボクを見下ろしていた。

 

 初老ほどのお医者さんは一見落ち着いた表情に見えるが、微かに唇を噛んでいるところから、やるせなさを抱いているのがなんとなくわかる。

 

 看護婦さんたちは、気の毒そうな表情。

 

 そして両親は、強い悲しみを顔に表していた。ボクに悲しみを見せないよう必死に笑おうとしても、うまく隠せず、悲壮感がもれだしたような表情。

 

 ――みんな、今のボクに対して思っている事がありありと伝わってくる顔だった。

 

 ボクの命の灯火は、今、消えようとしていた。

 

 十数年という長いようで短い生涯に、今、幕を下ろそうとしていた。

 

 ボクは間違いなく――今日、息絶えるだろう。

 

 ボクは生まれた時から、難病を患っていた。

 

 日進月歩で進歩している現在医療でも手の施しようがない、いわば不治の病だ。

 

 生まれてから今日まで、この病院の中だけがボクの世界だった。

 

 外へ遊びに行くなんてもってのほか。年の近い子が元気に外を駆け回る姿を、病院の窓から何度羨望の眼差しで見たのか覚えていない。

 

 幸いにも、娯楽はあった。携帯ゲーム機やネットサーフィン、漫画やアニメを見たりなど。娯楽の多さという点では、文明社会に生まれることが出来て幸せだったかもしれない。

 

 中でも、ボクは本を読むのが好きだった。自分がしない、できない出来事を追体験させてくれるから。

 

 一番好きなジャンルは冒険小説だ。十五少年漂流記やロビンソンクルーソーなど、見知らぬ土地へ流され、そこで頑張って生きていくような物語は読んでて一番楽しかった。そういった作品の主人公からは、人間の持つたくましさを強く感じられるからだろう。

 

 病院のベッドの上で、いろんな本をむさぼり読んだ。

 

 ボクが欲しい本を言うと、お父さんはいつも一生懸命探して買ってきてくれた。お父さんには、今でも感謝してもしきれない。

 

 ――しかしボクはやはり、元気に動き回れる体と、一緒にあそんでくれる友達が一番欲しかった。

 

 同い年の子が入院し、退院する様子を、ボクは何度見ただろうか。

 

 そのたびに、強い羨望と嫉妬を抱いた。

 

 どうしてボクは、退院できないの?

 

 どうしてボクは、ここにいなくちゃいけないの?

 

 ボクも、外に出て遊びたいよ。

 

 ある日、とうとう我慢ならなくなって、両親へ八つ当たり気味にその気持ちをぶつけてしまった。

 

 心配性なお母さんは断固ダメの一点張りだった。しかしお父さんはある日、ボクをこっそり病院から連れ出してくれた。

 

 やって来たのは、ウミネコやカモメが鳴く岬だった。

 

 生まれて初めて肉眼で見る大海原。鼻につく潮の香り。人工物にまみれ、薬の匂いばかりの病院とは一八〇度違う場所に、ボクは大きな感動を受けた。

 

 しかし、その感動の代償とばかりに、ボクの容態が急変。急いで病院に戻った。

 

 幸いにも命に別状はなかったが、ボクを無断で連れ出したお父さんは、お医者さんとお母さんにこっぴどく責められていた。あの時の光景は今でも忘れない。

 

 なのでボクはそれ以来、一切の不平不満は言わないようにした。もし言ってしまうと、またお父さんがボクを気の毒に思い、怒られるようなことをしてしまうんじゃないかと思ったからだ。

 

 なるべく、人に迷惑はかけない。そもそも、存在しているだけで迷惑をかけているようなものなのだ。ならば、ボクから進んで面倒事の種は蒔かないようにしよう。そう固く誓った。

 

 「元気な体が欲しい」「外で遊びたい」、そんな叶わない思いは心の奥に封印し、ただただ本と空想の中だけで生きる。

 

 何年も、そんな代わり映えのしない生き方をしてきた。

 

 ――だが、そんな毎日も今日、終わろうとしている。

 

 薄れていた意識が、さらに薄弱となっていく。

 

 視界がぼやけ、両親の顔がよく見えなくなる。

 

 全身から力が抜け、ベッドに沈むような重さを感じる。

 

 心臓の鼓動が、弱々しくなっていく。

 

 ああ、分かる。

 

 もう、潮時だ。

 

 「ボク」という人生と、お別れする時が来たんだ。

 

 薄れゆく意識の中、ボクは祈った。

 

 

 

 

 

 ――ああ、神さま。

 

 ――もしも、あなたという存在が本当にいるとしたら。

 

 ――そして、「生まれ変わる」という事が本当にあるのだとしたら。

 

 ――ボクは、大きなモノは望みません。

 

 ――地位も、

 

 ――権力も、

 

 ――富も、

 

 ――そういった大きなモノは、何一つ望みません。

 

 ――ですが、ただ一つ、これだけは与えてください。

 

 ――元気な体が、欲しいです。

 

 ――普通の子供のように、外を遊び回れるようになりたいです。

 

 ――それだけで、いいんです。

 

 ――もしも、生まれ変われるのなら。

 

 ――どうかお願いします、神さま。

 

 

 

 

 

 そこで、ボクの意識は、ロウソクの火が消えるように途切れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――と思った時だった。

 

 ボクの意識は、まだ残っていた。「まだ意識がある」と思えた時点で、それは明白だった。  

 

 しかも、先ほどのように消えかかった感じではない。もっと、はっきりとした感じ。

 

 体の調子も、先ほどのように絶不調ではない。

 

 手足がよく動く。

 

 心音もしっかりしている。

 

 体の奥底から、強い生命力を確かに感じる。

 

 視界は暗闇一色だった――目を閉じてるからだ。

 

 ボクは、ゆっくりと目を開けた。

 

 

 

 ――見たことのない人たちが、ボクを見下ろしていた。

 

 

 

 中華圏の伝統衣装を彷彿とさせるオリエンタルな服に身を包む、数人の見知らぬ大人たち。

 

 彼らの浮かべている表情は、先ほどの両親のように悲壮感に満ちたものではない。

 

 新しい命の誕生に対する、喜びと感動を感じているような表情だった。

 

 さらに、そこは病院ではなかった。知らない空間だった。

 

 屋内であることは間違いない。だが内装は全く違っていた。

 

 赤を基準とした内装。中国の伝統建築にあるような東洋的デザイン。

 

 

 

 ――何これ、どういうこと?

 

 

 

 そう喋ったつもりだったが、口から出たのは「あうおうあー」だった。

 

 うまく喋れない。舌っ足らずすぎる。

 

 ていうか、歯がない。

 

 見ると、ボクの手足は随分短くなっていた。

 

 見下ろす人の瞳に映るボクの姿は――すっぽんぽんの赤ん坊。

 

 ボクはギョッとした。

 

 さらに下半身――正確には、股下の辺り――に、何かが足りない感じがした。

 

 恐る恐る見ると、いつも有るはずの"象さん"がいなかった。

 

 驚きと、血の気が引く感覚が、両方した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ああ、なんということでしょう。

 

 

 ボクはどうやら、生まれ変わることができたみたいです。

 

 

 神さま、ありがとうございます。この御恩は一生忘れません。

 

 

 でも、もう一つだけわがままを申すなら――――また男の子に生まれたかったです。

 

 



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生まれ変わった喜び【挿絵有り】

 少し硬い木製のベッドの上で、ボクは目を覚ました。

 

「うん……っ」

 

 ゆっくりと上半身を起こすと、大きく背伸びをした。背骨がパキパキと小気味よく鳴る。

 

 自室にあるゼンマイ式の壁掛時計が指し示す時刻は、四時。お坊さんならともかく、一般人的にはまだ眠っていていい時間だ。

 

 しかしボクは目をこすると、ためらいなくベッドから降りる。

 

 タンスの中から早朝修行用の軽装を引っ張り出すと、寝巻きを脱ぎ捨て、それに着替えた。

 

 髪の毛は、寝起きのせいで少しボサボサになっていた。なので木製のクシを通して毛並みを整える。

 

 肩甲骨を覆い隠すほどの後ろ髪を、三つ編みにしていく。

 

 そうして姿見に立つ。

 

 映っているのは、長い後ろ髪を太い一本の三つ編みにし、綿製の半袖に長ズボンという軽装をまとった小柄な――――女の子。

 

 手前味噌になるが、今鏡に映っているボクの姿は、見目麗しい美少女だった。

 透き通った鼻梁に、薄い桜色の唇、ぱっちりとした二重まぶた。大きめの瞳の上には、長いまつげが弓なりに沿っている。宝石のような華やかさの中に、ヒマワリのような快活さを含んだような美貌。 

 色白な肌はきめ細かく、とてもすべすべだ。まるで作りたての陶器のようである。

 

 女性なら誰でも羨むであろう美しさを、ボクは持っていた。

 

 だというのに、

 

「……はあ」

 

 それを見ると、どうしても小さく溜息を突いてしまう。

 

 ……どうしてこうなっちゃったかなぁ。

 

 でも、こう(・・)生まれてしまった以上、もう嘆いても仕方が無い。

 

 なのでボクはすぐに気を引き締め、家を出たのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 外は、当然ながらまだ暗かった。

 

 東の山の向こうからはうっすらと日光が見えるが、こちら側には差していない。町中はまだ夜同然だった。

 

 石畳で舗装された大通りの端々に軒を連ねているのは、レンガもしくは木で造られた建築物の数々。瓦で屋根を作っているという点では、どの建物も共通していた。

 

 石畳の上を、ボクはスタスタと早歩きで進む。

 

 その途中、一人のおばあさんと鉢合わせした。おそらく、散歩でもしていたんだろう。

 

「あら、(リー)さん家の末っ子の星穂(シンスイ)ちゃんじゃあないの。こんな朝早くからお出かけかい?」

 

 「シンスイ」と呼ばれたボクは立ち止まり、少し恥ずかしそうにしながら、

 

「えっと……ちょっと朝の修行に……」

「そうかい。朝から元気だねぇ。気をつけるんだよ」

 

 そう言うおばあさんに軽くお辞儀してから、ボクは再び早歩きを再開した。

 

「……シンスイちゃん(・・・)か」

 

 ある程度離れてから、嘆息するように吐き出した。

 

 

 

 

 

 ――転生。

 

 それは、死んだ人間が、別の人間として新たに生まれ変わること。

 

 ボクがそんな摩訶不思議な現象を経験してから、すでに十五年が経過していた。

 

 ボクは「李星穂(リー・シンスイ)」という人間として、再び生を受けた。

 

 初めは大いに戸惑った。まさか転生なんてものが本当にあるとは思わなかったのだ。当然だろう。

 

 しかも、生まれ変わったボクの性別は女性だった。

 

 これにも驚いたし、それに困った。元々男だったのに、女の子に転生してしまったのだ。誰だってこの先の生き方に不安を感じるものだろう。

 

 しかしすぐに、そんな驚きや不安を帳消しにして余りある大きな喜びを抱いた。

 

 生まれ変わったボクは、先天的な障害や持病など何も無い――全くの健康体だった。

 

 普通の人なら「だから何?」と呆れ気味に言うかもしれない。

 

 でも、ずっと病弱なままだった前世を持つボクにとって、その「健康」というのは最早金塊の山すら霞んで見えるほどの宝物だった。

 

 ボクは大いに喜んだ。

 

 しかし、さらに一つ問題があった。

 

 ボクが生まれ落ちたこの場所は、日本ではなかった。

 

 いや、日本どころか、地球ですらなかった。

 

 この場所の言語――もちろん日本語ではない――が話せるようになってから親たちに聞いたところ、ここは【煌国(こうこく)】という国にある【回櫻市(かいおうし)】という町なのだそうだ。

 

 まず、【煌国】なんて国は知らないし、聞いたこともない。

 

 おまけにこの国の文明レベルは、元居た現代と比べて雲泥の差があった。

 

 電気で動く機械が一つも存在しない。戦争でも未だに騎馬隊を使っている。

 

 現代ならば、たとえどんなに貧しい国であろうと、電化製品が一つも無いなんてことはないだろう。

 

 ボクは信じがたい思いを抱きながらも、ある一つの結論を導き出した。

 

 

 

 ここは――異世界。 

 

 

 

 ボクは、小説やアニメなどで頻繁に扱われる、異世界転生というものを経験したのだ。

 

 そういったサブカルチャー作品で登場する異世界というのは、大多数が中世ヨーロッパっぽい雰囲気だろう。

 

 しかし、この世界は違った。

 

 中国伝統建築にそっくりな建物ばかりが並び、なおかつ人々の服装もオリエンタルなものばかり。その他にも、中華を彷彿とさせる文化や要素がそろい踏みだった。

 

 つまりここは、言ってしまえば中華風の異世界。

 

 中世風であろうと中華風であろうと、地球ではない違う世界。そんな所で、現代日本の文明社会にどっぷり浸かったボクがやっていけるのか。不安はなくはなかった。

 

 ――しかしそんな不安は、元気な体で生まれることができた喜びに比べればちっぽけなものだった。

 

 歩けるようになり、この世界の両親から外出が許された途端、ボクは夢中になって遊びまくった。

 前世では見ているだけだったボール遊びにも、積極的に参加した。

 木にも登った。

 山犬やでっかいハチに追われたりなんかもした。

 鬼ごっこなどでは、常に最初の鬼を買って出ていた。走れる喜びに浸りたかったのだ。

 そんな風に村の中で大暴れしているうちに、近所の悪ガキ軍団のトップにまでなった。

 

 ボクはとにかく、前世で普通の子供のように遊べなかったフラストレーションを発散するかのように動き回り、遊び回った。

 

 まさしく我が世の春だった。

 

 そして七歳の頃、ボクは「あるもの」と出会った。

 

 ――【武法(ぶほう)】。

 人体に秘められた潜在能力をフルに引き出し、人の身で人を超えた戦闘力を得られる究極の体術。

 端的に言うと「凄い武術」だ。

 予想もつかない身体操作をし、そして人間とは思えないほどの凄まじい威力を発揮する武法。中毒並みのアウトドア派になっていたボクは、その異世界の武術にこの上なく魅了された。「人間の体はそんな使い方ができたのか!」と。

 

 父がとある武法士――武法を身につけた人のことを言う――を自宅に招き入れたのは、それからすぐのことだった。

 

 父はその武法士に、衣食住を完全に保証することを報酬に、ボクと姉に武法の教授をさせた。

 

 武法は健康増進に非常に高い効果があり、【煌国】の有産階級にはスポーツ感覚で親しまれている。

 

 ボクが末っ子として生まれた李家も、難関である文官試験の合格者を一族から多数輩出している名家だった。なので両親も他の富裕層と同じように、子供へ武法を学ばせようと考えていた。

 

 だが「学ぶならば、何事も一流の師から学ぶべきだ」という父の信条によって自宅に連れてこられた師匠の教えは非常に厳しく、姉は一週間を待たずにギブアップした。

 

 しかしボクだけは、師匠の課す厳しい修行を夢中になって続けた。

 

 ボクは武法を初めて目にした時の感動を鮮明に覚えていた。あんな凄い技を自分も使えるようになりたい。その一心で修業漬けの毎日を送った。

 

 そのせいか、修行を始めて三年になる頃には、ボクは師匠に「もう実戦をやっても構わん」と許可される実力をつけていた。

 

 武法は非常に強力だが、習得が難しく、実戦可能な強さになるまでには最低でも五年かかると言われている。なので武法士は、子供のうちから修行を開始することが多い。

 

 ボクはそれを、たった三年で成し遂げたのだ。

 

 しかし、それでは満足しなかった。修行を重ね、実力が上がるにつれて、「さらに先へ行きたい」という欲求が生まれてしまうのだ。

 

 その欲求のままに、ボクは夢中になって自分の武法を磨いた。

 

 修行は苦しいが、それを覆い尽くすほどを楽しさも同時に享受し、年月を重ねていった。

 

 師匠は二年前に病死してしまったが、その後もボクはずっと修行を続けている。

 

 そして、今も。

 

 ――程なくして、目的地に到着した。

 

 この町【回櫻市】の外れにある、小さな広場。人が十人ほど入れそうな太い幹を持つ大樹を中心に、黄土色の地面が広がっている。

 

 ここが、ボクの練習場所だ。

 

 家の庭も十分練習できる広さだが、そうすると姉が「うるさい!」とヒステリックに怒るので、やむなくここで練習している。

 

「ふぅ…………」

 

 ボクは両足を肩幅に開いて直立し、呼吸を整える。

 

 そして、身体各部を意識でチェックした。

 

 頭部――目線は水平。百会は真上向き。

 頚椎――歪み無し。

 両肩のライン――地面と並行。

 胸椎――歪み無し。

 腰椎――歪み無し。

 骨盤――歪み無し。

 足裏――湧泉に確かな重量感。

 

 骨格がいつも通り「理想形」である事を確認。

 

 武法習得のために絶対に外せないのが、理想的な骨格位置。

 

 実は人間の体重というのは、すべてが足裏に集まっているわけじゃない。五体のあちこちに分散し、それらを体が無意識のうちに筋力で支えているのだ。

 

 そして、その「体重の分散」を引き起こすのが、骨格の歪みだ。

 

 人間は社会生活を行う過程で、不必要な動作を無意識に何度も行い、自身の骨格に「歪み」を生じさせてしまっている。

 

 肩こりや首こりで例えよう。ボクが元居た現代社会では、画面に頭を突っ込ませる形でパソコンを操作し、猫背になる人が多い。猫背になると、頭部が前に突っ込んだ姿勢になる。そうすると首筋周辺の筋肉が、頭部の重さを支えるために本能的に収縮する。それこそが肩や首が凝り固まる理由だ。

 

 武法ではまず最初に、その「体重の分散」を招く骨格の歪みを矯正する修行を行う。

 

 骨格を理想的な配置に整えることで、分散していた自重が――全て足裏に集中した状態を作り出す。いわば「骨で立った」状態にするのだ。

 

 こういった骨格矯正法を【易骨(えきこつ)】という。

 

 正しい骨格位置を習慣レベルにまで馴染ませるには、もちろん時間と根気が要る。だが【易骨】ができた修行者は、自身の体重をフルに活用できるようになる。

 

 例えば、自重を乗せたパンチを放つとする。それを受けた相手は数十両斤(りょうきん)――この世界の「kg(キログラム)」的な単位らしい――の鉄球が猛スピードでぶつかるような、凄まじい衝撃を味わうことになる。この威力は骨格が歪んだ状態では決して出せないものだ。

 

 武法では、力学的に効率の良い体術を行い、その百パーセントの自重をより強力に叩き込む打法を用いる。そしてそのような強い打撃を【勁擊(けいげき)】という。

 

 ボクは骨格位置の正確さを確認すると、両足を揃えて立つ。

 

 そして――【拳套(けんとう)】を開始した。

 

 トォン!! と片足を踏み鳴らしてから、瞬発する。

 疾風のような速度で前進。すぐさま地を砕かん勢いで前足を踏み込み、急停止――と同時にその踏み込んだ足へ急激な捻りを加え、正拳を突き出した。拳に確かな重量感を得る。

 さらにその拳を掌にし、その場で小さく螺旋を描く。そこからすぐに大地を蹴って加速し、トォン!! という激しい踏み込みで急停止。同時にもう片方の拳で虚空を突く。

 両拳を顔の前で揃えて構え、前蹴り。そのままその蹴り足で前に激しく踏み込み、正拳へと繋げる。

 半歩退いてから、また前へ踏み込み、肘打ち。

 足底から全身を捻り、もう片方の手で掌底。

 再び半歩退きながら、また掌底。

 

 ――その後も、激しく鋭敏な動作が数珠のように連なっていく。

 

 動作の途中途中で発せられる、激しい踏み込みの音。それと同時に鋭く、強大な一撃が空気を切り裂く。

 

 雷撃を思わせる技法の数々。

 

 一挙行うたび、太い三つ編みが生き生きと躍動する。

 

 ボクが今行っているのは【拳套】。何十もの技が繋がって一つのセットになった、いわば型だ。

 これを何度も反復練習することによって、その武法に必要な体の使い方、【勁擊】の打ち方、歩法、体さばきなどを体に染み込ませるのだ。

 武法において、欠くべからざる修行法の一つだ。

 ただし正確には「型をやれば強くなれる」のではない。「型をやらなきゃ強くなれない」のだ。表現のし方はなんとなく似ているが、ニュアンスは微妙に違う。

 対人戦のための修行は他にある。しかしそれは【拳套】で養った体術がなければできない。【拳套】はいわば、対人戦のための前提条件的な基礎力を養う修行なのだ。

 

 あと、言い忘れていたけど――武法には数多くの種類が存在する。

 

 それは突き技主体だったり、蹴り主体だったり、体当たり主体だったりと、いろんなものがある。中にはその場から一歩も動かないまま敵を倒せる武法もある。

 

 そして、ボクの学んだ武法の名は【打雷把(だらいは)】。絶対的威力の【勁撃】と、絶対的命中率の双方を徹底的に養成する、超攻撃型武法だ。

 

 どんなにうるさい鳥のさえずりも、雷撃の凄まじい音一つでかき消される。【打雷把】は、その雷撃となることを目指す武法である。

 

 創始したのはボクの師匠「強雷峰(チャン・レイフォン)」。【雷帝(らいてい)】という異名を持ち、数多くの武法士を試合で打ち殺してきた、【煌国】最強の武法士だ。

 

 レイフォン師匠は指導者になる事をめんどくさがっていたため、まともに教えた生徒はボク一人だけだった。なので【打雷把】を知っているのは、この世界でボクだけということになる。

 

 ならば、師匠が作ったこの武法の伝承を途絶えさせるわけにはいかない。最後まで守り通す必要がある。

 

 そして、その事に抵抗は無い。

 

 人に教える立場になる気はまだ無いけど、ボクは今でも、武法をこよなく愛している。

 

 一生かけてでも続けるつもりだ。

 

 ボクは一層気合いを入れ、【拳套】を行う。 

 

 師匠は武法に関しては厳格で、無駄な動作を大層嫌っていた。その性格が現れているのか、【打雷把】の【拳套】の数は少なく、その一つ一つもかなり短い。なので、その短い少数の【拳套】を何度も何度も反復練習する。

 

 時間も忘れ、修行に夢中になるボク。

 

 気がつくと、山の向こう側から陽が登っており、広場を明るく照らしていた。

 

 それを確認すると、ボクは『収式(型を終える時の姿勢)』をして【拳套】を終えた。

 

 お日様が山の向こう側から顔を出した時が、早朝修行終了の合図だ。

 

 顔や首筋はすっかり汗にまみれており、半袖も重くなっていた。

 

 ポケットに詰めてあった手ぬぐいで顔と首筋を拭く。

 

 そして、広場の中心にある大樹に近づき、その幹へドッ、と掌底を打つ。

 

 大樹は枝葉を震わせると、実っていた果実を一つ落としてくれた。ボクはそれをキャッチする。地球では見たことのない形。この世界特有の果物だろう。

 

 ボクはその実をかじる。シャリッという歯ごたえとともに、酸味の効いた甘さが口いっぱいに広がった。食感は柿、味はみかんに似ている。

 

 修行後にこれを食べるのが、修行の次に楽しみな事だったりする。

 

 食べきると、残った種は端っこの草むらに放り投げる。

 

「さて、帰ろっと」

 

 ボクは背伸びをしながら、その広場から立ち去った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ボクの二度目の人生は、この時までは確かに順風満帆だった。

 

 

 

 そう――この時までは。

 




大恵氏よりファンアートを頂きました!
感謝感激(*´∇`*)


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役人なんて絶対イヤです!

 鋲がいくつも打たれた大きな正門を開け、ボクは中に入った。

 

 目に映るのは、広々とした中庭。そして、その奥にある立派な屋敷。

 

 ここが、ボクの今の家だ。

 

 ボクが自宅に戻って最初にしようと思った事は、軽い水浴びだった。

 

 家の裏側には井戸があり、さらに勝手口がある。

 

 最初に勝手口から家に入り、自分の部屋に行って替えの衣類を取り出してから、再び井戸の前に戻る。

 

 キョロキョロと周りに目を向ける。周囲に人がいないことを確認すると、汗まみれで重くなった服を脱いで、裸になった。

 

 少しバツが悪い思いをしながら、自分の体を見下ろす。女性的凹凸に乏しいが、代わりに余計な肉付きが無く、細身で均整の取れたスタイル。よく言えばスレンダー、悪く言えば貧相。

 

 ジッと見ているうちになんだか恥ずかしさが込み上げてきて、慌てて真っ直ぐ前を向いた。

 

 元々が男だっただけに、ボクは女体への耐性が弱い。自分の体を見るのにはなんとか慣れたが、他の女性の裸体を前にするとどうしても目を背けてしまう。

 

 なので、複数人の入浴の時はかなり苦労する。相手はボクを本気で女の子だと思っているため、その……胸や恥部を隠すことはせず、無遠慮に接してくるのだ。人によってはふざけて抱きついてくることもあって、その時に膨らみが……その……むにゅ、って……

 

「~~~~~~!」

 

 ボクは顔をさらに真っ赤にする。

 

 そしてその羞恥を誤魔化すように、井戸の底へつるべを投げ込んだ。ちゃぽん、と音がする。

 

 重くなったつるべを底から引き寄せ、中に入った水を体にかけた。井戸水が冷たくて気持ちいい。

 

 それから数度水を浴びてから、体を拭き、替えの服を着た。結び目と輪っかを使った留め具――チャイナボタンに酷似している――で真ん中を閉じた赤い半袖に、それと同色のゆったりしたワイドパンツ。まるでカンフー映画のような服装だ。

 

 この世界には旗袍(チーパオ)、いわゆるチャイナドレスもきちんとあるのだが、それを着るのは気が引けた。一回試しに着たことがあるけど、足がスースーして変な感じがするのだ。それに……恥ずかしいし。

 

 ボクはもう一度水を汲む。そのつるべの端に口をつけ、中の水を一気に飲み始めた。修行によって乾いた喉に、ひんやりとした井戸水は非常に美味だった。

 

「はぁーっ、生き返ったー!」

 

 つるべから口を離すと、ボクは爽快感に満ちた声を上げる。

 

 自身をいじめ抜いた後に味わうこの清涼感。

 

 まさしく、自分は生きているのだと感じる。

 

 前世では決して味わえなかったであろう快楽を、ボクは存分に享受していた。

 

 しかし、つるべの水をがぶ飲みし、風呂上がりにビールを一杯やったおっさんのような声を上げる今のボクは、明らかに乙女失格だった。

 

 こんな所を姉様にでも見られたら、一体なんて言われるか――

 

 

 

「ちょっとシンスイ! 今のは何!? はしたないわよ!」

 

 

 

 ……噂をすれば影がさす。昔の人は上手いことを言うもんだ。

 

 ボクは多少気後れしながらも、声が聞こえて来た勝手口の方を向く。

 

 そこには、見知った長身の女性が立っていた。

 

 腰まで伸びた長くつややかな髪の下にあるのは、彫刻のように端正なかんばせ。しかしその瞳はやや鋭く、キツイ印象を周囲に与えそうだ。

 白を基準としたドレスに包まれている細くしなやかな体つきは、ボクと違って出るところはしっかりと出ている。 

 

 この人は李月傘(リー・ユエサン)。ボクより二つ年上の姉にして、李家の長女だ。

 

 ボクはこの姉が苦手だ。ものすごい美人だが性格がとにかくキツく、口やかましい。ボクが何かやるたびに「はしたない」だの「みっともない」だのと姑のように言ってくる。

 

 でも、あいさつは大事だ。ボクはとりあえず微笑を作って、

 

「おはようユエサン姉様。井戸に用があるの?」

 

「おはよう。喉が乾いたから水を飲みに来ただけよ」

 

 姉様は「それよりも」と前置してから先を続けた。

 

「何なの、あの下品な水の飲み方はっ? もっとちゃんとした飲み方をなさい」

 

「水の飲み方一つにそんな目くじら立てなくてもいいのに……」

 

「良くないわよ。貴女は名門、李家の娘なのよ? ならば少しでも家柄に恥じぬ振る舞いをするよう心がけなさい。そんなことでは、寄り付く殿方もいなくなるわよ」

 

 少しムッとしたボクは、ジトっとした目で姉様を睨んだ。

 

「姉様、それって自虐ネタ? 男が寄り付かないのはそっちじゃないか。この間婚約の話があった(ティエン)家の次男坊に泣きながら逃げられたのはどこのどなたでしたっけ?」

 

「い、言うんじゃないわよ! あ、あれはただ相性が悪かっただけだわ! そもそも泣いて逃げるような情けない男、こっちから願い下げっ」

 

 姉様は顔を赤くしながら言い返す。

 

 まぁ、姉様は見た目はかなり良いんだけどね。でも、それに反比例して性格が……ねぇ。

 

「シンスイ、貴女今何か失礼な事考えてなかった?」

 

「滅相もございません」

 

 うわ、鋭い。こういう所も男を遠ざけちゃう原因なんだろうなぁ。

 

 見ると、姉様の片脇には一冊の本が挟まっていた。表紙には「文官登用試験過去問題集」と、煌国語で書いてある。

 

「姉様、今日も朝から勉強?」

 

 ボクの問いに、姉様は何を言わんやとばかりに鼻を鳴らし、

 

「わざわざ訊く必要があって? 李家は文官登用試験で数多くの合格者を出してきた優秀な一族よ。私はそんな家の子女として名に恥じぬよう、試験合格を目指して日夜努力しているの。武法なんかにうつつを抜かしている貴女と違って」

 

「う……」

 

 痛いところを突いてくる。

 

「えっと……ボクも一応勉強はしてるけど……その、やっぱり苦手で……」

 

「それは貴女が努力していないからでしょう? 何々が苦手、何々が出来ない、なんていうのは、所詮努力不足から目を背けるための言い訳なのよ。シンスイ、貴女は言うほど頑張ってはいない。だから苦手という言葉で言い訳をして、武法という逃げ場所に耽溺しているのよ」

 

 ……姉様のキツイ口調には慣れているつもりだが、今の台詞には流石にムカついた。

 

 ボクは全力で言い返した。

 

「そんな言い方はないだろ!? 勉強はきちんとしてない、だから苦手。それは認める。でもボクは一瞬たりとも、武法を勉強から逃げるための駆け込み寺にした覚えなんかない! ボクは本気で武法が好きなんだ! というか、姉様もそんな物言いしか出来ないから、男に逃げられたんじゃないの!? 姉様こそそのキツイ性格と言動なんとかしたら!? でないと行き遅れるよ!」

 

「何ですって!? もう一度言ってみなさい!」

 

「姉様は男に逃げられたーっ! このままじゃ行き遅れーっ!」

 

「このちんちくりん! 姉に向かって!」

 

 互いに噛み付かんばかりの勢いで詰め寄る。姉妹ゲンカが唐突に始まった。

 

 だがこれまた唐突に、二人揃って「くぅーっ」とお腹が鳴った。

 

「「…………」」

 

 ボクは別にお腹の音など気にしない。だが、目の前にある姉様の顔は羞恥で真っ赤だった。

 

 それを見て、今までの怒りが嘘のように溶けていった。

 

 ボクは姉様をフォローするべく、沈黙を破った。

 

「姉様……ご飯食べに行かない?」

 

「そ、そうね。貴女が行くというのなら、私も行くわ。別にお腹なんて減ってはいないけれど、これ以上貴女が品のない事をしないよう監視するために、仕方なくね」

 

 素直じゃないなぁ。

 

「あ、それと言い忘れていたわシンスイ」

 

「うん?」

 

「先ほど――お父様が戻られたわ」

 

 ……姉様のその台詞を聞いた瞬間、どういうわけかとてつもなく嫌な予感がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 中華テーブルのような赤い漆塗りの円卓には、色とりどりの料理が並んでいた。

 

 食欲をそそる香り。美しく整然とした盛り付け。どの皿に乗る料理も、売り物に出していいレベルだった。

 

 それもそのはず。この李家に仕える使用人の中には、元々は高級飯店(レストラン)の料理人をしていた人が一人いるのだ。これらの料理は、その使用人が作ってくれたものである。

 

 なので、見た目や匂いだけでなく、味も最高である。

 

 現在は朝なので、比較的量は控えめだ。そして、夕方にはもっと多くの料理が卓上で花を咲かせることになる。

 

 前世では味気ない病院食ばかり食べていたボクにとって、それらはまさしくご馳走のはずだった。

 

 ……はずだった。

 

「…………」

 

 しかし今、ボクはその極上の朝食に食指が動かせないでいた。

 

 こうべを垂れながら、卓の下で絡み合う両手の指を見るともなく見ていた。

 

 まるで針のむしろに座らされたような、気まずい気分だった。

 

 しかし、いつまでもうつむいていてはいけないと思い、ボクは恐る恐る顔を上げた。

 

 

 

 ――向かい側の席には、壮年の男性が座っていた。

 

 

 

 巌のような顔に、視線を向けられただけで気圧されそうになる鋭い目つき。肩幅がボクの倍はある、堂々たる体格。

 

 この人は、この世界でのボクの父――李大雲(リー・ダイユン)

 

 帝都に務めている現役の文官で、かなりの重役だったと記憶している。

 

 ただでさえ忙しい文官の中でもさらに多忙な身であるため、こうして家に帰ってくることはほとんどない。

 

 ……いや、それよりも。

 

 ダイユン父様は向かい側の席にどっしり座りながら、ジッとボクに視線を送り続けていた。

 

 レーザーサイトもかくやという鋭い眼光にさらされ、ボクは蛇に睨まれたカエルも同然だった。

 

 父様は厳しい人だ。少しでも行儀の悪い所を見せればすぐにたしなめられるし、なんだか姉様と同じ匂いがする。

 

 そうか、今分かったぞ。姉様のあのキツイ目つきは父様譲りだ。これじゃあ男を寄せ付けないのも頷ける。元男のボクが言うのだ、間違いない。

 

 ……などと新発見している場合じゃない。

 

 なぜボクは、鋭い視線にさらされているのでしょうか?

 

 ボクが何かしたのでしょうか?

 

 もしかして、姉様がボクの水の飲み方を告げ口して、それを父様が代わって注意しようという感じか。

 

 いや……多分違う。

 

 父様の浮かべるあの重々しい表情は、そんなちっぽけなことを咎めようとする顔ではない。

 

 見ると、父様の隣の席にちょこんと座る女性が、気まずそうにボクと父様を交互に見ていた。

 

 たおやかな体つきで、おっとり系の美人。だが、どことなく疲れたような雰囲気を醸し出しているその女性は、ボクの母、李麦毯(リー・マイタン)だ。

 

 性格がキツイ父様、姉様とは違い、このマイタン母様はおとなしくて優しい人だ。

 

 ――ちなみにここまで見れば分かると思うが、ボクは家族全員を呼ぶ時に「様」付けをしている。

 

 良家の子女らしく、と教育されたことも理由の一つだが、ボク的には理由はそれだけではない。

 

 もう一つの理由は、「線引き」のためだ。

 

 確かに今目の前にいる人たちは、ボクの家族だ。

 姉様の事は苦手だが、同時にそれなりの愛着も抱いている。

 そして父様と母様には、産んでもらったことを本当に感謝している。二人がボクを作らなければ、ここに転生することは出来なかっただろうから。 

 

 しかしそれは、この異世界での話。 

 

 ボクには、もう去ってしまった前世にも親がいる。病気であるボクを決して見限らず、最後まで尽くしてくれた愛すべき両親が。

 

 この世界で「お父さん」「お母さん」と呼んでしまったら、前世の両親を裏切ることになってしまう気がするのだ。考えすぎかもしれないが、前世の両親は最後までボクの面倒を見てくれた。だからボクからも裏切るような真似はしたくなかった。

 

 ……まあ、今はそれは置いておこう。

 

「あの、あなた……そろそろ食べましょう? お料理が冷めてしまいますわ……」

 

 恐る恐るといった感じで言う母様。

 

 しかし、父様は胸の前で腕を組んだまま、ボクを見つめ続ける。

 

 そして、とうとう開口した。

 

「……シンスイよ、最近、勉強の方はどうだ?」

 

 ボクはビクッと肩を震わせた――やっぱり、そのことだったか。

 

 その時、姉様が「その質問を待ってました」とばかりに円卓を叩き、癇癪のように言った。

 

「お聞きになってお父様! シンスイったら相変わらず武法なんかにかまけて、勉強をおろそかにしているのよ! 私が十二歳の時点で完璧だった初級問題さえも満足に解けないんです! どうかこのじゃじゃ馬になんとか言ってやってくださいな!」

 

 父様と姉様の言う勉強とは、文官登用試験の勉強の事を指している。十八歳から受験が可能な国家試験だ。ちなみに姉様は現在十七なので、来年に受験を控えている。

 

 文官登用試験は難関であることで有名だ。おまけに文官は高給取りで福利厚生もしっかりしているため、毎年の競争率が馬鹿にならない。それをくぐり抜けただけで、普通より満ち足りた人生が待っている。

 

 そしてこの李家は三代前から、子女全員が文官登用試験をパスしているというエリート一族だ。

 

 父様はその事にプライドを持っている。そして自分の代でも全員合格を果たそうと、自身の二人の子供に幼い頃から勉強させているのだ。

 

 その「二人」の中には当然ボクも含まれるわけだが、ボクはどうにも気が乗らなかった。

 

 文官は公務員のようなもので、安定した職業だ。しかしその分、国家に仕える立場として、忙しい日々が待っている――武法の修行ができないほどの。

 

 そう。ボクが着目したのはその点である。文官になれば、武法の修行時間が確実になくなってしまうのだ。

 

 だからボクは、文官なんか嫌だった。

 

 そしてその気持ちは勉学にも顕著に現れていた。言ってしまうとボクの勉強は、姉様に比べてかなり遅れている。

 

 しかし、ボクは健康体を手に入れてこの世界に転生し、そして、武法という素晴らしい運動芸術に出会ったのだ。

 

 ボクは生涯をかけて、この武法を研究していきたい。

 

 それに、レイフォン師匠のたった一人の弟子として、【打雷把(だらいは)】を捨てるわけにはいかなかった。

 

 だからこそ、ボクは勇気を出して二の句を継いだ。

 

「父様……前にも申し上げたかもしれませんが、ボクは文官になどなりたくないのです」

 

 父様はあからさまに眉間へシワを寄せ、

 

「なぜだ? なぜなりたくない? 言ってみろシンスイ」

 

「……武法を続けたいからです。文官になれば多忙な日々が待っています。そうなってしまうと、もう武法の修行ができなくなります。それは、ボクの望むところではありません」

 

「武法だとっ? あんなもの、元々は健康増進のために始めたものに過ぎんだろう? 貴重な人生を費やす価値がどこにあるという?」

 

 その言い方に、ボクは少し苛立った。本当に姉様とそっくりだよ、この人。

 

「父様と姉様にとって無価値でも、ボクにとってはかけがえのない夢であり、宝物です。父様に腐される筋合いはありません」

 

「生意気を吐かすでないわ小娘がっ!!!」

 

 突然父様の落雷が落ち、ボクは硬直した。姉様も同じく固まっている。

 

「夢? 宝物? そんな風に現実を見ることを避けるから、貴様は未だに出来が悪いのだっ!! お前は由緒正しき李家の次女として生まれたのだ! ならば郷に入っては郷に従え! 日々真摯に勉学に励み、国に仕えろ! 少しはユエサンを見習ったらどうだ!? 通っている学習塾では常に最上位の成績! 合格はほぼ確実とのことだ!」

 

「でも……」

 

「口答えするな! 勉強は続けなさい! まったく、どうやら私はお前の育て方を決定的に間違えてしまったようだ。武法などと出会わせてしまったばっかりに、こんな親不孝娘の出来上がりだ。心強い用心棒にもなると思って、レイフォン師匠を屋敷の一室に住まわせ続けていたが、こんなことならユエサンが根を上げた時点で屋敷から叩き出すべきだったな」

 

 父様はさらにこちらをひと睨みし、続けた。

 

「だいいち、武法などがうまくなったところで、いったいどう生計を立てるという? 宮廷の護衛官か、保鏢(ほひょう)にでもなるつもりか? だがいずれも、お前が考えているほど甘い仕事ではない。武法の腕だけで務まる仕事だと思ったら大間違いだ。だいいちこの李家の中に、そんな粗暴な職に就いた者が出たとなれば、一族の恥だ」

 

 非難がどんどんヒートアップしていく。

 

 父様の事は怖い。

 

 この李家では、父様が絶対的発言権を持つ。ゆえに父様に対し、姉様も母様も異論を挟めない。

 

 でも今の父様は、せっかく生まれ変われたボクを束縛しようとする敵だ。前世でボクを病院のベッドに縛り付けた、不治の病と同じように。

 

 ここで日和見主義に走ることは、ボクの前世の経験が許さなかった。

 

 戦わなければならない。

 

 ボクはひるまず、言い返した。

 

「それは父様の希望でしょう!? ボクのとは違う! ボクがどう生きるかは、ボクが決める!」

 

「生意気を言うなといっているだろう!! 登用試験をくぐり抜けて文官の仲間入りを果たせば、お前は満ち足りた人生を送れるのだぞ!? この李家の面子も保たれる!」

 

「だから!! それはあんたの希望だろうが!!」

 

 「ちょ、ちょっとシンスイッ」と姉様が焦った様子で止めてくるが、ボクは無視する。

 

「貴様ぁっ!!」

 

 父様は怒りで真っ赤になったまま立ち上がり、ボクの目の前に歩み寄ってきた。

 

 ボクも席を立ち、父様と間近で向かい合う。

 

 紅潮した目の前の顔に、睨みをきかせた。殴りたければ殴るがいい。ボクは一切退くつもりはない。

 

 互いの目の間に、不可視の火花が散る。

 

 沈黙が、居間を支配する。

 

 だが父様は突然怒りを収めたかと思うと、冷え切った眼差しでボクを見下ろしてきた。

 

「…………そんなに武法がやりたければ、お前がそれに対して本気であるという証拠を見せるがいい。『輝かしい実績』という名の証拠をな」

 

 言うと、父様は懐から一枚の紙切れを出し、手渡してきた。

 

 広げて見る。

 

 ――その紙面の一番上には『第五回黄龍賽』と大きく活版印刷がされていた。

 

「それは近いうちに始まる【黄龍賽(こうりゅうさい)】の開催告知紙だ。お前も武法士なら【黄龍賽】は知っているだろう?」

 

 ボクは黙って頷いた。

 

 【黄龍賽】とは、四年に一度帝都で行われる、大規模な武法の大会だ。

 

 多くの武法士たちが集まり、鍛えた技で覇を競う。優勝者には莫大な賞金と、数多くの猛者を退けたという名誉が与えられる。

 

 賞金も魅力的だが、武法士にとっては後者の名誉という賞品も等しく重要だ。武法士は自分の流派への帰属意識が強く、一人の名誉はそのまま流派と、そこの門人たちの名誉にもなるのだ。

 

 ボクはすぐに、父様が【黄龍賽】の事を持ち出した理由に気づく。

 

「輝かしい実績……つまり父様はボクに――【黄龍賽】で優勝してみせろ、と?」

 

「そうだ。もしお前が優勝することができたなら、お前の武法に対する姿勢が生半可なものでないと認めてやろう。そしてその後は好きなように生きるがいい。だがもし、今年の【黄龍賽】での優勝が叶わなかった場合、その時は全力で勉学に励み、文官になってもらう」

 

 父様は突き刺すような視線を向けてくる。

 

「いいな? 優勝以外は認めんぞ。何せお前はあの【雷帝(らいてい)】から英才教育を受けた人物。優勝くらいは目指してもらわねばな」

 

 ……簡単な話ではない。

 

 【黄龍賽】では、【煌国(こうこく)】全土から武法士が集まる。その中には自分なんか足元にも及ばないような達人もいるかもしれない。いや、絶対いる。

 

 そんな強者たちの集まる中、生き残らなければならないのだ。

 

 道理の分からない子供でもなければ、それがどれだけ大変なことであるか想像に難くないだろう。

 

 だが、ボクは、逃げるわけにはいかなかった。 

 

 いや、逃げたくない。

 

 ボクは父様の視線を押し返すように睨み、言い放った。

 

 

 

「――望むところです」

 

 

 

 この一言が、ボクの二度目の人生に波乱が訪れるきっかけだったのだ。

 



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門出の日

 父様の挑戦を受けてから、半月が経過した。

 

 ボクはこれまでの間、なにくそと思い修行した。父様の思い描くレールから外れるために。

 

 もちろん、修行は楽しかった。しかし一方で、楽しんでいいのだろうかと疑問を抱く自分もいた。

 

 これから始まる【黄龍賽(こうりゅうさい)】は、国中から猛者が集まる大規模な大会だ。

 ボクも自分の腕には多少自信はあるが、武法の世界は広い。もしかしたら、まだボクの知らない強力な武法を使う強敵が現れるかもしれない。

 そんなまだ見ぬ強敵と戦うための修行なのに、そんな風に楽しみを持ってしまっていいのか? もっと緊張感を持って修行すべきなんじゃないのか? そんな思いをボクはたびたび抱いた。

 

 しかし、そのたびにボクは自分を戒める。

 

 それは「修行はひたすら苦しいものだ」という固定観念が作り出した幻想だ。ボクは楽しみながら修行したことで、他人より速く実戦的強さを手に入れたんだ。ならば、これからも変わらずそのスタンスを続けるだけ。

 

 というわけで、ボクは今日の早朝も熱心に修行に励んでいた。

 

 場所はもちろんいつもの場所。【回櫻市(かいおうし)】の外れにある大樹の広場だ。

 

 今日の正午、ボクはとうとうこの町を出る。そして【黄龍賽】に参加しに行くのだ。

 

 この修行はそのための最後の追い込みだ。この場所とも、しばらくお別れとなる。

 

 なので、自分の中にある全てをここに絞り出す勢いでひたすら功を練る。

 

 果実の実る大樹の根元で、ボクは静かに立っていた。

 

 直立姿勢ではない。中腰の姿勢でだ。

 

 上半身の姿勢を真っ直ぐに整えたまま、大腿部が地面と平行になるくらいに腰を落とした姿勢。

 

 両拳を脇に引き絞り、足指でしっかりと地を掴みながら、まるで一つの山のような盤石さでその場に立ち続ける。

 

 その際、頭頂部にある経穴【百会(ひゃくえ)】に糸が付き、それによって天から吊り上げられているというイメージを忘れない。

 

 低姿勢による負荷が両膝に集中している。それによって、大腿部全体に燃えるような疲労感。

 

 

 

 ――この姿勢を、すでに十分は保っている。

 

 

 

 これは【架式(かしき)】と呼ばれる修行法だ。

 決められた一つのポーズを長時間保つことによって、脚力を鍛えると同時に、その流派に必要な姿勢を身体に染み込ませる。

 非常に苦しいが、武法においては【易骨(えきこつ)】の次に大事な修行である。中にはこの【架式】ばかりを徹底的に練習し、型である【拳套(けんとう)】を全くしない流派もあるくらいだ。

 

 ボクのこの姿勢は一見、ただ深く中腰になっているだけに見えるだろう。

 

 しかしこの姿勢の中には、【打雷把(だらいは)】における重要な身体操作が二つ存在する。

 

 そして、その身体操作こそ、【打雷把】の強大な【勁撃(けいげき)】の源なのだ。

 

 まず一つ目――脊椎の伸張。

 ボクはこの姿勢を行う時「頭頂部が天から糸で吊り上げられている」というイメージを抱き続けている。これは、意識の力で頭部を真上に押し上げ、脊椎に上向きの張力を与えるためのものだ。

 なぜそれが威力向上に繋がるのかというと、全身のバランスが良くなるからである。

 人間の体には、引力という下向きの力が常に働いている。【打雷把】では脊椎を真上に張らせることで、さらに上向きの力を体に追加する。

 これら上下の力が同時に働くと、人体は底辺の広いピラミッドのような、非常に強い安定感を得る。

 その安定感を、そのまま攻撃力に変換するのだ。

 重心が安定していれば、どれほど激しくぶつかっても自分は倒れない。相手の重さを重心の盤石さで強引に押し退け、食い込むような打撃を食らわせることができるようになる。

 

 そして二つ目――足指による大地の把握。

 両足指で地を強く掴むことで、前述した身体操作による重心の安定をさらに強固なものにし、そびえ立つ山のように大地と一体化する。

 この状態を用いて打つと、相手はまるで山に寄りかかられたような凄まじい衝撃を受ける。

 

 【打雷把】では、これら二つの身体操作を基本とし、そこへあらゆる体術を組み合わせてさらに威力を増大させる。

 結果、相手を殺してお釣りが貰えるほどの絶対的威力が手に入るというわけだ。

 特にレイフォン師匠は、一撃で相手の胴体を突き破って死なせたこともあるとのこと。

 

 ボクはさらにもう十分【架式】の姿勢をキープし続け、ようやく腰を上げた。

 

「ふぅ…………っ」

 

 額にたまった汗を手で払い、爽やかな声をもらす。

 

 重々しい枷から解き放たれた下半身が、清涼感にも似たもので満たされる。

 

 これでボクの功が、少しだがまた一つ上に上がった。この清涼感は、ゲームのレベルアップ音に等しいもののような気がして、とても心地がよい。

 

 ボクは小休止すると、額の汗を拭い、次の修行に入った。

 

 直立し、両掌を前にかざす。

 

 呼吸を整え、心を沈める。

 

 そして、ヘソから指三つ分下の部位――臍下丹田(せいかたんでん)を意識する。

 

 細く、深く呼吸をしながら、その丹田に向かって全身からエネルギーが集中するイメージを浮かべる。

 

 すると、丹田のある下腹部が、不意に熱を持った。まるで焚き火に近づけたかのような、強い熱を。

 

 さらにその熱が、前にかざした右掌へ向かって流れるイメージを浮かべる。

 

 瞬間――丹田の熱は、電流が走るような感覚とともに右掌へ移動。

 

 その掌にはしばらく熱が残留していたが、だんだん冷めていき、やがて元の体温へと戻った。

 

 ボクは呼吸を整えてから、再び同じような手順を行った。

 

 丹田をスタートに、あらゆる部位へ熱を送ることを繰り返す。

 

 頭に、脇腹に、背中に、首筋に、足に、手に、鼻に、時には両手両足同時に、丹田の熱を送る。

 

 その熱が届いた部位の皮膚や骨は、熱を帯びている間だけ――鋼鉄のように硬度が増している。

 

 

 

 これは――【気功術(きこうじゅつ)】だ。

 

 

 

 人体内部に絶えず流れる【()】というエネルギーを用いた技術。

 

 全身に張り巡らされた【経絡(けいらく)】というルートに流れる【気】を丹田に注ぎ込み、そこを起点に様々な効力を引き起こす。

 

 ちなみに今行っているのは【硬気功(こうきこう)】の修行だ。丹田に集めた気の塊を任意の部位へ送り込むことで、その部位の硬度を一時的に鋼鉄並みにする技術。剣や槍さえも、少しの間だけ通らなくなる。

 

 その他にも、【勁擊】の威力を倍加させる【炸丹(さくたん)】、周囲の【気】を感知する【聴気法(ちょうきほう)】、自身の【気】を放出する【送気法(そうきほう)】といった技術が存在する。

 

 非常に便利な技術だが、タダではない。使いすぎると全身を巡る【気】が薄くなり、ヘトヘトに疲れ果てる。食事や睡眠を取ればすぐに回復するが、戦闘時では使いどころを考えないと足元を掬われてしまう。ご利用は計画的に、だ。

 

 武法には必ず存在する技術であり、これがなければ武法ではない。

 

 というより、【気功術】は【易骨】で整えられた体でしか使えない。【易骨】によって体重の分散を止め、全身から余計な緊張を取り除いた状態になって初めて全身の【気】の流れが円滑化し、【気功術】の修行の準備ができる。

 

 武法においては、何事も【易骨】から始まるのである。

 

 ボクはしばらく【硬気功】を繰り返した後、一旦【気】の操作をやめる。

 

 【気】を出してばかりいると、すぐに疲れ果ててしまう。なので数分小休止してから再開、そしてまた小休止と、休み休み練習するのだ。

 

 しかし小休止の間、決して怠けているわけではない。

 

 目を閉じる。深呼吸を繰り返しながら、ボクを中心にドームを張るように、周囲へ意識を集中させる。

 

 小休止の間は【聴気法】の訓練を行う。これは【硬気功】などと違い、【気】を消費しないからだ。

 

 周囲にある【気】の存在を感知し、敵のいる位置を割り出すのが主な使い方だ。これが使えれば、不意打ちを受ける心配がなくなる。

 

 ボクの真後ろに大きな『存在感』が浮かび上がった。

 

 それは、大樹の持つ【気】だ。

 

 チュンチュン、と、鳥のさえずりが近づいてくる。そう思った時には、大樹の【気】の近くに小さな他の【気】が降りてくるのをすでに感じていた。おそらく、さえずりの主だろう。

 

 ……【気】を持っているのは人間だけではない。動物や虫、草木だって生き物なのだ。【気】とは、生きとし生ける物すべてが等しく持つエネルギーである。

 

 だが、それで多くの【気】がごちゃごちゃになって、人間の存在を感知しにくくなる心配はない。

 

 人が持つ【気】と、その他の生物が持つ【気】では、明らかに感じが違うのだ。

 

 どう違うのかは上手く表現できないが、とにかく『違う』とはっきり分かる。なので、周囲に飛び交う【気】の中から、人間の【気】を簡単に見つけられる。

 

 タイムリーに、この広場の端に通りかかった人間の【気】を感知。

 

 目を開けると、そこにはこの間――父様の挑戦を受けた日だ――の早朝に鉢合わせしたおばあさんがいた。のんびりとしたペースで散歩していた。

 

 ニコニコ手を振ってきたおばあさんにボクは振り返すと、【聴気法】を再開した。

 

 しばらく続けてから、再び【硬気功】の練習を開始。

 

 何度か続けた後、再度小休止して【聴気法】。

 

 そんな風に繰り返しているうちに、山の向こうから日の出が訪れた。

 

 ボクは深く息を吐き、全身を緩める。今朝の修行はもう終わりだ。

 

 【気功術】の最中は一歩も動いてはいない。にもかかわらず、全身は汗だくだった。

 

 足元も、少しおぼつかない。少々張り切り過ぎたようだ。

 

 ボクはフラフラと大樹に歩み寄って、その幹に掌底。枝葉が震えたかと思うと、果実が一つ落ちてきた。

 

 いつものようにそれを食べ終えると、ボクは大樹の幹をさすりながら、穏やかに語りかけた。

 

「おまえともしばらくお別れだね。次戻るまでに、うんと実をつけておくれよ」

 

 ――そう、自分が優勝して戻ってくるまでに。

 

 

 

 

 

 

 そして、その日の正午、ボクは予定通り荷物をまとめて【回櫻市】を出た。

 

 

 



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予選会場【挿絵有り】

 

 突然だけど、【煌国(こうこく)】の行政区分について説明しよう。

 

 この国の行政区分は主に三つ。

 一つ目は【(しょう)】。これは日本の都道府県とほぼ同じ扱いと考えていい。

 二つ目は【()】。これは大きな町を表す単位。

 三つ目は【(ごう)】。これは小さな町、もしくは村を表す。

 

 この【煌国】という国は、五つの大きな【省】の繋がりによって成り立っている。

 

 帝都のある【黄土省(こうどしょう)】を中心に、東に【青木省(せいぼくしょう)】、西に【白金省(はっきんしょう)】、南に【朱火省(しゅかしょう)】、北に【玄水省(げんすいしょう)】の四つで囲まれる形で【煌国】という国は存在する。

 

 ちなみにボクの家がある【回櫻市(かいおうし)】は、【朱火省】の北端に位置する。

 

 ボクはそこから馬車で東に進み、二日後、【滄奥市(そうおうし)】という都市にたどり着いた。

 

 ここに来た目的はもちろん――【黄龍賽(こうりゅうさい)】に出場するためだ。

 

 【黄龍賽】はいきなり本戦から始まるわけではない。帝都のある【黄土省】を除く全ての【省】で予選を行い、参加者をふるいにかけるのだ。

 一つの【省】につき四つの都市で予選の大会を行う。その優勝者計一六名が本戦出場者となる。そういう仕組みだ。

 

 つまりボクがやって来たこの【滄奥市】は、その予選が行われる都市の一つであるというわけだ。

 

 ボクはとうとう戦いの舞台に上がろうとしているわけだが、

 

「…………」

 

 現在、人が行き交う街路のど真ん中で、ぽつねんと立ち尽くしていた。

 

 正午の太陽にさんさんと照らされる町並みは、非常に活気に満ち溢れていた。

 

 人通りが半端じゃなく、壁のように軒を連ねるオリエンタルな外装の建物内部はどこも過密状態だった。

 

 色々な店があって、行きたい場所に困らなそうだ。しかしその分、どの施設を立ち寄るべきなのか選別に困るという新たな問題が浮上しそうである。

 

 というか、今のボクがまさしくそういう状態だったのだ。

 

「……なんだかボク、おのぼりさんみたい」

 

 思わず呟く。

 

 予選開始は明日。その会場もすでに把握済み。そこまではいい。

 

 だがボクは次に、今日寝食を行う宿を探さなければならなかった。

 

 予選出場が決まったら、大会運営側が用意した宿にタダで泊まれるため、予選期間中の宿代の心配は要らない。

 

 だが、今日一日の宿代は自腹となる。

 

 一応、父様から多くの予算も貰っているが、長期的に家を離れることを想定したら、決して無駄遣いはできない。なので、今日の宿代はなるべく安く済ませたいのだ。

 

 しかし、ここは【回櫻市】より都会だからなのか、宿泊費が高い所が多い。

 

 あれ? ていうか、宿代の安い高いの基準ってどうなの? 前世、転生後問わず、今まで一人で宿などとったことがないので、その辺がよく分からない。

 

 それに、なんだか立ちくらみがする。女性特有の体質のせいではない。おそらく、あまりの人通りの多さで精神的に疲れているのだろう。

 

 時々、剣とか槍で武装した兵隊さんなんかも見かける。

 

 手提げ鞄を三つ編みと一緒にぶらぶらさせつつ、とりあえず進もうとしたら、

 

「――よお姉ちゃん、ちょっといいかい?」

 

 突然、後ろから声をかけられた。

 

 振り向くと、お世辞にもガラが良いとはいえない三人の男達が、ボクを囲うように立っていた。

 

「姉ちゃんよ、困ってんなら手ぇ貸してやんぜ? どうせ【黄龍賽】予選大会の観戦にでも来たんだろうよ。なら、この町の事分かんねぇんじゃねぇか? 俺らが案内してやんよ」

 

 男の一人がニヤついた顔でそう言ってくる。その眼はどこかギラギラした輝きを秘めており、ボクの胸部から太腿までを品定めするように見てくる。

 

 居心地の悪さを感じたため、ボクは愛想よく笑みを浮かべ、

 

「いえ、大丈夫です。一人でなんとかなりそうです」

 

「そう言わずによぉ」

 

「大丈夫ですってば」

 

「まぁまぁ、とりあえず来いよ。楽しませてやんぜ? それにこの辺悪い奴多いからな。俺こう見えて武法やってっからよ、守ってやれるぜ」

 

 言うや、男の一人がボクの腕を掴んで、そのまま引き寄せようとした。

 

「――あれ?」

 

 だが、引っ張ってきた男が拍子抜けした声をもらす。ボクが少しもその場から動かなかったからだ。

 

「うっ! くそっ! このーっ!」

 

 男は諦めず、なおも引っ張ろうとする。

 

 しかし、ボクの体は未だ根を張ったように動かない。

 

「くそっ! 全く動かねぇ! なんだこの女、途轍もなく重いぞ!?」

 

 男はボクの腕から手を離すと、怪物でも見るような目で見てきた。

 

 動かないのは当然だ。足指で地面を掴み、体をその場に固定していたのだから。【架式(かしき)】で鍛えたボクの足指の力にかかれば造作もないことである。

 

「……ちっ。行くぞ」

 

 興が削がれたのか、男達はそそくさと立ち去った。

 

 男達の姿が消えた後、ボクは一人ため息をついた。

 

「はぁ……男にナンパされるとか、なんの罰ゲームだよ……」

 

 これでもう何回目だろう。

 

 この町に入ってから、こうやって何度もナンパされ続けているのだ。そのたびに今のように袖にしているが。

 

 今のようなチンピラじみた相手がほとんどだったが、中にはかなりかっこいい人もいた。しかし、それでも心傾くことは一瞬たりともなかった。だって心はまだ男の子だもん。

 

 声をかけてくる人の武法士率はかなり高かった。この町ではどうやら、武法が盛んに行われているらしい。

 

 武法士は豪放磊落、かつ義気に厚い者たちの集まりというイメージが昔はあった。だって小説の中で出てくるテンプレートな武道家って大体そんな感じだし。

 

 しかし実際はそうでもない。もちろんマトモな人だってたくさんいるが、それとタメを張るレベルで、先ほどのようなチンピラじみた連中も多い。中には、ヤクザと癒着している流派もあるくらいだ。

 

「はぁ……」

 

 気が滅入る思いだったので、暇つぶしにちょっとした修行をすることにした。歩きながらでも出来るお手軽な、しかしそれでいて効果の高い修行法を。

 

 ボクは道行く人の邪魔にならないよう、いったん道の端っこに移動した。

 

 鞄をまさぐって、あるモノを取り出す。

 

 それは、一つの(まり)だった。

 

 ボクはそれを軽く宙に投げる。そして自由落下してきた鞠を、足で宙へ蹴り戻した。

 

 再び鞠が落ちてくる。それに軽く膝を当ててまた飛ばす。

 

 リフティングよろしく蹴鞠しながら、町中を歩く。

 

 他の人たちはそんなボクを奇異の目で見ていたが、ボクは奇行を行っているつもりは一切ない。至極真面目だった。

 

 これは【養霊球(ようれいきゅう)】という修行法だ。

 

 鞠を地面に落とさぬよう、リフティングのように何度も蹴って上げ続けることで、足の器用さを養う。

 

 足が器用になれば、武法特有の複雑な足さばきも抵抗無く行えるようになる。

 

 【打雷把(だらいは)】は絶対的威力ともう一つ、絶対的命中率を重んじる武法だ。そしてその絶対命中を可能にするには、足さばきが重要である。

 

 精密かつ迅速な足さばきを用いて相手の攻撃をかいくぐり、リーチ内に潜り込み、強烈な一撃を叩き込む――【打雷把】ではそういった戦法を頻繁に用いる。小柄でリーチの短いボクには特に重要だ。

 

 この修行法は【刮脚(かっきゃく)】という武法で行われている修行を、レイフォン師匠が取り入れたものだ。

 

 【刮脚】とは、蹴り主体の武法。巧妙かつ威力の高い蹴り技を多用することで有名だ。

 

 そういった武法の性質上、【刮脚】では足の器用さが重要視される。そのための【養霊球】だ。レイフォン師匠はその修行法を「使える」と感じ、自身の【打雷把】に組み込んだのだ。

 

 鞠を何度も蹴上げながら、街路を歩くボク。

 

 先ほどまで立っているだけで疲れが溜まる一方だったが、修行を続けているうちに気分が良くなっていった。

 

(もはやこれ、一種の病気だよなぁ)

 

 武法が関わると、どんなにストレスが溜まる状況でも気分が良くなる。ボクは自分のそんなゲンキンな体質に、思わず苦笑する。

 

 それにしても、この町は人が多い。

 

 栄えていることは確かだろうが、それを含めても過密っぷりがすごい。

 

 おそらく予選参加希望者と予選大会の観戦者が、外部から大勢やってきているからだろう。

 

 ちなみに【黄龍賽】は、商売をする人たちにとってはありがたい行事なのだ。

 

 本戦の開催場所は毎年帝都に固定されているが、予選は開催される町が毎年変更される。

 

 その理由は、他の町からやって来る人々がもたらす経済効果にある。

 

 予選大会が開催される町には、参加希望者や、大会を観戦したい人々が押し寄せて来ることになる。そうしてやって来た人たちがお金を使うことで、その町の経済を潤してくれるのだ。

 

 第一回【黄龍賽】でそれに気がついた政府は、予選の開催場所を毎年変えるようになった。一つの町に絞り込んで他をおろそかにするのではなく、ちょくちょく町を変えてまんべんなく経済に油を差すために。

 

 確かに、飯店や軽食屋の接客をしている人はかなり積極的だった。少しでも多くのお客さんを捕まえてやろうというパワフルさが目を見て分かる。

 

 食べ物屋を見ていたせいか、お腹が鳴った。

 

 そういえば正午の少し前に馬車を降りて以来、何も食べていなかった。思い出したように空腹感がお腹に宿る。

 

 いくら修行でも、空腹までは満たせない。

 

 とりあえず、どこかで食事にしよう。腹が減ってはなんとやらだ。

 

 そう考えた時だった。

 

 

 

「ねぇ? それって【養霊球】じゃない?」

 

 

 

 後ろから突然、そんな声がかかった。

 

 またナンパか……ウンザリした気持ちを抱きながら背後を振り返る。

 

 だが、そこに立っていたのは女の子。

 

 長身で、大人びた雰囲気を放つ美女だった。

 毛の末端あたりにウエーブがかかった長い髪をポニーテールに束ねており、デキる大人の女性をイメージさせる凛々しい顔立ちをしている。しかしどことなく少女としての面影を残しているため、歳はそれほど離れていないことが分かる。

 身長は目算で167厘米(りんまい)——この世界での「cm(センチメートル)」的な単位——といったところか。154厘米(りんまい)のボクより一回り高い。抜群のプロポーションを誇り、砂時計のような腰のライン、大きくも強い張りと美しい形を持つ胸部と臀部の存在が、瑠璃色の旗袍風のドレスの上からでも容易に見てとれる。……特に胸が凄い。大きさ的な意味で。

 スリットからは、細く、それでいて健康的な美脚が伸びている。

 

 ボクは鞠を蹴るのをやめると、少し驚いた目でその女の子を見つめ、

 

「この修行法の事を知ってるの?」

 

「知ってるも何も、私もその修行やってるもの」

 

 女の子は友好的な笑みを見せると「ちょっと貸して」と、ボクの足元の鞠を指差してきた。

 

 ボクはとりあえず鞠を蹴って寄越した。

 

 するとどうだろう。彼女は飛んできた鞠を足で受け取るや、それを華麗に宙で操ってみせたのだ。

 

「おおっ!」

 

 ボクは思わず感嘆の声を上げる。

 

 有名サーカス団仕込みの曲芸を見ている気分だった。

 

 鞠はまるで意思を持っているかのように、活き活きと彼女の周りを跳ね回っている。無生物である鞠に生物感を感じてしまうほどに、彼女のボール運びは神がかっていた。

 

 鞠の飛ぶ速度も速い。しかし彼女は一度もつっかかることも、体勢を崩すこともなく、まるで自分の体の一部のように鞠を操り続ける。

 

 何より、両足を使って蹴っているボクと違い、彼女は片足しか使っていない。その上で、ボクよりも美しく演じてみせている。

 

 【養霊球】は、別に見た目の美しさを競い合うためのものではない。しかし、彼女の足の技巧が類い稀なものであることを知るのには十分な判断材料だった。

 

 しばらくすると、彼女は落ちてきた鞠を手でキャッチする。

 

「【養霊球】はただ継続して蹴り続けるだけじゃなくて、蹴る力の強弱、足の当たる角度なんかで鞠の軌道を操るって意識を持ってやれば、さらに効果的に足の器用さが鍛えられるわよ」

 

 その言葉を紡いだ声音は、まるで妹を気遣うような面倒見の良さを感じさせる、落ち着いた響きを持っていた。

 

 ボクは目を宝石のように輝かせ、

 

「す、すごいよ!ボクよりずっと上手い!芸術的だよ!」

 

「そうかしら……そこまで言われると、ちょっと照れるわね」

 

 彼女は先端にウェーブのかかった長いもみあげをくるくる弄りながら、恥ずかしそうにはにかむ。大人びた顔立ちだが、笑う顔はとても可愛かった。

 

「それに、足技は私の専門だしね」

 

「専門……?」

 

「ええ。私の武法は【刮脚】だもの」

 

 開いた口が塞がらなかった。

 

 まさか【刮脚】のことを考えた直後にその使い手と出会えるなんて! タイムリーにも程があるだろう!

 

 つくづく、ボクは幸運だ。

 

 驚きと同時に、ワクワクのような気持ちが湧き上がってきた。

 

「【刮脚】っていうと「足を手と為し、一蹴りで肉を削ぎ落とす」っていうのが謳い文句の、蹴り技主体の武法だよね!? 創始者は岳河剣(ユエ・ホージェン)! ホージェンさんは【太極炮捶(たいきょくほうすい)】を二十年学んだ後、【太極炮捶】に含まれる蹴り技をベースに創意工夫を加えて【刮脚】を創始した! 最初に伝えられた場所は【青木省】の【三宋郷(さんそうごう)】っていう小さな村! そこからさらに【刮脚】は、高い蹴りを多用する【武勢式(ぶせいしき)】と、低い蹴りを多用する【文勢式(ぶんせいしき)】の二つのスタイルに枝分かれする! でも【武勢式】と【文勢式】の人たちはお互いに「自分たちのスタイルこそ【刮脚】の本質を追求したもの」と誇りを持ってて、もう片方を【刮脚】とは認めていない。でもボクとしてはどっちも素晴らしいスタイルだと思うんだ! だって【武勢式】の蹴りはダイナミックで威力に富んでるし、【文勢式】にはトリッキーな足払いが多いし! ああ、でも、この二つの特徴が合わさって一つになれば、もっと凄い武法になるとは思わないかな!? 創始者のホージェンさんの伝えていた古いタイプの【刮脚】が、バランス的には一番だよね! あれには【武勢式】と【文勢式】の要素がほどよく配分されてるから――」

 

「こらこら落ち着きなさい」

 

「あぅあっ」

 

 指で額を小突かれ、言いつのるのを止められる。

 

 いけないいけない、武法の事となるとテンションが上がりまくってしまう、ボクの悪いクセ。

 

 しかし彼女は気を悪くするどころか、口元に手を当てて愉快そうに笑っていた。

 

「ふふふっ、面白い子ね、あなた」

 

 彼女はそう言うと、

 

「自己紹介がまだだったわね。私は宮莱莱(ゴン・ライライ)。【黄龍賽】予選に参加するためにここへやってきたの。よろしくね」

 

 気さくに笑みを浮かべながら、手を差し出してきた。

 

 ボクは手汗を赤いワイドパンツで拭うと、おずおず彼女の手を握った。ボクより少し大きい。その上ひんやりすべすべしてて触り心地がいい。

 

「ボクは李星穂(リー・シンスイ)。【打雷把】っていう武法やってます。よ、よろしく」

 

 やや緊張しながら、ボクも自己紹介をしたのだった。

 




2017.10/3.大恵氏からファンアートを頂きました!
絵は、この話で初登場の宮莱莱(ゴン・ライライ)です!


【挿絵表示】

( ゜∀゜)o彡°


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謝るんだ

 

「へぇー、ライライはお父さんから武法を教わったんだー」

 

 ボクは人混みの多い正午の街路を、先ほど知り合った女の子――ライライと隣り合わせで歩いていた。

 

 その最中、会話に花を咲かせた。主な話題は武法の事。我ながら本当好きだなと呆れる思いだった。

 

 しかしライライはウザがったりはせず、小さく笑みを浮かべながら答えてくれる。彼女は姉様と同じ一七歳らしいが、その仕草はやっぱり十歳以上歳が離れたオトナの女性を思わせる。というか、姉様よりずっと大人だった。

 

「ええ。私のご先祖様は岳河剣(ユエ・ホージェン)の弟子だったの。そしてホージェンから教わった【刮脚(かっきゃく)】を、私たち(ゴン)家は家族の中で代々伝承してきたのよ」

 

「ってことは……今じゃ珍しい、一番古いタイプの【刮脚】ってことになるじゃないか! 【武勢式(ぶせいしき)】と【文勢式(ぶんせいしき)】のいいとこ取りの!」

 

「そうなるわね。私たちはホージェンから教わったものに、全く改良やアレンジを加えたことがないもの」

 

 ボクは興奮度をさらに強めて、ライライに詰め寄った。

 

「ねぇねぇライライ、良かったら少し見せてくれないかな!? 古流の【刮脚】は流石のボクでも見たことがないんだ!」

 

「うーん、残念だけどお断りさせていただくわ」

 

「えぇー!? そんなぁ!」

 

 興奮が一転、落胆モードとなるボク。

 

 そんなボクを見て、ライライは可笑しそうに笑いながら、

 

「シンスイって、本当に武法が好きなのね。嘘よ嘘。そのうち見せてあげるわよ」

 

「ホントに? 約束する?」

 

「うん、約束するわ。というより、約束するまでもないんじゃないかしら? シンスイも予選に出るんでしょう? なら、そのうち私の戦いぶりを見る機会があるでしょうし」

 

 それもそっか、とボクは同意する。

 

 それからボクは、ライライから比較的安めな宿を紹介してもらい、そこで宿泊手続きをした。ライライもその宿に泊まる予定とのこと。

 

 重たかった荷物を自分の部屋に置いた後、ライライとともに町中をぶらついた。予選は明日から。なら、今日は観光でもしようと思ったのだ。

 

 まず最初にしたかったのは、腹ごしらえだった。ライライもそれは同じだったようで、ボクらは露店で包子(パオズ)――中華まんのことだ――を買って食べた。

 

 肉入りであることを知って買ったわけだが、かぶりついた瞬間驚いた。なんと肉と一緒にスープが入っていたのだ。肉汁とスープがうまい具合にマッチしていてとても美味しく、ボクらはすぐにお腹に収めてしまった。

 

 次に、女物専門の服屋へ入った。

 

 さすが中華風異世界。ライライが着ているような旗袍風の服装がたくさん並んでいた。

 

 ライライは面白半分にとびきりセクシーな服装を勧めてきたが、ボクは頰を赤くしながらかぶりを振った。

 

 ちなみにこの世界、ご丁寧にブラジャーやパンティがあるのだ。

 

 ライライが気に入った服を試着中、その大きな胸のせいで着用していたブラジャーの留め具が壊れるというアクシデントが発生。急遽、新しいブラ探しをするハメになったが、彼女の胸に合うものがなかなか見つからず、大変な作業だった。……ボクがライライの素肌を直視できないせいで、サイズチェックに時間がかかったのも一因だが。

 

 途中で病院なんかも見かけた。

 

 前世とは打って変わって病気知らずだったボクは、そこに出入りする人たちを他人事のように眺めていた。前世では考えられなかったことである。

 

 店は開けっぴろげになっており、中の様子が少し見えた。

 

 お医者さんは、腰の悪そうなおばあさんをうつ伏せに寝かせる。そして、おばあさんの腰辺りに手を添えた。

 

 瞬間、お医者さんの手から――電気のようなものが漏れ出した。

 

 おばあさんの腰と、お医者さんの手の間で、青白いスパークが幾度も発生しているのが見える。まるで溶接してるみたいだ。

 

 ボクにはその電気のようなものの正体が分かっていた。

 

 あれは、お医者さんの体から放出された【()】だ。

 

 ――【気功術(きこうじゅつ)】は、医療にも応用が可能なのである。

 

 【気】の力を使って患者の体に干渉し、自然治癒力を刺激して回復力や回復速度を飛躍的に高めたり、感覚を一時的に麻痺させて麻酔と同じ効果を引き起こしたりすることができる。

 

 しかし、言うほど簡単ではない。

 

 人間の【気】には、指紋や声紋のように個人個人で形が異なる【波形(はけい)】が存在する。

 

 そしてその【波形】は、形の異なる別の【波形】が近づくと、互いに反発し合う性質がある。

 

 なので【気】の力で人間の体に干渉するには、患者の持つ【波形】を読んだ上で、自身の【波形】を一時的に患者のソレに似せてから【気】を流し込む必要がある。ラジオの周波数を合わせるように。

 

 どれも【気功術】としては高等技術であるため、ここまでできるようになるまで結構な時間が要る。

 

 そしてこの【煌国(こうこく)】の医師は、その気功治療法を必修スキルとしている。

 

 もちろん、武法を抜きにして【気功術】のみを覚えることもできる。だが多くの医師は、ついでとばかりに武法も兼修する傾向がある。武法も【気功術】も、ともに【易骨(えきこつ)】というスタートラインから始まるのだから。

 

 ……さらにこれは余談だが、【気】とは電気的性質を持ったエネルギーだ。そのため、塵が煙のように充満した空間で【気功術】を使うと、【気】が引火して粉塵爆発を起こす危険性がある。実際それで焼死した武法士も何人かいる。なので、そういった空間では【気功術】を使ってはいけないのだ。

 

 それ以降も、ライライとともに色々と見て回った。

 

 しばらくして、ポケットから機械式の懐中時計を取り出す。時刻はすでに午後三時を過ぎていた。そこまで時間が経っていたとは思わなかった。楽しい時間は過ぎるのが速い。

 

 ガチャガチャと金属の弾む音が、ボクの傍らを通り過ぎる。

 

「……んっ?」

 

 思わず、後ろを振り向いた。

 

 鎧や槍で武装した人たちの後ろ姿。【煌国】の正規兵だった。

 

 そういえば、さっきも兵隊を見たような……?

 

「ねぇライライ、あの兵隊……」

 

 どうしてこの町をうろついてるの? という言葉の続きを察したのか、ライライはボリュームを下げた声で、

 

「きっと、皇女殿下が宮廷から失踪されたから、探してるんだと思うわ。あなたと会う前、チラッと耳にしたもの」

 

「え、ええ!? 失そ――むぐっ」

 

 驚愕の声を上げようとしたボクの口を、ライライが慌てて塞ぐ。

 

「おバカっ。声が大きいわよ。あんまり騒いでいいことでもないでしょう?」

 

「ご、ごめん。でも、それってマズくない?」

 

「ええ、マズいわね。皇族がそこら辺ほっつき歩いてるなんて、非常識にも程があるもの。皇女殿下は前も何度か宮廷を脱走したことがあるらしいけど……まだ懲りてないのかしら」

 

「そ、そうなんだ……なかなかパワフルなお姫様だね」

 

「良く言えばね」

 

 ライライは苦笑まじりに同意する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 人通りの多い町の熱気から体を冷ますため、ボクたちは今までいた商業区を一度離れて、【武館区(ぶかんく)】という場所へとやってきた。

 

 この【滄奥市(そうおうし)】は上から見ると正方形をしており、半分が商業区、もう半分が住宅区、そしてそれらの間をとった円いスペースが公共区となっている。

 

 住宅区の中には、さらに【武館区】と呼ばれる場所が存在する。

 

 武館とは、武法を教える道場のことだ。つまり【武館区】とは、その武館が数多く集まっている場所の俗称である。

 

 こういった場所は、どの町にも必ずといっていいほど存在する。

 

 そしてそこには、武法士ではない普通の人はほとんど立ち入らない。理由は簡単。怖いからだ。

 

 なので当然ながら、ここは商業区に比べて人通りに乏しい。

 

 しかし、落ち着いて休憩したい今のボクたちにとっては絶好の場所だった。

 

 ボクとライライは道の行き止まりにある井戸の前で、つるべに汲んだ水を備え付けの柄杓ですくって飲んでいた。

 

 歩き回ったせいで熱を持った体を、ひんやりとした井戸水が冷ましていく。

 

「ふうー、生き返るー」

 

「そうね。ずっと歩きっぱなしだったものね」

 

 そんな風に軽く話しながら、ボクらは口とつるべの間で柄杓を往復させる。

 

 先ほどの動き回りっぷりとは一転した、まったりとした時間が流れる。

 

 本当に自分の武法士生命を賭けた戦いに来たのかと、疑いたくなる。それくらいリラックスしていた。

 

 不意に、リズミカルな掛け声と足踏み音が、近くの建物の中から聞こえて来た。

 

 ここは武館の集まる武館区。つまり十中八九、武法の練習をしている声。

 

「何かやってるよっ? 何かな、何かな?」

 

「シンスイ、一応釘を刺しておくけど、練習を覗こうなんて考えちゃダメよ? それは武法士社会の中では最大のタブーなんだから」

 

「うー、分かってるよ」

 

 そうなのだ。

 

 武館の修行をこっそり盗み見る行為は【盗武(とうぶ)】と呼ばれ、武法士相手に一番やってはいけないことの一つだ。

 

 ボクのように気にしない者もいるが、ほとんどの者はそうではない。報酬を払ったわけでも、師と信頼関係を構築したわけでもない者に流派の伝承を盗まれることが我慢ならないのだ。間違った伝承を流布されるかもしれないという懸念ゆえでもあるが。

 

 ペナルティーは良くて袋叩き。過激な流派では、手を斬り落とされることもあり得る。盗み見て得た武法を使えぬように。

 

 いくらボクが武法バカでも、そこまでチャレンジャーではない。分別はわきまえているつもりだ。

 

 だが、練習する掛け声の中に、呻き声やダミ声のようなものが混じって聞こえてきた。

 

「え……?」

 

 ボクは柄杓を元の場所に戻し、呻きの聞こえる方向までゆっくりと近づく。

 

 ライライも柄杓を置き、ボクの後ろについてくる。彼女にも聞こえるようだ。

 

 先ほどまでいた脇道から大通りに出る。呻きがするのはもう一つ前の脇道からだ。ボクとライライはそこへ入る。

 

 薄暗い道が、目の前に真っ直ぐ伸びている。

 

「テメー、調子こいてんじゃねーぞボケ!!」

 

「うぐっ!」

 

 奥から具体的な発音を持った罵声が呻きとともに飛んできたため――なんと、女の声だった――、ボクは思わずビクッとする。

 

 しかし、ますます気になったため、奥へ進む足を速める。

 

 やがて、その騒ぎの元が、視界の中で大きくなった。

 

 レンガ造りの建物の側で胎児のように横たわる、一人の青年。その服はシワだらけな上、土があちこちに付着してボロボロだった。

 

 そして、彼がボロボロである理由は簡単に分かった。四人組が――現在進行形で彼を足蹴にしていたからだ。

 

 四人中三人は、ガタイの良い強面の男。そして残り一人は、ボクと比較的歳が近いであろう浅黒い肌の女の子だった。

 

 長い髪をサイドテールにしたその少女は、美少女と呼んでもおかしくない容貌だった。しかしその目つきは鋭く、剣呑な雰囲気を周囲へハリネズミのように発している。

 身長はボクより少し高い程度。だがスタイルはほぼ同じ。そのスレンダーな体を、桔梗色の半袖カットソーと、うっすら竜の刺繍が入った黒のショートパンツが包み込んでいた。二の腕や太腿から先を積極的に露出させた、活発さをアピールするかのごとき着こなし。

 

 その女の子と、傍らにいる三人は、ボロボロになった青年を執拗に蹴り続けている。

 

 青年は蚊の鳴くような声で、

 

「うっ……ぐふっ……や、やめろ、もう許してくれ……」

 

「ざけんな! まだだ! もうウチらにケチつける気がなくなるくらい、ボッコにしてやんよ!」

 

 少女は乱暴に言い捨て、蹴る勢いを強めた。

 

 それに便乗するように、三人の男も蹴りを強くする。どうやらあの女の子が、彼らの主導権を握っているようだ。

 

 いずれにせよ、このまま見ているわけにはいかない。

 

「――もうやめてあげなよ」

 

 ボクは彼らの元へ歩み寄ると、語気を強めてそう言った。

 

 四人と一人はボクら二人の方へ一斉に振り向く。

 

「るせーな! こっちにゃ事情があんだ! 目障りだから引っ込んでろよ三つ編み!」

 

 早速、女の子が噛み付いてきた。

 

 ライライは胸の前で腕を組むと、嘆息したような口調で、

 

「とは言ってもね、そんな風に白昼堂々リンチ行為をされたら、誰だって気になるでしょう? 関わって欲しくないのなら、自分たちが場所を考えるべきでなくて?」

 

「はぁ? なんだよお前、偉そうに。アタシの師父にでもなったつもりかよ? お前もその三つ編み共々大人しくしてろ、デカパイ女」

 

「デカッ……!?」

 

 女の子から言葉を浴びせられた瞬間、ライライは信じられないといった表情で硬直した。

 

 ……ライライは怒っているというより、ショックを受けているように見えた。

 

「ほらっ、さっさと散れ散れっ。これはアタシらの流派の問題なんだ。お前らもここにいるってことは武法士なんだろうから、分かんだろ? 別の流派の事情に口挟むんじゃねーよ」

 

 女の子は猫を追い払うような手振りをしながら、億劫そうに告げる。

 

 うーん……聞き方がちょっと上から目線過ぎたかな。

 

 なら、もう少し下手に出てみよう。

 

「えっと……ごめんね? いきなり偉そうに言っちゃって。なんとなく気になっちゃったんだ。もし良かったらでいいから、どういう事情でこうなっちゃったのか、詳しく聞かせて欲しいんだ。もしかしたら、なんか力になれるかもしれないし。ね? いいでしょ? お願いします」

 

 拝むように両手を合わせ、ボクは頭を下げた。我ながら、かなりへりくだった態度だ。

 

 それが功を奏したのか、女の子は居心地が悪そうな態度を見せ、レンガ家の根元に転がる青年を顎で示した。

 

「……言っとくけどな三つ編み女、元々の火種はそこのバカだからな?」

 

「そうなの?」

 

「ああ。このカス野郎、酒の席でアタシらの【九十八式連環把(きゅうじゅうはちしきれんかんは)】を貶してやがったんだよ」

 

 女の子の言葉に、三人の強面たちも首肯した。

 

 【九十八式連環把】――全部で九八ある技を好きな順番で数珠繋ぎし、絶え間無い連続攻撃を繰り出す事を主体とした武法のことだ。

 

 具体的な武法の概要はひとまず置いておいて、ボクは事情の追求を続けた。

 

「えっと、だからこうやって集団でボッコボコにしたの?」

 

「そうだよ。引きずり込んでボコボコの刑だ。なんか文句あっか、え? 三つ編み女」

 

「いや――無いよ」

 

「はっ?」

 

 間伐入れずに肯定したボクに対し、女の子は毒気を抜かれたような顔をする。

 

 ボクは続ける。

 

「リンチは褒められたことじゃないけど、君たちが怒るのには頷ける。自分が好きだったり、誇りに思っているものを侮辱されたら、怒ってもいいと思う」

 

 ボクだって、武法をくだらないもののように言った父様に反感を覚えた。なので、この女の子の気持ちは理解できる。

 

 なら、この場で最善の解決策は一つだけだ。もちろん、それはリンチではない。

 

 ボクはボロボロになった青年へ視線を移すと、

 

「ねぇ、そこのあなた」

 

「……な、なんだよ……」

 

「謝るんだ」

 

「え……? い、今までも散々謝ったんだけど……」

 

「あと一回でいい。その一回に誠心誠意を込めるんだ。何て言って貶したのかは知らないけど、彼女の誇るものをバカにするような発言を少しでもしたのなら、あなたは心を込めて謝らないといけない」

 

 さあ、とボクは彼を促す。

 

 青年はしばらくジッとしていたが、やがてゆっくりと立ち上がった。

 

 そして、女の子と三人の強面を正面から見据えると、

 

「――すみませんでした」

 

 深々と頭を下げ、謝罪の言葉をはっきり告げた。

 

 腰を九十度曲げ、言葉にもきちんとした意思がこもっている。ナアナアな感じは一切感じない。

 

 しかし、女の子は聞く耳持たなかった。

 

「謝りゃ済むと思ってんじゃねーぞっ!!」

 

 そう怒号を上げるや、片足を勢いよく蹴り上げた。

 

 女の子の蹴り足が風を切りながら急上昇。

 

 そのままお辞儀を続けている青年の腹に突き刺さる――前に、ボクが片手でその足首を受け止めた。強い衝撃が手根に響く。

 

 女の子はボクを射殺すように睨めつけ、

 

「テメェ……!!」

 

「――やめるんだ。もう彼は誠心誠意謝った。これ以上の暴力はボクが許さない」

 

 そう言って、蹴り足から手を離す。

 

 女の子は数歩退くと、あからさまな構えを取った。体の中心線を守りつつ攻防を行うことに特化した、実戦向きの構え。

 

 ボクはそんな彼女に質問を投げかけた。

 

「ねぇ君、明日の【黄龍賽(こうりゅうさい)】の予選には出るの?」

 

「出るよ! それがどうしたってんだ!?」

 

「出るなら、ここで事を構えるのは良くないと思う。武法士は体が資本だ。ここで生傷を作ると、明日に響くんじゃないかな」

 

 そんなボクの意見に一理あると思ったのか、女の子は決まりが悪そうな顔をする。

 

 しばし逡巡を繰り返すと、はっきり聞こえる舌打ちをして構えを解いた。

 

 そして、強面三人を引き連れ、こちらへ歩いてくる。

 

 女の子はボクの隣まで来ると、訊いてきた。

 

「……おい、三つ編み。お前も明日の予選には出るつもりか?」

 

 ボクは頷く。

 

 女の子はそれを確認すると、

 

「……アタシは孫珊喜(スン・シャンシー)。お前は?」

 

李星穂(リー・シンスイ)

 

「リー、シン、スイ……よし。名前は覚えたぞ。明日になったら覚悟しとけ。今度こそぶっ潰すからな」

 

 そう言い残して、女の子――シャンシーたちは去っていった。

 

 その場に残されたのは、ボクとライライ、そして青年。

 

「……ライライ?」

 

 ふと、ライライの様子がおかしいことに気づく。

 

 レンガの家の壁に寄りかかりながら、がっくりとこうべを垂れていた。明らかに何かに落ち込んでいる様子。

 

 思い当たる点を見つけたボクは、ライライに尋ねた。

 

「あの……もしかして、さっきあの子が言ってたこと気にしてるの? その…………デカ……」

 

「……コンプレックスなのよ……」

 

 ……意外と繊細な性格なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 ――こうして、その日の観光は幕を閉じた。

 



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試験開始!

翌日になった。

 

 自室のよりも一際硬い安宿のベッドから目を覚ましたボクは、身じたくを整え、ライライとともに町の中心へと向かった。

 

 この【滄奥市(そうおうし)】の中心には『公共区』という場所が設けられている。

 イタリアのコロッセオにも似た形の『競技場』を中心に、遊び場兼緊急避難場所である『中央広場』、重要な連絡事項を伝えるための掲示板など、公共利用のための施設が多数を占めている。

 

 ボクら二人はその『公共区』にある、『中央広場』へとやってきた。

 

 石畳が整然と広がっており、いくつか広葉樹や灌木が植わっている。広場の中央辺りには石製の日時計があり、現在の時間である九時を表していた。

 

「……うわぁ」

 

「すごいわね……」

 

 その『中央広場』に広がる光景を目にしたボクとライライは、思わず声をもらす。

 

 フットボールの試合ができて余りあるであろうその広場は今、大勢の人でごった返していた。

 

 全員、背筋に棒でも入れているかのように姿勢が良く、なおかつ一歩一歩が地面に吸い付くような重心の安定感が見られる。彼らは間違えようもなく武法士だった。

 

 別に並んでいるわけではないようなので、人混みの間を縫うようにして先頭へと到達する。

 

 そこには、広い木製の壇があった。その近くでは慌ただしく動き回る役人風の人たちと、大きな銅鑼(ドラ)、そして『第五回黄龍賽滄奥市予選大会会場』と書かれた縦長の旗が立てられていた。

 

 そう――ここが【黄龍賽(こうりゅうさい)】予選が開始される場所なのである。

 

 この『中央広場』の少し先には『競技場』が見える。【黄龍賽】本戦出場者を決める戦いは、あの中で行われるのだ。

 

 しかし、これだけの大人数を一人一人戦わせていては、いつまで経っても終わらない。なので予選ではまず最初に『試験』を行い、出場者をふるいにかけなければならない。

 

 そしてこれから始まるのは、まさにその『試験』だ。

 

 ボクは『第五回黄龍賽滄奥市予選大会会場』と書かれた旗へ目を向ける。これを見れば一発で「ここだ」と分かるはずだ。

 

 【煌国(こうこく)】の識字率はかなり高い。

 

 その理由は、この国のあらゆる町にある【民念堂(みんねんどう)】という民営教育施設の存在にあるといえる。

 

 【民念堂】は、庶民の手が届く程度の学費で読み書きや計算を習ったりできる、日本の寺子屋のようなものである。

 

 裕福な人たちしか教育を受けられなかった昔の時代、有志によって【煌国】各地に建てられた。この【民念堂】の登場で、庶民でも必要最低限の教養は身につけられるようになったのだ。

 

 ちなみに【民念堂】の教師をしているのは、難関である文官登用試験を諦めた者が多い。そのため【民念堂】は、多くの文官から「落伍者の受け皿」と見下されている。

 

 ボクはこれを初めて聞いた時、改めて文官になどなりたくないと思ったものだ。

 

 それを思い出した途端、やる気が湧いた。絶対にこの予選を勝ち抜いて、本戦への切符を手に入れてやる。そして本戦でも優勝し、文官至上主義者の父様をギャフンと言わせてやるんだ。

 

「ライライ」

 

「なに、シンスイ?」

 

「……負けないからね」

 

「……ええ。私もベストを尽くさせてもらうわ。どういう結果になっても恨みっこ無しよ」

 

 不敵に笑みを浮かべ合う。ボクたちはもう友達だが、それとこれとは話が別だ。ボクには譲れないものがある。やるからには全力だ。

 

 しばらくすると、役人の一人によって――壇の横にあるドラが盛大に鳴らされた。

 

 ざわめいていた武法士たちは、ぴたりと静まる。

 

 そして壇上に、カゴを片手に持った役人の男性が上がって来た。

 

「――これより、第五回【黄龍賽】予選大会を開始します!」

 

 彼の言葉が響いた瞬間、場の空気が引き締まった。

 

 かくいうボクも、背筋がピリリとする思いだった。

 

 固唾を呑んで、進行役であろう彼の言葉に耳を傾け続ける。

 

「ご存知である方もいらっしゃるでしょうが、【黄龍賽】予選大会は本戦と同じく、一六名の選手の方々に競い合っていただきます。なのでまず最初に、皆様の中から参加選手一六名の選出するべく、『試験』を行わなければなりません」

 

 来た、とボクは思った。

 

 何度も言うが、【黄龍賽】の予選大会を行うためには、最初にこの大勢の中から出場者を選抜しなければならないのだ。

 

 そしてこれから、そのための『試験』が行われる。

 

 『試験』の方法は毎年違う上、ギリギリまで一切詳細は明かされない。事前に知らせておくと不正行為を働かれる可能性があるからだ。

 

 今から、その『試験』の具体的な方法が明かされる。

 

 ボクはドキドキと胸を高鳴らせた。

 

 すると、進行役の役人は持っていたカゴを大きくスイングさせ――入っていた中身をこちら側へぶちまけてきた。

 

 カゴから出てきたのは、全部で一六個の『鈴』。

 

 握りこぶしほどの大きさの『鈴』が虚空を舞い、武法士の人混みのあちこちへと落ちた。

 

 ――ボクらの位置にも。

 

「うわっ?」

 

「あら?」

 

 ボクとライライは、落ちてきた『鈴』を思わずキャッチする。

 

 その『鈴』を振ると、シャララン、と、ガムランボールを連想させる美しい音色が鳴った。特徴的な音だ。

 

 一体こんなものを投げて、どういうつもりなのか。

 

 そう考えた瞬間、あるものが目についた。

 

 『鈴』には、大きな太陽とその下に広がる町を抽象的に描いたような意匠が刻印されていた。

 

 ――【煌国】の国旗と同じマークである。

 

 そして、投げられた『鈴』の数は合計一六個。

 

 ……まさか。

 

「それらの『鈴』の数は全部で一六個。これは、予選大会に参加する選手と同じ数です。今から皆様には――その『鈴』を奪い合っていただきます。それが今年の『試験』の内容です」

 

 進行役は、ボクの思い浮かべた予想と寸分たがわぬ事を口にした。

 

「かすめ取るも良し、腕ずくで奪うも良し、手段は問いません。日没になったら、我々がこの『公共区』にある鐘を鳴らします。それが『試験』終了の合図です。その後一時間以内に、『鈴』を持ってこの場所へ戻ってきてください。それができた方を合格とし、予選大会への参加資格を与えます」

 

 淡々と、それでいてはっきりとした声で述べられるルール。

 

 色々と述べられたが、ようはこの『鈴』を誰にも取られず、最後まで持っていればいいのだ。

 

 なるほど。シンプルなルールである。

 

「オラッ! テメー、寄越しやがれ!」

 

「ざけんな、おとといきやがれボケナス!」

 

「てめっ、痛えな! 何しやがんだ!?」

 

 途端、人混みのあちこちで騒ぎが起きる。

 

 武法士たちが早速『鈴』を取り合って揉めているのだ。……なんと血の気が多いことか。

 

 だがそこで、威嚇するようにドラが鳴り響いた。

 

 揉めていた武法士たちが手と口を止めた。

 

「静粛に! 開始の合図はこちらが出します。それまで我慢してください」

 

 進行役が、やや強い口調でそうたしなめる。

 

 そして、咳払いしてから続けた。

 

「……ルールの説明は以上です。なお、その『鈴』は【煌国】有数の職人が宮廷の依頼で手がけた受注生産品ですので、本物か偽物かの区別はすぐに付きます。偽造は諦めましょう。また、『試験』ではいかなる損害を負おうとも、大会運営側は責任を負いかねますので、どうかご了承ください」

 

 添え物のように補足事項を付け足すと、

 

「それでは、大変長らくお待たせいたしました。これより『試験』を開始します。三…………二…………一…………」

 

 ボォォォン! と、今までで一番高らかにドラが鳴らされた。

 

 その刹那、

 

「――そいつを寄越せやぁぁぁ!!」

 

 隣に立っていた武法士の男が、突然襲いかかって来た。

 

 シュビンッ、と風を切って放たれる、鋭い正拳。

 

 しかしボクは小さく体の位置を動かすだけでそれを回避。そのまま、その男の胸の中に潜り込む。

 

 そして、肘から激しく衝突した。

 

 脊椎の伸張、足指のよる大地の把握――それらの身体操作がボクの体を山のように大地に固定。肘打ちは山が寄りかかるがごとき威力を発揮した。

 

「っはっ……!!」

 

 腹の中の空気を全部絞り出すかのように呻くと、勢いよく後方へ吹っ飛んだ。

 

 そして、後ろにいた数人の武法士をドミノ倒しよろしく巻き込んだ。

 

 見ると、ライライも鋭く華麗な足技を駆使し、数人を蹴り飛ばしていた。

 

 ボクら二人は目を合わせると、笑みを浮かべ、

 

「ライライ、日没にまたここで会おう!」

 

「ええ。わかったわ」

 

 遠回しな勝利宣言をし合った。

 

 そして、互いに散開。別々の場所へと走り出した。

 

「鈴持ちが逃げたぞ!」

 

「追いかけろ!」

 

「待ちやがれ!」

 

 すぐに追っ手がわんさとやってくる。

 

 だがボクは一切止まらず、一目散に走り続けた。

 

 握っていた『鈴』を、ズボンのポケットに入れた。

 

 絶対に生き残ってやる。

 

 そして、予選大会への切符を手に入れてみせる。

 

 

 

 

 

 

 ――最初の試練が、始まった。

 



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打雷把の真骨頂

――シャラン、シャラン、シャラン。

 

 ボクは【武館区(ぶかんく)】の真ん中に伸びる大通りを走っていた。

 

 ――シャラン、シャラン、シャラン。

 

 ボクは今、絶賛逃走中だった。

 

 後ろを軽く振り返る。

 

 ――シャラン、シャラン、シャラン。

 

「ウラー! 待て女ー!」

 

「大人しく寄越せコラー!」

 

「渡さねーとしばき倒すぞ!」

 

「良かったらこの後遊ばない!?」

 

 後ろからは、大勢の男たちが波のように追いかけてきていた。

 

 ――シャラン、シャラン、シャラン。

 

 彼らは皆、武法士だ。

 

 そして彼らは、現在ボクがポケットに入れている『鈴』を狙っている。これを最後まで持っていられた者にのみ、予選大会の参加資格が与えられるからだ。

 

 ――シャラン、シャラン、シャラン。

 

 ボクも【黄龍賽(こうりゅうさい)】優勝のための踏み台の一つとして、予選大会に出なければならない。

 

 ――シャラン、シャラン、シャラン。

 

 ゆえに、この『鈴』は渡すわけにはいかない。

 

 ――シャラン、シャラン、シャラン。

 

 だから、こうして……逃げて……いるわけで…………

 

 ――シャラン、シャラン、シャラン。

 

 ……プチッ、と頭の中で音がしたような気がした。

 

「あーもー! シャランシャランうるさい!」

 

 ボクは苛立った口調で吐き捨てた。

 

 一歩踏み出すたび、その振動で『鈴』が音を発してしまうのだ。

 

 ガムランボールを連想させるこの美しい音色も、こうも執拗に聞かされては騒音と変わらない。

 

 それに、後ろを走っている追っ手の数、明らかに走り始めの時よりも増えている。

 

 ボクは苦々しい顔をした。

 

 もしかしなくても、この音のせいだ。鳴るたびに『鈴』の所持を周囲に知らせてしまい、追っ手を増やす結果となっているのだ。

 

 ていうか、だからこそ大会運営側は、奪い合う物を『鈴』にしたんだと思う。音の鳴らないものなら、最後まで懐に隠し持てば済む。しかし、それでは奪い合いは成立せず、隠した者勝ちとなってしまう。だからこそ、持っていると分かる品を選んだのだろう。

 

 しかもこの『鈴』の音は普通の鈴と違い、独特のものだ。なのですぐに『試験』のための『鈴』だとバレてしまう。

 

 ……でも、それにしたって人数が多過ぎでしょ!?

 

 そう思ってた時だった。

 

「あいつに渡ったのはラッキーだ」「そうだな、あの女小さくて弱そうだし」「片手で倒せそうだ」「即ゲット間違い無しだぜ」「それにあの子むっちゃ可愛い。乳と尻は残念だが、それ以外の全てが完璧だ。お近づきになりてぇ……」「オメーは目的が違うだろ、ひっこめタコ」

 

 後ろの連中から、そんな話し声が聞こえてきた。

 

 ……つまり何? ボクが鈴持ちの中で一番弱そうだから、集中して狙われてると?

 

 なんだそれ!? 武人の風上にも置けないじゃないか! 弱そうな相手を狙って潰すなんてハイエナと一緒だ!

 

 ……まあ、それも戦略の一つなので、決して卑怯ではないが。

 

 とにかく、あの人数をまともに相手にするのは気が引ける。どこか隠れられる場所を探そう。

 

 毎日鍛えていた甲斐あってか、スタミナの心配は今の所ない。

 

 ボクは【武館区】の中を夢中で駆け抜けた。

 

 しかしボクは、よりにもよって最悪の場所へ来てしまう。

 

 横幅約10(まい)――この世界の「(メートル)」にあたる単位だ――の道に入った途端、ボクは足を止めた。

 

 奥では、硬そうな石壁が通せんぼしている。両端にも建物が並んでおり、通れそうな脇道が一つもなかった。

 

 簡単に言い表すと「コ」の字のスペースだ。つまり――行き止まり。

 

 慌てて引き返そうとしたが、時すでに遅し。武法士たちがわらわらとやって来て、唯一の通り道を塞いだ。

 

 完全な袋小路。

 

 武法士たちは好戦的な笑みを浮かべて徐々に、徐々に、徐々に近づいてくる。皆、自分たちの優位性を信じて疑わない表情。

 

 中には、パキパキと指を鳴らしている者もいる。どう見てもかよわい女の子にしていい態度じゃない。

 

 でも、仕方がない。武法士の世界に男女の贔屓は存在しないのだ。負けたとしても「女だから負けた」なんて主張は、言い訳や負け惜しみの域を出ないのである。

 

 つまり、女である事を盾にすることもできない。

 

 この状況、実力を見せずして切り抜けられないようだ。

 

 ……仕方ない。

 

 『鈴』の奪い合いは、午前中である今から日没まで続く。そのため、無駄な体力はなるべく使いたくなかった。

 

 だが、こんな状況に置かれては仕方ない。

 

 ボクは腹をくくった。

 

 壁のように立ちはだかる武法士たちを見渡しつつ、片足を半歩退き、そこへ重心を置く。いわゆる半身の体勢となった。

 

 武法士たちは、一歩一歩ゆっくりとこちらへ歩いてくる。

 

 ボクと連中との距離が、少しずつ狭まっていく。

 

 やがて、

 

「打ち取ったらぁぁぁっ!!」

 

 先頭を歩く一人の男が、勢い良く飛び出した。

 

 素早い動きで一直線にボクへと迫り、肉薄。

 

 そして、走行の勢いを込めた前蹴りを放つ。

 

 下から掬うように振り出されたその一足は、鞭のように疾く、そして刃物のように鋭い。敵ながら見事な蹴りだ。

 

 だが、惜しい。

 

 蹴り足が伸びきった時――ボクはすでに蹴りの到達点にはいなかった。

 

 ボクは身をねじって体の位置を小さく動かすことで、蹴りの到達点から自分の体を逃し、そのまま相手の蹴り足の外側に移動していたのだ。

 

 相手の攻撃のリーチ内に入ってしまえば、こっちのもの。わずかゼロコンマ数秒間の戦いは、ボクに軍配が上がったのだ。

 

 ボクは攻撃へと転じた。

 肋間の捻り。

 肘の突き出し。

 腰の急激な沈下。

 石畳を砕かんばかりの力強い踏み込みによる重心移動。

 ――上記の身体操作を、同じタイミングで実行。

 

 【移山頂肘(いざんちょうちゅう)】――【打雷把(だらいは)】の基本にして必殺の肘打ちが、男の土手っ腹に深々と突き刺さった。

 

「えごぁ!!!」

 

 肘越しに確かな手ごたえを感じると同時に、苦痛の声が爆ぜる。

 

 かと思うと、男はものすごい速度で元来た方向へ弾き返され、他の武法士数人を巻き込んで盛大に倒れた。

 

「このアマぁー!!」

 

 それを皮切りに、他の武法士たちも一斉にこちらへ駆け出してきた。

 

 みんな、言うまでもなくやる気は満々だ。

 

 一番乗りでボクの近くへやって来た武法士が、早速攻撃を仕掛けてきた。腰の捻りを用い、裏拳の要領で腕刀を振るってきた。

 

 だが、ボクと彼の間にはかなりの身長差があった。なので彼の腕刀を、ボクは軽くかがむだけで回避できた。

 

 腕刀を空振らせたことで、その武法士は遠心力のまま胴体をさらけ出す。

 

 そこを見逃すほど、ボクは優しくない。

 

 両足の捻り、前足への重心移動、肋間の捻り、肩甲骨の前進、拳の突き出し――これらすべてを同時に行う。

 

 正拳が風を切り、その胴体めがけてしたたかにぶち当たった。【拗歩旋捶(ようほせんすい)】という技だ。突き終えた形は、空手の逆突きに似ている。

 

 拳打をまともに食らった武法士は、小さく呻きを上げて吹っ飛び、転がる。

 

 ボクが今使った二つの技はいずれも【勁擊】という、武法独特の技術に分類される。

 

 ――【勁擊】とは、理にかなった身体操作を用いて、強大な力を相手に叩き込む打撃法である。 

 

 その基本は『三節合一(さんせつごういつ)』。

 

 『三節』とは、腕、胴体、下半身、これら三つの大まかなパーツの総称である。

 

 【勁擊】では、これら『三節』を同時に動かす。そうすることによって『三節』で作った力が一つに集約され、結果的に大きな打撃力が生まれるのだ。

 

 綱引きを例に挙げよう。

 綱引きは大勢集まったチーム二組で綱を引き合う競技だ。しかし綱を引く要員がバラバラのタイミングで引っ張っていたら、どれだけ大人数のチームでも、それは一人の力でしかなくなってしまう。だからこそ全員同じタイミングで引っ張り、それらの力を総動員させるのだ。

 

 【勁擊】も大雑把に考えれば、これと同じ原理である。体の一部だけの力ではダメだから、全身すべてを同時に動かし強大な威力を得る。

 

 ボクが武法というものに心惹かれたのは、この【勁擊】がきっかけだった。全身を工夫して使い、蛮力以上の力を出す。まさしく人体の神秘だ。

 

 もちろん、これも【易骨(えきこつ)】で骨格を整えなければ使えない技術だ。骨が歪んだ状態では、打撃を行う部位へ満足に力が集まらない。骨格を整え、自重が一〇〇パーセント使える状態になってこそ、初めて【勁擊】は【勁擊】足り得るのだ。

 

 敵側の攻撃はまだまだ続く。

 

 目の前に迫った新たな武法士が、踏み込みと同時に鋭い正拳突き。

 

 ボクは手甲の表面にその正拳を滑らせ、後ろへ流す。そして即座に前蹴りを叩き込んだ。

 

 前方の武法士が空を仰ぎ見ながら宙を舞ったのも束の間、すぐに右側面から回し蹴りを放ってくる男を発見。

 

 すぐには動けないと判断したボクは丹田に【気】を集中。そしてその集めた【気】を即座に背中へ移した。背中が強い熱を持つ。

 

 やがて回し蹴りが、ボクの背中を激しく叩く。

 

 ……しかし【硬気功(こうきこう)】によって鉄板よろしく強度を増したボクの背中に、その蹴りは蚊が刺したようなものだった。

 

 男は素早く蹴り足を引っ込めたが、その時にはすでにボクが反復横とびの要領で距離を詰めていた。

 

 ドカンッ!! という激しい重心移動とともに、ボクはその男へ肩から衝突。

 

 【打雷把】の強烈な体当たり【硬貼(こうてん)】を受けた男は、勢いよく壁にバウンドしたゴムボールよろしく弾き飛ばされ、数人を巻き込んで共倒れした。

 

 それからも、向かって来る敵を次々と蹴散らしていく。

 

 ちなみに、先ほどボクが踏み込んだ箇所の石畳は――粉々に砕けていた。

 

 ボクがさっきから繰り返している力強い踏み込みは【震脚(しんきゃく)】という歩法だ。

 

 重心移動の時に大地を思い切り踏みつけることで、一瞬だけ体重を倍加させ、それを攻撃力へと転用する歩法。パワー重視の【打雷把】では頻繁に用いられる。

 

 前にも説明したが、【打雷把】では打撃の時、脊椎の伸張、足指による大地の把握を同時に行うのが基本だ。これら二つによってピラミッドのように磐石な重心を作り出し、それを打撃力として用いるのだ。レイフォン師匠はこの力を【両儀勁(りょうぎけい)】と呼んでいた。

 

 そこへさらに【震脚】を加えれば、その打撃力は信じられないほど強大になる。

 

 攻撃力に対する飽くなき探究心。それがこの【打雷把】を作り上げたのだ。

 

 ――そして【打雷把】にはもう一つ、恐ろしい「利点」が存在する。

 

 もう何人目かの武法士を殴り飛ばした後、ボクは次なるターゲットに狙いを定めた。

 

「……!」

 

 その男はターゲットにされたことに気がついたのか、丹田にチャージしていた【気】を慌てて胴体に集中させた。胸の前で微かに弾けた青白い電流でそれが分かった。

 

 【硬気功】を施されたあの男の胴体に、普通の攻撃は通じない。【炸丹(さくたん)】を使わなければ、どんな【勁擊】も無意味となるだろう。

 

 しかし、ボクは構わず地を蹴り、突っ走る。

 

 予想外の行動に焦ったのか、男の表情がこわばった。

 

 そのせいでがら空きとなったボディめがけて、ボクは【移山頂肘】を叩き込んだ。

 

 ……普通なら、男は痛みをほとんど感じることなく、ボクの肘打ちに耐えたことだろう。

 

「かはっ……!?」

 

 しかし、間近に迫った男の顔は――苦痛を受けているとしか思えないほど歪んでいた。

 

 「凄まじく痛い」という気持ちと「信じられない」といった気持ちが混ざったような男の表情が、一気に遥か前方へ遠ざかった。

 

 みっともなく地面を転がる男の様子を、周囲の武法士たちは硬直しながら凝視していた。

 

 みんな、等しく同じ疑問を抱いていることだろう。――どうして【硬気功】を施していたのにダメージを受けたんだ、と。

 

 

 

 そう。【打雷把】の打撃には――【硬気功】が効かないのだ。

 

 

 

 ほとんどの武法では、砂袋などの器具を打つ修行を大なり小なり行う。

 

 しかし【打雷把】では、それらを一切しない。

 

 その代わりに、仮想の敵を思い浮かべ、それを貫き通すイメージで打つ練習を何度も繰り返す。

 

 それを長年積み重ねると、修行者の打撃技はそのイメージ通りの性質を得る。打撃による衝撃が【硬気功】すら突き抜け、本体に直接ダメージを与えられるようになるのだ。

 

 デタラメな理屈に聞こえるかもしれないけど、本当の話だ。というか、今こうして現実になっている。

 

「な、なんだこの女……【硬気功】を破りやがったぞ!?」

 

「【炸丹】を使った気配もなかったのに、どうやって……!?」

 

「もしかしてコイツ、かなり有名な武法士なんじゃ……!!」

 

 武法士たちが後ずさりしながら、怯えたような口調で言う。

 

 しかし、少数の男たちは、そんな彼らを説得するように声を張り上げた。

 

「ひ、ひるむんじゃねぇ! どんだけ【勁撃】が凄かろうと、相手は一人だ! こっちにゃ何人いると思ってんだ!?」

 

「そ、そうだ! 取り囲んでフクロにすれば、十分に勝機はある! ビビってんじゃねぇぞ!」

 

 その声である程度のモチベーションを取り戻したのか、武法士たちは後ずさりするのをやめた。

 

 ……ボクは内心で舌打ちした。このまま引き下がってくれれば良かったのに。

 

 武法士たちは円陣を組むように、ぞろぞろとボクの周囲を取り囲んだ。

 

 それに対し、ボクは周囲に意識を集中させ【聴気法(ちょうきほう)】を発動。ボクを取り囲む幾人分もの【気】の存在が、脳内に流れ込んでくる。 これを発動しておけば、全方向の敵の存在を感じ取れる。多対一の戦闘にはもってこいだ。

 

「やっちまえ!」

 

 誰かが発したその叫びとともに、周囲の武法士たちは中心にいるボクへと突っ込んでいった。

 

 ボクは【聴気法】で、周囲に集まる【気】の量を目算する。

 

 その中で、最も【気】の並びが薄い箇所を割り出す。

 

 ボクはそこへ狙いを定め、弾丸のように走り出した。

 

 そして爆ぜるような踏み込み【震脚】と同時に、向かった箇所の先頭を走っていた男めがけ、右肩から激しく衝突。【硬貼】だ。

 

 山が地面をスライドしてぶつかったような【打雷把】の体当たりは、男と、その後ろに追従して走っていた武法士数人をまとめてなぎ倒した。

 

 それによって、円陣の一箇所に穴が出来上がる。

 

 ボクはそこから素早く飛び出し、円陣の外側へ抜け出した。

 

 そのまま逃げようかと思ったが、運の悪いことに、ボクが出てきた方向は壁側だった。つまり、また追い詰められた状態に逆戻りというわけだ。

 

「待ちやがれっ!!」

 

 壁へ向かおうとした時、一人の男が後ろからボクの三つ編みを掴んできた。このまま引っ張るつもりだろう。

 

 なるほど。いい考えだ。普通の人とのケンカなら、かなり有効な手段である。

 

 だが髪を長くした女流武法士は、そういった状況への対応策をキチンと用意しているのだ。

 

 引っ張ってきた男の力に合わせるように、ボクは退歩。

 

「ぶおっ――!?」

 

 そのまま、背中から勢いよくぶつかった。男の呻きが耳を打つ。

 

 【倒身靠(とうしんこう)】――相手の引っ張る力に乗って、勢いよく衝突する技。掴まれた時のためのカウンターだ。

 

 このような技はあらゆる武法に存在する。だが【打雷把】は【両儀勁】によって、さらにその威力を強化している。飛んで火に入る夏の虫とはこのことだ。

 

 真後ろからこちらへ迫ってくる【気】の存在を感知。考える前に振り返りざまの回し蹴りを叩き込み、地面に転がす。

 

 右側面から来た男の正拳を右腕ですくい上げ、そのまま右肘による【移山頂肘】へ繋げ、黙らせる。

 

 回し蹴りを振り出そうとしていた男の懐へ素早く潜り込み、再び【移山頂肘】。

 

 向かって来る敵を、ボクはまるで流れ作業のように蹴散らしていった。

 

 一見好調に見えるかもしれないが、どれだけ倒してもキリがない。

 

 このまま長引くのも面倒だ。ケンカも戦争も、長期化するのが一番良くないのだ。

 

 こうなったら出し惜しみはせず、全力でぶつかろう。

 

 目の前の相手を蹴り飛ばした後、ボクは丹田に【気】を集中させる。

 

 そして、片足を激しく踏み鳴らした。【震脚】だ。

 

 ――【震脚】には「体重の増大」の他に、もう一つ効果がある。

 

 それは、地面を強く踏みつける事で、踏みつけた力と同じだけの反作用を大地から引き出す効果。

 

 それによって、全身にはしばらく、強い上向きの力が働く。

 

 そして、その力が働いている間――使用者の瞬発力は倍加する。

 

 向かって来る数人の武法士を睨めつけると、ボクは地を蹴り、疾走。

 

 驚くほど速く、互いの間隔が狭まる。

 

 驚愕の表情を浮かべた武法士たちを無視し、ボクは激しい踏み込みと同時に肩から衝突。【硬貼】による体当たりだ。最初の【震脚】によって推進力が増しているため、その衝突力には磨きがかかっている。

 

 

 

 さらに同じタイミングで――――丹田に集まった【気】を"爆発"させた。

 

 

 

 刹那、ボクの体の内側から外側へ向けて、突っ張るような強い力が発生。

 

 衝突。そして巻き起こる、集団の大崩壊。

 

 ボクにぶち当たった武法士と、その後ろにいた多くの者たちが、ボウリングのピンよろしくまとめて吹っ飛んだのだ。

 

 バタバタという音がいくつも重なる。人が倒れた音だ。

 

 やがて、それが止む。

 

 見ると、目の前には、人が無数に雑魚寝していた。

 

 あれだけ大勢いた集団が、大きく削り取られている。

 

 【炸丹】――丹田に集中した【気】を炸裂させ、【勁擊】の威力を大幅に増大させる【気功術】の技術。

 

 高い威力を発揮できる上に【硬気功】も破ることができる、武法士必殺の一撃だ。

 

 体力の消耗が激しいので使いどころが求められるが、それさえ間違えなければ非常に心強い。

 

 だが、その【勁擊】が元々持つ威力を数倍にするという計算なので、【炸丹】のパワーは【勁擊】の強さに依存する。

 

 そのため、これだけ甚大な被害をもたらしたボクの【炸丹】は、ボクの【勁擊】が元々持つ凄まじい威力を知らしめるのに十分なデモンストレーションとなったのだろう。

 

 残った無傷の武法士たちはみんな足を止め、戦慄の表情でボクを見ていた。

 

 ボクが一瞥くれると、みんな例外なくビクッと震え、一歩退く。

 

 歩いて近づくと、こちらを恐ろしげに凝視しながら道を開ける。

 

 ボクは精一杯の眼力で睨みをきかせながら、雑魚寝した男たちの上をまたぎ、ゆっくりとその行き止まりから離れていく。

 

 そして、曲がり角を曲がり、連中の姿が見えなくなった途端、ボクは全力でその場から逃走した。

 

 走りながら、ホッと安堵のため息をつく。

 

 よかった。なんとか切り抜けられた。

 

 ポケットにも『鈴』はちゃんとある。どうにか守りきれたようだ。

 

 【炸丹】を使ったせいで少し疲れたけど、まだまだやれそう。

 

 この調子で、日没まで逃げ切ってみせる。

 

 伊達に【雷帝(らいてい)】と呼ばれた男に鍛えられたわけじゃない。

 

 ――シャラン、シャラン、シャラン。

 

 そんなきらびやかな足音を響かせながら、ボクは【武館区】を駆け抜けたのだった。

 



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少女の誇り

「……よし、バレてない」

 

 建物の壁に寄りかかりながら、ボクは小さくガッツポーズした。

 

 ボクは現在、『公共区』にある『競技場』の壁際に来ていた。予選大会が行われる予定の大きな建物だ。

 

 空はすでに夕方。あかね色に燃える夕日が、西の彼方へ向かいつつあった。

 

 【武館区(ぶかんく)】での最初の大立ち回りの後も、ボクは何度も『鈴』を狙う武法士と戦い、そして蹴散らした。

 

 予想はしていたが、やり始めたらどれだけやっつけてもまるでキリがないのだ。堂々としていればしているほど、敵は無限に増えていく。

 

 そんなことを日没までずっと続けていたら、流石のボクでもヘトヘトになってしまう。

 

 なのでボクは、こそこそと行動することにした。

 

 抜き足差し足忍び足。一歩一歩をゆっくり踏み出す、空き巣のような歩き方。この歩き方なら、踏み出した時に起きる振動は最小限で済み、『鈴』も鳴らない。

 

 ボクはこの空き巣歩き(今名付けた)で、【滄奥市(そうおうし)】を移動するようにした。

 

 その甲斐あってか、周囲の武法士に『鈴』の存在がほとんどバレる事なく、残り時間を過ごせた。

 

 ……代わりに、道行く人たちから奇異の目を向けられたが。

 

 現在に到るまでのボクの過ごし方は以上である。

 

 長い戦いだった。たった数時間が数日に感じられそうなほどに。

 

 しかし、いい加減それも終わる。

 

 もうすぐ日没だ。日没になれば鐘が鳴る。そうしたら、最初に『鈴』を渡された場所まで一気にダッシュする。そして『試験』は合格。晴れて予選大会出場決定というわけだ。

 

 行き交う人々を観察する。武法士は整った姿勢と、足裏が地面に吸い付くような安定感のある歩行ですぐに見分けがつく。

 

 やはり武法がそれなりに盛んなのか、結構な数の武法士が混じっていた。あの中に、一体どれだけの『試験』参加者がいるだろうか。

 

 しかし、関係ない。日没の鐘までここでジッとしていれば、エンカウントバトルの心配はない。ボクに『試験』参加者の見分けがつかないのと同じように、相手もまたボクが参加者であることは分からないはずだ。『鈴』を鳴らさない、という前提があればだが。

 

 だがその時。

 

 ――ミギャアアアアッ!! ミギャアアァァァ!!

 

 突如、近くをうろついていた二匹の猫がケンカし始めた。

 

 聞く者の心を鷲掴みにするようなおぞましい叫びにボクは驚き、思わず飛び上がる。

 

 そして、その振動によって『鈴』がシャラン、と鳴ってしまった。

 

 ……しまった。鳴らしちゃった。今まで振動を起こさないよう忍び足で一生懸命進んで来たのに。ここで誰かにバレたら今までの苦労が水の泡だ。

 

 ボクはキョロキョロと首だけ回して周囲を伺う。

 

 そして、すぐそばを歩いていた男と目が合った。そしてその男が武法士であることは、前述した身体的特徴からすぐに分かった。

 

 男はボクを指差し、長らく探していたものをようやく見つけたような表情で叫んだ。その反応こそ、『試験』参加者であることの何よりの証拠だった。

 

「おいお前! まさか『す――」

 

 『鈴』、と言い切る前に急接近し、男の腹部に拳を叩き込む。

 

 男は「ぐはっ!!」と呻くと、そのままボクの拳の上でぐったりとのびた。

 

 踏み込みによって起きた鈴の音は男の呻きと重なったため、周囲には聞こえていない。セーフっ。

 

 ボクは気絶した男を近くの建物の傍らにゆっくりと移動させる。

 

 そして、その場から忍び足で退散し始めた。

 

 早くここから消えなければ。さっきの『鈴』の音を聞いてた奴が他にいたら、面倒なことに――

 

 

 

「――へぇ?お前鈴持ちなのか、三つ編み女」

 

 

 

 ――なるようだ。

 

 いつかどこかで聞いたことのある声が、後ろからボクを呼んだ。

 いつ――昨日。

 どこ――【武館区】。

 性別――女。しかもボクと歳が近い。

 

 ライライではない。

 

 だとすると……該当者は一人しか思い浮かばなかった。

 

 ゆっくりと、ボクは振り返る。

 

 そこには、予想通りの人物が立っていた。

 

 尻尾のように揺れているサイドテール。目鼻立ちは整っているが、目つきだけはやけに鋭い顔。龍の刺繍がうっすら入った短パン風のボトムス。そんな特徴を持った浅黒い肌の女の子だった。

 

 孫珊喜(スン・シャンシー)――昨日【武館区】で青年をリンチしていた流派のリーダー。

 

 彼女がこの『試験』に参加しているであろうことは分かっていた。彼女も【黄龍賽(こうりゅうさい)】の予選大会に出るつもりらしいから。なので、こうして再び会った事自体に対しては驚きはない。

 

 ……先ほどの口ぶりからして、ボクの『鈴』の音を聞いていたようだ。

 

 だがボクは一応、すっとぼけてみることにした。

 

「え? 何言ってるの?」

 

「とぼけんじゃねーよ。さっきの『鈴』の音、明らかにお前から聞こえてきた。お前は絶対持ってる。間違ってたら身売りしたっていいぜ、李星穂(リー・シンスイ)

 

 ……まあ、ごまかすのは無理だよね。

 

「あのー、シャンシー、だよね? ボクのことはこのまま放っておいて、他の鈴持ちを狙うというのは……」 

 

「ざけんなよ貧乳。せっかく見つけた獲物を逃せるか」

 

 うわ。貧乳っていわれた。だが残念。元男のボクに対してそれは悪口にならない。

 

「『鈴』を持ちながら日没の鐘が鳴るまで『公共区』で待ち伏せて、鳴った途端に一気にゴールの『中央広場』まで駆け込み、合格を勝ち取る――そんな事考えてる奴がいるかもしれねーと思ってダメ元で来てみたが、まさかマジでいるとはな。しかもそいつは顔見知りときたもんだ」

 

 シャンシーはしたり顔でそう言う。――見透かされているような気がして、恥ずかしかった。

 

「いやー……お前が鈴持ちで嬉しいよ。アタシ昨日言ったよな? お前を潰すって。だから今から有言実行させてもらうぜ。昨日晴らせなかった憂さを、テメーの体で存分に晴らしてやる。んでもって『鈴』もいただきだ」

 

 これみよがしに指を鳴らして威嚇するシャンシー。好戦的な表情だった。

 

 ここは逃げよう――ボクはすぐにそう考えた。

 

 日没までもうすぐだ。なので、無駄な戦いはできるだけ避けたい。

 

 なら、タイムリミットまで逃げて逃げて逃げまくってやる。

 

 逃げ足には自信がある。ボクなら楽勝だ。

 

 きびすを返して走り出そうとした時、

 

「なあ李星穂(リー・シンスイ)。そういや気になってたんだけどよ――お前の流派って何よ?」

 

 シャンシーから思わぬ質問をされたので、つい足を止めてしまった。

 

 ボクは質問の意図をはかりかねて若干戸惑いながらも、なんとか返答した。

 

「……【打雷把(だらいは)】だけど」

 

「【打雷把】……? 聞いたことねー流派だな」

 

 そう言って首を傾げるシャンシーの反応に、ボクは「無理もない」という感想を抱いた。

 

 【雷帝(らいてい)強雷峰(チャン・レイフォン)の名は、この【煌国】では非常に知名度が高い。

 

 だが、彼の武法【打雷把】の知名度は、それに反比例して非常に低い。最初で最後の弟子であるボクや、ごくごく一部の人間しか知らないのだ。

 

 その理由は、レイフォン師匠の武法に対する考え方にある。

 

 師匠は、武法に対しては超が付くほどの実利主義だ。そのため、自分が作った武法やその技の名前を全く考えてなかったのである。「技としてきちんと機能するなら、後はどうでもいい」といった感じだ。

 

 流派や技に名前を付けたのは、戦いから身を引き、ボクを弟子に取ってからだ。技に名前が無いと、弟子に教えにくい。なのでレイフォン師匠は流派に【打雷把】と名付け、その他の技の名前もきちんと考えて教えてくださった。

 

 おまけに師匠は【打雷把】という名前を、よその人の前で口にしたことがない。――別に【打雷把】を秘匿していたとかではなく、単に喋る必要がなかっただけだ。

 

 それが【打雷把】の知名度が低い理由。創始者の名高さとは不釣り合いにマイナーな流派なのである。

 

 シャンシーはしばし考え込む仕草を見せていたが、やがてつまらなそうに鼻を鳴らし、

 

「だーめだ、やっぱ聞き覚えがねーや。ま、考えるだけ時間の無駄か。どうせ対して腕もねぇ田舎者が作ったクソ流派だろうからな」

 

「……なんだと?」

 

 ボクの声が、我知らず低くなる。

 

 ……今のは聞き捨てならない。

 

 【打雷把】が、なんだって?

 

 シャンシーの嬲るような弁舌はまだ続く。

 

「【煌国】には死ぬほど流派があるけどよ、中には毒にも薬にもならねーカスみてーな武法もあるって話だ。たいてい、修行の苦しさと難しさに耐えかねて武法から足を洗い、それでも金と名声だけは手に入れてーと思った半端者が立ち上げたインチキ流派だ。もはや武法と名乗るのもおこがましい、完成度の低い粗悪品みてーなシロモノだ。お前の【打雷把】ってのも、その中の一つなんじゃねーの? ははっ! あり得る話だ! そういう流派はハッタリきかせるために大袈裟な名前してんのが多いからなぁ!」

 

 我慢ならなくなったボクは勢いよく振り返り、叩きつけるように言った。

 

「取り消せっ!」

 

「あー、何? 怒ったの? じゃあかかって来いよ。もしアタシを倒せたら、【打雷把】とやらの事を認めてやる。だがアタシに負けて『鈴』を奪われたら、クソ流派決定だ。ここで逃げ出しても等しくクソ流派認定してやる。さあ、どうする?」

 

 ボクは闘志と憤りに燃えた眼差しでシャンシーを睨む。

 

 彼女はきちんとそれを承諾と受け取ったようだ。口端を歪めながら頷くと、

 

「よし、良い目になったじゃねーか。んじゃ――始めようか」

 

 ――左拳を右手で包むように握り、顎の前に持ってきた。

 

 ボクは目を見張った。

 

 あれは【抱拳礼(ほうけんれい)】。武法士同士の挨拶だ。

 

 だが挨拶と一言でいっても、そのやり方次第であらゆる意味を持つ。

 

 右拳を左手で包めば、それは単なる挨拶のニュアンスを持つ。もしくは軽い手合わせの前に行い、「死なない程度に手合わせしましょう」という意思を表すためのものだ。

 

 しかし、今のように左拳を右手で包むやり方は――「死力を尽くし、互いの命を賭けて戦おう」という意味を持つ。

 

 相手に殺意を向け、自分もまた殺される覚悟を持ったという意思表示。

 

 【煌国】では互いにこれを行なった上で戦えば、相手を殺しても刑罰にかけられることはない。

 

 つまりシャンシーは、合意の下の決闘を求めているということ。

 

 ……軽い気持ちで飲むべき勝負ではないことは明白だ。

 

 しかし、退くわけにはいかなかった。

 

 【打雷把】のたった一人の門人として、侮辱された事に対して黙っているわけにはいかない。

 

 ボクも顎の前に左拳を持ってきて――それを右手で包み込んだ。

 

 その瞬間、両者の合意が成立した。

 

「【九十八式連環把(きゅうじゅうはちしきれんかんは)】――孫珊喜(スン・シャンシー)

 

 今までのガラの悪いものではない、凛とした口調で名乗るシャンシー。

 

「【打雷把】――李星穂(リー・シンスイ)

 

 ボクもそれに倣い、名乗った。

 

 ボクらは【抱拳礼】を解き、互いに構えを取った。

 

 シャンシーの構えは、防御の常識を体現した、まさしくお手本のようなものだった。

 

 構えられた両腕、そして前足の膝によって、体の中心をしっかりと隠している。それでいて、ぎこちなさを感じない。その構えに慣れ親しんでいる証拠だった。

 

 当たり前の事かもしれないが、その「当たり前」がきちんとできているかいないかで、かなりの差が出る。実戦とはそういう世界だ。

 

 しかも、命を落とすかもしれない戦いであるにもかかわらず、その表情には重々しさが見られない。むしろうっすら笑ってすらいる。

 

 ゴクリ、と喉を鳴らす。この少女、意外と油断ならない相手かもしれない。

 

 やがて、シャンシーは突風のような速度で向かってきた。

 

「らぁっ!!」

 

 急回転しながらこちらへ迫り、裏拳の要領で右腕を振るってきた。

 

 ボクはとっさの判断で、右即頭部に両腕を構える。

 

 ズンッ、と重々しい衝撃が腕に伝わる。棒でぶっ叩かれたような威力だ。腕がしびれる。

 

 ボクはそこからすかさず反撃へと転じようと考えた。

 

 だが次の瞬間、構えらえたボクの両腕の間から――拳が伸びてきた。

 

「くっ!?」

 

 真下から顎めがけてやってきたその拳を、ボクは背中を反らすことでなんとか回避。

 

 見ると、シャンシーは右腕をすでに引っ込め、アッパーのような左拳へと変化させていた。

 

 かと思うと、シャンシーの姿が急激に下へ沈む。

 

「――!!」

 

 マズイ、と思ったボクはすぐに丹田に【()】をチャージ。即座に胴体へ【硬気功(こうきこう)】をかけた。

 

 刹那、丸太の先を勢いよく叩きつけられたような凄まじい衝撃が、ボクの腹部にぶち当たった。

 

 ――間一髪、間に合った。

 

 【硬気功】のおかげで痛みは無い。が、余った勢いによって真後ろへ大きく滑らされる。

 

 ボクがさっきいた位置には、腰を落とした姿勢で正拳を突き出したシャンシーの姿。

 

 彼女はすぐさま、猿を思わせる軽やかな足さばきで距離をつめてきた。

 

 そして踏み込みと合わせて、鋭い左正拳を突き放つ。

 

 ボクは右腕の表面にシャンシーの拳をすべらせ、真後ろへ受け流した。右肩の真上を通過する。

 

 彼女は間伐入れずにもう片方の右拳で突いて来る。が、ボクは空いていた左手でそれをキャッチ。

 

 取っ組み合ったような体勢ができあがる。

 

 が、シャンシーは軸足ではない片足をボクの股下に添え置く。

 

 そして、軸足の蹴り出しによって、そこへ重心を移した。

 

「わ!?」

 

 ――瞬間、ボクの体が弾むように浮き上がった。

 

 体の真下へ勢いよく重心を移動されたことで、立っていた「場」をシャンシーの重心によって奪われたからだ。

 

 そして、

 

「ふっ!!」

 

 虚空を舞うボクめがけて、シャンシーは閃光のような足さばきとともに正拳を放った。

 

 ボクはとっさに片足を持ち上げ、拳が来るであろう位置に足裏を移動させる。

 

 そして――ぶつかった。

 

 足裏にとんでもない圧力が与えられ、ボクの体は風に吹かれたように真後ろへ飛ばされた。

 

 着地と同時に受身をとり、そして起き上がる。

 

「どうよ? 【翻打挑水架拳(ほんだちょうすいかけん)】【猴爬樹(こうはじゅ)】の組み合わせは?」

 

 シャンシーはこちらへ向かって歩きながら、余裕のある口調で言う。

 

 ――【九十八式連環把】の最大の特徴は、無限に近いパターンの連続攻撃を組み上げられる点にある。

 

 九十八あるとても短い【拳套(けんとう)】を好きな順番で列車のように連結させ、ワンパターン化しない連続攻撃を流れるように繰り出すことができる。

 

 しかも、その連続攻撃の中には「断絶」がない。

 

 【打雷把】のようなパワーのある武法は、一発一発の威力が強い分、【勁擊(けいげき)】と【勁擊】の連なりの間に大なり小なり「断絶」が存在する。まるで火山の噴火と噴火に間があるように。

 

 しかし、【九十八式連環把】にはそれがないのだ。川の水が流れるように、攻撃を並べることができる。

 

 そのため、「断絶」という名の隙が生まれない。

 

 ……はっきり言おう。彼女とボクの武法は、本来あまり相性が良くない。

 

「ほら、どんどん行くぞオラ!」

 

 シャンシーは再びボクに迫る。

 

 間合いにボクを収めた途端、怒涛の連打を放ってきた。

 

 針のように鋭い正拳。ハンマー投げのような腕刀。鞭のような回し蹴り。槍の刺突のごとき爪先蹴り。撞木(しゅもく)のような掌打…………

 

 息もつかせぬ勢いで浴びせられる、数珠繋ぎのような攻撃の数々。

 

 どの攻撃も鋭さと速さが半端じゃない。今のところなんとか全て躱し、受け流せているが、このまま続いたらいつかは当たってしまうだろう。

 

 【九十八式連環把】の特徴そのまま、シャンシーの攻めには僅かな断絶も無かった。そのため、付け入る隙が見当たらない。

 

 おまけに、攻撃一つ一つにきちんと防御の要素も入っているのだ。

 

 突き出した拳や掌が、顔面やみぞおちを守る防具の役目もしっかりと果たしている。

 

 蹴りは出すスピードだけでなく、引っ込めるスピードも速い。そうすることで敵に足を取られないようにしているのだ。

 

 彼女の放つ技の全てが、絵に書いたような攻防一体の性質を秘めていた。

 

 並みの練度では、攻撃の最中でそこまで防御にかたくなになれない。

 

 シャンシーの武法に対する真摯さが、一拳一拳からしっかりと見て取れる。

 

 ……今にして思うと、彼女はボクをわざと挑発したのかもしれない。

 

 せっかく見つけた鈴持ちであるボクを逃がすまいとして、わざと侮辱し、勝負を受けさせたのだ。

 

 でなければ、わざわざ流派の名前について話の矛先を向ける必要は無いはずだ。

 

 そうと分かった以上、これ以上戦いを続けていても意味はない。

 

 なら、逃げ出すのか。

 

 ――否。

 

 ボクはもう、左拳を右手で包んでしまった。

 

 決着がつかないうちに背中を向ければ、レイフォン師匠と【打雷把】の名誉に傷がついてしまう。

 

 だから、逃げるわけにはいかない。

 

「ははっ、よく避けるじゃんか! んじゃ、少し戦法を変えようか!!」

 

 シャンシーは攻撃の流れの最中、腰の裏側に両手を伸ばす。

 

 かと思えば、シュランッ、という鋭い擦過音とともに何かを抜き出した。

 

 彼女の両手に握られていたのは――鍔(つば)の無い両刃の短剣。

 

 知っている。あれは匕首(ひしゅ)という武器だ。

 

 シャンシーは武器を装備した。

 

 ――肉体の硬度を鋼鉄並みに高くする【硬気功】を身につけた武法士にとって、刃物などの武器は必ずしも必殺とはなり得ない。

 

 武法士の武装は殺傷力の強化というより、間合いや戦略の変化といった側面が強い。

 

 なので、彼女の武器持ちは卑怯ではない。戦略を変えただけのことだ。

 

 そして大抵の場合、素手で行う動きでそのまま武器が使える。

 

「そらっ!」

 

 シャンシーは匕首を逆手に持つと、再び攻撃を開始。

 

 手甲が上を向いた拳、いわゆる横拳(よこけん)で真っ直ぐ突いてきた。

 

 いつもなら最小限の動きで避けようと考えるが、今回は大きく拳の外側へ飛んで回避した。

 

 なぜなら――正拳の攻撃範囲が広がったからだ。

 

 小さな動きで回避しようとしたら、拳はよけられても、逆手に握られている匕首の刃によって斬りつけられてしまう。

 

 刃が伸びていない内側に逃げても、もう片方の匕首の刃の射程に入ってしまう。

 

 なので、拳の外側へ大きく逃げざるを得なかったのである。

 

「ほらほらどうした!? 相変わらず逃げてるだけかよ!? もっと攻撃してこいよ!」

 

 シャンシーは腕を振り回す動作を多用し、攻撃を連ねる。

 

 その動きは一見、舞踊のように美しい。

 

 しかし、その中には確かな鋭利さが内包されていた。

 

 匕首の両刃があるため、ただの軽い手振りでも鋭い斬れ味を持つ。

 

 打撃と斬撃の両方の性質を兼ね備えた攻撃の数々が、眼前で踊り狂う。

 

 ボクはそれらを必死に躱し、時に【硬気功】で防御しながら、反撃の隙を伺う。

 

 ――武器を振り回すシャンシーとは違い、ボクは今なお素手を貫いていた。

 

 ちなみに【打雷把】にも武器はある。大槍(だいそう)方天戟(ほうてんげき)といった、長さ2(まい)近くにものぼる長物が。

 

 しかし、今回はあっても使わない。

 

 大槍や方天戟は長いので、離れた所から相手を攻撃できるが、その分小回りが利きにくい。対して、匕首は短いが小回りが非常に利く。武器を持てば、ボクの方がかえって不利になるだろう。

 

 ゆえに、ボクは拳で戦うことを選んだ。

 

 そして、素手である今の状態で使える、比較的リーチの長い部位。

 

 それは――

 

「これだっ!」

 

 身を翻しながら刺突を避けたボクは、そのまま遠心力を込めた三つ編みをシャンシーの目元に叩きつけた。秘技、三つ編みハンマーだ。

 

「うわっ……!」

 

 シャンシーは思わず半歩退き、目元を押さえる。ダメージは無いだろうが、びっくりさせることはできたはずだ。

 

 両手で目を押さえている今、腹部はがら空きだった。

 

 ボクは遠心力を保ったまま彼女に近づき、その勢いをつけた回し蹴りを叩き込む。

 

「がっ――!」

 

 シャンシーは一瞬叫びを上げると、後方へ大きく流された。

 

 しかし、足で必死にバランスをとったことで、倒れずには済んだようだった。

 

「この……やってくれるじゃねーか、李星穂(リー・シンスイ)……!」

 

 蹴られた場所を匕首の柄尻で押さえながら、こちらを睨めつけるシャンシー。額にはわずかながら汗が浮かんでいる。効いてはいるようだ。

 

 ボクは毅然とした態度で言い放つ。

 

「どうかな? 【打雷把】がクソ流派っていうの、取り消してくれる気になった?」

 

「……ああ、そうだな。悪かったよ。クソ流派だったら、【九十八式連環把】の連続攻撃をここまで躱しきれる技術があるわけがない。それでいて、アタシに一矢報いてもみせた。アンタも、アンタの流派も、確かに半端ではないんだろうさ」

 

 その素直な発言こそ、【打雷把】への侮辱が単なる挑発だったことの証だ。

 

 彼女は「勝てたら認めてやる」と言ったのだ。なのに決着が付いていない今、認めるような発言をしている。

 

「でも……お前がどれほど強かろうと、アタシは負けるわけにはいかない…………負けられねーんだ!」

 

 シャンシーは再び匕首を構え、闘志のこもった眼差しでボクを見据えてきた。

 

「アタシは【黄龍賽】で優勝して――【九十八式連環把】の名誉を回復してやるんだ!!」

 

 今の一言に、ボクは思わず目を見張った。

 

「名誉の、回復……?」

 

「……アンタさぁ、【九十八式連環把】の事、どれくらい知ってる?」

 

 突然の質問に、ボクは少し困惑しながらも、

 

「――【九十八式連環把】。創始者は呉宝山(ウー・バオシャン)、少数民族【開族(かいぞく)】の出身で、享年九八歳。バオシャンは幼少期より【太極炮捶(たいきょくほうすい)】を十二年間学ぶ。その後、【煌国】各地の武法士と試合や技術交流を重ね、あらゆる技術と戦闘経験を吸収していった。その果てにバオシャンはあるひとつの結論に到った。「武法にて最も尊ぶべきは威力ではない。相手が倒れるまで延々と攻め続けられる円滑な攻撃だ」と。その考えを根幹にして生まれたのが【九十八式連環把】。クセの強い動作をすべて省き、比較的簡単で変化させやすい技を九十八つ選択、編纂して創始された。確かに連続攻撃を最重視している流派だけど、技の一つ一つは簡単そうに見えて良く出来ている。攻めつつも急所のガードを忘れない「攻防一体」を二番目に重視してるため、全ての技にきちんと防御や回避の概念が含まれている。断絶の無い「連続攻撃」の中に「攻防一体」が含まれればまさに鬼に金棒――」

 

「あーもういいもういい。暴走すんなよ」

 

 シャンシーは疲れたような表情でストップを命じた。

 

 ボクはかあっと赤面する。またやってしまった……恥ずかしい。

 

「アタシが聞いてんのは、そういうのじゃねーんだ。問題なのは【九十八式連環把】が世間でどういう風に扱われているか、だよ」

 

「え……?」

 

「……【九十八式連環把】が、武法士社会の間で何て揶揄されてるか知ってるかよ?」

 

 シャンシーの二度目の質問に、ボクは眉根をひそめた。

 

 ――その質問の明確な答えを、武法マニアのボクは当然知っていた。

 

 だが、できれば話題にしたくなかった。他所の流派を悪く言うのは好きじゃないだからだ。相手がその流派の人間であるならなおのこと。

 

 ボクはぼそり、と言った。

 

「……「ゴロツキの喧嘩道具」」

 

「……正解だよ、クソッタレ」

 

 シャンシーは苛立たしげに舌打ちする。

 

「アンタお嬢様っぽい綺麗な顔してかなりのオタクみてーだから、当然知ってんだろ? 【九十八式連環把】は比較的簡単な技で構成されてる。クセが強くて尖った動作より、シンプルな技ばっかにしておけば、変化が簡単で連続させやすい。だから、全ての技が簡単な分――習得が他の武法に比べて速いんだ」

 

 シャンシーは忌々しげに続ける。

 

「だからだろうな。ヤクザやゴロツキは寄ってたかって【九十八式連環把】に手を出した。【九十八式連環把】は習得が速いだけじゃねぇ。技の形が多少いい加減でも、ヤクザ同士の殴り合い程度には十分重宝するんだよ。連中は【九十八式連環把】をあちこちで悪用しやがった。ヤクザ同士の争いならまだ良い。だが奴らはカタギの、それも武法士でも何でも無い人間にも平気で拳を向けやがったんだ。金を脅し取ったり、女を腕力で押さえつけて弄んだりな」

 

 彼女はくつくつと自嘲めいた笑いをこぼす。

 

「……そしたらあら不思議。【九十八式連環把】の評判はあっという間に地に落ちてしまいましたとさ。【九十八式連環把】は「ヤクザ者どもと癒着した流派」としてすっかり定着した。周囲の人々からは「ゴロツキの喧嘩道具」と後ろ指を指され、どの町の【武館区】でも【九十八式連環把】と名乗った途端、眉をひそめやがる。完全な風評被害だ。この町の【武館区】でも、アタシらは周囲から見下されてる。昨日アンタが庇った馬鹿野郎もな、「ゴロツキの喧嘩道具」とアタシらの武法をバカにしてやがったんだ」

 

 ……そうだったのか。

 

 シャンシーは自嘲の笑いをやめると、憤怒の形相となって吐き捨てた。

 

「ざっけんじゃねーぞ、ボケが…………! アタシらを、そんな粗製品振り回してデカい顔してる半端者どもと一緒にすんな!! アタシは真剣にこの武法と向き合って来たんだ! なのに、そんなバカどもと同じ穴のムジナ扱いされるなんて迷惑なんだよ!!」

 

「シャンシー……」

 

「だからアタシは【黄龍賽】に優勝して、そんな世間に広がった汚名を返上してやんだ!! そうすればアタシやウチの武館の連中も、その他の努力してる奴らだって馬鹿にされずに済む! アタシが【九十八式連環把】の看板にべっとり付いた泥を、綺麗さっぱり拭い取ってやる!! お前にはそのための踏み台になってもらうぞ、李星穂(リー・シンスイ)っ!!」

 

 シャンシーはボクを強く睨み、再び両手の匕首を構える。

 

 彼女の話を聞き終えたボクは、深く息を吐き、クールダウンする。

 

「なるほど。同じ武法士として、気持ちは分かる。でもね、ボクは君の踏み台になる気なんかさらさらないよ」

 

「んだと……!」

 

「君に負けられない理由があるように――ボクにだって負けられない理由があるんだ。君の望みがどれだけ立派だったとしても、絶対に譲るわけにはいかない」

 

 そうだ。自分は生まれ変わったこの人生を、武法に捧げると決めたんだ。

 

 それを叶えるためには、【黄龍賽】で勝たなければならない。

 

 阻むものは何であろうと――【打雷把】でぶっ飛ばしてやる。

 

 ボクはどっしりと大地を踏みしめ、構えをとった。

 

 シャンシーは不敵に口端を歪めると、

 

「……はっ、上等じゃねーかよ。んじゃ、その意思――力で示してみろよ!!」

 

 一直線にこちらへ向かって来た。

 

 今までで一番の速度と勢いでボクと肉薄。

 

 片手に匕首を真っ直ぐ突き立て、踏み込みと同時に刺突してきた。

 

 ボクは体の捻りによって回避しつつ、突き出された腕の外側に移動。

 

 しかし、シャンシーは突き出した匕首の柄を指で器用に回転させ、すぐさま逆手に持った状態に変える。

 

 そして、真横にいるボクめがけて剣尖を振り出してきた。

 

 ボクは一歩前へ出た。それによって剣尖の目標点から逃れ、彼女の腕のリーチ内へと侵入。

 

 やって来た腕をガード後、シャンシーの脇腹へ狙いを定める。

 

 後ろ足の蹴り出しによって重心を勢いよく進め、【震脚】によって力強く踏みとどまると同時に拳を突き放つ。【衝捶(しょうすい)】という正拳突きだ。

 

 数百両斤(りょうきん)もの鉄球が猛スピードで飛んでくるような威力の拳が、シャンシーに迫る。

 

「しゃらくせぇっ!!」

 

 が、彼女は不意に全身をねじった。

 

 それによって、シャンシーの脇腹がボクの拳の目標点からズレる。つまり、攻撃をかわされたのだ。

 

 シャンシーは全身の回転をそのまま続ける。

 

 そして、ボクの真横に回り込みつつ――逆手に持った匕首の刃を首めがけて薙いできた。

 

 ボクは丹田に【気】を溜め、素早く首へと【硬気功】を施す。

 

 ボクの首と、シャンシーの刃が激突。ガキィン! という金属じみた音とともに刃が擦過。ボクの首には傷一つ付いていない。

 

 シャンシーは止まらない。回転を続けてもう片方の手にある刃を振り出してきた。が、ボクは一歩後退して難なく回避。銀の輝きが目の前を素通りする。

 

「そらっ!!」 

 

 彼女は匕首の一本を素早く順手持ちにすると、回転を直線運動に変える要領で突きかかってきた。

 

 人体の重さが百パーセント乗った突撃槍のようなシャンシーの刺突を、ボクはダンスを踊るように回転しながら回避。

 

 そして、そのまま遠心力によって三つ編みを振り回し、敵の顔面めがけて円弧軌道で放った。

 

「バカが! 同じ手が二度通じるか!」

 

 シャンシーは上半身の反りだけでボクの三つ編みハンマーを避けてみせた。

 

 ボクは遠心力の流れのまま、相手に背中を見せることとなった。 

 

「そこだっ!!」

 

 シャンシーは鋭くボクの背後に接近。順手に匕首を握った拳を真っ直ぐ突き出してくる。

 

 彼女の下腹部からは濃い【気】の集中を感じる。おそらく【炸丹(さくたん)】を使って打つつもりだ。

 

 絶好の攻めどころだと感じたのだろう――ボクが"ワザとさらけ出した"隙を。

 

「はっっ!!!」

 

 シャンシーは発破のような一喝とともに踏み込み、正拳を打った。同時に丹田でスパークのような激しい【気】の炸裂が起こる。予想通り【炸丹】を使って打ってきたようだ。

 

 ――しかし、ボクに当たることはなかった。

 

 ボクは必殺の拳が来る直前に、体の位置を小さく移動させていたからだ。

 

 【仙人指路(せんにんしろ)】――ワザと隙を見せることで相手の攻撃を誘い込む【打雷把】の体さばき。

 

 どんなに素早い一撃でも、どこに来るかが分かっていれば避けるのは簡単だ。

 

 そしてボクは――シャンシーの脇腹辺りまで急接近した。

 

「っ!!」 

 

 彼女が焦った顔になった途端、その胴回りに小さな電流が走った。【硬気功】を使ったのだ。

 

 でも――【硬気功】すら突き破る【打雷把】の【勁擊】の前では意味がない!

 

 ボクの渾身の肘打ち【移山頂肘(いざんちょうちゅう)】が、彼女の脇腹に深々と突き刺さった。

 

「~~~~っ!!?」

 

 表情が大きく歪んだかと思うと、シャンシーは「く」の字になって大きく吹っ飛んだ。

 

 石畳に背中を付いてもなお、氷の上を滑るようにスライドしていく。

 

 やがて、止まる。

 

「う……あっ……そんな…………どうして【硬気功】が……? それに……この、バカみてーな、威力は…………!」

 

 仰向けに倒れたシャンシーは、打たれた場所を押さえながら、かすれた声で呟いた。

 

 苦痛を隠すことなく顔に濃く表している。

 

 もう終わりだろう。

 

 そう思った時、

 

「……クソッ……タレが…………! まだだ……! まだアタシは……負けちゃいねー…………!!」

 

 シャンシーが震えながらも、ゆっくりと立ち上がった。

 

「ここで勝たなきゃ…………【九十八式連環把】は……泥まみれなままだ……!」

 

 そして、匕首を構える。

 

 ダメージがでかいせいか、四肢が明らかに震えている。安定感に欠ける構え。

 

 しかし、シャンシーの表情からは苦痛は感じられても、弱さは感じなかった。見えるのは「戦おう」という確かな意志力。

 

 【打雷把】の強大な【勁擊】を食らってもなお諦めずに立ち上がり、そして挑もうとしている。

 

 ……ボクはこれ以上、こんな気骨のある武法士をいたぶりたくない。

 

 なので――次の一撃で必ず終わらせる。

 

「……おおおおぉぉぉぉぉぉっ!!!」

 

 シャンシーは両手の匕首を順手持ちにすると、一直線に突っ込んできた。

 

 繰り出される、苦し紛れの一突き。

 

 ボクは体の位置を少しずらし、それを難なく回避。そのまま、相手の懐へ入る。

 

 シャンシーは間伐入れずにもう一本の匕首で突いてくる。

 

 が、【硬気功】を施した拳で刃を叩き折る。

 

 この瞬間、シャンシーは完全な無防備となった。

 

 ボクは両足のかかとを浮かせてから、全身の動きを協調一致させた。

 

 浮き上がった両足のかかとで思い切り地面を【震脚】する。 

 腰を一気に深く落とす。

 拳を真下から上へ円弧軌道で振り上げる。

 

 それらの動作から生まれた強大なエネルギーが、拳に集中する。

 

 【迅雷不及掩耳(じんらいふきゅうえんじ)】――【震脚】によって生み出された大地からの反作用を拳に伝え、相手に叩き込む技。比較的小さなモーションで大きな力を打ち出せるため、至近距離での戦闘時で非常に使える。

 

 拳が、下からすくい上げるようにしてシャンシーの腹部へ食らいつく。

 

 瞬間、彼女の体が勢いよく上へ吹っ飛んだ。

 

 3(まい)ほどの高さで上昇は止まり、自由落下を始める。

 

 やがて、シャンシーは背中から着地。

 

 そのまま、動かなくなった。

 

 ボクはそっと顔を覗き込んだ。

 

 どうやら、気絶しているみたいだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「んっ……」

 

 暗い海の底から浮き上がるような感覚とともに、孫珊喜(スン・シャンシー)は目を覚ました。

 

 ゆっくりとまぶたを開ける。

 

 まず最初に目についたのは、規則正しい配置の石畳。きれいな長方形の石がいくつもくっつきあって、あみだくじのような直角の溝を作っている。

 

 寄りかかっているのは、硬い壁。

 

 自分が猫背になってこうべを垂らしている事に気づいたシャンシーは、顔を上げる。

 

「――気がついた?」

 

 そして、とても美しい少女と目が合った。

 

 自分の小麦色に焼けた肌とは違う、文句なしの白皙(はくせき)。つややかで長い髪は太い一本の三つ編みに束ねられており、少女が首を傾げるのに合わせて小さく揺れる。それをかぶるようにして存在するのは、箱入り娘然とした華やかな顔立ち。しかしぱっちりと開けられた大きな瞳の存在から、上品さと同時に快活さも感じられる。

 

 そんな少女はしゃがみこんで、こちらの様子を心配そうに伺っていた。

 

 最初はその事実をぼんやりと他人事のように捉えていたが、意識が覚醒してきたことで、目の前の少女が何者なのかを思い出した。

 

 李星穂(リー・シンスイ)。自分がさっきまで戦っていた少女だ。

 

 そして、同時に確信する。自分はこの少女の一撃によって、無様にも気絶していたということを。

 

 それらを悟った瞬間、意識が一気に明瞭となった。闘志によって。

 

 シャンシーは奥底から湧き上がる気力のまま、勢いよく立ち上がろうするが、

 

「テメー、よくもやってくれたな! 覚悟し――――うっっ!!!」

 

 刺さるような激痛を突然感じ、全身が本能的に弛緩。尻餅をついた。

 

 痛みで息を荒げるシャンシー。

 

「ちょっ、無理しちゃだめだよ。安静にしてなきゃ」

 

「やかましい! 敵の指図は受けねーよ、タコ!」

 

 こちらの身を案じるシンスイの言葉を、シャンシーはすげなく切り捨てる。

 

 一度辺りを見回し、状況を確認。

 

 背後にある壁の方を振り返ると、それはとてつもなく高く、そして横幅の大きな建物。この【滄奥市】に長いこと住んでいる自分には分かる。これは『公共区』の『競技場』だ。自分は今、その外壁に背中を預けて座っていた。

 

 空はすでに薄暗くなっていた。夕日が放つあかね色の光が、遥か西にうっすらと見える。それに引っ張られるようにして夜闇が訪れようとしていた。

 

 もう日没である。

 

 そして「その通りだ」と言わんばかりに――重々しく荘厳な音が高らかに響いた。

 

 この音は知っている。『公共区』の鐘楼にある鐘の音だ。

 

 これが鳴ったということは、『試験』が終了したということ。

 

 そして、これより一時間以内に『鈴』を持って『中央広場』へ戻らなければ、予選大会出場は認められない。

 

 シャンシーの胸に激しい焦燥感が生まれた。

 

「くそっ! まだだ! まだ負けてね――――ぐっ!!」

 

 立ち上がろうとするが、そのたびに激痛が走り、体勢が崩れる。

 

 何度も繰り返すが、やはり結果は同じ。

 

 シンスイから攻撃を受けた回数はたった三回。しかし最初の回し蹴りを除いて、シンスイの一撃は凶悪に重々しかった。あれほどの【勁擊】を食らった経験は初めてだ。おそらく、自分の師父でもあの異常な威力は出せないだろう。

 

 おまけに【硬気功】が全く通じないという反則じみた能力。

 

 それらの判断材料から、【打雷把】という流派の非凡さを痛感した。

 

 このとんでもない武法が無名なのは、厳重に秘匿されていたからかもしれない。

 

 武法の中にはその技術の強力さゆえ、鍛錬法どころか技の一つもみだりに公開せず、徹底的な秘密主義を敷いて伝承されてきた流派もいくつか存在する。

 

 もしかすると【打雷把】も、その一つなのかもしれない。そう考えれば、あのデタラメな威力と能力にも納得がいく。

 

 しかし、そんなとんでもない武法が相手だったとしても、それは引き下がる理由にはなりはしない。

 

 自分は勝たなければならない。【九十八式連環把】の名誉を回復させるために。

 

「うっ……ぐっ!!」

 

 しかし踏ん張るたび、激痛が電気のように総身を駆け巡る。

 

 それだけじゃない。全身がまるで鉛みたいに重い。

 

 気力に反比例して、体はもう限界だった。

 

「――やめなよ。もう君は戦えない。それは自分でも分かってるんじゃないかな」 

 

 シンスイが、諭すような口調で言ってくる。

 

 言い返そうと思った。

 

 しかし、やめた。

 

 自分がもう限界であることは、自分が一番よく分かっていた。

 

 自分は――負けたのだ。

 

 これで【九十八式連環把】の名誉を回復するという、自分の目的は潰えた。

 

 また、陰口を叩かれながら生きていく毎日の始まりだ。

 

 どれだけ勤勉に修行しても、泥が拭えない日々が続くのだ。

 

 心にぽっかり穴が空いたような空虚感が生まれる。

 

 その空虚感から目を背けるため、どうでもいいことをシンスイに尋ねた。

 

「おい、李星穂(リー・シンスイ)。アタシ……何分寝てたんだ?」

 

「うーん、二〇分くらい、かな?」

 

「…………アンタさ、ずっとアタシが起きるの待ってたのか?」

 

「そうだよ?」

 

 きょとんとした顔で肯定するシンスイ。

 

 シャンシーは怪訝な顔で、

 

「……なんでさっさと捨てて行かねーんだ? もう鐘は鳴った。アンタが鈴持ちだっつっても、一時間以内に持ち帰れなかったらアウトなんだぞ」

 

「眠ったままの女の子を放置して行けないって。それに……その、一言言いたくてさ」

 

 シンスイは何度か逡巡してから、改まった口調で告げた。

 

 

 

「君の腕前は素晴らしかった」

 

 

 

 予想外の言葉に、シャンシーは困惑で思わず目を見開いた。

 

「【九十八式連環把】を取り巻く事情はボクもよく知ってる。あちこちで悪用されたせいで評判が落ちたこともそうだけど、その悪用した連中のせいで間違った伝承が流布されてしまったことも知ってる。彼らがいい加減な形で【九十八式連環把】を覚えて、それを軽々しく広めたからだ。その流れを汲む【九十八式連環把】には「連続攻撃」の要素はあっても、二番目に大事な「攻防一体」が欠けている。【九十八式連環把】はそんな粗製品みたいなものが大半で、正しい伝承を行っている所の方が少ない」

 

 シンスイは、こちらの目を真っ直ぐ見つめた。

 

 同情しているわけでも、優越感に浸っているわけでもない、どこまでも真摯で真っ直ぐな眼差しで。

 

 思わず――その眼差しに見とれてしまった。

 

「でも、君の使うそれは違う。戦ってみてよく分かったよ。君の放つ一つ一つの技には、「攻防一体」の要素がきちんと含まれてた。これは、悪用した連中が流布した伝承には無いものだ。そして何より、君が【九十八式連環把】と誠実に向き合ってきたことの証だ。賭けてもいい」

 

 シンスイは、こちらの両肩に手を置く。

 

「だからシャンシー、君は十分に誇っていいんだ。【黄龍賽】優勝を目指さなくたって、君はきちんとその裏付けを持っているから。もし世界中の人たちが総じて「ゴロツキの喧嘩道具」と後ろ指を指しても、ボクだけは全力で「違う」と叫ぶ。だって、君がどれだけこの武法を愛してて、そして真剣に取り組んでるのかを知ってるから。今度君の前で何か言う奴がいたら、その時はボクがそいつをぶん殴ってやる」

 

 胸が熱くなった。

 

 何かが抜け落ちたように空っぽだった心に、灯火が宿った気がした。

 

 そこまで言うとシンスイは立ち上がり、

 

「……それだけ、言いたかったんだ。それじゃあ、ばいばい」

 

 少し恥ずかしそうな笑みを浮かべてそう告げ、走り去っていった。

 

 シャラン、シャラン、シャランという音色を響かせながら、遠ざかっていく。

 

「……変な女」

 

 シャンシーは思わずクスリと笑みをこぼす。

 

 あんなことを言うためだけに、自分が起きるのをずっと待っていたというのか。

 

 もう『試験』のタイムリミットだって近いというのに。自分がいつまで経っても起きなかったらどうするつもりだったのだろうか。

 

 しかも「ぶん殴る」とか。あんなお嬢様っぽい美少女が口にする言葉とは思えない。

 

 本当に、なんて変な女か。

 

 本当に……なんて優しい女か。

 

 ――彼女が女で良かった。男だったら、自分は絶対に惚れていただろうから。

 

「……完敗、かな」

 

 大きく間を開けて繰り返される鐘の音を聞きながら、シャンシーは小さく微笑んだのだった。

 

 心に巣食っていた空虚感は、もう無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「と…………とぉーーちゃくぅーーーーっ!!」

 

 すっかり日が暮れて薄暗い『公共区』の中を走り、ボクはようやく最初に『鈴』を受け取った場所――『中央広場』に到着した。

 

 さっきいた『闘技場』からこの場所まで、大して遠くはない。

 

 にもかかわらず、予定より随分到着が遅れてしまった。

 

 なぜかというと、待ち伏せをされていたからだ。

 

 鈴持ちは鐘が鳴った後、この『中央広場』へと向かわなければならない。

 

 それはつまり――その場所に鈴持ちが集中するということだ。

 

 そこへ向かう鈴持ちから『鈴』を奪い取り、大逆転勝利をしようという輩が大量に現れたのだ。

 

 ボクはそんな連中の相手をしていたので、少しばかり時間を食ってしまったのだ。

 

 しかし、それも終わり!

 

 まだ鐘が鳴り始めてから一時間経っていない。ボクはこの『試験』に見事合格したのだ。

 

 数時間ぶりに見る『中央広場』は、朝と比べてだいぶ空いていた。

 

 いるのは役人風の男数人と、武法士が一五人。

 

 そして、その一五人の中には――

 

「ライライっ!」

 

 そう、ライライもちゃんといたのだ。

 

「ふふ、数時間ぶりね」

 

 ライライはうっすら微笑むと、ボクと持っているのと同じ『鈴』を見せてきた。シャラン、と音が鳴る。

 

 ボクは嬉しくなる。今朝に交わした待ち合わせの約束を、彼女は見事に守ってくれたのだ。

 

 ボクもポケットから『鈴』を取り出し、それを見せる。

 

「おめでとう、シンスイ」

 

「うん。ライライも」

 

 そう言って、ボクらは互いに手を叩き合った。

 

 今日この時、ボクは片足を乗せたのだ。【黄龍賽】優勝までの、長い階段の一段目に。

 

 これからも一段、また一段と、快調に駆け上がってみせる。

 

 

 

 

 

 ――――その後、ボクらは大会運営の元で出場手続きを行った。

 

 

 

 こうして、晴れて予選大会出場が決まったのだった。

 



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開会式

 『試験』に無事合格し、予選大会参加者一六名の中に名を連ねることになったボクらは、大会運営が用意した宿に泊まることとなった。

 

 『商業区』にある『巡天大酒店(じゅんてんだいしゅてん)』という場所で、なかなか大きく立派な宿泊施設だった。

 

 予選大会に敗退、もしくは優勝するまで、そこがボクら一六名の家となる。

 

 予選大会は明々後日(しあさって)から始まる。ボクらにはそれまで、二日間の休息が与えられた。

 

 しかし、ボクはその二日間の中でも、修行を欠かすことはなかった。

 

 一日目の夜。

 

 そこは、小さな個室だった。

 

 存在するものは大きなベッド、横長の机、足の長い椅子、そして正方形の行灯(あんどん)のみ。モノの種類の数だけ見れば殺風景ととれるかもしれないが、それらに施された華美な装飾の醸し出す高級感は、モノが少ない寂しさを打ち消して余りあるものだった。

 

 実家にあるボクの私室より、幾分か豪華な部屋。

 

 そこはさっき述べた『巡天大酒店』の一室だった。予選大会の期間中、ボクが寝床にする場所である。

 

 ボクはそこで一人、修行していた。

 

 修行といっても、【拳套(けんとう)】のような激しい動きに富んだものではない。そこまでの広さではないし、何より【打雷把(だらいは)】の【拳套】をこんな室内で行えば、【震脚(しんきゃく)】で床が砕けてしまう。弁償はまっぴらだ。

 

 なのでボクは室内で、なおかつ狭い場所でも出来る修行をしていた。

 

 ボクはやや腰を落とし、真正面に右拳を突き出した姿勢で静止している。

 

 だが、突き技の練習ではない。

 

 突き出された右腕の手首には――つるべが引っ掛けてあるのだ。

 

 つるべの中にたっぷり入った水の重さによって、一定の負荷が右腕全体にかかっている。

 

 ボクはこの状態で、すでに五分は静止している。

 

 右腕と右肩にはだるい痛みがじわじわと続いており、額にはうっすら汗が浮かんでいた。

 

 これは【易筋功(えききんこう)】という、武法における修行法の一種だ。

 

 この【易筋功】について語るには、まず【(きん)】というものの存在について説明しなければならない。

 

 ――【筋】とは、武法士の肉体に存在する特殊な運動器官のことである。

 

 【易骨(えきこつ)】によって余分な筋力が抜け、理想的な状態に整えられた肉体にのみ現れる。

 

 【筋】は体の中に通っている、太い一本のヒモのような器官だ。五体全ての内側を芯のように通っており、なおかつそれらは全て列車のレールよろしく繋がっている。

 

 具体的にそのような器官が存在するわけではない。だが、"感覚的には"確かに存在する。

 

 また【筋】と筋肉は名前こそ似ているが、両者の性質はかなり異なる。

 

 筋肉は収縮することで力を出すが、【筋】は伸びて突っ張ることで力を出す。

 

 筋肉は衰えやすいが、【筋】は非常に衰えにくい。

 

 【筋】の成長速度は筋肉より遅いものの、その成長限界は理論上無いに等しい。

 

 そして、筋肉の性能には男女差があるが、【筋】には無い。武法の世界が男女平等である理由は、この【筋】の存在によるところが大きい。

 

 簡単に言ってしまえば、【筋】とは「高性能の筋肉」のことである。

 

 武法士は【勁撃(けいげき)】を使う時、この【筋】の力によって骨格を動作させ、体術を行っている。

 

 つまり【筋】の強さは、そのまま【勁撃】の威力へと直結するのだ。

 

 そして話を戻すが、【易筋功】とはその【筋】を鍛えるための修行法だ。

 

 あらゆる方法で【筋】に負荷をかけ、その可動域や柔軟性、突っ張る力の強さを養うのだ。武法士専用の筋トレと言っていいかもしれない。

 

 ボクが今行なっている【易筋功】は、つるべの重さによって腕の中に通う【筋】に負荷をかけ、突っ張る力を鍛えるためのものだ。

 

 【易筋功】は筋トレや柔軟体操のように、急激な負荷をいち、にー、さん、し、と断続的にかけるのではない。絶え間無く、継続的に、一定の負荷をかけ続けるのだ。そうしなければ【筋】はうまく育たない上、急激な負荷によって傷めかねない。

 

 余談だが、【架式(かしき)】も広く考えれば【易筋功】に分類される修行法だ。その流派で大切な姿勢のままずっと静止し続けることで、その姿勢に必要な【筋】の力加減を体に覚えこませ、なおかつ、それらを総合的に鍛えるのだ。

 

 ボクはこのつるべを使った訓練をすでに何年もやっている。そのためボクの腕は、その細さや柔らかさとは不釣り合いなほどの怪力を持っている。この腕で一般人を殴ったら、間違いなく大怪我をさせてしまうだろう。

 

 ちなみにこのつるべは、この宿の従業員のおばちゃんに借りたものだ。中には、近くの井戸で汲み上げた水が入っている。

 

 今でも十分重たいが、レイフォン師匠がご存命の頃は、途中でちょくちょく水を足してさらに重くされたものだ。そのことを含めて、あの人の修行は本当に容赦がなかった。

 

 しかし、そんな容赦の無さがあったからこそ、今のボクがある。だから師匠には感謝してもしきれない。

 

 さらに数分間【易筋功】を続けた後、ボクはつるべをゆっくりと床に置いた。

 

 右腕全体には、だるさと疲労が残っている。しかし、ほんのわずかだが、そこを通う【筋】の強さに磨きがかかっているような気がした。

 

 ボクはしばらく右腕をぐるぐる回し、深呼吸してから、修行を再開した。先ほどのつるべを、今度は左腕にぶら下げた。

 

 そのまま、再び静止する。

 

 左腕に下向きの力が絶えずかかり続け、だるさがジワジワと生まれ始める。

 

 ――大会運営側は、今回の二日間の休みを「休息期間」だと言った。

 

 しかし、ボクは確信していた。

 

 たとえ休息の期間だったとしても、他の一五人は怠けてなんかいないということを。

 

 ならば、ボクも怠けるわけにはいかない。

 

 それに、ボクにとって修行は楽しいものであって、苦行ではない。

 

 ボクは自分自身に武法の才能があるなんて思ったことはない。でも、修行を楽しくできるというのは、ある意味かなりの強みだと思うのだ。

 

 だから、ボクはボクのスタンスを変えない。ボクらしく強くなってみせる。

 

 ――そうして、ボクの一日目の夜はふけていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、あっという間に二日目の夜も過ぎ――とうとうその日が訪れた。

 

 午前の太陽が、頭上でさんさんと光っている。

 

 ボクの足元には、硬い石畳の敷かれた広大な円形の空間が広がっていた。その周囲を囲う壁面のさらに上部には観客席がリング状に伸びていて、そこに座る大勢の人々がこちらを見下ろしている。まるで巨大な筒の中に入っているような錯覚を覚えそうだ。

 

 円形の空間の中央には、ボクとライライを含めた合計一六人が横並びになっていた。緊張してかちこちになっているボクと違い、みんな平然とした顔だった。なんだか自分がおのぼりさんみたいに思い、少し恥ずかしかった。

 

 前方には、数人の男性がボクらと向かい合うようにして立っている。みな厳かな面構えで、中華伝統衣装の長袍(ちょうほう)にも似た長衣を綺麗に着こなしていた。

 

 彼らは、大会運営の人間だ。

 

 これからこの『競技場』で、予選大会の開会式が行われる。

 

 ここで挨拶を含めて、今大会のルールや対戦表が公開される。

 

 そういうわけなので、周囲の観客の視線も含めて、ボクはドキドキして気が気でなかった。

 

 ここに来て唯一話せる相手であるライライは遠く離れた位置にいるため、ますます緊張は募る一方。

 

 まだここに立って五分も経っていないはずだけど、ボクはもう三十分は立たされているような気分だった。

 

 速く進めて欲しい。そう思いながら棒立ちを続けるボク。

 

 やがて、観客席よりさらに高所にあるテラスのような場所から、大きな銅鑼(ドラ)が打ち鳴らされた。

 

 荘厳かつ派手な大音量が響き渡り、観客席がピタリと静まり返る。

 

 そして、ボクらの前に立つ大会運営の一人が一歩前へ出て、重い口を開けた。

 

「――大変長らくお待たせいたしました! これより第五回【黄龍賽(こうりゅうさい)】、【滄奥市(そうおうし)】予選大会を開始します!!」

 

 周囲の観客席から歓声が湧き上がる。

 

 それから飾り付けのような挨拶の言葉をしばらく述べ、ようやくルールの説明に入った。

 

「今大会の方式は勝ち抜き戦。今回厳しい『試験』をくぐり抜けたこの一六名に戦っていただき、最後まで勝ち抜いた方を優勝者とし、帝都にて行われる【黄龍賽】本戦に出場する権利を与えます! これと同じ大会は【煌国(こうこく)】のその他一五都市でも行われており、今大会優勝者は、本戦でその優勝者たちと戦うことになります!」

 

 その言葉を合図にしたようなタイミングで、先ほどのテラスのような場所から一枚の布が垂らされた。

 

 人間が十人以上余裕で雑魚寝できそうなほどの、大きな横長の白い布。風でめくれ上がらないための配慮か、その布の一番下の辺には(おもり)のようなものがいくつも横並びで付けられていた。

 

 そしてその白い布の面には、ねずみ算に酷似した図が墨汁ででかでかと描かれていた。

 

 最初に一本線から始まり、そこから徐々に何本もの線へと広がりを見せている。そして一番下にある末端の線は一六本。その下には、ボクを含む参加選手の名前が美しい黒文字で書かれていた。

 

 そう。その図は――トーナメント表としか呼べないシロモノだった。

 

 しかも、ボクの名前は一番左側にあった。

 

 予選大会の一回戦は今日の午後一時から始まる。つまり、ボクは今日早速一試合目に出ることになるということだ。

 

 うわー、なんか一番最初ってヤダなぁ……どうすればいいのか迷うし、緊張するし。

 

 ちなみに、ボクの右隣に書かれた名前――つまり最初の対戦相手の名前は「紅蜜楓(ホン・ミーフォン)」。

 

「試合におけるルールは主に三つ!

 一つ――先に降参、もしくは気絶した側の敗北とする!

 二つ――武器の持参・使用は自由! ただし試合中、外部からの武器の受け取りは禁止!

 三つ――【毒手功(どくしゅこう)】の使用は厳禁! 【毒手功】は今大会の公平性を著しく害する技術であるため、使用もしくは使用未遂を確認次第、その選手を即刻失格とする!」

 

 「以上!」という一言とともに、ルール説明は終わった。

 

 なるほど、シンプルなルールだ。

 

 ちなみに【毒手功】というのは、自身の手に毒を帯びさせる技術のことだ。

 

 決められた種類の毒虫や毒草をすり潰して毒薬を作り、その中に何度も手を突っ込むという修行を行う。それによって長い年月をかけて手に猛毒を染み込ませ、やがて【毒手】に変える。

 

 【毒手】となった手の皮膚は赤紫っぽく変色しているため、パッと見ですぐに分かる。

 

 そして、その【毒手】を使って【勁擊】を打たれた者は、たとえ服越しであっても【硬気功(こうきこう)】を施していても、問答無用で酷い毒に冒されてしまう。良くて廃人、たいていの場合は遅かれ早かれすぐ死亡する。

 

 使用者の腕前にかかわらず、当たった相手を高確率で死亡させるというアンフェアさから、武法士の間では「邪道」と呼ばれ、嫌悪と軽蔑の対象となっている。武法バカなボクでさえ、この【毒手功】はあんまり好きじゃない。

 

 強力だがその反面、修行の過程で自分が毒に冒されてしまう危険性がある。そのせいか、現在ではほぼ失伝している。

 

 ――閑話休題。

 

 それから細かい補足説明のようなものがちょくちょくなされた。

 

 そして開会式が終わりにさしかかると、ずっと説明をしていた運営の人がボクらを見据え、口元をほころばせて言った。

 

「では、最後に一言申し上げます。名誉ある一六名の皆様、色々と煩わしく申しましたが、あなた方に期待することはただ一つです。――どうか、我々や観客の皆様が手に汗を握るような、熱い戦いを期待しています!!」

 

 ドッ、と膨れ上がる大歓声。

 

 莫大な声量を全身でビリビリと受けながら、ボクは大会の始まりを改めて実感したのだった。

 

 ――頑張ろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから開会式が終わり、ボクら一六名は解散となった。

 

 そのすぐ後、ボクはライライと並んで『競技場』内一階の廊下を歩いていた。

 

 内壁、床ともに頑丈な石造りの一本道。今のボクらから見て左側の石壁には等間隔で四角い穴が穿たれており、外の光を中へ招き入れている。その穴ほど多くはないが、壁には行灯もいくつかぶら下がっていた。夜はあれで灯りを付けるのだろう。

 

「一回戦頑張ってね、シンスイ」

 

 ライライはスズランを思わせる奥ゆかしい微笑を浮かべ、応援の言葉を送ってくれる。少し低めで、それでいて澄み切った声。

 

「ありがとー、ライライ。頑張るよ」

 

 ボクは少しやせ我慢の混ざった笑みを浮かべてそう返す。

 

 一回戦は今日の午後一時から開始だ。そしてボクはその一回戦を一番最初に戦うこととなっている。

 

 トップバッターを命じられたボクは少し緊張していた。みんなにもそういう経験はないだろうか? 発表会などで一番最初に発表することが土壇場で決まって、モデルケースがない分プレッシャーを感じたことが。

 

 開会式終了後に懐中時計を見ると、正午までまだ三十分以上余裕があった。なので、せめて試合までリフレッシュしていることにした。

 

 ちなみにライライはボクとは逆で、一番最後に一回戦を行うことになっている。

 

「そういえば、あなたの対戦相手って何て名前かしら?」

 

 ふと、ライライが訊いてくる。彼女が首を傾げた途端、胸元に実った巨大な二つの果実がふるん、と小さく揺れた。

 

 ボクはソレから素早く目を背け、少し上ずった口調で答えた。

 

「ホ、紅蜜楓(ホン・ミーフォン)って人っ」

 

 そう。確かそんな名前だったはず。

 

「……紅蜜楓(ホン・ミーフォン)、ですって?」

 

 だが、不意にライライの声が硬くなった。

 

 それを不審に思ったボクは、

 

「どうしたのライライ?」

 

「いえ。ちょっと聞き覚えのある名前だと思って……」

 

「へぇ、もしかして知り合い?」

 

「いえ、そういうわけではないけど……」

 

 なんだかライライの歯切れが悪い。

 

 彼女はしばらく唸るように黙り、やがて、少し言いにくそうに口に出した。

 

「昔、父から聞いた話で、断片的にしか覚えてないのだけど……確か――【太極炮捶(たいきょくほうすい)】宗家の「(ホン)家」に、そんな名前の娘がいたような気がするのよ」

 

 ボクは思わず目を見張った。

 

 ――【太極炮捶】。

 

 はっきり言って、この流派を知らない武法士はモグリと呼んでいい。それだけ名高い流派なのだ。

 

 【太極炮捶】とは、最古の武法にして――全ての武法の源流。

 

 【煌国】には星の数にも等しい量の武法が存在するが、それらは全て【太極炮捶】の身体操作、修行体系、戦闘理論などに改良を加えて生み出された亜流なのだ。

 

 【雷帝(らいてい)】と呼ばれた最強の武法士であるレイフォン師匠も、最初はこの【太極炮捶】を学んだのだ。そして【太極炮捶】で得た豊富な技術を取捨選択し、そこへ独自のアレンジを加えて【打雷把】を完成させたのである。まさしく温故知新だ。

 

 【太極炮捶】の基礎理論は『太極』。

 

 『太極』とは、『陰』と『陽』が一体になっている状態のこと。

 

 【太極炮捶】はその理論通りに肉体を操作し、人の身で人以上の力を発揮するのだ。これは【太極炮捶】に限らず、ソレから生まれたその他全ての武法にも当てはまる話だ。

 

 【易骨】を例に挙げよう。【易骨】は骨格を理想的な配置に整えることによって、全身に分散していた体重を足元に集中させる。この時、全身は余計な力みが一切無い『陰』となり、足裏は自重の集中した『陽』となる。こうして肉体は『太極』と化すのだ。

 

 【気功術(きこうじゅつ)】にも『太極』の理論は反映されている。全身に流れる【()】を集めて丹田に凝縮させることで、【気】が濃く集まった丹田を『陽』となし、その他の体の部位を『陰』となす。

 

 その他にも例がたくさんあるが、挙げるとキリがないので、ここは割愛しておく。

 

 このような革新的な体術を一から開発したのは、「(ホン)家」の人間である。

 

 つまり(ホン)家は【太極炮捶】の宗家。

 

 彼らは【黄土省(こうどしょう)】南東部を拠点とし、【太極炮捶】の分館をこの【煌国】各地にいくつも立ち上げている。武法士社会の中ではまさに一大勢力だ。

 

 もしも紅蜜楓(ホン・ミーフォン)がその(ホン)家の一人だとするなら、かなりの実力者である可能性が高い。

 

 ボクはリラックスしかけていた心を一転、再び緊張させた。

 

 そんなボクを気遣ったのか、ライライは弁解するような口調で言い募った。

 

「あ、あのねシンスイ、多分よ? 私自身は紅家の人間に会ったことがないし、もしかすると、気のせいかもしれないわ。あんまりアテにしないでね」

 

 

 

 

 

「――気のせいなんかじゃないわ。ご名答よ」

 

 

 

 

 

 その時、可愛らしいながらも鋭い響きを持った声が、割って入るように後ろから飛んできた。

 

 ボクら二人は同時に振り向く。

 

 視線の先には、不敵に微笑を浮かべた一人の美少女が佇んでいた。

 

 歳はパッと見、中学に上がりたての小学生くらいに見える。身長もボクと同じくらいか少し低い程度。しかし旗袍(チーパオ)の腰から上を切り離して作ったような半袖の胸部からは、小さな背丈とは釣り合わない、なかなか大きな二つの膨らみがある。

 

 髪は毛先が肩に届く程度のセミロングで、両側頭部には真っ赤な菊花の模様が描かれた丸いシニヨンカバー。猫のようにつり上がった瞳が特徴的な顔立ちは、少女特有の愛らしさの他に、触る者をチクッと刺激するバラのような刺々しさも微かに感じさせる。

 

 その女の子はかぼちゃパンツにも似た長ズボンの裾を揺らしながら、こちらへ悠然と歩み寄って来る。

 

 ボクらの前でピタリと足を止めると、

 

「まさしく噂をすれば影、ね。ごきげんよう李星穂(リー・シンスイ)。あたしは紅蜜楓(ホン・ミーフォン)。今日の午後一時にあんたと戦う予定の相手にして、【太極炮捶】宗家である(ホン)一族の三女よ」

 

 ボクの方を真っ直ぐ射抜くように見て、そう自己紹介してきた。

 

 ボクはびっくりしすぎて飛び上がりそうになった。

 

 今ちょうど噂をしていた人物が、グッドタイミングで目の前に現れたのだ。

 

 しかもその人物は、武法士社会で名高い「(ホン)家」の身内と来たもんだ!

 

 武法マニアの血がたぎるのを感じる。聞きたい。色々根掘り葉掘り聞きまくりたい。吸い尽くすようにインタビューしまくりたい。

 

 しかし、まだ自己紹介を返してもないうちからそれは失礼だろう。ライライの時の失敗は忘れないぞ。

 

「えっと、ボクは李星穂(リー・シンスイ)っていうんだ。【太極炮捶】宗門の一族に会えるなんて夢みたいだよ。よろしく」

 

 ボクは気持ちを落ち着け、余裕のある態度で自己紹介をした。うん、我ながら凛々しい対応だ。

 

 女の子――ミーフォンは「よろしく」と一言返すと、

 

「あんた、流派はどこなの?」

 

「【打雷把】っていうんだ。知らないかもしれないけど……」

 

 そう流派名を教えた時だった。

 

「……あ、そう」

 

 ミーフォンの態度が一転した。

 

 ため息を盛大にもらし、諦めにも似た表情が端正な顔に浮かぶ。まるで興味をなくしたかのような消沈ぶりを露わにしていた。

 

 え? な、なんだろう、この態度……?

 

 少し引っかかるものを感じたが、ひとまず目をつぶる事にした。

 

「え、えっと、これから始まる試合、お互い頑張ろうね」

 

 そう言って、ボクは手を差し出した。

 

 だが次の瞬間――その手を思い切り払われた。

 

「え……?」

 

 ボクは唖然とした。

 

 思考速度がワンテンポ遅れる。

 

 今、手を払われた。誰に? ミーフォンに。

 

 どうして――と考えるよりも先に、ミーフォンが蔑むような眼差しをこちらへ向けながら、投げ捨てるような口調で言った。

 

「――勘違いしないでくれない? あたしと対等の立場に立ってるつもりなの? だとしたらはっきり言うわ――それはとんだ思い上がりね」

 

 あまりに予想外な展開に、ボクは言葉を発せなくなってしまう。

 

 しかし、そんなボクの代わりとばかりに、ライライが非難のニュアンスの混じった低い声で言った。

 

「……いきなり何の真似かしら。随分とあからさまな豹変ぶりね」

 

「ハッ、あんた宮莱莱(ゴン・ライライ)でしょ? 『試験』の最中、あんたが【刮脚(かっきゃく)】を使うところをちらっと見たわ。やれやれ、おママゴトに夢中な田舎者同士が馴れ合って。見るに堪えないったらないわ」

 

「……ママゴト?」

 

 ボクはようやく、声を出すことができた。

 

 ミーフォンは隠すことなく冷笑し、氷を肌に擦り付けてくるような口調で言った。

 

「そうよ? だって【太極炮捶】じゃないんだもの。その他の武法なんて後から作られた粗製濫造のオンパレードじゃない。歴史も戦闘理論の幅も技術の量も奥深さも、【太極炮捶】には遠く及ばない出来損ない。そんなものをママゴトって呼んで何が悪いっていうの?」

 

 ……ボクは(ホン)家の人間と直接会ったことはない。

 

 だが、噂には聞いたことがある。

 

 自分たちの祖先が作った【太極炮捶】だけが武法であり、その他多くの流派は取るに足らない「武法モドキ」である――(ホン)家の人間は、そんな中華思想に等しい考え方を持っているという噂。

 

 どうやらソレは、あながちデマでもなかったようだった。

 

「あんたさぁ、とっとと棄権したら? まだ間に合うわよ。大怪我の挙句に観客の前で大恥さらしたくないんならとっとと田舎に帰りなさい。その方があたしも楽でいいし。【打雷把】だっけ? そんなもん、ウチの【太極炮捶】とは歴史も技術も比べるまでもないわよ。【太極炮捶】は源流。全ての流派の親。子が親に勝る道理があると思ってんの?」

 

 傲岸不遜に言い募るミーフォン。

 

 【太極炮捶】こそが真の武法。他の流派は全て武法を騙るまがい物。まさしくそれが彼女の考え方なのだ。

 

 しかし、色々な武法を知っていて、それらに何度も感動した経験のあるボクは、そんな視野狭窄にも等しい考え方に対して「否」と突きつけたかった。

 

 ボクは言った。ケンカ腰な口調ではなく、諭すような声で。

 

「本当にそんな狭い考えを持ってるというのなら、はっきり言おう――君は世間知らずだ」

 

「……なんですって?」

 

 ミーフォンがピクリ、と柳眉を動かした。明らかに機嫌を損ねている様子。

 

 しかしボクは構わず続ける。

 

「世の中には、素晴らしい武法がたくさんある。それを知ってるボクに言わせれば、君の発言こそ【太極炮捶】という村の中に閉じこもってるせいで外の世界を全く知らない、田舎者のセリフそのままだよ」

 

「……言ってくれるじゃない」

 

 ミーフォンはさらにこちらへ詰め寄ると、ボクの爪先の前でドカンッ! と片足を踏みおろした。

 

 これは【震脚】だ。全ての武法の源流である以上、【太極炮捶】にもきちんと含まれているのだ。

 

 ミーフォンはボクのみぞおちを人差し指でつつき、至近距離から射殺すような目で睨みながら告げてきた。

 

「――上等よ、クソ流派。あんたの無様なやられっぷりを観客と大会運営の前で晒して、公式に出来損ないの烙印を押させてやるわ」

 

 そして、ボクの横を通り過ぎ、去っていった。

 

 遠ざかるミーフォンの背中を見送りながら、ボクは思った。

 

 これから始まる一回戦、負けられない理由がもう一つ増えた――と。

 

 胸に渦巻いていた緊張も、すでにどこかに吹っ飛んでいた。

 



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太極炮捶

 時間が経つのはあっという間で、午後一時はすぐに訪れた。

 

 筒の底に広がったようなその円形闘技場には、三つの出入り口が三角州の配置で存在する。そのうち二つが選手専用で、残り一つが審判専用だ。

 

 ボクは向かい合う形で開かれた選手専用出入り口の一つから出て、円形闘技場の中央へと歩を進めた。

 

 壁と出入り口の上にリング状に広がった観客席から、大勢の人たちがボクらを見下ろしている。

 そのさらに上層には大きな銅鑼(ドラ)の設置された広いテラスのような空間があり、(バチ)を握り締めた人が立っている。試合開始と試合終了の合図は、あのドラで行われる。

 

「――ふーん、来たのね。身の程知らずにも。まぁ、【太極炮捶(たいきょくほうすい)】宗家であるこのあたしが相手でも、逃げずに同じ土俵の上に登ってきたことだけは褒めてあげるわ」

 

 ボクと対面して立っている少女、紅蜜楓(ホン・ミーフォン)はそう言って不敵に口端を吊り上げる。

 

 ボクは怒鳴るでも皮肉を言うでもなく、ただ淡々と返した。

 

「逃げないよ。ボクには負けられない事情があるんだ。たとえ相手が(ホン)家の娘さんでもね。それに【打雷把(だらいは)】への侮辱を撤回させたいこともある。君には【太極炮捶】だけじゃなくて、世の中には凄い武法がたくさんあるんだってことを教えてあげるよ」

 

「……言うわね、武法モドキのくせに。なら、あたしも宣言してやるわ」

 

 ミーフォンは、三本の指を立てた手を見せつけ、宣言した。

 

「――三分よ。三分以内で、あんたにこの競技場の床を舐めさせてあげる」

 

 うおおおっ、と歓声が轟く。

 

 挑発しているのか、あるいは素でやっているのか、彼女の心は知れない。

 

 しかし、いずれでも関係ない。

 

 等しく冷静に、かつ激烈に勝負に臨むのみだ。

 

 ミーフォンは左拳を右手で包み込み、顎の前に持ってきた。【抱拳礼(ほうけんれい)】だ。

 

 ボクもそれに倣う。

 

 ――これで、両者の合意が成立した。

 

 審判用出入り口の付近に立つ審判が、鋭い声で叫んだ。

 

「――始めっ!!」 

 

 ドラが雲を裂かんばかりに、高々と鳴る。

 

 途端、ミーフォンの周囲にある大気が激しく膨張。

 

 タカタカタカタカッ!! とまるでタップダンスのような足さばきで真っ直ぐ迫ってきた。一見変なフットワークに見えるかもしれないが、その速度は大型肉食獣にも勝るほどだった。

 

 知っている。これは【鼠歩(そほ)】だ。瞬発力ではなく、重心を前に送る勢いで高い推進力を得る歩法。精密な足さばきを用いるため、膝と股関節の優れたコントロール無しでは成し得ない高等技術だ。

 

 彼我の距離を、ほぼ一瞬で潰された。

 

()っ!!」

 

 ミーフォンは地を揺るがさんばかりの【震脚】で踏みとどまると同時に、拳の(やじり)を走らせる。

 

 ボクはその正拳を体の捻りで回避。そのまま突き出された彼女の腕の外側へ移動する。

 

 このまま肘打ち【移山頂肘(いざんちょうちゅう)】を脇腹へ叩き込もう――思った瞬間、目の前に伸びた彼女の腕が、突然ボクの方へと迫ってきた。

 

「うわ!?」

 

 ミーフォンの前腕部は、ボクの喉元に接触してもなお移動を続行。そのまま時計の針に巻き込まれるようにして手前に押され、ボクは闘技場の真上に浮かぶ青空を無理矢理見せられた。

 

 頭という重たいパーツを後ろへ傾けられたことで、ボクは重心を崩して仰向けに転倒する。

 

 そして、さらけ出されたボクの腹めがけて、ミーフォンは拳を打ち下ろしてきた。

 

 ボクは鋭く降ってきた拳打を素早く膝で受けてから、迅速に横へ転がり、ミーフォンの足元から脱する。

 

 そこからできる限り素早く立ち上がった。

 

 しかし、ミーフォンはすでにキスできそうな距離まで接近していた。

 

 雨あられのように正拳を連続で放ってくる。一発一発が、蛇が獲物に食らいつくかのごとき勢いと疾さを持っていた。

 

 ボクは絶えずやって来る拳を必死にさばき続けるが、時々失敗して頬を擦過。手に掴んだ縄を思い切り引き抜いた時のような摩擦熱を感じる。

 

 これは【連珠砲動(れんじゅほうどう)】という技だ。肋間の捻り、肩甲骨の進行、腕の進行を同時に用いた突きをとんでもない速度で連発する。連打速度は、その使い手の練度に比例する。

 

 ミーフォンの拳速は、はっきり言って並ではなかった。なるほど、自信過剰になるだけの功力(こうりき)はあるようだ。

 

 降り注ぐ拳の雨を、ボクはなおも必死に防ぎ、いなし続ける。

 

 ――かと思った瞬間、真下から嫌な存在感を感じ取った。

 

 本能的に腰を反らせて顎を引く。その次の瞬間、顎のあった位置をミーフォンの鋭い上段蹴りが通過した。

 

 腰を反らしたことで、ボクは今重心が不安定な状態だった。バランスを取ろうという本能で、全身も硬直している。隙だらけだった。

 

 そこを狙ったのか、ミーフォンは蹴り足を上半身と一緒に勢いよく大地に急降下させた。――まるで、天を掴んで地上に引きずり下ろすような動き。

 

 マズイ、この技は――!

 

 ボクは急いで胴体前面すべてに【硬気功(こうきこう)】をかけた。

 

(ふん)っ!!」

 

 蹴り足だった足でそのままドカンッ!! と【震脚】。同時にボクの腹部へミーフォンの頭突きが鉄槌よろしく振り下ろされ、炸裂した。

 

「くっ……」

 

 痛みは無いながらも、その強力な威力の余韻で大きく後ろへ滑らされる。靴底と石畳が擦れ、妙な匂いが鼻腔をつついた。

 

 【黒虎出林(こっこしゅつりん)】。上半身を急速下降させることで生じたエネルギーを、【震脚】によって倍加した自重とともに叩き込む頭突き。虎が林から飛び出して獲物に食らいつく動きを参考に生まれた技だと言われている。非常に強力な破壊力を誇り、武法士でない普通の人間が食らったなら粉砕骨折は免れない。

 

 今のをまともに受けていたら、ボクもタダでは済まなかっただろう。

 

「へえ、なかなか良い反応するじゃないの。たいていの奴はこの組み合わせでオネンネするのにねぇ」

 

 ミーフォンは賞賛するでも侮るでもない、ただただ品定めするような視線を送ってくる。

 

 ……やっぱり、面倒くさい武法だな。

 

 高速移動の歩法からの突きを避けたと思えば、即座に崩し技。雨あられのような連続攻撃が続くかと思えば、いきなり決め手にもなりうるであろう強攻撃。彼女の攻撃の種類にはてんで統一性が無い。

 

 ――そう。これこそが【太極炮捶】だ。

 

 この武法の特徴を挙げろと言われたら、それはずばり「特徴が無いこと」の一言に尽きる。

 

 【太極炮捶】は全ての武法の原型。

 

 それはすなわち数百、ヘタをすると千を超えるであろう数の流派を生み出すに足る技術が、豊富に詰まっているということだ。

 

 つまり、あらゆる局面に対応した技が存在するのである。

 

 「突出した持ち味が無い」というのは、裏を返せば「弱点らしい弱点が無い」という意味にもなる。

 

 ミーフォンは半身になって構えると、

 

「でも、まだこれからよ。何せ――まだ二分も残ってるんだからねぇ!!」

 

 加速し、とんでもない速度で迫ってきた。

 

 靴底の面が石畳の面を叩く音が、絶え間なく聞こえる。【鼠歩】だ。

 

 ミーフォンの可愛らしい顔がアップで映った――かと思った瞬間、その顔が高速で視界の右側へスライドして消えた。

 

 背後に回り込む【()】の存在を確認した時には、ボクはすでに前へ突っ走っていた。

 

「ふんっ!!」 

 

 鋭い吐気と踏み込みの音が、真後ろから聞こえた。

 

 振り向くと、ミーフォンは先ほどボクの後頭部があった位置に手刀を振り下ろしていた。

 

 ミーフォンは背後からの攻撃が外れたことに悔しがりもせず、再び機敏に接近。

 

 振り出された右回し蹴りを、ボクは後ろへ跳んで躱す。

 

 今度は一瞬背中を見せ、身を翻しざまに左足裏を鋭く突き出してくるが、ボクはそれを体の捻りだけで避ける。そのまま必然的に彼女の足のリーチ内に入る。

 

 しかし、それは彼女の策略だということにすぐ気づいた。

 

 相手の間合いに入るということ。これは逆に言えば――相手もまた自分の間合いに入っているということなのだ。

 

 ミーフォンは突き出した蹴り足の底を、地に近づけていた。踏み込むつもりだ。

 

 彼女が踏み込んだら、ボクはその胸の前に立つという位置関係になる。そのことを考えるとおそらく肘打ち、もしくは体当たりに繋げるつもりだろう。

 

 それを悟ったボクはできる限りの脚力で地を蹴り、後退した。

 

 その甲斐あってか、ミーフォンが踏み込みと同時に突き出してきた肘の当たりは非常に軽く、ダメージにはならなかった。

 

 ボクは着地し、すぐさま構える。

 

 ……今のは少し危なかった。

 

 技をいっぱい持ってるだけじゃない。ミーフォンはそれら全てを使うべき所できちんと使っている。まるで車のギアを道路に応じて変えるように。

 

 まさしく臨機応変。

 

 さすが宗家というべきか。【太極炮捶】の理想的な戦い方を、ボクは今目にしていた。

 

 ――これを相手に、ボクは一体何ができるだろう?

 

 【太極炮捶】はそのスタンダードさゆえ、弱点はない。

 

 一点特化型の武法に対し、それに最も有効な技や戦略をしかけてくるだろう。

 

 ならば、【打雷把】のような尖った武法はどう立ち向かえばいい?

 

 答えは簡単に出た。

 

 

 

 ――その尖った部分を、最大限に引き出せばいい。

 

 

 

 【太極炮捶】は弱点が無い分、「強み」が無い。

 

 しかし【打雷把】には「強み」がある。そう――強大な威力と優れた命中率という「強み」が。

 

 相手には無いその「強み」をもって、打ち崩せばいい。

 

 ボクは覚悟を決め、ミーフォンを強い眼差しで見つめた。

 

「どうしたの? 棄権でもしたい? なら今からでも遅くないわよ。そこに立ってる審判に言ってきなさい」

 

「それはこっちのセリフかな」

 

「……は?」

 

 ボクの返しに、ミーフォンは眉根を不機嫌そうに揺らした。

 

 構わず続けた。

 

「いいかい、これからボクは――君を一撃で打ち倒す。まだボクは一度も手を出してないから分からないだろうけど……その「一撃」は死ぬほど痛いと保証する。だから今のうちに言っておくよ――凄く痛い目にあいたくなかったら棄権するんだ」

 

 ミーフォンの表情に剣呑な陰が濃く差した。

 

 そして、獰猛な微笑みを浮かべると、

 

「心配いらないわ…………凄く痛い目にあう前に、あたしがあんたをぶちのめして終わりだから!!」

 

 【鼠歩】で走り出した。

 

 電光石火の勢いで迫るミーフォン。

 

 しかし、彼女が走り出す寸前、すでにボクは地を蹴って前に進んでいた。

 

 互いの間隔が、手が届くほどまで狭まる。

 

「自殺志願者ね!!」

 

 ミーフォンはそう嘲笑うと、【震脚】で踏みとどまる。同時に拳が風を切って宙を疾走。

 ボクも同じタイミングで【震脚】し、急停止していた。

 

 ただ一つ彼女と違うのは、【震脚】と同時に――その足へ強い捻りを加えていた点だった。

 

 踏み込んだ足の螺旋回転は全身へと伝わり、そして綺麗に噛み合った歯車よろしく一緒に急旋回する。同時に、拳も突き出していく。

 全身の急旋回によって、ミーフォンの狙っていた胸の位置がズレる。弾丸のごとき速度で迫っていた正拳は見事に目標を失い、空振った。

 ボクの拳が、ミーフォンと薄皮一枚の距離まで到達。

 

「くそっ!」

 

 ミーフォンの胴体前面に青白い火花が散る。ゼロコンマ数秒の時間を使い【硬気功】をかけたのだ。

 

 良い反応。でも――無駄骨だ。

 

 ボクの拳は【硬気功】などお構いなしに、ミーフォンの腹部に深々と突き刺さった。

 

「――――!!」

 

 呻き声など、まともに聞こえなかった。

 

 拳が食い込んだ触覚を得た約半秒後、ミーフォンの体はまるでピンポン球のような速度で遠ざかったのだ。

 

 彼女は壁に背中から激突し、ワンバウンド。体の前面から着地した。

 

 効果は抜群のようだった。

 

 ——【碾足衝捶(てんそくしょうすい)】。

 

 通常の【衝捶(しょうすい)】の踏み込みにさらに強い捻りを加えることで、その螺旋力で全身を旋回させ、正拳の威力をさらに上昇させる技。

 

 全身の旋回は威力の増強だけでなく、向かって来る相手の突きを回避するのにも使える。そう、先ほどのように。

 

 ミーフォンはうつ伏せに倒れたまま動かない。

 

 審判の人が彼女に近づき、確認を始めた。

 

 観客席も、静まり返る。

 

 やがて、

 

 

 

紅蜜楓(ホン・ミーフォン)、意識喪失を確認!! ――勝者、李星穂(リー・シンスイ)!!」

 

 

 

 二度目のドラが遠吠えのように鳴り響いた。

 

 途端、歓声が弾ける。

 

 ボクは額に少しばかり浮かんだ汗を拭うと、

 

「――そういえば、三分経ったかな」

 

 ため息混じりに、どうでもいい疑問を一人もらしたのだった。

 



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即堕ち【挿絵有り】

 ミーフォンとの試合に勝利したのち、ボクは円形闘技場から『競技場』の中へ引っ込んだ。

 

 闘技場への出入りは一階からのみ可能。ボクは試合後、必然的に一階を歩くことになった。

 

 そして現在、壁に四角い穴と行灯が並んだ『競技場』の一階廊下を歩いていた。試合前にいたのと同じ場所だ。ここは闘技場の出入り口から一番近い廊下なのである。

 

「一回戦突破おめでとう、シンスイ」

 

 隣を歩くライライが、そうねぎらいの言葉をかけてくれた。どうやら、ボクの試合も見ていてくれたようだ。

 

「ありがとう。ライライは今日は最後に戦うんだっけ?」

 

「ええ。まだまだ時間が余ってて退屈だわ。試合を見るのが唯一の時間つぶしね」

 

 彼女とは試合後、すぐに一階で合流した。

 

 観客席は一段上の二階にあるが、そこへ上がるための階段は、闘技場出入り口付近のこの場所とは少し距離がある。普通ならこれほど早く合流はできない。

 

 その理由はおそらく、選手用の席から見ていたからだろう。

 

 今大会出場選手は、一般来場者とは別の観客席で試合を見る権利が与えられる。

 

 選手用の席は、通常の観客席とは異なる区画となっている。規模は小さいが、通常の観客席より少し低い位置にあるため、試合を比較的近い場所から見ることができる。特等席と呼べなくもない。

 

 そして、そこからなら闘技場出入り口付近から近い。ライライはそこで見ていたのだろう。

 

「ところでシンスイ、一つ気になる事があるんだけど……」

 

 不意に、ライライが質問の前置きを口にしてきた。

 

 ボクは普段通りの声と態度で、

 

「なにかな?」

 

「……その、ミーフォンはあの時【硬気功(こうきこう)】をかけていたでしょう? シンスイはそれをどうして破れたのかなぁって思って。【炸丹(さくたん)】を使った気配なんて微塵もなかったのに……」

 

 ――来た。

 

 まあ、遅かれ早かれ感づかれるとは思っていた。

 

 別に隠してるってわけでもないし、まあいっか、教えちゃっても。別に困らないし。

 

 ボクは素直に答えた。

 

「実は、【打雷把(だらいは)】の【勁擊(けいげき)】には――【硬気功】が効かないんだ」

 

 ライライはあからさまに目を見張った。

 

「……冗談よね?」

 

 いつもの低く落ち着いた声とは違い、少し上ずった声。

 

 事実とは分かっているけど、それを事実とは認めたくない。そんな感情が読めそうだった。

 

 ボクはふるふるとかぶりを振った。太い三つ編みが尻尾のように左右に揺れる。

 

「ううん、本当だよ。ボクの使う【打雷把】には、【勁擊】にそういう性質を意図的に付与させる【意念法(いねんほう)】が伝わってるんだ」

 

 【意念法】とは、強いイメージの力を用いた技術のこと。

 

 プラシーボ効果というのをご存知だろうか。偽薬でも、飲む人が「これは薬だ」と強く信じて飲めば、薬として効果を発揮することがあるのだ。

 

 【意念法】の理屈は、それとほぼ同じ。動作の最中、決められたイメージを強く思い浮かべることで、その動作の速度や攻撃力を上昇させたり、特殊な効果を付与させたりできるのだ。

 

 【打雷把】では、【勁擊】を打つ時に仮想の相手を強くイメージし、それを打ち貫くという修行を行う。これも【意念法】だ。仮想の相手を貫くイメージで何度も時間をかけて練習することで、その【勁擊】に『貫く性質』を与える。

 

 代わりに、モノに【勁擊】を打つ修行は一切行ってはならない。そうすると【勁擊】は「物体を打つ」という性質を持ってしまい、【硬気功】を貫くことができなくなってしまう。

 

 この【意念法】は、レイフォン師匠が長年の研究の末に考案したものだ。なので、豊富な技術の結晶である【太極炮捶(たいきょくほうすい)】の中にも含まれていない。ミーフォンには盲点だったはずだ。

 

「……なんというか、前代未聞ね。私以外の選手もびっくりして前かがみになっていたわよ」

 

 ライライは若干引きつった微笑みを浮かべて言う。

 

「でも、そんな凄い武法が知られていないなんて、信じがたいわね…………その【打雷把】という武法、いったい誰が作ったのかしら?」

 

「えっと、それは――」

 

 ボクがライライの質問に答えようとした時だった。

 

 通せんぼするように立ちはだかる人影があるのに気がつき、思わず足を止める。ライライもそれに倣う。

 

 その人影は――先ほど戦った紅蜜楓(ホン・ミーフォン)だった。

 

 若干こうべが垂れているため、前髪の下に顔が隠れていて表情がよく見えない。火のごとき威勢の良さを表したような赤い菊花模様のシニヨンカバーは、若干しおれて見えた。

 

「……何かしら?」

 

 ライライは少し警戒心を帯びた声でそう尋ねる。

 

 しかしミーフォンは無言。

 

 頭を垂らしたまま、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。

 

 一歩。一歩。また一歩。

 

 ゆらり、ゆらり、と。

 

 亡者を思わせるその足取りに、ボクは否応なく心を引き締める。

 

 ――もしかすると、この場で仕返しをしに来たのかもしれない。

 

 戦いに勝ったら、恨みを買うことも少なくはない。そしてその恨みの数は、腕の立つ武法士ほど多い。

 

 ボクも武法士人生を歩み始めて以来、多くの相手と戦ってきた。一戦交えたっきり会わなくなった者が圧倒的に多いが、その中にはボクを恨んでいる者も大なり小なりいたはずだ。

 

 ……レイフォン師匠は戦った相手のほとんどをあの世に送ったため、案外かなり少ないかもしれないが。

 

 ボクとミーフォンの距離が近くなる。

 

 だが、彼女はなおも歩み続ける。

 

「…………お………………」

 

 消え入りそうな声で、そう口にした。

 

「お?」

 

 ボクは思わず、同じ一言をそらんじる。

 

 やがて、ボクらの距離が2(まい)を切った。

 

 ボクはやむを得ず、半身の体勢となった。

 

 いつでも反応できるよう、心構えをきちんとしておく。平静さという綿の中に、戦意という針を仕込むように。

 

 やがてミーフォンは、

 

 

 

 

 

「――――お姉様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁんっ!!!」

 

 

 

 

 

 がばーっ!! と、勢いよく抱きついてきた。

 

「へっ!?」

 

 予想の斜め上どころか、後ろへ逆走するような意味不明の行動に、ボクの思考が止まりかける。

 

 ミーフォンは試合時の挑戦的な表情など微塵も感じさせない、幸せ満点のキラキラ笑顔でボクの貧相な胸に頬ずりしてきた。

 

 って、ちょ!? 何してんのこの娘!?

 

「あぁんっ!! お姉様ったら凄くいい匂い!! お胸も壁のように見えてほのかな柔らかさ!! あーんお姉様お姉様ぁ!!」

 

 密着させてなおその奥へ進まんとばかりに、ミーフォンがゴリゴリ頬っぺたを擦り付けてくる。その声は女の子らしすぎるくらい女の子らしかった。

 

「うおおおおおおおお!?」

 

 ボクはそんな奇行に対し、意味が分からず、叫ぶことしかできなかった。

 

 ていうか、さっきから小柄な背丈に反してなかなか大きなミーフォンの双丘(おっぱい)がフニフニ当たって気持ちい……じゃなくて奇妙な感触がするんだけど!?

 

 凄まじくいい匂いに鼻を突っつかれて、頭もくらくらしてきた。

 

「ちょっ、ミーフォン!? 君、一体どうしちゃったのさ!?」

 

 少し経って、なんとかそう訊くことができた。

 

 ミーフォンは今時ギャルのようなキャピキャピした口調で、

 

「さっきはごめんなさいお姉様ぁ!! あたしが間違っていましたぁ!! あたしお姉様に倒されて、目が覚めました!! そしてもうあたしは身も心もあなたの虜ですぅ!! これからは「シンスイお姉様」と呼ばせて、未来永劫お傍に置いてくださぁい!!」

 

「いや、そんなこといきなり言われても……それに確か君って三女だよね? なら上にお姉さんがいるんでしょ? それなのにボクを「お姉様」って呼ぶのは変くない?」

 

「それはそれ、これはこれ、ですわ!」

 

 少女漫画のように輝いた眼差しでボクを見上げ、そう力強く断言する。えぇー。

 

 そこで突然、胸元に涼しさを感じた。

 

 見ると、上着を縦に留めていたチャイナボタン風の留め具の上部がいつの間にか外され、胸元のインナーが露出していた。

 

 ちょっ! この子いつの間に!?

 

 ミーフォンはそこへ顔を突っ込むと、鼻息を勢いよく吸い込んだ。

 

「はああああんっ!! お姉様ったら本当にいい匂い!! さっきの試合で汗かいてるはずなのに、全然グッドスメルですぅ!! もうお姉様を人間の女の範疇に入れておくには無理があります!! シンスイお姉様マジ天使ですぅ!!」

 

「や、何言ってるのさミーフォ……あっ! ちょ、ちょっと!? 鼻息そんなに荒くしないで! くすぐった――――あぁんっ!!」

 

 うわ! 変な声が出ちゃったよ! 我ながらなんて艶かしい声! 死ぬほど恥ずかしいんですけど!?

 

 助けて――そんな気持ちを込めた視線を、隣のライライへと向ける。

 

 それを受け取ったのかそうでないのか、ライライは世話の焼ける妹を見るような微笑を浮かべて一言。

 

「……罪な女ね、シンスイ」

 

「ちょっとライライ何言って――――ふあぁあんっ!!」

 

 また変な声出たよ! 恥ずかしい!

 

 ミーフォンはなおも削るように頬ずりしながら、

 

「シンスイお姉様ぁ!! 恋人でも妹分でも友達でも小間使いでも寵物(ペット)でもなんでもいいんです!! あたしを許してお傍に置いてくださぁい!!」

 

「わ、分かったから! これ以上は許してぇ――――――!!」

 




2017.9/6.大恵氏からミーフォンのファンアートを頂きました!


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羅森嵐と心意盤陽把

その後、ボクは決死の思いでなんとかミーフォンを大人しくさせた。

 

 ……大人しい、といっても、「比較的」という言葉を前置する必要があるが。

 

 ミーフォンはその後も「お姉様」呼びと、ボクに対する甘ったるい声と態度をやめてくれることはなかった。

 

 気に入られて悪い気はしないけど、彼女のはなんだか度が過ぎている気がする。

 

 ――まあ、それはひとまず置いておくことにする。

 

 ミーフォンと思わぬ形で和解した後、ボクらは選手用の観客席へと足を運んだ。のんびりするのもいいが、敵状視察もアリかなと思ったのだ。

 

 というか、そもそも選手用の観客席は、これから戦う相手の戦力分析のために用意されたものでもあるのだ。

 

 選手用の席にやって来た時には、すでに眼下の円形闘技場で第二試合が行われていた。

 

 いかつい大柄の男と、ボクらと歳が近い少女。その二人が闘技場で激しくぶつかり合っていた。

 

 ボクはその二人のうち、少女の方に目をつけた。

 

 円形レンズの眼鏡。オールバックにして後頭部で一本の三つ編みに纏められたチョコレート色の長い髪。名工の彫った彫刻を思わせる華やかな顔立ちは、賢人のような知性と戦士のごとき鋭い気迫を同時に感じさせる。

 

 着物のように袖の余った長袖と、袴をベースにしたとしか思えないデザインのワイドパンツ。ゆったりとした部位の多い服装だが、形良く盛り上がった胸ときついカーブを描いた腰の曲線美が、内側に秘められたプロポーションの良さを示していた。

 

 トーナメント表に書かれた名前は「于戒(ユー・ジエ)」と「羅森嵐(ルオ・センラン)」の二つ。

 

「彼女の名前はどっちだろう?」

 

 ボクが二人のうちのどちらかにそう問うと、片腕にしがみついていたミーフォンが答えてくれた。

 

「――羅森嵐(ルオ・センラン)の方ですわ、お姉様。あたし『試験』の最中、あの女がそう名乗って『鈴』を奪う所を目撃してましたもん」

 

「そっか。ありがとう、ミーフォン」

 

 そう感謝を告げると、ミーフォンは期待に満ちた眼差しで頭を突き出してきて、

 

「ご褒美に頭を撫でてくれると嬉しいですわ」

 

「え……あ、うん……」 

 

 ボクは若干気後れしながらも、ミーフォンの頭を優しく撫でてあげる。彼女は気持ちよさそうに目を細めた。まるで猫みたいだ。

 

 隣のライライが「ご愁傷様」的な目でボクを見ていた。

 

 ほんと、すっかり懐かれちゃったなぁ……。

 

 それは頭の隅っこに置いておいて、まず試合を見るのに集中しよう。

 

 ボクたちは適当な席を見つけ、そこへ腰掛けた。

 

 そして、眼下の試合を見つめる。

 

 その少女――センランは素手であるのに対し、相手の男は武器持ちだった。全長約1(まい)半の、薙刀に似てなくもない形の長物。柄の割合が六割ほどで、残りの四割は片刃の刀身である。「双手帯(そうしゅたい)」という武器だ。

 

 男は双手帯の刃をものすごい速度で横薙ぎに走らせた。いぶし銀の閃きが鋭く曲線を描く。

 

 センランは【硬気功(こうきこう)】をかけた掌でそれを受け止める。ガギィン! という金属の激突音とともに、彼女は大きく後ろへ滑った。

 

 彼女と男との間に、大きな間隔ができていた。その距離が、今のひと振りの威力をものがたっていた。

 

 しかし、眼鏡の奥にあるセンランの目から戦意は消えていない。いや、むしろ、楽しんでいるような色すら見えた気がした。

 

 センランは小さく動き出したかと思うと――疾走した。

 

「――!?」

 

 それを見て、ボクは驚かずにはいられなかった。

 

 ただ走っただけならいい。

 

 だが、その速度が――尋常ではなかった。

 

 センランは大きく開いた男との距離を、ほぼ一瞬と言っていい時間で縮めたのだ。

 

 高速移動なら、ミーフォンの【鼠歩(そほ)】で見た。しかし、今のセンランの速度はそれ以上だった。

 

 その尋常外の速度によって、男は反応が遅れる。

 

 その隙をついて、センランは踏み込みと同時に【硬気功】をかけた拳を双手帯の刃に叩き込んだ。

 

 【硬気功】をかけた拳は、まさしく鉄製の鈍器と一緒だ。双手帯の刃は甲高い金属音を立てて砕け散った。

 

 余った勢いによって、男は後ろへ滑らされる。

 

 だがセンランは、またあの高速移動で接近。追い打ちとばかりに爪先を男の腹部へ叩き込んだ。

 

 男は苦悶の表情を浮かべるが、倒れるのを我慢しつつ、残った双手帯の柄の部分でセンランに殴りかかった。

 

 しかしセンランは深く腰を落として回避。そのまま一歩踏み込み、正拳で突く。

 

 宙に浮き、派手に吹っ飛ぶ男。後ろには壁。

 

 しかし壁にぶつかる前に、センランが男の後ろへ素早く先回り。背中に回し蹴りを叩き込んだ。慣性の方向が変わり、男は元来た道を戻るように流される。

 

 センランは男の右に移動。肩口から体当たり。

 

 今度は左に回り込み、回し蹴り。

 

 正面に入り、正拳。

 

 あらゆる位置から、めまぐるしく攻撃を加えるセンラン。

 

 その一挙手一投足に、ボクは視線を集中させていた。

 

 重心位置が曖昧ではない。自重の乗った足がどちらかはっきり分かる足さばき。

 

 特徴的な動きや姿勢が少ない。シンプルな形の技が多い。

 

 そして、高速移動。

 

 それらの判断材料から、ボクは答えを導き出した。

 

「あれは――【心意盤陽把(しんいばんようは)】」

 

 ボクの記憶が正しければ、ほぼ間違いなく正解のはずだ。

 

 【心意盤陽把】――『陰陽』という理論を最大限に活かした武法。

 

 『陰陽』という二分割法は、様々なものに置き換えて考えることができる。武術に関しては『防御と攻撃』、『柔と剛』、『虚と実』などがそれにあたる。

 

 【心意盤陽把】は、これらの武術的な『陰陽』を明確に二分割することで、非常にスピーディーな動作を可能にする武法なのだ。

 

 例えば、先ほどの高速移動。あれだけ速いのは、別に優れた瞬発力があるからではない。"軸足を入れ替えるスピード"が速いから、あの速度が出せるのだ。

 

 重心の乗った足を『陽』として、重心の乗ってないもう片足を『陰』として認識し、それを何度も入れ替える足運びを行う。

 

 その『陰陽の転換』の速度は、練度の高さに比例する。センランのあの速度は、その『陰陽の転換』がとてつもなく速い証拠なのだ。

 

 このように【心意盤陽把】は、『陰陽を入れ替える』速度を養成することで、常識ハズレに疾く、鋭い動作を行なえるようになる。

 

 この流派は動きや姿勢、構えに虚飾が全く無い。素早く敵を打倒、制圧することに長けている。まさしく実戦本位の武法だ。そのため、実戦性を重んじる宮廷護衛官の間で積極的に採用されている。

 

 というより、そもそもこの武法を創始したのは、とある宮廷護衛官なのだ。

 

 【心意盤陽把】は、不文律的に御留(おとめ)流派のような扱いを受けている。ゆえにその伝承は、ほとんど宮廷護衛官の間にのみ集中しているのだ。

 

 そのような伝承事情ゆえに、ボクはあの武法をほとんど見たことがない。

 

 それを思うと、心が踊るのを感じた。 

 

 眼下では、センランが【炸丹(さくたん)】を使った正拳を相手に叩き込んでいた。

 

 女の細腕が、大の男を軽々と吹っ飛ばす。

 

 背中から落下し、静止。

 

 仰向けになったまま、微動だにしなくなる男。

 

 審判はそんな彼に近づき、数秒確認すると、

 

 

 

于戒(ユー・ジエ)、意識喪失を確認!! ――勝者、羅森嵐(ルオ・センラン)!!」

 

 

 

 センランの一回戦突破を宣言したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一回戦が終わった。

 

 めでたく勝ち進んだ者、惜しくも敗退した者、両方とも等しく八人出た。もともと一六人だった人数を半分こにする形で。

 

 ちなみに、ライライも無事に勝ち進むことができた。

 

 蹴り技主体の武法士もたくさん見てきたが、彼女はその中でも破格の実力を持っていた。相手はライライの迅速かつ重々しい蹴りの連続に手も足も出せぬまま、敗北へと追い込まれた。対してライライは相手に一度も触れられていないので、もはや完全試合だった。

 

 そして翌日。

 

 ボクとライライを含む一回戦勝者八人は、再び円形闘技場という名の(ふるい)にかけられる。

 

 ――ことはなかった。

 

 今日は、お休みである。

 

 この予選大会は、もともとの選手の数である一六を二で割っていく形で、合計四回戦行う。

 

 一日に一回戦やるので、戦う日にちは全部で四日。

 

 しかし、四日連続で戦わされるわけじゃない。試合の日と試合の日の間に、一日の休日を挟むのだ。

 

 この休日の目的は、主に二つ。

 一つ。選手に怪我の療養や休息のための猶予を与えること。

 二つ。選手含む外からの来場者にその町を観光させ、お金を使わせること。

 

 ボクは別に怪我をしているわけではないし、別段疲れたってわけでもない。ライライも同じだった。

 

 なのでボクたち"三人"は、この【滄奥市(そうおうし)】をのんびり観光することにした。

 

 ……ちなみに"三人"と言ったとおり、メンバーはボクとライライの他にもう一人いる。

 

「うふふ、シンスイお姉様……♡」

 

 その三人目――紅蜜楓(ホン・ミーフォン)は、ボクの片腕に嬉しそうにしがみついていた。

 

 これが漫画だったら、彼女の頭上からは無数のハートマークが湧き出ているだろう。そんな幸福感あふれる顔だった。

 

 この娘は昨日の一回戦に敗退した。選手用の宿である『巡天大酒店(じゅんてんだいしゅてん)』を出なくてはならなくなったことも含め、もうこの町にいる理由もないはずだ。

 

 だがミーフォンはいまだにこの町にとどまっている。わざわざ宿をとって泊まっているのだという。理由は「お姉様ともっと一緒にいたいです! もう二度と忘れないくらいその姿を瞳に焼き付け、匂いを鼻の奥に刻み込みたいですわ!」だそうだ。

 

 元男の自分としては、こんな可愛い娘に気に入られて悪い気はしない。が、それ以上に戸惑っている。ここまでストレートな好意を寄せられたことは、前世でも現世でも無かったのだ。

 

「あ、あのさミーフォン、少し離れて歩かない……?」

 

「どうしてですかお姉様?」

 

「や、だって、歩きにくいでしょ?」

 

「あたしはそんなことありませんもんっ。それとも、ご迷惑ですか?」

 

「あー、いや……別にそういうわけじゃないけど……」

 

「じゃあいいじゃないですかっ。ああっ、お姉様ったら今日もいい匂いがしますぅ!」

 

 恍惚の表情で、ボクの肋骨辺りにゴリゴリ頬ずりしてくるミーフォン。

 

 隣を歩くライライが「弱いわねぇ」と言いたげに苦笑を浮かべる。うん、ボクも我ながらそう思うよ。

 

 現在ボクらが歩いているのは、『商業区』の目抜き通りだ。

 

 横幅の大きな街道が伸びており、その端にはたくさんの店や、細い脇道がある。

 

 ちなみにこの『商業区』で人気なのは、なにも表で軒を連ねる店ばかりではない。

 

 目抜き通りの端にある脇道から裏通りに入ることができ、その辺りには少しマニアックで面白い店が多いのだ。

 

 変わった武器がたくさん売っているお店や、不味いが非常に健康に良い事で人気の飯店など、目抜き通り顔負けのバリエーションを誇っている。

 

「そういえばシンスイ、あなたの次の相手ってあの羅森嵐(ルオ・センラン)なのよね? 勝てそうかしら?」

 

 不意に、ライライがそう訊いてきた。

 

 明日に行われる二回戦、ボクは羅森嵐(ルオ・センラン)と対戦することになっている。

 

 昨日の一回戦では、第一試合でボクが勝ち、第二試合ではセンランが勝った。トーナメント形式であるため、次にボクと彼女が当たるのは必然だった。

 

 ボクはミーフォンに捕まってない方の手を顎に当てながら、

 

「うーん、どうだろ。【心意盤陽把】の使い手とは戦った事がないからなあ。まだ分からないや」

 

「お姉様は最強です! あたしの時みたいにワンパンで勝てますよ!」

 

「ははは……ありがと、ミーフォン」

 

 ミーフォンの頭を軽く撫でる。彼女は「うにゅぅ」と心地よさそうな声をもらした。

 

 ボクの思考は明日の試合ではなく、センランの使う流派に向いた。ボクはワクワクした表情で、

 

「でもさ! 凄いよね【心意盤陽把】! あれボクあんまり見たことないんだよ! もし機会があるなら、センランに話を伺いたいなぁ」

 

「次はあんな強敵が相手だっていうのに、あなたったら呑気ねぇ…………あら?」

 

 ライライはそこで言葉を止める。

 

 かと思うと、ボクの肩を叩き、耳打ちするような小さめの声で、

 

「……シンスイ、噂をすれば影、よ」

 

「え?」

 

 ボクが反応すると、ライライは前方のある位置を指差した。

 

 そこは、年季の入った小さな木造の建物だった。入口である引き戸の横には、煌国語で「お菓子」と大きく書かれた縦長の旗がはためいている。駄菓子屋だ。

 

 そして、その駄菓子屋の入口の前に棒立ちしている一人の少女。

 

 上品さと意思の強さを感じさせる美貌。円いレンズの眼鏡。オールバックにして後頭部で一本の三つ編みに纏められたチョコレート色の長髪。

 

 それは誰あろう、羅森嵐(ルオ・センラン)だった。

 

 昨日の試合を戦っている時の顔からは、まさしく戦士といった気迫を感じた。しかし今の彼女の顔はまるで迷子になった子供のようで、駄菓子屋の入口をただジッと見つめている。

 

 しかし、彼女の考えている事を読む余裕はなかった。

 

 もし機会があるなら話をうかがいたい――そう口にした矢先、願いがかなったのだ。

 

 つくづく、ボクは武法に縁があると思う。

 

 ボクは我知らず、小走りでセンランに近づいていた。

 

「ちょっ、お姉様っ?」

 

 突然スピードアップしたためにミーフォンの拘束から外れてしまうが、それすら気に留められなかった。

 

 センランの傍に着いたボクは、

 

「あ、あのっ! 羅森嵐(ルオ・センラン)、だよねっ?」

 

 少し緊張しながら、声をかけた。

 

 彼女はピクっと反応し、ボクの方を向く。そして、少し驚いた顔をした。

 

「キミは確か……李星穂(リー・シンスイ)だったか。わら、私に何か用か?」

 

 つややかな紅梅色の唇から、二胡の音色のように美しく、気品ある声が紡がれた。

 

「う、うんっ、そうだよ。その、君の使ってる流派って、【心意盤陽把】だよね!?」

 

「いかにも。それが何か?」

 

 やっぱり!!!

 

「君の武法【心意盤陽把】について、何か聞かせて欲しいんだ!! 宮廷護衛官「韓亮(ハン・リャン)」が、目にも止まらぬ速さの連続突きを得意とする流派【番閃把(ばんせんは)】を改良して創始した武法! 他の流派に比べると歴史はちょっと浅いけど、【番閃把】の美点を連続突きだけじゃなくていろんな種類の技に組み込んだその技術体系は非常に素晴らしく、風のような速度で敵に近づき、そして迅速に打倒、制圧することに長けている。まさに要人警護の要である護衛官に相応しい流派ってわけだね! でも警護手段の漏洩を心配してか、【心意盤陽把】は宮廷護衛官の間で秘伝状態になっている。一応民間でも伝承はあるにはあるけど、めちゃくちゃ少ない。護衛官ってのは非常に高い武法の腕前が必須条件で、おまけに募集人数もごくわずかな狭き門。その護衛官になれる人そのものが圧倒的に少ないから、引退後に教えられる人も必然的に少数なんだ。これじゃ民間に広まりにくいわけだよ。おかげでボクもこの武法だけはあんまり見たことがなくてフムグッ――!?」

 

 ボクは延々とまくし立てる口を慌てて塞いだ。

 

 またやっちまった! 

 

 いい加減進歩しろよ、ボク!

 

 ボクは先ほどまでの生き生きした表情をすっかり曇らせ、控えめな上目遣いでセンランを見る。

 

 彼女は案の定、ぽかんとした顔。「え? いきなり何なのこの娘?」という考えが読めなくもない表情だ。

 

 ……だが突然、センランは表情を崩して呵呵大笑した。

 

「あっはははははは! 尋ねてきたかと思えば突然高速でまくし立て、かと思えば自分でその口を塞ぐなんて、面白いなキミは!」

 

 今度はボクがぽかんとする番だった。

 

 センランはひとしきり大笑いすると、少し前かがみになってボクの顔を覗き込む。彼女はボクより背が高かった。ライライよりかは少し低いくらいか。

 

 円い眼鏡の奥にある瞳は、宝石のような強い輝きと威厳に満ちていた。その意味不明な圧力に、ボクは射すくめられたような気分になる。

 

 センランは面白げに口端を吊り上げて、

 

「しかし、【心意盤陽把】に関する先ほどのセリフを聞いて少し驚いたぞ。熱心に調べていなければ、あそこまでは語れまいよ。私には分かるぞ。キミは大層武法に惚れ込んでいるな? キミからは私と同じ匂いがして仕方がない」

 

「匂い?」

 

 妙な言い回しに、ボクは小首をかしげる。

 

 センランは腰に手を当てると、意気衝天に鼻を鳴らし、

 

「いいだろう、気に入った。話をしても構わんぞ。だが……その、条件として、一つだけ私の頼みを聞いてもらえないだろうか?」

 

「うんっ、何でも言って!」

 

 話が聞けると分かった途端、ボクはゲンキンにも一気にテンションを最高潮に上げた。

 

 センランはちょっぴり頬を赤くすると、もじもじ指を絡ませながら、

 

「……その、ここに入りたいのだ。一緒に来てはくれないか?」

 

 ――駄菓子屋を、目で示したのだった。

 



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分かっちゃったよ

「かんひゃひゅりゅ! ほへはふっほほひはっはほは!」

 

 きちんとした言葉となっていないセリフを口にしながら、センランはほかほかの包子(パオズ)を夢中でほおばっていた。

 

「しゃべるなら食べてからにしなよ」

 

 隣を歩くボクは苦笑しながら言う。

 

 その包子の中には餡子がたっぷりと入っている。いわゆるアンマンという食べ物である。先ほど駄菓子屋で買ったものだ。

 

 センランは口の中のものをこくんと飲み込むと、

 

「――感謝する。あのような店には立ち寄ったことがないゆえ、どうにも二の足を踏んでしまってな。キミが一緒に来てくれたおかげで、ようやくこれを買うことができた。ああ、なんたる美味!」

 

 再び、包子を食べだすセンラン。その顔はまるで子供のように無邪気で、試合で見せていた武法士としての面影は無かった。

 

 ボクは驚きで瞳を大きめに開き、尋ねた。

 

「駄菓子屋さんに入った事無いって……もしかして君って、凄いお嬢様だったりする?」

 

 センランは肩を微かにビクッと震わせ、

 

「んむっ? ま、まあそんなところかな。それより李星穂(リー・シンスイ)とやら、約束を果たすとしようか」

 

「約束……ああ!」

 

 ボクはポンと手を叩き、嬉々としてセンランの顔を覗き込んだ。

 

「教えてくれるんだったよね? 【心意盤陽把(しんいばんようは)】のこと!」

 

「ああ。約束だからな」

 

 ふふん、とセンランは腰に両手を当てる。

 

 ボクはワクワクしながら、彼女の口がもう一度開くのを待った。

 

「まず始めに、【心意盤陽把】が『陰陽の転換』を最重視していることは存じているな? そして、功力が高い者ほど『陰陽の転換』を行う速度も速い」

 

 うんうん、とボクは頷いた。

 

「しかし、その『陰陽の転換』を理想的なスムーズさで行うには、動作の最中に特殊な【意念法(いねんほう)】を行う必要がある」 

 

「それはっ?」

 

 急かすボクに、センランは答えた。

 

「その動作を行う時——その動作を『陰陽を入れ替える』という行為だと強く思い込むのだ」

 

 ボクは思わす小首を傾げた。『陰陽を入れ替える』と思い込む? そんなの、【心意盤陽把】では当たり前のことじゃないか。

 

 しかしセンランの答えは、今のボクの考えが一面的なものに過ぎないと切り捨てるかのようなものだった。

 

「この【意念法】は、動作から一切の無駄を排除するためのものだ。「歩く」や「手を動かす」という行為には、大なり小なりその人間特有の「無駄な動作」というものが含有している。ゆえにその動作を『陰陽を入れ替える』という行為として考えながら行うことで、「無駄な動作」という名の不純物を取り除くのだ。心身ともに『陰陽を入れ替える』という目的一つに集中させることで、初めて【心意盤陽把】らしい無駄のない、鋭敏な動作を行うことができるようになる。「心」と「意識」の力で、正しく強い動きを導き出す。これこそがこの流派の名に付く『心意』という単語の持つ意味だ」

 

 その力説っぷりに、ボクは「はぇー」という感心の声をもらした。

 

 なるほど。いい勉強になった。やっぱり本だけで得られる情報には限界がある。実際に使う人の意見には敵わない。

 

 彼女の熱弁はなおも続く。

 

「そしてこの【意念法】は、この流派の源流である【番閃把(ばんせんは)】で使われているのと同じものだ。【番閃把】ではその看板技ともいわれている連続突き【無窮翻閃(むきゅうほんせん)】に『陰陽の転換』という考え方を用いる。相手に接している拳が『陽』、そうでないもう片方の拳が『陰』と区別した上で、『陰陽を入れ替える』という【意念法】を用いながら正拳を左右交互に高速連打させる。【意念法】によって「無駄な動き」が取り除かれた正拳は非常になめらかに動き、なおかつ修行を長く積めば積むほどその連打速度も天井知らずに高まっていく。【心意盤陽把】はその技術思想を連続突きだけでなく、歩法やカウンターにも落とし込んだ改良型武法だ。疾く歩き、疾く反撃し、疾く打ち、疾く制圧する! おまけに飾りのような動きは一切存在しない!」

 

 ――あ。やばい。

 

 この上がりまくったテンション。一字一句、力のこもった早口。

 

 分かっちゃったよ。

 

 この娘もきっと、ボクと"同じ"なんだ。

 

 うん、そうだ絶対。賭けてもいい。

 

 この娘もボクと同じで――かなりの武法好きなんだ。

 

 ボクに「同じ匂いがする」と言っていたのは、こういうことだったのだとようやく理解する。

 

「ところで、私もキミに聞きたいなぁ。昨日の一回戦で、なぜキミの拳は【炸丹(さくたん)】を使ったわけでもないのに【硬気功(こうきこう)】を破れたのだ?」

 

 センランが非常にいきいきとした顔で訊いてくる。――きっとボクも武法について尋ねる時、今のこの娘と同じ顔してたんだろうなぁ。

 

 強い仲間意識のようなものが、胸の底からあふれてくるのを感じた。

 

 なのでボクは、【打雷把(だらいは)】の【硬気功】無効化能力の原理を説明した。【心意盤陽把】の得難い情報を教えてくれたお返しという意味もあるが、気の合う友達ができたような気がして凄く嬉しかったからだ。

 

 ……ちなみに、このようにおおっぴらに技術内容を説明しても、それで他流派に伝承が漏れる心配はない。ボクらが教え合っているのは、その技術の大筋に過ぎないのだ。実際にその技術をモノにするには、師による細かい手直しや口頭による指導が必要不可欠なのである。

 

 センランは口を大きく開けながら、

 

「――なんと! そんな方法でっ? そんな技術が存在するなどとは露ほども知らなかった!」

 

「そっか。ところでセンラン、君は誰からその武法を習ったの?」

 

「え……えっと、わ、私の親類に元宮廷護衛官の者がいるのだ。その者から教わった。では……えっと、その、キミは……」

 

「シンスイでいいよ」

 

「う、うむ。ではシンスイ、君はその【打雷把】というとんでもない流派を、一体誰から授かったのだ?」

 

「えっと、それはね――」

 

 言いかけた瞬間、片腕を何かが強く締め付けてきた。

 

 不機嫌そうに頬を膨らませたミーフォンが、ボクの片腕にしがみついていたのだ。

 

「ミーフォン? どうしたの?」

 

「……お姉様、その女は敵ですわよ? そんな手の内を晒すような真似をするのは良くないと思います」

 

「えぇー、いいじゃない。同じ武法士同士じゃないか。それに【打雷把】の能力は、もうきっと他の選手にもバレてるよいたたたたた」

 

 そう反論すると、腕を締め付ける力を一層強めてきた。爪も食い込んでるせいかちょっと痛い。

 

 ミーフォンはやや涙の混じった目で、ボクを上目遣いで睨んでいた。なんだかちょっと可愛い。

 

 ていうか、これはもしかしなくても……ヤキモチ焼いてるのかな? ボクがこの娘を放っぽって、センランとばっかり話してたから。

 

 ボクはフォローの意味を込めて、ミーフォンの頭を撫でてあげる。絹糸のような心地よい感触の髪をさらさらさせるたび、甘い匂いがしてくる。

 

 不機嫌そうだったその表情が、少し柔らかいものに変わった。

 

 そんなボクらを見ていたセンランは、何かを察したように両手を叩き合わせ、

 

「なんだ、キミたちは"そのような"間柄だったのか? 昨日の試合の時には険悪な関係に見えたが……」

 

「あたしが負けた後でお姉様に謝ったのよ! 結ばれたのはそれから!」

 

「なるほど、そうだったのか」

 

「や、結ばれてないでしょ!」

 

 思わず突っ込んだボクに、センランは大らかさ溢れる聖者のごとき微笑みを浮かべ、

 

「別に気にする必要はあるまい。この国では一応だが、同性間の婚姻が認められている。かといって実際にする者はほとんどいないが、決して違法ではないのだ」

 

「そうですお姉様! あたしたちを縛る鎖はありません! 一緒に幸せになりましょう! あたしお姉様の子供なら何人でも産んであげますから!」

 

「なりません! あと、少し落ち着きたまえ! ボクらじゃ子供できないでしょうが!」

 

 マジなのかジョークなのか判断に苦しむ。

 

 そこでライライがううんっ、と咳払いする。センランは反応してそちらを向いた。

 

「おや、キミは……宮莱莱(ゴン・ライライ)だったかな。キミまで彼女らと一緒だったのか」

 

「ええ。シンスイとは『試験』が始まる前に知り合ったの。よろしくね、羅森嵐(ルオ・センラン)さん。私のことはライライで構わないわ」

 

「こちらこそ。私のこともセンランで結構だ。昨日のキミの試合、見事だった。あそこまで巧みで鋭い蹴りを放つ者を、私はほとんど知らない」

 

「ありがと。ところで、私たちはこれから観光に出かけるつもりなのだけど、良かったら貴女も一緒にどうかしら?」

 

 ライライの気さくな申し出に、センランは何度かためらいの表情を見せたが、

 

「……ご一緒させていただこうかな」

 

 やがて、少しぎこちない笑みを浮かべて頷いたのだった。

 



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交流

センランもメンバーに加えたボクら四人は、ともに【滄奥市(そうおうし)】の物見遊山へとしゃれこんだ。

 

 この町は『試験』の前日にも見て回った。しかしなにぶん広いため、まだまだ立ち寄っていない店や施設も多かった。

 

 なので、ボクらはまだ行っていない場所を中心に回ることにした。

 

 まだ立ち寄っていない服屋で着せ替え人形よろしく試着を楽しんだり、路上で披露される弦楽器の演奏や大道芸を見たり、いろんな事をした。

 

 特にボクらが足を運んだジャンルは軽食屋だ。値段的にリーズナブルなものが多いからだ。油条(ヨウティアオ)粽子(ゾンズ)豆腐脳(ドウフナオ)といった軽食を次々と買い、お腹に収めていった。

 

 そんなに食べて太らないかって? 心配ご無用。ボクらは武法士。日々の修行がそのままカロリー消費になるのである。

 

 センランはというと、ボクら以上に観光を楽しんでいた。さまざまなものを珍しがったり、新鮮そうな目を向けたりしていた。まさしく天真爛漫な子供のようだった。

 

 ボクの家もそれなりに恵まれた家庭である。しかしセンランは、ボクにとって当たり前のものさえも珍品扱いしていた。そのたびに彼女は「自分には縁がない」みたいなことを口にしていた。

 

 きっと、ボク以上の箱入り娘なのだろう。

 

 センランが特に楽しんでいたのは書店での立ち読みだった。

 

 なんでも、彼女はかなりの読書家らしい。

 

 立ち読みのジャンルは武法関係の資料のみならず、過去に【煌国(こうこく)】と隣国との間で行われた(いくさ)の記録や、有名な大衆小説など、多岐にわたった。

 

 店員さんは終始苦い顔をしてこちらを見ていた。ボクはその視線に少し胃を痛めながらも、内心で謝りつつセンランを放置した。

 

 書籍は一昔前まで高級品扱いされていたが、印刷技術が進歩したことによって、今日(こんにち)では一般民衆にも手が届きやすい価格となっている。かといって安い買い物というわけでもないので、財布の中身はむやみに放出できないのである。

 

 ボクも武法関係の書籍で興味深いものを一冊見つけたが、今回は家にしばらく戻れないので、予算の都合上泣く泣く諦めた。またの機会に買うとしよう。

 

 そんな感じで、ボクらの観光午前中の部は、あっという間に終了した。

 

 正午となった。太陽は空の真ん中に差し掛かり、垂直からボクらを見下ろしている。

 

 最初はこの時間帯に一度休んでお昼ご飯にしようと思っていたが、途中でいくつも軽食を食べたので、ボクら四人ともお腹は空いていなかった。

 

 それに、ボクらは全員普通の人よりずっと体力があるので、まだ疲れてはいなかった。なので観光を続行することにした。

 

 それが決まった時、センランが真っ先に行きたい場所を指定した。

 

 ボクらは現在、彼女が決めたその場所――武器屋に来ていた。

 

「おおお……!」

 

 センランは外でさんさんと輝いている太陽にも負けないほど瞳を輝かせ、店内を見渡していた。 

 

 かく言うボクも、

 

「おおお……!」

 

 ――全く同様のリアクションをしていました。これぞ類友ってやつだよね。

 

 店の中には、所狭しと様々な武器が並んでいた。壁際には箒立てのような入れ物があり、その中に剣や槍などがいくつも立てられている。中央辺りに並んだ陳列棚には、手裏剣などの小型武器が並んでいた。

 

 無骨な鋼鉄の刃が樹海のようにひしめくソコは、まさしく武法マニアのボクらにとってのエルドラドであった。

 

 ボクは普通の武器屋に来てもテンションが上がるが、今回ではまさにアゲアゲだった。

 

 なぜかというと、珍しい武器がいっぱいあったからだ。

 

 それもそのはず。以前にも話したかもしれないが、ここが『商業区』の路地裏にある、変わった武器ばかりが売っている武器屋だからである。

 

 ボクはそわそわと興奮を訴える手足を抑えながら、センランに告げた。

 

「……センラン。ボクは右側を物色するから、君は左側をお願いするよ。何か面白いものがあったら報告し合おうじゃないか」

 

「心得たっ!」

 

 ボクらは解き放たれた獣のように店内へ飛び出した。

 

 壁際に置いてある武器の数々を血眼で探る。あまり見ないような珍しい武器が多い。しかし、多過ぎてどれから目をつければいいのか分からない。これぞ嬉しい悲鳴というやつだ。

 

 ちなみに、こういう武器屋に防具は一つも売っていない。武法士をメイン顧客として考えている店だからだ。

 

 武法士には肉体を金属のように硬くする【硬気功(こうきこう)】が存在するので、防具はむしろ重くて邪魔なだけになってしまう。

 

 センランは立て掛けてあった一本の刀を手に取ると、スランッ、と刀身を鞘から抜いてこちらへ見せてきた。

 

「み、見ろシンスイ! 苗刀(びょうとう)だぞ! こんなものまで売っているとは!」

 

「うそ!? まじで!?」 

 

 彼女の手には、細長い片刃の両手剣が握られていた。

 

 全長約150厘米(りんまい)ほどで、全体的にやや反りを持っている。そのフォルムは、日本刀の一種である「太刀」に酷似していた。

 

 これは苗刀という刀だ。武法で使う刀や剣は片手持ちのものがほとんどだが、これは数少ない両手持ちの刀である。

 

 使用する主な流派は【通背蛇勢把(つうはいじゃせいは)】。ダイナミックでしなやかな動きから、強力な【勁擊(けいげき)】を繰り出す武法だ。

 

 だが、苗刀を使う流派はあまり無い。その分ニーズが少ないため、置いてある店も少ないのだ。

 

「うおっ!? セ、センラン! これ見てこれっ!」

 

 ボクは興奮した声を上げて、立て掛けられていたソレを手に取った。

 

 それは一本の矛。しかしその先端に取り付けられた刃は、まるで地を這う蛇を模したような波形をしていた。

 

「それは蛇矛(だぼう)じゃないか! 斬られたら止血が困難になるというあの!」

 

 センランの的確な説明に、ボクは満足げに頷いた。

 

 そう。この矛で斬りつけると、波状の刃の盛り上がった部分がノコギリのように肌の中に分け入るため、傷口が深くなり、止血や縫合がしにくくなるのだ。

 

「あと、これ! 腰帯剣(ようたいけん)まである!」

 

 次にボクが取り出したのは、柄に納まった両刃の細剣だった。しかし刀身とそれを包む鞘は非常に薄っぺらく、そしてふにゃふにゃと柔らかかった。

 

 これは腰帯剣という、その名の通り腰帯(ベルト)と剣を融合させた武器である。極薄でふにゃふにゃに作られた剣を、ベルト型の鞘に納めて持ち歩ける。普通の剣と違ってかさばらず、持ち運びに優れており、旅の武法士には人気の品なのだそう。

 

 それからも面白い武器や珍しい武器を探し当てては、それを互いに報告し合って楽しんだ。

 

 買えないけど、ウィンドウショッピングをしているような感じで、大変面白い時間だった。店の人には申し訳ないが。

 

 はしゃぎ回るボクら二人を、ライライたちは離れた所から生暖かい目で見ていた。まるで手のかかる子供を遠くから見守っているような表情である。

 

「いやぁ、予選大会の有無を抜きにしても、この町に来れて良かった! 外の世界でなければこんな面白いものは見れないからな! 実に嬉しい!」

 

 本当に嬉しそうな笑顔で言うセンラン。その顔はとても輝いて見えた。

 

 ――しかし、彼女の発言の中に、少し気になる単語があった。

 

「……外の世界?」

 

 まるで今まで、どこかに閉じ込められていたかのような口ぶり。

 

 ボクのそのつぶやきを耳にした途端、センランの表情が喜びから狼狽に変わった。

 

「……い、いや! 別に深い意味は無いのだ! うん、全然無い! だから気にしないでくれ!」

 

 まるで言い訳するかのごとくまくし立ててくる。

 

 ――もしかして、凄く厳しい家柄だったりするのかな。そのせいで、普段は行動範囲を制限されたりしているのかも。

 

 もしそうだとしたら、その境遇に置かれる気持ちは分からなくもなかった。

 

 父様も、勉強そっちのけで武法にかまけているボクに難色を示していた。今回の【黄龍賽(こうりゅうさい)】に出なければならなくなったのは、その問題が大きくなってしまったせいだ。

 

 そのように、家の都合で行動や人生を拘束、制限される人の気持ちを、ボクは知っている。

 

 それを思った時、ある思いが生まれた。

 

 センランとの時間をもっと楽しみたいという思いだ。

 

 お互い面倒な立場かもしれない。自由が利きにくい立場かもしれない。

 

 それでも、今この時は違うのだ。

 

 ならば、その許された時間では、自分に素直になって行動しよう。

 

 そう――体が不自由のまま一生を終えたボクが、今こうして新たな人生を楽しんでいるように。

 

 ボクはセンランの元へ歩み寄り、手を差し出した。

 

「今更だけど――今日は、めいっぱい楽しもうね」

 

 笑顔で差し伸べられたボクの手に、センランは少し戸惑いながらも、

 

「……ああ。改めてよろしく頼む」

 

 やがてそう笑みを返しつつ、掴み返したのだった。

 

 ――ボクとセンランの心は、今この瞬間確かに通じ合っていたのだと信じたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 楽しいことも、続けるうちにマンネリ化してくるものだ。今のボクらにとっては『商業区』巡りがソレであった。

 

 ということで、ボクらは『商業区』を抜けて【武館区(ぶかんく)】へと足を踏み入れた。

 

 理由は簡単。ここにどんな武法が伝わっているかを見物するためである。武器屋でいろんな武器を見ていたら、ボクもセンランもなんだか無性に武法がやりたくなってしまったのだ。

 

 【武館区】には、武法士同士の交流の場が最低一つは存在するものである。

 

 その町の【武館区】を根城にしている武法士たちは、そこで武林(ぶりん)――武法の世界のこと――に伝わる噂や話題などを話したり、技術交流を兼ねた試合を行ったりしている。

 

 ボクらはそういった場所を探しているのだ。

 

 武法士が集まるということは、たくさんの流派が一箇所に集まるということでもある。ボクとセンランはそれを見てみたいのだ。

 

 しかし、この【武館区】に入ってから五分とかからないうちに、あることに気がついた。

 

 大通りを歩くボクらに向けて、周囲の視線があからさまに向いていたのだ。

 

 ある者はおののくような表情、ある者は険しい表情、またある者は好奇の表情。彼らはさまざまなリアクションを交えてボクらを遠巻きから見ていた。

 

 隣を歩くミーフォンは、ボクにだけ聞こえる声量でささやく。

 

「お姉様、なんか周りの連中がジロジロ見てきてるんですけど。なんなんでしょうかね?」

 

「あー、それは多分、ボクらが予選大会の参加選手だからだと思うよ」

 

 そう。だからこんなに目立っているのだ。ボクも【武館区】に入ってからようやくその事を自覚したのだが。

 

 思えば『商業区』にいた時も、なんだか周囲からの視線を集めていたような気がする。

 

 おまけにミーフォンを除く三人は二回戦進出者。余計に注目を呼びやすいはず。

 

 でも、だからどうということでもない。名を上げるために勝負を申し込んで来る者がいるかもしれないが、そうすればここにある武法が見られるため、かえって渡りに船だ。

 

 ボクらは大通りを歩き続ける。

 

 『商業区』に比べて人通りはだいぶ少なく、騒々しさも無い。

 

 【武館区】にいるのはほとんど武法士。そして武法士の人口は一般人に比べてはるかに少ない。

 

 武法は習得が難しい。学習者の大半が途中で落伍者になってしまうのである。

 

 だが、しばらく歩いているうちに、がやがやと喧騒のようなものが聞こえてきた。

 

 ボクはそれを聞いてピンときた。それは多くの人の声が重なり合ったものだ。つまり、近くに人の集まりがあるということ。

 

 そのガヤは右側から聞こえてくる。ボクらは今歩いていた大通りから右の道へ入る。

 

 その道の伸びた先には、広場のような所が見える。音源は間違いなくそこだった。

 

 武館を五、六件ほど通りすぎ、その場所へたどり着く。

 

 そこは一言で言い表すなら、さびれた公園。時間の経過で黒ずんだ石畳が一面に敷かれており、それらの中には欠けたり砕けてたりしているものが多い。伸びている木にも、どこか年月の経過を表す哀愁がただよって見えた。

 

 しかし、景観はさびれていても、そこには多くの人がいた。みんな談笑していたり、技を軽くかけ合ったりしている。武法士だと一目で分かった。

 

 おそらくこのボロボロの石畳は、度重なる【震脚(しんきゃく)】でこうなったのだろう。

 

 やがて、彼らの中の一人がボクらの存在に気がつく。

 

「お、おい! みんな! 見ろ!」

 

 途端、その彼はこちらを指差し、まるで熊でも見つけたように大騒ぎした。

 

 それにつられて、全員が同じ方向を向く。そして、顔を驚愕でいっぱいにした。

 

「うそだろ? あいつらって……」「ああ、間違いない」「予選大会の出場選手だ」「しかも、一人を除いて全員が二回戦進出組ときたもんだ」「マジかよ」「昨日試合見てたけど、みんなめちゃくちゃ強かったぜ」「俺見てなかったから詳しくは知らねーけど、弟弟子が言うには李星穂(リー・シンスイ)とかいう女が一番ヤバイらしいぜ」「そいつの【勁擊】、【硬気功】が効かねぇらしいぞ」「嘘だろ!?」「それヤバくね?」「あの四人の中にいる?」「三つ編みの女だ。眼鏡かけてない方の」「へぇー、あんな小さい子が」「うわ……めっちゃ可愛い。惚れたかも」「俺はあの一番背の高い女がいいな。大人の女って感じで好みだ。何より乳がデカいし」「俺はあの一番小さい娘推しだな。あの猫みたいな目で冷たく見下ろされながら蹴られたい」「……なんかいつの間にか下世話な話にシフトしてない? もっと武法の話しようよ」

 

 案の定、ざわめき始めた。

 

 ボクは思わず気後れする。彼らの反応が思った以上に過剰だったからだ。

 

 これだけ注目を浴びると、どういう風に振る舞えばいいのか分からなくなる。大会での試合はただ戦えばいいだけなので平気だが。

 

 どうしたもんかと反応に困っていた時、後ろから声がかかった。

 

「――あれ? アンタこんな所で何やってんだよ?」

 

 聞いた記憶のあるその声に、ボクは思わず振り返る。

 

 ボクらの真後ろには、薄い褐色肌の少女が立っていた。側頭部にぶら下がったサイドテールが、尻尾のようにゆるく揺れている。

 

 思わぬ人物の登場に、ボクはびっくりせずにはいられなかった。

 

「シャンシーじゃないか。君こそどうしてここに?」

 

 その女の子は見間違いようもなく、『試験』の時に戦った孫珊喜(スン・シャンシー)だった。

 

 シャンシーは何言ってんだとばかりに目を細め、

 

「アホ。ここはアタシらの武館がある場所だぞ。いてもおかしくねーだろ」

 

「あ、そっか」

 

 なら、ここにいて当たり前だよね。

 

「あら。あなたたちっていつからそんなに親しくなったのかしら」

 

 ふと、ライライが意外そうに訊いてくる。

 

「『試験』の最中に色々あったんだよ、ボクたち」

 

「ふーん。そうなのね」

 

「お、デカパイ女、お前も一緒だったのか。相変わらず乳でけーな。動く時邪魔になんねーのそれ?」

 

 ライライは恥ずかしそうに胸元を隠し、上ずった声で、

 

「ほ、放っておいてよっ。それに私には宮莱莱(ゴン・ライライ)って名前があるんだから、そんな変な呼び方しないで」

 

「知ってるよ、大会で名前見たし。ちょっとからかっただけだ。悪かったね。――それよか話を戻すぜ。【武館区(ここ)】になんか用か? 観光ってわけじゃねーだろ? ここには褒められる見世物なんざなんもねーしよ」

 

「そのまさか、だよ」

 

 ボクの遠回しな返し方に、シャンシーは目を丸くする。

 

 しかし、すぐに何か察したような笑みを浮かべて、

 

「あぁ、なるほどな。おおかた、武法士どもと軽い手合わせでもしたり、ここにどんな武法が伝わってんのか調べたりしてみようってハラか。オタクだねぇ、アンタも」

 

「正解かな。まあボクだけじゃなくて、この娘の判断でもあるんだけどね」

 

 そう言って、ボクはセンランを目で示す。

 

「私は羅森嵐(ルオ・センラン)。明日始まる二回戦にて、シンスイと戦う予定の者だ。よろしく頼む」

 

 センランは一歩前へ出て、凛々しい声と挙動で自己紹介をした。その様子がなんだか妙に様になっていて、少しびっくりした。

 

 シャンシーは少し面食らったような顔をしつつも、紹介を返した。

 

「アタシは孫珊喜(スン・シャンシー)ってんだ。つーか…………李星穂(リー・シンスイ)よぉ」

 

 突然話を振られたボクは「うん?」と首をかしげる。

 

 シャンシーはボクの傍に近寄り、耳打ちしてきた。

 

「いいのか? こいつ、次の対戦相手なんだろ? 一緒にいて手の内がバレちまわねーの?」

 

「いいんだよ。センランもボクと同じくらい武法大好きっ子なんだ。それで意気投合しちゃってさ」 

 

「……ま、アンタがそれで良いならいいけど」

 

 そう頷くと、シャンシーは気を取り直したように腰に手を当て、

 

「んで、誰かと手合わせがしてーんだっけ? そんじゃ僭越ながら、アタシが最初の相手になってやんよ。羅森嵐(ルオ・センラン)とやら」

 

「本当か!? よし、では早速!」

 

「おうよ。包むのは右拳でいいんだよな?」

 

 センランは「うむ」と気合いたっぷりに首を縦に振る。

 

 シャンシーが言っていたのは【抱拳礼(ほうけんれい)】のことだ。右拳を左手で包むやり方なら「殺気は持たず、穏便な試合運びをしましょう」という意思表示となる。技術交流的な試合では必ずこのやり方を用いるのだ。

 

「おい九十八式! でしゃばってんじゃねぇ!」「引っ込め!」「お前の出る幕はねぇ!」「すっこんでろ!」「九十八式の分際で!」

 

 唐突に、他の武法士たちが一斉にブーイングを始めた。

 

「るっせーな雑魚ども!! こちとらもう先約取ってんだ!! やりてーならアタシの後にしな!! それができねーなら師父(パパ)ん所に帰れ!!」

 

 しかし、シャンシーは火を吐くように一喝し、黙らせた。

 

 そして、ボクの方へ向き直った。

 

「……ま、相変わらずここじゃこんな扱いなのさ、アタシら九十八式は」

 

「そっか……」

 

 自嘲気味に言うシャンシーに対し、ボクはそう同意するしかなかった。

 

 さっきの非難の嵐は、疑うべくもなく【九十八式連環把(きゅうじゅうはちしきれんかんは)】の悪評が原因だ。

 

 ボクがシャンシーを倒したことで、その汚名を払拭する機会が一つ失われてしまった。それを考えると、多少の罪悪感が生まれてくる。

 

 しかし、ボクは彼女の優れた腕前を知っている。汚名なんて忘れてしまいそうになるほどの腕前を。

 

 だからこそ、言った。それが励ましになるかどうかは分からないけど、言いたかった。

 

「大丈夫だよ。言ったでしょ? 君の凄さはボクが保証するって。みんなに認められなくても、ボクだけは君の味方だから」

 

 ね? とウインク混じりに微笑むボク。

 

 シャンシーは虚をつかれたように目を丸くし、そして瞬時に頬を真っ赤に染めた。

 

「……ふ、ふーん、あっそ。別に頼んでないけどね」

 

 尻尾のようなサイドテールを指でくるくる弄りながら、そう言い捨てた。口調こそぶっきらぼうだが、その仕草から照れ隠しであることが容易にうかがえる。

 

「あ、あとさ李星穂(リー・シンスイ)、言い忘れてたけどさ、えっと…………一回戦突破おめでと。見てたよ、アンタの試合。最前列の席奪ってさ。その、これからも応援してるから……頑張ってよ」

 

「そっか。ありがとね、シャンシー」

 

「……うん」

 

 うつむき気味に頷くシャンシー。

 

 強気で乱暴ないつもの彼女と違い、その態度と声はなんだかしおらしかった。

 

 なんだろう。普段とのギャップのせいか、妙に可愛く映るんだけど。

 

 だがその時、ミーフォンがボクらの間に割って入った。

 

「ちょっとあんた、なんか必要以上にお姉様に馴れ馴れしくないかしら? 何いきなり女の顔見せてんのよ」

 

 そう不満げに言う彼女の顔は、焼けたおもちのようなふくれっ面だった。

 

 焼けたおもちという例えの通り、まあ……ヤキモチ焼いてるんだろうなぁ。ボクがシャンシーとばっかり話してたからかな? それとも、他に理由があるのかな?

 

 シャンシーはさっきまでのしおらしさをガラリと変え、いつもの好戦的な態度になってミーフォンに睨みをきかせた。

 

「ああん? なんだお前、一回戦で李星穂(リー・シンスイ)にワンパン負けした奴じゃねーか」

 

「嫌な覚え方すんじゃないわよ! あたしには紅蜜楓(ホン・ミーフォン)って名前があんのよ!」

 

「うっせーなぁ。つーか、馴れ馴れしいのはお前も同じだろ。試合中は「三分で倒す」なんて大言壮語ぬかしてやがったくせに、今じゃ腹見せてなかよしこよしってか? 猫みてーな目のわりにやってんことは犬同然かよ」

 

「……は? 何あんた? ケンカ売ってんの? いいわよ言い値で買ってやるわよ。礼儀知らずの山出しに人生教えてあげるわ」

 

「上等だメス犬! とっとと左拳包めコラ!!」

 

「望むところよ!!」

 

 ヒートアップした二人は、互いに自分の左拳を右手で包もうとする。ちょっと何してんのこの二人!?

 

 ボクは慌てて止めに入った。

 

「こらこら! 二人ともやめなさい! シャンシーはセンランと試合するんでしょ!? ミーフォンも威嚇しないの!」

 

「……ちっ。わぁったよ」

 

「……はい、お姉様」

 

 シャンシーは投げやりに、ミーフォンはシュンとした態度で引き下がった。

 

 出会って早々流血武闘を始めようとするなんて。この二人、ちょっと相性が良くないかもしれない。

 

 そこへ、センランが少し遠慮がちな口調で口をはさんできた。

 

「その……早く始めたいのだが」

 

「あ、悪ぃな。んじゃ、中央に来てくれ」

 

 センランはシャンシーに誘導される形で、この広場の中央辺りに来る。

 

 彼女たち二人の周囲に、ドーナツ状の人だかりが出来上がる。その中にはボクらも入っていた。

 

「――【九十八式連環把】孫珊喜(スン・シャンシー)

 

「――【心意盤陽把(しんいばんようは)羅森嵐(ルオ・センラン)

 

 互いに名乗り、右拳を左手で包み込む【抱拳礼】をしながら一礼。

 

 ふと、シャンシーがセンランの顔を見て言った。

 

「……お前は、しかめっ面をしねーんだな」

 

「何がだ?」

 

「アタシの流派、聞いただろ」

 

「【九十八式連環把】を取り巻く悪評のことか? そんなものを気にするなどつまらぬことだ。何であれ等しく武法。ゆえに私は敬意を払おう」

 

「……なるほどな。李星穂(リー・シンスイ)と仲良くなれるわけだ。それじゃ、始めようか」

 

 少し嬉しげに微笑んでから、表情を引き締め、臨戦態勢をとるシャンシー。

 

 合わせてセンランも構えた。

 

 体の中心線を隠すようにして両手を構えたまま、互いに近づく。

 

 両者の前の手同士が触れそうになった瞬間、ピタリと静止。

 

 かと思いきや、そのままお互いゆっくりと反時計回りに歩を進め始めた。まるでダンスのペアが手を繋ぎ合い、そこを中心にしてぐるぐる踊り回るように。

 

 両者の動きは、小川のように緩やかだった。しかし同時に、今にも何かが起こりそうなピリピリした雰囲気が感じられる。

 

 弾けるのも時間の問題だ。

 

 やがて――弾けた。

 

 シャンシーの左正拳が閃く。

 

 やってきたソレを、センランは右手甲で外側へ弾く。

 

 しかしその時すでに、シャンシーのもう片方の拳が腹部へ真っ直ぐ肉薄していた。

 

 が、一撃目を弾いたばかりの右腕の肘をストンと真下へ落とすことで、迫る拳を打ち落として直撃をまぬがれる。

 

 そして、センランは下ろした右腕を――今度は真上に伸ばした。

 

 アッパーカットの要領で顎に迫る拳を、センランは最初に弾かれた左手でなんとか受け止める。

 

 難を逃れたと思った瞬間、突然シャンシーの腹部がズドンッ、と爆ぜた。

 

「――っ!?」

 

 目元と唇をきつく引き締めながら、シャンシーは数歩たたらを踏む。

 

 それがセンランの繰り出した左掌底によるものであると気づくまで、少し時間がかかった。

 

 ――速い。

 

 センランが受け止められた右拳を引っ込め、それと交換する形で左掌を突き出し、それが相手に直撃した。 

 

 そこまでは分かる。 

 

 だが――その過程がほとんど見えなかった。あまりにも速いのだ。

 

 シャンシーも同感だったようで、少しやせ我慢の混じった笑みを浮かべながらこう訊いた。

 

「やるじゃん、お前…………べらぼうに速かったぞ、さっきの掌底。全然見えなかった」

 

「まあ、当たりは全然浅かったがね」

 

 センランは謙遜した様子だが、さっきの攻撃速度は明らかに非凡なものだった。

 

 おそらく、あの打撃は『陰陽の転換』を応用したものだろう。

 

 この理論は足運びだけでなく、手法にも利用が可能だ。相手と接触した手を『陽』、そうでない方の手を『陰』として考え、それらを転換させたのだ。

 

 そしてこの場合、彼女のずば抜けた転換速度をそのまま使えるのである。

 

 ――やっぱり、強い。

 

 こんな相手と明日戦うのだと思うと、ボクは緊張を禁じ得なかった。

 

 二人は再度接近。そして、手脚を交え合う。

 

 何手も攻防を繰り返す。

 

 命のかかっていない、安全な攻防。

 

 しかしそれでも白熱し、周囲の視線は二人に釘付けとなった。

 

 ――そして、その渦中にいるセンランの顔は、凄く満ち足りているように見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「かーーっ! 生き返んなーーっ!!」

 

 鎖骨の辺りまで湯船に浸かったシャンシーは、そんな年頃の女の子らしからぬ極楽そうな叫びを上げた。

 

 全身を肩まで湯の中に沈めているボクは、そんな彼女から目をそらしながら、

 

「……シャンシー、なんかおっさんくさいよ」

 

「あー? いいじゃねーか。温泉入りに来る機会なんざあんまりねーんだよ。あー極楽極楽。これで酒でもありゃ完璧なんだけどな」

 

「あなた一五歳でしょう? お酒飲むにはまだ早いわよ」 

 

 胸元まで湯に入ったライライがそうたしなめてくる。シャンシーは「わかってるよ。冗談だっての」とつまらなそうに返す。

 

「…………………………」

 

 ミーフォンはというと、口元まで湯の中に埋没させながら、ものすごい眼差しでボクの体を凝視していた。ちなみにお風呂であるため、シニヨンカバーは外している。

 

 彼女の目は血の涙が出そうなほど血走っていて、荒い鼻息がお湯の表面に大きな波紋を作っていた。……怖い。

 

 ――ボクらは現在、『商業区』にある温泉宿に来ていた。

 

 あの後、二人の試合は、センランがシャンシーを組み伏せて拳を寸止めさせたことでカタがついた。

 

 負けたシャンシーは多少悔しがりはしたものの、最後には清々しい笑みを浮かべながらセンランの握手に応じた。

 

 その後もボクたち――主にボクとセンラン――は、広場にいた何人かと試合を行った。

 

 ちなみに、結果は全勝だった。しかしその試合は、あくまでここの【武館区】に伝わる武法を拝見し、技術的交流を重ねるのが主な目的である。勝ち負けなど気にせず、思う存分試合に打ち込んだ。

 

 そして、そんな楽しい時間はあっという間に過ぎ、気がつくと空は夕方になり始めていた。

 

 ボクらは【武館区】を出た後、度重なる試合による疲れを癒し、汗を流すべく、この温泉宿にやってきた。

 

 ここは宿泊だけでなく、温泉のみを楽しむこともできる。ボクらは後者を選んだ。

 

 ……そう。温泉に入るまではよかったのだ。むしろ、そこは大歓迎だ。

 

 ただ、一つ問題があった。

 

 それは――

 

 現在、ボクらは女湯の露天風呂に浸かっていた。

 

 その湯船の隅っこで、ボクを除く女の子四人が固まっている。ボクはそんな彼女らを避けるように距離を置いていた。

 

「シンスイ? 何をそんなに離れている? もっとこっちに来たらどうだ?」

 

 センランがそう言って手招きしてくる。その髪は側頭部辺りで大きなお団子状にまとめられていて、額を出すスタイルをお風呂でも貫き通している。ちなみに眼鏡も着用中だ。そんなに目が悪いのだろうか。

 

 彼女はこう言っている。が、しかし、言うとおりにすることはできない。

 

 三つ子の魂百までとよく言うだろう。どれだけの美少女に生まれ変わったとしても、前世で培った男としての人格は、まだまだ本質として色濃く残っているのだ。

 

 早い話、自分以外の女の裸体を直視できないのである。

 

 「もう自分は女なんだ! だから女の子の裸見ようがおっぱい触ろうが犯罪じゃない! ヒャッホーイ!!」と開き直るという手もあるが、男の子ゆえの後ろめたさがある今、それをやれば最低野郎になってしまうような気がするのだ。

 

 ゆえに、ボクは彼女たちから目をそらしつつ、距離を取るしかないのである。

 

「……ん?」

 

 ふと、お湯の表面から、何か出っ張りのようなものが出ているのが見えた。

 

 その出っ張りは周囲に波紋を作りながら、ス――ッとボクに近づいて来る。

 

 あ、こんな場面見たことあるぞ。前世にいた頃、映画配信アプリケーションで見た某有名サメ映画のワンシーン……

 

 どんでんどんでんどんでんどんでん――――

 

「――お姉様ぁぁぁ!!」

 

 ざっぱぁん!! とサメ――ではなくミーフォンが湯の中から飛び出した。あの出っ張りは彼女の頭だったのだ。

 

 そして、勢いよくボクに向かって抱きついてきた。ちょっと、何を!?

 

「はぁ! 髪を下ろしたお姉様もお美しい! お肌も色白ですべすべ! 一箇所一箇所に一切の無駄がない均整の取れた女豹のような体つき! そこらの女では決して成し得ない完璧な美がここにありますぅ!!」

 

「うおぉ――――!!?」

 

 ミーフォンが頬と体をボクに向かって激しく擦り付けてきた。

 

 ちょ! ストップ! やめて! そんなに密着したら、ふにゃんふにゃんと柔らかいものが当たります! しかも今回は小さくて硬い粒のような感触というおまけ付きなんですけど!

 

「あ…………ご、ごめんなさいお姉様。あたしったら、調子に乗って……すっかり我を忘れてました」

 

 だが突然、ミーフォンはそう言って申し訳なさそうに引き下がった。良かった。ボクの気持ちを分かってくれたか。

 

「――あたしが触るばっかりで、お姉様に触らせるのをすっかり忘れていました!」

 

 分かってなかったぁ――――!!

 

 ミーフォンは両腕を組み、その小柄さとは不釣り合いに大きな双丘を強調させる。

 

「手前味噌ですけど、あたし体には自信あるんですよ? 背は小さいですけど、胸はほら、それに反して結構豊かなんですから! お姉様になら、いつでもどこでも好きな所触らせてあげます! なんなら、それ以上のことでも!」

 

「触りません! あと、それ以上のことってなにさ!?」

 

 ていうか見せつけないで! ボクの理性(ライフポイント)を無自覚に削るのはやめてください!

 

 そこで、シャンシーがくだらなそうに一言呟いた。

 

「アホくせぇ。何で乳でけー方がいいんだよ。戦う上で邪魔なだけだろあんな脂肪」

 

「は? 何それ、負け惜しみ? 自分がまな板だからって僻んでるの? あーヤダヤダ、聞くに堪えないわね」

 

「……おい。その乳袋の中身絞り出されてーのか?」

 

「……あんたこそ、ただでさえ貧相なその胸をさらにカンボツさせられたいわけ?」

 

 ジャバンッ! と立ち上がり、シャンシーとミーフォンは睨み合う。

 

「ちょ、二人とも! せっかくの温泉なんだからケンカしないで! ね?」

 

 ボクは二人の裸を直視せぬよう腕で目元を覆いながら、そう仲裁した。

 

 彼女らは不満そうだったが、なんとか引き下がってくれた。

 

「ていうか、胸っていえば……」

 

 ミーフォンは言葉を途中で止めると、じぃっと「ある一点」に目を向けた。

 

 その「ある一点」とは、リラックスしながら湯に浸かっているライライ。

 

 彼女は髪を下ろしていた。後ろで束ねていたポニーテールが解かれ、毛先辺りにウエーブのかかった長い髪がだらんと下へ流れている。それらはお湯によってぺったりと鎖骨の辺りに貼り付いており、なんだかとても色っぽく感じた。

 

 そして、ミーフォンの視線は――その巨大な胸部に集中していた。

 

 線の細い上半身の中で唯一激しく自己主張をしたソレは、成人男性の手でも覆いきれないであろう大きさと、そして美しい釣鐘型を誇っていて――

 

「緊急回避っ!」

 

 ボクは音速に匹敵する速度でそっぽを向いた。危なかった。一瞬だが、確かにあの魅惑の果実に視線が釘付けになってしまっていた。大丈夫、先っぽは見てないよ。

 

「な、なにかしら? そんなにジロジロ見て」

 

 ミーフォンの視線に気がついたのか、ライライのたじろぐような声が聞こえてきた。

 

「……改めて見ると、随分デカいわね。ちょっと揉ませなさい。何厘米(りんまい)あるのか確かめてあげるわ」

 

 そんな彼女に対し、ミーフォンはそう静かな声で言いながら接近していく。

 

 ライライは引きつった顔で、

 

「い、いいわよ別に」

 

「遠慮しなくていいわ。下着買う時に参考になるかもしれないじゃない」

 

「そんなの店で測ればいいから大丈夫よっ。というか、あなた今凄く意地悪そうな笑顔浮かべているのだけど!?」

 

「気のせいよ気のせい」

 

 笑いを噛み殺したようなミーフォンの声。

 

 危機感たっぷりな表情で、ライライは逃げ出した。

 

「――ふっふっふ。逃がさぬぞライライよ」

 

 しかし、まわりこまれてしまった!

 

「ちょっとセンラン!? あなたまで!?」

 

「うむ。私もキミのほど大きく形の整った乳房を見たことがない。ちょっと触ってみたくなった。女同士だ、何を気にすることがある?」

 

 手の指を軟体動物よろしくくねらせながら、邪悪に微笑むセンラン。完全に悪ノリしていた。

 

 二人のおっぱい魔人が、ライライを追い詰める。

 

 そして、

 

「――んぁんっ!?」

 

 えらく扇情的な響きを持ったライライの喘ぎ。ボクは思わずドキッとする。

 

 ミーフォンとセンランの手が、見事にライライの両胸を鷲掴みにしていた。

 

 そして、その柔肌に食い込んだ指たちが、うねうねと動く。

 

「やっ! あっ! だめ、ああん! ふぁっ、だ、だめぇ! あ、あっ! あぁんっ!!」

 

 その動きに合わせて、ライライが何度も嬌声を発する。

 

「やっべ、面白そ! アタシも参加すんぜ!」

 

 とうとうシャンシーまで興味を持ち、飛び入り参加しだした。

 

 夕空へ向かって、艶かしい喘ぎ声が何度も響き渡る。

 

 ……ボクは蹂躙され続けるライライに何もしてあげられず、ただただ耳を塞いで目をそらし続けるしかなかった。



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センランの正体

「ぐすっ……みんな酷いわ……」

 

 ライライは鼻をすすりながら、涙声で呟く。

 

 ボクらは温泉から上がった後、宿をすぐに出た。

 

 シャンシーとは入口で別れた。なんでも、門弟たちと集まってご飯を食べに行く約束をしているらしい。

 

 よって、現在は最初の四人組で『商業区』の町中を歩いている。

 

 すでに夕方から夜に変わりつつある空。往来する人の数も昼間に比べて落ち着きを見せていた。昼間は人混みのせいで満足に見えなかった反対側の店も、今では良く目に映る。

 

 ライライはお風呂でおっぱいを揉みしだかれたことをまだ気にしており、少ないながら目に涙を溜めている様子だった。

 

「す、すまない。少し戯れが過ぎたようだ」

 

「乳揉まれたくらいで泣かなくてもいいじゃないの」

 

 センランは申し訳なさそうに、ミーフォンは困ったように言う。

 

「ううっ……酷いわよぉ。好きでこんな大きくなったわけじゃないのに…………シンスイぃ」

 

 泣きながらボクの首に手を回し、抱きついてくるライライ。ボクは無言でその背中を優しくさすってあげた。

 

 なんでも彼女は昔から発育が並外れて良く、一一歳の頃にはすでにミーフォン並みのバストを誇っていたらしい。当時通っていた【民念堂(みんねんどう)】の同級生たちから「きょーにゅーう! きょーにゅーう!」と散々からかわれて以来、それがコンプレックスとなってしまったそうだ。

 

 ご愁傷様……。

 

 ライライをなだめながら、ボクは空を見上げた。

 

 夕日のあかね色は、東側から押し寄せる瑠璃色の夜闇によって西へ追いやられ始めていた。

 

 もうすぐ夜となる。

 

 楽しい時間はあっという間だ。

 

 今日一日は非常に密度が濃かったはずだが、時間の経過がとても早く感じる。そしてそれはそのまま、今日という日がどれだけ楽しかったのかを表していた。

 

 ボクは楽しかった。

 

 なら――センランはどうだっただろう?

 

 武法を好むという点で、ボクらは全く同じ種類の人間だ。なので、ボクの楽しみがそのまま彼女の楽しみになる。そう信じて、今日一日を本能のまま遊び倒した。

 

 センランはちゃんと楽しんでくれていただろうか?

 

 ボク一人による自己満足で終わっていなかっただろうか?

 

「ねえセンラン、今日は……楽しかったかな?」

 

 少しおそるおそるな響きを持ったボクの声。

 

 訊いた瞬間、手ぬぐいで眼鏡を拭いていたセンランはその手を止めた。歩く足もピタリと静止させる。

 

 うつむき加減だった顔をさらに下へ垂らす。

 

 その様子は、感動で打ち震えているようにも、何かに失望しているようにも見えた。

 

 いや、きっと表情が見えないから、正にも負にも捉えられてしまうのだ。

 

 我知らず唾を飲み込んでいた。

 

 だが、やがてセンランはその深いうつむきを保ったまま、はかなげな声で答えた。

 

「……楽しかった。こんなふうに思い切り遊んだことは、久しく無かったから」

 

「……センラン」

 

「ありがとう、シンスイ。私を振り回してくれて。今日は一分一秒すべてが、金銀財宝のように輝かしいものに思えたよ。キミとともに遊んだ事を、私は永遠に忘れないだろう」

 

 予想に反した感謝ぶりに、ボクは喜びを通り越して少し気恥ずかしくなった。

 

 永遠というのは少し言い過ぎかもしれない。でも、それでも「楽しかった」と言ってもらえたことは嬉しい。気恥ずかしさは再び喜びへと回帰する。

 

 ボクはセンランに歩み寄り、片手を差し出した。

 

「明日の試合、お互い全力で戦おう」

 

 それは、握手を求める手であった。

 

 今回の大会の一戦一戦は、ボクの武法士生命を賭けた綱渡りのようなものだ。

 

 どういう形であれ、勝つことが大事。それ以外の結果は認められない。

 

 しかし、今日一日で仲良くなったこの少女との戦いは、勝利にのみ執着したものにはしたくないと思った。全力を出し惜しみせず、真摯に挑みたい。たとえその先にどういう結果が待っているのだとしても。

 

 ボクが差し出したこの手には、そんな強い思いがあった。

 

 センランは一瞬戸惑った様子だったが、

 

「――ああ。よろしく頼む」

 

 すぐに自分の片手でボクの手を掴み、握手に応じてくれた。

 

 未だにこうべを垂れているため顔は見えないが、笑みを浮かべているのは声で分かった。

 

 今日あったばかりの彼女とそこまで分かり合えたことに、改めて嬉しくなる。趣味嗜好が同じであるならなおさらだ。

 

 しばらく固く結束を結んだ後、ボクらは手を離す。

 

 センランは手を引っ込めながら、もう片方の手に持っていた眼鏡をかけようとした。

 

「あっ……!」

 

 が、引っ込めた方の手を誤って眼鏡にぶつけ、取り落としてしまう。

 

 かちゃん、とレンズが弾む音。

 

「拾うよ」

 

 ボクは率先して、眼鏡を優しく拾う。眼鏡は高級品だ。丁寧に扱わなければ。

 

 手に持ったソレを、持ち主であるセンランに渡そうとした。

 

「――ん?」

 

 だがその時、ボクはふとある点に気がついた。

 

 眼鏡のレンズに注目する。

 

 レンズから向こう側には――代わり映えしない普通の景色があった。

 

 ……この表現では、分かりづらかったか。

 

 ボクが言いたいのは、レンズ越しに前を見た時、目に気持ち悪さを全く感じなかったということだ。

 

 つまり、レンズに度が入っていない。

 

 これは――

 

「伊達メガネ……?」

 

 思わず呟く。

 

 そう、紛れもない伊達メガネであった。

 

「――っ!」

 

 次の瞬間、センランはボクの手から眼鏡を乱暴にひったくり、かけ直した。

 

 気まずそうな顔で目を背けられる。

 

 さっきまで柔らかかった雰囲気が、一瞬で張り詰めたものになる。

 快晴を喜んで外を歩いている途中、急速に雨雲がかかった時のような気持ちにさせられた。

 

 今までの彼女らしからぬ強引な行動と後ろめたい態度に、ボクは首をかしげずにはいられなかった。

 

 さらに、疑念のようなものまで生まれた。

 

 伊達メガネをかけているところまではいい。ファッションの一言でケリがつく。

 

 ボクが気になったのは――お風呂に入る時にまでソレを着用していた事だった。

 

 最初はそれに対し、視力がかなり悪いからだろうという先入観を持った。

 

 しかし、そんなことはなかった。伊達メガネであったことがその何よりの証拠だ。

 

 目が悪くなかったのなら、お風呂にまでかけていた理由はなんだ? 湯気でレンズが曇るだけで、何のメリットも無いはずなのに。

 

 別にそれが分かったところで、何も起こらない。しかしなぜかひどく気になった。

 

「センラン、君は……」

 

 訊いてみたかったが、彼女の発する無言の圧力が「やめろ」と言外に訴えてきている感じがして、途中で言葉が途切れる。

 

 何か触れて欲しくない事情があるのかもしれない。

 

 もしそうだとしたら、ボクはこれ以上踏み込むべきではない。それはセンランのためではなく、自分の好奇心で動くことに他ならないのだから。

 

 センランを真に思うなら、次にこの言葉を繋げるべきだ。

 

 「ううん、何でもない」と。

 

 そうしようとした、まさにその時。

 

「――おい、嬢ちゃんたち。ちょっといいか」

 

 端から知らない声が割り込んできた。

 

 誰だよこんな時に。苛立ちを胸に秘めつつ、声の方向へと振り返る。

 

 そこに立っていたのは、鎧と槍を装備した四人の男の人。

 

 統一された武装を見て、彼らが【煌国(こうこく)】の正規兵であることがすぐに分かった。

 

 何でこんな所に兵士が? と一瞬考えたが、すぐに答えは出た。

 

『きっと、皇女殿下が宮廷から失踪されたから、探してるんだと思うわ』

 

 ライライは以前、確かにそう口にしていた。

 

 つまり彼らはこれから、ボクたちに皇女殿下らしき人を見ていないかを尋ねるつもりなのだろう。

 

 はっきり言って、そんなこと聞かれても困る。

 

 ボクは皇女殿下の顔なんて見たことが無いのだ。

 

 異世界(ここ)にはテレビどころか写真だって存在しない。媒体技術の発達した現代日本と違って、そんな簡単にお偉いさんの顔が見れる場所ではないのだ。

 

 ごめんなさい、知りません――そう答えてさっさと退散しよう。

 

 しかし、センランの方に思わず視線が釘付けになる。

 

 こわばっていた彼女の表情が、さらに緊張感を増していた。緊張しているのは主に唇と頬。目元は何かから無性に逃げたい感情を表すかのように細められていた。

 

 明らかに様子がおかしい。

 

 兵士たちが、そんなセンランへ目を向けた。

 

 が、顔を見られる前に、勢いよく首をひねる。

 

 ……その不審な反応が、兵士たちの強い関心を引いたのだろう。

 

「おいそこのお前、ちょっと振り向いて顔見せてみろ」

 

 一人が、センランの背中に手を伸ばしだした。

 

 石のように無骨な手が、肩へ近づく。

 

「――っ!!」

 

 しかし掴まれる寸前、センランは突発的にその場から走り出した。

 

 ――スタートダッシュの時、その片胸のポケットから何か光るものが落ちるのが見えた。

 

 野生の獣のような勢いで、彼女はボクらから遠ざかった。

 

「待てっ! 止まれ!」

 

 兵士たちは慌ててセンランを追い始めた。重そうな装備だが、訓練しているだけあってか、その足は一般人よりずっと速かった。

 

 しかし、センランは突如加速し、兵士たちとの距離をあっという間に広げた。間違いない。【心意盤陽把(しんいばんようは)】の歩法を使ったのだろう。

 

 しかし兵士たちはめげずに追跡を続ける。職務熱心なことだ。

 

 追いかけっこをするメンツが全員曲がり角に入り、見えなくなる。

 

 ボクら三人は、ポツネンとその場に取り残された。

 

「……何だったのかしら」

 

 連続した思わぬ展開に、ミーフォンがつぶやきをこぼす。

 

 ボクも同意見だった。

 

 伊達メガネをぶんどったり、兵士から逃げ出したり。彼女の不審な行動をいきなり連続して見せられて、頭が混乱していたのだ。

 

 例えるなら、映画の序盤から一気に飛んで、クライマックスを見せられた時のような混乱に似ているかもしれない。

 

 残った夕日の光を反射して輝く黄金色の物体が、整然と敷かれた石畳の上に転がっていた。

 

 さっきセンランが落としたものだ。

 

 拾って見ると、指輪だった。

 

 刻印されているのは、大きな太陽とその下に広がる町を抽象化したような意匠――【煌国】の国旗と同じマークだった。

 

 太陽を表す刻印の(まる)部分には、綺麗にカッティングが施された紅宝石(ルビー)がはまっている。

 

 指輪全体に使われているのは、ほぼ間違いなく純金。

 

 疑いようもなく、上等なシロモノだった。おそらく、質に売ったらひと財産だろう。

 

 ――これから、ボクはどうするべきだろうか。

 

 自分のするべきことを考える。

 

 しばらく地蔵のように固まって、頭を回転させ続けた。

 

 そして、「この指輪をセンランに返す」という方針が決まった途端、ボクはセンランが逃げた方向へ向かってダッシュした。

 

「あ、ちょっとシンスイっ?」

 

「ごめん二人とも! ボク、この指輪をセンランに届けてくる!」

 

 振り返りもしないまま、そう押し付けるように言った。

 

 落し物を届ける――それももちろんある。

 

 だが、もし落し物を届けたいのなら明日にすればいい。どうせ試合で会えるのだから。

 

 ボクにはもう一つ、動く理由があった。

 

 センランが逃げ出した理由が気になったのだ。

 

 はっきりしない事を、はっきりした事にしたいだけなのだ。

 

 全力で戦うと誓い合った手前、もやもやした疑問を直前に残すのは、やはり気持ち悪いと思ったのだ。

 

「二人はもう帰ってていいよ!」

 

 待たせないようにそう釘を刺してから、走る速さをさらに上げた。

 

「あの指輪……どこかで見たことあるような……」

 

 そんなミーフォンの微かなつぶやきを聞き逃し、ボクは去っていったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜に移るのは予想以上に速かった。

 

 太陽はすでに西の彼方へ埋もれており、瑠璃色の闇が空のほとんどを覆っていた。

 

 夕日と夜闇が5対5の割合になったところで、町の人たちは行灯や灯篭に火を灯し、【滄奥市(そうおうし)】にオレンジ単色のライトアップをもたらした。

 

 照明器具に恵まれた現代に比べれば、原始的かつ短調な光。しかしその分、人間という生き物の原始的感性がほどよく刺激されるため、悪い気分ではない。

 

 オレンジ光がぽつぽつと灯った【武館区(ぶかんく)】の大通りを、ボクは息せき切って走っていた。

 

 夜になって、この道はさらに寂しさが増していた。乏しかった人通りも昼間に比べてさらに少なくなり、人間は時々見かける程度しかいない。

 

 そんな中、ボクはある身体的特徴のみを絞って人探しをしていた。

 

 丸メガネ。オールバックになってさらけ出された額。後頭部で太い三つ編みとなったチョコレート色の長い髪。センランの特徴である。

 

 彼女は武法が好きだ。なので、ここに来ているかもしれないと踏んで探し回った。

 

 だが見つからぬまま、時間だけが無為に過ぎていった。もうかれこれ二〇分以上は走り回っている。

 

 日々の鍛錬の賜物で、体力的には全く問題はない。しかし大量ではないものの汗がまた皮膚表面に浮かび上がってきて、気持ち悪い。帰ったらお風呂に入り直すなり水浴びするなりしなければならない。

 

「ちくしょ、見つからない……!」

 

 息をかすかに切らせながら、ボクはぼやきをこぼす。

 

 いくら探して見つからない。

 

 ていうか、手がかりも何も無い状態で、この広い町全体を探そうという行為そのものが無茶なのだ。

 

 ボクが走り回っている最中、センランだって移動しているだろうし。

 

 そう考えると、こうして走り回る行為そのものが無駄なように思えてきた。

 

 一度足を止める。頭を冷やそうと深呼吸。

 

 その結果、頭はあまり冷えなかったが、代わりに見覚えのある顔と出くわした。

 

 シャンシーだった。

 

 しかし、彼女にはつい数十分前までの活発さは無く、まるで精根尽きはてたようにふにゃふにゃだった。両隣にいる二人の男が、その左右の肩を担いで歩いていた。

 

 彼ら二人も見たことがあった。シャンシーと初めて会った時、一緒にいた仲間の男たちだ。

 

「ううーん…………もう飲めにゃい……」

 

 でろんとこうべを垂らしたシャンシーは、ろれつの回らない口調でそう呟く。

 

 そして、彼女が近づいて来るたび、徐々に強くなってくる酒気。

 

 まさか。

 

「シャンシー! 君、お酒飲んでるの!?」

 

 ボクの驚く声に反応し、へべれけなシャンシーは舌足らずに言う。

 

「んあ? シンスイ? 違う違う、酒ひゃねーっへ。薬くせー変な飲みモン。飲んでみっと意外と美味くへ、体の奥がぽわーんとあったかくなっへぇ……」

 

「一〇〇パーお酒でしょそれ!」

 

 この国では、お酒は一八歳からと決まっている。しかしそれはちゃんとした法律に基づいた決まりではなく、慣習法や不文律みたいなものである。

 

 まあ、未成年の分際で飲酒していたことについては、またの機会に問い直すとしよう。

 

「それよりシャンシー、センランを見かけなかった?」

 

 そう問いかけると、シャンシーはいかにも不満たらたらな口ぶりでくだを巻いた。

 

「んだよぉ、センランセンラン! でけーケツの女ばっかし追っかけやがっへぇ! センランとあらひのどっちが大事だってんだよぉ!?」

 

「ええ!? 意味わかんないし! 唐突に何なの!?」

 

「とーとつじゃねーよぉ、ぎゅー」

 

「うわ! ちょ! 抱きつかないで!?」

 

「やだ。離さにゃい。このまま家に持っへ帰っへやう」

 

 シャンシーは腕と足をボクの全身に絡ませてくる。その細い手足には似つかわしくない、凄い力だった。

 

 夢見心地な微笑みを浮かべながら、ボクのほっぺに頬ずりしてくる。

 

 女の子の香りと酒気が混ざった蠱惑的な匂いがボクの鼻をつき、妙な気分にさせられる。

 

 もしかしてシャンシー……甘え上戸ってやつ?

 

 なんて冷静に分析してる場合じゃない。

 

「は、離れてシャンシー! ボク用事があるから!」

 

 ボクはできるだけ乱暴にならないよう、ヘビのように絡みついてくるシャンシーを剥がしにかかった。

 

 しかし彼女の手足の【(きん)】はかなり鍛えられているようで、手加減した力では全く解けない。なので、本気を出さざるを得なくなる。

 

 やっとの思いで引っぺがした。

 

 千鳥足で着地したシャンシーは頬っぺたをぷくっと膨らますと、うめくような声で告げてきた。

 

「……あいつなら、さっき広場に入っへくのを見たぞぉ。アンタらが今日の昼間、試合してた場所な」

 

「ありがとう! じゃあ行くね。もう飲んじゃダメだよ?」

 

 ボクはさらに、シャンシーを担いでいた二人の男にビシッと人差し指を向ける。

 

「いいかい君たち? 分かってるとは思うけど、酔ってる所を美味しくいただこうなんて考えないこと! いいね?」

 

「し、しねぇよ、んな事。俺らがシャンシー姐さんに殺されちまうわ」

 

「よろしい! ばいばいっ」

 

 きちんと釘を刺してから、ボクは再び足を走らせた。

 

 窓や灯篭からもれるオレンジの光が、前から後ろへ次々と流れていく。

 

 さっきと違い、今は踏み出す一歩一歩に迷いはなかった。アテが見つかったからだ。

 

 広場までの道のりはちゃんと頭に入っている。その脳内の地図をなぞるように移動する。

 

 あの場所にセンランがいる可能性は十分にあった。

 

 センランを追う兵士たちは武法士ではなかった。『商業区』もしくは『公共区』でなら水を得た魚のように動き回れるが、武法士ひしめくこの【武館区】では迂闊な行動はできず、慎重にならざるを得ない。剣や槍が通じない人間と揉めたくはないはずだから。

 

 それにあそこは、彼女が他流との試合を楽しんだ場所。思い入れがあるはず。

 

 兵士たちに探られにくく、なおかつセンランの心に残ったスポットだ。

 

 ソコにいなかったら、もう素直に『巡天大酒店(じゅんてんだいしゅてん)』に戻ってゆっくり休もう。明日は試合だ。どうせセンランともその時に会える。

 

 しばらく走って、ようやくその広場へと到着した。

 

 大通りとは違い、そこには照明が無かった。しかし遥か頭上に輝く満月が白い光で照らしているため、所々ひび割れた石畳の上に木々の影絵ができていた。

 

 そして、その影絵の中に――ボク以外の人影が一つ。

 

 センランが、途方にくれたように棒立ちしていた。

 

 声をかけるより先に、彼女がボクの存在に気づいた。

 

「……シンスイ?」

 

 驚いた顔で、かすれた声を発した。

 

「……どうしたのだ。こんな所まで」

 

「センランを探してたんだよ」

 

「……私を?」

 

 こくん、と頷いてから、ボクはポケットに入っていた金色の指輪を彼女に差し出す。

 

「あ……!」

 

 センランは目を大きく見開くと、指輪を慌てて受け取り、その胸に抱いた。

 

 その仕草が、指輪の大事さを示す何よりの証拠だった。

 

「ありがとう、シンスイ……この指輪は、大切な形見なのだ」

 

「形見?」

 

「ああ。昔、病で亡くなられた母上から授かった物だ。これが無いことに気づいた時は心臓が止まるかと思ったが、こうして君が拾ってくれたおかげで助かった。感謝する、本当に」

 

 深々と頭を下げられる。

 

 ボクは少し恥ずかしくなってきてしまい、思わず早口で言う。

 

「あ、はははは。どういたしまして。でも、センランも気をつけなよ。ていうか、そんなに落としたくなかったなら、指にはめておけばよかったのに」

 

「っ……そ、そうだな。そうかもしれないな」

 

 センランはぎこちない笑みでそう答えた。

 

 一瞬現れた激しい動揺を、作り笑いで塗りつぶしたかのようだった。

 

 ――今また、彼女の不審な反応を見た。

 

 それによって、センランに対する疑念が再燃する。

 

 ここで訊いてみよう。

 

 ――どうしてあの時、君は逃げたの?

 

 いや。そうじゃない。

 

「センラン。君は一体――”何者”なの?」

 

 彼女はショックを受けたように喉を鳴らした。

 

 それを見て、少し心が痛む。

 

 センランはうなだれ、そのまま一言も発さなくなった。

 

 ボクもそれにつられて、押し黙る。

 

 重苦しい沈黙が場を支配した。

 

 ――やっぱり、突っつくべきことではなかったかもしれない。

 

 自分の無神経さを後悔し始めた、その時だった。

 

「――ようやく見つけましたよ」

 

 静まり返った空気を、第三者の声が切り裂いた。

 

 鋭さと強さを持った、男の声。声質は比較的若い。

 

 それは、広場の入口から聞こえてきた。ボクが今背にしている方向だ。

 

 ボクと向かい合う形で立っているセンランには、その声の主が見える。

 

 そして、それを目にしている彼女の顔は、今まで見たことがないほどまでに強ばっていた。信じられない、といった表情。

 

 ボクはゆっくりと、真後ろを向いた。

 

 そこに立っていたのは、見上げるほどの長身をもつ美丈夫だった。

 

 ルックスは二枚目と形容できる端正さ。しかし、眉間に微かに刻まれたしわと鋭い眼差しの存在ゆえ、なよなよした感じは全くしない。垢抜けた顔立ち。騎士制服をアジア風にアレンジしたかのような紅色の長衣をきっちりと着込んでおり、そのスマートな体躯は一見細長く見えるが、目を凝らすと適度な太さを持っていた。

 

 多少近寄りがたさはあるものの、力強さと美麗さ、そして鋭さと三拍子揃った容貌である。男の理想像を体現したようなその姿は、元男のボクでも一瞬見とれてしまうほどだった。

 

 その男は、片手にある携行型の行灯を高く掲げ、ボクらの――より正確にはセンランの姿を照らし出した。

 

 淡いオレンジ光に当てられたセンランは、男から沈痛そうに目を背けた。

 

 男は呆れたように、それでいて心から安堵したように一息ついた。

 

「センラン、知り合いなの?」

 

 ボクは小声でセンランに尋ねるが、彼女は未だに沈黙を破ろうとしない。

 

 仕方ないので、直接目の前の彼に訊くことにした。

 

「あの……あなたは?」

 

 すると、至って事務的な響きを持った答えが即座に返ってくる。

 

「私は宮廷警護隊副隊長、裴立恩(ペイ・リーエン)

 

 まるで、それ以上の説明など必要ないかのような言い方だった。

 

 しかし、そんな事務的冷たさなど気にならなくなるほどに、ボクはびっくりしていた。

 

 この人――リーエンさんは「宮廷警護隊」と名乗った。

 

 宮廷警護隊とはその名の通り、皇族や要人の警護を主な職務とする人たちだ。以前に話した宮廷護衛官とは、そこで働く人たちの事を指す。例えるなら、警視庁警備部警護課(SP)のような存在だ。

 

 彼らは皆その職務上、卓越した武法の腕前を持っている。いわば、エリート武法士なのだ。

 

 普段のボクなら、そんな立場である彼に対して質問攻めを食らわせたくなっているところだが、今はそれどころじゃない。

 

 ――どうして宮廷警護隊の人、しかも副隊長なんていうポストの人が、センランに対して用がある?

 

 リーエンさんは歩み寄ってくる。その足音は全く聞こえない。

 

「そのような装いをされていても、私の目は誤魔化せません。幼き日よりあなた様を見守り、【心意盤陽把】の師として教鞭を取らせていただいていた、この私の目は。そして――その指輪が何よりの証拠」

 

 センランは指輪を胸に抱くように庇う。

 

 なるほど。この人が師匠だったのか。それなら【心意盤陽把】を知っているのも納得でである。

 

 しかし、師匠であるにもかかわらず、この妙にへりくだった態度。

 

 師弟関係を超える何かが、この二人の間にはあるのだろうか?

 

「ぐっ……は、離せ! 何をする!?」

 

「さあ、早く帰りましょう」

 

 しかしその思考は、センランの手を半ば強引に引っ張り込むリーエンさんを見た瞬間、一気に吹っ飛んだ。

 

「ちょ、ちょっと! 何してるんですか!? 乱暴はやめ――」

 

 てください、と続く前に、ボクの首筋に白刃が突きつけられる。

 

 リーエンさんがもう片方の手で腰の直剣を抜き放っていた。

 

 ――ほとんど見えなかった。

 

 剣を持つために放り投げられたのであろう携行型の行灯が、コトリと垂直に落ちる。

 

「これも職務です。邪魔をするようならば容赦なく斬り捨てますよ」

 

 氷河のように冷え切った声色だった。

 

 敵愾心が一気に生まれた。

 

「――やってみろよ」

 

 突き殺すように視線を向ける。

 

 相手もまた、冷たい殺気を放ってくる。

 

 一触即発の空気がそこにあった。

 

「もうよい! 剣を納めよ! 見苦しい!」

 

 そこで、センランが悲痛にわめいた。

 

「――はい」

 

 すると、リーエンさんは驚くほどあっさりと剣を納めた。

 

 ボクも臨戦態勢を解く。

 

 センランは嬉しそうに、しかしそれ以上に寂しそうな眼差しでボクを見つめてくる。

 

「センラン、君は一体……」

 

「シンスイ。もうこれ以上、優しいキミをたばかる事は心苦しい。ゆえに明かそう。私が――いや、”(わらわ)”が何者であるかを」

 

 唐突に一人称が変わった。しかも、かなり仰々しいものに。

 

 かと思えば、眼鏡を外し、三つ編みをほどく。

 

 今度こそ露わになったセンランの素顔。そしてその彫刻めいた美貌に、真上からチョコレートにも似た色の長い茶髪がばさっと下りる。

 

 先ほどまでいた文学少女風の少女はいなくなり、代わりに、美しく風格のある少女が現れた。

 

 透き通った鼻梁。白皙(はくせき)の肌。威厳ある眼差し。そして流れるように伸びた、猫目石のようにつややな茶髪。

 

 その少女は、おごそかに名乗った。

 

 

 

「――妾の名は煌雀(ファン・チュエ)。【煌国】第一皇女にして、現皇帝の第二子。皇位継承権は第二位だ」

 

 

 

 えっ――――

 

 ボクは我が耳を疑った。

 

 頭の中がめいっぱい混乱する。

 

 皇女?

 

 誰が?

 

 センランが。

 

 いや、センランは偽名だった。

 

 本名は煌雀(ファン・チュエ)。いや、名前呼びは不敬だ。皇女殿下と呼ぶべきである。

 

 ごちゃごちゃになった頭の中身を再編成する。

 

 ――皇女殿下は素性を隠して、「羅森嵐(ルオ・センラン)」という架空の人物を名乗っていた。

 

 びっくりどころの話ではない。腰が抜けそうなほどの驚愕だった。

 

 だが――薄々、その可能性は心のどこかで考えていた。

 

 しかし、自分の中にある「常識」が、その可能性を無視していた。こんな偶然があるわけ無い、と。

 

 そう――センランが皇女殿下である偶然が。

 

 そもそも、あの兵士たちから逃げる理由など、それ以外に考えられなかったのだ。

 

 そして、あの指輪は彼女の母、つまり皇后陛下の形見。

 

 なるほど、これ以上無い身分証明だ。指にはめずに隠したくなるのも分かる。

 

 ――そして、そんなつじつま合わせよりも先に、ボクにはまずやるべきことがあった。

 

「――申し訳ございませんでした。知らなかった事とはいえ、皇女殿下に対する重ね重ねの非礼。どうかお許しを」

 

 ボクは恭しく地に跪き、謝辞を述べる。相手が皇族であると分かった以上、これまでのような馴れ馴れしい態度をとることは許されない。下手をすれば不敬罪だ。

 

 センラン――ではなく煌雀(ファン・チュエ)皇女殿下は、ひどく悲しそうな顔をした。

 

「……そんな慇懃(いんぎん)にしないでくれ。妾たちは友達だろう?」

 

「そんな。勿体無いお言葉です」

 

 ボクがそう首を横に振る。

 

 皇女殿下は吐き捨てるように呟いた。

 

「……だから、嫌だったのだ。せっかく趣味の合った友達も、妾が皇族だと知った途端にコレだ」

 

 対して、リーエンさんが淡々と述べた。

 

「殿下、それが皇族です。この【煌国】において絶対的支配階級を得て、何不自由の無い暮らしを約束される代わりに、身命を賭してこの【煌国】という名の御旗を支える義務があるのです」

 

「そんなことは百も承知だ! 父上達にも、そしてお前達にも迷惑かけたと思っている!」

 

 皇女殿下はかんしゃくのようにまくし立てる。

 

 リーエンさんは表情を全く動かさない。まるでその表情しか知らないかのように。

 

 彼はそのまま、再び終始冷静な口調で訊いた。

 

「殿下。どうして宮廷を脱走するなどというお戯れをなさったのですか」

 

「……「武法士」に、なりたかったからだ」

 

 ボクは無礼かもしれないと思っても、首を傾げずにはいられなかった。

 

 武法士になりたい? もうなっているではないか、と。

 

 しかし少し考えると、皇女殿下の言う「武法士」とは、そのままの意味より、もっと深い意味を持っているように感じた。

 

「妾は、昔から大変武法が好きだった。きっかけは幼い頃、帝都で演武会を見たことだ。その日以来、妾はすっかり武法という究極の体術に心酔した。リーエン、お前に教えを乞うたのは、それからすぐの事だったな」

 

「はい。あの時の事は、私も鮮明に覚えております」

 

「お前という(きっかけ)を得た妾は、以来、寝食を忘れて修行に没頭した。お前の熱心で丁寧な指導も相まって、妾は普通よりも速い速度で上達することができた。――だが、腕を磨くことはできても、”その先”ができなかった」

 

 皇女殿下は、寂しそうに笑った。

 

「妾は皇女。その身分が邪魔をして、周りの武法士は妾と手合わせをしてはくれなかった。応じても、必ず妾が勝てるように手を抜いてくる。いつもヒソヒソと聞こえてくるのだ。「試合を挑まれても応じるな。丁重にお断りしろ」「しかし断りすぎればご機嫌を損ねる。そうしたら素直に試合に応じろ」「そして応じてしまったら、ワザと負けろ。少しでも殿下を傷つけたら人生が終わる」「とにかく、皇女殿下のご機嫌を損ねるような事だけは絶対に避けろ」……分かってしまったよ。妾が「皇女」でいる限り、まともな「武法士」になることなど不可能であると」

 

 ――皇女殿下の「武法士になりたい」というセリフの本質が、分かってきた気がした。

 

「だから妾は――外の世界へ出たかった。「皇族」ではなく「一人の武法士」になりたかった。満ち足りた人間ゆえの贅沢極まる悩みである事は分かっている。しかし、妾はそれでも欲しかったのだ。真摯に手合わせに応じてくれる相手が。武をもって生まれる友が。そして妾は決めた。近々始まる【黄龍賽(こうりゅうさい)】をきっかけにして、少しの間外の世界へ逃げてみようと。【黄龍賽】でなら、相手は手加減などせず本気で戦ってくれる。今の妾にはおあつらえ向きの舞台だ。言ってしまえば、妾は優勝するためではなく、”出場するために出場した”のだ」

 

「……武法を好まれる殿下ならばさもありなん、と思っておりました。どうやら【黄龍賽】の予選が行われる地区を重点的に探った意味があったようですね」

 

 リーエンさんは、なおも落ち着き払った口調。

 

 皇女殿下の話を聞いて、ボクはその苦悩を十分に理解できた。

 

 確かに、ボクは皇女殿下を「羅森嵐(ルオ・センラン)」という人間だと思い込んでいた。偽りであると知らずに。

 

 だが、生まれ持った環境ゆえの悩みを秘めている――この事実は正解だった。

 

 彼女の苦悩は、ボクの苦悩とよく似ている。

 

 この異世界に転生してからの苦悩だけでなく、転生前の時の苦悩も、彼女のソレと似通っている。

 

 ――ボクらは「生まれつきの何か」が足かせになり、それに悩んでいる。

 

 さらには、武法というものに心惹かれた点。

 

 社会的立場は違っても、どうしようもないくらい、ボクらの境遇は似ていた。

 

 だからこそ、たった一日でここまで仲良くなれたんだと思う。

 

 ボクらはもう、立派な友達だった。

 

「……だが、それももうおしまいのようだ。リーエン、妾ではお前から逃げることはできない。素直に捕まって――帝都に帰るとしよう」

 

 心が激しくざわついた。

 

「御理解いただけて幸いです。あなた様はここにいるべき人間ではありません。特別な存在なのですから」

 

 リーエンさんの言葉が、途中からよく聞こえなくなる。

 

 手と背中に、嫌な汗が浮かび上がる。

 

 皇女殿下は、静かにボクに言った。

 

「さようならだ、シンスイ。残念だよ。キミとは立場など関係なく、仲良くできると思っていたのに。でもキミから初めて声をかけられた時、おくびにも出さなかったが、すごく嬉しかったよ」

 

 駄菓子屋の前で途方に暮れていた時と同じ表情だった。

 

 それはきっと、ボクと決別する意思の表れなんだと思う。

 

 ……ちくしょう。ボクは、何をやっていたんだ。

 

 数分前に戻って、自分の顔面を思いっきりぶん殴りたい。

 

 皇女殿下? 重ね重ねの非礼? 勿体無いお言葉?

 

 バカ野郎。

 

 それのどこが友達に対する態度だ。ホントにバカ。

 

「ま、待って!!」

 

 背を向けて去ろうとする二人を、ボクは呼び止める。

 

 二人は足を止め、こちらを見た。

 

 ボクは、心に用意していたセリフを口に出した。

 

 

 

「貴女は、いや、「君」はまだ――センランだ」

 

 

 

 皇女殿下――いや、センランが目を大きく見開いた。

 

 リーエンさんは一歩前へ出て、厳しい口調で告げる。

 

「その名は偽りであるとすでにご存知のはずです。それに加え、殿下に対する馴れ馴れしい言動。立場をわきまえるべきだ」

 

 馴れ馴れしい? 立場? 知るかそんなもん。

 

 そう悪態をつきたいのを我慢し、ボクもまた一歩前へ出る。

 

 リーエンさんと向かい合う。

 

 そして、

 

「――お願いします! 彼女を明日の試合に出してあげてください!」

 

 深々と頭を下げつつ、そう頼み込んだ。

 

 ボクの頼み事は「せめてボクとの試合が終わるまでの間だけは、彼女を「羅森嵐(ルオ・センラン)」でいさせてあげて欲しい」ということだ。

 

 どのみち、センランは帝都に帰ってしまう。彼女が皇女である以上、その結末は絶対に覆らない。

 

 唯一の心残りがあるとするなら、それは――明日、ボクと行う二回戦。

 

 このままセンランを見送れば、ボクは明日の二回戦を不戦勝にできる。そして、【黄龍賽】優勝までの一段を楽に登れる。

 

 なんとも思っていない相手だったなら、素直にラッキーと思えたかもしれない。

 

 でも、センランに対して、そんな勝ち方はしたくなかった。

 

 明日の戦いで全力でぶつかり、彼女の願いを叶えたい。

 

 その思いを込めて、ボクはさらに続けた。

 

「このままずっと自由にしてくれ、なんて言いません! 明日にやるボクとの試合だけでいい! 彼女を戦わせてあげてください!」

 

 顔を少し上げる。

 

 ボクを見下ろすリーエンさんの表情は全く変わっていなかった。

 

 それを見て、その先の答えが簡単に予想できてしまった。

 

 会ってまだ数分だが、この人は融通の利きにくいタイプだとなんとなく分かった。

 

 おそらく、断られる。

 

 リーエンさんの唇がゆっくり動こうとした時だった。

 

「――妾からもお願いする!!」

 

 センランも深く頭を下げ、ボク以上の力強さをもった声でそう頼んだ。

 

「シンスイが言っている通り、明日の二回戦が終わるまででいいのだ!! その後は勝敗に関係なく帝都に戻ると約束しよう!! それに、今日妾を看過したことで、お前の隊内での立場が悪くなるような結果には絶対にしない!! 妾の全ての力を使ってでもお前の立場を守る!! だから、伏して頼む!!」

 

 皇族の人間が臣下に頭を下げるという、普通に考えれば非常識な光景。

 

 しかし、「羅森嵐(ルオ・センラン)」は「皇女」ではない。一人の「武法士」だ。

 

 彼女は「武法士」として、頭を下げているのだ。

 

 広場中が静まり返る。どこかで鳴いている鈴虫の声のみが静かに響いている。

 

 最初にそれを破ったのは、ため息混じりなリーエンさんの声だった。

 

「……殿下。あなた様ともあろう御方が、そう軽々しく頭を下げるものではありませんよ」

 

 ボクとセンランは、同時に顔を上げる。

 

 リーエンさんは目を閉じ、口を半開きにさせていた。呆れたような、諦めたような、押し負けたような顔。

 

 ボクは彼の気持ちが分からなかったが、センランは少し希望を帯びた明るい表情をしていた。

 

 彼女とリーエンさんは昔からの仲だ。当然、彼の性格や癖をよく知っているはず。

 

 つまり、彼のこの表情は、良い返事を出す前兆であるということ。

 

 やがて、リーエンさんは明確な答えを口にした。

 

「――分かりました。明日の予選大会の二回戦が終わるまで、我々は待機し、殿下を見守る事にいたします」

 

 それを聞いた瞬間、心の奥底から間欠泉のように喜びが湧き上がってきた。

 

「やった! やったぞシンスイ!!」

 

 しかしボクが大喜びするよりも早く、センランが歓喜のままに抱きついてきた。

 

 普段なら少し恥ずかしくなるところだが、今は羞恥よりも喜びが強かった。

 

「うん! うん! やったね、センラン!」

 

 ボクもセンランの背中に手を回し、嬉々として抱き返す。

 

 そこで、リーエンさんが咳払いし、

 

「ただし、条件があります。殿下にはもうしばらく、今まで通りの変装をしていただきます。暗殺や謀略が起こる可能性に備え、この【滄奥市】にいる間は「羅森嵐(ルオ・センラン)」という架空の人間として過ごしてください」

 

「心得た。護衛は?」

 

「付きたい所ですが、我々が貼り付いていると、かえって怪しまれる可能性があります。なのであからさまな護衛はつけず、自然にしている方が気づかれにくいかと」

 

「分かった」

 

 頷くと、センランは含んだような笑みを浮かべた。

 

「ふふふ。頷いてくれると思ったぞ。なんだかんだで、お前は昔から妾に甘いからな」

 

「……そういう事は、分かっていても口に出さないのが花というものですよ」

 

 はぁ、とため息をつくリーエンさん。

 

 ともあれ、これで明日の試合は約束された。

 

 間近のセンランと目が合う。

 

 彼女は無邪気に笑い、

 

「ありがとう」

 

 ただ、そう一言口にした。

 

 それを見て、思った。

 

 明日の試合、忘れられない思い出にしてあげよう――と。



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ボクも武法士、私も武法士

 翌日。

 

「えええええ!? センランが皇――――むぐっ」

 

 ボクから聞いた内容を大声でもらしてしまいそうになったミーフォンの口を慌てて塞ぐ。

 

「おバカっ。そんな大声出しちゃダメでしょ。バレたらエライ事になるよっ」

 

「……ごめんなさいお姉様。つい驚いて」

 

 シュンとするミーフォンの頭を、許す意思を込めてそっと撫でる。

 

 ボクは目と【聴気法(ちょうきほう)】で周囲を探る。人の姿も【気】の存在も無いことを確認すると、ため息をついた。この世界には盗聴器も隠しカメラも存在しない。ひとまず安心していいだろう。

 

 ここは『競技場』の一階廊下だ。石壁にいくつも空いた四角い穴から眩しい朝日が入り、こちらを明るく照らしている。

 

 もうすぐセンランとの試合が始まる。ボクは控え室に行く途中、ミーフォンとライライの二人と鉢合わせした。

 

 二人にはまず、昨晩の事を聞かれた。あの後どうしたの、と。

 

 ボクは昨日の事を包み隠さず話した。もちろん、その中にはセンランの素性のことも含まれていた。この二人になら話してもいいと思ったからだ。もちろん、オフレコにするという条件付きで。

 

 当然ながら、聞かされた後のリアクションは驚愕の一択だった。

 

 ミーフォンは今の通り。ライライも叫びはしなかったが、大きな驚きを顔に表していた。

 

「はっ!? てことは今からお姉様は、こ――げふんげふん、センランをボコ殴りに行くってことになる……でもそんなことしたらブタ箱行きになるんじゃ!? ヘタすると首チョンパ!? いやあああああ! お姉様が死んじゃうぅぅぅ!!」

 

「お、落ち着いてミーフォン! それは絶対ないから! ね!?」

 

 そう。そんな事は絶対にありえない。

 

 センランは「皇女」ではなく「武法士」として戦うのだ。権力を振りかざすなんてことは、死んでも彼女のプライドが許さない。

 

 ライライはすっかり事情を受け入れたようで、普段の落ち着いた態度に戻っていた。

 

「それでシンスイ、勝算はあるの? 【硬気功(こうきこう)】無効化の存在はすでに大会出場選手全員に知れ渡ってしまっているから、みんなきっと回避を中心にして戦略を練ってくるわ。そして……」

 

「うん、分かってるよライライ。センランの武法は――回避向きな流派だってことだよね」

 

 【心意盤陽把(しんいばんようは)】の歩法の速度なら、回避することも、そのまま相手の死角に入り込むこともきっと一瞬で行える。

 

 スピードに関しては、悔しいけどボクはセンランに遠く及ばない。

 

 しかし、自分と相性の良くない相手とぶつかる事なんて、大会が始まる前からすでに覚悟できている。

 

 それに、ボクには【打雷把(だらいは)】がある。【雷帝(らいてい)】と呼ばれた最強の魔人、強雷峰(チャン・レイフォン)の作った武法が。

 

「大丈夫。絶対に勝ってみせるから」

 

 だからこそ、そう自信満々に言ってのけた。

 

「お姉様……勝ってくださいね」

 

 心配そうに言うミーフォンの頭を再び優しく撫でてから、ボクは控え室へと向かったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、その時はやってきた。

 

 円筒状の空間。リング状に広がった客席にいる多くの観客が、円筒の底のような闘技場を見下ろしている。

 

 そんな彼らの視線を集めているのは、ボクと、その向かい側に立つセンランだった。

 

 上層にある客席からはわらわらと声や音が聞こえる。今でも十分騒々しいが、最高潮になった時はもっと凄まじいのである。

 

 しかし、そんな騒音などほとんど聞こえないほどに、ボクらは互いに意識を集中させていた。

 

「――”私”は嬉しいよ、シンスイ」

 

 晴れやかな笑顔を浮かべたセンランは、そう静かに言った。

 

「キミとこうしてこの場で立てることが、奇跡のようにすら思える。キミがあの時説得を持ちかけなければ、こうなることは叶わなかっただろう」

 

 乱流のような騒音の中にいるにもかかわらず、その静かな声は驚くほどすんなりボクの耳に届いた。

 

 ボクらはまさに、二人だけの世界にいた。

 

「だからこそ、その好意に対する感謝を示すため――全力でいく。それがキミに対する最高の礼儀であると信じているから」

 

 瞬間、彼女を取り巻く雰囲気が変わった。

 

 荒波のような圧力、剣のような鋭さ、それらを同時に感じる。

 

 眼鏡の奥にある眼差しから、視線という名の槍を突きつけられているかのごとき錯覚を覚える。

 

 しかし、そんなふうに雰囲気を変えながらも、センランはさっきと変わらない笑顔で、言った。

 

「何せ、私は「武法士」だからな」

 

 一寸の迷いも無い口調だった。

 

 思わず笑みがこぼれた。

 

 そして、ボクも返す。

 

「うん。ボクも「武法士」だ。だから君が「武法士」である以上、全力でいくから」

 

 センランは「武法士」。ボクも「武法士」。

 

 これは「武法士」同士の神聖な戦いだ。

 

 全力で挑むのが礼儀。

 

 全力で挑む相手には、全力で返すのが礼儀。

 

 平等な関係性。

 

 生まれや家柄や立場を理由に手心を加えたり加えさせたりすることは、その関係性と「武法士」の誇りを著しく冒涜する悪しき行為。

 

 ボクらは互いに、左拳を右手で包んだ。

 

 【抱拳礼(ほうけんれい)】。互いの対等な関係性を、互いに認める儀礼。

 

 これをセンランと交わせたことを、ボクはきっと忘れない。

 

 センランもまた、覚えていてくれることだろう。

 

 そして――試合開始を告げる銅鑼(ドラ)が鳴った。

 

 先に行動を起こしたのはセンランだった。

 

 一気に距離を詰めた――かと思いきや、ボクの真横を通って背後に回り込んできた。

 

 ほぼ一瞬で刻まれたジグザグ軌道。まさしく稲妻が走ったような動きだった。

 

「っ!!」

 

 相変わらずとんでもないスピードだが、その速度で来ることは覚悟していたため、ボクの反応はなんとか間に合った。右肘を振り、真後ろからやってきたセンランの右正拳を弾いてその軌道をずらした。

 

 ボクは素早く彼女の右手首を掴む。そして、そのまま手前へ勢いよく引っ張りこんだ。

 

 センランは羽根のように軽かった。――当然である。センランがボクの引っ張る力に乗る形で、自分から突っ込んで来ていたのだから。

 

「ぐっ!?」

 

 ボクは高速移動してきた石のブロックに直撃したかのような、重々しい衝撃をその身に受ける。

 

 大きく真後ろへ投げ出されるが、なんとか倒れずにバランスを保った。

 

 自重を一〇〇パーセント活用できる武法士の体当たりは、まさしく車の正面衝突に等しい威力がある。

 

 普通の人間なら確実に大怪我しているところだが、武法士の骨格は【易骨(えきこつ)】によって理想形に整えられているため、非常に優れた衝撃分散機能を持っている。これくらいではビクともしないのだ。

 

 センランは遠く開いた間隔を、再びその高速移動で潰してきた。

 

 しかし、真正面から攻め込みはせず、左側面に移動。

 

 彼女が次の行動を起こす前に、ボクは迅速に左半身全てに【硬気功】をほどこす。

 

 それから半秒と待たず、左上腕部にセンランの肘が叩き込まれた。

 

 【硬気功】のおかげで痛みも傷も無いが、弾丸にも等しい速力で衝突した肘は、その腕の細さとは不釣り合いなインパクトを発揮。ボクの体は右側へ勢いよく投げ出された。

 

 一度受身を取ってから、素早く立ち上がり、構える。

 

 ごくり、と喉が鳴った。

 

 ――厄介な武法だ。

 

 センランの重心移動の速度は、『陰陽の転換』の速度とイコールの関係だ。

 

 つまり踏み込んで放つタイプの打撃は、始まり(動作の開始)から終わり(踏み込み)までの過程が非常に速い。

 

 よって、攻撃動作が見えた後に【硬気功】を使おうとしたのでは遅すぎるのだ。

 

 これが【心意盤陽把】。宮廷護衛官の必修武法に採用されるほどの名門流派。

 

 その凄さは前から聞いていたが、実際戦ってみて改めてそれを痛感した。まさに百聞は一見に如かずだ。

 

 それから、幾度も攻めてきた。

 

 瞬足でボクの死角へ移動し、矢継ぎ早に攻撃を浴びせかけてくる。

 

 時には真横。時には背後から。

 

 ボクは神経を極限まで研ぎ澄まし、対処していく。

 

 繰り返される攻撃の種類は様々だったが、すべてに共通している特徴が一つあった。

 

 ――さっきから、全く前から攻めて来ようとしない。

 

 センランは攻撃の時、ボクの後方一八〇度のうちのどこかへ必ず移動しているのだ。

 

 その理由は容易に察せた。

 

 ボクの【勁擊(けいげき)】を警戒しているからだ。

 

 【打雷把】の【勁擊】には、「【硬気功】の無効化」という我ながら反則じみた特殊能力がある。もし直撃が確定しても、【硬気功】で守ることはできない。なので、安全地帯や死角からの攻撃ばかり行っている。

 

 ライライの言った通りの展開になった。

 

 それに加えて、ボクは今少し良くない状況に置かれている。

 

 周囲のあちこちから次々とやって来る攻撃のせいで、腕による防御が間に合わない事が多くなっていた。

 

 そしてその分、あらかじめ【硬気功】を張っておくという手段を多用している。

 

 【硬気功】に頼りすぎているのだ。

 

 このままだと【硬気功】を使いすぎて、【気】が枯渇してしまう。そうなったら疲労で動きが鈍くなる。超スピードを誇るセンランにそこを攻められたらおしまいだ。

 

 今のボクはまさに、蜘蛛の巣に絡め取られた蝶も同然。この状況が長引けば、そのうち限界がやって来る。

 

 なんとかしなければ。

 

 ゆえに、ボクは行動を起こした。

 

 【硬気功】がかかった背中に打ち込まれた拳の勢いを利用し、ボクは前へ大きく跳ぶ。

 

 足を踏みしめ、勢いを殺す。背中は未だに敵に見せたまま。

 

 そして、そんなボクの後ろ姿めがけて、センランが雷光のような速力で迫った。

 

 ――今だ!

 

 センランの正拳が肉薄した瞬間、ボクはしたり顔で身をねじり、これから打点になる予定だった背中の位置をずらす。

 

 拳は見事に空を切った。

 

 そしてその時すでに、ボクは拳を脇に構えたまま振り向いていた。

 

 【仙人指路(せんにんしろ)】。あえて隙を見せることで、相手の攻撃を誘う体さばき。

 

 彼女は見事に、ボクの垂らした釣り針に食いついたのだ。

 

 ボクは今、見事にセンランの腕のリーチ内へ潜り込んでいた。

 

 このまま真正面から【衝捶(しょうすい)】を打ち込んでやる。

 

 後足で地を蹴り出し、体を勢いよく推進させながら、脇に構えていた拳を伸ばしていく。

 

 しかし、直撃の間際にいるはずのセンランは――口元に微笑を作っていた。

 

 かと思えば、半歩横へ体をズラす。

 

 そうした事により、センランはボクの正拳の延長線上から脱した。

 

 ……しまった。

 

 ボクはそこでようやく理解する。

 

 ミイラ取りがミイラになった。

 

 攻撃を誘い込んだつもりが――逆に誘い込まれた。

 

 自分は未だ、【衝捶】を行おうとしている最中である。

 

 攻撃を繰り出している過程というのは、実は最大の隙になりやすい。なぜなら、攻撃動作を行っている最中は――回避も防御もできないのだから。

 

 ボクは急いで【硬気功】を体の前面にかけようとする。

 

 しかし、センランの拳が突き刺さる方がずっと速かった。

 

「あぐっ――!」

 

 鈍痛と鋭痛の中間のような痛覚とともに、ボクの体が後ろへ吹っ飛ぶ。

 

 歯を食いしばって痛みに耐えつつ、両足の摩擦で慣性を殺した。

 

 見ると、センランはすでにさっきの位置から消えていた。

 

 かと思えば、

 

「はっ!!」

 

 突如、背中に衝撃が舞い込んできた。

 

 約半秒間に十発近いインパクトを叩き込まれ、痛みよりも驚愕が先行する。

 

 その攻撃を受けて初めて、センランがボクの背後へ先回りしていたことを知った。

 

 今のはおそらく、『陰陽の転換』を利用した連続突きだろう。相手に接触した拳を『陽』、そうでないもう片方の拳を『陰』と考え、それらを何度も交互に入れ替えたのだ。この流派の源流である【番閃把(ばんせんは)】譲りの一芸。

 

 それからすぐにやって来た回し蹴りを、ボクは間一髪両腕でガード。

 

 おぼつかない足取りで後退しつつも、なんとかバランスを取り戻す。

 

 そこへ、センランが再び急迫する。

 

 ボクはそれを見て、【気】を丹田にチャージさせる。

 

 ――センランが前蹴りを放つのと、ボクが構えた両腕に【硬気功】を施したのは、全く同じタイミングだった。

 

 ドドドドドドドドドドドドドン!! と爆竹のごとく蹴りが跳ぶ。

 

 センランの両足が、目にも留まらない速度で交互に踏み換えられていた。

 

 おそらく、先ほどの連続突きと同じ理屈を足で実行しているのだ。【番閃把】は拳でしかできないが、【心意盤陽把】は足でも可能なのである。

 

 【硬気功】によって硬化したボクの腕に、彼女の蹴りはダメージにならない。

 

 しかし、絶え間なく高速で浴びせられる衝撃が、徐々にボクの体という名の物体にエネルギーを蓄積させていく。

 

 そして、その「衝撃の蓄積」は――ボクの足をほんの数厘米(りんまい)浮き上がらせた。

 

 たかが数厘米(りんまい)

 

 が、されど数厘米(りんまい)

 

 足元が浮き上がったことで、ボクはバランスを崩し、死に体となった。

 

 マズイ。ここを攻撃されたら――!

 

「そこだっ!!」

 

 センランは蹴りをやめ、拳を矢のように疾らせる。

 

 ボクは、幸いにもまだ【硬気功】の残っていた両腕でそれを防御した。

 

 ズンッ、と衝撃。

 

 痛みは無い。しかし宙に浮いている今、打撃の勢いを殺す手段は無い。

 

 結果的に、ボクは後ろへ大きく投げ出される事になった。

 

 お尻から着地。一度後転し、流れるように立ち上がる。

 

「まだまだ行くぞシンスイ!」

 

 大きく離れた位置に立つセンランの姿が、視界の中で急速に大きく写った。

 

 真っ直ぐ迫る。

 

 ボクは危機感を抱いた。このままじゃ防戦一方だ。

 

 こうなったら、あまり得意な技じゃないけど、「アレ」を使ってみるしかない。

 

 幸い、今のボクとセンランは向かい合った状態だ。この位置関係なら成功するかもしれない。

 

 覚悟を決め、近づいて来るセンランの両目と視線を合わせた。

 

 ボクと彼女の両目が糸で繋がっているイメージを強く持ちつつ、凝視する。

 

 センランがさらに近づく。

 

 が、ボクは今なお彼女の目を見ることに集中していて、一切構えない。

 

 ボクの目には、センランの瞳しか映っていない。

 

 その瞳の奥に、この一戦を心から楽しんでいる感情をあらわす光が見えたような気がした。

 

 とうとうセンランは、拳と蹴りが全てを決める間合いまで到達。

 

 ボクはその瞬間、彼女と視線を合わせたまま――首を右に回した。

 

「うわっ――!?」

 

 するとセンランは、突然何かに引っ張られるようにして前のめりになり、バランスを崩し、虚空を舞う。

 

 さっきまでしていた高速移動による慣性が働き、ものすごいスピードでボクの右を通り過ぎようとする。

 

 そんな彼女に、ボクは飛んできたボールをバットで打ち返す要領で回し蹴りをヒットさせた。

 

 確かな手応えとともに、ほんの微かな呻きが耳朶を打つ。

 

 そして、センランの体は元来た方向へと流された。

 

 【太公釣魚(たいこうちょうぎょ)】――相手と自分の視線を、特殊な【意念法(いねんほう)】を使って一時的に同調(シンクロ)させる技術。同調した互いの視線は、一本の糸で繋がったような状態となるため、ボクが視線を動かせば相手もそれに釣られる形で動かされる。さっきのセンランはそれによってバランスを崩したのだ。

 

 背中を引っ張られるようにして遠ざかるセンランめがけて、迅速に直進。

 

 すぐに追いつき、彼女の胸前へと到達。

 

 ボクは強烈な肘打ち【移山頂肘(いざんちょうちゅう)】による追い討ちを実行した。

 

 ――が、技を開始した瞬間、彼女は地に足をついてしまう。

 

 当たれば決め手に化けるであろうボクの肘が接触する僅差(きんさ)、風のように一歩後退。射程圏外へ逃げられてしまった。

 

 下がったセンランが再び手前へ疾駆するのと同時に、ボクは肘鉄を空振らせた。前足がズドンッ! と石敷を踏みしめる。

 

 彼女はこちらへ急接近。その顔が視界の九割を占める。

 

 このままじゃ打たれる――そう思った時には、すでに本能的にもう片方の拳を真っ直ぐ突き出していた。【拗歩旋捶(ようほせんすい)】だ。

 

 センランもまた、一直線の突きを出す。

 

 互いの拳が、ピンポイントで衝突。

 

 彼女の【勁擊】のパワーが拳から腕骨を通い、体幹に染み渡る。拳と拳の接触面から暴風が爆ぜた気がした。

 

 ボクは突き終えた姿勢のまま、その場から動かない。

 

 そしてセンランは――大砲のような速度で弾き飛ばされていた。

 

 単純な【勁擊】の威力では、ボクは彼女よりずっと上だ。何より【両儀勁(りょうぎけい)】によって磐石の重心を得ているため、その場から少しも動くことはなかった。

 

 センランは遠く向こうにある壁へ背中から激突。大きく跳ね返って地にうつ伏せに倒れる。

 

 その様子は、ミーフォンとの試合の終わりとデジャヴしていた。

 

 が、センランはゆっくりとだが、立ち上がって見せた。

 

 その顔は、苦痛と同時に確かな喜びを噛み締めるようにして微笑を作っていた。

 

 ボクもつられて笑みを浮かべる。

 

「……私は嬉しいぞ、シンスイ。予想以上だよ。まさか最後の最後で、キミのような強者と一戦交えられるとはな。昨日、リーエンに(こうべ)を垂れた甲斐があったというものだ」

 

「お気に召して良かったよ。君こそかなり厄介だ、センラン」

 

「それは褒め言葉と受け取って良いのかな?」

 

「もちろん。少しでも油断したら、足元をすくわれそうだ。ひと時も気が抜けないよ」

 

「そうか」

 

 センランはフッと涼しげに一笑した。

 

 が、すぐにそれは挑発的な笑みへと様変わりする。

 

「しかしシンスイ、これは勝負だ。私が勝敗にかかわらず去る身だとしても、キミが本気で優勝を目指しているのだとしても、私は全身全霊で勝ちに行く。悪く思わないでくれ」

 

「構わないよ。というか、そもそもそれが目的で”家”を出たんでしょ?」

 

 違いない、とセンランは小さく頷くと、構えを取った。

 

 後足に重心を乗せ、両太腿が地と並行になるほどに腰を落とした構え。

 

 ボクは意思とは関係なしに奥歯を噛み締めた。緊張感が生まれる。

 

 確信できた。

 

 センランはこれから、何かしようとしている。

 

 今まで見せて来なかった、特別で、強力な何かを。

 

「シンスイ、これは「武法士」である私から渡せる、せめてもの置き土産だ。とくと見るといい――【箭踏(せんとう)】を」

 

 次の瞬間、センランの姿が消え――

 

「がっ――!?」

 

 ――たと思った瞬間、ものすごい衝撃が腹部を襲った。

 

 【硬気功】を発動する(いとま)すら与えられず、甘んじて謎の激痛を味わうハメになった。

 

 認識が追いつかない速度で立て続けた物事に、ボクの頭が混乱をきたす。

 

 見ると、先ほどまでボクのいた位置には――正拳を突き終えた体勢のセンランがいた。

 

 宙を舞いながら、ボクは我が目を疑った。

 

 そんなバカな。ボクとセンランとの間には、さっきまでかなりの間隔があったはず。【心意盤陽把】の高速移動をもってしても、最低でも二秒ちょっとは掛かる。

 

 しかし今、彼女は文字通り「一瞬」でボクとの距離を詰め、一撃入れてきたのだ。

 

 ボクは着地とともに受身を取って立ち上がり、前方のセンランを見る。

 

 彼女はボクの8(まい)ほど先に立っていたが、その立ち位置が突然――ボクの右隣に変わった。

 

「うぐっ!?」

 

 横合いから疾風のごとくやって来た肘鉄を、なんとか右肘で打ち下ろして防ぐ。

 

 かと思えば、またしてもセンランの姿が眼前から消える。

 かと思えば、背中に強烈なインパクト。

 かと思えば、センランが再び右隣に現れ、鞭のような回し蹴りをぶち当ててきた。

 

 大きく放り出されるボクの体。

 

 立て続けにダメージを与えられたが、その痛みよりも混乱が勝っていた。

 

 ――【心意盤陽把】に、こんな技があったなんて。

 

 まるで立っている座標位置のみを入れ替えたような、常軌を逸した速度。

 

 それは瞬間移動(テレポーテーション)にも似ていた。

 

 しかし、そんなことはありえない。

 

 なら、一体なんだっていうんだ?

 

 頭の中をかき混ぜながら、ボクは地に背中から落下。

 

 が、痛みをこらえ、すぐに起き上がる。武法は一部の流派を除けば立ち技専門なので、寝転がったままでいることを良しとはしない。

 

 前方に佇むセンランはボクを見つめながら、落ち着いた、しかし強い口調で言った。

 

「これが【箭踏】だ。自分を中心とした一定範囲内の何処かを『陽』と定め、そこへ一歩で重心移動する歩法。我が流派の秘伝に位置する技術だ」

 

 それを聞いて、ボクはようやく合点がいった。

 

 【心意盤陽把】の技術を支えている理論は『陰陽の転換』。なのでこの技も当然それを利用したモノである。

 

 【箭踏】は自分の周囲数(まい)の中で『陽』と定めた位置へ、一歩で重心を乗せる足さばき。

 

 そして、その移動速度は――使い手の『陰陽の転換』の速度に比例する。

 

 センランの『陰陽の転換』は凄まじく速い。

 

 今までの高速移動は、両足の重心移動による『陰陽の転換』を何度も”繰り返す”ことで成立していた。

 

 しかし、【箭踏】は”繰り返さない”。踏み出すのはたった一歩だけ。

 

しかしその一歩には、純粋な『陰陽の転換』の速度がそのまま反映される。それによって、瞬時に数(まい)も離れた位置まで到達したのだ。

 

 それが、あのテレポートじみた移動方法の正体。

 

 デタラメな話ばかりに聞こえるが、そのデタラメがボクを今苦しめている。ゆえに事実と受け止めざるを得ない。

 

「これを見せた相手はキミが初めてだ、シンスイ。尊大な物言いになるが、これを見ることができたキミは自分を誇ってもいい。キミは間違いなく、私が今まで戦った中で最強だ。警護隊トップクラスの実力を誇るリーエンでも、まともにやり合ったら危ないかもしれん」

 

「それは流石に言い過ぎだよ」

 

 ボクは場違いと分かっていても苦笑した。

 

 リーエンさんの動きは一度しか見ていないが、それだけでよく分かった。彼はきっとボクより強い。

 

 でも、自分と同じ趣味と志を持つ友達に、そんな風に認めてもらえたことは素直に嬉しい。

 

 【箭踏】を使ったのも、単にボクが強かったからだけじゃないと思う。

 

 武法を好むボクだからこそ、見せてくれた。そんな気がしてならない。

 

 もしそうだとしたら、本当にサービス精神旺盛だ。

 

 二重で嬉しい。

 

 そして、ボクもそんなセンランの厚意に報いたいと思った。

 

 この一戦を、忘れられない一戦にしてあげたいと思った。

 

「さあ、再開といこう。おそらく、ここからが勝負の分水嶺となるだろう」

 

 ボクは黙って頷いた。

 

 互いに構える。

 

 しっかりと地を踏みしめる。

 

 そのまま、視線と視線をぶつけ合う。

 

 微動だにしない。

 

 上層にある客席から、歓声が絶え間なく降ってくる。

 

 しかし、ボクの意識はこの戦いに集中しているため、その声は小さく聞こえる。

 

 さらに静寂へと近づき、やがてほぼ無音になった瞬間、センランの姿が”消失”。そして間伐入れずに人間一人の【気】が真横に出現。

 

 考える前に、ボクは前へ走った。

 

「ハッ!!」

 

 気合の一喝とともに放たれた掌打が、ボクの背をかすった。

 

 回避に成功した喜びと安堵に浸りたいのはやまやまだけど、そんな暇はない。

 

 丹田に【気】をチャージ。

 

 背後から一直線に攻めてくる事を予想したボクは、先手を取って振り向きざまの後ろ回し蹴りを振り出す。

 

 蹴り足が空気を切り裂き、円弧軌道で鋭く移動。

 

 だが結局、蹴れたのは空気だけだった。センランはその場から少しも動いていなかったのだから。

 

 蹴りの遠心力のまま、ボクは胸をさらけ出す。

 

 センランの姿がまた消えた。この角度からして、間違いなく胴体狙いだ。

 

 ――が、それも予想の範疇。

 

 あらかじめ溜めておいた【気】を、胴体の前面全てに集中させた。【硬気功】。

 

 センランが、点灯したLEDライトのようにパッと目の前に出現。同時に、莫大な運動量のこもった拳が胴にぶつけられた。

 

「わっ……!」

 

 ノーダメージ。しかし打撃の勢いに押され、闘技場の床面を転がる。

 

 しゃがみこんだ姿勢になってから立ち上がると、ボクは決死の思いで頭を働かせた。

 

 ――次はどう来る? 真っ向から? それとも横から? もしくは背後?

 

 ――彼女はボクの【勁擊】を警戒していた。だから真っ向から来る確率は低いかもしれない。

 

 ――だとしたら、睨むべきは背後と左右。もしくは斜め前と斜め後ろ。

 

 ――いや、今の彼女のスピードなら、ボクが対応するよりも速く打ち込める。ならば、真正面から攻めても問題は無いはず。

 

 ならば――あえて前を打つ!

 

 ボクはセンランが姿を消すよりも迅速に、足底から全身を旋回させた。

 

 【拗歩旋捶】。拳が音速に届きそうなほど加速。

 

 矢のごとく撃ち放たれたボクの正拳は、やがて一瞬で眼前に現れたセンランの脇腹に擦過した。彼女の上衣にぱっくりと大きな切れ目が走る。

 

 不格好に腰をひねったセンランは、ひどく緊迫した表情。おそらく、とっさの判断で避けたのだろう。

 

 ボクは突き伸ばされた手で、そのままセンランの衣服を掴もうとする。

 

 彼女は片膝を垂直に蹴り上げ、ボクの腕を真上にカチ上げた。

 

 が、その時すでに、ボクの爪先蹴りが鋭くセンランにヒットしていた。

 

 分厚い鋼板を蹴ったような硬質感が、蹴り足に走る。なんと彼女はすでに胴体に【硬気功】を施していた。この攻撃を読んでいたのだろう。

 

 ボクの【勁擊】は【硬気功】を無効化させることができるが、それは【勁擊】に限った話。普通の打撃技はこうして防がれてしまうのだ。

 

 以降、幾度も出し合い、防ぎ合い、ぶつけ合った。

 

 センランの戦い方は非常に立体的で、かつ型破りだった。

 

 消えては現れ、消えては現れ、消えては現れ、怒涛の攻撃を仕掛けてくる。

 

 ボクはそれをギリギリで防御、回避していく。

 

 やってきてから対処するのでは遅すぎる。なので、あらかじめ相手の一手先を計算、予測した上で先手先手を取っていく。技術というより、駆け引きの勝負だった。

 

 しかし、それでも時々さばき切れずに、細かい攻撃を食らってしまう。それはセンランも同じであった。 

 

 互いの力が拮抗した戦いが続く。

 

 さっきの防戦一方な状態に比べればマシだろうが、それでも宜しい状況とはいえない。

 

 お互いの実力が五分五分なら、その戦いはどちらか片方が力尽きるまで続く消耗戦となる。

 

 自慢になるけど、ボクは相当鍛えているので体力には自信がある。

 

 しかし、センランもボクと同じくらいの武法ガチ勢だ。ヤワな鍛え方をしているとは到底思えない。

 

 そこを考えると、彼女から先に力尽きる展開を期待してはいけないと思った。

 

 センランの力量を必要以上に警戒した上で、一段優位に立つ方法を探す必要がある。

 

 その方法は?

 

 もちろん、【打雷把】の【勁擊】だ。

 

 贔屓目で見なくても、絶大な威力。しかも【硬気功】も効かないという悪魔的な追加効果も持つこの【勁擊】をまともに食らえば、たとえセンランだってただでは済まないだろう。

 

 しかし、それを打ち込む隙が無い。彼女の動きが速すぎて当たらないのだ。それに外れれば、そこがそのまま隙になってしまう。

 

 欲しい。

 

 なんとか、付け入る隙が欲しい!

 

 そのためには何が必要だ!?

 

 必死で考えろ。でなきゃお前に勝機は無いぞ、李星穂(リー・シンスイ)

 

 もう一度【太公釣魚】を使う? ――ダメだ。あれをやるにはかなりの集中力が要る。このギリギリの状況でそんな余裕はない。ましてやセンランは一度食らっているんだ。今度は警戒しているはず。

 

 【仙人指路】はどうだろう? ――何寝言言ってるんだ。それは破られたじゃないか。失敗すればそこが大きな隙になる。

 

 なら、砂をかけて目を潰して動きを鈍らせるのは? ――原始的だけど、良い考えだ。でも砂なんかどこにある? ここは一面びっしりと石敷だ。砂利道とは違う。

 

 ……いや、できるかもしれない。

 

 砂利が無いのなら――作ってしまえばいい!

 

 天啓のようにある考えが浮かんだボクは、丹田に【気】を集め、凝縮させる。

 

 そして、対面していたセンランに背中を向け――闘技場を囲う壁目指してダッシュした。

 

「――!?」

 

 その唐突な行動に驚きの声をもらすセンランを無視し、ボクは壁めがけて全速力で駆け続ける。

 

 壁面がぐんぐん近づいてくる。

 

 次の瞬間、背中に重々しい衝撃が炸裂。センランが追いかけて、ボクの背中を打ったのだ。

 

 かなり痛いが、同時にナイスアシストだと思った。彼女の打撃による勢いのおかげで――壁面まで一気に近づくことができたのだから。

 

 ボクは地を蹴り出し、急速に前進。

 

 壁面のすぐ前まで到達した瞬間、【震脚】で踏みとどまる。

 

 同時に、丹田に集めておいた【気】を――【炸丹(さくたん)】させた。

 

 体の内側から末端へ向けて、激しく突っ張るような力が生まれた。

 

 その力は、強大な威力のこもった正拳に、更なる莫大な運動量を与えた。

 

 そしてその正拳【衝捶】は硬い壁面に直撃し――その直撃箇所周辺を”爆裂”させた。

 

 壁を形作っていた石材が木っ端微塵に粉砕。壁面の一部が深々とえぐれ、大きな破片と細かい破片が同時に宙を舞う。

 

 ボクは、細かい砂状の破片を手のひらいっぱいに掴み出す。

 

 そして、真後ろへ向かってばらまいた。

 

「うっ……!?」

 

 途端、ちょうどボクの3(まい)ほど離れた位置にいたセンランが目元を庇い、呻きを上げた。目に入ったか、もしくは入らないように庇っているのだろう。

 

 ボクはその僅かな隙を見逃さず、一気に彼我の距離を圧縮。

 

 センランがボクの接近に気づく。

 

 同時に、ボクは彼女の腹部に拳を添え置いた。

 

 センランは「マズイ」と言わんばかりの焦りを顔に浮かべる。これから一歩下がって回避しようとすることだろう。

 

 ――しかし、もう何もかもが遅い。

 

 こうして拳を相手の体の表面に密着させた時点で、すでの「この技」は決まっているも同然なのだ。

 

 確かに、瞬間移動じみた【箭踏】の速度は驚異だ。

 

 しかし「瞬間移動じみた」モノであっても、「瞬間移動」ではない。目的の地点に到るまでには、きちんと「過程」が存在するのだ。

 

 そして、その「過程」がある限り、「この技」が外れる事は断じてない。

 

 両足底、両股関節、骨盤、肋間、胸郭――これらを同時旋回させ、その総合的な力を添えられた拳に伝達する。さらにその拳自身にも螺旋運動を加え、その貫通力と推進力を増大。

 

 螺旋の運動量はトコロテン式に伝わるため、その伝達速度が凄まじく速い。

 

 センランが下がるより、添えられたボクの拳が力を持つ方がずっと速い。

 

 ボクは添えた拳を、ゼロ距離で爆進させた。

 

「っはっ――!?」

 

 むせ返るような声とともに、センランは勢いよく「く」の字となった。

 

 これぞ、【打雷把】最速の【勁擊】――【纏渦(てんか)】。

 

 しかし、この技はスピードが速い分、【打雷把】の他の【勁擊】に比べて威力が少し弱い。なので決め手にはならないだろう。

 

 センランは【纏渦】の勢いで、後ろへ投げ出されている最中。バランスを崩した死に体だ。

 

 ここが決め所だ。

 

 ボクは【震脚】で瞬発力を一時的に高めてから、彼女めがけて突っ走る。

 

 距離はすぐに縮まった。

 

 拳を脇に構え、センランに向けて真っ直ぐ狙いを定める。

 

 ありがとう。

 

 さようなら。

 

 いつか、また一緒に遊ぼう。

 

 そんな思いを込めて、【碾足衝捶(てんそくしょうすい)】を放った――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――それから、どれくらい経っただろうか。

 

 二回戦の第一試合、つまりボクとセンランの一戦が幕を下ろし、すぐさま第二試合が始まった。

 

 しかしボクは、選手用の客席でその試合を見ることは無かった。

 

 ボクの二擊目を受けたショックで気絶したセンランの元へ行ったからだ。

 

 【黄龍賽(こうりゅうさい)】の運営サイドは、選手の治療のために腕の良い医師を一人派遣している。意識消失で敗北した選手や、怪我をした選手はみんなそこで処置を受ける権利があるのだ。

 

 医務室に運ばれたセンランはすぐに目を覚ました。【気功術(きこうじゅつ)】による治療を数分受けた後には、すっかり元気になっていた。

 

 ちなみに、ボクはそこに居合わせた大会運営の人に「壁を壊すなんて何を考えているんだ。しかもあんな派手に粉砕するなんて、熟練した武法士でもできないぞ。その小さな体のどこにそんな力がある」という、称賛だか非難だか分からないお叱りを受けた。

 

 センランは回復すると、すぐに『競技場』の出口へと向かった。

 

 ボクも、隣り合わせで付いていった。

 

 勝敗にかかわらず帝都に帰るというのが、二回戦で戦う条件だ。もう、センランとのお別れは目前である。

 

 だからこそボクは、少しでも長く彼女と一緒にいたかったのだ。

 

 目頭が熱くなってくるが、それを抑え、センランと普段通りの態度でおしゃべりをした。もうすぐお別れするという事実から目を背けたいという気持ちももちろんあった。だがそれ以上に、お別れまでの時間を終始楽しいものにしたいと思ったのだ。

 

 センランも同じ気持ちだったはずだ。だって、ときどき鼻をすする音が聞こえたから。

 

 しかし、時間というのは実に平等で、冷酷だ。泣こうが笑おうが等しい速度で過ぎていく。

 

 出口に到着した。

 

 木製の大きな両開き扉を押して開く。

 

 外の日差しが眩しく顔を照らす。

 

 そして、最初に目に付いたのは、騎士制服のような紅色の長衣をまとった一人の美男子。

 

「お待ちしておりました」

 

 その人――裴立恩(ペイ・リーエン)さんは、無表情のまま淡々と第一声を発した。

 

 思わず気後れする。この人は、ボクの苦手なタイプの人間だ。

 

 しかし、今はそんなことどうでもよかった。

 

 もう、お別れだ。

 

 これからセンランは「羅森嵐(ルオ・センラン)」ではなくなり、皇族の人間に戻る。

 

 彼女は本来、手が届かない立場の人間。ここでお別れしたら、次はいつ会えるか分からない。

 

 いや、もし会えたとしても、これまでのように対等な友達として接することは許されないだろう。

 

 それを考えると、この瞬間が永遠の別れになるような気がした。

 

「っ……? あ、あれ……?」

 

 ふと、目元から頬を通い、顎に何かが伝っているような感触。

 

 ボクは、泣いていた。

 

 我慢するって決めてたはずなのに、情けなく涙を流していた。

 

 拭いても拭いても、新しい雫が生まれ、こぼれ落ちる。

 

 止まって欲しいのに、止まらない。

 

 センランはそんなボクを、痛ましそうに見ていた。

 

 その瞳に涙を徐々に溜める。

 

 やがて、ボクらは引かれ合うようにして抱き合った。

 

「大丈夫。私とキミはずっと友達だ」

 

 まるでボクの心を見透かしたようなセリフだった。

 

 その短い言葉だけで、ボクの涙腺は決壊した。

 

「……うん……うんっ…………!」

 

 センランの肩に顎を乗せ、泣き笑いしながら何度も頷く。

 

 師匠が亡くなった時以来、初めて流した涙だったような気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ひとしきり抱き合い、泣いた後。

 

「いつか、帝都に遊びに来い! 立場上おおっぴらに仲良くする事はできんが、今回のように変装して、こっそりキミに会いに来てやる!」

 

 センランはいたずらっぽい笑みを浮かべ、そう提案してきた。目元を少し泣きはらしているが、その顔は昨日ボクと遊びまわっていた時と同じだった。

 

 ボクも笑顔を作り、元気よくそれに頷き返した。

 

「……「羅森嵐(ルオ・センラン)」、流石にそれは問題発言かと」

 

 リーエンさんが呆れ返ったように口を挟んでくる。「皇女殿下」ではなく偽名で呼ぶあたり、やはり真面目だと思った。

 

 センランは意地悪そうに笑い、

 

「私が心配なら、目立たぬようこっそり付いてくればよかろう。それが護衛官(お前たち)の仕事なのだから」

 

「あなた様のお戯れに付き合う事は、我々の職務に含まれないはずなのですが」

 

「私に武法を教えた時点で、すでに職務の範疇など超えておろう?」

 

「……はぁ」

 

 諦めたようにため息をつくリーエンさん。

 

 案外、この人も苦労人なのかもしれない。そう考えると、少しだけ親しみやすさが湧いた。

 

「まあ、私も試合を見ていましたが、あなた様も随分と功を高められたようですね。師の立場から言わせていただきます。――先ほどの試合、見事でした」

 

 彼の一言にセンランは一瞬目を丸くするが、すぐに「そうだろう、そうだろう」と機嫌良く笑った。

 

「しかし、シンスイも凄かったぞ。こやつの【勁擊】は恐ろしい。一発食らっただけで、精も根もすべて削ぎ落とされたような気分にさせられたよ」

 

「……でしょうね。私も観客席から俯瞰(ふかん)しておりましたが、肝が冷えました。あれほどの【勁擊】が打てる者は、この【煌国(こうこく)】広しといえどそうはいないでしょう。【勁擊】の威力が売りの武法はいくつかありますが、(リー)女士の技はもっと異質で、そして恐ろしく見えました。まるで――「彼」のように」

 

 ――彼?

 

 リーエンさんはいつも通りの無表情だが、その額には微かにだが脂汗が浮かんでいた。

 

 そして、ボクの方を向き、突然訊いてきた。

 

(リー)女士、もし間違っていたのなら申し訳ありませんが、貴女の師は――強雷峰(チャン・レイフォン)公ではありませんか? 貴女の武法は、彼のソレととてもよく似ているのです」

 

「え? はい、そうですが」

 

 ボクはきょとんとした顔で普通に答える。

 

 が、センランはひどく驚愕した表情となっていた。

 

「なんと! キミはあの【雷帝】から武法を学んだのか!? あれだけ弟子を取るのを億劫がっていたあの男の衣鉢を継いだと!?」

 

「う、うん。まあ、そうなるかな」

 

「なるほど……それなら、あの異常な攻撃力にも納得がいく。そうか、【打雷把】というのか、あの男の使う武法の名は」

 

 若干気後れした顔でボクは頷く。

 

 ボクはすっかり当たり前のように感じてしまっているが、彼の気難しい性格から考えるに、レイフォン師匠の弟子というのはそれだけで驚くべき存在らしい。

 

 リーエンさんは続ける。その顔は――少し緊張を帯びていた。

 

「……十年少々前、一度だけ【雷帝】を見かける機会がありました。しかし彼の姿を一目見た瞬間、私は情けないと分かっていても、総身を震わせずにはいられませんでした。――恐ろしかった。まるで殺気という名の衣装を普段着のごとく着こなしているかのごとき気迫。幾つもの死線をくぐり抜けた人間特有の凄みを、まだ若輩者だった当時の私は嫌というほど感じました。そして確信しました、「あれが”本物”なのだ」と」

 

 ……そう語るリーエンさんの気持ちが、ボクにはよく分かった。

 

 ボクも初めてレイフォン師匠と目を合わせた時、その瞳からとてつもなく剣呑な気配を感じた。視線だけで殺されるんじゃないかってくらい怖かったのを今でも覚えている。

 

 まあ、深く付き合いを重ねていくごとに、無愛想に見えて意外と面倒見が良かったりといった面があることが分かったので、ボクは師匠の事が結構好きだったけど。

 

(リー)女士、他人の師を批判するような事を口にするのは躊躇われますが、老婆心ながら一つ忠告させていただきます。――貴女の師父は、数多の武法士を決闘で殺害しています。全て【抱拳礼】を行った上での合法的な決闘ですが、人は時に、理屈だけでは決着がつけられない生き物。彼に殺された者の身内や腹心からの”仇討ち”には、十分用心するように」

 

 リーエンさんはいつものリーエンさんらしからぬ、相手の身を案じるような口調で言った。

 

 どう返事をすれば少し迷ったが、ボクはとりあえず「はい」と頷いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし、ボクはその後、思い知ることとなる。

 

 リーエンさんの口にした言葉の重さを。

 

 そして、運命の残酷さを。

 

 



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あまりにも残酷な偶然

「ふっ!」

 

 目の前の男が、鋭く息を吐いて疾る。

 

 研ぎ澄まされた鋭い速度で、大きく開いたボクとの間合いを一気に潰す。

 

 あと三、四歩で到達という距離まで達すると、男は突如風車のように横回転。

 

 屈強な踏み込みとともに、その遠心力の乗った裏拳を振ってきた。

 

 ボクはそれを受けようと、両腕を側頭部に構えて備える。

 

 裏拳が予定通りにボクの両腕に当たる――かと思えば、男は当たる寸前に突如その拳を引っ込め、遠心力を保ちながら急激にしゃがみ込んだ。

 

 裏拳はフェイク。本命は腰を落としつつの足払い。

 

「おっと!」

 

 ボクは円弧軌道でコンパスよろしくやってきた払い蹴りを、後ろへ跳んで躱す。

 

 だがそれは一時の安心。男は深くしゃがんだ状態から全身のバネを活かし、ボクに向かって飛び込んできた。

 

 虎が獲物に爪を立てるような激しい気迫とともに、男の掌打が空気を裂いて迫る。

 

 ボクは、やってきた掌の側面に自身の前腕部を滑らせ、あさっての方向へと受け流す。そしてそのまま、男の腕の中へと足を踏み入れた。体の小さいボクが、最も有効打を狙いやすい最高の立ち位置。

 

 このまま一撃入れてやろう――そう思ったが、敵もなかなか甘くなかった。

 

「ヒュォッ!!」

 

 風が耳元を通り過ぎる音にも似た尖った吐気とともに、男の体勢が急激に上昇。地面から弾き出されたような勢いで跳躍しながら、鋭利な爪先蹴りを左右二連続で放ってきた。

 

 ボクはバックステップが間に合ったおかげで直撃はまぬがれた。けど、爪先蹴りの一発が胸の辺りをかすめ、上着のボタンが一つ開けられた。

 

 鋭く、起伏に富んだ質の高い動きにボクは内心で舌を巻く。流石は準決勝進出者。一筋縄ではいかないようだ。

 

 しかし、それでもボクは勝つ。勝たないといけない。

 

 呼吸を整え、そして構えを取り直す。

 

 男は丹田に【気】を集め、それを両手に集中させた。【硬気功(こうきこう)】をかけたのだ。

 

 それから時間差をほとんど作ることなく、虎爪を象ったような手形による掌打を激しく連発させてきた。

 

「ハイハイハイハイハイハイッッ!!」

 

 一撃一撃に気合の一喝を伴って、怒涛の爪撃が滝のようにボクへ舞い込む。

 

 正面、上下、左右側面、斜め上下、あらゆる方向から飛んでくる。

 

 【硬気功】によって鋼の硬度を得た今の彼の手は、まさしく本物の虎の爪に同じ。なのでボクは手を直接ぶつけ合うのを避け、相手の手の側面と擦るように受け流していく。そこに最小限の動きによる回避動作も加え、クリーンヒットを堅実に防ぐ。

 

 何度も防ぎ、躱しつつも、その攻防に慣れないように心がける。人間は、変化の無い物事や動作をずっと見続けてしまうと、脳が慣れてしまう。それからそのパターン化した動作と違う動作を唐突に出されると、反応が否応なしに遅れてしまうのだ。そういう戦法を取る武法も存在する。

 

 そうならないよう集中力を、手足といった末端ではなく、それに攻撃力を与えている体幹部、そして相手の表情へと向けた。

 

 男は眉間に獰猛なシワを作りながら、ひたすら連打を連ね続ける。

 

 そして次の瞬間、その眉間のシワがさらに数を増した。

 

 ――来る!

 

「カッッ!!」

 

 男は地を踏み鳴らす。そしてその【震脚(しんきゃく)】によって倍加した瞬発力を遺憾なく発揮し、ボクへと接近。

 

 【硬気功】さえ間に合わないほどのスピードだった。

 

 突風の速度と巨岩の重さを兼備した肘鉄が迫る。

 

「っ!」

 

 打撃部位が薄皮一枚まで来た瞬間、ボクは一気に全身を旋回運動させた。

 

 直撃する予定の箇所をズラし、そのまま社交ダンスのように回転しながら男の側面を取る。

 

 そして――腰を落としつつ【震脚】で踏み込み、肩から貼りつくようにぶち当たった。

 

「いっ――!!」

 

 【打雷把(だらいは)】の一技法【硬貼(こうてん)】。渾身の体当たりをまともに食らった男は、眼をひん剥いて魚のようにビクッと仰け反った。

 

 しかしそんな姿を見れたのもほんの一瞬だけ。すぐに男は後ろから引っ張られるような速度で遠ざかり、地を転がり、やがてうつ伏せで止まった。

 

 離れた距離、およそ25(まい)

 

 しばらく経っても動かない男の様子を、審判が近づいて見る。

 

 そして、

 

「意識消失を確認!勝者――李星穂(リー・シンスイ)!!」

 

 ボクの決勝戦進出が決まったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 粱捭展(リャン・バイジャン)は、自分の目が節穴であった事をひどく痛感していた。

 

 準決勝の第一試合が李星穂(リー・シンスイ)の勝利で幕を下ろした後、しばらくして自分が戦う第二試合がやって来た。

 

 決勝戦への切符を奪い合う相手として対したのは、自分より十歳ほど年の離れた少女だった。

 

 毛の末端がゆるく波打った髪は後頭部でひと結びに束ねられており、女にしては背の高い肢体は、理想的な砂時計の曲線美を形作っている。全体的に色気が濃いが、その顔立ちは女の美貌と少女の可愛らしさが同居しているようだった。一言で彼女を形容するなら、美女になりかけた美少女、といったところか。

 

 名を、宮莱莱(ゴン・ライライ)

 

 ここが美しさを競う場であったなら、彼女はここにいる誰よりも輝いていたことだろう。かくいう自分も悲しき男の性ゆえ、幾ばくかの間彼女の持つ美に見とれていた。

 

 だがここは、純粋な武を競い合う舞台。

 

 前年度に【黄龍賽】本戦まで行った経験のあるバイジャンは内心で鼻白んだ。

 

 李星穂(リー・シンスイ)といいこの女といい、小娘が準決勝まで上り詰めるとは、この大会の質も随分下がったようだ。

 

 李星穂(リー・シンスイ)が持つ「硬気功無効化能力」は確かに驚異だ。だが、ここまで勝ち残ったのは、疑うまでもなくその能力のおかげだろう。それを抜きにすれば、所詮は生まれて十年とちょっとの若輩者に過ぎない。目の前の女も同様に、何かすがりつけるものがあったのだろう。

 

 武法の世界に男女の区別は無い。しかしその分、純粋な実力主義だ。

 

 勝負を決めるのは積んできた「功」の高さ。それが劣る者は倒れるしかない。それが武法の世界の常識であり、バイジャンの持論でもあった。

 

 自分はこの小娘共よりずっと長い間、真摯に武法と向き合い、功を積んできたのだ。そんな自分が敗北するなどという事はありえない。いや、あってはならない。

 

 バイジャンは目の前の女を下し、決勝戦で李星穂(リー・シンスイ)と戦うという未来予想図の実現を疑わなかった。

 

 ――そう。試合が始まる前までは。

 

 試合開始を告げる銅鑼が鳴った瞬間、女は残像を残すほどの速度で迫り、そして回し蹴りを鋭く振り切ってきた。

 

 自分はやって来るひと振りに備え、【硬気功】を施した上で腰を落とし、重心の安定を強めた。

 

 しかしその蹴りが直撃した瞬間、まるで大樹で殴りつけられたかのごときとてつもないインパクトが全身に響いた。

 

 さらに重心の安定を嘲笑うように、バイジャンの総身が大きく跳んだ。

 

 着地し、次の攻撃に備えようとした時には、すでに女はこちらに迫っていた。

 

 無数の蹴りが、自分を破砕しようと激しく駆け巡る。

 

 目を奪われるほど美しい生足によって繰り出される、鉄槌のごとき蹴擊。

 

 人間大の石材を余裕で粉砕せしめるであろうほどの速度、圧力が、縦横無尽に暴れまわる。当てそこねた蹴りが時々落下し、石敷を深くえぐった。

 

 威力と速度だけではない。

 

 一蹴りと一蹴りの間に間隙が見られない。反撃に移せる穴が無い。

 

 ゆえにバイジャンは防戦一方だった。――いや、防御したらその防御ごと叩き壊されかねないので、回避一辺倒といった方が正確か。

 

 その回避一辺倒を続けている間に、バイジャンは女の使う武法の本質を見た。

 

 これは【刮脚(かっきゃく)】だ。

 

 変幻自在の蹴りを特徴とする、「蹴りの武法」と呼ばれた名流派。

 

 自分もその使い手と戦い、そして勝利した事がある。

 

 しかし彼女の見せる技巧は、明らかにそのへんの【刮脚】使いとは一線を画していた。

 

 見た目は、大人びた色気があるだけの、ただの少女。

 

 だが、その一蹴り一蹴りからは――その歳からは想像もつかない、暗い執念のようなものを薄々感じた。

 

 バイジャンは目の前にいる女の器を見誤っていた事を悟った。

 

 この女は、運の良さだけで成り上がってきた果報者ではない。

 

 濃い執念のままに牙と爪を磨き続けてきた女豹だ。

 

 回し蹴りを外した女はそのまま背中を向けると、すぐに足を踏み替え、馬が後ろ足を跳ね上げるような後ろ蹴りを放ってきた。知っている。【鴛鴦脚(えんおうきゃく)】という技だ。

 

 鎌のごとく真下から迫った靴裏を、バイジャンは顎を引いて避ける。

 

 が、跳ね上げられた女の蹴り足が、突如急降下。

 

「あがっ――――!?」

 

 右足の甲に、杭を打ち込まれたような激痛。

 

 見ると、急降下してきた女の爪先が突き刺さっていた。

 

 そして、その痛みで硬直したところが隙となったのだろう。

 

 女の蹴りが四方八方から殺到した。

 

 凄まじい速度で踏み替えられる彼女の脚。それと同じ速度で全身のあちこちへ衝撃が襲った。

 

 肉を削ぎ落とし、骨をむき出しにできそうなほどの蹴りが、あらゆる動きと形をもって叩き込まれる。

 

 勢いと衝撃が熾烈過ぎるためか、痛みすら感じる暇がない。

 

 意識だけがガリガリとものすごい速度で削り取られていく。

 

 やがて――バイジャンの意識は闇の底へと落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 準決勝の試合が終わった後の正午。

 

 二人揃って見事勝利を収めたボクとライライは、生き生きとした足取りで『商業区』の目抜き通りを歩いていた。

 

 これから祝勝会でもやろうということで、そのための店を探している最中だ。

 

 まあ、まだ決勝戦が終わってないので真の祝勝会とは言えないけど、とりあえず二人揃って決勝には進めたので、軽い気晴らしというかリフレッシュというか、そんな感じである。

 

 なので、大きな料理を頼んだりはしない。

 

 ボクらが探しているのは茶館、つまりお茶屋さんだ。

 

 お酒が飲めないからというのもあるが、それだけではない。茶館はただお茶を飲む店というだけでなく、老若男女いろんな人の交流の場となっているのだ。まあ、地球でいうところのカフェみたいなもんである。軽いお祝い話に花を咲かせるにはうってつけの場所だろう。

 

 ミーフォンは一緒ではない。あの娘は現在、この『商業区』のとある店で日雇いの仕事をしている。なんでも、滞在期間が延びたせいで所持金が結構減っちゃったかららしい。まあ、女の子が野宿するわけにはいかないしね。

 

 というわけで、今はボクとライライの二人だけだった。

 

 なんだか、この【滄奥市(そうおうし)】に来たばっかりの頃の再現みたいだ。

 

 でもあの日と違い、今のボクらはもう立派な予選大会の選手だ。しかも二人揃って、明後日の決勝戦で戦うメンツである。

 

 そのためだろうか。周囲の人たちから受ける眼差しの量が異様に多かった。

 

 羨望の眼差しだったり、驚いた眼差しだったり、中には「みんなやたらと注目してるけど、あいつら誰?」的な目も見られる。

 

 いずれにせよ、なんだか少し照れくさくてむずがゆい。

 

「――ん?」

 

 ふと、そのたくさんの眼差しの中に、少し質の異なる目を見つけた。

 

 眼差しというより、眼光といった方が適切かもしれない。なんか、暗い洞窟の奥から、息を潜めて獲物の隙を伺っている獣のような――

 

「どうしたの、シンスイ?」

 

 ライライの声掛けとともに、我に返った。

 

「あ、ううん、何でも無い」

 

 ボクは取り繕うように否定した。気のせいかもしれないし、そもそも実害があるわけでもない。気にするだけ無駄ってもんだ。

 

 しばらくして、小さな茶館を見つけたボクたちは、そこへ向かった。

 

 開け放たれた引き戸をくぐって中に入る。正方形の卓と、それを囲む椅子。あちこちに設置してあるそれらの席の中から適当に選び、そこへ二人で向かい合う形で座った。

 

 一分と経たない間に、店員さんが注文を訪ねにやって来る。ボクらは慌ててお品書き見た。お茶だけでなく甘味やお茶菓子も売っているようだったが、ボクらはお茶だけを頼んだ。

 

 お代は250綺鉄(きてつ)――【煌国】の通貨の単位である――だそうだ。ボクらは125綺鉄ずつで割り勘した。

 

 注文の品はすぐに来た。木箱のような長方形のお盆に乗ったミニサイズの茶器一式と、まだ開いていない乾燥茶葉、そしてお湯のたっぷり入った銅製のヤカン一つ。

 

 喫茶店のように、最初から出来上がったコーヒーや紅茶が届き、それを飲むというスタイルではない。

 

 お客さんが急須に入った茶葉に湯を注いで茶をしみださせ、それを複数人で分けて飲み合うというスタイルである。

 

 【煌国】の茶文化は、中華圏のソレと非常に似ていた。

 

 ボクは率先して準備を始めた。

 

 茶葉を赤土製の小ぶりな急須に入れ、さらにヤカンのお湯を注いで蓋を閉じる。

 

 一分ほどで、乾燥していた茶葉が大きくなり、お茶がしみだしていた。

 

 だが一番最初に出たお茶は渋みが強いので、おちょこに似た茶杯二つに入れてから、すぐに木箱のようなお盆――このお盆を「茶盤」という――の溝から中へ流し捨てる。これは、茶杯を温めるためでもある。

 

 それから二回目の湯注ぎに入る。ボクはヤカンを高く掲げ、その位置から急須の茶葉へ向けてお湯を叩きつけるように注いだ。こうすることで茶葉が空気を含み、開きが早くなる。茶葉が開けば、お茶がしみだす速度も上がるのだ。

 

 三〇秒ほどで、注いだお湯はお茶となった。それを二つある茶杯へ均等に淹れる。そのうちの一杯を、ライライに差し出した。

 

「随分手馴れてるのね、シンスイ」

 

「うちの姉様に教わったからね」

 

 実際は「叩き込まれた」というのが正しいかもしれない。昔、お茶の作法を完全無視したボクの飲み方を姉様が「はしたない!」とたしなめ、押し付けるように教えてくれたのである。

 

 二人茶杯を手に取り、その芳醇な香りを軽く楽しんでから飲んだ。

 

 苦味の中にも微かな甘味もあり、良い香りも相まってとても美味しい。どんどん喉に流し込みたくなる。しかしジャバジャバと腹いっぱいには飲まず、控えめにゆっくりと飲んでいくのがマナーだ。

 

 茶杯を口から離し、一息つくボクら二人。

 

 リラックスした空気がそこにはあった。

 

 最初に切り出したのはライライだった。

 

「――決勝進出おめでとう、シンスイ」

 

 奥ゆかしい笑みを口元にたずさえ、そう祝辞を述べてくれる。

 

 ボクも「ライライも、おめでとう」と笑顔で返した。

 

「それにしても奇妙な縁ね、私たち。会って早々意気投合した仲だったのが、今じゃ決勝戦で雌雄を決する間柄だなんて」

 

「ホントだね」

 

 二人顔を見合わせて笑い合う。しかしその笑みの中には見えざる闘志が秘められていた。

 

 当然だ。ライライとは友達だが、明後日(あさって)には敵として戦うのだ。

 

 そしてボクは、たとえライライが相手だとしても、手心を加えるわけにはいかない。何せこの大会には、ボクの武法士生命がかかっていると言っても過言ではないのだから。

 

 ライライにもまた、負けられない事情があるのかもしれない。なので手加減してくれるなどと侮っちゃダメだ。

 

 そうだ。明後日の試合は、単純に優勝者を決めるためのものではない。ボクとライライの願いのぶつけ合いでもあるのだ。

 

 ――しかし、今はひとまず試合の事は忘れて、のんびりと過ごすとしよう。そのための茶館だ。

 

 ボクは不敵な笑みを、柔和な笑みに変えた。

 

「そういえばシンスイ、あなたお姉さんの事を「姉様」って呼んでいたわよね。そのことから察すると、シンスイってやっぱりどこかのお嬢様なのかしら?」

 

 ライライも同じ事を思ったのか、談義の方向を取り留めのない話にシフトさせてきた。

 

「うーん、お嬢様なのかなぁ。一族三代揃って、文官登用試験に全員合格してるって話だけど、それ以外に何か特殊な所ってあったかなぁ」

 

「まぁ。それでも十分すごいわよ。親御さんは役人なんでしょう? 暮らしも裕福なんじゃないかしら」

 

「確かに普通の家よりかは裕福かもしれないけど……だから全て良しってわけでもないんだよ? 父様も姉様も二言目には「勉強」だもん。苦しくて息が詰まっちゃうよ」

 

「ふふふ、そうなんだ。まあ確かに、シンスイが机にかじりついて勉強する場面は想像できないわね。あなた、二言目には「武法」だもの」

 

 互いに和やかな笑いを上げる。

 

 そこから、まるで風船が膨らむように話が盛り上がっていった。

 

 子供の頃の話、住んでいる町の話、武法を学び始めて間もない頃の話、とにかく色々な話題を持ち出して会話の材料にした。

 

 まあ、さすがに「ボクは元地球人なんだ!」とまでは言わなかった。信じてくれないだろうし、ヘタをすると狼少年ならぬ狼少女扱いされそうだから。

 

「そういえばさ、ライライのお父さんってどんな人なの? 【刮脚】を教えてくれたのも、確かお父さんなんだよね?」

 

 その膨らんだ談義の最中、ボクはそう尋ねた。

 

「そうよ。父は普段はすごく優しいんだけど、私に武法を教える時は凄く厳格だったの。でも、それは私が武法士社会の中に入った時、命を落とさないよう、徹底的に強くするため。結局のところ、どこまでも優しい人だったのよ」

 

「そうなんだ。何て名前なの?」

 

宮淵輝(ゴン・ユァンフイ)

 

 その名前を聞いた瞬間、ボクは電撃的な速度で身を乗り出し、ライライを凝視した。

 

「マジで!? 宮淵輝(ゴン・ユァンフイ)っていったら、『無影脚(むえいきゃく)』っていう通り名で有名な【刮脚】の達人じゃないか! その蹴りは目で追えないどころか、影さえ生まれない! その脚の【(きん)】の功力は入神の域に達していて、地面と並行に伸ばした脚には百人ぶら下がっても大丈夫っていう、あの!」

 

「ええ。確かに父はそんなあだ名で呼ばれてたわね。……まあ、多少噂に尾ヒレが付いてる感じが否めないけど。でも身贔屓を抜きにしても、非常に高い実力を持った武法士と断言できるわ。それはそうとシンスイ、少し落ち着かないと茶器が傾くわよ」

 

「あ、ああ。ごめん」

 

 冷静になり、ゆっくりと席につき直すボク。そんなボクを微笑ましげに見つめるライライ。

 

「でも、ホントにびっくりだよ。前から「(ゴン)」って苗字と【刮脚】っていう組み合わせに少し引っかかってたけど、まさかライライがユァンフイさんの娘さんだったなんて」

 

 ホント、世界って案外狭いよねぇ。

 

 そこでボクは、ふとある事を考えつく。

 

「ね、ねえライライ……その、お願いがあるんだけど……」

 

「何かしら?」

 

 ボクは卓の下で指同士を絡ませながら、ためらいがちな声で言った。

 

「その……もし【黄龍賽】が終わったらさ、ユァンフイさんに会わせてもらえないかな……?」

 

 ――ボクはただ「ユァンフイさんに会ってみたい」という気持ちで言ったつもりだった。

 

 が、目の前の彼女はボクの言葉を聞いた途端、ひどく寂しそうな顔をした。

 

「…………ごめんなさい。それは、出来ないの」

 

 まるでお通夜のように沈みきった声。

 

 その消沈ぶりを見て、ボクは地雷を踏んだような気がした。

 

「ご、ごめんライライ。もしかして、図々しい頼みだったかな?」

 

「ううん、違うの。別に迷惑じゃないの。でもダメなの。お願いされても、”もう”出来ないの」

 

 ライライは寂しげな顔でかぶりを振りながら言うと、一度区切りを作り、そして次のように発言。

 

「父はもう……亡くなってるから」

 

 ――どうやらボクは、クレイモア級の地雷を踏んでいたらしい。

 

「そ、そうなの!? ご、ごめんねライライ! いくら達人に詳しくても、さすがに今の生き死にまでは分からなかったんだ! ていうか、えっ!? ユァンフイさん、亡くなってたの!?」

 

 ライライに対する申し訳なさ、そしてユァンフイさんがすでに亡くなっていた事への驚愕がないまぜとなり、謝罪だか驚きだか分からない言葉になってしまった。

 

「いいのよシンスイ。もう九年も前の事だもの」

 

 彼女は言うと、口元を小さく微笑ませる。しかし、やはり寂しそうな感じは抜けていない。

 

「父は――父さんは、ある武法士との試合に負けて死んだのよ」

 

「負けた……? あの『無影脚』が?」

 

 耳を疑うボクに、こくん、と頷くライライ。

 

「九年前、その武法士は父さんの名声を聞きつけて、家まで尋ねてきて、真剣勝負を申し込んできたの。当時まだ八歳だった私は、当然反対したわ。だけど父さんは誇り高い武法士だった。「【刮脚】で名を上げた自分がここで引き下がれば、【刮脚】という流派そのものに「臆病者」の烙印が押されてしまう」。そう言って、父さんは試合に応じたわ。その後、父さんは私を家に残して試合をしに行ったけど、いつまで経っても帰ってこなかった。「ついて来るな」って釘を刺されてたけど、私は心配になって父を探した。そして、長い時間走り回って、やっと見つける事ができたわ。――死体になった父さんの姿を」

 

 背筋が凍った。

 

「父さんの死体の傍らには、勝負を挑んできた武法士が棒立ちしていたわ。その男は私を見ると「小娘、お前の父親を殺したのは俺だ。仇を取りたくば、いつでも来るがいい」とだけ言って、去って行ったの。視線だけで魂を引きずり出されそうなそのプレッシャーに、私はしばらく全身が固まって動けなくなった。そしてその硬直が溶けた瞬間、涙が枯れるまで泣き叫んだわ。あの時の事は、今でも頭にこびりついて離れない」

 

 ライライは目を伏せ、密かに奥歯を噛む。

 

 おそらくその試合は、【抱拳礼(ほうけんれい)】で左拳を包んだ上で行われた決闘だったのだ。そうすれば両者の合意が成立した決闘ということになる。ゆえに、その男を殺人という罪で裁くことはできないだろう。

 

 しかし、法で裁かれないからといって、その死んだ者の身内は納得できるだろうか?

 

 いや、きっと出来ない。できるはずがない。

 

「父さんの埋葬が終わった後、私の中の悲しみは、父さんを殺した相手への復讐心に変わったわ。以来、私は仇討ちのために、父さんから譲り受けた【刮脚】をたった一人で磨き続けた。父さんは私に【刮脚】のすべてを教える前に亡くなってしまった上に、今では使い手がほとんどいない古いタイプの【刮脚】だから、他の師も見つからない。だから私は、すでに持っているものを強化するしかなかったわ。それでも必死の修行の末に、【刮脚】を高い水準までに強化する事ができた。まあ、多少我流が混じってはいるけどね」

 

 ライライはボクが今まで見てきた【刮脚】使いの中でも、破格の実力を持っていた。

 

 ……あれは、仇を討つための努力の賜物だったのだ。

 

 ボクはその努力に敬意を感じるとともに、少し寂しい気持ちになった。

 

 仇討ち目的で武法を学ぶ人なんて、別に珍しくもなんともない。武法の長い歴史を振り返れば、そんな人物は掃いて捨てるほど見つけられる。

 

 悪名高い【毒手功(どくしゅこう)】も、仇討ちのための道具として重宝されたのだ。

 

 それくらい、武法と仇討ちの関係は根深い。

 

 ライライも、その中の一人だったというだけの話だ。

 

 しかし、武法を何かのための「手段」としてではなく、武法「そのもの」を愛するボクとしては、そのような目的で修行する人を見るのは少し切ない。

 

 恵まれた人間特有の綺麗事かもしれないし、ボクにとっては他人事だからかもしれない。それでも、そう思わずにはいられなかった。

 

「私が【黄龍賽】に出ようと思ったのは、その仇に自分の存在をアピールするため。あいつはより強い武法士との戦いを求めて、【煌国】中を常に亡者のように徘徊しているの。固定された場所にはいないから、探し回っても見つかる確率は低いわ。でも私が【黄龍賽】で優秀な成績を上げて武名を轟かせれば、その仇は私への関心を抱き、自ずから姿を現してくれる。武名という誘蛾灯で仇を引きつけて、正々堂々と倒す。これが私の目的よ」

 

 ……なるほど。

 

 確かに【黄龍賽】で優勝したとなれば、それは結構なネームバリューになるだろう。その「仇」とやらが名の知れた武法士と戦いたがっているのなら、それは良いエサとなる。誘蛾灯とはよく言ったもんだ。

 

 とにかく、ライライの事情は、今の話でだいぶ理解できた。

 

 でも、本音を言うと、ボクは仇討ちなんてして欲しくない。

 

 「復讐は何も生まないから」なんて月並みな理由じゃない。

 

 単純に、彼女の身が心配なだけだ。

 

 ユァンフイさんほどの武法士を、正々堂々の決闘で殺した人物だ。きっと、実力も相当なもののはず。そんな奴に向かっていけば、命の保証はない。

 

 だから、できることなら、ボクは仇討ちをさせたくない。

 

 しかし、彼女はそんなボクの言葉を、きっと聞き入れてはくれないだろう。

 

「……す、少し微妙な空気になっちゃったわね。ごめんなさい」

 

 申し訳なさそうにそう言うライライ。

 

 ボクはやんわりとした態度で彼女の言葉を否定しつつ、

 

「ううん。実はボクの師匠も、二年くらい前に死んじゃってるんだ。ボクも師匠が死んじゃってすごく悲しかったし、ライライの気持ち、分かるよ」

 

 それは嘘じゃなかった。ライライはお父さんが死んで、実際悲しかったはずだ。その気持ちはきっと、ボクも彼女も同じだと思う。

 

「……ありがとう。優しいね、シンスイは」

 

 そう言って、ライライはにっこり笑ってくれた。普段の大人びた笑みとは違う、少女らしい笑顔だった。

 

 ――う。なんか可愛い。

 

 それを見てギャップ萌え的なものを感じてしまったボクは、少しドキリとする。

 

 少しだが、和やかなムードが戻ってきた。

 

 気分が良くなったボクは、再び小さな急須にお湯を注ぐ。

 

 しばらくして、お湯はお茶となった。

 

 ボクはそれを、自分とライライの茶杯についだ。

 

 互いに茶杯を手に取り、香りを楽しみながら、すするように飲み始めた。

 

「ところで、シンスイの師匠ってどんな人なの? あんなすごい技が使えるんだもの、有名な方なんじゃないの?」

 

 ライライがことさら明るい態度で訊いてくる。

 

「え? ああ、うん。そうだね、有名っちゃ有名かな。多分ライライも聞いたことあると思うよ」

 

「何ていう名前なの?」

 

 彼女の問いに、ボクは何気ない口調で答えた。

 

 

 

 

 

「――強雷峰(チャン・レイフォン)って人」

 

 

 

 

 

 ――ガチャンッ!!!

 

 ライライの手元から茶杯が滑り、卓上に落下。

 

 未だ熱を持ったお茶が彼女の手元にかかり、熱く濡らす。

 

 しかし、ライライの手は、熱に対する反射をピクリとも起こさなかった。

 

「ちょっ、大丈夫!? 火傷してない?」

 

 ボクはびっくりしながらも、彼女のそばに寄るべく席を立とうとした。

 

 ――が、ライライの顔を見た瞬間、ボクの動きが凍てついたように止まる。

 

 ライライはその顔を真っ青にし、信じられないものを見るような目でボクを直視していた。

 

 その両手は感じた熱湯の熱を無視し、真冬の風を受けた時のように震えていた。

 

「…………嘘、でしょ? ……あなたが……そんな…………!!」

 

 その口が、要領を得ない断片的な言葉をつむぐ。

 

「ど、どうしたの、ライライ!?」

 

 ボクはただならぬ事情を感じ、身を乗り出してライライの肩口に触れようとするが、

 

 

 

「――触らないでっっ!!!」

 

 

 

 ――その手を、力強く弾かれた。

 

「……………………え」

 

 ボクはまたしても固まってしまった。

 

 ――明確に拒絶する手つき。

 ――明確に拒絶する言葉。

 ――そして、敵意に満ちた表情と眼差し。

 

 それらを、さっきまで仲良く談笑していた少女が行ったという事実。

 

 ボクはその事実が、未だに現実であると認識しきれずにいた。

 

「…………な、何を……?」

 

 ようやく捻り出せた言葉は、たったそれだけだった。

 

 そして、そんなちっぽけな発言にさえ、ライライは敵意むき出しで喚くように言い返してきた。

 

「うるさい!! 喋るな!! 話しかけるなっ!!」

 

 さっきまでの彼女とは一八〇度違う態度に、未だに混乱が収まらない。

 

 一体どうなってるんだ。

 

 ライライに、何があったんだ。

 

 何か悪いものがとり憑いているのか――そんなバカバカしいことまで考えてしまう。

 

 店内の視線は、すっかりボクら一点に集中していた。

 

「さ、さっきからどうしたのさっ? そんなに急に怒って」

 

「何でもないわよ!! 何かあったとしても、あなたなんかに関係ない!!」

 

「いや、何でも無いわけが――」

 

「おせっかいね!! 関係ないって言ってるでしょ!?」

 

 その物言いに、ボクは大人気ないと分かっていてもカチンときてしまった。

 

「どう見ても怒ってるじゃないか! 怒るのは別に良いけど、その理由を言ってよ! でないとどうしようも無いよ!」

 

 ボクは思わずそうまくし立てる。

 

 次の瞬間だった。

 

 

 

 

 

「うるさいって言ってるのよ!! この――大量殺人者の弟子っ!!!」

 

 

 

 

 

 ――その一言は、決定的だった。

 

 彼女の態度が急変した理由を、ボクは察した。

 

 察してしまった。

 

「……まさか、君のお父さんを殺したのは……」

 

 嘘だ。

 

 そんなのありえない。

 

 偶然にしても出来すぎだ。

 

 信じない。信じたくない。

 

 しかし、ライライは必死に深呼吸しながら、あまりにも残酷な偶然の到来を決定づけた。

 

 

 

「……そうよ。私の父を決闘で殺したのは、強雷峰(チャン・レイフォン)――あなたの師よ」

 

 

 

 ボクはこの時のショックを、多分一生忘れないだろう。

 

 まさしく、運命の悪戯だった。

 

 ――でも、少し深く考えれば、分かる事じゃないか。

 

 ユァンフイさんはこの【煌国】という国全体で考えても、指折りの実力者だ。そんな人を負かすほどの武法士となると、随分と候補が絞られてくる。

 

 そして、その絞られたごく少数の候補の中に名を連ねるのは――達人という言葉さえ可愛く思えるほどの、掛け値なしの怪物たち。

 

 その怪物の中には【雷帝(らいてい)】という通り名とともに全国を震え上がらせた魔人、強雷峰(チャン・レイフォン)の名前も含まれなければおかしいのだ。

 

 何より、あの人は現役時代、名の知れた武法士を決闘でたくさん打ち殺しているではないか。

 

「……その……」

 

 ボクはすっかりおとなしくなり、そして口ごもってしまう。

 

 ボクは、彼女のお父さんを殺してしまった男の弟子だ。どうして非難がましく言い返せようか。

 

 ――謝罪する事だけが、ボクに許された唯一の行為だった。

 

 ボクは席を立つ。そして、ライライの前まで来ると、下げられる限界まで頭を下げた。

 

「……ごめんなさい、ライライ。ボクの師匠が君のお父さんにしてしまった事は、弟子であるボクが謝る。謝って済む話じゃないのは分かってる。許してくださいなんて言わない。でも、謝ることだけはさせて欲しい。――本当に、ごめんなさい…………」

 

 精一杯の謝意を込め、押し殺したような声でそう言った。

 

 頭をめいっぱい下げているため、ライライの顔は見えない。

 

 まだ怒っているだろうか。

 

 侮蔑の眼差しで見下ろしているだろうか。

 

 どちらでも構わない。

 

 どんな悪罵でも八つ当たりでも受けるつもりだ。

 

 しかし、

 

「~~~~~~~~っ!!」

 

 強い憤りを無理矢理飲み込むような唸りが聞こえるとともに、ライライの存在がボクを横切り、遠ざかっていった。

 

「ラ、ライライ、待っ――」

 

「ついて来ないでっ!!」

 

 静止を促すボクの声をバッサリと両断し、ライライは店の出口から外へ行ってしまった。

 

 ボクは店内に取り残される。

 

 他の客も何人かいるはずなのに、まるで陸の孤島にたった一人置き去りにされたような孤独感が襲って来る。

 

 

 

 

 ――ボクは今日、師匠の事をとてつもなく恨んだ。

 



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友達とは

 それからボクは、惰性のように時間を過ごした。

 

 茶館から出た後、同じ宿に泊まっている事もあって何度かライライと顔を合わせた。

 

 しかし彼女の反応は二通り。話しかけて来たボクの声を「うるさい!!」の一言で切り捨てるか、あからさまに無視するかだ。けんもほろろである。

 

 そのせいか、ボクはその日の夜に行う予定だった修行をやる気が起きず、そのまま寝てしまった。

 

 いつもは、よほど体調がひどい時でないと修行は休まない。そんなボクが具合も悪くないのに修行をサボったのだ。我ながら「明日は雪でも降るんじゃないか」と思ってしまった。

 

 翌朝になっても、修行をする気分にはなれなかった。いつもなら体が勝手に修行用の服に着替え始めるのに、それすらしていない。

 

 本格的にヤバイんじゃないかと感じ始める。

 

「……いけない。こんなんじゃ」

 

 ボクはそんな自分自身を、なけなしの気力で鼓舞した。

 

 このままじゃ腐ってしまう。いつものように修行で汗を流せば、少しは頭も冴えるだろう。

 

 少なくとも、何もせず時間を浪費しているよりはずっといい。

 

 何より、明日は決勝なのだ。少しでも下積みをしておかなければ。

 

 お腹に気力を溜め、勢いよく個室のベッドから跳ね起きる。

 

 寝間着を脱ぎ捨て、そのほっそりした肢体に修行用の軽装を通す。

 

 イソギンチャクのような寝癖の付いた長い髪をクシでとかしてから、お馴染みの太い一本の三つ編みにまとめようとした時、ボクはある事を思いつく。

 

「そうだ。ちょっと今日は気分を変えるために……」

 

 ボクは鏡の前で髪を結んでいく。

 

 やがて出来上がった髪型はいつもの三つ編みではなく、両側頭部に一つずつ結び目を作り、二束となった髪を垂らしたヘアスタイル。

 

 ――いわゆる、双馬尾(ツインテール)というやつだ。

 

「……自画自賛だけど、なかなか似合うかも」

 

 鏡に映っているボクは、いつものボクとは印象が大きく違った。

 

 大きな三つ編み一つに髪をまとめた普段のボクは、文学をたしなんでいそうで、なおかつ良家の娘然とした華やかな印象だった。

 

 しかし、今目の前にいるツインテールのボクは、女の子らしさを最大限に発揮し、周囲へ可愛さをこれでもかというくらい振りまいている感じだった。

 

 ――女の子ってすごい。髪型を少し弄るだけで、こうも印象が変わるなんて。

 

 ボクは鏡の前で目を丸くする。目の前にいるもう一人のボクも、同じ顔をした。

 

 びっくりした顔さえ可愛かった。

 

 ボクは調子に乗って、普段は絶対やらないような可愛い仕草やあざといポーズを、鏡の中の分身に次々と強要した。

 

 ……やだ。ボク、かなり可愛い。

 

 女としての美しさには恵まれていると自覚こそしていたが、それを今日ほど実感した日はなかった気がする。

 

「……はっ!?」

 

 が、我に返り、頭をイヤイヤ振った。

 

 ヤバイ。危うくナルキッソスのようになってしまうところだった。

 

 でも、そんなアホなことをやっていたおかげか、少しばかり元気が出た。

 

 よし、と意気込み、ボクは個室のドアから宿の廊下に出た。

 

「あ……」

 

 ――だが出た瞬間、ちょうどライライが目の前を通り過ぎていった。

 

 彼女はボクの存在を一瞥で確かめると、まるでそれ以上何もする必要がないとばかりに視線を前に戻し、歩きを続けた。

 

 ライライには昨日から、何度も袖にされ続けている。きっと今行っても、昨日の今日でまた拒絶されるだろう。

 

 しかし、それでもボクはめげずに駆け寄り、ことさら元気良く話しかけた。

 

「お、おはようライライ! これから食堂でご飯?」

 

 ライライは答えない。ボクなど存在していないかのように、淡々と歩く。

 

 ええい、負けるもんか。

 

 ボクは垂れたツインテールを両手に取り、

 

「ほ、ほら! 見てよライライ! ボク、今日髪型変えたんだ! どう? 似合うかな? 可愛い?」

 

「知らないわよ」

 

 ようやく一言くれた。しかし、あまりに冷たくそっけない。

 

「あ、あのさ……ミーフォンが『商業区』の飯店で働いてるんだって。遊びに行こうよ」

 

「行かない。あなた一人で行けば」

 

「……その……ライライ、今日は何か予定は――」

 

「うるっさいっ!!!」

 

 ライライは立ち止まり、癇癪のように怒鳴った。

 

「もう私に構わないで! だいいち、私たちは明日戦う敵同士でしょ!? 馴れ合うなんてありえないわ!!」

 

 昨日までなら、ここまで明確な拒絶を前に引き下がっただろう。

 

 しかし、今日はいま一歩踏み込んだ。

 

「それは、本心なの?」

 

「――っ!」

 

 見透かされた時のような顔をするライライ。

 

 否定もしなければ肯定もしない。その態度が言葉以上に「本心ではない」と語っていた。

 

 何より昨日のライライは、「決勝で戦う敵同士だから」なんてことは微塵も気にしてなかったのだから。

 

「……とにかく、私の事は放っておいて!!」

 

 やけくそのように言い募ると、ライライは廊下の向こう側へと走り去っていった。

 

 追いつけないスピードではなかったが、「追いかけて来ないで欲しい」と背中が言っている気がしたので、足が動かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、ボクは予定通り修行に取り組んだが、ライライの事で頭がいっぱいでいまいち身が入らず、結局中途半端で終わらせてしまった。

 

 本格的に参っていた。

 

 一晩経てば、多少は態度が柔らかくなるかもしれない――心のどこかでそんな淡い期待を抱いていたが、今朝のやり取りで、それは見事に打ち砕かれた。

 

 けど、むべなるかな、とも思う。

 

 思い起こされるのは、昨日、ライライが放ったあの一言。

 

『うるさいって言ってるのよ!! この――大量殺人者の弟子っ!!!』

 

 あれを聞いた時、ボクは内心かなりショックだった。

 

 しかし、同時に思い知ってしまった。

 

 自分は、そういう人の弟子である事を。

 

 確かに、レイフォン師匠は違法な殺しはやっていなかった。

 

 殺したのはすべて、合法的に行われた決闘の相手だ。相手が死んでも「試合の結果」の一言で社会的にはカタがつく。

 

 けれどそんな理屈は、殺された人の家族の立場から考えれば、体のいい詭弁でしかないのだ。

 

(リー)女士、他人の師を批判するような事を口にするのは躊躇われますが、老婆心ながら一つ忠告させていただきます。――貴女の師父は、数多の武法士を決闘で殺害しています。全て【抱拳礼】を行った上での合法的な決闘ですが、人は時に、理屈だけでは決着がつけられない生き物。彼に殺された者の身内や腹心からの”仇討ち”には、十分用心するように』

 

 あの日、リーエンさんの放った一言が蘇る。

 

 別に、ライライは仇討ちをして来ようとはしていない。

 

 が、それでもボクは、その一言の重さを嫌というほど思い知ったのだ。

 

 ――このまま、ライライとの関係はケンカ別れという形で終わってしまうのか。

 

 意見の食い違いなどによる衝突程度なら、まだ修復は簡単だったかもしれない。

 

 でもボクは、彼女のお父さんを殺した男の弟子なのだ。修復が難しい事は火を見るよりも明らかである。

 

 でも、やっぱりこのままなんて嫌だ。

 

 しかし、どうすればいいのか分からない。

 

 まるで出口の無いトンネルの中をさまよっている気分だ。

 

 そして、そう悩んでいる間にも、お腹は空く。

 

 ボクは水浴びで体の汗を流した後、着替えて宿を出た。宿の食事でもよかったが、今の沈みきった心持ちのまま、一人で食べるのはなんとなく気が引けた。なのでボクは『商業区』へ足を運んだ。

 

 目的地は、ミーフォンが働いている飯店。

 

 この【滄奥市(そうおうし)】でライライ以外に話せる人物は、シャンシーかミーフォンくらい。でもシャンシーはどこにいるか分からない。なのでミーフォンを選んだ。

 

 話し相手が欲しかったのだ。

 

 愚痴を聞いてもらう、なんて大人っぽいものじゃない。ただ誰かと一緒にいたいだけ。

 

 こんな時だけミーフォンを頼るなんて、ちょっと卑怯な気がした。

 

 しおれたツインテールをたなびかせながら、ボクは街道を歩く。すでに八割の店が開店しているが、まだ朝であるためか、正午に比べれば人通りはまばらだった。

 

 もうしばらく歩き、そしてゴールに着いた。

 

 大きくもなければ小さくもない、普通の店だった。入口のドアのすぐ隣には、赤い木枠で囲われたテラスのような空間があり、店内と連結していた。

 

 外壁上部に貼られた横長の飾り看板には、でかでかと『団圓菜館(だんえんさいかん)』と書かれていた。

 

 そして、その店の前で、見知った顔を発見する。

 

「――団圓菜館の朝食セットはいかがですかー!? 美味しいですよー!」

 

 ミーフォンが笑顔で愛想を振りまきながら、呼び込みをしていた。

 

 いつもの勝気な様子とは違い、まるでアイドルのようにキャピキャピしたノリだった。おまけに服装も、いつもと違う朱色の半袖とミニスカート。おそらく給仕さんの制服だろう。

 

 普段と変わったミーフォンのその姿は、見ていて新鮮だった。

 

 ていうか、あのプライドの高いミーフォンに接客ができたのか。

 

「……あ!」

 

 ミーフォンがこちらに気がついた。ただでさえ明るい笑みがさらに輝かしいものとなった。

 

 が、彼女はボクのツインテールを見た瞬間、ものすごい顔をした。

 

 かと思えば、

 

「――ツインテお姉様キマシタワァァァァァァ!!」

 

 がばーっ!! と、勢いよく抱きついてきた。

 

「あ、あはは……良く働いてるみたいだね」

 

「はい! あたしは頑張ってます! それより今日のお姉様凄く可愛いですぅ!! 普段の三つ編みも清楚で素敵ですけど、この髪型もおしゃれですわ!! ああっ! あたしお姉様の髪の匂いでご飯三杯は余裕ですぅ!!」

 

 言いながら、嬉々としてボクのツインテールを両手で揉むミーフォン。

 

 ボクのイメチェンは、大変好評のようだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 この団圓菜館は、二階建てのうち一階を店として使っているようだ。

 

 ボクは店内を通じてテラスに入り、空席を見つけると、そこに座った。

 

「ご注文は何になさいますか、お姉様?」

 

 ミーフォンがニコニコしながらオーダーを訊いてくる。

 

 ボクは席に置いてあったお品書きとにらめっこする。でも、どれにすればいいのか迷う。

 

「今の時間帯なら、朝食セットがおすすめですよ。腹持ちが良くて、味もしつこくない、おまけに値段もお手頃です」

 

 ボクはミーフォンの言う朝食セットをお品書きの中で探し、見つける。確かにリーズナブルな価格だった。これなら財布はそれほど痛くない。

 

「それじゃ、朝食セットにしようかな」

 

「かしこまりました、お姉様!」

 

「ははは。ミーフォン、ちゃんと給仕さんできてるね」

 

「へへ。環境に順応しやすいのが昔からの特技なものなので」

 

 そう照れ笑いしながら、ミーフォンは店内奥のカウンターに向かった。注文を伝えに行ったのだろう。

 

 しばらくすると、陶製のコップが乗った木のトレイを持って、また戻ってきた。

 

「はい、お冷です」

 

 ミーフォンはコップをそっとボクの前に置く。水だった。

 

 ボクは軽くお礼を言ってから、水を少量すすり、器を置いた。

 

「はわー、お姉様のツインテ、柔らかくて気持ちいいですー……」

 

 ミーフォンはというと、嬉しそうにボクのツインテールの片方を触っていた。

 

 ボクはたしなめるように、

 

「ちょっとミーフォン、仕事しないとダメじゃない」

 

「大丈夫ですよ。この店が盛り上がるのは昼からで、朝方はあんまり人来ないんです」

 

 ミーフォンがそう言った瞬間、カウンター奥にいる男性店主の眼差しがビームのように光った。ひっ。

 

「ミーフォン、しーっ!」

 

 ボクが慌てて黙るよう促すと、彼女も失言だったと言わんばかりに口を押さえた。

 

 でも、確かに店内を見渡すと、店内テラス側問わず人はほとんどいなかった。他の給仕さんも手持ち無沙汰な様子だ。

 

 やはり時間帯のせいだろう。観光目的の人はまだ大体寝てそうな時刻だし、仕事がある人はそもそも店に来る暇がない。

 

 とりあえず頼んだ料理ができるまでの間、どう過ごそうか考えていると、

 

「それより、どうですかお姉様、この制服? 似合ってますか?」

 

 ミーフォンはその場でくるりと一回転し、そう感想を聞いてきた。

 

 小柄ながらスタイルの良いその体に通されているのは、朱色を基準とした半袖とスカート。上衣の脇腹辺りには、大きな睡蓮の刺繍が金色の糸で施されている。膝小僧より少し高い位置という、ロングとミニの間を取ったような丈のスカートは、末端がまるでフリルのようになっていた。ゴシックロリータとオリエンタルが混ざったような、中洋折衷のデザイン。

 

「似合ってるよ。特にそのスカート、可愛いね」

 

「めくってもいいんですよ?」

 

「めくらないから」

 

 くすくすと笑うミーフォン。

 

 ジョークなのかマジなのか分からないが、そんな彼女のおかげで少しばかり元気が出た。

 

「そういえばお姉様、ライライは一緒じゃないんですか?」

 

 ふと、ミーフォンがそう尋ねてきた。

 

 ――気まずい気分になる。

 

「あれ、どうしましたお姉様? 元気ないですよ?」

 

 そう言って、ボクの顔を覗き込んでくる。

 

 ボクは何度かためらうが、やがて重い鉄の扉を開くような心境で言った。

 

「実は……ライライとはケンカしちゃって」

 

 正直、ライライが一方的に突き放しているため、ケンカという表現が適切かどうか分からない。でも、それが一番妥当な単語だと思った。

 

 ミーフォンは少し驚いた表情で、

 

「ケンカですかぁ? しかもライライと? あいつ、ケンカするようなタイプには見えませんけど……」

 

「えっと……ケンカというより、ライライの方からボクの事を突っぱねてる感じで……」

 

「ますます腑に落ちませんね。一体何が?」

 

「……ちょっと、事情が複雑なんだけど…………」

 

 ボクはそれから、ミーフォンに話した。

 

 ボクの師匠のこと。

 

 ライライのお父さんのこと。

 

 ボクの師匠が、ライライのお父さんを試合で打ち殺してしまったこと。

 

 そして、ボクとライライの今回のいさかいが、その事を原因としていることを。

 

 話をすべて聞いたミーフォンは、木製トレイを手から落とし、四肢と唇を震わせながら、

 

「なっ……!? お、お姉様……あの【雷帝(らいてい)】の弟子だったんですか!?」

 

「うん、まあ一応。そういえば師匠って、君たち紅家の人間から【太極炮捶(たいきょくほうすい)】を教わったんだっけ?」

 

「は、はい。彼は元々【太極炮捶】発祥の地【嬰山市(えいざんし)】の生まれで、そこで【太極炮捶】を学んだんです。……まあ、破門という形で去ったらしいので、(ホン)家の人間からは良く思われてないですけど」

 

 「破門された」という経歴は、武法士社会では「武館を追い出された」以上の意味を持っている。

 

 前にも言ったかもしれないが、武法士は自分の流派に対する帰属意識が強い。例外もあるが、一度入門すれば、師と兄弟弟子との間にはまさに親兄弟のごとく強固な関係性が生まれる。

 

 一門は、一つの家族と一緒なのだ。

 

 その家族のような間柄から弾かれるというのは、もはや勘当と同じ。だからよほどの事をやらかさない限りは破門にはならない。

 

 つまり「破門された」という事は、その「よほどの事」をやらかしてしまったという意味に他ならない。

 

 そして、その経験はそのまま汚点となる。今度別の流派に入りたくとも、「破門された」経歴がネックとなって、門前払いをくらう確率が高くなるのだ。要するに、「こいつは我が門に泥を塗る存在になるかもしれない」といった感じで警戒されてしまうのである。

 

 【太極炮捶】門下だった若い頃、レイフォン師匠は類稀(たぐいまれ)な才能に恵まれていただけでなく、精進を怠らない努力家だった。そのため、同期の門下だけでなく、自分よりも長く修行している兄弟子たちも置き去りにして、屈強な武法士へと育っていった。

 

 しかし生来の好戦的な人格が災いし、他流派としょっちゅういさかいを起こしていた。あまりにそれがひどかったため、ある日とうとう流派を追放されてしまったのだ。

 

 破門後も、師匠は戦いを続けた。【煌国(こうこく)】中を放浪し、修行しながら名のある武法士たちを次々と決闘で負かした。

 

 さらに功力に磨きがかかり、「負かした」は「打ち殺した」に変わった。

 

 自分の学んだ【太極炮捶】に独自のアレンジを加え、【勁擊(けいげき)】の威力をより凶悪にした武法【打雷把(だらいは)】を作り出した。

 

 そしてとうとう、【雷帝】と恐れられるほどの最強の武法士になった。

 

 しかし彼はなおも満足せず、強者を求めてあちこちで決闘を続けた。

 

 そして、その末にユァンフイさんを…………。

 

「……やっぱり、ボクが悪いのかな」

 

 師匠の歩んできた修羅な道のりを振り返ったボクは、改めてそう思った。

 

 ボクは、ライライに言い返せる言葉を何一つ持っちゃいない。

 

 一方的に悪罵を吐かれるしかない。袖にされるしかない。

 

「もう……仲良くできないのかな」

 

 うつむき、そう弱音をこぼす。自然に出てきた言葉。それだけ心が参っている証拠といえた。

 

 だって、ボクは彼女の仇の弟子なんだ。そんな相手と、一体どうして仲良くできるだろうか。

 

 ――もうきっと、前みたいには戻れない。

 

「……お姉様にとって、ライライはどんな存在ですか? あいつがどう思ってるかなんて抜きにして、お姉様の考えてる答えを聞かせてください」

 

 そこで、ミーフォンが突然そう訊いてきた。

 

 ――そんなの、決まってる。

 

「友達だよ」

 

 ボクは、そう断言した。

 

 会ってまだ一ヶ月どころか、半月にも満たない間柄。

 

 それでも、ボクは彼女の事を友達だと思ってる。

 

 そんなボクの答えを聞いたミーフォンは、何秒か思案顔をしてから、やがて語り出した。

 

「……小さい頃、あたしには仲の良い友達が一人いました」

 

 脈絡の無い発言。

 

 しかし、何かボクに伝えたい事があるのかもしれない。そう思ったので、黙ってミーフォンの言葉に耳を傾けた。

 

「あたしと同じく【嬰山市】に住んでた子でした。その子はあたしと違って武法はやってなかったけど、それでも修行の合間によく一緒にいろんな事をして遊んでました。その子といるとあたしは凄く楽しくて、その子もまたあたしと一緒にいるのは楽しいって言ってくれました。その時、あたしはこの関係が未来永劫続くものだと、信じて疑っていませんでした」

 

 不穏な言葉で一度区切られ、さらに続いた。

 

「でもある日、あたしは見てしまいました。その子が――軽食屋で売ってた油条(ヨウティアオ)を万引きする所を。その子の家は凄く貧乏で、あたしと違ってお菓子を気軽に買う小遣いもなかった。だから、思わず魔が差してしまったんでしょう。あたしはすぐに自白するように説得しましたが、その子は「そんなことしてない」とシラを切りました。当時のあたしは今と違ってもっと生真面目な性格で、そんな不正を許すことができませんでした。商品というのは、その店の人がお金をかけて用意した物。それを一つ盗むだけでも、店の屋台骨をへし折る行為に等しい、といった具合に。だからあたしはその軽食屋に、友達の万引きを告発したんです」

 

 ……これは、どうすればいいのか判断に苦しむ問題だ。

 

 もしもボクなら、その子が自白するまで待っていたかもしれない。しかし、それだといつまで経っても自分の罪を認めない可能性だってある。

 

 しかしミーフォンは、告発を選んだ。

 

 それは社会的に考えれば、正しい事なのかもしれない。

 

 しかし逆に考えると、友達を裏切る行為と捉えられなくもない。その子とまともな友情が続く確率は低いといえるだろう。

 

 ミーフォンの次の語りを聞き、その読みが正しかった事を知る。

 

「その子の母親の必死な謝罪が功を奏して、店の人は訴えを起こさずに済ませてくれました。でもその日以来、その子は泥棒と呼ばれて、大人子供問わず周囲から後ろ指を指されるようになったんです。自業自得と言えばそれまでですが、あたしはその事に強い自責の念を感じてしまいました。バカみたいですよね、自分でチクっておいて後悔するなんて。正しい事をしたはずなのに、その子に引け目を感じて仕方がありませんでした。そうしてまともに話をしない日が続いて、やがて母親が富豪の男と恋に落ち、再婚した事を機に、その子は【嬰山市】を去りました。それ以来、全く会っていません」

 

 自嘲めいた笑みを浮かべながら語るミーフォン。

 

 しかし、その自嘲めいた笑みは、すぐに自信をもった微笑みに変わった。

 

「でも、今ならどう接すれば良かったのかわかります。あたしは、あたしの正しさを信じた上で、その子と向き合ってみるべきだったんです。その結果、どれだけ悪罵をぶつけられようと、そうするべきだったんです。友情が壊れる確率の方が高いでしょう。でも、もしかしたら――また前みたいに仲良くできたかもしれないじゃないですか」

 

 ――ボクは分かった気がした。

 

 ミーフォンが自分の過去を打ち明けた上で、何を言わんとしているのかが。

 

 彼女は見開かれたボクの目を真っ直ぐ捉えると、いつも以上に真摯な語り口で、

 

「お姉様はライライに引け目を感じているようですけど、それは宜しくありません。少し厳しい事を言いますけど、それじゃ関係の改善なんて望めないと思います」

 

「そう……かな」

 

「はい。友達だと思うなら、下手に出るのは良くないです。――なおさら反論するべきです。自分の非を認めつつ、自分の正しさを主張するんです。それができなくちゃ、友達じゃありません。どちらか片側に偏った時点で、友情は成立しなくなってしまうんです。あたしと、その友達みたいに」

 

 まさに今のボクとライライの状態は、ミーフォンにとっては身につまされるものだったのだろう。

 

 だからこそ、助言をくれた。

 

 ボクが、自分みたいにならないようにと。

 

 自分にできなかった事を、ボクにやって欲しいと。

 

 それを思うと、ボクは感謝の気持ちで胸がいっぱいになった。

 

 きっとボク一人でうんうん悩んでいたら、こんなことは思いつかなかっただろう。

 

 ここに来て、本当に良かった。

 

 ――今、ボクのやるべきことが決まった。

 

 玉砕覚悟で突っ込むこと。

 

 突っ込んで、自分の非を認めた上で、自分の主張をぶちまけること。

 

 それで、ライライとの関係が修復されるという裏付けは無い。ヘタをすると、完全に修復不可能な溝が生まれてしまうだろう。

 

 でも、このまま日和っていたら、なおさら元の関係に戻ることはできなくなる。

 

 なら、やってやろう。

 

 どちらを選んでも後悔するなら、せめて後悔しない確率の高い方を選びたいと思った。

 

「ありがとう、ミーフォン。君の存在をここまでありがたく思った事はないよ」

 

 感謝を述べながら、ミーフォンの頭をそっと撫でた。

 

 途端、彼女はさっきまでの引き締まった表情を一転、にへらーと夢見心地に笑いながら、

 

「えへへー。お姉様ぁ、今でも十分幸せですけど、もう一つご褒美が欲しいです」

 

「何がいいんだい?」

 

「チューして欲しいです」

 

「いや、それはちょっと」

 

 ふふふっ、と二人顔を見合わせて笑声をもらす。

 

「――(ホン)、何やってる!? 朝食セットができたぞ! 早く運べ!」

 

 そこで、カウンター奥から苛立つような男の声が響いてきた。店主のだろう。

 

「あ、すみません! ただいま! ……というわけでお姉様、あたしはこれで」

 

「うん。お仕事頑張って」

 

「はいですっ」

 

 元気よく返事すると、ミーフォンはトレイを拾い、店内へ駆け足で向かった。

 

 が、その足が途中でピタリと止まった。

 

 彼女はボクの方を振り返ると、

 

「あの、お姉様、言い忘れていた事がありました」

 

「なんだい?」

 

 心配そうな顔で言ってくるミーフォンに、ボクの心に何か不穏な感じが生まれる。

 

「その、昨日、客の話を小耳にはさんで知ったんですけど……最近、この【滄奥市】で「武法士狩り」が横行してるらしいです」

 

「武法士狩り?」

 

「はい。なんでも、最近あるデカい【黒幫(こくはん)】が分裂したみたいで、その結果生まれた新興の組織が、自分たちの名を手っ取り早く上げるために、有名な武法士を潰しまくってるんですって」

 

 【黒幫】というのは、この国におけるマフィアのような組織のことだ。

 

 一口にマフィアと言っても、大小様々な組織が存在し、またその性質も組織によって異なる。

 

 まさしくヤクザの典型と呼べる粗暴な【黒幫】もあれば、仁義を重んじる質実剛健な【黒幫】も存在する。……まあ、ぶっちゃけ前者が大半だが。

 

「その……お姉様が予選大会の決勝まで勝ち進んだことは、この辺じゃもう知らない人はほとんどいません。もしかしたら、お姉様も狙われるかもしれません。お姉様なら平気だと思いますけど……その、念のため、気をつけてくださいね」

 

 そこまで言うと、ミーフォンは今度こそスカートを翻し、店内に入っていった。

 

「武法士狩り、か……」

 

 思わず呟きをもらす。

 

 そういえば昨日、衆人の視線の中で、突き刺すような眼光が一つあった気がする。それってまさか……。

 

 いや、そうとは限らないだろう。ボクの気のせいかもしれないし。

 

 それより、今はライライの事が優先だ。

 

 これからの行動のため、たらふく英気を養うとしよう。

 

 

 

 

 

 ボクは朝食セットをお腹に収めてから、店を出た。

 



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ライライの葛藤

 宮莱莱(ゴン・ライライ)は、『商業区』の街路を急いた歩調で歩いていた。

 

 太陽の位置がもうすぐ垂直に差し掛かる時間帯。道行く人々の密度も濃くなってきており、それらの僅かな隙間を縫って進んでいる。

 

 目的地は、ない。

 

 ただ、【滄奥市(そうおうし)】の中をあてもなく徘徊しているだけだ。

 

 すでに二時間以上歩き続けているが、日頃の鍛錬ゆえに足には疲労のだるさを一切感じない。

 

 内に渦巻くわだかまりを少しでも払拭するべく、足を動かしていたかった。

 

 しかし、わだかまりは落ち着くどころか、より一層の濃霧となって心を汚染していた。

 

 ライライは桜色の唇の下で切歯する。

 

 『――強雷峰(チャン・レイフォン)って人』

 

 昨日、シンスイの放った衝撃的な告白が、まるで数分前に聞いたばかりであるかのように色濃く頭に残留していた。

 

 今まで自分が仲良く接してきた友人は、実は長年追い求めてやまない父の仇の弟子だったのだ。

 

 その事実にライライはひどいショックを受けた。被害妄想であると分かっていても、騙された気分を感じずにはいられなかった。

 

 その上、もう一つショッキングな真実を突きつけられた。

 

 仇敵、強雷峰(チャン・レイフォン)が――すでにこの世を去っていたことだ。

 

 自分が必死に己の武を研鑽している間に、あの男はすでに地獄へ高飛びしていたのである。

 

 この真実は、ライライにかつてない喪失感をもたらした。

 

 自分は父が死んだあの日から、レイフォンの事を一日たりとも忘れたことはなかった。

 

 あの男の声、顔、後ろ姿。それらを刻印のように頭に焼き付けながら、父の形見となった【刮脚(かっきゃく)】という刃を懸命に研ぎ澄ませてきた。毒を盛って殺すという手ももちろん考えたが、すぐに切り捨てた。父は正々堂々の試合を行い、命を落としたのだ。仇討ちだからといって邪法に手を染める事は、成功失敗の如何に関わらず、父の名に泥を塗ってしまう行為であると思ったからだ。

 

 だから自分は、愚直に武法を磨く事を選んだ。

 

 あの男が地に倒れ伏す未来予想図を実現するために、努力を惜しまなかった。

 

 だというのに。

 

 ――あの男は、すでに死んでいるとのこと。

 

 憎むべき仇。しかし同時に、自分にとっての道標だった男。

 

 それが喪失した。

 

 あの男が死んだのなら、自分は一体何のために努力してきたのだろう?

 何のために、この大会に参加したのだろう?

 何のために、【あの技】を作ったのだろう?

 

 そう。ライライの胸中に渦巻く喪失感の原因は、目標の喪失だったのだ。

 

 その事が、仇の弟子だったあの少女――李星穂(リー・シンスイ)と揉めた事と重なり、濃霧のようなわだかまりを作り上げていた。

 

 自分はレイフォンの技を直接見ていたわけではない。あの男が作ったという父の亡骸を見ただけに過ぎない。なので、シンスイの武法を見ても、レイフォンの弟子である事に気づくことができなかった。

 

 こんな嫌な偶然がこの世にあるなんて。

 

 彼女には昨日から、ずっと辛くあたっている。

 

 向こうはめげずに何度も話しかけてきたが、自分はそのすべてを拒絶した。

 

「…………っ」

 

 ライライは苦虫を噛み潰したように顔を歪める。

 

 それは、苛立ちから来る表情。

 

 しかし、それはシンスイに向いた感情ではない。

 

 ――あまりに狭量な、自分自身に向いたものだった。

 

 本当は分かっているのだ。

 

 自分の彼女に対する態度が、理不尽なものであることくらい。

 

 はっきり言って、自分が彼女に当り散らすのは、お門違いの最たるものである。

 

 確かに、シンスイは父の仇、強雷峰(チャン・レイフォン)の門弟。

 

 しかし――”それだけ”だ。

 

 近しい人物である事は確かだが、あの男本人ではない。

 

 彼女は、あの気性が激しく好戦的な人格のレイフォンとは似ても似つかない。

 

 病的なまでの武法オタク。しかしそれでいて明朗で、大らかな性格の少女。

 

 そんな彼女を自分は微笑ましく、そして好意的に思っていた。会ってまだ数日だが、まるで可愛い妹分ができたような気分にさえなった。

 

 それなのに、ただ仇と近しい関係だったというだけで手のひらを返し、散々口汚く罵って拒絶した。彼女は何も悪くないというのに。

 

 自分の心の狭さに腹が立って仕方がない。

 

 でも、それでも、ただレイフォンの弟子だったというだけで、彼女をいとわしく思っている自分も心のどこかに確かにいる。

 

 彼女に謝りたい。

 彼女を遠ざけたい。

 矛盾する二つの感情が一つの(うつわ)に入り混じり、ものすごく気持ち悪い。泥の塊を飲み込んだような不快感が残って抜けない。

 

 いつの間にか、自分の足はこの町の中心にある『公共区』の石畳を踏んでいた。闘技場が建っている場所だ。

 

 『商業区』の過密ぶりに比べ、ここの人通りは比較的落ち着いていた。閉塞感が無く、手足を振り回しても迷惑のかからない余裕がある。

 

 しかし、そんなライライの周囲を、突如数人の男が囲い込んだ。

 

 岩のような面構え、堂々たる体格、ところどころに見える小さな刀傷。どう見ても堅気とはいえない風貌の男たちだった。

 

「……何か御用かしら?」

 

 ゆえに、ライライは否応なしに警戒心を抱かされる。

 

 全員に共通する特徴である、背筋に棒でも仕込まれたかのように整えられた姿勢、地面に吸い付くような重心の安定感を持つ足――武法士の身体的特徴――も、警戒心を強める要因だった。

 

 男の一人が、ひっひっ、という気味の悪い笑声を口元から漏らしつつ、

 

「あんた、宮莱莱(ゴン・ライライ)だろ? ちょいとツラ貸してくれねぇか?」

 



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押し寄せる悪意

 正午。

 

 ボクは周囲をしきりにキョロキョロしながら、『商業区』の人波の間を縫って歩いていた。

 

 両側頭部のツインテールを何度も振り乱しつつ探しているのは、言わずもがな、ライライである。

 

 団圓菜館を出た後、ボクはすぐにライライを探し始めた。

 

 ミーフォンのおかげで、もう迷いも負い目もなかった。

 

 すぐにでも会いたい。会って、今度こそ対等な立場で話したい。

 

 自分の苦い過去を持ち出してまでボクを鼓舞してくれたミーフォンのために、そして、ボク自身のために、今日中に必ずライライを捕まえるんだ。

 

 ……と、張り切って探しに出たまでは良かったが、未だに彼女の姿は見つかっていなかった。すでにかれこれ二時間以上探しているにもかかわらず、だ。

 

 無理もない、と思った。【滄奥市(そうおうし)】はかなり大きな町だ。おまけにその半分を占める『商業区』はこんなにも人で溢れかえっていて、そのせいで視界を遮られてうまく見えない。

 

 極めつけに、ライライは『順天大酒店』にはいなかった。つまり、今もどこかで移動を続けているということ。

 

 町は広くて混んでて、目的の人は移動中。探す条件としては最悪の一言に尽きる。

 

 【武館区(ぶかんく)】や『住宅区』には、一時間ほど前に探りを入れた。『商業区』とは打って変わって空いていて動きやすかったが、見つかるかどうかとは話が別だった。なので、やむなく『商業区』に戻ってきちゃったのである。

 

 すでにボクはヘトヘトだった。肉体的にはまだまだ頑張れるが、散々人波にもみくちゃにされてしまったので、精神的に磨り減った感じだ。体力はあるけどもうあんまり動きたくない、といった具合である。

 

「一回休もう……」

 

 ボクは休憩のため、『商業区』を出て『公共区』へとやって来た。ここの方が空いているからだ。

 

 大きな筒のような形状をした『闘技場』まで到着。その巨大な日陰の中に入り、壁際で体育座りした。

 

 目を閉じ、全身を緩め、心もリラックスさせる。しかしそのまま寝てしまわないように気をつける。一応、女の子だからね。

 

 が、その時、なーう、という猫の鳴き声が耳を震わせた。

 

 目を開けると、ボクのすぐ前には一匹の猫がいた。

 

 ニョロニョロとヘビのように尻尾を波打たせている、真っ黒な猫。その光沢のある真っ黒ボディの中、綺麗な金目二つだけが輝いていた。まるで夜空にきらめく星のようである。かなりの美人さんだ。

 

 思わず、その猫の顎を人差し指でちろちろ撫でた。喉元が振動し、ごろろろ、という音が聞こえる。

 

 ボクは癒されると同時に、その猫に強い既視感を持った。

 

「……あっ。おまえ、もしかしてあの時のうちの一匹……?」

 

 そう。この黒猫は『鈴』の奪い合いの最中、『闘技場』の前でケンカしていた二匹の猫のうちの一匹だった。

 

 この子が叫んだおかげで、鈴持ちである事がバレてしまって散々だった。

 

「ま、もう済んだ事だし、許してあげようじゃないか。ボクの心が広くて良かったね」

 

 ボクは黒猫の頭をそっと撫でた。すると、目元を気持ち良さそうに細めた。なんだかミーフォンを彷彿とさせるリアクションだった。

 

「待ってー!」

 

 そこで、幼い女の子の声が聞こえてきた。とてとてと軽めな足音が近づいてくる。

 

 視線を猫から上へ向けると、視線の少し先で、一人の女児がこちらへ向かって駆け足で来ていた。ボクと違って耳の下辺りで結ぶタイプのツインテールで、まだ丸みの残った顔の輪郭と、ボクよりもずっと低い身長から考えるに、年齢はおそらく七、八才くらいだろう。

 

「もー、黒虎(ヘイフー)のばかっ。どうしていつもいなくなっちゃうの?」

 

 女の子は黒猫のもとまで来ると、その腰周りに腕を回して抱きついた。

 

 黒虎(ヘイフー)ってその猫の名前? 何それカッコイイ。

 

 女の子はボクの存在に気づくと、頭をぺこりと下げつつ舌っ足らずな口調で、

 

「あ、あの、ありがとう、お姉ちゃん。この子を捕まえてくれて」

 

「いやいや、別に捕まえたわけじゃないよ。この子が勝手に寄ってきたんだ」

 

「そうなんだ。……あれっ?」

 

 そこで女の子は口を止め、ボクの顔をジッと見てきた。食い入るように。

 

「お姉ちゃん、どこかで見覚えが……」

 

 独り言なのかそうでないのか、女の子がそう呟く。

 

 な、なんだろう。この子は一体何に気づいたんだ。ボクはその幼い眼に思わずたじろぐ。

 

 次の瞬間、女の子は覚醒したように目を見開き、嬉々とした表情で声を張り上げた。

 

「――やっぱりそうだ! お姉ちゃん、明日決勝戦で戦う李星穂(リー・シンスイ)選手だよね!? 髪型変わってるけど、お顔がおんなじだもん!」

 

 あー、なるほど。そういうことか。そういえばボク、もうすっかり有名人なんだっけ。

 

 しらばっくれても意味がないと思ったボクは、女の子の言葉を肯定した。

 

「うん、そうだよ。ボクが李星穂(リー・シンスイ)さ」

 

「やっぱり! あ、あの……李星穂(リー・シンスイ)選手……」

 

「シンスイでいいよ」

 

「は、はいっ。あの、シンスイお姉ちゃん……あ、握手、して……欲しいなって」

 

 尻すぼんだ声でそう言いつつ、もみじみたいにちっちゃな手をおそるおそる差し出してきた。その顔は恥ずかしさと、おっかなびっくりな感じの両方が混じっていた。

 

 どうしよう。こんなちっちゃい子に握手求められちゃったよ。なんだかスターみたいな扱いで少し恥ずかしい。

 

 でも悪い気はしなかったので、ボクは力が入らないよう、ちっちゃい手をそっと握った。

 

「はわぁ……!」

 

 女の子は心底嬉しそうな笑顔を浮かべ、声をもらした。

 

 こ、ここまで喜んでもらえるとは。結構嬉しいかも。

 

 ボクは女の子の頭を撫でながら、

 

「明日の試合、応援してね」

 

「うん! 頑張って、シンスイお姉ちゃん!」

 

 にごり一つ無い純真な瞳を輝かせ、元気いっぱいに応援の言葉をくれる。

 

 可愛いなぁ。ボクはさらにその頭を撫で回した。

 

「あ、あのね、実は宮莱莱(ゴン・ライライ)選手もさっき見たの。でも、なんだか凄く怖い顔してたし、それになんだか怖そうなおじさん達も一緒だったから、話しかけられなくて……」

 

 上目遣いで見上げながら発せられた女の子の言葉に、ボクの心臓が唐突に高鳴った。

 

「お嬢ちゃん、ライライを見たのかいっ? どこで?」

 

 押し迫るようなボクの質問に、女の子はたじろぎながら答えた。

 

「う、うんと、十分くらい前に、この『公共区』で見たの。なんだか怖い顔したおじさん達がいっぱい出てきて、ライライさんを輪っかみたいに囲って、そのままどこかに行っちゃったの」

 

 その情報を耳にして、ボクは胸騒ぎのようなものを感じた。

 

 ――怖い顔したおじさん達。

 

 ライライにそんな知り合いがいるとは思えない。

 

『最近、この【滄奥市】で「武法士狩り」が横行してるらしいです』

 

『あるデカい【黒幫(こくはん)】が分裂したみたいで、その結果生まれた新興の組織が、自分たちの名を手っ取り早く上げるために、有名な武法士を潰しまくってるんですって』

 

 ミーフォンの教えてくれた情報が、ナイスタイミングで思い起こされる。

 

 ライライも決勝進出者。つまり、今のこの町ではボクと同じくらい有名なはずだ。

 

 もしかすると、彼女はその新興の組織に目を付けられ、連れて行かれたのかもしれない。

 

 杞憂である可能性は否めない。

 

 でも、ボクのカンが当たっている可能性も捨てきることができなかった。

 

 ボクは女の子を怯えさせないよう、つよめて冷静な口調で訊いた。

 

「どっち方面に行ったか分かるかい?」

 

「えっとね、あっち!」

 

 女の子が細い指を向けたのは、【武館区】のある方角だった。

 

 ボクは跳ねるように立ち上がると、

 

「ありがとう! 後でお礼にサインをあげるよ!」

 

 そう言い残し、【武館区】めがけて疾走した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「こんな所に連れてきて、どういうつもりかしら?」

 

 宮莱莱(ゴン・ライライ)は、氷の茨のような声色で周囲の男たちに訊いた。

 

 そこは四角い煉瓦造りの一階建ての前に広がる、正方形の中庭。建物のある位置以外はすべて硬い土塀で囲われており、その内側に広がったこの中庭には家具どころか、石ころ一つ転がっていない。ただ平たい土質の地面が敷いてあるだけの殺風景な空間。

 

 自分と、その周囲に立つ十数人もの男達は、皆等しく同じ地面を踏んでいた。

 

 男達のほとんどは剣や槍などで武装している。ナンパなどといった平和的要件でないことは明白だった。

 

「実は俺ら、あんたに一目惚れしたんだ! ――なんて話じゃもちろんないぜ?」

 

 リーダー格である男が両手の刀を磨り鳴らしながら、おどけた口調で言う。つられてその他全員がゲラゲラと品なく笑い出した。

 

 ライライはそんな連中の態度に眉をひそめながら、

 

「煌国語が通じないのかしら? 「どうしてこんな所に連れて来たのか」って聞いてるのよ。今、私凄く機嫌が悪いの。返答によっては全員蹴り飛ばすわよ」

 

「言うねぇ。鼻っ柱の強い女はおじちゃん大好きよ。組み敷いて屈服させた後の達成感が半端じゃねぇからな」

 

「あなたの好みなんて訊いてない。サービスでもう一度言ってあげるわ。どうして、私を、こんな所に、連れて来たの?」

 

 この無学そうな連中にも分かるよう、区切りを設けながら質問を突きつける。

 

 すると、リーダーはその岩のような顔貌を嗜虐で歪め、言った。

 

「簡単だよ、宮莱莱(ゴン・ライライ)。――あんたを潰すためさ」

 

「……私を? 何のために?」

 

「俺たち【看破紅塵(かんぱこうじん)】の名前を上げるためさ。あんたにゃそのための生贄になってもらう」

 

 ライライの頭に、電撃的に確信が芽生える。

 

「あなたたち……【黒幫】?」

 

「ご名答。だがまだ立ち上げたばっかりの新興組織でね、他の【黒幫】に比べるとまだまだ力不足が否めねぇ。それを改善するためにまず必要なモンって、なんだか分かるか?」

 

「……名声、ね」

 

「そうさ。ヤクザ者の世界で威張り散らすにせよ、部下の数を集めるにせよ、まずは実績に裏打ちされた名声が必要だ。だが今の俺たちの戦力じゃ、他の組織と戦争してもはっきり言って勝ち目はねぇ。そこで考えたのよ。名の知れた武法士に狙いを付け、そいつを叩きのめすことで、手っ取り早く名前を上げようってな」

 

 リーダー格の男が言うセリフには、意外にも説得力があった。

 

 武法士には、表の世界と裏の世界のあわいを徘徊しているような、曖昧な立ち位置の人物が多い。名の知れた武法士は特にそれが顕著である。

 

 あの憎き最強の魔人、強雷峰(チャン・レイフォン)もそうだ。あの男は有名な【黒幫】をたった一人で潰したという過去があるため、裏の世界でもすこぶる恐れられている。

 

 ライライは冷たい声色の中に、諭すような語り口も混ぜて言い放った。

 

「言っておくけど、私は予選大会の決勝まで勝ち残った程度の若輩者よ。あなた達が食べるにはいささか味が物足りないと思うけれど」

 

「へへっ、構わねぇさ。味が物足りなかったとしても、無味ってわけじゃねぇんだ。それに最近、活きのいい獲物がめっきり減っちまってなぁ、少しでも餌が欲しい気分だったのさ」

 

 どこまでも手前勝手な事を言う。

 

 これ以上付き合う義理も意味もないので、ライライは早々に出ていきたかった。

 

 しかし、外と唯一繋がる鉄の正門はすでに施錠されている上、周囲の男たちも自分を逃がさない気満々の様子だった。

 

 どうやら全員叩きのめさない限り、出られる見込みは薄いようだ。

 

 それを確信したライライは大きく息を吸い、そして気持ちを足元に落とす感じで深く吐いた。馬が蹄を翻すように、片足を小刻みに後ろへ振り動かす。

 

「よしよし。ようやくやる気になったかい。そうこなくっちゃなぁ」

 

 リーダーはニヤリと笑い、二つの刃を顔の前で交差させる。ゆるく反った三日月状の片刃剣。片手持ちのソレらを左右の手に一本ずつ持っている。「双刀」という武器だ。

 

 ライライの胸中は闘志に満ちていた。戦わなければいけないと分かった以上、なおも不平を吐くのは愚かしい。なら、戦いに意識を集中させたほうが有益だ。

 

 それに、連中にも言ったが、今の自分は機嫌が悪い。

 

 この戦いは、やり場の無い思いをぶつける対象としてちょうど良い。

 

 元を正せば、向こうから仕掛けてきた事だ。せいぜい鬱憤晴らしに利用させてもらうとしよう。

 

 中庭にぽつぽつと立った男たちから、次々と殺気が発せられ、こちらに伝わる。まるで水面に無数の砂利が落ち、水の波紋がいくつも生まれているみたいだった。

 

 今は無数の波紋だけで済んでいるが、いずれ膨大な水しぶきが舞うだろう。まさしく一触即発の雰囲気。

 

 ――やがて、爆ぜた。

 

「キェアアアァァァ!!」

 

 真後ろにいた男が、槍を一閃させてきた。

 

 鈍銀の刺突を、ライライは体をねじって回避。そのまま槍のリーチ内に入ると、持ち主めがけて疾走し、その胸部に渾身の足裏を叩き込んだ。男の足が大きく後方へスライドする。

 

「……っ」

 

 鋼板を蹴ったような感触に、ライライは舌打ちする。どうやらこちらの手を読んで、事前に【硬気功(こうきこう)】をかけていたようだ。

 

 腐ってもヤクザ者。場慣れしているようだった。

 

「うらぁ!!」

 

 真横では次の攻撃が開始されていた。その男がこちらへ迫りながら振り上げているのは、先端に大きな(うり)状の(おもり)がついた長い棒。「金瓜錘(きんかすい)」という武器だ。

 

 スイカほどの鉄塊が、銀の軌跡を残して流星のように飛んできた。

 

「ハッ!!」

 

 しかし、長年鍛えあげたライライの蹴りの前では玩具でしかなかった。鋭く振り上げた上段蹴りが錘と衝突した瞬間、錘と棒の付け根の部分が小枝のようにへし折れ、二つに別れた。

 

 唖然としている隙を突く形で、男に回し蹴りを叩き込んで吹っ飛ばす。

 

 さらにライライの攻勢は続く。宙を舞った金瓜錘の錘に狙いを定めて、思いっきり蹴飛ばした。錘は大砲のような速度で直進し、遠く離れた位置にいた棍使いの男の顔面に直撃。意識を刈り取った。

 

 今度の敵は三人。左右と前から槍の先端が素早く向かってきた。ライライは唯一の逃げ道である後方へ大きく跳んで、三つの刺突を回避。

 

 避けたと思った瞬間、自分の真後ろに人間一人分の【気】の存在を感知。

 

 さっきの三方向からの攻撃は、後ろで待ち構えていた男の元へと誘い出すための布石だったのだ。

 

「くたばぶらばぁっ!?」

 

 ――が、ライライはそれすらも読んでいた。後ろを一瞥もせぬまま、柄が槍のように長い斧――「大斧(だいふ)」という――を振りかぶった男の腹を足裏で撃ち抜く。派手な呻き、そして真後ろの土塀に物のぶつかる音が耳朶を打った。

 

 そのまま大斧を奪う事もできたが、それはしなかった。【刮脚(かっきゃく)】の専門武器は、リーダー格の男が持っている双刀。大斧のような長く重量のある武器の操作はあまり得意ではないのだ。

 

 しかし、武器を持たずとも、十分事足りる気がした。

 

 ここにいる者たちは全員、明らかに修行不足だ。連携や起点は良いが、体術の練度の甘さがすべてを台無しにしている。勢いはあっても、鋭さに乏しい。

 

 所詮この連中にとって、武法はただの手段でしかないのだろう。

 

 長年自分の流派と真摯に向き合ってきた自分との力量差など、比べるまでもなかった。

 

 こんな戦いを長く続けるなど時間の無駄だ。早々にケリをつけてしまおう。

 

 ライライは敵の塊めがけて突っ走る。

 

 途中、両足に【硬気功】を付与。足を覆う素肌の表面で青白い火花が微かに散る。

 

 そして――鉄脚を振り出した。

 

「「「ぐぉあああぁぁぁぁぁ!?」」」

 

 足のリーチ内に入っていた男三人に回し蹴りが直撃。等しく病葉(わくらば)同然に宙を舞った。

 

 片膝を上げ、横合いからやって来た柳葉刀(りゅうようとう)の刃を、【硬気功】のかかった向こう脛で防御。ガキィン、という金属音を耳にしてから、すぐにその刃の主を爪先蹴りで沈下させた。

 

 双手帯(そうしゅたい)を垂直に振り下ろしてきた男を、双手帯の刃ごと蹴り飛ばす。

 

 ライライは破竹の勢いで、敵の数を一人、また一人と減らしていった。

 

 ――いける!

 

 このままこの勢いを維持すれば勝てる。

 

 そこで、両足に集まっていた【気】が薄まるのを感じた。

 

 ライライが再び両足に【硬気功】を施そうとした時だった。

 

「――えぐっ!?」

 

 思わずえづく。喉元に、横線状の何かが強く食い込む感じがしたからだ。

 

 見ると、自分の左右両側にいる男たちが、互いに縄の先端を持ち合い、ダッシュしてこちらの首に思いっきり引っ掛けていた。

 

 頭が揺れ、一瞬、泥酔時のように気分が揺らぐ。かと思えば後方へ大きく転がっていき、戸が開け放たれている煉瓦造りの建物の中へと吸い込まれる。その内壁にぶつかったことでようやく止まった。

 

 建物の中は何も無い、中庭同様に殺風景な空間だった。一言で言い表すなら「何も入っていない倉庫」といった感じである。日光を入れられる穴は、自分が入った戸口以外に、天井付近に三つほど並んで穿たれた小さな長方形の穴のみ。そのせいか埃っぽく、カビ臭い。

 

 ばたばたばたばたっ、という多重した足音が室内に押し入って来るのを耳にしたライライは迅速に立ち上がる。

 

 リーダー格の双刀使いを含む、八人の男たちが屋内に入っていた。

 

 入口は、すでに(かんぬき)を通して固く閉ざされていた。光源は天井付近に開いた三つの穴だけとなったため、薄暗い。

 

 軟禁状態にするつもりだろう。だがそれは愚策だ。こちらが逃げられないのと同じように、相手もまた逃げる事ができなくなったのだから。

 

 八人の男は、懐から布袋を一つ取り出したかと思うと、それを一斉にこちらへ投げつけてきた。

 

 ライライは素早く横へ動いた。飛んできた袋は全て煉瓦の壁に直撃し、ぺちゃんこになった。

 

 そして、その中からもうもうと濃密な白煙が発生。白煙はあっという間に部屋全体を埋め尽くし、濃霧のように視界を遮った。男たちの姿が霞んで見える。

 

 ライライは毒霧かと思って一瞬焦ったが、吸い込んで舌で味わい、その正体をすぐに見破った。

 

 これは――穀粉(こくふん)だ。

 

 どうしてこんなものを?

 

 だが、それを呑気に考えている暇はなかった。リーダーの双刀使いが二つの白刃をむき出しにしながら、こちらへ鋭く近づいた。

 

 無駄だ。そんな薄弱な刃、足に【硬気功】をかけ

 

 

 

 

 

 ――――駄目だ。出来ない。

 

 

 

 

 

 ライライは丹田への【気】の集中を慌ててとりやめた。

 

 確かに【硬気功】のかかった足による蹴りならば、刃を粉砕しつつ、この男を仕留める事ができるだろう。

 

 しかし、駄目なのだ。今【硬気功】を使ったら、取り返しのつかない事態に陥る可能性がある。

 

「死ねやぁ!!」

 

 リーダーの殺伐とした気合いの掛け声で、我に返る。

 

 しまった。反応が遅れた。

 

 ライライは決死の思いで後ろに跳ぶが、片刃の射程圏内から逃げきれず、左の二の腕に切り傷を負うハメになった。雀の涙ほどの血滴が、白濁した空間を花弁のように舞う。

 

「っ……! このっ!!」

 

 焼けるような痛みをこらえつつ、負けじと前蹴りを突き出す。

 

 しかしリーダーはその苦し紛れの蹴りを軽やかに回避。

 

 そして、虚空に出された蹴り足に、敵の一人が投げた細い縄がぐるぐると巻き付いた。「流星錘(りゅうせいすい)」――掌で包める程度の大きさを持つ瓜型の錘を、細い縄の先にくくりつけた武器。錘を相手にぶつけるだけでなく、縄を相手の四肢に絡みつかせて束縛するのにも使える。

 

 そして流星錘を持った敵は、後足に重心を移し、ライライの足を思いっきり引っ張った。

 

「きゃあっ!?」

 

 ライライは盛大に重心を崩し、前に引き寄せられた。

 

 流星錘に掴まれた片足を前に出しながら虚空を漂い、双刀使いのリーダーの元へと体が移動していく。

 

 「蹴り使いが足を取られた」という事実に、屈辱を感じる暇さえなかった。

 

 リーダーの姿はすぐに視界の九割を占め、そして、

 

「カッ!!」

 

 踏み込みと同時に鋭敏に放たれた肘が、ライライの腹の中央をえぐった。

 

「えぁっ……!」

 

 人間大の鉄球が高速でぶち当たったような衝撃、鈍痛。

 

 肘による【勁擊(けいげき)】をまともに食らったライライは腹の空気を絞り出され、思いっきり後ろへ弾き飛ぶ。しかし片足に巻かれた流星錘がそれを途中で止め、埃の溜まった石の床に背中から落ちることとなった。

 

 ライライはそのまま、激しく咳き込んだ。痛みの余韻は、なおも腹部に濃く残っていた。

 

「――どうだい? 俺らはこのやり方で何人も仕留めてきたのさ。」

 

 リーダーは苦悶するライライを見下ろし、そううそぶいた。

 

 ライライは目を苦痛で食いしばりながら、穀粉をぶちまけた連中の狙いを確信していた。

 

 ――武法士が使う【気】とは、電気的性質を持ったエネルギーだ。

 

 ゆえに【気】は、何かを燃やすための火種にもなり得る。【送気法(そうきほう)】の功力が高い者なら、発した【気】で着火剤に火をつける事も可能だ。

 

 そう。【気】は物を燃やせるのだ。――この密室に舞う穀粉さえも。

 

 小麦粉やとうもろこしの粉といった可燃性の塵が煙のように漂う場所で【気功術】を使うと、【気】がその塵に引火し、粉塵爆発を起こす危険性がある。それで焼死した武法士もいるのだ。

 

 必ずしも火がつくわけではない。しかし、爆発する可能性がある以上、不用意に【気功術】を使うのは愚の骨頂だ。武法とは、戦い、生き残るための技術。その技術で自分を殺してしまっては本末転倒。よほどの馬鹿か命知らずでない限り、この状況下で【気功術】を使おうとはしない。

 

 ――この連中は今まで、そんな武法士の堅実さを逆手に取ってきたのだ。

 

 リーダーはライライの傍らでしゃがみ込むと、

 

「えーっと、こいつの性別は女で、今は……」

 

「今、ちょうど昼の一時になった所ですぜ、御頭(おかしら)

 

「そうかい、恩に着るぜ。なら、今の【麻穴(まけつ)】はここだな」

 

 言うと、リーダーは人差し指を曲げて第二関節を(やじり)のように尖らせ、ライライの左鎖骨の下辺りへ深々と突き刺した。

 

 痛みを感じるとともに、四肢との疎通が途切れるのを感じた。

 

 全身が微動だにしなくなった。手足どころか、指一本さえ全く動かせない。まるで自分の体が自分の物でないかのようだ。

 

 最悪だ――ライライは強い悔恨で歯噛みした。

 

 今、リーダーが使ったのは【点穴術(てんけつじゅつ)】だ。人体に無数ある経穴(けいけつ)のいずれかを突く事によって、相手の体に何らかの影響を及ぼす技術。武法の技術であると同時に、医療の技術としても使われている。

 

 そして今突かれた経穴は【麻穴】。突くと一定時間全身が麻痺し、動けなくなってしまう。

 

 今の自分はまさしく、まな板の(こい)同然だった。

 

「さて、これから死なない程度にお前さんを袋叩きにしようって予定だったんだがな……」

 

 リーダーはそこで一度言葉を止めた。

 

 かと思えば、極上の獲物を見つけた獣のようにぎらついた眼差しを向けてきた。自分の太腿、腰周り、そして大きく膨らんだ乳房に視線が這うのを感じ、生理的嫌悪感が背筋を駆け上ってきた。

 

 他の男たちも同様の目をしている。

 

 嫌な予感が追い討ちをかけてきた。

 

「そうする前に――食わせてもらうぜ。こんな上玉、女郎屋にもなかなかいねぇからな」

 

 リーダーは双刀を無造作に放ると、もう我慢できないとばかりにこちらへ覆いかぶさってきた。

 

 柔肌にきつく食い込む指と爪の感触から「男」の力を感じてしまい、ライライは吐き気がするほど不快になった。

 

「【麻穴】打たれても声は出せるからよ、せいぜい可愛く啼いてくれよ」

 

 小刻みに荒い息をしながら、リーダーは下卑た口調で言った。

 

 汗ばんだ無骨な手が、太腿のラインをなぞりながら、股下へと近づいていく。

 

 これ以上無いほどの怖気が立った。

 

 ライライの心中は、焦りと、そして女としての本能的恐怖で荒波のようにざわついていた。

 

 このままじゃマズイ。

 

 今の自分では何も出来ない。

 

 誰かの助けが必要だ。

 

 ただの武法士じゃダメだ。もっと腕の立つ人物でないと、この連中に返り討ちにされる。

 

 そう、例えばあの少女、李星穂(リー・シンスイ)のような――

 

 

 

『うるさいって言ってるのよ!! この――大量殺人者の弟子っ!!!』

 

 

 

 まるで計ったようなタイミングで、過去に自分の吐いた悪罵が脳裏をよぎった。

 

「……は、はは…………」

 

 口元が、自嘲めいた笑みを形作る。

 

 何を甘ったれた事を考えていたのだろう。

 

 あんな酷い言葉をぶつけておいて、助けて欲しいなどと。

 

 厚顔無恥にも程がある。

 

 この【滄奥市】に来て以来、たびたび行動を共にしてきたあの少女は、今は自分の隣にはいない。

 

 当然だ。自分が一方的に突き放したのだから。

 

 ――これはきっと、報いなのだ。

 

 彼女は何も悪くないのに、父の仇と同一に捉え、そして手酷く拒絶した。その醜い行為への報い。

 

 何度も自分に構ってくれた彼女の気持ちを切り捨てた報い。

 

 この状況は、この馬鹿な女にふさわしい天罰なのではないか。

 

 自分はこれから、女が味わう中で最悪の苦痛を受けるだろう。

 

 今まで汚れを知らなかったこの体を、この男たちの手や舌が暴力的に汚し、征服し尽くすだろう。

 

 五感すべてが、汚らわしい情報で埋め尽くされるだろう。

 

 ――せめてこの男の顔を見ないよう、目だけは閉じたい。

 

 ライライは(まぶた)を下ろし、この残酷な世界に蓋をし始めた。

 

 瞼が半分下りた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ライラァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァイッッ!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、入口の隣の壁が、瀑布(ばくふ)のように爆ぜた。

 



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いいんだよ

 その煉瓦造りの小屋の中からライライの声を耳にしたボクは、その外壁を【硬貼(こうてん)】で思いっきりぶち壊した。戸には鍵がかかっていたので、こんな乱暴な入り方しかできなかった。

 

 激烈な体当たりを受けた煉瓦の壁は木っ端微塵に砕け、ボクの身を屋内に導いた。

 

 途端、霧のような白い煙が視界を覆った。

 

 目の前が白濁するが、おぼろげながら屋内の映像はなんとか視認することができた。

 

 驚いた様子でこっちを見ている、”いかにも”な感じの男が八人。そのうちの一人は、部屋の奥で犬のような四つん這いになっていた。

 

 そして、その四つん這いの男の下で仰向けに倒れる、一人の女性。

 

 白い霧のせいでその姿は霞んで見えるが、彼女は見間違えようもなくライライだった。

 

 ライライの上に乗っかった男を見る。そいつの手は、旗袍(チーパオ)をモチーフにしたようなライライのドレスのスリットをめくり上げ、今まさに彼女の下着に手をかけようとしていた。

 

「――――」

 

 それを見た瞬間、激情が火柱のごとく脊柱を駆け昇った。頭が熱くなる。

 

 気がつくと、ミサイルのような勢いでライライの元へ突っ込んでいた。

 

「ぐぉあっ!?」「わっ!?」「だあっ!?」

 

 途中で何人かを跳ね飛ばすが、知ったことじゃない。勝手に倒れてろ。

 

 そして、ライライを組み敷いている男の腹を勢いよく蹴り上げた。

 

 奇怪な呻きを上げて吹っ飛んだその男には目もくれず、ボクはライライに駆け寄り、その隣でしゃがみこんだ。

 

「ライライ! ボクだよ! 大丈夫!?」

 

「……シン、スイ?」

 

 視線だけをこっちに向け、かすれた声で呟く。彼女の目は「どうしてあなたがここにいるの」とでも言いたげな光を持っていた。

 

 その問いに対する答えは簡単だ。【武館区(ぶかんく)】の人たちにライライを見なかったか聞いて回り、それらの情報を頼りに走り、ここまで到着したのだ。ライライはもうこの町の人たちには顔が割れていたため、居場所をたどるのはそう難しくなかった。今回ばかりはネームバリューに感謝である。

 

 左腕から血が出てるけど、それ以外に大きな怪我は無いようだった。

 

 ――良かった。間に合って本当に良かった。

 

 ライライの冷たい手を、宝物のように抱きしめる。

 

 が、彼女の手は、まるで魂が宿っていないかのようにボクの腕の中からするりと抜け、床に落ちた。

 

 この手の反応、まさか。

 

「もしかして……【麻穴(まけつ)】を打たれた?」

 

「……ええ。そうみたい」

 

 やっぱりそうか。

 

 【点穴術(てんけつじゅつ)】で打つべき経穴の位置は、固定されていない。その人の性別、時間帯によって、打つべき位置が変わるのだ。まるで太陽の黒点が移動するように。

 

 残念ながらボクは【点穴術】に関しては門外漢。なので、症状の回復に必要な経穴の位置が分からない。

 

 打たれて間も無いとしたら、【麻穴】の効果はあと数十分ほど続く。

 

 そしてその数十分の最中、この連中がライライに何をしようとしたか。

 

 答えは――さっきまでの様子を見れば明白だった。

 

 それを確信した瞬間、一度静まっていた怒りが再燃した。

 

「おい、こいつ――李星穂(リー・シンスイ)じゃねぇか?」

 

 男の一人が、ボクを指差しながら言う。

 

「お、マジだ。本物だ。髪型は違ぇけど」

 

「今日はついてんじゃねぇか」

 

宮莱莱(ゴン・ライライ)といいコイツといい、大量だなオイ。早く頂いちまおうぜ。決勝進出者二人を同時に潰したとなりゃ、俺ら【看破紅塵(かんぱこうじん)】の名にも箔がつくってもんだ」

 

 周囲の男たちは各々の武器を鳴らしながら、ギラついた目をボクらに向ける。今すぐにでも向かってきそうな気配が漂っていた。

 

 こいつらは間違いなく、ミーフォンの言っていた【黒幫(こくはん)】だろう。

 

 しかし、そんなことはもうどうでもよかった。

 

 こいつらがライライに酷いことをしようとしたのは事実なのだ。

 

 ――ぶちのめす理由は、それだけで十二分だ。

 

 ボクはゆっくりと立ち上がった。

 

「ライライ、ごめん。ちゃんと後で医者に連れて行くから、しばらくここにいて」

 

「ま、待って」

 

 ライライは慌てたような表情で呼び止めると、一度深呼吸してから、落ち着いた口調で告げてきた。

 

「……ここで【気功術(きこうじゅつ)】は使わないで。この白い煙は穀粉だから」

 

「……そっか。分かった。ありがとうライライ」

 

 小さく微笑みかける。

 

 そして、

 

「一番乗りぃーー!!」

 

 力強く木床を踏む足音と一緒に、真後ろから愉快げな叫びが聞こえた。

 

 ――その瞬間、ボクは一つの戦闘機械と化した。

 

 ボクは一切振り返らないまま、片足を鋭敏に後退。その足に重心を移すと同時に、背中から真後ろの敵へ激しくぶつかった。

 

「おげぁ!?」

 

 耳元で呻きが響いた瞬間、背中に付いていた敵の感触が離れ、後ろの壁から激突音が聞こえてきた。背後の敵への体当たり技【倒身靠(とうしんこう)】が見事に直撃したようだ。

 

 振り返り、次の敵が迫っていることを確認。そいつは引き絞っていた片手持ちの両刃直剣で真っ直ぐ突き込んできた。ボクは体を軽く捻って刺突を回避すると、直剣の(つば)を片手で掴んでから、それを握る男の顔面に足裏をぶち込んだ。

 

 男はひるんで仰向けに傾いて倒れていき、直剣を握る力も弱まる。ボクはその剣をひったくって右手に握るや、稲妻のような迅速さで真後ろに構えた。床と並行に構えられた剣身に、後ろから垂直軌道で放たれた斬撃がガキィン! と重々しくぶつかる。

 

 視線を真後ろへ巡らせると、柳葉刀を振り下ろした格好の男が立っていた。ボクは直剣を傾けて柳葉刀の刃を下へ流しつつ、滑り込むように至近距離の間合いを取る。そしてその腹めがけ、山が猛スピードで滑って直撃するような渾身のエルボーをぶち当てた。【移山頂肘(いざんちょうちゅう)】だ。

 

 ピンボールよろしく吹っ飛んだその男をすぐに視界から外し、振り返る。

 

「このクソアマがっ!!」

 

 やけっぱち気味に飛んできた敵の片刃剣を、ボクは直剣で軽くさばく。重厚な金属音とともに、そいつのボディはがら空きになった。ボクは躊躇なくそこへ飛び込み、左拳による【衝捶(しょうすい)】を激しくヒットさせる。

 

「ぎゃっっ!!」

 

 そいつは火あぶりで苦しむような激しい叫びを一瞬上げると、スピーディーにボクから離れ、壁に激突。しばらく貼り付いてから、ゆっくりと剥がれ落ちるように壁面を離れ、床に倒れ伏す。

 

 部屋を見渡した。立っているのは残り三人。

 

 ボクはまず、その三人の中で最も手近な奴へ鋭く歩を進めた。

 

「うわ!! く、来るなー!!」

 

 そいつは焦った顔で声を荒げながら、柳葉刀を横薙ぎに振る――前にボクがその懐へ飛び込み【衝捶】。倒れる。

 

「お、おいちょっと待て! 俺もう降さ――」

 

 二人目の男は武器を捨てて何か言おうとしていたが、構わず突っ込んで【衝捶】。倒れる。

 

「ま、待ってくれ! 俺が悪かっ――」

 

 構えを一切取らずに何事か喚く三人目の男にも風のように近づき、【衝捶】。倒れる。

 

 ボクはそこで動きを止めると、呼吸を整え、周囲を見回した。

 

 白い粉塵の舞う部屋の床には、ボクが蹴散らした敵が雑魚寝よろしくあちこちで寝転がっている。

 

 しかし、倒れているのは七人。あと一人足りない。

 

 そして、その一人はすぐに現れた。

 

 その残った一人――ライライを組み敷いていた男は、半月状の刀身を持った二本の刀「双刀」の刃を顔前でクロスさせ、その又の間からボクを睨んだ。洞窟の奥から獲物を狙う虎のような鋭い眼光。昨日、『商業区』で感じた視線と同質だった。

 

 ボクは負けじと目つきを鋭角的に細め、睨み返しつつ、

 

「まだやる? これ以上やる意味はないと思うけど」

 

「降参する――と言いてぇ所だが、ここまで損害を出されておいて帰したんじゃ、俺も首領として示しがつかねぇ。だからよ李星穂(リー・シンスイ)、オメェは俺の双刀のサビになってくれや」

 

 まるで威嚇するように、二枚の刃をチンチンと打ち鳴らす男。

 

 ボクは冷えきった表情と声色で、

 

「……あっそ。じゃあさっさと来なよ。当分悪い事できない体にしてあげるから」

 

「まあ待ちな。この場所じゃ【気功術】が使えねぇ。やるんなら、この建物の外に出てからにしようや」

 

「……分かった」

 

 ボクは双刀の男が出した提案に頷くと、さっき壁を壊してできた横穴に向かってゆっくり歩き出した。双刀の男も後ろからついて来る。

 

 穴の前まで着く。

 

 そして――腰を急激に深く沈めた。

 

 頭の位置もそれによって下がり、そしてすぐに頭上で「何か」が風を切って通過するのを感じた。

 

 その「何か」とは、男の放った白刃の横薙ぎ。

 

 ボクは首と肩だけを軽く振り返らせ、不意打ちに失敗した双刀の男に軽蔑の眼を向けた。

 

「――ボクの期待通りに動いてくれてありがとう」

 

 そして、腰を深く落とした状態を維持しながら、間合いを一気に詰める。

 

 右手の刀を振り抜いた状態の男は慌てて対処しようとしたが、ボクの接近の方がずっと速かった。

 

 【震脚(しんきゃく)】で木床を踏み割ると同時に、肩口から激突。

 

「あごぁっっ――!!」

 

 【硬貼】を受けた双刀の男は、猛スピードで後ろへ流された。壁面にワンバウンドしてうつ伏せに着地。床で繰り広げられている雑魚寝大会に参加した。

 

 男は苦痛に歪んだ顔のまま、ピクリとも動かない。

 

 ――終わった。

 

 その事を確認すると、ボクは片手の直剣を放り出す。【硬気功(こうきこう)】無しで戦わなければならなかったため、やむなく慣れない武器を使ってしまった。

 

 雑魚寝した敵を次々と跨ぎながら奥へ進む。

 

 仰向けになったライライの元までたどり着くと、まるで先ほどの荒事など存在しなかったかのような、とびきりの笑みを浮かべて言った。

 

「――さあ、帰ろう。ライライ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、宮莱莱(ゴン・ライライ)はシンスイに背負われながら、その建物を後にした。中庭を囲う土塀の一部は派手に崩壊しており――シンスイが体当たりでぶち破ったらしい――、そこから外へ抜け出た。

 

 ライライはそのまま、【武館区】の病院へと連れて行かれた。

 

 小柄で細身のシンスイが、女にしては長身なライライを背負って歩く。その図は、まるで子供が大人をおんぶしているように見えなくもなかった。正直、周囲の視線に恥じらいを覚えたが、【麻穴】のせいで全身が動かないのだから仕方がない。甘んじておんぶされ続けた。

 

 病院に着くと、医者は数分間の問診をしてから、髪の毛よりも細い(はり)でライライの経穴を何箇所か刺してきた。痛みはなく、それどころか【麻穴】のせいで失われていた全身と脳の疎通が戻り、体が問題なく動くようになった。【麻穴】の効力を解くことのできる経穴を鍼で刺激したからだ。【点穴術】は、【気功術】と並ぶ医師の必修技能。体の不調を回復させる事はもちろん、全身麻酔を行ったりするのにも使う。

 

 さらに左腕の切り傷を治すため、【気功術】による治療も受けた。気功治療は「傷を治す」のではなく「治す力を強化する」ための処置だ。そして武法士は全身の【気】の流れが非常に円滑であるため、自然治癒力は常人よりずっと高い。その二つの要素が強い相乗効果を発揮し、切り傷はその場ですぐに塞がった。

 

 治療費は、シンスイが出してくれた。悪いと思って拒否しようとしたが、彼女は頑として「自分が払う」と譲らなかった。その奇妙な迫力に圧されて、結局払わせてしまった。

 

 病院を出た時、すでに時間は昼過ぎだった。地上と垂直の位置で輝いていた太陽は、すでに西へと傾き始めていた。少し弱まった陽光が、地上の【武館区】を照らしている。

 

 シンスイは喉が渇いたようで、目抜き通りの横に伸びた細い脇道の先にある井戸の前に来た。つるべで水を汲み上げ、たっぷり入った井戸水を何度も柄杓で掬って飲んだ。しまいには少しずつ飲むことがじれったくなったのか、つるべの端に唇を付けてガバガバ飲み出す始末。うら若き乙女の所業とは思えなかった。

 

 さっきまで何事もなかったかのような、呑気な振る舞い。

 

「……どうして」

 

 思わず、そう口からこぼれ出る。

 

 シンスイは美少女にあるまじき豪快な飲みっぷりを一旦やめると、その大きな瞳をぱちくりさせて、

 

「うん? どうしたの」

 

「……どうして、私を助けたの?」

 

 ライライはやや非難がましい語気で訊いた。

 

 分からなかった。

 

 自分は彼女に酷い事を言った。その後も彼女は好意を持って何度も接しようとしてくれたが、そのことごとくを拒絶した。それこそ、愛想をつかされてもおかしくないほどの苛烈さで。

 

 しかし、シンスイは自分の危機を救うべく、駆けつけてくれた。

 

 ライライはそんな彼女に感謝しつつも、それ以上に強い疑念を抱いていた。

 そして、そんな自分自身にまた、呆れと情けなさが募る。

 

 シンスイはライライの質問を聞くと、さっきまでの呑気な表情に真剣さを宿らせて言った。

 

「そうだね……「友達だから」っていう理由もあるけど、それだけじゃない」

 

「えっ……?」

 

「君に、どうしても聞いてもらいたい事があったからだ」

 

 その改まった言い方に、ライライは息を呑んだ。

 

 シンスイは一度大きく深呼吸すると、いきなり腰を深く曲げて頭を下げてきた。

 

「まず、強雷峰(チャン・レイフォン)の弟子として、もう一度君に謝っておきたい。――本当に済まなかった。合法的な決闘だったとはいえ、ボクの師匠が君のお父さんを殺してしまった事は変えようのない事実だ。亡くなった師匠に代わって、そして彼の弟子として、君には下げる頭があまりにも足りない」

 

 一句一句が、誠実な声色で紡がれた謝罪。形式的なものでない事は明白だった。

 

「……だけど、その変えようのない事実を踏まえた上で、もう一つだけ、言わせて欲しい」

 

 そこで突然、シンスイが発言を謝罪から別の方向へと持っていった。

 

 ライライは目を見開いた。先ほどの謝罪よりも、話の方向をずらした今の言葉の方に驚いた。

 

 緊張したようにうつむくシンスイから二の句が出てくるのを、ライライはじっと待った。まだほんの数秒間しか経過していないが、まるで何分も待っているような錯覚に陥りそうになる。

 

 やがて、彼女は意を決したように言った。

 

 

 

「――君のお父さんは、単なる殺人被害者じゃない!」

 

 

 

 その一言は、まるで透き通るように胸の奥へ入っていった。

 

 シンスイは真っ直ぐこちらの目を見ていた。二人の視線が繋がり合い、見えない糸を形成しているような気分になる。

 

「確かにレイフォン師匠は恐ろしくて、戦闘狂かもしれない! 殺した武法士の数も、両手両足の指じゃ全然足りない! だけど、弟子をやってたボクだからこそ、これだけは断言できる! レイフォン師匠は戦闘狂だったけど、断じて殺戮を楽しむような人じゃなかった! そして、武法士同士の真剣勝負にはどこまでも真摯だったんだ! ボクの武法士生命を賭けてもいい!」

 

 シンスイの大きく愛らしい瞳からは、媚びも気負いも一切感じられなかった。どこまでも透き通った、雪解け水のような光。

 

 その済んだ瞳には、自分の顔が淀み無くくっきりと映っていた。

 

 だからだろうか。彼女の言葉は、土に染み込んだ水のように心の奥底まで浸透してくる。

 

「だからこそ、ボクは君に言いたい! ――君のお父さんは、ただ無意味に命を落としたわけじゃない! 武法士同士の、誇りある真剣勝負に殉じたんだ!」

 

 それを聞いて、ライライは雷に打たれたような強い衝撃を受けた。

 

「詭弁だと思っても構わない! ボクや師匠を憎んだままでも別にいい! でも、もし君のお父さんの死が犬死にだと少しでも思ってたなら、その考えはどうか捨てて欲しいんだ!」

 

 シンスイは、まるで我が事のように、そう懇願してきた。

 

 ――詭弁なんかじゃない。

 

 彼女の言うとおりだった。

 

 父は無意味に殺されたわけじゃなかった。一人の武法士として誇りある戦いの場に立ち、果敢に挑み、そして華々しく命を散らせたのだ。

 

 決闘を断る事ならできたはずだ。しかし父はそれをせず、立ち向かった。

 

 それが何よりの証明だった。

 

 自分もそれを分かっていたからこそ、毒殺などという邪道に走らず、正攻法で挑む事を考えたのではないのか。愚直に武法を鍛える道を進んだのではないのか。

 

 そんな初心を、自分はすっかり忘れていた。

 

 そして、今思い出した。

 

 だというのなら、討つべき仇を失ったとしても、自分の生き方は変わらないはずだ。

 

 ――ここが、分水嶺であるような気がした。

 

 永遠に恨み言を吐きながら生きるのか。

 それとも、父のように誇りを持って生きるのか。

 

 ――選択に窮する事はなかった。

 

 無論、選ぶのは後者だ。

 

 自分も、父のようになりたい。

 

 父の形見である【刮脚(かっきゃく)】を大切にし、これからも磨いていきたい。

 

 父のように、自身の武法と戦いに誇りを持ちたい。

 

「そして、ボクが君に言いたい最後の一つ。――明日の決勝戦、お互い悔いの残らないように戦おう。君が一生懸命育ててきた【刮脚】、ボクは是非見てみたい」

 

 シンスイは花が咲くような満面の笑みでそう言った。

 

 その笑顔を目にした瞬間、心の奥底から強い感情が間欠泉のように溢れ出てきた。

 

 ――どうして、そんな風に笑えるの?

 ――私はあなたに、あんな酷い事を言ったのに。

 ――それなのに、あなたはこんな私に、まだそんな風に笑いかけてくれるの……?

 

 瞳にみるみるうち涙が溜まっていき、視界を水面(みなも)のように揺らがせる。

 

「――シンスイっ!!」

 

 気がついた時には、彼女にすがるように抱きついていた。

 

 腰と肩から背中へ手を回し、指が食い込むほどに締め付ける。

 

「ごめん…………ごめんね……!! シンスイ……っ!!」

 

 その小さな肩に顎を乗せ、嗚咽混じりの声で謝った。

 

 大粒の涙滴が絶えず滂沱し、頬を伝って顎に届く。

 

「――いいんだよ」

 

 シンスイは泣くライライの背中をさすりながら、そよ風のような優しい語気でそう言ってくれた。

 

 ライライは何度もかぶりを振り、

 

「よくない……私、大馬鹿だった…………! あなたの事、ずっと色眼鏡で見てたの……!」

 

「いいんだよ」

 

「大量殺人者の弟子、なんて……酷い事言ったのに……!」

 

「いいんだよ」

 

「今も心のどこかに、あなたの事を拒絶する気持ちが残ってるかもしれないのに……!」

 

「いいんだよ」

 

 ふるふると、駄々をこねる子供よろしくかぶりを振り続ける。

 

 シンスイはそんな自分の背中を撫でながら、我が子を慰める母のような優しい声でただただ繰り返した。

 

 いいんだよ、と――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もう、何も悩まない。

 

 自分も父のように、誇りある戦いに身を投じよう。

 

 決勝戦という舞台の上で。

 



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打ち砕く拳、切り裂く脚①

 この【滄奥市(そうおうし)】に来て、特に日は長くない。せいぜい半月いくかいかないか程度の日数しか経っていない。

 

 しかし、その決して長くはない数日間は、非常に密度の濃いものだった。

 

 古流の【刮脚(かっきゃく)】を持つ大人びた少女、宮莱莱(ゴン・ライライ)と出会い、仲良くなった。

 

 【九十八式連環把(きゅうじゅうはちしれんかんは)】の汚名返上を志す少女、孫珊喜(スン・シャンシー)と出会い、ぶつかり合い、そして和解した。

 

 【太極炮捶(たいきょくほうすい)】宗家の娘、紅蜜楓(ホン・ミーフォン)と戦い、勝利したら懐かれた。

 

 皇女という身分を隠して大会に参加していた少女、羅森嵐(ルオ・センラン)と出会い、意気投合した。

 

 ライライと仲違いした。

 

 そして、友情を取り戻した。

 

 まるで中身がよく詰まったスイカのように、この数日間には出会いと驚き、そして事件が溢れていた。

 

 楽しい事もあれば、辛い事もあった。

 

 しかし、今――円形闘技場までの一本道を歩くボクの顔は、笑顔を無理なく浮かべることができていた。

 

 大きな一束の三つ編みを後頭部ではためかせながら、迷いなく一歩、一歩進む。

 

 進む先にある四角い出入り口からは、朝日がまばゆく溢れ、この一本道を照らしていた。奥からは、大勢の人のおしゃべりが多重したガヤが聞こえて来る。

 

 それを見聞きして、ボクは感慨深いものを感じた。

 

 これから、【滄奥市】で過ごした数日間に終止符が打たれようとしている。

 

 時間が経てば、おのずと打たれる終止符。しかし、最後に笑えるのは二人のうち一人だけ。

 

 その終止符の名は――決勝戦。

 

 時間が経つのは早いものである。本当にあっという間だった。

 

 最初に鈴を奪い合い、そしてこれから最後に【黄龍賽(こうりゅうさい)】本戦の切符を奪い合うのだ。

 

 あの四角い光の先で待っているであろう相手と会うべく、ボクは足を少しも止めることなく動かし続けた。

 

 やがてその四角い入口をくぐる。

 

 途端、ボクの周囲全方向が、陽光による強い明るさを得た。円形闘技場とその周囲の情景が、はっきりと姿を見せた。

 

 周囲は円筒のような高い階層で塞がれており、そのうちの一層である客席から、無数の観客が円形闘技場(こちら)俯瞰(ふかん)していた。

 

 彼らの視線は、総じてボクと――もう一人に向いていた。

 

 胸が人一倍大きく、砂時計のような美しいボディライン。毛先にゆるいウェーブのかかった長髪をポニーテールにした髪型。そして、大人びた中にも微かに少女っぽさを残した顔立ち。

 

 彼女こそ、この決勝戦で戦う相手、宮莱莱(ゴン・ライライ)である。

 

「来たわね」

 

 ライライはやって来たボクの姿を真っ直ぐ見て、奥ゆかしく口元を緩めた。

 

 しかし、この柔和な微笑の中に、恐ろしい力を隠し持っている事を、ボクはよく知っている。だから闘志を含ませた微笑みを浮かべ、ライライに返す。

 

 この数日間、彼女の技を何度か目にした。あの蹴り技をあえて言い表すなら、「岩石の圧力を持った強風」。破壊力だけでなく、変化と柔軟さにも富んでいる。重さと軽やかさという、相容れない二つの要素を兼備した奇跡の脚法。あの『無影脚』から厳しい教育を受けただけの事はある。

 

「……ライライ。今更だけど、本当にやるのかい?」

 

「もちろんよ。昨日も言ったでしょう?」

 

 ライライは、父親の仇であるレイフォン師匠が先立ったおかげで、大会にかけた「武名を轟かせて仇を引き寄せる」という目的を失ってしまった。あんまりな言い方をすると、もう戦っても意味がないのだ。

 

 しかし彼女は、戦いたいと言った。仇を追い続けてきたこれまでの人生から軌道修正するための、最初の一戦をして欲しいと。

 

 もし彼女が棄権してくれれば、ボクは決勝戦を不戦勝でパスし、楽に本戦の参加資格を手に入れる事ができただろう。元々ボクは、本戦に優勝して父様に武法を続ける事を認めさせるために戦っていた。ここで不戦勝なら、願ったり叶ったりであった。

 

 けど、「棄権しない」というライライの言葉を聞いた時、ボクはどういうわけか落胆はしなかった。それどころか、凄く嬉しくさえ思えた。

 

 ボクは「仇を打つ」というライライの目的を、内心で心配していた。けど今回、その目的と決別しようとしている。そのきっかけとなれる事が嬉しいのだ。

 

 センランの時といい、今といい、この大会には単純な勝ち負け以外の意味を持つ試合が多かった。

 

「シンスイ、あなたの【黄龍賽】への思いは、昨日すでに聞いているわ。そして、同時に応援してもいる」

 

「……うん」

 

「でも、ごめんなさい。私はわざと負けてあげられるほど、器用な女じゃないの。……戦う前に、それだけ謝っておきたかった」

 

「うん。分かってる。いいんだ」

 

 ボクは柔らかく笑いながら、かぶりを振った。

 

 ライライはお父さんの【刮脚】を本当に大事に思っている。なので、わざと負けることは、【刮脚】の名誉を傷つけてしまうことに繋がる。

 

 そんな彼女の気持ちをくんだボクは、顔の前に左拳を持ってきて――それを右手で包んだ。

 

「【打雷把(だらいは)】――李星穂(リー・シンスイ)

 

 ライライもまた、ボクと同じ【抱拳礼(ほうけんれい)】を行い、祝詞(のりと)のように口にした。

 

「【刮脚】――宮莱莱(ゴン・ライライ)

 

 次の瞬間、銅鑼が高らかに鳴り響いた。

 

 この【滄奥市】で、最後の戦いが始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 【抱拳礼】を解き、最初に行動に移したのはボクだった。

 

 射ち出された一矢のごとく、ライライめがけて突っ込んだ。

 

 彼我の距離は、約一秒弱で、触れ合えるまでに狭まる。

 

 だが、いきなり大技は使わない。

 

 まずは軽く小手調べだ。

 

「せぁっ!!」

 

 前進を止めぬまま、体を時計回りに回転。その遠心力を上乗せした右回し蹴りを振った。

 

 脚という名の鞭が、風を斬り、ライライの左脇腹に迫る。

 

 が、突如ライライの下半身に白い閃きが発生。

 

 ボクの回し蹴りは見事に直撃した――ライライの靴底に。

 

 彼女は迅速に左足を持ち上げ、その足裏で回し蹴りを受け止めたのだ。

 

 その変則ガードに舌を巻く暇はなかった。ライライの左足が唐突に軌道を変え、ボクめがけて飛びかかってきた。

 

 右足を上げているため、足さばきによる回避は出来ない。なのでボクは右前腕部を垂直に立て、それをウエストの捻りによって体の内側へと引き寄せた。

 

 足裏を先にして一直線に向かって来たライライの蹴り足の側面に、ボクの右前腕部が接触。このまま摩擦力で軌道をそらしてやる。

 

 ――しかし、ライライの蹴り足は1厘米(りんまい)も動かなかった。

 

 ボクはとっさの判断で後ろへ跳ねた。

 

 瞬間、ライライの靴底が疾風の速度でボクの土手っ腹にぶち当たった。

 

「ぐっ!?」

 

 強烈な衝撃と鈍痛をその身に受けたボクは、余った勢いで弾き飛ばされる。後ろに跳んだことで衝撃を軽減できたが、それでもかなりの威力だった。まともに受けていたらと考えるとゾッとする。

 

 後傾しそうになったが、なんとか踏ん張って直立姿勢を保ち、両足を踏みしめた摩擦で勢いを殺す。

 

 が、完全に停止した時には、すでにライライが目の前に迫っていた。

 

 その片膝が上がったのを見た時、ボクは本能的に体をねじった。

 

「ふっ!!」

 

 ライライの鋭い吐気が響くとともに、さっきまでボクの正中線があった位置を、一筋の閃光が貫いた。

 

 彼女の放った爪先蹴りが持つ桁外れの速さを間近で見て、怖気が立つのを感じた。

 

 ふと、胸元に涼しさを感じたので見る。なんと爪先がかすったボクの服の胸元は、長い横線状の切れ目がパックリ入っていた。服の中の素肌が、絶壁のような胸とともに見え隠れしている。

 

 女の子らしく恥ずかしがっている暇はなかった。

 

 ライライは杭を打ち込むように蹴り足を着地させる。そしてそこを軸に素早く独楽(コマ)のように回転。背を向けた状態からの振り向きざま、後ろ回し蹴りを仕掛けてきた。その蹴り足は膝が九十度ほど曲がっていて、(フック)のようになっている。

 

 ボクは軽く身をかがめ、そのキックに頭上を通過させた。ライライは比較的高い位置で蹴りを放ったため、彼女より身長が低いボクには回避が容易だった。

 

 空振ったことで、ライライの体は遠心力の運命通りに胴体をさらけ出した。

 

 ここが攻めどころだと瞬時に感じたボクは、拳を脇に作り、後足を蹴って彼女めがけて飛び込む。

 

 正拳突き【衝撃(しょうすい)】が直撃する――

 

「がっ!?」

 

 ――という確信は、突如腹に舞い込んだインパクトによって見事に裏切られた。

 

 目を向けると、ライライが先ほど空振らせた蹴り足をそのまま使い、ボクに前蹴りを打ち込んでいた。体幹の力で遠心力を無理矢理殺し、キックに転じたのだ。

 

 苦し紛れの攻撃だったためか、威力はさほどでもなかった。しかし決して優しくもない。蹴りの勢いのまま、ボクの足は真後ろへ大きくスライドする。

 

 止まった後、ボクはじんじんと残った腹部の痛みを感じながら、我知らず喉を鳴らした。

 

 ――強い。

 

 蹴りの威力や速度がずば抜けている事は知っていたつもりだ。しかし間近で見たことで、初めてそれに明確な驚異を感じられた。

 

 おまけにパワーやスピードだけではない。ライライは自分の両足を、まるで腕と同じような巧みさでコントロールしている。まるで下半身にもう一組、腕が生えているようだ。

 

 その凄まじい蹴り技の嵐からは、彼女のたゆまぬ努力が色濃く感じられた。

 

 ライライはボクに微笑みを向けると、

 

「初めて会った時、私の【刮脚】が見たいって言ってたわよね。どうかしら? 気に入ってもらえた?」

 

「……うん。そりゃもう。めちゃくちゃ凄いし、おっかないよ」

 

「ありがとう。でも、今見せたのはまだまだ毛先の部分よ。これからもっと凄いものを見せてあげるわ」

 

 ライライは口元を不敵に釣り上げて笑う。

 

 …これは、小手調べなんて言ってる場合じゃない。

 

 最初から叩き潰すつもりで行かないと、足元を掬われる。

 

「じゃあ、行くわよ!」

 

 その一言とともに、視界にあるライライの姿が一気にズームアップしてきた。

 

 ダッシュ中に体の右側面をこちらへ向け、蹴りの間合いにボクを捕らえると、助走を込めたサイドキックを一直線に突き出してきた。

 

 ボクは体の位置を右へ少しずらし、猛烈な勢いで押し迫った足裏を紙一重で回避。そしてすぐさま、突き出された彼女の蹴り足をなぞる形で急接近する。

 

 がら空きの胴体に狙いを定め、ボクは踏み砕かんばかりに後足を蹴って加速した。

 

「フンッ!!」

 

 爆ぜるような激しい踏み込み【震脚(しんきゃく)】によって急停止し、正拳を打ち出す。【打雷把】の一技法、【衝捶】だ。【打雷把】では基本に位置する技だが、それでも直撃すればただでは済まない。

 

 ライライはやって来たボクの拳の真下に片腕を差し入れ、そして上げた。それによってボクの拳は大きくすくい上げられ、無力化する。

 

 さらに蹴り足を迅速に引き戻し、踏み込まれたボクの前足の股関節に足刀を押し込んだ。

 

「うわっ……!?」

 

 股関節を骨盤ごと後ろに押されたボクは否応なくバランスを崩し、尻餅をついた。

 

 しかし、のんびりしている余裕はない。ライライのむこうずねが真正面から急激に押し迫っているのだから。

 

 ボクは前腕部を交差させ、その又で蹴りを受けた。

 

 馬鹿げたインパクトが両腕に響くと同時に――派手にぶっ飛んだ。

 

 ゴロゴロと大きく後転しながら、ボクは背筋を凍らせていた。

 

 これほど重たい蹴りを受けたのは久しぶりだ。

 

 こんな蹴りを繰り出せる武法士はそう居ない。仇討ちを目指していただけの事はある。

 

 ボクは転がった状態から流れるように起き上がる。前方を見ると、すでにライライが残り約3(まい)ほどにまで距離を縮めてきていた。

 

 蹴りを受けた両腕が震えている。彼女の蹴りの威力をまだ覚えていて、そして恐怖しているのだ。

 

 しかし、両手を強く握り締めて、震えを無理矢理止める。震えたいなら後で好きなだけ震えればいい。でも、今だけは我慢してくれ。

 

 やがてライライは蹴りの射程内にボクを入れた。そして、何度も鋭い蹴りを連打させてきた。

 

 左右、上下、斜め、あらゆる角度から凶悪な閃きが走る。それらはまるで街灯に群がる羽虫のような不規則さで、ボクの眼前で飛び交う。

 

 ボクは全神経を集中させて、蹴りの嵐を紙一重で避けていく。【打雷把】の修行で鍛えた精密な足さばきの成せる技だ。

 

 しかし時々避け損ね、上半身のあらゆる場所にかすって服に切れ目ができる。

 

 それでも、クリーンヒットだけは着実に避けていた。

 

 幾度も視界に蹴りが行き交う。それらは全て、腰のある位置を下らない、高めの蹴りだった。

 

 だからだろう。――ボクのむこうずねに向かって唐突に放たれた低い爪先蹴りに、うまく反応できなかった。

 

「――っ!!」

 

 弁慶の泣き所に鋭い衝撃を受け、悶絶しそうになる。実際にはしなかったが、痛みによって全身が硬直してしまう。

 

 その僅かな隙を、ライライは回し蹴りによって突いてきた。

 

「あがっ――!?」

 

 莫大なショックが、二の腕を通じて体の芯まで染み渡る。

 

 重量の塊に横殴りされたボクは、大きく真横に飛ばされた。

 

 めちゃくちゃな転がり方をしつつも、なんとかしゃがみこんだ姿勢でストップする。

 

 ボクは激痛の名残を感じながら、手足の調子を確かめる。今のはかなり痛かった。しかし、動けなくなるほどじゃない。まだやれそうだ。

 

 少しぎこちないながらも、ボクは立ち上がって構えを取ることができた。

 

 それと同時に、自分の失念を叱咤する。

 

 ボクはすっかり忘れかけていたのだ。ライライの武法の性質を。

 

 

 

 ――ライライの【刮脚】は、最も古いタイプのものだ。

 

 

 

 現在【刮脚】には、大きく力強い蹴りが主体の【武勢式(ぶせいしき)】と、低く鋭い蹴りが主体の【文勢式(ぶんせいしき)】の二種類が存在する。

 

 ――【武勢式】は、ダイナミックで威力の高い蹴りを連発し、相手の体力を削ぎ落として倒すという戦法をとる。

 ――【文勢式】は、低い蹴り技で武法の命たる足を徹底的に攻めることで、足を破壊もしくは弱らせ、相手を戦闘続行不能に追い込む戦法をとる。

 

 そして、その二つの亜流の元となった古流の【刮脚】は、二つの亜流の性質を同時に持っている。つまり、高い蹴りと低い蹴り、どちらにも長けているのだ。

 

 高い蹴りは体力を削ぎ、低い蹴りは脚力を削ぐ。

 

 今度からは高い蹴りだけでなく、低い蹴りにも気を配らなければならない。

 

 遠く離れていたライライは、再びボクへ向かって疾駆した。

 

 彼女の蹴りの間合いに入る直前、ボクは両前腕部に【硬気功(こうきこう)】をかけた。青白いスパークとともに、両腕は鉄腕と化す。

 

 ライライは細く鋭い吐気とともに、右足による回し蹴りを振り出した。

 

 対して、ボクは蹴りのやって来る左方向に両腕を構えた。それに加えて、足指で大地を強く掴んで立ち、脊椎を弓弦(ゆずる)のように張り詰めさせる。

 

 そして半秒と立たぬ間に、構えられた両前腕部にライライの右足が激しく直撃。空気が爆ぜるように震え、蹴りの衝撃が腕を通して体幹に伝わってくる。

 

 普通ならその場から吹っ飛ぶほどの威力だったが、ボクの立ち位置は全く動いていなかった。【打雷把】お得意の【両儀勁(りょうぎけい)】を用いて、ピラミッドのごとく磐石な重心を得ていたからだ。

 

 受け止めた蹴り足をなぞるようにして、ライライの懐へと潜り込む。

 

「もらったっ!!」

 

 ボクは脇に構えていた右拳を【震脚】の踏み込みと同時に突き出した。【衝捶】だ。

 

「――甘いわね!!」

 

 だが、ライライは軸足となっていた左足を跳躍させ、その膝を真上に突き出す。それによってボクの打ち放った右拳は真下から打ち上げられてしまった。攻撃失敗だ。

 

 滞空中もライライは止まらない。拳を防いだその足を使って、真っ直ぐ爪先を走らせた。

 

「くっ!」

 

 ボクはとっさにもう片方の左手を構え、爪先を受ける。【硬気功】がまだ残っていたため痛みも怪我もなかったが、重鈍な衝撃を手で感じ取った瞬間、地に付いていた足がそのまま大きく後ろへ滑った。

 

 しかし、ボクらの距離はほとんど離れていない。――なぜなら、勢いよく滑るボクを、ライライが追いかけてきていたからだ。

 

 追い討ちをかける気だろう。

 

 ボクは再び【硬気功】で防ごうと一瞬考えたが、すぐにその思考を捨てた。ライライの蹴りは威力が高い。【硬気功】で受ければ無事で済むだろうが、また今みたいに吹っ飛ばされるに違いない。そこを追い討ちされる可能性がある。もしそうなったら同じ事の繰り返し。【気】も無限じゃないのだ。戦いが長期化する事を考慮すると、なるべく無駄遣いは避けた方がいい。

 

 なのでボクはわざと体重を真横にかけて体を横倒しにし、飛んできたライライの回し蹴りをくぐって避けた。

 

 そして横たわった状態のまま全身に捻りを加え、ライライの軸足へ蹴りを放った。しかしその足が跳んで地から離れたことで、ボクの蹴りは空振りに終わる。

 

 両膝を立てながら虚空に浮いたライライは、今なお寝転がったボクめがけて右足の靴底を鋭く撃ち出す。

 

 体を横に転がして蹴りを回避。音並みの速度で飛来してきた靴底は、ヒットした箇所の石敷を容易く破砕した。

 

 機敏に跳ね起き、構えを取った。同時に、ライライも着地する。

 

 ボクが今いる位置は、ライライの背後だった。

 

 攻撃を仕掛けるチャンスと思ったが、すぐに思いとどまり、大きくバックステップした。

 

 ――ボクが飛び退いたのと、ライライの片足がかまいたちのような鋭さで背後へ蹴り上げられたのは、ほぼ同じタイミングだった。

 

 その蹴りは、馬が後ろ足を持ち上げる様子によく似ていた。

 

 ――やっぱり、その技が出たか。

 

 あれは【鴛鴦脚(えんおうきゃく)】。背後にいる敵を攻撃する時に用いる蹴り技だ。【武勢式】にも【文勢式】にも存在する、【刮脚】の代表的な技の一つ。

 

 ライライの攻めは続く。美しくも強靭な両足でカニ歩きのようなステップを鋭敏に刻み、横向きのまま距離を詰めてきた。

 

 彼女が片膝を上げたかと思うと、その足の靴底が視界で急速に拡大した。

 

「うわ!」

 

 ボクは驚き、両腕で顔をガードした。ほぼ本能的な反応だった。

 しかし、蹴りによる衝撃は来ない。

 

 ――と思った瞬間、足の側面から何かがぶち当たり、重心を崩された。

 

「えっ……!?」

 

 ボクは足元を見る。そこにはライライの片足。どうやら足を払われたようだ。

 

 いつものボクなら、こんな簡単に倒されたりはしない。最初の蹴りのせいで、ボクの意識は完全に顔面に集中していた。それによって足元から意識が外れた。そこを狙ったのだろう。

 

 横向きに自由落下する今のボクは、まさに「死に体」だ。地に足が付いておらず、その場から逃げることもままならない無防備な状態。

 

 ライライの片足が動く。

 

 ボクはとっさの判断で、胴体の前で両腕を構えた。

 

「ぐっ――!!」

 

 次の瞬間、衝撃が爆発。

 

 構えられた両腕に、強烈な前蹴りが衝突してきたのだ。腕がもげそうなほどの圧力と鈍痛が、体の内側まで反響したような気がした。

 

 ボクは地に足を付いていなかったため、蹴りの威力のまま弾かれたように吹っ飛んだ。

 

 着地後も、勢いよく転がるボク。しかしなんとか立ち上がった。

 

 当然というべきか、ライライはボクに向かってダッシュで近づいている。一度も休ませてやる気はない。顔がそう言っている気がした。

 

「はああぁぁっ!!」

 

 ライライは裂ぱくの気合いを響かせながら、再び怒涛の蹴りの数々で攻めてきた。

 

 ボクはそれらを懸命に回避、あるいは受け流した。

 

 今度の連続蹴りは、まるで曲芸のようだった。

 

 単純な高い蹴り、低い蹴りという枠にのみ収まらない。

 

 胴体を狙った蹴りかと思えば足元狙い。足元狙いかと思えば胴体狙い。胴体狙いのフリをした足元狙いの蹴り、と思わせた胴体狙いの蹴り。その逆もしかり……

 

 カフェイン摂取済みの蜘蛛が張った糸のごとく変則的な攻撃軌道の数々が、縦横無尽にボクの視界内を踊り狂う。

 

 次の瞬間、

 

「あがっ――!?」

 

 丸太で思いっきり殴られたような衝撃が、両側の二の腕へドドンッ!! と左右交互に叩き込まれた。ライライが両足交互の回し蹴りを、とんでもない速さでぶち当てたのだ。

 

 砕けんばかりに歯を食いしばる。

 

 が、それは蹴りによる痛みのせいではなかった。

 

 

 

 ――すごく気持ち悪い。

 

 

 

 腹の中がよじれるような、凄まじい不快感。胃が捻転し、消化液が嵐の海のように荒れ狂うイメージ。いまにも吐き戻したい気分だ。

 

 これは一体なんなんだ。

 

 考えている時間など与えられるはずもなく、

 

「そこっ――!!」

 

 光線のごとく伸びてきたライライの片足が、ボクの胴体を真っ直ぐ撃ち抜いた。

 

 ボクは勢いよく後方へ弾かれる。地面に落ちた後も、倒れたまま石敷を高速でスライドし、そしてようやく止まった。

 

 体のあちこちが、何かに取り憑かれたようにジンジン痛む。原因不明の不快感もまだ抜けない。しかし意識は失っていない。それが奇跡に思えた。

 

 ボクは重い体を強引に奮い立たせ、しかし口元には満ち足りた笑みを作り、ライライに訊いた。

 

「……さっきの二つの技、ボクは見たことないんだけど……もしかして、古流の【刮脚】の技?」

 

 ライライはご名答と言わんばかりに微笑み、

 

「そうよ。今の二つの技は、古流の【刮脚】にのみ伝わるものだわ。最初の三連蹴りは【三才擊脚(さんさいげききゃく)】。()()(胴体)の順に蹴りを放つ連続技で、最初の顔面蹴りで下半身への注意をそらし、意識が抜けて緩くなった足元を二擊目で払って相手を「死に体」にし、そして三擊目で吹っ飛ばす。高い蹴りも低い蹴りも使いこなせる古流ならではの技よ」

 

「……ちなみに今ボク凄く吐きそうなんだけど、これも君の技のせい?」

 

「ええ。【響脚(きょうきゃく)】の、ね。相手の左右側面へ素早く回し蹴りを打ち込むことで、相手の体内に強烈な揺さぶりをかけ、振動波を発生させる技。【硬気功】でも防げない防御不能の蹴りよ。振動波はしばらく続くから、まだその不快感は消えないわ」

 

 聞けば聞くほど、驚異を感じざるを得ない内容だった。

 

 しかし、ボクはそれと同時に嬉しい気分にもなる。

 

 古流の【刮脚】が持つ技術は、ボクの期待以上に面白く、凄いものだった。

 

 しかしそれらを可能にし、そしてより優れた技たらしめているのは、ひとえに、ライライの修練の積み重ね。

 

 ――本当に、手強い相手だ。

 

 でも、それでもボクは負けない。負ける理由にならない。

 

 ボクはこの戦いで勝って、本戦への参加資格を手に入れ、そして優勝しないといけないんだ。

 

 友達だろうと、強敵だろうと、立ちふさがるならぶっ飛ばしてやる。

 

 ボクは片足で力強く足踏みした。【震脚】だ。

 

 するとどうだろう。体内に渦巻いていた不快感がぴったりと止み、調子が戻った。

 

 「よしっ」と意気込むと、ボクは両肩を元気良くぐるぐる回す。

 

 【震脚】をすると、地面からの反作用によって強い垂直の力が発生する。その力を使って振動波を強引に殺したのだ。思いつきでやってみたが、うまくいったみたいでよかった。

 

「……まさか、そんな無茶苦茶な方法で【響脚】の振動を消すなんて。シンスイ、あなたやっぱり面白い子だわ」

 

 元気を取り戻したボクを、ライライは緊張の混じった笑みを浮かべて見つめていた。

 

 彼女も彼女で、譲れない意地がある。

 

 これはルールに守られた、競技的な試合。

 

 だが、互いに譲れないものを持って戦うという点で、真剣勝負と何の違いがあるだろう?

 

 ボクら二人は闘争心を身にまとい、睨み合う。

 

 最初に動いたのは、ボクだった。

 

「じゃあ――いくよっ!!」

 

 【震脚】で大地を踏み鳴らすや、猛然とライライめがけて突っ込んでいった。【震脚】によって強化された瞬発力は、彼女との間合いをすぐに狭ませる。

 

 蹴りの射程範囲に入ってもなお、ボクはライライの正面へと突き進む。いつでも突きを放てるよう、拳を脇に構えておく。

 

「ハッ!!」

 

 当然の反応というべきか、彼女はバカ正直に直進してくるボクを足裏蹴りで迎え撃ってきた。闘技場の石敷も簡単に砕くほどの威力の塊が、真っ直ぐボクに向かって来る。

 

 ――が、それは予想の範囲内だった。ボクは蹴りが放たれる直前、細かい足さばきによって体の位置をほんの少しだけ横へ動かしていた。爆速で進む彼女の靴裏は、ボクの真横を素通りする。

 

 そのまま流れるように懐へ入った。

 

 いつもならここで正拳を打ち込むところだが、その手は一度破られた。攻めるとしたら意表を突く意味も兼ねて、違う攻撃を放った方がいいだろう。

 

 なので――ボクはあえて回し蹴りを選んだ。

 

「くっ……!?」

 

 ライライは腕を構えて、ボクのキックをガードする。さすがの彼女も予想外だったのか、反応がわずかに遅れていた。ギリギリで防いだのだ。

 

 倒れはしなかったものの、蹴りの威力に流されるまま後ろへたたらを踏むライライ。

 

 重心のおぼつかない今は、思うように攻撃に対処できない。今なら拳が当たるはず――そう思ったボクは迷わず地を蹴った。

 

 拳の届く距離にライライを捕らえた瞬間【震脚】で激しく踏み込み、さらにその足へ急激な捻りを加えて全身を旋回させる。その身体操作とともに打ち出された必倒の正拳【碾足衝捶(てんそくしょうすい)】が、シャープな勢いでライライへと迫る。

 

 しかし、拳の延長線上にあったライライの姿が消えた。目標を失った拳が空気の壁を穿つ。

 

 彼女は胎児のように体を丸めて、地に背中を付いていた。慣性に逆らわず、自分から後ろに転がったのだろう。

 

 抱え込まれていたライライの両膝が、急激に伸びた。

 

「おっと!」

 

 迫ってきた二足の靴裏を、ボクは体を反らして避ける。数歩後ろへ下がって再び距離を作った。

 

 ライライは跳ね起き、ボクめがけて走り出す。女豹のごとく鋭い疾駆だ。

 

 足のリーチ内まで入った瞬間、横薙ぎの蹴りを放たれるが、それをかがんで避ける。

 

 ライライはその回し蹴りの遠心力に従って背を向け、片足を大きく跳ね上げた。【鴛鴦脚】だ。

 

 ボクは体を後ろにのけ反らせてその蹴りを回避。しかし大きく跳ね上げられた片足は空中でピタリと動きを止めたかと思うと、爪先を先にして急降下した。

 

 ボクは前にあった足を、素早く全身ごと下がらせた。爪先はボクの前足の甲があった位置に激しく落下。……もし足を下がらせなかったら、死ぬほど痛い目にあっていただろう。

 

 【鴛鴦脚】の目的は、二つの亜流によってそれぞれ異なる。

 

 【武勢式】は胴体か顎への攻撃、そして【文勢式】は爪先か足甲への攻撃を目的としている。

 

 だがライライの放った【鴛鴦脚】は、その両方の性質を兼ね備えたものだった。それこそ、彼女の【刮脚】が古流たる証拠だ。

 

 振り向きざまにスイングされた後ろ回し蹴りをバックステップで躱してから、ボクは元来た方向へ戻る形でライライへ向かっていく。

 

 矢継ぎ早にやって来る剛脚の振りをかいくぐり、ライライの胸の前に到達。遥か彼方まで打ち抜く気持ちで【移山頂肘(いざんちょうちゅう)】の右肘を繰り出す。

 

 彼女はボクから見て少し右へズレて、肘打ちを空振らせた。そして、そこから止まることなく右膝を上げ始めた。ボクの脇腹を蹴る気だ。

 

 ボクは迅速にその蹴り足の太腿を両手で押さえ、移動を止める。彼女の脚は、あの凶悪な威力の蹴りを放ったとは思えないほどに柔らかく、なめらかだった。

 

 右側面に立つライライへ寄りかかるように、体当たり【硬貼(こうてん)】を仕掛けようとする。だが踏み込もうとした右足の膝が、ライライの足裏によって途中でつっかえ棒よろしく止められた。【硬貼】はライライまであと少しという位置でストップ。命中ならず。

 

 ボクはめげずに足底から全身へ捻りを加え、【震脚】による重心移動と同時に左拳をライライめがけて突き出した。だが彼女はボクの放った【拗歩旋捶(ようほせんけん)】を紙一重で避け、あさっての方向へ流す。

 

 ライライは踏み込まれた足へ爪先をぶつけようとしてきたが、ボクは素早く重心を後ろの足へ移して体を引く。

 

 ライライの爪先蹴りが空振ったのを見越して前蹴り。

 

 彼女はそれさえも最小限の動きで躱す。

 

 

 

 ――それからも、そんな演武じみた避け合い攻め合いを次々と繰り広げた。

 

 

 

 互いに全てを躱し、全てを躱される。

 

 一向に決着のつかない堂々巡りの攻防。

 

 わざとやっているのではないかと思う者もいるかもしれない。しかしボクらは真剣そのものだった。

 

 特にライライがそうだ。彼女はボク以上に慎重な面持ちで攻防に臨んでいた。ボクの【勁擊(けいげき)】には【硬気功】が通じない。それを警戒しているのだろう。

 

 驚くべきことに、ライライの足さばきの器用さも、ボクに負けず劣らずだった。

 

 いや、むしろここまで達者で当然かもしれない。【刮脚】は蹴り主体の武法であるため、人並み以上の足の器用さが求められる。そもそも、足の器用さを養う【打雷把】の修行法【養霊球(ようれいきゅう)】は、彼女の【刮脚】がルーツとなっているのだ。足さばきが上手くとも、何ら不思議ではない。

 

 手数の出し合いと潰し合いは、なおも繰り返される。

 

 しかし、どんなものにも等しく終わりはあるものだ。

 

「せいっ!!」

 

 ライライはほんのわずか生まれた隙を利用し、ボクの膝裏に自分の膝をぶつけてきた。

 

 蹴られた力こそ微々たるもの。だがその微々たる力によってボクの下半身のバランスはあっけなく崩れ、体が傾く。ボクも下半身の功力は相当に鍛えているため、足を蹴られても簡単にバランスを崩さない自信がある。だが彼女は膝裏を蹴ることで、膝関節を無理矢理曲げさせたのだ。膝カックンの要領である。

 

 仰向けに倒れるボク。前――正確には真上――を見ると、彼女の履いている靴の底が視界で一気に大きくなっていた。

 

「なんのっ!」

 

 ボクも負けじと足裏を突き出し、振り下ろされたライライの靴底とぶつけ合わせた。

 

 ものすごい下向きの力が、足裏を通して膝にのしかかってくる。

 

 だがボクもそれに応戦すべく、靴裏を真上に進めようと足に力を入れる。

 

 ぎりぎりと、互いの脚力が拮抗(きっこう)し合う。ある時はボクが押し、ある時はライライが押す。一進一退の力比べ。

 

 しかし、引力が味方してくれているためだろうか、気がつくとライライがボクを押し返す回数の方が多くなっていた。

 

「くっ……!」

 

 ボクは眉をひそめ、奥歯を食いしばる。額にはうっすらと汗が浮かんでいた。

 

 ライライの足が、さらに手前へと押し寄せてくる。

 

 このままだと、押し切られる。

 

 なら、彼女の足から素早く自分の足を離し、

 

 ――いや。そんなのはボクのプライドが許さない。

 

 ライライ、確かに君の足の【(きん)】はかなり鍛えられてる。

 

 でも、それはボクだって同じだ。

 

 【両儀勁】の源泉は、両足を大地に固定させる強靭な脚力。【打雷把】という流派の門戸を叩いて以来、ボクはその力を徹底して鍛え上げてきたんだ。

 

 このまま容易く押し切られていい道理が――あるはずがない!!

 

 ボクは自分の足へ、ありったけの力をつぎ込んだ。

 

 少しずつだが、着実にライライの足を押し返していく。

 

「な……!?」

 

 ライライは一瞬唖然とするが、すぐに表情を引き締めて踏む力を強めた。

 

 ボクの足は途中で数度進行を止めるが、下がることはなく、どんどん上がっていく。

 

 そして、

 

「――――あああぁぁぁっ!!」

 

 渾身の力で、最後の一押しをした。

 

「きゃっ!?」

 

 途端、ライライの体が宙へ浮き上がった。1(まい)弱の高さだ。

 

 ボクは跳ね起き、ライライは尻餅をつく。

 

 今なお座り込んだ体勢の彼女めがけて、狼のような俊敏さで突き進む。

 

 ライライもそんなボクの行動に対し、慌てた様子で立ち上がった。そして、突風にも似た勢いのミドルキックを振り放つ。

 

 ……しかし、攻撃のタイミングが少し遅かった。ライライが蹴り出した時、ボクはすでに足のリーチの半ばまで達していたのだから。

 

 ボクは片手で蹴り足の太腿を押さえ、回し蹴りをストップさせる。遠心力で放つ蹴りなので、足の末端に働く力は強くても、内側の力は弱いのだ。なので片手で事足りる。

 

 そしてもう片方の手を拳にし、ライライの上腹部へと添えた。

 

 彼女はこの上ない焦りを顔ににじませながら動こうとする。

 

 だがこうなった以上、もう逃げようがない。銃を突き付けているのと同じ状態なのだから。

 

「ぶっ飛べっ!!」

 

 四肢と胴体を同ベクトルへ急旋回。添えられたボクの拳は――ゼロ距離で音速にも届かんほど加速。

 

「っはっ…………!!!」

 

 【打雷把】最速の正拳【纏渦(てんか)】は、パァン、という空気をぶち抜く音とともに、ライライへと深くねじ込まれた。

 

 と思えば次の瞬間、拳と彼女の体が磁石の反発よろしく離れた。10(まい)を軽く超えるほど吹っ飛び、やがて仰向けになって停止した。

 

 ボクは突き終えた体勢を解き、剣道の残心のように構えへと移る。この試合、油断は寸分も許されない。だがそれ以上に、ライライがこのまま終わるわけがないという確信めいた予想もあったからだ。

 

 全身の螺旋運動で力を発する【纏渦】は、打撃部位への運動量伝達が凄まじく速いが、威力が他の技に比べて弱い。立ち上がる可能性は十二分にある。

 

 そして、そんなボクの予想は的中した。ライライがゆっくりと立ち上がったのだ。

 

「……さすがね、シンスイ。戦ってみて、あなたの恐ろしさを初めて理解したわ」

 

 顔には苦痛の色がある。だが両足はしっかりと地を踏みしめている。

 

「どうやら私も……出し惜しみは禁物みたいね」

 

 ――出し惜しみ?

 

 これ以上、まだ何か隠し玉があるというのか。ボクの中の微かな警戒心が一気に肥大化する。

 

 ライライは闘志の燃えくすぶる瞳でボクを真っ直ぐ捉えた。

 

「――見せてあげる。【刮脚】ではない、私が自分で創り出したとっておきの技を」

 



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打ち砕く拳、切り裂く脚②

 

「――見せてあげる。【刮脚(かっきゃく)】ではない、私が自分で創り出したとっておきの技を」

 

 その言葉に対し、ボクは脊髄反射のような素早さで構えた。

 

 ライライは大きく息を吐き出すと、目を閉じ、ゆったりとリラックスした状態で立つ。

 

 もう何度か深呼吸を繰り返す。

 

 そして、口を小さく動かし始めた。

 

「……る………………………………る…………け…………」

 

 何かを呟いている。

 

 口の動きの乏しさと同じくらい、微かな声量。おまけに観客の声にかき消されて全然聞こえない。

 

 だが、ライライの唇の動きから、かろうじてその呟きの内容を理解することができた。

 

 その内容は、次の通りだ。

 

「蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………」

 

 ――ライライは、まるで何かに取りつかれたように、「蹴る」という言葉のみを何度も繰り返していた。

 

「蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………」

 

 まだ続く。

 

「蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………」

 

 まだまだ続く。

 

「蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………蹴る…………」

 

 そこで一度区切りをつけると、大きく息を吸い、

 

「蹴る」

 

 これまでで一番力強い「蹴る」の一言を吐き出した。

 

 瞬間、ライライのまとう雰囲気がガラリと変わった。

 

 彼女を取り巻く空気から淀みや不純物がすべて取り除かれたかのような、そんなクリアーで混ざりっけの無い澄んだ気配。

 

 ボクはじゃりっ、と靴裏を擦り鳴らす。

 

 一体何をしていたのかはさっぱり分からない。

 

 だが今のライライは、さっきまでとは明らかに「何か」が変わっていた。抽象的な言い方かもしれないけど、それだけは断言できる。

 

 ライライはすさり、すさりと歩を進めてくる。

 

 その瞳に宿る闘志の炎は消え去っていた。だがその代わり、純水のように澄み切った輝きで満ちている。

 

 ――どういうわけか、ボクはそんなライライがたまらなく恐ろしく見えた。

 

 互いの距離がゆっくりと縮まっていく。

 

 だがボクの本能のような感覚が、彼女の間合いへ入ることに対して激しく警鐘を打ち鳴らしていた。「今すぐ逃げろ」と。

 

 だが、逃げていては勝つことはできない。ボクは心の警鐘を無視してその場に踏みとどまり、ジッとライライの到達を待った。

 

 やがて、ボクはライライの一足一刀――ならぬ一足一蹴の間合いの先端に入った。

 

「がっ――――!!?」

 

 突如、右の二の腕に衝撃が走る。

 

 真横へ吹っ飛ばされた。

 

 何の前触れもなくやってきた衝突と痛みに頭が混乱しつつも、ボクは即座に体勢を立て直し、さっきまで立っていた位置へ視線を向けた。

 

 が、ライライは蹴り終えた体勢をとっていなかった。それどころか、体を動かした素振りを欠片も見せていなかったのだ。

 

 ――いや、待て。さっきのはそもそも本当に蹴りだったのか?

 ――衝撃が来たのは確かだ。けど、攻撃の前兆が全く見えなかった。

 ――いやいや、ちょっと待て。ボクが攻撃の発生を見逃していただけなんじゃないのか。

 

 ライライはそんなボクの困惑など知らないような涼しい顔をしながら、再び近づいてきた。ダッシュではなく、ゆっくりとした歩行で。

 

 その穏やかな様子が、かえってボクの目には不気味に映った。

 

 けど、根拠のない恐怖心を噛み殺し、ボクは自分からライライへと駆け足で向かって行った。

 

 真正面から突っ込む――と見せかけて右斜め前へ方向転換。

 

 ライライの側面を取ったボクは全身に回転を加えながら近づく。

 

 彼女からは、未だにアクションを起こす気配が感じられない。

 

 戸惑う心を無理矢理黙らせてから、遠心力を乗せた右回し蹴りを打ち込もうと考えた。

 

 その時だった。右太腿と腹部に、高速で飛んできた砲丸が直撃するような圧力を感じたのは。

 

「――――っ」

 

 一撃目で足を払われ、二撃目で弾き飛ばされた。

 

 ボクはこれ以上ないほど目玉をひん剥く。

 

 今受けた二つの激痛に苦悶するが、その苦痛を帳消しにするほどに、ある事実に驚愕していた。

 

 なんと、ライライの足は――全くその場所から動いていなかったのだ。

 

 何度か地を転がったが、すぐにしゃがみ姿勢に持ち直す。

 

 今なおゆったりした物腰で立つライライへ、驚愕の眼差しを送った。

 

 心臓が鳴り響いて止まらない。

 

 ――ボクは確かに見た。

 

 二発の衝撃が訪れた時、ライライは確かに微動だにすらしていなかった。

 

 動くどころか、ほんの微かな初動さえ無かった。

 

 もしかして、相手に触れずに攻撃する技か?

 

 ――いや、そんなことはありえない。あるはずがない。

 

 それじゃあ、まさしく超能力じゃないか。

 

 それに、もし触れずに攻撃できるというのなら、ボクと距離が近づかなくてもボコボコにできているはずだ。ボクが謎の攻撃を受けたのは、すべてライライの蹴りの射程圏内。つまり、あれは「蹴り」だ。

 

 しかし、実際に蹴ったモーションを見せてはいなかった。なので、蹴りであるかも少し怪しい。

 

 なら、あの攻撃の正体は一体なんだ。

 

 武法マニアのボクでさえ知り得ない、謎の攻撃。その姿なき驚異に、ボクの心はすっかり翻弄されつつあった。

 

 ライライはまるで見透かしたような口ぶりで、次のように訊いてきた。

 

「ねぇシンスイ、あなた子供の頃、飛び回るハエを手で捕まえようとしたことはあるかしら? あれって中々上手くいかなかったでしょう?」

 

 まったく脈絡の無いその言葉に、首をかしげたくなる。

 

 が、ボクは少し戸惑いながらも、なんとか返答した。

 

「え……うん、まあ」

 

「そうよね。でもね、ものすごく簡単に手掴みできる方法が一つだけあるの。それは――「手を速く動かそう」っていう意識を持たないことよ」

 

 彼女の口から、また脈絡の無い発言が――

 

 ――いや、脈絡はあるかもしれない。

 

 ライライは今「速さ」と口にした。

 

 先ほどの、不可視の攻撃を思い出す。そして、一つの仮説を立てた。

 

 あれは「見えない攻撃」じゃなくて、「目で追えないほどの速度を誇る攻撃」なのではないか? 

 

 それならば、ライライの言った「速さ」という言葉に結びつく。

 

「知ってるかしら? 人間の体っていうのは、とってもつむじ曲がりなの。「速く動こう」と思えば思うほど、筋肉が緊張して、かえって遅くなってしまう。逆に「速く動こう」っていう執着を消し去り、ただ「この動きをしよう」っていう意識だけで体を動かすと、その動きは速く、そして鋭くなる。「速さ」への執着を捨てれば捨てるほど、動く速度は増す。そして「速く動こうとする意識」という不純物をすべて取り除き、純粋な「蹴る」という意識のみを残すと――その蹴りは神速へと至る」

 

 ライライが小さく微笑む。

 

 その笑みは、怖いほど澄んで見えた。

 

「それこそがこの【無影脚(むえいきゃく)】。強雷峰(チャン・レイフォン)に父の事を思い出させ、そして意趣返しするために、私が作った技よ」

 

 稲妻に打たれたようなショックを受けた。

 

 蹴りの速度をデタラメなものにしているのは、間違いなく【意念法(いねんほう)】だ。体を鍛えることで速くするのではなく、自己暗示による精神操作を使って速さを手にするのだ。

 

 「速さ」を捨てて「速さ」を手に入れる――あらゆる武法を知るボクでさえ、そんな技術は聞いたことがなかったし、想像さえつかなかった。

 

 しかし、真に驚く所は他にある。

 

 

 

 ――こんな凄い技を、ライライは自分で作ったのだ(・・・・・・・・)

 

 

 

 武法の長い歴史の中、革新的技術を生み出した者は多い。

 

 だがそれができたのは、ほんのひと握りの”天才”のみだ。

 

 そして、その天才が今、目の前にいる。

 

 ……もしかするとボクは、武法の歴史の大いなる1ページを見ているのかもしれない。

 

 仮にもし、ボクを「天才」などと言う人がいたならば、それを否定した上でこう返したい。「ボクは指導者と指導環境にとてつもなく恵まれていただけの、ただの凡人だ」と。

 

 純粋な才能ならば、きっとライライの方が上だ。

 

 ――本当に、厄介な相手と戦うことになっちゃったようだ。まさしく「敵に回すとこれほど恐ろしいなんて……」というセリフの意味を体験学習している気分である。

 

 しかし、ボクは諦めるつもりはない。

 

 もう引き返す事は出来ない。突き進むしかない。

 

 あの日、父様に大見得を切った時点で、すでにサイは投げられているのだ。

 

 渡りきってみせようじゃないか。

 

 【無影脚】という暴れ川を。

 

 ボクはライライとの僅かな距離を潰しきるべく、走り出した。

 

 途中で胴回りに【硬気功(こうきこう)】を付与。なおかつ両腕で顔面を守るという守勢を取る。

 

 これで受けるダメージを最小限にする事ができるはず。この状態のまま突っ込み、飛んでくる彼女の神速の蹴りに耐えながら強引に懐へ入ってやる。そうなればこっちのものだ。

 

 ボクはそのまま、彼女の領域へと足を踏み入れた。

 

 その瞬間、不可視の蹴りによる強大な圧力が、左右の脇腹へ往復ビンタよろしく叩き込まれた。

 

 しかし、そこは【硬気功】を施しているため痛みは無い。

 

 ボクはバランスを取り直すと、再び走り出そうと、

 

「うっ……!?」

 

 ――したが、途中で足が止まってしまう。

 

 胃の中を引っ掻き回されるかのような、凄まじい不快感に襲われたのだ。

 

 ――しまった。【響脚(きょうきゃく)】か!

 

 【無影脚】のインパクトが強すぎて、この技の存在をすっかり忘れていた。

 

 その隙を突き、右脇腹へ見えない回し蹴りが舞い込んだ。

 

 紙くずのように軽々と吹き飛ぶボク。【硬気功】のおかげで痛みが無いのが幸いだった。

 

 受身を取って立ち上がってから、すぐに【震脚(しんきゃく)】する。それによる地面からの反作用で【響脚】の振動波を相殺。不快感が消えた。

 

 ボクは舌打ちする。【響脚】があるため、【硬気功】による防御で強引に押し切るのは無理だ。【硬気功】の効かない攻撃の厄介さを、まさか自分が味わう事になるなんて。

 

 ……それなら。

 

 ボクはもう一度【震脚】して瞬発力を高めてから、再び大地を蹴った。

 

 真っ直ぐへは進まない。右側から大きく迂回するような円弧軌道で近づく。

 

 やがて、ライライの背後へたどり着く。

 

 ボクは胴回りを【硬気功】で固め、顔を両腕でガードしながら近づいた。さっきと全く同じ構えだ。

 

 【響脚】は回し蹴りを左右交互に行う技。背後の相手に、二連続の回し蹴りは不可能なはず。

 

 ボクは勇んで、左足で彼女の間合いへ踏み入った。

 

 次の瞬間、土手っ腹と左足甲の順に、強い物理的ショックが訪れる。

 

 腹は【硬気功】がかかっているため、当然痛くはない。

 

「――――!!」

 

 が、足甲は違った。

 

 金鎚で殴られたような強い痛みが走り、ボクは目を白黒させた。

 

 おそらく今使ったのは【鴛鴦脚(えんおうきゃく)】。あの技は後ろへ跳ね上げるように蹴った後、勢いよく爪先を急降下させて相手の足甲を痛めつける。それを目にも留まらぬ速さでやってみせたのだ。

 

 痛みに悶えて固まっている所へ、見えない蹴擊がぶち当たった。ボクの軽い体が弾き飛ばされる。

 

 胎児のように丸まった状態で滑り、停止。

 

 ボクは左足を踏ん張って立ち上がろうとしたが、さっき打たれた足甲がズキリ、と鋭い痛覚を訴える。その痛みから目を逸らし、強引に起立した。

 

 左足で強く地を踏むたびやって来る鋭痛に、ボクは忌々しげに奥歯を噛み締めた。

 

 背後からの攻めは、完全に裏目に出る結果となった。これなら【響脚】を避けない方が効率的だったかもしれない。【響脚】の不快感はすぐに消せるが、今受けた足甲の痛みはしばらく続きそうだから。

 

「あなたばかりに攻めさせてごめんなさいね。でも大丈夫……今度は私から攻めるから」

 

 ライライは変わらぬ涼やかな声色で言うや、突然ボクめがけてスピードアップした。全身の強靭なバネから繰り出される、ネコ科の猛獣のようなしなやかさと鋭さを持つ走り。

 

 今までのゆったりした様子からの唐突な加速に、ボクは反応がワンテンポ遅れた。

 

 そのせいで、彼女の間合いの接近をかなり許してしまう。

 

 焦る心の赴くまま、右足――左足を痛めているから――のバネを駆使してウサギのように横へ跳ぶ。

 

 直後、神速の蹴りがボクの立っていた位置の石敷を削った。姿どころか影すら残さないそのべらぼうな速度は、まさに【無影脚】の名に恥じないものだった。

 

 砕かれた石敷の大きめな破片が飛んでくる。ボクはそれを片手でキャッチするや、こちらへ距離を縮めにかかっていたライライへ投げつけた。

 

 彼女は走る速度を緩めると、見えない蹴りでその破片を砂に変える。

 

 それによって生まれた僅かな隙を使って、ボクはできるだけ長く後退し、間隔を大きくした。

 

 こちらへ近づくライライの両目に一致させるように、ボクは両の視線を送る。そのまま、互いの目が一本の紐で繋がっているイメージを強く持った。――【太公釣魚(たいこうちょうぎょ)】。視線の動きによって相手の移動方向をコントロールする技。それを使ってライライの体勢を崩させ、拳を打ち込む隙を作ってやろうと考えた。

 

 が、ライライはボクの視線から目をそらした。

 

 「くそっ」と心の中で毒づく。こっちの狙いはバレバレのようだ。センランとの一戦で【太公釣魚】を見せてしまっていた事が、ここに来てアダとなった。

 

 蹴りの射程圏の端と再び重なりそうになった瞬間、ボクはダイビングでもするように真横へ大きく飛び退いた。何度か転がってから再び二本足で立ち上がる。

 

 それからしばらくの間、あらゆる手段を用いて彼女から逃げ続けた。

 

 今のボクらを形容するなら、「手負いの獲物を追いかける猛獣」といったところか。当然、ボクが追われる側だ。

 

 彼女の間合いに入る事は自殺行為。入った瞬間、稲妻のような足技によって黒焦げにされる。間合いの中心たる自分の元へ近づく事を絶対に許さない。いわば「蹴りの結界」だ。

 

 ボクは逃げの一手に徹しつつ、その結界を破る方法を必死に考えていた。しかし、未だに何一つ打開策が思いつかない。

 

 やがて、逃げの一手にも限界が訪れた。

 

 考え事をしながら何かに取り組むと、大抵上手くいかないものだ。ずっと庇っていた左足で誤って瞬発してしまい、それによる痛みで思わず居竦んだ。そのせいで体が凝り固まり、回避行動に失敗する。

 

「ぐぅっ――!!」

 

 その代償と言わんばかりに、二の腕へ透明のミドルキックが直撃。派手に飛ばされた。

 

 石敷の上を無様に転げるボク。

 

 うつ伏せになってようやく止まり、約20(まい)先に佇むライライを見た。

 

 服がすっかりボロボロなボクと違い、彼女の体にはほとんど汚れが見られなかった。

 

 その違いを見て、怪物に追い立てられた時のような強い焦燥感が胸を冒す。

 

 何もかもが通じない。

 

 攻撃を避けるだけで精一杯だ。

 

 近づくなんてもってのほか。

 

 攻撃どころか指一本さえ触れられない。

 

 かつてないほどの逆境に、ボクは立たされていた。

 

 このままだと負ける。

 

 負けて、武法士として生きる人生プランがお釈迦になってしまう。

 

 そんなのは嫌だ。せっかく掴んだ第二の人生なんだから。

 

 ボクは勝ちたい。勝って【黄龍賽(こうりゅうさい)】の本戦へ進み、そこで優勝したい。いや、しなくちゃいけない。

 

 だけど現実問題、【無影脚】を攻略する方法が全く思いつかない。

 

 そして、ライライもそれを考える時間を与えようとはしてくれない。その証拠に、現在進行形でボクの元へと接近している。

 

 あと十秒足らずで、ボクは蹴りの領域に飲み込まれるだろう。

 

 度重なる打撃によって、いい加減全身はガタガタだ。これ以上蹴りを喰らうのはマズイ。

 

 けど、どうすればいい? 

 

 まず、蹴りの速度が速すぎて、回避が出来ない。

 

 防御しようとすれば【響脚】がやって来る。

 

 八方塞がりじゃないのか。

 

 

 

 ――いや。そんなことはない。

 

 

 

 突然、ある考えが雷のように脊髄を貫き、脳髄を焼いた。

 

 刻一刻と縮まるライライとの距離など気にも留めず、ボクはそのひらめきを確かめていた。

 

 一つだけ方法がある。

 

 目で追えないほどの速度を誇り、なおかつ変幻自在な動きを持つ【無影脚】を攻略できる方法が。

 

 その答えは、びっくりするくらいシンプルなものだった。

 

 いや、きっと今までのボクが、難しく考え過ぎていただけなんだ。

 

「ふふふ……っ」

 

 思わず、口から笑みがこぼれる。

 

「……何か、思いついたのかしら」

 

 大和撫子を思わせる奥ゆかしい微笑みを見せ、そう尋ねてくる。

 

 ボクは不敵に口端を歪め、

 

「まあ、そんなところかな」

 

「そう……でも、果たしてそれが今の私に通じるかしら…………」

 

 ライライのあの妙に落ち着き払った態度は、おそらく、神速の蹴りを放つのに邪魔な雑念を取り払った結果だろう。今の彼女からは悟りを得た僧侶にも似た、異様に澄み切った雰囲気が感じられる。

 

 心の中で予言する――その余裕な表情は、もうすぐ驚愕で塗りつぶされる事になる、と。

 

 ボクは全力で走り出した。

 

 左足で地を蹴るたび、痛覚が鋭く駆け巡る。

 

 しかし、今だけはそれを無視し、普段通りに足を動かした。大地をしっかりと踏みしめ、自分の体を素早く前へ導く。

 

 走行中、ボクは【硬気功】を胴回りにかけ、顔を両腕で覆い隠して防御の体勢をとった。

 

 本日三度目になるこの防御。

 

 断じてやけっぱちではない。これが勝利の鍵だ。

 

 ここで、作戦通りに事を運べるかどうかが、この勝負の分かれ目。

 

 その作戦で求められるのは、三つの要素。

 

 ――「準備」の速さ。

 ――その「準備」を行うタイミングをうまく掴み取る能力。

 ――そして、運。

 

 どれか一つでも欠ければ、ボクの目論みは失敗する。

 

 イチかバチかの大勝負だ。

 

 絶対に決めてみせる!

 

 決めてやる!

 

 彼女の間合いに入るまで、残り約四歩。

 

 集中力を極限まで引き出し、時の流れを遅くする。

 

 三歩、

 

 二歩、

 

 一歩、

 

 蹴りの結界へ足を踏み入れた。

 

 ――ここだ!!

 

 転瞬、ボクは出せる限りの速さで動いた。

 

 腰の高さを急降下させる。

 閉じていた足を左右へ一気に開き、四股を踏んだような立ち方となる。

 胸を張り、その勢いで両肘を左右側面――正確には、左右の脇腹の隣――へと突き出す。

 

 それらの身体操作を同じタイミングで開始し、そして終える。

 

 

 

 ――次の瞬間、右肘に重々しい感触がぶつかった。

 

 

 

 「ミシリ」という微かな音とともに、強烈なインパクトが体の芯まで響く。だが【両儀勁(りょうぎけい)】のおかげで、ボクの足はその場からは少しも動いていない。

 

 右肘のすぐ隣に、ライライの左足があった。神速という名のベールが脱げ、その姿が露わになっていた。

 

 そして、

 

「うぐっ…………!?」

 

 ライライはさっきまでの涼しげな表情を一変、驚きと苦痛が混ざったような顔となっていた。

 

 それを見て、ボクは作戦の成功を確信する。

 

 ――【無影脚】の攻略法。これは難しいようで、実は非常に簡単なものだった。

 

 ボクは顔を両腕でガードした上で、胴回りに【硬気功】を施した。

 

 この構えは、【無影脚】に対してボクが取れる最善のガード姿勢だった。

 

 ライライはそんなボクに、どうやって決定打を与えた?

 

 【響脚】を使った。彼女はボクの両脇腹へ往復ビンタのように素早く回し蹴りを当て、体内を揺さぶってきた。

 

 ――そう。だからこそ、ボクがこのガード姿勢をとったら、ライライは高確率で【響脚】を使って来ると踏んだのである。

 

 【無影脚】は確かに目に映らないほどの神速だ。だが、どこへ飛んでくるかがある程度予測出来てさえいれば、対応は比較的簡単に行える。

 

 ――だが、それはあくまでも前提条件。本題はこれからだ。

 

 もう一度言うが、【無影脚】の攻略は結構簡単だ。

 

 

 

 だって――攻撃の要たる「足」を攻めればいいだけなのだから。

 

 

 

 ライライは高い確率で【響脚】を使ってくるはず。つまり、狙う箇所はボクの側面に絞られる。

 

 あらかじめ蹴ってくるであろう位置は分かっている。ならばそこを狙って【打雷把】自慢の強烈な一撃をお見舞いすればいい。

 

 両側面へ肘打ちを行う技、【撕肘(せいちゅう)】。この一撃と真っ向からぶつかったライライの蹴り足は――見事に損傷しているはずだ。彼女もヤワな鍛え方はしてないので折れてはいないが、それでもかなり痛かったことだろう。苦痛にまみれた今の表情が、それを如実にものがたっている。

 

 だが、【響脚】を使う確率こそ高かったものの、必ずしも予定通りにいく保証はどこにもなかった。なので、運試し的な作戦だったことも否定出来ない。

 

 しかし今、その賭けは見事に成功を収めている。

 

 

 

 そして、痛みに苦しんでいる今こそが――最大の隙となる!

 

 

 

 痛む左足で地を蹴り、疾走。

 

 ライライへ肉薄。ずっと入りたくて仕方のなかったその懐へ、ようやく到達した。

 

 ライライは「しまった」と言わんばかりの表情でボクを見る。

 

 けど、もう何もかもが遅い。

 

 右足による【震脚】で踏み込み、同時にそこへ急激な捻りを加える。

 捻りの力を受けた全身が、綺麗に噛み合った歯車のように旋回。

 その回転運動を直線運動に変えるイメージで右拳を突き出した。

 

 ――渾身の正拳【碾足衝捶(てんそくしょうすい)】はライライの体に真っ直ぐ突き刺さり、さらにその奥へ分け入らんとばかりに食い込んだ。

 

 微かな呻きが耳元で響く。それとともに、ライライの姿がものすごい勢いで後ろへ流された。

 

 ボクはそれを後から追いかける。

 

 ライライは背中で着地。それからもしばらくの間、後ろへスライドし続ける。

 

 ボクはまだそれを追う。

 

 やがて慣性が摩擦に負け、ライライの動きが仰向けで止まった。

 

 ボクもそれに合わせ、走るをやめる。

 

 そしてしゃがみ込みつつ、ライライの顔面の一寸先まで拳を進めた。

 

 ――寸止め。

 

 円形闘技場全体に静寂が訪れた。

 

 ボクも、ライライも、果てには観客たちも、水を打ったように沈黙している。

 

 数秒間、その深い静けさは続いた。

 

 その沈黙を最初に破ったのは、ライライだった。

 

 ボクの拳の下にあるライライの顔は、悔しげに、しかしそれでいて満足そうな笑みを浮かべ、言った。

 

「…………降参よ。さっきの肘打ちで、左足の脛にヒビが入ったみたい。もう蹴り技使いとしては負けたも同然だわ。この勝負あなたの勝ちよ、シンスイ」

 

 その言葉が聞こえてから約五秒後、

 

 

 

 

 

「――宮莱莱(ゴン・ライライ)の棄権を確認!! 勝者、李星穂(リー・シンスイ)!!」

 

 

 

 

 

 審判員の口から、勝者の名が高らかに叫ばれた。

 

 刹那、どっ、と歓声が膨れ上がった。

 

 これまで聞いてきた歓声の中で輪をかけて激しく、膨大な声量。

 

 その理由は、簡単だ。

 

 今この瞬間、この大会の優勝者が決まったからだ。

 

 このボク――李星穂(リー・シンスイ)に。

 

 それを実感した瞬間、ボクは喜ぶよりも先に脱力した。落っこちるようにその場で座り込む。

 

 ライライと目が合った。

 

「散々蹴ってごめんね、シンスイ」

 

「ううん。ボクもライライの足に怪我させちゃったし、おあいこだよ」

 

「そっか。それとシンスイ、私が蹴りで作った上着の裂け目から胸が見えそうよ。隠した方がいいわ」

 

「うわ!?」

 

 ボクは慌てて両手で胸を覆い隠した。壁のように貧相な胸だが、女の子としてあけっぴろげはどうかと思う。後で着替えないとね。

 

 ライライはそんなボクを見てクスクスと笑いをこぼすと、

 

「――優勝おめでとう、シンスイ」

 

 そう、祝う言葉をくれた。

 

 それに対し、ボクは何も言わず、満面の笑みを返したのだった。

 



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遠ざかる情景

 決勝戦が終わった後、ボクとライライはすぐに医務室へと運ばれた。

 

 二人とも怪我人だったが、怪我の程度で言えばボクの方が上だった。勝ったはずなのにおかしな話である。

 

 散々蹴られた痛みは【気功術】による治療ですっかり引いた。左の足甲の骨にも異常は見られず、同様の方法で怪我は治った。

 

 【響脚(きょうきゃく)】による振動波を受けたことを伝えると、お医者さんに薬をいくつか飲まされた。内臓にダメージを受けている可能性を考慮しての措置であるという。

 

 ライライはボクよりも短い時間で治療が終わった。でも彼女が言ったとおり、ボクが攻撃した左足の脛の骨には微かなヒビが入っていたらしい。薬と【気功術】を併用した治療によって痛みは引いたが、三日ほどは激しい動作を控えるよう言いつけられた。

 

 ちなみに、医務室で看護の仕事をしていた女の人から「さっきの試合凄かったです!」と目を輝かせながら称賛された。ボクとライライは顔を見合わせ、照れ笑いしたのだった。

 

 表彰式、ならびに閉会式は、午後に行われる予定だ。なのでボクらはミーフォンと合流してから、午後になるまで時間を潰した。

 

 まず『順天大酒店(じゅんてんだいしゅてん)』のボクの部屋へと戻り、破れまくった服を取り替えた。ぶっちゃけボクはあんまり気にしないけど、周りの人からしたら目に毒っぽかったので。

 

 ボクの荷物から下着を盗もうとしていたミーフォンをチョップで撃退してから、すぐに部屋を出て、軽食を摂った。お菓子レベルの安価な食事だったが、厳しい試合の後であったためか、その軽食は凄く美味しく感じられた。

 

 それからしばらく三人で談笑。そして懐中時計の針が閉会式開始の時間に近くなったのを確認すると、闘技場へと戻った。

 

 到着し、時間になるまで待機。

 

 

 

 そしてようやく――その時が訪れた。

 

 

 

 ボクは今、円形闘技場の中央辺りに立っていた。

 

 周囲の壁の上層にある円環状の観客席から、無数の羨望の視線がボクへと一点照射されている。見ると、最前列の席の一角から、ライライとミーフォンが手を振っていた。ボクはそれに対して笑顔で手を振り返す。

 

 気を取り直し、ボクは前を真っ直ぐ見た。

 

 そこには、シワのない立派な長袍(ちょうほう)に身を包んだ数人の男性が横並びで立っていた。

 

 開会式の時と同じメンツ。つまり大会運営の人たちだ。そのうちの一人は、細い鎖で繋がれた朱色のメダルを丁寧な持ち方で持っていた。

 

 彼らがボクに向ける視線は、みんな一様だった。厳粛さと誠実さ、そしてねぎらいの感情を秘めた眼差し。

 

 最初に十六人いたのが、今ではボクただ一人。優勝者として目の前の彼らと、そして周囲の観客の視線を独り占めしていた。

 

 この予選大会は、【黄龍賽(こうりゅうさい)】本戦の切符を手に入れるための審査みたいなものだ。なので、優勝者以外を表彰する意味はない。敗退者を『順天大酒店』から帰らせたのもそこに理由がある(宿泊施設を借りるための予算の削減という、大人の事情も絡んでいるが)。

 

 観客席のさらに上層のテラスのような場所にある巨大な銅鑼が、思い切り叩かれる。重厚かつ煌びやかな音が轟くとともに、歓声がピタリと止んだ。お約束のような流れである。

 

 運営の一人が、大きくはきはきした声で沈黙を破った。

 

「大変長らくお待たせ致しました! これより第五回黄龍賽、朱火省滄奥市予選大会の閉会式を開始します! 始めに、表彰式を行います! 今大会参加者十六名を打ち破り、見事優勝を収めたのは――ここに立つ李星穂(リー・シンスイ)選手です!!」

 

 なりを潜めていた歓声が、一気に膨張した。

 

 そう声を発した運営の男性は、朱色のメダルを持つ運営の人とアイコンタクト。

 

 メダルを持った運営の人は、ゆっくりとボクの前まで歩み寄る。

 

李星穂(リー・シンスイ)選手には、【朱火省(しゅかしょう)】の予選大会で優勝を収めた証にして、一ヶ月後に帝都で行われる【黄龍賽】本戦の参加資格――【吉火証(きっかしょう)】を贈呈します!」

 

 その言葉とともに、目の前の運営がメダルをボクの首に掛けてくれた。

 

 朱色の光沢を持つそのメダルは、五本の指を除いた手のひらほどの大きさ。円い表面には立派な鳥の意匠が刻まれていた。孔雀に似た姿をしたその鳥の双翼や羽毛の端は、燃え盛る炎の揺らぎのように波打っている。おそらくこの鳥は四神のうちの一体「朱雀」だろう。

 

 これが、本戦参加者の証――【吉火証】。

 

 度重なる激闘の果てにようやく掴み取った、最初の一歩。

 

 それを思うと、実際の重さよりも数倍は重々しく感じられた。

 

 感極まったボクはくるりと一回転し、首に掛かった【吉火証】を周囲に見せつけた。

 

 歓声の膨張がさらに輪をかける。

 

 ボクは素肌に清水を浴びるような気持ちで、その歓声を我が身で受け続けた。

 

 

 

 ――それから閉会式は、つつがなく終了した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、予選大会が終了した日の翌朝。

 

 ボクとライライ、そしてミーフォンの三人は、各々の荷物を持って【滄奥市(そうおうし)】の最北端で立っていた。

 

 前方を覆う背の高い土塀の一箇所に開けたスペースがあり、そこから踏み固められた土の道が、町の外へ向かってどこまでも伸びている。

 

 ボクらのすぐ近くには、一台の荷馬車が停まっていた。大きな荷台にはいくつかの箱が積んであり、その荷物の隣には剣や刀で武装した男が三人ほど座っている。

 

「――そろそろお別れか。寂しくなるな」

 

 ボクら三人から少し離れた位置に立っていた少女――孫珊喜(スン・シャンシー)がそう呟く。

 

 彼女のその言葉に、ボクは嬉しさを感じる一方、これから間も無く訪れる別れに寂しさも覚えた。

 

 そう――ボクら三人は、もうじきこの【滄奥市】を去るのだ。

 

 そして、【黄龍賽】の本戦が行われる帝都へ向かう。

 

 昨日、優勝したことは確かにめでたい。だがボクにとっては、まだ序章に過ぎない。

 

 むしろ、これからが頑張り時なのだ。帝都に行って、その頑張りを果たさなければならない。

 

 ちなみに、本戦に参加するのはこの三人の中でボク一人だ。つまり、ライライとミーフォンは付いて来る必要は全く無いのである。

 

 しかし、二人ともボクに付いて来るとの事。

 ミーフォン曰く「もっとお姉様と一緒にいたいですわ!」。

 ライライ曰く「私はもうやることがないし、せっかくだからシンスイの本戦での戦いぶりを見るとするわ。持ち合わせにもまだ余裕があるしね」。

 

 ……そういうわけなので、ボクら三人はもうしばらく一緒なのである。

 

「アタシも一緒に行けたらよかったんだがな……」

 

 ボクはしょんぼりしながらそんな事を言うシャンシーを励ますように笑いかけ、

 

「大丈夫。またきっと会えるよ。ボクの家、この町と結構近いし」

 

「そっか…………言っとくが、アタシはまだ九十八式の名誉挽回を諦めちゃいねーからな。アタシはまた四年後、【黄龍賽】に挑んでやる。もしそこでぶつかる事になったなら、今度はアンタには負けねーから」

 

「うん、分かった。元気でね。あと、もうお酒飲んじゃダメだよ」

 

「の、飲まねーよ! あん時のありゃ間違えて飲んじまっただけだ!」

 

 顔を真っ赤にしながらまくし立てるシャンシー。それを見てボクはクスクスと笑みをこぼす。

 

 シャンシーは赤いほっぺのまま咳払いすると、話題をそらしてきた。

 

「……ところで、帝都まではどうやって行くつもりだよ? 帝都はこの町から北の方角へずっと進んだ先にある。けど、この馬車は途中で東に曲がる予定なんだぜ?」

 

「大丈夫。途中でちょくちょく乗り換えるから」

 

 ボクは軽い調子でそう返した。

 

 ――本戦開始まで一ヶ月の猶予が設けられているのは、帝都までの道中にかかる時間を配慮しているためだ。

 

 ボクらはその一ヶ月の間に、帝都へ到着する必要がある。

 

 帝都はこの【朱火省】の一つ上の【黄土省(こうどしょう)】の中央に位置する。方角はここからだと北。到着までそれなりに時間がかかるが、それでも一ヶ月以内なら余裕で間に合うそうだ(余計な道草を食いすぎなければの話だが)。

 

 方角の認識に関しては問題無い。なぜなら実家を出る前、父様の部屋から方位磁針を一つ持ち出してきたから。万能アイテムのスマートフォンが存在しないこの異世界において、方位磁針は旅の必需品だ。

 

 次に、移動速度の問題。これもおそらく大丈夫だろう。

 

 北の方角へ向かう馬車に、乗せてもらえばいいのだから。

 

 乗せてもらい、北へ進めるだけ進んだらそこで下ろしてもらう。そしてまた北行きの馬車を途中で見つけたら乗せてもらう。それを繰り返しながら行けば、比較的楽に帝都へ着けるはずだ。

 

 そこに停まっている馬車も、途中まで北へ真っ直ぐ進むらしい。なので交渉し、乗せて行ってもらうことになったのだ。

 

 もちろん、タダじゃない。きちんと運賃が必要だ。

 

 その運賃としてボクらが提供するのは「防衛力」だ。

 

 ――売り物を積んで他の町へと移動する馬車は、出発前に必ず「鏢士(ひょうし)」と呼ばれる人たちをあらかじめ雇っている。

 

 鏢士とは、輸送品などを賊の手から守るために存在する職業武法士のことだ。その職業柄、高い武法の腕前がなければなることが出来ない。

 

 鏢士は必ず『鏢局(ひょうきょく)』と呼ばれる会社に所属している。物流などを行う人は、それなりのお金を『鏢局』に支払い、品物を守ってくれる鏢士を派遣してもらうのだ。

 

 ……そう。それほどまでに、護衛というのは大切なのである。

 

 なので、ボクらはそれを無償で差し出した。

 

 ――簡単に話をまとめると「無料でこの馬車を守ってあげるから、乗せて欲しい」といった感じだ。

 

 この馬車の御者(ぎょしゃ)さんは喜んだ。武法士が増えれば、それだけ馬車の守りは硬くなる。物資の守り手は一人でも多いに越したことはないのである。

 

 おまけに、ボクは予選大会の優勝者として有名になっていた。そのネームバリューが、幸運にも高い実力の裏付けとして扱ってもらえたのだ。

 

 それに比べ、鏢士の皆さん――今、あの荷馬車に乗っている三人だ――は難色を示している様子だった。そりゃそうだ。自分たちのプロフェッショナルに土足で踏み入るような事をされているのだから。けど、これも帝都へ早く向かうためだ。非難がましい視線は甘んじて受けよう。

 

「そろそろ出発しますよー」

 

 御者台から、御者さんののんびりした声が聞こえてきた。

 

 ボクら三人は荷台へと歩き出す。

 

 じとっとした目で睨んでくる鏢士三人の視線に耐えつつ、荷台へと乗り込んだ。

 

 そこから、シャンシーを見る。

 

 彼女は微かな寂しさの混じった微笑みをボクらへ向け、

 

「……達者でな」

 

「……うん。またいつか、縁があったら」

 

 ボクのその言葉を合図にしたように、馬がいななき、荷台が動き出した。

 

 シャンシーの姿が、みるみる遠ざかっていく。視界の中で粒のように縮小していき、やがて消えた。

 

 そして、【滄奥市】の町も小さくなっていき、やがて下り坂を下りるとともに見えなくなってしまった。

 

 ――そんな切ない情景に、不覚にも目頭が熱くなった。

 

 最初は、父様との勝負に勝つべく、仕方なしに訪れただけの町に過ぎなかった。

 

 滞在期間もほんの数日だった。

 

 けど、その数日の間、あの町には濃密な思い出がいくつもできた。

 

 いつしかボクの中で、思い入れのある町へと昇華していたのだ。

 

 ――しかし、涙は流さない。

 

 ボクはもう、前だけを進むと決めたのだ。

 

 父様との勝負が終わるまで、通過点は振り返らない。ただ後ろへ流すのみ。

 

 だけど。

 

 もし、この戦いが終わってもなお、ボクが武法士で居続けることができたならば。

 

 いつか再び、あの町に足を運びたいと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【予選編 完】



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ふろく
【武法の主な設定】


武法(ぶほう)

 

 人体の持つ潜在能力をフルに引き出し、常人以上の戦闘力と身体機能を得る究極の体術。

 煌国全土に伝わっており、数え切れないほどの流派が存在する。だがその全ての流派は、元をたどれば【太極炮捶(たいきょくほうすい)】が起源である。

 流派によって伝わる技術も戦闘理念も異なるが、一部の例外を除けば立ち技系がメイン。

 習得が難しく、実戦可能レベルに達するまでは最低でも四、五年はかかる。なので武法の修行は、物覚えの早い幼少期から始める者が多い。

 

 

 

 

 

易骨(えきこつ)

 

 武法を習得する上で最も重要な修行。

 常人の骨格は大なり小なり歪みを持っている。その歪みのせいで体重が体のあちこちへ分散し、それを支えるために余分な力みが生じてしまっている。

 【易骨】では、その骨格を歪みを正して理想的な配置に整えることで、全身に分散していた体重を足裏に集中させる。そうすることによって、自分の体重を一〇〇パーセント使えるようになる。重心移動と同時に打撃を放つことで、まるで数十キロもの鉄球が高速でぶち当たるかのごとき威力を出す事が可能となる。

 【易骨】によって整えられた骨格は、あらゆる衝撃を分散させる機能が備わっている。そのため、普通の人間が死ぬような衝撃を受けても無事でいる事ができる。

 また、体から余分な力みが消えると、全身の【気】のルートである【経絡(けいらく)】が広がり、【気】の流れが円滑化する。それによって初めて【気功術】(後述)の修行と使用が可能となる。

 

 

 

 

 

気功術(きこうじゅつ)

 ヒトを含む生きとし生ける物全てが持つエネルギー【気】を利用し、様々な効果を引き起こす技術。

 武法では必ず学ぶものであり、これがなければ武法ではない。

 【気功術】は、主に四種類存在する。

 

 ①【硬気功(こうきこう)】:臍下丹田(せいかたんでん)に集めた【気】を体の好きな部位へと移動させ、そこの硬度を一時的に鋼鉄並みにする技術。刃物も通さない。

 ②【炸丹(さくたん)】:臍下丹田に集めた【気】を爆発させ、打撃力を倍加させる技術。【硬気功】による防御を破る事ができる。ただし【気】の消費が激しい。

 ③【聴気法(ちょうきほう)】:周囲に存在する【気】を感知する技術。

 ④【送気法(そうきほう)】:【気】を放出する技術。物理的効果はない。

 

 戦闘では便利だが、使いすぎると全身の【気】が薄くなってバテてしまう。

 また、【気】とは電気的性質を持ったエネルギーであり、可燃物に引火する。そのため、可燃性の粉塵が煙のように舞う場所で【気功術】を使うと、粉塵爆発を起こす危険性がある。

 

 

 

 

 

勁擊(けいげき)

 力学的に効率の良い身体操作によって放たれる、武法の強力な打撃技。

 その基本は『三節合一(さんせつごういつ)』。『三節』とは、腕、胴体、下半身、これら三つのパーツの総称。この『三節』全てを終始同じタイミングで動作させることで、全身で生み出した運動エネルギーが一つになり、強大な威力を発揮する。

 力を生み出す身体操作の方法は、流派によって様々。

 【易骨】で整えられた骨格でなければ、一〇〇パーセントの威力は出ない。

 

 

 

 

 

架式(かしき)

 武法の修行法の一つ。

 その流派において重要な姿勢を作り、そのまま動かず長時間保つ事によって、姿勢を体に染み込ませる。

 非常に苦しい修行だが、武法の中では欠くことのできない大切なもの。

 

 

 

 

 

拳套(けんとう)

 その流派で用いられる何十もの技や動きをつなぎ合わせ、一つのセットにしたもの。空手でいう「型」。

 これを何度も反復練習することで、その流派における【勁擊】、足さばき、体さばきなどといった体の使い方を覚える。

 ただし【拳套】はあくまで、その流派の文法のようなもの。これを実戦で使うための訓練は他にある。「型をやれば強くなれる」のではなく「型をやらないと強くなれない」のである。

 

 

 

 

 

(きん)

 武法士が体内に持つ、特殊な運動器官。

 【筋】という名前でこそあるが、普通の筋肉よりも性能が上。いわば「高性能の筋肉」。

 その主な特徴は、以下の通り。 

 

  ①筋肉は膨張して力を出すが、【筋】は伸びて突っ張ることで力を出す。

  ②筋肉は衰えやすいが、【筋】は非常に衰えにくい。

  ③【筋】は筋肉よりも成長が遅いが、その成長限界は無いに等しい。

  ④筋肉の性能には男女差があるが、【筋】には男女ともに性能が同じ。

 

 【筋】は、【易骨】によって整えられた肉体にのみ現れる。実際に【筋】という器官が存在するわけではないが、"感覚的には"確かにある。

 【勁擊】の時、全身を動かしているのは【筋】。そのため【筋】が強くなれば、【勁擊】も必然的に強くなる。

 

 

 

 

 

易筋功(えききんこう)

 【筋】を鍛えるための修行法。

 鍛えたい部位の【筋】へ、常に一定の負荷をかけ続けて鍛える(筋トレのように、断続的に負荷をかけるのではない)。

 【架式】も広義的に考れば、【易筋功】に分類できる。

 

 

 

 

 

意念法(いねんほう)

 強いイメージ力を用いて、身体能力を強化したり、技に特殊な効果を付与したりする技術。

 プラシーボ効果とほぼ同じ原理。

 流派によって様々な方法が存在する。

 

 



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道中編
ひっちはいく


 ――【滄奥市(そうおうし)】を発ってから、三日が経過した。

 

 あの町を去って間もない時は、名残惜しさが心にあった。

 

 しかし出発して一日経つ頃には、その名残惜しさは、まだ見ぬ世界を求める冒険心へと変わっていた。

 

 方位磁針(コンパス)片手に、見知らぬ土地を旅する――それはまさしく、前世にたくさん読んだ冒険小説のストーリーそのままだった。

 

 病院のベッドが相棒だった前世のボクにとって、冒険など、紙面やディスプレイの中の出来事でしかなかった。

 

 そんな夢物語を今、こうして実現することが叶っている。その事実にボクは胸がいっぱいになった。武法と関わる時とはまた別の感動がある。

 

 これも李星穂(リー・シンスイ)として、この異世界に転生されたおかげだ。

 

 

 

 ――さて、その話はひとまず置いておき、現状の話に移ろう。

 

 

 

 この三日間、ボクとライライ、そしてミーフォンの三人は、順調に帝都までの距離を縮めていた。

 

 一日目で、【黄土省(こうどしょう)】と【朱火省(しゅかしょう)】の堺にある関所へ到着。

 

 ライライとミーフォンは武器こそ携帯していたものの、少ない上に暗器レベルの小型武器ばっかりだったので、すぐに通り抜けられた。

 

 ……が、ボクはそれ以上の速さで関所をパスしてみせた。【黄龍賽(こうりゅうさい)】参加者の証である【吉火証(きっかしょう)】を見せ、帝都へと向かう正当な理由を示してみせたからだ。

 

 それからもボクらは、方位磁針の指し示す北の方角に向かって真っ直ぐ進んだ。

 

 途中で村や町を見つけてはそこへ立ち寄り、食事や休憩をしたり、飲み水を補給したりした。

 

 夜寝る時は人気のない川辺や林を見つけ、そこで暖をとりながら眠る。女の子としてどうかと思うライフスタイルだが、いちいち宿に泊まっていたらあっという間に予算がすっからかんになってしまう。帝都に着くまで今しばらく我慢だ。

 

 そんな風に道中を過ごしながら、北上を続けていた。

 

 ……そして、現在も。

 

 ボクらは大きな手提げ鞄を片手に、両側を林に挟まれた一本道を歩いている。

 

 控えめな光をもった朝日の下、北と南へ真っ直ぐと伸びる黄土色の一本道。その道を挟むように、左右には広大な林が広がっていた。無数の針葉樹が剣山のごとく伸び連なり、深緑の影を作りながら奥へ奥へと続いている。

 

 左右の林のうち、右のずっと奥には川がある。

 

 なぜ知ってるかって? 答えは簡単、そこで昨日の夜眠っていたからだ。

 

 これがなかなか良スポットだった。川なので水浴びができ、おまけに魚も多くいる。ボクは幼女時代に培った野生児的テクニックを駆使し、シャケを数匹捕まえてみせた。おかげで昨晩はご馳走だった。

 

 そしてついさっき、その川から林を伝い、この道へ出てきたところである。

 

 ボクは父様の部屋からかっぱらってきた地図を取り出し、大雑把に現在地を目算する。結果、ここが【黄土省】の南端部である事が分かった。

 

 まだまだ道はあるが、それでもやっぱり地道に帝都へ近づいているのだ。

 

 帝都の近くには一際大きな関所があるらしいので、それを見つければもう着いたも同然だ。

 

 兎にも角にも、ただただ北へ進めばいいのである。

 

 このままのペースを維持すれば、余裕で間に合うはず。

 

 ふと、ボクの長袖が、横から微かな力でくいくい引っ張られる。

 

「……あの、シンスイ」

 

 三人の中で最も長身の少女――宮莱莱(ゴン・ライライ)が、蚊の鳴くような小さい声でボクを尋ねてきた。

 

「どうしたのライライ? まだ眠たい?」

 

「う、ううん。そうじゃないの。そうじゃなくて、えっと……あの…………」

 

 何かを恥じらうようなその様子に、ボクは無言で首をかしげる。

 

「その……私、臭わないかしら?」

 

 ライライが頬をほんのり染めて訊いてくる。我が身を抱くような仕草によってその巨大な双丘(おっぱい)がぐいっと強調され、思わず生唾を呑む。

 

 それと同時に、ボクは「ああ、なるほど」と思った。

 

 【滄奥市】を出て以来、ボクらはちゃんとしたお風呂に入っていない。水浴び程度しかしていないのだ。女の子としてはやはり気になるのだろう。

 

 それに昨日、随分念入りに水浴びしてたよね、ライライ。……その美しい裸体に何度視線を吸い寄せられそうになったことか。

 

 ボクは若干ためらいながらも、もじもじする彼女に近づき、犬猫のように鼻をすんすんする。

 

 そして、その感想――変態みたいな表現で申し訳ない――を率直に述べた。

 

「全然臭くないよ」

 

 ていうか、むしろ凄く良い匂いがする。

 

 女の子特有の匂いっていうのかな。甘さ九割、香ばしさ一割って感じ? 嗅いでると安心するっていうか、今はもう会えないお母さんを思い出すっていうか、なんていうか……。

 

 って、ちょっと待った。そこまでにしておけよボク。女友達の匂いを評論家のごとく表現するなんて、まさしく変態の所業ではないか。

 

 自分を戒めていたその時、三人の中で一番小柄な少女――紅蜜楓(ホン・ミーフォン)が勢いよく抱きついてきた。

 

「お姉様も変わらず良い匂いです! 安心してください! ああんっ、あたしこの匂い大好きぃ!! ビンに詰めて【嬰山市(えいざんし)】に持って帰りたぁい!! すぅぅぅぅぅぅぅっ!!」

 

「ちょっ、ミーフォ――あははは! くすぐったいよぉ!」

 

 ボクの首筋に顔を突っ込んで鼻息を激しく吸うミーフォンに、くすぐったくなる。間近で漂ってくる彼女の匂いは、やはり良い匂いだった。

 

 見ての通り、ミーフォンはえらくボクに懐いてくれているが、別にレズビアンというわけではないらしい。彼女曰く「たまたま好きになった人が女の子だっただけですわ!」とのこと。その時ボクは何て言ったらいいか分からず「ああ、そう……」と返してしまった。

 

 ――その時、後ろから馬のいななきのような音が微かに聞こえてきた。

 

 ボクはほぼ条件反射で、首だけを後ろへ向かせた。

 

 視線の遥か先には一台の馬車が見え、少しずつ手前へと接近していた。

 

 それを認めた瞬間、ボクは釣り針に(たい)がかかったようなラッキーさを感じた。

 

「よし。ヒッチハイクだ」

 

 グッと拳を握り、気合いを込めて小さく呟いた。

 

 「ひっちはいく?」と小首をかしげるライライを放置し、馬車の行く道を通せんぼする。

 

 馬車はあっという間に近くまでやって来た。

 

 ボクの姿を見るや、御者さんは慌てて馬を止めさせた。

 

「危ねぇなぁ! こんな所に立ってんじゃねぇよ! 死にてーのか!」

 

 当然ながら、御者さんは怒っていた。

 

 ボクは頭を下げつつ、

 

「ごめんなさい。でも、どうしても停まって欲しい用がありまして」

 

「用だぁ? 一体なんなんでぇ?」

 

「この馬車、目的地はどこですか?」

 

「【黄土省】の南西にある「楠楼郷(だんろうごう)」って村だが、それがどうしたんだよ?」

 

「この馬車、北へ進みますか?」

 

「このまま真っ直ぐ進んだ先にある【藍寨郷(らんさいごう)】って村までなら…………ああもう! さっきから何なんだ!?」

 

 ウンザリしたような質問が飛んでくると、ボクは顔を上げ、御者さんの目を真っ直ぐ見ながらはっきりと言った。

 

「もしよろしいなら、その【藍寨郷】って所まで、乗せて行ってもらえますか?」

 

 御者さんは何を言わんやといった表情を浮かべ、

 

「あのなぁ嬢ちゃん、この馬車は物を運ぶためのモンなんだ。人間はお呼びじゃねぇんだよ」

 

「そこをなんとかお願いします。もちろん、タダでとは言いません。ボクらは三人とも武法士です。なので目的地に着くまでの間、この馬車を守るのをお手伝いします」

 

 ボクがそれを口にした瞬間、馬車の奥にいる三人の男の目が剣呑な光を発した。おそらく、この馬車を守る鏢士(ひょうし)だろう。

 

 御者さんは困ったように頭を掻きながら、

 

「鏢士ならもう間に合ってんだがなぁ」

 

「でも、手勢は一人でも多い方がいいと思います。荷台に積まれたその品物を怖い人たちに取られたら困るでしょう?」

 

「……そりゃ、そうだけどよ」

 

 返事に窮している御者さんの横へ、鏢士の一人が身を乗り出してきた。彼は憤慨した様子で言い放つ。

 

「図に乗るな小娘が! 鏢士の職務が簡単だと思っているのか! 木っ端武法士ごときに務まるものではないっ!」

 

 それを聞いたミーフォンは「は?」と眉根をひそめて喧嘩腰になり、

 

「舐めてんじゃないわよ木っ端武法士。お姉様が本気になれば、あんたなんか一瞬であの世行きなんだから」

 

「何だと貴様! 侮辱は許さんぞ!」

 

 さらに怒りの温度を強める鏢士。今にも掴みかからんばかりの勢いだ。

 

 ボクはやや語気を強めてミーフォンをたしなめた。

 

「ミーフォン、やめなさい」

 

「っ……分かりました、お姉様」

 

 怒られた子供のようにシュン、と気落ちするミーフォン。

 

 せめてものフォローのため、彼女の頭を優しく撫でてから、

 

「連れが申し訳ありません。でも、もしボクの実力をお疑いなら、一つ手合わせをしませんか」

 

「……手合わせだと?」

 

「はい。拳での手合わせです。ボクが負けた場合は、素直に引き下がります。どうでしょうか」

 

 ボクの口調は、まるでカンペでも見ながら話したような整然さを持っていた。

 

 ……それもそのはず。あらかじめ準備しておいたセリフだからだ。

 

 ボクらはここに来るまで、北へ進む馬車を何度もヒッチハイクしてきた。大体は予選大会優勝者の証である【吉火証】を見せて強さの裏付けを示せば済むのだが、時々、実際に実力を見せないといけない場面にも直面した。今この時のように。

 

 ボクが今言った言葉は、そんな時のために用意しておいたものだ。

 

 鏢士はあっけにとられたような顔をするが、すぐに静かな闘志に満ちた表情へと変わった。

 

「……いいだろう。鏢士が伊達ではない事を教えてやる。いい社会勉強になるだろうよ」

 

 ボクは「ありがとうございます」と軽く頭を下げた。

 

 鏢士は腰に下げていた鞘入りの直剣を荷台の中に放り込むと、馬車から降りた。

 

 ボクもミーフォンに手提げ鞄を預けてから、二人を端っこへ下がらせる。

 

 ある程度距離をとってから、ボクと鏢士は向かい合う。

 

「――では」

 

 鏢士は右拳を胸前へ持ってくると、それを左手で包みこんだ。【抱拳礼(ほうけんれい)】。

 

「――はい」

 

 ボクも同じく右拳を包む。

 

 そして、互いに構えをとった。

 

 両者ともに、体の半分を前に出した半身の体勢。前の腕と膝で正中線を隠し、敵の来襲に備える。

 

 前の手の指先を通して、小銃の照門よろしく相手の姿を捉える。鏢士も同じ方法でボクを見ていた。ボクら二人の視線がぶつかり、重なり、二本の線と化す。

 

 しかし、止まったままにはならない。ボクは彼の一挙手一投足から目を離さぬまま、立ち位置を前後左右あらゆる方向へずらす。

 

 そして鏢士も足さばきをしきりに刻み、ボクとの一線上の関係を律儀に守る。

 

 両者の構え方も一定ではなく、色々な形に変わる。ボクの構えに応じて鏢士の構えが変化。そしてその変化に対応するべくボクの構えが再び変化…………立ち位置を変えながらそれらを繰り返すボクら二人は、まるでダンスを踊っているかのようだった。

 

 最初は食い入るように見ていた御者さんも、今では飽きたようにあくびしている。しかし彼を除く全ての人間――ライライとミーフォン、そして残りの鏢士たち。全員武法士である――は、ボクらのやり取りを緊迫した眼差しで見つめていた。

 

 ボクらは遊んでいるわけではない。

 

 付け入る隙を探っているのだ。

 

 素人目には、ただ歩きながら逐一変なポーズを取っているようにしか見えないだろう。だがその中には素人では認識できない、めまぐるしい駆け引きの嵐が巻き起こっているのだ。

 

 さすがは強者揃いの鏢士というべきか、なかなか隙が掴めない。穴を見つけたと思った時には、すぐにそこを塞がれる。しかも慌てて直した感じが一切無く、流れるような自然な動き。動作が深く体に染み付いている何よりの証拠だ。

 

 ボクから隙を見つけて攻めるのは難しそう。

 

 ――それならば。

 

 ボクは足を一度止めると、スッと両手を垂らして構えを解いた。

 

 そして、正中線をおおっぴらにさらけ出したまま、鏢士へ向かって歩き出した。

 

「――っ!?」

 

 鏢士の喉元から、唾を飲む音が微かに聞こえた。

 

 今のボクは確かに無防備な状態だ。

 

 しかし、敵にそんな姿をわざわざ晒す時点で、罠の香りがするだろう。自分を痛めつける特殊な趣味でもない限り、何か対策を練っている事は確実なのだから。

 

 鏢士は今、二者択一を迫られている。

 ギリギリまで様子を見るか。

 危険を覚悟で打つべきか。

 

 が、性格的に即決の人なのだろう。彼はすぐに選んだ――後者を。

 

「シィッ――!!」

 

 鏢士は疾風のような一喝と足運びを同時に用い、右拳を先にしてボクへ急接近してきた。

 

 速い! 予想以上だ! さすがは鏢士!

 

 でも――狙いがバレバレだ!

 

 今のような作為的な無防備さに対して攻撃する者は、最も速度があり、なおかつそれなりに威力もある技を使いたがる傾向がある。「相手が反応しきれない速度で、先に打ち込んでやろう」という気持ちに駆られて。

 

 さらにその場合、最も決定打になりやすい部位を、無意識のうちに狙おうとする。一撃で仕留めたいがために。

 

 その部位とは、人間の急所が集まる垂直のライン、つまり正中線のどこか。

 

 ――その時点で、もう勝負はついている。どんなに速い攻撃も、どこに来るかが分かっていれば、避けるのはそう難しくない!

 

 鏢士の右拳が、フィルムのコマをいくつか省略したような速度でボクへと急迫。

 

 しかし、その拳の前方に、狙いの正中線は無かった。

 

 なぜなら――すでにボクは全身を反時計回りひねって、正中線の位置を右へずらしていたからだ。

 

 ボクの胸と並行の位置関係となった鏢士の右腕を、左手で掴む。

 

 そして、そこから流れを途切れさせずに右足で踏み込む。同時に、右肘を鋭く突き出した。

 

 

 

 ――ボクの【移山頂肘(いざんちょうちゅう)】は、鏢士のみぞおちに突き刺さる寸前で止められていた。

 

 

 

 少し遅れてそれに気づいた鏢士は、顔を青くする。

 

「……もしボクがその気なら、この肘はあなたの胸に刺さっていました。まだ続けますか?」

 

 そう落ち着いた口調で問うと、鏢士の周囲から殺気が消えるのを感じた。

 

 ゆっくりと手を離す。彼はもう向かっては来なかった。

 

「……俺の、負けだ」

 

 鏢士はかすれた声でそう言う。

 

 ボクは冷静な態度を装いながらも、内心ではホッとしていた。

 

 彼は今職務中なので、怪我をさせたくなかったからだ。これ以上続かなくて良かったと思う。

 

 鏢士は気力の無い声で、しかしその中に驚きの響きを混ぜて再び訊いてきた。

 

「……君は一体何者なんだ?」

 

「ボクの名前は李星穂(リー・シンスイ)。訳あって、帝都に用事があるんです」

 

「女に対して失礼な問いだが……年齢は?」

 

「十五です」

 

 途端、鏢士のテンションがガクリと下がった。

 

「十五歳……俺は…………こんな子供に……」

 

 そうボソボソ呟く彼は、目に見えて落ち込んだ様子だった。

 

 ……当然かもしれない。強者揃いの鏢士に名を連ねるはずの自分が、こんな小娘に負けてしまったのだから。

 

 なんだか、彼の面目を潰してしまった気がして、心苦しい。

 

 ――ここは、一計を講じようかな。

 

 そう思い立ったボクは、ミーフォンのもとへ歩み寄る。預けてある鞄から【吉火証】を取り出し、それをみんなに見せた。

 

 ライライとミーフォンを除く、その場の全員が目を見張った。

 

「それは……【吉火証】!?」

 

「はい。ボク、これから【黄龍賽】に参加するために帝都へ行かないといけないんです」

 

 驚愕混じりの声でつむがれた鏢士の言葉を、ボクは落ち着いた態度で肯定する。

 

「なるほどなぁ。今年の【黄龍賽】本戦参加者か。どうりで強ぇわけだ」

 

 御者さんが関心したように一人呟く。

 

 ――よし、ボクへの評価が上がった。

 

 心の中でガッツポーズ。

 

 これで乗せてもらえる確率が高くなっただろう。

 

 何より「こいつほどの武法士に負けたのは仕方のないことだ」と思わせる事にも成功したはず。鏢士の面目もいくらか保たれた……と思う。

 

 それに、この鏢士も結構な手練だった。それは決して嘘じゃない。

 

「あの、乗せてもらえますか?」

 

 ダメ押しに、もう一言頼んでみた。

 

 御者さんはしばらく黙考すると、仕方ないとばかりに溜め息をつき、

 

「分かった。【藍寨郷】まで、鏢士の手伝いをしてもらおうかね」

 

 それを聞いた瞬間、ボクは喜びながらライライたちと手を叩き合わせた。

 

 ボクら三人は各々の荷物を持ち、嬉々として荷台の後ろへ入った。

 

 入った途端、鏢士二人の不愉快そうな眼差しにお出迎えされた。ボクらはそれに耐えつつ、空いているスペースに腰を下ろした。

 

 それほど大きな馬車ではないため、荷台の中はちょっとばかり窮屈だ。でも、乗せてもらえるだけでもありがたいのだ。文句はなしだろう。

 

 最後に、ボクが戦った鏢士が乗り込んできた。

 

 彼はボクを真っ直ぐ見ると、

 

「……済まなかった」

 

 悔しさと申し訳なさのこもった一礼をしてきた。

 

 ――もしかすると、面目を守ろうというボクの意図はバレバレなのかもしれない。

 

 だが、その事をあえて突っ込まず、当たり障りのない返し方をした。

 

「謝ること無いですよ。ボクらが皆さんのお仕事を邪魔しているのは事実ですから。【藍寨郷】に着くまで、ご厄介になります」

 

「……ああ。よろしく頼む」

 

 ボクと対面して座った彼は、そう頷いた。

 

 その口元が微かながら笑みを形作っているのを確認し、穏やかな気持ちになったのだった。

 



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突然の挑戦者

 起伏の激しい道を通り、荷台で揺られること約三十分。

 

 「もうすぐそこだ」という御者(ぎょしゃ)さんの呼びかけに反応して前方を見ると、遠くに建物の集まりがあるのを確認できた。

 

 その集まりは徐々に大きくなっていき、やがて視界すべてを埋め尽くした。

 

 御者さん曰く、そこが【藍寨郷(らんさいごう)】とのこと。

 

 寝ぼけ眼だったボクらはすぐに覚醒し、各々の鞄の取っ手を握ってスタンバイ。

 

 馬車は村に入って少しした所で停まった。ボクらは馬車に乗っていた人たちにまとめてお礼を言うと、荷台の後ろから降りた。

 

 御者さんは馬を休ませるため、もう少しこの村にとどまるらしい。

 

 改めて感謝を告げてから、ボクらは彼らと別れたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 この【煌国(こうこく)】には、【奐絡江(かんらくこう)】という長い長い川が流れている。

 

 その川はいくつもの支流に枝分かれして【煌国】全土に血管のごとく張り巡らされており、各地の村や都市へ水の恩恵を与えている。

 

 【奐絡江】の水の力は人々の暮らしを著しく助けているため、『煌国の血脈』という別名を持つ。

 

 さらに【奐絡江】のもたらした恩恵はそれだけにとどまらない。

 

 船による水上移動によって、余所の都市との連絡や交易が可能となったのだ。

 

 さらにその交易によって行き来したのはヒト・モノ・カネだけではない。数多くの武法も流出した。それによって伝承範囲が拡大したり、違う土地の武法同士が混じり合って新しい流派が興ったりした。つまり【奐絡江】は、武法の発展にも一役買っているのだ。

 

 ……さて。説明した【奐絡江】が今のボクらとどう関係しているかというと、この村――【藍寨郷】の位置だ。

 

 【藍寨郷】の斜め上辺りでは、【奐絡江】の支流が二本に分かれている。その二本の支流の又に挟まれた土地の中に、この村は存在するのだ。――より正確には、北側の支流付近にある。

 

 ボクらは馬車と別れた後、その【藍寨郷】を少し歩いた。

 

 中央辺りにある大樹を囲うように、建物がいくつも並んでいる。正直、それほど大きくはない村だ。しかし村中央の広場にある大樹は、大人四、五人が両手を広げてようやく囲えるほどの太さを持ち、どの建物よりも長大だ。確実に樹齢千年は超えているだろう。

 

 見ると、その巨大な幹に頭頂部をくっつけている少年が一人いた。年齢は、おそらく九歳か十歳くらい。

 

 その子は頭頂部――正確には頭頂部の中心にある経穴「百会(ひゃくえ)」――を大樹の幹に押し当てながら、ゆっくりと深呼吸を繰り返している。

 

 何をしているのか、ボクには一瞬で分かった。

 

 ――あれは【連環功(れんかんこう)】と呼ばれる、【気功術(きこうじゅつ)】の初歩の修業だ。

 

 【易骨(えきこつ)】によって骨格が理想の配置に整うと、【気】の流通ルートである【経絡(けいらく)】が広がる。それによって【気】の流れが円滑化し、【気功術】が使える体となる。

 

 しかし【経絡】の広がりは、あくまで【気功術】を使用する準備が整っただけに過ぎない。次に、体内の【気】の流れを感じとる能力を養う必要がある。その能力がなければ、そもそも【気】を操ることなどできないからだ。

 

 そのために【気功術】初心者は、あの修業――【連環功】をやるのだ。

 

 成長した樹は、その内部に良質な【気】をたくさん含んでいる。【連環功】の修行者はその樹の幹に頭頂部をくっつけ、百会穴から吸い取るイメージで樹の【気】を体内へ取り込む。そしてその取り込んだ【気】をイメージの力で足裏にある経穴「湧泉(ゆうせん)」へ流し、そこから地中へ排出する。その排出された【気】は根っこに吸収され、再び樹の中に戻る。そして修行者はまた樹から【気】を取り込み、排出。そして樹はまた取り込む…………そんな順序を何度も繰り返すことで、【気】が体内で流通する感覚を学ぶのだ。

 

 その修業をしているということは、あの子はほぼ確実に武法士であるといえる。

 

 ボクはあの子に、この村にはどんな武法が伝わっているのか訊こうと思った。

 

 だがその矢先、きゅーっ、とお腹の虫が鳴く声が聞こえた。

 

 ボクのお腹ではない。見ると、ライライが赤い顔でうつむいていた。

 

 ……そういえばボクら、朝ご飯もまだ食べてなかったよね。

 

 ボクは「そういえば、お腹すいたね」と同調の言葉を送ってフォローする。もっとも、ライライはさらに頬を紅潮させてしまい、全くフォローにならなかったが。

 

 けど、お腹が空いているのは事実だった。

 

 ――そういうわけで、ボクらはまず腹ごしらえをすることにした。

 

 それほど大きくはない村だ。なので、店の数も多いとはいえない。その中からジャンルを飲食店に絞ると、さらに数は少なくなった。

 

 その少数から一つの店をアバウトに選び、そこへ入る。

 

 窓際に席を見つけてそこへ座り、全員一番安い素うどんを注文。

 

 約十分少々ほどで、その品が三人分運ばれてきた。熱い赤褐色の汁に太麺が入っており、その上へ少量の刻みネギを乗せただけの簡素な品。わびしく見えるが、これも節約のためだ。それに炭水化物なので、案外これで動くエネルギーになる。

 

 三人同時にいただきますをしてから、食べ始めた。

 

 ボクは空きっ腹にかられるまま、飲み干す勢いで太麺を吸いこみ、口の中で味わう。汁に含まれたダシは麺の中まで染み込んでおり、噛んだ瞬間それが湧き出して口内を醤油に似た味で満たした。空腹という強力な調味料も相まって、中々おいしかった。

 

 ライライもミーフォンも黙々と食べている。太麺をすする音は下品にならない程度の大きさだったが、ボクら以外のお客さんが一組もいなかったので、その音はよく耳に届いた。

 

 料理を運んでくれたおばちゃん――ここの店主の奥さんらしい――は、にこにこと人好きする笑顔を浮かべてボクらの席へ歩み寄ってきた。

 

「可愛らしい子たちだねぇ。どこから来たの?」

 

 穏やかな声で投げかけられたその質問に、ボクが答えた。

 

「えっと、【朱火省(しゅかしょう)】にある【滄奥市(そうおうし)】っていう町から来ました」

 

「まぁ、そんな遠くから?」

 

「はい。今年の【黄龍賽(こうりゅうさい)】に参加するために、帝都に行かないといけないんです」

 

 おばちゃんは見事に驚きを見せた。

 

「あらあら、そんな可愛いのに凄いわねぇ。頑張ってちょうだい」

 

「あ、ありがとうございます」

 

 ボクは少し嬉しい気分になり、軽く会釈した。

 

「それにしても【黄龍賽】ねぇ……【会英市(かいえいし)】でも予選大会をいつかやって欲しいけど、残念ながらこの【黄土省(こうどしょう)】は予選大会が開かれない唯一の省なのよねぇ」

 

「【会英市】?」

 

 初めて聞く固有名詞に、ボクは疑問を表した。

 

 おばちゃんは説明してくれた。

 

「【会英市】は、この村のすぐ北に流れる川を越えた先にある町のことよ。以前までは寂れかけてたんだけど、十年ほど前にタンイェンさんが来て以来、経済的に活発になったのよ」

 

「タンイェンさん、って?」

 

馬湯煙(マー・タンイェン)――この辺りで一番の資産家よ」

 

 おばちゃんはさらに説明を続ける。

 

「北の川を越えた向こうには【会英市】と【甜松林(てんしょうりん)】の二つの町が隣り合わせであるんだけど、そこの産業や商売のほとんどはタンイェンさんの傘下にあるの」

 

「なぁにそれ? まるで小国の皇帝ね。聞けば聞くほどヤな奴に思えてくるわ」

 

 ミーフォンのひねくれた意見が飛ぶ。

 

 おばちゃんは苦笑いを浮かべながら、

 

「タンイェンさんは元々、小さい店の主人に過ぎなかったの。でもある日、お祖父さんから受け継いだ小さな山の中から、結構な量の【磁系鉄(じけいてつ)】が見つかったらしいのよ。彼はそれを元手にして事業を拡大。一躍大金持ちになったのよ」

 

「へぇ。凄いですね、それ」

 

 ボクは割と本気でびっくりした。そんなの、棚ぼたどころの話ではない。

 

 【磁系鉄】とは、この世界にある希少鉱石の一つだ。それも特に貴重な。

 

 色はヘマタイトによく似た光沢の強い鉄黒色。しかしその光沢は、色鮮やかな虹色である。

 

 そして、その最大の特徴は――【気功術】による影響を受けないことだ。

 

 【磁系鉄】は、その周囲に特殊な磁場を形成している。その磁場は【気】の流通を絶縁体のように遮断する性質を持つ。

 

 例えば、【磁系鉄】で出来た刃物があるとする。その刃物は【硬気功(こうきこう)】を施された部位に集中した【気】に分け入り、直接肉体を傷つけることができる。――簡単に言うと、ボクの【打雷把(だらいは)】と同じ「硬気功無効化能力」を持った武器ということだ。

 

 それで出来た武器を持てば、武法士との戦いでは相当な強みになるだろう。

 

 しかし、その産出量はめちゃくちゃ少なく、人の手による作成も今のところ不可能だ。なので、相場はなんと金の数倍以上。1両斤(りょうきん)あれば一軒家が余裕で買えてしまう。

 

 ライライは顎に手を当てて、

 

「【磁系鉄】か……私は見たことがないわね。シンスイは?」

 

「小さい頃に一回だけ【磁系鉄】で出来た刀を見たことがあるよ」

 

「あたしも見たことあるわ。ていうか、ウチに一本だけ純【磁系鉄】製の剣があるし」

 

 ボクは「嘘っ?」と驚く。

 

「はい。でも宝物扱いされてて、外に出す事は禁止されてますから。正直、宝の持ち腐れです」

 

「それでもすごいよ。もしそれ持ったミーフォンと戦ったら、勝てるか分からないかも」

 

「何をおっしゃいます! お姉様の【打雷把】の方が反則的じゃありませんか! それにお姉様相手じゃ【磁系鉄】も所詮付け焼刃です!」

 

 まくし立ててくるミーフォンに苦笑を返していると、おばちゃんは表情に少し影を差し、いくらかトーンダウンした声で言った。

 

「……でも、タンイェンさんにも結構いろんな黒い噂があるのよ」

 

「黒い噂、ですか?」

 

 ボクが聞くと、こくん、と頷くおばちゃん。

 

「裏の世界で有名な殺し屋を私兵として雇ったとか、彼のお眼鏡にかなった娼婦が屋敷に連れて行かれたまま帰ってこないとか、嫌がらせで住人を立ち退かせて強引に土地を手に入れたとか……」

 

 次々と列挙されていく、噂とやらの数々。

 

 だがおばちゃんは途中でハッと我に返った。

 

「……あら、あたしったら。ごめんなさいね。こんな話、食事処でするもんじゃないのに。それにあくまでも噂だから。本気にしないでね。それじゃあ、ごゆっくり」

 

 おばちゃんは取り繕うように言うと、カウンターの向こう側に立ち去った。

 

 ボクらは少しの間手と口を止めていたが、すぐに食事を再開した。

 

 ――馬湯煙(マー・タンイェン)、か。

 

 ま、いいか。別に考えなくても。これから帝都へ向かうボクらには関係ないことだ。

 

 唇に挟んでいた太麺を、ちゅるちゅるとすする。

 

 だが、店の出入り口の戸が突然勢いよく開かれたことに驚いたボクは、すすっていた太麺をぷつん、と途切れさせてしまう。

 

 店内に入ってきたのは、一人の若い男。

 

 年齢は二十代前半、もしくは半ばほど。額が少し出る程度の短い髪。その下にはスラッとした鋭い輪郭を持つ、好青年然とした顔立ち。濃紺一色の長袖に包まれた肉体は細見の長身。だがひ弱そうではなく、ほどよく鍛えられて均整の取れた体型。

 

 その男は迷いの無い足取りで店内を移動。

 

 そして、ボクらの席の前へ来た。

 

 彼はそこで立ち止まると、三人のうちの一人――ボクをまっすぐ見つめていた。

 

 その眼差しからは、目を疑うような、それでいてじっくり品定めをするような、なんとも言い表しにくい気持ちが読み取れた。

 

 ボクは噛んでいた麺を飲み込み、

 

「……あのー、何か用ですか……?」

 

 おそるおそる要件を訊いた。

 

 男はしばらく間を置いてから、ようやく口を開いた。

 

「……もし間違っていたら申し訳ないが、君は今年の【黄龍賽】本戦の参加者ではないか?」

 

 ボクは思わず息を呑む。

 

 ――どうして、彼はボクが【黄龍賽】参加者だと知っている?

 

 しかし、いったん気持ちを落ち着けてから考えると、思い当たるフシはあった。

 

 ――もしかして、さっきの会話聞いてたのかな?

 

 ここは窓際だし、硝子越しに微かに聞こえてしまったのかも知れない。

 

 いずれにせよ、バレてるなら無意味に隠しても仕方ないか。まあ、そもそも隠すようなことでもないしね。

 

「はい。ボクは李星穂(リー・シンスイ)。【朱火省】の【滄奥市】っていう町の予選で優勝して、【黄龍賽】に出場が決まりました」

 

「……俺は【奇踪把(きそうは)】の門人、徐尖(シュー・ジエン)という」

 

 その名乗りを聞いた時、失礼ながらボクは彼の名よりも、その流派の名前に気を取られた。やはり武法マニアの血ゆえか。

 

 【奇踪把】とは、変則的かつ巧みな歩法――足さばき――を得意とする流派だ。

 

 巧妙かつ規則性の無い移動で相手を幻惑し、思わぬ方向からの攻撃で倒す。それが主な戦い方だ。

 

 ……まあ。今はそれは置いておいて。

 

「それで、ボクに何かご用ですか?」

 

 ボクは再び、同じ質問を投げた。

 

 すると彼――ジエンさんはこちらの目を直視し、よく通る声で言い放った。

 

「――俺と、手合せをしてほしい」

 

 そんな唐突な要求に、一瞬目を丸くする。

 

 だが、すぐに我に返り、

 

「え、ええっ? い、いきなりそんな事いわれても……」

 

「伏して頼む。俺は別に果し合いを望んでいるわけではない。ただ、【黄龍賽】に参加する選手がどれほどの実力であるかを、日々鍛錬に精を出す身として少し確かめたいだけなんだ。頼む、少しでいいんだ。俺と手合せをしてくれ」

 

 深く、頭を下げられた。その腰は九十度近く曲げられている。えらくへりくだった態度だ。

 

 そんなジエンさんからは、何か妙な必死さが感じられた。

 

 ……なんだか、受けてあげないと悪い気がしてくる。

 

 それに、別段無理を言っているわけではなかった。

 

 彼は果し合いを望んでいないと言った。つまり殺し合いにはならない程度の、技術的交流がしたいのだろう。

 

 ――そういうことなら、むしろこっちから願い出たいくらいだった。この村の武法を拝むチャンスではないか。

 

「あのね、見て分かんないの? 今あたし達は飯食ってるのよ。そんな時に手合せなんて請われても――」

 

 迷惑そうな口調で追い返そうとするミーフォンを片手で制する。

 

 ボクはジエンさんににっこり笑いかけ、告げた。

 

「――分かりました。ただし、食べ終わるまで待ってくださいね」

 



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試合、そして暗躍

 うどんを食べるペースを早め、あっという間にお腹に収めた。

 

 それから少しばかり食休みし、お腹の膨満感がある程度和らいでから、ボクらはお勘定を払って店を出た。

 

 ジエンさんの後について行き、たどり着いたのは【藍寨郷(らんさいごう)】中央の、大樹のある広場だった。

 

「――ここでいいか」

 

 ジエンさんの問いに、ボクは無言で頷いた。

 

 運が良いことに、広場には今は誰もいなかった。なので、周囲に気兼ねなく戦える。

 

「シンスイ、気を付けて」

 

 案ずるようなライライの一言。

 

 ボクは「うん」と軽く承知すると、ライライたち二人を大樹の隅っこへ行くよう促す。

 

 樹齢千年は経つであろう大樹の前には、大きなスペースが広がっている。ボクとジエンさんはそこで向かい合って立った。

 

 右拳を左手で包む形の【抱拳礼(ほうけんれい)】を互いに行った。「試合を通じて交流を深めよう」という意思の表れだ。

 

 ジエンさんはそれを解くと、ゆったりと慣れた動作で構えを取った。

 

「では」

 

 そう手短に告げるや、彼はこちらへ向かって素早く"歩いて"きた。

 

 力任せな感じが一切しない、流れるような歩法(足さばき)。川の流れを彷彿とさせる途切れの無い速度。しかしそれでいて、普通の人の全力疾走よりも速かった。

 

 あっという間に、二人の間隔が潰れる。

 

 ジエンさんは踏み込みを交えて、右掌を突き出してきた。

 

 ボクは左手を振り、それを外側へさばく。

 

 しかし反撃に移る間もなく、すぐさま左掌打が飛んできた。

 

 ボクはその攻撃を、ジエンさんの左肩の側面へ素早く移動することで回避。

 

 そのまま肩による体当たり【硬貼(こうてん)】へ繋げようとこころみる。もちろん手加減するため、重心移動の力を倍加させる【震脚(しんきゃく)】は使わない。

 

 が、踏み込みと同時にぶつかる直前――相手の姿が突然消えた。

 

 かと思えば、背後に存在感。

 

「っ!」

 

 ボクは何も考えず、全力で前へ進んだ。

 

 刹那、後ろから足踏み音と風切り音が同時に聞こえた。首だけを動かして視線を送ると、ジエンさんの正拳が伸ばしきられ、ボクの背中と薄皮一枚の間隔で止まっていた。

 

 彼はまだ止まらなかった。背中を向けたボクめがけて真っ直ぐ突き進んでくる。

 

 地に足をついたボクは、靴裏を真っ直ぐ放つサイドキックで迎え撃とうとする。

 

 ジエンさんはダンスを踊るような美しい回転で、蹴りを(コロ)の要領で受け流す。そしてそのまま蹴り足のラインをなぞる形でボクへ迫ってきた。

 

 ボクは蹴り足を迅速に引っ込める。軸足を踏み換え、回し蹴り。

 

 が、ジエンさんは回転運動を保ったまま急激に腰を落とした。ボクの回し蹴りは彼の頭上を通過。

 

 そして、しゃがみながら放ったジエンさんの蹴りが、円弧を描いてボクの軸足に迫った。

 

「うわっと!」

 

 ボクは重心を蹴り払われる寸前に軸足を跳ねさせた。彼の蹴りをギリギリでかわしつつ、後ろへ向かって虚空を舞う。

 

 着地するや、すぐさま構えて備える。

 向こうも腰を上げて、構えを作る。

 

 互いの間に、再び距離ができあがっていた。

 

 ボクはジエンさんの動きに注意を払いながら、口元でひそかに微笑みを作った。

 

 ――あの動き、まさしくスタンダードな【奇踪把(きそうは)】だな。

 

 上流から下流へ流れる水のように淀みのない移動速度。変則的なフットワークと体さばき。そして相手の意表を突く攻撃。

 

 これぞ【奇踪把】と呼べる戦い方がそこにはあった。

 

 この流派における最大の特徴は、何度も言うが、その歩法にある。

 

 足の器用さに加え、その臨機応変さを何よりも尊ぶ。それらを高めた先に得る複雑かつ変化に富んだ足の動きによって、相手の視覚を惑わしたり、思わぬ方向や角度から攻撃を加えて意表を突いたりする。

 

 しかし【奇踪把】は歩法が多彩な分、【勁撃(けいげき)】の威力が他流に比べてあまり強くない。なので【奇踪把】ではそのパワー不足を補うべく、関節を攻める技術や【点穴術(てんけつじゅつ)】も併せて学ぶのだ。

 

 これは果し合いではないので、【点穴術】はまず使ってこないだろう。問題は関節技だ。

 

 今のところ、関節技はまだ使われていない。だが、今後はそれにも十分気を配る必要がある。

 

 ジエンさんが動きを見せた。直進ではなく、ボクから見て左側から大きく弧を描く動きで急速に近づいてきた。

 

 ボクは下がりながら、右へ、左へと何度も動いて彼から逃げようとする。

 

 が、ジエンさんはまるで草むらの中を移動するヘビのような曲線軌道を描いて、どこまでもボクを追いかけてくる。

 

 やがて二人の距離が、拳が勝敗を決する範囲にまで縮まった。

 

 ボクは逃げるのをやめて、左側から迫るジエンさんと対面するように立つ。

 

 地を蹴って勢いよく直進。踏みとどまると同時にその足へ捻りを加え、全身を急旋回。その力によって腰だめにしていた右拳を走らせた。【打雷把(だらいは)】の正拳【碾足衝捶(てんそくしょうすい)】がジエンさんに鋭く迫る。

 

 しかし、当たらなかった。ジエンさんが急激に移動方向を右へ捻じ曲げ、ボクの突きの延長線上から外れたからだ。まっすぐ槍のごとく伸ばされた右腕が、彼の背中の横をスレスレで通過する。

 

 ジエンさんはそこで移動を停止。かと思えば、突き伸ばされたボクの右腕を風のような速さで捕えた。右手で手首を掴まれ、左手を肘関節に押し当てられる。

 

 この状態なら関節を極めることも、後ろへ引き倒すこともできるだろう。

 

 けど、そうはいかない。

 

 次の行動を起こそうとするジエンさんの機先を制して、ボクは【勁撃】を開始した。

 

 ――浮かせた両踵で激しく【震脚】。

 ――腰を急激に沈下。

 それらによって生まれた運動量が一つになり、ボクの右腕に強い力を与えた。

 

「のあっ!?」

 

 次の瞬間、ボクの右腕を捕まえていたジエンさんが急激に"跳ねた"。

 

 【迅雷不及掩耳(じんらいふきゅうえんじ)】。両足による【震脚】で生まれた大地からの反発力を腕に伝達させ、その力で強力な打撃を放つ技。彼は今、その力によって真上に吹っ飛んだのだ。

 

 彼はボクの背丈を超える高さまで達し、そこでようやく自由落下を始めた。

 

 背中からドターン、と着地。

 

「だ、大丈夫ですか!?」

 

 ボクは慌てて、仰向けに倒れたジエンさんに駆け寄る。吹っ飛んだ高さと勢いが尋常じゃなかったからだ。とっさの判断だったため、手加減がうまくできなかった。

 

 彼は案ずるボクを手のひらで制しながら、

 

「……大丈夫だ。胴体には当たっていない。持ち上げられただけだ」

 

「本当ですか?」

 

「ああ。……それにしても、凄まじい勁力だった。まともに直撃していたら確実に沈んでいただろうな。なるほど、【黄龍賽(こうりゅうさい)】本戦参加者というのは伊達ではないようだ」

 

 言いながら、ジエンさんはゆっくりと腰を上げて立った。

 

 そして、右拳を包む【抱拳礼】をしたまま、深く頭を下げてきた。

 

「――突然に無理を言ってすまなかった。そして、得難い経験をさせていただいた事に深く感謝する」

 

 そう告げると、ジエンさんは背中を見せ、その場から去っていった。

 

 徐々に小さくなっていくその後ろ姿を、呆然と見送るボクら。

 

「なんだか……あっさりと引き下がったわね」

 

 ライライがふと、そうこぼす。

 

 ……確かにそうかもしれない。もう少し続くと思ったのに。

 

 あれほど必死に手合せを頼んできた割には、ずいぶんと速い幕引きだ。

 

「……ま、いっか」

 

 けど、すぐに「大したことじゃない」と感じ、思考を打ち切った。

 

 正午に近づきつつある時間、天上の太陽はその光を強めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――それから数分後。

 

 

 

 【藍寨郷】を外れて少し北へ進んだ先には、【奐絡江(かんらくこう)】の支流の一本がある。支流の中では細い方だが、それでも横幅は軽く目算して20(まい)ほどだ。

 

 その20(まい)もの断絶を繋いで道を作っているのは、一本の石橋。上へ軽く反り返った石の道が向こう岸へと通じ、南と北の人々の往来を許していた。

 

 その少女――高洌惺(ガオ・リエシン)は、南側の岸に立っていた。

 

 リエシンは村の方角から伸びる道から、濃紺色の点が近づいているのを発見した。

 

 その点は徐々に具体的な容姿を明らかにしていき、やがて見知った姿となった。

 

「――遅かったじゃない、(シュー)師兄」

 

 リエシンは、帰ってきた兄弟子をやや非難の響きが混じった声で迎えた。

 

 濃紺の長袖の留め具を襟までぴっちり閉じた、清潔感のある出で立ちの青年――徐尖(シュー・ジエン)は、そんな妹弟子へ済まなそうな顔を向けて、

 

「申し訳ない。先方は食事中だったようでな、満腹感が落ち着くまで待っていたため、少し時間がかかった」

 

「親切ね、師兄は。……まあ、私の「計画」に手を貸す時点でそれは分かっていたけれど」

 

「俺だけではない。武館の門弟はすべてお前の味方だリエシン。流派とはそういうものだ」

 

「……ありがとう、(シュー)師兄」

 

 リエシンは心からの感謝を告げた。

 

 自分が彼と同じ武館に入門してから、すでに一年以上が経過している。十四歳という、武法を始めるにしてはやや遅めの年齢だったが、一年経った今ではどうにか【易骨(えきこつ)】に太鼓判を押してもらえていた。

 

 最初は口数が多くなく、表情の変化にも乏しいこの兄弟子に近寄りがたかった。けど半年前に二人きりで話す状況になった時、実はとても親切な性格であることを知った。以来、彼に普通に接することができるようになった。

 

 兄弟子は「気にするな」と軽く告げてから、本題に入った。

 

「先ほど、予定通り李星穂(リー・シンスイ)と一戦交えてきた。もちろん、包んだのは右拳だ。命をかけるほどの戦いではない。目的はあくまでその力量の見極めだ。お前の「計画」を実行するに足る武法士であるかのな」

 

 リエシンは兄弟子の真剣な表情を見ながら、尋ねた。

 

「それで、どうだったの?」

 

「率直にいうならば――」

 

 兄弟子はふと、言葉を途切れさせた。

 

 その額に浮かんでいる脂汗を見たリエシンは、胸がざわめいた。

 

「――想像以上の力量だった。俺の攻撃が一度も当たらなかった上に、【勁撃】の威力も並大抵ではなかった。あれほどの攻撃力を持った武法士は見たことがない。もしも先ほどの戦いが果し合いなら――俺は今頃冥土に行っていたかもしれない」

 

 その説明を聞いて、背筋が寒くなる。

 

 彼は自分の通う武館で一番の実力者だ。そんな彼にここまで言わせた李星穂(リー・シンスイ)という少女に対し、リエシンは畏怖の念を抱かずにはいられなかった。

 

 が、それと同時に、好都合だと口端を歪める。

 

 それほどの力を持っているのなら、自分の「計画」にあつらえ向きだ。

 

 しかし、もう一つ大切な要素がある。

 

「もう一つ聞きたいのだけど、その子は「噂」通り"美少女"だったのかしら」

 

「……ああ。それも間違いなかった。誰が見ても「美しい」と形容するであろう容姿だ」

 

 ――完璧だ。

 

 「計画」には"強さ"と"美しさ"、その両方を持つ者が必要なのだ。

 

 そして彼女は、それらを兼備しているという。

 

 願ってもない人材だった。これを逃せば、もう二度と同じチャンスはめぐってこないと言えるほどに。

 

「――決まりね。さっそく始めましょう」

 

 リエシンは確信をもってそう言うと、兄弟子とともに橋を渡り、北へ向かったのだった。

 



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奪われた吉火証

 正午辺りまで一休みしてから、ボクら三人は【藍寨郷(らんさいごう)】を後にした。

 

 少数ながら村に停まる馬車を片っ端から調べたが、残念ながら北へ真っ直ぐ進路を取る車両は無かった。

 

 そういうわけで、徒歩による北上が決まった。

 

 【藍寨郷】を出てから北へ少し進んだところに、【奐絡江(かんらくこう)】の支流が横一直線に大陸を切り分けるようにして伸びている。向こう岸へと繋がる古い石橋を渡り、さらに進むこと十数分。

 

 ボクらは現在、広葉樹林の中に真っ直ぐ伸びた道を歩いていた。

 

 無数に伸び連なる広葉樹は、下から上へ放出するように枝葉を広げている。その樹林の一部をごっそり削り取ったかのような土の一本道を、一歩一歩踏み進んでいた。

 

 道の左右の茂みに伸びた広葉樹の葉が重なり合い、木漏れ日の混じった日陰を作っている。そのため、ピークに達した日差しもぬるく感じる。山も谷も無い平坦な道のりも手伝って、快適に進めた。

 

 ボクらの歩く方向は、方位磁針の負極が指し示す方向とほとんど一致していた。

 

「このまま順調に進めるといいわね……」

 

 ライライがぼそり、と一言こぼした。

 

 ボクは少し苦い顔をして、

 

「うわ、なんかそれフラグっぽいからやめてよ」

 

「ふらぐ、って何?」

 

「へっ? ……い、いや、何でも無いよ。こっちの話」

 

 きょとんとするライライの質問に、ボクはそう適当にごまかした。

 

 いけないいけない。つい地球語を使ってしまった。

 

 でも、しょうがないじゃん。まさにフラグっぽい台詞だったんだから。「俺、この戦いが終わったら結婚するんだ……」っていう台詞と似たような匂いがしたし。

 

「そ、それよりさ、二人は帝都に行った事あるの?」

 

 ボクは突っ込まれないうちに、強引に話題の方向を捻じ曲げた。

 

 わざとらしい口調だったが、彼女たちは怪訝な顔一つせずに答えてくれた。

 

「私は無いわね。だから、少しだけ楽しみだったりするわ」

 

「あたしは何度かありますよ。宮廷の演武会とかで」

 

 ボクはミーフォンの台詞に食いついた。【太極炮捶(たいきょくほうすい)】宗家の事情には非常に興味があった。

 

「へぇ、もしかしてミーフォンも出たの?」

 

「いえ、皇帝陛下や皇族の方々の御前で演武をしたのは、ウチの親父とか、師範代とかです。あたしは付き添いで来ただけで」

 

「そっか」

 

 【太極炮捶】は全ての武法の原型にして、由緒正しき大流派だ。その流派に伝わる技術の数々は、数百年の歴史を経て数多の武法が生まれた現在でも非常に高く評価されている。演武のために宮廷から呼び出されるのもさもありなん、である。

 

 ちなみに演武では、主に【拳套(けんとう)】を披露する。しかし人に見せる【拳套】は伝承を盗まれぬよう、念のためいくつかの動きを省略して行うのが常識である。

 

「そういうお姉様は、行った事ありますか? 帝都」

 

「うん。小さい頃に何度かね。最後に行ったのは十二歳かな。その時、帝都の武法士たちと結構な回数手合わせをさせてもらったよ」

 

「それで、結果はどうだったんですか?」

 

「勝ったり負けたりの繰り返し。その時はまだちょっと未熟だったからね。でも、いろんな武法が見れたから楽しかったよ」

 

 そういえば、その頃に初めて【心意盤陽把(しんいばんようは)】を見たんだっけ。あの感動は今でもよく覚えている。

 

 それからもボクらは、歩きながら帝都の話題に花を咲かせた。

 

 皇宮はどんな感じだったのか、どんな食べ物があるか、どんなものが売っているかなど。どんな武法が伝わっているかという話題に転じた途端、ボクは思わず凄まじい勢いで言い募ろうとしたが、それをありったけの自制心でストップさせた。オタクの悪い癖である。

 

 まるで遠足や修学旅行前のおしゃべりみたいなノリだった(行った事ないけど)。とても、ボクの武法士生命を賭けた戦いの前の雰囲気とは思えない。

 

 けどまあ、これでいいかもしれない。変に重い空気を作って暗い会話をするよりマシだ。

 

 そんな風に、広葉樹林に囲まれた道を歩いていた時だった。

 

 今歩いている道の右側に茂る草木の奥から、ガサガサと何かが移動する音が聞こえてきた。

 

 その音は徐々に大きくなっている。つまり、音源がこちらへ近づいているということ。

 

「うん?」

 

 ボクら三人は思わず足を止める。呑気そうな声とは裏腹に、ボクは警戒心を持って身構えていた。

 

 何か動物がいるのかもしれない。それが鹿やタヌキならまだ無視できるが、熊や虎などの猛獣だったとすれば面倒だ。場合によっては対決しないといけなくなる。武法士は猛獣を倒すコツもたくさん知っているが、それでも警戒し過ぎて損をするということはない。

 

 ガサガサと草木をかき分ける音がさらに大きくなる。

 

 やがて、そいつは姿を現した。

 

「……えっ?」

 

 右斜め前にある木の幹の陰から飛び出してきたのは――人間だった。

 

 服装は上下ともに、肌をぴっちりと覆った黒ずくめ。顔も、目を除くすべての肌を黒布で巻いて隠している。日本の忍者のような格好だ。

 

 明らかに怪しい出で立ちだが――彼の脇腹を濡らしてしたたる真っ赤な血が、ファッションの不審さを無視させた。

 

「た……助けて…………く……れ」

 

 その男はかすれきった声でそう言うと、まるで支えを失ったように倒れ伏した。

 

 うつ伏せになった彼の脇腹付近に、赤黒い血だまりが広がっていく。

 

「ど、どうしたんですか!?」

 

 ボクは思わず駆け寄り、彼の隣でしゃがみこんだ。

 

 右手に持っていた鞄を置き、血でぐっしょりと濡れた衣服に触れて体をさする。しかし、全く反応がない。

 

 物言わぬ彼とは裏腹に、その下の血だまりはどんどん拡大していく。

 

 ボクの心中に、とてつもない焦りが生じた。

 

 あまりに突然な緊急事態に頭が混乱するが、その混乱を無理矢理叩き潰して必死に頭を働かせた。

 

 どうすればいい!? この出血の量はマズイ! 今すぐ手当てが必要だ! ――でもどうやって――気功治療――ボクにはできない――【藍寨郷】に戻れば――あそこには病院があった――でももう随分離れてる――町や村にたどり着くまで真っ直ぐ進んだ方が――ダメだ、存在するかも分からないものを頼りになんてできない――事態は一刻を争う――ここは素直に元来た道を引き返して――

 

 ボクは顎に手を当てて思考の嵐を起こしていた。

 

 が、その途中に引っかかりが生じ、思考がストップする。

 

 その引っかかりの原因は、彼を触ったひょうしに手に付いた血の匂い。

 

 鼻を近づけ、改めて嗅いでみる。

 

 血液特有の金臭さが少しもしなかった。

 

 さらに、思い切ってその血を舐めてみる。

 

 

 

 

 

 ――砂糖のように甘かった。

 

 

 

 

 

 次の瞬間、ボクの右隣を突風が通過した。

 

「えっ?」

 

 ボクは顔を上げる。見ると、さっきまで倒れていたはずの黒ずくめの男が消えていた。そこにあるのは血だまりだけ。

 

 そして――ボクの鞄もなくなっていた。

 

 ボクは勢いよく後ろを振り向く。

 

 さっきまで倒れていたはずの黒ずくめの男は、ボクの鞄を脇に抱えて逃走していた。さっきまでの瀕死な状態など微塵も感じさせないほど元気いっぱいである。

 

 いち早く飛び出したのはミーフォンだった。

 

「この盗っ人野郎っ!!」

 

 怒りの声を上げ、黒ずくめを追いかけ始める。

 

 その声で、ボクはようやく我に返る。そして、現状を素早く正確に把握した。

 

 あの血は本物じゃない。何かを混ぜ合わせて作ったニセモノだ。

 

 奴は怪我なんかしていなかった。怪我人だと油断させてひったくりを行う泥棒だ。

 

 それを確信した瞬間、燃えるような熱が頭に宿った。

 

「待てっ!!」

 

 地を砕かんばかりに後足を瞬発させて、ボクは走り出した。

 

 日頃足の【(きん)】を鍛えていた成果と、怒りのボルテージのせいだろう。数テンポ遅れでスタートしたにもかかわらず、先に走っていたミーフォンとライライを追い越し、黒ずくめと一気に肉薄する。

 

 だが、ボクの伸ばした手が奴の衣服を掴みそうになった瞬間、その黒い後ろ姿がまた目の前から消えた。

 

「お姉様! あそこっ!!」

 

 ミーフォンの指差した方向を振り向く。そこには太い枝が四方八方に伸びた、一本の広葉樹。

 

 なんと黒ずくめの男は――その太い枝の一本の上に立っていた。

 

 目ん玉が飛び出そうな気持ちになった。あの一瞬で、あの高い位置にある枝へ跳んだっていうのか。

 

 ボクは戸惑いながらも、次の行動に移した。奴の立つ木めがけて弾丸のような勢いで突っ込む。【硬貼(こうてん)】で木を揺らして、枝から振り落としてやる。

 

 【震脚(しんきゃく)】で踏み込むと同時に、肩口から木の幹へドシィンッ!! とぶち当たった。真上に広がる枝葉が衝撃で激しく揺さぶられ、そこにくっついていた虫や葉や木の実が雨のように落下してくる。

 

 が、その揺れる枝葉の中に、黒ずくめの姿は無い。

 

 見ると、奴は一つ前の木の枝に立っていた。

 

 背を向けたまま前の木、前の木、前の木へと、まるでサルのように軽やかな身のこなしで飛び移って遠ざかっていく。

 

 ボクはそれを追いかけながら、あの動きの正体を確信していた。

 

 ――あれは【軽身術(けいしんじゅつ)】だ。

 

 武法における技術の一つ。全身の関節や【筋】を特殊なコントロール法で動かし、人間にあるまじき驚異的な軽やかさを実現する。その高い跳躍力と軽やかな動きは、奇襲攻撃や尾行、逃走などに使える。もっとも、実戦主義なレイフォン師匠は「あんなもの、ただの大道芸だ」と断じていたが。

 

 【煌国(こうこく)】では昔、【軽身術】の軽業を利用して盗みを働く盗賊『飛賊(ひぞく)』による泥棒が横行したらしい。

 

 そしてその飛賊は、今もたまに現れるとのこと。

 

 まさかボクは、その「たまに」を見事に引き当ててしまったのか?

 

 なんて考えている場合ではない。今は奴を――飛賊を追う事だけを考えろ。

 

 多くの木々が不規則な位置に乱立した茂みの中は、まるで迷路のように入り組んでいて、進むために右へ左へといちいち曲がらなければならず、非常に移動がしにくい。それに気を抜くと、地面からせり出した木の根に足を引っ掛けそうだ。

 

 だが地に足をつけていない飛賊は、そんな障害などお構いなしに、ぴょんぴょんと木から木へ跳んでスムーズな速さで逃げていく。

 

 その地の利の差は、両者の間で開かれる距離として徐々に表れていた。

 

 だが、諦めるわけにはいかない。

 捕まえないわけにはいかない。

 だってあの鞄には、今のボクにとって命と武法の次に大事な――【吉火証(きっかしょう)】が入っているのだから!!

 

 ボクと飛賊の追いかけっこは、まだまだ続いた。

 

 



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高洌惺

 

 ボクは日頃の鍛錬ゆえに、体力には自信があった。そのため、飛賊との追いかけっこはかなり長引いた。

 

 しかしながら、地の利の差は歴然だった。

 

 ボクは木々が乱立して入り組んだ森の中をいちいちかいくぐって進まなければならず、進行が遅かった。しかし飛賊はサルやモモンガのような気軽さで木から木へ飛び移り、ボクよりもすいすいと円滑に移動した。

 

 おまけに、飛賊の逃走には戸惑いや躊躇が無かった。まるで森の周辺の地理を熟知しているかのごときである。

 

 ボクらの差が少しずつ長くなっていくのは、必然だった。

 

 

 

 ――そして、とうとう飛賊の姿を完全に見失ってしまった。

 

 

 

 薄暗い広葉樹林のど真ん中。枝葉が重なり合ってできた天然の天蓋から漏れ出てくる陽光は、追いかけっこが始まったばかりの時に比べて弱い。どうやら、夕空になり始めているようだ。

 

「はぁっ……はぁっ……はぁっ…………!!」

 

 ボクは手近な木の幹に手を当て、体重を預けた。

 

 全身の毛穴という毛穴から汗が湧き出し、衣服を内側から濡らしていた。呼吸も荒く、心臓は間隔の狭い鼓動を何度も刻み続けている。

 

 後からずっとついて来ていたライライとミーフォンも、ヘトヘトの様子だった。

 

 一体、ボクはどれくらいの時間走ったのだろうか。必死すぎたため全然覚えていない。

 

 しかし、そんなことは些細な問題だった。

 

「…………どうしよう……!」

 

 ボクは、かつてないほどの絶望感を抱いていた。

 

 【吉火証(きっかしょう)】を、取られてしまった。

 

 取り返そうにも、飛賊の姿はもう無い。全身黒ずくめだったせいで容姿の特徴も分からないため、探しようがない。

 

 そして――このままでは【黄龍賽(こうりゅうさい)】本戦に参加できなくなってしまう。

 

 【吉火証】は本戦参加資格者の証。そして、この異世界には写真やカメラなんていう便利なものは無いため、優勝者の顔も広く知られている訳がない。もしボクが李星穂(リー・シンスイ)と名乗っても、参加資格たる【吉火証】が提示できなければその時点で偽者と判断されてしまうのだ。

 

 ボクは今、まさに最大の窮地の真っ只中だった。

 

 まるでこの世の終わりに直面した気分だ。

 

「……っ!!」

 

 凄まじい危機感を着火剤にして、再び戦意が燃え上がった。

 

 息を大きく吸い込み、また飛賊を探すべく走り出そうとした瞬間、

 

「待ちなさいシンスイっ」

 

 不意に、ライライに片腕を掴んで止められた。

 

 精神的に余裕がなくなっていたボクは、ムキになってその手を振り乱しながら、

 

「離してよっ!! あの泥棒を追いかけないといけないんだ!!」

 

「少し落ち着きなさい」

 

「落ち着けるわけないよ!! 【吉火証】がないとボクは――」

 

 続けようとしたが、ライライに左右の頬っぺを両手でむぎゅっと挟まれたため、言葉が途切れてしまった。

 

 ライライは吐息のかかる距離まで顔を近づけ、子供を諭すような口調で言った。

 

「いいから落ち着くの。もうあの黒ずくめは見失っているじゃない。闇雲に探し回ったら体力の無駄よ。まして、私たちは旅の最中なんだから、これ以上進路をそれるのは良くないわ」

 

ふぇもっ(でもっ)

 

「まだ全部が潰えたわけじゃない。今いる位置を考慮しても、【黄龍賽】が始まるまでまだ時間があるわ。その間に【吉火証】を探す方法を何か考えましょう」

 

ふぉんぁふぉふぉあふんぉっ(そんな方法あるのっ)!?」

 

「ないわ。今はね。でも、やけになって時間と体力を浪費するより、別の方法を探る方がずっと希望に溢れていると思うわ。とにかく、最後まで諦めちゃダメ」

 

 非難がましい響きをもったボクの言動に、ライライは終始冷静に対応した。

 

 ボクの中で燃えくすぶっていた火が消えていく。頭と体が冷水を通したように冷えていく。

 

 それを読み取ったのか、ライライはボクの頬っぺから手を離した。

 

「……ごめんね、ライライ」

 

「気にしないで。ほら、汗拭きなさい。女の子でしょ」

 

 そう言って、持っていた手ぬぐいで優しく顔の汗を拭き取ってくれた。

 

 不思議と、心が落ち着いていく。

 

 さすがは年長者。ボクなんかより、彼女の方がずっと大人だった。よく分からないが、寄りかかりたくなる包容力がある気がした。

 

「あ、あたしも参加するー!」

 

 ミーフォンも鞄から大急ぎで手ぬぐいを取り出し、ボクの首筋の汗をポンポンと拭き始めた。

 

 美少女二人に体を拭いてもらうというこのシチュが、まるで美女を傍らにはべらせる悪代官と同じ図に思えてきた。

 

「あの、ミーフォン、いいよ? 別にそんな無理しなくても」

 

「無理なんてしてません! あたしはお姉様の心の奴隷ですから! むしろこの(お姉様エキス)、舐め取りたいくらいです! 舐めていいですか!?」

 

「勘弁してください」

 

 三人の間に和やかな空気が生まれた。

 

 自然に笑みがこぼれる。

 

 雷雨のように荒れていた心が、快晴のように透き通った。思考もネガティブからポジティブに変わる。

 

 そうだ。まずは冷静にならないとダメだ。

 

 まだ時間はある。その間に上手いこと取り返してやればいい。

 

 ボクは頭のキレる方じゃないけど、一人じゃない。この二人が一緒なのだ。三人寄ればナントカって言うだろう。きっとなにか、いい方法が見つかるはずだ。

 

 兎にも角にも、まずはクールダウンし、これから状況が良くなると信じるのだ。

 

 

 

「――大切なものが盗まれた割には、随分と呑気なものね」

 

 

 

 だが不意に、そんな聞き覚えのない声が割り込み、ボクらの和やかな雰囲気を切り裂いた。

 

 ボクらは脊髄反射で臨戦態勢を取り、声のした方向を睨んだ。

 

 薄暗い森の木陰に、人影が一つ。

 

 その人影は足底が地に吸い付くような足取りで、ゆっくりとボクらへ近づいて来る。

 

 やがて木陰から抜け、その明確な姿が現れた。

 

 一人の少女だった。見た感じの年は、ボクと同じくらい。

 

 その黒い瞳は大きいが、ボクと違って子供っぽさが無い。反って伸びた長いまつ毛も相まって、憂いを帯びているような眼差しだった。右目の下には、小さな泣きぼくろが二つ隣り合わせでついている。肩を少し通過する程度に伸びた黒髪は右寄りで結ばれており、右肩に髪束が垂れ下がっている。

 

 文句なしに目鼻立ちの整った少女。しかしその装いは平凡というか、華やかさが感じられない。細身ながら出る所はそれなりに出たたおやか体つきだが、それを包んでいるのは簡素な深緑の半袖と黒いロングスカート。何も装飾が無く、生地も安物。質素な服装である。

 

 少女が右手に持っているものを見て、ボクは心臓を高鳴らせた。

 

「それは……ボクの鞄!」

 

 そう。見間違いようもなく、ボクの鞄だったのだ。

 

「そうよ。はいこれ、貴女に返すわ」

 

 少女はそう言うと、持っていたボクの鞄を放り投げた。

 

 ボクは慌てて前に出て、それを両腕でキャッチする。

 

 この形、生地、手触り、間違いない。間近で見て触って、改めて自分のものである事を確認した。

 

 さっきまで欲してたまらなかった感触。

 

 ボクは強い喜びを感じる一方で、強い不審感を持った。

 

「……どうして、君がこれを持ってる?」

 

 疑惑の眼差しを少女へ送る。

 

 この鞄はさっきまで飛賊が持っていたはずだ。なのに、どうしてこの娘が?

 

 まさか、この娘が飛賊の正体なんじゃ――と考えかけて止める。あの飛賊は声と体つきからして、間違いなく男だったからだ。

 

 でも、そしたらどうして?

 

 だが、それよりもまず、自分にとって今一番必要なモノの存在を確かめようと思った。

 

 ボクは鞄を開け、急いた手つきで中を探った。

 

 だが、

 

「無い……!?」

 

 どんなにかき分けても――【吉火証】がどこにもなかった。

 

 そんな!? どうしてっ!?

 

 すると、

 

「当然じゃない。【吉火証】は私の仲間が抜き取ったもの。貴女の鞄を盗んだのと同じくね」

 

 少女が無慈悲な口調で、そんな事を告げてきた。

 

「なんだとっ!?」

 

 ボクは烈火のような激情に駆られ、少女を睨みつける。

 

 しかし、彼女は少しも気圧されず、それどころか嘲り笑いすら浮かべてさらに言う。

 

「あら? いいのかしら、そんな反抗的な態度で? 貴女の大事な【吉火証】は私の手中にあるのよ? つまり私の一存で自由自在というわけね」

 

「……っ!!」

 

 激しい悔しさのあまり、奥歯を強く噛み締める。

 

 少女は嘲笑を崩さぬまま、名乗った。

 

「紹介が遅れたわね。私の名前は高洌惺(ガオ・リエシン)。よろしく、李星穂(リー・シンスイ)さん?」

 

 相手の名前より、ボクは自分の名前が呼ばれた事に対して関心が行き、そして驚いた。

 

「どうして、ボクの名前を?」

 

「つい最近、「【吉火証】を持った李星穂(リー・シンスイ)っていう美少女が、北を真っ直ぐ目指して馬車を乗り換えまくってる」っていう噂を聞いたからよ。貴女の使う武法の形式(スタイル)や、具体的な身体的特徴も交えて、ね。でもよりによって【吉火証】を見せびらかしながら旅するなんて、ちょっと迂闊だったわね。まあ、私としては大助かりだったけど。……さて」

 

 彼女――高洌惺(ガオ・リエシン)は腰に両手を当て、切り込むように言った。

 

「単刀直入に言うわ、李星穂(リー・シンスイ)。貴女の【吉火証】は、私の仲間が隠したわ。そのありかを知りたければ――私の計画に協力なさい」

 



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依頼という名の命令

 高洌惺(ガオ・リエシン)が突きつけた要求を聞いたボクは、嫌な予感を禁じ得なかった。

 

「計画……?」

 

 恐る恐るな響きを持ったボクの問いに、彼女は頷きを交えて答えた。

 

「そうよ。貴女にはこれから――馬湯煙(マー・タンイェン)の屋敷に忍び込んでもらうわ」

 

 聞き覚えのある固有名詞にボクは目を見開き、思わず小さくそらんじた。

 

「……馬湯煙(マー・タンイェン)

 

「そうよ。【藍寨郷(らんさいごう)】にいる時、小耳に挟んだ事くらいはあるんじゃないかしら? 十年前に突然現れて、【会英市(かいえいし)】と【甜松林(てんしょうりん)】の町興しをしてみせた、この辺りで一番の資産家よ。その二つの町に並ぶ店は、ほぼ全てにタンイェンの息がかかっているわ」

 

 資産家――その単語を聞いたボクは、すぐに彼女の頼もうとしている事を予想した。そう、「盗み」という予想だ。

 

 ボクは勢いよく食ってかかった。

 

「ふざけないでよっ! ボクに泥棒をやれっていうのか!?」

 

「早合点が過ぎるわよ。私はタンイェンの屋敷に忍び込めとは言ったけど、何かを盗んで欲しいとは一言も言ってない。私は人を探して欲しいだけよ」

 

「ある人?」

 

 顔をしかめながら尋ねる。

 

 すると高洌惺(ガオ・リエシン)は、不機嫌そうな、それでいて気に病むような苦々しい表情を浮かべて言った。

 

「――私の母親よ」

 

「お母、さん?」

 

 彼女は無言で首肯した。

 

「【会英市】の隣には、【甜松林】という町があるわ。【会英市】で働く男達の欲求のはけ口として、タンイェンが廃村寸前だった村を基盤に作った色町よ。母はその【甜松林】の娼婦だった」

 

「娼婦……どうしてまた?」

 

「私の家には、昔出て行った父――いえ、あんなクソ野郎、父とすら呼びたくないわね。その男が博打で作った借金があった。普通に働いて返すとなると十年はかかる額だった上、金貸しも返済を急かしたわ。母はその借金を一刻も早く返すため、【甜松林】で体を売るようになった。【甜松林】の娼婦になれば、男の慰み者になる代わりに、普通に働くよりずっと高い金が稼げる。幸か不幸か、母はとても綺麗な人だったから、客からの指名も多かった。母は雌犬のように男に尻を振る恥辱に数年間耐えた結果、どうにか借金を全額返せたの」

 

 そこまで聞けば、単なる思い出で済んだことだろう。

 

 しかし、このしたたかな少女が、意味もなく身の上話をするとは思えない。

 

 つまり、続きがまだあるのだ。ボクに対する要求へと繋がるような。

 

「そんなある日、母はある一人の男に買われたわ。――馬湯煙(マー・タンイェン)よ。奴は時々【甜松林】にやって来ては、気に入った女を買って自分の屋敷に呼び出すの。普通は娼婦のお持ち帰りなんてできないけど、【甜松林】の娼館の出資者はタンイェンだから強く言えない。母は一ヶ月前にタンイェンの屋敷へと連れて行かれて――以来ずっと家に帰っていないわ」

 

 そこまで聞いて、ようやく目的の輪郭がはっきりした。

 

「貴女にタンイェンの屋敷に侵入してやって欲しい事は――行方不明の母を探すこと。もしかすると、母は屋敷の中に閉じ込められているのかもしれない。貴女にはそれを確かめてもらうわ」

 

 それを聞いた途端、ボクは猛烈に突っ込みを入れたくなった。

 

「ちょ、ちょっと待った! タンイェンの屋敷に行ったのを最後に行方不明……そこまではいい。けど、それでタンイェンが容疑者だって理屈に走るのは少し乱暴なんじゃないの?」

 

「消えたのが母だけだったら、多少はそう思ったかもしれないわね。でもね、母だけじゃないのよ」

 

「え……どういうこと?」

 

「タンイェンに呼び出された娼婦は、皆例外なく行方不明になっているのよ。私がタンイェンを怪しいと思うのはそれが理由」

 

 ――彼のお眼鏡にかなった娼婦が屋敷に連れて行かれたまま帰ってこないとか。

 

 【藍寨郷】の食堂のおばちゃんから聞いた噂話の一部が、狙ったようなタイミングで思い起こされた。

 

「え……それって噂のはずじゃ……」

 

「噂なんかじゃないわ。娼婦の行方不明は真実よ。確認だって取ったもの」

 

 ボクは一応納得する一方で、常識的な事を考えた。

 

 【煌国(こうこく)】には『治安局』という警察機構がある。もしタンイェンが行方不明事件の原因である可能性があるのなら、姑息な策などとらずに治安局に言いつけて、タンイェンの屋敷を調べてもらえばいいはずだ。

 

 それをそのまま口にすると、次のような否定の返事が返ってきた。

 

「試してみたけど無理だったわ。奴はこの辺りの治安局の支部に多額の寄付をしている上、この国の一部の権力者とも繋がりがあるの。そのせいで治安局も「確固たる証拠が無いから」と家宅捜索には及び腰。警察機構が聞いて呆れるわね、まったく」

 

 その台詞にはさすがに同感だった。権力者と繋がりがあるからといってビビるなんて、まるで地球ではないか。どこの世界でも人間の考え方というのは一緒なのだ。

 

 そして、さらなる疑問がボクの頭に生まれた。

 

「……ボクにやらせたい事は大体分かったよ。でも、やるやらないはまず置いておいて、一つだけ分からない事がある」

 

 ボクはそう前置してから、その疑問を口から出した。

 

「――どうして、ボクに頼むんだ(・・・・・・・)?」

 

「いい質問ね。いいわ、これからその理由を教えてあげる」

 

 彼女はそう言うと人差し指を立て、話を続けた。

 

「まず、一番大切な理由。――貴女は私と違って、タンイェンに顔が割れていない。私は【会英市】の人間である上、一度治安局にタンイェンをチクった事がある。だから奴に顔が割れていて、なおかつ警戒もされているわ。私じゃ無理なのよ」

 

 次に、中指が立てられた。

 

「二つ目の理由は――貴女の腕前よ」

 

「腕前? 武法の?」

 

「そうよ。タンイェンの屋敷は、奴の雇った用心棒が警備しているわ。数が多い上に、個々の力量もそれなりにある。その警備は屋敷の外側に集中していて、内側の警備は比較的甘いけど、それでもそこそこの人数がいる。貴女が私の母を探して屋敷内をうろついている最中、用心棒が貴女を怪しんで捕まえようとしてくるかもしれない。そうなった場合にその用心棒を寝かしつけられる腕前が必要なのよ。全員まとまった集団には勝てなくても、一人二人数人程度が相手なら余裕で勝てるはずよ、貴女なら」

 

 その妙な評価の高さに、ボクは不審げに眉をひそめる。

 

「どうしてそう言い切れるんだい?」

 

「だって、実力を確かめたもの」

 

 確かめた、だって?

 

 ボクは今、初めてこの娘に会ったのだ。それでは確かめようが――

 

「……まさか」

 

 ライライが驚愕したような顔で呟く。

 

「どうしたのライライ? 何か心当たりが?」

 

「……シンスイ、あなたが昼間【藍寨郷】で戦った「彼」よ」

 

 それを聞いてようやくピンときた。

 

 まさか――徐尖(シュー・ジエン)さんが!?

 

 高洌惺(ガオ・リエシン)は口端をニヤリと歪め、

 

「聡いのね。そう、(シュー)師兄は貴女の実力を計るために、手合わせを求めたのよ」

 

「……どうりで退くのが早かったわけね」

 

 ミーフォンが悔しげにそう口にする。

 

 ……ジエンさんが敵だった事は、少しショックだけどまだ良いとしよう。

 

 だがそれとは別に、問題が一つあった。

 

「で、でもさ、そもそもどうやって屋敷に侵入するの? 外はたくさんの用心棒に守られてるんでしょ?」

 

「慌てなくても、これから話すわ。貴女を選んだ最後の理由に重複する問題でもあるしね」

 

 彼女はそこでひと区切りし、三本目の指を立てた。

 

「貴女を選んだ三つ目の理由、それは――その美しい容姿」

 

 予想外の答えだった。

 

 自画自賛になるけど、ボクは可愛らしい容姿で生まれてきた。

 

 けれど、それが今回の計画で一体何の約に立つというんだろう?

 

 その理由も、彼女は説明した。

 

「確かにタンイェンの屋敷の周囲は、用心棒たちに固く守られているわ。けど奴らは、タンイェンが【甜松林】から連れて来た娼婦には警戒しない。だからすんなり屋敷に入れる」

 

 ――美しい容姿。

 ――【甜松林】。

 ――娼婦。

 

 これら三つの要素から導き出された一つの答えを、ボクは恐る恐る疑問としてぶつけた。

 

「…………まさか君はボクに、娼婦になれと?」

 

「そうよ。貴女にはその美しさでタンイェンに取り入り、屋敷に侵入してもらう」

 

 彼女はあっさりと肯定し、続けた。

 

「私は貴女という人材をずっと待っていたわ。貴女の噂を聞いた時、私はすぐにこれを利用しようと考えた。【黄龍賽(こうりゅうさい)】本戦参加者には、帝都へ到着するまでの猶予として一ヶ月の期間が与えられる。でも時間に制限がある以上、余計な寄り道は避けて真っ直ぐ北上してくると思ったわ。【黄土省(こうどしょう)】へ入るための関所は、東西南北に一箇所のみ。北の関所から真っ直ぐ進めば、自ずと【藍寨郷】へとやって来る…………正直、賭けだったけれど、私は見事に捕まえたわ。李星穂(リー・シンスイ)、貴女という「強さ」と「美しさ」を兼備した女をね」

 

 次の瞬間、ドンッ! という鈍器で殴るような音が響いた。

 

 ミーフォンが手近な木の幹へ拳を叩きつけた音だった。拳が当たった箇所の木皮は削り取られ、中をさらけ出していた。

 

「――ざけんじゃないわよクソ女」

 

 その声は低かったが、代わりに暗い憎悪のような響きが濃密にこもっていた。

 

「さっきから黙って聞いてりゃ、泥棒のくせに猛々しいにも程があるわ。あんたのお袋が行方不明? ああそれはご愁傷様ね。でもそんなもん、お姉様の大切な物をガメるための免罪符になんかなりゃしないのよ」

 

 ミーフォンは高洌惺(ガオ・リエシン)に鋭く歩み寄り、その胸ぐらを掴み上げた。

 

「それにねぇ、あたしが人を痛めつける方法をどれくらい知ってると思う? あんたの頭蓋の中から【吉火証(きっかしょう)】のありかを引っ張り出すくらい造作もないわよ」

 

 激しくは無い、落ち着いた口調。しかし一言一言に込められた殺気が、ミーフォンの本気度合いを濃く表していた。

 

 普通なら、こんなふうに凄まれたら大なり小なり怯えを見せるだろう。

 

「――やってみなさいよ」

 

 だが高洌惺(ガオ・リエシン)は怯えるどころか身じろぎ一つせず、ミーフォンの目を真っ直ぐ見ながら毅然と言い返した。

 

 えも言えぬその迫力に、ミーフォンは微かな動揺を見せる。

 

「拷問して無理矢理口を割らせるって言ってるんでしょう? いいわよ。お好きな方法でやってごらんなさい。ただし、もしも痛みに心が折れそうになったら、舌を噛み切ってあの世に逃げてやるわ。【吉火証】のありかを抱えたままね」

 

 それを聞いておぞましく思うとともに、驚嘆もした。

 

 彼女は自分の自害と、それによって失われる【吉火証】のありかを盾に、拷問による自白を防いでいるのだ。

 

 そして、彼女の目からは、それをやる覚悟と気迫が強く感じられた。

 

 まともな神経ではない。はっきり言って狂気の沙汰だ。

 

 ボクは、それがとても恐ろしく感じた。

 

「私だって、自分でできるならわざわざ赤の他人に頼んだりなんかしないわ。でも、私の手には余る。この辺一帯のほとんどはタンイェンの傘下で食ってるようなものだから、他の人の助けも期待できない。武館のみんなもそれなりに腕は立つけど、それでもタンイェンの用心棒には数も力も及ばない。果てには治安局も重い腰を上げない。まさに八方塞がり。だから――もう誰かに無理矢理やらせるしか方法が無いのよ」

 

 高洌惺(ガオ・リエシン)は悔しさを噛み締めるように言うと、力の抜けていたミーフォンの手を払い除ける。

 

「さて、李星穂(リー・シンスイ)。改めて貴女に依頼するわ。タンイェンの屋敷に忍び込み、私の母を探しなさい。その結果、納得のいく成果を出せたなら、【吉火証】は返してあげる」

 

 それは依頼じゃなくて命令だ――そう密かに反感を覚える。

 

 しかし、一度頭を冷やして冷静に考えた。

 

 確かに、彼女の要求は理不尽極まるものだ。

 

 しかし【吉火証】を取り戻す方法は、現段階では彼女の要求に応じる事以外に存在しない。

 

 彼女の流派は【奇踪把(きそうは)】であると分かったので、彼女の所属する武館を攻める手も一瞬考えた。しかし、狡猾なこの少女が、それに対して何も対策を立てていないとは考えられない。いや、むしろ何か対策があるからこそ、彼女は自分の流派を明かしたのだろう。

 

 そして、ボクに残された時間も無限ではない。一ヶ月以内に帝都へ着かないといけないのだ。道中どれだけの時間がかかるか未知数なため、無駄な時間の消費は可能な限り避けたい。

 

 できるだけ最速で、そして確実に【吉火証】を取り戻すには、やはり高洌惺(ガオ・リエシン)の要求をのむしかない。

 

 内容が内容であるため、躊躇を禁じ得ない。

 

 しかし、やがてボクは屈辱を噛み殺し、宣言した。

 

「――分かった。君に協力するよ。高洌惺(ガオ・リエシン)

 

 「しめた」と言わんばかりの微笑みが、彼女の唇に生まれる。

 

 次の瞬間、ミーフォンが殴りかかるような勢いでボクにすがりついてきた。

 

「ダ、ダメっ! ダメです! お姉様が体を売るなんて!!」

 

 驚き、怒り、焦り、悲しみなど、あらゆる感情がない交ぜになったような表情。その瞳はうっすらと涙で潤んでいた。

 

 ミーフォンの心情を容易に察したボクは、いつものようにその頭を優しく撫でながら、

 

「大丈夫だよ、ミーフォン」

 

「何が大丈夫なんですか!? どうしてこんな女の言いなりになって、お姉様が好きでもない男と寝ないといけないんですか!! どう考えたってふざけてます!!」

 

 うん。それはボクも同感だ。

 

 でも――

 

「でも、そうしないと【吉火証】は取り戻せないんだ。もう一昨日ミーフォンには話してるよね? ボクが【黄龍賽】で優勝したがってる理由」

 

「っ……それはそう、ですけど……!」

 

 分かるけど分かりたくない、そんな気持ちが表れた顔でうつむくミーフォン。

 

 ――分かってもらうしかない。だって、他に方法が思いつかないのだから。

 

 けれど、悪い事ばかりでもなかった。

 

 ……実を言うとボクは、少し安心していたのだ。

 

 てっきり、ライライ達もまとめて娼館に行け、って言われると思っていたが、用があるのはボク一人だったからだ。

 

 ライライ達と違って、ボクは元々男。根っから女な二人に比べれば、男に体を許す事への精神的ダメージが小さいはずだから。

 

 それにもう一つ。

 

 ボクは高洌惺(ガオ・リエシン)に協力するとは言ったが――男に体を開くとは一言も言っていない。

 

「大丈夫。ボクもタンイェンに会うまで、のらりくらりとやり過ごしてみるよ。綺麗な体で帰れるよう、最大限努力するから。こう見えてボク、とっさの機転はなかなか良いんだよ?」

 

 そう。上手いこと立ち回ってみればいいのだ。

 

 治しようの無かった前世の病に比べれば、この状況の方がまだイージーモードだ。打開のしようがある。

 

 そう、前向きに考える事にした。最後の最後までそうする方が、悲観するよりもずっと上手くいきやすいということを、ついさっきライライに教えてもらったばかりなのだ。

 

「……でも……でもぉっ…………!!」

 

 しかし、やはりそれだけでは足りなかった。ミーフォンはボクの服の裾を握りながら、ポロポロと涙を流し始めた。

 

 その泣き顔を見て痛ましい気持ちになる一方、泣いてくれることに嬉しさも感じた。

 

 女同士云々はともかく、この娘はボクの事を本当に慕ってくれている。だからこそ、ボクが慰み者になる事がたまらなく嫌なのだろう。

 

「……しょうがないな」

 

 ボクはうっすらと微笑むと、ミーフォンの片腕を掴む。

 

 

 

 そして、ぐいっと手前へ引き寄せた。

 

 

 

「――――んむっっ!!!????」

 

 涙で濡れた瞳を、これ以上ないほど大きく見開くミーフォン。

 

 ボクらは今まさに――互いの唇を唇で塞ぎ合っていた(・・・・・・・・・・・・・・)

 

 鼻腔を優しくくすぐるミーフォンの甘い匂い。その唇は柔らかさと瑞々しさを両方含んでいて、触れ合っていてとても心地よかった。

 

 やがて、ゆっくりと互いの唇が離れる。触れ合っていたのはほんの二、三秒だったが、まるで一分くらい経ったかのような錯覚に襲われた。

 

 ミーフォンの顔は当然ながら、まるで赤信号のようにまっかっかだった。頬の辺りからは、微かながらほっこりと湯気が出ている。

 

 ボクはにっこりと笑い、陽気に語りかけた。

 

「はい。ボクの初めての唇は君のものだよ。これで万が一男に奪われても、初めてしたっていう記憶はずっとミーフォンの中に残る。これじゃ、ダメかい?」

 

 大した事なかったように振舞ってこそいるものの、ボクも内心じゃかなり恥ずかしかった。

 

 ミーフォンは何も言わない。

 

 だが、その頬に立つ湯気の濃度がさらに濃くなった瞬間、

 

「……………………ぷしゅー」

 

 ばたーん!! と、風に吹かれた棒のように横倒しとなった。

 

 ミーフォンはそのまま、動かなくなる。

 

 完全にのびているようだった。

 

「……シンスイ、あなた男前過ぎるわよ」

 

 ライライはミーフォンと負けず劣らずの真っ赤な顔で、そう感嘆する。

 

 ボクは恥ずかしさを隠しつつ、元気な笑顔とVサインを返した。

 

「とにかく、ボクを信じてよ。なんとか頑張ってみるからさ」

 

 その言葉に、ライライはしばらく黙考した後、呆れ笑いを交えて頷いた。

 

「……分かったわ。でも、もし辛かったら戻ってきなさい。あなたは一人じゃないんだから」

 

「うん、分かった」

 

 ボクもそう頷き返した。

 

 そして、高洌惺(ガオ・リエシン)の方へと向き直る。

 

「相談は終わったかしら?」

 

 その見透かしたような冷笑に若干ムッとするが、その気持ちを抑え、指図するように言った。

 

「終わったよ。――さあ、ボクを今すぐ【甜松林】へ案内したまえ」

 



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それぞれのスタート

 

 その後、ボクは高洌惺(ガオ・リエシン)の後ろについて歩き出した。

 

 広葉樹林を抜けてから最初の道を進み、Y字状の分かれ道に差し掛かったところで、ライライたちとは別行動となった。二又に分かれた道のうち右が【会英市(かいえいし)】、そして左の道が【甜松林(てんしょうりん)】へと通じていた。ボクは左の道、ライライとミーフォンは右の道へ進んだのである。

 

 ライライたちはまず寝泊りする場所を探すとの事だったが、ボクは泊まる場所はともかく、二人が自力で食料を調達できるか少し心配だった。帝都へ向かう道中、川魚を取って食料を調達していたのは主にボクだったからだ。

 

 けど、すぐに心配するのをやめる。案外あの二人ならなんとかしてしまうかもしれないし。

 

 それよりも、問題はボクの現状だ。

 

 ボクは【吉火証(きっかしょう)】が入っていない鞄を片手に、山道を歩いていた。

 

 広葉樹林に挟まれているのは最初の道と同じだが、軌道はくねくねと蛇行していた。方位磁針の負極も、北と東の間を振り子よろしく何度も往復している。

 

 空はすでに夕日のあかね色一色だった。片側の木々の上からぎゃーぎゃーとカラスの絶叫が不気味にとどろき、夕方の肌寒さを一層引き立てた。

 

 そして、心臓も高鳴っていた。

 

 カラスのせいだけではない。さっきからつきまとう一抹の不安も原因だった。

 

 これからボクは、言うなれば売春をしに行くのだ。

 

 セッ…………げふんげふん、男女間の深い行為にはリスクが伴う。

 

 つまりは、変な病気にかかったり、赤ちゃんができちゃったりするかもしれないというリスクである。

 

 地球ならコンドームで解決だが、この世界にそんな素敵グッズはない。

 

 ライライたちにはああ大見得こそ切ったものの、不安が全く無いと言えば嘘だった。

 

 いつもなら、あの二人のうちのどちらかに甘えれば大抵の不安は軽くなったが、今はそれはできないし、許されない。

 

 なんだか、人が恋しかった。誰かと話したい気分。

 

 しかし、今一緒にいるのは、あの憎き高洌惺(ガオ・リエシン)ただ一人である。

 

 ……正直、あんまり気が進まない。

 

 けれど、沈黙を保ったボクらの間にある空気は重苦しく、居心地が悪かった。

 

 このままだと、不安が助長されそうだ。

 

 なので、正直癪だが、軽く声掛けくらいはしてみようと思った。

 

「あ、あの……」

 

「何?」

 

 あからさまに嫌そうな返事を返される。

 

 うわ、なんか早速ムカつく。

 

 けど我慢し、即興で話題を組み立て、次の話へと連結させた。

 

「……高洌惺(ガオ・リエシン)は、【会英市】に住んでるんだろ?」

 

「だったら何なわけ?」

 

 まとわりつく虫を払うようなぞんざい口調。

 

 やっぱりムカつく。ただただムカつく。

 

 もうヤダ。ここでリタイアする。こいつはきっと人をムカつかせるために生きてるんだ。話したって気が紛れるどころか胃がムカムカするだけだ。

 

 彼女だって、別にボクなんかと話したくはないんだろう――

 

「……というか、その高洌惺(ガオ・リエシン)って呼び方やめてくれないかしら。姓名を同時で呼ばれると、なんか記号で呼ばれてるみたいで嫌なんだけど」

 

 ――と思っていた時、彼女の方から話を繋げてきた。

 

「じゃあ何て呼べばいいのさ」

 

「好きにすればいいじゃない」

 

 やはり素っ気ない言い方。

 

 しかし、少しだが会話らしくなってきた。

 

「で? さっきの質問にはどういう意図があったのかしら」

 

 高洌惺(ガオ・リエシン)――改めリエシンは、無感情な目でこちらを見ながら訊いてきた。

 

 ボクはまた即興で台詞を考え、それを口に出した。

 

「いや……【会英市】にはどんな武法が伝わってるのか興味があって」

 

 リエシンはふんっと鼻を鳴らした。

 

「もしかして、私の武館を襲撃しようって考えかしら。でも残念。私たち【奇踪把(きそうは)】の武館はそう簡単に見つからないわ。素直に【甜松林】でタンイェンに媚売る方が、無駄な時間を浪費せずに済むと思うけど?」

 

 なんていうか、相当ヒネてるよねこの娘。まあ、彼女の武館を攻めようと一瞬考えたことがあるのは事実だけど。

 

「……正直、あまり知らないわ。まだ私は武法を学び始めて間もないし、そもそも武林の事情なんてどうでもいいし」

 

 おおっ。意外と真面目に答えてくれたぞ。

 

 しかし、少し気になる台詞が含まれていた。

 

「武林の事情に興味がないの?」

 

 その問いに対し、リエシンは呆れ気味に溜め息をつき、

 

「あるわけないじゃない。私の家は貧乏なのよ。武法を学ぶのは、将来、武で身を立てるために過ぎないんだから。今の武館に入るまでは大変だったわ。現ナマで稽古代が払えないから、どこの武館でも門前払い食らったし。その果てに、モノでの支払いを許している今の武館に流れ着いたってわけ」

 

「……君、武法が好きじゃないの?」

 

 強い憧れと興味から武法を始めたボクからすれば、リエシンの武法に対するスタンスは随分とドライなものだった。

 

 それを素直にぶつけると、リエシンは深くうつむいた。

 

 かと思えば全身をブルブルと震わせ、そして――爆笑した。

 

「……ふふふっ、あっははははは!! やだ! 私分かっちゃったわ! 貴女、相当なお嬢様でしょう?」

 

 突然はじけた笑い声にびっくりしながらも、ボクはゆっくり答えた。

 

「まあ、多分、世間一般的に言えばお嬢かも……」

 

「やっぱり! すぐに分かったわ。だって――「好きかどうか」なんて綺麗事を真顔で吐かしているんだもの」

 

 そう口にしたリエシンの声は、皮肉と揶揄に尖っていた。

 

 ボクを見る目も、さっきまでの無感情なものではなくなっていた。軽蔑と、怒りがくすぶったような眼差し。

 

 その変化に、ボクは戸惑いを隠せなかった。

 

「好きか嫌いかで進む道を選べるのはね、貴女みたいな温室育ちだけなのよ。好き? 夢? 生き甲斐? はっ、笑止だわ。そんなもの、恵まれた人間にしか持つことを許されない贅沢な嗜好品なのよ。酒や薬物並みにタチが悪い類のね」

 

 口に入った砂利を吐き出すような口調で、リエシンは言い募る。

 

 その台詞に反感を持ったボクは、負けじと言い返そうとした。

 

「そんなこと――」

 

「あるのよっ!!」

 

 が、ヒステリックに叫ばれたリエシンの一言に一刀両断される。

 

 胸ぐらを勢いよく掴まれた。

 

「私の母はとっくの昔に借金を返し終えてる! なのにその後もずっと【甜松林】で男の相手をして金を稼ぎ続けてた! それってつまりそういうことでしょう!? 借金を返した後も、生きていくためには金が必要! 何の特技も持たなかった母は、結局体を売り続けて生きるしかなかったってことじゃない!! 違う!?」

 

「それは……」

 

「結局、恵まれていない人間は、自分の体や矜持を傷つけながら生きるしかないのよ! そこに好き嫌いを差し挟む事は甘えの最たるものだわ! 貴女みたいに好き嫌いで生き方を選ぶような甘ったれた人間が、私は一番腹立たしいのよ!!」

 

 鬱憤をぶちまけるように言葉を放つと、リエシンは息を切らせて両肩をしきりに上下させた。

 

 彼女はそこでハッと我に返る。そして、何かを後悔したような顔をすると、ボクの胸ぐらから手を離し、顔を見せまいと素早く身を翻した。

 

「…………とにかく、貴女に今更選択の余地なんて無いのよ。【吉火証】を取り戻したかったら、死ぬ気で役目を果たすことね」

 

 リエシンはまるで捨て台詞のように早口で言うと、すたすたと早歩きで先に行ってしまった。

 

 ボクは拒絶的な、それでいて寂しげな雰囲気をかもしだす彼女の後ろ姿を、しばらく呆然と見つめていたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 紅蜜楓(ホン・ミーフォン)は、右へ弧を描く軌道で伸びた道を歩いていた。

 

 天蓋のように真上を覆っていた枝葉はすでに無く、夕空が露わとなっている。道の両脇に生えた木々の枝葉が、道を進むにつれて短くなったからだ。

 

 大きな荷馬車三台が、蹄と車輪の音を荒々しく立てて横切った。大量の荷物を積んだ荷台は全て同じ外観だった上、三台とも一列上の軌道を保ったまま走っていた。おそらく、あれらは全て同じ業者の雇った馬車だろう。

 

 あれだけの数の物品を取り扱うに足る町が、この先にある事の証拠。

 

 つまり、ここから遠くない場所に【会英市】があるということ。

 

「……ミーフォン」

 

 後ろを付いて歩いていた宮莱莱(ゴン・ライライ)が、何かをそれとなく訴えるような口調で声をかけてきた。

 

 ――言いたいことは分かっている。

 

 先ほどシンスイと触れ合った唇を、指先で軽く触れて撫でる。

 

 力づくで唇を奪うという雄々しい行為に、自分は羽が生えて飛んでいきそうなほどの幸福感を覚えた。もう死んでもいいとさえ思った。

 

 しかし、それと同時にもう一つ、感じたことがあった。

 

 それは――シンスイの「覚悟」だ。

 

 あの接吻は自分への愛情ゆえのものではなく――非常に残念ながら――、男に体を蹂躙されるという最悪の結果になる事に対しての覚悟かもしれない。

 

 初めて見て会った男に純潔を捧げるくらいならば、知っている誰かにあらかじめ捧げてしまおう。そんな前向きでもあり後ろ向きでもある覚悟の現れなのかもしれない。

 

 正確な真意は分からない。だが、いずれにせよ【黄龍賽(こうりゅうさい)】にかける思いがそれだけ強い事の現れには相違なかろう。

 

 愛情のこもっていない、空っぽな接吻。

 

 けれど、あの時の事を思い出す。

 

 そこらの男よりもたくましい腕力で強引に胸の中へ引き寄せられたかと思った瞬間には、まるで顔ごとぶつかるような勢いで唇を奪われていた。――その映像は今なお鮮明に脳裏に残っている。追憶するたびに女としての本能的幸福感が天井知らずに湧き上がり、下腹部の辺りが炉のように甘い熱を持つ。

 

 ――正直、自覚はある。自分が彼女に抱く愛情が普通ではない事を。

 

 でも、それでも確かに自分は彼女を慕っているのだ。

 

 なら、その慕う相手のために、自分が今できることは何だろうか?

 

 その答えはいたって簡単だ。

 

 ライライもまた、自分と同じ答えを持っているはず。そう確信して疑わなかった。

 

 ミーフォンは剣を鞘から抜くような鋭さで身を翻し、力強く言った。

 

「――見つけるわよ。あたし達の手で【吉火証】を」

 

 ライライは少しも驚きはせず、ただ鋭く頷きを返したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 しばらく進むと、長く緩やかな上り坂に差し掛かった。すでにその頃、夕日は西の彼方へなりを潜めつつあった。夜の始まりだ。

 

 ボクとリエシンはそこを登りきり、頂天にたどり着く。

 

 そこから長く続く下り坂の先に、小さな建物群が見えた。

 

 小奇麗な建物が九割を占めるその建物群は、無数の灯りが寄り集まって出来たきらびやかな輝きを発し、自己の存在を夜闇の中でアピールしていた。その周囲は築地塀にも似たデザインの高い塀によって四角形に囲われており、唯一の出入り口はその四角形のうちの一辺に建てられた、無駄に豪壮な正門のみ。その重そうな門は、左右に開け放たれていた。

 

 リエシン曰く、あれが【甜松林】であるとのこと。

 

 馬湯煙(マー・タンイェン)が莫大な財力にものを言わせて造った色町。中にはたくさんの娼館が軒を連ね、多くの娼婦がひしめいている。女の香りが漂っていない場所はほとんど無いといわれている、男にとっての楽園の体現。

 

 正門の前に着くなり、リエシンは「私は【甜松林】の近くで常に待機してるから、何か用があったら呼びなさい」と言い、ボクの背中を押して正門をくぐらせた。彼女とはそこで別行動となった。

 

 門をくぐった先に広がっていたのは、まさしく別世界だった。

 

 赤を基調としたデザインの派手な建物が、大通りの両側にズラリと並んでいる。さらに、おびただしい数の灯篭や行灯が町のあちこちに設置されており、夜なのにまるで昼間のように明るかった。おそらく、夜の【滄奥市(そうおうし)】以上の明度だろう。

 

 道のあちこちには、かなり際どい格好をした綺麗なお姉さんが多数。懐いた猫のような艶っぽい仕草で道行く男にしなだれかかり、自分の店に寄らないかと甘く誘っていた。

 

 そして、時折近くの建物の中から響く、悩ましい嬌声。

 

 さっきまでの静かで暗い山道とは一八〇度変わった空間。もう一度異世界に来たような錯覚に陥りそうになった。

 

 いや、そもそもこの町を囲う塀は「【甜松林】は外界とは違う世界だ」と思わせるための配慮らしい。外の世界のしがらみや苦労をここでは忘れ、全力で女遊びに精を出せるように、というサービス精神からの。

 

 ……とうとう来た。来てしまった。

 

 これからボクはこの町で娼婦になり、タンイェンのハートを射止めるために働くのだ。

 

 リエシンのお母さんの身体的特徴は事前に聞いていた。娘(リエシン)と同じく、右目の下に二つ隣り合わせた泣きぼくろがあるとの事。なんとシンプルで判別しやすい特徴だろうか。

 

 あとは、タンイェンに上手く取り入ればいい。

 

 よし、これから頑張って――

 

 頑張――

 

「――れるわけねー……」

 

 ボクはガクン、とうなだれて落胆した。

 

 そりゃそうだ。確かにボクは元男。普通の女と比べて、男に肌を晒す事への精神的苦痛は少ない。それは嘘じゃない。

 

 でも――全く抵抗が無いわけではないのだ。

 

 ていうか、かつて男だった事を強く意識した上で考えると、生理的嫌悪感が否めなかった。元々男だったのに、男とキスしたり、アレな事したりとか、どんな罰ゲームだ。ボクはノーマルなんだよちくしょう。

 

 だが、くじけそうになった心を、強引に奮い立たせる。

 

 弱気になっちゃダメだ。全ては【吉火証】のため。それを取り戻さないと、ボクは父様管理の下、地獄の勉強漬けの毎日となるだろう。

 

 大丈夫。なんとかなる。ボクはこう見えて、いざという時は頭が回るのだ。何が何でも自分を守りながら、タンイェンをメロメロにしてやる。

 

「――よし」

 

 ようやく立ち直ったボクは、地をしっかり踏みしめて歩き出した。

 



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やっぱり無理ー!

 

 軒を連ねるいくつかの娼館の中から適当に一件見繕い、勢いのまま足を踏み入れた。

 

 最初に出迎えたのは美女ではなく、えらく恰幅のいいおばさんだった。いかつい顔つきを厚化粧でコーティングした、偉そうなマダムを思わせる容貌。最初は娼婦かと思ったが、聞くと、この娼館の店長だという。

 

 店長はえらくへりくだった態度で接客してきた――女知音(レズビアン)の客も稀にいるらしいので、ボクをそっち系だと思ったようだ――が、ボクが「ここで働きたい」と言った瞬間、その目つきは厳しいものとなった。

 

 店長は頭のてっぺんから爪先までをしばらく品定めしてから、「いいだろう。肉付きは貧相だが素材はかなり良い。今日から早速こき使ってやる。ウチらの世界は甘くない。金が欲しけりゃ腹括って死ぬ気でやりな」と、愛想の欠片も無い口調で言った。驚くほどのスピード採用だった。もう少し誓約があると思ったのに。

 

 それから店長はボクに、ここで働く上で重要な事を押し付けるように言いつけた。結構多かったので、正直全部覚えてられてるかは怪しい。まあ、後でまた記憶を補強すればいいか。

 

 そして――現在。

 

 ボクは、お風呂に入っていた。

 

 なめらかな質感を持った木製の湯船の中には、ピンク色に濁ったお湯がたっぷり入っており、もうもうと濃い湯気を発している。その湯気からは桃の香りがする。お湯に含まれた入浴剤のせいだ。

 

「ふぅ……」

 

 お湯に肩まで浸かっていたボクは、自分の意思とは関係なしに声をもらす。

 

 店長が最初にボクに命じた事は、身を清めることだった。「そんな汗まみれな体を売り物にするつもりかい? とっとと汗流してきな」と、無理矢理入らされたのだ。

 

 しかしそれでも、三日ぶりに入ったちゃんとしたお風呂は気持ち良かった。水浴びオンリーの毎日にはいい加減ウンザリしていたから。

 

 下ろされた長い髪を指でクシのようにすきながら、ふと考える。

 

「よく考えたら、これって初めての「仕事」だよね……」

 

 前世のボクは子供のまま死んでしまった。そして異世界でもまだ働いた事がなかった。つまりこれはボクにとって、最初のお仕事なのである。

 

 けど、よりにもよって最初に働く職場が娼館とは……。

 

「…………あのお堅い父様に知られたら一〇〇パー殺されるよね、コレ。良くて勘当かも」

 

 【甜松林(てんしょうりん)】での記憶は墓場まで持っていこう。そう決意した。

 

 しばらくして、ボクはお風呂から上がった。脱衣所に来てからも、桃の香りは肌に濃く染み付いていた。どうやらあの入浴剤は、体に甘い香りを付けるためのものだったようだ。

 

 支給された服は、地球で言うキャミソールによく似た形の薄着。しかしその透明度はかなり高く、ぴったり肌に付くと体の表面がくっきり透けて見えるほどだ。その下に身につけるのはパンティのみ。ぶっちゃけ、かなり恥ずい格好である。

 

 プライドをゴミ箱にダンクシュートして、それを着用。脱衣所を出る。

 

 脱衣所から前に真っ直ぐ伸びた廊下を歩いていた時、壁に寄りかかって立っていた一人の女の人が、向かい側の壁を片足で踏みつけた。それによって、ボクの通り道が塞がれる。

 

 素足で通せんぼしたのは、二十代半ばほどの女の人。ボクと同じ格好をしている所を見ると、おそらく娼婦だろう。薄着の下にうっすら見える体型はスレンダーだが、凹凸もそれなりにある。顔つきは文句なしに美人だったが、その目つきは鋭く、眉間にシワが寄っていた。きつい感じのする人だ。

 

「……あんたかい? 店長がさっき雇ったっていう香瑚(シャンフー)ってのは」

 

 茨のように尖った声で、彼女は訊いてきた。その目も明らかにボクを睨んでいる様子。好意的でないのは明ら