瀬戸内の提督日誌 (シヴ熊)
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初期艦と提督の着任

※注意事項※
オリ提督採用しています。
基本的には提督は艦娘に好かれます。
艦娘の着任順は筆者の艦これに順守しています。
史実等の知識は無知か付け焼刃なので、あまり鋭い突っ込みはご容赦下さい。



 

 コンクリートで舗装された堤防の上を一人の少女が歩いていた。

 季節は夏の真っ只中、世間では盆の時期に差し掛かろうとしている。しかし先祖もいなければ家族も――ごく一般的な肉親という意味ではそれが()()()()()()彼女にとっては、世間が盆という期間に入っているという以上の意味はなかった。

 

 少女は不意に足を止めると、手に持っていた真新しい鞄の取ってを握り直す。そして少女の実直で遠慮のない性格が反映されたかのように、まったく癖のない流れるような銀髪が今は汗で額に張り付き、それを少女は鬱陶しげに跳ねのけて不機嫌そうに溜め息をついた。

 鞄の外部に添え付けられた小さな収納袋から一通の封筒を取り出すと、そこに収められた書類をまるで壊れ物を扱うように大事そうに取り出そうとし、自分の手が汗ばんでいることを思い出すと慌てて鞄からハンカチを取り出して丁寧に手を拭いてから、もう一度封筒から一枚の書類をそっと取り出して、書面に目を落とす。

 そこに書かれていることを簡潔に要約すれば以下のようになる。

 

 

 

 着任辞令

 

 第**期建造 吹雪型5番艦 『叢雲』

 

 貴艦に対し日本国防人海軍省は、新設される『児島泊地』への着任を命ずる。

  同、児島泊地は攻勢を強める深海棲艦に対して故国の防衛を固めつつ、同泊地の発展と所属する艦娘の成長を持って、反撃の一矢となることを期待し、この度新たに新設される運びとなった。

 貴艦にはこの新たなる泊地の栄えある初期艦として、新たに着任する提督をよく補佐し、勇猛果敢なる奮戦と戦果を期待する。

 尚、この度の貴艦の着任は、新たに着任する提督の希望によるものである。

                                                                                  以上

 

 

 

 それは自分―――吹雪型駆逐艦5番艦 『叢雲』という艦娘がここに存在する全理由がそこにあった。

 鉄の塊として生まれた前世の記憶は曖昧で薄ぼんやりとしているが、確かに自分は数百人の水兵たちをその身に乗せて、大勢の仲間と大切な僚艦と共に戦い抜き、そして戦いの果ても薄暗い水底へと没した。

 そのことを深く思い出そうとすると身体が竦み足が震えてしまう。だがそれでも、自分たちはとんでもなく姿形を変えてしまったが、それでも再びこの世に生まれでた。

 

 そう、自分たちは再び生まれたのだ。

 大気の変化を感じて見上げれば、突き抜けるような晴天の空はどこまでも青く、風を感じて目を向ければ地平線の彼方まで広がる海もまた、どこまでも碧い。

 潮騒が繰り返し何度も鼓膜を打つが、それが心地よくてすっと目を瞑れば、もう汗は引き風がさらさらと前髪を弄んでいく。

 もう二度と感じることは出来ないはずだった澄んだ大気の心地よさも、広大な海の上を往く解放感も再び手にすることが出来た。

 

 そして何よりも――。

 

 叢雲は再び辞令に書かれた一行の文に目を落とす。

 

『尚、この度の貴艦の着任は、新たに着任する提督の希望によるものである』

 

 自分を必要をしてくれる提督(ひと)がいる。

 そのことがたまらく嬉しく感じられるのは、恐らく全ての艦娘にとって共通する(さが)だろう。

 単なる兵器であり軍艦でしかない自分と運命を共にすることを選んだ提督は数多いた。多くの水兵も勿論同じだが、それでも艦にとって――艦娘にとって提督という存在は特別なものだった。

 

 風が立ち止まった背を押すように強く吹き、そこで我に返った叢雲は手紙を仕舞うと時計を見て少し慌てた声を上げる。

 

「いっけない私としたことがっ! このままだと着任当日に遅刻だわっ!」

 

 鞄取ってをぎゅっと握り直すと、長い髪を風に遊ばせながら叢雲は慌てて泊地に続く堤防を駆けていった。

 

 

 

                   ⚓⚓⚓⚓⚓

 

 

 児島泊地は瀬戸内海上にある児島という島に新設された新たなる日本の防衛拠点であり、内海にあることを考えれば最前線とは言い難いように感じるが、位置的には太平洋に程近く泊地を出れば外洋へとすぐに抜けれる位置にあった。

 つまりは敵の侵攻がもし内海の奥へと及びそうになった場合、それを防ぐ最後砦としての役割を担うことと重要な泊地なのである。

 だがそれらの任を果たすには、今はまだ全てにおいて準備不足であり、泊地のその姿はまさに出来立てのソレに他ならなかった。

 

 泊地は背面部に森を背負い、敷地の周囲を二メートルほどの低い壁で囲んでいる。数棟の建物を擁する泊地主体部の正面には小さな湾があり、そこには湾を補強するように形作られた堤防が築かれている。泊地の敷地を囲む壁もぐるりと泊地の主体部を囲んだ後、この堤防と合流する構造となっている。

 

 島の西部にある船着き場に本土からの臨時便でやってきた叢雲は、島南部の沿岸を半ば囲むように作られた堤防を沿うように歩いて泊地へとやってきた。

 これだけ小規模ながらも立派な泊地があるのであれば、船で直接くればいいようなものなのだが、実のところこの『児島泊地』はまだ正式な稼働条件を満たしていない。

 現行の海軍要綱では、泊地に提督と艦娘が正式に着任することによって、その鎮守府ないし泊地は正式な認可を受けたということとなる。

 

 叢雲は堤防と合流した泊地の白い壁に沿って更に少し歩くと、不意に立ち止まった。目の前には大きく開け放たれた門扉があり、その奥には運動や集会をするためのグラウンドやいくつかの建物があるのが見てとれた。

 

「ここが……児島泊地」

 

 視線の先にある建物――ここが自分の所属する泊地。

 そして振り返ればそこにある海――そこが私の戦場。

 

 目を閉じれば再び感じる潮風と潮騒の音。

 

「うん……大丈夫、よね?」

 

 自分自身に尋ねるように声を漏らすと、その声音に弱気な部分を見つけてしまい慌てて首を横に振る。

 

 ――こんなの私らしくないわっ!

 

 緊張で少しだけ竦む足を気持ちで奮い立たせ、叢雲は泊地の門を超えた。

 泊地の門は、門といっても通り抜けるようなものではなく当然泊地内への車両の通行を想定された作りになっており、レール上をスライドさせるタイプのもので今は壁際まで引かれて収納されている。

 

 門の傍には守衛室と思われる小さな小屋が建っていたが、そこは無人で小屋自体もかなり痛みが目立ち、しばらく使われていなかったのがすぐに分かる。

 車両用に舗装された道の横に歩行者用の石畳が奥へと続いており、叢雲はそこを歩きながら周囲をキョロキョロと見渡していた。

 

 門から続く道は真っすぐに伸びて泊地の本棟まで続き、その途中で別棟へと別れて伸びている。恐らくその先にあるのは工廠や倉庫などだろう。

 敷地の西半分はグラウンドや演習場などが占めていて、道路を挟んで東側には宿舎と思しき棟が数棟立ち並んでいた。

 本棟へ向かう道すがら叢雲が感じたことは、施設の老朽化が随所に見て取れるということだった。最初に見た守衛小屋同様に、宿舎は遠目から見ても古めかしく建材に痛みが見て取れた。他にも今叢雲自身が歩いている石畳の歩道や隣にある車両用の道路も、石材やアスファルトにひび割れや陥没があるのが分かった。

 

 この泊地は元々は海洋学の研究施設として作られ、その後旧守備軍に徴発されて軍拡化が施されたのだが、四国が侵攻を受けその一部が占領された際に一度放棄された。その後四国を完全に奪還するまでの間、ここは無人で放置され今に至る。

 放置された月日はそう長いものではなかったのだが、やはり人が出入りしなければ人工物は痛むのが早いのだろう。

 だが不思議なこともあった。

 グラウンドも当然長らく整備がされていないはずなのだが、明らかにローラーを使って整備された跡があり、隅々まで草の一本も生えておらず綺麗に均されていた。

 

(本営から施設課が入っているのかしら……?)

 

 そんな疑問を浮かべながら本棟付近まで近づくと、そこで今まで周囲の様子を見るのに気を取られていて気付かなかったが、大きな音が聞こえてくることに気付いた。

 耳朶を打つのは『ガガガッ!』という人一人が扱える範囲の機械の音。何事かと視線を向ければ、一人の男が粉砕機を手に車両用道路をカチ割っていた。

 真新しいながらも既に汚れが目立つ海軍章の入ったツナギを腰まで下ろして邪魔にならないように袖を腰で結び、上半身は黒いタンクトップ姿で頭にはフィールドキャップを被っている。

 蝉の鳴き声を搔き消すような掘削音に目を白黒させながらも、叢雲は我に返って声をかける。

 

「あ、あのっ! そこの人!」

 

 粉砕機の音に負けて声は掻き消されてしまう。

 

「ちょっと! ねぇってば!」

 

 頑張って声を上げるのだが、如何せん『ガガガッ!』という音の壁に阻まれる。

 

 そこで『むぐぐ』と叢雲の顔が紅潮し、同時に後頭部付近に浮遊しているデバイスが赤い光を点滅させて本人の怒りを代弁する。叢雲は夏の熱せられた空気をすぅっと頬を膨らませるほどに吸い込むと、生まれてこのかた出したことのない声量で叫んだ。

 

「ちょっとアンタっ! 返事しなさいよっ! というより、いい加減こっちに気付きなさいなっ!」

 

 叢雲が艦娘として生まれてからこのかた、今まで出した声量の中でぶっちぎりに一番の大声は大気を震わせるほどのもので、そこでようやく男は叢雲に気付いて機械を止めた。

 最初は『ん?』という顔で叢雲を見たのだが、その後頭部付近に浮遊するデバイスを見てすぐに叢雲が何であるかを理解したようだった。

 その様子に満足し、叢雲は喉を整えるように咳払いをする。

 

「こほん。私は海軍総隊から本日付けでここ児島泊地に着任となった吹雪型5番艦の叢雲――」

 

 ――ここの司令官は何処に?

 

 と続けようとした叢雲の言葉よりも前に、男が口を開いた。

 

「私はこの児島泊地の司令官――いや、提督の古島(こじま)(みなと)だ。叢雲と言ったか、君の着任を歓迎する」

 

 そう言って敬礼した。

 それを見て脊髄反射的に叢雲も敬礼を返したのだが。

 

「そう、あんたが司令官ね。ま、せいぜい頑張りな……さい?」

 

 ふふんと鼻を鳴らす勢いで言っていたのだが、途中で疑問符になりながら固まる。そして目の前の男を改めてみて、男の言葉を口の中で反芻してようやく理解した。

 

「えぇぇぇぇぇぇ! アンタが司令官っ!?」

 

 わずか数秒で自身の大声新記録を塗り替える声量を叩き出しながら、叢雲は叫んだ。

 

 それが初期艦叢雲と提督古島 湊との出会いだった。

 

 




叢雲がヒロインというわけではありません。


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初めての開発と建造

春イベの残務処理で書くことに集中しきれない今日この頃。
何故このタイミングで初めてしまったのか……。
まぁ、ゆっくりやっていきます。


 

「で、ここが司令室なわけね」

 

 衝撃の初対面から三十分後、叢雲は司令室を訪れていた。

 児島泊地の責任者たる古島(こじま)(みなと)が自ら行っていた施設改修工事――その一環である老朽化してひび割れた道路の掘削作業を中断し、身支度を整えている間に施設をある程度見回ってきた叢雲は、部屋の中で視線を彷徨わせピクピクと震える己の頬はそのままに、叫びたくなる衝動をどうにか抑え込んでいた。

 

「一通り見て回れたか?」

 

 何かの書類にペンを走らせていた提督が叢雲を見上げる(・・・・)

 

「えぇ、一般的な施設は大体見て回ったわよ……ごめん、一つだけ言わせてもらうわ」

 

「ん?」

 

 その言葉に顔を上げた提督の顔に、ビシっと叢雲の人差し指を突きつけられる。

 

「何でミカン箱で執務してるわけっ!?」

 

 指差された提督の前には結構なサイズの段ボール箱が置いてあり、その上には書類や提督印が置いてあり、現在進行形で提督が執務を行っていることを加味しても、執務机の替わりに使われているのは明白だった。

 

「何故かと言われてもな。これが新人提督の伝統だと聞いている」

 

「伝統……って、どんな?」

 

 まったくふざけた様子のない大真面目な顔で返ってきた言葉に、叢雲は思わず聞き返した。

 

「着任した提督は家具どころか執務机すらない司令室を訪れる。そこでこれから多くの部下の上に立つ者としての心構えとして、一水兵だった頃の――初心を忘れることのないように、荷造りに使った段ボールを机替わりにして蝋燭の明かりを頼りに執務をこなし、決して慢心せぬように真摯に勤めよ――という教訓だ」

 

「な、なるほど……」

 

 何やらもっともらしい提督の言葉に思わず叢雲は納得してしまうのだが、その話はかなりいい加減なものであったりする。

 教訓そのものは確かに存在するのだが、急な出世や抜擢で提督となる者が変な勘違いを起こしたりしないようにと、あえて何もない部屋を用意したりしているのである。

 そもそも一水兵から提督になるようなことは、基本的には滅多にあることではない。

 

「段ボール箱で執務している理由は分かったわ。それで一応今は私しかいないわけだし、秘書艦の机はないの?」

 

 とりあえず秘書艦として執務の補佐も艦娘として大切な仕事なので、叢雲は自分も事務仕事ができるようにと秘書艦用の机が欲しいと要求した。すると提督はペンを走らせていた書類を床の上に置くと、執務机替わりにしていたダンボール箱を開けてそこから一回り小さい段ボール箱を取り出すと、叢雲の前にデデンと置いた。

 

「ま、薄々分かってはいたわよ……」

 

 諦めた眼差しと声でそう漏らすと、叢雲は段ボール箱の前にストンと腰を落とした。

 

 ちなみに叢雲の段ボール箱はブドウ箱だった。

 

「何か私が出来る書類はある?」

 

「これを頼む」

 

 渡された書類に目を落とすと、それは泊地周辺の島を行き来する物資輸送の連絡船航路にこの泊地を加えるための許可申請書だった。

 

「物資の輸送に軍籍の船を使えないの?」

 

「軍の輸送船は大型船から小型船に至るまで南方で展開が予定されている大規模作戦に参加、もしくはその支援の為に各鎮守府に統合されて運用されている」

 

「――そう。噂の作戦がもうすぐなのね。私たちは当然……?」

 

 海軍総隊で訓練を受けていた頃に聞いた噂話で、叢雲は近々海軍が南方でかなり大規模な作戦展開することは知っていた。軍としてその情報管理は如何なものかと思うところなのだが、艦娘に対してはある程度の情報は統制を行わずにわざと流している節があった。

 

「作戦への参加は基本的に免除されている。当面は泊地の整備と艦娘の着任に努め、周辺海域の哨戒と船団の護衛等に精を出せと電文がきていたな」

 

「まだ始まってもいないような泊地だものね。期待するしない以前の問題……か」

 

 それでも少しだけ悔しそうな様子で、両頬に垂らして赤い紐で結んでいる横髪を指で弄りながら書類にペンを走らせる。

 そんな叢雲の様子を見ていた提督の表情が、ほんの僅かだが柔らかいものとなっていた。提督からの視線を感じた叢雲は、自分は見つめられていることに気づき、その意図が分からず思わずキツイ目つきと口調で提督を睨んだ。

 

「……何?」

 

「いや、流石は水雷屋の本家駆逐艦。姿形は変わってても良い闘志を持っている」

 

 そう語る提督の様子には馬鹿にしたような様子はまったくなく。むしろ叢雲の気質を好ましく思っている様子が伝わってきた。

 艦娘として生まれてこの方(一か月弱)、人間からそんな言葉も視線も受けたことのなかった叢雲は、自身でも理由が分からないほどに顔が紅潮してしまい、感情が上手く整理出来ずについつい怒声を上げてしまう。

 

「な、なに訳分からないこと言ってるのよっ! もぉ-書類が進まないじゃないのっ!」

 

「悪かった。執務を続けよう」

 

 プンスコ怒る叢雲に謝り、提督は再び書類へとペンを走らせた。その様子を見て叢雲も顔の火照りを振り払うかのように顔を振ると、同じように書類に取り組み始めた。

 

 

                  ⚓⚓⚓⚓⚓

 

 

 エレベーターが停止する振動と重力の兼ね合いで一瞬身体に負荷がかかり、そして扉が重低音と共に左右に開いていく。

 提督が先に降りて叢雲がそれに続いてエレベーターから降りる。室内は暗く部屋の奥までは見通せないが、どうやらかなり広い空間が広がっていることは分かった。

 

 ここは泊地内本棟の西側に立つ工廠の地下。

 工廠の地上階は工具や工作機械が置かれた大きな作業室があり、他にも艤装の稼働実験所や備蓄資材用の倉庫など何棟かの建物が並んでいる。

 提督と叢雲は今、工廠の本棟にあたる棟の地下室に来ていた。

 

 提督が部屋奥へと進みその後ろを叢雲が付いていく。部屋が暗いままで歩きづらいのだが室内は予想以上に広く、室内には物が何も置かれていないらしく何かに躓くようなことがないのが救いではあった。

 

「ここは?」

 

「ここが言わば工廠の心臓部だな」

 

 提督の言葉に反応したかのように突然照明が点灯し、室内が照らし出される。そこはまるで講堂かのように広く、五百人くらいの人間が収容できるほどの規模があった。床もコンクリート打ちで壁は金属製の壁を打たれて補強が施されていた。

 その部屋の一番奥、そこには部屋の北側の壁が全てそれであるかのような大規模な装置が組み込まれていた。部屋そのものの形は縦長の長方形なのだが、それを差し引いても装置の規模の大きさは異質ではあった。

 

「これって……もしかして艦娘建造ドック?」

 

「そうだ。現在この児島泊地では、最大で二艦の艦娘を同時に建造することができる」

 

「これが……私たちの揺り籠」

 

 艦娘の間ではドックのことを『揺り籠』と言われている。これは建造が始まりドック内で自分が自分であることを認識し、意識を覚醒した後に建造が完了するまでの間、まるで揺り籠で揺られているかのような心地よさがあるので、そのように言われている。

 ちゃんと落ち着いた状態で実物を見るのは初めてだった。

 

「それで? 新艦を建造するの?」

 

「あぁ、とにかく今は艦隊の戦力を強化しなければな」

 

「まぁ、当然よね」

 

 内心澄ました顔をしているが、仲間が増えることに喜びを隠し切れないらしく。叢雲の後頭部に浮遊するデバイスが青い光を放ちながら点滅していた。

 

 提督が機械のコンソール部分に近づくと、何処からともなく小さな人影が走り出てきた。あまりに唐突に出てきたので叢雲が一瞬身構えてしまうが、その正体を見てすぐに緊張を緩めた。

 それは本当に小さな存在で、体長は10cmほどで2.5頭身くらいの小人のような三人組の存在が二人を見上げていた。

 

「妖精さん……」

 

 叢雲の呟きに答えるようにツナギを来た工作妖精三人組が一斉に敬礼をする。提督がそれに返礼し、叢雲も慌てて敬礼をした。

 

「工廠長代理。初期艦が着任した、吹雪型5番艦の叢雲だ」

 

 その言葉を聞いて工廠長代理と呼ばれた真ん中の妖精は、真面目な顔のまま叢雲に向き直り敬礼をする。後ろの二人も同じく向き直り叢雲に敬礼をする。それを受けて、さっきは慌ててしまっていたが今度は叢雲も落ち着いた様子で綺麗な敬礼を返した。

 

「吹雪型駆逐艦の5番艦の叢雲よ。妖精さんたちお世話になるわ」

 

 そうはにかんで言う叢雲に、妖精たちも表情を崩して笑顔で頷いた。

 

「早速なんだが、開発と建造を頼みたい」

 

 提督の言葉に再び真面目な顔で敬礼をすると、工廠長代理が指示を出す。それを受けて後ろの妖精二人が後方へと走っていき、すぐに数枚の書類が挟まれたバインダーを手に戻ってくる。バインダーを()に戻ってくると言っても、バインダーのサイズは人間のモノなのでバインダーを地面と水平にした状態で掲げるようにして駆けてくる。

 

「ありがとう」

 

 バインダーを受け取った提督は予め使用するレシピも決めていたようで、特に考えることもなくサラサラとバインダーに張り付けられた書類にペンを走らせる。

 

 燃料、弾薬、鋼材、ボーキサイト。

 

 基本的にこの四種が泊地で主に使用する資材となる。

 上限はあるものの定められた一定の数量は大本営から支給がされ、その数量を超えた資材は遠征を用いて集めなければいけない。

 

「この資材で頼む」

 

 バインダーを妖精に渡す際に書類から一枚を抜き取り叢雲に渡す。

 

「大本営への建造報告用だ。秘書艦としての確認とサインをしてくれ」

 

「分かったわ」

 

 渡された建造記録の書類に目を落とすと、そこに並んでいた数字は決めてシンプル。

 

 開発:燃料10、弾薬10、鋼材10、ボーキサイト10。

 建造: 燃料30、弾薬30、鋼材30、ボーキサイト30『同、資源で二回』。

 

 いわゆる使用資源最低値のレシピだ。

 そのレシピを見て叢雲は提督の顔をじっと見つめる。

 

「なんだ?」

 

「いやね、アンタって結構堅実なタイプなの?」

 

 初対面での衝撃がどうしても尾を引くらしく、叢雲は妙に堅実なことをする提督に訝し気な視線を向けてくる。それを受けて提督は肩を竦ませた。

 

「資料に目を通し一通りの講習は受けているが、まだ実感のないのが本音ではあるからな。最初はこの『開発』と『建造』がどういったものなのか、それを確かめる必要がある」

 

「なるほど……ね」

 

 もっと滅茶苦茶なことをしてくるのではないかと内心心配していた叢雲は、至極真っ当なことを言ってくる提督に肩透かしを食らったような気持ちになりつつも、やはりホッとしていた。

 

 そうこうしている内に工廠長代理が駆け寄ってきた。 どうやら準備が出来たらしく、提督に最終的な決定を求めにきたようだ。

 

 北側の壁その右側。

 全体的な面積で言えば壁の1/3が開発用の装置らしく、今はそこのモニターに『燃料10、弾薬10、鋼材10、ボーキサイト10』と表示がされている。

 

 壁の装置に表示された数値に誤りがないことを確認した提督は頷いた。それを見て工廠長代理は敬礼をし、装値付近にいる工廠妖精に手を上げて合図を送る。合図を受けた妖精たちが装置を操作する。

 動き出した機械の中にどうやら設定された量の資源が投入されているらしく、複数の音が異なる金属音が三度流し込まれる音がして、その後に液体が流し込まれる音がした。今回は資源の使用量が最低値ということもあって、それらの音がどれも軽く小さく少ない。

 そして四種類の資源が投入された後、機械の中で資源をミキサー車で攪拌するような音が鳴り響き最後にかなり軽快な音で『チン♪』という音が鳴った。

 

「ふむ。インスタントのパンケーキみたいな仕様なんだな」

 

「大丈夫なのかしら……」

 

 妙な納得の仕方をする提督と心配そうな叢雲を他所に、開発は続かなく終わったようで機械の開閉ハッチのような部分が開き、そこから何かが転がり出てきた。

 

「ん?」

 

「えぇ?」

 

 二人が目にしたのは、綿屑のお化けみたいな塊と南国にいそうな鳥のぬいぐるみだった。それを見ながら工廠長代理が申し訳なさそうに頬を掻いていた。

 

「どうやら失敗のようだな……ん?」

 

「そ、そうみたいね」

 

 開発は失敗に終わったようだが、叢雲の視線が今出来た二つの失敗作に釘付けになっていることに気づいた提督は気づいた。すると出来上がったそれらに近づくと、その二つに手をかざし指で突き熱を持っていないことを確認すると、それらを手に取り叢雲に渡す。

 

「え、な、なによ?」

 

「結果はともかく我が泊地の記念すべき開発第一号だ。初期艦の叢雲が持っていてくれ」

 

「ふ、ふーん。そういうこと。それなら仕方がないわね……もらってあげる」

 

 提督から綿屑の塊と鳥のぬいぐるみを受け取ると、叢雲は頬を紅潮させながらその二つをぎゅっと抱きしめた。

 その様子を見て僅かに笑みを浮かべた提督の傍で、工廠長代理が敬礼をする。どうやら建造の準備も出来たようで、工廠長代理は開発失敗の挽回しようと張り切っている様子でその目は熱意に燃えていた。

 

「よろしく頼む」

 

 提督が頷くと工廠長代理は力強く頷くと、今度は自ら建造装置まで駆けていき装置を操作し始める。

 建造装置は北側壁の左側から中央までを占め、左側にあるモニターに今回使用する資源『 燃料30、弾薬30、鋼材30、ボーキサイト30』と表示される。そして開発の時と同じように四種類の資材が投入される音がしたのだが、開発の時と違って攪拌するような音がせず、その代わりにモニターに変化があった。

 

 

『第一建造ドック 建造完了予定時刻、現時点より00:18:00』

『第二建造ドック 建造完了予定時刻、現時点より00:18:00』

 

 現在使用できる建造用ドックは二つで、今回はそれらに全て活用して形で建造をしている。

 

「建造完了時刻が同じ時間ということは、同型艦と見て間違いないな」

 

「そうね、私も多分そうだと思うわ」

 

 大した時間でもないので、ここで新たな仲間が誕生する瞬間を待つのもいいかと提督が考えていたところで、突然けたたましい警報が鳴り響いた。

 

「な、なに?」

 

 唐突な警報に綿屑と鳥のぬいぐるみを抱いた叢雲が音の鳴る天井付近を見上げる。

 その直後、提督たちがこの部屋に入ってきた入口の近くにある、地上部まで続く吹き抜けに備え付けられたポールを伝って通信妖精が電文を手に滑り下りてくると、そのまま提督まで駆け寄り敬礼をする。

 提督は敬礼を返しながら電文を受け取ると、すぐにその書面に視線を走らせる。そして読み終えると同時に叢雲へと向き直った。

 

「敵が来たのね」

 

 察しのいい叢雲がすぐに状況を察知し、気持ちを引き締めた顔で提督を見つめた。提督はそれを肯定して頷く。

 

「そうだ。当泊地正面海域からやや南方に偵察部隊と思われる敵影が観測された。輸送船の退避は既に開始されているが、輸送航路の安全を確保できるようにと敵偵察部隊の排除を目的とした出撃要請がきた」

 

 泊地として動き出してまだ数時間というところに、いきなりの出撃命令。

 通常であれば他の熟練鎮守府に出撃を肩代わりしてもらえる状況とも言えるのだが、今は例の一大作戦の準備で他の鎮守府も出来る限り余計な出撃を控えているのが現状だった。

 

「増員もまだという状況で――」

 

「司令官、みなまで言わなくていいわ。私は私の役目を全うするまでのことよ。だからアンタはただ一言、私に命令すればいいの」

 

 真っすぐに揺るぎのない視線。

 それはまさに戦士の眼差しだった。

 

 叢雲の覚悟を受け、提督は静かに目を閉じると一つ息を吐く。そしてすぐに目を開けると、その目もまた叢雲と同じく覚悟を決めた眼差しをしていた。

 

「吹雪型駆逐艦、叢雲。泊地正面海域南方に展開する敵偵察部隊の発見、その撃退を主目標とした出撃を命令する」

 

「了解っ!」

 

 お互いに敬礼をすると、叢雲は振り返って工廠を出るためにエレベータに向かって駆けて行こうとしたが、すぐに止まって引き返してくる。そして手に抱えていた綿屑の塊と鳥のぬいぐるみを提督に渡してきた。

 

「戻ってくるまで預かっておいて、いい? 絶対廃棄とかしちゃダメだめよっ!?」

 

「了解した」

 

 提督の返事を聞くと、叢雲は嬉しそうに頷くとエレベーターに向かって駆けていった。その後ろ姿を見送ると、提督は表情を引き締める。

 

「工廠長代理、叢雲の艤装の準備を急がせてくれ。あと追加でこのレシピで開発を三回行ってもらいたい」

 

 提督の指示に工廠長代理はすぐに頷き、それぞれの手配を開始した。その様子に頷きながら提督もエレベータに乗り工廠の地上へと上がると、地上の工廠は急な初出撃に際して大慌てになっているようで工廠妖精たちが数人慌ただしく駆けまわっている。

 

「さて、私も準備しよう」

 

 提督は叢雲に渡されたモノを大事に抱え、泊地本棟へと足を向けた。

 

 




次話で初戦闘。
その次で叢雲以外の艦娘が着任予定です。


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座乗、駆逐艦-叢雲-

春イベお疲れ様でした。
前話の後書きで書いた予定が既に狂ってきています。
計画性ないなぁ……お許しを。


 けたたましい警報は既に止み、泊地は戦闘配備が発令され物々しい空気に包まれていた。

 工廠や泊地本棟を駆け回る妖精たちの顔も一様に緊張し、物資や書類を手に懸命に己に定められた役割を果たそうとしていた。

 

 工廠本棟の地下一階、建造ドックよりもかなり上に位置する場所に湾から海水を引き、そのまま海へと続く出撃用の簡易ドックが存在する。

 現在各鎮守府や泊地で運用する艦隊は、基本的には第四艦隊までと定められている。これは一部の鎮守府や泊地に戦力が集中し過ぎないことと、戦力の均一化を図ることを主目的としている。

 こと人間以外の第三の敵が現れた現在でもなお、人間は人間を完全に信用することが出来ずにいるという証明だった。

 ただし、鎮守府や泊地を当初の予定よりも多く設営できたことに至り、大本営が各鎮守府及び泊地の動きを把握する上で、四つの艦隊による運営が限界だったことも後付けの理由として生まれた。

 

 この児島泊地で現在保有が許可されているのは第一艦隊のみ、当然出撃用ドックも一つだけ解放されている。

 今はそこに一人の艦娘が立っていた。

 

 癖のまったくない美しい青味掛かった銀髪。

 ワンピース型のセーラー服を痩身に纏い、黒いストッキングを身に着けた足は細く美しい。

 普段は強気で凛々しい表情を常に浮かべているのだが、今は少しだけその表情に陰りが見え不安と緊張を抱えているのが見て取れた。

 

「大丈夫よ……演習でも上手くやれてたわ。訓練だって……何度も何度もこなしてきたもの」

 

 小さな声で自分に言い聞かせるように何度もそう呟く。

 左手で右手を抱くように佇み、両の足は根を張ったようにコンクリートの地面に吸い付いている。まるで今の自分は大破着底した船舶のようだと、叢雲は堂々巡りを繰り返す思考の中で自嘲気味に笑った。

 

 そんな不安定な叢雲を他所に周囲の状況は着々と移り変わり、時計の針は進んでいく。

 

 先ほど聞いた泊地の戦闘配備を知らせる警報とは別の警報音が鳴る。叢雲が後ろを振り向くと、出撃用ドックに並ぶ六つの閉められたシャッターの内、ちょうど叢雲の後ろで変化が起こる。

 シャッター上部にある『待機』と書かれたプレートがスロットのように回転し、しばらくの後そこに『叢雲』という文字が表示された。すると黄色い回転灯が周囲に注意を促し、『叢雲』という表示のされた下にあるシャッターが開いていく。

 シャッターが開き切ると、そこに現れたのは一基の艤装。

 

 駆逐艦『叢雲』の艦橋部を後ろに倒し、艦橋の窓から下一段括れたその両横に可動式のアームが取り付けられている。それは一本30cmほどの鉄の棒が三本組み合わさり、各繋ぎ目には円形のジョイントが取り付けられており、二つのアームの先端には二本の主砲を持つ12.7cm連装砲が搭載されていた。

 

 クレーンの鎖で吊られた艤装は海軍総隊で叢雲が使っていたもので、先にこの児島泊地に送られていた。

 現在この泊地にある唯一の艤装ということもあり、工廠妖精たちによって入念に整備が行われ塗装に至るまで完璧な仕上がりを施されていた。

 

「……」

 

 艤装の待つシャッターへと歩を進め、傍に立つとそっと艦橋部を撫でた。鈍い輝きを放つ艤装に頼もしさを感じ叢雲は少しの笑みを浮かべると唇をキュっと噛み振り返る。

 

「艤装をっ!」

 

 叢雲の声に応え工廠妖精たちが鎖で吊られた艤装の高さを調整し、所定の位置に合わせると叢雲に合図を送る。

 それを受けて叢雲が背中を艤装にある円形の皿状になった接続点に密着させる。すると背中と艤装に強力な磁力が働いているかのように吸着し、艤装と物理的な一体性を感じる。だがこの時点ではまだ背中に酷く重い荷物を、()()()()()()と共に背負ってるという感じを受ける。

 

「艤装との接続を確認」

 

 今の状況を口に出して言い、更にその先へと

 背中に感じる重みに下腹と足に力を込め、目を閉じる。

 思い浮かべるのは過去の自分。

 

 鋼鉄の体、タービンの心臓、電探の目と耳、鋭い矛となる砲塔。

 

 朧げな記憶の中で大海原を駆けたかつての自分と、背中に背負う艤装とのイメージが寸分の狂いなく重なった瞬間、叢雲はスッと目を開ける。

 

「艤装との連結を確立っ!」

 

 もう背中には重さどころか違和感すら感じはしない。まるで背中に接続された艤装は生まれてからずっと自分の一部としてあったかのような一体感を得ている。

 艤装を連結した状態で体を捻ったりして違和感がないかの最終確認をした後、叢雲はもう一つ鎖で吊られていたマストを模した槍を手に取る。

 手にした槍を持って思うことは、今の自分は船舶ではないのだな、という当たり前すぎる感想。前世での自分にはこんな槍を手に戦うようなことは当然なかった。

 

 ――否、違うのは槍どころではない。

 

 以前の自分は唯々軍艦として性能の限りを尽くせばいいだけだった。そして自身に乗った乗員たちが死力を尽くして戦い、常に自分と共に在ってくれたのだ。

 

 だが今の自分はこの大海原で、ひとりき――。

 

『叢雲聞こえるか?』

 

「っ!?」

 

 頭の中では思考の渦に沈んでいる中、身体だけが訓練で覚えこんだ出撃の準備をしていた叢雲の濁った意識に冷や水を浴びせるような声が耳朶を打った。

 

「司令官……?」

 

 

                  ⚓⚓⚓⚓⚓

 

 

 叢雲が出撃ドックへ向かって行ったのを見送り、工廠の地上階へと上がった提督はその足で泊地本棟へ向かった。

 本棟に着くとエレベーターに入り、叢雲から預かっていた綿屑お化けと鳥のぬいぐるみを片手で抱えると、懐から小さな鍵を取り出すとエレベーターの操作ボタンの下、制御キーを差し込む鍵穴の隣にある鍵穴に差し込み右に捻った。

 鍵を捻った途端、エレベーターの照明が一度落ち代わりに赤い非常灯が灯る。そして本来()()()()()()()地下三階へとエレベーターは到達する。

 

 エレベーターが開くとそこには短い廊下があり、左右に二つずつ計四つの扉があり、突き当りにも扉があった。最初の二対の扉、その左側に入るとそこには簡易シャワーとトイレが備え付けられた洗面所だった。提督はそこにある脱いだ服を入れる籠に叢雲から預かった二つのモノを置き部屋を後にする。

 そして突き当りの部屋の扉の前に立つと、そこにだけあるカードキー認証に取り出したカードを認証させた。何重もの厳重なロックが解錠される音が鳴り響き、それが止むと提督が取っ手を握り扉を外側へ引く。重い音とともに扉が開くと、その中は10平米程度の小部屋で中央にポツンとかなり大きめの椅子があり、それ以外には何も置かれていなかった。

 

 提督は迷うことなく椅子に座ると、椅子の肘掛けに掛けてあったヘッドセットを手に取り装着する。それはゴーグルのような形状で目を完全に覆い、装着した提督の視界も当然暗闇に覆われた。

 

「……」

 

 ゴーグルからはコードが伸び、それは提督が座る椅子の後部へと続いていた。長時間座ることを想定され座り心地が無駄に良い椅子に身体を鎮めると、提督は一度深呼吸をしてから肘掛けの端を握り込む様に持つ。

 

「児島泊地司令官、古島湊。これより第一艦隊旗艦、吹雪型駆逐艦『叢雲』に乗艦、座乗する」

 

 音声と両手の指紋を認証すると、提督の座する椅子が稼働し自動で座っている提督にとって一番負担の少ない状態に調整される。そしてその調整が終わると、椅子の後部――太いケーブルが何本も伸びて床の中へと続いている――からデータを読み込むCPU稼働音のような音がし、それが終わると提督の意識は霞掛かり暗闇に落ちていった。

 

 

 すぐに提督は意識を覚醒させて目を開けた。すると周囲の様子は一変していた。部屋の広さは先ほどまでいた部屋の半分ほどになっており、部屋の中には舵や様々な計器類や望遠鏡などが設置されている。

 そして何よりも違うのは部屋に明かりを取り込んでいる窓の存在だった。

 提督が先ほどまでいたのは泊地本棟の地下三階であり、当然部屋には窓などあるはずもなく部屋の中も非常電源時の光源程度の微小なものだった。

 だが今は部屋の前面部から側面部にかけて窓が存在し、部屋に明かりを取り入れていた。そしてその窓から見える外の光景は、どうやら出撃用ドックのようだった。

 どうやら無事に成功したことを確信し、提督が息を吐くとそれを見計らったかのように近くの伝声管から無機質な女性の声が聞こえてきた。

 

『吹雪型駆逐艦、叢雲との接続に成功――乗艦しました』

 

 乗艦に成功したことを改めて確信し、提督は椅子にある伝声管を開けて、自らが座乗する()へと声を掛けることにした。

 

「叢雲、聞こえるか?」

 

『っ!?』

 

 相当に驚いたらしく吃逆のような声が聞こえ、そのあと一瞬沈黙する。どうやらここにいると艦娘の深層心理の一端も伝わってくるらしく、叢雲が抱えるものの正体も提督にはすぐに分かった。

 

『司令官……?』

 

 聞こえてきた声はあまりにか細いものだった。

 

 

                  ⚓⚓⚓⚓⚓

 

 

 突然頭の中に直接聞こえてきた声に叢雲が目を白黒させる。その様子に一瞬提督は首を傾げかけたが、すぐにその理由を察した。

 

『そうか、お前は座乗された経験はなかったのか』

 

「座乗って……じゃあ今アンタは私に乗ってるの!?」

 

 提督の言葉の意味をすぐに理解した叢雲は、海軍総隊で受けた座学の範囲で知っていた知識を思い出す。

 

『第一艦隊旗艦に座乗するのは提督として当たり前のことだろう?』

 

「それはっ! そう……だけど……」

 

 一瞬ヒートアップしかけるが、提督が何もおかしなことを言っていないのは確かなので、すぐに思い直し言葉尻が萎んでいく。

 その様子に提督は思わず含み笑いを漏らす。その声が聞こえてしまい、叢雲は訳もなく恥ずかしくなってしまい顔を赤くさせた。

 

「なっ何笑ってるのよ!」

 

『いや、すまない。だがもう時間が押している。まずは出撃しよう』

 

「わ、分かったわよ……」

 

 提督のその声に時間を確認すると、確かに出撃予定時刻を僅かに超過しかけている。根が真面目な叢雲は表情を引き締めてすぐに出撃位置へと移動する。

 また先ほどまでと同じ厳しい表情を浮かべる叢雲の様子を感じ取った提督は、本来駆逐艦叢雲の艦橋にはなかったであろう提督椅子に座ったまま、居住まいを正す。

 

『叢雲、前世で君と共に戦った英霊たちに比べれば私はひどく頼りない存在だろう。だが、私もまた軍人だった祖父の意志を継ぎたいと思い軍人となった男だ』

 

「お爺様の意志……?」

 

 突然の独白に面食らってしまったが、叢雲は話の先は気になって聞き返した。

 

『そう命をかけて故国を守り、たとえ数多の戦友と共に異邦の地で朽ち果てようとも。次世を担う子供たちの礎になる――という意志だ』

 

 提督の言葉に叢雲は息をのんだ。

 それはまさに叢雲たち軍艦と運命を共にしていった水兵たちとまったく同じ志だった。

 

『若輩者なのは勿論自覚しているが、今私は君と共にある。だから恐れることなく行こう。我らが泊地の初陣を栄光のものとするために』

 

 その少し無理してわざと芝居がかった感じで喋っている提督の言葉に、叢雲は思わず噴き出してしまった。そして感じるのは自分の中に――正確に言えば艤装の中と言った方が正しくはあるのだが、そこに提督がいるという確かな実感。

 共に戦い、命を懸けて守るに値する存在が――今も昔も自分の中に居てくれる。

 その事実だけで叢雲には戦う意志が漲ってくるのを感じていた。

 

 そして何よりも自分が独りではない、その事実だけで胸がいっぱいだった。

 

「いいじゃない……やってあげるわっ!」

 

 もう不安も緊張も体を縛るものは何もなかった。

 今はただ使命と闘争本能が背中を押してくる。

 

 迷いを振り切り、叢雲が吼える。

 

「吹雪型駆逐艦、叢雲っ! 抜錨するっ!」

 

 




明日からは残ってる5-5と6-5を割りつつ、空いてる時間で書いていきたいと思っています。
のんびりやっていきましょう。


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敵偵察部隊を撃退せよ

更新が大変遅くなり悲しい。
小説自体書くの凄い久しぶりなので、ちょっと書いては立ち止まっての繰り返しです。
とりあえずゆっくりでも更新できるように頑張りたいですな。

あと現時点で3話しか投稿していないにもかかわらず、お気に入り登録をして下さっている12名の方々、本当にありがとうございます。
とても励みになっております。



 太陽は既に中天を過ぎ、西寄りの空で輝きを放っている。

 出発した児島泊地を抱く瀬戸内の島々も霞んで見え、西方に見えていた蒲生田岬を過ぎ去り、東方には紀伊半島の輪郭が朧気に見える。

 

 泊地を出て約一時間が経過し、古島提督が座乗する駆逐艦叢雲は事前に敵艦の目撃報告が寄せられていた海域へと差し掛かっていた。

 潮の香りを多分に含んだ海風と、自身の航行に因って発生する風に吹かれ、叢雲の長く美しい髪を忙しなく遊ばれて輝きを放つ。その髪を抑えながら、叢雲は周囲に注意を払う。

 

「司令官、この辺りで間違いないのよね?」

 

『あぁ、目撃証言があった海域から敵の進路方向と航行速度を考えれば、この辺りで会敵するはずだ』

 

 独り言のように口にした言葉に返ってくるのは、まるで脳内に直接響いてくるかのような近しい声。その感覚に最初は慣れなかったが、今は自分という艦に乗艦している人間がいるという懐かしい感覚に嬉しさすら込み上げてくる。

 その感覚と感情を素直に受け止めて思うことは――嗚呼、私はやはり艦艇なんだという実感。

 人を乗せて大海原を往くことに感じる喜びは、今も昔も何も変わらず叢雲の胸を満たしてくれた。

 

『叢雲。 ――叢雲?』

 

「え? あっなななに!?」

 

 これから戦場と化す場所にいるにも関わらず、一瞬それを忘れて陶然と喜びを噛みしめてしまっていた事実に赤面し、叢雲は慌てて提督の呼びかけに答えた。

 

『大丈夫か?』

 

「だ、大丈夫に決まってるでしょ!? 誰に言ってるのよ、まったく!」

 

 恥ずかしさと照れ隠しについつい憎まれ口を叩いてしまうが、提督はそんな叢雲の態度に気を悪くしたような様子もなく指示を続ける。

 

『四時方向。何かの影が動いたように見えた、お前の目で確認してくれないか?』

 

「待って、今確かめるわ」

 

 具体的な指示を貰い叢雲は自身の意識を変えるように気を引き締め、指示のあった四時方向へと顔を向けて目を細める。

 そろそろ斜陽へと差し掛かろうとしている太陽の光を浴びてキラキラと輝く水面。見る限り穏やかな海なのだが、叢雲はそこに僅かな違和感を覚える。

 スッと目を細めて右手の槍を握る手に力を込め、今一度自分を構成する全ての要素に確認をする。

 艦娘としての自分自身、タービン、缶、艤装。

 その全てが――了、と叢雲の背を押した。

 

「司令官、敵影を補足したわ。これより突撃を開始するっ!」

 

『――了解した。落ち着いていこう、これが我々の初陣だ』

 

 その落ち着いた声に頷き、叢雲は機関の出力を上げて増速していく。

 敵影を補足した地点に対して一定の距離を開けつつ、平行する位置から一気に接近していく。砲雷撃戦の基本は味方の陣形と敵の陣形において、『T字』となって有利な位置となること。その原則は艦娘になって若干変化した部分もあるが、それでもなお必然として存在する砲雷撃戦の絶対的な不文律となっている。

 

 艦娘は水上に浮くことが出来る。これは艦娘固有の性質であり、艤装の有無に関係なく本人の意思で任意に浮くことが可能である。

 さらに艤装を装着後は、まるで氷上を滑るスケートのように水上を航行することができ、速力が強速までならば直立姿勢のまま水上を移動出来る。

 そして戦速及び戦闘時は自らの足で文字通り――水上を駆けることとなる。

 

 こと水上――海上における艦娘は既存の定義されている物理法則から一線を画すことが多々あり、それは艦娘自身、艤装の特殊性、妖精の加護など様々な要因が憶測されている。だが、一つ確実に言えることは、これらの要因も含めて敵――深海棲艦と渡り合えるのは艦娘のみだということ。

 

 叢雲は船速を第一戦速から第二戦速へと上げる。前傾姿勢でホバーするように海上を進んでいた叢雲は一度海上から軽く跳ね、着地と同時に身体を大きく前に傾け踏み足で力強く海面を蹴った。水柱が大きく跳ね上がり、叢雲は一気に加速する

 今までの航行速度とは明らかに違う速さで周囲の景色が後ろへと流れ、肌に感じる風は鋭く強く大きく感じ、目標地点へと一気に駆け抜ける。

 

 叢雲の上げる水柱に反応し、それは水面を揺るがす波浪の合間から姿を現した。

 大きさはクジラの子供くらいだろう。黒く鈍い光沢のある体表は何処となくその体の形状も相まって魚雷に似ているようにも見える。身体は生物の頭部に似たモノのみで構成され、全体は黒いのだが下腹部のみが青白くそこに生える足が異質だった。そして正面部に緑に光る一対の目と口が存在した。

 

 駆逐艦イ級。

 

 敵側の駆逐艦級の中でも最も頻繁に目撃されている個体で、決して強い個体ではない。むしろ発見すれば積極的に狩られる撃破対象であるのだが、それはちゃんとした艦隊を編成していればの話で、着任初日の駆逐艦娘が一人で相手にするには十分に脅威となりえる敵だった。

 

 様子を窺うように水面から顔を出して叢雲を凝視しているイ級に対し、叢雲が右手を突き出すと艤装右側の12.7cm連装砲が付いているアームが叢雲の動きにトレースするように動き、砲身をイ級がいる方向へと向ける。

 

『叢雲、現状我々はT字戦で有利な位置を取りつつある――が、敵は動きを止めている以上、今後の動き次第では同航もしくは反航戦に転じる可能性もある』

 

「分かってるわ――引きつけて初撃いくわよっ!」

 

 一定の距離を開けたまま第二戦速を維持した状態で近づき、叢雲とイ級が横一線に並んだ位置で射撃を行うのがベストだったのだが、イ級が叢雲の殺気を感じ取ったようで動きを見せる。

 

「逃がさないわっ! ――てぇっ!」

 

 まず砲撃の衝撃が艤装から体に伝わり、次に砲撃音が鈍く鼓膜を揺らす、そして砲身から撃ち出された弾頭が高速で目標へと飛んでいくのを視線で追った。

 着弾し噴き上がる水柱は二つ。

 海中に潜り逃げようとしたイ級を挟んで二つの水柱が上がり、それを視界の端に捉えながら叢雲が東側に駆け抜けた。

 

『極めて至近っ!』

 

「了解っ! 浮上したところを狙うわっ!」

 

 イ級が潜った地点を見失わないよう視線を切らないように睨みつけながら、水面に踵から足裏全体を使って急制動を掛け、ほぼU字を描くような形で高速反転する。

 

『浮上と同時に動くはずだ』

 

「そうね、どう動いてくるかしら?」

 

 再び海面を蹴り、イ級が潜った地点へ向けて駆け出すと同時にイ級が浮上してきた。深海棲艦は艦種に問わず水上艦でも一時的な潜水が可能らしい。だが潜水艦のような潜水航行が出来るわけではなく、あくまで勢い付けて水中に潜ってそのまま浮力で浮上するというような動きをしても大丈夫、というレベルのものと認識されている。

 

「浮上位置が思っていたより遠い、水中で距離を稼がれたわっ!」

 

『あの短い脚でバタ足でもしたのか』

 

 提督の軽口に叢雲は思わずクスりと笑いつつ、想定よりも遠い位置に浮上してくる敵に近づき砲の射程範囲内へと駆ける。

 その直後、イ級が跳ねるように浮上してきた。

 

『――左右か?』

 

「――来るか?」

 

 イ級の次の動きに提督と叢雲が注視した途端、イ級は即座に動いた。

 

 全速力でより沖合の南方へと――。

 

『……』

 

「……」

 

 そのあまりにも鮮やかな逃げっぷりに叢雲は足を縺れさせるようして止まり、呆気にとられたように立ち止まる。

 

『撤退か。思っていたより理性的な行動を取ってきたな。想定はしていたが、鮮やかなものだ』

 

「……っ! 追撃するわっ!」

 

『――許可する。だが、逃げた先には恐らく偵察部隊の本隊がいるぞ』

 

 叢雲の艦橋で提督は、送られてきた追加の目撃報告をバーチャルディスプレイで展開し読み込んでいく。

 目撃された敵偵察部隊の主力は軽巡1、駆逐2とされている。そこに今逃げた駆逐艦イ級が合流すれば軽巡1、駆逐3となり、彼我の戦力差は数だけ考えても1対4となり正直戦うのは得策ではない。

 

 だが、斥候一隻を取り逃した挙句に敵本隊と接敵せずに、今回の出撃の主目標である敵偵察部隊の撃退を完遂できたというのは、あまりにも苦しい内容となる。

 そのことを叢雲も十分に理解しているのだろう。提督の言葉に笑みを浮かべて左手に持ち替えていた槍の柄を握り締めながら増速する。

 

「敵の本隊を探す手間が省けるってもんだわ」

 

 第二戦速を維持したままイ級が逃げた方向へと艦首向けて海面を蹴った。

 

                ⚓⚓⚓⚓⚓

 

 太陽は斜陽へと変化し、海の色を夕焼けの色に染め上げつつあった。

 逃げに徹するイ級の追撃は思っていたよりも困難なものとなった。

 理由は様々あるのだが、イ級の速力と時々潜水して姿をくらまそうとする手段に何度か引っかかりかけてしまったことが大部分で、あとはそんな手に引っかかってしまった練度の低い艦娘と提督の経験不足としか言えないだろう。

 

 だが、その追いかけっこもようやく終わる時がきた。

 距離を詰められてきたイ級がまた潜水して姿をくらまそうとしたのだが、流石に叢雲も慣れてきており提督も読みが働かせ始めていた。今までの潜水である程度海面に潜ってから浮上するまでに移動する距離が読めてきた。

 叢雲は左の砲で威嚇射撃を行い、イ級が海面に出る位置を制限する。そしてわざと射撃を薄くしていた場所に向けて右の砲を向けて狙いを定める。案の定、イ級は砲撃が薄い場所へと浮上し黒い頭部が海面から弾けるように飛び出た。

 

「そこっ!」

 

 両側の砲身がほぼ同時に射撃。

 夕闇を切り裂いて飛んだ砲弾はイ級を掠めて海上に水柱を上げる。

 

『夾叉っ!』

 

「とっとと沈みなさいっ!」

 

 提督の言葉にすぐさま砲身の位置を調整しつつ次弾を装填し、そのまま射撃を開始する。先の夾叉弾から調整された砲身によって放たれた砲弾は、今度こそイ級に直撃しその身を砕いた。

 

「よしっ!」

 

 初の戦果に手応えを感じ、叢雲がグッと手を握って成果を実感する。だが、そこに提督の鋭い声が響いた。

 

『叢雲っ! 七時方向敵影!』

 

 提督の声が聞こえてから間髪入れずに叢雲の周りに砲弾が着弾し、幾つもの水柱が上がる。叢雲は提督の声に咄嗟に反応して横滑りに移動したのが功を奏し、直撃は免れた。

 だが、かなり間近に至近弾を喰らい着弾の衝撃で上がった水柱に足を取られ、背中を反らしながら水面に艤装を擦りつけるような姿勢で転げるように敵の照準位置から離れた。

 水面に掠った艤装からは水蒸気が上がる。それは放熱する12.7cm連装砲が水と接触したからだろう。防水加工と排水機構が異常に――というよりは不可解なレベルで完成されている艦娘の艤装は、内部に入った水さえ抜ければ砲弾の火薬が湿気るようなこともなく使用可能である。

 

「やってくれるじゃない……」

 

 初の戦果に油断してしまった自身に恥じながらも、今はまだ弱音も泣き言も言わない。

 ここは戦場であり、自分は艦娘であって、旗艦である。

 

『駆逐艦の砲撃の中に一種類違う音が混じっていた。水柱の大きさから考えて、やはり向こうの旗艦は軽巡だろう。僅かだが見えたシルエットから推測するに恐らくホ級だろう』

 

 座乗する提督の冷静な分析を耳にして、叢雲は知らず知らずの内に笑みを浮かべる。そして至近弾の衝撃で僅かに震える足を手でピシャリと叩くと、顔を真っすぐに上げた。

 

「司令官……いくわ」

 

『当然だ。だが、状況は不利な以上は作戦を立てる』

 

「当然ね」

 

 敵影が緩やかに前進してきているのを捉えつつ、叢雲は自身と艤装に不備がないかをチェックしつつ提督の作戦に耳を傾けた。

 

 そして――。

 

「アンタ……それ本気で言ってるのよね?」

 

『この状況で冗談を言うほど私の神経は図太くない』

 

 こんな作戦提案しといて神経図太くないわけないじゃないの……と思いつつも、叢雲は『否』と言うことなど考えもせずに頷く。

 

「いいわ。やってやろうじゃない」

 

『では首尾通りに作戦を運び、目的を完遂しよう』

 

 こういう状況では作戦を立案した提督の落ち着き払った態度と声音は、それに実行する者にとっては大きな安心を得る材料となる。考えた本人がこれだけ落ち着いているのだから、きっと大丈夫だろうと思える『力』が声に宿っていると思えるからだ。

 

「始めるわ」

 

 そう言うと叢雲は、自分の左腕に搭載された新しい武装を撫でて微笑んだ。

 

                ⚓⚓⚓⚓⚓

 

 太陽は遂に水平線へと沈み、海は夜の帳に包まれた。

 

 紺碧の海に漂う影が三つ、そのいずれも異形のものだった。

 先ほど撃破されたイ級が二個体と、その間に挟まれているのは軽巡ホ級。

 モアイ像の顔を下顎より上の部分くり抜いて、上部分には砲台を幾つも載せて、その下――まるで喉の奥から人間が這い出てきているかのように、死体のような青白い肌を持つ女の上半身が迫り出している。そしてその頭部は本体と同じように下顎から上がなく、代わりに本体のモノと思われる上下で大きさの釣り合わない上顎をヘルメットのように被っていた。

 

 その三隻が速度は緩めながら一斉に向きを変える。

 捕捉していた敵、駆逐艦型の艦娘に動きがあった。

 砲撃の後、距離を取ったまま動きのなかった艦娘が砲撃を開始してきた。しかし距離がある上に夜になっていることも相まって、その射撃は正確さを著しく欠いており()()たちがいる位置よりもやや手前に着弾して水柱を上げた。

 速力を上げて距離を詰めようとした途端、今上がった水柱の遥か向こうで目の前で上がった水柱と比べものにならないほどの水柱が爆発するように上がった。

 

 敵は駆逐艦級の艦娘一人のはずなのに、今上がった水柱はまるで重巡級の主砲が着弾したくらいの規模だった。

 状況が掴めず行き足で進む中、噴き上がった水柱の中から銀色の髪を夜風になびかせて艦娘が飛び出してきた。しかも水柱を発生させた()()の勢いを利用して上空に十数メートル飛び上がり、南東へと流されつつそのまま着水する。

 着水した衝撃で再び水柱を上げるが、すぐさまその中から今度は海面を駆ける様にして飛び出してきた。

 艦娘の行動の意図が分からず、深海棲艦の軽巡洋艦ホ級は進路を変えずに反航戦のまま砲塔の角度を変えて砲戦を開始した。

 砲撃にはイ級も参加して一斉に行っているのだが、艦娘を捉えることが出来ず砲弾は全て目標の後ろへと逸れていく。

 そこでようやく目標の艦娘が、尋常ではない速度で航行しているのだということに気づいた。

 

 その直後、僚艦のイ級二隻が突如爆発し燃えながら傾き、やがて水底へと沈んでいった。

 ホ級は僚艦を葬ったそれが何か知っていた。

 

 雷撃――すなわち魚雷。

 

                 ⚓⚓⚓⚓⚓

 

 息が切れる。

 艤装の缶とタービンが唸りを上げて、海面を蹴る足に感覚が薄くなる。

 海面を蹴れば水柱が上がるほどの勢いで叢雲は海面を駆ける。

 速力で言えば両舷一杯。

 

 壊れてもいいからありったけの速度を――っ!

 

 自分の後方で敵の砲火が水柱を上げるが、それがスローモーションに感じられるほどに知覚を置き去りにして、叢雲はただ合図が上がるまで走ることだけに集中した。

 

『――叢雲。到達予定時刻だ』

 

「――ハッ! ハッ! 待ちくたびれたわよっ!」

 

 喋る余裕などない状態なのだが、それでも叢雲は声を捻り出して速力を若干緩めながら大きく方向転換を開始する。

 そしてその直後、敵三隻がいる方向から爆発音と共に二つの水柱が上がった。

 

『イ級二隻に直撃したな』

 

「――ハァッ! ハァッ! 出来過ぎくらいのっ結果じゃないっ!」

 

 一杯から最大戦速へと船速を落としたが、それでも壊れない程度というだけで全速で走っていることに変わりはない叢雲は、息を切らせながら残存するホ級に向かって夜の海を駆ける。

 

 最初の砲撃で一つ目の目くらましをし、魚雷を誘爆させて起こした爆発による巨大な水柱な二つ目の目くらまし、それに乗じて発射した魚雷。

 そしてその魚雷誘爆の爆発に乗って大きく目立つように、上空に跳ね上がって敵の注意を引く。

 そこからの両舷一杯による異常な速度での距離を保ちつつの接近。敵はこちらの意図が読めずに、とりあえずは進路を変えずに狙い撃とうとしてきた。その結果、魚雷の射線から動くことなく進み直撃を受けることとなった。

 

 大きく弧を描いて曲がる際に一発だけ再装填した魚雷発射管の安全装置を外すと、右側の12.7cm連装砲がホ級に向かって火を噴く。

 ホ級も僚艦を失ったことで覚悟を決めたのか、決着をつけるつもりらしく正面から叢雲に向かって突撃を開始してきた。

 そして正面部に集中している5inch単装高射砲を叢雲に向けて撃ってきた。

 弧を描きながら駆ける叢雲の顔の横を、自身よりも格上の主砲から放たれた砲弾が幾条も通過していく。

 その風切り音に戦慄しながらも、叢雲は怯まずに更に距離を詰めていく。

 ホ級との距離がもう一息というところまで縮まったところで、敵の砲弾が砲撃を続けていた右側の12.7cm連装砲を掠めて装甲を抉りとった。

 破損した砲身から火が出たのを見て、叢雲が顔をしかめた。

 

「――ちっ!」

 

 舌打ち混じりに艤装に指示を飛ばすと、艤装本体と12.7cm連装砲を繋ぐアームがパージされる。そのまま速度を緩めることなく走り、左手をホ級へ向けて伸ばす。その仕草に連動して左側のアームが動くのを見て、生き残っている12.7cm連装砲の射撃を警戒したホ級が進路をややズラそうとした。

 そのホ級の動きを見て、叢雲が魚雷発射管をホ級へと向けた。

 

 この61cm三連装魚雷は、叢雲が工廠を去った後に提督が工廠妖精に指示を出して開発した武装で、出撃前に叢雲に渡していた。

 駆逐艦にとってはまさに切り札――それが魚雷。

 

 ホ級が魚雷の発射に対して進路を大きく変えようとしたところで、叢雲が魚雷を発射した。発射された魚雷は叢雲に向けて突進してきていたホ級が、砲撃を警戒して進路をズラそうとしていたその進路上に発射された。

 急制動をかけて進路を元に戻そうとしたところで、叢雲とホ級の距離はゼロとなった。

 ほとんど正面衝突する勢いで肉薄する叢雲に対して、ホ級は砲撃を行うが距離が近すぎる上に身を屈めた状態で突入してきた叢雲に砲弾は当たることはなかった。

 

「はぁぁぁっ!」

 

 裂帛の気合と共に突き出されたのは、マストの先端部を模したと思われる槍。鋭い切っ先がホ級の喉奧からせり出た人間の上半身部分――その胸に突き刺さった。

 

「――――ッッッ!」

 

 声なき絶叫を上げると、ホ級は腕を振り回しその両手が槍を掴むとそのまま引き寄せた。自ら槍を胸の奥へと深く差し込みながらも、ホ級は近くまで引き寄せられた叢雲の頭を掴んだ。

 黒い血のような、重油のような液に塗れた手で叢雲の頭を掴み、そのまま更に引き寄せようとしたところでホ級は力尽きズルズルと叢雲の頭から手を放すと、そのまま崩れるように海へと倒れてそのまま沈んでいった。

 

「――ハァッハァッ! ――ハァハァ……司令官、勝ったわよ」

 

『――あぁ、見事な戦果だ。撃退どころか全滅させるとはな』

 

 海面に尻餅を尽き、荒く息を吐く叢雲は酸素を取り込もうと大きな呼吸を繰り返す。魚雷発射管に魚雷はなく、左右の12.7cm連装砲は()()アーム部分より先が脱落していた。

 

 目くらましと叢雲自身を上空に跳ね上げる為に魚雷を誘爆させた際に、それに巻き込まれて左側の連装砲は壊れてしまい、既にパージされていた。

 ホ級から見えない位置にアームの先端を置くようにしていたので、ホ級に対するブラフとしてアームを動かす動きを叢雲が行ってみせた。それによってホ級の動きを制限し、唯一次弾装填が出来ていた魚雷を使ってまで肉薄し、残る最後の武器だった槍による白兵戦を挑んだわけだった。

 

 服もボロボロでストッキングもあっちこっちが脱線して穴だらけ、頬を掠めた砲弾で切れた傷口から流れる赤い血を拭いながら、叢雲はもう一度深呼吸をした。

 

「司令官、戻ったらとっておきのお湯で入渠させて頂戴よ?」

 

『任せておけ。文字通り一番風呂をお前にやるぞ』

 

「ま、当然よね? でも、楽しみだわ」

 

 戦場で味わう高揚感に自身も満足しながらも、叢雲は提督に勝利を捧げられたことを噛みしめた。

 

「ねぇ、アンタ。帰るのシンドいからおんぶしなさいよ」

 

『とんでもないことを言い出すな、お前は』

 

 そんな軽口を叩き合いながら、叢雲は味方の制海域へとゆっくり帰投するのだった。

 




私事ですが、昨日大型建造で武蔵が着任してくれました。
これで暫定実装艦娘は全て揃いました。
この小説でその全ての艦娘との出会いが書けるところまで続くかは分かりませんが、出来る限り書いていきたいと思っております。

ありがとうございました。


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復原盤と母港の光

いやーレイテは強敵でしたね(汗
お久しぶりです。


 月の輝きが夜の海を照らし、照らされた海に真円の月が漂い浮かぶ。

 その上を一人の艦娘がゆっくりと航行していた。

 

 少女の恰好は激しい戦闘後を思わせる酷い有様で、ワンピース型のセーラー服は所々焦げており、脚部に身に着けているストッキングも脱線して、あちらこちらに穴が開いてしまっていた。

 背中に固定された艤装も、主砲が付いていたアーム部分が左右どちらも途中で脱落し、艤装本体も相当な負荷を掛けたらしく若干の異音を立てている。

 だが、服装の破れや艤装の損傷に反して艦娘自身の表情は非常に明るいもので、程よい疲労と満足感に加えて達成感も感じているらしく、端から見ても上機嫌だった。

 それを証拠に後頭部付近に浮遊している二つのデバイスが、時折青い光と赤い光を交互に点滅させて本人の弾むような航行に合わせて上下に揺れていた。

 

「そろそろ泊地の明かりが見えてくる頃ね」

 

『そうだな。先ほど工廠妖精と主計妖精から帰還予定時刻の確認があった。恐らく泊地の妖精たちが総出で出迎えてくれるだろう』

 

「それは……なんだがちょっと照れくさいわね」

 

 顔の横で揺れる赤い紐で結んだ髪を照れ臭そうに指先で弄びながら、叢雲は頬を赤く染めて月明りの中を往く。

 照れ隠しの延長なのか、話題を変える様に叢雲は両腕で大事そうに抱えたものに視線を落とす。それは小さな金属片のようなもので大きさは直径15cm、形状は完全なる真円で厚さは3cmほど、表面は丁寧に研磨されたかのようにツルツルで手触りがいい。そして一番の特徴は、その表面の中心に描かれた錨のマークと、そこに散りばめられた桜の花のシンボル。

 それはその物体の鉛色に光る表面に、シンプルな意匠ながらも丁寧な彫り込みで描かれていた。

 

「司令官。この()は戻ったらすぐに復原するの?」

 

『いや、建造中の新しい艦娘たちも含めて明日一緒に合流してもらおうと思っている』

 

「そう。まぁ、その方がいいかもしれないわね」

 

 夜遅いことも考えれば妥当な考えだと思い、叢雲は手の中にある艦娘の『復原盤』の表面を撫でる。

 叢雲たちがこれを手に入れたのは、軽巡洋艦ホ級との戦いを終えて帰投しようとした時だった。

    

            ⚓⚓⚓⚓⚓

 

「ねぇ、アンタ。帰るのシンドいからおんぶしなさいよ」

 

『とんでもないことを言い出すな、お前は』 

 

 周囲に敵影がないことを確認し、ようやく少しだけ気を抜くことが出来た叢雲が提督に無茶ぶりをしてそれに対して提督が苦笑を漏らしていた時だった。

 

「功労艦として当然の――え?」

 

『どうかしたのか? 叢雲』

 

 叢雲の異変にすぐに気づいた提督が尋ねると、叢雲は人差し指を口元に立てて『シーッ』と静かにするように促す。提督も叢雲の様子に只ならぬものを感じ、すぐに口を噤んで周囲の様子をディスプレイに表示して周辺警戒を行う。

 

「声――声が聞こえたのよ……」

 

『声……?』

 

 切羽詰まった叢雲の様子に、提督は伝声管に模したスピーカーを引き寄せて耳を澄ませる。伝声管から聞こえる音は当然乗艦している叢雲の耳が捉える音であり、二人は周囲を警戒しつつ耳に神経を集中させた。

 

「――っ! はっきりと聞こえたわ、あっち!」

 

 音の出所を突き止めた叢雲が後方へ振り向いて指を指す。艦橋から見える景色、叢雲が視ている視界が映し出す先に見えたのは、青い光だった。

 まるで海底から探照灯を照らしているかのように、絞られた筒状の光が海の中から海面を照らし空へと昇り拡散していた。

 それは決して強い光ではないのだが、青い光は美しく何より柔らかい光を放っていた。

 

『あれは――復原盤か』

 

「復原盤って、ならあそこにっ」

 

 提督が資料で見ていた状況と今の状況が完全に一致することからそう判断すると、叢雲もそれを聞いて講習で受けたことを思い出して、すぐさまその光へと向かった。

 

 光の傍までいくとその光が照らす丸い光の輪が、まるで夜の海に空いた水底に続く海底への穴のように見え、光の美しさとその先にある絶望的なまでの闇に叢雲は息を呑んだ。

 提督と叢雲がその光の美しさと、それによって引き立てられる『海』という存在の広大さに改めて戦慄する中、二人を現実に引き戻したのは水底から押し上げられるように浮かんできた丸い金属板だった。

 水面へと浮かび上がってきたそれを叢雲が手に取ると、後光のように射していた光はやがて薄くか細くなって消えていった。

 

『……これが海底からの復帰艦を再生させる復原盤か』

 

 提督の零した言葉に叢雲はゆっくりと頷くと、そっと復原盤を抱きしめた。

 

「おかえりなさい。また一緒にいきましょう」

 

            ⚓⚓⚓⚓⚓

 

「ねぇ、この復原盤の娘って駆逐艦なのよね?」

 

『そうだ。復原盤の表面に菊花紋章ではなく桜の花があしらわれているのは、現在までの報告では駆逐艦だとされている』

 

「そう。なら尚更会うのが楽しみだわ」

 

 やはり自分と同じ艦種には思い入れが強いらしく、叢雲は上機嫌に航行を続ける。

 

 行きは進路から見て右方西方に見えていた蒲生田岬の灯台を通過する際、叢雲は行きと同じく再び灯台に向かって敬礼をする。

 灯台が照らす導きの光を過ぎ去って一時間と少し、もう児島泊地は目の前だ。

 何とかここまで無事に戻れたことに安堵しつつ、叢雲は己に乗艦している提督のことを考える。

 

 第一印象は悪い意味で強烈だった。

 いきなり工兵のような恰好で、まるで塹壕でも作ってるかのような勢いで地面を掘削している場面で出会い。その後は提督室でミカン箱を机替わりに執務を行い、そこから工廠地下での開発と建造――。

 

「あっ。そういえば、あの開発で出来たぬいぐるみ達はちゃんと保管してくれてるのよね?」

 

『勿論だ』

 

「そう、ならいいのよ」

 

 ふふんと満足そうに鼻から息を吐き、叢雲が再び今日の出来事の記憶を辿ろうとしたすると、それを遮って提督の静かな声が聞こえてきた。

 

『叢雲、泊地の光が見えたぞ』

 

 その声を聞いて叢雲が視線を進路方向へと向けると、島のある泊地は煌々と照明がたかれており、帰還する艦艇をまさに出迎えるような様相だった。

 

「母港の光……」

 

 その温かで柔らかな光を目にし、叢雲は少しだけ口を開けて茫然とその光を見つめた。

 

「……綺麗」

 

 戻るべき場所があり、そこが自分を導く為に放つ光。

 その何と美しく心に染みることか。

 

『無事の帰還、任務ご苦労。叢雲』

 

 言葉は硬いが、声音は幾分柔らかい提督の労いの言葉を受けて、泊地の光に目を奪われていた叢雲はボロボロの恰好ながらも笑みを浮かべた。

 

「ま、当然の結果よね」

 

            ⚓⚓⚓⚓⚓

 

 ここ児島泊地は元々は海洋学の研究施設であり、港部分には最低限の船着き場としての機能は備わっていたが、泊地としての――ましてや艦娘を運用する軍港としてはまったくの手つかずに近い状態であった。

 これには理由があり、簡易的ではあったが出撃用ドックを工廠直結で作った後は、港部分の工事に取り掛かる予定であったのだが、候補がおらず決めあぐねていた提督の選任に思わぬところから候補が上がった。その後トントン拍子に話が進んでしまい予想よりも大幅に早く提督の着任が決まってしまった。この事態を受けて海軍省は、新たに着任が決まった提督に――

 

『港と居住区画の補修が完了するまで待機すること』

 

 ――を命じたのだが、新任提督から意見具申があり、その内容が――。

 

『泊地の増設は護国防衛の急務。先の四国陥落とその奪還で世論は防衛軍備の増強に関して寛容になっています。その世論の風を追い風とするためにも、新たなる泊地を早期に立ち上げ中四国の防衛と哨戒に加わりたく思います。その為に、泊地の運営を行いつつ各施設の補修作業は独自で行う許可を頂きたい』

 

 新任の提督が言う通り、過去に四国が一時的にとはいえ敵の手に落ちたことを踏まえ、大本営としても早急に四国の守りを強固なものとしている、という具体的な成果を世間に示す必要があった。その為に提督の意見は受け入れられた。

 

 ――ちなみにこの新任提督からは先の提案に補足があった。

 

『本来掛かる筈だった泊地の工事費用に関して、浮いた分を泊地の運営に回したいので、支度金としてその三割を計上して頂きたい』

 

 と言ったもので、これには大本営も難色を示すものと誰もが思うところではあったのだが、意外にもこの要望は通り泊地の帳簿に支度金としてそれなりの額が加えられた。

 この提案が受け入れられた理由としては、この泊地へ着任する提督の選任にはその特殊性と極めて限られた資質が必要であるが故に、海軍省も相当苦慮していた。その問題を――成果が出るかはともかく、直近の問題を片付けてくれた提督に対する配慮という部分もあったのだろう。

 

            ⚓⚓⚓⚓⚓

 

 工廠直結の出撃用ドックに、叢雲は無事に帰還した。

 港部分を横切る際は泊地の妖精たちがほぼ総出で出迎えてくれた。まだ始まったばかりの泊地ということもあり、妖精たちの人数も決して多くはないのだが、それでも泊地の初陣を単艦ながら勝利で飾った初期艦に妖精たちは誇らしげに手を振っていた。

 そんな妖精たちの前を叢雲は少し照れた様子ではにかみながら敬礼をして通過し、洞窟型の水路を通り出撃時に使った現在児島泊地唯一のドックへと戻ってきた。

 

 スロープ状になった海面と陸地の境目で止まり、一度息をつく。

 そして水面から陸地へと足を延ばして、スロープ状の陸地を踏みしめてゆっくりとコンクリートの坂を上がり切りドックに立つ。

 

 水面から離れたことで艤装が重量を増したような錯覚を覚える中、ドックを見渡せばそこにも大勢の工廠妖精たちが笑顔で敬礼をしていた。

 その様子を見て叢雲は、またはにかみながら敬礼する。妖精たちの純粋な笑顔を見て、叢雲が感じた艤装の重量が増したような感覚も消え、幾分気持ちも軽くなった様に思える。

 

『叢雲、私は下艦する。今回の出撃に対する一通りの事務作業はやっておくので、しっかり入渠しておくように』

 

「え? えぇ、でもあんただけだと大変でしょ? 私も手伝うわよ」

 

『気持ちは嬉しいが、君は小破している状態だ。些事は私に任せてゆっくりしてくれ』

 

「些事って……まぁいいわ。じゃあ入渠が終わったら司令室に行くわね」

 

『了解した』

 

 大本営に提出する重要書類を些事と言う提督に呆れながらも、着任初日に緊急の初出撃となった自分のことを労わってくれている、ということは分かるので叢雲もそれを無碍にはせず『仕方がないわね』といった様子で苦笑しながら頷いた。

 

 そして自分の中――正確に言えば艤装部に存在していた提督の意識が揺らめく波のように消えていった。

 この感覚は昔にも覚えがある。

 自身が正しく艦艇だった頃に母港へと帰還した際、艦長を含めた過半数の水兵が下艦をして人の気配が無くなった艦内のことを思い出す。

 右手を胸に当てて目を瞑り思い出そうとすると、まるで霞掛かったようなあやふやな過去の記憶が浮かぶ。眉間に少し皺が刻まれるが、今はそれを振り払うように頭を振って目を開いた。

 すると叢雲の様子を工廠妖精たちが心配そうに見ていることに気づき、叢雲は不甲斐ない自分に喝を入れるかのように右手で自身の頭を『ボスっ』と叩いた。

 そして気を取り直したように笑顔で妖精たちに敬礼した。

 

「妖精さんたちお世話になるわ。艤装の解除、お願いね?」

 

 叢雲の明るい表情に妖精たちも笑顔を浮かべて頷くと、一斉に作業に掛かるべく動き始めた。

 出撃時に艤装を装着した場所に立つとクレーンが頭上へと移動してきて、そこからフックが降りてきて艤装に掛けられると一度作業が止められる。

 すると下でクレーンの位置誘導をしていた妖精が叢雲に許可を求めるように視線を向けてくるのを見て、叢雲がそれに応じて頷く。

 クレーンのフックが艤装にしっかりと固定されると、青白い光と共に叢雲と艤装が繋がる部分で電流が迸る。

 

「……っ」

 

 叢雲が艤装の解除に伴う衝撃に声が漏れない程度に呻く。艦娘にとって艤装と接続している状態こそが自然の状態であり、その接続を解除することには衝撃と痛みが伴う。

 背骨に接続されたモノを無理やり引き抜く感覚には中々慣れないのだが、ともあれ衝撃も痛みもほんの一瞬のことなので、叢雲はそれにも今では慣れてきていた。

 

 艤装がクレーンに吊り下げられたまま艤装用の入渠ドックの奥へと移動していくのを見送り、自分を見上げて敬礼している工廠妖精に返礼すると艦娘用の入渠用ドックへ向かって身を翻した。

 出撃用ドックから向かって右方へと繋がる通路へと進む。地下通路の天井には等間隔で防護用の金網に覆われた蛍光灯で照明が取られており、打ちっぱなしのコンクリートの壁にぼんやりと光が反射して暗さはあまり感じない。しばらくその無機質な通路を進むと、向かって右手に周囲の無機質な灰色に不釣り合いな温かみのある木製の扉が目に入る。

 擦りガラスこそ使われていないが丁寧な彫り細工の施された木製の横開き扉、その扉の前面には暖簾がかかっており、そこには大きくかつシンプルに『湯』の一文字。

 

「……センスの問題? いやあの司令官のことだから、なんかズレた認識してそうよね……」

 

 間違っても最初からこうであったはずはないであろう、その木製の横開き扉を開けて中へと入る。入って最初に目に入るのは段差を備えた床、そこへ上がるために今履いている靴を脱がないといけない。

 段差に腰掛けて突起の付いた防護カバー外してローファータイプの靴を脱いで脱衣所へと上がる。脱衣所は十二畳ほどの広さで床には竹製のタイルが敷き詰められ、壁も下地は通路と同じコンクリート壁だったはずだが、今は木のタイルが丁寧に張り巡らされていた。

 段差を上がったところから部屋は左方向伸びており、正面から見て左側――壁の向こう側に今通ってきた通路がある方には四段の棚が設えてあり、そこに脱いだ衣服を入れる竹細工の編み籠が置かれている。正面奥には壁全面覆うほどの大きな鏡があり、その下には四つの洗面台が敷設されていた。そして右側には入渠ドックへと続く擦りガラスの扉。

 

「これって……資料で見た銭湯とか温泉施設の脱衣所に雰囲気がかなり似ている気がするわ」

 

 訓練艦娘として海軍総隊にいた頃にも訓練や演習で負傷していくつかの施設で入渠したことはあったが、その入渠施設は何処も無機質なもので『入渠』を行う以上の用途を必要とせず無駄が全部省かれた、まさに軍港の入渠ドックのような場所ばかりだった。

 そこに比べると今叢雲の前に広がるのは、まるで『人間』が寛げるためにまだまだ稚拙ながらも可能な限り配慮しようとした痕跡が伺えるものだった。

 

「ふっふふ……うふふっあはははっ!」

 

 自分以外の誰も居ない脱衣所で叢雲は堪え切れないとばかりに肩を震わせて、やがて身体をくの字に折って腹を抱えて大笑いする。

 

「あーもう、おかしいったらないわ。何なのよあいつ」

 

 ようやく笑いが収まると、目尻に浮かんだ涙を指で拭いながら叢雲は笑みを浮かべたまま、自分が着任したこの児島泊地を統べる司令官のことを思い浮かべる。

 

 最初は本当に変な奴だと思ったが、初の実戦に出る際には自分に躊躇なく乗艦してくれた。戦場でも冷静に指揮をし、余裕のない自分を和ますために冗談さえ言ってくれた。そして掴み取った勝利と戦果を胸に帰港して――極め付けに目の前のこれだ。

 

「はぁ~……」

 

 叢雲は海軍総隊で生まれてそこで過ごし学ぶ期間があったからこそ、自分たち艦娘という存在の現状を良く理解出来ていた。

 

 艦娘は現在の日本における海防戦力である『日本国防人海軍省』において、最も重要な役割を担う存在であるのは間違いない。

 だが、そのあまりにも突拍子もない存在の在り方に対して疑念や拒絶の意思を示す人間も当然一定量存在し、正体が不明確な艦娘の運用に疑問を呈する声も小さなものではない。

 そういった声を抑えるためにも海軍省は艦娘を基本的な姿勢として、『人間』として扱わずあくまで『兵器』であるというスタンスを打ち出し、メディアへの露出を最小限に止めて情報も出来る限りの範囲で統制を行っている。

 

 情報統制は平和な時代では無理であっただろうが、深海棲艦の出現とその跋扈によって海上交通路(シーレーン)の寸断と、敵航空戦力の出現による航空路の途絶によって世界は混迷を極めた。海路と空路の安全を常に脅かされている以上、内陸国を除く海洋と接した国々は陸路で輸送を行うか、危険を覚悟で海路による物資輸送を行っている。

 その点において日本は大陸から近いことだけが救いではあるのだが、島国という最悪の条件を抱えているため、現状様々な物資が完全な供給を行えていない。その為、配給制度が必要とまではいっていないものの、社会的弱者に食料や物資を行き渡らせるには政府主導による支援が必要となつており、情報統制を行っても強打な批判をされない状態にあった。

 

 話が逸れてしまったが、つまり現状艦娘には『人権』を保障する定義が存在せず、海軍総隊でも艦娘には机とベット以外何もない狭い部屋が与えられ、質素な食事と訓練以外には自室を出ることも許可されず、自由な時間なども当然なくテレビやラジオなどのメディアはおろか、基本的には読書すら認められていなかった。

 そんな自分たち艦娘の立場をよく分かっている叢雲だからこそ、この入渠ドックの異常性が分かってしまう。そしてここをあの提督が――妖精の手伝いはあったのかもしれないが、一人で整えたのだと思うと、もう叢雲は笑わずにはいられなかった。

 

 戦闘によって破れたり焦げたりしているワンピースタイプのセーラー服を脱ぎ、身体の傷を確認しながら脱線したタイツと下着を脱いでいく。痩身でまだ幼さが目立つ体つきながら、美しい銀髪を肢体に滑らせた叢雲は既にある種の色気を醸し出していた。

 身体のチェックを終えた叢雲は、いくつかの小さな傷を確認し『ふんっ』と不機嫌そうに鼻息を漏らすと擦りガラスの引き戸を開けて中へと入る。

 

「うわっ……」

 

 部屋へと中入ると、まず碧い石タイルを張りめぐらせた床と照明の光を反射させて室内を明るくさせる象牙色の壁が目に入る。そしてドックは部屋の左右の壁際に入渠用の浴槽があり、それは四角い間仕切りのされた長方形の風呂のようなもので、左右の壁際に四つずつ計8個あった。

 部屋の中央には目隠し用の壁があり、そこは洗い場にもなっていた。シャワーノズル付きのカランが壁を挟んだ両側に3箇所計6箇所あり、それぞれにプラスチック製の青い腰掛けと片手掴みの取っ手がついた風呂桶が置かれていた。

 

 海軍総隊での同じ使用目的の入渠ドックはを思い出し、叢雲は少しの間その場で茫然と立ち尽くしていたが、若干の肌寒さを覚えて慌てて背後の引き戸を閉めた。

 洗い場に行って放水のノズルをシャワー側に捻ると、壁に掛かったシャワーから細かな水の粒が溢れ出て叢雲の頭へとかかる。

 撫でつける様にして全身にお湯が渡り切った頃合いに、叢雲は洗い場に備え付けてある『シャンプー』と書かれた容器のポンプディスペンサーをカコカコと押す。しかし押してみても出てくる筈のシャンプー液を受けようと伸ばした手には何も出ず、ノズルは空気を吐き出すばかりだった。

 

「んー……?」

 

 眉根をひそめて更に何度か押すと、急に手ごたえを感じて白く濁った液体が叢雲の受けていた手の平に出てきた。

 

「ひゃっ!?」

 

 油断していたので急に勢いよく出てきたシャンプー液に困惑していたが、すぐにこのシャンプーが開封したてのもので、まだ誰も使っていない新品だということに思い至った。すると叢雲は思わず嬉しくなってしまい、上機嫌で両手を擦り合わせるように泡立てたシャンプーで髪を洗い始めた。リンスとボディーソープでも新品を最初に使う気分の良さにニマニマして、最後にもう一度シャワーで全身を洗い流すと風呂にしか見えない入渠ドックへと向かって踵を返した。

 

 部屋には8つの槽があり、今液体が満たされているのはその中で『五』と書かれた一槽だけだった。

 位置的には入って右側の入り口に一番近い手前の位置。

 叢雲は特に深くは考えず、極僅かにだが薄い緑色をした液体の満たされた浴槽に爪先から入る。長く浸かっていられることを前提としている為か、浴槽に張られた液体は温水程度の水温でしかなく、先に身体を洗っていたこともあり叢雲は熱さを感じずにすんなりと入渠を開始することができた。

 

「ふぅー」

 

 ただゆったりと浸かっているには丁度いい温水に肩まで浸かり、叢雲は目を瞑りながら軽く息を吐いた。しばらくの間はそのままじっとしていたが、やがて眼を開くと自分が使っている温水を両掌で掬いあげる。

 掬って少量を一見すればただのお湯のようだが、入る前に見たときに分かったように極僅かだが緑色をしているので、それが単なるお湯ではないことは確かだった。

 海軍総隊でも入渠ドックの利用の仕方は説明されたが、この液体が何であるかは教えては貰えなかった。

 艦娘として叢雲が理解しているのは、この謎の液体に満たされている浴槽の並んでいる部屋を入渠ドックと呼び、艦娘がそれに浸かることで戦闘で負った傷を癒すことができるということ。

 入渠ドックは小破以下用と中破以上用が存在し、負ったダメージによって振り分けがされる。叢雲は今回の初実戦と海軍総隊で参加した演習も含めて小破までしかダメージを負ったことがない。なので中破以上のドックは未経験なので実はそれがどういったものなのかは知らなかったりする。

 

 入渠を開始して30秒ほど経過したところで、叢雲のいる浴槽から正面。ちょうどさっきまで身体を洗っていた洗い場の上に縦15cm横50cmほどの大きなデジタル時計が現れ、そこに『00:08:34』と表示され右の数字が段々と小さくカウントされていく。説明されるまでもなく、それが入渠完了まで必要な残り時間だった。

 その数字をドックに漬かったままジっと見ていると、何処からか一人の妖精が現れて浴槽の縁をトコトコと歩いてくると、叢雲の入っている浴槽の縁で止まりビシっと敬礼をするとその場に正座した。

 

「……?」

 

 妖精の意図が分かりかねて叢雲がキョトンとしてしまうが、真剣な表情で叢雲を見つめ続ける妖精の様子を見ている内に、その妖精が叢雲がちゃんと入渠を行っているかの監督に来ているのだということに思い至った。

 あくまで『監督』であって『監視』と思わないのは、妖精にそういった悪意が持ち得ないことを艦娘として叢雲は知っているからだ。

 

「ご苦労様。でも退屈じゃない?」

 

 真意が分かれば気にする必要はなく、お湯で濡らしたタオルを手に取り真剣な表情を浮かべたまま正座する妖精の顔を拭きながら尋ねる。

 温かなタオルで顔を拭いてもらい妖精が一瞬幸せそうな表情を浮かべるが、すぐに我に返ってきりりっと表情を引き締める。

 その様子を見て叢雲はふふっと笑い、両手足を伸ばして束の間の入渠に息を吐いた。

 

            ⚓⚓⚓⚓⚓

 

 時刻は二〇〇〇。

 入渠を終えた叢雲は寝間着として妖精から渡された浴衣に着替えて提督室の前までやって来ていた。

 身体にはもう入渠前にあった小さな傷痕はなく、疲労感すら回復しているようだった。

 入渠を終えたばかりの身体は普段よりも少し高い体温となっているが、決してのぼせているような感覚ではなく、むしろぽかぽかと心地良い感覚ですらある。

 叢雲は扉の前に立つと特に躊躇することなく扉をノックする。すると中から『入ってくれ』という大きくはないがハッキリと耳に通る声が聞こえてきた。

 扉を開けて部屋へと入ると、昼間と同じようにミカン箱に書類を広げて書き物をしていた提督が手を止めることはなく、僅かに顔を上げて視線を叢雲へと向ける。

 

「問題なく入渠は出来たか?」

 

「えぇ、快適に入渠出来たわよ」

 

「そうか。それならいいんだ」

 

 ポーカーフェイスを装いながら叢雲が澄ました顔で応じると、同じく提督も掴み所のない表情で素っ気なく返すと、再び書類へと視線を落とした。

 その様子と先ほどの入渠ドックとの落差に叢雲はまた吹き出しそうになり、全忍耐を総動員して耐えると提督の向かい側へと座る。

 

「で、今は何の書類を書いてるの? 今日の出撃について?」

 

「そうだ。まさか初期艦着任の日に初出撃になるとは思っていなかったからな。だが、戦果は望外な出来だ。おかげで報告書が書きやすい、感謝している」

 

「なっ!? と、当然のことよっ」

 

 急に褒められて叢雲は顔を赤らめてフンっと顔を横に向けるが、後頭部付近を浮遊しているデバイスの発光灯がピンク色に染まり点滅していた。

 

 非常に分かりやすい。

 

「いや、本当に感謝している。人・物・時間と全てに窮した状況下で生まれたこの新設の泊地には、今は何よりも()()()の形で結果を出すことが望まれている。そして――」

 

 書類の最後に署名を書く万年筆の滑らかな音がキュッと響く。一枚の書類を仕上げた提督が顔を上げると、そこには少しだけ人の悪い笑みが浮かんでいた。

 

「――戦闘による勝利ほど分かりやすく、軍令部向けに受けのいい結果はない」

 

「あんた……何か悪い顔してるわよ」

 

 呆れたような表情の叢雲にそう言われ、提督は口元にだけ微かな笑みの残滓を残した表情でおもむろに立ち上がる。

 

「とりあえず遅くなったが食事にしよう。食欲は?」

 

「もーペコペコよ」

 

 朝から何も食べていなかった叢雲は素直に空腹を訴えた。

 その声に頷く、提督は部屋の外へと歩き出す。そして扉の前で立ち止まって振り返ると、ミカン箱の上を片付けようとしていた叢雲と目が合う。そして不意に右手を上げて、部屋の隅を指さした。その指が示す方へと叢雲が顔を巡らせると、そこには一台の折り畳み式の座卓が立てかけてあった。

 

「そこの机を出しておいてくれ」

 

「机あるならミカン箱で執務してんじゃないわよっ!」

 

 叢雲の叫びを背に提督は部屋を後にした。

 

 




艦これしてると書きたくなって、でも艦これしてると書く時間が取れないジレンマ。


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始まりの夜

本当は一週間くらい叢雲と二人きりでも良かったかな。


 

 時刻はざっくり言えば変わらず二〇〇〇(フタマルマルマル)

 

 叢雲が準備した組み立て式の座卓の上には、ホカホカと湯気が立つ料理が一品置かれていた。

 白い陶器の深皿は横に長く、そこに炊き立ての証拠とばかりに湯気を放つ白い御飯が左に寄せて盛られていた。

 その逆側には食欲をそそる刺激に富んだ匂いを放つこげ茶色のルーが盛られている。飴色になるまでよく煮込まれた玉葱に大き目に切られたじゃがいもや人参、そして柔らかそうな牛肉がごろごろと盛られて見るからに美味そうだった。

 

「これって……もしかしてカレー?」

 

「知っているのか?」

 

 目の前に置かれたカレーを見て叢雲の零した一言に、自分の分をカレー皿によそいながら提督が反応した。叢雲が海軍総隊に居た時に与えられていた食事についても全て目を通していたので、叢雲がカレーを食べたことがないのは把握していた。

 だが、目の前に行儀よく座って座卓の上に置かれた料理を見てカレーだと言い当てたということは、叢雲はカレー食べたことはないが知っているということになる。

 

「えぇ、と言っても知っているのは艦だった時のことよ……。土曜日には皆『カレーということは、今日は土曜日か』って言って美味しそうに食べていたわ」

 

 カレーを見つめながら懐かしそうに、それでいて少し寂しそうな表情でそう言った叢雲の表情は少女とは思えないほどに諦観めいたものを感じさせ、見るものにある種の不安を抱かさざるえないモノを孕んでいた。

 その雰囲気を払拭させるためなのか、提督は手際よく座卓の上に福神漬けの入った銀色の四角い容器と二人分の牛乳が入ったグラスを置いた。

 

「そうか。ならその頃共有できなかったカレーの味を、今日やっと叢雲も感じられるというわけだな」

 

「え? あ……そっか。そう……よね。そうなるわよ、ね……」

 

 提督の言葉に叢雲は不意を突かれたような表情を浮かべたが、すぐに言葉の意味を理解してまるで自分自身に溶かし込む様に何度か反芻していた。

 顔を少しだけ俯かせてカレーを見つめながら口の中で何度も言葉を繰り返しているのを提督は黙ってみていたが、俯いた拍子に肩を流れた叢雲の髪がカレーに入りそうになっているのを見て口を開いた。

 

「さて、冷める前に食べるとしよう。こういったものは熱い内に食べてこそだ」

 

「……そうね。頂くわ」

 

 提督が銀のスプーンを手に取ったのを見て、叢雲も同じようにスプーンを手に取りカレーと御飯の丁度境目あたりに匙を入れてそのまま掬い上げる。

 銀の匙の上にこげ茶色と白の対比が生まれ、湯気と共に漂ってくる匂いは刺激的で叢雲の食欲を大いに刺激するものだった。

 叢雲が視線をチラっと上げると、提督は既に匙を何度も皿と口で往復させて静かに食事をしていた。それに倣い叢雲も銀の匙を口へと運び最初の一口を頬張った。

 

「っ!?」

 

 数度口をモグモグと動かすと、叢雲は目を見開いて目の前の皿へと視線を落とす。そしてすぐに次をすくい上げて口へと運んだ。

 カレーの香辛料による辛さと熱さもあってか、頬を紅潮させて僅かながら汗すらかきながら無言でカレーを食べていく。

 小さな口ながらも忙しなくスプーンを往復させ、程なくカレー皿に盛られていたカレーは綺麗に平らげられて、牛乳をグイっと飲み干して息をついた。

 

「……美味しかったわ。カレーって、こんなに美味しいものだったのね」

 

「気に入ったか?」

 

「えぇ、きっと艦娘なら誰でも好きになると思うわ。なんたって、()()カレーなんですもの」

 

 自信を持って頷きながら叢雲は「でも……」と付け足すように悪戯っぽい笑みを浮かべる。

 

「辛さには好みがあると思うわね。私にはちょうど良かったけど」

 

 そう言って辛さを中和してくれた牛乳の入っていた瓶を人差し指でピンと弾くと、執務室内に硝子の澄んだ音が響いた。

 

「なるほど、貴重な意見だ。今後着任する艦たちの好みも把握するように努めよう」

 

「そうね。後付けで辛さを調節できるのなら、言うことなしだわ」

 

 うんうんと満足そうに叢雲が頷くのを見て提督は小さく笑みを浮かべ、食器を下げようと腰を浮かせたところで執務室の扉が開いて割烹着を着た妖精たちが数名入ってきた。

 八名の妖精が提督と叢雲に敬礼をすると二人が食べた食器類を数人がかりで頭上に掲げる様に持って机の段差などをものともしない、物理法則を無視した動きで食器類を部屋の外へと運び出し、その班とは入れ替わりに別の小さな硝子の深皿を持ってきた。

 小さな青い硝子の深皿を提督たちが囲む机に置くと、妖精たちは敬礼をする。その様子に穏やかな笑みを浮かべた提督が返礼すると、妖精たちは嬉しそうに笑みも浮かべて部屋の外へと出て行った。

 

「これって……苺?」

 

 その小さな青い硝子の深皿には、青い皿とは対照的な赤い果実が盛りつけられていた。

 

「実家の近くに苺農家が多くてな。随分と季節外れなんだが、児島泊地(ちかば)へ着任する旨を伝えたら送ってくれた」

 

「ふーん……」

 

 興味なさげな返答をしつつも、口の中で小さく「ご実家近いんだ……」と呟いて苺をフォークでつついてみる。

 

 その様子に小さく笑みを浮かべると、提督は備え付けの小さな冷蔵庫から可愛らしい牛のパッケージが描かれたラミネートチューブの練乳を取り出して机の上に置いた。

 

「これをつけるのが古島家式だ。試してみてくれ」

 

 言われた通りチューブから苺の上に練乳を掛けると、青い皿に苺の赤が映えそこに練乳の白い筋が美しさを際立たせる。

 叢雲はそれを見て嬉しそうに微笑みを浮かべた。

 

 今でこそ苺に練乳を掛けること自体は別段珍しいことではないのだが、昭和の――それも海軍の軍艦内では見たことのない食べ方だったので、提督に促された叢雲は早速フォークで苺を一つ取り上げると赤い果実をジッと観察してから、おもむろに小さな口に開けて大き目の立派な苺を齧った。

 

「――ッ!」

 

 思わず絶句する美味さ。

 最初に感じたのは口に広がる苺の甘み。そしてその後すぐに練乳の濃厚な甘さに目尻が下がり、その甘みがくどさに変わる前に苺の酸味が中和してくれる。

 

「おいしぃ~……」

 

 甘未とは恐ろしく甘美なもので、カレーとは違うベクトルの喜びを叢雲にもたらした。その美味しさに思わず相好を崩し、朱の差した頬に手を当ててうっとりとする。

 その様子に満足そうに頷きつつ、提督も久々に食べる地元の苺に舌鼓を打った。

 

            ⚓⚓⚓⚓⚓

 

 

 食事を終えた後しばらくの食後休憩を挟んで、提督と叢雲は今後のことについての会議を始めた。

 議題は直近として明日の予定と、ゆるやかな展望としての今後の泊地運営に関して。

 

「明日は現在建造中の艦娘二隻と、今回の出撃で回収に成功した復原盤の復原を行う」

 

「当然ね。この泊地って私たちで整備していかなきゃいけないんでしょう? だったら戦力の増強は勿論だけど、根本的に労働力として人員の補充は急務よね」

 

 食事後何故か折り畳みの机は提督の手によって片付けられ、今は再び提督と叢雲の間には裏返されたミカン箱の執務机が置かれており、その底面に頬杖をついて叢雲は提督の顔を見ている。

 

「当然だ。設備の整備に関しては私が一通りの知識を持っている。一部の専門的な分野に関しては大本営に要請して専門業者を手配するが、これも軍内部の直轄業者だから君たち艦娘が気にすることはない」

 

 艦娘の存在は現在のところ一応秘匿扱いされている。それでも既に艦娘が世に出現して数年が経過していることもあり、一般メディアにもその姿を何度か捉えられて報道されている。

 これ関しては軍がメディアに圧力をかければ、艦娘に対する誤った――ないし歪んだ報道をされる可能性があると軍令部は考え、正式には発表していないものの小出しに情報を出してメディアの火消しを行っている。

 提督が言っているのは、泊地に入ってくるのはあくまで軍関係者のみ、ということだった。

 

「艦娘の特異性……ね。まぁその辺りは軍の方針に任せるわ。私たちはあんた達の指揮の下で与えられた役割を忠実に果たすだけ――今はそれでいいって、私は思っているもの」

 

「賢明だな。君たちに愛想をつかされないように全力をすくそう」

 

「そうそう、そういう殊勝な心掛けは大事よね」

 

 ふふん、と得意そうな顔で頷く叢雲に少しだけ表情を和らげた提督だが、すぐに表情を戻して手元の資料を捲る。

 

「新規建造艦と復原盤による復原艦だが、基礎訓練の期間について詰めておきたい。海軍総隊で叢雲は半年間の訓練を受けているんだったな?」

 

「えぇ、そうよ」

 

「叢雲をして半年間か……」

 

「なによ、叢雲をしてって」

 

 提督の言葉に唇を尖らせる叢雲に、提督は書類から目線を上げることなく口を開く。

 

「初期艦候補の中で一番優秀だと思った君でさえ半年の訓練を必要としたと考えれば、我が泊地での初心者(ビギナー)訓練にどの程度の時間を必要するのかと考えたものでね」

 

「なっ!? べ、別に私以外の候補の子だって優秀な娘ばかりだったわよ……ほ、ほら吹雪なんてネームシップだし、凄く真面目で優秀な子よ! ちょっとおっちょこちょいなトコロもある……けど」

 

 顔を赤くして捲し立てる様に言葉を放つと、最後の方は尻すぼみになり自分の髪を一房撫でつける様にして下を向く。

 

「だが、私は君を選んだ」

 

「っ!? なっなに……を、言っ……」

 

 提督の言葉に弾かれたように顔を上げた叢雲は真正面から提督の顔を見て、その視線が完全に合った。赤の強いオレンジ色の瞳が映す提督の瞳は日本人らしいブラウン色の瞳なのだが、数瞬見つめ合う刹那、提督の瞳の中に黒い影がざわめく様によぎったような気がして、叢雲は息を呑んだ。

 

「気の強そうな君なら、私も楽が出来るんじゃないかと思ってね」

 

 硬直している叢雲を助けるかのように茶化した物言いをする提督に、叢雲は顔を真っ赤にして口をへの字に曲げていく。

 

「ふ、ふんっ! そんなの考えが激甘よっ! しっかりお国の為に身を粉にして働かせてあげるから覚悟しなさいっ!」

 

 提督の助け舟に乗るのは釈然としなかったが、叢雲は誤魔化す様にそう嘯くと腕を組んでどっかりと正座で座り直す。そして薄めの開けて目の前の提督を盗み見る。

 叢雲の様子が可笑しかったのか薄い笑みを浮かべたまま書類を見る提督の瞳には、もう先ほど見えた影のようなモノは一瞬たりとも認めることは出来なかった。

 そのことに安心しつつ、叢雲は早鐘のように打つ自分の心臓の鼓動が早く収まるように祈りながら、背中にかいた冷や汗の冷たさに眉根を寄せた。

 

(司令官の瞳に見えた影の色……アレはまるで、360度見渡す限りの水平線に何一つ存在しない夜の海の昏さ。それは、まるで――の色)

 

「――くも? 叢雲」

 

「え? あっ、なに?」

 

 自身の思考に没して呼びかけられていたことに気づかなかった叢雲は、怪訝そうな顔をした提督の顔が近くにあったことに硬直しかけたが、漲り理性で動揺を捻じ伏せて努めて冷静に返事をした。

 

「いや、新規建造艦たちの訓練期間だが二週間を目処に水上訓練まで漕ぎつけたいを思っているのだが、もしかして熱でもあるのか?」 

 

 物凄い鬼訓練カリキュラムを耳にしたような気がしたが、それよりも提督が軽く身を乗り出して叢雲の額に右手の手の平を押しつけたことに思考が持っていかれた。

 またも不意をつかれた叢雲は口をパクパクをさせたが、先ほど見た瞳の影が思考に過りアップダウンの激しい感情に処理できなくなった叢雲は、やんわりと提督の手を押しのけた。

 

「……なんでもないわ。ちょっと考えごとしていただけよ」

 

「そうか? まぁ着任初日に実戦となったわけだからな、疲労もあるだろう。残りのことは明日に持ち越してもいいが」

 

「大丈夫よ。着任初日だもの、秘書艦としての役割もちゃんと果たさせてちょうだい」

 

 心配無用と強い意志を宿した瞳を自分に向けてくる叢雲に、提督は少しだけ口角を上げて笑みを浮かべると、その頭にポンと手を乗せて撫でた。

 

「っ……」

 

 反射的に怒鳴りそうになった叢雲だが、撫でる手の優しさと温もりに棘が抜けて威勢は萎んでしまった。

 

「…………」

 

 大きくて温かいそれでいて、様々な用途に酷使された手は硬くてゴツゴツとしていた。それなのに何度も叢雲の頭を撫でる手は優しくて、思考を蕩かすような魔性の効能があった。

 

「………………はっ!? も、もういいでしょ! いつまで撫でてるつもりなのよっ!」

 

 されるがままになっていた叢雲だが、ようやく元の勢いを取り戻して提督の手から逃れる様に身を引くと、浴衣の胸元で裾を掴んみ息を吐く。

 そのネコのような仕草に目を細めつつ、提督は身を引くと書類を再び手に取る。

 

「で、新規艦の訓練の件よね? 二週間で水上訓練まで持っていきたいって話だけど、かなり無茶な話だと私は思う」

 

「君は水上訓練まで一か月だったな。その経験で今の意見を?」

 

「そうね。海軍総隊ではそうだった、だから私もその経験で言っているわ」

 

「なら問題ない。これが現在までの各鎮守府・泊地における、初期建造艦や復原艦が最初の水上訓練を行うまでの記録だ」

 

 そう言って提督が渡してきた紙を見た叢雲は絶句する。

 

「なによこれ、平均すれば大体一週間で何処も水上訓練を実施してるじゃない」

 

「今でこそ情勢が安定してきているが、艦娘が配備された当初はそれこそ建造されたその日から近海の哨戒くらいには出されていたようだ。最初の世に言う『四鎮守府』は、まさに本土陥落寸前のところからの盛り返しを行わなければいけなかった。君たち艦娘たちに多大な犠牲を出した」

 

 黙祷するように頭を下げた提督に、叢雲もまた同じように頭を下げた。

 

「艦娘による作戦を成功させるために、陽動として動いた海軍の人達にも多くの犠牲が出たことは知っているわ。互いが互いの為に捨て石になっていたなんて救われないけど……でも、どちらか一方だけがそうであるよりかは、残された私たちは救われているもの……だからいいわよ」

 

 俯いた叢雲の声に澱みはなく、ただ事実だけを悲しんでいる様子だった。だがすぐに顔を上げると書類を提督に返しながら笑みを浮かべる。

 

「でもウチは他のところと違って施設の建設も訓練と並行して行うんでしょう? 本当に二週間で大丈夫なのかしら?」

 

「なに、これは私の推論なんだが本来君たちに水上航行の訓練などさせるだけおこがましいとさえ私は思っている」

 

 書類を受け取った提督がそう言うと叢雲は怪訝そうに眉をひそめた。

 

「君たちは今の姿がそうであれ、元々は艦船として大海原を駆けていた存在だ。ならば本来であれば地上よりも水上にいる方が自然だと言えなくもない」

 

「そっ……」

 

 その極論に対して異を唱えようとしたが、それを提督が手を挙げて制した。提督の話が今ので終わりでないことは叢雲に察せれたので、大人しく口を噤んで続きを促した。

 

「だが、今の君たちの姿は我々と同じ人の形をしている。ならば当然、姿形だけで言えば地上にいる方が自然という方に傾くところだ。君たちには人魚のように尾びれや手に水掻きがあるわけでもないからな」

 

 そう言われ叢雲は思わず自分の手に視線を落としてしまう、当然そこには水掻きなどない普通の人間と同じ手の平があった。

 

「君たちはこれから地上にいる方が多くなるだろう。最初こそ人員の少なさもあって過剰なローテーションで水上にいることの方が多いこともあるかもしれないが、仲間が増えればそれは必ず逆転するだろう――いや、私がそうさせる」

 

 提督の言葉に叢雲が驚いて目を見開くが、今はそれを無視して言葉を続ける。

 

「少し話が逸れてしまったが、君たち艦娘には潜在的な経験値として艦船の頃の経験が大いに蓄積されている。これは今までの艦娘たちの動向や聞き取り調査の結果から考えて間違いないと判断されている。ならば君たちにとって何が障害となって『初歩的な水上訓練』などというものが必要となるか、だ」

 

 そこまで説明されて叢雲がすぐに合点がいった。それは叢雲自身がこの姿で再びこの世に生まれた時に感じた最初の疑問だったのだから。

 

「私たちが人の形をしていること……ね」

 

「そう。君たちが人型で生まれたことによる自分自身への混乱。それを出来る限り早く解消し、人型で動くことに違和感を感じなくしてやることで、君たちは早期に水上での活動を行えるようになるだろう」

 

 提督の説明を聞いて叢雲は自身でも覚えのあることが多くあり、それは理にかなっていることだと素直に思えたので、反論することなく静かに頷いた。

 

「いいと思うわ。ということは最初の二週間みっちりと(おか)での行動に費やすということね」

 

「そうだ。建造直後でも普通の生活が出来る程度の身体能力は有している、だったな?」

 

「えぇ、生まれたての何たら、みたいなことはないわよ。普通に立てるし歩けるわ」

 

「結構だ。ではそれでいこう」

 

 二人は方針が決まったことに満足そうに頷いた。

 

「明日建造後に行うことは追って説明しよう。泊地の今後もまずは施設の整備を主に訓練と並行して行う。今日のような急務の出撃要請があった場合は――」

 

「分かってるわよ。しばらくは私一人で対処するわ」

 

「すまないな。だが、その時は私も必ず座乗して直接指揮を執る」

 

「期待しな……してるわよ」

 

 プイっとそっぽを向いた叢雲が大きく欠伸をした。それを見た提督が時計を見て時刻を確認する。

 

「今夜はここまでにしよう。人員が揃うまで夜間の活動は免除されているから、安心して眠ってくれて構わない」

 

 欠伸をした口を不覚とばかりに少し恥ずかしそうに抑えていた叢雲が、夜間の活動は免除とうい言葉を聞いて安心したように息をつくと、すっと立ち上がった。

 

「じゃあ部屋に戻るわ。あんたもあんまり無理するんじゃないわよ?」

 

「あぁ、おやすみ叢雲」

 

「おやすみ」

 

 片手で手を振りながら部屋を出て行く叢雲を見送り、提督はミカン箱の執務机の前に座ると残っていた細かな書類を片付けていく。

 日中は施設の整備に精を出しているので、空き時間だけでは書類を捌ききれずに夜に残してしまうことが続いていた。今日は日中の出撃がなければ終わらせれていたであろう書類に目を通していくが、その作業は実に軽快なものだった。

 

(初日からの緊急出撃であの戦果……まさに望外な結果と言っていい。叢雲にはいくら感謝しても仕切れないな)

 

 そんなこと思いながら軽快に筆を走らせていると、司令室の扉がそっと開いて音を立てないように閉じられた。

 書類から顔を上げると、そこには今日開発に失敗して出来た綿毛と南国の鳥のようなぬいぐるみと枕を押し抱いた叢雲が顔を赤くして立っていた。

 

「ひ、一人だと、その……眠れなくて、あの……」

 

 らしくなくボソボソと歯切れの悪い言葉を口にしていたが、すぐに自分らしくないとかぶりを振り枕に顔を埋めて呻くと、更に赤くした顔をがばっと上げる。

 

「ぐぅぅぅ~……ここで寝たいんだけど! いい!? いいわよねっ!? いいって言いなさい!!」

 

 半ばヤケクソ気味に叫んだ叢雲に対し、提督は可笑しそうに笑いながら予備の布団を出すために立ち上がった。

 

「あぁ、構わんよ」

 

           ⚓⚓⚓⚓⚓

 

 あれから叢雲用に予備の布団を敷くと、まだ提督が執務をしている事実に若干引け目を感じている様子だったが、これ以上我儘をいうわけにもいかず叢雲は提督に促されるまま素直に布団に入り、ジト目で提督を見ていたが頭を数度撫でられると目を瞑り、提督が執務に戻ると程なくして静かな寝息が聞こえ始めた。

 

 頼もしくも可愛らしい初期艦に苦笑を漏らしつつ、執務を終えた提督はデスクランプ替わりの蝋燭を吹き消すと、本棚の奥から琥珀色の液体が入った酒瓶と安っぽいグラスを取り出す。そして窓辺に移動して窓を少しだけ開けると腰を下ろした。

 月を見上げながら酒瓶からグラスへと注ぎ入れて、月を見上げながら一口二口舐める様に口をつけた。

 開けられた窓の外から虫の鳴く音が聞こえてくる。

 真円に近い月を食い入るように見つめながら、提督は小さくその名を呟いた。

 

「深海棲艦……」

 

 その名を呟いた瞬間、小さな悲鳴のような音を立てて右手で握っていたグラスを握り潰していた。少しだけ茫然とした表情で自分の手から零れる琥珀色の液体とガラスの破片を凝視していたが、部屋の入り口側から人の声がして我に返る。

 

「こらぁ……もぅ、しっかり……しな、さい」

 

 それが叢雲の寝言だと分かりホッとすると同時に、ほんの少しだけの偽善が提督の心を締め付けたが、それを振り払うかのように首を振り手元に視線を戻すと、驚きで目を見開いた。

 グラスを握り潰した時に破片で手を切り、いつの間にか琥珀の液体と一緒に赤い血が流れて口を開けたままにしていた酒瓶へと流れ込んでいた。

 琥珀色の酒に赤い血が次々と混ざり、あっという間に酒は赤く濁っていく。

 

 その様がまるで――赤く染まった海を彷彿をさせて。

 

 提督は窓を開け放つと、酒瓶を外に向かって放り投げた。

 虫たちの奏でる静かな音色の中に、ガラスの割れる音が遠くで響いた。

 

 




次回はいよいよ叢雲以外が出ます。
いつになるかは不明です……早ければいいな、うん。


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古屋敷と初建造艦

想定よりも話が進んでないのですが、更新重視ということで。
※誤字脱字修正しました。


 夏の朝は日中の茹だるような暑さに比べて、あまりにも爽やかで清々しい。

 窓の外からは雀たちが忙しなく朝がきたことを祝うように囀り、まるで周囲の存在全てに朝を知らせる様に飛び回っている。

 夏は日の出が早く、まだ朝5時という早朝であるにもかかわらず窓から差し込む光は既に力強さを持ちつつあった。

 

「ん……」

 

 ほぼ〇五〇〇(マルゴーマルマル)かっちりという正確さで布団の中で身動ぎしたのは、長いモイストシルバーの髪を布団に散らして眠っていた吹雪型五番艦の叢雲だ。

 目は覚めたものの半覚醒の状態でしばらくの間、布団の中で昨日提督から貰った開発の失敗作であるぬいぐるみ二種を抱き締めたりしていたが、意識が本格的に覚醒して目をパッチリと開くと、すぐさま布団から上半身を起こして伸びをする。

 

「くぁ~……朝ね」

 

「朝だな」

 

 叢雲の本格的な覚醒に呼応して枕元に転がっていた一対のデバイスも起動し、叢雲の頭上へと浮遊するのだが、叢雲はそんなことよりも自分の独り言に答えが返ってきたことに驚いて、顔をゆっくりと声のした方へと向けた。

 そこには叢雲が眠った時とまったく同じ姿勢で、ミカン箱の執務机に向かう提督の姿があった。書類に何やら記入していた提督は片方の耳にイヤホンをしていたようで、それを取りながら視線を上げて叢雲の方へと顔を向けた。

 

「よく眠れたか?」

 

「え、えぇよく眠れたけど……あんたこそちゃんと寝たの?」

 

「習慣で早起きなだけだ。ちゃんと最低限必要な睡眠は取っているよ」

 

 叢雲の『本当かしら?』という疑惑の視線に苦笑しながら、提督がイヤホンの先にあったラジオからジャックを引き抜く。

 

『――の観点からも現在日本が置かれている食料危機は、依然として変わらず緊急性を伴う段階ではないと政府は今までと同じ見解を示しています。有識者からは飽食の時代に終止符を打ち、今一度食物の大切さを国民全体で噛みしめていく必要があるという見解を示しています。続いて――』

 

 そこでラジオを切った提督はミカン箱机の上を片付け始める。

 

「叢雲、七時に朝食をとれる様に準備しておく。それまでは好きにしていなさい」

 

 そう言っておもむろに立ち上がる提督に、叢雲は少し慌てたように声を上げた。

 

「あ、あんたはそれまでどうしてるのよ?」

 

「日課のジョギングだ」

 

 そう言って着替えを取りに部屋を出ようとする提督の足を叢雲が掴んだ。布団の上で寝起きで少しはだけた浴衣をそのままに、叢雲は意図せず上目遣いで提督を見つめる。

 

「待って、それなら私も行くわ。海軍総隊ではこの時間なら私もジョギングしてたし、こっちでもリズムを崩さずに済むなら歓迎よ」

 

 他者にも自己にも厳しい叢雲らしい発想であり、提督は拒否する理由もないと首肯した。それを見て叢雲も提督の足を掴んでいた手を放した。

 

一〇(ヒトマル)で準備をして本棟正面玄関で落ち合おう」

 

「分かったわ」

 

 提督が部屋を後にした後、叢雲もすぐに立ち上がり布団を畳もうとしたところで、自分が割とあられもない恰好をしていた事実に気づき、崩れる様に布団に没した。

 布団に頭を突っ込んだ状態でプルプルと震える主の頭上で、二つのデバイスがピンク色に発光をしながらクルクルと回転していた。

 

            ⚓⚓⚓⚓⚓

 

 朝日は眩しく鮮烈ではあるが、まだ日中感じるような容赦のない光は放っていない。

 

 提督は吸水速乾性が高い軍支給の黒いアンダーウェアに、同じく軍支給のカーゴパンツ、そして何故か靴はブーツタイプの安全靴。

 叢雲は軍()()のポリエステルが配合された綿素材の白字に紺色のラインの入った体操着に、その体操着に入っているラインと同じ紺色のブルマ、そして何故か黒タイツ。

 

「……ねぇ、なんでジョギングに安全靴なの? しかもブーツだし」

 

(おか)にいた頃の習慣だな」

 

 簡潔に答えた提督は叢雲の体操着と黒タイツには一切触れなかった。理由は単純で、常識的に考えればおかしな組み合わせだが、似合っていて運動に害がないなら特に注意する理由がないからだ。

 もっともこの提督は、女性ものの黒タイツをアンダーウェアと同位程度に思っている節があるので、性能的な面に関しては結構適当な推論で言っていた。

 ともあれ動きやすい恰好に着替えた二人は互いに軽く準備体操をした後、道を知っている提督が先に走り始め、その後を叢雲が追走し始めた。

 正門を出て左側へ曲がる。こちらの方向は叢雲が昨日船着き場からやってきたのとは逆の方向となり、こちら側の地理や景色も見ておきたいと思っていた叢雲は丁度いいと考えて口に笑みを浮かべた。

 

 堤防沿いにしばらく走るとすぐに妙なものが見え始めて、思わず叢雲は速度を落としてソレに目を奪われてしまう。

 

「司令官。これっていったい……」

 

「? ――あぁ」

 

 叢雲の足音が不意に聞こえなくなったのと、ソレを見た叢雲から質問があるだろうことも予見していた提督は、すぐに引き返してきて叢雲の近くまで戻ってきた。

 

 叢雲が見つめる先にあるのは、巨大な日本家屋だった。

 頑丈そうな作りの門が何かに破壊されたかのように倒壊しかかっているが、その奥にある家屋は玄関と思われる部分だけでも泊地にある宿舎のソレと比べても二倍ほどの大きさがある。

 建物そのものも高級で質のいい建材が使われていることが素人目にも分かるほどに、全体的な趣が今まで目にしてきた日本家屋とは一線を画すものがある。

 叢雲はほぅっと思わず溜め息をついてその古めかしい威容を見つめた。

 

「これは元々この島を所有していた人物の所有物件だったんだが、まぁ走りながら話そう。()()()()()()()()の方が理解し易いだろう」

 

 そう言って提督は話をしながら並走するのに容易い速度で走り、その隣を叢雲が苦も無く付いて走る。

 

「この島は元々は個人所有の島だったんだ。持ち主はこの辺り――古き時代に瀬戸内の海運を牛耳っていた一族。まぁ、言ってしまえばその筋の人間だ」

 

「その筋の人間って、ようするにヤクザ?」

 

 特に忌避することなくそのものズバリを言った叢雲に苦笑しながら、提督は頷いた。

 

「そう、ヤクザだ。とは言っても反社会的組織というよりは、昔ながらの顔役として地元に根付いた少し強面な相談役と言ったところかな」

 

「でも、私たちの泊地って元々は海洋研究所って聞いていたわよ」

 

 海軍総隊で事前に知っていた情報を尋ねると、提督は叢雲の方に顔をやや向けたまま速度を緩めることなく走りながら話を続ける。

 

「正確な情報かどうか判断の出来ない部分もあるが、伝わってきた情報によると一族の中に学者となった者が出て、その人物の研究を助けるためにあの施設を作ったそうだ」

 

「それはまた……随分と豪気な話ね」

 

「あぁ、感覚が少し違うのだろうな。それで後は知っての通り、深海棲艦の出現とその急激な侵攻に対応するために、この島にも守備軍が置かれた。幸いにも研究所施設を素直に徴発されたことによりこの屋敷は見逃されたようだが、結局は四国の部分的占領という事態に至って最終的に基地諸共放棄された」

 

「ふーん。でもその割にはこの屋敷、廃墟って感じがしないわね」

 

 走りながらでもずっと続く塀とその奥にある屋敷を見ることが出来ているのだが、泊地の施設よりもむしろ綺麗なんじゃなかろうか? ――までありえそうな雰囲気がある。

 

「今でも数日に一度空気の入れ替え程度は行っているからな。それをするだけでも家屋の痛みは随分と違ってくる」

 

「そうなの? まぁ確かに人が乗らなくなった艦はすぐに中も外も痛むし、人が住まなくなった家も同じようになるものなのね」

 

 妙な納得の仕方をした叢雲だったが、不意に何かに気づいたように左手にある塀に向かって声を上げた。

 

「ていうか、さすがにこの屋敷広すぎない? いつまで塀が続いてんのよ!」

 

「一族の人間が年に何度か全員集まって数日泊まり込むために作ったそうだからな。かなりアバウトな計算になるが、島の四分の一がこの屋敷に占拠されている」

 

「どんだけなのよ! ひょっとして泊地よりも広いんじゃないの?」

 

「面積だけの話をすればさすがに泊地の方が広いぞ」

 

「流石にそうよね……」

 

「ギリだけどな」

 

「ギリなのっ!?」

 

 そんな話をしている内にようやく塀も途切れて、左側には鬱蒼と茂る森が広がる。そこから二人はペースを上げながら、島を一時間掛けずに一周したのだった。

 

                   ⚓⚓⚓⚓⚓

 

 ジョギングを終えた二人は泊地本棟でシャワーを浴び、叢雲が髪を乾かして司令室に行くとそこには既に朝食が用意されていた。

 提督手製の朝食は御飯、味噌汁、出汁巻き卵、青菜漬け、鯵の塩焼き、小松菜とベーコンの炒め物。

 一汁三菜を意識したメニューで素朴ながらもとても美味しそうだった。

 昨日のカレーの味を思い出したのか、叢雲は料理の置かれている折り畳み机の前に正座してじっと料理を見つめる。

 

「さぁ、食べてしまおう。昨日の建造艦完成がもうすぐだ」

 

「そうね。私も早く仲間に会いたいし」

 

 叢雲は自分用にと提督から貰った『叢雲』と刻印された塗り箸を前に、行儀よく手を合わせた。

 

「頂きます」

 

 叢雲は提督が感心するほどに所作が整っており、行儀の悪さなど一切なく育ちの良ささえ感じる態度で食事を進めた。

 

「んぅ~おいしい。あんた本当に料理上手いわね」

 

「主計課に配属されるまではりんごの皮を剥くのが精一杯だったんだがな。そこの班長に気に入られて随分仕込まれたよ」

 

 少し懐かしそうに目を細める提督もまた仕草に粗野な部分がなく、教養ある所作を感じさせる。そんな提督の様子を見ながらも、叢雲はモグモグと美味しそうに朝食を次々と器用に箸で摘まんで口へと運ぶ。

 

 海軍総隊に居た時はまったく感じなかった食の喜び。しかしここに来てからたった二回の食事で、叢雲はその喜びと楽しさをこれ以上なく実感していた。

 艦船だった頃も燃料である重油をタンクに入れてもらえれば、満たされる充実感と補給を受けれたという喜びはあった。

 しかし今の姿で摂る食事は充実感は勿論のこと、味覚という新たなる感覚は艦船だった頃には無縁だった刺激と喜びを無限にくれるのだ。

 

 甘味、酸味、塩味、苦味、うま味。

 

 自分の舌が脳に伝えてくる鮮烈な感覚はとても刺激的で、叢雲は油断すれば相好を崩してしまいそうなほどに幸せを感じてしまう。

 きっとこの泊地にこれから着任する艦娘(なかま)たちも、自分と同じように美味しい食べ物を食すことに喜びを感じてくれることだろう。

 そう思うと叢雲はとても悪くない気分となり、笑みを浮かべた。

 

                    ⚓⚓⚓⚓⚓

 

 時刻は〇八〇〇(マルハチマルマル)を少し過ぎた辺り。

 提督と叢雲は昨日と同じように工廠地下にある工廠の心臓部、艦娘誕生の場所――建造ドックへと赴いていた。

 

 相変わらず無駄に広大と思える地下空間は照明が抑えられて薄暗く、部屋の最奥の壁にある建造ドックと装備生産装置の計器が発する光が怪しくも輝いていた。

 

 建造ドックにある巨大なモニターは昨日からずっと建造終了までの時間をカウントし続け、今の表示は以下のようになっていた。

 

『第一建造ドック 建造完了』

『第二建造ドック 建造完了』

 

 二隻の駆逐艦と思しき艦娘の建造は()()()()()終了していた。

 本当につい先ほどに――だ。

 

「まさかあの表示が十八時間後だったとはな」

 

 そう、駆逐艦二隻の建造時間は18分ではなく、18時間だったのだ。

 あの時、工廠のモニターには以下のような表示がされていた。

 

『第一建造ドック 建造完了予定時刻、現時点より00:18:00』

『第二建造ドック 建造完了予定時刻、現時点より00:18:00』

 

 どうやら最初の数字列は日数を示し、後は時と分だったらしい。

 

「そもそもなんでそんな勘違いしてたのよ? 大本営から艦娘建造に関しての資料ももらっていたんでしょう?」

 

 まだほんの短い付き合いでしかないが、色々と抜かりのないこの提督にしては珍しいくらいの凡ミスと言っていい。

 

「どうやら大本営は意図的に誤情報を記載していたようだ」

 

「はぁ? 何の為にそんなことをするのよ」

 

 叢雲の呆れたような疑問の声に、顎に手を当てて少し考える様にしていた提督が答える。

 

「艦娘は決して消耗品ではない――という戒めのようなものだろう。艦娘の存在が真に何であるか、大本営はいまだに最終的な結論を出してはいない。しかし我々が歯の立たなかった深海棲艦という存在に唯一対処できる存在が、わずか十数分で作れてしまう」

 

 そこで言葉を切った提督は帽子を被り直して、その位置を調整する。言葉を切った提督を不審に思い見上げた叢雲の目に映ったのは、鋭い眼差をした提督の横顔だった。

 

「――それは艦娘を道具としか見ない人間にとっては、さぞ朗報だろう。この建造の容易さこそ艦娘を単なる兵器という括りに押し留める鎖となりうる。大本営は新たに着任した提督がそういった考えに傾倒しないようにと、提督の頭に冷や水を浴びせるためにこういったことをしたのだろう」

 

「なるほど……ね。確かにそれなら納得だわ」

 

 大本営が自分たちを使い捨ての消耗品とは思ってはいない、ということに少しだけ喜びと過去の寂寥感を持ってしまい、叢雲の声もほんの少し湿っぽくなってしまった。

 

「とはいえ、18時間でも一つの生命が誕生するにはあまりに早すぎて短い時間だと思うがな」

 

「そうね……でも今はそれに感謝すべきじゃないの?」

 

 わざと茶化す様に笑みを浮かべてくれた叢雲のおかげで、提督も笑みを浮かべて頷いた。

 

「そうだな。今は急成熟な君たちに感謝しながら仲間を迎えるとしよう」

 

 建造ドックの前まで来た提督に、機械の影から三つの小さな人影が走り寄ってきた。

 昨日も応対をしてくれた三人組の工廠妖精が提督と叢雲の前に立つと、ビシっと敬礼を取る。それに返礼しつつ、提督が三人の先頭に立つ『工廠長代理』へと声をかけた。

 

「出迎えご苦労。工廠長代理、建造は無事完了したんだな?」

 

 工廠長代理は提督の問いに直立のまま良い笑顔で鷹揚に頷いた。

 

「では早速、我が泊地に加わる新たなる艦娘と対面するとしよう」

 

 提督の言葉にビシっと敬礼をすると、三人組の妖精は機械の方へと駆けていく。すると程なくして機械から音が鳴り始め、モニターに表示された文字には変化があった。

 

『第一建造ドック 建造完了 覚醒作業に移行』

『第二建造ドック 建造完了 覚醒作業に移行』

 

 しばらくの間、機械からは何かを乾燥させるような風が出る音がしていたが、やがてその音が止まると建造ドックがある壁の中央に位置する場所。その扉の上にある電光掲示板に『建造完了』という文字が灯ると共に、中から急に二種類の声が聞こえてきた。

 

『およ? なんですかなんですかぁー?』

 

『んぁ? ……ぁあ、もうなにぃー?』

 

『あっ! 最初誰だろーって思ったけど、睦月分かっちゃった~♪』

 

『えぇ~自分だけ分かっちゃうのズルくねぇー? って思ったけど、あたしも分かったからいいやぁー』

 

『えっ! なんで分かったのかにゃ?』

 

『えぇ~……自分で名乗ったじゃんかよぉ』

 

『およ? あっ! そっか! 睦月、睦月のこと睦月って言ってたにゃ!』

 

『ったくしっかりしてくれよなぁ……』

 

『えへへ、ごめんにゃしぃ。え? 妖精さん? これを着るのかにゃ?』

 

『げっ! この向こうで司令官が待ってんのぉ……?』

 

『えぇー! じゃあ、お待たせしちゃダメだねっ!』

 

 そこで声は一旦途切れると、扉の向こうで衣擦れの音が聞こえてくる。

 

「……」

 

「……」

 

 提督は気にした風もなく、中から聞こえてくるほのぼのし過ぎているくらいの会話に苦笑していた。

その斜め後ろで叢雲もまた手で顔を覆って呆れたような表情を浮かべていたが、それでもこれから対面する二人の仲間に期待を膨らませていた。

 

 やがて衣擦れの音がしなくなると、中から再び声が聞こえ始める。

 

『あーなんだか緊張してきたにゃ』

 

『挨拶とか面倒だから任せたぞぉ……』

 

『えぇー!? ダメだよ! 睦月だって緊張してるのにぃ~。それに望月ちゃんだって本当はどんな司令官かにゃ~ってドキドキしてるんじゃないのかにゃ~?』

 

『なっ!? ち、違うしっ! 怖そうな司令官だったらめんどいなって……思っただけだし』

 

『もぉ~! 心配だったら睦月に甘えてくれてもいいんだよぉ~!』

 

『ちょっ! こらっ! 抱きつくなよもぉ~! あつくるしいぞぉー!』

 

『ほらほら、もっと素直になるにゃしぃ!』

 

 扉の向こう側でドッタンバッタンと取っ組み合いをしている様子が伝わってきたところで、さすがに叢雲が切れた。

 

「妖精さんっ! とっとと扉開けてちょうだい!」

 

『わわっ! なんですかぁ誰ですかぁ?』

 

『知らねーけど怒ってんじゃんか! てか、早く降りろってのぉ!』

 

 そこで扉の上にある電光掲示板が『建造完了』から『進水排出』へと変わり、ブザーと共に扉が上へとスライドして開いていく。

 

『えぇー! 睦月まだ心の準備がぁ~』

 

『人の上であわてんなよなぁ~……あぁ、もういいやぁー』

 

 そして扉が開き切ると、そこには深みのある茶色いショ-トヘアーの女の子がクリクリっとした瞳を好奇心に輝かせながら、もう一人の少女――明るい茶髪のロングヘアと髪と同じ色をした瞳を眠たげにしている少女に馬乗りになっていた。

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

 四人とも微動だにせずに沈黙が流れたが、やがて諦めたように現れた二人の少女はそのままの体勢で、手を振りながら名乗った。

 

「睦月型1番艦、睦月です。はりきって、まいりましょー!」

 

「睦月型11番艦、望月でーす」

 

 何とも締まらない初建造艦たちとの初対面だった。

 




復原艦(ドロップ艦)はまた次回。
皆さんの初建造艦は何でしたか?


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復原艦(ドロップ艦)

お久しぶりです。
伊勢改二任務と装備の拡充(牧場ともいう)に精を出してました。
すみません。


 

 

「まずは着任を歓迎する。私がこの児島泊地で艦隊の指揮を執る司令官、古島湊だ。よろしく頼む」

 

「初期艦の吹雪型駆逐艦5番艦、叢雲よ」

 

 提督が現れた二人の艦娘に敬礼をすると、その脇に控えていた叢雲も同じく海軍式の綺麗な敬礼をして二人を出迎えた。

 

 二人のキチンとした態度と対応に対し、さすがに今の姿勢のままでは不味いと思ったらしく。新規艦の二人は、睦月が馬乗り状態になっていた望月の上から謝りながら退けて倒れたままの望月へと手を伸ばす。その手をキョトンとした顔で見つめた望月も『まったくよぉー……』と呟きながらも素直にその手を取って引っ張り起こしてもらった。

 

 そんな微笑まし光景の後、二人は建造ドックからシャッター部分をくぐって進み出てくると、提督たちの前に二人並んで立った。

 

「改めましてっ! 睦月型駆逐艦1番艦、睦月です! よろしくお願いします!」

 

「同じく睦月型駆逐艦11番艦、望月でーす……よろしくお願い、します」

 

 建造ドックから出てきた二人は、何故か叢雲が就寝時に着ている白い浴衣を着ていた。

 建造艦は建造が完了するまでどのような艦娘が出来るかは一切不明で、現状建造時間である程度の絞り込みが出来てきてはいるものの、完全な予測は不可能となっている。

 なので完成して建造ドックから出てきた艦娘の制服は、建造結果を海軍省に報告の後に支給という形となっている。

 そういった制服を艦娘の着任――その有無に関わらずあらかじめ支給しておけばいいのでは? という意見は至極当然なものだが、これに関してはいわゆる『妖精案件』というもので、制服を用意するのが妖精らしく、海軍省のお偉いが働きかけても頑として先渡しをしてもらえないらしい。

 

 新たに誕生した二隻の駆逐艦娘が改めて名乗ると、提督は頷き目を細めた。

 挨拶後、睦月は好奇心に目を輝かせて周囲をキョロキョロと見渡し、望月はやる気のなさそうな表情で周りを少し見た後、すぐに提督と叢雲へと視線を向けた。

 

「ふーん、あんたが司令官か……」

 

 少しダルそうなやる気のない表情で見上げてくる望月に、提督は優しさ含んだ視線を向ける。

 

「君が望月か。前大戦における第八艦隊での活躍は記録を読んで知っている」

 

「え……知ってんの?」

 

 艦船だった頃の自分の経歴を言われて、望月は眠たげな目を少し見開いて提督の顔を見つめると、提督は当然だとばかりに頷いた。

 

「部下になるかもしれない君たちのことを、少しでも知っておくのは当然のことだろう」

 

「ふ、ふーん……司令官、そんなことしてくれてたんだ。でもそんなの……面倒じゃなかったのか?」

 

「あの頃と今では海軍における船舶の運用法は随分変わってしまった。そして我々の運用法――というよりは、我々の兵器では深海棲艦には歯が立たなかったんだ。だからこそ君たちの戦いの軌跡を辿ることは、一海軍軍人としても君たちと共に戦う者としても、とても意味深いことだと思っているよ。それに――」

 

 提督が白い手袋をはめた手で望月の頭をポンと乗せると、目を細めて微笑んだ。

 

「姿形は大きく変わってしまっているが、君たちと共に戦えることは私にとって幸運だと思っている」

 

 そう言った提督の顔をポカーンと見上げていた望月は、少し顔を俯かせた。

 

「そっか……司令官は、変な奴なんだな」

 

「――そうか」

 

 頭上から降りてくる平坦だが優しい声を聞きながら、頭に乗っている白い手袋をはめた手に自分の両手を重ねる様に置くと、望月はこくんと頷いた。

 

「あぁー! 望月ちゃんが提督に頭撫でてもらってる! 睦月はズルイと思いますっ!」

 

 見るからに面倒くさがりな印象を醸し出していた限りなく末っ子に近い11番艦にして10番目の妹が発揮した思わぬ積極性に、長女である1番艦は羨ましさを隠そうともせずに急接近する。しかし提督と望月の間に割って入るような真似はせず、二人の近くでニコニコとしながら自分の順番を待ち始める。

 その睦月の様子に我に返った望月は、慌てて頭の上で提督の手に重ねていた自分の両手を引っ込めると、カニのように横へとスライドして提督の手から外れていった。

 すると待ってましたとばかりに睦月が笑顔で提督を見上げてくる。

 

「提督! 睦月も頑張って戦いましたよっ! それに今度も頑張って戦いますにゃ!」

 

 妙な語尾をつけながら屈託のない笑顔を浮かべる睦月に、提督は苦笑しながらその手を睦月の柔らかそうな髪の上にポンと乗せる。

 

「にゃ……えへへ♪」

 

(長女でありながら甘え上手とは、睦月型の長女は得な性格をしているようだな)

 

 撫でられている手の動きに合わせて自然と頭を擦りつけてくる辺り、まるで大きな猫を相手にしているようだ。

 

「こほんっ」

 

 しばらく睦月の頭を撫でていると、不意に後ろ側から咳払いが聞こえてきた。

 何事かと提督が振り向くと、そこには少し不機嫌そうな表情の叢雲が円形の何かを抱えた状態で立っていた。

 

「初建造艦との感動の対面はそこまでにして、そろそろ復原艦の復原もして欲しいんだけど?」

 

「そうだな。二人とも、実はもう一人この泊地に仲間を迎えることになっている。建造と復原での違いはあるが、二人の同期となる艦娘だ」

 

 そう言って提督が叢雲から復原盤を受け取って二人に見せる。

 

「おぉー! その中に睦月たちの仲間が入っているんですかぁー!?」

 

「中に――という言葉が適切かどうか分からないが、この復原盤をこの建造ドックに奉ずると艦娘となって現れると聞いているな」

 

「奉ずるって……え、お供えすんの?」

 

 提督の持つ円盤状の復元盤を望月が見上げていると、また何処からともなく工廠妖精三人組が現れて、先ほどと同じように提督らを見上げてビシっと敬礼をした。

 提督と叢雲に続き、睦月と望月もそれぞれ妖精たちに返礼をする。新たに増えた艦娘二人を見て妖精たちは嬉しそうに相好を崩すが、すぐに提督の前だということを思い出してキリリっと表情を引き締めて敬礼をしたまま向き直る。

 そんな妖精たちの純粋無垢な態度に微笑みを浮かべながら、提督が復原盤を差し出す。

 

「工廠長代理、頼めるか?」

 

 提督の声を聞いた工廠長代理妖精は、クイっと被っていたヘルメットを押し上げて『任せて下さい』とばかりに胸をドンと叩いて、傍に控えていた二人の妖精に指示を出すと三人で受け取った復原盤を掲げるように持ち上げて工廠装置へと走っていく。

 

「えーと、確か復原艦は建造艦のように時間は掛からないのよね?」

 

「ああ、数分と掛からないと資料には書いてあったな」

 

「どんな娘が来るかにゃー?」

 

「あたしらと同じ酔狂な奴なんだろうなぁー」

 

 叢雲が提督に確認を取り、それに頷いて答える提督。その傍で睦月が目を輝かせて望月が両手を頭の後ろに回して少しだけおどけた口調で茶化した。

 

「ま、確かにこんな立ち上げ直後も直後の泊地に来るなんて、酔狂な艦娘でしょうね」

 

 望月の気だるげな軽口に珍しく叢雲が乗って二人を意味ありげな視線を向ける。だが、すぐに睦月が人差し指を顎に当てて叢雲を見る。

 

「およ? でも叢雲ちゃんはそんな出来立てホヤホヤ泊地の初期艦さんだよねぇ?」

 

「な、なによ? 何がいいたいのよ?」

 

「一番酔狂なのって、誰だろなぁーって話だろー?」

 

「んなっ!?」

 

 姦しい声が響く中、工廠装置の心臓部である建造ドックから音が聞こえ始めた。

 

 

 

 ――それは工廠に響く起工の産声。

 

 ――それは港から海へと出でる進水の祝福。

 

 ――それは洋上で聞くカモメの声。

 

 ――それは風を切り裂く鋼の咆哮。

 

 ――それは水底に沈みゆく無音の葬送。

 

 ――それは、水底で朽ちる勇士を讃えた鯨の唄。

 

 

 

 それら一連の不思議な音が止んで提督が後ろを振り返ると、そこにいる三人の艦娘たちは全員目に涙を浮かべて佇んでいた。

 叢雲、睦月、望月の三人が先ほどまでの姦しさを忘れたかのように、少し茫然としたように佇んでいた。

 辛そうにしているわけでもなく、悲しそうにしているわけでもない。

 だが、三人の瞳から透明な雫が生まれて静かに頬を流れていた。

 

「三人とも、大丈夫か……?」

 

 思わず提督が訊くと、三人は不意に我に返ったかのように目を瞬させて、提督の心配そうな顔を見て初めて自分たちが涙を流していることに気づいた。

 

「だ、大丈夫よ……昔のことを急に思い出しただけだから」

 

「睦月も大丈夫です。えへへ、提督は心配性ですねぇー」

 

「大丈夫だよ。だからそんな顔すんなよな、司令官……」

 

 提督がよほど心配そうな顔をしていたのか、三人はそれぞれに大丈夫という意思を言葉に乗せて嬉しそうに口にした。

 

「そうか……」

 

 そんな三人の様子を見て提督は息をついて薄く笑みを浮かべた。

 提督のほっとした顔を見て、三人の駆逐艦娘たちはお互いに顔を見つめ合わせてそれぞれに笑いあった。

 一人の提督と三人の艦娘がまだぎこちないながらも、心を通わせる交流をしていると不意に建造ドックの閉まっているシャッターの中から声が聞こえてきた。

 

『――え? これを着るの? うん、分かった』

 

 聞こえてきたのは真面目そうな少し硬い声。

 睦月たちと同じように中で着替えているらしく、工廠内に衣擦れの音が小さく響く。

 

『着替えた。うん。え? この向こうに提督がいる? そ、そうなんだ……』

 

 今までと違って少しだけ声の硬さが弱まって尻すぼみとなったが、シャッターの中から――パシっ! という両手で両の頬を打って気合を入れる音がした。

 

『――うん、もう大丈夫』

 

 すると、もう先ほどと同様に落ち着いた少し硬い声に戻っていた。その声に呼応するように今度は待たせることもなくシャッターが開いていき、そこに一人の駆逐艦娘が佇んでいた。

 

 秋の稲穂を思わせるような枯草色の髪を、本人の活動的な性格を表すかのような短いショートボブにしている。その下で揺れる琥珀色の瞳には様々な感情が揺れ動き、右目の下――右頬に小さいながらも目立つ傷痕あった。

 

「綾波型駆逐艦7番艦の朧です」

 

 ハッキリとした口調で自分をそう紹介すると、目の前に立つ提督と三人の駆逐艦娘の視線を一身に受けて、少しだけ瞳を動揺に揺らせる。

 だが、すぐに意を決したかのように視線を提督に定めて顔を上げる。

 

「朧、誰にも負けません……たぶん」

 

 やはり締まらない挨拶となってしまったのだった。

 

 




なかなか話進みませんし、投稿ペースも遅いですが、色々なリバビリも兼ねていますので何卒ご容赦を。

伊勢改二……改装航空戦艦でしたね。
これは日向は飛ぶ可能性あるな。


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睦月型駆逐艦一番艦睦月ー着任ー

 

 私は睦月型駆逐艦1番艦の睦月です。

 今日も大海原を鋼鉄の船体で波を切り裂き進むのです!

 

 

 ――なーんて、冗談なんですけどねぇ♪

 

 

 昔は本当に鋼鉄の船体に沢山の水兵さんを乗せて、文字通り大海原を駆けまわっていたんですけど。

 ですが! 今は! なななっなんと、違うのです!

 前世では――あ、前世というのは正しくないかもしれないけど、あの時の睦月も睦月だったし、今の睦月も睦月ですからねっ! 

 えーっと、とにかく前は重油を燃料にボイラーで燃やして走り回っていたんですけど、今はちゃぶ台を囲んで美味しいご飯を待っています!

 

 艦娘という存在になった自分に対する動揺とかは別になかったかにゃ? だって前の時も艦艇である自分に疑問なんてなかったから、今回だってありのままの睦月で参りますよぉー!

 

 それにしても初めてのご飯待ち遠しいにゃ。

 今ちゃぶ台を一緒に囲んでいるのは初期艦の叢雲ちゃん、そして同期着任で同じ睦月型の妹ちゃんである望月ちゃん! そして復原艦として同時合流した綾波型の朧ちゃん。

 

 叢雲ちゃんはクールなしっかり者さん。

 望月ちゃんは我が妹ながら可愛くて、ちょこっと恥ずかしがり屋さんかな(身内贔屓)。

 朧ちゃんはちょっと男前な女の子って感じ!

 

 昼食を取るには少し遅い時間みたいなんだけど、早く人として食べる食事に馴染んでもらいたいっていう提督の一声でお昼ご飯を食べることになりました。

 

 工廠から出て本棟というここ児島泊地の母屋? の提督室へ移動しましたよぉ。

 あ、そういえば、工廠を出るときに開発と建造を行うって提督と叢雲ちゃんがお話してました。睦月はそっちも気になったんだけど、ちょっと不安そうにしていた朧ちゃんが気になって沢山お話ししていたので、開発で何が出来たのかは分からなかったにゃ。

 でも工廠を出るときに不思議な光る黒板だけは見てましたよぉ~。確かそこにはこう書かれていたはずです!

 

 

『第一建造ドック 建造完了予定時刻、現時点より00:18:00』

『第二建造ドック 建造完了予定時刻、現時点より01:00:00』

 

 

 一隻は睦月たちと同じ駆逐艦で、もう一隻は提督のお話ですと軽巡の可能性大、だそうです! 

軽巡ですよっ軽巡! 

 今は戦いに出れるのは叢雲ちゃんだけだけど、いずれは睦月たちも戦えるようになれます。そうなればそこに軽巡の人がいてくれれば、それはもう立派な水雷戦隊ですにゃ!

 夢が広がりますね……うふふっ。

 提督や日本の皆さんの為にも、睦月頑張っちゃいますよぉ~!

 あ、噂をすれば提督がお戻りですね。

 

「すまない、遅くなった」

 

 そう言って提督が手に持ったお盆から大皿をちゃぶ台へと置くと、睦月たちは思わず『おぉぉぉ』って身体をちゃぶ台に乗り出して、それに顔を寄せてしまいます。

 あぁ、ほっかほかに炊けたご飯のいい匂いがするにゃしぃ……。

 

「あぁーそっか、最初はこれになるんだったわね」

 

「おぉ~これは……美味しそうにゃしっ!」

 

「おぉー形きれいだなぁ」

 

「とても美味しそうに朧には見えます」

 

 ちゃぶ台の真ん中に置かれた大皿には、沢山の三角形の食べ物がピカピカに光っていて、もわっと上がる湯気が美味しそうな匂いを運んでくれてるにゃ~。

 そう! この食べ物は艦艇時代に睦月たちと一緒に戦ってくれていた水兵さんたちがよく食べていたモノなのです!

 

 その名も!

 

「「「おにぎりっ!」」」

 

 睦月たち目を輝かせながら叫んでいると、叢雲ちゃんがなんだか生暖かい目で見ていました。どうしたのかな~?って睦月は思いましたが、今は目の前で睦月たちと誘惑している魅惑の三角形が気になって仕方がないのです!

 

「提督! 食べてもいいですか!?」

 

 望月ちゃんも朧ちゃんも何だかモジモジしていたので、ここは望月ちゃんのお姉さんである睦月が代表して提督に聞いてみることにしました。

 睦月、偉いにゃしぃ!

 

「あぁ、遠慮なく食べてくれ」

 

 待ちきれない睦月たちを見て、提督が汁椀とお茶を運んできてくれた主計課妖精さんたちを労労いつつ頷いてくれました。

 

「いただきまぁーす!」

 

「いっただきまーす」

 

「いただきます」

 

 手を合わせて挨拶して、早速初めてのおにぎりに手を伸ばします。

 白いつやつやのお米を三角形に握ったもので、持ちやすいように下に海苔を巻いてくれています。手に取ると思っていたより熱くてちょっとびっくりしましたけど、さっきよりも近くから匂ってくるお米の湯気が……湯気が――む、睦月もう我慢できません!

 

「はむっ!」

 

 炊き立て熱々のおにぎりを頬張ると、最初に塩味を舌が感じておにぎりの中に閉じ込められていた湯気に『はふはふ』しながら口の中でお米を噛むと、信じられないくらいの甘みが口の中に広がって、もう――!

 

「おいしいぃー!」

 

「おぉ……めっちゃ美味い」

 

「美味しい……朧、おにぎりがこんな美味しいものだったなんて、思いませんでした」

 

 望月ちゃんも朧ちゃんも、睦月と同じくおにぎりの美味しさに感激している様子です。すぐに二つ目に手を伸ばして食べようとしていると、叢雲ちゃんが『おにぎりくらいで大袈裟ね……』ってお澄ましさんな顔で言っています。

 

「叢雲ちゃんも初めて食べたのはおにぎりだったのかにゃ?」

 

「えぇ、そうよ。もっともここじゃなくて海軍総隊にいた頃の話だけどね」

 

「ならさぁ、司令官のおにぎり特別美味いんじゃねーのぉ? マジでめっちゃ美味いし」

 

「はぁ? おにぎりなんてご飯丸めただけのものよ? そんなに違いがあるわけないじゃない」

 

「叢雲さんも食べてみればいいと思う。本当に美味しいから……多分」

 

「しょーがないわね。でもあんたたちの初めての食事なんだから、私なりに遠慮してたのよ?」

 

 睦月たちに勧められて叢雲ちゃんがおにぎりを一つ手に取ります。

 それにしても叢雲ちゃん。

 遠慮なんてしなくても、皆で一緒に食べるのが睦月は一番だと思います! なんて睦月が思っていると――

 

「なにこれ! 全然違う!」

 

 おにぎりを頬張った叢雲ちゃんが凄いびっくりした顔をしておにぎりを見つめてます。

 どうやら提督のおにぎりは、やっぱりとっても凄いおにぎりだったようですにゃ!

  

                ⚓⚓⚓⚓⚓

 

 大満足なお昼ご飯の後、提督と叢雲ちゃんも泊地内を案内してもらいました。艦艇だった頃の記憶だと鎮守府や泊地には人が大勢いるイメージだったけど、ここには提督と私たち――そして妖精さんたちしかいないそうです。

 あの活気のある港の雰囲気を思い出すと少しだけ寂しい気もするけど、これから艦娘の仲間たちはドンドン増えていくそうなので、睦月は楽しみです!

 泊地は想像していたよりもとっても広くて、睦月迷わないかちょっと心配になりました。でも仲間が増えれば迷っても誰かと一緒できますよね。

 

 一通りの案内が終わって、後は夜まで自由時間ということになりました。

 

「各自一八〇〇(ヒトハチマルマル)まで自由行動とする。泊地の設備を改めて見て回るもよし、グラウンドの整備はそれなりにしてあるので、身体を動かしてみるもよし、好きに行動して人としての体に慣れて欲しい。ただし泊地の敷地からは出ないように」

 

「はーいっ!」

 

「あーい」

 

「はいっ!」

 

 提督の指示にお返事しつつ、自分の恰好を改めて見ると『うふふっ♪』と笑いが出てしまいます。今睦月たちは『体操着』という服を着ているのですが、このブルマという服は動きやすくて睦月とっても気に入っちゃいました。

 他の皆も睦月と同じ格好で、最初に着ていた浴衣よりも動きやすくて嬉しそうです。

 

「あんた、ひょっとして今日も舗装工事の続き?」

 

「そうだな。今後のことを考えて車両が問題なく入れるようにしておきたい」

 

「手伝うわよ」

 

「すまん、助かるよ」

 

 むむむ。

 お話によるとまだ着任二日目の叢雲ちゃんなのですが、提督とっても仲が良さそうですにゃ。

 睦月ももっと提督と仲良くなりたい!

 

 ――というわけで。

 

「はいはい! 睦月も提督のお手伝いしたいです!」

 

「えぇー」

 

「朧もお手伝いします」

 

「えぇー……」

 

 朧ちゃんはすぐに賛成してくれたけど、望月ちゃんは何だか微妙な感じ?

 んー、でも何となく素直になれてないだけな気がします! 

 なので……うふふっ♪

 

「望月ちゃんは提督のお手伝いしたくないのかにゃー?」

 

「え……?」

 

 ちょっと意地悪な聞き方になっちゃったけど、きっと望月ちゃんも本心では手伝いと思ってると睦月は思うんです!

 お姉ちゃんの勘だけど!

 

「うー……」

 

 望月ちゃんは体操着の裾を両手で握って少し俯いて小さな声で唸って、時々提督の顔をチラっと見上げていますね。

 やっぱり最初に乗り気じゃない雰囲気を出してしまったから、睦月に言われて渋々手伝うって印象を提督に持たれるのが怖いのかな?

 うふふっ我が妹ながら可愛い性格ですにゃしぃ。

 ここは一つお姉ちゃんとして助け船を出してあげないといけませんね!

 

「提督も望月ちゃんに手伝って貰えると嬉しいですよね?」

 

「ああ、望月に手伝ってもらえれば大船に乗ったつもりでいられるな」

 

 おぉー!

 一切迷うことなく即答してくれるなんて、提督分かってますね!

 ここで提督が少しでも考えて答えると、望月ちゃんのようなタイプの子は察しがいいのですぐに気を遣われたのが分かっちゃうと思うので、即答してくれると凄く安心すると思うんです!

 

「うー本当かぁ? ……司令官」

 

「勿論だ」

 

「そっか……ん、あたしも頑張る」

 

 俯いていた顔を上げた望月ちゃんの頭を提督がポンと撫でると、照れくさそうに望月ちゃんが微笑んでいます。

 うーん、良かったにゃしぃ!

 

「では、作業を説明するから移動しよう」

 

「はーい!」

 

 嬉しくて元気に声を上げると、望月ちゃんが傍にきて『ありがとな……』って睦月の着てる体操着を指で摘まみながら言ってくれました。

 

 もぉー可愛い!

 

 嬉しくなって思わず抱き着いたら、ちょっと暑苦しがられたけど撫で撫でさせてくれました。

 

                  ⚓⚓⚓

 

 太陽が西のお空に傾いて、暑さが随分柔らかくなってきました。

 泊地の正門から本棟まで伸びる道はガタガタにひび割れていて、車が通るにはよくないそうです。特に重量物を積んだトラックなどには負担が大きくて、積んでいる物資にも影響が出る可能性があると提督が言ってました。

 なので、今睦月たちはその道路の補修作業を行っています。

 

 作業着に着替えた提督が削岩機(コンクリートブレイカー)という機械で、凄い音を鳴らしながら元々敷かれていた痛んだ路面を掘削して、出た破片を叢雲ちゃんと朧ちゃんがスコップですくって台車へと載せ、その台車を私と望月ちゃんで提督に指定された場所へと運んでいます。

 作業としての効率はあまりよくないそうなのですが、現在重機械の乗り入れが不可能なこの児島泊地では、こうやって地道にやっていくしかないそうです。

 

 この身体でどのくらいの作業が出来るのか最初は実感が湧かなくて、ちょっとだけ不安だったんですけど、実際に作業を開始してみると全然へっちゃらだったにゃし!

 提督のお話だと、私たち艦娘は艤装を纏っている時なら艦艇だった頃と同じ馬力を発揮することができるそうなんです。

 その馬力を発揮しても耐えられる身体の謎とか、物理法則の枠を飛び越えているとか、色々と難しいことが偉い学者さんの間でお話がされているらしいのですが、睦月にはよく分かりません!

 他の艦娘()たちも同じような反応だったので、睦月が特別お馬鹿さんというわけではないですにゃ。

 

 えーっと、とにかく睦月たち艦娘は凄く力持ちで提督のお役に立てるってことです!

 あ、ちなみに今は勿論艤装を纏ってはいないのですが、睦月たち艦娘は艤装を纏っていなくても元々の馬力の百分の一くらいは必要に応じて発揮できちゃうそうです。

 でも不思議なことに、泊地を案内してもらっている時に朧ちゃんとグラウンドで駆けっこした時は疲れちゃったのに、その時よりもずっと大変な作業をしている今は全然疲れないです。

 力の加減や疲れ具合とかは艦娘の無意識下でコントロールされているものらしいです。なので人と握手する時に力加減を間違えてしまう――なんてことは、基本的に起きないそうです。

 

 まだこの身体になってから一日も経っていないので、睦月たちもそういった部分の実感とかは全然ないんですけど、不思議と大きな不安は感じていません。

 だってまたこうやって私自身も睦月で居られることが出来て、またお仲間の皆と一緒に居られるのですから、睦月はそういうことよりも嬉しさの方が大きいんです!

 

 鼻歌を歌いながら台車を押していると、提督から『休憩にしよう』と声がかかりました。

 ちょうど台車に石が積まれるのを待っていた望月ちゃんは、そのまま石積みをしてくれていた叢雲ちゃんと朧ちゃんたちとお話しています。

 うん。うん。

 望月ちゃんが楽しそうで睦月も嬉しいですにゃ。

 

「睦月」

 

 三人の方へと駆け出そうとした私に、タオルで汗を拭っていた提督が声をかけてくれました。

 

「なんですかなんですかぁー?」

 

 声を掛けてもらえたのが嬉しくてウキウキしながら聞き返すと、提督は近くに置いてあった青くて蓋だけ白い箱から、不思議な形の水筒のようなものを取り出していました。

 

「これはペットボトルというものだ。ここを捻れば蓋が開いて中の飲み物が飲める。飲み終わったらまた蓋を捻って閉めれば中身を溢さずに携帯が出来る」

 

「おぉー透明な水筒です!」

 

 睦月の視線を感じた提督が、ペットボトルという物の名前と使い方を教えてくれました。原理は水筒と同じだけど、中に何が入っているのかすぐに分かるのは画期的ですね。

 人数分のペットボトルを受け取ると、提督が当然睦月の頭に手を置いて撫でてくれました。

 

「初建造艦が睦月でよかったよ」

 

「本当ですか!? そうなら嬉しいですにゃ!」

 

「ああ、君の明るい性格には今日だけでももう随分助けられている。他の姉妹艦や別型式の駆逐艦たちがこれから増えていっても、皆を助けてやってくれ。頼りにしている」

 

「はいっ!」

 

 提督に大きく一礼をしてからペットボトルを抱えて駆け出す。

 

 多分睦月は戦闘での能力はこれから増えていく艦娘()たちよりも弱いと思う。提督もきっとそのことは知っていると思うし、きっと睦月たち以上に解ってると思う。

 

 それでも――頼りにしている、と言ってくれました。

 

 仲間の下へと駆ける足は軽く、嬉しくて笑顔が止まりません。

 

                  ⚓⚓⚓

 

 夜になり泊地本棟に戻ると、お風呂に入りました。

 初めてのお風呂はとっても気持ちよかったんですけど、四人で入ってもまだ余裕のある浴槽ではしゃぎ過ぎて叢雲ちゃんに叱られちゃいました。

 もう少し艦娘の人数が増えたら宿舎へと移ることになるので、それまでは我慢して欲しいと提督に言われました。

 睦月たちは全然問題ないのですが、もっと大きい浴場があると聞いてとっても興味が湧きました。宿舎に移るときの大掃除も頑張るにゃしぃ!

 

 提督の作った美味しい夕飯を食べていると、カレーの話題が出てこれには皆大いに興味深々でした。カレーは海軍にとって特別な料理なので、睦月もぜひぜひ食べてみたいです!

 それに既に食べたことのあるらしい叢雲ちゃんが、ちょっとだけ得意げにカレーの感想を言っているのを聞いて、夕飯を食べた直後なのに涎が出そうだったにゃ……羨ましい。

 

 明日の流れについて提督から簡単な説明を受けたあと、本棟にある一室で眠ることになりました。

 こじんまりとした部屋にはパイプ組みの二段ベッドが二組置かれていて、そこには既に布団が敷かれていました。

 睦月と望月ちゃんペアと叢雲ちゃんと朧ちゃんペアで別れ、望月ちゃんに上と下どっちがいい? って尋ねたら、少しモジモジして『べつに……どっちでもいいよぉ』って言いながら、視線は二段ベッドの上に向けられているのを睦月は見逃しませんでした!

 

「じゃあ、睦月はお手洗い行きたくなりそうだから下がいいけど、いいかにゃ~?」

 

「う、うん。いいぞ」

 

 嬉しそうにはにかむ望月ちゃんに睦月も嬉しくなって大満足です。

 色々とお話をしていましたが、みんな段々と話すトーンに勢いがなくなってきて睦月もフワフワした気持ちになってきました。

 初めて感じる睡魔というものが心地良すぎて、瞼が重くて大変です。

 不寝番で見張りをしていた水兵さんたちって凄かったんですね……やっぱり私たちと一緒に戦ってくれてた人たちは凄かったんだなぁ~……。

 

 うーん、もう限界なのです。

 

 意識を手放す寸前に、私は早く()()()に会いたくて祈りました。

 

「如月ちゃん……早く会いたいな」

 

 ――提督、おやすみなさい。

  

 




一人称で書くのは学生時代以来でした。
無謀なことをしている気はヒシヒシとしていますが、ぼちぼち書いていきます。


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睦月型駆逐艦十一番艦望月ー着任ー

お気づきの方もいるかもしれませんが、艦これに限らずこの手のゲームは序盤に物凄く手持ちのキャラが増えます。
なにせ出るキャラクターの大体が未所持だからです。
うーん、震えます。


 カチカチという時計の秒針が規則正しい音を鳴らすのを聞きながら、あたしは何度目か分からない寝返りを打つ。

 聞こえてくるのは夏を楽しむ虫の声と仲間たちの静かな寝息。

 

 あたしは睦月型駆逐艦11番艦の望月。

 前は十数年くらい艦艇として生きて、そして沈んで死んだ。

 

 沈む時はそりゃ怖かったけどさ……でも、浸水して海に引きずり込まれる時、あたしは怖い以上に違う気持ちの方がきっと強かった。

 

 その気持ちは――。

 

 また寝返りを打って、今度は仰向けになる。

 何もしていない時って尊いと思うんだよなぁ……こうやってゴロゴロするの最高じゃん?

 仰向けになったまま右腕を真っすぐに伸ばす。消灯していて部屋は真っ暗だけど、ずっと起きていたあたしは既に目が慣れていて暗闇の中でも自分の手を見ることができた。

 

 細くて頼りない自分の手――それを見て小さくため息をつく。

 

 艦娘ねぇ……。

 

 なんでこうなったのかは分からんないけど、今あたしたちは艦艇から人の形をしたものになってる。何度自問自答しても、どうしてそうなったのかは全然分かんない。

 考えても分からないものは仕方がないよなぁ……別に嫌なわけじゃないしね。

 開けたままにされている網戸越しの窓から、少し生暖かい風が潮の香りと共に入ってくる。蒸し暑くて寝苦しさはあるけど、薄手の浴衣一枚に大きなタオルケットをお腹に掛けたまま足を身動ぎさせると、おろしたてのシーツを足が滑らかに滑って心地良くて思わず顔がにやける。

 

 艦艇だった頃には感じられなかったことが、今は沢山感じることができる。それは凄く嬉しいことだし、これからもっと色々なことがきっとあたしたちには待ってる。

 

 このベッドに敷かれた布団とシーツの心地良さ。

 お昼に食べた『おにぎり』のような美味しいもの。

 提督の撫でてもらった手の温もり……とか。

 

 何度も撫でてもらったことを思い出すと嬉しさと恥ずかしさで顔が熱くなる。誰に見られているわけでもないけど、誤魔化す様に枕を顔の上に乗せて顔に押し付けた。

 しばらくそのままにして息苦しくなった辺りで枕を上にずらして、身体を右側に転がした。

 

「……あ」

 

 妙に明るいと思ったら窓の外にまん丸い月が見えた。

 しばらくそのままの姿勢で月を見ていたけど、急に喉が渇いてきて枕元に置いておいたペットボトルを探る。月を見つめたまま左手だけで探してみたけど、なかなか見つからない。でも何だかあの月から目が離せなくて、無意識に手だけ動かして感触を探した。

 

「お……?」

 

 ようやく手にシーツとは違う硬い――でも柔らかい不思議な感触を感じて、そのままそれを掴んだ。だけどなんだかその手ごたえがめっちゃ軽い。

 

「ぁー……」

 

 ペットボトルを顔の前まで持ってくると、横倒しになった視界の中でペットボトルの中の水が地面側の側面部に僅かな溜まりを残すだけになってた……少なっ。

 

「……っしょ」

 

 上体を起こして、ペットボトルのキャップを開けて残っていた水を飲み干す。温くなった水はあんまり美味しくなかった。でも喉の渇きが少しだけマシになった。

 

 だけど十分じゃない――。

 

「うーん……」

 

 空になったペットボトルを見てもう少し飲みたいなぁーって欲が出る。そこで消灯前の司令官の言葉をあたしは思い出した。

 

『何かあったら執務室まできてくれ』

 

 そうだよ、司令官がああ言ってくれてたんだからいいじゃんか……。

 喉が渇いたから水が欲しい、だって立派な用事だよなぁ……。

 

 自分に色々言い聞かせて、あんまり音が出ないようにベットから出ようとしてあたしは自分が二段ベッドの上段で寝ていた事を思い出した。

 

「ぅ……」

 

 小さく呻いて対岸を見ると、今日同期として復原盤というモノから復原されて合流した、綾波型の朧が寝ているのが見えた。その下に目をやると、そこには初期艦で吹雪型の叢雲が同じように寝ている。二人とも仰向けでお腹付近にタオルケットを掛け、寝相もよく呼吸のたびに胸が規則正しく浮き沈みしてる。

 起こさないように……しないと、ねぇ~。

 二人を起こさないように慎重に梯子を下り始める。両手で枠を掴み身体を下にズラしながら片足を中空で彷徨わせて次の段を探す……探す……ぅえー、結構これ怖い。

 ようやく梯子を三段ほど下りたところで視点が移動したことで自分が寝ていたベッドの枠組みと底板しか見えてなかった視界が開けて、自分の下で寝ている姉の睦月の姿が見えてくる――ぶふっ。

 

「――っっっくっ」

 

 思わず吹き出すのは心の中に落ち留めれたけど、その後に続く笑いを自分の横腹をつめって無理やり押し殺す。

 

 ――睦月、寝相悪すぎ。

 

 いやぁ、本当は言うほど悪くないんだけどさぁ。

 でも他の二人が凄くまともに寝てたから、不意を突かれたっていうか……さ、うん。

 

 暑かったのかタオルケットを蹴飛ばして、浴衣が着崩れてほぼ上半身丸見えの状態でスヤスヤ寝ている姿に、片手で梯子に掴まったまま口元を抑えて笑いをなんとか抑える。

 笑いを抑えながら睦月の姿を見ていると、あることにあたしは気づいた。

 

 あ、でも睦月って案外胸あるんだなぁ……。

 そこで自分の胸を見下ろすと、浴衣の合わせ目から見える景色に自然と口がへの字に曲がる。

 

 長女恐るべし……(どんぐりの背比べ)。

 

 馬鹿なこと考えてないで早く行こ……。

 下が見えるようなってから楽勝になった梯子を下り切って床に降りると、しょうがないから蹴飛ばしてたタオルケットを睦月の胸が隠れる様に丸出しのお腹にかける。

 

 風邪引くなよなぁ~。

 

                    ⚓⚓⚓

 

 広いぞぉ~。

 暗いぞぉ~。

 司令官どこだよぉ~。

 

 日中は感じなかった本棟の真っ暗な廊下は、あたしの想像よりも結構広かった。

 こんなことなら睦月の背中を適当についていくんじゃなくて、ちゃんと司令官の部屋覚えておけばよかった……。

 さっきから廊下をあっちに行ったりこっちに行ったりしてるけど、全然たどり着けない。

 いやさ、そもそも目的地が分かってないんだし? 

 

 目印とかないのかよぉ、司令官~。

 あーあ、もうダメだ。

 喉は乾いたけど、このまま蒸し暑い廊下を彷徨い続けるのも嫌すぎる……部屋に戻ろ。

 えーっと、あたしらの部屋は……あれ?

 目の前には等間隔で並ぶ同じ扉がズラリと……。

 あ……あれぇ? 

 これさ、もしかして……自分の部屋分からなくなってねぇー?

 

 いやいやいやいや!

 

 どうせあたしたちしか居ないんだし、全部の扉を開けていけばその内睦月たちのいる部屋に当たるって、諦めるのは早いって望月!

 そう奮起して顔を上げた時に、廊下の壁に貼ってあった張り紙に目が留まる。

 

『夜間、防犯のため一部の扉に警報設置中』

 

 はい詰んだー完全に詰んだー。

 

 がっくりと廊下に崩れ落ちて、あたしは膝を抱えてしまった。

 あーぁ……この八方塞がりな感じ、なんか昔を思い出すなぁ……。

 あの頃もさぁ、こうやって不確かな目的地を探して輸送任務してたよなぁ。

 

 何度も何度も、何度も何度も……。

 

「――望月か?」

 

 廊下のど真ん中で膝抱えてたら、横から声が聞こえて顔を上げる。

 そこには持ち運びできる燭台に蝋燭で灯りを点した司令官が立ってた。

 

「司令官……」

 

 なんで蝋燭なんだよ、普通懐中電灯だろ……。

 なんて思ったら、なんか色々どうでもよくなって泣けてきた。

 そんなあたしの顔をみたせいか、司令官は困ったように微笑んであたしの頭にポンと手を乗せて撫でてくれた。

 ちきしょー撫でればいいって思いやがって……。

 

 こんちくしょう……。

 

                    ⚓⚓⚓

 

「――ってわけだったんだよぉ」

 

 ことの経緯を司令官に説明しながら、あたしは司令官の部屋で貰った水を飲んでいた。

 あの後分かったことなんだけど。

 どうやらあたしは司令官の部屋の目の前で膝抱えていたらしい……そこへ偶然、資料室に調べものしに行っていた司令官が戻ってきたというわけ……はぁ~。

 もうその話を聞いて、あたしは恥ずかしいやら安心したやらで腰から力が抜けたっつーの。

 

「そうか。これから艦娘が増えていく上での仮部屋の予定で用意していたからな、そこまで気が回っていなかった。すまないな」

 

 そう言って執務机(ミカン箱)の向こう側で頭を下げる司令官を見て、あたしは慌てて首を横に振る。

 

「いやいや、あたしがちゃんと部屋覚えておけばよかったんだからさぁ」

 

 むしろこの時間まで仕事してる司令官の方に驚きだよ……あたしはさぁ。

 ベッドの上でゴロゴロして心地良さを散々堪能していたあたしは、ちょっとバツが悪くてペットボトルの水をチビチビと飲んで視線を彷徨わせる。

 

「お詫びと言っては何だが、これを食べるか?」

 

「え……?」

 

 司令官が何処からともなく出したのは、巾着袋みたいな形をした小さな紙袋だった。視線をそれから司令官の顔に上げると、司令官は一つ頷いてそれをあたしの手に乗せてくれる。

 するとまだほんのり温かいそれを広げると香ばしい甘い匂いがあたしの心を奪った。袋の中身は薄茶色のお菓子――クッキーだった。

 

「お……おぉー、これクッキーか?」

 

 確認のため一応聞くと、司令官は頷いて明日あたしたちに渡すために夜の執務の合間に作ってくれていたらしい。資料室に行っていたのも、このクッキーの焼き上がりに合わせる為でもあったらしい。

 

 いいねいいね、そういう心遣いは大好物だぜぇ。

 

「じゃあ、いっただきまーす」

 

 はむっと一口食べると、口の中に香ばしい風味と甘さが広がってめっちゃ幸せな気持ちになる。

 なにこれ、すげー美味いんですけど……。

 ポリポリとクッキーを食べていると、司令官がじっとあたしを見ていることに気づいて何だか恥ずかしくなってきた。

 誤魔化す様にクッキーを口の中に放り込んだけど、一口で食べるなんて勿体ない……ってすぐに後悔する。そんなあたしのコロコロ変わる顔色を司令官に見られ、あまつさえちょっと笑われてしまった。

 

 ガーン……。

 

「司令官、そんなに見られると……なんかこう、痒くなる」

 

 苦し紛れに出したのがそんな言葉とは、我ながら馬鹿すぎる……。

 でも司令官はそんなあたしを馬鹿にしたりすることなく、それよりもあたしがもっと驚くことを言ってきた。

 

「望月、廊下に居た時もそうだが、何か悩んでいることがあるのか?」

 

「……え?」

 

 あれ、うっそ……バレてる?

 いやいやいや、でもきっと何となくそう思ってるだけでしょー誤魔化せるって……。

 

「な、何いってんのさ司令官、あたしみたいなのに悩みなんてあるわけ……ない……じゃん」

 

 誤魔化そうとして口にする言葉は、司令官の目を見ながらではとても効果のあるものにはなりそうになかった……ぁーもう。

 手の中にあるクッキーの入った包みに視線を落とした。

 

 クッキーは甘くて美味しかった。

 その味を思い出しながら、もうここまで理解(わから)れてしまっているのなら、変に抱え込まずに言っちゃったほうが楽なんじゃね……? と自分を納得させ始める。

 

「他の、他の皆が……さ。どうなのかは分からないけど……あたしは艦艇だった頃のこと、結構ハッキリとおぼえてる部分が、あってさ……」

 

「……」

 

 手の中にあるクッキーの包みを弄りながら喋る。

 もうさ、何かで気を紛らわせながらじゃないと、あの頃の話を口に出して喋るのはあたしが思っていた以上にきつかったんだぁ……。

 でも言葉を切ったところで視線を上げると、司令官は作業の手を止めて姿勢を正した状態であたしの詰まり詰まりな話に向き合ってくれていた。

 

「難しいことはよく分かんなかったけどさ……とにかく南の海にある島に(おか)の兵士さんや物資を運ばないといけないってことで、あたしは……()()()()は何度も行ったんだ……何度も、何度も何度も何度も……もうあの頃は制海権は敵方と競っていたから輸送中に会敵して戦うことだってあったしさぁ」

 

 輸送船を護衛するはずの駆逐艦が自衛しつつ、夜の闇に紛れての鼠輸送だぜ?

 低速の輸送船じゃ成功することすら難しいけど、あたしらは輸送が専門じゃないし……それでもやらなきゃいけないってことだけは、自分に乗艦してる水兵さんたちの雰囲気で分かってた。

 

「あの頃は制空権は取られてて、何度も敵機の爆撃にもあってさ……仲間の艦や姉妹たちが失われていくのをあたしは見てた。今部屋でお腹出して寝ちゃってる睦月もそうだよ……爆撃されて沈没しかけてる輸送船の人たちを助けようとして爆撃されて沈んだんだ……」

 

 手の中でクッキーの包みがクシャりと潰れて、包みの中でいくつかのクッキーが砕ける感触が手に伝わる。

 艦艇の最期なんてろくなもんじゃない……艦首から、船尾から、まるで引きずり込まれるように燃えながら海へと沈むか、弾薬や魚雷に誘爆してへし折れて弾け飛ぶか……ろくなもんじゃないんだ。

 

「潜水艦はいつだって怖かったし……でも、あたし達はそれでも、何度も何度も本土と南の海を往復し続けた。壊れても佐世保で修理してさ、またすぐに復帰して輸送作戦に参加し続けたんだ」

 

 そこまで話すと、もうあたしは止まれなくなっていた。

 理性が感情に押さえつけられて、あの頃言えなかった想いが噴き出す。

 

「如月、睦月、菊月、弥生、長月、三日月……あたしが沈む前にこれだけの姉ちゃんが沈んだ。悲しかったけど、あの頃のあたし達の感情って全然ぼんやりしててさ。悲しいと思うことは出来たけど、本当にそれだけだった」

 

 でもそれで良かったんだと思う。

 胸の前で浴衣の合わせ目を右手で掴んで握る。

 もしあの頃も今と同じくらいに感情を持つことが出来ていたら、きっとあたしは狂っていたと思う。

 

 ――人間て凄いんだなぁ。

 

 あの戦争で多くの水兵さんたちが死んだ。

 その戦友や家族たちは皆がこんな感情を持っていながら、残りの人生(じかん)を生きていけたんだ。あたしには信じられないくらいの心の強さだと思う。

 

「あたしは爆撃を受けて沈むとき、怖かった。でも……怖い以上にあたしはやっと終わるんだって思えることの方が大きかったんだ。もう艦艇(なかま)が沈むところも見ないでいいし、もう水兵(だれ)が死ぬところも見ないでいいし……あぁ、もう頑張らないでいいんだ――って」

 

 鼻がツーンてして目尻に涙が浮かんでくる。

 あー司令官に言っちゃったよ……もう頑張りたくないって言っちゃった。

 軽蔑されたかな……嫌われ――。

 

「……え?」

 

 こめかみと耳に違和感を感じると、いきなり滲んだ視界が妙に透明度を増して焦点が合う。

 顔を上げると、机から身を乗り出していた司令官が身体を引くところだった。

 

「え、え? なにこれ? えぇ?」

 

 違和感の正体を確かめる様に顔に手をやると、そこには硬い感触と思い当たる節のある形状をした矯正器具。

 

「これって眼鏡……?」

 

「望月は眼鏡が必要な艦娘だったことを忘れていた。すまない」

 

 司令官は話を聞く前とまったく変わらない態度で、あたしに眼鏡のケースを手渡してくる。その状況についていけず、渡されるがまま眼鏡ケースを受け取っていた。

 

「望月」

 

「は、はいっ」

 

 思わず背筋伸ばして返事をすると、提督は少し微笑んでくれた。

 

「あの時代、あの局面における輸送作戦の重要性と、その困難さ。それを現代軍人の私が他ならぬ当事者(望月)に説くなど、愚かしさを通り越して滑稽だと私は思う。だから説教じみた話などするつもりもないし、出来もしない」

 

 司令官の言葉はあたしにとっては意外過ぎるもので、正直凄く困る。

 だってあたしは説教してもらう気満々だったんだから。

 

「だから言えることは一つだけだ」

 

 そう言って司令官はあたしの頭にポンと手を乗せると――。

 

「よく頑張ったな、望月」

 

 その言葉を聞いた瞬間、自然と涙が零れて頬を伝った。

 

「ゔ……うぅ~……うぅぅぅ」

 

 我慢できずに泣き出したあたしの頭を、提督は泣き止むまで撫でてくれた。

 

                   ⚓⚓⚓

 

 貰ったばかりの眼鏡を一緒にもらったケースに入っていた柔らかい布で拭きながら、あたしは提督の顔を下から見上げていた。

 恥ずかしいことに散々泣いたあたしは、泣き止んだあと調子に乗り始めていた。

 再び生まれたその日に前世――? から抱え込んでたモノを吐き出させてくれた上に、そんなあたしを受け止めてくれた司令官を、あたしは大好きになっていた。

 

 だって普通に嬉しかったし……。

 

 きっと司令官はあたしがあたしのまま振舞っても許してくれる。

 だからあたしはあたしのままでいいんだ……でも、明日の――いや、今からのあたしはさっきまでのあたしとはちょっと違う。

 

 うん、前も頑張れたんだから、きっと今も頑張れる……はずだし。

 

 ダルいこと、面像臭いこと、痛いこと、辛いこと、全部大っ嫌いだ。

 でも、あたしは頑張れる。

 頑張る頑張るで誤魔化せなくなったら、またこうやって膝枕してもらえればいい。

 またクッキー焼いてもらって、それ食べながら司令官に頭撫でてもらえれば、あたしはきっとまた頑張れる。

 我ながらなんて単純。

 でもそれくらい単純なほうが楽だってこと、今日教えてもらったんだ。

 

「さて、望月。私の仕事も終わったし、そろそろ部屋に戻りなさい」

 

「えぇー夜はこれからだぜぇ司令官」

 

「一理あるが、明日も朝は早いからな。寝坊すると叢雲に怒られるぞ」

 

「あー……それは嫌だなぁ」

 

 立ち上がった司令官の後を追いかけて潰れたクッキーの袋を抱えて廊下に出ようとしたところで、また頭に手がポンと乗せられる。何事かとそのまま見上げると、そこには新しいクッキーの袋を持った司令官が笑っていた。

 

「寝る前にもう一回歯磨きをするように」

 

「はいはい、わかってますよぉ~」

 

 嬉しくてついつい適当な返事をしながら、潰れた袋の隣に綺麗な袋を並べて抱える。そしてそのまま廊下に出ると、廊下の隅っこで何かが動いたのが見えて自然と視線がそれを追った。

 それは小さな生き物で、海岸とかで見たことがありすぎる姿形をしてる。

 赤い甲羅に二つの鋏を持った横歩きする生き物。 

 

 ――え? 蟹? なんでこんなところに?

 

 廊下の隅を疾走して角へと消えていったのは、間違いなく小さな蟹だった。

 妙なこともあるもんだと思ったけど、こんな夜なら廊下に蟹がいるくらい不思議でもなんでもないかなぁ。

 とか変な納得の仕方をしていると、頭を二回ほどポンポンと叩かれた。

 

「さぁ、部屋まで送ろう」

 

「おぉー助かるぅ」

 

 そういえばここに来るまで戻る部屋も分からなくなってたんだった。

 

「だが、その前に洗面所だな」

 

「なんか面倒になってきたなぁ、司令官が磨いてくれよぉー」

 

「任せておけ、こう見えて歯磨き検定一級だ」

 

「マジで!?」

 

「嘘だ」

 

「おい!」

 

 そんな風にくだらない冗談も言ってくれる司令官の後をあたしはついて行く。

 眼鏡越しに見る風景は、司令官の部屋に来る前よりもずっと鮮明に世界をあたしに見せてくれる。

 でもそれが眼鏡だけのおかげじゃないことを、あたしは知っていた。

 

 




艦娘も色々。
前大戦に対して抱えているモノも色々。
そういうのを書いていければと思っています。

めでたく初感想を頂きました。
お気に入り登録も含め、とても励みになっております。
ありがとうございます。


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綾波型駆逐艦七番艦朧―着任―

どうもお久しぶりです。

ヨーロッパ旅行に行っていたもので、楽しかったなぁ。(遠い目

冗談はさておき、更新が遅いなんてもんじゃないです。
でも書けるときに書いて、投稿は続ける所存です。

しかし今回は難産でした。
前書きにダラダラ書いてもお目汚しなので、詳しくはあとがきに。


 

 鳥の囀りが耳に心地よく聞こえる。

 うっすらと目を開けると妙に天井が近くに見えて、ちょっとだけ驚いて目を大きく開けた。

 

 あ、そういえば……。

 叢雲お姉さんに二段ベッドの上を使っていいって言われて、そこで寝てたんだ。

 上半身を起こして伸びをすると、緩んでいた身体に芯が通るような感覚がして心地よかった。

 起きた余韻に浸ってちょっとボーっとしてると、少し湿気を含んだ朝の風が頬を撫でて部屋の中を吹き抜けていくのを感じる。

 あんまり爽やかなじゃないけど、頬を撫でてくれた風の感触を確かめたくて右の頬を触ると、指に自分の肌以外の感触がして咄嗟に指を放す。

 

「あ……」

 

 一瞬の違和感の後、昨日のことを思い出した。

 

                            ⚓⚓⚓

 

 昨日の午後、初めての昼食を食べさせてもらった後、泊地の設備を補修する作業を行うという提督に叢雲お姉さんが慣れた様子で手伝いを申し出た。

 私たちより一日早く着任したばかりなのに、積極的かつ自然に提督のお手伝いが出来ている。叢雲お姉さんは現海軍総隊というところで建造されていて、進水ならぬ『踏地(とうち)』したばかりの朧たちよりも半年以上既にこの世界での経験を積んでいる。

 『踏地』というのは艦娘の為に作られた言葉で、建造ドックを出たばかりの艦娘がまだ一度も艤装を纏わずいる時期、状態のことを指す言葉。

 

 半年の経験の差は確かに大きいけど、叢雲お姉さんの堂々とした立ち振る舞いには、確かな努力と既に上げている戦果という結果を伴った自信だと分かる。

 

 凄い――と思う。

 

 でも凄いって思うだけだと、自分は高められない。

 だから朧ももっと努力しなくちゃいけない……。

 

 あ、話が違う方向にいってるから戻さないと……えっと、叢雲お姉さんの後に続いて睦月ちゃんもお手伝いしたいと名乗りを上げて、朧も負けじと手を上げました。

 作業は土木作業なのですが、(おか)で動くことで自分たちの今の体に慣れることと、人の身体がどういうモノか知ることは大事なことだと提督は言っていました。

 確かに朧たちは元々は艦艇だったので、突然人の姿になって戸惑うことは……不思議とないけど、でも色々と驚くことはある。

 

 作業が始まり、提督が電気式の工具で地面を砕いて掘り、朧と叢雲お姉さんで掘れた破片をスコップですくって台車に載せる。後は睦月ちゃんと望月ちゃんが台車を押して、指定の場所に捨てに行く。

 これが一連の作業の流れ。

 

 肝心なことが起こったのは、休憩時間の時だった。

 朧が困ってる風に見えたのかな? 睦月ちゃんが気にかけてくれて何かと話掛けてくれているのを感じて、朧も嬉しくて色々話してた。

 睦月型は艦艇時代の艦歴だと先輩なんだけど、こっちだと睦月ちゃんも望月ちゃんも可愛くて咄嗟に『さん』じゃなくて『ちゃん』て呼んじゃった。でも二人とも笑って『それでいいよ』って言ってくれた。

 ――実はとても嬉しい。

 

「朧」

 

 そうやって睦月型の二人とお話をしていると、突然提督に呼ばれました。

 うーん……提督のことになると、どうしても敬語が混じります。でも上官と部下の関係なんだから、礼儀は大事……うん。

 

「なんでしょうか、提督」

 

 駆け足で近づいて尋ねると、提督は自分の右頬を指さした。

 

「右頬に傷があるが、大丈夫か?」

 

「あ……これですか」

 

 提督に言われてアタシは右頬にある傷を指でなぞる。

 この姿でこの世に生まれた時からある傷で、最初から自分の身体にあるモノならきっと自分に必要なモノなのかなって納得していた。

 

「大丈夫です。最初からあった傷なので、きっと朧に必要な傷なんだと思います……たぶん」

 

 自分でも分からないことなので、ちょっと自信なく言っちゃったかな……? でも、正直な考えだから大丈夫。

 

「そうか。それならいいんだが、少し勿体ないと思ってな」

 

「……え? 勿体ない、ですか?」

 

 提督の言葉の意図が分からずに思わず聞き返してしまったのだが、提督は嫌な顔一つせずに鷹揚に頷く。

 

「軍籍の艦艇のままだったら話の種にもなりそうなものだが、朧のような可愛い()には少々勿体なく思えてしまってな」

 

「……」

 

 最初は提督が何を言ってるのか分からなくて、朧は馬鹿みたいにぼーっと提督の顔を見つめていたと思います。

 で、ようやく提督の言った言葉の意味を理解することが出来て――。

 

「……っ」

 

 自分でも何故そうしたのかは分からないけど、アタシは提督から半歩分ほど後ずさって右手で右頬にある傷を隠す様に覆っていた。

 

 そんなアタシの奇行を目にした提督は少しだけ驚いたように目を見開いたけど、すぐに何かを察したかのように被っていた簡素な黒い帽子のつばを少しだけ下げる仕草をする。

 それを見て何となく提督が笑うのを誤魔化そうとしているように見えてしまい、朧は自分でもよく分からないのだけど、顔を隠すように汗拭き用にもらっていたタオルで顔の汗を拭いていた。

 すると、不意に提督の手が伸びてきて朧の右頬に触れた。

 

「っ……?」

 

 突然のことで咄嗟に身体が強張ってしまったけど、提督は何かを朧の頬に張り付けたようで右の頬にちょっとだけ違和感があった。

 右手を伸ばして触れると、そこには布に近い感触と薄いテープの質感。

 

「驚かせてすまない。張ったのは絆創膏だ、傷を隠すには違和感ないだろう」

 

「ありがとうございます……」

 

「いや、無断で頬に触れてすまなかったな」

 

 頭を下げて謝ろうとする提督を見て、アタシは慌ててそれを止めた。

 

「だ、大丈夫ですからっ」

 

 逆に頭を下げてしまったアタシの頭に提督はポンと手を置いて、『そうか』と笑って撫でてくれた。

 

                            ⚓⚓⚓

 

 あの時のことを思い出しながら無意識に頬にある絆創膏を指でなぞる。

 

 うん、朧はもっと頑張らないといけない。

 

 そう思ってベッドの下を見ると、既にそこに叢雲お姉さんの姿はなくて、綺麗に畳まれた布団と着ていた浴衣が置かれていた。

 

 あれ?

 

 慌てて窓の上にある時計に首を巡らせると、丸くて結構大きい時計はもう少しで五時になろうかという時間。総員起こしは〇六〇〇(マルロクマルマル)と聞いていたので、朧たちが寝坊したというわけでもない。

 対岸のベッドへと目を向けると、そこには望月ちゃんと睦月ちゃんがそれぞれのベッドの上でスヤスヤと眠っていた。

 望月ちゃんの姿を見た時、昨日の夜見てしまったことを思い出して一瞬身体が硬直するのを感じた。でも『むにゃむにゃ……司令官、クッキー全部くれぇ』と寝言を言っている姿を見ると、身体から力が抜けて朧の顔も自然と笑顔になるのが分かる。

 でも、だとすると叢雲お姉さんはいったい何処へ……。

 ベッドの上でアタシが考え事をしていると、不意に外から話し声が聞こえて慌てて音を立てないようにベッドから降りて窓へと駆け寄る。

 網戸越しに見える外界は少しだけ朝靄(あさもや)が出ていて、夏の早起きな太陽が朝陽を照らしている。そんな爽やかな朝の空間に二人の人影がいた。

 勿論、この島にいるのは朧たちだけなので、そこに居るのはここに居ない提督と叢雲お姉さんだ。

 

 提督は身体に密着している薄手のシャツと、ポケットの沢山ついた丈夫そうなズボンを着ていて、叢雲お姉さんは昨日道路の補修作業の時に朧たちも着ていた体操着にブルマの恰好。

 朝駆け――きっとこれも叢雲お姉さんの強さの基礎になっているモノに違いない。

 二人は何か話をすると、提督は準備運動を始めて叢雲お姉さんはこちらを――つまりアタシたちがいる部屋の方へと目を向けてきた。

 当然窓に張り付いていた朧と目が合いました。

 叢雲お姉さんは少し驚いたように目を開きましたけど、すぐに口元に笑みを浮かべて問いかけるように首を傾げる。

 

『――どうする?』

 

「朧もいきます!」

 

 思わず声を出してしまって『しまった』と口元に手を当てたけど、ゆっくり振り返ってみたものの睦月型の二人が起きてしまった様子はなかった。

 ほっとしながら窓越しに叢雲お姉さんに身振り手振りで『準備してすぐいきます!』と伝えると、叢雲お姉さんは手をヒラヒラを振って答えてくれると、提督に伝えてくれているようでした。

 

 ――アタシは綾波型駆逐艦7番艦、朧……誰にも負けない、ようになる……予定。

 

                            ⚓⚓⚓

 

 泊地のある島を一周する朝駆けマラソン。

 提督と叢雲お姉さんの後に続いて何とか走り終えることができた。

 最初は島の外周コースから海を見たり、途中にある大きなお屋敷に驚いたりする余裕があったんだけど、生物としての『疲れ』を真の意味で知らなかった元艦艇のアタシは、このマラソンで昨日感じなかった疲れをハッキリと自覚した。

 半周した辺りで少し息が切れ始めて手足が重くなり、残り四分の一の目印となる島の西側にある船着き場を過ぎた辺りで、提督と叢雲お姉さんが一気にペースを上げる。

 事前にここでペースを上げることは叢雲お姉さんに告げられていて、朧もそれを承諾した。自分が疲れているのは自覚していたけど、それでもついて行ける――行きたいという思いがあった。

 でも現実は結構残酷で、提督と叢雲お姉さんは表情を変えることなくペースを上げていき、アタシは必死に走ったけど段々と二人の背が遠くなり始める。

 手足は自分の身体とは思えないほど重くなり、口が自然と開いてしまい酸素を求めて呼吸が喘ぐ、喉の奥で鉄の味滲んできた。

 

 でも、それでもアタシは足を止めることを拒否した。

 

 機械としての消耗なら分かるけど、こんな風な疲れをアタシは知らなかった。

 足がもつれるし、辛くて苦しくて吐き気すらしてくる――でも、自分で自分の限界を感じられて、その上でそれを自分の意思で乗り越えようとすることができる。

 

 すごい、凄いっスゴイ!

 

 遂には霞み始めた視界の中で、アタシはそれでも前へと進んだ。

 

 

「無理するんじゃないわよって言ったのに、馬鹿ねぇ」

 

 想像を絶する疲れで朧が肩で息をしていると、叢雲お姉さんが呆れ顔で近づいてきた。膝に両手をついて肩を上下させながら顔を上げると、少しだけ呼吸を乱してはいるけど涼しい顔で汗で顔に張り付いた前髪を払う叢雲お姉さんが立っていた。

 凄い……朧よりもずっと速く走っていたくらいなのに、全然疲れていない。

 

「ま、今日踏地(とうち)したばかりでこれだけ走れるのは大したものだわ。噂通り建造艦よりも復原艦の方が、基礎部分では有利な部分があるのかもしれないわね」

 

 建造艦と復原艦の違いについては少しだけ説明を受けている。海から直接戻ってきた分、朧のような復原艦は建造艦よりも初期状態のみで言えば様々な部分で優れていることが多いらしい。でもその差は同じように鍛錬していれば自然と埋められる程度の違いという話で、建造艦よりも先んじて戦力になれる――かもしれない程度のモノだと提督は言われていた。

 

 そういう差について考えていたせいか、アタシの顔を見た叢雲お姉さんは少しだけ可笑しそうに笑うと朧の肩に手を置いた。

 

「さすがは特Ⅱ型って言いたいところだけど、今のは朧自身の力ね。()()の姉として鼻が高いわ」

 

 そう言って肩を手でポンポンと叩いてくれる。

 凄いと思えた人から認めてもらえた嬉しさに頬が少し緩みそうになるのに耐えながら頷き、叢雲お姉さんに見えない位置で拳を握って引いた。

 

「あれ、そういえば提督は……?」

 

「あぁ、司令官は朝食の準備があるからって先にシャワーに行ったわ」

 

「え……」

 

 遅れて走っていたアタシの先を行く叢雲お姉さん――の更に前を走っていたはずの提督。だけど提督は休む間もなく朝ごはんの準備をしに行ってる……提督凄い。

 

「ほら、アイツが朝食作る前に私たちもシャワー行くわよ」

 

 叢雲お姉さんに手を引かれて、朧は本棟へと戻りました。

 

 

                          ⚓⚓⚓⚓⚓

 

 

「これが朧の艤装……」

 

 疲れた体に染み渡るような感覚を感じながら美味しい朝食を食べた後、叢雲お姉さんを除いた朧たち三人は提督と工廠に来ていた。

 そして目の前に置かれているのがアタシたち艦娘の半身ともいうべき『艤装』。

 

 茶色い帯を両肩に回した背負い型で、基部となる煙突艤装は底が浅く腰でまとまるくらいの大きさかな? その基部からは三本の筒が伸びていて、中央にある円柱型のモノが排気口――いわゆる煙突。で、それを挟むように二つの角柱型の筒が伸びていて、こっちは吸気口にあたる。

 

 アタシの隣では睦月ちゃんが、その更に隣で望月ちゃんが自分の艤装と初めての対面して、二人とも緊張はしているけどでもとても嬉しそうに艤装に触れていた。

 そんな二人の様子をじっと見ていたアタシだけど、少しだけ躊躇してから自分の艤装に触れると背筋に電流が通るような衝撃が駆け抜けた。

 触れた指先から腕から全身へと広がり、やがて背骨を伝って背筋から駆け上がってきたそれが頭へと到達した時、アタシの意識はまるで荒れ狂う海の波間に投げ入れられたような錯覚に陥った。

 大波渦巻く水底へと続くとても静かな海の中で、アタシは膝を抱えて浮かんでいた。そしてアタシの反対側で朧の艤装が同じように浮かんで漂っていた。

 まるで一つだった時のことを思い出せと――何かがそう急かすかのようにアタシたちは向き合っていた。

 

 艦艇時代の自分の姿を思い出そうとすると、急に思考に靄がかかったような感覚に陥る。

 覚えいるはずの――忘れるはずのない記憶が何故かあやふやで、必死に砕けたパズルの欠片を集める様に眉間に皺を寄せるけど、思考は全然まとまらずに心が焦り始める。

 それでも必死に記憶を辿ると段々と知覚が曖昧になり始め、遂には周囲の音さえ聞こえなくなる。

やがて音が完全に消え去り、耳鳴りがし始めた。

 痛いほどの耳鳴りに思わず耳を両手で抑えて目を閉じると、耳鳴りが止み意識が遠のいて自分が立っているのか、座っているのかすら分からなくなる。

 

 そして何も聞こえない、何も見えない。

 

 ここはまるで――あの、光すら朧気にしか届かない、酷く冷たい水底のようで……。

 思い出すのは最期の光景……でも違う、今思い出したいのはそうじゃない。

 グッと感覚を研ぎ澄ませると、音のない世界に突如として砲撃の爆音が鳴り響く。

 驚いて目を開くとそこには、冷たい北の空の下で五月蠅く飛び回る爆撃機を撃ち落とそうと奮闘する、一隻の駆逐艦の姿が見えた。

 駆逐艦らしい細く小さな船体に艦橋、二本の煙突、砲塔、機銃、魚雷発射管など必要な装備を所狭しと積み込み、敵航空戦力という厄介極まりない敵を相手取って奮戦していた。

 その姿を少しでも目に焼き付けようと目を凝らすと、爆撃機の爆弾が輸送中の荷にあった弾薬に引火して、船体が僅かに浮くほどの衝撃で誘爆した。

 

 そして――。

 

「――朧……朧っ」

 

 遠くで誰かが呼んでいる。

 誰? 朧は今とても大事な、大事な、大事な、大事な――。

 

「……朧、戻って来い。船は浮いているものだ、沈んではいけない」

 

 耳元で囁くようなその言葉の意味を理解する前に、まるで吸い上げられるように意識が上昇して今見ていた映像と音が逆回しで再生される。急激に頭の中に入ってくる情報が重くて、酷い頭痛に頭を抱えたところで肩を揺らされる感覚に意識が浮上する。

 

「朧ちゃんっ!」

 

「お、おいってば!」

 

 目を開けると視界には睦月ちゃんと望月ちゃんの心配そうな顔があって、少し視界をズラすと静かに朧を見つめる提督の顔があった。

 

「提督……睦月ちゃん、望月ちゃん。アタシは……」

 

「艤装を見てたら急に独り言を言い始めて、声を掛けても返事してくれなくて……うぅぅ」

 

「身体揺さぶっても全然反応なくてさ……大丈夫かぁ?」

 

 アタシを心配して泣いてくれている睦月ちゃんの手を握って『心配させて、ごめんね』と謝っていると、提督が朧の頭にポンと手を置いて背中を撫でてくれました。

 そこで気が付いたのですが、今朧は地面にお尻と足の裏だけをつけて提督に背中を支えてもらっている状態で、提督の顔が凄く近くにあります。

 

 今までで一番近くで見た提督の顔は、朧だと上手く言えないけど格好良いお顔でした。頭髪も短くサッパリとしているけど、ちゃんと整髪料で整えている。制帽は被る習慣が今まであまりなかったから、儀礼・式典や来客時とか出向時以外では被らないと言われていた。

 朧の記憶だと軍関係者の人は坊主の人がほとんどだったんだけど、今はそうでもないみたい。提督も(おか)で勤務されていた時は、実は坊主にしていたこともあったらしい。

 

 じっとアタシを見つめる提督の顔を今までになく近い場所で見つめ返していると、ふとその目の中に何かが()()()ように気がして息を呑む。

 でもそれは瞬き一つすれば消えてなくなるようなモノで、きっとアタシの気のせいだと思う。今はもう静かな入り江のような穏やかな瞳と眼差しを朧に向けてくれている。背中と頭に触れている温もりも温かで、不安を取り去ってくれる。

 

「提督、もう大丈――」

 

 アタシの言葉が言い終わる前に泊地に警報が鳴り響き、工廠に付いている赤色灯がクルクルと回転し、目に見えて非常事態をアタシたちに告げてくる。

 

「提督……?」

 

「司令官、これってさぁ……」

 

 睦月ちゃんと望月ちゃんが不安そうに提督のズボンを握って提督を見上げて、アタシも提督に支えられながら立ち上がる。

 そこへ通信妖精が三人、ヒラヒラと風に漂う凄く長い紙片を掲げて駆け寄ってくる。長い紙は多分電文の書かれた紙だと思う。

 提督が敬礼もそこそこに通信妖精からその紙片を受け取ると、すぐにその長い電報に目を走らせた。そして一番傍で提督を見ていた朧には、提督の顔が一瞬険しいものになったのが分かった。

 

「提督、もしかして叢雲お姉さんに何か……?」

 

 直感七割と予想三割くらいで尋ねたけど、ワタシに視線を向けた提督の表情は能面のように喜怒哀楽のないモノで、怖いくらいの冷静さだけが感じられた。

 

「通信妖精、電文を二通頼む。一通は叢雲に念の為に音声化電文で送ってくれ」

 

 提督はそう言いながらズボンのポケットからメモ帳を取り出すと、そこに何事かを書きながら言葉を続ける。

 

「内容は『紀伊水道に深海棲艦の影あり。淡路防衛島付近にて待機せよ』以上だ。あとこれも念のために送ってくれ、迅速に頼む」

 

 提督の言葉を手に持った妖精サイズのバインダーに書き込んでいた通信妖精さんは、提督が千切ったメモ用紙を受け取ると、敬礼をしたあとすぐさま駆け出していった。

 

 叢雲お姉さんは今朝、朝食後に修理の終わった自身の艤装の試運転に出掛けていた。出掛ける前の提督と叢雲お姉さんとの会話を思い出すと、確か『活動範囲は播磨灘に限り淡路防衛島を越えないようにする』と話していたはず……。

 叢雲お姉さんのことを心配して睦月ちゃんと望月ちゃんも真剣な顔をして提督の言葉を待っている。そんなアタシたちの気持ちを汲んで、提督はもう一度電報の最初から目を走らせながら、その内容を整理して教えてくれた。

 

〇九三五(マルキューサンゴー)豊後水道を哨戒中の佐伯湾泊地所属の艦娘が深海棲艦と遭遇。敵規模は軽巡1、駆逐艦3の小規模な水雷戦隊。〇九五五(マルキューゴーゴー)敵部隊を撃破殲滅に成功」

 

 味方の艦娘たちの活躍にアタシも含めて睦月型の二人も少しだけ嬉しそうに頬を緩めそうになるけど、提督の話は当然まだ終わっていない。

 

「同〇九四〇(マルキューヨンマル)室戸岬沖を哨戒中の宿毛湾泊地所属の艦娘が深海棲艦と思しき敵影を発見。これを全力で追撃し、蒲生田岬沖で敵部隊を捕捉、戦闘を開始。敵規模は駆逐艦二隻、一〇〇五(ヒトマルマルゴー)敵部隊を撃破殲滅に成功」

 

 二つ目の戦闘もこちらが無事に勝っている事実に、アタシたちが胸を撫で下ろす。提督の読み上げた電報そのものもそこで終わってるようなのだけど、提督の表情は先ほどと変わらず厳しいもののままだった。

 他の泊地の活躍とはいえ、二つの勝利報告にもかかわらず緊張感をまるで解かない提督の様子に睦月ちゃんがたまらず尋ねた。

 

「提督、勝った報告なのにどうして怖い顔してるんですか……?」

 

 提督は睦月ちゃんに視線を向けた後、その頭にポンと手を置くと何度かそのままポンポンと優しくバウンドさせた。その度に『にゃ』、『にょ』とか声を上げる睦月ちゃんが可愛くて少し笑いそうになってしまったけど、提督は睦月ちゃんの頭から手を放すとズボンに沢山付いているポケットの一つから折りたたまれた地図を取り出して、ワタシたちの前にそれを広げた。

 

「他の鎮守府や泊地は南方で予定されている例の作戦に向けて、主力のほとんどが出払っている。

本来であれば室戸岬以東は我々児島泊地が警戒に当たらなくてはいけないのだが、発足直後であることを考慮されて、今は宿毛湾と佐伯湾の両泊地に警戒を受け持ってもらっている」

 

 そこで一度言葉を切った提督は、地図上で宿毛湾泊地所属の艦娘が敵に追い付いて撃破したと思われる海域を指さした。

 

「我々がこれだけ大きな動きをしている以上、敵もそれを察知している可能性は極めて高い。そして今回のこの敵行動は、本土に対する牽制と偵察を目的としている……と、私には思える」

 

 提督の考えを聞いて考えすぎですよ、と言える者はここにはいなかった。何故なら、提督の考えを否定出来ない大きな出来事が実際あったから。

 

 ――四国の部分的占領。

 

 アタシたちは昨日、深海棲艦の出現と今に至る戦況を教えてもらったのだけど。それでもこの日本本土が占領されるなんていう事は、朧たちが戦っていた時代でも許していなかったはず。

 それが一時的にとはいえなされてしまったということは、きっと国民の皆さんは勿論のこと軍人さんにとっては悪夢のような出来事だったに違いない。

 

「敵の目的が牽制と偵察だけならばいいが、主目的がもし()()()()であるならば恐らく食い込んでくるはずだ」

 

「で、でも、もう敵は倒したんですよね?」

 

「そうだぞぉ、二つに分かれてた部隊をどっちでも倒したんだろぉ?」

 

 睦月型二人がそう言うと、提督は手に持ったままだった電文の紙に再び目を向ける。

 

「宿毛湾の艦娘たちが最初に敵部隊を発見し最接近した際、敵艦の航跡は2~5本あったように見えたと報告している。宿毛湾の艦娘たちは早朝から行動していた為、燃料切れで捜索を断念した。連絡を受けた宿毛湾泊地から交代の応援が出撃しているが、なにぶん四国の反対側からだ。敵の目的が紀伊水道侵入後の破壊活動ならば、恐らく間に合わないだろう」

 

 そこでようやくアタシたちは、提督が緊張を解かない理由が分かった。

 提督から受けた説明によると、本土沿岸の警備は艦娘以外にも海軍の巡視船を出して行ってはいるそうなのだけど、仮に深海棲艦と遭遇してしまった場合は足止めすることすら難しいと言っていた。

 

 深海棲艦に有効な攻撃を与えられるのは、艦娘のみ。

 だから巡視中に敵を見つけても艦娘がいなければ倒すことはできない。

 

「航跡の件が見間違いでなければ最悪の事態は起こりうる。既に(おか)の徳島・和歌山の駐屯地から海上捜索用の回転翼機(ヒューズ)がそれぞれ飛び立っているだろう。だが、両駐屯地は先の四国侵攻を受けた際に打撃を被った施設だ。復興整備は進んではいるが、十全とは言い難い状況にある。ともかく叢雲からの――」

 

 そこで再び泊地に警報が鳴り響き、赤色灯の回転光がアタシたちの顔を赤く染める。

 募る嫌な予感が焦燥感へと変わる中、新たな電文を携えた通信妖精が転げる様に工廠内へと入ってきた。

 電文を受け取った提督はすぐにそれへと目を走らせ――眉間に皺が寄り歯噛みした音がアタシたちにも聞こえた。

 

「提督……教えてください」

 

 居てもたってもいられずにアタシがそう言うと、提督は硬い表情のまま電文を読んでくれた。

 

「徳島駐屯地より電文。児島泊地所属と思われる艦娘一隻が紀伊水道、沼島付近にて深海棲艦と戦闘中。現在敵駆逐艦二隻の挟撃を受けて、主砲の一つを破損。数的不利もあって苦戦していると思われる。至急応援を乞う」

 

「む、叢雲ちゃんが……」

 

「お、おいおい、応援を乞うってもさぁ……」

 

 睦月型の二人が握る提督のズボンに深い皺が出来る。提督を見上げるその表情には、一種の悲壮感すら滲ませているようにアタシには見えた。

 

 ――仲間は絶対に見捨てたりしない。

 ――でも、自分たちはまだこの姿で戦う術を知らない。

 

 睦月ちゃんと望月ちゃんの言葉はそう言っていた。

 それにアタシたちはもう、痛みも疲れも知らない鋼鉄の身体じゃないんだ。

 自分を動かしてくれる優秀で、生きることに懸命な水兵さんたちはもういない。

 

「こんな発足直後の泊地に応援を求める――今の児島泊地の現状が(おか)である徳島駐屯地に伝わっていなかったんだろう」

 

「て、提督……海軍は今も(おか)の人たちと……」

 

「いいや、違うぞ睦月。昔のようなことはない。上同士での話し合いは終わっていたが、(おか)での私たちのような下部組織には正式な情報がまだ下りていなかったんだろう。なにせ、私たちは海軍の秘密泊地だからな」

 

「ひ、秘密泊地っ!」

 

「なんだよそれぇ……なんかかっけぇ」

 

 取りようによっては昔と何も変わらない上層部同士の不和と末端軽視に聞こえるけど。提督はそうじゃないと言いつつも、きっと信じられない思いを持ってしまうアタシたちの為に冗談を言ってくれた。

 ギリっと奥歯を噛みしめる。

 きっとこの後、提督はアタシたちを安心させて落ち着かせる。そしてアタシたちに叢雲お姉さんの無事を祈るように言って、自分は裏で叢雲お姉さんが助かるための行動を全部取ると思う……。

 

 それでいいの?

 全部提督に任せておけば……それでいいの?

 

 

 でも……脳裏に過るのは、艤装に触れた時に見た鋼鉄の記憶。

 でも……身体が裂けて浸水し、海中に引きずり込まれる終わりの記憶。

 

 でも、でも、でも、でもって何――!?

 

 『今のは朧自身の力ね。同じ特型の姉的として鼻が高いわ』

 

 そう言って嬉しそうに笑ってくれた人を、アタシは助けたい! 

 

「港の波止場で待っていなさい。大丈夫叢雲は――」

 

「提督っ! アタシが行きます!」

 

 突然大声を出したアタシに三人が目を見開いている。

 提督の目を見て少し怯んでしまいそうになる自分に喝を入れて、アタシは言葉を続けた。

 

「叢雲お姉さんを助けに行かせてくださいっ!」

 

「……朧。お前は今日踏地(とうち)をしたばかりで、まだ竣工どころか公試すら終えていないんだぞ? そんなお前を海に――それも戦場となっている海域(ばしょ)へ行かせられるわけがないだろう」

 

 提督は呆れているわけじゃないし、馬鹿にしてるわけでもない。

 提督の目をじっと見つめていた朧には分かる。その目はアタシの真意を確認しようとしている目。

 だから朧は今想っている気持ちを言うべきだと思った。

 

「無理も無茶も承知の上です。だけど、ここでただ待っているだけなんてアタシには出来ません。アタシは艦娘で、ここに艤装もある。なら――」

 

 夏の暑さで額に汗で前髪が張り付くけど、今はそんなことを気にする余裕なんて欠片もなかった。静かにアタシを見つめる提督の目には、普段のような優しさは無く厳しい光を放っている。

 声に力が入るようにお腹の下に力を込めて、グッと拳に力を込めて決意を持って提督を見る。

 

「アタシは綾波型駆逐艦7番艦の朧です! だけどっ! 特型駆逐艦17番艦の朧でもあります! 提督お願いです、アタシに叢雲お姉さんを助けに行かせてくださいっ! お願いしますっ!」

 

 全力で頭を下げたのが不味かった……下を向いたせいで我慢していた涙が溢れて床にこぼれてしまった。

 荒唐無稽な頼みをして、その上軍規に反する行いをした挙句に泣いてしまうなんて情けない。こんなんじゃ、アタシに乗艦してくれてた水兵さんたちに顔向けできない……。

 そんなことを考えていると、肩にポンと提督の手が置かれた。

 グッと目と足に力を込めて顔を上げると、そこには厳しさを少しだけ緩めてくれた表情の提督がアタシを見ていた。

 

「軍に所属する者としては私情に囚われ過ぎている、本来なら反省室行きだな。だが、姉妹や仲間を想う気持ちは尊重されるべきだと、私は思うよ……特に一度全てを失った艦娘(きみ)たちはな」

 

 その言葉に混じった僅かな違和感の正体に、この時のワタシは気づく余裕なんて少しもなかった。ただ提督が朧の思いや考えに共感してくれたことが嬉しかった。

 

「工廠妖精。すまないが朧の出撃準備を頼む。急ピッチでだ」

 

 工廠妖精さんたちはアタシが踏地(とうち)したばかりで、竣工どころか公試すら終わっていないことも当然知っている様子で、心配そうに提督とアタシを交互に見ている。

 提督が毅然とした態度で工廠妖精さんたちを見つめているのを見て、アタシも背筋を伸ばして顎を引いて出来るだけ力強く頷く。

 それを見た工廠妖精さんたちは眩しいものを見たような表情で微笑むと、ビシっと敬礼をして工廠の奥へと立ち去っていく。

 慌ただしい小さな後ろ姿を見送っていると、提督がアタシの肩をポンと叩いた。

 

「全ては時間との戦いだ、急ごう」

 

「――はいっ!」

 

                             ⚓⚓⚓

 

 機械の音や艤装を吊るしている鎖の音が鳴り響く中、アタシは出撃用ドックに立っていた。

 工廠妖精さんたちの懸命な頑張りのおかげで、あれから五分という短時間で艤装接続の準備が整って、今アタシの背後で天井クレーンに吊るされた艤装が位置調整を行っている。

 視界の隅では睦月ちゃんと望月ちゃんが固唾を呑んでこちらを見ている。

 そんな二人を安心させようと笑おうとしたんだけど、顔が強張って上手く笑うことができなかった。

 

 足元に工廠妖精さんが一人やって来ると、接続を開始していいかという旨を身振り手振りで教えてくれた。

 少しだけ間を置いて深呼吸してから、アタシは頷いた。

 艤装格納庫のシャッター前に立って背筋を伸ばすと、視線の先には地底湖のような洞窟状の出撃用水路が広がって、薄暗い水路に照明が一定の間隔で設置されていて、水路の最奥に出口が小さな光の円となって見えていた。

 

 背後で艤装を吊り下げている鎖の音が鳴っていたけど、それが止むと背中全体に硬く冷たい感触が広がり、腕が自然と動いて艤装から伸びる革製の帯に腕を通してしっかりと背負えるように帯の位置を調整する。帯が納得のいく位置に調整出来たところで、手で合図を送ると艤装を吊っていた鎖が弛んでいく。

 背中に接していた艤装部分が腰辺りを中心に肌に吸い付くように固定されて、同時に両肩に通していた背負いの革帯がギシリと音を立てて肌に食い込む。

 背負えないほどじゃないけど、とても重いモノを背負っている感覚がある。

 力にはちょっとだけ自信があるけど、さすがにこのままだと動けない。

 勿論海の上を航行することなんて出来るはずもない。

 だけどどうすべきかなんてことは、アタシは誰に教えて貰ったわけでも無く知っていた。

 それは何も難しいことなんてないことで、ただ本当の正しい自分の姿を想像するだけのこと。

 

「艤装との接続を確認……」

 

 目を瞑って過去の自分に思いを馳せる。

 

 第七駆逐隊として活躍した日々。

 栄えある第一航空艦隊第一航空戦隊に所属し、あの二隻(ふたり)の護衛をしたこと。

 そして第五航空戦隊が新編成されてそこへ転属し、後の一航戦となる二隻(ふたり)の直衛艦となって過ごしたこと。

 中部太平洋を中心に駆け回った日々と、終焉の地となる冷たいキスカ島への記憶。

 

 キスカ島。

 その単語を思い浮かべた途端、集中出来ていたはずの意識が乱れて眉間に皺が寄る。

 脳裏に過るのは、艤装に触れた時に思い出した最期の記憶。

 

「はぁ……はぁ……」

 

 動悸が激しくなり呼吸すら乱れ始める。

 どうにかして落ちつこうと目を瞑って、心臓の上辺りで服を掴んで皺が寄るほど握り込んだ。けれど、それでも暗闇のはずである瞼の下ではあの時の光景が視えてしまい、恐怖に足が竦む。

 

 こんなはずじゃなかった――。

 

 自分が――自分たち艦娘が一度目の死(トラウマ)を持っていることは最初から分かっていた。だけどアタシたちはそれを乗り越えていけることも、分かっていたはずだった。

 艤装との接続が乱れ艤装の重さが増して肩掛けの革帯が肩に食い込んでくる。

 半身の艤装すらもアタシの不覚悟を責めているように感じられて、引っ込ませたはずの涙が目尻に浮かんできた。

 滲み出た涙を後ろで見守ってくれている睦月型の二人に見られるのが恥ずかしくて、右腕で急いで顔を拭おうとしたとしたところで、右の頬に激痛が走って目を見開いた。

 

「っ!? イタタタタっ!」

 

 右頬の痛みに目を白黒させて右腕を顔から遠ざけると、激しい痛みは無くなったけどまだジンジンと痛む右頬にさっきとは別の意味で涙が浮かんでくる。

 いったい何が……と思って右腕を見ると、そこには意外すぎる原因がいた。

 

 蟹……だよね?

 

 磯周りに棲んでいそうな手の平に乗るくらいの蟹が、赤い甲羅に小さな鋏を掲げて飛び出た黒い目を小刻みに動かしてアタシを見ていた。

 その小さな赤い蟹は何故か怒っているようで、アタシの顔を見つめながら頻りにハサミをチョキチョキと開閉させて威嚇している。

 じっとその蟹を見つめていると、ふと昨日の夜――深夜の出来事を思い出した。

 

                            ⚓⚓⚓

 

 夜中偶然目が覚めたアタシは、隣の二段ベッドで寝ているはずの望月ちゃんが部屋に居ないのに気づいて、もしかして部屋に戻れずに迷っているのかもしれない。そう思って廊下に探しに出た。

 そして本棟内を探している内にいつの間にか提督室の前まで来ていて、ひょっとしてと思って扉に近づくと、中から話し声が聞こえてきた。

 立ち聞きなんて絶対良くないんだけど……聞こえてきた望月ちゃんの真に迫る声と聞いてしまったアタシの足は扉の前で止まってしまった。

 望月ちゃんの話は同じような輸送任務に従事していたアタシには痛いほど分かってしまった。そして望月ちゃんが弱音を吐いても、それをちゃんと受け止めてくれた提督に心の中で感謝した。

 共感と感動でアタシも少しだけ涙が出て、それを拭っていると二人が部屋を出ようとしている気配がして、ここでアタシが望月ちゃんの話を聞いていたのがバレてしまうと、せっかく出来た望月ちゃんの嬉しい気持ちを台無しにしてしまう気がして慌てて自分たちの寝ていた部屋がある方向へと廊下を駆けだす、なるべく足音を立てないように廊下の奥へと走っていく。廊下の角までもう少し――という所で後ろから扉が開く音が聞こえた。

 

 マズい。

 今部屋から出てこられてこっちを見られれば、間違いなくアタシの姿を見られてしまう。でも廊下の角は、まだ遠かった。

 

 ――ごめん、望月ちゃん。

 

 心の中でそう謝りながら足を動きを緩めようとした時、アタシの横を凄い速さで何かが横切った。

 

 ――え?

 

 走っていた惰性で進みながら首だけで後ろを振り返ると、廊下を提督と望月ちゃんの居る部屋の

方向に一匹の小さな蟹が物凄い速さで横走していた。

 その蟹はあっという前に開いた扉の前まで行き、そのまま扉の前を通過する。その直後、扉の中からクッキーの入った袋を頭上に掲げながら望月ちゃんが先に出てきて、どうやら目の前を横切った蟹を見てしまったようで、蟹が進む廊下の方を立ち止まって見ている。

 そうつまりアタシとは逆側の方向を見てくれている。

 

「……ぁ」

 

 その事実に気づいたアタシは、緩め掛けていた足の再び動かしてカーペット敷きの廊下をなるべく音を立てないように走り切り、廊下の角へと滑り込んだ。

 早鐘のように脈打つ心臓を胸の上から押さえて呼吸を少し整えると、廊下の角から提督たちのいる方を覗き見る。

 

『なんか面倒になってきたなぁ、司令官が磨いてくれよぉー』

 

『任せておけ、こう見えて歯磨き検定一級だ』

 

『マジで!?』

 

『嘘だ』

 

『おい!』

 

 何事も無かったかのようなその会話を聞いて、自分の姿を見られなかったことを確信してほっと胸を撫で下ろしながら、アタシは二人がこっちへ来る前に自分たちの部屋へと戻った。

 

 あの正体不明の蟹に感謝しながら――。

 

                            ⚓⚓⚓

 

「もしかして、昨日の蟹さん……?」

 

 驚きすぎて恐々尋ねると、蟹は怒りを鎮めてくれたようでアタシの方に向けていたハサミを引っ込めてアタシの腕をトコトコと歩き始めると、そのまま腕を登って肩を横切ると艤装のある背中へと消えて行ってしまった。

 

「え? あっ! ちょっと!」

 

 驚いて振り返ろうとするけど、艤装との接続を確立出来ていない状態だと背負っている艤装が重すぎて身体を動かすことが出来なくて、首をギリギリまで後ろへ巡らそうとしても全然見えなくて、変わりにビックリしたような顔でアタシを見ている睦月ちゃんと望月ちゃんと目が合ってしまった。

 端から見れば一人で騒いでいるだけのアタシを客観視してしまい、顔の温度が一気に上がってしまうのを感じる。

 視線を正面に戻して気持ちを落ち着けていると――。

 

『朧』

 

「は、はいっ! って、え? あれ? 提督……?」

 

 突然耳元くらい近い場所で提督に呼ばれた気がして飛び上がりそうなほど驚いてしまう。でも周りを見えても提督の姿はない。

 

『朧、落ち着いて聞いて欲しい。今私は君に座乗している』

 

「提督がアタシに……?」

 

 落ち着いて聞けば提督の声は耳元ではなく、不思議なことにアタシ自身から直接響くように聞こえてきていることに気づく。耳という感覚器官以外を使った音の交信。

 これは多分船の伝声管が一番似ている気がする。

 うん、だってアタシは艦娘(フネ)だし。

 

『提督は艦隊の旗艦である艦娘に座乗し、指揮を執ることが可能なんだ。各鎮守府や泊地に備え付けの大掛かりな機械が必要となるが、意識を艤装と接続して艦娘と感覚の一部を共有し、仮想実艦の艦橋内で艦長席ないし司令席に座って旗艦となる艦娘と共に作戦行動を指揮し、艦隊の導く為の能力――と我々は考えている』

 

「……」

 

 提督の教えてくれる説明は勿論聞こえていたけど、それよりもアタシはまた人を乗せて航行できるという事実に心奪われていた。緩みそうになる表情を引き締める様に努力しながら、アタシは目を瞑って心が落ち着くように気持ちを静める。

 きっと叢雲お姉さんも同じ気持ちだったに違いない。

 この気持ちを持ち続けることこそ船の(さが)であり、まさしく朧たち艦娘の存在意義(アイデンティティ)の根幹だと思う。

 

『――ろ。朧?』

 

「あ、はいっ! ――え、あれ?」

 

 提督に呼ばれていたことに気づいて慌てて返事をすると、肩に違和感を感じて首を巡らせるとまたあの赤い蟹がアタシの肩の上にいた。でも今度は怒っているような様子はなくて、じっとアタシの方を見ている。

 

『朧、どうした?』

 

「提督……あの、蟹がですね。何故かアタシの肩に……」

 

『蟹? あぁ、そういえば工廠妖精たちから朧の艤装に蟹が棲んでいる模様、という報告が上がってきていたな』

 

「え?」

 

 艤装に棲んでるの?

 驚いて蟹を見ると、蟹はブクブクと泡を噴いてどことなく視線を逸らした気がした。

 その何処となく利口そうな態度には知性を感じさせるものがあって、じっと蟹を見つめながらもアタシは当然の疑問を抱く。

 

「でも、何でアタシの艤装に蟹が……」

 

『それなんだが……』

 

 何かを言いかけた提督は言い淀んで言葉を探すような間があったけど、すぐに淀みのない口調で朧の疑問に答えてくれた。

 

『すまない。思い出させて悪いのだが――朧は自分が沈んだ海のことを覚えているか?』

 

 提督に言われた言葉の意味を理解した瞬間、また脳裏にあの時の光景が過った。でも今は過去にばかり囚われていられない――だから下腹に力を込め奥歯を噛みしめて俯きそうになる顔を上げた。

 

「――はい。キスカ島の輸送任務中に敵艦載機の攻撃を受けて……輸送中の弾薬に引火してしまって爆沈しました」

 

 最初に艤装に触れた時に流れ込んできた鮮明すぎる回想を思い出して眩暈がする。だけど、今はそんなモノに怯えていられない。

 

『そう――そうだったな。よく答えてくれた。それで朧の疑問への答えなのだが、朧が沈んだキスカ島はベーリング海と言われる海域だ。これは知っているな?』

 

「はい。AL――アルフォンシーノ方面に位置する海です」

 

 敵国に対する牽制と反撃の意志を示すために占領した二つの島。

 その占領したアルフォンシーノ列島西方の島々を命がけで死守する陸軍(おか)の兵士さんたちを支援するための物資輸送作戦。

 それは――あの酷く冷たい海域で行われた。

 

 根本的な寒さに加えて時化で荒れ狂う波はまさに厳しい北の海そのもので、アタシたちもよく苦労させられた。

 

『そう、そのベーリング海なのだがな。実は今は世界的に有名な蟹の漁場になっている』

 

「え?」

 

 あの希望すら凍えそうな海で蟹の漁を……?

 提督が嘘をつくはずなんてないから、それは本当の事だと思う。

 でも、アタシには想像が出来ない……あの海は常に最前線で、そこでアタシを含めて何隻もの仲間が沈んでいったのだから。

 

『朧には想像し辛いかもしれないが、世界があの大戦を終えた後は少なくとも表立って海戦が行われない程度には、世界の海は平和になったんだ。あのベーリング海で蟹漁が行われているのも、その証拠と言っていいかもしれない』

 

 ――平和な海。

 

 アタシたちが心の底から求めていたモノ。

 それが訪れていた。

 

『沈んだ船が良い漁礁になることは珍しいことではない。その蟹はもしかしたら棲み家として世話になった朧と離れたくなかったのかもしれないな』

 

 提督の言葉を聞いて自分なりにその仮説を受け入れていく。確かに筋は通っていると思うし、腑に落ちるところもある。

 

「そうなの……?」

 

 当の本人に聞いてみた方が早いと思って尋ねてみると、蟹は鋏を前後に振っていた。

 

「そっか。そうなんだ……じゃあ、よろしくね?」

 

 左手をチョキにして蟹へと近づけると、蟹はアタシのチョキに鋏をちょんと触れさせてくれた。すると不思議なことに一気に親近感が湧いてきて、心が通じたような気がした。

 

「提督、朧……この蟹と仲良くできそうです」

 

『そうか。ならきっと助けになってくれるな』

 

「はいっ!」

 

 沈んだことは悔しいし悲しい。

 でもこうやって新しい出会いとか繋がりも得ることが出来た。

 それはアタシにとっての新発見。

 

「悔やんでばかりもいられない――だからっ!」

 

 さっき感じた不安は今も燻っている。けど、それを振り払ってアタシは意識を集中する。

 

「艤装との連結を確立っ!」

 

 艤装から感じていた重量と違和感が一瞬にしてなくなり、今こうしていることこそが自然体と思えるほどに艤装は身体に馴染んでいた。

 

「提督っ! 綾波型駆逐艦、朧、いきます!」

 

                            ⚓⚓⚓

 

 夏の太陽が中天へ向かって移動しつつある中、アタシは何とか海上を航行していた。

 出撃ドックのある洞窟を抜けて光の溢れる外へと抜け出て、目の前に広がる海を目にした時は自然と涙が頬を伝った。

 

 ――もどって、戻ってきたんだ。

 

 今も叢雲お姉さんは一人で戦っている、だから早く助けにいかないといけない。

 それはちゃんと分かってる。

 だけどアタシは海へと出た瞬間、僅かな間だけど全てを忘れて茫然としてしまった。

 悔しくて流れる涙はすぐに拭えたけど、今頬を伝ってる涙は拭いちゃいけない気がして、潮風がソレを乾かしてくれるまで拭わないことにした。

 

 それから我に返った後は本当に大変で、何回も海上で転倒してその度に起き上ってがむしゃらに前へと進もうとするんだけど、全然安定しなくてよろけてしまう。

 艦艇(むかし)の姿だったらとっくに転覆して沈没している状態だったと思う。

 でも提督が艦娘が海上を航行する上での基本的な事を教えてくれたから、今はそれを習って瀬戸内海をどうにかこうにか航行していた。

 最初は本当に艦艇時代(むかし)との違いに戸惑うばかりだったけど、提督に『変に力を入れずに楽な姿勢を取ること。近くを見ずに遠くを見るように意識するように』という助言をもらった。

 恐る恐るその通りにするとへっぴり腰だった姿勢も背筋を伸ばした状態で止めれて、遠くを見ることで平衡感覚が掴みやすく水面の近さを意識せずに済んだから恐怖感も薄れた。

 

 少しだけ腰を落とした状態で姿勢を固定して、顎を引いて遠くを見る。

 それだけで何とか航行する形を取れた。

 だけど速度は強速止まりで、第一戦速まで上げようとすると途端に平衡感覚が怪しくなってしまう。

 

「提督、叢雲お姉さんは朧の復原盤を拾ってくれた戦闘ではどのくらいまで速力上げていたんですか……?」

 

「叢雲は最大で一杯まで上げていたな。僅かな時間だったが、作戦上必要だったとはいえ無理をさせてしまったと思っているよ」

 

 それを聞いて改めて叢雲お姉さんの凄さと自分の不甲斐なさを実感してしまい、強速から速力を上げようとしてみるけど、やっぱり足だけ先に持っていかれそうになって姿勢が崩れてしまう。

 悔しさと苛立たしさで心が軋むけど、それ以上にこんな速度では間に合わなくなってしまうという思いが心を蝕む。

 叢雲お姉さんが負けると決まっているわけではない、だけど泊地で聞いた報告では主砲を破損して挟撃されていると聞いた。

 

 どう考えてもそれはいい状況とは言えない。

 だから助けたいと志願したんだ。

 未熟どころか『助けたい』だなんて言うのもおこがましいようなアタシが、情けないことに涙まで流して志願したんだ。

 ふざけるなって怒られても、無視されても文句なんて言えないのに、提督はそんなアタシの馬鹿な我儘を『仲間を想う気持ちは尊重されるべきだ』って肯定してくれた。

 なのに、アタシは満足な速力も発揮することも出来ずにいる。

 もう何度目になるかも分からない思考に囚われていると、不意に肩に違和感を感じて目を向けるとそこにはあの蟹がいた。

 

「どうしたの……?」

 

 思わずその黒い小さな目に向かって尋ねると、蟹はアタシの耳を鋏で挟んで外側へと引っ張った。思わず痛みに身構えてしまったけど、なんと耳に痛みはなくて、蟹はかなり加減して引っ張ってくれているらしいのが分かった。

 引っ張られた耳がさっきより音をよく拾って、アタシはようやくその音に気づいた。

 

 耳を澄ますと聞こえてきた音が鼓膜を震わせる。

 それを聴いていると動悸が段々と速さを増して、咄嗟に心臓を服の上から押さえて目を瞑ってしまった。

 意識が逸れたことで速力が低下して半速くらいまで遅くなってしまう。それが分かっていても、アタシは目をきつく瞑って身を縮こませてしまう。

 次第に大きくなる単葉機のエンジン音が心を――魂を軋ませているのが分かる。

 また脳裏に自分が()んだ最期の映像が流れた。

 竦み上がる心が全身を覆っているかのような錯覚と共に、アタシは何かを諦めようとしていた。

 

 だけど――。

 

 それでも――。

 

 折れかけた心を繋いで、軋む魂を奮い立たせるだけの理由がある。

 自分の唯一と言っていい武装である主砲を握る手に力を込めて、アタシは目を開いた。

 

 ――曙、漣、潮……朧に力を貸してっ!

 

 前世では全然一緒に居られなかった姉妹であると同時に、同じ第七駆逐隊の仲間たちのことを思い浮かべて、アタシは背後から急速に近づいてくるエンジン音に向かって海上で踵を返した。

 

「――えっ?」

 

 対空迎撃をするために主砲を空へと掲げた先――空よりも淡い青色の空を駆ける様に現れた鳥のような陰影が近づいてくる。自分に乗艦していた水兵さんたちがそうしていたように、アタシもその形や色をしっかりと見て機種を見極めようとしたところで、それが目に入った。

 

 ●

 

 白に近い配色に主翼と胴体に赤い日の丸が描かれた独特の脚を持った爆撃機。

 濃緑色の配色に主翼と胴体に赤い日の丸が描かれた腹に魚雷を抱えた雷撃機。

 

 機体に日の丸の描かれた航空機。

 それは勿論、友軍である証に他ならない。

 あのミッドウェーで壊滅的な被害を受けて以来、航空母艦の運用はひどく制限された。だから本来なら最前線への輸送には制空権を喪失しないように護衛空母が就くのが理想……だけどあの時は失ったものが大きすぎて、迂闊に空母を出すことはできなかった。

 だからアタシたちは自分の身は自分で守ることが出来る輸送船(ねずみ)として、あの霧の立ち込める凍える海へと出撃して、そして敵の航空機に沈められた。

 

 ――もしあの時、味方の航空戦力が居れば何度も思った。

 

 ――もし、一航戦(あの人)たちが健在であれば、きっと――きっと――。

 

『――朧』

 

 提督に名前を呼ばれて我に返ると、頭上を爆撃機の九九式艦爆と九七式艦攻が通過していった。大気を押し開くような風圧が潮風を巻き上げて、アタシの髪が後ろへとそよがせた。

 

「て、提督、あれはいったい……」

 

『呉所属の艦載機だ。救援要請を出しておいたからな』

 

 そう言われて、提督が叢雲お姉さんに電文を送ったときにもう一通何処かへと電文を送っていたことを今更ながら思い出した。

 

『救援の件、黙っていてすまない。例の作戦で呉も主力が出払っていて、間に合うかどうかは賭けになってしまうと思っていたからな。だから安易な希望をお前たちに示したくはなかった』

 

 確かに最初に教えてくれていたなら、アタシは無様な姿を提督たちに晒さずに済んだかもしれないし、睦月ちゃんたちもあんなに心配せずに済んだのかもしれない。でも提督が黙ってくれていたからこそ、アタシは自分を奮い立たせることが出来たんだ。

 

「大丈夫です、提督。提督が叢雲お姉さんを助ける為に最善を尽くしてくれたこと、朧はちゃんと分かってますから」

 

『そうか……ありがとう、朧。私も朧が叢雲を助けるために最善を尽くそうとしたこと、ちゃんと分かっているよ。それに呉所属の艦娘たちは歴戦の猛者ばかりだ。大丈夫、きっと叢雲を助けてくれる』

 

「……はい」

 

 艦載機が向かって行った方角に向かって祈りながら、速力を弱めようとしたワタシの耳に提督の声が響く。

 

『さぁ、朧。ここまで来たんだ、叢雲を迎えに行ってやろう』

 

「――はいっ」

 

 アタシは速力を緩めることなく、前を向いて海上を駆けた。

 

                            ⚓⚓⚓

 

「朧……あんた、なんて恰好してんのよ」

 

 周囲には煙を出しながら沈もうとしている深海棲艦の残骸が浮かび、空には叢雲お姉さんを助けてくれた呉所属の艦載機が大きく旋回している。

 そしてアタシの前には修理したばかりの艤装をまた大きく破損させてしまった叢雲お姉さんが、悪態をつきながらも笑いながらアタシにそう言ってくれた。

 

「え――?」

 

 叢雲お姉さんが無事だったことが嬉しくて、自然と出てしまった涙を拭っていたアタシは、その言葉に自分の恰好を見下ろす。

 出撃する直前まで来ていた体操着とブルマに艤装を背負っている状態。それに何か問題があるのだろうかと首を傾げると、叢雲お姉さんは頭が痛そうに右手で頭を押さえると胡乱げな視線をアタシの背負う艤装へと向ける。

 

「ちょっと、アンタ。三人の正式な服、早く用意しなさいよね」

 

『督促は掛けておこう』

 

「頼むわよ、本当に……」

 

 まったくもうと言いながらも、叢雲お姉さんは嬉しそうに口角を上げていた。だけど破損した艤装からも分かる通り、激しい戦いだったことはアタシにも想像がつく。

 

『叢雲、報告は戻ってからでいい。朧、叢雲をおぶってやりなさい』

 

「はぁ?」

 

「あ……はいっ!」

 

 提督の提案にアタシは自分が叢雲お姉さんの役に立てると思って喜んで叢雲お姉さんの前へと移動して、おんぶするために背を向ける。

 

「ちょ、ちょっとっ! いいわよ!」

 

「?」

 

 叢雲お姉さんは何故か顔を真っ赤にして首を振る。ちょっと怒ったような雰囲気もあるし、おんぶされるのが嫌なのかもしれない。だけど、一人で戦闘をこなして艤装の損傷も激しいし、無理をして欲しくない……。

 

『叢雲』

 

「う……」

 

 提督が叢雲お姉さんの名前を呼ぶと、叢雲お姉さんはギクッと身を震わせる。そして諦めたように溜め息をつくと、口をへの字に曲げてモジモジと身動ぎする。

 

「お、おんぶまでして貰わなくていいわ。肩を貸してくれるだけでいいから」

 

 アタシの横に移動してくれた叢雲お姉さんの右腕を肩から首へと回して、アタシの左腕を艤装の下から叢雲お姉さんの腰に回して支える。

 

 二人で上空を警戒をしてくれている艦載機に手を振ってから、ゆっくりと瀬戸内の内海を進み始めた。

 

「……朧。ありがとね」

 

 照れくさそうにそう言ってくれた叢雲お姉さんに、アタシは自分に預けてくれる体の重みが本当に嬉しくて、涙を見られないように目を伏せた。

 

「いいえ、無事でよかったです……本当に」

 

 顔を伏せたアタシの様子に、叢雲お姉さんが少しだけ笑う様子が伝わってきて、回してくれている右手でアタシの肩を優しくぽんぽんと叩いてくれた。

 

「ついでに司令官も、ありがとう。救援がなかったら危なかったわ……」

 

「無事ならそれでいい。さぁ、留守をしてくれている二人も首を長くして待っているだろう。戻ろう、我々の母港に」

 

 その言葉を聞いて、アタシと叢雲お姉さんは至近で目を合わせて、自然を笑みを浮かべてしまう。そして二人で頷いて息を吸うと――。

 

「「はいっ!」」

 

 もう恐怖も絶望も感じはしない。

 先導するように先を行ってくれる呉の艦載機を見上げて、アタシは希望を抱く。

 

 そして西へと向かう太陽を追うように、母港へと向かって進んでいく。

 

 ――曙、漣、潮。

 

 待ってるから。

 

 太陽を反射した海面はキラキラと光っていて、まるでアタシの抱く希望が溢れたようだった。

 

 




 なんでこんなに長くなったんだろう……わからない。

 他の艦娘にも言えることですが、朧はこんなんじゃない! って思われた方、ウチの朧はこんなんなんです! とだけ言わせて下さい。
 申し訳ない。

 正直まだ推敲も出来ていないんですけど、とりあえず取り急ぎ投稿しちゃいました。
 本当に難産だったんですわ……。

 それとこの現在進行形で広がり続ける尺と風呂敷を畳める気がしないので、とりあえずは最初に参加したイベントまでを書ききることを目標に頑張ってみます。


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第一期第二次建造及び復原

 どうも。
 せめて一週間に一回くらいは更新したいと思いつつ、なかなか難しいものです。
 冬イベの大まかな開始時期が発表されたので、冬イベに向けての準備をしつつ空いた時間で書いていきます。


 夏の気の長い太陽が西へと没し、昼間は鳴りを潜めていた夏の虫たちが思い思いに自身の音を発し始め、一定の間隔で繰り返される波の音が聞く者の耳に心地良い。

 

「で、この復原盤も建造艦と一緒に復原するってことでいいのね?」

 

 ここは工廠の地下。

 艦娘を生み出す工廠の中枢機関である建造ドックの前に、児島泊地に所属する一人の提督と総勢四名の艦娘たちは新たな仲間を迎える為に集まっていた。

 

 艦娘を宿した不可思議な円盤を手にしているのは、初期艦の叢雲。

 今日修理した艤装の試運転の最中に、内海まで切り込んできた深海棲艦のはぐれ部隊と大立ち回りを演じた末に、呉鎮守府所属の航空母艦型艦娘が放った艦載機の援護を受けてこれを撃破した。

 その際に復原盤を二枚回収することに成功し、昨日建造を開始した艦娘二人が完成するのに合わせて、新たな仲間を迎え入れようと工廠に集まっている。

 

「叢雲ちゃんも朧ちゃんも無事だったし、新しい仲間も増えて言う事にゃしぃ!」

 

「おぉー仲間増やして楽させてくれぇ~」

 

「新しい仲間……いえ、必要ですよね」

 

 三人の反応に提督が苦笑を漏らしながら、叢雲に頷いて見せた。

 提督の許可を得た叢雲は手元にある二つの復原盤に目を落とす。それはどちらも朧の時と同じ桜の花があしらわれた意匠をしている。

 ということはつまり自分たちと同じ駆逐艦の艦娘であることを示していて、泊地としてはより戦力となる大型艦が欲しいのも事実。だが駆逐艦は元々の数が多いこともあって、泊地にとって縁の下の力持ちであり、何よりもやはり自分と同種の艦種が仲間になるのは叢雲にとって喜ばしいことだった。

 

「じゃ、工廠妖精さんたち建造艦との合流後に復原艦もお願いね?」

 

 叢雲が少し屈んで二つの復原盤を差し出すと、それを受け取った二人の工廠妖精は大事そうに頭上へと復原盤を掲げて持つと、笑顔で頷くと建造ドックの奥へと走り去っていった。

 その後ろ姿を見送った後、叢雲は提督の傍へと歩み寄ると秘書官として控える位置で立ち止まる。それを確認した提督が叢雲に目配せをすると、叢雲は後ろを振り返り並んで立っている三人の仲間へと視線を送る。叢雲の視線を受けた三人がそれぞれの笑顔で頷くのを見て、叢雲も小さく唇を綻ばせると、改めて提督へと顔を向けてもう一度大きく頷いた。

 

 仲間を迎え入れる瞬間というものは、やはり格別の喜びを伴う。

 既に経験している叢雲は当然として、初期建造組の睦月、望月に初復原艦である朧も新たにこの泊地へと加わる仲間を心待ちにしていた。

 

 それは――はじめまして。かもしれない。

 あるいは――久しぶり。ということもあり得る。

 いやいや――また逢えたね! だともっと嬉しいに違いない。

 

 姉妹艦、僚艦、死地を共にした艦、憧れの(ヒト)

 現れる艦に想いを馳せれば、それぞれに逢いたい艦がいる。

 だけど、誰が来ようとも歓迎することには変わりない。

 何故ならば、現れるのはかつて同じ目的の為に、共に骨身を惜しまず海を駆けた仲間であることは、揺るぎない事実だからだ。

 

「工廠長代理、頼む」

 

 提督が建造ドックの排出扉前に立つと、傍に控えていたお馴染みの工廠長代理妖精はドンと胸を叩くと建造ドックの奥へと消える。するとすぐに建造ドックの心臓部である壁一面に広がる機械が休眠状態から覚め、そのまますぐに稼働を開始する。

 いかにも造船所に響いていそうな様々な音が耳朶を打つ中、それらの音がピタリと止んで建造ドックに備え付けられているモニターに表示されていた文字が変化する。

 

『第一建造ドック 建造完了 覚醒作業に移行』

『第二建造ドック 建造完了 覚醒作業に移行』

 

 機械の中から恐らく保護液のようなモノに漬けられていた艦娘を、覚醒前に乾燥させていると思われる風の音がしばらくの間続く。

 その間睦月はワクワクと目を輝かせ、望月はあまり興味無さそうな顔をしつつもチラチラと扉の方に視線を送り、朧は肩に佇む蟹を指で弄りながらじっと扉を見つめていた。

 そして建造ドックの排出用扉、その上にある電光掲示板に『建造完了』の文字が輝く。すると、中から早速声が聞こえ始めた。

 

『ふわぁ~っと、よく寝たぜ。あ? なんだお前』

 

『あ、初めまして……』

 

『おう。オレの名は……え? ここで名前言っちゃダメなのか?』

 

『え? あ、はい。わかりました、妖精さん』

 

『んだよ面倒くせぇーなぁ。あーまぁいいや。そんなことより……フフフ、オレが怖いか?』

 

『……』

 

『……』

 

『……』

 

『……』

 

『おい、なんか言えよ』

 

『え……?』

 

『あんだよ、変な奴だなぁ。無表情だしよぉ……ひょっとして怒ってんのか?』

 

『怒ってなんか、ないですよ? 本当に……』

 

『ほんとかぁ? ま、いいけどよ。で、そのちんちくりんな感じを見るに、お前は駆逐艦だよな?』

 

『はい。睦月型……です』

 

『おう、オレは軽巡だ。水雷戦隊を率いる時には、お前も力貸してくれよな』

 

『……はい。が、頑張ります』

 

『おうっ! っと、え? この向こうに提督と仲間が待ってる?』

 

『あっ……お待たせ、しちゃってますね。早くこれ着ましょう』

 

『あー……だなっ! しっかしどんな提督かねぇ。オレをバッシバシ前線に投入してくれる提督なら言う事ないんだけどなぁ』

 

『皆のこと、大事にしてくれる提督(ヒト)だと、嬉しいです……』

 

『まぁ、駆逐艦(おまえら)はそういう風に考えちまうよな……おし、着たぞっ!』

 

『着ました……』

 

『おい、いいか? こういうのは最初が肝心なんだ。舐められないようにビシっと決めようぜ』

 

『え……ふ、普通で、いいと……思うんですけど』

 

『かー! 分かってねぇなぁ! いいか? 切った張ったの世界は舐められたら終わりなんだぜ? だから最初にこいつは只者(ただもの)じゃねぇ! って思わせないといけねぇーんだよっ!』

 

『あの……言ってることが、よく分からないんですけど……』

 

『いいからいいからっ! ほら、扉が開いたらこうやって――んで、腕をだな――』

 

『え? え? こ、こう?』

 

『そーそー! で、こう言うん――』

 

「妖精さん! とっとと開けちゃいなさい!」

 

 まだまだ続きそうな一人によるもう一人のレクチャーに痺れを切らした叢雲が声を上げると、すぐに扉が上へとせり上がり開け始める。

 

『げっ! まだだってーのっ! ちっ仕方ねぇ! おい教えた通りでいくぞっ!』

 

『わ、分かりました……』

 

 開いていく扉の向こうで焦った声が聞こえてくるが、すぐに腹を括ったような声とその勢いに引きずられてしまった少女の声。

 そして開く扉の向こう側から漏れ出る光。その逆光の中に二つのシルエットが現れる。二人は背中合わせに立ち腕組みをして立っていた。身長差がかなりあって、提督たちから向かって右側に叢雲たちと比べても明らかに背の高い少女が自信満々に胸を張って立ち、その左側に右の少女より頭一つ分は小さいシルエットがぎこちなく腕を組んで立っていた。

 そして扉が開き切ると、二人は目の前に立つ提督たちを視界に入れつつ名乗りを上げた。

 

「オレの名前は天龍。フフフ、怖いか?」

 

「初めまして、弥生、着任……。あ、気をつかわないでくれていい……です」

 

 コンビのヒーローモノのように腕を組んでの背中合わせで立つ二人は、天龍は自信満々な表情で立ち、弥生は無表情に見えるが少しだけ恥ずかしさで顔を赤らめていた。

 

 天龍は前髪が左目を隠すくらいの黒髪ボブカットで、好戦的な光を讃える瞳は金色に光っている。今着ているのは睦月たちと同じく就寝時用の白い浴衣姿なのだが、腕組みした腕に乗っかるほどの豊満な胸が持ち上げられるようにして強調されている。

 天龍の隣で表面上はそうは見えないが、若干照れながら腕を組んでいる弥生は、もみ上げの長いボブヘアーの薄紫色をした髪に、表情に乏しい青い瞳が静かに揺れている。体躯は睦月たちと同様で華奢な少女のそれである。

 

 睦月たちと同じく就寝用の白い浴衣を着た二人は、名乗ったまま分かりやすいドヤ顔と分かりづらい照れ顔をしていたが、すぐに驚いた顔でお互いの顔を見る。

 

「え? お前弥生なのか?」

 

「え? 天龍さん……?」

 

 ビックリした顔でお互いの顔を見つめると、すぐに天龍が破顔した。

 

「なんだなんだっ! 弥生なのかよっ! いやー駆逐艦って沢山いたからよぉ。全然分からなかったぜ! 悪りぃーなぁ」

 

「いえ、弥生も全然気づ――」

 

「弥生ちゃーん!」

 

 同時に建造された相手が思わぬ縁持ちだったことに二人が喜んでいると、口からハートを乱舞させながら睦月が物凄い勢いでダッシュし、弥生にジャンピングハグを敢行した。

 

「弥生ちゃんが来てくれるなんて、睦月は嬉しいにゃしぃ!」

 

「え? む、睦月……なの?」

 

「うんっ! あ、望月ちゃんもいるんだよ!」

 

「うーす、弥生おひさぁー」

 

「望月……凄い、天龍さんに睦月と望月までいるなんて」

 

 相次ぐ睦月型の連続着任に睦月は喜びを爆発させ、望月も唇を綻ばせている。そして弥生も睦月型の中でも特に縁のあるメンバーが二人も居たことに驚きつつも、喜色を浮かべている。

 

「なんだなんだっ! 睦月と望月までいるのかよ! こりゃ第六水雷戦隊が再結成できそうな勢いじゃねぇーか」

 

 また天龍もこの奇縁に驚きながらも嬉しそうに笑顔を浮かべている。

 

「おほんっ」

 

 歴戦の艦艇たち――それも縁深い集まりの再会に水を差すのも悪いと思い、提督が再会を喜び合う艦娘たちを見守っていると、真面目な気質である叢雲が咳払いをして場を制した。

 やんややんや言っていた天龍たちだったが、叢雲の咳払いで改めて正面に目を向ける。視線の先に姿勢を正した立ち姿の、見覚えのある白い軍服を着た人物の姿を認めると、さすがは軍記正しい旧日本海軍の艦艇たちはすぐに私語を止めて、天龍と弥生は連れ立って提督の前へと進み出ると海軍式の敬礼をした。

 

「天龍型一番艦、軽巡洋艦の天龍だ。着任したぜ」

 

「睦月型駆逐艦三番艦、弥生です。着任……あの、よろしくお願いします」

 

 それぞれの挨拶に頷きながら、提督も返礼したまま名乗る。

 

「当児島泊地の司令官、古島湊だ。君たちはこの泊地で二回目に建造された艦娘ということになる。まだまだ発足仕立ての泊地だが、護国の要となるように皆で盛り立てている最中だ。天龍と弥生も先任の叢雲らと共に力になってくれ。君たちと共に戦えることを光栄に思う、よろしく頼む」

 

 提督の言葉に天龍は嬉しそうに唇を吊り上げ、弥生は無表情で提督の顔を見上げた。その視線に気づいた提督は、目を細めると弥生の頭にポンと手を乗せる。

 

「睦月と望月に続いて弥生が来てくれるとはな。先の大戦開戦当時の第三十駆逐隊が本当に再結成できそうだな」

 

「司令官、弥生に気をつかわなくても……」

 

 頭に手を置かれたままじっと提督の顔を見ていた弥生がそう口にすると、提督は口元に笑みを浮かべると弥生の頭を優しくぽんぽんと撫でる。

 

「気をつかっている訳ではないさ。睦月も望月も懸命に人手不足なこの泊地の為に頑張ってくれている。だから弥生も二人と同じように頑張ってくれると、私は思っているよ」

 

「司令官……はい、弥生も二人に負けないくらい、頑張り……ます」

 

 こくんと頷く弥生の頭を撫でていると、隣でそれを見ていた天龍がフフンと鼻を鳴らした。

 

「なるほど、出迎えにしちゃ人数が少ないと思ったけど。まだ出来たばかりの拠点なんだな」

 

「ああ、本格的な出撃任務はまだ受けれていないのが実情なんだが、天龍――君が着任してくれたおかげで本格的な水雷戦隊が組める目処が立った。その時は頼りにさせてもらうぞ」

 

 提督の言葉に天龍は最初驚いたような表情を浮かべたが、すぐに獰猛な笑みを口元に浮かべ戦える喜びに打ち震える様に目を輝かせた。

 

「話の分かる提督じゃねーか。おう、戦闘は俺に任せとけよな」

 

 天龍の力強い言葉に提督が頷くと、残ったメンバーの紹介をするために叢雲たちに目配せをすると、叢雲と朧が頷いて少しだけ前に出る。

 

「この後、復原艦としてあと二人加わるからちゃんとした自己紹介はあとにするわね。私は初期艦の吹雪型五番艦の叢雲よ」

 

「綾波型七番艦の朧です」

 

「よろしく、です」

 

「おう、よろしくな! で、後二人仲間が増えるのかよ。てか復原艦ってなんだ?」

 

 それぞれに簡単な自己紹介をした後、天龍が聞きなれない復原艦という言葉に反応すると、叢雲が復原盤とそれによって復原される復原艦についての説明を行った。すると天龍は感心したように頷くと共に、実に戦闘好きな彼女らしい見解で目を輝かせる。

 

「叢雲はもう戦闘に出て戦果も上げてるんだな。くぅ~オレも早く戦闘がしたいぜ」

 

「言っとくけど、戦闘に出る前にキチンと訓練は受けて貰うわよ? もう既に訓練も碌にしないまま戦闘海域まで出てきちゃった前例があるわけだし……」

 

「すみません……」

 

「べ、別に怒ってるわけじゃないのよ? でも訓練はちゃんと受けるべきだわ。新艦が毎回ぶっつけ本番で戦闘なんて始めたら、命がいくつあっても足りないもの」

 

 顔を赤らめてぷいっと横を向く叢雲に朧がホッとしたような顔で絆創膏の上から頬を掻く。その様子を不思議そうに見ていた天龍と弥生に睦月たちが今日あって出来事を掻い摘んで話すと、弥生は少しだけ目を見開き、天龍はやはり目を輝かせて大笑いした。

 

「中々いい根性してんじゃねーか朧っ! オレはそういうの好きだぜ」

 

「いえ、結果的には却って皆さんに心配掛けてしまって……」

 

「朧。その話はもう済ませたはずだ。君の行動の全てを肯定するわけにはいかないが、アレは私が許可して行ったことなのだから、先に言ったようにもうこれ以上気に病む必要はない。それよりも今日経験したことを糧にしてくれ」

 

「は、はいっ!」

 

 提督に諭されて朧が背筋を伸ばして返事をすると、叢雲が微笑んだままやれやれと嘆息した。そして場にある程度の和が出来たことを確信したので、次へと事を進めることにした。

 

「では、復原艦の復原に移るわ。二人ともこっちへ来てちょうだい」

 

 天龍たちが提督の後ろに移動してから、提督が建造ドックの傍に控える工廠妖精たちに向かって頷くと、妖精たちは頷いてドックの中へと続く妖精たちしか入れない小さな通路へと消えていった。

 すると、すぐにまたあの時と同じように、工廠装置の心臓部である建造ドックから音が聞こえ始めた。

 

 

 

 ――それは工廠に響く起工の産声。

 

 ――それは港から海へと出でる進水の祝福。

 

 ――それは洋上で聞くカモメの声。

 

 ――それは風を切り裂く鋼の咆哮。

 

 ――それは水底に沈みゆく無音の葬送。

 

 ――それは、水底で朽ちる勇士を讃えた鯨の唄。

 

 

 提督がチラりと背後に視線を向けると、あの時と同様に叢雲たち先任組は勿論のこと天龍と弥生も目に涙を浮かべてその音に聞き入っていた。

 人間が聞いても心に訴えかける神秘的な何かを感じる程なので、きっと艦娘たちにとっては心や魂を揺さぶる何かがあるのだろう。

 音が止んでしばらくすると、建造ドックの排出扉内から二種類の声が聞こえてきた。

 

『やあ、はじめまして』

 

『うん、はじめまして』

 

『まずは自己紹介をしないといけないな。私は――』

 

『あ、妖精さんがプラカードにダメって書いてるよ』

 

『――本当だね。ここで名前を言っちゃダメなのか……。じゃあ自己紹介は後で改めてすることにするよ。それでいいかい?』

 

『うん、僕はそれでいいよ。でもせっかくだし、握手くらいはしとこうよ』

 

『ああ、それはいい考えだ。うん』

 

『――君の手は何だかひんやりとしてて気持ちいいね』

 

『そうかい? そういう君の手はしっとりしてるね』

 

『え……そうかな?』

 

『うん。でも悪い意味じゃないんだ。乾燥してなくて滑々してる。いい手だと私は思うな』

 

『そう……なのかな? うん、ありがとう』

 

『それに何となく君と私は境遇が近いんじゃないかな……勘だけどね』

 

『うん、それは僕も何となく思ったかな……でも、多分君の方が頑張ったんじゃないかな。僕も勘だけどね』

 

『ふふっ、本当に似た者同士みたいだな、私たちは』

 

『あはは、うん。本当だね』

 

『あ、どうやらこの扉の向こうに司令官がいるみたいだよ』

 

『わっそうなんだ……どんな提督だろう』

 

『きっと良い司令官さ。私の勘だけどね』

 

『うん、君の勘を僕は信じてみるよ』

 

『うん、信じてもらっていいさ。でも君の勘がどうなのか、私は知りたいかな?』

 

『あはは、そう来たか。うん、大丈夫だよ。僕の勘もきっと良い提督だって言ってる』

 

『そうか……安心したよ。じゃあこれを着てしまおう』

 

『うん、あまり待たせちゃ悪いものね』

 

 扉の中から衣擦れの音が聞こえてくる中、叢雲が半眼で後ろに並ぶ艦娘たちに目をやる。

 

「なんで建造組に比べて復原組はいつも大人しいのかしらね?」

 

 憶えのありまくる睦月と望月、天龍がそっぽを向いて口笛を吹いて、朧と実質とばっちりの弥生はきょとんとした顔をしていた。

 そうこうしている内に建造ドックの扉が開き始めた。

 先ほどの建造組の二人みたいな決めポーズを取っているわけでもなく、開き切った扉の向こうには二人の少女が佇んでいた。

 

「僕は白露型駆逐艦、時雨。これからよろしくね」

 

「響だよ。その活躍ぶりから不死鳥の通り名もあるよ」

 

 そこにいる全員に向けてそう言うと、二人はお互いに向き合ってもう一度握手した。

 

「君は響だったんだね。『不死鳥』の噂は僕も知ってたよ」

 

「そういう君はあの『佐世保の時雨』だったんだね」

 

 お互いに自身の異名に思うところがあるのか、その異名を聞いて少しだけ表情を曇らせたがそれさえもお互い様であることが分かってしまい、二人して苦笑を漏らした。

 そうして二人は握手を交わした後、視線を戻して自分たちを待ってくれている司令服に身を包んだ提督の下へと進み出た。

 

「白露型駆逐艦二番艦、時雨です」

 

「暁型駆逐艦二番艦、響だよ」

 

 時雨は黒髪をセミロングも伸ばして後ろで一つの三つ編みにしている。瞳は穏やかな優しさを映すスカイブルーの光を讃え、体躯は睦月たちよりも朧に近い。

 響は白い雪のような髪を長く伸ばし、青く涼し気な瞳は氷のような透明感がある。こちらの体躯は睦月たちよりも幼く感じるほどに小さく華奢だった。

 

「この泊地を預かる司令官、古島湊だ。歴戦の経歴を持つ時雨と響を迎えられて光栄に思う。まだ出来て本格的な運営に至っていない泊地だが、皆の協力を持ってこの国を守るに足る場所にしていきたいと思っている。よろしく頼む」

 

 二人は自分たちの目をしっかりと見ながら話す提督の顔をじっと見ていた。そして響が小首を傾げて周囲を見渡す。

 

「司令官……あの、私の姉妹たちはまだ着任していないのかい?」

 

「ああ、特型の先輩としては叢雲と朧が着任してくれているが、暁型は響が最初だ」

 

「そうか……うん。大丈夫さ、待つのはこう見えて得意なんだ」

 

「建造は本営の計画もあるが、基本的には順次行っていく。すぐに君の姉や妹たちも着任するさ。だから最後まで残った君が、今度は彼女らを迎えてあげよう」

 

「司令官……うん。うん……そうだな、私の姉妹たちに沢山教えてあげられるように頑張るさ」

 

「ああ、そうだな」

 

 響が提督に好印象を持つ中、時雨はじっと提督の目を見つめ続けていた。

 

「時雨も――時雨?」

 

 一心に提督の目を見つめ続けていた時雨は、自分の方に目を向けた提督に歩み寄ると両手を上げて提督の両頬に添えると、グッと提督の顔を寄せて自身も踵を上げて背伸びをし、キスでもするかのような近さで提督の目を間近で覗き込んだ。

 

「――どうした、時雨」

 

「提督……提督は――」

 

「だぁーもうっ! 何やってんのよ!」

 

 超至近で見つめあう二人に怒った叢雲が割って入った。物理的に分断されて時雨が後ずさるとその背を響が支えた。

 

「時雨、大丈夫かい?」

 

「――え? あ、うん。僕は大丈夫だよ」

 

「それは良かった。でも急にどうしたんだい? 司令官の顔に変なところでもあったのかい?」

 

「えぇ? そ、そんなことないよ……あ、僕そんなに近かったのかな?」

 

 叢雲に『アンタがちゃんと叱らないとダメでしょう』とか『復原直後で精神が不安定なのかもしれないけど』とか言われている提督をチラリと見ていると、顔を赤らめた睦月がスススっと時雨の傍に寄ってきた。

 

「もぉー睦月、時雨ちゃんが提督にいきなりキスでもするかと思ってドキドキしちゃった」

 

「え、えぇ!?」

 

「そーそー、あたしもそのままぶちゅ~っていくのかと思ったぜぇー?」

 

「そ、そんなことしないよ……」

 

「いやぁー攻めの姿勢ってのは大事だよな。オレは良いと思うぜ?」

 

「ち、違うんだ……本当に」

 

「朧も見習うべきかな……どう思う?」

 

「うぅー本当に違うんだよ……提督、ごめんね?」

 

 睦月の言葉に驚き、望月の言葉で着ている浴衣の膝を両手でぎゅっと握って縮こまり、天龍の台詞で更に狼狽え、朧が蟹に相談しているのを聞いて顔を真っ赤にして撃沈した。

 

「時雨、私は気にしていないから大丈夫だ。皆も時雨をあまりイジメないように。すぐに注意しなかった私も悪いんだ」

 

 提督の言葉にやんややんや騒いでいた艦娘たちはすぐに静かになった。その様子に頷いた提督は傍にいる叢雲に指示を出す。

 

「叢雲、ともかく上へ上がろう。私も次の建造を手配したらすぐに行く」

 

 提督がバッサリと切り替えると、叢雲もすぐに切り替えて肩を竦めると他のメンバーに振り向いた。

 

「仕方ないわね。そういうことにしてあげるわ。さ、すぐに夕飯の時間だしそれまでに四人に泊地の状態とか簡単に説明するわ。行きましょう」

 

 叢雲に促されて泊地本棟へと繋がるエレベーターへと向かう中、一人暗い建造ドックへと残る提督の姿を時雨はじっと見つめていた。

 

 

 




 とりあえず初期の着任ラッシュだけでは話の厚みが出ないので、艦これ本家でいうところのNewソート1ページ10隻を一つの区切りにして、一度新規の着任を止めて今いるメンバーでの話を書こうと思っています。
 現状叢雲、睦月、望月、朧、天龍、弥生、時雨、響の8隻が着任したので、あと二隻ですね。提督が次の建造を行っているので、その完成を持って第1期着任組が完成します。

 というわけで、次話をお待ちください。
 感想等はとても励みになりますので、ご意見ご感想はいつでも歓迎しております。


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天龍型軽巡洋艦一番艦天龍ー着任ー

フフ怖さん着任。
今回一か所史実をねつ造している部分があるので、そういうの受け付けない人は気をつけて下さい。
問題の詳細は下記に。

※海軍の偉い人と天龍乗員の会話は私の妄想でありフィクションです。事実に基づいているわけではまったくありませんので、ご容赦下さい。

評価、感想ありがとうございます。
とても嬉しいです。


 本当にひでぇー時化だ。

 目の前の、ほんの数メートル先の視界すら怪しいほどに雨粒に塗れた風が吹き荒みやがる。

 波のうねりが激しく波が寄るごとに視界が体ごと十メートルぐらい上下して、まるで得体の知れない化け物が眼下の底に広がる海の中でのたくってやがるようだった。

 だけど今はそんなことは問題じゃねーし、些細なことだ。

 問題なのは目の前で、オレと同じように荒れ狂う海のど真ん中に居ながらも、微動だにせずそこに存在し、幽鬼のように光る眼でオレを捉えたまま離さない――ヤツの存在だ。

 

 背負った艤装が混燃式缶の熱でギチギチと音を立て、回るタービンが唸りを上げる。艤装の両サイドに付いている主砲にオレの意思が伝わり、14cm単装砲一門がヤツへと砲門を向けてその時を待つ。

 

 だがオレはまだ撃たない。

 

 軍艦の――それも軽巡洋艦の兵装は大別すれば主砲、副砲、魚雷、機銃、爆雷だ。

 だが今のオレはただの艦艇じゃねぇ……艦娘だ。

 

 主砲の射撃による衝撃とその放熱を肌で感じるのも悪くはねぇ。

 魚雷を敵の横っ腹にブチ当てて、船体をへし折るのも悪くはねぇさ。

 

 暴れる風が濡れた前髪を掻き乱して、ほつれた髪の束が何度も渦巻く風によって額を叩いてきやがる。いい加減鬱陶しくなって人差し指と中指が指貫になっている手袋を嵌めた右手で髪をかき上げた。

 開けた視界の先で、まるで水に濡れた死体が全身すっぽり布を纏ったような姿で立ち、唯一口を開けている顔部分には濁った闇が溜まっていて、いくら目を凝らしてもヤツの顔を確かめることは出来ない。

 

 髪をかき上げた右手を頭から降ろす途中で右手が何か硬い物に当たる。視界にヤツを捉えたまま視線だけを僅かに落とすと、そこには鞘に収まった一振りの刀があった。

 柄の先を手の平で撫でながらそのまま手を下ろすと、しっかりを柄を握り込んで一息で抜刀する。抜き放った刀の峰は鈍色で刃は赤く、船体を模しているかのようだ……めっちゃカッコイイ。

 

 艦だけではなく、人でもあるならば――白兵戦をしないなんて勿体ない! そうオレの中で滾る闘争心が叫んでやがる。

 戦いたい。

 死ぬその瞬間まで、オレは戦いたいんだ。

 だからオレは刀を構える。

 すると、布被りのヤツは何処からともなく槍を――いや、アレは()()か? ――を取り出すと、それを上段に構えてピタリと止まった。

 

 ――上等じゃねぇか。

 

 内から湧き上がる戦いの喜びにオレは全身を震わせた。

 

 戦いたい。

 戦う相手は敵だ。

 なら敵は強い方がいいに決まってやがる。

 

 そしてオレには分かる。

 今目の前にいるコイツは強ぇっ!

 

「いくぞオラァっ!」

 

 この豪雨の中で届く訳ない叫びを上げて、オレは最高潮に暖まった缶と心に檄を飛ばして一気にヤツに向かい、波のうねりがオレを波の頂点に持ち上げてヤツが波と波の底に位置した瞬間、一気に波を滑り落ちる様に接近し、大きく刀を振りかぶった。

 

「オラァァァっ!」

 

 裂帛の気合と共にオレは――。

 

『ダメだよ、天龍ちゃん? ちゃーんと訓練は受けてね~?』

 

「はっ!? えっ?」

 

 場違いなのんびりとした口調に何故か力が抜けてしまい、オレは間抜けな声を上げながら海面に顔面からダイブした。

 

「――ぐもふっ!」

 

 あの勢いでいったにしては中途半端な硬さの海面にぶつかって無様な声を上げると、上からもう一度あの声が聞こえてきた。

 

『ほら、天龍ちゃん。早く起きないとダメだよ~? えいっ♪」

 

 痛む顔を何とか起こして見上げると、布のフードがいつの間にか後ろに脱げて紫がかった髪の中にある同じ色の瞳が妙に優しく笑って、オレの脳天に峰に返した薙刀を容赦なく振り下ろした。

 

「いってぇぇぇっ!」

 

 ――――――

 ――――

 ――

 

 鈍い痛みの中で何かが聞こえてきやがる。

 

「――ゅう」

 

「――りゅう」

 

「――天龍ったらっ」

 

 意識がハッキリし出すと聞こえてくるのは自分の名前を呼ぶ声。そして鈍かった痛みが段々と鮮明なものになってきて、やたらと痛んだ。

 

「起きなさいったらっ。自分から早朝マラソン参加したいって言ったんでしょうっ」

 

「――お、おぉ?」

 

 目を開けると目の前には薄い緑色の床。

 鈍痛がする頭を右手で押さえながら左手で床を押して上体を上げる。バサリと下りた前髪を適当に手で跳ね除けながら周囲を見渡すと、昨日宛がわれた四人部屋の中だった。

 

「まったく、ベッドから落ちるなんてどんな寝相の悪さなのよ」

 

 呆れたような声音の主は、この泊地の初期艦である叢雲だった。先任であり既に戦闘を経験して戦果まで挙げてるスゲー奴。

 隣を見るとオレが昨日寝たベッドがあって、どうやらオレはそこから落っこちたらしい。そしてもう一度視線を移すと、すぐそばに一冊の冊子が落ちていた。

 それは昨日の夜、提督に頼み込んで借りた叢雲の初出撃となった戦闘の報告書。すぐに戦闘をしてみたいと意気込んではみたけど、それが許されるわけもなかった。チキショー。

 ならせめて艦娘がどんな風に戦うかを知りたくて、叢雲が提督と共に挑んだという初陣の記録を読ませてもらったわけだ。

 寝る間際まで読んでたわけだが、感想としては――超カッコイイ!

 特に最後の叢雲が両舷一杯の状態で敵を陽動して、自分が目くらましと共に放った魚雷から意識を逸らせ、最期は格上の軽巡型深海棲艦と超至近距離に迫っての戦闘!

 なにより最高なのは、とどめが主砲や魚雷じゃなくて、槍を使って白兵戦で仕留めたってところにめっちゃ燃えた!

 主砲も魚雷も尽きた状態からの、最期の賭け。

 なにそれ超カッコイイんですけど?

 

 そんな風なことで興奮を抑えきれずに寝たわけなんだが、あんな夢を見たのはそのせいかもしれねぇーな。

 頭の痛みはこの冊子が落ちていきたからかよ。

 ったく、言われなくてもちゃんと訓練受けるってーの。

 

 そんなことをぶつぶつと内心思っていると、窓から入ってきた風が冊子をパラパラと捲って、まるで冊子がオレを笑ってるようだった。

 

 けっ! 可愛くねぇーな!

 

「まったくもう、私は正面玄関の近くにいるから着替えて早くきなさいよ?」

 

「おーう、すぐに行くぜ」

 

 体操着にブルマ姿の叢雲に手をヒラヒラさせてそう言うと、オレも立ち上がって寝ていて硬くなった体の凝りを適当にほぐす。そして昨日の時点で受け取っていた運動用の服に手早く着替えていると、ふと視線を感じた。

 

「お?」

 

 視線を感じた方へと目を向けると、二段ベッドの上段で落下防止用の木製手すりの隙間から青い瞳がじっとオレの方を見ていた。

 

「おう弥生。起こしちまったかよ?」

 

「お、おはよう……叢雲が来る前から起きてたから……大丈夫」

 

「なんだ、お前早起きなんだな」

 

「そんなこと、ないよ……」

 

 横向きに寝たまま話しかけてくる弥生に口元が緩むのを自覚しながら反対側にあるベッドに目を向けると、眼鏡をはずした望月とやたらと寝相の悪い睦月が寝ているのが目に入る。

 

「ま、少なくともこの部屋だと一番早起きだったわけだ。でもそんな前から起きてたのに、(とこ)から出ずにお前何してたんだよ?」

 

 視線を戻すと、掛布団替わりの大きなタオルケットを引き寄せて顔の半分――鼻くらいまで隠した弥生がいた。

 

「――たの」

 

「んん? 聞こえねぇーぞ?」

 

「お――イレ……行き――けどっ分から――ってた」

 

「シャキッと喋れって、ちゃんと聞いてやるからよ」

 

 なんでか知らねーけど、ハッキリと喋らない弥生。分かりづらいところはあるけど、自分の考えてることとかは結構ハッキリ言えるヤツだと、昨日の印象では思ってたんだけどなぁ。

 なんだ? なんか事情でもあんのか?

 

 しゃーねぇーなぁ。 

 

 タオルケットの中でモゴモゴと喋る横向きの弥生の傍まで行って、オレが寝てた一段目のベッドに左足を掛けて登って、弥生の顔が覗いてる柵の枠に顔を寄せる。

 目の前には顔の半分を隠した弥生がいて、目線の高さも合わせて超至近でもう一回聞いてみる。

 

「んで? なんだって?」

 

「おトイレ、行きたくなったん……だけど、場所分からなくて……明るくなるの、待ってた」

 

 あ~……なるほどな。

 そりゃ小声にもなるわな……よく見ると露出している顔は恥ずかしいからなのか、単純に我慢しているせいなのか分かんねーけど、若干赤い。

 

「でもお前さ、昨日睦月たちに本棟の中を案内して貰ったとき、ちゃんと起きてなかったか?」

 

「んーん……実はほぼ、寝てた」

 

「表情は完全にいつも通りだったけどな……」

 

「すみません、表情硬くて……」

 

 そのままタオルケットの沈んでいきそうな弥生の肩を左手で押さえて、そのまま軽く揺さぶる。

 

「まー待て待て、場所はオレが覚えてるからトイレ行っとけって。おら、いくぞ」

 

 そう言ってやると、ようやくタオルケットから顔を出した弥生はコクリと頷いた。

 

「ありがとう……天龍さん」

 

「いいから降りてこいって、あんま我慢すると体に悪いって提督が昨日言ってただろ?」

 

 登るときはスルスルっと登ってたけど、なんかおっかなびっくり降りてきてるな……。

 仕方ねぇーから、二段ベッドの上から降りようとしている弥生の両脇に手を差し入れて支えながら降ろしてやる。

 

「ありがとう……」

 

「あいよ。ほらそれよりさっさと行こうぜ」

 

 顔を上げてオレを見上げている弥生の手を引いて、朝の空気が立ち込める廊下へとオレたちは出て行った。

 

                            ⚓⚓⚓

 

「ハッ――ハッ――ハッ――ッ!」

 

 

 お天道さんが東の空に昇って、まだ幾分加減してくれている朝陽を放ってる。

 オレはそれを見上げながら視線を正面に戻すと、そこにはオレの先を走る提督の背中があった。

 

 第一印象は――指揮官寄りの水兵、って感じだな。

 

 司令服に着られてるってこたぁーねぇけど、まだ風格とか威厳みたいなモノは足りねぇ気がする。少なくとも()()時代で司令服着てた人らは、それこそ姿を見れば新兵なら震えがくるような雰囲気を持ち合わせてた。

 

 けどよ――悪くはねぇんだ。

 

 建造ドックで最初に目が合ったとき、背中にゾワゾワってきた。優しい眼差しって言ってもいいくらい穏やかな目だったが、アレは絶対にそれだけじゃねぇ。

 地獄を見て、それを乗り越えた兵士(オトコ)の目だ。

 他の連中がどうかはわかんねーけど、オレはああいう目が出来るヤツは好きだぜ。オレらみたいな存在の上に立つ人間は、本当の戦場を経験しているかいないかでオレらとしての評価は全然違うからな。

 戦場を見たことのないヤツと話をすると、認識のズレってのをイヤってほど痛感する――らしい。机上で駒を並べて無茶苦茶な作戦を立案して、さも名案だとばかりに悦に浸る。そして何よりも質が悪ぃーのは、その連中が戦場で戦う艦艇(オレ)たちを駒と同価値にしか思っていないことだ。

 まぁオレたちの事はいいけどよ。オレたちに乗艦してる水兵たちは生きてるし、帰りを待つ家族だっていた。

 ただの鉄の塊でしかない艦艇(オレ)たちにだって、姉妹艦や僚艦を大切に思う気概はあったんだ。だったら生きて感情を持った人間がどうかなんて、考えるまでもねぇーじゃねぇか……。

 

 戦闘で死んだ仲間を抱えて慟哭する者。致命傷を負って気が狂いそうな痛みの中で、裏に遺言を綴った家族の写真を握り締めて、それを仲間に託した者。体が欠損するほどの重傷を受けてもなお、魂を絞り出すような叫び声を上げながら機銃を撃つ手を止めなかった者。

 

 オレは覚悟を持った人間の生き様ってヤツが好きなんだ。

 

 だからオレは、今オレの前を走ってる提督の事を一目見た時から気に入った。

 見た目の印象なんて一瞬のもんだ。年齢からくる貫禄なんざ、ソイツが本気(マジ)で生きてるなら自ずと付いてくる。

 大事なのは、今のソイツが覚悟を持って生きてるかどうかだ。

 そしてこの古島湊って提督は、大した覚悟を秘めて生きてやがる。

 それがどんな覚悟なのかは分からない……けどよ、軍属の男が組織の中で何かを背負って生きようってんだ、それは生半可なことじゃねぇ。

 

 ――いいぜ。いいじゃねぇーか。

 

 オレはそんなアンタの背中を追っかけていくまでだぜっ!

 

「ハッ――ハッ――ハァッてかよぉ、お前ら速すぎじゃねぇ!?」

 

 現在進行形で追っかけてるけどよぉ! ちっとも追いつけれねぇ!

 そりゃこちとらこの世に生まれてから、歩き出して十一時間少々、走り出して十数分の身だけどよぉ! これでも世界水準軽く超えてる装備付ける予定なんだからなっ!

 負けてられねぇーんだよ!

 

 うおぉぉぉぉぉぉっ!

 

 追いつくことはできねぇけど、何とか付いて行くことは出来てた。だけど島の北端まで行ったところで先頭を走る提督が段々とペースを上げ始め、段々と小さくなる提督を追うために歯を食いしばって脚を動かした。

 だけど、全然追いつけない。

 それどころか叢雲にさえ段々と差を広げられて、遂には視界から消えた。

 提督からはマラソンを始める前にペース配分は各自で自由に設定するようにと言われていた。自分の身体と向き合うためにも、自分で考えて無理なく走るようにとも言われた。

 そしてオレは提督と叢雲に付いていこうと走った結果が、これだ。

 

 悔しいか悔しくないかと訊かれれば、悔しいに決まってる。

 ここで悔しいと思わないようなら、オレにこの先はないってハッキリ分かる。だからオレは不甲斐ない自分に腹を立てながら、提督や叢雲が今のオレよりも凄い奴らなんだってことを認める。

 自分自身のことを正確に把握出来ない奴は、自分以外の人間を軽く見る。他人を認めない奴は驕りと自惚れに塗れて、どうしようもなく中から濁っていく。

 それを知ってるからこそオレは、自分の在り方を他人のせいに――他人任せになんてしない。オレのことは全部オレのモノだ。

 戦果や功績は仲間や部隊と一緒に喜べばいい。

 だけど自分(オレ)の成長や限界を決めるのは自分(オレ)自身だ。

 別に提督や仲間にそういったことを指摘されたくない――とかじゃねぇんだ。そんな一匹狼みたいなことを気取りたいわけでもない。

 ただオレは、オレが天龍(オレ)であることを絶対に曲げねぇ。

 

 だからオレは下がりそうになる顎を上げて、足元を見そうになる視線を遠くへとやる。軽かった身体は段々と重さを増してきやがるし、呼吸を安定させないと段々と喉の奥で鉄の味が広がるような感覚に陥る。

 けどオレは走ることを止めない。

 立ち止まってる暇なんて、今のオレにはありゃしねぇんだ。

 

                            ⚓⚓⚓

 

 マラソンが終わった後、シャワーを浴びて提督室で提督が作った朝食を食べる。

 昨日の夜にこの姿になって初めて食べた食い物は握り飯だった。昔のオレに乗っていた水兵たちも外洋に出てしばらく経つと、よく握り飯を食べていた。

 それをオレ自身が食べることになるなんて、なんか不思議な感覚なんだけどよ。

 まぁーこれが美味いんだわ。

 昔と今だと食料事情も全然違うんだろうけどよ。

 腹減ったってぼやいてた水兵にこれ食わしたかったなぁ……なんて考えながら、大皿に盛られた握り飯の山に何度も手を伸ばしたぜ。

 今朝は握り飯じゃなくて普通に茶碗に盛られた白米だったけど、これも当然美味い。おかずは一人一人にではなくて、昨日の握り飯のように大皿で三品あって食べたい量を自分の小皿に取り分けて食べる様に言われた。

 昨日までは個人個人におかずを分けていたらしいんだけど、人数も増えてきたから大皿でドーンと盛り付ける形式にしたらしい。

 オレとしてはむしろこっちの方が好きだけどな、気に入ったモノを多めに食えるし。

 

「つーわけで、ウインナ-はオレが貰った!」

 

「あー! 天龍さんがウインナーをモッサリと持っていったにゃしぃ! でも睦月はウインナーよりも炒り卵狙いなのでセーフ!」

 

「うぉぉぉっ! ウインナーあたしももっと食べたいってぇぇぇっ」

 

 オレがウインナーの大皿からごっそりとウインナーを持っていくと、睦月が大袈裟な叫び声を上げながらしれっと炒り卵の皿に手を伸ばし、その隣で望月が珍しく大声を上げている。

 

「望月……落ち着いて、まだまだあるよ……あ、朧さんお茶どうぞ」

 

「うん、ありがとう。でも弥生ちゃん、朧のことは朧って呼んでもらっていいよ?」

 

「んっ……ありがとう。でも弥生は……朧さんって呼びたい、かな」

 

 朧からお茶を受け取ってる弥生は無表情だけど、ありゃー照れてるな。けど弥生はマジな姉妹艦(みうち)だけ呼び捨てにしたいタイプなんだろうな。まぁ、身内に過保護になる理由も分からんでもないし、周囲に壁作ってるわけでもないから、まぁいいだろ。

 

「弥生ちゃんがそれでいいならいいけど。あ、響ちゃん取ってあげるね。これくらいでいい?」

 

Спасибо(スパスィーバ)。うん、それくらいでいいよ」

 

「響は小柄なのに結構食べるんだね。僕も負けてられないかな?」

 

「提督の作るご飯はどれも美味しいからね。でも沢山食べて大きくなれるなら、私は歓迎さ。こんなに美味しくて自分の成長にも寄与するなんてね、хорошо(ハラショー)

 

 この中でも一番身体の小さい響がモリモリと食べるのを見て、時雨が驚いてるな。てか、響は時々日本語じゃない言葉使ってるよな……まぁいっか。提督が何も言わないところを見ると、問題ないことなんだろ。

 

「ちょっと天龍、ウインナーばかり食べてないでちゃんと野菜も食べるのよ?」

 

「へいへい、分かってるって叢雲(かーちゃん)

 

「誰がかーちゃんよっ!」

 

 面倒見のいい叢雲が世話を焼いてくれるから、ちょっと茶化したら顔を真っ赤にしてツッコミを入れてくる。

 

「ふふっ、でも今の叢雲は確かにちょっとお母さんぽかったかも……」

 

「ちょっと時雨!?」

 

 時雨が乗っかってきて食卓は笑いに包まれた。

 叢雲も怒ったフリはしているけど、目が笑っているから大丈夫だろ。ああ見えて分かりやすい性格してるから、からかう方としてもやり過ぎないで助かるぜ。

 

 朝飯を食い終わって、提督が食器を下げると睦月たちが『洗い物お手伝します!』って言って付いて行った。提督室に残ったのはオレと叢雲だけか。

 叢雲は提督に渡された書類をダンボール机の上で書いている。オレは窓辺に座って片膝立てて窓の外を見ていた。

 外からは蝉の鳴き声が賑やかに響いて、夏を謳歌しているようだ。

 

 提督の支度が済めば、この後は(おか)での訓練を兼ねて泊地の施設整備をするらしい。睦月や望月、朧の話によると『土木さぎょ~!』、『肉体労働ぉ』、『とても為になることです……多分』だそうだ。

 まぁ、オレも叢雲がしてるような事務方作業よりもそっちの方が性には合いそうだな。体を動かすのは楽しいし、楽だ。

 

「ねえ、天龍」

 

「あん?」

 

 書類から顔を上げた叢雲が声を掛けてきた。

 

「合流した時に睦月たちと話していたこと。第六水雷戦隊ってアンタが旗艦だったの?」

 

「いいや、違うぜ。確かあの時の旗艦は夕張だったはずだ」

 

「あ、そうなのね。でもそれならよくあの娘たちの所属していた部隊のこと知ってたわね。同じ作戦に従事してたの?」

 

「おう。()()戦いが開戦してすぐに、オレは第十八戦隊として攻略目標の島に対地攻撃をやりに行ってたんだけどよ。その時の攻略本隊が夕張率いる第六水雷戦隊だったんだ」

 

「ふーん、そういう縁だったのね」

 

「ああ、アレもひでぇ戦いだったぜ。事前の報告だと敵の防衛戦力はほぼ無効化したって話だったんだが、蓋を開けて見れば陸上砲台はかなり生き残ってたし、戦闘機も残ってた」

 

 虚偽の――いや、正確性に欠く戦果報告ってやつだけどよ。これにオレたちは何度も踊らされてたんだ。

 

「反撃を受けて疾風と如月が沈んじまってよ。まぁー睦月の落ち込み方が尋常じゃなくてな、今みたいに人の形してたら後を追って海に飛び込んじまったんじゃねーかなって思うくらいになぁ……」

 

「そう……僚艦を、それも姉妹艦を失うのはとても辛いことだもの。仕方のないことよ」

 

「ああ……だからもし、オレ()()第十八戦隊が一緒に戦えていたら、違う未来もあったのかもしれないって、思うこともあったんだ。戦争(いくさ)()()()なんてしょうもねぇことなのは百も承知だけどよ」

 

 顔の前に手の平を上げて窓の外――東の空にある太陽に向けて光を遮るようにかざす。夏の日差しは朝でも容赦なさそうだが、それでも昼に比べりゃ大分柔らかめな朝陽がオレの手の平を透かすように照らした。

 朝陽を遮った手の指から漏れる光りに、髪で隠れていない右目を細めて太陽を握るように右手を握り込む。

 

軽巡(オレ)らは駆逐艦(オマエ)らの姉貴だ。重巡や戦艦の人らがそうであるように、オレらはお前らを引っ張って行って守ってやらねーといけねぇ。別にそれは義務とか役目だからとかじゃなくて、軽巡(オレ)らを信じて後に続いてくれる駆逐艦(オマエ)らを命張って守るのは、軽巡(オレ)らの使命だって、オレは信じてる」

 

「そうね……私もそんな貴方たちだからこそ、信じてついていけるんだと思うわ」

 

 いつの間にか熱を入れて喋っちまってたらしく、ペンを机に置いた叢雲が少し背筋を伸ばしてオレの方に向いてそう言った。

 

「へっ。柄にもない事言ってたな。忘れてくれ」

 

 ちょっと頬が赤くなるのを自覚しながら、鼻の下を指で擦ってそっぽを向くと、叢雲から少しだけ意地の悪い声音が聞こえてきた。

 

「私はそうしてあげてもいいけど。他の娘らはどうかしらね……?」

 

「あん? えっ!? お前ら――っ」

 

 叢雲の言葉に不吉なものを感じて慌てて扉の方に目を向けると、扉の隙間に六対の瞳がこちらを覗き見ていた。

 そして扉が勢いよく開くと、涙と鼻水でグシャグシャになった顔で睦月が突っ込んでくる。

 

「てぇんりゅぅしゃぁぁんっ!」

 

「だぁぁぁっ!?」

 

 ダイブしてきた睦月を慌てて受け止めたが、すぐに望月と響が続けざまに飛び込んできて倒壊する。

 

「ちょ、お前ら重てぇーっての!」

 

「むちゅきはぁ……睦月はぁ感激なのですぅぅぅ」

 

「いいとこあるじゃん……」

 

「……хорошо(ハラショー)

 

 クッソっ! 柄にもないこと真面目な顔して言っちまっただけでも業腹なのに、なんで泊地にいる駆逐艦全員に聞かれてんだよっ!

 畳の上に倒れたオレの腹の上に睦月、望月、響が乗っかっていて、ちんちくりんな三人とはいえそれなりに重てぇんだよっ!

 おらっ! そこの叢雲含めた四人組! 見てないで――ゔぇ?

 おい、待てよ。

 なんで朧、弥生、時雨――何お前ら見詰め合って頷いてるんだよ……やめろよ!? 

 振りとかじゃねぇからな!? 

 なんでジリジリ近づいてきてんだよ……こら時雨っ! お前だけ顔が少し半笑いになってるぞ!

 やめろって……分かるだろ? 声が既に出ない程度には圧かかってるんだっての!

 あっ……マジだこいつら、あ……あぁぁっぁぁぁっ!

 

「騒々しいわね……大丈夫?」

 

 大丈夫なわけねーだろっ! 叢雲っ!

 

                            ⚓⚓⚓

 

 蝉が命すり減らしながら鳴いてる最中、中天近い太陽の下でオレは一心不乱にツルハシを振っていた。

 ついさっき記憶が一時的に飛ぶくらいの滅茶苦茶酷い目にあったような気がするが、今はその鬱憤を晴らす為にツルハシを振って古く劣化したアスファルトをガンガン穿っていく。

 オレの近くでは提督が電気式の削岩機を使って同じく地面を掘り、叢雲と朧と時雨がスコップで砕けた敷材をすくって手押し車に載せて、それを睦月、望月、弥生、響が決められた場所へと捨てるのを繰り返していた。

 

 燦燦と照り付ける太陽の下で黙々と身体を動かす作業をしてると、自然と汗をかいてくる。

 作業をしているオレが今着ているのは、上は叢雲たちが着ているモノとほぼ同じ白い体操着で、下は叢雲たちがブルマってヤツで、オレはハーフパンツってモノをはいてる。ブルマってのも動きやすそうで良さそうだけど、提督が言うにはアレは駆逐艦用に用意されているもので、オレたち軽巡にはこのハーフパンツってのが正式採用されてるらしい。

 まぁ風通しいいし動くの楽だし、オレは結構気に入っているけどな。

 あとおまけで全員が『児島』と書かれた前つばしかない帽子を被っている。

 

 ガンガン地面を穿つツルハシの先端に注視しながら、力の入れ方や腰を入れての重心の安定に意識を向ける。

 最初は力任せにガッツンガッツン地面をぶっ叩いて回ってたんだけど、すぐに手は痺れてくるし自覚出来るくらいに疲れも感じ始めた。

 オレたち艦娘は艤装を装備してれば艦艇だった頃と同じ馬力を発揮出来て、艤装がない状態であっても必要に応じて元の百分の一程度の力は発揮できるらしい。だけど、それは自然体であったり適切な身体の使い方をしないとダメらしくて、最初オレがやっていたようなただ力任せに体を動かして腕を振るうような無様なことをすると、人並みに疲れちまうようだ。

 オレとしてはもっとこう簡単なことなんだと勘違いをしていたんだけどよ。そんなオレを見て提督がツルハシの使い方を全部教えてくれた。

 柄の握り方に握る力加減、立ち位置に軸足、振り上げてからの振り下ろすまでの重心の移動、目標地点の定め方と視点の固定。

 教わったことを実践してみると、驚くほど順調に地面を穿つことが出来た。しかもさっきみたいに仕損じて手が痺れることも滅多になくなって、疲れ方も全然違っていた。

 

 すげぇ……これが生きた身体の使い方ってヤツなんだな。

 艦艇だった頃とは全然違う。

 そもそもあの頃は船体(カラダ)の大部分は乗員の水兵たちがやってくれていた。オレたちは気分や機嫌なんていう曖昧なモノで、それらに影響を与えていただけだ。

 だけど今のオレらは違う。

 自分の意思で身体を動かし、自分の考えで工夫して物事を上手くこなすことができる。

 

 ――すげぇなぁ。

 

 ――人間ってのはこんなにも自由で、こんなにも不自由なんだ。

 

 考えていると口元がにやけてくるぜ。

 既にオレは提督が削岩機で地面を割るよりも早いペースで地面を砕いている。だけど、提督にオレくらいの力があれば、きっとオレなんかよりももっと早く地面を砕いていくことが出来るんだ。

 そう思うと、もうたまんねぇ。

 多分オレは今めっちゃいい顔で地面をぶっ壊してると思う。

 

 だってオレは今、すげぇ嬉しくてすげぇ楽しいんだ。

 

「天龍さん、何だか嬉しそうだね?」

 

「おう、オレは今めちゃ機嫌いいからな」

 

 オレの砕いた敷材を回収するために、ツルハシを振るうのに邪魔にならない程度に距離を取った位置で作業をしていた時雨が、提督から貰った手拭いで汗を拭いているオレを見て目を丸くしている。

 

「そうなんだ……作業が楽しいのかい?」

 

「おう、それもあるけどよ。このツルハシ一本振るうにしても、提督に教えてもらったことを実践出来れば上手く使うことが出来ちまう。ならきっと他のことも最初分からなくても、自分で工夫したり教えて貰えれば同じように出来るようになる。そう思うと、楽しみにならねぇか?」

 

「それは――うん。そうだね。僕もそう思うよ」

 

 時雨は自分の持つスコップを見た後、提督に視線を移して頷いた。そういえばこいつも提督にスコップの使い方を教えてもらってたな。ならオレと共感できるモノがあったんだろう。

 提督の方に目をやると、朧が汗で剥がれた頬の絆創膏を提督に貼り直してもらっていた。

 

「天龍さーん! 睦月たちドンドン運ぶからドンドン掘っちゃってねっ!」

 

「睦月走るなよぉ~危ないだろー」

 

「弥生……まだまだ余裕、です」

 

「私もまだまだ余裕さ。Ура(ウラ)

 

 空になった手押し車を押して戻ってきた睦月が元気に手を上げ、その後ろから望月と弥生と響が追いかけてきた。

 

「へっ。お前らオレの破砕スピードについてこれんのか?」

 

『上等っ!』

 

 四人の重なった声に笑みを浮かべて、オレはまた大きくツルハシを振りかぶった。

 

                            ⚓⚓⚓

 

 昼食後、オレたちは工廠に向かっていた。

 午前の作業が終わってから、汗をシャワーで洗い流して飯を食った。

 あーラーメンと焼き飯美味かったなぁ……。

 んで、その後しばらく窓を全開に開けた提督の部屋で全員雑魚寝して涼んでたんだが、心地良い疲労感ってのはまさにあのことなんだろうな。

 提督と叢雲はダンボール机を囲んで執務してたけどな。

 時間が来て午後の行動に移った訳なんだが、今は提督の後に続いて工廠に向かって移動中だ。

 

 歩きながらふと自分の目線の下で揺れるものへと目を向ける。胸部から張り出すように大きいソレは、駆逐艦たちとは明らかに違い歩くたびに揺れる。

 正直なんか重てぇし午前の作業でも、ツルハシ振るうたびにやたらと下着の中で上下に揺れるし、邪魔くせぇ。 これのせいで速力落ちたりしねぇーだろうなぁ……。

 なんでこんなにオレだけでけぇんだよ……ってシャワー浴びてる時に触っていると――。

 

『ふぁっ?! 大きい大きいと思ってたけど、やっぱり天龍さんおっぱい凄い!』

 

『あん?』

 

『おぉー、ホントだ。かっけぇー』

 

『弥生……ぺったんこ』

 

『凄い、大きい』

 

『軽巡の天龍さんでそれなら、戦艦のあの二人だと……』

 

『うん。凄い……でも、私だって大きくなるさ』

 

『アンタたちねぇ……』

 

 口々に人の胸見て感想を言ってくる駆逐艦たちの胸に目をやる。

 並んでいる順に睦月、望月、弥生、朧、時雨、響、叢雲。

 膨らみかけ、ぺったんこ、ぺったんこ、明確な膨らみ、微妙な膨らみ、ぺったんこ、 微妙な膨らみ。といったところで、確かにオレのに比べると山と丘くらいの差があるな。

 でもなぁ、あったからって邪魔にしかならんだろ。

 

 そう言ったオレに対して駆逐艦たちは絶対あった方が格好いいとか憧れるとか、何故か肯定的な意見が向けられて戸惑う。

 そうかぁ? あった方がいいのか、コレ?

 

 どうもオレだけ特に頓着というか関心が薄かっただけで、胸が大きいかどうかは女にとって結構重要な問題になるらしい。

 ま、言われてみればオレにふさわしいモノだって思えてきたぜ。

 フフンっと胸を張る。

 

 なんてことを考えていると、いつの間にか工廠に辿り着いていた。

 工廠内は静かなもんで、工業機械が出す作業音なんかも聞こえず閑散としている。他の連中も同じことを思ったのかキョロキョロと周囲を見渡している。

 

「君らの艤装の整備も一通りは終えているからな。叢雲の破損した艤装の修理を夜通しやってもらって、今は大半の工廠妖精たちには休んでもらっている」

 

 工廠が静かなことを気にしたオレらに気づいた提督が理由を説明してくれた。加えて工廠を主導する工作艦の艦娘が着任するまでは、工廠の真価はまだ発揮されないらしい。

 と――それはともかく、今提督が聞き捨てなんねぇこと言ってたな。

 

「おい、提督。ここに来た目的って……」

 

「察しがいいな、天龍――」

 

 提督が一つの扉の前で立ち止まった。両開きの大きな扉で、その向こうはそれなりに広い空間だということが雰囲気で分かる。扉の上には『第一整備室』という札が掲げられていた。

 

「――そうだ。君らと共に生まれた艤装がここにある」

 

 提督が扉を開くと、そこはかなり開けた空間で工業油と鉄の匂いが濃い。

 部屋の北側の壁に六個の縦横三メートルくらいのシャッターが並んでいて、そのシャッターから天井伝いに南側へ向かって一直線に天上クレーンのレールが伸びている。

 白いコンクリート敷きの床は排水を意識してか所々に浅く細い溝が掘られて、緩めの傾斜が設けられ四方の壁近くには鉛色をした排水溝の蓋がグルりと部屋を囲んでいた。

 そしてオレが何よりも注目しているのは、天井クレーンのレールの先に四つの台座が設置されていて、その上にそれぞれに形の違う艤装が四基置かれていた。

 

「君たちの分身だ。まだ装着は許可できないが、まずはじっくりと触れてみてくれ」

 

 その許可の言葉が終わらない内に、オレたち四人の身体が自然と艤装へと向かって足を進めさせていた。

 どれが自分の艤装かなんて、改めて教えてもらう必要なんてない。自分の半身を見間違うなんてことがあるはずねぇんだから。

 オレは迷うことなく一番手前に置かれた艤装へと走り寄った。

 

 他の三人よりも一回りは大きい艦艇時代の艦橋を思わせる主装部。それを挟むように左側に14cm単装砲一門と右側に53cm三連装魚雷発射管が備え付けられている。

 触れるほど近くまで行き、じっと自分の艤装をじっと見つめると懐かしさと安堵を感じる。やっと自分が天龍(じぶん)であることを実感できた、そんな気持ちすら感じる。

 

「天龍、どうだ?」

 

「ああ、最っ高だぜ……」

 

 近くに来た提督に返事をしながらも、オレは艤装から目を離せないままでいた。

 艦艇時代、竣工時は世界標準を越えた性能を確かに持っていた。だけど軍事技術は日進月歩ってヤツだからな……。

 

「提督。オレは口では世界水準軽く超えてる……なんて言ってるけど、自分の事だからよ。本当は全部分かってんだ。被弾回避を念頭に小型化したから拡張性ってヤツがオレにはなかった。だからよ、後発の球磨型、長良型、川内型を見ていてオレには奴らに勝てる性能はないって諦めてたんだ」

 

 髪に隠れていない右目で艤装を見ながら、朧気ながらも憶えている当時のことを振り返る。提督はそれを黙って聞いてくれていた。

 

「それでも前線で戦えている内は良かったんだ。性能不足や型遅れなんて言葉を聞きながらでも、オレは意地になって戦っていたんだ。けどよ……あの大戦の最中、戦局が怪しくなり始めた頃だ。南洋で大きな戦いがあるって予感がしてた。だけど当時老朽化していたオレは遂にその作戦からは外されたんだ……足手まといだってな」

 

 当時の記憶は霞んだ思考の奥にあるって感じだが、この時のことはハッキリと憶えている。乗員共に悔しくて悔しくて仕方がなかったんだ。

 意地ではどうにもならない問題に直面して、オレは遂に折れた。

 

「内心諦めちまってたオレは、その時がきたか……ってくらいの感傷で下を向いちまったんだ。だけどよ、オレに乗ってた連中はそうじゃなかった。海軍省で行われてた作戦会議室の廊下に座り込んで、作戦参加を嘆願してたんだ」

 

 あの頃の海軍は怖っかなかったからな。オレといい勝負なくらい怖い人らが、あの作戦会議にはひしめいてたはずだ。

 だけどあの人らは折れなかったんだ。

 

「海軍のお偉いさん方に『自分たちと天龍はまだ戦える。まだやれる』って直談判してくれたんだ。お偉いさんから『その理由がただの意地ならば引け。老朽化した天龍の速度では作戦に支障をきたす恐れすらある』っていう言葉にも負けずに『我々は意地でここに来ているのではないのです。我々は水雷屋としての誇りと天龍という名艦が、この史上きっての大夜襲作戦に必要であると確信しているからこそ、ここに来ておるんです』ってな」

 

 遂にお偉いさんが折れて、オレはあの作戦に参加することが出来たんだ。

 すげぇーよな……並の事じゃねぇぜ。

 オレは心からオレに乗ってくれていた人らを尊敬し、誇りに思ったんだ。

 艤装から視線を切って顔を上げると、提督は変わらずじっと話を聞いてくれていた。

 

「オレは下らねぇ意地は張らねぇ……そんなものすぐに折れちまうって分かったからな。だけど誇りは違う。誇りは簡単には折れないし、何より意地みたいに下向いて歯を食いしばるんじゃなくて、上を向いて笑っていられるんだ。オレはあの時、あの人らのおかげで誇りを持つことが出来た。だからよ……オレにそれを示してくれたあの人らの為にも、オレが天龍(オレ)である誇りを貫き通す。この艤装と一緒になっ!」

 

 遂に艤装に触れると、艤装が僅かに光を放った。突然のことに驚いてると、艤装の影から二つの尖がった板みたいなのが飛んできた。

 

「うおっ!?」

 

 驚いて後ずさると、飛んできたそれらが頭を挟むような位置で上を向いて止まった。慌ててそれを見ようと体を捻るが、頭のその位置から動かないらしく身体と捻ってもまったく見えない。

 

「天龍。それは叢雲に付いているモノと同じ物のようだ。艤装の一部であって害のあるものではないようだぞ」

 

「ホントかよ……おぉ、触れる」

 

 提督にそう言われ手を伸ばすと、硬く冷たい感触が指先に当たる。言われてみれば叢雲の後頭部付近にも似たようなものが浮いてたな。

 まぁ、いっか。電探みたいなもんだろ。

 気にしないことを決めて、オレは改めて艤装を撫でる。

 

 それに――よ。

 人ってのは凄ぇんだ……艦艇(あの頃)のオレには無理だったけど、もしかしたら艦娘()のオレなら後発軽巡(あいつ)らにも負けないモノが得られるかもしれねぇ。

 そう思うとワクワクするじゃねぇか。

 

「天龍。第一期メンバーが揃えば、訓練を本格化して時機に遠征任務が開始される」

 

「おう、遠征か。兵站はマジで大事だからな」

 

「外洋の哨戒や海域の奪還を任されるにはまだ少し時間がかかるだろう。だが遠征任務にも会敵の危険性はついて回る。その時は――」

 

「みなまで言うなって、提督。遠征だろうが戦闘の為の出撃だろうが、任務にこだわりなんてねーよ。オレはアンタに任された事をきっちりこなしてやるさ。オレの誇りにかけてな。だから変な気をつかうんじゃねーぞ?」

 

 そう言って提督に向かって拳を突き出した。すると提督は少し驚いたような表情を見せたけど、すぐに薄く笑うとオレの突き出した拳に自分の拳を当ててくれた。

 

「頼りにしているぞ、天龍」

 

 そう言うと提督は片手に持っていた何かをオレに差し出した。それは真ん中に薄く四角いアテがあって両側に細い帯が伸びていた。

 

「これって眼帯か?」

 

「ああ、工廠妖精に渡すように頼まれていた。これも艤装に連動しているモノらしいので、常に身に着けるようにしてくれ」

 

「おう。もらっとくぜ」

 

 ずっと前髪で隠していた左目を覆うように素早く眼帯を付けると、提督に向かって胸の下で腕を組んで自身を誇るように胸を張る。

 

「オレの名は天龍。フフフ……提督、怖いか?」

 

「ああ、恰好いいと思うぞ」

 

「へへっ、だろだろ?」

 

 怖いとは言ってもらえなかったけど、格好いいも悪くはねぇーな。フフンっと機嫌よく艤装に腕を乗せてもたれ掛かると、ふと艤装が乗っている台座に何かが立てかけられているのが目に入る。

 

「おっおぉー!」

 

 思わず大声を上げてそれの傍に寄る。

 立てかけられていたのは一本の刀だった。

 ほとんど今朝夢で見たモノと同じで、鞘に収まっている姿が超絶格好いい。

 

「提督っこれもオレのなのか?」

 

「そうだ。それも叢雲と同じで白兵戦用の武装のようだな。使えそうか?」

 

「分かんねー……分かんねーけど、絶対使いこなしてみせるぜ」

 

 少し震えそうになる指先で刀を手に取ると、ゆっくりと持ち上げる。ズシリを重いそれはまさに命を刈り取る武器にふさわしい重さを持っていた。

 手の中にある刀に目を落としながら、考える。

 これだって艦娘じゃないと振るえなかったもんだ。海戦で接近しての白兵戦なんて最高にイカれてるけど、昔なら出来なかったことだからな。

 

 まずはコイツを使いこなせるようにならねーとな……その方法を考える内に柄を握ったところで、午前中にツルハシを握っていたことが脳裏を過った。そしてそのまま提督に目を向ける。

 

「提督。これの使い方って分かるか?」

 

「剣術は無理だが、剣道なら経験がある。それでよければ教えれる」

 

「おおぉーマジかよっ! じゃあ頼むぜ!」

 

 ウキウキと刀を掲げていると――。

 

「あー! 天龍さんがなんか凄いの持ってる!」

 

 睦月の声に他の駆逐艦たちも集まってきた。

 

 ――ったく、しゃーねぇな。

 

「おらっ天龍様の愛刀を見やがれ!」

 

 オレは誇らしげに刀を大きく掲げた。

 

                            ⚓⚓⚓

 

 月明りが夜の海を照らして、日中の余熱を冷ますように風が吹いている。

 蝉から選手交代した夏の虫たちが静かな音を立てていた。

 

 晩飯を食って風呂に入ってから、駆逐艦たちと取っ組み合いなんかやりつつ、消灯の時間までを過ごした。数の暴力はダメだって……ズルくね?

 消灯となって電気を消すと途端に部屋は暗くなり、目が慣れてくると月明りが差し込んでくるぼんやりした明るさと、網戸越しに吹く風でなびく薄手のカーテンの動きを感じる。

 目の前に見えるのは二段ベッドの二段目の天板。その向こうでは昨日と同じで弥生が寝ている。さっき無愛想を気にしているって悩んでる様子だったから、頬っぺた引っ張って笑顔の練習をさせようとしたんだけど、あんま効果はなかったな。

 

 眼帯を外した目を閉じて考えるのは、昼間の事。

 艤装との対面と刀との出会い。

 これならきっとアイツにだって……アイツ?

 

 ――ん?

 

 ガバっと布団から起き上って、目の前の何もない空間を凝視して考える。

 それは直感としか言えない何かだった。

 

 朝の夢

 あの口調。

 オレと同じ接近戦用の武器。

 フードがはだけて見えた素顔。

 

 ――天龍ちゃん。

 

 オレのことを天龍ちゃんだなんて呼びそうなヤツは一人しか心当たりがねぇーわ。

 

「へへっ……なんだよ」

 

 小さく口の中から漏れないように呟くと、ボフっと枕に向かって倒れ込む。

 まだここに来てもないのに、オレの心配をするってか……ったく、ガキじゃねーんだぞ。

 悪態をつきながら口の端が吊り上がるのを止められない。

 

 とっととこねぇと、追いつけねーくらい強くなってやるからな……龍田。

 あと、頭殴った事覚えてやがれってんだ。

 

 




レベリング場所が一期と二期で大きく変わったので、熟練提督さんたちが凄い場所を探してくれるのを祈っていたんですが、どうやらある程度固まってきたようなので私も少し本腰入れてレベル上げします。

でも書くのも止めませんけどね。

感想は本当に原動力になるので、いつでも歓迎しております。


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