機動武闘伝Iストラトス (Easatoshi)
しおりを挟む

第1話

 

 

 

 

 

「やっと帰ってこれたな」

 

冬の寒さが微かに残る3月の上旬の早朝、

多くの観光客やビジネスマンのごった返す国際空港の前にて、

まだまだ冷たい風に短く切り揃えた髪とくたびれたバンダナをなびかせながら、

薄汚れたスニーカーに継ぎ接ぎのあるズボン、

前を空けて袖まくりしたジャンバーに甲の部分が露出した指貫グローブと言ったいでたちで、

少年『織斑 一夏』が手荷物の使い古されたズタ袋を傍らに置き、

数年ぶりに足を踏み入れた故郷の空気を懐かしんでいた。

 

「日本の空気を吸うのも久しぶり……それにしてもまだまだ寒いな」

 

一夏は帰国子女である。

 

諸事情により1年と数ヶ月前……学年にして中学2年の中頃に日本を離れ、

2~3ヶ月単位で北半球と南半球を跨ぎつつ各国を転々としていた。

そしてつい3日前、最後の滞在地であるベネズエラを後に日本へと帰国してきたのであった。

 

赤道直下の常夏の国であった為、

春先であっても向こうは暑いぐらいの気温である。

常に太陽が差し込んで温度の高い国から四季の概念がある日本に戻ってくれば、

ベネズエラではむしろ暑苦しいぐらいであった

長ズボンに薄手のジャンバーと言う服装では少々寒い。

 

だが上腕部まで上げているジャンバーの袖を戻すわけでもなく、

露出した腕を擦りながら小刻みに震えた。

 

「……まあ、ある程度冷えるのは分かりきってた事だし、そんな事よりも」

 

一夏は懐から折りたたんだ紙を取り出すと、一夏は紙に書かれていた内容に軽く目を通す。

 

それは総合格闘技を専門に扱い、これまでに数多くの

世界チャンピオンを輩出した名門ジム『藍越』の入門希望者を募るパンフレットであった。

記載内容はジムである建物と現役の格闘技のチャンプである屈強な男のツーショットを中心に、

ジムに所属する訓練生のコメント、ジムまでのアクセスルート、住所、

電話番号、「俺達と共に世界を目指そう」と言った煽り文句など。

 

「ぐずぐずしてたら入門テストが始まっちまうな……えっと、バスの行き先は」

 

そしてお目当てのバスターミナルを探すべく、

傍らに置いていたズタ袋を肩に担いでその場を後にした。

 

 

 

齢にして若干15歳と言う若さの彼が、件のジムへの

入門テストを受ける目的で足を進める……織斑 一夏はプロの格闘家を志す少年であった。

 

 

 

 

 

                 機動武闘伝Iストラトス

 

         第1話「ISを動かせる男 少年格闘家、織斑 一夏」 前編

 

 

 

 

 

織斑 一夏はいたいけな子供だった。 家庭的に恵まれていなかった事を除けば。

 

物心付く前に両親は蒸発し、親代わりとなって

面倒を見てくれていたのは9つ離れた文武両道の実の姉『織斑 千冬』であった。

幼い彼が自信を無くして挫けそうになった時、

何時も彼の側には姉がいて、時には厳しく叱咤し、時には優しく見守り、

強い意志を持った姉の加護の元、一夏少年は健やかに成長した。

 

そんな彼が格闘家を目指すようになったのは小学生の頃、

とある武術大会にて瞬く間にその名を世界に轟かせた姉に憧れての事だった。

圧倒的な強さで他の選手を圧倒し、尚且つ自らの才能を

鼻に掛けることのない立ち振る舞いは、幼い一夏の心に火をつけるには十分であった。

尤もその頃は今のように明確なプロ意識があったわけでもなく、

子供ながらにヒーローに憧れると言った感覚のものでしかなかった。

 

しかし、中学校に進学し2年目の中学生生活を迎えたある日、

とある事件をきっかけに一夏の中で大きな変革を迎える事になった。

 

普通の中学生のように毎日学校に通い学友と共に授業を受け、

部活動に明け暮れるような充実した生活を捨て、

有数の実力者にして世界中から引く手数多である姉に付き添い、

学校に通う事無く世界各国を共に飛び回りあらゆる武術を修めようとしたのであった。

 

弟には普通の人生を歩んで欲しいと思っていた姉にしてみれば勿論反対した。

しかし普段は姉の意思を尊重していた一夏が真剣な眼差しで食い下がると、

姉もそれを了承せざる終えなくなり、それを切欠に一夏は

住み慣れた日本を離れ、格闘家としての人生を本格的に歩み始めることになった。

 

 

そして2年近く経った今日、一夏はかねてから目指していたプロの総合格闘家になるべく、

祖国を第2の人生の出発点として帰国、

名門ジムである『藍越』の入門テストを受ける為に目的地を目指していたのだが……。

 

 

「道に迷った……」

 

そう呟いてため息をつく一夏。

 

鉄の塊がうなり声と排気ガスを撒き散らしながら縦横無尽に走り去り、

渋滞寸前の交通量を観測するコンクリートジャングルの真っ只中、

一夏は先程の空港以上に人々の往来の激しい歩道にて立ち往生し途方にくれていた。

 

彼の呟く通り目的地へのルートが分からなくなった為である。

バスに乗った所までは合っていた。 最寄の路線については

パンフレットに書いてあったルートを参考にしながら進んだので間違えようがない。

 

だが降りた駅がまずかった。 目的地の最寄り駅である場所から

3駅も離れた駅で下車してしまった為、行き先がまるで分からなくなってしまっていたのだ。

 

尤も彼自身そんな場所で降りるつもりはなかったのだが、

バスが渋滞に巻き込まれてしまった為に、

クラクションの鳴り響く中待ちきれなくなった一夏がついその場で降りてしまっていたのだった。

 

「知らない駅で降りたりするんじゃなかったな……参ったな」

 

ちなみに一夏が乗っていたバスは、ご丁寧に彼が降りてから僅か数分後に渋滞が緩和された為、

何事もなかったかのように通常運行に戻っている。

 

こんな事なら渋滞のじれったさなど我慢しておけば良かったと思うが、後悔先に立たずである。

 

「まあ……なんだ」

 

やってしまったことは仕方がない。

 

落ち込んだところで今すぐに目的地にいける訳ではないので、

実にあっさりと気持ちを切り替えると

兎に角現在位置を確認する為周辺の地図が記載されている案内板を探そうと、

不注意にも辺りを見渡しながら人ごみの中をうろついた。

 

 

「あっ!」

「うおっ!」

 

そして当然の結果と言うべきか、余所見が原因で道行く人に肩をぶつけてしまう一夏。

一般人同士なら軽い接触で済む所が、なまじ体を鍛え抜いている一夏から接触してしまった為、

相手はぶつかった衝撃でバランスを崩してしまう。

 

だが一夏は接触した相手がこける前に素早く上半身を反らしてぶつかった反対側の肩に手を回すと、

腰をわずかに踏ん張らせながら片腕で抱きかかえるように、

ぶつけた相手が転倒しないように体を支えた。

 

そして支える腕越しに伝わる華奢ながらもしなやかな体躯、

胸元のやわらかな感触、どうやらぶつかった相手は女性のようだった。

 

「ご、ごめん! 大丈夫か!?」

「い、いや……私の方こそ不注意だった」

 

自分の不注意を素直に謝罪する一夏。

だが相手の方も一夏を咎めるつもりはなく、むしろ自分も不注意であった旨を伝える。

一夏は己の腕で支えられながら前のめりになっている女性の方に目線をやると、

 

「……あれ?」

 

視界には自身にとって見覚えのある姿が飛び込んできた。

 

顔立ち良し、スタイルよし、腰元までに伸びたポニーテールである黒髪の美少女、

見た感じ自身とそう変わらないであろうどこか幼さの残る成長途中のその姿。

 

記憶とは主に体格が異なるが、一夏にとってはそれでも懐かしい顔ぶれであった。

 

「ひょっとして箒か?」

 

一夏の問いかけに箒と呼ばれた女性……もとい少女は一夏の方を振り向くと、

 

「……いち、か……?」

 

一夏の顔を見るなり驚き呆気に取られたような表情になった。

間違いない、彼女はかつての幼馴染の少女だった。

 

 

 

 

 

 

一夏の記憶の中に、篠ノ之 箒と言う少女がいる。

 

かつて織斑家の近所にある神社兼剣術の道場の2人娘の妹であり、

彼女自身も実家に伝わる篠ノ之流なる剣術を学んでいた。

 

幼い頃から武術について並々ならぬ興味があった一夏とは家族ぐるみの付き合いであり、

同じ小学校に通う同級生であると共に彼女の道場にも足を運んだりしていた。

 

そう言った関係もあってか、剣術にしろ体術にしろ、

一夏から見てみれば箒は良き練習相手であり好敵手でもあった。

 

だが2人が小学4年生になって間もないある日の事、

箒は家族と共に突然一夏の前から姿を消した。 理由は転校した為。

 

どうして転校したのか姉の千冬に問いただしてみたが、

姉は何も言わず困惑する一夏に手紙だけを差し出した。

 

それは箒が一夏へと宛てた書き置きの手紙であった。

 

一夏との別れを嫌がる箒の気持ちが切実に綴られた、

文字は所々震えて何か水滴が落ちたかのようにしわよった……

恐らくは涙を流していたであろう痕跡が残されていた。

 

この手紙を残した時、彼女がどんな心情で筆を取っていたかは

幼い一夏でも痛いほどに理解できた。

 

そしてこの手紙を最後に、一夏と箒は音信不通となったのだが――――――

 

 

 

「まさかこんな所で出会うとは思わなかったな」

「そ、それはこっちの台詞だ」

 

一度下車したバス停にて一夏と箒は、自身を含めて7~8人は並んでいる

列の先頭にて次のバスを待ちながら、6年ぶりの再会を素直に喜んでいた。

 

全くの偶然とは言え、

連絡を取りたくとも取れなかった相手とばったり会えばさぞかし話題も弾むだろう。

 

「それにしてもだな……一夏は今まで何をやっていたのだ?」

「ああ、2年ほど前から武者修行として海外を飛び回ってて、

 つい先程日本の土を踏んだばかりなんだよ」

「武者修行……? その間学校はどうしてた?」

 

箒の問いかけに頭をかきながら困った表情をする一夏。

 

「諸外国をひっきりなしに飛び回ってたんだ……言うまでもないだろ」

 

どことなくかったるそうな雰囲気さえ感じられる一夏の返答に、

箒は少しばかり呆れる思いであった。

 

昔一緒に小学校に通っていた頃から一夏はこの調子であった。

別に日頃から授業をボイコットするような

不真面目な生徒ではなかったが、姉の千冬に触発されてからと言うものの

ひたすら武術を修める事に明け暮れ、盲目的と表現しても

差し支えのないその時の勢いは、同じく武術を、特に剣道を習っていた箒さえも圧倒していた。

 

一度興味を持つと猪突猛進とも言える一途さをもって物事に取り組む、

それが箒の知る一夏の良い所でもあり、そして悪い所でもあった。

 

「まあ……元気そうで何よりだ」

「おう、格闘家は体が資本だからな!」

 

そう言って一夏は箒に右腕を突き出すと、

腕を曲げて上腕部に力を入れ、得意気な表情で自慢の筋肉を強調する。

 

古傷だらけだが、ステロイド等で不自然に増やした

見た目だけの筋肉とは異なり、薄らと脂肪の乗った適度に引き締まった腕部。

 

摂生を怠らぬ地道な日々の積み重ねによって鍛え上げられていった

天然自然の賜物、格闘家のみならず一人の人間として理想型とも言えるものであった。

 

「それに……逞しくて、かっこいいぞ……」

 

地道な努力を今ここで自慢げに語りかねない一夏を横目に、

つい聞き逃してしまいそうな小さな声で呟く箒の目線はどこか熱っぽさを含んでいた。

よく見ると、頬の部分も気持ち赤みがかっている。

 

「何か言ったか箒?」

 

しかし当の一夏はそんな箒の様子に気づく事は無い。

 

「な、何でもないぞ! それよりも何故一夏は携帯電話を持っていないのだ!」

 

箒は慌てた様子で片手に担いでいた鞄から携帯電話を取り出して一夏に突きつける。

 

色こそ女性向けを連想させるような淡いピンク色であるが、

女性によくありがちな大量のストラップやシール類等といったアクセサリはつけられていない。

着飾る事に全く興味が無い訳ではないが、

かといって必要以上に取り付ければ邪魔なだけなので敢えてつけていない、

見た目よりも使い勝手を優先した結果である。

 

そんな箒の携帯電話を一瞥すると、

 

「壊れた」

「……は?」

 

一夏は実にあっさりと携帯電話を破損させた事を箒に言う。 箒は思わず素っ頓狂な声を上げた。

 

別に一夏自身、情報化社会である現代において

小型端末を兼ねた携帯電話の必要性を理解していない訳ではない。

 

ただ、一夏は過去に数度携帯電話を入手し、

そのいずれも1ヶ月も経たない内に貴金属のゴミに変えてしまっていただけなのだ。

 

経緯はこうだ。

 

 

1機目、中学時代新聞配達等のバイトでこつこつ溜めて買った中折れ式の真っ黒な電話。

    買ったその日に道行く不良に因縁を吹っかけられ返り討ちにするも、

    暴れてる最中にうっかり地面に落として踏みつけてしまい、

    一度も通話する事無くお亡くなりに。

 

    慰謝料として幾許か相手の財布から抜き取るも、もう2度と携帯は買うまいと拗ねる。

 

 

2機目、諸事情により姉の千冬と共に海外留学と言う名の武者修行の旅に。

    携帯電話への未練を捨てきれなかった一夏は、最初の目的地である

    ドイツにてこっそり日本語を含む多国籍言語対応の携帯電話を買う。

    が、道中巻き起こっていたデモに巻き込まれてまたもや破損。

    姉が様子を見に来るまで周囲のデモ隊相手に大乱闘。

    姉にも派手に暴れ過ぎた事を咎められ、

    踏んだり蹴ったりの一夏は再び携帯電話を買わない決意をする。

 

 

3機目、ドイツでの滞在後、用事の為現地を離れられない

    姉と別れズタ袋片手に一人で海外を放浪する事に。

    次の目的地であるイギリスにて再び携帯電話を

    買いたい衝動に駆られ、旅費の一部を用いて購入。

    だが偶々乗っていた地下鉄にて、

    ある自分と年齢のそう変わらないであろう金髪ロールの少女に痴漢と間違えられ、

    駅員や他の乗客数名を巻き込んでの揉み合いに、

    携帯はその際地下鉄の線路内に落としてしまい、破損。

 

 

4機目、先述の騒ぎもあってわずか1週間でイギリスを離れ向かった先はフランス。

    既に4機目になりそうな空気であるが、今度は壊すまいと

    機能を犠牲にする代わりに少々頑丈な携帯電話を購入。

    が、近くで携帯電話の電池が切れて困っている女の子を見つけ、

    可愛い子は親切にしろの精神で買ったばかりの携帯電話を貸してしまう。

    後日返してもらうと住所まで教えてもらったにもかかわらず、

    その翌日に行われた軍事パレードに気を持っていかれ、

    貸した携帯電話の事などすっかり忘れたまま

    フランスを離れてしまい、国際線の機内にて盛大に後悔する。

 

 

5機目、その後、一夏は中国に少林寺拳法を学ぶ為訪れていた。

    そして今度こそはと再び旅費の一部から、

    ちょっと素性は怪しいが一応正規の認証が通っている廉価な携帯電話を購入。

    が、あいも変わらず自転車大国である中国の道路をなめきっていた一夏は、

    無謀にも大通りを横切ろうとしたばかりに自転車の大群に巻き込まれる。

    往来を激しく行き来する自転車全てを回避するも、

    最後に歩道に飛び出した際にポケットに入れていた

    携帯電話が飛び出して地面に叩きつけられる。

    直後携帯電話は爆発、外枠や基盤の破片と液晶の中身や半田を撒き散らした。

    安物買いの銭失いを痛感した一夏は、

    兎に角騒ぎに巻き込まれまいとそそくさとその場を後にする。

 

 

 

 

以上の理由により、一夏はまともに携帯電話を持ち歩く事はなくなった。

でなければこの交通量が多く、しかも入り組んだ町並みを

ろくに手がかりもなく彷徨ったりする事は無かっただろう。

それ故偶然出会った箒の持っていた、

携帯電話に付随する交通状況のナビ機能により同じ行き先のバスが数分後、

しかも遅延無しに定刻通りに来ると確認が取れた事は一夏にとっては幸運であった。

それにさえ乗ってしまえば、5分前ではあるが藍越の入門テストには十分間に合う。

正に仏が天から蜘蛛の糸を垂らしてくれたような、

感謝してもしきれない思いを一夏は抱いていた。

話を聞いていた箒は開いた口が塞がらない思いであったが、

やがて言葉を何とかしてひねり出すと、

 

「物持ちが悪いというのも考えものだぞ?」

 

至極真っ当な回答が飛び出した。

 

「すまない箒」

 

一夏も箒の呆れた様な態度にただ平謝りするしか出来なかった。

 

「……でさ箒、お前もこのバスに乗るのか?」

 

話題を変えようと一夏が一緒のバス停に並ぶ箒に話を振る。

 

「勿論だ、この駅から2つ先でモノレールに乗り換えるがな」

 

自分とは1駅違いか、一夏は箒の言葉を聞いて思った。

 

「乗り換えか、目的地はどこなんだ?」

 

何気なく箒の行き先を尋ねてみる一夏。

だがその言葉を聞いた途端箒は急に苦虫を潰したような顔立ちになり、

一夏の顔から目を逸らす。

 

もしかして何か聞いてはいけない事だったのか、一夏は思わず口元を手で押さえる。

 

「わ、悪い……聞いちゃいけない事だったか?」

「……なんでもない」

 

そう装いつつも箒の表情はお世辞にもご機嫌とは言えない。

 

何故行き先を尋ねただけでこうも不機嫌になるのかは一夏には分からなかったが、

 

少なくとも、自分にとっては何気ない世間話のつもりが、

相手にはあまり気持ちのいい話題でないことだけは理解した。

 

(それにしてもここまで不機嫌になるなんて……一体箒の奴どこに行くつもりなんだろうな)

 

そんな事を考えながら周囲に目をやると、

たまたま視界に入った時計の針が次のバスの到着時刻を指していた。

 

程なくして、箒の携帯電話のとおりバスが唸り声のような

エンジン音を上げて定刻通りに停留所へとやってきた。

 

道路内に区切られたバスの停車位置にずれる事無く停止すると、

車体中央よりやや後ろについている乗客者の為の自動ドアが開く。

 

「ほ、ほら箒、バスが来たぞ」

「……ああ」

 

この場で険悪な雰囲気のまま突っ立っていても後ろに並んでいる客に迷惑だ。

 

一夏は気まずい中箒に乗車を促すと、共にバスへと乗り込む。

 

 

 

日本から離れて久しい母国のバスの中は既に何席かは人で埋まっており、

かつ車内の空気は文字通りの意味で暖かかった。

まだ春先とあって少し冷えている為であろう、車内には弱めではあるがヒーターがかかっていた。

 

2人分の空席はないかと素早く車内を見渡すと、

 

前方は中央通路が大きく開けられ、シートはバスの進行方向に対して

横向きの収容人数を大きく取れる通勤特化のスタイル。

 

こちらは老若男女問わず一般客で埋め尽くされており、

中には医療用のギプスを右腕と左足につけている怪我人や

上半身を覆うように新聞を広げているサラリーマンの姿がある。

 

対して後ろ側はまばらに席が空いており、探せば2人分は並んで座れそうな印象さえあった。

 

別に目的地までは10分程度あれば立ったままでもよかったが、

席がまばらに空いているのであれば特に座らない理由も無い。

それに箒とは少しの時間ではあるが話したい事もあった。

 

「お、後部座席が空いてるな」

 

丁度2人分、1番後ろの広い席が空いていた。

 

一夏が箒を誘導して先に席へと座らせようとするが、

箒の方が降りる駅が一歩手前という事もあり、奥から一夏、箒と言った順番で座る事になった。

 

そして後に並んでいた他の客が2人、3人、4人と並んで車内へと乗り込む様子が見え、

最後の6人目が乗車券を引き抜いた時にバスの乗車口が閉まった。

 

直後、バスの中に行き先のアナウンスとディーゼルエンジンの排気音を鳴り響かせながら、

一夏は途中までであるが箒と共に目的地へと再度出発した。

 

 

バスの外の景色が一定のスピードで流れるようになっておよそ1分、

一夏と箒は特に会話もなく黙り込んだままであった。

 

「……(かなり気まずいな)」

 

何がいけなかったのかは分からないが、一夏にしてみれば

自分の一言が箒を不機嫌にさせてしまったと思い込んでいる為、

話題を振る切欠を見出せずにいた。

 

だが折角のほぼ6年ぶりの再会にもかかわらず、

気まずい思いをする事を良しとしない一夏は何とか頑張って話題をひねり出そうとする。

 

すると一夏の頭の中にある記憶がよみがえる。

 

「そうだ、なあ箒」

 

箒が無言で一夏の方を振り向くと、一夏は懐を漁ってある紙切れを取り出した。

 

灰色が混じってお世辞にも上質とは言えないその紙は、

世間では新聞紙の切り抜きと呼ばれているものであった。

 

「去年の剣道の全国大会、優勝おめでとうな」

「あ……」

 

一夏の取り出した切り抜きは、箒の剣道日本一について記事のものだった。

 

1面記事だった為か写真はかなり大きく、

豪快にも相手の選手に飛び掛らん勢いで面をぶち当てた瞬間が鮮明に映りこんでいた。

 

「昔からずっと剣道やってたもんな。

 あの頃から上手かったし、いつかはやってくれると思ってたよ」

「な!?」

 

思いがけない一夏からの褒め言葉に、箒は赤面した。

 

茹蛸さながらに顔を真っ赤にしながら食って掛かる勢いで一夏に問いただす箒。

 

「ど、どうしてその新聞記事を!?」

「い、いや……格闘家目指してるんだからスポーツ新聞ぐらい読むだろ! それに……」

 

今にも接触しそうな勢いで顔を近づける箒に、

一夏は迫り来る美少女の顔に嬉しくも圧倒されそうになる。

 

あと数センチ一夏が顔を前に突き出したら唇同士が接触してしまうだろう。

荒くなった箒の呼吸が一夏の鼻先に当たる。

 

「それに何だ!?」

「……幼馴染が活躍するのは誰だって嬉しいだろ? 一緒に稽古した仲なんだし」

 

勢いづいた箒をなだめるかのような一夏の仕草。

当たり障りも何もない、共に幼少期を楽しく過ごした2人の間からすれば至極当然な回答に、

興奮していた箒の心が更に沸騰する。

 

「……うひゃあっ!!!」

「おう!?」

 

顔をキス寸前まで近づけていた事に気づいた箒は慌てて上半身を仰け反らせる。

いきなり顔を近づけたと思えば直ぐ引っ込める落ち着きのない様子に一夏は再度驚かされる。

そしてそんな2人に対し他の乗客の目線は……

 

「す、すまない一夏」

「俺の事はいいんだ、むしろ――――」

 

周りの乗客にこそ言うべきだろう。 その言葉が口に出される事はなかった。

騒がしい2人に注がれるは、

とにかくその口を閉じろと言わんばかりの冷め切った厳しい目線であった。

狭い車内で振るべき話題ではなかった、

2人は白眼視にさらされながら別の意味で気まずい思いをする事になった。

 

 

黙りこくっている内に次のバス停に到着する。

降車ボタンを押す人がいなかったので素通りするかと思っていたが、

停留所に数名の乗客が待っていた為、そのまま停車位置に車両を寄せて停止、乗車口を開く。

 

するとニット帽にパーカーを着用した若い男が乗り込んできた。

だが、空席のある後部へは見向きもせず、

かといってつり革に掴まる訳でもなくそのまま運転席へと足を進めた。

 

「……?」

 

何となくではあるが、一夏にはニット帽の男の姿が印象に残った。

 

 

 

「すみません運転手さん、このバスの行き先なんですけど……」

「うん?」

 

男はなにやらバスの行き先を尋ねている様だ。

ポケットから取り出したこの近辺の地図を広げて指をさしながら行き先を尋ねていた。

だが男の指している行き先を見るに、運転手は首を横に振る。

 

「ああ、港に行きたいんだね? ……悪いけどこのバスは行き先が違うから」

 

「そうですか……」

 

男はうな垂れた。

だが行き先の事なら普通はバスの外側に表示されているしこのバスも例外ではない。

ましてや男の言う港はここから数キロ離れた場所で、方角も丁度真反対なのだ。

わざわざ聞くまでもない事だろうとバスの運転手はそう思ったのか、

何も言わなくなった男をさして気にすることもなく、

バスの乗車口を閉じるとそのままアクセルペダルを他の乗客を気遣うように柔らかく踏み込んだ。

 

「それじゃあ……」

 

ニット帽の男が口を開く。

 

まだ続きを言おうとしているのかと気になった運転手は、

首は前を向いたまま目線を横の男に向ける。

 

そこには何かをパーカーのマフポケットに右手を入れているニット帽の男と、 

 

「おっと」

 

前触れもなく現れた、ポケットに手を入れた男の右手を掴む少年……一夏の姿があった。

少年がいきなり人の手に掴みかかる突然の展開に、運転手を含む他の乗客の間にどよめきが走る。

 

「な、何をするんだアンタ――」

「車内への『危険物持ち込み』は禁止だって」

 

一夏は手を掴まれて抵抗する男を腕ごと無理やり引っ張り上げた。

 

「親に教わらなかったか?」

 

パーカーのポケットから強引に引き抜かれた男の右手。

一夏の腕ごと高々と持ち上げられたそこには、

艶のない黒で全体が覆われた、成人男性の手に収まる引き金付きの物騒な代物が握られていた。

少なくとも日本における日常生活においては、

まずお目にかかることのないであろう『拳銃』だった。

 

「なッ!?」

 

運転手は驚きの余り目を見開き、反射的にバスのブレーキペダルを思い切り踏みつけてしまった。

激しいスキール音と車道を走る他の自動車のクラクションが鳴り響く中、

乗客は急激にバスの慣性を殺された勢いで前のめりになったり、

立って吊り革や取っ手を握っていた人もバランスを崩しそうになった。 発車したばかりで速度が乗っていなかった事が不幸中の幸いと言ったところであろう。

 

「玩具の銃とか言う言い訳は無しだぜ。

 樹脂製の銃でも物によっては実弾が発射可能なのもあるし、

 第一モデルガンでもそんなもの突きつけようとした時点で

 やろうとしてる事は一つしかないしな」

 

右手を掴んだまま男の背後に回り、反撃に乗り出せないよう手をひねり上げる一夏。

腕の捩れる苦痛に、ニット帽の男はつい拳銃を地面に落としてしまった。

すかさず一夏は落とした拳銃をつま先で押さえながら真後ろへ蹴り、

勢いに乗った拳銃はバスの降車口の段差へと蹴落とされた。

 

「な、何で気づいたんだ……!!」

 

苦痛に顔をゆがめる男の問いかけに、一夏はただ不敵な笑みを浮かべて返した。

 

「まあ、格闘家の勘かな?」

 

 

 

 

 

「い、一夏! 大丈夫なのか!?」

 

後部座席にて一部始終を見ていた箒が、一夏を心配してか気が気でない様子で駆け寄ってきた。

 

「箒、とにかく警察を呼んで――」

 

言いかけた所で一夏の表情が凍りつく。

駆け寄ってくる箒の直ぐ後ろ、丁度さっきまで新聞を読んでいたサラリーマンが、

まるで彼女が通り過ぎるのを待っていたかのように、

持っていた新聞紙を投げ捨てて飛び上がるように席を立った。

 

「箒ッ!!! 後ろッ!!!!」

 

必死の形相で一夏が叫んだ。 箒も勢いに圧倒されて一瞬立ち止まる。

その隙を背後に立ちふさがったサラリーマンは見逃さなかった。

皮肉にも一夏の叫びで一瞬思考停止に陥った箒は、

背後から腕を伸ばすサラリーマンに反応し切れなかった。

 

「なっ!?」

 

まんまと箒はサラリーマンに羽交い絞めにされてしまう。

 

「離せッ!! 何をする!?」

「まあそうあせるなお譲ちゃん」

 

男の手から逃れようともがく箒に、サラリーマン(?)は

ポケットから護身用のスタンガンを取り出すと、

それを冷や汗をかいている箒の首筋に押し当てた。

 

「うっ!!!」

 

電極部のスパークを押し付けられ、全身を駆け巡るような瞬間的な感電で気絶する箒。

サラリーマンの腕の中で力なく崩れ落ちるその様子は、一夏の冷静さを削ぐのには効果的だった。

 

 

「箒ィッ!!!」

 

腕をひねり上げているニット帽の男を跳ね除け、

一目散になって羽交い絞めにされた箒の元へ突っ走る。

 

だが、

 

「箒を離せ――――」

 

今にも箒を羽交い絞めにするサラリーマンに殴りかかろうとした所で、

風船の割れるような破裂音が鳴り響いた。

それと同時に一夏はサラリーマンに触れる事無くバスの床に顔から突っ込んだ。

 

「車内では静かにしましょうと」

 

言葉を発したのはギプスを付けているけが人と思わしき男だった。

彼はギプスを付けている右手を通路側へと突き出していた。

そしてそのギプスの先端には縁の焦げ付いた風穴が開いており、

焦げ臭い煙が細々と上がっている。

 

「親に教わらなかったか?」

 

意趣返しのつもりであろうか、一夏がついさっき発した言葉と似たような文面で返す。

そんなギプスの男がまるで健常者のように楽々と席を立ち、右手のギプスを外すと、

そこには先程のニット帽の男が持っていたものと同じ拳銃が握られていた。

 

乗客の間に悲鳴が巻き起こり、車内は騒然となった。

 

「騒ぐな!! 静かにしろ!!」

 

サラリーマン風の男が大声で怒鳴る。

すると大騒ぎになっていた乗客達が恐怖に引きつった表情で震え上がった。

わめき声こそ上げなくなったが、奥歯がかみ合わず音を立てていた。

 

「……心配するな、こいつは殺っちゃいない」

 

そう言ってギプスを外したけが人を装った男は、倒れている一夏を足で仰向けに転がすと、

恐らく銃弾が当たったであろう一夏の腹部には血痕がなく、

代わりにダーツのような針が突き刺さっていた。

よく見れば昏倒している一夏は苦しんでいる様子もなく、

ただ無表情で静かに寝息を立てていただけだった。

 

「麻酔針だ。 人質に傷が付くと困るんでな……だが」

 

もし言う事を聞かなければ……そう言いかけた所で口を止め、

嫌らしい笑みを浮かべるサラリーマン風の男。

だがこの状況において乗客達は、最早続きを言わずとも彼らの機嫌を損ねるような事をすれば、

自分達がどんな目に合わされるかは分かってしまっていた。

 

『お前達は人質だ、大人しくしなければ命はない』……と。

 

 

「おい、いつまでじっとしてる! 早く運転手にバスの操縦をさせろ!」

「あ、ああ……」

 

サラリーマンを装った男がニット帽の男に指示を出す。

 

ニット帽の男はどこか符に落ちない様子であったが、

とにかく今は指示に従うべきだと結論を出し、

降車口に落ちた拳銃を拾い上げるとそれを運転手へ突きつけた。

 

「さて、このバスの行き先なんですけど……」

「ひっ!」

 

改めて口調とは裏腹に高圧的な目線を送るニット帽の男。

こめかみに拳銃を当てられる運転手には、

このニット帽の男が言わんとしている事はもう分かっていた。

行き先を改めて聞くまでもなく、運転手は近くの交差点で本来のルートから外れると、

他の乗客同様恐怖に震えながら、今来た道とは反対方向にバスを走らせた。

 

 

 

 

織斑 一夏、帰国初日にしてバスジャックに巻き込まれる。

 

 

 

 

                                                                        続く。




5/23追記:
誤字があったので修正しました。 ご報告ありがとうございました。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第2話

サブタイトルの話数が目次と本文内とで異なる場合がありますが、
これについては本文中の物が、過去に投稿してた当時に設定した話数であるからです。
普通に読む分には差し支えは無いと思われますが、これについてはどうぞご容赦くださいませ。


 

           「ISを動かせる男 少年格闘家、織斑 一夏」 中編

 

 

 

「全員降りろ」

 

後部座席の窓際に座らされていた箒が目を覚ますと同時に、

サラリーマンの男が人質と化した乗客に指示を出した。

勿論その右手には逆らえないように拳銃を突きつけながら。

殺されるかもしれないと言う恐怖におびえる乗客は、泣く泣くその指示に従ってバスを降りる。

 

乗客が次々とバスを降りる中、箒は周囲を見渡した。

バスは箒の意識が無い内に本来のルートからはずれ、どこか見慣れない風景の中で停車していた。

寂れた倉庫に囲まれ、その反対側には船が一隻も泊まっていない埠頭が

見える所から、ここは放棄された港なのだろうと思った。

そしてバスの周囲を取り囲むように立ち、

乗客たちが逃げ出さないように目を光らせている男達(内何名かは女性だが)、

9ミリ拳銃弾を発射する発射するサブマシンガンや、木製グリップ及びにストックや

ハンドガードの装備されたアサルトライフルを携えた彼らは、

恐らくはこのバスジャック犯の一味であろう。

 

(バスジャックにしては随分と豪勢な装備だな)

 

恐らく彼らの持っている装備は軍部の払い下げになった装備の横流し品や、

或いはどこかのゲリラ辺りから裏ルートを通して融通してもらったものだろう。

ただのバスジャックにしては余りにも装備が充実しており、

強盗グループどころかテロリストの線もあると箒は睨んでいる。

 

 

「何をしている、お前も降りるんだ」

 

思考を巡らせる箒の前に現れたのは、ギプスを付けていた男。

あの怪我は武器を持っている事を悟られないようにする為の

カムフラージュだったのだろう。 ギプスがついていた筈の右腕には

怪我一つ見当たらず、寧ろ健康そのものの腕で箒の頭に銃口を向けていた。

 

「けが人じゃなかったのだな」

 

こちらを見下ろすギプスの男に、箒は軽蔑の意味を込めて言葉を投げかける。

箒が気を失った時点では只のけが人だと思っていた目先の人物だが、

明らかに乗客全員が恐怖に怯えてバスから降ろされているこの状況の中、

サラリーマン風やニット帽の男と同じく銃を持っている事から、

3人はまず間違いなく『共犯』と見て取れる。

 

(どうする? 今なら相手も油断しているかもしれないが……)

 

箒は思考を巡らせた。

彼女とて剣道を通して一通りの体術は学んでいる。

その上中学生クラスではあるが、全国大会優勝のお墨付きをもらっている実力者だ。

万全の状態でこの至近距離ならば、

相手の不意を付いて武器を奪う事ぐらいは出来たかもしれない。

 

だがそれは現実的ではない話だった。

相手の実力も分からない上に、目覚めたばかりで意識の混濁した状態で、

その上頭上から銃を突きつけられていては、

流石の彼女もリスキーな選択であると言う事は理解できる。

仮に武器を奪えたとしても、周囲にこれだけの武装した相手がいれば

抵抗しようものなら即座に箒の体は、バスの窓ガラスや外板もろとも蜂の巣にされるだろう。

 

そんな彼女がとった選択は。渋々相手の指示に従って両手を後頭部に回し、

あくまで今は抵抗しない意思を見せる事だった。

 

「ほう、物分りがいいな」

 

男は箒を立たせると、後ろから銃を突きつけながら彼女をバスから降ろすように誘導する。

舌打ちをして露骨に嫌な表情を取る箒であったが、

バスの降車口の段差を降りようとした時、ふとある事に気がついた。

 

「……一夏はどうした?」

 

幼馴染の彼の姿がどこにも見当たらない。

箒は前を向いたまま後ろにいるギプスの男に問いかけた。

 

「ニット帽の銃を取り上げた私と同じ年代の男だ」

「……ああ、俺に銃で撃たれたあいつの事か?」

「え?」

 

銃で撃たれたのくだりで箒は一瞬硬直する。 だが男は驚く箒を意に介さず話を続ける。

 

「只の麻酔銃だ、人質に死なれては困るんでな。 奴ならこの港に着いた時、

 真っ先にお前の言うニット帽がこの辺にあるどれかの倉庫の地下室に閉じ込めに行った。

 あいつかなりあの若いのを警戒してたからな」

「……まさか何かしたんじゃないだろうな?」

「そうだとしたらどうする?」

 

今ここでお前の首をへし折ってやる。

そう言いかけるも、箒は口にでそうになったその言葉を飲み込んだ。

下手な発言で相手を刺激すれば、箒のみならず一夏自身にも危害が及ぶかもしれないからだ。

無意識の内に箒は下唇を噛んでいた。

 

「心配するな。 今の所はまだ何もしていない、今の所はな」

 

今の所を2度繰り返して強調する。

だがそれは、今後の出方次第では待遇が変わるかもしれないことを意味している。

人質に死なれては困ると言うくだりも、人質にとって一安心に見えて

結局の所は状況が変わり次第、何か『宜しくない事』をされる可能性があると言う事だ。

とりあえずは一夏が無事だと分かると箒は安心する。

 

「話は終わりだ、とっとと歩け」

 

 

 

 

 

 

3人から十数人へと、大きく数を増やした犯人グループに

箒や他の乗客達が連れてこられた場所は、港にある倉庫の中でも一番大きなものであった。

水色に塗られていたであろう外壁の塗装は、

潮風にさらされ続けた為所々下地のコンクリートを露出させており、

灰色の貨物搬入用のシャッターも同様に、

塗装の剥げ落ちた箇所が赤々と錆を浮かび上がらせていた。

 

けが人を装った男がシャッターに近づくと、

入り口の脇に設置されたシャッターの開閉ボタンのカバーを開け、

上下が白、中央がオレンジの3連スイッチの一番上を押す。

ろくに整備もされていなかったのであろう。

シャッターは錆びた金属の擦れる不快な音を上げながら、ぎこちない動作でゆっくりと上昇する。

開いた口から倉庫内の埃が白い煙のように立ち込め、

長年人の手が入っていない事を物語るようだ。

大量の埃が潮風で舞い上がり、思わずむせ返る箒たちであったが、

 

「入れ」

 

犯人の男達が意にも介さないように銃を乗客たちに突きつける。

乗客たちは従う以外に無かった。

 

 

箒達が倉庫の中へ歩かされると、一番後ろにいたギプスの男がシャッターを下ろす。

外がそれなりに明るかった分、日の光を遮られ照明のついてない倉庫の中はやはり暗い。

喘息患者と埃アレルギーの患者がいれば即座に呼吸困難に陥りそうな埃まみれの空気、

春先と言うだけあってまだまだ寒い気温の上、放棄された鉄筋コンクリート製の倉庫は湿っぽい。

肌寒く汚い空気にさらされた乗客達は不快感を露にする。

 

「なんでこんな事になったのよ……」

 

不意に、乗客の一人である女子中学生が今にも泣き出しそうな顔で恨みの篭った声を上げる。

 

「本当なら今頃はIS学園の受験会場にいて試験を受けてる頃なのに……!!

 何で私がこんな所で人質なんかにされないといけないのよ!!」

 

状況を弁えず、感情のままに大声を上げる中学生。

不用意な発言や態度で犯人を刺激するとどう言う事になるか、

周りの乗客が慌てて彼女を抑えようとする中、箒はただ一人冷静であった。

 

(IS学園……か。 そうか、こいつも私と同じ受験生か)

 

箒は思い出したように手荷物の鞄の中から紙を取り出す。

彼女の顔写真と氏名及び生年月日が書かれた受験票であった。

そう、バスが予定通り運行されていれば、彼女もまたこの中学生と同じく

件の『IS学園』の入学試験を受けている筈だったのだ。

 

ちなみに、『IS』とは――――――――

 

 

「静かにしろ!! 死にたいのかッ!!!」

 

銃声。

 

風船の割れるような乾いた音、実際には命中しただけで

場合によっては即死すらありえる物騒な破裂音が、オレンジ色の閃光と共に建物内に走る。

乗客は恐怖の余りパニックに陥りそうになるが、

立て続けにもう数発、今度は叫んでいた女子中学生の足元近くの地面にめがけて発砲する。

地面に鉛弾がめり込み、コンクリートの破片が散る。

跳弾が発生しなかったのは不幸中の幸いだろう。

 

直後、乗客達からは声すら上がらなくなり、一部は失神する者も出た。

叫んでいた女子中学生も、糸が切れた操り人形のように脱力し膝をつく。

 

「そうだ、それでいい」

 

発砲したのは、貨物搬入用シャッターの直ぐ側にある、小さな扉から戻ってきたニット帽の男だった。

引きつった顔で膝をつく女子中学生を見て、得意気な笑顔を浮かべる。

発砲した拳銃の銃口を口元に寄せると、

軽く息を吹きかけて銃口から立ち込める硝煙を吹き消した。

 

「あ……あんた達!! 自分のしてることが分かってるの!?」

「ん?」

 

腰が抜けた女子中学生が半ば泣いているような声でニット帽に問いかける。

 

「今に見てなさいよ!! きっとその内警察が来るわ!! 『アレ』さえ来ればあんた達なんか――」

「ああ、『そんな事』か」

 

脅し文句とも取れる中学生の叫びを軽くあしらうニット帽の男。

するとニット帽は銃を胸ポケットにしまい込むと、

倉庫の入り口辺りに立っているギプスの男に声をかける。

 

「それにしてもやっぱ電気のついてない倉庫は暗いな。 今つけてやるよ」

 

ニット帽は自身の直ぐ側の壁にかかっている照明のレバーを引いた。

 

ワンテンポ遅れて、仄暗い倉庫内に電灯の光が満ち溢れる。

幾許かは割れていたり寿命を迎えているのもあったが、

それでも何も無いのに比べると随分見通しがよくなった。

尤も、箒達の目は暗い環境に目が慣れ始めていたこともあり些か眩しく感じたが。

 

眩しさに思わず目を閉じた箒であったが、薄目で電灯の明るさを少しずつ視界に入れる。

 

「……ん?」

 

薄目になりながらも明るくなった周辺を見ると、箒の視界に何かが映った。

 

「お、おい! アレって」

「マジかよ!! 何でアレがこんな所に!?」

 

それとほぼ同時に周囲の乗客達も騒ぎ出す。

余程この場にふさわしくないものが置かれているのだろうか。

箒は重たい瞼をゆっくりと開き、

 

そして驚愕した。

 

 

 

そこには、人の胴部と四肢を大きく長くしたような、

鎧武者の意匠が込められた機械の鎧が鎮座していた。

周囲に置かれた、銀色のトランク状の大型のバッテリーパックと

大小様々な絶縁ケーブルに繋がれ、何時でも起動できるよう電力を充電されたまま、

搭乗するべき主人を待ちわびているかのようだった。

 

「インフィニット・ストラトス……」

 

箒の呟きに、ニット帽はこちらに歩きながら笑みを浮かべる。

 

「そうだ、お前らが普段『IS』って言ってる奴の1種さ。

 こいつは打鉄(うちがね)って言う機体だそうだ」

 

 

 

 

IS……正式名称「インフィニット・ストラトス」

 

10年前に当たる西暦2011年において、ある1人の天才科学者によって開発された、   

宇宙空間における活動を前提としたマルチプラットフォームスーツの流れを汲む、

現時点世界最強にして一騎当千の戦闘能力を誇る有人式人型機動兵器である。

 

1つ、PIC(パッシブ・イナーシャル・キャンセラー)なる慣性制御システムを有し、

   主力戦闘機が出しうるマッハ1~2の速度域にて

   非常に鋭敏な加減速、旋回、及び空中静止が可能となっている。

 

1つ、被弾時のダメージ緩和にシールドエナジーが、

   別系統で搭乗者の最低限の身の安全を確保する絶対防御が搭載されている。

 

1つ、四肢を延長したような形状から、武装はIS本体に

   装備される大砲やミサイルポッド等固定装備に加え、

   刃物類やライフル・カービン等歩兵装備の延長線上の装備が用いられる事が多い。

 

1つ、建前上は軍事利用は禁じられており、現在では主に競技目的に使用されることが多い。

 

1つ、ISを構成する中心の部品に「ISコア」と呼ばれる特殊金属製の核を備える。

   戦闘経験、稼働状況、搭乗者の個人情報等全てが詰まったISコアは

   全世界で僅か467個、いずれも国家やIS関連の大企業が所有する。

 

 

「……どうしてお前らがこんな物を」

「つい先週強奪したんだよ。 このISの開発元の倉持技研からな」

 

箒の問いにニット帽は自慢げに胸を張る。

強奪と言う手段は世間一般で考えれば不穏当極まりないが、

この男にしてみればそれらの行いに対して何一つ罪悪感などない。

だが箒は彼らがそういう類の人種である事は、彼らの起こしたバスジャックに

巻き込まれるという形で身を持って実感している為、今更そんな事は気にしていられない。

 

むしろ気になるのは、

 

「馬鹿な! ISが奪われた話なんて聞いた事がないぞ!」

「当然だ、ISの開発や量産は国家の威信をかけた一大プロジェクトだ。

 コアの都合上世界で467台しか存在しない内の1つが盗まれたとなれば、

 そんな不祥事を表沙汰にすると思うか?」

 

そう言われて箒はぐうの音も出なくなった。

例え盗まれたのが量産機とはいえ、1台で一騎当千が可能な国の技術の粋が奪われた、

ましてやそれが2台分となれば、この事が他の国に知られれば国家の名誉は失墜するであろう。

 

そう、2台分ともなればなおの事――

 

「2台分?」

「おっと、口が過ぎたか」

 

そこまで箒が口に出した所で、ニット帽がうっかりした様子で口を手で押さえた。

確かのこの男は今、ISを2台奪ったと言った。

だが今目の前にあるIS、打鉄は1台しか見当たらない。

それではもう1つは一体どこへ?

 

その事をニット帽に問おうとした時、

 

「その辺にしときな」

 

上の方から女性の声がした。

箒をはじめ周りの乗客達や犯人グループが見上げると、

 

「ハッ、人質があれこれ質問してるんじゃねぇよ」

 

倉庫の2階に縦横に敷かれている金網で出来た通路に、柔らかなロングヘアの、

その傍ら表情は高圧的な鋭い目線で箒達を文字通り見下す、

競泳水着のような両手両足の露出の多い服を着た女性が手すりに腰掛けていた。

 

 

 

 

 

……………………………………………………………………………………

 

 

 

 

…………………………………………

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

水の滴る音と通風孔のファンの回転音が時折響く、

薄暗く湿っぽいコンクリートずくめの窮屈な一室。

周囲には、無造作に置かれた数々の今にも朽ちそうな木箱がある。

1匹の鼠が部屋の隅を走り回り、壁伝いに剥き出しの配電ケーブルが

敷き詰められた天井、点灯と消灯を不規則に繰り返す電灯。

 

「うう……」

 

おそらくはどこかの使われなくなったであろう古い倉庫の地下室の中で、

全身埃塗れになりながら、一夏はゆっくりと目を覚ました。

 

「ここは……?」

 

意識のはっきりとしない中、一夏は辺りを見渡す。

すると一夏の横腹に鋭い痛みが走る。 一夏は顔をしかめ痛みの発する箇所を強く押さえた。

 

それと共に、一夏は昏倒する直前の記憶を思い出した。

一人の男が銃を取り出そうとするのを取り押さえたと思えば、

駆け寄ってきた箒が背後からサラリーマンの男に羽交い絞めにされ、

慌てて駆け寄り、ギプスをしたけが人の横を通り過ぎたあの瞬間を。

 

思い出した瞬間、若干混濁気味だった一夏の頭がはっきりと目覚める。

 

(そっか、俺撃たれたんだな)

 

ジャケットを皺寄せるように強く握り締めながら、一夏は気を失う直前の瞬間を思い出していた。

箒がスタンガンで気絶させられた瞬間、頭の中が真っ白になった一夏は

彼女を気絶させた男を倒そうとして横から発砲された。

だが服には自身の血はおろか風穴も開いていない。

服を睡眠中に着替えさせられた形跡もない。

恐らく何らかの非殺傷性の弾薬で気絶させられていたのだろう。

 

気絶する前の状況……武器を隠していた3人の男の存在と

彼らがバスの運転手と乗客達にそれを突きつけて何をしようとしていたか、

そして一夏自身が今密室に閉じ込められている現状、

一夏はバスジャック、及び自身を含む乗客全員の誘拐事件に巻き込まれたと結論付けた。

 

(つまり、俺達は人質にされた訳か……くそッ!)

 

心の中で悪態を付くと、一夏は歯軋りしながら思いっきり地面を殴りつけた。

目を閉じて顔をしかめる様子から、悔しさに打ちひしがれる様子が伺える。

 

(あの3人が怪しい事はわかっていたのに……何やってるんだ俺はッ!!)

 

明確な確信こそなかったが、実は一夏には箒とバスに乗った時点で、

サラリーマン、けが人、及び後で乗り込んできたニット帽の男が

周囲の客とは雰囲気が異なっていると言う事に薄々は気がついていた。

 

しかしあの時は横にいた箒の機嫌を取る事に気を取られていた上、

ニット帽が乗り込んで事を起こすまでは特に怪しい素振りを見せなかった為、

只の自意識過剰と思い込んで警戒を怠ってしまったからだった。

常人なら寧ろ仕方がないレベルの出来事なのだが、

少なくとも一夏自身は己の至らなさが招いた油断だと強く後悔していた。

 

「暗い密室に一人ぼっちで閉じ込められ……まるで『あの時』と一緒だな」

 

自嘲気味にぼやく一夏。 そんな彼の脳裏にはある出来事が思い出されていた。

 

 

それは2年前、一夏にとって人生の岐路に立たされる事になった事件。

世間では『織斑 一夏誘拐事件』と言われる重大な出来事であった。

 

当時まだ中学2年になったばかりだった一夏は、

通学の最中黒ずくめの男達に数人がかりで押さえつけられ、

訳も分からぬ内に車に積み込まれて誘拐されて、今みたいな狭苦しい密室に

両手両足を縛られ閉じ込められたことがあった。

 

姉への憧れで始めた格闘技により一般人よりは強いものの、

それでも精々素人に毛が生えた程度のものでしかなかった一夏には

現状を切り抜ける力など持ち合わせてはいなかった。

 

抵抗する術を持たず、ただ暗さと孤独感、そしてこれから先

どうなってしまうのかと言う不安感で押しつぶされそうになり、

屈辱感で満たされた一夏は泣き出しそうにさえなりかけた。

 

その小1時間後、ISに搭乗した実の姉、

織斑 千冬が救助に駆けつけた為事無きを得たのではあるが……。

 

(ピンチの時何も出来なかったあの無力感……。 俺は絶対にあの時の事を忘れない)

 

一夏は悔しさと共に奥歯を噛み締める。

憧れだけでは強くなれないと言う事を一夏は実感させられた。

たとえ格闘術を学んでいても、人生の全てをかける位でなければ、

家事や姉の身の回りの世話を行う片手間にやる程度では全く駄目だと思った。

 

無力な自分を鍛え直したい。 そう思った一夏の決断は早かった。

それまでの、友人に囲まれた充実した毎日を捨てる決意をし、

姉と共に世界を回って武者修行の旅に出る事を選んだ。

 

 

 

 

そうして数分間ほど昔の事を思い出していると、一夏は静かに立ち上がった。

 

(……いや、たった一つだけ違う所がある)

 

後ろ向きな考えを振り切るかのように、一夏は己の両手を目先へと上げて、

今の自分の人生の全てとも言える格闘家の手を見つめる。

傷だらけで拳にタコが出来ている一夏の手は、お世辞にも綺麗とは言えない。

だがこのボロボロになってはいるがその中は筋肉の手甲に包まれている。

それは一夏がこの2年間の武者修行の旅で培った修行の成果だった。

 

(そうだ、俺はあの頃の無力な自分じゃない)

 

昔のような片手間の格闘技ではなく、今の自分には

平和な日常を捨ててまで得ようとした、この体と鍛えぬかれた技がある。

勿論自分はまだまだ半人前だ。

たかが15年の人生で自身が追い求める理想像にたどり着いたとはいえない。

 

そこまで考えた所で、一夏はふと気づく。

 

(これは俺に課せられた試練なのかもしれない)

 

そう、この程度の事で……あの時と同じように誘拐され密室に閉じ込められた程度で

つまづいているようでは、自分は強くなったとはいえない。

寧ろ今こそ、弱かった頃の自分を乗り越えるチャンスなのではないか?

 

単なる一般人なら震え上がって何も出来やしなかっただろう。

しかし自分はもう一般人でいるつもりなど無い。 何故か?

 

憧れの存在であり、超えるべき相手である姉に負けない漢(おとこ)となるために。

 

「……やってやろうじゃないか」

 

一夏は決意した。

自分の目の前に立ちはだかるバスジャック犯と言う壁を乗り越えてやろうと。

あいつらを『やっつけてやろう』と。

 

心に火のついた一夏の行動は早かった。

とりあえず一夏は部屋の唯一の出入り口である、覗き窓すらついていない鉄製の扉に近寄った。 所々錆び付いて、

ドアノブさえ満足に動かせるかどうか分からないその扉はやはり鍵がかかっていた。

 

「だろうな……」

 

わざわざ密室に運び込むぐらいだから当然と言えば当然なのだが、

だが一夏の表情には落胆の色は全く見受けられない。

 

「なら『アレ』をやるか」

 

呟くと、一夏は鉄の扉に両手でもたれかかりながら、頭を近づけて右耳を扉に押さえつけた。

そのままそっと目を閉じて、全神経を聴覚に集中させる。

 

すると鉄の扉を通して一夏の耳に、誰かの寝息が聞こえてくる。

大方一夏が暴れたり部屋から抜け出そうとしないようにする見張り役、

犯人グループの一味であると一夏は判断する。

だが人質の一人を、鍵の突いた部屋に閉じ込めた程度で安心して眠りについてしまっては、

『万が一の事』を考えれば迂闊と言わざるを得ない。 一夏は軽く呆れるばかりだった。

 

それにしても、通常は人が眠っている様子など、部屋を隔ててしまえば

余程大きないびきでない限りそうそう聞こえるものではない。

しかし、神経を研ぎ澄ませる今の一夏にはそんな事は些細な問題であった。

やがて一夏は扉から頭を離すと、数歩後ずさりする。

 

(よし……見張りは1名、早々の事じゃ起きたりはしないな)

 

頭の中で呟き、一夏は目先の扉を見据えると、

 

「はああぁぁぁぁぁぁ…………!!」

 

大きな唸り声を上げ、足腰を大きく横に開いて中腰の姿勢で踏ん張ばりながら、

両手の拳を力の限り、腕に筋肉の筋が浮かび上がる程に握りこむ。

 

「流派、東方不敗……!!」

 

左腕を前に突き出し、右腕は次の動作の為力を一層溜めながら後ろへと引く。

全身の力と言う力が引いた右手に集まり、だんだんと熱と重みが篭っていくのが実感できる。

 

そして一夏の右手の『熱』がある一定を越えた瞬間、

目を見開き鉄製の扉めがけて一気に踏み込む……

 

伸ばしていた左肩を締め込みながら、右腕を突き出し掌底を叩き付けた!!

 

「光輝唸掌(コウキオンショウ)ッ!!!」

 

一夏の右の掌が鉄の扉の中に叩き込まれたその瞬間、

まるでクレーン車の鉄球が叩きつけられたかのようなけたたましい炸裂音が鳴り響き、

扉のヒンジ及び周囲の壁の一部が砕け散り、掌を叩きつけられた扉は

無残にも右手の型に合わせてひしゃげながら、

目にも留まらない速度で部屋の向こうまですっ飛んでいった。

 

「ギャアアアアアアアアアアアアッ!!!」

 

ドアの吹き飛んだ先に見張りが寝ていたのか、見張りの男と担いでいたアサルトライフルや

仮眠に使ったであろう木製のテーブルと木箱を巻き込み、

その全てが隣部屋の奥の壁に叩きつけられ、木箱とテーブルを

クッションにする様に盛大に破片を埃と更なる炸裂音をぶちまける。

ドアをぶち破った時点である程度威力が減衰していた為か、

流石に向こう側の壁にまでめり込んで磔になってしまう事は無かった。

 

「ぐ……え……」

 

それでも衝撃は十分に大きかった。

只でさえ眠っていて完全に無防備な所へあんな勢いで

重量のある鉄の扉を叩きつけられれば男も只では済まない。

扉と壁にサンドイッチにされる形で、蛙の様な声を上げて

突進してきたドアと共に後ろに倒れこみ失神する男。

 

もし間に木箱やテーブルが挟まって緩衝材となっていなければ、

大怪我あるいは即死は免れなかっただろう。

一夏は余裕の表情で部屋の外に出て、倒れている男を一瞥する。

白目をむき、大きな口を開け舌をだらしなく垂らして泡を吹く男、

無様なものだ、一夏は素直にそう思った。

そんな姿にしたのは紛れも無い一夏であるのだが、彼自身は

全く悪い事をしたなどとは思っていない。

 

力を持って立ち上がる者にはそれなりのやり方を持って対峙する。

そして最終的に『どんな結果』になろうとも決して後悔はしない事。

死ぬのも死なせるのも嫌なら、最初から力など取るべきではない。

それが一夏自身の人生哲学であった。

早い話が、武装したバスジャック犯の一味なんだから

やり返されても文句を言うなよ、そう言う事である。

 

一夏は男の手元を離れて落ちていたアサルトライフルを、

機関部の部分を踏みつけて変形させ、使い物にならないようにする。

 

「さて……と」

 

これだけの激しい音を立てたのだから、

仲間と思わしき連中が様子を見に来るのも時間の問題だ。

そして部屋の荒らされようを見ると恐らくは大事になる事は間違いないだろう。

だがそんな細かい事は考えていない。

猪突猛進の一夏は最初からこそこそ隠れて事を運ぶ考えなど無い。

 

一夏は気絶した男に指で十字を切り、

 

「おやすみ」

 

一言だけ呟いてその場を走り去った。

 

 

 

 

……………………………………………………………………………………

 

 

 

 

…………………………………………

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

「『オータム』の姐御!!」

 

犯人グループが2階通路の手すりに腰掛けていた女性に叫ぶ。

すると『オータム』……大方偽名であろう名前で呼ばれた女性は

腰を浮かせ、そのまま2階から飛び降りる。

 

一瞬驚いた箒達であったが、オータムが何事も無かったかのように

綺麗に着地すると、驚いて言葉が出なくなった。

 

「2階から飛び降りるぐらい楽勝だっつーの、で? 守備はどうだ?」

 

余裕の表情で驚く箒達を鼻で笑い、犯人グループに話しかける。

 

「姐御、人質はこの通り全員連れてきました。

 少々不手際もありましたが今の所は特に問題はありません」

 

先程とはうって変わり謙ってオータムの問いに答えるニット帽。

周りを取り囲んでいる犯行グループの男女も畏敬の目線をオータムに向ける。

どうやらこの女が今回の事件の主犯格と言った所だろう。

 

「不手際? てめぇ等がそうそうヘマするとも思えねえが?」

「はい、乗客の奴にガキですが手だれの奴がいました。

 麻酔銃で眠らせて第3倉庫の地下2階の部屋に閉じ込め、下っ端に見張りをさせていますが」

「そいつは男か?」

「男です。 万一逃走して『アレ』を見つけたとしても奪い返される心配はありません」

「なら問題ねぇな……で、それはそうとだ」

 

オータムは目線を逸らすと、自分達の会話を見ていた箒を

怪訝な目つきで一睨みし、こちらへと歩いてきて一言。

 

「お前、どっかで会った事あるか?」

 

剣道の全国大会優勝で各方面のお偉いさんとは

それなりに面識ある箒であったが、いくらなんでも彼女の知り合いに犯罪者はいない。

彼女の問いに黙って首を横に振る箒。

 

「ふん……まあいいさ。 それよりもISの稼働状況は?」

「はい、今の所は問題ないみたいです」

「そうかい、一応もう一度だけ言っておくがこれは私のISだ。

 もし実戦でなにかトラブルが起きたりしたら承知しねぇぞ」

 

そう言って部下達にハッパを掛けるオータム。

どうやらこの女が目の前のISのパイロットらしい。

 

「そうか……だからISスーツを……」

 

オータムの服装を見て呟く箒。

 

ISには操縦桿などと言った明確な操縦インターフェースは存在せず、

装着者の意識と同期して手足を動かしたり空を飛んだりする事が出来る。

そしてその意識との同期のくだりだが、これはISが操縦者と直に触れ合う、

素肌で接触している時の方が同調しやすくなる。

その為ISを装着する際は、なるべくISとの接触面積を増加させ、

かつISの装甲で覆われない胴体周りを保護する為、

水着のような形状の、かつ防刃、防弾性能に優れたスーツを着用する事が多い。

それが今オータムの身につけている水着のような服、ISスーツである。

 

それにしても、このグループがどれ程の規模かは分からないが、

ISを強奪してそれを自分達で運用すると言うことが出来る当たり、

かなりの規模である事には違いは無い。

そうなると横のつながりは勿論、もしかすると黒幕の存在と言う線もある。

一体どんな連中が背後にいてこのグループを指揮しているのか、

そもそも何の目的で自分達を誘拐したのか、

 

そんな事を箒が考えている最中だった。

 

 

シャッター付近に立っていたギプスの男の持っていた通信機から着信音が鳴り響く、

ギプスの男は通信機を送信側にセットすると、

 

「どうした? 何かあったのか?」

 

一言だけ喋って通信機のスイッチを受信側に切り替える。

 

「た、大変ですッ!!! 部屋に閉じ込めておいたガキが脱走しましたッ!!!」

「なッ!?」

 

思わず驚愕の声を上げるギプスの男。

その驚いた様子にオータム達もギプスの男の方を振り向いた。

 

「馬鹿な!! 武器の類は持っていないはずだ!!

 それにカラシニコフを持たせた見張りが――」

「……倒されてました」

「……は?」

「地下室の内側から何か凄い力でドアを吹き飛ばされて!!!

 見張りの奴がテーブルごと潰されて倒れてたんですよ!!

 一体どうやったら爆弾もなしにあんな真似が出来るんですかぁ!?」

「なにいイイイィィィィィッ!?」

 

ギプスの男の叫びに、オータム達が駆け寄ってくる!

 

「おい、何さけんでやがる!!」

「姐御!! 地下室に閉じ込めてたガキが脱走しやがりまし――」

 

言いかけた所で、オータムはギプスの男の顔面に力一杯張り手を浴びせた。

女性の力とは言え、いきなり頬に走った衝撃にギプスの男がひるむ。

 

「武器の確認はしたんだろうな、ああッ!?」

「そんな、間違いありません!!! 確かに部屋に放り込む時にチェックを――」

「じゃあ何で逃げられてんだよッ!!! クソボケがッ!!!」

 

ニット帽の必死の弁明も、激高したオータムには関係なかった。

 

「いいか!! 逃げたガキは絶対に捕まえろ!! いざとなったら殺せ!!

 舐めた真似してくれるクソガキに分からせてやれ!!!

 万が一逃がしやがったら手前らもボコボコにしてやるからな!! 分かったかッ!?」

 

激しい剣幕で役立たずな部下に怒鳴りつけるオータム。

ニット帽とギプスの男と、その他大勢は完全に気圧されていた。

 

「は、はいぃ!!」

「分かったらさっさと行け!! クソッタレが……!!!」

「あ、あの俺は……」

「てめぇは人質逃げねえようにギプスと一緒に見張ってろ!!!」

「は、はいぃッ!!!」

 

部下達は怯えた様子で倉庫から出て行く。

箒達人質はそれを黙って見つめる以外なかった。

 

 

この瞬間、港一帯が騒然とした空気に包まれた。

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第3話

 

 

 

 

 

 

 

 

           「ISを動かせる男 少年格闘家、織斑 一夏」 後編

 

 

 

一夏は第3倉庫の地下2階を駆け抜けていた。

 

「いたぞ!! あそこだァ!!」

「ブチ殺せええええええええ!!!」

 

「ええい!! しつこい連中だ!!」

 

追っ手のもつアサルトライフルから放たれる弾幕の雨に身を掠めながら、

息を切らせ全力疾走で倉庫の出口へと続く階段を目指す。

地下室を飛び出して休む事無く走り続け、既に息は荒くなっているが、

執拗に追撃を浴びせられるこの状況が、一夏に束の間の休息を与える事すら許さない。

 

「逃亡者発見!!」

「この先には行かせるかァッ!!!」

 

全力で逃げる一夏の行く手を遮る様に、10数メートル前方の

交差点の左右から、サブマシンガンを持った追っ手が現れる。

 

「邪魔するなあああああああああああ!!!」

 

銃を持っている相手に怖気づく事無く、寧ろ身を屈めて更に前方に踏み込む一夏。

対して銃を持った追っ手は突進する一夏に面食らうものの、

動揺の余りパニックを起こすと言うことは無く、

サブマシンガンの照準を身を屈める一夏に向け、引き金を指に掛ける。

 

発砲。

フラッシュハイダーの穴から漏れるマズルブラスト、

一夏の命を奪わんと放たれる雨霰のような鉛玉。

そして目にも留まらぬ速さで開閉を繰り返す排莢口から、

焼け爛れた空薬莢が排出され地面に散らばってゆく。

散々手を焼かせた逃亡者もこれにて蜂の巣となるだろう。

心の中で舌なめずりをしていた追っ手は、

しかし一夏の次の行動によって即座に驚愕する事になる。

 

(こんな銃弾がなんだッ!!)

 

不意打ちを食らった時に比べれば随分避けやすいッ!!

今一夏の目には自身の命を奪わんとする凶弾の姿形がはっきりと見える。

一夏は『銃口から放たれた弾頭の軌道を見切った上で』、

それら全てを前進しながら身を左右へよじる事で全てを回避せしめた!

 

「マシンガンの弾幕を掻い潜った!?」

「そんな馬鹿な事が――ッ!?」

 

思わず追っ手は発砲を止めた。

隙だらけとなった敵に一夏はすかさず畳み掛ける!

 

「覇ッ!!」

 

屈みこむようにして素早く敵の懐に潜り込んだ一夏は、

掌を、流派東方不敗『光輝唸掌』を両手から繰り出し、

凍りついた表情で棒立ちになっている2人の追手に同時に叩き込む!

 

「ぐへぇっ!!!」

「ぎゃあッ!!!」

 

地下室からの脱出の際にも用いた些か現実離れしたこの技だが、

あえて原理を説明するならば、この技は人間の体に流れるオーラ……

所謂『気』と呼ばれている力を応用したものである。

人間の掌には特にその『気』が最も集まりやすいと言われ、

その威力は時として、文字通りの必殺の一撃にもなりうる恐るべき奥義である。

 

体を『く』の字に折り曲げ、2人は10数mほど奥に吹き飛びながら

地面をバウンド、後に3メートルほど転がった辺りで

片方が仰向け、もう片方がうつ伏せになって昏倒する。

ちなみに、両者とも白目をむいて舌を垂らしているのはお約束である。

 

「見せ場を潰して悪かったな」

 

我ながら気障な台詞を吐いたと思った所で一夏は気づいた。

 

(背後からの銃撃が止んだ?)

 

追撃が来なくなった事への違和感に一夏は振り返った。

 

そこには先程から一夏を執拗に追撃していた、

全身と言う全身から血を流し、地面に倒れて痙攣している追っ手達だった。

恐らく一夏が弾幕を全て回避した事で流れ弾を浴びてしまったのだろう。

即死ではなかったが何名かは致命傷を負っており、死屍累々と表現しても差し支えない。

しかし一夏には哀れむよりも、挟み撃ちの状況であれだけ発砲すれば

味方に当たる事ぐらい考え付くだろうとむしろ呆れるばかりだった。

 

「た、助けてくれ……」

 

地面にうつ伏せに倒れながら、さっきまで殺意を持って

襲い掛かっていた一夏に震える腕を差し出して救いの手を求める。

一夏は円満の笑顔で、

 

「生きてたらまた会おうぜ」

 

身を翻して地上への階段へと足を進める一夏。

助けを求める声を完全に無視された追っ手の一人は、

脱力の余り伸ばした腕を力無く地面に落とし、そのまま意識を失った。

 

 

 

 

 

……………………………………………………………………………………

 

 

 

 

…………………………………………

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

「なにぃ!? 全滅しただァ!?」

 

無線越しに聞こえる部下達の全滅の報告に、オータムは激怒した。

 

「てめぇら何やってやがるッ!! ガキ1人止められねぇのか!?」

「ゲッ、ゲホッ!! そ、それがあのガキとんでもない強さでして……。

 マシンガンの弾を見切って、10人の仲間をあっという間に――」

「言い訳すんな!!! 男の癖にグダグダ言ってんじゃねーよ!!

 いいか!? 泣き言言ってる暇あったら

 とっとと仕事しやがれクソッタレがッ!!!」

 

感情のままに一方的に叫ぶだけ叫んで、オータムは通信機を地面に叩きつける。

地面にバウンドし、通信機は滑るようにして箒の元へと転がり込んだ。

 

「ケッ!! これだから男は使えねぇんだよ!」

 

悪態をつくオータム。 男を見下した物言いに箒は眉を顰める。

 

(ISがあるからって随分な言い草だな)

 

追記しておくべきISの基礎知識の1つにこんなものがある。

 

1つ、ISコアに起因する問題で、何故か女性にしかISを稼動する事ができない。

 

ISコアの開発者が意図的にそう設計したのか、

本当にどうにもならなかったのか、或いは一夏のように

少数ながらも男でも動かせる事が出来るが認知されていないのか。

勿論これらは全て憶測で、どうしてそうなのかは原因は一切不明である。

 

それはともかくとして、ISの登場以降世界は女尊男卑の風潮に包まれた。

理由は言うまでも無く、女性にしか扱えないISが世界各国の国防を

担うようになってしまったからである。

他の兵器もまだまだ健在で、かつISが数ある戦力の内の

1つに過ぎないのなら結果はまた違っていたであろうが、

しかし現実にはISは発表当時最新鋭だった主力兵器が束になっても

只の1つも撃墜できなかった……文字通り歯が立たなかったのであった。

その為、世界最強の兵器が扱える女性は手放しで持て囃されるようになり、

利用価値の無くなった兵器群と共に、男達は役立たずの烙印を押されてしまった。

 

「気に入らないな……」

「あ?」

 

箒の口から思わず本音が漏れる。 それをオータムは聞き逃さなかった。

 

「てめぇ今なんつった?」

「気に入らないと言ったのだ」

 

箒を威嚇するように大げさな足取りで歩み寄るオータム。

しかし箒は圧力に屈する事無くさらりと言い返す。

 

「たかが機動兵器一機を扱えるからと言って何様のつもりだ。

 所詮ISが存在しなければ貴様も只のヒトだろうに」

 

表情を険しくするオータムに対し、ふてぶてしく笑う箒。

元々彼女はISという世界最強の兵器に対して余り良い印象を抱いていない。

この兵器が出て来た事で世界は女尊男卑の世界になった。

だがしかるべき心構えでISを操り、心身共に優れた女性が優遇されるのは

男が外で仕事をして、その間女は家を守ると言う

古風な価値観を持つ彼女の観点から見ても、それは当然の事だと納得できた。

しかしISが女性にしか使えないと言う事実に乗っかり、

別段ISに対して適性がある訳でもない女性までもが威張り散らし、

挙句の果てには男性に対して何をしても良いと見下しにかかるような、

それこそ目の前のオータムのような者まで現れた。

そして大半の男もまた、守るべき尊厳を捨てて女性に媚びへつらう様になった。

彼女にはそれが気に食わない思いであった。

 

もっとも、箒がISを良く思っていない理由は他にもあるのだが……

 

「いい度胸だなコラ、ブチ殺されてぇか?」

「姐御」

 

箒を無言で睨んでいたオータムが、部下の呼ぶ声に振り返る。

そこには箒をスタンガンで気絶させたサラリーマン風……

今は変装を解いてどこからか不正に流出したボディアーマーを着込んでいる、

箒にしてみれば忌々しい男が立っていた。

 

「そう言えばこの女、さっき脱走したガキの連れみたいですぜ。

 こいつを羽交い絞めして気絶させた時かなり取り乱してました」

 

得意げな表情で言う男。

それを聞いた途端、オータムの口元が釣りあがる。

余りにも不気味な笑みに箒は思わずたじろいた。

 

「……それはいい事聞いたなぁ」

 

 

 

 

……………………………………………………………………………………

 

 

 

 

…………………………………………

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

一夏は息を切らせて第3倉庫から飛び出した。

ほの暗い倉庫とは違い、午前10:30の空模様は晴れ晴れとして、

さっきまで一夏を支配していた室内独特の閉塞感を取り除いてくれるようだ。

春先とあって潮風が寒いが、全力疾走により火照った体を冷やすには丁度よかった。

 

「はぁ……はぁ……やっと、やっと外に出られたぞ……」

 

追っ手は半分自分で倒し、半分は同士討ちで自滅した為

とりあえず一段落着いた一夏は両手で膝を押さえるように屈み、息を整える。

 

「はぁぁぁぁぁ……」

 

右腕で額の汗をぬぐう一夏。

頭に巻いたバンダナに汗と体温が染み付いて蒸し暑い。

このままどこかに隠れて一息つきたい心境ではあるが、

しかし一夏が脱走した事で周囲が慌しくなっている。

 

「一息つきたい所だけどそうも行かないんだよな……」

 

人質……特に箒の事が気にかかるのでこの場でじっとしている訳にもいかない。

それに、これだけの施設が電力が使える状態のまま、

しかもある程度備品が残ったまま放棄されていると言う事は

どこかに受話器か何かが残されている可能性もある。

それを使って警察に通報し、事件の収束を早めてもらう。

大方今頃はバスが本来のルートを外れた事で、

不審に思ったバス会社が警察なりに連絡を取っているかもしれない。

なので、今一夏にできる事と言えば、なるべく早く誘拐された

自分達の居場所を外部に伝える事だと判断した。

 

一夏は逃げる道中、古い掲示板から剥ぎ取ってきた港の見取り図に目を通すと、

 

「通信施設があるのは第1倉庫か」

 

連絡手段の取れる場所を確認した上で、再び寂れた港の中を走り始める。

 

 

 

 

……………………………………………………………………………………

 

 

 

 

…………………………………………

 

 

 

 

……………………

 

 

 

しばらく走り続けた所で一夏は港の中でも開けた場所……

倉庫に囲まれた十字交差点のような場所に出た。

正面に見えるのが第1、第2倉庫、一夏の直ぐ後ろにあるのが第6、第8倉庫だ。

どれも高さ10数メートル以上はある2階建て以上の古倉庫だ。

 

「第1倉庫はあれか!!」

 

正面左側に建っている第1倉庫、一夏はその入り口のシャッターに向かって全力疾走する。

 

 

「そこまでだクソガキめッ!!」

 

 

シャッターまであと3m、

開閉ボタンに手を伸ばそうとした所で、不意に一夏の背後から女性の声がした。

それもクソガキ呼ばわりと一夏を罵倒するこの声は、

明らかに自身に対して好意的なものには感じられない。

 

(敵か!?)

 

そう思った一夏は素早く背後を振り返って身構える。

 

 

 

 

 

「い、一夏……」

 

そこには犯人グループの連中……腕を後ろ側に回されガムテープで縛られてる箒と、

女一人と箒にスタンガンを浴びせた男が嫌らしい笑みを浮かべて立っていた。

 

「箒!?」

「おっと、妙な素振りを見せたら分かってんだろうな?」

 

ロングへアの女、オータムが右腕を空に掲げると、

 

 

倉庫の屋上から、1メートル弱はある建物同士の隙間から、

彼女達の一味が武器を抱えて蟻塚から湧き出る兵隊蟻のごとく現れ、

瞬く間に一夏達を包囲、手にしたライフルや軽機関銃の照準を、

立ったまま、片膝をつく、匍匐して銃の二脚で固定する等、

発砲しやすい様々な姿勢で一夏の頭部へと一斉に向ける。

 

「何ッ!?」

 

その数およそ50人以上。 彼自身先程襲ってきた追っ手達でも、

10数人はいた事は身をもって知っているのだが

それらを倒してなお、これだけの数を抱え込んでいたとは、

これには一夏自身も驚きを禁じえなかった。

 

(バスジャックにしちゃぁ豪華過ぎるだろ!!)

 

数もさる事ながら、その全てに銃火器が行き渡っている

この連中のあまりにも充実した装備に、一夏は頭の中で舌打ちする。

 

「よくもまあ散々私達をコケにしてくれたもんだなぁ」

 

睨んだだけで人が殺せそうな鋭い目線で一夏を睨みつけるオータム。

 

「てめぇさえ大人しくしていたなら、今頃は

 政府の連中に犯行声明の一つでも出せた所なんだが、

 おかげで予定が狂っちまった……どうしてくれんだコラぁッ!!!」

 

怒号。

身構えたままの姿勢の一夏の体に、更に緊張が走る。

だがそれはオータムを恐れての事ではなく、興奮した相手が

箒に何かしでかすかも知れないと言った緊張から来るものだ。

 

しかしオータムはそんな一夏の心情を悟ってか、

一夏を鼻で笑い、男に拘束される箒の顎に手をやって軽く持ち上げる。

 

「話は聞いたぜ……この女お前の連れなんだってなぁ?」

「ッ!!」

 

歯を食いしばる一夏、間違いない。

目の前の女は箒をエサに何かをやらかすつもりだ。

無意識の内に握り拳を振るわせ、目先の箒達を見据える。

 

「てめぇに選ばせてやるよ。 この女だけ生かしてやるか、

 または二人仲良くここでくたばるかをな!」

「一夏ッ!! こんな女の言う事なんか真に受ける――」

 

脅し文句を遮って大声で叫ぶ箒に、オータムの肘が箒のみぞおちにめり込んだ。

 

「がっ……がはっ!!」

「人の話ジャマすんじゃねーよこのビッチ!!」

 

そう言って、咳き込む箒に対し唾を顔面に吐きかける。

 

「箒ッ!!!」

 

箒への狼藉に一夏の感情が純粋な怒りで満たされる。

幼馴染にして、久しぶりに会った一夏の理解者を、

この得体の知れない女は一方的に暴力を振るった挙句、

彼女の尊厳を辱めるように顔に唾を吐きかけた。

 

「この野郎……よくも箒をッ!!」

 

自然とこめかみに血管が浮かび上がり、そして切れる。

歯軋りの余り、奥歯の付け根から血が滴り落ちた。

一夏は震える拳を立てて総毛立ち、文字通りの怒髪天へと達する。

 

「ギャハハハハハハハハハハハハハハッ!! こいつマジで切れてやがるッ!」

 

そんな修羅の如く怒りを湛える一夏を嘲笑うオータム。

一夏を包囲する取り巻きもまた同様に一夏を指差し大声で笑う。

怒気で周囲の空気をゆらがしかねない一夏。

 

「そうか、そんなにこの女が大事かぁ。 ……おい!」

 

オータムが箒を拘束する男に目線をやる。

すると男は頷き――

 

 

 

 

どんっ! ……と、

 

 

 

 

 

手を後ろに縛られたままの箒を勢い良く突き飛ばした。

 

「え……?」

 

放心する箒と一夏。

当然、バランスを崩すも足だけでは踏ん張る事も出来ず、

そのまま横向けになりながら箒はコンクリートの地面に倒れこんだ。

 

「箒ッ!!!」

 

突然の出来事に目先のオータムに向けられていた怒りが吹き飛び、

それどころか血の気が引く思いで倒れた箒に駆け寄った。

 

 

 

 

「てめぇら!! 殺っちまえ!!」

 

 

 

一夏が倒れこんだ箒を抱きかかえた瞬間、頃合を

見計らったかのようにオータムは部下達に一夏を射殺するよう指示を出す。

 

直後、さっきまで箒を拘束していた男を含め、

一夏を包囲していた連中が手にしていた武器を一斉に発射した。

 

四方八方から乱射される鉛玉の弾幕、

箒をかばう一夏の周囲に着弾し、コンクリートを破砕し土埃を巻き上げる。

だが一夏は銃弾の雨あられの中箒を決して手放そうとしなければ、

かと言って一目散にも逃げ出さず、瞬く間に一夏の姿は

巻き上がる土埃のカーテンの中へと飲み込まれていった。

 

「ギャハハハハハハハッ!! こいつは傑作だな!!」

 

箒をかばい土埃に埋もれた一夏に対し、下衆な笑い声を上げるオータム。

彼女にはおかしくて堪らなかった。

どっちにせよオータムは、逃亡者である一夏と

自分に口答えする箒はさっさと殺してしまおうと考えていた。

 

「死ねッ!! 死ねッ!! 死んじまえッ!!

 クソガキが喧嘩売るなんざ10年早ぇんだよッ!!」

 

人質をなるべく傷つけないでこの港までつれてきたのは、

先程オータム自身が言ったように、あくまで政府を脅す為の

交渉のカードに過ぎなかった。

なので目的さえ達成できればたかが人質など、大人しくしている分には

鼻にもかけずさっさと解放してやろうと考えていた。

しかしほんの僅かでも自分に歯向かう姿勢を見せるのなら、

見せしめと自身の道楽の為に容赦なく手に掛ける。

そんな残虐とも言える欲求を、オータムは今この場において存分に満喫していた。

 

やがて周囲を取り囲んでいた連中が、各々に支給された銃弾を

撃ちつくしたか、数十秒間絶え間なく続いていた銃の発射音がやんだ。

 

「いい気味だぜ、人質風情が私達に楯突くからだ……ギャハハハハハハハ!!!」

 

既にオータムは生意気な一夏達を排除できたと思っている。

周りも同じ考えなのか、オータムの言い回しに

同意するかのように嫌らしい笑みを浮かべた。

 

そして立ち込める土埃を振り払うかのように潮風が吹く。

 

「さぁて、死体はどうなった?」

 

心底楽しそうに一夏達の死に具合を連想しつつ、

晴れていく土埃の中心部に目を凝らすオータム。

彼女の頭の中では一夏達の物言わぬ死体が

折り重なって転がっている様子が鮮明に浮かび上がっていた。

この土埃のカーテンがいくらか薄まった頃には、

想像した通りの状況になっているだろうとその場にいた全員が思っていた。

 

「……ん?」

 

ふと怪訝な目つきになる隣の男。

うっすらと浮かび上がる一夏達の姿だが、どうも様子がおかしい。

十中八九死んで横たわっているだろうと思っていた一夏達が、

まるで座り込んでいるようなシルエットで浮かび上がってきたのだ。

箒を庇った状態のまま死んだのかと勘ぐる連中であったが、

 

吹き付ける潮風が急に強くなり、灰色の薄暗いカーテンを吹き飛ばした時、

それは強烈な印象となってオータム達の網膜に深く焼きついた。

 

「なっ!?」

 

一夏を包囲していた全員が一斉に驚愕する。

何故なら――――

 

 

 

 

 

土埃の中心部には、コンクリートの抉られた無数の痕跡が直径2mの環状に広がり、

 

そしてその中央部に、『無傷で』立膝を突き箒の肩を寄せるように抱き、

驚愕の色に染まるオータムをじっと見据える一夏の姿があったからだ。

 

「なん……だと……?」

 

思わず本音が漏れるオータム。

余程目先の光景が信じられないでいるのか、

大きく目を見開き開いた口が塞がらなくなっていた。

 

普通全方位からあれだけの弾幕にさらされればまず逃げ場は無い。

仮に防弾効果の高い鎧か何かで身を包んだとしても、

数千発の弾丸で集中砲火を浴びればまず命は無いはずだ。

なのにこちらを見据える一夏は、抱きかかえている箒を含め無傷でそこにいる。

 

(ありえない、何かの間違いじゃあないのか?)

 

この瞬間、オータムは一夏に対して無意識の内に底知れぬ恐怖を

感じており、その証にこめかみには一滴の冷汗が垂れていた。

 

そんな驚愕の色に染まる連中の心情を知ってか、

一夏は握り拳のままの左手をオータムの居る方向に突き出すと、

ゆっくりと手を開いた。

 

 

掌からは、ひしゃげた大小様々な鉛玉が零れ落ちた。

旋状痕が刻まれ、火薬の熱を帯びて変色しているそれは

紛れも無く集団で発砲した弾丸そのものだった。

 

「ッ!!!」

 

今度こそ明確に、背筋が凍りつくような恐怖を感じる犯人グループ。

一夏の手から零れ落ちる弾丸を見た瞬間、彼らは悟ってしまった。

 

奴は弾を避けてはいない、自分達に当たりそうな分だけ素手で掴み取ったのだと。

 

 

完全に硬直してしまった犯人グループを横目に、

一夏は同じく放心している箒の背中と腰に腕を回し抱きかかえる。

所謂『お姫様だっこ』の状態で箒を抱えると、

包囲網の一番手薄な十字路の右のルートめがけ、

 

 

電光石火のごとく疾走した。

 

 

虚を突かれた犯人グループは正気に戻ると、

 

「な、何やってやがるてめえらッ!! あのガキを殺せッ!!」

 

オータムの酷く慌てた叫び声を合図に一斉に射撃する。

しかし突然の出来事に反応しきれず、しかも恐怖の余韻に浸っていた

男達がまともに一夏を狙える筈も無く、

結局一発たりとも命中せず、一歩たりとも足止めできないまま逃がしてしまった。

 

「あんのクソガキがぁ……ッ!!!」

 

全身を震わせ般若のような形相で歯軋りするオータム。

彼女のプライドはズタズタに引き裂かれていた。

余裕の表情で一夏を取り囲み集団リンチさながらの集中砲火を浴びせるも、

その全てを軽くあしらわれ、あまつさえ恐怖さえ与えられてしまった。

このままおめおめと逃げられ、警察に居場所を

知らされてしまえば全てが終わってしまう。

最早形振りは構っていられないと思ったオータムは、

隣にいた部下に大声でこう言った。

 

「打鉄をもってこいッ!!! あのガキは絶対にぶっ殺すッ!!!」

 

 

 

 

 

……………………………………………………………………………………

 

 

 

 

…………………………………………

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

「はぁっ! はぁっ!」

 

一夏は再び全力で港を駆け回っていた。 箒を抱えたまま。

いくら女性の体は男性に比べて軽いとは言え、40㎏代の重量は体に響く。

彼女にも自力で走ってもらいたかったが、どう言う訳かさっきから

抱きかかえられたまま放心状態にあった。

何度か声はかけては見たが、微動だにしない。

対して一夏は全身汗だくで意識混濁、休む事無く全力を

出し続けた事により極度の疲労を招いたせいだ。

正直もう心身共に限界であった。 どこかで休息をとらなければ。

 

走りながら考え込んでいた時、一夏の体を黒い影が覆った。

 

そして銃声。

一夏の進路の僅か2m先でコンクリートが弾ける。

思わず一夏は急停止した。

 

まさか敵に追いつかれたか?

だが自分は敵の隙をついた上に、その気になれば

弾丸を回避できる程のスピードで動き回る事ができる。

早々の事で追いつかれる事は無いはずなのに、しかし発砲されたと言う事は

自分は既に敵の射程圏内にいると言う事だ。

 

それに……晴れ模様の空なのに何故自分の頭上に影が?

そんな疑問を抱きつつ、不安げに空を振り返ると。

 

 

「逃がさねぇぜ……!!」

 

 

太陽の照る春先の空を背景に、猛禽類のような鋭い目付きで

獲物である一夏を前に舌なめずりをしながら……

 

 

金属の鎧を着て当たり前のように宙に浮かぶオータムの姿があった。

 

 

流石の一夏も今度ばかりは心が折れそうであった。

顔を青ざめながらも口にした言葉は、

 

「IS……だと?」

 

そう、先程一夏を取り逃がした彼女は形振りを構わなくなり、

とうとう只の……とても強い生身の人間である一夏を追い詰めるのにISを持ち出してきた。

着用している種類は『打鉄』と言う、鎧武者の甲冑をモチーフとした……

しかし胴部は女性の柔らかな身体を包み隠そうともしない形状の、

主に近接戦闘に特化された装備を持つ純日本産の機動兵器であった。

 

だがこのIS、彼女らが盗み出してからある程度手を加えたのか、

ミサイルポッドやIS携行用アサルトライフルなどと言った装備が後付けで

肩部や腰部の側面にストックされていた。

この手の装備はIS特有の機能『量子化』にて、実体化せずに格納されている物なのだが、

この場合に限っては見つけ次第一夏を即抹殺するつもりでいる為、

実体化のタイムラグがかからないようにあらかじめストックホルダに引っ掛けていた。

 

「今度はそれか……一体お前らどこからそんなの仕入れたよ!?」

 

もっとも、そんな細かい事情は一夏にとって知る由も無く関係も無い。

ましてや考えている暇も無かった。

 

「死ねやこのクソガキがああああああああああああああ!!!!」

 

オータムが血走った目で、ミサイルポッドから多数の対人用ミサイルを発射したからだ。

 

「マジかよオイッ!!」

 

ロケット花火さながらのうねりを描くような軌道とスモークを撒き散らしながら、

だがコンピュータ制御されたそれは確実に一夏のいる方向を目指して正確に飛んでくる。

しかもこのミサイル、レーダーや熱源探知と言った判別方式ではなく、

映像と言う判定基準から目標である一夏をロックオンする

『映像識別方式』が採用されている為、チャフやフレアと言った欺瞞装置が殆ど通用しない。

 

「だああああああああああああああああああッ!!!」

 

しかしそれさえも一夏はギリギリの所で回避、

避けた際の勢いで飛び跳ねるかのごとく移動を続ける。

同じ場所に留まればミサイル自体は回避できても、着弾した際の

爆風や飛散物に当たってしまうからだ。

流石の一夏も、ISと言う現代兵器の花形を相手に、

しかもこちらは箒を両手で抱えているハンデを背負っているが為に攻撃手段が無く、

なすすべない一夏は一方的に攻撃を仕掛けられ続けた。

 

……肉眼で自身めがけて飛来するミサイル等を

識別判断出来る時点で十分驚異的なのは言うまでもないが。

 

 

「クソがぁッ!! とっとと死にやがれッ!!」

「やなこった!!」

 

 

ここに来てなお焦りを感じるオータム。

ISを用いても全力で逃げる一夏に決定打を与えられないばかりか、

何よりも一夏が彼女の悪態に言い返せるだけの余力がある。

(実際一夏は限界が近づいているのだが)

いつまでもISを相手に逃げ切れるものじゃないとは

頭では理解しているが、それでも心理的な不安は早々拭い去れるものでない。

 

 

 

執拗に煽り立てるオータムとそれをすんでの所でかわし続ける一夏。

命がけの鬼ごっこを続ける中、3人はある場所にたどり着く。

 

(……あれは!?)

 

全力で逃げる一夏が目にしたその建物は、

第1倉庫以外で唯一外部との連絡手段を持つ『第7倉庫』であった。

ようやく目的地にたどり着けたと喜びたい所であったが、

しかし今の一夏にはバッドタイミングと言わざるをえなかった。

 

(あそこを壊されたら一巻の終わりだ!!)

 

今の興奮したオータムなら、自分が建物の中に避難した所で

壁を壊して入って来るどころか最悪建物ごと自身を抹消しかねない。

しかし今ここで第7倉庫をあきらめた所で、体力的にもうこれ以上逃げ切れない。

この場をどうするか、一夏が意識の混濁する頭で必死に考えた時、

 

 

「おっと、ここから先はいかせねぇぜ!!!」

 

 

背後から一夏を追い立てていたオータムが頭上から一夏を追い越すと、

倉庫の前まで来て反転、一夏の前に立ち塞がった。

予想外の行動に立ち止まる一夏。

 

(どうした!? 何故前に回り込む!?)

 

今の今まで散々一夏を背後から追い回していた相手が、

倉庫を目の前にして進路を阻むと言う行動を取ったのだ。

外部に連絡されて困るだけと言うのなら、

いっそのこと倉庫を破壊してしまえば良いだけだ。

だがそれをせずに、わざわざ回り込んで前方から足止めをすると言う

回りくどい方法を取ったと言う事は……?

 

「一歩でも動いてみな……バラバラのミンチに変えてや――」

「壊れちゃまずい物があるのか?」

 

一夏が呟くと、オータムは表情を引きつらせた。

どうやら図星だったようだ。

 

隠し事の下手な相手に一夏は不敵な笑みを浮かべた。

そして一夏の脳裏に考えが過ぎる。

これはチャンスだと。

 

 

微妙な距離感で一夏を威嚇するオータム。

加熱したアサルトライフルの銃身を向けるその先端には

硝煙と陽炎の揺らぎがあり、攻撃の凄まじさを物語っていた。

 

どっちにしろこのまま棒立ちになった所で相手は自分を撃つだろう。

ならもうやる事は1つしかない。

 

 

一夏は迷う事無く一気に前進する。

持ち弾を全弾撃ち尽くす勢いで一夏に発砲するオータム。

 

すると一夏はこの機を見計らったかのように抱きかかえていた箒を――――

 

 

 

 

上空に放り投げた。

 

 

 

 

「なッ!?」

 

攻撃の手を緩め、引き金から指を離すオータム。

アサルトライフルの連射が途切れてしまう。

無理も無い事だ、彼女にしてみれば今の一夏の行動は

明らかに大切にしているであろう少女を無碍に扱うようなもの。

いきなり低空にいる自分を飛び越す勢いで箒を投げつけるなどと

おおよそ考えられない行動であった。

 

「もらったぁッ!!!」

 

一夏の叫びに我にかえるオータム。

しかし気づいた時には遅かった。

一夏は既に自分の懐近くにまで潜り込んでおり、

最早この距離ではISを装備した事により

生身よりも大型なシルエットにならざるを得ないこの状況で、

超至近距離に持ち込まれては取り回しの面から反撃にうつる事はできない。

ましてや一夏はあれだけの身体能力を誇っている。

 

ひょっとすれば生身で、ISは壊せなくとも

中の人間だけ殺傷できる方法があったのなら――――

 

 

「砕ッ!!!」

 

 

思考をめぐらせていた瞬間、オータムの真下で爆発が起こる。

瞬間、視界はコンクリートを破砕した際の粉塵で覆われる。

 

「クソッ!! 何なんだ!?」

 

視界をさえぎられた事で、反射的に上空に飛び上がるオータム。

それは目くらましをされた状態で一夏に殺される事を警戒した故の行動であった。

だがその直後、上空に飛び上がって一夏と距離を置いた事は

大いなる間違いであったと気づかされた。

 

「……何ぃ?」

 

オータムの下方、今しがた一夏の前方に回りこんで

足止めを図った第7倉庫までの通路。

 

その倉庫まであと5メートル地点にて、一夏は放り投げた箒をキャッチ、

受け取った直後上空に飛び上がったオータムに対し、

 

笑顔で敬礼した後、意気揚々と第7倉庫へと入っていった。

 

 

そう、別に一夏はオータムを殺そうとして狙ったのではなく、

不安に駆られたオータムを驚かして隙を作ろうとしただけである。

そもそもISには搭乗者を守る為の絶対防御と言うシステムがあり、

大概の攻撃は、たとえISが大破するような状況でも、

100%と言うわけではないが搭乗者を生還させる事が可能となっている。

ましてや一夏の体力は限界、逃げるだけで精一杯の状況で

搭乗者だけを殺すなどと器用な真似は考え付くはずも無かった。

 

そう、自身に直接攻撃を仕掛けてくると思ったオータムは、

完全に虚を突かれたのだ。 それもご丁寧に空にまで飛び上がって。

これに関しては一夏自身も予想しなかった、

正に大成功だったと追記しておく。

 

「なめやがって……!!!」

 

沸点が限界を振り切り、ありったけの恨みを込め

一夏が逃げ込んだ倉庫に銃口を向けるオータム。

 

しかしその引き金が引かれることは無かった。

 

「……チッ」

 

舌打ちをして銃を下ろすオータム。

するとオータムはISの周囲にホログラムディスプレイを展開。

宙に浮く半透明の画面に指を触れると、

画面が先程一緒だった部下の顔が映りこむ。

 

「私だ、あのガキ第7倉庫に逃げ込んだ。

 ISの火力じゃ中の『ブツ』が心配だ。 お前らが制圧しろ」

「了解」

 

ディスプレイに映った男が了承の意思を伝えると、

オータムはディスプレイを消去し、呟いた。

 

「あのガキ……中の『アレ』に何かしやがったら只じゃおかねぇ……」

 

 

 

 

 

……………………………………………………………………………………

 

 

 

 

…………………………………………

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

「箒、いいかげんに起きろよ」

 

未だに放心状態のまま、木箱に座り込んでじっとしている箒を、

両手で肩を掴んで身体を前後にゆする一夏。

だが彼女はそれでも動く気配を見せない。

 

(弾幕にさらされたのがよっぽどショックだったんだな)

 

ため息をつく一夏。

このまま彼女が一歩も動かないのでは、流石にこれ以上は

彼女を担いで動き回る余裕も無い。

なんとしてでも起きてもらわなければ困る。

 

(……こうなりゃ)

 

そう思った一夏は、箒の肩を握る手の力を強めると、

 

 

 

ゆっくりと箒の顔に自分の唇を近づけ、

 

 

箒の右の頬に口付け――――――

 

 

 

 

「わあああああああああああああああああああああああああああッ!!!!」

 

しようとした所で箒に突き飛ばされ、盛大に尻餅をついてしまった。

 

「こ、この破廉恥め!! 乙女の頬に、キ……キスをしようなど――――」

 

立ち上がり、真っ赤な顔で息を荒げる箒。

すると彼女は文句を言い掛けた所で周囲を見渡すと、

 

「……どこだここは?」

 

状況を全く把握できていない間抜けな一言。

腰を擦り気の抜けた表情で一夏は呟いた。

 

「呑気なことでいらっしゃる……」

 

 

 

 

 

 

一夏は第7倉庫に至るまでの経緯を箒に話した。

 

「成る程、状況は分かった」

 

箒は頷いた。

今自分達がいる場所は、何らかの理由があってISに乗った女では

ここを建物後と吹き飛ばす事は不可能であるという事。

その為相手は一時的にこちらに攻撃を仕掛けるのは不可能であり、

つかの間ではあるが休息が取れる……

かろうじて首の皮が一枚繋がっている状況だと言うこと。

だがそれも時間の問題、ISで入り込めないなら彼女は再び

部下達を呼び寄せ、生身の人間で制圧させるつもりだろう。

いくら同じく生身で散々暴れまわった一夏とは言え、

追い詰められている状況には変わりが無いので、

もし再び一挙に大群が押し寄せ、更に箒と言う弱みを抱え込んでいる以上

これ以上の追撃には耐えられる自信は無かった。

 

しかし幸いにも、この倉庫には2階に通信設備がある。

それを使って助けをよび、警察が来るまでの間何とか耐え凌げば

まだ自分達が生還できるチャンスはある。

勿論可能性は低いが、絶対に0%等というのはありえない。

ほんの僅かな可能性であっても、例え天文学的な数字でも

チャンスがあるのなら、一夏達はあきらめるつもりなど無かった。

 

「通信設備は2階だったな。 私はそこで連絡を取ってくる」

「わかった、じゃあ俺は1階で何かいいものが無いか探す。

 連絡は手短にな、ブレーカーを落とされたら終わりだ」

「ああ」

 

そう言って箒は2階への階段を登り、

一夏は猛攻に耐え凌ぐ為の準備に取り掛かる。

 

 

 

 

「何かいいものは無いか?」

 

一夏は武器になりそうなものを探していた。

銃は使った事が無いので論外だ。

引き金を引くなら子供でも出来る、だが実際に当てるとなると

話は別だ。 弾丸の弾道特性、風速、銃自体の集弾率、

その他諸々の要素を知っていない限りまともに命中などしないからだ。

だが近接武器やちょっとした火薬の類ならまだ可能性はある。

できれば格闘技や剣道の延長線上などで使える刀剣類、

ナイフしかり、刃物でないにしろトンファーなどの棒状の武器など、

とにかく何でもいいから使える武器が欲しい状況だった。

 

 

そんな時であった。

 

「……なんだこれ?」

 

役に立ちそうな物を物色していた一夏の前に、

彼の身長以上の灰色のコンテナが置かれていたのは。

古びた木箱の類とは異なり、埃も余りついていなければ、

塗装の一つもはげていない比較的新しい合金製のコンテナ。

よく見ると側面部には『倉持技研』と書かれていた。

 

「倉持技研……ISの国産メーカーか」

 

それは先程オータムの身につけていたIS、打鉄の開発元であった。

ISのメーカーのコンテナが何故別でこんな所に

置かれているのか気になるところではあったが、

もしこれがあの打鉄の追加装備か何かならば、

元々近接戦闘に重きを置いたあのISの装備であるなら、

一夏になら何とか扱えるかもしれない。

 

 

一夏は一縷の望みを抱きながら、コンテナの開閉スイッチに手を触れる。

幸いロックはかかっていなかったようだ。

一夏の指の温度をセンサーが感知、全自動でコンテナの扉を

ガスシリンダの圧力が変動する音と、

金属の擦れる音を上げながら左右にゆっくりと開く。

 

 

一夏の目の前に現れたコンテナの中身は、

状況を打破しうる武器を求めていた一夏を驚かせるのに十分な代物であった。

 

「な、なんだこれ……?」

 

そこにあったのは、オータムの身につけていた物とはまた違う、

少なくとも一夏の記憶には全く無い、新しいタイプの機動鎧。

 

「IS……?」



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第4話

 

 

 

 

           「ISを動かせる男 少年格闘家、織斑 一夏」 後編2

 

 

一夏の前に姿を現したそれは、

言うなれば白銀と比喩するにふさわしいISだった。

 

薄暗い古ぼけた電灯の点滅する中においても存在感を放ち、

自ら光り輝いているかのような錯覚さえ感じさせる。

一点の曇りも無い白き機動鎧が、コンテナの中で膝を突き佇んでいた。

ISの周囲には、台座を連想させるような白い

機械のリングが本体を囲うかのように設置されている。

わざわざIS本体と同じような意匠が取り入れられている辺り、

これも稼働時にはパーツの一部として動作するのだろう。

兵器と呼ぶにはあまりにも美しいその造形に、一夏は息を呑んだ。

 

その上、あの女の乗っていた後付装備を過剰に装着し、

弾を防いだ凹みや擦り傷が所々見られた打鉄とは違い

こちらは弄られた形跡も無ければ、兵器として

実際に運用されたであろう細かい傷や錆び、

補修の痕跡等が全く無い。 新品同然なのだ。

 

コンテナに書かれていた通りこのISの開発元は

恐らく倉持技研だろうが、あんな物騒な連中が

持っているあたり盗品である可能性が高い。

それも世界を席巻するISに関しては

一夏自身も関心がある為、ある程度の機種は網羅しているが、

目の前のこの機体に関しては全く記憶に無い。

 

じゃあこの機体は何なのか思考にふけろうとした時、

一夏はISの脚部に文字が小さく刻まれているのを見つけた。

影がかかって見づらいが、アルファベットや数字らしき

文字が書かれているのが見て取れる。

何とかかれているのか見ようと腰を屈め、

何気なく一夏はそのISの脚部の装甲に手を当てた。

 

その瞬間だった。

何の前触れも無く一夏の視界が白一色に染め上げられたのは。

突然の出来事に一夏は狼狽するも、直後どこからともなく

絵や文字とも言えぬ膨大な情報が脳内に流れ込む。

それも苦痛を伴わず、乳児が両親の会話から

言葉を学び取るかのごとく当たり前に。

 

(形式番号:XJP-43、

正式名称:白式(びゃくしき)、

各国の開発するISのような遠距離攻撃手段は切り捨て、

かつて第1回モントグロッソにて猛威を振るった

IS『暮桜(くれざくら)』の意匠を汲んだ試作品……)

 

Xと言う頭文字は軍用兵器をはじめ、正式採用一歩手前の

実戦さながらの試験的な運用による、選評を行っている段階の

装備に割り当てられる仮ナンバーであり、

正式装備として運用するのに問題が無いと判断された

物だけが、この頭文字を取り除き採用を許される。

 

そしてモントグロッソと暮桜なるワード、

前者はISの世界一のパイロットを決めるべくして

2016年を最初に3年に1度行われる、IS対ISの格闘大会。

後者の暮桜はモントグロッソの第1大会にて、ライフルやミサイル等の

遠距離攻撃に特化した装備が幅を利かせる中、

唯一近接戦闘のみで見事優勝を果たしたISである。

 

「はっ!!!」

 

そこまでの情報を読み上げた所で一夏は正気に戻る。

情報が頭になだれ込んでいる際に無意識に後ずさったのか、

手で触れていたIS……情報が正しければ白式と言うのか、

機体から3m近く離れていた。

 

頭を横に振って朦朧とした意識を振り払うが、

しかし次に起こった出来事で一夏は更に驚愕する。

白式を取り囲んでいた同じ意匠の

汲まれたリングが完全に消え失せていたのだ。

 

一体どこに消えたのか?

そう思って一夏は手を差し伸べようとするが、

ある程度伸ばした辺りで壁に手を当てたかのような、

しかし実体の無い感触を覚える。

見ると何も無い筈の空間に一夏の手が

触れた部分だけ一辺辺り3cm程のハニカム状の

ホログラフが手を遮っていたのだ。

 

「おい、なんだよこれ!」

 

一夏は慌ててハニカム状のホログラフに

体当たりするが、ホログラフはしなる事無く

タックルの衝撃を吸収する。

この威力を跳ね返されたら普通仕掛けた側が

転倒して尻餅をついてもおかしくは無い。

だが力一杯ぶつかった筈なのに一切反動も無く

堅い何かに接触したと思えば痛みも何も感じない。

 

だが一夏は諦めが悪かった。

今度は光輝唸掌を放って壁を破ってやろうと

足を大きく開き、指をそろえた右手を下げ……

 

肘を後ろに下げきった辺りで何かが接触した。

一夏は背筋を凍らせながらも

肘の当たった部分を見ようと油の切れた

歯車のようなぎこちない動きで首を向けると、

 

そこにはやはりホログラフが発生し、

肘を下げようとする一夏の動きを阻害していた。

 

(まさか!!)

 

表情は青ざめ、心拍数は否応無しに上がる。

今自分の置かれている状況を確かめる為、

一夏は逸る心を抑えながら、

ゆっくりと横方向にも腕を伸ばしてみた。

 

すると一夏の思った通り、腕はある程度伸びた所で

感触のない壁のような物に阻まれていた。

四方に手を当ててこのようなホログラフが

発生すると言う事は、おそらく360度どの方向を

向いてもこの見えない壁は存在する可能性がある。

 

 

つまり一夏は……閉じ込められた。

 

 

(冗談じゃねぇ!!)

 

このISに仕掛けられた罠だとでも言うのか。

こんな所で足止めを食っていては、

折角稼いだ時間がムダになってしまう。

あと数分もすれば増援がこの倉庫に到着し

打鉄ではなく生身の人間による制圧が始まる。

身動きの取れないこの状態で

そんな真似をされたらいくら弾幕さえ回避できる一夏でも

今度こそ成すすべなく一方的に殺されてしまう。

 

焦りを押さえきれない一夏は見えない壁を何度も叩く。

それが無駄な行為だと分かっていても、

目先に身の危険が迫っているのに何もしないでいろと言うのは

今の一夏にとってそれは無理にも等しい。

 

「くそっ! どうすりゃいいんだ!?」

 

焦燥感に駆られながら、ふと天井を仰ぎ見る。

 

「ん!?」

 

一夏は大きく目を見開いた。

何故なら、一夏の目には台座から消えたリングが

右回転しながらゆっくりと下降して来たのが見えたからだ。

 

「こ、これは……?」

 

頭上に突如現れたリング。

しかも先程見た形とは異なり、上下に2分割されたのか

下半分が見当たらない。

どこに行ったのか気になって辺りを見渡してみると、

リングの下半分は何と一夏の足元に置かれていた。

こちらは上のリングみたく回転してはいないが。

しかもこのリングの内径、一夏を閉じ込めている

ホログラフの壁と全く同じ内径であり、

どうやらこれが壁を発生させている装置となっているようだ。

 

状況判断をしている内にリングが一夏の頭を通し、

首元の高さにまで下降した時、

リングの内側から首に掛けて突如粘性のある青い膜が出現し

一夏の肉体にまとわりつき始めた!

 

「ぐえっ!!」

 

首元に発生する強い圧力。

予想しなかった感触に一夏は苦痛に顔を歪ませる。

しかし苦しむ一夏を無視するかのように、

リングはお構い無しに回転しながら下がり続け、

粘膜は一夏の肉体をリングがくぐり抜けた分だけ纏わりついてくる。

 

(くっ!! これはきついッ!!

しかも何なんだ!? 俺は服を着ているのに

この粘膜、素肌に直に張り付いてくるぞ!?)

 

ゴムのペーストが苦痛を感じるほどに全身を強く圧迫しながら

素肌の毛穴にまで浸透するかのような感覚、

拘束具を付けられてるかのように一夏は身動きが取れない。

服を着ているのだから地肌に膜の感触があるのは

おかしいとは感じていたが、どうやらリングを

潜り抜けた箇所から一夏の服を、IS特有の機能の1つである

量子化によって分子レベルで消滅させ、

素肌を晒した上に膜で肉体をコーティングしているようだった。

 

(畜生!! こんなもんに全身を縛られてたまるか!!)

 

一夏はありったけの力を込め両腕を上げようとする。

するとどうした事か、リングの内径に引っ張られて

テントさながらに張り詰めていた膜が、

一夏の体躯にあわせ、脇の下や二の腕を巻き込み

体のラインをかたどりながら剥離する。

引っ張られる箇所が減った事で腕にかかる抵抗が減り、

勢い余って一夏は両腕を勢いよく振り上げる。

 

「くっ!!」

 

腕周りが完全に引きちぎられると、纏わりついていた膜が

一夏の四肢の内側から5本指に至るまで包み込み、

ラバースーツのように関節と言う関節をしっかりと形作っていた。

 

「どうなってんだこれ!?」

 

叫びながらもリングは既に膝の辺りまで下がっており、

膜は上半身と同じ要領で内股にも食い込んで

しっかりと一夏の体のラインに合わせてスーツを形成していた。

これではまるで一夏を拘束するというよりは、

自身の意思を無視して無理矢理着替えさせているようなものだ。

 

そしてリングが足元まで下り切って、下部に置かれていたリングの

下半分と合体、本来の形に戻る。

一夏も足元の窮屈な感触を長々と味わうつもりは無く、

粘膜がしつこく引っ張るのを我慢して、頑張って片足ずつ上げる。

やはり膜は足のかかとからつま先に至るまで

包み込んだ後、綺麗に剥離できた。

だが足の指の間にまで膜が入り込まなかった為、

靴下やストッキングを履いているような感触に近い。

 

「……ふう……」

 

体の圧迫感が急激に抜けきった事で一息つく一夏。

膜はスーツをかたどった今も一夏の体を少しばかり締め付けるが、

リングを潜り抜けている時の、全身をアナコンダに

締め付けられるかのような強烈な圧力は無く、

 

「お、これは……」

 

一夏は肩を回したり腰をひねるなどして動き易さを確かめるが、

むしろこのスーツは伸縮性に優れ、一夏の動きを阻害しない。

いきなり全身を包み込みはじめた時は焦ったが、

中々悪くない感触に一夏は安堵する。

 

しかしそれも束の間、全身をスーツに包み込まれた直後、

今度はIS自体が発光、量子化が始まり瞬く間に無数の光の粒となった。

 

「今度は何だ!?」

 

思わず身構える一夏。

すると光の粒は一夏の周囲を取り巻くと、

なんと一夏の体を高さ1mの空中に浮遊させ始めた。

 

圧迫感の次は浮遊感、

おもわず両手両足をばたつかせて抵抗を試みるが、

 

 

次の瞬間、量子化していた白式のパーツが

脚部から順番に一夏の体に装着される。

 

「い!?」

 

足元を大きな脚部で覆うと続いて胴部、

背後から左右に腹部をホールド、肩や腕周りにも

量子化していたパーツが展開、装備される。

 

そして先程一夏の体をコーティングしていたリングは

今度は左右に2分割し、一夏の両肩周りを守る盾のように浮遊する。

最後に頭部、胴をホールドした時と同じように

後頭部から左右に掛けて回り込み、圧着する。

 

その瞬間、一夏の五感がはっきりと研ぎ澄まされると共に、

 

≪モビルトレースシステム、セットアップ……

 脳波、血圧、心拍数、呼吸、体温、代謝機能、オールグリーン≫

 

一夏の体調を詳細にスキャンした結果が無機質なアナウンスと共に、

白式の周囲にホログラムウィンドウを多数展開させる。

 

当の一夏はわけが分からなかった。

ISに触れた途端脳に情報が流れ込み、ISを囲っていた

リングが自身をこんなスーツに包み込み、

挙句の果てにはIS……白式が自身に装着された。

これではISが自分自身に反応した事にならないか?

男である自分が、女にしか動かせない機動兵器を。

 

そんな馬鹿な話があるまい。

きっとこのISは自分を動けなくする為に

 

試しに一夏は白式の両手両足を動かしてみることにした。

 

「はああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」

 

足腰を落とし両腕に力を込め、上に振り上げ腰元に素早く引く。

重苦しいどころか寧ろ快調に動作する。

 

「ふんッ!! 覇ァッ!!」

 

右正拳突き、その姿勢のまま手首をひねる。

力強いIS独特の金属の擦れる機動音を上げる。

 

「せいっッ!! ふんっ!! 波っ!! はぁッ!!」

 

右、左、右、左のジャブのコンビネーションの後、

右足を豪快に蹴り上げ、続けざまに左手を振り下ろす。

クリア。

 

「はっ! ぬおおおおおおおおお………………!!!」

 

両足を広げ、胴体を閉めこむようにして肩を閉じ、

両腕を交差させ力を溜める。

 

「ハァッ!! おおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!!」

 

腕を開き開放、右手を前方に突き出し素早く左回りに1回転。

 

「はああああああああああああああッ!!!」

 

百獣の王を髣髴とさせる雄たけびを上げ、決めの姿勢をとる。

動作は全く問題ない。

それどころかこの白式、一夏の動きに

遅れる事無く完璧についてこれている。

 

一夏は確信した。

このIS、白式は自分の意志で動かせる。

俺は世界で初めて、ISを動かせる男になったのだと。

 

「まいったなこりゃ……」

 

先程の勇ましい一連の動きとはうって変わり、

両手を開いて覇気の無いため息を吐く一夏。

まさかこんな土壇場で、世界を揺るがしかねない事実が発覚してしまうとは。

何度も説明している通り、ISは女性にしか動かせない。

これは世界各国共通の一般常識である。

だが一夏は今この場でその常識を実にあっさりと覆してしまった。

もしこの事が世間に公表されたりしたらどうなるやら。

 

しかしISを動かせると言う事実は

今この場においては頼もしい限りであった。

これから攻めてくるであろう増援はもちろん、

打鉄を操って執拗に追い詰めてきたあの女だって

倒せないまでも時間稼ぎをすることは十分に可能だろう。

勿論ISに関してはマスメディアに公表されている程度の知識だけで

実際に操った事など当然無いずぶの素人であるが、

それでも生身でいる事に比べれば幾分気が楽なのも事実。

 

ISと言う機動兵器が手に入った。

ならば次は当初の目的であった武器を探そう。

一夏がそう思った瞬間、先程一夏の周りに

無数に展開されたのと同じ要領で、大量の

ホログラムディスプレイが表示される。

表示されている情報は一夏の体調だけでなく、

白式の仕様や装備の情報についても書かれていた。

 

そう言えばISのコアには学習能力と言う概念があり、

パイロットとの付き合いを通して戦闘経験を蓄積、

自己進化すら実現してしまったと言われている。

そうなると当然、ISにはパイロットの意思を

読み取る機能が備わっているのは分かっていたが、

まさか少し考えただけでここまで具体的な情報を示してくれるとは、

ISの思考能力は侮れないと一夏は思った。

 

ISの賢さに感心しながらも、一夏はウィンドウの情報を

読み取っていくと、その内の幾つかに興味深い情報を見つける。

固定装備として白式の両腕に内蔵され、

状況によっては両手剣としての実体化が可能な白兵戦用特化装備。

 

「アーティフィシャル・オーラ・ジェネレーター……

 通称『雪片弐型』(ゆきひらにがた)」

 

アーティフィシャル・オーラ・ジェネレーター(人工気力発生装置)、

人間の体に流れるオーラ……即ち『気』を

IS用の攻撃エネルギーとして転換する装置で、

通常実弾兵器やレーザー兵器など、

武器自体の性能に依存する事が多い兵器の中で

これは特に使い手の特性……とりわけ精神力の強さに比例するものだ。

心身ともに優れたパイロットほどその性能をフルに発揮できるが、

その分ムラっ気が激しくパイロットによって威力が大きく左右されてしまい、

さらに高コストで量産に適さない事から、過去にこの装置の

前身である『雪片』がたった1機、白式のモデルとなった

暮桜に装備されただけで開発が打ち切られてしまった。

 

「その後継機がこの白式に……!!」

 

更にISの装着前に一夏の首から下の全身を包んだ青いボディスーツ。

これは市販されている従来のISスーツの上位互換に当たる性能を誇る、

正式名称は『ファイティングスーツ』と言う。

強度こそそのままであるが、人体に流れる電気信号を増幅させる効果があり、

素肌でISに触れるよりも信号の伝達が高速になる為、

それに伴いパイロットの動きに対するISの追従性能を

大幅に向上させる事に成功している。

 

量産型のISとISスーツの組み合わせだと0,01秒、

特定のパイロットにカスタマイズもしくは専用に作られた機種なら0,002秒、

この白式のモビルトレースシステムなら、0,0000……中略、

つまり事実上の0を達成している。

尤も、恐ろしく窮屈で訓練を受けていない一般人が身につけると、

苦痛どころか最悪複雑骨折を招く場合もあるが。

 

一応他の装備が無いかデータベースを探ってみるが、

申し訳程度に牽制用の小口径アームガンと

煙幕弾が数本装備されているだけだった。

だが一夏にとってそれだけ武器があればむしろ十分であった。

 

そもそも一夏の修得した武術、流派東方不敗は肉体面のみならず、

気の力を持っておよそ生身では考えられない

膂力を発揮する事を目的とした武術。

絶好調の時ならば、ISから発せられる

馬力さえも上回る力を出す事も出来る為、

通常のISの仕様ではかえって一夏の動きを阻害してしまう事さえある。

その為、箒との付き合いで学んだ剣術を除き、下手に銃器類の装備は

一夏にはかえって邪魔になってしまう事もある。

尤も得意とする格闘技及び気の力を存分に扱える雪片弐型と

反応速度を極限まで引き上げるモビルトレースシステムの組み合わせは

一夏にとっては願ったり叶ったりであった。

 

「これなら勝てる……!!」

 

ついさっきまで時間稼ぎが出来れば上等と思っていたのに、

これらの情報を目にした途端、

完全勝利へのビジョンが明確に映る。

ISを振りかざして執拗な追い込みを掛けたあの女に

一矢報いる事が出来ると一夏は思った。

 

―――その時、ISに内蔵されている

五感強化用のハイパーセンサーを通して一夏の耳に

シャッター越しに多数の足音が聞こえてくる。

このタイミングでこの足音の数は間違いない、

一夏達を仕留めんとせん増援達が到着したのだ。

 

(来たかッ!!)

 

気を引き締め、一夏はシャッターの方を振り返った。

 

 

 

 

 

……………………………………………………………………………………

 

 

 

 

…………………………………………

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

「よし、後は警察の到着を待つだけだ」

 

古い設備だが、この通信室の機械は十分使用に耐えうるものだった。

しかもご丁寧に使い方のマニュアルまで残されていた上、

その中にはこの近辺の無線を扱っている会社の周波数まで書かれていた。

おかげで所定のバスが姿を消して困惑していた

バス会社に連絡が取れ、なし崩し的に警察にも

現状が伝わったのであった。

少し話が出来すぎているような気がしないでもなかったが、

箒は結果オーライと言う事で片付けた。

 

して箒は通信用のヘッドセットを身につけていた為

下の階で一夏がどんな様子で荷物を漁っているかは知らない。

とりあえず自分の役目は果たした。

後は襲撃に備える為一夏の手伝いをするべきだ。

箒はヘッドセットを通信機械の上に置こうと背筋を伸ばす。

 

「ん!?」

 

その瞬間、箒は凍りついた。

この通信室は窓際に通信機械が置かれている為、

椅子から立ち上がれば容易に外の景色を見渡す事が出来る。

 

件の外の景色には、ついに到着した敵の増援が

倉庫のシャッターの前でひしめいていた。

一夏達を包囲して集中砲火した、数十名の敵が。

そしてその数十名の一番後ろに、打鉄を着用した

オータムと名乗っていた女が堂々と立っていた。

今度こそ逃げられないと言う自信の表れか、

全身から威圧感と言う名のオーラが立ち込めているように見えた。

 

 

すると集まった増援の内数名がシャッターに駆け寄ると、

なにやらシャッターに四角い粘土状のブロックを貼り付ける様子が見えた。

箒はその物体に見覚えがあった。

 

昔彼女がテレビにて気まぐれで見た、ハリウッドの

アクション映画の再放送、丁度特殊部隊が立てこもる犯人を

制圧すべく、ドアを強引に破り強行突入するシーン。

その際に特殊部隊は同様の物を貼り付けて、

 

ドアを爆破、その勢いでドア付近にいた犯人をも吹き飛ばしたのだ。

間違いない、あれは指向性のプラスチック爆弾だ。

それも威力が広範囲に散って人質等を巻き込まないように

火力を調整した『ブリーチングチャージ』なる物だ。

 

あんなもので強行突入されたら最後、

一夏は反撃のチャンスすら与えられずに

ワンサイドゲームに持ち込まれ、穴だらけの死体になる。

それどころか突入時の爆風に巻き込まれて

そのまま昇天と言う可能性も否定できない。

 

爆弾を設置し、数歩引き下がる様子を見ていると、

ふと外のオータムと目があった。

狼狽する箒を見てご満悦なのか、オータムは箒を

盾にする提案を思いついた時のような、

胸糞の悪くなるような嫌らしい笑みを浮かべた。

 

こうしてはいられない、箒は慌てて

通信室の出口のドアへと足を進め、

 

 

「そんなに焦んなくても今出てやるよ」

 

 

今1階にて使えそうな物を物色している

聞き覚えのある少年の声が施設内に、

及び施設の外にまで響き渡り、箒は思わず足を止める。

 

 

 

 

 

……………………………………………………………………………………

 

 

 

 

…………………………………………

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

オータムをはじめ周囲を取り囲む増援達を沈黙が支配する。

今聞こえた声。 それは男と言うには少々若々しい、

彼女達にとっては忌々しい事この上ない少年の声だ。

 

「……どう言う事だ」

 

オータムは混乱した。

逃げたあのクソガキとやらは第7倉庫にて

立てこもり、警察が来るまでの時間稼ぎをするつもりである。

そうなるとそれを阻止する為に自分達が

倉庫を包囲し、ISではなく生身の人間にて制圧する為に

踏み込んで来る事は理解しているだろうと思っていた。

 

そしてその考えはあたっていた。

だが腑に落ちない。 何故か。

 

そう、突入してくる事は頭で分かっていても

なぜその直前の、突入するタイミングを

見透かしているかのようなあの一声をかけてきたのか。

それもシャッター越しに伝わるような大音量で。

 

嫌な予感がする。

オータムはさっさとあのシャッターを

爆破して突入するように部下に指示を飛ばす。

 

指示を受け、無言でうなずいた男の一人は

ブリーチの起爆用のリモコンに親指をかけ、

先端のスイッチを押そうと――――

 

 

 

 

した所で、倉庫のシャッターが内側から前面に大きくひしゃげ、

貼り付けたブリーチが吹き飛んでコンクリート地面を滑った。

 

「何ッ!?」

 

オータムが驚くも、引き続きもう一発、

大きな衝撃が内側からシャッターに叩きつけられる。

するとシャッターは完全に枠から外れ、

押し出しの勢いを受けて前面に倒れこんだ。

爆弾を仕掛けて退避していたのが幸いだったか、

倒れこむ重量級のシャッターに潰されたものはいなかった。

しかし倒れこんだシャッターは先の集中砲火よろしく

多くの土埃を巻き上げ、それを吸い込んだオータム達は思わず咳き込んだ。

 

「ゲホッ!! ゲホッ!! 畜生!! 何だってんだよ!!」

 

咳き込みながらも、埃が目に入らないように

薄目で土埃のカーテンに薄く遮られたシャッターの入り口に

視線をやりながらも悪態をつく。

 

 

「だから言ってるだろ。 今出て行くってな」

 

 

そして少年の声と共に、人間と言うには一回り大きな

シルエットが、大きな足音を上げてこちらに歩いてきた。

その足音は、今自分が着用しているISの

機動音の種類に非常によく似た音だった。

 

 

それもその筈、

 

舞い上がる土埃の中から現れたのは、

ISを着用した少年……織斑 一夏その人だったのだから。

 

オータムのみならず、周囲にいた仲間も絶句した。

 

「な、なんだよオイ……何でだよ……」

 

開いた口が塞がらず、しどろもどろに指を刺すオータム。

彼女にしてみれば一夏がISを装備している事が信じられないでいた。

何故なら、ISは女性にしか装備できない。

それゆえ自分を含む多くの女性は女尊男卑になった。

その常識を根本からひっくり返されたからだ。

 

「お前男だろ!? 何で男のお前がISを動かす事が出来るんだ!?」

「さあ、なんでだろうな……だが」

 

相手のいない軽くジャブ、ストレート、回し蹴りを放つと、

臨戦態勢に入ったといわんばかりに身構える一夏。

オータムに注がれるその目つきは、

先程自身が一夏に向けた猛禽類の目つきよりなお鋭い、

大胆不敵な漢(おとこ)の目であった。

 

「これで条件は五分五分だ。

 あんたらには悪いが勝ちに行かせて貰うぜ!」

 

あくまで不敵な笑みを浮かべ、余裕の態度を見せる一夏。

 

「……どうやらてめぇを侮りすぎてたみてぇだな」

 

一方で舌打ちをしながらも、先の読めない一夏の存在を

実感せざるをえなくなり、心底嫌そうな顔をするオータム。

 

「こうなったらこっちもマジで行かせて貰うぜ!!

 てめぇなんざ地面這い蹲ってんのがお似合いだッ!!」

 

そして腰に下げていたアサルトライフルの照準を、

ISを着用した一夏に向ける。

 

 

「そうか、なら行くぞッ!!」

 

 

一夏も気合万端、身構えたまま腰を低く落とすと、

 

 

「ISファイト……」

 

 

アサルトライフルを構えるオータムに、

 

 

 

「レディィ……!!!」

 

 

 

腰のばねを生かし、一気に飛びかかったッ!!!

 

 

 

 

 

 

「 ゴ オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ ッ ! ! ! 」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                                     続く

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

第5話

 

 

 

 

           「ISを動かせる男 少年格闘家、織斑 一夏」 後編3

 

 

 

今日は厄日だ。

顎髭の精悍な、しかし髪の毛は薄くそろそろ体力の衰えを感じている

初老の警部は不機嫌を隠す事無く乱暴に足を組み、

バスジャック犯の潜む廃港に向かって街中をすっ飛ばしながら

サイレンを鳴り響かせるパトカーの助手席に座っていた。

そしてそのすぐ後ろや後方の空では、スクープの匂いを嗅ぎ付けたハイエナ……

もといマスコミのワゴンやヘリがパトカーから

幾分距離を置きつつ警察達の動きを追跡する。

相手なりに気を使っているのだろうが、

それでも事件現場までしっかりと着いてこられたのでは

結局の所邪魔としか言いようが無い。

 

それにしても、こんな事件の通報さえ来なければ、

否、奴らがバスジャック事件さえ起きなければ

本当なら今頃はおよそ数年ぶりに取れた

久しぶりの休暇で、中々会えなかった幼い孫娘を

遊園地なりどことでも連れて行ってやる約束だったのに。

それがたった一度の出動要請で全てがパア。

遊びに行けなくなった事を知った孫娘に

目の前で泣かれたのはショックだった。

 

こんなに不愉快な事はない。

それもこれも全てバスジャックを起こした奴のせいだ。

平和が一番と知っていて自分達の仕事を

増やしたがる馬鹿共がムカついて仕方がない。

警部は助手席の窓の外から身を乗り出すと、

マスコミが生中継でカメラを回していることも構わずに、

感情を爆発させるかのように盛大に叫んだ。

 

「畜生ッ!! 犯 罪 者 の ク ソ バ カ ヤ ロ ウ ッ ! ! !

 俺の仕事増やしやがって絶対許さんからなああああああ!!!」

「落ち着いてください警部!」

 

興奮する警部を左手で抑えるは、右隣の運転席にて

ハンドルを片手で握る20代半ばの若手の刑事であった。

こちらは顎鬚の中年とは対象的に、髭の剃り跡一つなく

濃淡のしっかりした眉毛に整った顔立ち。

スポーツマンのようながっしりとした体格の彼は

世間一般では二枚目と評される外見だろう。

 

「仕方ないですよ、何せ人質となったバスの乗客の中に

 あの『篠ノ之博士の妹さん』も囚われてるって言う話ですし、それに――」

「50人超えの武装集団で装備も充実、しかもIS乗りまで

 雇ってるって言われたらもう私達が出るしかないじゃないですか」

 

若い刑事の声を遮る様に、パトカー内のダッシュボードに備え付けられた

無線のスピーカーから聞こえるは、刑事よりも更に若い女性の声。

一緒に声を聞いた警部が身を乗り出したまま上を向く。

 

「そう、ISにはISを……私達IS機動部隊の出番ですよ♪」

 

警部の見上げる春先の青い空、視界の中央に映るは

パトカーと僅か7~8mしか離れていない超低空を飛ぶIS。

声の主である緑髪のショートヘアで眼鏡をつけた女性が、

自慢の大きな胸を張りながら悠々とパトカーの群れの上を、

マスコミのヘリの傍で飛行していた。

時々ヘリ内のニュースキャスターの男性から

マイクを差し出され、笑顔でインタビューを受けている。

余裕な態度の彼女は、国内のテロリスト・暴徒鎮圧を主な目的とする、

警視庁隷下の『第17IS機動部隊』に所属するパイロットの1人。

名前は『山田 麻耶(やまだ まや)』、エースパイロットの最有力候補であるが

去年の4月に配属になったばかりの勤務歴1年にも満たないルーキーでもある。

 

身につけているISは、フランスの企業デュノア社製『ラファール・リヴァイヴ』。

機体のバランスや応答性、信頼性共に国内製の打鉄に比べて、

1台辺りの単価は高いがそれに見合う優秀な機種で、

純正は勿論サードパーティ製の武器、救急装備も豊富に取り揃っており、

国防面は勿論の事、災害救助用や治安維持など

様々な用途にて採用されている実績を持つ。

現にその高い汎用性から世界第3位のシェアを誇る。

 

加えて彼女の機種の仕様は、元々深緑だった装甲の色を

警視庁管轄と言う立場に合わせて白黒のツートンに塗り替え背部に赤色灯を追加、

対テロリスト用に市街地での戦闘を考慮して反応速度周りに

ライトチューンを施し、かつ誤射の危険性を減らす為

ホーミング性の高い映像識別方式のミサイルポッドをはじめ、

視覚強化の為、熱源探知やナイトビジョン、X線、

二酸化炭素の濃度変化を色で識別する呼吸探知機まで付いている。

あと、非殺傷性のゴム弾やフラッシュバン等も装備済み。

 

……少し話は逸れたが、警部は身を乗り出したまま空を飛ぶ彼女を見つめ、

 

「……そうか」

 

たった一言言い残して、大人しく車内へと身を引いた。

どこか複雑そうな面持ちになる彼もまた、ISと言う機動兵器を好んでいない。

ただそれは女尊男卑がどうとかそう言った感覚ではなく、

いくら性能が優れてるとは言え、世界にたった467台しかない

得体の知れない兵器に安全の保障を委ねていい物かと言う懸念である。

 

(抑止力ってモンが理解できん訳じゃないんだがなぁ……)

 

何と言うか腑に落ちない。

結局は人が扱う兵器には違いないし、いつの時代でも不正を行う輩は存在する。

こうして敵の手に渡って一悶着を起こしているようでは

まだまだ自分達の仕事がなくなる日が来る事はないな。

治安維持を飯の種にしているとは言え、警部にとっては同時に頭痛の種でもあった。

 

「――あれは!?」

 

そんな事を考えていると、ふと上を飛んでいた麻耶から声が上がる。

 

「どうした? 何かあったのか?」

 

運転中の刑事が無線越しに声をかけると、

 

「ISです!! 犯人グループの物と思わしきISが2機暴れまわってますッ!!」

「「2機!?」」

 

警部と刑事は同時に驚いた声を上げる。

通報の内容では、確かに盗品と思わしきISは2機ある可能性は示唆されていた。

だがそれを操るパイロットは1人しか見当たらなかったと聞いていた筈。

もしかして見間違いなのではないかと勘繰った警部は

再び車外に身を乗り出して港の方を眺めた。

 

「見えん……」

 

年のせいか、風が目に当たって視界がぼやけたのか、

周囲の鉄筋コンクリート製の2階建てビルや、港に近いだけあって中央分離帯に

数メートル間隔で植えられたソテツが規則的に流れてくるばかりだ。

一向にISが暴れまわっている光景など見えてこない。

 

「見える訳ないじゃないですか警部。

 ここから港はまだ数キロ離れてるんですよ?」

「私はISのハイパーセンサー越しに見てるんです!

 万に一つも見間違いなんかありえません!」

 

……年のせいではなかったようだ。

部下2人にあきれられながらも、老化が原因でない事には安堵した。

 

「とにかく!! 廃港であんなのが暴れたら

街中に流れ弾が当たりそうで危険です!! 先に行きますよッ!!」

「お、おい!! ちょっと待て!!」

 

刑事の制止に耳も貸さず、麻耶はラファールの

背部に搭載された4枚の推進翼を展開し、急加速。

超音速のISに時速たかが80kmのパトカーで追いつけるわけもなく

ツートンカラーのラファールは瞬く間に黒い点となって見えなくなった。

マスコミのヘリも追いつける事は無いとわかっていながらも、

出力を最大にしてパトカー達の事など目もくれず

我先に事件現場へと飛んでいった。

あれでは本隊よりも早くに現場に到着してしまう事になる。

 

「あーあ……」

「……若いっていいよなぁ」

 

皮肉交じりに警部と刑事の2人が呟いた。

 

 

 

 

 

……………………………………………………………………………………

 

 

 

 

…………………………………………

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

数分前、廃港にて。

 

 

「だあありゃあああああああああ!!!!」

 

風を切り裂かんばかりの勢いで、白式こと一夏がオータムの打鉄に飛びかかる。

対してISの操縦に慣れているオータムは、

慣性力を相殺できるPIC(パッシヴ・イナーシャル・キャンセラー)の

特性を生かし、ブーストを交えた小回りの効いたカーブを描きつつ

一夏とは一定の間隔をあけつつ、アサルトライフルで一夏を迎え撃たんとする。

大して一夏はやはりISの仕組みを感覚的にしか理解していない素人なのか、

所々動きが大回りになり、機体に振り回されているような素振りを見せる。

それでも、放たれた弾丸はその1発も

白式の装甲を掠める事なく明後日の方向へと飛んでいく。

時折部下のいる方向へも流れ弾が飛び、部下を大いに

混乱させ逃げ惑う風景を作る原因にもなっているが

両者ともそんな事を気に留める暇もない。

 

(……胸糞のワリぃ素人だぜ!)

 

荒削りなのは見え見えだが、しかしオータムにとって

一夏に対する有効打は今の所一発も当たっていない。

こちらがいくらライフルやミサイルの弾幕を放とうとも、

その全てを掻い潜っては、武器の使用を前提としたISの闘いとしては

極めて稀な素手による超至近戦闘をやってのける。

一夏に対し、心の中で毒づくオータム。

 

生身にして自身の駆る打鉄さえも振り切った

一夏の身体能力は敵ながらある程度の評価はしていた。

が、それでもISに乗れる事が判明し、実際に

目の前にISを着用して立ちはだかった所で所詮は素人の筈。

付け焼刃の技術で自分を圧倒するほどではないだろうと

考えていたオータムの予想は見事に外れていた。

 

ISのインターフェースが既存の兵器の様な操縦桿を持たず

自分の四肢の延長線上にあるというのが災いしたか、

格闘家……にしても些か強すぎる一夏には鬼に金棒だったようだ。

ISを乗りこなしていない今ならまだ十分一夏を倒せるが、

もしそうでなくなった場合は保証はできない。

自身もISパイロットとしてそれなりの自負があったが、

ここまで素人に追い込まれては面子を潰されたも同然だった。

最早オータムには相手をいたぶるだけの余裕は無い。

 

「絶対にぶっ殺してやらぁッ!!」

 

まるで自分に言い聞かせるかのごとくオータムは叫び、

リロードしたばかりのアサルトライフルのトリガーに指をかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「思った以上に気の短い奴だな!」

<だが油断するな、そういう奴は何をしてくるか分からないからな>

「分かってる!!」

 

一夏はホログラムのHUD(ヘッドアップディスプレイ)越しに

ヘッドセットを身に着けた箒と連携を取りながら着実にオータムを追い詰めていた。

操縦に関しては直感的に体を動かすだけでいいので

特別難しい訳ではないが、空を飛ぶという行為は

生身の人間に可能な範疇ではないIS特有の動作な為

少々慣れが必要であった。 しかしそれらも箒が

的確なサポートを入れてくれる為、戦闘が始まってから今に至るまで

決定打と言うべき致命的なダメージは一度も貰っていない。

それどころか相手と互角に渡り合えてる節さえあり、

素人にしてはむしろ出来過ぎとも言える。

 

……話は変わるが、箒が白式に無線をつないできた事には一夏自身驚いていた。

ISの無線システムは旧来の無線機と互換性を持ち、

ISにも個々に割り振られた無線の周波数というものがある。

大体の機種には配備される時点で既に周波数が定められている物が多いが、

白式のような試作品や完全な新品のISは番号が全て0に設定されている。

 

ISを操れる女性である分、一夏よりもISに対する知識が豊富であろう箒には、

見ただけでこの白式が世間に認知されていない新型であると分かっただろうが、

そもそもマニュアルを読んだだけで無線機の使い方を理解し、

あまつさえ一夏のISと無線越しにコンタクトをとろうなどとは

とっさの判断にしては些か機転が利き過ぎている気がしなくもない。

改めて彼女の多才な能力に驚かされるばかりであった。

 

そう考えている内に荒々しくも自分よりかは洗練された動作で

空を飛び回るオータムが再び大量の映像識別式のミサイルを多数放つ。

 

「チッ!! こいつが結構厄介なんだよ!!」

 

うねりを加えながら、空間を噴煙で埋め尽くし飛来するミサイル。

一夏は舌打ちしながらもミサイルと向き合いながら後退、

そのまま機体を縦横無尽に曲げる軌道を描き、

自身を執拗に追尾する凶弾をすんでの所で回避する。

 

しかし白式を追いかけるミサイルも、究極の機動兵器ISを

撃破するべく開発された高性能の空対空ミサイル。

ISの機体からフィードバックされた技術で製造されたそれは

白式の軌道をなぞる様に、数を減らす事無く束となって襲い掛かる。

一夏は左腕のアームガンを展開し、腰元から取り出した50連装のロングマガジンを

アームガン機関部右側面から挿入、マガジンそのものを

グリップとして握りつつ毎分800発の小径高速弾を発砲する。

 

腕部に格納できるサイズなので銃身も短く、使用している弾丸の種類

(各国の採用しているIS用主力アサルトライフル、9×60mm撤甲弾)を

考慮すると、反動の強さも相まって集弾率はそこまで期待できないが

激しいマズルブラストと発射音を上げながら何とか数機を撃墜した後、

接近した残りの分は雪片弐型を両手剣状態にて実体化、

右手とマガジンを排出したアームガンを出したままの左手で柄を握りこみ

大きく剣を振りかぶると素早く3発分を真っ二つに切り落とした。

空中で四散するミサイル、だがその間にもオータムは続々と別のミサイルを発射する。

一体何発分装備しているんだと文句を言いたい心情であった。

 

<どうした一夏、随分と手間取っているな>

「今返事してる暇は――」

 

話の最中にミサイルが側を掠め、少し離れた所でワンテンポおき爆発する。

背後から伝わるミサイルの熱風とは裏腹に、一夏の額に冷や汗が流れ落ちる。

危なかった。

ほんの一瞬、箒の無線に気を取られただけで

攻撃を貰いそうになった事に一夏は唾を飲み込んだ。

 

「貰ったぜぇッ!!」

 

動きを止めた一夏にここぞとばかりに更なる猛攻を仕掛けるオータム。

アサルトライフルを放ちながら、空いたもう片方の左手で

ライフルのハンドガード下部に装備されたアドオン方式の

グレネードランチャーのトリガーに指を掛け、引き金を引く。

同時に、瓶詰めの詮を引き抜いた時のような間抜けな音と共に、

アドオンランチャーの大きな銃身から円筒が放物線を描いて白式めがけ飛来する。

 

「まずい!!」

 

一瞬放心状態にあった一夏は慌ててその場を飛び引いた。

しかしオータムの放ったグレネードは短時間にセットされた時限信管が

装備されており、対象に着弾しなくとも空中で破砕する仕組みになっている。

結果、白式には大したダメージではないにしろ、

後ろに下がった一夏の姿勢を崩すには十分だった。

 

「ぐあああああああああああああああッ!!!」

<一夏ぁッ!!>

 

グレネードの爆発の勢いに飲まれ、そのまま背中から地面に落下する一夏。

だが厳しい修行の過程にて受身の取り方を心得ていた為、

少しでも衝撃を和らげる為、地面めがけて白式のブースターをフル稼働させ

右手の雪片を量子化しつつ左腕のアームガンを格納すると、

激突の瞬間両腕で地面を叩き衝撃を相殺、僅かに跳ねた勢いで

身体を後ろに反らしながら回転、両脚を大きく開き見事着地した一夏は

右の掌で地面を擦りながら後方30m程滑走した後、吹き飛ばされた勢いを相殺しきった。

 

「クソッ、油断した!」

<済まない一夏!>

 

言われたそばから攻撃を貰ってしまった事を自嘲し、

無線越しに負い目を感じている箒に気にするなと相槌を打つ一夏。

そんな一夏の姿をオータムは嘲笑っていた。

得意げにこちらを見下ろすオータムに恨めしい目線を送りながらも、

爆発か、それとも着地の衝撃かで噛み切ってしまったか、

舌上に鉄の味を感じつつ少し血を垂らしている唇を親指で弾く。

 

一夏はISの状態を確認する為、

ホログラム方式のHUD(ヘッドアップディスプレイ)を展開する。

そして白式のエネルギーの残量に目を通すと一夏は眉をひそめた。

そこには右回りに反対側から2/5程欠けた円状のグラフと

直ぐ右隣に60%という数字が浮かび上がっていた。

IS同士の戦闘が始まってから10分足らず、

気づかない間に一夏は半分近いエネルギーを失っていた。

移動から攻撃、シールドバリア、分析など

さまざまな行動において全て共通のエネルギーを消費するISにとって

この消耗具合は大きな痛手であった。

 

(これは思った以上に厄介だぞ)

 

生身で回避できたのだから大した事はないだろうと

タカをくくっていたが、改めて対等の条件で対峙してみると、

避け続けるだけならいざ知らず中々攻めに転じる事ができないというのは、

じれったい事を嫌う一夏にとってフラストレーションを感じざるを得ない。

せめてあのミサイルさえ無力化できれば……。

 

<一夏、その兵器の種類が分かるか?>

 

考えていた所で、箒が落ち着いた声で一夏に声をかける。

一応敵の使ってくる兵器は白式が自動識別してくれた為

ある程度の情報は頭に叩き込まれているが、

それを見たからといって具体的に何がどうなのか、

兵器の1つ1つの特性までは精通している訳でない一夏には理解できないでいた。

なのでとりあえず一夏は、彼女の言う兵器の種類というのはミサイルの事か、

とりあえずあの忌々しいロケット花火の情報を有りのままに伝えた。

 

<映像識別方式か。 じゃあお前はどんな装備を持っている?>

 

尋ねられた一夏は倉庫の中で見た白式の装備、

雪片弐型とアームガン、それに煙幕弾の事を箒に伝えた。

 

<……いけるな>

 

伝えるや否や、確信めいたはっきりとした声で呟く箒。

何の事だと首を傾げたくなる一夏であったが、

 

<いいか一夏。 もし次にミサイルを撃たれても怯まずに敵めがけて突進しろ!>

 

引き続き箒の口から飛び出したのは、更に首を傾げたくなるような内容だった。

 

<そしてミサイルが迫った時に煙幕を張れ、センサーを撹乱できる!

 あの武器は発射直後は直ぐに次弾を装填出来ない、そこを叩くんだ!>

「本当にそんな事ができるのか?」

<できるできないではない、やるしかないのだぞ!?>

 

できるできないではなくやるしかない。

その言葉は一夏の心に火をつける一言だった。

ならばここは1つ賭けの乗ってみようか、判断を下した一夏は

体を強張らせて次にくるオータムの攻撃に備える。

 

「はっ! 覚悟を決めたってツラだなぁ……」

 

ISの機能にて音声を拡大したオータムの声が届く。

そんな彼女はアサルトライフルを構え、

脚部や肩、およびその周辺に展開されたミサイルポッドの照準を向ける。

オータムとてここに至るまでかなりの武器弾薬を消費したはずだ。

恐らくは次の攻撃で全弾撃ち尽くしてでも一気にとどめを刺しにくる。

醸し出される空気からその様子が伺えた。

 

「だったら……とっとと死ねよッ!!!」

 

オータムが叫ぶ。

直後、無数の弾幕が地上にいる一夏めがけて襲い掛かった!

 

一夏の目にははっきりと見えていた。

空を切り裂いて雨のように飛来する鉛弾が、

蛇さながらに噴煙のうねりをくわえ己を喰らい尽くそうとするミサイルが、

そして何よりも、勝利を確信したオータムの見下すような目線が。

間違いなく彼女は一夏が反撃に乗り出せるなどとは思ってもいない事だろう。

 

(今だ!!)

 

一夏は目を見開くと、

 

「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!!」

 

雄叫びを上げてオータムめがけて一気に突進する。

放たれたミサイルも一夏の正面に集束し、真正面に噴煙の壁を形成する。

しかし一夏はそれでもなお止まる事無く直進する。

ミサイルとの接触の危険を省みず。

 

「ギャハハハハハ!! ヤケクソもいい所じゃねぇか!!」

 

気でも狂ったとしか思えない一夏の行動に、オータムは笑い転げそうになった。

 

そして一夏とミサイルの距離僅か20m、今から回避行動に移った所で

一夏の操縦技術では絶対によけ切れない距離に差し掛かった所で

右手に煙幕弾を実体化、それを大きく振りかぶり、後10m、

 

「食らえッ!!」

 

ミサイルの束めがけて煙幕弾を投げつけた!

投げられて宙を待った灰色の先端が緑に塗装された円筒は

飛来するミサイルと真っ向からぶつかり合い、

ミサイルの爆発と同時に緑色のスモークを周辺に撒き散らした。

歩兵の用いる煙幕手榴弾とは異なり、空中での使用も考慮されている

IS用の煙幕弾は時間をかけて煙を放出するのでなく

爆発の勢いで瞬間的に周囲を煙に巻くように設計されている。

 

「何ぃッ!?」

 

驚愕の声を上げるオータム。 それもその筈である。

何故なら、彼女の放った映像識別式のミサイルが

一夏の投げつけた煙幕の緑のカーテンにより

目標である一夏を見失った上、それでもなお直進しようとしたミサイルが

煙に触れた途端小さな閃光に包まれ、その全てが明後日の方向へ飛んでいったのだから。

 

一夏の投げた煙幕弾は、つい1ヶ月ほど前に開発されたばかりの新型で、

近年幅を利かせ始めている映像識別方式のミサイルや

レーザー兵器を仮想敵とした、撹乱装備としても実用可能な煙幕である。

緑で着色された透明の有機質で周囲を覆った、超小型のマイクロコンピュータで

構成されたこの煙幕は、発煙すると同時に内部の機械が作動し、

レーダーの妨害電波を出しながら発熱、電波欺瞞紙(チャフ)と欺瞞熱源(フレアー)の

効果をも併せ持つようになっている。

 

映像識別方式に対しても、ただ着色されたスモークで対象を覆うだけでなく、

接近すればカメラのストロボさながらに光を焚いてセンサーの光量調整機能に

深刻なダメージを与え、確実性を向上させている。

表面を有機質で覆っているのは、透明な素材による偏光効果でレーザー兵器を

屈折させると共に、呼吸等を通して人体に吸い込まれた時に

肉体への拒絶反応を和らげる目的を兼ね揃えており、

使用者や善意の第3者を保護する役割がある。

 

ちなみに、1発辺りの値段は1000万円であるが、

この場にいる全員がその事実を知る由も無い。

 

薀蓄はさて置き、スモークを掻き切らんばかりの勢いで

握り拳の右手を突き出した一夏が飛び出してきた!

 

「スキありいいいいいいいいいいいいいッ!!!!」

 

大声で叫びながら、突き出した右手でそのまま

オータムを殴り飛ばさんとする一夏。

とっさの判断で反撃に乗り出そうとするオータムだが、

箒の言った通りミサイルポッドは次弾の装填までに若干のタイムラグが存在する。

アサルトライフルもIS用の大型サイズなので装弾数は50発あるが、

既に撃ちつくしてマガジンの交換を迫られている状態なので発射は不可能。

顔面に迫る一夏の拳に、オータムは反射的に目を閉じる。

 

 

 

 

 

 

 

 

「待ちなさい!!」

 

女の声がすると共に一夏の左側から、銃弾が鼻先を掠めた。

予想外の出来事に一夏はオータムを殴りつける事無く急停止した。

 

「まだ仲間がいたのかッ!?」

 

横槍を入れられた一夏は銃弾と声のした方向を振り向いた。

 

そこには、白黒のツートンカラーのIS、ラファール・リヴァイブを

着用したスタイルの良い緑髪で童顔の眼鏡の女性が、

オータムの物とはまた違う種類の、機関部とマガジンが

トリガーの後方に置かれた所謂ブルパップ方式のアサルトライフルを構えていた。

 

一夏達には知る由も無いが、先程仲間の警官隊を振り切って

我先に現場へと文字通り飛び込んだ山田 麻耶その人である。

麻耶は一夏と目が合うと、酷く驚いた様子で言った。

 

「……そんな、男性がISを?」

 

動揺を隠せないのか、レーザーサイトを装着している為、激しい戦闘で

巻き上がった土埃に透けた赤い光線が微妙に震えていた。

しかし驚いていたのも束の間、麻耶は直ぐにライフルを構え直し一夏達に警告する。

 

「私は警視庁の第17IS機動部隊の者です!!

 速やかにISを降りて投降しなさい!!」

「第17……?」

<ISの特殊部隊だ。 やっと警察が到着したらしい>

 

一夏は特に聞いた事も無かったが、箒には耳に覚えがあったようだ。

箒曰く対ISテロリスト用に結成された

エリートのISパイロットばかりを集めた総勢6名からなる精鋭部隊らしい。

そんな彼女の構えるライフルのレーザーサイトの先には……一夏の額に向けられ、

汗の浮かぶ皮膚の上に赤い斑点が浮かび上がっていた。

 

だが、相手はオータムではなく自分に照準を向けている。

銃を構えるにしても主犯格のオータムに向けるべきだろうと言う

考えが頭をよぎるが、とは言え一夏にしてみれば

ようやく応援が到着した事で内心安堵していた。

敵に1発拳を叩き込み損ねたのは心残りではあるが、今は状況の収束を優先したい。

言われるままに、抵抗の意思が無い事を伝えようと、

 

「助けてください!! この人がテロリストの主犯格ですッ!!」

「なッ!?」

 

した所で、何の前触れも無くオータムが一夏を指で指し叫んだ。

油の切れた歯車のようにぎこちない動きで首をオータムの方に向ける一夏。

 

「この人、仲間のグループのほぼ全員とで私達を

 取り囲んで嬲り殺しにしようとしたんです!!

 私は必死で逃げようとしたけど、この人がISまで持ち出してきて……。

 たまたま見つけたもう1機のISが無かったら今頃は抵抗もできずに……!!」

「……何ですって?」

 

一夏と自身の立場をそっくり入れ替えて語るオータム。

麻耶もオータムの話を真に受けたか、眉をひそめている。

冗談ではない。

むしろ人質をいたぶろうとしていたのは他でもないこの女自身なのに。

ある事無い事を平気で捲し立てるオータムに、一夏の脳裏には嫌な考えが浮かび上がった。

 

(……まさかこいつ!?)

 

まるで自分は被害者だと言わんばかりの論調。

間違いない、この女は自分のした事を擦り付ける気でいる。

それを悟った一夏は居ても立っても居られなくなった。

 

「ふざけるなッ!! 俺に罪を被せる気か!?」

<一夏!?>

 

激しい剣幕でオータムの両肩を鷲掴みにする一夏。

箒も無線越しに伝わる一夏の怒号に、つい名前を呼ぶ。

 

しかしオータムはまるでその瞬間を待っていたと

言わんばかりに嫌らしく口元を釣り上がらせた。

一夏は今にも相手の顔面を殴りたくなる衝動に駆られるが、

同時に麻耶から注がれる目線が鋭くなるのを感じた。

 

冷や汗をかき唾を飲み込む一夏に対し、麻耶には

見えない角度でしてやったりといった表情を浮かべるオータム。

 

(しまった……!!)

 

この女が好き勝手わめいた所で大人しくしていれば

まだ弁明するチャンスはあっただろうに、

自分が上手く乗せられたと気づいた時には遅かった。

嘘吐きの憎たらしい女を横目に、目線を横にずらして行くと、

 

「その人から手を離しなさい……でなければ」

 

敵意むき出しの目つきな麻耶が、改めて一夏の額にライフルを構え直し、

 

「鎮圧しますッ!!」

 

発砲した。

一夏はとっさの判断でオータムを突き飛ばしつつ、上半身を横に逸らした。

さっきの射撃では当たらない様に鼻先を掠めるだけの威嚇射撃だったはずが、

今度という今度は頬の皮膚の直ぐ横を通り、弾道に沿った一直線に薄い切り傷を作る。

頬に走る小さな痛みと血の滴る感触を覚えながら、

身を翻しアサルトライフルの弾丸から逃れようとする。

 

「待ちなさいッ!!」

 

これ見よがしに機動部隊の隊員を味方につけ、

それでいて相手には見えないようにほくそ笑みながらも、

2人とある程度の間隔をあけながら後を追うオータム。

 

「畜生ッ!! やっぱりこうなるのか!!!」

 

今にもエネルギーの残量が半分を切りそうな中、

白式のバーニア出力を最大にして敵の追撃から逃れる一夏。

味方どころか敵を増やしてしまい、俄然不利になってしまった。

最早今の彼には、捨て台詞に近い悪態をつきながら、

2人に増えた追跡者から逃げるしかなかった。

 

<どうした一夏!! 何があった!?>

 

箒がひどく慌てた様子で声をかけてきた。

無線越しにも余計ややこしい状況に巻き込まれた事が分かったのであろう。

HUD越しに不安そうな心情を感じされる面持ちでいるのが見える。

そんな箒に、一夏は絶え間ない背後からの攻撃を

機体を世話しなく縦横無尽に振る様な軌道で大回りに回避しながら、

それでいて酷く申し訳ない様子で叫ぶように言った。

 

「すまない箒!! しくじった!! 機動部隊の女が敵に回ったッ!!」

<はぁッ!?>

 

幼馴染の発言に、箒は一転して素っ頓狂な声を上げ、

それこそ喉の奥が見えそうな程に大口をあける。

 

<私は『助け』を呼んだのだぞ!?>

「あのオータムとか言うクソッタレが被害者面したせいで

 こっちが敵だって思われてしまったんだ!! ああクソッ!!」

 

武装した特殊部隊の隊員等と臨戦態勢の状態で遭遇した場合、

何があっても相手の指示に従って敵意が無い事を伝えなくてはならない。

下手に反抗すると、敵と間違われ最悪誤射されてしまう可能性もあるからだ。

とは言え、猪突猛進な一夏にとって冤罪を吹っかけられそうな時に

そんな対応を律儀に取れるわけもなかった。

 

箒の映像を前にしても言葉を荒げる一夏。

当然である。 今の彼には言葉遣いに気を使う余裕など無いのだから。

自分達を誘拐し、今に至るまで散々振り回し続けたこの忌々しい連中が、

警察の到着により幕を下ろす、あるいはリーダー格であるオータムを倒して

万事解決というのが一夏の描いていた理想形であった。

 

だが現実は助けに来た筈の警察のISまで敵に回り、

あろう事かついさっきまで戦っていたオータムの味方までする始末。

一夏がオータムと対等に戦ってこれたのは、箒のサポートを受ける事が前提で

相手が1対1の戦いを挑んで来たからこそ可能なものだった。

それがここにきて、機体のコンディションが万全な上に正規の訓練を

受けた相手まで加われば、消耗している一夏にとって大きなハンデを背負う事になる。

 

「逃がしませんよ!?」

 

一方で麻耶は背中の4対の推進翼を展開し、一夏を追いかけるべく急加速する。

その過程で同時に白式のアームガンと同口径のマシンガンを

搭載するオプションを実体化、その数4つ。

 

敵味方、及び一般人の誤射を防ぐ様情報がインプットされた、

内蔵されている自動識別装置のレーダー・熱源・映像の3系統からなる

センサーが猛禽類さながらに全力で逃げ回る一夏の白いシルエットを捕捉、

後方はツートンカラーのラファールを駆る麻耶と打鉄を操るオータムの2名が、

左右からISの航行速度よりもなお速いスピードで鋭角的に移動する

オプションが、ありとあらゆる角度から一夏に猛追撃する。

 

IS本体ほどの火力ではないにせよ、4つの攻撃オプションは

近接戦闘に特化した白式には相性が悪い。

一夏は雪片を両手剣に実体化すると、辺りを飛び回っては

射撃の度に空中に静止、撃ち終われば再び周囲を飛び回り

自身を翻弄するオプションに剣を振りかざす。

 

しかし空を飛び回りながら剣を振るのは余りにも命中率が悪い。

元々刀剣類は腰元が肝心で、足腰に力が入っていなければ

剣自体の重量と振りぬいた際の慣性力でバランスを大きく欠いてしまう。

先程のミサイルだけでも切り落とすのに苦労したが、

加えてオプションはヒットアンドアウェイを繰り返す

変則的な軌道を描く為、命中率の低下に拍車をかけていた。

その上こちらに気を取られれば、残り2名の攻撃に注意を払えなくなる。

既に白式のエネルギー残量は40%を切っていた。

このままではあと1分もしない内に撃墜されてしまうだろう。

 

一夏は武器のHUDの中から再び煙幕弾を選択する。

残り弾数僅か1発、もう少し温存しておきたい所ではあるが、

窮地に追い込まれてる現状において出し惜しみする意味は無い。

焼け石に水だという思いが頭をよぎるも、

せめてあのオプションだけでも無力化できれば幾分楽にはなるだろう。

剣を右手に薮蚊を払う棒のように振り回しながら

空いた左手で煙幕弾を実体化、素早く真上に円筒を放り投げようと試みる。

 

「させるかよ!」

 

だが煙幕の円筒を握った左手はオータムの放ったライフル弾と共に、

空中に投擲する事無く砕け散り、残り1発の貴重な煙幕弾は

白式の左腕の根元から2/3と内蔵されていたアームガンの残骸と共に、

粉砕したパーツ類に混じりながら港のアスファルトの路面へと落ちていった。

 

「うおおおおおおおおおおおッ!!」

 

脂汗さえ浮かびかねない苦悶の表情で、一夏は壊れた白式の左腕を押さえた。

上腕第2関節から1/3だけを残し、先端は千切れた青赤のコネクタが

電気火花を放ち、レアメタル製の外骨格が力なく垂れ下がっていた。

無くなった部分からは一夏自身の左手の指先が見え隠れしている。

もう少し付け根に近い部分を狙われていたら一夏は左手を失っていた。

いかに絶対防御でも、それを上回って物理的な損傷を

招いた場合にはやはり無事ですむ訳が無いのだ。

 

加えて今の攻撃で一夏自身がダメージを負った訳ではないのだが、

自身と密接に一体化したかのように稼動するISが何かしらのダメージを

負うという事は、パイロット自身のダメージにも感じられる場合があると言う。

現に一夏の左手は無傷でも、一夏自身は左腕を失ったかのような感覚に囚われる。

そのショックで雪片は散らした左腕のパーツと同じく地面に落としてしまっていた。

 

「……この野郎ッ!!!」

 

一夏は怒りを露にして勝ち誇った表情のオータムを睨み付けた。

2人がかりで一夏を執拗に追い詰めるばかりか、

ここぞと言う所でオータムはいつもこちらの神経を逆撫でする行動をとる。

言葉遣いの悪さは言わずもがな、助けに来たはずの警察を騙して味方につける、

ISで生身の人間2名を執拗に追いかける、そして何より

 

箒に暴力を振るい、あまつさえ顔面に唾を吐きかけた事。

 

闘いの最中、一夏はこれらオータムの蛮行が粘着質に頭にこびりつき

どうしようもない不快感が心の奥底にあった。

とは言え格闘家として激情に振り回される事は

相手に付け入られる隙を自ら与える事になる為、箒や人質を助ける

大義名分の下、何とか心の奥底にしまい込み割り切ろうと勤めていた。

それらがこうして窮地に立たされることにより、

地面から染み出す黒いタールのように沸々と湧き上がり、

だんだんそれは一夏自身の目を血走らせ、歯軋りをすると言った形で現れた。

 

(こいつだけは絶対にまともな負け方はさせない……!!!)

 

状況を省みず、オータムを叩きのめす事ばかりを優先的に考える一夏。

全身の血と言う血が沸騰し、こめかみに血管さえ

浮かび上がらせながら次第に冷静さを欠いていく。

 

そしてその事が、ついには一夏に致命的なダメージを与える事になった。

 

 

「貰った!」

 

 

いつの間にか後ろに回りこんでいた麻耶が、

隙だらけの一夏めがけて先程とは違う、ハンドボール程の口径で

旋条(ライフルリング)の施されていない穴開きの滑腔銃身の付いた

大掛かりな四角い機械をこちらに構えていた。

片目を閉じ、右目のみで展開したラダーサイト越しに一夏に

狙いを定めるその姿を確認した時、我に返った様にブーストを起動させる。

 

だが遅かった。

麻耶がフェザータッチ仕様の引き金に指をかけた瞬間、

銃弾ではない何かが放射状に飛び出し、丁度瞬間的に加速し始めた

白式の全身を、太さおよそ0,8mmの

黒いワイヤーで構成された網が纏わり付いた。

 

絡まれる瞬間反射的に右手を挙げた為、

そこだけは何とか巻き込まれずに済んだが、残り全身は

しっかりと取り込まれてしまった為、身動きの取れなくなった一夏は

死に装束と化した白式と共に地面へと落下した。

 

これはISを用いたテロリスト等を安全に

捕獲するために開発された暴徒鎮圧用の捕獲ネットである。

ワイヤー自体はチタンをベースとした合金素材でできているが

ネットの付け根にはISの機能を麻痺させるEMP発生装置が

取り付けられワイヤー自体の中にそれを通す為のコードが内蔵されている。

金属の素材ゆえ通常の刀剣類による防刃性には優れているが、

白式の雪片のようなエネルギー系の武器に対する耐性は無いに等しい。

 

もし雪片を持っていたら何とかして脱出もできただろうが

それは先程地面に落としてしまった為手持ちには無い状態になっている。

結局抜け出すこともままならないまま、

右腕を残す全てを絡めとられた状態で落下していった。

 

土埃が舞い上がる地上を見て、

麻耶は捕獲ネットの発射機から頬を離し、呟いた。

 

「任務完了ですね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

                                     続く

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

最終話

「一夏、しっかりしろッ!!」

 

第7倉庫の2階、箒は古びた通信室内で所々錆を浮かせ

生地からはスポンジのはみ出したパイプ椅子から立ち上がったまま、

箒はヘッドセットのマイクの付け根である右側の

イヤーパッドを押さえ込むようにして叫んでいた。

 

警察が敵に騙されて襲って来たと言う通信の後、

1kmにも満たないそう離れていない距離の空で

2人を相手に一方的に弄られている様子が見えていた。

そして程なくして、一夏はあの警察のラファールから

捕縛ネットを受け地面へと落下していった。

無線越しに一夏にサポートを入れていたとは言え、

結果的に一夏の無事に貢献できなかった箒は

藁にもすがる思いで無事を確認しようと声を上げていた。

 

すると、

 

<……こち……夏……ガガ……現在捕縛ネ……

 絡ま……賛拘束中だ……まい……ねこりゃ>

 

近くに電磁波でも出ているのであろうか、雑音の混じる一夏の声。

それでもまだ一夏が生きている事が確認できただけ、胸を撫で下ろす思いである。

 

今地上はIS同士の激しい戦闘で大混乱に陥っている。

巻き込まれまいと自分たちの事で必死になっているオータムの

取り巻き達が弱った一夏に介入できるだけの余地はない。

不幸中の幸いではあるが安心してもいられない。

逼迫した現状である事には変わりがないのだから。

とにかく一夏が置かれている状況を確認しようと思考を巡らせる箒。

非常に聞き取りにくいが、断片的に聞こえる

『絡まれ』『拘束』『捕縛なんとか』なる単語から、

何かしらの方法で捕らえられてしまったのだろうと推測できた。

深呼吸して落ち着きながら、ノイズ交じりの一夏の声に応答する。

 

「大丈夫なのか? かなり痛めつけられていたぞ?」

<大丈夫……だが…………武器を……落とし……>

 

その一言を聞いて、更に箒は青ざめる。

武器を落とした?

 

「武器は、他に武器はないのか?」

<雪片……あ……え手元に……戻って……ら……ザザッ>

 

砂音の混じる一夏の声。

あまりにも聞き取りにくい幼馴染との通信に苛立ち、

箒はマイクの付け根をいじくり何とか声が

伝わりやすくなるようにしようと試みるものの、

 

「あっ……」

 

マイクが根元から折れてしまった。

やはり10年近く放置されていた旧式のヘッドセット。

手入れがされていないそれは見えない所で劣化が進んでいたのだ。

こちらの音声が伝わらないのでは最早この無線設備は役に立たない。

居ても立ってもいられなくなった箒は、

壊れたヘッドセットへ恨めしい視線を送った後、

無線機の上に乱暴に投げ捨てると、それを振り返る事無く

飛び出すようにして2階の通信室の部屋から駆け出した。

 

鉄製の階段を早足で下り、1階に辿り着いた箒はまず武器を探す事にした。

一夏によってシャッターが破壊されたので外の景色は丸見えだが、

巻き添えを恐れたオータムの部下達は散り散りになった為、

辺りには人の1人も見当たらない。

これ幸いとばかりにコンテナや木箱を既に一夏が開いた分も含め

自分にあった適当な武器を片っ端から漁ろうとする。

無論、箒は銃火器類を扱った事がなければ、ましてやそれが

生身の自分がISに乗った敵を何とかできる等とは思ってもいない。

 

一夏の力になりたい。

 

たった1つの思いが今の彼女を突き動かしていた。

自分が生身で一夏の元に行った所で何ができるか、

結果がどうなるかは分からないし、かえって危険を招くかもしれない。

しかしその程度の不安感で今の箒は止まる事はなかった。

一夏によって命を救われたから、それだけではない。

6年前に生き別れとなる前からずっと抱き続けてきた、

もっと特別な存在に対する……簡単には言葉で表現できない感情。

それらが理性を押し切り、明らかに無茶と分かっている行動へと後押しする。

 

(一夏!! もし私が来るまでに死んだりしてみろ!! 絶交だぞッ!!)

 

木箱の中のサブマシンガンなどの火器を拾っては近くに投げ捨て、

なんとか自分が扱えそうなものを必死で捜し求めるが、

やはり箒の求めてそうな武器は見当たらない。

 

(剣道以外は古武術と弓道と……ああ!! 近代兵器なんか使えるかッ!!)

 

彼女の探しているものは所謂『そう言う類』のものであった。

弓矢、真剣、槍、薙刀、日本の伝統的な武術に用いられる武器など、

当然ながらテロリスト達は好まない為、この場にそのような代物はない。

訓練期間等の問題もさながら、今日日普及しきっている

銃火器等に比べるとコストは安くも、使い手の能力に大きく左右されるからだ。

 

幸いコンバットナイフのような類は脇差として扱った事がある為、

箒は2~3本程適当に拝借する。 後は主力となる長剣なのだが、

あたりを一瞥して適当なものがないかを探した。

刃が付いていなくとも、打撃に使えるだけの強度さえあれば

竹刀の代わりにはなるだろうと判断したからだ。

 

すると箒の目に、壁に立てかけてあったある一本の道具があった。

金属の芯に周囲を白い樹脂で覆い、下方の先端には

綿などの繊維が円盤を中心に放射状に縫い付けられ

バケツに入れた水等に浸して床の汚れを取る掃除用具。

一言で言うならモップであった。

 

「……竹刀の変わりにはなるか?」

 

正直な所、箒自身にはこれを武器とするのは些か抵抗があった。

見た所、戦闘を想定して特別なギミックが付いているとか、

もしくは中に仕込み刃の入っている暗殺兵器だとか、

そう言った心遣いなどは全く見当たらないただの清掃道具なので、

使い勝手の面からしてあまり期待できそうにない。

ナイフは軍用の其れなりの代物を持っているのに

長剣だけが唯のモップなどとはアンバランスも甚だしい。

せめて日本刀を模したIS用のブレードが手に入れば

野太刀の様な感覚で使えなくもなかったが。

 

(背に腹は代えられない……か!!)

 

この際見た目にこだわっていられない箒は、やむなく

モップの柄を握り締めると、破壊されたシャッターから一目散に飛び出した。

 

 

 

 

 

……………………………………………………………………………………

 

 

 

 

…………………………………………

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

後方に可燃物を意味する、炎のマークが描かれた赤いドラム缶の詰まれた

古ぼけたトレーラーと、右前方にはアームの伸び切った先端に錆びた鉄骨が

今にも落ちそうな状態でぶら下がっているクレーン車が見当たる場所に、

一夏は全身を捕縛ネットに包まれた状態で地面を横たわっていた。

申し訳程度に右腕だけは拘束を免れたが、ネット自体が

微弱なEMPを放出している為、ISのパワーアシストが

効果的に機能せず、白式は今や重苦しい拘束具となってしまっている。

手元に雪片があればエネルギーの刃でネットを斬って

脱出できたかもしれないが、肝心の雪片は一夏の目先の20m先、

左腕部を破壊されたショックで手放してしまったが為に

明後日の方向へと落下したのであった。

 

(……さて、どうするか)

 

何とか右腕だけで肘を地面に当てながら、体を引きずって

這いずりながら雪片を拾いに行こうとはしたが。

ネットの表面は砂をかませたかのような荒い処理がなされている為

体が地面を擦る度、鑢を引きずるに近い音と感触が一夏の進行を妨げる。

これではとても雪片を拾いにいけたものではない。

 

「動かないで」

 

思考を巡らせていると、ふと頭上から声を掛けられるかかる。

一夏は内心舌打ちしながら見上げると、そこにはやはり

自分を捕縛ネットに絡めた機動部隊の女……

麻耶がライフルを突きつけ見下ろしていた。

 

「貴方はもう終わりです、大人しく投降しなさい」

 

彼女の目からは一夏こそが主犯格であると訴えるような鋭い目つきが感じられる。

いや、事実彼女はそう信じて疑わないだろう。

こちらに構えるアサルトライフルの引き金には、

『不慮の事態』を想定して指が掛けられたままになっている。

引くにあたって多くの力を必要とせず、余分な力を抜くことで

発射時の安定性を高めるフェザータッチの引き金に、

あとほんの僅かに指の圧力をかければ、白式はシールドバリアの

作動に伴い全ての残りエネルギーを消費、確実に行動不能に陥るだろう。

 

何とかして抵抗を試みる術はないかと考えてはみるが、

そもそも体を引きずるのがやっとのこの状況で、どう抵抗しろというのだ。

武器は手放した雪片を除いて全て使い切り、左腕は破損。

捕縛ネットのEMPでパワーアシストは失われ、

おまけに頼みの綱であった箒との連携も、

彼女からの通信が途絶えた事で期待はできない。

いくら考えても打開策は思いつかない。 八方塞である。

今度という今度こそ、反撃のチャンスは失われた。

敗北を悟った一夏は残った右腕を後頭部に押し当てて、

抵抗の意思が無い事を伝えた。

 

「……懸命な判断です」

 

麻耶は幾分緊張を解き、アサルトライフルの銃口を下げると、

地に伏せる一夏の背後へと歩き、腰をかがめ左手で白式の右腕部を掴む。

 

「逮捕します。 貴方には法廷にて裁判を受ける権利があります」

 

一言だけ呟いて、彼女は右手にIS用の手錠を取り出すと

それを白式の手首へとかけようとした。

 

丁度その時、即席とは言え麻耶と連携を組んで一夏を追い詰めた

オータムが少し離れた場所に着陸する。 その手にはアサルトライフルを携えたまま。

それに気づいた麻耶は、手錠を掛けようとした手を止めると

オータムの方を振り向き、うって変わったように笑顔を浮かべると、

 

「犯人逮捕のご協力に感謝します」

 

敬礼を交えてオータムへの感謝の言葉を述べた。

麻耶の謝辞を受けてオータムもまた口元を緩ませる。

 

 

 

「私の方こそ、助けてくれてありがとうございました。

 

 

 ……おかげで」

 

 

 

しかし、最後の一言を言った途端、口元は三日月のように釣り上がり、

柔らかな雰囲気をかもし出していた眼つきは鋭くなる。

 

「『手間が省けた』ぜ!!」

 

一夏なら良く知っている彼女の根性を現している様な、

あの獲物を狙う猛獣の、してやったりと言いたげな悪意を込めた目線が。

麻耶が鳩が豆鉄砲を食らったような表情を浮かべると同時に、

オータムはアサルトライフルを素早く構えると、銃弾を3点射で発射した――――

 

 

 

 

 

……………………………………………………………………………………

 

 

 

 

…………………………………………

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

廃港にたどり着いた警官隊とマスコミの集団が

最初に目の当たりにした光景は、港の中心部で起きた大爆発であった。

 

「な、何だあれはッ!?」

 

舞い上がるキノコのような形状の爆炎。

可燃物という可燃物を一箇所にかき集め、

それを纏めて引火させたかのような強い衝撃。

目的地に到着したとは言え、爆心地からはまだ100m程離れている。

にも拘らず、車外に身を乗り出した警部の体に伝わる熱風。

さすがに距離が開いている為ぬるい風にしか感じられなかったが、

逆にここまで爆風が伝わったという事実に

警察官達はその凄まじさに無意識の内に冷や汗を流した。

 

「一体どうなってるんだ!?」

「分かりません……それより彼女の身が心配です!」

 

パトカーを運転していた刑事が麻耶の安否を心配しながら、

アクセルペダルを踏み込んで急加速し先を急ぐ。

追従していた他のパトカーやマスコミのワゴンとヘリもそれに続いた。

 

 

 

 

 

……………………………………………………………………………………

 

 

 

 

…………………………………………

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

 

「何てことだ……!!」

 

現場に到着した警部が、パトカーを降りるなり驚愕の表情で呟いた。

 

一言で状況を言い表すなら、凄惨な光景だった。

炎がオレンジ色の逆光を放ち燃え盛り、黒い噴煙が立ち込め、

周囲の倉庫は爆風で壁面が抉れ、支えを失った屋根の一部が陥没していた。

クレーンで吊り下げられていた錆びた鉄骨も、唯でさえ危うい均衡が

爆風の影響で今にも落下しそうな程に傾いていた。

余りにも現実離れした光景に、同僚達は勿論

ヘリの中にいるニュースキャスターを含めるマスコミ全員も言葉を失った。

これが平和な日本で目の当たりにする光景なのかと。

誰もがそう思った。

 

「おいッ!! あれを見ろッ!!」

 

1人の警官が、爆心地の辺りを指差した。

指の先には炎を背景に、3機のISが逆光を受けてそこにいた。

すると、動揺している警官達に気づいていたかのように、

警察達に1番近い位置に立っている1機のIS……打鉄が振り向いた。

 

「遅かったじゃねぇか」

 

やっとの思いで到着した応援を嘲笑うかのように、

ねちっこく口元を吊り上げるロングへアの女。

この1連の騒動の真犯人であるオータムであった。

 

「てめぇらのお抱えの隊員とやらは、あそこでおねんねしてやがるぜ?」

 

右手の親指を立て、倒れている残りの2機を指差すオータム。

1機は右腕を除く全身がネットに絡まれて

搭乗者が誰なのかははっきりと見る事は叶わない。

 

もう1機は虚ろな目で頭部から血を流し、

ネットに絡まれたISの近くを仰向けになって倒れていた。

警察達は、そのISに見覚えがあった。

何故なら、頭から血を流しているのはIS機動部隊の山田 麻耶。

警視庁仕様のツートンカラーの、特に背部のスラスターの

損傷の著しいラファール・リヴァイヴだったからだ。

 

「ま、麻耶……!!!」

 

壊れたラファールを見るや否や、刑事が血の気の引いた表情で震える唇を動かした。

両手の拳を震えるほどに握り締め、次第に呼吸が荒くなっていく。

 

「貴様……麻耶に何をした……ッ!!!」

「へえ、てめぇこの馬鹿な女の身内か何かか?

 決まってるだろ、私がやったんだよ!! 地面に降りてクソガキ捕まえた瞬間に、

 後ろのドラム缶に弾撃ち込んでドッカーンッ!! てな!」

 

怒りを込めた刑事の質問に、愉しそうに笑って答えるオータム。

 

「どう言う……事……?」

「あん?」

 

オータムの嘲る様な声に反応したか、意識の混濁した麻耶がか細い声を上げる。

そんな弱弱しい麻耶をまるで汚物でも見るかのような見下した目線で言う。

 

「まだ生きてやがったか……まあいい。

 この際だから教えてやる。 騙されたんだよ、て・め・え・は」

「……え?」

 

突然のオータムの裏切りに、頭の中が真っ白になる麻耶。

しかし裏切るも何も、オータムの方は最初から麻耶を騙すつもりでいたので

放心するマヤを見るや否や、オータムは込み上げる笑いを抑えられなかった。

 

「ギャハハハハハハハハッ!! まだわかんねぇのか!?

 ちょっと被害者面したら疑わずにあっさり乗せられて

 人質だったそのガキ2人がかりでいたぶったのはてめぇだろうがよ!!」

 

腹が捩れるほどに大声で笑うオータムと裏腹に、麻耶の目には涙さえ浮かび上がる。

 

「傑作だぜ!! ご協力感謝しますだぁ!?

 得意げに人質ボロッカスにした奴の言う台詞じゃねぇよ!!」

「嘘です……そんな事」

「いいや、あいつの言う事は本当さ……胸糞悪いけどな」

 

麻耶の隣でネットに包まれ倒れていたISパイロット……

一夏が小声で麻耶の言葉を遮る。

吹き飛ばされた際に体を地面に擦ったか、

頬は擦り剥けた跡で真っ赤に血を流していた。

 

「無事……だったん……ですか?」

「……あんたが後ろにいたおかげで爆風の直撃は無かったよ……

 尤も、体は少し擦り剥いたけどな」

 

一夏は苦笑いを浮かべながら、失意にくれる麻耶を

これ以上傷つけないようにオブラートに包んだような柔らかい言い回しをする。

だがそれさえも、心が挫け緩くなった麻耶の涙腺を決壊させるには十分だった。

 

「……めん……ごめんなさい……!!」

 

自分の真面目さがかえって致命的なミスを招き、

犯人の味方をして人質を追い詰めてしまったという事実。

入隊して1年足らずのルーキーには耐えがたい屈辱。

最早一夏の隣にいるのは、勝気だった機動部隊の女ではなく、

泣きじゃくる1人のか弱い女性に過ぎなかった。

 

「ごめんなさい……私のせいで、私のせいでこんな事に……!!」

「ハハハハハッ!! ああそうだ、てめぇのせいだ!!

 私に味方しなけりゃ今頃はとっくにカタついてたのによおッ!!」

 

悔し涙さえ流す麻耶に追い打ちをかけるようになじるオータム。

傍らで話を聞いていた刑事は額に青筋さえ浮かべ、

挙句の果てには腰元のホルスターから拳銃を引き抜いて

オータムの額めがけて銃を構えようとする。

 

「卑怯者がぁッ!! それが人間のする事かぁッ!!!」

「待て、落ち着くんだッ!!」

 

今にも飛び掛りそうな刑事を背後から羽交い絞めにして制止する警部。

落ち着いて冷静に行動しなければいけない事ぐらい

刑事にとって頭では理解していたが、こうも彼女の……

麻耶の尊厳をあそこまで踏みにじられては頭に血が上るのを

抑えろというのは、いくら刑事でも無理な相談であった。

警部の腕の中で必死にもがきながら、忌々しい主犯格に一矢報いようとする。

 

「離してください警部ッ!! 麻耶を助けないとッ!!」

「そんな事は俺だって一緒だ!! 拳銃1丁で何ができるッ!!」

 

激情の余り体力の落ち気味な初老の警部の制止を振り切りそうな刑事。

警察側が内輪揉めで慌しくなるのをオータムは愉快な顔立ちで眺めていた。

 

 

 

 

 

……………………………………………………………………………………

 

 

 

 

…………………………………………

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

「……予想以上にまずい事になっているな」

 

混乱の渦中にある港の中を走りぬけ、内数名の武装した犯人を

背後からモップの柄で殴り倒しながらやってきた先には、

悲惨極まりない光景が目の前に広がっていた。

一夏は身動きがとれず、特殊部隊の女性……麻耶はISが大破寸前、

忌々しい主犯格のオータムは余裕の表情で踏ん反り返り、

警官隊も唯一の対抗策を失ってオータムを前に何もできずにいる、

それどころか、内2名が揉み合いになっているせいで

他の隊員も加わり慌てて取り押さえていると言う……救い様のない状況だった。

 

現在箒は、警官隊とオータムの睨み合う件の現場の、

その直ぐ傍にある倉庫と倉庫の間の路地から、

放置された木箱を影にして様子を伺っていた。

とは言っても到着したのは警官とマスコミ達がたどり着いた直後であったが。

 

(何とかならないものか……?)

 

唯一の援軍である警察まであんな調子では、

単独での巻き返しなど期待できそうもない。

麻耶のツートンのラファールも背部のブースターが破損して

恐らくは空も飛べなくなるほどのダメージを被っている可能性が高い。

万が一やられる可能性も考えて、普通は相手が単独でも

多数のISを出動させるのが一番確実な方法なのに、

それをしなかったお偉いさん方に箒は心の中で悪態をつくしかなかった。

 

もしこの中から唯一反撃の手段を持っている人間を選べといわれれば、

 

(……一夏しかいない事になるな)

 

必然的に、まだ動けるISを操る一夏しか手段がないという事になる。

皮肉にも当の本人は警、察によって放たれた捕縛ネットで

身動きが取れないというおまけ付だが。

あのワイヤーさえ外せれば一夏を解放できるのだが、

流石に生身のままで一夏のISめがけて疾走した所で

途中でオータムに気づかれて射殺されるのは目に浮かぶ。

せめてワイヤーを外せるまでの間オータムの気を逸らす、

もしくは一時的でも良いので行動不能にする手段があれば良いのだが……。

 

(……ん?)

 

知恵を絞って打開策を必死でひねり出そうとしていたその時、

箒の目にはあるものが映りこんだ。

 

「あれは……?」

 

呟く箒の目線は空に向けられていた。

 

 

目線の先にあったのは、クレーンに吊り下げられている、

今にも落下しそうに潮風に晒され不安定に揺れる錆びた鉄骨であった。

見た所、錆びているのは鉄骨そのものだけではなく、

それを束ねるワイヤーも長年の放置で劣化しているのが見受けられる。

 

その瞬間、箒は閃いた。

 

(もしあれを落とす事ができたら……?)

 

箒はクレーンからゆっくりと目線を下にずらしていくと、

落下先は丁度、高みの見物をしているオータムの位置にあった。

何らかの方法であの鉄骨をオータムにぶつける事ができれば、

絶対防御の存在ゆえに倒しきる事はできなくとも、

相手に対してかなりのダメージを与えられる。

それだけではない、一夏のワイヤーを外してやる時間も十分に稼ぐ事ができる筈。

 

ではどうやって鉄骨を叩き落すか、

箒は路地から少しだけ身を乗り出して辺りを伺うと、

オータムの視線の向こう側に何とか2人をなだめた警官隊達の姿が見える。

 

何とか内輪揉めは収まったかと生暖かい目線を送っていると、

生身のバスジャック犯達の方を鎮圧すべく借り出された

防弾ベストとケプラーメットに身を包んだ特殊部隊の隊員と目が合った。

思わず箒と目の合った隊員は狼狽するが、ここで騒がれては全てが

終わってしまう事を恐れ、箒は人差し指を唇に縦に押し当て、

気づかない振りをする様にジェスチャーを送る。

相手の隊員もその意思を汲み取ったか、箒の方を向きながらも

それでいて何も気づいていないかのような自然な素振りを取り直す。

 

箒も相手の仕草を確認すると素早く路地裏に引っ込んで深呼吸した。

落ち着けという言葉を心の中で何度も反芻しながら、

高ぶる心拍数を何とかして落ち着ける。

 

やがて、心音が元のペースに戻り胸のつっかえが無くなると

箒はため息をついて額の汗をぬぐった。

まさか警察の人間と目が合ってしまうとは。

今の状況ではいつ犯人の一味と間違われ誤射されるかも分からない状況で、

よくもまあ相手が空気を読んでくれたものだと、

運の良さと相手の物分りの良さに感謝しつつ……、

 

(そうだ……彼らならば!)

 

箒は再び思いついた。 今度は鉄骨の落とし方を。

彼らならば確実にやってくれる、彼らの持つ『アレ』を使えば。

発想の閃いた箒の次の行動は決まっていた。

 

彼女は再び路地裏からオータムに悟られないようにゆっくりと身を乗り出すと、

先程状況を察してくれた特殊部隊の隊員を見つけようとする。

すると先程の隊員も再び箒と目線があった。

 

箒は人差し指でオータムの頭上の鉄骨を指差した。

特殊部隊の隊員もそれに釣られて小さく目線を上にやる。

そして数秒ほど鉄骨を眺めると視線を箒に戻し、

首を縦に振って確認の合図を送る。

 

次に箒は親指と人差し指を立て銃の形状を模ると、

それを素早く上に跳ね上げ、ゆっくりと指を元の位置に戻す。

このジェスチャーには発砲の意味が込められていた。

 

そして箒は最後に親指だけを立てた状態で握り拳を作り、

その手を上下反対にひねり、親指を下に突き下ろした。

 

隊員はしばらく考えた後、左の掌に握った右手を打ち下ろし、

箒の言いたい事を理解した旨を伝えてきた。

それを見た箒は、この状況において初めて頬を緩めると、

再び路地裏の木箱の裏に隠れた。

 

(やったぞ一夏! これで首の皮一枚はつながった!)

 

 

 

 

 

……………………………………………………………………………………

 

 

 

 

…………………………………………

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

「あーあ、喧嘩も終わっちまったか」

 

警察達の内輪揉めを高みの見物にふけこんでいたオータムは、

ようやく状況が落ち着いた警察連中をつまらない目線で見下ろしていた。

 

それにしても、男と言うのは何と張り合いの無い連中か。

いくら優れた技術、最先端の装備を身に着けて自分達の前に立ちはだかろうと、

結局は自分を含む女性達がISを装着さえしてしまえば、

現状がそうであるように男は敵を前に立ちすくむだけの存在に成り下がる。

彼女にとって男など、自分達の都合のいい道具程度にしか思っていなかった。

唯一気がかりなのは、先程まで戦っていた

ISを操る事のできる少年の存在であったが、全身を縛られて

行動不能に陥ってる今となっては取るに足らない存在であった。

この世の中、男と女が戦争すれば3日で女が世界を制圧できるといわれているが、

オータムはその言葉に何一つ疑問を抱いてはいなかった。

 

現に、今彼女の心の中では既に勝利を確信している。

頼みの綱のIS機動部隊は彼女1人な上に戦闘不能。

胸糞の悪い一夏も身動きがとれず、残りの警察達は役立たずのバスジャック犯達を

鎮圧する為に来たのだろう、そもそも対IS用の装備が

なされていない生身なのでひねり潰す事は正直たやすい。

この状況で逆転される事がオータムには想像出来ないでいた。

 

最早オータムには恐れるものなど何も無い。

折角なので、マスコミ連中の生中継もまわっている事なので

ここらでこいつらを殲滅し政府への示威行動を兼ねても良いぐらいだ。

これ以上この馬鹿な連中に付き合う必要もないし、

一思いに皆殺しにしてしまおうか?

 

オータムが考えていると、先程までもみ合っていた

警察2名の元に、防弾装備に身を包んだ人間がやってきて、

何やら耳打ちをしているようだった。

すると、話を聴き終った2人の内年老いた男の方は、

何も言わずに警察の藍色に塗装された装甲車へと足を進めた。

 

(あの野郎、何のつもりだ?)

 

怪訝な眼差しを向けるオータム。

 

勝利を確信している筈なのに、何故であろうか。

頼みの綱のラファールが戦えない今、連中には何もできない筈なのに。

落ち着いた足取りで装甲車へと足を進め、後部の扉を開く警部の姿が

オータムには何故か少々例えようの無い違和感を覚えていた。

 

 

 

 

 

「こちらを向けこの悪党がッ!!」

 

 

 

その直後、警部に気を取られた矢先に、右側から女の声がした。

 

(この声は……あのクソガキの!?)

 

オータムにとって、耳障りのする声のした方向へと振り向くと、

 

 

 

「おおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!!」

 

 

 

ポニーテールの少女……箒が手にしていたモップを投げ捨てて

一夏達とオータムの間を横断するように全力疾走していた。

 

「正気かてめぇ!?」

 

突然の出来事に、オータムのみならず

一夏や麻耶、そして刑事と警部、ジェスチャーでやり取りした隊員を除く

その場にいたほぼ全ての人間が驚愕した。

 

「箒ッ!?」

「なんだあの女の子は!?」

「危険だッ!! 撃たれるぞ!!」

「出てきちゃ駄目ですッ!! 逃げて下さいッ!!」

 

箒に浴びせられるは悲鳴にも似た叫び声であった。

しかしそれだけの声を浴びながらも、箒は足を止めて引き返すような真似はせず、

まるで自分を狙えと言わんばかりに更に加速する。

 

「何考えてるんだか知らねぇが……」

 

周囲がパニックに陥る中、オータムもまた一夏に対してやったように

生身の人間に対してライフルを向ける事を一切躊躇しない。

オータムは箒の華奢だが一部分は立派なその体に銃口を向けると、

 

「とっとと死にやがれッ!!!」

 

アサルトライフルのトリガーに指をかけ――――

 

「やめろおおおおおおおおお!!!!」

「駄目だッ!! 間に合わない!!」

「中継をとめさせろ!!! 公開殺人になるぞッ!!!」

「嫌ああああああああああああああああああッ!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たった1発の乾いた音がした。

 

 

 

 

 

クラッカーの破裂するような、硝煙臭い乾いた音。

その瞬間、両側から上がっていた叫び声が一瞬で止まり、

ほんの僅かな間場が静寂に包まれた。

 

直後、オータムを除く全員が目にした光景は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

体に穴が空くことも無くその場に急停止する箒と、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大量の錆びた鉄骨の下敷きになるオータムであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぎゃああああああああああああああああああッ!!!」

 

トン単位での鉄の塊がオータムの頭上から降り注ぎ、

絶対防御で守られているはずの彼女の体に想像を絶するような衝撃と圧力が加わり、

酸化した鉄のフルコースを存分に堪能したオータムは鉄骨の山に埋れてしまった。

周りから上がっていた叫び声のような悲鳴が、

今度はオータム自身が上げる事になってしまった。

 

スコープとチークパッドから顔を上げ、

硝煙の立ち上るボルトアクション式のスナイパーライフルの銃口を下げるは

先程装甲車の後部扉を開けて中の装備を物色していた警部であった。

周囲の警察達は、開いた口が塞がらなくなった状態で彼を注視していた。

 

……この案を部下の特殊部隊の隊員を通して聞いた時は耳を疑った。

一見高みの見物のようでこちらの行動を監視されている中、

そんな物を持ち出して武器を構えれば、すぐさま相手に気づかれて

失敗する可能性がある事は分かっていた。

とは言え、他に状況を打開する方法が無く

このままではラチがあかないと判断して一か八かの賭けに出てみたが、

まさか件の発案者の女の子が脇道から飛び出してくるとは思わなかった。

 

しかしそのおかげで敵の目線はそちらに釘付けになり、

自身はこうしてクレーンのフックを狙撃して、相手に

鉄骨の雨を降らせることに成功した訳だが。

もしかしてあの少女は、それを見越した上で行動していたのであれば……。

 

「あのお嬢ちゃんも末恐ろしいな……」

 

女は強い、女尊男卑な現在の情勢にてよく言われる言葉だが、

確かにあれだけの大胆な行動を見せられればさぞかし説得力があろう。

 

孫娘だけはこうならないで欲しいと切に願いつつも、

警部は大胆なポニーテールの少女に心の中で敬礼を送った。

 

 

 

 

 

……………………………………………………………………………………

 

 

 

 

…………………………………………

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

「一夏!! しっかりしろ!!」

 

箒は一夏に駆け寄るや否や、腰に挿したコンバットナイフを引き抜くと、

白式に絡まる捕縛ネットを切り裂こうと刃を突き立てる。

しかし、捕縛ネットのワイヤーは防刃性の高い素材で作られている為、

対人用のナイフでは切断する事ができない。

ナイフの先端の反り返った部分で抉ろうとしても、

やはりワイヤーの表面に少し傷が入るだけで切断するには至らない。

 

(ここで手間取ってる暇は無いんだ!! どうやったら外れる!?)

 

ここまで硬いワイヤーを手間をかけて1本1本切っていたのでは、

折角足止めしたオータムが復活してしまう。

確かに大量の鉄骨は敵に少なくないダメージは与えただろうが、

ISと言うものは上空から地面に急降下して激突したとしても

搭乗者を守れるように設計されている。

恐らくあれぐらいのダメージなら、機器のいくつかは破損させられるだろうが

ISそのものを擱座させるならば、もっと強力なダメージを与えねばならない。

それこそ、ISのコアを駄目にするぐらいのものが。

 

「……ネットの根元にある装置を壊してください」

 

切れないワイヤーに必死でナイフを当てる箒に、

隣で倒れていた麻耶が箒に助言する。

 

「確かにそのワイヤーは人力では簡単に切れませんが、

 付け根のEMP発生装置さえ壊せばISのパワーアシストなら

 何とか自力で脱出する事が可能になります」

「……そうなのか?」

 

言われた通り、箒はナイフをネットの付け根に突き立てると、

蓋と思わしき部分をこじ開けて、中の配線にナイフをさした。

一瞬の電気火花を散らした後、ワイヤーに張り巡らされていた不愉快な磁気は

取り払われ、同時に一夏の白式が正常に戻った事を現すHUDが浮かび上がる。

 

「……動くぞ!! 白式が復活した!」

 

重苦しい面持ちであった一夏に明るい表情が戻ると、

一夏は箒に自分から離れるように指示を出し、箒が1歩下がるや否や

自由に動かせる右手で自身のネットをつまみ、

 

「おおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」

 

右手の力のみで強引に引き千切り始めた。

ISのパワーで切れるものとは言え、金属製の繊維はやはり

頑丈である事には代わりが無い。

青みのかかった艶のある繊維を跳ね上げながら、

一夏はその体にかかる拘束を一つ一つ外していく。

 

「箒! 向こうに落ちている雪片をとってきてもらえないか?」

 

体全体を捩ってネットを引き剥がしていく一夏は

右手の人差し指で鉄骨の山の直ぐ隣に落ちている両手剣を刺した。

箒は無言で頷き、一夏の為に剣を取りに走った。

 

「今更……」

 

ネットを引き剥がし、上半身は何とか動かせるようになった一夏に

負い目を感じている麻耶は伏せ目がちに言う。

 

「今更……謝って済む問題ではないですけど……

 相手の口車に乗せられたせいでこんな事になって……

 本当に、本当にごめんなさい。 どうやってお詫びをすれば――」

 

麻耶の謝罪の言葉を、右手を差し出して続きを止めさせる一夏。

 

「やってしまった事は仕方がない。 誰にだってミスはあるもんさ」

「で、でも……一歩間違えたら貴方は死んでいたんですよ?」

 

一夏は首を横に振る。

 

「だが俺は生きてる。 死なずに済んだんだからもう気にするな」

 

そう言う一夏の表情は、どこまでも力強い笑みを浮かべていた。

屈託の無い表情でそう言われては、麻耶にはこれ以上何も言えなかった。

 

 

 

 

 

「一夏ぁ……もって……きたぞぉ……!!」

 

話を終え、白式の拘束を全て外し終わったと同時に、

雪片を重々しそうな表情で引きずった箒が戻ってきた。

剣の扱いに慣れているのなら、肩に担ぐのは無理でももう少し早く

戻ってこれるとは思っていたのだが、予想以上に雪片は重かったのか、

箒は息を荒げ額に汗を浮かべていた。

 

「だ、大丈夫か箒? 息が上がってるぞ?」

「こんなもの……乙女の私に持たせるなぁッ!」

 

不機嫌を隠そうともせず箒は雪片を一夏の足元に乱暴に放り投げる。

だが元々の重量に加え、雪片を引きずった事による疲れで

投げる速度が遅かったため、両手剣はそれ程地面を滑る事は無かった。

しかし唯一の武器を取り戻した事で、ようやく一夏も戦線に復帰できそうだ。

一夏は箒がやっとの事で運んできた雪片を掴もうと腰を屈めた。

 

 

その時、鉄骨の山の一部が崩れ落ちた。

 

 

「こんの……クソガキがあ……ッ!!!」

 

 

雪片の柄を握った所で一夏の手が止まる。

崩れ落ちた鉄骨の山を見てみると、丁度中心辺りから打鉄の手が突き出していた。

そして突き出した手を乱暴に動かし、近くに積み重なっている順番に錆びた鉄骨を

自らの手で払いのけていくと、中からは顔面を自らの血液で染め上げた

オータムが呪詛のような言葉を吐きながら、怨霊さながらににじり出てきた。

 

「殺す……てめえだけはぶっ殺すッ!! もう他の人質なんぞどうでもいいッ!!!

 殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺すうううううううううううッ!!!」

 

理性が半分失われ、鬼気迫る表情で一夏を睨み付けるオータム。

警官達やマスコミ、傍にいた麻耶は余りの恐ろしさに圧倒されるが、

一夏と箒だけは不思議と平常心を保っていた。

 

「箒、下がっていろ……あんたも動けるか?」

 

オータムを見据えながらも、一夏は掴んだ雪片を右手の中に格納すると

箒と麻耶に安全な場所に避難するように言う。

箒は無言で肯定の意を示すように頷き、

麻耶は動けなくなったラファールを脱ぎ捨てると、

ISスーツのままたどたどしい足取りで何とか立ち上がる。

 

「いいか一夏、乙女の私にここまでさせたんだぞ?」

 

箒が一言だけ伝える。

 

「必ず勝て。 絶対だ」

「言われなくとも」

 

一夏が微笑むと、箒も同じように口元を綻ばせ、

ラファールの装着を解除した麻耶の肩を抱えるようにして路地裏へと歩いていった。

それを確認した一夏は、今度と言う今度こそ決着を付ける為、

般若のように顔をゆがませるオータムを睨み付けた。

 

「ぶち殺してやる……ッ!!」

 

息を荒げ、肩を上下にさえ動かして尋常でない怒りを露にする

オータムは手持ちの弾丸を全て撃ちつくさんと言わんばかりに、

アサルトライフルを構えながら、両足に、両肩周りに浮遊する

ミサイルポッドを全て展開。 その狙いを全て一夏へと向ける。

 

白式にミサイルの照準をロックされた旨を伝えるHUDが表示されるや否や、

それを合図に一夏はゆっくりと目を閉じる……。

右手をかざし、体中に流れる全ての気を掌に集中させ始めた!!

 

「俺のこの手が光って唸る……」

 

その瞬間、オータムも全ての武器の引き金を引き、

 

「死ねえええええええええええええッ!!!!」

 

手負いの獣のようなけたたましい咆哮と共に

残弾を全て撃ちつくさんと密度の濃いミサイルの弾幕を張り、

それこそ一夏から見てオータムの姿が

覆い隠れてしまう程の大量のミサイルを放つ!!

 

「お前を倒せと輝き叫ぶッ!!」

 

そして気の力が頂点になった時、一夏は目を見開いて

右手を握りこみ、一気に注ぎ込んだ莫大な気を凝縮すると、

生命エネルギーに満ち溢れた右手は仄かに淡い光を帯び始めた!

 

迫りくる大量のミサイル。 空中でのドッグファイトの時と比べて

倍近い量のうねる弾頭が一夏を貧り食らおうと襲い掛かる!

 

対して一夏は残されたエネルギーをフル稼働させて白式のブーストを解放し、

一気に最高速まで急加速、自らミサイルの弾幕へと正面きって飛び込んだ!!

 

先に断っておくが、今の白式は煙幕弾などといったミサイルを

撹乱できる装備は全て使い切っている。

追尾機能の高い映像識別方式のセンサーを誤認させられる手段は無い。

箒が指示してくれた時は1個1000万円の高級な煙幕弾が

存在した為、正面切って突進しながらもミサイルの被弾を回避する事ができた。

だが、それさえも持たず愚直に飛び込んだというのなら、

今度と言う今度こそ回避できる見込みは全く無い。

 

「一夏あああああああああああああああッ!!!!」

 

傍から見て半ばやけくその様な行動としか思えない一夏の急加速に

箒達は思わず一夏の名を叫んでいた。

 

 

 

 

しかし当の一夏は臆せずに、むしろ上半身をより前方に傾けて突進の勢いを速める。

 

直後、気と言う気を溜め込んだ右手を開き、それを肩を伸ばして前方に突き出すと、

一夏の右手の指の関節が引き伸ばされるや否や

光り輝くオーラが一夏の右手を中心に全身を放射状に包み込む!

 

一夏は最初からミサイルを回避する気など無かった。

一夏の右手から溢れるオーラ、それは『流派東方不敗』の

真骨頂とも言える気を操る事のできる能力。

既に説明した通り、人体には気という見えない力が流れているが

この武術を通して気を操る事により、常軌を逸した力を発揮するは勿論の事、

気そのものを纏う事により直接単純な攻撃力を高める事もできる。

『光輝唸掌』と言う技でその片鱗は見せていたが、

今一夏が放たんとしているのはその延長線上にある。

 

気とは人間の掌の先端に集中するようになっている為、

余計な装備を身につける、この場合はISを装着した状態では

ISのアームそのものが気を伝える経路としての機能を

果たさず抵抗となってしまう為、その真価を発揮する事はできない。

しかし白式の両手に標準装備され、時として両手剣としての実体化も可能な、

人工気力発生装置『雪片弐型』の内臓された右手は

一夏自身の掌に込められた気をIS用の攻撃エネルギーに転換、

ISのパワーアシストとブーストの加速度も合わさって

絶大な攻撃力として発揮されていた。

 

結果、目先に迫ったミサイルは一夏の体に1つたりとも触れる事無く

右手から溢れるオーラによってその全てが撃墜されたッ!!!

 

 

「そ、そんなのアリかあああああああああああああああッ!!!」

 

 

最後の一撃が打ち破られ、全ての望みが絶たれたオータム。

一夏の右手が届く直前、彼の目に飛び込んできた

オータムの表情は大きく目を見開き完全に凍り付いていた。

 

「食らえええええええ!!!! ひィィィッさああああああああああっつッ!!!!」

 

そして、一夏の全身全霊にして無慈悲な一撃がオータムに叩き込まれたッ!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「 シ ャ ア ア ア ア ア イ ニ ィ ィ ィ ン グ ゥ ウ ! ! !

 

  フ ィ ン ガ ア ア ア ア ア ア ア ア ア ア ア ア ッ ! ! ! ! 」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

光り輝く一夏の右手がISのシールドバリアすら貫通し、

まるで豆腐を手刀で突き破るかのごとく、打鉄の腰部装甲に食い込んだッ!!

 

「ぐはぁッ!!!」

 

常軌を逸した衝撃に悶絶するオータム。

一夏の手が食い込んだ箇所から装甲が剥がれ落ち、電気火花が散る。

オータムは一夏の突進した勢いのまま、慌てて道を譲る警察達の間を

分けるようにして押し出され、コンクリートの破片を

撒き散らしながら数10m程一直線に地面を抉る。

やがて両名が速度を殺しきると、依然オータムの腰部に

腕を突っ込ませて地面に押し付ける一夏が目を見開いて言った。

 

「ISファイト国際条約……通称アラスカ条約第1条ッ!!!

 

 『ISのコアを失ったパイロットは、失格とみなす』ッ!!!」

 

一夏は手首を捻りながら肘を引いていくと

装甲の隙間から薄紫に淡く光る鉱石が握られているのが見える。

それは紛れもないISの中枢、

通常は量子化されて見る事の適わない筈のコアであった。

物理的にはありえない筈の空間から引き抜かれる様子にオータムは青ざめた。

 

「やめろ!! やめてくれッ!!

 ISコアはこの機体の全ての動力とデータを担ってるんだッ!!

 それをもぎ取られなんかしたらッ!!」

「そうだッ!! コアのないISなど唯のガラクタだッ!!」

 

ISとパイロットが密接に繋がっていると言って、

IS自体のダメージがパイロット自身に伝わる訳ではない。

しかし腰元のパーツに腕を突っ込まれ、あまつさえコアを

鷲づかみにされ今正にもぎ取られてしまいそうなこの状況は

彼女からすれば下腹部に直に腕を突っ込まれ

子宮を引きちぎられそうになっているかのような不快感。

痛覚の無い苦痛と言えば周囲に伝わるであろうか。

 

しかし一夏はオータムの懇願を聞き入れるつもりは毛頭無い。

コアを掴む右手に力を入れて、未練がましく垂れ下がる

ISとの接続コードを強引に引きちぎる。

さながら生物における筋繊維の断裂にも見えなくも無い。

打鉄の間接部から漏れる火花と黒い煙、

周囲に展開されるノイズ交じりのホログラムディスプレイには、

機体の損傷が臨界点を突破した警告インジケータが無数に表示される。

自身の手足のように軽快に動いていたISが、

機体の倍力効果が失われ今や重苦しい拘束具と化していた。

 

全身の力が抜け落ち、膝をつきながらも

必死で重たい腕を伸ばして一夏の右手を掴もうとするも、

しかし核に相当する部分が抜き取られつつあるISの力など

年老いた老婆の力さえ発揮できない。

段々とそれは、オータム自身の力が抜き取られていくようにも感じられた。

 

「嫌だぁ!! 女が男に負けるなんてありえねぇ!!

 お前ら男と戦争したら3日で女が勝つんだッ!! それをこんな――」

「まだそんな事を言ってるのか」

 

一夏はコアを握る右手に白式の手の方が軋みかねない程の握力を込め、

静かに言い放つ……

 

「男が偉いか女が偉いか……そんな事はどうでもいい」

 

一夏にとって、相手が男であろうと女であろうと関係ない。

世界を回り、老若男女を問わず戦いながら、

幾多の修行を積んできた一夏にとっては性別の差など些細なものであるからだ。

心身を鍛錬し、己の全てを掛けて闘う事こそが格闘家の本懐。

目先のオータムのように最強の兵器が扱えるのが女性だからと、

立場を振りかざし胡坐をかくなどと愚の骨頂。

 

旅の果てに一夏が見出した答え、それは――――

 

 

 

「 誰 が 強 い か だ ッ ! ! 」

 

 

 

一夏は口やかましい敗者(と書いてオータムと読む)に引導を渡すべく、

とどめの一撃と言わんばかりに豪快に打鉄のコアをもぎ取った!

 

「がああああああああああああああッ!!」

 

断末魔の悲鳴を上げるオータム。

その瞬間、打鉄の全身から火花が飛び散ると

黒い煙が全身から吹き上がり、展開されていた

ホログラムディスプレイが全て同時に消滅、打鉄は完全に機能停止した。

 

「あ……ああ……!!」

 

駆動力が全て失われ、今度と言う今度こそ重苦しい死に装束と化した打鉄。

体の中身と言う中身を生きたまま抜き取られたかのような

おぞましい感触に、オータム自身は目立った外傷が

殆ど無いにもかかわらず苦悶の表情を上げ、

 

「畜生……男……なんかに……」

 

薄れ行く意識の中精一杯の捨て台詞を吐き、白目をむいて前のめりに倒れこんだ。

女性に一騎当千の力を与える機動兵器も擱坐してしまえば、

それはスクラップと言う名の棺桶、アイアンメイデンそのものであった。

 

放心状態のオータムを見下ろし、もぎ取った打鉄のコアを投げ捨てると、

一夏は何も言わず無様に地に伏せるオータムに背を向け、

二度と振り返る事は無かった。

 

 

 

 

 

……………………………………………………………………………………

 

 

 

 

…………………………………………

 

 

 

 

……………………

 

 

 

 

 

その後の展開は実にスムーズに進んだ。

頼みの綱のオータムが敗北のショックで心を折られた事により

力ない表情のままあっさりと警察に身柄を拘束された。

それを受け、いまだ混乱の最中にあった残りの犯人達は

何1つ抵抗する事無く投降、IS同士の戦闘に巻き込まれた事で

死人こそ出ていないものの少なくない怪我人を出し、

統率を失って戦力が激減した事が大きな理由であった。

 

捕まっていた残りの人質達はあの乱戦の最中、

閉じ込められていたであろう倉庫が奇跡的にも無傷だった為、

犯人達とは異なりこちらは死傷者1人出す事無く無事救出され、

丁度正午の時間帯にて事件は無事収束した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「疲れた」

 

傷だらけの白式から降りた一夏が最初に発した台詞がこれだった。

犯人が手錠を掛けられて護送され、一部は担架に運ばれ病院へと

搬送されていくのを遠目に眺めて呟いた。

 

「全く……緊張が解けたからと言って弛み過ぎているぞ?」

 

それを傍らで立っていた箒が微笑を浮かべながら言う。

 

「しょうがないだろ? 闘いは終わったんだし、少しぐらいリラックスしても」

「だが格闘家に安息の日々はないと言うぞ? ほら見ろ」

 

箒は指を刺して一夏の視線を誘導する。

箒の指先にあるものを眺めると、そこには後からやってきた

各局のテレビ局の取材班が件の警部を取り囲んでごった返しとなっていた。

 

「事件の取材だろ? あーあ、後で俺達もマスコミからの質問攻めか」

「事件の取材『だけ』で済めば良いのだがな」

 

含みを持たせた箒の一言に、一夏は首をかしげた。

すると、取材班のうちの1人が一夏達の姿を見つけると、

我先に今日のワイドショーの格好のネタに群がってきた。

 

「織斑 一夏君ですかッ!?」

「世界で初めて男でISを動かしたのは!?」

「ご覧下さいッ!! 彼が男でありながらISを動かし、

 あまつさえ武装したテロリスト達へと勇敢に立ち向かった少年です!!」

 

一夏の周囲からひっきりなしに飛び交う質問と絶え間ないストロボの閃光。

女性にしか動かせないISの常識をひっくり返したヒーローの姿を

生中継で全国に送り届けようと色めき立つカメラマン達。

 

「あ……そう言えば、そうだっけ」

「もう少し自覚を持て、お前ある意味世界をひっくり返したのだぞ?」

 

闘いに没頭する余り、一夏は自分が世界初の

男性のIS操縦者である事を今更ながらに思い出した。

分かっていた筈の世間の反応を目の前に突きつけられ面食らう様子に、

箒は幼馴染の態度に呆れる余りため息をついた。

 

 

 

 

「失礼」

 

報道陣を手で分けながら、先程別の報道陣の質問に応対していた

若手の刑事が一夏の前にやってきた。

周囲を囲むカメラマンが一夏達の左右に移動し、

丁度3人が左右に並ぶようなカメラアングルで撮影を続ける。

 

「刑事の山田 守(やまだ・まもる)だ。 妹の麻耶が粗相をしてしまったようだ」

 

そう言って山田刑事は頭を下げ、

 

「済まなかった……そして、助けてくれてありがとう」

 

一夏と箒に謝罪と感謝の言葉を述べた。

妹の麻耶の粗相……妹と言う単語に一瞬理解に苦しんだ一夏だが、

 

「あのラファールのパイロット……ですか?」

 

箒にはそれが誰だか分かっていた。

山田刑事は無言で頭を縦に振る。 肯定らしい。

成る程、あの機動部隊の女はこの刑事の妹だったのか。

頭の中で一夏はそう解釈していると、

 

「一夏、この場は任せた。 今日の主役はお前なのだからな」

 

箒は適当に手を上げて、山田刑事の手を引いて我先に退散した。

 

「おい!! ちょっと待てよ箒――――」

 

慌てて箒を呼び止めようとするも、一夏への質問を待ちわびた

取材班が改めて多数のマイクを取り出すと、押し競饅頭さながらに

一夏へと詰め寄り、消耗しきって

体力の無い一夏は身動きが取れなくなってしまった。

 

 

 

 

 

 

「ここなら大丈夫か」

 

箒は山田刑事と共に警部がライフルを取り出した装甲車の影に隠れ、

自身の姿が取材班の目に映らないようにした。

自分が今から聞き出したい事を、あの場で質問するのは

余り宜しくは無いだろうと言う判断からの行動であったが、

当の山田刑事は何故、この場所に手を引っ張ってきたのかわからないでいた。

 

「山田刑事」

 

そんな彼をよそに箒は刑事の名を呼んだ。 あくまで真剣な表情で。

 

「彼女は、機動部隊の麻耶さんはどうなるんですか?」

 

箒の聞きたかった事とは、やはりオータムの嘘に踊らされた

哀れな機動部隊の女性の事であった。

 

「……あいつの事を心配してくれてるのか?」

 

箒は無言で頷いた。

 

「恐らくは更迭だろうな。 今回の失態の様子は

 破損したISの記憶領域に映像データとして記録されている。

 近い内に何らかの形で処分を下されてしまうだろう」

「それでは……厳罰を!?」

 

驚きの大声を出す箒。 慌てて口元を閉じるが、

彼女の言う『厳罰』とは懲役や賠償金等の所謂

実刑のニュアンスを込めている。 無論、箒や遠目でマスコミに追われる一夏は

麻耶を追い詰める事は良しとしないが、どこか後ろめたい箒の考えを

汲み取ったかのように山田刑事は首を横に振った。

 

曰く、そこまでの責任を彼女1人に押し付けるのは警視庁も良しとはしない筈。

技量はあれど実戦経験の浅い麻耶をたった1人で出動させた負い目がある上に、

犯人も犯人で余りにも悪辣なやり方で彼女を陥れた事実も

マスコミの中継によって明るみとなっている。

 

事実、山田刑事に取材していた報道陣も、麻耶の事に関しては

判断ミスは咎めつつも、置かれた状況に対しては同情的な意見を寄せていた。

世間の反応を踏まえて、なるべく穏便に済ませようとはするかもしれない。

それらを付け加えて刑事は言った。

 

「それよりも、あいつは……麻耶は昔からデリケートな奴だ。

 もし今回の事件で、1番の被害者である彼がこの事を根に持っていると

 気に病んでいるかもしれない。 その事が唯一の気がかりだ」

「なら、少なくとも一夏自身は気にしてないと思いますよ?」

 

言葉を遮って箒が笑みを浮かべ、いまだに

取材班の人だかりに揉まれている一夏を遠目に一瞥して言った。

 

「恐らくは既に同じ事を彼女に言っていると思います。

 彼は良くも悪くも大雑把で、細かい事を気にしない性格です。

 それに彼女も主犯格のあの女と違って、

 殺さずに相手を捕まえるという行動をとったからこそ、

 一夏は死なずに済んだ訳ですから……」

 

無事解決した以上、もう責任を感じる必要は無い。

そう付け加えて箒は締めくくった。 それを聞いた山田刑事は安堵の息をつく。

 

「そう言ってくれると助かる。 少し気が楽になったよ」

「但し、今度と言う今度は早とちりは無しですよ?」

 

悪びれた笑みを浮かべる箒の皮肉を利かせた一言に、山田刑事は苦笑を浮かべた。

 

「それじゃあ事後処理があるから失礼する。 何かあったらまた呼んでくれ」

「分かりました」

 

山田刑事は箒の元を立ち去ろうとした。

が、数歩足を進めてと立ち止まると、箒の方を振り返り、

 

「……本当にありがとう」

 

心の底からの笑顔を浮かべ、もう一度だけ箒に感謝の言葉を告げ、去っていった。

 

 

 

 

(……さてと)

 

妹の事でかなり気に病んでいたのは表情を見てすぐに分かったが、

これで少しは彼のわだかまりも幾分マシにはなったであろう。

無事にアフターケアを済ませた箒は一夏の方を振り向いてみると、

 

「待って下さいッ!! まだ幾つか質問が!」

「最後のあの技は何なんですか!?」

「IS学園への入学は!?」

 

「もう勘弁してくれええええええええええ!!!!」

 

なけなしの体力を振り絞り、必死の形相で取材班の

集中攻撃から逃げる何とも情けない幼馴染の姿があった。

あれだけの激闘の後にまだ走れるだけの体力があったのには少々驚いたが、

しかしこれ以上体力を消耗させては本当に一夏は倒れてしまう。

可笑しなものを見るように微笑みながらも、箒は今日1番の功労者である

一夏に助け舟を出すべく、再び慌しい撮影現場へと戻っていった。

 

「これからが大変だぞ、一夏」

 

春先の潮風をその身に感じながら、一言だけ呟いて。

 

 

 

                                  第1話 完

 

 




後書き
ISファイト国際条約……通称アラスカ条約7ヶ条。

第1条……ISのコアを失ったパイロットは失格とみなす。

第2条……シールドエナジーが底をついたIS及び
     パイロットに追い討ちを掛けてはならない。
     (過失によるパイロットの死亡は事故として扱われる)

第3条……戦意を失わなければ、ISが再起不能にならない限り
     ISパイロットとしての資格を剥奪されない。

第4条……ISパイロット、
     特に専用機持ちは己のISを守り抜かなくてはならない。

第5条……1対1の戦いが原則である。
     (タッグマッチ及び団体戦、あるいは実戦においてはその限りでない)

第6条……特定の国家代表及び代表候補生はその威信と名誉を汚してはならない。

第7条……空がリングだ!
     (原則として許可無しでのISの私用は
      認められないが、有事の場合はその限りではない)




……あともう1話分だけおまけがあります。
ここまで付き合って下さった皆さん、もうしばしのお待ちを。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

オマケ『野菜炒めは漢(おとこ)の味』

 

 

 

 

「お兄! お爺ちゃん! 野菜炒め定食1丁!」

「「あいよ!」」

 

バスジャック事件と同時刻の11時、古い木造建築と

新築のマンション等が入り混じる住宅街の一角、

地元民に親しまれ、現在昼食の時間帯によりピークを迎え、

店の建物は古く、テーブルや椅子も使い込まれた印象のあるテーブルながらも、

一般人や労働者達を主な客で和気藹々と賑わう『五反田食堂』の中で、

紫のヘアバンドに赤い髪を後ろでまとめた同食堂の看板娘

『五反田 蘭(ごたんだ・らん)』が木製の盆を腋に挟み、

客の注文を承る為にメモ帳とボールペンを両手に

店内を駆け回り、一方で厨房でせわしなく包丁を振るう兄『五反田 弾(ごたんだ・だん)』、

年齢80歳にして年の衰えを全く感じさせぬ豪腕で中華鍋を振るう

祖父『五反田 厳(ごたんだ・げん)』が蘭からの注文を

額に汗流しながらそつなく捌いていた。

 

「弾! もっと急げや! 後がつっかえてるぞ!」

「分かってるってば!!」

 

跡継ぎ息子のそれなりには慣れた手つきだが、大ベテランの

祖父から見ればひよっこ同然な包丁裁きに野次を飛ばす。

 

「野菜炒め2丁あがったぞ蘭!」

「はーい!」

 

そして兄とやり取りしてる内に祖父の厳は今の注文より

前の客の野菜炒めを白い磁器の皿に盛り付け、左手で中華鍋を振りながら

開いた右手で器用にカウンターに置く。

相変わらず器用な人だと蘭は思いながら、抱えていた盆の上に

出来立ての野菜炒め定食を載せ、昼食を待ちわびる客の元へと運ぶ。

キャベツではなく白菜を主な食材として用い、人参やもやし等を

味噌で絡め、こんがりと焼き上げた香ばしいこの料理は、

当店自慢の定番メニューで昔から地元民に親しまれており、

この時間帯のおよそ5割の客がこれを注文する。

 

「野菜炒め2丁お待たせしました!」

 

蘭はそれを丁寧な手つきでご飯や味噌汁、お冷を常連客の

ひげ面で小太りな、しかし中身は筋肉で詰まった土方のおじさん達の

目の前のテーブルに愛想よく置いていく。

 

「お、蘭ちゃん今日もかわいいねぇ!」

「蘭ちゃんの笑顔見てるとこっちも元気出てくるよ!」

「ふふっ、おだててもおまけは無しですよ?」

 

土方のおじさん方の熱烈なラブコールを蘭は笑顔で流し、

軽くあしらわれた事におじさん方はこれは参ったと頭を掻いた。

 

 

 

 

 

 

『ただいま続報が入りました、今朝廃港にて発生した

 バスジャック事件ですが、現場にて大きな変化があったようです』

 

そんなやり取りをしていると、天井の角に備え付けられた

古めかしいブラウン管のテレビから女性の声がした。

画面には、2人の男女のキャスターがテーブルに並んで座るスタジオの風景が映っている。

どうやら昼のニュースらしい、今朝からずっと

話題を独占しているバスジャック事件のようだ。

 

「バスジャック事件か……相も変わらず物騒な世の中だな」

「何でも人質の女の子が通報するまで事件発生に気づかなかったんだって?」

「そんな……」

 

土方の話に、蘭は盆を両手で抱えて不安げな表情になる。

 

「何でも犯人グループはISのパイロット抱えてるんだってな。

 しかもご丁寧に盗品の打鉄まで用意して。

 ったく、世界最強の兵器なら管理ぐらいしっかりしろってんだ」

 

厨房で聞き耳を立てていた兄の弾も、

包丁を動かす手を止めずに愚痴に近い言葉を漏らした。

全く持ってその通り、弾の言い分に蘭も心の中で頷いた。

 

『現場の弓弦さん?』

『はい!! こちら現場の弓弦です!』

 

場面が変わり、ヘリコプターの機内にいる弓弦と名乗る

男性リポーターが画面に映ると、カメラ越しに見える風景からは、

立ち込める噴煙に爆散したトレーラー、その周囲の屋根の崩落した幾ばくかの倉庫と、

山積みになった錆びた鉄骨。 その近くに2機のIS、

警視庁所属の白黒ツートンの壊れたラファールと、

ネットに絡まれた未確認機種の白い機体が見えていた。

そしてその傍にはポニーテールの女の子が

白いISのネットをナイフで必死に引きちぎっているのが見える。

 

『数時間前に発生したバスジャック事件ですが、オータムと名乗る

 主犯格のISパイロットが、警察の狙撃によりクレーンに吊り下げられていた

 錆びた鉄骨の下敷きになり、身動きが取れなくなった模様ですッ!!

 そして今、人質と思わしき1名の少女がこの期を見計らって

 ネットに捕らわれているパイロットを救助しようとしているようです!』

 

一部始終……とまでは言えないが事件の山場を見ていた

弓弦リポーターはかなり声を荒げて今しがた現場で起こった出来事を口にしていた。

いささか現実離れした光景に、テレビを見ていた食堂のほぼ全員が

慌しい現場を映し出すニュース番組に釘付けになった。

 

カメラが現場の詳細を捕らえようとレンズの倍率を上げ、ネットに絡まっている

白いISに焦点を当てると、丁度ポニーテールの少女が捕縛ネットの

機械部分にナイフを突き立てた所であった。

程なくして、中に絡まったISが自力での脱出を試みようと

唯一包まれていなかった右手を使って捕縛ネットを強引に引きちぎり始める。

 

『あっと……中にいた白いISのパイロットが自力での脱出を試みたようです……ッ!?』

 

そして中のパイロットが頭からネットをくぐった時、リポーター、カメラマン、

スタジオにいるニュースキャスター、そして視聴者である食堂の客達が

一斉に驚愕の表情に染め上げられた。

 

『しょ、少年……!?』

 

リポーターの声が上ずっている。

それもその筈だ。 何故なら捕らわれていた白いISのパイロットは男性……

外見の年齢にしておよそ15歳前後の、顔立ちの整った短髪の少年だったのだから。

 

『少年ですッ!! ネットに捕らわれていたISのパイロットは男!?

 そんな、そんな事がありえるのでしょうかッ!?』

 

食堂内にどよめきが走った。

何せこの瞬間、女だけがISを動かせると言う10年来の世界の常識を

この光景によって覆されてしまったのだから。

そして内2名は、周りの客以上に驚いていた。

 

「……一夏……だよな?」

「うん……間違いないよ、あれ一夏さんだ」

 

厨房にいる弾と、その妹である看板娘蘭にとっては

テレビで中継されている男性ISパイロットの顔を良く知っていた。

しかし弾は首を横に振って、

 

「いや待てよ、あれが一夏だって言う証拠なんかどこにも無い。

 きっとあれは他人の空似に違いない」

「お兄!」

 

兄の言い分に声を荒げる蘭。

根拠も無くそっくりさんであると頑なに否定する弾の顔は、

顔面冷や汗だらけにして、一方で口元は乾いた笑いを含める。

傍から見て自信など微塵も感じられそうにないその言い回しは、

言うなれば現実逃避と比喩するに正しいものであろう。

 

『オキウラさん、指向性マイクを!』

 

オキウラ……というのはカメラマンの事であろうか、

一夏(?)達を映すカメラが一瞬ぶれたかと思うと、数秒ほど機内の天井を映した後

素早く両手剣を手に取る白いISの姿を映しなおした。

 

すると、先程はヘリのローター音とリポーターの声しか聞こえなかった

中継の画面から、画面中央のISパイロットと

ポニーテールの少女からの声を捉えることができた。

 

『いいか一夏、乙女の私にここまでさせたんだぞ? 必ず勝て。 絶対だ』

『言われなくとも』

 

その瞬間、厨房のカウンターに両手を置いてテレビを見ていた

弾の頭が垂れ下がり、カウンター台に強く頭をぶつけてしまった。

ポニーテールの少女の発した言葉によって、あのISパイロットが

一夏であるということが確定してしまったからだ。

 

五反田 弾、2年前一夏が日本を去るまでの中学時代

よくつるんで遊んでいた、所謂親しいクラスメートであり、

妹の蘭は、兄との関係でよく家に遊びに来た一夏に片思いをしていた事もあった。

してそんな五反田家にとっては馴染み深い少年が

世界で初めてISを動かした男にして、件の事件の主犯格と

対峙している光景は、最早対岸の火事としては受け止められなくなっていた。

 

そしてテレビに映る現場に更なる急展開が。

ふとカメラの倍率が下がり、一夏達だけでなく錆びた鉄骨の山も

映し出されている範囲内に収まると、オータムと名乗る

主犯格のISパイロットの女が鬼気迫る表情で鉄骨の山から這い出して、

半分壊れかかっている打鉄のミサイルポッドを展開し、

その全てを左腕の破損したISに乗る一夏に照準を向けたからだ。

 

『ぶち殺してやる……ッ!!』

 

カウンターに突っ伏していた弾が顔を上げた。

指向性マイク越しに伝わる犯人の怨嗟。

地獄の釜を半分開いたかのようなおぞましささえ感じられる声に

食堂の客達は恐れおののいた。 だが一夏は臆する事無く

オータムを見据えると、壊れていない右手を目前にかざす。

 

『俺のこの手が光って唸る……お前を倒せと輝き叫ぶッ!!』

 

そして一夏が右手を握りこむと、青くカラーリングされていた

ISのアームが黄金色に淡く輝き始める!

 

「な、なんだありゃあ!?」

 

思わず弾が素っ頓狂な声を上げた。

突然これ見よがしな前口上を決め、腰を落とし込み

光り輝く右手を握りこむ一夏の様子に面食らっていたようだ。

 

『死ねえええええええええええええッ!!!!』

 

そしてオータムの打鉄の、両肩、両足から膨大な量のミサイルが発射され、

白い噴煙の弾幕が壁のようにまとまって一夏めがけて飛来した!

しかし一夏はその壁さえ突き破るかのように、瞬間的に最大速度まで加速。

空気の壁が破れ、ソニックブームと呼ばれる大音響が発生、

軽く音速を超えているのは見て明らかであろう。

 

ミサイルに迫った時、光り輝く右手を肩から勢いをつけて突き出すと、

右手から放射状に発するオーラが迫るミサイルを全て粉砕する。

無傷で弾幕を突っ切ったその光景に、食堂内の全員が唖然とした。

 

『そ、そんなのアリかあああああああああああああああッ!!!』

『食らえええええええ!!!! ひィィィッさああああああああああっつッ!!!!』

 

一夏のISの光って唸る右手が、打鉄の腰部にめり込み、

 

『 シ ャ ア ア ア ア ア イ ニ ィ ィ ィ ン グ ゥ ウ ! ! !

 

  フ ィ ン ガ ア ア ア ア ア ア ア ア ア ア ア ア ッ ! ! ! ! 』

 

余りにも音量の高い、指向性マイクに通せる音声の許容範囲を上回る一夏の咆哮。

体をくの字に曲げたオータムが一夏の突進を受けて

そのまま体を地面に擦らせながら盛大に吹き飛ばされる。

 

「うおおおおおおおおおおおおおお!!!」

「すげぇ!! やるじゃねえかあの坊主!」

 

歓声に包まれる食堂内。 客達は興奮の余りテーブルから総立ちになり、

中には腕を上げて一夏にシュプレヒコールを送る者まで現れた。

 

『男が偉いか女が偉いか……そんな事はどうでもいい。

           誰 が 強 い か だ ッ ! ! 』

「い、一夏さん……」

 

漢(おとこ)らしい決め台詞と共に打鉄のコアをもぎ取る一夏に、

両手を合わせ頬を赤く染め、蕩けた熱い目線を送るは蘭であった。

 

(素敵……やっぱり私、一夏さんが好きかも)

 

2年前の一夏の転校もとい武者修行の旅に出られて以来、

後を追えなかった蘭の初恋は涙ながらに終わってしまったが、

その2年後の現在、こうして改めて彼の姿を

しかもISを駆り悪辣な犯人を圧倒するその勇姿を見せ付けられ、

再び彼女の恋心に火がついてしまった。

初恋は実らないと言うが2度目ならその限りではない。

蘭は鼻息を荒くして、両手はガッツポーズを作っていた。

 

「なんだ? おめぇら何騒いでんだ?」

 

中華鍋の火を切り、厨房から厳がこりにこった両肩を回しながら出てきた。

 

「おじいちゃん!! 一夏さんよ!

 一夏さんがISに乗ってバスジャックの犯人をやっつけたのよ!!」

「ん~?」

 

画面内の一夏を指差してはしゃぐ蘭にせかされながら、

厳はブラウン管の映像を一瞥する。

 

「ほぉ……あの一夏がなあ」

 

地に伏せた敗者に目もくれず、淡い光を放つISコアを

適当に投げ捨てて、傷だらけながらしかし目は死んでいない、

悠々と歩く一夏の姿に厳は満足げに笑みを浮かべた。

 

厳は出来の良い孫娘である蘭を大層可愛がっており、

彼女に粗相を働く輩には問答無用で自慢の豪腕で鉄拳制裁を行うほどであった。

故に、2年前彼女の思いに何1つ気づかずに祖国を去り、

蘭を泣かせた一夏の事は正直複雑な思いを抱いていた。

だがこうしてテレビ越しに再び姿を現わし、修行の成果を遺憾なく発揮した

様子を見るや否や、心の中のつっかえの様な物は消えてなくなった。

 

厳には理解できたのだ。

一夏は漢(おとこ)を上げて帰ってきたのだと。

次に顔を見せようものなら1発殴って分からせてやるつもりでいたが、

どうやらその必要は無くなったと、万事納得した様子で頷いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「よぉし……こうしちゃいられねぇな」

「お爺ちゃん!」

 

蘭と厳は互いに目を見合わせて、

己のやる気を確認すると2人揃って弾の方を振り向いた。

蘭は恋の炎に、厳は漢(おとこ)気に満ちた目線を弾に送る。

種類は違えど、2人して瞳の中に炎を湛えるような熱気に弾はたじろいた。

 

(まずい、この眼(め)は……!!)

 

弾には幾許か経験があった。

血は争えないと言うか、2人は何らかのきっかけで心に火が灯ると

スイッチが入る……あるいはタガが外れると表現した方が適切なのか、

ペースが上がるのみならず、過剰なまでの大盤振る舞いをする事があるのだ。

それだけのスピードで作業できるなら客をさばく事に注力すればよいのに、

昔ながらの職人気質なのか、それらのモチベーションは

至れり尽くせりなサービスに向けられる為、今はまだお手伝い感覚で

腕前に関しては見習いに過ぎない弾にとって甚大な負担を強いられる事に繋がる。

既に結果は見えているものの、額からバンダナで吸い切れなくなりそうな程の

冷や汗を滝のように流しながら、弾は恐る恐る尋ねてみた。

 

 

 

しかし、その言葉が口に出る事は無かった。

 

「よし!! 一夏の活躍を記念して今日はおごりだッ!!

 野菜炒めは基本大盛りで行くぞ!! 弾、早く野菜を切れッ!!」

「…………はい」

 

予想的中。

弾が力なくうな垂れると、厨房に入っていった厳がすかさず

使い古しのお玉を弾の頭めがけて投げつけた!

鍛え上げられた腕から繰り出されるお玉の投擲は

年を感じさせぬ程の勢いで弾の額に命中し、思わず弾は転倒してしまった。

 

「漢(おとこ)なら返事ぐらいシャキっとしろや!!」

「は、はひぃ!!」

 

厳の叱咤に弾は慌てた素振りで返事すると、

祖父の後を追うように駆け足気味で厨房の暖簾を潜った。

 

(一夏ぁ……お前って奴はやっぱり罪な漢(おとこ)だぁ!!)

 

ブラウン管に映る中学時代の友人を恨めしく思いつつ。

 

 

 

 

 

 

                                 第2話に続く

 

 




以上を持ちまして、書き溜めていた未完小説『機動武闘伝Iストラトス』
の投稿を完了とします。
ここまで付き合って下さった皆様、本当にありがとうございます。
別で書いているロックマンXの壊れギャグ小説の執筆に戻りますが、
そちらも応援してやっていただけると幸いです。


それでは、次の作品でお会いしましょう!
では!


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
一言
0文字 ~500文字
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10は一言の入力が必須です。また、それぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。