ゆかりんの幻想的日常記 (べあべあ)
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1話 割と困ったちゃん

 春の陽気の中、趣のある日本家屋が一軒あった。

 その家屋は八雲紫の住処。その在り処はそこに住むものしか知らない。

 つまるところ、八雲紫とその式である八雲藍の二者しか知るものはいない。

 

「……藍? いる?」

 

 紫はそろ~っと縁側から上がったのち、きょろきょろと見回した。

 

「いない? ――そう、いないみたいね」

 

 紫は頬を緩め、ほっとため息をついた。

 猫背気味になっていた背を真っ直ぐにすると、小ぢんまりとしたお座敷の中央にあったちゃぶ台のそばに腰を下ろした。女の子座りというやつである。そのまま、ちゃぶ台の上にあったせんべいを手を伸ばし、大口を開けて口に運んだ。

 バリバリとせんべいを食べ始めた紫は足りないものに気づいた。

 

「お茶がほしいけど、藍がいないわ。……まったく、あの子は何をしているのかしら」

 

 仕方ないから、スキマに手を突っ込んで四六時中お茶飲んでる巫女のあまり美味しくないお茶でもかっぱらうかなぁと思い始めた時だった。

 背のふすまが開かれた。

 

「紫様、お戻りになられていたのですか」

 

 見知った声だった。

 

「ええ、さっきね。それより藍、お茶ちょうだい」

「はいはい、承知いたしました」

 

 言葉遣いは気をつけてるくせに投げ槍な感じを隠さない式に、紫はちょっと不満を感じていた。

 お茶を入れに行くであろう藍の後ろ姿をちらりと見やると、藍はいつものふんわりとした道服ではなく、黒いスーツを着ているのが見えた。キャリアウーマンな感じの藍に、紫はくすりと笑った。

 常々思っていることだった。指示・命令されたものに対して思考を働かせるだけではなく、自分の意思で考え行動できるようになればと。何もかも教え導くのではなく、考える手間をわざと作ってあげるのも主の務めであろうと。従者の枠から抜け出してくれればなと。だから、お茶のひとつも任せているのだと。

 そう考えてると、いつもの道服に着替えた藍がお盆を持って戻ってきた。お盆を持っているせいか割烹着にも見える。

 

「ご苦労さま」

 

 紫はねぎらうと、はやる心でお茶を待った。

 ちゃぼちゃぼとお茶が注がれると、さっと湯呑みを手でかっさらった。醤油味のせんべいは喉が渇くのである。

 湯呑みを傾け、中の緑の液体をすする。香り高いお茶の風味と熱湯が紫を襲った。

 

「ぁちっ」

 

 紫は急いで湯呑みを置いた。勢いがついていたせいで、跳ねた熱湯が手に当たり、それもまた熱かった。

 

「――ちょっと藍、これ熱すぎじゃない?」

 

 ――これは一体何事か。

 

 眉をひそめ、当然の抗議をした。この従者は主人が猫舌であるのを充分に分かっているはずなのである。であるのにこのようなことをするのは、嫌がらせか謀反か謀反でしかない。この狐は、主人の胃袋を掴み信用させたのちにそれを利用し裏切るつもりなのである。つまりこの従者は狐ではない。女狐と呼ぶのがふさわしい。この女狐はあろうことか従者の枠を逸脱し、沸き立つ程の熱湯でもって主人に謀反を働いたのだ。許していいわけがない。

 紫は目を細くし、咎めるように藍を見た。

 すると藍は、反対に紫を非難するような目で見た。

 

「……紫様、もしや昨日のことを忘れたのではありませんか?」

 

 紫は目を丸くした。

 この咎人、いや咎狐はあろうことか私を非難する気であると。このようなことが許されていいはずがない。沙汰を下すのは私であり、ちゃっかりとせんべいを食べながらお茶まですすっている狐めがやっていいことではないのだ。

 

「お忘れのようなので、僭越ながら紫様の言葉を繰り返させていただきます」

 

 この澄ました従者の耳を引っ張り涙目にさせたところに、微弱の電気を自慢の尻尾に流してぼさぼさにしてやろうか、そう考えた。一日三回、必ず行う丁寧すぎる程の毛づくろいに、その尻尾がどれだけ気に入っているか当然知っているのだ。主人を舐めてはいけない。主人とは従者の全てを知っているものであるのだ。

 

「昨夜、紫様は私にとある雑誌を見せつけ『これによると、熱くないお茶はお茶じゃないらしいわよ。通たるもの、私も明日からは熱いお茶を飲むから、藍、お願いね』とおっしゃられましたが、よもやお忘れになられましたか?」

「――そ、そんなわけないじゃない。あぁ、あれねあれ、うん確かに言ってたわ。それでそれがどうかしたわけ?」

「……いえ、何も」

 

 そう言うと、藍はお茶をずずずっとすすった。紫もならって飲もうと湯呑みに触れたが、熱が湯呑みに伝わっており、とっても熱かったので行き場のなくした手を誤魔化すようにせんべいへと伸ばした。

 もっとお茶が欲しくなった。

 

「そういえば買ってきましたよ」

「え?」

 

 唐突に言われた言葉に紫は何のことか分からなかった。

 

「昨夜に紫様が――」

「あぁっ、あれねあれ。あれのことね、そう買ってきてくれたのね」

「今お召し上がりになられますか?」

「えぇ、そうね。そうするわ」

 

 藍はどこからか袋を取り出した。つるつるとした袋で、なんだか全体的に黒っぽく着色をされていた。上部に『ピザ○テト』と書かれてあった。

 紫はここにきてようやく昨夜の事を思い出した。

 たしかにその『ピザポ○ト』は私が食べたいと所望したもの。しかし、今ここで食べるには水分が足りない。いや目の前にお茶はある。だがしかし、まだ熱いというかあっつあっつなのは昇竜の如き湯気からして推測できる。だがしかし、ここでお茶を冷ましてもらうという選択肢は主人的にありえない。井戸から水を汲んでくるという選択肢もあるが、立ち上がりたくない。藍にやらせるか、それがいい、そうしよう。

 

「藍、私、水が飲みたいのだけど」

「水ですか?」

「えぇ、だって『ピ○ポテト』を食べるには、お茶は合わないと思わない?」

「確かにそうですね。ではこれは夕飯の後にまで取っておくことにします」

「いや、そうじゃなくて、お水が飲みたいのだけど」

 

 もう完全に『○ザポテト』を食べる気になったのに、夕飯まで食べれないなんてあまりにも非情ではないだろうか。

 紫は静かに憤った。

 藍のこのおこないは、腹を空かせ涎を垂らした飼い犬にエサを見せながらも『待て』を指示し続けるようなものではないか。これだから橙もロクに言うことを聞かないのではないだろうか。そうか、そうに違いない。しかしこの八雲紫は飼い犬ではない。しいていうなら目の前にいる藍がそうである。主人は誰か。

 

「ねぇ、藍。主人が水を飲みたがっている時、従者はどうするべきかしら?」

「申し訳ありません紫様。私には分かりかねます」

 

 この従者はこうやって察しが悪くなる時がままある。心情を察してほしい時は特に。

 

「水を飲むとき、必要なものは何かしら?」

「水を入れる容器でしょうか?」

 

 そうではない。

 飲み切ったのか、二杯目のお茶を飲もうとしている藍が恨めしかった。

 直接言うのは嫌だった。負けた気になるし、そもそも言わずとも主人の意を汲んでくるものが従者というものだろうに。

 

「……ところで紫様は私に何か言いたいことがあるのではありませんか?」

「っえ、別にそんなことはないわっ」

「そうでしょうか? ――本当にそうでしょうか?」

「……もしかしてさっきの聞いてた?」

「さっきのとは?」

「いえ、聞いてないのならいいわ」

「では私が聞いていなくてもよろしいことなのですね」

 

 藍は念を押すように言った。暗に手伝わなくてもいいのかと言っている。

 

「もしかしたら聞いておいた方がいいかもしれないけども、絶対というわけでも……」

「紫様、はっきり申しあげます。今度は何をやらかしたのですか?」

「や、やらかしたって、そんな言い方を主人に対してする?」

「私は紫様の式です。私は紫様の為に在るのです。それで紫様は何をやらかしたのですか?」

 

 藍の強い視線を避けるように紫はうつむいた。

 しかし意を決めなければならないことは重々に分かっていた。

 

 ――仕方ない。

 

 紫は意を決め、口を開いた。

 

「実は――」

 

 言い終わると、居心地が悪くなったお座敷から紫は立ち上がった。その後、どうせ立ち上がったのだからと井戸に水を飲みに行った。喉の潤いを感じると、まだ『ピザポテ○』を食べてないことに気づいたが、藍に会うのは気が引けたので夕食まで我慢することにした。




といった感じで紫ちゃんが打ち明けた話をいくつかやっていく予定です。

人称を混ぜていきたい。


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2話 故に、最強

 勇気を出して部屋に戻った紫は、せんべいを食べていた。

 水を飲み、喉は潤った。

 万事OKである。

 紫はそう思いたかった。いや、そう思う予定だった。藍がいそいそと外に出るような支度をしていない限りはそうだった。

 何かを訴えるがごとく、目に入る範囲で準備をする藍に、紫はだんだん腹が立ってきた。

 

 ――いったい何なのだ。

 

 当てつけなのか。そうなのか。

 そうやって紫の内の何かが沸き立ちかけた時、ある不安がよぎった。

 

 ――まさか家出とか?

 

 色んなものが一気に引っ込んだ紫は、おそるおそる聞いてみた。

 

「……藍、どこかいくの?」

 

 うかがう様な紫の視線に、藍は冷たく返した。

 

「――紫様の後始末に行くんです」

 

 視線だけでなく、声まで冷たかった。

 

 ――これはいけない。

 

 上下関係はきっちりさせなければ。しかし、よくよく考えるとこれは藍が代わりに全てやってくれるということかもしれない。持つものは優秀な式。主人としても鼻が高いといえよう。

 

「じゃあ、あなたに任せていいのね」

 

 ぬるくなったお茶をすすりながら紫はそう言うと、だらりと背を倒して寝転がった。一安心といった感じである。

 藍は紫にずずっと近寄った。

 

「……ゆかりさま? 一緒に、協力して、共同で、ことにあたりましょう」

「え、でも……」

 

 面倒くさい、それはギリギリ呑み込んだ。

 

「『でも』ではありません。先ほど紫様はなんとおっしゃいましたか?」

「ポテチ?」

「違います」

「じゃあ、あの、……アレがアレした感じのやつ?」

「意味が分かりません。そうではなく、『カリスマがあべこべになった』の件についてです。――これは早急に対応しなければいけません。これが事実ならば幻想郷内のパワーバランスが崩壊してしまいかねない案件です」

「その時は霊夢でも使って解決させればいいじゃない」

「あの春っぽい巫女は異変にならないと動きません。我々は異変になる前に手を打たなければならない、そうではありませんか?」

「……一理は、あるわね」

「百理くらいあります。このままでは下剋上が流行り、幻想郷内に戦国時代が訪れてしまうことになりますよ」

「戦国、紫の野望ってわけね。面白そうじゃない」

「何言ってるんですか。パズルゲーム以外は不得意でしょう」

「藍こそ何言ってるの? 私はこの間アクションゲームでボスを倒したばかりよ。貴方も見てたでしょう?」

「ええ、見ていましたよ。せがまれましたからね。しかし紫様、あれはボスには違いありませんが、あれは序盤も序盤、いってみればルーミアみたいなものです」

「何がルーミアよ。私はあれを倒すのに三日かかったのよ。ルーミアみたいなもののわけないわ」

「残念ですが、あのボスは橙が一時間で倒していました」

「あなたの式はゲームの才能にあふれてるのね」

「――いいからさっさと出発しますよ」

 

 この冷たさはいったいなんなのか。紫は思わずそう思った。確かにやらかしてしまった責任はあるのかもしれないが、藍は式である。主人にもう少し優しくできないものか。

 紫はあれこれとグチグチ言いながら、幻想郷の上空まで連れられてきた。

 幻想郷はまだ昼過ぎといったところ。周囲はたいへん明るく、紫はスキマから日傘を取り出した。帰りたかった。

 寝起きのように目を細め、だるそうにしている紫に、藍は逃がさないと言わんばかりに近寄った。

 

「まずはどこから行きましょうか?」

「……霊夢のところ、かしら。あの子に何かあってたとしたら色々と面倒だし」

「さすがは紫様。では、博麗神社へ向かいましょう」

「ええ」

 

 紫はスキマを作った。

 紫が中へ入ろうとすると、藍に引き留められた。

 

「紫様、この度は調査も兼ねていますので、飛行していきましょう」

 

 面倒とか面倒とか面倒とか、色々思うところがあった紫だが、『さすがは紫様』と言われたこともあり、従者の意見にも耳を傾けることが出来る器量を優先した。

 神社までの道のりは、『さすがは紫様』という音声を脳内で何度もリピートさせながらのものになった。例え棒読みっぽくても、嬉しい者は嬉しいのである。

 それはともかく、上空から見下ろす幻想郷の風景に特に変わったところは見当たらなかった。案外問題なかったんじゃないのかと思い始めてきた紫である。

 見えてきた神社もどことなく春っぽい感じがした。

 パッと見たところ、人の姿がなかった。

 

「中かしら?」

 

 霊夢は境内でホウキを左右に動かす運動をしていることが多い。落ち葉なんかは隅にやっときゃ目立たないの精神である。気になるくらいに溜まったら、どこぞの天狗をしばきたおして風をおこさせ集めさせ、その後魔理沙がどっかの姉妹から頂戴してきた芋を使い、魔理沙が八卦炉で火をおこし、魔理沙が芋を焼く。やきいも美味しい。

 紫は中へと入った。

 昼過ぎであるが、あの巫女は寝ているのかもしれない、紫はそう思った。

 

「れいむ~? あ、いた」

 

 布団の中で涎を垂らしながら、ぐっすり熟睡している巫女を見つけた。

 半ばあきれながら、紫は布団を剥ぎ取った。

 

「霊夢? 起きなさい」

 

 霊夢の目がぼんやり開いた。

 

「……ぅん? 紫? ……何か用?」

 

 霊夢の目はトロンとしていて、全体的に締まりがなかった。

 

「……もうお昼の時間よ。たるんでいるのではなくて?」

 

 のそのそと起き上がった霊夢は、ぐぐっと背伸びした。

 

「いいじゃない。平和なんだし」

「平和であるということは、平和でなくなるということもあるということよ。あなたは博麗の巫女、そこを忘れてはいけないわ」

「うっさいわね。別に忘れてなんかいないわよ。ただ良い陽気でしょ? どうせ起きてても昼寝するんだから、起きなくても同じじゃない」

 

 たしかにもっともかもしれない。そう同意しかけたが、後ろから狐の鋭い視線が刺さったので話を進めた。

 

「貴方、何か変わったことはない?」

「別に何も変わらないけど? 見てのとおりよ」

「……そのようね。邪魔したわね」

「――え、もう行くの?」

「やることがあるのよ」

「あっそう。何かあったら言いなさいよね。私は博麗の巫女なんだから」

「はいはい、言われなくてもそうするわ。――それじゃあね」

 

 紫は神社を出た。

 付き従う藍に、紫は振り返った。

 

「とりあえず霊夢には異常がないみたいね」

「そのようですね。少しは異常があった方がいい気もしますが」

「それは、……今はいいわ。――それより、霊夢の様子を見ての私の推測なんだけど」

「はい」

「異変が生じた者はおそらく、カリスマが際立った者が影響を受けている。そう考えられるわ」

「さすがは紫様。ご明察かと」

 

 紫の鼻が高くなった。

 実際は、自分のやらかした事なのでおおよそのことは分かっているだけでもある。

 

「では、まずはどこへ向かいましょうか」

「え? そんなの適当に飛んでれば何かにあたるんじゃないの?」

 

 藍が何か残念なものを見る目で見てきた。

 

「……紫様」

 

 気まずくなった。

 紫は無言で適当な飛行を開始した。

 適当な飛行といえども、八雲紫という存在はかなり目立つもの。人里を歩けば、口には出さないものの多くの人間が「あ、八雲紫だ」「今度は何しに来たんだろう」などと思うのである。彼女の余裕気な笑みは何か裏を感じさせるし、何よりあの美貌である。

 おしゃべりで、胡散臭い。そんな印象の八雲紫であるが、嫌われているわけではない。

 当然、人里人間等関係なく、そのへん飛んでるだけでも目立つ。

 紫に寄ってくる者がいた。

 緑の髪の妖精。

 他からは大妖精と呼ばれている存在である。

 

「――あ、あのっ」

 

 大妖精は、緊張したおももちで紫に声を発した。

 それに対し紫は、余裕のある態度で対応した。

 

「何かしら? おおかたの想像はつきますけれど」

「――はい。あの、チルノちゃんが、えっとその……」

 

 言いよどむ大妖精、紫は察した。

 

「実際に見た方が早いようですわね」

「助かりますっ」

 

 急ぐ大妖精に案内され、霧の湖までやってきた。『霧の』というだけあって、霧が立ちこんでおり視界はすこぶる悪い。とはいえ妖精や妖怪にとってすれば、さほどのことではない。

 

「冷えるわね」

 

 紫の帰りたい度がぐんと上がった。

 春のうらら、家が恋しくなった。

 しかし、藍の一言で現実に戻された。

 

「紫様、あれを――」

 

 藍が指した先には、大きな氷柱に囲まれた氷の妖精がいた。

 チルノである。

 視線が交差した。

 

「ほう、我に仇成す者か。それとも我が軍門に下るか?」

 

 腕を組み、のけ反りながら、氷の妖精チルノは「フハハハ」と高らかに笑い出した。

 

「紫様」

「――分かっているわ」

 

 状況は良くない。二人ともそう判断した。

 冗談のつもりが本当に幻想戦国時代になりかけている、そう思った。

 止めるには、まずここでチルノの野望を砕かねばならない。

 藍が紫の前に出た。

 チルノは値踏みするような視線を藍に送った。

 

「まずはうぬか。冬眠程度には加減してやろう」

 

 明らかな挑発に藍の目が細まる。

 強い妖力が藍から発せられ、九つの尻尾がふわりふわりと怪しく揺らめき始めた。

 それを見るチルノに、恐れの表情はない。

 

「中々だと褒めてやらんでもない。だが、最強たる我が力には及ばないようだな」

「――何だと?」

 

 妖精の分際で口がすぎる、藍は牙と共に敵意をむき出しにした。

 藍の力は間違いなくトップクラスである。それを実際に感じているはずなのに、恐れのひとつもないというチルノに紫は疑問を持った。

 とても強がりには見えない。

 

 ――これは良くないかもしれない。

 

 紫は藍に近寄り、藍の肩に手を置くと、

 

「――ここは私がやるわ」

 

 交代を告げた。

 

「しかし、紫様!」

 

 抗議の意を込め、藍は紫を見た。

 藍が見た紫は真剣そのもので、管理者の顔をしていた。

 藍の忠義が意思をしりぞけ、頭を垂れさせた。

 藍が後退すると、紫は日傘をスキマへと収納し、代わりに扇子を出した。

 扇子を広げ、悠然と微笑みながら、ゆるやかに扇ぐ。

 

「存在の枠を超えてしまうのはいけないことよ。境界からはみ出してしまえば、それは貴方を不幸にすることになる。それすらも分からないようなら、一度消えてしまうのもいいのかもしれないわね」

 

 扇子に描かれた黒い蝶が怪しげに揺らめいた。

 それでも、チルノの態度は変わらない。

 

「――問答はいい。我、最強。真理はそれのみ」

 

 紫の最後通牒を受け取ったチルノは闘志をむき出しにした。

 紫は氷の妖精を見やると、酷薄な表情で妖力弾を放った。

 

 ――情報収集。

 

 紫はチルノをそういう対象で見た。

 紫の放った妖力弾は、以前のチルノがぎりぎり当たるレベルに加減されたものだった。

 チルノは迫り来る妖力弾に対し、余裕をアピールしながら左へと避けた。が、ぎゅるんと曲がり、霧を散らしながらチルノを追尾しはじめた。

 チルノは自分の中の最高速度で辺りを飛び回り、追尾から逃れようとしたが、いかんせん妖力弾の速度が速く、振り切れそうになかった。

 チルノは対処の仕方を変えた。

 身を反転させ、向かい撃った。

 

「我、最強! 故に、――最強っ!!」

 

 チルノが眼前にまで迫った妖力弾を打ち落とそうと、力を溜めた時、妖力弾は即座に反応、加速し、チルノの抵抗を許さず、その身に到達した。

 

「ふ、不覚――」

 

 チルノはその一撃で沈んだ。

 紫は二、三度、目をぱちくりさせた後、後ろへ振り返った。

 

「……どういうことかしら?」

 

 傍観の立場にあった藍はその答えが出ていた。

 

「カリスマ”だけ”あべこべになった。そういうことだと思われます」

「……そうみたいね」

 

 本当は、即座にその答えを導きだした紫であったが、認めたくない心がその答えを拒否した。だが、超高性能な頭脳をもつ紫は否定できないでいた。望みをかけて藍に問いかけてみたが、やはりその結果は変わらなかったのだ。

 何ともいえない表情で固まったの紫に対し、藍は解決を急いだ。

 

「紫様――」

 

 紫はそれだけで理解した。

 

「分かっているわ。手分けした方がよさそうね」

「はい」

「私は力の強い方を回るから、あなたはああゆうのをお願い」

 

 紫は湖に沈んだチルノへと視線を向けた。

 まったく無駄な苦労をしてしまった。紫はこれからの苦労も考えると肩が重くなるのを感じた。

 

「まったく――」

 

 一体誰のせいでこんな面倒ごとに。そこまで考えると、紫の超高性能な頭脳は、わざとらしくその機能を停止した。

 

「……このまま帰ったら、ご飯抜きかしら?」

 

 誰かにたかろうかと思ったが、ご飯を用意してくれそうなのが霊夢くらいしかいなかった。さすがの紫もそれはためらった。

 やはりたかるのなら、金持ちからである。

 ちょうど近くであるし、そう決めた。

 妖精が増長するくらいであれば問題ないが、逆であれば本当に下剋上がおきてパワーバランスが崩れかねない。

 開いたスキマの先を我が家にしようか本気で迷ったが、覚悟を決め紅魔館へと繋いだ。



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3話 黒白には染まらぬ忠義の色

 ――いきなり会うのもなんだか怖い。

 

 大妖怪なはずの八雲紫は、ご丁寧に門の前にスキマの出口を作り、そこから体を出した。

 西洋調の門の前に想定の人物が立っていた。

 門番、紅美鈴である。

 目が合った。

 美鈴は頭を下げ、中へ誘導するように手を動かした。

 何かを察したような美鈴に、もう帰りたくなる紫だったが、ここまで来て引き下がれない。

 足を進める。

 通り過ぎざまにちらりと美鈴の顔を確認すると、えらく真面目な顔をしていた。

 さらに帰りたくなった。

 ここの門番はシエスタ仲間だったはず、――過去にあのような表情だったことは……。

 紫はちょっとブルーになった。

 嫌々ながら大きな扉を押す。

 中には誰もいなかった。

 

「さて、どこへ向かったものかしら」

 

 扇子を取り出し、口元に当てる。

 

 ――こっそり帰れるのではないだろうか。

 

 先ほどの門番の感じだと、ここの当主に会う必要があるみたいだが、この館の構造を把握していないので迷った。ここの当主は複雑な上、よく構造をいじる。

 

 ――迷ったことにして帰れるのではないだろうか。

 

 そうやって考えているうちに、人間のメイドがやってきた。

 なんか損した気分になった。

 

「――お嬢さまの元まで案内いたします」

 

 こちらの返答の前に、背を向け歩み始めたので、ついていくしかなかった。

 

 ――急用が入ったことにすれば帰れるのではないだろうか。

 

 なんてことを考えながら、むやみに広い館をしばらく歩いていた。

 やがて、メイドの足が止まった。

 メイドは振り向くと、頭を下げた。

 

「あまり刺激されないようにお願いします」

 

 意味が分からなかった。分かりたくなかった。

 目の前の扉がやけに大きく感じた。

 ここに来る前の道のりを思い返した。

 門番の真剣な様子、瀟洒なメイド。

 

 ――あら?

 

 下剋上の雰囲気が見えない。これは口八丁でうまいこと乗り切れるかもしれない。

 紫は扉の取っ手に手をかけた。

 品のある一室が紫を出迎える。

 

「おや、何やら珍しい客じゃないか」

 

 当主は記憶通りの姿で、豪奢な椅子に座っていた。いつも通りのくそ生意気な感じで、偉そうにこちらを見ている。

 

「うちに何用かな? お前がやってきたということは何かあるのだろう? ちょうど退屈していたところなんだ」

「……まぁ、そうね」

 

 八雲紫の奥義。適当に濁らせて誤魔化す。

 胡散臭い雰囲気も相まって超がつくほど効果的である。

 

「して、それは余興くらいにはなるのだろうな?」

 

 あごを撫でながら、クツクツと笑う紅魔館の当主レミリア・スカーレット。

 威厳と畏怖を感じさせる雰囲気に、紫は良い対処法が浮かばなかった。

 ちらり、後ろを見るとメイドの十六夜咲夜が目を伏せているのが見えた。

 

「その前に、お宅のメイドさんを少し借りてもいいかしら?」

「ん? あぁ、別に構わんよ」

 

 紫は、部屋を出た。

 扉をきっちり閉めると、一緒に出てきた咲夜に言った。

 

「何かそこまで変わってない気がするのだけど」

 

 咲夜はあからさまに驚いた表情をした。

 

「大きく変わっております。――お気づきにならなかったので?」

 

 そう言われると気づかなかったとはプライド的に言えない。

 紫は今のレミリア、昔のレミリア、それぞれ思い浮かべ、その違いを探った。

 

「……髪が伸びたとか?」

「ちゃんと見ました?」

「……えぇ」

 

 ぶっちゃけ分からない。

 もうどうでもいいからさっさと終わってほしくなった。

 

 ――やはり適当に誤魔化すか。

 

「私の前だとあのような感じだった気がするわ。霊夢の前ではもう少し面白味のある感じだった気もしなくはないけども」

 

 普段一緒にいると微細な変化でも感じれるもので、咲夜は、もしかしたら紫は何も理解出来てないのではと疑い始めた。

 

「……いつものお嬢様なら誰もいなくなった後にカップを落としたり、何もないところで転んだりしています。しかし、今のお嬢さまはそのようなことはめったにありません。すぐさま分散してしまわれる集中が、ちゃんとあるべきところに向かっています」

「いいことじゃない」

「そうではありません。そうでは……」

 

 渋顔で唇を噛む咲夜。

 紫は、よく分からないままだが少し気の毒になってきた。

 

「……もう一度話してみるわ」

 

 紫は重く感じる扉を開けた。

 

「――待たせたわね」

 

 レミリアはちらりとだけ視線をやった。

 

「構わんよ。それで私に聞かせてくれる話というのは?」

 

 流し目のまま口角を上げたレミリアは中々にさまになっていた。このままなら、求聞史紀のレミリアの欄にカリスマの四文字が記載されるであろうほどに。

 方針はもう決まっている。

 紫は扇子を広げ、口元を隠すとふふっと笑った。

 

「隠しておいた方がいいかもしれませんわね」

「ん?」

「勘の良い貴方なら理解できるのではなくて? 知ってしまうということの弊害を」

 

 レミリアはあごに手を当てて考えるそぶりを見せた。

 

「これから先に起こることを知らないでいる方が楽しめる、そういうことか?」

「えぇ、さすがですわ」

「そうか、それなら仕方な――」

 

 やった! 上手くいった!! そう思った紫だったが、そうは問屋がおろさなかった。

 バンッと盛大な効果音がレミリアの言葉をさえぎった。

 音の方向へ視線をやると、紅白の巫女、博麗霊夢がいきり立っているのが見えた。

 

「紫、あんたもいたのね。まぁ、それはいいわ」

 

 霊夢が紫からレミリアへと視線を移すと、顔を険しくした。

 

「で、あんたは何のつもり?」

「さて、何のことかな?」

「赤い霧のことに決まってんでしょ。それだけじゃない、各地で阿保共が何か異変起こしてるみたいだし」

 

 紫は目をまるくした。

 

「え? 霊夢、それ本当?」

「なんであんたは知らないのよ。知ってるからこそここにいるんじゃないの?」

「私は何か起きる前に来ただけよ」

 

 紫は焦った。後で絶対藍に小言を言われてしまう。

 

「――とにかく退治するから、行くわよ紫」

「え、私も?」

「何言ってんの当り前じゃない」

 

 扇子で隠して周りには見えないが、その内の口元は下がりに下がっていた。

 気が進まない。気が進まないったら進まない。

 しかしどう見ても両者ともやる気満々だった。

 

「霊夢、私もやるわ」

 

 後ろで控えていた咲夜が前に出てきた。

 

「はぁ? なんであんたが?」

 

 ――何だか分からないけど、これはしめた。

 

「それじゃあ、私は見学してようかしら」

 

 わざと怪しげに笑いながら距離を取った。

 霊夢は不満気にため息をつくと、レミリアへと向き直った。

 

「もう面倒だからさっさと終わらせるわ」

 

 それを見るレミリアの表情は、いまだ余裕然としていた。

 

「もういいのかい? しかし、まさかお前がそちらにつくとわね」

 

 紅い眼光が咲夜を射抜いた。

 咲夜も怯えを見せることはなく、軽く頭を下げたのち自らの主を見返した。

 

「――申し訳ありません」

「いや、これもまた面白い。飼い犬に手を噛まれるというのも悪くない。怒っては無いが、お仕置きは必要だな」

 

 咲夜はナイフをレミリアへと突き付けた。

 

「これは私の忠節の証。死ぬまで変わらないお嬢さまへの敬愛と敬服をこの場にて示しましょう」

 

 レミリアは口をつり上げた。嬉しくて堪らないような笑みである。

 

「今夜も楽しい夜になりそうね」

 

 まだ昼である。

 しかしこの狭い部屋で、いや部屋自体は広いが戦闘するには狭いといえる部屋で、一体どう戦うのだろうか。

 紫は妙案を思いついた。

 人間二人が頑張ってる隙をついて、スキマをアレしてレミリアに触れ、アレをアレすれば元に戻るんじゃないか。

 

 ――さすが妖怪の賢者。賢い者と書いて賢者。さすがだわ。

 

 紫が自画自賛うちに、戦闘は白熱してきた。

 霊夢と咲夜の即席のコンビはそれなりに上手く機能していて、レミリアを回避に専念させれていた。そもそもレミリアの機動力を生かすには空間的制限が邪魔をしていた。レミリアは部屋の家具等をふんだんにつかい、テーブルをかち上げ盾にしたり、シーツやカーテンを切り裂き敵の目をあざむいたりと上手いこと避け続けていた。

 楽しい夜(昼)というハンデもありながら、それら全てをふくめて楽しんでいた。楽しみが強まれば熱中となり、熱中が強まれば盲目となる。

 紫はチャンスの到来を悟った。

 隠すために自身の後ろにスキマを作り、右手を突っ込んだ。

 そして霊夢と咲夜の攻撃からレミリアの回避位置を推測し、その地点にスキマを繋げ、回避してきたレミリアにタミングを合わせた。

 触れた。

 突如肩に触れられ、レミリアは何事かと肩を凝視したが、間もなく気を失い倒れた。

 

「――お嬢様!」

 

 咲夜が即座に駆け寄った。

 色々察した霊夢は、ジト目で紫を見た。

 

「……手を出すならはじめからそうしなさいよね」

 

 霊夢は紫に詰め寄った。

 

「分からないからこそ効果があるのよ」

「そんなんだから胡散臭いとかいわれるのよ」

「はいはい」

 

 紫は、寄ってきた霊夢の頭を撫でたが、すぐさま払われた。

 

「つれないわね」

「うるさいわね。まだ解決してないんだから、さっさと行くわよ。まさか行かないとか言うんじゃないでしょうね?」

 

 もちろん言うつもりだった紫。

 先手を取られて、言葉を失ってしまった。

 誤魔化すために視線をずらすと、ちょうどレミリアが上半身だけ起こしたのが見えた。

 

「…………」

 

 その状態のままレミリアは部屋を見渡すと、ぽかんと口を開けて固まった。

 

「……なんでこんなになってるの? お気に入りの家具がなんかぼこぼこなんだけど」

 

 咲夜は安堵した表情でレミリアの背をさすった。

 

「ていうか霊夢じゃない。どうしたの? 珍しいじゃないうちに遊びに来るなんて」

 

 元気な笑みのレミリアを見た霊夢は、紫の手を引っ張った。

 

「ほら、行くわよ。まだたくさんあるんだから」

 

 話の流れがレミリアにはさっぱり分からない。しかし、持ち前の勘の良さでぼんやりと理解した。

 

「何だか分からないけど面白そうなことしてるんでしょ。私も行くからちょっと待って、っあ――」

 

 勢いよく立ち上がったレミリアは誤ってスカートを踏んでしまいその場にべちゃっと倒れた。

 レミリアが顔を上げると、霊夢と紫は立ち去っていた。

 

「ぁえ? なんか普通に置いてかれたんだけど……」

 

 咲夜はレミリアの小さな手を掴んだ。

 

「――死ぬまでついていきます」

「え? あ、うん」

 

 その後、霊夢と紫は異変解決の為に各地を飛び回った。

 全てが終わるころには夜になっていた。

 異変が終わればとりあえず宴会である。

 紫に霊夢、異変と知るや即座に駆けつけ藍と行動を共にしていた魔理沙の四名で、小さな宴会を開いた。

 すっかり出来上がった霊夢は、高らかに盃を掲げ、

 

「まだまだ飲むわよぉ!」

 

 と、宣言した。

 赤い頬の霊夢は紫にもたれかかる。

 

「霊夢、ほどほどにしとくのよ」

「うるさいわねぇ。こんなに良い酒隠し持っといて、ケチケチすんじゃないわよ」

「まったく、その通りだぜ」

 

 魔理沙はぐぐっと酒を喉に流し込んだ。

 これから幻想郷中から様々な人と妖怪と酒が集まってくる。小さな宴会もいずれ大きくなり、歌え踊れやの大騒ぎ。沸き立つ心を酔いに乗せて、息を吐く。

 幻想の夜はまだまだこれから。




ゆかれいむゆかれいむ


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4話 みすたーど○らー

どっかのコアラのマスコットではありません


 紫は居心地が悪かった。

 部屋の隅で藍をちらちらと見ている。

 先ほど言った、「実は、――ちょっと歯が痛い的な感じみたいな……」という言葉を発した時の藍の冷めた眼のせいである。その後食べた夕食もロクに味がしなかった。歯が痛いからなのか、それとも藍の視線のせいなのか。ともかく味がしなかった。

 

「はぁ……」

 

 藍のため息。

 紫の肩がビクッとなった。

 おそるおそる藍を見ると、目が合った。

 世界の終わりを悟った。

 

 ――さようなら幻想郷。

 

「……ゆかりさま?」

 

 昔の記憶が流れ出す。

 まだ小さかったころの藍。

 何するにしても後ろをついてきていた藍。

 与えた試練を達成して嬉しそうに報告してきた藍。

 冬は暖かい藍。

 走馬燈。

 

「――ゆかりさまっ!」

「っな、なにかしら?」

「……先ほど予約入れておきましたので、その日は空けておいてくださいね」

「え? 予約?」

 

 なんのこっちゃ意味が分からない。

 だが本能で察した。

 分かりたくないもの。

 

「歯医者ですよ」

「は、歯医者!? い、嫌よ!」

 

 冗談ではない。

 

「それではどうなされるつもりですか? ずっとそのまま放置するつもりで?」

「そ、それはっ」

「とにかくもう予約入れておきましたので、お願いしますよ」

「え? それって私に一人で行けってこと?」

「私が付き合う必要もないでしょう」

「いやいやいやいや、あるわよ。大いにあるわよ!」

 

 慌てて詰め寄る。

 

「考え直すべき、そうでしょ?」

「紫様もいい大人なんですから、歯医者くらい一人で行ってください」

 

 藍の視線が白い。

 

「そ、そんなこと言わなくてもいいじゃない。あのマッドサイエンティスト紛いのあの月の賢者とかいうやつなんて信じられないわ! 賢者とか名乗ってるやつにロクなやつはいないって私知ってるもの!」

「それは私もよく知っています。ですがあそこは歯医者ではなく、薬屋です。行くのは幻想郷の外の医者にですよ」

 

 そんなのは関係ない。

 歯医者に行くのを止めなければいけないのだ。

 

「あ、治るまでおやつ抜きですからね」

 

 止めが差された。

 

「え、えぇぇ!?」

「当然ではありませんか。これも紫様の身を想ってのことです」

 

 恥も外聞もない。

 紫は、藍に縋りついて懇願した。

 何とかして、この事態をどうにしかしなければいけない。

 

「……分かりました」

 

 九死に一生。

 

 ――助かった!

 

 そんな表情で、顔を上げる。

 

「どうしてもと言われるのなら、私も同行します」

 

 ――あれ? これ避けられないやつ?

 

 過去の経験的にそう判断するしかなかった。

 もう一度藍の表情を見た。

 固い。

 悟った。

 

「……分かったわよ。行けばいいんでしょ、行けば」

 

 言い切ったあと、紫は肩を落とした。

 

「……私が何をしたっていうの」

 

 

 

 

 

 

 ◇◆◇

 

 

 

 

 

 人目のつかない裏路地。

 空間に現れた謎の隙間から、二人の女性が現れた。黒スーツを着こなしたOL調の藍と、――幼女。

 道中。

 

「紫様。その姿はどうなんでしょうか」

「どうって何よ」

「ですから、その姿ですよ」

「いい大人が歯医者で泣き叫んでたらおかしいじゃない。貴方、そんなことも分からないの?」

「分かりますけど、分かりません」

 

 着いた。

 藍は、こめかみを抑えながら、歯医者の扉を開ける。はた目からは幼女とその親である。

 紫は待合室の椅子にぽんっと座った。椅子の質が良いためか、紫の小さな体がバウンドした。

 藍が受付を済ましている間、紫は何かないかときょろきょろと辺りを見回してみた。

 あった。

 紫は跳ねるように椅子から降りると、『ウ○ーリーをさがせ』とかいう本を取って来て、覗き込むようにしてそれを始めた。

 しばらくすると順番が回ってきた。

 

「八雲様~。診療室へどうぞー」

 

 紫はウ○ーリー探しをやめない。

 

「紫様、呼ばれましたよ」

 

 紫はウ○ーリー探しを。

 

「ゆかりさま」

 

 紫は。

 

「ゆかりさまっ」

 

 藍が紫の肩を揺らす。

 本を覗き込む紫の表情は真剣そのもの。

 しかし、瞳が固定されていた。

 

「いまさら往生際が悪いですよっ」

 

 と、ささやき声の藍。

 とはいえ、直前となれば怖いものは怖いのである。

 最後の抵抗。

 

「……八雲様としか言われないじゃない。別の八雲さんかもしれないわ」

「バッチリ聞こえてたんじゃないですか。受けつけの方は明らかにこちらを見てます。歯医者まで無理矢理連れてこられたあげく、今ここに来てまでぐずってる小さな女の子を見ているような目でこちらを見てますよ」

 

 紫が顔を上げてみると、受付の人の視線は確かにそんな感じだった。

 

「……行けばいいんでしょ、行けば」

 

 紫はふてくされたように椅子を立ち、歩いていった。

 診療室へ入ると、さっそく「キュイーーーン」とかいう音がお出迎えしてきた。

 

 ――し、新種のペットかしら?

 

 そんなわけがないことは分かっている。

 腰が引けた。

 

 ――やばい。やばいったらやばい。

 

 天を指さしサタデーナイトフィーバーしながらドリルをぶっ込んでくる竜宮の使いの一撃を口で受け止めるような所業がそこで行われていた。

 

 ――キャーナムサーン。

 

 違う。

 

 ――キャーイクサーン。

 

 そうだ、空気を読め。

 空気を読んで、実はコレ食べられるんですよとかいいながらドリルを食え。

 崖の上に立たされた気分に思考がイカレだした。

 

「はーい、こっちに座ってねー」

 

 助手っぽいのが地獄へとうながしてくる。

 その椅子、実は拷問器具ではないのか。

 座ったと同時にいきなり針が飛び出してくるような仕様だったり。

 

 ――もう嫌だ。帰りたい。だいたい私が何したっていうの。あ、チョコレート食べたい。

 

 でももう座るしかない。

 

 ――そい!!

 

 座ると、助手っぽいのが微笑んだ。

 椅子が後ろへ倒されていく。

 

「大丈夫。怖くないからねー」

 

 ――怖い。

 

「はーい口開けてねー」

 

 ――ここで私は終わる。

 

「あー、ここに虫歯あるねー」

 

 コツコツ。

 謎の器具で歯を叩かれる。

 

「あがっ、あがっ、あががっ」

 

 すごい響いた。

 

「はーいもういいよー」

 

 椅子が起き上がり、身体も起き上がる。

 

「それじゃ、すこし待っててねー」

 

 助手っぽいのがどっかいった。

 

 ――落ち着くのよ紫。賢い者と書いて賢者の八雲紫。ここが正念場よ。

 

 ドラミングするハート。

 左胸を押さえながら、うがい用の水を口に含む。

 がらがらいわせ、ぺっと吐き出す。

 

 ――口の中が紅魔館するよりだいぶマシ。

 

 気をとりなおす。

 

 ――そう、これ乗り切ればこの忌々しい虫歯とはおさらば。美しく残酷にこの口内から往ね!

 

 テンションが上がってきた。

 そんな時。

 

「嫌よ! なんで私がこんなところに来なきゃいけないのよ!!」

「静かにお願いします総領娘様。目立ってますよ」

「だってぇ!」

 

 聞き覚えのある声。

 

 ――いや、まさかね……。

 

 頭の中にとある人物が浮かぶ。

 しかし、考えている暇はなかった。

 

「――待たせちゃってごめんね。えっと、紫ちゃんだっけ? それじゃ始めよっか」

「え?」

 

 意識を遠くにやってた間に処刑人と見まごうような恐ろしい人間がすぐそばに来ていた。好々爺然とした笑みはきっと油断させてぱっくりと食べるためかもしれない。鬼だか巫女だか分からない人間もいるのだ。その類いであってもそう不思議はない。

 

「椅子を倒すよー」

 

 視界が天井の白に染まっていく。

 

 ――やっぱり私はここで死ぬのね……。藍、霊夢……、あとは頼んだわ……。

 

 目に柔らかな感覚。

 タオルをかけられたらしい。

 

 ――痛くない。痛くない。痛くない。

 

 いよいよ来た執行の時に備え、暗示をかける。

 

 ――ていうか痛いわけない。だって私賢者だもん。

 

 キュイーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン。

 聞こえてきた音に心が震える。

 ドラミングマイハート。

 ただただ時が過ぎるのを願った。

 死んだら幽々子に会いに行って慰めてもらおう。

 そう思うと、気にかかることが生まれた。

 

 ――ていうか幽々子ってあんだけ食べてるのに虫歯にならないっておかしくない? 亡霊だから? 亡霊だからなんないの? それってもう、逆に死んだ方がよくない? あの幽々子がマメに歯を磨いてるなんて思えないし。そうよ、私はここで死ぬのよ。逆に死にに来たのよ。虫歯を直すに見せかけて実は死にに来たのよ。だって私の隣には処刑人がいるもの。死神も真っ青な処刑人よ。白とか黒とかいって偉そうにしてる閻魔以上の存在よ。まさしく恐怖の権化。白黒? 虫歯のこと? そんな感じよ。

 

「終わったよー。よく頑張ったねー」

 

 ――え?

 

 目を覆っていたタオルが外され、視界が開ける。

 椅子が起き上がり、水の入ったコップを渡された。

 

「はい、うがいしてねー」

 

 おそるおそるコップを口に近づけ、水を口内に流し入れる。

 

 ――どういうことなんだろうか。……もしかして。

 

「……終わりなの?」

「うん、そうだよ」

 

 処刑人、――いや、先生の温かい笑みが見えた。

 心まで温かくなった。

 

 ――やりきった。

 

 感無量。ガッツポーズでも上げたい気分になった。

 

 ――もう最強。いや最高ね!

 

 宇宙規模の解放感に浸りながら立ち上がり、診療室から出た。

 目が合った。

 

「は?」

「え?」

 

 まさかの邂逅。

 

「あ、あんたっ! 何でこんなところにいるわけ!?」

 

 こちらの台詞とそのままいい返してもよかったが、全てから解放された紫は冴えていた。

 

「貴方こそ、このようなところでどうかしたのかしら? って、答えは一つしかないわよねぇ?」

 

 楽しくなってきた。

 

「はぁ? そんな訳ないでしょ。付き添いよ。あんたと一緒にしないでくれない?」

「ふぅん?」

 

 奥を見やるとゼ○シィを読んでる竜宮の使いが。

 確信した。

 

「どうやら私の勘違いのようでしたわね」

 

 適当に誤魔化し、あとからの楽しみを待った。

 自然と口角がつり上がる。

 先ほど聞こえてきた会話で、答えは知っているのだ。

 そんな時だった。

 

「てんこちゃーん」

 

 即座に意味が分かった。

 

「ぶふっ」

 

 思わず笑いが出た。

 天子の表情は、名前を間違われたためか、笑われたためか、これから先のことのためか、赤くなったり青くなったりした。

 

「それじゃ、頑張ってらしてね。てんこちゃん?」

 

 肩にそっと手を置く。

 

「っ!」

 

 睨まれた。

 涙目だった。

 紫の内に加虐的な愉悦が湧き起こった。

 天子の耳元で囁く。

 

「ここの先生のあだ名、知っていまして?」

「し、知るわけないでしょ?」

 

 怪しげな笑みを作る。

 

「――処刑人。そう呼ばれてましてよ?」

「う、嘘でしょ?」

 

 明らかな怯え。

 紫は、ちょっとかわいそうになってきた。

 

「窮すれば通ず。ま、案外どうにかなるものかも知れない」

 

 最後にくすっと笑い、「多分ね」と付け加えた。

 紫は実に満足した表情で、猫の写真集を読んで待ってる藍へと歩み寄った。

 

「終わったわよ」

 

 得意気な紫。

 藍が顔を上げる。

 

「そうですか。お疲れ様です」

 

 それだけ言い、藍は再び写真集に目を落とした。

 拍子抜けした紫は、妙な表情で隣に座った。

 

 ――なにか足りなくない?

 

 紫がちらっと視線を藍にやると、写真集にしか興味がないように見えた。

 戦地から帰ってきた主人に対してそれは冷たいのではないか。

 紫は即座に復讐を考え始めた。

 が。

 

「八雲様ー」

 

 受けつけから呼ばれ、藍がスっと立ち上がった。

 

 ――あぁ、もう思考が飛んじゃった。でもまぁ、あの小生意気な天人はいまごろ恐怖におののいてる頃だし。

 

 先ほどの天子の顔を思い出すと紫は再び嬉しくなった。

 今頃はもっと酷くなってるだろうと思うと、ニヤニヤが止まらない。

 そうこうしてる内に、藍が受付から戻ってきた。

 

「では紫様、帰りましょうか」

「ええ」

 

 ――まぁ、こういうのも悪くないわね。

 

 軽い足取りで、外に出た。

 外は明るく、人通りも多かった。

 自動車が行き交い、幻想郷ではまったく聞こえない音が周囲に響いていた。

 

「今度は七日後のお昼のようです」

 

 少ないながらも点々とある緑に目を細める。

 

「甘いものは控えるようにとのことです」

 

 それにしても自動車の音というのは声のような響きを持つらしい。

 

「紫様? 聞いてらっしゃいますか?」

 

 小鳥のさえずりだろうか。

 二度もあんなところに行けるわけない。

 きっと気のせいに違いない。

 

「藍? ――もしかして今何か言ってた?」

「七日後のお昼。甘いものは控える。以上です」

「幻聴かしら?」

「現実です」

 

 乾いた笑いがこぼれる。

 首を左右に振る。

 

「そんな現実、私は認めないわ」

 

 もう充分に頑張ったはず。

 紫は強い意志で否定した。

 

「あの天人がもう一度治療を受けた場合、どうされますか?」

「え?」

 

 なんのこっちゃ分からなかった。

 

「紫様が逃げたことをあの天人が逃げなかった場合、どうします?」

 

 ――なんとういうことだろうか。

 

 この従者は主人に対してこんなことを言うようになってしまった。

 

「逃げる、というのはいささかどうなのかしら?」

「と、いいますと?」

「だからあれよ、言い方よ」

「でしたら別の言い方をしますか?」

「そういう意味じゃないわ」

 

 察しが悪すぎる従者を持つと主人は困る。

 とはいえあの不良天人に負けるというのは嫌だった。

 

「……何時だったっけ?」

 

 藍は首を傾げた。

 

「だから、次の時間よ」

 

 苦虫をつぶしたような表情の紫に、藍は合点がいった。

 

「次は七日後の――」

 

 藍はほっと胸を撫でを下した。

 なにはともあれ、これで通院してくれそうだ。

 とはいえ、絶対に七日後も似たようなことになるであろうことは分かっている。藍は竜宮の使いに会えたことに感謝した。

 藍は街を見回した。

 プレゼントでも買っておこうか、そんなことを思いながら。




てんこあいしてる


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5話 幻想少女の密やか艶やか 神速うんちゃらカードプラクティス

「お邪魔するわよ~」

 

 スキマ妖怪は神出鬼没。

 これ幻想郷において常識である。

 

「ゆうか~?」

 

 太陽の畑にある家に出た紫は、上半身だけにょきっと出して、辺りを見回している。

 見えるのは簡素な家具類。

 

「いないのかしら?」

 

 左足、右足、スキマから足を出し、地に立った。掛け声の「よいしょ、よいしょ」も忘れない。そうした方がおちゃめ感が出るかもしれないと思い始めたが、今では無意識に出てくるようになっている。

 

「外かしら?」

 

 幽香は大抵、花を愛でているか、花を愛でているか、何かをしているか、である。

 紫が家の外に出ると、輝く太陽が目を襲ってきた。

 たまらず、スキマに手を突っ込み、日傘を出した。

 まともに目を開けれるようになると、太陽の畑と呼ばれる花畑が見えた。

 一面に黄金が茂る、向日葵の絨毯である。

 周囲には妖精たちが日向ぼっこをしていたり、遊び回っている姿が見られた。時おり、幽霊楽団のコンサートも開催されたりと、幻想郷の人気スポットの一つであった。

 

「ゆうか~?」

 

 見渡しても、向日葵ばかり。

 上は青天、中は黄金、下は翠緑。

 動きがあるものは、妖精と、妖精。そしてくるくる回る傘。

 

「いたいた」

 

 傘の持ち主はすぐに分かった。そしてその持ち主の機嫌が良いことも。傘をくるくる回している時は機嫌が良いときだった。ちなみに機嫌が悪いときは太陽の畑と称される理由が変わる。広がる向日葵を指すのではなく、怒れる劫火の陽炎的な意味で太陽の畑と称される。機嫌が良いといっても、良すぎるといじめられてしまう者が出るため、そのときも危険である。とはいえ命までは取られない。ノリで閻魔に喧嘩吹っ掛けたりもするが、あまり気にしてはいけない。

 とはいえ、それは風見幽香だけを指すわけではない。人智を大きく超えた大妖怪が機嫌が悪いというのはそういうことなのである。大人しく死んだふりをするか、逃げれるならさっさと逃げて巫女に助けを求めるのが吉。名の知れた妖怪は今代の巫女に退治去れた者ばかりである。つまり、みんな問題を起こしている。

 くわばらくわばら。

 

「――何してるの?」

 

 と、紫が後ろから話しかけた。

 幽香はしゃがんで地面を見ていた。

 幽香が振り返ると、若芽のように鮮やかな緑の髪が揺れた。

 

「あら、紫」

 

 幽香は向日葵の葉を優しく撫でた。

 

「この子の調子が悪そうだったから見てたのよ」

 

 紫にはいまいち違いが分からない。

 隣にはメディスン・メランコリーという生まれたばかりの毒人形がいて、幽香の動作を真似していた。

 紫を見たメディスンは、立ち上がって寄ってきた。

 知らない仲ではない。

 

「元気にしてた?」

「うん」

 

 頭を撫でると嬉しそうに目を細めた。

 まだ力を上手く制御できないメディスンは、基本的に誰かと触れ合うことが出来ない。毒を振り撒き、害を与えてしまう。しかし、大妖怪ともなればそれも問題無い。ついでに、太陽の畑の向日葵も問題無い。偉大なる幽香パワー。

 

「で、何しにきたの?」

 

 再度背を向け、花を愛でながら言う幽香。

 紫は不敵に笑った。

 

「もちろん、――決着を付けに」

 

 幽香は立ち上がり、空を見た。

 そのまま口をわずかに開け、

 

「そう」

 

 とだけ言い、家に向かっていった。

 紫はメディスンに目線を合わせた。

 

「あなたは妖精たちと一緒に遊んでなさい」

 

 メディスンの頬を撫でる。

 不安気に見つめるメディスンを優しく見つめ返した。

 

「大丈夫。何も問題ないわ」

 

 言い終わると、家へと向かった。

 家の中、紫と幽香は向かい合った。

 

「勝負内容は?」

 

 腕を組む幽香。

 

「決着をつける、そう言ったでしょう?」

 

 不敵に笑う紫。

 懐からカードの束を取り出した。

 

「それね」

 

 二人はテーブルへと移動した。

 幻想郷でカードといえばスペルカードであるが、紫が持っているカードはトランプと呼ばれるシロモノだった。

 紫は手品師のように、両の親指を擦り、トランプを広げてみせた。恰好つけるために練習を頑張った。

 

「で、またババ抜き?」

 

 前回はそれで勝負をして、幽香が勝っていた。圧勝だった。

 

「いいえ、――別よ」

 

 紫は二度とババ抜きはしないと神に誓っている。負けて悔しくて仕方がなかったので、トランプの入手先の誓った神である現人神と特訓した結果、こてんぱんにされたので諦めた。

 そして別のトランプゲームをこしらえてきた。

 恥を忍んで「私でも勝てるようなやつってない?」とまで聞いて教わったものだ。これで負けたら悲しすぎる。

 幽香とは、凧揚げやらコマ回しやらと、そういった遊びでクソ真面目に勝負し続けた仲である。決して負けられない戦いなのだ。

 

「今回はスピードよ」

「スピード?」

「ええ、教えてあげるわ」

 

 ――貴方を敗北させるゲームのルールをね!

 

 紫が表情に出すと、釣られたのか、幽香の笑みに凄味が出てきた。

 

「貴方、――またなってるわよ」

「あらやだ」

 

 幽香は頬に手を当てた。すぅっと凄味が引いていき、元の少女の微笑みに戻った。

 

「気を抜くと戻っちゃうのよねぇ」

 

 しみじみと言う幽香。

 紫は親しみの感じるため息を漏らした。

 

「でも、だいぶマシになったわよね」

「ええ。頑張ってるから」

 

 幽香の笑顔。努力のたまものであった。

 今でこそ花の妖怪なんてマイルドな感じになっているが、ひと昔は不吉の象徴のように扱われていた。妖精なら消し飛ぶほどの凶悪オーラに、誰も近づくことがなかった。そんな状況に幽香は、内心ちょっと寂しく思っていた。

 そんな時、紫が幽香の前に現れた。理由は超がつくほどの危険存在を見極めるため。幻想郷の建設の際、幽香がどう動くか、確かめに来たのである。

 紫級の大妖怪でもないと対面することも出来ない幽香は、その出会いに喜んだ。それから紆余曲折あり、結果、幻想郷に太陽の畑が出来た。

 当初は幻想郷縁起にも散々な書かれ方をされていたが、阿礼とその生まれ変わりに、ストーカー、もとい説得を続け、なんとか今のところまできた。今後の目標は友好度最悪を取り払うことである。阿礼の転生の際に閻魔の元で百年ほど下働きをする必要があることに目をつけ、何度も何度も押しかけたこともある。ぐちぐち言ってきた死神や閻魔とは拳のコミュケーションを楽しんだ。入り口には今でも『幽香お断り』の看板が立っている。

 今までのあれやこれの頑張りを思い返し、幽香は微笑んだ。

 

「そうそう、この間お買い物した時にね、お花屋さんのお嬢さんに『いつもありがとうございます』って言われちゃったのよ」

 

 幽香の頬がほんのり色づいた。

 

「よかったじゃない」

「その後思わずスキップして帰ったわ」

「そ、そう」

 

 異様な光景だっただろう。紫は目撃したすべての生き物に同情した。

 それはともかく、

 

「じゃあ、やるわよ」

 

 目的は勝負である。

 

「そうね」

 

 紫は早苗から聞いたルールをそのまま語りだす。

 ふと、初めのころを懐かしんだ。

 初めのころは、不器用全開の幽香とのコミュニケーションは殺し合いだった。幽香はそれしか知らなかった。そこから徐々に平和的勝負に持っていった。

 

 ――思えば付き合いも長くなったものね。

 

 しかし勝負は勝負。

 負けるつもりは毛頭ない。

 

「そい! そい! そそい、そい!」

 

 紫の手がブレる。

 常人では見ることさえ出来ない手さばき。練習の成果がきっちり出ていた。

 一試合目は紫が圧倒。

 二試合目、三試合目、四試合目も同様。

 五試合目。

 

「――そろそろ分かってきたわ」

 

 次第に表情が無くなっていた幽香に、笑みが戻った。

 

「へぇ? だとしても私に勝てるのかしら?」

「やってみないと分からないわ。少なくとも今まで私は様子見していたわけだし」

「勝負はこれからとでも?」

「そういうことよ」

 

 リグルの性別が怪しくなるほどのオーラが両者から立ち昇った。

 本気である。

 両者の手が超高速で動く。餅つきではない。

 机からバンバンと音が上がり、振動でグラグラ揺れる。

 壊さない程度に力を抑えながらの全力。

 大妖怪となれば加減は得意になってくるもの。

 某文屋でも、困惑のあまりシャッターを切らずに立ち尽くしてしまうレベルの異様な光景になっていたが、見ている者は誰もいない。トランプ遊びに全力で熱中している大妖怪が二名、そこにいるだけである。

 そしてそれは、今の今までは、のことであった。

 

「――あんたたち、何してんの?」

「え?」

 

 扉の方向。

 脇。

 

「あら、霊夢じゃないの。いらっしゃい」

 

 まったく動じてない幽香。

 

「いらっしゃい、じゃないわよ。暇だから何となく様子を見に来たら、周辺の妖精や妖怪が怯えまくってたわよ」

「つい白熱しちゃったのよ」

「つい、じゃないわ。っていうか紫、あんたもよ」

 

 紫は一瞬だけ霊夢に目を向けただけで、すぐに机(戦場)に目線を戻していた。

 手が素早く動き、

 

「はい! 上がり! 私の勝ちぃ!!」

 

 紫は両手を上げて勝利宣言宣をした。

 

「あぁっ! ちょっと、せこいわよ!」

「好きに言うといいわ。ま、私の勝ちは揺るがないけど?」

 

 うぐぐっと幽香は紫を睨む。

 霊夢はその両者を睨む。

 勝ち誇る紫は気にしない。

 

「私の勝ちということで、今度、庭の模様替えでもしてもらおうかしら」

「……希望は?」

「お・ま・か・せ」

「はぁ……。わかったわ」

 

 何だか慣れた様子の会話。

 こういうことは今までにもあったことが、霊夢に分かった。

 

「何? あんたら実は仲良いの?」

「さぁ?」

「どうかしら?」

 

 謎の会話コンビネーション。

 霊夢のフラストレーションが積もっていく。

 

「あ、霊夢もやる? 三人でもやれるのあるわよ」

「はぁ?」

「幽香、あれやるわよ」

「あれね。二人だとちょっとアレだったやつね」

 

 自分を置いて進められる話に、霊夢はイラつきを覚えた。しかし、ここで帰る選択もない。

 

「……やり方なんて知らないんだけど」

 

 霊夢はぶっきらぼうに答えた。

 

「いいのよ、いつもそんなものだし。私が新たに遊び方を幽香に伝えるそんな感じなのよ」

「ふーん。『いつも』、ね」

 

 幽香はすでに準備を始めていた。

 小気味良い音を鳴らしながらカードをシャッフルし、一枚一枚カードを滑らし机に三つに等分に配る。

 その間、霊夢は紫からルールの説明を受けた。

 配り終わったカードを手に取ると、まじまじと見た。

 

「簡単に言うと、お金持ちと貧乏人を決めるのよ」

「嫌な遊びね」

「ありもしないものを作り、それの上下を競う。現実も仮想もなにも変わらない。でも、それが幻想ならどうかしら」

 

 霊夢の勘が反応した。

 

「……これ、ただの遊びなんでしょうね?」

「さぁ?」

「どうかしら?」

 

 謎の会話コンビネーション(再)。

 

「それはもういいわ」

「でも、賭けの内容くらいは決めとかないとね」

 

 紫は悪い笑みを作った。

 

 この後、めっちゃ負けた。




チートもやし とかいうパワーワード


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6話 つまりコントローラーが悪い

 和室。

 紫は機嫌が良かった。

 今日の晩御飯が好物のハンバーグであったこともそうだが、他にもあった。

 食べ終わるいなや、紫は立ち上がった。

 そして、口元のケチャップには気づかないまま、

 

「じゃ、行ってくるわ」

 

 と言うと、そそくさと部屋を出た。

 約束があった。

 仲間、または戦友、時には好敵手。

 待っている者がいた。

 例え、藍の冷たい視線にさらされることになろうとも、果たせばならない誓い。

 紫は指を伸ばし、空間を斬るように横に滑らせた。

 その軌道は黒い筋と化し、空間を裂き、広げた。

 楕円状に広がったそれは目を思わせ、事実、裂け目の黒い空間からは無数の目が覗いていた。

 紫は両手を天へ伸ばし、その先で合わせた。

 そして、水泳選手がプールへと飛び込むような形で空間の隙間へと、

 

「とぅ!」

 

 ダイブした。

 幻想郷には様々な生き物、人間や妖怪、はたまた神まで住んでいる。

 中には月人とかいう者までいて、その月人は竹林の奥深くにある永遠亭という所に住んでいる。

 その永遠亭の前では、長いうさ耳に長い髪の毛の少女が竹の葉を掃いていた。

 少女は、異変を感じた。

 自身が掃いている地面の先に黒い裂け目が現れたのだ。

 黒い裂け目は広がり、その中心からは大妖怪八雲紫がタケノコのように出てきた。

 

「あ、こんばんは」

 

 うさ耳の少女、鈴仙・優曇華院・イナバは慣れた感じで紫に挨拶をした。

 本来臆病な彼女がいきなり地面から生えてきた紫に驚かなかったのには理由がある。

 

「もう始めてるみたいですよ」

「分かったわ」

 

 主語は必要なかった。もう慣れているのである。

 紫は、永遠亭の中へと入った。

 本来たどり着くのは困難であるはずの部屋に、紫は簡単にたどり着いた。

 そう、招かれている。

 紫が部屋のふすまを開けると、中からちらりと目線を送られた。

 

「いらっしゃい」

 

 部屋の、いや永遠亭の主である蓬莱山輝夜。

 輝夜は挨拶を終えると、すぐに目線を元に戻した。その先にはテレビジョンという黒い箱があった。

 輝夜は、テレビジョンに向かって座り、手にはコントローラーなるものを持っていた。

 それらの物は紫が外から持ってきたものである。ためしに勧めてみたところ、大いに気に入ったようで、このように度々集まってゲームをする仲にまでなった。

 寝て起きて寝て起きて寝て起きて、とそんな生活をしていた輝夜が起きて何かを活動するようになったと、保護者の永琳は少しだけ、少しだけ喜んだ。

 輝夜の好みはロールプレイングゲーム。コツコツとレベル上げて魔王を倒すのが好み。

 繋がっているコントローラーは二つ。

 一つは輝夜、もう一つは、

 

「やった私の勝ちー」

「やっぱりこの手のは貴方の方が上手いわね」

「ふっふっふー」

 

 と、得意気に笑う悪魔の妹、フランドール・スカーレットである。

 アクションゲームの類いが得意。FPSなどもやるが、それはそこまで上手くなく、よく敵にやられて発狂する。発狂したフランは、コントローラーを優しく置くと、用意していたクマのぬいぐるみを引きちぎって気を静める。そのためフランの部屋には悲惨なぬいぐるみだったものが散らばっており、知らない者はドン引きする。でも知ってる者も引いている。

 ぬいぐるみ代もばかにならないと、姉のレミリアにたしなめられ、ベッドでじたばたすることに切り替えたこともあったが、いまいち発散できなくてやっぱりぬいぐるみに戻った。お得意様であるアリスのふことろは大いに潤った。

 

「今日は新しいカセット持ってきたわよ」

「え、ほんと?」

 

 輝夜とフランの顔に喜色が浮かんだ。

 

「三人で協力して出来るゲームよ」

 

 多くのゲームのプレイ人数が二人か四人用で、ちょっとやりづらいこともあった。それを解消すべく、紫は三人用のものを見繕ってきた。それまでは、四人用のゲームをやる際、毎度うどんげを捕獲して面子に加えていた。うどんげはFPSに関してはやたらと上手く、軍にいた経験がうんぬんと言いながら調子にのって他三名をぼっこぼこにしまくったこともあった。しばらく生きた心地がしなかったとかなんとか。

 ちなみに輝夜が一人でやっている時、冗談交じりに永琳にドクターマ○オをやらせたこともあった。すると、引くくらい上手かった。輝夜が永琳に尊敬のようなものを覚えた初めての瞬間だった。

 その件からしばらく後、永琳が輝夜からゲームのやりすぎだとゲームを取り上げたことがあった。その際に永琳はこっそりドクターマ○オをやっていた。うっかり見てしまった可哀想なうどんげは、永琳ににっこり笑顔で口止めをされていた。その後、謎の嗅覚で察知した輝夜に問い詰められ、口止めの失敗がバラされたくなければゲーム機を奪取してこいと命令されたこともあった。

 それらの話を聞いた紫は、こっそりテト○スやぷよ○よを練習している。マスターして勝ちを確信出来るようになった後、永琳に勝負を挑む計画である。

 

 協力プレイを始めた、紫、フラン、輝夜の三名は画面にくぎ付けになっている。

 

「あ、そのアイテム私がっ、あぁっ」

「よっしゃ、ぶっ壊して――、ちょっ、そこ邪魔!」

「もう、どうしてこのこいつは不死身じゃないの? 私の分身みたいなもんでしょう?」

 

 協力プレイが可能なゲームだからといって、出来るかどうかは別である。協力が出来ない人種というのはいる。

 しかしプライドだけは高いので、難易度をEASYにする気はさらさらなく、NORMALにするわけでもなく、いきなりHARDからスタートしている。

 皆揃って見栄っ張りだった。

 

「――ちょっと貴方、下手すぎじゃない?」

「え、それってもしかして私に言ってる?」

 

 輝夜の言葉に紫が反応した。

 

「反応したってことは、自覚あったのね。生まれたてのヤギかってくらい、ふらふらじゃない」

「違うわよ。これはコントローラーがちょっと古くてこうなのよ」

「あら、じゃあ私のと代えてみる?」

「いやよ。なんでわざわざそんな面倒なことするのよ」

 

 みみっちい争いに、突っ込みが入った。

 

「どっちともそんなに変わらないんだけど。ルーミアとチルノが争ってるみたいなもんなんだけど」

「ああ?」

 

 二人ともキレた。

 その瞬間、「ゲームクリア」という音声が流れ出た。

 ほぼほぼフラン一人でクリアした。

 

「ほらね?」

 

 画面に映るクリアの文字に、二人とも「ぐぬぬ」としか言えなかった。

 しかし、悔しさは残った。

 

「……これはいったん止めて、ジャンルを変えましょう」

 

 紫はそう提案した。込められた思いを訳すと、苦手ジャンルにしてボコす。

 同士もいた。

 

「いいわね。私も賛成だわ」

 

 輝夜である。内心まで紫と同じである。

 それから色々なゲームで盛り上がった。

 そして、やがておひらきに。

 別れ際でのこと。

 

「今度は新しいゲーム機を持ってくるわ」

「新しい」

「ゲーム機?」

 

 期待を隠せない輝夜とフランに、「ふふふ」と得意気になる紫。

 

「――今度はオンラインよ!」

「オンライン?」

 

 スキマ妖怪が頑張ってアレをアレすることにより、実現したオンライン。

 

「家にいながら離れた所にいる同士とゲームがプレイ出来るということよ」

「天才!」

「賢者!」

 

 上がった称賛の声に、紫の鼻はにゅっと高くなった。

 

 

 

 

 

 

 

 後日。

 画面上に文字が表示された。

 

てるよ「あ」

ふらんちゃん「あ」

ゆかりん「ちゃんと見えてるわね」

 

 仮想空間上で、なんかそれっぽいキャラが三体、くるくる回っていた。

 そしてそこから少し離れたところでピンク色の髪をしたキャラがそれを見ていた。

 

てるよ「あなたが、新しい仲間?」

ゆかりん「そうよ。ほら、あいさつして」

さとりん「はじめまして」

ふらんちゃん「お、よろしくー」

さとりん「よろしくお願いします」

 

 さとりんという文字が頭の上に出たキャラの周りを、三体のキャラが回りだす。

 ゆかりんが足を止めた。

 

ゆかりん「ところで、どうやってかんじにするの」

ふらんちゃん「何それ? 分かんない。阿阿阿」

てるよ「本当ね。阿阿阿」

 

 画面上、止まったゆかりんの周りをふらんちゃんとてるよが駆け回る。

 

ゆかりん「あああ。 aaa.are? tyotto nihonngoga utenai」

ふらんちゃん「何してんの(笑)」

てるよ「超うける(笑)」

 

 紫は席を立った。ちょっと涙目。

 向かうは、藍のところ。

 藍は布団でぐっすり寝ていた。幸せそうな寝顔である。

 

「ちょっと藍、藍」

 

 ゆっさゆっさと揺らす。

 

「起きてってば」

 

 藍の眼がわずかに開かれた。

 

「んぅ? 橙?」

 

 現実は非常だった。

 

「日本語がうてないの。助けて」

「…………」

 

 藍は言葉の意味が理解したくなかった。

 

「ねぇ、藍。このままだと私、みんなにいじめられちゃうわ」

 

 藍は理解した。

 なんだかよくは分からないが、このままでは自分は再び寝ることが出来ないことを。

 藍は紫が服をひっぱる方向に行くことにした。

 

「これよ、これ」

 

 紫の自室へと案内された藍の目には、いつの間にか増えていたテレビとゲーム機、そして画面にどこか見覚えのある姿のキャラクターが映った。

 

「……なんですか」

 

 嫌がらせですか、いじめですか。そう続けそうになった藍だったが、言うのも面倒でやめた。

 

「いいから、これ、日本語にしてよ」

 

 藍はここで紫の要求を理解した。

 すぐさま終わることで安堵しつつも、こんなことで起こされたのかとイラ立ちもした。

 藍は外の世界に行った時によくコンピューターを使う。上司へのお悩み相談室というHPがお気に入りで、行く度に長文を書き込んでいる。結構常連である。

 藍は次なるお悩み相談文を脳内で書きだしながら、紫のお悩みを解決してやった。

 

「それじゃ、私は寝ますね。眠いですので」

 

 もう起こさないでくれと伝えるために、藍は超がつくほどに気だるげに去っていった。

 しかし、紫の視線はすでに画面にいっていた。

 画面上。

 

ゆかりん「それじゃ、始めましょうか」

 

 漢字が打てるようになって、紫のテンションがちょっと上がった。

 

ふらんちゃん「どこいく?」

てるよ「私たちはもうクリアしたから」

 

 上がったテンションが引っ込んだ。

 

ゆかりん「これ、二、三日前に渡したばっかよね?」

ふらんちゃん「クリアした―」

てるよ「私とふらんちゃんのタッグにかかれば余裕でクリアだったわ。寝てないけど」

ゆかりん「進行度合せないとつまんないじゃない」

ふらんちゃん「ごめんて」

てるよ「つい、――ね?」

ふらんちゃん「ねー」

 

 紫は三度、深呼吸をして気持ちを落ち着けた。

 

ゆかりん「次は気をつけてよね」

てるよ「善処するわ」

 

 だいたいこいつら、いつの間にここまで仲良くなったんだ。紫は内心毒づいた。

 しかし、ここには仲間がいるということを思い出した。

 そう、一人じゃない。仲間がいる。

 さとりんに近づいた。

 

ゆかりん「仕方ないから、初心者同士仲良くしましょうか」

さとりん「そうですね。私も早く上手くなるように頑張ります」

 

 「うんうん、初心者ぽくっていいわ~」とかリアルで呟きながらにやにやする紫。実はこの先、残酷な現実が待っていることを知らない。

 二日で上級者と化した引きこもりズに先導されながら、初心者ズは仲良く経験を積んでいった。

 初心者さとりんが覚醒して、敵のパターンどころか、仲間の動きまで読んで行動しだすまでは。




わりと困ったちゃん  ×
わりと困ってるちゃん ○


フランちゃんはあっちの方に引っ張られてしまう


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7話 くっキリング。

念のため、R-15タグ付けときました



「ということで、教えてほしいんだけど」

「何が『ということで』よ」

 

 当り前のように、突如部屋からにょっきり現れた紫。場所は、太陽の畑にある家。

 優雅なティータイムを邪魔された幽香の機嫌は良くない。

 

「だから、たまには労わってやるのもいいかもって思ったのよ」

「何が『だから』よ。――ていうか、労わってやるって私に? そうだとしたら今すぐ帰ることが一番の労わりよ」

「違うに決まってるでしょ。一体何を言ってるの? 大体、あなた、仮にも大妖怪でしょ? 言わなくても察しなさいよ」

「ぶっ飛ばすわよ」

 

 あまりにも、あまりにもである。

 失礼なんてものではない。

 拳のコミュニケーションを望んでいるのだろうか。

 幽香はぎゅっと拳を作った。

 

「で、どうなの? 出来るの出来ないの?」

「だから何がよ」

「料理よ」

「はぁ?」

 

 幽香は普通にイライラしてきた。

 当然、紫はお構いなしである。

 

「何が『はぁ?』よ。始めからそう言ってるじゃない」

「ぶっ飛ばすわよ」

「もう、これじゃキリがないわね。しょうがないから要点だけ話すわ」

 

 幽香は、紫の話を聞くという行為が屈辱に思えてきた。

 

「でさ、やっぱ私って素敵な主なわけでしょ?」

「は?」

「だからたまにはご褒美でもって思って」

「ん?」

「それで手料理でも作ってあげようかなって」

「え?」

「でも私って大妖怪だし? 食べる専門なの。だからわざわざあなたに聞きに来たっていうわけよ」

「帰れ」

「で、どんなのが良いと思う?」

「油揚げでも買ってこい」

「それじゃ芸がないじゃない。あなたにはセンスってものが、もうちょっと、ねぇ……?」

「あ?」

 

 幽香の堪忍袋の限界が近づいてきた。

 しかし、温厚なお花の妖怪ちゃんを目指す幽香はぐっと、ぐっと堪えた。その上で一言だけ口にした。

 

「……お湯を沸かすだけで精一杯なやつに教えられることは何もないわ」

「失礼ね。そそぐことも出来るわ」

 

 話が通じない。

 やはり肉体でコミュニケーションか。

 幽香は拳を振りかぶった。

 家の掃除が大変なのは、もう仕方がない。

 殴ろうとした、――その時。

 

「――失礼。ここに風見幽香は、いますね」

 

 扉の方には、何とも珍しい緑頭がいた。

 

「……貴女、何しに来たの?」

 

 怪訝な顔で問う紫。

 紫の一番といっていい程に苦手な相手だった。

 

「何、と言われても、今日は非番なので――」

 

 みなまで言わずとも分かった。

 

 ――このくそ閻魔! 絶対説教しに来やがった!

 

 紫は外用の冷たい表情を作った。

 

「帰りなさい。ここはあなたのいる所じゃないわ」

「あんたもね。仲良く一緒に帰れ」

「いえ、失礼。ノックはしたのですが、反応がなく、しかし中から声がしたので」

 

 どうであろうが幽香には関係ない。

 

「私はどっちも帰れと言ってるの」

「何を言うんです? あなたが是非曲直庁まで押しかけ、私の職務の邪魔を散々したことを忘れたのですか? 私がその時何度お帰り下さいと言ったのか、忘れたのですか?」

「分かった、分かったわ。それは悪かったから、今日のところはとにかく帰ってちょうだい」

「どうしたのですか? 何か私がいるとまずいことでも? 何やら胡散臭い妖怪もいることですし、悪だくみの相談ですか?」

「あら、胡散臭いとは随分じゃない? ワカホリは黙って仕事でもしときなさい」

「ワカホリ? 貴方は一体何を言ってるのですか?」

「あらやだ、最近の言葉に疎い方は大変ねぇ。――そう、あなたは少し頭が固すぎる、ってね」

 

 あからさまな挑発。

 緑の髪の閻魔、四季映姫は、手に持つ笏を口元に当てて微笑んだ。

 目は笑ってない。

 

「白黒、つけてあげましょうか?」

「あらやだ、オセロでもおやりになるの? あ、オセロって知っていまして? オセロっていうのは――」

「知っています!」

 

 幽香は自分の家の心配をし始めた。

 事が始まる前に、二人ともぶっ飛ばした方が被害が少ないかもしれない。

 幽香は両拳を硬く握った。

 

「って、そういえば、ちんちくりんの閻魔に構ってる場合じゃなかったわ」

「誰がちんちくりんですか」

「どっかの部下を大切にしない非道な上司とは違って、私はちゃんと思いやりを持った素晴らしい上司ですの。――ということで幽香、私に料理を教えるのよ」

「料理? あなたがですか? とても似合わなそうですね」

「それはお互いさまよ。――って、私はちゃんと似合うわ。家庭的で通ってるのよ」

「それはどこの世界で? 私の知らない世界でしょうか?」

「はぁ? ちょっと幽香、あのちんちくりんに言ったげて!」

「周りも見えないとは愚かですね。構いませんよ、あの勘違いしたスキマ妖怪に言ってやってください」

 

 急に、幽香はスポットライトに照らされた。

 しかし、

 

「……もう帰っていい?」

 

 闘気的なものが萎えしぼんでいた。

 どうにでもなれ。

 めんどくさすぎて堪らなかった。

 

「何を言ってるの? ここは貴女の家よ幽香。いえ、幽香先生、かしら?」

 

 だれが先生か。

 言葉に出すのも億劫になった。

 しかし、そんな幽香を置いて、話はどんどん進んでいく。

 

「では料理で勝負しますか? あまり経験がないですが、相手があなたなら問題ないでしょう」

「言うじゃない。でも、それいいわね。よし、幽香、早く献立を決めるのよ」

 

 自分中心で話が進んでいるはずなのに、自分が話の外にいる感じ。

 

「はぁ……」

 

 幽香の心が折れた。

 本来はこの後、メディスンを誘ってお昼ご飯の予定だった。

 それがなぜか、毒人形よりはるかに毒々しいのが二体も揃ってしまった。

 あまりにもひどい現実。そしてその現実は進み続ける。

 

「――お、なにこれ。豆腐? いいじゃない、これにしましょう」

「私は問題ありませんよ」

 

 勝手に家を漁り始めている二人。

 とにかく、

 

「私は問題おおありよ」

 

 止めねばならない。

 

「それはね、揚げ出し豆腐でも作ろうかと思って私が朝一で里まで買いに行ったものなの――」

「いいわね、揚げ出し豆腐」

「いいですね、揚げ出し豆腐」

 

 思いが伝わらない。

 ハッキリ言うしかない。

 

「遠慮しろって言ってるのがわからない?」

 

 幽香は軽くに睨んだ。

 

「で、どうすればいいの? 揚げるんだし、油?」

「いえ、まずは粉でしょう。あの白いやつ」

「あの白いやつね」

 

 聞いちゃいなけりゃ、見てもいない。

 

「…………」

 

 思えば、自分という存在をここまでないがしろにされたのは初めてかも知れない。幽香の心情はもう色んなものを通り越してきた。

 

「お皿はコレ? っあ――」

 

 パリンッ。

 その時、幽香の何らかのスイッチがオンになった。

 

「――あぁもう! 準備は私がするから、そこでじっと待ってなさい!」

 

 キッチン横にかかっている向日葵柄のエプロンを掴み、着替える。

 どうしてこんなことを。そんな考えは出てこない。

 浮かぶのは、阿呆共がやらかさないように対処する為のことのみ。

 ガチャガチャと音を立てながら、急いで手を動かす。

 必死で準備をする幽香に対し、待っている二人は会話を楽しんでいた。

 

「……でも揚げ出し豆腐ってあれでしょ? 豆腐揚げて、タレのっけただけでしょ? ちょっと簡単よねぇ」

「はぁ、……所詮は地上の妖怪。その程度といったところでしょうか」

「何ですって?」

「簡単だからこそ、腕の差が顕著に出る。そんなことも分からないのですか?」

「っぐ、た、確かにそれは……」

 

 悔しさに顔を歪める紫。

 それに満足した映姫は、事の進行が気になった。

 

「――ところで、まだでしょうか? 早く勝負を始めたいのですが」

 

 ひくつく口の端を抑えながら、幽香は大きな声を出した。

 

「終わったわよ!! 後は好きにすれば!?」

 

 失言だった。

 しかし、激高した幽香にはまともな思考能力は残っていなかった。

 そのままふらふらと何かに疲れた様子で寝室まで歩いていき、向日葵柄のベッドに飛び込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少し経った。

 

「――で、どうやって勝ちを決めるわけ?」

「それは、食べてもらうのが一番でしょう」

「それもそうね」

 

 クッキリング(死亡遊戯)を終えた二人は、幽香の元へと向かった。

 

「幽香~。起きて~」

 

 幽香は向日葵柄の中、ぐっすり寝ていた。

 くたびれた労働者が家に帰るやいなやぶっ倒れたような姿であったが、はた目は超がつくほどの美少女である。寝ている幽香というのは、迫力だったりオーラだったりするものがまったく無く、あどけなかった。

 

「ちょっと幽香。冷めちゃうわ」

 

 当然、紫はお構いなく、ゆっさゆっさ幽香を揺らす。

 

「……んぅ、もう何?」

 

 幽香がうっすら目を開けると、見覚えのある皿を持ったやつらが二体立っているのが見えた。

 

「揚げ出し豆腐。幽香に食べてもらって、判断してもらおうと思って」

「揚げ、出し、豆腐……? ――ぁあ」

 

 おぼろげに理解した。

 

「それじゃ私からね。はい、あーん」

 

 幽香は寝ぼけ眼で、言われるがままに口を少し開けた。

 それは何ともいいがたい食感で。

 

「んぐ、んぐっ。――うぇっ、何これっ……」

 

 幽香がべぇっと舌を出すと、その先からぬちゃっとした白いものが垂れ出た。

 そんな光景に構わず、紫は自信満々に言う。

 

「私が作った揚げ出し豆腐よ」

 

 幽香の大きく目が開いた。

 

「揚げ出し豆腐……? 何かねっちゃとした味のない何かが?」

「えぇっ!?」

 

 信じられないといった風の紫。

 映姫はそれ見たことかと、笑った。

 

「ですから言ったでしょう? 揚げ時間が短いと。衣がふやけて大変なことになってるでしょう? その上、箸でいちいち扱いすぎて、豆腐がぐちゃぐちゃにもなってます。さらには、通は薄味がどうとか言って味をまったくつけなかった。だからそうなるのです」

「何よ、――あんたのそれだって相当じゃない」

「私のはっ、……見た目がちょっとあれなだけです。味は大丈夫です」

 

 幽香の視線は、映姫の持つ皿の上の物体に釘付けになっていた。

 

「何それ。ねぇ、何それ。それ、私食べなきゃいけないの? ねぇ、何それ、私、嫌よ?」

「何を言ってるんですか。それでは勝負がつかないではありませんか」

「いやもうあなたの勝ちでいいから、もう変なの口に入れたくない」

「駄目です! これは勝負です。ちゃんと白黒つけないと!」

 

 冗談ではない。

 幽香は今まで虐めてきたすべての者に謝り始めた。

 日頃の行いが悪かったというのなら、もう勘弁してほしかった。

 最初の白いアレは、……まだ分からないうちだったから良かった。だが今はもう、ハッキリと意識がある。嫌だ。とにかく嫌だ。

 

「……一応聞くけど、それ、何?」

「何って、揚げ出し豆腐ですよ。何を言ってるんですか?」

「何で黒いの?」

「少し揚げすぎました」

「にしても黒すぎよ。醤油の焦げた臭いもするし、なんか余計なことをしたでしょ?」

「余計ではありません。味をしっかりつけるために、豆腐を醤油に漬け込んだだけです」

「豆腐ってそれ、もう大きなかりんとうみたいになってるじゃない」

「しかし、これは豆腐です」

 

 もう嫌だ。

 世界は私を嫌ったらしい。

 もう私を愛す者はいないし、私が愛する者もいない。

 花は枯れ、豊かな土壌は焦土と化し、空には日も月も昇らない。

 もうすべてが終わった。

 生まれ変わった時はただの花になりたい。

 恐怖とは無縁の秘密の花園。――楽園へ。

 

「――いいですよ、分かりましたよ。あなたの反応を見て、よーく分かりました」

「……え?」

 

 暗雲は去り、晴れが訪れた。

 全ての生命の源である太陽は、私に微笑んでいる。

 \晴レルヤ!!/

 

「……はい、あーん」

「え?」

「『え?』とはなんですか? 食べさせて欲しいのでしょう?」

 

 違う、そうじゃない。

 

「ほら、早く。はい、あーん」

「えぇ……」

 

 黒い物体が迫ってくる。

 衣も付け過ぎで、人の口に入りきるサイズではない。

 

「ほら、早くっ」

「ちょま、あがっ、あががががっ」

 

 その黒くて太いものが口に入り込む。

 揚げすぎのせいか、石のように硬かった。

 口を閉じようにも、奥に奥に押し込んでくるため、顎が痛くてどうしようもない。

 

「まっへ、ひょっと、あがががっがががっ」

 

 閻魔様直々の地獄の刑罰みたいになっていた。

 

「ひゅ、ひゅかりっ!」

 

 涙があふれ出る目で、幽香が紫に助けを求める。

 

「うわぁ……」

 

 紫は、口に手を当て、すごい可哀想なものを見る目をしていて――。

 

 ――いや、助けろ。

 

 紫へ手を伸ばす。

 ふらふらと揺れる手。

 紫はこの間やったゾンビゲームを思い出した。

 後退った。

 

 ――終わ、る。

 

 視界が白く、ぼんやり、うっすらと――。

 

 風見幽香がいるといわれる太陽の畑。

 しかし、そこで幽香の姿を見た者はしばらくいなかったという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 博麗神社。

 鎌を担いだ赤髪の死神が神社を訪れた。

 

「っよ! 久しぶりだねぇ!」

「あら、サボさん。また珍しいのが来たわね。いいの? また怒られても知らないわよ」

 

 サボリ魔の死神、小野塚小町である。四季映姫の部下。

 

「いやそれがさぁ、四季様、しばらく休みだっていうから、今のうちにゆっくりしとこうかと思ってね」

「へぇ、珍しいこともあるのね」

「なんでも体の節々が痛いとかで、長期休暇取るとかなんとか」

「なにそれ」

「さぁ? 私には分からん」

 

 長期休暇。霊夢は、似たような単語に覚えがあった。

 

「そういえば紫しらない? 冬眠って季節でもないのに、しばらく姿を見せないのよ」

「いや、知らんねぇ」

「まぁ、そうよね。あんたが知ってても変だし」

「もしかしたら二人で何かしてたりな」

「まさかあの二人が、そんなわけないでしょ」

「だよなぁ」

 

 ケラケラと笑い声が神社に響いた。

 

「――おはよう」

 

 もう一つ、響く音。

 

「あら、あんたも久しぶりね」

「えぇ、しばらく忙しくて」

「あんたが忙しいって、……いったい何してたのよ」

「色々? かしら」

 

 花のような笑み。

 

「まぁ、いいわ。お茶入れてあげるから、ちょっと待ってなさい」

「霊夢……」

 

 手を伸ばし、抱き寄せた。

 

「っえ? ちょっと、幽香?」

「霊夢は優しいのね。だって普通のお茶を入れてくれるんでしょう?」

「何よ。普通のお茶じゃ駄目だっての?」

「いえ、とても嬉しいわ。そう、とっても……」

「え? 幽香? え、なんで泣いて……」



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8話 ナウなヤングにバカウケ?

時系列とか口調とか細かいことは気にしないでいただけるとうんぬん。


 小鳥がちゅんちゅか鳴いている朝っぱらのこと。

 八雲藍は目を大きく開き固まっていた。

 まるで狐に化かされたよう。

 狐の妖怪が化かされるなどあっては、後ろに付いている九つの尻尾も防寒具程度の意味にしかならない。

 自慢の尻尾である。

 手入れも毎日かかさない。

 高級ブラシはもちろん、トリートメントもかかさない。

 そのツヤのある柔らかそうな尻尾が、にょきっと天を指した。

 話しかけられた。

 

「おはようございます、藍さん」

 

 よく聞いた声。

 よく見た顔。

 しかし、聞きなれない口調。

 その身体は自身の主である八雲紫。

 前にもあった。

 

「……メリーか?」

「あ、そうです」

 

 八雲紫、もといマエリベリー・ハーン、もといメリーはぺこりと頭を下げた。

 状況を理解した藍。

 自然とため息が出た。

 

「……入れ替わる時、紫様は何か言っておられたか?」

 

 一応確認くらいは、と進まない気持ちで聞いたが、おずおずとして言いにくそうメリーの様子から、藍は自身の憂いが当たっていたことを予感してしまった。

 

「……えっと、『時代はやっぱりJDよねー』と」

 

 藍の目の前が白くぼやけた。

 

 ――ほーらね、やっぱりね。もうやだー。

 

 藍はおっきな油揚げに挟まれて幸せそうに寝ている自身の姿が思い浮かんだ。

 美しく幻想的な世界。

 

「ら、藍さん?」

「――あ、いや、すまない」

 

 現実に戻った。

 悲しく残酷な世界。

 藍は頭を抱えた。

 頭痛が痛い。誰がなんと言おうと頭痛が痛い。

 その頭痛は、ある特定条件を満たすと発動する。

 ちなみに頻発している。

 もちろん主人関係である。

 が、今はそれはいい。

 

 ――とにかく。

 

 藍はメリーに向き直った。

 頭を下げた。

 

「何度もすまない」

 

 そう、何度もあったことだった。

 藍はすっかり慣れた事後処理に動いた。

 

「……何か、要望はあるだろうか。ある程度のことは叶えよう」

 

 これもいつものパターン。

 

「じゃあ、幻想郷を見て回りたいです」

 

 これもまたいつもの。

 

「わかった。……では」

 

 藍はメリーに背を向けると、ちょっとだけ肩を落とした。

 疲労感。

 

「……案内しよう」

 

 藍の背は、どこか哀愁を感じさせるものだった。

 そんな藍に感じるものがあったメリー。

 助け舟を出そうとした。

 

「あの、私、なんとかします」

「え?」

 

 言い終わると、メリーはスキマを作ってみせた。

 

「っな、どうやって……」

 

 驚く藍。

 それはまぎれもなく八雲紫の、いやそんなことよりもこれは一体――、藍の頭の中で思考が暴れ狂った。

 

 ――危険因子。

 

 藍の尻尾の毛並みが逆立った。

 

「――なんか紫さんと入れ替わってるうちに出来るようになりました」

 

 ――あぁ……。

 

「……そうか。……そうなのか」

 

 藍は頭を押さえると、力なく主の名前を呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところで博麗神社。

 

「おーっす。霊夢、いるかー」

 

 普通の魔法使いこと霧雨魔理沙はいつものように、ずかずかと中に入っていく。

 

「おーい、霊夢ー? って……」

 

 魔理沙は見た。

 もうすぐ昼になろうかという頃に、よだれ垂らしながら寝ている霊夢の姿を。

 魔理沙は寝ている霊夢の肩を揺らす。

 

「霊夢、もう昼だぞ。いつまで寝てんだ」

 

 霊夢の目がぼんやりと開く。

 

「……んー? まだ、お昼前ー?」

「まだ、じゃない。もう、だ」

「紫ならまだ寝てる時間だから、私も……」

「こら、寝るなっ」

 

 魔理沙は霊夢の額を軽くはたいた。

 

「ぁいたっ。何すんのよぉ」

 

 寝ぼけた声で抗議する霊夢。

 布団の中からは出てこない。

 

「ほら、飯くうぞっ」

 

 埒があかないと、魔理沙が霊夢の腕を引っ張った。

 

「出来たら起こしてぇ」

「――おい」

 

 抵抗しながらも、飯だけは用意させようとする霊夢。

 魔理沙は怠惰な巫女に呆れた。

 

「……このままじゃ本当に紫みたいになっちまうぞ」

 

 どうしたもんかと肩をすくめる魔理沙だった。

 実はそのほんの数秒前のことだった。

 魔理沙の後ろに、スキマが出来ていた。

 

「え? ゆかっ、――私みたいになる?」

 

 魔理沙が振り向くと、そこには紫と藍がいた。

 

「ゆ、紫っ……!?」

 

 魔理沙は目を見開いた。

 霊夢もまた同じく。

 

「紫が、昼前に起きてるっ……!?」

 

 霊夢のムラッ気のある勘が作動した。

 布団からガバっと起き上がり、

 

「ということはなにか異変ってことね!?」

 

 元気よく立ち上がった。

 白い寝間着の姿であるが、脇を晒した巫女服の方より防御力が高そうである。

 霊夢は、はよ説明しろとばかりに、紫(メリー)に詰め寄った。

 

「え? いや、その……」

 

 当然、メリーは困った。

 口調も作れず、しどろもどろになった。

 申し訳なさに、後ろの藍の存在に意識がいった。

 察した藍が、フォローを入れる。

 

「……紫様も、早起きする時くらいはある」

 

 そして最後に「ごく稀にだが」と付け加えた。

 ここでいう『ごく稀』とは、中身が入れ替わるようなことくらいのことがあったらという意味。

 藍の様子に、引っかかりを覚えた霊夢は怪訝な顔をした。

 

「……本当に、何もないのね? 何だかいつもと雰囲気が違うけど」

 

 霊夢の最後の言葉。

 メリーはびくっとした。

 

「ぇ、え? いつもと、違うかしら?」

 

 メリーは夢の中でたまに出会う紫のイメージを再現しているつもりではある。

 

「んー、何というかいつもの胡散臭さがない、気がする」

 

 魔理沙も同調した。

 

「確かに、今日の紫は胡散臭くないな。――まるで中身が違うようだぜ」

 

 軽口のつもりで、実は答えを言った魔理沙。

 メリーと藍は焦った。

 特に藍が焦った。

 

「な、何を言っている、紫様の体を乗っ取れるようなやつがいると思うのかっ?」

 

 もっともだと、霊夢は口をとがらせた。

 

「まぁ、それもそうかぁ……」

 

 藍は心の内でほっと息をついた。

 実際は、乗っ取られてはいなくとも乗っ取りにいってるわけである。

 さすがの霊夢といえど、ここまでのことをすぐには分からない。

 そう、すぐには。

 ここにこれ以上長居していると、霊夢の勘が上手い具合に働いてしまうかもしれない。

 そう思った藍は、メリーの腕を取った。

 耳元でささやく。

 

「……場所を変えよう」

 

 藍の真剣な眼を見て、メリーは頷いた。

 藍とメリーがスキマの中に消えていくと、残された霊夢と魔理沙は言葉を交わした。

 

「一体何だったんだろうな?」

 

 そう言う魔理沙に、霊夢はしかめ面で口を開いた。

 

「藍が紫の腕を掴んだ時、無言だったわ」

「ん? どういうことだ?」

「引っ張る時もそうよ。――普通なら何か言わない? あれでも主従でしょう?」

「……ん? つまり霊夢は、いつものあいつらとは何か違うと思ったわけだな?」

「えぇ、そうよ。そういえばさっきの藍は、紫のことを一度も紫様とは呼んでいなかったわ」

「そうだったか? 言ってたような気もするが」

「『紫に向かって』は言ってないのよ」

「ぅむ? じゃあ、追っかけるか?」

「いや、いいわ。実際どうであれ、藍の様子からあいつは分かっててそうしてたみたいだし。いちいち面倒ごとに首を突っ込むこともないわ」

 

 その後、心の中で、「時々そういうときがあったし」と付け加えた。

 霊夢は区切りをつけると、昼ご飯について頭を働かせ始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 とりあえず二人は家へとたどり着いた。

 

「ふぅ。やっぱ、身体違うとちょっと違和感ありますね」

 

 腕を上げたり下げたり、メリーはいつもと違う感じを確かめていた。

 

「しかし、危なかった。いや、もしかしたらもう気づかれてたかもしれないが」

「霊夢さんたちのことですか?」

「ああ。霊夢は感が鋭いからな」

「やっぱり、私の演技が拙かったのでしょうか」

「いや、そういうわけではない。……まぁ、雰囲気はいささか違うものはあるが、それは仕方がないことだ」

「雰囲気、ですか?」

「ああ。まぁ、何と言うか、こう、ミステリアスな感じかな」

「ミステリアス、ですか?」

 

 メリーは首を傾げた。

 よく分からないといった感じの様子。

 藍は聞いてみた。

 

「どうかしたか?」

「いえ、何と言いますか、私の知ってる紫さんとはちょっと違ったので」

「……?」

「夢の中で時々会う紫さんは、楽しそうに目を輝かせた素直な感じでした。例えるなら、遠足前の子どもみたいな……」

 

 藍は口元に手を当てた。

 確かにそういう感じの紫はあった。

 ただ、それを知っている者は極少数であるということ。

 藍はメリーをじっと見た。

 メリーといっても、紫でもあるが。

 じっと見ていると、紫(メリー)が不安そうな顔をした。

 

 ――怖がらせてしまったか。

 

「――いや気にしないでくれ」

 

 ――思えば、妙な光景だな。

 

 藍はそう思った。

 

「いっそ君が紫様だった方がよかったのかもな」

 

 メリーの不安を和らげようとして、言った言葉。

 軽く笑いながらの冗談。

 

 ガタリ。

 

 背中の方から音がした。

 ある可能性に、藍の微笑が引きつる。

 ぎこちなく振り向くとそこには、

 

「ゆ、紫様……?」

 

 少し開いたふすまから、顔を半分だけ覗かせた八雲紫がいた。

 聞いてはいけないものを聞いてしまったような、そんな顔をしている。

 体がメリーのものであるのも相まって、藍の精神にダメージを与えた。

 

「いや、この、それは……」

 

 手をわたわたと動かし、弁明を図ろうとするが、言葉が思いつかない。

 そんな狼狽した藍に、紫は悲しみに染まる顔のまま笑みを浮かべた。

 ふすまが開かれると、紫の悲壮な笑みが現れた。

 

「いいのよ、藍。私なんて……」

「ゆ、紫様!?」

「いいえ、私はもうただの紫。様はいらないわ。だって、私なんていらないんだもの」

「っいや、そんなことは――」

 

 紫はゆっくりと首を左右に振る。

 

「分かっていたわ。私は私が思っているような存在じゃないってことくらい」

「な、何を……」

 

 紫が言わんとする言葉に、藍は気が気でない。

 いっそ耳を塞いでしまいたい。

 しかし、聞かなければならない。

 紫が次なる言葉を発する。

 

「そう、私は流行の最先端をいく女ではなかった」

「え」

 

 深刻な顔して言う紫。

 

 ――今までそんな勘違いをしていたのですか。

 

 藍は喉まで上がってきた言葉をなんとか飲み込んだ。

 

「ギャグを言えば、思い出したような顔で反応され。話しのネタを振れば、懐かしいと言われ。挙句の果ては、『今日のメリーちょっと昔な感じよね。前にも何回かあったけど』ですって。前にも何回かって、……つまりそういうことでしょう?」

「いや、その、ゆかりさま……」

 

 耳を塞いでしまいたい。

 聞く必要がない。

 しかし負い目がある藍はフォローの言葉を発しようと口を開いた。

 

「あの――」

 

 さえぎられた。

 

「いいの、分かってるの。何も言わなくていいわ」

 

 思い知ったように言う紫。

 手を前に出し、藍に意思を示す。

 

「ゲームをやってもそう――」

 

 うつむく紫。

 

「私に合わせてプレイしてるはずのフランちゃんが見せる、ちょっとした時の神技プレイに心が折れそうになったり。てるよなんか理解不能なプレイしてるし、仲間だと思ってたさとりんも……」

 

 紫は首を振り、「あぁーあ、私なんて……」と呟いた。

 完全にひたり出した。

 悲劇のゆかりんである。

 藍は素直に思った。

 思ってしまった。

 

 ――うっわ、めんどくさ。

 

 しかし長年の付き合いである。

 表に出さなくても伝わるものがあった。

 もっとひたりたい紫は矛先を変えた。

 

「ね、あなたもそう思うでしょう?」

 

 いきなり話を振られたメリーはたじろいだ。

 

「いえ、私は、その……」

 

 いいよどむメリー。

 藍は嫌な予感しかしない。

 

「いいのよ言っても。あ、それともそこまで言いづらいことだったかしら?」

「紫様」

「そうよね。私なんてね、そう思われててもね、仕方ないかもね」

「紫様」

「妖怪の賢者なんて言われてはいるけど、みんな内ではかっこわらいとかつけてるんでしょうね」

「ゆかりさまっ」

「あ、ごめんなさい。これも古かったかしら? 私なんて積もったホコリで構成されているようなものだから、つい」

「――紫様っ!」

 

 藍が物音を大きく立てた。

 紫、そしてメリーの体がびくりとはねた。

 

「いい加減にしてください。途中から完全に機嫌治ってたじゃないですか」

 

 紫は目を逸らした。

 

「だって、私ばかり不運な目にあうの嫌だもん」

「もんって……。そして紫様のは不運ではありません。ただの必然です」

「……それってやっぱり、私が流行りのJDっぽくないってこと?」

「そ、――」

 

 藍は言葉を飲み込んだ。

 

 ――それはそうなのだけども。そうじゃない。

 

 藍は飲み込んだ言葉で窒息しそうになってきた。

 しかし救いがあった。

 メリーはいい子だった。

 

「そんなことないですよ。今の流行りというのは流れがとっても早いので、むしろ遅れてるのも一種の流行りみたいなものです」

「そ、そうなの?」

「えぇ。わざと遅れてるとかなんとか言ったりして」

「へ、へえ……」

 

 紫が何かを考え始めた。

 基本はポジティブシンキングな紫ちゃんである。

 もう解決したようなものだった。

 

「はぁ……、なんだかお腹すいちゃったわ。――藍?」

「準備してきます」

 

 藍はぺこりと頭を下げた。

 やっと解放された。そんな気持である。

 

「では、私はここで――」

「え? もちろん、食べていくでしょう?」

「いやでも悪いので……」

「何を言ってるのよ。だって私たち、――マブダチでしょ?」

「マブ……?」

 

 メリーははっと覚った。

 

「――そうですね。マブダチですね」

「でしょう?」

「はい。どことなくマブダチですね」

 

 しばらくすると台所からカレーの香辛料の香りが漂ってきた。

 

「そうそう、ここテレビ映るのよ」

 

 居間には大きなテレビがある。

 

「あ、そうなんですか。すごいですね」

 

 そら映るからそこにあるんだろうなとか内心思いながら、そんな感じで答えるメリー。

 紫は身体を倒しぐでーっと寝そべり始めた。

 

「あ、悪いけど、チャンネル回してちょうだい」

「チャンネルを、まわす……?」

 

 時代や世代には、スキマ妖怪でも決して埋まらないスキマがあるのかもしれないのであった。

 




8,9,10話は書くだけ書いてお蔵入りしましたごめんなさい。


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9話 はーとふるすまいる

 大妖怪。

 その定義は、人、妖怪、神、それぞれ違うもの。

 例えば風見幽香という妖怪。

 彼女は自分のことを大妖怪であると思っているし、他者からもそう認知されている。

 少なくとも彼女のことを弱小妖怪などと思っているような者はいない。

 もちろん風見幽香も自身が弱いなどとは毛ほども思ってはいない。

 だが、特別強いとも思っていなかった。

 彼女の思う大妖怪とは、そこそこ長く生きててそこそこ力が強い妖怪くらいなもので、それなら自分も入ってるだろうくらいにしか思っていない。

 彼女は力の強弱を感じるような経験が無かった。

 自らの望みが力の不足で叶わなかったことが無かった。

 思うがまま、感じるがまま。

 そのように生きてきた。

 それゆえ、彼女は他者からどういう風に扱われているかなど知るよしもなかった。

 これは、ちょっと昔のお話。

 アルティメットサディスティッククリーチャ幽香、と人里で恐れられていたころのこと。

 

 

 

 

 

 人里のとある花屋に、幽香はいた。

 用向きは花を求めに来ている。

 本当は、花屋に来ずとも山や野に咲いている花でも良かった。だが幽香は、花を一人で愛でるのではなく、他の誰かと愛でてみたかった。

 簡単に言うと、お花トークがしてみたかった。

 ということで、目を付けた店員はいかにも花が似合う女の子。

 幽香は手狭な店内を見渡し、話のネタを探した。

 目が留まったのは、右手にあった小さな花。

 小さな花が首をもたげていた。

 

「――ここ、折れてるわよ?」

 

 幽香は、花をすくい上げると店員に見せた。

 見栄えを考えると、これだけ切り取ってしまった方がいい。

 人間ならそうするはずだと、判断した。

 これをきっけかに仲良くなれるかもしれない。

 幽香は笑顔を浮かべ、口を開いた。

 

「代わりに切ってあげましょうか?」

 

 幽香と店員の目が合った。

 その時、店員の頭の中に妙なアナウンスが流れた。

 

 ――お前の首ごとな!

 

 ここに死期のフラワーマスターが誕生した。

 

「っひ、ひぃ……」

 

 つい先ほどまでは可愛らしい接客スマイルで対応していた女の子は、尻餅をついた。

 恐怖一色になった目から、涙があふれ出す。

 

「ごめんなさい、ごめんなさいっ」

 

 死を目前にしたような絶望の顔から、謝罪の言葉のみが出てきていた。

 その様子に、幽香は眉を寄せ、

 

「……別に、いいわ」

 

 と言うと、店を出て、そのまま里から出ていった。

 帰路。

 道半ば、オレンジがかってきた太陽を見上げる。

 幽香の頬にきらりと光るものが垂れた。

 頬を伝う妙な温かさに、思わず手をやった。

 温かい滴が指先に触れる。

 

「……うそ」

 

 涙。

 今まで泣いたことなんてなかった。

 

「どうして――」

 

 それもこんなことで。

 動揺する自身に驚きながら、次々に涙は溢れてきていた。

 今までは、ちょっと寂しく思うことがあっても、泣くようなことはなかった。

 幽香は、太陽の畑に遊びに来た妖精や、周辺の花々を見に歩いてるときに遭遇した妖精や小さな妖怪を思い出した。

 皆、目が合っただけで固まり、話しかけると逃げられた。

 理由が分からなくて、笑顔のまま追いかけると、土下座された。「命だけは」と言われても、そんなつもりはまったくなかった。

 しかしこれは、理解は出来なくとも、仕方ないことなのだと。

 自然の節理なのだと。

 でも、いつかは誰かと――。

 など、一人、花を愛で、想像したりした。

 逃げないでいてくれる花がいっそう愛らしく想えた。

 でもやっぱり、その花を誰かと一緒に……。

 

「何でよ……」

 

 うつむくと、地面に温かいものが数滴落ちた。

 

「私が何をしたって――」

 

 その時だった。

 物音。

 遅れて気配。

 幽香の優れた五感が、動揺により遅れながらもそれらを正確に察知した。

 

「だれっ――」

 

 見られてしまった。

 

 ――誰、に。

 

 顔を向けると――。

 

「ぁ、ぃや、私は何も、見て――」

 

 顔を横に逸らしながら、前に出した手を小刻みに動かしている八雲紫がいた。

 スキマ妖怪、八雲紫。

 計算高く、隙が無い。何を考えているか分からず、胡散臭い。

 考えれる限り最悪なやつに見られた。

 そう思った。

 

「ち、違うの、私はただ散歩に」

 

 窓でも拭いているのだろうかと思える手の動きに、幽香はちょっとずつ冷静になってきた。

 

「そしたら、なんか、あなたの姿が、――あ、いや、えっと私は何も見てないのだけど。そう、見てないのだけど? だから、その――」

 

 ――なんでこいつが一番動揺してるんだ。

 

 幽香の冷静さがどんどん高まっていく。

 

「……えっと、八雲紫、だったわよね?」

「え? ち、違うわ、私は――」

 

 ――いや、違わないだろ。

 

「何も見てないもの!」

 

 ――そっちか。

 

「だから、私――」

 

 なんか涙目になってきた。

 よく分からないがなんとなく分かった。

 

「もういいわ。別に気にしてないし」

 

 出来るだけ平然と言った。

 

「え、そうなの?」

 

 紫が顔を上げると、きょとんした顔が見えた。

 そして、

 

「――じゃあ、なんで泣いてたの? 教えて?」

 

 と聞きいてきた。

 デリカシーとは何か。

 その変わりように、幽香は口が開けなかった。

 

「ねぇねぇ、なんで? 気になるわ」

 

 詰め寄ってきた。

 

 ――何こいつ。

 

 幽香は今までのイメージとはまったく違う八雲紫にどうしていいか分からなくなった。

 もっというと、調子が狂った。

 つまり、

 

「実は――」

 

 理由を話してしまった。

 

 

 

 

 

 

 聞き終わると、紫は深く頷いた。

 

「――分かったわ!」

 

 目を輝かせる紫。

 幽香は不安になった。

 

「私があなたを親しみやすくしてあげる!」

 

 何言ってんだこいつ。

 自信満々の面もむかついた。

 

「里でも親しみのある私が指導するんだから、効果は間違いなしよね」

「は?」

「でも、私のレッスンは生易しくはないわよ? 覚悟することね」

 

 やる気に満ち溢れ、ぐっと拳を握りしめる紫。

 紫はスポコン系に憧れていた。

 せっかくの機会である。

 何から始めるか。

 紫は思案し始めた。

 

「まずは――」

 

 紫は得意気に幽香を見やった。

 

「そうねぇ……」

 

 上から下へ、下から上へ。

 じっくり、困惑気味のフラワーマスターを観察する。

 

「うーん……」

 

 何も思い浮かばない。

 しかし、流れ的に何か言わなければならなかった。

 

「う、腕立てとか?」

「何でよ」

 

 即座に突っ込む幽香。

 付き合うのが面倒だから適当にいなそうと考えていたのに、突飛な言葉に思わず突っ込んでしまった。

 発言した紫も、頓珍漢なことを言ったことを自覚していた。

 ということで、取り繕おうとした。

 

「……じゃあ、笑顔とか?」

 

 幽香は呆れ、ため息が出た。

 

「そのくらいもう試してるとは思わないの?」

「……じゃ、じゃあ見せなさいよ笑顔」

 

 口を尖らせる紫。

 後に引けない気になっている。

 

「…………」

 

 幽香は躊躇った。

 というか別に笑顔を見せること自体が嫌なわけではない。ただ、この状況だとどうにも気が進まないだけ。

 

「ほら早く。笑顔、笑顔」

 

 催促。

 幽香はむかついた。

 

 ――誰がするか。

 

 と思ってはみるも、やるまでしつこいだろうということは容易に想像出来た。

 気が進まないが、仕方ない。

 

「別に口角上げるだけよ。わざわざ見せるものでもないと思うけど――」

 

 などと、ぐだぐだと前置きを置きながら、幽香は笑顔を作った。

 瞬間。

 

「ひぃっ」

 

 短い悲鳴。

 紫は二歩程後退った。

 顔は引きつり、上体は後ろへ引いている。

 

「……何よ」

 

 紫の様子に、真顔に戻った幽香がそう聞いた。

 

「――何って、こっちが聞きたいわ。何よ、あれ」

「何って言われても、――笑顔でしょ?」

 

 幽香はまた笑顔を作った。

 

「ぅわ――」

 

 紫は顔を背けた。

 

「どうゆうこと?」

 

 幽香は気づいた。

 

「……もしかして私の笑顔に何か問題があるわけ?」

 

 少し不機嫌そうな顔つきになった幽香だったが、

 

「そうよ。その通りよ。今の眉間にシワが寄ってる方が、マシなほどにね」

「普通に笑ってただけじゃない」

「頭蓋をかち割る音が子守歌ですって顔してたわよ。それが普通の笑みなら、血より紅い素晴らしい日々を過ごしていらっしゃるのね。そりゃ人間はどうしようもないわ。管理者として言うけど、心臓麻痺とかで勝手に人間の数を減したりしないでよね」

 

 幽香の凄惨な笑み。

 その笑みを向けられた者は、即座に自身の肉体のミンチを想像してしまう。

 普通の人間ならば、抵抗するなどは思いつきもせずに、ただひたすらに嵐が過ぎるように時の流れを待つしかない。

 

「……どういうことよ」

 

 幽香の瞳に水分が多くなってきた。

 

「……とりあえず、自然に笑えばいいんじゃないかしら?」

「自然にって、さっきのやつは違うの……?」

「あれが自然って、あなたは極悪閻魔かなにかかしら? まぁ、幻想郷の閻魔は小うるさいやつだけど」

 

 どうやら笑顔がいけないらしいことは分かった幽香。

 

「……どうしたらいいと思う?」

 

 こんな奴に聞くのかという思いはないわけでもなかったが、精神ダメージが大きかったせいか目の前のスキマ妖怪を頼ってしまった。

 

「そんなのは簡単よ。私の言う事を聞く、――それだけでいいのよ」

 

 自信満々に言い放たれたその言葉。

 先ほどの動揺がまだ残っていて正常な思考が出来ないでいる幽香は、そのまま頷いてしまった。

 その様子に、紫は満足気に笑った。

 

「そうね、まずは真似から入りましょうか」

「真似?」

「ほら、例えば……」

 

 立てた人差し指がくるくると回る。

 

「そうねぇ……」

 

 その回転は次第にふらふらと迷うように。

 

「…………」

 

 止まった。

 

「――私とか?」

 

 お前かよ。

 幽香は喉まで出てきた言葉を飲み込んだ。

 紫は自分の出した答えが気に入った。

 

「そうね、ここは私よね。というか私以外の誰がいるの? って話よね」

 

 何故か紫の中で自信が溢れてきた。根拠はない。

 

「…………」

 

 幽香は何も言えなかった。

 このうっさんくさい生き物の何を真似をしろというのか。

 帰るか。

 幽香は紫の存在を気にしないことに決めた。

 背を向け、ふわりと浮かぶ。

 いつものように低速で風がそよぐように。

 

「――あ、ちょっと」

 

 ゆっくりと飛ぶと、肌に柔らかな風が当たり気持ちがいい。

 

「ちょっと、待って待って」

 

 花と風が戯れるような、そんな心地で空を行く。

 慌てるような飛行は、生き急いでる人間のような者がする行為なのだ。

 幽香はその全てを愛でるような心地で、空を――。

 

「あ、家でやろうってこと?」

 

 ――ちょ。

 

 動きが止まる。

 

 ――やめて。家にまで来ないで。

 

 現実に呼び戻された幽香は動きを止め、振り返った。

 

「……何かしら?」

 

 幽香の心境など知らない。

 もう行く気満々の紫は決め顔で、

 

「私、紅茶がいいわ」

 

 と、言った。

 幽香は、

 

「帰れ」

 

 と言い、紫を無視して、家に帰ろうとした。

 いつものようにゆっくりとした飛行ではなく、急いで。

 風? 花? 嵐が来ているのにゆっくりなんてしていられない。

 後ろからついてくる鬱陶しい嵐が気になって仕方がなかった幽香であった。

 

 

 

 

 

 

 家に着いた。

 否、着いてしまった。

 速度まで上げて帰っているのに、このまま帰りつかなければいいのにとさえ思った。

 

 ――はぁ。

 

 幽香は、沈んだ心持ちで家の扉の取っ手に触れた。

 幽香の家の扉には鍵がついていない。

 つける必要はなかった。

 だが今、その必要性をひしひしと感じている。

 

「へー中はこうなってるのねー」

 

 それも、さも当然のように中に入ってきたスキマ妖怪のせい。

 例えカギをかけたとしても、スキマでも作って中に侵入してくることは分かってはいたけども。

 そもそもどうしてこんなことになってしまったのだろうか、幽香は考えても無駄な思考をすぐに止めると、疲れ切ったように脱力した。

 

「で、紅茶は?」

 

 いつの間にか椅子に座っている八雲紫が、くつろぎ顔で幽香を見ている。

 幽香はなんかむなしくなった。

 紫の問いには答えず、帰ってきたばかりだというのに出口にへと向かった。

 癒されたい。

 その一心で、扉を開ける。

 扉が開くと、一面には太陽の花の大パノラマ。

 心が安らぐのを確かに感じた。

 足が一歩、二歩と、意思とは関係なく、歩み出す。

 空気が体を抱擁し、体もまた抱き返す。

 

「ねぇ、どうしたの?」

 

 紅茶はどうなったのかと、わざわざ前にまで回って顔を覗き込んでくる八雲紫。

 目が合った。

 ちょっと驚いたような顔が見えた。

 もうわけが分からない。

 

「――あ、元に戻っちゃった」

「は?」

「せっかくいい笑顔してたのに」

「誰が?」

「あなたよ、あなた」

「……私?」

「そう」

 

 意味が分からない。

 

「よく分からないけど、今あなたが感じていたことを思い出して笑えば、人里でもうまくやれるんじゃないかしら?」

「…………」

 

 花を見ている時のような顔。

 自分では分からないが、もしかしたらそうなのかもしれない。

 試してみる価値はあると思った。

 だが、この場で八雲紫に言葉に出して礼を言うのはしゃくだった。

 そんなこと。

 昔のこと。

 

 

 

 

 

「――っていうの、おぼえてる?」

「おぼえてないわ」

「ちょっと、この紅茶ぬるくない?」

「帰れ」

 

 そんなこと。

 今のこと。



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10話 センチメンタルアイズ・ペンデュラム・???

紫と天子が憑依華参戦ということで急きょ。


 八雲紫の朝はない。

 お昼ご飯が起床の時間であり、また、その時間になっても、わざわざ藍に起こしてもらうまではお布団の中で鼻ちょうちんである。

 もし、それより早い時間、例えば朝、そんな時に起こされたとしても、『やる事ない』と、即座に二度寝を決め込むのが八雲紫である。

 つまり、起こされるイコールお昼ご飯である。

 そんな八雲紫がグットモーニングされることからこの話は始まった。

 

「ちょっと! いつまで寝てるわけ!? もうすぐお昼よ!」

 

 と、大きな声がぐーすか賢者を襲うが、効果はなさそうだった。

 当然である。

 八雲紫は起きる時間だけは、そこそこ規則正しいのである。

 お昼前に起きるなど、異変でもない限りありえない。基本は、遅めに起きることがあるくらい。

 しかし、起こそうとしてる当人はそんなこと知る由もない。

 

「こんな時間まで寝てるなんて、不良天人と呼ばれた私でもないわよ!」

 

 正確には今も呼ばれている不良天人、比那名居天子が紫を揺さぶる。

 無視されるのが一番つらい彼女は、例え寝ていたとしてもそれを許さない。

 

「起きてよ!!」

 

 目が潤んできた天子の願いが叶い、紫に変化が起きた。

 

「んぅ~? もうお昼~?」

 

 目がほとんど開かれないまま、そう言った。正確には、「もうお昼ご飯の時間なの?」である。

 天子は自分の中にあった八雲紫像が崩れるのを感じた。

 ミステリアスで、隙が無くて、美しく残酷に住ね、で……。

 人というのは、自分の中に作った勝手な人物像と現実のとを比較して勝手に裏切られただとかなんとか感じたりするものである。

 

「…………」

 

 天子の動きが止まった。

 思えば、いつからだっただろう。

 天子はこれまでの八雲紫に対しておこなってきたアプローチを思い出す。

 心に刻まれた美しく残酷なソレを感じる度、ドキがムネムネした。

 それまで、勝手に緋想の剣を持ち出そうが何しようが、大きく怒られることなんてなかった。

 衣玖が多少はいさめてくるものの、それだけ。

 だから八雲紫との一件は、天子にとって青天の霹靂となった。

 なんとかしてもう一度会えないかと、博麗神社に何度も顔を出したりもした。

 幻想郷一神出鬼没なスキマ妖怪八雲紫に会うのなら、博麗神社に行くのが一番効果的だと思ったからだ。それに、八雲紫に会えなくたって、あの妖怪神社は充分に暇つぶしにはなるところだった。

 振り返ると、天子は勝ち誇った気分になった。

 今、ここに、私はいる。

 神社で何度も待ちぼうけくらってた時とは違う。

 通常、場所すら知り得ないあの八雲紫の家にいるのだ。

 天子は、紫談義でよく張り合っていた霊夢に対して勝ち誇っていた。

 付き合いの長さ等で、いつも辛酸を舐めさせられていたが、どうだろうか。家にまで行ったのは私が初めてじゃないだろうか、と。

 もちろん家にまでたどり着くのも、簡単じゃなかった。……ような、割と簡単だったような。

 八雲紫の家の所在を知っているのは、当の紫と、その式の藍だけである。

 つまり、天子は藍を狙った。

 忠義に厚い藍に対してどうやって取り入るか、天子は普段あまり働かせない頭を総動員して考えた。幸運にも、天子の頭脳の元々の性能は良く、答えはすぐに出てきた。

 それは――。

 

 

 

 

 

 昨日のこと。

 

「ねぇ、ちょっといいかしら?」

 

 天子は、人里を歩く藍を発見すると即座に声をかけた。

 

「……なんだ?」

 

 藍は眉を寄せた。

 桃の帽子に青い髪。

 面倒な事になりそうな予感しかしなかった。

 ただでさえ、いつも雑務&雑務&雑務雑務雑務に追われているのに、これ以上何か増えてもらっては困る。

 藍は次に天子が何を言おうと構わず、話を切り上げて去るつもりだった。

 

「あの例の一日限定十食の油揚げ、あるんだけど」

 

 帽子に隠れた藍の耳がみょいんと動いた。

 

「――お茶しない?」

 

 藍は考える間もなく、頷いた。

 夕暮れ時にならないと自分の時間を作れない藍にとって、一日限定の油揚げというものはこれ以上ない魅力的な品であった。

 ということで、まんまと茶屋に連れてこられた藍は、天子と向かい合う形で座った。

 座るやいなや、天子が切り出す。

 

「単刀直入に言うわ。私を八雲紫の家に連れて行ってほしいの」

 

 その目は真剣そのものだった。

 だが、藍はその願いを叶えるわけにはいかなかった。

 

「――残念だがそれは出来ない」

 

 藍はきっぱり断った。

 

「ま、そう言うと思っていたわ」

 

 予想通りの展開に天子は、例の油揚げを机の上に置き、これ見よがしに左右に移動させた。

 油揚げの動きと藍の瞳の動きが一致するのを確認すると、天子は次なる一手を打った。

 その一手とは、自分の心の内を素直に語ることだった。

 まず、自分に敵意がないことを深く理解してもらわなければならない。

 一つでは無理でも、二つ、三つと、揺さぶりを重ねていって、目的を達成する。

 これが天子の狙い。

 よって、天子はあけすけに話した。

 恥はとうに捨てた。

 それで八雲紫に会えるのなら、抵抗もなかった。

 夕陽も沈み、空は暗い水色になってきていた。

 

「……っと、ちょっと語りすぎたわね」

 

 天子は話を止めた。

 

「ねぇ、お腹空かない?」

 

 藍はきょとんとした。

 それをよそに、天子は茶屋の店主に視線を送った。

 店主が店が出るのを確認すると、天子は例の油揚げを藍のほうへ押しやった。

 

「これ、あげるわ。話を聞いてくれたお礼。――だから、これにそれ以上の意味なんてないわ」

「いや、しかし……」

「いいから、受け取って!」

 

 しぶる藍に、天子はさらにぐいっと押しやった。

 藍は気づかない。

 この店が普段ならば夕暮れと共に閉めることを。

 店主が外に出ていった理由を。

 

「ついでに、ご馳走するわ」

「は?」

「お腹空いてるでしょ? お金の心配はしなくてもいいわ。それとも、貧乏そうに見える?」

「いや、見えないが……」

 

 ここにきて藍はようやっと不気味な思いをした。

 が、

 

「はい、頼まれたもの持ってきたよ」

 

 店主が帰ってきた。

 そして、藍と天子の前に、二つのきつねうどんが並べられた。

 

「どうも、ありがと」

 

 天子は店主に礼を言うと、大詰めに入った。

 

「食べるでしょ? もちろん、食べたからって何かあるわけじゃないわ。あぁ、でもあなたの主のこと、少し聞かせてくれたら嬉しいわ」

 

 ゆらり上がる湯気に、丼の真ん中に居座るきつねの誘惑。

 しかも、自身の主についてちょっと話せば、目の前のうどんを心置きなく食せるらしい。

 いやしかし、これは何かしらの罠かもしれない。

 藍は、ずるずる言わせながらそう思った。

 

「そういえば、あなたの猫。この間、たまたま会ったんだけど、可愛いわね」

 

 当然、橙は可愛い。

 この天人はよく分かっている。

 悪いやつじゃない。

 藍はずるずる言わせ続けながらそう思った。

 

「話もしたんだけど、ほとんどあなたについての話だったわ。慕われてるのね」

 

 藍の心が温かくなるのを感じた。

 同時に、胃も温かくなっている。

 

「駄目元で、っていうか断ってくれていいんだけど、もう一度言うわね。――あなたたちの家に連れてってくれないかしら?」

 

 出来るだけ天子の望みを叶えたい気持ちにはなっていたが、それだけは難しかった。

 藍は、断る選択をした。

 

「……悪いが、やはりそれは」

 

 その時だった。

 藍は気づいた。

 自身の目の前にあったうどんが、スープも残さずに消えていることに。

 

 ――い、一体、何がっ?

 

 藍が驚愕してる中、天子は悲しそうに言う。

 

「そうよね、分かっていたわ。仕方、ないわね……」

 

 天子の目がうるみはじめる。

 藍の心にダメージが入った。

 

「……ごめん、私、これ、食べれそうにないわ。代わりに食べて……?」

 

 天子は自身の目の前にあったきつねうどんを藍に差し出した。

 

「二杯目でお腹いっぱいで食べれなかったら、やっぱり私頑張って食べるから……」

 

 藍は目をぱちりまばたいた。

 

 ――に、二杯目?

 

 そういえば、胃の辺りに何か食べた後のような感触がある。

 視線を下に落とすと、空の丼。

 藍はようやく自分が食べたことに気づいた。

 

 ――食べた気がしない。

 

 せっかくのきつねうどんが、自分が感知しないうちに自分が食べてしまったという事実に打ちひしがれそうになった。

 

 ――いや、そういえば。

 

 もう一杯、ある。

 天子からの分。

 

 ――だが、しかし……。

 

「やっぱ、いらない? そうよね、ごめん。無理言って……」

 

 しおらしい天子。

 藍の罪悪感がマッハ。

 

「いや、食べよう。何も気にすることはない」

「ほんとっ!?」

 

 天子は腰を起こし、丼を取ろうと伸ばした藍の手をぎゅっと握った。

 

「ありがとっ!」

 

 天子はたたみかける。

 

「……本当は、あなたの主ともこうやって話したり、ご飯食べたり出来るといいんだけど、――あ、いやごめんなさい。あなたとこうやって会えたのも、もちろん楽しいわ。でも、考えてしまうの、あなたと私と、八雲紫、三人でご飯食べれたらな、って。あなたたちの家にお呼ばれして、あなたの手料理を食べれたらな、って」

 

 藍の天子への警戒はとかされていた。

 橙は卑怯だった。

 それに、天子の眼差しにはよく覚えがあった。

 

「……考えておこう」

「――ほんとっ!? ありがとう!!」

 

 天子は喜びを前面に露わにした。

 藍は正直まずったと思いながらも、発言を撤回する気にはなれないでいた。

 だってそれは、いつも自身の主が使う手だったから。

 涙目で押しに押されると藍は断れないようになっていた。

 そうやって何度も何度も何度も何度も紫の願いを叶えてきた。

 もう、あらがえない。

 

「――いや、分かった」

 

 藍はついにその一言を口にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 というような経緯があって、天子は八雲紫の家にいるわけだった。

 天子は、ぐーすか二度寝を決め込む紫を見下ろし、言った。

 

「いやでも、この八雲紫を霊夢は知らないはず……」

 

 天子は霊夢より一歩、いや二歩、いや一億と二千万歩くらい進んだ気がした。

 しかし、起きない。

 これではどうしようも……。

 そう思った天子にあるひらめきが生まれた。

 それもとっても魅惑的な。

 

「……せ、せっかくだし」

 

 天子は紫が起きないのをいいことに、するりと紫に寄り添うように布団にINした。

 紫の温もりを感じると、天子は緊張の類が全てとけた。

 そして、そのまま――。

 

 

 

 

 八雲紫は起きる時間だけはそこそこ規則正しい。

 例え藍に起こされずとも、お腹が空いて起きる。

 よって、紫は目覚めた。

 

「……ん? えぇ?」

 

 そして、すぐに横の物体に気づいた。

 幸せそうに寝ているそれを。

 

「え、えぇ? え、え、えぇ?」

 

 紫は目を白黒させた。

 

 ――これは一体、どういうことなのか?

 

 目の前の情報だけで考えると、どう考えても朝チュンだった。

 起き上がろうとすると、腕に抱きついた天子で起きれなかった。

 どう考えても朝チュンだった。

 

「ちょ、ちょっと?」

 

 紫が天子に触れると、天子の幸せそうな顔がさらに増した。

 どう考えても朝チュンだった。

 

 紫は知らなかった。

 気をきかせた藍がわざと起こさないでいたことを。

 紫は知らなかった。

 この先、ちょこちょこ天子が遊びに来るようになることを。

 

 藍は知っていた。

 説教くらうことを。



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11話 温もりを感じるにはまず寒さを

たまにはゆっくり


『私、風見幽香。 花の十七歳よ☆ 花だけにね!』

 

「うんうん、いいわね」

 

 とある小さな部屋。

 壁いっぱいの本棚。

 積まれた本の群れ。

 独特の本の匂い。

 いわゆる書斎。

 書斎の中央に低い木の机。

 机の上には紙。規則正しい赤い線がいっぱい。

 つまり、原稿用紙。

 この部屋は、昨夜、急に出来た。

 空間の隙間をちょちょいちょいとして作られた。

 作ったのは自身のつづった一文に子どものような笑みを浮かべる八雲紫。

 その喜びのまま、手が動く。

 

『私、今、恋しちゃってるんだ☆』

 

 鼻歌ふんふん。

 

「――紫さま、私は知りませんよ」

 

 そんな紫に話しかける者。

 といっても、紫にさま付けする者は藍か橙以外にはいない。

 

「今いいとこなの。邪魔しないで」

「それ、どうするつもりですか?」

「もちろん天狗に協力してもらって幻想郷中に発表するのよ」

「もう一度言いますよ、私は知りませんよ」

 

 藍は念を押す。

 

「一体何だってのよ。どこが不満?」

「不満ではありませんよ。ただ私は紫さまの式として紫さまの安寧を想い、申してあげているのです」

「もういいから、さっさと言ってしまいなさいな」

「でははっきり言いますね。紫さま、後で必ず例の花の妖怪に付け狙われますよ」

「何? 覗いたの? 悪い趣味ねぇ」

 

 にやにやとした笑みで紫は、手元の原稿用紙を手で覆った。

 

「これは傑作になる予定なんだから、今読んだらもったいないわよ」

「どうせ完結までもってけませんよ」

「何? 途中で私が投げ出すっていうわけ?」

「はい」

 

 藍は決まった事実を述べるように、短くそう言った。

 だが、万が一、万が一がある。

 

「例え、完結したとしてもです」

 

 もしくは。

 

「紫さまのことだから、途中で我慢出来なくなって話半ばで天狗に持っていくことも考えられます。……まぁ、どっちだろうと関係ないのですけど」

「じゃあいいじゃない」

 

 なんのこっちゃ分からない紫。

 

「いいですか、紫さま。許可は取りましたか?」

「許可?」

「風見幽香にですよ」

「何で?」

「……知りませんよ?」

「何よ、勝手に登場させるのが問題だっての? そのへんはぬかりないわ。私を誰だと思っているの? 賢者よ? け・ん・じゃ」

 

 けんじゃ。いやじゃと書いて嫌邪。

 

「ほら、こんなに親しみやすい可愛いキャラクターにしてるのよ? 何の問題があるっていうの? ――っあ、もしかして、感謝の気持ちでいっぱいになった幽香が想いのあまりに私を付け狙うってこと? あらやだ、サインの練習しなきゃ」

「弟子は師匠に似るって言いますが、その通りのようですね。霊夢と同じで、異変でも起こってスイッチ入らないとこの調子なんですから」

「あら、日々を楽しむにはノビノビと生きるのが肝要よ? だから私は本とか書いてみるのよ。別に某さとり妖怪の真似なんかじゃないのよ、うん」

「そうですか。では、その調子で頑張ってください。何度目になるかは知りませんが、私、本当に知りませんからね」

 

 藍が書斎から去っていった。

 

「……まったく、藍は心配性なんだから」

 

 紫は気をとりなおして、再び原稿用紙に向かった。

 

 

 

 

 夕飯。

 紫の顔が硬かった。

 

「紫さま? どうかなされましたか?」

 

 と、藍が聞いたが、

 

「……いえ、なんでもないわ」

 

 紫は答えなかった。

 その様子に藍は、やれやれとため息をついた。

 

 

 

 夜更け。

 紫の顔は、薄暗い部屋の中、くすんだ彫刻のようになっていた。

 

「書けない……」

 

 ずーんと、痛くなること必至な様子で首をもたげている。

 

「進まない……」

 

 声が深海にまで沈んでいる。

 計画もなしに書き始めたのが悪かったのか、それとも恋しちゃってる一七歳ゆうかりんに無理あったのか。

 とはいえ、原因を求めるのも意味はない。

 詰まっている原因を解消したところで、それが先に進む要因にそのままなってくれるかどうか分からない。

 案外解決策というのは、そういった思考のらち外から現れたりする。

 

「お茶、入れましたよ」

 

 どうせこうなるだろうと見越していた藍は、言葉通りお茶を入れて書斎にやってきた。

 

「……藍」

 

 振り返った紫の瞳はうるうるしていた。

 藍は内心後退した。

 

「さすが藍ね……。さすが私の式……」

 

 勝手に感極まったゆえに出てきたセリフだと知りながらも、そう言われて嬉しくないことはない。にやけそうな口を押しとどめ、冷静を保とうとする。

 

「大袈裟ですよ。それより、もうお休みになったらどうですか? この調子だと夕陽が出るころまで寝ることになりそうですよ」

 

 藍が原稿用紙に視線をちらりとやった。

 まるで進んでなかった。前に来た時から一行も進んでいなかった。

 

 ――心配する必要もなかったか。

 

 藍はほっとした。

 万が一、これが幻想郷に広まりでもしたら、と事後処理に駆け回る自分を恐れていたが、この調子ではとてもじゃないがそんなことは起きそうになかった。

 このまま諦めてくれ。藍はそんな思いを込めて微笑み、言った。

 

「今日はここまでにして、次はまた明日にすればいいじゃないですか」

 

 そっと背に手をやる。

 

「……藍」

 

 藍を見る紫の目には悲しみが映っていた。

 

「でもね、藍。私、多分このまま寝たらもう飽きて次書くことはないと思うの」

 

 藍の微笑みがぎこちなくなった。

 

 ――よく分かっていらっしゃる。

 

 的確な自己分析を下した紫に、藍は苦々しく思った。

 

「それにね、私、思うの。あなた、もしかして、それを狙ってるんじゃないかって」

「……そんなことないですよ」

 

 藍は震える喉を必死に統制する。

 

「本当に?」

「えぇ、本当にです」

「そう」

 

 紫は気づいていた。

 搭載されている頭脳は一級品どころではない。

 問題は使い方である。

 思い込み。

 今書いているのを続ければ幽香は間違いなく喜ぶはずだという、あり得ない思い込みがその頭脳の使い道をおかしくしてしまっている。

 

「じゃあ聞くけど、あなたはどうやったらこの話が進むと思う?」

「はぁ」

「はぁ、じゃなくて」

 

 曖昧な返事をうつ藍に、紫は答えを急いた。

 もちろん、藍の頭脳も一級品どころではない。

 自分と主との齟齬。心配している事柄の差異。それに気づいた。

 しかし、そのまま伝えるのは忍びない。

 というか、伝わる気がしない。

 だから藍はちょっとした賭けにでた。

 

「主人公の設定がよくなかったのではないでしょうか?」

「え? つまり幽香のせい?」

「あー、そうですそうです、そのせいです」

 

 話を進めるために流した。

 

「それでですが、主人公を紫さまご自身とするのはどうでしょう?」

「え? 私?」

「はい」

「でも私が主人公になっちゃうと、何でも出来る万能系主人公になっちゃってお話が面白くならないと思わない?」

 

 間違いは正さなければいけない。

 藍は使命感に燃えた。

 

「紫さま、いいでですか? 残念ですが紫さまのイメージでは、黒幕、または黒幕に気づきながら他の者にどうにかさせようとする性格が悪い上に人使いの悪い超ウルトラルナティック性悪妖怪というイメージを持っている者が多いことを忘れてはいけません」

 

 後半になるつれて、語気が強まっていった。

 無理もない。

 その全ての尻拭いは藍がやっている。

 

「……なんか最後の方、私情が――」

「入ってません」

「いやでもなんか」

「入ってません」

「そう?」

「はい」

「本当に?」

「えぇ、もちろんです。偉大な紫さまの式である私がそのようなことありえません」

 

 たしかに偉大な賢者の式がそんなことをするとは思えない。

 そう思えながらも、どこか釈然せず、自然と視線を下へやった。

 すると、長らく変わらないままの原稿用紙が見えた。

 にらめっこなら優勝間違いなしだろうってほどに、変化が無い。

 息を吐く。

 だが重くなった肺は軽くはならない。

 

 ――諦めようか。

 

 そんな考えがよぎる。

 

 ――いや、まだ。

 

 すぐに打ち消す。

 意地というかなんというか、とにかくおさまりが悪い。

 すっきりしたい。

 再び筆をとった。

 そして、原稿用紙のマス目の中に筆先を下ろす。

 もう、藍がいるのも頭の外側の外側にまでおいやった。

 紫は思考ではなく感覚として、この先筆が動くだろうと思った。

 そして筆が――。

 

「……動かない」

 

 何故だという疑問を溢れる程に乗せられた呟きだった。

 

「紫さま、やはりお休みになられては……」

 

 心配そうな藍の顔。

 紫はため息を吐いた。

 

「……藍」

 

 紫は静かに立ち上がった。

 立ち上がった紫に、藍はほっと安心のため息を吐いた。

 

「布団はもう敷いてあります。ごゆっくりお休みください」

 

 出来た式に紫の内に感謝の想いが満ち溢れた。珍しく。

 

「……藍、ありがとね」

「紫さま……」

 

 藍は胸がじーんときた。

 

「そうよね、いつも頑張ってもらってるものね」

 

 うんうんと紫はしみじみ頷いた。

 

「紫さま?」

「よし、明日はゆっくり休みなさい。代わりに私が色々しておくから」

「……紫さま?」

「じゃあ、お休み」

 

 書斎から出る紫を見つめる藍の顔は、なんともいいがたい妙な顔になっていた。



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12話 他人のものはたいへん美味しいものです

「――ということなんだけど、どうしたらいいと思う?」

 

 白玉楼にうにょりと生え出た紫は問いかけた。問いかけられた亡霊は縁側でゆっくりお茶をすすっていた。そのお供は白玉。白玉楼で白玉を食べるというオツなことをしている亡霊はここの主、西行寺幽々子、人呼んで食いしんぼうれい。

 

「その『ということ』が何なのかは分からないけど、『アレ』しちゃえばいいんじゃない?」

「えぇ? アレ? でもアレは……」

「いいじゃないアレ」

「そう? でも『アレ』って何のことかしら?」

「ほんとね。私も気になるわ~」

 

 そんなことより白玉と、適当に流す幽々子であったが。

 紫には通じない。

 どんな球でも打ち返してみせると、食らいつく。

 最初だけ一緒にいた妖夢は即座にこの場から去り、庭先で剣を振っている。

 

「――で、何の用だったの?」

 

 妖夢を遠目に、幽々子は言った。

 紫も妖夢を眺めながら、事のてんまつを語りだした。

 

「かくかくしかじかで、いつも頑張ってる藍を休ませようと思ったんだけど、なんか反対するのよ」

「あら、どうして?」

 

 ゆっくりしたらいのに。

 主が主だからおかしくなちゃったのかしらと、幽々子は自分のことは棚に上げるどころか、棚も、棚に上げるものも認知していなかった。

 紫は幽々子の言に答える。

 

「それがね、『私が休むと、紫さまによるあれやこれで、家の中が目茶苦茶になってしまいます』なんて言うのよ? そんなわけないのに」

「それはきっとあれね、気負いすぎてるのよ」

「気負いねぇ……」

「よかったじゃない。紫が休ませたおかげでその気負いもきっと抜けるわ」

「だといいんだけど。でもあの子、最近頑張りすぎてるから……」

 

 ちょっと休んだだけでどうにかなるのかしら。

 紫は口をとがらせた。

 

「大丈夫よ。きっとあなたの気づかいは届いているわ」

 

 幽々子は紫の心の声が聞こえていた。

 回りくどい分かりづらいめんどくさい。そんな会話をさせたら幻想郷でトップ争い出来る二人である。この程度はお茶の子さいさいである。

 

「だいたい従者なんてのはそんなものなのよ。うちの妖夢も、たまには休んだら? って言ってるのに、あの調子よ?」

 

 視線の先には、刀をふんふん上げ下げして、呼吸器を鍛えてる妖夢がいる。

 

「まだまだ未熟。あの子、半人前って言ってるに、その意味すら分かってないのよ」

 

 幽々子はため息をつきながら、急須を傾けた。

 流れ出る香り高い緑を湯呑みで受け取る。

 

「自分で気づくようにあえて遠回しにして、直接言わないようにしてるのに。そのせいで私たち、知ってるくせになかなか素直に教えない回りくどいやつって思われてるのよ? 損よねぇ」

 

 ちゃぼちゃぼと、心落ち着く音。

 幽々子の毒は止まらない。

 

「一番いい形で教えてあげてるのに、分からない自分のせいにはしないでこっちを責めるんだから。まったく、やになっちゃう」

 

 見た目は少女なのに、口が動くとどうしても年季が感じられる二人である。

 年をとると、どうしても愚痴っぽくなってしまうのかもしれない。

 

「――そうだわ!」

 

 相づちをうっているだけだった紫は突如閃いた。

 おそらく紫の友人なんかしている幽々子や萃香以外が聞くとげんなりしてしまいそうな、そんな楽し気な紫の声。

 

「藍の代わりに家の掃除とかやってあげるわ!」

 

 『イエノソウジ』。紫の喉から発せられたその音をもし藍が聞いたならば卒倒したに違いない。まさか、よりにもよって『イエノソウジ』とは。困った時の神頼み、もはや神なら何でもよく、2Pカラーの現人神巫女でもよかっただろう。

 奇跡は起こらない。

 ここには『イエノソウジ』を止めるような者はいない。

 いるのは、食いしん亡霊と、みょんな庭師だけである。

 したがって、災厄をもたらすであろう紫の無慈悲な進撃(イエノソウジ)計画は止まらない。

 

「ついでに夕ご飯も用意しちゃおうかしらっ」

 

 早くもるんるん気分になった紫。新婚気分なのかと突っ込みをいれてしまいそうであるが、触らぬ紫にたたりなし。

 やはりそんな紫に自ら付き合おうとするのは、数少ない友人くらいである。少ないとはいえゼロではない。せつなくない。

 そもそも友人といっても、それは相互に友人と思っているかどうかも別な話であるわけで。例えば紫が一方的に友人認定している某お花の妖怪などは、『ユウゴハンノヨウイ』と聞いたならば、トラウマに苛まれながら、台所を破壊せん勢いで紫の行為を阻止すると思われる。

 つまり、常識を持ちながら、かつ紫に進言出来るものであればはっきりとこう言うに違いない。

 「お願いですからやめてください」と。

 紫から漏れ出している鼻歌などは、昇天への子守歌にしかならないのだ。迎えに来るのが天使であろうが天子であろうが救いはない。

 しかし、あの世はあの世でも亡霊であればどうであろうか。

 

「紫、それには問題があるわ――」

 

 幽々子の顔は真剣そのものだった。

 

「……幽々子?」

 

 紫は思い返す。

 幽々子のそんな顔を見るのはいつ以来だっただろうか。

 春雪異変の時だって、見なかった。

 以前見た時は確か、そう、食べ物の――。

 

「……私は生まれて死ぬまでお嬢さまよ。そして死んでからも、お嬢さま。――分かる? 私は食べる専門なのよ。つまり料理なんて出来ないの」

 

 力強い目。

 

「そして、紫? 私はあなたが料理が得意、いやそれどころか満足に出来るとは聞いたことがないわ」

 

 幽々子はこと食事に関してはリアリストだった。

 

「紫の手料理、興味あるわ。でもね、私、美味しいものしか食べたくないの。ごめんなさい。でも分かってほしいの。これはただの勘なのだけども、なんか紫が台所に立つと、寿命かと勘違いした死神がやってきそうなの。出来上がったものに箸を入れて割ると、中から反魂蝶が舞い出してきそうなの」

 

 あんまりの言い様である。

 紫がだんだん涙目になってきた。

 

「で、でも幽々子、あなた亡霊じゃない。何が飛び出してきても大丈夫じゃない?」

「違うわ。そうじゃないの」

 

 幽々子は首を振る。

 『私、美味しいものしか食べたくないの』と、再び繰り返しそうになったが、気づいていない友人への優しさで気遣った。

 代わりに――。

 

「妖夢を連れていきましょう。私たちは手伝いをすればいいのよ。ね? いい案じゃない? ね? ね?」

「……そうかしら?」

「そうよ、そうなのよ」

 

 紫は従うことにした。

 あの幽々子がここまで断定的に言うとは。ここは幽々子を立てておこう。

 紫の友人への気遣いである。

 

「ということで妖夢、そういうことだから」

 

 特に大きな声でもなかったが、少し離れた位置にいる妖夢にはっきりと聞こえた。

 

「――え?」

 

 だが話にまではついていけない。

 

「……幽々子さま?」

 

 妖夢は、ご機嫌うかがいするように幽々子のそばまで歩いて来た。

 嫌な予感しかしていない。

 

「説明は後よ。時は無慈悲。どんな美味しい食べ物でも時間が経てば腐ってしまうの。お団子の幽霊なんてまだ見たことないの」

「……え?」

 

 何のことか分からないが、とにかく嫌な予感だけは当たりそうだった。

 

「さぁ紫、行くわよ!」

 

 いつの間にやる気を出したのか分からない幽々子が立ち上がり、紫を急かす。

 

「――そ、そうね」

 

 紫は家にまでつながった隙間を作った。

 

 

 

 

 

 着いた。

 さすがの隙間。一瞬である。

 玄関。

 紫は口を大きく開けた。

 

「藍ー? いるー?」

 

 耳をすませる。

 ……何も聞こえない。

 狐ならぬ鬼はいないようだ。

 

「いないみたいね」

 

 紫は悪い笑みをした。

 盗みに来た泥棒のようである。

 

「きっとあれね、休めって言われても何すればいいか分からなかったから橙のところにでも行ったのね」

「きっと当たっているわ、名推理ね」

 

 実は当たっていた。適当に相づちを打った幽々子もびっくりものの名数理だった。

 

「それにあれね、マヨイガまで着たはいいものの家の様子が気になって、もう帰りたくて仕方なくなっているに違いないわ」

 

 名探偵紫ちゃんの推理は続く。

 

「きっち私が家事をしようとしてしっちゃかめっちゃかになってると思ってるんじゃないかしら。でも残念ね。それは万に一つもあり得ないのよ」

 

 全て当たっていた。

 思考をスキマで覗き見たのではないかという程の推理を披露する紫。

 それからもぶつぶつ推理を披露した。

 

「ね、幽々子!」

 

 紫が振り返ると、居心地悪そうな妖夢しかいなかった。

 

「あれ? 幽々子は?」

 

 妖夢が実に応えにくそうに答える。

 

「すでに壁を抜けて中へと……」

「あら……」

 

 急がなくちゃ、と紫は頬に手を当て、家の中へ入った。

 妖夢は入りづらい心持ちで、後に続いた。

 

「幽々子~? どこ~?」

 

 とてとて歩いてくと、ふいに声が聞こえた。

 

「ここよー」

 

 奥の部屋、あれはたしか……。

 紫ははっとした。

 

「ちょ、ちょっと幽々子!?」

 

 どたどたと足音を響かせた。

 向かうは、自室。

 

「はらひゅかり、はやひゃっははね(あら紫、早かったわね)」

 

 紫はがくっと膝をついた。

 

「私の、お菓子……」

 

 やわらかなシフォンケーキ。

 紫が藍の冷たい視線にさらされながらも、用事の帰りがけにコンビニで買ってきたもの。

 

「あれ? よく見れば……」

 

 幽々子の口元には、また別のものが。

 

「そ、それはあの店のプリンっ……」

 

 ピンク色でファンシーなきゃっきゃうふふなお店に、少なくない抵抗を感じながらも、意を決して買ってきたものだった。

 

「せっかくだからね。いやでも、美味しかったわよ」

 

 紫の頭が高速で動く。

 幽々子に食べられたお菓子を買い直すために必要なこと。

 チャリン。

 コインの音が頭の中で鳴った。

 お金、足りない。

 最大の障害だった。

 紫は自身のお小遣いの残りを何度も何度も思い返した。十や百、繰り返せば増えやしないかと。そんな思いで何度も頭の中で数え直した。しかし例え増えても、現実の硬貨の枚数は変わらない。紙幣の存在は無から有にはなり得ない。

 終わった。

 こんちくしょう。

 今度幽々子に何か高いものを奢らせよう。

 金持ちお嬢さまなのだから、遠慮なくたかれる。

 そんな紫の思考を読んでいたようなことを、幽々子は語りだす。

 

「紫、いつも甘味処の支払い私にさせるから」

「え?」

「いつかこんな機会があったら――って思ってたのよ」

「えぇ?」

 

 紫は幽々子の意図に気づいた。

 こいつ、元々手伝いに来る気などさらさら無かった。

 紫は奥歯をギリっと噛んだ。

 

 ――友達と思っていたのに。親友だと、……かけがえのない友だと!

 

 復讐しなければ。

 紫は決意した。

 この腹ペコ亡霊になんとか一矢報いようと。

 

「ねぇ、幽々子」

「なぁに?」

 

 紫はつとめて冷静に、表情を表に出さずに。

 

「ここに来る前、たしかに言ったわよね?」

「何を?」

「手伝う、と」

「えぇ、言ったわね」

「そう、それはよかった」

 

 言質は取った。

 紫の表情筋が早くもぐらついた。

 

「じゃあ、何してもらおうかしら……」

 

 紫はにやついた。

 理由は知らないが、嘘をついた幽々子を見たことがない。

 さて、何をやらせようか。

 紫のにやつきが深くなる。

 洗濯? 掃除? なんでもいい。お嬢さまの幽々子が満足に出来るわけがない。あたふたしているところを笑いながら、お手本、いや手伝ってさしあげればいい。

 

「ふふっ」

 

 ついに声にまで出てきた。

 

「あ、紫。言い忘れてたんだけど」

「ん、何かしら?」

 

 紫の声がもう明るい。

 すでに得意気になっている。

 

「私、家事とかしたことないのよ」

「あぁ、なんだそんなこと。いいのよいいのよ、こういうのは気持ちが大事なのよ」

 

 有頂天な紫は次の一言で体が一時停止した。

 

「そう? 紫の家の中めちゃくちゃにならないといいけど……」

 

 紫は急に冷静になった。

 

「ほら、あなたの式が帰ってきたら、その惨状を見て悲しむかもしれないわ」

 

 悲しむ?

 そんなわけがない。

 絶対に怒って、数日晩御飯のめにゅーが極端に質素になる。

 そんなこと絶対にダメ。

 幽々子にさせられな……。

 

「あ、あれ……?」

 

 考えてみると――。

 これ、詰みだ。

 幽々子には手伝わせれない。

 もうすでに私のお菓子は幽々子のあるか分からない胃袋の中。

 つまり私の復讐は……?

 

「ごめんね、紫。でも私思ったのよ」

 

 なんだ、これ以上どうやって私を追い詰めようというのか。

 

「紫の家、もう充分片付いていると思うのよ。だったらわざわざここを散らかすようなことしないで、私の家で皆でご飯食べればいいだけだと思うの」

 

 あ、あれ……?

 妥当だ。妥当すぎる。

 

「もちろん我が家にご招待、つまり紫はお客さんなんだから、奢りよ。前金はすでに頂いたのだし」

 

 ゆ。

 

「幽々子っ!」

 

 紫は幽々子に抱きついた。

 ふんわり柔らかかった。

 亡霊だけど。

 

「ごめんねっ、幽々子っ。私、私っ……」

「いいのよいいのよ」

 

 罪悪感に目が潤む紫。

 

「どうせ最初からそのつもりだったんだから」

「え?」

「でもなんか美味しそうなものあったから、つい貰っちゃっただけなのだから」

「え?」

「時々外の世界に遊びに行くのだけど、お墓の前の食べていいですよって置いてあるお菓子っていつも似たようなもので食べ飽きてたのよ」

「え、えぇ?」

 

 いろいろ突っ込みたいことはあったが、まず――。

 

「それは幽々子用のものではないわ!」

「えぇ!?」

 

 幽々子は今日一番の驚いた顔をした。



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