女神が堕ちた、その後に (らるいて)
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女神が堕ちた、その後に

 深夜。人通りも、虫の鳴く声もない。ひたすらに静かな公園の片隅に、白い生物が丸まっていた。使い古した雑巾の様にくたびれ、艶の無い、薄汚れた存在。名をインキュベーター。人々に知られることなく、この世の悪性の全てを受け入れる世界のゴミ箱と成り果てた外宇宙生物。

 そんな存在に一歩、一歩近づく。足音に反応したインキュベーターはいつものようにこちらを見上げる。俺を認識したこの生物は、濁り切ったその瞳にわずかな光を浮かべる。死に体の肉体を立ち上がらせて、四本の足で俺の足元にすり寄ってくる。救いを求めるように期待を堪え切れない様子で、慣れていないだろう笑顔を浮かべる。足元まで近づき、影と重なったそいつを打ち上げる。影が実体を持ち、打ち上げられたそいつを追う。巨大な口を形成しせまる影に、インキュベーターは抵抗するそぶりすら見せず安心しきった様子で呑み込まれて消えた。

 仕方のない事なのかもしれない。人類の悪性を一身に受けるその種族は勝手に死ぬことすら許されない。この種族にとって唯一、過酷な運命から逃れることのできる方法である俺という存在は、ある種の救世主のようなものなのかもしれない。かつては敵意を抱いた相手に憐れみを抱きながら、食べなれた味を楽しむ。やはり、おいしい。チビチビ悪意を食べるよりもよほど効率も良く力が付くし、味も濃厚だ。インキュベーターは救われる。いいことづくめだ。

 

 

 

 「おかえりなさい」

 

一仕事終え、仮の自宅に帰った俺を迎えたのは恩人にして共犯者兼上司、そして願望も混ぜるならば相棒でもある暁美ほむらだ。古今東西、あらゆる魔法少女を救い女神となった鹿目まどかを、再び人間に堕とした悪魔だ。神の敵対者だから悪魔だそうだが、俺を救ったのは女神ではなく悪魔だった。キリスト教では悪魔とは元々他宗教の神であったものが多いという。であれば、目の前でソファに腰かけ読書する彼女こそ俺の女神に他ならない。

 

「どうかしたの?」

 

じっと顔を眺めていると、流石に気が付かれたようで声を掛けられる。正直に答えるのも躊躇われるのでそれっぽい話題を返す。

 

「鹿目まどかの様子はどうなんだ? そろそろ限界なんだろう?」

「……そう、ね。長く見てもあとひと月、持たないでしょうね」

「そうかい。諦めるつもりはないんだろう?」

「えぇ、最後まで、徹底的に足掻いて見せるわ。だから――」

「――分かってる、分かってる。最期まで付き合うから。邪魔する他の連中を抑えればいいんだろう? 簡単、簡単。それよりも勝ち目が薄いのはそっちじゃないか」

「分かってても、そういうのは言うものじゃないわ。それに、絶望的な戦いにも慣れてるのよ。知ってるでしょう? それから、孤独な戦いにも、ね」

 

冗談めかして笑うほむら。鹿目まどかは女神で、暁美ほむらは悪魔だ。女神の力の一端を奪い人間に堕としたとはいえ、やはり力の総量では女神に遠く及ばない。そうそう長時間封じ続けておくことはできない。現実にあとわずかな時間で女神は覚醒する。だが、ほむらの言葉は虚勢と呼ぶには力強く、自信が籠もっている。

 

 かつて、世界が二度書き換えられる前の、鹿目まどかが人間だった世界でほむらと俺は最強の魔女ワルプルギスの夜に戦いを挑んでいた。彼我の戦力を考えれば到底勝ち目のない戦いに、幾度となく時間を巻き戻し挑み続けていた。俺は途中参戦であるからそれまでは真に孤独な戦いだっただろうに、よく耐えていたと驚くばかりだ。かつての彼女は今ほど振り切れておらず、いつ心が折れてもおかしくなかったものだが。とにかく、選択ミスで鹿目まどかが女神となってワルプルギスの夜との戦いはうやむやに終わってしまいはしたが、ほむらは強い。心も体も強くなったというのが正しいのだろう。

 世界を女神に書き換えられた後、自己認識すら曖昧なまま世界の狭間を漂い続けていた俺が、魔獣として彼女に再会するまで、完全に孤独な世界で彼女は戦っていた。ただ一人、戦友すら失い、全てを知るのは己だけという有様で、己の正気さえ疑ってしまうほどに消耗した彼女はそれでも戦っていたのだ。偶に、今でもそのことを皮肉られるが、それはよほど寂しかったのだろうと補完するとして。それを言われてしまうと頭が上がらないのが現実なのだ。

 

「それは、まぁ。知ってるけど。うん。ごめんなさい」

「何を謝るのかわからないわ。分からないけれど、受けましょう」

 

それから、ほむらは読書に戻る。そんな彼女を眺めて、また気づかれる前に視線を手元の絵本に移す。物語なんて言うのは、小難しい小説なんかより、これくらいの方がわかりやすくて面白い。何より、愛と勇気が勝つ物語というのは面白いのだ。人魚姫みたいなちょっぴりビターな結末も当事者から見れば幸せだろう。それがきっと愛のお話なんだ。本当は彼女も、鹿目まどかと一緒に過ごしたいんだから。そのためなら、僕はどうなってもいいんだ。元々、存在し得ないモノなんだから。どうか、僕の女神に救済を。彼女は俺と違って始まりから邪悪なものではないのだから。

 

 

 

 三週間の時が流れた。そして、とうとう今日。女神が目覚めた。世界は悪魔に歪められた姿から、女神が定めた姿に戻ろうとしている。今日まで備え続けてきたとはいえ、女神とその仲間たちの戦力は俺とほむらを上回っている。そんな差をわずかでも埋めようと、魔女の結界を、もとい悪魔の世界を作り出す。かつて女神を堕とすことに成功したあの時よりもはるかに強力になった世界に女神と魔法少女たちを誘い込んで、迎え撃つ。

 それでも、強力な筈の使い魔達は雑草のように薙ぎ払われて、微かに足を遅らせるだけに終わる。事実、結界を形成して一時間も立つ前に、彼女たちは俺の前に現れた。ほとんど顔を合わせたこともない彼女たちの一部を俺は一方的に知っている。先頭に立つのはやはり鹿目まどか。その後ろに美樹さやか、巴マミ、佐倉杏子、他、多数の魔法少女たち。かつて、最初の世界で喰らった事のある気配もいくつかある。この時代ではすでに消滅した魔法少女たちの筈だが、女神が目覚めたことで、円環の理の先から現れたんだろう。つまり敵戦力は歴代魔法少女全員。味方は悪魔が一人と、魔女擬きが一人。絶望的な戦力差に笑いがこみ上げる。

 鹿目まどかは攻撃を加えるよりも前に話しかけてくる。

 

「あなたは誰なんですか?」

 

その言葉に微かに落胆する。予想はしていた。鹿目まどかの性格を考えれば、僕を放置するのは在り得ない。だから、僕の事を認識できていないのだろうという仮説は、俺にとっては考えつくものだった。ほむらにはいっていない。止まらないだろうが、彼女が鹿目まどかの手を振り払ってしまう可能性はわずかでも下げておきたかった。

 希望が絶たれて少し悲しいが、むしろ覚悟ができて好都合というものだ。内心を可能な限り隠して、彼女に答える。

 

「さて、誰だと思う? 魔法少女ではない。見ての通り男でね。当然魔女でもない。君が存在している限り生まれ得ない。魔獣でもない。全ての悪意をインキュベーターに押し付けているこの世界ではそんなものは生まれない」

 

連中の様子をうかがう。鹿目まどかは真剣に、後ろの連中も同じ表情でこちらの話を聞く。これではだめだろう。

 

「もちろん、悪魔でもないよ。彼女が悪魔だというのなら、俺はそんな高尚なものには成り得ない。彼女に魅入られたという意味では邪教徒、あるいは悪魔憑きなんて言葉がふさわしいのかもしれない。いやさ、正直な話、自身をなんと形容すべきか自分でも悩んでいてね。此処は一つ、貴方達に名前を付けてもらえないだろうか」

 

煙に巻くように演技してみると、流石に彼女たちも腹が立ったようで一部の魔法少女が敵意を感じる。性質上、人の悪意には敏感なのだ。だが肝心の鹿目まどかは変わらない様子でこちらに声を掛けてくる。いや、悲しそうに、だ。

 

「確かにわかりません。私にはあなたの事がまるでわかりません。他の事ならわかるのに、貴方の事だけが抜け落ちているようにわかりません。でもありがとうございます。貴方はずっと、ほむらちゃんに寄り添っていてくれたんですよね。私がどうにもできない状況でも、貴方のおかげでほむらちゃんは救われていた。だからきっと、あなたはほむらちゃんの王子様なんです!」

「な――」

 

――ありえない。正直在り得ない。気持ち悪い。なんだこの女は、女神となることで人格が崩壊したのかと疑いたくなるほどに、分からない。なんなんだこの女は。だめだ、こいつは敵だ。天敵だ。悪性の塊である俺にとっての天敵だ。吐き気がする。

――だというのに。僕は素晴らしく安堵した。俺という存在を形成する核となる僕にとって彼女はひたすらに眩しい存在だった。きっと、ほむらも彼女に救われたんだ。やはり、彼女なら今のほむらすら救えるのだろうと思える。

 

「王子って、流石に、盛り過ぎじゃないかな。うん。どうかとおもう」

「ううん。ほむらちゃんってアレでかなり少女趣味だからきっと喜ぶよ!」

 

あ、駄目だ。自分で言ってテンション上がって言葉がおかしくなってる。いや、たぶん人間鹿目まどかの素なんだろう。あれが。後ろの魔法少女たちも少し呆れた眼で彼女を見てる。一部同じようにおかしな様になってる奴らもいるが。

 呆気に取られていると、横を魔法少女が通り過ぎようとする。流石にそれを見落とすほど混乱してはいない。影を伸ばして道行を妨害する。露骨に舌打ちをする魔法少女。丁度いいのでここで、ようやくあらかじめ用意しておいた言葉を連中に告げる。

 

「いや、行かせるわけにはいかないな。ここから先に行っていいのは、鹿目まどか、君だけだ。他の奴らは通りたいなら、この俺を倒してからにしてもらおう」

 

そう言って、ようやく現実に戻ってきた彼女たちは否定の言葉を続ける。

 

「何言ってんの? そんなのあからさまな罠認めるわけないでしょ! まどか、さっさと王子様を倒して、あの馬鹿を止めに行こう!」

「え……あぁ、そうだね。わざわざ王子様のいうことに従う必要はないわけだし、さ!」

「! そ、そうよね。えぇ、ごめんなさい暁美さんの王子様、そこは通してもらうわ!」

 

そうそう。こういう展開を待っていた。王子様呼ばわりはいただけないがもう我慢する。正直気に入っているというのは決して口には出さない。残念なのはお姫様の眼を覚まさせるのは魔法使いの役割ということだろう。そういう意味では、鹿目まどかこそほむらにとっての王子様だし、そもそも彼女は僕にとっての王子様なんだ。彼女の言うことは全くの逆だ。

 

「そうか、残念だ。善意で言ったのだがな。ならばしかたない。全員纏めてここで倒れ――」

「――待ってみんな」

 

鹿目まどかの一言で、臨戦態勢に入っていた俺と、魔法少女たちが止まる。

 

「分かりましたその条件を受け入れます」

「本気? あからさまだよ? 大丈夫?」

「そもそもあの馬鹿に一回やられたんだろ? 警戒した方がいいって」

「大丈夫だよ。あの時は不意を突かれただけだから、今度こそうまくやるから」

「そうね。鹿目さんがそういうなら、私は鹿目さんを信じるわ」

「マミさん!」

 

 

 

 そんな会話がグダグダと十分ほど続いただろうか。話がまとまったようで、鹿目まどかが一歩、歩み出てくる。

 

「という訳で、先に行かせてもらいます」

「ん、あぁ。どうぞ」

 

すっかりやる気をそがれ、適当に返すと横を取り過ぎ様に礼をして鹿目まどかは奥に向かって走り出す。それと同時に世界の形が変わり、鹿目まどかの姿は見えなくなる。一つ大きく溜息を吐いて、振り返る。

 

「それで、お前らもやるのか」

 

準備万端といった様子で武器を構える魔法少女たち。彼女たちは獰猛な笑みを浮かべ、それぞれの武器を構える。妙に疲れたが、当初の目的は達成された。鹿目まどかのみを通し、他の奴らを俺が食い止める。作戦通り、問題はない。あとは二人の戦いに邪魔が入らない様にこいつらを食い止めるだけ。それ自体はそう難しい話ではない。数多のインキュベーターを喰らい、奴らが蓄えた悪性をかき集めた俺はもはやかつてのワルプルギスの夜を遥かに凌駕している。それでも女神だとか、その力を簒奪した悪魔に届くわけではない。

 つまり、この魔法少女たちが居ようが居まいがあの二人の戦いに何ら影響を与えない。それでも、これはあの二人だけの問題で、他者に介入させてはいけない。その二人の話を他の誰にも聞かせるわけにはいかない。たとえ俺だろうとだめなのだ。僕でもいけないんだ。だからここで止める。

 

「そうか。だが、心しろ。ここを通ることは、運命を捻じ曲げるより難しいと知れ」

 

ろくな返事もなく、彼女たちは、襲い来る。そうだ、それでいい。勧善懲悪は、純粋悪の親玉に救いを与えないものだから。

 

 

 

 四方八方敵だらけ。四面楚歌。連中は確実に役割分担されている。あれだけ数が多くてよくできるものだと感心する。俺の攻撃は奴らを吹き飛ばすが、ローテーションで後ろに下がられとどめを刺せない。このままでは遠からず俺は押し切られるだろう。ほむらと鹿目まどかの戦いは、まだ終わっていない。だから仕方ない。俺というガワを脱ぎ捨てて、僕として戦うしかない。正直いやなのだ。俺の天敵は鹿目まどかだが、僕の天敵は鹿目まどかではない。それ以外に一人、俺では誰かわからないが、この魔法少女たちの中の、年齢的にきつい服装の奴らの中のどれかが、だれかが僕の天敵なんだ。戦いたくない相手がいるのに、僕にならなければいけない。仕方ない。仕方ない。

 

 そしてとうとう、奴らの攻撃が俺を捉えた。あぁ、駄目だ。致命傷だろう。これではいけない。いけない。そしてそのことを敵も認識する。故に攻撃が止まる。そして、だから、言葉にして見せよう。敵を称える言葉だ。

 

「あぁ、見事。見事。俺ではだめなようだ。だからこれからは僕があいてをするよ」

 

そう答える。俺という外殻をこの悪魔の世界に展開し、周囲の魔法少女を呑み込む。世界が書き換わる。

 

 ワルプルギスの夜には魔女の結界というものが必要ない。何故ならそれだけ強いから。俺にも同じことが言えた。強いから必要ないだけで、魔女が最大の力を発揮できるのは当然魔女の結界の中だ。だから、きっと、ワルプルギスの夜も追いつめられれば結界を展開したんだろうと思う。終ぞ届かず、挙句に鹿目まどかが一撃で叩き潰したから分からずじまいだったが。そう確信する。だって、僕もそうするんだから。

 

 書き換わった世界は、従来の魔女の結界内の様に歪な世界ではない。ペンキとおもちゃ箱を同時にぶちまけたような不気味な世界ではない。これは僕が純粋な魔女でないが故の世界。この世界にある色は唯一つ。黒だ。正確には、この世界には灯りというものが存在しないから、暗闇に包まれているだけなのだ。まぁ構わない。僕は、色を認識することができないんだから、僕にはどうでもいいことだが、彼女たちには違うのだろう。混乱した様子が感じ取れる。それぞれいろんな手段で明かりをつけている連中もいるが、炎は直に消えてなくなる。仕方ない。此処は水中だ。水中で火はつかない。この世界には道やら床やらはない。複雑な道程も、仕掛けも使い魔すらいない。此処にいる敵はただ僕だけ。この結界は僕の部屋しか存在しない。だだっぴろい暗闇にただ水が満ちている。それだけの世界。そこにゴウン……ゴウン……と周期的に巨大な何かが胎動するような音が聞こえるだけ。それだけだが、この結界は数多の魔女の結界よりもはるかに手ごわいだろう。

 水中なので満足に移動できない。水中なので息ができない。水中なので声が出せない。暗闇なので周りが見えない。味方との意思疎通ができない。全て、魔法でどうにかなる話ではあるが、つまり存在するだけで魔力を消耗させるのだ。長期戦は不利であるのに、この広い場所で、移動し辛い中で、ちっぽけな僕を見つけなければならない。そこですでにむずかしい。そしてなにより僕はつよい。俺という外殻に守られていても、僕は俺と変わらぬだけの怪物なのだ。ただ、普段の生活が難しいだけで。

 周囲の様子を探れば混乱も収まり、どうにか魔法少女たちは動いている。だがやはり、彼女たちの動きが鈍い。周囲をゆっくりと探しているのは分かるが、その速度では僕が見つかるよりも先に、彼女たちの魔力が尽きるのが先だろう。いや、早いのも何人かいた。おそらく水中戦が得意な魔法。何人か魔女化しているのもいる。形が偶々水中に向いていたのだろう。魚の様に動く。それでも見つかるのはかなり先だろう。それよりも、いるだろう天敵の場所を探る。わからない。周囲一帯と紛れて分からないんだろう。

 それでもしばらくするとわかった。右往左往して明後日の方向に動く魔法少女が多い中、ただ一人、こちらに真っ直ぐ向かってくる奴がいた。そうか、彼女か。なら、すこし話をしてみたい。俺の目的に反しているのも、ほむらのことも考えても違うのは分かる。でも、ぼくもすこしのわがままくらいいいじゃないか。彼女がすぐにこちらに来れるように、世界の水を少し動かす。流されるように彼女は、こちらへやってくる。

 

 

 

 世界が女神によって書き換えられる前の話だ。ある魔法少女がいた。彼女はインキュベーターに親の後を継ぎたいと望み、契約した。親が早死にし跡取りが居なかった。さらには女である彼女では、家業を継ぐのに周囲の反対があった。そのままでは途絶えていただろう。だからこそ彼女はそこに奇跡を求めたのだ。

 奇跡によって彼女は家業を継いだ。幸いにも奇跡とは別に彼女に才能があったらしく、家業を潰すようなことはなかった。彼女は家業の傍ら魔女と戦い、平穏無事に過ごしていた。

 彼女は魔法少女にしては珍しく二十を超えた。いつしか彼女は結婚して、その胎内に子を宿した。幸福の絶頂に居た彼女だが、ここで、致命的な失敗を犯した。親として女として至極当然の正しい考え方だったのかもしれないが、魔法少女として、それは明らかな過ちだった。彼女は、腹の子を心配して、魔女と戦うことを止めたのだ。

 もともとグリーフシードをため込むほどに魔女を狩っていなかった彼女。腹がすっかり膨れるころには、そのソウルジェムは黒く濁り切っていた。そして彼女はついに魔女になる。同時に腹の中の子はその魔女の特別な肉を持つ使い魔として生まれ変わった。

 

 使い魔が成長し、魔女に匹敵する力を得ると、魔女は自らを使い魔に食わせた。ここに一人の魔女が消滅し、魔女とは異なる怪物が誕生する。人としての肉体を持ち、魔女としての力を持つ魔人。彼は魔女や使い魔を喰らい、その力を振るいながら、人間として生きた。そして、彼は時間を逆行する少女に出会う。ただ力を求めた彼は少女とともにワルプルギスの夜という最強の魔女を狙うことを約束する。結果、彼は歯が立たずワルプルギスの夜に敗れた。致命傷を負った彼は、少女にグリーフシードを託した。次の自身にこれを渡せと言い残して彼は死んだ。そして少女は次の世界の彼にそれを渡す。自らのグリーフシードを喰らった彼は、記憶をも受け継いだ。彼の親である魔法少女の望みが、引き継ぐこと、であったのも理由だろう。そして、彼と少女の最強への挑戦が始まった。

 

 ある失敗により女神が誕生した。女神は全ての魔法少女を、魔女になる前に救済した。魔人の親である魔法少女もまた、女神によって救済された。魔法少女と共に円環の理に導かれ、肉体を失った魔人は、しかし、その果てにたどり着く前に異物として弾かれた。肉体を失い、死を失った彼は、円環の狭間で彷徨い続ける存在になった。そして、彼は徐々にたまる悪意に接触して世界に魔獣として現出し、少女と再会した。

 

 果てに彼はインキュベーターの策略によって魔獣として討伐され、少女に限界が訪れる。また円環の狭間に追いやられた彼はしっかりした意識の中、円環の理に導かれる彼女を見て、安心して自らの意識を手放そうとしたが、悪魔と化した少女に無理やり現世に引き釣り込まれた。悪魔の共犯者となることを決意した彼は、自らの力の源である人類の悪意、悪性、それらをため込むことになったインキュベーターを喰らい続けた。そうして膨大な力を得た彼と女神の権能の一部を簒奪した彼女は世界を敵に回し、ただ互いの大切な人の為に運命に抗うことを決意した。

 

 

 

 「あぁ……あぁ……」

 

涙を流しながら目の前にたどり着いた魔法少女は、ゆっくりと泳いで僕に手を伸ばす。僕に触れるとぎゅっと、でも優しく抱きしめてくれる。

 

「よかった、生きてて……私の赤ちゃん……よかった……」

 

ただ、その言葉だけを繰り返しながら抱きしめたまま、お母さんは動かない。そして、ぼくもかつてない程安心していた。お互いに、倒そうと思えばいつでも倒せるような状況なのに、なんでかなにもしない。

ぼくのせいで魔女になってしまったんだなんて、憎まれるかもしれなかった。

幸福の絶頂に居たのを台無しにすることになったのはぼくのせいだって、恨まれてるかもしれなかった。

でも違った。あぁ、よかった。ぼくはちゃんと、ママに愛されていたんだ。そうか。おれはほむらにすくわれた。ほむらはまどかにすくわれるだろう。ぼくはままにすくわれた。うん。よかった。

 だったらもう思い残すことはない。満足に動かないちっぽけな手を動かして、お母さんの胸元にあるソウルジェムに触れる。

 

――生んでくれてありがとう。ぼくも俺も幸せでした

「……うん……うんっ!」

 

それだけ告げるとさらにぎゅっと抱きしめられる。ずっと、このままでいたいほどだけど、駄目なんだ。ぼくは報われた。俺も報われた。きっとお母さんも僕にあって救われた。だったらあとはほむらが救われないと。

 ぐいっと力を入れるとソウルジェムに衝撃が走って、お母さんが気絶する。体の拘束が緩くなったのを確認して、お母さんを水で遠くに流していく。そして、結界を解く。

 

 魔法少女たちは周囲の様子を確認して、俺を確認すると戦意をあらわにする。それを手で制して座り込む。

 

「もういいよ。誰も通さないけど。もう戦わない」

 

俺の様子を訝しんだ魔法少女たちが警戒するが、しばらくしても動かないのを見て彼女たちも地面に座り込んだ。限界だったんだろう。結構な人数が気絶しているし。無理やり通ろうとした連中は、軽く気絶させた。結界内で肉体的にも精神的のも完全回復した俺を相手取るには、消耗し、人数も減った彼女たちでは力不足過ぎた。それを少し繰り返して、言葉で説得すればみんな諦めた。鹿目まどかの信頼のなせる業なんだろう。

 

 

 

 「終わった、かぁ……」

 

そうつぶやくと、世界が歪む。正確には元に戻る。悪魔の世界が崩壊して本来の見滝原に追い出される。目の前の少女たちも安心した様子で笑う。座ったまま振り返れば、さんざん泣いたのか瞼を腫らしているほむらと、ウェヒヒと独特の笑い方をする鹿目まどか。良かった。ハッピーエンド。悪魔の手に落ちた世界はゆり戻される。同時に魔法少女たちは消え、俺もまた消える。世界の狭間に追いやられる。最後にほむらによかったなと告げると、軽く頷くだけだった。声も枯れてるんだろうなぁ。

 

 

 

 目を開く。そこにはもはや懐かしい暗闇の空間。水中ではない。それでも似たようなもので只々漂うだけの場所に戻ってきた。もう、魔獣として現出することもないだろう。いつの日か、この空間で膨大な時を経て、俺という存在が溶けて消えて、僕もゆるやかに眠るようにいなくなる。そんなおはなしだろう。きっと、人魚姫も幸せだったんだろう。己の愛を、貫いて逝けたんだから――。

 





――どうしてこうなったのか。いつぞや見た巨大な手がぼくをガッチリと握りしめると、無理やり円環の理の果てに引き釣り込まれた。僕を持ち上げて彼女は言った。

「逃がさないわよ。だって、あなたは私の共犯者でしょう?」

返事もできない僕は、彼女の指を握りしめた。



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