ルークの英雄譚(TOA×聖剣伝説LOM) (ニコっとテイルズ)
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プロローグ
キムラスカ王国の首都バチカル。
この街の巨大な屋敷の中庭で、真紅の長髪の少年、ルーク・フォン・ファブレは、ヴァン・グランツ師匠(せんせい)を相手に剣の稽古をしていた。
「双牙斬!」
「いいぞ、ルーク」
ルークは、以前に屋敷に来た時に習った技をヴァンの剣に叩きつけた。
もしも、使い捨ての駒でなかったら、とヴァンは惜しむ。
えくぼがヴァンの頬にできるほどの、剣の打ち下ろしと、返す刃とともに跳躍する澱みのなさ。
実際の戦闘で使うことはないが、ルークの剣の上達ぶりはオリジナルよりも目を見張るものがある。
はっきりと認めてしまうと、7歳の頃のアッシュと比べても呑み込みが早い。
「へへ、やりぃ!」
ルークは、着地し、その誤魔化しのない称賛に破顔する。
可能ならば、ずっとヴァン師匠がこの屋敷にいてほしい……とルークは思う。
愛情を注いでくれない父、過保護すぎる母、ガイ以外無駄に畏まる使用人たち。
いつも、本気で自分と相対してくれないものかと願っているが、生憎と叶う見込みはなさそうだ。
でも、たまに屋敷に来るヴァン師匠は、常に自分に厳しくも優しく、何より真剣に向き合ってくれる。
すっかりとルークは、剣術稽古の気晴らしとは別に、屋敷の大多数とは違うヴァンの虜になっていた。
「その技はもうお前のものだ。屋敷の外に出たときに、戦うことができるな。
……もっとも、お前が屋敷の外に出ることなど、まずないであろうが」
「ちぇっ! 叔父上の命令がなければ、退屈しのぎももっと増えるのにな」
王族であるルーク・フォン・ファブレは、7年前にマルクト帝国からの誘拐から解放されて以来、今いる巨大な屋敷に軟禁されていた。
発見された当時、歩き方すら忘却してしまっているほどの重篤な記憶喪失であり、その二の舞がなきように国王から外出禁止を厳命されていたのである。
しかし、軟禁生活は、当人の言葉を借りると、メシ食って、ガイと駄弁って、たまに訪問してくるヴァン師匠からの剣技指導以外面白くないとのこと。
ルークは、7年間ずっと続いてきた変わり映えのしない日常に、すっかり飽き飽きしているのであった。
「そうむくれるな、ルーク。お前は17歳。あと、3年で成人になる。そうすれば、お前も晴れて自由になり、屋敷の外に出られるようになるのだ」
ヴァンが苦笑して、むくれるルークに慰めの言葉をかける。
これが精一杯の励ましの言葉であった。
もっとも、その言葉とは裏腹に、ヴァンには、近々ルークが連れ出されることになるという企みがあるが、ここは口を噤むべきところだ。
―――しかし、3年も待つ必要はなかった上に、ヴァンの計画よりも早い段階でルークは旅立つことになった。
―――しかも、屋敷の外に出るという次元の話でもなかった。
そして、その運命を決定づける歌声が響いてくる。
「うっ! 急に眠気が……」
静謐な調べが頭に響き、ルークは、わけもわからず瞼が重くなり、膝をついた。
「この声、譜歌!? まさか、ティアか!」
ヴァンも、睡魔と格闘しながらなんとか歌い手の方に目を向けようとする。
「ようやく見つけたわ。裏切り者ヴァンデスデルカ。覚悟!」
屋根から少女が飛び降りてくる。そして、小型のナイフを指に挟み、ヴァンに一目散に突進してきた。
「ティア、やめろ!」
ヴァンは、睡魔に打ち克ち、稽古用の剣を振るう。
そして、距離を詰めてくるティアと呼ばれた少女のナイフのみを正確に弾き飛ばした。
払われる剣に、ティアもネコのような俊敏さで跳躍し、距離をとる。
「なんなんだよ、お前は!」
着地先は、ちょうどルークとヴァンの間であった。
今度は、錫杖を取り出してヴァンと相対するティアに、師匠を庇おうとルークは背後から木刀を叩きつける。
しかし、ティアも、不穏な気配に素早く反応し、錫杖で木刀を防いだ。
ところが、鍔迫り合い状態の2人から膨大なエネルギーが発せられる。
「まさか、これは、第七音素(セブンスフォニム)!?」
莫大なエネルギーの発生に驚愕の表情のティア。
その時、ルークの頭の中に声が響く。
『ルーク、私の元へと来てください』
(なんだ!? いつもの頭痛の時とは違う声だ……)
ルークは声の違和感に気づいたが、だからと言ってどうすることもできず、
強力な力が2人を輪のように包み込み、
そして―――
「うああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
「きゃああああぁぁぁぁぁぁぁ!!」
二人の悲鳴を残し、屋敷の中庭からルークとティアが、光に包まれて瞬く間に消失した。
・気づきましたか?
答えは、
プロローグの本文を縦読みしてみて下さい。これが、ルークに対する作者の思いです(不健全)。
初めは、次話のあとがきに答えを記していました。
けれど、話数も増えてきたことですし、一括表示から戻る手間を新規様に掛けさせるのは申し訳ないので、ここに記します。
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1.マイホーム
・相対的なお気に入りの数に驚きました。本編開始前なのに。
昨日の投稿は、周知程度の意味合いしかなかったので、大して評価されないと思っていたのですが、感謝感激のトゲトゲ鉄球の雨あられがゴーレムから降り注がんばかりの衝撃です。
TOAとLOMという2体の虎の威を借る形ではありますが、今後ともよろしくお願いします。
はじめに、木があった。
曇天の空を突かんばかりの巨大な木。木の内部も森がすっぽり入ってしまうほど広大であった。
木の全てが緑。根も幹も枝も梢も葉も、全て青々しい緑色に覆いつくされていた。
しかし、その色からは、瑞々しい生命力は感じられない。
誰も彼もが忘れ、孤独になった神を具現化しているかのように、木全体がくたびれ朽ち果てていた。
そして、木が語り掛ける。
『マナの木が焼け落ちたのが900年前。
マナの力は、魔法楽器やマナストーン、アーティファクトの中だけに残され、知恵ある者たちはそれを奪いあいました』
『そして、数百年に渡る戦乱の時代を経て、マナの力が弱まるにつれ、それを求める者たちも消えゆくと、ようやく、世界に平和が訪れました』
『それ以来、人々は求めることを恐れ、虚ろな気持ちだけを胸に抱いて胸に抱いて、私の手から離れていきました。
私の無限の業から目を背け、小さな争いに胸を痛めています』
『私を思い出してください。
私を求めてください。
私は全てを限りなく与えます。
私は『愛』です。
私を見つけ、私へと歩いてください』
*
(んだよ……わけわかんねぇ)
木の呼びかけに、ルークはそう思った。
その語りについて吟味する間もなく、徐々に現実での意識が覚醒し始める。
まず知覚したのは、鼻腔をくすぐる木の香り。
天然の木ではなく、家具やフローリングに加工され、塗料と混ざりながらなおも残存する自然の息吹。
次に感知したのは、少し硬い枕と、分厚い毛布、寝心地の良くない敷布団。
体の感覚器官が、一斉に触覚の情報を伝えてくれた。
「ここは……?」
そして、ルークの瞼が開く。
視覚が教えてくれたのは、薄暗い天井。
自分の部屋の天井はこれほど低くない――――
「はっ!?」
五感が集めた情報を総合した脳が、その異様さを感知し、ルークの意識は一気に覚醒する。
しかし、勢いがつきすぎて、
「いってーーー!!!」
低い天井に頭を叩きつけてしまった。
額をさすり、唐突な衝撃と後遺の鈍痛で、逆に驚愕を押し込められたルークがぼんやりと辺りを見回す。
「ここは……どこだ?」
今まで見たことのない場所であった。
ルークの屋敷よりも、はるかに質が低そうな家具に調度品。
あちこちに物は点在しているが、きちんと整理されている。
目立つのは、植木鉢に入った小さなサボテンくらいなものか。
ランプがあちこちにあり、優しく家の中を照らしている。
意識を自分の下に向ける。
粗末なベッド。押入れに布団を引っ張り込んできたかのような暗くて狭い空間。
日当たりが良く広い部屋で常に床に就いているルークにとっては、あまりに対照的過ぎて落ち着かない寝所であった。
改めて、ベッドから意識を逸らす。
天井の梁から床まで木造りでできていて、本当に木の中にいるような、爽やかな雰囲気を感じさせるが……
「な、なんなんだよ、ここ!」
温かく包み込まれるような穏やかな家は、しかしルークには異常な場所にしか映らなかった。
ここは、自分の部屋ではない。屋敷のどこかでもない。
今まで外に出たことのないルークには、全く未知の光景であった。
「あ、そうだ。あいつは、どこだ!」
ヴァン師匠に襲い掛かってきた少女を思い出し、ルークはベッドから飛び降りる。
握った手に同化した木刀とともに、恐怖と狼狽と怒りを押さえつけながら、ルークは大声で叫ぶ。
「おい! お前、どこに行ったんだよ! いるんだろ!」
未知の空間を引き裂く大声に、応答するものはなかった。
しばらく待機し、やはり静寂に包まれたままであることを確認したルークは、恐る恐る一歩目を踏み出す。
剣呑な雰囲気とは明らかに異なる場所であるが、ルークは、心臓を激しく脈打ちながら、歩を進めていく。
ほんの数歩ほどで、下に降りる階段に辿り着いた。
階下に向けて、ルークは改めて怒鳴ったが、やはり誰からの反応もなかった。
数刻逡巡し、しかし、行かなければならない、何よりも元凶となったあの女を怒鳴り散らしたい気持ちに駆られたルークは、意を決して階段を下る。
見えてきたのは、石畳の上の広々とした食卓。そして、それを囲む数人分の椅子。
加えて、火が煌々と滾(たぎ)る暖炉に、大きな食器棚。
常人の目から見ればそれなりに広大な居間であったが、自分の屋敷の巨卓しか知らないルークからすれば、かなりこじんまりとした場所にしか映らなかった。
そして、外へと続く扉とは別に、もう一つの部屋があることに気付く。
「ここか!」
勢いよく扉を開けたルークであったが、そこには壁一面の本棚と、書籍がうず高く積まれた机以外なかった。
その中を吟味することなく、ルークは舌打ちをしながら、扉を乱暴に閉める。
「くっそーーー!!! どこなんだよ、ここは!」
リビングの安楽椅子に、孤独の恐怖を押しつぶし、苛立ちをぶつける勢いで腰を下ろしたルーク。
悪態をついた後に聞こえてくるのは、パチパチという暖炉の薪が燃え上がる音だけ。
他には、誰の声も、何の音も耳朶を叩くことはない。
再度、自分が一人であることをルークは思い知らされた。
(誰もいねぇ……)
不意に寂しさがこみ上げてくる。
物心がついて以来、と言って良いのか、少なくともルークの記憶の中においては、周りに誰もいない時間など一刻たりとも経験したことがなかった。
両親以外にも、使用人のガイや、執事のラムダス、たくさんのメイドと言った人間たちが屋敷に常駐している。
このような無人の空間は、全くもって初めてであった。
怒鳴っても怒鳴っても返事をする相手がいないというのは、これほどまでに満たされない気分になるのだと、ルークは初めて思い知ることになった。
(こうなったのも、全部あの女のせいだ!)
胸の空虚を誤魔化すために、ルークは屋敷を襲撃した女を憎むことにした。
そして、激しく貧乏ゆすりをしながらも、現状を頭の中で整理する。
剣の稽古中、突如襲ってきた、師匠がティアとか言っていた女。
そいつに木刀をぶつけたら、なぜかこうなってしまった。
どういうことだ?
体から凄まじい力が出たのはわかったが、かといってこんなよくわからない場所に飛ばされてしまうというのもヘンだ。
未だにあの力が何なのかわからないが、なぜこんな家にいるのか?
眠っていたのなら、誰かが自分を運んできたと考えるのが自然だ。
しかしながら、人っ子一人この家には存在しない。
外出中ということも考えられるが……それならそれで何かしら書置きでもしてくれればいいのに。
待っている方が得策かもしれないと思った。
このままここにいれば、自分を保護した家主が帰ってくるかもしれない。
あるいは、あの女がやってくるかもしれない。
その可能性は十分にあった。
しかし、ルークは、嫌だった。
とにかく動かなければ、自分が押し潰されそうだったからである。
寂寞の虫が、己の胸の中に巣みつき、食い散らした挙句に、遡上して瞳から滂沱を促すように思えた。
そんな情けない感情を、一人の男として、またヴァン師匠の弟子として見せるわけにはいかない。
だから、動く。動かなければならない。取り留めなどなくとも、この場では関係ない。
俺は、動く!
(動くと決めたら、まずは、どうやったら屋敷に帰れるのか探さねぇと)
熱した決意から、冷然たる現実へと思考を切り替える。
ひとまずの状況把握は終わった。こんな家の中に、これ以上の手がかりはなさそうだ。
とにかくこの家から出よう。そうでないことには埒が明かない。
そう判断したルークは、ひとまず安楽椅子から立ち上がり、目の前の玄関に向かうことにした。
蹴破るような勢いで扉を開け、燦燦と降り注ぐ日光の歓迎を受けた。
しかし、それだけではなかった。
*
「やあ、ルーク。この世界、ファ・ディールへようこそ」
ポストの前で、いきなり奇妙な人と出会った。
(なんだ、コイツ!?)
勢いに身を任せていたルークであったが、今は戸惑いによって体が固まってしまっていた。
全身が硬直する中、眼球だけが下から上へと自然に動いて、その人間の風貌を脳に刻み込んでしまう。
道化のような服。羽織っているやや派手なマント。これから一芸を披露すると言われても不思議ではない、しかしどこか様になっている格好。
橙色のシルクハットを羽根と花で飾りつけるのは良い。しかし、帽子の頭頂部に給餌のために口を開けているひよこの巣があるのはどういうことか?
ひよこ自体、今にも動きそうなくらい精巧にできている。
そして、何よりも認めたくないが、しかし視覚が伝えて脳が認識してしまうのが、顔にある嘴(くちばし)である。
仮装に間違いないと思いたいが……、それにしては嘴の開きと声音が連動し過ぎていた。
どうすればこのような口の動きができるのだろうか。
仮装にしても、シルクハットから飛び出る羽根らしきものであったり、手が鳥の鉤爪であるというのは、あまりにも凝り過ぎではないかと思う。
少なくとも、ルークの頭脳を一時停止させるには十二分過ぎるほどけばけばしい様態であった。なぜ名前を知っているのかという疑問も吹き飛んでしまった。
「僕の名前は、ポキール。詩人さ。
この世界で唯一大事なことを伝えるために来たんだ。
……それは、イメージ。
自分が思い描くイメージだけを信じてごらん」
「な、何言ってんだ、アンタ?」
ポキールと名乗った鳥男の、物静かながら芯の通っている言葉で、ルークの頭脳が始動した。
しかし混迷をより一層深めてしまう。
「単純さ。キミは、ただ自分の思うところ、自分の信じる道を歩けばよいってことだ。
誰にも束縛されないで自分の行く末を定める。
これができれば、キミは大いなるものを得られる。
そのために、たった一つだけやるべきことは、イメージすること。ただ、それだけだ」
「だ~! お前が何言ってんのか、さっぱりわかんねぇよ!」
ポキールの理解不能な言葉は、ルークの硬直を解きほぐし、やがて家を出る前の精神状態へと揺り戻した。
「僕は英雄ではない。あくまでキミの武勇伝を後々に奏でるに過ぎない。
ひとまず、キミのやるべきことは、そこにいる草人(くさびと)に話しかけることだ。
あとは、キミのイメージが、キミ自身の足を進めるだろう」
そう言葉を残して、ポキールは、歩き去ろうとする。
「お、おい、待てよ! ここはどこなんだ?
バチカルは、俺の屋敷はどこにあるんだ?」
慌てて呼び止めるルーク。
「キミが歩む先に自然と答えはある。特段、僕が必要となることはない。
……でも、そうだな。一つだけ得難い答えを与えるとするならば、キミは、この世界にいる間は、ここを拠点とすればよい。
キミがいかに乱暴にこの家を壊そうが、あるいは豊かに改造しようが、誰も咎めることはない。
ここを出る前に、自分の家の周りを探索してみるといい。
冒険の前の準備としてね。それが、ボクにでもできるアドバイスかな」
「俺の家って……こんなちっぽけな家いらねぇって……あれ?」
ルークが、家に目を向け、再びポキールに焦点を合わせようとした時には、その像を結ぶことはできなかった。
確かに存在していたはずのポキールの影も形も、そこにはなかったのである。
「だ~! もう何だってんだよ! ったく!」
何が何だかわからない状況に、余計に意味不明な言葉が投げ込まれた。
しかし、不思議とその言葉はルークの頭に吸着していた。
*
(なんなんだよ、アイツ!)
ポキールの言葉で、余計に苛立ちを強めながら、しかし癪ではあるものの、その言葉に従い、この家の周囲に目を向けることにした。
……家の周りを一周して、あったのは牧場と小屋と空き地。
牧場には、柵で囲われた牧草地にポツリと一つ小屋が建っていた。
一応、小屋の中も調べてみたが、家畜を管理するための道具がいろいろと詰め込まれているだけで、誰もいなかった。
もっともルークには、何のための道具かわからなかったが。
小屋の中は、廃墟と言ってもよかった。
エントランスの部分に、煌々と暗がりを染める暖色のシャンデリアがあるのみ。
あとは、枯れた井戸がある以外、岩や木に侵食されているだけである。
家の中とは違い、極端に手入れの行き届いていない場所であった。
ルークは顔をしかめて、早々に小屋を後にした。
空き地は、本当にただの青々とした草原が広がっているだけであった。
こういうところを庭師のペールに与えたら、嬉々として花畑をつくるかもしれないな、とルークは思った。
とはいえ、何の見所がないことには変わりないし、自分にとっては退屈な場所である。小屋と同じくすぐにそこから去って行った。
一通り見て、何の益もないことを確かめさせられただけに終わった。
ルークは、足を強く踏み鳴らしながら、家の敷地から外に出ることにする。
すると、敷地の外縁に小さな緑色の服を着た子供がいた。
……うん、子供だ。ルークはそう思うことにした。
背丈は、自分の腰ほどしかないし、短足でのんびりと歩き、時折飛び跳ねている姿は、まさしく子供の振る舞いである。
手が肌色に見えないであるとか、靴が緑の葉っぱのように見えるだとか、断じて、そんなことはない。
きっと、緑の手袋に、極限まで葉っぱに似せた足袋を履いているに過ぎないのだ。そうに違いない。
しかしながら、遊んでいる子供を邪魔するのも忍びない。
さきほどポキールから話しかけてみろ、と言われた気もするが、今でなくても構わないだろう。
使用人くらいとしか接しないルークであるが、人と会話をするのは、なんら臆することではない。
とはいえ、今回ばかりはそっと脇を通り抜けて家の敷地外に行こう。
ああ、俺って優しい。親切。
ルークは人の気持ちが理解できる。
土いじりを楽しんでいるときのペールを邪魔したら、露骨ではないとはいえ、できれば後回しにして欲しいという表情を汲み取れるほどだ。
その教訓を生かして、子供の一人遊びを邪魔しないように静かに外に出るのだ。
ところが―――
「あれ? ねぇ、ちょっと。ボクがいるんだから話しかけてよー!」
脇を通り過ぎようとした瞬間、子供が嘆きの声をぶつけてきた。
あーあ、きっと地面の虫か何かに声をかけてるんだろ。
虫が話すわけねーってのに。それでも話しかけるんだから、このガキはホントに自然との触れ合いが好きなんだな。
草そっくりになるくらいだから、マジで相当なもんだ。
ルークは一人納得し、やはりもう一歩外へと足を向ける。
「話しかけてよー!」
今度は、子供が地面を踏み鳴らしながら懇願した。
おいおい、そんな勢いでやったら、怖がって虫が逃げちまうじゃねぇか。
子供とはいえ、小さな虫にとって人様よりも怖いもんはねえんだぞ。ペールは、ミミズを捕まえようとした幼きルークにそう教えてくれたのだ。
“虫”と話しているとみなした子供を“無視”したルークは、そそくさともう一歩外へと足を進めんとする。
しかし―――子供の地団駄は止まなかった。
もしも相応に体が大きかったならば、ドスンドスンという音が硬い地面の上で響いていたであろう。
それほどの勢いであったが、我関せずのルークは、振り返ることなく、また外へと向かう。
すると、今度は勢いよく駆けてきた子供が、ルークの行く手に立ち塞がり、その視界に強制的に入らされることになった。
「おわっ!?」
「遊んでるでしょっ!」
目を大きく見開いてたじろぐルークに、怒りの篭った声を子供はぶつけてきた。
「ぼく、草人!」
そう名乗った子供の怒りはなおも収まっていない。
硬直しっぱなしのルーク。その姿形に、緑色の衣装の完成度の高さを思って体が固まってしまっているのだ。
目の前の存在が自分と同じ種族だと未だに信じていた。
草人は、声を荒げながらも、話を続ける。
「世界は、みる人のイメージによってかわるんだって! 知ってた!?」
草人は、無視された遺恨を容赦なくルークに叩きこんでくる。
その勢いに押され、ルークは「はあっ?」と、思わず生返事をしてしまう。
それを知らないものと捉えたか、草人は、憤怒の矛を収め、落ち着いて説明を始める。
「ぼくが、ドミナの町があると思うから、あるんだって。
詩人のポキールもそう言ってたよ」
「ドミナの町? なんだよ、それ?」
ルークは、草人の姿から、出てきた言葉に頭を移すことにした。
「世界はイメージなんだって。
他の人は違うって言うけど草人はそれを知ってるの。
そして、まっしろなココロの人は、新しい世界に行けるんだって。イメージできるんだって」
「え? そうなのか?」
ルークは驚いた。
屋敷の外だと、イメージすれば新しい世界に行けるとは、全くもって初耳であった。
自分は、屋敷の外に出ることができなかったとはいえ、まさか、世界がそのような構造になっているとは全然知らなかったのである。
なるほど、先ほどのポキールとか言う鳥男が「イメージが大切」と言っただけのことはある。
ヴァン師匠も、ガイもそんなことを言っていた覚えがない。
やっぱ、外っておもしれ―じゃん!
ルークは、素直に感動した。
「もし、ここから外に出て、ドミナの街がなかったら、イメージしてみればいい。これをあげるから」
そう言って、草人は、赤、青、緑、黄色と、色彩豊かなアーティファクト『積み木の町』をルークに手渡した。
それは、町を模しているようで、高低様々な建物が並んでいる。
子供が偶然つくったにしては、均整が取れていて、何かしらの含蓄を窺わせられるものであった。
「これは……?」
「これがドミナの町だよ」
草人は優しく伝えた。
「これを外でイメージすれば、町ができるっていうのか?」
「うん、そうだよ。イメージするだけで、あなたの世界は広がるんだ」
ルークは、胸の中で欣喜雀躍していた。
もう、草人の姿だとか形だとか、人らしからぬ姿とかはどうでもいい。
あの鳥男も、この草人も悪さをするような奴じゃない。
人でなくとも、意思が通じ合うし、屋敷の大半の人間よりはきちんと自分に向き合ってくれる。
そして、退屈だった屋敷の外に出られるだけでなく、今まさに冒険へのパスポートまで手に入れられたのだ。
これで、興奮しないというのは、嘘だろう。
「へえっ! 面白れぇじゃん。早速行ってみっとすっかな」
「うん。いってらっしゃい」
最初の無視しあう関係もどこへやら。
ルークは意気揚々と飛び出していき、草人は、微笑みながら手を振って、小さくなっていく背中を見送った。
そして、ルークのファ・ディールでの冒険が始まった。
まっ!
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2.ドミナの町
相対的なお気に入りとUAの数にビックリのニコッとテイルズです。特にUAには全く期待していなかったのに。
これもひとえに読者様のおかげです。誠にありがとうございます。
馬鹿な仕掛けをしたせいで、1話目と2話目のUAの差とPVの差が、1話切りされたみたいに激しいです。……いえ、実際、そうなのかもしれませんが。
それはともかく、UAとPVの数字の乖離が、投稿した2話とも100以上あって、なんでだろうなぁ? と首をひねりました。
誰かF5を連打したかとも考えましたが、わざわざ私の小説にそれをする価値はないよな、と思っています。
ジェイドや七賢人さんなら教えてくれるでしょうか? 私にはない発想で。
あ、ディストさんは結構です。お帰り下さい。そして譜業の研究の方に勤しんでください。
テセニーゼさんも、サラマンダー曜日じゃないからって付き合わなくていいですよ。
家の敷地の外には何もない。
ただ無味乾燥な大地がどこまでも広がっているだけだ。
平地の他に、たまに山が見え、川が見え、海が見えるが、ルークの心を刺激するような感じはしなかった。
ルークは、特段無感動な人間ではない。そもそもずっと屋敷の中に閉じ込められていた人間にとって、外の世界に何の新鮮味も感じられないというのはあり得ないだろう。
例えて言うならば、ここは、まるで自分が地図帳の上に立っているようなものである。
そこには、世界の様々な地形が正確に描かれている。しかしながら、地図から潮の香りや山の険しさを実感したりはしない。
ルークは地理の勉強が苦手であった。どうせ出られない屋敷の外の地形などを見せられても、興味が湧くはずもない。
それと似たような感覚を味わってしまい、軟禁状態から外に出て初めて抱いた感想は、つまらない、というおよそ最悪のものであった。
しかし、ルークは笑った。
なぜなら、手の平に乗ったアーティファクト『積み木の町』が、そんなルークの退屈の連鎖を断ち切り、そして気分を高揚の頂上まで引き上げてくれるからだ。
これをイメージすれば、『ドミナの町』を頭に思い描けば、新しい場所が生み出される。ルークは疑いもなくそう信じていた。
普通の人は否定するかもしれない。嗤うかもしれない。そんなことはあり得ないと、草人の戯言だと一刀両断するかもしれない。
だが、ここにいるのは、ルーク。街の外はおろか屋敷の外にすら一切出たことのないルークなのである。
7年間純粋な心が保存されていたおかげで、およそ草人の言っていることが嘘だと疑う余地を持てなかった。
今まで周りの人間が教えてくれなかったのも、それは街の外に自分が出る必要はなかったからだと解釈していた。
常識がない、世間知らずと揶揄されそうな精神状態が、今この場限りでは負の方向に作用しなかった。
だからこそ―――
ルークは、草人から渡された『積み木の町』をじっと凝視してから、瞳を瞑る。
そして、屋敷で教えられた乏しいながらも知識として存在する“町”の情報を集積して、積み木から出現する町の像を拵える。
純然たる魂は、疑惑という水を差すことなく、むしろ高揚という間欠泉を噴き上げることで、『ドミナの町』の表象を後押しする。
すると、ルークの手から、『積み木の町』が離れる。
何もない大地に、場違いなほど小さい積み木のおもちゃが置かれた。
手から急に感覚のなくなったことに驚いたルークが、その行方を見据える。
積み木の町は、爆風でも浴びたかのようにバラバラに拡散した。
飛び散る破片を見て、思わず絶望的な表情を浮かべたルークが、視線を戻すと―――
広大な土地が出来上がっていた。
そして、出発地点の家よりも、遥かに大きな町が、飛び跳ねるように勢い良く隆起する。
『ドミナの町』が、出現した。
「よっしゃっ!!!」
目論見通り町ができたことで、ヴァンに称賛された時と同程度の快哉が自然と胸を衝いた。
(イメージすれば、町ができる! こんな面白れぇことが外の世界にはあったんだ!
ったく、ガイも師匠も、教えてくれりゃよかったのに)
ファ・ディールと、オールドラントの相違であることを現状知らないルークは、幼馴染と師匠に対して心の中でむくれた。
盛大な勘違いではあるのだが、それを指摘する人間は、生憎と存在しない。
(ま、いっか。これで成人まで我慢できる面白味が増えたと考えりゃ)
屋敷に帰ったら文句をつけるが、しかし、今は目の前の、自分がイメージして生み出した町の方に心が傾いている。
意気揚々と、ルークは、『ドミナの町』に入って行った。
*
ドミナの町に入ってすぐのことであった。
「なぜ黙っている!」
酒場の前で、蒼い鎧をまとい、流砂のマントとハットをその身に着けた青年が、蝶の羽の生えた少女をに詰め寄っていた。
青年の胸にある蒼い宝石が力強い輝きを放っているが、宝石など見慣れているルークを引き付けるものではなく、
(なんだ、あれ。うぜぇなぁ)
その辺りに響いた怒声に、町をつくった時の高揚感が台無しになると顔をしかめただけであった。
そして、事情は分からないが無視を決め込む。どうせ自分の目的には関係ないことだろうと踏み、そのまま商店街の方に歩を進めるようとする。
見上げる空は青く晴れている。蒼いなら、あの空の青色の方を真似すりゃいいのにと思い、ルークは、軽く睨みつけながら二人の脇を通り過ぎようとした。
件の蒼い男は、特にルークの方に目を向けることなく、少女に詰め寄ったままである。
「俺を怒らせるな……」
「…………」
何に苛立っているのか、身体がわなないている。
もはや殴れる位置にまで、少女との距離を縮めていた。
「何か知っているのか!?」
「…………」
怒声から、真剣味を帯びた声に切り替わる。
ルークは、その声から弱い者いじめではない空気を感じながらも、しかし関わり合いになるほどではないかと思い、あくまで聞こえていないふりを貫く。
声色が変わろうが、少女は答えない。もう目に見えて、恐怖で震え上がっていた。
「オイッ!」
蒼い男が怒鳴り、ほとんど少女と顔を突き合わせるくらいの位置に詰め寄った時、急に胸糞悪くなったルークが踵を返して、2人に近寄った。
「だぁ~~~、うるせぇっつーの! 何してんだよ、こんなところで!」
「ウルサイ。取り込み中だ!」
急に横やりを刺してきたルークに、蒼い男は罵声で応酬する。
その害虫でも見るような視線を受けてルークは思う。
コイツとはぜってー仲良くできねぇ、と。
磁石を思い出した。同じ極だと猛反発して絶対に引き合おうとしないアレだ。
直観的に、コイツと俺は性格が似ていると、癪ながら認めてしまいそうなルークであった。
心の中では、ぜってー認めねぇと、思いながら。
「俺の仲間が行方不明なんだ! 本当に何も知らないのか!」
今度は、詰め寄るというよりは縋るように、少女に問いかける。
態度の移り変わりの激しさにルークが戸惑う。
さすがに、無意味に少女に詰問しているわけではないことは伝わってくる。
しかし、少女はより一層、身を固くしてしまった。
男の事情はどうあれ、少女が口を大人しく話すとは思えない
それを男も察したのか、
「ちっ! 時間をムダにした!」
男は露骨に舌打ちをし、ついでに唾を一つ吐いて、酒場前から立ち去って行く。
(なんだよ、アイツ。感じ悪っ)
町の奥に向かって行く男に不快感を隠さずにルークがその背中を見送ると、
「これを……」
少女が、ルークに翠色の卵のようなものを差し出す。
「ああ、別にいらねぇ……ってこれは!?」
礼だと思い、反射的に断ろうとしたルークだったが、それを見て目を丸くする。
草人がくれた『積み木の町』に似たようなものだと直感で感じた。
つまり、大地に置いて、イメージをすれば、また別の場所が出現するはずである。
卵は、美しいと呼ぶにはお世辞にも傷がつきすぎている。
しかし、それが却って並々ならぬほどの長い時代をくぐり抜けてきたことを示しているように思われた。
少女からそのアーティファクト『ヒスイの卵』を受け取る。手に取ってみると、内部から今にも迸りそうな力の脈動を感じる。
探求箇所が増えていく。宝石の値打ちとは違うその価値に、ルークは蒼い男に害された興奮が再び蘇ってきたことを思う。
「い、いいんだな? 返せって言われても返さねぇぞ!」
「………………」
既に絶対に返すまいと、卵を抱きかかえているルークの問いかけに、少女は無言のままであった。
そして、そのまま酒場の中へと消えて行った。
*
新しい場所に向かうためのアーティファクトは得られた。
とはいえ、このドミナの町にはまだ入ったばかり。
一通り散策してから向かっても遅くはないだろう。
そう思ったルークは、酒場にほど近い武器屋「ジェマの騎士」に入った。
剣が好きなルークにとって、武器屋ほど心踊らされるところはない。
それ以外にも、格好いい鎧や兜だのが並んでいると思うと、胸の中の湧き立つものを抑えることはできなかった。
やや古めかしい扉を開けて、ドアベルを響かせながら、宝の山へと踏み込んで行く。
すると、目論見通りの様々な武器や防具だけでなく、予想外なことに楽器や骨董品の類まで並んでいて、ルークはニヤリとする。
年季の入った建物の造りも、素人経営ではないという信頼感を醸し出すし、般若のようなおどろおどろしい仮面や人間そっくりの石像まであり、不気味ながらもどこか老舗という雰囲気を纏っているように思わせた。
大きな机越しに、カブトムシのような兜(とルークは思った)を被った大柄の男が読み物から目を上げ、入ってくるルークに視線を向ける。
「いらっしゃい」
「なぁ、どんな剣があるんだ? ちょっと見せてくれよ」
買い物をしたことないルークは、要求に遠慮がない。
荒くれ者の来店には慣れているのか、店番の男は特に気分を害した様子もなく、後ろにかかっている棚から二振りの剣を持ち上げた。
そして、カウンターに静かに置いた。
「これがブロンズソード。片手で使うにはもってこいです。
こっちが、ブロンズブレード。両手で使うなら、こっちを薦めます。
お客さんは、どちらがよろしいですか?」
いかつい体つきとは別に、丁寧に接客してくれる。
笑みを浮かべた口から発せられる声も穏やかで、威圧感がない。
ルークも男に圧倒されることなく、机の上の剣をまじまじと見つめた。
「へ~。格好いいじゃん」
まずは、ブロンズソードの方を持ち上げる。
しかし、ルークは、顔をしかめた。
だめだ、これは軽すぎる。普段使っている木刀の方が、まだ重量がある。
そう思い、今度はブロンズブレードの方を手に取った。
「おお、これいいじゃん」
ルークは、ブロンズブレードを掲げる。
しっくりくる程よい重さ。手に馴染む感覚。左右対称の美しいフォルム。艶のある光沢輝く刀身。
屋敷の外に出たら一度は手にしたかった本物の剣。そのイメージにピッタリだった。
カウンターから距離をとってブンブン剣を振り回す。
木刀ではない本物の感覚に、ルークは頬を緩ませた。
「へ~。お客さん、力ありますね。
普通の人は、両手で持つものなんですよ、その剣」
「へっ! 伊達にヴァン師匠の弟子じゃねぇからな」
店番の男の感心した声に、ルークは、そう答えるが、実はそれだけではない。
確かに、ヴァンの直接指導の下で剣の稽古を行い、ヴァン不在でも基礎訓練を怠らなかった賜物でもある。
しかしながら、それだけが人外の力を引き出すことに即繋がるわけではない。
ルークは、響律符(キャパシティ・コア)を装着していた。
これは、フォンスロットという体のツボに干渉することで、戦闘能力を活性させる装備品である。
これによって、普通の人間には出せない力を引き出し、ルークの身体能力を高めているのであった。
だから、ブロンズブレードが両手剣であろうと、ルークには関係がなかった。
目の前にいる店番の男よりも、小柄で、筋肉の量が劣っているように見えても、両手剣を振るうほどに強靭な力を持っているのである。
ブロンズブレードを買うのに、力は問題なかった。
だが―――
「親父、これ、貰うぜ!」
「毎度ありがとうございます。代金は150ルクです」
その言葉に、ルークはキョトンと目を丸くした。
「だいきん? なんで金なんて払うんだ?」
ルークは買い物をしたことがない。
屋敷にあるものは、自由に手に取って食べたり、飲んだり、自分のものにできた。
屋敷になければ、使用人や母親にねだり、何でも好きなだけ買ってきてもらえた。
だから、お金を払うという経験は、未だになかった。
お金自体は、母親からのお小遣いでもらったことはあるが、あの少女の襲撃時にお金を持っているはずもなく。
結局着の身着のまま無一文でここまでやって来たのであった。
……もっともあったところで、通貨単位の違いで払えなかったであろうが。
ルークの、揶揄(からか)っているわけではない純粋な疑問の声を聞いて、今度は店番の男が困惑する番であった。
「い、いえ、お金がないとこっちも立ち行かないと言いますか、とにかく私たちは、それで食べているわけでありまして……」
店番の男にとって、お金を払う必要性を説明させられるのは初めてであった。
あまりにも常識過ぎていて、備えも何もなかったので上手な説明とはなっていない。
首を傾げたままのルークであったが、ひとまず納得したことにして、
「へ~、そんなもんなんだ。んじゃ、あとで屋敷に着いたら親父から払ってもらうから」
そう言って、ルークは、剣を振り回しながら、店を出ようとする。
「い、いえ、うちの店はすぐに払ってもらわなければ困ると言いますか……とにかく、お金を今払っていただかないと……」
店番の男は、慌てて呼び止めた。
彼は、見た目に反して、丁寧ではあるが小心者でもある。
こういう時になると、存外強く出られない。
今までは、外見の力強さで荒くれ者の来客の暴走を未然に防いでいたが、生憎と買い物をしたことのない人間をどう説得すべきかのノウハウは培われていなかった。
「え~。じゃあ、どうすりゃいいんだよ。これ欲しいんだけど」
店番の男に振り返って、せっかく初めて触れる本物の剣を未練がましく思うルーク。
そして、男がおろおろしているところに、
「俺が払ってやろう」
ドアベルが響くとともに、先ほど少女に詰め寄っていた蒼い青年が入ってきた。
「お、お前は。何の用だよ!」
ルークは気色ばむ。
あいにくと、青年に対して好印象を持っていない。
母親から男は、女の子には親切でなければならないと教わってきた。
だから女の子相手に容赦なく詰め寄る青年の評価が芳しくないのである。
何か事情を抱えていそうではあったが、やはり、悪印象を拭いきれるほどではない。
「その剣を買ってやろうっていうんだ。
それだけじゃない。鎧も、兜も、小手も、具足も買ってやろう。
これでどうだ?」
蒼い青年は、ぶっきらぼうな調子のまま、ルークに問いかける。
言っていることは、非常に好意的であるが、顔を見れば、明らかに渋々であるというのが一目瞭然であった。
いくら交渉事を経験したことがないとはいえ、ルークは、その表情と申し出の途方もない乖離に疑問を呈さざるを得ない。
「どういうつもりだよ? 俺なんかに恩を売って何しようってんだ?」
「オマエにそいつらを買ってやる。その代わり、仲間を探すのに付き合え」
青年の、少女への尋問から、ここまでの乱暴過ぎる言動に、ルークは、清々しさすら思えた。
手を貸したくなることはないが、ここまで突き抜けられると、事情を尋ねてみたくもなる。
「……どういうことだよ?」
「今言ったとおりだ。お前がアイツからもらった卵。ちょっと見せてみろ」
青年が手を差し出す。
「……奪って逃げるつもりじゃねぇだろうな?」
「今手に持っている剣を盗ろうとした奴が何を言う」
「んだと!」
「それはどうでもいい……奪ったりしないから、とっとと貸せ」
「ったく! それが人にものを頼む態度かっつーの!」
「早くしろ。これ以上イライラさせるな」
問答無用の命令に、ルークは悪態をついたが、しかしその瞳にどこか切羽詰まった様子が見えて、気は進まないながらも懐から『ヒスイの卵』を取り出す。
青年は、ひったくるように取り、卵に顔を近づける。
そして、
「やはり、真珠姫の香りがする。急がないと!」
ルークがドン引きすることを言い放った。
青年はそれに気づかず、ルークに卵を突き返した後、とっとと店番に詰め寄り、先ほど言った装備品を次々注文した。
店番の男は、ホッとしたような、困惑したような、とにかく何が何だかよくわからない複雑な表情を浮かべる。
しかし、上客が来てよかったと思うことにして、棚から続々と言われたものを取り出した。
「ほらよ。420ルクだ。
……お前、とっととこっちに来て装備しろ」
「ったく、女の匂いを追うような変態からもらってもあんま嬉しくねーからな」
蒼い青年は気持ち悪いが、とにかくもらえるものはもらっておこうと、ルークはカウンターの方に近寄る。
しかし、その言葉を聞き洩らさなかった青年は、瞬時の居合で腰から剣を抜き、
「うおっ!」
ルークの首元に突き付けた。
「今度くだらないこと言ってみろ……オマエを叩き切ってやる」
体をわななかせながら静かなる怒りをルークにぶつけた。
ルークは、抜かりなく研がれた刀身の光沢から鋭利な切れ味を連想する。
そして、自分が腰の剣に手をかける前に、喉笛を掻っ切る距離であることに体が固まってしまう。
まさしく生殺与奪の権限が奪われている状態だ。
この青年の気分一つで、自分の生命は左右されているのである。
「フン……」
そのルークのただならぬ怯えの色を見られて、青年は気が済んだのか、剣を鞘に収めた。
シュコン、と静かな音が鳴り響き、ルークは生命の危機が去ったことを告げられる。
そして、我に返ったルークは大声で怒鳴りつけた。
「あ、あぶねーだろ!」
「ウルサイ。早く装備しろ。店の外で待ってる」
ルークの抗議は、流れゆく流砂のマントが流しきった
*最後の一文は(どうでもいい)ミラクル。
小説を書くとこんなことがあるんですね。詩歌に嵌まる人達の気持ちがわかりましたよ。
ビギナーズラックでしょうが、ローレライとマナの木のどちらに感謝の祈りを捧げるべきか迷いました。
まっ!
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3.「まいごのプリンセス」前編
UAとPVの解析を気味悪くニマニマしながらずっと眺めるのは、時間がつぶれる罠だとようやく気づいたアホなニコっとテイルズです。ハーメルンでセレニ〇、pixivでド〇テルを読んでひとしきり笑っていたら、執筆をしないまま一日が過ぎました。
右手の方のテレビ画面で聖剣伝説LOM、正面のパソコンでArt Of Words、左手の方のタブレットで作業用BGMをかけるという、電力の無駄遣いを極めながらも、今日はなんとか頑張ります……。
「なんで、俺なんだよ」
ルークは、瑠璃と名乗った青年とともにドミナの町の外へと向かっていた。
新たにもらった両手剣と、ピカピカの青銅製の防具を身に着けて、多少は気分の良いルークではあるが、その購入した恩人にはあまり感謝の念を抱いてはない。
切羽詰まっているようであるから、町を回れなかった不満はこの際置いておく。
しかしそれを差し置いても、彼から見れば、瑠璃は、女の子を乱暴した挙句に、別の女の子の匂いを嗅いで行方を探る乱暴な変態なのである。
事情を詳しく教えてくれないことも相まって、そう言う評価しか下せないのは致し方ないかもしれない。
「他意はない。精々あのバイトから卵をもらったのを見ただけだ」
瑠璃とて、こんな下品なヤツと捉えた相手と手を組みたくはない。
しかし、卵を抱えているルークを追跡して、武器屋の前に来たところ、両手剣を振り回すという声が飛び込んできた。
なるほど。これは、腕っぷしを期待しても良さそうである。
先ほどすれ違った時は、多少鍛えられているくらいの腕としか思わなかったが、人は見かけによらないものだ。
そう考えた瑠璃は、武器と防具の代金と引き換えに、ルークと行動を共にすることにした。
追跡したのは卵を得るためではあったが、味方が増えるのは、瑠璃にとっても望ましいことである。
戦力の増強という意味もあったが、それよりも仲間が欲しいという根底の願望が、瑠璃を無意識下で突き動かしたのかもしれない。
とはいえ―――
「ったく、まあいい。お前、バチカルがどこにあるのか知らねぇか?
俺、早くそこに帰りてぇんだけど」
「知らん」
「本当かよ。知ってて誤魔化してねぇだろうな?」
「余計なおしゃべりはお断りだ。オマエは、さっきの代金分だけ働けばいい」
「なんだよ! つれねぇ奴だな。
じゃあいいや。お前の探してるやつってどんな奴だよ。
とっとと見つけて、この町まで戻りてぇんだけど」
「……白色のドレスに、長く編んだ髪を垂らしている。妹みたいなやつさ」
「へ~。自分のことは話すんだな。こっちの話は聞かねぇで」
「うるさい」
ルークは一応瑠璃の方を向いて話しかけるが、瑠璃は振り返ることなく歩き続け、必要最低限のこと以外話さない。
それを察して、ルークも、「あ~あ。イヤなヤツ」「つまんねーの」「別の奴だったらよかったぜ」と、露骨な嫌味を吐き続ける。
それに対して、瑠璃も足音を強く踏み鳴らすが、くだらない奴には素っ気ない対応が一番と、聞き流して無視を決め込む。
二人の関係はおよそ最悪な状態から始まったのである。
*
「さっきの卵を使え」
町の外で、瑠璃はやれやれといった表情で、ルークに命令する。
「言われなくてもわかってるっつーの」
目には目を歯には歯を、塩対応には塩対応を。
そんな気持ちで、ドミナの町の形成とは真逆の気分で、ルークは卵を掲げ、目を閉じてイメージした。
『ヒスイの卵』は、ルークの手から離れて、ドミナの町の隣に着地する。
すると、卵は、地面に溶け込んで、視界から消えた。
しかし、瞬き一つする間に、ぺったんこの巨石が現れる。
そして、踏みつける巨人を一気にひっくり返すような勢いで巨石は持ち上がり、大きく口の開いた青い洞窟が出現した。
遠目からでも、青い洞窟の内部には、蒼い地下水が溜まっているように見える。
「行くぞ」
とくに何も思うことなく、瑠璃は出現した『メキブの洞窟』にスタスタと向かう。
「……かー! マジでつまんねーやつ!」
ルークは、アーティファクトから新たな場所が出現する瞬間を見るのが楽しみであった。
それなのに、この男ときたら、そんな感動を分かち合おうともせず、洞窟が出現した時の余韻を壊しにかかる。
そりゃ、普通の人間にとっては、日常なんだろうけどさ。もっと楽しめよ。
こっちだって、とっととバチカルに帰りてぇけど、新しい場所がビックリする登場の仕方をするんだぞ。
きれいじゃん。おもしれーじゃん。なのに、コイツと来たらよ!
無感動な瑠璃に対して、
「お前が、そんな面白味のねぇやつだから、探してるツレも離れて行ったんじゃねぇの?」
無遠慮な言葉をルークは投げかけた。
すると、イライラを踏み潰すように進んでいた瑠璃の足がピタリと止まった。
「んだよ。図星か?」
ルークは、冷笑を浮かべながら追撃する。
ここまで気に食わない奴に対して、手を緩めようなどという気持ちは毛頭出てこなかった。
「……今度くだらないこと言ったら、お前を売り飛ばす」
瑠璃は振り向く。蒼い瞳の中には、猛る炎が宿っていた。
静かな怒りを湛えた瑠璃の唸るような声は、そんな衝撃的鉄槌をルークに振り下ろす。
「はっ! やれるもんならやってみなよ。
お前ひとりじゃ自信ねぇからこんなとこまで連れて来たんだろ」
「生憎だが、俺は酒場で働いている。そこで接客しているとな、色々と邪な奴が来るんだ。
奴隷商人だって、ザコじゃない。いくらお前が強くとも、荒くれに慣れている奴らに引き渡せばそれなりに面白いことになるだろ。
オマエの服は安っぽいもんじゃない。アルテナフェルトに相当するくらい高価なものだ」
「……………」
はったりかと思ったら、意外なほど具体性を帯びた話をする瑠璃に、ルークは固まってしまった。
瑠璃は、ルークの先ほどの冷笑のお返しと言わんばかりに、口元に獰猛な笑みを浮かべて続ける。
「どうだ? ここで引き返すか?
そしたら、お前のことを奴隷商人に話すぞ。そうすれば、ドミナの町には入れなくなるな。
万が一入ろうものなら、船に乗せられてどこともわからない場所に行くだろう。
……俺は構わない。ここまでの戯言と武具の代金分だけ、お前には貸しがあるからな」
「……ほーんと、いけ好かないヤローだぜ」
悪態をつきつつも、背中に冷たいものを感じたルークは、瑠璃の元へと仕方なく近づいていく。
「あの洞窟に真珠姫がいるんだ。
アイツに会えるまで付き合え。そしたら、俺にとっても胸糞悪い仕事をしなくて済むんだからな」
そう言って、瑠璃は、再び流砂のマントを見せつけて、小さくなっていく。
2人が剣吞な雰囲気のまま歩いて行くと、そのまま青い洞窟の入り口に到達した。
洞窟に入る直前に、ルークは空を見上げる。
ちらほらと白い雲が見えるが、青々とした空が見え、太陽がまぶしい。
「……………」
今度は、今から入る洞窟に目を向ける。
外観は青いが、内部は蒼い。言うまでもなく日の光など及ばない。そして蒼い人間が洞窟と同化していく。
(……マジだりぃ)
願わくば、己の紅の髪が蒼く染まりませんように。
夢に出てきた神聖な木に祈りたいことは、それだけである。
*
硬い。
「ついて来い。アイツの、おおよその位置はわかる」
硬いのは瑠璃の言葉だけではない。
ルークは、屋敷の中に敷かれるカーペットの有難みに、これ以上ないほど感謝しているところであった。
ドミナの町で、脅迫の材料の一部となったブロンズブーツも、癪ながら感謝の対象に入れてもいいかもしれない。
初めて入る洞窟の岩盤の硬さときたら、それほどのものだったのである。
足が伝える、自然が作り上げた人間の歩行を考慮しない岩の足場というのがこれほどまでに腰に響くものだとは知らなかった。
ルークは腰痛持ちなどではないが、しばらく歩いただけで、身体の芯がズキズキと悲鳴を上げるのである。
「……腰が痛てぇぜ、まったく」
退屈な巨宅での生活が恋しくなったのは、無人の家の寂寥感以来、これが初めてであった。
「そのうち慣れる。我慢しろ」
ルークの嘆きは、スタスタ歩く瑠璃の素っ気ない言葉で返され、今度は心まで硬くなりそうであった。
「はあ~」
岩場の硬さはどうにもならない分、瑠璃の硬い言葉に対するイラつきは、溜息として吐き出して、心労のダメージだけは抑制した。
しかし、メキブの洞窟内部は、堅固な岩場だけで構成されているわけではない。
地下水で浸食されてできた鍾乳洞には、あちこち窪みができている。
それが悪路となって体力を奪い、躓かないように神経を尖らせ続ける者の精神力をも疲弊させる。
日の光が差し込まない洞窟の中では、不安定な道に絶えず注意しなければならない。それは、ルークが初めて自覚することであった。
おまけに、あちこち水たまりができている。清純な水で、汚水ではないのが幸いである。しかい、不意に踏みつけて具足が濡れるのは、貴族のルークにとって苦痛なものであった。
その代わり、タケノコの形をした石筍(せきじゅん)や、石柱、上から見えるつらら石は、鍾乳洞に踏み入れる者だけが享受できる光景であった。
視界が限られ、足元に絶えず注意しなければならない状況下でも、時々瞳に入り込む天然の産物に目を楽しませることだけはできた。
おかげで、ルークもメキブの洞窟での探索に少しはマシな気分になっていたのであるが……生憎とそのわずかな娯楽さえも楽しませてくれない事件が起きる。
「……!……気をつけろ、ルーク。マイコニドが二体いるぞ」
「へ? な、なんだよ、それ?」
黙って先頭を歩いていた瑠璃が、急に注意を飛ばしてくる。
さらにルークにとって訳の分からないことを言ってきた。
「知らないのか? キノコのモンスターだ。笠を飛ばしたり、胞子を飛ばしてくるから注意しろよ」
「お、おい。こんなとこに魔物がいるのかよ!」
「……ったく。人がいないところだ。当たり前だろ」
瑠璃は呆れながらも、しかし剣を抜いた。
戸惑うルークも、
「ああん、もう!」
それに倣って、腰からブロンズブレードを引き抜いた。
「お前は、左の奴を、俺は右をやる。軽々と大剣を振るえるお前なら、アイツらは大した敵じゃない」
瑠璃は、短く指示と檄を飛ばす。
ルークが戦いに不慣れなものと瞬時に判断し、短くやるべきことだけを伝え、さらに自信を持たせる的確な伝令であった。
しかも、ルークは左利き、瑠璃は右利きであり、それをも考慮している。
瑠璃は、ルークに対して未だ好印象を持っていないが、戦闘となれば話は別であるのだ。
「行くぞ!」
ルークにとって、屋敷から出て初めての戦闘が始まった。
*
やけくそだった。
初めての戦闘を振り返ってルークの口から出てきた感想はそうであった。
洞窟に生える、腰ほどもある巨大なキノコ――マイコニドは、2人が近づくといきなり足が生えて動き出した。
そして、絶対に怯むまいと大声を上げて走り寄るルークに対し、とぼけたような目を向けて、笠頭からひっくり返り、高速回転をお見舞いする。
「おわっ!」
ルークは、猛進の勢いをなんとか殺し、子供のころに屋敷で遊んだ駒よりも遥かに素早い回転の刃を辛うじて剣で防ぐ。
ガキンッ! という衝撃音とともに距離を取らされる。盾代わりの剣からは、火花が散った。
足腰で踏ん張り、尻餅を防ぐことができた時、ルークは、ヴァンの指示した基礎トレーニングを忠実にこなしてよかったと心の底から思った。
(なんだよ、あれ。ほとんど剣と変わんねぇ鋭さじゃねぇか!)
ルークが戦慄するのも無理はない。
マイコニドは、それほどまでに強烈な切れ味の回転攻撃で、獲物の首を刈り飛ばすのである。
そして、刃の旋風を警戒して、迂闊に近づかない獲物には、
「うぉっ!」
再び両足をつけて、硬質な笠を飛ばし、昏倒させにかかるのである。
ルークは、飛来してくる笠を咄嗟に剣で打ち払った。瑠璃の情報がなければ油断して頭に直撃していたかもしれない。
マイコニドの笠は、まるで鉄球でも投げつけられたかのように硬かった。
キノコのくせに、信じられないほど狂暴なヤツだと、ルークは普段の食事で出てくるコリコリとした食感のキノコと思わず対比してしまう。
しかし、笠がなくなったことで、マイコニドも有用な攻撃手段を喪失した。
その見た目は、どこか間抜けな禿頭の姿を連想させるものである。
だが、ルークは油断しない。
右で戦っている瑠璃を見る。彼は、胞子攻撃を避けた後に反撃していた。
それを頭に入れて、ルークは地を駆け、マイコニドとの距離を一気に詰める。
思った通り、マイコニドは、水色の胞子をまき散らした。
ルークは、剣2本分の距離で急停止する。あらかじめそのつもりでスピードを落としていたので、余計な隙をつくることはない。
そして、胞子の放出の停止を確認するや否や、
「双牙斬!」
屋敷に出る直前におさらいした連撃を、マイコニドに叩きつける。
初撃で、ほぼ真っ二つ。
二撃目で、残骸を吹き飛ばし、マイコニドを散り飛ばした。
「はぁ、はぁ、はぁ……」
息を切らしながら、しばらく飛び散ったマイコニドを油断なく見つめる。
そして、もう起き上がらないこと、動く可能性が全くないと確信して、ルークは目を逸らす。
そして、瑠璃の方に目を向ける。
とっくの昔に、マイコニドの料理は終わっていた。
料理と形容するには、串が小さすぎるが。
瑠璃は剣を引き抜き、マイコニドの体液を払う。
そして、ルークは、それを見て、初陣の終わりに少し瑠璃に声をかけるつもりでそちらに近づこうとした時、
「ルーク! まだだ!」
瑠璃は、鋭い声とともに、剣を向ける。
「へ?」
思わず漏れ出た呆けた声で、ルークがその切っ先の方向に振り向くと、
赤いコウモリがいた。
防御する間もなく、
「ぐわっ!」
突進してきたコウモリに嚙みつかれた。
(いてぇ!)
右肩に鋭い痛みが走る。
不意の白熱した衝撃に、一瞬意識が飛びかけた。
しかし、それは、却ってルークの頭脳を冷静な領域まで押しやることとなる。
(傷って、稽古じゃないときのマジの傷ってこんなに痛いのか)
ルークの思考は沈潜し、ヴァンとの稽古で剣を弾き飛ばされた際の、地面に叩き伏せられた時のことを想起させた。
今までで、あれが最も痛い瞬間であった。しかし、今回のコウモリの噛みつきはそれを大きく越える。
手加減された甘い痛みではない。死へと誘う辛い痛みであった。
右肩でよかった。左肩をやられたら剣を落としていた。首をやられたら……言うまでもない。
ルークは嗤う。
場違いな状態だと自覚しながらも、己の幸運に感謝を捧げることに躊躇いを感じなかった。
ルークには見えた。
コウモリは、獲物が怯んでいて、今のうちに攻撃を重ねれば、大量の血液を得られると踏んでいることを。
走り寄ってくるもう一人の人間を躱し、満腹のまま、五体満足で巣に帰れる、と目論んでいることを。
そして、そんなコウモリは、初撃を与えた人間に、まさか反撃されるなどとは考えていないことを。
瑠璃が走って近づいて来る。
だが、これは俺の獲物だ。俺を傷つけた奴は、俺が切り捨ててやる。
だから―――!
「たぁっ!」
ルークは、振り返る。
歯を食いしばって、激痛を噛み殺し、油断しきったコウモリが驚愕で固まっていることに満足しながら、ルークは、後ろから見えたコウモリを切り捨てた!
生物の硬直した体は、刃を入れやすい。
実は、リラックスしている状態の方が却って手応えがないものだ。
しかし、ルークの剣の鋭さは、体の硬軟をものともしない。
ただ、余計にコウモリを切りやすくなったと感じただけであった。
コウモリは、空中で分裂し、地面に落ちた時には、体が真っ二つに分かれてしまっていた。
*
「ったく、油断するなよ、馬鹿」
右肩の痛みで屈んでいるルークに対する瑠璃の評価は厳しい。
しかし、心配の声色を汲み取れたのは、ルークの神経が普段以上に昂っていたからであろうか。
「へっ! ちょっと油断しただけだっつーの!」
ルークも素直には返さない。
こんな自己中心的ではない側面を見せられると、敢えて強がるのは当然であると、心のどこかで思ったのだ。
「フン!」
瑠璃は、心配して損したと言わんばかりに、鼻息一つ鳴らしてルークに背を向けた。
少しそれを残念がるルークであったが、
「ほら、これをやるよ」
瑠璃が何かを拾って、ルークに差し出す。
「これは?」
「あのコウモリ、バットムの落とした戦利品。まんまるドロップだ」
「なんだよ、それ」
ルークは苦笑する。
瑠璃は、ピンク色の包装紙に包まれた大きなあめ玉を見せている。
ルークは、コウモリがそんなあめ玉を落としたことよりも、それを渡してくれたことよりも、瑠璃が「まんまるドロップ」という場違いな言葉を言ったことに、笑みを隠せなかったのだ。
「これで傷を治せる。口を開けろ」
瑠璃は慣れた手つきで包装紙を取り、口をかなり大きく開けなければ入らないあめ玉をつまみ、ルークの口元に突き出す。
「しゃあねーな」
ルークが目一杯口を開けると、瑠璃があめ玉を投げ込んだ。
「にげぇ!」
甘味を期待したルークは裏切られる。
薬の錠剤を間違って嚙んでしまった時のような、強烈な苦味がルークの口内を席巻した。
「体を治すあめがお菓子みたいな甘さだと思ったか? おめでたい奴だな」
瑠璃は嘲笑する。
「お、おめー……ああ~! にげぇ!!!」
文句の一つでも言おうとしたルークであったが、口を封じられてしまってはどうしようもない。
右肩の痛みと引き換えに、苦味で地面に手を突いたルークは、そのまま瑠璃の見下ろされる視線をその身で受けなければならなかった。
瑠璃は、近くの石筍に座り、時折「早くしろ」と急かしながら、ルークが落ち着くのを待った。
しばらく待って、ようやく落ち着いたルークは、
「ったく、先にそういうことは言っとけっての……ってあれ、肩、もう痛くねぇ」
悪態とともに、痛みを声高に主張していた右肩の沈黙に気付く。
「そういうもんだ。苦味が消えると同時に痛みもなくなる。覚えとけ」
「ったく。最初から全部言えっての」
「体験した方が新鮮だろ。何もかも教えられてばかりだと、せっかくの刺激も薄くなる」
「それでいいんだっつーの。心の準備くらいさせとけ!」
「やだね。お前ののたうち回る姿が見られないじゃないか」
「く~! コイツ~!」
悪口には悪口を。
無言の険悪な状態よりは、言葉のやりとりがあるだけ多少和らいだ状態ができたかもしれない。たとえそれが罵詈雑言の応酬でも。
もっとも、ルークは、まだ和やかさを感じ取れてはいないが。
「まぁ、マイコニドを知らないで、馬鹿みたいに突っ込んで行ったときにはどうなるかと思ったが、役に立たないでもないな」
目を逸らしながら瑠璃は遠回しにルークを讃えた。
それを聞いたルークは目を丸くする。
しかし、コイツがそんな素直な言葉を吐くわけがないと心の中の警鐘に耳を傾ける。
だが、ルークは純粋でもあった。ひょっとしたら、真心の篭った礼賛かもしれない、と期待してしまう。
だから、その称賛の声を素直に受け取るべきか、別の苦虫を潰したような気分になるべきか、判断がつきかねた。
「それは、どういう意味でだ?」
訊いて、
「むろん、戦力になってこっちは助かるということだ。それ以外に何がある?」
「お前、マジムカつく!」
悪い予想の方の答えが返って来て、ルークは大きく悪態をついた。
「ま、それはともかく。モンスターを全く知らないようだから、見える範囲にいたら教えてやるよ。
まんまるドロップをいつも出す奴ばかりじゃないからな」
「おめぇは持ってねーのかよ」
「是非とも持ち歩きたいが、あれは保存が効かない。モンスターから新鮮なうちに採集するしかないんだ。
現地調達しかないわけだから、余計な怪我してもらっても困る。足手まといになるのはなるべく勘弁してくれ」
「いちいち、嫌味を言わなきゃ落ち着かねーのかよ!」
「生憎とそうみたいだ。お前のせいで酒場での接客業が務まらなくなるかもしれない。どうしてくれる?」
「知るか!」
「そうか。なら、早く真珠を見つけてとっととお前と別れよう。
さもなくば、お前を奴隷商人に売り飛ばして生活費を稼がねばならないからな」
「だ~! わぁったよ。さっさと行くぞ」
最低限のことしか言わないキャラから、毒舌皮肉マシーンと化した瑠璃の口を封じるために、顔を赤くしたルークはズンズンと先へ進む。
「道はそっちじゃないぞ。馬鹿だな」
「………………」
そして、最大級の嘲りの矢を背に受けてしまった。
まっ!
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4.「まいごのプリンセス」後編
おかしいなぁ。
受けないために、古い作品同士のクロスオーバー、硬派(笑)な文章、頓珍漢な場景描写の連発、転生者なし、オリ主なし、主人公無双展開なしと、SSとして人気が出る要素がないない尽くしのオンパレードにしたのに。
お気に入りの数1(自分のみ)になるかも、と予想していたのに……どうしてこうなった?
「緑色のプルプルしたもの」「生命線上を歩くアリの大群」が、波長良く私と合っているとしたら、それは偽物ですよ。今からでも、魔法都市ジオのラベンダーの元を訪ねてはいかがですか? それとも、Dr.ジェイドが必要ですか?
メキブの洞窟を地下へ地下へと降っていく。
下って行くうちに、視覚は闇に適応し、身体は岩盤に適応していった。
瑠璃のアドバイスの下、ルークは戦闘をこなしていった。
デスクラブという、ハサミを飛ばしてくるカニのモンスターには、遠距離から隙を窺い、ルークの巨剣で一刀両断した。
ポトという、眠そうな目をしたカメレオンのモンスターの伸ばしてくる舌を瑠璃が切り裂き、痛みでのたうち回らせている内にとっとと先へと進む。
ルークは、次々襲い掛かるモンスターをばっさばっさと切り捨てることができるという実感を経て、な~んだ、魔物って大したことね―じゃんと思い始めていた。
もっとも、ヴァンという絶対的な師匠がいるために、勝てない存在がいるというのはルークの頭に叩き込まれている。
なので、慢心して、瑠璃の助言を無視するということはない。
瑠璃とは、口を開けば皮肉を言い合うが、たいがいルークが丸め込まれるので、道中は黙々と進んでいる。
しかし、戦闘においては、複数のモンスターが出現した時の連携で、互いの行動を具(つぶさ)に観察することになるので、徐々に呼吸が合い始めていた。
ルークの目から見ても、瑠璃の剣の腕は確かだ。
剣の振りの速さから、日頃の鍛錬を怠っていないことがわかるし、戦いにおいてほとんど呼吸を乱すことなく豊富な知識を以って敵の弱点を突いている。
まだ、いけ好かない蒼い奴という評価は揺るがないが、剣の腕と旅慣れていることは認めても良さそうだと、ルークは思い始めた。
瑠璃にしても、ルークは連れてきて正解であったと判断する。
実戦経験や知識は不足しているものの、大剣の齎す破壊力と、わずかなアドバイスで機転の利いた対処を考案し実践する頭の回転の速さは認めても良い、と思った。
皮肉で流さなければ、紛れもなく自分と衝突してしまう性格なので、あまり長時間一緒には居たくないが、戦力としては及第点であった。
決して口には出さないが、それでも呼吸を合わせて、2人は突き進んで行く。
「もうすぐ着く」
洞窟を大分深くまで歩いたとルークが思った時、瑠璃が短く告げる。
「こんなとこまで来るなんて、お前のツレも大したもんだな」
「いや、アイツは適当に歩いて、モンスターさえもなぜかスルーしながら迷子になっていくんだ。
戦えるわけじゃない」
「ああ!? なんだ、幸運の女神でもついてるのかそいつには?」
「そうかもな。モンスターに関しては、さほど心配ないんだが……」
「ん、なんだよ?」
不自然に言葉を区切る瑠璃にルークは顔を向けて訊ねる。
「……いや、何でもない。お前には関係ない話だ」
その返答に、ルークは、フンと鼻を鳴らす。
「はいはい。真珠姫とやらを見つけたら別れる俺には関係ないですよ」
「……そう思っていてくれ」
ルークは眉をひそめる。
今の言葉には、邪険に扱うというよりは、どこか懇願めいた意思が伝わって来たからであった。
蔑ろにするというよりは、危険だから来てはいけないという警告の調子。
それぐらいの違和感は覚えたが、しかし、訊ける雰囲気でもない。
ま、いいか、どうせ屋敷に帰るついでだし。そう思っていた時、
「きゃぁぁぁぁぁああああ!!!」
洞窟の最奥部から、女の子の悲鳴が響いてきた。
「な、なんだ!?」
「真珠!」
瑠璃が駆け出し、一瞬硬直していたルークもその後を追う。
*
女の子は見つからなかった。しかし、悲鳴を上げた原因はわかった。
「でっけぇサル……」
「ドゥ・インクか! こんなところで!」
ルークは身の丈が自分の8倍はありそうな巨大なサルのモンスターに思わず目を見張った。
頭から背中にかけて、ゴワゴワとした獣毛が続き、それが尾まで覆いつくしている。
腹部はでっぷりと出ており、筋肉らしきものは見えない。しかし、その手が握る刃付きの巨大な棍棒から、力強さは言うまでもない。
さらに、その巨体はサンダルを履いているところを見ると、ある程度の知恵があることは窺えた。
しかし―――
「ルーク。ドゥ・インクは、加減を知らない。
人を食べることはしないが、玩具にして遊ぶのが大好きだ。
お灸を据えてやらねば、倒せるものも倒せない。気合を入れろ」
瑠璃の言葉から判断するに、人間にはとても友好的とは言えなさそうである。
むしろ、知恵がある分だけ余計にたちが悪いと言うべきか。
ドゥ・インクがこちらを見つめる目も、明らかに爛々としていて、快活に棍棒を振り回しているあたり、間違いなく無視することはできないだろう。
「わぁった。この部屋はかなり広いから、挟み撃ちで行くぞ」
あれやこれや命令されるのは面白くないが、ルークとしてもこの巨躯を打ち倒すには一筋縄ではいかないことがすぐにわかる。
「ああ、お前は後ろに行け。オレが前に回るから」
瑠璃は自ら危険を冒すつもりであった。
そして、ドゥ・インクの元へと素早く走って行った。
「ったく、ぺしゃんこになるんじゃねぇぞ」
一つ悪態をついて瑠璃を見送り、ルークもドゥ・インクの背中を目指して旋回する。
(硬ぇ!)
剛毛の厚さは想像以上であった。
ブロンズブレードは、確かにそこまで切れ味は良くないが、ルークの強化された力を合わせれば道中の魔物を両断するほどには十分な威力を持っている。
ところが、精一杯切り上げても、せいぜい腰ほどしか剣が届かない上に、分厚い毛がそのダメージすらも吸収してしまう。
ドゥ・インクからすれば、剣を叩きつけられようと、小石を投げられようとあまり変わらないのであろう。全くダメージが通っている様子がない。
ドゥ・インク自体も、ルークではなく、瑠璃の方に集中している。各個撃破のつもりなのだろう。
瑠璃の方を見た。
何とか毛のない腹部に近づこうと隙を窺っているが、蹴りと棍棒の牽制で思うように近づけないようである。
まだ、棍棒の方は隙があるが、頻繁に繰り出される蹴りが厄介であった。距離を詰めてもすぐに離されてしまう。
「ちっ! 奥の手を使うか」
キリがないと判断した瑠璃は、いったん距離を取って、必殺技をお見舞いすることにした。
ニヤニヤしながら距離を詰めるドゥ・インクに、
「レーザーブレード!」
己の刀を雷撃の刃に変え、猛烈な勢いとともに振り下ろした。
「すげぇっ……」
ルークが、その衝撃に思わず感嘆する。
電撃の剣は、余裕の笑みを浮かべていたドゥ・インクの胸から腹部を切り裂き、初めてその表情を苦悶へと変えた。
「ちっ! これでもダメか」
しかし、ドゥ・インクにある程度ダメージは与えられたが、その表情は怒りに満ち満ちたものとなった。
今度は油断なく瑠璃との距離を縮める。
それを見て、瑠璃はとっさに距離をとるために走り出すが、
「ぐわっ!」
その進路を予想したドゥ・インクの棍棒が瑠璃の眼前に打ち下ろされ、衝撃波が起こる。
棍棒の直撃こそ免れたものの、引き起こされた大地の揺れに踏ん張りきることができず、瑠璃は吹き飛ばされてしまう。
「瑠璃!」
ルークが叫び、慌てて救出に赴こうとする。
しかし、その時、足元に瑠璃のレーザーブレードがもたらした緑色の円陣の存在に気が付いた。
(これを使えば!)
ルークはヴァンから習ったことを思い出す。
『ルーク。お前の双牙斬は、風の譜陣の上で使うと技が変化する。
これはFOF(フィールド・オブ・フォニムス)変化と言って、普通の特技がより強力なものとなるのだ。
……見たいか? では、実践してやろう。サンダーブレード!
……見よ、これが風の譜陣だ。強力な風属性の攻撃をした時に発生する。
そして、この上で双牙斬を放ってみると……』
ルークは、譜陣のサークルの中心に立って、瑠璃に近づこうとするドゥ・インクを挑発する。
「おい! お前! こっち来いよ。
そんな倒れちまったヤローじゃなくて、俺が正面から遊んでやるよ!」
ドゥ・インクは、ちらりとルークを見た。
賢いそのモンスターは、言葉の意味は分からずとも、それが挑発行動だと理解した。
なので、痛くも痒くもなかった大剣を繰り出す紅い髪の男よりも、驚異的な攻撃を叩きつけた瑠璃の方を警戒する。
だから、普通の悪口程度では、挑発に乗ることはなかったのであるが。
「あんだ? 怖いのか? そんなでっぷりした運動のできねぇメタボ体質じゃ、動かないおもちゃの方が好きってことか?
はっ! お前にドゥ・インクなんてご大層なお名前はもったいねぇな、それじゃ。
俺が、今から別の名前をくれてやるよ! 『デブザル』ってな!」
言葉の意味は分からない。
けれど、『デブザル』という響きの持つ侮蔑的なニュアンスは、確かにドゥ・インクの頭でも理解できた。理解できてしまった。
もしも忍耐力があれば、なおもルークよりも瑠璃の方を警戒したかもしれない。
しかし、生憎とドゥ・インクはそこまで煽り耐性が強いわけではなかった。
知恵はあれど、忍耐強さは人間に及ぶものではなかったのである。
「ぐぉ~~~~~!!!!」
なので、怒りを爆発させたドゥ・インクは、ズシンズシンと足音を響かせてルークの方へと向かう。
(よし! 予想通り、やっぱ馬鹿だ)
してやったりの表情で笑うルークであったが、自らを軽く踏み潰せそうなほどの巨体が迫ってくることに心の中ではかなり焦っていた。
しかし、口元だけは余裕の笑みを浮かべて、内心の焦燥を押し殺す。これも師匠から習ったことだ。
こんなとこで潰されたりはしない。死ぬつもりはない。
イメージしろ、ルーク。思い浮かべるべきは、師匠の技。
双牙斬が変化したあの強力な一撃。
瞳を閉じ、師匠の技の一挙一動の完全なる動きを今この瞬間できることをルークは、強引に確信した。
そして―――瞳を開ける!
「受けろ、雷撃!」
じっくりと引き付けたドゥ・インクの腹部に初撃の袈裟懸けを入れる。
二撃目の返す刃で切り上げ、地面を強く蹴って跳躍。
そして、記憶の中の師匠の技と、頭の中の己のイメージを合致させた。
「『襲爪雷斬』!」
風の音素(フォニム)を纏った剣とともに、空中をかけ登ったルークは、生み出した雷電とともに、ドゥ・インクの顔から腹まで、縦の真一文字を焼き付ける!
電光石火の名にふさわしいルークの強力な一撃。無防備な顔から腹までに刻み込まれた紫電の一閃に、いかなドゥ・インクの巨体とて、耐えきれるものではなかった。
「ゴォォォォォオオオオオオオ!!!」
ドゥ・インクの巨体は、その一撃に耐えきれず、悲鳴を轟かせながら仰向けに倒れ込む。
ドシン!!! と辺りに鳴り響くその巨体の転倒の衝撃は、脆くなっていた洞窟の天井からの落盤を引き起こす。
そして、鍾乳洞の巨石が、暴れまわっていた巨体の息の根を完全に封じるがごとく、夥しい量降り注ぐ。
ドゥ・インクの姿は、もう見えなくなった。
*
「ちょっと、サービスが過ぎたな」
ルークは、雷撃の一撃の思わぬ副産物を見て、喜ぶ前に慄いた。
倒すつもりではあったが、ここまでの岩石の崩落を齎すつもりはなかったのである。
一歩間違えれば、自分も瑠璃も巻き込まれていた。
落盤が降り注いだ後の土埃が漂う中で、冷や汗を隠せない。
「お前に救われるとはな……」
瑠璃は、ゆっくりと体を起こす。
悪態をつくも、ルークの力には心の中で感嘆していた。
剣技と状況判断の良さは認めていたが、これほどの魔力を纏った一撃を生み出せるとは思ってもみなかったのである。
「へっ! もう奴隷商人だろうと、大したことねぇぜ」
「……フン、あんな戯言をまだ信じていたとはな。やっぱり、馬鹿であることには変わりないな」
「あぁ!? あれ、嘘だったってのか!?」
ルークは、割と本気で信じていた。
王族で攫われた経験(記憶にはないが)があるからこそ、警戒していたというのに。
さらに、馬鹿にするだしにまで使われて、やはり瑠璃に対しては立腹しきりのルークであった。
「だぁ~~~~! もういい! とっとと探し人を見つけろっての! 蒼男が!」
「お前に言われずとも、もう見つけた。……出て来いよ、真珠」
瑠璃は物陰になっている石筍の方を見る。
むくれたルークもそちらを向くと、
「瑠璃くん?」
鈴のような声が響いた。件の真珠姫の声のようだ。
金髪で、瑠璃が言っていたように編み込んでいる。首周りは、大量のパールで覆いつくされ、心臓に当たる部分の巨大な真珠を囲っていた。
白く可憐なドレス姿と、華奢な体つき、純真無垢そうな顔つきからは、なるほど確かに危うさを感じられるほどの庇護欲をそそられる。
「核は傷ついていないか?」
瑠璃が真珠姫に近づきながら、心配げに訊ねる。
「ええ」
そして、コクリと頷いた真珠姫の返答に安堵の息を漏らした後、
「一人でウロツクなとあれほど言ったじゃないか。
どうしてこんなところに?」
目を釣りあがらせて、咎める口調になった。
「考え事をしていたの……いろいろ……」
不安げな声で真珠姫は怒れる瑠璃にたどたどしく言葉を紡ぐ。
「今は考えなくていい。
今はおとなしく、俺に守られていればいい……」
ルークには、瑠璃の言葉は、頼れる王子様の声というより、どこか縋るような声に思われた。
「でも……」
「いい加減にしろ!」
鍾乳洞に瑠璃の怒鳴り声が、壁に反響しながら劈(つんざ)く。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
しょんぼりと繰り返し謝る真珠姫に、
「おい。そいつ謝ってんだろ。許してやれよ」
ルークは、助け舟を出した。
「お前は黙ってろ」
「んだと!」
売り言葉に買い言葉。
しかし、今回は不毛な喧嘩には至らない。
「このひとは……?」
おずおずとした声で、真珠姫が瑠璃に問うたからである。
「オマエを探すのを手伝ってくれた」
「ルークだ。ルーク・フォン・ファブレ。
そいつに剣だの防具だのを奢られてここまで手伝わされたってわけ」
「そ、そうなんだ……」
真珠姫は、ビックリしたような、けれどちょっと怯えた目でルークを見る。
「そろそろ行こう……じゃあな」
瑠璃は、素っ気なくこの場を後にしようとする。
一方、真珠姫は、おそるおそるルークの方に近づいて来た。
「あの……あ、ありがとう……」
そのはにかんだお礼の言葉に、
「お、おう」
感謝の言葉に慣れていないルークも戸惑って、気の利いた言葉が出てこない。
そして、照れてしまう。ルークの頬の紅潮が伝染したのか、真珠姫の頬もまた赤く染まる。
しばらく、こそばゆい時間の流れが一帯を支配した。
「行くぞ」
そんな妙な雰囲気を、瑠璃の無機質な声が停止する。
「ごめんなさい。いま、いくわ」
そう言ってなおも真珠姫は、ルークの元へと向かい、
「ルークおにいさま。あの……これ、お礼です……」
恥ずかし気に俯きながら、真珠姫は、2つのアーティファクトを取り出す。
一つは『車輪』。
当然ながら、本物ではなく、手の平に収まるほどの玩具のようなものだ。
しかしながら、車輪に蔓延る無数の赤錆は、本当に何十年も人々の重みに耐え、その足を支えてきたように見受けられた。
行商人の山のような商品を運搬したか、あるいは辻馬車として旅人の足となったのか、とにもかくにも歴史がその車輪に刻み込まれているかのように思われるのである。
その重みの伴う絶え間ない回転は、大地を均し、轍をつくり、その役目を終えた歴史の証人として今この場に現存するようであった。
もう一つは『炎』
鉄の円筒に湛えている紅く凍れる炎は、厳しさの象徴のように見えた。
炎は、三対の鎖が円筒と結節し、束ねられた持ち手の部分があることから、闇を照らす紅い道標として使われているのであろう。
しかし、その炎は決して休息を求めない。常に一定の調子で役目を果たし続ける。
小規模ながらもどこか威厳に満ち満ちた炎は、厳格な道を歩む者のみを持ち手として選ぶ、そう思えてならなかった。
しかしながら、ルークは、そんな2つのアーティファクトよりも魅了されたことがあった。
『ルークおにいさま』
真珠姫から発せられたその響きのなんと蠱惑的なことか。
ルークは、その言葉の衝撃で、全身の血という血の流れが止まってしまったかのように思った。
今までルークは、『おにいさま』などと呼ばれたことはない。
当然だ。屋敷に仕えるメイドというのは、経験豊富な熟練の年配者が多く、優秀で若いキレイなメイドでさえも、齢十七のルークより年下というのはあり得ない。
その呼称も、『ルーク様』である。自分に傅く年上全員から呼ばれるのは、一切の例外なく『ルーク様』でしかないのだ。
屋敷の外から子供が紛れ込むというのもあり得ない。もしも客人として連れて来られたとしても、王族のルークは、『ルーク様』としか呼ばれないであろう。
ところがどうだ! 『ルークおにいさま』とは。こんな呼ばれ方があるのか!
一人っ子かつ王族のルークがこのように呼ばれるとは……呼ばれ方ひとつで、こんなにも自分の体が高揚するとは、記憶喪失から帰ってきて以来初めての経験であった。
「あ、あの、ルークおにいさま?」
差し出したアーティファクトを受け取らずに硬直しているルークに、ビクビクしながら真珠姫は声をかける。
それによって、ルークの意識は、天界から下界へと引き戻された。
「へ? あ、ああ。お礼の言葉なんて言われ慣れてないからな」
ルークは、そう誤魔化して、顔を伏せながら真珠姫の小さな手からアーティファクト2つを貰い受け、ポケットにしまった。
付言すると、お礼の言葉を言われ慣れていないこともそうであるが、ルークはお礼の言葉を言ったことすらない。
「そ……そうですか……」
「さて、行こうぜ。またあのヤローからどやされちまう」
「はい……」
ルークはわかった。
なるほど、これは瑠璃が匂いを追いかけて探しに来るほどのかわいい女の子である、と。
こんな少女がいるなら、確かに命を懸けてでも探しに行きたくもなる。
恋人か。屋敷にずっといたから想像したことすらなかったぜ。
ああ、そういえば自分にも婚約者がいたような気もする。でも、『プロポーズの言葉を早く思い出してくださいませ』という催促がウザイったらない。
記憶喪失前に、婚姻が確定し、ガミガミと説教の鬱陶しい人間よりは、清純なこういう少女の方が良いな、とルークは密かに思う。
とはいえ、先約がある人間から寝取るほど、ルークは不道徳ではない。
それが、あのいけ好かない奴であるっていうのは、少々気に食わないが、恋人ができるほどの女の子は人気が高いだろうし。
母上だって、年とってもキレーだし、昔はモテたって聞いてるから、まあ、こういうものか。
ルークは納得した。
この2人は、恋人同士などではなく、ある意味それ以上に密接な関係であるのだが、そのことはまだ知らない。
そして、瑠璃と真珠姫とともに、メキブの洞窟を上へ上へと昇って行く。
やがて青い空から日光の降り注ぐ地上に出たところで、2人と別れた。
真珠姫は重ね重ねお礼を言ったが、瑠璃は相変わらずの素っ気なさであった。
ルークは、出てきたばかりのメキブの洞窟の中を振り返る。
やっぱり、蒼い。この洞窟と同化しなくてよかった。
初めての冒険を終えてそう思った。
まっ!
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5.「ペット牧場」前編
草人が群がるマナの木の気持ちがわかった気がするニコっとテイルズです。
UAとお気に入りの伸びに戦々恐々……投稿した瞬間にどこからともなく一斉に湧き上がりなさる読者様の群れ。そして、その波が2時間くらい経たなければ消えない、えぇ……なここ最近。
人気が出る要因とは真っ向から反する小説を投稿し、さらに読者様をおちょくり続けている最悪の作者に皆様は何ということを……。
ハーメルン全体で見てみれば全然大したことのない私でさえこうなのですから、上位にいる方は、ものすごく恐ろしいのではないでしょうか。
インターネットというマナの木のもたらす恵みってやっぱり必要ですかね?
ごめんなさい、ポキール。草人Nの私は、たくさん群がる同士を受け入れられるほどの準備ができていないです。
ローレライ? 迷惑だから地核にいないで早く音譜帯に逝ってよ。
ルークはドミナの町へと戻って来た。
モンスターから拾得した小銭を対価に、ひとまず宿屋で休むつもりである。
ここでもお金が必要だと、別れる前に瑠璃からそう教わった。
お金ってこんなに使われてるんだ。知らなかった。
と、ルークの人生経験値は僅かに上がる。
宿で部屋をとってから、ルークはドミナの町の商店街を歩く。
彷徨する多種多様な生物の姿を見て、いくらルークでも気がついたことがある。
この世界は、普通の“人”が少ないんだ、という事実に。
道行くものは、猿であり、花人であり、草人であり、鳥であり、蝶であり、甲虫(かぶとむし)である。
その全員が仮装しているという仮説は、残念ながら崩さなければならなかった。
ならば、純粋な人というのは存外少なくて、生物が人の姿をして歩くのが世界の日常である、とルークは納得していた。
むしろ、屋敷の中に純然たる人間ばかり集まっていた方が珍しいのだ、と。
屋敷に引きこもっていなければならなかったのが幸いだったかもしれない。
その分だけ、ルークには常識というのが確固たるものとして形成されていなかった。
それ故、逆に順応性という点では、ルークは人一倍高いのである。
下手に元の世界オールドラントでの常識が確立されていたならば、宿屋の主人が恰幅の良いカナリヤであることを受容できない可能性があった。
それは良かったのであるが……
「バチカル? 聞いたことないッス」
「バチカル? ごめんね、おばさん地理に疎くってね。ねえねえ! それより聞いて欲しいんだけど~!」
「バチカル? ふぅむ……申し訳ありませんが、存じませんな」
「バチカル? 知らないワヨ。ミーのお仕事の邪魔しないの」
商店街から教会、バザールにまで顔を出したにも関わらず、バチカルを知っている人は誰もいなかった。
「くっそーーー!!! 誰か一人くらい知っててもいいだろ!」
未だにルークは、別世界に来たことに気付いていない。
そんなにもあの王都の存在はちっぽけなものだったのかと思ってしまう。
最初にポキールと会話をした時に、驚愕して思考が凍り、『この世界』という言葉が頭に刻み込まれなかったのがいけなかった。
それを差し置いても、元の世界は人間中心であることに無知な分だけ、今いる世界は人間以外が中心であるという違和感が、別世界であるというシグナルとして機能していないのである。
それでも諦めずに道行く生物に訊ねて回ったが、無論求める回答が返ってくるはずもなく。
しまいには、住宅街を抜けて、町の外れまで辿り着いてしまった。
しかし、そこで思いがけない出会いを果たすこととなる。
*
「あ、あれは鳥ヒナだな。こんな人の多いところにいるなんて珍しい」
手入れも何も行き届いていない未開発の空き地で、小柄なタマネギ人間が、珍しそうにそれを見る。
ルークからすれば、この町で人間の顔をしていない純粋な植物人間の方が物珍しいと思ったが、足音を感知したのか、タマネギ人間が振り返り、こう訊ねてきた。
「あ! キミは……チャボくんだね?」
「……はあ?」
やや硬直して、ルークは、間の抜けた声を上げる。
そして、「チャボってなんだ?」と首を傾げていると、タマネギ人間の喋りが続く。
「あっ、違ったのか。いや~、会いたかったんだよな。チャボってすげぇからさ」
残念がるタマネギ人間。
へ~、チャボってすげ~んだ、とオウム返しに思ったルークは、
「いや、俺はチャボだ。チャボ様だよ。よく覚えとけ!」
得意げに自分を指さし、胸を張ってそう言ってしまった。
「おお~、キミがチャボくんか! すげぇなあ!!」
喜色満面の笑みで、玉ねぎ人間が握手を求めてきた。
ルークは、面食らいながらも手を握り、お前の名前は、と辛うじて訊ねる。
「オレはドゥエル。見ての通り、タマネギ剣士さ。
……ちょうどいい、チャボくん。あそこにいる鳥ヒナが見えるかい?」
ドゥエルの指す方角に、卵から鼻と羽と足がニョキっと生えているような、膝丈にも及ばないくらいの生物がいた。
そして、特にあてもなく、あちこち歩き回っている。
3歩右に行っては、引き返し。2歩左に行っては、何かにビックリして引き返す。
「……見えっけど、アレなんだ?」
「あれが、モンスターのヒナだ。こんなとこにいるなんて珍しいんだよ。
ちょうどいいから、捕まえてごらんよ」
「いや、ヒナっつっても、モンスターだろ。捕まえたらヤバいんじゃねえの?」
「いや、そうでもないさ。確かに普通のモンスターは、人間に懐かない。
けれど、ヒナのうちに育てたモンスターは、野生の本能を失って、人に懐くのさ。
そしたら、チャボくんの役に立つことがあるかもしれないよ」
「へ~。モンスターを仲間にできるんだ。面白れぇじゃん!」
確かに、メキブの洞窟で襲い掛かってきたマイコニドや、バットムとかが仲間になったら心強いな、とルークは思った。
「その意気さ、チャボくん。
さあ、エサをあげるからさ、捕まえてごらんよ」
ドゥエルが説明する。
モンスターのヒナは、臆病で警戒心が強く、不用意に人間が近づいたら、すぐに飛び上がって逃げてしまう。
だから、肉や果実を辺りに置いて食べさせる。満腹になるとすぐに眠ってしまうから、その隙に捕まえてみよう、とのこと。
「お~。やるやる!」
ルークは、喜び勇んで、すずぶどう、さいころいちご、イカレモンを受け取った。
屋敷にはない奇妙な形のものばっかだな~、と思いながら3種類の果実を抱える。
やはり、ルークの柔軟性は人一倍高いのだ。
「じゃ、今言ったことに気を付けて、頑張ってごらん!」
ドゥエルは、励ましの声とともに、ヒナの方に向かって行くルークを見送った。
*
ルークはかくれんぼが得意だ。
屋敷の中はかなり広く、隠れる場所は豊富にあるというのもあったが、鬼が隠れ場所に近づいたら逃げて時間を稼ぐのがセオリーとして確立しているのである。
そんなズル賢いルークは、こういう手合いに強いのだと自負していた。
まず、ヒナを囲うように、貰った3つの果実をばら撒く。
そして、果実のないところに自分が立ち、エサのない所へは向かわせないで、エサのある方向に追いやるのだ。
「おらぁ! こっち来てもエサねぇぞ。捕まえるぞ、チビドリ!」
エサのない方向に来た鳥ヒナの前にルークは立ちはだかる。
ところが、思った通りに事は運ばない。
ヒナは、良くも悪くも当たり前のことができなかった。
なので、
「あ、どうして、こっちに来るんだ!? おい、待てって!」
赤くて大きい乱暴な人間にビックリした鳥ヒナは、仁王立ちのルークの足の間を通り抜け、エサのある所とは違う方向へ全速力で駆けていく。
反射的にルークがその後を追ってしまうと、今度は素直に逃げて、ますますエサの置いてある所から離れてしまう。
(くそっ! さっき俺の方に来なかったら、作戦は完璧だったのに!)
結局、ルークは、町はずれの前の住宅街付近まで走り、先回りをしてヒナの逃亡を阻止した。
無事にヒナは、町はずれの方向にとてとてと戻って行く。
先ほどの反省を生かして、今度はゼィゼィと息を吐きながらルークは、ドゥエルのそばでヒナがエサに食いつくのをゆっくりと待つことにした。
ところが―――
「→」
「↓」
「!」
「→」
「↑」
「!」
「♪」
追い立てられて興奮したヒナは、縦横無尽の、とりとめのない移動を繰り返して、ルークを苛立たせる。
(くっそ~! 早く食えっての!)
目が見えないのか、エサのある方向に気付かない。
あちらこちらに移動して、ちょうどエサとエサの間を通り抜けたり、エサに飛びつくかと思ったら、急に反対方向に引き返したりと、なかなかルークの罠に引っかかってくれない。
そしてしまいには―――
「・・・」
「ヒナが疲れているみたいだ。今うとうとしているから、チャンスだよ、チャボくん」
ドゥエルがそっと出してくれた指示を聞いて、ルークは、般若の形相で鳥ヒナに近づき、
「おらぁ! もう逃げられねぇぞ、チビ助!」
潰さない程度には弱く、捕まえるには強すぎる力で、鳥ヒナを抱え込んだ。
鳥ヒナが、怖い人の腕の中でジタバタしていると、
「ミーがお届け♪ ヒナをお届け♪ 牧場に~♪」
愉快な声とともに、先ほど聞き込みをした一人のペリカン便が飛来し、ルークの腕の中から、鳥ヒナを収奪していく。
「お、おい!」
「だいじょうぶさ。あのペリカンは、アマレットちゃんって言って、こういうペットを牧場に送ってくれるのさ。
今頃、チャボくんの家の牧場に着いているんじゃないかな」
慌てるルークをドゥエルは宥める。
「そ、そうなのか?」
ルークは、自分の拠点に使ってもいいと言われた家をぐるっと一周回った時に、牧場があったことを思い出す。
確かに、あそこなら育てられるかもしれないが……
「さあ、オレたちも行ってみようぜ。チャボくんにペットの育て方を教えるからさ」
ドゥエルがそう言って、町はずれを出ようとする。
「あ、おい、待てって」
モンスターのヒナには、エサが必要だろうと、ルークは空き地にばら撒いた3種の果実を回収する。
拾い上げながら、エサを消費しなくてよかったと思うべきなのか、時間を浪費させられたと思うべきなのか、考えさせられた。
結局、結論が出ないまま、ふとルークがドゥエルに訊ねる。
「そういや、あのペリカン、どうして俺たちがヒナを捕まえるタイミングが分かったんだ?」
「さて! ヒナを育てるのは大変だよ。でも、オレがみっちり教えてやるから、大丈夫。チャボくんは、何も心配しなくていい」
「いや、その前に、あのペリカンについて知りてーんだけど」
「まずは、エサについてだね。エサには、肉と果実があって……」
「おい、タマネギ! 人の話聞けって!」
「このすずぶどうって言うのは……」
ドゥエルは、人の話に耳を傾けない。
ルークは、世界の不思議について知りたいのに、果実のことばかりを解説する。
ルークは、頭が悪くない。興味を逸らされようと、その説明はちゃんと吸収する。
なので、果実にも種類によって様々な効果の違いがあるから、いろいろ試してみると良いというのも頭の中に入れた。
しかし、蔑ろにするなタマネギという、悪感情も引きずってしまう根深さも持ちあわせている。
だから、懇切丁寧な説明を続けられても、ドゥエルへの評価が上がることはなかった。
「……というわけさ。わかったね、チャボくん?」
「………………」
そういや、なんでコイツにチャボって名乗ったんだっけと、ルークは先ほどの虚勢を疑問に思った。
*
ルークは、『マイホーム』に戻って来た。
せっかくの自分の家なんだからそう呼ぶといいさ、とはドゥエルの弁である。
確かに、単に「家」と言うのも芸がないと思っていたルークは素直に従うことにした。
牧場でドゥエルは、実に手際よく説明を始めた。
ヒナが成長しきるまでは、小屋の中で育てれば良いとのこと。
エサを切らさなければ、ヒナは勝手に育つらしい。
成長しきるまでは、小食であるから、一回給餌箱にエサを入れればどんなモンスターであろうと、すぐに育つ。
そして、そのエサは、無料でペリカン便が入れてくれるとのこと。
至れり尽くせりの慈善サービスさ、とドゥエルは評し、ルークも頷く。
成長したら、一緒にパートナーとして戦うことができるのは先ほど言った通り。
しかし、モンスターによって当たり外れがあるから、ダメだと思ったら、ドミナの町のジェニファーにお願いすればよい。
彼女なら、どんなモンスターでもカワイイらしく、必ず相場通りの値段で引き取ってくれるそうだ。
そして、結びとしてモンスター図鑑を渡してくれた。
「これで説明は終了だ。元気なモンスターを育ててくれよ。
したらな!」
ドゥエルが叱るような声で別れの挨拶をするものだから、ルークは一瞬体がビクッとしてしまった。
そして、タマネギ頭が立ち去って行くのを見送る。
完全にその姿が見えなくなった後、ルークは、早速ヒナの様子を見た。
小屋の中の藁にくるまりながらスヤスヤと眠っている。
先ほどまで憎たらしく追いかけまわさなければならなかったのが嘘のように大人しくなっていた。
「………………」
動物の赤ん坊の可愛さに惹かれてしまうのは、老若男女誰しもがそうである。
そして、ルークとて、それは例外ではない。
小憎たらしく自分の周りに付きまとわれるならばともかく、ここまで無防備な姿をさらけ出されると、気合を入れて育ててみたくなる。
いや、先ほど余計なことはしなくてよいと言われたから、成長過程を見守りたいという意味であるが。
まして、今はルーク一人。屋敷でペールの土いじりを手伝ったら身分違いだからやめろと叱られたが、ここでは何をしても構わないのだ。
何をしても構わない?
心の中のアヤしい響きにルークは引っかかった。
もともと活発なルークのこと。屋敷での退屈な生活に飽きて、常々自由が欲しいと思っていたところに、これ以上ないほどの機会が得られたのだ。
それを今、実感する。実感してしまった。
「ふふふ……」
ルークは、不敵に笑い、小屋の中に流れる空気が一変する。
この匂いが好きになったのだ。これは、自由の空気。自由の香り。
記憶喪失で帰ってきて以来、「屋敷から出るな!」「勉強しろ!」「アイツとは話しかけるな!」と、種々様々な束縛を他者から受けてきた。
そして、常に命令される内に、自分でも、骨の髄どころか細胞の一つ一つまでをも拘束してきたのである。
ところが、今はどうだ。
牧場(ここ)の空気は人を自由にする。ルークは、歴史の教科書の格言を捩(もじ)って、こう表現した。
ルークは、大きく深呼吸をする。
自由の空気が呼吸器官を通して体内に入り込み、細胞の一つ一つに掛けられている拘束具を猛烈な勢いで駆逐していく。
戒めから解放された細胞は、群をつくり、器官をつくり、そして、体全体を構成していく。
終いには、心身合一し、総司令官の頭脳が、『自由』という方針を決定した。
そして――――
「いよっしゃ! しばらくは帰らねぇぞ! 俺には、コイツを育てる義務があるんだからな!」
ここに屋敷嫌いのルークが爆誕してしまったのである。
一応、名目を用意するあたり、王族の立場を忘れていないというべきか。
何はともあれ、積極的に屋敷に帰る道を探し回ることはなくなりそうである。
(今なら、あのティアとか言う女にも感謝していいかもしれない)
ついには、元凶となった襲撃者を讃えたい気分になった。
あのまま屋敷にいたら、こんな気分を味わうまで、あと3年はかかったであろうから、沸き立つものを止められないのである。
ワクワクする。ドキドキする。自由サイコー!
興奮し過ぎて小躍りでもしようかと思っていると、
「ピー、ピー!」
藁の中で鳥ヒナが泣き出した。
ルークの大声に、ビックリしてしまったようである。
「おっと、ついはしゃぎ過ぎたか」
満面の笑みでルークは、ヒナを撫でる。
ゆで卵のような感触で、しかしそのツルツルとした撫で心地が、愛おしくてたまらなかった。
自由に気付いたルークは、その表象として、この鳥ヒナを選んだのであるから。
まっ!
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6.「ペット牧場」後編
聖剣伝説LOMは、自由にイベントをこなせるゲーム。
小説としても、コメディとシリアスを交互に入れながら書き進めることができて、メリハリがとても効きやすいです。
さあ、皆さま。ご自身のオリジナル設定で、聖剣伝説LOMの二次創作を書いてみませんか? (宣伝)
それから15日ほど、ルークは鳥ヒナを世話し続けた。
マイホームで、食事をした後(ルークは料理ができないので適当に調味料を振った肉類を焼くか、果実の生かじりだけであったが)、毎日飽きることなく牧場に通った。
通ったと言っても、ほとんど世話をすることなく、じっとヒナを眺めるだけである。
しかし、これがたまらなく楽しいのだ。
ほとんど寝てばかりであるが、たまにちまちまとエサを啄み、ぶらぶらと歩き、最初は怖がっていたルークにも懐き始めた。
5日目になると、羽から体が黄色くなり、足もニョキニョキ伸び始め、薄いながら眼も出てきた。
10日目になると、尾まで完全に黄色に染まり、完全に自立歩行ができ、ルークの身長を完全に越して、くりくりとした目が完全に開ききった。
13日目になると、もうルークを乗せて運ぶことができるようになった。頭を撫でると、忠実にルークについてきてくれる。頼もしくも可愛らしい相棒であった。
ドゥエルから渡されたモンスター図鑑で調べてみると、これは『チョコボ』というモンスターらしい。
そして、あの時、鳥ヒナと出会った空き地で虚勢を張った時に言った『チャボ』という名前を、このチョコボに命名することにした。
……本来の意味は全く真逆であるのだが、無知なルークは響きの良さを気に入ってこう名付けたのである。
ところで、ルークには、日記をつける習慣がある。
この世界に来てからの文章は、不安と不満ばかりであったが、チャボを育ててからは、完全に飼育日誌と化していた。
日記を覗く誰もが驚くほどびっしりと大量の文章が書き込まれている。退屈な文言ばかりを読んでいた屋敷の人間が見たら驚くであろう内容が連なっていた。
そして、2日ほど牧場でチャボと一緒に遊んでいた。
ルークにとって、自分がじっと見てきたチャボが日に日に目に見えて大きくなっていき、ついには自分を運べるほどにまでになったことに感動してしまったのである。
チャボに乗って牧草地を駆けまわり、休憩の際にエサを与え、撫でると嬉しそうに目を細める。
単調ではあるが、しかしルークはこの上ない至福を感じていたのであった。
ところが、飼育開始から15日経った晩にふとルークは思った。
(コイツと一緒に外を回ってみてぇ)
退屈をこじ開ける鍵となった外の世界。
真珠姫からもらったアーティファクトがまだ二つも残っている。
どこかはわからないが、また胸が躍る経験ができるならば、もう一度旅立ってみたいと思うのだ。
(そうと決まったら、とっとと寝るか)
「じゃ、明日から頑張ろうな、チャボ」
チャボは、返事の代わりに頭をゴリゴリとルークの顔に擦りつけた。
ふさふさの毛並みを肌で感じながらルークは、破顔する。
そして、良い人生経験になったな、と思った。
*
ルークは、『車輪』を選んだ。
いつものように目を閉じてイメージをする。
最近ルークが分かったことであるが、アーティファクトの発動には、どんなイメージであろうと構わないようだ。
あくまでイメージをすることが、重要な条件のようであった。
いつものように車輪が手から離れていき、ドミナの町の隣側に落ちる。
車輪が、二度、三度バウンドした後、辺りが急に霧に包みこまれた。
視界を遮られたルークだが、気にせずにそのままその行方を見ていると、地面に着いた車輪から急に天を貫く眩い光が発せられた。
そして、光が収まったとき、盛り上がった小高い岩の丘が出てきた。そして、花弁が咲くように、パカッと開花する。
『リュオン街道』が、出現した。
「やっぱ、いいよな。アーティファクトって、きれいだよな。
なっ。チャボもそう思う……ダメか」
ルークが感動を共有したくてチャボを見たが、チャボは、地面に蔓延るアリを啄んでいるところであった。
「あ~あ。俺だけなんかな。アーティファクトで感動するのは」
自分が手塩にかけて育てたチャボの悪口は言わない。
けれど、乗り物代わりにするには、割と躊躇しないルークであった。
ひょいっと、チャボの背中に飛び乗る。
そのままチャボに乗ったまま、ドミナの町経由で、リュオン街道に向かった。
*
「ここどこ? 瑠璃くん?」
リュオン街道に入ってすぐに、十数日前に会った少女、真珠姫に遭遇する。
そして、明後日の方を向いて独り言をポツリと呟いていた。
寂寥感漂う街道でのその姿は、絵になるほど妙に様になっている。
「……何してんの、お前?」
その姿を認めたルークは、呆れた視線を真珠姫の背中に向ける。
その後ろでは、チャボが何かしらを啄んでいた。
「あ! ルークおにいさま! あ、あのね……わたし……また、まいごになっちゃった。瑠璃くん、どこかなぁ……」
「知らねぇけど、ドミナの町の酒場とかにいるんじゃねぇの? つーか、なんでホイホイあいつから離れるわけ?」
くるっとルークに振り向いた真珠姫の不安げな問いかけに、やれやれと言った表情で答えるルーク。
何だか、前よりも『ルークおにいさま』にときめかない。
コイツ育てたからかな? とルークは、後ろのチャボを一瞥する。
「え、えっとね。わたし……考え事していると、フラフラってしちゃうっていうか……気がついたら、ヘンなところにいるの……どうしてだろう?」
「知らねぇよ、んなの。頭のことなんざ、複雑すぎてよくわかんねぇみてぇだからな」
「そ、そうなんだ……」
ルークは、結局、記憶喪失の原因が解明されなかったことを想う。
話し方も歩き方も何もかも忘れていたというのに、再発防止のために日記を書きましょうぐらいしか医者は告げなかった。
だから、精神関連の医者をあまり信用していないのである。
「あの……ルークおにいさま」
「ん?」
「ここは……どこなの?」
相変わらず、一歩どころか、十歩ぐらい引いたところから真珠姫は言葉を発する。
周りにこの手の人間がいなかったルークにとっては新鮮であったため、珍しくは思いながらも、邪険には扱わないで答える。
「さあ? 俺も今来たとこだからわかんねー。
そんで、お前これからどうすんだ?」
「う、うん。こ、こっちに……いこうかな……いいのかな……?」
朧げな足取りの真珠姫を見ると、いくら何でも心配になる。
しかも、入り口ではなくて街道の奥の方に向かおうとしているし。
ルークは、溜息を一つ吐いて、
「俺たち、今からドミナの町に戻るから、送ってってやるよ」
そう提案した。
「い……いいの?」
「ああ。このまま放っておいたらどこ行くかわかんねぇ奴を、さすがに無視できねえよ」
「あ……ありがとう……ルークおにいさまは、やさしいのね」
はにかんだ笑顔の真珠姫。
なんだかぶっきらぼうだけど、この人はいい人、と真珠姫は信頼を寄せた。
どことなく瑠璃に似ていると言わなかったのは、彼女にしては、好判断であっただろう。
「ばっ! 勘違いすんじゃねーぞ。ついでだからな。俺たちもたまたまドミナの町に用事があったんだからな!」
ルークが苦手なのは、裏表のない天然タイプの人間である。
こういう相手には、どうもいつもの調子が出てこないのだ。
ガツンとするには、あまりにも儚すぎる感じがして、気後れしてしまう。
「う、うん……それでも……」
「だー! もういいって! 早くチャボに乗れよ!」
ルークは、我慢しきれずチャボを指さす。
「わぁー……おっきい。これ、ルークおにいさまの?」
「そうだよ。とっとと乗れって。この分だと、数人は、大丈夫だからな」
紳士なチャボは、膝を折って、真珠姫が乗りやすいように背中を降ろす。
背中の広いチャボは、乗る分なら、真珠姫とルークが密着する心配はない。
恋人を持っている(その割には、ずいぶん離れ過ぎているような気もするが)人間でも大丈夫だと、ルークは踏んでいた。
「チャボっていうんだね……よしよし、いいこいいこ。これからおねがいね」
背中に乗せた真珠姫のなでなでは、チャボにとっても心地よかったようだ。
キュピッ! っとお礼代わりの鳴き声を上げる。
(うわっ。すっげー破壊力)
ルークは思う。
このお姫様らしいお姫様が、キムラスカの王女だったら、と。
確かに、ガミガミ言われずには済むかもしれない。
でも、頻繁に迷子になって城中、いや、街中大騒ぎになるのなら、さすがに迷惑かな、と。
……やっぱ、ナタリアでいいかも。あいつ、政治に関しては真面目みたいだし。
ルークはそう結論付けた。
チャボに乗った2人は、リュオン街道を後にする。
『寂寞の街道とまいごのプリンセス』の絵画は、こうして無事取り外されたのであった。
*
ドミナの町の酒場の前で、真珠姫を降ろした。
瑠璃とは鉢合わせたくないので、ルークは中には入らない。
「ありがとう……ルークおにいさまとチャボ……くん」
「もう迷子になるなよ」
「うん……がんばる……」
無駄だと思いながらも、別れ際に一応ルークは言っておいた。
その後に、自分が人に注意を飛ばしていることに軽く驚く。
これも、人生経験ってやつかな、と、少し誇らしく思った。
ついでに宿屋に泊まるか~、と気分よく考えて、その入り口のドアベルを鳴らすと、
「あっ!!!」
宿屋の主人のカナリアのユカちゃんが、ルークを見つけて、いきなり羽根で指した。
そして、目を吊り上がらせながらズンズン近寄ってくる。
「な、なんだよ」
ルークは、巨鳥の影が自分を覆い尽くさんばかりに広がっていることに困惑していると、
「アンタ、宿泊料まだ払ってないッス!!」
「なんだ、それ……あ!」
ルークは思い出す。
チャボを拾った時、ここに泊まろうとしていたことを。
そう言えば、後払いだったっけ、とルークは今更ながら気づいた。
「ちゃんと払うっス! 泥棒は許さないッス!!」
「わぁってるよ、ウゼーな。払えばいいんだろ」
ルークは、渋々財布から正規の宿泊料分だけの金を出した。
しかし、ユカちゃんは、
「足りないッス!!!」
「はぁ!? なんでだよ。宿代はこれだけだろ」
「普段ならそうッス。でも、世の中には利息っていうものがあるッス。
2割増しで払ってもらうッス!」
「はぁ~!? んなもん、ぼったくりじゃねぇか!」
「そんなことないッス。これが社会の決まりッス」
「マジかよ……知らねぇよ、んなもん」
「とにかく払うッス!」
ユカちゃんに気圧されて、嫌々財布から出した利子分のお金を見て、ルークは思う。
これも人生経験ってやつかな、と。
ルークは、マイホームに戻ることにした。
このまま宿屋に泊まるのも気が引けて、少し面倒ではあるが、帰宅することにしたのである。
ドミナの町の入り口付近で、白い生物と会話しているタマネギ人間のドゥエルを見かける。
役には立っているが、自分の説明したいこと以外には答えない、なんだか気に食わない奴だ。
そして、八つ当たり気味にこう思う。
(くそっ! あいつを土に埋めりゃ、タマネギたくさん実って大儲けできっかな?)
それをすると、ここまで積み上げてきた人生経験が崩壊するが、ちょっと試したい気もするルークであった。
……すぐに、大量のタマネギ説明魔の増産と収穫の画に眩暈がして、頭(かぶり)を振ったが。
まっ!
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7.「ガイアの知恵」
実はこの小説を書く前に、「喋れないルーク」でTOAの原作再構成しようかな、と思ってました。言葉は話せないけど、一生懸命意思表示をしようとするルークの姿にみんなが萌えて、序盤のパーティ内のギスギス感がだいぶなくなりそうなかな、と。
それがボツになったわけではありませんが、今はこっちが優先ですね。もしも書いてくださる方がいらっしゃれば、是非とも拝読させていただきます。
結局マイホームにとんぼ返りしてから、ルークとチャボは翌日改めてリュオン街道に向かった。
街道自体は、人や馬車の通りやすいように踏み固められ、よく舗装されていたため、交通という点では都合の良い場所であった。
しかし、今その利益を享受しているのは、無辜の人間ではなく、凶悪な盗賊や狂暴なモンスターたちであったりする。
盗賊の出没で往来する人々の流れが断ち切られ、そこに野生のモンスターが住み着くことで、現在の寂れた街道が出来上がってしまったのであった。
街道脇の縁石に雑草が無秩序に蔓延り、至る所で裸のまま朽ちている木々が点在し、入り口の足元に動物の骨が落ちていれば、誰もが踵を返すであろう。
ルークも本来はそうだったかもしれない。
リュオン街道に入ったところで、獣人の女性を見かけなかったならば。
(なんだ? ここは意外と人気スポットなのか?)
昨日に引き続き、寂れた街道の入り口で再び人に出会えたルークは、相当に奇妙な運を持っていると言えた。
茶髪の女性の頭からは猫のような耳が生えており、同じく茶色の尻尾が身体に巻き付くように動いていた。
そして、青い服で身を包み、足には下駄を履き、腰にはヌンチャクを下げていた。
(すげぇ格好……)
その耳も尻尾も仮装などではなく、直に体から出ていることを受け入れられる程度には、ルークはこの世界に慣れている。
とはいえ、下駄もヌンチャクも、見たことがなかったうえに、四足歩行の獣人は初めてであった。
そのため、道の上にいる未知に未知を積み重ねた様相の女性に戸惑わざるを得ない。
そうして、ルークが固まっていると、女性がその姿に気付き、両脚ですっくと立って声をかけてきた。
「こんにちは。私はダナエ。断崖の町ガトというところで僧兵をしているの。あなたは?」
ダナエと名乗った女性の凛とした響きが、ルークに我を取り戻させる。
「あ、ああ。俺は、ルーク。ルーク・フォン・ファブレだ」
「ルーク……いい響きの名前ね。あなたもガイアに会いに来たの?」
「がいあ? なんだそれ?」
ルークが首を傾げる。
「七賢人の一人よ。“大地の顔”のガイア。この星の持つすべての知識を持っているの」
「マジで! そんな奴がいんのか?」
ルークは驚愕する。
やはり、外の道は未知に満ち満ちている。
ダジャレを以ってそれを実感した。
「そう。あなたは、ガイアに会いに来たわけではないのね……」
ダナエは、顔を俯かせる。
まるで期待したものが外れたようであった。
それを見て、知ったこっちゃねーよと思いながらも、ルークは訳を訊ねることにする。
「なんだよ。アンタは、その何でも知ってるって奴にどんな用があるんだよ?」
「……ごめんなさい。その質問に答える前にちょっと訊いてもいいかしら?」
話を逸らされた。
とはいえ、丁寧に懇願する響きであったので、ルークも特に気分を害することはない。
「……なんだよ?」
「アナタ、マナの木について何か知ってる?」
「いや、知らねぇけど……それがどうかしたのか?」
「マナの木なんてどこにもないことは、わかってるんだけど、友達を助けたいの……
マナの木があれば、もしかしたらって、そんな気がしただけ……」
「へ~。そんなすげぇものがあるんだ」
ルークは、感心したように装うが、ダナエの話の中身はつかめなかった。
「死んだら魂はどうなると思う?」
ダナエは、また唐突に質問を変える。
ここまでの会話で、ダナエという女性は、ルークからしても丁寧な人という印象があった。
ところが、今の話しぶりは、聞き手に要領をつかませられるものではない。
丁寧な女性がそれすら考慮に入れられないほど、切羽詰まっている様子が窺えた。
無意識の内にそれを察したルークは、訊ねられた質問に対し素直に答えることにする。
『死んだら魂はどうなるか』ということは今まで考えたこともない。
しかし、『友達を助けたい』と言っていたことを頭に入れれば、絶望的な答えはふさわしくないように思われた。
だから、ルークは、
「なくならないんじゃねえか? 死んだって、身体がなくなるだけで、心はちゃんと残るってペールも言ってたし」
以前にハムスターを飼っていたペールが、その埋葬の時に伝えてくれたことを思い出しながら、回答する。
すると、五里霧中で全く道がわからなかったところに、一筋の希望の光を見出したような救われた表情を浮かべたダナエは、ルークをじっと見つめる。
よく見ればかなり顔立ちが整っている女性に凝視されて、ルークはドキマギした。
「そうでしょう? 今までに何度もケガをしたけど魂までは傷つかなかったもの。
この魂がなくなるなんて、私は信じない」
「あ、ああ」
自分の考えが認められてよほど嬉しいのか、ダナエは、一気にまくし立てた。
言葉を積み重ねるほどに、生気がダナエの顔に満ち満ちてくる。
ルークは、その勢いに押されて、口から出る言葉が思わず生返事となった。
「私、やっぱりガイアに会おうと思うの
……それで、お願いがあるんだけど、一緒についてきてくれないかしら?
一人だと、また引き返してしまいそうで……お礼はちゃんとするから」
満ち満ちた顔に陰りをいれながらダナエは頭を下げて、ルークに懇願した。
「いいぜ。どうせコイツと一緒にここを回る予定だったんだから」
ルークは、後ろのチャボを指さす。
言ったことも一応本心ではあるが、ダナエに対して好印象を持っていたルークは、同行することに躊躇いはなかった。
それなりに強い戦士であることも窺えたし、また、何でも知っているというガイアにも会ってみるのも面白そうだと思ったのである。
「ありがとう……アナタならそう言ってくれると思ってた。
いっしょに行きましょう」
「ああ」
こうして、ルークは、ダナエと共にリュオン街道を進んで行く。
荒涼とした大地で、寂寞がまた一つ減った。
*
モンスターの出る道中で、ルークたちは、チャボに乗ることはない。
チャボも重要な戦力であり、ルークたちのサポートをするからである。
いつもは愛嬌のある瞳を尖らせて、自らに纏わりつく巨大な蜂のモンスター、アサシンバグを蹴り飛ばす。
あるいは、空中浮遊するカタツムリのデンデンの軟体を鋭利な嘴で突き落としたりしていた。
新加入のダナエは、敏捷に戦場を駆け回って、ヌンチャクを振り回し、俊敏な二足歩行(戦う時は武器を持つからとのこと)で、ピョンピョン跳ねるラビを叩きのめした。
ミノムシ型のモンスターのワンダー2体に囲まれた時は、1体をプッシュで体勢を崩している間に、もう1体を料理するという臨機応変な対応を見せた。
ダナエのヌンチャクの演武に、ルークは目を丸くした。
リュオン街道の分かれ道で、幾ばくかの休憩をした際に、試しに借りて振り回してみた。
しかし、操作を誤って後ろの肩にヌンチャクをぶつけてしまい、悶絶してしまった。
むくれたルークは、もう使わないことを決意する。ダナエが患部を優しくさすってくれたのは嬉しかったけど。
ついでにヌンチャクの絶技の習得しているダナエの技量に感嘆することとなった。
さて、ルークとて剣技は負けていない。
バドフラワーという花粉や蔓での打撃が強力なモンスターをまとめて一閃できるのはこの中では彼くらいなものであろう。
大剣を振り回すだけではなく、「崩襲脚」という飛び込み蹴りまで習得し、ポロンという弓を引くモンスターを蹴り伏せた。
……この時のルークには、言葉を発しなかったポロンが亜人であるという自覚はない。
モンスターの延長線上で捉えてしまったため、罪悪感は起こらなかった。
ところが、そのモンスターと戦うときだけは、ルークは剣が鈍ることとなってしまう。
「チョコボ……チャボそっくりの奴だな」
チャボをそっくりそのまま黒く染めたダチョウのような鳥のチョコボ。
いつもは優しさ湛える瞳も、今は、こちらに対する敵愾心に満ち満ちている。
チャボなら甘噛みをしてくれる嘴も、鋭い凶器に変わる。
チャボなら、自分を支えてくれる足も、こちらを強襲するための武器となる。
ルークは、チャボとのギャップに、激しく戸惑わざるを得なかった。
野生のモンスターは人間に懐かない、というドゥエルの言葉を思い出す。
ヒナのうちでなければ懐かないのだと。
だから、どうやってもこちらに対する敵意を収めることはない。
どうやっても、先に進むためには、戦わなければならないのである。
「くそっ! 崩襲脚っ!」
意を決してルークは、飛び込み蹴りをする。
チャボに同士討ちのようなことはやらせたくない。
ダナエによってチョコボが屠られるのも見たくはない。
だから、自分でやる。そう心に決めたのであった。
ところが―――
「ぐあっ!」
ヒナから育ててきた情があったのか、踏み込みの浅い蹴りは野生のチョコボの羽をかすめるだけで終わる。
そして、胸に鋭い鉤爪が入り手痛い反撃を受けてしまった。
体が宙に浮き、背中から地面に落ちる。
ルークは、その場で仰向けになった。
しかし、鋭く抉られた傷よりも、叩きつけられた背中よりも、心の方が痛い。
「……ルーク。私がやるわ」
倒れ込むルークを見て、まず危険を排除することを優先したダナエは、チョコボに向かって駆けて行く。
また、チャボも、ご主人様が倒されたことにいきり立ったのか、ダナエに続いて行った。
「お、おい。待てって……っつ!!」
ルークは、必死に止めようとしたが、よりにもよって庇おうとしたチョコボから受けた傷によって、地面に縫い付けられたままである。
痛みに耐えきれず、しかし目線だけは、ダナエとチャボに向けられたまま。
(やめろっ! やめてくれ!)
理屈ではわかっている。あの黒いチョコボは敵なのだと。
しかし、どうしても、自分の愛情をかけて育てたチャボが屠殺される画に移ってしまうのだ。そこにチャボがいるのに。
(やめてくれ……)
心の中で懇願しながらも、しかし胸の激痛は消えてはくれない。
声にさえも、その思いは乗せられない。
だから、ダナエが頭を砕き、チャボが黒チョコボの体を吹き飛ばすのをただ黙って見ている他なかった。
宙を舞った野生のチョコボの死体は、街道の場外の縁石を超え、雑草地帯に落ちて見えなくなった。
「………………」
ルークは、それを見つめるだけ。それしかできなかった。
(くそっ!)
わかってる。おかしいのは自分だ。
あそこにチャボはいる。ちゃんといる。チャボが野生のチョコボを蹴り飛ばしたに過ぎない。
けれど……けれど……
ガンッ!!
体を封じられ、声を封じられ、右手は胸の痛みを押さえている。
だから、左手だけがルークにとって唯一感情を出せた。
往来のために固められた街道の道路。
複雑怪奇な痛みは、屋敷から飛ばされて以来最も強く響いた。
*
「ルーク、大丈夫?」
「………………」
一旦チョコボのところへ行き、その死を確認したダナエが戻ってくる。
チャボは、ルークの脇に膝を折ってそばに寄る。
しかし、ルークの気持ちがわかるのか、自分がここにいていいのかどこか逡巡して、そわそわしているように見えた。
仰向けのルークは答えない。紅の長髪が帳となって、表情を覆い隠す。
(どう声をかけたものかしらね?)
出会って数刻。ダナエにはわかることは、思った以上にこの少年は繊細であるということだけだ。
ほとんど戦いの呼吸しか見ていない人間の本心など、窺い知ることはできない。
(マチルダが襲ってきたら……私も)
そこで、今助けたい人間の像を浮かべる。
現在の姿ではとうにあり得ないが、もしも幼き彼女が襲ってきたら……。
あるいは、彼女そっくりの偽物でも……。
やはり、このようになるのかもしれない。
そして、自分や、周りの人間が襲ってくる彼女を殺そうものなら……。
(………………)
気持ちはわかった。
黄色い方の、今意を決して主人に頭を擦りつけているチョコボを見やる。
モンスターが懐くのはヒナのうちしかないのは、ダナエも頭の中にも入っている。
だから、ヒナのうちから世話をしていたルークの愛情も人一倍なのは間違いない。
けれど……
(私じゃ、慰められないわよね)
ダナエは僧兵。戦うのが本分だ。
背中に人間を隠すことはできるが、人間の内側に入り込むのは得意ではない。
どうしても、自分の意見をぶつけてしまうだけで終わってしまうであろう。
人の話を聞き出し、助言をするのは彼女の方が向いている。
物静かで理知的で……他人の心に対する献身性だけは、失っていない。
それに、ダナエ自身が悩みを抱えている身だ。
そんな重荷を背負っている人間が、他人の悩みにうまく答えられるとは思えない。
(仕方ないか……)
彼女はルークの説得を諦め、彼の元へと近づく。
件のチョコボから拾ったぱっくんチョコを手に携えて。
そして、
「ルーク。ガイアに会いに行きましょう。
そこで洗いざらい、あなたの話を聞いてもらいましょう」
包み紙の部分を破いたチョコを差し出しながら告げた。
これしか方法はない。
「………………」
ルークは、ダナエに目を向ける。
そして、目の前のチョコレートの意味を、まんまるドロップと同じものであると解釈していた。
か細い声で訊く。
「……苦いのか? それ」
「いいえ、甘いわ」
間髪入れず、ダナエは答えた。
その言葉を聞いたルークは、すぐにぱっくんチョコに齧り付く。
パキン、という音が響き、咀嚼していくと、甘味が身体に染み渡り、ひとまず胸の物理的拘束だけは解き放った。
ルークはよろよろと立ち上がる。
しかし、
「…………………」
遺骸のある方へは向けなかった。
*
「よく来てくれた、子供たち。さあ、もっと近くへ」
黒チョコボを倒して、少し歩いたところに、ガイアはいた。
高くそびえる岩山が優しく目を開き、垂れ下がる口を開けて話し出す。
世界は、もうこういうものであるとルークの常識は確立しつつあった。
ここまで来ると、どうしてルークと会った屋敷の全員が教えてくれなかったのかと、少しだけ疑問が差したが、あいにくとそちらに心を傾ける余裕はない。
ルークは、幽鬼に魂を乗っ取られたかのような顔をしていた。
そして、ただ目の前の、無意識下から信頼できるとわかる穏やかな声に誘われるまま、ダナエとチャボとともにガイアの手に乗る。
巨手は上昇し、2人と1匹は、ガイアの口元まで寄せられる。
誰にも襲われるかもしれないという怯えはない。
しかし、それぞれが不安を持ちながら、その口元を見詰める。
「こんにちは。
私にわかることなら何でも答えよう」
穏やかながら重厚な唸り声は、人の心を解す。
ルークは、ダナエに手を差し出す。
ダナエは、いいのか、と目で問いかけるが、ルークは、小さく頷いた。
そして、ダナエは、一瞬目を瞑り、一歩前へ行く。
「私の友達が悪魔の呪いを受けて命を落としかけています。
助けてあげたいの。私はどうしたらいいの?」
怯えた子猫を必死に隠しながら、ダナエは問いかける。
「その友達が望むことをしてあげればいい」
ガイアは即答する。
「いいえ、彼女はわたしに何かを求めたりしないの。
彼女はそれを運命として受け入れる気なの」
「ならばそれを受け入れなさい。
あなたはその人の言葉を理解しましたか?」
ガイアの答えと問いかけは、ダナエの心を決壊させた。
「理解なんてできない! あきらめるなんて、弱い心から生まれてくるものだわ!
彼女は私よりずっと強い心を持っていたのよ!
悪魔が彼女を変えたの!
私は彼女を元にもどしたいの!」
怒涛の言葉を、ガイアは、静かに受け止めた。
「今の彼女は、もう今までの彼女とは違うの……」
そして、項垂れるダナエに、ガイアは答える。
「人は自分を自分で決める力を持っている。
あなたは、それを知るべきだ。
その人はあなたに色んなことを教えようとしている。
それに耳を傾けなさい」
確としたガイアの答えは、ダナエの心に静かに染み渡る。
「……ありがとう……もう少し冷静になってみます」
静かに無念を受け止め、ダナエは一歩下がった。
近くをダナエが横切ったのを、出番が来てしまったこととルークは感じ取り、緊張の面持ちで前に進み出る。
チャボも、その背中を追う。
「こんにちは、ルーク。あなたの問いかけは何でしょうか?」
「………………」
ルークはすぐには答えない。
いざ話す段階になると、常とは異なり頭が真っ白になる。
野生のチョコボの断末魔は、未だにルークを苛み、その体を震わせた。
ガイアは、ゆっくりと待っている。
*
言葉が出てきた。
「俺、このまま旅を続けていいのかな……」
呟くような震える声でも、ガイアには届いた。
「それは、あなたが決めることです」
ガイアは、短く伝える。
「俺が決めるって! 俺……コイツの仲間を殺しちまって……俺……」
振り絞るような声は、これ以上空気を揺らさない。
「ルーク。あなたは、自由だ。
このまま冒険を続けても、あなたの家に引きこもっても、誰も咎めたりはしない。
あなたがやるべきことはたった一つ。ただ、自分で決めるということだ」
「自分で……決める……?」
「そう。あなたは何をしても構わない。
そして、他人から縛られず、誰からの命令をも受けることのないあなた自身の答えが、唯一の正解なのです」
「………………」
ルークは黙する。
屋敷の中だと、国王や、両親や、ヴァン師匠の命令することだけに従って生きてきた。
でも、今はどうだ?
あの時、牧場で思った自由。
邪ではあったが、確かに自分で冒険に出ると決めることができた。
そして、ここまで、まだずいぶんと短いけど、色んな人に出会えた。
そこには、誰の意思も命令もない。自分で考えて、新しい刺激が欲しくて、旅立った。
そして……でも……
「外に出たら、またコイツの仲間を殺しちゃうかもしれねぇじゃねぇか」
どうしても頭をよぎるのは、黒チョコボであった。
「もちろんそこで足を止めても構わない。疲れたら、帰るだけの家があなたにはある。
あなたが冒険に出ることで得られるもの、失うもの。
あなたが冒険に出ないことで得られないもの、失わないもの。
それをじっくりと考えてみて下さい。そうすれば、あなた自身の答えが出るでしょう」
得られるものと失うもの―――
あの家を出たら、いけ好かないが瑠璃と出会えた。真珠姫とも出会えた。
町というのを歩くことができた。お金の使い方を知った。剣を持てた。洞窟でモンスターと戦った。痛い傷も受けた。大きな猿をこの手で倒した。
必死こいて捕まえたヒナからチャボを育てられた。それで、真珠姫を町まで戻した。
そして、今日ダナエと出会えた。野生のチョコボが死んだ。俺を庇ったせいで。俺たちがこの道を通ったせいで。
まだ、少ないけど、それでももしもあの家から出なかったら、全てが何もなかったのだ。
屋敷ではどうだった?
毎日退屈だって言ってなかったか? 外に出たいと思ってなかったか?
最近、退屈を感じたことあったっけ? ……なかったな。
もしも、あの家にずっと篭っていたら、屋敷に帰ってしまったら……すべてなくなっちまうわけか。
……嫌だな。
え?
心の奥底で、響く声を確かにルークはその耳で聞いた。
いいのかよ? お前は嫌だったんだろ、チャボの仲間を殺すの。痛かったんだろ、モンスターからの怪我は。怖かったろ、あのデカいサル。
ひょっとしたら、偶然かもしれないぞ。たまたま生き残っただけかもしれないぞ。
今度は、いつか、本当に死んじまうかもしれねーぞ。
それでも、いいのか?
死ぬ……。でも、それだけのリスクを背負ったら、その分だけ、リターンも大きいじゃねぇか。
あのアーティファクトの輝き。まだ真珠姫から預かったものを持ってる。
一つ一つ違う所が、色んな面白さを俺に見せて、魅せてくれたじゃねぇか。
そこに踏み入って、全然違う人たちと出会えたんだぜ。
そして、まだまだそれが詰まっている。いろんな場所が俺を待っている。
……ああ。今気づいた。俺はチャボを殺してない。
チャボの仲間とチャボは違う。姿形で判断しちゃいけないんだ。
でも、何で今気づいたんだ? 何で今受け入れられたんだ?
まるでストンと嵌まるかのように受け入れられたぞ。
そうか。俺は、まだ、どこかで人の指示ばかりを待っていたんだ。
確かに、自由を謳歌できるって喜んでいたけど、その責任とか危険とかを受け入れてなかったんだ。
命は奪ってる。それは忘れちゃいけねぇ。
チャボの仲間の命は奪ったのは間違いない。
それを認めたうえで、考えなきゃ。
戦ってでも、傷ついてでも、あの退屈な時間よりは、……俺は、外に出たい。
……辛いかもしれねぇが、それでも……俺は旅に出たい!
ガイアの手の上。ダナエとチャボが、俯くルークを固唾を飲んで見守り、ガイアが優しく見つめる中で、自分一人でルークは結論を出した。
生気が戻る。
奪った命の重さを受け止めて……前に踏み出す。
それをするだけの勇気が、己の中から湧き立ってきた。
モンスターの命を、また、自分の命を賭しても、一歩前に出る勇気が、ルークに出たのである。
そして―――
「……俺は、旅を続ける」
迷いを断ち切った強い目を持ち、はっきりとした声で、ガイアに伝えた。
「そうですか。よくご自身で結論を出せましたね」
ガイアは、讃える。
彼の口元は、動かすには大きすぎて、表情には出さないが、声の調子だけで十分に伝わった。
後ろでは、芯の通ったルークの響きで、ダナエは微笑んだ。
チャボも、全身の緊張を解いて、総毛がなだらかになる。言葉はわからずとも、育ての親の感情には人一倍敏感なのだ。
「また、迷うことがあるかもしれません。
その時は、また、私の元に来て下さい」
「……ああ」
ルークが頷く。
「それはそうと、ルーク。
あなたの家をもう一度だけ回ってみて下さい。
あなたに力を貸す存在が目覚めそうですから」
「へ? なんのことだ?」
ルークは首を傾げたが、
「それは、家に帰ってからのお楽しみですよ。
……またいつでもおいで、子供達」
ガイアはいたずらっぽく笑って、別れの挨拶を告げる。
そして、その手が下降していく。
*
「どうもありがとう。少し落ち着いたわ。
……あなたも元気出たみたいだし」
「ああ。俺も来てよかったぜ」
街道の入り口に戻って来たところで、ダナエとルークは声を掛け合う。
帰り道、また野生の黒チョコボと出会ったが、その時のルークの剣裁きは澱みないものとなっていた。
戦いの後は、黙祷を捧げたが、祈祷の終わった後のルークはしっかりと遺骸を見つめなおせるまでになっていた。
そして、再び力強く歩き出して、ここまで来たのである。
ルークの成長に目を細め、また、自分自身の悩みに一定の区切りをつけられたダナエは、ひとまず充実感が出ていた。
まだ、自身の悩みが解消されたわけではないが、今日のところはこれで十分であろう。
「それじゃあ、私はここで失礼するわ。
……これが約束のお礼よ」
ダナエは懐から、金属でできたアーティファクトを差し出す。
『獣王のメダル』
鉄で鋳造されたそのメダルはところどころに赤錆ができている。
しかし、錆程度で、模した獣の獰猛さが失われることはない。
空疎の眦(まなじり)は鋭い角度で、冷たい犬歯は良く研がれ、その雄々しさを醸し出す。
……しかしながら、この獣が表しているのは、賢者である。
動物たちを従えていた賢者を食った獣が、その知恵を得て、自らが賢者となったのである。
故に、そのメダルは、狂暴な獣王ではなく、賢明な獣王を象っているのであった。
ルークは、手の平に収まる程度ありながら、ずっしりとした金属のメダルを受け取り、ポケットに入れる。
「じゃあな。またどこかで会えたらいいな」
「ええ。機会があったらまた、一緒に冒険しましょう」
二人は別れた。
ルークは、左手にチャボに乗って、ダナエは右手に何処ぞへと歩き去る。
道の弥終(いやはや)で、未知が一つ解きほぐされた。
しかし、その道自体が最大の未知の上にあることを、ルークはまだ知らない。
取り敢えず別の未知へと向かっているのであるから。
まっ!
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8.「果樹園」と「小さな魔法使い」
実は、TOAの二次創作を書くのはこれで2回目です。初めの作品はどこにも投稿はしてませんけど。
オリキャラ入れて、原作沿いで17万文字くらいの小説を、セントビナー崩落くらいまで習作として書きました。
TOAファンならお馴染みのあの事件をほぼ原作通り起こして、その時のルークの心情描写も描きました。執筆中にルークに対して……1話の縦読みの時の想いを抱きまして……よし、この子ならモチベーションを失わずに済むぞ! と確信してこれの執筆と相成ったわけです。
ああいう感情を抱いたキャラ以外、主人公として書きたくないんです、私。〇〇いいは正義! たぶんティアと同じですよ。
ガイアの知恵を授けられたルークは、ひとまずマイホームに戻ることにした。
「もう一度家を回れ、ねえ」
ガイアからそう言われたが、何のことかと、ルークは思う。
少なくとも、ガイアが、何でも知っているというのは間違いないし、気分の悪い奴ではないからその助言には従ってみる。
ルークは、チャボを牧場でエサをあげて休ませた後、家でしばらく休憩した。
念のため家の中を調べて、ベッド脇にいる、頭のてっぺんに赤い花の咲いている人面のサボテンにようやく気付いて僅かに水を上げた。
しかし、
「………………」
サボテンは無言のままであった。
いや、ルークからすれば、本来それが普通である。
しかし、タマネギや岩山が喋るのに、肌色の呆けた表情をしているサボテンが話しても不思議じゃないじゃん、と思ってしまう。
試しに、俺から何か話しかけてみるか。
そう思ったルークは、今まさに体験してきたガイアとダナエとの思い出について語り掛けてみた。
自分を見つめなおせたルークは、ダナエの優しさや悩みだけではなく、ガイアに出会うまでの逡巡と迷いをすべて赤裸々に伝える。
しかし、
「…………………」
サボテンはそれでも無言のままであった。
「…………………」
手応えのなさに、ルークも無言になる。
今の時間は何だったのだろうか。
俺は何のために、こんなことに時間を潰してしまったのだろうか。
周りに人がいなくてよかった。こんな恥ずかしいことしているのを見られたら、ベッドから起きたくなくなる。
これ以上ないほど特大の苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべたルークは、床に怒りを踏みつけながら、一階へと戻って行く。
だから、ルークは気づかない。
「おおきなかおー」
鬼のいぬ間に植木鉢からピョコッと出てきたサボテンがそう呟く。
階段脇の柱に掛けられている緑色の葉っぱの形をした伝言板の元へと、シャコシャコと駆けて行く。
そして、人間と同じように持つ葉っぱの腕を器用に動かし、どこから手に入れたのか、ペンをトゲとトゲの間で器用に挟み、書き記していった。
無人の二階では、そんなことが行われていたことに、ルークは気づかなかったのである。
後にルークは、急に伝言板に文字が増えていることに驚愕することになる。
そして、「サボテンくん日記」という表題を見て、思わず件のサボテンを睨みつけた。
しかし、その含蓄ある文章に、意外と感心させられもした。
*
さて、ルークは、廃墟に近い小屋を回ったのが徒労に終わった後、うんざりした表情でまだ確認していない空き地へと向かって行く。
どうせここも、緑の芝生のまんまだろ、と思っていたら、
「うわ、なんだよ、これ!」
リュオン街道で見た巨大な植物のモンスターのバドフラワーが数体犇(ひし)めいていた。
「てめぇら、人の家で何やってやがる!」
自然と「自分の家」と言えたことに、ルークは僅かに驚いたが、今重要なのは目の前に群がる植物のモンスターである。
ルークは、腰からブロンズブレードを引き抜いて、雑草刈りに取り掛かる。
この程度、ルークには造作ない。
その手に持つブロンズブレードは、リュオン街道で見せたように、ばっさばっさと、上下分離をしていく。
グエー! と断末摩の声をあげながら、雑草は次々と頭と体が分かれていく。
「ふぅ、かりぃかりぃ!」
雑草刈りをあっという間に終えたルークは、ふ―、と息を吐く。
「つっても、ここにも何もねーじゃねぇか……うおっ!」
ガイアの助言を不満に思っていたルークは、急な地震に驚く。
それは奇妙な地震であった。
確かに周りの地面は、刈り取ったバドフラワーの残骸は、激しく揺れているのに、自分の周りだけは全く揺れていないのである。
まるで、自分だけは傷つけまいとしているみたいに……
「な、なんだ、あれは!」
ルークは、目の前に巨木が生えて来るのに驚いた。
種から芽を出して、幹が出てきて、枝を葉で覆い茂らせて……などという悠長な成長ではない。
既に生育をとうの昔の終えたような巨大な老木がまるごと地面から生えてきているのであった。
なので、ルークの目から見れば、フサフサと豊かな髪のように覆いつくされた樹葉が、地面から出てくる。
次に、巨木の幹が見える。
その次に見えたのは、鼻だ。まるで童話出て来る人形のように、ニョキっと真上を向いた鼻が出現した。
そして、鼻の僅か下から木の根元が生えてくると同時に、巨大な老木の出現は止まり、同時に地面の揺れも収まる。
それと同時に、自分の周りを巨木のものと思われる根っこが、縦横無尽に取り囲んでいることに気付いた。
もしも、これが襲い掛かってこようものなら敵うまいと、ルークは思ったが、そういった敵意は感じない。
出て来る時には気づかなかったが、巨木の鼻の周りには大きくて穏やかな樹皮の眉を伴った、二つの瞼の閉じた瞳がある。
そして、鼻の下には、常に笑顔を湛える三日月型に開かれた大きな口があった。
ついさっき、岩山が話していたのを見ていたルークは、巨木の出現には愕然とする。
「ん? ……おまえか。私を目覚めさせてくれたのは……」
巨木が、瞼を開く。予想通り、パッチリと大きな瞳だ。
老人と同じように、鷹揚でしわがれた声で話しかけくる。
「お、お前は……」
ルークは、岩山が話しかけているのを目撃している。なので、巨木が言葉を投げかけてきていることには驚かない。
それでも、心の中では巨木の登場の余波が納まっておらず、何とか声を振り絞るのが精一杯であった。
そんなルークに、常の笑みを固定された巨木の顔は、全身の硬直を解き放つように、優しい言葉を投げかける。
「私は、トレント。ここにずっと棲んでいるのだよ。
しばらく、眠っていたが、君が起こしてくれたんだよ、ルーク」
「……そう、なのか」
もはや、自分の名前が知られていても、ルークは疑問に思わない。
疑問に思う必要さえ、ガイアやトレントの威容さからは、浅はかなことと無意識に考えてしまうのだ。
知っているから、知っている。理屈を吹き飛ばす問答無用の偉大さなのである。
「……ところで、ルークよ。種をもっていなかい?」
「たね? たまにこいつらが落とすヤツか?」
ルークは周りのバドフラワーを見ながら、訊き返す。
リュオン街道で、ダナエから戦利品として、種を持つように助言されていた。
「そうだ。君の持っている種から、私は、果実を育てられることができる」
「果実って、チャボのエサになるやつか?」
「そう。君が種をくれて、私が飲み込めば、数日後に様々な果実がとれるだろう」
「ほ~ん。でも、俺、旅に出るから、じっくりと世話とかできねぇぞ」
いつの間にか、ルークは普段通りに話していた。
心身を弛緩させてくれる言葉は、偉大だと、密かに思う。
「その心配はない。
私は、飲み込んだ種にマナを注ぎこみ、枝を生えさせることができるんだ。
私一人で十分なのだよ」
「へ~、すげ~じゃん。でも、なんでそんなことしてくれるんだ?」
「それが私の役割だからさ。
私が吸収するマナの力を、種にも注ぎ込み、たわわな果実を実らせて動物たちに食べさせる。
そして、植物や動物が死んだら、再びそのマナを吸収して、次に生まれる彼らの子孫に与える。
これが自然の掟なのだよ」
ルークは、退屈ではないかと思いながらも、当然のように語るトレントにそう言うのは無粋に思われた。
チャボのエサも無限ではないし、果実を育ててくれるなら、種を与えることを拒む理由はない。
「わぁった。じゃあ、種をやるよ」
ルークは、懐からバドフラワーから拾ったおおきな種と、ちいさな種をトレントの口に投げ入れる。
ゴクン、と音を立ててトレントは呑み込む。マジで人間みたいだ、と密かにルークは思う。
まだ入る、と言うので、ルークは先ほど倒したバドフラワーから、ほそながい種とおおきな種を投げ入れた。
再び、ゴクリ、という音が響く。
「なかなか良い種だ。果実が生えるのを楽しみにしてくれ」
常に笑顔のトレントであるが、種を飲み込んだ時は、格別に満足げな笑みを浮かべているように見えた。
「そっか。じゃあ、頼んだ」
ルークも、良いことをしたと感じ、空き地改め果樹園から、家の方へと戻って行く。
*
翌日、外に出てアーティファクトを使おうと、家を出た瞬間、
「大変よ! 大変! ドミナの町の空き地にコワ~イカボチャが生えてきたの!」
以前にチャボを運んでくれたペリカン便のアマレットちゃんが、血相を変えてマイホームに飛来してきた。
「あ? それどういう意味?」
「そのままの意味よ! 魔法使いが二人、カボチャのお化けを操って、私たちをミナゴロシにしようとしてるのよ!
あのコワ~イコワ~イカボチャを何とかしてくれなきゃ、ミー、安心して郵便配達できないじゃない!」
ペリカン便は、垂れ下がった口を地面にぶつける勢いで言葉をとめどなく投げかける。
しかし、ルークは、
「……なんで俺のところに来るんだよ? ドミナの町なら、腕っぷしの良い奴なんざ腐るほどいるだろ。瑠璃とか」
素直には赴こうとしない。
新しい場所に行きたいし、何より人と戦うのはごめんなのである。
「あの蒼男が働くわけないでしょ! 他に役に立ちそうなのはあんまりいないのよ。
ドミナの町は、商店とかバザールとか、普通の商売で生きている人ばっかなんだから!
つよ~い戦士なんか、みんなこんなとこは飽きた、って言って別の街に行ってるワヨ!」
「ふ~ん。そうなんだ。……でもなぁ……」
確かに、このペリカン便には、チャボを運んでくれたことと、タダで成長しきるまでのエサを貰った恩はある。
しかし、だからと言って、わざわざ自分が行く必要があるだろうか?
なおも、う~んと、腕を組み逡巡するルーク。
しかし、その際にペリカン便から視線を逸らしたのがいけなかった。
「あ~ん、もう! こうなったら!」
自棄になった声を聞いて、ルークが再びペリカン便に意識を向けようとした時、そこに姿はなかった。
代わりに、
「うおっ!」
迷えるルークに業を煮やしたペリカン便は苛立ち、背中から強襲してその首根っこを掴み上げる。
そして、ルークの腰ほどしかない体長からどこからそんな力が出るのか、鉤爪に掴まれたルークの体は、一気に宙を舞う。
「何すんだ、いきなり! 放せ、放せったら!」
見る見るうちに地面が遠ざかり、マイホームの全景が小さくなっていくのに恐怖したルークは、じたばたしながら抗議の声をあげるが、
「放(はな)したら死んじゃうワヨ!」
「話(はな)すんじゃねぇ! 頭が痛ぇじゃねぇか!」
ペリカン便が話すたびに、その大きく垂れ下がった口が、ルークの頭をビシバシと叩く。
かなりの郵便物が詰まっているのか、ずっしりとした重量のある打撃となっている。
「もう~、はなせとか、はなすなとか、どっちなのよ!」
「しゃべるなって意味だ!」
同音異義語の厄介さに気付いたルークは、頭の痛みとともに顔を顰めた。
そして、既にペリカン便が鉤爪を緩めたら、間違いなく死ぬ高度に飛んでいると理解した時、ルークは抵抗を諦める。
(何でこんな強引なんだ! ドミナの町の連中は!)
蒼男、タマネギ、超デブ鳥……そして、ペリカン。
どいつもこいつも強引で、ルークの話を聞こうともしない。
こんな奴らが走馬灯になるのはごめんである。
だから、胸中昂る憤りを伝える機会は、生憎となかった。
「………………」
もはや何も思わず、方々駆け巡って無駄足となった町の無償奉仕をさせられることに、諦観の念を浮かべたルークは浮いている。
*
(世界を支配するのは他でもない! このオレだ!)
邪悪なカボチャ畑を周りに囲い込みながら、7歳の魔法使いバドはそう確信している。
「ケケケケケ!」
「バド~。そ~ゆ~笑い方やめてー」
バドとほとんど同じ背丈、全く同じ髪色の少女が、バドの嗤い声に眉を曇らせる。
彼女の耳には、「嗤い声」ではなく、「笑い声」に聞こえるのである。
残虐な支配者と思い込むには、彼の人となりを知り過ぎていた。
いや、仮に知っていなかったにせよ、少々イタズラが過ぎるだけの7歳の子供の、大魔法使いになるために研鑽を積んできた声が、そうそう邪悪に転嫁するはずもない。
はっきり言ってしまえば、可愛らしい声なのである。我が弟という贔屓目を差し置いても。
「コロナ! お前も笑え!! 支配者スマイルだッ!
ケケケケケケケケケケケケッ!!」
「カボチャで世界を支配するの??? バッカみたい!」
邪悪を無理に気取って、なおも言葉だけの高嗤いを上げ続けるバド。
コロナと呼ばれた少女は、どうしてこうなった、と溜息を吐く。
こんなはずではなかった。
バカな宣言をしたバドのイタズラにほんのわずかだけ付き合って、彼の気を済ませたら共に学園に帰る予定だったのである。
ところが、予想以上にバドは用意周到であった。
バドは彼の得意とする木の魔法と、土の魔法を駆使して、思った以上に大量のカボチャをこっそりと育てていたのである。
この世界において、「カボチャ」とは、2つの意味を持つ。
一つ目は、パンプキンボムという果実。
口と目がギザギザしていて中身をくり抜けば仮装パーティに使われるが、その中身は甘くて美味しい。純然たる果実である。
二つ目は、カボチャ爆弾である。
特殊な過程で育てられたカボチャは、その名の通り残虐非道な火炎爆弾になるのだ。
爆風の威力は、小さな建物ならば吹き飛ばせるほど。
それは、砂漠にすむ狂暴な巨大生物、キーマも武器として使うらしい。
そして、残念なことに、バドが作っていたものは爆弾の方であった。
「コロナ、一緒に世界を支配するぞ!」と言われた時は、何を戯言をと呆れた視線を向けたものであるが、案内された畑に積みあがった夥しい数のカボチャを見て気が変わった。
ここまで準備しているのだったら、少々イタズラに付き合ってやってもいいか、と思ったのが運の尽き。
ちょっと外に出て花火に付き合うだけかと思ったら、あろうことかバドは、学園に退学届けとともに本当に宣戦布告までしたのである。
「ケケケ。俺様は、今からカボチャで世界を支配する。首を洗って待ってろよ」と言い残して、颯爽と去って行ってしまった。
これまでバドのイタズラにさんざん手を焼きつつ、彼の勤勉さを評価していた教師陣達も、さすがに危険な武器の製造は看過できなかったらしい。
あっという間に、退学届けは受理され、慌てて止めようとしたコロナが精一杯温情を求めても無駄であった。
コロナにとって、バドは双子の弟。同じ紫色の髪の毛に、同じ人生を歩んできた唯一の肉親なのである。
そんな可愛い弟を見捨てられるはずもない。陳情が無駄だと悟った時、後を追うように、退学届けを出す羽目になってしまうのである。
もはや行く宛てもない身となってしまったコロナは、やけっぱちとなった。
もういっそのこと、行く所までバドと一緒に行ってしまおうと思ったのである。
それで、適当なところでバドの頭が冷えてくれれば良し。捕まれば、たぶんどこかの孤児院に投げ込まれるだろう。
万が一、いや、億が一世界を支配しようものならそれでもいい。私とバドは困らない。絶対にないとは思うが。
ということで、居場所がなくなってしまったせいで、逆にコロナがバドの味方になってしまった。
ここまで計算して、学園に宣戦布告をしたならば、バドは大した策士だと思う。
……生憎と、後先考えない上に向こう見ずなところを何度も目撃しているので、それはない、と確信できるが。
まずバドが支配拠点として選んだのは、ドミナの町。軍事力の弱いここなら攻め落とすのは容易とのこと。
えらく合理的ではあるが、それでも止めに来る大人はいるだろう、とコロナは思って、一緒にカボチャ畑を作っていった。
ところが、町はずれは全く人が寄り付かず、何時間作業しても一向に止める者は来なかった。
そして、大人たちがようやく気が付いた時には、もう既にパンプキンパーティは出来上がっていた。
芸の細かいバドが作った照明用のカボチャに、コロナがサラマンダーの火炎を灯し、次々と組み上げいく。
その最中に、「さあ! 宣戦布告の花火だ!」と高らかに宣言したバドが、大量のカボチャ爆弾を次々打ち上げ、カボチャ畑の上空は、同心円状にもうもうとした雲が積み上がっていた。
そして、コロナの眉が曇天の空を象(かたど)り、その溜息が雲へと吸収される頃には、近くの住宅地の人間は全員避難してしまっていた。
誰か止めてくれるだろう、というコロナの淡い期待の、淡いすら蒸発させてしまうほどには、どうやら爆弾花火の火力が大き過ぎたらしい。
唖然・呆然として、幼いながらもしっかりとしていた彼女の本性までが、情けなさすぎる大人たちによって、吹き飛ばされてしまった。
思考力を失って黙々と作業をしていたコロナが気が付いた時には、十二分なまでにおぞましいカボチャ畑が、町はずれにできていたのである。
(こんなんだから、大人たちは!)
人間、凶悪犯が暴れ続けていると、凶悪犯その人に憤りをぶつけるよりも、その凶行を止められない保安の任務にあたっている者を責めるものである。
コロナの思考は、まさしくその状態であった。
止められない大人の何と情けないこと。誰か、骨のある大人は来ないものかしら?
そう思っていると、
「ここヨ!」
「着いちまったか……って、ぶへぇ! ……いっつつつ……おい! こんな高ぇところから降ろしてんじゃねぇよ、クソペリカンが!」
青空からやって来たペリカン便が、紅の長髪の少年を曇天の空の端の所で落とした。
少年というより、2人から見れば、青年のお兄さんである。
しかし、あいにくとその青年の登場の様が格好良いとは言えない。
カボチャ畑に恐れおののいたペリカン便が、かなり高い所からポイ捨てするような形で、降ってきたのである。
着地に失敗して、青年は、ぶへっと、情けない声をあげながら、顔から地面に叩きつけられた。
しかも、あろうことか青年は、曇天の下でのカボチャ畑よりも、青空の上へとさっさと逃げて行くペリカン便の方に憤りを向けていた。
(あれが、止めてくれる人?)
思い描いていた像とは大きくかけ離れた姿に、コロナは、疲れた表情を隠せない。
少しも期待できない。頗る期待できない。少しでいいから期待させてください。
胸中の嘆きのメロディーは、誰にも届かない。
そして――――
「怪しいヤツめ!! 追い返すぞ! コロナ!」
バドは、赤い髪の青年を指差していきり立ち、臨戦態勢に入ってしまった。
懐から、母の形見であるフライパンを取り出して構える。
「やれやれ……」
自然と口から出たその呟きに、今までにないほど意味が込められていた。
含蓄があり過ぎて、それを分析しているよりも、コロナは目の前の紅の髪の青年を叩きのめしたい気分である。
だから、父の形見であるほうきを取り出して構える。
「……んだ? ただのガキじゃねぇか」
二人の声に振り向くルーク。
この世界において、実はそのガキと呼んだ少年少女と同い年であることに気付くことはない。
「何だと! 俺は、これからこの世界を支配するんだ。手始めに、まずお前をやっつけてやる!」
「……止められるものなら止めてみて下さい」
バドは必勝の挑発。コロナは懸命の懇願。
しかし、ルークには、どちらも同じ挑発の声にしか聞こえなかった。
「ったく! ガキどもの相手は俺の趣味じゃねぇんだがな」
ルークは、腰から青銅の刀身を抜かず、鞘に収まったまま剣を構える。
人を殺すことを良しとしないルークからすれば当然のことであった。
「なんだ! なめてんのか! 本気で来ないと殺しちゃうぞ!」
「はっ! テメェらみてぇなガキに俺が負けるかっての!
オメェらなんざこの程度で十分だ!」
嗚呼、なんと期待の持てない子供の対応であろうか。
コロナは、全てが正しかったことを確信する。
殺すつもりはないが、やっぱり、このほうきで、あっちへ追い払ってやろう。
抑えのきかない子供は、バドだけで手一杯である。
「行くぞ!」
「……行きます……」
「どっからでもかかってきやがれ!」
こうして、7歳同士の戦闘が始まった。
*
ルークは、内心戸惑っていた。想像以上に手強いじゃねぇか、コイツら。
怒りの籠った表情のバドの方は、フライパンから岩山を吐き出したり、鋭利な木の葉を飛ばす魔法で攻めて来る。
コロナの方は、バド以上に据わった眼から、辺り一面に火炎を撒き散らす魔術のみを使用していた。
……実は金の魔術もコロナは得意なのだが、彼女は、意思を火の魔法に込めて表現したかったのである。
二人の意図はともかくとして、ただでさえ2対1と分が悪いルークは、なかなか2人に近づけずにいた。
しかし、近づけはしないが、2人の魔術を避けられるくらいには、ルークも俊敏である。
そして、魔法の詠唱中にできる僅かな隙を細かく積み重ねながら、徐々に距離を詰めていくことにした。
「っ! こうなったら!」
段々とルークの影が近づいてくることに焦りを覚えたバドが、傍らにある蔓を引っ張った。
「何だ…………!?」
すると上から、『ケケケ』と吹き出しのついたカボチャ型爆弾が降ってきた。
コロナは、畑の奥の方へと避難する。
それを見たルークは、とっさに町はずれの入り口の方へと踵を返した。
その判断は、迅速かつ最適であったが……
「うぉっ!!」
狭い檻(カボチャ)の中から一気に噴出した爆風は、その残骸の細かい切れ端を、猛烈かつ大量にルークに浴びせることになった。
畑の奥の方には及ばないようになっているのか、2人には被害の欠片もない。
背中が丸くなり、頭を抱えたのはルークのみである。
唸る空気の振動と、突き刺してくるカボチャの破片。
爆風が収束した後、ルークの体には大量の切り傷ができていた。
(いてぇ!)
「今だ!」
蹲るルークを見て、得意げに詠唱を開始しようとするバド。
さすがに、やり過ぎではないかと、躊躇するコロナ。
しかし、心中で臨戦態勢を崩さなかったルークが、体中の細かな痛みの総和に耐えつつ、すぐさま体を反転させて見たものは……
黒焦げの爆心地。
……おいおい。これは、いくら何でもやり過ぎじゃねぇの?
あの場にいたままなら、間違いなく自分が爆散していた。
痛みという痛みすらなくなるほどの衝撃であることが、容易に窺える。
ルークは思う。
こいつら、俺を殺そうとした?
こんなどでかい爆弾を爆破させて。
マジで殺す気だった?
モンスターから命を狙われても、人から命を狙われたのは、これが初めてである。
しかも、ガキ2人に。
……戦慄の前に、噴き出してきたのは怒りである。憤怒という言葉が、これ以上なくピタリと当てはまる。
こっちは、ちょっとお灸を据えてやろうと思っただけなのに、何だよ、これは。
なめてんのか? 人の命を。
世界を支配するって言う、ふざけたこと抜かして、マジで人を殺す?
ルークの体は震える。
全身の細胞が、一斉に振動しているようであった。
やがて己の体だけでは、怒りを抑えきれなかった。
「へっ、これでとどめだ!」
そう言って、得意げな顔で詠唱を完成させようとしていたバドの声が、ルークの臨界点を超える契機であった。
「ふっざけんなぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」
怒気を孕んだ声とともに、ルークは、大地を強く踏みつける。
すると――――
ルークの足元から噴出したエネルギーは、大地を切り裂いた。
地割れだ。
この場合、目だけで追ったならば、地面が割れていく過程は捉えきれなかった。
しかし、その目が伝えてくれたのは、ルークの踏みつけた足から、直線上の地割れのラインが、地続きとなっていた大きなカボチャの照明を切り裂いたところまで到達していたという結果である。
中にある灯火をも吹き飛ばし、カボチャは真っ二つに切り裂かれていた。
抉れた地面の深さは大したものではなかったが、そんなものは地割れの速度の衝撃を相殺しきれるものではない。
まるで、巨人が刀をもって、瞬速の一閃を入れたかのようであった。
「………………」
「………………」
「………………」
誰も彼もが動けなかった。
力を発したルークでさえ、こうなるとは思っていなかったのである。
その力が超振動であるということに、誰もが気付かなかった。
ありとあらゆる物質を分解し再構築する現象であり、ルークのいたオールドラントでは2人のみが単独でその力を起こせるということを、解説できる人間は誰もいなかった。
全身の痛みも、全身の怒りも、もはやルークには関係ない。
ただ己の齎した衝撃に、今度は全身の細胞が麻痺してしまった。
ただの怒りがこうなるとは……から、心の中で二の句が継げない。
バドも、詠唱を完成しきれず、己のほんの僅か隣にある抉れに目を離せないでいた。
―――地面を踏みつけただけでこうなるのか。
自分が相対した敵の恐ろしさに戦慄を隠せなかった。
コロナも、固まっている。
もちろん、その衝撃の強さが、彼女の心をも凍結してしまったのである。
ただ、バドに当たらなくてよかったと、まずそう思った。
超振動に時間を停める作用はない。
しかし、禍々しいカボチャ畑は、今この瞬間だけ、確かに世界から隔離されていた。
*
まず、初めに我を取り戻したのは、コロナである。
手に持っているほうきを、まず地面にそっと置いた。
そして、バドとルークの間に入る形で跪き、両手を地に付け、深々と頭を下げる。
その流れるような挙動に、ルークとバドの時間も動き出した。
「申し訳ありませんでした。
このようなカボチャ畑を作ったこと、私と私の弟が攻撃したことを謝罪いたします。
特に、カボチャ爆弾に関しては、深くお詫びします。
私たちは投降しますので、どうか命だけは助けてください」
バドのイタズラの謝罪に慣れていたコロナは、7歳ながら澱みなく言葉を紡ぐ。
もはや、紅の髪の青年を侮る気持ちも、期待外れだったと失望する気持ちもない。
ただただ、バドの命を助けようと必死だった。
「………………」
ルークは茫然としている。まだ正気を取り戻すには至っておらず、ただコロナの謝罪の様を目だけで見ているのみであった。
衝撃的な地割れは、バドの目を醒まさせるのにも十分であった。
―――こんな力を持つ人がいるのに、世界を支配できるはずがない。
そう確信したバドは、コロナに倣いフライパンをそっと地面につけ、コロナの隣で頭を伏せた。
「申し訳ありませんでした!
俺、調子に乗っていました。こんな力を持つ方とは知らず、とんでもない無礼を―――
本当に申し訳ありませんでした!」
「………………」
バドの謝罪で、ようやくルークは現実を認識できるようになった。
しかし、このような謝罪を受けたことのないルークは、自らの前で頭を下げる少年少女に何と声をかければ良いのかわからない。
そうではあったが、次なるバドの言葉が、ルークに話すきっかけを齎した。
「都合の良いことだとは、わかっていますが……どうか俺を弟子にしてくれませんか?」
「……弟子?」
オウム返しにルークは訊ねる。
「はい。俺たち、魔法学園にいたんですけど、もう行く宛てが無いんで、どうか師匠(ししょう)の元へ置かせてくれませんか?」
『師匠(ししょう)』
ルークにとって、自分がそう呼ばれるとは考えたこともなかった魅力的な響きである。
ヴァンという絶対的な『師匠(せんせい)』がいるルークは、まだまだアルバート流の剣術の免許皆伝には至っていない。
もしも、ヴァンに弟子がいると知られたら、十年早い、とどやされるに違いないだろう。
しかし、ルークは単純であった。
思ってもみなかった、けれど一度は呼ばれてみたいと無意識に思っていた呼称に、グイと心が傾いてしまったのである。
『師匠(ししょう)』『師匠(せんせい)』『師匠(ししょう)』『師匠(せんせい)』
文字は同じなれど、響きが異なる2つの名前がルークの心中をグルグルと駆け巡る。
とどまることを知らない2つの響きの循環は、やがてルークの中で1つの回答を形作ることになった。
「わぁったよ。お前たちを、このルーク・フォン・ファブレの弟子にしてやるよ」
高らかに響いたその声で、2人はすぐに視線を地面からルークへと向ける。
バドは、一瞬の驚愕がすぐに喜色満面の笑みに。コロナは、信じられないものを見る目に。
「ありがとうございます! 俺はバドで、あいつがコロナ。姉と弟なんです」
「あわわわわ。なんて心が広いというか、何というか……」
2人の表情と返答を満足げにみつめるルーク。
そして、厳然としていたヴァンを思い出しながら、一転笑みを隠し、厳しい表情をとる。
「ただし、2つ条件がある!」
ルークは、腕を組み、眉を尖らせながら告げる。
その張りのある表情と声音に、バドとコロナにも、緊張が走った。
「一つは、絶対に人を殺さないこと! 金輪際、人を殺すような真似はするんじゃねぇ!
わかったか?」
「はい!」
「はい!」
威勢の良い返事に、ルークは鷹揚と頷く。
ルークとしては、これは、絶対に譲れない部分であった。
「よし! 次に、俺のことは、師匠(ししょう)ではなく、師匠(せんせい)と呼ぶこと。
守れるか?」
「はい、師匠(せんせい)!」
「はい、師匠(せんせい)!」
これは、ルークの願望である。
師匠(ししょう)ではなく、師匠(せんせい)と呼ばれたいのだ。
弟子を持つことなど考えたこともなかったが、こう呼ばれたくてたまらない。
だから、重要な条件として設定したのである。
「よし! 良い返事だ。じゃ、手始めにカボチャを片付けようぜ。
俺も手伝ってやるから」
ルークが意識しているのは、もちろんヴァン師匠の姿である。
弟子に対して、常に真摯に向き合ってくれたその姿は、誰よりも輝いて見えたのである。
なればこそ、自分が師と仰がれるならば、その姿勢は受け継ぎたいのであった。
「はい、師匠。よろしくお願いします」
「本当に、何もかもすみませんね」
弟子も素直であった。
調子のよいルークは、先ほどの地割れを思い返すことなく、バドとコロナに言われるまま、カボチャ畑の片付けの作業を手伝ったのである。
こうして、ドミナの町のはずれは、地面の亀裂を除いて日常の町の風景に回帰した。
そしてそれは―――
・7歳かぁ。私が聖剣伝説LOMを初めてプレイした年齢ですね。「YOU」の意味が分からず、「ワイ・オー・ユー」と読んでいた時代です。それが今こんなものを書くとは……。
まっ!
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9.「うごめく森」
なんだか段々一つ一つの物語が難産になっているニコっとテイルズです。
ジャングルの場景描写と心情描写のマッチングに一日使う馬鹿は、私ぐらいなものでしょう。
私のお気に入りをご覧になってくださればわかりますが、基本的にコメディ系の小説が大好きです。今回わりとシリアスな物語ですが、それさえもくら~い路線ではなく、コメディ路線を大い混ぜてしまっています。悪い癖です。
まだ序盤なのでよいのですが、シリアスが深まっていったときは、どうなってしまうのやら。それが少し心配でもあります。
ルークは、2人をマイホームに連れてきて、しめたものだと思っていた。
特に料理ができなかった彼にとっては、コロナが来たことは僥倖と言って良い。
今まで食べていたのは、マイホームに備蓄されているパンや、調味料を振ってよく焦がした肉(ただしルークとしてはイケテナイ部類に入る)、保存されている果実である。
それがコロナのおかげで、カレーやピザ、おでんと言ったものまで食べられようになった。
屋敷にいたころでは、満足できなかった家庭的料理も、ぐつぐつと煮え立つ鍋からの匂いに吸い寄せられたルークがこっそり味見をして、コロナからお りを受けるまでに満足していたのである。
レパートリーの少ない貧相な料理と比べれば、今では喜んで食べられるようになったルーク。
しかし、
「もう! そんなんじゃ、バドよりもひどいですよ!」
「いいじゃねぇか。俺、もう十分デカいんだし」
「ダメです。師匠には、ちゃんと元気でいてもらわないと」
「やだったら、やーだ! ニンジンもキノコも食べたくない!」
ニンジンやキノコを残して窘められる辺り、好き嫌い克服とまではいかなかったようであった。
まるで、もっと幼いころのバドを躾けるみたいだというコロナの感想は的を射ている。
実際に、食事に関しては、ルークは苦労しておらず、好き嫌いをしても許される環境だったのだ。
なので、幼いころに両親を亡くして苦労した双子とは、そもそも育った環境が違う。
だから、好き嫌いに関して言えば、苦労の度合いが、バドよりもルークの方が、克服させるのが大変なのである。
コロナからすれば、居場所はできたのであるが、問題児は倍加した。
一方のバド。
彼は、ルークにとっては意外なことに勉強家であり、マイホームの書斎にずっと篭っていたり、時に朽ち果てた小屋の前で魔法の鍛錬を重ねているのが日課であった。
それ以外にも、チャボの世話や、果樹園の果実の収穫を手伝ったりと、内でも外でも活動が盛んである。
しかし、ルークが、勤勉かつ外の雑事をよくやってくれるなぁ、と感心していると、
「うおっ!……なんか頭から来た!?」
「あ、ルーク。引っかかったね」
「おい、バド! 何だよ、これは!」
「タコムシだよ。うねうねしている奴さ。大丈夫害はないよ」
「つっても……おわ! 服の中に入っちまった! おい、何にすんだよ!
てめぇ、バド! 後で覚えてろよ」
バドなりにイタズラを仕掛けて師匠を弄んでいた。
付け加えて言うと、彼なりの嗅覚でルークが自分と同じぐらいの精神年齢であると見破ったか、タメ口かつ呼び捨てがデフォルトになっていた。
ルークがその度に、「師匠(せんせい)と敬語は!?」と注意を飛ばすのであるが、「はい、師匠(せんせい)。ごめんなさい」と誠心誠意謝罪しているフリをして誤魔化している。
師匠(せんせい)という言葉の響きにルークは弱い。弟子からそう言われると、許してやらねば、とヴァン師匠の懐の深さを思い出して「次からはするんじゃねーよ」で、済ませてしまうのであった。
だから、ことあるごとにバドのイタズラに引っ掛かり、毎回「ごめんなさい、師匠(せんせい)」と言われてルークは満足し、また引っ掛かるという端から見れば馬鹿な日常を繰り返しているのである。
*
さて、2人が家に馴染んでそろそろ冒険を再開しようかと思ったルークに、バドが同行を申し出た。
「俺、魔法学園で魔法のことを学んでたんです。
この世界には大昔に活躍した、マナの七賢人って言う賢人達がいるのです。
今は一人死んでしまって、六人しかいないようですが。
それで、会ってみたいのです……、六人の賢人全員に。
ですので、師匠。俺といっしょに賢人を探しに行きませんか!!」
可愛い。
自分のことを師匠と呼んでくれる弟子が、目をキラキラさせながら、こうして一緒に行こうと、強い意志の籠った声をかけてくれる。
賢人と言うのはガイアみたいなヤツだろう。俺も会ってみたいし。
こうも素直で、興味の惹かれる頼み事をわざわざ拒絶する理由はない。
そう思ったルークは、大きく頷いて快諾する。
「いいぜ。んじゃ、明日のために準備しとけよ」
「わかったよ、ルーク」
たったとバドは別室に向かう。
バドは、敬語と「師匠」という甘美な言葉を織り合わせて、ルークの脳髄を麻痺させた。
そして、成功を確信するや否や、「師匠」という敬称と丁寧な言葉遣いを解除する。
バドの交渉の巧みな手綱捌きと悪辣さが、如実に現れた一例であった。
*
翌日、お荷物さんに気を付けて行ってらっしゃい、と言うコロナ一人を残し、ルークとバドは、チャボを連れてマイホームを発った。
ルークは、『獣王のメダル』を選んだ。
今度もまたドミナの町の隣にそのアーティファクトは降り立つ。
これで、ドミナの町の四方は完全に囲まれることになった。
獣王のメダルは、地面に着くか着かないかと言ったところで、妖しく紅い光を放つ。
そして、回る、回る、回る、回る、回る。
模された獣の雄々しい姿が見えなくなるほどの速さになった時、メダルは高々と飛び立った。
そして、浮かび上がった獣の口から、メダルの着地地点に大量の葉が放出される。
あまりに凄まじい量であったので、周辺のドミナの町や、メキブの洞窟が覆いつくされんばかりであった。
大丈夫か、これ? と思わずルークが心配になるほどであったが、木の葉の群れが晴れた時、緑が堆積していたのは、メダルの着陸地点のみである。
遠目で見ても色彩豊かで、種々様々な植生の生い茂る『ジャングル』が出現した。
「あそこには、ロシオッティがいると思う。早く行こうよ」
「慌てんなって。急いだっていいことねぇぞ」
服の裾を引っ張るバドに、泰然自若の姿勢をルークは崩さない。
ヴァン師匠の像が、ルークの言動を固定していたのである。
……もっともそんなことをしてもしなくてもバドの師匠に対する姿勢は変わらないが。
*
柔らかい。
しかしながら、柔和とかふわふわなどと言った、脳をしっとりと満足させるような、心地の良さを与えるものではない。
その逆。湿気を吸収した土壌が足元を掬うような、足を取られるような地面がジャングルの特徴であった。
そこに、木々の覆う葉が日当たりを疎(まば)らにし、下草の茂りまでもが不規則になり、歩行困難を促進する。
見渡す限りの植物は、体長、色彩、生育具合に統一感がなく、植物学者は喜べど、ルークには、あらゆるドリンク類を試しに混ぜ合わせてしまった時のような無秩序な混合物への不快感しか湧き上がってこない。
屋敷の至る所で飾られていた絵画の精緻な芸術性に、そう言ったものに興味のないルークでさえ思いを馳せられる景色である。
熱帯雨林内部の、べとっとした湿気がルークに纏わりつき、カラッとした太陽を遮る上空の木々の葉が恨めしい。
しかし、ルークの気分は高揚していた。
むしろ、こういう進むのが難しいところこそが探索の醍醐味があるではないか、とさえ思っていた。
困難の果てに、面白い出会いが待っていることを経験したルークにとって、不愉快な環境は問題ではない。
逆に、丁寧にカーペットを敷かれ、順路を大人しく進めと言われる方が、興が削がれる。
ガイアに出会い、自分の意思で、冒険を続けるという答えに行きついたルークは、身体に一本、芯が貫かれていた。
それは、絶え間なくルークの体内に高精度なエネルギーを供給する。
自分で決めるということが、自分にここまで強い力を与えるということをルークは身を以て実感していた。
なので、足が拘泥をものともしなくなり、
「師匠~、ちょっと速いよ~」
「キュピッ!」
泥濘(ぬかるみ)に、足を取られている通常の精神状態の一人と一匹から抗議されるのであった。
「おお、つい、調子に乗っちまった」
同行者の声にも耳を傾けるほどには、ルークの機嫌は良かった。
*
しかし、ルークがねっとりと気味の悪い花粉を噴出する食人花モルボルモールを新たに覚えた烈破掌で粉砕し、バドが宙を舞う巨大な蛾のグールムモスを岩の大群で地に伏せさせ、チャボが愚鈍に舞うゾンビを飛び込み蹴りで再び土に還しながら、ジャングルを奥へ奥へと進んで行ったときのことであった。
「なんか、遺跡みたいなところだな」
疎らな石畳が苔に侵食され、倒壊している石柱が草木と同化しているが、人工の建物の残存が確かにそこにはあった。
「そろそろロシオッティのいるところに近いのかもね」
バドは頷きながらも、しかし一行の前には、
「どっちが正しい道なんだ?」
左右の分岐があった。
「わかんないよ、そんなの。けど、右が正しいんじゃない?
どこかの国の言葉だと、『右』と『正しい』が同じ意味みたいだし」
博学なバドは、確からしさの確定ができない場合は、他国の言語の語彙に委ねるが、
「何だよ。それだと、左利きの俺が正しくねーみてぇじゃねぇか。
俺は、左を選ぶぜ」
そう言われると、自分を否定された気になるルークは、怒った肩が上げた左腕で左の道を指した。
はぁ~、と軽く溜息を吐きながらもバドは、
「ま、別にいいけどね」
拘泥しても仕方のないことだからと、師に従うことにした。
すると、左の道の奥には黄色い妖精たちの群れがいた。
そして、ルークとバドとチャボに気付くと、
「人間は帰れ!
イナシ ニテイア ハンゲンニナ ホア カバリ キルマ………………」
一斉にキッと鋭い目を射し込みながら、呪文を唱えた。
「な、なんだよ、いきなり」
「……外れみたいだね」
「キュピィ~~~~~」
まごついたルークと、諦観の念に目を瞑るバドと、気落ちをしているチョコボは、
「あれ?」
「ふ~ん。やっぱり」
一瞬の瞬きの間に目の前の光景が、入り口の景色へと戻っていた。
「……俺のせいか?」
特に目印はなかったわけであるから、殊更ルークを責め立てる意味もなかったが、
「そうだね。師匠が悪いよ。師匠が右利きなら良かった」
八つ当たり気味にバドは、思い切り肯定してやった。
「俺たち、結構進んだよな? んで、ロシオッティとか言う奴のところに行くには……」
「また一からやり直しだね」
呆然と固まっているルークを差し置いて、バドは再びスタスタと歩き出すが、
「……メンドクセー」
すっかりルークは、むくれてしまった。
そして、もう一度戻るのが、言葉の通り億劫になる。
足場の強い湿気を含む土が、急に粘ついているように感じられてきた。
「何言ってんだよ。ロシオッティに会うまで帰らないよ」
「うるせーな。また今度でいいだろ。師匠はもう疲れたぜ」
うんざりした顔で額や首に纏わりつく汗を手で拭いながら、ルークは、ジャングルの入り口の方を向いた。
「ちょ、ちょっと待ってください。師匠!」
ルークの本気の色を見たバドが、慌ててエサを二つを持ってくるが、
「やだったら、やーだ! こんな気味わりぃジャングルを2回も歩きたくねーっての。
おら、チャボ。背中乗せろ」
拗ねた声をあげて、植物群にもはや完全に背を向けてしまっているルーク。
そして、チャボの方に歩を進める。
やばい。どうしよう。
バドの脳細胞が必死で説得の材料を探しに駆け巡っていると、
「こんにちは、みなさん」
ジャングルにいた男の花人が笑顔で声をかけてきた。
「なんだよ、おっさん?」
疲れた表情を隠そうともしないルークが、横目だけで訊いた。
バドは心の中で、これなら! と花人と出会った僥倖に快哉する。
「私は念力テレポートサービスです。お代はラブでけっこう」
「なんだそれ?」
「師匠! この人は、特定の場所まで無料で、ただ感謝の思いさえあれば運んでくれる人です。
もしかしたら、ロシオッティの場所まで運んでくれるかもしれません」
間髪入れずにはしゃいだ声で答えたバドは、胡散臭げなルークの表情を一変させる。
「てことは、さっきの場所までもう一回歩かなくて済むってことか?」
「おじさん。ロシオッティのところまで行けるよね?」
ルークの声色に再び生気が通ったのを好機と捉えたバドは、せがむように花人に詰め寄った。
「森海の遺跡ですね。もちろん、行き先に入ってますよ」
もじゃもじゃひげを揺らしながら首を縦に振った花人に、バドは思わずよっしゃっ! と歓声を上げた。
そして、これならまた歩かなくて済みますよ、と念押しを忘れないバドは、そのままの笑顔をルークに向ける。
「う~ん。……でも、ここまで来て収穫なしってのもあれだし。さっきのとこまでひとっ飛びできるってならいいか。
よし! おっさん、頼んだぜ!」
もともとロシオッティに関心のあったルークは、花人を正面から見つめ直す。
また沸き上がってくる探求心が、ジャングル特有の不快さを吹き飛ばして来た。
「ありがとうございます。では、目を閉じてください」
2人と1匹が、素直に従うと―――
「ん? あ、マジでさっきの場所だ」
「そうですよ。言った通りでしたでしょ!」
再び緑に朽ちている崩壊した遺跡が目の前に広がっていた。
「ここまで来たら、あの妖精たちをぶっ潰してやりたくなるな。
くそっ! あいつらめ!」
「やめてください! 失敗したら、また入り口ですよ。
せめて、ロシオッティに会ってからにしましょう!」
いきり立つルークを、どうどうとバドは敬語のまま諫める。
あの妖精の集団の数を考えると、全滅させる前に再び送り返される可能性が高い。
ならば、一旦ロシオッティに会うのが先決だ。
「チッ!」
ルークは舌打ちしながらも、バドに理ありと認めた。
そして、先ほどは選ばなかった右の道へと進んで行く。
*
そこには、赤い獣が座っていた。
四本足の全てに鋭利な爪が備わっており、腕と足の筋肉の丸太のような太さに、ヘラジカのような高く聳(そび)える角は、獣王たることを端的に象徴していた。
そして緑の毛で全身を覆い、雄々しさを際立たせている。
座っているのはライオンを象った玉座。ただし、肘掛けのライオンの勇猛な爪は遺されているが、倚子(いし)の頂点の鬣(たてがみ)を纏った獣王の象徴は喪失している。
その空虚を身を以て代理するように、赤い獣ロシオッティは、座していた。
そして、近づいて来るルークたちを、平穏さを湛えた瞳で言葉なく歓待する。
穏やかな目線だけで、こちらに危害を加える意思がないことを伝える賢人特有の無言の挨拶に、ルークは格の違いを瞬時に思い知らされた。
「やぁ、諸君。私はロシオッティだ。この森へようこそ」
鷹揚とした調子から滲み出される理知的な声が、ルークたちを重厚に、しかし柔和に包み込む。
「俺、バド。大魔法使いになるために賢人の話を聞きに来たよ!」
バドは、溢れ出る興奮を、そのままの勢いのまま、鎮座するロシオッティにぶつける。
「こんにちは、バド。大気はマナで充ちている。心を無にすれば、その力は無限に流れ込んでくる」
ロシオッティは、深い理知に支えられた意味深長な短言をバドへと贈った。
「ありがとう、ロシオッティ-!!」
それだけ充分に満足したバドは、ロシオッティの眼前から離れる。
その赤い獣は、紅の髪の青年の方を向いた。
「ルークだ。ルーク・フォン・ファブレ」
「こんにちは、ルーク。
……この森は私の森だ。全てを自由に与える。お前の血肉とするが良い」
「……なんか、よくわかんねぇけど、好きにふるまっていいってことか?」
「そういう意味で構わない。……ときに、君たち」
ロシオッティは、僅かながら陰の響きを含ませる。
「なんだよ」
「この森にいる妖精たちからの邪な呪いを纏っている。
私が解呪できるが……少しばかり願いを聞いてはくれないだろうか?」
「何ですか?」
ルークが逡巡するよりも速く、風のような勢いでバドは訊き返した。
「ここは、妖精の国に最も近い妖精の森がある。
ここから出た先の、君たちが踏み入ってしまった妖精たちのいるところだ。
近頃、彼らの様子が奇妙であるから、是非とも調べてきて欲しいのだ」
「妖精……アイツらか!」
先ほどの強制退却をさせられたことをルークは思い出され、怒りを露わにする。
「どうやら師匠様は、乗り気みたいですから、大丈夫だと思います」
慇懃と慇懃無礼を両方含みつつバドは、瞬時に快諾の方へと舵を切った。
「おい、バド。師匠はまだ何も決めてねぇって」
「その呪いを被ったままだと、生命力を弱め、命を縮める結果となる。
脅すつもりもないし、例え断っても解呪はするが……少しばかり協力をしてはもらえないであろうか?」
ルークとて、悪人ではない。恩を忘れる人間でもない。
脅迫の色のない賢人の落ち着いた声は、自然とルークに興味を惹かせた。
だから、ロシオッティに詳細を尋ねることにする。
「……妖精たちの調査っつったっけ? どうすりゃいいんだよ?」
「容易いことだ。彼らか、彼らの仲間の話を聞いてくれば良い。
何をやっているかわかったならば、それで十分だ」
「はーん。まぁ、それくらいなら、やっても問題はねぇが……俺たちを見たら、またあいつら入り口に戻してくるんじゃねぇか」
「大丈夫だ。解呪の呪文に、妖精の呪いを予防する呪文を織り合わせる。
妖精たちは、未来永劫君たちに害を為し得ないであろう」
この言葉が決定打であった。
取り敢えず抗議の声の一つをぶつけたいと思っていたルークは、引き受けることにした。
スパイのように隠れて、盗み聞きをして、文句を浴びせてよいのであれば、依頼と恩讐を両方達せられる。
ロシオッティをも、自分をも満足のいく結果を齎せられるならば、この程度の些事やってやろうではないか。
ルークは、改めて獣王を見つめる。
「わかった。調べに行けばいいんだな。なら、やってやるよ」
「かたじけないな。……では、約束の証だ」
ロシオッティが、巨躯の腕をゆっくりと振るう。
すると、緑色の光が、ルークたち各々の体から噴出した。
特に身体が快復した感じはしないが、それは妖精の呪いが遅効性であるかららしい。
呪いの効能の実感は湧かないが、賢人が虚偽を述べることもなかろうという無条件の信頼から、ルークたちは妖精の森へと赴くことにする。
*
先頃遭った忌々しき妖精たちは、
「ちがう、コイツは精霊力を持っていない……こんなクズはいらん!」
倒れている一人の修道女を取り囲み、足蹴にして暴力を振るっていた。
「あいつら!」
かなり遠目からそれを目撃し、いきり立つルーク。
そして、そのまま修道女の方へと向かおうと駆け出そうとする。
しかし、傍らのバドは、ルークを引っ張って制止した。
「何しやがる!」
「大丈夫だよ。武器も何もない妖精たちに人を殺すことはできない。
彼らは、何か依って立つものがないと、人間よりも弱い存在でしかないんだ」
落ち着き払ったバドの声は、しかしてルークの滾(たぎ)る頭を冷やすには至らない。
「だからって、アイツを放っておくのかよ!?」
「落ち着けって。興味を失えば、アイツらは去って行く。
その時にロシオッティに解呪を頼んでからでも、遅くはない。
……ここは、妖精たちの話に耳を傾けよう」
義憤に燃える頭を冷やすのは容易なことではなかったが、歯を精一杯食いしばりながら、ルークは一気に膝を曲げてしかし音を立てずに座り込んだ。
書斎で本の虫になっていたバドを見ていなかったならば、あるいはその声色に僅かな倨慢があろうものなら、ルークを押しとどめるのは不可能であっただろう。
この怜悧な声は、研鑽と賢人とわずかな例外を除けば醒めたものであるのだろうか?
傍らに座っているバドを見やるルークは、その行く末に自然と思いを馳せられた。
しかし、今耳を欹(そばだ)てる方角は、憎たらしき妖精たちに対して、である。
「我らの女王となる者は、もっと強い力を持つはずだ。司祭を連れて来い!」
修道女への狼藉を止め、妖精たちは情報交換を開始する。
「司祭は、10000歳も過ぎたような年寄りだ。ソイツでいいのか?」
「いや、黒竜王アーウィン様の話では、その女は26歳のハズ……」
「黒竜王様の間違いではないか? 来る日の女王となる方だ。
26歳のハズがない。前の女王は28732歳だったではないか」
「新しい女王は妖精ではない。人間はせいぜい500年くらいしか生きん」
「そんなに短いのか?」
「もっと短いとも聞く」
「しかし黒竜王は……なぜ、人間などを我らの女王に……?」
どうやら、人間と妖精の間では甚だしき寿命差があるらしい。
そして、黒竜王アーウィンと言う奴が、人間を女王に据えようとしているということも伝わってくる。
しかし、ルークには、未だ話を飲み込めない。
そのまま苛立ちを噛み殺しながら、聞き耳を続けようとすると、
「おまえ達! 何をしている!」
白色の髪の男が、怒声を伴って傍の道筋から出現した。
そして、鞘から大剣を引き抜き、額を覆うバンダナをはためかせながら、妖精たちに切りにかかる。
慌てふためき逃げ惑う妖精たち。
しかし、バサッと袈裟懸けで一匹、切り上げてまた一匹、並んでいた三匹を払いで両断し、残ったのは羽根だけとなった。
「だいじょうぶか!!」
そして、修道女へと駆け寄っていく。
ルークがバドを見ると、彼は肩を竦めた。
道理としては、剣士の行動は義しいのであるはずである。
また、彼が、自分たちが密偵であることなど知る由もない。
そうではあるが―――やはり、調査を妨害されたという印象が、ルークの心を巣食ってしまう。
とはいえ、もはやここに隠れている意味はない。
意識を喪失している修道女を背負い、此方に歩を進める剣士と鉢合う形で、ルークたちは男の視界に入った。
「オマエたち……何をしている?」
剣呑な雰囲気でこちらをも包まんとしているのは、妖精たちに殺気立っていたからであろうか。
ルークは、尋常ならざる雰囲気に気圧されつつも、
「俺はルーク。こっちはバドとチャボだ。たまたまここを通りかかった」
「………………」
ギロリと一人一人を吟味するように見まわしている男は、ここ最近の中で会った人の中で、最も「人間」らしいと言えた。
バドとコロナは、確かに純然たる人間に近かったが、尖った両耳が純粋な人間でないことを厳然たる事実として如実に伝えている。
対して、眼前の男は、そう言った特徴はどこにもなく、紛うことなき人間に思われた。
しかしながら、ルークは、同胞(はらから)に会えて胸がこみ上げてくる、などということは不思議と湧き立つことはない。
この男は、隔絶のカーテンで、「他」を排撃するようなそんな歓迎できない雰囲気を察せられた。
いけ好かないと言えば瑠璃も同様であるが、そのような「好く」「好かない」という次元を超えたところで分かち合えないような、そんな容赦のなさが滲み出ている。
今までにない感触に、ルークは戸惑っていた。
「……ふん。どうやら本当のようだな」
害意は降ろされる。
しかし、それだけであった。
「……そいつ、大丈夫なのか?」
得も言われぬ嫌悪の纏(まとい)を度外視したくて、ルークは修道女の具合を尋ねる。
「ああ。意識がないだけだ。オレがロシオッティのところへ連れて行く。
オマエはもう帰れ。ここでは戦うな。
下手に争えば、また人間と妖精の間で戦争が起こる」
矢継ぎ早な命令は、ルークが言葉を発するのを完全に圧した。
そして、白髪の男は、ルークたちの傍を通り抜けて、小さくなっていく。
「……………妖精たちめ……いつの間にアーウィンの下僕になり下がったんだ」
すれ違いざまに呟かれた男の苛立ちは、男とアーウィンとの並々ならぬ因縁を感じさせた。
*
「どうする? まだ妖精の森は続くけど」
バドが、男に聞こえない距離をとったことを確認してからルークに問いかける。
「どうするって……まぁ、もう少し事情を探っていいんじゃねぇか?
あいつに邪魔されて、アーウィンとかいう奴のことを聞けなかったし」
ルークは、森の奥を見やる。
彼にとっては妖精に一言を文句を言えれば胸がすいたため、巨大な剣に撒き散らされた残骸にはさすがに憐れみを覚えた。
「そっか。僕もロシオッティの依頼を完遂できたとは思えないから、先に進むことには賛成するよ」
「んじゃ、さっさと行って、さっさと帰ろうぜ。そろそろこの森ともおさらばしてぇし」
2人は森の奥を分け入っていくことにする。
*
「人間がこんなところまで何をしに来たんだ? 無用のものは立ち去れ」
さほど広くもない妖精の森の最深部で、ルークたちは緑の浮遊する悪魔に開口一番そう忠言された。
「いや、俺も早く帰りてぇけど……アーウィンって奴についてなんか知らねぇか?」
ここまで露骨なモンスター然とした姿が、人の言葉を発したことへの驚愕を、ルークは隠しながら訊ねた。
「アーウィン様は我らの王だ。10年ほど前より、妖精界で傷を癒されていた。
彼は悪魔の血を引き、妖精でもなく、人間でもなく、そして、絶対の力を持っておられる。
彼こそは、両界を統べる真の王となるだろう。言えることはそれだけだ。
立ち去れ、さもなくば、裁く」
「……………わかったよ」
アーウィンは妖精の王。
そして、つよーい力を持っている。
その内、真の王になる……って、結構やばいじゃん!
キムラスカとか、マルクトとか、そんなのを差し置いてか!?
ルークが心の中で改めて言われたことを要約し、咀嚼すると、かなり危機的な状況であるということに気付く。
とはいえ、このモンスターはこれ以上話してくれそうにない。
翼を広げ、槍の穂のような尾をこちらに向けて威嚇している相手が、これ以上友好的になってくれるとは思えない。
話を聞けばよいとロシオッティが言った以上、これで十分だろう。
それに……言葉を話すヤツを殺したくねぇし……
そう思ったルークは、忠言を素直に聞き入れてその場を立ち去ることにした。
緑色の悪魔も、追いかけてくる気配はない。
言葉を違うことがないのは真実なようである。
ところが、問題は前方からやって来た。
「……オマエたち、ロシオッティから依頼を受けたんだな」
白髪の男と二たびすれ違うことになった。
「まぁな。急いでいたから、さっきは言わなかったけど……」
「……そうか。なら、報告を済ませて、とっとと帰れ」
「言われなくてもそうするっつーの」
剣士は、こちらに目は向けている。
が、全然こちらを向いていない。
そんな不思議な感想をルークは持った。
去りゆく男に、そう言えばあいつ自己紹介すらしてねーなと思ったルーク。
ま、どうでもいいか、と思ってバドとチャボと一緒にロシオッティの座へと戻って行くと、
ギャーーーーーーーーーーーー!!!
先ほどの緑の悪魔の断末摩の悲鳴が轟いてきた。
耳を劈くその嘆きの声は、ルークたちを振り返らせる。
しかし―――
……もう一度あの悪魔の安否を確認しようなどとは思えなかった。
行ったところで、もうどうしようもない。
危険な主に仕えているというのは、あの悪魔自身が先ほど述べたばかりだ。
だから、言葉を話すのみで同情の念を持つ必要は……ないはずだ。
そうは思っても、ルークの胸の蟠(わだかま)りは、投擲できない。
べちゃっと、ジャングルの土壌のように蔓延ったままだ。
それでもルークは、内心の複雑さを棚に上げ、殺生をした男に思考を集中させる。
あの男に対して抱いた印象は、あの魔物の悲鳴を以てして確固たるものになった。
そんな嫌な証左が、ルークの胸中に去来する。
*
「こんにちは、ぼくのなまえはえもにゅーです」
「あははははは。私はしるきー。こんにちは」
ルークたちがロシオッティの座に帰還すると、当の獣本人は転寝(うたたね)をしているため、ジャングルでの情報収集を担当していた森ペンギンのえもにゅーとしるきーが代理で報告を承るとのことであった。
早速、ルークは、妖精たちのこと、アーウィンのことと見聞してきたことを端的に伝える。
報告を終えた後、2匹の森ペンギンは、気難しそうに顔を歪めた。
「妖精たちの中には、人間に反感を持つものが、たくさんいます」
「妖精戦争が、900年前から始まって、200年前に収束したからですよね?」
「はい。妖精にとって700年というのは、短い時代でしかありませんから」
バドとしるきーが相槌を打ち続ける。
そう言えば、万を優に超える途方もない年齢の妖精の女王の話をしていたことをルークは思い返していた。
「んで、どうすんだ?」
ルークは、あまり歴史に興味はないが、現在の趨勢だけは気にかけ、行く末を問いかける。
しるきーは、ロシオッティが規則的に唸るような鼾を上げてるのを耳だけで聞いて、就寝中であることを確認した。
そして、しばし黙考した後、
「……………まぁ、なるようになるでしょう」
楽観視とも投げやりともつかぬ回答を繰り出した。
「そんなんでいいの?」
ルークたちが呆れた視線を送っている中、えもにゅーは訊ねるが、
「あははははははははははははは」
しるきーのわらい声がすべてを洗い流した。
しかし、ジャングルの区間に存在する微分化されていた不快と不安の因数は、あの剣呑な男の登場によって積分化されている。
その巨数は、ルークの心にずっしり質量を伴って圧し掛かり、しるきーの快活な声では、正の方向へほんの僅かうごめく程度に過ぎなかった。
*「拘泥」とは、必要以上に物事にこだわることであり、ぬかるみという意味は本来ありません。
しかし、本作では、語呂と漢字の連なりの良さから、敢えて誤用表現で用いている箇所があります。ご容赦ください。
まっ!
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10.「精霊の光」
『理屈と膏薬はどこにでもくっつく』というのは執筆をしていて実感します。
皆様も言い訳をするときは諦めずに理屈を探しましょう。きっとどこかに皆様を救う理由があるはずです。この小説だって、9割方後付け設定でできているんですから。
どうか諦めないで!
……良いんですかね、こんなこと言って。
ロシオッティからのお礼にと、ルークは、しるきーから『蛍袋のランプ』を貰った。
蛍袋とは、鐘状の花であり、まるで自信のない人間のようにしょんぼりと俯いているのが特徴である。
色彩も淡い紫色と、華美ではなく、自己主張が激しいとは言えない謙虚な外見であった。
しかしながら、陰日向にひっそり咲く手弱女(たおやめ)をあらわしたかのような花のランプは、2人の恋人の時間を邪魔せず、幻想的な灯りを以て妖しく包み込むちょっぴり心憎い給仕と化す。
薄紫の淡い彩に包まれた両情人は、甘美だけではなく酸味をも口の中に広がっていく。
そこで、やや無遠慮な仕え人によって、恋の熱から僅かに醒めた2人は、盲目によって紡げなかった互いの真の像を思い知らされる。
その偽りなき為人(ひととなり)を目に焼き付けてしまい、中には甘美すら忘却してしまう悲恋もあるかもしれない。
しかして、想い人の陰の部分を受け入れられた両人の行く末は、虚偽の衣を羽織り続ける心痛な結婚生活よりも、実り豊かなものになるであろう。
また、真を受け入れられなかった2人は、次なる恋へと、本当に自分と調和する人を求めて歩み出す。
そんな真実の影を映し出し、恋人の幸福になるための試練を与え、不幸を予防する不思議なランプが、この蛍袋のランプなのである。
……もっとも、ルークには、アーティファクト以上の関係のないことであるが。
『蛍袋のランプ』がルークの手から離れる。
そして、メキブの洞窟の北側に着地した。
ポツリと置かれたランプは点灯し、四方に光を放つ。
離散した淡い光は、再びランプへと収束し、ランプは光を抱えられなくなり、儚く消え去る。
すると、ランプの跡地から、円筒状の町が出てきた。
そして、蛍袋と同じしめやかな色彩の建物が螺旋階段を駆けまわるように、下から上へと伸長する。
全ての高地にある建物から順々に煌めくランプが燈れば、今ここに『月夜の町ロア』が出現したと言えよう。
*
「んじゃ、俺は先に帰るよ」
ロアの登場を見届けた後、バドは、蛍袋のランプの演出に感動しているルークを現実へと引き戻した。
「あん? 一人でいいのか?」
唐突な帰宅宣言に意外そうな顔のルーク。
「うん。ロシオッティの言ったことを噛みしめたいし、それにコロナを長い間一人にするわけにもいかないし」
ことも何気に答えるバド。
双子の姉への思い遣りを、気負いも何もない当然のことと言わんばかりの響きに、ルークも師として気前のよい所を見せてやらねば、と思い立つ。
「なら、チャボも連れて行けよ。そっちのほうが早く帰れるだろ。
ついでに、エサも頼むわ」
従順に傍に立っているチャボを指差したルークに、バドは意外そうな顔を向けた。
「いいの? 俺はドミナの町経由でマイホームに帰るだけだから、大したことないよ。
師匠の方が大変じゃん」
「いいんだよ。師匠は、体力あるからな。大したことねぇって。
お前、まだ体小さいんだから甘えとけよ」
人の上に立つ者の自覚がルークを成長させるのだとしても、この寛大さは称賛されるべきであろう。
思いもよらないルークの厚意に、バドも自然と頬を緩ませる。
「ありがとうございます、師匠。では、お言葉に甘えさせていただきます」
拝み倒すとき以外に敬語と「師匠」という言葉を交えられたのは、最初に会った時以来である。
これからは、少しイタズラを減らすか。
その場で、バドがそう思うのに十分であった。
それが有限実行と相成るかは、未来での気分次第であるが。
「いいって。んじゃ、チャボ。バドと一緒に戻ってやれよ。
……心配すんな。次は、町みてぇだからな」
別離に不満で、自分に頭を擦りつけるチャボにも、ルークは寛容な姿勢を崩さない。
別れの挨拶も兼ねながら、くりくりとした瞳をなるべく大きくさせるようにルークはわしゃわしゃと撫で続けた。
「それじゃ、師匠。気を付けて戻ってきてくださいね」
チャボに乗ったバドは、名残惜し気にルークを見やる。
「ああ。そっちも、家とコロナのことよろしくな」
ルークは、笑顔で手を振った。
こうして、主と従者は、異なる道を歩む。
そして、ルークは、できたばかりの月夜の町ロアに赴くのであるが……一人でない方が良かったと若干後悔することになった。
*
まずルークは、町の入り口近くの武器屋に行って、武具を新調した。
全てミスリル銀で鋳造された武具であり、その銀色の曇ることない光沢に、ルークは新品を購入した時の高らかな胸の湧き上がりとともに、顔がくしゃくしゃになるほどであった。
大剣、兜、鎧、小手、具足を装着したが、ルークの身は以前の装備よりもずいぶんと軽くなった。
それは、ミスリル銀が粗悪であることや、お金が大量にかかったからではないのは、ルークにも分かっている。
ルークは、少し背徳感を覚えながら月夜の町ロアを歩く。
葡萄色に染め上げられている街の全景が、ほんのりと輝く白色や淡い黄色や水色のランプによって、雅に照らし出されていた。
そこに、満天の星を家来にした満月が、翠色のシャワーを町全体に浴びせている。
言うまでもなく夜の町を出歩いたことのないルークは、そんなほのかな光と建物の色彩の醸す雰囲気に酔っていた。
何となく、自分一人で来て良かったような妖しい高揚感とともに、ここに来ても良いのかと気後れしてしまうような、そんな妙な気分になりながら町を歩いていた。
しかしながら、町の上段に差しかかろうとした時、そんなどこか切ないながらも心地好く、しかし落ち着かない雰囲気は、一気にブチ壊されることになる。
「おお、リュミヌーよ! 君のひとみは星のかがやき!」
音程の外れた喧しい歌声とともに、不協和音を撒き散らすギターの音色が、二重の不快なハーモニーを奏で、ルークの耳を劈いた。
(超うぜぇ……)
月夜の町に快く吞まれていたルークは、顔を顰めながら、騒音の出所を見やる。
馬がいた。しかし、四足歩行で人間を運んでくれる従順な馬ではない。
四足歩行ではあるが、さらに余計な二本の腕がついて、ギターを弾いているケンタウロスとかいう奴だ。
洒落た緑色の帽子を被り、そこそこ端正な顔立ちではあるが、もはやルークの心証が良い方向に傾くことはない。
「ヘタウマ」という言葉がしっくりきた。技術的な稚拙さが、却って個性や味となっている様を指す言葉だ。本来は。
しかし、残念ながらこの場合、「下手上手」という漢字ではなく、「下手馬」という漢字を宛てなければならない。
ルークの頭に、屋敷で読んだ児童漫画のいじめっ子の「ホゲー!!!」という音痴な歌声を思い起こさせるのに十分過ぎるほどであった。
歌詞の内容は、愛歌であろうが譜歌であろうが関係ないということを、ルークは耳を塞ぎながら思い知らされた。
ケンタウロスは、大声で喚き散らして、ルークの疎まし気な視線を引いた後は、無駄に暗くなりつつ詩を朗読する。
「天空高くにボクを誘い……
求めれば近く、胸にみちるとも、
抱きしめれば、はかなく、この腕をすりぬける……」
この辺りで、ルークは近くの店へと避難した。
*
ルークは、この町を取り戻した気分になっていた。
避難先は、幸いにして、月夜の町ロアと地続きだったのである。
もっと言うならば、防音効果の優れた素晴らしい材質のドアであった。
だから、ルークは、町の中よりも赤、黄、青、緑と緻密に計算されて陳列されているであろうランプ屋にしばらく留まることにする。
「いらっしゃい。ランプ屋へようこそ」
(すげぇ、美人……)
煌びやかなランプ屋では、店主もまた繊細な優美さを誇る。
白い花々をあしらった派手過ぎに、美しさを引き出す桃色の帽子。
腰まで届く茶髪の髪。控え目ながらも、華美を際立たせる見事な化粧。
肩を丸出しにし、胸元を見せつけるかのような煽情的な薄いピンクの服。
カウンターに立っている彼女の下半身を覆うズボンも白色で、上半身の桃色と見事なコントラストを為し得ている。
しかしながら、ルークにはわかる。
綺麗な店主の最も特徴的な、背中から出ている三叉六つの羽根が、彼女もまた純然たる人間ではないということが。
しかし、羽根の先端ごとに、紫陽花のような花が優雅に咲き誇り、むしろ流麗さをさらに引き上げている。
確か物語に出て来るセイレーンがこのような感じだったなと、ルークは思い出す。
そして端的に言って妖艶な店主に、ルークは見とれていた。
「ランプを買いに来たのですか? 一つ1000ルクになりますけど?」
セイレーンの外見にそぐわぬ透き通るような、そして僅かに期待に弾んだ響きは、ルークに思考を取り戻させていた。
「へ? ああ……買いてぇには買いてぇけど……さっき剣とか鎧とか買っちまって今金がねぇんだよな……」
武具を購入したことに後悔はないが、この町に来た記念に一つぐらいランプを買いたかったな、と残念がるルーク。
すると、そのセイレーンも少しガッカリした顔になった。
「はぁ~、そうですか。
あと6個くらい売れて欲しいモンなんだけど。
……あたしもう、こんな店閉めて、どこか他の町へでも、行こうかしら」
「い、いや、いきなり何言ってんだよ?」
随分と思い詰めた溜息を吐かれたセイレーンの言葉に、ルークも慌てた。
彼女が溜息を吐くと、煌々としている店全体のランプもどこか弱々しい光のように感じられてしまう。
しかし、そのセイレーンの嘆きを聞いたのは、ルークだけではなかったようで、
「おお~リュミヌー。なんてバカなことを言うんだ~
キミはボクのことも忘れようと言うのかい~
愛の詩人ギルバートのことを~」
「げっ! お前は……」
先ほどのケンタウロスが入り口から入って来て、ルークは苦い顔になる。
このセイレーンの名前がリュミヌーとわかったことで、初めてコイツの存在意義ができた、と密やかにルークは思う。
そして、ケンタウロスは、ルークを押しのけて、リュミヌーに囁きかける。
「ボクはこの町の星空の下で、君と語らう甘い時間がなければ生きていけないよ、ハニ~」
「でもギルバート。ランプ売れなきゃ、オマンマの食い上げちゃん」
ケンタウロスはギルバートと言うらしい。
こちらは大変どうでもいい情報であるが。
「わかったよ、ハ二~。ランプ6個でいいんだね~。ボクが売ってきてあげるよ~」
「あら、ありがとう。それじゃ、お言葉に甘えさせていただくわ」
「ハ二~、待ってておくれ~。ランプが売れたら、二人は甘い時間に沈んで行くのさ~」
ランプを6個受け取ったギルバートは、とっとと店の外へと出て行く。
ギルバートの、ルークにとっては気色の悪い猫撫で声に、リュミヌーは満更でもない顔を浮かべていた。
「ギルバートって優しい。でも、ちょっとヘン」
そして、こう呟かれたのであった。
(別に、この女に惚れたってわけじゃねぇけど……なんか納得いかねー!)
ルークは、上品なリュミヌーが下品なギルバートに惚れるよりは、ガイが女性に抱きつけるようになるようになった方がよっぽど自然な気がした。
リュミヌーこそ、キレイ。でも、ちょっとヘン、とルークは確信する。
そして、ランプを買う用事もないし、何より騒音公害も消えたわけだから、とルークも不条理に明るさを取り戻したランプ屋を後にする。
*
「やぁ、キミ、これを受け取ってくれたまえ~」
条理を掻き乱されたルークは、店を出た後、その原因たるケンタウロスに背後から話しかけられた。
「あ?」
後ろからの甘声の主を睨み付けるルーク。
しかし後になってから考えれば、この時振り向いた時点でルークの負けだったのかもしれない。
「キミもリュミヌ~の話を聞いたからには、放っておけないハズさ~。
6個のランプ、キミとボクとで半分ずつ売って来ようじゃないか~
ボクはハ二~のため、ジバラを切ってランプを買い取るけど、キミは売って来てくれたまえ」
ギルバートのさも当たり前のことを言っているかのように、こちらに3個のランプを押し付けた。
その様に、
「知るかんなこと! テメェが頼まれたんなら、テメェでやりやがれ!」
ルークはキレた。
しかし、その怒声は、
「オー マーイ ガッ!
キミは不幸な人を捨て去るような人間じゃない!!
もっと自分の心に素直になって!!」
ギルバートに常識を取り戻させるには至らなかった。
そして、よくわからない理想像を押し付けられるとともに、改めてランプ3つが突き出される。
しかし、その程度でルークが折れるはずもない。
「はっ! 生憎と俺はそんな親切な輩じゃねぇんだ!
テメェで売るか、別の奴に頼むんだな」
そう吐き捨てて、とっとと歩き去ろうとする。
「むぅ……残念だ。3つ売ってきてくれたら、プレゼントがあったのにな~。
まったくもって、不幸なことだ」
プレゼントというフレーズには、ルークも弱い。
ピタリと止まった足が、再びギルバートの方に向くべきか迷うほどには。
しかしながら、理性は告げる。
こんな奴からのプレゼントは、どうせ大したもんじゃねーだろ、と。
「……なんだよ、プレゼントって?」
ルークは、期待を持つほどには純粋であり、しかし猜疑を忘れないほどには警戒していた。
だが、瑠璃からの苦いまんまるドロップの思い出が、疑心の方をやや優勢にしていたが、
「これを見てごらん」
ギルバートが懐から何やら金属の物体を取り出して、ルークの心中の趨勢が逆転する。
「こ、これは……」
「気づいたかい? もしも、キミが売って来てくれるなら、これを上げてもいいんだけどな~。
でも、キミがダメって言うなら仕方な~い。リュミヌーのプレゼントにでもしようかな~?」
『震える銀さじ』。紛れもなくアーティファクト。別の場所に行けるアイテム。
ルークにとって、喉から手が出るほど欲しい。
ガリッっと砂を本当に口の中で噛んだ気分であった。
ムカつくムカつくムカつくムカつく!!!
けど、欲しい!!!
でも……
こんな奴の、恋路のために協力せねばならないと思うと、プライドが……
ルークは悩んだ。
ギルバートからそっぽを向いて、百面相のように表情だけを変えた。
目尻、鼻、頬、口角……どれだけ皺が生まれて消えたかわからない。
地団駄を踏みたかった。壁を殴りつけたかった。
けれども、交渉相手の機嫌を損ねてはならないのは、ルークは本能的に把握している。
そんな姿を見せてへそを曲げられてしまうのは、損である。そんなのは言うまでもない。
唯一ギルバートの目に見える行動として頭を抱えて、紅の長髪の髪を思い切り搔きむしった。
そして、一通り頭に指を通した後、勢い良く振り返って、勢い良く伝える。
「わぁったよ!!! 俺が売って来てやるよ!
その代わり、絶対そのスプーン、誰にも渡すんじゃねぇよ!」
「やったね! キミってセクシーでイカしてる~」
ギルバートは嬉々として、ランプをルークに手渡した。
渡されるランプのずっしりとした重みは、ルークの心にも圧し掛かった。
(ああ~~~~~~~~~~~~~!!!!!!!!!)
ついでに、手さえも、悶々を発露できる器官として失われてしまった。
*
さて、誰に売りつけようか?
当然ながら、商売のノウハウも伝手もないルークとしては、道行く人に売ればいいんじゃね? ぐらいしか考えつかなかった。
しかし、随分と夜も更けた月夜の町。
出歩いているのは、クマのぬいぐるみがそのまま歩いているような、いわゆるアナグマとかいう奴らしか見当たらない。
(ま、適当に売りつけっか)
種も仕掛けもない体当たり作戦で、ルークは声をかける。
「おい、お前。ランプいらね?」
アナグマは、振り返る。
乱雑な言葉で、ダルそうに、ランプを押し付けるようなルークに、
「ぐげ」
いつもは初対面の人間には「ぐま!」と挨拶するアナグマでさえ、躊躇なく嫌悪の意を示す。
まるで馬鹿にしたかのように、口を大きく開けて、赤い舌を見せつける。
舌こそ出していないが、間違いなくあっかんべ~、と同義であった。
いきなりの拒絶を想定していなかったルークが硬直している間に、アナグマはその場から去って行く。
「な、なんだよ。何がいきなり『ぐげ』だよ!
もういい! 次だ、次!」
怒りを溜め込まずに、拒絶にもめげないルーク。
それはそれで切り替えが早いと称賛されても良いのであるが、
「ぐげ」
「ぐげ」
「ぐげ」
原因を検討せずに失敗を重ねるというのは、愚策であった。
そう謗られても仕方ない。
「くっそ~!!! 言葉も通じない奴にどうやって売れっつーんだよ!」
会うアナグマごとに、ぐげ、ぐげ連呼され、苛立ちを隠せないルーク。
そして、その耳元には、
「リュミヌ~、キミをハグしたい~」
依頼主のケンタウロスの下手な歌声が遠くから響き、より一層火山が刺激される。
(あ゛あ゛~~~~!!!! ムカつくムカつくムカつく!!!)
ボキャブラリーが死んだ。
落ち着いた雰囲気の紫の町で、場違いなほど真っ赤なルークが確かにそこにはあった。
*
ギルバートの醜声から逃げるように、ルークは、路上のバーの『悪魔のぼったくり亭』に行きついた。
そこで飲食していたアナグマに声をかけるも、やはり、ぐげ、の返答ばかりである。
そして、腹を立てて、ゲシゲシと思い切り石畳の地面を踏みつけているとき、
「ははは、そんな怖い顔をしていたら、お客さんだって逃げてしまいますよ」
全身がパズルのピースで作られた……バーの主人がルークに声をかけてきた。
「な……なんだよ、お前は?」
咎められたというよりは、その風貌の異様さに慄いて、ルークは反射的に訊き返す。
これまで様々な生物の人と接触してきたが、魔法生物は初めてなのであった。
しかし、『悪魔のぼったくり亭』のマスターは、ルークの問いを別の意味に捉える。
「商売をする者、お客様には、笑顔で丁寧に。単純ですが、これが鉄則です。
あとアナグマたち相手に商売をするならば、彼らの言葉を知っておいた方がいいでしょう」
パズルのピースの窪みで常に笑顔を湛えさせられているマスターの言葉だと、イマイチ説得力は湧かない。
とはいえ、ランプを売って、アーティファクトを貰えるチャンスと言うならば、ルークもマスターの言葉を無下にはできなかった。
「……あいつらの言葉に意味なんてあるのかよ?」
「もちろんありますよ。アナグマたちは、独自の言語を持ち、彼らなりに意思疎通をしているのです。
そして、彼らの言葉で接してくる人には、必ず興味を持ちます。
……どうでしょう。アナグマたちの言葉、お教えしましょうか?」
断る理由はなかった。
*
ルークは、いつも日記をとっている手帳でメモを取った。
『ぐま!』→あいさつ、YES
『まっ!』→NO、ダメ、さようなら。
『ぐ~』→あなた
『ま~』→私
『ぐまぐまま』→友達
『ぐまぐま』→アナグマ
『まぐまぐ』→アナグマ以外の生物
『んぐ』→光や星
『んま』→闇や夜
『んぐんま』→ランプ
『ぐままままー』→たくさん
『ぐ』→少し
『ぐーまー』→音楽
『ぐまー』→どうぞ
『ぐげ』→嫌な気持の表現(この時、ルークは顔を歪めた)
『ま?』→疑問
『んぐんま ぐまー ま?』→ランプを売る時。
つくづく日記を常備していて良かったとルークは思う。
こんなにたくさんの言葉を一気には覚えられない。
「ははは。では、言葉がわかれば、後は笑顔です。
これであなたも商売上手になれますよ」
「へ~。んじゃ、面白かったぜ。早速売りに行ってみるわ」
「いってらっしゃい。商売繁盛をお祈りします」
*
「ぐま!」
ルークは威勢良く近くにいたアナグマたちに挨拶をした。
口元はかなり引き攣っていて、随分とぎこちない笑みであったが、それでも頑張って笑顔を作っていることに変わりはない。
すると、これまで見向きもせずにぐげとばかり返していたアナグマも、
「ぐま!」
まるで相手を尊重するかのような真摯な目つきでルークの挨拶に応える。
そして、その挨拶を不思議がったのか、
「ぐ~ ぐまぐま?」
あなたはアナグマ? と訊いてきた。
「まっ」
呑み込みの早いルークは、メモを読み返すことなく瞬時に否定する。
(お~、こうして言葉が返ってくるだけで、楽しいじゃねぇか)
心の中でルークは、いつにないほど素直にアナグマとのコミュニケーションを面白がる余裕ができていた。
「ま~ んま ぐま!
ぐ~ んま ぐま! ま?」
(へっ、こっちは夜や闇が好きだけど、俺はどうかってことか?)
確かにあのケンタウロスさえいなければ、この町の雰囲気は嫌いではない。
なのでルークは素直に、
「ぐま!」
と答えた。
アナグマは、意気投合できる相手を見つけたとばかりに興奮して話し続ける、
「んま んぐ ぐまままま ぐ~ ぐま! ま?」
(夜は星がいっぱいだけど、あなたは好きかってか?
ま、頷いた方がいいだろ)
「ぐま!」
だんだん商売のコツがわかってきたルーク。
そして、ついに、
「ぐ~ ま~ ぐまぐまま ぐま!!」
(あなたと私は友達……よっしゃ! これでうまくいけるぞ!)
「ぐま!」
アナグマと友達になれた。
「ぐま!!」
アナグマはルークの抱えているランプを物欲しそうに見つめている。
良い頃合いだと思ったルークは、
「んぐんま ぐまー ま?」
ランプを売りつける。
アナグマは、ぐま! と返した後、懐からお金を取り出して1000ルクをルークに渡す。
「ぐま!」
ルークは、自然と朗らかな笑みを浮かべて、商売の成功を確信した。
*
それからルークは残った二つのランプをすぐに売り捌いた。
星空や音楽が好きなアナグマには、自分もそうだと言い、肯定的な回答を続けてすぐに友達になれた。
人間が少しキライなアナグマには、そんなことはない、と彼らの言葉に目線を合わせて真摯に対応。
どちらの場合も、アナグマの言葉で話しかけているのが功を奏したのか、呆気ないほどにうまくランプを売りつけることができた。
ランプを買ってもらうために、友達になったり、少しばかり嘘をつくのは申し訳ない気もしたが、喜んでランプを買ってくれるアナグマを見て、ま、いいか、と思えるようになったルーク。
ともあれ、ランプを売り切って、3000ルクというずっしりとしたお金を受け取ったルークはほくほく顔で、より煌びやかに感じられるようになった月夜の町を戻って行く。
燦燦と朗らかな光を照射する緑の月が、清々しくて気持ち良い。
もっとも。
「売って来たんだね~
キミはボクが信じた通りの人間だったよ!」
この馬のために売って来たことを思い出せば、清々しさも吹き飛ぶが。
苦虫を噛み潰したような顔をするのは、何度目であろうか?
嫌悪を撒き散らしながら、ルークは3000ルクを手渡す。
しかし、ギルバートはルークの表情などどこ吹く風だ。
「さぁ、リュミヌー! 心の扉を開くときが来た!
キミもいっしょにおいでよ!」
「いや、行かねぇから。さっさと、そのアーティファクトよこせっての!」
コイツの恋路の行方など知ったことか。
というより、あの音痴な歌声を延々聞かされるとは、何の拷問だ。
ルークの怒りの籠った声に、ギルバートは、
「つれないな~。でも、二人だけの甘~い時間って言うのも一興か。
わかったよ~。これが『震える銀さじ』さ」
適当に良い方向に解釈しながら、報酬となるさじをルークに投げ渡す。
『震える銀さじ』
柄の部分が猛牛の角を持った巨獣の頭部を模している以外は、普通のさじと変わりはない。
しかし、巨獣の無機質で剣呑な目つきからは、禍々しさを感じらえる。
さじの用途としては、食物を掬うためなどではなく、死者に奈落の洗礼を与えるために使われる銀さじである。
そして、死者を拒んだ者の魂が宿ってしまうと、震えて使えなくなってしまう。
それ故『震える銀さじ』と呼ばれてるのであった。
さじをキャッチしてから、今までにない不吉な予感が胸の中を渦巻き、ルークは落ち着かない気分になった。
これを使うのは、少し後回しにするか。
そう思うほどには十分であった。
ギルバートは、もうルークなど知らん顔で、いそいそとリュミヌーいるランプ屋に入っていく。
ルークはルークで、清々したという気持ちになって、宿を探しに町を下ることにした。
*
いつもとは違う、けれど幻想的な緑色の月の光。
その光の下で、二人はいつものように歌い合い、互いの調べを奏で合う。
一曲歌い終えた後、二人は互いの夢を語り合う。
「ねぇ、リュミヌー、ボクの夢を聞いてくれるかい?」
「ええ、ギルバート、二人の夢を語り合いましょう」
ギルバートは、他人を使えば、アナグマや、デザイナーを雇ってランプを大量に作らせれば、大金持ちになれると語る。
リュミヌーは、自分で手間暇をかけてランプ作りに没入し、自分のランプを買ってきてくれるお客さんのためにユニークなランプを作りたいと語った。
毎日遊んでる気分。お金はないけど、これが私。
それを聞いたギルバートは、寂しげな表情をリュミヌーに向ける。
「……キミには夢がないのかい? キミと話していると、ボクは寂しくなってしまう……」
「……私は毎日、楽しい夢を見ているわ。あなたと話していると、今の自分が否定されているみたい」
「夢を持とうよ、リュミヌー。今のまま閉じこもっているのは良くないよ……」
「私の夢、夜の夢、楽しい夢、それは全部あなたには見えない嘘の夢なの?」
ギルバートは、絶望的な壁を感じた。
自分の持っている大望と、リュミヌーの描くささやかな夢とでは、あまりにもかけ離れている。
マナの木の映し出す鋭利先鋭な真実の光は、ギルバートの心で受け止められるものではなかった。
これではだめだ。
ボクとリュミヌーとでは世界が違い過ぎる。
見えているものが違い過ぎる。
感じているものが違い過ぎる・
月夜の町ロアという蛍袋のランプは、確かにお互いの実態を曝け出してしまった。
そして、ギルバートは一瞬俯き、強い決意を込めて切り出す。
「……ねぇ、リュミヌー! 二人のハーモニー、うまくかなでることができないね。
ボクはこの町を出るよ! 新しい愛をさがしに行くよ! ボクには愛が必要なんだ!」
ずっとリュミヌーとともにこの町で育ってきた。
その美しい姿、その美しい歌声に魅せられてともに歩んできた。
しかし、だからこそ。
目指す方向が違うとわかった時には、袂を分かつ必要がある。
それがお互いのため、それがすれ違った愛に対するけじめである。
ギルバートは、そう考える。
「まぁ、ギルバート、あなたって少しケイハクかも。
あなたがいなくなったら、私も少し沈むかもしれないけど、それぞれの愛を探しましょう」
リュミヌーは、驚いた。
けれど、彼の決意の声はもはや揺るがないものだと瞬時に悟る。
子供のころからの長年の付き合いだ。すぐにわかる。
だから、セイレーンの羽根を少ししおれさせながらも、説得することなく別れを受け入れるのだ。
「さよなら、リュミヌー! 君のことは忘れない!」
「さよなら、ギルバート。さよなら」
リュミヌーは手を振って、ギルバートを見送る。
そして、せめてもの別れの唄を贈ることにした。
ギルバートは脇目も振らずに疾走していく。
この町に未練を残さないように。
この町から出る躊躇いが生じないように。
そして、響いて来るリュミヌーの歌声に意識を傾けないように。
ケンタウロス特有の俊足をいかんなく発揮する。
……そのスピードが速すぎて、途中で紅の髪の少年を跳ね飛ばしてしまったが、悲恋に暮れるギルバートが気付くことはなかった。
*
「ててててて……なんだよ、あいつ!」
パカラパカラっと馬特有の疾走音が響いてきたと思ったら、背中に強烈な衝撃が走るとともに、視界は紫色になった。
痛みに呻きながら、抗議の声をあげようとした時には、既に件の馬は見えなくなっていた。
ルークはこの町での出来事を振り返る。
ランプを売らされた挙句に、なんか奇妙な形のアーティファクトを渡された。
そして、ギルバートの醜声をリュミヌーの美声が打ち消し合うという意味不明な鍔迫り合いを聞かされた後、さて宿屋はどこかと思ってキョロキョロしていたら、恩人たる自分がいきなり吹き飛ばされたのである。
(あのくそ馬……)
ルークがそう悪態をついたところで誰が責められようか。
しかし、もう、文句を垂れることができる相手は存在しない。
バドも、チャボもマイホームに帰ってしまった。
だからせめてこちらの耳を優しく愛撫するリュミヌーの歌に意識を傾けよう。
ルークはそう思った。
そして、セイレーンの、精錬された、清廉な歌声だけが、ルークの荒んだ心を慰めるのであった。
何で思いつくんでしょうね? ダジャレが。日常生活でそんなに使ってないんですけど……不思議です。
まっ!
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11.「楽器作成」と「岩壁に刻む炎の道」前編
たまにハーメルンに来てみたら、エライUAとお気に入りの数にビックリのニコッとテイルズです。UAは毎日3桁、お気に入りは100もいけばいい方かなと思っていたので、尋常ではない数に驚きというより慄きました。土日のUAの値が高いところを見るに、やっぱり休日にご覧になっている方が多いようですね。年齢層もある程度は察せられます。
翌朝、ルークが宿を出ると、この世界で初めて会った道化師のような詩人、ポキールがいた。
「おわ! なんだよ、お前!」
脊髄反射的なルークの問いに、
「君は生きたまま奈落へ行けるとしたら、行くかい?」
ポキールは別の質問で切り返す。
ルークはムッとした。
自分の質問をこの鳥男に無視されたことに、イラっとしたのである。
なので、
「んぐんま ぐまー ま?」
昨日何度も唱和した「ランプどうぞ?」と、アナグマ語で訊ねてみた。
どうだ、これなら返せないだろう! としてやったりの表情をしていると、
「ぐ~ んま ぐま! ま?
ぐまぐまま ぐ ぐげ ぐま!
ぐ~ ぐま!」
ポキールはアナグマ語も流暢であった。
ペラペラ過ぎて、ルークは聞き取れなかった。
ちなみに、「あなたは夜(闇)ですか? 友達が少しなのは嫌です! あなたは、Yes(又はあいさつ)!」
と訳すことができる。
その意表を突いた言い回しに、文字通り面食らったルークが瞬いてしまうと、
「あれ?」
またしても一瞬でポキールは消え去った。
「くっそ~! なんなんだよ、あいつは! 揶揄(からか)いに来たのか?」
揶揄ったのは自分なのを差し置いて、ルークは愚痴る。
まぁ、ポキールからしてみても、強ち間違ってはいないが。
*
なお、町を出ようとするルークに、声をかけたのはポキールだけではなかった。
「すみません。ちょっとよろしいですか?」
青いローブを着た少年が話しかけてきた。
「あん、何だよ?」
微妙に機嫌の悪いルークは、少し睨み付けるようにそちらを向いた。
「ちょっと、学校の課外実習を手伝ってほしいのです。
この辺りで、楽器を作れるようなスペースを知りませんか?」
「楽器を作る、スペース?」
「はい、スペースです」
楽器を作る場所ではなく、スペース、とはまた奇妙な問いかけである。
ルークの頭に思い浮かんだのは、マイホームにある廃墟のような小屋であるが、
「……かなりボロっちぃけど大丈夫か?」
「はい。スペースを作って、実際に楽器を作るのが課題なので」
普通に考えれば、かなり奇天烈である。
しかし、学校を知らないルークからすれば、常識の尺度がないため、特に疑問を挟むことはなかった。
「ふ~ん。なら、ウチ来いよ。
あんなボロ小屋なら、いくらでも使っていいからさ」
「ありがとうございます。恩に着ます」
深々と頭を下げた学生とともに、ルークは一旦マイホームに帰宅する。
*
ルークがマイホームに帰宅して、半日ぐらい眠った後、再び小屋を訪ねてみると、既に魔法楽器作成室ができていた。
「すげぇな……」
廃墟の小屋の一室を開拓し、天井高い円形の部屋に、巨大なパイプオルガンが鎮座する。
しかし、このオルガンは単なるお飾りのようなものらしく、本当のメインは、傍らにあるハープ、マリンバ、フルート、ドラムの方らしい。
これらの楽器に精霊の力を宿せば、魔法が使えるとのことだった。
「は~ん」
要するにこの楽器は譜業だな、とルークは解釈した。バドとコロナも使用していたので特に違和感はなかったのである。
オールドラントの世界での常識で解釈すると、譜術という魔術的奇跡を、譜業という楽器で具現しているというかなり画期的なことであるのだが、ルークは無自覚であった。
「すみません、もう少しだけ付き合っていただけませんか?
精霊を確保したいのです」
「え? 精霊って会えるのか?」
幸か不幸か、ルークは己の世界でも音素(フォニム)が一定量集まれば、意識集合体ができることを知らない。
もっとも、未だに別世界にいることさえも気づいておらず、屋敷を探すという目的さえも投擲しているので、徹底的なまでに違和感に鈍感であるのだが。
「ええ。人里離れたところに行けば」
「へ~。それなら、会ってみたいもんだな。案内してくれよ」
「はい、こちらこそよろしくお願いします」
好奇心の塊であるルークは、もはや何らの躊躇もない。
珍しい存在=会うべきという図式がすでに脳内で確立しているのである。
早速、二人は、マイホームを発った。
*
「んで、何でここなんだよ? 人里に近いじゃねぇか」
「ここは、結構穴場スポットなのですよ」
ルークの呆れた問いかけを学生はものともしない。
ここは、ドミナの町の町はずれ。ルークとしては、チャボとバドとコロナに会えた思い出深い場所である。
ヒナを追い回したことも、くっきりと残る地割れの跡も記憶に新しい。
まだ日は浅いが、軽く懐かしさを覚えていると、
「あ、いました。ウィル・オ・ウィスプです。2体もいるなんて珍しい」
「へ~。あれが精霊って奴か」
水色の炎に、人の顔を宿したような光の精霊がそこにはいた。
話しかけてみっかーと、徐(おもむろ)に近づこうとするルークの服を学生は引っ張って止める。
「……なんだよ?」
「そのまま近づいたって、精霊は消えちゃうだけだよ。
こっちまで誘き寄せないと」
「どうやって?」
「楽器さ。このマリンバを使ってみて。そして、精霊たちが気に入る曲を弾いてみるんだ」
学生は、小さな木琴を取り出してルークに手渡した。
そんなもんかー、とルークが取り敢えず適当な調子で木琴を叩いてみることにした。
しかし。
というより、案の定―――
「……離れていくね」
「なんだよ! せっかく楽しいリズムにしてみたのに!」
楽器を弾いたことのないルークでは、精霊を魅了することはできなかった。
かなりのスピードで、精霊たちは離れて行く。
「リズムを変えてみて。今度はもっとゆっくりと。穏やかな感じでさ」
「……わぁったよ」
ルークは木琴を叩くスピードを落とした。
そして、なるべく穏やかな旋律になるように素人なりに工夫を施してみたが―――
「あ゛ーーー!!!」
「……おかしいな。少しくらい興味を持つはずなのに」
ウィスプたちはより離れて行った。もう人が10人分から15人分くらいとった距離である。
学生は、曲の調子を変えれば精霊たちは興味を示す、と講義で習った通りに行かないことに首を傾げた。
「今度は、悲しい感じで……」
「こうか?」
「そうそう……あれ、これでもダメ?」
「くそっ! じゃあ、これならどうだ!」
「あ……不思議な感じ……ええ!? これでもダメ!?
あなたどれだけ下手くそなんですか?」
学生は仰天して、ルークに思わずダメだしをする。
机上の勉強と実習は違うと言うが、ここまで顕著な差が出るとは思わなかったのだ。
もう精霊たちは、20人分くらいの距離が離れている。
しかし、そのダメ出しで、ルークはむくれてしまう。
「なんだよ! じゃあ、お前がやれよ!
もう~、俺はやだ!」
「……そうですね。では、ボクが引き付けるので、近づいたら精霊に話しかけてください」
「……はいはい。とっとと惹き付けろ!」
なんだかんだで精霊に触ってみたいが、楽器を弾くのはもう嫌だと思ったルークは匙を投げる。
ちなみに、ルークは、ダメだしされたこと自体で大きく心が傷ついたのではない。
楽器を弾くのが下手というのが、昨日の不愉快極まりない馬と共通項ができるみたいで嫌だからこそむくれてしまったのであった。
結局、『楽しい曲』を主旋律で奏でた時に、ウィスプたちは最も良く惹きつけられた。
それでも、まるでリズムをじっくり楽しむかのようにゆっくりゆっくりと精霊たちはにじり寄って行く。
学生が、『穏やかな曲』『悲しい曲』『不思議な曲』と、3種類を試した後の一番最後の調べであったため、ルークの苛々も最高潮に達していた。
そして、ほとんど、楽器と接触するほどの距離になった時に、
「今です! 消える前に急いで!」
学生の合図を受けたルークは、鳥ヒナを捕まえた時のような般若の形相で、一体の精霊に接触する。
一瞬ウィスプは、ビクッとしたが、しかしルークにコインを3枚手渡す。
掌に突如として降ってきた銀貨3枚を、ルークは見つめる。
その間にウィスプは、用が済んだとばかりに虚空へと消えて行った。
「これでおしまい。お疲れ様。本当に」
「……ああ。疲れたぜ、まったく」
町はずれはなんだかんだでストレスのたまる場所であると、双子とチョコボをついでに思い出しながら、ルークは溜息を吐く。
しかし、苦労した後には、それなりのご褒美が待っていることは忘れていた。
*
マイホームの小屋に戻った2人は、仕上げとして魔法楽器を作ることにした。
金属や木材など、原材料に、先ほどもらった精霊のコインを混ぜれば、楽器が完成するらしい。
「じゃあ、俺でも魔法が使えるってことか?」
ルークは譜術の勉強が嫌いであった。
ヴァンも特に譜術について学習するように勧めたことはない。
なので、勉強嫌いの延長線上として、高度な理論を覚え込む必要のある譜術を学習しないのはルークにとって当然のことであった。
「はい。楽器を奏でるだけで、精霊たちは味方をしてくれますよ。ただ……」
言いにくそうに言葉を区切る学生。
その表情から、ルークが察するに十分であった。
「……俺が楽器を弾くのが下手くそだってか?」
「……はっきり言ってしまうとその通りです」
そう断言されて、ルークの顔は歪む。
楽器に纏(まつ)わることだと、昨日から不愉快続きであると思った。
「おそらく楽器を弾けば魔法自体は発動するとは思います。
ただ、その威力は減退するというか、かなり弱まってしまうでしょう」
実際に魔法学園にも楽器下手はいる。
彼らの魔法は見かけこそ普通の魔術であるが、高度に修練された学生や教師のそれと比べると、威力は段違いに弱いのである。
そう言う学生は、楽器の猛特訓をするか、諦めて別の道に進むかを選ばざるを得ないのだ。
ちなみに、バドとコロナの魔法の技術は大人顔負けであり、学園としても技術的な面だと、退学は惜しむべきことであったりもする。
魔法が使えても、弱いならば話にならない。
普通ならばそう考えそうであるが、こと戦闘に関していえば、ルークの頭脳はかなり回る。
なので、別の側面から使えないかと、ある質問をした。
「……なぁ。魔術って、譜陣を発動させることってできるんだよな?」
「ふじん? ……魔術が発動された後に残滓として残る魔法陣のことですか?」
「まぁ、名前はどうでもいいけど、とにかく魔法さえ発動できればその魔法陣をつくれるんだよな?」
「う~ん、魔法の種類によりますけどね。あれはあまり使えないので、研究されてこなかったんですよ」
「そうなのか? 俺みたいな剣士だと譜陣の上で技を使えば変化させることができるけどな」
「へ~。そんなことができるんですか」
学生も近接戦闘については詳しくないので素直に感心した。
もっとも、ルークの言っているFOF変化技を戦闘に取り入れるという発想はこの世界にはない。
実際は譜術士も譜陣を使ってFOF変化技を使えるが、ファ・ディールでは全くもって未知のことであった。
ルークは話を続ける。
「確かに、バドの岩の魔術だと譜陣はできねぇ。
けど、最初にコロナと戦った時、火の譜陣が山ほどできたんだよな。
なら、『地面と接触している魔法』ほど、譜陣が発動しやすいんじゃねぇか?」
バドの魔法だと、大量の岩が敵を吞み込むように発動するので、一か所に魔力が堆積することはない。
それに対して、コロナの火の魔法は、一か所を中心点に火炎を撒き散らすように発動する。
その時に、大きな火の譜陣ができたのであった。
「はい……言われてみればそうだった気もします。けど、それが何か?」
「ならさ、でかい魔法陣を発動させる魔法なら、俺でも戦闘で使えるんじゃねぇかって話だ」
FOF変化技はかなり強力である。
魔術を行使して任意に譜陣を発動できるならば、強力な技が使いたい放題ということになる。
なので、ルークとしては是非とも取り入れたいのであった。
「はぁ……そうですね。そう言われてみればそんな気もします」
聞いたことのない戦術をイメージできず、イマイチピンと来ない学生。
そこにルークは質問の核心部分に切り込んで行く。
「ならさ、光と闇の魔術で、『地面との接触の多い魔術』について教えてくれよ」
「……それは構いませんが、なぜ光と闇なんですか?」
「ヴァン師匠が言ってたんだ。光の譜陣は火と風の譜陣を兼ねて、闇の譜陣は風と水の譜陣を兼ねるって。
たった二つの魔法で全部のFOF変化技を使えるなら、かなり好都合じゃねぇか」
ヴァンからすれば、雑学程度に解説しただけで、まさか本当に使うとは思っていなかったであろうが、物覚えの良いルークの頭はここで最大限生かされることになった。
「……剣士さんのお話はよくわかりませんが、取り敢えずお聞きしたことについて今調べてみます」
「ああ。頼んだ」
学生は首を傾げながらも、鞄から魔法の図鑑を取り出す。
ついでに、原材料とコインの組み合わせでどの魔法が出来るのかも調べた。
そして、数刻後、ルークに結論を伝える。
「分かりました。
一つ目は、グランス鋼鉄でつくったフルートにウィスプの銀貨を組み合わせれば『ホーリースパーク』が発動できます。
これは、魔法使用者の任意の場所で、地面から光の爆風を起こす魔術です」
「へ~いいじゃん」
ルークはニヤリとする。
学生は続けた。
「もう一つは、メノス銅でつくったハープにシェイドの銀貨を組み合わせれば『ダークインパルス』を使うことができます。
横一直線上に闇の球体を発動させる魔術です。
……ただ、正直なところ、両方ともかなり弱いですが」
メノス銅とグランス鋼鉄は、一般でも普通に出回っている金属であり、その質自体、そんなに高いとは言えない。
加えて、精霊のコインは、金貨と銀貨に分かれるが、銀貨でつくった楽器の魔術の威力は金貨のそれよりも遥かに劣る。
魔術の見世物をしたいならばともかく、粗悪な金属と銀貨の組み合わせで作られた楽器を戦闘で使う人間はまずいない。
しかし、ルークはそもそも魔術の威力にこだわるわけではないので、魔術の内容だけで満足であった。
「それで十分だ。お前、シェイドの銀貨、持ってねーか?」
「一応ありますけど……ウィスプの銀貨を2枚いただけますか?
そしたら、シェイドとサラマンダーの銀貨をあげますから」
「わかった。交渉成立だな」
ついでにルークは、学生からメノス銅とグランス鋼鉄を購入した。
たまたま持っていましたけど売れる日が来るなんて思いませんでしたよ、とは学生の弁。
そして―――
まず、ウィスプのフルートをグランス鋼鉄で作製した。
名前は技名そのまま『ホーリースパーク』。
芸がないと言えばそうであるが、実用性を好むルークからすればどうでもいいことである。
次に、シェイドのハープをメノス銅で作製した。
もちろん名前は『ダークインパルス』。
目論見通りにいけば、これでルークは遥かに強くなるはずであった。
「僕も、自分の分は作れました。これで実習は終了です。
この部屋はご自由にお使いください。
では、僕はこれで……」
「ああ、じゃあな」
学生は、未知のことに山ほど触れられた実習であったが、それをレポートにまとめることはなかった。
*
ルークは『炎』を選ぶ。
メキブの洞窟で真珠姫から貰い受けて以来、随分とご無沙汰であったアーティファクトだ。
難関や厳格さを伴う場所に思えたので、長らく敬遠していたのであった。
とは言え、手元に残っているのは『震える銀さじ』のみ。
このアーティファクトの不気味さと比較すれば、峻厳な地の方がまだマシと、ルークは考えたのであった。
『炎』は、ジャングルの隣地に着陸する。
接地した途端、凍れる炎は始動し、四方(よも)に分かたれた。
分散した炎は、酸素を吸収してさらにその火力を強化する。
そして、再び凍れる炎の元に帰還し、白色の閃光が炸裂し、一瞬視界を奪われる。
ルークが目を瞑った後、その荘厳にして険しい標高の断崖の町が聳え立っていた。
そして、街全体に、炎の雨が降り注ぎ、大地を錬磨する。
『断崖の町ガト』が出現した。
「さて、行くか」
傍らにはチャボのみ。
今回は一人と一匹で旅である。
バドとコロナはお留守番だ。
*
断崖の町ガトに入ってすぐ、門前町に差し掛かった時のことである。
「もし、どうされました?」
身体全体を、それこそ目元と両手以外は真っ白な修道服で覆われた、この町でよく見かける修道女の一人が、
「お、おなかが、痛いの……」
赤茶けた大地に突っ伏している草人に屈んで声をかけていた。
「どうしたんだよ?」
ルークも自然と声をかける。
鳥ヒナを育てた経験、双子の面倒を見ている(と自負している)ルークは、小さい者の尋常ではない様子に咄嗟に声をかけるようになったのである。
「ああ、ちょうどよかった。この方が具合が悪いみたいなのです。手を貸してください」
ルークに振り返った修道女の安堵は、修道服で口元を覆われていても伝わって来た。
「うん、いたいよ~」
お腹を押さえながら草人は、苦悶を伝える。
「とりあえずそこの店で休みましょう。ほら、頑張って」
「そうだな。俺も手貸してやっから」
修道女が草人の背中をさすりながら励まし、ルークも手を差し伸べようとするが、
「うっう、も~だめ」
バタバタとせわしなく動く草人は、
「誰か何とかしれ~」
その勢いを険しい坂を上るのに使ってしまった。
「お、おい!」
「だいじょうぶかしら?」
二人は、結局草人の姿を見失ってしまった。
「きっとあの草人も、この険しい山道に疲れたのでしょうね」
「………………」
ルークは改めて辺りを見回す。
断崖の町ガトの大地は、まるで炎をそのまま固めたような色彩であった。
道という道は全て急激な勾配の坂であり、出歩くだけでも強制的な鍛錬をさせられている気分である。
『断崖』という枕詞が体現しているように、至る所に切り立つ崖があり、しかも転落防止用の柵などは張り巡らされていない。
出っ張った岩が辛うじてその役割を果たしているだけである。
出歩いている人間は、ほとんどが修道服を着ており、否応がなしに宗教都市であることを思い知らされる。
大地は炎色であるものの、しかしながら吹き荒びながら叩きつける空気は肌に響く。
どこまでもどこまでも厳しい大地であった。
こんな厳格さを体現したような場所だと、弱者はあっという間に蹴落とされてしまいそうだ。
確かに子供のような体格の草人が、心身疲れて体を崩してしまうのも仕方がないことかもしれないと、ルークは山道を見ながら思う。
屋敷のように、ガトの紅い大地が、下から暖まるような暖房の施されているカーペットであれば、草人の腹痛も幾分和らいだかもしれない。
生憎とそんなことはなく、高地特有の風が身体に染み込んでしまうだけであるが。
そんなことも思っていた。
ついでにヴァン師匠のことも思い出す。
あの厳しさの源は、ダアトという宗教都市が由来ではないか、と。
行ったことはないが、宗教都市は、修験を体現するためにこのような厳しい立地であることを実感したルークは、軽くそう予想した。
(そういや、ヴァン師匠はいまごろどうしてっかな? 俺を探してんのかな?)
少なくともここで祀られている神は、ローレライではない。
なので、この場所でヴァンのことを尋ねても仕方ないだろう。
少し寂しさが胸を衝いたが、そう思ったルークは、ひとまず先ほどの草人を追いかけることにした。
そして、歩き出した矢先、
「キュピッ!」
「ん? どうした、チャボ?」
後ろにいたチャボがふさふさの頭をルークの背中に擦りつける。
ルークが振り返ると、今度は嘴でルークのお腹を撫でるようにつついてきた。
「……ああ、俺も腹壊すなってか。
心配すんな。オレはそんな軟(やわ)じゃねぇよ」
ルークは、チャボの頭を撫で返しながら、そう言えば自分がへそ剝き出しの洋装であることを改めて自覚した。
(ま、コイツが気遣いしてくれたことだし、気を付けるとすっか)
冷たい風から守るようにお腹をさすり、ルークはガトの厳々とした大地を登って行く。
*
万が一の足の踏み外しに気を付けながら、ルークは紅い大地を登って行く。
すると、岩場の陰に佇んでいる男を発見した。
その修道服は、ガトの大地からそのまま生えてきたかのような火色。
頭を覆う帽子からも、燃え盛る炎を象ったような旋毛(つむじ)が棚引いている。
そして、胸を守るかのように腕組みをしながら、苛立たし気にコツコツと地面を踏み鳴らしていた。
どことなく瑠璃と雰囲気が似ているような気がして、やや敬遠気味の表情を浮かべたルークを、その男は認知する。
そして、静かな足取りで近づき、ルークに声をかける。
「俺はルーベンス。この町で炎の技師をしている。
ちょっとたずねるが……」
「……なんだよ」
ルーベンスと名乗った男は、厳格ながらも芯の通った声の持ち主であった。
しかし、
「癒しの寺院の炎が、狙われているらしいんだ。
君、外から来たんだろう? ここに来る前に、怪しい人物を見なかったか?」
「さっき腹痛そうにしてた草人がいたけど……それ以外は誰も見なかったぜ」
「草人? ああ、さっき走って来た? あれは、関係ないだろう……」
「だろうな」
「炎が狙われてるってのは、やっぱり、デマかな? 警部も大げさだからな……」
こちらを見ているようで見ていないような、そんな拒絶した雰囲気が伝わってくる。
話しかけてきたのも、形式的に仕方なく、という感じ。
ルーベンスは、質問を終えると、先ほどの岩場の陰へと戻って行く。
(瑠璃よりは丁寧……だけど、それ以上に……)
ルークはここまで来るまでの間、数多くの人と接してきた。
その多くは、真珠姫や双子のような純真な心の持ち主である。
なので、ルークは、純粋な人間がどういう表情をとるか、感覚的に知覚していた。
だから、純ならざる心の持ち主がいかなる人かをも、逆説的に認識できるようになっていたのである。
それを確かめるように、ルークは自らルーベンスに声をかけることにした。
「なにか用か?」
ほら、今度はこちらを見ようともしない。
近づいて来たルークにうんざりした調子のルーベンス。
そんな彼に、ルークは、つっけんどんに訊ねる。
「あんた何者だよ?」
「俺は炎の管理をしている技師だ。
寺院に行けばわかるが、火を絶やさないのが俺の役目だ。
寺院に行くなら、左手の道だ」
「ほ~ん。警部ってさっき言ってたよな。誰のことだ?」
「いつもパイプをくわえている、声の大きなネズミ男さ。
なんだかおせっかいな人でね。変な事件が続いているから、気を付けろってうるさいんだ」
「わかった。話はそれだけだ」
「そうか」
話を打ち切ったルークはルーベンスの脇をすり抜けて寺院の方に向かう。
(やっぱりな)
硬い大地を踏みしめながら、ルークは自分の感覚が間違っていなかったことを思う。
胸元を常に隠すような腕組み。心の臓というよりは、心そのものを隠している。これ以上ないほど直接的な、心を開きませんのポーズだ。
必要最低限しか話すつもりはない口ぶり。そして、人と話すことすら心底疲れることのような声の調子。
分け隔て無く人と接するとよく言うが、ルーベンスの場合は全てに分け隔て有りで人と接しているに違いない。
ルークは、そう確信した。
(面倒なヤツだな)
ああいう手合いが面倒だということは、瑠璃との経験から分かる。
ルークとて、会う人会う人と深く関わり合うつもりはない。
けれど、露骨に壁をつくっている人間は、非常に心から剥がれにくいのがどうにも厄介であった。
*
「でけ~」
「キュピッ!」
この町の最上部に辿り着き、癒しの寺院の威容に圧倒されるルークとチャボ。
遠目からでもその抜きんでた大きさはわかったが、近くで見ると人が豆粒程度であると、とくと感じさせられる。
そんな寺院ではあったが、
「でも見た目は微妙かも」
ルークは、そこまでお気に召さなかった。
自然の岩山をくり抜いてできたのか、至る所で岩特有の孔が散見される。
その数と大きさも、何だか建物としての不安を感じさせるほどであった。
綺麗に整形されているのは、四角い入り口くらいなものか。
しかし、周囲の岩の孔が恐ろしい目のように見えるのも合わさり、寺院に入ることは、おぞましい悪魔に食べられるかのようにも思われた。
岩山を加工してできたドリルのような8本の尖頭も、歪過ぎて寺院の威厳よりもむしろ不気味さを醸してしまっている。
おまけに、寺院の建物の下部を見ると、ここまで登って来た証としての雲の群れが見える。
空中都市と言えばメルヘンチックで聞こえはいいが、その場にいる人間からすれば恐怖しか感じられない。少なくともルークにとってはそうである。
「……なんか入りたくねぇけど……まぁ行くっきゃねぇよな、ここまで来たら」
少なくとも、修道女の様子からしても、ルーベンスの様子からしても寺院が危険だという様子は窺えない。
『癒しの寺院』という名称も安心材料である。純粋なルークはその有難い名前が詐欺だという可能性を疑うことはない。
何よりも、ここまで登って来たからには、ちょっと休みたかった。
「よし! 行くぜ、チャボ!」
「キュピッ!」
奮い立たせるようにチャボをポンと叩き、ルークは悪魔に自ら食べられる覚悟を決める。
……この時のルークは、この寺院が様々な意味で心に残る場所になろうとは、思ってもみなかった。
*
「ふぃ~~~。やっと一息つけたぜ」
入ってすぐの礼拝堂。
そこでステンドグラスからのプリズムの太陽光を浴びたベンチに腰掛け、緊張をほぐしたルークが静謐な雰囲気を乱すと、
「お静かに。礼拝中です」
祭壇で敬虔に祈りを捧げている修道女から注意を受けた。
「あいよ」
白河よりも濁った河の方が恋しいとは、誰と誰の政治の比較であったか。
歪な外観とは異なり、よ~く掃き清められた内部の清廉な空気を吸い込みながら、ルークは適当に返す。
(この様子じゃ、草人についても教えてくれなさそうだし、そもそもいなさそうだぜ)
採光されている自然の灯りと、必要最低限のたいまつの炎しかない暗がりで生きている人間とは、あまり肌が合いそうにもない。
脚を折って羽根を休めているチャボが元気になったら、とっととここを出よう。
そう思ったルークであった。
「楽器作成」はとってもラク。説明だけでしたから。それに比して「岩壁~」は……。お菓子1500円分くらい消費するくらいだったと申し上げておきます。
まっ!
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12.「岩壁に刻む炎の道」後編
お気に入り171をとうに越していました。
これは、この小説の師となった作品のお気に入りの数です。
あの作品がなければ、このような表現手法を取ることはなく、より取るに足らない駄文を連発していたことでしょう。
まぁ……勝った負けたの次元で言うならば、その作者さんは別作品で2000以上のお気に入りを稼いでいらっしゃるので、全然勝っていません。
また、当作品の表現もより洗練されたものなので、まだまだと実感する日々です。
寺院を出た後、ルークはルーベンスと別れた辺りで、
「あ、おい!」
また脇目も振らずに走る草人を見つけた。
そして、ルークに振り向くことなく走り去って行く。
しかし、行き先は門前町。修道女が大勢いる場所だ。今度こそ、保護されればいい。
ここまで崖から落ちなかったら大丈夫だろうし。
そう思ったルークは、先ほど草人が出てきた方へと向かったが、
「うぉっ!」
「……お前か」
急に出てきた瑠璃とすれ違った。
「何だよ、お前。こんなとこで何やってんだよ?」
「さあな。ただ、不愉快に思ってる時に、また不愉快な奴に会ったもんだと、今思った」
「相変わらずムカつく野郎だな!」
やはりルークにとって冷たい風吹き荒ぶ中で受ける蒼の弾丸は愉快とは言えない。
頭の中に、ガトの大地の炎色が宿るほどには。
2人の関係は相変わらずである。
皮肉の応酬をするには、瑠璃にとって役不足であったが。
「んで? また、あのお姫様に逃げられたのかよ?」
「真珠の迷子癖に振り回されているのは慣れている。
……奴隷の口実が使えないのは実に残念だ」
「ったく。んなこと言わなくても、見つけたらドミナに帰すっての!」
「……そうか。それなら頼む」
真珠姫に関することだと途端に頑なさが解れる瑠璃。
あれ? なんだか素直に真摯な目つきでお願いする瑠璃は、それはそれで拍子抜けなような……。
というルークの表情はおそらく顔に出ていたのであろう。
「なぜ鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしている?
何かの病気か? 修道女から薬を煎じてもらったらどうだ?」
「なんでそうなるんだっつーの!」
だめだ。性格は簡単には治らない。
コイツ向けの良い薬があるならこちらがもらいたい気分であると、紅の髪は一層盛り立つ。
「まぁいい。俺はとっとと消える。紅というものがますます嫌いになったんでな」
「………それって、ルーベンスのことか?」
「……ほう、オマエでも頭が回ることがあるのか。まぁどうでもいいか」
「……オ、マ、エ、な~~~!!!」
言葉尻も矢尻も瑠璃にとっては全て攻撃の手段でしかないのかもしれない。
しかもそれらに油を塗り、火をつけて放つあたり、より悪辣さを見せつけていると言えよう。
そして、ルークは全身がガトの参道と同化しつつあった。
「もういい! 蒼いのはとっとと失せろ! この町に合わねぇ!」
「言われなくても、そうす―――――――――――――」
しかし、瑠璃が言い切ることはできなかった。
「ぐはっ!」
今しがた瑠璃が出てきた場所から、呻き声が響いてきたからである。
直後に、ドサリッ、という音が響く。
「な、なんだ?」
「ルーベンス!」
血相を変えて瑠璃が先行し、ルークが追いかける。
尋常ならざる声は、肌を打つ風をもより冷たくした。
*
炎色の大地の休憩所たるテラス。
しかし、今そこでは腹部にナイフが刺さったルーベンスが苦悶の表情で横たわっていた。
そして、表情が唯一見える修道服の目元から見下すような視線が、炎色のローブに注がれている。
「ルーベンス!!」
「おまえ、何してんだよ!」
駆け寄る2人は、瞳の炎を犯人と思しき修道女に向ける。
「近づかないで。殺しちゃうわよ」
「チクショウ……汚いぞ!」
「ぼうやは、黙ってなさい」
修道女は、鋭利な目つきで2人を制した後、慈愛すら感じさせる優しい口調で倒れているルーベンスに声を下ろす。
「核は傷つけてないわ。
私の言うことを聞けば、核に手出しはしない……」
「なにが、目的……だ……」
「かんたんなことよ。泣いて、命乞いなさい。そうすれば、許してあげるわ」
呻き声のルーベンスの問いかけに、すわ何でもないことのように提案する修道女。
しかし、それが文言通りの慈悲でないことは、ルークも理解できた。
「どう? 涙は流せる?」
「うっ、俺は……」
刺さったナイフの痛みだけではない苦悶の表情を浮かべたルーベンスは、何もできない。
「そう、無理なのね。さようなら、ルビーの騎士」
無慈悲な別れの言葉と共に、修道女はルーベンスの胸元に屈みこみ、
「フフフ……『希望の炎』……確かにいただいたわよ」
そして、強い煌めきのルビーを掲げた。
「ぐ……」
「!! キサマッ!!!」
致命的な表情に運命を悟ったルーベンスと、今までにないほど大きく目を見開いた瑠璃。
「な、なんなんだよ? あのルビーが奪われたらどうなるってんだよ?」
未だ状況を飲み込めないルーク。
「かわいいボウヤ。命が惜しかったら、そこの蒼いヤツにいつまでも関わらないことね」
「え……?」
ルークが呆けている間に、瑠璃は剣を引き抜いて修道女と距離を詰めようとする。
「あらまあ、怖いぼうやだこと。たかが、石ころひとつで大げさね」
修道女は、大げさに怖がるように、距離を置いた。
「オレ達は、石っころじゃない! ふざけるなっ!」
瑠璃の魂からの叫びにも、
「ほんとうかしら?」
嘲る姿勢は崩さない。
「よくも仲間を!!」
「フフ……また会いましょう」
最後まで見えない笑みを崩さないまま修道女は、フック付きロープで階下へと瞬時に降りて行く。
「くそっ!!」
憤りそのままに瑠璃が追いかけようとすると、
「うううっ……」
「お、おい! そいつ放っておくのかよ?」
ルーベンスの最期の呻吟とルークの呼び止めに、ピタリと足を止める。
「ルーベンス!!」
そして、倒れているルーベンスの元に、二人で跪く。
「早く傷の処置をしねぇと!」
「違う、もう無理だ……」
「おい! だってまだ息が……」
ルークの必死な声は、瑠璃が首を静かに振ることで受け流す。
「瑠璃……魔法都市のディ……に……すまないと……」
「ディ……なんだって? ルーベンス!」
「珠魅の都市……もういちど……みんなで……」
苦悶と後悔に染まったルーベンスは、
身体全体が眩い輝きに包まれ、赤い煌めきの破片となって消滅した。
その残骸は、ガトの冷たい風が弔うかのように厳厳たる炎の大地へと拡散していく。
「……なんだ、なんなんだよ。アイツ、どこに行っちまったんだよ!?」
「………………」
何が起こったかわからない、というよりは起こったことを認めたくないルークの狼狽に、瑠璃は俯いたままだ。
「遅かったかーーー!!!」
その代わり、ルーベンスの死を見届けた小柄なネズミ男が怨嗟の声を上げた。
呆けたルークは、そちらを見る。
そして、ルーベンスの言っていた「いつもパイプをくわえている、声の大きなネズミ男の警部」ということを思い出すには、幾ばくか時間が必要であった。
さらに、そんな何でもないはずの情報が、自分にとってのルーベンスの遺言となったことに気付くには、もっと時間が必要であった。
風は、冷たい―――
*
ルークと瑠璃とチャボは、ネズミ男のボイド警部とともに、寺院へと戻って行く。
事情はそこで説明されるとのこと。
ルビーの残滓が吹き荒ぶ大地が見えない空間の方がマシであるとルークも同意した。
しめやかさに場も空気も一致した時、まず厳かにそれを打ち破ったのはボイド警部の声であった。
「寺院に宝石泥棒サンドラの予告状が来ていたのだ。
『希望の炎をいただく』と」
「ワシは、てっきり癒しの寺院の炎かと思っておった……。
まさか、ルーベンスさんの核が狙いだったとは……。
ルーベンスさんが珠魅だとワシが気付いておれば……くそ~~~っ!!」
悪態をつきながらもルーベンスを悼む直情的なボイド警部の言葉に、ルークは少しだけ重たい雰囲気が切り裂かれたことに感謝をしながら口を開く。
「なぁ、核って何なんだ? なんであの……ルーベンスはルビーを取られたら……ああなっちまうんだ?」
まだ『死』という言葉をルークは使うことはできない。
ボイド警部は瑠璃を一瞥したが、あらぬ方向を向いている瑠璃が話す様子もないこと、また話さなければならないことを思い、話し出す。
「……ルーベンスさんは珠魅なんだ」
「珠魅ってのは?」
「宝石を生命力の核とする種族のことだ。
核となる宝石が、人でいう所の心臓となっている」
「てことは、ルーベンスは、あのルビーが生命の源ってことか?」
「……そういうことだ」
「……じゃあ、アイツは……」
「………………」
重々しく語るボイド警部の態度と事実から、ルークは全てを察した。
そして、核が取られること、身体が砕け散ること、この2つを結び付けてしまう。
「……なんだって、サンドラって奴はルーベンスを……?」
太陽もちょうど雲に入ったようだ。ステンドグラスからの光も弱弱しくなる。
「それはわからん。それを白状させるためにも、なんとしても、宝石泥棒サンドラを捕まえねばならん!
手伝ってくれるかね?」
「オレにも手伝わせてくれ!」
ボイド警部の依頼にそれまで横を向いていた瑠璃が間髪入れずに承諾した。
しかし、
「おい、アイツ殺人鬼だろ。おいそれと近づいて大丈夫なのかよ?」
こちらを襲ってくる魔物は切り捨てられても、人間と戦うだけの覚悟は、まだルークにはできていない。
「むろん危険だが、このままアイツを放置もできんだろう! 仲間が殺されたんだからな」
「……ってことは、お前も、いや、お前も真珠姫も……珠魅って奴なんだな?」
ルークは瑠璃の胸元のラピスラズリを凝視する。
「今頃気付いたのか? 鈍い奴だな」
「そういう意味じゃねぇよ! お前が行ったらお前も襲われるんじゃないかって話だ!」
主としてその心配は、殺人鬼を追うことに対する躊躇いだったのかもしれない。
けれども、ルークの中には、確かに瑠璃に対する気遣いも含まれていた。
なので、張り上げた声にも自然と力が籠り、静謐な礼拝堂は美しく切り裂かれた。
「……オマエに心配されるとはな」
ややぶっきらぼうな口調ではあるが、複雑な表情の瑠璃。
そういったことを言われ慣れていないというのもあるが、それだけではなく、こちら側に人間が踏み込んでくることは大いなる憂いなのである。
だから、嬉しいという感情が込み上げてくるというよりも、ここまで珠魅を心配する人間に対しては、単純な感情を抱けないのであった。
「……悪いかよ?」
「ああ、悪いな。反吐が出る」
「ふん、言ってろ!」
吐き捨てたルークは、礼拝堂の入口へと向かう。
しかし、その重厚な扉に体重を乗せて、じっと瑠璃を見ていた。
チャボは、それに追随する。
プリズムの光も綺麗に映えてきた。
「……本当にヘンなヤツだな」
「うるせぇ! 行くならとっとと行くぞ!」
「……ご協力感謝する」
ルークとしては、もはや重厚な空気を吸いたくはない。
なので、蹴破る勢いで寺院の門扉を乱暴に開けた。
紅が光と同化している方向に、渋々ではあるが早歩きで瑠璃は進んで行く。
*
ルークに殺人鬼を追いかけたいという正義感が唐突に湧いてきたわけではない。
ただ、人が死ぬのを……特に嫌でも知り合ってしまった奴が、あるいは珠魅を殺したとはいえ、サンドラが死ぬのを見たくも聞きたくもないだけである。
なまじ自分が強いと認識できた分、人の命が平然となくなるという事態を絶対に食い止めたいのだ。
自分にそう言う力があるなら、追うのも吝かではない。それだけである。
もちろん、そんなことは決して瑠璃には伝えない。
だから、そう言ったくだらないことを訊かれる前に、まず布石を打つ。
「お前、あのルーベンスとかいう奴と何話してたんだよ?」
この町は、滑落を防ぐために慎重に歩かねばならない。
なので、注意力が散漫にならない程度にゆっくりと歩きながら、ルークは足元を見つつ問いかける。
「……ルーベンスに一緒に来ないか、と訊いたんだ」
ルークに対していかなる感情を持つべきか悩んでいる瑠璃は、心を整理しきる前の問いに、自然と弁舌が緩くなってしまう。
「そしたら……」
瑠璃は、炎色の大地を強く踏みしめる。
「アイツは、もう誰も、何も信じられないんだと。
珠魅の都市が滅んだのは、仲間の裏切りで滅びたから」
「だから、お前と一緒に来ることはないって断られたってことか?」
「……そういうことだ」
瑠璃は、チラリとテラスの方を一瞥した。
「……でも、アイツは、結局」
「……ここに潜伏している間は、安全だったのにな。
バレたら脆いもんだ」
「………………」
しばらく、靴が硬い大地を踏みしめる音だけが響いた。
コツコツ、と。ルークは最近購入したばかりのミスリル銀のブーツの硬質さと、内部に響かない丈夫な造りにほんの少しだけ満足した。
以前のブロンズ製の武具は売ろうかと思ったが、大した金にならないから、と表面的な言い訳に心を傾けて売ることはなかった。
しかし、今は、目前の流砂のマントよりも自分の靴の方に注意を向ける。
そんなことを思っている内に、門前町に入った。
足元に目を向けていたルークは、草人の葉っぱが町の外側に点々としているのが目に入る。
そういえば、あの草人を追って来たんだな、と今更ながら思い出していた。
「……珠魅って、どうして他の人と関われないんだよ?」
門前町の賑わいが耳に入らないまま、町の外側まで着いた時、間が持たないと判断したルークは改めて問いを投げかける。
「はっ! オレ達を装飾品の宝石としか思ってないヤツラだぞ。
どうやって信じろって言うんだよ」
嘲りに満ち満ちた瑠璃の声。
しかし、その調子にルークもカチッときてしまう。
「じゃあ、なんで俺に関わったんだよ?」
反射的な問いの語気は、自然と強まっていた。
「……たまたまだ。オマエがこんな阿呆だと知っていたら、関わろうとはしなかった」
「ったく。お前も、ルーベンスも、マジうぜぇぜ」
「………………」
ルークは、瑠璃たち珠魅の事情はある程度理解した。
また、俺のことを信じろというタチでもない。そうだったとしても、コイツには言いたくない。
(どうしろってんだよ、ったく)
だから結局、心を閉ざす、あるいは閉ざさるを得ない瑠璃の背中に黙って追従する他なかった。
この時のルークは、ただ人が死ぬのを見たくない、という気持ちでついて行かざるを得なかったのである。
蒼い塵芥も、赤い飛沫も、ごめんだ。
それだけが、行動原理であった。
*
自分の思った通りに事が運んだならば、もっと興奮するかと思った。
そんな気分になれないのを残念と思うこと自体が、この場合は失礼に当たるというのはルークも理解している。
それでも、高揚感を吹き飛ばすのは、ガトを流れる怜悧な風のせいか。
ウッドマックスというモンスターがいた。
普通の巨木に擬態して、通りすがりの獲物を奇襲するモンスターだ。
だが、人間から見れば、周囲を窺えば普通の木と違うのはすぐにわかる。
例えば、硬い岩盤の道のど真ん中に、明らかに場違いな巨木があったならば、誰もが不審に思うだろう。
どうやら不自然でない場所にいるべきであるという、そういった知恵はこのモンスターにはないらしい。
とは言え、危険であることに変わりはない。
巨木の太い枝が、猛烈な勢いで殴りつけてきたり、隠し持っているドングリを豪速で投げつけてくるモンスターとわかれば、明白に危険だとわかるであろう。
しかし、この場では、ルークの実験体でしかなかった。
メノス銅製のハープを奏でる。
旋律はお世辞にも素晴らしいとはいえないが、確かに『ダークインパルス』の魔法が発動した。
ルークの腰ほどもある暗黒魔球が、ルークの前後のラインの地面を縫うように移動していく。
そして、狙い通りウッドマックスに激突した。
しかし、実は闇属性が弱点のウッドマックスでさえ、それは僅かに怯む程度の威力でしかない。
とはいえ、闇の魔球の通った跡には、巨大な闇の譜陣ができていた。
ニヤリとしながらそれを確認したルークは駆け出す。
そして、
「ぶっ潰れちまえ!」
闇の譜陣から地の音素を身体全体で吸収し、まず左腕の剣でウッドマックスを突き刺す。
「烈震! 天衝!」
剣を引き抜いた後、勢い良く振り上げた右腕の拳が大地の力を解放する。
ルークとウッドマックスを囲むように地が裂け、その黄色の衝撃波と砕けた石片と共に巨木ウッドマックスが真上に持ち上がった。
剣5本分の高さに巻き上げられたウッドマックスが、自由落下で再び大地に帰って来た時には。
もはやその生命力は尽きていた。
「………………」
考えた通りの戦術で敵を倒すことができたという達成感は、全く湧いて来ない。
常ならばうまくいったとはしゃいでいたはずなのに、今は何とも思えない。
こんなにも気の進まない道程での戦闘も初めてである。
傍らでは瑠璃が、通常人の倍はあるような大蛇グレートボア2体を『居合い』の一閃でまとめて両断していた。
瑠璃も装備を新調したのか、以前よりも遥かに威力が上がっている。
それでも、ルークは何とも思わなかったが。
「しっかし、ちょっと町の外だってのに、モンスターがうじゃうじゃいるとはな」
ただただ、殺人鬼を追っていることから目を逸らしたくて、ルークはそんな話題を捻り出す。
「修験の道の一環だ。
モンスターのいるこの辺りの洞窟を抜け、瞑想の間まで辿り着いて祈祷することが、この町の修道士に課せられているらしい」
「女ばっかだってのに、えげつねぇのな」
「戦えれば、男も女も関係ない……ほら、早くしないと、サンドラに逃げられる」
「……ああ」
結局行き着くところはそこになるよな。
諦念すら馬鹿馬鹿しさを感じたルークは、もはや何も考えずに瑠璃と共に行くことにした。
そして、草人のこぼした葉っぱを辿りながら、黙々と走って行く。
崖が多くて良かった。そのための注意に思考を傾けなければならないから。
*
修験の道を抜け、虹の映える美しい滝を通り過ぎながら、断崖の町ガトの外側を駆け登って行く。
すると、大カンクン鳥のいる巨大な鳥の巣が見えてきた。
大カンクン鳥は、数百年に渡ってガトの山奥に住む怪鳥。
その巨体は3人程度の人間ならば乗せることができるらしい。
その巨鳥のためのそれ相応に大きな巣の下に、件の修道女と草人がいた。
「私があなたのお腹の痛みのもと、回虫ププを取り除いてあげるわ」
「うん!」
その声の響きに邪は宿っていない。
草人は、修道女の優しさを無邪気に信頼し、進んで彼女の元に歩み寄る。
「むぎょっ!」
しかし、修道女が鳩尾を殴りつけるかの勢いで草人の腹部をまさぐった。
あまりの衝撃に、再び草人はひっくり返る。
「見つけたぞ!」
「………………」
そこに怒声を伴った瑠璃が辿り着く。
共に着いたルークとしては、どう声をかけるべきかわからず、ただ鋭い視線のみを修道女に叩きつけるだけであった。
「サンドラ! そこまでだ! 大人しくお縄に付け!」
さらに、ボイド警部まで猛進してくる。
「ちっ……」
さすがに旗色の悪さを感じたのか、修道女―――サンドラは舌打ちをした。
そして、一瞬にして、それこそプロの手品師と遜色ない澱みのなさで、修道服を脱ぎ捨てる。
一瞬にして女性が現れた。
太陽光に当てられた草緑色のスリットドレスからは、肩口も太腿も大胆に露出している。
紫紺のドレスグローブと薄紅色のブーツは、艶めかしい肌色をより一層引き立てていた。
柑橘色の髪を緑の葉を模した2本のリボンで結い合わせている。
結び目には橙の花をあしらい、葉っぱのリボンの先端が飛び出ている様は、口元の優しい笑みも相まって、優美な蝶を連想させた。
しかしながら、ルークがサンドラから受ける印象は、断じてセクシーな蝶というものではない。
鋭利に釣り上がった眦(まなじり)は、女性の纏う雰囲気を一変させていた。
たったそれだけで、蝶が蜂になっている。
如何ほどの憎しみがその碧い瞳に湛えられているのか、艶やかな衣装も優雅な髪飾りも露出する肌でさえも、全てが警戒色のコントラストに変貌していた。
迂闊にこの女性に近づいてはならない。ルークにそう思わせるには十分であった。
「さぁ、もう逃げ場はない! さっさと投降しろ!」
「あらあら。大きくて優しい鳥さんがここにはいるじゃない。
……では、失礼するわね、バカなボウヤたち」
言うが早いか、ちょうど飛来してきた虹色の大カンクン鳥に、フック付きロープを引っかけ、サンドラは去って行った。
「くそ~~~!! 待て!」
追いすがろうとしたボイド警部は、
「う、うん……」
「あいたっ!」
ちょうどぴょこっと飛び上がった草人とぶつかってしまった。
「あ、あれ……もうお腹痛くない……」
腹痛がないことを自覚した草人は、
「わ~い。なおった~!」
喜びでピョンピョンと飛び跳ねた。
対照的に、ボイド警部は憤怒で2度3度飛び上がった。
「はしゃぐな!!! たればかっ!」
「むぎょっ!」
そして、その剣幕に草人は再び地面に伏せる。
「珠魅がまた一人殺されたんだぞ……」
「………………」
ボイド警部のしみじみとした言葉に、瑠璃は断崖の町ガトの炎色の大地を見つめる。
「………………」
その後ろにいたルークとしては、誰も人が死ななくてよかったと安堵すべきなのか、サンドラを取り逃がしたと悔やむべきなのか、ルーベンスを悼めばよいのか、はたまた飛び去って行く大カンクン鳥の威容さにでも驚けばよいのか。全然わからなかった。
喜色満面の草人や、怒髪冠を衝いているボイド警部や、あるいはルーベンスを悼んでいるであろう瑠璃を、素直に感情をむき出しにできて羨ましいとさえ思えた。
今回の事件をどう受け止めるべきか。そういった思想的立場が、ルークの中ではまだ固まっていないのである。
「ひとまずのご協力を感謝する……これを受け取ってくれ」
「あ、ああ」
だから、いつの間にか近寄って来たボイド警部が、アーティファクト『瓶詰の精霊』という青黒い瓶を渡しにきても、なんとも思わなかった。
「サンドラ……。お前は、ワシが必ず、必ず捕まえてやるからな!」
怨嗟の声をあげるボイド警部から目を逸らし、俯く瑠璃からも目を背け、草人はそもそも視界に入って来ず。
「………………」
ルークは、炎色の大地を見つめるだけの勇気が出ずに、遠く離れたガトの町の方を、ただ吹き荒ぶ冷たい風を受けながら見つめる他なかった。
まっ!
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13.「武器防具作成」と「紅き堕帝」前編
死んでしまった気分はど~だい? ケヒケヒ……」
―――カン! カン!
赤く輝く金属を、ルークはひたすら叩き続ける。
―――カン! カン!
溶鉱炉の灼熱の液体が、薄暗い工房を深紅に彩る中、
「そうだに! その調子だに! 武器作成はハンマーだに!」
ルークのハンマー捌きを傍らでじっと観察するドワーフのワッツが、欠けている歯を見せつけるように笑顔になる。
「後何回だよ?」
「1000000回だに。そうすればりっぱな職人になれるだに!」
「んな打てねーっての! 職人になるわけじゃねーからな!」
「むぅ……アンタは筋がいいから残念だに」
時折額を流れる汗を拭いながら、ハンマーで打ち続けるルークの文句に、ワッツはルークの腰ほどしかない体を少し縮めた。
「それで、ホントのところあと何回だよ?」
「……実はあと100も打てばいいだに。そうすればアンタ用の武器が完成するだに」
「……まだ、結構あんのな」
「頑張るだに! アンタ一人だけの武器ができるだに。それまでの辛抱だに!」
「わぁってーるよ……ていっ!」
―――カン! カン!
より威勢の良い音を響かせながら、しかし単調な作業にやや飽きつつあるルークは武器を自作するまで至った経緯を思い出すことにした。
*
ルークは、ガトの入り口で重々しく黙したまま瑠璃と別れた後、ボイド警部からもらったアーティファクト『瓶詰の精霊』を使った。
着地した途端、紫光と紫煙を撒き散らし、辺り一面を覆う。
怪しい光と霧が晴れた後、打ち捨てられてから長い時間経過し、大木が蔓延るまでになった鉱山が口を開いた。
これこそが、ワッツと出会うきっかけとなった『ウルカン鉱山』の登場である。
さっそくチャボと共に、岩石がゴロゴロ転がっている鉱山内部に潜入した。
入ってすぐに灯りの燈ったワッツの工房を発見したが、あいにくと留守であった。
机に置いてあった書置きを見ると、『なくしたハンマーを探すためと鉱石採掘のために鉱山の深くにいるだに』とのこと。
このまま店で待機していても退屈だろうと、ルークとチャボも店のランタンをこっそりと拝借して鉱山を探検することにした。
崩れ落ちそうな石段に気を付け、今にも朽ち落ちそうな橋にひやひやしながら、ルークたちは地下へ地下へと潜って行った。
そして、地下深くにたどり着いた時、
「プッツィ様!」
巨大なゴリラ男ことコンゴが率いる『穴掘り団』のアジトに着いてしまった。
コンゴは、仰々しい衣装と装飾を施された二足歩行の犬プッツィに、これまた仰々しいまでの祈りを捧げていた。
「ぐま!」
そこに、『穴掘り団』の一員である月夜の町ロアでたくさん出会ったアナグマ達が、アジトに入ってくるルークたちを認めた。
「ぐ……ぐま……」
反射的に挨拶を返したルークは、コンゴがプッツィに手を合わせた姿勢のままギロリとこちらを見つめてきたので、この場所に来たことをすでに後悔していた。
「おい、オマエ!」
「な、なんだよ?」
野太い声とともに、片足を上げて両腕を震わせるというゴリラそのもの振る舞いをしたコンゴを見て、ルークは、咄嗟に踵を返そうかと思った。
しかし、
「アナグマたちが鉱山内でハンマーを見つけたんでな。
すまんが、そいつを持ち主まで届けてはくれんか?」
意外にも丁寧な姿勢で、頼みごとを申し出てきた。
「ハンマー? それってあの店のヤツか?」
「おお! 持ち主を知っているのか。それならなおさら都合がいい。
是非ともお願いしたい」
いつものルークなら、ここで渋るかいったん断るのが常であったが、このゴリラ男の威圧感に気圧される形で、
「あ、ああ。わかった……」
押し切られた。
さらに、鉱山を深く降りて行くと、採石場にてワッツと出会った。
「こんなキケンなとこに何しに来ただに。
ここはいい石が採れるが、コワ~イ魔物も出る。
さっさと帰れだに!」
いきなり邪険に扱ってきたワッツに顔を顰めながらも、
「これ、アンタのハンマーか?」
ルークは無視して先ほど受け取ったハンマーを差し出した。
「あっ!!!!!!!!!!!!!!!!!
わしのハンマー!!!!!!!!!!!!
よこすだに!!!!!!!!!!!!!!
まったく、近ごろの若いモンは人様のモンを勝手に……ブツブツ……」
「ちっげーよ! アナグマたちが拾ったんだっつーの」
そうこう言い争いをしている内に、ワッツの誤解が解け、
「さっきの暴言、忘れて欲しいだに~~~!!!
嫌いにならないで欲しいだに~」
とワッツが泣きついてきた。
そして、ハンマーのお礼とお詫びに、マイホームの作成小屋に武具作成室をワッツがつくってくれることになったのである。
なお、この時も、ワッツは武具作成室をつくった理由を途中で忘れ去り、今度は良い金属で大剣をつくるから許して欲しい、とルークに嘆願したのであった。
*
―――カン! カン!
「よくやっただに。確かに1000000回はウソだに。
でも、ワシらは若いころ親方からそう言われて修業しただに。
これでアンタはすべての武器武具をつくれるようになっただに」
「へ~」
ルークとしては、ワッツの回顧よりも今作り上げた輝く刀身の方に目がいった。
つい最近ロアで購入したミスリル銀製よりも遥かに刃先が鋭いのが、一目でわかる。
試しに軽く振り回してみる。
手に馴染む心地よい重み。粘ついた空気を切り裂く鋭い音。
ルークはニヤリとした。
自分用の剣が、自分の手で作り上げたものが、今確かにそこにあるのだ。
ルークは、ワッツから借りたタオルで気持ちよく最後の汗をごしごしと拭いた。
以前にペールが庭仕事を終えた後の汗は気持ちいい、と言っていたのがわかる気がする。
モノづくりの後の汗は誇らしく、そして充実感で滲まれていた。
「さぁ、これでワシは帰るだに。これからも精進するだに」
いろいろあったが、何だかんだワッツを気に入ったルークは作成小屋の外まで彼を見送ることにした。
入口の扉を開け放った瞬間、夕方の涼しい風が吹き込んで来た。
ルークは、大きく息を吸い込んで、肺一杯に満たす。
労働の後の空気も非常に快い。
「じゃあな」
ルークは、充実感そのままに、小さくなっていくワッツの背中を見送った。
*
「ねぇ、師匠。そろそろまた賢人を探しに行きたいんだけど」
食卓でルークは、バドとコロナと温かいクリームシチュー(ルークはニンジン抜き)に舌鼓をうっていた時、バドからそう切り出された。
「ん? ……そっか。でも、次は、俺一人で行くわ」
ルークは、残されたアーティファクトの不気味さを思い起こしながら首を振る。
「え~。師匠前もチャボとだけだったじゃん」
「私としては、バドも連れて行ってくれると助かるんですけど……」
バドとコロナは、じろっとした目で睨むが、こればかりは譲れない。
「次は連れってやるよ。だから、今回だけは、な。チャボも置いてくから」
ルークは、シチューを手早く口の中にかきこむ。
アーティファクトは、あれしか残っていない。
非常に嫌な予感がするので、可愛い自分の弟子やペットを連れて行きたくはないのだ。
まずは、師匠として先陣を切り、安全を確かめてから道を示したいのだ。
「……わかったよ。今度は頼んだよ、ルーク」
「また、お留守番ですね」
ルークの挙動に、翻意の可能性を感じないことと、一応次に連れて行くことを約したとして、バドは渋々了承する。
コロナは仕方ないかという溜息をつき、空になったルークのお皿を下げていく。
体の芯まで温まったルークは、歯磨きをした後、二階の寝室に素早く足を運んだ。
*
(さて……とうとうこれを使わなきゃいけねぇとはな)
もはや残されたアーティファクトは、不吉な予感がして一切使ってこなかった銀さじだけである。
ぎりぎりまで先延ばしにしていたのであるが、これを使わなければ前に進めない。
いや、どこかの町を探せばまた新たな道が開けるかもしれないが、その不確定さに賭けるよりは、こちらを使った方が良い。必ずしも危険とは限らないのであるから。
ルークは、そう判断したのであった。
マイホームの外でルークは『震える銀さじ』を手に取る。
そして、リュオン街道の隣に着地するようにイメージをした。
着陸した途端、銀さじは、名前の通り震えだす。
ユラユラと妖しく揺れながら4つに分裂しながら、浮上する。
そして、一瞬のフラッシュバックの後、銀さじが置かれた場所の真上から青い電撃が垂直に叩きつけられた。
雷が鳴りやんだ後、そこには―――
無秩序に雑草と枯れ木が生い茂る中に、ぽつねんとコウモリの石像を乗せた巨大な墓しかそこには現れなかった。
そこが『奈落』と呼ばれることを、ルークはまだ知らない。
「ふぅ~。さて、忘れ物はねぇよな」
昨日自ら作り上げた『ロリマーブレード』。
学生の実習で作ったハープとフルート。
ロアで買ったミスリルの防具。
そして、ヴァン師匠から教わった剣術。
すべてを確認したルークは、
「よし、行くか!」
頬を両手でバシっと叩いて、新たに出現した『奈落』へと一気呵成に向かう。
*
「……な、なにも出ねぇよな?」
奈落に着いたルークは、まずはコウモリの石像を戴いている巨大な墓の周りを警戒する。
キョロキョロと。
また、キョロキョロと。
ルークは、とりたてて幽霊が怖いわけではないし、また出てきたとしてもモンスターの延長線上で捉えられるが、だからと言ってこの不気味さを帳消しにはできないのである。
遠くから観察した通り、やはり人の背丈ほどもある雑草と、葉のあった痕跡すら微塵も感じさせない朽ち果てた大木しか残されていない。
何度も入念に見回して、異常がないことを確認した後、ルークは、大きく息を吸い込んで、昨日感じたのとは別の意味で冷たい空気をその身に取り込んだ。
「行くぜ!」
一応剣を抜き、引けてしまっている腰を強引に前に突き出しながら、一気にコウモリの台座まで距離を詰める。
「……なにもねぇな」
ルークの背丈の5倍はあろうかという墓には、何らかの紋章と風化しきった文字跡しか残されていなかった。
まじまじと観察しても、埃と雑草に覆われていること以外、何か変わっているという様子もない。
「……こりゃ無駄足だったかな?」
乾いた笑みで、ルークは呟く。
無駄とわかれば、いつもならば不貞腐れるところであるが、今は何事もなくて良かったと心の底から感じる。
「……しゃあねえ、な。一旦戻ってドミナの町にでも行くか」
安堵しきって、もとい油断しきって、墓に背を向けた瞬間、
『戦士よ、貴様の力を試させてもらおう!』
「へ? ……うぐぁっ!」
―――ルークは、死んだ。
*
「ここは……?」
乾き淀んだ空気を吸い込みながら、ルークは目を開く。
「目が覚めたか」
「!?」
己を見下ろす見知らぬ赤い獣人の落ち着き払った低い声で、瞬時に微睡みを吹き飛ばされた。
そして、仰向けの態勢から反射的に後方に跳躍し、剣を左手にかけながら距離を取った。
「誰だ、お前は!?」
「俺はラルク。竜帝ティアマット様のドラグーンだ。
オマエを力ある戦士と見込んで、奈落へと召喚した」
「ティアマット? ドラグーン? 奈落? お前、何言ってんだよ!?」
ラルクと名乗った獣人の、聞き馴染みのない言葉と不吉な言葉の連続はルークをパニックに陥れる。
しかし狼の獣人は、首を振った。
「……これ以上知りたければ、一緒に下層まで降りてもらおう」
「……ふざんけんなよ! こんなわけ分かんねぇ所に連れ込みやがって! 早くここから帰せよ!」
ラルクの強引な要求に、ルークも当然素直に呑み込むはずもない。
「お前が地上に帰りたいというならば、なおさら俺について来ることだな。
さもなくば、ここにいるシャドールたちのようになるぞ」
「シャドール?」
「奈落の住人さ。あらゆる存在の影だ。こうなったならばお前は永遠に奈落に縛り付けられることになる。
……もっとも、その時には、奈落での生活も快適になっているだろうが」
鷹揚とした獣人の声と目からは虚妄を感じない。
しかし、言っていることは、無慈悲なまでの脅しでしかない。
ルークは、周りの不吉な赤い滾りを見渡して、しかし確認だけは怠らない。
「……お前について行けば帰れるって保証はあるのかよ?」
「お前が強ければな」
端的過ぎるラルクの回答。
つまり、弱ければ地上に帰れることはないということをルークははっきりと思い知らされる。
それに気づき、僅かな間絶句したが、しかし地上に帰らないわけにはいかないということを悟り、
「………………ルークだ。ルーク・フォン・ファブレ」
いきり立っていた肩を一旦下げた。
「いい名前だ。奈落の入り口の石碑に刻まれないことだな」
「………………」
好奇心は猫を殺すと言うが、奈落に引きずり込まれてからこの諺が身に染みるとは思わなかった。
奈落の不気味な石碑を調べたのが、これほどまでの悪手だったとは……。
しかし、まだ帰れないというわけではない。
その一縷な望みに縋るには、堅固な鎧をまとう獣人について行く他なさそうである。
なので、ルークはひとまず、己の髪の色と似た風貌のラルクに大人しくついて行くことにした。
*
熱い。寒い。眩しい。暗い。
ルークの奈落での感想は、端的に言ってこれら4つの形容詞に集約された。
真っ向から反する2組の対義語同士の連なりが、この奈落においては矛盾していないということが最大の問題であった。
随所に地表(と言って良いのかとにかく床)から口開く粘り気の強い溶岩のそばに近寄ると、灼熱が襲い掛かってくる。
ところが、溶岩からほんの僅かに距離を置いただけで、溶岩が暖房と成り得なくなる。そして、極寒ともいえる冷え込みが肌を引き裂いて来るのだ。
武器作成室での溶鉱炉の熱気にあてられて正常に暑かったのが、昨日のことなのに懐かしくさえ思える。
熱さと寒さのギャップの激しい現象に、ルークは、自らの視力と肌の温点に自信が持てなくなった。
溶岩は、紅く(どうにも己の髪の色と一致するのが気に入らないが)、それ自体は煌めき、先の道を照らす松明の役割を果たしていると言えなくもない。
ただ、どれほどの温度か測るのも愚かしいほどの溶岩から放射される熱線は、槍のように網膜に突き刺さってくる。
逆に、溶岩が見えなくなると、あっという間に光源がなくなってしまい、冥(くら)い深淵が視界を覆ってしまう。
一応、そこかしこにある不気味な骸骨の彫刻が持つ瞳が、緑色の光を放ってはいる。
とはいえ、その昏い照らしぶりは腕時計の夜光塗料にも及ばないのに、禍々しい骸骨の輪郭だけは恩着せがましくルークの目に主張してくるのであった。
奈落とは、地獄とは、『熱い』と『寒い』の両極の間の、『温かい』とか『涼しい』といった中間領域の快感を取り除いた状態のことではないか、とルークは思い始めた。
さらに、『眩しさ』と『暗さ』の中間点である、常には困ることのない『当然の』視覚の順応すら、代えがたいほどに貴重な感覚であると実感させられる。
おまけに、奈落の、溶岩の粘ついた濁りに濁り切った空気の澱みからは、どこにいても逃れられない。
喉がカラカラに渇いて仕方ないが、「水などない」とはラルクの弁。
生命の循環を司る『水』が存在しないということは……この辺りで、ルークは考えるのを止めた。
「……早く帰りてぇぜ」
そうポツリと呟いたルークを誰が責められようか。
武器作成部屋で吹き出た心地好い汗とは正反対のそれを拭い、夕暮れの涼しい風を恋しく思い出す。
出立前に食べたコロナの温かいクリームシチューも恋しくてたまらない。
ルークは、早く己の正常な感覚を取り戻したくて、トボトボとではあるが、前に進んで行く。
渇望しつつある正常な世界に戻るには、前に進む他ないのだ。
*
「よぉ~、死にたてさん。奈落1丁目へようこそ~」
「ケヒケヒケヒ……そいつには気を付けなよ」
薄紅色と白色、薄青色と白色の縞々模様の2体のシャドールが、ぷかぷか浮かびながら所々でルークを歓迎した。嘲笑かもしれない。
その声を疎まし気に聞きながらも、しかし過酷とも言って良いこの環境は、彼らにとってはとても快適そうにであった。
「……ああなりたくないならば、とっとと下に降りるのだな」
「………………あいつら、狂ってんのか? ここに長く居過ぎて……」
「そうとも言える。住めば都なのさ」
「………………」
人と呼ぶにはあまりにもかけ離れたその姿に、それでも狂喜の中で生きていられる人間の順応力の高さに慄くべきところであろうか?
あるいは、奈落から出られなくて気が触れてしまった愚か者と嘲り返せばよいのだろうか?
そこまで考えてからルークはかぶりを振った。
とにもかくも、シャドールのようにならないためにも、とっとと前に進もう。
あいつらのことを考えていると、自分もシャドールになってしまいそうだから。
*
「奈落を深くまで下って行くには、オールボンから洗礼を受けなければならん。
アイツは七賢人の一人だ。死者が奈落で暴れ出さないようにするために、ニラミを効かせているわけだな」
「へ~、こんなとこにまで七賢人がいるのかよ」
バドよ。お前に望みを果たすためには、どうやら死ななくてはならないらしい、と家にいる弟子のことをルークは思い出した。
もっとも、まず自分が生還する必要があるが。
「まずは、オールボンの部屋に向かうぞ。ここからすぐだ」
「………………」
先導するラルクに、奈落の雰囲気に呑まれていたルークは出会って以来初めて注意が向いた。
自信と決意に支えられて醸される声からは、どことなくヴァン師匠を彷彿させるが、やっていることは恐ろしく違う。
師匠なら、絶対にこんな脅すような真似はしない! と、ルークは紅い狼の尻尾を引きずりながら歩んでいる獣人の背中を、賢人にニラまれる前に睨み付けた。
「速く立派なシャドールになることに専念するだな。ケヒケヒ」
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14.「紅き堕帝」後編
「我はオールボン。故あって奈落の管理をしている」
「………………」
奈落の一室の、ベッドに棚にテーブルに椅子と、奇妙なほどに生活感にあふれる場所にて賢人オールボンはいた。
目が3つ、手が6本あるタマネギ人間ではあるが、あのドウェルとは全く共通項が見当たらないほど纏う雰囲気が異なっている。
一人酌を取りながら、オールボンは入ってくる2人に視線を向けた。
未だ出会ったことのなかった3つ目の人であるが、しかしルークは不気味さや気色悪さと言った不快感をまるで感じなかった。
矛盾に満ちた奈落の雰囲気に決して飲まれることはないと確信できる強い目力からは、一種の畏敬の念すら覚える。
こちらを見つめる目の色は、隙が無く、しかし穏やかでどこか興味深げな様子であった。
瞳だけで全てを語る。間違いなく七賢人が一人であるとルークは合点がいった。
「ティアマットのドラグーンラルク。
無用に人を連れて来られても、シャドールが増えるばかりで迷惑しておる」
オールボンはその3つ目をすべてラルクに集中させた。
「ドラグーンたるもの、主の命には逆らえぬ」
「しかし、今回はイキのいいのを連れてきたようだな。
ティアマットの悪巧みも、これでうまくいきそうか?
美味しい役どころがあったら、私にも手伝わせてほしいものだ」
悪巧み、という言葉にルークは引っかかりを覚えたが、オールボンの楽し気な口ぶりからは真実か冗談かの判断がつきかねた。
「その言葉、皮肉でないなら、この者に洗礼の許可を与えよ。
しかし、もし、その言葉がティアマット様を愚弄するためのものならば……」
「許可しよう」
ラルクの鋭い眼光をも揶揄うように撥ね付け、間髪入れずに要求に応じる。
「さぁ、ルークよ。こちらへ来い。熱いのは一瞬だ」
「……ああ」
ルークは前に歩み出て、まじまじと賢人の顔を見る羽目となった。やはり賢人は威厳が違う。
オールボンは、円卓から吹き出ている炎を銀さじで掬って(この時ルークは苦々しい顔になった)、ルークに投じた。
言葉通り、ルークはほんの一瞬間全身が燃える感覚を覚えたが、すぐに元に戻った。心なしか奈落の空気も軽くなった気がする。
「……ルークよ。お前に一つ、技を伝授してやろう。と言っても、実践で使えるかはお前次第だがな」
「は? なんだよ、急に? 剣ならヴァン師匠の教えで間に合ってるぜ」
オールボンの突然の提案に、ルークは反射的にそう答える。
しかし、オールボンは首を振った。
「そうではない。お前の持つ特別な力、物質を分解し再構築する現象……これを制御する方法を伝授するだけだ」
「なんだそりゃ? 俺、そんな力持ってねーぞ」
「ほう? では、お前の家に住んでいる童(わらべ)二人に見せたあの技は何だ?」
「え? あの地割れのことか?」
「そうだ。あの現象は何だというのだ?」
「……あれが、えっと、お前の言う万能パワーって言うのか?」
「ああ。どうだ? あれを実践で使える、あるいは暴走せずして使えるとするならば、それは面白いことだと思わんか?」
「…………………」
まぁ、別に困ることでもないか。目の前にいる賢人が嘘をつくとも思えないし。
何もデメリットがないことを確認したルークは、
「どうやるんだよ?」
素直に教えを乞うことにした。
後ろにいるラルクは、黙って二人のやり取りを見ている。
「今訓練するのはさわりだけだ。あとは、自分自身で訓練を積み重ねるがいい。
もっともやるかやらないかはお前次第であるが」
「聞いてから自分で決めるよ」
「……ふっ。では、早速伝えよう」
オールボンの指示は奇妙であった。
まず世界に流れるマナ、要するに万物の根源の流れを全身で感じ取るように指示した。
ルークは、そんなのできねーよ、と悪態をつきながらも、渋々目を閉じて集中する。
今しばらく、全身の狂いきった肌感覚を研ぎ澄ませた。
すると、
「聞こえる……」
ルークは内側から力が溢れるような、全身が震えるような感覚を覚えた。
「そこまでだ。後は、お前の日ごろの鍛錬次第だ」
そして、オールボンは次なる訓練の要諦をルークに伝える。
まぁ、強くなるのに迷う必要はないか、と思ったルークは素直に聞き取った。
「では、健闘を祈る」
どこまでもワクワクしているという賢人に似つかわしくない態度のまま、オールボンは、二人の戦士を見送った。
*
ラルクは割と気さくな人だ。
そうルークが自覚したのは、オールボンの部屋から出てすぐのことであった。
常人あらざるところモンスターありとは、過酷な環境の奈落であろうが変わりはない。
極寒と極熱を交差した場所で、ルークとラルクは、二体の彷徨う鎧の悪魔ダークストーカーと戦った。
鋼鉄の鎧を纏うだけあって鈍重ではあるが、しかしただ呪いの剣を振るうだけではない。
距離を取ったところからでも剣を地面に突き刺して、敵の足元から刃を突き出して攻撃してくるという、なかなか侮りがたい敵であった。
とはいえ、ルークはより遠くから『ホーリースパーク』を奏でて、敵の足元から黄金の爆風を飛ばし、光の譜陣をつくりだしてから、
「貫く、閃光!」
一気に距離を詰め、光の譜陣から風の音素を剣で吸収して、神速の横薙ぎでダークストーカーを打ち上げる。
「翔破! 裂光閃!」
そして、宙に浮いた獲物を光を纏った強烈な剣で、ざっくりと突き刺す。
呪いの鎧に巣食う悪魔は眩い光が苦手だ。光撃から身を守るために鎧を着こんでいるというのに、直接内部注入されては敵わない。
ダークストーカーは、あえなく赤い飛沫となって消滅した。
ルークは、ラルクの方を見やる。
ダークストーカーは遠距離攻撃ができると言ったが、それはあくまでも対象が正面にいる場合に限る。
その性質をよく知っているラルクは、強烈な一撃で敵に背後を向かせ、戸惑っているダークストーカーに得物の肩手斧を振るう。
(すげぇ……)
先ほど処理した相手からかなり耐久力があるとわかったダークストーカーの鎧が、ラルクの体重の乗った澱みのない斧捌きで易々と切り裂かれていく様に、ルークは感嘆した。
さらに、破った鎧を払いのけ、傍らの溶岩の河に落としてしまえば、もうダークストーカーに抵抗の手段はない。あっという間に灰塵と化した。
戦闘を終えたと判断したルークが、適当にラルクに声をかけるかと思い近づいて行くと、
「うぉっ!」
突然ラルクがこちらに斧を投げつけた。そして、ルークの首元スレスレのところを不気味な唸りが通って行く。
ラルクが意味もなくこのようなことをするはずがないと瞬時の思考で判断したルークが、自らを軸としながら剣を回転させつつ後ろを振り向くと、
「こいつは……」
小人のような不定形の悪魔、シャドウゼロが、その顔に斧が突き刺さったままピクピクしている。
「油断するな。人の戦いを見るなら、安全を確認してからにしろ」
「す……すみません」
急に敬語になったのは、ラルクの鋭い声色がヴァンをルークの脳裏に彷彿させたからであろう。
反射的な謝罪の言葉にルークは驚いたが、しかし存外悪い気分でもなかった。
ラルクは、注意深く辺りを観察して危険がないことを確認した後、ルークに近づいて行く。
「怪我はないか?」
一転気遣う声色で、ラルクは問いかける。
「は……ああ。大丈夫だ」
また、敬語になろうとしたルークは今度こそ寸でのところで口を止めた。
それでも、ラルクの顔を見ると、顎を覆う獣毛が、ヴァンの老けづくりのための顎髭に似ていて、やっぱ師匠にそっくりだな、と自覚させられる。
「そうか。今度から気を付けろよ」
ラルクは『砦落としのラルク』と異名がつけられるほど優秀な戦士であったが、自らが率いる、あるいは自らを慕う部下たちには優しいという評判であった。
共に戦う関係ならば、必要ならば称賛し、必要ならば叱責する―――けれども、信賞必罰の程度は過剰過ぎないというラインを常に守り続けていた。
そんな極々当たり前ながら、しかし誰もがなかなか真似できないことを貫き通した彼は、彼を慕う部下たちの力を正しく利用し、その代表として厳めしい異名を戴いたのである。
純朴にして、人を正しく見つめる。
そんなラルクの姿を汲み取って、自らを殺めた相手にも拘らず、ルークは心を許しそうになる。
しかし、ラルクは、
「もうすぐゼーブルファーのところだ。気を引き締めろよ」
背を向けて、必要以上にルークの顔を見ない。
いや、これからのことを思えば、見られるはずがないのである。
*
「ここで貴様の力を試させてもらう。覚悟は良いか?」
モンスターを蹴散らしながら、感覚の矛盾する奈落の環境に決して慣れないようにしながら奈落を下って行ったルークは、とある部屋の前でラルクからそう告げられた。
「へ! どうせこのままなら地上に帰れないってんなら、とっとと済ませようぜ!」
ルークの威勢が良いのは、とっとと普通の環境に戻りたいからである。
もう熱いか寒いか、眩しいか暗いかの行ったり来たりはごめんなのであった。
地上で少しでいいから水も飲みたい。
「そうか。なら行くぞ!」
今までと比べて期待して良さそうだと確信したラルクは、勢いのままルークに続く。
ゼーブルファーは、シャドールたちを束ねる紅い人魂。
ルークから見れば、楽器をつくるときに会った青くて穏やかな表情のウィル・オ・ウィスプを怒らせれば、こんな風に紅く怒ったような顔をするかもしれないと思った。
火には水が有効。
感覚が異常になってしまう場所でも、ごくごく単純な理屈が通じることを祈り、ルークはまずダークインパルスで闇の譜陣をつくる。
そして、その範囲内にゼーブルファーが入って来た瞬間、
「砕け散れ!」
剣を持っていない右腕に闇の譜陣から水の音素を吸収して、烈破掌のエネルギーの絶対値をさらに増し、しかし水属性を付加して、常には闘牙を抱く属性を逆ベクトルに作用させ、
「絶破! 烈氷撃!」
目の前のゼーブルファーを凍てつく氷塊にせんという勢いで叩きつけた!
ルークの目論見通りゼーブルファーは、水に弱い。
絶対零度の掌底に、その生命までもが凍り付きそうであった。
しかし、この程度でくたばるならば、ラルクは100年以上も強き戦士を持っていない。
だが、ルークの強さは、これは、という期待を抱かせるのに十分であった。
一度は縮んだ紅い人魂を元に戻し、再び怒りの表情を滾らせたゼーブルファーは、周囲にある不気味な石像を支配する。
そして、
「うぉっ!」
ルークに向けて炎色の光線を放った。
とっさに避けたルークは、その着弾点を見てゾッとする。
床が抜けていた。
もしも、当たったら……そう思い、これ以上の危険を予防するために、眉を尖らせて再びゼーブルファーを叩きに行く。
「ちぃ! 手応えがねぇか!」
ルークの剣も技も悪いものではないが、如何せん実態が不定で小さいゼーブルファー。
避けられやすいうえに、剣が当たってもダメージは大きくないのである。
(そろそろいいか……)
ラルクは、剣を振るうルークに合格点を与えようかと思う。
実は、ルーク以前の挑戦者たちがゼーブルファーに挑んだ時は、たいがいあまりにも不甲斐なかったため手助けすることなく見捨てることもあった。
仮に自分のサポートがあっても、道中のモンスターに嬲り殺しにされ、ここまで辿り着けなかったのも少なくはない。
しかし、ルークは違う。
物理的な剣の腕の振り。魔術を交えた強力な属性攻撃。機転の利き方。
どれもこれも香ばしいほどに上等だ。
特に属性攻撃。これがあれば、アイツらに対しても、容易に弱点を付ける。
これは……長年待ち望んだ存在と言ってもいいかもしれない。
見たいのは、ゼーブルファーを倒すことよりも、どのような攻撃ができるかどうかである。
中途半端に力が強いヤツでは、アイツらに敵わないのだから。
ラルクはそう結論づけ、
「ルーク。下がってろ。後はオレがやる」
短く告げた。そして、ルークが後ろに下がるのを確認した後、うんざりするほど戦ったゼーブルファーと対峙し、
「ドライブホーク」
天井高く跳躍して、斧から強力な波動を飛ばす。
元々ルークの氷撃で弱っていたゼーブルファーには、これがトドメとなった。
紅い人魂は、攻撃に対する憤怒をそのままに表情に焼き付けたまま、瞬時に霧散した。
*
「たいした実力だ……我が主もお喜びになるだろう」
剣を収めたルークをラルクは短く称賛した。
「そうかよ」
威厳の籠った声に、ルークは、褒められて嬉しいような、しかし相手は師匠でもないしと、どんな顔をしてよいかわからず、顔を伏せる。
「我が主の元まで送ろう」
ルークはラルクと共にテレポートに包まれた。
奈落の底は、燃えたぎる炎舞台。
奈落を巡る炎は全てここから生まれ、暗黒の焔で死者を包んでいる。
だが、ルークの目を引いたのは、闇の炎の先にある巨大な城。
物語で読んだ閻魔大王の居城と言われても頷ける城からの邪悪な陰影。
こちらまで熱を伝えない奈落の炎中で揺らめく巨城は、相変わらずの極寒の中でルークの汗を凍らせる。
「控えよ。我が主のお出ましだ」
ラルクは、城の入り口の炎の前で跪く。
「ティアマット様……」
そして頭(こうべ)を垂れる。
「ついに見つけたか、ラルクよ。ゼーブルファーを倒せる者を」
ゆっくりと靴音をたてながら、城から低音の唸り声が轟いた。
そして、黒煙巻き上げる炎から、その男は姿を見せる。
赤くしかし鈍い光を放つルビーを填め込んだターバンを被り、同じく赤い豪奢な衣装で身を包み、赤髭を蓄えた老人であった。
ルークは、その纏う衣と雰囲気から、叔父でバチカル王のインゴベルト6世の姿を頭に思い浮かべる。
並人が身に着けたら浮いてしまう王族の装束。それを当然のように着こなし、身体の芯から威厳が溢れるその様は、まさしく自他共に王と認めている者の証である。
ルークは、炎色の瞳の王に見つめられ、総身を硬くした。
しかし、ティアマットは、そんなルークの姿に、緊張を解すような哄笑を上げる。
「そう硬くなるな、強き戦士よ。
まずは、そなたを召喚した非礼を詫びよう」
そう言ってティアマットは、頷く程度に頭を下げた。
「………………」
ルークは、そのまま炎色の視線を受け続けることにした。
灼熱の火炎は、ティアマットにとって熱く感じないのであろうか、と場違いなことを考えながら。
「強き戦士よ。ここに招いた理由を説明しよう。
……我はかつて地上に君臨せし『竜帝』なり。
しかし、我の力を妬んだ三匹の竜が我から魔力を奪い取った。
我はこの様なか弱き姿で、奈落を彷徨う身となった……」
自己憐憫を語り、ティアマットは僅かに肩を落とす。
背後にある居城も、その主と連動して矮小に見えてくる。
「我は、我に代わって三匹の竜を倒せる者を待っておった。それが、お主だ」
「……俺に、そいつらを倒せってことか?」
竜狩り。
想像もしたことのない所業。
ティアマットを妬んで魔力を奪い取ったとするならば、確かに悪と言えなくもない気がするが……
しかし、この俺にそんな大事が務まると?
物語で出て来るような……強大さを想像するまでもないあの竜を俺が倒す?
……それができるほどに己が強い自信は……未だにない。
しかし、ティアマットの傍らで跪いていたラルクがゆっくりと立ち上がり、ルークを包囲するような言葉を投げかける。
「どのみちお前は協力せざるを得ん。
半霊体のまま放っておけば、いずれ無になってしまうのだからな」
「なんだって!?」
絶望的な事実に愕然とするルークに、
「強き戦士を、このまま無にするのは忍びない。
三匹の竜を倒してくれれば、おぬしが元に戻れるようにしてやろう」
救済策をティアマットが瞬時に提示する。
「………………選択の余地はねぇってわけか」
「奈落をさすらい、影となり、そして無となるか?
それとも、竜を倒すか?
我としては、強き戦士が消えるのは悲しいぞ」
協力以外の道を塞ぐように、乾ききった声で鷹揚に告げるティアマット。
暗黒火炎に揺らめく巨城だけが、奈落において唯一の生への誘いに見えた。
外道だ。
協力しなければ消える。永遠に異常空間の奈落に縛り付けたまま、シャドールたちのようになり、そして……
……生憎とまだ生に未練がある。
さすがに死ぬまで屋敷に帰らないというつもりはないし、自分の帰りを待ちわびる弟子も、チャボもいる。
それに、まだまだ世界を巡ってみたい。もっともっといろんな人と会いたい。
ここで死すには、あまりにも早すぎる。
ルークを待っている者は、世界に確かに存在するのだ。未知のことも山ほどあるのだ。
そういう人たちに二度と会わずに、一生熱さも寒さもわからない奈落に縛り付けられる―――そんなのは、我慢できるはずもない。
それなら―――
ルークは一度強く眉を顰め、目を瞑り、そして平素の表情で告げる。
「……わかったよ」
脅迫で押されて出てきた言葉の何と小さなことか。
かつてガイアにぶつけた言葉の強さと比して、その自由意思の無い弱々しい声にルークは、自分でも驚いた。
闇の灼熱が届かないルークは、今度こそ自分が氷になったように感じる。
「ハッハッハッ。恩に着るぞ、強き戦士よ」
ルークの声の強弱など、ティアマットにはどうでもいい。強き戦士の承諾の言質を取っただけで十分なのだ。
反対に、ティアマットの善悪など、ルークにはどうでもいい。生きたいならば、もうこの竜帝とやらに縋る他ないのだ。
「では、我に仕えるドラグーンラルクと共に、頼んだぞ」
邪な火炎を纏うティアマットが手をかざす。
すると、
―――ルークは、ラルクと一緒に燃えたぎる炎舞台から、退場した。
*
「これは、我が主から、契約成立の証としてお前に渡すように言われた」
奈落の入り口の墓場に景色が移り変わり、ルークはラルクからアーティファクトを手渡された。
『骨のカンテラ』
紫色の髑髏(されこうべ)の形状のランプ。
知恵のドラゴンを守る石を探す魔導士たちが、仲間の遺骨を加工して作ったカンテラである。
同志たちのために自らの意思で光るとされるが……。
それが今や、知恵のドラゴンを狩るものたちの道標となるとは……。
アーティファクトの由来をルークは知らない。
しかし、その不気味な形状とザラついた触感に、顔を顰めた。
奈落から出て、なおも不気味なモノに触れなければならないとは……。
そこまで思考が至ったところで、奈落から脱出できたことに今更ながら気がついた。
ヒヤっとする冷たい風も、生命力旺盛な雑草の揺らめきも、朽ちた大木も、確かにそこにはあった。
地上に戻って来たことを深く実感する前に、ラルクが言葉を紡ぐ。
「これから、知恵のドラゴンどもを狩りに行く。
ヤツラは、世界の秩序を守っている気でいやがるが、俺たちにはそんな支配など必要ない」
「………………」
生憎と、今のルークにはドラゴンのことを斟酌する余裕はない。
ただ、生きたくて、死にたくなくて、ドラゴンに剣を向けるだけである。
「竜殺しか……」
一言ぽつねんと呟いてから、奈落を後にしようと歩を進めるラルク。
その言葉の含蓄を推し量る余裕も、当然ルークにはない。
改めて、己の感覚を確かめてみる。
奈落の墓を漂う風は涼しい。
けれど、このままマイホームやドミナの町に行けば、暖かいという感覚も確かに存在するのだろう。
墓のある場所は暗い。
けれど、何も考えずに適当な場所に行けば、明るい場所に辿り着くのだろう。
しかし、果たして未だに俺が奈落に囚われていないと言えるのだろうか?
「動いている」のではなく「動かされている」自分は、奈落の住民と何が違うのだろうか?
ラルクの姿はどんどん小さくなっていく。まるでルークに思考の間隙を与えないようにするかのように。
師と似ているその獣人に、ルークは、ただ黙ってついて行った。
まっ!
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15.「群青の守護神」
ルークは、『骨のカンテラ』を選ばざるを得なかった。
奈落の隣にそのアーティファクトは着地する。
髑髏(されこうべ)のランプが一瞬で燈り、一つの大きさが町一つを覆うほどの巨炎が幾つか四方八方に撒き散らされる。
幻影の炎は、何をも焼き尽くすことなく再び燈火の源へ還ってきた。
骸の灯りは溶解し、大地と同化する。すると、それが合図だったようにあまりにも先鋭が過ぎる剣山が、瞬く間に生えてきた。
おいおい、これはいくら何でも無理あるだろ、とゾッとしたルークであったが、間違い無く世界一高い剣山は幾千幾万年の風化を一瞬で具現化する。
鋭角は切り取られてなだらかになり、山の標高も剣山の半分ほどまで削られた。
山の麓を穏やかなせせらぎで緑を育み、白い霧で山頂を隠せば、今ここに『ノルン山脈』が出現したと言えよう。
ルークは、ラルクと共に向かって行く。
*
風読み士のフルーは、畑を鍬で均していた。
知恵のドラゴンが一人メガロードの守っているマナストーンからの恵みは、ここのように決してマナの力に恵まれない平凡な土地さえも肥沃な大地に変化させる。
おかげで鮮やかな緑の木々と草原に爽やかに囲まれ、時に色鮮やかな花々のかぐわしい香りを楽しみながら、農作業ができるのである。
フルーが育てているのは、ジャガイモとニンジン。
彼の作るものは、どちらも大きくてどんな料理にしても美味しく味を際立たせると専らの評判である。
フルーの一番の誇りは、真心を込めて栽培したジャガイモとニンジンをメガロードに献上しに行った際に、「非常に美味だ。素晴らしい」と、その威厳ある言葉で称賛されたことであった。
もとより平凡な鳥人のフルーは、その言葉を直に聞いた時、無礼にも飛び上がりそうになった。
(マナの恵みで我々を肥やすだけでなく、凡人の私のような者にまでお褒めの言葉を頂けるとは……)
もとより「ほかの生物との共存をはかろう」が持論のメガロードは、己に仕えるドラグーンの風読み士に対しても身分の別なく接されると仲間たちから聞いていた。
しかし、実際に直接声をかけてもらえた時の喜びは、まさに格別であった。
山頂の御前に詣でた際のフルーの総身を貫く畏敬の震えは、一転、嘴から羽根先までマナの力で満ち満ちていくほどの歓喜の震えに変わったのである。
(この主様のためならば、どんなことがあってもこの身を捧げよう!)
風読み士にも地位の格差がある。
元老と呼ばれている風読み士は特に高位で、その象徴たる緑色の衣装をまとっている。
しかし、フルーのような低位でさらに農作業に従事するような卑しい身分は、青い衣装を身に付けなければならないのであった。
メガロードに会うまでは、元老のような高位の者に常に憧れていた。
メガロードを模している素晴らしい衣装とは言え、己の弱さを嘆いたことは数知れない。
しかしながら、メガロード様は、風を操る風読み士以上の風圧で、そんな悩みを文字通り吹き飛ばしてくれた。
この主様は、自分のような小さな仕事にも目をかけて下さる!
ならば、わざわざ不相応に大きな力を羨む必要などないではないか。
自分の仕事を邁進すれば、それこそがメガロード様に最も報いることではないか。
こうした農作業も捨てたものではない。十二分に立派な、忠義のある仕事だ。
そう確信したフルーは、あの謁見以来、ますます畑を耕す鍬に力が入るのであった。
―――しかし、そんな誇り高き日常は突然破壊されることとなる。
その日も、いつも通りフルーはノルン山脈の麓にある風読み士の集落から離れた畑に鍬を持って向かった。
しかし、鍬で畑を鋤いていると、見慣れない二つの人影が入って来るではないか。
たまにこの山脈に迷い込む人を追い返すのも風読み士の仕事だ。
だから、いつものように咎めの言葉を投げかけようとしたのであるが、その一人の姿を見て愕然とした。
(こいつは、ティアマットのドラグーンの、『砦落としの』ラルク!?)
ティアマットの所業を知らぬ風読み士などいない。
奈落に落とされたはずのヤツのドラグーンが、さらにもうひとり人を連れてここに来ているということは……
フルーは、鍬を投げ捨てて、急いで集落に舞い戻った。
*
ルークとラルクが、ノルン山脈に入って幾ばくも時を経ないときのことであった。
「待て……」
機械のように規則的に歩いているルークの足を、突然鋭い声でラルクが静止した。
「……なんだよ?」
周囲をすぐに見渡したルークであるが、未だ何らの気配もない。
怪訝な表情でラルクを見つめるが、
「………………」
ラルクは黙して答えず、ただルークの僅か先まで歩み寄っただけである。
しかし、その纏う雰囲気は険しく、恐らくは眦(まなじり)も相応に鋭いのであろう。
そう言えば、獣人は嗅覚が効いたな、とリュオン街道でのダナエのことをルークが思い出していた瞬間のことである。
「!?」
カキンッ!!
突然白い獣人が降下し、斧を構えたラルクと刃を交えた。
「な、なんだ、お前!」
牽制の意味合いを込めて、ルークも瞬時に剣を抜いた。
小刀を二本両手に構えた女性の獣人は、いったんラルクとの距離を置いた。
「……ラルク……ついに見つけてしまったのか、もう一人の戦士を」
そして、ラルクに主たる注意を向けながら、剣呑な視線でルークを一瞥する。
「シエラ……」
ラルクの静かな呟きに、どれほどの意味合いが込められているのか、ルークには計りかねた。
「まだ分からないのか! お前はダマされているんだぞ!」
「………………」
心臓を射抜くような言葉の矢に、ラルクが怯む様子はない。
ルークは、やや無粋に思いながらも二人の間に割って入り、しかし決してシエラという獣人に当てないように剣を一薙ぎした。
「ティアマットめ!」
ルークの一閃で後方に跳躍したシエラは、憎悪を2人の間にぶつけながらも、瞬く間に木の上へと去って行った。
「……あいつは?」
自らは剣を収め、ラルクが斧を腰に吊るしたのを確認してから訊いた。
「なに、単なる昔馴染みだ。
……行くぞ」
「………………」
短い返答と先に歩を進めるラルクからは、これ以上の説明は望めなさそうだ。
しかし、警告めいたシエラの口調。
その不吉な調子だけは、確かにルークにも伝わった。
ノルン山脈の麓は緑も花々も豊かだ。全ての感覚器官はそれを正しく伝えてくれる。
けれども、ルークは今現在、有りのままの自然を素直に享受することはできない。
いつになったら、そのままの自然の感情を味わえるのやら。
奈落に入って以来感覚が狂いっぱなしのルークは、鼻腔くすぐる木と花の香りを疎まし気に感じながら、ラルクに追従した。
*
惨劇の連鎖は続いている。
メガロードの御前のすぐそばで、フルーは、震えを隠せなかった。
フルーが、集落に事の次第を報告すると、すぐさま風読み士たちの厳戒態勢が敷かれた。
山頂に続く道程に風読み士の石像を設置した。
これは、元老3人の風読み士の魂を鍵とする封印で、迂闊に触れてしまうと麓まで戻されてしまう。
しかし、相手は『砦落としのラルク』と、ティアマットが認めた人間の戦士だ。
この程度の小細工では、破られてしまうかもしれない。
そう考えた力の強い元老たちは、各々2人に奇襲をかけることにした。
麓とは違って、ノルン山脈の山道は、決してマナの恩恵を受けているとは言えない。
霧に包まれる中で、足場の悪い岩場や、険しい坂道が至る所に存在する。
それは、風読み士ならば足場の悪さを気にすることなく羽ばたいて飛べば良いことであるし、今回のような良からぬ輩がメガロード様の元へと容易に辿り着けないようにするためであった。
そんな環境のもとならば、人間のていを為しているヤツラに、空から飛来する元老たちの強襲は辛かろう。
そのジンの魔法をフル活用した元老達の強大さは、風読み士ならば誰もが知っていることである。
適当なところで退治されて再び奈落に帰れ。
そんな、やや下劣かもしれないが、風読み士からすれば真摯な願いは、残念ながら次々屠られていっている。
元老たちの魂が、どんどん封印を解いていく。
強大なはずの我らが元老たちが、次々敗れている。
この不吉な状態を認識した身分の低い風読み士たちも、心の中のざわつきが収まらない。
しかし、弱くとも地位など関係なく風読み士は、メガロード様のドラグーン。
主の元へ、おめおめと賊を行かせるわけにもいかない。
なので、無茶とは思いつつも、義勇兵を募ることにした。
確かに力は元老には及ばない。
しかし、仲間と一緒に力を合わせれば……。
戦略というよりは、祈念に近い無謀な試みであったが、誰からも反対の声は出なかった。
そして、今に至る―――
志願し、選抜された風読み士はフルー含めて5人。
普段の職業は、農業の他に、建築、鍛冶、織物と、非戦闘要員ばかりであった。
しかし、それでも―――
ほんの僅か油断すれば縮こまりそうな羽根を5人は、一つの青い屏風をつくるかのようにつなぎ合わせる。
それでも、各々の嘴や鉤爪の揺らめきは防ぎようもない。
いっそ雑談でもすれば、まだ気は晴れたかもしれない。
しかし、それはできない相談である。
ほんの微かな勝機を掴まんと言うならば、集中力をかき乱すことはご法度なのであるからだ。
なので、5人は、風読み士という一族の名前とは反し、山頂近くの吹き荒ぶ暴風を直に浴びて、羽根の中に確かに存在する汗の凍えに身を震わせているのであった。
そして、ついに―――
「……ザコ共が何をしている?」
先に敵に見つかってしまった。
5人の視界に、紅い狼の獣人と、紅い髪の青年が入ってくる。
もう、奇襲は無駄だ。
しかし、誇りに賭けて一矢は報いたい!
「我ら、力は弱くとも、メガロード様にお仕えする身!」
フルーが、彼の人生の中で最も高らかに宣言すれば、
「我らが命に賭けて、貴様を主の元へは通さん!!」
アドルフの怒声は、確かに直接2人に突き刺さった。
紅い髪の人間の方は、あからさまに狼狽えている。
瞳の動きも、首と連動してせわしない。
しかし、
「……ずいぶんと安い命だ」
ティアマットのドラグーンめは、風読み士の誇りをあっさりと嘲った。
「何だと!」
グラハムの憤りとともに、風読み士全員の堪忍袋の緒が切れた。
恐れを敵意に変えたハンクとキーンとともに、5人で一斉に『砦落とし』に突撃していく!
「いいだろう……その命、俺がかり取ってくれる!」
―――傍らを紅い狼の獣人が通り過ぎただけだった。
そのはずなのに……
「ぐはっ!」
燃え立つ痛みを、痛みとして認識できるほど、鳥人の脳の処理能力は高くなかった。
―――まだ生きてる。
フルーが意識を取り戻して、まずそう自覚できたのは、ドラグーンとして誇りのおかげか。
「うぅぅぅぅ……」
痛い。痛い。
腹から血が止めどなく出て来る。
鳥人の象徴たる自慢の羽根は完全に折られた。
集落まで飛んで手当すればどうか、という傷口。
徒歩で山頂近くから麓まで行く―――無理だ。
私は死ぬ。これは既定事項。
傍らの仲間を見やる。
首か、心臓か、羽根か……どこかしら完全に抉られている。
絶命しなかったのは、どうやら私だけのようだ。
もっとも、すぐに彼らと同じようになるだろうが。
ならば……せめて、ドラグーンとして最期の奇襲をかけに行こう。
アイツらは私たちが死んだと思い込んでいるはず。そこに奇襲をかければ……
「うぐっ!」
しかし折れた翼は私をここから動かそうとはしない。
羽根から出て来る強烈な電気信号が、これ以上の運動を拒んでくる。
しかし、それでも―――
私は、動かなければならない。
それがドラグーン。知恵のドラゴンから恩恵を受けている者の役割。
何よりも、私ごときのジャガイモとニンジンを褒めてくださったメガロード様にどうしても報いたい。
……ああ、よかった。意識が朦朧としてきた。
痛覚が伝える余計な情報も、これで大分弱まっている。
―――メガロード様に、なんとか、少しでも
腹を押さえ、片翼を引き摺るように、慣れない二足歩行でフルーがなんとか山頂に着いた時―――
「ああっ!!!」
無数の傷が刻み込まれた群青のドラゴンが、紅い髪の青年の大地を噴出する掌底でひれ伏し、その御身を循環するマナが尽きてしまった頃であった。
鮮やかな魔力に包まれた巨大なドラゴンは、憎きドラグーンの戦斧に払われ、山頂から墜落していく。
瞬く間に見えなくなった。
「メガ……ロード……さま」
魂が抜けた。
痛みに耐え、必死に登って行ったその先で待ち受けていたものがこれとは―――
最後の最後に見るのが、よりにもよって己の主の死とは―――
奈落からの使者2人がフルーを見た。
咄嗟に武器を構えているが、遠目からでも長くないのはわかるのだろう、積極的に近づいてくる様子はない。
フルーもフルーで、もはや彼らの対する敵愾心など湧いて来ない。
ただただ、自分たち風読み士というドラグーンの不甲斐なさに打ちひしがれているだけであった。
「なぜだ……なぜこんな恐ろしいことが……メガロード……さま……」
この2人を見かける前は、本当にいつものように畑を耕して過ごそうとした一日であった。
メガロード様に、丹精を込めたジャガイモとニンジンを届けようと、その準備していただけだった。
たったそれだけの、いつもの日常だったのに。
―――主を守れない従者など要らない
恩を与える主に、何も返せずにおめおめと生きている従者の何と恥ずべきことか。
いや、放っておいても自分は死ぬのだろう。
けれど、出血多量という生易しい死に方で絶命するのは、あまりにも罰が軽すぎる。
風読み士たちにとって最悪の罰は『墜死』。
空を舞う鳥人たる風読み士が、地面に叩きつけられて死ぬなど、最悪の侮辱と言っても良い。
主を守れなかった自分を辱める罰としてちょうど良いだろう。
そう思ったフルーは、山頂の手近な崖に向かって行き、そして―――
「お、おい! 待てよ!」
紅い髪の人間の静止の声など耳に入らず、そのまま麓に向けて頭から身を投じた。
『非常に美味だ。素晴らしい』
―――最期に頭をよぎった言葉が、メガロード様のお褒めの言葉とは。
これ以上ない幸せに、フルーは、フッと笑った。
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16.「紫紺の怨霊」
う~ん。ノリとしては、50点でいいから早く出す、という感じなんですが、そのせいでやっぱ微妙かも。しかも今のスタイルだと1日5000字が精一杯。
表現をテキトー(全部「言った」「訊いた」とかで済ませたり、心情描写や場景描写をカット)にしていいなら1日20000~30000字くらいできますが、まあ、誰も得しないので作者の足りない頭なりに質にこだわります。たまにやりたいんですけどね(笑)。
「マナストーン……まだ小さいな」
「………………」
ノルン山脈の山頂、そのまた最深部に緑色に煌めくマナストーンがあった。
オールボンから教わった己の『特殊な力』の訓練を日々まめやかに継続しているルークは、己の中にマナを集める感覚を掴み始めていた。
これがその『特殊な力』の本格的な制御の嚆矢らしい。
だから、ラルクがマナストーンに手をかざすと、そのマナの力が奈落の方向へと送られていることもはっきりと肌で感知できる。
そして、その莫大過ぎるエネルギーは、数値化するには到底及びもつかないものであることも。
「ルーク、これはティアマット様からのほうびだ。とっておけ」
「ああ……」
ルークは、アーティファクト『竜骨』の冷たい重みを蝋人形のような手で受け取った。
まだ竜退治は続くのか。
既に一体目の竜メガロードを狩った時点で自分の精神が参ってしまいそうなルークは、嘆息した。
竜は言葉を喋るのだ。それだけでなく、メガロードを慕う風読み士とかいうドラグーンたちも意思疎通が可能だ。
モンスターの殺生にも実は結構罪悪感を感じているルークにとって、意志あるものを殺めるのは、これ以上ないほど罪悪感に蝕まれることであった。
いっそ、誰もが憎む犯罪者や、報奨金のかかった亜人というならば、心の慰めになったかもしれない。
ところが、いざノルン山脈に入ってみるとそんなことはなかった。
風読み士たちは、高床倉庫のような家を建てて、綺麗に均された畑をつくり、風見鶏があちこちクルクル回っているような、そんな普通の人と変わらない暮らしぶりだったのである。
集落にズカズカと入って来た自分たちに、怯懦の目線、敵意の目線、闘魂の目線を四方八方から刺してくるものだから、ルークの心中の罪悪感が沸き立ってくるのであった。
逆に、如何なる視線も、ものともしないラルクは、淡々と要求を伝え、それにいきり立ち闘いを挑んできた風読み士たちを良心の呵責なく切り捨てていった。
むろん、ルークとて死にたくはないから、己に襲い掛かる風読み士たちには容赦しなかった。
とはいえ、戦いを継続できたのは、相手が明確な敵意をぶつけながら風の魔法を操り、ルークもそれに引き摺られるような形で剣を振り回せたのである。
なので、青くて弱い風読み士たちが、体を震わせながらもなおこちらを止めようとしている姿には、狼狽する他なかった。
そして、その頭たるメガロードも、風読み士の復仇戦と言わんばかりの怒りを湛えた瞳で、翼を叩きこんでくるものであるから、ルークとしては心の中のざわつきがますます掻き立てられたのである。
最後に、メガロードを慕う青い風読み士が投身した時には、もうルークの思考は停止していた。
それが精一杯の防衛策であった。
そうでもしなければ、己の中での正当化と罪悪感の相剋で、罪悪感が勝り、心を黒く塗る潰してしまう気がしたからである。
「死にたくないから従うしかない」。しかし、「他者を殺してまでやっていいのか?」。
登山中にグルグルと循環する二つの思いは、『シエラ』『風読み士』『メガロード』と、外部からの要素を次々絡め取り、次第に罪悪感を優勢にしてしまっていた。
シエラの警告で小さな疑問が燈り、明らかに必死に止めようとする風読み士の死に様を自分たちで作り上げ、ついには、知恵のドラゴンという一目で偉大とわかる存在をこの手で奈落に送ってしまった。
そんな事実を、「自分が生きたい」という生物としての根本的な欲求だけで抑えつけられるほど、ルークは残虐になりきれなかった。
だから、最後の風読み士の投身を見てしまった時、己の心を見つめることを投擲したのだ。
そのままラルクの背中に、なんとなく師匠と似ているからという理由だけでついて行くことに決めたのである。
もはや、ルークの精神は、刷り込みを受けた親鳥について行くという、雛鳥の本能のようなレベルにまで退行していたのであった。
「マナの力確かにいただいた」
厳密にいうならば、ティアマットへのマナストーンの力の経路をつくったといったところか。
今のルークは、そんなことを議論するほどの気分にならないが。
「………………」
やっている所業を除けば、ラルクとともにいるのは悪い気分ではない。
ラルクの洞察力とサポートは、まさしく歴戦の戦士の称号を恣(ほしいまま)にするものであり、険しいノルン山脈の山道においてどれほど助けられたかわからない。
マンドレイクの凶悪の叫び声で前後不覚に陥ったルークを救助してくれたのは、まさしくラルクの戦斧に違いなかった。
だからこそ、
「行くぞ」
「ああ……」
よりルークの脳裏にヴァン師匠を過ぎらせるのであるが。
*
ルークは、『竜骨』を選ばざるを得なかった。
『竜骨』
果てしない長い寿命と強大な力を持つ金属製のドラゴンの骨である。
頭蓋をびっしりと覆う赤錆と、歯の鋭さからその強さを容易に想像させられる。
手にした者を知恵のドラゴンの城へと導くアーティファクト。
それがたとえそのドラゴンの力の源を狙う者であっても、誘いを止めることはない。
ノルン山脈の北側にアーティファクト『竜骨』は接地された。
着地の瞬間、どこからともなく現れた煌めく紫紺の光が骨を包み込む。
骨は大地と同化し、その周囲を黄色の炎が覆った。
そして、もうもうとする炎が消えた瞬間、巨大なドラゴンの骨をそのまま模した城が地面から浮上し、一つ大きな雄たけびを上げる。
こうして、命名の芸はないが、『骨の城』が出現した。
ルークは、骨の城を見て嬉しかった。
いかにも悪党が棲みそうな、趣味の悪い城ではないか、と。
少なくとも、ノルン山脈のような神秘的な場所ではなさそうだ。
されば、罪悪感を強く感じることなく、義侠心を刺激されて、敵と相対できるではないか。
ここならば、ほんの少しだけ自分の心が楽なまま、探索できる。
……そう思っていた。
*
「ここは……?」
骨の城から溢れ出る鉱物や薬草を求めて屯(たむろ)する学生や花人たちの集落を抜けて、骨の城のドラゴンの文字通り口から入ったルークたち。
しかし、エレベーターを動かす仕掛けはないかと、辺りを探索していたところ、急に何らかの罠に嵌まってしまったようである。
そのせいで、骨の城のいずことも知れぬところに、投げ出されてしまった。
「ラルクを探さねぇとな……」
取り敢えず、骨の城のエレベーターは、人魂のような炎(いまさらこの程度でルークはビビらない)に話しかけると、快く動してくれる。
そして、廊下から部屋、家具や調度品に至るまですべてが不気味な骨で構成されていて、時折紫紺の蠟燭に照らされながら骨の城を回っている時のことであった。
「ラルクを探しているのか?」
地下を探していた時、ノルン山脈の入り口で急襲してきたシエラがルークの前に天井から降り立った。
「お、お前は……!?」
当然距離を取り、身構えるルークに、シエラは怒りで戦慄(わなな)いている声で、人差し指を突き立てて訊ねてきた。
「……なぜお前はティアマットの言うことを聞くのだ?
ティアマットがなぜドラゴンを殺そうとしているのか、理由を知らぬわけではあるまい?」
「は? ティアマットを妬んだ3体のドラゴンが、アイツから魔力を奪い取ったんだろ?」
ティアマットから言われたことを、ほぼオウム返しで答えたルークに、
「そうか……お前は知らないんだな」
敵意をぶつけるべき相手を間違えたと言わんばかりに、シエラは視線を下ろした。
一息をつき、熱(いき)り肩が撫で肩となったシエラに、臨戦態勢が解除されたかと、呟き声を吟味することなくルークも弛緩しかけるが、
「すまないが、死んでくれ。そうすればラルクを殺さずに済む」
「ちょっ!? 何だよ、急に!」
だらんと降ろした腕は、腰に携えた2本の短刀を抜きやすくするためだったようだ。
そして、狼狽するルークを、シエラは、憐憫を混ぜつつも、しかし射抜くような敵愾の目線で刺してくる。
「ちっ! 何なんだよ、どいつもこいつも!」
シエラが、2本の短刀が逆手に抜かれると同時に、纏う雰囲気も隙がなくなり、もはや話を聞いてもらえそうな状況は雲散霧消した。
ルークは生存本能のままシエラと相対する。
それでも、その理性が刀身を見せることを拒絶し、鞘ごと大剣を構えることとなる。
「……舐めてるのか? それとも慈悲のつもりか?
生憎と、私はお前を殺すのを止めないぞ」
「うるせぇ! うるせぇ! うるせぇ!」
どうせ俺の思いなんて誰にもわかるわけねぇ!
せっかく、悪の首魁を討伐に行こうという気分で骨の城に入ったというのに、なぜどいつもこいつも俺に人を切らせようとするのか。
罪悪感で潰れそうな己の心を、さらに押し潰そうとする相手のせいで、逆に闘争心が剥き出しになったルークは、シエラとの戦いに挑む。
シエラは油断ならぬ相手であった。
一縷の隙が絶命を招くのが明らかであった。
ルークは、鞘に入れたままの大剣。リーチでは勝るが、攻撃の隙は大きい。
シエラは、短刀で、距離を詰めたら一気に決着をつけるというスタイルだ。
二人の戦いを見ていたならば、大剣と短剣で釣り合いが悪く、延々といつまでも攻撃を仕掛けないという出来の悪い殺陣を観ている気分になるかもしれない。
しかし、ここは戦場。
グルグルと、またグルグルと、まるで示し合わせたかのようなリズムで弧を描き続ける2人は、どちらが骨を見せることになるかを一瞬間も気を抜けずに相手を窺い続けなければならないのだ。
しかし、ルークはただ弧をつくっているわけではない。
両の瞳を決してシエラから逸らさないようにしながらも、しかし横眼からの情報を集積して周囲の状況を確実に頭に叩き込んでいった。
明らかに戦いの場数を自分よりも踏んでいる白い獣人に、脆い精神力や鈍い剣技で勝ろうとしてはならない。
だから、こちらがシエラに勝つには、それ以外の、まだ見せていないカードを切る必要がある。
そして、何度目かわからぬ円を描き切った後、突然ルークはシエラに背を向けて走り出した。
「待て!」
駆け出したルークの行き着いた部屋には、巨大な円形の食台が鎮座してあった。
ルークは、一っ跳びでそのテーブルを飛び越え、その陰に隠れながら、素早く追跡者の方へと反転する。
(なるほど……近づいて来た隙に一気に、のつもりか……)
シエラはそう判断し、しかし却ってルークの逃げ場がなくなったのを好機と捉え、いかなる手段で攻め込むべきかを思案した瞬間に、
「ぐぁっ!」
その足元から黄色い爆風が噴出した。
これは、ルークの任意の場所で発動させられる『ホーリースパーク』の光撃である。
(……?……)
そして、シエラが、必殺の魔法にしては大した威力がないことを訝しんだ時こそが最大の隙!
「うぉーーーーーーーーー!!!」
「!?」
シエラに跳躍してきたルークが、鞘付きの剣をその勢いのまま叩きこんだ。
「ぐぁっ!!」
シエラは、己の額から突き出る角が折れそうになるほどの激痛を堪えた。
そして、意識が飛びそうになる前に、この場から敗走することを素早く決断する。
「必ず……止めてみせる!」。そう言い残しながら。
「はぁっ! はぁっ! はぁっ!……」
息つくルークの視線の先には、部屋から逃げていくシエラの後ろ姿。
意志ある者を傷つけるのすら厭うルークには、追走し返すなどという発想は出て来ない。
ただ、殺さずに撃退できた幸運にわずかに浸ると共に、
「早くラルクを探さねぇと……」
己を導いてくれるはずのラルクに縋りたかった。
*
果たしてラルクは、2階の、4本の骸骨の燭台で囲まれた部屋で仰向けのまま気絶していた。
「おい、ラルク」
「姉さん………………」
駆け寄って声をかけるルーク。
それに応えるかのようにラルクは、ルークが普段聞いたことのない甘えた声で呟いた。
(姉さん? ……コイツに姉がいるってことか?)
ルークにも、普段の物静かな戦士と、今の縋るようなトーンとのギャップから、ラルクにとって姉がとても大切な存在だということが窺えた。
(ヴァン師匠にもいるのかな……)
その姿を見て、ラルクを起こす前に、弱気を一切晒さない己の師を思う。
そう言えば、屋敷の襲撃の時のヴァン師匠は、ティアとかいう犯人にかけた声の調子が、いつもと若干違ったような……
「!?」
ルークが少し回顧に耽っていた間に覚醒したラルクは、人影に気付いて反射的に距離を取った。
それがルークだとわかると、一息ついて、瞬時に警戒を解く。
「……すまん。まさかあんな罠にかかろうとは……」
「いや、別にいいんだけどさ」
そして、自嘲の呟きと共に戦士の目に戻ったラルクを見て、ルークは、またその背中について行くことにした。
*
青白い炎が6本の燭台に燈っている。
骨の城の内部の部屋は、骸の装飾を設えた多種多様な部屋はあれど、部屋の前に扉がなく剝き出しの部屋だったり、骨がばら撒かれていて、生憎と美や清潔と言ったものとは無縁の場所が多かった。
しかしながら、ここ『ムクロ玉座』は違う。
最奥の深紫色の扉には落ち着いた装飾が施され、それを大切に守るように4本の骨の柱がくびれながら建てられていた。
そして、扉の前には、尖頭形の、仰々しいまでの門扉が敷設されている。
明らかに並々ならぬ物を守らんという意思が、雑然としている印象が残る骨の城内部と対比して如実に際立っていた。
そして、紫紺の火が映し出すのは、金色の骨で身体を構成する、人を軽く丸呑みできそうなほど巨大な知恵のドラゴンが一体『ジャジャラ』。
明滅する光に時折照らし出されながら、門の前で緑色の瞳から妖しい色を発してしゃがみ込んでいる。
ルークはその姿形を認めた時、骨の城の主が邪なものに違いないと思い込むことができて、嬉しかった。
コイツなら、義心に則って相対することができる。見よ、あの邪悪な瞳を。見よ、あの青白く輝く不気味な骨の身体を。
ノルン山脈と違って、自分の生存本能の延長線上で敵を討たなければならないという、自己保身的な思いに駆られることはない。ないはずだ。
だから―――
「ジャジャラよ! 我が主、ティアマットに代わりお前を倒しに来た!」
ラルクの言葉を聞いたジャジャラが不快な表情を浮かべ、
「ティアマット……私と刺し違え、奈落に落ちてもいまだ私利私欲のためにマナを求めるとは……
愚か! 愚かなり!」
力強い瞳を宿し、義憤に支えられた侮蔑の言葉を吐いた時。
やめろ! やめてくれ! そうやって正義ぶるんじゃねえ! 悪役は悪役のままでいやがれ!
俺は、俺たちは、正しいはずなんだ! どうかやめてくれ!
ルークは、、正当化というダムが堰き止めていた、罪悪感という濁流が溢れそうになるのを、目を閉じ歯を食いしばって圧し止めなければならなかった。
幸いだったのは、それ以上の葛藤の時間をジャジャラが与えてくれなかったことか。
怒りで満ち満ちた瞳のまま、ゆっくりと金色の身体が起き上がる。
そして、牽制とばかりに、ゴオ―――――――!!! という雄たけびが『ムクロの玉座』に轟いた。
だから―――
そこからは、呼び覚まされた本能のまま、ルークは剣を抜くことができた。
ルークは強過ぎた。
まるで俺が公明正大だと言わんばかりに、ホーリースパークを連発して光の譜陣を出し続け、
「紅蓮襲撃!」
ジャジャラの蹴り上げを避けて、逆に高々と舞い上がったルークの炎の蹴りがジャジャラを包み込み、
「襲爪雷斬!」
ジャジャラの頭突きを避けて、剣に宿した風の音素と共に、ルーク自身を雷撃と化したり、
「翔破烈光閃!」
ジャジャラのドラゴンブレスを躱して、膨大な光に包まれたルークの剣がその巨大な体を舞い上げ、刺し貫いた時には、
「ギャアアアアアアアアア!!!」
驚愕の表情を浮かべたジャジャラが、瓦礫と共に巨大な2体の彫像を降らしながら、バラバラに粉砕されてしまっていた。
「ふん、呆気なかったな」
「……これで……良かったんだよな……」
口ほどにもないと跡形もなくなったジャジャラを見やるラルク。
自分の所業が正しかったと確かめるように、飛び散った骨片と落下してきた2体の巨大な彫像を眺めるルーク。
そんなルークだからこそ、気づけたのかもしれない。
ラルクは、ジャジャラの死を悼むことなく、もうどうでもよいと言わんばかりに、ムクロの玉座の仰々しいまでに飾り立てられた部屋に赴こうとするが……
「……!……まだだ!!」
虹色の光に包まれた骨の一つ一つが意志を持つかのように、2体の石像を核に集結し始めた。
そして、石像を取り込んだジャジャラは、今ふたたび再生し、凶悪な執念をルークとラルクにぶつけた。
「……死にぞこないが……」
ルークの叫びで、斧を構えたラルクが振り返った時にポツリと呟く。
「たわけ! それはお前もだろう『砦落としのラルク』!」
「………………」
怨嗟のジャジャラの声に、ラルクはなにも返さない。
紫紺の炎に揺らめく金色の身体は、再び2人に挑んできた。
そこから先は、もう滅茶苦茶であった。
人の身の丈の2倍はあり、それ相応に質量のある石膏の彫像を取り込んだジャジャラがひたすら暴れまわり、2人を押し潰そうとしたり、あるいは天井から落盤を降らせてきた。
そのため、丁寧に掃き清められていたはずのムクロの玉座は、あちこち穴が開き、埃と骨の残骸が降り注いだため、もはや見る影もなかった。
ジャジャラ自身、残存する体力の少なさを悟っているのか、手段を選んではいられないように見える。
とは言え、上空から降り注ぐ巨大な骨の塊と、ジャジャラ自身の身体をひたすら避けなければならなかったため、なかなかルークとラルクに攻撃に転じる余裕はなかった。
「つぅっ! 何だよ、これは!……うぉっ!」
再びジャジャラはその身を以てルークを踏み潰そうとしてきた。
ルークは、もはや剣を振るうよりも、陥穽に嵌まらないことと、落盤の直撃を避けることにしか集中できなかった。
しかし、ジャジャラがルークを踏みつけた隙を好機到来に見たラルクは、
「地閃殺!」
大地の力を宿らせた斧に、必殺の一撃を籠めて、ジャジャラの体の核の彫像を一体打ち砕いた!
しかし、苦悶に揺れつつもジャジャラは、
「小童が!」
「ぐぉっ!」
最後の力を振り絞って、ラルクの身体を光線で貫いた。
「ラルクッ! くそっ!!」
ルークは、ラルクが倒されたのに憤怒し、一息の跳躍と共にジャジャラに飛び掛かる。
もはやジャジャラに反応できるほどの力は残っていない。
「ぐおおおおおおおっ!!!!」
ルークの剣は、ジャジャラの抱える彫像を真っ二つに切り裂いた!
もはや身体の寄る辺がなくなってしまったジャジャラの骨は、再生することができず、今度こそ完全に粉砕される。
残った骨片を注意深く、何度も何度も観察したルークは、絶対に起き上がらないと確信する。
そして、急いで倒れたラルクの元へと駆けた。
「おい! 大丈夫か……あれ?」
確かにラルクの体を刺し貫いたはずの光の槍は、しかし創傷としての痕跡を残していなかった。
「……ティアマット様のお力のようだな。マナストーンの力を僅かに俺に分けてくれたようだ」
傷があった箇所を摩(さす)り、よろめきながらもルークの手を借りて起き上がるラルク。
「……そうか」
「では、俺はマナストーンの所へ行く。
お前はここで待ってろ」
そう言い残して、ラルクは、ムクロの玉座の門を押し開いて、マナストーンのある豪華絢爛な部屋へと向かって行く。
ルークは、その背中を黙って見送った。
それがいけなかった。
(!!!)
ルークはブルっと震えた。
一人になった隙に、罪悪感がまた込み上げてくる。
思い返すのは、ジャジャラを屠った満足感や充実感ではない。
ジャジャラの、不気味さだけではない瞳だ。
メガロードと同じ。風読み士と同じ。
とてもあの目を見る自信はなかった。
あれは、違う。断じて自分だけを守りたいという瞳ではない。
もっと大切な、大事なものを守りたいという瞳だ。
それがくっきりと、鮮明に思い出される。
(違う! 違う! 違う! 俺は正しい。正しいんだ!)
自分を覆いつくそうとする心からの濁流を、ついにルークは胸に手を当てて直接止めにかかる。
そして、強引に違うこと、今できることを考える。
(そうだ! オールボンから教わったやつを今のうちに……)
思考を追いやる格好の場所を見つけたとばかりに、ルークは『特別な力』の制御の練習に入る。
空気を流れるマナ。
その莫大なエネルギーは、今あの部屋に閉じ込められていた場所から、奈落へと、ティアマットの場所へと向かって行くのを明確に感じた。
ティアマットを考えると自分の所業に再び目が向きそうになるので、ルークは大気に漂うマナに集中する。
………………
できた。
激戦の末、あちこちが陥没しているムクロの玉座の穴を少しだけ、思い通りに広げることができた。恐らく力を籠めれば、これ以上も可能であろう。
まだ実戦で使えはしないが、このまま修行すれば……
(いいのか……?)
このまま強くなって良いのだろうか?
また、言葉を話すヤツを殺してしまうんじゃないだろうか?
そうなってしまうと―――
また、罪悪感の濁流、良心の呵責が襲来し、ルークは再び胸を押さえた。
ちょうどいいところに、ラルクが、ただ盲目的に従えばよい導き手が戻って来た。
「どうした? 具合が悪いか?」
「いや、何でもない。ちょっと傷がないか確かめていただけだ」
「……そうか……安心しろ。次で最後だ。それ以上は、俺達に振り回されることはなくなる」
ラルクは何かを察し、現状最大限ルークを励せる言葉を紡いだ。
ただ、その言葉でルークは、これ以上心の葛藤に悩ませらなくて済むと安堵すべきか、それとも寄り縋るべき者の喪失と捉えるべきか、決めかねた。
しかし、それがもう少しだけ先であることを思い、今はただ前を行くラルクについて行くことにした。そうすれば、ひとまずは何も考えなくて済むから。
コトン……
ムクロの玉座を照らしていた燭台が折れた。紫紺の炎も消える
ジャジャラとの戦闘で、瓦礫か、地割れで蝋燭を支えきれなくなったのだろう。
ルークは、その音を聞いて少しだけ振り返り、しかしすぐにラルクの方に振り向いて、ムクロの玉座から走って行った。
まっ!
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