天才少女リリカルたばね (凍結する人)
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プロローグ:高町なのはと、篠ノ之束

性懲りもなく戻って参りました。
まずはお読み下さい。


 私は天才だ。

 別にかっこつけて言っている訳じゃなく、誇大妄想でもない。本当にそうなのだ。

 聞いた言葉はすぐに覚えるし、覚えたことは絶対に間違わない。足し引きを教えられた次の日には、掛け割を理解していた。

 漢字が難しくて読めない本があった時は悔しくて、その日のうちに、一睡もせずに常用漢字を全部覚えた。

 周りの同い年がまだひらがなもロクにかけないそんな時、私は大学の図書館に入って数学の本を読み耽っていた。

 あの時は楽しかったな、と思う。一つ分かったら三つ謎が生まれて、それを解いたらまた五つの不思議が生まれてくる。

 目の前の世界は無限に広がっていて、私はそれを全部解き明かしてやろうと息巻いていた。今だってそうだけど。

 そうしていたらいつの間にか、飛び抜けて頭のいいけど変な子だ、と噂されていた。親にも煩く言われた。もっと子供らしくしろ、外で遊んで友達を作りなさい、と。

 反吐が出るような思いだった。私は私の楽しいことを思い切り頑張っているのに、それをどうして阻まれなきゃいけないのだろうか?

 だから無視した。そのうち会話もしなくなった。向こうも向こうで、どこまでも年に似合わず頭だけがよくなり続ける私を不気味に思ったのだろう。

 でも、親の忠告というのは、やはり……ちょっぴりだけ、正しかったのかもしれないと、今では思う。

 

 物心ついてから三年。ちょうど小学校に入るときには、もう全部知ってしまった。

 物理学、数学、化学、地理学、語学、歴史学……学問というのは並べてみると数だけは多いが、私からしてみれば皆大したことはない。

 ぜんぶぜんぶ、単純だった。

 そうしてあらかた覚えてしまったあと、私は知識をもとに物事を予想することに楽しみを求めた。

 この出来事の結末はああなるだろう。あの事象があるから次はこうなるだろう。

 今まで積み上げてきた情報や知識から、未だ見ぬ事象を妄想し、そこに未知を求めるのだ。

 それは、たしかに楽しかった。

 物理法則だけでなく、人の心の動きすらも、私は予想し想像し。それがぴったり当てはまった時はいつも心地よく、全能感が精神を満たす。

 いつも、いつも。そう、いつもそうだったのだ。

 私が予想を外すことなど一つもなかった。

 全てが私の思い通りに、考えた通りに進行していく。政治も経済も地殻変動も近所の喧嘩も、どの結末も、的中させる事ができた。

 そうすると、つまらなくなっていく。

 だって、何もかも予想した通りになってしまうのだもん。

 

 あーあ! 未知の出来事を体験しても、寸分違わず予想通りになってしまう時の失望感といったら!

 

 要するにクイズの答えに正解するより、間違うことのほうが嬉しくなれるのだ、私は。

 だってそれは、自分の頭のなかにまだ「知らない」事があるっていう証拠だから。

 知らないから間違える。わからないから迷ってしまう。知っているのに間違える、なんて愚かなことはしない。

 幼い頃の私は、知らないことだらけ、わからないことで一杯なこの世界が大好きだった。

 でも、三年経った私は違う。全てを知って、飽き飽きしてしまっていた。

 

 これが自惚れや勘違いでああったらいいのに、と何度も思った。

 しかしその時、世界は全部、篠ノ之束の想定内であった。

 外周40077km、私の頭囲を七億倍にしてもなお届かないほど大きなこの地球。

 でも、その表面で起こっている事故、事件、発明、そして戦争ですら。

 私の予想を一片たりとも超えてくれなかった。

 

 だから、この世界はつまらない。つまらないったら、つまらない。

 

「つまらないな」

 

 親によって小学校へ入学させられてから、ちょっと経ったある日のこと。

 クラスもクラスメートも、何一つ自分の予想をはみ出してくれなかった失望から、私は普段他人に漏らさない本音を、ぽろっと口に出した。

 そうしたら。

 

「つまらないの?」

 

 という返答が、隣で歩いていたモノから出てくる。でも、それは分かっていた。予測できていた。

 それが尚更つまらなく感じて、普段なら他人なんて無視して歩いて行くところなのに、私は言い返した。

 

「つまんないよ」

「何がつまらないの?」

「全部」

 

 でも、こんなのに付き合っていたって時間のムダだし、非生産的で面白くない。

 だから、とっとと行っちゃおうと足を早めたこちらに、“それ”は生意気にも反論してきた。

 

「つまらなくなんて、ないよ」

 

 私は少し怒った。その言葉に理由はなくて、ただ感情と常識だけで否定されたと分かっていたから。

 そういう否定は、私が一番キライで聞きたくない言葉だった。

 そういう訳で、私はとてもムカついた。虫の居所が悪くなっていた。だから、更に言い返すなんてことを、してしまった。

 

「どうして? 私にとってはつまらないよ? 何もかも分かっているのだもん」

「どうしても、だよ」

「理由になってない、めちゃくちゃじゃん、そういうの嫌いだな」

「なってないけど! でも、つまらなくはないんだ」

 

 私は、自分より背の低い“それ”に向かって振り向いて、手を伸ばし制服の襟を掴み上げた。“それ”は簡単に持ち上がり、両足は地面から離れ、ぶらぶらと宙へ浮いた。

 自慢じゃないが、私はろくに運動などしてはいないけれど、何故か力が強く体力もある。そういう意味でも天才なのだ。

 

「う、ぅ……」

 

 “それ”の呻きを聞きながら、私は多分、ものすごい表情をしていたはずだ。

 

「どうして? 何の理屈も、納得できる理由もなしに。勝手にそういうこと言わないで。私に全部つまらないの。お前とは違うんだよ」

「だ、だって……だっ、て!」

 

 そんな私の顔を見た“それ”が普通の女の子なら、とても怯えたことだろう。怖くて怖くてすぐにでも逃げ出したくなるのが当たり前だ。

 簡単に予想できることだったから、私は“それ”が逃げようとすれば、すぐに逃してやろうと考えていた。予想の範疇に収まるやつと関わっても、時間の無駄だと考えていたからだ。

 でも、“それ”は逃げなかった。

 どうして逃げなかったのかは、今でも分からない。本人に聞いてみれば、ただ一言、

 

「それがあの場で一番正しくて、やらなきゃいけないことだと思ったから」

 

 なんて話すだろう。

 

「そんなのだめだよ。全部つまんないって決めちゃうのは、だめだよ」

「どうして?」

「だめ、そんなの……いやじゃないの?」

 

 “それ”の問に、私は首を縦に振った。

 ああ、つまらない。イヤなんだ。この世界が。そんなことは、とっくのとうに分かっているんだよ。

 今更他人が言わなくたって、とっくに!

 私はまたムカついて、今度はもう片方の手も出して、“それ”の首を直接掴んだ。

 柔らかい肌と、喉の感触があった。

 

「う、ぁう」

「何もかも分かっちゃうんだよ。全部自分の思い通りになるんだよ。だからつまらないよ。ね、君がどうにかしてくれるの? というか、君、誰? このつまらない世界を、面白くしてくれるの?」

 

 底冷えした、棒読みの言葉。でもその最後の方は、怒りでなく、願望の発露だった。

 だって、“それ”は。私と同い年の少女は、逃げなかった。

 私はあの時手加減なんてしてなくって、窒息する寸前まで首を絞めていた。だから喉は痛くて、塞がれた息は苦しくて。十秒以上そうしていたので、意識も朦朧としていたはずだ。

 

 でも、あの子は逃げない。

 それどころか、澄んだ瞳ではっきりまっすぐと、私の目を見つめてくる。

 

 実に久しぶりの、予想外だった。

 

「……うん」

 

 抑えられた喉から、無理やり絞り出すような一声。想定外の言葉。言い訳でも逃げでもない、本心からの宣言。

 何も考えてなくて、道筋なんて決まってなくて、それでもちゃんと、決意に満ち溢れている台詞。

 

「きみが……たのしく、ないなら……わたし、おしえてあげる」

「何を。天才の束さんに教える? 何を?」

「つまんなく……なんか……ない……って……みんな、みんな、みんな」

 

 私は手の力を緩める。女の子の体がすとん、と落っこちた。

 しばらく、ぜえぜえ、けほけほと咳をしていた女の子を前にして、私は自分の手のひらを見つめた。

 どうして力を緩めた? なんで彼女を解放した?

 そうする理由はない。あんな妄言、理屈もなにもない戯言なんて無視すべきなのに。天才なら。

 なのに、なんて言葉を使うのは、どれくらいぶりのことだったか。

 

「ここには、みんないるから! おとーさん、おかーさん、おにーちゃん、おねーちゃん! ほかにもいっぱい、クラスメートにせんせいとか!」

「それがなんだって言うの!? 束さんには全部分かるんだ! 心も思いも何もかも!」

「そんなの、ただの勘違いだよ!」

 

 女の子が私の頬めがけて平手を振るう。思い切り腕を上げて、大振りなモーションで。

 その攻撃を、私はぱしっと抑えこんだ。大きく振られた細い手首を掌で受け止め、握りしめる。跡が残るくらいに、強く。

 

「勘違いなはずあるもんか! 束さんは天才だよ! 全部分かっちゃうんだよ! そうなっちゃうんだよ!!」

「それは違うよ! 束ちゃんがそう思い込んで、周りに目を向けてないからだよ」

「違うっ! 私にはもう、そうする必要だってないんだっ! 全部知ってるし、分かってるから!!」

 

 女の子はもう片方の腕で私を叩こうとした。それも私は受け止める。

 

「そんなことないよ、絶対に!」

「はぁっ!? お前に束さんの! 天才の何が分かるんだよ! そうだ、お前には何もわからない! 束さんの心なんて、絶対に!」

 

 私の叫びに、女の子は一瞬悲しそうな顔をしてから、

 

「……うん、わかんないよっ!!」

 

 と、いっそ清々しいまでに勢い良く、叫び返した。

 当然、私は激高した。

 

「はぁっ!? 意味がわからないよ、それでなんで、私に向かっていくんだよっ!」

「分からない!! 私、束ちゃんと話すのも初めてだし、喧嘩するのも初めてで、だから分からないんだよ!」

「うん、それはそうだ、でも、じゃあなんで私に立ち向かっていくんだ!」

「だって……束ちゃん、泣いてるから!!」

 

 はっ、と気づいた。自分の目から、うるうると、流れ出していくものに。

 見れば、女の子も泣いていた。二人、泣きじゃくりながら取っ組み合っていた。

 

「あ……」

「今だけじゃないよ。『つまらない』って言ったとき、束ちゃんのその声は、泣いてたんだ。私にはそう聞こえたの。だから、私は言い返したんだ」

 

 そう言われれば、私はもう、唖然呆然であった。

 女の子の言うことがとても信じられなくて、でも、無性に胸が熱くなっていた。

 

「それだけ……!? それだけなの!? そんなことが理由なの!?」

「そうだよ」

「……私、最初はお前が死んじゃっても良かったって思ってたんだよ?」

「それでも、行かなきゃって思ったの。私は束ちゃんを、助けたかった。わかり合いたかった。そうできないと、私、イヤなんだ」

 

 この子はどうしても、私を放っておけないみたいだ。

 なんの理由も因縁もなくて、ただ傷つけただけの、この私を。

 まだ強く握っている両掌、そこから伝わる、この子の体温。他の人間みたいに鬱陶しくない、しっとりとして肌に馴染む、熱さ。

 

「どうして? 面倒くさいから? 迷惑だから?」

「かも、しれない……でも、それだけじゃ、ないと思う……うまく言えないんだけど……」

 

 私の問に、女の子は戸惑う。それを見ても、私は何も苛つかなかった。

 普段なら、他人が迷う様を見るのは苛立たしいか、それとも嘲笑いたくなるかなんだけど。

 でもこの時は、なんだかとても、親近感を感じた。

 それは、私も同じように迷っていたから。

 胸の奥からとめどとなく湧き出てくるこの気持ちを、どう形容していいか、分からなかったのだ。

 だから、代わりに。

 

「ねえ、君、名前は何ていうの?」

「え……?」

「名前。What's your name?」

「えと……なのは……高町なのは」

 

 その名前を聞いて、私は漸く自分の心の落とし所を見つけた。

 高町なのは。目の前の、ツインテールで、ぐすぐす泣いてて、鼻水まで流してて、でもそんな所がなんだかかわいい女の子は、高町なのは。

 そう考えると、すっと落ち着いた。これでいいんだと納得できた。

 要するにこの諍いの結果と成果は、こんな素敵な女の子の名前を聞けたということなのだ。

 

「なのは。じゃあ、なのちゃんって呼ぶね。私は、篠ノ之束」

「うん、束ちゃんだね。私覚えてるよ、自分のクラスメートだもん」

 

 なのは――なのちゃんがその事実を告げて、初めて私は思い出した。

 そうだ、この子私の同級生で、クラスメートだ。

 クラスメートの名前は全員覚えているはずなのに、どうして今まで思い当たらなかったんだろう。

 きっとそれは、その情報が私にとってさして重要なもので無かったからだ。

 私は高町なのはという名前を確かに脳裏にInput(記録)しては居たけれど、Remember(想起)したことは無かった。そうする必要が無かったから。

 でも、もうきっとすぐに思い出せる。胸に刻んだ、初めての名前。

 

「なのちゃん」

 

 反芻するように呼びかける。

 

「束ちゃん」

 

 返してくれる。それだけ。ただそれだけのこと。でも、はじめてだった。

 なまえをよんで、よばれて。

 

「なのちゃん。私、まだ楽しくもなんともないけど……もう少し、待ってみるよ」

「そっか。じゃあ、私が連れて行ってあげる」

 

 なのちゃんは、目の下を赤く腫らした涙を拭った後、私に向かって手を伸ばしてくれた。

 私はそれを手にとって、しっかり握った。

 

「束ちゃんがつまらなくない、楽しいって思える世界に。それはきっと、束ちゃんが思うより直ぐ側にあって。でも、見つからないだけなんだ。だから、私が探すの手伝うよ。一緒に探そう?」

「……うん。なのちゃん、ありがとう」

「だから、私からお願い。私の事……もう、忘れないで。今、他人みたいに話しかけられて、とても悲しかったから」

 

 忘れるもんか。心の中ではそうぶっきらぼうに言い張った。

 こんなに真っ直ぐで、愚直なまでに真っ直ぐで――そのまま一直前に、自分に向かってくれる人。

 

 私にはなのちゃんが分からない。どうしてそこまで私に拘るのか。私に反対するのか。何の理由も無いのに私を否定して、でも私を救いたいと思ってくれる。正直怖くなるくらいに、私はなのちゃんを理解できない。

 逃げ出したくもある。彼女から。今まで理解したどんな数式でも分析できない、訳の分からないものから。

 

 でもだからこそ、素敵に思える。面白いと、言える。

 

 なのちゃんから、絶対に逃げないことにしよう。大体、こんな理屈も何もない理論を解析できないようでは、自分を天才だなんて言えないし。

 ああ、こんな娘が居るなんて。やっぱり、世界は自分の思っていたより、少しだけ鮮やかで、美しいのかもしれない。

 結論を急ぎすぎていたみたいだ。少なくとも、もう20年くらいは待ってもいいだろう。

 それまで、もう少しだけこのままの世界で暮らしてみよう。面白おかしく。

 

 なのちゃんとなら、この色褪せた世界でも、少なくとも白黒くらいには塗り替えてもらえそうだから――

 



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第一話:天才のとある一日

リメイクですから、向こうより読みやすく、を意識して書いてますけどどうでしょう。


……PIPIPIPIPI……束ちゃん、朝だよ、起きて♪……PIPIPIPIPI……

 

「うぅぅん、なのちゃぁん」

 

 篠ノ之束は布団に包まりながら、自分と似た声が録音されている目覚まし時計を止める。

 ベッドからむくりと起きて、カーテンから差し込む太陽の光を浴びると、それでもうすっかり目が覚めた。

 それから、青い人参柄の寝間着でベランダまで歩いて、ガラス窓を開き外の空気を浴びたら、

 

「……気温は17度、湿度50%、朝から晩まで快晴。うん、小春日和だね♪」

 

 今日の天気を予報して、自分の頭脳と肉体の健常さを試した。

 身体で感じる外気のみを情報として、朝一で頭脳をフル回転し「予測」するこの天気予報は、しかし気象衛星の予報など目じゃないほどの正答率を誇る。

 僅かな情報から正当を引き当てるのは中々に骨の折れる作業だが、束にとってはこれがまた、いい準備運動になるのである。

 結果は、今日も快調。この世の中で最も優れた頭脳も肉体も、寸分狂いなく在るという結果に、束は満足した。

 次はクローゼットを開いて寝間着を脱ぐ。

 九歳にしては発育のいい束は、上着の下に一丁前にブラジャーなどを付けている。淡桃の下着はどちらも子供らしくなく、おしゃれでいて少し色っぽい。

 クローゼットの中から引き出した衣服は、小学校の制服――ではない。青と白のエプロンドレスだ。

 あっという間にそれを着て、次は部屋に備え付けた洗面台で髪を整える。まっすぐ下ろした赤紫色の長い髪は、普段から丁寧に手入れされていて、見る人を振り向かせる色艶があった。

 それが終われば、最後に机の上からウサミミ型のカチューシャ・メカを手にとって、頭の上に乗っける。

 これで、篠ノ之束のコスチューム――彼女の友人の友人二人から言わせれば、「一人不思議の国のアリス状態」――が完成した。

 鏡の前でコスプレじみた自分の姿をひとしきり眺めて自画自賛した後、束はようやく、家族の待つ下階に降りていく。

 

 ちなみに、現在の時刻は午前七時五十分。

 小学生がのんびり朝の準備を終えるには、少し遅すぎる時間帯であった。

 

「束! 早くしないと遅刻しちゃうわよ?」

 

 だから、リビングに降りた束を待ち受けていたのは、束の朝ごはんを用意しながらも心配そうな母親、篠ノ之沙耶の声だった。

 束は自分の母親相手に、いかにも退屈そうな顔で――しかし目線はしっかり合わせて、答えた。

 

「大丈夫大丈夫、もーまだ分かんないかなー、束さんの行動は何から何まで計算ずくなんだって」

「でも、いつもだって起きるの遅いけど、今日はいっとう遅いじゃない! お父さんだってもう境内に出ちゃったわよ?」

 

 沙耶の不安そうな言葉をよそに、束はテーブルにつく。

 そして、既に並べられていた焼き鮭に味噌汁に白米の純和風な朝食をかっこみ始めた。

 お椀を引っ掴んでがつがつ口の中に注ぎ込むような食べ方である。

 

「もう、束ったら、女の子がそんな食べ方しちゃいけないわ」

「ひーのひーのらいじょーふ」

「またお父さんに叱られてもいいの?」

 

 ごっくん、と最後のご飯粒を飲み込んだ束は不機嫌そうに答える。

 

「いいよーだ、あんなハゲ親父が何を言ったって関係ないもんねー」

「こら、束! お父さんのことをそんな風に言っちゃいけないでしょ!」

「べーだ」

 

 母親の叱咤も束には、暖簾に腕押し糠に釘。全く聞き耳を持たない体たらくだ。

 しかし、これでも束にとって、また、束の両親にとっては、まだ良好な関係と言えるのである。

 何故なら、ほんの一年前までは、こうして会話することもほとんど無かったのだから。

 天才として自己を確立した束は、もう両親と会話する必要を感じず。そんな束を、両親の方は理解できずに気味悪がり。

 そんな形で塞がった現状が、ある日突然、

 

「……今日の晩御飯は……なんでもいいけど……うん、なんでもいい。それだけ」

 

 という束からの一言をきっかけに、ゆっくりと氷解していったのだ。

 それから更に一年かけて、今はようやく、母親とまともに会話を交わせるまでになった。

 最も父親とは相変わらずそりが合わず、口を開けば喧嘩腰になってしまっているのだが。

 

「はい、ごちそうさま」

「ごちそうさま。歯磨きは?」

「大丈夫、ちゃんとするって」

 

 沙耶に小言を言われながら、束は懐から緑色の小さいガムを取り出して口に含む。

 そして、十秒ほど咀嚼してからぺっ、と外に出し銀紙に包んで捨てた。

 

「束、それは?」

「新発明の束さん特製完全歯磨きガム。これを十秒噛むだけであら不思議、歯ブラシ要らずで歯垢も食べカスも全部取れちゃうのさ」

「まあ、また何か作ったの」

 

 沙耶のつぶやきに、束は首肯する。

 妙なものばかり作る発明少女、というのが海鳴市での束の肩書みたいなものだった。

 

「はい、終わりっ、それじゃあ行ってきます」

「急ぐのよ。まだ神社前のバス、あるとは思うけど」

「だいじょーぶだって、昨日秘策を用意したのだっ」

 

 束は玄関に向かい歩き出し、靴を履いてドアから外へ出た。

 と思いきや、ぐるりと庭を回ってリビングの窓の向こうまで歩いていく。

 何事か、というように見つめる沙耶の目の前で、束は。

 

「かうんとだうーん。すりー、つー、わん、ふぁいあー!」

 

 背中に背負ったランドセル、ではなく人参型単装ジェットパックに点火して、轟音を残して飛び立っていった。

 

「……まぁ、相も変わらず……」

 

 真っ直ぐ飛び上がる自分の娘を見て、沙耶夫人は目眩を起こし、こめかみを強く押さえた。

 

 そんな母親の様子を知ってか知らずか――という表現は正しくないだろう、恐らくはもう『識っている』――束は、海鳴の空を飛ぶ。

 その時速は時速150km以上。だから同じ市にある小学校まではあっという間なのだが。

 あっさり通り抜けてしまった。

 それもそのはず、束の現時点での目標は学校ではない。

 目指すはそこから5kmほど離れたバス乗り場。8時10分着11分発、今日の交通情報を予測すればプラス二分程度、だから十分に間に合うはずだ。

 束はエンジンの出力を下げて飛行高度を落とす。体が重力と慣性に従い、斜め下へ一直線に落ちていく。

 

「いやっほぉぉお!」

 

 閑静な住宅街が見えてくる。着陸先は歩道だ。

 そう、ちょうど短いツインテールな茶髪の女の子がバスに乗り込もうとしているその瞬間に。

 

「なーのちゃーん!!」

 

 くるくる、と前転して勢いを殺し、しゅたっ、と着陸した。

 

「あ……束ちゃん」

 

 そんな束の姿を、なのははバスのタラップに片足を乗っけながら見つめていた。

 これが、束の目的である。なのはの家と束の家は学校を挟んで真逆の方向だが、しかし束は、なのはと一緒に学校へ登校しなければ気がすまないのだった。

 

「なのちゃんおはよう!」

「うん、束ちゃんおはよう」

 

 ウサミミ少女の唐突な着陸シーンを見て呆然とするバスの乗客。しかし束となのはは極平然に挨拶を交わした。それがまるで極普通のことであるように。

 

「今日は空から来たんだね」

「そうだよー、昨日作ったばかりの携帯型軽量ジェットパックだよ。今『分解』するからちょっと待っててね」

 

 そのまま二人はバスの奥、ちょうど二人分の隙間が空いている最後部座席へ向かい、並んで腰掛けた。

 そして、束が胸元に背負い込んだ人参ジェットが、彼女の右手で引っ掻くように触られると。一瞬で細かい部品単位まで『分解』されて、そのまま彼女のバッグに仕舞われた。

 これが、篠ノ之束の得意技の一つ、『分解』である。おおよそこの世にある機械やメカならば、束の天才的頭脳がそれを解析して、指先の僅かな動作だけでバラバラにしてしまうのだ。

 

「束ちゃんのそれ、何時見ても凄いね……あ、そうだ。ジェットパック、後でなのはにも使わせてよ」

「あーごめん、これ小さくしたから燃料が片道分しかないのだよ。だから、また私の家に遊びに来てくれた時でいいかな?」

「うん、楽しみにしてるね!」

 

 二人は和気あいあいと語りあう。小学一年生の頃からずっと友達で、クラスも一緒。

 まさに仲良しこよしの大親友、そんな二人の微笑ましい朝の会話と言うべきだろう。

 

「…………」

 

 その両脇で、金髪と濃い紫髪の少女が二人、揃って硬直していることを除けば。

 

「あ、束ちゃん。アリサちゃんとすずかちゃんにも、おはようだよ」

「え……あ、そうだ。おはよう」

 

 先程の「なのちゃんおはよう」よりもかなり投げやりなおはようが放たれてから、二人は漸く意識を取り戻した。ついでにバスも発車した。

 

「え、あ、おは、よう……」

「お、おはよう、束ちゃん」

 

 顔の筋肉が上手く動いていないようで、引きつり気味なおはようを返した二人の名は、アリサ・バニングスと月村すずか。

 二人共、束と同じく高町なのはの親友である。

 しかし束にとっては、あくまで「友達の友達」にしかすぎないので、

 

「ちえっ、この束さんが挨拶してやったんだからさ、君たちももう少し元気に返してもいいんじゃない?」

 

 などとのたまうのであった。

 

「あ、アンタねぇ、そんなこと言われても、今のあれ、何よ」

「何って、見てわからない? 全力疾走も電動スケボーでかっとぶのもいまいちマンネリ気味だったから、今回は空から飛んできたの」

「はぁっ!?」

 

 人間が空を飛ぶなんて、不可能ではないけど色々と難しいことだ。しかしそれをさらっと成し遂げ、ごく簡単なことだと喋る束にアリサが驚く。

 

「いっつも思うけど、アンタほど無茶苦茶な小学生は居ないわよ」

「そりゃそうさ、束さんは天才だもん。天才というのはそういうものなんだ」

 

 鼻高々に宣言して憚らない束。アリサとすずかは苦笑いを浮かべるが、ただ一人なのはは、

 

「そうだよね、束ちゃんは凄いよ」

 

 と、素直すぎるくらいに明るく賞賛していた。

 

「あはは、そうでしょそうでしょ! 束さんは天才だからね! さぁもっと褒めて!」

「うんうん、凄いよ、束ちゃんは」

「あははははは! なーのちゃーん! なのちゃんなのちゃーん!!」

 

 褒め言葉を受けて馬鹿笑いしていた束は、ついに嬉しさの余りなのはへ抱きついた。

 そのまま胸元へ頬ずりするのを、なのははただ受け止めて、後頭部を優しく抱きしめたりもしている。

 スキンシップと言うには少し距離が近すぎるかもしれない触れ合いに、両脇の二人はただただ圧倒されっぱなしだった。

 

「……アリサちゃん」

「うん、言いたいことは分かる、分かるから言わなくてもいいわよ」

「いや、でも言わずには居られないかな。いつものことだけど……なのはちゃんって、よくああいう対応ができるよね」

「それがなのはのいい所……と思いたいわ。ちょっと行き過ぎ感半端ないけど」

 

 仲良しを通り越してもはやいちゃついている二人を見て、嘆息するアリサとすずか。

 バスが学校へ着いて全員降りても、状況は何ら変わらなかったが、二人ともそれを窘めようとはしなかった。

 それは、なんだかんだ、束にしてはこれでも抑えめになっている方だからかもしれない。

 なのはと知り合ったばかりの束のべったりぶりは、それはもう酷かったのだ。

 朝から晩までずっと今朝のようなテンションで一緒に居たがり、誰かが話しかけようとしたら舌打ちして追い払う。あげくに、家族とか関係なしに一緒にいたいからと、高町家に無断で居候しようとするくらいだった。

 それに比べれば今は、ここまでなのはにべったりしているのは朝だけで、授業中にはちゃんと静かにするし、なのはが二人と遊びたい、と言えばきちんと離れてくれる。

 大分マシになっていると言うべきだった。

 

「はい、皆さんおはようございます」

「おはようございまーす!」

 

 束たちが教室へ着くとちょうどチャイムが鳴り、教師が入ってきて挨拶した。

 学校の名前は、私立聖祥大附属小学校。小学校から大学までエスカレーター式の私立聖祥学園、その小等部で、親にはそれなりの学費、本人にはそれなりの学力が要求される。

 制服は男女共に白を基調としていて、統一された色彩がいい子で並ぶ教室は、見る者に秩序と規律を思い浮かべさせるものであるはずだが――このクラスだけに、一際異彩を放つ存在がある。

 無論、篠ノ之束のことだ。

 束だけが只一人、お気に入りのエプロンドレスを着込んでいる。彼女は体育の時も体育着を着ずに、このドレスで授業を受けるのだ。

 

「篠ノ之束さん」

「はぁい」

 

 いかにも適当そうに手を挙げて答える束に対し、教師は眉を僅かに歪めるだけで叱責しない。

 どうやら、彼女の自由奔放っぷりの矯正を、既に半ば諦めているようだった。

 制服のこともそうだが、束は大人が何を注意しても叱ってもどこ吹く風で、気にも留めずに我を通す。

 そして束には、大人相手に我を通すだけの力と頭脳もある。

 束の態度が問題になり、校門で制服のチェックが行われた時などがいい例だ。

 その時束は、教師たちの目には制服に、しかしその他の人間にはエプロンドレスに見えるカムフラージュ制服を発明して着て行き、堂々と校門でのチェックを通り抜けたのだ。

 ここまでされては、と束の我の強さに教師が折れる形で自由服装を認められた。

 しかしそれでも、束にしてみれば柵だらけで、雁字搦めなのが学校という場所だ。

 朝8時半から15時まで、六時間も拘束されて、束にしてみればずっと昔に覚えてしまった極易しい知識をだらだらと垂れ流されるだけなのだから。

 しかし束は、どれだけ不承不承でも、不真面目でも。ちゃんと毎日学校に通って、遅刻一つしていなかった。

 

「高町なのはさん」

「はいっ!」

 

 束とは打って変わって、元気に返事をするなのは。

 このなのはこそが、つまらないルールだらけの学校に、束を繋ぎ止める鎹であった。

 要するに、なのはに会えるから学校へ行くのだ。

 なのはと六時間、同じ時間を過ごせるからこそ、つまらない授業に付き合ってやって、ガキみたいなクラスメートとも一緒に居てやるのだった。

 そんな訳で、束は授業中椅子に大人しく座りながらも、授業は何も聞かずに新しい発明のアイデアを纏めつつ、授業を真面目に受けるなのはを見ながら過ごしている。

 だから、朝の挨拶から意識は飛んで、次に教師の言葉を意識したのは、二時間ほど経ってのことだった。

 

「この前皆に調べてもらった通り、この街には沢山のお店がありましたね」

 

 所謂「総合的な学習の時間」に移って、教師は「お店しらべ」についての話をしていた。

 この街、つまり海鳴市にある様々なお店について調べて、纏めて発表するというのが学習の内容だ。

 

「このように、色々な場所で色々な仕事があるわけですが」

 

 教師はここで一拍止めて、束たちを見やった。

 だが、束にはそこから先の言葉を安易に予想できてしまうので、興味の欠片も持たずに目を背けている。

 

「みなさんは将来、どんなお仕事に就きたいですか? 今から考えてみるのも、いいかもしれませんね」

 

 ほら来た。と束は内心で辟易した。

 要するにこの学習は、お店についての調べ学習であると同時に、生徒へ自分の将来について考えさせるためのものなのだ。

 しかし、束にとってそんなことは――今更改めて、考えるような問題ではなかった。

 だから、授業が終わったお昼休みになのはと、ついでにアリサやすずかとも一緒に屋上で昼食を食べながら、束は愚痴を漏らすのだった。

 

「あー、つまんない! 今日もまた超絶つまらない授業だったよ!」

「にゃははは……そうなんだ、私は結構考えさせられたんだけど」

 

 屋上のベンチに座りながら束は不機嫌を顔に浮かべてお弁当を食べる。

 なのははどうやら、先程の授業が胸に留まっているようで、

 

「うーん、将来かぁ……束ちゃんは、もうだいぶ決まってるの?」

 

 と語っていた。

 

「そんなの勿論だよなのちゃん! だーかーらつまんないって言ってるの!」

「そっか。ねえ、教えてもらってもいい?」

「当たり前!」

 

 束はムッとして、胸を張って自分の抱負を述べる。

 

「私はね、天才だからね! 科学者として素晴らしいものを発明して、この世界を面白く変えて見せる! それが天才ってもんでしょ! ね、ね!」

「ふうん、そっかぁ……ね、アリサちゃんと、すずかちゃんはどうなの?」

 

 大きくなったら宇宙飛行士になる、というレベルで突拍子もなく抽象的な宣言は、物凄く自然に、さらっと受け止められた。この場にいる誰も、束ならもうそれでいいんじゃないかなと思っているのだ。

 なのはは続いて、もう二人の友達にも意見を求める。

 

「え、私? えーと……まぁウチはお義父さんもお母さんも会社経営だし、いっぱい勉強して後を継ぐくらいだけど」

「私は機械系が好きだから、工学系の専門職がいいなって思うけど」

 

 こちらも、少女にしては妙に具体的かつ現実的なプランである。

 それを聞いたなのはは益々憂鬱になっていくなようで、声のトーンが下がっていく。

 

「そうなんだ……はぁ、三人共、凄いね」

「え? なのはだって、お家の跡継ぎ、喫茶翠屋の二代目って道がちゃんとあるじゃない」

「うーん、それも将来のビジョンの一つではあるんだけど、でも……」

 

 理に適ったアリサの指摘にも、なのははやはり、納得しない様子だ。

 

「やりたいことが、他に何かあるような気がするんだ。けど、まだそれが何なのかはっきりしないんだ」

 

 既に将来のビジョンを固めている三人を見て、なのはは劣等感を抱いているようだ。

 少なくとも、会話を聞いた束にはそう見えていた。

 だから。

 

「私、皆と比べて、なんの取り柄も特技もないから」

 

 そう言ったなのはへ、アリサが怒るよりもずっと早く。

 

「違う!」

 

 びしっ、となのはを指差して、叫んだ。

 

「束ちゃん……?」

「なのちゃんにしか出来ないこと、やれること、きっとあるよ! 何処かにある! だってなのちゃんは私の友達だもん! この天才の束さんが、ただ一人、そうただ一人! 友達って言える存在なんだ! だから凄いの! それが当然!!」

 

 急に言葉を叩きつけられたからか、ぽかんと口を開けるなのはと、その友達二人。

 束はお構いなしに持論を述べ続ける。

 

「なのちゃんはたまにそういう自信無いこと言うけど、私はなのちゃんのこと、凄い子だって分かってる!」

「で、でもなのはの成績、束ちゃんより悪いし……」

「それは尚更当たり前! 私が天才だからね! でもっ! そういうことじゃない!」

「じ、じゃあなんなの!? 私の凄い所って、何!?」

 

 そう聞いたなのはに、束は、

 

「それは…………それは…………うん、わからない!」

 

 と言って返すのだから、他の三人はそろってずっこけた。

 

「た、束ちゃん、それは無いと思うよ……」

「そんだけ自信満々に言って分かんないとかどういうことよ!?」

 

 ツッコミを入れるすずかとアリサだが、それでも束は揺るがずに、

 

「この私が、天才の私が分かんないことなんだよ。だから、きっと凄い才能があるんだよ。なのちゃんにはね」

 

 と、言ってのけた。

 

「た……束ちゃん……!」

「ふふー、なのちゃん。私はこの脇役二人のことは脳味噌の裏っかわまで全部分かるけどね」

 

 脇役とは何だ、と騒ぐアリサを無視して、束はなのはに語りかける。

 

「なのちゃんのことは、まだ分からないことだらけなんだ。おかしいでしょ。二年経っても、べったりくっついても、まだまだ全然分からない。奥が深い。一つ見えたら十個謎が生まれる、だから……なのちゃんはきっと、私よりもずっとずっと、特別なことが出来ちゃうんだよ」

 

 それは、束の混じり気なしの本心であった。

 

 




篠ノ之沙耶……篠ノ之家母。オリキャラでございます。これと言って優しくも厳しくもない、ですが人並みくらいには娘を思う母親です。


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第二話:出逢い

 学校が終われば、なのはとアリサ、すずかは塾へと向かう。今年になって、三人で塾に通うようになったのだ。

 一方、束はこの塾には通っていない。学校という苦行を六時間潜り抜けて、更に塾まで通うのは、流石になのちゃんが一緒でも辛いから、というのが理由だった。

 しかし、やはりなのはとは別れ難いのか、

 

「なのちゃんこっち、塾へ向かうにはこっちが近道なのだよ、ちょっと道は悪いけど」

 

 下校後歩いて塾へ向かう三人にピッタリついていき、ちょっかいを出したりしていた。

 

「……まぁ、アンタが言うなら間違いはないわよね。行くわよ二人共」

「うんっ、束ちゃんも一緒に行く?」

「勿論だよ!」

 

 束の案内で三人が歩くのは、自然公園の小道である。アスファルトの道路よりもデコボコしているが、公園の中を一直線に通り抜けるのだから、ショートカットになるだろう。

 そうして、アリサとすずか、なのはと束の二人組に分かれて、ワイワイ話しながら歩く。極普通の小学生、仲良し四人組として。

 だが。

 

「――?」

 

 唐突になのはが立ち止まる。

 あまりにも突然過ぎて、気付かず数歩先まで歩いてしまった束は、急いで戻ってなのはに問い質す。

 

「どうしたのなのちゃん?」

「え……ううん、なんでもない、ごめんごめん」

 

 そんななのはの返答を、束は何かの誤魔化しと判断した。

 目が泳いでいるし、笑顔がどことなく、わざとらしいから。

 

「ね、私にだけ聞かせて。何かあったの?」

「いや、その……なんだか、あやふやだし……」

「そりゃあ、束さんはあやふやなことは嫌いだよ。あの二人の凡愚に何だか分かんない、ちゃらんぽらんな事言われたら当然ムカつくしキレるけど」

 

 凡愚って何よ! と怒鳴るアリサは無視して、束はなのはに言い聞かせる。その手を取って、両手で握りながら。

 

「なのちゃんは別。ねえ、何を感じたの? 何を思ったの? 束さんに聞かせて?」

「え、えと……」

 

 友人にそうまで言われては、答えないわけにはいかないのか、なのははゆっくりと口を開き、言葉を紡ぎ始めた。

 

「そのね、今朝の夢で……この道を、見たような……気がして……」

「うんうん。過去にここを通ったことは?」

「覚えている限りだと無い、かな」

 

 そこで、アリサも口を挟む。

 

「それ、デジャビュって奴じゃないの? ほら、えーと」

「実際は一度も体験したことがないのに、すでにどこかで体験したことのように感じること。つまり既視感。déjà-vuってのはフランス語だね。何も知らないのに偉そうに言葉を使わないでよ凡愚」

「だぁっ! 凡愚言うなぁ!」

 

 小馬鹿にするような態度で突っ込んでくる束と、それに腹を立てて騒ぐアリサ。この二人の相性の悪さは折り紙つきであった。

 二人が言い争っている間に、今度はすずかが心配そうになのはへ質問する。

 

「なのはちゃん、その夢って、どんな夢だったの? 思い出せる?」

「うーんと……夜中で、公園のどこかで……男の子がいて」

 

 たどたどしくもそこまで語られた、その時更に。

 なのはは何かとてつもないものに気づいたのか目を見開き、束でもアリサでもすずかでもない、中空の何処か一点を視る。

 そして、三人から声をかけられるよりも早く、小道からは全く外れた方向へと、まっすぐ走り出した。

 

「なのちゃん!?」

 

 驚く束。これもまた、彼女にとっては予想外なのである。

 すぐさまアリサたちと共に追いかけるが、彼女は意図的に走るスピードを緩めた。本来ならば、運動音痴のなのはの足になんてすぐ追いつけるのだが、あえてそうしなかった。

 なのはが何を掴んだのか気になったのである。いつもはちょっとおとなしすぎるくらいにおとなしい彼女が、突拍子も無く焦って走るくらいなら、そこにはきっと何かがあると確信できるから。

 そして、なのはの足が止まったのは数十秒後。林の中を潜り抜け、木々の真ん中でしゃがみこんでいた。

 その目の前には、倒れている小動物。橙黄色の毛皮は土で汚れ、衰弱しきっている。首輪は無く、代わりに赤い宝珠が紐で括り付けられていた。

 

「どうしたのなのは、急に走り出して!」

「あ、見て! 動物……?」

 

 アリサとすずかがなのはに近寄り、そして小動物にも気づいて騒ぎ出す。

 

「怪我してるみたい……」

「うん、ど、どうしよう?」

「どうしようって……とりあえず病院!?」

「獣医さんだよ!」

「え、えと、この近くに獣医さんってあったっけ?」

 

 そんな中、束だけが三人から一歩離れて、フェレットを見つめていた。

 彼女の胸に何故かよぎるのは――例えでなく、本当に吐き気を催すような違和感。

 そう、違和感。もっと細かく言えば、人間が今までの経験と体験から明らかに逸脱しているものを見る時、心が抱く生理的不快感だった。

 しかし。しかし何故、見た目はただのフェレットであるそれに、気持ち悪さを感じるのか? それを確かめねばならない。

 束にとって、理屈で説明できず納得も行かないことを放置するのは、それこそ虫酸が走り鳥肌が立つくらいに嫌なことであった。

 

「三人共、ちょっと下がってて」

「束ちゃん……?」

 

 ゆらり、と進み出た束は、幽鬼のように蒼ざめ、血の気の引いた顔をしていた。

 

「ど、どうしたのよ、アンタもいきなり」

「いいから下がれ!」

 

 そして、アリサとすずかはおろか、なのはですら驚く程の切羽詰まった大声で怒鳴る。目は据わって、おおよそ表情と呼べるものは顔に浮かばず。そして、脱力してだらりと下がった両腕の手にある十本の指が、まるで点検動作中のロボットアームのように、わきわき、ぐにゃぐにゃ、動いていた。

 

「……アリサちゃん、すずかちゃん、束ちゃんの言う通りに」

「わ、わかったわよ、なのは」

 

 なのはの先導で、三人共小動物から離れる。いつも言動や行動が飛び抜けている天才の、しかし余り見られない底冷えした只ならぬ雰囲気を感じたのか、皆が皆緊張していた。

 束はゆっくりと、気絶している小動物に近づく。そして、先程のなのはと同じようにしゃがみ、無造作に動かしていた右手の指を意識の制御下に置いて。

 全長30cm程の身体に、五本の指を突き刺すように触った――

 

「……っっ!?」

 

 瞬間。まるで電流でも流されたかのように、束は震え、フェレットから指を離す。

 その指先から滲み出ているのは、赤い血。

 

「束ちゃん、どうしたの!?」

 

 心配したなのはが駆け寄るも、束の目線も意識も、目の前の小動物にのみ注がれていた。

 これは、なんだ。

 束の『分解』を――いや、更にその前段階である『解析』を――この、姿形からして哺乳綱食肉目イタチ科イタチ属のヨーロッパケナガイタチの亜種、学名Mustela putorius furo Linnaeus、通称フェレットに分類される小動物は、受け入れなかった。

 束が『解析』し『分解』出来るのは機械に限ることではない。彼女の鋭利な頭脳が、その全容を把握できるのならば。それが例え生身の生物でも、まるで解剖のように『分解』出来る。

 だが、このフェレットはダメだった。束の頭脳には、あらゆる生物の知識・身体構造がインプットされているというのに。

 そうなった理由はただ一つ。束がこのフェレット――いや、フェレットの形をしたナニカ――を、知らないからだ。

 

「…………」

 

 束はただ、指先の剥けた皮から流れ出す血を、じっと、忘我の思いで見つめている。

 

「た、大変、なんでかわからないけど束ちゃんまで怪我してる!!」

「とにかく獣医さんよ! 獣医さん探さないと!」

「でも獣医さんって、人間の怪我も治してくれるのかな……」

「すずかうっさい! 家に電話して探させるから!」

 

 騒ぎ立てる三人の喧騒が束を包む。今度は分析も解体も考えずにフェレットらしきものを手に取れば、簡単にひょいっと持ち上がった。

 その体温は、やはり何の変哲もない、フェレットそのもので。だからこそ、束は益々訳が分からず、彼女らしくない戸惑いを覚え――握る手を、震えさせてしまうのだった。

 

 

 

 

 

「暫く安静にした方が良さそうだから、とりあえず明日になるまで預かっておくわ」

 

 なのはたちが、無言で止まったままの束の首根っこを引っ張りながら駆け込んだ槙原動物病院は、実に良心的かつ親切な病院であった。

 フェレットの怪我を治し、ついでに束の指先に、応急処置までしてくれたのだ。

 獣医の槙原愛が、束の五本の指に絆創膏を貼りながら、語りかける。

 

「人間の方は専門外だけど、これくらいはね。でも不思議。どうして指先だけこんな怪我しちゃったのかしら」

「…………ッ」

「あ、あのっ! 地面に擦りむいちゃったんです」

 

 とぼけた一言が癪に障り、苛立つ表情を見せた束を、なのはがフォローする。

 

「そう……はい、出来たわよ。まあ傷は浅いから、明日になれば治ると思うけど」

「……」

「束ちゃん!」

 

 ありがとうございますを言わなきゃ、と続くだろうなのはの指摘。しかし、束にしてみれば余計なことだった。束にとってこの程度の傷は、一時間とちょっともすれば治るほどの軽症なのだ。

 

「とにかく、ありがとうございました。また明日伺いますので」

「この子のこと、お願いします……あ、そういえば、塾の時間が」

「そ、そうだったわ! 行くわよなのは、すずか!」

 

 すずかの一言で、なのはもアリサも慌てて病院から去ろうとする。

 しかしなのははその直後、俯く束に目を向けて。

 

「束ちゃん……大丈夫?」

 

 と聞いてきた。

 

「うん、大丈夫だよなのちゃん。私は大丈夫だから、早く行きなよ」

「え……でも……」

「いいから」

「なのは! 早く行かないと!」

 

 束の返答は短いものだった。なのはは未だ不安そうな顔をしていたが、アリサとすずかに急かされて慌ただしく出ていった。

 こうして、残ったのは束と獣医だけである。

 

「……ねえ」

 

 そうなるタイミングを待っていたかのように、束が口を開いた。

 

「何? どうしたの?」

「あなたはあの小動物、何だと思う?」

「え……と、フェレット……だと思うけど」

「本当? 本当にそうなの?」

 

 束はしつこく問い質す。その表情は重苦しく、いつも飄々としている束らしくない真剣さに満ちていた。

 

「そ、それは……まぁ、随分変わった種類だけど、でも」

「見た目と触診からしてそうとしか考えられない、か。はぁ、お前も常人だなぁ。もういいよ」

「なっ……」

 

 専門家の意見など、期待できないと改めて理解した束は、ちらとフェレットらしきものを見つめる。病室のベッドの上に置かれているそれの首には、赤い宝珠が掛かったままであった。

 束は暫く、そうして留まっていたが。

 やがてぷい、とそっぽを向いて、病院から走り去っていった。

 

「な、何なの、あの娘……」

 

 いきなり暴言を言われたからか、呆然とする獣医を残して。

 病院から出た束は街をひた走る。その速さは大人の全力疾走も顔負け、まるで地を蹴って飛んでいるかのように軽い足取りだ。

 だから、20分もせずに丘の上の篠ノ之神社までたどり着く。

 

「おかえりなさい、束……」

「ただいま晩御飯はとっといて後で食べるから!」

 

 軒先に出て花壇を世話していた沙耶が出迎えたが、束は目を合わさずに早口を吐きつけながら、真っ直ぐ走り、家のドアではなく、その隣にちょこんと経っている、バラック建ての小さな小屋に飛び込んで扉を固く閉じた。

 そこは、篠ノ之束の作り上げたラボ、そして秘密基地である。

 見た目は建付けの悪いボロボロの納屋であり、そこからドアを開いても、古い棚や机にこれまた用途不明の雑多なガラクタが散らかりまくっているだけなのだが。

 束が納屋の壁の一部分に、平手をくっつけると、きぃん、と赤い赤外線光が掌を照らす。

 それが指紋認証であり、続いて網膜確認、体温測定が行われ、篠ノ之束本人であると確認されれば床がぱかっ、と開いた。その中にあるのは階段である。

 そして下に降りていき、パスワードでロックされている鋼鉄製の分厚い扉を開けば――そこにあるのは、蛍光灯に照らされたおびただしい数の機械、機械、機械。上のあばら家と比べて十倍広い地下空間に、作業機械やコンピュータがぎっちり詰め込まれている。

 これこそ、束のラボの真の姿。世界最先端より10年から20年ほど先んじている束の技術の集大成であった。

 

「……海鳴市の即時全域探索、それから過去の観測データの照合を」

 

 束のつぶやきを音声認識したコンピュータが、彼女の望むデータをモニタへすぐに表示する。

 2週間前の海鳴上空、そして数日前のあの自然公園。どちらにも共通する、観測機が捉えた未知の反応と、空間の異常。

 

「転移してきてる? 何かが?」

 

 独りごちたのは単なる予測であった。束の「未知」探しの一端として海鳴市内の広域に配置している小型の観測機械、それらが所々、通常ではありえないデータを示している。特に重力に関しては、まるで空間そのものが歪んでいるような数値が弾き出されている。

 この街で何かが歪んで、そこから……例のフェレットもどきがやってきた。そう考えるのが自然であろう。

 しかし、それが一体、何によって引き起こされていたのか調べるのは、とても難しいことだった。

 

「観測機の数値じゃなにも分からない……現実に起きた結果は分かるけど、過程で何が起きているかは掴めない」

 

 観測機が役立たずということではない。もともと、捉えることができるような現象ではないのだ。

 そして束の使っている観測機は、当然熱源から重力異常まで現在の科学技術で探知できるものは全てサーチし記録できる、スペシャルな高性能探知機であるのだから。

 それを引き起こしたものは。既存の物理法則・化学方程式を全て無視した、全く新しい原理であると考えられる。

 

「そんな……」

 

 束の心象を五文字の単語が支配する。あり得ない。自分は全てを知っているはずだというのに。そんな自分の理解から、まるで外れたチカラがあるのか。

 分からない、分からない。全部が全部、まるっきり、理解不能だ。

 束は、コンソールを動かす自分の手が、僅かに震えていると認識した。無意識の反射行動である。しかし、どうしてそうなったのかは分かりたくなかった。

 何度も観測機のデータを見返す。全ての数値はとっくに記憶しきっていて、もう新しく分かる事実もないというのに。ゼンマイ仕掛けのおもちゃが、常に同じペースで足を動かし歩くように、何度も何分も何時間もかけて――

 認めたくない何かから、目をそらすように。

 

「……っ!?」

 

 それは僥倖でもあった。普段はつまらぬデータなどに拘らず、暇つぶし兼手慰みな発明品づくりに没頭していたろうから、ここまで早くは気づけなかったはずだ。

 先程訪れた動物病院の周辺で、異常が起こっている。例によって観測機の数値では、ただ起きているとしか認識できない類のものだ。

 そこで何かが起きている。外から見たら分からない、何かが。

 しかし、束の身体は恐ろしいほど精密で頑健な触覚だ。目も耳も鼻も舌も皮膚も、この世のどんなセンサーやレーダーよりも敏感に物事を観測し、そしてスーパーコンピューターを軽く上回る異能の頭脳が、それを解析する。

 ならば、束が異変の場所へ直接出向けば、全てはっきりするだろう。何が起こっているのか。何がことを起こらせているのか。

 行くべきだ、行かねばならない。

 それが束の行くべき道だ。天才たるものの為すべきことだ。この世にまだ分からないことがあって、それを放っておくのは科学者として、天才として失格だ。

 

「……行かなきゃ……!」

 

 束は飛び出さざるを得なかった。その瞳孔に、確たる焦点を持たないまま。

 ラボに篭っていた間、すっかり夜も暮れて今や星が光っている上空をひた走る。コンクリートの道に沿うのは回りくどいから家々の屋根から屋根に飛び移る。俊敏な、兎のように。

  そうして、春も始まったばかりだからか冷たい夜風を浴びていたら、束の心は落ち着き、そして理解した。

 

 自分は今、恐怖している。自分の知らない何かに。

 

 何かそのものが怖いのではない。自分は天才でしかも肉体は細胞単位でオーバースペックなのだから、大抵の危機は乗り越えられるはず。そういう自信は束の中に、未だ確固として存在する。

 怖いのは、知らないこと。分からないことそのものへの、根源的恐怖だ。

 束は猛烈に苛立った。なんだそれは。反吐が出る。篠ノ之束は天才であるのに。それがどうして怯えるか。どうして恐れるか。

 天才というものは、そういうものではない。どんな恐れも困難も、全てを愉悦として糧にするくらいのメンタリティがあるものだ。

 然るに何を怖がる。私は天才だぞ。皆がそう言っているからではない。何より自分自身、己を天才だと定義しているではないか。怖がっていて、何が天才か!

 人間誰しも、理解できないものには恐怖心を抱く。理屈がない幽霊を怖がるようなものだ。

 しかし、束はそれに甘んじない。そういう自分を否定する。束にとっての「天才」は、それだけ高貴で重い物であるから。

 

 しかし、走りながら束は、確かに迷っていたと言える。人の感性と天才としての感性の間で。

 だからかもしれない。

 本当なら、誰よりも先に束がたどり着くと、そう予測していた事件の現場に、先客が来ていたのは。しかも、それは束のよく知っている、しかし全く理解できない女の子だった。

 

「……っ!?」

 

 動物病院の数件前にある家の屋根の上、束は自分にストップをかけた。動くのが余りにも早すぎて、数々の屋根を蹴っても無音だった足元が、ぎしりと音を立てる。

 

「な、なになに、一体何!?」

 

 高町なのはだ。

 なのはが既にここにいる。彼女の前に現れているのは、黒い塊のような、恐らくはこの異常の根本だ。

 そう認識した途端、束は、

 

「なのちゃんっ!!」

 

 友人の危機に、何もかもをかっ飛ばして飛び込もうとして――寸前で停止した。

 どうしてここに、なのはが居る? この病院と彼女の家とは、ご近所とはいえ結構離れているはずだ。それに、運動音痴のなのはの足は遅い。バスに乗ってきた訳でもあるまい。

 それらの情報を換算すると、なのはが自分の家からこの病院までたどり着くのにかかる時間はざっと、20分。自分がここに来るまでの時間は12分26秒40。

 つまり、7分33秒60の差で、なのはが束より先んじて、何かに気づいたのだ。

 その事実が、束の足を止め、代わりに脳髄を限界まで動かす。この差が何を意味するのか。高町なのはは、一体どうして――

 

「来て、くれたの?」

「しゃべった!?」

 

 フェレットもどきが口を開いたら、人語が出てきた。なのはは驚き慌てたが、それを俯瞰する束にとっては、もはやどうでもいいことだった。

 彼女の思考は既に、高町なのはただ一人にしか向いていない。

 

「その、何がなんだかよくわかんないけど、一体何なの、何が起こってるの?」

「君には資質がある。お願い、僕に少しだけ力を貸して」

「資質?」

「僕は、ある捜し物のために、ここではない世界から来ました。でも僕一人の力では思いを遂げられないかもしれない」

 

 ここではない世界。なるほどそれなら空間も歪む。フェレットもどきな何かも居るし、今、なのちゃんに襲いかかっているような黒い化物も生まれる。でもそれは後でいい。今はなのちゃんだ。私のかわいいお友達のことだ。

 なのちゃんは何を見て、どうしてここへ行き着いたのか? 街を見張っていた私よりもずっと早くに、何を。

 

「だから、迷惑だと分かってはいるんですか、資質を持っている人に協力してほしくて! お礼はします、必ずします! 僕の持っている力を、あなたに使ってほしいんです。僕の力を――『魔法』の力を!」

 

 

 魔法。

 その言葉を聞いた途端、組みかけていたパズルのピースが、ピタリと嵌った。

 

「魔法……?」

「お礼は必ずしますから!」

「お礼とかそんな場合じゃないでしょ!? どうすればいいの!?」

 

 凶暴に飛びかかってくる化け物。逃げ惑うなのはがフェレットもどきに問いかける。

 

「これを!」

 

 問の答えの代わりとばかりに、フェレットもどきがなのはに捧げたのは、首に掛けていた赤い宝珠。

 

「温かい……」

「心を澄ませて、僕の言うとおりに繰り返して」

 

 束はそれを見守ることしか出来なかった。例えば颯爽と飛び出して、持ち前の身体能力を使って化け物を吹き飛ばすことも出来たのに。

 邪魔をしたくなかった。見つめ続けたかった。高町なのはが何を為すのか。彼女の中に秘められていた何かが、今こそ花開くのだ。

 今日のお昼に束の語った、

 

「なのちゃんはきっと、私よりもずっとずっと、特別なことが出来ちゃうんだよ」

 

 という言葉、これは紛れもなく束の本心であった。その時の束は、「特別なこと」というのが何かは全く分からなかったが。

 それは今ここで、まさにこれから始まるのだと確信できた。

 

「我、使命を受けし者なり。契約の元、その力を解き放て」

 

 フェレットもどきが語り、なのはがそれを繰り返す。

 どくん――

 空気が震えた。一人と一匹を中心にして、胎動のような戦慄きが周囲を揺らし、そして束の肌を撫でる。

 感じるのは未知への恐怖。全く分からぬ現象への忌避感。だが、それ以上に胸の中で蔓延り尽くすのは、歓喜。

 自分はこれこそを待っていた。モノクロームの世界、既知に溢れた、自らが全能足り得る世界の中で、思い通りにならない未知を。

 

「風は空に、星は天に」

 

 光る。祈るように握られたなのはの手の奥。宝珠が光っている。

 束はそれを、屋根の上で立ち止まりながら見つめている。目に焼き付けている。

 機械などは使わない。生の目で視て心で感じて、それで一生忘れないから。

 頭脳と肉体がそう出来るようになっているのだから、一体どうして、記録などという無粋な真似をする必要があるだろうか?

 この、記念すべき生誕の日を。

 

「そして、不屈の心は――」

「この胸に!」

 

 

 ああ、不屈の心。それはまさしく、なのはのことだ。高町なのはの物語は、正しくここから、始まるのだ――

 

「この手に、魔法を! レイジングハート! セット・アップ!」

《Stand by ready. Set up》

 

 宝珠を掲げたなのはの左手。そこから迸る鮮烈な光は、天へとそびえ立つ柱のように真っ直ぐ、眩しく。束の目を灼き、視神経を通って、脳髄を灼き、そしてその奥の奥にある心までを灼き尽くした。

 

「――!!!!」

 

 歓喜。無上の歓喜。もう恐れも怯えも吹き飛んで、消えていく。

 なのはの光が、束に本当を教えたのだ。「未知」から恐怖のベールを吹き飛ばして、その中に内包する眩い光を見せてくれたのだ。

 

「なんて魔力だ……落ち着いてイメージして! 君の魔法を制御する魔法の杖の姿を、そして君の身を守る強い衣服の姿を!」

「いきなり急に言われても……えと、えーと、とりあえず、これで!」

 

 なのはとフェレットもどきが二言会話を交わしたら、彼女の全身が光に包まれる。

 束はその中を見たいと目を凝らすが、桃色の優しい、しかし強い光は彼女の認識をことごとく阻んだ。

 

「……」

 

 それでも束は止まったまま。あの中では、きっと素晴らしいことが起きていると信じられるから。

 やがて、光が溶けるように消えて、その後に現れたのは――

 

「成功だ――」

 

 全身を包む真っ白な服。肩の部分や袖口には、青いラインが走っている。胸に大きい真っ赤なリボン。そして、足をすっぽり隠すロングスカート。学校の制服によく似ているが、材質も強度もぜんぜん違う防護の衣装。

 そして、白い柄の先に丸い金色の装飾具、更にその中心に真紅の、大きな宝珠が埋め込まれた魔法の杖。

 束の目に見える、その姿、まさに――光の女神(てんし)。もしくは、古の白騎士(ナイト)にほかならない。

 

「あ、は」

 

 束は笑う。目を見開いて、口を大きく開いて、顔の全部を、動かして。そうでないと表現できないのだ。この狂気に似た喜びを。

 

「あは、あはははははははっ」

 

 なんなのこれ、となのはが呟くのが聞こえた。

 束も思う。全くだよ、何だこれ。

 さっきまで着てた黄色の私服はどこに消えた。あの杖を、あの服を構成しているものはなんだ。それが魔力であるとして、どうしてこんな定型で存在できるのか。

 大体、なのはから発されるその力はなんだ。束はなのはの身体なんて、何回も調べて測定しているはずなのに、どうして今になるまで分からなかったのか。これほどの、束の身体という計器を揃って狂わせるくらいのエネルギーの奔流が、あの小さな体のどこに秘められていたというのだ。

 

 分からない。分からない。分からない――でも、怖くない。むしろ、楽しい。

 

 それは、なのはだからだ。『分解』出来なかったフェレットもどきも、もっと言えばあの黒い化け物も束は怖かった――でも、今のなのはは怖くない。だから他のも、全然怖くなくなった。

 どうしてか? なのはが束の友達だからか? いや、それもそうだが、もっと深く、硬い理由があった。

 束は思い出したのだ。

 これはあらかじめ、固く約束されたものであると。

 三年前の、あのときに。

 

「じゃあ、私が連れて行ってあげる。束ちゃんがつまらなくない、楽しいって思える世界に」

 

 ああ、これは偶然なのか。運命なのか。それとも因果なのか? いいや、そのどれとも違う、これは――

 

 奇跡だ。

 

「くくくくくくふふふ、ひひひひひひひいひひひひひひひひ! あっははははははははははははははははははははははははははーーー!!!!」

 

 狂ったように、いや、とことんまで狂い果てて笑いながら、束は居ても立っても居られず、なのはが立ちすくむ路地へと飛び出した。

 

「嘘、何なのこれ! って束ちゃん!? え、え、えええーっ!?」

「うわぁっ、え、暴走体!? いや違う、でもなんなんだこの人!?」

 

 当然、その姿を見て哄笑を聞いたなのはとフェレットもどきは大いに驚いたのだった。

 

 




IS最新刊読みました。
予想外を愉しむ束さんかわいいよ束さん。
ちょっとゲスな気もするけどそういう他人をなんとも思わない所もかわいいよ束さん。
あと、自分の領分を踏みにじられてキレちゃう沸点低い所も愛しい。

次回投稿は日曜日(5/28)の午前11時ごろです。


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第三話:ユーノ・スクライアの受難

「あはははははは! こんばんはなのちゃん! そしてフェレットに似た何かの生命体!」

「はぁっ!?」

「た、束ちゃん……え、えと、こんばんは」

 

 魔法少女となったなのはの前に飛び出した束は、まさにテンションハイ、それどころかマックス、いや、それすら通り越してクライマックスだった。

 そんな彼女にフェレットもどきの小動物は明らかに気圧されていて、なのはも困惑しているようだが、それでもぺこり、と挨拶を返した。

 

「ちょ、君、そんなことやってる場合じゃ――」

 

 フェレットもどきがのんきな反応に警告したその時、変身の魔力に勢いを封じられていた化け物が、枷を解かれて再び活動し始めた。

 ぐるおぉおお、と映画に出てくる怪獣のような雄叫びを上げ、魔力を持つ者に、つまりはなのはとフェレットもどきめがけて襲いかかる。

 そしてその直線上に、ちょうど束が存在した。

 

「危ない、逃げて!」

 

 フェレットもどきが束に向けて叫ぶ。だが、それは遅きに失していた。既に化け物は地を抉る程に打って飛び、束の背中めがけて真っ直ぐ飛びかかり、あとコンマ数秒もせずにぶつかるか。

 しかし。

 

 

「邪魔だよ」

 

 ぱぁん。

 乾いた音が小気味よく響き。吹き飛んだのは束ではなく、化け物の方だった。十数メートル吹き飛んで電柱にぶつかると、柱のほうが根本からぽきっと折れて地面に倒れた。それほどの衝撃であった。

 束は180度反転して、右腕を前に突き出していた。その手は開かれている。掌底だ。

 

「ったく、人が歓喜に浸ってる途端にこれだからなぁもう。どうも理性ってのが無いみたいだね。手応えもだいぶおかしいし……っと、そんなことより」

 

 束は激突の衝撃で熱された己の掌にふぅ、と息を掛けると、呆然と佇むなのはに向けて、

 

「ありがとう、なのちゃん。約束、叶えてくれて」

 

 と、さっきまでの狂った笑いでなく、満月のように優しく丸く艶やかな笑みを見せた。

 

「な、なんだかわからないけど……その、どういたしまして」

「えへへ、いいんだよ。ずっと信じてたもん、なのちゃんがやってくれるって。まさかこんな形だとは思わなかったけどさ」

「そ、そうなの……?」

「待って待って! 今そういうやり取りしてる場合じゃないよね!?」

 

 束の微笑みに釣られたのか、さっきまでの緊張を投げ捨てているなのは。

 フェレットもどきがそれに突っ込む。

 

「んぅ~? なんだちみは。よくわかんないケダモノの分際で言葉を喋るなよ」

「ケダモノ!?」

「そうだよ、君はフェレットじゃない。見かけは似てるけど構造は明らかに違う。大体フェレットの舌で人語は喋れないからね」

「え、君、どうして僕の――」

 

 驚くユーノを無視して、束は語りかける。

 

「それも『魔法』なんだね? 今なのちゃんがやってるような。そして、私が吹き飛ばした黒いゴム鞠もまた、『魔法』なんだよね?」

「え、と……そうです、けど」

「なるほどぉー、道理で君を拾ったときに『バラせなかった』わけだ」

「ば、バラす……?」

 

 不穏な言葉であった。フェレットもどきは小動物の顔でどうやるのか、冷や汗をダラダラ流して震え上がっている。

 

「ん、束さんの得意技。でも、君には通じなくってさ。まぁ魔法だと分かってしまえば、後もう数回みっちり『解析』すればイケるだろうけど」

「イカないでください!」

 

 喚く小動物に向けられた束の目は、まるで実験用のラットを見るかのような冷酷さと好奇心に満ちていたが、

 

「はんっ、束さんに命令するつもりかな? 一千万光年早い」

「あの、それはだめだよ、束ちゃん」

「あああそうだねなのちゃん! 冗談だよ冗談! こんなあどけない小動物をバラすなんて鬼畜外道の所業だよね!」

 

 なのはに諭されたら、即座にいいこちゃんぶって退いた。

 とはいえその鬼畜外道の所業とやらを述べるときに、なんとも悪辣、偽りの欠片もない笑顔をみせていたのも束であるのだが。

 

「な、何かものすごく信用ならない……って、それよりも!」

 

 フェレットもどきが叫ぶ。束がちらと後ろを振り向くと、黒い化け物はダウン状態から回復したのか、再びおどろおどろしい叫び声とともに向かってきた。

 

「おおっと危ない! なのちゃんごめんね!」

「にゃっ!?」

 

 束は即座になのはを抱きかかえて、ついでに肩へと乗っかってきたフェレットもどきと共にジャンプする。そして、半壊した動物病院の屋根の上へと飛び乗った。それから、息せき切って問いかける。

 

「はいケダモノくん! 目の前のあれはなに!」

「え、あ、あれはジュエルシードの思念体です、魔力が暴走して形作られた」

「ジュエルシードって何!」

「ね、願いを叶えるように作られた宝石で、魔力の結晶みたいなものですが」

「どうすればいいの!」

「え、ええー! と、とにかくレイジングハートで封印しないと」

「だいたいわかった!」

 

 フェレットもどきの説明をことごとく最後まで聞かずに、束はお姫様抱っこで抱えているなのはに語りかけた。

 

「そういうことでなのちゃん、はい頑張って!」

「え、ええええっ!?」

「大丈夫だなのちゃんならきっとできる! はい下ろすよ!」

「ムリムリムリ! 何が何だか全然わかんないよー!」

 

 しゅたっと地面に降り立った束が腕から下ろしても、なのはは訳がわからない、という様子で喚いていた。

 

「だいじょーぶ! ここまで、束さんの見たところによると! 魔法って、不思議系の神秘パワーじゃなくって、高等数学に基づいたある種のプログラムみたいなもんだから!」

「え……」

「つまり、なのちゃんの頭がソフトウェア! んで、魔法っていうプログラムに基づいて魔力っていうハードウェアを動かして、力を行使するんだよ!」

 

 束のこの例えを聞いたなのはは、数秒間眉をしかめて。

 

「わ、分かった……気がするかも」

 

 と、不安げな表情ながらしっかりと首肯した。

 

「き、君! 魔法のない世界の人間が、どうしてそんな的確に説明でき」

「黙れケダモノ」

「な、ひどいっ」

 

 容赦のない罵詈雑言がフェレットもどきを襲ったその時、思念体は既になのはたちの目の前までにじり寄り。そして勢い良く飛びかかる。

 

「え、えーと、こ、こうだ!」

《Protection》

 

 しかし。なのはに黒い身体がぶち当たるその直前。掲げられた杖の先端から桃色の光が膜となって前方を包み、思念体の体当たりを受け止め、そして跳ね返した。

 

「や、やった!」

「うん、簡単なものは無意識でも発動できるみたいだね」

「そうなんです、でも」

「だぁ、うるさい! それなら封印とか難しい魔法には、呪文が必要だってことはもう『分かっている』んだ!」

 

 束の鋭利な頭脳は、既にそこまで読み切っていた。僅かな情報さえあれば、二手三手先の答えなど、簡単に判ってしまうのだ。

 

「そういうわけで、なのちゃん! 思考を落ち着かせてクールに考えよう! あの化け物を封印するにはどうすればいいかって! そしたら、答えはきっと……」

「うん!」

 

 だが、束が結論を言い終わる前に、今度はなのはが答えを出した。

 

「答えは、この胸の中にある! そうだよね、束ちゃん!」

「……あははは! そうだよなのちゃん、いけーっ! ぶっ飛ばせー!」

 

 なのはが目を閉じて集中すると同時に、手に持つ魔杖――レイジングハート――の姿が変わる。柄が伸びて、三枚の桃色の翼が現れ、全開起動の形態へと変わる。

 

《Sealing mode》

「リリカル・マジカル!」

 

 杖の先端から再び桃色の光が疾走り、今度は思念体目掛けてまっすぐに突き刺さった。苦悶するような声を上げる黒い化け物の額に、浮かび上がるは「ⅩⅩⅠ」の文字。

 

「ジュエルシード・シリアル21! 封印!」

 

 突き刺さる光を導線にして、なのはの身体から多大な魔力が思念体へと叩き込まれた。

 黒い身体はまるで霧が晴れるように消失し、その中心に唯一残ったのは、掌に乗っかる小ささの、青い宝石。

 しばらく三人の目の前で浮かんでいたが、やがて魔力を封じられたからか、ひび割れたアスファルトにころん、と転がった。

 束が兎のように飛んで、宝石の目の前で着地し手を伸ばそうとする。

 

「ふむ、これがジュエルシードねぇ。どれ、ちょっと拝見」

「わーっ! 駄目です危ないです! 君! レイジングハートで触れて!」

「え、は、はい! 束ちゃんちょっとどいてて!」

「ええー! なんだよぅ、いいじゃないかちょっとぐらい」

 

 フェレットもどきが絶叫し、なのはに助けを求めたので、束は不承不承ぶーたれながら身体を退けた。

 そして、なのはが恐る恐る杖を振りかざして石にくっつけると、青い石は杖に飲み込まれるように消えていき。

 同時に杖も、防護服も消えてなくなった。

 

「あ……終わったん、だね」

「はい、なんとか」

 

 フェレットもどきに確認したなのはは、緊張が解けたのか、ため息を吐いてペタンと座り込む。だがやがて、周囲を見渡しながらだんだんと顔を青くしていき、

 

「あの、これって……ものすごく、不味いことなのでは……?」

 

 と声を震わせた。

 さもあるかな。思念体の暴走具合は半端なく、動物病院は半壊。周囲の道路や壁も粉々に砕けたり、ひび割れたりで、と悲惨な有様であった。

 ただ、ぽっきり折れた電柱だけは、束の一撃によるものであるのも明白である。

 

「……これは」

「と、とりあえず、ごめんなさいということで……」

「スタコラサッサだね!」

 

 束は再びなのはとフェレットもどきを抱きかかえ、正に脱兎のごとく、その場から逃げ出した。

 

 

 

 

 

 それから十数分後。篠ノ之神社の秘密ラボ上層にて、束による詰問が始まった。

 

「……さて、キリキリ吐いてもらおうか、この太くて長くていやらしーいケダモノくん」

「なんかその言い方おかしいですっ! それに僕には、ユーノ・スクライアってきちんとした名前があるんですから! ケダモノなんて」

「うっさい、お前なんかケダモノでいいんだよ!」

 

 フェレットもどき――ユーノの反論を軽く一蹴した束は、

 

「さあ、君の来た世界について、魔法について、それからジュエルシードについて、全部ゲロってもらうよ! なお、束さんの言うことを聞かない場合は、物理的にゲロってもらったりグロってもらったりするからそのつもりで!」

「わあああっ、言います、言いますから離して、苦しい! 握り潰されるぅぅ!」

 

 長細いフェレットなユーノの胴を、子供離れどころか大人すら凌ぐ握力でぐいぐいぐい、と万力のように締め付けながら問いただす。

 しかしその時、何故か存在する電気ポット――ちなみに超小型の核融合燃料炉で駆動している――を使って、二人分しかない湯呑みにお茶を注いでやってきたなのはが、

 

「あ、束ちゃんだめだよ!」

 

 と注意すれば、束はその手から瞬時に力を抜いてユーノを取り落とした。

 なんの救いもなく地面にぽとりと落っこちた彼はかなり参っていたらしく、そのまま床に寝そべってしまったところを、なのはの手に拾われた。

 

「あ、ありがとう……死ぬかと思ったよ、結構本気で。止めてくれたんだね」

「うん。あ、でも束ちゃんに悪気はないし、潰そうともしてないんだよ。ちょっとテンション上がっちゃってるだけだからね」

「え……そ、そう……いや、それは無いと思うよ!」

 

 ユーノはツッコミを入れた後、大きくため息を吐いてから、自分のこと、魔法のこと、それから世界のことについて話し始めた。

 

「まず、僕はこの世界とは別の世界から」

「それはもう知ってる。わかってる。どんな所なのかを聞きたいんだよ!!」

「え……わ、分かりましたから、落ち着いてください!」

 

 このようにして束が目を爛々と輝かせながら、一々茶々を挟んで来るものだから、ユーノの説明は長々と伸びていく。

 ユーノは「ミッドチルダ」と呼ばれる、魔法が存在している世界から来たこと。

 ミッドチルダと地球とは、次元の海によって遠く分かたれている「次元世界」の一部であり、ミッドチルダにはそれを繋ぐための次元移動技術が存在すること。

 そして、その技術を利用して様々な世界を旅し、遺跡の捜索・探掘を生業とするスクライア族が、ユーノの属する氏族であり。

 

「そうして、僕がジュエルシードを発掘したから……こんなことになったんです」

 

 深刻ぶった口調で、重々しく告げるユーノ。なのははまっすぐ目を向けて、真剣そうな表情を見せるが。

 

「ふぅん……」

 

 束だけは、急に面倒な話が来た、と心底どうでもいいような相槌を打った。さっきまでミッドチルダや次元世界に関する話題にはきゃぴきゃぴるんるん、と喜色たっぷりに聞いていたというのに。

 

「あの、何か……?」

「続けて」

「は、はい! ジュエルシードを発掘した後、調査団に依頼して、保管して貰ったんですが、……輸送していた時空間船が事故か、何らかの人為的災害にあって、それでこの世界に」

「ストーップ。ちょっと、君今なんて言った?」

 

 束の表情はますます曇っていく。ユーノの主張に、どうしても頷けない。

 

「え、なにって……船が事故にあって、それでこの世界にジュエルシードが落ちたんですけど」

「……お前さ、ちょっと傲慢すぎるんだよ」

「え、ええっ!?」

「束ちゃん、どういうこと?」

 

 唐突な束の指摘に、ユーノだけでなくなのはもびっくりしたようで聞きただしてきた。

 束にとっては極常識的な価値観で、物を言っただけだというのに。

 

「ねえ、お前は掘り出しただけなんだろ? それで相応の処置をして、ちゃんとした所に預けたわけだ」

「それは……そうですが」

「だったらお前には、何の義務も責任もないわけじゃん。面倒見るべきなのは掘り出すという工程だけであって、それはもう終わって、問題は事故だか事件にあって落っこちた船の話じゃないか」

「で、でも! 僕が掘り出したんだから、少なからず責任はあって、あるべき場所にちゃんと戻さなきゃいけなくて……!」

「だぁからそんなの考える必要は無いって言っているでしょ!? ああもう、束さんは、そういうの見ていると虫唾が走るな! 理解できない! どうしてそう、義務でもなんでもない厄介ごとを背負って、それが当然だって顔をしてるの!? ちゃんちゃらおかしい! あり得ない!」

「な……」

 

 それは、束にとってかなり苛立つ考え方であった。

 傲慢、という言葉遣いには些か語弊があるというか、むしろ言いすぎかもしれないのだが。自分が抱え込むだけの責任というものがあって、しかしそれ以外のものまで無理に背負おうとするのは理屈に合わない。どう考えてもやりすぎだ。

 そういうのが許されるのは、それこそ――

 

「で、でも束ちゃん? 私、そういう考えも……なんとなく、なんとなくだけど、分かっちゃうかな。真面目なんだよね」

「あ、はい……ありがとうございます」

「……なのちゃんまでー!」

 

 ユーノに助け舟を出したなのはの一言に悶えながらも、束はやはり、ユーノの考え方にどうしても頷けなかった。

 

「ま、まぁそれはとにかく! ええと……なのはさんに、束さん、二人はまだ、時間は大丈夫なんですか? もう大分夜も更けてきたと思うけれど」

「え……あーっ! そういえば、家族の皆に何も言わないで出てきたんだった!」

 

 ユーノの指摘を聞いたなのはは、素っ頓狂な声を出して慌てふためく。

 しかし束は、そのようなことなどとうに予想済みだったので、

 

「ああ、そういうことなら大丈夫。束さんが呼んで、それでこのラボまで行ったって言えばいいよ」

 

 と何の気なしに語った。なのはは申し訳なさそうな顔をして、首を横に振る。

 

「え、でも……それ、束ちゃんに悪いよ」

「いいのいいの。私の大人どもからの信頼度なんて、とっくに底値を割ってるし。大体、なのちゃんはわがままな夜更かし夜遊びじゃなくって、このフェレットもどきを助ける為に駆けつけたんでしょ?」

 

 ユーノ君だよ。ユーノです。と二人が呟くのは無視して、束は続ける。

 

「それでなのちゃんが叱られるのなんて、束さんが納得行かないから。まぁ、あのハゲ親父が何を言おうが、私はへいきへっちゃら、ちぃちぃぱっぱなのだ!」

「束ちゃん……わ、分かったよ、そこまで言うなら……」

 

 束にここまで言われてもまだ申し訳なく感じるのか、おずおずと頭を下げて礼を言うなのは。そこで束は、これ幸いとばかりに付け加えた。

 

「まあ、そんなに罪の意識に苛まれるのだったら、じゃあ一つ私の為にやって欲しいことがあるんだ。ほんの些細なことだけど」

「え!? わ、分かったよ束ちゃん! 何でも言う事聞いちゃうから!」

 

 その言葉を聞いてにぃ、と笑った束は、

 

「じゃ、今夜一晩、このフェレットもどきをここに置いててくれない? なのちゃんが飼うことになってるのは知ってたけど、色々確かめたくってさ」

 

と、にっこり獰猛肉食獣な笑みを浮かべて提案した。

 当然と言うべきか、それを聞いたユーノは震え上がって縮こまった。

 

「いやいやいやいや待って! それはちょっとご勘弁願いたいんだけど!」

「何を言ってるのかなぁフェレットもどきのケダモノくん? 束さんはただちょっと君がどんな魔法でそんな姿になってるのかとか、魔法っていうのは具体的にどんなメカニズムで発動するのかとか、異世界人と地球人に肉体的差異がどの程度存在するのかとか、がっつりばっちり調べたいだけだから!」

「それが怖いって言ってるんだよぉ!」

 

 ユーノはなのはに視線を向けた。獣の瞳が何故か、悲しみでウルウルしているように見える。

 

「な、なのはさん……」

 

 弱々しい呟き。その言葉尻にはきっと、助けてくださいお願いしますと付け加えることが出来るだろう。

 しかし、なのはは、ユーノへ言い聞かせるように、

 

「大丈夫。束ちゃんはちょっとエキセントリックなだけで、全然悪い子じゃないから。大丈夫だよユーノくん!」

「どこが!? ねえ教えてよどこが大丈夫なの!?」

 

 本人としてはただ本心をありのままに語っただけなのだろう。しかし、それは誰がどう見ても絶望の宣告であった。

 

「ふふっふー、ご安心あれ! ついでにお前の怪我とか全部治してあげちゃうぞ!」

「何の!? ねえ何の!? 一体何のついでなの!? そこぼやかさないでよ!?」

「じゃあ、そろそろ帰らないといけないから。束ちゃん、さようなら」

「んー、なのちゃんさよならー!」

「あああああっ!? ち、ちょっとなのはさん、なのはさーん!?」

 

 

 絶叫するユーノ。しかしその声は、建付けの悪いドアの錆が奏でた、ぎぃぃい、ばたん、という金属音にかき消され。

 

「ぐひ、ぐひひひひひ」

 

 後には未知の欠片を目の前にほくそ笑む、狡猾な羊が一匹。

 

「あ、あ………や、だめ、ちょっとやめて……」

「だぁーめ。束さんは強欲で傲慢で剛腹なんだよ? だからお前がメインディッシュの前の前菜だとしても、ここで我慢は出来ないな!」

 

 ユーノを再びぐわしっと鷲掴みにして、認証を済ませて地下へ潜る。最先端のテクノロジーが集まった小さな殿堂の中央には、既に分析の為の多種多様な器具が設置されていた。

 何桁ものアナログ数字を表示している電算機。マットレスタイプのベッドと、その真上の天井から伸びる何本ものロボットアーム。きゅぃぃぃ、と耳障りな回転音を立てるドリルのようなもの。

 

「きゅ、きゅー! きゅー!!」

「今更フェレットの真似をしても無駄だぞー、おとなしく束さんの知識の糧となるがいいさ!」

 

 もはや悶絶しているユーノを、束はマットレスに置いて、ベルトで無理やり固定する。そして、

 

「まずは、これから♪」

 

 と取り出したのは、プラスとマイナスの電極だった。

 

「そ、それをどうするの!? 僕に一体どうするの!?」

「…………」

「無言!? ちゃんと説明して!? 僕生きて帰れるの!? 僕以外のナニカになったりしない!? せめて教えて覚悟を決めさせ」

 

「レッツ解析懐石!」

 

「いやあああああああああああああああああああっ!!!」

 

 その夜、二人きりのラボは悲鳴に包まれた。

 




次回投稿は5/30の21:00です。
訂正:12:00にしてみます。お昼更新だと見られやすいとかなんとか。


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第四話:燻る心

 なのはが魔法に出会ってから、一夜明けて。

 そのきっかけである昨夜の騒ぎはどうやら、車の事故であると解釈されたらしかった。

 今日も三人揃って仲良くバスに乗っていると、アリサがなのはに事件の噂を教えてきたのだ。

 

「……そういうわけで、結構ボロボロになってるらしいのよ、あの辺り」

「そ、そうなんだ……」

「大変だよね……というよりも」

「そう、あのフェレットのことよ。あいつ、大丈夫なのかしら。事故に巻き込まれて……とか、無いわよね!?」

 

 心配そうに語り合うすずかとアリサだが、なのはは既に事の真相と、フェレットが無事であることも知っている。というより、自分とフェレット、それから自分の大親友がことの当事者その本人であるのだった。

 

「え、えーと、それは大丈夫……」

 

 だから、思わず口に出してしまい。当然、アリサとすずかには追求される。

 

「なんで? なのは、アンタ何か知ってるの?」

「え。ええーと、その、あの……」

 

 なのはは慌てた。まさか魔法によって引き起こされたものだとは喋れない、ではどうすれば。

 笑い顔の中で自分の失言を取り返すのに必死だったなのはへ、助け舟が思わぬ方向から寄越されたのは、たった十数秒だけ後のことだった。

 なのはの携帯が、ポケットのなかでバイブを動かし受信を告げる。

 

「ごめん、メール来た……あっ!」

 

 送信者は篠ノ之束。

 内容は、

 

『友人二人にはとりあえずこの写真を見せ給え! なお、面倒なので例の獣医からだと言っておくように 親切で優しい束さんより』

 

 という文面と、怪我の治ったフェレットの写真だった。窓には朝日が登っているから、今朝の写真だと分かる。

 

「ほら、アリサちゃんすずかちゃん、これ!」

「あ、フェレット……無事だったんだ。ねえこれ、誰からのなの?」

「えと、それは動物病院の先生がね。今朝電話したらアドレス聞かれて、それで送ってもらったの」

「ふーん……そう、良かった」

 

 アリサもすずかも納得してくれたようで、溜飲を下げ一安心、といった様子だ。なのはも同じく一安心である。

 魔法という非日常を周りに明かしてはいけないというお約束くらいは、重々承知なのだ。

 

「あ、そういえば今日、束のやつ、居ないわよね……?」

「ホントだ……なのはちゃん、何か聞いてる?」

「え、あ……」

 

 ここで初めて、なのはは気づいた。いつもなら自分と一緒に、自分の家から遠く離れたバス停に割り込んでくる束の姿が、今日はない。

 メールで確認してみようか、と思ったが、考えてみればその必要はないだろう。ここに来ないどころか、きっと欠席するに決まってる。

 だって彼女は、とても忙しいのだ。

 ユーノ・スクライアと魔法のことで。

 魔法。束はそれを、今までこの世界にて明らかにされなかった、全く未知の概念を知ったから、あんなに悦んでいた。

 それは、なのはと知り合った時の束と同じくらい、いや、それ以上の歓喜なのだろう。

 これまで二年間、束という傍若無人の側にいたなのはには、明確に理解できた。

 だから――嬉しいと、思う。

 

「……今日は、もしかしたらお休みするんじゃないかな」

「え……? どうしたのよ、なのは。なんでそう言うの? アイツのことだし、また昨日みたいなハチャメチャかましてくるかもしれないわよ」

「私達と会わなくても、先に学校に着いてたりするかも」

「どうかな……」

 

 なのはが二人の言葉に首肯せず、柔らかながらも否定する理由は、束が小学校に行く理由を知っているからだった。

 そこに、なのちゃんが居るから。

 要するに、篠ノ之束にとっての学校は、高町なのはと触れ合い語り合う為だけの空間なのである。その他は、授業もお弁当も体育も水泳も放課後も、何一つ塵以上の価値を持たない。

 だから――魔法なんて綺羅びやかなものが、目の前に吊り下がっていたら。学校よりもそっちを取るだろうな、となのはは確信できるのだ。

 それは、道徳的にはいけないことだし、止めるべきではあるかもしれないだろうけど。

 束が笑顔を浮かべながら魔法を調べる姿を想像すれば、その楽しみを止めることには足踏みしてしまうなのはだった。

 

「はぁ……なのはって、本当にあいつと仲がいいのね」

「うん、友達だし。それが?」

「……なんていうかさ。今のアンタ、あいつのことなら何でも分かってますーって顔してる」

「何でもじゃないよ。束ちゃんのこと、私は少ししか分かってない。とても頭が良くて、何でも分かって、目線も私よりずっと広くて。束ちゃんが立ってる場所、見ているものに、私、まだ近づけてもいないと思うけど」

 

 そう語るなのはの表情には、悔しさ一つ見当たらない。ただ、目の前に高く光る星を見つめる時の羨望と、上を向く力強さだけがある。

 

「でも、ううん、だからこそ。私、束ちゃんと友達でいたいんだ。仲良しでいたい」

「で、でもなのはちゃん」

 

 

 すずかが小声で、躊躇いながら話す。

 

「どうしたの、すずかちゃん」

「……話は変わるし、今更聞くことじゃないと思うけど……束ちゃんのこと、怖くないの?」

 

 すずかの問に、なのはは意外そうな口ぶりで答える。

 

「どうして怖がらなきゃいけないの?」

「だ、だって、普通の人と違うんだよ? あんなに頭が良くて、体も強くて……私達と同い年じゃないくらいに飛び抜けていて……凄いけど、でもちょっと……って、思うんだけど」

「すずかちゃん」

 

 なのははすずかの論説を塞ぐように名前を呼んで、首を振って彼女に向き合った。

 すずかは口ごもり、目線を僅かに下げた。

 

「束ちゃんはそんなんじゃないよ。皆と同じ。私と同じ。賢くって何でも知ってる、力は強くて、体も強い天才だけど、でも――それでも、極普通の女の子なんだよ」

「ねえなのは、それって矛盾してない……?」

 

 口を挟んできたアリサにも、なのはは振り向いて言い返す。

 

「ムジュンしてないんじゃないかな。天才だからって……この世界に生まれて、私達と同じくらいしか生きていないのは確かでしょ?」

「そりゃ、そうだけど」

「だから、同じ。私と。アリサちゃんとすずかちゃんと。ただ、天才なだけで。だから怖くない。むしろ頼もしくて、凄い子だなって思う」

 

 その口調に、迷いはない。当たりの強いはずのアリサを逆に怯ませるくらいに。

 二年間付き合って積み重ねてきた信頼は、なのはの胸にしっかりとした柱を立てていた。

 篠ノ之束は天才で、それでも、私達と同じ女の子だ。

 なら、きっと。いつかきっと追いつける。

 自分は足が遅くて鈍くさいから、束ちゃんがスキップ混じりに歩んだ道をなぞるのにも、ずっとずっと時間がかかって。

 でもきっと、束ちゃんはそれを望んでいる。つまらない世界を面白くして、というのはつまり、そういうことなんだ。

 

「……そうなの……」

「……」

 

 そんななのはの主張に対して、何も言い返さない、と言うより返す言葉が見つからないという様子で沈黙するアリサとすずかだった。

 

 

 

 

 

 

 結局なのはの語ったとおり、学校の教室にも束は来ていなかった。そのまま授業が始まって、入学以来皆勤賞だった束の出席簿に初めて欠席マークが記された。

 そして、午前の授業が終わり、お昼休み。なのはの携帯に、再び束からのメールが送られた。

 

『現状を報告したいので、三階の空き教室の左から二番目のロッカーを叩いてね! パスワードはこの前と同じだよ!』

 

 なのはが教室をちらと見渡せば、アリサとすずかは他の女子と昼食を楽しんでいる。ならば問題ないだろうと、なのはは二階にある自分の教室から離れて、階段を登って三階へ渡った。そこにひとつだけある空き教室は、時折放課後のクラブ活動や補習に使われるだけで、普段は殆ど人の入り込まない、隠れ場所にはうってつけの場所だ。

 しかし、束はそれだけでは満足しなかったのか、自分だけの城と呼ぶべき場所を作っていた。

 なのはがロッカーを規則正しく二回、とんとん、と叩けば、ペラペラの鉄板なはずの扉の一部が裏返り、分厚いキーボードが現れる。

 そこに、

 

『nano-chan to lyrical sitai』

 

 と打ち込めば。

 窓の内側にあるシャッターが閉まり、ドアが電子ロックされる。その外側にはホログラムが表示され、外から見れば誰もいない空き教室の風景が映るだろう。

 太陽の光が遮られ、薄暗くなった教室の中を照らすのは、元からあった蛍光灯と――木製であるはずの机から出ている、液晶画面の光。

 なのはがその机の一つにつくと、ノートパソコンが開かれるように液晶画面が持ち上がり。底面に残ったのはコンソール。つまりこの教室の机は残らず、机に偽装したコンピュータに改造されているのだ。

 これは、束の秘密基地その二。ただ学校に行くのもつまらなすぎるからという理由で、なのはウォッチングの片手間に魔改造した空き教室だ。

 

「やっはろー♪ なのちゃんお元気ぃ? 昨日はお疲れ様だったけど大丈夫?」

「にゃはは、束ちゃんも元気そうでなによりだよ。 私は大丈夫、ゆっくりお休みできたし」

 

  つながっている通信は、もちろん束の秘密基地一号からだ。喜色満面の束を見て、なのはは自分の想像が当たっていたことに喜んだ。

 

「束ちゃん、なんだかとても楽しそう。魔法について、何か分かったの?」

「そりゃあもう! あのフェレットもどき、知識だけは一丁前に持ち合わせていてね。お陰で初日から捗りまくりだったよ! そうだね、魔法の、細かく言えばミッドチルダ式魔法術式の基本的なシステムはあらかた理解できたかな」

「そっか。それは良かったね。ユーノくんにお礼言っておかないとだよ?」

「はいはい分かってますー。まぁ、怪我も治したしさ、束さんなりに丁重に扱ってはいるよ、うん」

 

 そこまで話して、そういえばユーノはもともと自分が預かる予定なのだったと思い出したなのはは問いかける。

 

「ところでユーノ君はどうしたの? 元気な姿が見たいんだけど」

「あ……あはー、それがねえー」

 

 モニタの前の束の顔が、すっきりしてにこやかな笑いから、急に湿気を帯びてねっとりとした含み笑いに変わる。

 なのはは少し身構えた。こういう時、束はだいたいなのはのことを驚かそうとしているのだと決まっている。

 

「ほら、休憩終わり! はようこっちゃ来い!」

 

 束がモニタの枠の外へと声をかければ、その言葉に呼ばれたユーノがやってくるはず。なのだが。

 そこに現れたのは、金髪碧眼で、何やら文様の記された部族衣装のような服を着た、なのはや束と同じ年頃に見える少年。

 

「え……えっ!?」

「あ、どうも……この姿では初めまして。ユーノ・スクライアです」

「ええええええええっ!?」

 

 しかし、スピーカーから聞こえる声は、あの夜なのはに助けを求めたフェレットと全く同じで。だから、なのはは驚きながら、目の前の少年がユーノその人であることを理解できた。

 

「う、嘘!? ユーノくん、フェレットじゃなかったんだ」

「だから私は言ったでしょ、フェレットもどきのケダモノだ―って」

「いや、それとも全然、全く違うから」

 

 得意げに喋る束を遮りながら、ユーノがなのはへ事の真相を語る。

 

「あの姿は変身魔法で変わったものなんだ。魔力の消費を節約するためのね。だから、こっちが僕の本当の姿」

「う、ううん……そういえば、一昨日の夜、夢の中でその顔を見たような……見なかったような……?」

「多分、それはリンカーコアが無意識に反応して見せたものかな。その時僕は、ジュエルシードと戦ってて……それで魔力を消耗して、あの姿になってたんだ」

「そうだったんだ……」

 

 なのはにとっては中々に衝撃的な事実である。昨日拾って、可愛いと感じ、家族にも相談して預かろうと決めたフェレットが、自分と同じ人間で、しかも男の子だったとは。

 とはいえそれを聞いたところで、預かるという意思が失われる訳でもないのだが。

 

「でも、それじゃあ昨日までは、魔力も体力も凄く消耗してたってことだよね? それに怪我もしてたし。それでどうして元に戻れたの?」

「あ、そ、それはー……」

「ふふふひひひひ、こいつのお陰なのさ、なのちゃん!」

 

 なのはの問に答えたくないようではぐらかすユーノをそっちのけにして、束はモニタの前のテーブルに、どん、と一本の薬瓶を置いた。中には液体が満ちている。

 

「それは?」

「束さんの発明品……と言うのは言いすぎかな? 既存の薬物の中で、体の機能を活性化させるものを選り抜きして分解して一つにまとめたお薬だから。名付けて『束印のアウェークニング・ドリンク』! これを飲めばどんなに疲れた人間も馬力百倍元気千倍!」

 

 小学生のくせに少し膨らみ始めている胸を張り、モニタ目掛けてびしぃっ、と指差す束の姿は、自分の発明品をなのはの前で、テレビCM的に宣伝するかのようだ。

 しかし、その隣のユーノは顔面を蒼白にして、彼女の言葉を信じるなと訴えるように首を横にぶんぶん振っていた。

 

「……でも、副作用が凄いんだよ。昨夜飲まされて、それで一気に人間まで戻れたのはいいんだけど……今朝は地獄だった。頭クラクラして吐き気がしてというか実際吐いたりした……」

「えええ……」

 

 そう語られれば、流石のなのはも笑うのをやめて、ユーノの悲惨な状況に深く同情した。

 

「なに、まぁそれは当然の代償であってだね。それ以上のことは断じて起きないからね! 中毒させる要素とか体を壊す要素は可能な限り取り除いてるから、直ちに影響はないしそれ以降も全く影響ないんだって!」

「本当? 本当にそうなの、束?」

「おうよ! いいかいチミぃ、束さんは天才であるから二言はないのだ!」

「……いまいち、というか全く信じられないんだけど」

「はぁーっ!? お前、この束さんを疑うとはふてぇ野郎だ! 今まで身体実験も一通りこなしたけど、ここで一片加減無しの最終地獄を見てもらおうか――」

 

 と、ここまで聞いたところで。

 

「ふふ……にゃはははっ!」

 

 大笑いし始めたなのはに釣られてか、二人共瞠目してモニタに向かいあった。

 

「な、なのちゃん? ど、どうしたのかなぁー?」

「にゃははっ、えと、それはね……嬉しいから、かな」

「嬉しい? 何が?」

「何って決まってるよ。束ちゃんが私と、アリサちゃんすずかちゃん以外の同年代、しかも男の人とお話してるなんて」

 

 なのはの見る限りでは、初めての光景だった。

 束は基本、同年代との会話を極めて嫌う。曰く、全員ガキっぽいし脳足りんだし無遠慮でしつっこくてとにかく極めて馬鹿らしいから意味がない、というのが彼女の主張だ。

 なのは自身、自分だって同じようなものだと考えてしまうのだが、束にとって、なのはは数少ない例外らしいのである。

 そして、アリサとすずかはあくまでおまけのようなものだ、とも語っていた。実際、彼女らと束との会話量は、二年の時を累計してもなのはが交わした会話の一ヶ月分にすら及ばないだろう。

 だが今、束は見るからに同い年な少年と、まるで漫才のように軽妙かつ他愛のないやりとりで盛り上がっていた。

 しかもユーノは、束のことを、束さんでなく束と呼んだ。

 まだ、自分は「なのはさん」なのに。

 それくらい、距離が縮まっている。

 束の方は未だに「君」や「お前」としか呼ばないけれど、少なくともユーノが、同年代だから呼び捨てにしてやろうと実行するくらいに、間合いを縮めているのは確かだった。

 

「なっ!? はぁぁ!? 何言ってるのなのちゃん! それは勘違いだよ! いいかな! こんな大人しくて人畜無害でいつの間にかフェードアウトしてそうな優男なんて、魔法のことを聴取するという事情が無ければ、興味の対象にはなり得ない! 単なる路傍の石に過ぎないし! 黙殺して然るべき野郎なんだよ!」

「でも、さっき仲良くお話してたでしょ?」

 

 それは、と言い返そうとした束に、なのはは畳み掛ける。

 

「魔法があるから興味があって、お話する。それでも私は嬉しいよ。束ちゃんが自分から、誰かと話をしている所、私ずっと見たかったんだから」

「え……むぅ……でも違うよ。こんな奴は……友達でも知り合いでもなんでもなくって! そう、実験用のフェレットもどき! 魔法というものの入り口を知るための使い捨て実験台でしか無いのだ!」

「だからフェレットもどき言わないでよ……」

 

 束の宣言に、ユーノがぶつくさと呟く。その二言を聞いているだけで、心の奥から温かいものが流れ出してくると感じるなのはだった。

 それから三人が、残り少ない休み時間の間に交わしたのは、ユーノの捜し物、『ジュエルシード』についての会話だった。

 

「ジュエルシードは僕らの世界の古代遺産なんです。本来は手にした者の願いを叶える魔法の石なんだけど」

「どうも石の中のプログラムがガバガバandガバガバみたくって。発動した時はまだしも、放置してても大抵の場合暴走しちゃうんだよ。呆れた話だね」

「使用者を求めて周囲に危害を加える場合もあるし、たまたま見つけた人や動物を取り込んで暴走する場合もあるんだ」

「それで、全部合わせて21個。そのうち見つけることが出来たのは、昨日のと合わせてたったの二つ……」

「あと19個かぁ」

 

 正に前途遼遠である。なのはとしては、昨夜自分が直接戦い、どうにかビギナーズラックで勝ったモンスターみたいなものが、あと19匹も現れると思えばその脅威と大変さを十分に理解できる。

 

「大変だね……」

「でもまぁ、事の発端はぼ……いや、何でもない、そうじゃなくて」

 

 それ以上苛立つ理屈を喋ったら本当にバラす、と言わんばかりに険しい束の目線。ユーノはびくっ、と驚くが、しかし。

 

「僕の魔力、もう回復したから。これならもう、助けはいらないよ。また一人でジュエルシードを探しに出る」

 

 はっきりと、決意したように。

 その右手に赤い宝珠、レイジングハートを握りしめながら、ユーノが語る。

 

「え……だめだよ、それは」

「いや、だって。もう人間になれるほど力も戻ってるし、それに、あんまり認めたくはないけど……束の実験で散々こき使われて、お陰でこの星の環境にもちょっと慣れてきたから。一昨日みたいな不覚はもう取らない」

 

 なのはは言い返そうとした。ユーノを放っておきたくなかったから。

 しかし、それをどう言って、納得させればいいのか。自分の気持をどう訴えればいいのかが、はっきり見えてこない。

 

「で、でも、でも」

「昨日みたいな危ないことだって何回も起きる。今の僕は万全で、結界魔法も張れるから、そういうことから周りを引き離す事もできる。戦闘は……そこまで自信は無いんだけど、昨日みたいなやつが相手なら、まあいくらでも、やりようは」

「でもっ!」

「なのはさん。あなたには家族だって居る。昨日だって、夜遅く帰ってきたら心配されたんじゃないかな。だったら、これ以上危険な目に合わせる訳にはいかない」

 

 これで、ユーノが昨日のままだったら。まだ力を取り戻せてないフェレットだったなら、なのはもまだ理屈をこねて、彼を説き伏せることができただろう。

 しかし、今のユーノは、束の薬剤で力を取り戻している。魔法に関して何も知らないなのはが何を言おうと、魔導の経験者であり、事件に対応できると断言しているユーノの論理は覆せない。

 

「た、束ちゃん!」

 

 思わず、なのはは親友に助けを求めた。しかし、その親友は気の抜けた声で、

 

「まあ、いいんじゃないの? 任せとけば」

 

 と言うだけだった。

 

「で、でもでも、なのはは魔法が使えるから! 力になれるから!」

「それはそうだけど、なのちゃんは結局、ズブの素人だよね? 昨日の戦いだって半ば無我夢中で。自分がどうしたか、何を行ったか、はっきり覚えてる?」

「……覚えてない。本当に夢中で、何も」

「だよね。それで、こっちには専門家、とは言わないまでもずっと詳しくて慣れてる魔法使いがいます。さて、なのちゃんが介入しなきゃいけない理由。そして……介入「していい」可能性はどこにあるでしょう?」

「……それは……」

 

 無い。論理的に考えればそうだろう。例えばユーノがまた傷ついたり、戦えなくなれば事情は異なる。少なくとも、今この時点でなのはが出張る必要性は、どこにも存在しなかった。

 しかし。

 

「…………」

 

 なのはは俯き、無言で黙り込む。まるでテストの終わりが近いけど、解答用紙がほぼ白紙である時みたいに、頭の中から必死に答えを探している。

 しかしそれを見ても、ユーノは一切自説を曲げようとはせず。束もまた、何とも言わず助言せず、ただ、悩むなのはを見ているだけだった。

 

 きーん、こーん、かーん、こーん。

 

「あ、予鈴だ。なのちゃん、そろそろ行かなきゃでしょ? 午後の授業、始まっちゃうよ」

「う……でもっ」

「大丈夫、こいつはこいつでなんとかやってくみたいだし。それより今夜、また私のラボに来てよ! なのちゃんの魔力がどれくらいか計測を――」

 

 かっ、と頭の中に火花が弾ける。

 それは、自分の気持を理解してくれない友人への――

 

「っ!」

 

 ばたん、とモニタが閉じられる。大股で歩く音がシャッターまで近づくと、それは自動的に開いて道を開けた。閉鎖された空間は、元の空き教室へと戻る。

 引き戸を開けて、自分のクラスの教室へと戻るなのはの表情は、只管に険しく。それを戻すためにトイレに向かって落ち着いてたら、結局本鈴には間に合わず、1分13秒ほど遅刻してしまうのだった。

 

 

 

 

 

「……あの」

「何だよ」

「束……その、ごめん」

 

 その時、束のラボでは。強制終了した通信画面を、スツールに座りながら睨み続けていたユーノが、隣で何とも言えないニヒルな表情をしている束へすっ、と頭を下げていた。

 

「なのはさんのこと、説得してもらって」

「はぁ? 何言っちゃってんのお前。自意識過剰かな?」

「えっ……いやでも、そうでないなら、友達に向けてなんであんな厳しいことを?」

 

 ユーノの問に、束はくくくく、と冷笑した後答えた。

 

「私は私の持論を述べただけだよ。なのちゃんの心の中にある考えは、また違うものだってこと、それくらいは当たり前に理解できていたさ」

「そ、そうなんですか……」

「私の言葉を聞いて思い直せばそれで良し、それでも協力したいのなら……君を探しに行くだろうね、しつこく」

「しつこく、ですか……」

「なのちゃんって見た目大人しいけど、割りとそういう一面あるからね。まあでも、確かに今回なのちゃんが関わる必要性は薄い。そう、この束さんのおかげで! 君は万全の状態に戻れたんだから! 束さんのお陰でね!!」

「……うん、それは感謝してる。お陰で……あの娘を巻き込まずに解決できそうだ」

 

 ホッとしたように穏やかな声で話すユーノへ、束は皮肉めいた笑いを向けた。

 

「どうしてそんなになのちゃんを巻き込みたくないの?」

「え。それはまぁ、魔法を知らなかった一般人だし……女の子だし」

「へえ。どっちかというと後者がメインなんじゃないの? まあ分かるよ、なのちゃんは女神の如く美しく壮麗だもん、雄が挙って一目惚れするのも当然のことだ」

「なっ……! べ、別にそういうことじゃない!」

 

 ユーノが一気に顔を紅潮させて否定すると、それが益々可笑しいようで、束はころころ笑い転げている。

 あまり付き合っているとますます変なテンションになってしまうと判断したのか、ユーノは慌ただしく立ち上がり、ラボの出口へと歩き出した。

 

「行くのかい?」

「うん。早くしないと、また昨日みたいなことになる」

「ふうん……まぁ、束さんとしては、君から魔法についても魔力についても、読み取れるだけの知識を読み取らせてもらった。ミッドチルダ式魔法、だっけ。魔法と言っても結構ロジカルなんだねえ」

「まあ、少なくとも神秘とか奇跡とかじゃないかな。そういうのはジュエルシードを含めた、ロストロギアの範疇さ」

「魔法とは、自然摂理や物理法則をプログラム化し、それを任意に書き換え、書き加えたり消去したりすることで作用に変える技法である、か……こりゃ必要なのは数学とか物理学の知識だね。束さんにとっては得意も得意な大得意分野。しかもミッドチルダとこっちとで、物理法則は大して違わないみたいだし……案外、底は浅かったりするかな?」

 

 ほくそ笑みながら、手に入れたデータをPCに打ち込み続けている束だが、しかし僅かに残念そうに、

 

「問題は、束さんに魔力がこれっっぽっちも、欠片も無いってことだね……」

 

 機械のウサミミをしゅん、と折り曲げながら呟いた。

 

「うん。君にリンカーコアは、魔力は存在しない。全く。断言していいよ」

「…………ぐぬぬぬぬ。親に産ませたこの身体、便利なものだと思っていたけど、初めて不満を抱いたよ」

「それは、ご愁傷様」

「……お前ね、なんだかとっても生意気だ」

 

 そのやりとりは、夜中から午前にかけて散々束に弄くり回されたユーノの、ささやかな逆襲であるだろうか。

 

「まあいい。なのちゃんの魔力は常人離れしてるみたいだし、そっちをサンプルにデータを取れば何ら問題ないかな。……つまり、お前はもう用済みってことだ」

「……そうなるんだ」

「そう、というわけで好きにしなよ。ここを出るなら出てもいい。そしてこの街でお前が何をしようと、束さんはこれ以上介入しないし、邪魔もしない。研究の肴にするだけだ。それでいいんだよね?」

 

 束の発言に、ユーノは明るく笑って頷いた。

 

「ありがとう。想像以上の答えかな。ひょっとするとジュエルシード、問答無用で奪いに来るかもしれないって思ってたし」

「奪ってもいいんだよー? 束さんがその気になれば、お前なんぞはてんで相手にならないんだから。今はただ、それより興味深い物を見つけただけ。ジュエルシードだって、束さん的に猛烈気になるアイテムなのは違いないからね」

「は、はは……勘弁願いたいし、想像したくもないなぁ」

 

 冷や汗をかきながら、地下の扉を潜って出ていくユーノの後ろ姿を、束は一瞥し、そして。

 

「殆どの世界の大気中に存在する魔力素。これに特定の技法で働きかけるのが魔法で、それによって起こせる作用は多種多様、物質生成すら可能とする。これを、この万能物質を、見逃す手はない……さて、どうするかな」

 

 己の研究と解析、そして魔導技術を応用した新たな発明の思案に没頭していった。

 




そろそろ書き溜めもだいぶ溜まってきたので、今日(5/30)の19時にもう一話投稿しちゃいますねー。


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第五話:魔法少女、颯爽登場!

 それから。

 ユーノ・スクライアの探索は、僅かな時間で成果を得た。

 篠ノ之神社に近い森の中で、恐らく野生動物に憑依しているであろうジュエルシードの思念体を捉える事に成功したのだ。発動した瞬間捕捉して、即座に結界を張っているので、リンカーコアを持つなのはでさえ気付くことはないだろう。

 これも束に飲まされたアドレナリン剤のおかげと思えば感謝の気持ちも多少は湧いてこようが、しかし彼女の存在も、ユーノを焦らす一因になっていた。

 ユーノは彼女に夜通し尋問された。魔法とは何か。次元世界とは何なのか。求められるままにユーノは答えたが、しかしそれは、広大な次元世界の中ではほんの僅かな事実でしかない。

 彼はまだ9歳であり、いくら魔導学院という場所で修学したと言え、その知識は浅くなくとも深くなく。だからそこから得られる知識も、常人よりは広範かつ詳密とは言え、特段何か述べる所もない、常識的な知見に終止しているはずなのだが。

 彼女、篠ノ之束はそれだけで、魔法の根本のメカニズムを完全に理解し、しかも何かに応用しようとまでしていた。一を聞いて十を知る、どころの話ではない。二十も三十も進んでいる。

 そんな彼女が、ジュエルシードの願いを叶える強い力を手にしたら?

 きっとろくな事にならないと、分かる。

 それが、ユーノがなのはの提案を退け、とにかく一人で先走った、原因の一つであるかもしれない。

 

「このっ……!」

 

 ユーノが戦っている異形は、大きめの虎によく似ている。しかし、漆黒に彩られた体表からは禍々しい瘴気が滲み出て、それが生み出されるべきでない、忌まわしき器であるということを自ずから証明していた。

 ぐろぉぉう、と吠えて突貫してくる獣に対し、ユーノは地を蹴って回避する。右へ、左へ。突進をいなすごとに交代し、森の奥へ奥へと獣を誘い込み、そして。

 

「広がれ!戒めの鎖!」

 

 獣の周囲の木々に仕込まれた、碧色の魔法陣。そこから魔力で編まれた光る鎖が一斉に放たれ、獣の体躯を捕らえて固定した。

 ユーノの合図で遠隔発生するチェーンバインド群。そしてユーノ自身も、己の両掌から魔法陣を展開しバインドを射出。合計十二本の鎖を獣に向けて放った。

 それは獣の四肢にまず巻き付き、続いて胴体。首筋までも雁字搦めに束縛した。この高度かつ連続で放たれる拘束魔法こそ、ユーノの得意魔法の一つであり、危険なジュエルシードの思念体相手に自信を持って対抗できる根拠でもあった。

 基本、動物の思念というものは、人間のそれより弱い。想像力の根本は脳にあり、その容量と密度においてヒトとそれ以外とでは明確な差があるのだから。

 そして思念体とは、言うなれば思念をプログラム、魔法として動作する魔力の塊。魔法の質はプログラムのサイズと複雑さに依存するものだと単純に考えれば。

 動物が作り出すそれなど、人間の魔法に比べれば取るに足りない。まるきり未熟で対処しやすい。

 

「縛って固めろ! 封鎖の檻!」

 

 ユーノの詠唱に応じて、束縛が強く締められ、獣の体表に碧色の鎖が深く食い込む。苦悶の叫びを上げる獣は、なれど逃れることは出来ない。

 このように、野生動物の思念体への対処は容易い。問題は人間が所持して発動するタイプだ。人の願いは強く激しく、だから暴走も広範囲を巻き込み被害をもたらす。

 だが、これに対してもユーノは対処できる。彼はミッドチルダの魔導学院で拘束魔法だけでなく、一般人を巻き込まないための結界魔法、強固な防御魔法、更には転送魔法と、数多くの魔導を収めてきた。

 攻撃的な魔法をあまり使えないのが玉に瑕ではあるが、使用可能な魔法のバリエーションについては、同年代どころかだいぶ年上の魔導師と比べても、ちょっと飛び抜けている。

 優秀で向上心も高い秀才。それがユーノに対する周りの評価だったし、将来有望な人材の卵が集う魔導学院の中でもそれなりに上位であった。

 ユーノ自身はそれらの評価に対してあくまで謙虚な姿勢を崩さず、むしろ自分を過小評価しているきらいもあるが。

 しかしそれでも、「完全に暴走さえさせなければ、ジュエルシードについては問題なく対処できる」という自負は確かにあった。

 まだ幼い身で応援も連れずに単身地球へ乗り込んだユーノ。それは多少無鉄砲な行いではあっても、決して無謀ではなかったのだ。

 

「アレスター・チェーン!」

 

 そんな事実を、行動で証明するかのように。ユーノは高らかと魔法の名を唱え、両手を思い切り引き込んだ。獣を縛る鎖が一斉一気に引き締められ、そして強度の限界を超えて砕け散る。

 それらは全て、魔力によって編まれたものであり。

 ユーノからの制御を失って、弾けるように散逸――つまり、爆発した。

 これは、ユーノの拘束魔法の中では最大級のものであり、そして威力も、彼の使える魔法の中では最強である。攻撃魔法の苦手な彼が、自分の得意分野によってどうにか攻撃力をカバーできないか、と考え、古い文献から探し当てたものだ。

 その威力は期待通りで、思念体はその体力の殆どをを失い、地面に倒れ伏せていた。黒い体表はうっすらとボヤけ、明滅しているようにも見える。きっと、身体を構成するための思念がダメージを受けて弱まったのだろう。

 

「ふう……さて、出番だよレイジングハート」

 

 ここで初めて、ユーノは手に持った魔杖、今は待機形態の赤い宝珠として手の中に握られているレイジングハートへ話しかけた。

 

《All light. but...》

「ああ、お前の気持ちはわかってる、つもり。普段の戦闘でも使ってくれっていうんだろ?」

《Yes》

 

 ユーノの言葉に応答するレイジングハートはただの杖ではなく、人工知能を有したインテリジェントデバイスである。

 自らの意志を持つ杖がユーノに訴えるのは、自分を使わず戦闘を行ったことへの注意と警告だった。

 しかしユーノは、僅かに苦笑しながら答える。

 

「それはちょっと難しいかな。僕はお前を完全に使いこなせない。適正だってチグハグなんだ。だから、こうして今から、封印魔法を行使するための手助けにしか使えない。ちょっと、申し訳ないんだけど」

 

 ユーノにとっては残念なことだった。元々このレイジングハートは、ユーノが遺跡から発掘して、所有するに至ったデバイスである。

 つまり発掘したのは自分で、それを持つと決断したのも自分。だのに使いこなせていない。

 このデバイスの本来のポテンシャルは、面倒で長い術式を省略するという目的だけでは、到底収まらないほど高いものであるというのに。

 ユーノは思い出す。

 昨日の夜、レイジングハートをいきなり手に取って、戸惑いながらも使いこなした少女のことを。

 ああいう子が、相応しいのかもしれない。レイジングハートという、優秀だけど癖が強い、でも、とっても使用者思いで優しいデバイスの主には。

 

「……いや、何考えてんだ僕」

 

 胸の中にこみ上げてきた思いを、独白することで鎮静させる。

 あの子はもう関わらせないと自分に誓った、そうじゃないのか。

 あんな優しい子が、僕を手伝いたいからって、戦いに踏み込むことはやっぱり良くないと思うし。

 それに――束には、ああ言われたけれど――やっぱり僕は、ジュエルシードに対して責任を取りたい。

 あるかどうかも分からない責任だけど。でもやっぱり、目の前で何かが起きていて、それに介入できる力があるなら、放ってはおけない。行かずにいられない。

 そして――恐らく束が言うとおり、それはあくまで、僕一人だけの事情であって、我儘であって。だからこそ尚更、他人を巻き込みたくはない。

 

「そうだよ、元々そのつもりじゃないか。なら、最初の予定通りなだけだ」

 

 だから寂しくはない。こういうのは慣れっこだ。

 ずっと一人で生きてきた、なんて偉そうなことは言えないけど。今までの短い人生の中では、一人ぼっちの時間の方がずっとずっと多かったから――

 

《Master!》

「っ!?」

 

 真横で、魔力の爆ぜる音。

 思念体のものではない。 もっと鋭くて、風を切るような、魔力の弾丸。だからそれは、明らかに――人の放つ魔法である。

 

「あれは……」

 

 反射的に上空を見たユーノの視界に、空を飛ぶ人の姿が入り込む。

 青い空と対比して、ひときわ異質な、黒い防護服。太陽の光を浴びて煌めく、美しい金色の髪。そして――どこまでも透明で、澄んでいる真紅の瞳。

 新たなる魔導師の、少女。彼女は手に持つ黒い魔杖をユーノに向けて掲げた。その先端には黒い刃。戦斧の形をしたデバイスである。

 

「……バルディッシュ。ランサー・セット」

《Yes, Sir》

 

 再びの魔力弾は、合計四発。少ないながらも的確に、面単位で対象の動きを押さえ込んでいる。だからユーノは、それを避けずに防御するしかなかった。

 右手に魔力を込めて、術式を脳内で構築し発動。防御魔法のラウンドシールドが壁となって、黄色い魔力光の爆発からユーノを守る。

 その右手に衝撃が響き、手首の先からじぃぃん、と痺れた。防御しても、それほどの余波が来るのである。

 この子は、強い……!

 

「君は誰なんだ!?」

 

 空飛ぶ魔導師に対抗するため、ユーノも宙に浮きながら、誰何する。

 しかし、彼女は無言のままに、再び射撃魔法を構築し始めた。その術式構築の早さも、射出台となるであろうスフィアの数も、並の魔導師とは一線を画している。

 そして、遠くでもはっきりと分かる、彼女の魔力の量。

 昨日のなのはが見せた、魔力の奔流を作ってしまうぐらいの卓越したそれと、同程度。いや、それ以上か――

 射撃を回避するため距離を取り始めるユーノの脳裏に、自分は勝てるか? という迷いが生まれた。

 

「ファイア」

《Fire》

 

 ズガガガ――!

 

 スフィアから勢い良く射出される、槍のような魔力の塊。今度の数は三つ。しかしその早さも照準も、さっきまでとは段違いに正確だ。

 ユーノは全力で真横に機動し、射線から逃れる。元々空戦は苦手であった彼だが、それでも大きく軌道を取れば、回避できる。

 はずだった。

 一つ、二つ、三つと全てを回避して、そこでユーノはようやく気づく。前回の攻撃で射出されたのは、果たしていくつだったか――

 

「しまっ……」

「そこ!」

 

 黒衣の少女が叫ぶと同時に、全くの死角である後頭部目掛けて金色の槍が降ってきた。

 それを知覚した時、ユーノは少女の実力に戦慄した。一度に四発撃てるところをあえて三発だけ発射して、ユーノの退避先に予め遠隔発生型のスフィアを仕込んで、死角を狙ったのだ。

 言うは易く、しかし実行するのにはかなりの困難を伴う技である。遠隔発生という技術自体の難易度も高いが、それだけでなく相手が油断した所を突いて、きっとそこに向かうだろうという場所を想定し、予め軌道の方向を決めておかなければいけない。

 ユーノの魔導は確かに高いレベルを誇るものだが、目の前の魔導師は、戦闘に限れば更にその上を行っている。

 

「――っ!!」

 

 魔力弾が爆発し、煙がユーノの全身を包み込んだ。

 だが、それが晴れていてもなお――ユーノは無事だった。とっさに全方位展開型のプロテクションを展開し、身を防ぐことが出来ていた。

 しかし。

 

「な、なんて威力だ……防いだら、持って行かれる……」

 

 そもそも防御魔法の原理とは、攻撃に対し魔力の防壁を構築し、攻撃の威力を己の魔力で相殺することである。ならば、強い攻撃を受けるに際し、それだけの分の魔力を消費しないといけないことは自明の理であるが。

 一発防いだだけで、ユーノは自分の魔力がリンカーコアからごっそり抜けていくのを実感した。学院で体験した訓練用の魔力弾とは訳が違う。本物の、戦闘用の射撃魔法だ。

 するとどうなるか。黒衣の魔導師が弾丸を放てば、ユーノは避けきれず防御するしか無い。攻撃魔法は当然少女の魔力を消費するだろうが、こちらも防げば消費する。

 となると、純粋な魔力量勝負になり――それではユーノに、勝ち目が無くなる。

 

「くっ! チェーンアンカー!」

 

 焦ったユーノは拘束魔法を発動し、黒衣の少女に向けて鎖の束を発射した。それは散らばり、翠の線の弾幕として少女に襲いかかったが。

 

「…………」

 

 無言のまま、どれも、あっさりと避けられてしまう。ユーノとて工夫はしていた。簡単に避けられないよう、八つの鎖を広範囲に発射した。しかし、そのどれもを回避する少女の機動は――ユーノの目では捉えられないほど、早かった。

 戦闘技術と火力と機動力で、ユーノは既に、そして完全に敗北していた。

 

「硬い……それに魔力運用が上手い。なら」

 

 少女は大上段に戦斧を両手で握り、振りかぶる。

 今度は何が来るか、と停止して身構えるユーノ。

 

《Scythe form》

 

 戦斧の刃と柄との付け根が折れ曲がり、金色の刃が現出する。鎌だ。少女の黒い杖が、斧から大鎌へと変貌したのだ。

 

「切り裂け……アーク、ザンバー!」

 

 今度はデバイスでなく、少女自身が魔法名を叫ぶ。そして、振り下ろされた鎌から光刃がそのまま切り離されて放たれた。

 三日月状のそれは、回転しながら不安定な軌道で、しかしユーノに向かい迫りくる。

 ユーノは両手を振り上げて、全力防御の姿勢を取った。

 元より回避は難しい。特にあの、変則的な軌道を読み切ることはなお難しい。ならばいっそ、回避することを諦めリソースの全てを防御に回すべし、と判断したのだ。

 しかし、その判断は凶と出た。

 数秒後、光刃がユーノの半円型のプロテクションにぶち当たる。その威力に両手が痺れるが、しかしユーノは、完全に受け止めきっていた。

 後はこのまま、上手く受け流せば――

 

「っ!?」

 

 いや、それは出来ない。何故ならこの魔力弾は、今まで放たれた槍状の弾丸とはと全く異なっていたから。

 こいつはバリアを「噛んでいる」――!

 つまり、防御魔法にがっちりと食い込んでしまっている。下手に防御を解除したり、動かしたりしたら、回転する刃に己の身体を巻き込まれてしまう。ならばこのまま防御し続け、光刃の魔力が尽きるのを待つしか――

 

「セイバーブラスト」

 

 爆発。ユーノのプロテクションはその爆裂に一気に削られ、爆風の煽りで彼の体躯は宙を吹き飛ばされた。

 目まぐるしく上下左右に回転する視界を、飛行魔法の再起動でどうにか安定させて、そこでようやくユーノは気づいた。

 黒衣の魔導師が遠隔操作で、まだ魔力を十分に保っていた光刃を爆発させたのだ。

 そして、この次に来るのは――

 

「……遅い」

 

 ユーノはその答えを脳裏で導き出すことが出来たが、対策を起こす一瞬前、背中への斬撃によって地に叩き落された。

 

「があっ……! か、はっ……」

 

 勢い良く叩きつけられたユーノは、背中を強く打って息を詰まらせる。そこから立ち上がろうとしたが、背中への一撃のダメージは深く、重く。手にも足にも力が入らない。重度の倦怠感。肉体ダメージだけではなく、魔力の消耗も大きかった。

 それでもなんとか、震える四肢に鞭打って立ち上がったが――その頭上、至近距離に、空を飛びながら鎌の切っ先を向ける少女の姿。

 

「ジュエルシードは、私がもらう」

「そ、そうは……」

 

 させない、と言いたかったが、膝をついてしまう。魔力不足で、結界も解除された。もはや、先程のような抵抗は出来ないだろう。

 しかし、昏倒している思念体はまだすぐそこにあって。

 だからユーノは、少女からそれを守るために再び立ち上がった。

 

「だめ。これ以上抵抗しないで。あなたは魔導師として弱くない。だから……今みたいに、手加減が出来なくなる」

「……なんだよ……」

「大人しく見ていればいい。あなたにもこの世界にも、危害は加えない」

「なんだよ、それはっ!」

 

 少女の声には感情が見当たらない。機械的にお決まりの警句を述べているようで。

 それがユーノの感情に火をつけた。

 

「いきなり出てきて! 一体君は何なんだ、何のためにジュエルシードが欲しいんだ! いきなり撃ったりせずに、何か話してくれれば! その理由が何か、正しいことだったりしたら! 戦う必要なんて!」

「…………」

 

 ユーノの悲痛な叫びに対する問いは、スフィアの展開と、

 

「もう、やめて」

 

 という呟きで。

 だから、ユーノは激高した。

 

「やめてなんか、やるもんか! 僕は決めたんだ! 絶対にジュエルシードを回収するって! それは確かにお節介かもしれない! 自分勝手な我儘かもしれない! でも……でも! 僕はそうしたいんだっ!」

 

 胸にためた思いを吐き出す。無口な少女に叩きつける。

 

「それをしないで、何処かで誰かが傷つくのは嫌だから! だから僕はやるんだ! 一人ぼっちで、どれだけボロボロになったって! 絶対に諦めたりなんかしない!」

「……っ」

「さあ、撃ってみろよ、倒してみろよ! でも僕は諦めないぞ。どんなになったって絶対に、食らいついてでもお前を止めてやる!」

 

 

「そうだよ、ユーノ君っ!!」

 

 その声は、二人の戦闘空間とは全く別の方角から聞こえて。ユーノと少女、二人同時に、虚を突かれた様子で振り向いた。

 

「私もそうだよ、そうなんだよ!」

 

 高町なのはだ。丘を登り、通学カバンを背負って、肩で息をしている。

 

「なのはさん!? どうして……!?」

「そんなことより、ユーノ君、こっちに来て!」

 

 言葉に従い数メートルほどをバックステップで後退したユーノ。その防護服の背部には、斬撃の跡が黒々と残っていた。

 

「ユーノ君、大丈夫……じゃない、よね」

「……言いたくないけど、そうだね」

「あの女の子は?」

「ジュエルシードを狙う魔導師。いきなり襲い掛かってきた」

「そっか……ねえ、私に何か出来ることって、ある?」

 

 そう言われても、ユーノはなお、なのはを巻き込むまいと躊躇った。だが、向こうは当然それに構わず、再び戦闘体勢を整え。

 

「フォトンランサー、フルオート・ファイア」

 再び、三つの槍を射出した。

 

「なのはさん、下がって!」

 

 ユーノはなのはを下がらせ、再び防御しようとしたが。

 

「大丈夫! あの時と同じ、なら……! お願い! レイジングハートっ! 私に力を!」

《All right》

 

 昨日のように立ち上る、桃色の光の柱。

 それが晴れると、変身して白き服を纏い、杖持つ魔導師となったなのはが、三本の槍をプロテクションによって完全に防御していた。

 

「す、すごい……変身のパスワードを短縮して、すぐさま防御魔法。なんて才能……あっ! 危ない!」

 

 しかし、防いだ弾は三つだけ。となるとあと一つは、さっきと同じ遠隔発生で死角から襲いかかるはずだ。

 そう気づいたユーノはなのはに警告したが――やはりその時、既に最後の弾丸は発射され、地面を刳りながらなのはの脇腹に突き刺さる――

 

《Shoot Bullet》

 

 前に、桃色の魔力弾と打ち消し合って爆散した。

 見れば、なのはは左手で杖をしっかり握りながら、右腕は真横に向けている。その掌には魔力の残滓が残っており、シュートバレットがそこから放たれたのは明らかだ。

 

「……すごい……」

「にゃはは、ギリギリ、だったけどね。気づけたのは偶然だし、レイジングハートが魔法を組んでくれなかったら……」

 

 と、なのはは語るが。ユーノからしてみれば、そもそも死角、しかも至近から放たれる弾丸に気付ける方がどうかしていた。

 なのはは両手で握った杖を構え、黒衣の少女と向かい合う。

 

「とにかく! ねえ、そこの女の子!」

「……」

「いきなり襲い掛かってきて、どこの子? なんでジュエルシードが欲しいの? 答えて!」

 

 なのはの問に、少女はしばらく沈黙したままだったが、やがてふぅ、と息を吐いて。一言ぽつりと呟いた。

 

「アルフ、お願い」

「おうよっ!」

 

 新たな異分子の声は、三人のすぐ近く――思念体がグロッキー状態で眠っている、ちょうどその場所から聞こえてきた。

 ユーノが驚いて振り向くと、そこに居たのは橙色の毛並みが眩しい、成熟した狼。人語を発しているということは、ユーノと同じく変身魔法の使い手か。

 いや、この魔力の流れ。黒衣の少女から狼へと一直線に流れるパス。

 このアルフという狼、少女の使い魔だ。ならばそいつが為すのは当然――

 

「しまった!」

「気づいてももう遅いよ! どぉりゃあああ!!」

 

 狼は大地を踏みしめ、思念体に向かい勢い良く突進。横たわる虎の身体をすくい上げるように吹っ飛ばす。

 黒衣の少女は数メートルほど上昇し、虎が吹き飛ばされる直線コース上に居座ってデバイスを、全力稼働させる。デバイスは大鎌から再び形態が代わり、ヘッドを更に回転させて槍の穂先として、光の翼を広げた。

 

《Sealing Form》

「ジュエルシード、封印」

 

 少女から強大な魔力の渦が放たれ、思念体に直撃した。そして、「ⅩⅥ」と記された青い宝石と、思念の元になった黒毛の子猫が宙に舞い、どちらも少女によって回収された。

 

「ああーっ!! ずるい!」

「ずるくない」

 

 なのはが喚くが、少女はぴしゃりと跳ね除ける。

 

「フェイト! 遅れてごめんな! で、なんなんだい、そいつらは」

「ん……大丈夫。気にしないで。ジュエルシードは手に入れたし、帰るよ」

 

 そして、使い魔と合流した少女は、ジュエルシードを自分のデバイスに閉まった後、この場所から飛日去ろうとする。

 

「あ、ちょっと待って!」

「こらっ、待て!」

 

 当然、なのはもユーノもそれに追いすがろうとしたが。一人は満身創痍、そしてもう一人はまだ飛び方を知らないため、何も出来ずにその背中を見失ってしまった。

 なのはは力を抜いて変身を解除した後、一人と一匹の去っていった空をじっと見つめ続けていた。

 

「……なんだろう、あの子。私達と同じくらいの年だよね。喋る狼さんをアルフって呼んでて、向こうはあの子をフェイトって呼んでた……フェイトちゃん、か……ユーノ君はどう思う?」

「え……いや、とにかく強かった……って! それよりなのはさん!! 一体どうしてここにいるんですか!?」

 

 その、余りにも場に馴染みきった台詞と雰囲気に流されかけていたユーノだが、そもそも問うべき疑問を思い出し、声を張り上げて話した。

 そう、今はともかく、思念体との戦闘や、黒衣の少女――フェイトとの戦闘時には、まだ結界がかかっていたはず。

 今でこそ魔力不足とダメージにより消滅しているものの、それで露わになぅた魔力のどよめきを感じても、こんなところまですぐに来れるはずがないのだ。

 

「ど、どうしてって……」

 

 なのはは問に答えるどころか、自分でもよくわからない、というようにまごつき、黙り込む。

 その様子を見ながら、ユーノもユーノで考えてみれば。

 真っ先に思い当たる、しかも一番可能性の高い事実に思い当たった。

 

「まさか……! なのはさん! 束に何か言われたんですね!?」

「えええっ?」

「そうに違いない! あのウサミミ、何が『これ以上介入しないし、邪魔もしない』だよ! 自分には魔力が無いからって、友達をけしかけるなんてふざけてる!」

「あ、あのー……ユーノくん?」

「魔力切れをなんとかしてもらって、不干渉も約束してもらって……いい人かな、と思ってたらこれだよ! なのはさん、君だってあんなヤツ、嘘をついてまで庇わなくてもいいんじゃないかな!」

「ユーノ君っ!!」

 

 疲れからか、妙な方向に考えを暴走させていたユーノだが、なのはの懸命な叫びが通じて我に返った。

 

「違うの、私、束ちゃんからは何も言われてないから」

「え……本当に?」

「ほんとだよっ!」

「じゃあ、どうして……」

「よくわかんないんだ。でも、私お昼休みからずっと、やっぱりユーノ君の力になりたいなって思ってて。ずっとずっと頭の中で、そればっかり考えてて。そしたら、いつのまにかこの丘を登ってて……急に魔力を感じて、それで」

 

 そして再び混乱に陥る。魔力を感知したわけではないのか?

 それなら、なのはが自ら語るように行動していたとして、この山に行き着く可能性はいかほどであろう。千に一つ、いや万に一つと称するべきだ。

 ならばなのはは、その万に一つを手にしたのか? それとも魔法ではない、また別の――

 

「……いや、それよりも」

 

 ユーノは再び、頭を振り被って余計な思考を拭い捨てた。今言うべきことはただ一つ。

 

「今日は助かったけど……なのはさん、もうこれ以上」

「なのは」

 

 へ、と惚けた声を出してしまった。

 

「だから、なーのーは。なのはさん、じゃなくってそっちで呼んでほしいな。束ちゃんを呼び捨てにして、どうして私はさん付けなのかな」

「え、あ……うん、わかったよ、なのは」

 

 ユーノの言葉を聞いたなのはは、大輪の向日葵のような、にぱっとした笑いを浮かべた。

 

「ユーノ君が、私を巻き込みたくない気持ちは分かる。危ないこと、させたくないって思いも分かる」

「……」

「だけどね、ユーノ君。私、ユーノ君と同じなんだ。言ってたでしょ、お節介かも我儘かもしれない、でもそうしたいんだ、って」

 

 なのはの目が、ユーノの目を射抜く。ひたすらにまっすぐ、見つめてくる。

 

「私もそう。お節介でも我儘でも、お手伝いしたい。力になりたいんだ。あ、別に魔法使うことだけじゃなくてね。フェレットに戻ってくれたら、私の家に住めるよ。もし戻らなくても、それはそれで、どこか休める場所探してあげる」

「……どうしてですか。どうして、会ったばかりの僕に」

「だって、ほっとけないでしょ? ねえ、考えてみて? もしお互いに立場が逆なら、って。私が異世界でたった一人の魔法使いで、ユーノ君が私みたいな男の子で。そしたらどうするかな?」

「……放っておけない。どうしても手伝いたい」

「だよね!」

 

 はっ、と気づいた。

 そうか。僕となのはは、似た者同士、と言うより、思いの対象が違うだけで、方向は全く同じだったんだ。

 僕は、何も知らない他の世界の人が悲しむのが嫌だから、ジュエルシードを集める。

 なのはは、知らない男の子が苦しんでいるのをほっとけないから、お手伝いをする。

 そう考えれば、今までの僕の態度は、ものすごくおかしくてふざけている。

 こんなに理解できる助けの手を、強情だけで退けていたんだから。

 

「……なのは」

「はい」

「この先、あの魔導師ともう一度戦う時。僕一人だと恐らく無理だ。ジュエルシードを奪われちゃう。対等に戦わなきゃいけない」

「うん」

「それは、やっぱり危ないことになるけど、その時は僕ができる限り守るから。君が自分の身を守る術も、レイジングハートと一緒に教えるから」

「うんうん」

「だから……僕と一緒に、ジュエルシードを集めてほしい」

 

 そこまで言ったユーノの全身に、少女の温かい体温がぶつかってきた。

 

「うん、うん、うんっ! わかったよ、ユーノ君! 私、頑張るから! 高町なのは、リリカルマジカル、頑張ります! ……ええーと、でも学校と、塾の時間は無理ですが……」

「ありがとう、なのは」

 

 こうして、高町なのはは魔法少女となった――の、だが。

 

「あ、そうだ。束ちゃんに電話しておこうっと」

「何かあったの?」

「いや、お昼休みの時。束ちゃんの言ってたことに答えてなかったでしょ?」

「ラボで魔法の実験するっていう、アレ?」

「そう。今からでも電話して、今夜いつお伺いすればいいか聞かないと」

 

 一方、その頃篠ノ之束は。

 

「……あれ、電話の電源、切られてる?」

「きっと忙しいんだよ。僕が出ていく時、何か新しい研究を始めてたみたいだし」

「そっかー……じゃあ、また夜にメールでも送っておこうかな」

 

 海鳴市の中心にある市街区、高層ビルの並び立ち、人の行き交うその場所で。

 

「……みぃつけた」

 

 双眼鏡を覗きながら、マントを靡かせ飛んでいる少女を見つけてにやり、とほくそ笑んでいた。

 




次回投稿は6/1の19:00になります。

……と思いましたが、気づけば話数がちょうど一週間分溜まっているので訂正。
しばらく毎日投稿で行ってみようかなーと。
というわけで、本日(5/31)の18:00に投稿します。


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第六話:夢の兆し

 篠ノ之束が、帰還中のフェイト・テスタロッサとアルフを発見したことは、大いなる驚きを以て迎えるべき事実であった。

 フェイトもアルフも、何も無防備に飛んでいるのではなかった。姿形から熱源に至るまで、地球の技術力では飛んでいるという事実すら捉えることが困難なほどのステルスを、魔法によって行使していたのである。そこまで難しいことではない。それどころか、デバイスによって自動的に発動させてしまえる程に軽く、負担も小さい魔法だ。

 ただし、ミッドチルダの進んだ科学技術や魔法による探知に対しては殆ど無力であって意味はなく。使用用途はひとえに、地球のような管理外世界における人避け・監視対策であった。

 だから、たった今束が両目に当てているような双眼鏡では、フェイトやアルフの姿など、全く見えず掴めないはずなのだが。

 

「ふぃー、ひっひっひ、ひひひひ」

 

 しかし束は掴んでいた。例によってこの双眼鏡も、束印の発明品であるからだ。

 その名もシンプルに、「魔力素検知機能付き双眼鏡」。突貫工事なので名前を付ける間もなく実戦投入されていた。

 効果は名前の通り。空気中の魔力素分布を表示するというものだ。魔力素、それは確かに地球文明と束にとっては未知の分子である。がしかし、全く異なる世界にのみあるでなく、この世界の空気中にも確かに含まれているのなら、束の頭脳はそれを理解できるのだ。

 故に、その存在を確認するどころか、このように分布を表示する機械まで作り出してしまっていた。

 とはいえ、それだけでは理由にならない。

 フェイトとアルフが行っているステルスなど、暴けやしないはずである。

 

 だが。篠ノ之束は天才であった。

 

「そこそこ、ちゃんと見えるよ。分かっちゃうよ」

 

 笑みを浮かべる束が注視しているのは、魔力素の一際濃いエリアであった。それはまるで自動車の排気煙のように、飛行機雲のように真っ直ぐ連なっている。

 つまりそれが、少女と使い魔の航跡。魔法行使で飛行している跡である。それを辿れば、彼らがどこにいるかは解析できる。

 ただ、そこまで単純な話でもない。束の追う場所は高層ビル街の更に上空、常に風が吹いている場所なのだから、魔力素の濃淡などすぐに流れて分からなくなってしまう。辛うじて残っている足跡のような点と点を結びつけるのも至難の業だ。常人ならば。

 しかし、束は僅かな手がかりだけで、一人の少女と一匹の狼がどう移動していったかなど、いとも容易く『予測』出来てしまうのだ。

 

「あれがあれで、これがこうで、だーから、そこに居るんだねぇ」

 

 魔力素だけではない。風速、気温、湿度、街の構造、そして先刻この少女がユーノやなのはと戦っているという事実。それらを脳髄に入力して脈動させれば。

 束の目には、確かに見えるのだ。己が立つビルより更に高いビルの屋上、その一角で休憩しつつ、何やら魔法を行使している少女の姿を幻視出来るのだ。

 それは推測などというあやふやなものではない。もはや確信に満ちた想定であり、彼女がそうだと考えれば、十中十二、そこにいるのだ。

 彼女にとってはそれが常識である。全ての事象は彼女の予想を上回ることがなく、下回ることもない。だからこそ、何もかも予想できる世の中に飽いているのだ。

 

「そろそろ、動いてみよっか」

 

 しかし今の束は、その忌々しい事実を、全力で利用している。目で見えない対象の姿を、頭で追う。座標を手元のコンソールで入力し、予め空に飛ばしていた“道具"の自動操縦装置へ伝送。後はAIがやってくれる。束はそれを見ているだけでいい。

 不意に、彼女の真後ろから音の唸りが響いてきた。段々と近づいてくる。

 ばたばたばた。ばたばたばた。

 空気をかき混ぜる音と共に風が吹き、束のドレスを靡かせる。彼女の真横、十数メートルほど離れた場所にそれは浮いていた。

 オレンジの人参色に塗装されたヘリコプター。 コクピットは無人であり、操縦桿は誰にも握られず自ずから動き、複雑な空力制御によるホバリングを成し遂げていた。

 束がコンソールを叩き、エンターキーを押す。ヘリの機首が僅かに下を向いて、束を追い越し空中を前進していく。

 目指すは、ある一点。レーダーにもカメラにも映らぬ、しかし束により指定されたビルの屋上地点。 そこから数十メートルまで近づいたヘリは。

 機首下部に装備されている30mm機関砲で2秒間、砲撃を行った。

 地面に撃てば抉れてアスファルトに大穴が開き、もし人体がそれを受ければ粉微塵になって原型すら残らぬ、大口径の連続射。当然射的となったビルの屋上は崩れ落ち、構造物など跡形もない――

 はずが。

 まるで何事もなかったかのように元通り、無傷のままで存在している。カメラの記録を見れば、その弾着はまるで、不可視の壁によって弾かれているようだった。

 

「流石だねぇ。これくらいなら防げるか。まぁ防いでもらわなきゃ束さんも困ったんだけど、だからこそギリギリを攻めてみた! 後悔はしていない!」

 

 これまでの現実ではあり得ない結果を愉しみながら、束が語ったその言葉。ノートパソコン型のコンソールのマイクがそれを拾って、ヘリコプターのスピーカーから前方へと響かせる。

 

「さて、君たちぃ? 次はこそこそ隠れてる余裕は無いと思うよ? それよりも結界を展開してよ。封時結界ってやつ。もうちょい派手に、どっかんどっかんやり合いたいのさ。ほら」

 

 ヘリが回すローターの音が、一つから、五つに増えた。上空で待機していた四機のヘリが、束の居る高度まで降下してきたのだ。

 

「今度はミサイルも使っちゃうよ。構わず戦って街を阿鼻叫喚に陥れるか、それとも結界を展開して二人きりでやるか。どっちがいい?」

 

 束がそう、傲慢に告げた直後。双眼鏡で見ている屋上から、金髪黒衣の少女と、赤い狼の使い魔が現れる。結界を展開するのだから、身を隠す必要も無いということか。

 そして、周囲の空気が歪む。大気中の魔力素が蠢く。彼女たちの真下で蠢いていた有象無象は消え去り、吹きすさんでいた風は凪いで、ヘリの駆動音だけが響く。

 束はそれらを肌で感じ。

 

「くくくひひひ、あはははっ、ひはははははっ」

 

 狂喜した。

 何もかもが初めて。初体験。魔導師と戦うことも、戦闘ヘリを五機同時に操作するなんて酔狂な真似も、それからこんな町中でミサイルをぶっ放すことも。

 こういうハチャメチャで奇天烈な体験は、常に束の心を躍らせる。つまらない世界では、それも既知の範囲内に収まってしまうが。これから戦うのは、技も強さも知らない、知り得ない、未知の魔導師なのだ。

 

「さあ、レッツ・ミュージックスタート!」

 

 先程までフェイトの前方に位置していたヘリが後退し、後続の四機と合流する。横一列に並んだ五機のスピーカーから揃って流れる音楽は、勇壮にして荘厳なオーケストラ。

 リヒャルト・ワーグナー作曲の、ワルキューレの騎行であった。

 その音楽に戦いたか、ビルの屋上から空へ飛び立つ魔導師と使い魔に照準が合わされ。

 

 ばしゅぅ、ばしゅっ、ばしゅっ!

 

 ヘリの両翼に備え付けられた空対地ミサイルが、一斉に発射された。片翼に二発づつある内の片方、それが五機分で合わせて合計十発。それぞれ、威力としては先程の機関銃など比較にならない爆薬の塊である。

 しかし、標的は動かぬ静止目標ではなく、高速で空を飛べる魔導師だった。あっという間に姿を消して、ミサイルは虚しく空中を通り過ぎていった。

 束はフェイトの姿を追う。とはいえ『予測』を使えば概ねどこへ向かったかは分かるので、そこに双眼鏡を向けるだけだ。

 居た。先程攻撃した場所から100mほど離れた場所だ。飛行速度が早い部類なのかと束は判断する。恐らく初速で秒速50mは下るまい。

 そして、相手が初撃を回避したならば、今度はこちらへ反撃が来るのである。

 

「ファイア!」

 

 フェイトの短縮詠唱と同時に、彼女の前で展開されたスフィアから、魔力の槍が打ち放たれ。一番左側にあったヘリがその直撃を受けた。胴体が槍の刺突でひしゃげ、着弾による魔力の爆裂がヘリの構造をぐちゃぐちゃに歪めていく。

 原型から大いに変貌した攻撃ヘリは、ローターの回るスピードを緩めながら墜落し、地面に激突する前に束の操作で自爆した。

 

「ふふん、やるねえ、でもこれならどうかな!」

 

 残り四機となったヘリは、束の指示と自動操縦プログラムにより巧みに操作されてフェイトを追う。

 それに対していきなり襲撃され、さぞ堪ったものではないだろうフェイトの動きは俊敏だった。ヘリは四方からフェイトを追い詰め囲もうとするが、それでもこの小さな黒い魔導師を囲むどころか、有効射程へ入れることすら難しい。

 何故か。機動力が段違いなのである。

 ヘリというのは空を飛ぶ機械の中でも比較的機動に融通が効く存在である。しかしされども、飛行魔法という重力に軽々と逆らえる技術によって、一方向だけでなくあらゆる方向へと推進できるのだ。このアドバンテージは果てしないし、それに純粋なサイズ差もある。

 攻撃ヘリコプターは敵部隊や戦車を相手にするのが主な任務で、空飛ぶ女の子を狙うためのものではないのだ。

 そうしているうちにまた一機、ローターを根本から切られてあっさり落ちる。

 続いてもう一つが、バリアを張りながら突進してきた狼にコックピットを潰され落ちた。

 その隙を突いて機銃を照準し放とうとした更にもう一機は、三日月状の光刃を突き刺されて爆発。これで、残りは僅かに一機だけ。

 

「あはははは!」

 

 しかし、束は嗤う。この程度の損失など、想定の範囲内である。

 残り一機となったヘリコプターを、フェイトの居る方角へ真っ直ぐ突っ込ませる。こうなったら戦術も何も捨てて、体当たりさせようという考えだ。

 束の命令を受けたヘリは、カメラに捉えた少女へと、一目散に突っ込んでいく。対して少女は微動だにしない。ただじっと、待ち構えている。

 ヘリと少女の相対距離が狭まっていくたびに、束の胸も沸き立ち踊る。

 さあ、今度は何を見せてくれるのか?

 ユーノから得た知識で、飛行魔法も射撃魔法も既に知っている。だがやはり、実地で見ないことには何も始まらない。既存の科学からは常軌を逸した、魔導科学であるからには。

 ヘリと少女との距離は更につまり、もう数秒もせずに激突するかしないかという所まで至って――。 

 

《Thunder Smasher》

 

 フェイトの右手に展開した大きな魔法陣から放たれる、金色の砲撃により跡形もなく消失した。

 

「あは、ははは、はーっはっはははは! いいねいいね実にいい! これが魔法か! これが魔導師か! そしてこれが、魔導戦ってものか!」

 

 天を見上げた顔を右手で覆い、高らかに嗤う束の周囲で、不可視の魔力素がざわめく。

 

「無人操縦とはいえ、戦闘ヘリ五機を無傷で撃墜! 素晴らしいね! これ買うのに今まで貯めたお金の四分の一くらい使っちゃってるんだけど、そうする価値が確かにあった!」

 

 それは、束の無防備なバイタルサインが、魔力によって探知されたということで。

 束がひとしきり笑い果てて、顎を下ろして前を見たその時には。

 金色の刃の鎌を向ける少女と、唸り声を出して威嚇する狼の姿があった。

 

「邪魔を、しないで」

 

 ただ一言、きっぱりと言い放つ少女に対し、束は。

 

「君は、誰に向かって口聞いてるか分かっているのかな」

 

 と、あくまで毅然に傲然に、胸を反らして吐きつけた。

 

「怪我じゃ済まない」

「ああ、そりゃもう、怪我どころの話じゃないね。市場予測で積み上げた私の大切な資金が湯水の如く消し飛んだよ。まぁそれはいいんだ。つまりはね」

 

 手持ちの札をあっけなく切り落とされながら、それでも束は余裕の態度を崩さない。

 それが、天才であるのだから。

 

「私のような天才に、お前ごとき愚鈍な俗物が何を言おうが無駄だってことだ」

「おまえええっ!!」

 

 狼――アルフが突っ込んできたのは、恐らくは主を馬鹿にされたからか。大口広げて、足元に展開されていた橙色の魔法陣を蹴り上げ、勢い良く突進してきた。

 対する束は構え一つ取らず、ただ直立しているだけ。獰猛な獣の牙を前にして怯えもせず震えもせず。恐怖心というものに欠けていた。

 当然である。

 

「躾の悪い犬だねぇ、そんなお口は」

 

 アルフが突進し、もう一瞬で束の身体にぶち当たろうとする、そんな寸前の間合いで。

 

「チャックしちゃおうね」

 

 右手を上に、左手を下に持っていき。大きく開いた上顎と下顎を受け止め、突進の勢いを僅かに押されただけで相殺しきりながらぐぐいと力を入れて口を閉ざすくらいに余裕があったからだ。

 

「な……」

「言い直そうか? 煩いんだよワンコロが」

 

 そのまま、上体を捻って投げ飛ばす。アルフはもんどり打って宙を飛んだが、流石にそれだけでノックダウンはしないようで、地面に激突する前に再び飛行魔法を展開し、安定を取り戻した。

 

「っ……フェイト、こいつ!」

「うん、強い。さっきの子たちよりも、ずっと」

 

 油断なく束を睨むアルフが背後に。フェイトはそのまま正面から鎌を構え。都合挟み撃ち、二対一の形を作りながら、二人に攻め入る動きは見当たらなかった。

 警戒されているのだろう。その異常なまでの贅力を。アルフの突進にぴたりと合わせて受け止められる素早さを。

 このまま、なあなあで終わらせることも出来る。二人に自分が脅威だ、と見せつけてから嘲笑いつつ撤退してやるのもそれはそれで悪くないし、後日色々役に立つだろう。

 だが、それではつまらないと束は思う。ここまで喧嘩を売ったのだ。どうせならとことんまで、今の自分がどこまでやれるか、試してみたいという思いがある。

 だから。

 

「ねえ、君。これなーんだ」

 

 束は青い宝石を取り出し、フェイトに見せつけた。

 

「それは……」

「分かってるよね。ジュエルシード。魔法の宝石。君はこれが欲しいんでしょ?」

 

 ジュエルシード。昨夜から、ユーノを分析する最中、観測機を動かし街中を探索して。

 しかし魔力を使えぬ非効率的な手段ではたったの一つしか発見できなかった魔力の結晶体。

 それは、ある少年のポケットにあった。誰かにプレゼントでもするのか、時折手の中でとても大事そうに磨かれていた。

 ここに来る途中、束は少年の側を通り抜けながら、それをポケットから掠め取り。代わりに外装だけ似せた本物の、正真正銘本物の宝石を入れてあげて、それからビルに登ったのだ。

 

「これ、あげてもいいよ。ただし……」

 

 束は宝石をフェイトに見せつけながら、屋上の床を歩いて彼女に出来る限り近づき、

 

「金髪の君が、私と一対一で戦って」

「……」

「ふーん、それで、アンタが負けたら私達のもんってわけかい?」

 

 無口な主に代わって茶々を挟んで来た使い魔に、束は不機嫌な表情を浮かべてべぇ、と舌を出し答えた。

 

「違うよ? 戦ってくれると約束したら、そこでプレゼントしちゃう」

「はぁ……?」

「そうでなかったら、私の友達にあげちゃおう。きっと喜んでくれるからね」

「いや、ちょっと待ちなよ。それでアンタになんの得が」

「ワンコロは黙ってろ」

「だぁっ、この糞ガキ! 大体、あたしは犬じゃなくて狼だ!」

 

 更に一歩、フェイトの前へと進み出る。彼女は動じない。と言うより、束の手の中にある宝石だけを見ている。

 

「で、どうするの? 戦う? 戦わない?」

「戦う。だからジュエルシードを」

 

 答えの速さは瞬時と呼ぶべきものだった。束はその迷いのなさを少し訝しむ。普通、これだけ怪しい提案をされれば疑い一つくらいは浮かべて然るべきだろうに――。

 束を信用している? そんなことはあり得ない。ならば、このフェイトという少女にとっては、おそらくジュエルシードを手に入れることが至上の命題なのであろう。

 ちょっと、ムカつく。

 戦うんだから、その相手の目を見てくれないと、なんだかシマらないだろうに。

 

「んじゃ、ほら」

 

 という内心はおくびにも出さず、束は池に小石を投げるくらいの気軽さでジュエルシードを放り投げた。フェイトがバルディッシュの穂先でそれをキャッチしたら、宝石が黒い機械部分に吸い込まれていく。

 

「さて、やろっか。君は?」

「……フェイト。フェイト・テスタロッサ」

「あっそう、記録(input)した。私は――」

 

 フェイトの鎌が、束の首筋に向かって振りかざされた。 

 

「おおう、あぶないあぶなーい」

 

 しかし、束はノーモーションからのバク転で回避する。まるで予め来るとわかっていたかのような反応速度で。

 いや、実際そうなのだ。束は読めていた。予測できていた。いくら魔導師という未知の存在でも、その種族は、頭脳は、そして思考法は人間の、束があきあきするほど知っている人間のそれなのだ。

 だから、読める。動きが分かる。

 そのまま、地面に降り立ったフェイトが何度も鎌を振り下ろすも。

 

「ひょい、ひょいっと」

 

 束はかわす。切っ先の行方も攻撃の間隔も全てわかってしまっているし、それを避けきれるだけの身体能力が備わっているのだから。ごく当たり前の、心臓を鳴らしたり、呼吸が出来たりするくらいに当然のことだ。

 しかし、目の前の少女にはどうやら驚くべきことであるらしい。真剣に切り込みながらも、その瞳が驚愕に揺れ動いているのを、束は理解できた。

 そして、もう一つ。

 

「驚いた? まぁ、束さんは天才なんだもん。これくらいならお茶の子さいさい、俗物の斬撃なんて百億回やった所で届きはしないさ」

「……」

「しかし、君もなんというかまぁ、目的のためなら手段を選ばないってタイプじゃないんだね。どっちかというと正々堂々だったり、そういうのが好きなのかな?」

「……何を言っているの」

 

 唐突に挟まれた自分に関する話を聞いて、鎌を向けながら問いただすフェイト。

 確かに、そんなことを論じている状況ではあるまい。AAAランクの魔力を持つ、魔導師に狙われている人間ならば。

 しかしそれは常人の常識であり、篠ノ之束はそれに当てはまらない。

 彼女にとって、これはまだ――既知の範疇。

 

「だから、君本気出してないよねってこと。わざわざ私のグラウンドにまで降りてきて、誰でにでも出来るような素振りしかやってない。ねぇ君舐めてるの? 馬鹿にしているの? この束さんを?」

「……そんなことはない」

「だったら本気出してよ! 空飛んで、魔法の攻撃でも何でも撃ってきなよ! そうでないと意味がない! 私がここまで出血大サービスした意味も価値も何もなくなっちゃうよ!」

「……」

「そうしたら私が勝っちゃうから? あなたに勝ち目が無くなるから? そういう目をしてるね! 冗談じゃない! この束さんを安く見るな! 私はね、そうやって他人に無駄な情けをかけられるのがだいっきらいなんだよ!」

 

 獰猛に、歯を剝き出して不敵に笑う束の顔は、まるで兎というより凶暴な肉食獣のそれに見える。いや、どこぞの映画にあやかって、首刈り兎、と呼ぶべきだろうか?

 

「フェイト、いいじゃないか。こんな大馬鹿の糞ガキ、フェイトの魔法で一瞬で片付けちまいなよ! こんな所で時間食ってるのは勿体無いだろ?」

 

 アルフが叫ぶ。それでフェイトも、覚悟を決めたようだ。ふわり、と両足をビルの床から浮き上がらせ、そのまま上空へと登っていく。

 束は笑みを浮かべ、初めて身構えた。

 

「バルディッシュ。ランサー・セット」

《Yes, Sir》

 

 そこから始まったのは、紛れもない一方的な蹂躙だった。

 束は避ける。しかしその回避にこれまでの精彩は消え、はしないがかなり薄れてしまっていた。時折僅かに避けそこね、余波で体勢を揺らがしたりしている。

 それは、束にとって未知だからだ。この世界、地球に存在する一体どれほどが、上空から空飛ぶ魔法使いに攻撃されるなどという体験をしただろうか?

 そして、致命的なことに、束はフェイトに対し反撃出来なかった。

 フェイトのいる位置は束の高度から15mほど離れている。別にそこまで行けない訳ではなく、途中で何かを、例えばこのビルの屋上にある貯水タンクを一回蹴りつければ、それでたどり着ける高さではあった。

 しかし、そうした所でまず間違いなく反撃を受ける。地面を蹴って飛んだ後、自分の意志で制動できる範囲などほんの僅か。フェイトの魔法、先程ヘリを吹き飛ばした金色の砲撃などされては、先ず間違いなく回避不可能である。

 それに、何かを投擲したり銃撃しても、相手のバリアは30mm機関砲を防げるほどに厚くて硬い。束の贅力で槍を投げても、50口径の拳銃を撃っても、貫くことは決して出来ないのだ。

 

「はんっ、どうしたんだい、さっきの威勢のいい啖呵は!?」

「黙ってなよワンコ! ここで束さんの華麗なる大逆転が……うぉっとぉ!」

《Arc Saver》

 

 今度は鎌の牙。直線的な槍と違って真横から束の身体を抉るような軌道で迫りくる。

 束は高くジャンプして回避に成功するも、当然ながら空中ではまともに身動きが取れない。だから、そこに槍の斉射を受けてしまう。

 両腕を前に突き出し、開いた手の指先に力を込めて迎え撃つ束だったが――爆発の後、吹き飛ばされてどうにか屋上へ着地した。

 十本ある指の先端、その全部に血が滲んでいて、しかも爪が割れている。

 

「……やっぱりまだ『解析』しきれてないか。前言撤回、魔法って奥が深いなぁ」

 

 それは、『分解』のやり損ねであった。多少なりとも魔法の論理やシステムを理解できた今ならば、と試行してみたのだが、どうやらまだまだ入り口に立っているだけであるようだ。本来ならそれでも『分解』出来てしまうのだが……魔力、魔力素という物質は、束の知る科学とは遥かに遠いものらしい。

 だが。

 だとしても。

 だからこそ。

 

「面白いっ!!」

 

 そうでなければ意義がないではないか! そうでなければ!

 なのちゃんから仲直りのための電話がかかってくると、それに応答出来るとまで珍しく予測できて!

 でもそんな、蜂蜜みたいな瞬間を無視して! そこまでしてまで挑んだ甲斐が無いっ!

 

 

「何喚いてんだ糞ガキ! フェイト、こんなの一気にやっちまいなよ!」

「……うん」

 

 アルフが煽り、フェイトが応じる。恐らく次を決め手とするつもりだ。

 さあ何をしてくるか。また槍か、鎌の刃か、それともヘリを吹き飛ばした光の渦か。束は想像を楽しんだ。そしてそれらを現実の情報を当てはめ、取捨選択する。それが予測だ。

 普段のそれは実につまらない。答えが一つに絞れてしまうから。

 束の頭脳を以てすれば、明日の天気も学校のテストも政権交代の時期も、無数の候補がありとても絞りきれないはずのそれらを何もかも、一つに決定することが出来てしまうのだ。

 だから、束はなのはを、魔法を好む。自分の予想を悉く上回る少女を、自分の知識が通じぬ論理を愛する。そこには束の知らぬものが、未知があるからだ。

 しかしもう一つ、束にとっての楽しみである状況が存在した。

 答えを一つにできない場合、どれを選べばいいか迷ってしまう場合。

 全知全能を振り絞って、なお成否の確率が半々な選択肢が生まれる時。

 

「あははははははっ!!」

 

 そのどちらかを運試しで選択することは、実に甘美なギャンブルなのである。

 束は飛んだ。床を蹴り、貯水タンクを蹴り、二段ジャンプでフェイトの高度まで。しかし、標的の右手には既に、大型の魔法陣が形成されている。

 フェイトは選択した。束のような魔力を持たない人間には、一撃必殺、まさしく雷の鉄槌(サンダースマッシャー)である直射魔法を。

 それは、例え束が地から離れようとしても。いや、だからこそ正確無比に、彼女の座標を捕らえていた。

 

「これで、終わり」

 

 金色の奔流が束の視界を埋め尽くす。まごうことなき直撃コース。クリーンヒット間違い無し。

 しかし、それは。

 これまでのように、束が空中でまともに動けないことを前提とした予想だ。

 

「切り札スイッチ・オン!」

「!?」

 

 その時、束は飛んだ。真っ直ぐに、かつ僅かにだが。己の跳躍以上の速さと力を、背中に背負った小さな人参型ジェットパックを使って現出させてみせたのだ。

 そして、大規模な魔法を放ったフェイトは、その反動で動きを封じられている。

 ならば、後は。

 

「取ったあああああああっ!」

 

 束が既に解析している力学。重力を利用して、一直線に落下しながら、己の拳を叩きつけるだけだ――!

 

「フェイトっ!!」

 

 恐らくは予想外の、完全なる虚を突かれたであろうアルフが驚愕し主に叫ぶ。

 だがもう遅い。重力というのは中々融通が効かず、だがそれ故に力強い。束の体重が少女のそれであろうと、上体の筋肉全てを突き動かしての一撃にその重さが乗っかれば。

 いかな魔導師であろうと強引に叩き伏せることが出来――

 

 ぱきっ。

 

 乾いた音。勢いが殺された。

 これは、なんだ。

 

「ライトニング・バインド」

「……ああぁぁあああああああっ!!!」

 

 束の四肢が縛られている。空中で。金色の四つの輪っかによって。遅効性の、拘束魔法だ。

 束は理解した。自分がフェイトに読まれていたと。

 彼女()が有効打を与えるには自分(フェイト)に近づくしかないと。

 それは、いかな束が天才とは言え、現時点では覆しようのない現実であり。だからこそ読まれたのだ。

 その事実を否定せんとして絶叫し、本来なら魔法でしか打ち破れないバインドを力づくで断ち切る束。

 しかし、その時既にフェイトは。

 空いていた左手にバルディッシュを握り、束の腹部へと振り下ろしていた。

 

「ごめんなさい」

 

 その一言を最後に、束の意識は反転した――。

 

 

 

 

 

 そして。次に束が目覚めたのは、都市部の真ん中にある小さな公園のウッドベンチ。そこに、脱力して寝そべっていた。

 いや、寝かされたと言うのが正しい。

意識を失い墜落した束を、フェイトが助け上げて寝かしたのだ。

 そうとしか『予測』出来ない。要するに彼女は挑発し、自信満々に挑み、追い詰められ、逆転を目指して――尚それを果たせず落とされた。撃墜された。

 それが真実。

 

「――くは、はははは」

 

 全身が痛かった。分解のやり損ねで傷ついた手指もあるが、それだけではない。

 魔法弾の爆発の余波で生まれた擦り傷に切り傷。そして、最後の打撃とともに流された電流が、身体に与えたダメージも結構重く。ともすれば立ち上がれなさそうなくらい脱力してしまう。

 何と情けないことか。おお、何と。

 それで天才か、篠ノ之束。

 自分から売った喧嘩にここまで情けない結末をくっつけて、終わらせてしまうなんて。自分と同い年で高町なのは以外という「ガキっぽいし脳足りんだし無遠慮でしつっこくてとにかく極めて馬鹿らしいから意味がない」はずの存在に、動きを読まれてしまうなどとは。

 どんなものも解析してきた。どんなものも分解できた。そうしてこの世全てを、なのちゃんを除けばこの世全てを知り尽くしていたというプライドは、もはや粉々だ。

 そう、これは言い訳できない。完全で、完膚なきまでの。

 敗北――

 

「違う」

 

 頭を振る。

 

「違う、違う、違う!」

 

 敗北。確かに世間一般の尺度で言えばそうだろう。

 だが、私は天才だ。そういうものでは量れないし語れない。

 思い返してみろ。この戦いの目的は何だ? 魔導師という存在の実力を、この手と身体で確かめてみたかったから挑んだのではないか。

 そして結果として――現時点での自分の財力や技術や知識や発想を上回り、勝負においてこの束さんを地面に叩き落とせるだけの力であると――判断できた。それだけではないか。

 ならば、これは敗北ではない。断じて無い。

 

「ううん、むしろこれが始まりだ」

 

 どれだけのものかは把握できた。後はそれを超えるだけでいい。

 己の指先と頭脳を使って。

 それは確かに高い壁だろう。

 二年前に解き明かしたなんちゃら予想とか、去年分析しきったロストテクノロジーてんこもりのアンドロイドとか、今までに乗り越えてきた壁も幾多あるけれど。

 これに比べれば、壁とすら呼べないただの段差だ。

 なにせ、異世界から来た常識外れで巨大で膨大なテクノロジーと、それを使役する異世界人の戦闘技術であるのだから。

 しかし。

 私は、篠ノ之束は天才だ。

 だから、どんな壁だって絶対に乗り越えられる。凡人がするように血の汗を流しながらではなく、不敵に、スキップを踏みながら軽々と。

 それが天才なのだから。

 

「さあやろう、今すぐ始めよう! 眠ってる暇なんてありはしない!」

 

 アイデアは既に固まった。後はそれを形にするのみ。その過程にどんな困難が待ち受けていようと――それがどうした、私は天才だ!

 天才の私に不可能など、何もないッ!! 解き明かしてみせよう、魔導の全てを! そして超えてみせよう、魔導師を!

 

 

「だって――」

 

 

 あの日あの時見た女神は、きっとその果ての果てにいて、自分を迎えてくれるから。

 




ここでか次回で第一部完、な感じでしょうか。
最初なのでなのはさんがどういう子か、束さんがどういう子か、表現したつもりです。
続いては第二部。
今度は篠ノ之家が絡み始めます。束さんとその両親のお話です。
とはいえ原作には父は名前だけ、母はそれすら出てないのでもはやオリキャラみたいなことになってますが、よろしければ続けてご覧くださいませ。


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第七話:神社にて

 高町なのはとユーノ・スクライアがジュエルシードを集め始めてから一週間が経過した。現在彼らの所有しているジュエルシードは六個。既に確保していた二個と合わせれば七日で四個の収穫となる。まずは順調、そう言っていいだろう。

 ただし、競う相手が存在して、向こうも既に3つを確保しているとなれば話は別だ。

 金髪の少女、フェイト。

 その使い魔、アルフ。

 まだ二、三度戦っただけだが、フェイトの実力は明らかにユーノ以上、もちろんなのはよりも上である。更にアルフも侮れず、二人のコンビネーションは隙のない見事なものだ。

 このように、戦闘では何歩も譲ってしまう二人だが、ジュエルシードを捜索し発見する手際に於いては彼らに軍配が上がった。

 

「ありがとう束ちゃん、教えてくれた通り、市民プールにあったよ。回収してきた!」

「やったねー、なのちゃんお疲れ様。どうかな、一週間経って、魔法少女稼業の調子は」

「うーん、束ちゃんと、ユーノ君のお陰でどうにかやれてるって感じ。フェイトちゃんに会ったらやっぱりこてんぱんにされちゃうし」

 

 篠ノ之束が協力しているからだ。

 ここは篠ノ之神社にある、束の地下研究室。家主によって日夜怪しい発明品を生み出している魔窟だが、今は同時に、なのはとユーノがジュエルシードを探すための拠点となっていた。

 フェイトと初めて戦った日の夜。なのはは一旦ユーノを連れて(当然フェレットモードである)自宅に帰ったが、晩御飯の後という遅い時間にようやく束から呼び出された。

 研究室の入り口で出迎えてくれた束が、なぜだか全身傷だらけなのには大いに驚いたが。その後の話し合いにより、束もなのはとユーノのジュエルシード探しに全面協力してくれることと決まったのだ。

 なのはにとっては、百人力よりも更に頼もしく、強い味方ができたことになる。

 ただし、束自身はどうも前線には出ないと決めているようだった。その代わりとして街の探索を行ってくれたり、ラボの中を魔法の訓練所として開放してくれている。

 見ようによっては中途半端な協力体制だが、なのははそれを不満に思わない。むしろそれで良かった。

 いくら束が天才であろうとも、空飛ぶ魔法使い同士の戦いに巻き込む訳にはいかないのだ。

 それに、束が前に出ないのには、彼女なりの理由があることも知っていた。

 

「それで束ちゃん、こっちからも聞くんだけど、新しい発明品の調子はどう?」

「ええー? まぁあれだね、まだ始まったばっかしだから、なのちゃんに見せちゃえるくらいの形になるのは……もうちょい先かな」

 

 そう、束は何やら、新しい発明品に取りかかっているようなのだ。

 しかもそれは、今までの発明品以上に新しく、だからかなりの労力がかかっているらしい。

 授業中の内職は当然のこと、休み時間はいつものように空き教室に駆け込んで一心不乱にコンソールを動かしたり、一見ガラクタに見える機械部品を組み立てたりしている。

 側にいてくれるだけでインスピレーションが湧いてくる気がするから、と一緒に引っ張り込まれるなのははそれを見て、一生懸命な束の姿に深い満足感と喜びを抱いていた。

 魔法と出会ってからは一事が万事この調子なのだ。それまで自分と喋るときを除いては、ほとんど何事にも退屈そうだった彼女が。

 それがなのはには、たまらなく嬉しい。何かに燃えて、とことんまで打ち込む。そういう束こそが束らしいし、いっとう眩しく輝いているのだと思うのだ。

 

「ねえ、それってなんなの? 魔法と関係あるの?」

「まあそうだね。魔法という概念を知らなかったら、構想も制作ももうちょい後になってたかも」

「えー! 気になるな、教えてほしいな」

「ふふふ……まだ秘密だよ。完成したのを見て欲しいんだ、なのちゃんには」

 

 そうまで夢中になる対象が何なのか、気になって仕方ないなのははもどかしげに足踏みしながら問いかけるが、束は含み笑いを浮かべて誤魔化す。

 その辺りも、今までとは違っていた。この前の人参ジェットのように、なのはが興味を持てば、束はそれが何であろうとなのはに見せてくれていた。

 しかし今回は、なのはにすら触らせず、秘密にしたがっている。ということはそれだけ重要で、大事なものなのだということだろう。

 

「ええー!? そんなのひどいよ束ちゃん! なのは、怒っちゃうかもよ?」

「ごめんねぇ。でも驚かせたいんだ。せっかくだからなのちゃん含め、みんなをあっと言わせたいの」

 

 両手を握って人差し指だけを伸ばし、それを眉の上に置いて鬼の角に似せ、わざとらしく怒るなのは。束が困ったように笑って言い訳するのを見るのも嬉しい。

 それは、自分たちが友達であると確認できるやり取りだから。

 

「……あ、そうだ」

 

 ふと気づいたように、束はなのはから視線をそらしてユーノに話しかけた。

 なのはの家ではフェレット姿でいる彼だが、人目につかないこの場所では人間の姿をしていた。

 高町家でも勿論暖かく迎え入れられ、特になのはの姉、美由希に可愛がられているユーノだが、それはあくまでフェレット姿での話。軽々と抱かれたりお腹を撫でられたり、お手と言われて手を乗っけさせられたりする日常の中では、たまに人間に戻らないと息が詰まるのだそうだ。

 しかし、束のラボにも彼の安息の日々は存在しないようである。

 

「なあチミぃー、少し頼みたいことがあるんだけど」

「ま、また?」

 

 束がユーノによく頼み事をしているからだ。

 なのはの聞く限り、その内容は研究室を整理しろ、指定した本を買ってこい、という所謂パシリのようなことである。

 これもまた、魔法と出会ってから始まった、束の新しい習性の一つだ。

 それまでの束は発明するにも研究するにもたった一人で、なのはですら、完成品を見せるならともかく制作過程に関わらせはしなかったのだ。

 なのはが少し前にその理由を聞いてみると、曰く。

 あのフェレット、雑用やらせりゃなかなかとっても役に立つ、らしいのであった。

 

「うん、そう。またお願いね」

「あ、あのー……何度も言うけど、僕にはなのはの練習相手とか、ジュエルシード集めとか、色々あるんだって」

 

 とはいえユーノにしてみれば、そんな評価など知ったことではないようで、やんわりとした言葉で断ろうとするが。

 

「んんん~~? 今の言葉は聞き捨てなりませんなぁ~、まるでこの束さんの頼みを断るようなことを仰るね~」

「な、何がだよ、それの何が悪いんだ。ちょっとだけならいいけど、毎日毎日何か頼まれてたらこっちだって」

「君が今人間の姿で居られるのは誰のおかげかな?」

 

 束が一言指摘すれば、反論の言葉を喉に詰まらせたように、ううっ、と呻く。

 

「束さんがあの栄養ドリンク作るのだってタダじゃなかったんだよ? 発明には多額のお金が掛かるのが世の常なんだよ? ユーノ君はそれ払える? 全く未知の世界で暮らそうとしたのに換金できる貴金属なんて一つも持ってないようなユーノ君に支払い能力があるとは束さんぜんぜん思えないんだけどなー」

「わ、分かった、分かったから!」

 

 追い詰める束の文句は間違いなく脅迫か、もしくはその又従兄弟のような内容だったが、なのははそれを怒ろうとはしなかった。理由は分からないが、束がそれを本気で言っているとは思えないからだ。

 

「で、今度は何をやればいいの?」

「ああ、大丈夫、簡単だし時間もかからないから。転送魔法って使えるよね?」

「うん、おかげさまで」

「地球の特定位置に自分を転送することは?」

「出来るけど」

「じゃあさ、今からこれを持って、束さんの指定する座標に転移してよ」

 

 言うと同時に束が渡したのは、転送座標を書いたメモ用紙と、もう一枚、何やら細かくみっちりと書き込まれている細長い紙。

 ユーノはそれを怪訝そうに見つめながらも、

 

「この座標……どうやって計算したの? そのままこっちの魔法に適用出来る形式だけど」

 

 と目を見開いて驚いた。

 

「実際に魔法が使えなくても、魔法の計算式はちゃちゃっとエミュレートできる。それで座標も計算したの」

「……転送魔法の座標計算ってだいぶ難しいんだけど……全く、君はどこまで頭がいいんだ」

「今更言わずとも。束さんは天才なの。君もだいぶ要領はいいし手先も器用だけど、束さんには遠く及ばないよね! まぁ……天才の『助手』としてはギリギリ合格かな、うん」

「……じ、助手かあ……」

 

 口端を引きつらせるユーノだが、なのはが思うに、これは束なりの最上級レベルの評価なのである。だから喜ぶべきではないか、とまで考えてしまう。

 

「良かったね、ユーノ君」

「はははは……」

 

 だからなのはは讃えたのだが、ユーノはそれでも納得出来ない様子で眉をしかめながら頭をかいていた。

 

「……で、向こうに着いてから何をするの?」

「ああ、きっと黒服のお兄さんが来るから、その小切手とお兄さんの持ってるアタッシュケースを交換してよ。ちなみにケースの中身は超高性能なプロセッサだから乱暴しちゃだめだよ?」

「小切手? ……って! なんか物凄い桁の数字が書いてあるんだけど!? これっていくらなの!?」

「気にしないでいいよー、それじゃあそろそろ取引時間だから早くして! 大丈夫、向こうは小切手さえ持ってけば、運び屋が変な服の子供でも一向に構わないタイプの人たちだから!」

「ねえそれ何だかとても危ない感じがするんだけど!? ちょっと、ねえ!」

 

 恐慌状態に陥ったユーノの救いを求めるような瞳がなのはへ向くが。

 なのはとしては、この天才は何もかもを計算しきっていて、だからユーノが危ない目に遭うことは無いだろうと信じきれてしまい。

 

「頑張って、ユーノ君!」

「うわーん! ちくしょー!」

 

 涙目で自分を転送するユーノに向かい、手を振って明るく送り出すのだった。

 そして、自分も研究室の出口へと向かう。

 

「じゃあ、なのはもこれでお暇します」

「あれー? もっとゆっくりしていっても良いんだよ?」

「夜になる前に、自分でもちょっとだけジュエルシード探しやりたいから。束ちゃんの探知機もまだ完全じゃないんでしょ?」

「まぁ、そうだけど……頑張るねー、なのちゃん」

「街が大変なことになってからだと遅いから、それに……」

 

 最初の、ごく当たり前な理由からもう一つ続けようとして、なのはの舌は止まってしまった。

 自分でも、その続きが何なのか分からなくなってしまったからだ。いや、そもそも最初の理由だけで十分なのに、その上何を積み重ねようとしたのだろうか。

 それにどうして、あのフェイトって女の子の姿を思い浮かべてしまうのだろうか?

 えと、ええと、なんて言いながら戸惑うなのはだが、束が穏やかにそれを諭した。

 

「無理して答えなくてもいいよ。何だかわかんない気持ちがある、ってことだね?」

「うん。私、駄目だなあ。束ちゃんみたいにすぐ結論が出せなくて、いつも迷ってばっかりで……」

「じゃあ、じっくり探していけばいい。迷いながら、それでも自分を信じて頑張りたいんだよね?」

「そうだね、何もしないのも、出来ないのもいやだから」

「……なのちゃん。私は、そんななのちゃんを応援したい。応援してるつもりだよ」

 

 その言葉は、誰より何よりなのはの背中を押してくれる。

 このままでいいんだ、それでいいんだと、なのはのありのままを認めてくれるように聞こえる。

 

「ありがとう、束ちゃん……じゃあ、また今夜ね」

「うん、助手はちゃんとフェレット姿で返してあげちゃうからね。ばいばーい!」

「ばいばい!」

 

 がちゃり、と分厚い扉を開けて階段を上がり、研究室の上層、偽装用のあばら家の出口からなのはは外へ出た。

 学校帰りに寄ったものだから、もう日は陰っていて夕焼け小焼け。

 あまりのんびりしていると、帰る頃には日が沈み切ってしまいそうだ。

 どうせだから、篠ノ之家にいる赤ちゃん、束の妹である箒にも挨拶しておきたかったのだが、それはまた後のことにしよう。

 そう考えながら神社の石段を降りきったその時。

 なのはは、濃い緑色の和装を着た、柳のように長細い男とすれ違った。

 

「あ、こんにちは」

 

 深々と頭を下げて挨拶を返したのは、その男がなのはにとって良く知る目上の人であったからだ。

 向こうもなのはに気づいたようで、振り向き話しかけてきた。

 

「こんにちは。また束と遊んでくれていたのか」

「えと、そうです。柳韻さんは?」

「君の父親と打ち合わせをしてきた所だ、例の大型連休にやる」

 

 彼こそが、篠ノ之家の家長にして、この神社の神主である篠ノ之柳韻であった。

 つまり、あの篠ノ之束の父親なのだ。

 

「あ、温泉旅行ですね! なのは、とっても楽しみです」

「そうか」

 

 とだけ、僅かに答えて首肯する柳韻。

 彼はとにかく、無口で頑固一徹な男だ。その物腰はぴしっと整っていて、なのはを見る目にもどこか険しい鋭さが宿っている。

 なのはは改めて思う。この柳韻という人には、篠ノ之束との共通点がどこにも見当たらない。

 

「束ちゃんも来るんですよね」

「そうだな。君が来るなら行くだろう……いつも以上に羽目を外して、な」

 

 なのはは明るく語ったが、柳韻の言葉には苦々しさが散らばっていて、しかもそれを子供のなのは相手に隠しきれていなかった。

 そう。柳韻と束の親子仲は最悪なのである。少なくとも、なのはがこれまで見た親子の中では最も悪い。

 なのはと出会う前など、束が秘密基地を勝手に作って、それに激怒した柳韻が重機まで持ち出し打ち壊そうとするような全面対決があったようなのだ。

 その結果は、何度壊されようが作り直して、終いにはブルドーザーですら打ち壊せないバラック小屋、という摩訶不思議な代物を立てた束の粘り勝ちであった。

 そして、ますます親子仲は険悪になり、一時は会話すら一ヶ月に一度あるかないか、という状況だったらしい。

 だが、なのはとの出会いによってどこか変わった束が、自分から両親に声を掛けたことをきっかけとして、親子の関係は徐々に修好している……のではあるが。

 

「にゃはは、確かに去年ははしゃぎすぎてましたけど」

「全くだ。『浴衣には打ち上げ花火がないと』などと言って、本当に花火を、しかも花火大会で見るような巨大なものを打ち上げて……」

「あぁ、空いっぱいに私の似顔絵、それからハートマークがでかでかと……あれは、流石に恥ずかしかったです」

「あのときはすまなかった……全く、うちの馬鹿娘め……!!」

 

 僅かに話しただけで怒り心頭な様子を見せるように、柳韻は未だ束を怒るだけで認められず。

 束も束で、沙耶には多少なりとも娘として応答するが、柳韻のことはまだ完全に無視しているのだった。

 

「で、でも、束ちゃんは束ちゃんなりに、私が好きだって表現したいから、ああしたのではと思うのですが」

「それにしても限度というものがある! あいつはそれを全く分かっとらんのだ。何を教えようが知らん顔で、いつもいつも暴走して……! 何も考えずにあんなことを……!」

 

 それは違う、と言いたくなったなのはだが、確かに親の目線で見ればそうなのかもしれない。

 柳韻も、それから母親の沙耶も。どちらもごくごく普通の人間で、だから娘のことも、個性や性格は尊重するとしてもやはり普通に、過不足がなく人様に迷惑を掛けないようないい子を育てたいと思うはずだ。

 しかし生まれてきた束は、恐ろしいほどエキセントリックで。

 だから致命的にすれ違ってしまって、今になってもそのままなんだとなのはは理解した。

 そうなのだ。束と柳韻という正反対な人間が、そうなる理由は確かに分かる。

 

「柳韻さん。いいですか?」

「……なんだね」

 

 だが、なのはは束の友達だ。友達としては、友達の親よりも友達の方向を向いて、弁護をしてあげたかった。

 

「束ちゃんは、優しい子だと思います」

「だろうな。君にとってはだが」

「他の子には優しくないと?」

「残念だがそうとしか思えんな。君たちの様子を後ろから見ている限り。あいつの行動は考えなしのいい加減だ。そうとしか思えん」

「……本当にそうでしょうか」

 

 束ちゃんはですね。

 なんでもかんでも分かっちゃってるんです。

 

「それがどうした」

「だから、束ちゃんには分かるんですよ。他人がどうなるか。それだけじゃなくて、自分がどうなのかってことも」

 

 人間、自分のことは自分でしか分からないとはよく言われるが。そんなことはないとなのはは思う。

 例えば、辛いものが好きな人は、自分は辛いものが好きだ、と認識はするだろう。しかし、どうして辛いものが好きなのだろうか、と問えば、その答えを導き出せる人は少なくなる。

 舌がヒリヒリするからと答える人もいるだろう。しかし、ではなぜ舌がヒリヒリするのかを問えば同じことだ。

 好きなものは好きだから好きなんだ。

 そう答えて、それで結論するのが普通の人間である。

 だが、束は違うのではないか。とことんまで己に問い詰めて、確固たる答えを持っているのではないか。

 何事も解き明かさずにはいられない性格の彼女は、他人だけでなく、自分すら解析しているはずなのだ。

 そしてきっと、その「答え」として――天才だと、自称している。

 

「私なんて、普段は出来るだけ周りを見てるつもりですけど、ときどき、周りを見ずに突っ走っちゃうことがあります。でも、束ちゃんにそれは無いと思うんです。周りも自分も全部見て、それから決めて、動いてるんです」

「……」

「だから、その、なんといいますか……ええと、とにかく束ちゃんを信じてあげてください」

 

 ただの友達が、親御さんにこんなことを言うのも何ですが。

 そう付け加えて、なのはは鳥居を潜り、神社から去っていった。




次回は6/2の19:00投稿です。


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第八話-A:篠ノ之家

これだけちょっと短めなので、夜にもう一話投稿します。


 現在日本国内は、全国的に連休。行楽シーズン真っ只中。

 そこで、普段から仲のいい娘たちにより繋がっている、高町家とバニングス家と篠ノ之家。それと同時に高町家とは半ば縁戚関係でもある月村家を交えて、二泊三日の温泉旅行が行われることとなった。

 目指す場所は海鳴温泉。海鳴市郊外に位置する温泉街で、天然温泉は成分その他、中々に効能があると有名な保養地である。

 出発時刻は朝八時。三台の車にはそれぞれ、高町、月村、篠ノ之の一家が乗り込む。

 まず一台目には、なのはの父、高町士郎と母の桃子、姉の美由希。後部座席に、なのは、アリサ、すずか。それから高町家のペット扱いなユーノも一緒だ。

 二台目にはすずかの姉である月村忍と、なのはの兄の高町恭也。そこに、月村家のメイドであるノエル・K・エーアリヒカイトとファリン・K・エーアリヒカイト。

 

 そして、三台目には、篠ノ之家父の柳韻、そして母の沙耶。それから満一歳の赤ん坊、箒と。

 

「…………」

 

 この世全てに呪いを掛けんばかりに負の感情ダダ漏れの顔で、しかもブツブツと小声で本当に呪言を紡いでいる束がいた。

 

「ね、ねえ束。そんなに落ち込まなくてもいいじゃない。後30分もすれば温泉について、お友達とも一緒になれるんだから」

「30分!? この束さんに30分も我慢しろというの!? なのちゃんと狭い座席の中でくんずほぐれつクンカクンカハスハスにゃーにゃーできる30分を!!」

 

 母親の言葉を聞いて、思い切り反発し喚く束は、無論最後まで抵抗していた。事前の計画で席数を割り振ると、こうなることはすでに分かっていたのだ。

 だから今朝も長々と文句を垂れて、根負けしたすずかが乗り換えるという話まで持ち上がったのだが。それ幸いと乗り込む前に柳韻の手で半ば強引に席へ押し込まれ、それでもなおも逃げようとして。終いにはなのはにより、

 

「じゃあ、朝早く起きて温泉入ろうよ。二人きりで」

 

 という交換条件で説得されて、不承不承出発を認めたのだった。

 しかし、どうやらそれでも煮えくり返る気持ちは収まらないようだ。

 

「ううぅぅ……ちくしょー! 今頃なのちゃんはあの凡人二人とキャッキャウフフしてんだろうな! そこにあのフェレットもどきまで! メチャ許せんんん!!」

「ええい、いい加減に黙らんか!」

 

 子供故の高い声、その喧しさに絶えきれなかったのか、運転席で車を走らせている柳韻が怒鳴りつけた。

 

「天才だと名乗っている癖に、後30分も我慢できんのか!?」

「かーっ! そういう問題じゃないやいハゲ親父!」

「誰がハゲ親父だ、誰が!」

「お前に決まってるだろー? まだ50にもなってないのにツルッツルは見てると笑えるからね!」

「ぐっ、親に向かって……!」

 

 苦虫を噛み潰すような表情をする柳韻。その様子をフロントミラーからちらと見た束は益々煽り抜こうと決める。

 

「そりゃ産んでくれたのには感謝するけど? この身体は束さんのものですからねー」

「誰が金を出して私学校に行かせてやってると!」

「金? あぁ、金ならちゃんと熨斗つけて、ざっと10億単位までなら返せるよ? この前散財したから即金だと数千万しか渡せないけど」

「戯言を言うな!」

「ちがーう。違うんだなー。これでも発明の特許料とか元手にして、あとは市場を『予測』してガッポガッポなのだよ」

「っ……!」

 

 女子小学生の言う言葉としては、まるで下手な漫画みたいにいい加減で突拍子もなく馬鹿げている主張を、柳韻は否定したいのだろう。

 しかし、恐らく誰も、否定できない。

 それくらい、篠ノ之束はどうしようもなく、常人から並外れている。それくらいのことはするだろうし、出来てしまうのだ。

 

「あー? もしかして。子供がそんなことするんじゃない、って思ってるでしょー?」

 

 そして、篠ノ之束は心を読む。まるで胸底まで手で鷲掴みにされ、引っ張り上げられているかのように正鵠を突く。

 だから反論されない。不幸にも彼女の回りにいる常人、彼らにとっては心を読まれるのも、良いように抉られるのも嫌だから。

 束から干渉してこない限り、居ないものとして無視をする。

 だが。

「大丈夫大丈夫。束さんは天才だから。心配して貰わなくともご迷惑はかけませんよーだ。ちゃーんと管理して、適切に使って……」

「……お前はッ!! いつもそんなことばかり言う!」

 篠ノ之柳韻はそれに当てはまらない。束の売り言葉に、買い言葉で返してくる。

「それ以外に言いようがあるのかな? それが真実だよ? 私には出来る。能力的にも人格的にも。それを認識出来ないのかな? 所謂馬鹿かな? 脳味噌が真空管で出来てるのかな?」

「馬鹿なのはお前だ、束! 九歳の子供が、金の重さもろくに知らない子供が何を言うか!」

「はぁ!? それは偏見じゃないか! 束さんは別に犯罪なんて、一回もやっちゃいないよ。発明品の特許料も、市場取引だって、方法はどうあれ自分で稼いだお金だ! あくせく労働するだけが金の稼ぎ方じゃないし、失敗しなかったら覚えない訳でもないんだよこの昭和真空管ハゲオヤジ!」

「っ……!!」

 しかし、柳韻では、束に口喧嘩で勝てない。頭の出来が致命的なまでに違うのだ。だから、単純に語彙で劣るし、罵倒の発想でも遅れを取る。

 そんなわけで、彼の最後の文句は決まって、

「このバカ娘! そんなにここに居るのが嫌ならさっさと出て行け!」

 

 となるのだが。

 

「ああいいよ、出ていきますよーだ。ふんだ」

 

 何分束の方も、出ていけるだけの実行力を持っているのだから問題になる。

 神社の隣りにある、あのラボのように。

 

「ち、ちょっと束、何をするの」

「何って、出て行けって言われたから出ていくだけですけど」

 

 束は走行中の車の窓を開いて、その隙間から飛び出そうとする。まるでちょっと散歩でもしようかというような気軽さだ。

 

「止めなさい、危ないわよ!?」

「大丈夫大丈夫、今から上手いことやってなのちゃんの車の上乗っかって、窓を開いて乗り込ませて貰うから。最悪凡人二人の上に乗っかってもいいかなーと考え直したのだ」

「怪我したらどうするのよ!」

「心配いらない。失敗の確率は0.02%程度だし、仮にそれで地面とキスしても束さんにはかすり傷程度さ」

 

 沙耶は助手席から身を乗り出して束を羽交い締めにし、必死になって止めているが、やはり彼女の怪力には敵わず押し返される。こうなれば束の方は、今にも車内から出ていきそうな勢いだ。

 困り果てて追い込まれたのだろう。沙耶は元凶である柳韻に怒り、収めろと告げる。

 

「あ、あなた! あなたがあんなこと言うから!」

「っ……しかしだな、幾らなんでも調子に乗りすぎておるし」

「でも、だからってこんな所であんなことさせたら」

「分かっているが、だからといってあいつを」

 

 押し問答が続く中、いい加減苛立ちの限界を迎えた束もまた怒鳴る。

 

「ああ、もううるっさいなぁこの愚鈍な親どもが! もう怒った! さっさと出ていってやる!」

「束、待ちなさい!」

「やだもんねー!!」

「ええい、親の言うことを聞けこの馬鹿娘!」

「子供に干渉するな馬鹿親父!」

 

 彼らの言い合いと怒りが車内に渦となってざわめき、それが頂点に達したその時。

 

 束の座る後席の左に設置されていたチャイルドシートから、甲高い泣き声が聞こえ始めた。

 

「っ……」

「箒ちゃん!」

 

 篠ノ之箒である。まだ一歳になったばかりで、おむつも取れていない赤ん坊は、この場の空気に耐えることなど当然出来ずに、雷のごとく唐突かつ大音量で泣き始めたのだ。

「あ……ほ、箒ちゃんごめんね、ごめんなさい」

「むぅ……」

 沙耶はすぐさま箒をあやそうと声をかけ、柳韻も怒気を吐き出して口を閉じる。

 そして、束は。

 

「二人共、折角の旅行なんだから……こんな時だけでも仲良くして欲しいの、箒のためにも」

「……ちっ」

 思いっきり舌打ちを打ちながらも車から出ていくことは諦めて、窓を閉め、自分の席でふんぞり返っていた。

 そういった訳で、篠ノ之家一行の雰囲気は旅館にたどり着いた後も険悪だった。流石に表向き取り繕えないほど壊れては居なかったが、束はすぐになのはと合流して色々と引っ張り回し、柳韻と沙耶も箒にばかりかまって、束には近づこうともしない。

 束など娘でないと扱っていた二年前よりは改善しているものの、この不協和音こそが、現時点の篠ノ之家の実像であった。

 




次回は6/2の19:00投稿です。


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第八話-B:篠ノ之の父とユーノ・スクライア

 ユーノ・スクライアが旅館に着いてまず宣告されたことは、風呂に入るなら人間形態でしかも男湯に入れ、でないと一千七百六十万とびとびとんで二個に『分解』するぞ、というかなり強圧的な命令であった。その内容から、発言者は推して知ることが出来るはずなので敢えて述べない。

 とはいえ、そんなことはユーノとしても望む所であった。

 考えてみれば、なのは、アリサ、すずか、そして月村忍に高町美由希、ノエル・K・エーアリヒカイトにその妹ファリン。ついでに言えば高町桃子や篠ノ之沙耶も美少女、もしくは美人である。

 そんな人たちの裸を、見たくない、訳ではないが。

 だからといってフェレットに変身してしれっと紛れ込み桃源郷へ、などという卑怯な真似はとても出来ない。

 だから、ユーノは到着直後、籠の中ですやすや眠ったフリをして、女性陣が入浴に出かけた後こっそり変身。抜き足差し足忍び足で男湯に入り。

 衣服を脱いで、さあ日頃の疲れを洗い流そう、としたのだが。そこで大きな難題が立ちはだかった。

 

(……こ、コインロッカー……!?)

 

 普段は常時ロックされていて、百円硬貨を入れれば鍵が閉じ、開ければそれが戻ってくるという仕組みのロッカー。百円を担保とすることにより鍵の持ち帰りやロッカーの複数使用を防ぐというのが目的の、温泉やプールの更衣室には極当たり前に存在するものである。

 だが、ユーノ・スクライアは地球の金銭を所持していない。一円たりとも持っていなかった。

 冷や汗を流しながらきょろ、きょろと周囲を見渡す。ロッカー以外に衣服をしまう場所が無いかという儚い希望はすぐに打ち砕かれた。

 かくなる上は、念話でなのはに助けを頼むしか無いのだが――

 

《なのは、なのは! ごめん、唐突だけど君のお小遣いから》

《ユーノ君起きたの? じゃあ、こっち来てよ、一緒にお風呂入ろう》

 

 速攻で念話を切断した。これでは借りに来た直後、首根っこを掴まれて女湯に入れさせられかねない。なのはにも羞恥心が無いという訳ではないはずだが、この位の男女なら混浴でも大丈夫と思っていて、友達なら一緒に入りたいと願っているのだろう。実際、温泉のルールにも十一歳未満は大丈夫だと書いているし。

 とはいえ、これは困った。残る頼みの綱は束であるが、なのはが風呂に入っているのだ。恐らくは束も女湯で彼女と濃厚なスキンシップを楽しもうとしているはず。それに、お金を貸してくれと言った所で、あの束が素直に貸してくれるはずもない。

 まあ、これも自分の迂闊かな、とユーノは諦める。

 

(あああ、でもどうしよう……しょうがない、帰るしか無いか)

 

 そして、一旦脱いだ服を仕方なく着なおそうとしたその時。

 

「なあ、君」

「えっ……?」

 

 篠ノ之柳韻に声を掛けられた。

 紺色の着物を着こなし、細いながらも背筋が伸びて、どこか芯のあるように見える様子を、ユーノは既に知っている。車の中で束と大喧嘩したのか、苦々しい顔で車から出てくる所を見たのは記憶に新しい。

 しかし、この姿では初対面だ。そう分かっていたユーノは、あくまで他人行儀で応答した。

 

「あの、何か?」

「ロッカーの前でそんなに戸惑っているということは、金を忘れたのか?」

「え、あ……はい」

 

 柳韻は着物の懐からがま口財布を取り出し、その中から銀色の硬貨を手にとってユーノへ差し出した。

 

「これを使うといい」

「な……だ、大丈夫です!」

「百円玉、持っていないのだろう? 風呂に入れず困っているのではないかな」

「か、帰って貰ってきますから」

「別に返さなくてもいい。だから受け取りなさい」

 

 尚も遠慮しようとしたユーノは、しかし柳韻の瞳に確固たる意思を見たような気がして止めることにした。こうなれば、意地でも引かずに貸し与えようとするのではないか、と思ったのだ。

 まるで、どこかの強引で我儘なウサミミみたいに。

 

「……分かりました。でもちゃんと返しますから」

「そうか。ではそうしてくれ。使い方は分かるな?」

「ええ、コインを入れる以外は普通のロッカーで、鍵は」

「腕輪になっているから、外さず付けておくんだ」

「はい、ありがとうございます」

 

 柳韻の勧め通りに百円を入れてロッカーを開く。そしてきちんと畳んでいた衣服をしまい込み、扉を閉めて腕輪型の鍵を抜く。これでちゃんとロックされたかを確認し、右腕に腕輪を嵌めて、ユーノは漸く入浴することが出来た。

 

「おぉぉ……広いなぁ、この世界の温泉って」

 

 ミッドチルダの公衆浴場よりもずっと広い大浴場に目をキラキラと光らせて、早速入ろうとするユーノであったが。

 その肩に、ゴツゴツした大きな手が乗せられた。柳韻である。

 

「待ちなさい」

「え……?」

「まずはこれだ」

 

 ユーノは柳韻が指差す場所を見る。「掛け湯」と書かれた札の近くに、湯壷と手桶が用意されていた。

 

「掛け湯……?」

「温泉に入る前には、身体の汚れを落とす。それから、湯の温度にも慣れておく。その為のものだ。心臓から遠い手足から始めなさい」

「は、はい」

 

 言われる通り桶に湯を掬って手足に掛けると、ポカポカと温かい湯の温度がユーノを包み、身体がそれに慣れていく。

 

「どうだ。いきなり入ると血圧が上がって気持ち悪くなることがある。それに、泉質に身体を慣らすことも出来る。先人の知恵と言うものは素晴らしいと思わないかな」

「は、はぁ」

 

 柳韻はユーノに向かい、親しげに語りかけている。だが、その口数の多さはいつもの彼らしくないものだった。少なくともユーノには、束の前で頑固親父と化している彼とは似ても似つかないように見えた。

 それからユーノは柳韻に、やれ身体の洗い方だの、風呂の粋な浸かり方だの、露天風呂の楽しみ方だの様々な事を教わりながら入浴した。

 所帯持ちの中年男性が、見ず知らずの外国(少なくとも国は違う)人男児に色々と教えながら二人で入浴する。これは傍から見れば中々に奇妙な光景ではないだろうか。ユーノはそう思ったが、なにせ束の父親である。

 それに、やはりお金を貸してくれたのは有り難いという気持ちもあるので、彼の必要以上に長い説明にも顔色一つ変えずにつきあっていた。

 そして、それも一段落ついて、二人のんびりと露天風呂に浸かりながら。

 ユーノは感謝の思いを伝えるため、柳韻と話し始めた。

 

「……あの、ありがとうございます、色々教えてもらって」

「いや、気にすることはない。温泉と言うのが良いものだと知ってもらえただけで十分だ」

「……思っていたより優しいんですね」

「どうかな……周りからはド偏屈の頑固者だとかよく言われるが」

「いえ、たしかにそうかもしれませんが、これは僕から見れば、の話です。見ず知らずの僕みたいな外国人の子供に、話しかけてくれて、お金まで貸して頂けて」

 

 その言葉を聞いて、柳韻はやんわりと首を横に振り、何気ない様子で話した。

 

「知らぬ仲でもあるまい。君は束の友達なのだから」

「!?」

 

 ユーノは仰天する。どうして気づかれたんだ。今まで自分が束と会ったことなど、一言も喋っていないのに。

 

「ぼ、僕と貴方は初対面のはずですが」

「ついさっき、思っていたより、と言っただろう。私は最初から最後まで、君には客観的に見て親切に応答していたはずだ。まぁ私の容姿を気難しいと思われたのならそれまでだが……さて君は一体どの段階で、私を厳しい人間だと判断したのだろうな?」

「あ……」

「ついでに言えば、私は確かに昔から頭の固い方とは言われるが、流石に頑固者とまでは言われていない。そういうことを言うのは束だけだ。頑固頭のハゲ親父とな」

「は、はい……」

「どうして知り合っているのかは、聞かないでおこう。あまり良い内容ではないだろうし、どうも聞いて欲しくないようだからな」

 

 柳韻の見事な推理を目の当たりにしたユーノに出来るのは、もはや本心をそのままに打ち明けることだけだった。

 

「凄い……やっぱり、束のお父さんなんですね」

 

 それを聞いた柳韻は、一瞬静止して。

そして浮かべた表情は、ユーノの目と心では計り知れない程の憂いを帯びているように見えた。

 

「束は……あの娘は、私などよりずっと上だ。私がこうして君と束との関係を予測できたのは、長年生きて、成熟しているからだが……束は、既に私のいる所を……通り越している」

「それは、分かります」

 

 ユーノは思う。

 確かに、この男性は賢いのだろう。少なくとも自分より。年もとって、老成して、知識の方向性は違うにしろ、量を比較すれば彼のほうが上であるはずだ。

 しかし、束は。

 そんな自分たちとは次元が違う程に頭がいい。

 父親という立場にいる人にとって、それは多分、認めるには少し努力がいることなのだろう。

 

「……なあ、君は束を、どう思うんだ」

「僕ですか? そ、それは」

「私の前だからという遠慮は無用だ。明確に、思ったままを話してくれ」

 

 ユーノは考える。

 自分にとって、篠ノ之束とはなんだ?

 まだ出会ってから一週間も経っていないが、その過激さと鮮烈さは骨身に染み付いている。それもそうだ、自分自身が実験や聴取対象として散々弄くられたのだから。

 だから、人に迷惑を掛けながら、自分の欲求を追い求める邪悪な女の子、なんて言うつもりだった。

 だったのだが。

 

「僕を助けてくれました」

「……む?」

「僕、ちょっと色々事情があって、疲れてたんですけど……栄養ドリンク、飲ませてくれたんです。束が自分で作ったっていう。効き目はバッチリで……反動も凄かったんですけど、とにかくちゃんと効いて」

「それで?」

「まあその辺りで色々好き勝手に付き合わされて、最初はなんとも邪悪で酷い子も居たもんだって思ったんですが……なんだかんだ、そう迷惑にはなってないといいますか……」

 

 紡いだ言葉は、最初決めていた内容とは全く違っていて。

 もう少し悪しざまに言っても構わないし、むしろそれが正しいとは思うけど。

 しかし、ユーノの目に浮かぶのは。

 なのはと話したり、相談に乗ったり、アドバイスしたりする時の束の顔。

 

『ありがとう、なのちゃん。約束、叶えてくれて』

『大体、なのちゃんはわがままな夜更かし夜遊びじゃなくって、このフェレットもどきを助ける為に駆けつけたんでしょ? それでなのちゃんが叱られるのなんて、束さんが納得行かないから』

『……なのちゃん。私は、そんななのちゃんを応援したい。応援してるつもりだよ』

 

 みんなみんな、暖かく笑っていて。そういう顔が出来て、態度が取れるということは、つまりそういう心を持ってる女の子だと分かるのだ。

 ただ、その優しさを他人には滅多に向けないようだけど。

 

「……だから、まだ良く分かりません。エキセントリックというか傍若無人というか、そういう所は確かにあると思うんですが……それだけじゃないのかな、とも……うーん」

「そう、か。ありがとう」

 

 ユーノのあやふやな答えに、柳韻は二言だけを返して頷く。

 それから、ぽつり、ぽつりとゆっくりに、先程の早口説明よりも言葉を選んで、考えながら。

 

「やはり、同じ年の君から見ると、感じ方が違うのかな」

「と言いますと?」

「私などから見れば……やんちゃ、いや、そんなちゃちな言葉を通り越して、恐ろしいことばかりやっているようでな。人様に迷惑ばかりかけて、お金など湯水のように使って……」

 

 ユーノは、先日束から渡された小切手のことを思い出した。後で確認したら七桁の数字の後ろにドルがついていて、それはこの世界のサラリーマンの生涯賃金の平均値であるそうで。

 そんな大きさのお金をぽんと出せるっていうのは、湯水のようではなく洪水か滝のようにという表現が正しいよね、なんて思いながら柳韻の愚痴を聞き続けた。

 

「別に学問をするのが悪いわけではない。発明をするのも悪くはない。ただ……何をするのか、分からん。予測もつかない。私は親として、あいつのやることには責任を持たなければならない。あいつは一丁前に自分で責任を取る、などとほざいているが……」

 

 柳韻はそこで、深々とため息をつきながら、

 

「取れるわけがないだろう。まだ子供なのだ。トラブルが起こって誰かが怪我したら治せばいいというが、もし治せなかったらどうなる? あの馬鹿はそういうことを考えておらん。もしそうなった時、自分にどんなものが降り掛かってくるかを知らないし、分かろうとも思っていない!」

「……」

「あの子は失敗を知らん。何でもかんでも出来てしまう。だからあんな戯けたことが出来てしまう。それではいかんと思うから、私は……」

 

 そこまで語った所で、お湯の熱さよりも熱くなりすぎていた自分に気づいたのか。

 柳韻はふぅ、と一息ついて、ユーノに向かって謝った。

 

「いや、すまないな。我ながらどうも不甲斐ないもので、君のような、30年も年の離れた子供に愚痴を聞かせてしまった。不徳だな」

「あ、いえ、大丈夫です、いいんですよ。聞いてて思う所もありましたし」

「思う所?」

 

 柳韻の問に、ユーノはどこか遠い所を見つめながら答えた。

 

「羨ましいなーって」

「……羨ましい」

「はい、羨ましい。親御さんにそんなに心配してもらえるなんて」

「心配……と言うよりは、あいつが人様に迷惑を掛けないように抑え込むような心持ちだが」

「それが、心配っていうんじゃないでしょうか?」

 

 その言葉を聞いた柳韻は、虚を突かれたような表情でユーノを見つめた。湯船の表面が風に吹かれて揺れる。

 

「人様に迷惑を掛けさせたくないっていうことは、裏を返せばそうした時、束がどうなるかを知っていて。そういう思いをさせたくないってこと……なのかなって」

「……」

「そういうの聞いてて、ああ、束は本当に、あなた方両親に大事にされてるんだと思います。最も束の方はそれをウザったいと思ってる、というか必要ないと感じているし」

 

 うーん、と少し考えた後、ユーノは述べた。

 

「そうか……賢いな、君は。私などよりもずっと」

「いや、柳韻さんにはとても」

「年を考えんか。君が私くらいの年の時は、将棋と武術くらいしか興味が無いし、考えていなかった」

 

 最近の子は揃って早熟なのだろうか、などとぼそりと語った柳韻。その顔は、何かの憑き物が落ちたように見える。

 それは、父親の顔だ。

 人の顔には色んな形、色んな表情があるけれど、ユーノはこの表情に馴染みが薄い。というか、全然見たことがない。

 ユーノには両親がいないから。

 木の股から生まれた訳ではないが、物心ついた時には既に居なかった。スクライア族の中に躾をしてくれた人、魔導学院の授業料を出してくれたりした人は居るけれど。みんな、ユーノを子供として見て、でも同時にスクライア族の一員としても扱っていた。仕事を振り分けたり任せたりする為に世話をするし教育をする。そういう上司みたいな人たちだった。

 だから、ユーノは羨ましい、と形容したのだ。

 両親に心配され、愛されている束のことを。

 

「……」

「どうしたんだね?」

 

 柳韻の声。子供を持つ、父親の声。

 それを聞いてしまえば、さっきまで思っていたことをそのまま口に出してしまいかけるが。

 良くないことだと思い直す。

 この人は束と、それから箒ちゃんの父親で、僕の父親ではないのだから。

 

「あの、束のことなんですけど」

 

 だから、代わりに。

 

「そういう柳韻さんの気持ちが分からないような子じゃ、無いと思うんです。頭はいいし。ただ今は、気付いてないだけで。だから……その……えと……もうちょっと、話とか出来たらいいんじゃないかなーって……それが、難しいんでしょうけど」

「そうだな。向こうからは、けんもほろろだ」

「あぁー……じ、じゃあ……」

 

 なりたてだけど、助手として。

 

「伝えてあげてください。自分が心配してるって。束ってもしかしたら、自分が心配されてるってこと、分かってないのかも……うーん、束にしてはちょっとおかしいことだけど……でも、一度言葉にしてあげたらいいんじゃないかと」

 

 天才に足りない何かを補えればいいなと思って、そう語った。




次回は6/3の11:00投稿です。


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第八話-C:篠ノ之の母と高町夫妻

評価に色がついた! わあい!
というわけで嬉しいのでもう一話ドン!
なあに大丈夫だ後六話くらいストック有るから!


 高町、月村、篠ノ之、そしてバニングス。四家合同一泊二日の宿泊先として選ばれたのは、そこそこ歴史ある大きな旅館だ。海鳴温泉という場所では鉄板とも呼ぶべき宿泊施設であり、それ故大型連休になると大勢の観光客で賑わいを見せる。

 そんな所へ大勢が宿を取れたのは、海鳴に昔から神社を開いている篠ノ之家の縁引によるものだった。

 部屋割りは高町家で一室、月村家で一室、そして篠ノ之家で一室。子供たちはそれぞれ好きに部屋を移動し合うが、基本的に士郎・桃子は高町家の部屋に、恭也・忍・ノエル・ファリンは月村家の部屋に。そして柳韻・沙耶は篠ノ之家の部屋で寝泊まりすることになっている。

 だが、今はまだ晩餐にも早い夕暮れ時。大人たちも思い思いに、風呂へ赴いたり部屋の中で交流したりと、のんびりした時間を過ごしていた。

 そして現在、高町家の部屋では。

 

「王手」

 

 木を打つ音がぱちん、と響く。黒髪を短く纏め、浴衣のよく似合う和風美人な妙齢の女性が、将棋盤の上飛車の駒を動かし敵陣へと進めたのだ。盤上を見るともうすっかり煮詰まっていて、しかも女性側が圧倒的に優勢である。

 彼女に対するのは黒髪の、鍛えられた身体と穏やかそうな雰囲気を併せ持つ男であるが、彼は自分の目の前にあるほぼ詰みかけな盤上を見て、腕を組みながら唸っていた。

 

「どう返しますか?」

「ま、待った」

「待ったなしですよ」

 

 涼し気な表情で相手の一手を待つ女性は、篠ノ之家の婦人、篠ノ之沙耶である。

 

「さあ、士郎さん困った! どうするー?」

 

 そして、将棋盤から少し離れたところで黒髪の赤ん坊を抱きあやしながら冷やかす女性、高町桃子が呼ぶように。盤上、もはや巻き返しは難しい局面でなおも粘り続ける男は、高町家家長、高町士郎であった。

 

「う、むむむむ……」

 

 いかにも進退窮まったように唸りながら目をつむって、十数秒ほど思考を巡らせた士郎は、飛車を防ぐために、王将の隣りにいた銀を斜め上へ動かし盾にしたが。

 

「王手」

「ぐっ!」

 

 今度は既に成っていた竜馬を横に進められて、それで再び王手である。

 士郎は必死に盤上を見渡す。しかし、今までは囲みを食い破られながらもなんとか生き残ってきたはずが、今回ばかりはどこにも逃げ場所がなく、持ち駒も存在しない。

 それでもなお逆転の目を探そうとして、たっぷり一分ほど熟考した結果。

 

「参りました」

 

 と、ため息を吐きながら告げるしか無いのだった。沙耶からは、そうでしょうねと告げられる。どうも向こうからしてみれば、最初から詰みであると考えていたようだ。

 

「でも、良い勝負でしたよ」

「どうでしょう。コテンパンでしたし、最初から」

「いえいえ、ちゃんと定跡も分かっていたようですし、いい棒銀でしたよ。夫もこの指し筋なら満足するのではないでしょうか」

 

 沙耶は自分の夫を話題に出し、練習台になった甲斐がありました、と締めくくった。

 高町士郎と篠ノ之柳韻は、その娘二人と同じく友人同士である。それぞれ子持ちで、かつ古武術の道を歩んでいる所にシンパシーを感じたのか、娘の縁で出会ってから、すぐに友誼を深めた。

 そして、士郎が柳韻から紹介されたのが、将棋である。何でも、自分と指す人が殆どいないらしく、初心者でも教えるから是非相手になって欲しい、ということだった。

 士郎も嗜み程度には習熟していた、友人の頼みならばと始めてみたのだが。

 柳韻に指し相手がいない理由を、すぐに思い知る事となった。

 強いのである。ひたすらに。

 最初に戦った時にはあっという間に詰まされて、その次は六枚落ちというハンディキャップを付けてもらって、それでもすぐに負けてしまった。

 それから聞いてみると、なんでも篠ノ之柳韻という男、青年時代はプロ一歩手前まで至り、将棋一筋に専念するか神主を継ぐかで迷いに迷って後者を取った、という経歴の持ち主だったのだ。

 それは強いし、素人から見れば圧倒的すぎて指したくならないのも当然である。

 しかし。

 

「それにしても、柳韻さんにも沙耶さんにも、まだまだ負けっぱなしねー、あなた♪ らしくないわよ!」

「ぐぬ……」

 

 妻の桃子がからかうように、それで諦めるのは士郎らしくない。

 というか、御神らしく、不破らしくない。

 戦えば必ず勝つ。その流儀を当てはめたいのは、なにも剣の道だけに限らないのだ。

 という訳で、士郎は喫茶翠屋オーナーとして忙しく働く傍ら、たまの休みには柳韻、そしてこちらも将棋の名手である沙耶を相手に特訓を続けていた。

 そしてようやく、沙耶を相手に平手で指せるようになった、という具合である。

 

「いえ、あなたの旦那さん、だいぶお強くなられましたよ。夫も喜んでいます、ようやくここまで付き合ってくれる相手が出来たって」

「いえいえ、この人はただの負けず嫌いですよ」

「おい、そりゃないだろう桃子?」

 

 沙耶がフォローをするが、桃子はそれをスパッと切って返した。このあたり、士郎の妻でありながら中々容赦がない。

 それだけ、互いに互いのことを理解しているのだが。

 

「ふふふ……私も指していて楽しいです。一度覚えたことは忘れずに実践してきて、そこがなんとも。夫なんて、新しく弟子が出来たみたいだと言っていました」

「いや、この歳になって教わる側に回るとは思わなかったです。でもまあ、それも結構懐かしい気分ですよ」

 

 そのまま、座る場所を将棋盤からテーブルに変えて、暫く三人で談笑する。その間を、赤ん坊の箒がとてとて歩き回ったり、時折沙耶や桃子へ甘えに来たりして、穏やかな時間が流れていた。

 だが。

 

「そういえばなのはたち、そろそろ風呂から上がる時間ですね」

 

 桃子の言葉で、話題が三人の子供たちに流れていくと。

 

「そう、ですね……そちらの娘さんたちに、何かご迷惑、かけていないといいのですが」

 

 沙耶の表情と口調が、露骨に暗く落ち込んでしまうのだった。

 

「……何かあったんですか?」

 

 士郎が問う。傍らで備え付けの煎餅を食べていた桃子も、心配そうな面持ちで、沙耶を見つめていた。

 

「いえ、大したことではないんです。いつものことで。行きの車の中で、夫と束が喧嘩しまして……席割りのことで」

「ああ、そういえば束ちゃん、なのはと一緒に座りたがっていましたね」

「すいません、あんなに、駄々をこねさせて。もう決まったことなのに……」

「いえいえ、それは別に。で、どうなったんですか?」

「夫が出ていけと言ったら、束ったら本当に出ていこうとして……止めたんですけど聞かなくて……箒が泣き出したので、その場は一旦収まったのですが」

 

 喋り続ける間にも、沙耶の顔色はますます暗くなって。声色はまるで罪を自白するかのように硬く低くなっていく。

 

「あの子も夫も、それから私も、それを引きずっているんです。皆さんにとっては楽しい旅行であるはずなのに……束が、去年の花火みたいにまた何か、トラブルを起こしてしまうかも……」

 

(……あなた)

(ああ、分かってる)

 

 その独白を聞きながら、士郎と桃子、二人アイコンタクトで意思を疎通する。彼女に伝えるべきことは、それで決まった。

 

「あの、沙耶さん」

「はい……」

「もし悩み事があるようでしたら、なんでもいいから話してください。相談に乗りますよ」

 

 士郎がそう提案すると、沙耶はちら、と視線を反らした困り顔で呟いた。

 

「いえ、いいんです。皆さん今日は休みに来たのに、わざわざ私達の事情にお付き合いさせるわけには」

「でも、心配ですよ、気になりますよ。そんなこと言われて中途半端に止められると不安になりますって。ね、士郎」

「うん、そうだな。という訳で、不肖わたしたち高町夫妻が聞かせていただきます。将棋は後輩でかつ後塵を拝していますが、子育てに関してはこちらが先輩ですしね」

 

 士郎の言うとおり、篠ノ之夫妻と高町夫妻とでは、年齢こそ同程度だが子育てのキャリア的には天と地の違いがある。

 まず、士郎の連れ子である長男の高町恭也は現在大学生。色々と事情があって血は繋がっていないものの、長女扱いの高町美由希が高校生。そしてご存知末娘の高町なのはと、都合三人の子供たちを、家業を行いながら育ててきた実力派なのだ。

 

「そう、ですか……ありがとうございます、では……」

 

  そんな二人の後押しが効いたのか、沙耶はなお遠慮しながらも、それでもぽつぽつと、篠ノ之家の現在の家庭事情を話し始めた。

 

「士郎さん、桃子さん。お二人には前にも相談に乗っていただいたと思いますが」

「二年前、なのはと束ちゃんが知り合った時ですね」

「はい。その時から、束も僅かですが、私たちと話をしてくれるようになって。ゆっくりと、ゆっくりとですけど……良くなりかけていたんです」

 

 ここで、沙耶はぷつんと言葉を切って。ちらと目線が向いたのは、自分で抱いている次女の箒であった。

 

「この子が生まれてから、また段々と悪くなりだして……会話をしてくれるのは変わりないんですが、よそよそしいと言いますか、一線を引いた態度をとるようになったんです」

「具体的には、どのように?」

「その前までは、少し甘えてきたりなどもしていたんですけど……朝ごはんは何がいいだとか、疲れたから迎えに来て、だとか……今は全然、そういうことを言わなくなって。代わりに、またあのボロ屋に篭りがちになって、変なものばかり作るようになって」

 

 それを、沙耶は心配に思って近寄ろうとしている。しかし、束の方は何か基準があるようで、それを越すと、怒ることはないが無言で離れていく。

 

「それで、夫の方は私よりも少し積極的に。悪く言えば強引ですね。そうして束のそばに踏み込もうとして……そうしたらあの子、怒るんです。お前には関係ないだろう、ハゲ親父って。夫もそれで怒って、大体喧嘩になっちゃうのが日常で」

「そうですか……」

 

 士郎と桃子が、沙耶の言葉から答えを出すのはかなり早かった。

 まずは同じ母親として、桃子が論を振るう。

 

「あの、沙耶さん。それはつまり、反抗期というものではないでしょうか」

「反抗期……」

「本当はもう少し上の年だったり、中学生ぐらいになるものです。士郎も美由希もそうでした。でも束ちゃんは……成長が早いですから」

 

 桃子は天才という言葉をあえて使わず言い換えて、束の特殊さを指摘する。

 知力や体力の成長が並外れているということは、精神的な成長もそれに引きずられてある程度早くなっているのでは、ということだ。

 続いて士郎がもう一つの方向から補足する。

 

「妹が出来た、というのもあるかもしれません。そういう認識って、子供にとっては結構大きくて、自分は兄だから、姉だからって大人びたがるんです」

「はぁ……束はこの子にはそこまで興味を示してませんし、少し違う気もしますけど」

「そうでなければ、あなた方は箒ちゃんが生まれて、お世話する時間を割くようになった。あなた方から見ればやるべきことをやっているだけでしょうけど、束ちゃんから見れば立派な変化ですよ。親は妹の世話で忙しいから、自分は自立しなければならない、とも思うはずです」

「なるほど……」

 

 そんな殊勝なことを思うような性格なのか?、という反論は、もちろんあるはずだが。

 士郎は、ここはあえて一般論で語るべきだろうと思っていた。篠ノ之束が普通ではないことは、この場にいる三人共よく分かっているし。

 沙耶はここまでの話から、思い至ることがあるようで、じっと押し黙り考えている。

 除湿機能付きのクーラーの音だけが、部屋に響いていた。

 

「……お二人の、仰る通りならば、私たちにできることは」

 

 そして、沙耶がまたぽつりぽつりと語り出す。

 

「束の成長を認めて、過度に干渉せずただ見守る、ということになるでしょうか」

「……一概には言い切れませんが」

「危ないときは手出し口出しも必要ですけど、自立していってる所で止めたり、叱ったりするのは良くないですよ」

 

 彼女の言葉に対し、賛同の意を示す士郎と桃子。しかし沙耶は、うつむいて僅かに首を横に振る。

 

「……あの子の発明、ご存知ですか。歯磨きしなくていいガムなんてものは、まだ可愛い方で。空を飛べてしまうジェットパックなんて作って、本当に飛び出していったりするんです」

 

 ちらと士郎が見れば、正座している沙耶の手が、膝に乗っかりながら震えている。まるで、爪を立てているのではないかと思うくらいに強ばんでいる。

 

「落ちたらどうするんですか。怪我どころじゃ済まないじゃないですか。でも、束はただ大丈夫だって言って、それ以上注意すると怒って勝手に飛んで行くんです。危ないときは、とお二人とも仰りましたが、あの子のやることはいつも危ないことなんです」

「…………」

「この前だって喧嘩でもしたのか、怪我して帰ってきて。どこで何をやっていたか聞いても何も答えずに、夫が怒鳴ったら、うるさいこんなの一日で治る、と言ったっきり例のボロ屋に引きこもって、朝になっても出てこなくて……本当に治ったみたいで、学校には通ったのですけど……」

 

 それが、怖いと沙耶は漏らした。

 母として、娘が自分の知らない間に傷ついていることが、どうしようもなく怖く恐ろしくて。

 だから、小言を言ってしまう。危ないことはやめてと、いつも。でもそうすると、束はますます反発してしまって。

 

「……私は、間違っているのでしょうか」

 

 そう締めくくった沙耶に、士郎は暫く、語る言葉を持てなかった。

 前に相談に乗ったときは、こう言われた記憶がある。

 

「情けないことですが、私たちはあの子が怖いんです。一歳でまともに会話できるようになった時は、まだ私たち似の賢い子だなと喜べました。でも二歳で漢字の読み書きや計算が出来て、三歳で学術書を読み始めたり機械をなんでもバラバラにしたり……私たちは、あの子の親ですけど……あの子はきっと、私たちを親として見ていない。見るにはあまりにも成長しすぎていて……」

 

 多分、この問題の根底に流れているのは、それと同じ理屈なのだ。

 篠ノ之夫妻と、篠ノ之束はずれている。それは能力だけの話だが、しかし致命的なまでに。人格や性格、関係性に影響するくらいに、ずれているのだ。

 そういう問題点は分かっている、のだが。

 だからといって、これ以上何を何を言い返せるだろうか。

 そう考えれば、士郎は術なく口ごもってしまうのだが。

 

「……沙耶さん、いいですか?」

 

 代わりに桃子が、沙耶の瞳を真っ直ぐ見つめて応じてくれた。

 やはりこういう論戦では、父親より母親の方が力を持っているらしい。

 

「なんでしょう?」

「沙耶さんの思いは、親としては正しいものです。常識的にも、そこまで間違ってはいないでしょう。でも……束ちゃんにとってはきっと、ずれた、間違った優しさになっています」

「間違った……!?」

 

 沙耶にとっては大分衝撃的な発言だったらしく、彼女にしては珍しく少し荒れた語気で否定する。

 

「親が子供を心配することは、そんなに悪いことですか?」

「ですから、悪いことじゃないんですよ。でも、束ちゃんはきっと……厳しい言い方になるんですが、もう親に優しさっていうものを期待していないんじゃないですか? だから、間違っている、ずれている。必要ないと思うようになっていく」

「な……そんな……」

「きっと、他の子よりもずっと自立心が強いんですよ。もう甘える時期はとっくに過ぎた。妹も生まれて、ならば両親はそっちだけを育てればいい。自分はもう一人でやっていく。そう決めているんじゃないでしょうか」

「そんな……! 箒だけを育てるなんて、私はそんな、束を蔑ろにはしたくないです」

「あなたが思うことと、束ちゃんが思うこと、それは違うものでしょう?」

 

 桃子のある意味厳しすぎる言葉を、沙耶は愕然として、顔色すら若干白くしてしまうくらいに崩れながら受け止めている。

 

「でも……でも、私はまだ、あの子に何も出来てないんです……怖がってしまって、遠ざけてしまって。それが元に戻ったのだから、甘えさせてあげたい、支えてあげたいって思って」

「それは当然ですよ。でも、束さんがそれを必要としてないのだから、そこに干渉すると、ギスギスしちゃうのは当たり前です」

「優しさが、必要じゃない……? 束はまだ、9歳なんですよ!?」

 

 沙耶の悲痛な言葉はなんとも物悲しい。しかしそれと同時に、篠ノ之親子の間に未だ根深い「ずれ」があることを象徴しているのだと、士郎は思った。

 沙耶はその後、暫く沈黙していたが。やがて桃子の言葉を受け入れたようで、悲しみを湛えた顔のままに、

 

「……じゃあ、私は何ができるんですか。夫は何が出来るんですか」

 

 と、喉元から言葉を吐き出すように話した。

 

「何もしてあげられないなんて……それは嫌です。せっかく、親子になりかけているのに……もし、束がなのはちゃんと会わないで、私たちがお二人と知りあわなければ……」

 

 きっと、私達夫婦は長女のことを腫れ物扱いしたまま時を過ごしていただろう。

 きっと、その後生まれた箒のことだけを可愛がり、束には何も愛を注がないまま、勝手に育つに任せていただろう。

 そうしたら、きっと……

 今のエキセントリックで無茶苦茶な篠ノ之束より、もっと冷たく、残酷で。

 そんな束になっていた……かもしれない。

 

「そうなる前に、ようやく、少しだけ、私達はまともになれたんです。だから、このまま……まともに愛して、育ててあげる……そんなことは、私達には出来ないのでしょうか」

 

 それが、沙耶の本音であった。

 士郎は妻とともに、それを厳粛に受け止める。

 しかし、だけどあえて、残酷な事実を言ってみせなければならないと思った。

 

「篠ノ之束は――まともじゃないですよ」

「……!!」

 

 そう、篠ノ之束はまともじゃない。

 三歳で学術書を読み始めたり、機械をなんでもバラバラにしたり。そんな子がまともであるはずがない。

 それは、束を肯定したり、否定したりすることより遥か前に存在する。

 受け止めなければならない、事実だ。

 

「お二人とも……!」

「ああいや、士郎さんの言っていることは、別に束ちゃんを悪いと思っている訳じゃないですよ。 ね?」

「ああ……沙耶さん。あの子はまともじゃない。まともじゃなくて……特別、なんですよ。すごく」

 

 だから――

 

「育て方だって、特別にしてもいいんじゃないですか?」

「な……」

「あの子のありのまま、受け止めてあげましょう。認めてあげましょうよ。普通じゃなくてもいいんです。それは何も悪いことじゃない」

 

 まともじゃない、というならば、高町家の親も子供も、大体そんな感じである。

 桃子はともかく、士郎・恭也・美由希は御神の技を今に引き継ぐ剣術家であるし――

 なのはもまともな子ではあるが、最近は、夜中に外出したり学校帰りが遅くなったりと、何か、はずれているような行動をしている。

 でもそれは、悪くはないことなのだ。

 そして、親は子供のそういう所を、出来る限り尊重するのも、仕事のうちだと、士郎は思う。きっと桃子も、同じ気持ちであるだろう。

 

「で、でもそれで、失敗したら! 何かとてつもないことが起きたら! 情けないことですが……私じゃ……私と、柳韻さんだけじゃ……とても……庇い切れなくて……親としての、責任を……」

「ねえ、沙耶さん。そういう時は」

 

 だから、桃子の台詞を引き継ぐ形で、士郎は暖かく宣言した。

 

「私達にも、手伝わせてください」

「え……」

「まあ、私達もまだ三人……恭也はもう大学生だから、二人ですか。面倒見なきゃならない子達がいますけど」

「でも、困っていたら力になります。肩を貸します。ね、あなた?」

「ああ! ……と意気込んでも、大した助けにはなれないかもしれませんが、ね」

 

 桃子は笑い、士郎も微笑む。

 沙耶はそれを見て、暫くの間ぽろぽろと落涙して。

 

「ありがとう、ございます……」

 

 と、呟き、しかし。

 

「でも……一つだけ、もう一つだけ、聞いていいですか?」

「はい、何でしょう」

「……私はそれでも、優しくしたい……あの子に何か。何でもいいから、手を差し伸べてあげたい。そういう時は、どうすればいいのでしょうか」

 

 涙を拭って、その中にある引き締まった瞳で二人を見据え、問いかけた。

 

「簡単なことですよ」

 

 士郎は桃子と目を合わせ、互いにこくり、と頷きながら。

 

「愛してる、って。言えばいいんです」

 

 ひたすらに真っ直ぐな方法を、伝授した。




次回は6/3の11:00投稿です。


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第八話-D:篠ノ之の娘と月村家

自動人形とか月村家に関する思いっきりな独自設定あります。
苦手な方はご遠慮ください。


 束にとって、午後の入浴は不本意ながら、いわゆる小手調べの域を出なかった。

 なのはの裸体が目の前にあるのは至福なんてレベルでない幸せなのだが、お昼が終わって浴場が賑わっている今では余計なもの(邪魔者)が多すぎる。特にアリサ・バニングスなど、大げさなくらいになのはに付き添ってガードをしていた。

 その気になれば軽くひねったり投げ飛ばしたりで排除できるけれど、流石にこんな場所で、全裸の女性に力を振るえばどう加減しても怪我をさせてしまう。束的には何ら問題ないが、なのはが悲しむならそれは出来ない。

 という訳で、肌色の女神を目の前に悶々としながら機械的に入浴を済ませるしか無かった束は、少しだけだがやっぱり苛立っていて。

 だから、風呂から真っ先に上がれば浴衣をちゃちゃっと着付けて、月村家の部屋へと突っ走っていった。

 そう、自分たち篠ノ之家の部屋でも、なのはがいる高町家の部屋でもない。

 何故ならば。

 

「うふふふふふ、久しぶりだなぁ……これをバラすのも」

 

 そこには、月村家メイドのノエル・K・エーアリヒカイトと。同じくメイドで、すずかの専属であるファリン・K・エーアリヒカイトがいるからで。

 今や彼女たちは、二人揃って篠ノ之束の手にかかり、身体のあちこちをバラバラに『分解』されていた。

 篠ノ之束が分解できるのは、機械のような無機物だけではない。適切に『解析』できれば有機物も、そして人体もまた分解できる。

 しかし、二人が『分解』された部屋の中には血の匂いは無い。グロテスクな臓器や肉片など一つもない。あったらとっくに通報されて、スプラッタ・ホラーの元凶として大騒ぎを巻き起こしているはずだ。

 代わりに散乱しているのは、機械の部品。一見バラバラに無造作で、しかし束の目からしてみれば規則正しく置かれているそれらが、ノエルとファリンを構成するものだ。

 

 つまり、二人は機械なのだ。

 『自動人形』という、持ち主のもとで働き、自分で考え的確に命令を実行する、人間の忠実なしもべ。

 そんな、アンドロイドの一形態。しかも、現代の科学ではとても実現できないほどに人間そっくりな『エーディリヒ』式の人形である。

 

「ただいまー……って、束ちゃん!?」

 

 少し緩めの浴衣を着て、意気揚々と部屋の扉を開けた瞬間驚愕したのは、月村忍だ。

 その後ろに、もう少し落ち着いて、それでも目を見張っている黒髪の青年もいる。

 

「おお……これはまた、すごいな」

 

 高町家の長男、高町恭也であった。

 

「んん? あぁ、なんだアンタたちか」

「アンタたちか、って……これ、どうしたのよ」

「どうしたも何も、見てわからない? この二体、バラしてついでにメンテしてるの。三ヶ月前に一度やったきりでしょ? 君の手で完璧にされてる姉はともかく、妹はまだまだ調整が必要だから」

 

 気持ちよく機械を分解整備している所に不純物(おじゃまむし)が入り込んだからか、束は少し怒りを見せて話す。

 しかし忍も、それから恭也もそれには慣れっこであった。

 

「ねえ……それはわかったけど、何もこんな日に、こんな所ですることはないんじゃない?」

「束さんがやりたくなったからやってんの。文句ある?」

「あのな……」

 

 恭也の呟きを聞くやいなや、束は顔を二人に向けず、右腕だけを動かして部屋の奥を指出さす。分解された部品は部屋の畳を埋め尽くすくらいバラバラに転がっていたが、窓際にあるテーブルと椅子2つの周りだけは例外であり。

 つまるところ、二人はそこでじっとしていろ、ということであった。

 

「どうする、忍?」

「……こうなった以上しょうがないわよ。無理に止めてって言ったら、私じゃすぐには直せないくらいに分解しちゃうだろうし」

「そうか、まぁ、そういうことなら」

 

 恭也と忍はそれに応じて、部屋の端っこを歩いて奥までたどり着き、椅子に腰掛けた。テーブルには、風呂帰りに自販機で買ったのだろう、ソフトドリンクの缶が置かれる。

 

「……凄いわねえ、何も機材ないのに、ノエルたちを整備できちゃうなんて」

「当然だよ。束さんは常在戦場、ならぬ常在研究室なんだからね」

「おー、すごいすごい」

 

 忍のにこやかな褒め言葉を、束は無言で黙殺した。

 

「……むぅ」

「忍、どうした」

「ちょっとは反応してくれてもいいのに」

「……あの状態の束ちゃんに、それは難しいんじゃないのか」

「そっか」

 

 外野が好き好きに囃し立てるが、束は全く反応しない。目の前の二体の自動人形に向かい、完全に集中しているのだ。

 かちゃかちゃかちゃ、かちゃり。

 機械に機械がはめ込まれる音。細かい部品が地面に落ちる音。摩耗した部品が新しい部品に組み代わるか、整備されて再び取り付けられる音。

 そんな、旅館の一室に似合わぬBGMの中、恭也と忍はじっと見つめながら、時折ソフトドリンクに口をつけたりしていて。

 

 それから約10分後。

 

「よーーーーし、終わりぃ」

 

 長丁場ではないにしろ、集中力をみっちり使って流石に疲れたのか、額の汗を拭った束が、おもむろに手元のスイッチを押せば。

 そこから、起動用の信号が二機の人工知能に走り。

 

「……ノエル・綺堂・エーアリヒカイト、起動完了しました」

「ファリン・綺堂・エーアリヒカイト、起動完了ですっ!」

 

 瞳に光を宿した自動人形が二機、すっくと立ち上がり、束とそれから二人の主に向かい一礼した。

 

「セルフチェック終了。全システム異常なし」

「こちらも異常なしです、ありがとうございました、マイスター!」

「ふ……ここまで12分42秒89……分解、定期メンテ、組み立ての最短記録更新っ……!」

「おー、ぱちぱち」

「……」

 

 メンテナンス成功を確認してぐっ、ガッツポーズをする束に忍は拍手し、恭也も無言で二三回手を叩いた。

 

「んじゃ、早速だけどノエル。おやつ食べたいから何か買ってきて?」

「ファリンは飲み物を頼む」

「かしこまりました」

「早速行ってきます!」

 

 再起動直後の命令に息巻くファリンと、あくまで平常心のノエルが部屋を出た後。

 忍と恭也は後ろの椅子から移動し、一仕事終えたという風にくつろぐ束と同じテーブルにつき、話しかけた。

 

「……本当、凄いよね、束ちゃんって」

「何が? 私が凄いだなんて、当たり前のことを今更言ってどうするんだよ」

 

 二の句を継ぐのが躊躇われるくらいに酷い返答であるあった。がしかし、忍にとってはこれくらい織り込み済みである。

 

「うん、当然だよね。君は凄い」

「……」

「だって……自動人形のこと……『全部』分かっちゃってるんだもんね」

 

 全部。そう語る忍の言葉には、素直な賞賛に混じって、少しだけ湿り気のある感情がにじみ出ていた。

 ノエルという『自動人形』は、元々月村家を含む『夜の一族』に伝わるロストテクノロジーであった。

 現代の科学ではとても解析できなかったそれは、長い間放置されていて。

 それを忍が発見し、二年ほどかけてサルベージしたのであるが。それでもやはり、未解明のブラックボックスというべき部分が存在していて。

 だがそこに、篠ノ之束が現れたのだ。

 

 

「束ちゃんが始めてうちに来た時はびっくりしたなー。ノエルを見た瞬間、自動人形だと分かって。しかも私の『正体』までなんのヒントもなしに察して、迫っていったのはあなただけよ」

「まぁそうだね、束さんって天才だから! いくら人間に近くっても、駆動音も極限まで細かくたって、束さんの瞳にゃまるっとお見通し」

「……で、なんだかキラキラした目で忍のことを見つめて……『師匠』と呼んでいたよな」

「っ!?」

 

 横から挟まれた恭也の一言に、束は苦々しい表情で、

 

「……昔の話だ。忘れろよ。忘れなかったら殺すから」

 

 と、恭也をぎりっと睨んで呟いた。

 

「はは、悪い悪い、勘違いだったんだよな、確か」

「てっきり、私がノエルを一から作ったものだと思ってたのよね。数分で誤解が晴れて、そしたら今みたいに、お前とか君とかで呼ばれるようになっちゃった」

「……今は違うから。お前らなんて凡人だから」

「はいはい」

 

 束の殺気立った忠告は、しかし二人にはあっさりかわされて笑い話の種になってしまう。

 この二人との応答を、束はどうにも苦手にしているようだった。嫌いではなく、苦手である。

 束が掛け値なしの天才だということは、ふたりともきちんと認識してちゃんと認めている。しかし、だからといって怖気づくでも、過度に褒めるでもなんでもなく、自然体の平常さで受け答えるのだ。

 この対応はなのはのそれに近い、と言えば近いのだが。なのはが束にとっての未知の塊であるのとは違い、高町恭也も月村忍も彼女にとっては――それぞれ常人よりは数段、というより数十段上の存在ではあるが――それでも予想をはみ出さない。次にどう動くか、何を語るかを『予測』できて、だからどうにでもなる相手であるはずなのだ。

 しかし恭也も忍も、束に対して何か余裕ある、そういうのは慣れていますよ、という態度を取る。束がどれだけ飛び抜けた行動をとっても、そういうものだからと受け入れる。

 それが束には、我慢できないほどではないにしろ、不愉快なのであるだろう。

 

「……ま、こいつを作った夜の一族には、ほんっっの少し、褒めてやってもいいかなーとは思う」

「何百年前のロストテクノロジーだからね……」

「でも、この束さんの手にかかったのが運の尽きだねえ」

「束ちゃん、不眠不休の三ヶ月で、全部解き明かしてみせたんだからな」

 

 恭也が言うように、束は自動人形に出会ってから、その全構造と全機構、忍では解析しきれなかったものを含めて、三ヶ月で全てを『解析』し終わった。

 それが、ちょうど一年前。

 

「でも、お前は信じてくれなかったよね?」

「あ、はは、まぁね……私が何年も、その時だって解析し続けてたのを、たったの三ヶ月で全部わかったぞって言われたら、流石にすんなり、首を縦には振りたくなかったの」

「はん、そういうつまらんプライドが凡人なのさ。真実というものは常に残酷だけど、全部受け止めなきゃ始まらないだろ」

「て、手厳しいお言葉……」

「……そうか。立派なんだな、束は」

 

 恭也の褒め言葉に、束はいちいち混ぜっ返すなと怒鳴る。

 

「はは、悪かったな」

「む……まあいいさ。という訳で、そんな愚かしいお前たちのために、束さんが何をしたか! 忘れてないよね?」

「それはもう……ノエルの妹として、ファリンを作ってくれたのよね」

「そのとーりっ!」

 

 束は勢い良く座布団から立ち上がると、胸を張って笑みを浮かべ、自慢げな顔をした。二人は小さく、ぱちぱちと拍手する。

 

「ノエルも喜んでいたわよね。まさか自分に妹が出来るなんて思わなかった、って驚いてもいたし」

「ああ。ちょうどすずかちゃんの専属メイドを探してた時期だから、渡りに船でもあった。そこら辺も考えてくれたのかい?」

「うむ、勿論! 束さんのやることなすことには何事も意味があるのだ、褒め称えるがいい!」

「はいはい」

「すごいすごい」

 

 続けて拍手する二人の前で、束はとことん鼻高々ではあるけど。なんだか手の上で踊らされている気もして、五秒もしたら気持ちが萎み、また座布団に座ってお茶に口をつけた。

 それから、温泉銘菓のまんじゅうを買ってきたノエルと、忍好みのアセロラジュースを買ってきたファリンが戻って。

 三人と二体――いや、五人は暫く、部屋で饅頭の味を楽しみながらのんびりタイムと相成った。

 

「束ちゃんは、なのはのところに行かなくてもいいのかい?」

「んー。今はいいかな。人形弄れて一満足だし」

 

 恭也の語りかけに応じて、両手をワキワキと動かしながらご満悦な表情の束。そこに、忍が質問する。

 

「ねえ、どうしてこんな時に、二人を整備してくれたの?」

「あ、それ私も気になります! マイスター、どうなんですか?」

「え? 聞きたい? なんとなくとは言ったけど、まぁ束さんは天才だもん、ちゃんとした理由と目的があったりするのさ」

 

 ファリンもそれに追従すると、束は満更でもない、という表情であった。

 どうもこの天才、自分の制作物には態度が甘くなるらしい。製作者である束をマイスターと呼んで慕う、ファリンの純真な性格もそれを助長しているようだ。

 

「それはなんですか、マイスター?」

「そ、れ、は……この束さんの完全新作、超絶弩級な新発明品のためなのだ!」

「おおっ!」

「自動人形の機能というか、仕組みが参考になると考えてね。おさらいがてら分解メンテしたのだよ!」

 

 びしぃ、と斜め50度を指差す束。ファリンは目を輝かせながらそれを見つめている。恭也とノエルは暖かく見守り、忍は茶々を入れてきた。

 

「ほほう、でその超弩級とはどんなものですかな、束博士」

「それは秘密だね。大体、まだ一週間前から作り始めたばかりなんだ。まだ完成率は15パーにも至ってない」

「ず、随分時間がかかりそうですね……マイスターにしては、意外です」

 

 ファリンの言うように、束の作る「発明品」は、作り始めを宣言してから総じて二日~四日ほどで出来上がるのが相場であった。

 しかし今回は、一週間で15%と自己申告している。

 聞いている誰もが、今回はいつもの道楽とは違うようだぞと理解した。

 

「ふふふ。今回のは束さんの数ある発明品の中でも、最高傑作(かっこ)予定(かっことじ)にして規格外だからね。暫くはこれだけに没頭することになりそうかな」

「そうか……まあ、頑張って」

「頑張ってください、束様」

「ふん、言われずとも。時間的な余裕もそんなにないし……」

 

 と、ここで忍が、何気なくぼそっとつぶやいた。

 

「ねえ、その発明品……そんなに凄いものだったらさ。完成したら、お父さんとか、お母さんにも見せようよ」

 

 束のうさみみが、ひょこっ、と動く。

 その瞬間、部屋の温度は穏やかな春の陽気から極寒の冷凍庫まで一気に冷え込んだ。

 束が忍へ、殺気めいた目線を送ったのである。

 

「……なんで見せる必要があるんだ」

 

 そうなると当然、忍のパートナーである恭也と従者であるノエルとしては、どうしても束を警戒しなければならない。この殺気を冗談だと切り捨てられるほど篠ノ之束は甘くないし、二人にはとある事情もあって、忍に殺気や害意が向けられることには敏感にならざるを得ないのだ。

 一方忍は、束がそうすると分かっていたようで平然とした様子。唯一ファリンだけが、忍につくべきか製作者の束につくべきかで迷い、オロオロと両者を見守っている。

 

「いや、だってそんなに自信があるんでしょ? だったら自慢しちゃえばいいのにって」

「その必要はないな。あんなの……」

「きっと、褒めてくれるわよ」

「違う! 束さんはな、あんなクソ親父とか、バカな母親からの賞賛なんか必要ないんだ!」

 

 束は叫ぶ。忍を睨む瞳はますます鋭くなって、気の弱い人間、例えばすずか辺りならそれだけでくらりと倒れてしまいそうなほどだ。

 しかし、忍は動じない。この程度の敵意など、慣れっこであるから。

 

「本当に、そう? 褒めてくれる人が、なのはちゃんとか、私達、それ以外にもう二人も増えるんだよ? 楽しいことじゃないかな?」

「違うね! あんな愚鈍な二人に、束さんの何が分かるっていうんだ! 何も分かるはずない! 束さんは、天才なんだから!」

「天才なんだったら、親御さんくらいには理解されないといけないんじゃないかしら」

「忍……?」

 

 売り言葉に買い言葉でますます束を煽る忍。更にクールダウンする空気の中、流石に恭也がフォローを入れたが。

 

(黙ってて。ちょっとこの子に、伝えたいことがあるの)

 

 と呟かれれば、退くしかないのだった。

 

「……お前に何が分かるんだよ!」

「分かるわよ」

「はぁっ!?」

「私もちょっとだけ、あなたに似てるから」

 

 そう言ってから忍が語りだしたのは、月村忍という人間の半生――そして、両親との関係であった。

 

「私は小さいころから機械が好きで、本が好きで、ゲームとかも大好きで。でも、お父さんもお母さんも、そういうの理解してくれなくてさ。もっとお嬢様らしくしなさいってうるさかったの」

「ふん、よくある親子関係のこじれだね。そんな常人めいた体験が、束さんにとって教訓になると思ったら大間違いだよ」

「分かってる。だから、もうちょっと聞いててね」

 

 憎まれ口を叩く束に対して、忍はあくまで穏やかで。まるで娘に対して語りかけるような口ぶりだった。

 

「そんな時、ある叔母さんから、ノエルをプレゼントされたの。その時はノエルって名前もなくて、単に『エーディリヒ』式って呼ばれてたっけ。錆だらけで、ボロボロの自動人形よ。当然、私は夢中になって直そうとした。その頃は一日一日がすごく楽しかったわ」

「ふん……」

「親に何を言われようが気にならなくなったわ。自分にはノエルがいる。ノエルを直して、いっぱいお話相手になってもらうんだーって。そしたらもう両親なんかいらない。ノエルと、ノエルをくれた優しい叔母さんだけが家族でいい。なんて考えちゃってたの」

 

 でもね。

 忍はちらと、ファリンを見やって。

 

「妹が出来たの。すずかっていう子。私たちは……どっちかというと妊娠しにくい性質で、お母さんもそうだったんだから、二人目が出来るっていうのは凄いことだった」

「…………」

「ここの大学病院の産婦人科だっけ。一人でノエルを直してたら、叔母さんに首根っこ引っ掴まれて連れてかれたの。そしたら、どうもかなりの難産だったみたいで、お母さん、ものすごく弱ってた」

 

 忍の脳裏に、その日の光景がはっきりと浮かび上がる。

 自分と同じで怪我をしてもすぐ治るし、どんなに仕事をしても疲れ一つ見せなかった忍の母親、月村飛鳥。

 それが、ベッドの上で力なく横たわっている。若々しいままであるはずの顔には、幾つもの皺。年をとっても外見が変わらないはずなのに、一気に20歳くらい老け込んでいるように見えた。

 父――月村征二は、そんな飛鳥の手を握っていた。無言のまま、ただギュッと握っていた。そしてその顔色は、白色を通り越した土気色であった。

 敏い忍は、父が母に何を捧げたのかはっきりと理解した。 

 そして問う。どうしてそんなにしてまで、と。

 征二は一言だけ、しかしはっきりと言って返した。

 

――忍。お前、言っていただろう。妹が欲しいって。

 

 それは、ノエルを手に入れる前の忍が、妹がいれば親以外の話し相手ができるのでは、と無邪気に考え、戯れにただ一度語っただけのことだった。

 

「その時、私思ったのよ。お父さんとお母さんが、どれだけ私を大切に思っていてくれたか。私を愛してくれていたか……」

 

 束は答えない。ただ、組んだ両手をじっと見つめて、何かを考えているようだった。

 

「それにね、これからは一人じゃないんだなって思った。妹がいるのよ。妹相手に、一人部屋に引きこもっているところばかりは見せられない、ってね。まあ、それでもやっぱり機械は好きで、ノエルの修復も諦めなかったけど……そのままでいるよりも、ちょっとはお嬢様っぽくなれたんじゃないか、って思う」

 

「……ふん」

 

 忍の語りを全て聞いても、束はなお、強情な顔でそっぽを向いていた。

 

「だからなんだよ。私に『改心しましたこれからお父さんお母さんの言うとおりクソ真面目につまらなく生きていきます』とでも言ってほしいのかな?」

「違うわよ。私が言いたいのは、ただ……子供を愛さない親なんていない、ってこと」

 

 ぴょこ、とまたうさみみが動く。今度はそれと同時に、束の頭部そのものも少し俯いていくようだった。

 

「何がわかるというんだ、っていうのは、分かるはずがないという決めつけ。言い換えると、分かってくれないっていう思い込み」

「っ……」

「もう少し言い換えると……分かってくれるって、信じていないの。ねえ、束ちゃんはなんでも分かるんでしょ? どんな言葉も予測出来るんでしょう? だから考えてみなさい。『私、凄いものを発明するんだよ! 応援して!』って言った時、二人がどう返すか」

「そんなの、何度やったって結果は同じだ! 理解してくれるはずがない!」

 

 束の言い方は、まるで忍の口調に引きずられるかのように、『理解できるはずがない』から『理解してくれるはずがない』に変わっている。

 まるで、ささくれ立った外郭が剥ぎ取られ、本心が暴かれていくように。

 

「あれー? それはおかしいわね? ひょっとして、何か数式を取り落としていないかしら?」

「そんな……!」

 

 ことはない、とは言えないようだった。

 恐らくそれは、自分を天才と自負するプライドによるものだろう。間違った事実を口にすることは、何よりも恥辱であるようだ。

 

「ねえ、どうしてそんな、素直になれないの? なのはちゃんと知り合った時は、自分から一歩、歩み出たって聞いたわよ?」

「……いいんだよ」

 

 何重にも重ねられた忍の問。その答えとして束が導き出したのは、その一言に続く、束なりの家族観であった。

 

「お前と同じで、私にも妹がいる。箒ちゃんだ。泣くのが見たくなくて、怒るの止めにする程度には可愛く思うよ」

「うん」

「でもね。箒ちゃんがいる。だからいいんだと私は思う。あいつらは箒ちゃんだけ愛せばいい。箒ちゃんはまともに育てればいい。予測出来るよ、きっとまともに、清廉潔白で純真で品行方正な大和撫子に育つところがね。篠ノ之流も学んじゃってさ。それでいいんだよ」

 

 だから、私はいい。愛されなくても、心配されなくても全然構わない。

 

「私に構う暇があったら、箒ちゃんに構うべきなんだよ。私は天才だから、もう親なんていらないんだ。なのにあいつら、私まで構おうとするから救えない。私はあいつらの望むようにはならない……なりたくない! なれないんだよ!」

 

「それで、いいんじゃないか?」

 

 束の、恐らくは本心に限りなく近い独白。そこに答えを返したは、忍でなく、恭也であった。 

 

「俺、実は一年、高校を留年してるんだ。修行のやりすぎで。両親にはこっぴどく叱られた。でも、まあこうして、大学にまで通わせてもらっている」

「……?」

「要するにだな。多少思い通りにならなくても、親にとってはそれで当たり前……というわけではないだろうが、見捨てずに育ててくれるもんだ」

「な……でも私は」

「天才、なんだろ? それでもだよ」

 

 束の反論を封じるように、恭也はわずかに表情を和らげ、言い聞かせる。まるで、なのはと話している時のように。

 

「そんなに信じられないなら、一度聞いてみるといい。きっと、答えは決まっているはずだから」

「あのお二人だもんね。きっと……」

「っ!!」

 

 しかし、束はそんな空気に、論調に耐えきれなかったようで。唐突に立ち上がり、ずかずかと大股歩きで、部屋から立ち去った。

 ぴしゃり、と大きい音を立ててドアが閉まる。見つめるファリンは心配そうだ。

 

「マイスター……大丈夫でしょうか、私、不安です」

「大丈夫ですよ、ファリン。束様は、忍様のご友人ですから」

「まぁ、友達と思ってるのは私の方だけかもしれないけど」

 

 ふぅ、とため息をつく忍は、柄にもなく長い説教をしちゃったな、と心のなかで思いながらも。

 

「ノエルの全部を明かしてくれて、おまけに妹まで作ってくれた。そんな子が悩んでいるなら、力になってあげるべきじゃない?」

「ああ、そうだな」

 

 こういうのもたまには悪くない、と恭也共々思うのだった。

 

「それに、もし私達が結婚して子供が出来たりしたら、こういうお説教だって、絶対にやることになるんだし」

「……うーん……いつかは、そうなるんだろうけど」

「何人作る? 私は三人くらい欲しいな」

「おいおい……さっきの話で、できにくいって言ってただろ?」

「私と恭也とは、きっと別だよ♪」

「……忍、お前『あれ』はまだ先……だったような」

「そうだよ。でも、ひとりでするのは禁止なんだからね」

「……努力する……」

 

 穏やかに笑うノエルがお茶を淹れながら見守る中、仲良く饅頭を食べながら、未来に思いを馳せる二人であった。

 




次回は6/4の11:00投稿です。


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第八話-E:篠ノ之一家

「楽しかったね、束ちゃん」

「うん、そこそこねー……」

 

 月村家の部屋から息せき切って出てきた束は、その時ちょうどアリサやすずかと一緒に旅館内を探検していたなのはと出会っていた。

 それまでのやりとりなど露知らず、無邪気に遊ぼうと誘うなのはの手を取って、束も温泉旅館内をそれなりに楽しみつつ、なのはの一挙一動足に萌えていたのだが。

 

「それにしても、まさかあの犬の使い魔さん……」

『狼だよ、なのは』

「あ、そうだった。狼のアルフさんがこの旅館に居るなんて」

 

 魔法の関係者であるアルフがそこに割り込み、なのはへある種の挑発を行ってきたのだ。

 念話により、なのはにだけ伝えられたその内容は掻い摘むと、自分たちのジュエルシード集めに手出しをしたら容赦はしない、というものだった。

 彼女――変身した人間体は、グラマーな女性であった――のはどうも攻撃的な性格らしく、挨拶と称して脅しをかけたのだ。

 数秒間の念話の後、もうひとっ風呂浴びるかと去っていった女性に、連れのアリサはマナーが悪いと憤慨していたが。

 束はそれ以上に激怒していた。

 

「ふん! あの狼め、今度会ったらぎったんぎったんのめっためたーのぼっこぼこーにしてやる!」

「にゃはは、束ちゃん、そんなに大声出しちゃご迷惑だよ?」

 

 現に今も、なのはが止めさえしなければ、狼の居場所を突き止めて奇襲してやろうと目論んでいる。

 なのはが何の理由もなしに脅されたことだけでもそれに値することではあるが、束にとっての更なる問題点は、今の束にはどう頑張っても聴けない『念話』という通信手段を使われたことであった。なんだか見返されたようでとても悔しいのだ。

 しかも、悔しさ全開な束を煽るかのようなニヤつき顔でじっと見つめられもしたのだがら、これはもう確信犯と言ってもよく。

 

「この束さんを蚊帳の外にするとかマジあり得ないよね!」

「あははは……」

 

 と、怒気を露わにしながらなのはへ愚痴をぶつけるのであった。

 

「なのはー!」

 

 そんな二人に呼びかけたのは、高町桃子である。

 

「そろそろ晩御飯だから、お部屋にお料理来るわよ?」

「はーい! それじゃ、束ちゃんさよなら!」

 

 どうやら歩き回っていた間に相当の時間が過ぎたらしく、窓を見ればいつの間にか日は沈み、すっかり夕餉時である。

 なのはに手を振りながら見送ると、束も束で、自分の夕食がある場所――すなわち、篠ノ之家の部屋――に入らねばならない。

 入口の手前で、束は一瞬迷って立ち止まった。あの両親と夕食を取るべきか、取らないべきか。

 懐石料理なんて好きでも嫌いでもないし、シカトして外で何か軽食でも摘むという選択肢も、あるにはあった。とはいえあんな話をされた手前、黙って逃げることはそれこそ何かに負けるような気がして、束は襖を開き、部屋に押し入った。

 結果として束は、何か言われることも怒られることも無かった。柳韻もそれから沙耶も、食事中はずっと、黙して無言であったのだ。その空気の重さたるや、尋常なものではない。当然箒がぐずりだし、沙耶はそれを宥めるのに必死になって。その両脇で向かい合う柳韻と束が、互いに目線すら合わせずひたすら御膳を平らげていた。

 そんな、どうにも奇妙な晩餐も終わり、そろそろ子供は寝る時間と相成った。

 どうやら、束以外の三人の子供は月村家の部屋へ移り、仲良く川の字で寝るようだ。

 だが、しかし。

 

「……束」

「なんだよ」

 

 束は何故か、そこに混じろうとしなかった。

 

「友達の所に行かないの?」

「そういう気分じゃないんだよ」

 

 沙耶が恐る恐る聞くと束は、不機嫌だし触るな、という攻撃的な表情を浮かべながら、自分ひとりで布団を取り出し、部屋の隅の隅にさっさと敷いてしまった。

 柳韻と沙耶は二人、途方に暮れたような表情で顔を見合わせるも。束の秘めた意図など分かるはずがないようで、納得行かぬ雰囲気のまま、自分たちも布団を敷く。

 争いは無いが、ひたすらに無言。互いに語る言葉を持たない。

 今年に入ってから喧嘩ばかりをしていた親子の間にとっては一応の小康と表現すべきであるかもしれないが。そんなことは長くは続かないと、誰にだって分かるほど不穏な沈黙でもあった。

 そして、数時間後。

 一つ隣の部屋から、ぐっすり熟睡しているはずの高町なのはが唐突に、かつこっそりと部屋から出ていったのに合わせて。束がむくりと布団を跳ね除け、部屋から出ようとすると――その眼前に、柳韻が立ちはだかっていたのだった。

 

「束」

 

 柳韻が束を見る。その目はいつもの無理解な親よりも、恭也と忍のそれに近いように見えて、だから尚更、束は苛立ちを覚える。

 

「なんだよ。何時もながら邪魔なんだよハゲ頭。退きなよ」

「その前にだ、聞かせてくれ」

「そうよ、束」

 

 後ろからの声に振り向くと、箒と一緒に寝ていたはずの沙耶まで起きていた。窓際に立ちはだかって、そこからの逃走を防いでいるようだ。

 

「は、なんだよなんだよ、二人揃って狸寝入りとは流石の束さんもちょっと意外に思ったよ。可能性の一つとして考えてはいたけど、余りにも馬鹿馬鹿しすぎて。まぁでも、そうまでして束さんのことを止めたいんなら、こっちだって」

 

 束は両腕を握りしめて、構えた。目線と表情の険しさは、たとえ生みの親が相手だとしても全く陰りや躊躇いを映さない。

 

「実力行使で望んでやろうじゃないか。ええ? 体罰? 上等だよ、私は絶対に負けないから」

「……」

「篠ノ之流剣術師範? そんなちゃちぃ武術で束さんを止められるものか。いや、ひ弱な女が男に勝つための武技なら、あぁそりゃお前にとって束さんは相対的に強者だから、確かに有効かもしれないね。でも、お前と束さんには武術の一つや二つなんかじゃ埋められない、絶対的な格差がある」

 

 それが天才という存在なのだ。と束は嘯いた。凡人の小手先の技術などでは絶対に、そう、絶対に追いつけないし超えられない。唯一無二にして完全無欠。篠ノ之束とはそういうものなのだ、と束自身が固く信じていた。

 柳韻はそんな束を見て、僅かに苦笑した後――半歩踏み出す。右腕を前に、左腕を後ろに構える。

 

「くは――束さんの言葉が聞けなかったのかな? 耳なし芳一になっちゃってるのかな?」

 

 束の顔面は狂奔の笑みに歪み、声は夜更けの静けさに甲高く鳴り響く。こんなに煩くしてたら、朝の車の時みたいに箒が起きてしまうかもしれないな、と考えもした束であるが。しかしなお、大声を出さなければならない理由があるのだった。

 

「君たちは一生かかっても束さんには勝てない。篠ノ之流剣術も古武術も、束さんはぜーんぶ知ってるんだよ? お望みとあらばこの場で実演……してもいいけど、使わない。天才に武術なんて必要ないんだからね」

 

 罵り、からかい、そして脅しながら。しかし束は踏み込まない。

 

「強情だなぁ、お前ら二人。私をそんなにまともにしたいか? 籠の中の鳥で居させたいか? 残念、もし私を捕らえたいのならば、暗黒物質で出来た檻でも持ってくるべきなんだよ。それ以外だとあっという間に解体できちゃうからね」

 

 一刻も早くこの部屋から出たい。なのちゃんが魔法を使い、ジュエルシードを集めるのを。金髪の魔導師の少女と戦い合うのをこの目で見て、魔導師同士の戦いがどういうものか焼き付けたい。そう、本当の本気で焦がれるように願っている。

 そして、束は両親など屁とも思わない。いつも彼らの意志や言葉など無視して、常に自分の道をひた走っていた。

 そのはずだ。

 そのはずなのに。

 しかし、束は踏み込めなかった。一歩踏み込んで、沙耶か柳韻をぶちのめせば済む話なのに、それをどうしてか、やらない。

 いや、出来ない。

 

 獰猛な笑みを浮かべつつも、束の内心はその事実に荒れ狂う。

 なんだ、どうしたというのだ、篠ノ之束よ。不世不出で掛け値なし、世界最高の天才少女が何を躊躇う? 何をから退く?

 この両親に情が湧いたとでも? 下らない。私の中でこの両親は、一向に塵以下の価値しか持たない。それは何も変わっていない。

 この旅行をぶち壊しにしたくないから? そんな下らぬ価値観や善悪に拘るのは天才のやり方ではない。もっと大きな、自分のエゴと果たすべき使命のために邁進するべきだと、それもはっきり分かっていて。

 ならばなぜ、戸惑う? 何を迷う? それを突き止めるためには、基本的数式から見直すしかない。

 篠ノ之束は両親のことをどう考えているのだ? どうしたくて、どうされたいのだ?

 

「……いや、大っ嫌いだ、大っ嫌いなんだよ」

 

 束は答えを弾き出した。

 

「私を止めようとする親なんて大嫌いだ。でも止めようとしなくたって大嫌いだ。だって私は私、篠ノ之束だ。天才なんだ。天才に親も姉妹も必要あるものか。そう、天才には、私には、なのちゃんがいればいい。天才の私に予想外を見せてくれる愛しい愛しいなのちゃんがただ一人いれば、それでこの世は面白い。他には何も要らなくて、だからお前ら要らないんだ。私の前から消えろよゴミクズが」

 

 その言葉はまるで、教会の神父が聖書を音読するかのようにとうとうと淀みなく流れて。しかし、その目線は父にも、母にも向いておらずに。本当なら覚えているべき内容を、机に置いた紙から読み取り告げているような、淡々としたものだった。

 そして、両親はそれに答えない。無言のまま、立ちはだかる。

 すると、束の口は段々と速く動き、言葉尻は強くなって、睨みつけるその目は赤く血走り。

 

「うっとおしいんだ纏わりつくな、私のやることに干渉するな。箒ちゃんがいるじゃんか。そいつだけ愛すりゃいい。もし二人分愛のストックがあって、一人だけだと余るなら、二人分箒ちゃんに注げばいい。きっといい子に育ってくれるよ。だったら私が何したっていいだろ。さあ、分かったら退けなよ。早く退けよ、退け、退けって、退けってば……!」

 

 最後を締めくくるのは、脅しではなく、懇願であった。

 どうか、傷つけさせないで欲しい。何も問わず、何も止めずに通してくれと。

 そういうお願いであり、そういう強請りであった。

 だが。

 

「来い」

 

 帰ってきたのはたったの一言。武道家の篠ノ之柳韻が、相まみえる相手に向かって語るような、無骨で、故に覆しようのない宣戦布告。

 ああ、どうして、どうしてこうも――お前たちは束さん(てんさい)を分かってくれないのか。

 

「…………ッ!!!!」

 

 束の思考は、そこでぷつんと切れた。

 余りにも大きな激情が彼女を包みこみ、畳を蹴ってしなやかに飛ぶ一匹の肉食兎へと変貌させた。

 柳韻の柳のように細い身体へ真っ直ぐ飛びかかる。その速度は正に瞬速無比。

 速度は火薬で飛ぶ銃弾の早さすら容易に超えて、目指すは相手の心の臓。

 振りかぶった平手を思い切りそこにぶち当てれば、肉体ごと胸元を刳り取ったり、貫けたりするだろうか。それが無理でも動きを止めることは出来るはずだ。

 後悔はない。私の譲歩を取り消したお前たちが悪いのだ。

 天才相手に立ちはだかって通せんぼなんて、一死どころか万死に値する真似をしやがったのだから。

 親殺し――ああ、それも天才としては、至極最もで、らしいお話だろう。

 だが、しかし。

 柳韻はそんな束の、一拍子前を動いていた。

 

 寸前、束の怜悧な頭脳が再起動を果たし、目の前の人間が何をしているのかを分析していく。

 それは、篠ノ之流古武術に伝わる奥義、しかも裏奥義の一種だ。

 相手が動き出す一拍子目。その更に前で動き出す。

 どんな相手だろうと状況だろうと、先の先を取って一撃で仕留めれば、即ち勝つという理論を具現化したもの。

 だが、それがどうした。

 柳韻の肉体、そして体勢を考えれば、そこからどんなに強い一撃がどんな急所に向かって叩きつけられたとしても。

 篠ノ之束は揺るがない。壊れない。乱れない。

 痛みなど無視し、負傷など無いように動きを変えず、父親の左胸をぶち抜ける。

 例え、どんな攻撃が来ようとも。

 

 では、攻撃以外の何かならば、どうなるか?

 

「…………なッ!?」

 

 束の腕から、力が抜ける。あっという間に抜けていく。

 それだけではない。何かに包まれて、それが理由で、全身が脱力していく。

 まるで、そこにあるべきだったのだと身体が理解しているように。

 同時に、戦意も何故だか萎えていく。何があっても進もうと脈打ち動いた肉体も、心も。今は只、これでいいのだと納得して、動けないほどに緩んでしまっていた。

 一体何が起きている? あの親父は何をした? まさか、私の知らない奥義や秘伝があったとでも言うのか?

 違う。そんなことはありえない。私は全て知っている。

 ならばどうして? こんな、一瞬で戦意も力も奪われてしまう無様を、篠ノ之束に強制させたのは、一体何だ?

 混乱を理性で無理やり押さえつければ、その答えはすぐに明らかとなった。

 

 抱きしめられていた。

 

 篠ノ之束は、父親に抱きしめられていた。力強く、ぎゅっと羽交い締めにされて、地面から足が浮いていた。

 後ろに居た母親も、駆け寄って、抱きついてくる。父親の体に腕を回しながら、体温を背中になすりつける。父母二人のサンドイッチ・ハグだ。

 

「え……」

 

 束には――分からなかった。

 どうしてこの程度のことで自分は脱力しているのか?

 どうして父母はこの選択を選んだのか?

 どうして――私など愛していないはずの両親が、私を抱きしめてくれたのか?

 

「愛しているよ、束」

「ええ、愛してるわ、束」

 

 その疑問のうち一つは、二人の言葉によりすぐに打ち砕けた。

 

「ずっとこうしてやりたかった」

「ずっとこうしてあげたかった」

「でも、最初は私たちがあなたを恐れていた。とても速く成長していくお前に、そうするだけの勇気がなかった。だが、それはもう終わっている」

「でもそうしたら、今度はあなたが私たちを信じずに、拒み続けた。自分はもう成長しているからと、それから離れ続けていた」

 

 柳韻と沙耶は語る。

 でも、そう、それでも。

 

「それでもこうしてやりたかった。だからお前がどこかへ行くのが怖かった」

「それでもこうしてあげたかった。だからあなたを止めようとした」

 

 それが、親の感情。

 

「束、お前は賢い子で、なんでも分かっていると言ったな」

「でも、私たちのこの気持ち……分かってた?」

「……」

 

 こうなった以上。もしくはこうやりこまれてしまった以上、束がその事実を知らずに動いていたことは確かだ。

 だがしかし、分からなかったわけではない。これはむしろ、常識で考えれば当たり前すぎる程に陳腐な展開だ。でも、束はそれを――

 

「忘れてた」

「……?」

「わ、す、れ、て、た。あぁ、そうだよ忘れてた。忘れてたんだ。別に、何も分からなかった訳じゃないんだ」

「そうなの?」

「当たり前じゃないか『お母さん』。親というのは須らく子を愛するものなんだって。そんな当たり前の事実、束さんが……分からないわけ、ないじゃん。なのちゃんのパパママだってそうなんだし。でも、忘れてた。それだけなんだよ」

 

 束の、恐らくは生まれて初めてであろう両親への気持ちの告白。

 それを聞いた二人は、小さい子どもの体躯をますますぎゅっと捕まえて。その体温を、束は不思議に、煩わしくも汚らわしくも思わない。

 むしろ、自分にこんな暖かさに包まれていい資格があるのか、とすら考えるくらい弱気になって。その弱気すら、包み込まれて。

 

「束」

「……『お父さん』」

「ハゲ親父でもいいんだぞ。実際禿げているからな」

「まあね。でも、今はストレートに言いたいんだ」

 

 二年前、自分から歩み寄った時。その時は、せいぜい赤の他人から同居人という距離に、近づいた程度だったのだろう。束はそれで十分、いや、それで限界だと思ってしまっていたのだけれど。

 もっと温かい距離があると、今気づいた。

 だからそのまま暫くは、抱きしめ続ける両親の間で、自分も父親の背に(かいな)を回してじっとしていたが。

 

「……あ」

 

 それではきっと間に合わない。むしろ、構えたまま止まっていた時間を含めたら、かなりの大遅刻であるかもしれない。もしかしたら戦闘は終わっていて、勝つか負けるかどちらでも、へとへとのなのはを迎えることになるかもしれない。

 だから、今からでも向かわなければ。

 

「下ろして。行かなきゃ」

 

 束がそう言うと、両親ともに腕を緩めて離れてくれた。どうやら、もうずっと離さず何処かに行かせない、というわけではないらしいが。

 口に出して、色々と聞いてくる。

 

「どこに行くんだ」

「ひみつ」

「何をしに行くの?」

「ひみつ」

「いつ頃帰ってくるかしら」

「……さぁ」

 

 それに束は答えられない。なのはの魔法に関することであり、彼女やユーノは魔法を秘密にしようとして行動しているのだから。

 だが、そうしていると……胸の奥が、僅かに揺れる。自分を見てくれる人に真実を言えないことへの、もどかしさ故か。

 

「……そうか」

 

 それでも。

 

「なら、一つだけ約束してくれ」

「んー?」

「どこに行っても、何をしても、何時でもいい。出かけたら、帰ってこい。私たちの居る場所に」

 

 父は娘を送り出す。

 信じてくださいと言われて、そして自分が束を愛しているのだと、改めて気づけたから。

 

「私からも。危ないことは控えめに。でも、もし怪我したら言いなさい。どんな時でも手当してあげるわ」

 

 母も信じて送り出す。

 愛の形は保護や引き止めることだけではなく、他の子供とはまるきり違う彼女の異端を、個性と認めて肯定し、思うままに振る舞う娘の姿を、見守ることだと分かったから。

 

「……ごめんね」

 

 そんな親に、娘が送るは謝罪の言葉。「忘れていた」事実に気づいて、それを要素として含め、今までの父母の行動を再計算すればよくよく分かるのだ。

 二人が強制したり、止めたりするのは、ひとえに束のためを思ってのことであると。ただの厚かましい押しつけでなく、束の将来を真に思いやって、だから手を出してしまっていたのだ、と。

 でも、篠ノ之束の芯は硬い。

 二年前のあの日あの時、束は未知(なのは)から逃げないと誓い、そうでないと自分は天才じゃない、なんて定義を自らに課した。

 それまでは無条件で自分を天才だと思いこみ、自画自賛していたところに、逃げない、という明確な条件を設けた。

 その時。篠ノ之束の中の「天才」は大きく変質し、それまでよりずっと硬く重く潔く尊い、正しく神聖不可侵ともいうべきものに変質したのだ。

 だから硬い。この夢を諦められないし、諦めたくない。

 例えなんと言われようが、その先に何があろうが――

 

「束さんはね、おとしやかな大和撫子にはなれなくて、快活な剣道少女になるのも嫌だ。神社の神主も継ぎたくないし、将棋のプロ棋士なんざつまらなすぎて反吐が出ちゃう。じゃあ、いったい何になりたいかって? ああ、私は――」

「天才に、なりたい」

 

 柳韻と沙耶、二人の言葉は重なって、束の耳朶を揺らしたが。

 

「……違うね」

 

 しかし背中を向けて、襖をがらっと開きながら、振り向きざまに浮かべるのは不敵にして自信満々な笑い顔。

 

「私はもう天才だ。でも、まだまだ。まだまだもっと天才になれちゃうんだよ。大きくなれる。だって私、まだ9歳なんだから。脳味噌だけじゃないよ。身体だって大きくなって、ナイスバディになって、それで――いつかきっと。この世界を、変えてみせるんだ」

 

 その言葉を受け取った両親は、無言でこくん、と頷いた。

 束は思う、ああ、こいつらまだ信じてないな。きっと、将来は宇宙飛行士だのF1ドライバーだの言い出す子供を見ているような、生暖かい目をしているのだろう。

 でもまあ、一応応援してくれてやがる。それは認めようじゃないか。

 そして疑うならば、じきにはっきり見せてやろう。篠ノ之束が天才である、その証左を。

 

「行ってらっしゃい、束」

「行ってきます」

 

 そのためにも。まずはなのはに会いたい。話がしたい。

 しいんと静かな旅館の廊下に、束は踏み出し駆け出した。




次回は6/5の19:00投稿です。


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第九話:変わりゆくなにか

 夜空に鉄と魔力の衝突音が鳴り響く。

 魔力によって構成された弾丸同士のぶつかり合いは空気を震撼させ、鋼鉄のデバイスが火花を散らしてぶつかり合う場所は、平穏な国の平穏な街にある平穏な温泉街の外れにあって、間違いなく鉄火場であった。

 

「……っ!」

 

 一撃、一撃、一撃。魔力弾を交錯させながら打ち合う少女。高町なのはと、フェイトと呼ばれる黒い少女の魔導師。その戦いの趨勢は、やはりフェイト優位で進んでいる。

 なのはは覚えたばかりの誘導弾、ディバイン・シューターを必死に操作しながら有効打を与えようとするが、その一発一発を軽くいなされ、金色の槍弾で打ち消され。それだけでなく近接の間合いに持ち込まれては、こうして受けざるを得ない状況に持ち込まれている。

 ユーノと、そしてレイジングハートと訓練をして、自分には射撃・砲撃に適性があると分かったなのはである。この中距離以下の間合いでは不利であると分かってはいるのだ。

 しかし、フェイトは逃してくれない。このままなのはの魔力切れを狙って叩き落とそうとするかのように激しく攻めてくる。

 それを振り払えず、防戦一方に持ち込まれてしまっている理由は、ひとえに練度の差であるのだろう。フェイトの身体の使い方や魔力の放出具合には無駄がないように見える。効率的にスマートに、ひたすらなのはを追い詰めてくるのだ。

 だが、振り払わねば。遠ざけねば僅かな勝機すら無くなってしまう。

 ならば、ここはどうするか――。

 そう思考した直後、なのはの脳裏に浮かんだのは、友達との何気ない雑談であった。

 

「束ちゃんって、いっつも皆を驚かしてるよね」

「ん? あー、まぁね。束さん的にそんなつもりはないんだけど」

「ねえ、人をびっくりさせるには、どうすればいいの?」

「そうだねー……そういう時は、自分でもちょっとこれはないな、ってくらいの事をやってみれば簡単だよ。特に教科書大好き、マニュアル大好きな相手にはうってつけだ。そういうやつって、自分だけでなく自分以外も皆マニュアル通り、効率的に動いて当たり前って人間だし」

 

 常識外れな行動。なのはは一つ、手を思いついた。

 再び斧と杖が交わり、受けていたなのはが衝撃と魔力で数メートルほど空中を後退したその時。

 なのはは杖を持っていない右手を突き出し、術式を組み始める。フェイトは最初、それに構わずもう一撃を食らわせようと突っ込んできたが。

 斧の間合いまで近づく直前、何かに気づいたようで逆噴射をかけたように後退し、なのはから距離を取った。

 

「……引っかかってくれた……」

 

 なのはの編んでいた術式は、レストリクト・ロック。なのはが覚えている内では、数少ない補助魔法であり、強力な拘束魔法である。強力、であるということは勿論術式を組む時間も相応にかかる。まさか切羽詰った近接戦闘の只中でそんなことをする馬鹿はいない。

 しかし、なのははそうした。お陰でフェイトは何か深読みをしたのか、一旦距離を取ってくれている、

 チャンスだ。

 

「レイジングハート、お願い」

《All light. Divine buster Stand by》

 

 この間合ならば撃てる。なのは必殺の砲撃魔法、ディバイン・バスターを。

 対して、フェイトはなのはの目論見に気づいたか、再び接近しようとするが、これはもう遅い。なのはのリンカーコアからすでに必要量の魔力が生み出されてデバイスに流れ込んでいる。後は術式を組み撃ち込むだけ。

 ならばこの短時間では回避も不能。それを理解したのか、フェイトも右手に魔法陣を展開し、魔力を集中させている。

 つまりは、大魔法同士のぶつかり合い。単純な出力勝負。

 

「ディバイン・バスター!!」

「サンダー・スマッシャー!」

 

 斜め上へと一直線に伸びる桜色の魔力の渦巻きと、それを迎え撃つ金色の魔力の閃光。

 二つは真っ向からぶつかり合い、数秒の間拮抗する。

 だが――

 

「もっとだよ、もっと……私の全部で届かせるっ!!」

「……!!」

 

 やがて、桜色の光が太く、大きく膨らんで、金色を飲み込んでいく。

 なのはのリンカーコアから、必要以上の魔力が供出されていた。平常時の威力を100とすれば、120か130くらいになるだろう、フルパワーの砲撃。

 それは、サンダー・スマッシャーを完全に上回り、フェイトに向かって届いて、その小さな体を完全に飲み込んだ後、爆裂した。

 

「やった――!」

 

 その光景を見て、なのはは快哉を叫ぶ。この素早い魔導師と戦って、初めてのクリーンヒット。これなら――

 しかしその時、なのはは気づいていなかった。魔力の当たる『手応え』を感じなかった事に。一重に、初心者であることから来るミスであった。

 

《Scythe Slash》

 

 首筋に、刃。

 

「あ……」

 

 魔力の熱さが背筋を凍らせ、硬直したなのはが顔を左に振り向かせれば。

 黒い衣服にそれでも目立つ焦げを作りながら、しかし身体はほとんど無傷であるフェイトが、鎌を構えて宙に浮いていた。

 

「……私の勝ち」

「うぅー……」

 

 観念したなのはは、レイジングハートから一つジュエルシードを取り出す、今夜、フェイトに先んじて封印したものであった。

 しかしちょうどその時、フェイトとアルフも現れて。渡せ渡さないの問答が行われた後、戦いの勝ち負けで所有権を決める事になったのだ。

 

『やっぱりフェイトの勝ちか。まぁ当然だけどね、残念だったねえガキンチョども』

『くっ……』

『ごめん、ユーノ君……』

 

 念話で勝ち誇っているアルフは、同時にユーノと戦闘していたようだ。その戦況は一進一退だったらしく、まだ余力を残しているユーノが約定を守るかを懸念しているようで、未だ油断なく睨みながらの勝利宣言である。

 

「アルフ、じゃあ帰ろう」

『おうさ! これで懲りたんなら、次はお家に帰って大人しくしてるんだね!』

 

 フェイトとアルフは合流し、空高くへと飛んでいく。

 なのははそれを見て、全身で脱力しながらふらふらと地面に着地した。先程の大砲撃で、魔力の殆どを使い切ってしまっていたのだ。

 もしあの砲撃がヒットしていたとしても、それでフェイトを撃墜出来なければ、どのみちあっさりやられていただろう。

 知恵と戦術。魔導戦において大事なこの二つの要素において、なのはは未だフェイトの後塵を拝しているのであった。

 

「……お疲れ様」

「ごめんね、また負けちゃった……」

「いいんだよ。それより、怪我がなくて良かった」

「うん。きっと手加減してくれてるんだ」

 

 ユーノの語ったとおり、なのはの身体には傷一つ見当たらない。ただ魔力によるダメージと、自分の魔力消費による疲労が残っているだけだ。これなら明日、アリサとすずかに会っても危ないことをしているとはバレないだろう。寝起きはかなり悪くなりそうだが。

 

「手加減、かあ……」

「ごめんね。まだちょっと、追いつけなくて」

 

 ユーノがしょんぼり落ち込むのは、自身の実力不足が原因だとなのはは判断した。

 だが、ユーノは頭を振ってこう答える。

 

「いや、違うんだ。もしあの子が本気だったら、なのはは怪我してるって思うと……ちょっとね」

「もう! 今更それは言いっこなしって決めたでしょ?」

「で、でもやっぱり」

「それ以上言うと、怒るよ?」

 

 ユーノの躊躇いに満ちた言葉を聞くたび、なのはの言葉は少しだけ、きつくなっていく。別に怒っている訳じゃないのだと自覚していて、ユーノが戸惑い迷う理由も、分からなくはないのだが。

 だが、自分にやれること、自分にできることがあるのならば、それに妥協したくないというのも、なのはの確かな想いであった。

 

「……でも、これでこっちは六個。向こうは確認してるだけで……四個、か」

「あの子達のこと、全部確認してる訳じゃないし、それ以上って可能性もあるんだよね?」

「うん。とはいえこれで、ジュエルシードも残り半分……折り返しになる」

「急いで集めちゃおう、ユーノ君」

「勿論。あの宝石が、この街に害を為す前に……」

 

 そこで、二人の会話が途切れる。

 だだだだっ、と地を蹴り走り来る、うさ耳浴衣姿の束が現れたのだ。

 

「なーのーちゃーん!!」

 

 超速の勢いでなのはに抱きつき頬ずりする彼女を、なのははどうにか受け止めることができた。速度からしてまともにぶつかればダウン必至であるはずだが、どうも彼女もフェイトと同じく、激突寸前でブレーキを掛けて手加減しているらしい。

 

「た、束!? 今までどこ行ってたんだよ! もう終わっちゃったよ!?」

「おうおう、そりゃ解ってらぁ。いやごめんねなのちゃん、ちょっと色々あったもので」

 

 ユーノの文句はあっさり流した束が、なのはに振り向く。

 紅玉色の瞳が、まっすぐなのはの目を見つめた。

 

「あ、そうだ。早速だけど約束通り……今、二人きりでお風呂、入っちゃおうか」

 

 

 

 

 

 そして、なのはと束は二人きりで、海鳴温泉の大浴場に入ることとなった。営業時間は深夜0時まで。ギリギリのタイミングだからこその、貸切状態である。

 二人共全裸であり、なのはは髪飾りも解いているが、束の方は機械仕掛けのうさ耳を外さず頭に乗っけている。曰く全領域全気候対応型であるらしい。

 なのはは束を見て、いつもの事ながら少しだけ羨みを抱いていた。彼女のスタイルが、同年代の平均よりも一回りほど上であるからだ。

 胸も尻も、僅かではあるが女らしく膨らみ。均整の取れた肉体は細すぎず太すぎず。女児と少女の中間辺りのラインで絶妙な体型を保っている。

 ちょっとだけ、小学三年生のラインをはみ出ずも、あくまでちょっとだけ大人らしいそのスタイルを見るたびになのはは感心して、自分もこんな風になれるかな、などと考えてしまうのだった。

 

「ねえ、束ちゃん……その、私、あの子に今日も負けちゃったんだ」

「ふうん。そうなんだ。ドンマイだよなのちゃん! 大丈夫、次は勝てるさ!」

 

 そして、なのはは直前の戦いが敗戦であったと告げる。

 こうして負けの話をするのは今に始まったことではない。フェイトと戦う時はいつも負けていて、その度になのはは、束へ話すのだ。愚痴るのでも無ければ詳しく報告するでもなく、ただそうなったという事実だけを伝える。

 そして束はそれを聞く度に、気にするな、ドンマイ、大丈夫、などと応援してくれる。

 なのはにとっては大変暖かい言葉であり励ましになるのだが、しかしそれと同時に、ある不安も湧いてきてしまうのだった。

 

「……私、最近ちょっとダメだなぁ。覚えた魔法も少ないし……魔法の才能、ないのかな」

「そんなことないって! あのフェレットもねー、なのはは才能の塊だーとか言ってた。天賦の才だってさ! 束さんもそう思うな!」

「うん……」

「なのちゃんは、このまま頑張れば、努力と鍛錬を重ねればいい。なのちゃんは大成するよ。ついでに束さんも大成するよ、それは間違いない」

「……そう、かな……」

 

 確かに、魔法の訓練は楽しい。少しつらい時もあるけれど、それの倍くらいやりがいがあって、一歩一歩、自分が大きく強くなっていけると感じられる。

 勉強にも運動にもお菓子作りにも、それから小さい頃少しだけやってすぐに止めた剣術にも、感じなかったもの。多分、自分の才能は、魔導の道に向いているのだ。

 でも、だがしかし。

 

「どうしたの、なのちゃん?」

「え、ううん……束ちゃんに、比べたら……もし、もしだよ? 束ちゃんに私と同じ魔法の才能があって、ユーノ君やレイジングハートと出会っていたら……そしたら、ジュエルシードなんてとっくに集め終わってて、フェイトちゃんにも……」

 

 なのはにとって、篠ノ之束はとてつもなく大きな存在だった。

 それは断じて、恐怖による決めつけではない。なのはも束も同じくらいしか生きていない女子小学生であるのだから、恐れる必要は毛頭なく、対等に付き合えるのが当たり前であると、その認識は今も変わらず保っている。

 だが、なのはは一つ、束に誓っていた。

 

――じゃあ、私が連れて行ってあげる。束ちゃんがつまらなくない、楽しいって思える世界に――

 

 その誓いを果たすために、輝いてみせねばならないと思うのだ。束が真に世の中をつまらなく思ってしまえば、そこから先はきっと大変で、悲しいことが起こるから。

 そこに出てきたのが、魔法。束にとって未知の領域。

 それは、なのはが魔法少女になろうと思った第二の理由であった。

 魔法を使い、空高く飛んで輝く自分を束が見てくれて、それを面白く楽しいと感じてくれたら。そうすれば、今まで普通の女の子として、それでも精一杯輝いて生きようと頑張っていた時などよりも、ずっとずっと、束を楽しませることが出来るから。

 でも、なのはは今の自分が、束の娯楽であり興味の対象になっているのかどうか、どうしても不安を覚えてしまうのだった。

 

「……そんなこと、ないよ」

 

 しかし、束はなのはの言葉を、柔らかく、だがはっきりと否定した。

なのはには、それが友人への遠慮などでなく、まごうことない本心であると分かる。誰に憚らず遠慮などしないのが束であると知っているからだ。

 

「なのちゃん。魔法少女を始めた日、君はどうやってユーノ君のところに向かったの?」

「え……と、それは、魔力を無意識に感じて」

「それはあの助手が立てた、ただの仮説だよ。しかも理屈に合わない。結界は直前まで張られていた。あの空間は封鎖されていて、誰に分かるものでもなかったんだよ」

「じ、じゃあ、きっと私、結界の魔力を感じたんだ」

「それもバツ。助手の組む結界は非常に高度なものだ。隠蔽性も高い。恐らく、結界の専門家が走査して初めて見つかるくらいのもんだよ。なのちゃんは素人だったんだから、見つけられるわけが、ないんだ」

 

 じゃあ、どうして。

 問いかけたなのはが見る束は、彼女にしては珍しく――湯船に座り込みながら、顎を手に乗せて――深く、深く考え込んでいた。

 

「……そうだね……」

 

 それから数秒後、束はぽつり、と話した。

 

「空間把握能力」

「え?」

「魔導師の才能を計る一つの目安みたいなもの。で、助手が、なのははそれに長けている、って言ってた。もしかしたら……なにかのヒント、かもしれない」

 

 それは、いつも物事をズバッと単純明快に言ってのける束にしては、あやふやかつ不明瞭な言い方で。

 だからなのはには、束がそれを『楽しんでいる』のだと理解できた。

 

「ふーん、よくわからないんだ」

「そう、よくわからない。人間の空間把握能力なんて、どんなに先鋭的でも原理的、物理的にはたかが知れてるはずだし。それに封時結界の仕組みからして、その中のことを把握するなんてのは人間の感覚器官にも魔法的な器官にも不可能な、はずなんだけどね――」

「そうとしか、考えられない」

「そう! そうなんだよ、なのちゃん! だから――今、束さんはかなり楽しいよ」

 

 曇り空のようだった顔が、一気に晴れていく。その答えを、なのはは待っていたのだ。

 

「そっか、束ちゃん、楽しいんだ。私のこと……面白いって、思ってくれてるんだ……!」

 

 なのははとてつもなく大きく、そして熱い喜びに浸る。

 良かった。フェイトちゃんにやられてばっかりな私だったけど、でもまだまだ、束ちゃんは私に飽きていないみたいだ。

 そうしたら、もっともっと友達でいられる。

 束ちゃんは私に飽きない限り、こうして近くにいてくれて、色々話を聞いてくれる。

 

 そう、私に飽きない限りは――だから、もっと頑張らなきゃ。

 私よりずっとずっと、高いところにいて、いつか見えなくなってしまうかもしれない女の子へ、少しでも近づくために――。

 




これで第二部完、でしょうか。
続いての第三部は、アリサとすずかと束さんのお話になります。
6/6の19:00に投下します。


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第十話:迷いと怒り

 篠ノ之束はその日、自分のラボの椅子の上で目を覚ました。人参柄の寝間着のまま、トレードマークのうさみみも外して近くにおいてある。目の前にあるコンソールには、書きかけのプログラムの文字列が映し出されていた。

 

「……いかん、寝ちゃったか。流石に三徹はきついなー」

 

 ごしごしと瞼をこすって、画面右下にある時計を見れば、既に七時を回っている。意識がぼんやりしてきたのは確か、昨夜の夜二時過ぎであったから、都合四時間程度眠っていたことになる。

 束は十秒だけぼんやりした後、大きくあくびをして眠気を覚まし、再びプログラムの構築作業に取り組み始めた。

 ここ最近、篠ノ之束の朝はいつもこうだった。朝まで徹夜するか三、四時間しか寝ずに起きた後、登校するぎりぎりまでラボに篭って作業を続け。学校の中でも平然と内職ばかり、休み時間は空き教室でがっつりと作業し、放課後はなのはのジュエルシード探しにちょくちょく付き合いつつも、暇さえあればラボに戻って組み立てや設計を超スピードで行う。そしてまた、夜遅くまで起きて徹夜あるいは仮眠だけ取って朝を迎えるのだ。

 そんな、とても女子小学生とは思えない日常を過ごしながら、文句一つ言わない自分の体に感謝しながらも、束はひたすらに、何かに迫られるような素早さでプログラムを書き上げていた。

 そこに、ドアベルのじりりりりん、という電子音。

 

『束? 束! 朝ごはんよ』

 

 篠ノ之沙耶である。ちらとラボの入り口を監視するモニターに目を向ければ、ラップに包まれた和膳を両手に持って抱えていた。

 束は外に通じるマイクを持ち出して、眠たげな声で話した。

 

「ん、あぁ、置いといてよ。ほら、そこのさ、ちょうどそのお盆と同じ形と大きさしてる石段の上に」

『え? 束? それでいいの?』

「うん。ただしはみ出さないように。そしたら後は束さんの居るところまで運ばれるから、それを食べるよ。食べた後の食器は食洗機に入れとけばいいんだよね?」

『ええ、お願いね。私も今日は神社のお手伝いしなきゃいけないし』

「はいはーい」

 

 束の言葉に従い、平らな石畳の上に和膳をおいた沙耶を見て、束はモニタの電源を切ろうとしたが。

 

『……それじゃあ、頑張りなさい。ちゃんと出てきて、学校には行くのよ。それは守れって、お父さん言ってたわ』

 

 という、沙耶の言葉を聞いたので、母がその画面から去って消えるまで十秒ほど待ってから消した。

 

「はいはい、分かってますってぇ……むにゃ」

 

 学校に行かない理由など無い。そこにはなのはが居て、ジュエルシード集めについての最新情報と、フェイトという少女についてのことも教えてくれるのだから。

 束はフェイトへのリベンジを目論んでいる。あの日現代兵器を盛大に使いながらもこてんぱんにされた記憶は未だ色濃く、そして束は、受けた借りならば正であろうと負であろうと、絶対に返そうとする人間なのであった。

 とはいえ。

 

「……これは、ちょこっと不味いかなぁ」

 

 マッハの早さで打ち込むコンソールの画面右端にある縦の棒、それは虹色のゲージメーターになっていて、束の取り組んでいるある発明品の完成度を表している。

 しかしそれは、開発開始から二週間経っても未だ半分を越していなかった。

 その数値、37%。

 重ねて言うが、束の発明品作りとしては異様に時間が掛かっている。

 

「基礎理論はほぼ出来た。自動人形の技術の応用で駆動系もまぁイケる……けど……」

 

 一旦手を休めて、傍らにあるうさみみを取り付ける姿は、まるで疲れたオフィスウーマンがメガネを掛けるかのようだった。

 

「問題は動力。それからシールド。そして……ハイパー・センサーだね。こいつらを束さんの想定通りに完成させるには、技術的ブレイクスルーを後数十項目くらい成し遂げなきゃいけない……んだよねー」

 

 常人が聞けば恐らく正気を疑うようなことを言いながら、しかし束は、それを為さねばならない、自分なら出来ることだ、と硬く信じていた。

 とはいえしかし。それは、時間的な制約を抜きにしての仮定であった。小学三年生の時に微分積分が出来ずとも、高校生の自分ならできるだろう、というのはあまり意味のないことだ。

 あまり時間は掛けられない。海鳴温泉での戦いから既に数日が経過し、なのはも、そしてフェイトも更にジュエルシードを集めている。

 このままでは間に合わないのだ。束の発明品を以て、魔導文明に挑戦状を叩きつけ、リベンジを果たすことができなくなってしまう。

 

「でも、焦っては何にもならない。計算ミスと失敗の元、まぁ束さんとしては、そういうつまらないミスや勘違いはしないんだけど」

 

 そう嘯いてはいるのだが、このままではタイムリミットまでの時間はせいぜい、一週間や二週間ほど。余りにも、そう、余りにも短すぎる。

 たとえそれが完成しなくても、事件は解決するだろう。なのはの実力は徐々に、しかし着実に伸び始めている。だからこのまま進んでいざ決戦という段階になれば、フェイトと互角か僅かに下がるくらいの実力は備わるはずだ。

 そして、ユーノに聴取した時に知った、時空管理局という組織。彼らがユーノの話通りの規模と実力を持っているならば、そろそろここの事件に気づいてもいいはずなのだ。

 束の予測出来る範囲で考えるならば、この事件の結末は朧気ながら見え始めている。これ以上何かをする必要はないかもしれない。

 だが。

 

「このままじゃ間に合わない、やる必要がない。それがどうした。それでもやりたい、仕上げたい。束さん自身のためにね」

 

 石段型のエレベーターで降りてきた朝ごはんを掻き込みながら、ごきゅっ、と喉を鳴らして飲み干すのは、薬瓶の中に入った濃厚な液体だ。

 『束印のアウェークニング・ドリンクVer1.3』である。ユーノに飲ませたVer1.0より効能は下がるが、副作用もほとんどなくなって純粋な栄養ドリンクとして完成している。

 天才たる人間がこういう物に頼るなど馬鹿げているとは思ったが、徹夜続きで疲れた頭脳をもう一回転させるためにはそれしかなかった。

 でも、それでも未だ届かない。

 このままでは間に合わない。

 ならば。

 束は唇を吊り上げて、これから自分がやろうと決めた、投機的行為を思いほくそ笑んだ。

 

「……やっぱり、やらなきゃいけないのかも、しれないね」

 

 それは、脳裏に浮かんだ最後の方法。

 可能性は恐らく半々。フェイトとの戦いで経験したような、天才的頭脳でも判断できない一種のギャンブルであった。

 だが。束の心には、一つの疑問符が突き刺さっている。

 そうまでして自分は何を為すというのだ。

 そうまでして発明を完成したら、一体何ができるというのか?

 まず、空を飛ぶことが出来るだろう。戦うことも出来て、あのフェイトという金髪の魔導師とのリターンマッチで勝つことも出来るはずだ。

 そうして、なのはと一緒に戦い、事件を解決する。それは実に甘美で充実した体験になることだろう。

 しかし。

 

「……ここまでやって作り上げるんだ。もうちょっと、もっともっと、欲張ってもいいかもしれないね」

 

 その時、束の脳裏に一筋の閃光が走った。

 

 

 

 

「ったくもう……なのはったら! すずか、聞いてる!?」

「う、うん……」

 

 連休も終わり、再び一学期が続く学校のお昼休みの途中で、アリサ・バニングスの苛立ちは頂点に達していた。

 火付けの種は、ごくごく些細なことなことであった。一緒にお昼ご飯を食べようと誘ったなのはが、束と共に二人きりで何処かへ行ってしまったのである。

 それはなにも、今日この時に限ったことではなく。最近ずっと、もう二週間くらい断られっぱなしだった。

 アリサ、なのは、すずか、それからおまけに束が交友関係を持ってから二年。特に忙しかったり理由があったりしなければ、毎日のように昼食を共にしていたにも関わらず、である。

 更に、放課後一緒に塾に通おうとしても、いつの間にか教室から消えていて別行動をされたり、それなら休日に遊ぼうとすれば、束ちゃんにラボへ呼ばれたから、と陳謝されたり。

 

「最近、あの二人はおかしいわよ!」

「そ、そうかなぁ」

「ええ! そりゃあ束はもうおかしいのが当たり前だけど……こないだから、なのはまでおかしくなってる!」

「……」

 

 それが、アリサの言い分であった。すずかもそれを宥めながら、明確に否定はしていない。

 同じように考えているからだ、と理解したアリサは更に捲し立てていく。

 

「別にそれはいいのよ。またぞろ何か怪しい研究でもしてて、なのはが実験台になってると考えれば、そうあり得ないことじゃないし。今までもそういうこと、無いわけじゃないし」

「あったね……去年の冬休みとか。バーチャル・リアリティだったっけ」

「仮想現実でハワイ旅行させてあげるんだって、わけわかんないこと言いながら、丸一週間変な機械の中になのはを閉じ込めて……どういうつもりかと思ったわよ、アレは」

 

 最後は二人も巻き込まれかけた苦い思い出にため息を付きながらも、アリサにとって今回の異常はその時と全く異なるものであり、だからこそ憤慨する。

 

「いやまあ、でもその時は……なのはも暫く留守にするって言ってたし」

「束ちゃんも、意味は全然わからなかったけど一応説明してくれてたよね」

「そうよ! でも今回は違うじゃない!」

 

 アリサは机を両手で叩く。あまり力は入っておらず、教室の喧騒の中に消えてしまうほどの小さな音だったが、すずかをびくっ、と震わせるには十分であるようだった。

 

「あいつら、私たちに何も言ってくれない。何をやってるか、何をどうしてるのか! その前までは――束なんて、分からせるつもりは毛頭なかったし、ついでだから、友達の友達だからって理由だけど、教えてくれたのに!」

 

 アリサの悲痛な叫び。彼女にとってなのはと、それから束はこの学校で最初に出来た友人であり、今では様々に増えた彼女の繋がりの中でも特別なものである。

 それを蔑ろにされているような現状は、彼女にとってはものすごく、我慢ならないことなのだ。

 だが、ここまで極端な言葉になると流石に同意できないのか、すずかがおずおずと、しかしはっきりと反論してくる。

 

「でも、アリサちゃん……友達だからって、秘密にしたいこととか、隠しておきたいこと、無いわけじゃないよ」

 

 アリサはそれを聞いて、確かにそれはあるだろうと納得する。

 他のクラスメートや先生に言われるならともかく、あの(・・)すずかがそう言うのだ。説得力は十分だし、黙って首を縦に振りたくなる。

 それでも、アリサは我慢できなかった。それほどに深く重い激情を、内に秘めていたのであった。

 

「それは分かる、分かるわよ、でも……あいつらにとって、私たちってそんなに信用ならないものなの!?」

「あ、アリサちゃん、そんなに怒っちゃ駄目だよ」

「だって、見え見えなのよ! 何かに悩んでるのも。迷ってて困ってて、それに向かって一生懸命頑張ってて……まるで戦いかなにかでもやってるみたいな顔をして!」

 

 なのはと束、二人が話していることの中身は、アリサにはてんで分からぬちんぷんかんぷんであるけれど。

 その顔、その目、その立ち振舞を見ていれば、なんとなく分かってしまう。

 二人がやっていることは、いつもの馬鹿馬鹿しい珍発明などではなくて。もっとシリアスで重大な、とてつもなく大きな何かに挑んでいるのであるだろう。

 

「……でも。それを、二人が喋りたくないのなら、秘密にしたいのなら……私達には、待ってあげることしか出来ないんじゃないかな」

「それがムカつくって言ってんのよ!!」

 

 すずかの言葉は確かに正しいし、それが最善手であるのかもしれない。だが、いやだからこそ、アリサは激昂する。どうにもならない気持ちを親友へぶちまける。

 

「だってそれ……私たちが役立たずって言ってるようなものじゃない!」

「え……」

「男子が読んでるようなバトルものの漫画で良くある話よ。此処から先はお前らのレベルじゃ太刀打ちできない領域だとか、こいつの相手は俺たちじゃなきゃ駄目だ、とか。あたしはね、すずか。二人にそういうことを言われてるような気がしてならないのよ!」

「あ、アリサちゃん……!」

 

 そんなアリサの言葉に胸を抉られる所が多少なりともあったのか、すずかは先程までのやんわり留めるための態度とは打って変わって、じっと聞き入っていた。

 

「そりゃあ、二人からしてみれば、ごく当たり前の対応よね。束はどうなのか分かんないけど、なのはなら。私たちを傷つけまいとして、遠ざけるくらいはやるわよね」

「うん……そうかも、しれないね」

「でもそれで、置いていかれる方はどうしろっていうのよ! 大丈夫だって言ってるから、信じて待ってりゃそれでいいの!? ……大丈夫だなんて言ってるけど……あんなの、絶対に嘘よ!」

「アリサちゃんの言うとおりだね。だって、なのはちゃん……すごく、疲れてるもん」

 

 すずかの言うとおり、二人から見たなのはは最近、とても疲れているように見えた。

 朝は早起きでもしたのか通学のバスの中でぐっすり熟睡していて、放課後分かれて塾で合流したときも、時折かなり汗をかいていたりする。こうした休み中に話しかけても常に上の空なのだから、間違いなく、それもかなり疲れている。

 

「そりゃ、束はまだいいわよ! あんな馬鹿げた体力してるんだし。でも、なのはは……」

「……うん、分かるよ。きっと無茶ばかりしてる」

「そうよ。なのはのことだもん、絶対そうよ!」

 

 それは、二人の共通認識であった。

 高町なのはという女の子は、一見分をわきまえていたり、常識的に見えたりするけれど。実は結構、いや、物凄く頑固でなおかつ一本気だ。一度決めたことは、何があろうと絶対にやり通すという心の強さを備えている。

 だがそれが、悪い方向に働いてしまうと、自分の背丈に合わないような無茶ばかりをするようになってしまう。ボロボロになっても止めようとしない。それこそ、見ている方が不安になるくらいの頑迷さでもって事に当たるのだ。

 二人は現に、そういうなのはを見たことがあるのだ。それも二年前、知り合う最初の最初に起きた、あの事件の時に――。

 

「……でも、それなら尚更止められないんじゃないかな、私たちには。もうなのはちゃんの心は多分、ひとつに決まってるんだから」

 

 だからこそ、すずかは弱音を吐くのだろう。

 なのはの心魂の奥の奥がそう固まっているのなら、自分たちには干渉できないという、その理屈はきっと正しい。

 だが、なればこそ、アリサはまた別の理由で苛立つのだった。

 

「……どうしてよ、どうして……」

 

 それは、どうにもならないことである。アリサ・バニングスがアリサ・バニングスである限りは、永遠に埋まらない溝であり狭間である。

 

「私は……天才じゃないのよ……! あの二人と同じものを……見れないのよ……!」

「アリサ、ちゃん……」

 

 アリサ・バニングスは常人である。

 彼女の実家はお金持ちで、彼女自身体力も学力も同年代を上回っている。性格的にも何ら問題はなくおまけに容姿は整っていて、頼もしい大人と親しい友人、それから愛犬たちに囲まれ、平和な国で幸福な人生を送っている。

 と、ここまで並べれば、これ以上に幸福な人間もそうは居ないだろう60億存在する人類の中でトップクラスに幸せかつ、明るい未来が保証されている子供であろう。

 しかし、彼女に篠ノ之束のような才能はない。

 優秀ではあるがしかしそれだけで、飛び抜けても居ないし常識はずれでも無かったのだ。

 だから、天才である存在と、同じ目線に立つことはできない。それに追いつくことも、同じものを見ることも無理な話だ。

 それが何より、口惜しかった。

 

 だって、私――

 あいつと出会う前までは――

 

「あ、アリサ、ちゃん」

 

 はっ、と我に返る。見ると、すずかが震えている。アリサの肩よりちょっと右上を指差し、わなわなと怯えている。

 きょとんとして振り返ると、そこには。

 

「って……!? アンタは……!」

 

「やぁやぁ、そこのお二人さん。放課後はちょいと……私も相乗り、させてもらっていいかな?」

 

 目を細め、にたりと悪魔のような笑顔で笑うあいつ(天才)が居た。




次回は2017年06月07日(水) 18:00更新ですー。


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第十一話-A:空飛ぶ理由

急にUA増えたと思ったら日刊載ってた!
ヒャア!がまんできねぇ(書き溜め放出)だ!


 放課後。なのはは一人通学路を歩きながら、レイジングハートを利用した空戦シミュレートを行っていた。

 家に帰ってユーノを拾い、ジュエルシード探しを始めるまでの、もはや日課と化している訓練法である。

 リンカーコアを利用して自分の意識とレイジングハートのCPUを同期させ、そこに魔法による空戦訓練プログラムを展開する。要するに、擬似的な明晰夢の中で訓練を行うのである。

 通常、そんなことをすれば意識はそちらだけに向かって、歩くことすら出来ずに立ち止まってしまうはずなのだが。なのはの足は迷いなく、いつも歩いている道路をまっすぐ歩んでいる。赤信号に気づかず飛び出ることもない。

 それは、マルチタスクという思考法によるものだった。

 複数の思考行動・魔法処理を並列で行うというこのマルチタスク処理は、魔法の実践利用や高速化において欠かせない要素である。ユーノによってこれを教えられたなのはは、やはり驚くべき速さでそのコツを飲み込み、今や日常的に使えるまでに習熟していた。とはいえ完璧にマスターしたわけではなく、アリサやすずかなどの感の鋭い友人、そして魔導師でもないのに素で似たようなことを日常的に行っている束には、「心ここにあらず」な様子を見抜かれてしまっているようだったが。

 

「…………」

 

 無言でとぼとぼ、一人きりで歩くなのは。アリサもすずかも習い事があり、今日は束もなぜだか居ないので、自然、一人の歩き道である。

 その為、アリサにぼーっとしているとツッコまれなかったりして訓練に集中できるのは、ありがたいのだが。

 むしろ一人だからこそ、無闇にシミュレーションに没頭しているのかもしれなかった。

 

『なのは』

 

 そんななのはの脳内に、語りかける念話。

 しかしあまりにも集中しすぎているからか、男の子の声は空っぽの脳内に反響するように響くだけで、なのはの意識には届いていなかった。

 

『なーのーは!』

 

 より大声、そしてかつ少し余計に魔力を込めた念話によって、なのははようやく気づいた。

 

『あ、ゆ、ユーノ君』

『やっと気づいてくれた……集中するのはいいことだけど、やりすぎると後で頭痛とか来るから気をつけて』

『うん、分かった』

 

 訓練に集中しすぎて、いざ実際に戦うとき頭痛でダウンなんてことになったら洒落にならない。

 なのはは一旦訓練魔法を解除し、その分の意識を念話に向けつつ家路を急ぐことにした。

 

『ユーノ君、そっちはどう?』

『んー。美由希さんが帰ってきてる時は、一人で外に出れないかな。途中で気づかれちゃうんだ……』

『あー……お姉ちゃんユーノ君のこと、すごい気に入ってるから』

『一応こっそり隠れてはいるつもりだけど、それでも何故か見つかっちゃって……そういうことでなのは、今日もお迎えお願い』

『りょーかい!』

 

 高町家に居るときのユーノは、なのはが拾ったフェレットとして扱われている。だから飼い主であるなのは抜きに勝手に出てしまっては、脱走扱いになって大騒ぎになるのだ。

 それが理由で帰宅を急かすユーノのために、なのはは小走りで急ごうとして――ずきずき、と痛みだす四肢に気がついた。

 

『っ……』

『なのは?』

 

 筋肉痛である。

 痛みでの呻きを念話で流すことなど普通はそうそう無いことであるが、なのははまだその辺りのコントロールが出来ていないらしく、ユーノに聞かれてしまった。

 

『なんでもないよ、大丈夫』

『……ううん、なのは、最近無理しすぎなのかもしれないよ』

 

 ユーノの言葉は紛れもなくなのはを気遣うものであるだろう。しかし、なのははその好意を受け入れてかつ嬉しく思いながら、それでもやはり甘えずに、頑張ることを選択する。

 

『大丈夫。今までだって毎日休まず、ジュエルシード探してたでしょ?』

『それはそうだけど。その毎日の疲れが今、なのはの身体に溜まってるのかもしれない。束の探索データも最近は当てにならなくなって、もうずっと歩きっぱなしだし』

『しょうが無いよ、細かい所は魔法でしか調べられなくて、束ちゃんだって忙しいんだから。それに』

 

 自分の親友もきっと、いや、間違いなく何かを頑張っているのだから。

 そうでないと、彼女に合わせる顔がないし。そうしている自分を、彼女は望んでいる。

 それに、もう一つ。脳裏に浮かんでくるのは、いつも戦っている金色の髪の女の子。

 

『あの子と、また戦わなきゃいけないし』

『フェイトって子のことだね』

『うん。空を飛ぶのがすごく上手で、いつも敵わなくて……』

 

 フェイトと呼ばれている女の子。黒い斧を携えてなのはたちと戦う彼女は強い。

 少しは成長したといえども、まだまだ初心者のなのはから見れば、とてつもなく、と形容できるほど強い。

 彼女と戦うなのはは常に翻弄されて届かない。彼女の居る場所に届くほど、高く早く飛べないのだ。

 

『だから、少しでも強くなりたい。それから……』

『それから?』

『ちゃんと聞きたいんだ。どうしてジュエルシードを集めているのか』

 

 家の門を開いて、通学カバンを背中から降ろしながらなのはは語る。

 

『そうだね。僕たちと同じように何かしら理由がありそうだし……』

『うん。誰にも何にも、理由のない行動はない。束ちゃんもそう言ってるし』

 

 その途端、階段をひょこひょこと降りて駆けつけてきたユーノは、いつものように肩に乗ってきた。

 このまま晩御飯の時間までジュエルシードを探し続ける。それが二人の日常であった。

 

『それに……あの子の目』

『目?』

『綺麗なんだけど、でもどこか……とても寂しそうで』

 

 ユーノとの念話を続けながら、なのはの心象には初めて会った時や、戦いの最中で目線を交わした時のフェイトの顔が浮かんでくる。これもある種のマルチタスクなのかもしれない。

 その評定、どれも一つの色に染まっていた。強い意志を持っているけど、微かに悩みも秘めていて。物憂げで暗く、何かが濁って淀んでいる、寂しい寂しい灰の色。

 更にそれは、なのはの記憶に刻み込まれている、あの子の顔とも重なってくる。

 出会った時の、束の顔に。

 

『だから、私に出来ることが少しでもあるなら……助けてあげたいと思うの』

『え……?』

『いや、違うの! 別にフェイトちゃんにそのまま協力する訳じゃなくって!』

 

 きょとん、としているユーノの顔を見て、なのはは慌てて訂正した。

 

『話を聞きたい。あの子が何を考えているのか、何を悩んでいるのか分かりたい。瞳の奥にあるものを見つめたいというか……だから、私フェイトちゃんと戦う。戦うだけじゃなくて、それで事情を聞かせてもらう』

 

 それは、二年前のなのはと同じ決断である。

 あの時、なのはは束の瞳を見た。今は紅玉色に輝いている瞳だが、その時は腐り果てた林檎のように真っ黒で濁りきっていて、それを見たなのはは、もったいないな、と感じたのだ。

 

『説得、したいんだね』

『うん。それでね……凄い綺麗に空を飛ぶでしょ、フェイトちゃん。でも、あの赤い目はなんだかとても悲しそうで……それがとっても、残念だなって。もったいないなって』

 

 ああ、もったいない。そう感じた。

 二年前のあの時、束はなのはを情報としてしか知らなかったが、なのはは束のクラスメートとして、彼女を知っていた。

 天才少女。入学試験はぶっちぎりの満点で、毎日毎日授業などろくに聞かず何やら複雑な数式を相手にしている。たまに体育に出てくると、気だるげな表情だけどクラスの誰より俊敏で力持ち。

 そんな束を、周りは気味悪がっていたのだが、なのははそう思わず、むしろ――羨ましいなと思った。

 あれくらい強い子だったら、きっと……無力で弱い自分よりも、とてもとても凄いことが出来てしまうんだろうなと、憧れたのだ。

 だから、そんな女の子がどうしようもなく濁って、夢も希望もなく淀み果てていくことが我慢できなかった。

 貴方は凄いんだよ、と。

 なのはの周りの大人達がそうであるように、束だって、自分も誰かも喜ばせていけるような、明るく楽しいことがきっと出来るんだよと言ってあげたかった。

 頭脳も肉体も遥かに劣るなのはがそう言うのは、根拠もなくあやふやでいい加減な出任せなのかもしれないが。それでも、何も出来ずに腐り果てていくのを、見逃すのは嫌だったのだ。

 今の行動原理は、多分その時と一緒なのだろう。

 フェイトちゃんは凄いと思うけど、何かに迷っているようだから、それを晴らしたい。その為に事情を聞いて、話をする。

 なのは自身、全く変わっていないなとひしひし感じる。

 だが、そんな自分だったから、篠ノ之束という素晴らしい天才と友達になれて。そんな自分のままだから、友達でいてくれるのだ。

 そんななのはを、ユーノはこう表現する。

 

『なのは……君は、本当に……優しい優しいおせっかい焼き、なんだね』

『おせっかいかぁ』

『そうだよ。僕が一人で頑張ろうとしてたのに割り込んできたし。いや、そうしてくれないと不味かったから、本当はおせっかいなんて、言う権利も無いんだけどさ。他に言いようがなくて』

 

 おせっかい。ああ、自分はいつもそうなのだろう。

 束に話しかけたことだって、あの時の束からすれば余計なお世話で。ユーノを手伝おうとしたことも、もしフェイトさえ居なければ一般人が無理に割り込む危険な真似だったろうし。

 そして今も、フェイトという他人の事情に入り込もうとしている。

 それは一方的なワガママなのかもしれない。本当は何もせずに、全部忘れてごくごく普通の小学三年生として生きる方が、ずっと賢く頭のいい判断なのかもしれない。

 でも。私は飛びたい。戦いたい。

 思いを伝えるそのために。

 

「――それが私だ、高町なのはだ。文句あるか」

『え?』

『あ、ううん、なんでもない。束ちゃんの真似』

 

 何があろうと前を向いて自分の意志を貫く、天才のように。

 あの強い強い、とても届かない輝きに、少しでも近いていけるように――



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第十一話-B:本心と決意

こちらは予告通りに更新です。


「……」

「……」

「……♪」

 

 海鳴市街を走るリムジンの車内は沈黙に包まれていた。

 バニングス家執事にしてドライバーの鮫島は、無論何も語らず寡黙なのが当然だが。

 普段後部座席で仲良く語らっている二人、アリサとすずかの間に、とんでもない異分子が存在しているのだ。

 その現状に戦慄している二人と比べ、異分子はなんとも上機嫌なようで、鼻歌すら歌い出している。

 

「ふーふーふふふーん♪」

「あ、あんた……」

 

 それを聞いて、ようやくアリサは再起動を果たし、恐る恐る真ん中のうさみみ人間、篠ノ之束に聞いた。

 

「どうしてここにいるのよ!?」

 

 お昼に告げた通り、二人の車に相乗りしてきた束。

 しかも放課後、二人が何か言う前に教室から抜け出して、すでに駐車されていたリムジンのドアをするりと開けて有無を言わさずに乗り込んできたのだ。

 そのまま、へーい、かまーん、なんて言いながら二人に向かって手を広げている光景を、アリサは生涯忘れられないだろう。 

 

「鮫島につまみ出させるのも出来ないだろうし、仕方がないから乗せてあげたけど……!」

「もー、そんなに怒んないでもいいじゃんいいじゃん。ね、埒が明かないからそっちに聞くけど、今夜は確かピアノ教室だったっけ?」

「う、うん。私とアリサちゃん、同じ教室に通ってて」

「そうだったねー。ふたりとも優秀な生徒として高く評価されてるらしいよー?」

 

 なんでそんなのまで知ってんのよ、と内心ツッコみたくなるアリサだったが、こうなったらもはや何をツッコんでも無駄どころか余計に気疲れすることを出しかねないので、口に出すのは止めることにした。

 しかし、ある一つの可能性を思いつけば、流石に想像したくなくて恐る恐る問い質しに行く。

 

「……あんた、まさか……ピアノ習いたいとかそういうこと考えてるんじゃないでしょうね」

「習う? 束さんにそんなの必要ないよ」

 

 アリサはほっ、と胸を撫で下ろした。

 こんな規格外が小学生ばかりの教室に来たら、自分の学友たちの教わっていることなど数瞬で駆け抜けて、一時間もすればプロ並みの演奏をしでかしてみんなの心を折るに違いないのだから。

 

「じ、じゃあなんで…?」

「それはね、少し思い出話をしたかったからなんだ」

 

 その単語を聞いて、アリサは瞠目して束を見つめた。

 思い出。思い出だと?

 確かにアリサやすずかにとっては、このはた迷惑な天才になのはのついでで振り回された苦い思い出は沢山あるが。

 それは二人から見た印象であって、束から見ればまた違い、代わり映えの市内つまらぬ日常の一コマでしか無いのだ、ということは分かっていた。

 だから、束が思い出話をすると語った時、その対象は一つしか無い。

 すなわち――なのは、束、アリサ、すずか、四人の出会った日のことである。

 

「……あの日のことね。私たちが一年生で、ちょうどこれくらいの時期にあった」

「そう。お前にしては珍しく勘がいいね。二年前のあの日、あの時。私にとってお前たちとの交流の中で、はっきり思い出と呼べるものはそれだけだ。なのちゃんとの触れ合いは一日一日が奇跡の連続だけどさ」

「……あの日……」

「まあ、付き合ってくれないかな? 最も、嫌でもそうしてもらうけどね」

 

 アリサ、そしてすずか。

 両者ともに何か苦いものを口に含んだような、しかし同時に懐かしさを想起する時の甘酸っぱさを楽しむような顔をした。

 束はいつもと変わらぬ、嘲り笑いの笑顔である。二人の無言な態度を了承と判断したのか、早速話し始めた。

 

「さてあの日、お前たちは喧嘩……というよりいじめをやってたね」

「……ええ……あの時の私は、我ながら、サイテーな子だったわ」

 

 ことの始まりは、アリサがすずかのカチューシャを奪った時だった。

 当時のアリサは俗にいういじめっ子であった。自信過剰で鼻高々で強がって、クラスメートをからかうことが日常だった。

 

「それで、そっちのお前はいじめられっ子だった」

「あ、うん……」

 

 束の言うとおり、その時のすずかは気弱で自分をはっきり表せず、アリサのいじめのターゲットにされていた。

 だから、大切なカチューシャを奪われて、校庭を駆け回って見せびらかされ。

 それでも、大切なものだから返して、と言えずに、ただただアリサの気が変わるのを待つまで側でおどおどと立ち尽くすしかなかったのだった。

 

「そこに……なのちゃんと、この束さんが通りがかった。なのちゃんは勿論止めようとしたんだけど」

「……私の前に出てきたのは、アンタだったわよね」

「そう、そうだよ。だってその時の私は……なのちゃんのことが『好き』だったからね」

 

 その意味ありげな言い方に、アリサは疑問を感じて質問した。

 

「はぁ? なにそれ。今のアンタはなのはが好きじゃないっていうの?」

「ふふん、そんなわけないだろ? まぁ、お前みたいな凡人には分からない台詞回しだったかな?」

「なっ……ふざけてないで、早く教えなさいよ!」

「はいはい、分かった分かった」

 

 突っかかるアリサをからかいあしらう束の表情は、何か玩具を扱う時のように楽しげだった。

 

「その時の私はね。なのちゃんのことが『好き』なだけだった。言うなればほら、アイドルの追っかけみたいなもんだよ。顔が良くて声が綺麗で歌がうまくてダンスがキレキレで、だから憧れ追いかける。それだけ(・・)のこと。これなら分かるかい?」

「な、なんとなく……」

「分かる気が、するかも」

 

 つまり、その時の束はなのはの上っ面しか見ていなかったと、そういうことなのだろうとアリサは解釈した。

 それと同時に、そういう事を。内心を明かそうとする束の態度を怪訝にも思う。

 この傲岸不遜な天才は――そういうキャラでは、ないはずだが。

 

「だから前に出たんだよ。なのちゃんの手を汚したくなくてね。ただまあそれと一緒に、ある希望もあった」

「希望……?」

「正義の味方っぽくお前たちの喧嘩を止めてやれば、なのちゃん褒めてくれるかな、なんて」

「……」

 

 明かされた束の幼い欲求。それを聞いて、二人は揃って絶句した。

 

「あ、アンタ……それで……そんな程度のことで……」

「あんなことを……」

 

 アリサはその時の衝撃と痛みを、今でもはっきり思い出せる。

 突然、目の前にうさみみをつけた女の子が出てきたと思えばその直後――視界がめちゃくちゃに回転し、背中を硬い地面に打ち付けられた。一本背負いで投げられたのだ。

 それから容赦も加減も加えられず、泣き出した顔を開いた手でぐわし、と鷲掴みにされて勢い良く持ち上げられ。あまりの痛みに気絶しかけて、当然力を緩めた手からすずかのカチューシャを取り返された後、ぽい、とまた地面に放り投げ捨てられたのだ。

 目の前で繰り広げられたこの暴力に唖然としているすずかへ、意気揚々とカチューシャを渡す束の後ろ姿。

 怯えながら見つめていたその光景は、この先何年時を経ても絶対に忘れない恐怖であるだろう。

 

「……あー、いやーまぁ、今思えばあれは流石にやりすぎだったよ、メンゴメンゴ」

「メンゴで済む話かーっ!!」

「……束ちゃん、もうちょっと真剣に謝ったほうがいいよ……?」

 

 そんな拷問めいた行為を、まるでいい思い出、みたいに笑って話す束へ、揃って激しいツッコミを入れる二人であった。

 

「あれ、本当痛かったんだからね! ……病院行ったら外傷とか何もなくてびっくりしたけど」

「そこは手加減したんだよ。なのちゃんが悪く言われたらアレだしね」

「……それが分かった時、アンタに少しだけでも人の心があるんだと思った私が馬鹿だったわ」

「アリサちゃん……」

 

 深々とため息を付いて頭を押さえるアリサを、すずかが慰める。

 

「まぁ、もう二年前の話だもん。とやかく言いはしないわよ。それで?」

「ん?」

「思い出話、するんでしょ? 続き言いなさいよ。ほら、あの一連の流れよ」

 

 アリサに言われて、束はくくく、と苦笑し、懐かしむように瞳を緩め、遠くを見つめながら話し始めた。

 

「うん……あの後、褒めてくれるかなーってなのちゃんの所に戻ったら……なのちゃん、私をぶったんだ」

 

 左頬を愛おしげにさすり始めた束の表情は、ひたすらに甘美な思い出へ浸っているように悦んでいた。

 

「お前たち、その時なのちゃんがなんて言ってたか思い出せる?」

「ええ、勿論覚えてるわ。確か……どうして目を見ないの」

「相手の目を見ないで、無理矢理力を使うのは最低だ」

「正解っ!」

 

 束にとってはその言葉こそ、この思い出の軸となる部分であるようだった。

 

「私もね。反論しようとしたんだよ。なのちゃんだって止めようとしたじゃん、言って止まらなかったらぶってたじゃん。それと私の今やったこと、何か違いがあるのかなって。暴力を振るうのに違いはないのに、どうしてなのちゃん怒ってるの、って。でもそしたら、なのちゃんは、なのちゃんは……」

 

――束ちゃん、この子達の目を見てなかった。見ようともしなかった。

――言うことを聞かせるのに力を使うのは、確かに私も、束ちゃんも同じで、どっちも間違ってるかもしれない、でも。

――相手の目も見ないで、無理矢理力を使ってねじ伏せるのは……最低だよ、束ちゃん! そんな束ちゃんは、大嫌いだっ!!

 

「ふ、くく、くひひひ、あはははは。素晴らしいと思わない!? 美しいと思わない!? この私に! 天才の束さんに向かって! そんな甘ったれたことを真っ向から言ってのける! ああ、なんてかっこいい、愛しいなのちゃん……!」

 

 束はその時のなのはの姿を寸分違わず思い出して浸っているようで、狂ったように笑い出す。耳障りな哄笑がリムジンの中いっぱいに響くが、アリサもすずかも、それをあえて止めようとはしなかった。

 なぜなら、二人共。

 ああまで大げさで狂っては居ないけど、その時のなのはを見て、その言葉を聞いて感じた気持ちは、似たようなものであったから。

 アリサはその言葉に勇気を感じ、束をきっと睨みつける姿を逞しくかっこよく思った。それまで自分に暴虐を奮っていた女の子に立ち向かってくれた、という吊り橋効果的なものもあるかもしれない。だがしかし、それでもアリサはなのはの言葉に胸打たれ、自分のそれまでの態度と行いを見直したのだ。

 きっと、すずかも同じように感じ、思い。それで、今のようにおとなしいながらも思ったことははっきり言える、優しく強い女の子になったのだ。

 そしてだからこそ。二人は束にどうにかこうにか、友人未満として付き合えて。時にはこうして、共感することも出来ている。

 

「……あ、でもあんた、その後なのはと大喧嘩したわよね」

 

 アリサの指摘に、束はぎくっ、と背筋を強張らせた。

 

「な……なんのことかなー? たばねさんぜんぜんおぼえてないなー」

「都合の悪いことだけ覆い隠すんじゃないわよ! あんた、なのはに苛ついてグーで殴ったでしょ!?」

「そうだったね……で、なのはちゃんも怒って組み付いて。敵わなくて何度も弾き飛ばされてたけど、泣きながら束ちゃんをポカポカ殴ってて」

「私はすずかに助け上げられながら、二人の喧嘩をぼーぜんとして、何も言えず見てた……意味が分かんなかったし、あの時は」

 

 その後、見ていられなかったすずかがやめて、と大声で叫んで。それで何かに気づいた束がぴたりと手を止めた時、なのはが彼女を羽交い締めにして押さえ込んだ。

 そうして大泣きに泣いたので、流石の束も何も出来ずに固まってしまい。

 終いには学校の先生に気づかれて、四人揃ってたっぷり叱られた、というのが出会いの顛末であった。

 

「いやー、あの時は後が厳しかった。ハゲ親父にも母親にもこっぴどく叱られたし」

「あたしも。怪我がないのを喜ばれたのと一緒に、やんちゃが過ぎてるって怒られた」

「私もお姉ちゃんから色々言われたっけ。もうちょっとしっかり、自分を持ちなさいって。確か、なのはちゃんもお父さんから、『言葉が届かない時の力の使い方』を教わったって言ってた」

 

 そんな四者両成敗を経て、アリサとすずかはなのはと一緒に居るようになった。そうなると自然、束もその中に混じってくる。最初はトラウマになっていてビクビクしっぱなしな二人だったのだが、なのはが側にいれば抑えてくれるということを学習し、一緒に登下校したり、遊びに行けるようになった。

 周りから、毎日いつも一緒の四人組と見られるようになるまでは、ひと月もかからなかった。

 

 

「……でもほんと、あたしたちも良くやってるって思うわ」

「ん? どういうことかい金髪凡人」

「よくあんたみたいなのと付き合えてるなってことよ。いきなりリムジン入ってきて、その目的がこんなへんてこな思い出話でしょ? 何が目的か分からないけど、他の子だったら逃げ出してるところよ」

 

 アリサの指摘は大げさではない。それどころか正鵠を射ている。

 事実、なのは、アリサ、すずか以外のクラスメートは、束のことを遠巻きに眺めるだけで触れ合おうとしない。まるで臭いものにフタをするかのように忌避し、遠ざけている。

 束もそれは分かっているようで、へらへらしながら傲慢っぷり全開で答えた。

 

「ははは、まぁ束さんは恐怖のマッドサイエンティストだからねえ。親がちょっと金持ちなだけの凡人愚人共を震え上がらせるのは中々にいい暇つぶしだ」

「そういう発言するから嫌われるのよ! ったくもう、少しはなのはだけじゃなく、私達にも感謝しなさいよ!? アンタがクラスの中で一人ぼっちになってないのは、付き合ってやってる私たちのおかげなんだからね!」

 

 そして、アリサが思わず述べた宣言にも、なお傲慢に応じていく。さしずめ、束さんの方がお前ら凡人に合わせているんだ感謝しろクズ共が、とでも叫ぶだろうか。

 そう予想した、アリサであったが。

 

「……そうだね。きっとそうだ」

「!?」

 

 素直に認めて首肯した束を見て、何か気味悪いものを見たような顔で束を見つめ、体を椅子の端にすすっ、と遠のかせた。

 

「あ……アンタ……」

「束ちゃん……?」

 

 見ると、すずかも全く同じような立ち振舞をしている。

 

「んあ? どうしたのさ、二人共」

「い、いやあんた、今のはキャラじゃないでしょ」

「ふぇ?」

「だから、キャラじゃない! あたしたちの言うこと素直に認めて首まで振って! なんなのよそれ! そりゃ馬鹿にされるよりはいいと思うんだけど、でもいきなりすぎて気持ち悪い!」

「あ、アリサちゃんそれは言い過ぎ……」

 

 アリサの言葉は驚きすぎて暴走し、気持ち悪いという言葉は案の定、束の機嫌をいたく損ねたようだった。

 

「はぁ!? お前ー! そりゃないだろ?! こっちは素直に心のままにやってるんだぞ!? それをキャラじゃないってなんだよ! 正しいことを認めて何が悪いんだぶっ飛ばすぞ凡人!」

「うっさい! いつもいつも上から目線であたしたちのことコケにするくせに! どうしてこういう時だけ正論吐くのよこっちはぐうの音も出ないじゃない!」

「私はいつも正論しか言わないんだぞ!? そりゃあまぁ私天才でお前らよりも上だから? 少し目線が上になって表現もそれに従ったものを使うけど?」

「嘘つくな! 絶対わざとやってんでしょあの馬鹿にした態度は!」

 

 そのまま言い争いに発展し、終いには歯を食いしばった怒り顔で睨み合う二人。

 そこに、くすくす、と小さな笑い声が走る。

 

「……何よ、どうして笑ってんのよ、すずか」

「いや、二人共急に仲良くなったなって」

「なってない! 第一こいつにとって私達は『友達の友達』でしょ!?」

 

 アリサの反論に、しかしすずかは微笑んだままやんわりと諭した。

 

「でも、距離は縮まってる。なんだか『友達』になってたみたいだったよ、今の」

「……そうかしら……でも……あたしは、束には……」

 

 それでも今の会話の暖かさを認められずに沈黙するアリサへ、今度は束が語りかけてきた。

 

「……束さんには、何かな?」

「うっさい、こっちの話。アンタとは関係ない」

「ええー? 束さんの方はせっかくカコバナを持ち出して、私自身の知られざる内面をちらっと見せちゃったってのに。ならそっちも何か一つ、明かした所で損はないんじゃないかな? というか公正な取引だ従いやがれ」

 

 なるほど、わざわざ思い出話など切り出した理由はそれだったのか。

 アリサはそう理解出来たが、ならばなぜ、自分のような凡人の内面を天才が見つめたがっているのかと不思議にも思った。

 だが、それを問いただしても答えはしないだろう。自分が最初に、束の質問に答えない限りは。

 

「……アタシはね」

 

 だから、アリサは話すことにした。

 なのはと出会って正道を見つけた時、同時に砕かれた一つの夢を。

 

「自分を天才だと思ってたのよ」

 

 その言葉に、すずかは黙して驚き。束はいつもの笑みを浮かべながら、じぃ、とアリサを見つめ始めた。

 

「言ったでしょ。昔の私はサイテーだったって。それがなんでかっていうと、つまり自信があったから。小学校に入る前の私は周りよりも成績良くて、運動だって出来て。パパもママもグランパも、そんな私を褒めてくれた」

 

 幼いころのアリサの周りには、彼女以上の才能を持つ人間が一人も居なかった。それは運もあるだろうが、それ以上にアリサ自身が努力家で、なおかつどんな方面にもある程度の才能を持っていたからである。

 だからそれを親は喜び周りは認めて、天才少女だと褒めそやす。

 アリサはそれを、本気にしてしまった。

 

「馬鹿だったのよ。たまに失敗して怒られたり失望されたりもしたけど、それはとことん無視して、自分のいいところだけを見てどんどん我儘になってく。だからすずかにあんなこともした。でもね」

 

 しかしその自信は、二年前のその日、篠ノ之束と出会ったことで強制的に打ち砕かれた。

 アリサは肉体的に打ちのめされただけでなく、その後彼女を知っていくたびに、その特異すぎる才能と日々成長し肥大化し続けていく能力を見て、それに比べた己の才の無さに気づいたのだ。

 

「あんたに会った時、怖くなった。こんなやつが居るんだって分かって、じゃあそいつと比べたら私はなんだ、ただの生意気な小娘でしかないじゃないかって、気づいたのよ」

 

 アリサ・バニングスをワガママないじめっ子に仕立て上げていたプライドが、残り余さずバキバキに折れて散るくらい、束とアリサには差があった。

 絶望的で、例え一生を捧げても埋まらない才能と能力の格差。

 

「それから、なのはみたいにもなれない。あいつほど強い心を、私はとても持てないわ。だから、あたしは束には届かない。同じものを、同じ目線で見ることが出来ない」

「アリサちゃん……」

「だって私、凡人だから。束、あんたは本当に嘘をついてないのよね。私あんたに敵わないもん。どう頑張ったって無理なんだもん」

 

 語尾が、口調が乱れていく。それは心の震えを表す。

 アリサは目をつむった。瞼に押し出されるかのように、一筋の涙が溢れた。

 

「悔しい? ええ、そんなことないわよ。でもムカつくの。アンタたちに追いつけない自分が。情けなくってムカついて。ねえあんた、今何やってんの? なのはと一緒に、また何か変なことやってるわよね?」

「……」

「ほら、答えない。だってあたしたちじゃついてけないから。力が足りないから。レベルが足りなくてリストラしちゃうのよね、スタメン外れちゃうのよね。分かるわよ、同じ立場なら私だってそうするわ。でもね!」

 

 アリサは叫ぶ。己の本心を、高らかに。

 

「私は嫌なの! アンタたちと二年間、曲がりなりにも一緒にやってきて! それで仲間はずれにされる……そんな自分に腹が立つ!」

「っ……」

「ねえ、どうしたらアンタみたいになれるの!? どう頑張ればなのははあたしに……あんたにするみたいに、秘密の隠し事を喋ってくれるの!? 答えてよ、答えてっ……答えなさいよっ!!」

 

 ごしごし、と涙を拭ったアリサが、その赤らんだ目で束を睨む。これが私の本音。あなたの聞きたかった本当の気持ち。

 じゃあ、あんたそれを聞いてどうするのよ。と、無言の内に打ち付ける。

 それを受け止める、束は。

 

「……ふ、くくくく、そうか、そうなんだね、『アリサ・バニングス』」

「え……ちょ、アンタ今なんて」

「それが友情。ああ理解できるとも。束さんには全部わかるんだ」

 

 アリサのフルネームを、(しっか)りと呼んで。

 

「それで、月村すずかもそうなんだね? 君は普通じゃない(・・・・・・)けれど……私みたいに飛び抜けてもいない。その差を埋めて、同じ所に立ってみたい。どうかな?」

 

 すずかの姓名も明確に呼び、質問する。すずかは若干の間、悩むように俯いたが、やがてぽつりと呟いた。

 

「……私も、アリサちゃんと同じかな。友達が迷っていて、困っているなら力になりたい。それは当然のことだし……」

「うん、それも実に単純、明快な友情だね」

「でも、私たちには追いつけないって、何となく分かるの。まるで二人とも別の次元に、別の世界に行っちゃってるような感覚があって……理由は、よくわからないんだけど」

「はっ、ははは! そりゃあそうだ。確かに結界の中はそういう世界だからね、その受け取り方、月村であるが故と予想するよ」

 

 アリサにはまるで意味の分からぬすずかの独白。しかし束はそこからも何かしらの事実を掴み取ったようで、ほくそ笑みながら更に続けた。

 

「で、君たち……今の話をまとめると、私たちに追いつきたい(・・・・・・)ってことになるよね?」

「……そうよ」

「うん……」

「なら……そのための手段がある、と。この天才の、全知全能の束さんが言ったらどう思うかな?」

 

 瞬間、静まり返る車内。呆気にとられるアリサとすずか。

 束は傲然と語り続ける。

 

「ただし、それを知ればもう後戻りは出来ない。この平和な日々の裏で何が起こっているか、何と何とが戦っているかを見なきゃいけない」

 

 それはまるで、分厚い門の前に立ちはだかっている番人のように。

 

「目を逸らしたほうがきっと幸せに生きられる。なのちゃんは君たちを守ろうとしているんだよ。危険で危ない奴らから。この街を、この世界を。そこには戦いがあって、なのちゃんだって傷つくし、だからあんなに疲れてる」

 

 二人の勇気を試すように。

 

「私は君たちに、そこへ向かう『翼』を与えよう。とびきり最高級の発明品さ。君たちが一言、イエスと言えばそれで決まる。私はそれに委ねるさ。でもそれは、君たちにとって必ずしも幸福ではない。傷き倒れて、落ちちゃうかもしれない。さあ、どうする?」

 

 だが。

 

「らしくないわね」

「うん、らしくないよ」

 

 二人揃って、言い返す。束のそれが伝染したかのような、不敵な笑いを浮かべて。

 

「へえ?」

「あんたにしちゃ随分戸惑ってるわねってこと」

「普段なら、私たちに何も言わず、勝手に進めちゃうじゃない。それが『委ねる』なんて、ねえアリサちゃん」

「ええ。あたしはとっくに覚悟できてる、すずかもでしょ?」

 

 アリサとすずかは互いの瞳を見つめ合い。その奥に澄んだ意志の炎を確認して、心を通じ合わせた。

 

「うん。だって……なのはちゃんが居たから、私は一人ぼっちじゃなくなったんだもの」

「アタシもそう。なのはには大切なことを教わった恩があるし……ついでに、束。アンタにも……身の程を教わった、と一応付け加えておくわ。あくまで一応だけどね。だから……アンタたちの力になれるなら、なってみたい」

 

 それを聞いて束は笑い出す。明るく、そして激しく。なのはの一挙一動を見守り、そこに楽しみを見つけ出した時のような、陽性の笑いであった。

 

「ふふ、あはははは! いいねえいいねえ、期待以上だ! なんだよお前たち、何時からそんな非凡人めいたセリフを吐くようになったんだ!? ほんのちょっっとだけ、楽しめたじゃないか!」

 

 ぐん、とブレーキがかかってリムジンが止まる。ちょうど、目的地であるピアノ教室に到着したようだ。

 ちょうど話も終わる雰囲気である。こうもタイミングがぴったりなのは、束の『予測』を利用した話術によるものだろう。

 両側の扉が開かれ、アリサとすずかが降りる。その後に降りた束は、何時かのジェットパックを背中にくっつけていた。どうやら、懐に『分解』して隠していたのを一瞬で構築したようだ。

 それから、人参型のトランシーバーらしき小物を口に近づけ、何かと交信している。

 

「……うん! うんうん! ちょうど始まったみたいだね。で、状況は……一進一退。ああそれはいいんだ助手よ、目当てのジュエルシードはどうなって……くはっ! そうかそうか、それはいい!」

 

 話は何やら好都合に進んでいるようで、るんるん、と踊るように足踏みしながら話していた束は、不意に、それを見つめるアリサとすずかへ振り向いた。

 

「……決心は決まったよ。こうなったら束さんも迷わない。そういう理由が出来た。ありがとう。君たちのおかげだ」

「え……!?」

「この礼は近いうちにきっとさせてもらうよ。楽しみに待っててね。それじゃあ、アデュー!」

 

 それだけ言うと、束はジェットパックに火を入れて、どこか遠くに飛んでいってしまった。

 二人はその残影を見つめるかのごとく、数分の間虚空を見つめていた。




アリサ「……ねえ、あのジェットパックって、束の背中に背負わなきゃいけないくらい大きかったわよね」
すずか「うん、普通のランドセルよりちょっと大きいくらいだよ」
アリサ「そんなもの、分解できたとしてどこに隠しておけるのよ」
すずか「……えーと……その……一瞬だけど、あの長いスカート思い切りまくって、その中から、がしゃがしゃって部品取り出していたのが見えたような」
アリサ「うわぁ……」
すずか「うわぁ……」

てなわけで、ロングスカートには夢があると思います。
次回投稿は2017年06月08日(木) 18:00です。


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第十二話:掴むは夢と憧れと

 人の気配が消え、静まりかえったビル群を、青白く照らす宝石。それを巡って、魔法少女とそのお供たちは今日も衝突する。

 黒い防護服をまとった少女が金色の刃の鎌を振りかざして、白い防護服の少女へと突貫すれば、その直線状に割って入り妨害するのはのは緑色の魔力を身に宿した少年。一方白い服の少女は、傍らで機を伺っていた橙色の狼へ、牽制するように魔力弾を打ち込む。

 回避した狼は、黒い服の少女の側に合流し。次いで少年も、白い服の少女の側へ戻った。

 三人と一匹、共に僅かながら、息を乱している。すでに十数分ほど、激戦を繰り広げているのだ。

 魔導師の少年、ユーノが、白い服の少女、なのはの前に出て、敵の一人と一匹に問いかける。

 

「なんで君たちはジュエルシードを集める! アレは危険なものなんだ!」

「ごちゃごちゃうるさい! 邪魔を……するな!」

 

 返答としてもたらされたのは、狼からの罵声と突撃。

 回避のために散開する二人の内、ユーノに追いすがってきたのは狼のアルフ、そしてなのはを追撃するのは――黒い服の少女、フェイトであった。

 なのはは即座に射撃魔法を展開。物凄い速さで接近してくるフェイトに向けた杖先、その周囲に四つの桜色の塊を形成した。

 

《Divine Shooter》

「てぇぇぇいっ!」

 

 掛け声とともに打ち出されるそれらは、ただ直線的に発射されるシュート・バレットではない。戦う内に新しく習得した、誘導型の魔法弾である。

 故に、一度回避されても曲線的な挙動でフェイトの機動を妨害し、なのはへの接近を阻む。

 これまでの戦いでは近づかれっぱなしのやられっぱなしだったなのはが、知恵と戦術を振り絞り用意した牽制手段であった。

 だが、ここでフェイトは飛行コースをなのはへの一直線からずらして変える。すると、まだ誘導の甘い魔法弾は容易に交わされ続け、やがて魔力を失い大気中に掻き消えた。

 回避に専念されれば、こうもあっさり対処されてしまうのが、なのはの魔法の限界点であった。

 

《Photon lancer Get set》

 

 そして、反撃の魔法弾がなのはに襲い来る。

 こちらはなのはの誘導弾と違って直線的であり避けやすいが、その分弾速が早く威力も割合高いため、油断は出来ない。なのはは両足に展開している飛行魔法、ファイヤーフィンの翼を操作し回避するが、フェイトの槍弾は次から次へと放たれていく。

 一つ一つ丁寧に、大振りな動きでかわしていくなのは。しかしその間、得意の砲撃魔法のチャージも、先程放った誘導弾の射出準備も出来ていなかった。今のところノータイムで撃てるシュートバレットでは、フェイトの機動を掴みきれない。

 中距離の弾幕戦においても、依然なのははフェイトに届いていない。

 ここまで実戦をこなしてきて、未だに圧倒的な練度不足という現状の露呈。

 そして、この戦いは決して、一対一の戦いではないのだ。

 

「……来る!」

 

 なのははそう無意識につぶやくと、橙色の光を纏い吠えながら突っ込む狼の魔力反応を感じ、それが背中にぶつかる寸前で右に機動をずらし、回避した。

 

「ちっ、よくかわしたね……でも!」

 

 突進の速度を殺さぬまま、なのはの眼前に現れた狼は、己に内包した魔力を弾けさせ――耳だけにその名残を残し、逞しくも豊満な青年女性の姿へ変化する。

 そして、握りしめた右拳を振りかぶり、魔力を充満させて再び突撃を敢行した。

 間合いは近く、アルフの速度はかなり早い。回避は不可能であり、なのはは自分の前方に防護魔法、ラウンドシールドを展開して狼女の拳を受け止めた。

 

「フェイトの邪魔をするな!」

「邪魔したくはない! 話を聞きたいだけ!」

「ぬかせ! 優しくしてくれる人たちの所で、ぬくぬく育ってるようなガキんちょに何が分かる……!!」

 

 何かとてつもなく淀んだ、執念のようなものが滲み出ているアルフの叫び。それに呼応するかのように、彼女の右拳からあふれる魔力が、なのはの防御にヒビを入れていく。

 

「っ……!」

「このまま、ぶち抜くっ!」

 

 拳が桃色の膜を切り裂き、徐々に徐々にとその裂け目を広げながら迫ってくる。

 それを見て焦りながら、しかしなのははそのまま持ちこたえ続け、己の相方に一つ、念話を送った。

 返答は是。どうやら予定しているよりも早く準備を終えていたようだ。

 その幸運と、ユーノの努力に感謝しながら、あと少しで砕けてしまいそうな防御魔法を必死に保ちつつなのはは呼んだ。

 

「いいよ、ユーノ君!」

「よし! 任せて!」

 

 突然、アルフの周囲、四方八方から緑色の鎖が伸び、彼女の四肢を捕らえて縛った。

 

「な……っ、設置型のバインド!?」

「追い込んだと思っただろ? 追い込まれたのはそっちだ!」

 

 近くのビルの屋上で魔法陣を展開し、この複雑な束縛術式を制御しているユーノ。なのはは彼と協力し、戦闘の最初からこの状況を狙っていたのだ。

 未だ実力の及ばぬ二人が、せめて一矢届かせんと懸命に考えたコンビネーション・プレイである。

 

「流石ユーノ君!」

「なのは、今だ!」

 

 なのはは万一の妨害を考え、ユーノの元へと後退しながら砲撃魔法のチャージを終える。アルフは必死にバインドを外そうともがいているが、拘束魔法を得意とするユーノの術式は、簡単に外れることはなく。

 そして、拘束されている目標を狙うのならば、外すこともなく、そして防がれることもない。

 

《Divine》

「バスターっ!」

 

 まずは、使い魔を落とす。そうした後に、二対一でフェイトを相手取れば、いくら相手が上だとしてもやりようはある。

 そういう論理の元で組み上げられた、なのはとユーノの戦術、詰めの一手が桜色の砲撃となってアルフに降り注いだ。

 が、しかし。

 

《Defenser》

 

 寸前、金色の光の筋がアルフの前に飛び込んで。なのはの砲撃を、片手と防御魔法とで押さえ込んだ。

 

「フェイト!」

「大丈夫、これくらいならまだ防げる……!」

 

 魔力の波濤をかき分けるように立ちはだかるフェイトの魔力は、おそらくかなりの消耗を強いられていることだろう。なのはの全力砲撃には、それくらいの威力がある。

 だが、都合六、七秒ほど続いた照射時間が終わっても、フェイトは多少息を荒げるだけで怯まずに、デバイスである斧を構えていた。

 

「……強い、強いね。フェイトちゃんって、とっても強いんだね」

 

 なのははその有様に心を震わせ、敵でありながらある種の感嘆すら覚えた。

 だから、油断なく杖を構えたまま、彼女との対話を試みる。こんなに頑張っている女の子が、例えばジュエルシードを悪用して邪悪な願いを叶えるというような悪人には、どうしても見えなかった。

 

「目的があるなら、ぶつかり合ったり競い合うのは仕方ないかもしれない。でも、何も知らないままじゃ嫌なんだ」

「……」

「私がジュエルシードを集めているのは、ユーノ君の捜し物だから。私はそのお手伝いで……」

 

 だが、それはきっかけでしかないと、なのはは更に付け加える。

 

「今は、自分の意志でジュエルシードを集めてる。自分が暮らしてる町の人や、自分の周りの人たちに、危険が降りかかるのは嫌だから……それが、私の理由だよ」

 

 まっすぐに、目を見て、堂々と。

 父親から教わった、話をする時の作法を思い出しながら、なのはは語り、そして終えた。

 それを受けて、フェイトの黒雲のように濁った瞳の中で……パチリ、と何かが奔ったようだった。

 

「わた、しは……」

「言わなくていい、フェイト!」

 

 だが、フェイトの小さくか細い声を、アルフの叫びが遮る。

 

「ジュエルシードを持って帰るんだろ!? 必要なんだろ!? なら、言うな!」

「っ……アルフさん!」

「こんなアマちゃんの言うことなんか聞くんじゃない! あたしに構わず……ジュエルシードを確保するんだっ!」

 

 その時、なのはとユーノ、それからフェイトの耳目が一点に集中する。

 激闘の最中、ジュエルシードは放置されたまま、二人、そして一人と一匹の間に浮遊している。

 若干なのはとユーノ側に近い位置ではあるものの、フェイトの飛行速度は二人よりも段違いに早い。

 

「……っ!!」

「なのは!」

「分かってる!」

 

 縛られたままのアルフから離れて、ジュエルシードへ一直線に突っ込むフェイト。それからコンマ数秒ほど遅れてなのはも飛んで向かう。

 青色の誘蛾灯、そこに向かってまっすぐに飛ぶ、白と黒、二匹の蝶。

 互いに魔杖を振りかざし、絶対に譲らないという強い気持ちを魔力に換えて。

 その杖先が、宝石を挟んで交わった、その時。

 

 キィィィィィィィィンンッ!!!!

 

「……っ!?」

「ぁ……!?」

 

 青から白に、眩く変わりゆく光が二人を包み込み、その全身を押し出して宝石から弾き飛ばした。

 なのはの体は空中を転がり地面に激突しかけたが、ビルの屋上から降りてきたユーノにキャッチされる。一方フェイトも、ユーノが術式を解除したことにより自由となったアルフに受け止められ、体制を立て直した。

 

「これは……あの子の魔力となのはの魔力の衝突? いや、それだけじゃない……まさか!」

 

 痛みに耐えながら目を開いたなのはの目線の先で、ユーノが冷や汗を流している。

 

「ユーノ君、何があったの!?」

「ジュエルシードの暴走……不味いことになった……」

「ねえ、ユーノ君!?」

「次元震……! でもまだ小規模だ、今止めれば間に合う。僕が止めなきゃ……!!」

 

 なのはを地面に横たわらせて、ユーノはジュエルシードへとひた走る。追いすがろうとしたなのははしかし、自分の左手に持つ愛杖の姿を見て愕然とした。

 どれだけ魔力を注ぎ込もうと破損しなかった頑丈なデバイス、レイジングハートの全体に無数のヒビが刻まれている。

 これでは、あのジュエルシードに封印魔法を打ち込むことは出来ない。ならば、直接手で触れて、封印するしかないのだが。

 

「危ないよ、ユーノ君っ!」

 

 それがどう考えても危険な行為であるということは、なのはにも分かっていた。

 だが、ユーノは止まらず空を飛ぶ。

 そして更に遠くを見れば、フェイトも傷ついたバルディッシュを納め、ジュエルシードを直接その手に掴まんと駆け抜けている。

 ならば、自分も行かなければ。何が出来るかは分からないが、とにかく。

 

 そして、ダメージを受けた体に活を入れ、立ち上がってよろよろと走り出そうとした、その時――

 

「いいいぃぃぃぃぃぃぃいやっはあああああああああああ!」

 

 ジェットパックを装着しながら、まっすぐジュエルシードに向けて垂直落下する束の姿が、なのはの瞳に映った。

 四者揃って唖然としながら、くるくるくると何回も前宙して勢いを殺しつつ垂直降下しアスファルトの地面に降り立つうさみみ少女の姿を眺めていた。

 

「た、束……!?」

 

 その中で、いち早く再起動したのはユーノだった。右手を近づけ追い払おうとする。一体何を企んでいるのか知らないが、とにかく魔法の使えない少女がジュエルシードの側にいるのは危険である。

 それから数瞬程遅れてフェイトも正気を取り戻したようであり、同じく彼女の行く道を遮らんとするが。

 

「邪魔だよ君たち、どいて」

 

 束はそれを意にもせず、前へと歩み、今や不安定になりかけて鼓動し、魔力の波動を周囲に放つ青白い宝石へと身を踊らせた。

 

「束ッ!」

「なあに、大丈夫大丈夫。助手は万が一のために封印魔法を準備しといて?」

「何をする気なんだ!?」

 

 ユーノのその問いに束は答えず、ただ口元をひたすらに歪ませ、勝ち気な瞳で目の前の宝石を睨みつける。そして、右腕に嵌め込んでいる白い金属の腕輪に手を当て、目を閉じて。

 

「……起動。右腕部限定展開」

 

 と唱え、右腕を真横に突き出した。すると腕輪から光が広がって、束の右腕を包み込み、おぼろげな像を形作る。それはまるで、肘から下の全体を包むような装甲。そして、猛禽を思わせるような形の爪部を持つ大きな手のようであり――

 事実、そう形成された。

 光が実体化して質量を持ち、鉄と機械で構成された無骨な腕部となったのだ。

 

「な……?!」

 

 ユーノが驚く、その理由はなのはにも理解できた。同じなのだ。今なのはがもって、握りしめているデバイスや、身に纏っている防護服。その形成法と全く、同じ風に見えたのだ。

 束は魔力を持っていないはずなのに。見れば、自分たちと同じくフェイトとアルフも驚いてその場から動けないようだった。

 宝石を睨み続けていた束が、ちら、とユーノへ振り向けばその驚愕に気づいたようで、呵呵と嘲笑いながら説明を始める。

 

「……あぁ、こいつは魔法じゃないよ。まぁ、デバイスやバリアジャケットの構築メカニズムを応用して、物質を量子格納したのをコアメモリに保存して再構成する。格納と保存まではうまくいってたんだけど、如何せん再構成が難儀でね。そこに魔力素を利用した物質構築法でしょ? ぴったんこだったよ、ホント」

 

 なのはには何がなんだか分からぬ長広舌であったが、ユーノは少しながら理解できたらしく、驚き顔の目をさらに見開き、口をぽかんと開けている。どうもまた、相当に常識外れなことをやらかしているらしい。

 

「さて、という訳で」

 

 束はそんなユーノを一瞥するだけで、再び青い宝石へと向かい合い。

 鋼鉄の右腕部を前に伸ばし、機械の五指を思い切り開いて――ジュエルシードをその手に握った。

 

 瞬間、魔力の暴風が吹き荒れる。なのはとフェイトがデバイスをぶつけ合った時と同じか。いや、更に強く、激しい光と風の暴虐が、束の周囲を舞い包んでいる。

 ユーノとフェイト、どちらも吹き飛ばされかけながら必死に立っている。束本人も風に煽られ僅かに揺らいだが、しかしたたらを踏んでしっかりと持ちこたえていた。

 

「束ちゃんっ!」

 

 当然、なのはは走り出す。身体が軋むのなど関係なしに。友人のあの状態が危険と隣合わせであることなど、考えるまでもなく理解できるのだ。

 だがしかし、ジュエルシードが発する魔力は、暴風どころか超絶的な圧力となって、なのはの前進を阻み出す。見ると、ユーノもフェイトもその熱と圧に耐えきれず、束とジュエルシードから離れてしまっていた。

 

「束……君は!」

 

 信じられない、という声色でユーノが絶叫する。

 

「君は何をしているんだ! そんなことをしたら、次元震が起きる! 小規模でも辺り一帯が消し飛ぶよ!?」

「なあに、大丈夫、すぐ収めるから」

「何を根拠にそんなこと!」

「こいつのメカニズムはもう知ってるんだよ。なのちゃんが手に入れてくれたものと、後は――自前で手に入れたあの(・・)一個を参考にしてね」

 

 そう言って、束はフェイトの方を振り向く。彼女は――それが何か、見当が付いているようで――なのはたちと同じように、驚き立ちすくんでいた。

 

「知ってるって……!」

「膨大な魔力を願望実現の手段にするというコンセプトはさほど間違っていなかった。でも問題は、こいつを作った世界に優秀な魔導技術者が存在しなかったこと。プログラムが欠陥品どころの問題じゃない。いい加減であやふやで、未完成で。こんなんで世に出した奴らの正気を疑うよ」

 

 その時、なのはがちらとだけ覗けた、束の表情は。

 いつもの浮ついた笑顔のまま、微かな怒りで眉を潜ませているように見えた。

 

「だから、何もせずとも近くの人間や生物の願望に反応して思念体になる。動物が拾えば、その願望に反応してそいつを強化したり、大きくさせたりする。じゃあ人間が使えばどうなる? 動物よりも大きい脳味噌で考える強い願望に反応して、危険に暴走してしまう」

「だ、だから封印しなきゃいけないんじゃないか! それを……どうして、敢えて発動させるような真似を!?」

「さて、何故人間が手にしたら暴走してしまうのか? それは『手綱を握れていない』からなんだ。思念体として弱く発現させるでもなし。しかしてプログラムを制御し魔力の手綱を握れるほど強くもない。そんな中途半端さが、願いなど無視した暴走を引き出してしまう」

 

 で。あるならば。

 

「……もっと強い、常人より遥かに強く純粋で、しかも雑念なしの単一の意思を打ち込んだなら……どうなると思う?」

「な……そ、そんなことが出来るわけ」

「出来るッ!!」

 

 ユーノの言葉を、束が叫んで否定した。

 

「私は天才だ! ぜっったいに出来る! 出来る! そう信じる! 信じて信じて信じ抜く、それがジュエルシードの操縦法さ!」

 

 そこで、なのはは漸く気づいた。

 篠ノ之束は、自分が天才であると信じている。そして、そんな自分に不可能など何もないという事も固く、固く固く信じきっている。

 そんな束の意思はきっと、ジュエルシードの暴走を許してしまう常人のそれよりも澄み切っていて純粋で。不屈で堅固で頑迷で、まるで狂っているような。いや、きっと狂っている。

 ああ、常人から見たら、篠ノ之束は狂いきっているのだ。

 自分は何でも出来る、全てを知っている、万象全て己の手の中。そんな妄想はそれこそ小学校低学年くらいで切り捨てられる幼い想いだ。

 だが。だがそれでも、彼女は信じる。信じ抜く、そのずば抜けた頭脳と神様に整えられたかのような身体の全てを使って、自分は天才であると証明しようとする。

 だからこそ、篠ノ之束は挫けない。例えどんなことがあったとしても、どれほど打ちのめされたとしても、自分は天才であるからきっと出来る、夢を叶えられると信じて信じて邁進する。

 正に不屈の心(レイジング・ハート)

 だから、その願いは他の何より熱く激しく、青い宝石に届き――

 

621130533053306b98583046(我ここに願う)

 

 束の口から、歪みきって聞き取れぬ奇妙な祝詞が流れたその瞬間。

 なのはの目が映し出す世界、その像がボヤケて、ぐらりと揺れた。

 身体に揺れは感じない。しかし、世界が揺れ動いている。

 莫大、などという言葉では説明しきれないほどに凝縮し密集した魔力が、結界内の空間そのものを不安定にしているのだ。

 

「これは……僕達のもの(ミッドチルダ)とは別の魔法式……!?」

4e8c53414e00306e805677f330883001 (二十一の聖石よ、)5931308f308c305765e74e16754c306e6b2072473001 (失われし旧世界の欠片、)305d306e529b3092985573fe305b305730813088(その力を顕現せしめよ)

 

 もはや、誰にも手出しはできない。フェイトもアルフもユーノですらも、呆然としながら見守るだけだ。

 

「次元震……いや、違う……あんな無秩序で破壊的な波動じゃない。制御されている……まさか、そんな……」

「そう、これがジュエルシードの正常な発動形態。おおよそ魔力というエネルギーを使って叶えられる願いなら、何でも叶えられる奇跡の宝石。まぁ、出来損ないではあったけど……そこはそれ、束さんの天才的頭脳でプログラムをフォローしつつ、強靭な意思の力でこう……ねっ!」

 

 瞬間。束の周囲に渦巻く魔力が、全て雲散霧消した。同時に光輝く、束の全身。リンカーコアを持ち魔力を感じることが出来るなのはには、束の肌を境界線にしてまるで反転したかのように、外の空間から束の中へ魔力が移っていると把握できた。

 そして、ジュエルシードからも更に魔力が放たれる。今度は外側には逃げず、握った手から全て束へと注ぎ込まれているようで――

 

305d306e70ba306b6211306f3001(その為に我は、) 771f 646f306b30573066 (真摯にして)7d147c8b306a308b9858 30443092(純粋なる願いを)30533053306b636730523093(ここに捧げん)

 

 同時に、束の右腕部にある鋼鉄の篭手がバラバラに砕けた。

 束は剥き出しになった素手で尚ジュエルシードを掴むがしかし、膨大な魔力の波が、束の身体を内側から傷つけているのか。

 右腕の肌に赤い亀裂が幾重にも走り、鮮血が吹き出した。

 

「ぐ、あぁああっ!!」

 

 苦悶の声。恐らく『分解』まで使って、必死に魔力を制御しているのだろう。切り刻まれた下腕部の表皮から、流れ出す血は、魔力の高温によって気化していくのか、赤黒い霧となって漂う。

 なのはには、何も出来なかった。それがただただ、悔しかった。

 そして、傷つきながらも真っ直ぐに、ジュエルシードへ向かう束の姿を――美しい、とも感じた。

 

「束っ!!」

「束ちゃん!」

 

 二人の叫びは、どうにか束の耳朶には届いたようで。束は両者に、にこ、と儚げな笑みを返してから、自分の腕を切り刻む青い宝石へ、最後の思念を叫び送った。

 

「さあ、ジュエルシード! お前が本当に、願いを叶える宝石だと言うならば! この束さんの! 熱い熱い想いを受け取れッ! これが私の想いだ! 私は――天才になるッ!! 遍く全てに『翼』を授ける! そのために――!!」

 

 束の叫びに答えて、その手の中にある宝石が、どくん、と鳴動した。

 それで、全てが終わった。先程まで荒れ狂うほどに放出されていた魔力はぴたりと止まって、束の肉体を破裂させてしまうように見えた大魔力も、幻であったかのように薄れていた。

 

「………ぅっ」

 

 ばたん、と生身の倒れる音。束だ。

 なのははすぐさま駆け寄って座り、仰向けに倒れた彼女の頭を膝に乗っけた。

 

「束ちゃんっ! 束ちゃんっ!」

「ぁ……なの、ちゃん……ぅっ、ぐぅぅ」

 

 なのはの顔を見た束は、安堵したように微笑み、その直後に頭を抑えて苦しみだした。鼻血が吹き出ている。

 遅れてユーノも束に近づき、ボロボロの右腕に治療魔法を掛けながら、ひきつった声で叫ぶ。

 

「束……!! なんて無茶を……!」

「だい、じょーぶ……成功したから……予測した数式(ジュエルシードの世界の魔法式)もぴったんこ、ばっちりかっきり大成功……」

「何が成功なんだ! そんなに傷ついて!」

 

 その問いに、束はニンマリ笑みを浮かべて。

 

「思いつくんだよ……ついさっきまで、考えも出来なかったアイデアが、いくつもいくつも……」

「え……?」

「魔力での頭脳活性化……いいねぇ、最高の気分だ。あぁぁ、そうだよ。そうすればいいんだ。分かる。道筋が浮かんでくる。あぁ、こうしちゃ、いられないなぁ。ねえ助手、私をラボに運んでよ。早速形にしなきゃだよ。頑張らなきゃね。あぁぁ、そう、そうだよ。今は自分のためだけじゃないんだ。あの無力で無能な二人のためにも。ふふん、いいねぇ、おまけ程度ではあるけど、ちょっぴり嬉しさ増強だよ……」

 

「だめぇぇっ!!」

 

 なのはは泣き叫んだ。泣き叫んで、大粒の涙を束の顔面に落としながら、金切り声で喚いた。

 

「どうしてそんな無茶するのっ!? 何も知らないし、理解できないけど、でも分かるよっ! 一歩間違えてたら、束ちゃん大変なことに――!」

「泣か、ないでよ、失敗しても死にはしなかったんだから。最悪……まぁ、全治数ヶ月程度だし。私がダメでも、助手とほら、今逃げてった金髪ロリが」

「そういうことじゃ、ないっ!!」

 

 既に崩れ落ちつつ有る結界の中へ、なのはの悲痛な叫びが響く。

 

「どうして!? どうしてそんなになるまでするの!? 痛いんでしょ!? 辛いんでしょ!? 私は嫌だよ、傷ついてる束ちゃんを……友達を見るのなんて! だから、教えて!? どうしてそんなに……!!」

「なのちゃん」

 

 束の答えは、なのはへの呼びかけにあらず。それが、答えそのものだった。

 

「え……」

「なのちゃんが居るから。なのちゃんに近づきたいから。なのちゃんみたいになりたいから。だから私は――天才になりたい、のさ――」

 

 その、呻きに似た声を絞り出したのを最後に、なのはの腕の中で、束は目を閉じ脱力した。




束「厨二詠唱、はじめました」

というわけで如何でしたでしょうか、オリジナル詠唱。
本当はどこかの神話とか参考にしようと思ったんですが、参考書的なものが見つからんのでオリジナルに。
次回は2017年06月09日(金) 18:00投稿です。


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第十三話:あなたがいてくれるから

 再び意識が戻った時、束はラボに居て、かつてユーノを拘束監禁して解析していたベッドの上に寝ていた。

 

「束ちゃん!」

 

 真っ先に聞こえたのは、悲痛に満ちた友達の声。仰向けの束を上から見つめながら、真っ赤になった瞳からぽろりぽろりと涙を流している。

 そのまま周囲を見渡せば、地面に座ってぐったりと眠りについている助手の姿も見えた。どうやら限界近くまで治療魔法を掛けてくれたようで、ボロボロに傷ついた右腕の傷が既に塞がれていた。

 現状を確認し終えた束は、なのはに向かって応答しようとするが。

 脳内へ走る知識とひらめきの電流に呑まれ、何も喋れずにいた。

 シールドエネルギーシステム。絶対防御。ハイパー・センサー。パッシブ・イナーシャル・キャンセラー(PIC)。コア・ネットワーク。ワンオフ・アビリティ(単一仕様能力)シフト(形態移行)システム……。

 本来この世界の技術レベルでは百年以上待たねば実現不可能であるそれらの理論と具体的な実現法。その全てが、束の脳髄に焼き付けられているのだ。

 ジュエルシードを利用した、身体、とりわけ脳髄の一時的な活性化。それにより自分の限界以上の知力と発想を引き出して、その全てを脳に記録させる。そんな束の作戦は、見事に成功した。

 これならば、今作っているあれをすぐにでも完成させられる。37%を一気に100%へ出来る。

 束は賭けに勝ったのだ。

 だがその代償は、中々に大きいようだった。

 まず、右手の大怪我。事前の計算通り、ユーノの治療魔法で粗方傷口は塞がれているようだが、少し指を動かしただけでずきずき、と痛みが走る。暫くは養生する必要があるだろう。

 それから、身体全体に魔力を流した反動が来ている。節々に関節痛があって、体力がほぼ無くなっているのか起きることすら気だるい。肝心要の頭も、こめかみが疼き、頭を鉄の輪で締め付けられているような感覚がある。集中しなければ、意識を失ってしまうくらいだ。

 だが、そんな肉体的損傷よりも、何よりも。

 束は、なのはを泣かせてしまった。

 覚悟の上ではあったのだ。例え成功したとしても肉体的ダメージは半端でないと分かっていて、傷つく束の姿を見たら、なのははきっと悲しむだろうと、予想は出来た。

 だが、事実その通りになってみると。これがどうにも見ていて辛い。自分の心まで悲しんできてしまうのだった。

 

「なの、ちゃん……」

「束ちゃん! 良かった、目が覚めて……」

「ラボまで、運んでくれたんだね、ありがとう」

 

 口腔まで気だるいのを動かして、やっとのことで話した束の前で、なのはは再び涙を流していた。

 

「本当に、無事でよかったよ……束ちゃんに何かあったら、わたし……」

 

 そうしているなのはは本当に悲しそうで、そうさせてしまった自分への自責の念なんてものも生まれてしまうが。

 それを覆い隠し、束はあえて皮肉めいた笑みを浮かべた。

 

「なんだいなのちゃん。別に……死んだわけじゃないんだよ」

「分かってるよ! でもきれいな腕がめちゃめちゃになって、血が出て……そんなの見て心配にならないわけ、ないよ!」

 

 それはそうだ。束だって、なのはが今の自分と同じくらいにダメージを受けていたら心配になって何も手に付かない。友達というのはそういうものだ。

 だが、自分自身が無茶をする時、それを友達がどう思うかというのは中々考えつかないものらしい。いや、考えた所で軽く無視してしまう、というべきか。

 不思議なものだと、束は慨嘆した。友達って、まだまだ全然奥が深い。

 

「……とにかく、ありがとう、なのちゃん。だから泣かないで。束さんはこんなの、全然へいきだから」

「そんなの、信じられないよ……どう見たって無茶だよ、そんなのしないでよ」

 

 束の軽口を聞いたなのはが、憮然とした顔をして首を横に振る。

 その様子がなんとも可愛らしく思えてしまって、くすっ、と笑った束は更に言い返す。

 

「無茶はお互い様じゃんか」

「……?」

「なのちゃんだって頑張り過ぎだよ。毎日毎日ジュエルシード集めしながら魔法の特訓なんて」

 

 なのはの身体が毎日の捜索・特訓・そしてフェイトとの戦闘で疲れ果てていることを束は知っていた。そして、そのことをおくびにも出さず毎日ユーノとともに夜遅くまで外出し、朝は早起きして鍛えているなのはのことを、何よりも尊く輝かしいとまでに思う。

 

「無茶? 違うよ、そんなの全然」

「事情を知らないあの凡人二人にまで気づかれてたよ? それで無茶じゃないなんて、よくも言えたものだ」

「で、でもっ……」

 

 頑張って言い返そうとして。でも言い争う相手くらいの語彙を持たないから答えに詰まって悩むなのは。ああ、何と愛おしいものであるか。例えどう言われても、自分が頑張ることは止めないのだろう。

 だから束は、なのはを責めるのを止めて、少し切り口を変えてみることにした。

 

「ねえ、なんで? どうしてそんなに頑張るの? なのちゃんがそんなに頑張らなくてもいいんだよ?」

「え!? 束ちゃん、そんなことはない……」

「街の平和を守るっていうなら、あの金髪もこっちに迷惑かけないように頑張るだろうし。今回起こった極大魔力の発現は、恐らく次元の遠くでも確認できて、そしたら例の組織だって動き出す」

 

 例の組織。ユーノからの事情聴取で聞いたその組織が彼の言葉通りの規模を持つならば、今回の異変を探知して動き出していても良い頃だろう。

 そして向こうは組織なのだ。こちらに到着すればジュエルシードに関する事件として捜査を始め、必然的に音頭を握ることとなる。

 その時、なのはは間違いなく彼らに行動を差止められる。一民間人として日常に戻れとか言われるだろう。彼らにとって、なのはは高い魔力の持ち主ではあるものの、あくまで管理外世界の民間人であるのだから。

 だが、それでもなのはは止めないだろう。関わり合うなとどんなに言われても、レイジングハートを片手に飛び出してしまうはずだ。

 でも、その理由が、束には皆目分からない。

 

「つまり、なのちゃんがそこまで頑張る必要はないんだよ。ただ街が危ない時に、魔法を使うだけでいい。それ以上に頑張るのは、どうしてかな?」

「それは……あの、黒い服の女の子。フェイトちゃんの事情を聞きたいからで」

「んん? そうかな?」

 

 なのはの反論は、確かになのはらしいものであったが、しかし束はそれを聞いても納得できなかった。その裏の裏に何かがあるような気がした。

 生まれて初めて、自分のためと嘯いて、他人のために身体を張った、今の篠ノ之束のように。

 

「ねえ、本当に、それだけかな?」

「それだけ。それで十分だよ、頑張る理由には」

「本当かなー? なのちゃん。助手は寝てるし、私しか聞いてないんだよ。本当のこと、話してよ」

 

 なのはが口籠る。肩をすくめ、椅子に座って膝に置いている手をぎゅっと握りしめている。

 

「……」

「言えないの?」

「だっ、て……」

「束さんの前だから?」

 

 束が語ったのは、単なる思いつきであったが。それはなのはの何処か芯のようなものを突いたらしく、絶句して震える瞳で束を見つめていた。

 

「……」

「もしかして、本当は戦いなんて怖くて、友達に内緒で頑張るのも辛いし寂しくて。でも束さんの前だからかっこつけてるとか?」

「違うよ! 今まで言ったことは、全部本当、心からの気持ち! でも……」

「でも?」

「……もう一つだけ、理由があって……それは……」

 

 迷うなのはを、束はベッドに寝ながら只見ているだけに留める。無理に聞こうとはしない。それでは意味が無いのではないかと考えたからだ。

 ただし一言だけ、軽くドアを叩くように語った。

 

「なのちゃん。束さんは、何があっても、どうなってもなのちゃんの友達でいるよ。そのつもりだから」

 

 それが、なのはの心を開いたようだった。

 

「私……束ちゃんと友達でありたいから」

 

 一瞬、束はジュエルシードで得た技術も知識も全部棚に上げて、なのはの言葉を処理しようとしたが、出来なかった。

 友達でありたいから? だから無茶をする?

 どうして?

 束さんはなのちゃんと友達なのに。 それは何がどうなろうと、地球が砕けようが宇宙が滅びようが絶対に変わることのない完全無欠の真実であるというのに――?

 呆然とする束の表情は、しかしなのはの瞳には映っていないようだった。

 

「束ちゃん、あの時言ってたよね。このつまらない世界を面白くしてくれるの? って」

「あの出会いの時だね。うん、万象一字一句残さず記憶しているよ」

「で、私も、探すの手伝うって言ったよね?」

「確かにそうだ」

「……それだよ、私が頑張る理由」

 

 絞り出すように喋るなのはの姿は、まるで神に己の罪を懺悔する聖職者のようだった。

 

「束ちゃんは、私がいるから世界をつまらないって思わない。面白いのかどうかは分からないけどね。で、それは私が私だから。とてもおせっかいで、一生懸命で、誰かと分かり合おうとしている……あの時束ちゃんに見せた私は、それでしょ?」

「……」

 

 束は何も言わず、ただなのはの言葉に首を振るだけだ。

 だって、事実そうなのだ。そういうなのはを好ましいと思い、美しいと感じる心は確かにあるのだ。

 

「だから……私は束ちゃんと友達になれた。頭が良くて、それだけじゃなくてとても頑張りやさんで、ちょっとひねくれてるけど中身はすごく暖かくて優しい。そんな子が、私に頑張れって言ってくれる。背中を押してくれる。だから、私は頑張るの」

「なのちゃん、それって」

「うん。だってそうしないと……束ちゃん、私と友達でいてくれない(・・・・・・)でしょ?」

 

 束は愕然とした。

 そうか、そういうことだったのか。

 なのはにとって、篠ノ之束が高町なのはと友達でいる理由とは、高町なのはが誰かのために頑張るお節介焼きの女の子であるからで。そうでないなのはに意味など無いと。

 そう思っているのか。

 

「私は束ちゃんと友達でいたい。遠い遠い、眩しく光って、とても届かない星を前に、届くなんて考えられないけど。せめて胸を張れる自分でいたい。だから私は魔法少女を頑張るの。痛いのもつらいのも、その為ならなんだって――」

「……なのちゃん……!」

 

 束は笑っていた。 まるで一流の喜劇を鑑賞した時のように馬鹿馬鹿しく、しかし心から感動して笑っていた。

 ああ、これを笑わずにいられようか? 寝ながら腹を抱え、無様に歪んでしまう顔を抑えて隠す。

 それでも奥底から止めどとなく湧き出てくる笑いを抑えかねない。ああ、面白い、そして実に嬉しい。

 この嬉しさはそう、あれだ。分からないものが分かった時のものだ。

 ちょっと前にもそれを感じた。今の私には思いつけないはずの技術をジュエルシードの力によって発想した時の喜び。自分の望むものを手に入れて、野心と欲望を満たせる時の喜び。

 ――だが、そんなもの、今の歓喜を前にしては、塵も同じだ。

 

「束ちゃん……!?」

「ね、ねえ、なのちゃん。私が気絶する前に、何を言ったか、覚えてる?」

 

 突然笑いだした束を見て呆然としたなのはが問いかけると、束はますます愛しくなった友へ己の気持ちを話した。

 

「何って――」

「夢中だったし、必死だったから覚えてないよね。でも私は覚えてる……なのちゃんがいるから。なのちゃんに近づきたいから。なのちゃんみたいになりたいから天才になると、そう言った。これがどういうことか、分かる?」

「そんなの……わかんないよ」

「じゃあ、もう一つ付け加えてみようか。私が天才になる理由は……なのちゃんといたいから(・・・・・・・・・・)

 

 その宣言を聞いたなのはは、驚きすぎてもはや言葉も紡げないのか、口をぱく、ぱくと動かしていた。

 

「だって、なのちゃんみたいな素晴らしい、天使みたいな女の子に。私の予想なんてすぐ飛び抜けちゃう夢の中にいるような魔法少女に。私は到底及ばないから。だって私は、やること為すこといちいち俗っぽくて全然素直になれない、ただ頭が良いだけの、馬鹿で愚かな小娘なんだよ」

「違う! 束ちゃんは天才だよ!? 私なんて全然」

「ちがーう! なのちゃんは天使だ! 私なんて全然!……ま、ということなのさ」

 

 あはは、と明るい笑い声が、しんと静まるラボの中に響いた。

 

「だ、だって、だってだって!」

「ストップ。なのちゃんちょっと落ち着こう。要するに、互いに自分を過小評価してるか、互いに互いを過大評価しているか。そのどっちもあるかもしれないけど。もっと単純に言えば」

 

――私たち、互いのことが好きすぎるんだよ。好きすぎて、自分を嫌いになっちゃってる。

 

「え……」

「あの日あの時、私はなのちゃんを綺麗だと思った。でもなのちゃんの方は、私の事を良くは感じてないはずだと思った。だってそうでしょ? いきなりキレて、首根っこ掴んで苦しめて。そういう子を好きになんてなれないのは当然だ」

「束ちゃん、何を……!」

「きっとお情けで付き合ってくれてるんだ。言うならば、あの二人との付き合いこそが本当の友情ってものだよ。でも私はそうじゃない。そうなる資格自分にないって思って、それをいつまでも引きずってた。本当の友達同士だって確かに信じてたけど、根っこにはそういうのがあって、だから色々引きずり回したりしちゃってた……のさ」

 

 それは、束自身の弱い心。天才にはあるまじき、自虐と嫉妬心。

 なのはと知り合えた嬉しさの中に紛れて生まれた、生意気で自意識過剰で愚かな自分への劣等感。それを二年間、気づかぬままに引き摺っていたと束は気づいたのだ。

 

「なに言ってるの、束ちゃん!?」

 

 それを聞いてぽかん、と沈黙していたなのはが、慌てて言い返す。

 

「それは違うよ、私の方こそ……いきなりつっかかって偉そうなことばかり言ってるくせに、答えは分からないから一緒に探そうだなんて……後で思い返したら、私すっごく馬鹿なこと言ってるから……」

「それで?」

「連れて行ってあげるって言ったけど、その時の私には出来なくて、だからいつか、きっといつか連れてくだなんて……そんなの、何も出来ませんってことを隠す言い訳だよ。ただの嘘だよ。でも束ちゃんは、そんな私を受け入れてくれた。私の未来に期待してくれた。だから私、束ちゃんがこの世界を面白いと、私を面白いと思ってくれるためなら、なんだってやろうと思ってるんだよ」

 

 束は再び、腹を抱えて笑いだした。

 

「ふふっ、ふふふふっ」

「な、何がおかしいの!?」

 

 本心をぶちまけたのを笑われて、流石にムッと来たのか大声で問いただすなのはへ、束は核心を告げた。

 

「似た者同士だね、私たち。互いに相手が好きだから、自分のことを卑下しちゃう」

「あ……」

 

 それでようやく、なのはも気づいたようだった。

 そう、なのはは束が大好きで、束もなのはが大好きだ。

 それ故に。相手を高い高いもの、自分の天に輝く星と、憧れであると見ているせいで。

 自分のことを嫌いになってしまう。大好きな友達に並び立てていないと思い込み、勝手に自分を追い込んでしまう。

 だから無茶をするし、だから過剰にスキンシップを取ろうとする。

 不安だから。目を離したらどこかへ行ってしまうかもしれないと思えるから。

 

「……でも、それはね。相手のことを真に信じていないということ、なのかもしれないと思ってさ」

「どういうこと……?」

「私もなのちゃんも、互いに好きだと言い合ってたよね? でも、ひょっとすると嫌いなのかもしれないと疑っちゃう。その理由を相手でなく自分に求める。だから自分を嫌いになる、とそういうことさ」

「……でも」

「ああ、今は分かってるよ。私、なのちゃんに本当の本気で好かれてるし愛されてる。ここまで運んでもらって、泣きながら心配してもらって、それでようやく分かるんだから私もヤキが回ってるね。いや、人の本心なんてものは、そこまでのことをしないと総じて理解できないのかな……?」

 

 でも、と束は付け加え、ベッドから上体を起こして立ち上がり。

 椅子に座っていたなのはへ屈み込んで、ぎゅっと強く抱きしめた。

 

「いいかいなのちゃん。なのちゃんにはこれを分かって欲しいんだ。私はなのちゃんが好きだ。愛してる。好きって想いのスピードが、止まらなくって溢れてく。嘘じゃない。信じて、お願い。私は嘘つきの小心者な兎だけど、これだけは……これだけは……本当だから!」

「束ちゃん……!!」

 

 抱きしめ返してくる手はとても熱かった。

 

「私もそうだよ! 束ちゃんのことが好き! 愛してる! 本当の本気で、全力全開で好きだよ!! 嘘なんかじゃない! 永遠なんてこの世になくて、何もかもは変わっていくけど! でもこの気持ちだけは……きっと、変わりはしないから!」

 

 束は、無意識の内に涙を流していた自分に気づいた。

 高町なのはと篠ノ之束、その格好も性格も頭脳も肉体も魔法の有無も、やること為すこと全部が全部違うけど。

 あの時出会って、触れ合って。その時きっと、何か一つ大事なものを分け合って、胸に抱いたんだ。

 そのことを誇らしく思う。そうでないと自分はきっと、今の自分とは似ても似つかぬナニカに育ってただろうから。

 そしてそれは、たぶん――なのちゃんだって同じことだ。

 

「……ねえ、なのちゃん。束さんがどうしてこれに気づけたのか、聞かせてあげようか?」

「うん、教えて」

「温泉に行った時にね、親と気持ちをぶつけ合ったんだ。で、そういうの意外と悪くないって分かってさ。アリちゃんとすーちゃんともそうして、それも結構、楽しかった」

「アリちゃん? すーちゃん?」

「アリサ・バニングスと月村すずかのことさ」

 

 一旦互いに抱いた手を離して、椅子を取り出し座って向かいあう。

 今まで渾名など付けず、凡人という僭称すら平然と使っていた二人に対し、ごく平然となまえをよんだ束は、尚語り続ける。

 

「そしたら、そういえばなのちゃんとそうしたことはあったっけ、ってなって。まあ似たようなことは結構あったかもしれないけど、こう、真芯にぶつけるような会話は覚えがなくて。じゃあ、いつかぶつけるとして、自分の本心というのはなんじゃろな、と考えてたら、気づいたの」

 

 それは、束が変わったということである。

 なのはが魔法と出会ってから、束は様々なことをやってきた。

 ユーノ・スクライアと出会って助手にした。フェイト・アルフと戦い叩き落されリベンジを決意した。親と大喧嘩したあと周りの人間に諭されてぶつかり合った。アリサとすずかという、他人の望みを初めて汲んで行動した。

 それはすべて、なのはが魔法少女となったのがきっかけであり、そして理由でもある。

 魔法少女となったなのはに。自分の知らない力を使って、誰かのために飛んでいく彼女に追いつきたいから、こうも揺れ動き、そして一つ大きく成長した。有り体に言うなら、大人になった。

 見知らぬ男の子に近づいた。敵わぬものがあると身体で思い知った。親が自分を愛していると思いだした。自分だけでなく、誰かのためにも頑張ろうと決意した。

 それはすべて、篠ノ之束という子どもの天才が、もっと大きい何かになるための脱皮であったのだ。

 

「そっか……束ちゃんって、すごいね、やっぱり私なんて」

「だぁー! そういうの止めにしようって言ってるの!」

「あ……ふ、ふふ」

「あはははは……」

 

 束は、再びネガティブになろうとしているなのはを咎めながらも、自分の思考だって「まだ全然届いていないし」という後ろ向きなものになりかけているのに気が付き、苦笑した。

 どうも意識したところで、この性根は中々治せないものらしい。

 そこで、束はあることを宣言した。

 

「なのちゃん。これからも私は無茶とか怪我とか、いっぱいする」

「うん……あんまり賛成したくはないけど……もっともっと頑張らなきゃって思うんだよね。私もそうだもの……それで、頑張りすぎちゃうんだよね」

「だから、さ」

 

 すっ、と右手をなのはに差し出す。まだ節々に薄い傷が残っていて、だがそれは、なのはの前で胸を張れる自分になることが出来た名誉の勲章であった。

 

「そうした時、なのちゃんが私を助けて。もし私一人で不可能なことがあるなら、それを手伝ってほしい。成し遂げる力を貰いたい」

「束ちゃん……!」

「その代わりに……なのちゃんが無茶しなきゃいけない時は、私がきっと助けてあげる。背中を押すだけじゃなくて、その背中を守ってあげる」

 

 自分に気持ちを打ち明けたなのはを、束は改めて、美しいと思った。愛しいと感じた。

 だから、今度はその歩む道を全力で守り抜く。まっすぐ上を向き、前を見て進むなのはの足元に落とし穴があれば、それを自分の力で埋めて支えてあげよう。

 そして自分も、なのはに守られるのだ。そうすれば、もうあのフェイトとの戦いみたいに一人きりで、誰にも知らせず無茶をする必要はない。

 

「それが友達ってものでしょ?」

 

 なまえをよんでから、二年近く経って。友達という絆のなんたるかを、束はようやく知ることが出来たのだ。

 

「束ちゃん……うん、そうだね、きっとそうだ」

「なのちゃんも私も、互いを特別視しすぎてたんだよ。だから見せたくない所とか生まれてさ」

「それで、この事件が始まってから……あんまりお話も出来てなかった。会うことだって少なくなった」

「前まではべったりすぎたけど、これはちょっと、別行動しすぎてたよね、うん」

 

 なのはと束、二人顔を向け笑い合う。

 その手は両方共、硬く熱く強く握られている。

 

「束ちゃんは、きっと天才になれるよ。分からなかったら私も一緒に考えてあげる。私バカだから、どこまで頼りになるか分からないけど」

「なのちゃんはどこまでも飛べるよ。邪魔をするやつはこの束さんがぶっ飛ばしてあげる。まぁ、束さんはどっちかといえば頭脳派だし、大したことは出来ないけどね」

 

 そして、どちらの利き手も傷ついていることに気づいた。束は無論、ジュエルシードを掴んだ右手、そしてなのはは左手だ。きっとレイジングハートが壊れた時の衝撃で怪我をしてしまったのだろう。

 

「ねえ、なのちゃん。ここから出て、母屋の方に行こうか」

「え? お家に行くの?」

「そうさ。あの母親からさ、怪我したら帰ってこいって言われてさ。まぁ別に必要ないんだけど、言われたからには帰るのさ。ついでになのちゃんのも手当してもらおうぜ!」

 

 なのはを引っ張るように後ろ向きに進み出て、束はラボ深部から上層へ。

 そしてドアを開けて外に出ればと、満点の春の星空が二人を待ち受けていた。

 

「綺麗だね、なのちゃん」

「うん、とっても……」

 

 篠ノ之神社自慢の桜も、その開花時期からとっくに外れて、寂しい枝葉を晒していたが。

 両手繋いでルンルンと、歩む二人の顔面には、とてもきれいな花が咲いていた。

 

 




RH『……』
ユーノ『そう、静かに、しーっとしてて……ここで割り込んだら無粋ってレベルじゃないよ』
RH『agree to something(同意します)


なんだか色々回り道しすぎてしまったような感がありますがまぁ今更ですね。
書いていると段々プロットからずれてきてうあーってなるのはもうどうしようもないな!
次回から第四部。管理局とプレシアが出てきますぜー。
次回は2017年06月10日(土) 15:00投稿です。


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第十四話:篠ノ之流

 四月二十七日、早朝。

 篠ノ之束は珍しく母屋の自室で、夜十時という彼女にしてみれば異常なまでに早い時間からぐっすり熟睡していた。故に目覚めたのは午前五時。普段なら徹夜でもしていない限り寝こけている時間帯である。

 そんな健全な夜を過ごしたからか、肉体の疲労もかなり回復していた。右腕にある傷も、昨日貼ってもらった絆創膏の中で完治していることだろう。

 布団の上に投げ捨てていたうさみみを頭につけるのは忘れず、ボサボサの髪の毛を乱暴に手櫛で整えれば、嫌に冴えてしまっている頭を持て余して外に出る。

 そしてとりあえずは地下に潜って昨夜の成果を試さんと、自分の城たるあばら家に向かうその途中。

 神社の敷地内にある剣道場から、人の気配がするのでこっそり中に潜れば、父親の柳韻が道着姿で素振りをしている。

 そういえば、と束は思い出した。この男は毎日早朝、四時半には起きて剣の鍛錬をしているのだ。

 まるで生活リズムが違うので、情報として知っていても見たことはなかった。

 静かな道場の中に、竹刀を降る音と、落ち着いた息遣い。まっすぐに前を見据える柳韻の様子はいかにも堂に入っていて、そのまま墨と筆を使って模写すれば、さぞかし見事な水墨画として描かれることだろう。

 束はそれを、道場の隅に隠れてこっそりと見ることにした。これから起こることのために、必要であると感じたからだ。

 

「……」

 

 ちら、と柳韻の瞳が束の方へ向く。束は何も語らず、そして柳韻もまた、すぐに視線を戻して鍛錬を続ける。

 その一挙一動、呼吸法、それから筋肉一つ一つの動きまでをも、束は目で見て把握し、床の揺れを感じ、想像する。

 そこから、剣術にして同時に古武術でもある、篠ノ之流というものを覚えている知識と合わせて習得していく。

 見稽古と例えるには、見ている側の経験値取得率が少々高すぎる。なにせ彼女の脳髄は、人間が行えるどんな動きでも、何度か見てしまえば再現できてしまうのだ。

 要は、例と同じように筋肉を動かし、体重を傾ければそれで済むのだ。体格差や性別的な違いなど、計算すればいともたやすく補正できる。

 そして実際、束にとって不可能な動きなどは存在しない。常人離れした肉体は、鍛えずともオリンピックの金メダリスト顔負けのポテンシャルを十全に発揮する。

 だから、口で習うでも、体で覚えるでもなく。ただ見ているだけでいい。

 そうして、二十分間ほどじぃ、と見つめていたら、その間に一通りの動きを終えた柳韻が竹刀を下ろす。そして、束へ向かって話しかけた。

 

「……束……おはよう」

「ん、おはよう」

 

 朝の挨拶。実にそっけなく淡白ではあるが、この二人の間にそれが為されたことだけでも、見る人が見れば大きな進展と述べて喜ぶだろう。

 

「今朝は、早いな」

「久しぶりにぐっすり眠れたからね」

 

 それからすぐに押し黙る二人の、これを会話というべきか。

 いや、それよりも前の段階にあるような、ごくシンプルで簡易的な意思のやり取りかもしれない。

 小学三年生の少女とその親が交わすコミュニケーションとしては、いたく淡白で虚しい。

 しかし、二人共それ以上踏み込むには少し時間がいるのだった。

 互いにどこか、不器用であるのだ。

 

「何故ここにいる?」

「束さんがそうしたいからだよ」

「……では何故そうしたいんだ?」

 

 柳韻の問に、束はふふんと笑いながら答えた。

 

「必要だと感じたからさ」

「……つまり、篠ノ之流を習いたいということか?」

「まぁ、そういうこと」

「意外だな。天才には武術など必要ない、と思っているのではなかったのか」

 

 束は右手の人差し指だけを立てて、ちっちっち、と左右に振った。

 

「まぁ、束さんは天才だから、常人相手にゃ身体能力だけでゴリ押しできるさ、でも、今回はそういかないみたいでね」

「……つまり、そうしなければならない程の何かと戦うのか」

 

 柳韻の理解は早い。彼が本当に一般的な常人であるなら、こう素早く状況を飲み込む事はできないだろう。彼は古武術の師範代であり、セミプロ級の棋士であるのだ。

 とはいえ、束からしてみれば、自分の予測から外れない時点で、相対的に常人と位置づけられるのだが。

 

「まあ、ね。女の子が喧嘩しちゃいけないぞ、とか前時代的なこと言わないでよ?」

「それは言わんさ」

 

 そして、柳韻は束の皮肉めいた発言に対し、こう切って返した。

 

「篠ノ之流。その根本は非力な女が戦うための武術だ。女とて男と同じように戦わなくてはならんから、生まれたものだ。それを今に伝えるために習い修めている私が、女であるお前に喧嘩をするなとは言えん」

「ふふふ。そりゃあありがたいね」

「まあ最も……親としては出来る限り自重しろと言っておくが……」

 

 言っても聞きはしないのだろう? という問は、嘆息とともに吐き出され。

 束はそれに、躊躇いもせず首を縦に振って答えた。

 

「当たり前さ。こちとらちょいと、譲れないものがあるからね。そのためには例え古臭い武術だって、なんだって使ってやるのさ」

「ほう……お前からそんな言葉を聞くとは思わなかったぞ」

「はあ?」

「そして、自分一人で何でもするし解き明かす、というお前が……見るだけとはいえ私の稽古に習う。これも不思議だ」

 

 柳韻は竹刀を持たぬ左手を顎に置く。そして何秒か考えるそぶりを見せてから、こう語った。

 

「もしかしてお前、誰かに敵わなかったのか?」

 

 束はそれを、内心ムカムカして手をギュッと握りしめ、父親を見る目を睨む険しさに変えながらも、辛うじて怒らず受け入れた。

 この剣道場に踏み込んだ時点で、そう言われるのは分かっていたのだ。この小賢しくもそこそこ頭の回る父親ならば、僅かな、ほんの最小限のヒントでそういう事実までたどり着いてしまうということも、全部すっかり分かっていた。

 それはとても悔しいことだが。

 だがまあ、受け入れてやらんこともない。屈辱と天秤にかけても、いまこの時、彼の朝稽古を見なければならないのだ。

 

「……まぁ、そういうことだね」

 

 だから束は怒らぬだけでなく、事実を素直に認めてやったりもした。

 無論詳しい事実――異世界の魔導師の少女相手に戦いヘリ五機を犠牲にし、大立ち回りをしたが結局撃墜された――ことは語らない。

 いずれ話してやってもいい。だが今は、まだその時ではないのだ。

 

「ふふ、そうか。お前が……相当強いのだな、その相手は」

「そうだよ。年は私と同じくらいだけど、お前なんかとても敵わない。なのちゃんパパと二人でやってもキツそうかな」

「それは……私が士郎君と組んでもか。中々豪気だな」

 

 そうして娘の話に呵呵と笑う父へ、束は聞きたいことがあった。

 普段なら、こういう凡人の意見や心持ちなど、読むだけで気にせず無視するのだが。

 無性に問いたくなって、束はこう切り出した。

 

「ねえ、お父さん。私、そいつに……負けたのかな」

 

 それは、以前自問自答して、とっくのとうに答えを出していたはずの問題だった。

 世間一般の尺度で見れば敗北というだけで、束の中では決して負けではない。ただその時点での実力を判断できただけだ。

 そう、答えを出して、ならばそれでいいはずなのに。

 その検算を、してみたくなったのだ。

 

「……ふむ、束。お前は……」

 

 柳韻はふっ、と笑みを止め、瞳を引き締め。まるで門下生に対してするような目を束に向けて答えた。

 

「負けた、と、事実を語ればそうだろう。だが、お前は負けていない(・・・・・・)

「はぁ? ねえそれ、理屈としておかしいと思うんだけど」

「いや、おかしくない。何故なら」

 

 柳韻は竹刀を動かし、その先端を束の左胸に向けた。

 

「心で負けていないからだ。お前は戦おうとしている。心は挫けていない。ならばまだ、負けではない」

「……精神論?」

「有り体に言えばそうなるが……これは、篠ノ之流の教えに繋がることでもあるのだ」

 

 それから、柳韻が語るに曰く。

 篠ノ之流の原点は、室町時代中期、圧政を敷いた土豪に対して立ち上がった農民にある。

 土一揆という形で立ち上がった彼らの内、最初は男のみが武器を持ち戦っていたが、やがて、女も戦わなくてはいけないという流れが生まれた。戦いが長く続いたことで、男だけでは豪族の軍勢に抗えなくなったのだ。

 そしてとある名も無き剣豪が、当時既に存在した篠ノ之神社に逗留して海鳴の女へ教え伝えたのが、篠ノ之流古武術であった。

 既存の武術の中から非力な女でも最大限に効果を発揮しうるものばかりを抜き出した、極めて実戦的なこの武術は一揆の成就に大きく貢献した。

 また、その教えの中には、権力者に歯向かうという難事へ望む農民たちを大いに勇気づけただろう、金言が存在した。

 

――どれだけ劣ろうと、どれだけ退こうと、諦めなければ負けではない。

――何度でも挑み、どのような困難が眼前にあろうと、全て跳ね除け、己の意志を成し遂げよ。

 

「これが、篠ノ之流の教えだ。人間、男だから女だからとて、何も変わらぬ。挑み掴み取る。この力は、その為のものだ」

 

 故に、心を強く保ち、決して諦めるな。身体で負けようが鍛えればいい。頭で負けようが学べばいい。

 しかし心で負ければ、それで何もかもお終いなのだから。

 そう締めくくられた、柳韻の教え。

 しかし――束にとって、それは。

 

「ふん、実につまらない」

 

 あくびをしてしまうくらいに既知であり。当たり前で至極当然、今更言われようが何にもならない教えであった。

 

「挑み掴み取る? ああ、確かにそうさ。束さんはいつもそうしてきた」

 

 分からないものがあれば、分かるまで解き明かし理解する。

 届かないものがあれば、届くまで手を伸ばし掴み取る。

 

「今更言われようが釈迦に説法だよ」

「……ああ、そうだな」

 

 柳韻もそれに同意する。

 彼からも、いや他の誰から見ても、篠ノ之束とは即ちそれであるからだ。

 

「束。私はお前に篠ノ之流を教えていない。いや、今まで教えようとすら思っていなかった……思えば不思議な事だが、それはもしかすると……既にお前自身が篠ノ之流の、精神を体現しているから、なのかもしれん」

 

 それは、この父親が娘に掛ける、精一杯の褒め言葉であったかもしれない。

 

「……まぁね、まぁそうさ」

 

 それを受けた束も、にぃ、と唇を歪ませ勝ち気に笑った。

 父親から、曲がりなりにも認められたのが――嬉しかった、のだ。

 最も本人は、それをありのままには認識していない。

 検算の結果が完璧に正答であったことが嬉しいのだ、と考えていて。

 あくまで、このハゲ親父にしてはいいことを言うな、と思うだけであった。

 

「……そうか、ならばいい」

 

 そして柳韻も、久しぶりに、そして二人きりで娘と触れ合えた嬉しさを表には出さず、道着を着替えに更衣室へ向かう。

 束はそれを見送る素振りも見せずに、自分もそっぽを向いて駆け足でラボへ向かい、今度こそ昨日の成果をデータとして記録端末に入力し始めた。

 やがて沙耶が起き、箒が起きて。篠ノ之家の朝は、いつもと何も変わらずに始まっていった。

 

 

 

 

 

 




次回は2017年06月11日(日) 15:00投稿です。


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第十五話:Friends

投稿時間ミスしてました。
申し訳ない…


 

「た、束ちゃん……やっぱり止めたほうがいいのでは……?」

「なに言ってるの? 昨日の夜、ちゃんと決めておいた約束でしょ?」

 

 学校の教室。午前の授業が終わり、生徒は各々弁当を騒ぎながら、喋りながら、あるいは黙々と食べている、そんな最中に。

 あわあわと動揺している女の子と、その背中を押しながらニヤニヤ笑ううさみみ付きの女の子が居た。

 

「そ、それはそうだけど……だって」

「だいじょーぶ、この束さんが保証するから。もしかしてそれじゃ不安かな?」

「ち、ちがうよ! でも、でもでも……こういうのは隠すのがお約束なのではと思うのですが」

 

 高町なのはと、篠ノ之束である。

 束が何やら急かすように押し出しているのを、なのはが必死に抵抗しようと試みて、しかし抗えずに段々と、目標のいる場所へと近づいていってしまう。

 

「いいかいなのちゃん! 常識なんかぶっ壊せ! というかさ、もう壊れてるよね?」

「で、でもユーノ君は」

「助手にはちゃーんと許可取ったから! ちょっと拘束して何度かお話し合いしたら分かってくれたもん!」

 

 それ、説得じゃなくて脅迫ってやつだよね?

 と言う間もなく、なのははついに、恐ろしいものが待つ場所へとたどり着いてしまった。

 二つの目線が、彼女の顔に突き刺さる。

 一方は、アリサ・バニングスのとにかくきっつい翡翠色の瞳。

 もう一方は、柔らかいながらもじいっと、混じりけなしの真剣さを叩きつけてくる月村すずかの藍色の瞳。

 四つの瞳とその目線を浴びせられたなのはの様子は、正にまな板の上の鯉である。

 

「さあ、なのはちゃん! 腹を割って二人と話すんだ!」

「わ、わかったよ……うぅ」

 

 こうなった以上戻りようも誤魔化しようも既に無いと悟ったなのはは、何やら珍妙な状況になにも語れず目を向ける二人に対して、こう切り出した。

 

「あの……ちょっと、一緒に来てもらってもいいかな……?」

 

 それから、戸惑う二人を連れてなのはと束がやってきたのは、束が学内の拠点にしているいつもの空き教室である。

 

「……で、こんなところで何するのよ」

「ええと、それは」

「こうするのさ! パスワード入力! なのちゃんとリリカルしたーい!」

 

 束が慣れた手つきでロッカーのコンソールを開いて叩き、秘密基地モードを発動させる。

 先ひどまでの静寂がウソのようにガラガラと音を立てて閉まるシャッター、動く机。

 アリサもすずかも、ただただ呆気に取られていた。

 

「ちょ、何よこれぇ!? 束、アンタ学校にいつの間にこんなのを」

「はいはい、驚くのは後にしようねー。これからなのちゃんから重大な発表があるからね」

「え……?」

 

 戸惑うすずかに見つめられれば、なのはは口火を切りづらくなって少しまごつくが。

 それでも唾をごくん、とのんで覚悟を決めて。

 

「アリサちゃん、すずかちゃん……私ね……」

 

 胸元にかけている真紅の宝珠、自己修復の終わったレイジングハートに魔力を流し込み――純白の防護服を身に纏って。

 

「魔法少女、はじめてます」

 

 と宣言した。

 

 今度こそ完全に沈黙し、思考停止の状態にあるアリサとすずかへ、束が流れるような早口で補足説明を行う。

 

 ある日傷だらけのフェレットもどきに救いの手を差し伸べた、我らの天使にして至大至高の小学三年生、高町なのはに訪れた、突然の事態。

 渡されたのは赤い宝石。信じたのは勇気の心、手にしたのは魔法の力。

 出会いの導く偶然は、無理やり混じったうさみみを巻き込んで、光を放って動き出す。

 青い宝石、ジュエルシードを封印し、ご近所の平和を守るための聖戦。

 そして、黒い服の少女、フェイトとの出会い。分かり合おうとして幾度も戦い、それでも未だ通じぬ想い。

 だがしかし、それでも日々鍛え、探し、飛んで戦い、リリカルにマジカルに頑張っている光の女神。

 彼女と同じくらい至大至高で美しく、唯一無二の天才な、うさみみ少女と手を取り合って。

 

 魔法少女リリカルなのは、もうとっくに始まってます。

 

「……というわけなのさ」

「いや、何が『というわけ』なのよ!」

「あれー? わかんなかった? おっかしいなーちゃんとこの二人でも分かるように話したんだけどなー」

「ううん。ええと、大体事情は飲み込めたんだけど……なんだか、美化しすぎてるような気がして」

「なのはのことをやれ天使だの女神だの! ついでに自分も天才だとか! すごい鼻について苛立たしいのよ!」

 

 束の要約は確かに天才のそれらしく、理屈だって分かりやすいものであったのだが。

 言葉の端々に織り交ぜられた美辞麗句の数々は、アリサやすずかにはどうにも不評であるようだった。

 

「にゃはは……」

「そういうアンタも!」

 

 そんな様子に苦笑するなのはへ、アリサが叫んだ。

 

「何よそれ!? マジックとかトリック……じゃ、無いわよね、どう見ても」

「ええと、これはバリアジャケットっていう魔法の制服で。あと、この杖はレイジングハート。私を助けてくれるデバイスだよ」

「あー……魔法か……確かに魔法よね、これは……」

 

 そして、何かを一人合点したようで、思いっきり息を吐いて脱力し、近くの椅子に座り込んだ。

 

「アリサちゃん……」

「いいのよ、すずか。こいつらの言ってること、全部本当よ」

「ふふふ、信じてくれたね? そう、ありのままを受け止めることこそ肝心なのだよ。さて」

 

 そんなアリサの前にゆっくり歩み寄り、束は問を投げかけた。

 

「これがなのちゃんの隠し事。君たちへ秘密の隠し事。魔法なんて力を使って、こわいこわーい化け物と戦ったり、とても強い女の子と戦ったり。危険で危ない秘密の戦い、怪我だってするし、不慮の事故で死ぬ可能性も決してゼロじゃない」

 

 それは全て真実である。

 誇張でも何でもなく、ただそのままに当てはまる事実。

 

「だから秘密にしたかった。巻き込みたくなかったから。まあでも、色々あって、こうしてバラすことになったんだけどね」

 

 束の独壇場である。

 なのははただ黙って、友達の答えをじっと見守るだけだった。

 

「さあ、君はどうする? これが真実だ。なのちゃんは君たちを守るために戦っていたんだよ。危険な戦場で、君たちには及びもつかないすごい力を使ってね。さあ、どう返す? どう受け止める?」

 

 うさみみの束は悪魔めいた表情を浮かべてそう締めくくったが、対するアリサ、そしてすずかの顔は穏やかで、余裕すら見受けられるくらいで。

 そして、俯き沈黙するなのはに向かって、二人、にっこり微笑んだ。

 

「何暗い顔してんのよ、なのは」

「あ、アリサちゃん……でも、私二人に隠し事して、嘘ついて」

「私たちを、危険から守りたかったからなんでしょ?」

「そ、それはそうだけどっ……でもやっぱり」

「ああもう、うじうじうじうじ、うるさいわね!」

 

 アリサは勢い良く椅子から立ち上がる。そして、突っ立っていたなのはの手を取って、ぎゅっと握った。

 

「頑張ってたのね、なのは」

「あ……」

「アンタ、ちょっと前に、自分にとりえなんて無い、って言ってたけど。なによ、すっごい頑張ってんじゃない。街を守るために怪物と戦う? そんなこと、誰にだって出来ることじゃないわよ」

「でも、それは私に魔法の力があるからで」

「そんなことないよ、なのはちゃん」

 

 そして、すずかもそんな二人に近づき、握られていない方の手を取った。三人輪となって語り合う。

 

「すずかちゃん……」

「もし力があっても、それを使うことには、とってもとっても勇気がいるの。なのはちゃんはすごい。力を使うのに躊躇いなんてなくて、しかも街の皆を守るためなんて、すごくかっこいい事に使ってる」

「かっこよくなんか無いよ、私はただ」

「アンタがどう思ってるかはこの際関係ないわ。結果として偉いことやってんだから、素直に褒められておきなさいよ。それに、私たちは……」

 

 苦い顔で、アリサは語りだす。

 

「馬鹿だったわ。あんたの事情なんか全然知らないで……何も話してくれないことと、そうさせちゃう自分の力の無さにイライラしちゃっててさ」

「そこで、束ちゃんがやってきたんだよね」

「っ……そ、そうよ! 束!」

「はいはーい、なにかな?」

 

 三人の輪の外からひょっこり顔を出した束へ、アリサがきつく言い放つ。

 

「どうせあんたが仕組んだんでしょ、これ!」

「ん、まぁそうだよー。ほら、あの時に『このお返しはする』って言ったじゃんか。それだよ。お返しとして、君たちが知りたいなのちゃんの事情をお話するということで」

「ええっ!? そうなの、束ちゃん!?」

「そだよー。ああ、なのちゃんには話してなかったね。この前こいつらと話しててさ、まぁそれがちょっと面白かったから」

「ふうん……」

 

 束の説明に頷くなのはの表情は、どことなく嬉しげであった。

 普通、友達同士に自分抜きで何か大事な話をされれば怒るか、そうでなくても疎外感を感じてしまうだろう。

 だがなにせ、束のやることである。彼女が自分や家族抜きで、しかも同年代である女の子二人と会話をするなんていう状況は聞くのも初めてであった。

 だから、嬉しくなる。束が段々と、外に向かって目を向けている。それは、彼女がこの今の世界に、楽しさを探し求めようとしている歩みでもあるのだ。

 

「ま、なんというか……なのは」

「うん」

 

 再びアリサがなのはへと語りかける。

 

「あたしは、あんたの手伝いとか、多分できないけど。あんたが眠そうにしてた授業のノート見せたり、色々話を聞いて秘密にしてあげるとか、それくらいは出来るのよ」

 

 二人と握った手の平を、ギュッと握りしめながら。

 

「それくらいのこと。でも、それだけでもいい。あんたの助けになってあげたいの。あんたが何も考えず、まっすぐ歩いていけるように」

「……アリサ、ちゃん……」

 

 続いて、すずかもぎゅっと手を握り。愛おしげな顔で二人を見つめて続いた。

 

「なのはちゃん。私たちなら平気だから。秘密にしたい気持ちはよく分かるし、伝わるよ。でも……たまには私達も、なのはちゃんにおせっかい、したいから」

 

 アリサも、そしてすずかも。なのはに助けられた人間である。

 なのは自身はそう認識していないようだが、彼女たち二人、そして束を加えて三人共、高町なのはのことが大好きで、だから一人で抱え込ませたくない。

 秘密も苦しさも、分け合って背負っていきたいのだ。

 

「……アリサちゃん、すずかちゃん……!」

 

 そんな二人の言葉を聞いた、なのはの胸の内はじいんと震えて。

 痛いほどに握られている二人の手を、それよりもっと強く、跡が残るくらいにがしっと握り返した。

 そうして出来た輪から一歩離れたところにいる束は、何も語らず、にんまり笑いながら三人の友愛に満ちた光景を見ていたが。

 突然、アリサとすずかの左手が分かれる。そして、束の方へと向けられた。

 

「ふぇ?」

「何してんの、あんたも混ざりなさいよ」

「束ちゃんも私たちの友達……だから、ね」

 

 その時、目の前にいるなのはから見た束の顔は、一瞬だけぼやけるように惚けていて。

 しかしその直後、いつもより更に満足そうな笑みを浮かべて、二人の手を思いっきり握り締めた。

 そう、思いっきり(オーバースペックで)――

 

「っだああああ! ちょ、いたいいたいいたい止めなさいって! 束!」

「きゃぁっ!? い、いたいよ束ちゃん……!」

 

「あはは! まぁそこまで言うならしょうがないなぁ、そういうことにしてやるか! というわけでよろしくアリちゃんすーちゃん!」

 

 二人の悲鳴なんか完全に無視しながらぶんぶん手を上下に振る束を見て、なのははそういえばと思い出しながら苦笑いするしかなかった。

 そう、あれは二年前のとても懐かしい思い出。

 アリサとすずかに出会った時の大喧嘩の果てに、先生や両親から叱られた跡、二人きりで仲直りしながら初めて握手した時。

 なのはもその時、手の骨が砕けてしまいそうなほどに強い握手をかまされたのだ。

 この天才、どうも手を繋いだり、抱きしめたりという一時的接触には免疫がないのか、そうされると加減なしに返してしまうのだ。

 まあ、一度やればそれで覚えるらしく、なのは相手になら加減を効かせられるようだけど。

 無論アリサともすずかとも、手を握り合うことなど初めてであるから。

 

「離してっ、ちょっと痛いから話しなさいよ離せ馬鹿!」

「う、動かさないでぇ、て、手が、手だけじゃなくて腕も痛くなるからっ」

 

 このような悲劇が起こってしまう。

 少しおかしくなって、ふふっと笑ってしまうなのはだったが、当然このままにしておける訳がない。

 

「もう、束ちゃん落ち着いて、ほら、今度は私と握手しよ?」

「わぁい! なーのーちゃーん!!」

 

 だから束の興味をこちらに向け、二人を解放させてあげながら。

 

 悪気はないから、許してあげてね。束ちゃんって、こういう子だもの。

 

 なんて思いを詰め込んで、ぺこりと首を傾け頭を下げるのであった。

 




高らかに笑い笑えばなんとやら。


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第十六話:束と助手と

「帰ってくる必要はないわ」

 

 四月二十七日、午後一時を少し回った頃。

 フェイト・テスタロッサが帰還のために、自らの拠点である時の庭園へ通信を送ったその時、開口一番で告げられたのは、帰還を取り止めよ、という命令であった。

 隣にいるアルフと二人、驚いてすぐさま聞き質す。

 

「あの……でも、ジュエルシードを渡さなきゃ」

「ええ。でもまだたった四個しか手に入れていない」

「う……」

「その点に対しては、あなたを責めなければならないわね。たった四個では、私の願いを叶えられない」

 

 通信先の冷淡な一言に、フェイトは頭を垂れて落胆する。

 彼女にしてみれば、全力で当たった結果なのだ。一日たりとて休まずに、魔力を消費し探索を行い。

 そして時に、白い服の女の子と戦った。

 最初は空に浮くのが精一杯であった彼女。それを制すのは容易かった。がしかし、戦えば戦うごとに実力を伸ばしていく。

 攻撃魔法も砲撃一辺倒だけでなく、誘導射撃弾を使いだして、更には高度の収束系拘束魔法まで使いこなしている。

 お供の少年も防御が固く、練達しているのか術式の展開と制御がとても上手い。攻撃力こそ皆無に等しいが、純粋な魔法の出来については、恐らくフェイトより上であろう。

 そんな、厄介この上ない二人の少年少女と戦って、しかしフェイトは負けずに。

 二週間ほどの短期間で、遺失遺産、ロストロギアの一つであるジュエルシードを四個も集めたのだ。

 褒められこそすれど、叱られることはない――と、前日アルフが語っていた。

 フェイトも口に出さないとは言え、同じ思いであったのだ。今度こそ褒めてくれると思っていた、それなのに。

 

「ごめんなさい」

 

 だが、フェイトが述べるのは謝りの一言だけだった。

 それだけしか言えない。言う必要はないし、言う権利もないのだ。

 

「……ええ、あなたは悪い子よ、フェイト」

 

 それに対して、モニタの前の女性はただただ無表情だ。怒りも悲しみも表していない。

 だがしかし、その瞳は永久凍土の氷のように冷たく、暗くて。

 フェイトはそれに怯える。わざとらしく怒りを爆発させられたり、悲しまれたりするよりも、ずっとずっと怖くて恐ろしい空虚な瞳である。

 

「でもね」

 

 しかし、彼女がそこに、たった一言付け加えた時。

 フェイトは見た。

 彼女の――自分の母親であるプレシア・テスタロッサの瞳に、ほんの微かな、火が灯っているのを。

 

「あなたはそれ以上の成果を上げた。素晴らしいわ、フェイト。よくやってくれたわね」

 

 暗く沈んでいたフェイトの顔が、その火を照らして明るく光る。

 側に居たアルフが抱きついて、頬ずりしながらこう言った。

 

「やったねえフェイト!」

 

 こくん、こくんこくんと何度も首を振る。

 母さんに褒められるなんて、何時ぶりだろうか。リニスと一緒に魔法の訓練を始めてからは、褒め言葉なんて一度も聞いたことがなかった。

 いつも叱られたり、厳しいことを言われたり。

 そんな母さんを、アルフは鬼ババア、なんて言ってたけど。

 ほら見て。

 やっぱり母さんは、私の優しい母さんなんだ。褒めてくれて、私のことを認めてくれるんだ。

 

「あ、ありがとう……ございます、母さん」

「礼には及ばないわ」

 

 そういう喜びを込めて伝えた感謝の言葉を、プレシアは極あっさりと返すが。

 口調もなんだか柔らかい、思い出の中の優しい母さんに戻っていると、フェイトには聞こえてしまうのだ。

 

「……あ、で、でもさ。いいかい、プレシア?」

 

 喜びの場に差し出口を挟むのが申し訳ないのか、少し縮こまりながらアルフがプレシアに問いかける。

 

「どうしたの?」

「え。えーと……今言ってた成果って、ジュエルシードのことじゃない、んだよね?」

「……ええ」

「じゃあ、一体なんだっていうんだい? アタシたち、プレシアに頼まれたジュエルシード集め以外には、何もしてないよ?」

 

 聞かれた途端、再び険しい目に戻るプレシア。

 その目線を浴びたアルフは、あっという間に縮こまり、人間形態でも目立つ獣の耳を畳んで尻尾を垂れ下げた。

 

「あ、ご、ごめんよ! 知る必要が無いんならそれでいい、だから怒らないで……」

「……そうね」

 

 プレシアはちら、とフェイトに目を向ける。険しいままの視線に思わず背筋を正すフェイトであったが、その目の奥にちらつく火は変わらず、だから叱られないと安心できた。

 

「あなた達には教えなければならないわね。それを連れてくるために一仕事してもらうのだから」

「連れてくる……?」

 

 フェイトの問に答えとして用意されたのは、もう一つ展開されたモニタであった。

 そこに流れているのは、バルディッシュからフェイトたちの拠点、時の庭園へと定期的に転送される記録映像、その最新映像だ。

 つまり、先日夜のジュエルシードを巡っての戦いである。

 視点はフェイトの目線とほぼ同じ。浮遊する青白く光る宝石へと真っすぐ飛んで、すると同じく飛んできた白い服の少女とぶつかり合い。

 そして閃光。吹き飛ばされてもんどり打った衝撃でカメラもブレにブレ、まともに視界が回復した時には、眩い破滅の光を放つジュエルシードが見えていた。

 それから、フェイトがそれを抑えようと近づいたので、必然的に宝石へ寄り。しかしその目前に現れ立ち塞がったのは。

 うさみみを付けた女の子。かつてフェイトにジュエルシードを渡してなおも戦い、地に落とされた彼女であった。

 

「あ……」

 

 フェイトは思い出す。そうだ、あの時。傷ついた自分を抱いたアルフが直ぐに撤退したから、あまり覚えていなかったけど。

 あの少女は何をした?

 魔導師でもない、ただの少女が。ジュエルシードをその手に掴み。

 デバイスを使わず、ミッドチルダ式でもない、奇妙な呪文を唱えて。

 そして――一時的とはいえ――あのジュエルシードを、完全に制御していた。

 

「そうよ、フェイト。興味深いと思わない?」

 

 映像はちょうど、少女が青い光に身を包みながら宝石を掴み取って握るシーンへ移っていた。

 

「あの少女。かつてあなたに突っかかったところを見て、不思議な子だと思っていた。それがこれで、確信に変わったの」

 

 その時フェイトは、母親の瞳の中の火が、決して自分に向けられたものではないと気がついてしまった。

 彼女は自分を見ていない。

 あのうさみみの、少女を見ている。

 

「ねえ、フェイト、お願いがあるの」

 

 だから、プレシアがフェイトにそう語った時、フェイトの喜びは既に萎えて、いつもの物言わぬ人形のような、切なく真剣な顔つきへと戻っていた。

 

 

 

 

 

 

「束、入るよ」

 

 篠ノ之神社地下のラボ、そこに繋がる扉のロックを解除して中に入ったユーノが見たのは、恐ろしい速度でコンソールに何かを打ち込み続けている束と。

 その操作に連動して動き、ぎゅぃぃぃん、きぃぃ、と耳に響く金属加工の音を立てている、全長4mほどの工作機械であった。

 

「束ー! たーばーねー!」

 

 甲高く煩い音にかき消えそうな声を振り絞って叫ぶ。

 すると、椅子に座った女の子のうさみみがぴくん、と震えて。

 

「ん、どうしたのかい我が助手よ」

 

 瞬間、ピタリと止まった工作機械とその音が齎す静寂に、篠ノ之束の声が甘く、凛と響いた。

 その表情や体には、疲れと消耗の跡など些かも見当たらない。どうやら昨夜はぐっすり熟睡して、それで回復できたようだ。

 ユーノは安堵する自分に気づき、それを少し不思議に感じた。

 安心する必要などないだろう。この無茶振りと強引ばかりなワガママ極まる少女に向かっては。

 むしろ、ばたんきゅー、と倒れた所を無視してやってもいいくらいにはこき使われているのではないだろうか。

 とはいえ、しかし、それでも。

 結局この子のために色々と駆け回っている自分は、例えばなのはと似た者同士のお人好しでドの付くほどのお節介焼き、なのだろうか?

 そんな問を心に抱いて苦笑したユーノは、束に向かい左手に持ったポリ袋を差し出した。

 

「はいこれ、なのはからの差し入れ。翠屋のシュークリームだって」

「マジ!? なーのーちゃーん!!!」

 

 束は椅子に座ったままの姿勢からノーモーションでジャンブし、まるで目の前になのはがいるかのように素早くそして強引な飛び込みが、ユーノを襲った。

 そして、慌てて後ずさるユーノの目の前で、しゅたっと軽やかに着地し手にある袋を奪い去り、中にある紙のボックスから、翠屋特製のシュークリームを取り出し、一口で一気に半分ほど食べた。

 

「んんんん~っ! 糖分! 取らずにはいられないッ! ぱくぱくもぐもぐっ」

 

 そして叫ぶ。理由は美味故か、言葉通りの糖分摂取の喜びか、それともなのはからのプレゼントを食すという幸福感か。

 多分どれも正解で、だからこんなに叫んでるんだろうとユーノは思った。

 

「なのはが言ってたよ。これくらいしか出来ないけど、束ちゃんのこと、助けてあげられてたら凄く嬉しい……って」

「そりゃもうめちゃ助かってるよ! 甘さと愛情でパワー解放、全開だから! 束さんだって、なのちゃんを助けるために超頑張っちゃう!」

 

 意気揚々ともう一口で全部食べきって、それからもう二個ほど入っているケースを冷蔵庫(いつの間に作られたのだろう)へと仕舞い、束は再びコンソールに向かって作業を始めた。

 そうしている様子を見ると、ユーノは不思議と毒気を抜かれてしまう。

 出会った時は傍若無人で強引で、とてもなのはの友達とは思えない少女だった。

 だが、曲がりなりにも助手として何回か手伝わされたり、魔法やジュエルシードについて話し合っていると。

 また違った篠ノ之束が見えてくる。

 なのはについて語る時など、特に顕著だ。

 ユーノが見る限り、束はなのはを好んでおり。しかしそれだけでなく尊敬していて、彼女の行動を例外なく肯定し。その度合はもはや崇拝の域にも値しているようにも見える。

 どうしてそうなったのか、ユーノには良くわからないが。なのはについて語る束はとても楽しそうな笑顔をしているのは事実だ。

 今も端末にかじりつき、必死に何かのプログラムを組み上げていきながら、まるでスキップでもしているかのようにるんるんと、リズムに乗って体を動かしている。うさみみは何も聞かずともぴょこっと跳ねて、再び稼働した工作機械が轟音を発する直前には、小さい鼻歌まで聞こえてきた。

 そういう様子を見ると、ユーノはほっと一安心してしまうのだ。

 なぜならば。

 そうしていない篠ノ之束は、きっと寂しくて寂しくてたまらなくなってしまうだろうと思うから。

 

「ねえ、束。忙しいところ悪いんだけど、一つだけ、いいかな」

「ん~? なんだい?」

 

 ユーノは既に、なのはと束が仲良くなったきっかけと、それ以前の束の有様について知っていた。昨日の夜、フェレット姿になって高町家へと帰った時、なのはが話してくれたのだ。

 小学生になったばかりの束は、無言で煌めくナイフのような女の子だったようだ。

 ずば抜けた頭脳と身体を持ち、触れるもの皆傷つけて馬鹿にして、大人ですらも翻弄する。そうして、周りは皆気味悪がったり無視をして、一人ぼっちになっていたという。

 ひとりぼっち。

 ユーノにだって、それがどれだけ辛いことか、少しだけ分かる。

 彼もまた、スクライア族の中で親も弟も妹も無い、天涯孤独の身だったから。

 そして、なのはも実は、小さい頃はちょっとだけひとりぼっちだった、らしい。

 束と出会う前、なのはが五歳の時父親の士郎が仕事――喫茶店のマスターではなく、その時一緒にやっていたボディガードの仕事――で大怪我を追った。

 それが折り悪く翠屋が開業したばかりの時期で今ほど人気も無く、母も兄も皆そちらにかかりきりとなってしまい、姉は父親の看病に向かって。

 なのはは一人きりで家に居ることが多かった、そうだ。

 だからこそ、束が寂しさを抱えていることに気づけたかもしれない――と、付け加えながら。

 

 ユーノ、なのは、そして束。

 三人共に、昔はひとりぼっちの寂しさを抱えていて。でも今は違う。

 ユーノには部族の優しい人達や、魔導学院の同級生とか、この地球で出会い、フェレットとしてだけど、それでも触れ合った人たちがいて。

 なのはには勿論、無事に戻った父親を始めとした家族に、アリサやすずかといった親友。そして、篠ノ之束という一番の大親友がいる。

 ならば、束には――?

 

「束は……さ」

 

 それを確認するため、ユーノは問いかけた。

 

「今の世界って、楽しい?」

 

 ぎぃぎぃ、がちゃがちゃ。

 少年の声を阻む作業音が再び響くが、それでも束の耳へ、胸元へ、問いはちゃんと聞こえていたようだ。

 束は椅子のキャスターを回し、くるりと振り向いて。

 

「ま……そこそこかな」

 

 と、答えたので、ユーノは深く安堵した。と同時に、不思議にも思った。

 何故だろう。なんでこんな女の子のことが、そんなに気になって……変なことを聞いたり、それに対するいかにもあやふやな答えを聞いて、それで満足するんだろう。

 あの温泉で出会った彼女の父親と、話をしたから? 自分と同じく、ひとりぼっちであったと知ったから?

 どれも弱い。それだけじゃないように思えてしまう。

 ならば、明確な理由というのはなんだろう。

 考え込みながらも、なのはと合流するためにラボから出ようとしたユーノの目の前で、扉の横にあるインターホンらしきものからベルが鳴る。

 

「束、ちょっと」

 

 振り向き声をかけたが、うさみみ少女は今度こそ発明品制作に没頭しきっているらしい。

 ここは、助手として取り次ぐしかないかと判断したユーノは、インターホンのスイッチを押して、近くにあったマイクを手に取る。すると聞こえてくるのは、篠ノ之家婦人、沙耶の声であった。

 

「束? あなたにお客様が来ているのだけど……束?」

「あ。あの、すいません」

「……束じゃないわね? あなたは?」

「あ、僕はその、束の助……えー、友達、みたいなもので。あの子、今手が放せないようなので、僕が」

 

 応答してきた少年の声を聞いて、沙耶は数秒ほど沈黙し、その後素っ頓狂な声を上げた。

 

「あら……あらあら、束が自分の部屋に男の子を連れてくるなんて……!」

「あー! いやあの、別にそういう訳でもなんてもありませんから! 断じて!」

 

 何か変な誤解をされそうなので釘を刺すユーノ。

 ドアホンの向こうに居る沙耶も、話がいきなりブレていることに気づいて、おほん、と咳払いをした後に要件を話し始めた。

 

「束にお客様が来ているの。今、母屋の方でお茶とお菓子を出して待ってもらってるわ」

「はぁ……あの、失礼ですがその子は……なのは、ですか?」

「いえ、違うけれど。あなた、なのはちゃんともお知り合いなの?」

「はい、一応は……じゃなくて。なら、誰なんですか? 束相手にお客だなんて」

「そうねえ、私も初めて見る子で……おとなしくて、でも礼儀正しくて。きっと育ちがいいんでしょうね」

 

 そこまで話した時、ユーノの周りで鳴り響いていた、機械の駆動音が再び消えた。

 ちら、と後ろを振り向けば、コンソールから手を話して、何やらほくそ笑む束の姿が見える。

 何かあったのだろうかと心配しながら、とにかく今はこの応答を続けなければならず、ユーノはインターホンと向き合って、来訪者について聞いた。

 

「その子……名前って、分かります?」

 

 その問いに、沙耶はごく平然と答えた。

 

「ええ、聞いてるわ……フェイト・テスタロッサですって」

 

 瞬間。ユーノは驚きすくみ、呼吸を乱した。

 フェイト・テスタロッサ? 

 あの、金色の髪をした女の子。魔導師として僕らの前に立ち塞がっている、フェイト……なのか?

 その答えは、ユーノの真後ろから齎された。

 

「くく、くはははは、あぁ、なるほどなるほど。そう来たか。そういうことだったんだね」

 

 束である。

 先程までの穏やかさをかなぐり捨てた、凶悪で狂人めいた攻撃的な笑い。

 それを思いっきり顔面に浮かべて、ラボの扉を開く。

 

「束!」

「心配しないで、罠じゃあないよ」

 

 止めようと声をかけるユーノへ、右手でしっ、しっ、と退けるように動かす束。

 その立ち振舞には何かを確信したような自信と喜びが感じられる。もしかしたら、今のやり取りだけでフェイトに関する何かを『予測』したのかもしれない。

 だが。

 ユーノとしては、ここで行かせてはならないと思うのだ。

 

「ダメだ! 罠じゃないにしても危険すぎる! なのはと、それから僕と一緒に!」

「それだと向こうが門を閉じちゃうよ。お客さんは私一人だ。そうに決まってる。だから、私一人で行くよ」

「そんな……束、考え直して!」

「やだ。こんな面白いことがまたとあるか」

 

 必死に止めるユーノ。だが同時に、自分が止めた程度で行動を撤回したりはしないだろうとも分かっていた。

 だから、せめて一つだけ、言い聞かせる。

 

「……じゃあ、無事で帰ってきて。そうしないと、なのはが悲しむよ」

「はんっ、当たり前だよ。どうせこの場では何もしないし、出来ないだろうからね。……あと、それよりも」

 

 シェルターのように分厚いドアを開きながら、束はラボに幾つもあるモニターの内、一つをびしっと指差した。

 ユーノがそこへ目を向けると、どうやらそれは街中にある観測機のカメラと繋がっているらしく、海鳴市の湾岸付近にある倉庫地帯が映っていた。

 そして、カメラがフォーカスしているのは……なのは、アリサ、すずかの三人、そして。

 黒いバリアジャケットとデバイスを持つ、藍色の髪の少年の姿だった。

 

「あれって……まさか、時空管理局……!?」

「いやー、偶然ってのも凄いねえ。ほら、助手よ。お前はそっちに行くべきなんじゃないの?」

「そ、そうだけど、でも」

「あーほら、アリちゃんがつっかかってる。どうにもあの魔導師カタブツらしいねえ。そこが癪に障ったんだよきっと」

 

 束の言うとおり、モニタをよく見ていると何やら言い争いが起きているようだった。

 その原因はおそらく、なのはの腕にかかったバインドだろう。

 アリサがそれを指差してしきりに怒鳴っていて、すずかはそれを止めようとしているようだ。

 魔導師の少年は多少苛ついているのか、頑なな表情でアリサに向かい何か話していて、当のなのは本人はなんとも言いようのない微妙な顔でそれを傍観している。

 このままいけば、間違いなく話し合いが拗れてしまうだろう。魔法世界に詳しいユーノが居なければ。

 しかし、すぐにでも転送して向かいたいところだというのに。

 ユーノは動けなかった。束を心配して、ただ見つめるだけしかできなかった。

 

「ああもう、さっさと行けって! おらっ! 助手! 命令だぞ!」

 

 そんなユーノに業を煮やしたのか、束はユーノの額にごつん、とデコピンを打つ。

 加減はしているだろうが、天才の腕力で放たれるそれはとても痛く。

 うっ、と呻いて額を抑えたその僅かな瞬間に、束はラボから出ていってしまった。

 

「あ、待って、束……」

「じゃーね♪ 数時間くらいしたら帰ってこれると思うから! なのちゃんによろしく!」

 

 鋼鉄製の地下室扉ががちゃり、と閉じられ、外側からロックされる。すぐさまロック解除のパスワードを入れるが、どんな方法を使ったのか、ユーノの知る番号から変えられて開かない。

 つまり、転送魔法を使わなければここからは出られず。どうせ使うなら向こうに行けということだろう。

 

(なんだよ……それ)

 

 ユーノのその思いは、あくまで秘密にしたがる束への反発か。それとも。

 自分よりなのはの方が大事だろうからそっちに行け、と言われたことへの、忸怩たる思いであったのか。

 転送魔法を起動し、なのはたちの居る場所へと向かうユーノ本人にも、分からぬことであった。

 



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第十七話:天才と大魔導師

 それは、世界と世界の間に存在する、闇色の広大な空間に浮かんでいる。

 全幅、約300m。まるで空中城塞のような外観は、何百年もの経年劣化により古び、不気味に黒ずんでいる。所々に点滅する赤と緑は魔力光であり、その巨体がただの朽ちた廃墟ではなく、魔導炉によって駆動している巨大な航行物であると分かる。

 その名は、時の庭園。

 ミッドチルダの魔法技術で作られた、次元間航行も可能な移動庭園だ。

 そして、庭園の内部、大理石のような石で設えられた、広い広い廊下の真ん中に、金色の魔法陣が展開される。

 淡い光の中に現れる人の像が三つ。空間転移の魔法だ。

 まず現れたのは、この魔法を展開した主である、フェイト・テスタロッサ。

 金色の髪をツインテールに纏め、黒と白の二色で整えられた目立たない私服に身を包んでいる。

 続いて、彼女の使い魔であるアルフ。

 露出度の高い服装に、グラマーな肉体を収めて立ちながら、その表情はどことなく不服そうで、犬歯を覗かせ苛立っている。

 その理由となる三人目が、最後に転送されてきた。

 

「……ふむふむなるほど。これが転送魔法ね、おーけー把握した」

 

 機械仕掛けのうさみみに、いつもの一人不思議の国アリスな出で立ちをした、天才少女、篠ノ之束である。

 夕方頃、フェイトに呼び出された彼女が告げられたのは、時の庭園への招待であった。

 曰く、彼女たちの主でありフェイトの母親のプレシア・テスタロッサなる女性が、束の存在に興味を抱き、是非とも客として招きたい、とフェイトたちに命令したようなのだ。しかも束の予測通りに、一人で来て欲しいと言われた。

 プレシア・テスタロッサ。束やなのはの敵として戦っているフェイトの母親、つまり敵の大ボスである。

 そんな彼女から誘われるという極めて面白いチャンスである。逃げるなどという選択肢はない。

 かくて束は、なのはたちが時空管理局と遭遇しているその間、時の庭園へと乗り込んでいったのだ。

 

「……いいかい、下手な真似したら噛み砕いてやるからね」

 

 殺気立っているアルフの警告に、束はへらへらした笑顔を返した。

 

 

「はいはいわかってますよー。虎口に入ったようなもんだってことは重々承知だってばさ。それよりぃ?」

「なんだい、何かあるのか」

「随分だだっ広い拠点だねえ。見たところ君たちとプレシアしか住んでないようだけど……それにしてはちょっと広すぎだと思わない?」

 

 その生意気な口調と態度がアルフの感情を逆撫でするようで、ぐるるるる、と喉を唸らせながら怒鳴られた。

 

「うるさいんだよ! フェイトに何も出来ず叩き落されたガキが生意気に!」

「はん。ありゃ単なる実力調査。だから真っ向から勝負したんだよ。今この状況この間合で、搦め手使えば楽勝でいくらでも叩き落とせるもんねー」

「喧嘩売ってんのかい!? フェイトに手出しするのはあたしが許さないよ!」

「あ、アルフ。もう止めて……」

 

 段々とヒートアップしていく二人。フェイトが慌てて口を挟むも、一向に止まる気配を見せない。

 

「お前の許可なんかいるかワンコロ」

「っ! あたしは狼だ! こんにゃろ、今ここでぶっ倒してやる」

「お? やるの? ねえやるの? いいよぉ、なのちゃんの敵を少しでも減らせるなら私は何時でも」

「や、やめてっ……アルフも、その、しのの……シノノノさんもっ」

 

 そして、互いに拳を構えた束とアルフが、向かい合っていざ尋常に殴り合いを始めようとしたその時――

 

『アルフ』

「っ!」

 

 廊下の奥から、暗く鈍く冷たい老婆の声が響いてきた。

 これが、プレシア・テスタロッサの声なのだと束は確信する。

 

『彼女は客人よ。手を出すのはやめなさい』

『で、でもこいつは敵だよ!? 今のうちにやっちゃったほうがさ』

『黙りなさい』

 

 その言葉には、親しいものにしか感じられない無形の重圧があるらしく。アルフは渋々ながらも拳を下ろし、敵意をもって束を睨みつけるだけに留めた。

 束もそれを見て拳を下ろす。彼女としても、敵の本拠地のど真ん中で戦端を開くことは不利であると理解していた。まあ、開いたは開いたでそれなりに面白い展開にはなりそうだったが。

 

『フェイト? 自分の使い魔の手綱くらい、きちんと握っておきなさい』

『ご、ごめんなさい、母さん』

 

 奥からの声は続いてフェイトを譴責し、彼女はそれに頭を垂れて謝意を示す。

 それは母娘の会話というよりは、主と配下に交わされるものであると錯覚できるくらいに、熱のないものだった。

 

「……ま、無駄話はそれで終わりにしいてあげようよ。それより? 君がこのパーティの主催者かい?」

 

 威圧的な声を耳朶に受けながら、束は尚傲然と前を向き、廊下の奥にある巨大な門を見つめて問いただす。恐らくあの先で待っているはずだ。

 

『ええ、ようこそ、私の庭園へ。転移魔法のご感想はどうだったかしら?』

「いやぁー、流石に魔法ってすごいなぁと思ったよ。座標計算にも手間がかかったわけだ」

『……なるほど、仕組みは既に知っていた、と。流石ね』

「自分、天才ですから?」

 

 そう言って胸を反らす束に対し、プレシアはまるで世間話でもしているような調子で、なんのアクションもなくごくごく普通にこう語った。

 

『奇遇ね。私も天才なのよ』

 

 その一瞬、束の目の色が変わった。

 いつものふざけた、この世全てを笑い飛ばすような表情が、鋭く、険しく、そしてより悦楽を感じたように歪み始める。

 獰猛な猛禽類を思わせる、攻撃的な笑い。

 

「天才……ねぇ」

『嘘だと思うなら、扉を開けて御覧なさい。私の研究室に案内してあげる』

「ふ、上等だね!」

 

 だんっ、と石畳を蹴って走り出す束。一足出すごとに数メートルほど進むそれは、まるで兎が飛び跳ねるかのようだった。

 

「母さん、私たちは」

『フェイト。アルフ。あなた達は手出し無用よ』

「なっ……プレシア!? でも、あいつが何しでかすか」

『アルフ? 私を誰だと思っているの? 負けはしないし、今回は勝ち負けの話ではないわ。とにかく、暫く待機していなさい』

 

 そんなプレシアの命令を受けて、なおもフェイトは納得行かないように立ち尽くしたまま。

 

「母さん……その……向こうでこれ、買ってきたんだけど」

 

 右手に持っていた紙袋を掲げ、食べてほしいと願うが。

 

『悪いわね。母さんは今忙しいの。あなた達で食べなさい』

 

 無碍に拒絶されて、しょんぼりと肩を落としその場から立ち去るだけだった。

 直後。

 そのはるか前方で、束が両腕を思いっきり開き力を入れて、プレシアの場所へとたどり着く。

 

「たーのもー!」

 

 ばだん、と大きな音が響き、束が叫んだその先には。

 玉座に座り、顎を手に載せながら、不敵な笑みを浮かべる女性がいた。

 その肌には皺が深く刻まれて、彼女が経た年月の長さと深さを表すが、しかしそれでも魔性、と呼ぶべき美貌を保っている。

 紫色の瞳が、じぃ、と束の紅玉色の瞳を見つめ、互いの視線が交錯した。

 その時、束は思い知る。

 この女の瞳の奥、心の中に灯っている炎は。

 色は違えど、自分とほぼ同質の光であると。

 

「はじめまして。私はプレシア・テスタロッサ。かつては大魔導師とも呼ばれていたわ」

「……はじめまして。篠ノ之束さんだよ。今この瞬間に天才だよ」

 

 束とプレシア、共に「はじめまして」と頭につけて挨拶を交わした。

 それは、束という人間にとっては極めて異例の礼儀正しさであった。

 そして同爺に、プレシアという人間にとっても例外的なことであるのだとも、束には予測できた。

 

「ふ。ふふ。ふふふふふ」

「く、ひひひ、あははは」

 

 そして二人、図った訳でもなしに同じタイミングで笑い出す。

 この運命のいたずらとも言うべき邂逅を、嘲り笑うために。

 そして、プレシアが語りだす。その言葉は踊り、まるで懐かしい友人に出会ったような響きを見せる。

 

「モニターで見た時、まさか、とは思ったけれど……やはり。貴方、子供の頃の私にそっくりね」

「く、ひひはは……何が言いたいんだい?」

 

 聞き返す束に、プレシアは首を横に振って、

 

「あら、そんなこと……とっくに『分かっている』のではないかしら?」

 

 と、更に返した。

 束の背筋に、戦慄に似た高揚が走った。

 

「『分かっている』か……くふふふふふ、あははは! そうだ、確かにそうだね!」

 

 

 こいつは、目の前の婆あは。

 私が予め大凡を『予測』している――ということを『予測』していた。

 つまり、立つ土俵が、同じであるということ。

 こいつも私と同じ――。

 

「なるほど、確かにお前は天才だね、プレシア・テスタロッサ」

「ええ。そういう貴方も天才よ、篠ノ之束」

 

 天才。

 天性の才能、生まれつき備わった優れた才能。

 常人の努力では至らない、至れないレベルの才能を秘めた人物。

 篠ノ之束はそれであり。そして、プレシア・テスタロッサもそうだということだ。

 

「面白いものを、見せてあげましょう」

 

 プレシアはそう言うと玉座から立ち上がり、束を手招きしながら部屋から出て、エレベーターへと向かう。

 それについて行きながら、束の気分は言いようもないくらいに昂ぶっていた。

 なるほど、あの世界――今まで自分が唯一知っていた世界である地球――には、自分と同レベルの人間は存在しなかった。

 忍者だの、退魔士だの、夜の一族だの、HGSだの。特異な存在は沢山いるけど、どれも自分の予測をはみ出て、だからこそ及ばない。

 高町なのはは唯一それに当てはまらないが、アレは束より遥かに上の存在だ。少なくとも束の中ではそう位置づけられている。

 だが、地球とは別の世界。次元世界の只中に、自分と同じ目線を持てる者がいた。

 これを喜ばずにいられるか? 例えそれが、ジュエルシードという宝石を奪い合う敵同士出会ったとしても――

 

「さあ、ここよ」

 

 と、考え事をしていながら、いつの間にかプレシアの目的地の前へとたどり着いていたようだ。

 プレシアが大きな木の扉を開くと、その奥に広がっていたのは研究室らしき空間であった。

 幾つもの機械が稼働し、光を明滅させている。書きかけの書類や薬品だらけで、雑然としたその様相は、どことなく束の地下ラボに似ていた。

 しかし、部屋の中央にある一つのカプセル。その存在と、その中身が、束のラボと明確に異なる一点だった。

 

「……ほぉう」

 

 何も身に纏わず、ぷかぷかと浮いている幼い金髪の少女。

 それを見ただけで、束はその正体を理解する。

 なるほどなるほど、そういうことか。益々以て面白い。

 実に狂っている。天才という名に相応しい所業であるだろう。

 

「そう、これはアリシア」

 

 プレシアが語る言葉は少ない。説明も何もなく、ただ事実だけをぶつけている。

 だが、束相手にはそれで十分なのだ。

 経緯や状況など、勝手に予測してしかも外さないのだから。

 

「なるほど、あれは、そうなのか」

「そう。紛い物よ。だから私はあの子を愛さない」

「随分と暗い雰囲気だったのはそのせいだったんだね。酷いことをするもんだ」

「当然でしょう? 私の娘は一人だけ、そこにいるアリシアだけなのよ」

 

 プレシアの所業を酷い、と罵る束だが、その口調には罵倒の意志も侮蔑の響きも存在せず。

 また、返すプレシアも自らの行いに何ら良心の呵責を持たず、まるでそれが当然であるかのようにのたまった。

 

 束が察したこと、それは。

 フェイト・テスタロッサが目の前の死体、アリシア・テスタロッサの遺伝子と記憶を元に作られたクローンであるということだった。

 そして、プレシアの目的とは、死んだアリシアの復活であり。

 フェイトはアリシアとは似ても似つかず、だからプレシアに虐げられている。

 それだけの事実を、束はほんの一瞬、カプセルを見ただけで読み切ってしまったのだ。

 

「軽蔑したかしら?」

「ううん。全然。それにしてもすごい技術だねえ。直接戦った私でさえ、クローンだと気づけなかったよ」

「ええ。プロジェクトFは私が心血を注いだ生命創造技術だもの。アレは紛い物とは言え、人間としては機能不全などなく完成しているのよ」

「なるほどねえ。こっちにも一応、そういう技術はあるんだけど。例えば『強化因子素体計画(プロジェクト・ブーステッド)』とか……でもまぁ、色々欠点もあるし失敗も多いっぽくてさ」

 

 束自身はそういう、生命操作の分野を専門にはしていなかったが。

 極平穏な世界の裏で蠢いている、法律など無視した後ろ暗い計画なども、大凡予測のつくことであるのだ。

 

「そこを行くとあの子は中々どうして、素晴らしいよ。拍手したくなるね、ぱちぱちぱち! ……っと、そこまでしたら苛立っちゃうかな? 君にとっては失敗作らしいし」

「ええ、確かにアレは失敗作、アリシアにはなれない無様なお人形(フェイト)よ」

 

 そう言いながらもプレシアは、怒る素振り一つ見せず、むしろ悦楽に唇を歪ませ残酷に笑う。

 束もそれに釣られて、きゃっきゃきゃっきゃとはしゃいで回り。

 

「いいね、これはいよいよ愉快なことになってきた」

 

 プレシアのデスクの上に尻を乗っけて座りながら、彼女の胸をびしっ、と指差し問いかけた。

 

「で? 君は一体どうしたいのさ、プレシア・テスタロッサ」

「ふむ……どうしたい、とは?」

「焦らさないでよ、そっちだって判ってるくせに」

 

 ぐおんぐおん、と機械の音。カプセルの液がかすかに揺れる。

 酷薄な笑み全開で、束は質問した。

 

「君はジュエルシードを利用して、アリシアを取り戻そうとしている。その方法を教えてもらおうか」

「……」

「私に協力させたいんだろ? 昨日の夜、ジュエルシードを制御して願いを叶えた私の力、それが欲しいんだろう? 自分の計画をより完全に遂行するために」

 

 ここに、自分の本拠地に。敵であるけど魔法の使えぬ束を呼んだ理由など、それくらいしかないだろう。

 単純に寝返って、戦力になって欲しいのならば、束など呼ばず普通になのはやユーノを呼びつけるはずだ。

 ならば、自分が呼ばれた理由は一つ。昨夜フェイトとアルフの前で見せた、ジュエルシードの解析、そして発動について聞き――交渉して仲間に加える、それしかない。

 

「ええ。流石に察するのが早いわね」

「そりゃあまぁ。天才ですからねぇ。でも、束さんが居なくったって、君はきっと、ジュエルシードを制御できるんじゃないかなー?」

 

 くくく、と笑いながら長広舌を振るう束は、敵の親玉に対し自分の秘策をぶちまけた。

 

「要は、意志の問題さ。あの呪文も必要だけど、最後にものを言うのは強い強い意志と願い。それが無いから暴走する」

「なるほど……」

「そこへいくと君の心の中には、強い強い、とても強い。狂っていると形容できるほどに強い意志がある」

 

 プレシアはそれを聞いて、己の思いを剥き出しにした狂笑を浮かべた。

 

「ええ! 私はアリシアを取り戻す! 愛するあの子を死という運命(Fate)から取り戻す! その為なら何を犠牲にしても、何を傷つけても成し遂げてみせる!」

「そうそう、その意気その意気。そういう自分のわがままをぶつけること。それは言い換えると夢であり、願望であり。それを叶えるためにこそ、ジュエルシードは作られた」

 

 束はこれまでの数週間、自分の制作物に精を出す片手間、なのはからジュエルシードを借り受けて、その中身を解析していた。

 そうして判明したのは、ジュエルシードに使われているミッド式とは異なる魔法式の存在と、それを使っていた魔導文明が、いかにしてジュエルシードを作ったかという経緯。

 彼らは自分たちの世界に「旧世界」を取り戻すためジュエルシードを作った。

 その「旧世界」というものが何なのかまでは解析できなかったが、とにかくそれを取り戻すためには、ジュエルシードという魔力の結晶を二十一個も作り出すだけの、膨大な魔力が必要であったのは確かである。

 そして、その魔力を制御する道標のために、人の思念、想念、欲望や願望を利用する。

 それがジュエルシードの設計思想であり、だからこそ成功すれば、願いを叶える宝石として奇跡に片足を踏み込んだ代物になっていただろう。

 だが、そうはならなかった。プログラムが未熟かつ杜撰極まりなく、些細な事で暴走してしまう素晴らしく不安定な劇物と化してしまった。

 だから、ジュエルシードは固く固く封印され。そうされた場所が何百か何千年か経って遺跡となり。それをユーノ・スクライアが掘り出したのだ。

 

「で、もう一つ重要なのが、望みを叶える方法だ」

 

 そして、束は経験者として付け加える。

 

「いくら願いが強くても、そのための方策が無ければいけない。膨大な魔力をどう利用したいって具体的なビジョンがなきゃ制御できないんだ」

 

 その点においても、ジュエルシードは願望を実現する奇跡の宝石にはなり得ていない。

 ただ握って、呪文を唱えて祈る。それだけではあっけなく暴走してしまうのだ。

 願いによって発現する莫大な魔力をどう使い、どう活かすか。それを予め決めておかねば、それこそ次元を揺るがす大災害を引き起こしてしまう。

 束は、自分の脳や身体に魔力を流し、一時的に活性化させて五年先のアイデアを閃いた。

 そうするのが一番で、しかもそうするしかないと決めておいていたから、あそこまでスムーズに力を引き出せたのだ。

 では、プレシアはどうするのか?

 プロジェクトFという道具をいかに使って、死人の復活などという冒涜的な不可能事を成し遂げようとしているのか?

 そう考えた時、束のテンションは天井近くに達していた。

 なのはと出会った時の驚きと較べても遜色なく、極めて近い。

 

「さあ、お前はどうするんだ? 大魔導師のプレシア・テスタロッサ。お前は一体、ジュエルシードの力を何に使うんだ? 教えてよ。早く。早く早く早くっ!!」

 

 体温が上がる。心拍数が跳ね上がる。

 息が荒く、目は血走り、そして唇は思い切り歪み果てる。

 さあ、聞かせてくれ。聞かせておくれ、プレシア・テスタロッサ。

 お前ほどの天才ならば、この私にさえ想像もつかないほどのアイデアがあるだろう?

 

「……私は」

 

 プレシアも笑う。己によく似た天才が、待ち望んでいる答えを綴る。

 

 

 

「私は行くのよ。アルハザードへ。次元世界の狭間にあって、かつて人の手から失われた伝説の地へ。命と時を操る秘術の眠る場所で。そこで取り戻すのよ。アリシアを、そして私とアリシアの過去と未来を!」

 

「――あぁ?」

 

 

 束が返した返答は、奇妙にとぼけた、呻きであった。

 

「ジュエルシード、二十一個全て。その魔力を解放すれば、次元に断層が出来上がる、その中にこそ、アルハザードへの道がある」

 

 だが、プレシアには聞こえていない。それどころか、束の表情から笑いが消えていくことにすら気づいていないようで、一人滔々と、誰に聞かせるのでもなく独演する。

 

「あなたのアレを見る前は、大雑把に暴走させて道を開こうと思っていたわ。でもそれよりも、スマートな道があると教えてもらえた。それは僥倖だった」

 

 プレシアが言っていることを、束は理解できる。

 恐らく自分が解析した発動用の呪文と、今語った発動のための方策が、プレシアにとっての天啓だったのであろう。

 

「お陰で実現の可能性は極めて高くなった。今までの方法での成否が六割前後だと試算できて、そこにあなたの方式を取り入れれば……九割になる。ほぼ確実に、私は彼の地へと訪れることができる」

 

 ありがとう、感謝するわ。と語るプレシアは、束に向かい手を差し伸べた。

 

「その御礼よ。あなたも一緒に行きましよう? きっと、とても愉しいわよ。アルハザードの超技術は、私の予測も、きっとあなたの予測をも飛び越えている。そんな未知の塊に触れる事ができるの。科学者としてこれ以上の喜びがまたとあるかしら?」

 

 プレシアは陶酔の極みにあった。しかし、その隣には奇妙に底冷えした空気があった。

 

「お友達も誘ってあげましょう。ご家族も連れて行ったらどう? あら、あなたはきっと、家族のことは嫌いなのよね。分かるわ、私もそうだった……じゃあ、答えを聞いてもいい? 私と共に、すばらしい新世界へと向かうか、それともあの、つまらない灰のような世界に居座るか……」

 

 彼女の中で、答えは決まっているのだろう。

 喜んで手を取り、つまらない世界から一緒に抜け出して、夢と希望に満ちた新しい世界へと向かっていく。

 そうすると決めつけているのだろう。

 ああ。私の答えも既に決まってる。

 見せてやろうじゃないか。

 

 束はプレシアに向かって手を伸ばし――

 それを思い切り振りかぶって、彼女の伸ばしてきた手を引っ叩いた。

 

「っ……!?」

 

 驚愕するプレシアの顔面へ、思い切りぶつけるように叫ぶ。

 

「篠ノ之束を安く見るなッ!!」

 

 それは、天才としての誇りに満ちた激情。

 そして、期待をあっけなく、しかも完全に裏切られたことに対する怒りでもあった。

 

「なんだそれは。アルハザード? 伝説の地? 時を操る秘術? あぁもう、ふざけてるね、ちゃんちゃらおかしい、馬鹿らしい!」

 

 ああ、なんだ、その体たらくは。

 アレ(フェイト)ほど素晴らしい技術を作れる程の科学者が、夢見るものがそれなのか!?

 子供じみて、馬鹿馬鹿しくて……ああいや、それはいい。自分だってそうだ。

 問題は、そこじゃない。

 

「安っぽい! あぁ、全くもって安っぽい! アルハザードに眠る秘術だぁ? 時を操り、失ったこれまでを取り返すだぁ!? 安い。温い。生半可で中途半端で、それ故無様!」

 

 束は絶叫する。

 己のお人好しを後悔する。

 

「他力本願この上ないんだよ、お前ッ!!」

 

 望みとは、夢とは、希望とは。自分の力で手に入れてこそではないのか。

 ああ、そりゃあ他人の助けは要るものだ。

 私だって、今は一人じゃ自分の夢に届かない。親の温かい目。アリちゃんすーちゃんの切なる願い、そしてなのちゃんの笑顔と励ましと、シュークリームの一個も無ければ夢には届かないだろう。

 だがな――!

 

「何故かって!? 終着点が下らなすぎるんだよ! アルハザードの秘術!? それは結局、お前の作ったものじゃないだろ!? あるかどうかも行ってみなきゃ分からない! 確証もなく! そんなものに縋るというのか!?」

 

 そのためにジュエルシードを全て発動するというのか?

 間違いなく、次元がひび割れ砕け散る。昨夜の振動とは訳が違う、本物の次元震、そして次元断層。

 それは恐らく、地球を含めた幾つもの世界を滅ぼす行為である。

 ――いや、それはどうだっていいのだ。天才としての行動ならば、自分の手に入れたいものの為に、全てを捨てるというのは至ってそれらしい行動で、しかし――

 

「アリシア・テスタロッサは、あのカプセルにぷかぷか浮かんでる死体は、お前の愛する娘なんだろう!? ならば他でもない、自分の手で救いたいと思わないのか!? どこにあるとも知れなくて、誰が作ったかも分からない、そんな怪しい、伝説なんてあやふやなものに……!! 娘の再生を預けるなんて、ふざけてるねッ!!」

 

 束は怒り狂う。

 目の前の、天才だと、大魔導師だと嘯く只の老婆の妄言に。

 

 だが。

 

 尚も束は、怒らねばならなかった。

 

「……そう」

 

 プレシアは焦りもせず、怒りもせず。ただ酷薄な笑みを浮かべて、激高する束を見つめていたのだ。

 

 ああ、こいつ、この婆ぁめ。

 この篠ノ之束を下だと位置づけやがったな。

 束さんの怒りを、方法を選んでしまう高潔さであり、天才には要らぬ余計なプライドだと判断し。それに囚われず真っ直ぐに、望み叶える外道を選んだ自分は、この小娘など至れぬ高みにいる。

 そう考えている。

 束にははっきり、そう『予測』出来る。

 

「残念だわ。分かってくれると思ったのに」

 

 憐憫の情たっぷりの台詞。むかつくし反吐が出る。

 

「でも、それがあなたなのよね。それを曲げはしないのよね……分かるわよ、私もそうだもの」

 

 ふざけるな。お前と束さんとを一緒にするな!

 束さんは天才だ。お前なんかとは違う!

 

 お前みたいな、自分の欲だけで何もかも投げ捨てるようなのとは――!!

 

「なぁ、お前」

 

 束はプレシアに吐き捨てる。なまえなどよばない。呼ぶ価値すら消え失せた。

 

「どうしたの?」

「私はお前に勝つ」

 

 再びプレシアを指差し、その目線に今度は殺意めいた怒りを込めり。

 

「……今ここで、戦うというの?」

「違うね。そうしたらまぁ、束さんが勝つだろうけど」

 

 そう語る根拠は十分にあった。

 ここはテスタロッサの根拠地であるが、同時に閉所である。

 であれば、プレシアが魔法を組むより、束が一撃を喰らわせる方が早い。

 プレシアを助けることができるフェイトとアルフは遠くにいて、すぐには駆けつけられない。

 そして――

 

「そんなボロボロの病人と戦って、勝ったところでなんにもなんないから」

 

 プレシア・テスタロッサの身体はひどく傷ついている。

 恐らく一撃、腹部に拳かなにかぶち当てたところでへばってしまうのがオチだろう。

 それでは束が納得行かない。

 病人いじめて何になるというのだ。

 それこそ下らないし、自慢にもならない。

 

「だから……決戦は一週間後だ」

「へえ……どうして?」

「その日までにジュエルシードはあらかた揃い終わる。管理局が出張ってきたし、確実さ」

「ああ、こちらでも観測しているわ。L級巡航艦が一隻。それなりの戦力だし、確かに七日もすれば集め終わるでしょう」

「そうしたら、お前は総取りを目論んでくるだろう? その時が決戦だ」

 

 束はそう、言ってのける。

 神ならざる身で、その後の展開をほとんど確実に予測して。

 だが、プレシアもそのことは早晩承知の上であるようだ。

 

「ええ、かまわないわ。事態が私たち(・・)の予測通りに動けば……」

「舞台が整い、役者が揃う」

「そして――全てに幕が引かれる」

 

 プレシアの表情に、不安やためらいは欠片もない。

 余命幾ばくもない病床の身で、頼れる戦力は不安定な人形だけ。

 更には、管理局という巨大な組織すら相手にしているというのに。

 既に勝利を確信していた。

 絶対の自信を持って、私こそこの戦いの勝者であると宣言しているようだ。

 だがそれは、決して過信でも妄想でもない。

 そう誇れるだけの方策と勝算を、プレシアは確かに持っている。

 それが一体何であるのかも、束には概ね理解できて。

 まさに逆転の一手であり、多少の抵抗など退けてしまう凶悪無比な切り札であることも分かっている。

 

 だが。

 それがどうした。

 篠ノ之束は天才だ。

 そして、高町なのはは――

 

「負けるものかよ、お前なんかに」

 

 見下げるプレシアに、束は見上げて返答し、踵を返して帰途についた。

 




束「安いッ! 安さが爆発しすぎてるッ!」

フィーネ=篠ノ之束説を提唱するSSとかありませんかね(



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第十八話:アースラにて

「納得いきません!」

 

 アリサ・バニングスは正座で座りながら、対座している緑髪の女性へ大声で訴えた。

 それは少女らしく率直な怒気を孕んでいるが、しかし受けた女性はまるでそよ風でも受けているかのように飄々としている。

 一方、女性の横にいる黒髪の少年は若干苛立たしげであった。

 それから、アリサの両隣にいるなのは、すずか、そしてユーノは三人共、怒るアリサを抑えようとしている。

 だが、そんな周りはまるきり無視して。

 アリサは目の前の、提督と呼ばれている女性に怒鳴り続ける。

 

「そりゃあ、魔法なんて使えない私達が介入しないでくれ、って理屈はじゅーぶんに分かりますよ!? でもね! ジュエルシードを探そうと頑張ってこの世界まで来たユーノと! それからその手伝いをしてただけのなのはまで、何もするなっていうのはおかしくないですか!?」

「アリサちゃん、落ち着いて……」

「すずか! ここで退くわけにはいかないでしょ!?」

 

 傍から見ればどうにも奇妙な状況であった。

 その始まりは、アリサとすずかが偶然ジュエルシードを見つけたことである。

 事前になのはから、危険な宝石だと説明を受けていた二人は触らず近づかず、すぐさまなのはに通報し。

 駆けつけたなのはが封印して確保――しようとした、その時。

 ストップだ、と割り込んできたのが黒髪の少年、クロノ・ハラオウン。

 彼は自らを時空管理局執務官だと説明し、なのはたちに事情を聞くための同行を頼んだのだが。

 これがアリサの反骨心に火をつけた。

 いきなり出てきてアンタなんなのよ一体! と叫んで思い切り楯突いたのだ。

 とはいえ、管理局側でもそういう反発は予め想定していたのか、クロノも下手に波風を立てず落ち着かせて説明しようとしていて。

 そこにユーノが転移して来て、管理局周りの知識をアリサたち三人に教えたので、その場はどうにか収まったが。

 しかし再び、アリサは激発した。

 その理由というのが、これまた少し不思議なのである。

 

「アリサちゃん、その……」

「何よ、なのは! アンタだって、こんなところで終わるのは嫌でしょ? 一度始めたことを途中で終わっちゃうなんて、アンタの一番嫌いなことじゃない!」

「それは……うん、確かにそうなんだけど……」

 

 彼女が怒る理由が、彼女自身には全くと言っていいほど存在せず。

 ただただ友達であるなのはと、それからユーノのためにだけ、怒り、叫び、訴えているのだった。

 彼らが始めたジュエルシード集めであり、フェイトとの戦いであるのに。

 他所の人間が横から割り込んで、しかもこれ以上は止めにしろという。

 それに納得行かないと、吠えているのだ。

 

「……とはいえ、ね、アリサさん」

 

 ここで、緑髪の女性――時空管理局提督、リンディ・ハラオウンが話し出す。

 

「ロストロギアというのは、とても危険なものなの。なのはさんは、よく知っているでしょう?」

「は、はい」

「僅かな思念にも反応し、思念体として暴れだす。それから……」

 

 リンディの言葉を、クロノが引き継いだ。

 

「昨日起こった、ごく小規模の次元震……その威力と規模は、君たちも理解しているだろう」

「はい……」

 

 その余波で自分のデバイス、レイジングハートを壊してしまったからか。

 なのはは悲痛な面持ちで首を縦に振っていた。

 

「たった一つのジュエルシード、その何万分の一の力の発動でそれなんだ。複数個集めて発動した時の影響は、計り知れない」

「だから、私達時空管理局が、適切な手段と力を以て、それを封印し、然るべき場所に保管するの」

「君たちは今回のことは忘れて、元の世界で日常を暮らしてくれ。そうできるように、僕らがいるんだ」

 

 クロノと、それからリンディが放つ言葉はどれも正論である。

 ただの一般人であるアリサにしてみれば、確かに任せておけばいい、とも思うのだ。

 この話し合いの場だって、さらばー、とかなんとか言いそうな巨大戦艦の中なのである。

 彼らの着ている服、佇まい、そして雰囲気からしても。

 嘘をついているのではなくて、時空管理局という巨大組織の一員であることを、アリサは感じ取れていた。

 だが。

 大事な大事な友達の目が、それじゃ嫌だと燃えていて。

 でも、いい子ちゃんな所があって、それをこの場で素直に切り出せなさそうだから。

 

「……それでも!」

 

 アリサ・バニングスはeven so(それでも)をぶつけるのである。

 

 ――うさみみを付けた生意気なやつの代わりに。

 

 本当ならば今、彼女の隣で天才の弁舌を叩きつけ、リンディやクロノを煙に巻いているはずだろうが。

 全くあいつってば、こんな大事なときにどこに行っているのかしら!

 お陰で私が意地を張らなきゃいけないじゃない! 結構疲れるのよ、こういうの!

 

 そう、心の中で独りごちた時、アリサの横ですずかが手を上げていた。

 

「……あ、あの、ちょっと、いいですか?」

「え? ええ、どうぞ」

 

 それは、リンディにとっても少し意外だったらしく、許可をする反応が若干、遅れていた。

 許可を受け取ったすずかは息を呑み、そしてそれをゆっくりと吐き出すように語り始める。

 

「ユーノ君に聞いたんですけど……なのはちゃんの魔法の才能って、すごい、んですよね?」

「ええ。若いのに大したものだわ」

「でしたらそれは……もしかしたら、そちらのお役に立つのではないか、と思うのですが」

 

 はっ、とアリサはすずかの意図に気づき、そして言葉を引き継いでまくし立てる。

 

「そうですよ! ジュエルシードの回収に、それから……フェイトって子とも戦わなきゃいけないんですよね?」

「いや、それはそうなんだが……」

「だったら、なのはは戦力として有用ですよ! 記録映像見たら、もうビーム撃ったり空飛んだりですっごいんですから!」

「あ、アリサちゃん……なんだかそれ、恥ずかしいよぉ」

 

 まるでセールストークのような言い草のアリサに対し、なのはは顔をほんのり赤くして止めようとするが。

 

「いいじゃない、本当のことなんだから! 今日の封印の時だって、かっこよかったわよ、ね、すずか?」

「うん。まるでアニメに出てくる魔法少女みたいで、とても可愛かったし」

「にゃああああ……」

 

 それでますますおだてられ、林檎のように真っ赤な顔で俯き、ただただ沈黙した。

 アリサはそんななのはの背中をばしっ、と軽く叩いて、さあどうだとばかりに言い立てる。

 

「ですから! 是非うちのなのはを使ってやってください!」

「……プロモーター(興行師)か何かか、君は」

 

 目眩でも起こしたのか、頭を抱えて苦言を呈すクロノが言うように。

 アリサの説得はなんとも売り込みじみていた。

 それは、彼女の中に流れる大企業の一人娘としての血が、させていることなのかもしれない。

 

「というか、『うちの』って……」

「Shut up! アンタは黙ってなさい、ついでに二束三文で押し付けてあげるから!」

「えええ……」

 

 恐る恐るツッコミを入れたユーノに怒鳴り返すアリサ。

 それを見ていたリンディが、ぷっ、と吹き出し、笑みを浮かべた。

 

「なのはさん。あなたのお友達はみんな、あなたのことがとても大好きみたいね」

「え。あ……はぁ……」

「さて、友達はああ言ってるけれど、あなた本人はどうなの、なのはちゃん?」

 

 そして彼女に問い質されたなのはは、うぅっ、と瞳を惑わせ、口籠るが。

 直ぐ側にいる三人の顔をちらっ、ちらっと見つめたら。

 何か覚悟を固めたようで、決然とした表情と、凛とまっすぐな目線をリンディに向け、こう答えた。

 

「私は……やりたいです。ジュエルシード探しも、フェイトちゃんとの戦いも」

「危険なことよ? 怪我するかもしれないし、それ以上のことだって、あるかもしれないわ」

「今まで、いつだってそうでした」

「あなたには帰るべき家族と、日常があるでしょう? ここから先、私たちに協力するからには、日常と魔法の両立は諦めなければいけない。一時的とはいえ、ね。それで、本当にいいのかしら?」

「でも……ううん、だとしても!」

 

 なのはは声を一段大きく、高々と張り上げた。

 

「それでもやりたいんです。一度始めたこと、途中で投げ出すのは嫌なんです。この街に危険なものがまだあって、それをどうにかできる力があって、何もしないのは嫌なんです」

「ふうん……」

「あと、それから……あの、フェイトちゃん、黒い服を着た、魔導師の女の子。あの子ともう一度話がしたい。言葉が通じるんだから、わかり合いたい。その為に私は……戦いたいんです」

 

 アリサはそれを聞いて、ああ、これがなのはという人間なんだ、と感慨を覚えた。

 どこまでもまっすぐすぎて、不器用で頑固で。でもとても一生懸命で、貫き通すに相応しい、固く鮮烈な意思を持っている。

 二年前、束という圧倒的強者の前で立ち塞がる、なのはを見たときもそう感じた。

 この儚いくらいにきれいな真っ直ぐさに自分が惹かれたのだと、改めて思う。

 そして自分が、彼女の友達としてやるべきことは――

 真っ直ぐ突っ込んでいくなのはが、四方八方にある余計なものに囚われないように。

 彼女が辿る道を、支え助けてあげることだ。

 

「……なるほど」

 

 そして、リンディも何かを感じたように、こくん、と首肯して。

 

「そういうことなら、まぁいいでしょう」

 

 優しい笑顔で、そう告げた。

 

「母さ……いえ、艦長!」

「いいじゃない。こっちとしても戦力が増えて悪いことはない。貴方という切り札は温存しておきたいし、それに。もし放っておいたら、勝手に走り出してしまいそうですもの、この子達」

「……了解しました」

 

 クロノの反論に、リンディはやんわりとそう伝える。

 するとクロノも彼女の意思を察したようで、不承不承、という顔つきながら、自分の意見を取り下げた。

 

「というわけで、条件として二つほど。まず、高町なのは、ユーノ・スクライア両名の身柄を、時空管理局預かりとします。つまり、こちらの命令には従ってもらうということだけど……いいかしら?」

「はい!」

「分かりました」

 

 リンディの言葉に、なのはは元気よく返事をして、ユーノもしっかりと目を見て答える。

 

「そして、これはまぁ確認みたいなものだけど……アリサ・バニングスと月村すずか。あなた達はこの事件にこれ以上関わらないで。無論、記憶を消したりとかはしないけれど」

「今回みたいにジュエルシードを見つけたら、すぐにこちらへ連絡すること。それから手出しは一切しない……ということですよね」

「ええ、そうよ。約束できるかしら?」

 

 二人は顔を見合わせた。互いに微笑し、迷いはない。

 アリサはふと、束の告げたことを思い出す。自分たちに『翼』を授ける、だったか。

 あれは結局、どうなったのだろう。

 ただ真実を明かすということだけなのだろうか。どうにもそうは思えないが。

 

「構いませんよ。下手に出しゃばるとなのはに迷惑かかりますし」

「それが私たちにできることですから。なのはちゃん、頑張ってね」

「うん……ありがとう、アリサちゃん、すずかちゃん」

「それから、ユーノも! なのはのこと、ちゃんと守ってあげなさいよ! 怪我させたりしたら承知しないんだから!」

「分かってるよ、僕も……ん?」

 

 と、アリサの激励めいた言葉にユーノが首肯したその時。彼のポケットの中から、ぴりりり、と音が鳴った。

 

「あっ……! すいません、ちょっと失礼します」

 

 リンディたちからくるりと振り向き、ユーノが取り出したのは人参型の通信機。

 アリサはそれに見覚えがあった。束が持っていたのと、同じ形だ。

 

「もしもし!? 大丈夫だったの!? ……そっか、良かった……っえええ!? こっちに!? わ、わかったけど……」

 

 ユーノの驚き具合からするに、やはり通話の相手は束らしい。

 一旦通信を切ると、ユーノはリンディに向かって何かの許可を求めた。

 

「すいません、この船へもう一人、転送させて頂きたいのですが……」

「もう一人? あぁ、話に出ていた篠ノ之束、という人かしら」

「ええ。なのはの友達で、この事件にも最初から関わっていて……えーと、多少、いえ、かなり変な人なので、その点ご了承頂けたらなと……」

「なんだ、その変な人というのは」

 

 ユーノのオブラートに包み込んでいてなんとも婉曲的な表現にツッコむクロノ。

 リンディも少し頭を捻っていたが、やがて彼の提案を了承した。

 

「ありがとうございます!」

 

 早速、とばかりに転送準備にかかるユーノ。その慌ただしさから見て、相当に急かされていたのだろう。

 緑色の魔法陣が組み上げられ、そこから淡い光が立ち上り。

 そして、現れる青いエプロンドレスと、うさみみヘッド。

 見ると、リンディは何やら興味深げな視線を向けていて、クロノは若干引いている。

 どうやら束の服装は、異世界の常識に当てはめても相当変ちきりんであるようだ。

 

「……うむ、本日二回目。ご苦労であった助手よ」

「束! ……そ、その……大丈夫? 何かされなかった?」

「ううん、全然。五体満足の篠ノ之束さんだよー。っと、なのちゃんこんばんはぁ♪」

「こんばんは、束ちゃん」

 

 いつも通りのニヤついた笑いを浮かべている束へ、アリサとすずかが問いかける。

 

「アンタ、一体何してたのよ? こっちはご覧の通り、宇宙戦艦の中まで誘われて色々大変だったのに」

「そうだよ。なのはちゃんも心配してたよ?」

 

 それに対し、束は気さくな風に答える。

 

「んふー、ごめんねぇ、ちょこっと野暮用があってだね」

 

 もはやそこに、二人を凡人と呼ぶような嘲りはない。

 どうやらアリサとすずかは、束にとって「無価値以上」であると認識されたようだ。

 

「まぁ、それを含めて、これから話すことにするよ。ねえ、君らが時空管理局?」

 

 翻って束が語りかけたのは、正座で座るリンディとクロノ。

 そのいつも通りな無礼さに、クロノの方は面食らったのか何も答えられないようだった。

 しかしリンディは慌てず騒がず、といった風に切って返す。

 

「ええ。私達は時空管理局です。L級巡航艦アースラ艦長、リンディ・ハラオウン提督です。こちらは、執務官のクロノ・ハラオウン」

「ふむふむ。んーと? なるほど、地方のドサ回り部隊かな?」

「あら、面白い言い方ね」

「大体あってるでしょ? まぁそれはどうでもいいんだ。君たちに一つ教えてあげたいことがあるのさ」

 

 正座で座っている二人に対し、束は立ったままで、腰に手を当て、胸を張り。

 衝撃の事実をぶちまけた。

 

「束さんねー。この事件の首謀者とか、知ってるんだけど。聞きたい?」

 

 



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第十九話:収束

「束さんねー。この事件の首謀者とか、知ってるんだけど。聞きたい?」

 

 そこからの10分は、正にクロノとリンディの度肝を抜く10分間であった。

 ジュエルシードを狙う存在の親玉が、プレシア・テスタロッサなる人間であるということ。

 彼女の目的は、娘であるアリシアを取り戻すために「アルハザード」へ往くことであり。

 そしてそのために、二十一個のジュエルシード全てを使い、次元断層を引き起こすこと――

 

「な……! なんて馬鹿な! そんな、あるかどうかも分からない場所に行くために……幾つもの世界を犠牲にするというのか!?」

 

 クロノは瞠目し、信じられないような表情で固まった。

 次元断層とは、次元震より更に深刻な次元災害であり、その規模と周囲に与える被害も桁違いである。

 旧暦462年に起きた次元断層の発生では、幾つもの平行世界が破壊され、次元の海に藻屑と消えた。

 一つの世界には幾千幾万幾億もの命と、彼らの織りなす文化や技術が存在する。

 世界を破壊するということは、それら全てが消えて無くなるということなのだ。

 時空管理局の法に当てはめれば、とても許すことの出来ない大それた、そして危険な行為であった。

 

「そうみたいだよ?」

 

 返す束の表情は、語った内容の深刻さからすれば極柔らかく、そして軽い。

 まるで近所の悪童のイタズラを語っているかのようだ。

 クロノも、そして恐らくはリンディも、彼女の正気を疑ったが。

 ともかく情報を持っているのは彼女だけで、そして話すというのだから、聞いて判断するしか無いのだ。

 

「んで、そのために娘であるフェイト・テスタロッサって、あの金髪の女の子にジュエルシードを集めさせてるんだけど……」

 

 ここで、束はなのはをちら、と見て。

 

「なのちゃん、フェイトちゃんと仲良くなりたい?」

 

 と語った。

 なのはは若干考える素振りを見せた後に言葉を返した。

 

「うん……どうしてジュエルシードを集めているのかは、今の話でわかったけど。私はフェイトちゃんと、もっと分かり合いたい。声を聞きたい。だから」

「友達になりたい。そうだよね?」

「っ……うん!」

 

 束はなのはの足りない言葉を的確に埋めながらも、彼女の目をじっと見つめていた。

 

「……なのちゃん。それは、その決意は。どんなことがあっても変わらないかい?」

 

 そして、こう問い正す。

 それはなのはと束の会話を聞いている五人に対して、一律に緊張と、嫌な予感を感じさせるものだった。

 だが、なのはは。

 

「勿論だよ」

 

 と、ただ一言だけ。

 束もそれで全てを了解したようで。

 両手を大きく広げ、まるで演台の上にいるように、朗々と打ち明けた。

 

「フェイト・テスタロッサは、プレシア・テスタロッサの娘……アリシア・テスタロッサのクローンさ」

「!?」

 

 がたんっ、と立ち上がる音。

 その主はクロノだった。

 クローン、そして人造人間。旧暦の昔ならばいざ知らず、ミッドチルダの法では固く禁じられた禁忌である。

 それを行う技術があって、その成果すら存在するというのか?

 

「どういうことだ!? 説明を……」

「だーから、今してるじゃないかよ。人の話が終わるまでちゃんと聞いててよ」

 

 そんなクロノの叫びを、束はまるきり無視して話を続けた。

 

「まずは、プレシア・テスタロッサの過去から話そう。彼女は優秀な技術者だったが、事故で娘を失った。まだ小さい、五歳のアリシア・テスタロッサを。それが悔しくて、プレシアは娘の復活を試みた」

 

 アリサとすずかは、二人共口を半開きにして沈黙している。

 どうも話の規模がいきなり大きくなりすぎて、ついていけていないようだった。

 

「その為の手段として利用したのが、プロジェクトF。その成果こそフェイト・テスタロッサ。だけどね、彼女は失敗作だった」

「失敗作……アリシアの代替にならなかった、ってこと?」

 

 応答を返せるユーノは一応話の内容を把握できているらしい。

 だがそれ故か、尚更喫驚し、立ちすくんでいる。

 その中でリンディは、唯一涼しげに構えていたが。

 砂糖たっぷりの緑茶を口に運ぶ手が、わずかに震えていた。

 

「似てないんだってさ。利き手は違う、魔力の光も違う。挙句にいい子すぎる。贅沢だと思わない? まあそこの拘りは否定しないでおこうか。さて……」

 

 そして、束がちら、となのはを見る。

 何も変わっていなかった。

 クローンだから、作られた人間だから。それがどうしたと言わんばかりに、束の話を真剣に聞いている。

 にやりと満足気な笑みを浮かべて、束は更に続けた。

 

「だからこその、アルハザードだそうだ」

 

 アルハザード。

 その語句を聞いて、クロノとリンディは顔を見合わせ、困惑した。

 

「待ってくれ。先程から君はアルハザードと言っているが……」

「うん。私の読んだことがある変てこりんな小説に、似た名前を持つ登場人物が居たっけ」

「それはいい。しかし、何故そこで……アルハザードなんだ? あれは単なるお伽噺の類だろう?」

 

 クロノが戸惑いながら言い返す。

 彼の言う通り、ミッドチルダに住み魔導を嗜む人間にとって、アルハザードは有名な「お伽噺」であった。

 今の魔導技術を遥かに上回る、奇跡のような魔導を叶えられる場所――

 確かに若い魔導師がそれを信じ、熱望し、目指すことはあるだろう。

 しかし、今までその誰もが、実在を証明できていない――だからこそ、お伽噺として扱われている幻想。

 

「次元世界の狭間に存在し、今は失われた秘術の眠る地……と言い伝えられているけれど、その実在は誰にも、どんなデータの中にも確認されていない。そんな場所を目指すなんて、馬鹿馬鹿しいにも程が」

「でも、完全に無いって確証も無いだろ?」

「それは……」

「だったら目指す。どんなことがあっても、誰が何を言おうと。それが科学者ってものさ」

 

 しかし、束は頑として、なのはや同年代の女子より少しだけ、ささやかに膨らんでいる双丘を張って、高々と言い張った。

 この場で、プレシア・テスタロッサと同じ目線を共有できるただ一人の人物として。

 

「以上が、君たちが、そして束さんが(・・・・)戦う敵の行動方針であり、これから成すことだよ。さあ、君たちは一体どうするのかな?」

 

 そう束が締めくくると、リンディは決然とした表情で宣言した。

 

「ならば、止めねばなりません。次元断層を起こすということは、即ち世界を滅ぼすことと同義です。次元世界の法と秩序を守る我々としては、これを見過ごす訳にはいきません。執務官!」

「はい」

「エイミィと共に、フェイト・テスタロッサ及びプレシア・テスタロッサの捜索に移りなさい」

「了解です、提督」

 

 命令を聞くや否や、クロノは駆け出して、部屋から出ていった。

 

「それと」

 

 リンディが更に続けた言葉は、なのはとユーノへに向けられていた。

 

「高町なのはさん。そしてユーノ・スクライアさん……事情が事情だから、あなたたちにもすぐに頑張ってもらうことになるけど、いいかしら?」

「もちろんです! フェイトちゃんとはまた会いたいですし……束ちゃんが話したみたいな悲しい出来事が起きてるなら、私はそれを止めたいです!」

「はい。僕にも事態の深刻さは分かりますし、それに……僕の掘り出したもので世界が滅びるなんて、耐えられませんから」

 

 二人の決意を聞いたリンディは、上出来です、というように笑顔で頷いていて。

 脇にいる束も同じように、気持ち悪いくらいに明るく顔を歪ませながらぶんぶん首を縦に振っていた。

 

「うむ! それでこそなのちゃん!! そして助手! であれば、束さんもますます頑張らないといけないね!」

 

 そして腕を組みながら高らかと、顔を上向け顎を思い切りぐいと上げながらふはは、と笑い出す束。

 その周りには、流石束ちゃん! なんて無形の台詞が浮かんできそうなくらい期待と希望のキラキラした目線を向けてくるなのはと、今度は一体何を企んでいるのやら、と訝しげな表情と引き攣り気味な苦笑を見せるユーノがいた。

 

「あ、あの、束さん?」

 

 そんな三人に割り込もうとするリンディに、束の冷たい視線が突き刺さる。

 

「ん? 何か用事かね、お偉いさんよ」

「その……具体的に何を頑張るのかしら? 勿論、情報提供は嬉しいのだけれど……でも、私達はまだ貴女が何者かということと、貴女自身の目的を知らない」

「あ、あの、束さん?あなたは……何をしようとしているの?」

「あーん? お前にゃあ関係ないだろ? 下がれ下がれ、なのちゃんの綺麗で美しくてちょっとむず痒く感じる目線に見つめられる邪魔をするな」

 

 しっし、と手を動かして、邪魔者は去れと思いながら佇む束の前で、しかしリンディはしつこく近づいて、確認しようとしてくる。

 

「私達も、この世界でこれまで起きたことは、なのはさんたちの証言を含めて、大体を把握しているわ。その中で貴女は……正直に言えば、我々にとって警戒すべき行動ばかりを行っている」

「辺境の魔導技術が無い世界の分際で魔法を分析したり? ジュエルシードを無理くり制御して捻れながらも無害な発動までさせたことかな?」

「……それも、確かにあるけれど。一番は」

 

 なのはとユーノの手前であるからか、リンディはそこで数拍、言い淀むように沈黙するも。やがて束を見つめながら、きっぱりと告げた。

 

「何故プレシア・テスタロッサに接触出来たの? そして、当人から直接情報を引き出せたのかしら? 貴女の情報の精度は確かに高い。本来貴女が知っているはずもない、アルハザードと次元断層というキーワード……そして」

 

 リンディが手元に魔法陣を展開させる。するとそこに、管理局が保有するデータベースの中のとある情報がホログラムとして浮かび上がってきた。

 優しそうな母親に、闊達そうな幼い娘。

 そして、二人が出会ってしまった事故について。

 

「貴女の話を聞いている間、エイミィに伝えて調べてもらいました。単語さえ掴めれば検索は容易く、アリシア・テスタロッサとプレシア・テスタロッサ、そして魔導炉暴走事件については……その実在を確認出来ました」

「ソースはあるよっていうことだね。まぁそうさ、束さんウソツカナイ」

「でも、だからこそ解せないの。貴女は一体どうやって、ここまで正確な情報を得たのかしら? 時の庭園に何らかの方法で潜り込んでのスパイ? それとも、そちらの世界の技術を使ったの?」

 

 その問に、束は如何にも煩わしそうな目つきで質問者を睨みつけながらも、とにかく返答した。

 

「あぁ……話してもらったんだよ」

「は、話して……?」

「そう、一字一句、間違い無しに」

 

 はぁああああ!? と叫んだのは、揃って金髪の少年と少女だった。

 

「あ、あんたそれ、どういうことよ。どうして事件の真犯人と話し合ってんのよ!?」

「そういう機会があったからだよ、アリちゃん」

「機会って、束!? まさかそれって、あの時の?」

「ああ、そうさ。どうもプレシアが私を仲間に引き入れたいらしくて、それでクローンを使いっ走りにしてたんだよ。んで、事情全部聞いて、断ってきた」

「な、な……!!」

 

 口をあんぐり開いて絶句するユーノとアリサ。流石にリンディはそこまで崩れていないようだが、それでも二の句を継げずに押し黙っていた。

 

「そ、それでどうして無事にここまで来てんのよ!?」

「無事に返してくれたからだよ」

「秘密を全部聞いたっていうのに!?」

「うん。多分ねー、そうされても問題ない、ってくらいに自信があるんじゃないかな。自分の戦力にさ」

 

 束はくくく、と可笑しそうに笑い出す。

 プレシア・テスタロッサの手札は少ない。魔導師としてはAAAランクのフェイトとその使い魔アルフがいるものの、所詮彼女は一人きり。管理局の物量には敵わない。

 庭園には自動防御のシステムや人形が配置されていたが、それだって、なのはとユーノ、それからさっき出ていった執務官の実力があれば何ら問題なく制圧できるはずだ。

 すると、残るのは大魔導師、しかし病にやつれ衰えた枯れ木のような魔導師だけ。

 篠ノ之束は判断する。

 この場にアースラという戦力がたどり着いた時点で、プレシア・テスタロッサ側の勝ち目は完全に無くなったと。

 

 だが、しかし。

 ならば何故、プレシアは自分を何の抵抗も無しに返したのか?

 抵抗しても、こちらの反撃で致命傷を受けてしまうからと恐れたのか――

 確かにその通りかもしれない。だがしかし、内容はとにかく言い方には多少の語弊があるだろう。

 

 つまり、「今」こちらの反撃で致命傷を受ければ、「これからの」予定が。

 自分が勝利し、目的を達成するという未来が台無しになってしまうから、というのが真実なのだ――

 

「じ、じゃあその自信って何なのよ」

「さぁて。そこは私も確証はないから言わないことにする。まぁ、概ね掴んではいるんだけどね?」

「じゃあそれ言いなさいよ!」

「いいかいアリちゃん。私は曖昧な推察なんかじゃなく、確定した真実しか述べない女なのさ」

 

 ピシャリ、とアリサの追求を跳ね除けた束は、次の瞬間に背中を向けて歩きだす。

 

「束さん!」

「ここで言うべきことは言い終えたんだ。もうこれ以上君たちに用事はないし、君たちだって対策を建てるには、これで十分だろ? というわけで、ここでお暇するね。いいでしょ?」

 

 リンディは数秒ほど経ってから首肯した。

 

「ええ。本当ならばもう少しじっくり取り調べをしたい所なのだけど……今回はあくまで、善意の情報提供者として扱います」

「だろうね。コトがコトだから? 私なんて木っ端には構っていられない、すぐにでも動かないといけないっていうわけだ」

「……束、ちょっと言い方ってものがあると思うんだけど……」

「でもその通りじゃん? それじゃま、私は帰るから。助手ぅ、アリちゃんとすーちゃんと一緒に、転送お願いね」

「え、束ちゃん? ちょっと待って!」

 

 そこで束に待ったをかけたのは、なのはである。

 

「ここにいて、私の事、手伝ってくれないの?」

「あ……」

 

 束は数秒ほど口をもごもご、むにゃむにゃと動かしながら、目線をあちらこちらに反らして誤魔化していたが。

 なのはの真っ直ぐな、少しだけムッとしているような目線に苛まれては耐えきれず、申し訳なさそうにぽつりと漏らした。

 

「ごめんね、なのちゃん……もう少しだけ、ここじゃなくて、向こうで。海鳴のラボでやらなきゃいけないことがあるんだよ」

 

 束はアリサとすずかに一瞬だけ目線を映し、そして戻した。

 

「勿論、今回の事件を解決するため……つまり、なのちゃんの背中を押して、助けるためのことさ。だから、その……」

「うん、いいよ」

 

 束が全てを言い終わる前に、なのはは明るく笑って言った。

 

「束ちゃんがそう言うなら、きっと本当にそうなんだろうから。少し寂しいけど、でも……心はいつも一緒だって、ちゃんと分かってるから」

「うぅぅ……オーケーなのちゃん、じゃあ私、頑張ってくるからね! なのちゃんも頑張れ!」

 

 束が拳を突き出すと、なのはもグーにした手をそれに当てて、微笑みあった。

 

 




リアルがあれで一ヶ月ほど途切れてましたが、劇場版を見たので復活しました。
週一で投稿できればいいかなーと思います。


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第二十話:フェイトの喜び

 私がタバネさんを家に招いたあの日から、母さんは少しだけ優しくなった。

 それは、あくまで少しだけ。

 普段通りがかる時とかに、私のことを無視したり。たまに話しかけてきたら、命令だけを言って立ち去る所は全然変わっていない。

 けれど。

 私を鞭でぶつことはなくなった。怖い顔をすることもなくなった。

 相変わらず褒めてくれないけど、地球から帰ったら、帰ってきたのね、って。

 一言だけだけど、でも一言だけ、私に返事をしてくれるようになった。

 

 それから、目の隈が消えた。

 母さんの瞳の下で、これまで毎日ずっと、薄灰色を浮かばせていた目の隈。特にこの頃は忙しいのか、だんだんと、そして益々濃く、暗くなっていったそれが、綺麗さっぱり消えている。

 気づいた時は、とても驚いた。私の知っている母さんが、ある一点だけ、でも致命的なまでに変わってしまっていることに混乱した。

 でも、よくよく考えてみれば――母さんはこうだったのだ。

 私の覚えている母さん。

 仕事の合間にピクニックに連れて行ってくれて、一緒にお花の冠を編んで、互いの頭に載せあいっこなんてしていた母さんは――隈がなく、健康そうだったように思える。

 その時は、もう少し顔も険しくなかった。皺だって無かった。それから、化粧もあんなに濃くなかった。

 そんな母さんが今みたいに変わってしまったのは、私がある日「事故」に巻き込まれて倒れたことが原因だ。

 

――母さんは私を治すために、いろんな事をやってきて、それで老けてしまったのよ。

 

 と、まだベッドから動けなかった時に聞かされたことを覚えている。

 だから、私は顔色の悪い母さんを見る度に、胸が締め付けられるような思いをしていた。

 私のせいで母さんはあんなになってしまったんだ。ああ、私はなんて悪い子なんだ。

 そう思って、心が砕けそうから、私は魔法を習った。

 母さんが私に、魔法を使うことを望んでくれた(・・・)から。

 望みを叶えれば、人は喜ぶ。私は母さんを喜ばせたかった。

 でも、リニスと一緒に魔法を習って、魔導師として一人前になっても。

 実際に地球へ向かい、ジュエルシードを集めてきても。

 母さんの焦った様子と不健康そうな外見は変わらず、それどころか益々悪くなってきていた。

 

 私の頑張りが、まだ足りないのか。いくら傷ついても、きれいな目をした女の子を傷つけ踏みしめて、ジュエルシードを勝ち取っても、母さんはどんどん悪くなっていく。

 言葉遣いも、顔色も、化粧の色も目つきも行いも。私の覚えている優しい母さんとは全く違ってしまってる。

 それが、私は不安でならなかった。

 時折、広い庭園内で一人きりになると、アルフとの精神リンクを切って、どうしようもない憤りを呻きに変えて響かせたこともあるくらいだ。

 

 でも。この前からようやく、母さんは元気になり始めた。

 いや、始めた、という言葉は正しくないかもしれない。

 すっかり元気になってしまっているのだから。

 

「元気? ……アタシには、全然変わらないように見えるけど?」

 

 なんて、アルフは言うけれど。私にはちゃんと分かるのだ。母さんの娘なのだから。

 

 まず一つ。研究室に篭りきりな時間が、少し短くなっている。

 昔は何か難しい研究に没頭していて、一日中姿を見せなかったこともしょっちゅうだったけど。

 今、地球の拠点から一度、時の庭園まで戻ってみて。それで一日母さんと一緒に暮らした時。

 廊下を歩いている姿を、しょっちゅう見かけるのだ。

 しかも、その様子はとても忙しそうではあるが、何かとても、充実しているようだ。贔屓目なのかもしれないけど、私には確かにそう見える。

 それからもう一つ。

 母さんは何か、答えを見つけたようなのだ。

 これに気づけたのは、母さんの変貌を私自身の実体験に当てはめることが出来たから。

 私がリニスに魔法を教わっていた時、前の授業で出された課題を、どうこなせばいいか全然分からないことがあった。

 その時の私はとても落ち込んでいて、常に俯き、必死に考えながら過ごしていた。

 けど、えは全然見つからないから、目には無意識で力が入って強張って、暗い雰囲気を漂わせてしまう。

 今までの母さんは、そんな時の私と同じようだった。

 でも、変わった。猫背気味だったのが、背筋をぴんと伸ばすようになり。ぶつぶつと呟きながら俯いていた顔は、平行線から少し上向きに向くようになった。

 そんな母さんを見ることが出来て、私はとても嬉しく思う。

 だって、遠い思い出の中の母さんと、私と一緒に居る母さんの間にあった、写真のブレみたいなぼやけが薄れてきて――ぴったりはっきり、一つに重なるように感じるから。

 

 そういう訳で、私はシノノノタバネさんに感謝している。

 きっと、母さんが答えを見つけるきっかけを作ってくれたのだから。

 

 と、ここまでアルフに言ってみせると、凄く複雑そうな顔をして言い返された。

 

「私にはよくわからないよ……胡散臭いガキンチョが、あの気難しい鬼……プレシアに会って、何が変わったっていうんだい?」

 

 胡散臭い。そこまでかなと思うけど、何を考えているのか良くわからないって言い換えれば、確かにそうだ。

 でも、それだけじゃないとも思うのだ。

 私は一回彼女と戦った。

 地球の兵器と技術を使って挑んできた彼女に、私は勝つことが出来たけど、戦っていて凄く――怖かった。

 ぎらつきながら私を睨みつける目。歯を剥き出しにして笑う口。今でも耳の中にこびりついて離れない、こちらに迫りながら笑う時の声。

 そのどれもが、本気で真剣で、斜め45度くらいの前のめり。

 戦いながら、私は感動していた。本気っていうのは、ああいうことを言うのかもしれないとも思った。

 しかもその姿勢が、いつでもどこでも変わらない。

 少し前の夜、ジュエルシードを無理矢理に制御するなんて荒業を見せた時も。そして、母さんに誘われてこの庭園に乗り込んできた時も。

 彼女の目と笑う口と響く声に変わりはなく、歩幅は大きめで、どんどん前へと進んでいく。

 あんな風に、自信たっぷりで進んでいけるように、なれるものならなってみたいなと思った。

 

「そんな、タバネさんの元気が、母さんに伝染ったような気がするの」

「……だとしたら、アタシは怖いよ。これから何をしでかすか、アタシたちは、何をやらされるのか――」

「アルフ」

 

 愚痴を言うアルフを、私は止めた。

 

「私は大丈夫だから」

「フェイト……でも」

「母さんの願いを叶える、母さんを救うことが、私のやりたいことなの。だから、どんなことでもやってみせる」

 

 私が魔導師としての道を歩み始めた最初から、心の中に固めていた決意を胸の中から反芻する。

 それが私のやりたいことで、絶対に譲れない戦う理由だ。

 

 ああ、そういえば。

 この前も同じ話をしていたっけ。

 ……タバネさんの前で。

 

 母さんとタバネさんの話が終わって、タバネさんは足早にこの庭園から出ていったけど。

 その前に少し立ち止まって、私に話しかけてきたのだ。

 にぱっと明るいお面のような笑顔を浮かべたまま、彼女は私にこう問いかけた。

 

――ねえ、君は何のためになのちゃんと戦ってるの?

 

 私は、ジュエルシードを集めるため、と答えたけど。

 

――じゃあ、どうしてジュエルシードを集めるの?

 

 母さんの願いを叶えるため、と聴けば、更に。

 

――どうしてプレシア・テスタロッサの願いを叶える必要があるのかな?

 

 なんて、聞かれて、そして。

 

――君はまだ小さい女の子だ。本当なら母親に日常、おんぶにだっこが当たり前だっていうのにさ。どうして一丁前に、母親のために働く、なんて出来るの?

 

 そこまで言われたから、私は思い切って強く言ってあげたのだ。

 私のやりたいことは、子供らしく遊ぶことでも楽しむことでもない。母さんの願い事を叶え喜ばせることだと。

 

 そうしたら、タバネさんはくすくす、と笑って。

 

――あぁ、凄い(・・)ねえ君は、いや本当に。感心しちゃうよ、うん!

 

 なんて、大げさに頷きながら褒めてくれた、その後に。

 

――さて、君のその、母親のために、って想い……それは、その決意は。どんなことがあっても変わらないかい?

 

――もしそう思い切れないのなら……君は、なのちゃんには一生掛かっても敵いっこないよ?

 

 と、さっきまでとは打って変わって、勝ち気な笑いと瞳で私に突きつけた。

 

 私は勿論、この気持ちは絶対に変わらない、と宣言したけれど。

 そうなんだ、と一言告げて去っていくタバネさんは、私の言うことをまともに受け止めず、信じてくれていないように見えた。




本当なら前の話にくっつけようと思ってた場面なので短くなってしまいました。


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