日向の拳 (フカヒレ)
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第一話


ネタが降ってきたので、文章に起こしてみました。




 その日、天使と出会ったんだ。

 己の全てを捧げても構わないと思えるような、そんな天使に。

 

 思い返すは四歳のある日。その日は宗家の嫡子が三歳になる誕生日だった。

 日向家全体が全霊をもって祝うべき一日だというのに、父の表情が浮かないものだったことはよく覚えている。

 いや浮かないのは父の表情だけではない。集まった一族全体の空気が沈んでいた。誕生日のくせになんて辛気臭いんだ、これはお通夜じゃないんだぞと愚痴る。

 誕生日だ、バースデイだ。みんなもっとウキウキでハピハピでなければならない。そうでなければ誕生日の主役が楽しめないだろう。

 どうにかして盛り上げる方法はないかと思案していると、ふと着物の少女と目が合った。白磁の如き肌、黒絹の如き髪。桜色の唇。控えめに申し上げても天使だった。

 

「父よ、あの娘は――」

「ヒナタ様だ、宗家のご嫡子にして、お前が将来仕えるべき御人だ」

「なるほど、ヒナタ様……ヒナタ様か」

 

 天使の御名を知ったのはその時だ。なんと可憐で美しい御名なのだろうか。

 父は日頃から、己が日向の分家として生まれたことを悔いている様子だった。

 けれど思うのだ。分家で正解だったのだと。だって考えてもみろ、あんな天使に仕えられるんだぜ。それってつまり日向が天国ってことだろ。

 父が当主だとかいう、父と瓜二つの顔をしたオッサンと一言二言会話している間、ずっとヒナタ様を見つめていた。

 怯えた様子で当主の影に隠れる仕草がグット。ちょっと涙目になっているのが最高に庇護欲をくすぐられる。一瞬だけ目が合った。同じ白眼だった。美しい、舐めまわしたい。

 

「そろそろ行くぞ……おいどうした?」

「父よ、俺の至福の時間を邪魔しないで頂きたい」

「何を言っているんだお前は?」

 

 天使との逢瀬。しかし至福の時間は無情にも断ち切られる。

 ずるずると引っ張られていく。もう少しだけでもいいから天使を見つめていたかった。可能ならお言葉の一つでも頂きたかった。

 天使はどんなお声なのだろう、きっと天上の調べが如く美しい声音に違いない。

 

「全く、誰に似たのやら」

 

 父が疲れた様子で溜息を吐く。

 まぁいい、これからあの天使に仕えるのだ。お言葉を頂く機会はいくらでもある。

 野心を新たにしつつ、襟首を引っ掴まれたまま引き摺られていくのだった。

 

 

 

 で、引き摺られながら向かったのは人気のない屋敷の奥。なんだよ、誕生日パーティーじゃないのかよ。天使を喜ばせる四十八の隠し芸を披露するために呼ばれたのではなかったのか。

 困惑していると、籠の鳥の呪印がどうのこうのと説明を受けた。日向の分家に生まれるとそれを刻む必要があるらしい。そして今からそれを額に刻まれるのだと、父から申し訳なさそうに告げられる。

 

「嫌だ、絶対にそんなの嫌だ!」

「耐えろ、これは日向分家の定めなのだ!」

 

 だから諦めろと父が苦渋に満ちた顔で諫めるが、違うのだ。

 

「そういうことじゃない!」

 

 これを刻まれることによって不利益が生じるのは仕方がない。日向の定めと言うならば受け入れようじゃないか。刺青を入れることが文化の民族だって存在するし、日向もそれの一種なんだと割り切ろう。

 けれど一点、一点だけ物申したいことがある。

 

「デザインが嫌だ、やり直して」

「……そこなのか、問題はそこなのか……!」

 

 呪印だかなんだか知らないけど、要するに刺青みたいなもんだろ、一生残るんだろ。

 だったら、あんなダサい卍模様なんて刻めるか。もっとハイセンスでカッコイイ柄にしてほしい。世間様に見せびらかせてブイブイ言わせられるようなやつがいい。

 それが無理なら、せめてあの天使様に見せて、ダサい、と失望されないようなデザインにしてほしい。カッコよくなくていいから、可愛い系にしてほしい。

 お優しい天使様なら面と向かってそんなことは言わないだろうけれど、おでこを見せる度に笑いを堪えられるとかそういうギャグ路線なデザインだけは勘弁願いたい。

 父が非常に疲れた様子で尋ねてきた。

 

「……ちなみにどういう柄がいいんだ?」

「そうだな……希望としてはこんな感じかな」

 

 取り出した紙に、墨でサラッと竜をモチーフにした紋章を書き上げた。額に刺青なんて厨二状態になるなら、いっそ突っ走ってみようと考えた所存である。

 父は日頃から険しい表情をさらに険しくしながら、周囲の男と相談を始めた。

 

「……いけるか?」

「いやまぁ、呪印の機能さえ働けばそれでいいわけですし」

 

 父が暫し逡巡した末、念を押した。

 

「……いけるんだな?」

「前例がないので保証はしませんが、おそらくは」

 

 父はなんかもう疲れた、どうでもいいみたいな感じで周囲の男達に指示を出した。

 

「この子の思う通りにしてやってくれ、それくらいは許されてもいいだろう?」

 

 周囲の男達も何故か非常に同情的で、苦笑しつつ協力すると頷いていた。

 そんな感じで紆余曲折の末に、前代未聞の施術が始まった。

 まるで呪いの部屋が如く床どころか壁にまで呪文が記された部屋に案内され、その中心に座らされる。ここは本当に刺青を入れるための部屋なのだろうか。悪魔召喚の儀式の生贄になると言われたほうがまだシックリくる。

 

「それじゃあいくぞ、大人しくしていろよ」

「ちょっ、待って――」

 

 座らされるや否や、施術が開始された。

 額を万力で締め付けられるような激痛が走る。

 

「痛い痛い! すっげぇ痛い!」

「耐えろ、日向分家の試練みたいなものだ」

「麻酔無しで俺みたいなぷりちーなガキに刺青入れるとかなんなの? 拷問かよォ!」

「自分でぷりちーとか言ってるガキに可愛げなんぞあるか!」

 

 精一杯の抵抗とばかりにジタバタと暴れてやる。麻酔だ、今すぐモルヒネを寄越せ。見てくれこの震えを、さっきから止まらないんだ。

 

「あ、こら暴れちゃいかん! 術式が狂っ――あっ」

「あっ? あってなんだよオッサン! 俺のオデコになにを――」

 

 ピリッと電流のような痛みが額から響く。

 そして次の瞬間、まるで脳神経の一本一本に針をぶち込まれたような、筆舌にし難い壮絶な痛みが脳内を蹂躙し始めた。

 

「ねぇ、待ってオッサン。信じられないくらい痛いんだけど、ホントに何したの?」

「……落ち着け坊主、大丈夫だ、ちょっと偉い人を呼んでくるだけだからな」

「待って、ねぇ待って!? これちょっと本気でやば――」

 

 そこで“彼”の意識は、まるでブレーカーが落ちるかのようにプッツリと途切れた。

 

 

 

 

 

 

 気付いたら夜。見知らぬ一室である。顔には白い布が被せられていた。

 天下の日向宗家にて医療ミスの現場を見せつけられてしまった。むしろ身をもって味あわされてしまった。訴えたら勝てるだろうか。裁判所ってどこだっけ。

 

「……喉が渇いたな」

 

 仮にも病室なのだろうし、水差しくらいは用意しておけよ。というか部屋がやけに線香臭い。なんなんだ、葬式でもした後だったのか。

 ぶつくさと文句を言いつつノロノロと布団から這い出ると、水場を求めて見知らぬ屋敷を徘徊する。

 ざっと見た限り、ここは日向宗家の屋敷に違いない。もう誕生日パーティは終わったらしく、静かなものだった。用意しておいた天使を喜ばせるための隠し芸も不発に終わった。とても悲しい。

 

「どれもこれもあの刺青の……そういや刺青ってどうなったんだ?」

 

 施術していたオッサンは失敗したみたいな口調だったけれども。まさかとは思うが、失敗して頓珍漢な模様が彫られてはいまいな。

 丁度、近くにあった庭池に顔を写す。己の長髪を掻き上げるが、そこには何もなかった。綺麗さっぱり、彫りかけの模様すらない。

 

「……途中までは彫ってたよな?」

 

 なのに跡形もなく消え去っている。これはいかなることか。面妖じゃ。まさか妖怪の仕業かと首を傾げる。摩訶不思議な“この世界”だ、妖怪の一匹や二匹では今更驚かない。

 いや“この世界”ってなんだ。世界は一つしかない、当たり前のことだ。

 違う、そうではない、世界は無数に存在する。

 相反する思考が脳内でぶつかり合い、まるで鉄の棒を埋め込まれたかのように痛む。こんな感覚は初めてだった。ぐらり、と体が揺らいだ。

 

「頭が、痛い」

 

 意識が朦朧としてきた。頭から冷水を引っ被りたい気分だ。そうすればこの頭の熱も多少はマシになるだろう。

 いっそこの庭池に飛び込んでやろうか。先住民たる鯉が驚くかもしれないが、ここは非常事態ということで突然の来訪者を許容してもらおう。

 新しい仲間を紹介するぜ、鯉の先住民諸君。

 

「そんなわけで今から飛び込もうと思うのだけれど、鯉は歓迎してくれると思うか?」

 

 突然夜闇に向かって話しかける。見る人間によっては頭がおかしくなったのではと勘繰られるような所業だった。

 けれど居る、間違いなくそこに居る。

 

「……よく気が付いた」

「寒中水泳のこと? 俺は水を被りたい、そしてここに水がある。当然の帰結じゃない?」

「違う! ……俺のことだよ」

「ああ、そっちね」

 

 暗がりから黒装束の男が姿を現した。顔をスッポリと覆う覆面のせいでくぐもっているが、声音からして男だろう。

 わかるから、わかる。そうとしか言いようがない。この屋敷周辺の事象がまるで手に取るように理解できる。入ってくる情報量に頭がパンクしそうだ。

 けれど、けれども。わかってしまうのだ。この男に抱えられているのが“誰”なのかということまで詳細に。

 

「……見逃してやるから、うちの“天使”を放して大人しく帰るっていうのはどう?」

「悪くない提案だな」

 

 どういう状況なのかはわからないが、日向ヒナタ様の危機であることは確かなようだった。ここは下僕としてお助けせねばならないだろう。

 男は片手で器用にクナイを取り出すと、切っ先をこちらに向けた。

 

「その白眼……お前も日向だな」

「一応は」

「土産は一つでもいいが……二つのほうが喜ばれるとは思わないか」

「なるほどね」

 

 つまり一緒に攫って行くと、そういうことか。ロリだけじゃなくてショタもイケる口とは、この男の背後に居るのは中々にハイレベルな奴であるらしい。

 周辺を素早く索敵。一番近くに居るのは当主とかいう父と瓜二つなオッサンだが、動く気配はない。どうにも気付いていないらしい。警備薄いよ、なにやってんの。

 仕方がない。息を軽く吐いて、構えを取る。こうなったら徹底抗戦しかない。

 

「俺とやり合う気か? やめておけ」

「心配ご無用、とだけ言っておこう」

「生意気な」

 

 ノーモーションで男から突き出されたクナイを半身になって避ける。覆面から覗く男の瞳が見開かれたのがわかった。

 それなりに腕は良いのだろう。子供一人を抱えているのに体幹にブレがない。よく鍛えている証だ。

 だが最初から最後まで“全て”視えているのなら話は別だ。ただ視えている動きにこっちが体を合わせればいい。それだけで躱すことは容易い。

 

「な、なんで当たらねぇ!」

「さぁ、なんでだろうね」

 

 返す刃での二撃目、三撃目も余裕をもって躱す。視線の向き、筋肉の動き、チャクラの流れ。全てが手に取るようにわかる。

 体がやけに軽い、頭も妙に冴えわたっている。どうにもおかしい。けれどこの場においては好都合だ、存分に利用させて貰おう。

 

「こ、これならどうだ!」

 

 焦った男が大振りの一撃を繰り出そうとして、腕が大きく上がる。脇腹がガラ空きになる。目に見えてわかる隙が見えた。今の自分になら突ける隙だ。

 威力はそこまで必要じゃない。大切なのは的確に一点を貫くこと。腰を落とし、脇を締め、弓のように体を引き絞って、矢のように構えた指を突き出した。

 

「そこだ」

「ぐおッ!?」

 

 男から苦悶の声が漏れた。間違いない、突いた。

 

「やるじゃねェか、だかその程度の――なにッ!?」

 

 ガクリと男が膝をつく。腕から落ちていく天使をすんでの所で抱き留め、反撃に合わない程度に間合いをとる。

 倒れ伏し、ビクビクと痙攣をする男を無表情に見下ろす。

 

「な、なにを、しやがった……?」

「点穴を突いた。そのうち舌先まで痺れて動かせなくなる」

 

 周囲の様子だけではない。人の全身を流れるチャクラ、その流路である経絡、そして噴出孔である点穴。その全てが手に取るように視える。

 流れが見えているのなら、それを乱すことも容易い。殺してもよかったが――だめだ、殺しては雲隠れの思うつぼ――ふと沸いた自分でも理解できない思考を振り払う。

 それにしてもこの男、どうしてくれようか。天使誘拐の罪など、どうあっても償えるものではない。市中引き回しにして鞭打ち獄門の末に晒し首が相応しいだろうか。

 絶対零度という言葉が相応しい、そんな瞳で倒れ伏し呻く男を見下ろしていると、やっと騒ぎに気が付いたのか日向家の当主様がやって来た。

 

「な!? これは一体どういうことだ!」

「いやむしろ俺が聞きたいっていうか……えっと当主様だよね?」

 

 そう尋ねると、当主はこちらに視線を向け、あり得ないとばかりに目を見開いた。

 

「お前はまさか、ネジか?」

「ネジじゃなかったら他の誰――いや、ネジ? ネジっていうのは――」

 

 ネジ――日向ネジ。

 そうだ、それが自分の名前だったなと遅まきながらに思い出す。

 当主は酷く困惑した様子で、ネジのことをジッと見つめていたが、ふと思い出したかのように男へと視線を向けた。

 

「なぜ生きているのかは知らぬが、今はコレの後始末が先か」

「そう、そうだよ当主様、この男どう――ってあちゃあ、死んでるな」

 

 口の中に毒でも仕込んでいたのだろうか。吐血した男は既に死に絶えていた。

 

「面倒なことになりそうだな、コイツに死なれると――死なれると、なんだ?」

 

 さっきからどうにも変だ。思考がおかしい。名前を皮切りに知らないはずの知識が、まるで雪崩のように脳内へと流れ込んでくる。

 日向ネジ、日向ヒナタ、そして木ノ葉隠れ。ある夜、雲隠れの忍頭が彼女の誘拐を企てた。誘拐は失敗、しかし――

 あれ、おかしいなと首を傾げた。どうして自分はそんなことを知っているのだろうか。聞いたことがない知識、会話、情景。なんだ、頭の中で何が起こっている。

 その疑問の答えが出る前に、日向ネジの意識は情報の雪崩に巻き込まれて消えた。

 

 

 

 





ヒナタ様は天使(異論は認める



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第二話


どんどん変態キャラになっていく。




 

 目が覚めた。今度の部屋は線香臭くないし、病室よろしくちゃんと水差しも置いてあった。これだよこれ、病室はこうでなくちゃ。

 水をコップに移して一気飲み。温い水が全身に広がるような心地がする。胃の中に何も入っていない証拠だ。一段落ついたら飯を食おう。

 あれほど酷かった頭の違和感はなくなっていた。絶好調と言って良いだろう。勢い良く布団を蹴飛ばすと、情報収集のために屋敷を歩き回る。

 

「おい、あいつネジだろ? 確か死んだはずじゃ」

「何かの間違いだったんじゃないのか?」

「そんな馬鹿な、心臓は止まってたし、脳は完全に破壊されてたんだぞ!」

 

 道すがら屋敷に居た連中が恐ろしいものを見るかのように一歩引いていたが、一体どういうことなのだろうか。まるでゾンビのような扱いだ。

 目的の部屋の前に到着すると、一度だけ深呼吸。そして襖を一息に開け放つ。

 

「よう、父よ」

「……ネジか」

 

 部屋の中には死装束に身を包んだ父、ヒザシが一人静かに佇んでいた。

 

「よく来たな」

「おう」

「さて、何を話そうか」

「なんでもいい。アンタが好きなように話せればそれでいい」

 

 父の姿から、ネジは全てを察していた。

 日向ヒザシは、日向ヒアシの身代わりになって死ぬ。

 どうやら未来は変えられなかったらしい。思い出すのが遅すぎた。後は水が流れるが如く結末へと向かっていくだけだ。それを止めることは、きっとネジには出来ない。

 沈黙の中、ヒザシがポツリと語り出す。

 

「お前の呪印のことなのだがな」

「呪印……あのくそダッセー刺青のことか?」

「……そうだ、そのダッセー刺青だ」

 

 もはや取り繕うまいとばかりに、ヒザシが苦笑した。なんだやっぱり父もダサいと思っていたのか。同レベルのセンスだ。いえーい、お揃いだよ。やったね。

 

「お前には刻まないことになったそうだ。正確には刻めない、ということらしいが」

「刻めない?」

「弾かれるんだそうだ、原因不明のナニカにな」

「よくわかんねぇけど……つまり俺のおでこは守られたってこと?」

「そういうことだ、よかったな」

 

 やったぜ、これで天使に会うたび額を見られていないか気にしなくても済む。

 ガッツポーズをしていると、父が盛大に溜息を吐いた。

 

「一体、誰に似たのやら」

「なにが?」

「そうやってはぐらかす癖だよ。本当は核心に辿り着いているのだろうに」

「……」

 

 うるせぇやい。ちょっとシリアスに耐えられないだけだ。シリアスな空気を感じると鳥肌が立つ。茶化さずにはいられない。

 ヒザシがジッとネジを見つめる。その瞳を正面から見つめ返す。

 

「私は最後の最期で籠の鳥をやめることができた」

「うん」

「お前は鷹だ、大空を翔る鷹だ。籠で飼われているような器ではない」

「うん」

「お前は良く出来た息子だった。それに比べて私は宗家への恨み言を並べるばかりで、親らしいことは何もしてやれなかった」

「……うん」

「お前は生きろ、生きて好きに飛べ」

 

 そうは言うが、現状のまま歴史が進むと第四次忍界大戦が勃発して、七代目火影を庇って死ぬことになるんだけど大丈夫なのだろうか。大丈夫じゃないんだろうな。

 このタイミングで十年ちょっとしたら俺もそっち行くから安心しろ、とか言ったらどうなるんだろう。試してみたいけど試したら色々とぶち壊しになる気がする。やめよう。

 

「今更だがネジ、私がしてやれることはあるか?」

「そうだな、今回の賠償金と遺族年金は?」

「……それなりの額が出るはずだ」

「ならいい」

「お前らしいな」

 

 ヒザシが苦笑する。

 しょーがねぇなー、コイツめ、みたいな生温かい視線だ。居心地が悪い。

 

「逆に聞くけど父よ、心残りは?」

「お前のことが少し心残りだったが、今のやり取りで吹っ切れたよ。どこまでいってもお前はお前だ」

「どういう意味だオイ」

 

 憑き物が落ちたかのような表情で、父がくつくつと喉を鳴らして笑った。

 

「好きに生きろネジ、お前を縛るモノは何もない」

 

 これが父との最後の会話だった。親子だというのに呆気ないものだ。

 この世界、死者と語らう方法なんてそれこそ無数にある。

 どうしても父が必要になったら大丈夫だ、穢土転生がある。何も心配することはない。だから頬を伝う水はきっと、悲しみとは別の感情を持った何かなのだろう。

 ネジは亡骸すら存在しない父の墓の前で一人、何をするでもなく立ち尽くしていた。

 

 

 

 

 

 

 日向ネジは天才だった。武の神に愛されているのだと誰もが確信するほどに。

 一を聞けば十を知るどころか発展形まで持ってくる。こと武術において、そういうことが息をするようにできる人間だった。

 

「イヤー!」

「そいっ」

「グワー!」

 

 ネジの気の抜けた掛け声と共に、大の男が宙を舞い道場の床に叩きつけられる。きちんと受け身は取れるように投げたから、痛みはないはずだ。

 ありがとうございました、と一礼して道場の端まで下がる。これで何人転がしただろうか。そろそろ数えるのも億劫になってきた。

 日向一族の人間が弱いわけではない。ただ単にネジが強すぎるのだ。

 

「おかしい」

 

 片膝をつき、その上に顎を乗せながらネジは思考にふける。異常なのはネジも自覚していた。

 あの一件以来、どうにも体の調子がおかしい。悪いわけじゃない、その逆だ。調子が良すぎる。思考は剃刀の如く冴えわたり、体は羽のように軽い。

 世界が止まって視える。そして自分はその世界の中を自在に動き回れる。生物としての“速さ”が一段階違う、そうとしか言いようがない。

 ジッと分家連中が組手をする様を眺める。使っているのは老若男女問わずに日向流だった。もう見慣れた。見飽きたと言っても良い。

 

「これじゃ駄目なんだよな」

 

 日向一族が扱う秘伝である、日向流柔拳法。本格的に習いだしたのはほんの数か月前だが、ネジは既にその流派自体の限界を感じ始めていた。

 どの辺が限界なのか、と問われるとその攻撃の規模だ。

 日向流柔拳法はどう考えても対人における戦闘を前提に作られたものだ。しかしこれから先、この世界で対人の技術が役に立つとは思えなかった。

 具体的には九尾とか、須佐能乎とか。最悪な所だと十尾とか。そんなバケモノを相手にするのに“対人”なんてチマチマとしたことはしていられない。

 

「最低でもなぁ……月くらいは両断できないと」

 

 隣に座っていた壮年の男性がギョッと目を剥いた。お前ならその内できそうだけど、絶対に試してはくれるなという懇願のオマケ付きだ。

 おうなんだよ、テメェら俺のことを何だと思ってんだよ。喧嘩売ってんのか。売ってるなら組手で相手になるぞ、やんのかやんのかとネジが辺りに殺気を撒き散らし始める。

 周囲に座していた者達がそっと畳一枚分くらい距離を開けた。日向一族内で、ネジは完全に腫れもの扱いであった。単純にやり過ぎた。出る杭は打たれるが、成層圏まで飛んで行ってはどうしようもない。

 当主はそんなネジの微妙な立ち位置に気付いているようだったが、またアイツかとそっと目を逸らすばかりで助けてはくれない。役に立たない御方である。

 世の中こんなんばっかりだなと心が荒んでいくが、それを癒してくれる存在だって居る。日向家に舞い降りた天使ことヒナタ様である。

 今日も素晴らしく天使だ。そんなことを考えていると、当主であるヒアシが大天使ヒナタ様を指名した。

 

「次、ヒナタ!」

「はい!」

「ネジ、お前が相手をしろ」

「はい」

 

 努めて冷静に返事をした。内心では小躍りしながら三回転半を決めている。

 ヒナタ様と合法的に、しかも親の公認で触れあえるなんてウキウキのハピハピである。今やネジはこの瞬間のために生きていると言っても過言ではない。

 むしろヒナタ様が居なかったら日向家などに出入りはせず、今頃は賠償金と年金で自堕落に過ごしていたはずである。正直言って宗家とはあまり関わりたくない。

 

「お、お願いします」

 

 ヒナタ様が一礼をした。空気が変わる。世界がネジとヒナタ様だけになる。

 年恰好が近いおかげか、ネジはヒナタ様の練習相手へと頻繁に選ばれた。そしてネジはこの時間が堪らなく好きだった。ヒナタ様を合法的に独占できるからだ。

 当主であるヒアシは不愛想で冗談が通じない類の堅物人間でネジの苦手なタイプだったが、この場を設けてくれることに関してだけ言えば感謝している。

 

「やぁっ!」

「甘いですよ、ヒナタ様」

 

 繊細に、己が持てる能力の全てを使ってヒナタ様を床の上へと優しく転がす。転がす相手が豆腐で出来た人形であっても全く型崩れしないだろう。

 日向流は対人戦に特化したその性質上、乱取りをすることが多い。そのため幼く体格の小さいヒナタ様には生傷が絶えなかった。非常に痛ましいことである。

 そこでネジが開発したのが、このふんわり仕上げのソフト投げであった。これであれば下が固い床でも怪我をすることはない。

 ちなみに他の連中は普通に転がす。情け容赦もなく床に叩きつける。この技はヒナタ様専用だ。そしてネジの優しさもヒナタ様専用だ。

 

「続けますかヒナタ様?」

「はい、お願いします!」

 

 お手本とばかりに、あえてゆっくりと掌底を繰り出した。白眼を使えば充分に見切れるが、ヒナタ様の反応速度ではギリギリ避けられないだろう。

 掌には弾力を持たせたチャクラを集めて、クッション状態にしておく。この技を喰らったものは、まるでマシュマロが押し付けられたかのような錯覚を味わうことになるだろう。

 

「んみゅっ!」

 

 顔に押し当てると非常に可愛らしい声で鳴いてくれた。素晴らしい、これだけでこの技を開発した意義があるというもの。自然と緩みそうになる頬を内側から噛みしめて抑え込む。

 

「ほら、足が止まっていますよヒナタ様」

「い、いきます!」

 

 再び向かってきたヒナタ様の技を、今度はあえて受ける。その技が正しい構えから繰り出されたものだからだ。

 正しい理によって放たれた技は受け、間違った理によって放たれる技は正す。乱取りの中でネジは相手に気付かせることなくそれを繰り返していく。自然とヒナタ様の技は洗練されていった。

 ヒナタ様は天才ではないが、決して凡愚というわけではない。ただ日向の苛烈なやり口が合わないというだけだ。切り口を変えれば秀才の部類に入るだろう。

 成果はキチンと出している。だから誰にも文句は言わせない。これはネジの、ネジによる、ネジのための美少女(ヒナタ)育成ゲームなのだ。至福の時間を邪魔などさせてなるものか。

 

「そこまで」

 

 そんなことを暫く続け、ヒナタ様の息が上がり動きが精彩を欠いてきた辺りで義父上(ヒアシ)からのストップが入った。

 頬を赤らめ息を切らせるヒナタ様を至近距離から見つめながら、その青い果実の如き汗の香りを楽しむのが乙だというのに。余計なことをしやがって。

 とはいえヒナタ様にご無理をさせてはならない。なに、こうして日向を続けていれば、こういう機会はいくらでもあるさ。そうだチャンスはまだある。

 ヒナタ様がはにかみながら礼を。そして顔を上げると同時に必殺の呪文を放った。

 

「あ、ありがとうございました……ネジ兄さん」

「んんッ!」

 

 熱い情熱が鼻の奥から溢れ出そうになるのを、チャクラ鼻栓で強引に押しとどめる。いかん、いかんぞ。ヒナタ様に“兄さん”なんて呼ばれた日には、これはいかんことになるぞ。

 鼻をせき止められたせいで逆流してきた大量の“愛”が喉の奥から口へと昇ってくる。こふっ、と小さな呼気と共にネジの口からその赤い液体が少しだけ漏れた。

 

「ね、ネジ兄さん!?」

「だ、大丈夫ですヒナタ様。持病のようなものですから」

 

 だからそれ以上、至近距離で兄さん連呼するのやめろください。凄く幸せで脳内麻薬がドバドバしているけど、出血多量で死んでしまいます。いけません、これ以上はいけません。

 ヒナタ様は青ざめながら目線だけで助けを請うが、当主は黙って首を横に振った。コイツにつける医者も薬もない。流石に当主はよくわかっていらっしゃる。

 ちなみに稽古に参加していた日向分家一同は、またかよアイツ、とばかりに生温い視線をネジに向けていたとか、いなかったとか。

 

 

 

 

 

 

「ただいまっと」

 

 稽古から帰ったネジは、誰も居ない家に向かってそう呟いた。以前ならば父がぶっきらぼうに“おかえり”と返してくれたものだが、彼はもう居ない。

 一人になったんだな、と寂寥感が押し寄せた。この家に帰ってくるといつもこんな気分になる。いっそ新居に移るべきだろうか。気持ちも新たになるかもしれない。

 両親の写真が飾ってある棚から、そっと一冊のアルバムを取り出した。

 それは勿論、ヒナタ様コンプリートアルバムである。両親との写真? そんなものは知らんな。あるのは100%ヒナタ様で構成された写真集のみだ。

 当時の使用人を買収して赤ん坊時代の写真までキッチリ取り揃えてある。それに今日焼き上がったばかりの新しいヒナタ様の写真を挟む。

 白眼の網膜にチャクラで画像を保管し、それを紙媒体に転写する技術をネジは確立していた。実に才能の無駄遣いである。

 

「うーん……頑張って汗を流しているヒナタ様もグッドだな」

 

 これは歴史だ。天使が今日まで現世を歩んでこられた、その記録なのである。

 両親の写真を押しのけてアルバムを立てかけると、無言で手を合わせた。ヒナタ様の歴史ということは、すなわち聖典ということに他ならないからだ。

 

「天使と同じ空気を吸うだけでなく触れ合えるなんて……今日も素晴らしい一日だった」

 

 草隠れの里辺りで流行しているらしいジャシン教とかいう宗教より悪質なことになっている気がするが、それはさておき。

 ネジは聖典を前に静かに祈りを捧げる。外面だけ見れば神聖さを感じる姿だった。外面だけを見るならば。中身は目も当てられないアレだ。

 

「さて、生きる気力が湧いてきたぞ」

 

 それでいいのか、と思うだろうが、いいのだ。少し間違った感情なのだとしても、それで寂しさを消せるのなら、今はそれでいいじゃないか。

 少しだけ明るさを取り戻したネジは、一日の汗を流すべく風呂場へと弾んだ足取りで向かって行った。

 

 

 

 

 





寂しさを埋めるために狂信の道へ。


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第三話

おかしい、こんなはずじゃなかった。
ヒナタ様かわいいprprしたいって気持ちを文章にしただけなのに。


 あの事件から二年ばかりが経ち、天使が増えた。

 柔らかくて温かい。ふわふわで今にも壊れそうな彼女。それでもこっちの指を懸命に掴むその姿からは、確かな生命の強さを感じさせてくれる。

 要するに日向宗家次女たるハナビ様の御生誕である。当然だがまだ赤ちゃんだ。まだ目も満足に開いていない産まれたてだ。

 

「……天国か、ここは」

 

 ヒナタ様非公式写真集はそろそろ五冊目に突入する勢いだが、これはハナビ様の写真集も作り始めねばならないだろう。

 この愛おしい姿を未来永劫に残るよう記録に残しておかなければならないという強い使命感が沸き起こる。

 特にハナビ様を抱いたヒナタ様の姿など、まるで聖母の如く神々しい。鼻から信仰が溢れ出そうになる。なんなんだこの生物は。尊い、尊過ぎる。

 白眼メモリに保存した写真を今すぐにでも現像し、それを設計図に彫像として御神体にしたい所存である。

 表情にはおくびにも出さず内心で悶えまくっていると、ヒナタ様に抱かれていたハナビ様がぐずり始めた。ヒナタ様がすかさず、よしよしとあやす。

 

「あっ、もしかしてお腹が空いたのかな? ネジ兄さん、ミルクをお願いできる?」

「はい、かしこまりましたヒナタ様」

「もう、それはやめてって言ったでしょネジ兄さん。ヒナタって呼んで?」

 

 ほーら、りぴーとあふたーみー。そんな勢いでヒナタ様がずずいとご尊顔をお近づけになられた。女の子特有の良い匂いがする。ドキドキが止まらない。

 ところで女の子の匂いは清潔によるところが多いらしいのだが、ヒナタ様の場合はそこに天使の芳香(エンジェルフェロモン)が加わっていることは確定的に明らかだった。

 

「えっ……その、はい……ヒナタ」

 

 しどろもどろにネジがそう呼べば、ふにゃりとヒナタ様もといヒナタが表情を崩した。天使の微笑み(エンジェルスマイル)である。なんなんだ、そんなに俺のことをキュン死させたいのかと心の中で喘いだ。

 そして止めとばかりにもう一声。

 

「敬語もダメ」

「んんッ……ふぅ、わかったよヒナタ」

 

 天使の御名を口にした瞬間、沸騰するように頭へと急速に血が上り、周囲の光が明滅するような激しい動悸と目眩に襲われる。咄嗟に点穴を突いて現実へと帰還した。

 危ない、もう少しで色々と天元突破して召されるところだった。これが浄化の光だとでもいうつもりか。日向ヒナタ、なんと恐ろしい御人なんだ。

 戦慄しつつ、ハナビ様のためにミルクを作る。確か温度は人肌程度が良いのだったか。なるほど温度が命とな、しかしこのネジにかかればその程度、容易いことよ。

 チャクラ滅菌を施した哺乳瓶に粉ミルクをスプーンで擦り切り一杯、次にチャクラ煮沸によって沸かしたお湯を投入。後は冷めるのを待つだけだ。

 暫く待って、手の甲に数滴ミルクを落として温度確認。完璧な温度のミルクが出来上がった。日向ネジはミルク作りにおいても天才であることがここに証明された。

 

「できまし……できたよヒナタ」

「ありがとう、ネジ兄さん」

 

 あうあう、とぐずっているハナビ様だったが、ヒナタが優しく哺乳瓶を差し出すと静かになり、黙々とミルクを飲み始めた。尊い光景だった。

 天使が二人、ツインエンジェルシステムだ。出力は乗算されて量子化が始まり、ネジは新しき人類へと覚醒する。

 じっと二人を見つめていると、ふとヒナタと視線が合った。ヒナタがおやっと小さく首を傾げる。その仕草さえ天使であった。

 

「ネジ兄さん? 目が……」

「俺の目がどうかしたか?」

「今一瞬……ううん、見間違いだと思う」

 

 次世代の人類に覚醒していてもおかしくはない。なんたってツインエンジェルシステムだからな。むしろそれ以外にも革新が始まりそうな勢いだ。

 日向ネジ六歳、天使への信仰は深まっていくばかりであった。

 

 

 

 満腹になったのか、ハナビ様は早々に夢の世界へ。

 残されたネジ達は、日向宗家の庭でのんびりと日向ぼっこをしている。

 

「今日も良い天気だね、ネジ兄さん」

「そうだなぁ、もうすっかり春だ」

 

 休みの日はだいたいこんな感じだった。ネジ一人ならともかく、ヒナタを連れて外を出歩くのはまだ憚られるし、そうなると屋内で遊ぶのが精々。

 元気のいい子供だとこの狭い空間で鬼ごっこなりが始まるのだろうが、大人なネジと大人しいヒナタではそんなことが起こるはずもなく、まるで熟年夫婦のように穏やかな時間がそこにはあった。

 庭先に植えられている桜は八分咲きといったところだ。数日中には満開の桜が見られることだろう。こっそり忍び込んで夜桜をアテに酒盛りを始めたら怒られるだろうか。

 

「桜が満開になったら、それで押し花を作るの」

「いいんじゃないか? 今年は桜の色も鮮やかだし、綺麗なのが作れると思う」

 

 それ以上に綺麗なのはヒナタだ。美しい桜さえ霞んでしまうほどにヒナタは神々しい。そう声に出して叫びたかったが、グッと堪えて内心だけに留めておく。

 風が吹く度、桜の淡い香りと一緒にヒナタの香りが鼻腔をくすぐる。既に脳は茹っていて、まるで酩酊しているような心地だ。

 

「うん、完成したら栞にしようと思って、それで……」

「それで?」

「わ、私の栞、もらってくれますか?」

「んんッ!」

 

 真っ赤になりながら、もじもじ上目遣いのコンボ。内気な少女が勇気を振り絞ったのだろう必殺の一撃。

 こんなの耐えきれるわけがねぇや。再び溢れ出した信仰心が喉に流れ込んできて窒息しそうだったが、鋼の精神でなんとか笑顔をキープ。それでも少し言葉が震えてしまった。

 

「楽しみにしている」

「ほ、本当?」

「ああ、勿論だとも」

 

 どうやら異変は察知されなかったようだ。ホッと胸を撫でおろす。

 ヒナタ手作りの栞か。つまりそれは聖遺物ということで相違ない。下賜された後は聖典と共に厳重に保管せねばなるまい。

 ウキウキのハピハピな最高に幸せ気分に浸っていたのだが、ネジを探しに来たらしい屋敷の使用人の声で現実へと引き戻される。

 

「ネジ様、当主がお呼びでございます」

「……そうか」

 

 お呼びとあらば仕方がない。自由人を自称はしているがネジも日向分家の一員。当主様からの命には面目上逆らえないのである。

 ヒナタとの至高の時間を邪魔されたことに地獄の底から這い出たような黒い憎悪を抱きつつ、それを表面上にはおくびにも出さずにネジは立ち上がった。

 

 

 

「失礼します」

 

 礼をしてから応接間へと入る。上座には当主であるヒアシが厳めしい表情で座っていた。

 

「きたか、ネジ」

「いえ……それで何用でしょう?」

 

 ネジが正座をして尋ねると、当主が難しい顔で腕を組んだ。

 

「ネジよ、将来はどうするつもりだ?」

「将来、といいますと?」

「お前くらいの年になると、日向家の子弟の殆どは忍者アカデミーへと進学する。お前はどうするのか、と聞いているのだ」

「はぁ、なるほど」

 

 日向分家に生まれた人間の進路というのは限られている。

 その殆どは木ノ葉隠れの里で忍者として一生を終えるし、残りの一握りは日向宗家の下で使用人となって生きる。

 白眼という血継限界を効率よく継承していくために自然とそういう形になったらしいが、詳しい事情までは知らない。興味もなかった。

 そしてそんな日向分家において、ネジは特例とも言えるほどの自由権を持っていた。呪印のこともそうだが、おそらく父の一件に関する負い目のようなものがあるのだろう。

 

「そうですね、医者の真似事でもして食っていこうかな、と」

「……医者?」

 

 当主ヒアシが片眉を吊り上げ、訝しげにネジを見つめる。ただ怪訝に思っているだけなのだろうが、眼力の強さも相まってか射殺さんとばかりに睨んでいるようにしか見えない。

 その癖は直しておかないと将来的にハナビ様に泣かれるぞ。ただでさえヒナタには大層恐れられているのに、二の舞は嫌だろう。このオッサンのことだからやらかしそうな気はするが。

 ちなみにネジが彼の立場だったら、天使二人から恐れられるという現実に耐えきれなくなって自らを悪魔と認定した上で首を吊る。

 で、それはともかく将来の話だったか。

 

「俺の技を医療に転用できないかと思いまして」

「技というとあれか、点穴を突いて経絡系からチャクラの流れを操作するという」

「面倒なんで“秘孔”と呼んでますがハイ、それです」

 

 ネジは秘孔を突くことによって、人のチャクラの流れをコントロールできる。そして研究を進めるにつれて、この技は色々と応用が効くことがわかった。

 簡単な傷や病程度なら一瞬で治癒させられるし、余命宣告された重病人をある程度まで生き永らえさせることも出来る。他にも動かなくなった足が動くようになったりと、効果は様々だ。

 ちなみに最近だと専らハナビ様に使うことが多い。秘孔で免疫系を調整して重篤な病気に罹らないように管理していたりする。当然だが他の連中には内緒だ。一緒に居る時間が長いヒナタ辺りは勘付いているかもしれないが。

 

「その秘孔とやらもそうだが、お前の技術を市井で腐らせるのは惜しい」

 

 そう言って当主は袂から一本の巻物を取り出した。畳の上にそれを置くと顎でそれを指す。読めということだろう。

 紐を解いて巻物を開く。書かれていたのは雇用契約について。その内容を読み込むにつれて、ヒクリとネジの頬が引き攣った。

 

「……本気ですか」

「このような冗談は好かん」

「いや好かんとかそういう話じゃなくて」

 

 ネジの視線が困惑したように、当主の顔と巻物の間を行ったり来たりとせわしなく動く。本気なのかこの人は、だってこれは――

 

「失礼ですが当主、俺の歳をご存じで?」

「六つだろう、それくらいは知っている」

「だったらコレがおかしいことくらい、わかるでしょう?」

「そうは言うがネジよ。お前の実力は子弟の枠には収まりきらん」

 

 コホンと一つ咳払いをした当主は居住まいを正すと、確かな口調でネジに告げた。

 

「改めて私の口から伝えよう。日向ネジ……日向宗家はお前を師範代として迎える用意がある」

「俺が、師範代」

 

 それに、と当主が続けた。今度は小さな声だった。

 

「師範代になれば、お前に宗家に伝わる秘術も伝授してやれる」

 

 先程とは一転。当主らしくない、しおらしく懇願するような声音でネジに言う。

 当主の表情からは苦悩が見て取れた。

 

「秘術っていうと……回天とか八卦六十四掌とか?」

「……独力で辿り着いていたか」

 

 辿り着いたというか最初から知っていたというか。教わるまでもなく既に形にはなっているというか。

 日向宗家の秘術とはネジにとってその程度のものなのだが、それを伝授すると言った当主の胸中はいかほどのものなのだろうか。

 分家に生まれたとはいえ、恵まれた立場に居るなと実感する。そしてそれを踏まえた上でネジは答えた。

 

「申し訳ありませんが、少し考えさせて頂きたい」

「ああ、いい返事を期待している」

 

 一礼をして立ち上がる。日向流の師範代、その立場は悪くない。

 現状、ネジの実力は日向一族全体から見ても突出している。そんなネジが他の連中と一緒になって修行をしても、ネジ本人の糧にはならない。だから師範代という新たな立場を用意するという当主の誘いはネジにとって渡りに船と言えた。

 ならばなぜ一旦保留にしたのか。それは日向宗家による囲い込みを警戒してのことだった。

 日向ネジは日向分家にも関わらず、檻に縛られず自由に動き回れる立場にある。そんなネジに宗家が首輪をつけたいと考えるのは自明の理。今回の打診もその一環だろう。

 幸いなのは当主自身には首輪をつけたいという思惑がないところか。恐らく彼は善意でこの話を持ってきたに違いない。ネジのことを警戒しているのは後ろにいる長老連中だろう。

 

「……ではこれで失礼します」

 

 丁度そのタイミングで、シュッと木が擦れる音と共に襖が開かれる。どうやら別口の来客らしい。ここは邪魔にならないようにさっさと退散したほうがいいだろう。

 足早に応接間を立ち去ろうとして振り返ったネジが、ピシリと石のように固まった。

 

「ネジ兄さん、こちらにいらしたんですね」

 

 来訪者はヒナタだった。どうなっている、なぜこのタイミングでヒナタが来るのか。ネジの脳内シナプスが高速で弾け、瞬時に答えを導きだした。

 ダメだろこれは。そんなの卑怯だろ。宗主の顔を見ると、一見わからないような小さい笑みを浮かべていた。くそう、確信犯だ。

 

「お呼びですか、お父様」

「よく来たな、ヒナタ」

「私に御用と聞きましたが、どうなさいましたか?」

 

 やめろ言うな、言うんじゃない。その攻撃は俺に効く、やめてくれ。

 

「……実はネジに日向流の師範代になってもらえないか、という打診をしていてな」

「ネジ兄さんが師範代、ですか?」

「ああ、主にヒナタの相手をして貰おうと思っている」

 

 それは素晴らしい、名案だとヒナタが表情をパァっと輝かせる。ネジのハートにクリティカルヒット。ネジにはもう反撃する術がない。

 こんなのズルい。ここで断ったらヒナタが落胆するのが目に見えている。つまりこの時点でネジから選択肢はなくなったということ。汚い、流石ヒアシ様、汚い。

 ヒナタにわからないように小さく溜息を吐くと、膝をついて畳に伏せた。

 

「この話、受けましょう」

 

 ヒナタは花が咲くように満面で、当主は悪徳政治家のような悪い顔で笑っていた。

 

 

 

 

 

 

「ただいまっと」

 

 真っ暗な自宅へと帰ったネジは、ポツリとそう呟く。当然だが返事はない。住人はネジ一人なのだから当然だ。

 電灯のスイッチを入れるが、なかなか灯りは点かない。どうやら電球がそろそろ寿命であるらしい。明日にでも買いに行かなければなと頭の中の買い物リストに電球を一つ追加する。

 リビングにある棚の上に、両親の遺影が飾ってある。静かに手を合わせた。

 

「父よ、俺が日向流の師範代になるそうですよ」

 

 分家の小童如きが師範代なんて変な話だよな、と父の遺影に向かって話しかける。答えは返ってこない。当たり前だ、父はもう居ない。

 虚しい。ただただ虚しいだけだった。心にポッカリと穴が開き、そこを北風が通り過ぎるような心地だ。

 写真集に今日の一枚を挟み込み、ゆっくりと息を吐いた。

 

「……なんなんだろうな」

 

 ただひたすらに孤独だった。まるで一人で世界に取り残されたように。

 当主は確かにネジに手を差し伸ばそうとしてくれている。けれどそこにあるのは愛情ではない、父を亡くした子供に対する罪悪感だけだ。

 ネジへと純粋な愛情を注いでくれる相手はもうどこにも居ない。

 バラバラになって砕けそうな心をヒナタという偶像が辛うじて繋ぎ止めているだけだ。そしてそれすら不安定で、いつバラバラになってもおかしくない。

 心が軋む、悲鳴を上げる。けれどその音を誰も拾い上げてくれない。

 飄々とした態度で誤魔化していても、ネジの心は子供のままだった。幼い心は喪失と孤独に耐えきれるほど強くはない。

 

「飯、食わないとな」

 

 言葉に体が従ってくれない。なんだか疲れた。体が重い。畳の上で大の字になる。明滅する寿命寸前の電灯の光が目を焼く。

 目を背け横になって膝を抱く。春先だというのに、部屋の中がやけに寒く感じられる。

 両親の残してくれた大切な家が、酷く伽藍堂に見えた。

 

 

 

 




狂信だけでは孤独に耐えきれなかった。
近いうちにハピハピにするからな、待っててな。

原作でネジの母親がどうなっているのか不明だったので、暫定で死んで頂いた。
片方でも残っていればあそこまで拗らせていなかっただろうと予想。

ヒナタ様の母親も情報がアニメでの静止画しか確認できなかったので、原作開始時点では亡くなっているものと仮定して書いていきます。



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第四話

日刊ランキング一位だったらしいです、ありがとうございます。
これも一重に皆様のおかげです。

感想欄でそのことを教えて頂いたんですが、朝起きた時には既に遅し。
日刊ランキングには影も形もありませんでした。悲しい。





 日向流師範代、紆余曲折の末にそんな大層な肩書を貰ったものの、ネジの生活に大きな変化は見られなかった。

 屋敷へと通いヒナタに修行をつけ、ハナビを交えて少し遊んでから帰る。そんな毎日を繰り返す。ただ穏やかな時間がそこにはあった。

 ネジの壊れかけた心を繋ぐために、その時間は必要なものだった。だからネジは思ったのだ。この息苦しくも穏やかな日々が続くのならば、檻の中で飼われるのも悪くないと。

 しかしある日、そんな平穏に致命的な罅が入った。

 

「あの、ネジ兄さん」

「どうしたヒナタ、浮かない顔をして」

 

 修行の間、ずっとヒナタは浮かない顔をしていた。何か悩みがあるのだろうということは、ネジも察していた。

 天使(ヒナタ)を不安にさせるなんて、一体どこの不届き者の仕業なのか。

 この表情もそれはそれでグッドであるのだが、それとこれとは話が別。下手人を見つけたら塵も残さず殲滅してくれよう。悪即斬である。

 

「ハナビとね、模擬戦をすることになったの」

「……ハナビと?」

 

 脳裏に浮かんだのは、自分達の後を無邪気に付いてくる幼い少女の姿。

 ネジにとってハナビは赤ん坊の頃から面倒を見てきた義妹に等しい存在、かつヒナタ教における第二天使。つまりは信仰対象である。

 天使と小天使が戦う。これは最早、神話と神話の戦いと言っても過言ではない。

 こんな天に弓引くような冒涜的なマッチングを成立させた奴は誰だ。何の恨みがあってこんな惨いことをする。

 

「その、お父様が……」

「当主が?」

「勝ったほうを日向の跡取りにするって、それで……」

 

 なるほどわかった、つまりは当主が悪いんだな。

 数々の横暴もヒナタ様の父親だと思って見逃がしてきたが、今回ばかりは勘弁ならん。この世から塵も残さず消滅させてくれる。

 

「ま、待って! 止まってネジ兄さん!」

「はい」

 

 ネジはピタリと止まった。後ろからヒシっとヒナタが抱き着いていた。こうかはばつぐんだ。

 いくら激しく憎悪の炎が燃えようとも、ヒナタの言うことには絶対服従だ。ネジの自由意思よりも優先度(プライオリティ)が上なのである。

 

「あのね、ネジ兄さん」

「はい」

「今ね、日向の家で私達の味方になってくれるのは、ネジ兄さんしか居ないの」

「はい」

「だからもう少し待って。お願いネジ兄さん」

 

 そう言われては仕方がない。命拾いしたな、当主よ。

 ところでヒナタ、そろそろ離して頂けないだろうか。最近になって成長してきた膨らみが背中に押し付けられて、その反動で信仰心が噴出しそうなのだが。

 

「それでね、ネジ兄さん」

 

 どうやらもう暫くこの天国かつ地獄な状態は続くらしい。とても幸せなことだ。今なら悟りを開けそうだとネジはトリップ状態に入った。

 視界のあちこちで光が明滅する。次に来るのは匂いだ、まるで花のような香り。そして止めとばかりに女性らしさを増した柔らかさと温かさに背中を包囲される。

 

「きっとハナビも心細いと思うの」

「は、い」

 

 チャクラ鼻栓もバージョンアップを重ねているが、流石に限界というものがある。これ以上は逆流してきた信仰心が口から決壊する。

 それでもヒナタは離してくれない。

 

「私は大丈夫だから、ハナビのことを見てあげて?」

「はい――こふっ」

 

 限界だった。口から真っ赤な信仰心が噴出した。

 

「に、兄さん!?」

「だ、大丈夫だヒナタ……少し信仰が試されている、だけ……」

 

 倒れ伏したネジは、そのまま気絶した。普通に貧血であった。

 

 

 

 暫く経って回復したネジは、ハナビの下を訪れていた。

 

「あ……ネジ兄様……」

 

 縁側の端っこに座り、酷く沈んだ様子のハナビが顔を上げた。よく見れば体のあちこちに傷ができている。心が締め付けられる思いだ。

 小天使ハナビ様にこんな顔をさせるなんて、やはりあの当主は現世から消滅させるべきなのではないか。そう思えてならない。

 天使ヒナタの言いつけさえなければ今すぐにでも首を献上する所存であるというのに。己の力不足に口惜しい気持ちでいっぱいだ。

 

「どうしようネジ兄様……」

「なにがあったんだ、ハナビ」

「私、姉様達の真似をしてて……それで……」

 

 日向ハナビは天才である。誰に指導されたわけでもなく、日向流を“見取って”再現できるレベルの天才だ。

 きっと深い理由は無かったのだろう。ハナビは大好きなヒナタ達と一緒に遊びたい一心だった。そんな気持ちで日向流の真似事を始めたに違いない。

 それが誰か――おそらく宗家に近い誰かの目にとまった。そいつにとってハナビは、さぞ美しい原石に見えたことだろう。

 

「……私、こんなつもりじゃなかった」

「ああ、わかっている」

 

 姉と跡目を争うなんて、そんなことをハナビが考えるはずがない。けれどヒナタを跡目から降ろしたい奴にとって、それは恰好の材料足り得た。

 この際だ、はっきり言おう。ヒナタに才能はない。ネジが指導することによって対外的にはそれなりのレベルに見せかけているが、所詮は見せかけだ。見る者が見ればすぐに剥がれるメッキに過ぎない。

 ハナビがダイヤの原石だとすれば、ヒナタはダイヤの形にカットされたガラス。両者の才能にはそれくらいの差がある。

 ヒナタに才能が全くないわけではない。けれどヒナタはあまりに優しすぎる。人を傷つける技術である武を学ぶには、致命的なまでに向いていなかった。

 

「兄様……私、どうすれば……」

「大丈夫だ、ハナビが心配することは何もない」

 

 おそらく、いや確実にヒナタは負ける。おそらくこれは変えられない未来だ。二人のことを誰よりも知るネジだからこそ、それがわかってしまう。

 ヒナタを勝たせる方法がないわけではない。彼女自身の尊厳を踏み躙れば、いくらでもあの優しい天使を勝たせてやれる。

 けれど駄目なのだ。それでは駄目なのだ。例え勝ったとしても、きっとそれはヒナタが望まない結末を招くことになる。

 くしゃり、とハナビの黒髪を乱暴に撫で、安心させるべく優しく微笑んでみせた。今のネジには、これくらいしかしてやれることがなかった。

 

 

 

 

 

 

 そして数日後のこと。模擬戦が終わった。結果はわかりきっていた。

 ヒナタは愛する妹であるハナビを相手に、その力を出し切ることが出来ないまま負けた。優しすぎた。ヒナタは優しすぎたのだ。

 そんなことは当主にだってわかっていたはずなのに。

 

「五歳も年下のハナビに劣るとは……出来損ないめ」

 

 ヒアシが失望したとばかりに土埃にまみれたヒナタを罵倒する。彼女のことを見限ったことは明らかだった。

 だからネジは一歩を踏み出した。あの心優しい少女の価値をこんな茶番で決めさせてなるものかと、己を縛る鎖を引き千切る。

 

「そこまでだ、日向ヒアシ」

 

 瞬身の術で間に立つと、ヒナタを庇うように腕を広げた。

 

「ネジ、兄さん……」

「……俺を信じられるか、ヒナタ」

 

 ヒナタの瞳をジッと見つめる。その覚悟を問うかのように真っ直ぐに見つめる。

 日向という家ではなく、ネジという一人の少年を信じられるのか。そういう問いだった。

 愚問であるとばかりにヒナタが小さく笑う。

 

「ネジ兄さんを信じなかったら、他の誰を信じるっていうの?」

「……そうか」

 

 少しだけ心が軽くなった。これでネジはもう一段、高く飛べる。

 静かに憤怒を滾らせるヒアシへと向き直る。分家の子弟ならば竦み上がることだろう。

 けれどヒナタが信じてくれているのであれば、ネジに恐れるものなどない。

 

「なんのつもりだネジ。これは宗家の問題。分家のお前が口を挟むことではない!」

「くだらないな、日向ヒアシ」

「なに?」

「宗家だとか分家だとか、そんなことは関係ない!」

 

 日向の連中は皆そうだ。宗家と分家、その括りに拘りたがる。

 確かに血統を継承する上でこのシステムは都合がいいのだろう。合理的だとも思う。しかしそれでは本質を見失う。

 

「無礼な、その口を閉じよネジ!」

「いいや閉じない!」

 

 ネジの発する鬼神の如き気迫に誰も口を挟むことが出来なった。ヒアシでさえ逆にその口をつぐんだほどだ。

 懐から巻物を取り出す。ネジを師範代の座に置くための契約書だ。それに火遁のチャクラを込める。巻物は勢いよく燃え始めた。

 その行動が理解出来ぬとヒアシが叫んだ。

 

「ネジ、なにを!」

「俺はヒナタのために、ヒナタだけのために今の立場になった!」

 

 あの優しい少女の笑顔を曇らせない。それだけのためにネジは己を日向というシステムに組み込んだ。大空を翔る鷹は自ら檻へと入ったのだ。

 けれど、もういいだろう。日向がヒナタを見限るというのならば、ネジにとって最早日向に価値はない。羽ばたく時が来たのだ。

 ネジは宣言する。

 

「俺は日向を、新しい日向の拳を作る」

「新しい、日向だと?」

「そうだ、我が神に捧げる日向の拳……すなわち日向神拳だ!」

 

 それが完成した時、全ての日向は過去になる。四方を囲む檻はただの残骸へと成り果てる。

 最強の日向。ヒナタのための日向。ネジはそれを己の手でこの木ノ葉に打ち立てるつもりだった。

 

「そんなことが……そんなことが許されると思うのか!」

「誰にも許して貰う必要なんてない。俺が、この俺が決めたことだ」

 

 父の言葉を思い出す。

 日向ネジは鷹だ。自由に大空を舞う鷹だ。無限の大空を羽ばたく鷹を縛りつけることは、誰にもできはしない。

 

「……ネジを取り押さえろ」

 

 ヒアシの一言に周囲を囲っていた日向の子弟達が一斉にネジへと飛びかかる。

 けれど無駄だ、無駄なのだ。ネジが磨いてきた技は日向流ではない。それはこういった一対多の状況において真価を発揮する新しい技術体系。

 

「……ハァッ!」

 

 震脚。裂帛の踏み込みが放射状の衝撃波となり、日向の子弟達を薙ぎ倒す。

 その様は日向の秘術である回天にどこか似ていた。原理的には同じ代物なのだから当然だ。

 

「むやみに傷つけたくはない……下がれ」

 

 目に見えるほどに濃密なチャクラが、闘気と共にネジから発せられる。まるで空気が重さを持ったかのようだった。

 圧し掛かる重圧。子弟の殆どはそれだけで戦意を喪失していた。生物としての、戦士としての格があまりにも違い過ぎる。

 それでも下がらないのは、彼らが籠の中の鳥だからだ。飼い主に逆らっては生きていけない、籠の鳥だからだ。

 

「よい、皆は下がれ、私が出る」

 

 最後の砦とばかりにヒアシが一歩前へと踏み出した。

 

「ネジ……お前を止める!」

「やめておけ日向ヒアシ。あなたでは俺に勝てない」

 

 わかっているだろう、そんなことは。誰に言われるまでもなく理解しているはずだ。

 師範代を任せてもいい。それほどまでにネジの技を買っていたのは他でもない。日向ヒアシその人なのだから。

 

「それでも戦わねばならぬのだ」

「あなたもまた……日向という檻に囚われているのか」

 

 ここに来て初めてネジが構えらしい構えをとった。静かな呼気と共にチャクラが際限なく高まっていく。

 高められたチャクラから放たれるのは奥義。宗主であるヒアシすら知らぬ、ネジが作り出した新しい日向の拳。

 

「せめて痛みを知らずに眠れ、日向ヒアシ」

 

 ヒアシが気付いた時には、既にネジは通り過ぎた後だった。

 一拍遅れるようにして、一陣の風が吹いた。

 

「……日向有情断迅拳」

 

 ネジが呟いた直後、ヒアシがその場で崩れ落ちた。

 ヒアシ様がやられた。ざわり、と伝播する恐怖と混乱を、ネジが一喝して止める。

 

「静まれ! 眠らせただけだ、大事はない」

 

 秘孔をついてチャクラの流れを乱してやっただけだ。放って置けばじきに目覚めるだろう。

 そんなことより、今はもっと大切なことがある。

 

「ヒナタ」

「ネジ兄さん……」

「すまない、ヒナタ。こんなことになってしまった」

 

 もう日向にネジの居場所はないだろう。居心地のいい檻は、ヒアシを倒すと同時に壊してしまった。

 そしてネジはヒナタにも同じことを求めている。ネジが開けた穴から空へと飛び出せと望んでいる。

 

「俺と一緒に来い、ヒナタ」

「私は……」

「日向という檻の中では、お前を自由に飛ばせてやれない」

 

 檻の中でしか生きられない。そういう人間だって居る。ネジ達のことを遠巻きに眺める子弟達はまさにそういう存在だ。かつて父の言った籠の中の鳥そのものだ。

 けれどもヒナタは違う。日向という檻さえなければ、もっと高く自由に飛べるはずだ。そうネジは信じている。

 

「厳しいね、ネジ兄さんは」

「酷なことを言っているのは理解している」

 

 籠の中の鳥であったヒナタは、外の世界を知らない。人によって育てられた鳥に外で生きよと告げるのは、確かに酷なことだろう。

 それでもネジは言わねばならない。外で生きろと。日向という名に縛られるなと。

 無言で手を差しだした。ヒナタは悲しげに目を伏せながらも、差し出されたネジの手をしっかりと握った。

 

「姉様、兄様……」

 

 震える声でヒナタ達を呼ぶのは、ハナビだった。

 彼女はこの檻の中に一人で取り残されることになる。

 

「ハナビ、俺はヒナタを連れていく」

「ッ!」

 

 最初はハナビも連れて行こうと思った。けれどハナビにとって日向は檻ではなく空だ。日向という場所でも羽ばたける。そういう才能を持った娘だ。

 いや、彼女ならもしかすると、日向という檻を抱えて飛ぶことすら出来るかもしれない。壊すだけしか出来なかったネジとは違う。

 ヒナタとは方向性が違うが、彼女も新しい日向の雛だ。いつかしたように、くしゃりと乱暴に髪を撫でてやる。

 

「それでも俺達はいつでもお前の味方だ。だからもし日向の空を飛び飽きたら、その時は」

 

 いつでも来るといい、全てを壊してでも攫ってやる。

 

 

 

 

 

 

「ただいまっと」

 

 伽藍洞の家に向かって寒々しく日課を繰り返す。

 すっかり癖になってしまった。返ってくる声などないというのに。

 

「えっと、おかえり、なさい?」

「あ――」

 

 けれど今日は違った。

 寒々しい伽藍洞に吸い込まれるはずだったのに、隣から返ってくる温かい声があった。

 

「どうしたの、ネジ兄さん」

「いや……なんでも、ない。なんでもないんだ」

 

 心の穴を温かい風が埋めていくような心地がした。視界が滲んで、上手く言葉が出ない。

 息が上がる。平衡感覚が失われて、思わず膝をついた。

 

「ネジ兄さん、どこか痛いの?」

「違う、そうじゃない、そうじゃなくて……」

 

 おかしい、感情がコントロールできない。こんなことは初めてだった。

 心の穴からこみ上げるそれを、抑えることが出来ない。

 

「……ネジ兄さん」

 

 優しく頭を抱き締められた。温かい人の熱と鼓動を感じる。

 ネジが久しく感じていなかった、そして求めてやまなかった熱だ。

 

「ネジ兄さんは私の味方になってくれた。だったら私はネジ兄さんの味方になってあげる」

「……そう、か」

「だから、ね。我慢しないで、ネジ兄さん」

 

 溢れ出すものを止めることは、もうネジには出来なかった。

 年下の少女に縋りつき、ネジは全てを吐き出した。孤独に乾き罅割れた心へ、温かい水が染み込んでいく。

 

 あの日出会ったのは天使だった。ネジにとっての天使だった。

 

 

 

 




ナルトの手ではなく、己の手で日向という檻から飛び立ったネジ兄さん。
そしてヒナタ様にバブみを感じてオギャるネジ兄さん。
彼の明日はどっちだ。

あとそろそろシリアスが仕事しなくなり始めます。




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第五話

日刊ランキング確認できました。
とても嬉しいです、皆様に感謝を。





 ネジ宅、居間にて。

 ちゃぶ台の上に置かれた通帳を、ジッとネジは睨み付けていた。

 

「どうしたんですか、ネジ兄さん。難しい顔をして」

「ああ、ヒナタか。実は少し困ったことになってな」

 

 ネジが今まで苦しいながらも生計を立ててこられたのは、日向家からの年金と師範代としての給与があったからだ。

 それがバッサリと打ち切られてしまった。あんなことを仕出かしたのだから当然のことなのだが、ネジにとっては死活問題である。

 家計簿を並べて今月の収支を見比べる。当然の如く赤字なのだが、このペースは少々マズイ。

 幸いなことにまだ父の残した遺産は幾分か残っている。最悪の場合はこの家を売っても良い。だがそれでも結局、その場しのぎにしかならない。

 ネジ一人ならいくらでも生きていく方法はある。木ノ葉隠れを出て、外の世界で生きていくという道だってある。けれども今のネジにはヒナタが居る。

 

「仕事をしなければならない」

 

 七代目火影を庇って昇天なんていう未来が嫌で避けていた問題だったが、事ここに至っては仕方がない。働きたくないでござると駄々をこねている場合ではないのだ。

 ネジは意を決して立ち上がった。

 

「お出かけですか?」

「ああヒナタ、ちょっと就職活動をしてくる」

 

 安定して稼げる職が欲しい。給料はそこまで高くなくてもいい。生活のためには定期的に纏まった金を家に入れ続ける必要がある。

 そしてネジのような対外的に見た場合の子供が就ける安定職など、木ノ葉においては限られている。要するに忍者だ。

 ちなみに目標は手堅く下忍である。父の遺産が残っている間は、比較的安全な任務をこなして地道に稼ぐ生活が望ましい。将来的に信用が出来たなら、それこそ医者にでも転向すればいいのだ。何も焦ることはない。

 とはいえネジが忍者になろうとすれば、いきなり上の立場に立たされる可能性が高い。いくら平和な木ノ葉といえども、日向宗家を圧倒するような戦力を遊ばせておくとは思えない。

 どうにかして正規以外のルートで忍者になる必要がある。しかし現状、ネジにそんな伝手はない。

 

「考えていても仕方がないからな、とりあえず火影邸に突撃してみようと思う」

「あの、ネジ兄さん。くれぐれも無茶なことは……」

「大丈夫だ、任せておけ」

「だ、大丈夫なのかなぁ……?」

 

 ヒナタの予感は的中した。

 その日、火影邸の一角が跡形もなく吹き飛んだ。

 

 

 

 

 

 

 数日後。そんなわけでネジは下忍となったのだった。配属された小隊は、木ノ葉の青い野獣マイト・ガイの率いる第三班。

 丁度アカデミーの卒業時期と被っていたのが功を奏した。まるで予定調和の如くネジは第三班へと滑り込んだ。

 ところでトップである火影を襲撃して忍者になるのも裏口というのだろうか。むしろ乗り込んだのは正面からのような気がするのだが。一度、専門家にでも話を聞いてみたいものである。

 それはともかく早速とばかりに顔合わせが行われた。

 ゲジ眉ことロック・リーはまだマトモな姿をしている。マイト・ガイという似非カンフー俳優モドキに毒される以前の姿だ。

 

「ロック・リーです、よろしくお願いしますネジ!」

「ああ、よろしく。リーと呼んでも?」

「勿論です!」

 

 グイグイ来る。思っているよりもグイグイ来る。ゲジ眉がグイグイと迫ってくる。パッチリお目目とゲジ眉が迫ってくる。

 決して悪い人間ではない。むしろ超どころか極がつくくらいには善人なのだろうが、こういう押しの強いタイプはどうにも苦手だ。一歩くらい下がって様子を窺ってくれるくらいの相手がネジ的にはベストである。

 リーが尊敬の眼差しでグイグイ来る。両手をガッシリと掴まれてしまった。逃げ場がない。

 

「ネジはあの日向で天才と呼ばれているとか!」

「……らしいな」

 

 ネジは対外的にはそう呼ばれているらしかった。

 日向にあまり良い印象はないので頭に“日向”なんてつくと鳥肌が立つが、それをリーに言っても仕方がないだろう。

 

「是非とも手合わせ願いたいものです!」

「お、同じ小隊になったことだし、そういう機会もあるだろう」

 

 適当にお茶を濁しつつ、既に青春の沼へと片足を突っ込みつつあるリーとそのまま握手をした。これが“ああなる”と思うと涙を禁じ得ない。

 とはいえ本人はそれで幸せなのだろうから、ネジがどうこう言えるような問題ではない。初見での個人的な感想だが、彼には是非とも大成して欲しいものである。

 リーとの無駄に濃密だった挨拶を切り上げ、次へと移る。

 

「私はテンテン。よろしくね」

「ああ、よろしくテンテン……テンテン?」

 

 第三班の紅一点ことテンテン。圧倒的な常識人の香りに、ネジは肩から崩れ落ちそうなほどの安堵を覚えた。刺激物の近くに長時間居ると感覚が麻痺してくる。

 しかしこの濃ゆい第三班においては凄まじく印象が薄い少女だ。彼女はどういう活躍をした人物だっただろうかと思い返してみるが、残念ながら思い出せなかった。

 テンテン、テンテン君、花さか天使。どこからか電波が飛んできた。もしやこのテンテンとやら、一人だけ出てくる作品を間違えているのではあるまいな。掲載誌は同じだったような気がするが、どうなのだろう。

 念のためにサイダネとか天翼ジョウロとか持っていないか聞いてみたが、そんな頓珍漢な代物は持っていないとのこと。どうやら深読みし過ぎであったらしい。あるいは漫画の読みすぎか。

 二人との距離感を計りつつ親交を温めていると、ガイがポツリと呟いた。

 

「それにしても、あの日向ネジが下忍になるとはな」

「問題でもありますか、ガイ先生」

 

 出たな元凶、ゲキ眉先生。あの純真なリーをスポコンの世界へと誘うミスター青春め。

 木ノ葉の忍は変人であるほど強いとかいう法則でもあるのだろうか。あったとしたらそれはとても嫌な法則だ。もしかするとネジも新たな力を得るために変人になる必要があるのかもしれない。

 

「いや問題はない。俺の小隊に配属された以上、一人前の忍として育て上げるつもりだが……」

「何か?」

「今更、俺が教えられることがあるのか?」

「ありますよ。少なくとも俺は貴方以上の体術の使い手を知らない」

 

 マイト・ガイの体術は間違いなく世界一だ。それもネジの柔拳と対をなす剛拳の使い手。学ぶことなどいくらでもある。

 ちょんちょん、とテンテンがネジの袖を引っ張り、小声で尋ねた。

 

「えっと、ネジだっけ?」

「なんだ花さか天使」

「花さか……それはいいとしてあの先生、そんなに凄い人なの?」

 

 変人の類にしか見えないが大丈夫なのか。彼女の疑問はつまりそういうことだろう。その不安は尤もである。

 ネジも前情報が無ければ変人の類として脳内処理をしていただろう。けれどネジは知っている。彼はあのマダラを追い詰めるほどの使い手なのだということを。

 というかガイは木ノ葉内だとそれほど有名ではないのだろうか。写輪眼のカカシのライバルなのだし、里の内外に名が知れていてもおかしくはないと思うのだが。

 やたらと不安がっているテンテンを安心させるべく、そっとガイ先生へのフォローを入れておく。

 

「見てくれは完全に色物のソレだが、ガイ先生は腕に限れば間違いなく一流。学ぶことも多い……はずだ、多分」

「うわぁ、不安だよぅ」

 

 フォローしたつもりが、逆にテンテンへと不信の種を植えてしまったようだ。

 ガイ先生は素晴らしい人格者。きっと最高の師となってくれる。普段の奇行と色物臭にさえ目を瞑れば彼は師としては上等な部類であるはず。とてもそうは見えないが、そのはずなのだ。

 なにせ忍術の才能がないロック・リーをたった一年間で体術のスペシャリストと言えるレベルにまで引き上げるのだから、その手腕は推して知るべし。

 今はまだ信用出来ないかもしれないが、リーの成長と共にその有能さを実感することになるだろう。きっとそのはずだ。実感させてくれることを祈るばかりである。祈れ、祈るしかない。

 

「ちょっとネジ、なんでそんな優しい目で私を見るの!?」

「テンテンも数奇な星の下に生まれてきたな、と」

 

 ようこそテンテン、おそらく木ノ葉の中で最も濃ゆい小隊へ。おそらく君はこれから先、延々とツッコミ役に回ることになるだろう。

 このツッコミ役を与えられてしまった憐れな少女に幸あれ。ネジは己が信じる神へと祈らざるをえなかった。恨むのなら常識人である己を恨んでほしい。

 おそらくこの班で上手くやっていくために必要なのは理性を捨てることだ。考えるな、感じろ、馬鹿になれ。それが出来なければストレスで胃に穴が開く。

 

「大丈夫なのかな……私、やっていけるのかな……」

「生きろ……立派なツッコミ役として生きるんだテンテン」

 

 生半可な芸風では埋もれるぞと肩を叩くとテンテンの表情が絶望一色に染まり、そのままガクリと崩れ落ちた。

 やれやれ前途は多難のようだ。

 

 

 

 

 

 

「……そういうわけで下忍になってきた」

 

 恐れ多くもヒナタに作って頂いた味噌汁を啜りつつ、ネジは簡単に報告を終えた。

 天使が作った味噌汁などそれこそ聖体の一種なのではないだろうか。まるで体の内側から浄化されていくような心地である。プラシーボでデトックス効果が期待出来そうだ。

 味の感想はというと、まぁ普通だ。気持ちしょっぱくて、出汁が薄い。要練習だ。

 

「流石です兄様」

「はっはっは、褒めてもデザートのアイスくらいしか出ないぞ、ハナビ」

 

 対面で美味そうに唐揚げをモグモグしているのはハナビだ。もう一度言おう、日向の小天使ことハナビだ。

 あの日のネジの暴れっぷりは恐怖の代名詞として日向では語り草になっているらしい。ハナビ曰くとりあえずネジの名前を出しておけば晩飯を食いに来る程度ならば出来るのだとかなんとか。

 ネジが本気になれば日向を壊滅させて強引にハナビを攫うことは容易い。そのことは頭の固い日向宗家も流石に承知しているようで、多少の自由行動には目を瞑っているようだ。

 

「ねぇねぇ、兄様」

「どうしたハナビ」

「下忍ってどんなお仕事をするの?」

「言い方は悪いが……主に使いっ走りだな」

 

 ペット探しやら子守りやら色々とあるが、中には芋掘りの手伝いなんて任務もあるらしい。

 芋掘りごときと言っては農家の方々に失礼だが、そんなことに忍者を使うとは実に豪快な話である。土遁を使って畑を引っ繰り返せとでもいうのだろうか。

 つまんなーいとハナビが唇を尖らせた。

 

「悪い人を倒したりとかは?」

「そういう難易度の高い仕事はせめて中忍にならないとな」

 

 下忍で対人戦となると、戦争かそれとも護衛任務での遭遇戦くらいのものだ。前者は暫く起こらないだろうし、後者にしても結成直後の小隊に任されるような任務ではない。

 ネジの狙い通り、今の情勢ならば暫くは安穏と忍者という職を続けていられるだろう。刺激はないが、安定はしている。

 

「意外と地味なんだね、忍者って」

 

 そう言いつつまた一個、ハナビの口の中へ唐揚げが吸い込まれていった。

 正直に言うとネジとしてはハナビを一人で日向に残してしまったのは心残りであったので、こうして元気そうな姿を見られて何よりだ。

 ちなみにだが。日向の家で酷い目に合わされたなどとハナビが嘘でも証言した日には、日向宗家は火の海になる。確実にぺんぺん草すら残らない無残な有様になるだろう。

 

「あ、ヒナタ姉様おかわり!」

「山盛りで大丈夫?」

「大丈夫!」

 

 ヒナタがハナビに、白米が文字通り山盛りとなったお椀を手渡す。この姉妹、食う。それはもう、凄い勢いで食う。おかわりのデフォルトが山盛りな時点で察して欲しい。

 実は先日、炊飯器を買い替えた。一般家庭用ではなく業務用で一度に20合の米が炊けるのだが、それでようやく供給が間に合うレベルと言えばその凄まじさがわかるだろうか。

 ネジが働きに出なければならなくなったのは、主にこのエンゲル係数の急上昇によるところが多い。これさえなければ成人まで慎ましく暮らしていく程度の余裕はあった。

 というか日向宗家はこれを狙ってハナビを送り込んできたのではあるまいな。これは一種のテロだ。飯テロだ。そう勘繰ってしまうくらいには家計にクリティカルな打撃を与えている。

 凄まじい勢いで白米を消費していく姉妹を横目で見つつ、ネジは唐揚げを口にする。カラッと揚がっているし、肉には味が良く染みている。我ながら絶品だと自賛した。

 

「ネジ兄様の作った唐揚げ美味しいね、姉様!」

「そうだね、美味しいね」

 

 我が家のエンゲル係数の上昇は留まることを知らないが、それが二人の糧になっているのなら、まぁいいかと思わないでもない。

 それはともかく、せめて食費だけは日向宗家に請求することは出来ないか。デザートのバケツアイスに手を付けた姉妹を見て、ネジは切実にそんなことを考えていた。

 

 

 

 

 




ヒナタは公式ですが、ハナビは資料が見つからなかったので捏造です。
リーをあそこまで仕上げたガイ先生の指導力は相当なものだと思う。





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第六話

日刊ランキングってもっとゆっくり上下するのかと思いきや、出たり消えたりを繰り返していて意外と激しく変動する代物だったのだなと。
ともかく、皆さまに感謝する次第であります。

原作まで一気に飛ばしてもいいかなとも思いましたが、大根の話を少々。


 大根だ。大根の山がある。

 太く、逞しく、白く輝く瑞々しい大根が山のように積まれている。

 

「ハァーハッハ! いくぞリーよ、競争だ!」

「はい、ガイ先生!」

 

 あれから数ヵ月。リーは早々にガイ先生に毒されて変わってしまった。もう昔の彼は居ない。ネジには純真な彼を守れなかった。

 お揃いである緑のぴっちりタイツを着たリーは、凄まじい速度で大根を畑から引っこ抜いている。笑顔が無駄に眩しい。元気そうで何よりだ。

 

「ネジは混ざらなくてもいいの?」

「アレに混ざれとかお前は鬼かテンテン」

 

 残された常識人二人は熱血師弟を遠巻きに眺めながら、のんびりと農作業に勤しんでいた。正直に言ってあのテンションにはついていけない。

 額に滲んだ汗をタオルで拭ったテンテンが、顔を顰めながらトントンと腰を叩く。

 汗を流す美少女というのは美しいものだ。汗は青春の証であるが、美少女が流すそれはより一層素晴らしい。いっそ煌びやかにも見える。

 

「いたた……腰が痛くなってきちゃった」

「腰の力だけで抜こうとするからそうなるんだ」

「どういうこと?」

 

 手本とばかりにネジは実演してみせることにした。

 植えられている大根を跨ぎ、腰を曲げるのではなくしゃがみ込むと、全身の力を使って一気に大根を引っこ抜く。

 

「骨法やら合気道の技術なんだけどな、こうすると腰にあまり負担がかからない」

「へぇ……あっ、ホントだ」

 

 大根を抜きながらテンテンが感心したように頷いている。太くて逞しいのを美少女が抜く。なるほどそういうことらしい。ネジはまた一つ悟りを開いた。

 

「つまりこれは体の使い方を覚える修行ってこと?」

「……あいつらを見てそう思えるなら、そう思っているといい」

 

 ネジは白けた様子で、未だ暴走を続ける熱血師弟に向けて顎をしゃくった。

 

「見ろリー! この立派な大根を! 大地の恵みだ!」

「素晴らしいですガイ先生!」

「いいかリーよ! お前もこのように太く逞しく成長するのだ!」

「はい、ガイ先生!」

 

 あいつらは何も考えていない。本能だけで生きている類の連中だ。深く考えると理性が青春に侵食されて破壊される。そのことをネジはこの数か月間の忍者生活から学んでいた。

 

「いい加減に夢を見るのはやめたらどうだテンテン。これはただの農作業だぞ」

「わかってるんだけどさぁ……こう、忍者に対する憧れみたいなのがさぁ」

 

 忍者といえば木ノ葉においては花形職業だ。テンテンの言うところの憧れについてはわからなくもない。

 ハナビもそうだが、忍者という職業に憧れを抱いている人間は多い。木ノ葉ではまるで正義のヒーローのような扱いだ。

 実際の所はこういう地味な作業や、派手でも血生臭い仕事が多いのだが、そういったネガティブな面がピックアップされ辛いのは木ノ葉によるプロパガンダの一種なのだろうか。

 

「それにしてもネジって、こういう妙なことに詳しいよね」

「昔取った杵柄というやつだな」

「……日向って農家の真似事もしてるの?」

「企業秘密だ」

 

 実際の所、この無駄知識がどこから来ているのかはネジも良く知らなかったりする。

 特に害はなさそうであるし、良くわからないなりに利用するだけ利用させてもらおうと最近は開き直っていた。

 

「ところでテンテン、大根掘り用の忍具があったりはしないか?」

「そんなものあるわけないじゃん……」

「だよなぁ」

 

 二人して溜息を吐く。人生ままならないことだらけだ。

 

「とにかくテンテン、さっさと収穫を終わらせよう」

「はぁーい」

 

 テンテンは気の抜けた返事をしながら作業へと戻る。そうだ、手を動かせ。そうしないと何時まで経っても任務が終わらない。

 

「うおおおおおお! 二本抜きですガイ先生!」

「なんのおおおお! こっちは三本抜きだリー!」

 

 何を競っているのだろうか。そもそも農業って競うような代物だったか。

 あいつらホント元気だよなぁ、とテンテンと一緒に遠い目で見つめる。大切な仲間なのに、あれの仲間だとは思われたくない。二律背反、哲学である。

 

「ほんと、リーもよくやるわよね」

「あれはもう、一種の才能だな」

「才能かぁ……」

 

 テンテンがしみじみと呟く。なにか思うところでもあったのだろうか。

 

「いやさ、どうしてリーがあんなに頑張れるのか、私わかんなくって」

「というと?」

「こう言っちゃ悪いけど、リーって才能ないじゃない?」

「ああ、そういうことか」

 

 報われない努力を続ける。それは確かに辛く苦しいことだ。

 持つか持たないか。持つ立場であるテンテンからすれば、きっと理解できないことなのだろう。

 けれどそれによって得られるものは確かにあるのだ。特にリーにとってそれは得難いものとなるはずだ。

 

「才能ならあるさ」

「え?」

「リーには才能があると言っているんだ」

 

 剛拳の習得には必要なものがある。それは極限までに鍛え上げられた肉体。筋肉の鎧による武装と言い換えてもいい。

 鍛えるだけなら誰にだって出来る。だがそれをリーやガイのような濃密さで、さらに継続的に行えるともなると、それはもう才能と言えるのではないだろうか。

 目標のために努力できる人間こそが真の天才なのだ。そんなことをどこか遠い場所で聞きかじったような気がする。

 

「その点から言えばガイ先生はリーにとって理想の師だな。あれほど相性の良い子弟というのも珍しい」

「なるほどねぇ……」

 

 思考レベルが同じなこともあり、気が合うのだろう。しかしその弊害で、思考の次元を隔てたこちら側には何を言っているのかサッパリ理解出来ないことも多い。

 あいつらはもう別種の生物と見たほうが精神衛生上よろしい。理解しようとするから脳内で齟齬が起こり、拒否反応に苦しむ羽目になるのだ。

 悟りを開いたかのような心地でそんなことをテンテンと話していると、ガイとリーの叫び声が聞こえた。

 

「二人とも、後ろだ!」

「ネジ! テンテン! 危ない!」

「うん?」

 

 声に従って振り向いてみれば、こちらに猛進する猪の姿があった。

 かなり大きい。通常の猪の三倍はあるだろう。全身には傷跡があり、まさに古強者の風格を漂わせている。

 常人なら恐怖するのだろうが、肉にしたら何人前だろうかとネジは呑気にそんなことを考えていた。

 

「ちょっ、ネジ! い、猪が!」

 

 ガシリとテンテンがネジにしがみ付く。これでは碌に回避行動も取れない。

 やれやれと首を振りつつ、無言で拳を構えた。

 小さく息を吐き、精神を集中させる。

 そしてネジが拳を振り抜いた瞬間、猪は突進の勢いはそのままに、ネジ達の真横を転がって行った。

 

「おいテンテン、離れろ」

「ふぇっ?」

「もう終わった」

「ふぇぇっ!?」

 

 人間の言葉を話せなくなっているテンテン。仮にも忍者がコレで大丈夫なのだろうか。

 慌ててやって来たガイが心配そうに尋ねた。

 

「大丈夫だったかネジ、テンテン」

「問題ない。あんなものはただの獣、平常心で事に当たればどうということはない」

 

 ぐでん、と畑の柔らかい土の上に寝そべる猪をネジが親指で指した。

 秘孔を突かれて全身が麻痺しているためか、前足だけがピクピクと痙攣している。そのくせ意識はあるため目からは猛獣の殺気を滾らせており、あまりお近づきにはなりたくない。

 ちなみにだが、コイツこそが、ただの大根の収穫を忍者の任務にまで引き上げた元凶である。収穫の時期になると山から下りてきて、畑や農作物を荒らしまわるのだそうだ。

 

「こんなの相手に平然としてられるのはネジだけだってば!」

「そうは言うがテンテン。お前の憧れる花形の忍者になれば、アレよりも強い相手と戦うことになるんだぞ?」

 

 この程度でビビッていては、忍者なんてやっていられない。

 忍者に必要なのは平常心だ。この世界の忍者は月が落ちてきても平然としていなければならないのだ。

 それらしいことを適当につらつらと述べていると、リーがキラキラと尊敬の眼差しでこちらを見ていた。

 

「流石ですネジ! 常に平常心を忘れないその姿勢、尊敬します!」

「いや……うん、そうだな」

 

 逆にお前は常にその調子だろうな。

 やっぱりリーのコレは一種の才能だと改めて感心するネジであったとさ。

 

 

 

 

 

 

「だから今日はこんなに大根が……」

「そういうことだ、ヒナタ」

 

 元凶である猪を捕獲したお礼にと、台車に溢れんばかりの大根を追加報酬として頂いたのだが、他の連中はそんなに要らないとのことだったのでネジが纏めて引き取った。

 そんなわけでネジ宅の晩御飯は大根尽くしである。大根の煮物に大根ステーキ。ついでに大根の葉のお浸し。

 食費が家計を凄まじい勢いで圧迫しているネジ家において、これほど助かる追加報酬はなかった。現物支給万歳。

 かなり消費したつもりだったが、家の裏にはまだかなりの大根が残っている。食べきれない分は漬物にすることにした。

 

「あ、この煮物おいしー!」

「こらハナビ、いただきますしなきゃダメでしょう?」

「いただきまーす」

「もうっ!」

 

 ヒナタからそんな注意を受けつつ、ハナビが早速とばかりにパクパクと煮物を口に放っていく。山のように作ったはずなのに既に皿の底が見え始めている辺りが恐ろしい。

 台所から鍋を持ってくると、追加の大根を皿へと移しておいた。おいたのだが速攻で消えていった。解せぬ。

 

「どうしたのネジ兄様? 私が全部食べちゃうよ」

「ああ、それはいけないな」

 

 あれからというもの、ハナビは毎日のようにネジ宅に居座っている。そしてこうやって飯をたかって帰っていく。日向宗家の飯はそんなに不味いのだろうか。

 ハナビに全て食われる前に少しでも腹を満たしておこうと、ネジも大根の煮物へ箸を伸ばした。

 醤油と砂糖、そして味醂で甘辛く煮た大根。芯まで染みた鰹と昆布の合わせ出汁が噛む度にじゅわり、と溢れ出してくる。熱燗が欲しくなる味だ。

 

「ダメですよ、ネジ兄さん」

「いや、まだ何も言って……」

「ダメ、ですよ?」

「はい……でもちょっとだけ……」

「ダメ」

 

 ネジは項垂れるしかなかった。酒の楽しみは数年後までお預けらしい。ヒナタ様のお言葉は絶対だ。逆らえない。

 煮物を一山ほど片付けたハナビが尋ねてきた。

 

「それでその猪はどうしたの?」

「ああ、アイツか……山に帰されることになった」

 

 倒したネジとしては猪肉に加工して貰ったほうが嬉しかったのだが、どうにも奴は一帯の山の主であるらしく、下手に駆除してしまうと生態系が崩れてしまうらしい。

 畑を荒らすことを覚えてしまった猪が更生出来るとは思えないし、いっそ駆除したほうが後々のためになると思うのだが。下っ端忍者としては依頼人の意向に従うだけだ。

 脚を縛られて山へと運ばれていく猪をネジは物欲しそうに眺めていることしか出来なかった。

 純粋に興味があったのかハナビが尋ねてきた。

 

「猪って美味しいの?」

「味噌で煮込むと中々に美味いが……癖が強いからな」

 

 いわゆる牡丹鍋というやつである。都会では専門店くらいでしか見ないが、田舎のほうに行くと近所のオジサンがおすそ分けに持ってきたりする。

 野生特有の獣味とでも言うのだろうか。好きな人はたまらなく好きなのだろうが、苦手な人も居る。そんな味だ。

 ちなみにネジは猪肉よりも鹿肉のほうが好きだ。燻製にすると任務中の保存食にもなるし、何よりビールによく合う。

 

「ふーん、そうなんだ」

「なんだ、食ってみたいのかハナビ」

 

 なんなら山ごと狩りつくして献上する所存である。

 猪は木ノ葉においても害獣。今回の主みたいな大物はともかく、その辺に生息しているのを少し狩猟しても咎められることはない。

 天使に召し上がられる。略して天に召される。きっと食材も本望であることだろう。

 というか家計が困窮している現状、山での狩りも食料確保の手段として本気で一考するべきなのかもしれない。

 猪やら鹿やらを丸々狩ってこれば、多少は家計の助けになるだろう。所詮は焼け石に水だろうが、やらないよりはマシだ。

 

「うーん……豚さん美味しいから、いいや」

「そうか……そうだな、豚さん美味しいもんな」

 

 大根を煮るついでに作った豚の角煮をおかずに、ハナビが白米を飲み込んでいる。おかしい、白米は飲み物だっただろうか。

 オマケである角煮だが、これまた良く出来たと自賛する。箸で切れるほどに柔らかく煮込まれた角煮は絶品だ。煮汁を煮詰めて、〆のラーメンにするのもいい。

 煮物、角煮ときて、お浸しを口に運ぶ。これはヒナタ作だ。最近はかなり料理の腕も上がってきた。これなら台所を任せられる日も近い。

 

「ネジ兄さん、ご飯のおかわりはいかがですか?」

「ああ、貰おう……少しでいいからな、いいか少しだぞ」

 

 念を押しつつヒナタに椀を渡す。

 この姉妹のデフォルトは絵本の昔話に出てくるような文字通りの山盛りだ。ここで普通におかわりを頼むと地獄を見ることになる。

 

「はい、ネジ兄さん」

「ありがとう、ヒナタ」

 

 礼を言いつつ椀を受け取る。少しでいいと言ったのに、それでも一般的に見れば大盛であろう量の白米が椀に盛られていた。

 勘違いして欲しくないのだが、別に日向一族は大食いというわけではない。

 あくまでこの姉妹が特別なのであって、ネジなどは小食な部類に入る。むしろ最近は食の細さが顕著になり、霞を食って生きていけるのではと錯覚するくらいだ。

 大丈夫なのだろうか。もしや姉妹が過剰に摂取したぶんのカロリーを、ネジが不思議なパワーで吸収するシステムにでもなっているのではないか。

 

「姉様、大根のステーキも美味しいよ!」

「そうだね、美味しいね」

 

 今日も日向の天使達は食欲旺盛だった。

 美味しそうに食べる姿は見ていて気持ちがいい。ネジも負けていられないとばかりに、椀に盛られた白米を掻き込む。

 

「あ、ネジ兄さん」

「どうしたヒナタ」

「ご飯つぶ、ついてますよ?」

 

 ヒナタはネジの唇についた米を取り、あろうことかそれを無造作に己の口へと運んだ。

 

「んんッ!」

 

 喉の奥から唸るような変な声が漏れた。これは駄目だ、決壊してしまう。チャクラ鼻栓展開。総員警戒態勢、秘孔刺突準備。これより防戦に入る。

 一連の流れがあまりに自然過ぎて全く反応できなかった。恐ろしい、なんということか。これがヒナタ様の持つ真のヒロイン力だとでもいうのか。

 試されている。ネジは今、他ならぬ天使によって信仰心を試されている。

 意識するな感じるな考えるな。心頭滅却火もまた涼し。俺なら出来るさ頑張れ大丈夫出来る。

 幸いなことにヒナタ様は何も気付いていない。単なるスキンシップ程度にしか思っていないはずだ。はずだったのに。

 

「あー! 私知ってるよそれ! 間接キスってやつだよね!」

「えっ……あっ」

 

 ハナビの無邪気な指摘に、ヒナタの表情が火でも点いたかのように真っ赤に染まる。

 やめろください、そんな潤んだ瞳でこっちを見るのはやめろくださいヒナタ様。

 高まり過ぎた信仰心のせいか、ぐらりと一瞬だが視界が歪んだ。沈めるべく秘孔を突く。少しだけ落ち着いた気がする。

 

「え、えっとネジ兄さん、今のはそういうのじゃなくて!」

「わかっていますヒナタ様」

 

 フッと安心させるように微笑んでみせた。他意はなかった、そういうことでしょう。この日向ネジ、そんなことはわかっていますとも。

 しかし天使は残酷であった。ヒナタは頬を朱に染めながら両手の人差し指をモジモジとさせつつ、ネジに対する止めを放った。

 

「で、でもネジ兄さんにならいいかなって……」

「ん゛ん゛ッ――こふっ」

 

 限界だった。許容量を超えた信仰が口から溢れ出し、真っ赤な花が咲いた。

 一気に血圧が下がり、意識が遠のく。最後に感じたのはハナビの笑い声と、ヒナタの慌てたような悲鳴であった。

 

 

 




飯の話しかしてない。

だいぶ狂信度は下がってきたかなと。



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第七話

パンティに興奮して飲み屋行ってラーメン食って帰る話。




「駄目です、許しません」

 

 お兄さんは絶対にそんなこと許しませんよ。

 ネジは居間の上座に陣取り、訪れた客に向かって腕を組んだまま全面拒否の姿勢を示した。

 

「というか、なんで俺の所に来るんだ」

「日向宗家を尋ねたら、ヒナタの保護者は貴方だと追い返されてしまって……」

 

 困惑した様子で目を伏せるのは木ノ葉の上忍、夕日紅である。

 いつの間にかアカデミーを卒業していたヒナタは、その流れで小隊へと配属される運びとなっていたらしい。

 

「それでネジ、ヒナタが忍になることを認めて欲しいのだけれど」

「駄目だ」

「ネジ兄さん……」

「駄目ったら駄目」

 

 忍者の世界というのは、ヒナタがハナビに読み聞かせていた絵本みたいな甘っちょろい世界ではないのだ。

 血で血を洗う、生き馬の目を抜くような世界。そんな所に天使を連れていくなんて言語道断。

 

「あの、ネジ」

「なんだ、紅先生」

「ヒナタはアカデミーでもトップクラスの成績をおさめているわ」

「そんなことは知っている」

 

 当然だがヒナタの成績は把握済みだ。とても優秀なことも理解している。

 ハナビと一緒にアカデミーの成績表を眺めながらヒナタを褒め殺しにするのは半期に一度の楽しみである。

 

「だがアカデミーの成績と忍者としての適性はまた別の話だろう」

 

 ヒナタは優しすぎる。それはヒナタの長所であり、最大の弱点でもある。

 過酷な忍の世界では、その優しさが命取りになることだってある。万が一の事を考えた時など、ネジは発狂してしまいそうな心地になる。

 

「お願いネジ兄さん、私も自分に出来ることをしたいの」

「そうは言うがな……」

「お金、困ってるんだよね」

「うっ……」

 

 痛い所を突いてくる。

 

「このままだと叔父さんの遺産に手をつけないといけない……そうだよね?」

「ううっ!」

 

 ネジ家のエンゲル係数はヒナタとハナビのツインエンジェルシステムによって、昇り竜の如くフライハイし始めている。

 今まではネジの下忍としての稼ぎでギリギリもたせていたが、先月に入った辺りからはついに赤字を計上してしまっていた。育ち盛り二人を養うのは中々に大変なのだ。

 

「ネジ兄さんは私のことを助けてくれた。今度は私が助けたい!」

 

 懇願するように上目遣いでヒナタがネジの手を握る。いつものネジだったら一発で落ちていただろう。

 しかし今日は最初から鎮静のための秘孔を突いてある。いくらヒナタが尊くとも、それによる動揺はないと思っていただこう。

 というか真面目ぶって話をしているものの、話の焦点は食費だ。全くもって締まらない。

 

「ネジ兄さん」

「だめだぞ。今回ばかりは退かない」

 

 不退転の意思を感じ取ったのか、むぅ、とヒナタが頬を膨らませた。可愛い。

 しかしその可愛さとは裏腹に、今日の彼女は天使ならぬ悪魔であったらしい。

 

「……叔父様の写真」

「それがどうかしたのか?」

「写真が飾ってある棚」

「……ちょっと何を言っているのか」

「一番上の引き出しの奥」

「なぜ知っているっ!?」

 

 ネジは堪らず絶叫した。

 あそこは聖典たるヒナタ様非公式写真集の安置された、何人たりとも侵すことのできぬ聖域のはず。

 ハッとヒナタを見れば、白眼を発動しているご様子。まさか見たのか、見ているのかアレを。

 

「それでね、ネジ兄さん」

「な、なにかなヒナタ」

「明日って燃えるゴミの日だったよね」

 

 土下座の体勢に移行するまで、コンマ一秒もかからなかった。弱い男であった。

 

 

 

 

 

 

 

 数時間後。

 事の次第を説明すると、テンテンは呆れたとばかりに溜息を吐いた。

 

「それで遅くなったわけね」

「ああ」

 

 演習場の奥では今日も元気にリーが逆立ちしながら走り回っていた。通常運行である。

 あいつくらいのレベルになると、世の中の全てが輝いて見えるのかなと真剣に考えてしまうくらいには気が滅入っていた。

 

「ホント、ヒナタには弱いよねネジって」

「当たり前だろう、だってヒナタなんだぞ?」

「ごめんねネジ、私にはちょっと言ってる意味がわかんないや」

 

 わからないのは信仰が足りないからだ。

 天使を信じろ。さすれば道は開かれん。

 

「ところでネジ、他にはないのよね?」

「他?」

「その写真集以外にやらかしてないかって事」

 

 やらかすとはなんて言い草だ。あれは天使の歴史を編纂するという立派な聖業だというのに。

 とはいえ他にああいった代物を作った記憶はない。やり過ぎると今回のように露見した時が怖い。

 

「いや、特にないな……むしろテンテンは何があると思ったんだ?」

「そりゃあ、その……男の子なんだから興味あるんじゃないの?」

「だから何のことだ」

「女の子のぱ、ぱんてぃ……とか?」

 

 ぱんてぃ。ヒナタ様の聖骸布。

 一緒に生活しているのだから、目にしたことがないと言えば嘘になる。けれども可能な限り意識から排除してきた。意識してしまえば日常生活がマトモに送れなくなることは容易に想像できたからだ。

 だがここにきてネジは意識した。意識して、しまった。そしてそれは脳内で革命を引き起こす。

 

「んんッ!」

「ちょっとネジ!? 大丈夫!?」

 

 ビクビクと全身を痙攣させたネジの肩をテンテンが必死に揺り動かす。

 そのおかげで一瞬だが意識がこちら側に戻り、秘孔を突くことでネジはなんとか現世に帰還することが出来た。

 

「あ、危なかった……想像しただけだというのに、もう少しで召される所だった」

「そ、想像しちゃったんだ……」

 

 テンテンがゴミを見るような目で一歩距離を取った。

 仕方がないだろう。だって男の子なんだもん。乙女のパンティなんていうただでさえ魅惑的な代物に天使ヒナタという革命的な要素が加わる。これを最強と言わずしてなんと言うのか。

 無地、水玉、ストライプ、花柄。色々ありますヒナタパンティの種類。でも実はヒナタ様がアダルティでブラックに勝負するやつを隠し持っているのは公然の秘密。気付かれていないと思っている辺りが実にいじらしい。

 やはり日向(ヒナタ)は木ノ葉にて最強だなと思う所存であるのだが、それはさておき話を戻そう。ヒナタが忍者になる、という話だ。

 

「それで結局ヒナタも忍者になるの?」

「非常に遺憾なことだが、そうなる」

 

 とはいえ無条件で忍者にはさせられないため、凡そ一年振りとなる火影邸突撃を敢行し、ちょっとした条件を火影直々につけさせておいた。

 三代目火影であるヒルゼン殿は交渉が終わるとめっきり老け込んだ様子だったが大丈夫だろうか。彼にはもう少し頑張って貰わなければならない。

 

「ヒナタが私の後輩かぁ、なんだか感慨深いなぁ」

 

 ニシシ、とテンテンが白い歯を見せて笑う。

 

「でもさ、そこまで心配する必要なんてあるの? あの娘めちゃくちゃ強いじゃん」

 

 確かにテンテンの言う通りヒナタは強い。ネジがその手で日向神拳を教え込んだのだから当然だ。

 白眼は経絡系どころか点穴を見切るレベルにまで磨き上げてあるし、ネジが開発した秘孔という概念についても造詣が深く、指先一つで大の男を爆散させるくらいは簡単にやってのけるだろう。

 

「それとッ、これとはッ、話がッ、別なんだッ!」

 

 演習用の丸太へ八つ当たりとばかりに手刀を叩きつける。丸太はいとも簡単に切断された。綺麗な賽の目切りである。

 忍者という人種がテンテンやリーのような善人ばかりならばいいのだが、この業界は昨日の友は今日の敵を地で行くような裏切りの蔓延る世界だ。

 あの純真な天使がいつか騙されて酷い目に逢うのではないかと今から不安で仕方がない。

 

「大丈夫だと思うけどなぁ」

「その自信はどこから来るんだ花さか天使」

 

 うーん、と桜色の唇に指を当てたテンテンが笑った。

 

「女の勘、かな?」

 

 

 

 

 

 

「はぁ……大丈夫なんだろうか……」

「大丈夫ですよネジ、ヒナタは強い人です」

「実力的なことを言ってるんじゃないんだよ、リー」

 

 第三班の男衆だけで集まり、居酒屋にて乾杯をした。

 ヒナタは小隊の親睦会があるらしい。焼肉Qで紅先生の奢りだとかなんとか。紅先生はちょっとした悪夢を見ることになるだろう。食べ放題コースであることを祈っておこう。

 ハナビも今日は遠縁の一族との会食があるとかで来られないと連絡をしてきた。

 そんなわけで珍しく一人になったネジはガイに誘われ、久しぶりの外食である。

 あの家のエンゲル係数で外食など出来ない。そんなことをした日には財布の中身が目も当てられないことになる。一夜で破産だ。

 

「まぁ飲めネジ、飲んで忘れろ」

「……頂きます、ガイ先生」

 

 未成年はダメ絶対だが、どうしても飲みたくなる日というものもある。だからガイ先生のこういう駄目な方向で緩いところが好きだ。

 まずは焼き鳥から。ほんのりと焦げたタレの香りが素晴らしい。口に運べば、弾けるような脂が噛む度に溢れ出してくる。絶品である。

 そしてこのタイミングで、キンキンに冷えたシュワシュワの黄金ジュースをグイっと呷る。完璧なコンビネーション。くぅ、と思わず声が出た。

 

「なぁ、ネジ」

「なにか?」

 

 ガイ先生がお通しの枝豆で熱燗をチビチビとやりながら尋ねてきた。

 

「お前、実は中身だけ俺達と同年代だったりしないか?」

「ははは、そんなわけはない、はず……多分」

 

 実はちょっと自信がない。オッサン化の進行が顕著になり過ぎていて、自分でも正直どうなのかと疑問に思うことがある。

 子供は苦味という味覚に対する反応が大人と比べて強く、こうしてシュワシュワを呷っても普通は美味いとは感じられない。

 仕事上がりのシュワシュワが美味しく感じられるのは二十歳を過ぎてから。ネジと同年代の人間が飲んでも苦味が強調されて美味いと感じられないはずなのだ。

 

「ともかく今日は好きなだけ食って飲め、普段はそうもいかないんだろう?」

「ええ、まぁ」

 

 曖昧に笑っておく。ネジ家の食糧事情が割と切実であることは第三班の共通認識だった。

 最近は本当に霞を食べているんじゃないかというレベルで食が細いネジだったが、それでも食べる楽しみまで忘れたわけではない。

 今日は楽しもう。そう思って対面のリーと乾杯をしようとしたのだが。

 

「あん? らんれすかネジ、僕に文句でもあるんれすか」

「……リー?」

 

 顔が赤い。呂律が回っていない。さてはお前、酔っているな。

 

「ガイ先生、まさか飲ませたのか?」

「……お猪口に一杯だけだぞ?」

 

 つまり飲ませたということか。なるほど、まずい。

 次の瞬間、ネジの視界が木目一色に染まった。テーブルが蹴り上げられたのだ。

 舌打ちを零しつつ圏外へと一足で離脱。油断なく構えを取る。

 

「ガイ先生!」

「う、ううむ……不覚」

「ガイ先生!?」

 

 頼りの綱であるガイは、テーブルの下敷きになっていた。肝心な時に役に立たない大人である。

 

「ウィィ……ひっく……」

「おい、リー」

「にょおおおおおお!」

 

 急に殴りかかってきやがった。酒乱とかそういう次元じゃない。

 次々と繰り出される拳を捌いていく。動きが変則的過ぎて読み切れず、何発か軽いのを貰ってしまった。ひょっとしてコイツ、酔っている時のほうが強いんじゃないか。

 

「緊急事態だ、恨むなよリー!」

 

 秘孔を突いて眠らせてやろう。一発キメれば熊でも朝までぐっすりだ。

 気合と共に拳を放つ。

 

「なにっ!」

 

 しかしリーはネジの拳を胸に当たる寸前で避けると、そこを軸に円の動きで回避。あろうことかカウンターまでしてきた。

 触れるだけではダメだ。チャクラを込めて確実に突かないと秘孔は効果を発揮しない。

 

「チョアアアアア!」

「くっ!」

 

 ここでネジの弱点が露見する。尾獣や須佐能乎に対抗して効果範囲を拡大させた奥義の数々は、こういった閉所においては使い勝手が悪い。

 くるくると無駄に機敏な動きで店内を駆け回るリーをなんとしてでも止めねばならない。しかし奥義どころかチャクラを高めるだけでも店を吹き飛ばしてしまう。

 ただでさえ家計が火の車であるというのに、店の賠償金なんてものが降りかかろうものなら破産だ。流石の日向神拳にも勝てないものはある。

 リーは椅子や机の上を曲芸師のように跳ね回っている。生半可な技では駄目だ。かといって全力でも駄目。どうにか最小限の威力に絞った奥義で奴を止めなければならない。

 

「どうすれば……!」

 

 八方塞、打つ手なしかと諦めかけたその時だった。

 青い影がリーの背後からガシリと組み付いた。

 

「今だネジ、やれ!」

「ガイ先生!」

 

 ガイの全身からは汗が蒸発しながら噴き出している。

 まさか使ったのか、こんなところで八門遁甲を使ったのか。

 ホロリと涙が零れる。ガイが奥義を使った理由があまりにも情けなさ過ぎるし、今から自分も同じことをしなければならないことを悟ってしまったからだ。

 何が悲しくて酔っ払いの鎮圧に奥義を放たなければならないのだ。情けない、あまりにも情けない。

 

「俺に構うな、やれェネジ!」

「……ハァァァァア! 日向有情拳ッ!」

 

 

 

 

 

 

 

「酷い目に遭った……」

 

 夜の木ノ葉をとぼとぼと歩く。もう二度とリーと飲み屋には行くまい。ネジはそう心に誓った。

 店が半壊してしまったので飲み会はお開きになった。一人だけ幸せそうに眠っているリーは、ガイが責任をもって送っていくそうだ。

 結局、飯は食いそびれてしまった。中途半端に腹を満たしたせいか、ネジにしては珍しく少しだけ何か摘まみたい気分だ。

 どこか手頃な店はないかと辺りを探ると、ラーメン屋が目についた。暖簾には一楽と書かれている。なるほどアレが有名な一楽なのか。こんな所にあったとは知らなかった。

 

「らっしゃい!」

 

 暖簾をくぐると気風の良さそうな店主に迎えられる。むわっと豚骨スープの匂いがした。いかにもラーメン屋という感じだ。

 客は他に居ないようだったので、一番左端の席に座る。

 

「注文は?」

「ニクマシマシアブラカラメオオメで」

「なんでい、その呪文は」

 

 なるほど呪文は通じないようだ。諦めて普通に注文をすることにした。

 

「味噌チャーシューを。油多めで味濃いめだと嬉しい」

「最初っからそう言えばいいんだよ」

 

 コップを取って水を注ぐと一息に飲み干す。思っているより喉が渇いていたらしい。

 一息ついたので改めてメニューを眺める。味噌以外にも醤油があるようだ。次があれば醤油にしよう。今はとにかく味噌の気分だった。

 

「味噌チャーシューお待ち!」

 

 匂いからして予想通り豚骨ベース。いわゆる豚骨味噌というやつだろう。中々に珍しい。

 スープを一口すする。じっくり丁寧に取られたのであろう臭みなく澄んだ豚骨スープの味と、味噌の濃厚な風味が調和している。

 麺はコシのある中太ストレート。一般的に縮れのほうがスープの絡みが良いと思われがちだが、実は絡みはストレートのほうがいい。

 勢いよくすすれば、豚骨に負けない小麦の香りが鼻にまで昇ってくる。挽きたての良い小麦を使っている証拠だ。

 

「……ふむ」

 

 良い仕事をしている。となれば次はトッピングに目を向けるべきだろう。

 味噌チャーシューと言うだけあって、大判のチャーシューが丼一面に並べられている。眺めているだけでも満足感がある。

 

「……ほぅ」

 

 少し固めのチャーシューは、噛めば噛むほど味が出る。肉の旨みと脂の旨みが黄金比率で口の中に広がる。

 口の中でとろける柔らかなチャーシューもいいが、こういう食べ応えのあるチャーシューもいいものだ。

 香ばしい匂いは一度オーブンで焼き上げているためだろう。そうすることによって肉汁を閉じ込めることができる。

 店主の見た目からしてもっと豪快な味を想像していたが、なかなかに侮れない。隅々まで行き届いた丁寧な仕事ぶりだ。

 

「ずずっ……はふっ……ずずっ……」

 

 スープ、麺、チャーシュー。スープ、麺、チャーシュー。一心不乱に食べ進める。気付けば丼は空になっていた。

 傾けていた丼を置いて、ゆっくりと息を吐く。お腹いっぱいである。

 

「店主、お代はここに置いておくぞ」

「あいよ」

 

 たまには外食もいいものだ。これからはヒナタも出先で済ませることが増えるだろうし、また来よう。

 暖簾をくぐって外に出る。すれ違いざまにオレンジの影が見えたような気がした。

 

 

 

 




このSSの方向性がわからない。

流石にグルメ方向で続ける気はないので、次回で中忍試験まで飛ばせたらいいなと思ってます。
ただ書くのが少し遅れているので、連日投稿は無理かもしれません。



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第八話

少し長めです。
あくまで二次創作なので、必要ない所はカット。




「中忍選抜試験か……テンテンはどうする?」

「私はどっちでも……ネジはやる気なさそうだねぇ」

 

 テンテンがやれやれと肩を竦める。

 ネジ的にはどっちでもいい。中忍への憧れがあるわけでもないし、最近はヒナタとの二馬力になったおかげで家計も安定している。

 そんなこんなでローテンションなネジとは対照的に、いっそ無駄と言えるほどにハイテンションなのはリーだった。

 

「やりましょうネジ、実力を試すいい機会です!」

「だってさ、ネジ」

 

 リーに付き合ってあげなよ、とテンテンが言外に訴えかけてくるが却下だ。

 無理をして中忍選抜試験なんて受けるメリットは全くない。むしろ一生下忍でもいい。安全な下働き万歳である。

 しかしテンテンは駆け引きすら挟まず、最初から交渉のための切り札を切ってきた。容赦のない少女であった。

 

「ヒナタ達も参加するらしいし、様子見ってことでどう?」

「ヒナタが……?」

 

 その瞬間、ネジはどこからか電波を受信した。大事な場面でくる、いつものアレだ。

 

「ネジ、目が光って……」

「待てテンテン、何か来そうなんだ」

 

 これは中忍試験の会場だろうか。おびただしい量の血を吐きながら倒れるヒナタ様の姿が脳内で再生された。これはいかん、緊急事態(エマージェンシー)

 天使ヒナタの危機である。これはネジが馳せ参じてお守りせねばなるまい。

 

「おのれ、許せん!」

「えっ?」

「参加する! 参加してヒナタを守る!」

 

 態度が急変したネジを、テンテンが間の抜けた表情で見つめていた。

 リーがガシリとネジの両手を掴んだ。

 

「やる気になってくれましたか、ネジ!」

「ああ、ヒナタを害する連中を抹殺するぞ!」

「根本的なとこで噛み合ってないんだよね、この二人……あーあ、大丈夫かなぁ」

 

 

 

 そんなわけで第三班は中忍選抜試験を受けることになった。なったのだが。

 一週間後、中忍選抜試験、第一次試験の受験会場にて。

 

「おいテンテン」

「どうしたのネジ?」

「リーのやつはどこへ行った?」

 

 あの野郎、参加を決めた張本人だっていうのにどこ行きやがった。

 こういう試験は三十分前行動が基本だというのに、十五分前になっても姿が見えない。

 

「白眼で見つけられないの?」

「こんな大量の人間が居る場所で個人の顔なんてイチイチ識別していられるか」

 

 試験前の会場は人でごった返していた。ここからリーだけを白眼で絞り込むのは難しい。

 このタイミングで何かイベントがあったような気もするが、いつもの電波は飛んでこない。つまりリーの用事とはその程度にはどうでもいい内容だということだ。

 そんなどうでもいいことで試験を無為にしようとしているなんて、リーは何を考えているのか。ふつふつと怒りが湧いてくる。

 

「……ネジさ、なんか随分と燃えてない? ヒナタさえ守れればオーケーじゃなかったの?」

「何を言っているテンテン! イベントは最前線まで出て盛り上がるのが基本だろう!?」

 

 最優先はヒナタとしても、イベントに参加するのなら徹底的にやる主義だ。中途半端に手を抜くなんてあり得ない。

 熱くなれ、燃え上れ。タオルは持ったか。水分補給は万全か。準備が出来たならさぁ行こう。

 

「お願いだから落ち着こう、ね? ネジがやる気出すと大変なことになるからお願い……お願いします!」

 

 縋りつくように懇願されてしまった。涙目の美少女が縋っているという酷い絵面のせいか、周囲の視線が凄まじく痛い。

 ここまでされてしまうと流石に引き下がるしかない。座してリーを待つことにした。テンテンがあからさまにホッとした顔をしている。

 

「ネジ兄さん、あんまりテンテンさんいじめちゃダメだよ?」

「……ヒナタか」

 

 殺伐とした中忍試験会場に天使が。これも天のお導きというやつだろう。

 ほら見ろよ参加者の下忍諸君。これが癒しというものだ。これに勝てる存在が居るというのなら今すぐここに連れてきて貰いたい。異教の神として祭壇の片隅に祀ろう。

 日向(ヒナタ)教は最高天使たるヒナタと妹天使たるハナビによる多神教。一柱くらい神が増えてもへーきへーき。問題ない。きっと歓迎される。

 

「シバ丸はどうした?」

「しばまる?」

「シノwithキバ&赤丸、略してシバ丸」

 

 一括りにしたら、どこぞのヒップホップグループみたいな名前になってしまった。第十班の猪鹿蝶的なものを目指したのだが方向性の違いだろうか。

 

「シノ君達ならあっちだよ」

 

 視線を向けるとシノとキバは軽く会釈をしてくれた。赤丸もワンと吠えている。挨拶のつもりらしい。

 すまない。シバ丸なんて変なグループ名を作り出してしまって。あいつら思っていたよりずっと良い子だった。今度手製の鹿肉ジャーキーを土産にやるから許してほしい。犬用の無塩タイプもある。

 心の中で彼等に謝罪をしていると、テンテンがヒナタに泣きついていた。胸に顔を埋めている。欲望に正直なことを言えば変わって欲しい。おそらく信仰が溢れて死ぬだろうが本望だ。

 

「うえーん、ヒナタぁ……ネジが怖いよぅ!」

「えーっとその……うちのネジ兄さんがごめんなさい?」

「ヒナタは良い娘だねぇ……うちの班ときたらネジはこの調子だし、リーは愛と青春がどうとかわけわかんないこと言って飛び出しちゃうし! もうなんなのさ!」

 

 ピクン、とネジの眉が跳ねた。テンテンが今、大事なことを言った。

 天使に対して欲を抱くなんていう罪深い行いをした己は後に自戒するとして、今はテンテンの言葉だ。

 

「……テンテン」

「な、なにかな?」

「お前まさか……リーの居場所を知っているのか?」

「し、知らないよ?」

「本当だろうな」

「ほ、ホントだよ、やだなぁ……あはは」

 

 ネジは無言で手裏剣を取り出すと、いきなりそれを宙へと放り投げた。

 

「シャアッ!」

 

 そして手裏剣に向かって手刀を一閃。手裏剣はスライスされて二枚になった。手裏剣は斬ると増える。常識である。

 もし知っていて黙っているようなら次はお前がこうだぞ、と視線だけで脅す。テンテンの顔は真っ青になった。

 

「ごめんなさい、知ってますぅ!」

 

 変わり身の早い少女であった。テンテンはあっさりとリーの居場所を吐いてくれた。

 リーはピンク髪の少女に一目惚れした挙句、その少女が所属する小隊のメンバーに喧嘩を売りに行ったらしい。

 

「つまりなにか? リーはこの大事な時に色恋なんぞにかまけていると?」

「いや、ネジも似たようなものなんじゃ……」

 

 聞こえない。テンテンが戯言を言っているようだが何も聞こえない。

 あくまでもネジは己が信仰に従ってここに居るのである。ただただ崇高な精神がそこにあるのみで、浮ついた感情は一切ないと思っていただいて構わない。

 ヒナタと別れ、入口付近でイライラしながら待っていると、ようやくリーが現れた。開始五分前。かなりギリギリである。

 

「お、お待たせしましたネジィィィイッ!?」

「大事な試験前に他班へ喧嘩を吹っ掛けるとか、何を考えている」

 

 開幕アイアンクロー。慈悲はない。

 リーの頭蓋がメリメリと鳴り始める。ずっと奏でていたくなるような音色だ。ぐぐっと更に二割くらい増しで力を籠める。

 

「ストップ、ネジ! 出ちゃう、リーの中身が出ちゃう!」

「止めてくれるなテンテン。コイツみたいなタイプはな、体に直接叩き込まないと覚えないんだ」

「それは知ってるけど試験前だから! 再起不能にされると困るからぁ!」

「ちっ」

 

 舌打ちをしつつリーを解放してやると、ひーひーと情けない声で鳴いた。

 恋は人を盲目にさせるというが限度がある。喧嘩を売るなど片腹痛いわ未熟者め。

 

「それでお前の意中の相手とやらはどいつなんだ?」

「あ、あちらのサクラさんです!」

 

 視線だけを向けると、そこにいたのはピンク髪の少女だった。

 まさかのピンク。色々な人間を見てきたが、なんだろうこの戦隊モノのヒロイン感は。このネジをしても初体験である。

 

「ああいうのが好み、なのか……?」

「えっとその……はい」

「そうか……」

 

 リーがポッと頬を染める。美少女ならともかく、リーだと濃くて気持ち悪い。

 女性の趣味にまでとやかく口を出すつもりはないが、どうにも脈はなさそうだ。例の彼女の視線を辿る限り、本命は同じ小隊のメンバーである黒髪の少年のように見える。

 ここは友としてスッパリ諦めるように言うべきなのだろうか。それとも多少強引でも上手くいくように応援すべきなのだろうか。

 相手を一目惚れさせる秘孔なんて代物もあるが、そんな紛い物の恋心をリーは望まないだろう。つまりこの恋が実る未来はないということだ。

 

「強く生きろよ、リー」

「はい、頑張りますネジ!」

 

 リーには一ミリも伝わらなかったが、テンテンには伝わったらしい。彼女もとても優しい目でリーを見ている。

 頑張れリー、負けるなリー。君の青春はこれからだ。儚き恋については一旦忘れて、中忍選抜試験に目を向けよう。

 

「さぁ二人とも……サクッと終わらせるぞ」

 

 

 

 で、サクッと終わらせた。

 筆記試験はアカデミーに通っていなかったネジにとって難関どころの騒ぎではなかったのだが、なんでもありの試験において白眼はとても役に立つ。

 要するに透視と望遠能力でカンニングして乗り切った。以上だ。他にコメントはない。

 リーもテンテンの力を借りつつカンニングしていたらしいので、三班でマトモに試験を受けたのはテンテンだけだろう。

 そういうわけで中忍選抜試験の舞台は第二試験、死の森へと移る。

 パチパチと薪の弾ける音と共に、赤い炎がゆらゆらとテンテンの白い肌を照らす。

 

「焼けたぞテンテン」

「ありがとう、ネジ」

 

 テンテンと一緒に、ネジが獲ってきた鮎を頬張る。

 驚いたのだが、死の森にある川では鮎が獲れた。人が立ち入らないため良い餌場になっているのかもしれない。大漁だった。

 脂が適度に乗っていて、身はホロロと崩れる。味付けは塩だけだというのに、その身のなんと味わい深いことか。

 

「あちっ……あちちっ……」

「落ち着いて冷ましてから食えテンテン、慌てなくとも誰も取ったりはしない」

「いやいや、取る奴は居なくても敵は来るでしょ?」

「周辺一キロに敵影はない。安心して食え」

「……ああ、そういう……もう何も言わないことにする」

 

 そうしたほうがいい。どうせ三班に感知系などネジしか居ないのだから、その辺は任せてくれたまえ。

 ガイ先生含めてそちら方面で誰も役に立たなかったので、結果的にこの一年と少しでネジの感知能力はかなり鍛えられることになった。

 一キロ四方であれば敵影を一瞬で感知できるし、集中すればこの森全体を自在に見通すことだって出来る。そろそろ千里眼を名乗っても良いのではないだろうか。

 というか今更になって思うのだが、この班は些か武力方面に偏り過ぎてはいないか。ガイ先生がアレだからというのもあるが、忍術と書いて物理と読むような集団になりつつある気がする。

 

「で、その武闘派筆頭であるリーがまたしても居ないわけだが」

「知らないからね!? 今度は私も知らないから!」

 

 必死である。どうやら今回は本当に知らないらしい。むしろ今回も知っていたらそれこそスライスの刑だ。肌の角質層だけ綺麗に剥ぎ取ってやる。

 思いのほか持久戦になったため、リーには周辺を探索した後にここへ集合するよう言いつけていたのに。何をしているのか時間が過ぎても戻って来ない。

 仕方がないから休憩がてらに魚を食って消費したチャクラを回復しているところだ。川を通りかかった時に見えた鮎が丸々と太って美味しそうだったからでは断じてない。

 だから敵の捜索そっちのけで漁に勤しんでいたなんてこともない。そのおかげで極上の鮎に舌鼓を打てているなんてこともない。

 

「……あむっ……白眼で探せないの?」

 

 テンテンが鮎を頬張りながらそんなことを尋ねた。正直“当たり”もつけずに探すのは骨が折れるのだが、緊急事態であることだし少しは働くとしよう。

 仕方ないと印を結んでチャクラを白眼へと込める。どうせどこかで道草を食っているんだろう。こっちは魚を食っているしお相子かもしれないが。

 大まかな“当たり”をつけるべく、周囲のチャクラを感知する。戦闘らしきチャクラの高まりが感じられるのは数か所。そこを順番に探し、見つけた。

 

「西方二キロの地点……交戦中だ」

「えっ?」

 

 件の恋のお相手であるピンク少女が居る。第七班だ。どうもリーは彼女に吸い寄せられたらしい。

 隠れているようだが、近くの草むらには第十班の猪鹿蝶も居る。なるほど、どういう状況なのかサッパリわからない。

 

「リーは……怪我をしているな……」

「ええっ!?」

 

 色恋にかまけているからそうなる。アイツには良い教訓になっただろう。そこから学べるかはまた本人次第ではあるが、ネジは学べないほうに賭ける。

 相手は額当てからして音隠れの下忍。装備の形状等から推察すると音波による攻撃が主体と見た。リーは三半規管をやられたのか、足取りが覚束ない。

 

「どうするのよネジ!」

「……うるさいなテンテン、集中出来ないだろう」

 

 白眼での遠視にどれくらい集中力が必要なのかというと、望遠鏡で女湯を覗くくらいの集中力が要る。

 丁度いい視点にセッティングできた所なんだから邪魔をしないで欲しい。隣で叫ばれると折角セットした視点がズレてしまう。

 

「いやそうじゃなくて! 助けに行かなきゃ!」

「……必要あるのか?」

 

 リーは切り札である八門遁甲を使っていない。つまり本気を出していないということだ。

 一見すると今にも負けそうなくらいにボロボロだが、切り札を温存する程度には余裕なのだろうし、そこまで焦って救援に向かう必要があるとは思えなかった。

 しかしテンテンがあまりにも必死に頼むものだから、ネジは重い腰を上げた。

 

「リーがそう簡単に負けるとは思えないがなぁ……」

「いいから行くの!」

 

 

 

 現場に急行すると、ボロボロになり片膝をついたリーの姿が。

 リーが苦悶の表情で謝罪の言葉を口にする。

 

「面目ありません、ネジ、テンテン……」

「嘘だろう、本当に負けてやがったぞ……信じられん」

「ほら、私の言った通りピンチだったでしょ!」

 

 テンテンが鬼の首を取ったと言わんばかりに喜んでいる。いいのかそれで。仮にも仲間のピンチだったわけだが、いいのか。

 不意打ちくらってピンチになるなんて信じられない。常日頃から感知を他人に任せきりにしているからそういうことになる。

 とりあえずリーは鉄爪(アイアンクロー)の刑に処しておく。鋼鉄すら切り裂く指でのアイアンクローはさぞかし頭蓋に効くだろう。

 

「油断した挙句、格下に足をすくわれるとは……情けないやつめ!」

「ノオォォォォ! いけませんネジ! いけません!」

「……ちっ」

 

 一通りリーの頭蓋の感触を楽しんだ後、舌打ちをしつつ解放してやる。相変らず無駄に良い形の頭蓋骨だったとだけコメントしておく。

 

「そら、これで治っただろう」

「え? お? おお! 流石ですネジ、絶好調です!」

 

 どうも三半規管辺りにダメージを受けていたようだったので、秘孔を突いて回復させてやった。

 完全に破壊されているとお手上げだが、不調程度ならばネジでも治療できる。

 

「早く戻るぞ、折角の鮎が駄目になってしまう」

「……ネジはこんな時でもその調子なんですね」

 

 リーが苦笑しているが、お前にだけは言われたくない。

 ともかくさっさと帰ろう。鮎は遠火にして焼き上がり時間を調整してある。今から帰れば丁度食べごろ。だから帰らなければ。

 

「ま、待って!」

「なんだピンク色」

「ぴ、ピンク色……」

「何にショックを受けているか知らんが、用がないなら引き止めてくれるな。極上の鮎が俺を待っているんだ」

 

 食の前においては全ての事象が破却される。常識である。なお日向の天使達だけはその例外だ。常識である。

 なんとも言えない空気が場に流れた。十班のポッチャリだけがじゅるりと唾を飲み込んでいる。アイツは同志なのかもしれない。

 

「あ、あなた医療忍者なんでしょ!?」

「いや違うが」

「……えっ? でも今リーさんを……えっ?」

 

 混乱するピンク色の肩を、テンテンが優しく叩いた。

 

「ネジのやることを深く理解しようとしちゃ駄目よ、頭がおかしくなるからね」

「あ、はい」

「オイどういう意味だテンテン。文句があるなら武で語ろうじゃないか」

「うっさい! この子はまだ木ノ葉色に染まり切ってないのよ! 貴重な人材なの!」

 

 まるで木ノ葉が変人の巣窟のように言いやがる。失礼な奴め。

 

「あのっ、こんなことを頼むのは気が引けるんですけど……」

「サクラちゃん! こんな得体の知れねぇ奴に頼み事なんてする必要ねぇってばよ!」

「アンタは黙ってなさいナルト!」

 

 オレンジ色が急に飛び出してきたが、ピンク色の拳に沈められていた。実に腰の入った良い拳だった。

 彼女からはテンテンには及ばないもののツッコミの才能を感じる。花さか天使(テンテン)に師事して天翼ジョウロで才能を開花させて貰うといいんじゃないかな。

 

「それで俺に何の用だ、ピンク色」

「その……サスケ君を診てほしくて……」

「サスケ?」

 

 ピンク色呼ばわりには既に反応しなくなった辺り、素晴らしい順応力の持ち主だ。やはりネジの目に狂いはなかったらしい。

 ところでサスケというと確か今年のナンバーワンルーキーの名だが、もしやこっちの黒い奴がそうなのか。

 ジッと“眼”を凝らす。なるほど良い“眼”をしているが、同時に闇へと即落ち二コマしそうな気配も感じる。二律背反、光と闇が合さって最強に見えるアレだ。

 

「必要ない、俺はこのくらい……」

「ダメよ、フラフラじゃない! サスケ君のことが心配なの!」

 

 突如として森の中でラブコメを始めたピンクと黒。なんだろう、もう帰っていいだろうか。

 乳繰り合うなら他所でやってほしい。リーもアレだが、こいつらも大概だ。下忍っていうのはこんな奴等ばかりなのか。まともなのは俺だけかとネジは肩を竦める。

 

「ネジにだけは言われたくないと思うなぁ……」

「だからテンテン、文句があるのなら武で語り合おうと何度も……」

「あー、はいはい。そういうのはいいから、サスケ君を診てあげてねー」

「ちっ、仕方がないな」

 

 渋々サスケ君とやらを診察すると、首筋の辺りから呪印による浸食を受けていた。

 こう見えてネジは呪印のエキスパートだ。長年あの籠の鳥の呪印について研究を重ねてきたからには当然だ。

 だから大抵の呪印であれば鎮静化させるくらいは容易い。

 件の呪印とやらを白眼で観察する。顔色の悪いオカマが蛇のように舌をデロデロと出している姿をなぜか幻視した。

 

「……うーむ?」

「どうしたのネジ」

「テンテン……俺はもしかすると疲れているのかもしれない」

「はぁ?」

 

 てめぇに疲れなんていう概念はないだろう、みたいな顔をされた。すごく納得がいかない。

 呪印部分に指を当て、そこから秘孔を突く要領で呪印内部のチャクラを乱す。オカマは筆舌にし難い表情で萎んでいった。

 こんなものが見えるということは、やっぱり疲れているのだと思う。決めた、中忍試験が終わったら休みを貰おう。

 呪印が沈静化したおかげか、サスケの表情が幾分か和らいでいく。

 

「これでマシにはなったと思うが」

「……ああ、恩に着る」

「礼には及ばん」

 

 すこしだけ当たりが柔らかくなったサスケが礼を言った。これがツンデレなのかと少しだけ感動する。ネジの周りには居ない新しいタイプだ。

 とはいえ呪印の件が根本解決したわけではない。時間をかければどうとでもなるが、流石にこの場で呪印をいじり回すのはネジにも不可能だ。検証を重ねてからでないと、どんな害があるかわからない。

 なので一段落ついたら担当上忍にでも状態を説明して、一度ちゃんと診てもらったほうがいいだろうということを併せて伝えておく。

 

「治療も終わった。今度こそ帰るぞ……おい、リー?」

「少しだけ時間をください、ネジ」

 

 リーは恋のお相手らしいピンク色の所に行って、二言三言なにやら話しているようだ。

 

「青春よ! リーから青春の香りがするわ!」

「……そんなものを感じ取れる辺り、テンテンもだいぶガイ先生に毒されてきたな」

 

 テンテンがキャアキャアと姦しく騒いでいるが、よく考えて欲しい。アイツが青春しているのはいつものこと。つまりは平常運行ということだ。

 人間というのは極限状態でこそその本質が現れる。つまりはそういうことなのだ。まともなのはやはり俺だけだ。ネジは悟ったような儚い瞳で昇り始めた朝日を見上げた。

 

 




グルメSSです(断定
続ける気はないと言ったな、あれは嘘だ。

主人公と絡ませたいのに、登場が一行だけで終わってしまったので反省。
とはいえ、そのうち絶対に絡むことになるので無理はしなくてもいいかと判断。




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第九話

延々と飯を食うだけの回もいつか書きたいなと(本旨との乖離



 蓋を開けてみれば、第二試験も呆気なく終わった。

 ちょっとばかり本気になったネジが白眼で敵を追い、残りの二人が強襲する。それだけで簡単にターゲットである巻物は集まった。

 だから本当ならもっと余裕をもってゴールできたはずだった。だというのに第三班のゴールは遅れに遅れた。担当上忍であるガイが、心底疲弊した様子のテンテンとリーに尋ねた。

 

「何があったんだ?」

「いやぁ……それは……ねぇ、リー」

「そうですね、テンテン……」

 

 溜息を吐く二人にガイが首を傾げた。そういえばあの問題児はどこへ行ったのだろうか。

 

「良い鮎が獲れたから一夜干しにするってネジが張り切っちゃって……」

「僕も独断専行をしましたから、あまり強いことも言えずに……」

「仕方ないよリー……ヒナタ欠乏症のネジに何を言っても無駄だもん……」

 

 二人の疲れたような視線をガイが追えば、そこには鼻歌を歌いながら七輪で鮎の一夜干しを炙っているネジが居た。捻り鉢巻きが妙にサマになっている。

 ふつふつと溢れ出た脂が炭の上に落ち、ジュッと音を立てて蒸発する。一瞬にして食欲を誘う香ばしい匂いが試験場に広がった。くぅ、と誰かの腹が鳴く。

 

「テンテン」

「無理ですよぅ、ガイ先生……」

「ネジをなんとかしてくれ」

「だから無理ですってばぁ……もう疲れたよぅ……」

 

 テンテンは連日ネジの世話をさせられたせいか疲労困憊で、もうツッコミをする余力は残っていないようだ。ぐてん、とその場で横になってしまった。

 渋々と、嫌そうにガイがネジに足を向けた。

 

「仕方がない、俺が行こう……おい、ネジ」

「なんだガイ先生、俺は忙しい」

「……俺には干物を焼いているようにしか見えんのだが」

「だからこそ忙しい。コイツは絶妙の火加減で焼き上げなければならない」

 

 突然だがアッシュダウンという言葉を知っているだろうか。火を入れた炭の周りが白くなった状態のことだ。

 アッシュダウン状態の炭は炎による熱が控えめになり、効率よく遠赤外線を放射する。それがどういうことかと言えば、全体に満遍なく熱を通すことが可能となるということ。

 ざっくり簡単に一言で言うなら、とても美味しい炭火焼が出来る。

 今のネジは燃える炭と格闘する炎の魔術師。他の些事に構っている暇などない。どうしても動かしたければ天使を連れてこい。

 

「ガイ先生は一夜干しの美味さを知らないのだな」

「なに?」

「教えてやろう、本当の鮎の食い方というものを」

 

 ネジは自信満々に焼き上がった鮎の一夜干しをガイに差し出した。

 遠くから見ていたテンテンは、これはダメなパターンだとこの時点で悟ったとかなんとか。

 

「あ、甘い……鮎の脂というのはこれほどまでに芳醇だったのか!」

「そうだガイ先生……そしてそれを最もよく味わえるのが干物なんだ」

 

 干物というのは一般に保存食と思われがちだが、それは一概に正しいとは言えない。食材の中には乾燥工程を踏むことによって、その味を最大限に発揮するものもあるからだ。

 例えば魚がそうだ。塩を振って干されることによって、魚からは余計な水分と臭みが抜ける。後に残るのは旨みと脂だけ。

 そしてそれを焼き上げるのは、ネジの手によって最高の状態に保たれた炭。ふっくらと焼き上げられたその身を口に含めば、シンプルな塩味だからこそ感じられる濃厚な旨みと脂が口内に広がることだろう。

 

「ね、ネジ……酒は、酒はないのか!?」

「もちろん、欲しくなるだろうと思って用意してある」

 

 干物に合わせるのは、もちろんこれだ。

 

「こ、これはまさか……あの伝説の!」

「そう、純米大吟醸、火の森!」

 

 火の国のとある地域でしか栽培されていない特別な米を、雪解け水で磨き上げた限定醸造の逸品。

 今回は冷やで頂くことにしよう。ガイ先生のお猪口にも注いでやる。

 余韻のように心地よく口の中に残っている塩気と脂。それをあえて、辛口のこいつでキュッと洗い流す。

 

「ああ、これはっ……ああっ……!」

 

 いいんだガイ先生。美味いものを食った時は、素直に感動していいんだ。

 そう言いつつ優しく肩を叩けば、ポロポロとガイ先生の瞳から静かに涙が零れ落ちた。

 もうネジを止められる人間は誰も居なかった。

 

 

 

 そんな珍事がありながらも、中忍選抜試験はつつがなく進行。

 次のステージである個人戦へと移行した。したのだが。

 

「棄権する」

 

 試合開始と同時にネジが宣言した。こんな試合、やってられない。

 何が起こったのか端的に説明すれば、ネジの対戦相手がまさかのヒナタだった。

 対戦カードの発表時点でネジは戦意を喪失。つまりはそういうことだ。

 天使を相手に殴り合いなんてネジの信仰に対する冒涜にも程がある。そんなことがネジに出来るはずもない。

 このマッチングを考えた奴はそこまで計算に入れていたのだろうか。だとしたら恐ろしいことだ。

 ヒナタの無事も確認できたことだし、ネジ的にはもう中忍試験に用はない。さっさと棄権するべく背を向けた。

 審判である木ノ葉の特別上忍、月光ハヤテが確認する。

 

「えーっと……本当によろしいので?」

「俺はヒナタに向ける拳など持たんッ!」

 

 力強く言い切ったネジにハヤテは小さく溜息を吐くと、そのままヒナタの不戦勝を宣言しようとした。

 

「待ってください!」

 

 しかし、それを止める声があった。ヒナタだ。

 ハヤテが面食らった様子でネジに視線を向けるが、こっちもどういう状況なのかさっぱり飲み込めていない。だから説明を求めようとするのはやめて欲しい。

 

「棄権しないで、ネジ兄さん」

「帰るぞヒナタ」

「お願い、待ってネジ兄さん」

「実は良い鮎が手に入ってな」

 

 一夜干しにしてみたんだ。我ながら良い出来栄えだと思う。だから帰って飯にしよう。

 

「はぐらかさないで!」

「……ヒナタ……」

「私はネジ兄さんと戦ってみたい」

 

 あまりにも真っ直ぐなヒナタの瞳に、ネジは思わず圧倒された。

 

「ネジ兄さんが戦いたくないのはわかってる」

「なら……」

「でもお願い、成長した私を見て!」

 

 どれほどの思いがあっただろう、どれほどの決意があっただろう。

 このまま棄権することは簡単だ。けれどそれはヒナタの思いを踏み躙る行為なのではないだろうか。

 

「……わかった、勝負しようヒナタ」

「ネジ兄さん……!」

「コホッ……では試合を開始させていただいても?」

 

 ハヤテの咳き込みながらの問いかけに、二人は力強く頷いた。

 

 

 

「第八回戦! 日向ネジ対、日向ヒナタ! ……始めてください!」

 

 開始と共に両者が構える。ジリジリと肌を焼くような緊張の中、先に動き出したのはネジだった。

 まずは様子見。牽制を目的に、出の早い蹴りを繰り出した。

 常人ではそれだけで必殺となるであろう蹴り。しかしヒナタは超人的な反応を以ってそれを返してみせる。

 

「日向有情猛翔破!」

「くッ!?」

 

 ヒナタが飛び上がるような軌道で拳を放つ。

 大きく跳ね上げられたネジは空中で回転、姿勢を立て直して着地した。

 ネジが喜色を隠し切れない様子で唇を吊り上げた。

 

「見てから昇竜の極意……見事に会得したようだな」

 

 白眼による超人的な見切り。そして雷遁によって強化された反応速度。

 この二つが合さり、例え牽制目的で振られた技に対してであっても的確かつ強力なカウンターを叩き返すことができる。日向神拳の極意の一つだ。

 

「だが……それだけでは俺に届かないぞヒナタ」

「わかっています……勝負はここから!」

 

 日向神拳とはいわば極意の集合体。ネジが無意識下に行っている数々の技術をヒナタに伝えるため、それを分解し再構成したもの。

 極めるためには無数に存在する極意を会得せねばならず、そしてヒナタはまだその一歩目を踏み出したに過ぎない。

 ヒナタが呼吸と共にチャクラを高めていく。体内で活性化させたチャクラを循環させることによって、体術の威力は飛躍的に高まる。

 

「行きます兄さん……日向百裂拳ッ!」

「……天翔百裂拳」

 

 ヒナタの百裂拳をネジの百裂拳が相殺する。一撃一撃が必殺。共鳴したチャクラが弾け、衝撃波となって会場全体を揺さぶる。

 そして激突の後、押し負けたのは驚くべきことにネジのほうだった。弾かれたネジは会場の床へと叩き付けられた。

 

「そこッ! 日向七死騎兵斬ッ!」

 

 好機とばかりに必殺のチャクラを込めた打突を空中から繰り出すヒナタ。

 ネジは体勢を崩しながらもヒナタの技を見切り、起き上がり様に次の技を放つ。

 

「甘い……日向砕覇拳」

 

 ヒナタが振り下ろす拳、ネジが振り上げた拳。

 ぶつかり合った高圧のチャクラによって大気が震え、会場の床が衝撃に耐えきれず割れる。

 拳、脚、指先まで。一挙手一投足が必殺。生半可な者では割って入ることすら出来ない異次元の舞踏だった。

 

「やるようになったな、ヒナタ」

「まだよネジ兄さんッ!」

 

 その後も次々と奥義の応酬を繰り返す中、ネジは微かな違和感を抱き始めていた。おかしい。この状況は明らかにおかしい。

 ネジは手を抜いている。全力で戦えば一瞬で勝負がついてしまうため、その身に宿る極意は全て封印し純粋な身体能力のみで戦っていた。

 

「はぁッ!」

「やぁッ!」

 

 しかし両者の実力差を考えれば手を抜いてなお、力においても技においてもネジが圧倒するのが道理。だというのに勝負は拮抗どころかヒナタに傾き始めている。

 この短期間でヒナタの能力が急激に伸びたのかもしれないとも考えたが、ネジに匹敵するなど成長分を加味したとしても異常だ。

 

「……急激に能力が伸びる……まさかッ!」

 

 一つだけ心当たりがあった。

 訝しんだネジは白眼でヒナタの体内を流れるチャクラを観察する。

 そしてそれを発見したネジの表情が歪んだ。

 

「……刹活孔を使ったのか!?」

 

 チャクラ流路のリミッター機構である八門を、秘孔によって強引にこじ開ける。それが刹活孔。原理的にはガイやリーの八門遁甲と同じ代物だ。

 ネジはそれを緊急時の手段としてヒナタに伝えはしたものの、その危険性から禁じ手として封じさせたはずだった。

 ヒナタの体では長時間の使用はできない。早く止めさせないとマズい。

 

「なぜそんなものを使った! 早く解除を!」

「私の持てる全てをネジ兄さんに見せたかった!」

 

 ヒナタは全身を襲っているであろう苦痛に顔を歪めながらも叫んだ。

 

「もう守られるだけじゃない……私は兄さんと一緒に歩きたい!」

 

 ネジを見つめるヒナタの瞳は、眩しいほどに真っ直ぐだった。

 これは羽ばたきだ。巣から飛び立ち大空を目指す雛の羽ばたきなのだ。

 ならばネジはそれを受け止めてやらねばならない。それこそが日向という檻から彼女を連れ出したネジの責任なのだから。

 

「決着をつけましょう、ネジ兄さん」

 

 ヒナタが息を吸って吐く。体内でチャクラを練り上げ、日向神拳の極意をもってそれを際限なく高めていく。

 次の一撃は間違いなく、ヒナタの全霊を込めた一撃になるだろう。

 

「いいだろう……決着だ」

 

 ならばそれに応えるまでのこと。ネジも呼応するようにチャクラを高めていく。

 ヒナタは変わった。強くなった。守られるばかりだったあの頃とは、もう違う。

 目の前で闘志を燃やしているのは一人前の忍。加減は無用というものだろう。

 

「大空へと羽ばたくお前への手向けだ……せめて奥義で眠るがいい」

 

 まるで音の空白地帯が出来たかのように会場が静まり返った。

 誰も、何も感じなかった。

 全てが塗り潰されていた。日向ネジという存在に。

 時が止まったような静けさの中で動けたのはたった一人、ヒナタだけだった。

 極限まで高められたチャクラがヒナタの足へと集まっていく。

 収束されたチャクラは実体化し、文字通り必殺の奥義へと昇華された。

 

「行きますネジ兄さん! 日向飛衛拳ッ!」

 

 裂帛の踏み込みと共に、ヒナタが宙へと舞い上がる。

 文字通りにヒナタの持てる全てを込めた渾身の蹴りが、ネジへと迫った。

 だが甘い。全力となったネジには奥義など通用しない。

 ネジは冷静に技の隙を見極めると、そこに向かって両掌を合わせて突き出した。

 

「……不離気双掌!」

「きゃあっ!」

 

 渾身の一撃を潰され、浮き上がるヒナタ。絶好の追撃の機会だった。

 しかしネジは追撃を行わなかった。ただ、ゆっくりとその場に座った。

 会場に居る人間は呆気に取られた。この場面で座るというネジの行動が全く理解できない。

 

「ハァァァア!」

 

 ネジは座ったまま、さらにチャクラを高めていく。

 もし感知能力に優れた者がその場に居たならば、その練り上げられた膨大なチャクラに震え上がったに違いない。

 そして、その大瀑布の如き膨大なチャクラが解放された。

 

「日向有情破顔拳」

 

 ネジの両腕から静かに眩い閃光が放たれた。

 閃光に撃ち貫かれたヒナタは、そのまま地面に倒れ伏した。

 それだけ。たったそれだけだった。“それだけ”で呆気なく勝負は決した。

 

「審判、判定を」

「えっ? あぁ……勝者、日向ネジ!」

 

 慌ててハヤテが勝者を宣言する。

 その声を聞いたネジは、弾かれるようにヒナタへ駆け寄った。

 有情破顔拳を受けた以上、意識はないだろう。優しくその頬を撫でる。

 

「……よく頑張ったな」

「うん、頑張ったけど……やっぱり敵わないなぁ……」

「ヒナタ……意識があるのか?」

 

 ネジは瞠目した。全力で放った有情破顔拳を受けてなお意識を保っている。これは驚嘆すべきことだった。

 おそらく閃光が身を貫いたあの一瞬、空中で身をよじり、僅かながらにでも軌道をズラしたのだろう。まさに日々の鍛錬が実を結んだ瞬間と言える。

 

「ネジ兄さん、私、どうだった……?」

「強くなったな……驚いたよ」

 

 本当にヒナタは強くなった。ネジはそれを他ならぬヒナタによって思い知らされた。

 そのことを告げると、ヒナタは淡くはにかんでみせる。

 

「ねぇ……ネジ兄さん……」

「どうした」

「私と戦ってくれて、ありがとう……」

「いいや、感謝をするのは俺だ」

 

 己が解き放った雛の成長した姿を見られた。ネジにとってこれほど嬉しいことはなかった。

 ヒナタは起き上がろうとするが、まるでプツリと糸が切れたかのように再び倒れ込む。慌ててネジが支えた。

 

「あれ、おかしいな……力が入らない……」

「……あれだけ無茶をしたのだから当然だ。今は休め」

「うん……じゃあちょっとだけ、休むね」

 

 力尽きたヒナタは、まるで眠るように目を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 そして数時間後、ネジ宅にて。

 

「ほらヒナタ、あーん」

「あむ……うん、ほんとに美味しいね、この鮎」

 

 ネジが差し出した箸を、少し恥ずかしそうにしながらヒナタが口にする。その表情だけでネジはご飯三杯くらいイケる。思わず溢れ出す信仰を笑顔の仮面で封殺。気合のなせる技だ。

 試合終了後、ヒナタは全身筋肉痛で強制ダウン。刹活孔は原理的に八門遁甲と同等の代物なのだから、ある意味当然の代償だった。

 そんなヒナタを抱えてネジはさっさと帰宅の途についた。試験官の月光ハヤテが手続きやら説明がどうのと騒いでいたが、目的を達したネジにとってはどうでもいい。面倒なことはガイ先生辺りに丸投げだ。

 

「まったく、無茶をしたな」

「うん……でもこうでもしなきゃ、ネジ兄さんと並べなかったと思うから」

 

 えへへ、と照れたように笑うヒナタ様は控えめに言っても天使。

 いや、成長なされた今はもう天使ではなく、大天使(アークエンジェル)ヒナタ様とお呼びするべきなのかもしれない。

 なにはともあれ、教主であるネジとしては信仰新たにお仕えする所存である。

 

「ヒナタ姉様ばっかりずるーい! ネジ兄様、私も!」

 

 あーん、と口を開けながら迫ってくるのは、この度のヒナタ様昇格に伴い小天使から天使へと格上げをされたハナビ様だ。

 ネジ達が試験から帰って来たことを知るや否や、色々と放り出して飛んできてしまったらしい。それでいいのか日向宗家。

 苦笑しつつも鮎の身をほぐし差し出せば、ハナビ様は猫のような実に愛らしい仕草でそれを口になされた。あざとい。しかし尊い。

 

「おいしー! 流石ネジ兄様!」

「沢山作ってきたからな、おかわりもあるぞ」

 

 わーい、と無邪気にはしゃぐハナビ様と、少しだけむくれるヒナタ様を見て思う。ここは楽園(エデン)だと。

 死の森に閉じ込められ、天使との触れ合いを断たれた時間。それはネジにとってまるで永遠に続く地獄のようなものだった。

 しかしそんな苦行を乗り越えたおかげか、ネジの信仰はまた一つ深みへと至ったようにも思う。具体的に言うとチャクラ鼻栓の効果がアップした。以上だ。

 

「ね、ネジ兄さん……今度は私にも」

「はいはい、わかっているよヒナタ」

 

 天使達の食欲を満たすべく、ネジはニコニコと満面の笑顔で箸を構えた。

 

 




おめでとう、ヒナタ様は大天使に進化した。

このSSを書く前からわかっていましたが、戦闘描写がギャグになる。
真面目なシーンで突如として座ってビームとか何事なのかと。



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第十話

前回はヒナタ様が成長する大事な話だったので、もう少し上手く書きたかったなと未だに反省。



「ここはどうだ、リー」

「痛たたたッ! 優しく、優しくしてくださいネジィィイ!」

「大丈夫そうだな、もう少し強めに……ん? 間違ったか?」

「ネジの間違ったは洒落に……ノォォォオッ!?」

 

 ピシピシと秘孔を突く度、木ノ葉病院の一室にリーの悲痛な叫びが響く。他の患者さんの迷惑になるから静かにしていて欲しい。

 中忍選抜試験、リーはどうやら負けたらしい。しかも全身の筋肉が断裂、さらに左腕と左足を粉砕骨折。控えめに言っても重症だった。

 今は秘孔を突いてリハビリと回復力の向上を図っているところだ。ここまで壊されると、秘孔だけで完治させるのは難しい。

 

「ギブッ! ギブアップですネジ!」

「なんだ、いつもの青春パワーで乗り切れないのか」

「くっ……そうです自分ルールです! これを耐えきれば……痛たたたッ!」

 

 秘孔というのは、点穴からチャクラを司る経絡系に直接干渉し、チャクラの流れを変えることによって様々な効果を得る技術だ。

 その技術を使って経絡系を弄り回すというのは、わかり易く言うならばツボから針を突っ込んで神経やら血管を一本一本縫い直しているのに等しい。我慢強いリーが音を上げるのも無理はない程の苦行だった。

 

「う、有情拳を使って頂くというのは……」

「男が快感で頬を染める光景を見たくないから却下だ」

 

 ネジには男を喜ばせて興奮するような趣味はない。一発で気絶させるならともかく、リハビリに使ってやるほどネジは有情ではない。

 リーが悔しそうに嘆く。

 

「くっ……この身が男であったことを悔いる日が来ようとは……!」

 

 女版リーか。怖いモノ見たさで一瞬だけ見てみたいような気もするが、常時その状態となると流石に御免である。そういう世界線もあるのかなと想像するだけで恐ろしい。

 一瞬でも浮かんでしまった酷い想像を、ネジは頭を振って追い払う。あまり長時間想像していい代物ではない。精神を削り取られる。考えすぎると夢の中に出てきそうなくらいには酷い光景だ。

 今のリーのイメージがあまりにも強すぎる。せめて脳内でだけでも美少女になってくれれば話は別なのだが、異様に濃ゆいメイクで女装をしたリーしか浮かんでくれない。訴訟問題である。

 考察の末、どちらにしてもリーに有情拳というイージーモードが実装されるルートはないことがわかった。残っているのはハードとベリーハードだが、是非とも頑張って生きて欲しいと思う。耐えるのも修行なのだリー。

 

「それにしても……お前がここまで追い詰められるほどの相手だったのか、その砂瀑の我愛羅とやらは」

「ええ、凄まじい相手でした」

「八門遁甲は使ったんだろう?」

「……それでも彼の砂の鎧を剥がし切ることはできなかった」

 

 リーは悔しそうに歯を食いしばった。切り札を出して負けるとは思わなかったのだろう。ネジもリーが負けるとは思わなかった。

 八門遁甲を使ったリーの猛攻を凌ぐとなると、固いというかもう防御力超人の類なのではなかろうか。少なくとも下忍レベルではないように思う。どうしてそんな奴が中忍選抜試験に出ているんだ。

 

「ネジ、もし本戦で彼と当たることになったら……」

「充分に気をつけるさ。忠告されていて対策も出来ずに負けました、では話にならない」

 

 砂の盾と砂の鎧。破るためのプランは既にネジの脳内で出来上がっていた。リーの報告から凡その性能は把握できている。ネジがその気になれば貫くことは容易いだろう。

 だがしかし、逆に言えばその気にならないと破れない程度には硬いということにもなる。本当にどうしてそんな奴がまだ下忍なのだろうか。さっさと上忍にでもなって欲しい。

 

「さて、こんなものだろう」

「や、やっと終わりですか……」

「文句を言うな、治療のためだ」

「それはわかっているんですが……むぅ」

 

 リーが唇を尖らせるが、全く可愛くない。またしても訴訟問題である。

 さっきの女体化云々ではないが、せめて美少女になってから出直してきてほしい。

 

「俺はそろそろ行くぞ、少しやることがあるんでな」

「ええ……ありがとうございました、ネジ」

 

 見舞いで貰ったのであろう林檎を一つ拝借して齧りつつ、病室から出る。

 すると病室の外でネジを待ち構える影があった。

 

「ネジ」

「……ガイ先生か」

 

 ガイ先生は壁に背を預け腕を組んでいる。表情はいつになく真剣だ。

 

「リーは、どうだ」

「……正直なところを言うと、難しいだろう」

 

 リーは下半身に麻痺のような後遺症が出ていた。秘孔でそれを治療出来ないかずっと試しているのだが、どうにも上手くいかない。

 白眼で経絡系を流れるチャクラを診た限り、脊椎辺りに根本原因があるように思える。しかし秘孔はあくまで対症療法にしかならず、リーの場合は問題の根本治療が必要だった。

 

「ガイ先生の知り合いに誰か信頼できる医療忍者は居ないのか」

「木ノ葉に居る医療忍者ではダメだろう。脊椎に問題があると見抜けたのはネジ、お前だけだった」

 

 揃って深い溜息を吐く。ままならないものだ。

 木ノ葉の医療レベルが低いというわけではない。リーの状態が難しすぎるのだ。

 これを機に医療忍術も学ぶべきかもしれないとネジは思い始めていた。仲間の大事に手が出せない。こんな歯痒さを味わうのはもう御免だ。

 

「秘孔による治療は続けてみよう。根本治療は無理でも、リハビリ程度の効果はあるだろう」

「ああ、頼んだぞ」

 

 別れ際に見たガイ先生は悔しそうに俯いていた。何も出来ない己の無力感を噛みしめているような、そんな表情だった。

 

 

 

 

 

 

 数十分後、木ノ葉隠れのとある演習場にて。

 

「それで無様に予選落ちしたテンテン君に来て貰ったわけだが」

「どうして開口一番に傷口を抉るかなぁ!?」

 

 中忍選抜試験予選にて、テンテンは砂隠れの忍にアッサリと敗れた。疲労困憊でどうにも動きに精彩さが欠けていたが、何かあったのだろうか。

 確かに砂隠れの忍は中々の腕であったが、普段のテンテンならば勝てない相手というわけでもなかっただろうに。本当に何があったのだろう。

 

「ごめん、ネジ……色々と気持ちに整理がつかないから、ケジメに一発殴っても良い?」

「それくらいなら構わんぞ、むしろ都合がいい」

「ううん忘れて、ただの冗談……えっ、いいの!?」

 

 殴るくらいなら別に構わない。丁度試したいこともある。ここは一発どんとこい。

 そっと左頬をテンテンに向け、指で指す。右手でここを殴れという意思表示である。決してここに熱いベーゼをくれという意味ではない。

 

「だ、大丈夫? 病院行く?」

「どうしてその結論に至ったのか聞かせてもらおうかテンテン」

 

 それではまるで俺の頭がおかしいみたいじゃないかとネジが抗議した。

 ネジの思考は至って正常。むしろ木ノ葉で一番の常識人だと自負しているほどだ。木ノ葉の無駄に濃い連中の中において、ただ一人清流の如くあるのがネジなのである。

 それはさておき、顔面パンチの話に戻ろう。

 

「ぐ、グーでいくの? せめてパーにしとかない?」

「いや、むしろグーがいい。漢らしく拳でこい」

「乙女に向かって漢らしさを求める辺りが、ほんとネジだよね」

「俺の名前を罵倒のように扱うのはやめろ」

 

 テンテンが乙女なのは知っているが、それくらいでないと実験にならないのだから仕方がなかろう。だから思いっきりきてほしい。カモンパンチ。

 しかし言い出しっぺであるテンテンはなぜか気が乗らない様子で、自分の手とネジの頬に視線を行ったり来たりさせている。

 脈絡もなく殴りたいなんて世紀末ちっくなことを言い出したかと思えば突然躊躇し始めたり、どうにも情緒不安定だ。個人戦の負けを未だ引き摺っているのかもしれない。

 訓練が終わったら甘味でも奢ってやろう。彼女の素晴らしいところは、奢ってもヒナタ達のように家計が火の車にならないところだ。なんて有情なのだろうか。

 

「そ、それじゃあ行くよ?」

「待てテンテン」

 

 思いっきり腰が引けているテンテンが腕を振りかぶった瞬間に、ネジが待ったをかけた。

 いけない、これはいけないことだ。

 

「あ、やっぱりやめとく? そうだよね、そのほうがいいよね!」

「もう少し腰を落として脇を締めろ」

「そこなの!? 気になるのはそこなの!?」

「腕の引きはこうで……よし、こんなものだろう」

 

 二言三言かけて姿勢を修正。これで幾分かマシな威力になるだろう。腰の抜けた拳など笑止千万。このネジが望むのは岩をも砕くような鉄拳よ。

 さぁ来いとネジが頬を差し出すと、やっと退けぬことを悟ったのか。テンテンは先ほどまでの遠慮は最早無用とばかりに、フッと息を吐き、完璧なフォームから拳を放ってきた。

 拳はネジの頬に吸い込まれるようにして向かって行き、そしてミシリと嫌な音が鳴った。テンテンの拳から。

 

「に゛ゃああああああああッ!?」

 

 変な音を立てた右拳を胸に抱えながら、ゴロゴロとテンテンが演習場を転がり回る。

 なるほど腰の入った良い一撃だった。これならツッコみにも更に磨きがかかり、やがては世界を狙えるだろう。流石はテンテンと言ったところか。

 いつぞやのピンク髪という次世代のホープもネジの知らないところで誕生しているようだし、ツッコミ業界の未来は明るい。テンテンにはリーダーとして業界を引っ張って欲しいものだ。

 

「ね、ネジぃ……変な音した……私の手から変な音したよぅ!」

「……何かおかしいことでも?」

「おかしいよぅ! なんで殴ったほうがダメージ受けてるの!」

 

 ちなみにネジには全くダメージがない。平然としている。

 ふぇぇ、とテンテンがあまりにも可愛らしい声で鳴くものだから、もう少しこのままでいいかなとも思ったのだが、ちょっとガチ泣きが入りそうだったので、やれやれ仕方がないと手の秘孔をピシッと突いてやった。

 

「あっ、痛くない! 痛くないよネジ!」

「そうだな」

 

 先程まで転げ回っていたのが嘘だったかのように、わぁい、とテンテンがはしゃいでいる。あくまで痛みが消えただけでダメージはそのままなのだが言わないほうが良さそうだ。

 完全に治せないこともなかったが、野外有情拳なんていう特殊プレイはテンテンの望むところではないだろう。ネジは気遣いの出来る男なのである。

 

「ところでさっきのはなんだったの? 鉄の塊を殴ったみたいな感触だったけど……」

 

 ふむ、とネジは顎に手をやった。ほんの思いつきで作った技だったのだが、思っていたよりも使い道がありそうだ。

 

「内気功とチャクラを使って、瞬間的に防御力を高めてみたんだ。どうやら成功したようだな」

「その代わりに私の手が一瞬使い物にならなくなったけどね!」

「コラテラルダメージ? とかいうやつだ」

「それ使い方間違ってない? というかネジ、意味わかって使ってる?」

「おおよそ合っていれば問題ない、だから気にするな」

 

 そうだ、気にしてはいけない。

 テンテンに施した秘孔による麻酔効果が切れるのはおそらく深夜。気持ちよく寝入ったタイミングで激痛の波が訪れるだろうが、決して気にしてはいけないのだ。

 ちなみにネジ宅とテンテン宅は割と近所なので、痛みに耐えきれなくなったテンテンがヒナタに泣きついてくるまでがワンセット。

 ここで重要なのはネジに泣きついてくるわけではない、というところだ。ヒナタに泣きつく辺り、テンテンの人選はよくわかっている。甘えても大丈夫な人間を本能的に察しているのだろう。

 

「それで、どうして急にこんなことを?」

「本戦用の技を開発するためだ。日向神拳は特性上あまり観衆向けではない」

 

 中忍選抜試験本戦は、観衆の下で行う個人戦。つまりどれだけ派手にアピールできるのかが重要になってくる。

 日向神拳で爆殺してもいいが、それだと実力はアピールできても優雅さに欠けるだろう。だからとにかく人目につきやすく、かつあまり残虐ではないピンポイントな需要の技を使って勝ち抜く必要があった。

 

「どうしてやる気になったの? あんまり乗り気じゃなかったのに」

「……天使達(ヒナタ&ハナビ)に応援されたからには、もう勝つしかないだろう」

 

 ヒナタとハナビに壁際まで追いつめられ、がんばれ、がんばれ、と両サイドから耳元で囁くようにステレオ鼓舞されては、流石のネジも本気を出さざるをえない。ツインエンジェルシステムからのお告げは絶対なのだから当然である。

 日向(ヒナタ)教の天使達のために優美な勝利を奉納する。今のネジにとってはそれが全てだ。

 

「ともかく、技を片っ端から試していくから、感想を頼む」

「感想だけでいいの?」

「……喰らってみたいというなら丸太ではなくテンテンを的にするのも吝かではないが……」

「ま、丸太運んでくるね!」

 

 そうだ、そのほうがいい。ネジとしてもテンテンを八つ裂きにして殺したくはない。

 

「はい、持ってきたよ」

「ありがとう、それでは始めよう」

 

 テンテンがせっせと運んできた的代わりの丸太に向かって、拳を押し当てる。

 そして全身からエネルギーを練り上げ。発勁の要領で拳に収束し炸裂させる。

 

「ハァッ!」

 

 ネジの掛け声と共にズシン、と鈍い音が響いた。驚いた周囲の鳥達が一斉に飛び立つ。

 布団叩きをしている時にふと思いついた技だ。名前はまだない。陸奥の虎なんとか、という電波を受信したが気のせいだろう。

 

「丸太がまるで馬に蹴られたみたいに陥没して……これなら砂の鎧も破れるよ!」

「確かに破れるだろうが……違う、これじゃない」

 

 確かにこの破壊力ならば、あの我愛羅の砂の鎧を破ることは不可能ではない。

 だがこの技からは日向ではない、世界単位で違う流派の気配がする。

 技が使えるかどうかと、その技が自分らしいかどうかはまた別の問題。この技はネジらしくないので却下だ。

 

「そういうわけで次の技、行ってみようか」

 

 丸太から一歩離れて、次の技の始動準備に入る。

 左腕をチャクラごと右回転、右腕をチャクラごと左回転。二つの拳を合わせれば、その間に真空状態の圧倒的破壊空間が生まれる。

 

「コォォォォオ!」

 

 両腕に巻き起こった嵐を呼気と共に突き出し、丸太に向かって放出。暴圧に晒された丸太は、捻子切られて彼方へと吹き飛んでいく。

 

「す、凄い……あのテマリって人の風遁より凄いんじゃない!?」

「風遁ではないのだが……むぅ……」

 

 テンテンはパチパチと拍手をしているが、ネジとしては納得がいかない。

 

「こ、これもダメなの? 充分派手だと思うんだけど」

「派手さはともかく、やはり俺らしさが足りない」

 

 威力も範囲も申し分ないのだが、どうにもネジの技という感じが全くしないのだ。先ほどの技と同じで、世界単位でこれじゃない感がある。

 この調子では他の技も似たり寄ったりだろう。どうしたものかと空を見上げていると、青い空を一羽の鷹が悠々と飛んでいた。

 

「なるほど……鳥か」

「何か思いついたのネジ?」

 

 どうやら日向神拳と双璧をなす、もう一つの日向の拳を解き放つ時が来たようだ。

 

「テンテン」

「な、なに?」

「少し錆を落とす。付き合って貰うぞ」

 

 今まで封印されていた技は流石に錆び付いている。この流派を流麗に見せるつけるためには、少しばかり鍛え直さなければならない。

 

「わ、私それで死んだりしない? 大丈夫だよね?」

「……ふっ」

「笑ってないでなんとか言ってよぉ……!」

 

 この後、テンテンの足腰が立たなくなるまで滅茶苦茶修行をした。

 

 

 

 




その夜のこと、案の定ネジ宅に駆け込むテンテンの姿があったとか、なかったとか。
そしてヒナタとテンテンによる有情拳プレイがしめやかに(ry

本作での秘孔については名前だけ借りた独自設定の塊みたいなものなので、あまり深く考えないでください。


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第十一話

真面目にやると蹂躙劇になってしまうので、ほんのりギャグ味で。



 中忍選抜試験もついに本戦となった。

 トーナメント方式、一対一の勝ち抜き戦だ。

 対戦相手の名前を聞いたネジは思わず唾を飲み込んだ。

 

「ナルト……ナルトか……美味そうな名前だな」

 

 そういえば一楽にあれから行っていない。試験が終わってから行くとしよう。前は味噌だったから今度は醤油だ。

 対戦相手のオレンジ君こと、うずまきナルトが威勢よく吠えている。

 

「ひゅーがしんけん、だかなんだか知らねぇけどな、勝つのは俺だってばよ!」

 

 眩しいくらい元気であるだけに少し可哀そうになってきた。そんな彼をこれからどん底まで叩き落とさなければならないからだ。

 いっそ砂瀑の我愛羅とかいうリーの仇ならば話が別だったのだが、まさか相手が里の仲間とは人生ままならない。

 

「悪いがオレンジ色、もといナルト……お前では俺に勝てない」

「んなもん、やってみなきゃわかんねぇだろ!」

「……彼我の戦力差を把握するのも、また実力だぞ」

 

 ネジが構えを取った。それは日向神拳のものではなかった。

 水鳥を思わせる優雅な構えは、根本的に別の理を持った技を放つためのものだ。

 両者の準備が整ったと見たのか審判が開始の合図をした。

 

「では第一回戦、始め!」 

 

 試合開始と同時にナルトが印を結び術を発動させる。

 

「影分身の術!」

「分身か……」

 

 影分身は良い術だ。数ある分身からそれを選ぶとはセンスが良い。

 どの時代どの戦場においても数は正義。物量こそが全てを制す。

 

「だが数だけが戦いの全てではない……日向聖拳の餌食になれ」

 

 言うや否やネジは空高く跳躍した。その姿はまるで水面から飛び立つ水鳥のように優雅だった。

 

「日向水鳥拳」

 

 飛び上がり様に一閃、そして着地する瞬間に一閃。

 五指から放たれる真空の刃によって、一瞬にして影分身が輪切りになる。

 優雅にして華麗なその舞踏に、会場のあちこちから美しいと感嘆の声が漏れる。

 

「これで終わりか、うずまきナルト」

「ま、まだまだ! 影分身の術!」

 

 ナルトが走りながら印を結び影分身を展開。ネジの周囲を取り囲む。

 

「へへっ! 囲んじまえばこっちのもんだってばよ!」

 

 しかしネジを相手にその程度では甘いと言わざるをえない。

 囲まれた。そう判断した次の瞬間には既にネジは奥義を放つ準備を終えていた。

 

「日向凄気網波」

 

 ネジの五指から全方向に放たれた真空刃の網が、ナルトの影分身達を一瞬にして細切れにする。ポンッと音を立てて分身が消えた後の煙だけが残った。

 

「か、影分身の術!」

「一つ覚えでは俺には通用しない」

 

 影分身を連発可能なそのスタミナは確かに脅威だが、質が全く伴っていないのであれば百だろうが千だろうがネジの敵ではない。

 観衆にも“視認可能な速度”で突貫したネジは、華麗な体捌きで攻撃を躱しつつ、流麗な手刀で影分身を切り裂いていく。

 そして“一人残した”本体に向かって、ネジはさらに追撃をかけるべく踏み込み、突き上げるような動きでナルトに拳を放つ。

 

「日向撃星嚇舞」

 

 そして浮き上がったナルトへさらに追撃。

 

「日向鶴翼迅斬」

 

 まるで鶴の飛翔が如く両手を広げたネジの一閃が、ナルトの胴を真一文字に切り裂き吹き飛ばす。だが傷は浅い。戦闘は続行可能だ。

 

「さぁ立て、うずまきナルト」

 

 まだ“試合”は終わっていない。この程度で終わっても連中は満足しない。だから早く新しい影分身を補充しろ。

 ゆっくりと次を待ち構えていると、倒れていたはずのナルトがポンッと音を立てて煙になった。影分身だったらしい。

 しかし本体が見当たらない。心眼でもって気配を探ると、真下から反応があった。地中からの奇襲だ。

 

「少しは知恵が回るようだが……甘いな」

「うわぁっ!?」

 

 その動きは読めている。地面から飛び出してきたナルトを、モグラ叩きのように待ち構えていたネジが軽く蹴り飛ばす。

 地面に転がされたナルトが悔しげに土を握り締めながら叫んだ。

 

「くそっ……お前、舐めてんのか」

「ふむ?」

「手ぇ抜いて戦ってんじゃねぇってばよ!」

 

 どうやらネジが本気を出して戦っていないことに気付いたらしい。だが違う。そうではない。うずまきナルト、お前は間違っている。

 

「舐めてもいないし、手を抜いてもいない。俺は真剣に戦っている」

「じゃあなんで本気で攻撃しねぇんだってばよ! お前ならいつでも俺を倒せただろ!」

「確かにそうだ。俺は試合が始まった瞬間にお前を倒すことだって出来た」

「だったら!」

「だが俺はあえてそうしなかった……その意味がお前にわかるか?」

 

 この中忍選抜試験本戦で重要なのは勝つことではない。いかに華々しくアピールをするかだ。

 試合という限られた時間の中で、己が中忍に足る人材なのだと観客にアピールする。それがこの本戦の本旨。

 ネジは真剣だった。この言葉に偽りはない。真剣に中忍選抜試験を戦っている。ただしその真剣さのベクトルには、ナルトとは根本的な違いがあった。

 

「この本戦で求められているのは血生臭い真剣勝負ではなく、見栄えのいい寸劇だ」

 

 見せ物になっている、というのはつまりそういうことだ。だからネジは日向神拳を封印し、日向聖拳を引っ張り出した。

 その点において影分身はネジにとって非常に良い的だった。倒せば倒すだけ芸術点が入るが、本体が残ればアピールタイムである試合は続く。

 ナルト本体を倒すことは容易い。だがネジは試合を引き延ばして影分身を量産させ続けるため、あえて本体を見逃していた。

 

「うずまきナルト、お前はこの戦いの意図を計り損ねた」

 

 うずまきナルトでは日向ネジには勝てない。その前提をしっかり理解した上でナルトは試合に臨むべきだった。

 最初から諦めて無気力に戦えと言っているのではない。負けるとわかっている戦いにどう対応するか。本戦ではそういう判断力も試されているのだ。勝敗だけが評価の基準ではない。

 

「くそっ! 影分身の――」

「それはもう、見飽きた」

 

 印を結んだ瞬間、術が発動する直前に割り込んだネジが、ナルトを弾き飛ばす。

 その術はもう何度も観客へと見せつけた。同じ芸を続けても飽きられるだけだ。

 

「……もう充分だろう」

 

 日向水鳥拳の舞踏は充分に見せつけた。ナルトのアピールタイムも作ってやった。ネジとしてはこれ以上試合を引き延ばす理由はない。

 印を結んで白眼を発動させる。本体はすぐに見つかった。ネジの瞳力は影分身を見切るほどに磨き上げられている。

 ネジが翼を広げたような構えを取った。奥義でもって一撃で沈めると言外に示していた。

 

「せめて痛みを知らず安らかに……む?」

 

 ネジの動きが止まった。ナルトが妙な動きをしていることを察知したからだ。

 

「影分身がダメなら……これだってばよ!」

 

 ナルトが結んだ印は影分身ではない。これは変化の術だろうか。

 

「お色気の術!」

 

 ポンッ、と煙を立ててナルトの姿が掻き消える。お色気の術など聞いたこともないが、一体どういう術なのか。名前からして碌でもない気配がするが、万が一ということもある。

 鬼が出るか蛇が出るか。警戒を露わにするネジの前に“それ”は現れた。

 

「なッ……これは……!」

 

 それは白い肌を露わにした大天使(ヒナタ)だった。大事な所は謎の煙で隠されているのがせめてもの救いだ。まさかの展開に、会場の誰もが口を開けて放心している。

 ヒナタの顔をしたナルトが勝ち誇る。

 

「ど、どうだ! お前ってば、このヒナタとかいう奴には弱ぇんだろ!?」

「……確かに俺はヒナタには弱い、だがそんな偽物に俺が惑わされると――こふっ」

 

 ネジの口から大量の血が溢れ出した。その量たるや明らかに致死量で、そのままバタリと地面に倒れ伏してしまう。

 偽物だとわかっていても止められない信仰はある。だって肌色大天使なんだもの。なおも吐血は止まらず、どくどくと地面に赤黒い血だまりが広がっていく。

 倒れたネジの表情は幸せそうだった。誰もが羨むような死に顔だった。

 

「よ、よくわかんねぇけど……勝ったってばよ!」

 

 静まり返った会場で、元の姿に戻ったナルトが大きく腕を上げた。虚しい勝利の勝鬨だった。

 あまりに酷い結末に誰もがドン引きするそんな中、会場の土となり朽ちていくネジの鼓膜を揺らす一つの叫びがあった。

 

「ね、ネジ兄さん!」

 

 会場中の視線がヒナタに集まった。アレってさっきの女の子じゃないか、という声にヒナタの頬が茹ったように真っ赤になる。ピクリとネジの指先が僅かに反応を示す。

 それに気付いたのか、表情を羞恥に染めながらもヒナタが必死に叫んだ。

 

「こんなので負けたら一生口をきいてあげないから!」

「……ハァァァァアッ!」

 

 血だまりに倒れ伏したネジが、むくりと起き上がった。目には生気が戻り、これまでにない程の闘志が燃え滾っていた。

 

「うずまき、ナルト……お前の血は何色だぁ!」

「うわぁっ!? 生き返ったってばよ!?」

「大天使の加護を得た俺に不可能はない……うずまきナルト、覚悟しろ!」

 

 確かに先程のお色気の術とやらは素晴らしかった。それはもう素晴らしかった。思わず白眼カメラに保存してしまうくらいには素晴らしかった。

 だがそれはそれ、これはこれ。大天使の肌を衆目に晒した罪については、キッチリと償わせなければならない。うずまきナルト。お前は越えてはならない一線を越えた。

 

「ハァァァッ! 日向水鳥拳奥義!」

 

 水面から飛び立つ水鳥のように、ネジが空高く飛び上がる。そして際限なく高まっていくチャクラが会場全体をビリビリと揺らす。

 ネジから溢れ出すそれは、今から放たれる技が必殺の一撃になると誰もが予感するような、そんな凄まじい闘気だった。

 

「飛翔白――なッ!?」

「――木ノ葉剛力旋風!」

「ぐあッ!」

 

 必殺の奥義を叩き込もうとした瞬間、ネジは突然飛んできた青い影に蹴り飛ばされた。

 一瞬で姿勢を立て直し着地したネジは、その乱入者に鋭い視線を向ける。

 

「そこまでだ、ネジ」

「なぜ邪魔をする……ガイ先生!」

 

 青い影の正体は、八門遁甲を第七驚門まで開いたガイ先生だった。

 ざわり、と観客席が混乱に揺れる。どうして上忍が中忍試験に乱入してきたのか。その意図をネジも含め、誰もが計り損ねていた。

 

「ナルトを殺させるわけにはいかん」

「あんな素晴らし……ではなく、あんな辱めをヒナタが受けたというのに俺に黙っていろと!?」

「おい本音が漏れているぞ」

 

 何のことかサッパリわからない。本音なんて漏れていない。

 コホンと咳払い、気を取り直して構えを取る。

 

「いくら忍道の師であるといっても、邪魔をするというのなら容赦はしない」

 

 ネジにも引けない一線というものはある。うずまきナルトは逆鱗に触れたのだ。

 ゆっくりと息を吐き、極意でもって飛躍的にチャクラを高めていく。

 

「ガイ先生……せめて痛みを知らず安らかに死ぬが良い」

「待て! 色々と待つんだネジ!」

 

 せめてもの情けだ、有情拳にて葬ってやろう。死ぬ間際に天国を感じさせてやる。

 ネジが必殺の構えを取る中、絶体絶命のガイ先生は予想外の札を切ってきた。

 

「ネジよ、ここで穏便に引いてくれたならコレをやろう!」

「なッ……それは……!」

 

 木ノ葉商店街で使えるお米券。しかも百枚綴りだ。

 

「ひ、卑怯な! そんなモノで俺は釣られないぞ!」

「……その割には声が震えているが」

「釣られないぞ!」

「もういいだろうネジ、拳どころか膝までガクガクじゃないか」

 

 最早これまでか。すまないヒナタ。お米券には勝てないんだ。ネジは拳を力なく下ろした。

 しかしそれで収まりがつかない者も居たようで。

 

「待ちやがれ! 俺との勝負は終わってねぇってばよ!」

 

 誰もが忘れて有耶無耶にしようとしていたことをナルトが蒸し返してしまった。

 お米券に免じて引き下がってやろうというのに、そうか。お前はそんなに死にたいのか。良いだろう、そっちがその気なら遠慮は無用だな。

 

「待てネジ! 待て(ステイ)だ、待て(ステイ)!」

 

 再び奥義を放つため飛び上がろうとした所を、後ろからガイ先生に羽交い絞めにされる。流石の第七驚門、振りほどけない。

 ガイ先生どいて、そいつ殺せないというやつだ。今すぐ八つ裂きにしてこの世から消滅させるので放してほしい。放してくれ。放せ。

 

「おいゲンマ、早く試合を止めろ!」

「え? あー……この勝負、引き分けとする!」

「待ってくれってば審判の兄ちゃん! まだ勝負はついて――ちょっ、放してくれってばよ!」

 

 ガイ先生の言葉に従い、審判であった不知火ゲンマが慌てて試合を止めると、どこからか出てきた紅先生とアスマ先生がナルトを舞台裏まで引っ張っていった。

 怒りの矛先を失ったネジは凄まじく消化不良である。

 

「おい、ガイ先生……説明はしてくれるんだろうな」

「も、勿論だとも……ははは」

 

 ドスを利かせて睨み付けると、ガイ先生は引き攣った表情で笑った。

 ネジは笑いごとで済ませるつもりはないのだが、大丈夫だろうか。

 

 

 

 

 

 

 試合終了後、ヒナタと顔を合わせ辛かったネジは会場の外へとひっそりと移動し、一人でうどんを啜っていた。近くの雑貨屋で購入したカップの狐うどんである。

 安っぽい鰹風味の出汁に、ふにゃふにゃでコシのない麺。止めとばかりに乗せられたのは、ぺらっぺらのお揚げ。

 店でコレが出てきた日には料理人を呼び出して百裂拳を叩き込むが、カップうどんに限って言えばこのジャンクさがたまらなく良い。

 だってカップうどんなのだもの。インスタントは手軽でなんぼ、安っぽくてなんぼなのである。高級な出汁も本格的な麺も要らないのだ。

 

「ふむ、この安っぽいお揚げが絶妙なアクセントになっている……」

 

 あの後ガイ先生を締めあげて吐かせた話によると、ナルトには九尾の狐とかいう尾獣が封印されているらしい。要するに人柱力というやつだ。

 九尾といえばアレであれだ。ネジがいつか見たイメージで十尾と激しい戦闘を繰り広げていたエネルギーの塊みたいな狐だ。遥か遠い存在だと思っていたら、意外と近くにいたのは驚きである。

 尾獣は封印された人柱力が死ぬと一時的に消滅してしまう。尾獣によって成り立っている各里とのパワーバランスを考慮した上層部が、明らかにナルトが死ぬとわかっている試合に待ったをかけるのは当然だった。

 

「うずまきナルト……今度会ったら、醒鋭孔を叩き込んでやる……!」

 

 だがそれにネジが納得するかどうかは、また別の話だった。人柱力だかなんだか知らないが、そんなものネジには関係がない。今度会ったらただじゃおかない。

 ちなみに醒鋭孔というのは、痛覚神経を剥き出しにさせて物を持っただけでも激痛を感じるようにする秘孔のことだ。要するに殺さなければいいのだろう。方法はいくらでもある。

 

「何はともあれ……うどんが美味い」

 

 うずまきナルトは絶対に許さないが、うどんに罪はない。ごちそうさまと小さく呟きながら容器をゴミ箱にシュート。

 温かいものを食って消費したチャクラも少しは回復したことであるし、会場に戻ろう。ヒナタ達と合流して試合見物と洒落込もうではないか。

 そう思って足を向けたその瞬間だった。会場一帯が突如として幻術に包まれた。

 

「……む?」

 

 何やら一波乱ありそうな予感がした。

 

 




現状だと勝ち筋がないうえに見せ場も作れないので仕方なくこういう展開に。
木ノ葉崩しが待ち遠しい……日向無双が書きたい……。



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第十二話

前半は日向無双、後半は日向のグルメ。
有情拳については最早語るまい。原作通りです。



 試験会場全体が強力な幻術で覆われた。

 受験者の誰かが使った術の余波かとも思ったが、それにしては術式が高度過ぎる。おそらく外部からの襲撃だろう。

 襲撃、という単語が脳裏を過った瞬間、既にネジは駆けだしていた。

 日向無双流舞。瞬身の術にも似た高速移動術。それを何重にも重ね掛けし、まるで瞬間移動のように猛烈な速度で会場に居るはずの彼女達の下へと向かう。

 

「ヒナタ! ハナビ!」

「ネジ兄さん!」

「ネジ兄様!」

 

 ネジが急行すると、ヒナタはハナビを庇いながら、周囲を囲む敵に拳を叩き込んでいた。どうやら連中は、幻術を免れた相手を優先的に狙っているらしい。

 日向神拳は外部から相手のチャクラを乱して攻撃するという特性上、己の体内を流れるチャクラにも敏感だ。つまり生半可な幻術は通用しないということ。ヒナタもその例に漏れない。

 

「日向有情断迅拳」

 

 ヒナタを囲む敵集団へと突っ込み、すれ違いざまに秘孔を突きつつ駆け抜ける。

 

「俺の足が勝手に曲がっていくぅ!?」

「お、お前……痛くねぇのか? 気が付かなかったのか!?」

「おい、お前こそ!」

「え? ああっ、ああああ! 俺の腕も! おおおあああっ!?」

「き、気持ちいい!? んほおおおおおお!?」

 

 有情拳によって秘孔を突かれた敵は、アヘアヘと快楽に絶叫しながらしめやかに爆発四散。これが噂の野外有情拳プレイというやつである。大の男がこの有様、全くもって見苦しい。

 前に当主へ有情断迅拳を放った際は気絶させるに留めたが、本来はこの使い方が正しい。一応は非情な暗殺拳なのだ。しかし近頃は便利なマッサージ拳法扱いをされている。何故だ。

 倒した敵の残した遺留品を見てネジが眉をひそめる。

 

「コイツらは……砂隠れの忍か?」

 

 額当てと砂漠地帯に対応した特有の服装からして間違いないだろう。

 しかしどうして砂隠れの連中が襲ってくる。砂隠れは木ノ葉隠れの同盟里。戦闘になっている意味がわからない。

 今回の中忍選抜試験も両里の合同で行われたものだ。それくらいには友好的だったはず。だというのに、どうしてこんな事態になっているのか。

 

「ヒナタ、何があった?」

「わからないの、幻術が会場を覆ったと思ったら、この人達が急に襲ってきて……」

「なるほど」

 

 わからん。状況がサッパリ飲み込めない。飲み込めないが敵は襲ってくるので、とりあえず秘孔を突いて同士討ちさせておく。

 どういう理由があれ、天使達を襲うのであればそれは敵。同盟里であろうが木ノ葉の仲間であろうが、それは変わらない。こういう非常時に敵味方の区別をつける基準を持っておくのは大切だ。

 

「おい、なんで俺のほうにクナイを向け……ぎゃあッ!」

「か、体が勝手にぃ! 助けてくれぇ!」

「こ、こっちに来るなぁ!」

 

 仲間が仲間を殺す。酷い光景だ。一体誰がこんな惨いことをしたのだろう。そんな彼等を眺めていると少しだけ心に余裕ができたので、状況の確認がてらハナビに尋ねた。

 

「日向一族の護衛は居ないのか」

「ごめんなさい、ネジ兄様……今日はヒナタ姉様と一緒だったから……」

「ハナビが謝ることではないさ、むしろ好都合だ」

 

 ヒナタに任せるという判断は間違っていない。下手な護衛を何人もつけるより、ヒナタ一人を隣に置いておいたほうが防衛能力は高いだろう。日向一族の連中とヒナタとではそれくらいに実力差がある。

 だからむしろハナビがヒナタの傍にいてくれて助かった。護衛対象が纏まっていてくれたほうが守るのは楽だ。

 

「ヒナタから離れるなよハナビ」

「はい、ネジ兄様!」

 

 そんな会話をしつつも、どんどん集まってくる砂隠れの連中を爆散させていく。

 砂隠れの連中め、こんな大軍をどこに潜ませていた。良くみれば砂隠れだけではなく音隠れの連中も混じっているようで、倒しても倒しても湧いてくる。キリがない。

 

「……数が多いな」

 

 おちおち話もしていられないし、会場に居るはずのリーとテンテンも心配だ。

 特にリーは幻術への対抗手段を持っていないし、何より怪我のせいで満足に動けない。あまり良い状況とは言えなかった。

 

「こ、こいつらは拳法使いだ! 遠距離から忍術で攻め立てろ!」

 

 誰かが叫んだ。拳法なら遠距離戦が不得手だと考えるのは自然なことだった。

 しかし日向神拳は対尾獣決戦用暗殺拳。遠距離攻撃の手段には事欠かない。

 

「合わせろヒナタ……日向乾坤圏」

「はい! 日向天魁千烈掌!」

 

 ヒナタと並んで巨大なチャクラの波動を連続で掌から撃ち出し、辺りの敵を纏めて吹き飛ばす。

 かなり広範囲に向けて撃ち出したのだが、それでもまだ敵が残っている。ならば次の技だ。

 

「伏せろ」

 

 ヒナタがハナビを抱えて伏せたのを確認し、呼吸と共に一気にチャクラを高めていく。

 こいつらは邪魔だ。一掃する。

 

「日向有情鴻翔波」

 

 手から放射状の波動を撃ち出し、まずは前方の敵を蹴散らす。

 ネジが高めた膨大なチャクラの気配を感じ取ったのか、咄嗟に射線上から退避した者もいるようだが問題ない。

 

「ハァッ!」

 

 放射した波動はそのままに、宙へ飛び上がると気合と共にその場でグルングルンと右回転。先ほど撃ち漏らした周囲の敵を一気に薙ぎ払う。

 今度は有情拳プレイの暇すら与えず速攻で爆散させる。あの絵面はハナビの教育上よろしくない。大の男がアヘりながら爆散する様を見せつけられて万が一にも変な性癖に目覚めたらどうしてくれるのか。

 

「……これで一通り片付いたな」

 

 早くリーとテンテンを探さなくてはならない。探知のために白眼を発動させようとした瞬間、どこからか敵が錐揉み回転しながら吹き飛んできた。

 

「ダイナミックエントリー!」

 

 そして例の如くと言うべきか、続けざまに雄叫びを上げながら青い影が突っ込んで来た。その肩にはネジの探し人であるリーが担がれている。

 

「……よしッ! リーは見つかった、テンテンを探しに行くぞ!」

 

 ネジは何も見ていない。リー以外は視界に入らない。入れたくない。入るな。だから妖怪青春男よ、そのリーを置いて速やかに立ち去るが良い。

 

「待てネジ、無視は悲しいぞ!」

「うるさいぞガイ(なにがし)、俺の怒りはまだ収まってないんだ」

 

 (なにがし)扱いされたガイ(なにがし)がガクリと肩を落とす。

 今暴れ回っているのには、あのオレンジに叩きつけられなかった怒りを発散させる目的もある。消化不良のままのネジを放置したガイ(なにがし)が悪い。

 ところでリーはどうして幻術にかかったままグッタリとしているのか。

 上忍なのに部下にかけられた幻術が解けないなんて間抜けな理由はないにしても、こっちのほうが持ち運ぶのが楽とかいう理由で放置していそうな辺りが安心安定の青春男(マイト・ガイ)クオリティである。

 

「それでガイ(なにがし)、これはどういう状況だ?」

「いいかネジ、良く聞け……砂隠れが裏切った」

「なに?」

「もう中忍試験どころではない、これは戦争だ」

 

 そんなバカな、あり得ない。下忍になれば安穏とした生活を送り続けられるんじゃなかったのか。戦争なんて聞いていないぞ。

 いくら下忍といえども、戦争ともなれば危険な前線に駆り出されることになる。そういう前線任務が嫌で下忍に収まっていたのに、なんということだ。

 

「本当ならお前にも来てほしいところだが……」

 

 ガイ先生はヒナタとハナビを横目で見やると、残念そうに溜息を吐いた。

 

「彼女達からは……離れてくれそうにないな」

「当然だろう」

「仕方ない、ここは俺に任せてテンテンの救助に向かってくれ」

「もとよりそのつもりだ……だがその前にコイツを起こすとしよう」

 

 リーの秘孔をピシリと突いて強制的に目覚めさせる。経絡系を流れるチャクラを操作する技術は日向神拳の十八番だ。幻術の解除は容易い。

 

「起きろ、リー」

「ハッ……! サクラさんとの青春修行ツアーは!?」

「……まだ幻術が解けていないのか?」

 

 起きぬけ一発にアイアンクロー。これで目もスッキリ覚めるだろう。ゴリゴリとリーの頭蓋を指で抉ってやると、実に気持ちのいい悲鳴が上がる。

 

「ノォォォオ!? ネ、ネジィィィィ!?」

「さっさと起きろ、どうやら戦争になったらしい」

 

 やっと目覚めたらしいのでリーを解放してやる。しかし状況が全く飲み込めていないようで、目を白黒させていた。

 

「え!? せ、戦争ですか!? 何がどうなって!?」

「そんなもの俺が知るか!」

 

 むしろネジが聞きたいくらいだ。わかっているのは砂隠れが裏切って、突如として襲撃をかけてきたという事実だけだ。他の情報は何も降りてきていない。

 というかむしろ詳しい事情を知っている奴のほうが少ないのではないだろうか。その辺どうなっているんだと事情を少しでも知っていそうなガイ(なにがし)を睨み付ける。

 

「では任せたぞネジ!」

「おいガイ(なにがし)、この戦争についての説明は……おい!」

 

 ガイ(なにがし)がすっ飛んで行くのを見送る。あいつ説明放り出して逃げやがった。

 悪態を吐きたくなるが仕方がない。奴は行ってしまった。こんな事態になった原因は依然として不明のままだが、今はテンテンとの合流が先だ。

 印を結んで白眼を発動。テンテンを探せばすぐに見つかった。意外と近い。

 

「捕まっていろリー……飛ばすぞ」

「ハナビは私に捕まってね」

 

 ネジはリーを、ヒナタはハナビを担いで無双流舞を連発、目標であるテンテンまで最速で駆け抜ける。

 

「テンテン! 無事……のようだな」

「ネジ! ヒナタも来てくれたんだ!」

 

 これはひょっとしなくても援護に来る必要はなかったかもしれない。

 意外と言えば失礼だが、テンテンは善戦しているようだった。あちこちに彼女がぶっ放したと思われる忍具の残骸と倒れ伏した敵の姿がある。

 

「テンテン、リーを背負え」

「ちょっ、もう少し丁寧に扱ってくださいよ!」

 

 投げ渡されたリーが文句を言っているが、緊急事態だから無視だ。

 

「俺が道を拓く、一気に駆け抜けるぞ」

「凄い数だけど……ネジ一人でやれるの?」

「愚問だなテンテン、日向の拳は無敵だ」

 

 事ここに至って加減はなしだ。全力で道を切り拓く。

 奥義である呼法によってネジの体内のチャクラが凄まじい勢いで高まっていく。余波だけで近くに居た敵は吹き飛ばされ宙を舞った。ヒナタ達もあまりの風圧に顔を腕で覆っている。

 

「ハァァァアッ!」

 

 手足を振る度に迸るチャクラの奔流が進行方向に居る砂隠れの忍を薙ぎ払っていく。

 それは人の戦いではなかった。巨人が羽虫を払いのけるような、そんな一方的な蹂躙だった。

 

「く、来るぞぉ……ひぎゃあ!」

「ひ、人がボールみたいに跳ねて……皆逃げろ、逃げるんだぁ!」

「待て! 逃げるな、力を合わせれば勝てるかもしれない!」

「む、無茶言うな……ひでぶっ!?」

 

 無心に奥義を叩き込み続けたおかげか、敵はいい具合に混乱している。もう一押しで恐慌状態に陥るだろう。ならばここは敵を殺すのではなく、あえて生かし恐怖を伝播させる。

 ネジは構えを日向神拳から日向水鳥拳へと移行させた。

 

「天地分龍手」

 

 ネジの両手から発生した幾重もの真空波が砂隠れの忍達を切り刻んでいく。

 幸運にも真空波が急所に当たって即死した者も居れば、当たり所が悪く生き残り、重傷のまま血を流し倒れ伏す者も居る。この光景には死屍累々という言葉が相応しい。

 これこそがネジの狙いだった。

 

「腕が……腕がぁ!」

「いでぇよ……いでぇよぉ!」

「力を合わせたって無理なんだ! 逃げろ! あんなバケモノに敵うわけねぇだろ!」

 

 あまりに凄惨な光景に竦み上がり、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う砂隠れの忍達。

 ついでに動けなくなった敵も回収していってくれたので、治療のために暫くは行動が鈍るはず。一気に見晴らしがよくなった。作戦は成功と言えるだろう。

 事の次第を見守っていたテンテンが、ボソリと一言。

 

「……もうネジ一人で良いんじゃない?」

「あ、あはは……」

 

 テンテンが呆れたように肩を竦めると、退避していたヒナタが曖昧に笑った。テンテンの考えていることは大体わかる。こいつ滅茶苦茶なことしやがると呆れているんだろう。

 しかしテンテンよ、一応は救助に来た相手に対して、そういう態度は良くないと思う。うっかり秘孔を突いてしまうかもしれない。

 これが平時なら鉄拳で語り合うところなのだが、緊急事態なので一先ず保留とする。よかったなテンテン、命は助かったようだぞ。

 

「とにかく避難が先だ。ここに居ては後続が攻めてくるかもしれない」

 

 皆が頷いたのを確認して、ネジは文字通り斬って拓いた道を駆け抜ける。今はハナビとリーを安全な場所へ避難させなければならない。

 これが後に木ノ葉崩しと呼ばれる大事件、その序章であるということをネジ達はまだ知る由もなかった。

 

 

 

 

 

 

 木ノ葉崩しが収束したその日の夜のこと。ガイ(なにがし)を除く第三班とネジ家の五人は、のんびりと木ノ葉の商店街を練り歩いていた。

 里の郊外では巨大な狸に加え、それと同じくらい大きな蛙か狐かよくわからない何かが暴れていて大変だったらしいが、里内部の混乱は比較的に早く収束した。

 これも一重に木ノ葉の優秀な忍者達の奮闘の賜物である。彼等には頭が下がる思いだ。ありがとうと感謝の言葉を贈りたい。

 だが未だに戦争の理由と具体的な被害状況が下まで伝わっていないのは問題である。情報伝達の仕組みに何か不備があるのか、それとも想定した以上の被害でも出たか。

 とにかく今は空きっ腹に何か温かいものを入れたい気分だった。戦いというものは体力だけでなく精神も疲弊させる。そんな時は温かいご飯が恋しくなる。

 

「ねぇネジ兄様、お店どこもやってないよ?」

「安心しろハナビ、俺に心当たりがある」

 

 ちなみにネジ達は早々にネジ宅へと引き籠って防衛線を敷いていた。流石に下忍と怪我人と幼女の組み合わせで打って出るなんて無謀な真似は出来なかった。

 ネジ一人で突撃すれば全て解決するのでは、という無茶苦茶だが合理的な作戦案が某所(テンテン)から上がるという珍事もあったが、ネジは聞かなかったことにして黙殺した。

 普通に考えて欲しい。いくらなんでも限界というものがある。自宅の防衛線を維持しながら里中に出現した敵を狩りつくすのは難しい。出来ないとも言わないが。

 

「邪魔するぞ、店主」

「おう、らっしゃい!」

 

 ラーメン一楽と書かれた暖簾を潜れば、店主がニカリと良い笑顔で笑った。ネジも小さく笑みを返す。この混乱の中でも変わらず営業している辺りが流石である。

 他の飲食店は軒並み休業状態で、木ノ葉の里全体がどこか閑散としていた。騒動の直後で萎縮するのはわかるが、直後であるからこそあえて騒いで忘れたいという人種も居ることを忘れないでほしい。

 

「五人だ、外のテーブルを使わせてもらっても?」

「ああ、構わねぇぜ!」

 

 閑散とした木ノ葉において、この一楽だけはいつもと変わらず営業している。何時いかなる時でも最高の一杯を客に届ける。その崇高なる料理人としての誇りは、専門とする分野は違えども素直に尊敬の念が湧く。

 武道家風に言い替えるならば、どんな時でも最高の一撃を相手に叩き込む、といったところだろうか。そんな真似をすれば常時相手は爆発四散してしまうので、ネジには出来ない芸当だ。

 

「醤油を」

「あいよ」

 

 当初の予定通り醤油ラーメンを注文。店主の気風のいい返事が返ってくる。

 ネジがポツンと一人でカウンターに座る中、他の連中は店の外にあるテーブル席でキャイキャイと騒いでいた。女子の比率が多いせいかとても姦しい。男一人で取り残されたリーは少し肩身が狭そうだ。

 今日はあのオレンジと戦った時から、ずっと一楽の醤油ラーメンの気分だった。食べたいときに食べたいものを食べるのが一番。それが信条のネジにとって、今晩は醤油ラーメン一択だ。

 だがラーメンが出てくるまでには暫し時間がかかる。その間に少しつまめるものが欲しい。

 

「餃子と……そうだな、生を一つ」

 

 餃子のお供には、黄金シュワシュワ麦ジュース一択。これ以上の組み合わせがあるだろうか。なおリーには絶対に飲ませてはいけない。大変なことになる。

 麺の茹で時間を脳内で逆算しての餃子注文。一楽の麺は中太麺なのでおそらくラーメンよりも幾分か早く出てくる、というのがネジの計算だ。

 

「ネジにーさまー、こっちも餃子頼んでいーい?」

「いいぞハナビ、今日は好きなだけ頼んでいいからな」

 

 ハナビの可愛らしいおねだりに笑顔で応える。わーいと諸手を挙げて喜んでいるところが微笑ましい。いいんだ、今日は好きなだけ食うといい。

 軍資金はガイ(なにがし)の懐からボーナスとして絞り出させた。青春で脳が汚染されていても流石の上忍といったところか。下忍であるネジとは稼ぎの桁が違った。財布の中身も中々だ。

 そんなわけで今日は心置きなく外食を楽しめる。今回の一件に免じて名称を(なにがし)からガイ先生にまで格上げしてやろう。せめてもの慈悲である。

 ちなみにそのガイ先生は上忍であるせいか後始末に追われているらしい。あまりにも悲壮に言うものだから、大変だなと笑っておいたら肩を落として仕事に戻って行った。

 

「へい、餃子お待ち!」

 

 程なくして餃子と生シュワシュワが出てきた。ネジの完璧な計算通りラーメンより先だ。餃子からうっすらと漂う油の香りが食欲をそそる。小さく手を合わせて、アツアツのうちに頂く。

 カリっと焼き上げられた皮を歯で破ると、弾けるように口内で肉汁が溢れ出した。相変らず店主は良い仕事をしている。肉汁が溢れ出すということは、餡を詰める際に丁寧に皮が閉じられているということ。

 溢れ出した肉汁の舌が焼けるほどの熱さに対抗するのは、もちろんキンキンに冷やされた黄金のシュワシュワ。冷やされたグラスに注がれたそれを、グイっと一気に喉へと流し込む。

 

「……くぅッ!」

 

 思わず声が漏れた。犯罪的な組み合わせだ。熱と冷が口内でレボリューション。添え物であるというのに、これだけで満足してしまいそうになるインパクト。

 一つ目は一気に流し込んでしまったので、二つ目は冷ましてから味わう。ふぅふぅと慎重に息を吹きかけてから口に放る。

 まず感じたのはやはり肉汁だ。濃厚なラードの旨みが口一杯に広がる。そして次に来るのはニンニクのパンチ。ガツンと鼻に抜ける鮮烈な香りが脂の臭みを打ち消している。

 続けて感じるのはシャキシャキとした食感のキャベツ。良いアクセントだ。肉の旨みを損なわず、かつサッパリと食べられる肉と野菜の黄金比率がそこにはあった。

 もう何個か口に放って検分してみたが、他に入っているものはなさそうだ。シンプルだけに素材と技量の問われるメニューであったが、店主は見事なまでに纏め切っている。見事だ。

 しかしまだだ。本命は餃子ではない。今日はあくまでも一楽の醤油ラーメンを味わいに来たのである。大陸に例えるのであれば、ネジはまだ海岸に上陸しただけに過ぎない。序章だ。

 

「しかしネジは本当に美味しそうに食べますね」

「ヒナタと食に向ける情熱の一割でも忍者稼業に向けてくれればいいのにねぇ……」

 

 リーとテンテンが何か言っているが無視だ無視。ネジの人生は第一にツインエンジェル(ヒナタ&ハナビ)、第二に食、その他は有象無象なのである。

 というか彼らはネジが情熱の“一割も”向けて大丈夫だと本気で思っているのだろうか。それだけの情熱を向けるということは、即ちネジが火影の座につくということに他ならない。

 ネジが火影になったのなら真っ先に里のシンボルである顔岩はヒナタとハナビのものに変更するし、宗教も日向(ヒナタ)教で統一する。そこからはネジのネジによるツインエンジェルのための独裁政治が始まるだろう。

 

「醤油お待ち!」

 

 そんな全方位を敵に回しそうなことを考えていると、念願の醤油がやって来た。これだこれ、これが食べたかったんだよ。

 早速スープと言いたいところだが、ここはまず香りを楽しむ。

 

「む、これは……」

 

 芳醇な醤油と共に鼻腔をくすぐるのは、豊かな鶏油(チーユ)の香り。

 前が味噌豚骨だっただけに、てっきりこの店は全て豚骨ベースと思い込んでいたのだが、意外なことにこっちは鶏ガラベースの出汁のようだ。

 驚きに瞠目するネジに、店主がしてやったりとばかりに唇の端を吊り上げる。これは確かにしてやられた。

 このスープ表面に浮かんだ鶏油からして、おそらくスープは鶏ガラだけでなく、鶏足(もみじ)も一緒に煮込んで作られた濃厚な仕上がりと見た。

 

「それでは……いざっ!」

 

 戦に向かうような心地で、スープを一口。その瞬間、旨みの爆薬がネジの口内で炸裂した。鼻の奥から突き上げられるような風味にネジは暫し唖然となる。

 醤油ラーメンは醤油と銘打ってはいるものの、使われているのは生醤油ではない。厳密に言うのであれば、使われているのはチャーシューを味付けする際に使われた“醤油ダレ”だ。

 そして一楽のチャーシューが絶品であるというのは周知の事実。つまりそれの味付けに使われ、チャーシューの旨みが落ちた醤油ダレもまた絶品であるということ。

 はっきり言って、旨みの凝縮された醤油ダレは個性が強い。だからそれに埋もれて、スープの味など二の次になってしまうのではないかとネジは危惧していた。だがそれは杞憂であった。

 

「なんと濃厚な香り……これが鶏油の魔力!」

 

 鶏ガラと鶏足からとられたのであろうスープは、醤油ダレにも負けないほどに鮮烈な“個性”を持っている。すなわち鶏ガラと鶏足による、鶏油の旨みダブルパンチだ。

 この組み合わせは一見すると重いようにも思えるが、一緒に煮込まれた葱や生姜といった薬味達がスープから重さを綺麗に打ち消していて、一杯の丼に収まる頃には完璧なバランスを披露している。

 思わず寸胴鍋を凝視すると、その中では案の定というべきか。黄金と形容するのが相応しいスープがグラグラと踊っていた。

 

「も、もう辛抱ならん!」

 

 一杯の丼に魅了されたかのように麺を啜る。麺は変わらず中太のストレート。スープによく絡む構成だ。この個性の塊であるスープにおいてもなお香る小麦の香りは、この麺が今日の朝に打たれたものであることを示している。

 一心不乱に丼と格闘していたネジの箸が、ふと止まった。とあるトッピングに目が留まったからだ。

 

「……ナルト、か」

 

 これを見ると、どうしてもあのオレンジヘッドを思い出してしまう。だが食材に罪はない。美味しく頂こうではないか。

 厚めに切られたナルトからは、微かな魚の旨みと甘みが感じられる。この海の幸は、鶏の魔力よって支配された口内をリセットしてくれるのだ。

 心持ちを新たにしたネジは再び丼と向き合う。ここは手堅く麺に行くべきか、それともスープか。意表をついてトッピングのメンマという手もある。

 

「だがここはあえて……ラーメンの目玉トッピングである、チャーシュー!」

 

 ネジはこれでもかと言わんばかりに自己主張する大判のチャーシューに挑む。

 前回は味噌の上で活躍していたチャーシューだが、今回の醤油は正にホームグラウンド。また違った味わいを見せてくれるはずである。

 醤油スープでひたひたになったチャーシューを口に運ぶ。

 

「むぅ!」

 

 唸るしかない。やはり素晴らしいチャーシューだ。そして醤油スープと絡められたことによって、以前にも増した味の調和が感じられる。

 噛めば噛むほど醤油ダレの味がじゅわりと染み出してくる。醤油ラーメンのタレはこのチャーシューから産まれたのだから当然と言えば当然だ。こんなの合うに決まっている。

 

「……はふっ……ずずっ……はふっ……」

 

 そこからは一心に麺とスープを楽しんだ。気付けばまたもや丼は空になっていた。

 恐ろしい。一楽とはネジを引き込む魔境なのではないか。荒い息を吐いたネジは、カウンターの下にぶらりと力を失った腕を下げた。

 

「……店主、見事だった」

「坊主も良い食いっぷりだったぜ!」

 

 こうして戦いの夜は更けていった。気力を振り絞るようなラーメンとの戦いに、ネジは精も魂も尽き果てたのだった。

 




中忍試験が終わったので宣言通りにラーメン食わせました。
疲れた時は温かいものを食べるのが一番だと思うのです。
なお下っ端への情報伝達については本文の通りなので、ネジ兄さんたちは何も知りません。

ちょっとだけあらすじ変更。


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第十三話

テンテンを修行させるだけ。



 木ノ葉崩しの折、三代目火影が逝去された。一週間前のことだ。

 火影といえば木ノ葉隠れのトップ。それが居なくなるのだから、関係各所の混乱は大変なものだった。

 四代目が逝去された際には引退していた三代目が復帰することによって混乱の早期解決が図られたらしいが、今回はそう簡単にいかないだろう。なにせ一代目から四代目まで全員が墓の中だ。

 

「ふぅむ……」

 

 ネジは自宅の縁側で座禅を組みながら唸った。これは中々に大変な事態なのではなかろうか。

 上忍であるガイなどは対応に追われててんやわんやだ。とてもではないが里全体が正常に機能しているとは言い難い。

 

「ネジ兄さん、テンテンさんが来てるけど……」

「……む、今行く」

 

 ヒナタの呼ぶ声に、思考の海へと埋没していた意識を戻す。

 そもそもネジが悩んでも仕方がないことなのだ。ネジの身分は所詮、一介の下忍に過ぎない。そんな存在が何を考えたところで無駄に決まっている。

 なるようになる。そう信じて日々を送るしかない。

 だがそれにしても、多少の恩がある里のために何も出来ない現状は歯痒いな、とネジは小さく唸りながら居間へと向かった。

 

「で、急に訪ねてきたかと思えば……日向神拳を覚えたい、だと?」

「うん、ダメかな?」

 

 突拍子もなく訪ねてきたテンテンが言い出したのは、そんなことだった。

 

「むぅ……」

 

 ネジは唸った。別にテンテンに日向神拳を教えるのは構わない。日向神拳は一子相伝というわけでもない、オープンソースの暗殺拳法だからだ。

 だが習得のために越えなければならないハードルは果てしないほどに高い。それはもう雲を突き抜けるほどに高い。

 

「そもそもテンテン。どうして急にそんなことを言い出した?」

「私って中距離以遠での忍具の扱いは得意でも、近接戦闘ってイマイチじゃない? だからそこを補えないかなって」

「それで日向神拳か」

 

 日向神拳は近接武術の中では最強の一角だろう。何せ相手に触れるだけで、それが即死級の攻撃になるのだ。その威力と効力については推して知るべし。

 とはいえテンテンの場合、比較対象が悪いようにも思う。周りに居るのがガイを筆頭にした体術馬鹿軍団なので、己の強さを上手く計れていないのだろう。実際には彼女の体術は中忍にも通用するレベルだ。

 ネジは唸った。日向神拳伝承者が増えるのは良いことだ。既存の日向を過去のものにすると宣言した以上、新しい日向神拳を広めて喧伝しなければならない。それは避けて通れない道でもある。

 しかしそのために解決しなければならない問題も多かった。

 

「結論から言うと……無理だな」

 

 ネジの言葉に、テンテンがあからさまに落胆する。だが仕方がない、日向神拳を扱うには天賦の才が必要なのだ。

 

「日向神拳を使うには、どうしても白眼が必要になる」

「白眼が?」

 

 北斗神拳(ほんもの)は純粋な技術の積み重ねで秘孔の位置を判別しているが、日向神拳(ぱちもの)は白眼とチャクラコントロールで秘孔を疑似的に再現しているに過ぎない。

 チャクラの放出孔である点穴から直に経絡系に干渉する、という性質上、最低でも点穴と経絡系の位置を正確に把握するための方法が必要だった。それに最も適していたのが白眼だったというだけだ。

 

「複雑な経絡系と点穴を白眼無しで見切れるなら話は別だが」

「そんなネジみたいなことは出来ないかなぁ……」

「テンテン……お前は俺のことを何だと思っているんだ?」

 

 神仙か、それとも悪魔の類か何かと勘違いしていないだろうか。テンテンと話していると時折そんな気がしてくる。少なくとも人間扱いはされていない。

 ネジ自身も割と人類から卒業しつつある自覚はあるので構わないといえば構わないのだが、こうして明け透けにその態度を示してくる猛者はテンテンくらいのものだ。

 

「じゃあ日向神拳は無理かぁ……ごめんねネジ、時間とらせちゃって」

「まぁ待てテンテン、そう結論を急ぐな」

 

 肩を落としたテンテンをそう諭す。確かに日向神拳の習得は無理だが、近接戦闘術に関しては心当たりがある。

 

「日向神拳は無理でも、日向聖拳なら習得出来るかもしれない」

「日向聖拳っていうと……中忍試験の時に使ってた水鳥拳みたいな?」

「そうだ、その日向聖拳だ」

 

 日向神拳と双璧を成す、もう一つの日向の拳。それが日向聖拳。

 こちらは完全に外部破壊のための技なので、点穴やら経絡といった難しい話は一切出てこない。チャクラさえ扱えるのであれば誰にだって習得することが可能だ。

 

「あれって私でも使えるの?」

「むしろ日向神拳より難易度は低い」

 

 何せ天賦の才なんていう代物が必要ない。誰でも努力で強くなれる。それはとてもハードルが低いということだと思うのだ。

 なおあくまでも努力次第なので、誰でも簡単に強くなれるわけではない。その辺りは注意が必要である。鍛えなければナマクラなのは、刀も人も同じなのだ。

 

「そういうわけで早速だが演習場に行くぞテンテン」

「あ、うん……なんだろう、この微かに感じる不安感……」

「早くしろテンテン、置いていくぞ」

「ま、待ってよネジ!」

 

 

 

 

 

 

 そんなわけで到着した演習場はガラガラだった。あんな事件が起こった直後だけに当然なのかもしれない。上忍達も部下の教導にかまけているような暇はないだろう。

 早速とばかりに、ネジは運んできた丸太を指さした。

 

「ではテンテン、この丸太を斬れ。勿論だが素手でだ」

「ねぇネジ、冒頭からいきなり無茶苦茶なこと言ってるのわかってる?」

 

 無茶苦茶とは言いおるわ。しかしこの日向ネジ、無茶は言っても無理なことを言ったりはしない。

 

「ヒナタは初見で一発クリアしたが?」

「日向一族ってそんなのばっかりなの!?」

 

 そんなのとは失礼な。日向一族に対する罵倒はともかく、ヒナタに対する罵倒は許さんぞ。テンテンでなければこの場で醒鋭孔を叩き込んでいたところだ。

 とはいえ見本もなしではテンテンも辛かろう。とりあえずやってみせる、というのは教導においてとても大切だ。そういうわけで実演をしてみせる。

 

「基本はこうして手刀に薄くチャクラの刃を纏わせる。鋭ければ鋭いほど良い」

 

 本来なら見えないほど薄く鋭くするのだが、テンテンに見せるためにわざと派手に手刀へチャクラを纏わせる。ぶぅんとチャクラが細かく空気を振動させているのがわかる。

 それを丸太に軽くそえると、それだけで驚くほど簡単に丸太に手刀が埋まっていく。深夜の通販番組でも通用するほどの驚きの切れ味だった。

 さぁ今度は君の番だぞと視線を向ければ、テンテンは唖然としたまま固まっていた。ここまでで何かおかしいことでもあっただろうか、常識的になるようにだいぶ気を使ったつもりなのだが。

 

「……それって形態変化だよね?」

「けーたいへんか?」

「その辺を全く知らないのが凄くネジらしいと思う」

 

 呆れられてしまった。聞くところによると、こうして放出したチャクラの形を変化させることを形態変化というらしい。なるほど、また一つ賢くなってしまった。

 

「最終的にこれを指単位で出来るようになれば、一先ず基本編は完了したと言って良いだろう」

「ねぇ、ネジ……それ結構な高等技術な気がするんだけど……」

 

 そうは言っても日向聖拳では基本中の基本なのだから仕方がない。発展形ともなればこれと同じことを全身で出来るようにならなければならないのだから、こんな簡単な所で躓いて貰っては困る。

 そもそも日向神拳にしろ、日向聖拳にしろ、こうした高等技術の集合体のようなものなのだ。一つ一つの技術を地道に習得することによって、やがて優雅な舞のように相手を切り刻めるようになる。

 ちなみにネジは気付いたら出来るようになっていた。努力とは日向ネジから最も遠い言葉であると断言しても良い。しかしそんなことはお構いなしに、ネジはテンテンへ尊大に言ってのけるのだ。

 

「こんなのは基本中の基本だ。最低でもこれが出来なければ、水鳥拳など夢のまた夢だぞテンテン」

 

 ちなみにネジにかかれば、触れずともその場で指を立てるだけで丸太を真っ二つにすることが出来る。テンテンが言うところの形態変化させたチャクラを極薄の刃状にして高速で発射する奥義だ。

 あまりに刃が鋭すぎて切断面の反対側から切り開かれ始めるくらい、ネジの日向聖拳は凄まじい代物だった。人に向けては絶対にダメなやつである。

 

「チャクラを放出して、纏わせて、形態変化……これ会得難易度が凄まじいことになりそうだなぁ……」

「だが会得さえしてしまえば近距離戦でこれほどに頼れる武器もないぞ?」

「そうなんだよね……」

 

 うーん、とテンテンは考え込んでしまった。そこまで考えることだろうか。もっと気楽に、通信空手を習い始めるくらいの心持ちでいいのではないかと思うのだが。

 中遠距離では忍具の射出による面制圧能力、近距離では日向聖拳による圧倒的な格闘能力。この二つを兼ね揃えれば、テンテンは忍として一つ上の高みに上ることが出来るのだ。

 

「うん、決めた! お願いネジ、私に日向聖拳を教えてください!」

「……修行は辛いものになるかもしれないぞ」

「覚悟の上よ!」

「一度始めれば修行が一段落するまで許さないが……それでも?」

「ちょ、ちょっと不安だけど、どんな苦行もドンとこい!」

「ふむ、良い心意気だ」

 

 ならば修行を始めよう。ネジはどこからか巨大なツボを取り出した。

 

「あの、ネジ……これは?」

「ツボだな」

「いや、そうじゃなくて……中身のことなんだけど」

「石だな」

「その石が熱で真っ赤になってるんだけど」

「そうでなくては修行の意味がないだろう」

 

 これはネジが修行用に木ノ葉の忍具屋さんにお願いして作って貰った、中の石がいつまでも冷めない特製保温ツボだ。定価にして二十八万両の品物。

 日向宗家の師範代だった頃の給金を考えればお買い得であったが、今なら手を出そうともしないくらいには高価な代物だった。

 

「あの、ネジ……私に何をさせる気なの?」

「ここに手刀を叩き込む。中の石が細かい砂になるまでな」

 

 限界まで熱された石は大気を揺らしながら、遠くで見ているだけのネジ達の額から汗が滲むほどの高温を発していた。触れれば火傷どころではすまないだろう。

 テンテンがツボを見た。そしてネジを見た。またツボを見た。そして逃走の姿勢に変わった。

 

「おうちかえる!」

「しかし残念、回り込まれてしまった」

 

 無双流舞でテンテンの逃走方向へと回り込み、襟首を掴んでツボの前に投げ飛ばす。ネジは普段は温厚な人間だったが、修行をつけるとなったからには鬼畜スパルタに変身するのだ。

 

「さぁ、やれテンテン」

「むりだよぅネジ! こんなのに手なんか入れたら焼けちゃうよぅ!」

「チャクラを手に纏えば大丈夫だ、ほら」

 

 泣き言をほざいているので、実演とばかりにツボへと手刀を突き入れる。肘までずっぽりだ。ほーら熱くない、熱くない。

 

「そんなの出来るのネジだけだってばぁ!」

「ヒナタも出来た、その妹のハナビも出来た、だからお前も出来る」

「そんな三段論法要らないから! ほんと日向一族ってどうなってんのさ!」

 

 そんなもの日向から抜けたネジが知るわけもない。とりあえずあの姉妹は大丈夫だったというだけの話だ。とにかくやれ、せめてやってから泣き言をほざけ。やったこともない奴が何を言っても仕方がない、何事も経験だ。

 第一、ネジが不可能な試練を課すわけがない。テンテンなら可能だと踏んだ上でこの修行を強制するのだ。そもそもこのツボ漬修行法にしても、一見すると拷問にしか見えないが実際は素晴らしく効率的な修行法なのだから。

 熱さから身を守るために常にチャクラを纏う練習になるし、石を切り裂くことによって形態変化の練習も一緒にできる。一石二鳥である。石だけに。日向聖拳だけに。

 これが砂に変わる頃には、きっとテンテンの手は立派な凶器に変貌していることだろう。今から愉しみで仕方がない。仲間の戦力アップは悦ぶべきことだ。

 

「そういうわけだ、やれテンテン」

「ふぇぇ……もう滅茶苦茶だよぅ!」

 

 泣きながら半ば自棄になったテンテンがツボに手刀を突き入れた。ほら大丈夫だった。言うほど難しい修行ではないのだ。

 そしてこうやってなんやかんや言ってもキッチリ修行に励む辺りがやはりテンテンなのだなと、ネジはそんなどうでもいいことを考えていた。

 

 

 

 

 

 

 その晩のこと。台所でヒナタは小さくはにかんだ。今晩のお味噌汁はとても上手に出来た。

 鰹で取った出汁に、具材はワカメとお麩、そしてネギ。シンプルだがそれゆえに出しゃばらない。添え物としての分をわきまえた美のようなものを感じる。

 ちょうどご飯も炊きあがった。業務用炊飯器のランプが点灯する。ご飯は沢山炊いたほうが美味しい気がするのは、決してヒナタの気のせいではないだろう。

 一通りのことは出来るようになったが、料理の腕はまだまだネジには及ばない。武術と同じで精進あるのみだ。

 鼻歌を歌いながらエプロンを外したヒナタは、ネジを呼びに行くことにした。この時間ならば縁側で瞑想をしているはず。

 

「ネジ兄さん、晩御飯の用意が……」

 

 言いかけて、ヒナタの言葉が止まる。

 ネジは座禅を組んだまま、ジッと空を見上げていた。その視界の先を目で追えば、そこには真ん丸なお月様があった。今にも落ちてきそうなほどに輝いている。

 ヒナタにはネジのその姿が、どこか儚いものに見えた。このままどこか遠くへ行って、そのまま消えてしまいそうな、そんな脆さがネジからは感じられた。

 その考えを振り払うように、ヒナタはぶんぶんと頭を振った。ネジに限って有り得ない。だってネジ兄さんは誰よりも強いのだから。だから居なくなったりはしない。

 けれどその不安を煽るかの如く、ネジの瞳は虚ろだった。月に反射しているのか、キラキラと光の粒子を散らしたかのように輝く瞳は、美しいが酷く無感情だ。

 思わずヒナタは叫んでいた。

 

「ネジ兄さん!」

「……ん? ああ、ヒナタか……どうした?」

「どうしたじゃなくて……」

 

 ネジの瞳から先ほどの光は消え、生気が戻っていた。あの儚く消えそうだった雰囲気ももうない。あれは幻だったのかとヒナタは目を擦った。

 

「ご飯が出来たから呼びにきたの」

「ああ、そうか、すまないな……」

 

 ネジはいつも通りだ。何の心配もない。

 そう頭ではわかっているはずなのに、なぜか胸騒ぎがした。

 




おや、ネジ兄さんの様子が……。

ネジ兄さんにはこれからもお腹いっぱいになってもらう予定なんですが、いっそグルメ系で一本SS書こうかなと思案中。


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第十四話

シリアスが仕事をし始める。

ちょっと時間がなかったので細部まで手が回りませんでした。
細かい所は後日修正するかもしれません。



 ある夜のこと。正座するネジの前に、怒り心頭のヒナタが仁王立ちしている。

 

「どうするの、ネジ兄さん」

「……どうするかな」

 

 本当にどうしたものか。ネジとしては頭を抱えるしかない事態だ。まさかこんなことになるとは思ってもみなかった。

 

「ねぇ、ネジ兄さん……お金、ないんだよね?」

「ああ、ないな」

「それなのにお仕事までなくなっちゃって……どうするの?」

「……どうするかな」

 

 問題はネジが三代目火影と交わしていた契約にあった。あろうことかネジは、三代目火影と直接の雇用契約を結んでいたのである。ネジが木ノ葉で働くにあたっての最低ラインがその契約だった。

 つまるところネジの立場は火影に雇用された下忍待遇の傭兵であって、決して里の下忍ではないのだ。

 それの何が問題なのかといえば、三代目火影が死ぬことによってその契約が強制的に破棄されてしまったことだ。要するに日向ネジは目出たく忍者をクビになったのである。

 日向ネジ、学歴なし、無職。強烈な文面だ。

 

「すまないヒナタ。三代目なら大丈夫だろう、と高を括っていたのが間違いだった」

 

 せめて三代目が五代目に契約を引き継ぐまで存命であったなら話は別だったのだが、三代目の顛末はあの通り。

 この間までは宙ぶらりんのまま下忍で居られたのだが、先日五代目が着任した際に雇用契約が露呈。あえなく契約破棄からの失業と相成った。

 とはいえここで簡単に再契約をしてはいけない。木ノ葉はネジに首輪をつけたがっている。おそらく再契約ともなれば、上忍待遇での契約に変更されてしまうだろう。

 下忍待遇で安全圏から平和な生活を送りたいネジにとって、これは死活問題だった。相手が焦れて、前回同様の下忍待遇で迎え入れるまで我慢比べをしなければならない。

 

「問題は再契約までどうやって食い繋ぐか、だが」

 

 無論だが前回の契約にメリットがなかったわけではない。給金には多少の色がついていたし、何より三代目火影直々の庇護があった。日向家の檻から出たネジがヒナタを守るには、どうしても後ろ盾が必要だったのだ。

 それを得るための契約であったし、それのおかげでネジ達は権力から守られた状態にあった。今更なんの弁明にもならないが、あの形態で契約することの意味はあったのだ。

 

「……とりあえず食っていくだけならアテがないこともない」

「ネジ兄さんのアテって大体アテにならないんだけど……大丈夫?」

 

 凄く心配そうにヒナタが問いかけてきた。欠片も信用していない目だった。ネジは少しだけ泣きそうになる。あくまで泣きそうになっただけで泣いてはいないはず。

 

「こ、今回は大丈夫だ。少々特殊な環境のようだが、穏やかに暮らすぶんには一生困ることはない……はず、多分」

 

 ネジが必死に弁明するも、なお訝しげなヒナタ様。どうやらこの手のことに関しては、信用は地を這う虫以下と思っておいたほうがよさそうだ。

 それで問題のアテについてだが、毎度の如く飛んでくる電波から得た情報なので今一つ信用出来ないものの、試してみる価値は充分ある。特に今の状況を打破するためにはうってつけのはずだ。

 

「そういうわけで俺は今からそのアテを当たってみる」

「え? 今から行くの?」

「正攻法での到達方法がわからない以上、ゴリ押しで行くしかない場所だからな……そのためには夜のほうが都合がいい」

 

 それにいくつか確かめたいこともある。ついでにヒナタのストーカー予備軍だとかいう謎の人物についても対策を講じておきたい。

 

「そういうわけで、サッと行ってサッと終わらせてくる」

「えぇ……?」

 

 そんなわけで。

 困惑するヒナタを置いて、ネジは単身、月へと向かったのだった。

 

 

 

 

 

 

 翌朝のこと。ガンガンと玄関を叩く音がした。

 庭で朝の鍛錬をしていたヒナタは、何事かと玄関へと向かう。そこには任務用の装備を整えたシカマルが居た。

 

「朝からすまねぇな、ネジは居るか?」

「えっと……ネジ兄さんに用事?」

 

 ヒナタは困ったとばかりに眉をハの字にしてみせた。タイミングが悪い。

 

「ごめんねシカマル君、ネジ兄さんは昨日の夜から留守にしてるの」

「そりゃ参ったな……どこに行ったのかわかるか?」

「えっと……月だって」

「……つきってあの月か?」

 

 シカマルは訝しげに空を指さした。その通りだ。ネジはその月に行ってしまったのだ。ヒナタもその目で見ていなければ、こんな荒唐無稽なことは言えなかっただろう。

 日向水鳥拳の奥義に、使い方を間違えると何故か無限に天高く上昇し続ける拳がある。ネジはそれを使って、月まで飛んで行ってしまったのだ。物理的に。

 まさか日向水鳥拳にそんな使い方があるとは思わなかった。とはいえヒナタの場合、例えそうやって使えると知っていてもネジのように実行に移したりはしないが。

 

「……相変らず常識の通用しねぇ奴だな……」

「な、なんだかごめんね?」

「いや、ヒナタが謝ることじゃねぇよ……アイツがおかしいんだ」

 

 身内のことだ、ヒナタが謝るのも当然だった。それにネジに常識が通用しないのは確かなのだ。近頃はヒナタもその領域に片足を突っ込んでいるような気もするが、流石にネジほど人間を辞めてはいない。

 困った様子で目を逸らすシカマルに、ヒナタが尋ねた。

 

「なにかあったの?」

「……一応極秘なんだが……そのうちヒナタの耳にも入るだろうし構わねぇか」

 

 シカマルが言うには、あのサスケが大蛇丸なる人物にそそのかされ、里を抜けようとしているらしい。シカマルは小隊を組み、それの追跡に向かうのだそうだ。

 サスケはおそらく力を求めたのだろう、というのがシカマルの予想だった。そんなことをするくらいなら、ネジに弟子入りしたほうが数段手っ取り早いと思うのはヒナタだけなのだろうか。

 少なくとも先日ネジに師事したテンテンは凄まじい勢いで強くなっている。体術だけに限れば上忍レベルと言っても過言ではないだろう。

 

「ネジが居れば心強いと思ったんだがなぁ……」

 

 心強いというか、むしろ過剰戦力だ。

 里上層部はネジという戦力をどう考えているのだろうか。日向神拳は一騎当千の拳法。それをたかが下忍の追跡に充てるなどバカげている。幼児の喧嘩に火影が出張るようなものだ。

 そんなことを考えていると、ふとヒナタの脳裏に閃いた案があった。日向神拳の使い手はここにもう一人居るではないか。念のために一度脳内で吟味してみるものの、悪くない案に思える。

 

「あ、あの、シカマル君……私でよければ……行くよ?」

「ネジの代わりにってことか? そりゃありがたい話だが……大丈夫なのか?」

 

 ここでシカマルの言う大丈夫なのかとは、勝手にヒナタを危険な任務に連れ出したことがバレて、後になってネジに報復されるのが怖いのだが大丈夫なのか、という意味だ。

 決してヒナタを心配しているわけではない。ヒナタの実力は同期の間では有名だ。中忍選抜試験でのネジとの日向神拳合戦もそれに拍車をかけた。

 

「ネジ兄さんに依頼ってことは、五代目様から別途で報酬が出るんだよね?」

「ああ、確かにネジ用に預かった金はあるけどよ……」

「だったら大丈夫」

 

 今はとにかく纏まったお金が必要だった。稼ぎのためだと言えばネジも強くは言えないだろう。今の資金難に一番危機感を持っているのはネジなのだから。

 そういうわけでネジが報復する可能性はとても低い。ゼロではないところが少々アレだが、何事にも絶対はないのだから勘弁してほしい。

 そんなわけで、ヒナタはサスケの追跡をすることになった。

 

 

 

 

 

 

 一方その頃、ネジは無事に月へと到着していた。

 そして月の中にはもう一つの世界がある。空気もあれば水もあり、空だけでなく昼夜すら存在する。

 ネジはそんな月の内部にある、とある遺跡にやって来ていた。その足取りはまるで熱に浮かされたように覚束ないものだった。

 

「……お前……いや、貴方が俺に知識を植え付けたのか」

 

 朽ちかけた墓に向かって、憔悴した様子のネジが問いかけた。

 時折ネジの脳内に流れ込む電波。それが発信されているのは間違いなくこの場所からだ。

 ぼぅっと光る手の平サイズの玉がどこからか現れ、ネジの周囲をグルグルと回る。

 

「あんなものを見せて……力まで与えて俺に何をさせたい? 地上を滅ぼせとでも言うつもりか」

 

 ネジの白眼が脈動する。“彼”が何かを伝えようとしている。

 瞬間、膨大な量の知識がネジの脳内に流れ込んでいく。あまりの衝撃に、ネジは思わず膝をついた。息が荒くなる、目の焦点が合わない。

 

「大筒木……? なるほど、貴方が“そう”なのか」

 

 ならばこれが世界の真実、この世界の未来。

 十尾やらカグヤやら、あれはネジの妄想というわけではなかったらしい。

 

「なるほど、それで俺を選んだというわけだ」

 

 光る玉は肯定するように何度か明滅すると、そのまま空気に溶けるようにして消えていく。

 ネジは舌打ちを零し、拳を遺跡の石床に叩きつける。ミシリと床から嫌な音が鳴る。暫しネジの荒い息の音だけが遺跡の中に響いた。

 

「……人生、ままならんものだ」

 

 息を静かに整える。ここで憤っていたところで、事態は何も変わらない。

 自嘲するような笑みを浮かべたネジは、そのまま無言で月を後にするのだった。

 

 

 

 

 

 

「ただいまっと」

「おかえりなさい、ネジ兄さん」

 

 ネジが帰宅すると、やたらと機嫌の良いヒナタに迎えられた。何か良いことでもあったのだろうか。

 後ろ手に隠していたそれを、ヒナタがどうだと言わんばかりに見せつけた。

 

「えへへ、見て!」

 

 それは千両札の束だった。数か月分の生活費にはなるだろう。

 褒めてとばかりにヒナタがはにかむ。

 

「……ヒナタお前……」

「どう? 頑張ったんだよ」

「何か悪いことでも手を出したんじゃ……」

「ネジ兄さん?」

 

 無論だが善良という文字を人型にしたような存在であるヒナタがそんなことをするとは思ってはいない。冗談だ、日向ジョークというやつである。

 だからそんな怖い顔をして凄まないで欲しい。他人から見れば笑っているようにしか見えないのかもしれないが、付き合いの長いネジにはそれが絶対零度の微笑みだということがよくわかる。

 

「……それよりも飯にしようじゃないか」

「誤魔化してるでしょ」

「そ、そんなことはないぞ!」

 

 そうだ、そんなことはないのだ。だから早く飯にしようじゃないか。

 実は良い鶏肉が手に入ったのだ。今日は豪勢に丸焼きにでもしよう。産地が月とかいう良くわからない代物だが高級品には違いない。

 

「どうせ月に行くのなら、兎でも狩猟してくるべきだったか……?」

「ネジ兄さん?」

「いや、なんでもない」

 

 

 

 食事が終わった後、縁側で月見をしながら、ふとネジが問いかけた。

 

「なぁ、ヒナタ。この世界は好きか?」

「……急にどうしたの?」

「少し思うところがあってな……それで、どう思う?」

 

 きっとネジの瞳がいつになく真剣だったからだろう。ヒナタは暫し逡巡した末に、言葉を紡いだ。

 

「私は好き、かな。辛いことも沢山あるけど、ネジ兄さんが居て、ハナビが居て……そんな世界が私は好き」

「そうか……そう、だな」

 

 ネジも同じだ。この世界が好きだ。ヒナタが居て、ハナビが居て。最近はそこに第三班のメンバーも加わった。

 そんな世界はとても眩しくて尊いものだと、ネジは心の底からそう思う。ならばネジが進むべき道は一つ。最早迷いは晴れた。

 

「すまない、ヒナタ」

「……えっ?」

 

 ネジはヒナタの秘孔を突いた。抵抗はなかった。

 

「な、どうして……ネジ、兄さ……」

 

 意識を落としたヒナタを支える。明日の朝までは確実に目覚めることはない。

 

「すまないヒナタ、だが俺は……行かなくてはならない」

 

 月の意思が言っていたことが全て本当だとは限らない。だが従うにしても、背くにしても。どちらにしてもネジは真実を知る必要がある。

 きっと旅は険しいものになるだろう。遥か昔のことだ、望む情報が残っているかも怪しい。

 けれどもネジは行かねばならない。そしてそれはネジが一人で為さなければならないことなのだと思う。ヒナタを連れていくわけにはいかない。

 ヒナタを布団に寝かせると、ネジは手早く荷物を纏めた。元々ネジの私物はあまり多くない。持ち出すものと言ったら、最低限の食料と中華鍋、それに厳選した聖典(ヒナタの写真)くらいのものだ。

 外に出たネジは、ジッと天に在る月を睨み付けた。その瞳には二重十字の紋が輝いている。

 

「死んだ人間が余計な面倒をかけてくれる……恨むぞ、大筒木ハムラ」

 

 植え付けられたあの知識がもし嘘だったのなら、月ごとあの遺跡を両断してくれる。ヒナタから離れさせるのだから、それくらいの覚悟はあるのだろう。

 その日、日向ネジは忽然と木ノ葉の里からその姿を消した。置手紙すらなかった。

 

 




駆け足ですが、これにて第一部完。
完結編に関しては、書くかどうか未定です。


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