私はグルメである。 (ちゃちゃ2580)
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少女、拉致。

 晴れ渡る空。

 私は濁る視界で見上げて、小さく唸った。

 

 頭上に広がる一面の青色。

 私が知る限りでは早々お目にかかれないものだった。

 普段の根城は洞穴で、偶に外へ出てきても、空は飛竜達が我が物顔で飛んでいる。私に翼が無い以上、そこに居る者達の気まぐれでしか、景色は変わらない。変えられない。

 

 一重に、奇跡的な景色だった。

 

 空は広い。

 私の巨躯を持ち上げうる強靭な翼さえあれば、きっと私の知る世界はもっと広かったろう。

 あの彼方へと、行けるものなら行ってみたい。

 もしかするとその先に、私が悠々と過ごせる大地があるかもしれない。

 

 いや、期待するのはよそう。

 無いもの強請りも宜しくない。

 

 何せ私は――。

 

 

 私は生まれた時からひとりだった。

 それを孤独と知ったのは最近で、嘆く事こそ無かったものだが……私と同じ眷属(けんぞく)と会った事は無い。自分を産み落としたと思われる者の亡骸ならば、見た事はあるが……。

 

 誰とも通じ合えぬ言葉を持ち、誰とも分かち合えぬ感情を持ち、今にして思えば、天涯孤独とは中々に残酷だ。知らぬ無垢さが、当時の私の救いだったのだろう。

 そして、私は自発的に群れを成す事も無かった。

 むしろ群れを成すという概念さえ、持ち合わせちゃいなかった。

 

 目に見える全ては――食料。

 

 私の本能はそう訴える。

 子と妻を引き連れ、決死の形相で逃がそうとする草食獣を屠る。そして喰らう。

 卵を背に、翼を広げて威嚇する緑色の飛竜を、『何故逃げないのか?』等と考えながら(ほふ)る。そして卵共々に喰らう。

 

 満たす為なら何だってしてきた。

 何だって喰らってきた。

 

 時に私を屠ろうとして来たらしい人間を屠り、喰らい。

 その味気無さに落胆し、腹いせとばかりにその仲間を蹴散らし。

 

 思えば今までの人生、どれ程の肉を喰らったかが分からない。

 

 

 そんな私の転機は、とある人間との出会いだった。

 

 

 その頃の私は、各地を転々としていた。

 満たされぬ腹に促され、より多くの獲物が居る土地を探し、歩き回っていた。

 

 そして行き着いた密林。

 兎に角木々が多く、歩き回るのには少々邪魔臭かったが、豊富な自然に相応するぐらいの獲物が居た。その頃の私にとっては、獲物の多さが絶対的な価値と言えただろう……邪魔臭いものは破壊すれば良しとして、暫くの間を過ごしていた。

 

 ある晴れた日の事。

 不意に空を飛ぶ飛竜を見上げて、私は涎を零す。

 

 腹が減った……。

 私は獲物を求めて、徘徊を始めた。

 その日の狩りは順調で、すぐに灰色の皮を持つ草食獣の一家を仕留めた――仕留め損なうこと等、早々無いが――。彼等のよく脂がのった肉を喰らい、一通り満足する。

 

 丁度その頃だった。

 私が居た崖の上に、微かな匂いが漂ってきた。

 

 自然と喉が鳴り、新たな獲物を見付けた……と、本能が訴える。

 促されるままに、崖下を覗いた。

 

 そして、私は落胆する。

 

 そこに居たのは、若い人間の娘だった。

 布切れで身体を覆っており……おそらく、成体になっていない者だった。

 よく私を屠りに来る不味い着物を纏った者達ではない様子だ。

 

 彼女は籠を提げ、背後の崖上から見下ろしている私には気付いていない。

 どうにも急いでいる様子で、何かを探しているように見えた。

 時折辺りを窺っているような様子はあるが……腰を降ろしているので、急襲に備えているようには見えない。

 一重に、とても簡単な獲物だった。

 

――しかし、人間は不味い。

 

 そんな概念を思い起こし、でも腹は減った……と、私は迷う。

 喰うか喰わぬか……喰わぬならば殺す必要は無いし、このまま立ち去れば良い。下手に動いて、余計に腹が減るのは困りものだ。

 私は小首を傾げ、自然と溢れてくる涎を味わう。

 決して上物が目に留まっている訳ではないと言うのに、涎ばかりは溢れん程に出てくる。()()を食せと、本能が訴える。

 有り体に言って、煩わしい。

 これを拭う為ならば、あの人間を屠る事自体は、決して無駄ではないと思わせる。

 

 しかし今は、理性が飛んでしまう程、腹が空いている訳では無い。

 腹は何時でも空いているが……つい今しがた草食獣を喰らったが故か、動く事に対する損得勘定を働かせられる程だった。

 それによると……実際の所、面倒臭いという感情が一番に出てきた。

 あんな肉もついていなさそうな人間を喰らったところで、満足出来る筈が無い。特に人間の臓物はくせが強く、そこらの草食獣の方が余程美味なのだから。

 

 諦めて踵を返そうと、私は頭を振るう。

 口内で溢れかえった涎が煩わしいのは、帰り際に他の草食獣でも喰らう事にしよう……そう決めた。

 

 と、した時だった。

 

「きゃあ!!」

 

 理解出来ぬ叫びを聞く。

 それは私の知る限りでは、人間が危機的状況に置かれた際に発する声だった。

 

 む……見付かってしまっただろうか?

 

 そう思い、半ば直角に返していた踵を正す。

 そして今一度崖下を覗き込んだ。

 

 すると、やはり先程の人間が居た。

 森林に囲まれた広場の端で、腰を抜かしたような体勢をしている。

 折角拾い集めたものを、籠ごと手放してしまったようで、形振り構っていられない様子が見て取れた。

 しかし、肝心な彼女の目は、私の居る方向を向いていない。

 

「こ、来ないでぇ!!」

 

 私には理解しかねる人語で何かを叫び、彼女はやみくもに腕を振っていた。

 その手は脇にある棒切れを掴み、投げ、草を引っこ抜いて、投げて……。

 彼女の正面には、紫色の獣がいた。

 

 その獣は少女を囲い、今に襲い掛かろうかと、喉を鳴らしていた。

 きっと腹が減っているのだろう。

 彼等も形振り構っている様子は無い。

 彼女が人間である事に、何ら警戒した様子も見せていない……いや、ただ単に知能が低いだけか。

 

 覚えは多いが、総じて筋肉で肉が硬く、悪食なのか臓物も大して美味ではないその獣。

 生態系における立ち位置は低く、群れを成して行動する覚えがある。事実、その人間の前にも、特徴的な襟巻きを持った一際大きな個体に、襟巻きが無い者が三頭、引き連れられている。

 しかしながら、体躯の大きさは私に及ぶべくもない。

 彼等は捕食される事の方がずっと多い生き物だろう。

 彼等が今、強く出ている人間が相手とて、多くの機会では屠られ、皮を剥がされている筈だ。……むしろあの少女とて、無為に襲ってはいけないだろう。人間は『復讐』をする生き物だ。

 

 しかし、どうしたものか……。

 何かするべきか、せぬべきか……。

 

 私は小首を傾げる。

 どうにもその少女自身は、紫の獣に成す術が無い様子だった。

 元より人間も、群れを成す生き物の筈だ。知恵に富んだ彼等は、道具を用いてヒエラルキーを凌駕する。……成る程、その全てを失っている人間は、あんなにも非力なのか。それは私も知らなかった。私の背筋に癒えぬ傷を付けた猛者も、道具や仲間を失えば、あんな風に情けない姿になっていたのだろうか……。

 

「いやっ。痛い! 痛いぃ!!」

 

 足を噛まれ、一際大きな声を聞く。

 小型の獣に腹を突かれ、「いや! やめて!!」と、私には理解出来ぬ声を上げる。

 

 どうやら紫の獣の食事会が始まった様子だ。

 既に少女の身体に牙が食い込み、身体を力任せに引き千切らんと、あちらこちらへと引っ張られている。ああなると、数分ともつまい。

 

 ふむ……。

 しかしこうなると、腹の虫が煩くなってくる。

 先程、一度は捨て置いた獲物だが、そこに新たな獲物がやってきて、横取りされるのは気に食わない。むしろ、私の前で獲物が減らされているのだ……決して許せた行為ではない。

 

 そうだ……どのみち涎を静める為、後程草食獣を喰らう予定だった。

 あれを変更し、あの紫の肉食獣を喰らうのも良いではないか。

 お世辞にも美味いとは言えないが、溜飲も降る(喰える)のだから、悪くはない。

 

「誰か、誰か助けてぇ!!」

 

 血に染まる人間が、不意にこちらを見る。

 視線が合って、彼女の表情は凍り付くようにも見えた。

 

 何、構う事は無い。

 人間の不味い肉に用は無い。

 私が捨て置いた(後回しにした)獲物を喰らおうとする悪食を、屠るだけだ。

 

 私は崖を崩さん程の力で跳躍した。

 喉の奥から溢れてくる涎にも構わず、腹の底から声を上げる。

 自身の聴覚器官をも麻痺させんばかりの声に、今正に食事をしていた肉食獣がこちらに気付く。その目が見開かれた瞬間には……時、既に遅し。

 

 着地の勢いに任せ、後ろ足を駆る。

 そのまま口腔を開き、こちらを向いて呆気に取られている様子の襟巻きを喰らう。

 脆弱な皮、肉、骨……咀嚼する必要性すらない。

 強靭な顎の筋肉がもたらすままに、強引に口腔を閉じれば、口内に収まりきらなかった肉食獣の肉片が、辺りに散らばり飛んでいく。

 

 ふむ……不味い。

 

 口内に広がるのは血の味。

 以前味わった個体とはまた別の味わいではあるものの、肉の臭みが酷い。

 やはり草食獣の方がずっと美味だ。

 

 私が口内に収まった肉を胃へ下すと、襟巻きの取り巻きが面を上げて威嚇してきていた。……あれは蛮勇か、はたまた長への義理か。

 彼等を屠り、喰らうのに、鳥の鳴き声すら長い程だった。

 

 ふう……。

 

 口内に残る血の味を楽しみながら、ゆっくりと最後の一呑みをする。

 ごくり。

 そうして喉を鳴らせば、同時に木が折れるような乾いた音を聞いた。

 

 うん?

 と、私は振り向く。

 

「ひっ、ひゃぁぁぁ!!」

 

 両手で顔を庇い、蹲ったような、膝を立てたような……私には出来ぬ体勢で、少女が震え上がっていた。

 腰が抜けて逃げられなかったのか、はたまた傷が痛んで動けないのか……。

 

 少女の身体には、私が今しがた喰らった獣のものか、彼女自身のものか、赤黒い血液がこびりついていた。

 それが、私の鼻腔を(くすぐ)る。

 未だ溢れ出てくる涎と共に、更なる食欲を掻き立てる。

 

 ふむ……。

 やはり、喰らってしまおうか?

 

 血の匂いは食欲を促す。

 多少の運動もしたのだから、尚の事だ。

 

 私の腹の虫が鳴ったような気がした。

 

「やだぁ……ママぁ、ママぁぁ……」

 

 少女はぐずるように泣く。

 何と言っているかは分からないが、恐怖に怯えているのはよく分かった。

 

 そう……彼女も正しく理解している。

 私は決して彼女を助けたのではない。

 ただ単に生かしただけなのだ。

 その二つの間には、満たし難い溝がある。

 

 よし、喰らおう。

 

 私は手早くそう決めると、少女の方向へと向き直る。

 その動作にいちいち反応してか、彼女はびくりと肩を跳ねさせて、顔の前にかざしていた両手を僅かに退けた……そして、表情に出てくる絶望の色。

 他の生物のそれはよく分からないが、人間のその表情ばかりは、よく覚えている。喰らうのに手間が掛かる相手だと、印象に残り易いものなのだ。

 

 じり、じり、と少女は後ずさる。

 それをたったの一歩で埋め、私は彼女に向かって後ろ足を振り上げた。

 

――ん?

 

 と、そこで私は不意に目を見開く。

 ハッとして、足を少女のすぐ横へ下ろし、自らの鼻腔が察知した気配を辿った。

 

 辺りを二度、三度と見渡して……やがてハッとする。

 

 目に留まったのは、少女が先程放り投げた籠だった。

 逆さになっていて、中に何が入っているかは、全く見えない。

 だが……私の鼻腔は、『それ』ばっかりには敏感だ。

 

 少女の事はさておいて、私はその籠へと僅かな距離を詰める。

 そして一度ばかり振り返って、何が起きているのか分かっていなさそうな彼女へ『これを貰う』と伝える。……無論、理解される訳がないのだが。

 

 やおら向き直ると、口腔を開き、籠ごと喰らった。

 

 

――っ!?

 

 

 その咀嚼の一回目で、かつて無い衝撃を覚えた。

 口内に広がる香ばしい匂い。そして軽く噛んだだけで、旨味が汁となって溢れた。

 

 ナ、ナンダコレハ!!

 

 思わず顎を震わせ、私は今一度咀嚼した。

 籠が砕け、中に入っていた他の代物と共に、口内に突き刺さるが……そんなものは気にしていられない。

 

 口内に広がるのは弾けるような香ばしさ。

 やっと直に味わえた『肉』は、これまで味わったことのない食感。

 これは……これは……本当に『肉』なのか!?

 

「あ……ハンターさんに貰った……こんがり肉……」

 

 後ろで少女が何事かを呟く。

 ハッとして振り返れば、彼女は小さな悲鳴をあげて、身を竦ませた。

 

 彼女を見詰めながら、私は尚も咀嚼する。

 溢れんばかりの汁は、未だ私の口内を満たす。

 涎の味なんて、もうどこかへ消えてしまった。

 

 ただただ見目を開いて、香りと食感、奥深い味わいに身を委ねる。

 

 何だ……何だこれは……。

 確かに肉の香りがしたが、これは果たして本当に肉なのか!?

 

――おい。これは肉なのか!? 何の肉なのだ!?

 

 と、問い掛けたいものの、私に言葉は無い。

 不意に上げた咆哮の所為で、余計に少女を怯えさせるばかりだった。

 

 いや、それどころか、彼女が我に返ってしまったらしい。

 ハッとした様子で、地面に手を突いて、よたよたとしながらも必死に、私から逃げて行こうとしていた。

 

 ま、待ってくれ!

 食べない。食べないから!

 この肉のような何かの正体を教えてくれ!!

 

 私は必死に追いかける。

 

「いや、いやぁぁ!!」

 

 少女は決死の形相で逃げる。

 

 待てと言われて待つ筈も無い。

 むしろ待てと言われているとさえ、思っていないだろう。

 彼女は被捕食者として、必死に逃げていた。

 

 ああ、くそぅ!

 思わず、私は彼女の身体を咥えた。

 

 絶叫し、暴れるのも何のその。

 そのまま噛み砕かないようにだけ気をつけて、私は踵を返したのだった。




備考
(一人称で描写出来ない設定等)

・イビルジョー
 雄。通常種。
 何処にでもいるイビルジョーの筈が、グルメになった。

・少女
 名前は……シャンヌでいいか。
 一五歳くらいで。

・紫の獣
 紫の……獣?(ジョーさん視点だから……)
 イビルジョーの牙に掛かることで有名な毎度おなじみドスジャギィ。
 密林にはいないけど、未知の樹海(下位限定の探索)にはいる。つまり、下位個体。

・密林
 主観がジョーさんだし、エリアとか詳しいことは考えてない。
 言及するつもりも無いし、そこは読者さんの脳内補完にお任せ。


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人間、怖い。

 移動する内、幾つかの牙が少女に刺さってしまったらしい。

 最近の寝床にしている洞穴へ辿り着いた時には、彼女は既に虫の息だった。

 

 やはり人間は脆い。

 これしきで失神するとは……。

 

 まあ、放っておけば治るだろう。

 

 少女を近場の平地へ放り捨て、私はふうと一息ついた。

 

 そして不意に先程の味わいを思い起こす。

 とても……とても美味だった。

 あれに比べたら、草食獣の肉等、天と地程の差があると言える。比較的美味な飛竜の肉とて、あそこまで美味いとは言えないだろう。今思えば、あれは確かに肉だったのだろうが……本当に何の肉だったのかが分からない。

 ただただ感動の余熱ばかりが、身体を滾らせる。

 

 むう……考えると余計腹が減る。

 しかしあんなものを味わってしまった以上、どんな肉を喰らったとして、満たされる事が無いように思えてしまう。

 

 寝るが吉か……。

 私はそう考え、後ろ足を崩した。

 

 

 翌日。

 目を開いた私は、件の少女の姿に、再度衝撃を覚えた。

 

 人間の中でも色白だと思われる肌が、明らかに血色を失くしていたのだ。

 加えて昨日の傷が()()()()()()

 

 ぼろと化した布の下に見える真っ白な肌には、幾つもの傷痕がしかと窺えた。そのどれもが私のように、すぐに治るという訳ではないようだった。流れ出る血液こそ止まってはいるが、傷は痛々しく残っている。

 人間は脆弱な生き物だ。

 私と比べれば、あっという間に死んでしまう。

 とはいえこれぐらいの傷……私ならば一眠りするだけで塞がるのだが、こうまで違うものなのか?

 

 私は少女の肢体をまじまじと観察した。

 

 髪はところどころ血で染まっているが、地毛は土と同じ色をしているようだ。

 腕や足は細く、大した筋肉はついていない。牙の通りから考えて、腹や背中も柔らかいのだろう……どうやら私が見てきた人間とは、全くの別種のようだ。

 僅かに唇が動き、うわ言のように何かを呟いているが……何と言っているのか分からない上、よく聞こえない。まあ、一応生きてはいるようだ。

 

 一先ず安堵する。

 続いて私は、何となく違和感を覚えた。

 

 これは一体どうした事だろうか?

 少女の血の匂いに対して、涎が出てこない。先ずそれに違和感を覚え、続いて彼女に対して、『捕食』しようと思えない事も自覚する。

 有り体に言って、彼女が生きている事に『安堵』していた。……喰らう訳でもないのに、だ。

 

 小首を傾げて、私は今一度息をつく。

 

 尤もらしい答えは、人間の不味い肉に興味を無くしていることぐらいだろうか。はたまた彼女から件の肉の入手法を得るまで、死なせる訳にもいかない……と、そう考えているのだろうか。

 もしくはその両方か……。

 

 思案をそこそこに、私は首を横に振る。

 何にせよ、少女をそのまま放置する訳にもいかない。

 傷が治らないまま放置すれば、どんな生命体も死んでしまうだろう。

 そうなると……あの肉を永遠に食べられなくなってしまうかもしれない。

 

 何としても生かさねば……。

 

――しかし、どうやって?

 

 再度小首を傾げる。

 

 以前対峙した人間達は、傷を負うとすぐに緑色の液体を飲んでいた。

 それを飲むと、何やら可笑しなポージングをして、隙だらけになる。……が、みるみる内に傷が塞がっていて、『道具を使うとは、賢いな』という印象を受けた覚えがある。

 

 あれを少女に飲ませれば……。

 

 そう思うものの、あれが何なのかも分からない。

 自然界で見かけるものではないので、きっと人間独自のものだろうが……どうやって手に入れたものか……。いや、手に入れたとしても、それを彼女に飲ませるような器用さは持ち合わせていない。これまた難題だ。

 

 暫く考え込むが……妙案は浮かばない。

 代わりに腹が減ってきた。

 

 已む無く、洞穴に少女を残し、外へ出る。

 昨日の獣のようなものに彼女を食べられる訳にもいかないので、地面を掘り起こして、入り口を塞ぐ。こうすれば、人間ぐらい頭の良い生物でない限りは、中に空洞があると思わないだろう。

 少女の具合も、一人で動き回れる程でもない。

 

 私は満足して、空を仰ぐ。

 日は既に落ち、半日程を眠っていたらしいと気付く。

 翌日――ではなかったようだ。

 

 時間の確認を終え、辺りを観察する。

 ちらりと見渡せば、羽虫が飛んでいた。

 

 いかに暴食とは言え……流石に虫で腹を満たせる訳が無い。

 生物としてさえ、映らない。

 

 あの肉に出会えるとは思えないが……一先ず、肉を喰いたい。

 

 私は近場を散策する事にした。

 あわよくばあの『緑色の液体』も手に入れたい。

 そもそも獲物以外に興味が無かった私だ。注意深く観察していなかった為、見落としている可能性は否めないだろう。

 

 そうして散策を開始して少し。

 獲物はすぐに見付かった。

 昨日喰らった紫の獣と仕草が良く似ている青い鱗の獣だ。

 それが三頭。

 身体の大きな個体は見当たらない。縄張りを哨戒している子分だろうか……まあ、喰えるのであれば何でも構わない。

 

 私が近付くと、彼等は素早く距離を置いた。そして私を振り返ってきて、『出て行け』というような威嚇をする。

 が、足を止めてくれるのは、良い的になるだけだ。

 

 口腔を大地に突っ込み、力任せに掬い上げる。

 顎に引っかかった岩石を、発達した背筋で持ち上げ――投げた。

 

 岩は弧を描き、二頭の青い鱗の獣を蹴散らした。

 それを見て、唖然とした残りの一頭を、素早く距離を詰めた末に踏み潰す。

 確実に息の根を止め、私は彼等を喰らった。

 

 味わいは昨日の獣と良く似ている。

 決して美味いとは言えない。

 きっと悪食なのだろう……内臓のくせが強い。

 

 そうだ。

 そういえば昨日喰らったあの肉は、臓物が無かった。

 偶に人間が屠った獣の亡骸を見るが……綺麗に解体されているのが、人間が屠った証だと言える。残っているのは骨と肝ばかりで、小型の肉食獣の餌になっている。

 勿体無いことをする……と思えるが、あれはあれで小型の肉食獣が育つ為、私としては有り難い。まあ、私が見かけたら、小型の肉食獣諸共、胃袋に収めてしまうのだが。

 しかしながら、そう考えてみると、あの肉は人間の手を加えられたもので間違いなさそうだ。昨日私は『何の肉だ?』と思ったものだが、もしやすると人間が独自の方法で生み出したものやもしれぬ。

 肉なのは間違い無かったのだが……断言出来る自信も無い……。

 それ程までに、味に隔たりがあった。

 

 むう……。

 

 私は僅かに落胆する。

 己の知能の低さ、人間の知能の高さ。

 生まれて初めてその差を痛感した気分だった。

 人間があんな美味な肉を毎日喰らっているのだとすれば、とんでもなく羨ましい。それこそ、彼等の住処を蹂躙してでも、手に入れたくなってしまう。

 

 うん?

 それは……有りではないか?

 

 人間は強く、賢いが、決して全ての人間がそうではないらしい。

 それを件の少女から学んだ。

 とすれば、彼等の住処を荒らすことそのものは、決して危険な行いだとは限らないのではないだろうか?

 

――いや、違うな……。

 

 私は首を横に振る。

 彼等の最も恐ろしい点は、『復讐』をする事だ。

 一人を屠れば、()()()()()は決死の形相になって、それまで以上の力を発揮する。

 幾度と無く彼等を退けてきたが、それは皆同じことだった。

 

 背中の古い傷痕が疼く……。

 

 これをつけられた際も、対峙した男は息の根を止めるその瞬間まで、私を屠る事を諦めなかった。

 背に乗っては、何度振り払っても落ちる事は無く。

 一度足を崩せば、執拗に前足を切りつけられ……。

 あの時の傷ばかりは、治るのに数日掛かったものだ。

 

 自然界において、『復讐』をする生物はそういない。

 かく言う私はしない側――そもそも連れ合いがいない――の生物だが、様々な生物を喰らってきたからこそ、言える。

 赤と緑の番いの飛竜。

 背中に虫を纏って雷光を放つ金色の獣。

 そして人間。

 復讐や怨恨を知っている者に手を出すと、途方も無く『面倒臭い』。後々執拗に狙われ、皆殺しにするか、場所を移すかを、余儀なくされるのだ。

 手を出すのはどうしても腹が減った時だけだ。

 

 つまるところ、あの肉はとても恋しいが……あの肉の為に彼等を脅かすのは無しだ。

 それに、もしもあの肉が人間の手でしか作れないものだとしたら、彼等を蹂躙するのは卵を産む前に草食獣を絶滅させてしまうようなものだ。宜しくない。

 とはいえ、あの肉を目の前にしたら、私はこんな理知的にはいられない。我を忘れ、蹂躙する事だろう。

 住処に攻め入るのは、間違いなく悪手だ。

 

 経験上、私はこう見えて、そこらの獣よりずっと頭が良い。

 この思案に誤りは無いだろう。

 

――む?

 

 自ら出した結論に納得していると、不意に私の聴覚が異常を捉えた。

 やおら振り返ると、視界は数多の木々で埋め尽くされる。

 何時も何気なく見渡している密林の風景だ。

 私が歩くのにあたって、木々を薙ぎ倒してきたぐらいしか、変わった様子は見受けられない。その他の不調和は、見当たらない。

 

 が、よくよく耳を澄ませば、やはり何かしら違和感を覚える。

 

 虫の羽音。

 風で葉が揺れる音。

 遠くから聞こえるさざなみの音。

 

 それらとは全く別の……何か。

 

 ザザッと、音が聞こえる。

 その音のした方に目をやれば、私の後ろ足程の茂みが揺れていた。

 揺れ方は……やはり、風が揺らしたようではない。

 

 明らかに、そこに何かが居る……。

 

 いや、『何か』等と勿体ぶる必要は無いだろう。

 大自然において、身を隠す程の知能を持ち、身を隠さなければならない程の脆弱さを持っているのは、唯一無二……そう、そこに居るのは人間だ。

 

 逡巡。

 彼等を無闇に襲うのは宜しくないと自戒したばかりだ。

 しかし、いざ相対してしまえば、昨日少女を喰らおうと決めた私のように、本能が理性を消し去ってしまう。その姿を見た時点で、それ以上の獲物を見つけない限りは……喰らってしまう。

 

 ただ、私がこの密林に居をおいて暫く。

 彼等人間は、私を強く警戒しているのか、私が定住をすれば、定期的に襲い掛かってくるようになる。それが面倒に思える頃には、辺りの獲物を喰らい尽くしているのが常だが……もしやすると、()()が始まったのかもしれない。

 となれば、無闇に背を向ける訳にもいかない。

 私が生きている以上、敗北の経験こそないが、私は彼等を『私を屠り得るもの』として記憶している。

 金色の牙獣より、真白の一角獣より、猪突猛進な草食獣より、余程厄介なのだ。

 

 さて……どうするか。

 

 当たりをつけてから、僅かに時が過ぎる。

 気配を感じた茂みに動きは無く、注視する私も動いていない。

 全くの膠着状態だった。

 

 いや……もしも本当に人間ならば、これは不利な状況と言える。

 人間が私を襲う時、彼等は必ず徒党を組んでいる。

 記憶にあるもの全て、彼等は『四人』居た。

 

 となると……。

 私は即座に動けるよう身構え、首だけで辺りを見渡す。

 右、左……と、確認して、彼等のものらしき気配を辿る。

 

 しかし、気配を悟れない。

 感じる匂いも『一人分』だ。

 

 囮を置いて、他の仲間は姿を隠している……その可能性は無きにしも非ず。

 私で思いつく作戦ならば、私より知力に富んだ彼等が思いつかぬ筈がない。

 

 なら、仕掛けてくるとすれば……。

 

 私はやおら空を見上げる。

 そして、深く息を吸い込んだ。

 

 身体中の筋肉に力を籠める。

 思わず身震いしたくなる衝動を、後ろ足を一歩前へ進めて押し留める。

 行き場を無くしたエネルギーを胸に集中。吸い込んだ大気をも熱く滾らせ、身体中の熱気をそれに委ねる。

 

 そして――私は咆哮を上げた。

 

 出て来い。

 人間共!!

 

 それは、開戦の合図。

 屠れるものなら屠ってみろと、彼等を挑発する儀式。

 

 しかし――。

 

「く、くそったれっ! やっぱ見付かったか。ちくしょう!!」

 

 現れたのは、赤い甲殻を用いた着物を纏った男。

 ただ一人だった。




備考
・ジョーさんの思考。
 非飢餓なので、常時腹は空いているが、死ぬ程腹が空いている訳では無い。
 繁殖期の満腹状態(悪意ある訳:賢者モード)みたいなもの。
 知能指数が高いのは、公式設定……どうだろ。
 自覚している通り、肉を目に留めると我を忘れる事もある。

・シャンヌの容態。
 普通に危篤。
 何時も書いてる小説なら死んでるとこだけど、生かしてる。

・青い鱗の獣。
 ランポス。
 青い鱗の……獣?(ジョーさん視点ry)

・赤い(中略)男。
 名前は……ボブでいっか。おっさん。
 台詞見れる読者さんなら予想つくだろうけど、別クエに来てたハンター。
 突然イビルジョーが乱入してきてビビルジョー(wikiより抜粋)。
 鎧は次回描写するけど、ラングロ。ラングロ一式なら武器は多分二択。


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男、拉致。

 赤い仮面を着けた男だった。

 同じ色合いの丸みを帯びた甲羅を身体中に身に着け、背には一本の太い剣を持っている。

 それを一息に抜き放ちながら、彼は草の影から飛び出してきた。

 

「ちくしょう……何でこんな厄介な奴を見付けちまったんだ!」

 

 その男は一人。

 誰の援護も与えられずに、私へ向けて剣を構える。

 相変わらず彼等の言葉はさっぱりだが、どうにも切羽詰ったような声色に聞こえる。

 

――はて。

 

 所作こそ私が良く知るような人間だが、かつて出会ってきた猛者達は、私という強敵を前にしても、威風堂々とした出で立ちだった覚えがある。

 ふとすれば油断とさえとれそうな程、挑戦的な雰囲気を感じたりもした。

 無論、それは戦いの最中で、等しく消え去っていったが……序の序から怯えたような声を漏らす猛者は、初めて見た。

 

 ついでに……どうした事か。

 もう既に私は襲来に気付き、大剣の男も先陣を切ったというのに、何時まで経っても仲間らしき気配が窺えない。

 一体、何故……。

 

 そう思うものの、相対した男が動く。

 私の咆哮に及ぶべくも無い雄叫びを上げ、彼は私へ向けて一歩進んできた。

 その進んだ一歩をぐっと踏みしめ、剣の柄を強く握った。

 

 その姿を、私は知っている。

 あれは私が前へ距離を詰めれば、即座に解き放たれる()()だ。

 

 不用意に突っ込んだが最後、馬鹿みたいな力を籠めた一撃を脳天に食らうだろう。

 

 なら、話は簡単だ。

 その力が暴発するまで待てばいい。

 

「……ちっ!」

 

 男が溜めた力のやり場を無くし、剣を抜き放つ。

 縦にぶんと振られたそれは、鈍い音と共に大地を抉る。

 

 ふん。

 人間の知能の高さは理解している。

 だが、私の知能までは理解していないようだな。

 

 それは驕り。

 貴様等人間が、ヒエラルキーの頂点を自負するが如く、我が物顔で大自然を闊歩してしまうが故の、驕りだ!

 私は頂点である自覚が無いからこそ、貴様等に対して油断をする事は無い!

 

 私の激情と共に、轟と発熱する体内器官。

 胸を競り上がってくる強大なエネルギー。

 

 私は二歩後退すると、前方を薙ぎ払うように、それを口腔から解き放つ。

 

「くそ! やべえ!!」

 

 ブレスは男を今に呑もうとしていた。

 彼は何事かを叫びながら、それへ向けて身体を傾けている。

 

 私の十八番(おはこ)だ!

 当たればただでは済まんぞ。人間!!

 

 内心でにやりと笑うような感覚を抱く。

 それがブレスに影響せぬよう、自身を静めながら、私は前方を払いきった。

 

 が、しかし――頭を振った最後の余韻で、私はしかと認める。

 何の技術か、人間は私のブレスを横切るように、転身していた。

 その身体が漆黒のエネルギーに焼かれた様子は……無い!

 

 不意に思い起こす。

 

 そうだ。

 人間は私達に無い技術を持っている。

 

 確実に捉えたと思えど、彼等はそれを何事も無かったかのようにやり過ごす事がある。

 その際は決まって身体を転がしていたり、全てを投げ出すようにダイブしているのだが……何せそれでやり過ごされると、彼等にダメージは入っていない。

 それどころか、今正に、私は頭を振って隙だらけの姿を、晒してしまっている。

 

 そこへ男が活を入れるような声を出し、再度私へ向けて前転をしてくる。

 その最中、私の後ろ足へ剣の横っ腹を当ててきた。

 それ自体は大した威力も無いが……私は横目に、彼が剣を深く腰溜めにする姿を認めた。

 

 あれは……不味い!

 

 思わず私は尾を振るう。

 身体を真横に半回転させ、男の身体を吹っ飛ばした。

 

「ぬわっ!!」

 

 どうにも力を溜めていたり、決まった剣技を披露している最中は無防備らしい。

 私にとってはあの少女と大差ない大きさの男は、見るも無残に吹き飛んでいった。

 

「ぐぁ……いってぇなぁ。ちくしょうが」

 

 もう半回転して、男を見据える。

 うつ伏せになって、苦悶の声を漏らしていた。

 

 此処に至って、まだ援護が来ない……。

 この男自身、中々の腕はあるようだが……それでも一人で私を相手どるには、些か安全性に欠けているように見える。彼よりずっと強い猛者が、仲間を率いていたのだ。私を相手どるとすれば、仲間を連れていないのは腑に落ちない……。

 

 もしかすると、この男は偶々此処に居ただけで、私を屠りに来た訳ではないのではないか?

 不意にそう疑問を抱くと、目の前の男がゆっくりと起き上がった。

 

「くそ……一撃でこんなおもてえのかよ……。やっぱこいつの相手は、()()()にでも任せるべきだな……」

 

 男は何かをごちる。

 私が思案し、戦況が膠着しているのを察してか、こちらへの警戒は怠らぬ様子で、腰元のバッグを開いていた。

 

「こやし玉もねえし……無理だな」

 

 そして、何事かを再度呟きながら、バッグから小瓶を取り出した。

 それを仮面の内側に持ってきて……ごくり。

 

 拳を握り、両腕を肩の高さに掲げて、天を仰ぐ。

 一体それに何の意味があるのか……。

 正に、奇妙なポージングだった。

 

――って……そ、それは!!

 

 ハッとして思い起こす目覚めた時の思案。

 住処に放置してきた瀕死の少女。

 

 そうだ。

 私はあの何やら可笑しなポージングをとってしまうへんてこな液体を求めていたのではないか!?

 今、正に、彼はそれを飲んだのではないか!?

 

 驚愕する私は、ここぞという時に妙案を思いつく。

 

 良し。

 連れて帰ろう。

 飲ませる器用さを兼ね備えた人間も手に入るのだから、一石二鳥ではないか。

 

「良し。逃げるか」

 

 しかし、途端に踵を返す男。

 そして唐突に、猛スピードで走り始めた。

 

 その足の速い事。

 あっという間に背中が遠くなっていく。

 思わず私は呆気に取られた。

 

――は?

 え? ちょっと待て。まさか、あやつ、逃げようとしているのか……?

 

 私はハッとしてすぐに足を動かす。

 今に見えなくなってしまいそうな彼を追いかけた。

 

「ちょ! 追ってくんな!! こやし玉ねえんだよ!」

 

 その足は速い。

 少女がよろよろと逃げようとした時とは、比べ物にならない程の俊敏さだった。

 

 が、それでも、木々をかわしつつ、後ろを確認しつつで、私より随分と狭い歩幅の彼が、逃げ(おお)せる訳が無い。

 私も私で、凄まじい勢いで空腹になっていく感覚を覚えたが、此処で奴を逃がせば、あの至高の肉が遠のいてしまうような気がした。そう思えば、足は自然と前へ前へ出てくれた。

 

「ちょ、ちょぉぉぉ!!」

 

――待て!

 至高の肉!!

 

 最早、私の目には、彼の背中が、肉にしか見えなかった。

 彼こそが肉にしか見えなかった。

 

 故に思わず――がぶりといった。

 

「ぎゃああああ!!」

「だ、旦那さん!?」

 

 男を咥え上げて、断末魔のような叫びを聞く。

 それと同時に、私の目には肉として映りさえしないような、小さな生き物の声を聞く。

 

「ぎゅ、ぎゅうどん! 良い所に! 助けてくれ。こやし玉がねえん――いってえええ!!」

 

 男が何事かを、その生き物へ叫ぶ。

 するとハッとした様子で、その生き物は得物を構えた。

 

「旦那さんを離すニャ!」

 

 が、その生き物に興味は無い。

 私はこの()さえ連れて帰れば良いのだ。

 

「ニャァァアッ!?」

 

 故に、歩くついでに蹴り飛ばしておいた。

 

「ぎゅうどぉぉぉん!!」

 

 男の叫びが、密林にこだましていた。

 私は彼を咥えたまま、住処へと帰ることにした。

 その間、彼はずっと何やら叫び続けていた。

 

 

 移動する内、幾つかの牙が男に刺さってしまったらしい。

 最近の寝床にしている洞穴へ辿り着いた時には、彼は既に虫の息だった。

 

 やはり人間は脆い。

 しかし、件の少女と違って、彼は失神こそしていなかったようだ。

 

 住処に着いて、少女を認め、そこで『待て、私。この人間を喰らってどうする』と思い至った私。

 男を乱暴に吐き捨てれば、彼は苦悶の声を上げながら呻いていた。

 

 少女の容態は悪そうだ。

 起き抜けに認めた時より、更に血色を無くしている。

 うわ言を呟いていた唇も、もう動いてはいなかった。

 

 どうやら早いところ、男に治療させないといけないようだ……。

 

 少女に気付かないまま、息も絶え絶えな様子でバッグを漁る男。

 そこから緑色の液体が入った瓶を取り出して、寝転がったまま、彼はそれを仮面の下に……ごくり。

 流石にこの状況であの奇妙なポージングは披露されなかったが……大きく息をつくような仕草をして、彼はうつ伏せのまま、四肢を投げ出した。

 

 その彼を……少女の方へ、蹴っ飛ばす。

 

 早く気付け。間抜けめ。

 

 無防備だった男は、そのまま大地を跳ねて、少女の傍らに転がった。

 何事かを叫びながら、彼は身を起こして……そこで漸く、少女の姿に気が付いた様子。

 

「……うん? この子……今朝、船に乗っていた……」

 

 思わずといった様子でこちらを一瞥し、私が危害を加えるつもりが無い事を確認して、男は再度少女を認める。

 仮面を顎から引っ張り上げて、頭上へずらせば、その下には褐色の肌色が現れた。

 精悍な顔立ちをした男は、今一度こちらを振り向く。

 私と視線を交わし、再度少女へ視線を落とす。

 

 どうやら困惑しているようだ。

 私の意図が読めず、私という捕食者を前に、無防備な姿を晒す事を警戒しているようにも見える。

 

 まあ、人間は知能に優れてはいるが、身体的にはとても脆弱な生き物だ。

 知能が優れているからこそ、それを弁えているのだろう。

 

 私は已む無く、後ろ足を崩す。

 尾を大地に着け、とぐろを巻く――程、尾は長くないが――ような体勢で、彼を見守る事にした。

 

 すると、男は物珍しげに目を瞬かせる。

 

「……何だこいつ。まさか……助けろって言ってんのか?」

 

 男はぼやいて、少女を見下ろす。

 またもや私を一瞥してきて、そこで漸くバッグを漁り始めた。

 とはいえ、視線こそは私から逸らしはしない。

 

 ふむ。

 どうやらその男、中々の手練(てだれ)である事は間違いが無さそうだ。加えて、何よりも自分の命を優先していそうな所を見るに、私の背に傷をつけた猛者と同じ匂いがする。

 色んな猛者を蹴散らしてきたが、生への執着が強い者や、引けぬ立場の者程、手強いものだ。

 無論、それは人間に限らず。

 

 まあ、今現在においては、この男を喰らうつもりは無い。

 私は首を下ろして、更に隙を晒す。

 よくよく見れば、男は丸腰。得物を何処かへ落としてきてしまったようだし、距離も離れている。さしもの人間とはいえ、危険性は低いだろう。

 加えて、私には争うつもりが無いと知れた方が、より献身的に少女を介抱してやれる筈だ。

 

「おい……嬢ちゃん。聞こえるか?」

 

 私の意思が通じたのか、そうでないのか。

 男は私から目を逸らし、少女に件の液体を飲ませようとしていた。

 

 暫くすれば、少女が呻き声を上げて、男が彼女を抱き起こすような様子も見てとれた。

 

 良し……。

 これで一先ずは及第点といった所か。

 あとは至高の肉を頂戴するだけだ。

 

 

 して……どうやって伝えれば良いんだ?




備考
・ボブ
 大剣使い。原作なら有り得ないが、武器を何処かに落としてきた。
 ジョーさんが察する通り、自分の命が大事。

・ぎゅうどん
 オトモ。
 旦那さん察知能力(謎)は無いって事で。
 あったら色々困る。

・今朝の船
 移動用の船。密林に行く場合は使ってるし。
 ボブは夜、シャンヌは昼の採集でもやってたんじゃないかな。
 シャンヌはハンターではないけど……まあ、何か理由があるんでしょうねー(おい

※追記
 前ページでジョーさん視点『翌日』と言ってました。
 でももう完結から時間経ってるので修正しないでおきます。
 ジョーさんの腹時計が勘違いしてるって事でオネシャス。

 次回はジョーさん視点外れます。
 相変わらず一人称で書きますけど。


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女、激昂。

 

 地図に無い町、バルバレ。

 キャラバンを率いて移動する砂上船は、此処最近場所を移していない。

 大砂漠と遺跡平原の境界で、随分と長い間、居を構えているらしい。

 

 カラッとした炎天下の中、市場は騒がしい。

 移動式の集会所がある以上、ハンターが多いと聞く。喧騒の大半は、彼等へ宛てた商売人の謳い文句だろう。

 ふとすれば陽炎さえもが見える中、絶え間なく声を上げて、よく倒れないものだと思う。

 私は暑いのが苦手なので、彼等には素直に尊敬の念を覚える程だ。

 

 市場を横切り、バルバレが誇る移動式集会所へ。

 中へ入れば、陽射しが遮られる。それだけで随分と温度が下がったような印象を受けた。

 とはいえ、それでも暑い。

 外の喧騒とはまた違う喧騒が、熱気を孕んでいた。主にそれが原因だ。

 

 ふうと息をついて、手近なテーブルに向かって、腰を降ろす。

 椅子に座るや否や、私の腰を突くような感触を覚える。

 ふと認めれば、この集会所で酒場を営んでいるらしいアイルーが、銀のお盆を頭に乗せて、佇んでいた。

 

「お食事ニャ?」

 

 何処の集会所でも良く見られる光景だ。

 バルバレ程大きな集会所でも、変わらないという所に、ふと安堵感を覚える。

 

 私は薄く微笑んで、首を横に振って返した。

 

「……ううん。ありがとう。今は良いよ。お水だけ貰える?」

「あニャ……珍しいニャ。お食事を忘れたままクエストに行かないよう気を付けるニャ」

 

 少しばかり残念そうなアイルー。

 私はお礼を告げて、お水を取りに戻っていった彼を見送る。

 その姿は小さいながらも素早く、そこいらに居るハンター達の間を縫うようにして、移動する。すぐに帰って来た。

 

 私が座る横長の椅子の端を踏んで、身軽に跳ねるアイルー。

 少しばかり乱暴にお水を置くと、彼は椅子の端に着地して、小首を傾げてきた。

 

「見ない顔ニャ。ハンターさん、何処から来たニャ?」

 

 物珍しそうに、私を眺めるアイルー。

 その仕草は可愛い。私は思わず頬を緩ませて、彼の頭を軽く撫でた。

 

「色々……かなぁ。旅のハンターって感じ」

「そうニャのか……バルバレには今日来たのかニャ?」

「うん。ついさっき」

「じゃあ、ギルドマスターに挨拶すると良いニャ。カウンターの端っこに座ってるニャ」

 

 そう言って、アイルーは前足を指す。

 促されて見てみれば、一目見てクエストカウンターだと分かる装いの部分、その端っこに、テンガロンハットを被った小さな老人を見つけた。その身体の大きさからして、おそらくは竜人族だろうか……。

 今は無骨そうなハンターと何かを話している様子だった。

 

「……うん。ありがとう」

 

 一頻り確認を終えて、私はアイルーにお礼を言う。

 手持ちの路銀から、少しばかり握って渡しておいた。

 それで満足したのか、アイルーはにこにこ笑顔で去っていく。

 

 冷たいお水を一口飲んで、ふうと一息。

 不意に辺りを見渡せば、誰一人として特別私を注視している様子も無い。

 バルバレの名が有名だからか、はたまたキャラバンの特色なのか、新参者は珍しくないようだ。

 

 まあ、期待通りというところ。

 ゆっくりと狩りが出来そうで何よりだ。

 

『貴女が行ってくれなきゃ、全ては終わりだ』

 みたいな事は言われないと思う。

 いや、言われても困る……。

 

 もう疲れたんだ。私は……。

 

 一〇〇人のハンターが居て、その中でも私は毎回『一握りの人材』に選ばれてしまう。

 それは決して不名誉な話ではないし、力を認めて貰えることは嬉しい限り。ただ、その分、私の意思は聞かれなくなっていく。『助けてくれ』との言葉が、私をがんじがらめにしていく……。

 酷い時は古龍の相手を休む暇無くやらされた事だってある。

 

 それも、一人で……だ。

 

 もうごめんだ……。

 命あっての物種。いくら大金を稼げても、死んでしまったら意味が無い。

 ついに私はギルドに除籍願いを出して、新天地を求める事にした。

 そして、此処に来たのだ。

 

 此処の話は随分と前から聞いていた。

 前の前……同じ理由で除籍してもらったギルドで、懇意にしていたやる気の無いハンターから、特に聞かされていた。今回の件も、そのハンターから紹介して貰ったと言える。

 彼曰く、何でも――珍しく――ギルドマスターがまともな人なのだとか。

 

 そう教えてくれた人物こそは、このギルドには居ない筈だが……まあ、割と感謝している。

 G級クエストでも戦えるくせに、上位クエストばかり行っていて、腕は立つのに功績を求めていないタイプの人。ただ、人情は篤くて、一度首を突っ込めば、最後までやり遂げる。その分、面倒ごとは、巻き込まれない限り目を逸らす人だけれど……。

 

――ありがとう。ボブ。

 私、此処で頑張らないように頑張るよ。

 

 そう思って、席を立った。

 認める先は、先のハンターを激励し終えた様子のギルドマスター。

 

 此処から、私のやる気が無い物語が始まるんだ。

 

 そんな思いで、私は挨拶に行った。

 

 

――なのに!

 

 何故私は早速、イビルジョーの討伐クエストなんてものに向かっているんだ!!

 それも一人で!!

 何で! どうしてこうなった!

 

『来て貰って早速なんだけどね……イノリさん。貴女個人への救援依頼が来ているんだ。ボブという名前のハンターのオトモアイルーからなんだけど……向かってくれるかい?』

 

 おいいい!!

 ボブぅぅううう!?

 

 イビルジョーに拉致されたって、どういう事よぉ!

 私の安寧を返せ。返すんだ。

 ボブぅぅううう!!

 

 事はテロス密林で起こっているらしい。

 バルバレの管轄からは外れるとの事で、とりあえずジャンボ村に向かう事に。

 その飛行船の中、与えられた自室で、ボブの代わりに枕をひたすら殴っておいた。

 

 

「イノリさん。お久しぶりニャ」

 

 ジャンボ村に着けば、早速と言わんばかりに懐かしい顔にお出迎えをされた。

 リオレウスの素材を使った赤と黒が基調の装備を纏っているボブのオトモアイルー『ぎゅうどん』だ。

 雇うその瞬間にボブが食べたかった食べ物の名前をつけられたという、とても可哀想なアイルーだ。

 毛の色も焦げ茶が基調で、残念ながら名前がぴったり似合っている事が悲しいかな。

 

 はあ……。

 もう来ちゃったものは仕方無いとして、恨み言はさっぱり忘れておく。

 私は小さく肩を落としながら、唇を開いた。

 

「久しぶり。……で、ボブは?」

「多分死んだニャ」

「そう」

 

 あっさりと述べるぎゅうどんに、私は特に突っ込みもしなかった。

 まあ、イビルジョーに拉致されたのだ。普通は喰われている。

 

 惜しい人物ではあるが、身を委ねているのは狩人の世界。

 昨日まで生きていた人間が、明日には死んでいる。それが普通の世界だ。

 尤も、相手がボブでなければ、もう少し私も表情を曇らせるところではあるけれど……。

 

「……で、もしも生きてたら助けないと後が煩いから助けてきて。って事よね?」

 

 まあ、要するに()()()()()

 ボブはやる気こそ無いけれど、腕はかなり立つ部類のハンターだ。

 もしかすると生きている可能性はある。

 それに、仮にボブが死んでいたとするなら、G級の実力を持つハンターを殺す程のイビルジョーを放置するのも、これまた考え物だろう。

 

 砕けた口調で確認すれば、ぎゅうどんは石畳の上でとても綺麗な敬礼をした。

 

「ですニャ。ぶっちゃけ旦那さんはどうでも良いから、イビルジョーは討伐して欲しいニャ。蹴られたのニャ。痛かったニャ。全治三ヶ月ニャ」

 

 イビルジョーに蹴られたぐらいで全治三ヶ月は大袈裟だ。

 ついでに本当にどうでも良いのなら態々呼ばないで欲しい。

 

「大体三〇を越えたおっさんハンターを拉致するなんて、あのイビルジョーも可笑しいニャ。最近じゃビールばかり飲んでるから、きっと喰ったら酔うニャ。酔っ払いは断じて看過出来ないニャ」

 

 冗談が過ぎるぎゅうどんに、私は溜め息混じりで「はいはい」と生返事。

 まあ、ボブと行動を共にしていたのは私が一五、六の頃だから、今から五年以上前ではあるのだけど……あの頃もぎゅうどんは主に対して割りと辛辣で、やけに冗長なきらいがあった。

 そのまま放置しておけば、どんどん話が脱線するだろう……私は拍手を打って、彼の視線を促す。

 

「……で? 結局それって何日前の話よ?」

「一週間以上前ニャ」

「えぇー……」

 

 いや、まあ、旧大陸から未知の大陸まで伝書を飛ばして、そこから私がこっちに来て……そりゃあ相応に時間は経っているけど……。

 

 私は溜め息をついて、ぎゅうどんにげんなりとした表情を向けた。

 

「生きてないでしょ……もう完璧イビルジョーを討伐してこいってだけじゃない」

「それで良いニャ。ボクも旦那さんの事は綺麗さっぱり忘れるニャ。ネコは三ヶ月あったら主人を忘れるニャ」

「私を五年も覚えていて、態々呼び出しておいて……」

「それはそれ。これはこれニャ」

「あっそ……」

 

 いや、まあ……流石に死んでいたら少し寂しいんだけど。

 ()()()()()が死んで、私の狩りに同行出来るって言ったら、ボブしかいなかったし……着いて来た例が無いけど。

 

 まあ、もしも死んでるのなら、お墓ぐらいは立ててやりたい。

 それもとびっきり立派なお墓を。

 とするなら、見かけだけ立派でも仕方無い。

 中にはちゃんと骨を入れておいてあげないと。

 

 食べられてなければ……だけどね。

 

 

 その後、私はジャンボ村で情報を集めてから、村を後にした。

 

 とはいえ、最近までテロス密林にイビルジョーが居るなんて、知られてなかったらしい。

 まだ生態系に影響が出る前で、此処最近も生態系そのものは安定しているんだとか。

 別のクエストで乱入されたとの報告も――ボブの一件以外――挙がってないそうだ。

 

 となると、イビルジョーの生態的に考えて……飢餓状態ではない様子。

 狂竜化も、獰猛化もしていないのなら、私の実力ならば一人で何とかなるだろう。

 無論、油断は出来ない相手だけど……私はパーティが苦手だし、仕方無い。

 

 ただ――面倒ごとは更に追加された。

 

『ハンターさん……凄腕だと聞きます』

 

 俯く老女。

 痩せ細った身体つきは、もう見るからに老い先短いことを知らしめるよう。

 その枯れ枝のような手で、力強く、私の鎧にしがみ付いて来た。

 

『ボブさんと同じ日、うちの孫娘が……密林に。今尚、帰ってきません……お願いです。見掛けたら……見掛けたら、何卒……』

 

 切羽詰った表情。

 聞けばその子はハンターじゃないらしい。

 病気で老い先短いその老女の為に、好物のキノコを採集しに行ったそうだ。

 それも……老女には黙って。

 

 知っていたら絶対に行かせなかった。

 ケルビにすら勝てない程、か弱い娘なのだ。

 

 老女はそう訴えた。

 その表情には藁にも縋るような気迫を感じて、助けて貰えるかもしれないという希望を前にしているようにも見えた。

 

 彼女は知らないんだろう。

 私達ハンターが、一日で何人死ぬかを……。

 

 だけど、私は頷いた。

 

『生きていれば、必ず……』

 

 

 因みにぎゅうどんは着いて来なかった。

 いよいよ名前を変えられそうだから、次のハンターには自分から名前を提示しようとして、その案を考えておくそうだ。……まあ、ぎゅうどんだから、仕方無い。

 

 ともあれ、イビルジョーの討伐だ。

 生きていたらボブもぶん殴っておきましょう。

 

 気を引き締めて、行くとしよう。




備考
・イノリ
 G級ハンター。
 以前まで居たギルドは……MHFとかで。
 確かギルドマスターがとんでもないクエ提示してくる筈。
 武器とかはまたの機会。

・ぎゅうどん
 牛丼とか付けられたら、そら怒るわな。
 私のネコの名前もぎゅうどんです。よくサボります。
 回復ネコなのに乙ってから笛吹くような奴です。


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私、発狂。

※ 

 

 少女と男を拉致軟禁してから、幾度の日を拝んだ。

 結局、件の肉については、試行錯誤をしてみるも伝えられず……。

 身振り手振りで伝えようと思っても、人間程器用ではない私には難しい。出来る限り上質な肉を用意して反応を観察しようとも思ったが、私が目に留めるとつい喰らってしまうのだから仕様がない。

 身体の形にしろ、本能的なものにしろ、色々と無理があった。

 おまけに少女は兎も角、男が色々と厄介な奴だった。

 私が少しでも目を離すと、すぐに脱走を図るのだ。少女はその足の遅さから、早々に諦めた様子ではあったが、男に関しては足の速さに自信があるのだろう。この七日間で一体何度咥えて連れ戻したやら……いい加減逃亡ルートのあてもついていそうなので、この調子だと遅かれ早かれ逃がしてしまうかもしれない。

 

 だからと言って、彼を始末するのは無しな訳で……。

 男を拉致した翌日に気が付いた事だが、彼をさらった際に蹴り飛ばしたあの小動物。あれは人間が飼っている動物だ。私と人間のように意思疎通に難があるようではないし、私の存在はしかと人間達に知れてしまった事だろう。

 つまり、もう間も無く人間が攻めてきたとして、不思議ではない訳だ。

 その時にこの男が死んでいたとあれば……もう至高の肉云々の話ではなくなってしまうだろう。経験上、人間達の中で私という種の評判はすこぶる悪いようなのだが、この二人を救ったという解釈をして、その謝礼に至高の肉を……とは、流石に皮算用が過ぎるな。

 

 そんな状況でありながら、やはり私はこの二人との意思疎通すら出来ないでいる。

 私としては、至高の肉さえ手に入れれば――欲を言えば入手法を知る事が出来れば――彼等に用は無い。彼等としても私と一緒に居たい訳ではないようで、怯えながらも接触を試みてはくれるのだが……言葉の隔たりとは、かくも残酷である。

 敵意が無い事は理解して貰えたようだが、それでも男は逃げ出すし、少女は私の顔をじっと見詰めて、表情を崩すばかりだ。

 

 今日も二人を背に乗せ、狩りに勤しんだだけ。

 実に不毛な一日だった。

 

 ただ、この数日で二人に対する理解は進んだ。

 

 少女は私が察した通り、荒事に無縁な人間のようだ。

 致命傷に近い傷を負ってはいたものの、あの薬のお蔭か、傷痕は殆んどが見えなくなった。

 暇を持て余しているのか、巣では木の弦を用いて籠を作ってみたり、自らの衣装を別の装いへ作りなおしていたりする。しかしながら、やはり臆病なきらいがあるのか、物音ひとつで男の影に隠れる様子が見受けられた。最近は私に対しても一定の信頼感があるのか、私の後ろ足に縋ってくる事もある。

 その器用さ故に、私は目から鱗の心地で彼女を見ているが、どうにも彼女からしても私は珍しいらしい。最近では私の身体を頻繁に触ってくるようになり、観察しているようだ。

 

 対して、男は中々にふてぶてしい様子だ。

 隙を見て逃げ出そうとするが、失敗すると潔く諦め、巣で休眠をとっている。外見は少女と変わりないというのに、こやつは一眠りすれば大抵の傷が塞がるようだ。最近は容赦なく噛み付いてもみるが、男は絶叫しつつも、案外ピンピンしている。不思議な奴だ。

 ただ、隙を見ていると言った通り、私の様子をちらちらと窺っている。それも私が注意していなければ分からない程ひっそりと。例え少女との会話の最中であっても、何気ない風でしっかりと隙を見計らっている。

 

 少女は純真無垢。興味津々。

 男は注意深い。虎視眈々。

 と言ったところだろうか……。

 

 今は巣穴で二人。男は胡坐をかき、少女は膝を折って、どうやって火をつけたか焚き火を囲んでいた。

 日の光が届かない洞穴で、焚き火だけが照らす世界。仄かな温かみを心地好く思いながら、人間の技術は素晴らしいと感嘆する。そんな感想を知る由もなく、二人はさも当たり前な様子で話をしていた。

 

「やっぱり、日に日に減っているように見えます」

「やべぇな……クソったれ」

 

 何の話をしているのだろうか。

 どうにも彼等の言葉はちんぷんかんぷんだが、きっと男が逃げ出す為に、私についての情報を少女から聞き出しているのだろう。

 ちらちらと感じる視線を元に、私はそう思った。

 まあ、かの小動物が生きて戻ったとは限らない。男が逃げ出そうとする理由は分からなくもない。

 

「そんなに危ない状況なんですか?」

 

 少女が小首を傾げた。

 男は頷いて、毛が生えてない頭を掻いていた。

 

「このままじゃ、俺のオトモが救援を出してたとして、討伐に来たハンター達が返り討ちに合う可能性さえある。だから何としても村に戻らなきゃなんねぇんだが……」

 

 ごりっと音を立てて、男は余った手で持っていた木の実にかじりついた。

 面倒臭そうに噛み千切れば、数度の咀嚼。その後邪魔だったらしい皮をぺっと吐いて捨てた。

 

 この数日。

 二人は何故か肉を喰らおうとはせず、木の実ばかりを食っていた。

 もしやすると人間は肉をそのまま食えないのだろうか。

 私はそんな感想を持ち、ふと記憶を思い起こす。そのどれを参照しても、実際に彼等が獣の肉に喰らいついている様子を、私は見た事が無かった。至高の肉のように、手を加えなければいけないとしたら……その為にはご自慢の道具が必要。という訳かもしれない。というか、状況から見てそうだろう。

 まあ、彼等人間の内でも、肉を食う者、草を食う者、と分かれているのかもしれないが……。だとしたら、少女が至高の肉を所持していた事と矛盾するが……ふむ……。

 

「あいつが気を利かせて、俺の親友の妹を呼んでくれてたら良いんだが……」

 

 男がごちる。

 ちらりとこちらを見やった目線が私と重なったが、彼は気にした風もなく、木の実にかじりついた。

 

「親友の妹……ですか?」

「ああ。俺の数倍は強いソロハンターだ」

 

 少女が首を傾げたところに、男が頷いて返している。

 人間の動作は良く分からないが、それが質疑応答なのは何となく分かる。よく見る光景だった。

 

「そ、そんなに? ボブさんって上位ハンターさんだって聞きましたけど……」

「奴はその上のG級。一応俺も本当ならG級なんだが……それでも別格だな。辿異種っつう相当やべえのをソロで討伐したっつう報せもあったし、至天征伐戦に参加して生きて帰って来てるんだ。俺じゃ逆立ちしたって敵わんさ」

 

 男が茶化すように笑った。

 乾いた笑い声は小さくこだまして、洞穴の最奥へ消えた。

 対する少女は短く返すと、それっきり黙ってしまって、小さく俯いてしまう。どうにも悲しげに見えた。

 

 人間とは争う事しかしてこなかった私だ。

 彼等の仕草、ひとつひとつが物珍しく映る。

 

 最近よく考えることがある。

 もしもこうして、無為な時間さえも共有する機会がずっと昔にあれば、私は彼等と分かりあう事が出来たのだろうか。それとも、正に今がその機会なのだろうか。

 仮に彼等を味方にすれば、私は他の同族や眷属より、ずっと長生き出来るだろう。

 それにおいて邪魔になる筈の私の本能的な部分だが、最近はどういう訳か腹の虫が静かだ。空腹感はあれど、我慢出来ない程ではない。少女達を見て食欲が湧かぬ事の他、連れ合いを持つ草食獣を見付けたとしても、背中に乗せた二人の手前……理性で堪えてしまう事さえ出来るようになった。

 この分ならば彼等人間と共存出来る日も近いかもしれない。

 そんな淡い期待があったのは確かだ。

 

 尤も、彼等自身がそれを許してくれないとも、理解はしていた。

 

 

――故に、いずれこうなる事は分かっていた。

 

 

 ひゅんと風を切る音がして、私は見目を開いた。

 途端に体表を撫でまわすようなゾクリとした悪寒を感じて、思わず音のした方向を見やる。すると綺麗な放物線を描く小さな物体がひとつ。それを視認して、私は己の反射を悔いた。

 

「ボブ! 目を閉じて!!」

 

 鋭く刺すように、澄んだ声がひとつ。

 見知った少女よりは低く、しかし成熟しきっているような落ち着きはない。

 その声の正体を見るより早く、私の視界は真っ白な光に包まれた。

 

 強い光だった。

 これが何か、瞬時には理解出来なかったが、続いた人間の声によって当たりがつく。

 人間とは道具を使う。それは何も武器だけではなく、少女が作っていた籠のように、何かしら便利に使えるものにまで及ぶ。無論、私を屠りに来た猛者がそれを使わぬ理由もない。

 

 原理は不明だが、強力な光を放つ道具だった。

 それを食らうと、当然目が眩む。

 そうして生まれた隙に、人間は私を駆逐せんと、怒涛の攻撃を仕掛けてくるのだ。

 

 この時も例に漏れなかった。

 無数のつぶてが私の身体へ飛来したのだ。

 

「イノリ!?」

「な、何これ!?」

 

 脳天へ数多の衝撃を受けて、私は呻く。

 少女と男の声が聞こえたが、それさえかき消さん勢いで、私の顔面を抉るつぶての嵐。

 無防備だったところへの奇襲。しかもそれは全て、私の最も弱い部分を的確に攻めてきた。

 

 最早何事かを問う必要は無し。

 

 攻めて来たのだ。

 人間が。

 

「早く、こっちへ!」

「イノリ! 気を付けろ。こいつは――」

「待って。待って。このジョーさんは――」

 

 眩んだ視界が輪郭を持つ。

 徐々に徐々に色が返ってきた。

 

 洞窟の入り口付近に、一人の人影。

 統一性に欠けた衣装を纏い、腰に構えた武器が立て続けに光を放っていた。

 

 そちらの方へ駆けていく男。

 私を振り返りながら、男に腕を引かれて、引きずられていく少女。

 

 ああ……。

 

 名残惜しそうにこちらを振り返る少女の背が、徐々に、徐々に、遠くなっていく。

 私は頭を撃たれ、動けない。

 やがて人影が持つ武器が、光を静めた。その頃には、少女と男は既に一歩や二歩で届かぬ先へと行っていた。

 

 待ってくれ。

 待ってくれ……。

 

 私はただ、今一度至高の肉を口にしたいだけなんだ。

 

 争うつもりは無い。

 無いのだ。

 

 今、ここで、彼等を逃がせば、私は永遠にあの肉を喰らえないだろう。

 共に過ごした僅かな時間を惜しみ、途方に暮れるに違いない。この稀有な出会い、出来事を、懐古するだけの者になってしまう。

 己の低能さを呪い、もっと良い方法があったのではないか。と、空を支配する竜を見上げ、羨ましがる時のように、どうにもならない事を妬んでしまうのだ。

 

 待って……くれ……。

 逃げないで……くれ……。

 

 唐突に。しかし明確に。

 私は猛烈な空腹感に襲われた。

 だが、何かが違う。

 いつもなら、腹が空けば肉を喰らう。その衝動に襲われる。

 違う。何かが違う。

 不味い肉は要らない。

 至高の肉以外の肉は、要らない。

 

 いいや、違う。

 私が求めているものは、今、正に、去っていこうとしているのだ。

 

 手を引かれ、こちらを名残惜しそうに振り返り、何事かを喚きながら……。

 

 手と手を取り合う日々があって良いと思った。

 そんな日々を望み始めていた。

 叶わぬと知りながらも、彼等人間と共存したいと思い始めていた私がいた。

 

 出来ると思ったのだ。

 なのに、なのに……。

 

――何故、私から奪うのだ。

 

 望みを。

 夢を。

 

 許さぬ。

 赦さぬ。

 

 

 ユルサヌゾ、ニンゲン。

 

 

 瞬間、私の体内でぐわんとうねる衝動があった。

 それはここ数日、大したものを喰わずに過ごした身体を、実にすんなりと駆け巡った。

 まるで野生を取り戻すように、肉を前にした時のように、理性というものが音を立てて崩れていく。理知的でありたいと願った己を、ただただ暴力的な存在へと変貌させていく。

 ふとすれば全身の筋肉が隆起した。

 大地を掴む強靭な二本の足が、更に力強く大地を抉る。口腔から突き出る牙が、更に高質化していく感覚があった。

 

 目の前が暗く、黒く染まっていく。

 迸るエネルギーが、私の顔の前でじりじりと音を立てていた。

 

 全てを喰らえ。

 私は全てを喰らう者。

 至高の肉に辿り着くまで、全てを喰らえ。

 私の夢を奪う者を、唯の一人としてユルスベカラズ。

 

 猛烈な飢餓が、つぶての雨に怯んでいた身体を強引に動かした。

 凄まじい怒りが全身を支配し、目に映る全てを喰らえと突き動かす。

 

 微かに残った理性が、愉悦の笑みを浮かべていた。

 

 かつてこれ程までに猛った事があるだろうか。

 いいや、無い。

 

 もう何をどれだけ喰っても満たされぬ。

 唯一、目的を果たすまで、全てを喰らうのだ。

 

 成る程。

 私は種を超越したのだ。

 

 

 私は今、貪食の恐王なりて。

 飢餓の極みに至った。





備考
・ジョーさんの状態。
 いわゆる飢餓状態。
 飯は減ってこそいたけど、食ってはいた。その空腹感を忘れさせていた存在がいた。だけどその存在が奪われて、発狂。って状態。

 次回は人間側の視点。


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女、襲撃。

 

 随分と浅くなってしまった陽射しを背に、私はふうと息をつく。

 目の前には真下が見えない程の断崖絶壁。眼下に広大な緑の海を臨む。視界の果てまで広がる樹海は、橙色の陽を浴びて、どこか儚げにも映る。しかしながら、その下に広がるだろう果てない未開の地を脳裏に浮かべてみると、途端に不気味にも感じた。

 私は覚悟を決めて良しと頷くと、腰を屈めて小さく声を上げる。

 

「ミヤビ。出てきて」

 

 私の声に反応して、ぼこっという音が鳴る。

 ちらりと音のした方を確認すれば、黒いフードと法衣のようなものを纏ったアイルーが一匹。フードの奥に潜めた鋭い眼光をこちらへ向けてきていた。

 

 普段、私はアイルーを連れ歩いたりしない。

 その昔にかけがえのないものを失ってから、近しい者を狩場に連れてくる事をやめたからだ。

 だから、そのアイルーにとっては、実に久しぶりの狩場だったろう。だけど、彼も理解している筈だ。私が連れてきた理由を。

 

「ジャンボ村に戻って、ハンターズギルドへ伝書を飛ばして」

 

 そう言うと、彼は黙ってこくりと頷いた。

 狩場を離れて戻れという指示に、何ら疑問さえない様子だった。

 

 私は眼下の樹海を見やって、小さな声で続けた。

 

「テロス密林にてイビルジョーの痕跡を確認。未開の地に続く。救出依頼のあったハンターが存命の可能性もある為、独断で探索に向かう。これにおける処罰はそちらで検討されたし。七二時間以内に戻らなかった場合、私の救出は不要。テロス密林に、G級ハンターの招集を願う。また、本個体は飢餓の可能性あり」

 

 一通り伝え終えると、私は彼へ向き直る。

 イビルジョーの痕跡がある場所や、痕跡があるにもかかわらず、この密林の生態系が異常な程安定してる事。数日前から放置されたアプノトスの死骸もそのまま放置されていた事を記載したレポートを出して、彼の手に渡した。ハンターズギルドの学者さんなら、これで十分イビルジョーの状態が異常だと分かってくれるだろう。

 任せた仕事はきちんとこなしてくれる子だけど、今口頭で伝えた事も纏めてある。最悪書面さえ届けばハンターズギルドは動いてくれる。

 

 彼が書面を懐に忍び込ませたのを確認して、私はよしと頷いた。しかし、私が是と言ってみせても、彼はまだ動きだそうとはしなかった。

 不思議に思って暫し認め続けていれば、黒いフードを風に靡かせながら、やがて小首を小さく傾げて見せた。

 

「旦那さん。いつもと少しだけ雰囲気が違うニャ」

 

 そう指摘されて、私は思わず目をぱちぱちと瞬かせる。

 聞かれるとしたら、書面に書いているからと説明を端折った事だと当たりをつけていた。少しばかり予想外な指摘だったのだ。だけど、何をと言わず、彼の言いたい事は伝わってきた。

 

 私は薄く笑って、首を横に振る。

 

「大丈夫だよ……。まあ、確かに、ボブが生きてるとしたら、お兄ちゃんを救けに行くようなものだけど……それはそれ。これはこれ。変に気負ったりはしないから、心配しないで」

 

 そう言って改めて微笑みかける。

 彼は満足したように、こくりと頷いた。

 

「じゃあ、ボクはジャンボ村で待ってるニャ」

「うん。よろしく」

 

 私は笑って見送った。

 その背が見えなくなるまで、小さく手を振って、成る丈彼を安心させてやる事にした。

 

 まあ、ミヤビが心配するのも無理はない。

 彼を狩場に連れて行かなくなった時期が、まんまお兄ちゃんが死んじゃった時だもの。彼からすれば、あの一件がどれ程私の人生を変えてしまったかなんて、手に取るように分かる事だろう。

 雑な扱いをしているけど、ボブはお兄ちゃんの親友で。私からしても兄のように思える存在。そう思うと、私自身強がっているのは十二分に承知している。傍目から見たら、尚の事強がっているようにしか見えないんだろう。

 大体、いくら救出が目的だからって、未開の地にまで行くようなリスクは、普通はとらないもの。

 

 それでも、やると決めたらやる。

 生きている可能性が少しでもあるなら、私は救けに行きたい。

 その為にこの五年間、血反吐を吐くような思いで強くなったのだから。

 

 ともあれ、今回もしっかり生きて帰って、安心させてやるしかない。

 ついでにボブも生きていたら万々歳だ。私の平穏を台無しにしてくれた分はぶん殴るけどね。

 

 ゆっくりと立ち上がり、虚空を仰ぎ見て、深く深呼吸。

 高鳴る鼓動を落ち着けて、ふうと長い息をついた。

 

 よし、行こう。

 

 そう決めて、私は近場の木に巻いておいた長いロープを、崖下へ向けて放り投げた。

 

 

 いざ降り立ってみると、未開の地というのは随分と狩りに不向きだった。

 苔むした巨木が鬱蒼と茂っている為、視界が悪く、臭気が強い。加えて湿気が強く、岩の上や斜面等では足を取られかねない。おまけに幹が太い木が多い所為で、私が担いでいるライトボウガンの射線は通りづらいだろうし、敵方の攻撃を回避するのも一々方向に気を配らねばならないときた。

 仮想敵が筋肉の塊のような巨体を誇るイビルジョーである以上、これらの要素は全て私にとって不利。有利性は一切無いと言える。

 

 崖上の痕跡から続くイビルジョーの足跡らしきものを辿りながら、私は狩猟方法について考察する。

 まともに戦えば間違いなく不利。下手をすれば、返り討ちに合う可能性さえ感じていた。

 

 狩場へ誘導する? いや、近いところならまだしも、距離があると誘導どころじゃない。相手の視線を切るにしても、イビルジョーは血肉の匂いにとても敏感だ。隠れながら戦うのも得策じゃない。

 となると拘束して戦う事が視野に入ってくるけど、残念ながら持ってきたボウガンは、バルバレでの狩猟用に用意していた『獄弩リュウゼツ』。比較的イビルジョーに効果的なボウガンを持ってきたつもりだけど、装填できる拘束弾は麻痺弾のみ。罠肉を仕掛けるっていう手も用意してきているけど、これはイビルジョーが食べてくれたら万歳って感じだし……。

 

 せめてG級の武器があれば良かった。

 だけどバルバレはG級クエストを扱ってないって聞いていたし、それに合わせてメゼポルタで使ってた装備はギルドに寄贈してきちゃったからなぁ……。

 

 こうしてみると、私、焦ってるなぁ。

 何だかんだ言って、気が気じゃなかったのかも。

 もうほんと、あれもこれも全部ボブが悪い。絶対ボブが悪い。

 

 何だか途端にむかむかしてきて、進路にあった小枝を勢いよく踏みつける。

 ばきりという音は思った以上に大きかったけど、呆気なく森のじめじめとした空気に呑まれて消えた。

 

 と、そんな折。

 ふと私は足を止める。

 

 自ら立てた物音で、少しばかり鋭敏になった聴覚が、何となく違和感を覚えたのだ。

 

 身動きを止めて、息を潜める。

 周囲を深く観察しながら、今しがた聞こえた何かを辿る。

 やがて、どこからともなく微かな音が聞こえてきた。

 

 人の……声?

 

 何と言っているかは分からない。性別の区別もつかない。

 ただ、こだまのように反響した微かな声が聞こえたのだ。

 それと同時に、深い集中状態に入っていた私の嗅覚も異変を覚える。これは……火の匂い。よく野営地で嗅ぐ匂いだった。

 

 間違いない。

 この先に誰かが居る。

 

 しかし此処は未開の地。

 こんな辺鄙(へんぴ)な場所を訪れる命知らずなんて、そうそういない。

 思い当たるのはひとり……いや、ふたりだけ。

 

 ボブと、老女が言っていた女の子。

 

 そう思うと、胸がドキリと鳴った。

 一縷の希望に縋って無茶をしたが、それが報われるような強い高揚感。

 震える顎を、固唾を飲んで静める。胸に手を当てて、高鳴る動悸に落ち着けと言い聞かせた。

 

 ふたりが居るという事は、イビルジョーの巣が近い可能性もある。

 そのふたりが逃げ出して、野営をしている可能性もあるが、それならそれであまり大きな声は出さないだろう。おそらく何らかの要因が噛み合って、私にとって不測の事態が起きているに違いない。

 失態を犯してから『予想だにしていなかった』では済まされないのだ。

 

 逸る気持ちを抑えながら、私は歩を進めた。

 やがて声が明確になってきて、ふたりの片方がボブである事に確信を抱く。

 

 漸くにして出所に辿り着いたのは、崖を下ってから半刻が過ぎようとした頃合いだった。

 

 地面が大きく抉られた先。

 遠目にはがらんどうにも映る洞窟の奥から、声が響いてきていた。

 物音を立てないよう慎重に中へ侵入。少し進めば、橙色の明かりが見えてきた。

 

「嬢ちゃん……俺がいねえ間、こいつ何か食ってたか?」

 

 と、したところで声がひとつ。

 漸くにして言葉として聞き取れた内容は、実にタイムリーなものだった。それを悟った私は、息を殺して気配を辿る。

 

 ボブの声に混じって、人間の呼吸音にしては大きすぎる吐息を聞く。

 イビルジョーの特徴と合致する強酸性の唾液の匂いも感じ取れた。

 どうやらふたりと共に、中に居るらしい。

 

 その理由を考察してみるが、パッと考えた限りでは思い当たらない。

 メゼポルタでは随分と奇行を働くモンスターとも戦ってきたが、それらの前例を用いても意図が読めなかった。

 

「いえ、何も……やっぱり、日に日に減っているようにも見えます」

 

 透き通るような少女の声。

 まだ成熟しきっていないようなその声は、怯えているようには感じられない。

 その様子から考えて、今すぐの脅威があるという訳ではなさそう。

 

 だけど、話の内容を考慮すると、そうも言えない。

 

「やべぇな……クソったれ」

 

 ボブはどうやら同じ意見。

 そりゃそうよね。食事をとらないイビルジョー程、危険な存在はない。

 

「そんなに危ない状況なんですか?」

 

 話を小耳に挟みながら、私は静かに支度を整える。

 出来ればイビルジョーと真っ向から戦うのは避けたかったけど、飢餓状態に陥ったら先ずこの二人は守れない。ボブが討伐していないところを見るに、おそらくG級だろうし……悠長に構える時間はない。

 

 一応、最終チェックがてら、思い直してみる。

 

 繁殖期の可能性はある。

 その場合、テロス密林には他の個体がいない為、繁殖に至る可能性は低い。そうなったイビルジョーに残るのはこれまで以上の空腹で、飢餓化する可能性は高い。

 他の可能性は、個体を見てからでないと分からない。

 

「このままじゃ、俺のオトモが救援を出してたとして、討伐に来たハンター達が返り討ちに合う可能性さえある。だから何としても村に戻らなきゃなんねぇんだが……」

 

 ボブの言葉を耳にしつつ、私は視界が通らなさそうな岩陰から、少しばかり覗き見てみた。

 

 ボブと女の子が焚き火を囲っている。

 その向こうに、やはりイビルジョーが居た。

 

 私が見てきた中でも、随分な大柄。身体には無数の傷痕があり、数々の修羅場をくぐり抜けてきたと言わんばかりに映る。特に印象的なのは背中の大きな一本傷で、真白の線が私の目に届かない高さにまで続いていた。あれはおそらく相当な深手だった事だろう。

 両足については、今現在折っているようで、観察する事は叶わない。しかしその巨躯からして、おそらく相応に隆々としているだろう。こやし玉は用意しているけど、お得意の拘束を受けたらそれだけで死んでしまいそう。

 そして何より……。

 

 私は固唾を飲まずにはいられなかった。

 ボブが焦っている理由を、この目で見て理解してしまったのだ。

 

 口腔の外まで突き出た無数の牙は種族譲り。一目見ただけでも強靭さが分かってしまう顎の筋肉も、同様。

 まさか辿異種のような発達部位が見られる訳でもなく。

 しかし、イビルジョーとしての種族と合致しない点がひとつ。

 それはどう解釈しても、絶望の予言に近かった。

 

 今、ボブや少女を落ち着いた様子で見詰めるその瞳が、どす黒く見える程に赤かったのだ。

 

 焚き木の明かりの所為ではない。

 瞳が赤いだけのイビルジョーなんて話も聞いた事がない。

 それは確かな兆候だった。

 

 そう、イビルジョーが飢餓状態へと変貌する一歩手前の状態。

 

 私は思わず手元を確認する。

 ポーチの中にはありったけの回復薬と、その調合素材。あとは狩りに必要な基本的なもの。そしてイビルジョーを狩猟するにあたって、とても便利な罠肉。あとは捕獲用の罠が二種。

 道具は十分。だけど、武器はどうあがいても上位のライトボウガン。

 

 果たして、G級の飢餓状態のイビルジョーを相手取るには、力不足にしか思えない。

 電撃弾を全て有効部位に撃ち尽くして、どれだけ弱らせられるか。

 この地面すら整備されていない未開の地で、それが出来るのか……。

 

 私は逡巡する。

 決して逃げようとは思わなかったが、武器の心許なさが一抹の不安になっていた。

 

 そんな折、ボブの溜め息が聞こえてきた。

 

「あいつが気を利かせて、俺の親友の妹を呼んでくれてたら良いんだが……」

 

 親友の……妹。

 

 その言葉が引っ掛かって、私は臆病風に吹かれそうになっていたところから、我を取り戻す。

 ふと認めなおせば、少女が彼に問い質していた。

 ボブは自慢げに頷く。

 

 俺の数倍は強いソロハンターだ。

 と、そう言った。

 

 ドクンと高鳴る音があった。

 

 必要とされているのだ。自分は。

 今、この瞬間、救けを求められているのだ。

 

 ふとすれば、心にとりついていた不安感がさぁっと消え去った。

 二人の続く会話が耳に入らない程、強い闘争心が沸き上がってきた。

 同時に脳裏に蘇ってくる光景がひとつ。

 

 俯く老女に、私は言った。

 

 生きていれば、必ず助け出す。

 

 と。

 

 ポーチを開き、中から赤い液体が入った小瓶を取り上げる。

 一息にぐいと飲み干せば、鬼人薬G特有の熱さが身体中に駆け巡る。

 

 誰かを失うのなんてごめんだ。

 誰かにそんな思いをさせるのもごめんだ。

 

 だから、私は、生きて帰ろう。

 このふたりを連れて。

 

 

 ポーチから取り上げた閃光玉のピンを飛ばす。

 思いっきり振りかぶって、イビルジョーの居る方へとぶん投げた。

 

「ボブ! 目を閉じて!!」

 

 瞬間、炸裂。

 陳腐な音と共に、辺り一帯が真白の閃光に呑まれる。

 その寸前で見送ったイビルジョーの姿は、こちらへ向き直っていた。あれは間違いなく当たっている。しかし、それは同時に、閃光玉の投てき音に気付く程の猛者である証でもあった。

 

 閃光玉の光が収まらない内に、私はライトボウガンの安全装置を外した。

 電撃弾を装填。

 視界が遮られる前に当たりを付けた場所へ、照準を合わせる。

 

 光が消えると同時に、引き金を引いた。

 電撃弾を速射でぶっ放す。

 当たりをつけた位置は正確で、イビルジョーの脳天を捉えていた。

 

「イノリ!?」

「な、何これ!?」

 

 戸惑うような声を聞く。

 と、同時に、イビルジョーの体表の色が変化していくのを認めた。

 照準をずらす。狙うは正面からでも僅かに見える前足と胸。

 

 射撃音で撃った弾の数を数えながら、私は唇を大きく開けた。

 

「早く、こっちへ!」

「イノリ! 気を付けろ。こいつは――」

「待って。待って。このジョーさんは――」

 

 返ってくる言葉が、二種類。

 ボブはおそらく私に飢餓状態を忠告しようとしている。

 少女のそれは分からない。

 

 だけど今は、出来る限り此処でイビルジョーの体力を削る必要があった。

 そうしないと、ふたりを逃がせない。

 

 少女の腕を引くボブが、こちらに迫る。

 私はイビルジョーから視線を逸らす事無く、大声で叫んだ。

 

「この武器じゃもたない。さっさと逃げて! イビルジョーの痕跡通りに行って。早く!!」

 

 五回、一五発の速射を終える。

 苦悶の声を上げるイビルジョーは、声に対して怯みはしない。やはり、火力が足らなさ過ぎる。

 それでも、足止めにはなっている。

 次弾を装填し、今一度射撃体勢に入る。

 

 どうか、飢餓状態に陥る前に。

 

 しかし、次の射撃を始めた瞬間。

 イビルジョーの足が、悠然と一歩、こちらへ進んだ。

 

 不意に背筋を撫でる微かな悪寒。

 イビルジョーの唾液が持つ独特の臭気が、一層増した気がした。

 ふとすれば、その巨躯が膨れ上がる。

 その顔から、バチバチと不気味な黒い光が漏れだした。

 

 三度目の速射を始めた瞬間、私は誰かの声を聞いた。

 

――イノリ! 逃げろぉ!!

 

 雷でも鳴ったのか。

 キリンでも現れたのか。

 そう思える程の轟音。

 

 いいや、違う。

 それは、確かに、産声だった。

 

 咄嗟に身を翻す。

 武器を背に担ぎ直して、ボブが先に向かった洞窟の入り口へと向かう。

 背後で、凄まじいバインドボイスによって、洞窟が崩れ始めた。その瓦礫に埋もれていく姿を、肩越しに振り返る。

 自らの身体へ向けて崩れ落ちてくる瓦礫なんて何のその。何ら意に介した様子なく、深紅の双眸がじっと私の姿を捉えていた。

 

 怒り喰らうイビルジョー。

 

 疑いようもなく私は、彼の獲物になっていた。




 はじめに。
 一年以上放置していたにもかかわらず、多くの高評価、感想を頂きまして、ありがとうございます。二八日、一七時現在、日間四位にまでなっていました。思わずリンク切っているのに、Twitterで喜びの声を上げてしまいました(完結したらこっそり身バレしておくと思うので、特定しないで下さいね)。

 本来なら息抜き程度に書く予定だったのですが、思わず現金になって筆運びしました。
 形としては前ページと同時系列の話なので、ちょっとばかし退屈かもしれませんが、エンディングの為に必要な要素なのです。ご了承ください。


備考

・イノリの精神状態について
 浮き沈みが激しいのは、まだ二十歳という若さの為。
 武器が上位の理由は書いてある通りですが、G級武器を担がせてしまったらジョーさんがあっという間に死んでしまうので、ジョーさんからしたらひとつの奇跡だって事で見逃して下さい。バルバレでMHFのG級武器担いでる方がよっぽど浮く(モンスター殺す気満々じゃねえか)と思いますし……ね?

・こんがり肉どこ?
 もうちょっと待って。
 今シリアルなの。

・ジョーさん視点……。
 VSイノリはジョーさん視点にしようと思ったのでここで止めました。


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私と女、激突。

 

 初めて口にした日から、片時たりとも忘れた事はない。

 

 口内に広がる香ばしさは、まるで身体に染み渡るよう。刺激された私の唾液と混ざる肉汁は、しかし私の唾液に溶ける事なく、口内の隅から隅へといきわたる。食感も普段口にしているそれとは違い、とてもとても柔らかかった。すんなりと通った牙を押し返すものなんて、肉汁の波だけだったのだ。

 まるで溺れるような食感。

 しかし、私に訪れたのは息苦しさではなく、濃厚な香りに包まれる充足感。

 巨大な二本角の草食竜を制した時のような。はたまた空を支配する赤く猛々しい飛竜を地に落とした時のような。延いては百戦錬磨を謳う金色の牙獣との闘争に決着をつけた時のような。強者を屠り、喰らっている時のような感覚だった。

 それが咀嚼する度に私の口内を満たすのだ。

 正に、至福の一時。

 

 無論、直に味わった肉そのものは、更なる深い味わいをしていた。

 闘争の果てに、漸く辿り着いた新境地のような……いいや、私の持ちうる言葉では、どれ程称えても足りぬ程、見事な味わいだった。

 臭みなど全く無く、肉汁の香りを一切殺さない。

 それでいて独立した旨味があり、その旨味が肉汁と合わさる事によって、私を感動の渦に閉じ込めるのだ。

 

 あれこそ、至高と呼ぶに相応しい肉だった。

 忘れようがない味わいだった。

 ただの一度で、私が培ってきた食への価値観を木端微塵にしてしまったのだ。

 

 そして何より、至高の肉は、私に稀有な機会をもたらしてくれた。

 

 非力な人間の少女との出会い。

 ふてぶてしい態度の男との出会い。

 

 至高の肉と出会えた充足感が無ければ、このふたりは私の胃袋に収まっていた事だろう。

 

 私を屠り得る存在として認めてきた人間。

 彼等の生態をすぐ傍で観察する事によって、私は己の知能に傲りがあった事を認めざるを得なかった。至高の肉を生み出したと思われる技術もそうだが、彼等は知能が高いのと同時に、とても器用だったのだ。だからこそ、それを武器にして、ヒエラルキーの頂点に君臨した。そのどちらかが欠けていれば、木の上で糞を投げて遊んでいる緑や桃色の獣とよく似た生き物になっていた事だろう。

 

 このふたりと過ごす日々で、決して何かがあった訳ではない。

 ついぞ至高の肉を手に入れる方法は聞き出す事が出来なかったし、人間の生活こそもの珍しかったが、それを見て得るものは無かった。おまけに隙を見て男が逃げ出すのだから、その対応に追われるばかりだった。

 

 だが、悪くない日々だった。

 

 生まれて初めて、誰かと接するという事をした。

 共存という道に目を向けた。

 

 共に生きるという喜びを知ってしまったのだ。

 

 しかし、それは不埒な侵入者によって、奪われてしまった。

 奪われてしまったのだ。

 

 

 なら、奪い返さねばなるまい……。

 全てを喰らう者として、全てを私の胃袋に収めてくれる。

 

 

 私はゆっくりと目を開く。

 

 視界に映るは、黒。

 これは私の身体から迸っている漆黒のエネルギーの所為ではない。激情を余す事なくぶちまけた咆哮によって、私の住処が崩れてしまった為だ。

 なあに、気にする事は無い。

 もうこの場所に用はないのだから。

 

 たかが洞窟の崩落ぐらいで、私の身体に異常がある筈もなし。

 頭に圧し掛かる重たい瓦礫を、面を上げると同時に振り払う。それでも空が拝めぬ程、瓦礫の量は多かったが、ならば前に進めば良いだけの話。こんな瓦礫如きで、私が身動きのとれぬ状態に陥る訳がない。

 私は後ろ足に力を籠めると、ゆっくりと身を仰け反らせた。

 

 空いた空間へ、瓦礫がガラガラと雪崩れ込んでくる。

 それに構う事なく、私は目の前の瓦礫の山へ向けて、強烈な体当たりをぶちかました。

 その衝撃は私がぶつけた前方ではなく、斜め上へと逃げたようだった。しかし、それが功を奏して、鈍色の光が射し込んでくる。これ幸いとして、他所からの瓦礫がそこを塞がぬうちに、私は屈強な足を用いて強引に瓦礫の山を登った。

 地面を掘削する時のように硬い頭を左右に振って、瓦礫を押しのける。

 瓦礫の山から半身が出た時、いよいよ面倒臭く思えて、尻尾を横へ薙いだ。

 

 数多の小石がはじけ飛ぶ。

 

 ようやっと視界が開けた。

 しかし、洞窟が崩れた衝撃で、そこいらの大樹がこちらへ向けて倒れていた。その所為で周囲の確認が出来ない。舞い上がった砂埃の所為で、目的の匂いを察知する事も出来なかった。

 勿論、このままではあの不埒な侵入者を見つける事も叶わない。

 

 おまけに途方もない空腹感が襲ってきた。

 

 ああ、腹立たしい。

 己がやった事だが、全てが煩わしい。

 この不条理に対する怒りが、それを晴らせぬ己が、そして、猛烈な空腹感が……ああ、本当に煩わしい。

 

 身体が熱い。

 古傷が開いたのか、身体中から痛みを感じる。

 

 どうしてくれよう。

 どう晴らせば良いと言うのだ。

 

 この、抑えきれぬ憤怒をっ!!

 

 先の失態を忘れ、私は吼える。

 邪魔なものは、全て退け、失せろ。

 と、知恵の欠片もないただただ暴力的な咆哮を上げる。

 

 それは正しく蛮行だったが、今の私の咆哮はこれまでのものと桁が違った。

 小石は吹き飛び、根っこの抜けた樹木さえもが転がり、道を開ける。

 一頻り憂さを晴らした私の前には、最早邪魔なものは無かった。

 

 正しく僥倖。

 

 今しがた芽生えたばかりの力だったが、怒りに震える私が気にする事は無かった。

 むしろ、力が増しているのだ。悪い訳が無い。

 問題は些細な動作一つで猛烈に腹が空く事だが、これから全てを喰らうのだから、大した問題ではない。最早それにおいて味などどうでも良い。至高の肉以外は、等しくただの補給だ。今の私がそこに拘る理由もない。

 

 要らぬのだ。

 不味い肉など、肉ではないのだ。

 ただの補給。ただの飢えを癒すもの。

 

 至高の肉以外を肉として認めぬ。

 

 

――私はグルメである。

 

 

 ゆっくりと、歩を進める。

 先の侵入者は一人だった。あの赤い鎧の男と同じかもしれぬが、私を屠りに来る猛者はいつも四人だった。

 警戒するに越した事はない。

 しかしながら、それで逃がしてしまっては元も子もない。

 あの侵入者の意図は、おそらく私から少女と男を奪い去る事だったのだろう。その目論見が達成されては、私の溜飲が下がらぬ。

 

 察知するのだ。

 研ぎ澄ますのだ。己の感覚を。

 

 激痛を忘れ、激情を静め、追うのだ……憎きあの侵入者を。

 

 私は砂埃が舞う一帯から抜け、静かに息を潜める。

 なあに、血肉を追う事は得意中の得意だ。私が今まで生きてきた日々の中で、むしろやらぬ日が無かった行いだ。逃がす筈がない。

 嗅覚に意識を集中する。

 じめじめとした森の空気が私の邪魔をしたが、まさかそれで見失おう筈もない。

 

 見つけた。

 

 私は匂いがする方向へ向き直る。

 奇しくも……いや、これにおいては狙っているのだろう。侵入者が逃げた方角は、私が少女や男と出会った場所を指していた。

 

 成る程。

 私を屠りに来たのなら、どうして瓦礫の山から抜け出す隙を放って逃げ出したのかは、疑問を持つべきだった。

 あの侵入者は、私の比較的弱い部分を的確に狙い撃つ技術を持っていた。この私から逃げ果せると思っている程、浅はかという訳でもあるまい。

 とするなら、少女達と出会った場所のように、開けた場所の方が戦い易いと判断しているのではなかろうか……ふむ。この考えは的を射ているように思う。

 

 よくよく周囲を見渡せば、私がそれらを押しのける力が無ければ身動き出来ぬ程に、木々が茂っている。

 これは私にとって、視界が通らず煩わしい程度のものだが、彼等の脆弱な身体からすれば、一々避けて動かねばならぬものだろう。

 

 成る程、成る程。

 つまり、今が好機か。

 

 私は大地を駆った。

 邪魔くさい木々は全てなぎ倒し、猛然と前へ進んだ。

 今を逃せば、面倒になるのだろう。ならば、あの平地へ辿り着く前に屠ってやろう。

 人間の小さな身体で、私の巨躯より速く動ける訳が無い。

 

 鬱蒼と茂る木々を、何ら意に介す事無くなぎ倒す。

 どれ程幹が太かろうと、身体中から感じる痛みを、熱量を糧にして、八つ当たりよろしく体当たりをぶちかますだけで、右へ左へと吹き飛んでいく。

 それに応じて鳥や小型の獣が煩く喚いていたが、それらは全て後回しだ。

 憎きあの侵入者を駆逐した後、ゆっくりとたいらげてやろう。

 

 平地までの距離の半分を進んだ。

 

 そうら、もう追いつくぞ!

 

 口腔に、溢れんばかりのエネルギーを溜める。

 目前の木を突進で破壊し、そのままの動作で極太のブレスをぶっ放した。

 

 思い切り薙ぎ払ったブレスは、そこら一帯を余す事なく焼き尽くした。

 ブレスで物を破壊した事は、これまでも何度かあったが、今回のそれは規模が違った。私が想定していた以上に、熱量、範囲共に上がっていたらしい。

 大地は熱で溶け、土を剥き出しにして湯気をあげていた。根元から折れた木々は総じて黒く焦げ、その内幾つかは紫煙を上げている。

 しかし、陽炎で揺らめくその空間に、侵入者は未だ健在。赤い鎧の男がやってみせたように、回避したのだろう。じゅうと音を立てる大地に、屈みこむような体勢で、こちらを睨みつけていた。

 

 一瞬の静寂。

 

 相手も私も、その力量を真っ向から見定め合う。

 

 黒いヘルムを被っているが、そのフェイスガードは上げられていた。顔つきは眼光こそ鋭く、臆した様子も見られないが、あの少女よりは少しばかり成熟した程度の女に見えた。私の予想を裏切る若さだった。

 身に纏う装備は統一性がない。

 黒いヘルムやアームを着けているかと思えば、鎧は金と緑色が見事な調和を果たしたものだった。

 こうした合わせ着をしている猛者は、総じて強い。私が今まで蹴散らしてきた猛者の内でも、印象に残っている者の殆んどは、彼女と同じように統一性に欠いた装備をしていた。

 それが果たして、どういった効力があるのかは知れないが、経験則だ。間違いないだろう。

 

 女はゆっくりと立ち上がり、ヘルムのフェイスガードを下ろした。

 既に武器は抜かれており、照準は私の顔より少し下に向けられている。おそらく、もう支度は整っているのだろう。

 

 静寂の果ては、不意に上がった鳥の鳴き声だった。

 

 女が持つ武器が火を噴く。

 直後、前足部分が、じりと焼かれるような痛みを覚えた。それは先程の邂逅では気付かなかった事だが、どうやら虫を操る大狼や、金色の牙獣とよく似た攻撃らしい。確かに、あやつ等の攻撃は他に類を見ない程に効いた。

 流石だ。人間。

 まさか己の脆弱さを補う為に、あやつ等の攻撃さえも真似るとは。

 

 しかし、見誤るでない。

 今の私は、このようなつぶての嵐で止まる程、柔ではないっ!

 

 私はつぶてに構わず、愚直にも突進した。

 それはやはり空を切る。女は右へと身を躱し、至近距離から更なる連射を繰り出してきた。

 

 否、甘いぞ。人間。

 

 尾を振り上げ、思い切り薙ぎ払う。

 しかし、手応えは無い。今一度尾を振って、正面に向き直れば、女は既に距離を取っていた。

 やはり怒涛の攻撃が飛んでくる。

 ちまちまとした攻撃だが、その女の手は休む事を知らなかった。

 蓄積された痛みが、私の身体の中で形を変える。理性を奪う感情となっていく。

 

 ダメだ。

 狂うにはまだ早い。

 

 こやつ等人間の前で理性を失えば、それはただ蹂躙される事を意味する。

 

 今はまだ抑え込むのだ。感情を。

 それでいて引き出すのだ。己の真価を。

 空腹感が煩わしいなら、それを利用しろ。

 体内に邪魔がないのなら、さぞかし私のブレスは強大だろう。

 躱せぬ程に強大なそれを、ぶちかましてやるのだ。

 

 二本の後ろ足に力を籠め、身体を思い切り仰け反らせる。

 相対する人間と同じ体勢に至り、彼奴を見下ろた。

 

 さあ、逃げ惑え。

 私の十八番(おはこ)だ。

 食らえばただでは済まさんぞ。

 

 腹の底から沸き上がってくる高熱。

 強大なエネルギーの塊。

 それが喉元を飛び出ようかとするのをグッと堪え、止めようが無くなるまで溜め続ける。

 

「……やばっ!」

 

 女が何事かを口にして、慌てた様子で武器を仕舞う。

 その頃にはいよいよ臨界点。しかと狙いを定めて、私は頭を振った。

 

 轟という凄まじい音が響く。

 真正面を焼き払ったブレスは、先程私が燃やした空間より、更に先まで届く。

 漆黒のエネルギーは大地を焼き、溶かし、抉り、木々を灰燼へと変えた。

 舞い上がった砂煙によって、視界が遮られる。

 

 当たれば間違いなく致命の一撃。

 しかし、私には確信があった。

 この程度で死ぬ訳が無い。

 

 故に、私は今一度天を仰ぎ見るが如く、仰け反るのだ。

 

 眼下で、先のブレスによる砂煙が晴れた。

 その向こうで、やはり女は未だ生きていた。

 しかし、余波で吹き飛んだのだろう。私が焼き払った一線からは逸れてこそいたが、煤まみれの樹木の根の部分で体勢を崩し、苦しそうに悶えていた。

 

 これまでだな。人間。

 私は愉悦に浸る心地で、喉元にエネルギーを溜める。

 万が一にも逃がさぬよう、先程と同じ量の熱量を目安にして、吐き出したい衝動をグッと堪えた。

 

 しかしながら、その女はやはり、私が認めるに値する猛者だった。

 私の背に一本の傷を入れた猛者と同じように、こんなにも追い込まれてまで、未だ武器を握っていたのだから。

 

 ガチャリ。

 女の獲物が何やら音を立てる。

 意識が朦朧としているのか、彼女は頭を抑えながら、その武器に何か小さな物を籠めているようだった。

 

「諦めるな……諦めるな……」

 

 うわ言をぼやきながら、女はついに武器を私へ向けた。

 

 必殺の一撃のつもりか?

 いいや、もしもそんなものがあるのなら、とおの昔に撃っているだろう。それはせめて私の攻撃が止まればという一縷の希望をかけた抵抗に違いない。所詮、先程までのちくりちくりとした攻撃と大差ないのだ。

 

 構う事はない。

 ブレスを溜めろ。

 女がそれを撃ち終えた瞬間、それが彼女の命運尽きる時だ。

 

 パスン。

 パスン。

 

 乾いたような発射音。

 それは私が睨んだ通り、大した事のない攻撃だった。

 むしろ、先程まで撃ち込まれていたものより、ずっと弱い。

 

 最早、哀れ。

 

 せめて一思いに焼き尽くしてくれる。

 

 そう、思った瞬間。

 女が何発目かの射撃をした時の事だった。

 

――あ、あばばばばばばば!!!

 

 猛烈な痺れによって、私の身体はぴくりと動かなくなってしまったのだ。

 それどころか、喉の奥に溜めていたエネルギーが溢れてくる。よりにもよって、この瞬間に溢れてくる。

 思考さえまともに出来ない状態で、身体の制御が利く筈もない。

 

 ふとすれば、爆ぜた。

 

 どふっという呆気ない音を聞いた気がする。

 思考回路は当然のように停止。

 おまけに喉が焼け付いて、痛いのか苦しいのかさえ分からなくなる。

 

 私は思わず地べたに転がって身悶えした。

 いいや、身体が痺れてしまって、それさえ定かではなかった。

 

 ふと、視界に留まるひとつの人影。

 

 フェイスガードを上げた女は、痛々し気に腹を押さえているにもかかわらず、顔だけはにやりと笑っていた。

 その表情も、意図も理解できず、私は動けない。悶え苦しむばかり。

 傍らまで接近されているのに、反撃のひとつも出来なかった。

 

 自分がこのまま捕縛される可能性さえ脳裏に浮かべる事は出来ず、激痛に呻く。

 痺れが取れない上に、ブレスが暴発したのだ。

 今まで受けたどの攻撃よりも痛かった。

 

 彼女にとっては、千載一遇の好機だったろう。

 しかしながら、彼女は一回腰を下ろしてふうと息をつくなり、踵を返してしまった。

 

 その頃になって、漸く思考が出来る具合になってきた。

 苦痛に悶えながらも、私は彼女の行動に疑問を抱く。

 

 何かを……されたのか?

 何を……された?

 

 しかし、横になったままでは分からず、彼女の背が平地の方へ向かって行くのを見送るばかりだった。

 

 くそう。

 と、腹立たしい気持ちを何とか堪え、女を追うべく立ち上がる。

 

 逃がさぬ。

 絶対に逃がさぬ。

 

 そう思い、一歩踏み出した瞬間だった。

 

 景色が、ぐわんと上に伸びた。

 

――え?

 

 思わず間抜けな声を出して、自分の置かれた状況を確認する。

 右を見て、左を見て、正面を見て。

 先程まで軽々と吹っ飛ばしていた木々が、私の身の丈を超える程に高くそびえて見えた。

 

 うん?

 木が成長した?

 いや、そんな訳がない。

 

 ふと視線を下ろして、漸く気が付く。

 

 私は穴に落っこちていた。

 

――え?




大人しく備考書くだけに留めようかと思いましたが、やっぱり嬉しいので書き残させて頂きます。

本日の日間ランキング。一位でした。
あまりの衝撃で何が起こっているか分かりませんでしたが、これも読者さんから頂けた温かい評価のお陰。一年以上も更新をサボった者に対して、勿体ないぐらいです。
本当にありがとうございます。

あまり長い話を想定していなかった為、もうそろそろ話が纏まってくるのですが、最後までお付き合い頂けると幸いです。


備考

・ジョーさんの行動が常軌を逸している件
 咆哮で木を転がしたり、ブレスの余波だけでイノリを戦闘不能レベルまで追い込んでいますが、これらは特にジョーさんが異常個体という訳ではないです(飢餓状態ではありますが)。
 木が転がったのは根っこが抜けた状態で瓦礫の上に転がっていて不安定だったから(それでもやりすぎかなと思ったのですが)で、ブレスに関しては『普通、吹っ飛ぶよなぁ……』と、原作プレイ時にフレーム回避してて思ったのです。
 ブレスが暴発したのも当然そうなるなと想定したところを汲みました。

 やたらと誇張してしまった知能については……まあ、ええ、ジョーさんが冴えてるって事にしてください。迷子にでもなったりしたら目も当てられませんので。

・イノリがやった事。
 ブレスで吹っ飛ばされた後、麻痺撃って、落とし穴設置。
 その場で戦わなかったのは、相応に痛手を負っている為。それ自体は秘薬を飲めば済む話ですが、地形的な不利が強く出ていると思った為、逃げの一手。

・シリア……ル?
 ジョーさんがドジっ子したからシリアルって事にしてください。


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私、胸が空く。

 右を見やれば、木々がそびえ立っていた。

 左を見やれば、やはり木々がそびえ立っていた。

 

 私の体躯を上回る身の丈を得て、青々とした木の葉が私を見下してくる。風に揺れてしゃりしゃりと擦り合う音が、嘲笑しているようにも聞こえた。

 

 ふと視界を正面に直せば、先程の猛者の背中はもう見えない。

 下半身に纏わりつく粘着性の何かの中で、足を二度、三度と振ってみるも、地を掴む感触すら得られない。虚しくてかなわなかった。

 

 人間の相手が初めてな訳ではない。

 このような罠に嵌められた事は、今までも何度かあった。

 しかし、どの記憶を辿っても、このような好機を見逃す猛者はいなかった。ここぞとばかりに怒涛の攻撃を仕掛けてきて、その度に私は彼等の闘志に呼応して、より強く、より強靭に、反撃を繰り出してきたのだ。

 

 だと言うのに、あの猛者は逃げた。

 私を罠に嵌めるだけ嵌めて、さっさと逃げてしまった。

 

 いやなに、理由は分かる。

 分かるとも。

 元々それをさせまいと足を急がせたのだから。

 

 しかし、しかし――。

 

 己のおかれている状況に理解が進めば進む程、心の臓が脈を強めていった。

 開いている筈の視界が焦点を失い、口腔も己の意思とは裏腹に、小刻みに震えだす。わなわなと全身の筋肉が強張り、抑えようのない感情が身体を支配しようとしていた。

 まるで誰かに意識を乗っ取られるような気分だった。

 全てを喰らう者であった私と、理知的でありたいと願った私のうち、明確にどちらかが欠如していく。

 ふとすれば、私を私たらしめるものが、気泡のように呆気なく――砕け散った。

 

 視界が、どす黒く、染まる。

 

 

 私を……私を、愚弄するなぁああっ!!

 

 

 思いのままに、野蛮な怒号を上げる。

 先程は地面に着かなかった後ろ足を力任せに引き上げる。背筋の力だけで引き上げた足は、思った以上にすんなりと地上へ出た。その足を穴の縁へ引っかけて、未だ粘着性のものに纏わりつかれている下半身を強引に引き抜いた。

 

 地上へ上がるなり、私は今一度吼える。

 体内を巡る血液が、私の中でドクンドクンと音を立てる。それが私の筋肉という筋肉を刺激し、己の体躯をより大きく肥大化させる。それと同時に、背中から言い表しようのない程の激痛を感じ、それに対する昂ぶりが更なる刺激となって、体躯をより強靭に変えていく。

 

 あまりの痛みに、私は思わず間近にあった煤まみれの大樹の幹へ、乱暴に噛みついた。

 噛み砕かれた屑が口内に入ってくるのも気にせず、強引に頭を振るう。今の私の膂力の前では、大樹が地中に張った根など容易く引っこ抜け、私の思うままに投げ飛ばされる。それが別の木々へぶち当たると、更に数本の木々が薙ぎ倒された。

 激痛からくる更なる怒りは鎮まる事を知らない。

 八つ当たりよろしく頭を別の大樹へぶち当ててみれば、その木は弾けるように折れてしまった。

 

 痛い。

 苦しい。

 

 赦せぬ。赦せぬのだ。

 何もかもが憎たらしい。

 

 頭を駆け巡る感情の嵐が、私の知能を根こそぎ奪っていく。

 怒りに身を任せ、衝動のままに口腔から極太のブレスをぶっ放した。それに呑まれた何もかもが黒く染まり、灰燼と化す。

 

 周囲一帯を破壊し尽くし、私は震える口腔から熱い吐息を吐き出した。

 いつの間にか身体が焼けるように熱くなっており、思考がぼうっとする。しかし、妙な爽快感もあった。

 いつものようにごちゃごちゃと小煩く思考する事がないからだろうか。ひとつの目的を果たす為なら、何だって出来そうだ。

 

 一通り憂さを晴らせば、痛みにも慣れてくる。

 己の内の感情を剥き出しにして、醜悪に笑った。

 

 さあ、蹂躙の時間だ。人間。

 私から理性を奪った事、後悔させてくれる。

 

 私は大地を駆った。

 最早あの猛者が平地に辿り着いていようがいまいが、構う必要もなかった。

 あれを屠るか、己が屠られるか。

 そのどちらかだけで十二分だったのだ。

 

 木々を薙ぎ倒し、小煩い獣共を蹂躙し、私は歩を進める。

 やはり平地へ登る崖まで、あの猛者や少女達と出会わす事は無かったが、気にする事はない。私は意にも介さず、『この上に居る』という事実だけに鼻息を荒くして、剥き出しの岩肌へ後ろ足の爪を深く突き刺した。

 

 

 そして――邂逅。

 

 草木が少ない見晴らしの良い広場で、更なる高所へ続く崖を背に、猛者が佇む。

 もの静かな姿は、落ち着いているとだけ言うと、語弊もあるだろう。先程負った筈の傷が、まるで無かったかのように平然としていたのだ。

 なあに、それしき想定の範囲内。

 否、最早そんな事はどうでもいいとさえ言える。

 

 今度こそ、屠り喰らってやろう。

 

 開戦の合図は、私が上げた咆哮。

 猛者はそれを後ろに跳ねてやり過ごし、銃口をこちらへ向ける。激しい発光と共に、礫が飛来した。

 しかし、私は気にも留めずに、頭を足許へと下ろす。口腔を大地へ突き刺して、思い切り掬い上げた。

 

 礫が私の身体を打つ。

 その痛みは、先の一戦で感じたものと同じく、私に効果的なもの。だが、その攻撃はすぐに中断された。

 私が地中から掬い上げた大岩が、綺麗な弧を描いて猛者の居る方へと飛んでいっていた。当たれば間違いなく致命傷の一撃だろう。しかし、その猛者はやはり優秀だった。武器を小脇に抱えたまま横へ転がり、大岩の中をすり抜けるようにして回避する。

 普段ならその技術が何なのかと目を奪われるところだが、今の私にとっては些事。

 当たらなかったという事実だけ確認すると、後ろ足を駆って、距離を詰めた。

 

 ブレス、投てきが駄目なら、私の自慢のこの顎で噛み砕いてやるまで。

 

 口腔を大きく開きながら、未だ体勢が整っていない猛者へと噛みついた。

 がちん。

 しかし、空を切る。

 猛者は体勢の整わぬまま、再度私の足許へと転がって回避していた。

 

 ふと、行方を追った私の視線と、フェイスガードの向こうに見える黒の煌めきがかち合った。

 

 フェイスガードの陰りに潜む猛者の瞳。

 その目は真っ直ぐに私を捉えていたが、洞察力に富んでいる私の目でも、狙いが読めぬ程に落ち着いて見えた。

 一瞬の判断が生と死を分けるこの状況。

 私が知性を放棄したからか、はたまたこれこそが彼女の戦略だったのかは分からない。

 ただ、その重要性が身体に染み付いていたからこそ、私は彼女の挙動が読めず、本能的に動きを止めてしまった。

 

 不意に交差したまま捉われた視線のど真ん中へ、球状のものが浮かび上がってきて――しまった――そう悟った時にはもう遅い。猛者が己の顔を覆うが早いか、彼女の投げた玉が強い光を放った。

 

 視界が真白に覆われ、苦悶の声を上げた瞬間。

 怒涛の攻撃が私を襲った。

 

 礫が雨のように身体を打った。

 それら一発、一発は、大した事のない威力。しかし、唐突に視界を奪われ、怒涛の攻撃を浴びせられれば、思考は混乱する。嗅覚も聴覚も殆んど役割を放棄してしまって、どこから撃たれているのかさえ分からない。痛みに備えられない分、痛みは威力と比例しない。

 激痛と言っても過言ではない痛みが、身体中を襲った。

 

 苦し紛れに尾を振るう。

 虚無を噛む。

 

 しかし、攻撃の手は休まらない。

 呻く。私は激痛に呻く。

 

 やっとの事で視界に輪郭が戻ってこようかという頃、攻撃がぴたりと止んだ。

 身体中を襲う激痛と、それに呼応して発熱する体内器官。それらに促されて激情し、私は首を振って目に活を入れると、衝動のままに猛った。

 森中に響き渡らせる心地で上げた咆哮。

 天を仰ぎ見て、喉の奥から上がってくる熱い息を吐ききった。そうして頭を振って、正面へ直れば……ふと、奇妙なものを目にした。

 

 赤い、物体。

 木目に、黒い器具が取り付けられている。

 消し炭に近い匂い。火の匂い。

 

 火の、匂い。

 

 瞬間、その正体を察した私の瞳が、瞳孔を開く。

 身体の奥底で、何かがきゅっと縮こまった。

 

 

――ああ、腹が空いた……。

 

 

 果てない暗闇の中。灰色の皮をした草食獣が一匹、ぽつんと佇んでいた。

 私が一歩、二歩と歩み寄れば、獣はこちらを認めるなり、慌てて踵を返す。その足が一歩踏み出すより早く、私は距離を詰め、開いた口腔でその胴体を掬い上げた。

 

 柔な肉体を、軽々と咀嚼する。

 一度、二度と、牙を通せば、獣の抵抗は徐々に鎮まっていった。

 口内に広がる血の匂い。

 肉の味。

 咀嚼する度、空腹感が満たされる。

 

 しかし、物足りない。

 物足りなくて、かなわない。

 

 数えきれない程の肉を食べてきた。

 草食獣のそれは、中でも特別旨味がある肉だった。

 

 なのに、足りない。

 足りないのだ。

 

 いいや、その理由は分かっている。

 分からない訳がない。

 

 今の私は、その為に生きているのだから。

 

 だけど何故だろう。

 今、私が満たされたいと願っているのは、決して腹の虫だけではない気がするのだ。

 そもそも私は何を満たしたくて、至高の肉を求めたのか。

 

 少なくとも空腹ではない事だけが確かだ。

 

 そうだ……。

 私は何故、あの少女と男に固執したのか。

 無理と悟りながらも、不器用ながら共存の道を求めたのは、一体何故だったのか。早々に殺してしまっていれば、私は猛者と戦う事も無かったのではなかろうか。いいや、この状況さえも、予想していた筈なのだ。私は。

 至高の肉を探す手がかり。

 だけどそれだけじゃない。

 

 あの二人と過ごす日々に満たされていたのは……。

 至高の肉を喰らって満たされていたのは……。

 

 

――ああ、()()()()()……。

 

 

 滲んだ視界に、ひとつの影が映っていた。

 その影は私の眼前で佇み、静かに息をついている。

 

「イビルジョー……討伐完了」

 

 静かな呟きは、安堵の色を持っていた。

 言葉こそ分からないが、そこに警戒心が無い事は分かる。

 

 ふとすれば、私は自分が置かれている状況を察した。

 

 身体が動かない。

 ぴくりとも動かない。

 視界も動かせず、あれだけやかましかった動悸の音もしない。

 呼吸さえ、しているのか定かではなかった。

 身体の痛みも、熱さもなく、地面に横たわっているようなのに、その感触さえない。海を泳いでいる時のような浮遊感に、全身が包み込まれていた。

 

 私は……死んでしまったのだろうか。

 たった一人の猛者を相手に、負けてしまったというのだろうか。

 

 いいや、それも仕方ないかもしれない。

 如何に私が強靭な肉体を持っていたとしても、理性を無くしてしまえばただの獣だ。それを知っていたからこそ、私は今まで生きてこられたし、それを無くしたからこそ敗北したと言うのなら、納得もいく。

 知性というものが何より優れた武器である事は、私が一番良く知っているのだから。

 

 猛者が再度息をついて、私へ歩み寄ってくる。

 グローブを外した手で私の顔を撫でたかと思えば、彼女の手によって、ゆっくりと私の瞼が下ろされた。

 猛者達が屠った獣達の末路は知っている。

 私もあのように解体され、彼女らの装具となるのだろう。

 

 思えば、しがない一生だった。

 肉を喰らう為に生き、肉を喰らう為に死んだ。

 知性的でありたいと願いながらも、どんな生き物より本能的であり、野蛮だった。

 守るものを持たず、己のポリシーさえなく、振り返ってみると、随分寂しいものだ。これを胸が空くと知った途端に死んでいるのだから、何とも皮肉なものだ。

 

 そして何より、一番大事なものさえ手に入らなかった。

 せめてもう一度、喰らい(出逢い)たかったものだ。

 

 今の私があれを喰らえば(あれと出逢えば)……きっとあの時とは違った味わい(感想)を得るのだろう。

 

 詮無い事だ。

 あれに出会ったから死ぬと言うのに、私はあれを憎めない。

 

 人にしろ、肉にしろ……。

 

 強欲、貪食とは、やはり私の為にある言葉だろう。

 この期に及んで、まだ欲する。

 まあ、それももう終わりか……寂しいものだ。

 

 徐々に意識が朧気になっていく。

 私は静かにその時を待った。

 

 と、そんな時だった。

 

「待て! イノリ。待て!!」

「待って。イノリさん!」

 

 不意に甲高い声が聞こえた。

 

 ハッとして瞼を開こうにも、私の身体には瞼一つ動かす力さえ残っていなかった。

 ほんの少しだけ開いた瞼の隙間から、僅かに見れるのは、二人分の人影。

 視界が狭い上にぼやけていて、はっきりとは見えなかったが、随分遠くから、何事かを叫んでいるようだった。

 

 この、声は……。

 

 今わの際に聴覚が混乱している訳でなければ、その声には覚えがある。

 ぼやけてこそいるものの、人影の大きさにも覚えがある。

 

 あれは……あれは、私の胸を満たしていた二人だ。

 

 そう悟ると、不意に胸がとくりと鳴った。

 ああ、来てくれたのか。

 と、二人の目的や心境はどうあれ、嬉しく思う心があった。

 

「ボブ? 貴方、一体何を……」

「いいから! ちょっと試しにやらせてくれ!」

「お願いします。イノリさん!」

 

 三人のやりとりが聞こえる。

 

 胸を満たす音が、とくりとくりと鳴った。

 その音が導くように、身体の中の何かが動き出す。

 じわりと温かみが返ってきて、開けられなかった筈の瞼が、徐々に徐々に開いていく。

 

 マスクを取った男が、椅子に腰かけて、何かを回していた。

 私と戦っていた猛者は、彼の前で小首を傾げていて、少女が彼女へ何事かを話しかけている。

 

 不意に、微かな匂いが漂ってきた。

 

 何かが……焼ける匂い。

 

 じゅう、じゅう、という音も聞こえてくる。

 何かに促される心地で音の出所を辿れば、男が回している装置が目に留まった。

 ピンク色の物を折れ曲がった棒で刺して、火の上でくるくると回しているのだ。それがじゅうじゅうと音を立て、私の口内から涎を出させる程に香ばしい匂いを漂わせている。

 

 あれは……何だ……?

 これは、何の匂い。何の音だ。

 

 徐々に、徐々に、瞼がしっかりと開いていく。

 視界の輪郭がはっきりすれば、それに呼応するように、聞こえる音、感じ取る匂いも明確になっていた。

 

 ああ……。

 あああ……。

 

 少女と女のやり取りは遠くなり、男の鼻歌と、何かの焼ける音が聴覚を満たす。

 鼻腔を擽る匂いが何かなんて、もう疑う余地もなかった。

 

 ピンク色から、肌色へ。

 肉の色が変わる。

 滴る肉汁が火の粉に触れて、じゅうじゅうと音を鳴らす。

 漂う香りは、私を知的にも暴力的にも変えてきた溢れんばかりの香ばしさ。

 

 何かに突き動かされる心地で、口腔を開く。

 声は出なかったが、深く息を吐けば、腹の底に力が籠もった。

 ふっと息を吸い込めば、私の身体は弾かれるようにして動き出した。

 

「嘘っ! まだ、生きて!?」

「待って!! イノリさん!」

 

 両の足で大地を踏む。

 起き上がってみれば、視界が開けた。

 

 私を庇うように、猛者の前で両腕を開く少女。

 その姿は気がかりだったが、私の視界はぐいと引っ張られるように、先程認めた男の方へ。

 

 その時、まるで頃合いを見計らったかのように、男が立ち上がる。

 こんがりと焼けた肉を天高く掲げ、彼は声高々に叫んでみせた。

 

「上手に焼けましたぁぁあああっ!!」




主人公がハメられて瀕死に陥る小説って珍しいと思うの。

シャンヌとボブが活躍してますが、詳細は次話。
予定通りならあと二ページでこの物語は完結します。


備考

・赤い物体、火の匂い
 赤い物体は大樽爆弾。火の匂いは着火用の小樽爆弾。
 割と描写に悩んだのですが、ジョーさん自身がかなり混乱している状態なので、敢えて雑に描写しました。

・走馬燈
 腹が空いた……。
 からのくだりは走馬燈。
 この間にもリアルのジョーさんはすんげえ嵌められてて、為す術なくやられています。

・イノリの優しさ
 ジョーさんの瞼を閉じてやるシーンは作者一押し。

・ジョーさん生きてた
 イノリさんの実力的に瀕死を見落としているとは思えないし、多分一瞬死んでた。
 なのにこんがり肉パワーで生き返った。
 この方がシリアルっぽいですね!(要するにやりすてぽい)

・胸が空く
 実を言うとこの作品のコンセプトでした。
 グルメになって何を満たすのか。敢えてこれがしっかりしていない状態で話を進めてきましたが、要するに『ただ生きる為に肉を喰らう存在』ではいたくなかったという事。力量不足で中々練りこみ辛かったのですが、そう見えていれば幸いです。


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少女、懺悔。

 

 私はなんて酷い人間……生き物なんだろう。

 走れと叱咤する声と、ぐいぐいと引っ張る力強い手が、私の足を勝手に動かしていた。

 赤い鎧を纏った背中、視界の端を流れゆく青々とした景色、そして後ろから聞こえる微かな争いの音。だけど何も気にならない。気に留めていられない。

 私の頭は、これまでの人生で味わった事がない程の大きな後悔と、罪悪感で埋め尽くされていた。

 

 ごめんなさい。

 ごめんなさい。

 

 浅い呼吸の合間合間で、短い言葉を吐き出す。

 いつしか視界が滲んでくれば、反射的に余った方の手で目を拭ってみるものの、雫は次から次へと溢れてくる。とめどなくって、キリがない。まるで見捨ててしまったものが、私の涙を置いて行けと言うようだった。

 

 視界が滲めば、その分だけ明確に蘇ってくる。

 瞼の裏には、一頭の恐暴竜。

 

 いいや、違う。

 恐ろしくも、暴力的でも無かったんだ。

 優しくて。ただ優しくて。

 

 そんな彼を裏切ってしまったのは、恐暴にさせてしまったのは、私達だった。

 

 いつか、ボブさんが教えてくれた。

 ジョーさんは、怒り、喰らう生き物だと。

 彼がイビルジョーである事すら知らなかった私は、勿論とても驚いた。だけど同時に、思わずボブさんを疑ってしまう自分もいた。それ程に彼は優しく、何より『喰らわなかった』。そんな彼が、子供を脅かす逸話で語られている凶悪なモンスターだなんて、信じられなかったのだ。

 だけどボブさんは、それこそが可笑しいのだと言った。

 食欲を無くしたイビルジョーの末路……その内容はあまりに信じ難かったけれど、彼がずっとその状態なら、私を救った事は勿論、私の前に現れる事すらない筈だった。

 飢餓の状態に陥ったイビルジョーに救いは無く、周囲の生態系を道連れに、死という運命に行きつくのだから。

 つまるところ、彼を変えてしまったのは、他ならぬ私だったんだ。

 

 思い当たる節はあった。

 恐ろしい程の強靭さで、私を救ったジョーさん。だけど、彼はあの時、私をも喰らおうとしていた。私を前にして、血と涎が混じった液体を口から垂らしていたのは、記憶に根強く残っている。

 その態度が急変したのは、彼が私の『雑荷』を喰らった時だった。

 

 確証はないけど、確信はある。

 瀕死から目覚めた私は、彼の形相の違いをとても印象的に感じていたのだから。

 

 何で今更思い出すのだろう……。

 いいや、その理由は分かっている。

 

 私はイビルジョーという生き物を知らなさ過ぎて、あのジョーさんを知り過ぎてしまった。

 私にとってのジョーさんはただの優しいモンスターで。私を救った事に理由なんて必要が無かったんだ。彼が本性を現して初めて全ての事が繋がったのは、彼がイビルジョーであるという事を、あの時、あの瞬間まで、信じられていなかったから。

 信じたくなかったからなんだ。

 

 だけど、私のそんな我儘のせいで、ジョーさんは怒り狂い、ボブさんの大切な人が命懸けの戦いをする事になってしまっている。

 唯一確かなのは、この場で一番悪いのが、私であるという事なんだ。

 普段、足を踏み入れないファンタジックな世界に心躍らせ、『この時間が永遠に続けば良いのに』なんて、無責任で、馬鹿な事を考えている間に、取り返しがつかなくなってしまったんだ。

 

 もう、罪悪感で呼吸が止まってしまいそう。

 

 不意に足をもつれさせたら、受け身もとれずにど派手に転んだ。

 ボブさんが足を止めて、私に声を掛けてきていたけど、何て言っているのか分からない。

 身体中の痛みさえ気にならず、全身の感覚が麻痺してしまう程に、身体の奥から熱い何かがこみあげてきて、その訴えを聞くので精一杯だった。

 

 どうしたら良いんだろう。

 何をしたいんだろう。私。

 

 このままじゃジョーさんは討伐されて、私は彼を裏切ったまま。

 良いモンスターだと知っている彼を犠牲にして、のうのうと生き残ってしまう。

 そんな私は、果たして善人なの? 生き残る価値があるの? 生きていく意味があるの?

 

 彼と過ごした日々を、誰かから苦痛の日々だったねと言われて、うんと言えるのか。

 この先ジョーさんの事を不意に思い出して、心が痛まないのか。

 彼を助けたくないのか。

 

 助けたいに決まってるじゃない!

 

 どうして、どうして私は、泣いているばかりなのか。

 

 悔しくって、悔しくって、仕様が無い。

 髪を搔き乱して、声にならない叫び声を上げるけど……分かってる。誰も彼を助けちゃくれないんだ。

 

 知っているんだもの。

 何が正しいのか、なんて。

 ジョーさんは危ないモンスターだから、何がどうあっても討伐しなくちゃいけなくって。私が彼を庇い立てしたところで、『イビルジョー』っていう名前だけで討伐される理由になってしまう。

 もしかしたら、私の罪悪感さえただの傲慢で。彼がどんな気性をしていたとしても、討伐対象にされてしまうのかもしれない。

 それ程までに、『イビルジョー』という種族は、人間にとって明確な『敵』なんだ。

 

 私は彼を裏切ったまま、恥を忍んで生きていくしかないんだ。

 それが一番正しい選択なんだ。

 

 分かってる。

 分かってるよぉ!!

 

――そんな正しさが、憎らしくってかなわないんだ。

 

「シャンヌ!」

 

 バチンと頬を張られた。

 気が付けば、私は地べたにへたり込んで、ボブさんと向き合っている。

 きっと私は情けない顔をしているのだろう。ボブさんは心配したような、焦ったような、色んな感情をごちゃ混ぜにした表情をしていた。そりゃそうだ。今は飢餓状態のイビルジョーに追われていて、懇意にしていたハンターを一人、残してきているのだから。

 イビルジョーの恐ろしさを私に教えたのはボブさんで。残してきたものが大きいのも、ボブさんで。だけど彼は大人で、ハンターだから、イノリさんと一緒に戦いたい気持ちを押し殺して、私の手を引いてくれていたんだ。

 

 精悍な顔立ちに似合わない今に泣きだしそうなボブさんの顔を見て、お腹の中の臓器がキュって縮こまる感覚を覚えた。

 私を案じる彼の言葉なんてそっちのけで、私は悟った。

 

 ああ、そうか……。

 正しい事を憎んでいるのは、私だけじゃないんだ。

 

 ボブさんは利己的な一面があるけど、人情には厚い人だ。

 接した日数こそ短いけれど、そう思える事は度々あったし、そうじゃなければ、一週間以上消息不明だった彼を、イノリさんが助けに来たりもしないだろう。

 本当なら、彼女を一人残してきたりはせず、己が身ひとつでも、囮役ぐらいにはなると言ってそうだ。

 

 何の為、彼が恥を忍んでいるかは、良く分かる。

 他ならぬ私が、そうさせているのだから。

 

 それは正しい事。

 彼の目から見たら、間違いない事なのだろう。

 

 思わず歯噛みする。

 奥歯が痛く感じる程噛みしめて、噛みしめて、それでも足りない程だった。

 

 頭の中がごちゃごちゃだ……。

 

 悔しくて。悲しくて。申し訳なくて。

 

――でも、私は大人じゃないから。

 

 私が本当にしたい事、私に出来る事は、すぐ目の前にあった。

 それに手を出せないのは、責任があるから。

 誰かの命を危険に晒すから。

 だけど、考えてみればそれは今も同じで。

 

 もしも逃げ延びれるボブさんまで巻き添えにしちゃったら……。

 なんて考えは、子供に似合わないものなんだろう。

 

 大丈夫か。立てるか。

 と、声を掛けてくるボブさん。

 私はからっからに乾いた喉に、無理やり唾を飲みこませて、震える喉で深呼吸をひとつ。

 力が籠もらない手を何とか伸ばして、ボブさんの腕に縋りついた。

 

「おねがい……」

 

 吐き出した言葉は、自分でも驚く程小さくて。

 無様な程に震えていた。

 

 だけど、一縷の希望を持って、俯きながらも、声を絞り出す。

 

「おねがい。ボブさん」

 

 いつの間にか止まっていた涙が、またも溢れて来た。

 落とした視線に映る剥き出しの大地が、酷く滲んでいて。まるで私自身が汚泥の中から、手を伸ばしているんだと、揶揄されているように感じた。

 

 分かってる。

 きっと気が触れたのかと思われるに違いない。

 だけど、言ってみなくちゃ分からない。

 

 何もしない事だけが、絶対悪。

 正しくない事は、何も悪じゃない。

 間違う事だって、時には正しいんだ。

 

 だって、私もボブさんも、助けたいんだもの!

 

 ボブさんは大人だから、言えない。

 だけど、私は子供だからっ!!

 

 心に、火がついた気がした。

 

「ジョーさんに助けて貰った命だから……私は彼を助けたいの」

 

 そう言って、顔を上げる。

 再度向き合ったボブさんは、驚いたような表情をしていたけど、私は腕を引いて彼の言葉を遮り、ゆっくりと続けた。

 

「ボブさん……教えてくれたよね」

 

 思考は未だ混乱していて、私は自分で何を言っているのか分かってはいなかった。

 だけど目的だけは確かで、何を言わなければならないかも分かっていた。

 

 それを、たどたどしい口調で溢していく。

 縋る思いで、投げかけていく。 

 

「あんな生活をしていたら、ジョーさんはとおの昔に飢餓状態に陥ってるって」

 

 過ごした日々はとても短かった。

 だけど、彼に与えられた優しさは、彼への想いは、こんなにも私を突き動かす。

 

「彼を変えたのは、私か……」

 

 子供という身を盾に、卑怯な事を。

 だけど、私がやりたい事に、とても忠実に。ただ純真に。

 

「私を助けた時、食べたこんがり肉だと思うの」

 

 責任とか、リスクとか、知らない。

 そんなの、知ったこっちゃない。

 

 私が間違っているなら、それでいい。

 正しくなくても、構わない。

 

「それを食べさせてあげたい……飢餓が満たされない状態だって言うなら、もしかしたら……」

 

 だって、だって――。

 

「何で今更……」

「ごめんなさい。分かってる……そんな事試してる場合じゃないって」

 

 俯いていた顔を上げる。

 改めて見たボブさんの顔付きは、先程までと違って、泣きそうには見えなかった。

 困惑と、疑念が混じったような顔付き。私の言葉で説得出来たようには映らなかった。

 

 非力な上に、誰かを説得する力も弱い。

 そんな自分が情けなくって、涙が止まらない。

 あまりに溢れてくるから、私は再び俯いて、涙を拭った。

 

 まるで泣きじゃくる子供のように。

 

 それでも私は諦めない。

 諦めたくなかったんだ。

 

「でも、私……私……」

 

 ボブさんを納得させる一言なんて、浮かびやしない。

 命を懸けるに値する程、私が提示した情報は彼に利が無い事も分かっていた。

 

「ジョーさんも、ボブさんも、大好きだから」

 

 だから言えるのは、私の素直な気持ちだけ。

 

「ここで過ごした日々を、辛い思い出に、したくないよ」

 

 素直な心情を吐露して、暫し沈黙が流れた。

 落ち着いてみれば、心臓が煩い程に高鳴っている。

 身体を撫でていく暖かい筈の風が、いやにひんやりと感じる程、身体も上気していた。

 

 これでダメならどうしようか。

 こんがり肉の作り方は分からないけど、何とか作って、ジョーさんに届けてあげたい。もしかしたら、それでも飢餓状態は解けなくて、私も食べられちゃうかもしれないけど……。それでも、正しく生きるよりかは、良いように思う。

 もし、もうイノリさんに討伐されてたとしても、それでも、それでも……。

 

「ハンターはな」

 

 どれくらいの静寂が流れたか。

 ボブさんは、溢すような小さな声で、そう呟いた。

 

 地べたに落ちていた視線を上げると、彼はゆっくりと立ち上がっていて、明後日の方向を向いて、こちらに背を向けていた。

 肩越しに振り返ってくるのは、精悍な横顔。

 浮かべているのは、小さな笑み。

 

 その表情に罪悪感や迷いは無く。

 

モンスター(自然)と人間の調和を保つ仕事なんだ」

 

 とても頼りになるハンターさんが、そこにいた。

 

 

 もう、間に合わないかと思ったけど……。

 ジョーさんってば、お肉の焼ける匂いでむくりと起き上がるんだから、本当にイビルジョーなんだなぁって。その生命力の強さも、食に対する貪欲さも、ここにきてイビルジョー然としていて、少し可笑しい。

 なんて、呑気に言ってる場合ではないのだけどね。

 

 ボブさんがこんがり肉をジョーさんに食べさせて、それを食んだ彼が、先程までの瀕死の重傷なんてどこへやらな様子で小躍りしてるようで……見たい。めっちゃ見たいけど、我慢だ。私。

 今は端正な顔立ちに険しい皺を寄せて、私を睨んでいるハンターさんを何とか説得せねば。

 

 駆けつけた時には、既に戦闘は終わっていた。

 今の彼女の立ち振る舞いも、特別、戦闘状態には見えない。フェイスガードは上げられているし、武器も背中に背負われている。だけど、彼女の武器はボウガンで、その気になれば少し離れた所に居るジョーさんを射抜ける事ぐらいは、私にも分かった。

 仮に彼女がジョーさんを討伐すると決めた場合、非力な私じゃあ止めようがないだろう。

 

「あれは……どういう事?」

 

 私から注意を逸らさないまま、ジョーさんの方向を見やるイノリさん。

 その顔つきは険しいままで、ジョーさんは勿論、私の動向も警戒しているように見えた。私がやぶれかぶれに飛びかかる可能性を懸念しているのかもしれない。

 

 ただ、逆を返せば、事情を聞いてくれそうでもあるという事。

 私は少しだけ肩から力を抜いて、素直に答えた。

 

「あのジョーさんは、こんがり肉を食べたくて、私とボブさんを軟禁してたみたいなんです」

 

 私の説明に、イノリさんの目が丸くなる。

 その表情ばかりはまるで子供のように映って、こちらを見直してくる表情は、私と大差ない年頃の女の子にも見えた。

 

「ちょっと待って……ごめん。意味が分からない」

 

 ガシャリと音を立てて、頭の防具に手を当てるイノリさん。

 思考しているというより、混乱しているように映る。

 

 畳み掛けるならここか。

 そう思って、私は矢継ぎ早に言葉を続けた。

 

「あのジョーさんは、私が凶暴なモンスターに襲われていたところを救けてくれました。だから」

「だから、あのイビルジョーを見逃せ……って?」

 

 体勢を変えぬまま、イノリさんが溢す。

 先程の可愛らしい表情から一転して、再び厳しい眼差しが私に向けられた。

 

 その通りではある。

 その通りではあるのだが、それをそのまま主張して、受け入れてくれるとは思えない雰囲気があった。

 

「…………」

 

 私が言葉を呑むと、彼女は小さな溜め息を溢した。

 

「イビルジョー一頭が、どれ程環境を変えるか……知ってる?」

 

 呆れたように、溢される言葉。

 だけどそれは諭すようにも聞こえて、先程までとは立場が逆転したように感じられた。

 

 勿論、彼女の言葉の意図は分かる。

 飢餓状態のイビルジョーが一頭現れただけで、とある地方では野生動物が全滅したと聞く。

 それが本当かどうかは知らないけれど、子供ですら知っている怖い話のひとつだ。

 

「御伽噺のように語られているけど、殆んど事実よ。飢餓状態のイビルジョーが一頭現れるだけで、生態系が壊滅するの」

 

 何処か怒ったような表情で腕を組み、イノリさんは淡々と私を説得した。

 まるで拾った猫を元の場所に返してこいと、母が子を諭すように、大人びた表情で。

 

「さっきの飢餓状態の姿を見て……まだあのイビルジョーが安全だと。そう言える?」

 

 だけど、私は諦められない。

 

 確かに、責任を持てない私だ。

 何を言っても無責任で、間違っているのも私だ。

 そんなのは、重々承知の上。

 

 私は胸を熱くする思いで、彼女を睨み返した。

 

「でも、もう飢餓状態じゃない!」

「……でも、確かに飢餓状態にはなった」

 

 私の言葉に対して、あまりに冷静な回答。

 イノリさんは私をジッと見詰めて、そう溢していた。

 

 その言葉が、再び私の口を塞ぐ。

 

「私と対峙した時の様子は、間違いなく飢餓状態のそれよ。そこから通常状態へ戻ったのは、私が知る限り前例はないけど、戦った時の感覚は間違いなくG級のそれ。再び暴れ出したら、何人のハンターが犠牲になるか分からない」

 

 犠牲。

 と、言われて、僅かに躊躇う。

 

 だけど、ここで引いたらジョーさんは死んでしまう。

 そう思うと、やぶれかぶれな言葉でも、彼女を引き留めるしかなかった。

 思考を整理する暇さえない。いいや元より、彼女を論破する為の武器なんて、端から私に与えられていないのだ。

 もう、駄々を捏ねるように続けるしかなかった。

 

「そんな、そんな将来の事なんて」

「違う。将来じゃないわ」

 

 ぴしゃりと言われて、またもや閉口してしまう。

 

 どういう意図か分からない言葉に、私は彼女の言葉を待ってしまう。

 最早、彼女の方が弁が立つのは明らかだった。

 

 イノリさんは小さく息をついて、私の後ろを見やる。

 細かい方向までは分からなかったけど、ジョーさんを見るにしては視線が低い。

 

「あそこに居るボブの親友で、私の兄だったハンターがいたわ。とても優秀なハンターだった。だけど……飢餓状態のイビルジョーと戦って、命を落としたわ。亡骸さえ残さず」

 

 突然の告白に、思考が完全に停止した。

 

 いいや、でも分かる。

 彼女は別に私怨で戦っている訳ではない。

 あくまでも例を出したに過ぎない。

 そうじゃなきゃ、私を説得する必要なんて無い。

 

 大事なのは被害者が確かに居るという事。

 ジョーさんがそういう種であるという事。

 

 だけど、それでも……。

 

「残されるものの気持ち……分かる?」

「分かりません」

 

 私は諦めたくないんだ。

 

「だけど、分かりたくないから、私は今、私の大切なジョーさんを、こうして庇ってるんです」

 

 素直な気持ちを、真っ向からぶつけた。

 もう、どう言っても正当化する事は出来ないし、論も、武力も、イノリさんの方が優れている。

 彼女の方が正しいし、私は間違っている。

 

 それでも、譲れない。

 

 正義ではなく、利害でもなく、ただ自分の中の正しさが、ジョーさんを死なせたくないと言っている。この世界の何処かで生きていて欲しいと願っている。

 その為なら、論破されても、仮に恫喝されても、私は此処を譲るつもりはなかった。

 

「…………」

「…………」

 

 束の間の静寂。

 

 イノリさんは極々真面目な顔で、私をジッと見詰め続けていた。

 やがてその唇が開かれると同時に、彼女は背中の武器を展開する。

 

「……じゃあ、極端な問いかけをしましょうか」

 

 じり……。

 と、彼女の射線を切るように、位置を動こうとする。

 が、その必要は無かった。

 

 銃口は私。

 私の胸へと向いていた。

 

 命が懸けられて、私の腕が震えた。

 今から死ぬかもしれない……と、思うと、喉の奥が熱くなって、生唾を飲んだつもりが、口の中に酸っぱいものが上がってくる感覚を覚えた。

 

「ここで貴女とイビルジョーを始末する方が、人類にとって有益か、無益か、どうか……。勿論、これはハンターの道に逸れた例えだから、冗談みたいなものだけど。貴女が私に突き付けているのは、そういう事」

 

 撃たない。

 暗にそう言われても、怖いものは怖い。

 

 だけど不思議と、この期に及んでこの場を譲るつもりは一切無かった。

 

 不動の私をジッと見詰めて、イノリさんはゆっくりと言葉を溢す。

 

「貴女の意思を尊重する事が、一体、どれ程、人々の助けになるの?」

 

 その表情は、此処に来て何処か優し気にも映った。

 まるで、私に何かを言わせたいような……何かを見付けたような……。

 

 分からない。

 分からないけど、導かれるようにして、私は言葉を返していた。

 

「私は……」

 

 

――わたしは……。




 お待たせしました……。
 いや、本当にお待たせしてすみません。
 内容を見て貰ったら分かる通り、どうしてもシャンヌがやっている事は駄目な事なので、どうやって書いたら丸くなるか、頭の中の映像では上手く表現出来ても文字に起こせませんでした。

 もうね、色々突っ込めるとこあると思うんですよ。
 シャンヌが茫然自失の状態でどうやって崖を登ったのかとか、武器も無しにどうやって生肉ゲットしたのかとか、肉焼きセットは……まあ、キャンプに転がってそうですけど。
 それら全てを語っちゃうとあまりにくどいし、別にリアリティを追及するだけが作品の美しさに繋がる訳でもないので、もういっかって……。ただの妥協ですけどね。突っ込まれるとモチベ下がるので、頑張って整えてきたつもりですが、それで『テンポが悪い』って言われたらしょーがないですしね。

 一応、解説や裏話的なものを残しておくと。

・ボブさんの納得した理由。
 人情味に厚い人だから。
 イノリが心配なのが半分、シャンヌの気持ちを汲んだのが半分。

・イノリの兄。
 初期プロットでは、ジョーさんの背中の傷は彼がつけたものの予定でした。
 ただ、書くのが面倒になったというか、どうしてもそれを入れると話の主題が『こんがり肉』ではなく、『憎しみの連鎖』になっちゃうんですよね。こいつぁ頂けないので、無しにしました。
 だけど兄の話自体は出ているので、体よく回収した感じです。



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私はグルメである。

 

 今日も朝日が昇る。

 しかし、相も変わらず私は独りだ。

 押し寄せる後悔と反省の波を押し殺す日々が、今日も始まる。そう思うと少しばかり憂鬱ではあるが、これもひとつの感情であり、私の進歩を示しているのだろう。

 

 なんて、仰々しく言うものの、憂鬱なんて感情は、どだい自分には過ぎたものだと理解しているからか、それは『夢』や『希望』の遠さに難儀しているのに近いものであって、決して悩みの種等ではない。情けない捉え方をするのは、一度ばかりその機会を逃してしまったからだろう。

 空を飛びたいと願っても、空を飛べぬ事は分かっている。

 仲間が欲しいと思っても、私の種はそういう風に出来ていない。

 だからこそ、私は適応するように日々進化しようと思うだけで、そうあるだけで己が誇らしくあり、まだまだ理知的に生きる意味があるとも思えるのだ。

 

 とはいえ、この思考癖も最近は随分面倒になってきているが……。

 何分、理知的であろうとすると、己の肉体の不便さが際立つばかりなのだ。『肉を焼く』にしても、私のブレスでは加減が難しい上に、見栄えが悪い。味わいは中々良いものが仕上がるようになったが、人間の手で作られるような逸品にはまだまだ程遠い。

 どうしても口の中で黒い火花がバチバチという食感を出してしまい、肉汁の味わいに集中出来ないのだ。

 せめて火竜等、普通の炎を吐ける種に生まれていれば……。

 以前対峙した際、奴のブレスを誘導して焼いた逸品は何とも言い難い格別なものだった。あれは美味かった。本当に美味かった。グルメを自称する私も、納得の焼き上がりだった。しかしながら、奴の火球も直撃させてしまうと肉を黒焦げにしてしまうのが玉に瑕。

 こっそりと奴等の住処へ入り込み、態々狙ってもいない卵を狙ったふりをして奴等を怒らせ、そのまま喰らってしまおうという衝動をなんとか殺して誘導するのだ。そんな手間暇をかけて、出来上がった至高の肉はたったの三個というのだから、実に割に合わない。

 

 はぁ……。

 何とも詮無い事だが、あれから私の時間は止まってしまったかのようだ。

 

 稀有な人間達との出会い。

 私に焼いた肉の旨味を教え、共にある喜びを与え、種の隔たりの高さを刻み込んだ者達。

 

 あの一件には、とても多くの事を学ばされた。

 至高の肉の事は勿論、私自身の種の本能というものも知る事が出来た。

 生命活動の危機により現れる本性。それは私を私たらしめるものを全て消し去り、ただ本能のままに喰らい尽くすだけの獣に身を落とす行為だった。何とも無様で、何とも滑稽。

 あれ以来、私は二度とあのような愚行を犯さぬ為、生命活動の維持に敏感になり、不味い肉でもきちんと喰うよう心掛けている。しかし、それでいて、彼等人間と争わなくて良いよう、あまり喰らい過ぎないよう気を付ける事も忘れない。これはその後の経験則だが、暴食をせぬうちは、人間に目を付けられる事は早々無いようだ。

 無論、彼等の狩場を侵さない事も絶対条件だが。

 

 あの時、私を見逃してくれたふたりには会いたいし、純粋に私を凌駕したあの猛者とも力比べをしてみたいとは思うが……まあ、それがあるとすれば奇跡の産物だろう。

 少なくとも私をこんな風に生み出したとされる創造主は、中々に意地の悪い奴だ。

 あのような稀有な出来事は、二度とないかもしれない。

 

 だから、夢であり、希望なのだ。

 私の生きる意味でもある。

 

 元気だろうか。

 私の大切な友は……。

 

 空を見やれば、今日も飛竜が我が物顔で青を支配している。

 しかし、この地は標高が高く、天を貫く岩山がそこら中に生えており、そこは奴等の支配も届かぬよう。ところどころに崩れた岩が蔦に絡まっていたりもして、奴等からすると、決して飛び易い空ではないだろう。

 

 清々する……とは、意地が悪いか。

 

 何にせよ、多くの突起物によって身を隠す場所の多いこの地は、中々住み心地の良い場所だった。

 私がグルメである故か、最近は大気の香りにさえ関心を寄せるもので、そういう意味でも居心地は良い。下界からか、はたまた他の岩山からか、漂ってくる様々な香りに思い馳せてみれば、まるで自分が芸に富んだ賢者であるようにも思えるものだ。

 

 はてさて、今日の香りはどうだろう。

 肉の焼ける匂いがあればすぐにでも……。

 

 と、したところで、私は嗅ぎ覚えのある――いや、待て。

 

 おや?

 この匂いは……。

 

――ふ、ふぉおおおおお!?

 

 嗅ぎ覚えがある!?

 そんな馬鹿な!!

 

 こんなかぐわしい香りは、あの日、あの時でさえ……。

 

 

「んんーっ! 良い天気。絶好の狩り日和だぁー!」

 

 焦げ茶の髪を風に靡かせ、両手を元気いっぱいの様子で天へ伸ばす少女がひとり。

 武器も背負わず、ヘルムも着けないままで、何とも緊張感の無い笑顔を溢していた。

 彼女の声に怯えたアプノトスが一頭、また一頭と逃げ出し、それを手を振って見送っているのは、果たしてどういう了見か。

 

 声色は底抜けに明るく、仕草と相まって、有り余る活力を感じさせるが……。

 如何にこの天空山が心地好い気候、爽快な景色をしているとはいえ、狩場で隙だらけな格好をして、大声を上げるのは宜しくない。

 士気を上げるのは良い事だが、引き寄せてしまう危険とつり合っていない。

 

 こんなんで一丁前なハンターなのだから、世も末だ。

 足許に転がっている雷狼竜の武器も、ウルクススのヘルムも報われない。

 

 まあ、とはいえ実力はそこそこついてきているから、私は良いんだけど……。

 

「コラァ! シャンヌ。狩場ででけえ声出すんじゃねえっていつも言ってんだろぉ!!」

 

 隣のハゲが煩くなるのが宜しくない。

 

 げんなりしながら声の出所を改めれば、火竜の装備を纏ったハゲが、顔まで赤色に染めていた。

 言っている事は至極的を射ているのだが、何分彼の声の方が大きい。一〇歩も離れていない少女を叱りつけるのに、明らかに不要な大声だった。

 

 はぁ……。

 手元のボウガンを展開して、その脇腹、比較的装甲が厚い部分を腰だめで狙って……レッツフレンドリィファイア。

 

「んごっ!!」

 

 ハゲは悶絶した。

 

 まあ、Lv1の通常弾だし、言う程痛くないだろう。

 ボブが大袈裟なだけだ。

 

 恨みがましい目付きで睨んでくる茹蛸状態のハゲからぷいと視線を逸らし、彼を怒らせた張本人である少女へと改まる。

 とすれば、怒られたのなんて何のその。悪戯っぽく舌を出して、私のフレンドリィファイアに苦笑していた。翻訳するに、『ごめんなさい。てへへへ』といったところか。

 ボブもボブだけど、シャンヌもシャンヌ。

 反省の色が全くと言って良い程無い。皆無だ。

 まあ、ボブに怒鳴られて堪えるなら、彼女の悪癖の数々はとっくの昔に直っている。三年前に出会った時から頑固なのは分かっていたけど、もう何て言うか、頑固と言うより馬鹿と言った方がしっくりくる。

 

 私は大きな溜め息をひとつ吐いて、ボウガンを下げた。

 

「もう……。シャンヌはちゃんとボブの言う事聞きなさい」

「はーい」

 

 返事だけは一丁前。

 片手を上げて気持ちの良い笑顔で返してくる彼女を見ると、実に頭が痛い。

 

「おま、なんで……おれを……」

 

 八つ当たり宜しく、未だ悶絶しているハゲをキッと睨みつけた。

 

「ボブはボブで煩い。あんたの声が一番煩い。そんでもって大袈裟。めっちゃ大袈裟。私に撃たれるのなんて日常茶飯事でしょ? いっつも射線に飛び込んでくるんだから」

 

 ここぞとばかりに捲し立てた。

 すると、ハゲも黙っちゃいられないといきり立つ。

 私を指差して、「それはお前が!」と叫んで、ハッとした。今しがた注意した指摘を思い返したのか、余った手で自分の口を塞ぐ。

 

 先程の悶絶は何だったのか。

 そして、『それはお前が』何なのか。

 

 私は有効部位にしか撃たないし、ガンナーとしてサポートも火力もきちんとこなしている。

 敵意が私に集中するから、振り向き様に溜め攻撃を狙うと、私に撃たれるって? それは平時から火力が出ていないからだ。ボブが私より敵意を稼げていないからだ。

 私の方が強い。以上。

 

 そんな事を捲し立てれば、ボブは顔を更に真っ赤に染めた。

 

「何時までソロ思考なんだよ!」

「はい? ボブが鬼人薬ケチるから、私の方が火力出ちゃってるんでしょ? 大剣担いでる癖に、何でライトボウガンより火力出ないのよ」

「属性特化してる奴に大剣がパーティで火力勝てるかっての!」

「勝てますぅー。大剣の方が火力出ますぅー。ボブが下手なだけですぅー」

 

 唇を尖らせて、嫌味たらしく言ってやる。

 ボブは「ぐぬぬぬぬ」と唸って、不服を堪えていた。

 

 と、そんな折。

 

「ふふ、あはは、あはははは!」

 

 甲高い笑い声が響いた。

 今に取っ組み合いになりそうな距離感で睨み合っていた私達は、揃って声のした方を振り返る。

 すると、こちらを指差して、お腹を抱えているシャンヌの姿が目に留まった。

 

 いや、その少女の向こうに、巨大な影が――。

 

「もう、ふたり共、前も同じ事で――」

 

 その影は、徐々に大きく。

 いや、徐々にではない。明らかに急降下しているような速さで大きくなっている。

 

「シャンヌ!」

「シャンヌ。あぶねえ!!」

 

 私と同じく、気付いたらしいボブとふたり、声を上げる。

 と、そこでハッとしたのか、シャンヌは振り返り様に腰を屈め、足許の武器を拾う。その動きはとても素早く、顔付きも一転していた。

 

 拾い上げたスラッシュアックスを展開すると同時。

 大の大人でも持ち上げるので精一杯な重量である筈のそれを、上空へ向けて片手で振り放った。

 ガキン。

 と、まるで鉱物同士がぶつかったような音が響いて、直後、彼女に襲い掛かったものを中心として突風が吹く。

 

 青き空の王者。

 その亜種。

 

 毒を持つ鋭い爪が、斧を挟んでシャンヌを狙っていた。

 しかし、頭防具さえつけていない彼女は、一歩も怯んでいない。とんでもない重みを感じている筈なのに、一体その細身の身体の何処から湧いてくるのか、たった一本の腕で盾の役割をしている斧を支えていた。

 が、それも束の間。

 青き王者の口元から、緋色の明かりが漏れる。

 それを見たシャンヌは、余った手で斧の刃が無い部分を掴み、強引に振り抜いた。

 

 漸く、弾の装填を終える。

 今に火を噴こうとしているリオレウス亜種の、その顔へ向けて、照準を合わせた。

 

「シャンヌ。退いて!」

「俺が代わる。体勢を整えろ!」

「閃光投げたよ!」

 

 何だかんだ言いつつ、こういう時の連携は早い。

 そして何より、一番歴の浅いシャンヌも、決してお荷物ではない。

 

 カッと光が炸裂。

 目を伏せて躱した私は、改めて速射を開始する。

 やぶれかぶれに投げた閃光玉に見えたけど、しっかりとリオレウス亜種の目を焼いた様子。こういう時の立ち回りの良さは、ボブが教えた賜物だろう。

 

 ボブがシャンヌに代わって前衛へ。

 その間にシャンヌは頭防具を身に着け、鬼人薬、硬化薬等、必要な薬を飲み干していた。

 

 ほんと、可愛いからってリオレウス相手にウルクススの装備を着けて来たり、エリア1とはいえ狩場のど真ん中で大きな声出すしで、馬鹿なんだけど……とんでもないお馬鹿ちゃんなんだけど……。

 

「尻尾切断狙うよ! ボブさん、イノリちゃん、頭お願い!」

「おう!」

「任せて」

 

 スラッシュアックスを片手に、リオレウス亜種の傍らを駆け抜けていく背中は、三年前とは大違い。

 実に逞しく、頼り甲斐のあるものになっていた。

 お馬鹿ちゃんだけど、ハンターとしての資質は疑う余地もない。腕前だけ見れば、そこらのハンターより遥かに強い。

 

――私は、ジョーさんが奪う命の分だけ、人を助ける。助けて見せる!

 

 まあ、心だけは三年前のあの時から出来ていたけどね。

 ほんと、強くなった。あの時の啖呵に見合う働きだ。

 あの時、特級危険種を見逃したってすんごい怒られたけど、怒られた甲斐もあるってものよ。

 

 ボブが教えた回避技術はしっかり浸透していて、全くと言って良い程被弾しない。

 それでいて私が教えた立ち回りに忠実で、密着状態から一歩たりと引きやしない。

 

 傍から見れば、彼女がただの上位ハンターだなんて、到底信じられないだろう。持っている技術は既にG級のそれに近く、難関と名高いリオレウス亜種に対して全く臆してもいない。

 バルバレのギルドマスターも近々ドンドルマへ推薦状を出すと言っていたし、彼女の名が有名になる日は遠くないだろう。

 

 とはいえ、既に『イビルジョーに食べられて生き延びた女』っていう非常に不名誉な伝説で、バルバレにおいてシャンヌの名を知らないハンターはいないんだけどね。

 

 いや、まあ、裏話を知っている私達からすれば、多少なり誇張表現が混じっているとは思うんだけど……。

 正確にはイビルジョーに『咥えられて』ってところだって言うし。シャンヌの技術だって、G級ハンターがふたりがかりで叩き込んだ訳だし。確かに、シャンヌの丈夫さは桁外れではあるし、トレーニングをさせただけであんなに怪力になるとは思ってなかったんだけども……。

 まあ、才能はあって、努力もしていて、周りからも期待されているってところだろうか。

 いつかメゼポルタから呼び出しがかかりそうで怖い。

 

 私が調合分の氷結弾を撃ちきる頃には、リオレウス亜種の尾は切断され、体力もかなり減っている様子だった。

 本来なら、捕獲優先の私達だけど、最近この天空山にはあるモンスターの目撃情報がある為、ここで討伐する。麻酔が切れる事はそうないけど、もしもの際は回収を断念しても良いように、だ。

 

「イノリ、こいつ逃げるぞ!」

「分かってる。逃がさない」

 

 ふらふらと足を引き摺りながら、羽を広げるリオレウス亜種。

 しかし、その羽が羽ばたくより早く、私が投げた閃光玉が起爆し、怯む。そこを三人で畳み掛ければ、如何に空の王者の亜種と言えど、ひとたまりも無かった。

 

 大きな音を立てて、地べたへ横たわるリオレウス亜種。

 小さな断末魔と共に、その双眸が閉じられれば、私は深い溜め息を吐いた。

 

 いやはや、体勢が整ってからは思考する余裕さえあったけど、初っ端の奇襲は肝を冷やした。

 いくら体力馬鹿のシャンヌとはいえ、頭防具を着けないままにがぶりとやられたら死んでしまう。彼女の反応速度が優れていて、本当に良かった。

 

「コラ、シャンヌ! ほんっとお前ってやつぁ!!」

 

 大きな怒鳴り声にうんざりした顔を向けてみれば、大剣を納刀したボブが、シャンヌに詰め寄っていた。

 当の本人は怒られる理由が分かっているのか、いないのか、スラッシュアックスを背中に仕舞うなり、苦笑して手で壁を作りながらじりじりと後退りをしている。まあ、げんこつの一個ぐらいは仕方ない。

 ごちん!

 と、音が聞こえれば、シャンヌが頭を抱えて蹲り、悶絶していた。

 

「いったぁーい!」

「助かったからいいものを! てめえはソロだと何回死んでるか分かんねえぞ!」

 

 ボウガンを背に負って、ふたりの元へ向かう。

 まあ、ボブが叱ってくれてるし、私からのお小言は少なめで良いだろう。

 

 ちらりとこちらを見たシャンヌは、打たれて漸く事の大きさが分かったのか、途端にしょげた顔をしていた。

 

「ごめんなさい」

「私はシャンヌの腕信用してるからいいけど。だけど、G級とか古龍はまだ少し早いね。ボブが言う通り、命が幾つあっても足んない」

 

 シャンヌは少しばかり消沈したような声で、「ふぁーい」と漏らしていた。

 

 危機感と言うか、何と言うか……。

 『あの一件』があったからこそ、彼女はハンターになったが、その時に築いたモンスターとの信頼関係の所為で、命懸けであるという事を失念しがちだ。いざ戦闘がはじまってしまえば、高い集中力と、痛みを嫌う性質が幸いして、ハンター三年目とは思えない程の実力を見せつけるが……。いや、命懸けであるという事を忘れているというよりは、モンスターへの危機感が足りていないと言うか、生身の人間のヒエラルキーの低さを自覚していないと言うか。何せ、ハンター業では致命的な欠陥だ。

 これからの課題だろう。

 

 まあ、そういう意味では、この天空山は一歩足を踏み外せば下界までまっしぐらだし、彼女の危機感を強めるのにはもってこいかもしれない。っていうか、そうあって欲しい。

 シャンヌってばグラビモスのビームを不意打ちで喰らっても生きてるんだもの……。

 生命力が強すぎて、何をしたら命の危機感を覚えてくれるのか分かんない。それこそ、またイビルジョーに咥えられたら、少しは堪えるのだろうか。

 

 何にせよ、お説教は終わり。

 ひと休憩したら戻ろう。と、ふたりに提案した。

 まだ何か言いたそうなボブを他所に、シャンヌは一転してにこにこ笑顔で了解。

 まあ、この時間は彼女が大好きな『あれ』の時間だし、仕方ない。ムスッとしているボブも、そのおこぼれが楽しみだから、何も言わないし。

 

「取り出したるはー……こーきゅー肉焼きセットぉー!」

 

 先程まで怒られていた時の表情は何だったのか。

 シャンヌは雲一つない青空をイメージさせるような笑顔で、折り畳み式の肉焼きセットの設置を始めた。

 天空山の一角。モンスターの襲来が少ないエリア1とはいえ、狩場のど真ん中で、尚且つリオレウス亜種の死体のすぐ隣での肉焼きである。そう思えば、この子の心臓は毛でも生えているのではないだろうかと疑わざるを得ない。果たして、初対面の時のようないじらしさは何処へ捨ててきてしまったのか……故郷のお婆さんが見たら、きっと卒倒するに違いない。

 ただ、彼女の肉焼きは割とマジで上手い。

 ハンターデビューをした日から毎日欠かさず焼いているようで、今では滅多に失敗する事無く、ほぼ確実に『ウルトラ上手に焼けました!』と言っている。

 そもそも、今の拠点にしているバルバレでは高級肉焼きセットを取り扱っていない。何でも、肉を焼く事に全身全霊でありたいが為に、行商人に莫大な対価を払って仕入れて貰ったとか、何とか……。言ってくれたら私の伝手で手に入ったのは、此処だけの秘密だ。

 

 今日も変わらずの肉焼きの歌が歌われる。

 とても心地好いシャンヌの歌が聞こえてくる。

 

 ふと空を見やれば、そこに青が広がる。

 肉焼きの煙が青を濁すけれど、それももう見慣れたもの。真新しいのは此処が天空山であるという事だけ。

 そういや、前に通っていた遺跡平原では、古龍観測所の気球の人達に、毎回肉を焼いてるハンターって言われてたっけ……。此処でもそんなへんてこな呼び名がついてしまわないか、少しばかり不安だ。

 

 と、ちらりと視線をやって、きらり、きらりと目を引く光を見た。

 

 何気なく見た古龍観測所の気球。

 その光の点滅を目に留めて、ふと疑問を持つ。

 

――あれ? あの光のパターンって……。

 

「ウルトラ上手にやっけましたー!」

 

 疑問に手を掛けた瞬間、シャンヌの声で思考を断たれる。

 ハッとして見やれば、彼女はこんがり肉よりも更に香ばしく仕上がったこんがり肉Gを手に、天へ向けて掲げていた。気持ちの良い笑顔に、ふと心を奪われそうになるが、疑問が待てと引き留めている。

 良く見知った信号なのだ。

 見知った信号なのだが、あまり気には留めていなかった筈。

 と言うか、狩りが終わって、撤退準備を待っているだけのハンターに送られる信号ではない。

 

 そう、その信号の意味は――。

 

 そこでハッとした。

 

「シャンヌ、ボブ、『乱入』よ!」

 

 思わず大きな声を上げた。

 

「は?」

「へ?」

 

 剥ぎ取りナイフを片手に、顔をしかめるボブ。

 焼けたばかりの肉に、かぶりつこうと口を開いたまま、固まるシャンヌ。

 

 慌てて武器を取り出し、残弾を確認する。

 属性弾は全て撃ち尽くした。残っているのは通常弾。だけど今回、私は通常弾をメインに扱う装備をしていない。私の予想通りなら、そろそろ『来る』筈だが……どうしよう。

 

「旦那さーん!」

 

 と、したところで、正しく来た。

 声にハッとすれば、キャンプで待機させていた筈のミヤビが、こちらへ駆けて来ていた。きっと伝書鳩が持ってきたのだろう、筒状に丸めた紙を片手に持っている。

 彼は私が振り向くなり、大きく口を開けて叫んだ。

 

「乱入クエストニャ!」

 

 うわぁ……。

 本当に予想通りだった。

 

 いや、信号自体は、狩場に目的のモンスター以外の大型モンスターが居るってだけなんだけども。

 それがクエスト終了後に発生しているってのが大問題で。それってつまるところ、私がメゼポルタで何度か遭遇した『それ』と同じな訳で……。

 

 いやいやいやいや。

 バルバレでもあるの? 聞いた事無いんだけど。

 ボブもシャンヌもぽかーんとしちゃってるし。

 

 っていうか、乱入って聞くと、最近の天空山の噂を思い出す。

 ああ、嫌な予感がする……。

 

「乱入? 何それ」

「いや、たまーにあるんだけどよ……要するに、ぶっ続けで他のモンスターを狩れって事なんだが……」

「違うよ。調査がメイン。ダメそうならリタイアするのが推奨だよ。もしかしたらランク以上の相手かもしれないからね」

 

 ボブの説明に補足を入れつつ、ミヤビから紙を受け取る。

 じゃあと言って踵を返す彼を見送りつつ、紙面をするすると開く。

 

 達筆な文字で、普通のハンターが見たら失禁しそうな内容が書いてあった。

 

『イビルジョーの出現を確認。注意されたし。可能ならば状態の確認を要請する』

 

 やっぱり……。

 よりにもよって、イビルジョー……。

 

 頭が痛くなってきた。

 調査対象が特級危険種だからじゃない。

 イビルジョーだからだ……。

 

 寄越したのはさっき見たあの気球の船員で間違いないんだけど、私達三人がイビルジョーに何かと縁があるのを知っているから寄越したのだろうか。普通なら即時撤退推奨だよね。

 何にせよ、これをシャンヌに見せると面倒臭い事になる。

 まあ、隠しても仕方がないから、ちゃんと見せるけど。

 

 私は溜め息混じりに紙面を広げて、ふたりへ見せた。

 

「うげ、マジかよ」

「えっ!? ジョーさんが居るの!?」

 

 二者二様の反応だった。

 とはいえ、ボブの反応は私と同じそれ。

 面倒臭そうな表情を浮かべて、げんなりしながら隣に立つ少女をチラ見する感じ。おそらく表情の理由も私と同じだろう。

 

 そして、そのシャンヌはと言えば……。

 

「うわー。どこどこ!? 何処に居るの!?」

 

 超絶ハッピータイムだと言わんばかりに、目を輝かせていた。

 この辺りに居たら地鳴りですぐ分かるだろうに、背伸びをして周囲を見渡している。

 

 はあ、やっぱり……。

 

 今までも、クエスト中にイビルジョーが乱入してくる事は何度かあったが、その度にシャンヌは顔をキラキラさせてイビルジョーに接触を試みていた。そして恭しくこんがり肉を差し上げては、イビルジョーに吹っ飛ばされて、大怪我ないし、かなりの痛い目を見ている。

 学習しないのだ。本当に。

 

 まあ、理由は分かる。

 彼女が無類のイビルジョー好きなのも理解している。

 だけど、その度にネコタクに運ばれた彼女を見送って、ボブとふたりで死闘をくぐり抜ける羽目になったのは言うまでもない。私とボブの反応の理由は、主にそれだ。

 

 とはいえ、それこそイビルジョーを餌付けしようとするななんて、既に数えきれない程注意した事。

 直らない、直っていないのは、言うまでもないが、こればっかりはもう注意しても仕方ない事になっている。彼女にとってイビルジョーはハンター業のルーツであって、理由でもあるのだから。イビルジョーに会わない内にリタイアしようものなら、シャンヌは向こう一月、腑抜けて使い物にならなくなってしまう。それはそれで、非常にやりづらい。

 私とボブに出来るのは、彼女が怪我をしないように、餌付け失敗が判明したタイミングで素早く救出する事だけなのだ……。

 

 まあ、今回の装備では到底太刀打ち出来ないし、シャンヌが餌付けを失敗したら、即リタイアしよう。

 

 なんて考えていると、遠くから地鳴りの音が聞こえてきた。

 今に駆けだしそうなシャンヌを何とか説得して、エリア1に留まる。相手がイビルジョーなら、リオレウス亜種を討伐した理由も活きるというもの。シャンヌがやらかしたら、その死骸を食っている隙に逃げれば良い。

 イビルジョーだって馬鹿じゃないから、動く肉より動かない肉の方を好む。それに、どうも人間は不味いらしいって、よく言われる事だし。

 

 ずしん、ずしん。

 

 音が近くなって、強酸性の唾液の匂いが漂ってくる。

 ふとすれば、高台に続く道の先から、大きな影がこちらへ向かってきていた。

 

 発達しすぎて顎を突き抜けてしまった無数の牙。

 獲物の肉を溶かし、抉りやすくする為の強酸性の唾液。

 そして、全身を覆うはちきれんばかりにぎっちりとした筋肉の鎧。

 

 気温が低めの天空山では、その身体から微かな湯気が上がっているように見えた。

 

 と、姿形を注視して、私は思わず目を瞬かせる。

 それこそ、「あれ?」と、口に出して呟いてしまった。

 

 隆々とした背中に、大きな一本の傷痕。

 

 膨れ上がった体躯は、私が知っているより更に大きいが……いや、まさか……。

 疑惑の目を逸らし、隣に立つシャンヌの横顔を見やる。彼女の向こうで、ボブも私と似たような表情をしていた。

 そして、当のシャンヌは……。

 

「…………」

 

 予想に反して、真顔だった。

 いや、その真顔という顔付き自体が、異常でもあった。

 

 今まで、イビルジョーを見付けた彼女は、喜々とした表情になっていた。

 それがどうだ。

 それっぽい姿を目に留めると、彼女は口を開いたまま、微動だにしない。

 

 その間にも地鳴りは近付いてくる。

 

 ハッとして正面へ直れば、かのイビルジョーは、あろうことかリオレウス亜種の死骸に目もくれない。

 真っ直ぐこちらを見やって……いいや、シャンヌを見て、こちらへと歩を進めて来ている。その足取りは、徐々に、徐々に、早くなっているような気がした。

 

 ふとすれば、シャンヌが数歩前に出ていた。

 人間の足で数十歩の距離を、彼女からも詰めていた。

 

 危ないと忠告しようとするが、ボブとふたり、彼女の名を口にするや否や、振り返ってきた彼女の表情に、思わず閉口する。

 

 分かっている。

 分かっていたのだ。彼女は。

 

 目にいっぱい溜めた涙が、切なそうで、だけど嬉しそうにも映る表情が、全てを物語っていた。

 

「ジョーさん……」

 

 前へ向き直って、彼女は彼を呼ぶ。

 まるで呼応するかのように、イビルジョーは足を止め、小さく唸った。

 

 ああ、何でだろう。

 私はあのイビルジョーと過ごしてはいないというのに、彼の表情すら、何処か嬉しそうに映ってしまう。目に輝く何かは、まさか涙だとでも言うのか。

 イビルジョーが泣くだなんて、どんな伝記にも、どんな生態研究書にも書いてない。

 

 一歩。

 また一歩。

 

 シャンヌがイビルジョーへと歩み寄る。

 先程焼き上げたこんがり肉Gを持って、歩み寄る。

 

 手が届きそうな距離に至って、彼女はゆっくりと、その肉を差し出した。

 

「……食べる?」

 

 優し気な。でも、僅かに涙声をうかがわせる鼻声で、彼女は問いかけた。

 イビルジョーは、ゆっくりと口を開いて――。

 

 

「あっ……」

「あっ……」

 

「えっ?」

 

 

 がぶりといった。

 シャンヌを。

 

 もう思いっきり。

 

「いだだだだだ!! いだい、いだいだいだいぃっ!! ちょ、マジで痛いぃぃ!!」

 

 途端にやかましい悲鳴が上がる。

 その声にハッとする頃には、彼女はイビルジョーの刺々しい口に横向きで咥えあげられていた。

 思わずボウガンを構えるが、そこでボブが腕で前を遮り「待て」とぼやく。何事かと改まれば、彼は何故か苦笑を浮かべていた。

 

「いや、あれ。喰おうとしてるんじゃねえんだわ」

 

 知った風なボブ。

 しかし改まってみれば、イビルジョーが噛み砕こうと思えば容易い筈のウルク装備が、何故か貫かれていない。シャンヌが痛がっているのは、唾液で皮膚が焼けているからだ。

 

 え? ちょっと、どういう事?

 

「懐かしいな。俺もああやって拉致されたんだ」

 

 何処か遠い目をしているボブ。

 

「いだいだいだいだいだい!!!」

 

 悲鳴を上げてこんがり肉Gを振り回しているシャンヌ。

 

「ぐぉぅ」

 

 そして、シャンヌを咥えたまま、やけに満足げに踵を返すイビルジョー。

 

「あ、そういうこと……」

 

 一同を改めて、やっと合点がいった。

 

 成る程、あのイビルジョーは別にシャンヌを喰おうとはしていないのだ。

 拉致しようとしているだけなのだ。

 あの時と同じように。

 

 理由こそ分からないが、別にシャンヌを食べようという訳ではないのは確か。そのつもりなら今頃血飛沫が散っている……とは、ちょっと無慈悲な物言いかもしれないけど、何せ殺意は無いらしい。彼とやりあった事がある私だから、じっくりと見てみれば、その顎に力が籠められていないのはなんとなく分かった。

 皮膚が焼けているのは、後で回復薬を飲めば治るだろう。

 それぐらいシャンヌはタフだ。

 

 まあ、となると、あの奇特なイビルジョーの生態研究の方が優先されるか。

 元よりそのつもりで、三年前に見逃したのだし。

 観測所の追跡を振り切ったのは驚きだったが、此処で再会出来たのなら、私達が直々に調査結果を出せるだろうし、良い事づくめだ。

 

 私は泣き叫んでいるシャンヌに、にっこり笑顔を見せつけた。

 

「そのイビルジョーの生態とか、超気になるから、そのまま案内されてね」

「ったく。今度は何をさせるつもりだよ」

 

 都合よく、ボブが嘯く調子でぼやいていた。

 何ともタイミングの良い男だ。

 

 尤も、私達が助けるつもりはないと知って、シャンヌは顔を引きつらせていたけど。

 

「痛いんだけど? 本当に痛いんだけど!?」

 

 震える声。もう既にとめどなく流れている涙。

 でも、何故か、嬉しそうに見えて。

 

「ちょっと、ジョーさん? あの時みたく背中で……あいだっ!!」

 

 歩き出したイビルジョー。

 さてさて、私達を案内して、何をさせようと言うのだろうか。

 

 なんて、シャンヌなら兎も角、凡人の私に分かる筈もない。

 

 

 だって、彼は普通のイビルジョーじゃない。

 

 彼は、グルメなのだから。




 その後、かのイビルジョーは天空山の主として認知され、紆余曲折ありながらも、人と適度な距離を保ったモンスターとして、一冊の調査研究書に記されるのでした。

 出典 『グルメなイビルジョー』



 たった一〇ページの話に何年かかっとんねーん。

 という事で、これにて読了です。
 お付き合いありがとうございました。

 つらつらとあとがきのようなもの書いていきます。
 まだお時間余っていて、手持無沙汰な方はよければお付き合いのほど。


・あとがき

 ぶっちゃけ、めっちゃしんどかった。
 リアリティとファンタジックの敷居が難しかったのもありますが……ランキング載って、読者さん増えて、そりゃあ嬉しかったのですが、同じくらい批判コメントが堪えまして。勿論、色んな方がいますし、万人に受け入れて貰える作品なんて書けているつもりはないのですが、マジで色々とグサッときました……。
 ただ、同じくらい嬉しかったことも。
 ちゃんと読んで、読み込んだ上で、『私には合わない』と仰って下さる方もいました。それ自体はとても残念ですが、万人に受け入れられるものじゃない以上、合わなかった理由を教えて頂けたのは本当に稀有な機会でした。
 まあ、だからと言って、9ページ目の悩み具合は、自分で振り返っても『ばっかじゃねえの』なんですけど。しかも結局妥協してるし……。

 応援コメントは勿論、とても嬉しかったです。
 月並みな言葉ですが、本当に励みになりました。行き詰った時に頂いた『待っている』というような言葉には、胸が温まって、その度にもう一度練ってみようと思い直した次第です。
 結果的に9話はリアリティについて大きく妥協をしましたが、ぐだぐだ書くと更にお待たせしたでしょうし……半年を過ぎないうちにと思っていたので、今の私の実力として受け入れて頂けましたらと。

 あとは話の構成力がまだまだですね。精進します。
 まあ、主題であった『こんがり肉』、『胸を満たすもの』、『シャンヌの成長』このあたりは書けているように思うので、勝手に自己満足しておきます。

 キャラクターデザインとしては。

・ジョーさん
 グルメな紳士。
 冷ややかな視点もあるけど、普段は知的で冷静。だけど美味しいものを見ると暴走しちゃう。

・シャンヌ
 ヒロイン。
 ヒロインだけど、ヒロインになれない女の子。
 三年後の世界ではグルメなハンター。三年であそこまで強くならんとかいう突っ込みは野暮ってもんでっせ。

・ボブ
 ネタ枠。ハゲ。おっさん。
 こういうおっさんが好きだから出した。
 三年後はシャンヌとイノリに連れまわされている。

・イノリ
 原作ハンターをイメージ。
 前述のリアリティとファンタジックの敷居を明確にする為にデザインした。
 三年後はシャンヌの師匠であり、良き親友。

 こんな感じですかね。
 イノリについては作品に対するアンチキャラなので扱いが難しくありましたが、中々勝手良く動いてくれました。むしろシャンヌの方が感情論で動く分、めっちゃ扱い難かったです。

 ジョーさんについては言わずもがな。
 何をさせてもダサくないように書こう。おちゃめで済む程度のネタも取り入れよう。
 そんな風に考えてました。
 
 本当にありがとうございました。

 どうぞ皆様に、美味しいこんがり肉があらん事を。


 2019/2  ちゃちゃ


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アフターストーリー その一

ご要望がありましたので書きました。
あまり長くする予定はありませんが、少しだけMH4の世界観を活かした話を書いてみようかなと。

諸注意として
三人称なのでジョーさんのひゃっほいシーンがあるかは分かりません。
こまけえこたぁ良いんだよ。で、書きます。
感動(?)をぶち壊されたくない人はブラウザバック。


 至高なる存在が絶えた。

 闇を照らし、ねじ伏せる光は消えた。

 長く、漸くの旅路であった。

 

 我、渾沌なりて。

 

 今、過渡を迎える。

 

 

 移動式集会所、バルバレ。

 キャラバンは今、遺跡平原の調査の為、これと大砂漠の中間地点に居を定めていた。

 行商ルートが安定しない過酷な土地にも拘らず、在籍するハンターが優秀な為か、資材は潤っているようだ。この日も、きつい陽射しが照り付ける下、快活な声がキャラバンの中を飛んでいた。

 

「安いよー。安いよぉー!」

 

 果たして何が安いのか。

 目玉の逸品を見る為に、籠を提げた者らが足を止める。

 恰幅の良い女性店主は、テントの影で汗を散らしながらも、気持ちの良い笑顔で様々な物を勧めた。食料に限らず、クエストへ向かうハンターの携行品に至るまで、店の品揃えは中々のものだ。そして、『安い』との謳い文句もあながち間違ってはいない。安いものは普段の値の三割引きといったところ。

 この女性店主は、中々気前が良い事で評判だったが、普段は精々一割引き。それ以上となると、此処がキャラバンである以上、よっぽどの事だ。

 

 不意に、通りがかかったうら若い女性ハンターが足を止める。

 ちらりと店を窺う素振りを見せたが、その足は明後日の方向を向いたまま止まっていた。

 としたところで、店主は彼女に気付き、「あら」と一言。どうやら顔見知りのようで、三人の客が日用品の品定めをしている姿をそっちのけにして、店主は彼女を手招きした。

 

「寄ってきな。今日は安いよ!」

 

 店主の謳い文句が利いたのか、それとも別な理由か。

 女性ハンターはこくりと頷くと、店頭へと歩み寄ってくる。

 

 その気配を感じたのか、店頭に並ぶ客の一人がちらりと振り返って、その目を丸くした。

 

 黒く長い髪の下、映る顔付きこそ若くみずみずしいのに、切れ長の目に宿る凛とした黒のなんと凛々しい事か。

 着ている防具もその表情に見合って、実に高価なもの。

 頭部には未知の樹海にて極稀に発見される花を模した飾り。手には機能美に重きを置いた手甲。胴体上下、足回りこそは軽装のようだが、これまた見た目にも神秘的な霊獣の毛があしらわれていた。

 シルエットこそ軟弱に映るが、少しでもハンター業に携わる者が見たら、その眼を三度こすって刮目するだろう。貴族の式典に使われるような古龍の装備を、日常的に使えるハンターはそういない。

 

 故に、この移動式キャラバンにおいて、数多いるハンターの中でも、その少女の名はあまりに有名。以前このバルバレに一時滞在していた筆頭ハンターさえもが「ソロで無ければ我々をも軽く凌ぐ」と言ったとか、なんとか。

 それは世辞混じりの話かもしれなかったが、彼女の経歴はそれを裏打ちするかのように華やかなものだった。

 特に最近はパーティを持つようになり、その活躍が更に目覚ましい。

 

「い、イノリさん!?」

 

 客の一人が慌てた様子で店頭を譲った。

 その声に他の二人も気が付いたようで、ゆっくりと後ろを振り返り、先の客と似たような反応を見せて、場所を譲る。

 

 どうにも委縮させてしまったその様子に、イノリと呼ばれたハンターは顔をしかめた。

 どうやら店に立ち寄るか迷った様子を見せたのは、これを危惧しての事だったようだ。

 

 小さな溜め息をひとつ溢して、イノリは首を横に。

 

「気にしないで。携行品を買ったら、すぐ行くから」

 

 委縮させてしまった者に、どう言っても仕方ない。

 折角店主が呼んでくれたのだから、せめて何か買って行こう。

 イノリはそんな心持ちで店頭に並ぶ数々の品物に目をやる事にした。

 

 所狭しと並ぶ雑貨の数々。

 物資が貴重なバルバレでは珍しい光景で、安いとの謳い文句も納得の値段。

 しかし、一律して三割引きの値段ではない。ハンター御用達の携行品に関しては、最も安くなっているものでも一割引きに届いていなかった。安価なのは主に食用の肉や、ケルビ、ガーグァの毛皮ばかりだ。

 にしても、その数はあまりに多い。

 軽く見積もっても、一〇や二〇の数ではない。少なくとも三〇頭近くの素材が並んでいた。

 

 生態系を崩しかねない程の過剰な狩りはギルドから禁止されている。

 数が減ってくるとクエスト自体が無くなる上、今の時期は数が飽和するような季節でもなかった。

 

 怪訝に思って、イノリは店主を窺う。

 すると、彼女の聞きたい事を察したのか、店主は眉をハの字に曲げて、ふうと息を吐いた。

 

「ギルドからの回しもんでね。何でも、遺跡の至る所で小型モンスターが死んでるんだってさ」

 

 何やらきな臭い話に、イノリは小首を傾げて、暗に『その先は?』と問いかける。

 気が利くのか、店主は呆れたような笑みを浮かべながら、今一度口を開いた。

 

「密漁の類ではないってさ。いずれも大型モンスターに殺されたような跡があったって……ああ、でも、肉は加熱処理して食べるようにって言われたね。ほら、そこに書いてあんだろう?」

 

 親指で促されて、イノリは視線を落とす。

 大量に並んだ肉片の中心に、一本の立て看板があり、値段の横に『加熱処理をする事』と注意書きがあった。

 

 それを見たイノリの視線はすっと細まり、小さく二度頷いた。

 唇から零れた言葉は、「成る程」の一言。

 

 それで納得したのか、イノリは一転して見た目に華やかな笑みを浮かべてみせた。

 

「分かりました。とりあえず、貫通弾全種と、通常弾二種を、一〇〇〇個ずつお願いします」

「はいよ!」

 

 流れるかのような大人買い。

 ぎょっとするのは他の客ばかりで、イノリは当然のような顔をしたまま、自宅への配送を依頼して行ってしまった。

 

 

 ウェスタンルックな酒場は、この日も繁盛していた。

 大きな円卓にはビールや肉が所狭しと並び、老若男女問わず、話の肴問わずで盛り上がる。あっという間に皿が空いて、グラスが空いて、追加注文の声が上がった。

 盆を細い前足に乗っけて、人の隙間を縫うように走るアイルー達も、てんてこ舞いのご様子だった。

 

 賑わう酒場は、良い集会所である証。

 時にいきり立った若者が、老齢の騎士に噛みついて、拳骨ひとつで制裁されていても、それは『彼』にとって微笑ましい光景として映った。

 

 酒場の一角を、カウンターの端っこで見詰める老齢の竜人。

 頭より大きな金色のテンガロンハットの下で柔和な笑みを浮かべて、パイプをひと吹き。「ほっほほ」と笑う。

 この老人こそが、バルバレの長であり、ギルドマスターだった。

 

 こつり、こつり。

 

 規律良いリズムで打ち鳴らされる足音が、ゆっくりと老人の方へ向かってきた。

 老人がちらりと目をやれば、眼下に映る下半身はこちらを向いている。自分が腰掛けているカウンターの中に居る受付嬢ではなく、こちらに用があるようだった。

 何千というハンターが行き交うこのバルバレ。

 しかし、目に留めた下半身の装具だけで誰だか分かる程、その人物の印象は濃い。『ちょっと装備を整えてきます』でドンドルマに行って、帰ってこれる者はそういない。少なくとも大老殿の大長老が覚えている彼女の名を、自分が忘れる筈はなかった。

 

 テンガロンハットを傾け、顔を拝む。

 ギルドマスターはにっこりと笑って、彼女を歓迎した。

 

「私に用かね? イノリさん」

「ええ。少しお聞きしたい事がありまして」

 

 一切の緊張なく、微笑を浮かべて答えるイノリ。

 少女と言うには年を取り、女性と言うには垢抜けしていない。

 しかし、此処に籍を置いて三年。

 ちらと見渡せば、彼女の背を畏怖や尊敬の念を籠めて見やる者が居る程に、彼女は優秀だった。受注したクエストを失敗したのはたったの一度で、以降大きな怪我もなく、このバルバレが誇る一、二を争う腕利きになった。

 経歴を聞けば当然の事のようにも思えるが、一部では彼女の可愛らしい容姿を蔑ろにして、『顔面抉り』なんて呼ばれもあるとか。勿論、イノリの顔が抉れている訳ではない。彼女が狩ったモンスターの多くが、顔面の原型を留めない程に、彼女の持つライトボウガンで射抜かれているからだ。

 

 『顔面抉り』に『イビルジョーに食べられて生き延びた女』、『茹蛸親父』。

 思えば、彼女が所属するパーティには、碌なあだ名を付けられている者が居ない。

 パーティへの呼称だって、『肉焼き部隊』と、嫌味なのか、何なのか分からないものが付いている。ふと耳にしただけでは、とてもじゃないがバルバレの腕試しクエストを三連覇した者が在籍しているとは思えない。

 

 ギルドマスターはパイプを咥える。

 紫煙を明後日の方向へ吐き出して、イノリへ向き直った。

 

 それで空気を汲んだのか、彼女は小さな会釈をして、本題に入った。

 

「遺跡平原にゴア・マガラが出現した……違いますか?」

 

 淡々と述べたイノリ。

 その顔付きは極々真面目で、何処か確信めいているように見えた。

 

 ギルドマスターはパイプを指で遊びながら、何故そう思うのかと問い返す。

 すると彼女は、市場に流通している小型モンスターの肉が飽和状態にある事を挙げた。

 

「遺跡近郊で虐殺行為を行うのはラージャンぐらいです。しかし、要加熱処理となれば、何らかのウイルスが入っているのではないかと思いまして……『狂竜症』を発症したモンスターも、虐殺行為を行いますから」

 

 成る程。

 それはとても正しい推理だ。

 

 ギルドマスターは優秀な弁を述べた彼女を、素直に称賛した。

 事実、その弁は自分が受け取った報告と合致している。

 

 しかし解せない。

 ギルドマスターの覚えでは、このイノリというハンターは、ギルドの創意こそ汲んでくれるものの、自らの意思でギルドに利を運ぶ性質ではない。狩りをするのは『自分の為』か、『誰かに頼まれた』から。

 そしてその行動理念は、兄の死をもって培われたものだとも聞く。

 正義感を振りかざして、勝てない相手に立ち向かった兄を、尊敬はしているが、同じくらい軽蔑している……と、随分前に酒の席で仲間に打ち明けていた。救けを求める手は、求められてはじめて応えるのがハンターであり、自分本位で救けに行くのは物語の勇者だ。とも。

 それは少なくとも、気まぐれで変わる信条ではないだろう。

 

 つまるところ、聞けば答えてくれるのが、このイノリというハンターだ。

 ギルドマスターは素直に問い返した。

 

「どうしてそれを態々確かめに来たんだい?」

 

 ゴア・マガラの出現は、確かに一大事だ。

 居場所が特定され次第、討伐部隊の招集が行われるだろう。

 それを先手を打って確かめに来ると言うのは、まるで自分が討伐部隊に志願しているようにしか見えない。言い方は悪いが、『見て見ぬふり』をする彼女の信条から、大きく逸脱した行為だ。

 

 イノリは明後日の方向を見やる。

 促されたような気がして、視線の行方を追えば、そこには数々の紙が雑に貼りつけられたリクエストボード。細かい焦点は分かりかねたが、そこにある一枚に、彼女らのパーティが依頼して貼り付けてあるものがあった。

 

 『土地神様に奉納を』

 天空山にて、こんがり肉を三個納品しろという依頼だ。

 一見すると簡単な依頼だが、こんがり肉は必ずキャンプで焼く事と、肉の納品場所が少々特殊である事、そしてそのクエストにはイビルジョーの乱入があり、それは重大な生態調査の為に討伐してはいけない対象である事等、色々と異色な条件を出しているクエストだ。

 報酬が良く、基本的に安全なクエストである為、今まで数人のハンターが受注しているが……ギルドマスターの記憶が正しければ、何度でも受けて良い羽振りの良いクエストであるにも拘らず、誰も二度目を受注していない。聞けば、『イビルジョーの踊りが夢に出てくる』や、『失念して応戦したら、あっという間にキャンプへ送り返されていた』とか。

 

 ふむ。

 成る程。

 

 ギルドマスターは得心いったが、イノリは態々補足を入れた。

 

「この地域でシャガルマガラが出没したのは、天空山ですから」

 

 それはイノリ達『肉焼き部隊』――不名誉ではあるだろうが、これ以外に呼び名が無い――がバルバレに来るより前の話。

 当時もギルドマスターは同じ立場で、このギルドを治めていた。

 

 あの時は、筆頭ハンター達と、『我らの団』に所属していた優秀なハンターが、これに対処した。

 一時は筆頭ハンター達で行方不明者が出る程に追い詰められ、それでも『我らの団』のハンターが活路を見出し、解決してくれたのだ。あの一件があったからこそ、シャガルマガラやゴア・マガラに対する研究が進み、今やそれは全世界で役立つものとなった。

 

 その研究成果から言えば、イノリが危惧する事はよく分かる。

 当時、ゴア・マガラがシャガルマガラへ昇華したのは、天空山に封印されし扉の奥。それは偶然そうなった訳ではなく、天空山近隣に存在するシナト村にも、過去に似たような厄災が起きたという伝承があるのだ。

 そして、その昔話によると、天空山に生きとし生けるもの全てが絶滅したとも。

 初めて耳にした時は、出鱈目な御伽噺にしか聞こえなかったが、ゴア・マガラが振りまく『狂竜症』の存在と、その被害を目の当たりにして、いよいよそれが御伽噺ではない事は確かだった。

 

 イノリが危惧しているのはそれ。

 彼女や、その仲間達によると、非常にグルメ且つ、人々に友好的なイビルジョーが、かの黒蝕竜に侵されてしまわないかと案じているのだ。もしもそうなりかねないなら、天空山に辿り着くまでに、ゴア・マガラを討伐しようとも思っているだろう。

 

 打算的な人柄だと思っていたが、中々どうして、それはハンター然としている。

 人を守る為だけでなく、大自然の為、また言葉を交わせぬ友の為、己の窮地を恐れないのは、やはり勇者と呼ぶより、ハンターと呼ぶ方が正しいだろう。

 

 ギルドマスターはパイプをひと吹きして、にやりと笑ってみせた。

 

「良いだろう。情報が入り次第、キミの耳に届くよう、配慮しておくよ。天空山の観測隊も、今より厚くしておこう」

 

 対するイノリは、此処に来て初めて恭しく頭を垂れた。

 

「ありがとうございます」

 

 その下げられた頭を見て、不意に思い起こす。

 彼女が自分に頭を下げたのは、これで二度目だと。

 

 一度目は、確か此処に来て間が無い頃。

 『イビルジョーの討伐クエスト』を失敗して帰って来た時に、こうして頭を下げたのだ。

 どうか討伐しないで欲しい。有用性は研究成果として上がってくるだろう。と、嘆願してきたのだったか。

 特級危険種を見過ごすなんて、とんでもない話ではあったが、その熱意と正確な情報、何よりメゼポルタでの彼女の活躍を買って、渋々了解したものだが……。

 

 それが此処に来て、彼女の戦う理由になるとは、何とも稀有な話。

 実に可笑しく思えて、ギルドマスターは「ほっほほ」と声を上げて笑った。

 

 

 所変わって、天空山。

 いくつもの岩山が寄り添うようにして出来ているこの地は、狩場として推奨されている場所ですら地形が複雑で、未知の領域へ一歩出てしまえば、いつ足を踏み外しても可笑しくないような過酷な地形が広がっている。いや、『広がっている』と表現する事こそ可笑しく感じられるだろう。何せ、足を踏み外せば滑落するのだから、広がっているのは大地ではなく、空の青である。

 そんな環境だからこそ、人の目につかぬ場所は多く存在し、様々なモンスターの隠れ家が至る所にあった。

 

 そのひとつ、岩山の中腹に出来たがらんどうの洞窟に、奇特なイビルジョーが住んでいた。

 事情を知らぬ者からすれば、G級個体の金冠サイズの恐暴竜。少しばかり知っている者からすれば、こんがり肉で小躍りを始める変なイビルジョー。詳しく知っている者からすれば、とてもグルメな優しいジョーさん。

 

 最も身近で彼を呼ぶ声は、彼を『ジョー』と呼ぶ。

 それはイビルジョーの種の名からとられたものだが、極々自然に呼ばれた『ジョーさん』という名は、一人、また一人と呼ぶ者を増やし、何時の間にか彼の呼び名として浸透していた。一部の観測所では、彼を『グルメジョー』と呼称しており、グルメという言葉が彼の性質を表しているのならば、やはり名前は『ジョー』で通っているのだろう。

 

 さて、そんなジョーであるが、見かけは正しくイビルジョーである。

 イビルジョーであるのだから当然なのだが、あくまでも普通のイビルジョーであるという事だ。

 顎を突き抜ける程に発達した無数の牙にしろ、全身を覆うはち切れんばかりの爆弾筋肉にしろ、腹を空かせれば強酸性の唾液を垂らしてしまうし、不機嫌になると口からどす黒い竜属性のエネルギーを漏らすところまで、完全に至って普通のイビルジョーである。

 個体的な特徴とすれば、中々に長寿である故か、身体の大きさは並みのそれではなく、これまで発見されてきたイビルジョーの中でも最大級のサイズに匹敵する事。そして、歴戦を潜り抜けてきた証としてか、背には大きな一本傷がついている事。

 あくまでも見た目に拘れば、少しばかりレアなイビルジョーに過ぎなかった。

 

 ジョーを語る上で、一番最初に挙げられる特色は、彼の内面にあった。

 先ず第一に、『暴食をしない』。次に、『主食はこんがり肉』。そしておまけで、『人に不要な危害を加えない』。『理知的である』。と、挙げられる。

 

 まるで御伽噺だ。

 イビルジョーは本来、生命活動の為に凄まじいエネルギーを常時消費する。故に暴食を繰り返し、生態系を破壊してしまう。しかし、このジョーに限っては違った。

 己の生態を理解しているのか、普段は身体を冷やして代謝の活性化を抑え、その上で必要な時に必要な量だけ力を揮っている。加えて、自ら飢餓に陥らないよう気を付けている節もあり、高度な知性も認められた。しかし何より、その知性が最も発揮されるのが食に対する拘りであり、『肉に火を入れて食う』と言う、人間染みたような行為を大層気に入っているらしい。舌に合った時は、小躍りまで披露するというのだから驚きだ。

 とはいえ、イビルジョーの持つ竜ブレスでは肉を好みの焼き加減に出来ないらしく、彼の好みはもっぱら人が焼いたものに限る。それ故か、はたまた別な理由か、彼は紆余曲折の末、数人の信頼を勝ち取った。それが彼をジョーたらしめた起因であり、グルメジョーという呼ばれを得るに至った経緯だ。

 

 そんなジョーは今、感動に浸っていた。

 住処である洞窟の奥で、小さな焚火に照らされた凶悪な面構えを、『ふにゃあ』という表現が似合う程にだらしなく崩し、目付きと口角に半円を描いている。その顔付きたるや、恐暴性の欠片もない。世のイビルジョー研究者が、今、この個体を見たら、自身が記述してきた生態記録書をびりびりに破いて驚愕するだろう。

 しかし、これは彼がイビルジョーだからではなく、ジョーであり、グルメであるが故の表情であった。

 

「美味しい? ジョーさん」

 

 焚火をジョーの対面で囲う少女が一人。

 

 愛らしい笑顔が似合う、何処かあどけなさを残した女の子。

 白い防寒着のような防具に身を包んでいるが、その顔付きにはハンターらしさの欠片も無い程、威厳が無い。逆説的に言えば、柔和で、とても優し気な顔をしていた。歴戦を潜り抜けたハンターであれば、イビルジョーと向かい合って警戒心がゼロのような顔はしないだろう。しかし、その少女は、ジョーが安全である事を確信したように、彼に微笑みかけている。

 いいや、彼女はジョーが安全である事を知っているのだ。

 

 何せ、ジョーを此処まで『イビルジョー』という種から逸脱させたのは、彼女――シャンヌに他ならないのだから。

 

 ハンター歴は三年。

 階級は上位。HRは七。

 見た目にそぐわぬ怪力と、どんな傷を負ってもあっという間に治ってしまうのが売りの少女。

 脇に転がるスラッシュアックスを拾い上げれば、片手でそれをぶん回すわ、叩き付けるわで、所属するバルバレでも腕相撲大会で上位に食い込むとか。かと思えば、グラビモスの熱線を受けて「あっつい!」で済んだり、ティガレックスの突進を喰らって「あいでっ!!」で済ませたり……本当、見た目にそぐわぬタフなハンターだった。

 

 そんなシャンヌの特技は肉焼きである。

 彼女に『特技は?』と問えば、常軌を逸した怪力やタフさを差し置いて、即答するだろう。他の誰かに聞いたとしても、そう答えるかもしれない。

 彼女が焼く『こんがり肉G』は、バルバレ一美味いと評判だった。

 

「はい。次焼けたよ」

「ぐぁぅ」

 

 シャンヌが差し出したこんがり肉Gを咥え取り、イビルジョーらしくなく破顔するジョー。

 彼の奇怪な表情の原因は、シャンヌが焼いた肉だった。

 

 あまりの美味さに、ジョーは感動に打たれ、身悶えする。

 ただ美味いこんがり肉を喰った時は小躍りするジョーだが、シャンヌが焼いたこんがり肉Gに限っては、もう表現しようがない喜びを感じているようだった。

 

 そんな彼を見守るシャンヌは、やはり優し気な表情である。

 長い睫毛の下、栗色の大きな瞳は慈愛に満ちており、すっと通った鼻筋から下、唇はやはり柔和な笑みを描く。普段は快活に笑う少女だったが、ジョーの前では淑やかな聖母のように微笑むばかり。

 揺れる茶髪が焚火の明かりで煌めいて、それはそれは神々しくも見えるものだ。

 

 少なくとも、ジョーにとって、シャンヌは友であり、理解者であり、女神のようでもあるのだろう。

 こんがり肉Gをいくつも平らげると、ジョーは恭しくシャンヌへ向けて頭を垂れていた。その動作がイビルジョーという種族において、どういう意味を持つかは知られておらず、どんな生態研究書にも載っていない。

 しかし、シャンヌは慣れた様子で彼の頭を小さな手で撫でるのだった。

 

 焚火を囲んで、一人の少女と、一頭のイビルジョー。

 傍から見れば危なっかしい筈の光景は、しかし姫と異形の怪物の恋物語を綴った御伽噺のようにも映る。

 まさかシャンヌがジョーに発情している訳でもないだろうし、ジョーもシャンヌを相手に生殖行為を求める筈もなかったが、ただひたすら純朴に、信頼を重ねていった恋人のような関係が、そこにはあった。

 

 

 やがて、満腹になったジョーは眠りにつく。

 彼の前足にもたれかかる形で寄り添うシャンヌは、不意に視界の端に留まった彼の後ろ足をみやる。

 左足に着けられた黒鉄の輪っか。

 

 それは生態研究所が彼を無害と認め、彼を要保護対象と認可した証だった。

 

 だけど、そんな証が無いと、彼は有害であり、誰かに駆除される存在である証明でもあった。

 以前、ジョーを何処か大きな施設で保護してやりたいと、仲間に相談したが、結果はこの通り。彼を保護出来る環境は何処にも無かった。

 

 理由は簡単。

 この天空山こそが、彼にとって最も住みやすく、身体に害のない土地だからである。

 

 気温が低く、それでいて極限下までは冷え込まない。

 故に彼の代謝が安定し、食への欲求を低下させる。

 これ以上低くとも、高くとも、いけないのだ。

 

 だが、この天空山は彼の身体に優しくとも、彼の命にも優しいとは言えない。

 不安定な足場は彼の自重に耐え切れない場所も多く、不意に滑落する可能性もあった。と言うか、実際に何度か滑落して、傷まみれにさせてしまった事もある。

 何より、この天空山にはイビルジョーにとって天敵……とまではいかないが、あまり相性の良くないジンオウガの生息が確認されている。加えて、数年前に蔓延した『狂竜症』が最も濃い地であって、此処にはそれ所縁の場所もある。

 

 本音を言えば、街で自分と一緒に暮らして欲しい。

 ガーグァのように、人と共に暮らす道があって欲しい。

 

 だが、仲間内でお馬鹿だと言われがちなシャンヌにも、分かる。

 これは『エゴ』なのだと分かっている。

 ジョーは既に大自然から逸脱した趣向をしているが、その生涯まで逸脱させてしまうのは、ハンターの生業である『人と自然の調和』を大きく破ってしまう行為だろう。少なくとも此処が彼にとって最適な環境である以上、それ以上の安全を求めるのは、過保護に他ならない。

 あくまでもジョーは自然の生き物であって、人に飼いならされるべき生き物ではないだろう。

 

「ままならないなぁ……」

 

 シャンヌはぼやいて、ぼうっと天井を眺める。

 何ら変わり映えするものはなく、ただの岩壁が視界を埋め尽くすばかりだったが、『何も無い』という事が、自分とジョーの行く末を見ているようにも思えた。




つづく

検索欄には載せたいけど、完結してるから現役作品のランキングの加点を邪魔したくないんだけども、そういう設定は無いのかな。まあ、完結後もお気に入りいれてくれている人へのサービス的な感じなので、検索欄に載らなくても良いっちゃ良いんですが。

解説はしないけども、遺跡平原で虐殺行為をするのがラーだけってのは、正直疑問。ゲネルとかストレス発散で何かヤってそうですし……。

あと、ちょい風邪引いてて見直し甘いかもしれません。
後日文章調整するかも。だけど早く出したかったんです。
ご理解下さい。


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アフターストーリー その二

 大剣を抜くと同時に、腹の底でぐっと力を凝縮し、溜める。

 その力が臨界を超える直前でぶっ放せば、高威力の溜め攻撃が炸裂した。

 さながら断頭台の如く振り下ろされた鈍色の刃は、しかしヒトのそれを遥かに凌駕する強靭な筋肉の前に、あまりになまくら。渾身の一撃であったにも拘らず、黄色の鱗を弾けさせ、かすり傷をつけたに過ぎなかった。

 

「くそっ。(かて)ぇっ!」

 

 思わず漏れる悪態。

 その声に反応するかのように、刃の向こうで鋭い眼がぎゃんと煌めいた。

 

 気が付けば宙を舞う。

 

 地面を一度、二度と跳ねて、男は大地へ転がった。

 何とか受け身をとって、頑なに手放さなかった大剣を地へ突き刺す。強引に身体を起こしてみれば、視界がぐわんと揺れた。

 地面が迫り上がってくるかのような眩暈。

 それは遠い昔、駆け出しの頃にきつい訓練を以って起こさなくなった筈の脳震盪に良く似ていた。

 気を抜けば嘔吐をしそうな程に気分が悪い。思考がはっきりせず、周囲の音も聞き取れない。今、自分が置かれている状況が、つい先程の事の筈なのに、分からなくなってしまう。

 何かに、誰かに、八つ当たりをしたくなる程、不愉快だった。

 

「ボブ! しっかりして!」

 

 ふと耳をつく若い女性の声。

 その声でハッとして、男は鉢がねの下で目を見開く。

 

 改まってみれば、足許には平らな大地。

 視界の端には見慣れた遺跡平原の美しい景色。

 視線を上げてみれば、迫りくるティガレックスの顔面に徹甲榴弾をぶち込み、奴の突進を寸でのところで躱している少女の姿。顔に突き刺さった弾丸が弾け、ティガレックスが苦悶の声を上げて怯むと、彼女は背後に回ったと言うのに、持ち上がった首へと素早く照準を合わせて、奴の後頭部に向けて追撃をしていた。

 

 毅然とした孤軍奮闘に、漸く目が覚める。

 

 大剣を納刀して、素早く状況を改めた。

 遺跡平原のエリア8。若干の高低差があるものの、地形が平らで戦い易い場所。吹っ飛ばされた影響か、ボブは高所に居り、低所で相方のイノリとティガレックスが戦っている。

 此処までなら普段通りの狩り。

 そこに居る筈のもう一人の仲間が居ない事を除けば、さしたる変化も無い筈の狩りだった。

 

 激変したのは、ティガレックスを一度『倒した』後。

 

 何かに支配されたかのように、むくりと起き上がったティガレックスは、並みの強さじゃなかった。

 身体の大部分に大剣の刃が通らず、銃弾さえもが弾かれた。それだけならまだしも、万物の生き物に備わっている筈の防衛本能を無くしたかのような捨て身の攻撃の連続。おまけに動きが緩慢になったり、俊敏になったりと、挙動が全く読めない。

 とどめは今しがた攻撃をもろに喰らったボブの身体に、オーラのように付きまとうどす黒いエネルギーだ。

 

 まさか。とは思った。

 しかし、クエスト内容を思い起こせば、それも納得出来る。

 

 本来、ボブとイノリは狂竜症に侵されたティガレックスを討伐しに来た筈だった。

 それが何故か普通のティガレックスと相対し、その後異常な行動をとるティガレックスへと変貌……いいや、もう疑う余地なんて、何処にも無い。

 

 『それ』は狂竜症を克服し、己の糧とした存在。

 極みに迫ると言われし、最高峰の存在。

 

「やっぱ、極限か……」

 

 己を蝕む負のオーラを認め、怒涛の攻撃に対処するのが精一杯で、纏まりきっていなかった思考を完結させる。

 しかし、認めたところで、ボブ達がやるべき事は変わらない。

 遺跡平原で虐殺を繰り返していた異常個体であるティガレックスを討伐する。

 イノリの独断でゴア・マガラの討伐部隊に任命された自分達の初仕事である。初っ端からこれとは運が無ければ、幸先も悪く感じられるが……今、愚痴を溢している暇はない。

 

 ウチケシの実を口に入れ、咀嚼すると同時に回復薬Gで流し込んだ。

 改めて大剣の柄に手をやりながら、走り出す。

 自分がダウンしていた間、ずっと孤軍奮闘をしていた相棒は、未だ余裕こそありそうだが、決して優位に立ちまわっている訳ではなさそうだ。怒涛の攻撃で距離を詰められ、ずっと命懸けの『回避』を繰り返している。ガンナーの防具が身軽さを優先している軽装甲である以上、タイミングひとつ間違えるだけで死に直結するダメージを貰うかもしれない。だからなのか、やむを得ずに自分が撃った徹甲榴弾の爆風を喰らっている場面もあった。

 技術が優れているだけで、イノリは特別タフなハンターではない。

 一度回復を入れないと不味いだろう。

 

「イノリ、代わるから下がれ!」

「ありがと。無茶しないでね」

 

 了解したイノリが後退する。

 入れ替わるように前へ出れば、ティガレックスは丁度明後日の方向へ突進をしており、こちらのスイッチを見てはいなさそうだ。彼等は好戦的ではあるが、執念深い性質ではない。

 

 古龍をもソロで屠る少女が、珍しく緑色の薬を飲んでいる。

 ガンナーの適正距離を保てず、徹甲榴弾を持ち出していたのも、中々に珍しい光景だった。

 ティガレックスという種が特別強い訳ではない。確かに強者ではあるが、難関名高いクエストの数々をこなしてきたイノリを凌駕するとは言えないだろう。彼女がやり辛そうにしているのは、『狂竜症』の所為に他ならない。

 

 イノリを見失ったティガレックスは、その場で咆哮を上げた。

 段差を降りたボブがその轟音に片耳を押さえ、怯めば、しかしティガレックスはあらぬ方向を向いて、威嚇するような行動をとる。

 認めたボブは、顔を歪めて、舌打ちをひとつ。

 

「やりづれえなぁ。くそっ」

 

 悪態を吐きながら、ティガレックスとの距離を詰めていく。

 足を止めないままに、大剣の柄を右手で力強く引っ張り、その手を左手で抑え込む。何時でも溜め斬りを放てるようにしながら、適正距離へ。

 

「頼むからこっちに向け!」

 

 ティガレックスが腕を払えば吹き飛ぶ距離で、ボブは足を止めた。

 ぐっと深く腰を落とし、腹の底へ力を凝縮する。

 

 ボブの悪態が聞こえたのか、ティガレックスはゆっくりとした動作でこちらを向いた。

 

 ティガレックスの頭部が視界の正面に入った瞬間。

 溜めた力を爆発させる。

 

「っらぁ!!」

 

 ドゴォ。

 と、鈍い音が鳴る。

 

 目一杯まで引き寄せ、斬るというより押し潰す勢いで振り下ろした断頭台の刃。

 しかし、固い。

 今度こそ間違いなく捉えてはいたが、腕に伝わる痺れたような感覚が、刃の通り具合を明確にしていた。

 当たってはいる。先程弾かれた時よりかは、幾分効果があったとは思える。しかし、グラビモスの背中をぶっ叩いたかのような硬さは、おおよそティガレックスの弱点へ振り下ろしたものとは感じられない。

 

 ふとすれば、ぐっと刃が押し戻された。

 それは困惑から脱して、視界が鮮明になると同時。

 

 悲鳴のような声をあげて、ティガレックスの頭部が刃を真っ向から押し返してきていた。

 刃は確かに頭部を捉えており、互いに圧をかけあっている以上、その刃がどんどん頭蓋を割ってめり込んでいっている。だというのに、そのティガレックスには、まるでボブを屠る事しか見えていないよう。己の頭が割れようと構わない様子で、荒々しい牙が幾本も並んだ口腔を大きく開き、こちらへ詰めてきている。

 

 その形相に、ボブはゾッとした。

 おおよそ自然界の生物から感じる事の無い大きすぎる執念、憎悪、怒り……様々な負の感情が伝わってくるようだった。

 開かれた口腔の中にある赤い血肉は、果たして何故呑み込まれていないのか。喰らう為に屠るのでなければ、こやつは一体何の為に存在するというのか。生を放棄してまで、何を晴らそうというのか。

 

――このティガレックスは、本当に『生き物』なのか?

 

 たまらない気味の悪さを何とか堪え、押し負けないよう力を籠める。

 人間の非力な身体から発せられる力が、果たしてティガレックスの強靭な肉体に敵う筈はないのだが、刃が頭部にめり込めばめり込む程、向かい立つ力が勢いを無くしていく。しかし、それは『痛いから』ではなく、ただ単純な生命力の低下によるものだと、ボブには分かった。

 

 何せ、ボブを捉える濁った瞳は、ボブの殺害を諦めてはいない。

 純粋な殺戮者として、己の挙動に一切の疑問や、躊躇い、恐れなどない様子だった。

 

 そんな恐怖心が、ボブの注意力を散漫にする。

 パニックに陥っている訳でも、恐怖に屈した訳でもなかったが、ただただ『見えなかった』。

 

「なっ!?」

 

 土を抉る音がして、初めて気が付いた。

 身体に力が入らないと悟ったティガレックスは、己の腕を振り上げ、降ろす。その動作で重心を前へ前へと動かし、立てられた刃などお構いなしに『突進』をしていたのだ。

 その力は先程までと比べものにならない。

 当然のように、拮抗していた力比べが崩れた。

 ボブの身体はいとも簡単に押し倒され、額に大剣が刺さったままのティガレックスが、ボブを眼下に捉える。しかしその顔は愉悦に浸るでもなく、まるで煩い羽虫を殺すかのように、冷淡なものだった。

 

 喰らう訳でないティガレックスは、腕を振り上げる。

 それが振り下ろされれば、ボブの身体は地面のめり込む程に圧迫された。

 

 固い表皮が売りのディアブロスの鎧が、バキリと音を立てる。

 爪の間を出ている頭部ばかりは無事だったが、それでも身体を押さえつける恐ろしい程の力は、ボブの命を奪うのに十分過ぎるだろう。あっという間に呼吸が出来なくなって、脳裏に色んな出来事が蘇ってきた。

 

 走馬灯のように蘇ってくる光景は、『まさかこんな事で』と訴える。

 かつて、イノリの兄と共に挑んだ炎王龍や、肉好きの可笑しなイビルジョー等、もっと自分を屠るのに相応しい奴は沢山いた。多くの死地を潜り抜けてきた自分は、それでも親友の死を切っ掛けに、生に対して貪欲になった筈だ。

 無理をせず、背伸びをせず、かつてパーティを組んでいた他の仲間が、隠居していったのと同じく、死ぬ事で誰かを泣かすまいと、それを全うしてきた筈だった。

 

 ふと、振り返ってみれば……ああ、そうか。

 と、ボブは思う。

 

 気が付かなかっただけで、ジャンボ村で隠居していた時とは、随分遠い場所に来てしまっていた。

 そこが死地である事を気付かずして、どうして気を付けていられようか。

 

『ボブ、ギドー、ルーコ! いくぞ!』

 

 ふとすれば聞こえる懐かしい声。

 黒の短髪を揺らし、こちらに背を向けて走っていく背中。

 

 双剣を手に、イビルジョーの討伐クエストを楽勝だと言ってのけた彼。

 そのイビルジョーと交戦し、それが規格外である事を悟り、他の三人が撤退を決めた。にも拘らず、彼だけは勝たなければならないと主張していた。

 勝たなければ、依頼主の村が滅茶苦茶にされる。

 何としても、止めなければならないんだ。

 と。

 だから、彼はイビルジョーから退避する最中、殿を務めると言って、本気で戦っていたのだろう。

 

 気付くのが遅かった。

 状況が落ち着いて、彼の本心を悟り、救援に戻った時には……残っていたのは、彼の双剣と、それを握りしめたまま固くなった左手だけだった。

 

――ダン。

 

 彼の事を、とんだお人好しの馬鹿だと思っていたが、自分も焼きが回っていたようだ。

 懐かしい友人との記憶を観ながら、ボブはそんな事を思う。

 

 仕方なかった。

 妹分の心遣いも、まだ初々しい駆け出しハンターの想いも、守ってやりたかったのだ。

 だから、身に敵わない無茶をしていた。それが無茶である事を自分が認識せぬよう、未だ隠居しているつもりでいた。

 だが、その誤認が祟って、今、ボブは窮地に陥っている。

 何も守れず、終わろうとしている。

 

 こんな事なら……。

 という後悔はあるが、しかしそれも仕方なかったと思う。

 ボブはイノリの兄、ダンの死を、仲間の誰よりも重く受け止めていた。

 ふたりは幼馴染であり、子供の頃からずっと一緒だった。だからハンターになった時も、子供時分の悪戯を共にする感覚の延長であって、成人して仕事にやりがいを見出したとて、根底にあるそれは変わりなかった。

 なのに、ダンはボブを残して逝ってしまった。

 後に残ったのは、後悔と孤独。

 

 喪って初めて、喪う事を知ったのだ。

 だから、それを誰かに味わせる事は禁忌であって、ダンの死を無意味にしてしまう事だと思っていた。

 

 だが、自分の本心は……。

 

――まだシャンヌに教えなきゃいけない事が、あったのに。

 イノリの面倒だって、自分が死んだら誰が見るって言うんだ。

 

 こんなになってまで、生きる事を諦めきれない。

 誰かを悲しませない為ではなく、生きて為したい事の為に、貪欲だった。

 

 そのふたつの差は、光の向こうに見る懐かしい笑顔に対する印象さえ、影響するものだった。

 

 本来なら迎えに来た友人に、微笑み返す場面なのだろうが、ボブは一言「くそったれ」と言ってやりたくなった。

 迎えばっかりしっかり来やがって。

 とも。

 

 まだ死にたくない。

 死ぬ訳にはいかない。

 

 こっちに来るな。

 そっちに引き寄せるな。

 と、友人を強く拒絶する。

 全身の血が沸騰するような心地で、ボブは怒鳴り散らした。

 

 勝手に逝ったくせに、ふざけんじゃねえぞ!

 

「ボブ!! 起きなさいよ!!」

 

 としたところで、鋭い声に今度こそ目が開く。

 驚いてぱっちりと開いた眼には、色白な肌を真っ赤に上気させて、こちらへ覆いかぶさるように覗き込んでいる少女の相貌。今しがた見ていた幻と良く似た彼女は、しかし幻が浮かべていた笑みとは対に当たる表情をしていた。

 その表情が崩れ、大きな目から、大粒の雫があふれ出す。

 零れ落ちた水滴が、ボブの頬でぱたぱたと音を立てた。

 

「良かっ……良かったぁぁ……」

 

 そのまま泣き崩れたイノリは、ボブの脇にずれて、頭を押さえるように蹲る。

 背を震わせて、すんすんと音を立てながら泣いていた。

 

 ボブは彼女の姿を見て、唖然とする。

 未だ思考が纏まらず、ハッキリしない。

 しかし、自分は生きているらしい事と、イノリが案じてくれた事だけはすぐに理解出来た。

 

 何やら胸の内がざわついており、彼女に対する安堵に似た安らぎと、誰かに対する怒りがないまぜになった可笑しな気分だったが……。

 

 視界の隅で泣く彼女の背を撫でてやりたい。

 そう思って身体を起こそうとする。

 しかし、身体中が痺れてしまったかのように動かない。指先ひとつ動かなかった。

 

 いや――と、悟る。

 気絶する前の状況を思い出して、身体が動かない理由を察した。

 無理矢理身体に力を籠めてみれば、激痛が走る。それでも呻く事なく、右手をゆっくりと上げてみれば、なんとか上がった。

 骨は折れていなかったか。

 そう納得して、しかし最も痛みを覚えた胸部は、無事じゃないだろうとも理解する。視線で胴体部分をなぞってみただけでも、鎧が滅茶苦茶な壊れ方をしているのは理解出来た。

 

 とりあえずしっかりと手当てをするまで戦えそうにない。

 ネコタクを呼ばないとキャンプに戻れるかすら怪しいだろう。

 

「イノリ。ティガは?」

 

 歴戦を潜り抜けた彼女が、無防備な姿を晒しているから、倒すか、ティガレックスがエリアを跨いだかだろう。

 そんな当たりをつけて問いかけてみれば、彼女は鼻をすすったあと、ゆっくりと身体を起こした。

 

「倒したぁ! もう倒したよぉ!」

 

 幼児が泣きじゃくりながら主張するかのように、投げやりに叫んで答えるイノリ。

 その言葉を聞いて、随分昔に、彼女と接した日々を思い起こす。そういえば、昔は結構な泣き虫だった。

 

 ボブはふっと笑って、身体から力を抜いた。

 痛みを覚えたが、堪えられない程でもなし。

 

「怪我は?」

「してない。ボブが死んじゃいそうになってただけぇ!」

 

 えんえんと泣く彼女は、兄を亡くした時とよく重なる。

 妹分が出来た手前、最近は毅然とした歴戦の猛者らしくなっていたが……こうしてみるとあまり成長していない。いいや、自分が思い出させてしまったのだろうか。

 

 口の中に残る秘薬の味は、何ともほろ苦い。

 これを飲ませてくれた時のイノリの姿は、きっと自分が彼女の兄にやってあげたかったものだ。

 果たせなかった自分と、果たした彼女の差は……彼女は戦う事を選び、自分は逃げる事を選んでいたから。そんな風に思えた。

 

 危ないところだったが、何とかなったらしい事に、一先ずふうと息を吐く。

 

「ありがとな。イノリ」

「……うん」

 

 交わす言葉が尽きて、思考が巡る。

 何処か重なる昔と今を照らし合わせていけば、色々と反省点が見えてくる。それが過去の過ちに対してか、今しがた自分が窮地に陥った原因なのかはよく分からなかったが、どちらにせよ今は亡き親友に聞かれたら、情けないと一蹴されるに違いない。

 

 自分に足りなかったのは、『覚悟』だった。

 

 イノリはシャンヌを悲しませない為に、死地に踏み入った。

 自分も二人を悲しませたいとは思わないし、死なせたくないから付き合ってきたが……そう、まさにその『付き合ってきた』というところが間違いなのだろう。

 

 何処か惰性で、巻き込まれたと感じていた自分がいる。

 思えば、三年前のグルメジョーとの出会いの際もそうだった。

 果たして自分が守りたいものを守るのに、他人の理由が必要なものか。いいや、そんな筈はない。守りたいという想いはボブの中にあり、その想いは方向性こそ一緒であれ、イノリとさえまるっきり同じ形な訳が無いのだから。

 

――どっちが姉だか、兄だか、分かんねえなあ。

 

 イノリを残して死んでしまった親友。

 妹分(シャンヌ)の笑顔を守る為に戦うイノリ。

 二人を残して死にかけたボブ。

 

 ダンを守れなかったボブ。

 ボブを守りきったイノリ。

 

 これでは親友共々、あまりに情けない事ばかりではないか。

 イノリの『覚悟』を理解して、自分がどうしたいかも見詰め直して、隠居したふりを続けるのも宜しくない。

 

 丁度鎧も壊れた事だ。

 倉庫で眠っている『あの頃』の装備を取り出しても、呪われたりはしないだろう。

 

 狂竜症を脱したからだろうか。

 妙に清々しい気分で、ボブは視界を埋める青空に小さく言葉を投げかけた。

 

「悪いな。そっちに行ってやれなくて……ざまあみろ」

 

 遠い空の向こうで、誰かがクスリと笑ったような気がした。

 

 

 今日は風が冷たい。

 雲をも見下ろす空の上。陽射しを遮る流線型の気球の陰りの下、転落防止用の柵に肘を置いたシャンヌは、大変退屈そうな顔をしていた。

 込み上げてくる衝動のままに「ふああ」と欠伸をすれば、唇をすぼめて「まだかなー」なんて、時間を持て余している事を隠しもしない。普段ならこういう時、小煩いハゲ頭の親父が傍に居て、『武器の整備でもやっとけ』と促してくれるのだが……ハンターのくせに言われなければ思いつかないのは、彼女が馬鹿娘と呼ばれる所以だろう。

 しかしながら、甲板を行き交う者達が同業者なら、彼女はそれとなく見栄を張って、お利口さんなハンターよろしく、武器の整備ぐらいはやっている。何処を見ても白衣を着た者ばかりだから、彼女はこうして暇を持て余す。

 

 雲海の中、大きく突き出た岩山の一部分に、シャンヌは注視する。

 他のどんな部分と比べても、さして代わり映えしない場所ではあったが、彼女はその場所をじっと見つめて「早く戻りたいなぁ」と溢す。

 

 と、したところで、誰かが後ろに立ち止まる気配を感じた。

 促されるように振り返れば、そこには金髪をオールバックに固めた堅物そうな男。着ているものが白衣で、モノクルなんて洒落たものをつけているから、辛うじて研究者に見える。

 

「今週の報告、ありがとう。一通り目を通させて貰いましたよ」

「あ、はい。どうも」

 

 畏まった言葉に、委縮する程ではないにしろ、シャンヌはしかと向き直って、小さくお辞儀する。

 

 向かい立つ男は、この古龍観測隊の大型飛行船でも、そこそこの地位にある者だった。

 ギルドとは管轄が違う相手なので、こびへつらう必要はないのだが、だからと言って欠伸をしながら気安く話せる相手ではない。しかと直立して、相手の言葉の続きを待った。

 

 研究者は生真面目か半端かどちらに転ぶか分からない見た目を真顔で維持したまま、手元のバインダーへ視線を落とす。パラパラと紙を捲って、風で飛ばされないよう風上に背を向けた。

 横顔を見る形になってしまったシャンヌは、どうぞこちらにと促されて、彼の横へ。

 ゆっくりと進みだした足は、どうやら近場の船室へ向かっているようだった。

 

「特に報告書に不備はないようだけど、相変わらず字が汚いですね。シャンヌさん」

「あはは……ごめんなさい」

 

 ため息まじりな言葉ではあるが、肩越しに振り返ってくる男の顔は、柔和な苦笑を浮かべている。

 責められているというより、からかわれているだけだった。

 

 生真面目程はいかない真面目。

 シャンヌが持つ男への印象は、そんなところ。

 

 この男こそが、グルメジョーを要観察対象に指定した人物だ。

 

 イノリの知人らしく、普段は古龍とその他のモンスターとの敷居を研究しているそうな。

 生きとし生けるモンスターの中で、最も古龍に近く、しかし決して古龍にならないモンスター――つまり、特級危険種は、彼にとって一番重要な研究対象らしく、彼がイビルジョーの研究に注ぐ熱量は、専門の研究者が驚くような論文を作り上げる程なんだとか。

 そんな彼を仰天させ、自身の書いた論文をびりっびりに破くに至らせたのが、こんがり肉大好きグルメジョーである。

 

 前例の無い『飢餓状態』からの解放。

 そして食への趣向や、飢餓に至らず、暴食もしない自制能力。

 

 それらに強く関心を持った男は、一度グルメジョーを直に観察し、『イビルジョーの進化個体』ではないかと考察した。

 しかし、グルメジョーは身体こそ大きいが、身体的特徴は通常種と全く同じであり、飢餓状態からの解放も証明出来なかった――男はイノリの話を信じてはいるそうだが――。自制能力についても、目で見ればシャンヌを特別視しているのは確かなのだが、数字に直してしまうと繁殖期のそれと同じ。

 結果、論文に纏める事は叶わず、今はまだ『奇行種』ぐらいの認識に留まっている。

 だがもしも、グルメジョーが特別な個体であると分かれば、彼を研究する資金、資材が増える。それは別に、彼個人を助けるものではなく、研究が進み、どういう生い立ちで彼がグルメになるに至ったかを解明出来れば、世のイビルジョーが無害になる可能性を秘めているのだった。

 

 シャンヌには小難しい話が分からず、研究そのものもどうでも良かったが、ジョーの存在が特別になれば、彼やその同胞を『特級危険種』という枠組みから救う事が出来るかもしれないと言われて、自ずから協力を申し出た。

 イノリやボブには申し訳なかったが、グルメジョーこそがシャンヌの原点であり、ハンターとして活動する理由。だから、彼を救えるのなら、出来る限り尽力したいと願った。すると仲間達は、一定の目処がつくまで好きにして良いと言ってくれたのだ。その為に必要な天空山へ常駐する許可等も、ギルドに取り付けてくれたのだから、ふたりには足を向けて寝られないだろう。

 

 協力する内容は簡単。

 多忙な男に代わって、グルメジョーの生態観察日誌をつける事だ。

 そして週に一度、こうして古龍観測隊を訪れ、報告する事。

 

 願ってもない――と、思ったのは今は昔。

 風呂が一週間に一度、こうして観測隊を訪れた時にしか入れないのは、年頃のシャンヌにとって苦痛だった。

 ジョーとの日々はとても楽しく、快適ではあるのだが、もう少し人間らしい生活がしたいと思ってしまうのは、果たして欲張りなのだろうか……シャンヌは割と真剣に悩んでいた。

 

「まあ、生態観察は忍耐勝負だからね。とはいえ、キミの報告はこと細やかで助かってるよ。些か主観混じりなのは気になるけど……見てて飽きないしね」

 

 飛行船の船室のひとつ。

 男とシャンヌは、テーブルを挟んでココアを飲んでいた。

 

 久々の人間らしい飲み物に破顔しつつも、「すみません」と笑って誤魔化すシャンヌ。

 そんな彼女を、まるで駆け出しの新人を見守るように、苦笑混じりで優しく接する男。

 

「折角だし、報告書の作り方は覚えておくといいですよ。ハンター業だからこそ、いつまでも健康でいられるとは限らない。不意の怪我で辞めざるを得なくなった時、研究者やギルドの職に就く者は少なくないと聞く……キミはまだ若いが、今から備えておいて損は無いだろうね」

 

 それは男の親切だった。

 少なくとも、シャンヌが腹の内で『面倒臭いなぁ』と思いつつも、提出した報告書の手直しは間違いなく後学の為になる。そこばかりはお馬鹿な彼女にも分かるもので、報告会は報告書の手直しを兼ねて行われた。

 

 一枚の紙を取り上げる。

 それは今から五日前の記録だった。

 

「この日は『アプノトスを三頭食べました』と記述があるけど、これは全て焼いたのかい?」

「あ、はい。私がこんがり肉Gにして食べさせました」

「ふむ。成る程」

 

 男はそれが記された部分の端に記載されているシャンヌの補足事項を、人差し指で叩く。

 

「これは良い補足だね。『イノリちゃん発注のクエストでただのこんがり肉をあげたら、五頭分は要るようでしたが、私があげたものでは三頭分でお腹一杯のようでした』ってところ。普段との差異が明確だ。こういう補足はどんどんして欲しい」

 

 にっこり笑顔で言われる。

 しかし、記述してある事がどうにも子供っぽい書き方に思えて、自分で書いた事ながらシャンヌは何処とない気恥しさを覚えた。

 そうして称賛を素直に受け取れないままでいると、男は「だけど」と言って、指を上の方へ。

 

「朝の部分、『よく眠れたのかな』はダメ。推測はそのまま書かずに、よく眠れたと思うのなら、どうしてそう思うに至ったか、グルメジョーの変化を書いて欲しい」

「は、はい……」

 

 成る程。

 男の指摘はもっともである。

 

 言われて漸く、シャンヌは理解した。

 前回までは『慣れないうち』でなあなあで済ませてくれた男だったが、こうして指摘され始めると、自分がジョーの生態観察を任されているのだと改めて認識する。

 パーティを離れる際、イノリに言われた事が頭を過る。

 

――貴女が、ジョーの命運を握ってるの。

 

 そうだ。

 自分がしっかりしなくちゃ、ジョーの研究は進まない。

 シャンヌは背を正す心地で男の手直し授業を受けた。

 

 と、そんなこんなで半刻程経過して。

 一息がてら、男がココアを淹れ直そうと言った時だった。

 

 彼はハッと思い出した様子で、報告書の手直し内容を記したメモとにらめっこしているシャンヌを振り返った。

 

「そういえば、キミに手紙が来ているそうだよ。イノリさんから」

「手紙?」

 

 男に郵便屋さんの確認を勧められて、シャンヌは忘れないようメモに記した。

 

 

 シャンヌへ

 

 遺跡平原で狂竜症、並びに極限化が確認されました。

 これがどういうものかは知ってるよね? 天空山にシャガルマガラが現れる可能性があります。

 少しでも大気に異変を感じたら、ジョーを連れて逃げる事。逃げ遅れると、貴女もジョーも無事では済みません。警戒して下さい。

 私とボブは、ゴア・マガラの追跡をしています。

 討伐出来れば良いけど、間に合う保証もありません。

 もしも天空山にシャガルマガラやゴア・マガラが現れた場合、間違っても討伐には行かない事。極限化が確認されている以上、G級の個体である可能性が極めて高い状況です。貴女一人、貴女の装備では、到底敵いません。

 脅かす訳じゃないけど、ボブが極限化したティガレックスに踏み潰されて、死にそうになっていました。幸い、彼は無事ですが、上位装備が大破したので、G級の装備に切り替えるそうです。

 それ程の相手です。

 命のリスクが大きすぎます。必ず退避を優先する事。

 

 最後に。

 言いたくないけど……もしもジョーが狂竜症に侵された場合、彼からも逃げる事。

 狂竜症に侵されたモンスターは、命に見境がありません。それはジョーとて、例外ではないでしょう。

 

 貴女がジョーを大切に思うように、私とボブも貴女を大切に思っています。

 私達も尽力しますが、もしもの際は、どうか貴女の命を大切にして下さい。




小説に手紙を出すと書き方にすげえ困る説。

例)
 シャンヌへ
 シャンヌへ。

どっちが正しいのか謎。
そもそも手紙を出す事自体反則か、はたまた表現の自由で許されるのか、独学だとほんとこういう時困りますね。

あと、ボブが踏み潰されたシーン、5000字くらい没。
あっさりやられる問題でぷち炎上したから書いてたんだけど、よくよく考えたらボブって最初っからやられ役だった。


隙あらば変なおっさん増やすのやめーや、わたし。


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アフターストーリー その三

 ひんやりとした空気に、薄く黒い靄が流れていた。

 それは一目に良くないものだと分かり、目にした少女は慌てて火をおこした。

 

 揺れる、揺れる、靄。

 吸い込まれるようにして火に至り、何の音もなく燃える。

 焚火の紫煙に紛れれば、目視は叶わない。それが唯一、靄をかき消す方法だと教わった。

 

 ぴちゃん、ぴちゃんと音が響く洞穴。

 静かにジャキリと音を立て、武器を取る少女は、抜身の刀身に己を映す。そこで目が据わってしまっている自分の表情に少し驚いた。

 こんな状況でも臆していない。

 手紙には自分の師匠が負傷したと書いてあったのに、全く怖くない。

 

 大丈夫。

 きっと大丈夫。

 

 避難する手筈は既に整えている。

 

 ふうと息をついて、整備された武器を確認した少女は、それを背に。

 寝息を立てている筈の相棒を起こそうと目をやって――そこで、少女の時が止まる。

 

「ジョー……さん?」

 

 既に開いていた瞼の下。

 映る瞳は、いつか散らした自分の血よりも、深い紅を宿していた。

 

 

 強烈な咆哮が上がる。

 その声に片耳を抑え、男は苦悶の表情を浮かべた。

 踏ん張らねば本能的に閉じてしまいかねない瞼の先、視界の果てで大きな土煙が上がっていた。

 

「イノリ! 潜ったぞ!!」

 

 土煙がぐわんと動く――いや、走る。

 一直線に向かう先には、重量級の銃器を畳み、背に負う少女。そのまま彼女が横っ飛びに身を投げ出した瞬間、大地が爆発した。

 

 とすれば、轟と唸る風を感じた。

 

「ボブ! レウス来てる!」

「くそったれが!!」

 

 力任せに大剣を振り上げた瞬間、半端に上がった腕へ、半端ではない重量がかかる。

 思わず膝を崩してぐっと耐えた。

 

 面を上げれば、目と鼻の先でぐわっと開いた飛竜の口腔。

 その喉奥から緋色が漏れ出して、次の瞬間にはどっと溢れた。

 ボブの身体が炎に包まれる。

 しかし、彼は苦悶の声を上げるどころか、身じろぎひとつしない。

 

 やがて上がる、猛々しい怒号。

 

「うぉぉっらぁ!!」

 

 纏った火をまるで己の力に変えるかのようにして、リオレウスの巨躯を大剣越しに投げ飛ばす。弾き飛ばされた飛竜は羽ばたき数回で耐え、何故己の火が効かないのかと訴えるように声を上げて威嚇した。

 そこへひゅんと飛んでくる飛来物。

 

「ナイス!」

 

 ボブはそう言って、近い左手を寄せて、フェイスガードの上から視界を塞ぐ。

 

 刹那、閃光。

 それと同時に、飛竜が苦悶の叫びと、緩い地鳴り。

 

 左手を退けたボブは、イノリの方向を一瞥。

 こちらへ閃光玉を投げた筈の彼女は、既に地面へ片膝をつき、銃器の砲口を地に落ちた飛竜へ向けていた。その彼女の背後では、大地を走る悪鬼とも謳われた筈の角竜が断末魔をあげている。

 一体どんな早業か。

 流石はメゼポルタで認められた天才少女といったところか。

 

 負けじとボブも素早く距離を詰める。

 大剣を振り上げ、ぐっと力を凝縮。

 イノリの掃射が抉っているリオレウスの顔面へ、最大まで溜めた渾身の一撃をぶちかました。

 

 ズドン。

 鈍い音が鳴って、手にはほんの少しだけの抵抗を感じただけだった。

 

 眼下で、狂気に満ちていた火竜の目から光が消えた。

 頭に数十発の銃弾を受け、更に額を大剣でかち割られては、不死身にも近いと言われるモンスターの生命力もただの御伽噺と言える。数秒の間もなく絶命した。

 

 叩きつけた刃をそのままに、ふう、ふう、と熱い吐息を吐き出す。

 凍り付いたかのように動かない自分の身体からは、しかし自らの肌でさえ感じる程の熱気が溢れ出している。呼吸の音も大きく、唾液を無理矢理飲み込んで初めて、辺りの音が静寂と化している事を知った。

 腹の中を空っぽにするように、大きな溜め息をつく。

 それと同時に、身体から力がふっと抜けた。

 

「きっついぞこれ……今、何連戦だ」

「今ので七頭目。私もそろそろ弾がヤバい」

 

 疲労困憊の身体を何とか動かし、大剣を膝に乗せる。

 火球をもろに食らったが、回復よりも先に武器を整えねば……そう思って砥石をあてがった。

 ちらりと視線を向ければ、相棒もヘビィボウガンを畳み、ポーチの中身を確認している。おそらく残弾を数えているのだろう。四頭目を討伐した際に一度キャンプへ戻ったが、普通のハンターなら持ち込み分で一、二頭を倒せれば良いところ。それを三頭以上持たせているのだから、如何に彼女の狙いが的確かが良く分かる。尤も、この事態を想定して、彼女は普段担いでいるライトボウガンではなく、一発当たりの効率が良いヘビィボウガンを持ってきたと言っていたが。

 

 極限化ティガレックスと相対してから半月。

 ボブの傷が癒えてすぐに舞い込んできたのは、ゴア・マガラを捕捉したという報せだった。

 流石は一度かの竜の討伐へ導いたキャラバン。何とも早い仕事だ。

 しかし、その情報の正確さは、一周回って欠点だったかもしれない。

 

 かの黒蝕竜は未開の地の先にて、昇華しつつある。

 まるでそれを守るかのように、狂竜化した大型モンスターがそこいら中で争い、虐殺行為をしている。

 大型モンスターは確認されただけでも七頭。いずれも歴戦のハンターですら受注を躊躇う顔ぶれだった。

 

 ゴア・マガラの討伐クエスト。

 場所は舗装すらされていない未開の地。

 更に大型モンスター七頭が乱入する可能性あり。

 おまけに狂竜症を発症している。

 

 これを真っ先に受注したイノリとボブは、自殺志願者ではないかとさえ言われたものだ。

 勿論、他の自殺志願者は居る訳がなかった。

 

「カブラ亜種、ガララ、ガルルガ、桜、ジン、ディア、レウス……」

 

 指折り名前を読み上げていったイノリは、よしと言って頷いた。

 

「これで確認されてた七頭は終わったね」

「今からゴアの討伐とか……正気かよ。マジで」

「正気じゃないでしょ。出発前に私もボブも頭可笑しいって言われたじゃない」

「ああ。可笑しいのは俺等か」

「そうそう」

 

 いやはや、七頭もの猛者を倒して尚、平然とした顔のイノリは、本当にいよいよ気が触れてしまったのではないかとボブは思う。そんな彼女に必死の形相で着いて行く自分もまた、末期なのだろう。

 とはいえ、仕方ない。

 大事なものを守ると決め、腹を据えたからには、男として引く訳にいかないのだ。

 

 その為なら、親友と共に駆けた証である炎王龍の装備を引っ張り出すし、市場でバカみたいな値段がついていた伝説の黒龍の素材から作られた大剣でさえ、惜し気もなく振るう。

 出来れば老後まで取っておいて、見合ったこの装備一式を肴に、酒を嗜みたかったのだが……最早そこかしこ傷だらけで額縁は似合わないだろう。もうこんな希少価値の高い装備を作る機会は無いだろうし、とんでもなく勿体無い事をしている気分だった。

 

 なんて、そんなやれやれ系のおっさんの感想はさておいて。

 ボブは研いだ大剣を背に担ぐと、フェイスガードを上げて、自らの頬を軽く張った。

 

「イノリ、弾の調合は?」

「済んでる。並みのG級なら、残弾でギリギリ何とかなるよ」

「おう。ここまで来て逃がすわけにいかねえ。急ぐか」

「ええ」

 

 休憩もそこそこ。

 新たな感染モンスターが現れないうちに、先を急ぐ事にした。

 

 暴れていた大型モンスターを討伐すると、森は恐ろしい程に静かだった。

 それは決して平穏からくる静けさではない。虐殺の果てに、狩られるものが失われた世界……そう、生態系の崩壊だ。

 ケルビ一頭見かけない。

 それが姿を潜めているだけなら良いのだが、もしも狩り尽くされてしまったのであれば、この地の生態系が元通りになるのに一体どれ程の時間を要すのか。

 

 惨たらしい死骸の山を幾つも通り過ぎ、やがて一つの洞窟へと至る。

 観測隊が調べてくれた情報からすると、ゴア・マガラはその洞窟の奥へ消えたという。他に出口らしい洞窟は見当たらなかったそうなので、そこがかの竜の寝床と推測される。

 洞窟の入り口周辺は、薄い瘴気が立ち込めていた。

 何度かの往来を示すように、入り口の前は草の一本すら生えていない。全て瘴気で枯れ果てたのだろうか……。木々は薙ぎ倒された後、周囲へ放り投げられた跡があった。

 

「随分大型みたいね……」

 

 それらの痕跡を見て、イノリはそう零す。

 ボブも頷いて同意した。

 

 ゴア・マガラの生態は未だ謎包まれている部分が多い。

 討伐報告もあまり多くはなく、サイズ情報も『リオレウスと同等』というぐらいしか分かっていない。

 だが、かの竜が歩いた時に薙ぎ倒されたらしい木々の間隔を見るに……最大級のリオレウスよりも一回り、いや、二回りは大きいか。

 かつてゴア・マガラと相対した事があるらしいイノリも、その大きさには目を見張っていた。

 

「ギルドから金の最大認定書が貰えそうね」

「ああ。生きて帰れたらな」

 

 まあ、死んでやる予定も無いのだが。

 

 お互いのポーチの中身を確認し、作戦の最終確認へ。

 洞窟の中は狭すぎる為、音によっておびき出し、この広場で迎え撃つ。

 陣形は当然ながら、ボブが前衛を務め、イノリが後衛。

 ゴア・マガラの主な知覚器官である角の破壊はイノリが務め、ボブは成る丈前足を斬りつけて転倒を狙う事になった。

 

「ゴアのブレスは空中の瘴気に引火するから、縦にも横にも段々で広がってくる。巻き込まれないようにしてね。狂竜症になった時はより強く知覚されるから……」

「じゃあ、いっそ掛かっちまった方がいいか?」

「ううん。掛からない方がいい。ゴアは目が無いから、何かあった時に閃光玉で助けるって事が出来ないし」

「了解。まあ、精々こそこそしつつ、敵意を稼ぐようにする」

 

 このイノリというハンターの最大の武器は、情報。

 改めて三年という時間を共にして、ボブは常々そう感じていた。

 彼女の知識量は下手な図鑑より広く深い。

 それがあるからこそ、彼女は最小限のリスクで最大限のリターンを得る。ガンナーらしいというか、何と言うか。

 

「お願いね」

「おう」

 

 果たして彼女の『お願い』は、何処まで見越した『お願い』なのか。

 そう考えると、頼もしいのと同時に、末恐ろしくも思う。

 いつもなら『無理をするな』と忠告してくるところだろうに。それが無いのは、偶には無理でも無茶でもしやがれという事だろうか? まあ、逃がす手は無いと言ったのはボブ自身だし、相応の根性を見せるつもりではあるが……。

 

「んっ」

 

 としたところで、イノリがハッとした様子で洞窟を振り返る。

 つられてボブも倣うが、特に違和感は覚えない。

 いや、イノリが反応を見せたという事は、何かがあったという事。

 

 ボブはゆっくりと大剣の柄を握った。

 

「来るのか?」

「多分。こっちの存在に気付いてるかも」

 

 心なしか、瘴気が濃くなったように感じた。

 

 と、その感想を抱いた瞬間だった。

 ボシュッという空気の抜ける音がしたかと思うと、洞窟の奥から何やら黒い塊が地を這ってきた。

 

「ブレス! 避けて!!」

 

 イノリの声を聞くや否や、ハッとして回避行動をとる。

 身を翻す事、二回。

 先程まで佇んでいた広場の隅に、黒い霧のような塊が漂っていた。

 

 成る程。

 ブレスは爆発し、気化するようだ。

 恐らくあれに触れると、極限化したティガレックスと相対した時のように、狂竜症に侵される訳だ。

 

 ボブの理解が進んだ頃を見計らったように、洞窟の奥から一定間隔の地鳴りが聞こえて来た。

 がらんどうのような洞窟の最奥から先ず目に留まったのは、紫色の角。そして、金色の体表だった。

 

 そこでふと、疑問が宿る。

 

 金色?

 

 ギ、ギギャ。

 と、可笑しな音が聞こえた。

 一歩ずつこちらへ迫りくる歩調こそ一定なのに、その頭部は不気味に、不規則な揺れ方をしている。壊れかけたブリキのように、ギギャ、ガゴッと、いびつな音を立てていた。

 雄々しく発達した角は、知覚器官が最大まで成長している証。しかし、しかし……どういう事だ?

 

 ボブは思わず「イノリ」と知恵に優れた相棒を呼んだ。

 大剣の柄を握る手を硬くし、腹の底にぐっと力を籠めて、吐き出す。

 

「アレは……何だ?」

 

 そのゴア・マガラは、正しく異形の姿をしていた。

 図鑑の情報で見られたゴア・マガラの姿は、黒と紫色だった筈。イノリから聞いた情報でもそうだった。

 確かに、それらの情報に基づいた部分は多い。左半身は殆んどが黒と紫であり、発達した角も片方は禍々しい紫色だ。

 そう、片方は。

 

 そのゴア・マガラの右半身は、紫の鱗が削げ落ちたかのように、金色の体表をしている。

 それは……その色は……。

 

「あれ、シャガルマガラじゃねえのか?」

 

 恐る恐る、先程のブレスを反対側へ回避した相棒へ、視線を向ける。

 すると、その先で、彼女は唇をわなわなと震わせていた。

 

「違う……」

 

 そして、そう零す。

 じゃあ、あれは何だ。

 と聞こうとした矢先に、彼女は震えた声で、答えを寄越した。

 

「渾沌に呻くゴア・マガラ……進化を、抑圧された個体」

 

 進化を、抑圧?

 一体、誰が……。

 

 問おうとした矢先に、やはり彼女は答えた。

 

「シャガルマガラは……既に、天空山にいる」

 

 その絶望したかのような声に、ボブは短く「は?」と聞き返す事しか出来なかった。

 それはつまり……つまりだ。

 

「私たちは、ハズレを引いたって事よ!!」

 

 泣きそうな声を上げて、イノリがボウガンを構えた。

 

 

 これは、一体、どういう事なの?

 ジョーの休眠に合わせて眠ったシャンヌだったが、眠りについたのは朝方だった。深く眠っても、空には真白の光があって然るべき時間に起きた筈だった。

 いいや、起こされたというべきなのかもしれない。

 

 煌々と光が降り注ぐ筈の天空山。

 しかし、ジョーと共に過ごす洞窟から出てみれば、辺りはどす黒い霧に覆われており、天頂の陽光は霞がかって見えた。

 先程目にした嫌な瘴気は、既に辺り一帯を覆い尽くしているようだった。

 

 ふと、背後から気配を感じる。

 ハッとしたシャンヌは振り返り、急いで洞窟の入り口へと駆け戻った。

 

「ジョーさん! ダメ。外に出ちゃダメ!」

 

 そう言って、刺々しい顎に触れる。

 成る丈優しく、鼻先を撫でた。

 

 するとそのイビルジョーは、「グォ」と小さく鳴いて、やや頭を垂れる。

 ふう、ふう、という息遣いの際に、白い吐息を吐き出していた。

 

 どうしよう。

 シャンヌは迷う。

 恐らくこの瘴気は、イノリが手紙で忠告してくれた内容だ。

 しかし、いざ避難しようと思うと……。

 

「大丈夫。大丈夫だから……お願い、ジョーさん。自分をしっかり持って」

 

 縋るように見つめた彼の目は、深紅を宿す。

 それはイビルジョーという種において、あってはならない色。

 イビルジョーという生き物が、自制の全てを捨てて、死の果てまで怒り喰らう存在へ移る予兆。

 

 その姿を見るのは、これで二度目。

 一度目は奇跡的に助かったが、その時も『元に戻った』とは言い難い。

 あのモノクルをつけた研究者曰く、ジョーはあの時、一度死んでいる。生命活動を停止し、飢餓の欲求が無くなった事で、奇跡的に復活した彼は、飢餓から解放されていたのではないかと、そう言っていた。

 あくまでも予想ではあったが、それはあの時の状況を考慮すれば、最も正解に近い内容のように感じられる。

 

 果たして、今、このジョーが再度飢餓に陥った場合、元に戻る事は望めるのか?

 いいや、そんな事、起こらないに越した事はない。

 

 そもそも、どうして飢餓の予兆が出ているのかが分からない。

 食事は定期的にしっかりと取っていたし、体内のエネルギーを無駄遣いする事も無かった。他の大型モンスターと相対する事も、この一週間ではなかった筈なのに……どうして……。

 

 震える手で、ジョーの口の端を撫でる。

 漏れ出す吐息は、酸の匂いが強く、高温を宿していた。

 それらは全て、イビルジョーが戦闘態勢に入っている事を示している。

 

 イノリの指示に従うなら、ジョーを置いて逃げるべきだろう。

 狂竜症に侵されているようには見えないが、飢餓状態へ変化しかねない様子の彼を、他の地へ動かす事は望ましくない。それは確かだ。

 そして、もしも飢餓状態に陥った場合、真っ先に餌食になるのはシャンヌの可能性が高い。彼が我を忘れて襲い掛かってきた場合、自分は彼を止められない。彼を傷付けたくないという思いもあるが、何よりジョーの強さに、自分が及んでいないからだ。

 彼がその気になれば、シャンヌはあっという間に喰い散らかされるだろう。

 

 分かってはいる。

 だけど……。

 

 シャンヌはジョーに歩み寄って、前足の下から、優しく抱擁した。

 熱い程の体温と共に、力強い鼓動を感じる。

 それは確かに、ジョーが生きている証。

 三年前、一度失われたかもしれない命の証明。

 

 あの時、失っていたかもしれないと思うと、胸の奥がキリキリと痛む。

 また失うかもしれないと思うと、それだけで涙腺が緩んで、視界が滲む。

 

 嫌だ。

 ただただ嫌だ。

 

 子供染みた我儘だ。

 もしかしたらボブやシャンヌ、田舎の家族に同じ痛みを味合わせるかもしれない。

 分かっている。分かってはいる。

 だけど、それでも嫌だった。

 

「ジョーさん。中に戻ろう? ご飯はわたしが取ってくるから、この霧が晴れるまで……」

 

 逡巡の末に出した結論を伝える。

 言葉が正確に通じているとは思えなかったが、最近は少しだけ意思疎通が出来ているような気がしていた。成る丈ゆっくりと言葉を吐き出して、彼に此処へ留まって欲しいと言った。

 

 しかし、その時だった。

 不意に大気の流れに大きな変化を感じた。

 まるで近くで風が起こっているような、そんな気配。

 ふとすれば、ばさり、ばさりという羽ばたきの音が聞こえてきて、やがてずしりとした地鳴りが響く。

 それに促されるように振り返ってみれば、ただでさえ暗い景色の中でもくっきりと分かる巨大な影。

 ハッとしてシャンヌが顔を上げた瞬間、再度大気が震えた。

 

「グゥオオオ!!」

 

 強烈なバインドボイス。

 それは目前の影の主ではなく、シャンヌの背後から轟いていた。

 

 思わぬ咆哮に咄嗟に耳を押さえて蹲れば、巨大な気配が自分を追い越していく気がした。

 

「待って! ジョーさん。ダメ!」

 

 シャンヌが面を上げれば、ジョーは既に崖へ後ろ脚を突き立てており、追い縋ろうとした手の届かぬうちに、駆け上がってしまう。

 

 待って。ダメ。

 ダメだよ。ジョーさん!

 

 強烈な焦燥感に襲われる。

 この状況下での外敵の襲来だなんて、明らかに普通じゃない。

 ジョーがこの地で暮らし始めてから三年以上。既にここら一帯は彼の縄張りとして認知されており、他所で自身の住処を追われたモンスターぐらいしかやって来ない筈だった。

 

 脳裏に過ぎるのは狂竜症の症状。

 観測船でモノクルの研究者が教えてくれた事で、最も印象的だったのが、『命が尽きるまで虐殺を繰り返す』という点。それこそ飢餓状態のイビルジョーと同じく、その地全ての生き物を滅ぼさんと暴れ回るのだ。

 それが狂った竜と称されるウイルスの症状。

 そして何より恐ろしいのは、狂竜症は発症したモンスターからも伝染する事。

 もしも外敵が狂竜症を発症していれば、相対したジョーまでもが狂竜症に侵されかねない。

 

 シャンヌは洞窟の入り口まで戻り、狩りに必要なものを纏めたポーチとスラッシュアックスを取り上げた。

 幸い防具は着用したまま過ごしている為、問題はない。いや、その防具の弱さには一抹の不安を覚えるのだが、言っても詮無い事だ。

 

 念の為ポーチからウチケシの実を取り出して、それを握りしめながらジョーの後を追う。

 彼は崖を蹴上がったが、シャンヌは迂回して幾つかの段差を登らなければいけない。その一つ目に手を掛けたところで、リオレウスのものらしき咆哮と、呼応するかのようなジョーの咆哮を聞いた。

 いけない。

 もう戦闘が始まろうとしている。

 急いで段差を登った。

 

 そうして少しばかり開けた大地へ出た時、シャンヌは息を呑んだ。

 

「うそ……」

 

 先ず目に留まったのは、リオレウスの異質さだ。

 身体が、黒い。

 体表は原種のリオレウスらしく、赤い鱗を纏っているのだが、その色を覆い隠す程の濃度で黒い霧に覆われている。いや、覆われているというより、纏っている? 身体から染み出ているようにも見えなくない。

 体格は普通のそれ。特に大きくも小さくもない。

 だが、その攻撃は規格外だった。

 ジョー目掛けて放たれた火球は、彼等の翼と同じくらいの大きさをしていた。

 

 そしてその火球を受けるジョーもまた、異質な姿になっていた。

 赤い眼光を宿した目は、いつか見たどす黒いエネルギーで覆われており、口腔から高熱を示す湯気を常時吐き出している。それだけじゃない。背中の筋肉が大きく隆起し、体格がいつもの二回り以上膨れ上がっている。いつか負った傷がいくつか開いてしまったのか、真っ赤な血が体温で蒸発し、赤黒い蒸気を纏っていた。

 

 火球を、真っ向から喰らう。

 

「グォオオ!」

 

 ジョーが喰い破るように火球を食めば、彼の口内で大きな爆発が起こる。しかし、それで怯んだ様子はない。

 そのまま貪食の恐王の名を示すかの如く、飛び上がり、赤き竜の喉元に喰らいついた。

 

 墜とされんと身を翻すリオレウスだが、ジョーの後ろ脚がかの竜の後ろ脚を捉えると、荷重に耐えきれる筈もない。力強い羽ばたきも虚しく、地面へ墜落した。

 大地へ墜ちたリオレウスの翼を、ジョーの余った後ろ脚が押さえ込んだ。

 首を捉えていた顎を離し、脚を押さえていたもう一方の後ろ脚を振り上げ、腹を踏む。そこでリオレウスの決死の火球がジョーの顔面を焼いたが、怒り喰らう恐怖の王に、その火球はあまりに非力。

 再度首に喰らいついたかと思うと、そのまま肉と骨を断つ嫌な音を立てながら、ゆっくりと頭部を引きちぎる。やがてリオレウスが完全に沈黙すると、血の滴る頭部を明後日の方向へ放り投げた。

 

 己の狩りに満足したのか、恐王は轟と吼えた。

 

 一部始終を見終えて、シャンヌは絶句する。

 ジョーが規格外の強さをしているのは知っていたし、実際に狩りの風景を何度も見て来たが……ここまで圧倒的ではなかった。まさか硬い鱗を持つリオレウスの首を引きちぎるだなんて、己の目を疑うような光景だ。

 いや、それよりも……。

 

 嫌な汗が止まらない。

 あのリオレウスの異様さは一目瞭然。恐らく、あれが狂竜症。

 それと相対したジョーの状態。あれは仮に狂竜症でなくとも、飢餓の状態ではないのか? いいや、あれからイビルジョーの生態について深く学んだシャンヌは、それが疑いようもなく怒り喰らうイビルジョーの姿だと分かってしまう。

 

 まさか。

 そんな。

 

 何故という疑問が頭を過ぎるが、どんな疑問も目に映る現実の前では意味の無いもの。

 深く愛したグルメジョーは、再び飢餓の果てへ身を落とした。

 それが事実であり、現実。

 

「ジョー……さん?」

 

 小さくぼやく。

 すると飢餓の果てに至った恐王は、ゆっくりとこちらを向いた。

 肥大化した身体は返り血すら蒸発させる高熱を放ち、寒冷地であるこの地の大気を白く染める。不気味な両の眼を覆う黒い稲妻に似たエネルギーはバチバチと音を立て、静寂を取り戻したこの大地に唯一の音を鳴らす。

 いいや、シャンヌにとっては、どれもが違う。

 彼の姿は溢れ出した涙で滲み、竜エネルギーが立てる不気味な音は、煩い程に跳ねる心臓の鼓動が邪魔をした。

 

 向かい合って、改めて感じる種族の壁。

 人間はこんなにもちっぽけで、イビルジョーという生き物はあんなにも強大なものなのか。

 彼と心を通わせたいと思った自分も、彼を救いたいと思った自分も、なんて愚かで、浅はかで、不遜な事を考えていたのだろう。

 

 恐怖で膝が笑う。

 死への恐怖感は勿論あったが、それだけではなかった。

 優しかったジョーが飢餓へ身を落としてしまった事、彼が狂竜症にかかったかもしれないという事、どちらにせよ救いが無いように感じてしまう事……それらを気に病む事が、そもそも不遜であると思い知らされてしまった事。

 何もかもが悲しくて、胸が痛い。

 

 ゆっくりと膝を折れば、そのまま蹲ってグッと胸を押さえた状態から、動けやしない。

 ずしり、ずしり、と、ジョーが近付いてくる音が聞こえてくるが、動けない。

 

 落とした視線の先に、巨大な影。

 そこへぼとりと何かが落とされて、漸くハッとした。

 

 赤黒い血肉。

 本来ならそのまま喰らってしまえる筈の、大きな肉の塊。

 恐らく先程倒したリオレウスの肉片だろう。

 

 ゆっくりと視線を上げれば、凶悪な赤い眼がじっとこちらを見ていた。

 その口腔は絶え間なく涎を垂らしている。

 そんなに腹を空かせているのに、眼下の肉に微塵の興味も示さない。

 

 まるで、何かを言われているような気がした。

 

――焼いてくれないか?

 

 それは、微かな希望だった。




約一年ぶりだ……。
更新に時間掛かって申し訳ないです。
アフターだからって気抜いてたら書式忘れちまったよ……。
このままじゃいつまで経っても終わりそうにないので、頑張って終わらせます。ちゃんと終わらせますとも、ええ。

質問来そうなので先手打ちますが、渾沌マガラは過渡期ではないです。
なんて、モンハンマニアしか知らなそう。
過渡期と呼ぶ人も多いとか。

相変わらず役立たずなシャンヌちゃん。
いや、彼女は肉を焼く事だけが使命だから。
何で犠牲者リオレウスばっかなん。
わかんね。気が付いたらレウスが喰われてる。

多分次のページでアフターも終わります。
ぶっちゃけ剥けゴマの件必要なのか? ってすげえ葛藤したんだけど、ハンターがシャガル討伐するなら普通にMH4やりなさいよって話。つまり次話はそういう事。


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アフターストーリー その四

 声が聞こえた気がした。

 何処か茶目っ気を秘めた初老の紳士のような声で、『心配するな』と。

 次いで『必ず戻る』、『また旨い肉を焼いてくれ』と、そう言われた。

 

 飢餓に身を落としたかに見えたジョーは、シャンヌに肉を渡すなり、すぐに踵を返してしまった。

 まるでいつもの晴天を恋しがるように、空を仰ぎ見たかと思えば、大きな咆哮を一度。その後やおら振り向いたかと思えば、口角をにぃと吊り上げて、再び前を見やる。

 そうして、グルメなイビルジョーは巨大な地鳴りと共に去って行った。

 

 その背を、シャンヌは即座に追えなかった。

 彼が飢餓状態へ変貌したと思った事、狂竜症に感染してしまったかもしれないと思った事、それらへの恐怖心で腰が抜けてしまっていたのは勿論。何より、彼の咆哮と共に聞こえてきた誰かの声が、脳裏に深く響いてしまって……いいや、それがジョーの想い()だと確信出来てしまって、深く混乱した。

 必ず戻るとは、果たして何処へ行くつもりなのか。

 心配するなとは、どの状況を指しての事なのか。

 自分はここで肉を焼いて待っていろとでも言うのか。

 それらの考察が答えを得ないまま、シャンヌは静けさを取り戻した広場の中央で、ゆっくりと立ち上がる。

 

 先程は肝が冷えていたというのに、今は上気する程身体が熱い。

 心臓が強く脈を打っていて、目の焦点が合っていないような気がした。

 

 ふと視界に留まるジョーが残して行った肉の塊。

 狂竜症に侵されたリオレウスのそれは、見た事が無い程どす黒い。ただ、狂竜症が何たるかを聞かされた時、熱に弱く、火を通せば問題なく食べる事が出来るとは聞いた。

 まさかジョーがそこまで知っているとは思えない。

 仮に彼が本当に焼いてくれと言ったとするなら、それは狂竜症がどうのではなく、彼がグルメである事、ただそれだけの話だろう。

 

 そうだ。

 ジョーはグルメだ。

 グルメであればこそ、ジョーなのだ。

 

――だったら、私は?

 

 震える手が、腰に差した短いナイフへと伸びる。

 ベルトに固定した鞘からゆっくりと引き抜いて、その白銀の刃に己の顔を映す。

 涙の跡が色濃く残る情けない顔。この表情を自分で見るのは珍しかったが、ボブやイノリ、そしてジョーには何度も見せてきてしまった。

 ハンターになる前の頃から、大して変わっちゃいないこの情けない顔を。

 でも、ジョーは認めてくれた。

 旨い肉をと、言ってくれた。

 

 ひゅんと音を立てて、ナイフを肉の塊へと向ける。

 

 手に馴染んだ剥ぎ取りナイフ。

 何百、何千と見てきた血肉の塊。

 

 それらを前にして、唐突に胸の鼓動が静かになる。

 周囲の嫌な空気も気にならなくなり、腹の底から頭のてっぺんへ向けて、熱の塊が抜けていくような感覚を覚えた。

 

 ああ、そうだ。

 肉を焼く時は、何時だって周りが見えなくなる。

 深く深く集中して、至高のこんがり肉を焼いてやろうと思うんだ。

 

 私はただのハンターじゃない。

 イビルジョーからグルメを教わり、肉を焼く事に労力を惜しまなかったハンターだ。

 誰が言ったか肉焼き部隊。

 焼いているのは私だけなのに、パーティーの象徴にまでしてしまった。

 だけど、私が焼くこんがり肉は、飢餓のイビルジョーさえもが欲しがる逸品なんだ。

 

 焼いてやろうじゃないか。

 至高の逸品を。

 

 こんがり肉を求められて応えられなきゃ、そんなの私じゃないんだから!

 

 

 雲より高い峰の頂が、漆黒に染まる。

 粒子状の黒い鱗粉が何万、何億と散布され、本来は雲海を見下ろす筈の景色を濁す。陽光さえ微弱になり、辺り一帯はまるで夜の帳が下りたようだった。

 乾いた大地には、一頭の龍。

 何者の吐息すら許さぬような静寂の中、白金の鱗を身に纏うその古龍だけが、悠々と眠りについていた。

 

 此処はその古龍の故郷。

 天廻龍シャガルマガラのテリトリー。

 

 辺りに散る黒の塵芥は、かの龍のゆりかご。

 新しく息づく我が子の方舟。

 

 この天空山の頂であれば、方舟は彼方へ飛ぶだろう。

 どの生態、どの環境でも適応するよう進化してきたシャガルマガラは、より強靭な個体へ昇華する為、こうして子種を風に乗せる。やがて何処ぞの生物に付着すれば、それを苗床に、数多のゴア・マガラが生まれる。そのゴア・マガラの中でもより強靭で、より生存本能に長けた者が、やがてこの地へ再び来るだろう。

 種の昇華。

 それがこの世に唯一、同種の眷属をも抑圧し、進化の頂点に至ったシャガルマガラの使命だった。

 

 鱗粉が辺りに広がってから半日近くが経過していた。

 辺りのモンスター達は既に大半が苗床となり、それ故からくる闘争本能がもたらす争いの音も最早聞こえない。

 今は息を静め、此処に至るまでの眷属との争いの傷を癒そうか。

 シャガルマガラが眠りについたのは、つい先程の事だった。

 

 が、微睡みに落ちたところで、シャガルマガラはふと目を開いた。

 その目がすっと周囲をなぞる。

 果てなき雲海へ落ちる広場の淵から、何処かから落石してきたらしい大きな岩、そしてヒトが造ったらしい巨大な(遺物)へ。

 一頻り見やって、かの龍はゆっくりと身体を起こす。

 視界に敵性は認められなかったが、鱗粉から感じる違和感は確かだった。巨大な翼をばさりと羽ばたかせ、今一度背に畳む。その動きに応じて、周囲の鱗粉が更に色濃くなった。

 探知能力を底上げすれば、シャガルマガラの目は巨大な岩にじっと向いた。

 

 そして、それは唐突だった。

 

 ふっと現れた巨大な影が、シャガルマガラの身の丈を上回る大きさの岩の上へ飛び乗った。

 しかし、その背に羽は無い。

 獣のそれが純粋な進化を遂げた姿。

 羽を持たずとも易々と身の丈を超える高さを跳び、強靭な後ろ脚と巨大な爪を以って岩をも削り掴む。大岩の上に着地した不埒な闖入者は、どす黒い雷を口から零しながら、ゆっくりとこちらを振り向いた。

 

 ニタァ。

 と、不気味に嗤ったように見えた。

 それは一見すると、自らの苗床と化したが故の、闘争本能の表れにも見えたが……いいや、違う。

 身体中から噴き出ている熱量は、身の丈二頭分は離れているシャガルマガラにすらじわりじわりと伝わってくる。あれ程の高熱を放って生きているのであれば、苗床と化しているようには見えなかった。そもそも、あんな燃費の悪い生物なら、放っておいてもすぐに死ぬ。苗床としての価値すらない。

 

 しかし、どういう事か。

 何故、自分へ向けて敵意をあらわにするのか。

 

 それが解せない。

 命を燃やしてまで、何を欲するのだ。

 この竜は。

 

――否だ。

 

 私は何も欲してはいない。

 貴様が奪ったのだ。

 安穏とした時間、愛しい者と暮らす日々を。

 あれを守る為なら、私は貪食となり、恐怖の王と化してやろう。

 

 貴様の肉は、どのような味がするのだろうなぁ?

 

 恐怖の王と謳われた一頭の獣竜が、怒号を上げた。

 それは大気をも歪め、光の屈折さえ捻じ曲げる。

 目に見える程の衝撃音に対し、天廻龍はほんの僅かに顔を逸らす。まるで鬱陶しい羽虫を避けるかの如く、さぞや退屈そうな顔付きをしていた。

 

 目の前の獣竜がどんな存在であれ、歯牙にかける必要すら感じられない程、これは自身の命を削っていると察した。

 元々老齢なようだ。

 放っておけば、恐らく半日の後に死ぬ。

 自分は此処を発ち、一時姿を眩ませれば良いだろう。

 

 だが、それは許される行為ではなかった。

 この天空山において、天廻龍は至高の存在。覇者である。

 故に、住処を明け渡す事等、有り得ない選択だった。

 

 よかろう。

 と、天廻龍は身を起こす。

 何を怒り、何を求めているのかは分からなかったが、この哀れな竜に引導を渡してやろうと思った。

 

――その、僅か一瞬の事だった。

 

 大岩の上に居た筈の獣竜の身体が、伸びた。

 いいや、違う。

 それが強靭な脚力によって、岩の上を発ち、自らの喉元へ向けて、突っ込んで来ていると察した時には、既に喉から強烈な痛みを覚えていた。

 

 

 飛び散る鮮血が、視界の下で蒸発する。

 口腔を満たす肉の感触と、恐ろしく不味い何等かの噴出物。だが、口内に入れば、その不味さはすぐに掻き消え、じゃりという鱗の感触と、程好い柔らかさの肉圧の前に、どうでも良く感じられた。

 喉に食らいついたまま背を反らして、白金の龍の身体を強引に引き寄せる。後ろ脚の片方で腹を蹴りつけ、その反動を以って、肉を引き千切った。

 

 否、難なら首を持って行くつもりだった。

 しかし、それは敵わず、かの龍の喉元を深く抉ったに過ぎない。普通の生物であれば致命傷だが……。

 こそぎ取った肉を咀嚼し、吹っ飛ばした先を見やる。

 これしきでは終わらんだろう。

 出処不明の確信が、ジョーにはあった。

 

 読み通りというか、かの龍はぴくぴくと身体を震わせながらも、ゆっくりと身を起こそうとしていた。鱗粉に強力な治癒能力でもあるのか、骨が露呈する程抉った筈の喉の肉が、黒い靄に覆われ、大量出血を免れている。

 どういう原理かは知れぬが、成る程、普通の生き物ではないらしい。

 

 だが、ジョーはかの龍の生態を愉しむつもりも、猶予を与えるつもりも無かった。

 

 ごくりと肉を下すと同時に、体内の熱量を腹の底から押し上げる。

 溢れ出るエネルギーを、そのままぶっ放した。

 轟と音を立て、爆ぜる。

 

 ブレスの爆散を目視すると同時に、ジョーは後ろ脚を駆った。

 黒煙が晴れぬ内に、それへ突っ込み、何処と知れぬ場所を渾身の力で踏み潰す。

 ギャアと悲鳴が上がる。

 気にも留めずに、やはり何処と知れぬ場所に、食らいついた。

 

――私は、グルメである。

 貴様の肉の価値を、今、測ろう。

 

 強靭な脚を以って、獲物を大地に張り付けにし、比類なき程の背筋を以って、食らいついた部位を食い千切る。

 先程より確実に、肉を裂き、骨を砕く。

 それらの音に確かな優越感を得て、はたまた酔いながら、ジョーはかの龍の肉体の一部を剥ぎ取った。

 

 引き千切った反動で黒煙から出て、眼下の報酬に僅かな満足感を得る。

 金色に光る鱗は鮮血に濡れ、しかし確かに、かの龍が先程一度ばかり開いて見せた翼の一枚だった。

 

 翼膜は食い物にならないが、根元の筋肉は美味。

 様々な飛竜を喰らった経験から来る期待感に、ジョーは喉を震わせた。

 

 相変わらず噴出物は不味い。

 だが、口内の熱量によってか、それはすぐに消え去る。

 成る程、良い肉の前に不味い前菜と言うのは、それはそれで肉の価値を高めるだろう。

 

 奪い去った翼から、根元だった部分を更に食い千切る。

 食んでみれば、その肉は焼いた肉程ではないにしろ、中々の美味だと言えた。

 無駄を排した部分の肉だからだろう。骨や膜の所為で食感こそ良くないが、味そのものは甘味もあり、悪くない。

 

 と、舌鼓を打っていると、眼下できらりと煌めくものがあった。

 キィーンと音を立て、ジョーがハッとするや否や、それはズドンと音を立てて爆ぜる。

 爆発をもろに受け、身体がぐらりと揺れる。

 二歩、三歩と後退して何とか転倒を堪えれば、再度足許が煌めいた。

 

 ほう。

 この靄は、どうやらアレが使役するらしい。

 

 後ろに跳躍し、爆発を回避する。

 更に音を立てる結晶を、前進する事で躱した。

 改めて認めた白金の龍は、左の翼を失いながらも、「フゥッ、フゥッ……」と荒い息を吐きながら、こちらに向けて牙を剥き出しにしていた。翼の欠損はどうにもならないように感じたが、先程と同じように、傷口は鱗粉が防いだ様子。ブレスで負ったであろう火傷と、喉の深手も、大方癒えているように見える。

 強者だと直感していた事は、間違いではなかったようだ。

 

 ジョーが前進すれば、その行く先に結晶が現れる。

 横へ転身すれば、かの龍が苦悶の声を上げながら、極黒のブレスをぶっ放してくる。それを横っ腹に受けて、尚、ジョーは倒れる事すらしない。

 

 否、これ程愉快な闘争があろうか。

 美味たる肉を前にし、倒れてしまうにはあまりに惜しい。

 強者と結ぶ高揚感とて、あまりに久方ではないか。

 

 何度目かの爆破の後、かの龍が右翼を開き、鱗粉を散布する。

 その隙に距離を詰めれば、ぐわんと開かれた口腔から、またもやブレスが飛んでくる。

 

 芸が無いなぁ?

 

 自らも体内でエネルギーを練り上げつつ、放たれたブレスを真っ向から受け止める。

 強靭な後ろ脚は、身体が覚える痛みよりも確かに、前へ前へと力強く大地を蹴った。

 

 そうして、再度肉薄。

 口腔から既に溢れつつあったエネルギーを、掬い上げるようにして、至近距離からぶっ放した。

 片翼を失くした龍は、身体のバランスをとるのでやっとだったのだろう。見え透いたブレスはかの龍の鱗を焼き、あまりに大きな衝撃が、その巨体を吹っ飛ばした。

 

 二度のブレスの直撃。

 片翼をもがれ、喉に重傷を負ったかの龍は、傷こそ癒えても、その身体の生命力は確実に削られていた。

 ふとすれば、二度目のブレスで負った傷が、癒えない。

 黒く焦げ付いてしまった鱗が、元の輝きを無くしてしまった。

 

 ジョーがゆっくりと距離を詰め、残っていた翼に食らいつく。

 動く事すらままならない龍が、ギャアと声を上げた。

 まだ息があるのか……と、ジョーは翼を噛んだまま頭を持ち上げる。そのまま力任せに頭を振れば、白金の身体が虚空に孤を描いて、大地に叩きつけられた。

 

 二度、三度、無慈悲な攻撃が続く。

 解放されたのは、残っていた翼がついに千切れた時だった。

 無惨な姿になってしまった白金の龍は、大地を転がって、やや離れた位置で不規則な呼吸をしていた。

 

 その身体が、弱々しく起き上がる。

 

 漸く、自らの死を察したのだろう。

 鳴き声にすらならない声を上げて、力が入らない様子の身体を引き摺り、この舞台から、去ろうとした。

 

 否、逃がす訳が無かろう?

 

 その一縷の希望を、断った。

 ジョーが尾を踏めば、とても簡単に、その身体は転倒した。

 こちらを振り返るかの龍の顔は、最早怯え切ったようにも映る。見下ろすジョーの目は、冷酷な程に愉悦を秘めていた。

 

 ご馳走を前にして、悦ばぬグルメがいようものか。

 死ぬまで喰らってやろう。

 幸い、私の腹は満足する事を知らぬ底無しだ。

 精々、その肉を味わわせてくれ。

 

 それは確かに、捕食者と獲物の姿だった。

 

 

 禁足地と呼ばれる場所を前に、一人のハンターが息を整える。

 ふう。と、吐き出された吐息は白く色付いた。

 

 同じく白い湯気を立てる塊があった。

 それは茶色く色付き、僅かに汁を垂らす逸品。

 少女ハンターの手に握られたそれは、やけに食欲をそそるような見た目をし、かぐわしい香りを漂わせる。どうやって整形したのか、太い一本の骨に塊が引っ付いているという奇天烈な形だった。

 

 少女がちらりと見やる方には、太い蔦に数多の岩が絡みついた足場。

 人が踏み入れられるような地形ではないが、そこに大きな爪痕があった。飛竜のそれではない。足回りの筋肉に富んだ獣竜だからこそつけられるような、深い痕だった。

 元よりその痕跡を辿ってきた彼女は、目的の存在が、この扉の向こうに居る事を察した。

 

 空は晴れ間が差し、光に満ちる。

 不浄な黒い靄が去って、既に一時間以上の時が経っていた。

 

 分からない事が多すぎる状況で、確かな事は二つ。

 古龍、シャガルマガラはもういない。

 そして、禁足地の扉が開かれていない事を見るに、これを退けたのは、人ではない。

 

「ジョーさん……」

 

 恐らくは、これを成したのだろう存在の名を口にする。

 必ず戻ると言った彼を疑うつもりはないが……なまじ知識があるだけに、その身を案じる気持ちが、シャンヌを此処へ連れてきた。

 食いしん坊の彼だから、大好物のこんがり肉の匂いに釣られて出て来やしないだろうか。

 そんな事を考えて、ふとしゃがみ込む。

 その辺で見つけた大きな葉っぱに肉を置き、膝を抱えてぼんやりとした心地でこれを見つめた。

 

 普段なら肉を炙った時点で、気が付いている。

 寝ていようが、食事をしていようが、自分の許へとやってきて、肉の色が変わってゆく様子をジッと見詰めている。まるで調理の工程までも好いているようにさえ見えた。

 

 黒い龍エネルギーに憑りつかれてしまったような相貌。

 普段よりずっと荒々しく、残虐だった戦闘の様子。

 そして、今は去ったあの靄と、それによって支配され、狂暴化したリオレウスの姿。

 

 頭を過ぎるほんの少し前の記憶が、どうしても離れてくれない。

 あまりに爽快な晴れ間の所為か、不思議と嫌な予感というものは無かったが、これまでとは何かが変わってしまうような……そんな気がしたのだ。

 

 大体、あのイビルジョーという存在は、勝手が過ぎるのだ。

 生態からして我儘の極み。

 自分勝手に環境を壊したり、生態系を崩壊させたりと、自分が知るだけでもあんまりな被害を齎してくれる。勝手に暴れて、お腹を空かせて、だから食べて、またお腹を減らして……その度に甚大な被害が出るのだから、そりゃあ特級危険種だなんて呼ばれもつく。

 そんな中で、不意にグルメに目覚めたあのジョーは、きっと更に極めつけの我儘だ。

 美味しくないものは食べたくないようだし、肉は片っ端から焼いてくれと言う。あれを我儘と言わずして、何を我儘と言うのか。今回の一件だって、一方的に伝えるだけ伝えて、シャンヌの頼みは無視だ。難なら自分はちゃんと肉を焼いたのだから、冷めない内にすぐに帰ってこいという話だ。

 

 考えていると徐々に腹が立ってきた。

 ぷうと頬を膨らませ、シャンヌはおもむろに立ち上がる。

 

「いいもん。私が食べちゃうんだから」

 

 そう言って、先程置いたこんがり肉を取り上げる。

 

 いつもはジョーにあげてしまうが、実際、シャンヌだってグルメだ。

 こんがり肉は大好物で、中でも自分が焼いたそれは至高の逸品だと思っている。いつもいつもあげてばかりだが、偶には自分で食べたいと思う時だってあるし、全部食べられてしまうと悲しく思ってしまう時だってあった。

 鬼の居ぬ間に洗濯。

 まだ生肉のストックはあるので、戻って来たらその時に焼いてやれば良い。

 

 そう思って、歯を立てたその時だった。

 

「グォオオオオオ!!」

「うひゃあっ!?」

 

 見計らったようなバインドボイスが聞こえてきた。

 その声にびっくりしたシャンヌはこんがり肉を取りこぼし、それが葉っぱの上に落ちて、肉汁がべちゃりと音を立てた。

 

 ハッとして振り向けば、扉とは正反対。

 キャンプ地の入口の先で、黒い竜が身体をゆっさゆっさと揺らしている。片足が大地を踏み締める度、ズシンズシンと音が鳴って、彼の憤慨する心地を表しているようだった。

 

 地団駄を踏むイビルジョー。

 その顔は先程見送った時のそれではなく、何故か何時も通りの顔付きで。どす黒い瘴気の影響なんて、これっぽちも無いように見えた。

 普段と違う点はただ一つ。

 自分の為に用意されたと思わしき肉に、シャンヌがかぶりつこうとした事を見ていたのか、それに対してやたらめったらお怒りになられているぐらい。

 

 シャンヌは顔をサーと青ざめさせて、抗弁した。

 

「あ、あのね、ジョーさん。違うの。こ、これは私の分で、ジョーさんのは今から焼こうかなー……なんて」

 

 このままではキャンプ地にまで入ってきかねない。

 そう悟ったシャンヌがこんがり肉を持って、彼の許へと向かえば、彼女はふとした拍子にハッとして、キッとした顔を向けた。

 

「だ、だってジョーさん帰ってこないんだもん!」

「グォオ」

「え? 一回帰ったの?」

 

 長く連れ添ったからか、はたまた同じ志を持つ同士だからか、何故か極々自然に会話が成立していた。

 

 ジョーはどうやらシャンヌが気付かぬ内に一度巣に帰ったらしい。

 そこで待てと言った筈のシャンヌが居ない事に気付き、彼女の匂いを辿ってきたそうだ。

 そうしたら、自分の言いつけを守らなかった彼女は、あろうことか自分の大好物を食おうとしているではないか。

 と、それはそれはお怒りだったらしい。

 

「グォオオオオオ!!」

「ちょ、ごめんなさい! すぐに次の焼くから、齧るのはやめてーっ!!」

 

 天空山にこだまする声は、晴れやかな空の下、とても良く響いたそうな。

 

 

 古龍観測所より報告。

 

 天空山に天廻龍が出現。

 これに対し、以前より報告があったグルメジョーが禁足地へと侵入、これを圧倒の末、捕食したと見られる。

 尚、この際、グルメジョーが飢餓の状態へと変異していた事を確認。体内が血を蒸発させる程の高熱を持つ為か、狂竜症を発症した形跡は見られない。また、捕食後程なくして、グルメジョーは飢餓を克服、通常種の姿へと戻った。

 にわかには信じ難い事だが、このグルメジョーは己の力の制御を完全に出来ていると見られる。

 天廻龍の痕跡調査と共に、このグルメジョーを『特別保護個体』として、経過観察するものとする。尚、住処は天空山が適しているという報告を既に受けている為、捕獲措置は必要無いものとする。類い稀な特殊個体の為、討伐指定が入らぬよう重々注意されたし。

 

「な、何よこれぇ……」

 

 古龍観測船の甲板。

 手渡された一枚の紙に目を通し、一人のハンターが膝を突いて落胆した。

 いや、正確には安堵しているのかもしれない。

 上げられたフェイスガードの下の顔は、苦笑を浮かべていた。

 

「ジョーの奴、シャガルを倒したってのかよ」

「ええ。それはもう圧倒的でしたよ」

 

 褐色のハゲ頭のハンターが感心すると、その隣でモノクルを掛けた金髪の優男がやけに荒い鼻息と共にそう言った。

 あの力強さ。あの逞しさ。くぅ、たまらん!

 と、力説する彼は、死ぬ思いでハズレを踏んだ二人のハンターの感情を察するつもりも無さそうだった。

 

 いやはや、全てが徒労に終わった事を、喜ぶべきなのか。はたまたこれから想定される忙しさを嘆けば良いのか……。

 まあ、少なくとも、まだ駆け出しの将来有望なハンターが、命と使命を繋いだ事は、呑気な顔をして喜んでやるべきなのだろう。

 

 ごろんと四肢を投げ出すように転がって、イノリは晴天の煌めきに目を瞑る。

 

「はあ。ほんっと、くそったれだわ」

「あん?」

 

 ぼやいた言葉に、相棒のハゲが怪訝そうな声を上げた。

 手を翳して目元に影を落として、目を開く。

 ちらりと声の主へ視線をやった。

 

「何処行っても忙しいんだもん。誰かさんの救難依頼を受けてから」

 

 それを聞いたハゲは、腹が立つ程爽快に、けらけらと笑って見せた。

 何が可笑しいのか、彼はモノクルの男が敬遠する様子さえ知らんぷりで笑い続け、やがてイノリの脇にどさりと音を立てて腰を下ろした。

 

「大変なんだよ。特別なハンターの周りの奴ってのはな」

 

 そういう彼の顔は、まるで憑き物が落ちたように爽やかだった。

 その『特別』が自分を指してはいない事を察して……ああ、そうかと思った。

 この男は、ずっと『特別』なハンターの隣に居たのだ。

 その苦労は誰より知っているだろう。

 

 ああ、この分では、隠居生活は夢のまた夢。

 何時ぞやしがない上位ハンターのふりをして生活していたこの男と同じように、例え一時何処かに腰を落ち着けても、またすぐに違う『特別』に出会ってしまうのだろう。

 

 まあ、それまでには、あのグルメな少女とその相棒のグルメなイビルジョーに、ひとつの形を作ってやれるだろうか……。

 

 イノリはそんな事を考えながら、ゆっくりと目を瞑る。

 すう、と息を吸い込み、胸の内を声高々にぶちまけた。

 

「ああ、もう、何がグルメよーっ!!」

 

 

 天空山に、呑気な歌声が響く。

 それは古来より続くハンターの歌。

 どんな新米も、その歌と肉を焼く事から覚える。

 

 命を喰らい、生きていく。

 自然の摂理の中に、味の豊かさを求めるのは、果たして命への冒涜か、弔いか。

 

 そんなつまらない事を考えるより、今日も今日とて、締めの一言を叫びましょう。

 こんがり焼けたお肉を掲げて、さあ、ご一緒に。

 

 上手に焼けました!




 これにてアフターも終了です。
 読了お疲れ様でしたと共に、長らくお待ち頂きありがとうございました。

 ちょくちょく書き進めていましたが、イノリとボブの扱いに困ってました。結果として、剥けゴマさんとの戦闘はばっさりカットした方がすっきりしたので、泣く泣くカット致しました。楽しみにしていた方には申し訳ないです。
 ジョーさんとシャガルの戦闘は均衡させようかなぁとも考えたのですが……いや、無理でした。ジョーさんが食料相手に情け容赦ある筈ないですし、油断も隙もあるとは思えないと書き進めていったら、一方的な殺戮になってました。
 飢餓ジョーに狂竜化はいなかったと思います。多分。
 飢餓からの解放については、優しい世界だって事で赦してやって下さい。本編終了からずっとこんがり肉パワー溜めてたって事で何卒。これまでシャンヌちゃん泣かせ過ぎてるので、最後くらいは……ねぇ?

 まあ、何はともあれ、長い間ありがとうございました!


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