私の名前はラベンダー (エレナマズ)
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一年生編
第一話 ラベンダーと二人の友達


 授業終了を示すチャイムが鳴り教師が退室すると、生徒達はすぐ次の授業の準備に移った。

 次の授業は必修選択科目。履修した科目によって授業が行われる場所が違うので、移動は素早く行う必要がある。

 

 この教室にいるのは入学したての一年生だが、おしゃべりをしたり、騒いだりする生徒は一人もいない。

 それもそのはず、ここは名門お嬢様学校、聖グロリアーナ女学院。慌てず騒がず優雅に行動することは、聖グロリアーナ女学院の基本的な作法なのである。

 

 とはいえ、中にはそれを実践できていない生徒もいる。

 この教室の中央にいる栗色の髪をボブカットにした少女。一見すると、おっとりとしたごく普通のお嬢様に見えるこの少女もその中の一人だ。

 

 少女は移動しようと立ちあがったところで、机の上からペンケースを落として中身を派手にぶちまけてしまった。さらに、ペンケースの中身を拾うために机の下に潜ると、今度は机の底に頭をぶつけて他の文房具を落としてしまう。

 大がつくほどのドジ。これが彼女の抱える大きな欠点であった。

 

「大丈夫、西住さん? ノートが落ちてましたわよ」

「あ、ごめんね。ありがとう」

「どういたしまして。戦車道の授業は大変だと思いますけど、がんばってくださいね」

 

 ノートを拾ってくれた親切なクラスメイトは、足音一つ立てない洗練された足取りでその場を去っていく。西住さんと呼ばれたドジな少女とは大違いである。

 

 話は変わるが、このクラスの生徒は西住さんが戦車道を履修しているのを全員知っている。それには大きな理由が二つあった。

 一つ目は、西住さんが戦車道の強豪校である黒森峰女学園中等部出身であること。そして、二つ目は西住さんと同じ戦車に搭乗している生徒が校内でも有名な問題児だからだ。

 

 西住さんが机の上を片づけていると、廊下を軽快に走る大きな足音がこの教室に近づいてきた。西住さんのチームメイトがいつものように彼女を迎えに来たのだ。

 

「ごきげんようですわー!」

 

 教室の扉を開け放って飛びこんできたのは、セミロングの赤い髪を真ん中分けにした少女であった。

 赤い髪の少女は教室に入ってくるや否や、西住さんに向かって一直線に突っこんでいき、彼女の手を荒々しくつかんだ。

 

「さあ、早く行きますわよ、ラベンダー。クルセイダーがわたくし達を待っているでございますわ」

「ローズヒップさん、ちょっと待って! そんなに引っ張らないでー!」

 

 赤い髪の少女に引きずられながら、西住さんは教室を飛び出していった。

 

 彼女達はお互いを植物の名前で呼びあっていたが、これは彼女達のニックネームであり、本名ではない。

 聖グロリアーナの戦車道チームでは、優秀な生徒に対し、紅茶に関するニックネームが与えられる。ニックネームを与えられた生徒は、在学中は内外問わずニックネームを名乗るのが聖グロリアーナの決まりであった。

 

 黒森峰女学園中等部で去年戦車隊の隊長を務めていた西住さんは、今年入学した一年生の中で一番の実力者。彼女は入学してすぐに、フレーバーティーの一種、ラベンダーティーのニックネームを与えられた将来の有望株なのである。

 

 そんな西住さんの本名は、西住みほという。

 戦車道に詳しい人なら誰もが聞いたことがあるであろう、日本を代表する有名な流派、西住流。西住みほはその西住流宗家の次女として生を受けた、由緒正しい武家のお嬢様なのだ。

 

 

 

 

 ローズヒップに手を引かれて廊下を走り続けたみほは、一年生の別の教室にやってきた。もう一人のチームメイトがこのクラスに在籍しているからだ。

 

「ごきげんようですわー! ルクリリ、迎えに来ましたわよー!」

 

 ローズヒップはみほのときと同じように、栗色の長い髪を三つ編みにしている少女に突進していく。がっしりと手をつかまれているみほもあとに続くが、ここでみほのドジが発動した。

 何もない場所でみほはこけてしまったのである。

 

「あわわっ!」

「おっととととぉー!」

「うげっ!」

 

 みほに引っ張られたローズヒップもバランスを崩し、前方にいた三つ編みの少女を巻きこんで派手に転倒した。

 この中でとくに悲惨だったのが三つ編みの少女。前傾姿勢で倒れたローズヒップの頭突きが、運悪くみぞおちに命中してしまったのだ。

 よほど痛かったのか、三つ編みの少女は左手でお腹をさすりながら右手で床をバンバン叩いている。

 

「こ、このバカっ! 私を殺す気か!」

「ごめんなさいですわ。悪気はなかったんですの」

「ごめんですむか! ものすごく痛かったんだからな!」

 

 三つ編みの少女は片足で地団駄を踏み、長い髪を振り乱して怒っている。

 ルクリリのニックネームを持つ短気なこの少女が、みほのもう一人のチームメイトだ。

 

 ルクリリの見た目はとても清楚であり、美人といっても過言ではない。その反面、言葉づかいは荒っぽく、行動はがさつそのもの。そのせいで容姿の良さがすべて台無しになっている、少し残念なお嬢様であった。

 

「ルクリリさん、ローズヒップさんを怒らないであげて。私が転んじゃったのが悪いの」

「ラベンダーが転んだのはローズヒップが引っ張ったからだろ。元はと言えば、こいつが悪い。迎えに来てくれるのはうれしいけど、もっと静かに来れないのか?」

「おほほほほ、それは無理な相談ですわ。今日はクルセイダーの日でございますわよ。ぐずぐずなんてしていられませんわ」

「黙れっ! このスピード狂!」 

「二人とも落ちついて。みんな見てるから」

 

 周囲の目も気にせずに騒ぎ出す二人をみほは必死になだめた。

 その後、みほはなんとかルクリリの怒りを収めるのには成功したが、かわりに時間を大幅にロスしてしまう。

 すでにあたりにはみほ達以外は誰もいなくなっており、授業も開始間近。制服からタンクジャケットに着替えることを考えると、無駄にできる時間は一秒もない。

 

「もうこんな時間。のんびりしてたら間に合わないよ」

「まずいぞ。遅刻なんてしたら、またアッサム様に怒られる」

「こうなったらリミッターを外すしかありませんわ。お二人とも、わたくしのあとに続いてくださいまし。ぬおりゃああああ!」

 

 下品な叫び声をあげて走るローズヒップのあとに続き、みほとルクリリも廊下を駆けていく。ふかふかのじゅうたんが敷きつめられている廊下を三人で全力疾走する姿は、とても名門お嬢様学校の生徒には見えない。

 

 このような光景はすでに日常茶飯事。ローズヒップとルクリリが起こす騒ぎに、みほはいつも巻きこまれていた。

 いつしか三人は問題児トリオとして扱われ、二年生の先輩からはお説教を毎日のように受けている。西住流のお嬢様で優等生というみほの当初の評判は、すでに地の底にまで急降下。このことが厳しい母に知られれば、大目玉を食らうだけではすまないだろう。

 

 それでも、みほはこの騒がしい日常に満足していた。友達と楽しい学生生活を送るのは、今まで一人も友達がいなかったみほの長年の夢だったからだ。

 全力で走っているせいで体は悲鳴をあげているのに、みほの顔には笑みが浮かんでいる。今日も三人で一緒の戦車に乗れるのが、みほは楽しみで仕方がないのだ。

 

 

 

 平原や森林だけでなく、小高い丘や砂地まで作られた広大な演習場。そこには、英国軍服風の赤色のタンクジャケットに身を包んだ多くの生徒が整列していた。

 戦車道は乙女のたしなみといわれる伝統的な武芸。上流階級のお嬢様が多い聖グロリアーナ女学院では、茶道、華道と並び人気が高い選択科目であった。

 

 授業が始まる前に演習場に到着したみほ達は、いそいそと一年生の列に入っていく。それとほぼ同時に、サラサラの金髪を腰のあたりまで伸ばした三年生がやってきた。

 この三年生が聖グロリアーナ女学院戦車道チームの隊長、アールグレイである。名家出身のアールグレイは生徒会長も務めており、文武両道、才色兼備を地で行く完璧なお嬢様だ。

 

 非の打ち所がないアールグレイだが、みほは彼女に苦手意識を持っている。

 その原因はアールグレイの容姿にあった。アールグレイの少しつり上がった目と綺麗な青い瞳は、苦手だった中学の同級生と酷似しているのだ。

 アールグレイに見つめられると、あの同級生に睨まれている感覚が蘇り委縮してしまう。これがみほの最近の悩みだった。

 

「みなさま、ごきげんよう。聖グロリアーナの戦車道はいかなるときも優雅、この言葉を忘れずに本日も訓練に励んでください。他校のように勝つことだけを考える下品な戦い方だけは、決して真似をしてはいけません。戦車道で大事なのは勝利ではなく、自分を高めることなのですから」

 

 聖グロリアーナの戦車道は独特であり、西住流の教えとは違うところがあった。

 西住流が重視するのが勝利なのに対し、聖グロリアーナが重視するのは戦車道を学ぶことで得られる人間的な成長。

 西住流と聖グロリアーナは、試合の勝敗に対する考え方が決定的に違うのである。

 

 みほは幼いころから西住流の鍛錬を積み、勝利を義務づけられてきた。

 なので、最初は聖グロリアーナの戦車道に困惑していたのだが、今ではこの考え方をすんなりと受け入れている。初めて友達ができたのも手伝って、みほは聖グロリアーナの戦車道をすっかり気に入っていた。

 

「それと、大変申し訳ないのですが、私は少し席を外します。みなさまなら私が見ていなくても、聖グロリアーナの戦車道をしっかり守ってくれると信じておりますわ。ではダージリン、あとは任せましたよ」

「はい、アールグレイ様」

 

 アールグレイはあいさつを終えると、優雅な足取りで校舎のほうに歩いていった。

 生徒会長のアールグレイは学園艦の運営にも関わっており、つねに多忙の身。戦車道の授業に多くの時間を割くことができず、顔見せだけしかできない日も多い。

 

 そんなアールグレイから授業の指揮を任されているのは、容姿端麗な金髪の二年生、ダージリンであった。

 ダージリンは次期隊長に指名されている優秀な生徒で、一年生の中には彼女に憧れている生徒も少なくない。みほの隣で瞳を輝かせているローズヒップもその中の一人だ。

 

「本日の訓練ですが、最初に隊列運動と陣形訓練を行います。一年生のみなさまは、隊列運動を満足に行えたチームから陣形訓練に参加してください。まだ戦車の扱いにも慣れていないと思いますが、アールグレイ様のお言葉をしっかり守って先輩方についてきてくださいね」

 

 一年生がまず最初に覚えるのは、戦車の速度を合わせて綺麗な隊列を作ることである。一糸乱れぬ隊列を組むのは、浸透強襲戦術を得意とする聖グロリアーナの基本だからだ。

 

「訓練はマチルダ隊から行います。クルセイダー隊は戦車の中で待機していてください。それではみなさま、本日も優雅に訓練を行いましょう」

 

 

 

 みほ達はクルセイダーのハッチを開けて、マチルダ隊の訓練を見学していた。

 一年生は訓練の際、マチルダⅡ歩兵戦車とクルセイダー巡航戦車に日替わりで搭乗している。一年生時はタイプの違う二種類の戦車に搭乗し、二年生からは適正が高いほうの戦車隊に専属になるのが聖グロリアーナのやり方であった。

 

 今日の訓練で三人が搭乗するのはクルセイダーMK.Ⅲ。素早さが売りの巡航戦車だが、定員が三名なので一人の人間が複数のポジションを兼任しなければならない。

 各ポジションはみほが車長兼装填手、ローズヒップが操縦手、ルクリリが砲手兼通信手だ。

 

「はぁ、早くクルセイダーを動かしたいですわ。マチルダ隊の訓練はまだ終わらないんですの?」

「隊列運動が今終わったところだから、もう少し時間がかかると思うよ」

「遅い! 遅すぎですわ! これだからマチルダは嫌なのでございますわ」

「私はマチルダ好きだぞ。聖グロの花形戦車といえば、やっぱりマチルダだからな」

 

 マチルダⅡ歩兵戦車は聖グロリアーナの主力戦車であり、ほとんどの生徒がこの戦車に搭乗する。装甲は厚いが火力が低く、足も遅いと少々問題がある戦車だが、生徒の間では人気が高い。試合には多数のマチルダⅡが出場するので、活躍する機会が多いからだ。

 

 それに対し、クルセイダー巡航戦車はあまり人気がない。

 クルセイダーはマチルダⅡよりも高火力で快速だが、装甲が薄く故障しやすいという欠点がある。そのせいで試合にもあまり使用されず、目立つ機会が少ないのが人気のなさに拍車をかけていた。

 

 ちなみに、聖グロリアーナにはもう一種類戦車がある。主に隊長車として使用されるチャーチル歩兵戦車MK.Ⅶだ。しかし、チャーチルは一輌しかないので一年生が搭乗する機会はほとんどなかった。

 

「ルクリリは浮気者ですわ。ラベンダーはクルセイダーのほうが好きですわよね?」

「私はどっちも好きかな。クルセイダーにもマチルダにもそれぞれいいところがあるし、それに二人と一緒なら私はどんな戦車に乗っても楽しいから。……私なんかと友達になってくれた二人には本当に感謝してるんだ」

 

 みほが突然感謝の言葉を口にしたことで、ローズヒップとルクリリは顔を赤くしている。

 

「い、いきなり恥ずかしいこと言うなよ。照れるじゃないか……」

「そ、そうでございますわ。それと、自分を卑下するような言葉を使うのはよくありませんわ。ラベンダーの悪い癖ですの」

「あ、またやっちゃった。気をつけてはいるんだけどね」

 

 そんなふうに三人でおしゃべりをしていると、無線からマチルダ隊の訓練が終了したという連絡が入った。

 いよいよクルセイダー隊の訓練の時間がやってきたのである。

 

 

 

 みほ達は他のクルセイダーと共に訓練のスタート地点へやってきた。これから隊長車のクルセイダーMK.Ⅱの指示に従って、基本の隊列運動が始まるのだ。

 クルセイダーMK.Ⅱは火力と装甲ではクルセイダーMK.Ⅲに劣るが、それと引きかえに四名の乗員が搭乗できる。車長が装填手を兼任しなくてすむので、部隊全体の指揮を執るのに適している戦車であった。

 

 車長席に座っているみほは紅茶が入ったティーカップを手に持ち、訓練開始の合図を待っていた。

 聖グロリアーナ女学院は英国と提携している学校なので、英国の影響を強く受けている。戦車がすべて英国製なのもそれが理由だが、一番影響を受けているのは紅茶に対するこだわりだ。戦車道チームはそれがとくに際立っており、戦車に搭乗するときも紅茶をたしなむのが伝統であった。

 隊列運動では砲撃は行わないので、隣の砲手席に座っているルクリリの手にもティーカップが握られていた。

 

『今から訓練を開始します。最初は森林エリアまで一列縦隊になって前進です。ラベンダーちゃん、今日はあなたの四号車に先頭に立ってもらいます。がんばってくださいね』

「わかりました。パンツァー……戦車前進! ローズヒップさん、私達が先頭です。加速して前に出てください」

「待ちくたびれましたわ。さあ、飛ばしますわよー!」

 

 クルセイダー隊の隊長から無線で連絡を受けたみほは、ローズヒップにクルセイダーを発進させる指示を出す。

 中学時代の癖でついドイツ語で指示を出しそうになったが、うまく修正できた。英国戦車に搭乗してドイツ語を使うのは優雅とはいえない行為だ。

 そんなことを考えながらみほが紅茶を飲もうとした瞬間、クルセイダーが急発進で動き出した。

 

 前ではなく、後ろに。

 

「こらっ! いきなりバックする奴があるか!」

「あれ? 変ですわ?」

「ローズヒップさん、ブレーキ踏んでください!」

 

 ローズヒップがブレーキを踏んだことでクルセイダーは急停止。その反動でみほは紅茶をこぼしそうになったが、ティーカップの縁ぎりぎりのところでなんとか耐えた。

 ホッと安堵の息をついたみほは、隣にちらりと視線を向ける。そこには派手に紅茶をこぼして、びしょびしょになっているルクリリの姿があった。

 

「ルクリリさん、大丈夫?」

「私は大丈夫。それよりローズヒップをフォローしてやって。ラベンダーが一声かけてあげれば、少しは落ちつくと思うから」

「はい!」

 

 なんだかんだ言いながらも、ルクリリはローズヒップを気にかけている。それがみほにはたまらなくうれしかった。失敗しても友達が支えてくれる光景は、みほがずっと憧れていたものだったからだ。

 

「大丈夫だよ、ローズヒップさん。いつも通りに運転すれば、ミスはすぐに取り返せる。ローズヒップさんの運転が上手なのは、私が一番よくわかってるから」

「面目ないですわ。この失敗は走りで挽回してみせるでございますわ!」

 

 ローズヒップの元気な声を聞いて安心したみほは、トラブルで遅れることを隊長車に伝えるとクルセイダーのハッチを開けた。

 他のクルセイダーはすでに出発していたが、最後尾のクルセイダーの姿は肉眼でもはっきりと視認できる距離だ。無駄な動きを少なくすればすぐに追いつける。

 みほはそれを確認すると、すぐさま車内に体を滑りこませ素早く指示を出した。

 

「気を取り直して戦車前進です。まずは最後尾のクルセイダーに追いつきます」

 

 その後の訓練はとくに問題なくこなすことができた。

 最初にミスはしたが、ローズヒップは一年生の中で一番運転技術が優れている。はやる気持ちを抑えられれば、みほの指示通りにクルセイダーを動かすのは造作もない。

 ローズヒップはこの運転技術の高さが評価されてニックネームを与えられたのだ。

 

 

 

 みほ達は訓練を無事に終えたが、これからある一つの試練が待ちかまえていた。

 その試練とは身だしなみを整えたあとに行われる恒例のお茶会。聖グロリアーナでは、このお茶会を終えるまでが戦車道の授業なのである。

 

 ニックネーム持ちの生徒は、『紅茶の園』と呼ばれる豪華なクラブハウスでお茶会に参加しなければならない。優等生が集う『紅茶の園』は、お嬢様らしい仕草や会話が苦手な三人にとっては肩身の狭い場所であった。

 

「茶葉の量はこれくらいでいいかな?」

「もう少し多いほうがいいんじゃないか? 緑茶だって薄いより濃いほうがおいしいぞ」

「それじゃあ、もう少し入れてみるね」

「お湯を持ってきましたわよー!」

 

 みほが茶葉の量に四苦八苦していると、ポットを手にしたローズヒップがやってきた。熱湯を手にしているので、いつものように走ったりはせずにゆっくりと歩いている。

 

「あとはお湯を入れて少し蒸らせば完成だな」

「では、わたくしがお湯を入れるでございますわ。えーと、たしか高い位置からお湯を入れるのがおいしいお紅茶のコツだったはず。よし、いざ参りますわ」

 

 ローズヒップは腕を高く上げて、熱湯を茶葉が入ったティーポットに注いだ。腕の位置が高すぎたせいで少しお湯がはねたが、ティーポットにはしっかりとお湯が満たされている。

 数分蒸らしたあと、ルクリリがティーポットをスプーンでかき混ぜ、茶こしで茶殻をこしながらティーカップに紅茶を注ぐ。こうして三人分の紅茶が無事に完成した。

 

「今回は失敗しないでうまくできたね」

「うん。色も香りもいい感じだ」

「お味のほうも確かめてみるでございますわ。いただきます!」

 

 ローズヒップはティーカップを手に取ると紅茶を一気に飲んでいく。紅茶の熱さなどまるで気にしないローズヒップの飲みっぷりに驚きつつ、みほも紅茶に口をつけた。

 

「くぁーっ! うまい!」

「本当だ。おいしい」

「この出来なら今日はアッサム様に怒られなくてすみそうだな」

 

 会心の紅茶をいれることができた三人は満足そうな表情を浮かべている。

 そんな三人のもとに、縦ロールの長い金髪を黒い大きなリボンで結っている生徒が近づいてきた。彼女のニックネームはアッサムといい、問題児トリオの教育係を任せられている二年生だ。

 

「あなた達……」

「アッサム様、今日は失敗せずに紅茶をいれられました。自信作ですよ」

「ラベンダー、忘れていることがありますわよ」

「忘れていることですか?」

「まずは三年生に紅茶とティーフーズを用意しなさいと教えたわよね。どうしてホスト役のあなた達が真っ先に紅茶を飲んでるの」

 

 聖グロリアーナのお茶会は一年生がホスト役、二年生がその補佐、三年生がゲスト役と決まっている。ホスト役の一年生は二年生に協力してもらって、お茶会の準備を整えなければならないのだ。

 

「それと、ローズヒップ。紅茶は熱いうちに飲むように教えたけど、一気に飲めとは言ってません。ルクリリも、紅茶を飲むときはカップを両手で持ってはいけないと教えたでしょ」

 

 結局、今日もみほ達はアッサムからお説教を受けることになった。

 三人が優雅にお茶会をこなせるようになるには、まだまだ時間がかかりそうである。



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第二話 ラベンダーの日常

 聖グロリアーナ女学院は英国とつながりが深い学校だが、すべてが英国に染まっているわけではない。

 その代表的な例の一つが食事。聖グロリアーナ女学院の学食には、英国料理以外のメニューも幅広く用意されているのだ。腕利きの料理人が作る食事は好評であり、昼の時間になると学食は多くの生徒でにぎわいを見せていた。

 

 みほの昼食は基本的に学食。ローズヒップとルクリリも学食派なので、昼食はいつも三人一緒だ。みほにとって昼食の時間は、友達と共にすごせる貴重な時間なのである。

 

 聖グロリアーナ女学院の学食はインテリアが英国風なのを除けば、普通の高校の学食とほとんど変わらない。違いがあるとすれば、おしゃれなテラス席が多めに用意されているぐらいだろう。

 今日のみほ達はそのテラス席で昼食をとっていた。

 三人の本日の昼食は、みほがさば煮定食、ローズヒップがミートパイ、ルクリリがハンバーグ定食であった。

 

「ローズヒップさんってミートパイ好きだよね。ついこの前も食べてなかった?」 

「ミートパイはダージリン様がお好きな食べ物なのですわ。憧れのダージリン様に少しでも近づくために、わたくしもミートパイを食べているのでございますわ」

「ダージリン様はそんな豪快にミートパイは食べないと思うぞ……」

 

 ローズヒップは口を大きく開けてミートパイにかぶりついている。その姿は上品なダージリンとは似ても似つかない。

 

「ルクリリさんはハンバーグ定食なんだね」

「今日のおすすめメニューだったからな。……どうした? 私のハンバーグをじっと見て。ハンバーグ食べたいのか?」

「ち、違うの! ちょっと昔のことを思い出しちゃって……」

 

 ハンバーグを見たみほの脳裏には、ある一人の人物の顔が浮かんでいた。その人物とは、アールグレイに容姿が似ている中学時代の苦手な同級生。彼女はハンバーグが大好物で、学食ではよくハンバーグ定食を注文していたからだ。

 

 中学時代のみほは、姉と苦手な同級生の二人と一緒に昼食をとっていた。そこに楽しい会話は存在せず、話題は戦車道のことと、みほの態度のことばかり。弱気で頼りなかったみほは、もっとしっかりしろというお小言を毎日のように言われていた。

 みほにとって、中学時代の昼食の時間は苦痛という思い出しかない。

 

「ルクリリの食べるのが遅いから、ラベンダーが目移りしてしまうのですわ。わたくしはもう食べ終わりましたわよ」

「いつも思うんだけど、なんでそんなに食べるのが早いんだ? ローズヒップがせっかちなのは知ってるけど、食事ぐらいゆっくりでもいいんじゃないか?」

「お食事の時間は戦いなのでございますわ。自分の食べる分を確保するには、相手を上回る食事スピードが必要不可欠。ご飯をのんびり食べてたら、大家族の中では生きていけないのですわ」

「そういえば、ローズヒップさんの家は十八人家族だって前に言ってたね」

 

 三人が昼食の時間に話す内容は世間話が多い。戦車道の話題も少しは出るが、中学時代のように息が詰まるようなことはなかった。

 充実した昼食の時間はみほの心を温かくしてくれる。友達と楽しく話しているうちに、中学時代の嫌な思い出は綺麗さっぱり消えてくれた。

 

 

 

 午後からは戦車道の授業。みほ達が搭乗しているのはクルセイダーではなく、マチルダⅡ歩兵戦車である。

 マチルダⅡに搭乗するときのポジションは、車長兼通信手がルクリリ、みほが操縦手、ローズヒップが砲手。装填手は手の空いている上級生が入ってくれるので、ポジションを兼任しているのはルクリリだけだ。

 

「よし、次は横隊から斜行陣に移行だ。ラベンダー、私がしっかり指示するから慌てずに頼むぞ」

「は、はい! 迷惑かけないようにがんばります」

 

 クルセイダーの車長を務めていたときとは違い、みほは緊張でガチガチに固まっている。そのせいでルクリリに対する返答がいつもより丁寧になっていた。

 みほは優れた戦車乗りだが運転だけは苦手なのだ。運転技術だけなら、一年生の中でも下から数えたほうが早いぐらいである。

 

 そんなみほがマチルダⅡの操縦手をしているのは、遅すぎるマチルダⅡの操縦をローズヒップが拒否したからだ。ルクリリはマチルダⅡの車長を希望していたので、マチルダⅡはみほが操縦するしか選択肢がない。

 

「ローズヒップも少しは気合を入れるんだぞ。今日は砲撃訓練もあるんだからな」

「はーいですわ……」

 

 ローズヒップは普段と違って意気消沈している。猪突猛進ぶりはすっかり鳴りを潜め、今は魂の抜けたような顔でおとなしく砲手席に座っていた。

 ローズヒップはマチルダⅡに搭乗するとテンションが急激に下がるのだ。

 

 

 

「ラベンダー、前の車輌に近づきすぎてるぞ。減速、減速!」

「はい!」

 

 ルクリリはキューポラから身を乗り出して、みほに指示を出していく。片手に持ったティーカップの中身は大きく波打ち、今にもこぼれそうだ。

 

 戦車道を始めたばかりの生徒は、怖がってキューポラから上半身を出せないことが多い。

 それに加えて、聖グロリアーナは紅茶入りのティーカップを持つという制限もつくので、なおさらキューポラから上半身は出しづらい。

 

 今年の一年生の車長でキューポラから身を乗り出せるのは、みほとルクリリのみ。ルクリリがニックネームを与えられたのは、その度胸の良さと車長としての能力が評価されたからだ。

 

 今日の訓練もみほは大きなミスなくマチルダⅡを運転できた。

 みほが失敗せずにマチルダⅡを運転できる理由。それは的確な指示をくれるルクリリのおかげである。みほの運転下手を知ったルクリリが、自ら進んでキューポラから身を乗り出してくれた姿は、今もみほの目に焼きついていた。

 

 自分を助けてくれる友達がいる喜びを噛みしめながら、みほは今日も戦車道を楽しんでいる。

 

 

 

 茜色の夕暮れが照らす学園艦の街中を、みほ達はおしゃべりをしながら歩いていた。三人は同じ女子寮に住んでいるので登下校の時間も一緒だ。

 

「今日のお茶会は最高でしたわね。ダージリン様とご一緒できるなんて、超ラッキーですわ」

 

 マチルダⅡでガタ落ちしていたローズヒップのテンションは、ダージリンとのお茶会で完全復活した。それとは対照的にルクリリのテンションは下降気味である。

 

「私は眠気を我慢するのが大変だったぞ。ダージリン様の話は小難しいからな……」

「ダージリン様は格言とかことわざが好きだからね。私も意味がわからなくて混乱するときがあるよ」

 

 ダージリンは偉人の格言やことわざをよく会話に組みこんでくる。ダージリンの話を完璧に理解するためには、その格言やことわざの意味を知っていなければならない。格言にはスポーツや芸能関係の言葉が出てくるときもあるので、幅広い分野の知識が必要であった。

 

「わたくしもダージリン様のお言葉の意味は、これっぽっちもわかりませんわ。だけど、いつかきっとダージリン様のお考えを理解してみせるでございます」

「がんばってね、ローズヒップさん。私にできることがあればなんでも協力するから」

「頼んだぞ、ローズヒップ。お前がダージリン様の話し相手になれば私達は解放される」

「お二人の声援があれば勇気百倍ですわ。これからも日々精進いたしますわよー!」

 

 夕日に向かって叫びながら力強く拳を振り上げるローズヒップ。

 みほはそんなローズヒップの前向きなところが好きだった。中学時代に後ろ向きなことばかり考えていたみほには、ローズヒップの前向きさが輝いて見えるのだ。

 

 しばらく談笑しながら歩いていると、帰り道の途中にあるコンビニが見えてきた。

 多くの学園艦に店舗をかまえているこのコンビニは、学校帰りの生徒達の立ち寄りスポットになっている。みほ達もここにはちょくちょく訪れており、放課後に寄るのが最近の日課になっていた。

 

「私は立ち読みしてるから、終わったら声をかけて」

 

 ルクリリは買い物ではなく立ち読みがメイン。読んでいるのは漫画雑誌が主で、すでに棚に置かれている週刊誌を物色していた。

 漫画を探し始めたルクリリと分かれたみほとローズヒップは、店内の奥へと入っていく。目的地はお菓子やアイスが陳列されているコーナーだ。

 

「うーん、新しい商品がいっぱいあって悩むなあ。これはおいしそうだけど、あっちのほうが値段は安いし……」

「ラベンダーは相変わらず優柔不断ですわ。たまにはスパッと決めるのも大事でございますわよ」

「でも、どれもおいしそうだからやっぱり迷うよ」

 

 みほはアイスが満載されている冷凍ケースの前で、うんうんとうなっている。いろんな商品に目が引かれてしまうのはみほの欠点の一つで、新商品が発売されると決まってこうなってしまう。

 

「しょうがないですわね。わたくしは先に会計をすませて外で待ってますわ。では、ごめんあそばせー!」

 

 ローズヒップは飲み物とお菓子をささっと選ぶと、風のように去っていった。

 ローズヒップはダージリンの話に聞き入っていたので、今日のお茶会であまり飲食をしていない。さっきから腹の虫をグーグー鳴かせていたので、おそらくかなりお腹を空かせているのだろう。

 あまりローズヒップを待たせては悪いと感じたみほは、本腰を入れて商品を選ぶことにした。

 

 

 

 

 会計を終えたローズヒップは、コンビニの敷地内に設置されたテーブル席で買ってきたお菓子を食べていた。飲み物はペットボトル飲料だが、ローズヒップは鞄から取り出したティーカップにそれを注いでいる。

 

「やっぱりお飲み物をいただくのは、ティーカップが一番でございますわ。いつダージリン様からお茶会に誘われてもいいように、マイカップを持ち歩く。これも淑女のたしなみですわね」

「淑女は通学路で堂々と買い食いはしないわよね? そうでしょ、ローズヒップ」

「へっ?」

 

 ローズヒップが声のしたほうに顔を向けると、そこにはアッサムの姿があった。

 

「アッサム様!」

「下校途中で買い食いをしてはいけないとあれほど教えたのに……残りの二人もここにいるはずよね? 呼んでくるからここで待っていなさい」

 

 ローズヒップをその場に待たせ、アッサムはコンビニへと入っていく。

 目当ての二人のうち、ルクリリのほうはすぐに見つかった。出入り口付近の本が陳列されているコーナーで漫画雑誌を読んでいたのだ。

 アッサムは静かに近づくと、ルクリリの肩を軽く叩いた。

 

「お、もう終わったか。今日は早いな」

「淑女は立ち読みなんて下品な行為はしないもの。そう教えましたわよね、ルクリリ」

「げっ! アッサム様!」

「店内で大きな声は出さないの。それに、その言葉づかいも少しは直しなさいといつも言ってるでしょ」

 

 アッサムはルクリリの手をつかむと、残った一人を探すために店内を歩いていく。

 最後の一人であるラベンダーは、冷凍ケースの前で両手にアイスを持ちながら考えごとをしていた。

 

「決めた。こっちのアイスにしよう」

「食べたい物が決まってよかったですわね、ラベンダー」

「ふえっ!?」

「あなた達には、聖グロリアーナの流儀をもう一度叩きこむ必要がありますわね。ラベンダー、早く会計をすませてきなさいな」

 

 アッサムはそう言い残し、ルクリリの手を引いてコンビニの出入口へと向かう。

 一人残されたラベンダーは、アイス片手に青い顔をして立ちつくしていた。

   

 

 

 

 アッサムのお説教からようやく開放され、みほたちは重い足取りで女子寮に帰宅した。

 三人が住んでいる女子寮は外観がレンガ造りの三階建てマンション。入り口にはフロントがあり、女性管理人の門限のチェックはとても厳重であった。

 すでにあたりは薄暗くなっていたが、門限にはまだ時間がある。三人はフロントの管理人にあいさつをして女子寮に入ると、階段を上がって三階にあるみほの部屋までやってきた。

 

「ちょっと散らかってるけど、入って入って」

 

 三人は月に数回、それぞれの部屋に集まって夕食会を開いている。この女子寮には食堂がなく、自炊が推奨されているからだ。

 この日はみほの部屋で夕食会をする予定で、材料は昨日すでに購入してある。

 

「いつまでも失敗を引きずっていてはいけないですわ。さっそくお料理を作りますわよ」

「そうだね。今日は肉じゃがを作るんだっけ?」

「予定ではそうなってるな。アッサム様の説教はいったん忘れて、今は料理に集中しよう」

 

 三人は役割を決めて、てきぱきと料理を作っていく。聖グロリアーナ女学院は調理実習も教科に含まれているので、三人は料理が苦手ではなかった。

 英国ではあまり料理スキルは重視されていないが、ここは英国ではなく日本。お嬢様だからといって料理ができないようでは、日本では理想的な淑女とは呼べないのだ。

 

 作業を分担したのが功を奏し、肉じゃがをメインに据えた夕食は手早く完成した。調理実習のかいもあり、料理は見た目も味も悪くない出来に仕上がっている。

 先ほどまでの暗い雰囲気はおいしい料理のおかげで消えさり、三人は雑談に花を咲かせながら夕食の時間を楽しんだ。

 

 夕食の時間も終わりに差しかかったころ、時計で時間を確認したみほは慌ててテレビのスイッチを入れた。

 画面に映ったのは、両手に包帯を巻いて頭に大きな絆創膏を貼った、デフォルメされた熊のキャラクター。名をボコられグマといい、ボコという愛称で呼ばれている。

 

「あぶないあぶない。再放送があるのを忘れるところだったよ」

「あ、ボコですわ。今日もぼこぼこにやられるんですの?」

「うん。それがボコだから」

 

 テレビ画面では、ボコが三匹の猫のキャラクターに因縁をつけていた。ボコが様々な相手に突っかかり、返りうちにあってぼこられるのがボコのお約束だ。

 

「いつも負けてばかりだとワンパターンじゃないか? 私はたまには勝つ展開も見たいぞ」

「ダメだよ! ボコが勝ったらボコじゃなくなっちゃう。ボコはどんな強い相手にも立ち向かうけど、絶対に勝てないの!」

「わ、わかった。私が悪かった。ほら、今日もボコは負けてるぞ」

 

 ルクリリが指差したテレビ画面には、いつも通りやられているボコが映っている。それを見たみほはさっきまでの剣幕が嘘のように消え、すっかりテレビに夢中になっていた。

 

 みほは熱狂的なボコマニアである。部屋中に並べられているたくさんのボコのぬいぐるみが、それを物語っていた。普段は引っこみ思案でおとなしい性格のみほだが、大好きなボコのことになると感情がむき出しになるのだ。

 

 

 

 夕食の片づけを終え、食後の紅茶を飲んだあと、夕食会は解散となった。

 ローズヒップとルクリリがいなくなった部屋はしんと静まり返り、一人になった寂しさをみほに実感させる。みほはその寂しさをまぎらわせるために、お気に入りのボコのぬいぐるみを手に取った。

 

 今日という日を振り返ると、いつもより失敗が多かった気がする。アッサムからは過去最大級のお説教を受け、ボコのことではつい熱くなってしまった。

 みほが失敗にあまり落ちこまないでいられるのは、ローズヒップとルクリリがそばにいてくれるからだ。二人と一緒なら、失敗もいい思い出の一つにできる。

 

 明日も二人といい思い出を作れますように。

 みほはそう心の中で願い、ボコのぬいぐるみを力強く抱きしめた。



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第三話 ラベンダーと大洗

 大海原を進む聖グロリアーナ女学院の学園艦を朝の日差しが柔らかく照らしている。

 みほは今日も友達二人と一緒に登校しているが、いつもとは登校風景が違っていた。普段は早歩きで先頭を行くローズヒップが、今日は最後尾でとぼとぼと歩いているのだ。

 

「ローズヒップさん、元気出して。きっともうすぐクルセイダーも帰ってくるよ」

「そうだぞ、ローズヒップ。それにこの前、マチルダの砲撃訓練でアッサム様にほめられてたじゃないか」

「マチルダでほめられてもうれしくないですわ。ああ、クルセイダー、あなたは今どこにいるんですの?」

 

 ローズヒップの元気がない理由。それは、ここしばらくクルセイダーに搭乗していないからだ。マチルダⅡに搭乗し続けたことで、戦車を降りたあともローズヒップはおとなしくなってしまったのである。

 

「クルセイダーなら陸の整備工場で元気にやってるよ。だから今日もマチルダでがんばろうな」

「もう、もうマチルダは嫌ですの! クルセイダー、カムバーックですわー!」

 

 ローズヒップは両手を口元に添え、空に向かって叫んだ。今までのうっぷんを晴らすかのような大声のせいで、通行人からは奇異の目で見られてしまう。

 みほはそんなローズヒップに対し、申し訳なさそうに声をかけた。

 

「ごめんね、ローズヒップさん。クルセイダーが壊れちゃったのは、車長である私の責任だよ……」

 

 みほ達のクルセイダーは、先日行われた紅白戦で故障してしまった。

 原因は速度制限用のリミッターの解除。クルセイダーはリミッターを外すことで時速60㎞近いスピードを出せるが、その分エンジンに多大な負荷がかかる。クルセイダーのリミッターを解除したのはこれが初めてだったが、運悪くエンジンは寿命を迎えてしまったのだ。

 

 整備科の生徒ではお手上げ状態だったクルセイダーは、本格的な修理を受けるために陸の整備工場に運ばれている。クルセイダーがいつ戻ってくるのか、現状では見通しはまったく立っていない。

 

「ラベンダーのせいではないですわ。ダージリン様の前でいい格好をしようとしたわたくしが悪いのでございますわ……」

「私もラベンダーも最終的にはローズヒップの意見に賛同したんだ。全員に責任があるでいいじゃないか。私たちはチームだからな、何があっても一蓮托生だ」

「それってたしか、どんな結果でも最後まで運命や行動を共にするって意味の言葉だよね。お茶会でダージリン様が話してたから、私もよく覚えてるよ」

「今の私達にぴったりの言葉だろ。ダージリン様の難しい話もたまには役に立つな」

 

 ダージリンの話の最中によく居眠りをしていたルクリリであったが、ここ数日はまじめに話を聞いていた。

 アッサムに指摘されていた言葉づかいも大幅に改善。今ではルクリリがお嬢様言葉を使わないで話すのは、みほとローズヒップの前だけだ。

 

 ローズヒップがおとなしくなったのと、ルクリリの態度が良くなったことで、アッサムに怒られる回数も減少した。この分なら、問題児トリオの汚名を返上する日は案外近いのかもしれない。

 

「ところで、クルセイダーはどこに運ばれたんですの?」

「茨城県の大洗ってところだ。どうして大洗なのかは私もよくわからないけどな」

「大洗は昔戦車道が盛んだったの。大洗女子学園の学園艦で直せなかった戦車は、大洗町の整備工場で修理してたんだよ。もう二十年も前に大洗女子学園の戦車道は廃止になっちゃったけど、大洗町の整備工場はまだ現役で稼動してるんだ」

「ラベンダーは大洗に詳しいですわね。お知り合いが住んでたりするのでございますか?」

「大洗女子学園は進学先の第一候補だったの。中学のころ、戦車に乗るのが嫌になった時期があったから、最初は戦車道がない学校に進学したかったんだ。けど、西住流の看板を背負ってる私が戦車道から逃げるのをお母さんは許してくれなくて……。それがきっかけで喧嘩になっちゃったの」

 

 みほは悲しい顔で目を伏せた。

 母と喧嘩をし、姉に暴言を吐いたあの日以降、二人とは会話らしい会話をしていない。家族と疎遠になる原因を作ってしまったのをみほは深く後悔していた。

 

「大丈夫ですわよ、ラベンダー。わたくしも小さいころは家族と殴り合いの喧嘩をしたでございますけど、今はみんな仲良しですわ」

「私だって親とはよく口喧嘩してたし、誰だって一度や二度は親と喧嘩ぐらいするさ。今はつらいかもしれないけど、あんまり気に病まないほうがいいぞ」

 

 ローズヒップとルクリリはみほを必死に励ましてくれる。

 みほは今まで、家族や西住流のことは二人にあまり話さないようにしてきた。二人の自分を見る目がラベンダーから西住みほに変わってしまうのを恐れたからだ。

 

 大洗の名前が出たことでうっかり口を滑らせてしまったが、みほの不安は杞憂だった。二人は西住流など気にもせず、みほを励ますのを一番に考えてくれたのである。

 二人の目に映っているのは西住流の西住みほではなく、聖グロリアーナのラベンダーなのだ。

 

「二人ともありがとう。私、大洗女子学園じゃなくて聖グロリアーナ女学院に入学して本当によかった。だって、こんなにステキな友達に出会えたんだもん」 

 

 感謝の言葉を口にするみほの目にはうっすらと涙が浮かんでいた。

 

 

 

 それから数日後、みほ達は訓練後のお茶会の最中に隊長室へ呼び出された。三人がアールグレイから呼び出しを受けるのはこれが初めてだ。

 

 隊長室に向かう途中の三人の表情には緊張感が漂っていた。アールグレイが苦手なみほはとくにそれが目立ち、顔からは血の気が引いている。

 

 ほどなくして隊長室に到着した三人は、ルクリリを先頭に部屋に入っていく。みほが入室したのは一番最後であった。

 隊長室は中世ヨーロッパの貴族の部屋をイメージした作りになっており、部屋を彩る家具は一目で豪華なものだとわかる。その隊長室の中央に置かれたソファーで、アールグレイは上品に紅茶を飲んでいた。

 

「失礼します。ルクリリ、ローズヒップ、ラベンダーの三名、お呼び出しに従い参りましたわ。アールグレイ様、ご用件はなんでございますか?」

 

 ルクリリが先陣を切ってアールグレイに問いかけた。怯えるみほと本調子ではないローズヒップを守るように、体は二人より一歩前に出ている。

 

「そんなにかしこまる必要はありませんよ。あなた達をここへ呼んだのは、お願いしたいことがあったからなの。だからそんな不安な顔はしなくていいのよ」

 

 アールグレイは笑顔でみほ達に優しく語りかけてくる。

 その表情を見たみほは、不安や恐れの気持ちが少しずつ薄れていくのを感じていた。中学時代の苦手な同級生は、あんな綺麗な笑顔を見せたことは一度もなかったからだ。

 

「あ、あのっ! アールグレイ様の頼みごとってなんですか?」

 

 みほは勇気を奮い立たせてアールグレイに話しかけた。

 アールグレイはあの同級生と容姿が似ているだけで、何も怖がる必要はない。いつまでも過去の幻影に怯えていてはアールグレイに失礼だ。

 

「あなた達には、大洗の整備工場にクルセイダーを受け取りに行ってもらいたいの。学園艦は明日の早朝には大洗港に入港する予定ですから、午後の戦車道の授業中に向かってもらうことになりますわ」

「アールグレイ様、それはマジでございますか!」

「ええ。時間がかかってしまいましたけど、クルセイダーが直ってよかったですわね」

「やったでございますわ! 直ったばかりのクルセイダーに一番乗りできるなんて、超ハッピーですわ!」

 

 ローズヒップは喜びを爆発させ、ガッツポーズをしながらぴょんぴょん飛び跳ねている。先ほどまでのおとなしい様子とはまるで別人であり、さすがのアールグレイも驚いたような表情で固まってしまった。

 

「よ、喜んでもらえたようでなによりですわ。それとは別にもう一つお願いがあって、実はその整備工場には聖グロリアーナのお客様が来ているの。申し訳ないのだけど、クルセイダーを受け取ったら彼女を学園艦まで送ってほしいのです」

 

 アールグレイは一枚の写真をみほ達に見せた。

 写真には小学生ぐらいの少女が写っている。銀色の長い髪をサイドテールにしており、手にはボコのぬいぐるみが握られていた。

 

「お客様はこの子よ。名前は島田愛里寿さん」

 

 島田という苗字はみほには聞き覚えがあるものだった。

 日本には西住流と双璧をなす代表的な戦車道の流派がある。

 その流派の名は島田流。

 島田流は集団よりも個の力を重視し、あらゆる状況に柔軟に対応するのを得意とする流派。集団の力強さに重きを置く西住流にとって、島田流はライバルといえる存在である。

 

 島田流が一瞬頭をよぎったみほであったが、そのことはすぐに忘れさられた。みほの興味は、すでに少女が持っているボコのぬいぐるみへと移っていたからだ。

 

「この子もボコが好きなのかな? 貴重なレアボコを持っているなんて、ただものじゃないよ」

「そうかしら? 私には違いがよくわからないけど……」

「全然違うよ! 両目を怪我してるタイプのボコには滅多にお目にかかれないもん!」

「そ、そうね。よく見てみたら、ラベンダーの部屋にあるボコとはまったく違いますわ」

「ルクリリはうかつ者ですわね。同じ失敗を何度も繰り返すようでは、上品なお嬢様にはなれないでございますわよ」

「お前にだけは言われたくないわ!」

 

 みほの突然の豹変とルクリリの乱暴な言葉づかいに、アールグレイは目を丸くしている。

 もしこの場にアッサムが同席していたら、久しぶりのお説教タイムが始まっていただろう。

 

「こほん、では頼みましたよ。大事なお客様なのですから、くれぐれも粗相のないようにお願いしますわね」

 

 

 

 翌日、午前中の授業を終え昼食を終えたみほ達は、大洗港からバスに乗り整備工場へと向かった。

 整備工場はバスを使って一時間ほどかかる場所にある。三人は陸の景色を見ながら短いバスの旅を楽しむことにした。

 

 バスは海沿いの道を北上し、目的地に向かって進んでいる。途中で渋滞もなく移動は順調であったが、ゴルフ場の看板を越えたあたりからみほが急にそわそわしだした。

 

「ラベンダー、どうしたのでございますか? もしかしておトイレですの?」

「ち、違うよ。ちょっと看板を探してるの。このあたりにあるはずなんだけど……」

「どんな看板なんだ? 私たちも探すのを手伝うぞ」

「ありがとう。実は……あっ! 見つけた!」

 

 窓側の座席に座っていたみほが指差した先にあったのは、薄汚れたぼろぼろの看板。ボコの絵が描かれたその看板には、ボコミュージアム500m先左折と書かれてある。

 

「ローズヒップ、私は今猛烈に嫌な予感がしてるんだが……」

「わたくしもでございますわ。今のうちに覚悟を決めておいたほうがいいかもしれないですわね」

 

 浮かない表情の二人とは違い、みほは輝くような笑顔で徐々に小さくなっていく看板を見つめていた。  

  

 

 

 整備工場に到着したみほ達は、工場の女性スタッフに案内されて戦車が格納してあるガーレジへとやってきた。

 この整備工場は戦車の販売も手がけており、ガレージの中には様々な戦車が並んでいる。その一角にある英国戦車が集合している場所に、ぴかぴかに磨かれたクルセイダーの姿があった。

 

「クルセイダー! こんなに凛々しい姿になって、やっぱりあなたは最高ですわ!」

 

 ローズヒップは大喜びでクルセイダーに飛びついた。

 そこまでなら微笑ましい光景だったのだが、ローズヒップは喜びのあまり車体に頬ずりを始めてしまう。それを見た女性スタッフは、お嬢様とは思えないローズヒップの奇行にドン引きしていた。

 

「あ、あの。こちらに受け取りのサインをお願いできますか?」

「わかりました。これでいいでしょうか?」

「申し訳ありません。本名ではなく、ニックネームでお願いします。聖グロリアーナ女学院のお客様とは、いつもニックネームでやり取りしておりますので」

「ふえっ!? ご、ごめんなさい……」

 

 みほは慌てて西住みほというサインを二重線で消し、隣にラベンダーと書き直した。

 

「ありがとうございます。この度はわざわざご足労願うことになってしまい、大変申し訳ありませんでした。本来ならこちらの車輌と一緒にお届けに上がる予定だったのですが、手配ミスで大型の運搬車輌が用意できなくなってしまって……。引き取りに来ていただけたのは本当に助かりました」

 

 女性スタッフが手のひらで指し示した先には、濃い緑色のごつごつした戦車が置かれていた。隣にあるクルセイダーよりもサイズは大きく、チャーチル歩兵戦車を小さくしたようなデザインだ。

 

「正面から見ると、少しチャーチルに似てるでございますわね。これはなんて名前の戦車なんですの?」

「これはクロムウェル巡航戦車だよ。すごく足が速い戦車で、クルセイダーよりも速く走れるの」

「マジですの!? 見た目だけだと、とてもクルセイダーより速いとは思えないですわ」

「聖グロリアーナは、マチルダとクルセイダーとチャーチルしか使用できないんじゃなかったかしら? OG会の圧力があるから、別の戦車は導入できないって話を聞いたことがありますわ」

 

 女性スタッフがいるのでお嬢様モードになっているルクリリが指摘した通り、聖グロリアーナの戦車道はOG会の強い影響下にある。

 

 戦車道はお金がかかる武芸。戦車の購入費や整備費はもちろん、燃料や砲弾などの消耗品費にも多額の出費をともなう。

 そんな聖グロリアーナの戦車道を財政的に支えている組織。それが卒業生で構成されているOG会である。OG会の援助のおかげで、聖グロリアーナはいっさいお金に困らず戦車道を行えるのだ。

 

 貧乏な高校が聞いたらうらやましがられる話かもしれないが、援助をもらえるのはいいことばかりではない。OG会は聖グロリアーナの戦車道チームに、使用する戦車の車種や戦術などで注文をつけてくるからだ。

 他の強豪校に比べて聖グロリアーナの戦車が劣っているのはOG会が原因であった。

 

「OG会の了承がないと新しい戦車は買えないはずだよ。アールグレイ様は許可を取ったんだと思うけど、急にどうしたんだろう?」

「クロムウェルを購入したいという連絡があったときは、私共も驚きました。去年まではクルセイダーの購入を検討されていましたからね。それでは、私は島田愛里寿様をお連れします。しばらくこの場でお待ちください」

 

 女性スタッフはその場で一礼すると、きびすを返してガレージを退出した。

 クロムウェルが気になったみほであったが、島田愛里寿の名を聞いた瞬間、クロムウェルの存在は即霧散。みほの頭の中は、愛里寿と早くボコの話がしたいという思いで埋めつくされてしまった。

 

 

 

 

 整備工場の応接室では、一人の少女が女性スタッフが来るのを待っていた。

 少女は持っていたボコのぬいぐるみを膝に乗せ、ぬいぐるみの腕を動かして遊んでいるように見える。しかし、無表情な顔でぬいぐるみをいじっている姿はとても楽しそうには見えない。

 

「お待たせしてすみません。ここを片づけたら、すぐに聖グロリアーナの生徒さんのところへお連れしますので、もうしばらくお待ちください」

 

 応接室に入室してきた女性スタッフは手にしていたバインダーを机に置き、応接室の片づけを始めた。片づけといっても、少女が飲んでいたお茶とお茶請けを下げるだけの簡単な作業だ。

 

 女性スタッフが片づけをしているなか、少女は机の上に置かれたバインダーを凝視している。正確にいうと、バインダーに挟まれた書類の受領欄のサインに注目していた。

 そこに書かれていたサインは、二重線で消された西住みほという名前とラベンダーという植物の名前。

 

「西住みほ……ラベンダー?」

 

 少女は女性スタッフが片づけを終えるまで、不思議そうな表情でその名前を見続けていた。



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第四話 ラベンダーと島田愛里寿

 大洗町の海沿いの道をブルーグレー色の戦車が走っていた。

 時速約40kmで走るその戦車は、車線をはみ出すことなく道路をまっすぐに進んでいる。途中でカーブに差しかかってもその綺麗な走りは変わらず、走行が乱れるようなこともない。

 

 戦車は対向車や同一車線の車に迷惑をかけず安全運転で走行中。その走りにはなんの問題もなかった。一つ問題があるとすれば、その安全運転をしているのが戦車だということだ。

 

 戦車の後方から、サイレンを鳴らしたパトカーがすごいスピードで走ってくる。パトカーは戦車のすぐ後ろに近づくと、助手席の警察官が拡声器を使って戦車に停止命令を出した。

 

「そこのブルーグレーの戦車! 止まりなさい!」

 

 拡声器で呼びかけている警察官の額には汗が光っている。もし戦車が暴走でもしようものなら、パトカーなどひとたまりもない。彼にとってはまさに命がけの交渉である。

 

 警察官が必死に呼びかけを続けていると、戦車の砲塔部のハッチが開いた。そこから顔を覗かせた人物を見た警察官は驚きのあまり固まってしまう。

 無骨な戦車から出てきたのは、群青色のセーターを着た穏やかそうな顔の女の子だったからだ。

 

 

 

 

 警察から解放されたみほ達は、海沿いにある公園の駐車場で休憩をとっていた。

 駐車場からは海が一望でき、気分転換をするにはもってこいの雄大な自然の風景が広がっている。三人はクルセイダーの上で風景を楽しみながら、先ほどの出来事について話し合っていた。

 

「まさかおまわりさんに職務質問される日が来るなんて、夢にも思わなかったですわ」

「うん。ローズヒップさんが戦車の免許を持っていて本当によかった。もし警察署に連れていかれたら、二度と実家に帰れないところだったよ」

「いくらなんでも逮捕はされないだろ。ローズヒップが免許を持っていなかったら、アールグレイ様は私達には頼まなかっただろうし」

 

 三人の中で戦車の免許を持っているのはローズヒップのみ。みほも学園艦にある免許交付センターで試験を受けたのだが、結果は不合格であった。ルクリリに至っては試験を受けてすらいない。

 

「それにしても、戦車道は世間ではマイナーな武芸だったんだな。あの若い警察官、最後まで私達の話を疑ってたぞ」

「私の地元では有名なんだけどね。熊本なら、戦車が道路を走ってても誰も驚かないもん」

「それより、わたくしは免許を偽造扱いされたのが許せないですわ。ダージリン様にほめてもらったこの免許は、わたくしの宝物なんですのよ」

「免許証の写真が笑顔でピースサインしてたら、私だって不審に思う。よくこの写真でOKが出たな」

 

 ローズヒップの免許が変なのは写真だけではない。

 有効期限の欄には年月日が書かれておらず、とりあえず今のところ有効と書かれている。何も知らない人が見たら、偽物と思われても仕方がない適当さだ。

 

「戦車道は女性の武芸だから男の人には馴染みが薄いのかも。大洗は戦車道が廃れてるし、興味がなければ年配の人ぐらいしか知らないんじゃないかな?」

「戦車道は乙女のたしなみでございますからね。殿方には理解しにくい武芸なのかもしれないですわ」

「まあ、ともかく無事に解放されてよかったじゃないか。ところで、愛里寿はどこに行ったんだ?」

「愛里寿ちゃんはお手洗いに行ってるの。もうすぐ戻ってくると思うよ」

「あ、戻ってきましたわ。愛里寿さーん! クルセイダーはここですわー!」

 

 ローズヒップの呼びかけに反応した少女は、クルセイダーに向かってゆっくりと歩いてくる。

 彼女の名前は島田愛里寿。聖グロリアーナのお客様で、三人が学園艦までエスコートしている小学六年生の少女である。

 

 すでに整備工場で簡単な自己紹介はすませている。にもかかわらず、みほはまだ愛里寿とうまく会話ができていなかった。ラベンダーというニックネームを名乗った途端に、愛里寿はみほを警戒し始めたのだ。

 

 みほは愛里寿とボコの話をしたいと思っているが、愛里寿は内向的な性格のようで積極的に話しかけてはこない。ボコの話をするにはみほから会話をするしかないのだが、それにはまず愛里寿の警戒を解く必要があった。

 

 みほには秘策がある。愛里寿がボコを好きなら、あの場所に行けばきっと仲良くなれるはずだ。あそこには初めから立ち寄る予定だったので、みほにとっては好都合でもある。

 

「愛里寿ちゃんも戻ってきたし、そろそろ出発しようよ」

「そうですわね。いつまでも油を売ってないで、早く学園艦に戻りますわよ」

 

 口調をお嬢様に切り替えたルクリリに向かって、みほは静かに首を横に振った。 

 

「ルクリリさん、目的地は学園艦じゃないよ。大洗に来たからには、私はあの場所へ行かないといけないの」

「……そんな予感はしてた。ええい、こうなりゃヤケだ! どこへでも付き合ってやる!」

「わたくし達の覚悟はとっくに完了済みでございますわよ!」

 

 突然騒ぎ出したルクリリとローズヒップの姿を見た愛里寿は、目を白黒させている。そんな愛里寿にみほは満面の笑みで語りかけた。

 

「愛里寿ちゃん、ちょっと寄り道をするね。大丈夫、とっても楽しいところだから心配しなくても平気だよ」

 

 

 

 みほ達が愛里寿を連れてやってきたのは、ぼろぼろに荒れた洋風のお城のような建物であった。屋根には所々にボコのオブジェが設置してあり、看板には大きな文字でボコミュージアムと書かれている。

 それを見た瞬間、今まで感情を表に出さなかった愛里寿が一気に破顔した。

 

「ボコミュージアムだー!」

「やっぱり愛里寿ちゃんもボコが好きだったんだね。私は今日初めてここに来たんだけど、いつか絶対に来たいと思ってたの」

「ねえ! 入ってもいい!」

「いいよ。今日は思いっきり楽しもうね」

 

 みほと愛里寿はすっかり仲良しだ。とくに愛里寿は、みほに対する警戒心など最初からなかったかのような変わり様である。

 ハイテンションな二人とは違い、ローズヒップとルクリリは唖然とした表情でボコミュージアムを見つめていた。

 

「ここは本当に入って大丈夫なのか? 肝試しに使う廃墟にしか見えないぞ」

「わたくし達以外は人っ子一人いないですわね。もしかしたら、今日はお休みなのかもしれないですわ」

「二人とも何してるのー。早く入ろうよー」

 

 みほと愛里寿はすでにボコミュージアムの建物に入っており、入り口から手招きをしている。どうやら今日は通常営業のようだ。

 ローズヒップとルクリリは顔を見合わせると、意を決してボコミュージアムの内部へと足を踏み入れた。 

 

 

 

 ボコミュージアムは館内も外装同様ぼろぼろの有様。壁や床は薄汚れ、天井には無数の蜘蛛の巣が張っている。経費節減のためなのか照明も薄暗く、お化け屋敷だと思われても不思議はなかった。

 みほと愛里寿はそんなことは気にもとめずにはしゃぎ回っている。お出迎えのボコロボットに大喜びし、ボコだらけのライド型アトラクションでは目をキラキラさせていた。

 

 ローズヒップとルクリリは二人に食らいつくのに必死だ。今のみほと愛里寿は行動力にあふれており、少しでも目を離せばすぐに見失ってしまうからである。

 なんとか二人に置いていかれずにすんだローズヒップとルクリリだが、小劇場に入ったころにはもうへろへろであった。

 

「このキャラクターショーが終われば、全アトラクション制覇だ。最後まで気を抜くなよ、ローズヒップ」

「もっちろんでございますわ」

 

 疲れ切っているローズヒップとルクリリだが、決して弱音は吐かない。二人のその姿からは、ボコミュージアムを心の底から楽しんでいるみほと愛里寿への気づかいが感じられた。

 

 キャラクターショーの主役は当然ボコ。

 ショーの内容もテレビシリーズと同じで、些細なことでボコが喧嘩を売るいつものスタイルだ。 

 

 今日のボコの対戦相手は白猫と黒猫とネズミの三人組。

 ボコは先手必勝とばかりに殴りかかるが、攻撃が当たる直前に転んでしまい、三人組に踏みつけられてしまう。テレビシリーズでは、ボコがこのままぼこぼこにされて物語が終了するのがお決まりのパターンだ。

 

 ところが、このキャラクターショーはテレビとは展開が違っていた。痛めつけられているボコが、観客に向かって声援を送ってほしいと呼びかけてきたのだ。

 

「みんなー、おいらに力を分けてくれー」

 

 ボコの呼びかけを聞いたみほと愛里寿はすぐさま反応し、ボコに声援を送った。

 

「がんばれ、ボコ!」

「ボコー! 負けないでー!」

 

 みほと愛里寿は大きな声でボコを応援しているが、小劇場にはみほ達しか観客がいない。そのせいでいまいち声援が足りず、ボコは立ち上がることができなかった。

 それを見たローズヒップとルクリリは、すっと立ち上がると大声でボコの応援を始めた。

 

「ボコさーん! がんばってくださいましー!」

「ボコ! 根性見せろ! いつも負けっぱなしで悔しくないのかー!」

 

 熱心に声援を送るローズヒップとルクリリに負けじと、みほと愛里寿も立ち上がる。四人の大きな声援は小さな劇場にしっかりと響き渡り、ついにボコの元へと届いた。

 

「みんな、ありがとう。みんなの声援のおかげでおいらはまだ戦える。お前ら、覚悟しろ!」

 

 ボコは立ち上がると再び三人組に殴りかかった。

 ヒーローショーなら逆転勝利する場面であるが、残念ながらボコは勝利できないキャラクター。ボコの攻撃はまたも空を切り、二度目のぼこられタイムが始まった。

  

「くそっ! この展開でも勝てないのか」

「それがボコだから」

「納得できるか! 立てー! ボコ、負けんなー!」

 

 ルクリリはステージに駆け寄ると、床を両手で叩いてボコに奮起を促した。アッサムが見たら卒倒しかねない蛮行である。

 それを見たみほとローズヒップは慌ててルクリリを止めに入った。このままではキャラクターショーの進行に支障をきたしてしまう。

 

「ルクリリさん、ボコは負けないから。大丈夫だから」

「興奮しすぎですわよ。深呼吸して気を確かに持つのでございますわ」

 

 みほ達がどたばたしている間にステージにはボコしかいなくなっていた。

 叩きのめされたボコはうずくまって動かない。そんなボコを愛里寿は心配そうな視線で見つめている。その愛里寿の様子を察したのか、ボコはばっと起き上がると元気な声でこう言い放った。

 

「明日もがんばるぞ!」

 

 ボコのセリフと共にステージの幕が下りる。最後に少しトラブルはあったが、無事にキャラクターショーは終了したようだ。

 

「ボコー。明日は勝てるよー」

 

 愛里寿はボコに惜しみない拍手を送っている。

 みほはそんな愛里寿の姿を見ながらルクリリに優しく語りかけた。

 

「ね、ボコは負けなかったよ。どんなに痛めつけられてもボコの心は折れないの」

 

 

 

 キャラクターショーを見終わったみほ達は、ボコミュージアム内のお土産屋へとやってきた。

 店内にはボコの様々なグッズが置かれており、どこを見渡してもボコだらけである。 

 

「さっきはごめん。頭に血がのぼりすぎた」

「気にしなくていいよ。ルクリリさんがボコにあれだけ熱心になってくれて、私はうれしかったし」

「ルクリリはカルシウム不足かもしれないですわ。明日から毎日牛乳を飲んで、わたくしと一緒にお淑やかなお嬢様を目指すでございます」

 

 ルクリリは先ほどの失態に反省しきりであった。

 そんなルクリリをみほとローズヒップはそれぞれの言葉で励ましている。失敗が多い三人は、ミスをしてもこうやって励まし合うのが当たり前になっていた。 

 

「三人は仲がいいんだね」

「うん。私達は友達だもん」

「友達……」

 

 愛里寿は友達という言葉をつぶやいたあと、難しそうな顔で沈黙してしまった。

  

「愛里寿ちゃん、どうかしたの?」

「私、友達ってよくわからないの。今まで戦車の訓練と学校の勉強ばかりしてきたから、友達なんて一人もいなかったし……」

 

 愛里寿はそこでいったん言葉を切ったが、再びぽつぽつと語りだした。

 

「お母様は私が戦車を上手に扱えて、テストでいい点数を取ればほめてくれたの。だから、これまでは別に友達がいなくても問題ないんだって、ずっとそう考えてた。だけど、三人が仲良くしてるのを見てたら、私も友達がほしいなって思ったの……」

 

 愛里寿の告白を聞いたみほは、衝撃のあまりしばらく言葉を失ってしまう。愛里寿の境遇があまりにもみほと酷似していたからだ。

 

 島田という苗字を聞いたときに思ったことがみほの頭をよぎる。

 おそらく、愛里寿は島田流の血を引く娘なのだろう。みほも小学生時代は西住流の修行に明け暮れていたので、愛里寿の気持ちが痛いほどよくわかった。

 

 できれば自分が愛里寿と友達になってあげたいが、それを簡単に口にはできない。

 西住流と島田流はライバル関係。島田流の娘と仲良くしているのを母が知れば、きっといい顔はしないだろう。 

 

「それなら、わたくし達とお友達になればいいんですわ」

「えっ。……いいの?」

「愛里寿が嫌じゃなければな。ラベンダーもいいだろ?」

 

 ローズヒップとルクリリは、愛里寿が望んでいるだろう言葉を簡単に言えてしまう。それに比べて、みほはあれこれと理由をつけて悩み、何も答えが出せずにいた。

 二人のように思いをはっきりと言えるようになりたい。そう意を決したみほは、正面から愛里寿の目を見据えた。

 

「もちろん。今日から私達と愛里寿ちゃんは友達だよ」

「ありがとう。……とってもうれしい」

 

 みほ達は愛里寿と友達になった記念に、小さなボコのぬいぐるみを一つずつ購入した。

 みほが選んだのは自分のニックネームでもあるラベンダー色のボコ。本当は激レアボコとポップに書かれていた商品が欲しかったのだが、一つしかなかったのでそれは愛里寿に譲ったのだ。

 

 四人は思い出の品を購入してお土産屋をあとにする。すでに時刻は夕方になっており、もうすぐボコミュージアムが閉館する時間だ。

 

「よし、今度こそ学園艦に戻るぞ」

「ごめんね、長い時間付き合わせちゃって」

「それは言いっこなしですわ。わたくし達も今日は楽しかったですわよ」

 

 みほ達が雑談しながら歩いていると、前を歩いていた愛里寿が急に立ち止まった。突然のことに驚いた三人も愛里寿につられて歩みを止める。

 三人が立ち止まったのを確認した愛里寿は、その場でくるっと反転すると感謝の言葉を口にした。

 

「あの、今日は私も楽しかった。ボコミュージアムには何回も来たけど、こんなに楽しかったのは初めてだった。いつもは一人だったけど、今日はみんなが一緒にいてくれたから……ありがとう」

 

 素直な気持ちを言葉にした愛里寿は、頬を赤く染めて恥ずかしそうにしている。

 そんな愛里寿の姿を見たみほは、友達の素晴らしさを改めて感じるのであった。

 

 

 

「あなた達、今回ばかりは少しおいたがすぎたようね。アールグレイ様はとても心配なさっていたわよ」

 

 みほ達はかつてないプレッシャーを感じながら、目の前の人物に相対していた。なかでもローズヒップはかなり動揺しており、さっきから足が震えっぱなしだ。

 

「あなた達には、聖グロリアーナの生徒であるという自覚はないのかしら? 大事なお客様を連れ回して遊びに行くなんて、許されることではないわ」

「ダージリン様、全部私が悪いんです。私が二人を無理矢理巻きこんだんです」

「ラベンダー、私は首謀者を探しているわけではなくってよ。あなた達は三人一組のチームなのだから、責任は三人で負う必要がある。一蓮托生という言葉、前にも教えたわよね」

 

 学園艦でみほ達を待ちかまえていたのはダージリンであった。いつもなら真っ先にお説教をするアッサムは、ダージリンの後ろで心配そうな顔をして三人を見ている。

 愛里寿はすでにここにはいない。ダージリンと一緒に三人を待っていたクルセイダー隊の隊長が、アールグレイのところへ連れていったのである。

  

「あなた達には罰を受けてもらいます。聖グロリアーナに古くから伝わる伝統的な罰をね」

「ダージリン、待ってください。もしかしてあれを使う気ですか? あれは危険です。この子達も反省していますから、あれだけは許してあげてください」

「ダメよ、アッサム。ここでこの三人を甘やかしたら他の生徒に示しがつかないわ。それに、この件はアールグレイ様もすでに了承済み。この決定をくつがえすことはもうできなくってよ」

 

 普段冷静なアッサムが見せた慌てように、みほの不安と恐怖はどんどん増していく。一体どんな罰が待っているのか、みほには想像すらできない。

 

 ダージリンは明日の戦車道の訓練後に罰を執行するのを伝え、優雅な足取りでその場を立ち去っていく。みほ達はそんなダージリンの背中を無言で眺めることしかできなかった。

 

 ダージリンはそのまま立ち去るかと思われたが、途中で歩みを止めると三人のほうへと顔を向けた。

 どうやら、三人にまだ何か言いたいことがあるらしい。

 

「あなた達に古代ギリシアの哲学者、エピクロスの言葉を贈るわ。『困難が大きいほど、それを克服したときの栄光も大きくなる。熟練した操縦士は、嵐や暴風に耐えて名声を得る』。あなた達には期待しているのだから、この程度の罰など軽く乗りこえなさい」



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第五話 ラベンダーと欠陥戦車

 いつも通りの訓練が終わり、戦車道の授業もあとはお茶会を残すのみになった。

 生徒達は身だしなみを整えるために演習場をあとにするが、その場から動かない生徒が四人いる。愛里寿を連れ回した罪で罰を受けることになったみほ達と、引率役を任されたアッサムである。

 

「あなた達、私についてきて。ガレージでダージリンが待ってますわ」

 

 重苦しい空気のなか、戦車が格納されているガレージに向かってアッサムが歩き出した。

 それを見たみほ達も黙ってそのあとに続く。

 

 アッサムは普段使っているガレージの前を通りすぎ、少し離れた場所にある第二ガレージに向かっていた。

 第二ガレージ。そこは戦車の部品や砲弾などが置かれている倉庫のような場所だ。主に整備科の生徒が使用するため、みほ達が中に入ったことは一度もなかった。

 

 アッサムに連れられ、みほ達は第二ガレージまでやってきた。入り口の前には大きな段ボール箱が置かれているだけで、ダージリンの姿はない。

 アッサムは段ボール箱に近づくと中に入っている物を三人に手渡した。

 

「あなた達の助けになる物を用意しました。だけど、決して無茶はしないでね。無理だと思ったらすぐに連絡するのよ」

 

 アッサムから手渡されたのは、スポーツドリンクが入ったペットボトル数本と塩飴。そして、清潔感が漂う白いタオルであった。

 

「これからマラソンでもするのでございますか?」

「でも、私達タンクジャケットのままだよ。マラソンをするなら着替えるんじゃないかな?」

「この格好でマラソンをするのが罰なのかもしれませんわ。この短いスカートで走るのはかなり恥ずかしいですわよ」

「それなら大丈夫ですわ。短いスカートで走るのは制服で慣れてますの」

「お前はお淑やかなお嬢様を目指してるんじゃなかったのか?」

 

 みほ達の会話を聞いていたアッサムは、片手を額に当て弱々しく首を振った。ルクリリがうっかり言葉を崩してもノーリアクションなあたりに、アッサムの呆れて物も言えないという様子がうかがえる。

 

「ただのマラソンで私がここまで心配するわけないでしょ。聖グロリアーナの罰はそんなに甘くはありませんわ」

 

 アッサムはそう言い残すと、ガレージの中へと入っていく。

 アッサムの発言に不安をかき立てられたみほであったが、いつまでもここで突っ立っているわけにもいかない。みほは覚悟を決めると、友達二人と共にダージリンが待っているガレージの中へと歩を進めた。

 

 

 

 第二ガレージは、倉庫として使われているとは思えないほど綺麗に片づいていた。整備科の生徒は整理整頓もしっかりと教えこまれているようだ。

 

 みほ達が恐る恐るガレージを進んでいくと、多数の戦車が置かれている広い場所に出た。

 そこに置かれている戦車はどこか古臭く、年季が入っている物が多い。なかには聖グロリアーナでは珍しい米国製の戦車もあった。英国でスチュアートという愛称で呼ばれた、M3軽戦車だ。

 

「あら、遅かったわね。もう少しで紅茶が冷めてしまうところだったわよ」

「あ、みんなも来たんだ」

 

 そこには三人をこの場に招待したダージリンと、聖グロリアーナのお客様である島田愛里寿の姿があった。愛里寿は表情の変化こそ少ないが、声はどことなくうれしそうだ。

 二人はここでお茶会をしていたようで、即席のテーブルセットにはお菓子と紅茶が置かれている。先にガレージに入っていったアッサムは、テーブルのすぐそばで控えていた。

 

「主役の三人も到着したことですし、そろそろ始めましょうか。あなた達、あそこにある戦車が何かわかるかしら?」

 

 ダージリンの視線の先にあるのは、他の戦車と区別するように置かれている一輌の戦車。その戦車はサンドブラウンの塗装を施され、見た目はクルセイダーに似ていた。よく見ればクルセイダーよりも車体が短く、車高も低いのがわかるが、ぱっと見で判別するのは難しい。

 

「クルセイダーのご兄弟でございますか?」

「確かにクルセイダーそっくりですわね。ラベンダー、あの戦車はなんという名前なのかしら?」

「うーん、子供のころ図鑑で見たような気はするんだけど……」

 

 幼いころのみほは、姉と一緒に戦車の図鑑を見るのが好きであった。図鑑で調べた知識を元におもしろい作戦を考え、それを姉と実行して母を激怒させたこともある。

 目の前にある戦車はその図鑑に載っていたような気もするが、どうしても名前が出てこない。記憶に残っているのは、あの戦車の解説を読んで姉と一緒に笑い転げたことくらいだ。

 

「カヴェナンター」

「あ、そうだ! カヴェナンター巡航戦車だ。ありがとう、愛里寿ちゃん。私もだんだん思い出してきたよ」

 

 いつの間にかみほの隣に立っていた愛里寿は、すぐにあの戦車の名前を言い当てた。

 カヴェナンターという名前を聞いたことで、みほの脳裏にもあの図鑑の解説がよみがえってくる。

 

 図鑑に載っていたカヴェナンターの解説は、問題点や失敗談であふれていた。幼いみほには、ありえないミスを連発するカヴェナンターがとても愉快な戦車に見えたのである。西住流が使用していたのが優秀なドイツ戦車だったので、カヴェナンターのダメさ加減が余計目についたのだ。

 

「あのカヴェナンターは問題を起こした生徒の懲罰に使うのよ。カヴェナンターに搭乗して演習場の平原を一周してくるのが、聖グロリアーナの伝統的な罰なの」

 

 楽しかった子供のころの思い出に浸っていたみほは、ダージリンの言葉で一気に現実に引き戻された。

 問題を起こした生徒であるみほ達は、これからあのカヴェナンターに搭乗しなければならない。笑っていた失敗談を自分が体験することになったみほは、目の前が真っ暗になった。

 

「去年このカヴェナンターに搭乗した生徒は、すぐに白旗を上げて戦車道を辞めてしまったわ。あなた達はそんな無様な真似はしないわよね?」

「ダージリン様のご期待は絶ッ対に裏切りませんわ」

「いい返事ね。愛里寿様もご覧になるのだから、必ず最後までやり遂げなさい」

「お任せあれですわ!」

 

 カヴェナンターのことを何も知らないであろうローズヒップは、力強くそう宣言した。その答えにダージリンは満足そうな笑みを浮かべている。ローズヒップはダージリンに微笑んでもらえたのがうれしいのか、頬をほんのり赤く染めていた。

 その一方、これから始まる苦行に頭を悩ませていたみほの表情は冴えない。ダージリンの微笑みは、みほには悪魔の笑みにしか見えなかった。

 

 

 

 聖グロリアーナの広大な演習場をカヴェナンターがゆっくりと走行していた。

 巡航戦車と思えないようなのんびりとしたその走りは、まるで優雅なドライブをしているようである。それとは裏腹に車内は地獄の様相を呈していた。

 

「くそ熱いっ! なんなんだこの戦車は!」

 

 狭い砲塔の中にルクリリの叫びがこだまする。ルクリリは全身汗だくであり、顔からは滝のような汗が流れていた。

 

「ルクリリさん、がんばって。あと半分ぐらいだから。ローズヒップさん、スピードはこのままを維持してください」

 

 ルクリリを励まし、ローズヒップに指示を飛ばすみほも同じような状態だ。すでに下着まで汗でぐっしょりと濡れており、車長席の足元には汗で小さな水溜りができていた。

 

 なぜこんなことになっているのかというと、原因はカヴェナンターの設計ミスのせいだ。

 カヴェナンターのエンジンは液冷式なので、エンジンと冷却装置を配管でつなぎ冷却液を循環しなければならない。エンジンで温められた冷却液は、配管を通って冷却装置に送られ、冷やされてからエンジンに戻るのだ。

 

 カヴェナンターは車高を低くした影響でエンジンが車体後部に、冷却装置が車体前部に配置されていた。そのせいで配管が車内を通ることになり、高温の冷却液によって温められた配管の熱が車内を灼熱地獄に変えてしまう。

 カヴェナンターに搭乗する乗員は、このサウナ状態の車内で耐え続けなければならない。これが去年搭乗した生徒が即白旗を上げた理由だ。

 

「あと半分……。ローズヒップ、もっとスピードを上げろっ!」

「その言葉を待っていましたわよ、ラベンダー!」

「ローズヒップさん、待って! 今の指示は私じゃないよ!」

 

 ローズヒップがみほの指示だと勘違いしたのには訳がある。

 冷却装置が配置されているのは操縦席の隣。つまりローズヒップのいる場所は、この車内で一番高温になっている。そんなところに長時間もいれば、正常な判断ができなくなるのも無理はなかった。

 

「カヴェナンター、あなたの実力を見せるときがきましたわよ!」

 

 ローズヒップは喜び勇んでギアチェンジを行い、アクセルを踏みしめた。

 巡航戦車であるカヴェナンターは、整地で時速50km近いスピードが出せる。その速度を維持できれば、短時間でゴールするのも不可能ではない。

 

 もっとも、それができればみほは初めからスピードを上げる指示を出していた。みほがスピードを上げなかったのは、カヴェナンターの足回りの弱さを知っていたからだ。

 

「あれ? 動けませんわ?」 

「履帯が外れたんだ。一回外に出て直さないと……」

「どこまでへっぽこなんだこの戦車は!」

 

 カヴェナンターがスピードを出して曲がろうとした瞬間、簡単に履帯が外れてしまった。カヴェナンターは操舵装置の反応が良すぎるので、慎重に操縦しないとすぐ走行不能に陥ってしまうのである。

 

 

 

 みほ達がカヴェナンターの履帯を直し終えたころには、すでに太陽は夕日に変わっていた。

 三人はスポーツドリンクと塩飴で水分と塩分を補給したあと、体力と気力を回復させるための休憩をとっている。表情には疲労の色が濃く、誰も言葉を発することができない。

 

 みほは激しい後悔にさいなまれていた。ローズヒップとルクリリをこんな目にあわせているのは、みほの軽率な行動が原因だからだ。

 二人はみほを一言も責めたりしない。そのかわりに、みほは自分で自分を責め続けた。

 

 ──私が二人をひどい目にあわせている。

 ──私がしっかり指揮しないから、履帯が外れた。

 ──みんな私が悪い。

 

 自己嫌悪がどんどんエスカレートしていくなか、みほの瞳からは自然と涙がこぼれてくる。情けないと思いながらも自己防衛本能には逆らえず、みほは涙を止められない。

 

 そんなみほを救ってくれたのは、やはりこの二人であった。

 

「ラベンダー、ちょっと目をつぶっていてくださいまし。汗臭いかもしれないけど、そこは我慢してほしいですわ」

「またネガティブなことを考えてたんだろ。手を握っててあげるから、冷静になって心を落ちつけるんだ」

 

 ローズヒップがタオルでみほの涙を優しくぬぐい、ルクリリがみほの手をぎゅっと握りしめる。

 たったそれだけのことで、さっきまでみほを苦しめていた心の声は消え、あふれ出る涙も止まった。かけがえのない二人の友達がそばにいてくれるのが、みほにとっては何よりの救いなのだ。

 

「二人にみっともないところを見せちゃった」

「それはお互い様ですわ。わたくし達も、ラベンダーには恥ずかしい姿ばかり見せてきましたわよ」

「ローズヒップはいつも学校中を走り回っているからな。自覚があるなら走るのをやめたらどうだ?」

「一度走り出すと止まれないんですの。きっとこれは、わたくしのDNAに刻まれた本能なのでございますわ」

 

 したり顔でそう力説するローズヒップ。彼女のDNAにはマグロの因子でも入っているのかもしれない。

 

「ローズヒップの口からDNAなんて難しい言葉が出てくるとは思わなかった……」

「失礼なっ! これでもお勉強は得意でございますわよ」

「ふふっ、ローズヒップさんは意外と頭がいいもんね」

「ラベンダーまでそんなこと言うなんて、ひどすぎですわー」

「わわっ、冗談だよ冗談」

 

 先ほどまでのしんみりした空気は一変し、いつもの楽しい空気が戻ってきた。三人の表情には笑顔があふれ、疲れていた体も元気を取り戻したようだ。

 気分を一新させた三人は再びカヴェナンターに搭乗しようとするが、そこでルクリリが待ったをかけた。

 

「カヴェナンターに乗る前に私から提案がある。少しでも熱さに耐えるには、もうこうするしかないと思うんだ」

 

 ルクリリは赤いタンクジャケットのボタンを外し、勢いよくそれを脱ぎ捨てた。 

 タンクジャケットの下に着ていた白シャツは汗で濡れており、白いブラジャーが透けて見える。ルクリリのあられもない姿を目の当たりにしたみほとローズヒップは、思わず赤面してしまった。

 

「これで多少は熱さがましになるだろ。次こそは耐えてみせるぞ」

「はしたないですわ! ダージリン様が見ていらっしゃるんですのよ!」

 

 ダージリンと愛里寿は、演習場を見渡すために作られた司令塔の最上階で三人の様子を見ている。優雅とはかけ離れたルクリリの突飛な行動も、司令塔のビデオカメラにバッチリ収められているだろう。

 

「そんなこと言ってる場合じゃないだろ。水も残り少ないし、もうすぐ日も暮れる。この次失敗したらあとがないんだぞ」

「それはわかっているでございますけど……」

 

 ローズヒップは赤い顔で指をもじもじさせていた。女らしさの欠片もない行動が目立つローズヒップだが、憧れの人であるダージリンに恥ずかしい姿を見られるのは抵抗があるらしい。

 

 みほもローズヒップ同様、タンクジャケットを脱ぐのは恥ずかしいと思う気持ちが強い。それでも、みほはタンクジャケットのボタンを次々と外していった。自分を救ってくれたルクリリの思いを無視するわけにはいかない。

 

「私も脱ぐ。ルクリリさんだけに恥ずかしい思いはさせないよ」

「ラベンダーまで……。もうどうにでもなれですわ!」

 

 みほがタンクジャケットを脱いだことで、ついにローズヒップも観念した。

 ルクリリと同じ白シャツ姿になった二人は当然ブラジャーも透けて見える。みほはルクリリと同じ白いブラジャーで、ローズヒップは赤いブラジャーであった。皮肉なことに最後まで渋っていたローズヒップが、三人の中で一番目立つ格好になってしまっている。

 

 そんなローズヒップが勢いよく挙手をした。どうやら彼女にも何か考えがあるようである。

 

「わたくしからも提案ですわ。この前ネットで見た元気が出るおまじないを三人で一緒にやりますわよ」

 

 ローズヒップがみほとルクリリの立つ場所を指定し、三人は三角形になる状態で向かい合う。中央にいるローズヒップが右手でみほの左手を握り、左手でルクリリの右手を握る。みほの右手にはルクリリの左手を握らせ、三人の腕がクロスするような形でつながった。

 

 その状態のまま三人は腕を前後させる。これでおまじないは完成であった。

 

「最後までがんばりますわよー」

「もうひと踏んばりだからな。諦めずにがんばるぞ」

「私もがんばる。もう二人に迷惑はかけない」

 

 三人がそれぞれの思いを口にし、決意を新たにする。

 ローズヒップとルクリリの温もりを心地よく思いながら、みほは二人との絆が強くなったのを実感していた。

 

 

 

 

「あの子達はなんて格好をしてるのよ……」

 

 司令塔の最上階でアッサムは頭を抱えている。

 演習場全体を映している大小様々なモニター。その中でも一番大きい中央のメインモニターには、懲罰中の三人が仲良く手をつないでいる姿が映っていた。

  

「アッサム、そんなに悲観しなくてもよくってよ。あの子達が変な行動をするのはいつものこと、今さら気にする必要はないわ。それに、こんな格言もあるわよ。『欠点の中には、美点に結びついて美点を目立たせ、矯正しないほうがよいという欠点もあるものである』」

「えーと……ちょっと待っててくださいね、ダージリン。今すぐ調べますから」

 

 アッサムはノートパソコンでダージリンの格言について調べはじめた。その結果が出るより先に、ダージリンの隣の席に座っている愛里寿の口から答えが出る。

 

「フランスの随筆家、ジョセフ・ジュベールの格言」

「さすがは愛里寿様、博識ですわね」

 

 ダージリンは愛里寿をほめたあと、機嫌のよさそうな声で話の続きを口にした。

 

「あの子達は他の聖グロリアーナの生徒にはないものを持っている。それが聖グロリアーナに新しい風を起こしてくれるのを私は期待しているのよ」

 

 

 

 

 カヴェナンターは日が暮れる前にゴール地点へたどり着いた。

 カヴェナンターのエンジンが停止すると同時に、みほ達は車外へ脱出。すぐさま持っていたペットボトルの中身を飲みほし、新鮮な空気を肺いっぱいに吸いこんだ。

 

 そうして一息つくと、今度は三人ともその場にへたりこむように地面に尻餅をついた。汗まみれの体からは湯気が立ちのぼり、したたる汗で地面が濡れていく。

 

「ローズヒップ、大股開きをしてると下着が見えるぞ」

「そう言うルクリリも足が開いてますわよ。ラベンダーはアヒル座りだから見えないですわね」

「ふえっ!? ローズヒップさん、覗いちゃ嫌だよー」

 

 だらしない格好で地べたに座りこむ三人。しばらくそのままでいると、整備科の生徒を引き連れたダージリン達がやってきた。

 本当ならすぐに立ち上がらなければならないのだが、熱で体力を消耗したみほの体はまったく動いてくれない。

 ローズヒップとルクリリも足を閉じるのが精一杯のようである。

 

「よくがんばったわね。誇りなさい、この罰を最後まで終えたのはあなた達が初めてよ」

「後片づけは整備科の生徒がやってくれるから、あなた達は大浴場に行きなさい。制服と替えの下着は私が用意しておきますわ」

 

 ダージリン達と一緒にやってきた整備科の生徒は、さっそくカヴェナンターの点検を始めている。その姿をぼんやりと眺めていたみほの目の前に、透き通るような白い小さな手が差し出された。

 

「大丈夫?」

「愛里寿ちゃん、ありがとう」

 

 みほは愛里寿の手を取り立ち上がる。愛里寿は汗まみれのみほの手を握っても、嫌な顔一つしなかった。

 

「愛里寿さん、わたくしにも手を貸してくださいまし」

「私も頼む……」

 

 ローズヒップとルクリリも自力では立ち上がれないようだ。

 みほと愛里寿はうなずき合うと、大切な友達に向かって手を差し伸べた。 



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第六話 島田愛里寿の体験入学

 聖グロリアーナには主に運動系の部活の生徒が使用する大浴場がある。

 大浴場はジェットバスやミストサウナなどの設備が充実しており、外には露天風呂まで作られていた。大理石で作られた露天風呂の円形の浴槽にはバラの花びらが浮かべられ、鮮やかな花色と香りを楽しむことができる。

 汗で汚れた体を綺麗にしたみほ達は、その露天風呂で疲れをいやしていた。

 

 露天風呂には四人の人影が見える。みほ達と楽しくおしゃべりしている人物はとても小柄で、高校生とは思えない背丈であった。

 それも当然であろう。みほ達と一緒に露天風呂につかっているのは、小学生の愛里寿なのだから。

 

「愛里寿ちゃん、お湯加減はどうかな?」

「温かくて気持ちいい。お花もいいにおいがする」

「気に入ってもらえてよかった。紅茶も用意してあるから、好きに飲んでいいよ」

 

 浴槽には花びらの他に、ティーポットとティーカップを乗せたお盆が浮かんでいた。

 聖グロリアーナの大浴場には給湯室まで設けられており、入浴中でも紅茶を楽しめる。冷蔵庫も設置されているのでアイスティーを作るのも可能だ。   

 

「汗をかいたあとに飲むお紅茶は格別ですわね。体の芯まで温まる気がするでございますわ」

「あれだけ高温の場所に長時間いて、よく熱い紅茶が飲めるな。私はアイスティーにしたぞ」

「アイスティーは邪道ですわ。淑女を目指すのであれば、お紅茶はホットに限りますわ」

 

 そう声高に主張したローズヒップは、いつものように熱い紅茶を一気に飲み干す。はっきりいってかなり暑苦しい。

 ローズヒップの熱気にあてられたルクリリは逃げるようにその場を離れ、対面の浴槽まで移動する。そして、両腕を浴槽のふちにかけうつ伏せにもたれかかると、ふーっと一つ息を吐いた。

 そんなルクリリの姿を愛里寿はじーっと見つめている。

 

「どうした、愛里寿? 私のことをずっと見てるけど?」

「ルクリリは美人だね。おっぱいも大きいし」

「うええっ!? い、いきなり何を言い出すんだ……」

 

 愛里寿に容姿をほめられたルクリリは、あからさまにうろたえていた。

 ルクリリは入浴のとき、三つ編みをほどいてヘアクリップで上にまとめている。その姿はみょうに色っぽく、元から優れている容姿がさらにレベルアップするのだ。

  

「私もルクリリさんは美人だと思うよ」

「ルクリリは物静かにしてたら、深窓の令嬢に見えるでございますからね」

「み、みんなして私をからかうなよ。恥ずかしいだろ……」

 

 ルクリリの顔はゆでだこみたいに真っ赤だ。それに追いうちをかけるように、愛里寿の口から爆弾発言が飛び出した。

 

「ねえ、おっぱい触ってもいい?」

「はあっ!? ダ、ダメに決まってるだろ!」

 

 ルクリリは慌てて胸を両手で隠した。顔はさらに赤くなり、瞳もわずかにうるんでいる。

 普段とは違うルクリリのしおらしい姿は、みほの好奇心を大いに刺激した。それはローズヒップも同じだったようで、顔にはにやにやした笑みが浮かんでいる。

 

「おもしろそうだから、わたくしも触りますわ」

「私も触りたいかな」

 

 三人はルクリリのいるほうへゆっくりと間合いを詰めていく。三方向からにじり寄られたことで、ルクリリに逃げ場はなくなった。

 

「よ、よせっ! それ以上近づいたら本気で怒るぞ!」

「おほほほほ、もう逃げ場はありませんわ。観念してくださいまし」

「覚悟して」

「ごめんね、ルクリリさん」

 

 三人はいっせいにルクリリに飛びかかった。

 浴槽の水面は大きく波打ち、バラの花びらがゆらゆらと揺れる。

 

「やめっ、ひゃぁっ! バカっ、強くもむな! そ、そこはダメっ……、もういやぁっ!」

 

 ルクリリを中心にもみくちゃになる四人。

 ルクリリに悪いと思いながらも、みほはじゃれ合いを止められなかった。こんなたわいもない悪ふざけも、みほにとっては大切な思い出の一ページなのである。

 

 

 

 大浴場を出たみほ達は併設された休憩室で湯涼みをしていた。

 散々いじくり回されたルクリリは、革張りのソファーの上で完全にグロッキー状態だ。背もたれに体を投げ出している姿は、激しいラウンドを戦い終えたボクサーのようであった。

 その隣ではルクリリがこうなるきっかけを作った愛里寿が、イチゴジュースをおいしそうに飲んでいる。

 

 露天風呂から上がった直後は烈火のごとく怒っていたルクリリだったが、愛里寿が素直に謝るとあっけなく許してくれた。

 ちなみに簡単に許されたの愛里寿のみ。みほとローズヒップは強烈なデコピン一発で手打ちにしてもらえた。

 

「みんなに言うことがある」

 

 イチゴジュースを飲み終わった愛里寿はそうつぶやいた。

 デコピンで赤くなった額をさすっていたみほは、愛里寿のほうへと視線を向ける。愛里寿の表情はいつも通りで、あまり変化は見られない。どうやら、それほど重大な話ではないようだ。

 

「私も明日から聖グロリアーナに通うことになった」

「ふええっ!?」

「マジですの!?」

「な、なんだ!? 何があった!?」

 

 休憩室に三人の驚きの声がこだまする。

 みほの予想とは違い、愛里寿の話は衝撃的なものであった。

 

 

 

 翌日、みほ達はいつものように『紅茶の園』で開かれる朝のお茶会に参加していた。聖グロリアーナの生徒は必ず一回朝にティータイムをとるのが決まりなのだ。

 『紅茶の園』でお茶会に参加できるのはニックネーム持ちの生徒だけだが、今日は例外が一人いる。聖グロリアーナ女学院の制服に身を包んだ愛里寿だ。

 

「本日から島田愛里寿さんが聖グロリアーナ女学院に体験入学なさいます。愛里寿さんはあの島田流のお嬢様で、来年高校か大学に飛び級する予定なの。今回の体験入学は、進路を探している愛里寿さんの参考になればと、私が企画したものですわ。一週間という短い期間ですが、仲良くしてあげてくださいね」

 

 アールグレイの話を聞いたほとんどの生徒は驚きを隠せていない。愛里寿の体験入学は、ニックネーム持ちの生徒ですら知らない秘密事項だったようだ。

 驚いていないのは事前に知っていたみほ達を除けば、ダージリンとアッサム、そしてクルセイダー隊の隊長くらいであった。

 

「ラベンダー、ちょっといいかしら?」

「は、はいっ!」

 

 突然呼び出されたみほは小走りでアールグレイの元へ向かった。

 

「そんなに慌てなくても大丈夫ですよ。ラベンダーを呼んだのは、あなたに愛里寿さんのサポートをお願いしたいからなの。彼女は本来なら小学生なのだから、何かと苦労も多いはずですわ」

「わかりました。愛里寿ちゃん、よろしくね」

「うん。よろしく」

 

 みほは優しい笑みを浮かべて愛里寿と握手をする。みほと比べるとぎこちないが、愛里寿も笑顔でみほの手を握っていた。

 

「愛里寿さんのクラスはラベンダーと同じにしてもらいますわ。彼女が住む場所もラベンダーと同じ部屋になる予定です。大変だとは思いますが、困ったことがあったら遠慮なく私に相談してくださいね」

 

 みほと愛里寿の短い共同生活はこうして始まった。

 

 

 

 愛里寿と一緒に授業を受けることになったみほは、彼女の天才ぶりに度肝を抜かされた。愛里寿は高校生の授業についていける学力をすでに身につけていたのだ。

 

 数学、英語、世界史、物理。これら四つの教科で出された質問に対し、愛里寿が出した答えはすべて完璧であった。それに加えて、世界史では教師のミスを指摘し、丁寧に解説をしてみせるといった博識ぶりを披露している。

 

 聖グロリアーナ女学院に入学するには一定の学力が必要なので、みほの学力は決して低くはない。それでも、勉強に関してはみほが愛里寿を手助けする必要はなさそうだ。

 

「愛里寿ちゃんはすごいね。私には到底真似できないよ」

「大したことじゃない。今まで勉強してきた成果が出ただけ」

 

 みほと愛里寿は話しながら学食に向かっていた。愛里寿は昼食の用意をしていなかったので、一緒に学食へ行くことにしたのだ。

 学食の入り口にはローズヒップとルクリリが待っており、みほと愛里寿は二人に合流した。 

 

「ごきげんようですわー! 愛里寿さん、午前の授業は大丈夫でございましたか?」

「うちの学校の授業はけっこう難しいからな。愛里寿なら無難にこなしたとは思うけど……」

「二人とも、聞いて聞いて。愛里寿ちゃんはすごく頭がいいんだよ」

 

 愛里寿の活躍の話をしながらみほ達は学食に入っていく。

 うれしそうに愛里寿のことを語るみほに対し、当の愛里寿はポーカーフェイス。ただ、頬にわずかな赤みがさしているのを見ると、愛里寿も完全に無表情を装えてはいないようだ。

 

  

 

 みほ達は外のテラス席で昼食をとることにした。

 それぞれの今日の昼食は、みほが海鮮丼、愛里寿がオムライス、ルクリリが中華丼である。ローズヒップは手のかかる料理を頼んだらしく、完成に時間がかかっていた。

 

「ローズヒップは何を頼んだんだ?」

「きっと英国の料理だと思うよ。聖グロリアーナでしか食べられない料理を愛里寿ちゃんに見てもらいたいって、話してたから」

「英国料理か……私はあまり頼んだことがないな。ここの料理人の腕は確かだけど、英国料理の味を完全再現するのは正直どうかと思うぞ」

 

 この食堂で腕を振るっているのは一流の料理人ばかり。それゆえ、料理の味に関しては妥協するという言葉はいっさいない。本場の味を生徒達に提供するのは、一流と呼ばれる料理人の使命なのだ。

 もちろん、英国料理も本場で食べられているものとまったく同じ味つけだ。要するにあまりおいしくない。料理人のこだわりが詰まっている英国料理だが、学食では断トツの不人気メニューであった。

 

「お待たせですわー!」

 

 ローズヒップが持っている皿には布が被せられていた。大きさと形はローズヒップがよく食べているミートパイに似ているが、被せている布の表面は大きく波打っている。どうやら、パイ生地には何か突起物が刺さっているらしい。

 

「ローズヒップさん、これは何? 形はミートパイに似てるけど……」

「英国料理の中で一番インパクトがあるお料理ですわ。これが食べられる学園艦はきっと聖グロリアーナだけですわよ」

 

 ローズヒップの自信満々な態度が気になったのか、オムライスを食べていた愛里寿も手を止めた。布が被せられた料理を見つめる愛里寿の姿は興味津々といった様子である。

 全員の注目が集まるなか、ローズヒップは一気に布を取り払った。

 

「じゃーん、わたくしが頼んだお料理はスターゲイジーパイですわ」

 

 布の下から現れた料理は確かにインパクト抜群だった。パイ生地からは複数の魚の頭や尻尾が突き出し、無数のうつろな目が天を眺めている。正直、見た目は不気味としかいいようがない。

 さすがの愛里寿もこれには驚いたようで、隣に座っていたみほに抱きつくと、顔をみほのお腹に埋めて視界をふさいでしまった。

 

「こわっ! なんだこれは?」

「だから、スターゲイジーパイですわ。英国の伝統的なお料理ですわよ」

「ローズヒップさん、早くそれを隠して! 愛里寿ちゃんが怖がってる」

「わ、わかったでございますわ」

 

 みほの大きな声に驚いたローズヒップは、再び布でスターゲイジーパイを隠した。

 みほがスターゲイジーパイを隠したのを伝えると、ようやく愛里寿はみほのお腹から顔を離す。その顔は気恥ずかしさのせいなのか赤く染まっていた。

 

「申し訳ないですわ。愛里寿さんにはちょっと刺激が強すぎたようですわね」

「私でもこれはきついぞ。今晩の夢に出てきそうだ」

「どうしよう。これじゃローズヒップさんがお昼を食べられないよ」

「心配は無用ですわよ、ラベンダー。愛里寿さん、もう一回目をつぶっていてくださいまし」

 

 愛里寿が目をつぶったのを確認したローズヒップは、スターゲイジーパイにかぶりつく。そのまま猛スピードで食べ続けたローズヒップは、あっという間にスターゲイジーパイを完食してしまった。もちろん、魚の頭も残さずである。

 

「ごちそうさまでした!」

「はやっ!」

「いつもの食べるスピードより全然速いよ……」

「これがリミッターを外したわたくしの本気ですの。それでは、わたくしは食後のお紅茶の準備をしますわ」

 

 ローズヒップは給湯室に向かって駆け出していった。食べ終わったばかりだというのにその足取りは軽快そのものだ。

 

 今日のみほは驚かされてばかりであった。午前中は愛里寿の頭の良さに驚かされ、お昼はローズヒップの本気の食事スピードに驚かされている。

 もしかしたら、午後はルクリリに驚かされるのかもしれない。そう思ったみほは、視線をルクリリのほうへと向けた。

 

「安心しろ。私にはラベンダーを驚かせるようなものはないぞ」

「でも、ルクリリさんは美人だし……」

「もうっ! その話はやめろって言っただろ」 

「あははっ、ごめんね」 

 

 ルクリリの抗議の声をみほは笑ってごまかした。

 そんな二人に向かって、ずっと目をつぶったままの愛里寿が困ったような声で話しかけてくる。

 

「ねえ、もう目を開けてもいい?」

 

   

  

 午後から行われる戦車道の授業では、みほ達のクルセイダーに愛里寿が搭乗することになった。クルセイダーMK.Ⅲは三人乗りの戦車だが、体の小さい愛里寿なら砲塔内に三人で乗りこむのも可能なのである。

 ポジションは愛里寿が車長兼通信手、みほが装填手、ルクリリが砲手専任になり、ローズヒップは変更なしだ。

 

 アールグレイのあいさつから始まった訓練は、いつものように隊列運動からスタート。今日は愛里寿の初日ということもあり、基本メニューを一通りこなす予定になっている。

 最初はマチルダ隊から訓練を始めるので、例によってクルセイダー隊は待機だ。待機中のみほ達は、クルセイダーのハッチを開けてマチルダ隊の訓練を見学していた。

 

「今日のマチルダ隊は動きがいいね。一年生もほとんどミスがないよ」

「愛里寿が見てるから、今日は気合が入ってるんだろうな。シッキムもずいぶんと張り切ってたみたいだし」

 

 インド紅茶の一種、シッキム紅茶のニックネームを持つシッキムはみほ達の同級生。セミロングの栗色の髪を白いヘアバンドでまとめており、丸見えになっているおでこがチャームポイントの生徒だ。

 お淑やかで物腰が柔らかいシッキムは上級生から人気がある。なので問題児の三人とは違い、お茶会では毎回引っぱりだこ。それでもおごることなく、問題児と呼ばれている三人にも分け隔てなく接する心優しい少女であった。

 

「動きがよくても、足が遅いのは変わらないでございますけどね。この分だとクルセイダーの出番はまだまだ先になりそうですわ。愛里寿さんも退屈そうにしてますわよ」

 

 ハッチから出てクルセイダーの砲塔に腰かけている愛里寿は、先ほどから一言もしゃべらずにある一点を見つめている。その視線の先にあるのはマチルダ隊ではなくみほの姿だった。

 

「ラベンダーに聞きたいことがある」

「何かな? 愛里寿ちゃんがわからないことを私が答えられるとは思えないけど……」

「この質問はラベンダーにしか答えられない。教えて、ラベンダーはどうして聖グロリアーナを選んだの?」

 

 愛里寿は真剣な表情でみほに問いかける。

 愛里寿の質問に戸惑ったみほはすぐに答えを出せなかった。この質問に答えるには、みほの過去を話さなければならないからだ。

 迷っているみほに向かって、愛里寿はさらにたたみかける。

 

「なんで黒森峰を選ばなかったの? アールグレイさんは勝つことを優先してはいけないと言ってたけど、もしかして西住流が嫌になったの?」

 

 愛里寿の口から西住流という言葉が出てきたことで、みほはすべてを察した。愛里寿はみほの正体を知っているのだ。

 みほは自分の本名を名乗っていないが、島田流の娘である愛里寿ならみほを知っていてもおかしくはない。そう考えれば、初めて会ったときに愛里寿がみほを警戒していたのも納得がいった。

  

「愛里寿さん、その質問は勘弁してあげてほしいですわ。ラベンダーは、そのことにはあまり触れてほしくないのでございます」

「私が聖グロリアーナを選んだ理由ならいくらでも答えるぞ。愛里寿は進路を探してるんだから、そういう話を聞きたい気持ちもわかるからな」

 

 ローズヒップとルクリリは、みほが気まずい思いをしないように助け舟を出してくれる。その気持ちをうれしく思いながらも、みほは過去を話す決断を下した。

 

「二人とも、もういいの。私、話すよ。愛里寿ちゃんには、私と同じような失敗をしてほしくないから」

 

 自分と生い立ちが似ている愛里寿には進路で失敗してほしくない。みほは自分の失敗談を愛里寿に活かしてもらいたかった。

 友達に助けてもらってばかりのみほは、今度は自分が友達の力になりたかったのである。

 

 みほはゆっくりと自分の過去を語り出す。

 思い起こされるのは、家族の関係が壊れてしまったあの日の情景であった。



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第七話 ラベンダーの過去

 西住みほは西住流が嫌いではなかった。

 西住流の修行はとても厳しく、くじけそうになった回数は数えきれない。それでも、みほが西住流を嫌いにならないでいられたのは、母と姉のおかげだ。

 

 母のしほはとても厳格な人で、実の娘であろうと手加減はいっさいしなかった。みほが少しでも弱音を吐けばすぐさま鉄拳が飛び、いくら泣きわめいても修行には手を抜かない。

 

 そんなしほも、みほが西住流の教え通りに戦車を操ればほめてくれたし、試合に勝利すれば一緒に喜んでくれた。しほが優しくしてくれるこの瞬間が、幼いみほにとっては至上の喜びだったのである。

 西住流を極めれば母はもっとほめてくれる。幼いみほは、それを支えにして西住流の過酷な修行を乗り切ってきたのだ。

 

 みほにとってもう一つの心の支えが姉のまほだ。

 西住流の修行は朝早くから始まり、夜遅くまで行われる。みほは小学校が終わるとすぐに帰宅し、修行を開始しなければならなかった。

 戦車漬けの毎日を送っているみほには当然友達などできるわけがない。そんなみほが孤独を感じずにいられたのは、まほがいつもそばにいてくれたからだ。

 家でも小学校でも、みほはまほといつも一緒だった。まほはみほが悲しんでいるときは言葉で励まし、泣いているときは手を握って安心させてくれる。そんな優しいまほがみほは大好きであった。

 

 西住流はみほと家族を結びつけてくれる絆のようなものだ。その思いは今でもみほの心に残っている。だからこそ、その絆を自分で断ち切ってしまったのをみほは深く後悔していた。

 

 

 

 黒森峰女学園中等部入学。これがみほの転機となった。

 黒森峰女学園に入学するということは、親元を離れて学園艦で生活するということだ。学園艦の女子寮に引っ越したことで、みほは母の優しさという心の支えを失ってしまう。

 

 大事な心の支えを一つ失ってしまったが、みほにはまだ心の支えがあった。黒森峰には去年入学したまほが在籍しているのだ。みほは、まほと再び一緒の学校に通えるのをとても楽しみにしていた。

 

 そんなみほの思いは、もろくも打ち砕かれることになる。中学生になったまほは、別人のようにみほに厳しく接するようになったからだ。

 

「みほ、ここではお姉ちゃんと呼ぶのはやめろ。これからは隊長と呼べ」

「お前はもう少し言いたいことをはっきりと言ったほうがいい。いつまでもおとなしいままだと、部隊の指揮に支障が出る」

「みほも副隊長になったのだから、もっとしっかりしろ。隊員達の模範になるのは上に立つ人間の義務だぞ」

 

 毎日のように投げかけられるまほの苦言はみほの心を苦しめていく。それに輪をかけたのが、まほに心酔している逸見エリカという同級生の存在だ。

 まほから副隊長であるみほの補佐役に任命されたエリカは、行動力がある強気な性格。おとなしくて引っこみ思案なみほは、エリカと絶望的に反りが合わなかったのである。

 

「みほも西住の名を継いでるんだから、少しは自覚を持ちなさいよ。あなたが失敗して迷惑するのは隊長なんだからね」

「影でみほをへっぽこ呼ばわりしている隊員がいたわ。今から問い詰めに行くからあなたも一緒に……えっ、別に気にしてない。そんな態度だからなめられるのよ!」

「副隊長、どうして手を抜いたの! 相手が立ち向かってくるなら、完膚なきまでに叩き潰すべきよ!」

 

 エリカの攻撃的な口調を前にするとみほは身がすくんでしまい、何も言えなくなってしまう。エリカの激しい気性にみほはいつも怯えてばかりであった。

 

 他の生徒はみほが西住の人間であるというだけで、誰も近づいてこない。黒森峰女学園は西住流の影響力が強い学校なので、みほにどう接していいかわからない生徒が大半だったからだ。

 それに加えて、隊長のまほと苛烈な性格のエリカがつねにみほにべったりなのも影響していた。自分から進んで厄介ごとに首を突っこむ生徒は黒森峰にはいなかったのである。   

 

 みほがボコに夢中になったのはちょうどこの時期だ。

 ボコはどんな相手にも立ち向かう勇気を持っており、負けても決してへこたれない。自分にはできないことをやってのけるボコの姿は、みほの目にはまぶしく映ったのだ。

 みほはすぐにボコのぬいぐるみやグッズを買い集めるようになり、寮の自室がボコグッズでいっぱいになるのにそう時間はかからなかった。

 

 ボコだけを心の拠り所にしてみほは中学生活を耐えていた。

 しかし、人の温もりが恋しくなるのだけはいくらボコでも防ぎようがない。

 友達がほしいという思いは、みほの心の奥底で幼いころからずっとくすぶっている。今まではまほがそばにいてくれたのでその欲求を我慢できたが、優しかった姉は変わってしまった。

 

 みほの不満はすでに限界に達しており、黒森峰だけでなく戦車に搭乗するのすら嫌気がさしていた。みほの心が爆発する日は刻一刻と迫っていたのである。

 

 

 

 その日が来たのは中学三年生の夏。

 最上級生になったみほは隊長に就任し、夏の戦車道全国大会に出場。他校に圧倒的な力の差を見せつけ、見事に優勝を勝ちとる。まほが在籍している黒森峰女学園高等部も九連覇を達成し、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いであった。

 

 みほは今まで学んだ西住流を駆使し、最高の勝利を手につかんだ。この優勝は文句のつけようがないほど見事なものであり、西住流の力強さを世に知らしめる形になった。

 みほが勝利だけでなく内容にまでこだわったのには理由がある。みほはこの優勝を手土産にして、母にお願いしたいことがあったのだ。

 

 みほの願い。それは進路のことだ。みほが何も行動を起こさなければ、このまま自動的に黒森峰女学園高等部に入学することになってしまう。

 みほはなんとしてもそれを阻止するつもりだった。

 

 ――お姉ちゃんと逸見さんがいる黒森峰には行きたくない。

 ――あの孤独な日々を繰り返すのだけは絶対に嫌だ。

 ――高校生になったら友達がほしい。

 

 友達を渇望する心の声はもう歯止めがきかなくなっていた。

 

 

 

 優勝報告のために実家に戻ったみほは、さっそくしほに進路について切り出した。畳が敷きつめられた大広間には、みほとしほだけでなくまほも同席している。

 みほの第一志望校は、茨城県の大洗港を母港にしている大洗女子学園。この高校を選んだ理由は、戦車道が廃止になっていることと、大洗町にボコミュージアムというテーマパークがあるからであった。

 

「戦車道から逃げるような真似は許しません。あなたは西住の名を背負っているのよ」

「お母さん、私がんばって優勝したよ。お母さんから教わった西住流を最後までやりきったよ」

「西住流は勝利を得るために前進する流派、勝つのは当たり前です。みほの西住流がすばらしかったのは認めますが、それで満足するようではまだ未熟。あなたには黒森峰で学ぶことが残っているはずです」

 

 しほが簡単に許してくれないのはみほも予想していた。しほの後ろで目をつぶって黙っているまほが助けてくれないのも想定内である。

 第一志望はあくまで希望。ここから徐々に譲歩していき、最後は黒森峰女学園以外の高校に入学するのを認めてもらう。これがみほの考えた作戦だ。

 

「ごめんなさい、お母さん。戦車道から逃げるのはやっぱりダメだよね。でも、できれば他の学校で戦車道をしたいの。例えばサンダースとか……」

 

 サンダース大学付属高校は長崎県の佐世保港を母港にしている。母港がみほの地元の熊本から比較的近いため、名前だけはよく耳にする学校だった。

 みほがこの高校を引き合いに出したのは、ただ単に名前を知っていたからなのだが、このことが思わぬ事態を引き起こしてしまう。

 

「みほ、あなたが黒森峰を嫌がるのは男子と遊べないからですか?」

「ふえっ!? ち、違うよ。私はそんなつもりじゃ……」

「では、なぜ共学の学校を選ぼうとしているのです。戦車道がない学校と共学で自由な校風の学校。あなたの選択には、高校で羽目を外して遊びたいという思惑が透けて見えます」

 

 この展開はみほにとってまったくの想定外であった。みほは男の子の彼氏が欲しいのではなく、女の子の友達が欲しいだけなのだ。

 しほの誤解を解きたいみほであったが、混乱している頭ではうまい言い訳はまったく浮かんでこなかった。

 

「中学に入ってからのあなたはどこか様子がおかしかった。その理由に母は心当たりがあります。みほがだらしないことを考えるようになったのは、あの熊のキャラクターが原因ではないですか?」

「もしかして、ボコのこと?」

 

 みほは寮の自室に入らなくなったボコグッズを実家に郵送していた。長期の休みで実家に帰った際には、自分の部屋にボコグッズを飾りつけて楽しんでいたのである。

 

「母はみほが集めている熊について調べました。勝つことができないくせに、威勢だけは一人前の情けないキャラクターです。あんなものにうつつを抜かしているから、よこしまなことを考えるようになるのです」

 

 情けないキャラクター。しほのその言葉を聞いた瞬間、みほの感情は混乱から怒りへと切り替わった。

 ボコは壊れそうなみほの心を守ってくれた大切な存在。そのボコをけなしたしほをみほは許せなかったのだ。

 

「ボコは情けなくなんかない! ボコは勝てないけど、強い心を持ってるもん! お母さんはボコのことをまるでわかってないよ!」

 

 突然激高したみほに対し、しほは眉間にしわを寄せ鋭い眼差しを向けている。しほの表情は、普段のみほであればすぐに萎縮してしまうほど険しいものであった。

 

「みほ、もうその辺にしておけ。お母様に失礼だぞ」

 

 今まで黙っていたまほが口を開いたことで、みほの怒りの矛先はそちらに移った。まほへの溜まりに溜まった不満が爆発し、口からはまほを非難する言葉が次々と飛び出していく。

 

「お姉ちゃんはいつもそう! 私が困っているときは助けてくれないくせに、こういうときだけ口を挟むんだ。私が逸見さんに怒られてるときも、逸見さんの味方ばっかりしてたよね。私の気持ちを何もわかってくれないお姉ちゃんなんて、大嫌いっ!」

 

 そこまで言い切ったところでみほの頬に衝撃が走った。しほが平手でみほの頬を打ち据えたのである。

 強烈な平手をもらったみほは畳の上に勢いよく倒れこんだ。みほの頬は赤くはれあがり、あまりの痛みに目には涙が浮かぶ。   

 

「あなたには失望しました。進路については母に考えがあります。しばらく自室で頭を冷やしなさい」

 

 みほにそう告げると、しほは大広間を出ていった。

 みほは痛む頬をさすりながらゆっくりと起きあがる。大広間にはまだまほが残っており、みほをじっと見ていた。

 まほの視線を感じたみほは、気まずそうな顔をまほへと向ける。そこでみほは信じられない光景を目撃してしまった。普段あまり表情を変えないまほが、泣きそうな顔でみほを見ていたのだ。

 

「お姉ちゃん、ごめん……」

 

 みほが声をかけると、まほは逃げるように大広間から走り去った。

 一人大広間に残されたみほは、怒りに任せて暴言を吐いたのを後悔したが、すべてはあとの祭り。真っ赤になった頬の痛みよりも今は心のほうが何倍も痛かった。

  

 

 

 失意のうちに自室に戻ったみほは、一時間経ったあとに大広間へ呼び出された。

 大広間にいたのはしほだけでまほの姿はない。

 

「みほ、先ほどの件であなたの心が成長していないのが、母にはよくわかりました。今のあなたに西住流を名乗る資格はありません。本来なら破門を言い渡すところです」

 

 破門という言葉を耳にしたみほは体を震わせた。西住流を失うのは家族とのつながりを失うのと同じだからである。

 

「ですが、あなたはまだ中学生。未熟な心を鍛える時間は十分にあります。この学校で戦車道の本質を見つめ直し、みほが立派に成長することができれば、母は今回の醜態を許します」

 

 聖グロリアーナ女学院。机の上に置かれた学校案内のパンフレットには、大きな文字でそう書かれていた。

 

「聖グロリアーナ女学院はしつけが厳しいことで有名な学校です。この学校の戦車道は人格育成を重視しているので、みほの心を鍛えるには最適だと判断しました」

 

 みほは机の上のパンフレットをぼんやりと眺めている。

 ようやく黒森峰女学園以外の高校を選ぶことができたのに、みほは素直に喜べなかった。最後に見たまほの泣きそうな顔が脳裏に焼きついて離れないからだ。

 

「黒森峰の学園艦に戻ったら、戦車道のことはいったん忘れて勉強に専念しなさい。今のみほの学力では、聖グロリアーナ女学院に合格するのは難しいはずです。学校のほうには私から説明をしておきますので、あなたは副隊長にこのことを話しておきなさい」

 

 みほは黒森峰の生徒の模範になるため勉強もしっかりやってきた。なので、勉学に勤しむのはそれほど苦ではない。問題があるとすれば、副隊長のエリカにこの話を告げなくてはならないことだ。

 

 黒森峰から逃げ出すのをあのエリカが快く思うわけがない。彼女の性格を考えれば、激怒して詰め寄ってくるのは容易に想像できた。

 

「最後に言っておくことがあります。聖グロリアーナ女学院を卒業するまでは、この家の敷居をまたがせません。みほが西住流の名に恥じない心の強さを身につけて帰ってくるのを、母は信じていますよ」

 

 

 

 

 夕焼けに包まれた教室の中でみほは一人の生徒と対峙していた。

 強気につり上がった目と意思が強そうな青い瞳。夕日を浴びてきらめく銀髪。美少女といっても差し支えない容姿を持つこの生徒が副隊長の逸見エリカである。

 すでに下校時間はとっくにすぎており、教室にいるのはみほとエリカだけであった。

 

「みほ、すぐに西住師範のところに戻って謝罪するわよ。私も一緒に頭を下げるわ。才能を持ってるあなたが聖グロなんかに行く必要はない」

「ごめんね、逸見さん。聖グロリアーナを選んだのはお母さんだけど、黒森峰に行きたくなかったのは私の意志なの」

「どうして……何が気に食わないのよ。あなたが全国大会で見せた西住流は完璧だった。その力があれば高等部でもすぐレギュラーになれる。隊長だって、みほが来るのを待ってるはずよ」

 

 エリカが隊長と呼ぶ人物はまほしかいない。中等部でみほが隊長に就任しても、エリカはみほを隊長とは一度も呼ばなかった。

 

「お姉ちゃんは私を嫌ってるはずだよ。私、お姉ちゃんにひどいことを言ったから」

「……隊長に何を言ったの?」

「大嫌い、そう言っ……」

 

 みほは最後まで言葉を言えなかった。いきなりエリカに胸ぐらをつかみ上げられ、首を圧迫されたからである。

 

「なんてことを言ったのよっ! 隊長があんたをどれだけ大事にしてたと思ってるの! それを知りもしないで、あんたはっ!」

 

 エリカの怒声が教室中に鳴り響く。エリカは短気で怒りやすい性格だったが、これほどの怒りを見せたのは初めてだった。

 

 首を絞められる形になったみほはエリカの手を外そうとするが、いくら力をこめてもびくともしない。

 ボクササイズが趣味と以前語っていたエリカは、中等部で誰よりも体を鍛えている生徒だ。本気のエリカにみほが手も足も出ないのは当然であった。

 

 みほの意識はだんだんと薄れていき、目からは涙が止めどなくあふれてくる。それを見たエリカは顔を苦々しげに歪め、みほをつかんでいた手を放した。

 

「隊長は私が支える。あんたは聖グロにでも行けばいいわ。軟弱者のみほにはお似合いの学校よ」 

 

 エリカはみほに刺々しい言葉を投げかけ教室から去った。

 涙で顔をくしゃくしゃにしたみほの口からは嗚咽が漏れる。みほは震える体を両手で抱きながら、誰もいない教室で一人泣き続けた。

 

   

 

 それからのみほは一心不乱に勉強に取り組んだ。勉強に集中している間はつらいことを全部忘れられたからだ。

 必死に勉強したおかげで、みほは聖グロリアーナ女学院の入学試験に見事合格。望みであった黒森峰女学園以外の高校に入学する権利を手にした。

 

 その聖グロリアーナ女学院で行われた戦車道の初日の授業で、みほはあの二人と出会ったのだ。

 

「もし、そこのおかた。わたくし達と一緒にチームを組みませんかでございますわ」

「ふえっ!?」

「その取ってつけたようなお嬢様言葉はやっぱりおかしいだろ。すごく驚かれてるぞ」

「わたくしは誰からも認められるお嬢様になりたいのですわ。お嬢様言葉を使うのは、その第一歩なのでございます。そういうあなたこそ、殿方のような言葉づかいをするのは変ですの」

「変で悪かったな。言葉づかいはこれから直していく予定なんだ」

「わわっ。いきなり喧嘩しないでください」

 

 みほは黒森峰を離れたことで多くのものを失ってしまった。しかしそのかわり、聖グロリアーナに入学したことでどうしても欲しかったものを手に入れたのである。 



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第八話 島田愛里寿の歓迎会

「私の話はこれでおしまい。愛里寿ちゃんは後悔しない進路を選んでね」

 

 自分の過去をすべて話し終えたみほは、雲一つない青空を見上げた。

 青いキャンバスには自分が傷つけた人達の顔が次々と浮かんでくる。真剣な眼差しで信じていると言ってくれたしほ、悲しみに染まった顔で逃げ出したまほ。そして、怒りと憎しみで表情を歪めたエリカ。 

 

 自然とみほの目からは涙がこぼれてきた。

 聖グロリアーナで友達に囲まれているみほは、夢にまで見た幸せな時間をすごしている。それが多くの人の思いを踏みにじって得られたものなのが、どうしようもなく悲しかったのだ。

 

「ラベンダー! わたくし達はずっとお友達ですわ。もう寂しい思いはさせませんわ」

 

 ローズヒップはクルセイダーの砲塔に腰かけていたみほにいきなり抱きついてきた。

 よく見ると、ローズヒップの顔は大粒の涙でぐちゃぐちゃだ。一緒に泣いてくれる友達がいるのがうれしくて、みほの目からは再び涙があふれてくる。

 

「ありがとう、ローズヒップさん。本当にありがとう……」

 

 みほはローズヒップの背中に手を回し、優しく抱きしめ返した。

 先ほどまで曇っていたみほの心は上空の青空のように澄み渡っていく。ボコでは味わえなかった人の温もりは、みほの想像以上に素晴らしいものだった。

 

 泣きながら抱きあうみほとローズヒップの姿は、まるで恋愛ドラマのワンシーンのようだ。

 そんな二人に向かって二枚のハンカチが差し出される。目を涙でにじませているルクリリと申し訳なさそうな顔をした愛里寿のハンカチであった。

 

「涙の跡を残して訓練に参加したら、アッサム様からお説教されるぞ。淑女は人前で簡単に涙を見せてはいけないって前に教えられたからな」

「つらいことを聞いてごめんなさい。ラベンダーの話を無駄にしないように、進路はお母様とよく相談して決める」

 

 みほは愛里寿から受け取ったハンカチで涙をぬぐった。

 みほの隣では、ローズヒップがルクリリからハンカチを手渡されている。

 

「泣き虫な先輩でごめんね、愛里寿ちゃん」

「泣きたいときは誰にでもある。泣いてすっきりするなら、そのほうがいい」

「愛里寿ちゃんはしっかりしてるね。私とは大違いだよ」

 

 みほはまだまだ心が弱く、大人になりきれていない。それに比べて、愛里寿は受け答えがはっきりしており、みほよりも大人の雰囲気を漂わせている。

 みほがそんな愛里寿の姿に感心していると、隣から鼻をかむ大きな音が聞こえてきた。

 

「バ、バカっ! 鼻をかんでいいとは言ってないぞ!」

「ごめんですわ。つい癖で……」

「うわっ、べとべとだ。思いっきり出しすぎだろ……」

「いっぱい出たからお鼻もすっきりですわ」

「満足気に言うなっ!」

 

 ローズヒップとルクリリが騒ぎ始めたことで、さっきまでの寂しい空気はすっかり霧散してしまった。つくづくシリアスな空気が長続きしない二人である。

 

 みほはいつものように仲裁に入ろうとするが、一輌のマチルダⅡがこちらに向かってきたのを見て動きを止めた。

 周囲を見渡すと待機していた他のクルセイダーの姿が消えており、車内の無線からは応答を求める声が聞こえてくる。みほ達が話に夢中になっている間に、すでにマチルダ隊の訓練は終了していたようだ。

 

 マチルダⅡはクルセイダーの前で停止し、キューポラからシッキムが姿を見せた。シッキムの表情からはみほ達を心配している様子がうかがえる。

 

「みなさん目が真っ赤ですけど、何かありましたの? 無線で呼びかけても反応がなかったので、アールグレイ様が心配なさっていましたわよ」 

「問題ない。訓練への参加が遅れたのは私の責任。アールグレイ隊長にはあとで謝罪するので、そう報告してほしい」

「わ、わかりましたわ。すぐにアールグレイ様に連絡します」

 

 愛里寿からの矢継ぎ早な回答に圧倒されたシッキムは、無線でアールグレイと連絡を取っている。愛里寿はその隙にみほ達に向かって目配せをした。愛里寿の視線の先にあるのはクルセイダーのハッチだ。

 

 愛里寿の意図を察したみほはクルセイダーに搭乗し、ローズヒップとルクリリもあとに続く。全員が持ち場につくと、ローズヒップがクルセイダーのエンジンを始動させ発進準備は即座に完了。あとは車長である愛里寿の到着を待つのみとなった。

 

「準備が整ったので今から訓練に参加する。クルセイダー隊は今どこへ?」

「アールグレイ様、少々お待ちください。クルセイダー隊なら砂地エリアに向かっていますわ」

「わかった。感謝する」

 

 アールグレイと無線でやり取りしているシッキムに感謝の意を伝えると、愛里寿はクルセイダーに乗りこんだ。

 

「余計なことを悟られないうちにこの場を離脱する。目的地は砂地エリア」

「がってん承知の助でございますわ!」

 

 ローズヒップの巧みな操縦で、クルセイダーはあっという間にマチルダⅡから離れていった。

 愛里寿は演習場の地図を見ながら、ローズヒップに最短ルートの指示を出す。そんな愛里寿を横目で見ながら、みほはあることを考えていた。

 みほの脳裏に浮かんだのは、愛里寿のように振る舞えれば母との約束を果たせるのではないかという考えだ。希望的観測にすぎないかもしれないが、天才である愛里寿を目標にするのは悪い案ではないように思えた。

 

 この日から、愛里寿はみほの目指すべき目標になったのである。

 

 

 

 時刻は夕方。

 一日の授業を終えたみほ達は帰宅の途についていた。もちろん、みほの部屋で暮らすことになった愛里寿も一緒だ。

 四人は楽しく話をしながら歩いており、今話題になっているのは今日のお茶会であった。

 

「今日のお茶会のダージリン様はご機嫌だったな。訓練に遅れたのもそんなに怒られなかったし、これも全部愛里寿のおかげだ」

「愛里寿ちゃん、ダージリン様の話に一人だけついていけてたもんね。誰の格言なのかすらすら答えちゃうのは本当にびっくりしたよ」

「あんなに楽しそうにお話するダージリン様は初めて見ましたわ。今のわたくしでは愛里寿さんには歯が立たないですわね……」

 

 ダージリンの格言を織りまぜた小難しい言い回しも、愛里寿にはまったく問題にならなかった。

 愛里寿はダージリンが引用した格言やことわざをすぐさま理解し、うまい言い返しで会話を盛りあげたのだ。自分の話についてこれる人がいるのがうれしかったのか、ダージリンの引用した言葉はいつもの倍近かった。

 

「本を読むのが好きだったから答えられたの。私が小さいころ、お母様がよく偉人伝を買ってきてくれたから」

「偉人伝とか表紙すら見たことないな。私が小学生のころはほぼ漫画しか読んでなかったぞ」

「私はお姉ちゃんと一緒に戦車の図鑑ばっかり見てたよ」

「わたくしも似たようなものですわ。後悔先に立たずとは、まさにこのことでございますわね」

 

 何気なくことわざを使っているローズヒップだが、みほはローズヒップがその手の本をよく読んでいるのを知っている。

 ローズヒップの努力の成果が少しづつ出ているのをみほは微笑ましく思った。

 

 みほ達は女子寮に向かって歩いているが、普段とは違いコンビニには立ち寄らない。今日は他に行かなければならない場所があるのだ。

 四人がコンビニの代わりに足を止めた場所。それは女子寮の近くにあるスーパーマーケットだった。

 

「愛里寿ちゃん、何か食べたいものはあるかな? 簡単な料理なら作れるからなんでも言ってね」

「本当にいいの?」

「今日は愛里寿の歓迎会だからな。主役が遠慮する必要はないぞ」

「お味のほうも心配しなくて大丈夫ですわよ。わたくし達はお料理が得意なんですの」

 

 愛里寿はしばらく考えたあと、ある料理の名前を口にした。

 それを聞いたみほは一瞬顔が曇りそうになったが、すんでのところで持ちこたえる。愛里寿が食べたいといった料理は、エリカが好きだった料理と同じだったのだ。

 

「じゃあ、ハンバーグがいいな。ハンバーグに目玉焼きが乗せてあるのが好きなの」

 

 

 

 食材を買いこんだみほたちは女子寮へと帰ってきた。

 愛里寿は管理人から女子寮の説明を受けるため応接室に向かい、ローズヒップとルクリリもいったん自分の部屋へ向かう。今日の歓迎会はパジャマパーティーも含まれているので、準備をする必要があるからだ。

 

 女子寮では管理人の許可さえあれば、他の寮生の部屋に泊まるのも可能であった。

 聖グロリアーナは会話術の授業があるほど、会話スキルを磨くのを重要視している。淑女を目指すのであれば、相手を不快にさせない上品な会話ができるのは必要不可欠だ。

 

 それにジョークなどを加えてユーモアな会話ができれば完璧なのだが、授業だけでそれを身につけるのは難しい。

 そのユーモアセンスを磨くべく、聖グロリアーナでは生徒同士の交流は積極的に行うよう勧められていた。寮生同士のお泊り会が許されているのもその一環である。

 

「みんなが来る前に少し片づけておかないと」

 

 自室に戻ったみほは片づけを開始した。短期間とはいえ、これからは愛里寿もこの部屋で暮らすのだから、だらしない姿は見せられない。

 

「あっ……」

 

 みほがボコのぬいぐるみがたくさん置かれている棚を整理しようとしたとき、棚に飾られている写真立てが目に入った。写真立ては二つあり、それぞれ別の写真が収められている。

 

 一つはみほとローズヒップとルクリリの三人が笑顔で写っている写真。そしてもう一つは、小さいころに家族で一緒に撮った写真であった。

 写真の中の家族は本当に幸せそうで、みほも笑顔でまほと手をつないでいた。

 

「お姉ちゃん……」

 

 まほのことを思うとみほは胸が苦しくなる。まほに大嫌いと言ってしまったのは、みほにとって悔やんでも悔やみきれない失言だった。

 今になって思えば、中学時代のまほが厳しかったのは全部みほのためだったのがわかる。まほの言う通りにしていたおかげで、みほは母に怒られることもなかったし、戦車道でも優秀な成績を収められた。

 

 それに、西住流のライバルである島田流には天才の愛里寿がいるのだ。

 流派が違う愛里寿とは、いずれ対決しなければならないときが来るかもしれない。そう考えれば、まほがみほに厳しく接したのも納得できる。今のみほでは愛里寿には逆立ちしても勝てないからだ。

 

「逸見さんの言う通りだった。お姉ちゃんは私のためを思って忠告してくれてたのに、何も知らない私はそれを疎ましく思って拒絶した。中学時代の私はどうしようもない愚か者だったね」

 

 まほと昔のように仲良くすることはもうできないかもしれない。

 それでも、みほはまほともう一度会って話がしたかった。仲違いしてしまったとしても、まほはみほの大切な家族なのだ。

 

 

 

 みほの部屋に全員が集まったところで、さっそく歓迎会の準備が始まった。

 みほ達が料理を作っている間に愛里寿は食器を並べている。主役である愛里寿は何もしなくてよかったのだが、どうしても手伝いたいと言うので料理以外の仕事を頼んだのである。

 

 愛里寿が手伝ってくれたおかげで歓迎会の準備は滞りなく終わった。

 テーブルの上には、愛里寿のリクエストである目玉焼きハンバーグが四つ。ご飯やサラダ、飲み物の準備もばっちりであった。

 

「愛里寿さんの聖グロリアーナご入学を祝って乾杯するでございますわ」

「おいおい、愛里寿はまだ入学してないぞ。あくまで体験入学だからな」

「細かいことは気にしなくていいんですの。さあ、愛里寿さん。一言あいさつをお願いしますわ」

「あいさつ……何を言えばいいの?」

「そんなに難しく考えなくても大丈夫。お友達同士なんだもん、簡単なあいさつでいいよ」

 

 愛里寿はグラスを持って立ち上がったが、なかなか言葉が出てこない。どうやらかなり緊張しているらしい。

 

「えっと、今日は私のために歓迎会を開いてくれてありがとう。短い間だけど、これからよろしくお願いします」

 

 愛里寿は赤い顔で頭を一つ下げると、すぐに座ってしまった。 

 

「それでは、かんぱーいですわ!」

 

 愛里寿が座りこんでしまったので、乾杯の音頭はローズヒップがとった。ローズヒップの行動力はこういうとき頼りになる。

 

 乾杯も終わり、四人は食事に移った。

 愛里寿はハンバーグをおいしそうに食べている。ハンバーグは焼きかたや味つけによって好みが分かれる料理であるが、みほ達の作ったハンバーグは愛里寿の口に合ったようだ。

 

「こんなにおいしいハンバーグが作れるなんて、みんなすごいね。私にも作れるかな?」

「愛里寿ちゃんならすぐ作れるようになるよ。私も聖グロリアーナに入学するまでは料理を作ったことがなかったんだ」

「聖グロリアーナは調理実習が必修科目だからな。私も最初は苦労したよ」

「作りかたはわたくし達が教えますので、今度一緒に作ってみてはいかがでございますか?」

「うん。みんなと一緒にハンバーグが作れたら、きっとすごく楽しいと思う」

 

 愛里寿とハンバーグを作る約束をしたみほ達は、そのあとも会話を弾ませながら食事を楽しんだ。まほのことで悩んでいたみほであったが、それを忘れるぐらい心安らぐひとときであった。

 

 

 

 食事のあとはパジャマパーティーの時間である。

 食事の片づけと入浴を交互にすませ、みほ達は全員すでに寝間着姿になっていた。

 

 みほと愛里寿の寝間着はボコの着ぐるみ型パジャマ。ボコの頭部を模したフードを被ることで、ボコと同じ姿になれるマニアにはたまらない逸品だ。

 ローズヒップの寝間着はピンク色のネグリジェ。下半身部分はショートパンツ型であり、動きやすさを重視したデザインであった。

 ルクリリの寝間着は浴衣。薄い紫色をした上品な柄の浴衣は、髪を下ろしたルクリリによく似合っていた。

 

「今日はみんなでこのDVDを見ようね。私のボコグッズの中でもとっておきのレア物なんだよ」

 

 みほは上機嫌でボコのDVDの再生準備をしている。大好きなボコのアニメを友達と見られるのが、みほはうれしくてしょうがないのだ。

 それは愛里寿も同じようで、表情は満面の笑み。冷静沈着な天才児の姿はすっかり鳴りを潜め、今は年相応な小学生の姿に戻っていた。

 

 DVDの準備が整うとみほは部屋の明かりを消した。

 オープニングが終わり本編が始まると、最初に登場したのはボコではなく青い目をした銀色のワニ。どうやらこのワニが今回のボコの対戦相手のようだ。

 

『ついにやってきたワニ!』

 

 

 

 

 ボコのDVDを見終わったみほ達は就寝の準備をしていた。

 みほの部屋にある寝具は、ベッドが一台と来客用のふとんが二組しかない。四人で相談した結果、みほと愛里寿がベッドで一緒に寝ることになり、ローズヒップとルクリリがふとんで寝ることになった。

 みほ達より先に就寝準備を終えたローズヒップとルクリリは、ふとんの上でさっき見たボコのDVDについて話している。

 

「それにしても、あのワニは嫌なキャラクターだったな。思い出すだけでむかむかする」

「嫌味と皮肉ばかりが目立つキャラクターでございましたからね。人気が出なかったのも当然ですわ」

 

 ボコのテレビシリーズはボコが喧嘩を売るのがお決まりのパターンなのだが、銀色のワニはボコに喧嘩を売ってくるキャラクターであった。嫌味と皮肉たっぷりのセリフでボコをあおり、怒ったボコを文字通りぼこぼこに打ちのめしたのである。

 

 銀色のワニはワンパターンからの脱却のために作られた革新的なキャラクター。

 しかし、不評だったせいですぐに画面から消えた。ボコマニアの間であのDVDがレア物扱いなのは、幻のキャラクターと呼ばれている銀色のワニが登場する唯一のDVDだからだ。

 

「このまま寝るのは精神衛生上よくないな。気分を変えられるようなことでもするか?」

「それなら、わたくし一回やってみたいことがあったのでございますわ」

「気分転換できるならなんでもいいぞ。それで、何をやりたいんだ?」

 

 ローズヒップはルクリリの質問には答えず、枕片手にゆっくりと立ち上がった。そのまま素早い動作で距離を取るとルクリリめがけて枕を投げつける。

 ローズヒップの投げた枕は見事にルクリリの顔面に命中。ローズヒップのやりたいのは枕投げだったのだ。

 

「よくもやったな。お返しだ」

「おほほほほ、そんなスローリィな攻撃、わたくしには当たりませんわ」

 

 ルクリリの投げた枕をローズヒップは難なくかわす。動きやすい格好をしているので、枕のような投げにくいものは簡単に回避できてしまうようだ。

 ルクリリは追撃を加えるため、手近にあったボコのぬいぐるみを手に取った。比較的小さいサイズなので枕よりも投げやすい。

 

「これならどうだ!」

「あだっ!」

 

 ルクリリが投げたボコのぬいぐるみは、ローズヒップの顔面にクリーンヒットした。

 攻撃が当たったことでルクリリの顔には笑みがこぼれている。この部屋がボコマニアの巣窟なのをルクリリはすっかり忘れているようであった。

 

「ボコを投げるなんて、ひどいよルクリリさん」

「ボコの仇。覚悟」

「こらっ、二人いっぺんはずるいぞ!」

 

 みほと愛里寿のダブル枕攻撃がルクリリを襲う。

 負けじと反撃するルクリリだが一対二では圧倒的に不利だ。

 

「ルクリリ、加勢いたしますわ」

「よし、ローズヒップは私の盾になれ」

「そんなの嫌ですわ。ルクリリが盾になってくださいまし」

「こうなったのはお前のせいだろ」

 

 助太刀に入ったローズヒップであったが、ルクリリとの息はまったく合っていない。

 それに対し、みほと愛里寿のコンビネーションは抜群のキレを見せている。

 

「愛里寿ちゃん、次はダブルボコアタックでいこう」

「わかった」

「ちょっと待てー! ラベンダー達もボコを投げてるじゃないか!」

 

 枕とボコが飛びかう白熱の戦いはその後しばらく続いたが決着はつかなかった。寮生からの苦情で駆けつけた管理人にしこたま怒られ、全員廊下に正座させられたからである。

 

 色々な出来事があった愛里寿の体験入学初日は、こうして幕を閉じたのであった。



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第九話 クロムウェルとダンデライオン

 愛里寿が体験入学をしている間、みほ達と愛里寿はつねに共に行動していた。

 みほは愛里寿のサポート係なのでそばにいるのは当たり前なのだが、実際は愛里寿がみほ達と一緒にいるのを好んだのである。

 

 問題児であるみほ達と行動するのだから、当然愛里寿もトラブルに巻きこまれた。

 戦車を降りるとドジが目立つみほ。しょっちゅう暴走気味のローズヒップ。油断すると荒っぽい言動が顔を出すルクリリ。三人が問題を起こすたびに、近くにいる愛里寿までとばっちりを受けるのだ。

 しかし、そこは天才小学生である島田愛里寿。持ち前の頭脳でうまく機転を利かし、問題を素早く解決したことで問題児入りはしなかった。

 

 体験入学の一週間は土日の休日込みだったので、みほ達は休日も愛里寿と共にすごした。

 四人で買い物に行く。以前約束していたハンバーグを一緒に作る。海が見える公園をみんなで散策する。どれもいたって普通な休日のすごしかたであったが、愛里寿はいつものクールな態度を崩して大はしゃぎであった。

 

 この一週間で四人は様々な思い出を作った。だが、始まりがあれば終わりもある。

 気がつけば愛里寿の体験入学も今日が最終日。最後の戦車道の授業が終われば、愛里寿とはお別れしなければならない。

 愛里寿は今後、他の高校や大学にも体験入学をするようだが、進路についてみほが言えることはすでに伝えた。みほがあとできるのは、愛里寿が選んだ進路に後悔がないのを祈るだけだ。

 

 

 

「本日は愛里寿さんの体験入学最終日ということで、特別に島田流を拝見させてもらえることになりました」

 

 愛里寿との最後の授業は、アールグレイの衝撃的な一言から始まった。

 今までの愛里寿は聖グロリアーナのやり方に素直に従っており、一度も島田流を見せていない。個の力を重視して様々な作戦を駆使する島田流は、集団で隊列を組む聖グロリアーナの戦術と相性が悪いのだ。聖グロリアーナの隊列と陣形重視の戦術は、どちらかといえば西住流に近いのである。

 

「愛里寿さんの搭乗する戦車は、あちらのクロムウェルになりますわ。車長が愛里寿さんで、他の乗員は島田流門下生の大学生の方々が務めてくださいます。大学選抜に選ばれるほどの実力がある方々ですので、愛里寿さんも十分に力が発揮できるはずですわ」

 

 アールグレイがクロムウェルをお披露目したのはこれが初めてであった。

 突然の新型戦車の登場に静かにしていた生徒達からざわめきが起こる。聖グロリアーナで新しい戦車を導入するのが難しいことは、ここにいる全員が知っているからだ。

 

 みほがクロムウェルを見たのは愛里寿と出会った日以来だった。

 アールグレイがクロムウェルを用意したのは愛里寿のためだったようだが、みほには少し気になる点がある。それは、アールグレイが聖グロリアーナの戦力を強化しようとしていることだ。

 

 もし、愛里寿が聖グロリアーナに来年入学すれば大幅な戦力アップになるし、クロムウェルは現時点で即戦力の戦車だ。

 アールグレイは勝つことにこだわらなくてもいいと公言している。しかし、この一連の行動はそれと矛盾しているようにみほには思えたのだ。

 

「愛里寿さんの対戦相手はダージリンとダンデライオンです。勝負方法は一対十の殲滅戦。愛里寿さんのクロムウェル一輌に対し、ダージリンにはマチルダ隊五輌、ダンデライオンにはクルセイダー隊五輌を率いてもらいますわ」

 

 アールグレイのこの発言でざわめきは驚きの声に変わった。

 いくら愛里寿が天才とはいえ、戦力差がありすぎる上に試合形式は殲滅戦。ダージリン達が愛里寿を倒せばいいだけなのに対し、愛里寿は十輌すべて倒さなければならないのである。

 島田流をよく知らない生徒達が驚くのは至極当然だ。

 

 みほは島田流をある程度知っているので、そこまでの驚きはなかった。愛里寿の島田流を見るのは初めてだが、愛里寿なら一対十という不利な戦いでも勝利してしまうかもしれない。愛里寿の天才ぶりを一週間見続けてきたみほには、そんな予感があった。

 

「双方の準備が出来次第、試合を開始します。試合に参加しないみなさまは、大型ビジョンで観戦してもらうことになりますわ。整備科の方々が観戦準備を整えてくださるので、その場で待機していてくださいね」

 

 

 

 整備科の生徒達がせわしなく動きまわるなか、みほ達は愛里寿の元へやってきた。

 一年生は全員見学なので、試合に出ないみほ達は愛里寿を激励しに来たのだ。

 

「愛里寿ちゃん、がんばってね。相手の数は多いけど、愛里寿ちゃんならきっと勝てるよ」

「ダージリン様には気をつけたほうがいいぞ。あの人は試合には手を抜かないからな」

 

 みほとルクリリは愛里寿を応援する言葉をかけるが、ローズヒップは神妙な顔で考えこんでいる。

 みほはなんとなくローズヒップの心情を察することができた。友達である愛里寿と憧れの人であるダージリン。どちらを応援するべきなのか、おそらくローズヒップは迷っているのだろう。

 軽はずみに愛里寿を応援すると言わないあたり、ローズヒップのダージリンに対する深い敬意がうかがえた。

 

「愛里寿さんには申し訳ないですけど、わたくしはダージリン様を応援しますわ。ダージリン様が負けるお姿は見たくないんですの」

「私のことは気にしなくてもいい。曲げたくないものを無理に曲げる必要はない」

 

 ローズヒップの宣言を聞いても、愛里寿はまったく気にする様子を見せない。実に大人な対応である。

    

「あ、ダンデライオン様は倒しちゃってかまわないですわ」

「ダージリン様と同じチームなんだから、そこはダンデライオン様も応援するべきだろ」

「二人とも、絶対にそのニックネームを本人の前で言っちゃダメだからね。タンポポ様、そのニックネームで呼ばれるのをすごく嫌がってるから」

 

 ダンデライオンはクルセイダー隊の隊長を務めている二年生。黄色がかった茶色の長い髪をツインテールにしている小柄な生徒で、可愛らしい容姿と素直な性格からチーム内での人気も高い。少し子供っぽいところがあるのが欠点だが、小隊の指揮能力が高く、アールグレイからの信頼も厚かった。

 

 そんなダンデライオンが声高に訴えているのが自分のニックネームについてだ。

 ハーブティーの一種、ダンデライオンティーのニックネームを与えられたダンデライオンは、淑女のイメージに合わないライオンという名前を嫌がっているのだ。

 なので、一年生と二年生には、ダンデライオンの和名であるタンポポというニックネームで呼んでほしいと、常日頃から主張していた。

 

「ダンデライオン。私はカッコいいニックネームだと思う」

「私も愛里寿と同意見だな。クルセイダー隊の隊長なんだから、タンポポなんて弱そうな名前より、ダンデライオンのほうが強そうで似合ってると思うぞ」

「ダンデライオン様は少し神経質すぎますわ。もっとご自分のニックネームに誇りを持つべきでございます」

「みんな、ダンデライオンって言いすぎだよ。もし聞かれたらまずいことに……」

「もぉぉぅ、みんなしてひどいっ! あたしがそのニックネームを嫌いなの知ってるくせにー!」

 

 みほの悪い予感は見事に的中してしまった。

 みほ達が声がしたほうに顔を向けると、そこにはプンプン怒っているダンデライオンが立っている。隣にはダージリンとアッサムの姿もあるので、どうやら試合前のあいさつに来たようだ。

  

「あら、私もあなたのニックネームはダンデライオンのほうがいいと思っていますわよ。あなたの勇猛果敢な指揮は、ライオンのイメージにぴったりではなくって?」

「ふぇぇん! ダージリンさんはいつもあたしに意地悪する。あたしはライオンなんかじゃないんですー!」

 

 ダンデライオンは涙目でダージリンに猛抗議。甲高い声でわめくその小さな姿は、ライオンというより子猫のほうがしっくりくる。

 

「ダージリン、本人が嫌がっていることを言うのはよくありませんわ」

「あたしの気持ちをわかってくれるのはアッサムさんだけです。今からでも遅くはありません、あたしのクルセイダーの砲手になってください」

「私のマチルダの大事な砲手を引き抜こうだなんて、あなたもずいぶん大胆になりましたわね」

「あたしはまだアッサムさんを諦めてないですから。この件に関してだけは、ダージリンさんに負けるのは嫌なんです」

 

 アッサムを間に挟んで火花を散らすダージリンとダンデライオン。

 この二人は険悪な関係というわけではないのだが、ことあるごとに対立していた。 

 

「そこまでです。お二人はアールグレイ様を補佐する立場なのですから、一年生の前でみっともない姿を見せるのはやめてください」

 

 聖グロリアーナには副隊長という地位は存在しない。そのかわりに、マチルダ隊とクルセイダー隊の部隊長には二年生が就任し、隊長である三年生をサポートするのである。

 アールグレイから次の隊長に指名されているダージリンは、今はマチルダ隊の隊長であった。

 

「アッサムの言う通りですわね。タンポポ、ここは一時休戦しますわよ」

「わかりました。あたしもアッサムさんを困らせるのは本意ではありませんから」

 

 アッサムにたしなめられたダージリンとダンデライオンは素直に和解し、並んで愛里寿の前に立った。

 

「愛里寿さん、本日はよろしくお願いいたします。私達は本気で勝ちにいきますので、手加減は無用ですわ」

「こっちが有利な条件なのは少しずるいと思うけど、これもアールグレイ様の命令です。悪いけど勝たせていただきます」

「受けて立つ。勝つのは私だ」

 

 愛里寿は真剣な表情で、ダージリンとダンデライオンを正面から見据えている。

 冷静沈着な愛里寿が闘志を燃やしているのをみほは不思議に思った。愛里寿にとってこの試合はデモンストレーションのようなものであり、勝ち負けにこだわる必要はないからだ。

 

「『我々は言葉だけでなく、行為でそれを示さなくてはならない』。愛里寿さん、お互いがんばりましょう」

「またダージリンさんの悪い癖が出た。アメリカの大統領の格言なんか使わないで、自分の言葉で語ればいいのに」

「……そろそろ戻りましょうか。行きますわよ、ダンデライオン」

「むぅっ! 違います! あたしはタンポポですー!」

 

 頬をふくらませて怒るダンデライオンを無視して、ダージリンはその場を離れた。置いていかれたダンデライオンは抗議の声を上げながらダージリンを追いかけていく。

 一人残されたアッサムは大きなため息をついて、二人のあとに続いていった。みほ達の教育係だけでなく、ダージリンとダンデライオンの調停役までこなさなければいけないアッサムは、チーム内一の苦労人なのである。

 

「私達も戻るか」

「そうですわね」

「愛里寿ちゃん、またあとでね」

「うん。絶対に勝ってみせるから」

 

 愛里寿はみほ達に背を向けると、クロムウェルがスタンバイしている方向に歩いていく。

 みほにはそんな愛里寿の小さな背中がとても大きく見えた。

 

 

 

「それでは、これより試合を始めますわ。一同、礼」

 

 審判を務めるアールグレイの言葉を受けて、全員が礼とあいさつをした。もちろん、その中には観戦会場にいる生徒と整備科の生徒も含まれている。

 礼節を重んじる聖グロリアーナでは、試合に参加しない生徒も礼を尽くすのが常識なのだ。 

 

 整備科が用意した英国アンティーク風のテーブルセットでみほ達は試合を観戦していた。

 大型ビジョンには三分割された映像が映し出されている。映像は愛里寿のクロムウェル、ダージリンのマチルダ隊、ダンデライオンのクルセイダー隊の三者を追っており、試合の状況がよくわかるようになっていた。

 

 愛里寿のスタート地点は観戦会場近くの平原エリア。ダージリン達のスタート地点は平原エリアから遠く離れた森林エリアの近くであった。

 

「タンポポ様はまっすぐ愛里寿ちゃんのほうに向かってる。ダージリン様とは連携をとらないで、単独で愛里寿ちゃんを叩くつもりなんだ」

「マチルダとクルセイダーは足の速さが違うからな。綺麗な隊列を作れないから、連携するつもりもないんだろ」

「ダージリン様のマチルダ隊は森の中へ入って行きますわ。待ち伏せをするおつもりなのでございますかね?」

「この試合は殲滅戦だから待ち伏せは有効な手段だけど、そんな卑怯な真似はしないんじゃないかな? ダージリン様のことだからきっと何か策があるんだと思う」

 

 聖グロリアーナの戦車道は優雅でなくてはならない。たとえ練習試合だとしても下品な戦いは禁じられている。

 ダージリンがそれを破って待ち伏せのような手段を使うとは、みほにはとても思えなかった。

 

 

◇ 

 

 

 ダンデライオンが指揮するクルセイダー隊は、隊長車であるクルセイダーMK.Ⅱを先頭に二列縦隊で進軍中。左右二列で綺麗なジグザグを組んで走行する姿は実に華麗であった。

 

「敵戦車発見! 全車、二列縦隊から横陣に移行」

 

 ハッチを開けて双眼鏡で周囲の索敵をしていたダンデライオンは、クルセイダー隊に指示を出す。先頭を走っていた隊長車に後続のクルセイダーMK.Ⅲが並び、クルセイダー隊は横一列の隊形になった。

 

「撃ちかた始め! バンバン撃っちゃってください」

 

 ダンデライオンの命令を受けたクルセイダー隊は、行進しながらいっせいに砲撃を開始した。

 移動しながら砲撃を行う行進間射撃は聖グロリアーナの基本的な攻撃方法。命中率が悪いのが難点だが、相手にプレッシャーを与えられるので、大部隊で陣形を組んで進撃する聖グロリアーナの戦術には合っている。

 

 対する愛里寿のクロムウェルのとった行動は反撃ではなく進撃。砲撃を続けるクルセイダー隊に向かって猛スピードで突っこんできたのだ。

 

「嘘っ!? なんでそんなに速いの!?」

 

 見た目が速そうに見えないクロムウェルの機動性に、ダンデライオンは心底驚いたような表情を浮かべていた。

 クロムウェルは整地を時速60㎞近いスピードで走行できる快速巡航戦車。デザインがチャーチルに似ているだけでその性能はまるで違う。

 

 一気にクルセイダー隊との距離を詰めたクロムウェルは、ここで初めて主砲の6ポンド砲を発射した。砲撃は横陣の中央を走行していたクルセイダーの正面に命中し、クルセイダーからは白旗が上がる。装甲が薄いクルセイダーでは近距離からの6ポンド砲の直撃は防げなかった。

 

 クロムウェルは、一輌撃破されて穴が開いたクルセイダー隊の隙間を通りすぎる。

 クルセイダー隊の隊長車は撃破された車輌の隣を走行していたので、すれ違う瞬間にキューポラから半身を出している愛里寿とダンデライオンの目が合った。

 

「ひうっ!」

 

 淑女にあるまじき声を出してしまったダンデライオンは慌てて口に手をやった。愛里寿の表情はいつもと変わりはなかったが、その目は今までにない力強さにあふれていたからだ。 

 

「ぜ、全車、180度回頭!」

 

 ダンデライオンはクルセイダー隊にUターンするよう指示を出す。だが、驚くべきことにすでにクロムウェルは方向転換を終えていた。

 背中をさらしたクルセイダーに向けてクロムウェルは再び砲撃を開始。一輌のクルセイダーが背面を撃たれて白旗を上げた。

 

「超信地旋回!?」

 

 超信地旋回とは左右の履帯を互い違いに回転させて行う旋回で、前後に動かなくてもその場で進行方向を変えられる。聖グロリアーナではチャーチルのみができる旋回方法であった。

 

「このまま無様に負けたら、アールグレイ様に顔向けできません。全車、散開。三方向から突撃して至近距離で撃破します」

 

 三輌まで数を減らしたクルセイダー隊は三手に分かれてクロムウェルに迫る。

 距離を詰める間に一輌が撃破されたが、隊長車と残った一輌のクルセイダーはクロムウェルを左右から挟むのに成功した。

 

「撃てっ!」

 

 ダンデライオンの号令により、二輌のクルセイダーから砲撃が放たれる。

 この必殺の攻撃を愛里寿は思いもよらない方法で回避してみせた。クルセイダーが砲撃するタイミングを読んで、クロムウェルに急ブレーキをかけさせたのである。

 

 クロムウェルが停止したことで左右からのクルセイダーの砲撃は無情にも空を撃つ。再び背面をさらした最後のクルセイダーMK.Ⅲも撃破されてしまい、残ったのはダンデライオンのクルセイダーMK.Ⅱのみになってしまった。

 

「クルセイダー隊が全滅するわけにはいきません。作戦変更、プランBを実行します。この場から全速力で離脱して、ダージリンさんとの合流地点に向かってください。リミッター解除!」

 

 リミッターを外したクルセイダーMK.Ⅱは高速でクロムウェルから離れていく。

 クロムウェルと距離が離れたことで安堵の息をもらしたダンデライオンは、スカートのポケットから懐中時計を取り出し時間を確認した。

 

「合流予定の時間まで逃げ切るぐらいの仕事はしないと、またダージリンさんにいじめられちゃう。そんなの絶対にイヤっ!」

「隊長、あれはいじめではありませんわ。これは私の憶測ですけど、ダージリンさんは隊長を好いているから、ああいう態度をとってしまうのです」

「私もそう思います。隊長とお話しているときのダージリンさんは、自然体でとてもリラックスしているようにお見受けしますわ」

「隊長があまりに愛らしいから、ダージリンさんも気を引こうとしてつい意地悪をしてしまうのですわ」

 

 クルセイダーの乗員の話を聞いていたダンデライオンは、見る見るうちに顔を赤くしていった。

 

「こ、困りますよ。あたしにそっちの気はないんですから。確かにダージリンさんは美人で、スタイルも抜群で、頭もいいけど……」

「隊長、私の言っている好きは親愛感情であって、恋愛感情ではありませんわ」

「でも、隊長もダージリンさんを少し意識されているみたいです。これはもしかすると、何かの弾みでお二人が急接近することもあるかもしれませんわ」

「普段は喧嘩ばかりしている二人の禁断の恋。ロマンチックですわー」

 

 試合中だというのに、クルセイダーの空気は桃色に染まっていた。

 お嬢様といってもみんな年頃の女子高生。色恋沙汰が好きなのは普通の女の子となんら変わらないのであった。

 

「もぉー、やめてよぉー。あたしはダージリンさんのことなんて、なんとも思って……」

 

 ダンデライオンの否定の言葉は砲撃が地面に着弾する轟音でかき消された。

 ダンデライオンが急いでハッチから背後を確認すると、クルセイダーとほぼ同じスピードで追いかけてくるクロムウェルが目に飛びこんでくる。あまりの衝撃に、ダンデライオンは手にしていたティーカップを思わず落としてしまった。

 

「嘘でしょ……。リミッターを外したクルセイダーに追いついてきてる。相手に狙いを絞らせないようにジグザグに走ってください!」

 

 クルセイダーは蛇行運転をしながら逃走を開始した。先ほどまでのゆるんだ雰囲気は一変し、車内には張りつめた空気が満ちていく。

 

「待っててね、ダージリンさん。必ず合流地点にたどり着いてみせるから!」



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第十話 ダージリンと島田愛里寿

 観戦会場は割れんばかりの歓声に包まれていた。

 上品なお嬢様が多い聖グロリアーナでは珍しい光景だが、彼女達が興奮するのも無理はない。愛里寿は一対五という不利な状況を難なく覆してみせたのだ。その圧倒的な個の力強さは、彼女達の心を大いに揺さぶったようだ。

 

「私達と一緒だったときとはまるで動きが違う。あれが愛里寿の本気なんだな」

「マジですごいですわ。島田流はあんな神業みたいな動きができるお方ばかりなんですの?」

「愛里寿ちゃんだから完璧な動きができるんだよ。私は島田流の人と戦ったことがあるけど、あそこまで自由自在に戦車を操れる人はいなかったもん」

 

 みほは中学時代に島田流を学んでいる学校と試合をしたことがある。西住流では邪道とされるような方法で奇策を仕掛けてきたのだが、みほは労せずそれを打ち破った。西住流の王道の前では、多少の小細工など何の支障にもならない。

 愛里寿の持っている技量はあのとき戦った相手とは段違いだ。あの高い個の力が島田流の真骨頂だとすると、臨機応変に策を用いるのは単なるおまけにすぎないらしい。

 

「数の上ではダージリン様達がまだ有利だけど、愛里寿ちゃんには勝てないかもしれない」

「そんなことはありませんわ! ダージリン様は愛里寿さんに一矢報いてくれるはずですわ」

「一矢報いるだけじゃだめだろ。それだとダージリン様が負けることになるぞ」

「ダージリン様が負けるなんて嫌ですわ。ダージリン様ー! がんばってくださいましー!」

 

 ローズヒップは大型ビジョンに向かって大きな声援を送っている。

 ダージリンのマチルダ隊は依然として森を進軍中。このまま進んでいくと、森を抜けて小高い丘が並ぶ丘陵エリアに出る。

 大型ビジョンに大きく映し出されているダンデライオンのクルセイダーは、その丘陵エリアへと向かっていた。

 

 

 

 

『ダージリンさん、もうすぐ丘陵エリアに到着します。合流準備は整っていますか?』

「こちらもまもなく合流地点に到達するわ。さすがはクルセイダー隊の隊長ね。予定時間ぴったりに合わせるその手腕、お見事ですわ」

『そ、そんなにほめても無駄ですよ。あたしはダージリンさんのことなんて、なんとも思ってないですからね!』

「何をそんなに怒っていますの?」

 

 ダンデライオンが突然語気を荒げたことにダージリンは首をかしげている。

 

『なんでもありません。それより、あとはお願いしますよ。クルセイダーはリミッターを解除しちゃったので、長くは持ちませんからね』

「あなたのがんばりに報いるためにも、最善を尽くしますわ」

 

 ダンデライオンとの通信を終えたダージリンは、ティーカップ片手にキューポラから身を乗り出した。

 五輌のマチルダⅡはもうすぐ小高い丘を登り切る。登ってさえしまえば、あとは傾斜を滑るように下るだけだ。

 

 丘の頂上にたどり着いたダージリンの目に映ったのは、クルセイダーを追跡しながら丘のふもとを走るクロムウェルの姿だった。

 

「『じっくり考えろ。しかし行動するときが来たなら、考えるのをやめて、進め』。全車、目標に向かって全速前進。チャンスはこの一度きり、必ず仕留めなさい」

 

 フランスの皇帝、ナポレオンの格言のあとにダージリンは突撃命令を下した。

 ダージリンの命令を受けたマチルダ隊はいっせいに丘を下り始める。足が遅いマチルダⅡだが、丘の傾斜を利用したことで普段よりも格段にスピードが上がっていた。陣形はダージリンの隊長車を先頭にして傘型に広がる楔形陣だ。

 

 勢いよく丘を下るマチルダ隊はクロムウェルに向かって砲撃を開始。クルセイダー隊も行っていたお得意の行進間射撃である。

 高地から奇襲を仕掛け、クロムウェルの装甲が薄い箇所である上面装甲を狙う。どうやら、これがダージリンの立てた策のようだ。卑怯な奇襲に見せないために、時間を計算して偶然鉢合わせたような演出まで行うなかなかの策士ぶりであった。

 

「アッサム、しっかり狙いなさい。この作戦の成否は、あなた達砲手の腕にかかっていますわよ」

「わかっています。囮になってくれたタンポポ達の苦労を無駄にはできませんわ」

 

 この試合に参加しているマチルダ隊はチーム内でも上位の実力を持っており、砲手も命中率が高い生徒がそろっている。行進間射撃で動く目標に命中させるのは難しいが、撃破できる可能性はゼロではない。

 

 クロムウェルはブレーキと転回を巧みに使って砲撃をかわしていくが、クルセイダーを追跡していた最中に突然の奇襲だ。愛里寿もすべての砲撃をかわすことはできず、ついにクロムウェルがこの試合で初めて被弾した。

 それでも、クロムウェルから白旗は上がらない。クロムウェルが被弾した箇所は、装甲が厚い正面装甲だったのである。

 愛里寿は避けきれないと判断した砲撃を正面で受け止めたのだ。

 

「攻撃を続けなさい。相手に考える時間を与えてはダメよ」

 

 丘を下り切ったマチルダ隊は追撃の手をゆるめず、積極的に接近戦を仕掛けていく。 

 火力の低いマチルダⅡの2ポンド砲でも、近距離で命中させればクロムウェルを撃破できる。初めての被弾で相手が動揺しているであろう今が好機であった。

 

 普通の対戦相手であればこの時点で勝負ありだったが、島田愛里寿はそうやすやすと勝てる相手ではない。

 クロムウェルは接近してくるマチルダ隊の砲撃をかわしながら砲塔を回転させ、的確に反撃。装甲が厚いマチルダⅡとはいえ、至近距離で側面や背面を撃たれては防ぎようがなく、次々と撃破されて白旗が上がっていく。

 わずか数分で、マチルダⅡはダージリンの隊長車のみになってしまい、形成は一気に逆転した。

 

「おやりになりますわね。でも、ここまでですわ」

 

 僚車がすべて撃破されてもダージリンは涼しげな顔をしており、ティーカップもしっかりと握られている。

 その余裕を裏付けるように、クロムウェルの背後から一輌の戦車が猛スピードで迫っていた。ダンデライオンのクルセイダーMK.Ⅱである。

 

『ダージリンさん、助けにきました!』   

「タンポポ、クロムウェルの動きを封じてちょうだい。やり方はあなたに任せるわ」

『えぇー! そんなこと丸投げされても困りますよ』

「丸投げとは人聞きが悪いですわね。あなたを信じているから、任せるのよ」

『……こうなったら一か八かです。クルセイダーをクロムウェルに体当たりさせます。みなさん、衝撃に備えてください』

 

 クルセイダーMK.Ⅱは車体を横滑りさせてクロムウェルに体当たりを敢行。

 背後から急接近されたことと、先ほどまでマチルダ隊の対応に追われていたことで、愛里寿の反応は一歩遅れた。機敏な動きを見せていたクロムウェルは、最高速度のクルセイダーの体当たりを側面に受け、一瞬動きを止めてしまう。

 

 そのわずかな隙をダージリンは見逃さなかった。

 

「『ダービーはつねに強い馬が勝つ。だが、一番強い馬が勝つとは限らない』。愛里寿さん、この勝負は私達の勝ちですわ。アッサム、側面の装甲が薄い部分を狙いなさい」 

 

 英国のことわざと共にダージリンは攻撃命令を下した。動きが止まったクロムウェルの側面をアッサムは正確に砲撃し、装甲の薄い部分を撃たれたクロムウェルからは白旗が上がる。

 

 愛里寿の島田流を披露するという名目で始まったこの試合は、ダージリンとダンデライオンの勝利という形で決着がついたのであった。

 

 

 

 

「やりましたわ! ダージリン様が勝ちましたわー!」

「うわっ、急に抱きつくな。びっくりしたじゃないか」

 

 大喜びでルクリリにハグするローズヒップ。喜びを表すのに抱擁を選ぶあたりが感情表現豊かな彼女らしい。

 

「抱きつくぐらいは許してほしいですわ。本当ならキスしたいほどうれしいのでございます」

「それだけは絶対にやめろ。なんで私のファーストキスをお前に捧げなくちゃいけないんだ」

「安心していいですわよ。わたくしもファーストキスでございますわ」

「そういう問題じゃない!」

 

 ローズヒップとルクリリがいつものように騒ぎ出したが、みほの視線は大型ビジョンに釘付けになっていた。

 大型ビジョンには愛里寿の表情が映し出されている。試合に負けた愛里寿の表情に変化はなく、感情が乱れているようには見えない。

 しかし、みほにはそんな愛里寿の表情が普段と少し違うように思えた。この一週間、誰よりも愛里寿のそばにいたみほだからこそ、愛里寿の表情の微妙な変化にも気づけたのだ。

 

「愛里寿ちゃん……」

 

 ──愛里寿ちゃんは私とは違う。

 ──負けただけで落ちこむわけがない。

 ──必要以上に心配するのはお門違いだ。

 

 みほは自分にそう言い聞かせるが、胸の中のもやもやは消えてくれなかった。

 

 

 

 試合終了後、観戦会場はお茶会の会場へと早変わりした。

 今日は愛里寿の体験入学最終日。すべての生徒が一緒にお茶会に参加し、愛里寿が最後にあいさつをする形で体験入学を締めくくる予定になっている。

 

 今日のお茶会は試合に出場していた生徒がゲスト役、それ以外の生徒がホスト役であった。

 みほ達はティーフーズを用意するチームに配属され、会場近くに特設された調理場で懸命にサンドイッチを作っている。今日は人数が多いので、いつもより多くティーフーズを用意しなくてはならないのだ。

 

 みほがちらりと会場に目を向けると、愛里寿は多くの生徒に囲まれていた。紅茶を用意するチームに配属された生徒は比較的早く準備を終えたようで、すでにお茶会に参加していたのである。

 それを見たみほは早く愛里寿と会いたい思いを抑え、一心不乱にサンドイッチの具材であるキュウリを切り続けた。

 

「ラベンダーさん、キュウリを切るのは少し待っていただけませんか? こちらはまだ準備が整っていなくて……」

「あ、ごめんね」

 

 みほの隣でパンにキュウリを挟んでいたシッキムから、申し訳なさそうに声がかかる。みほのスピードにシッキムはまったくついていけず、キュウリが山のようになっていた。 

 

「シッキムさんはローズヒップと持ち場を交代したほうがいいみたいですわ。ローズヒップ、頼んだわよ」

「了解でございますわ。シッキムさん、選手交代ですわ」

 

 ルクリリとスコーンを作っていたローズヒップがみほ達の元へやってくると、シッキムはみほに向かって頭を下げた。

 

「ラベンダーさん、ごめんなさいね」  

「ううん、シッキムさんは悪くないよ。私がもっと周りをよく見るべきだったの」  

 

 一つのことに夢中になると冷静な判断ができなくなるのはみほの悪い癖だ。

 みほはこの悪癖で何度も失敗を繰り返しているが、いまだに治せていない。愛里寿のようにクールに振舞うのは、簡単にできるようなことではないのだ。

 

「ラベンダー、ぼーっとしている暇はないですわよ。わたくしも本気を出すので、じゃんじゃん切っちゃってくださいまし」

「わかったよ、ローズヒップさん。私も本気で切るからね」

「かかってこいでございますわ」

「やけに物騒な掛け声ですわね。張り切るのはいいけど、怪我だけは気をつけてね」

 

 ルクリリは二人を心配していたようだが、みほとローズヒップは難なくサンドイッチを完成させてしまった。クルセイダーという快速戦車を操る車長と操縦手だけに、物事を素早くこなす二人の息はばっちりだったのである。

 

 

 

 無事にティーフーズを作り終えたみほであったが、すぐに愛里寿のところへは行けなかった。愛里寿の周囲には黒山の人だかりができていたのである。

 今日のお茶会はニックネームを与えられていない生徒にとって、普段話せない相手と会話ができる絶好の機会。試合であれほどの活躍を見せた愛里寿が人気なのは当然であった。

 

「愛里寿ちゃんのところにはまだ行けそうもないね。お茶会が終わる前に会えるといいけど……」

「ダージリン様のおそばも無理そうですわね。わたくしの俊足をもってしても、あの包囲網は突破できそうにありませんわ」

「ニックネーム持ちの生徒はみんな囲まれてるな。ひと気がないのは私たちの周りくらいか」

 

 みほ達のところに来る生徒は誰もいない。これは三人がチーム内で嫌われているからではなく、単に優先順位が低いのが原因だ。

 

「まあ、もう少ししたら人もばらけるだろ。それまでサンドイッチとケーキでも食べてのんびりしよう」

「それもそうですわね。ではさっそく、いただきます!」

「ローズヒップさん、待って待って。最初にケーキを食べちゃダメだよ。始めはサンドイッチから食べるのがマナーなんだから」

 

 ケーキを勢いよく食べ始めたローズヒップにみほはストップをかけた。

 三段になっているケーキスタンドは下からサンドイッチ、スコーン、ケーキの順に並べられている。一番下のサンドイッチから食べ始め、スコーン、ケーキの順に食べていくのがティーフーズの作法なのだ。

  

「わたくしとしたことが、ついうっかりしてましたわ」

「気をつけろよ、ローズヒップ。今のがアッサム様に見つかったらまたお説教だぞ」

「あらあら、今のはいただけませんわね。お茶会の作法を身につけるのは、聖グロリアーナの生徒にとってとても大事なこと。まだ一年生とはいえ、そろそろマスターしなければいけませんよ。それと、公の場で言葉を乱すのも感心しませんわ。誰が聞き耳を立てているかわからないのですから、あまり油断しないようにしてくださいね」

 

 ローズヒップとルクリリをたしなめたのは愛里寿を連れたアールグレイであった。

 

「ラベンダー、愛里寿さんは少し気分が優れないそうなの。悪いのですが、彼女を保健室に案内してくれませんか?」

「わかりました。大丈夫? 愛里寿ちゃん」

「大丈夫……」

 

 口では大丈夫と言っているが愛里寿の顔色はあまりよくない。それでも決して表情をつらそうに歪めないあたり、愛里寿の精神力の強さが見てとれた。

 

「ラベンダー、わたくしも一緒に行きますわ」

「私も行くわ。人数が多いほうが対処しやすいはずよ」

「二人とも、ありがとう。愛里寿ちゃん、自分で歩ける?」

「うん……」

 

 みほは愛里寿の手を握ると四人で保健室へと向かった。

 今まで愛里寿という天才の偉大さばかりを感じていたみほであったが、今の愛里寿からはそれを感じられない。そのことにみほは言い知れぬ不安感を覚えながらも、努めて冷静に保健室への道を急いだ。

   

 

  

 残念なことに養護教諭は外出中であった。保健室のカギが開いていたのは不幸中の幸いである。

 

「先生いないね……」

「わたくしがひとっ走りして探してきますわ。学校中を走り回れば見つかるはずですの」

「それは効率が悪すぎるだろ。緊急時の連絡先がどこかに書いてあるはずだから、まずはそれを探すぞ」

 

 みほ達は保健室を捜索しようとしたが、愛里寿がそれに待ったをかけた。

 

「必要ない。これは精神的なものだから……」

 

 愛里寿はそこで言葉を区切り、何かを考えているような顔で宙を見つめている。

 保健室にしばらく無言の時間が流れたあと、考えがまとまったのか愛里寿はぽつぽつと語り出した。

 

「あの試合、私はどうしても勝ちたかった。たぶん、初めてできた友達にいいところを見せたかったんだと思う。それなのに私は負けた。それが悔しくて体調のコントロールができなくなったの」

 

 愛里寿がコントロールできていないのは体調だけではない。愛里寿の目からは大粒の涙がこぼれ落ち、声も震えていた。言葉にしてしまったせいで、感情のコントロールもできなくなってしまったようだ。

 

 愛里寿が泣いているのを見たみほはすぐさま駆け寄り、愛里寿を優しく抱きしめた。

 みほが泣いていたときはローズヒップとルクリリが助けてくれた。今度はみほが友達を助ける番である。

 

「愛里寿ちゃんは私達にカッコいい姿を見せてくれたよ」

「でも、私はあれだけ大きな口を叩いて負けた……」

「負けたっていいんだよ。聖グロリアーナの戦車道で大事なのは試合に勝つことじゃないんだもん」

 

 愛里寿は不利な状況にも関わらず、正々堂々と真っ向勝負でダージリン達と戦った。

 小細工などいっさいしない優雅で華麗な戦いかたは、聖グロリアーナが理想とする戦車道そのものだ。愛里寿が恥じるようなことは何一つない。

 

「だから、大丈夫。誰も愛里寿ちゃんを悪く言わないよ。不安になる必要なんて全然ないの」

「……ありがとう」

「今日は試合とお茶会で疲れたよね。少し横になろうか」

「うん」 

 

 愛里寿はみほの言葉にうなずくと、保健室のベッドに横になった。

 みほは左手で愛里寿の左手を握り、右手で愛里寿の頭を優しくなでる。みほの優しさに安心したのか、愛里寿は目を閉じるとすぐに穏やかな寝息を立て始めた。

 

「よっぽど疲れてたんだね」

「あれだけの試合をしたあと、すぐにお茶会でございましたからね。きっと気の休まる暇がなかったんですわ」

「今日のお茶会は初めての顔も多かったからな。人見知りの愛里寿にはお茶会のほうが大変だったんだろ」

「私も話すのは得意じゃないから、愛里寿ちゃんの気持ちがよくわかるよ。おつかれさま、愛里寿ちゃん。今はゆっくり休んでね」

 

 みほ達に見守れながら眠る愛里寿の顔はとても安らかだ。

 みほは今まで愛里寿の強い部分ばかりを見てきたが、よく考えてみれば彼女はまだ小学生。弱いところがあるのは当たり前である。

 それに気付かず愛里寿を特別視していたのをみほは恥じた。みほがやるべきなのはティーフーズを作ることではなく、愛里寿を励ますことだったのだ。

 

 みほは助けてあげられなかったのを心の中で謝罪し、片手で握っていた愛里寿の左手を優しく両手で包みこんだ。 

 

 

 

 愛里寿の体験入学はこうして終わりを迎えた。

 みほは愛里寿との別れに一抹の寂しさを覚えたが、二人の関係はここで終わりではない。長期の休みになったらみんなで遊びに行く約束を交わしたし、秋に行われる文化祭にも招待した。みほと愛里寿は友達なのだから、そう簡単に絆は途切れない。

 次に会える日を楽しみに思いながら、みほは笑顔で愛里寿と別れたのであった。

 

 この日から、みほの部屋の棚には新たに一つ写真立てが増えた。

 その写真立てには愛里寿と別れた日に撮った写真が収められている。三人の友達に囲まれた写真の中の愛里寿は、クールな無表情ではなく花咲くような笑顔だった。

 

 

 

 愛里寿と別れてから数日後、アールグレイからある発表があった。一年生同士を戦わせる毎年恒例の練習試合の対戦相手が決まったのだ。 

 今年の対戦相手は黒森峰女学園。

 戦車道全国高校生大会九連覇中の名門校であり、みほの姉である西住まほが隊長を務めている学校であった。



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第十一話 ラベンダーと黒森峰女学園

 海が見える公園は学園艦の中でも人気の休日お出かけスポットだ。

 今日も多くの人でにぎわいを見せており、園内はどこも笑顔であふれていた。大海原が見渡せるベンチも人で埋まっており、それぞれが思い思いの表情で雄大な海の景色を眺めている。

 

 そのベンチの一つにみほの姿があった。

 休日ということもあり、みほの服装は白いワンピースに黄色のカーディガンというお嬢様スタイル。一人でベンチに座って考えごとをしているみほの姿は、清楚で可憐なお嬢様に見える。

 しかし、その表情は険しかった。

 

「黒森峰との練習試合は明日。私はどんな顔でお姉ちゃんと会えばいいんだろう……」

 

 黒森峰女学園との練習試合が発表されたときから、みほが考えているのはまほのことばかりだった。まほと会って何を話せばいいのか、そもそもどんな顔をして会えばいいのか、みほはいまだに頭の中を整理しきれていない。

 まほと会って話がしたいと願っていたみほであったが、こんなに早くその機会が訪れるとは夢にも思っていなかったのである。

 

「おまたせ。今日は人が多いから自販機も混んでて……また一人で悩んでるのか?」

  

 悩むみほの元に缶ジュースを両手に持ったルクリリがやってきた。

 みほが清楚なお嬢様スタイルなのに対し、ルクリリは上が濃い緑色のジャケットと白いシャツに赤いネクタイ、下はショートパンツというボーイッシュスタイル。みほは一人で公園に来たのではなく、ローズヒップとルクリリの二人と公園に遊びに来たのである。

 

「あれ? ローズヒップさんは?」

「ホットの紅茶が売り切れてたから別の自販機を探してる。今日は休日なんだから、別に紅茶にこだわらなくてもいいのに」

「ローズヒップさんはダージリン様に憧れてるからね。ダージリン様は休日も紅茶をよく飲むって前に話してたし」

「ダージリン様の真似をする前に、紅茶の一気飲みをやめるのが先だと思うけどな。はい、これがラベンダーの分」

「ありがとう」

 

 ルクリリは持っていた缶ジュースをみほに手渡し、ベンチに腰を下ろした。

 

「それで、何を悩んでたんだ? なんとなく察しはつくけど」

「……お姉ちゃんのことを考えてたの。明日の黒森峰との練習試合で顔を会わせないといけないから」

「やっぱりか。気持ちはわかるけど、あんまり深く考えすぎるのは体に悪いぞ」

「心配かけてごめんね。でも、どうしても不安になって色々考えちゃうの……」

 

 みほは両手で持った缶ジュースに視線を落とす。のどは乾いているはずなのに、ジュースを飲む気分にはなれない。

 

「ラベンダー、ちょっと手を貸して」

「ふえっ?」

 

 みほが缶ジュースをベンチの上に置くと、ルクリリはみほの手を両手で握りしめた。 

 みほはこの感触に覚えがある。カヴェナンターの履帯が外れて落ちこんだときも、ルクリリはこうやってみほの心を守ってくれた。

 

「ラベンダー、これだけは約束して。困ったことがあったら、私とローズヒップに相談すること。一人ではどうにもできなくても、三人ならきっとなんとかなる。クルセイダーだって三人で協力して動かしてるだろ」

 

 ルクリリの力強い言葉はみほの心に深く響き渡った。友達が助けてくれるとわかっただけで、今まで悩んでいたのが嘘のように気持ちが前向きになっていく。

 戦車が一人では運用できないように、一人で悩んでいては問題は解決しない。みほが強くなるためには友達の助けが必要なのだ。

 

「約束するよ、ルクリリさん。本当に困ったときは必ず二人に相談するね」

 

 みほはうつむいていた顔を上げると、ルクリリの目を見ながらはっきりと答えを口にした。みほが元気を取り戻したのが伝わったのか、ルクリリもどこかホッとしたような笑みを浮かべている。

 

 そんな二人の耳に、何かを地面に落としたような鈍い音が聞こえてきた。

 二人が音のしたほうに目を向けると、そこには唖然としたような表情で立ち尽くすローズヒップの姿があった。足元には口の空いていない缶紅茶が転がっているので、先ほどの音の正体は缶紅茶を落とした音なのだろう。

 ちなみに、ローズヒップは上は赤いジャケットに黒とグレーのボーダーニット、下はピンクのデニムパンツという服装である。前向きで行動力があるローズヒップには、明るい色がよく似合っていた。

 

「まさかお二人がそんな関係だったなんて、まったく気づかなかったですわ」

 

 海が見える公園のベンチで、両手をつなぎながら見つめ合うみほとルクリリ。

 確かに何も知らない人が見たら、恋人同士の触れ合いと思われてもおかしくない状態だ。ローズヒップが盛大に勘違いしてしまったのもうなずける。

 

「なるほど、ルクリリがキスされるのをすごく嫌がっていた理由がわかりましたわ。ルクリリのファーストキスはラベンダーのものだったんですわね」

「そそそ、そんなわけないだろっ! 勘違いするな、このバカっ!」

「ムキになって否定しなくても大丈夫ですわ。お二人が恋仲だったとしても、わたくし達の友情は不滅でございますわよ。お二人の結婚式には必ず参加させていただきますわ」

「ローズヒップさん、誤解なの! お願いだから話を聞いてよー!」

 

 結局、この日はローズヒップの誤解を解くだけで一日が終わってしまった。一般的に見れば、有意義な休日だったとはとてもいえないだろう。

 それでも、みほにとってはあれこれ悩む時間を忘れさせてくれた貴重な休日だった。

 

 

 

 

 聖グロリアーナ女学院の学園艦は熊本県西部の海域に到着した。

 今回の練習試合は黒森峰女学園に試合会場を決める権利がある。指定してきた試合会場は黒森峰女学園内の演習場であったため、黒森峰女学園の学園艦が停泊中の海域へとやってきたのだ。 

 黒森峰女学園の母港は熊本港なのだが、有明海は大きな学園艦が入りづらいため港ではなく沖合いに停泊しているのである。

 

 聖グロリアーナの一年生は全員演習場で待機中。一年生以外でこの場にいるのは、今回の練習試合の引率を任されているダージリンとダンデライオン、そして補佐役のアッサムだけだ。

 

「まもなく黒森峰から迎えが来ます。ご丁寧に戦車まで運んでくださるそうなので、いつでも動かせる準備をしておきなさい」

「試合後は黒森峰と合同でお茶会をする予定なので、ティーセットを忘れないようにしてくださいね」

 

 ダージリンとダンデライオンは一年生に手際よく指示を出していく。

 この二人が引率役なのには大きな理由があった。この練習試合は、どちらの部隊長が上手に一年生をまとめられるかを測るテストでもあるのだ。

 今年はすでにダージリンが次期隊長に内定しているので、部隊長が引率役をする意味は薄い。

 しかし、これも長い間続けられてきた伝統。聖グロリアーナで伝統をないがしろにすることは許されない。

 

「お二人とも、迎えが来たようですわ」

 

 ダージリンとダンデライオンのそばに控えていたアッサムが遠くの空を指差した。そこには巨大な飛行船が二機浮かんでおり、こちらへ向かってゆっくりと近づいてくる。

 

「それにしても、なんで黒森峰の学園艦で試合をやるんですかね? わざわざ飛行船を使うぐらいなら陸でやったほうが楽なのに」

「誰かさんは私達に黒森峰の学園艦に来てほしいのよ。正確にいえば私達ではなく、あの子が来るのを心待ちにしているの」

 

 ダージリンの視線の先にいるのは、クルセイダーの近くで友達と談笑しているラベンダーであった。

 

「ダージリン、ラベンダーは大丈夫でしょうか? あの子は黒森峰にあまりいい感情を抱いていないはずですが……」

「そんなに心配する必要はなくってよ、アッサム。ラベンダーにはあの二人がついているのだから」

「あの二人が一緒にいるほうがあたしは心配だと思うんですけど……」

 

 ダンデライオンがジト目で見つめているのは、ラベンダーと談笑しているローズヒップとルクリリだ。

 

「『案ずるより産むが易し』ということわざもあるわ。過度に心配するよりも、今はあの子達を信じましょう」

「また出た。ダージリンさん、黒森峰の生徒の前では格言とことわざは自重してくださいね」

「あら、ひどい言いぐさですわね。あなたもニックネームを間違えないように気をつけなさい、ダンデライオン」

「うぐっ! わ、わかってますよ。ニックネームはしっかり名乗ります」

 

 嫌っているニックネームで呼ばれたダンデライオンの口角が下がる。不機嫌なのが丸わかりな顔は優雅とは程遠かった。

 

「ダンデライオン、あなたはクルセイダー隊の隊長なのだから、黒森峰の隊長に名前を覚えてもらう必要があるわ。一字一句間違えないようにしっかりと発言するのよ、ダンデライオン」

「うぇぇぇん! ダージリンさんのいじわるー!」

 

 涙目でダージリンの前から走り去るダンデライオン。ダージリンのニックネーム連続呼びは、ダンデライオンにかなりの精神的ダメージを与えたようだ。

 それを見たアッサムは片手を額に当て天を仰いでいた。この二人の面倒も見なくてはならないアッサムにとって、今日は長い一日になりそうである。

 

 

 

 

 黒森峰女学園の学園艦はみほの記憶通りのままであった。ドイツを模した街並みも、だだっ広い演習場も何一つ変わったところはない。 

 黒森峰は変わっていなかったが、みほには変わったことがあった。それは着ているタンクジャケットの色。目の前に整列している黒森峰の生徒達のタンクジャケットが黒なのに対し、みほが着ているタンクジャケットは赤だ。

 

 その整列している生徒の中に、みほにとってはある意味まほよりも顔を合わせづらい人物、逸見エリカがいた。

 エリカはみほに向かって鋭い視線を投げかけてくる。みほはそんなエリカを直視できず、目をそらしてうつむいてしまう。

 

「怖い顔でこちらをにらんでくるかたがいますわね」

「本当ですわ。ルクリリ、もう黒森峰の生徒に喧嘩を売ったんですの?」

「私がそんなことするわけないだろ! お前は私をなんだと思ってるんだ!」

「おほほほ、これくらいのジョークでお言葉を乱すようでは、まだまだ淑女への道は遠いですわよ。あれ? ラベンダー、どうしたのでございますか?」

 

 みほがうつむいてるのに気づいたローズヒップが心配そうに声をかけてきた。

   

「あの子がにらんでるのは私だよ。逸見エリカさん、前に話した副隊長の……」

「ラベンダーをいじめた子ですわね!」

 

 ローズヒップは、うなり声を上げながら思いっきりエリカをにらみ返している。みほに暴力を働いたエリカに、ローズヒップはかなりの嫌悪感を抱いているようだ。

 

 ローズヒップからにらまれたエリカの目つきはさらに鋭さを増す。エリカの目に恐怖を感じたみほの体は、金縛りにあったかのように動かなくなってしまった。

 みほはアールグレイの目がエリカに似ていると思っていたが、本物が与えてくるプレッシャーは比べ物にならないぐらい強烈だったのである。

 

「ラベンダー、私の後ろに隠れていなさい」

 

 ルクリリはみほを隠すように立ちふさがった。ルクリリの背丈はみほとあまり変わらないので、問題なくエリカの視線をさえぎれる。

 視界からエリカの姿が消えたことでみほの金縛りは解けたが、同時に自分を情けないと思う気持ちが湧き上がってきた。みほはローズヒップのようにエリカに立ち向かうことも、ルクリリのようにエリカの視線を受け止めることもできなかったのだ。

 

 このまま友達に守られてばかりではいけない。強い心を持ってエリカに立ち向かうべきだ。

 そう決意を固め、みほは足を一歩前に踏み出そうとした。

 しかし、それよりも先に事態が動いた。

 

「みなさま、黒森峰の隊長が来られました。聖グロリアーナの生徒らしく、優雅な姿で出迎えましょう」

 

 ダージリンの言葉を聞いたみほが目を向けると、そこにはまほの姿があった。

 みほがまほの姿を見るのはあの暴言を吐いてしまった日以来だ。みほが最後に見た泣きそうな顔とは違い、まほの表情はキリッと引き締まっている。

 

 黒森峰の隊長に相応しい凛とした姿を見せるまほ。

 だが、みほはその姿に軽い違和感を覚えた。みほは幼少期からつねにまほと一緒にすごしてきたので、微妙な表情の変化や体調の不良もすぐに気づくことができる。

 みほの目にはまほが疲れているように映った。

 まほは戦車道全国大会九連覇中の黒森峰女学園を率いている。その苦労は並大抵のものではないのだろう。みほも去年中等部で隊長を務めていたが、まほの苦労はそれとは比較にならないはずである。

 

「練習試合を引き受けてくださったこと、感謝いたしますわ」

「こちらとしても聖グロリアーナと試合ができるのはありがたい。一年生にはいい経験になるだろう」

「試合方法は十対十の殲滅戦の予定ですが、すぐに始めますの?」

「いや、一度この演習場をそちらの一年生に案内してから始めようと思う。トモエ、ちょっと来てくれ」

「は、はい! 今行きます、西住隊長!」

 

 まほにトモエと呼ばれたセミロングボブの黒髪の少女が慌てた様子で走ってきた。まほよりも背が低く体型もスレンダーなので、発育のいいまほの隣に立つと違いがよく目立つ。 

 みほはこの少女にまったく見覚えがなかった。おそらく、彼女は高等部から入った新隊員なのだろう。

 

「紹介する。副隊長の深水(ふかみ)トモエ。学年は私たちと同じ二年生だ」

「深水です。よろしくお願いします」

 

 深水と名乗った少女はダージリンに向かってペコペコ頭を下げた。

 

「よろしくお願いしますわ。こちらもクルセイダー隊の隊長をご紹介します。出番ですわよ、ダンデライオン」

「はーい。あたしがクルセイダー隊の隊長、ダンデライオンです。よろしくお願いしますね」

「あ、あの。こちらこそよろしくお願いします、ライオンさん」

「ライオンじゃありません! ダンデライオンです!」

「ご、ごめんなさい!」

 

 トモエは再びペコペコ頭を下げている。

 その姿は常勝軍団である黒森峰の副隊長とは思えない実に気弱なものであった。

 

「ダンデライオン、タンポポの英語名だな。ニックネームはタンポポコーヒーか?」

「惜しいけど違いますね。ハーブティーのダンデライオンティーがあたしのニックネームです。だけど、別にタンポポと呼んでくれてもいいんですよ」

「聖グロリアーナの生徒にとってニックネームは大事なものだろう? 間違った名前で呼ぶような失礼なことはできない。ちゃんとダンデライオンのニックネームで呼ばせてもらうよ」

「そ、そうですか……」

 

 がっくりと肩を落としたダンデライオンの隣で、ダージリンは必死に笑いをこらえていた。

 ダンデライオンの期待に満ちた表情が一転して曇り顔になったのが、笑いのツボに入ったようである。

 

「トモエ、聖グロリアーナの一年生に演習場を案内してくれ。人手が必要ならうちの一年生を使うといい」

「一年生の人選はどうしますか?」

「誰を使うかはお前に任せる」

「了解しました」

 

 先ほどまでの弱々しい姿とは打って変わり、きびきびとした動作でまほの命令を遂行するトモエ。命令を与えられると生き生きした姿を見せるのは、戦車に乗るとドジで弱気なところが直るみほに少し似ているのかもしれない。

 

 みほが親近感を覚えながらトモエの姿を目で追っていると、偶然まほと目が合ってしまった。なんの心の準備もしていなかったみほは思わず視線をそらしてしまい、助けを求めるようにローズヒップとルクリリの手をつかんでしまう。

 

「ラベンダー、不安にならなくても大丈夫ですわよ。逸見エリカが喧嘩を売ってきたら、わたくし達が守ってあげますわ」

「前にも話したけど、困ったら遠慮なく私達を頼りなさい。あのかたは、ラベンダーが一人で相手をできるような人ではないようですわ」

 

 ローズヒップとルクリリは、みほがエリカに怯えて手をつかんできたと勘違いしているようだ。それでも、二人から守ってもらえるという言葉が聞けただけで、みほの心には安堵感が広がっていった。

 二人が一緒ならまほとも向き合える。そう確信したみほは、まほに顔を向けるがそこで見てはいけないものを見てしまった。

 

 まほはダージリン達と話していたときとは違い、冷たい目でみほを見ていたのである。

 まほの表情からは親愛の情はまったく感じられない。感じられるものがあるとすれば、それは負の感情と呼ばれるものだけだ。

 

 まほの目を見てしまったみほは、頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けた。背筋には冷たいものが走り、呼吸も徐々に乱れていく。この展開をみほはある程度予想していたが、まほに嫌われることで受ける衝撃はみほの想像をはるかに超えていた。

 みほはローズヒップとルクリリの手をつかむ両手にぎゅっと力をこめる。二人がそばにいてくれることが、崩れそうなみほの心を支える最後の頼みの綱であった。

 

「ラベンダーのお顔が真っ青になってますの!」

「ラベンダー、深呼吸だ! 気を確かに持て!」

 

 みほの異常に気づいたローズヒップとルクリリが大声を出したせいで、聖グロリアーナの一年生の間にざわめきが広がる。

 つねに優雅な態度を崩さないのが聖グロリアーナの作法。しかし、初めての練習試合にのぞむ一年生にはまだ心の余裕が足りていないようだ。

 

「みなさま、お静かに。聖グロリアーナの戦車道はいかなるときも優雅。アールグレイ様のこのお言葉を思い出して、今一度冷静になりなさい」

 

 ダージリンが諭すように語りかけるとざわめきはすぐに収まった。

 

「まほさん、ごめんなさいね。見苦しいところをお見せしてしまいましたわ」

「……私は何も見ていない」

 

 まほは一言だけそう告げると、聖グロリアーナの生徒達に背を向け黒森峰の生徒達がいるほうへと戻っていった。

 まるで二人の心の距離を表しているかのように、まほはみほから遠ざかっていく。友達の手を借りなければ立てないみほは、黙ってまほの背中を見つめることしかできなかった。



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第十二話 ラベンダーと逸見エリカ

 黒森峰女学園の演習場を走行する三台の六輪軽トラック。このトラックはクルップ・プロッツェといい、黒森峰が隊員の輸送のために使用する車輌だ。

 聖グロリアーナの一年生は三班に分かれて荷台に搭乗し、演習場の案内を受けていた。引率のダージリン達も分かれてトラックに搭乗中である。

 

 みほ達は今日の試合でクルセイダーに搭乗する生徒と一緒の班であった。

 この班の引率役はクルセイダー隊の隊長、ダンデライオン。荷台に設置されたベンチシートに座って物珍しそうに演習場を見ている小さな姿は、一年生の中にすっかり溶けこんでいる。

 みほ達はそんなダンデライオンの隣に座っていたが、その表情は普段とはまったく違う。みほは暗い顔でうつむいており、ローズヒップとルクリリは警戒したような顔で運転手をにらんでいた。

 

 ローズヒップとルクリリが運転手をにらんでいるのには理由がある。

 このトラックの運転手の名は逸見エリカ。助手席に座っている深水トモエは、ラベンダーと因縁があるエリカを運転手に指名したのだ。

 

「二人とも、そんな怖い顔をしたらダメですよ。試合の前で気持ちが高ぶるのはわかりますけど、それを表に出すのは優雅とはいえません。どうして運転手の子をにらんでいるんですか?」

「タンポポ様、あの子はラベンダーをいじめたのでございますわ」

「えええっ!? 本当ですか!?」

 

 ダンデライオンは下品な大声で叫んでしまう。そのせいで荷台にいる全員の視線が集まってしまい、ダンデライオンの顔はまたたく間に赤く染まっていった。

 

「み、みなさんはこんな風に大きな声で叫んではいけませんよ。今のは悪い見本ですから。冷静沈着があたしのモットーですから」

 

 しどろもどろになりながら言い訳をするダンデライオンであったが、説得力は皆無だ。日ごろからダージリンにいじられて泣きわめいているのを一年生はみんな知っている。

 

「もちろん心得ておりますよ、タンポポ様」

「わざわざ悪いお手本を見せてくださるなんて、本当にタンポポ様は後輩思いのかたですわ」

「私達もタンポポ様のような淑女になれるように、これからも努力いたしますわ」

「わ、わかってもらえたならいいんです。物分かりがいいみなさんなら、きっと立派な淑女になれますよ」

 

 一年生にフォローされてあどけない笑顔を見せるダンデライオン。一年生はそんなダンデライオンの姿を優しそうな眼差しで見守っていた。ダージリンとはベクトルが違うが、ダンデライオンは一年生からとても好かれているのである。

 クルセイダー隊が微笑ましい光景を見せていると、助手席のトモエがおずおずと話しかけてきた。

 

「あ、あの。この先に綺麗な川がありますので、そこで休憩にしたいと思うんですが……どうでしょうか?」

「あたし達は別にかまいませんよ。みなさーん、いったん休憩になりまーす」

 

 ダンデライオンは機嫌のよさそうな声で一年生に呼びかける。先ほどの失態はすでに忘却の彼方へ消え去ったようだ。

 

 そんなダンデライオンとは対照的に、まほに拒絶されたみほの心はいまだに晴れない。暗い顔をしてはダメなのはみほもわかっているが、頭ではわかっていても心がいうことを聞いてくれないのだ。

 それに追い打ちをかけたのが、このトラックを運転しているエリカの存在だ。休憩時間でエリカと再び話す機会があったときのことを考えると、みほの心はますます憂うつになってしまうのであった。

 

 

 

 黒森峰の演習場にある川はとても澄んでおり、小石が散りばめられている河原は綺麗な川を眺めることができる。クルップ・プロッツェを降りた聖グロリアーナ一行は、その河原で休憩をとっていた。綺麗な川を前にしても羽目を外す一年生はおらず、川のせせらぎに耳を傾けながら静かに雑談をしている生徒が大半である。

 

 その大半の中にみほ達は含まれていない。

 みんなが休憩をとっている場所から少し離れたところで、みほ達はエリカと対峙していたからだ。 

 

「それで、お話とはなんですの?」

「あんた達に話すことなんてないわ。用があるのはみほだけよ」

 

 ルクリリの問いかけに不機嫌そうな声で答えるエリカ。

 

「あなたとラベンダーを二人きりになんてさせませんわ!」

「ふうん、ラベンダーねぇ……」

 

 エリカはローズヒップが口にしたみほのニックネームを小馬鹿にしたように笑うと、冷たい視線をみほに向けた。

 

「みほ、偽りの名前をもらってお嬢様と馴れ合う生活は楽しい? 西住流から逃げて無駄な時間をすごしてるあなたは、隊長がどれだけ苦労しているか考えたこともないんでしょうね」

「……無駄じゃない」

 

 うつむいたまま黙っていたみほがついに重い口を開いた。友達とすごしてきた輝かしい日々を無駄扱いされて、黙っていられるわけがない。

 みほは顔を上げると、あれだけ恐れていたエリカの目を正面から見据えた。

 

「私が聖グロリアーナですごした日々は無駄なんかじゃない。どうして逸見さんにそこまで言われないといけないの?」

「やっとこっちを見たわね。これでようやく本題に入れるわ」

「本題?」

「単刀直入に言うわよ。みほ、黒森峰に戻ってきなさい」

 

 みほは何を言われたのか理解できなかった。厳密にいうと、理解するのを脳が拒んだのだ。

 黒森峰に戻れ。エリカが発したその言葉は、みほの頭を一気に混乱させる破壊力を持っていた。

 

「悔しいけど、私じゃあなたの替わりにはなれなかった……。隊長にはみほが必要なの。お願い、黒森峰に戻ってきて」

「い、嫌……」

「嫌だなんて言わせない! 西住流を隊長一人に押しつけてのうのうと暮らしているあんたに、拒否する権利はないわ!」

 

 みほが蚊の鳴くような声で否定の言葉を絞り出すと、エリカが急に激高した。

 エリカの怒声を受けたみほは恐怖のあまり体が固まってしまう。みほが苦手だったエリカの性格は中学時代とまったく変わっていないようだ。

 

「ラベンダーをいじめないでくださいまし!」

「ラベンダーの進む道を決める権利はあなたにはないはずよ」

「部外者は黙ってなさい! 聖グロのお遊戯をこれ以上みほに続けさせるわけにはいかないの!」

「お遊戯? もしかして、戦車道のことを言ってるのか?」

 

 エリカの物言いにカチンときたのか、ルクリリの言葉づかいが崩れ始めた。

   

「そうよ、あんた達の戦車道は所詮お嬢様の習い事だわ。みほの戦車道の才能は、聖グロなんかに置いておくのはもったいないのよ」

「言いたい放題言ってくれるじゃないか。なんなら、このあとの練習試合で試してみるか?」 

「いいわよ。みほの目を覚まさせるにはそのほうが手っ取り早いわ」

「あなたなんかには絶対負けませんわ!」

「ふん、実力の差を思い知らせてあげる。みほ、さっき私が言ったことをよく考えておきなさい。隊長を助けられるのはあなただけなのよ」

 

 エリカはそう言い残すと、クルップ・プロッツェが駐車してあるほうへと去っていく。

 エリカの言葉は一方的なものばかりであったが、まほを心配しているという思いだけはみほにもはっきり伝わった。まほが疲れたような表情をしていたのを考えると、エリカの言い分もあながち間違いではないのかもしれない。

 

 だがしかし、みほが黒森峰に戻る可能性はゼロだ。

 ローズヒップとルクリリがいない高校生活はもうみほには考えられない。二人と別れるのを想像しただけで胸が張り裂けそうになるのだから、実際にそうなってしまったらみほの心は確実に壊れるだろう。

 

「久しぶりに頭にきたぞ。あの憎たらしいワニ女に目にもの見せてやろう」

「ワニ女? 逸見さんが?」

「あいつ誰かに似てるなーと思ってたんだけど、今思い出した。愛里寿と一緒に見たボコのDVDに出てきたワニにそっくりなんだ」

「銀色、青い瞳、嫌味な性格。確かに似てるでございますわ」

 

 エリカと銀色のワニを結びつけるルクリリの発想には、ボコマニアのみほもびっくりだ。

 

「あんなむかつく相手に負けるわけにはいかない。あのワニ女をぎゃふんと言わせてやるぞ!」

「うん!」

「やってやりますわ!」

 

 相手は強豪中の強豪である黒森峰女学園。もしみほが一人だったなら、抵抗すらできずにエリカに屈服していたはずである。

 みほの心が折れずにいられるのは一緒に戦ってくれる友達がいるからだ。それを心強く思いながら、みほは打倒逸見エリカに闘志を燃やした。

 

 

 

 結論からいうと、ぎゃふんと言わされたのはみほ達であった。

 黒森峰の戦車隊に囲まれたみほ達のクルセイダーからは白旗が上がり、試合終了を告げる無線が車内にこだまする。

 

「くそっ! 負けたっ!」

「私達の完敗だね……」

「悔しいですわー!」

 

 この試合のルールは十対十の殲滅戦。聖グロリアーナはマチルダⅡ六輌、クルセイダーMK.Ⅲ四輌で試合にのぞみ、みほはクルセイダー隊の指揮官を担当した。

 聖グロリアーナの戦車隊はマチルダ隊とクルセイダー隊の二手に分かれて進軍。装甲が厚いマチルダ隊が正面から突撃し、別方向からクルセイダー隊が強襲する作戦だった。 

 

 それに対し、黒森峰の戦車隊はⅢ号戦車J型五輌をクルセイダー隊に向けて投入。クルセイダー隊が別行動をするのを読んでしっかりと手を打ってきた。

 ちなみに、黒森峰の戦車隊はⅣ号戦車F2型が五輌、Ⅲ号戦車J型が五輌だ。

 

 Ⅲ号戦車J型隊を指揮していたのはエリカであり、みほのクルセイダー隊は苦戦を強いられる。苦戦した理由は戦車の数と性能の差もあったが、最も大きな原因は隊員の練度の差。全国から優秀な生徒が集まる黒森峰に比べて、聖グロリアーナは戦車道未経験のお嬢様ばかりなのである。

 

 苦戦した理由の一つには、みほの搭乗している戦車が三人乗りのクルセイダーMK.Ⅲだったのもあげられる。自分の戦車の指揮と装填をしながら部隊の指揮までとるのは、いくらみほが優秀な戦車乗りでも負担が大きすぎたのだ。

 

 満足に指揮がとれないだけでなく、聖グロリアーナの戦車道の流儀も守らなくてはならないみほは次第に追いつめられていく。クルセイダー隊がみほ達だけになったころには、すでにマチルダ隊も全滅していた。

 そして、マチルダ隊を蹴散らして増援に現れたⅣ号戦車F2型に挟み撃ちにされる形で、最後まで粘っていたみほ達も撃破されたのであった。

 

 

 

 撃破された戦車は牽引車が来るまでその場で待機しなければならない。みほ達はクルセイダーのハッチから外に出ると、牽引車が来るのを静かに待っていた。

 クルセイダーを囲んでいた黒森峰の戦車隊が撤収準備を始めるなか、一輌の戦車がクルセイダーに近づいてくる。エリカが搭乗していたⅢ号戦車J型だ。

 

「みほ、これでわかったでしょ。あなたは聖グロにいたらきっとダメになる。ぬるま湯につかるのはもうやめにして、黒森峰に戻ってきなさい」

 

 Ⅲ号戦車から降りたエリカはみほに厳しい言葉を投げかけた。試合に完敗したみほは、何も言い返せずに下を向いてしまう。

 

「敗者に鞭を打つのは礼儀に欠けるぞ。礼に始まって礼に終わるのが戦車道だろう?」

「実力がないくせに口だけは達者ね。それにその乱暴な言葉づかい。あんたみたいなエセお嬢様がみほと一緒にいるのは不釣り合いなのよ」

「その言いかたあんまりですの! ラベンダーの次はルクリリまでいじめて……わたくしの我慢もそろそろ限界でございますわよ!」

「変な言葉づかいのエセお嬢様がここにもう一人いたわね。名門お嬢様学校の名が泣くわよ」

 

 エセお嬢様。エリカはみほの大切な友達をそうけなした。

 みほはローズヒップが上品なお嬢様になろうと努力しているのを知っている。ルクリリが慣れないお嬢様言葉を使うのに一生懸命なのも知っている。エリカはそんな二人を偽物のお嬢様だと言い切ったのだ。

 

 みほの心の奥底から猛烈な怒りが湧き上がってくる。これほどの怒りを感じたのは、母がボコを悪く言ったとき以来であった。

 みほは自分が悪く言われるのはいくらでも我慢できる。そのかわり、みほが心から大切にしているものを悪く言われるのは耐えられない。心の中の冷静な部分は愛里寿のようにクールになれと訴えてくるが、未熟なみほはまだ自分の感情を制御できなかった。

 

「二人のことを悪く言うのはやめて!」

「な、何よ。急に大きな声を出して……」

 

 今まで黙っていたみほがいきなり大きな声を出したことで、エリカはたじろいでいる。みほがエリカに怒りをあらわにしたのはこれが初めてだった。

 

「私のことはいくらでも悪く言っていいよ。でも、私の大切な友達を悪く言うのは許さないから!」

「……聖グロに入って堕落したわね。みほ、いい加減に目を覚ましなさい。西住の名を継いでいるあなたは、こんな連中といつまでも付き合っていたらいけないの」

「今の私は西住みほじゃない。私の名前はラベンダーだもん!」

「このわからずや! 私はあんたのためを思って言ってるのよ!」

 

 みほに釣られたのか、エリカの語気も荒くなってきた。言い争う二人の距離は、手を伸ばせば触れられるところまで近づいている。

  

「逸見さんが思ってるのはお姉ちゃんだけでしょ! 私の気持ちなんて考えたこともないくせに! ローズヒップさんとルクリリさんは私をちゃんと見てくれる。口ばっかりの逸見さんとは違うもん!」

「私がどんな気持ちであんたの副隊長をやってたと思ってるのよっ!」

 

 エリカはみほに向けて平手打ちを見舞った。突然の事態にみほは動けず、勢いよく頬をはたかれ地面に激しく倒れこむ。怒りに任せてみほが口走った言葉は、エリカの逆鱗に触れてしまったらしい。

 

「ラベンダーに何をするんですの!」

 

 激しい剣幕でエリカに詰め寄るローズヒップ。

 それに対するエリカの返答は問答無用のアイアンクローであった。

 

「あだだだだっ! この、放せですわー!」

「あんた達みたいなのと一緒にいるから、みほがおかしくなったんだわ!」

 

 ローズヒップはエリカの手を外そうとするが、両手を使ってもエリカの手は微動だにしない。

 中学時代から体を鍛えていたエリカの力は、高校に入ってさらにパワーアップしたようだ。

 

「ローズヒップから手を放せー!」

 

 地面に倒れたみほを助け起こしていたルクリリは、ローズヒップを助けるためにエリカに突撃した。それを見たエリカはローズヒップを振り飛ばし、ルクリリの突進をひらりとかわす。そのまま背後に回ったエリカは、ルクリリの左腕をつかんで後ろ手に捻りあげた。

 

「ぐっ! ちくしょー!」

「威勢がいいのは口だけのようね。あんた達が束になってかかってきても、私には勝てないわよ」

「ルクリリさんを放してっ!」

「わたくしの堪忍袋の緒もついに切れましたわよ!」

「ふんっ」

 

 エリカはみほとローズヒップに向かってルクリリを突き飛ばし、三人との距離をとった。

 

「みほ、あんたの腐った根性を叩き直してあげるわ。大事なお友達と一緒にねっ!」

 

 エリカは怒気をはらんだ目でみほ達を見ている。中学時代のみほはいつもあの目に怯えていたのだ。

 しかし、今のみほは中学時代とは違う。友達を守りたいという強い思いは恐怖という負の感情に打ち勝っていた。

 

「私はもう逸見さんから逃げない!」

「ぼこぼこにしてさしあげますわ!」

「ワニ女、今度は負けないからな!」

 

 みほ達とエリカの戦いは戦車を抜きにした場外乱闘に突入。みほが家族以外と喧嘩をしたのはこれが初めてのことであった。

 

 

 

 練習試合が終了した演習場では、聖グロリアーナ女学院主催のお茶会が開かれていた。

 聖グロリアーナの一年生はホスト役として黒森峰の一年生を丁重にもてなし、同じテーブルで一緒に紅茶を飲んでいる。試合には完敗したが、それを態度に表さないのが聖グロリアーナの流儀なのだ。

 

 その聖グロリアーナの流儀を豪快に破ってしまったみほ達は、お茶会が行われている会場のすみっこで正座中だった。三人の目の前では、とげとげしい表情のアッサムが腕を組みながら仁王立ちしている。

 

「試合後に乱闘騒ぎを起こすなんて、前代未聞ですわ。あなた達、少しは恥を知りなさい」

 

 みほ達のタンクジャケットは土で汚れており、体は擦り傷だらけ。エリカに叩かれたみほの頬は真っ赤になっており、ローズヒップの顔にはアイアンクローの指の跡がくっきりだ。ルクリリに目立った外傷はなかったが、三つ編みが解けたせいで髪はボサボサである。

 聖グロリアーナの生徒が晒していい格好ではないのは誰の目にも明らかであった。

 

「学園艦に戻ったら、あなた達には私の考えた罰を受けてもらいます。罰といっても、カヴェナンターのような危険なものではないから安心しなさいな」

 

 みほはアッサムの言葉に黙ってうなずく。今回の失態はなんの申し開きもできそうにない。

 ローズヒップとルクリリもみほと同じように静かに頭を下げた。

 そんな三人の姿を見たアッサムは一つ大きな息を吐いてから表情を崩す。 

 

「……反省はしているようですから、今日のお説教はここまでにします。その格好でお茶会に参加させるわけにはいきませんので、あなた達の紅茶は別の場所に用意しておきましたわ」

 

 お茶会の会場から少し離れた場所には、ティーセットが置かれたテーブルが用意されている。アッサムは三人が気まずい思いをしないように気を使ってくれたのだ。

 

 アッサムが用意してくれた紅茶を飲みながら、みほは自分の未熟さを痛感していた。

 今まで失敗をするたびに反省をしてきたが、反省するだけではもうダメだ。これからは二度と同じ過ちを繰り返さないように、強い心を持たなければならない。

 みほは決意を固めると、気合を入れる意味もこめて熱い紅茶を一気飲みした。

 だが、ローズヒップと違いみほは紅茶の一気飲みに慣れていない。なので、紅茶が気管に入って盛大にむせてしまった。

 

「ごほっ、けほっ、けほっ!」

「ローズヒップの真似なんかして、急にどうしたんですの? 背中をさすっててあげるから、ゆっくり咳をしなさい」

「ラベンダーは紅茶の一気飲みに慣れていないようですわね。わたくしがお手本を見せてあげますわ」

「だからっ! 紅茶を一気に飲んでいいとは言ってません!」 

 

 黒森峰との練習試合はみほにとって散々な結果に終わった。まほとは話すらできず、エリカとは新たな因縁まで作ってしまう始末だ。

 それでも、みほは初めてエリカと正面から向き合い、自分の思いをはっきりと口にできた。この出来事は、みほの心を大きく成長させる一つの転機となったのである。

 

 

◇   

 

 

「まほさん、あなたがたの勝利に水を差してしまったのをお詫びいたしますわ」

「謝る必要はない。先に手を出したこちらにも非はある」

 

 お茶会の会場を見渡せる丘の上でダージリンとまほは紅茶を飲んでいた。テーブルにはダンデライオンと深水トモエも同席している。 

 ダージリンの謝罪の声を聞いてはいるが、まほはダージリンを見ていない。まほの視線はさっきからある場所にしか向けられていなかった。

 

「そんなに妹さんが気になりますの?」

「……お前には関係ない」

「そう。ところでまほさん、私は名言集を読むのを日課にしておりますの。偉人達の言葉は、私達の人生を豊かにしてくれるヒントを与えてくれるわ。今のまほさんにぴったりの格言がありますので、聞いてくださらないかしら?」

「格言を言えるなんてすごいですね。物覚えの悪い私には到底真似できないです」

「全然すごくないですよ。格言ばっかりひけらかすダージリンさんの悪い癖には、あたしも困っているんです」

 

 トモエとダンデライオンがダージリンのほうに顔を向けているのに対し、まほは相変わらずダージリンを見ようとしない。ダージリンはそれを気にもせずに話の続きを始めた。

 

「まずはドイツの詩人、ゲーテの言葉ですわ。『憎しみは積極的な不満で、嫉妬は消極的な不満である。したがって、嫉妬がすぐに憎しみに変わっても不思議はない』」

「……何が言いたい」

 

 まほは初めてダージリンに顔を向けた。その視線はとても鋭く、ダージリンの隣に座るダンデライオンはビクッと硬直してしまう。しかし、まほに視線を向けられた当人であるダージリンは平然とした様子で話を続けた。

 

「まだまだありますわよ。次は英国の劇作家、シェイクスピアの言葉ですわ。『嫉妬は、自分で生まれて自分で育つ、化け物でございます』」 

「やめろ」

 

 まほの声に含まれるむき出しの憤怒。ただならぬ雰囲気にトモエはガチガチ震え、ダンデライオンは慌ててダージリンを止めに入る。

 

「ダージリンさん! 自重してくださいってあれほど言ったじゃないですか!」

「あら、ではこれで最後にいたしますわ。最後は古代ギリシアの哲学者、ソクラテスの言葉をまほさんに贈ります。『ねたみは魂の腐敗である』」

「やめろと言ってるだろっ!」

 

 怒鳴り声を上げてテーブルに両手を激しく打ちつけるまほ。机に置かれていたティーカップはその衝撃で倒れ、飲みかけの紅茶がテーブルの上に広がっていく。

 まほの隣に座っていたトモエは涙目でダンデライオンに抱きつき、ダンデライオンは地面に押し倒されてしまった。

 

「ちょ、ちょっと! やめてくださいよ。ダージリンさんが見てるんですから!」

「ごめんなさい、ごめんなさい!」

 

 半狂乱でダンデライオンにしがみつくトモエを気にも留めず、まほの目をじっと見つめるダージリン。

 

「まほさん、私の大事な後輩をあのような目で見るのはやめてくださらないかしら。はっきり言って不愉快ですわ」

「くっ! トモエ、帰るぞっ!」

「は、はいっ!」

 

 まほは逃げるようにその場を立ち去った。そんなまほの後姿をトモエは小走りで追いかけていく。

 トモエから解放されてようやく立ち上がれたダンデライオンは、頬を膨らませながらダージリンに近づいた。

 

「ダメじゃないですか、ダージリンさん。どうして黒森峰の隊長を怒らせるようなことをしたんですか?」

「黒森峰の隊長は精神的に不安定になっている。この情報の真意を確かめたかったのよ。眉唾物の情報だったけど、あの動揺ぶりを見るとどうやら事実だったようですわね」

「なるほど、そういうことだったんですか。あたしはてっきり、ダージリンさんの悪い癖が病気に進化しちゃったのかと思いましたよ」

「……ダンデライオン、あなたにもぴったりの格言があるのだけど、聞いてもらえるかしら?」

「ひっ! ご、ごめんなさーい!」

 

 走って逃げ出したダンデライオンの後ろ姿を眺めながら、ダージリンはティーカップを持ち上げる。ダージリンはティーカップとソーサーを手に持っていたので中身の紅茶は無事だ。

 

「アールグレイ様の夢である打倒黒森峰。今年は達成できるかもしれませんわね」

 

 ダージリンはそうつぶやくと、冷めてしまった紅茶に口をつけた。



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第十三話 新たな出会いと全国大会

 黒森峰との練習試合に惨敗した数日後、聖グロリアーナでは何事もなかったように戦車道の授業が行われていた。

 一見いつも通りに見える授業風景。しかし、よく見れば一年生はどの生徒も目の色を変えて訓練に打ちこんでいるのがわかる。聖グロリアーナの戦車道は試合の勝敗を度外視しているが、あまりに一方的な敗戦を喫したことで一年生も思うところがあったのだろう。

 そんな一年生の中にみほ達の姿はなかった。三人はアッサムの罰を執行している最中であり、戦車道の授業には参加していないのだ。

 

 みほ達が今いるところは校舎内に設置された茶道室。

 三人は着物に着替えて畳の上で正座し、普段とは違う厳粛な空気の中で行われているお茶会にのぞんでいた。

 

「お点前ちょうだい致します」

 

 みほは畳に両手をつき、亭主役の三年生と亭主を補助する半東役の二年生に深くお辞儀をした。畳の上には抹茶が入った茶碗が置かれており、教えられた手順通りに抹茶を飲んでいく。

 飲み終わったあと飲み口を指先で軽くぬぐい、みほは茶碗を自分の正面に置いた。もちろん指先を懐紙で拭くのも忘れてはいない。

 

 次に行うのは茶碗の拝見だ。みほは畳に両手のひらをついて上から茶碗を見たあと、両手で茶碗を持ち裏を含めた全体を見回す。

 拝見を終えて茶碗を畳の上に置くと、最後にもう一回茶碗全体を見回し、みほは茶碗の正面を亭主側へと向ける。

 

 それを見た半東役の二年生が茶碗を下げにやってきた。

 半東役の二年生は、みほの前で畳に手をつき深々とお辞儀をする。みほもそれに合わせてお辞儀をし、半東役の二年生が茶碗を下げたところで亭主役の三年生から声がかかった。

 

「合格です。さすがは西住流のお嬢様ですわね。畑違いの茶道でも上達が早いわ」

「ありがとうございます」

「よろしかったら、このまま茶道の道に進みませんか? 歓迎いたしますわよ」

「いえいえ、私なんて全然ですよ。それに私には戦車道がありますから」

「そうでしたわね。残念ですけど、あなたを勧誘するのはやめておきますわ」

 

 亭主役の三年生はみほをべたぼめしたあと、ローズヒップへと視線を向けた。

 

「ローズヒップさんもラベンダーさんをお手本にして、今日こそは成功させてくださいね」

「お任せですわ。わたくし、今日は自信ありでございます」

「期待していますよ。また抹茶を一気に飲むようなことがあれば、容赦なくここから叩き出しますので覚悟しておいてくださいね」

「き、肝に銘じておきますわ」

 

 亭主役の三年生の鋭い眼光を目にしたローズヒップは冷や汗をかいている。茶道の茶会は、戦車道のお茶会よりも作法に厳しいのだ。

 

 

 

 戦車道の授業はまだ行われているが、茶道の授業を終えたみほ達は一足先に帰宅していた。

 アッサムの罰を受けている間、三人は戦車道の授業に参加するのを禁じられているからだ。

 

「茶道はお堅苦しくて大変でしたわ。ずっと正座をしているのはわたくしの性に合いませんの」

「そんなこと言ってるからあの先輩に目をつけられるんだ。ローズヒップのせいで、私まですごいプレッシャーをかけられたんだぞ」

「でも、無事に茶道が終わってよかったね。明日からは華道か……」

 

 茶道と華道の授業への短期参加。これがアッサムから与えられた罰だ。

 アッサムはみほ達に足りない淑やかさを鍛えるために、茶道と華道の代表に自ら掛け合い三人の参加を実現させたのである。

 

「またお着物を着て正座でございますか?」

「そこは同じだけど、華道は茶道より大変だぞ。なにしろ美的センスが問われるからな」

「私、華道のほうは自信ないよ……。美術とか苦手だし」

 

 みほの唯一の苦手科目は美術。とくに苦手なのは絵を書くことで、みほが書いた絵を見て正解を答えられる人はまずいない。

 

「華道のほうがおもしろそうですの。自分の色を出せるのはわたくし向きですわ」

「頼むから今度は目をつけられないでくれよ」

「華道が終われば戦車道に戻れるから、みんなで協力してがんばろうね」

「クルセイダーに乗れるまで、あともうひと踏ん張りでございますわね。明日も張り切っていきますわよー!」

 

 大きな声で気合を入れるローズヒップ。淑やかとはとても呼べない行為だが、ローズヒップは正座でおとなしくしているよりこっちのほうが似合っていた。

 

 

 

 次の日から始まった華道の授業。意外にもみほの生けた花は好評を博した。

 生け花は知識や技術だけでなく、感性や自由な発想も重要である。子供のころ、型にとらわれない自由な作戦を考えていたみほにとって、自分の好きに生けられる生け花は相性がよかったのだ。

 ローズヒップとルクリリもとくに問題は起こさなかったので、華道の授業は順調そのもの。この分なら戦車道に復帰できる日もそう遠くはないだろう。

 

 そんなある日のこと。みほ達は華道の代表から、近々開かれる生け花の展示会へ見学におもむく話を伝えられる。

 

「五十鈴流の展示会ですか?」

「はい。開催場所は茨城県の大洗町ですわ。華道を履修している生徒は全員参加する予定ですので、あなたがたもぜひ参加してくださいね」 

「また大洗ですの。これで二回目でございますわ」

「私達は大洗と縁があるみたいですわね。ラベンダー、今度はボコミュージアムはなしの方向でお願いしますわよ」

「わ、わかってるよ。いくら私でも同じ失敗を二度はしないもん」

 

 みほもルクリリと同じように、大洗とは奇妙な巡り合わせを感じていた。

 みほが第一志望校に選んだのは大洗女子学園で、故障したクルセイダーが運ばれたのが大洗の整備工場。その整備工場で愛里寿と出会い、友達になれた場所が大洗のボコミュージアム。そして、今度は大洗で行われる生け花の展示会。

 

 みほの人生に度々登場するようになった大洗という不思議な場所。後にみほは大洗とさらに深く関わることになるのだが、このときのみほはそれを知る由もなかった。

 

 

 

 聖グロリアーナ女学院の学園艦が大洗港に着くと、港には別の学園艦の姿があった。

 聖グロリアーナ女学院の学園艦よりも小さいその学園艦には、艦首に洗の一文字をベースにした校章が描かれている。この大洗港を母港にしている大洗女子学園の学園艦だ。

 

「大洗女子学園の学園艦が来てるね」

「ラベンダーの第一志望だった学校ですわね」

「補給に来たんだろ。ここは大洗女子学園の母港なんだし」

 

 学園艦にはそれぞれ母港がある。母港には長期の休みや物資の補充の際に帰港するのが一般的で、聖グロリアーナ女学院の学園艦も母港である横浜港によく立ち寄っていた。

 

 大洗港に降り立ったみほ達は、華道を履修している生徒と一緒にさっそく展示会へと向かった。

 展示会の会場はアクアワールド茨城県大洗水族館。大洗港からそれほど離れていない距離にあるので、会場への移動は実にスムーズだ。

 

 展示会へ到着したあとは自由行動である。

 みほ達は他の生徒にならって、のんびりと生け花の鑑賞を楽しむことにした。会場には様々な作品が飾られており、三人は生け花の感想をそれぞれ言い合いながら会場を歩いていく。

 そのとき、みほはある作品の前で足を止めた。作品の作者を示すプレートには、五十鈴華という名前が書かれている。

 

「五十鈴華さんって五十鈴流の家元の子で私達と同い年なんだよね?」

「うん。パンフレットには大洗女子学園に通う一年生だって書いてあったな」

「大洗の学園艦が入港していたのを考えると、こちらに来ているのかもしれないですわね」

 

 同い年の少女の作品に興味を持ったみほ達は、じっくり鑑賞することにした。

 生け花の良し悪しがわかるほど華道を習っていない三人であったが、目の前の作品が自分達とはレベルが違うぐらいはわかる。花の色使いやバランスもしっかり整えられており、どこを見ても悪い点は見当たらない。

 さすがは家元の子の作品だなと、みほは素直に感心していた。

 

「すごくきれいだね。私の作品と違って基本がしっかりしてるよ」

「確かにいい作品だと思うのでございますが、わたくしはもっと明るい色が多いほうが好みですわ。この作品は少しインパクトに欠ける感じがしますの」

「ローズヒップの作品は派手だからな。あれと比べたら、どんな作品も印象が薄くなると思うぞ。まあ、私もちょっと個性が弱いなとは感じたけど」

「あの、少しよろしいでしょうか?」

 

 みほ達が色々と作品の感想を言い合っていると、後ろから声をかけられた。

 三人が声のしたほうに振り向くと、そこにいたのは着物姿の黒髪の少女。少女からは淑やかで柔和な雰囲気が感じられ、みほ達よりもお嬢様然としている。

 

「あなたは?」

「私は五十鈴華と申します。みなさんが見ていらっしゃった作品は、私が生けさせてもらいました」

 

 みほの問いかけに少女が答えた瞬間、ローズヒップとルクリリは気まずい顔になった。よりによって作者の目の前で、作品を悪く言ってしまったのだから無理もない。

 

「あ、あのっ! 私達、生け花のことはあまりよくわからなくて……気を悪くされたんなら謝ります」

「私は怒ってなんていませんよ。素直な感想をいただけるのはありがたいことですから。それに、個性が足りないのは私も薄々感じていましたので……」

 

 華は憂いを帯びた表情で自分の作品を見つめている。

 みほはなんと言うべきか迷ったが、みほが声をかけるより先に華のほうが話しかけてきた。

 

「みなさんは聖グロリアーナ女学院の生徒さんですよね。やっぱり華道を履修なさっているのですか?」

「わたくし達が履修しているのは戦車道ですわ」

「戦車道……。あの、もしよろしければ、どのような活動をなさっているのか教えてもらえませんか? 大洗女子学園には戦車道がないものですから」

「別にかまいませんわよ。では最初に、私達がよく乗っている戦車であるマチルダの話を……」

「ちょっと待ったーですわ! ここはクルセイダーの話をするべきでございますわ」

 

 ローズヒップが横槍を入れてきたことで、ルクリリの表情が少しムッとしたものに変わった。

 

「マチルダは聖グロリアーナの主力戦車ですのよ。攻守のバランスがとれてるマチルダのほうが、戦車道を知らないかたにも説明しやすいはずですわ」

「何も知らないからこそ、まずは興味をもってもらうのが重要でございますわ。鈍足で地味なマチルダより、快速のクルセイダーのほうが華やかですの」

「マチルダだ!」

「クルセイダーですわ!」

「あわわっ、二人ともこんなところで喧嘩しちゃダメだよ。茶道と華道で学んだことを忘れないで」

 

 言い争いを始めたローズヒップとルクリリをみほは懸命になだめる。他校の生徒の前で恥を晒してしまっては、今までの苦労が水の泡だ。

 

「……そうだな。せっかく淑やかさを学んだのに、それを台無しにするわけにはいかない。ごめんな、ローズヒップ」

「わたくしのほうこそムキになりすぎましたわ。マチルダを悪く言ってごめんなさいですわ、ルクリリ」

 

 みほの思いが通じたのか、ローズヒップとルクリリはすぐに仲直りをしてくれた。茶道と華道は二人にいい影響をもたらしているようである。

 その様子を見たみほがほっと胸を撫で下ろしていると、話を中断されてしまった華が不思議そうな顔で声をかけてきた。 

 

「あの……」

「あ、話の腰を折っちゃってごめんなさい」

「いえ、それは別にいいんですが、どうしてハーブティーや紅茶の名前で呼び合っているんですか?」

「私達はニックネームで呼び合うのが決まりなんです。私のニックネームはフレーバーティーのラベンダーですよ」

 

 その後、みほは聖グロリアーナの伝統や戦車道のことを華に説明した。みほは幼いころから戦車道を学んでいるので、戦車道をわかりやすく魅力的に説明するのは難しいことではない。

 みほの説明は好評だったようで、華は次々に質問を投げかけてきた。どうやら、華は戦車道にかなり興味を持ったようである。

 

「戦車道は楽しそうでいいですね。私にもできるでしょうか?」

「戦車道は女の子なら誰でも学べるので問題はないですけど、五十鈴さんには華道があるんじゃないですか?」

「私、最近自分の華道に迷いが生まれてしまって……。何か別の新しいことに挑戦したいと思っていたんです。華道とまったく違う戦車道は、私が思い描いていたイメージにぴったりなんです」

 

 みほには華の気持ちが少しだけ理解できた。みほも聖グロリアーナに入学するまでは、戦車道で悩んでいた時期があったからだ。

 ただし、みほと華では悩みの質は異なる。華が自分の華道に悩んでいるのに対し、みほは自分の戦車道の在り方自体に悩みはなかった。

 みほが進むべき道は西住流。幼少時に志した西住流を極めるという思いは、今もみほの心の中に残っている。

 

「だけど、大洗は戦車道が廃止になっていますわよね。どうなさるおつもりなんですの?」 

「そんなの簡単でございます。五十鈴さんが聖グロリアーナに転校してくればいいんですわ」

「それはいくらなんでも無茶だよ。五十鈴さんにも都合があるだろうし……」

「大洗で戦車道が復活してくれるのが一番いいんですけど、そううまくはいきませんよね」

 

 四人で何かいい案がないかと考えこんでいると、後ろから華の名を呼ぶ明るい声が聞こえてきた。

 全員で振り返ってみると、そこには大洗女子学園の制服を着た生徒が立っている。ふわっとした茶色の髪が特徴的な優しそうな顔の少女だ。

 

「華ー、来たよー。あれ? 華のお友達?」

「五十鈴さんとはさっき知り合ったんです。私の名前はラベンダーって言います」

「えっ! もしかして外人さんなの? えーと、ハウアーユー?」

「沙織さん、違いますよ。ラベンダーさんはどう見ても日本人じゃないですか。彼女達はニックネームを名乗る決まりがあるんです」

「やだもー! それを早く言ってよ!」

 

 華に沙織と呼ばれた少女は赤くなった顔に両手を添え、イヤイヤをするように首を振っていた。お淑やかな華とは違い、かなり感情表現が豊かな少女のようだ。

 

 少女の名は武部沙織といい、華とは親友の間柄であるとのことだった。

 四人が戦車道について話していたのを告げると、沙織は微妙そうな表情を浮かべている。沙織はあまり戦車道に興味はないらしい。

 

「華がやりたいっていうのを否定はしないけど、私はパスかなー。戦車道は今どきの女子高生っぽくないし」

「そんなことはありませんわ。聖グロリアーナでは戦車道は人気の選択科目ですわよ」   

「戦車道はなんと言っても乙女のたしなみでございますからね。女として磨きをかけたいなら、戦車道一択ですわ」

 

 ルクリリとローズヒップの話を聞いた沙織は表情を変えた。

 

「……戦車道って女子力上がる? モテる?」

「うーん、上がるんじゃないでしょうか? 私のお姉ちゃんも戦車道をやってるんですけど、男の人からもよくファンレターをもらってましたから」

「やっぱり私もやる!」

 

 先ほどまでのやる気のなさはどこへいったのか、沙織はすっかりやる気満々の様子だ。沙織の中では、モテるかモテないかが重要なウェイトを占めているようである。 

 

「沙織さん、水を差すようで申し訳ないんですが、大洗は戦車道が廃止になっているんです」

「そうなの? なら、生徒会に掛け合って戦車道復活させようよ」

「生徒会とのコネもないのにどうやって掛け合うんですか?」

「それはその……。ラベンダーさん、何かいい案はない?」

「ふえっ!? えーと、最初は動かせる戦車を探すことから始めたほうがいいと思います。ひょっとしたら、昔使っていた戦車がまだ残っているかもしれないですよ」

 

 大洗は戦車道が盛んだった時期があるので、戦車が残っていても不思議はない。もちろん、それは可能性の話であり現実的に考えると望みは薄いだろう。

 みほとしては苦しまぎれの提案だったのだが、沙織はすでに戦車を探す気になっているようだ。

 

「華、明日から戦車探そう。私の友達に頭の良い子がいるから、その子にも一緒に探してもらえるように頼んでみる」

「わかりました。みんなで戦車を見つけて、生徒会に戦車道の復活をお願いしましょう」

「よーし、目指せ女子力アップ!」

 

 拳を真上に突き上げ、大きな声でそう宣言する沙織。

 明るく元気な沙織はどこかローズヒップと似ているところがあり、みほにとっては好印象の人物であった。伝統を持つ流派の生まれという共通点がある華に対しても、みほはいい印象を抱いている。

 もし大洗女子学園に入学していたら、この二人と友達になる未来もありえたのかもしれない。みほはそんなことを考えながら、戦車探しの計画を練っている沙織と華の姿を見つめていた。

 

 

 

 聖グロリアーナ女学院の学園艦は大洗港を出港し、穏やかな海を悠々と航行中。

 今日は土曜日であり学校は休み。にもかかわらず、みほ達は学校の演習場に集合していた。その場には太陽に照らされてきらめく、クルセイダーとマチルダⅡの姿もある。

 

「今日はよく晴れた絶好のクルセイダー日和ですわ。久しぶりに飛ばしますわよー!」

「私達は練習量が不足してるからな。この連休で遅れを取り戻すぞ」

「うん。武部さんと五十鈴さんも全国大会を見に来るって言ってたし、活躍できるようにがんばろうね」

 

 もうすぐ戦車道全国大会の季節がやってくるが、勝利は二の次の聖グロリアーナは学校が休みの土日と祝日は訓練をしない。戦車道は部活ではなく授業だからだ。

 みほ達は茶道と華道に参加していたことで生じた練習不足を解消するために、アールグレイから休日訓練の許可を取ったのである。

 

「あのワニ女を今度こそぎゃふんと言わせてやりたいしな。ラベンダー、どっちから乗るんだ?」

「最初はクルセイダーかな? 逸見さんに負けたときの反省を活かして、動きの質と砲撃の精度をもっと上げたいから」

「今度は絶ッ対に勝ってみせますわ! ラベンダー、遠慮はいらないのでガンガン指示を出してくださいまし。目標にするのは愛里寿さんのクロムウェルでございますわ」

「愛里寿ちゃんのクロムウェル……」

 

 西住流のみほには愛里寿のような芸当はできない。あれは島田流を学んできた天才の愛里寿だからこそできた神業なのだ。

 それでも、みほは愛里寿の技に挑戦することを決めた。黒森峰は無策で勝てる相手ではないのは、練習試合で思い知らされている。簡単に真似できないのは百も承知だが、試してみる価値は十分にあった。 

 

「見よう見まねだけど、愛里寿ちゃんのクロムウェルが見せた動きをやってみよう。かなり激しくなると思うけど、二人とも大丈夫?」

「どんと来いですわ!」

「ワニ女に勝てるならなんだってやるぞ!」

 

 ローズヒップとルクリリの元気な返事にうなずき、クルセイダーを静かに見据えるみほ。

 目は真剣そのものであり、中学最後の全国大会の姿をどこか彷彿とさせる。みほがこのような姿を見せたのは、聖グロリアーナに入学して初めてのことだった。

 この日から、全国大会へ向けた三人の休日返上の特訓が始まったのである。  



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第十四話 ラベンダーとアールグレイ

 みほ達が休日に訓練を行ったことで、聖グロリアーナに大きな変化が起こった。

 三人が休日返上で特訓をしているのを知った一年生が、休日訓練に参加するようになったのである。参加する人数は日に日に増していき、今ではほとんどの一年生が訓練に参加していた。

 人数が増えたことで訓練のバリエーションも大幅に増加。個人の技量を上げるだけでなく、複数の車輌を使った連携もできるようになり、訓練の効率は格段に上がった。

 

 そんな中、いつものように訓練を始めようとしたみほ達の前に、クロムウェルに乗ったアールグレイが姿を見せた。

 

「ラベンダー、私も訓練に参加していいかしら?」

「私は別にかまわないですけど……アールグレイ様は大丈夫なんですか?」

「私を心配する必要はありませんよ。今日の仕事はもう片づけてきましたし、あとを任せた副会長は優秀な子ですから」

 

 アールグレイはみほが仕事のことを心配していると勘違いしたようだが、みほが心配なのはアールグレイの体調のほうだ。 

 アールグレイは休日でも学校で仕事をしている。みほ達がこうやって訓練を行えるのも、アールグレイが監督をしているという名目があるからだ。

 大海原を航海する学園艦を円滑に運営していくためとはいえ、アールグレイの仕事量は激務といっても過言ではない。戦車道は体力を使うので、アールグレイの体調をみほが心配するのは当然であった。

 

「それに、もうすぐ全国大会も始まります。明日からは私も積極的に授業に参加しますので、少しでもクロムウェルに慣れておかないといけませんわ」

 

 アールグレイは今まで搭乗していたチャーチルではなく、クロムウェルで全国大会に出場する予定になっている。

 アールグレイがクロムウェルに搭乗する理由。それは、愛里寿が練習試合で見せた動きが神がかっていたのが原因だった。完璧ともいえる愛里寿の動きを見てしまったことで、他の生徒達はクロムウェルに搭乗するのに尻込みしてしまったのだ。

 

 OG会を説得して導入したクロムウェルを全国大会で使わないわけにはいかない。

 そこで、アールグレイはチャーチルをダージリンに託し、自分がクロムウェルに搭乗する決断を下したのだ。

 

「アールグレイ様、私に手伝えることがあったらなんでも言ってください。クロムウェルは馴染みが薄い戦車ですけど、少しくらいならアドバイスできると思います」

 

 みほは図鑑で得た知識のおかげで、様々な戦車の情報が頭の中に入っている。なので、クロムウェルの性能をある程度把握していた。

 

「ラベンダー、あなたは本当に優しい子ですね」

「ふえっ!? あの、アールグレイ様?」

 

 アールグレイは突然みほの頭を撫で始めた。その顔はとても穏やかで、みほを撫でる手つきはとても優しい。

 エリカに容姿が似ていたことでみほは最初アールグレイが苦手だったが、今ではそういった感情は微塵も湧いてこなかった。

 

 生徒達のために身を粉にして働き、愛里寿が体験入学をしていたときはみほと愛里寿を誰よりも気づかってくれたアールグレイ。そんなアールグレイをみほは心から尊敬しており、容姿のことなどすでに気にならなくなっていたのである。

 

「……全国大会が終わったら、あなたに言わなければならないことがありますわ」

「私にですか?」

「ええ。今は話せないけど、すべてが終わったら必ず話します。申し訳ないですが、もう少し待っていてください」

「わかりました」

 

 みほに関係がある話なら、まず間違いなく戦車道絡みの話だろう。おそらく、以前から気になっていた聖グロリアーナの戦力を強化していることと無関係ではない。

 アールグレイの話の内容は気になるが、みほはすぐに頭を訓練に切り替えた。今やるべきなのは全国大会に向けて少しでもいい準備をすることだ。 

 

 勝利にこだわらない戦車道を掲げる聖グロリアーナ女学院。

 しかし、参加する以上は全国大会優勝を目標にしている。卑怯な手段は使わず、正々堂々と戦って優勝しなければいけないので目標のハードルは高い。

 

 困難な戦いになるのは百も承知。それでも、みほは高校生になって初めての全国大会に気合が入っていた。

 黒森峰にいたときとは違い、今は友達や尊敬できる先輩が一緒に戦ってくれる。みほがやる気になる理由はそれだけで十分だった。

 

 

 

 組み合わせを決める抽選会も終わり、いよいよ全国大会の幕が切って落とされた。

 高校生の全国大会には四強と呼ばれている優勝候補の学校がある。

 九連覇中の王者、黒森峰女学園。ソ連製の優秀な戦車を多数保有しているプラウダ高校。戦車保有数全国一位で三軍まであるサンダース大学付属高校。残る最後の一校がみほの通う聖グロリアーナ女学院だ。

 

 抽選の結果、聖グロリアーナ女学院は黒森峰女学園がいるAブロックに入った。プラウダ高校とサンダース大学付属高校がBブロックに入ったので、うまい具合に四強が分かれた形だ。

 聖グロリアーナ女学院の入った山はとくに手ごわい相手がいない。順調にいけば、最大の壁である黒森峰女学園とは準決勝で戦うことになる。 

  

 

 

 聖グロリアーナ女学院は一回戦でワッフル学院、二回戦でヴァイキング水産高校を撃破し、準決勝に駒を進めた。

 

 一回戦と二回戦は参加車輌数が十輌と少なかったのだが、みほ達はマチルダⅡで二試合とも出場した。任せられた役割はフラッグ車であるチャーチルの護衛だ。

 全国大会の試合形式はフラッグ車を撃破すれば勝利となるフラッグ戦。そのフラッグ車を守る役目を一年生で与えられたのは、三人が期待されていることの表れであった。

 

 車長のルクリリはチャーチルの盾になるようにしっかり指示を出し、みほもそれに答える形でマチルダⅡを懸命に操縦。見事にフラッグ車の護衛という大役を果たし、周囲の期待に答えることができた。ちなみに、ダージリンを守る役目を得たことで、ローズヒップのテンションが上がりっぱなしだったのは言うまでもない。

 

 準決勝の相手は大方の予想通り勝ち上がってきた黒森峰女学園。

 みほにとって因縁の相手である黒森峰女学園との戦いはすぐそこに迫っていた。

 

 

 

 迎えたAブロック準決勝当日。

 準決勝の試合会場は平原と山で構成されており、山の中には観光用に復元された大きな城がある。この城は近々大規模改修を行うのが決定しているので、試合で壊れたとしても問題はなかった。

 

 準決勝はこれまでと違い、参加車輌数は十五輌。

 一、二回戦では出番のなかったクルセイダー隊は、車輌数が増えたことでようやく出番が回ってきた。みほ達はそのクルセイダー隊の一員として、準決勝に出場している。

 

 現在、みほ達はクルセイダーを降り、山の中の城で偵察に出ている真っ最中であった。

 その理由は簡単だ。聖グロリアーナの戦車隊はほぼ壊滅し、残りの少数が城の本丸で籠城している状態だからである。

 

「黒森峰の戦車隊は正面の広場に集まってる。フラッグ車のティーガーⅠは最後尾だね」

「あっ! ワニ女のⅢ号戦車だ。あいつだけでも倒せないかな?」

「Ⅲ号戦車は後方にいますわね。正面を突破して近づくのは、かなり難易度が高いミッションですわよ」

 

 みほ達は高所に設置された物見櫓に登り、双眼鏡を使って偵察を行っていた。

 双眼鏡に映るのは、堀に囲まれた本丸前の広場に続々と集結する黒森峰の戦車隊。どうやら、すべての車輌がそろってから、聖グロリアーナの戦車隊が立てこもる本丸に突入する腹積もりのようだ。

 

「突入は時間の問題かな。早くみんなのところに戻ろう」

 

 みほは偵察を打ち切り、友人二人と共に仲間達が待つ本丸へと向かった。

 

 

 

 天守閣前の広場に停車している聖グロリアーナの戦車は全部で四輌。

 アールグレイのクロムウェル、ダージリンのチャーチル、ダンデライオンのクルセイダーMK.Ⅱ。そして、みほ達のクルセイダーMK.Ⅲだ。

 

 みほ達が持ち帰った情報を元に、残った一同は紅茶を飲みながら作戦会議を開いている。一見余裕そうに見える行動だが、それは見せかけにすぎない。

 ダージリンですら背中にびっしょりと汗をかいているのだから、聖グロリアーナが切羽詰まっている状態なのがよくわかる。

 

「ごめんなさいね、ダージリン。あなたには相当な負担をかけてしまいました。私のクロムウェルをフラッグ車にできればよかったのですが……」

「アールグレイ様、私のことはお気になさらずに。チャーチルを任されたのですから、多少の苦難は承知の上ですわ。それに、チャーチルがフラッグ車を務めるのは聖グロリアーナの伝統。伝統を軽んじるわけにはいきませんわ」

 

 聖グロリアーナのフラッグ車はチャーチルでなければならない。これはチャーチルが導入されてからずっと守られてきた伝統であった。  

 OG会のチャーチル会も、全国大会は必ずフラッグ車をチャーチルにするようにと念押ししてくる。もしこの伝統を破ってしまえば、チャーチル会が激怒するのは想像に難くない。

 

「それにしても、黒森峰の隊長の鬼気迫る様子には驚かされましたわ。執拗にチャーチルばかりを狙ってくる姿には、殺気のようなものまで感じましたから」

「チャーチルはもうボロボロですね。白旗が上がってないのが不思議なレベルですわ」

「マチルダ隊が守ってくれましたからね。彼女達の犠牲がなければ、とっくに走行不能になっていましたわ」

 

 そう話すアッサムの背中もダージリン同様汗まみれ。トレードマークともいえる縦ロールの金髪も、心なしかへたっているように見える。

 ルクリリがボロボロと評したチャーチルもひどい有様だ。あちこちに砲弾を受けたせいで塗装は剥がれ落ち、装甲も一部が破損していた。はっきりいって、ここまで逃げてこれたのが奇跡ともいえる損傷具合である。

 

「『藪をつついて蛇を出す』。これは私も誤算でしたわね」

「はいはいはいっ! その言葉知ってますの。余計なことをすると、かえって悪い結果を招くという意味のことわざですわ。ダージリン様、ラベンダーのお姉様に何をしたのでございますか?」

「それはですね。ダージリンさんが……」

「ダンデライオン、こんなことわざを知っているかしら? 『口は災いの元』。この言葉の意味、賢いあなたなら当然知っているわよね?」

「ももも、もちろんです。黒森峰の隊長はなんで怒ってるんでしょうかね? あたしには見当もつきませんよ」

 

 ダージリンに威圧され、すぐさま意見をひるがえしたダンデライオン。声がどもっているところを見ると、どうやら相当焦っているようだ。

 ダージリンとまほの間で起きたもめ事。それが気になるみほであったが、その思考はアールグレイのパンパンと手を叩く音にさえぎられてしまう。

 

「時間もあまりありませんし、雑談はこれくらいにしましょう。みなさま、私から一つ提案があります。成功する可能性は低いかもしれませんが、やってみる価値はあると思いますわ」

 

 アールグレイの作戦は部隊を二つに分けることだった。

 本丸には正門以外に裏門も存在する。正門で味方が敵を食い止めている間に一輌が裏門から抜け出し、黒森峰のフラッグ車の背後をつくというのがアールグレイの策だ。

 

 みほ達のクルセイダーMK.Ⅲは、その重要な任務を帯びた一輌に指名された。

 クルセイダーMK.Ⅲの素早さと火力、そして三人の連携力の高さが考慮された形だが、みほの表情には困惑の色が浮かんでいる。 

 

 こそこそと相手の裏を取る作戦はとても優雅とはいえない。現状の戦力差で正面から戦っては勝ち目がないとはいえ、このような作戦を実行していいのかとみほは疑問に思ったのだ。

 アールグレイはそんなみほの感情を読みとったのか、みほと正面から向き合い話を続けた。

 

「ラベンダー、あなたが戸惑うのも無理はありません。聖グロリアーナの戦車道は優雅でなくてはならない、そう教えてきたのは私ですから」

「あの、アールグレイ様。どうして急に考えを変えたんですか? この作戦もそうですけど、クロムウェルや愛里寿ちゃんの体験入学も、全部聖グロリアーナが勝つための策ですよね?」

「……聖グロリアーナは世間からは四強と呼ばれていますが、実際は他の三校に大きく水をあけられています。とくに黒森峰とは……。私が入学してから、聖グロリアーナは黒森峰に一度も勝ったことがないの。一年生のときに黒森峰に大敗して味わった悔しさは、今でも忘れられませんわ」

 

 みほの疑問に答えたアールグレイの言葉には、強い感情がこもっていた。

 つねに優雅を地で行く完璧なお嬢様、アールグレイ。そのアールグレイが人前で感情をあらわにしたことにみほは驚いてしまう。

 

「黒森峰に勝ちたい、それが私の夢でした。ですが、聖グロリアーナの戦車道は試合の勝ち負けにこだわるものではありません。私もその考えを尊重しておりますので、今までは心に秘めるだけで何も行動は起こしませんでしたわ。でも、今年になって私の考えを変える出来事が起こったの。中学生の戦車道全国大会でチームを優勝に導いた隊長が、聖グロリアーナに入学することがわかったのですわ」

 

 アールグレイの話に口を挟むものは誰もいない。その隊長が誰であるかは、ここにいる全員がすでに知っているからだ。

 

「中学生の全国大会は私も拝見しておりましたので、正直心が躍りましたわ。この子がいれば黒森峰に勝てるかもしれない、そう考えた私は、クロムウェルの導入を推し進め、来年を見据えて愛里寿さんの体験入学の話を島田家に持ちかけました。生徒会への根回しもまもなく完了します。私が卒業したあとも、生徒会は戦車道チームの味方になってくれるはずですわ」

 

 アールグレイが日々忙しそうに仕事をしていた理由がようやくわかった。

 すべては戦車道チームのため。そして、その先にある打倒黒森峰のためだったのだ。

 

「ラベンダー、前にあなたに話があると言いましたね。私は、クロムウェルや愛里寿さんの件で、あなたの名前をOG会との交渉材料に使ったのを謝りたかったのです。本当にごめんなさい……あなたが聖グロリアーナを選んだ理由を知っていたのに、私はそれを都合よく利用してしまいました」

「アールグレイ様、その件に関しては私も同罪です。GI6と一緒にラベンダーを調べていたのは私ですから……。ラベンダー、あなたの過去を探ったりしてごめんなさい」

 

 アールグレイとアッサムはみほに向かって深々と頭を下げた。

 アッサムの話に出てきたGI6とは、聖グロリアーナの情報処理学部第六課のことだ。GI6は対戦相手の偵察や戦車道に関する様々な情報提供などで、戦車道チームを陰ながら支えてくれている。情報処理学部の生徒であるアッサムは、このGI6と協力して偵察活動を行っていた。   

 

「わわっ! お二人とも、頭を上げてください。私のほうこそ、アールグレイ様とアッサム様に迷惑ばっかりかけてごめんなさい!」

 

 みほは二人に向かって勢いよく頭を下げた。そのせいで謝罪を受けたほうも一緒になって頭を下げるという、かなり珍妙な光景ができあがってしまう。

 

「ふふっ、ラベンダーまで頭を下げてしまっては収拾がつかなくてよ。あなたもそう思うわよね、ダンデタイガー」

「あたしのニックネームはダンデライオンです!」

「あら、ごめんなさいね。こんな失礼なミスをしてしまうなんて、私も少し疲れているようですわ。次からは間違えないように気をつけますわね、ダンデライオン」

「まったく、次はちゃんとダンデライオンって呼んでくださいね。……あれっ?」

 

 ダンデライオンは自分の矛盾した発言に気づいたようだ。 

 しかし、気づいたところですでに手遅れ。大義名分を得たダージリンは、もうダンデライオンをタンポポとは呼ばないだろう。

 

「タンポポ様が墓穴を掘ってますの」

「タンポポ様、私達もダンデライオン様と呼ばせてもらってもよろしいですか?」

「絶対にダメっ! もぅー、あなた達はすぐ調子に乗るんだから」

 

 ローズヒップとルクリリに文句を言うダンデライオン。

 しかし、ダージリンには何も言わない。いつもだったら、ダージリンにいじめられたと泣きわめいているはずである。

 それを不思議に思ったみほであったが、この場の空気が和やかになっているのがわかると、ある一つの答えが思い浮かんできた。

 

 おそらく、あれはダージリンのジョークだったのだろう。ダンデライオンもそれがわかっているから過剰に反応しないのだ。

 普段は喧嘩ばかりでも、いざというとき意思疎通ができるあたり、実は二人の相性は悪くないのかもしれない。

 

 ダージリンとダンデライオンが話を進めやすい空気を作ったことで、アールグレイは作戦の細かい指示を出し始めた。

  

「ラベンダー、私が正門で敵を引きつけます。黒森峰はクロムウェルを一番警戒しているでしょうから、私が囮になるのが最適のはずですわ。あとのことはあなたに任せます」 

「はい!」

「ダージリン、あなたのチャーチルはもう戦える状態ではありません。ここで防御に徹して時間を稼いでください」

「わかりましたわ」

「ダンデライオン、あなたにはチャーチルの護衛を任せます。装甲の薄いクルセイダーで守るのは困難だと思いますが、あなたの奮闘に期待します」

「ご期待に応えてみせます!」

 

 最後の指示を出し終えたアールグレイは、その場にいる全員を見渡しながら締めの言葉を口にした。

 

「作戦会議はこれで終わりにします。みなさま、聖グロリアーナの意地を黒森峰に見せてあげましょう」



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第十五話 決着と始動

 十連覇を目指す黒森峰女学園の準決勝ということもあって、観客席には大勢の人が詰めかけていた。観客が見つめる先には試合映像を流している大型ディスプレイがあり、そこには本丸への進撃を開始した黒森峰の戦車隊が映っている。

 その観客の中に、聖グロリアーナ女学院の応援にやってきた沙織達の姿があった。

 

「麻子、どうしよう。このままだとラベンダーさん達が負けちゃうよ!」

「落ちつけ、沙織。観客席の私達が騒いだところで、どうすることもできん」

 

 沙織は、右隣に座っている黒髪ロングヘアーの少女を両手でゆさゆさと揺らす。

 麻子と呼ばれた黒髪の少女は、激しく揺さぶられているのに表情は眠そうだ。さっきまでうつらうつらと船をこいでいたので、眠気がまだ完全に消えていないのだろう。

 

「沙織さん、今はラベンダーさん達を見守りましょう」 

 

 沙織の左隣で食い入るように大型ディスプレイを見つめる華。その大型ディスプレイでは、黒森峰の戦車隊が固く閉ざされた城門を砲撃中だった。

 この城門を抜けて二の丸に侵入し、そこにある本丸の正門さえ突破してしまえば、聖グロリアーナの戦車隊はもう目前だ。

 

「沙織、五十鈴さんの言う通りだぞ。それに、聖グロはまだ勝負を諦めてはいないようだ」

「えっ!? 麻子、なんでわかるの?」

「聖グロの戦車が一輌裏門に向かってる。本丸を抜け出して黒森峰の背後に回るつもりなんだろう」

 

 大型ディスプレイは画面を四分割して試合の様子を流している。

 麻子が指差しているのは、両チームの戦車が色分けされた駒になっている戦略ゲーム風の画面。その画面では、聖グロリアーナの戦車を示す青い駒の一つが本丸の裏門に向かっていた。

 カメラのほうもその動きに気づいたようで、裏門に向かっている戦車の映像が大型ディスプレイに映し出される。

 

「あっ! ラベンダーさんだ!」

「あの子が沙織に入れ知恵した子か」

「入れ知恵ではありませんよ。ラベンダーさんは、私達が進もうとした道の手助けをしてくれたんです」

「その結果、私まで戦車探しに巻きこまれることになったわけだが……」

 

 沙織が戦車探しの手伝いを頼んだ頭の良い友達。その友達がこの黒髪の少女だ。

 名を冷泉麻子といい、沙織とは幼馴染の関係に当たる。

 

「かわりに朝起こしに行ってあげてるんだからいいじゃん。私のおかげで遅刻もだいぶ減ったでしょ?」

「それについては感謝してる。最近はそど子のやつも静かになったしな」

 

 そど子とは大洗女子学園で風紀委員をしている二年生のことだ。本名は園みどり子というのだが、麻子は名前を略してそど子と呼んでいる。

 一年生でありながら、麻子はすでに遅刻の常習犯。風紀委員にも目をつけられており、なかでもそど子は口うるさく説教をするので麻子が一番煙たがっている人物であった。

 

「ところで、どうしてラベンダーさんはティーカップを持っているんだ?」

「あれは聖グロリアーナの伝統なんだって。一滴の紅茶もこぼしちゃいけないらしいよ」

「いや、それは無理だろ。そもそも戦車に乗りながら紅茶を飲むことに、いったいなんの意味があるんだ?」

「聖グロリアーナの戦車道は優雅でなければいけないと言っていましたから、たぶんそれと関係があるんですよ」

「戦車と優雅……正直まったく結びつかない言葉だな。それに、ラベンダーさんには優雅より勇敢という言葉のほうが似合ってる。両手がふさがってる状態で戦車から身を乗り出すのは、相当な勇気がいるだろうからな」

 

 戦車のハッチから上半身を出しているラベンダーの左手にはティーカップが握られ、右手は無線機のマイクをつかんでいた。

 ラベンダーは平然とした顔で戦車を指揮しているが、あのような無謀な行動は簡単にできるものではない。もしあの状態で戦車が衝突でもすれば、体が外に投げ出されてしまうのは間違いないだろう。

 

「ラベンダーさんって戦車に乗ると雰囲気変わるんだね。ほんわかしてる感じの人だと思ったけど、今はすごくカッコいいもん」

「はい。あの体勢で微動だにしないのは本当にすごいです。それだけ試合に集中しているんですね」

「私も戦車に乗ればラベンダーさんみたいになれるかな? あんな風にカッコよく振舞えたらきっとモテるよね?」

「そんなことより、ラベンダーさんはどうするつもりなんだろうな? 向かう先には黒森峰の戦車が待ちかまえてるぞ」

 

 本丸の裏門を抜けても二の丸に出ただけにすぎない。黒森峰のフラッグ車がいる三の丸に向かうには、黒森峰の戦車が群がっている門とは別の城門を抜ける必要がある。

 その城門の前に立ちふさがる一輌の戦車。大きな車体に長い砲身を持つその戦車は、ラベンダーの戦車よりも強そうに見える。それに加えて、もう一輌の黒森峰の戦車がその場に向かっており、このまま進めば二対一の不利な状況になるのは明らかだ。

 

「あんな大きな戦車に勝てるわけないじゃん! ずるいよ黒森峰!」

「ルールは守ってるんだから、別にずるくはないだろ」

「大丈夫ですよ、沙織さん。ラベンダーさんは全然ひるんでいません」

 

 本丸の裏門を突破したラベンダーは、城門に陣取る黒森峰の戦車を前にしても慌てた様子は見せない。それとは逆に、黒森峰の戦車に乗っている黒髪の少女は目に見えてうろたえている。

 車長が動揺しているせいなのか、黒森峰の戦車の砲撃はラベンダーの戦車にまったく当たる気配がなかった。

 

「それにしても妙だな。なぜラベンダーさんは撃ち返さないんだ?」

「きっと何かいい作戦があるんですよ。私達はそれを信じて応援しましょう」

「ラベンダーさん、がんばれー! 黒森峰なんてやっつけちゃえー!」

 

 黒森峰の戦車の砲撃を避けながら堀のほうへと向かうラベンダー。増援に現れた黒森峰の戦車はその動きに気づいたようで、対面側の堀へと向かっていた。

 

 

◇  

 

 

「深水さんのティーガーⅡと戦う必要はありません。ローズヒップさん、作戦通りお堀に向かってください」

「了解ですわ」

 

 城門を守っている深水トモエのティーガーⅡは、正面から戦って勝てる相手ではない。クルセイダーとは比較にならない装甲と火力を持っており、性能だけ見れば天と地ほどの差がある。このような厄介な相手は、フラッグ車でないのなら無視するのが一番いい。

 

「ルクリリさん、ここからは動きが激しくなります。私の足をしっかりつかんでいてください」

「わかった。絶対に放さないから安心してくれていいぞ」

 

 ルクリリは砲手席から離れてみほの足を抱きかかえている。これが両手のふさがっているみほが不動の体勢でいられる理由だ。

 

 三人乗りのクルセイダーMK.Ⅲは車長が砲弾を装填する。しかし、単身で黒森峰のフラッグ車に挑む際、みほがいちいち砲弾を装填していたのでは勝ち目は薄い。

 そこで、みほは一撃で勝負を決めるという賭けに出た。フラッグ車のティーガーⅠを撃つまで砲撃はせず、敵の砲撃の回避に専念することにしたのだ。

 車長が操縦手の目になれば回避率は大幅に上がる。みほがハッチから身を乗り出し、車内無線のマイクを握っているのはそのためであった。

 

 両手がふさがることで体勢が不安定になるデメリットをルクリリにカバーしてもらい、みほは戦車の指揮にすべての集中力を傾けていた。

 ちなみに、ティーカップを手放すという選択肢は初めから存在しない。伝統を守るのは試合の勝敗よりも優先されるからだ。

 

「この先にある船着き場からお堀を飛び越えます。ローズヒップさん、私が合図したらリミッターを解除してください」

「いよいよクルセイダーの本領を発揮するときが来ましたわね」

 

 この城は二の丸と三の丸の間に城壁がなく、距離もそれほど離れていない。堀を小船で一周するために作られた船着き場付近はスペースが広く、最高速度のクルセイダーが助走をつければ堀を飛び越えられる。

 かなり危険な行為だが、ローズヒップとルクリリの二人と一緒なら必ず成功するとみほは確信していた。

 

「ローズヒップさん! 速度を落として!」

 

 ローズヒップがブレーキを踏んだことでクルセイダーは減速した。それと同時に、クルセイダーの進行方向の地面に砲弾が着弾し、土煙が舞い上がる。あの速度のまま進んでいたら、クルセイダーに砲弾が命中していただろう。

 

「逸見さん……」

 

 クルセイダーに向かって砲撃をしてきたのは、逸見エリカのⅢ号戦車であった。Ⅲ号戦車は堀を挟んだ反対側を並走しており、エリカはキューポラから上半身を出してみほを見据えている。

 それに対し、みほは顔を背けずしっかりとエリカの目を見つめ返した。逸見エリカから逃げ回っていた西住みほはもういないのである。

 

「リミッターを解除してお堀を越えたら、逸見さんを振り切ってフラッグ車を目指します。ローズヒップさん、お願い!」

「頼むぞ、ローズヒップ。ワニ女に目にもの見せてやれ!」 

「任せてくださいまし!」

 

 ローズヒップがリミッターを解除し、クルセイダーは急加速。並走していたⅢ号戦車を一気に引き離すと、堀に向かって大ジャンプを決行した。

 華麗なジャンプで堀を越え、クルセイダーは地面に勢いよく着地。その衝撃でみほのティーカップからは紅茶がこぼれてしまうが、みほの体はルクリリがつかんでくれていたおかげで無事だ。

 

 みほがすぐさま周囲を確認すると、エリカのⅢ号戦車がこちらに向かってくるのがわかった。

 遠目から見たエリカの表情は焦っているように見える。クルセイダーの大ジャンプは、エリカにとって予想外の事態だったのだろう。

 

「ここからはスピードが命です。エンジンが故障する前にフラッグ車を叩きましょう」

「スピードなら誰にも負けませんわ!」

 

 最高速度が出ているクルセイダーを嬉々として操縦するローズヒップ。久しぶりのリミッター解除にかなり興奮しているようである。

 

「ルクリリさんは砲手席に戻ってください。砲撃のタイミングは私が指示します」

「気をつけるんだぞ。試合に勝つのは大事だけど、怪我をしたら元も子もないからな」

「うん、わかってる。……いつも心配してくれてありがとう」

 

 みほが感謝の意を伝えると、ルクリリは少し顔を赤くして砲手席に戻っていった。素直な好意に弱いのは相変わらずのようだ。

 

 Ⅲ号戦車とクルセイダーの距離は徐々に離れていく。整地で時速40kmほどのスピードしか出せないⅢ号戦車が、最高速度のクルセイダーに追いつけるわけがない。

 エリカをうまくやり過ごせたことにみほが胸を撫でおろしていると、ダージリンから通信が入った。

 

『ラベンダー、そちらの状況はどうかしら?』

「こちらは今のところ順調です。本隊のほうは大丈夫ですか?」

『こちらも順調と言えればよかったのだけど、残念ながらそううまくはいかないわ。アールグレイ様のクロムウェルが撃破されて、こちらはあと二輌。今はダンデライオンが黒森峰の目を引きつけてくれているところよ』

 

 聖グロリアーナはみほ達を入れて残り三輌。数字だけみれば絶望的だが、この試合はフラッグ戦。チャーチルから白旗が上がる前にティーガーⅠを倒せば、聖グロリアーナの勝ちだ。

 

「わかりました。本隊が全滅する前にフラッグ車を叩きます」

『私達もできる限り時間を稼ぎますわ。ラベンダー、あとは任せましたわよ』 

「はい!」

 

 はっきりとした返事でダージリンとの通信を終えるみほ。その目にはかつてないほどの力強さが宿っていた。

 

 

 

 三の丸を爆走するクルセイダーは、ついに黒森峰の戦車隊と相対した。

 その数わずかに三輌。どうやら、残りのほとんどの戦車は本丸のほうに向かっているようだ。その三輌の中に黒森峰のフラッグ車であるティーガーⅠの姿があった。

 

「フラッグ車を発見しました。これより突撃します」 

 

 クルセイダーが砲撃できるチャンスは一回のみ。そのチャンスをものにするには、ティーガーⅠにできるだけ接近しなければならない。

 それを邪魔するかのように、ティーガーⅠの近くにいた二輌の戦車がクルセイダーに向かってきた。走攻守すべてにおいてバランスがとれている優良戦車、パンターG型である。 

 

「パンターをどうにかしないとフラッグ車にはたどり着けない。撃破するのが確実だけど、それだと時間がかかりすぎる」

 

 ルクリリが砲手席に戻ったので砲撃はできる。装填をルクリリにしてもらえば、多少不利だがパンターとは戦える。

 とはいえ、本隊が残り二輌しか残っていないのを考えると、パンターと戦うのは得策ではない。

 

「パンターの隙をついて突破したあと、一気にフラッグ車に肉薄して決着をつけます」

 

 二輌のパンターと後方のティーガーⅠからクルセイダーに向けて砲撃が放たれる。クルセイダーの進路を予想した砲撃はまさに正確無比。クルセイダーがリミッターを解除していなければ、回避し続けるのは困難だっただろう。

 

 クルセイダーのスピード。みほの的確な指示。そして、ローズヒップの運転技術。

 この三つの要素が合わさったおかげで、クルセイダーはなんとか黒森峰の攻撃を耐えしのげている。みほの額には大粒の汗が浮き出ており、激しい動きを続けたせいでティーカップの中身はすでに空だ。

 

 少しでも気を抜けば撃破されてしまう状況のなか、じっと反撃の機会をうかがうみほ。最初で最後のチャンスを活かすために、集中力は極限まで研ぎすまされていた。

 その待ちに待ったチャンスがついにやってきた。二輌のパンターの砲撃がほぼ同時に行われたのである。

 必勝を期する渾身のダブルアタックをクルセイダーは紙一重で回避。パンターの砲撃の脅威が一時的に途切れたことで、みほは即座に決断を下す。

 

「戦車前進! 二輌のパンターの間を抜けてください!」

 

 クルセイダーは一直線に突っ走り二輌のパンターを突破。すぐさまティーガーⅠから砲弾が飛んでくるが、クルセイダーはそれも回避してみせた。パンターを抜けた瞬間に攻撃してくるのをみほは読んでいたのだ。

 障害がなくなったことでクルセイダーはティーガーⅠに突撃をかける。狙うは堅牢なティーガーⅠの弱点である背面のエンジン部分。

 

「背面に回りこみます!」

「わたくしにお任せでございますわ!」

 

 ローズヒップはクルセイダーをドリフト走行させて、見事にティーガーⅠの背面をとった。ティーガーⅠはクルセイダーに向けて砲塔を回転させているが、タイミングは一歩遅い。

 勝った。みほは勝利を確信し、ルクリリに砲撃の指示を出そうとする。そのとき、みほは驚くべき光景を目撃してしまった。

 

「えっ?」

 

 信じられない光景を前にして思わず絶句してしまうみほ。

 みほの眼前では、ティーガーⅠのキューポラから上半身を出したまほがぼろぼろ涙を流していた。絶望したような顔でみほを見るまほの姿は、痛々しいの一言につきる。

 初めて見た姉の泣き顔にみほは激しく動揺した。空のティーカップは手を離れて落下し、ルクリリへの指示も頭から抜け落ちてしまう。

 

 この一瞬の出来事が試合の勝敗を分けた。

 

 動きが止まり無防備になったクルセイダーの側面に砲弾が命中し、クルセイダーからは白旗が上がる。

 みほは宙に投げ出されそうになるが、片手で車体を瞬時につかみ事なきを得た。直前にティーカップを落としていたのが幸いしたのだ。

 みほが砲撃を受けた側に目を向けると、エリカのⅢ号戦車の砲身から煙が出ているのが見えた。みほはまたエリカに敗北を喫してしまったのである。

 

 それとほぼ同時刻に、チャーチルが撃破されたことが場内にアナウンスされる。

 これにより、聖グロリアーナ女学院の第六十二回戦車道全国大会は終わりを告げた。

 

 

 

 

「負けてしまいましたね。あと少しのところだったんですが……」

「ラベンダーさんは結局一発も撃たなかったな。もしかしたら、何かトラブルがあって砲撃ができなかったのかもしれない」

「戦車道という武芸は一筋縄ではいかないんですね。私達の目指す道は想像以上に険しいみたいです」

「まあ、私達はまだ舞台にすら立っていないけどな。ん? どうした、沙織?」

 

 試合が終わってから沙織は一言も言葉を発していない。真剣な眼差しで大型ディスプレイを見つめる沙織の姿は、普段と様子が違っていた。

 

「麻子。私は確信したよ」

「何をだ?」

「戦車道はモテる」

「またその話か。沙織、ラベンダーさんの姿が華やかで魅力があったのは認めるけど、あれは常人にできるようなことじゃないぞ」

「それは私もわかってるよ。でも、だからって諦めたくない。私がモテるために足りなかった要素が、戦車道には詰まってるんだもん!」

 

 麻子に力説する沙織は鼻息が荒くなっており、かなり興奮している状態である。ラベンダーの華麗な戦いに沙織はすっかり魅せられてしまったようだ。

 

「五十鈴さんからも沙織に言ってやってくれ。あれは天才のなせるわざだって」

「すぐにラベンダーさんのようになるのは無理かもしれません。けれど、挑戦するのは別に悪いことじゃないと思います。それに、冷泉さんだってマニュアルを読んだだけで戦車が操縦できたじゃないですか」

「あれは動かせただけだ。私にはあの操縦手のような才能はない」

「私達の中では麻子が一番運転上手じゃん。練習すればもっとうまく動かせるようになるよ。お願い、私達の練習に付き合って」

 

 沙織の懇願を受けた麻子はしばらく考えこんだあと、答えを告げた

 

「……しょうがないやつだ。朝起こしに来るのを忘れるなよ」

「やったー! 麻子、ありがとう!」

 

 沙織は麻子の手を取ると大きく上下に動かした。表情にはあふれんばかりの笑みが浮かんでいる。

 元気いっぱいの沙織に麻子はされるがままだが、嫌そうな顔はしていない。どうやら、二人は強い信頼関係で結ばれているようだ。

 

「あ、もちろん華も手伝ってくれるよね?」

「はい。三人であの戦車を乗りこなしましょう」

「華が森の中で戦車を見つけてくれたおかげで、私の希望の道が開けてきたよ。よーし、みんなでがんばろー!」

 

 華が森の中で見つけたのは、ビスだらけでポツポツしている小さな戦車であった。はっきりいって、しっかり手入れされている聖グロリアーナの戦車と比べると、みすぼらしい感じは否めない。

 それでも、学校中を探し回ってようやく見つけた貴重な戦車だ。沙織のあの戦車にかける情熱は並大抵ではなかった。

 

「がんばるのも大事だが、まずは人材の確保を優先するぞ。最低でもあと一人はいないと、生徒会に部活動の申請ができん」

「部として認められれば、色々と活動もやりやすくなりますからね。戦車を置く場所も自動車部のみなさんから借りてる状態ですし……」

「本格的にやるなら地に足をつけたほうがいい。わかったか、沙織。……聞いてないみたいだな」

 

 キラキラ輝く瞳で虚空を見つめる沙織。先ほどの麻子と華の会話は、まったく耳に入っていないようだ。

 

「私もラベンダーさんみたいなカッコいい戦車乗りになってみせる。そしたらモテモテ間違いなしだもん!」



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第十六話 カチューシャと深水トモエ

「ごめんね……。私が判断を誤ったから負けちゃった」

 

 白旗を上げたクルセイダーの隣で、みほはローズヒップとルクリリに頭を下げる。まほの泣き顔を見たことで頭が混乱し、ルクリリへの指示が遅れたのは弁解の余地がない。

 涙を流さないように耐えていたみほであったが、頭を下げた瞬間、瞳に溜まっていた涙が一粒地面に落ちていく。

 

「ラベンダーのせいじゃない。指示を待ってるばかりで何もしなかった私の責任だ。私が早く撃てばよかったんだ……」

 

 沈痛な面持ちで自らを責めるルクリリ。涙は見せないものの、その表情には悲愴感が漂っている。

 

 一度しかない砲撃のタイミングを決めるのはみほの役目だ。ルクリリは車長の指示に従っただけでなんの非もない。

 いつも自分を心配してくれる優しいルクリリに、悲痛な思いを味合わせてしまった。それが深い後悔となって、みほの心に重くのしかかってくる。

 

「ルクリリさんは何も悪くない! 私が全部悪いの!」

「違う! 私が悪いんだ!」

 

 責任の所在をめぐって、みほとルクリリは口論になってしまう。大好きな友達と言い争いになったことでみほの涙腺はついに決壊し、止めどなくあふれる涙が頬を濡らしていく。

 自分が責任を取ろうとする二人の悲しい争い。そんな争いを終わらせたのは、額に手を当ててずっと考えごとをしていたローズヒップであった。

 

「お二人とも、こんな言葉をご存知でございますか? 『我、事において後悔せず』。」

 

 ローズヒップの発言にみほとルクリリは思わず顔を見合わせた。格言を使ったこの独特な言い回しは嫌というほど覚えがある。

 

「今のは剣豪、宮本武蔵の言葉ですわ。失敗したのを後悔しても無意味ですの。大事なのは失敗を反省し、次に同じ失敗をしないこと。わたくし達の戦いは、まだ始まったばかりでございますわよ」

 

 二人を諭すローズヒップはまるで本物のダージリンのようだ。みほとルクリリは口論するのも忘れてローズヒップの言葉に聞き入っていた。

 

「だから喧嘩はやめてくださいまし。お二人が言い争う姿を見るのは悲しいですわ……」

「ローズヒップ……。そうだな、お前の言う通りだ。ラベンダー、この話はもうやめにしよう」

「うん。不安な気持ちにさせてごめんね、ローズヒップさん」

 

 ローズヒップのおかげで三人は仲良しトリオに戻れた。積み重ねてきた絆はそう簡単に途切れはしない。

 

「わかってくれたらいいんですの。そうだ、仲直りの記念にみんなで肩を組んで帰るでございますわ」

「そ、それはさすがに恥ずかしいよぉ」

「そんな姿を見られたらダージリン様に怒られるぞ。あなた達、肩を組んで歩くなんて下品な行為は優雅とは言えませんわよってな」

 

 ローズヒップに触発されたのか、ダージリンの口調を真似ておどけるルクリリ。言葉づかいだけでなく、表情もダージリンを模した自信満々のどや顔だ。少し演技が過剰気味なところはあるものの、特徴はしっかりと捉えている。

 それを見たみほは笑みをこぼしそうになったが、すんでのところで持ちこたえた。ルクリリの背後に立っている人物に気がついたからだ。

 

「ルクリリ、いったい誰の真似をしているのかしら?」

「もちろん、ダージリン様……」

「あら、私はそんな顔をしていましたのね。いい勉強になりましたわ」

 

 ルクリリに向かってニッコリと微笑むダージリン。

 ダージリンの姿を見たルクリリは、まるでヘビににらまれたカエルのように固まってしまう。表情は笑顔でも、ダージリンの目はまったく笑っていなかった。

 

 よく見ると、その場にいるのはダージリンだけではない。どうやら、本丸まで生き残ったメンバーは全員ここに集まっているようだ。

 その中の一人であるダンデライオンは、まるでこの世の終わりが来たような顔でアッサムにしがみついていた。

 

「ダージリンさんの悪い癖がローズヒップちゃんに移った……。あ、悪夢です。アッサムさん、あたしはこれからどうしたらいいんですか?」

「タンポポ、そんなに悲観することはありませんわ。今回のようにプラスの作用をもたらすなら、いっそ諦めて許容してしまうという手も……」

「あたしには無理っ! 格言とことわざはもうお腹いっぱいですー!」

「待ちなさい、ダンデライオン。まだ試合終了のあいさつが残っていますよ」

 

 アールグレイの制止の声が聞こえなかったのか、ダンデライオンはキンキン声を張り上げながら走り去ってしまう。体が小さくすばしっこいので、ダンデライオンの姿はあっという間に見えなくなってしまった。

 

「アッサム、ダンデライオンを連れ戻してください。聖グロリアーナの生徒が礼を怠るわけにはいきません」

 

 礼節を尊ぶのは聖グロリアーナの戦車道の根幹。どんな形で試合が終わっても、それを疎かにしてはならない。

 対戦相手、審判団、観客。そのすべてにあいさつを終えなければ、聖グロリアーナでは試合が終わったことにならないのだ。

 

「わかりましたわ。あなた達も手伝ってちょうだい」

「はい。隊長のことなら私達に任せてください」

 

 アッサムが手伝いを頼んだのは、ダンデライオンのクルセイダーに搭乗していた生徒達であった。彼女達はアッサムと同級生だが、ニックネームを持っていないのでアッサムには敬語である。

 

「それにしても、隊長はダージリンさんの癖が本当に苦手なようですわね。一年生のときにがんばりすぎたのが、まだ尾を引いてるみたいですわ」

「隊長はダージリンさんとずっと張り合ってましたからね。お二人でよく一緒にお泊り会をしていたみたいですし……」

「ダージリンさんのあの癖が原因でお二人が親密な関係になれないと思うと、残念でなりませんわ」

「無駄話はそこまでにして、早く探しに行きますわよ」

 

 クルセイダーの乗員を引き連れて、アッサムはダンデライオンの捜索に出発。

 その姿を見送ったアールグレイは、次にみほ達のほうへと体を向けた。

 

「最後に悔いのない良い試合ができました。ありがとう、これもあなた達のおかげです」

「アールグレイ様……。あの、勝てなくてごめんなさい」

「ラベンダー、どうして謝るのかしら? 聖グロリアーナの戦車道は結果がすべてではない。私はそう教えてきましたわよ」

「でも、黒森峰に勝つのはアールグレイ様の夢だったのに……」

「そのことなら別に気にする必要はありません。私は今まで、黒森峰のフラッグ車に近づくことすらできませんでしたが、あなた達がそれを覆してくれました。それだけで十分です」

 

 柔和な笑みを浮かべるアールグレイの表情はとても満足そうだ。その笑顔は、同性であるみほが思わずドキッとしてしまうほど美しかった。

 みほ達に感謝の言葉を述べたアールグレイは、最後にダージリンの正面に立つ。顔は穏やかなままだったが、目にはどこか真剣な色が宿っている。

 

「ダージリン、あなたは私よりも優秀な隊長になれるはずですわ。来年は私もOG会に入りますので、多少の融通は利かせられます。戦車の車種と戦術に関しては難しいですが、それ以外はあなたの好きなようにやりなさい」

「アールグレイ様のご期待を裏切らないよう、精一杯務めさせていただきますわ」

 

 ダージリンの返答に大きく一つうなずいたアールグレイ。

 それはアールグレイの戦車道が終わりを告げた瞬間であり、新しい聖グロリアーナの戦車道がスタートした瞬間でもあった。

 

 

 

 

 準決勝の勝敗は決したが、観客席にはまだ多くの観客が残っていた。

 大勢の観客が残っている理由。それは聖グロリアーナ女学院のあいさつを見届けるためである。聖グロリアーナの全生徒が一列に並んで礼をする光景は壮観であり、それを目当てにしている戦車道ファンも多いのだ。

 

 そんな観客席の中に異様に目立つ二人組がいた。一人は小学生ほどの背丈しかない金髪の少女。そして、もう一人は背が高い黒髪の無表情な少女。

 この二人がなぜ目立っているかというと、それは黒髪の少女が金髪の少女を肩車しているからだ。

 

「聖グロは厄介な相手になりそうね。ダージリンがあのラベンダーって子を使いこなしたら面倒だわ」

「もう来年のことを考えているのですか? まだ決勝戦が残っていますよ」

「試合中に泣き出す隊長がいる学校に、このカチューシャ様が負けるわけないわ。今年の優勝はプラウダがもらったようなものよ」

 

 金髪の少女の発言からは自信と余裕が感じられる。カチューシャという名のこの少女は、Bブロックを制して決勝進出をはたしたプラウダ高校の副隊長を務める二年生であった。

 

「サンダースのファイアフライに追い回されて、泣きそうになっていたのは誰ですか?」

「なんでノンナがそれを知ってるのよ!」

「カチューシャと同じ戦車に乗っている同志から聞きました」

「あの子達ー! あとでシベリア送りにしてやるんだからー!」

 

 ノンナと呼ばれた黒髪の少女は、カチューシャの同級生。砲手としての能力が高く、他校からも警戒されている優秀な戦車乗りだ。身長が低いことにコンプレックスを抱いているカチューシャを肩車するなど、常日頃から献身的に彼女を支える姿はプラウダでは有名である。 

 

「カチューシャ、ダージリンさんには会っていきますか?」

「今日はやめておくわ。今度会ったときにカチューシャが優勝した姿を見せつけて、目いっぱい悔しがらせてやるから」

「では、今日はもう帰りますか?」

「その前に黒森峰のところへ寄っていくわ。カチューシャの恐ろしさを連中の胸に刻んであげるの」

「わかりました」

 

 カチューシャとノンナは観客席をあとにすると、黒森峰の生徒が集合している場所へと向かった。

 

 

 

 黒森峰女学園が拠点にしていたのは試合会場近くの森の中だ。

 試合が終わった今、森では黒森峰の生徒達による撤収作業が行われていた。

 

「ごめんなさい。西住隊長は気分が優れないらしくて、誰にも会いたくないそうです」

 

 カチューシャの前にやってきた副隊長の深水トモエは、謝りながら何度も頭を下げている。

 謝罪を繰り返すトモエに対し、ぶすっとしたような表情で腕組みをしているカチューシャ。意気揚々とやってきたのに肝心の隊長が出てこないのだから、カチューシャの機嫌が悪くなるのも当然である。

 ちなみに、カチューシャはノンナに肩車をしてもらっていない。トモエがすぐに頭を下げるせいで、カチューシャはつねにトモエを見下ろす状態になっているからだ。

 

「聖グロリアーナの方々が先にここへ来たはずですが、まほさんは誰ともお会いにならなかったのですか?」

「はい。西住隊長は試合が終わってからずっとテントにこもってしまって……。聖グロリアーナに通っている西住隊長の妹さんは会いたがっていたんですが、隊長は会いたくないの一点張りでした」 

 

 困惑したような顔でノンナの問いに答えるトモエ。

 そんなトモエに向かって、カチューシャは不機嫌そうな顔のまま質問を投げかけた。

 

「あなたはティーガーⅡの車長をやってた副隊長よね? ちょっと聞きたいことがあるんだけど」

「なんでしょうか?」

「聖グロのクルセイダーに突破されたあと、どうしてそのまま門の前に残ってたのよ? もう門を突破しようとしてくる敵がいないぐらいわかったはずでしょ。あなたもⅢ号戦車と一緒にクルセイダーを追いかけるか、本丸に突入でもすればよかったじゃない」

「あの、私は西住隊長から門を守るように命令されていたので……」

「バッカじゃないの! あんたの頭はなんのために付いてるのよ! 命令されたことしかできないなら、田んぼに立ってるかかしと変わんないわ!」

「ご、ごめんなさい! ごめんなさい!」

 

 カチューシャに怒鳴られたトモエは涙声で再び頭を下げる。

 その姿を見たカチューシャの表情はさらに険しさを増していく。異様に腰が低いトモエの態度は、カチューシャの怒りに火を注いでしまったようだ。

 

「そのペコペコ頭を下げるのもやめなさい! あんたは副隊長なんでしょ! そんなみっともない姿を見せるんじゃないわよ!」

「ひっ! あ、あの、ごめんなさ……」

「ノンナ!」

「はい」

 

 ノンナはトモエに素早く近づくと後ろから羽交い締めにした。ノンナに体を拘束されたことで、トモエは身動きができなくなってしまう。

 突然動きを封じられパニックになるトモエであったが、助けを呼ぶことはできなかった。トモエの体の自由を奪ったノンナは、次に言葉で彼女の抵抗する意思を奪ったのだ。

 

「静かに。騒ぐと痛い目を見ることになりますよ」

 

 自分よりも背が高く、力も強い相手にトモエはあっさり屈服。

 そのままノンナに言われるがままにトモエは地面に膝をつく。立膝になったトモエとカチューシャの頭の高さは同じになり、二人は真正面から視線を合わせることになった。

 

「いい、副隊長は部隊の中で二番目にえらいのよ。その副隊長があんな情けない姿を見せてたら、部隊の士気に関わるわ。次からは簡単に謝らないこと。わかったわね?」

 

 カチューシャの言葉にトモエはコクコクとうなずいた。カチューシャの言葉が柔らかくなったことで、引きつっていたトモエの表情も徐々にほぐれていく。

 

「それと、隊長の命令に従うのはたしかに大事だけど、思考を停止していいわけじゃないわ。優秀なカチューシャのようになれとは言わないけど、ある程度は自分で考えることも必要よ」

「……あの、どうして私にアドバイスをしてくれるんですか?」

「そんなの決まってるじゃない。カチューシャの晴れ舞台の相手が泣き虫ばかりじゃ締まらないからよ。隊長はどうしようもないみたいだから、あなただけでもしっかりしなさい」

 

 自分の意見を包み隠さず話すカチューシャの物言いは、ともすれば相手を不快にさせてしまうようなものだ。彼女は好かれる人にはものすごく好かれるが、嫌われる人にはとことん嫌われるだろう。

 カチューシャの前でひざまずいている深水トモエは前者であった。

 

「カチューシャさんってカッコいいですね」

「カッコいい……カチューシャが?」

「はい。今まで私のことをそんな風に叱ってくれる人はいませんでした。自信あふれる態度も、自分の意見をはっきり言える意思の強さもステキです。それに加えて、こんな怖い人まで従えちゃうなんて憧れちゃいます」

 

 先ほどの一件のせいで、トモエからすっかり悪いイメージを持たれてしまったノンナ。それでも、ノンナの表情にいっさい変化はなく、ずっと無表情を貫いたままだ。

 一方、トモエから尊敬の視線を浴びることになったカチューシャ。その表情はさっきまでとは違い、思いっきりゆるんでいた。

 

「そ、そう。あなたなかなか見所があるじゃない。名前は深水トモエだったわよね?」

「はい。私の名前をご存知だったんですね」

「黒森峰の副隊長の名前だもの、事前に調べておくのは当然よ。よし、今日は気分がいいから特別にあなたに愛称をつけてあげるわ。えーと、トモエだから……トモーシャなんてどうかしら?」

「愛称までいただけるなんて感激です。ありがとうございます!」

 

 トモエはうっとりしたような表情でカチューシャを見ている。最初にあれだけ怖がっていたのが嘘のような変わりようであった。 

 

「カチューシャ、そろそろ帰るお時間です」

「わかったわ。トモーシャ、決勝戦でカチューシャの本気をあなたに見せてあげるから」

「私もカチューシャ様に失望されないようにがんばります。あ、少々お待ちください」

 

 カチューシャ達を待たせたトモエは近くのテントに入っていく。少ししてテントから戻ってきたトモエの手には、大きめの袋が握られていた。 

 

「これをどうぞ。黒森峰名物のノンアルコールビールです」

「あら、悪いわね。そうだ、今度プラウダの学園艦にいらっしゃい。おいしいロシアンティーをごちそうしてあげるわ」

「はい! 必ず伺わせていただきます」

「いい返事よ。それじゃ、決勝戦でまた会いましょう。ピロシキ~」

 

 ロシア料理の名前を別れ言葉にして、カチューシャは大きな袋を手に去っていった。袋が重いせいなのか歩きかたはぎこちないが、表情は満面の笑みだ。

 えっちらおっちら歩くカチューシャの背中をトモエが見送っていると、その場に残っていたノンナが深々と頭を下げてきた。

 

「先ほどは手荒な真似をしてしまい、申し訳ありませんでした」

「私なんかに謝る必要はありませんよ。あれはカチューシャ様のご意向だったんですから」

「今の言葉をカチューシャが聞いたら怒りますよ。自分を卑下するな、と」

「ご、ごめんなさい! 今の話はカチューシャ様には内緒でお願いします」

 

 慌てた様子でノンナに頭を下げるトモエ。あれだけカチューシャに怒られても、身に染みついた癖は簡単には抜けないようだ。  

 ノンナはそんなトモエの手をつかむと両手で固く握手を交わした。突然の事態にトモエは一瞬固まってしまうが、ノンナの真剣な眼差しを見てすぐに表情を引き締める。

 

「同志トモーシャ。これからもカチューシャと仲良くしてあげてください」

「も、もちろんです。私のほうこそ、カチューシャ様に愛想をつかされないようにがんばらないと……」

「カチューシャがあなたを見限ることはありませんよ。彼女をあれだけ素直にほめ称えたのは、あなたが初めてですから。では、до свидания(ダスビダーニャ)

 

 ロシア語で別れのあいさつを口にしたノンナは、カチューシャの元へと走っていく。その足取りは、彼女の機嫌がいいことが遠目からでもよくわかる軽快なものであった。

 

 

 

 カチューシャはノンナと一緒に学園艦への帰路についていた。

 トモエからもらったノンアルコールビールが入った袋は、今はノンナが持っている。

 

「ノンナ、学園艦に戻ったら今日の試合を参考に作戦を練り直すわ」

「優勝はもらったようなものではなかったのですか?」

「前言撤回よ。トモーシャの前でカッコ悪い姿は見せられないわ。最高のカチューシャ戦術を編み出して、黒森峰を圧倒するんだから」

「わかりました。私も全力をつくします」

 

 ノンナの言葉に満足げにうなずくカチューシャ。表情は活力にあふれており、彼女のやる気が満ちているのは誰の目にも明らかだ。

 Bブロックの準決勝ではサンダースのファイアフライに油断して不覚を取ったカチューシャであったが、もう同じ轍は踏まないだろう。

 

 

 

 

 第六十二回戦車道全国大会決勝戦。黒森峰女学園とプラウダ高校の一戦は、プラウダ高校の圧勝という結果で幕を閉じた。

 

 十連覇がかかっていた黒森峰女学園であったが、プラウダ高校の巧みな戦術の前に翻弄されてしまい大混乱に陥ってしまう。とくに隊長の西住まほの動揺ぶりはすさまじく、試合終了間際は完全に恐慌状態であった。

 副隊長の深水トモエを中心とした一部の部隊は意地を見せるものの、試合の形勢を逆転するまでには至らず、黒森峰女学園の十連覇の夢は絶たれた。

 

 黒森峰の栄光に泥を塗り、全国に無様な姿を晒してしまった西住まほ。彼女は即座に実家に呼び出され、そのまま黒森峰女学園に戻ってくることはなかった。



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第十七話 聖グロリアーナ祭 前編

 暑い夏が終わり、季節は秋。

 三年生が引退した聖グロリアーナの戦車道チームはダージリンが隊長に就任し、新しい体制がスタートした。今後はダージリン主導が主導して、マチルダ隊とクルセイダー隊の隊長人事や訓練方針などを決めるのだが、新隊長にはその前にやるべきことがある。

 

 毎年秋に開催される聖グロリアーナ祭。生徒達が日ごろの成果を発表する場であるこの催しを、新隊長は三年生の力を借りずに成功させなければならないのだ。

 聖グロリアーナ祭は新隊長の力量を示す最初の機会であり、新チームの結束を高める大事なイベントであった。

 

 ちなみに、聖グロリアーナ祭は普通の高校の文化祭とは違い、クラスごとの出し物は行われない。聖グロリアーナ女学院では、どのような発表を行うかは生徒の自主性が尊重されているからだ。

 ほとんどの生徒は、履修している選択科目や部活動の成果を発表することが多い。戦車道を履修している生徒は、戦車道チームで発表を行うのが恒例である。

 

 今日の戦車道の授業は訓練ではなく、校舎内の会議室で聖グロリアーナ祭の打ち合わせを行うことになっていた。

 みほ達も会議室の席に着いているが、そこにローズヒップの姿はない。会議室に入る直前、ローズヒップだけダージリンから呼び出しを受けたのだ。

 

「ローズヒップさん、大丈夫かな……」

「ここ最近はとくに問題も起こしてないし、心配しなくても大丈夫よ。きっと軽い用事ですわ」

「でも、いつも三人一緒に呼び出されてたのに今日は一人だけだよね。やっぱり心配だよ」

「確かにローズヒップだけっていうのは変ですわね。もしかして、一人で何かとんでもないことを仕出かしたのかしら?」

 

 みほとルクリリがローズヒップのことを話していると、会議室の扉が開きダージリンが入室してきた。会議室に入ってきたのはダージリンのみで、ローズヒップはまだ戻ってこない。

 

「みなさま、ごきげんよう。本日の議題は間近に迫った聖グロリアーナ祭についてですが、一年生のみなさまにとっては初めての行事になります。ですので、まずは去年行った発表をご説明いたしますわ」

 

 ダージリンの説明によると、去年の戦車道チームは二種類の発表を行っていたらしい。

 一つ目は戦車を使用したパフォーマンス。日ごろの訓練の賜物である綺麗な隊列と素早い陣形の切り替えを来校者に披露したのだ。

 二つ目は来校者を招いたお茶会。『紅茶の園』で開かれるお茶会に来校者を招待し、紅茶とティーフーズでもてなしたのである。

 

「今年も去年と同じような発表を行うつもりです。ただ、まったく同じことをしたのでは面白みがありません。そこで、今年は新しい試みをしたいと思っておりますの」

 

 新隊長に就任して間もないダージリンだが、この聖グロリアーナ祭でさっそく自分の色を出していくつもりのようだ。

 

「まずは戦車を使用する発表について。こちらでは、お客様が直接戦車に触れられる時間を作る予定ですわ。来年入学予定の付属校の方々もご来校されますので、戦車のことをよく知ってもらう良い機会にもなります」

 

 戦車道は世間ではマイナーな武芸。茶道や華道に履修生を奪われないためにも、戦車の良さをアピールするのは重要なことだ。

 

「次にお茶会の発表に関してですが、その前にみなさまに見てもらいたいものがありますわ。ローズヒップ、入ってきなさい」

「お呼びでございますか! ダージリン様!」

 

 ダージリンに呼ばれたローズヒップが、大きな音を立てて会議室の両開きの扉を開け放った。

 

 ローズヒップがようやく姿を見せたことに安堵するみほ。しかし、その表情はすぐに驚きに染まってしまう。ローズヒップは学校の制服姿ではなく、黄色のフリル付きブラウスとこげ茶色のフレアスカートを着用したウェイトレス姿だったからだ。

 

「今年はこの制服を着てお客様をもてなしたいと考えております」

「ダージリンさん、気でも狂ったんですか!?」

「ダンデライオン、隊長である私に対してその物言いは失礼ではなくって? どうやら、あなたには少しお仕置きが必要なようですわね」

 

 ダージリンがパンパンと手を叩くと、会議室に数人の生徒が入室してきた。その手にはミシン糸や待ち針、メジャーやはさみなどの裁縫道具が握られている。

 

「こちらは今回の企画にご協力してくださる被服部のみなさまです。お手数ですが、次はこの子をお願いしますわ」

「お任せください」

「小さい子の服を作るのは慣れておりますから、すぐにご用意できますわ」

「あたしは断固拒否しますからね。ダージリンさんの世迷いごとには付き合っていられません」

 

 両腕を組んでプイッとそっぽを向くダンデライオン。そんなダンデライオンを両隣に座っていた生徒がガシッと拘束した。

 

「隊長、ダージリンさんの意見に逆らうのはよくありませんわ」

「そうですよ。ここはみんなで協力するべきですわ」

「隊長のウェイトレス姿。楽しみですわー」

「あなた達、あたしを裏切るの!? は、放してくださいっ!」

 

 自分の戦車の乗員に捕まったダンデライオンは引きずられるように、会議室から連れ出されていく。その姿を見送ったダージリンは、何事もなかったかのように話を続けた。

 

「他にも疑問に思われるかたがいるかもしれませんが、この企画にはちゃんとした根拠があります。アッサム、詳しい説明は任せますわ」

「わかりました。みなさま、前方のスクリーンをご覧ください」

 

 アッサムは会議室の電気を消すと、いつも愛用しているノートパソコンをプロジェクターに接続し、大型スクリーンに映像を映し出した。

 

「これは去年の聖グロリアーナ祭のアンケート結果をまとめたものですわ。注目していただきたいのは、二ページ目の不満点の項目。去年のアンケートによると、お茶会の雰囲気を苦手に感じたかたが多かったのがわかります」

 

 アッサムの言う通り、不満だった点のアンケート結果上位にはお茶会の雰囲気についての意見が目立つ。

 みほにはなんとなくその気持ちがわかった。みほも最初のころは、お茶会の時間は苦労が絶えなかったからである。

 

「具体的には『堅苦しい』、『気疲れする』といった意見が挙げられます。お茶会は聖グロリアーナの戦車道に欠かせないものですが、お客様は窮屈に感じてしまったようですわ」

 

 説明を終えたアッサムは会議室の電気を点灯させた。ダージリンとローズヒップはすでにスクリーンの前に移動しており、生徒達の視線が二人に集まる。

 

「この制服はその問題を少しでも緩和するためのものよ。学校指定の制服よりも、お茶会の空気を柔らかくすることができるはずですわ。ローズヒップ、一回転してみなさまにその姿をよく見せてあげてちょうだい」 

「わかりましたわ! それっ!」

 

 ローズヒップはものすごい速さでその場でターンした。あまりに早く回転しすぎたせいで、短いスカートから危うく下着が見えそうになってしまう。

 その姿を目の前で見ていたアッサムは、両手で顔を覆って机に突っ伏してしまった。

 

「それじゃダメよ。もう一回、今度はゆっくりと回転しなさい」

「ご、ごめんなさいですわ」

 

 ダージリンにたしなめられ、二回目はゆっくりと一回転するローズヒップ。

 いつもと違うローズヒップのウェイトレス姿は、みほにとっても新鮮であった。黄色を基調にした制服は、明るい色が似合うローズヒップを魅力的に見せており、頭に付けたホワイトブリムやスカートに付いている白いエプロンも愛らしい。

 

「ラベンダー、あなたはどう思っているのかしら?」

「ふえっ? は、はいっ!」

 

 ローズヒップのウェイトレス姿に見とれていたみほは慌てて立ち上がった。

 会議室の全員の視線が集まったことで顔が熱くなるみほであったが、ここで動揺するわけにはいかない。準決勝で敗北したのはみほの心の持ちかたが原因だ。同じ過ちを何度も繰り返さないように、普段から平常心を保つのをみほは心がけていた。

 

「私はダージリン様の意見に賛成です。お客様に楽しんでもらうのが一番大事ですから、いろいろ工夫を凝らしてみるのはいい案だと思います」

「ありがとう、ラベンダー。反対意見がないようでしたら、この件はこのまま話を進めていきたいと思います。みなさま、いかがですか?」

 

 ダージリンの問いかけに対し、反対意見を出すものは誰もいない。

 先の全国大会準決勝で黒森峰のフラッグ車をあと一歩まで追いこんだみほは、みんなから一目置かれている。そのみほがダージリンの案に賛同しているのだから、反対意見を言う生徒がいないのも当然だ。

 

「ダージリンさん、隊長の準備が完了しましたわ」

「隊長、みなさんがお待ちかねです。もう観念なさってください」

「ダージリンさんも隊長のウェイトレス姿をほめてくれるはずですわ」

「やっぱり恥ずかしいですよぉ。あ、ダメっ! 引っ張らないでー!」

 

 クルセイダーの乗員に連れられて会議室に戻ってきたダンデライオン。その姿はローズヒップと同じウェイトレス姿だが、一点だけ違うところがある。スカートに付けられたショートエプロンに、デフォルメされたライオンのアップリケが縫いつけられているのだ。

 

「あら、かわいらしいウェイトレスさんが来ましたわね。似合ってますわよ、ダンデライオン」

「かわいいだなんて、そんな……。うぅぅ、お世辞を言ってもだまされませんよ」

「私は自分の思っていることを正直に話しているだけですわ。それで、あなたはまだ反対しますの?」

「……わかりました。あたしも賛成します」

「これで全員の意見がまとまりましたわ。みなさま、明日からの戦車道の授業は聖グロリアーナ祭の準備になります。三年生の先輩方が安心してご卒業できるように、私達の手で聖グロリアーナ祭を成功させましょう」

 

 

 

 日が落ちるのが早くなったことで薄暗くなった街中をみほ達は帰宅していた。

 聖グロリアーナ祭は横浜港に帰港して行われる。陸と同じような日の落ちかたなのは、学園艦が日本近海を航行中だからだ。

 

「ダージリン様、すごく張りきってたね」

「隊長としての初仕事だからな。そりゃ気合も入るだろう」

「明日からはわたくし達もがんばらないといけませんわ。ダージリン様に恥をかかせるわけにはいきませんの」

 

 ウェイトレス姿から学校の制服に着替えたローズヒップは、両手で握りこぶしを作って気持ちを高ぶらせていた。

 

「そういえば、二人は招待状を多く申請してたけど、いったい誰に渡すんだ?」

「わたくしは家族全員を招待するから、いっぱい招待状が必要なのですわ」

「私は大洗の人達を招待しようと思ってるの」

 

 聖グロリアーナ祭は付属校の生徒以外は入場に招待状が必要であった。

 上流階級のお嬢様が通う学校で万が一の事態が起これば、学園艦の存亡にもかかわる。当日は警備に万全を期すために警備員が大量に動員される予定で、招待状がなければアリの子一匹通ることはできない。

 

「大洗か……全国大会で会ったときに戦車を見つけたって言ってたし、もう戦車道を復活させる目処は立ったのかな?」

「武部さんの話だとまだ難しいみたい。戦車も一輌しかなくて、人数も四人しかいないらしいから」

「人数が増えてるだけでも大したものですわ。『千里の道も一歩から』、諦めなければ道は開けるはずですの」

「ローズヒップさん、最近ダージリン様に少し似てきたね。今のことわざを引用したところなんてそっくりだったよ」

「マジですの!? やったでございますわ! これも日々努力してきた成果ですわね」

「似ているのは格言とことわざを引用するとこだけで、それ以外はダメダメだけどな」

「ひどいっ! そこは態度も似てきたと言ってほしかったですわ」

「ふふっ、それはこれからがんばっていこうね。まだまだ高校生活は長いんだから」

 

 友達との楽しいひとときは、悩みを抱えているみほの心を軽くしてくれた。二人が一緒にいてくれるから、みほは悩みを忘れて平静を保つことができる。

 

 決勝戦で黒森峰女学園はプラウダ高校に完敗した。みほもテレビで試合を見ていたので、もちろんそれは知っている。

 西住流の後継者が敗北したという事実はきわめて重い。それが黒森峰の十連覇がかかった試合ならなおさらだ。

 

 つらい心境で過ごしているだろうまほのことを思うと、みほは気が気でなかった。本当なら今すぐにでも黒森峰の学園艦に乗りこんでいきたいが、まほに会うことはできないだろう。準決勝の試合が終わったあと、まほはみほに会うのを激しく拒絶したからだ。

 まほが涙を流した理由がわからない以上、みほができるのはまほの身を案じることだけであった。

 

 

 

 

 横浜港に帰港している聖グロリアーナ女学院の学園艦には多くの人が集まっている。

 人々のお目当ては聖グロリアーナ女学院で行われている聖グロリアーナ祭。招待状がなければ入ることができない文化祭だが、学校の正門前にはすでに長蛇の列ができていた。正門を守る警備員のチェックが厳重なせいで、入場に時間がかかっているせいだ。

 

 入場チェックをしている警備員はすべて女性である。女性といえどもスタンガンと特殊警棒で武装した猛者ばかりなので、警備体制の不備はいっさいない。

 列には家族連れと付属校に通う中学生の姿が多いが、招待状を受けとったであろう他校の制服を着た高校生の姿もある。その中には大洗女子学園の制服姿の沙織達も含まれていた。

 

「武部殿、ありがとうございます。戦車に乗る機会を与えてもらえただけでなく、憧れの西住殿に会えるチャンスまでもらえるなんて……、もう武部殿には足を向けて寝られません」 

「ゆかりん、大げさすぎ。私はラベンダーさんから招待状をもらっただけで、そんな大それたことはしてないよ。それに、ゆかりんが入ってくれたおかげで戦車道部が発足できたんだもん。感謝するのはこっちのほうだよ」

 

 沙織にゆかりんと呼ばれたフワッとしたくせ毛が印象的な少女。彼女の名は秋山優花里といい、少し前に沙織達の活動に加わった新たな戦車仲間だ。

 

「ところで秋山さん。西住殿とはどなたのことですか?」

「みなさんがラベンダーさんと呼んでいるかたですよ。西住殿は戦車道ファンの間では有名人なんです」

「あれだけ自由自在に戦車を操れるんだ。有名になるのもうなずけるな」

「冷泉殿、それだけじゃありませんよ。西住殿は日本戦車道の二大流派の一つである西住流の後継者なんです。彼女の西住流は完璧との呼び声も高くて、とくに去年の中学の全国大会で見せた戦いぶりはファンの間で今でも語り草に……」

「ゆかりん、ストップストップ! みんなに見られてるよ!」

「はっ! すみません……」

 

 優花里が突然熱く語りだしたことで、沙織たちは列に並んでいる人から注目されてしまっていた。

 

「それと、ラベンダーさんのことを西住殿って呼ぶのも禁止。私達はニックネームしか教えてもらってないんだから」

「聖グロリアーナのみなさんはお互いニックネームで呼び合っていますから、私達もそれに習いましょう」

「郷に入っては郷に従えともいうしな」

「わかりました。不肖秋山優花里、ラベンダー殿と会う際には細心の注意を払うことをお約束します」

 

 背筋をビシッと伸ばし、右手を額に当てて敬礼する優花里。敬礼姿はなかなか様になっているが、そのせいでさらに周りから注目を集めてしまう。

 

「やだもー! ゆかりん、お願いだから普通にしててよー!」

 

 騒ぐ沙織達のすぐ後ろには、聖グロリアーナ女学院付属中学の制服を着た三人の中学生が並んでいた。彼女達は沙織達の話を聞いていたようで、ひそひそと話をしている。 

 

「戦車道チームにはすごい人がいるみたいですの」

「なんだかわくわくしてきましたねぇ。テンションも上がってきましたよー!」

「大きな声を出したらダメですよ。私たちも来年にはここに入学するんですから、つねに優雅な振る舞いを意識していないといけません」

「あぅ、ごめんなさいです……」

 

 オレンジがかった金髪の小柄な少女が、大声を出した同級生を注意する。どうやら彼女がこのグループのリーダー格らしい。

 

「クルセイダーで大立ち回りを演じたラベンダーさん。いったいどんな人なんでしょうね……」

 

 小さな声で独り言をつぶやくオレンジがかった金髪の少女。その後ろには、少女よりもさらに背が低いプラウダ高校の制服を着た女の子の姿が見える。

 このプラウダ高校の制服を着た少女の正体は、ダージリンから招待状を受け取ったカチューシャであった。隣には同じく招待状を受け取ったノンナの姿もある。

 

「あのラベンダーとかいう一年生。ただものではないと思ったけど、まさか西住流の生まれだったなんてね……。きっとあの子が西住流の真の後継者だわ」

「カチューシャは西住まほさんが後継者ではないと考えているのですか?」

「あんな弱っちい子が西住流の後継者だなんて変だと思ったのよ。本命は妹のほうだったわけね」

「なぜ後継者が聖グロリアーナ女学院にいるのです? 普通に考えれば、西住流と関係が深い黒森峰女学園に入学するはずでは?」

「それは、その……カチューシャにだってわからないことぐらいあるわ! 今日はそれを確かめるいい機会なのよ!」

 

 ノンナからの質問の答えに詰まったカチューシャはそうまくし立てた。ヒステリックを起こした姿は身長同様お子様そのものだ。 

 わめくカチューシャの後ろには、ボコのぬいぐるみを両手で抱えた私服姿の少女が並んでいた。

 聖グロリアーナ女学院を訪れるのは体験入学以来となる島田愛里寿である。 

 

「ラベンダーが西住流の後継者……」

 

 愛里寿は一言そうつぶやくと、不安そうな表情でボコのぬいぐるみを両手でぎゅっと抱きしめた。



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第十八話 聖グロリアーナ祭 中編

 荷物チェックと身体検査を終え、沙織たちはようやく聖グロリアーナ女学院の校内に入ることができた。

 校内は文化祭が開かれているとは思えないほど静かだ。文化祭の恒例ともいえる屋台やイベントなどはいっさいなく、ゆったりと落ちついた空気が流れている。

 

「なんか文化祭って感じがしない……。これだとステキな出会いは期待できないかな」

「女子高の文化祭に出会いなんてあるわけないだろ。男の姿を探すのが難しいレベルだぞ」

「男子はとくに検査が厳しそうでしたよ。私たちの前に並んでいた人は、招待状を持っていなかっただけで警備室に連行されてましたから」

「お嬢様学校は普通の高校とは勝手が違うんですね。校内の様子も大洗とはずいぶん異なっているみたいですし……」

 

 華の言葉どおり、聖グロリアーナ女学院の校内には大洗女子学園では見られないものが多い。

 色とりどりのバラが咲き乱れるバラ園。彫刻で彩られた大きな噴水。レンガ造りの荘厳な教会。

 どれもお金と手間をかけて作られたことがわかるものであり、ここがお嬢様学校であることを実感させるには十分であった。

 

「それで、まずはどこへ行くんだ? 演習場か?」

「午前中はマチルダⅡの華麗な隊列運動が披露されるんですよね? ぜひ見たいです!」

「ごめんねゆかりん、まずはラベンダーさんたちに会いに行く予定なの。午前中は『紅茶の園』とかいうところで、お茶会に参加してるらしいから」

「いえ、私のことは気にしないでください。ラベンダー殿にお会いするのが一番大事ですので」

「午後からはクルセイダーの発表があるそうなので、そちらを見に行きましょう。ラベンダーさんたちも参加されるみたいですよ」

「会えるだけでなく、ラベンダー殿の雄姿まで見られるなんて……今日は忘れられない一日になりそうですー」

 

 締まりのないニヤけた顔でうっとりしている優花里。年ごろの女子高生が浮かべていい表情ではないが、それだけ今日という日を楽しみにしていたのだろう。

 

「ゆかりん、いつまでも恍惚としてないで早く行かないと……あれっ? 誰かこっちに来る」

「聖グロにはメイドもいるんだな。さすがはお嬢様学校」

「けど、メイドのかたがあんなに早く走るのはおかしくありませんか? 色合いもなんだか派手ですよ」

 

 前方からすごい勢いで走ってくる赤い髪の少女は、たしかに黄色を基調としたメイド服のような格好をしている。

 だが、短いスカートをひらひらとなびかせて走る姿はとてもメイドには見えない。ここはしつけが厳しいと評判の聖グロリアーナ女学院なのだから、こんな不作法なメイドがいたら主人の顔に泥を塗るようなものだ。

 

 そんな粗野なメイドの正体は沙織たちの知っている人物であった。 

 

「あの人ってローズヒップさんじゃん!?」

「クルセイダーの操縦手か……」

「なぜあのような格好をしているのでしょうか?」

 

 ローズヒップは沙織たちの存在に気がついたようで、急ブレーキをかけて立ち止まった。

 

「大洗のみなさまではございませんか。ごきげんようですわー!」

「ローズヒップさん、なんでそんな格好してるの? それも聖グロリアーナの伝統?」

「これはお茶会を堅苦しくしないためのユニフォームですわ。ダージリン様がお考えになったんですのよ」

「メイド服がユニフォーム……。優雅という言葉はどこに行ったんだ」

 

 沙織の質問に胸を張って答えるローズヒップ。知人にメイド服姿を見られてもまったく動じる様子はなかった。

 

「ところで、なぜあんなに急いでいたのですか?」

「わたくしのお兄様が警備室にしょっぴかれてしまったので、迎えに行くところなのですわ」

「あの連行されてた人、ローズヒップさんのお兄さんだったんだ。招待状が必要なことを知らなかったのかな?」

「実はわたくしが間違ってカラオケの割引券を送ってしまったのでございます。招待状を確認するのを忘れるなんて、そそっかしいお兄様ですわ」

「どう考えても招待状を間違えたほうがそそっかしいだろ」

「それを言われると返す言葉もありませんわ。冷泉様はお厳しいかたですわね」

 

 麻子のツッコミを受けてもローズヒップは涼しい顔をしている。それに対する麻子の表情もとくに変化は見られない。

 にもかかわらず、二人の間にはなんとも言いようのないピリピリした空気が漂っていた。ローズヒップは麻子がマニュアルを読んだだけで戦車が操縦できたことを知っているし、麻子はローズヒップの優れた運転技術を目の当たりにしている。どうやら操縦手の二人にはお互いになにか思うところがあるようだ。

 

「おっと、こうしちゃいられないですわ。早く行かないとお兄様が警察に連れていかれてしまいますの。では、ごめんあそばせー!」

 

 風を切るかのような速さでローズヒップは走り去っていく。聖グロリアーナ女学院に通うお嬢様とは思えない自由奔放ぶりだが、そこが他校の生徒と壁を作らないローズヒップの良いところであった。

 

「あっ! ゆかりんを紹介するの忘れてた」

「沙織、秋山さんはそれどころじゃないみたいだ」

「なんだかさっきより表情が緩んでいるような気がしますね」

 

 優花里は先ほどよりも夢心地な様子だ。表情は今にもよだれを垂らしそうなほどのとろけ具合である。

 

「ラベンダー殿のメイド服姿……今日は人生最良の日かもしれません~」

 

 

 

 

 多くの来客でにぎわいを見せる『紅茶の園』。そこには外部からの客だけでなく、聖グロリアーナの生徒たちの姿も多い。

 『紅茶の園』は選ばれた人間しか入ることができない格式高い場所。聖グロリアーナ祭はそこに入ることができる年に一度のチャンスであり、それを心待ちにしていた生徒も多かったようだ。さらに、今年は戦車道チームがウェイトレス姿でおもてなしするということもあって、例年にない盛り上がりを見せている。

 その大勢の客の中には、みほから招待状を受けとった愛里寿の姿もあった。

 

「愛里寿ちゃん、来てくれてありがとう。今日は楽しんでいってね」

「うん……」

 

 ウェイトレス姿のみほが笑顔で語りかけるが、愛里寿はなにやら浮かない顔。みほのショートエプロンに縫いつけてあるボコのアップリケも目に入っていないようだ。

 

「いったいどうしたんですの? なにか悩みごとでもあるの?」

「あの……ううん、なんでもない」

 

 心配したルクリリが声をかけるが愛里寿は言いよどんでしまう。その表情からは迷っている様子が感じられた。

 

「遠慮する必要はありませんわ。悩みがあるなら話したほうがすっきりしますわよ」

「そうだよ愛里寿ちゃん。私たちは友達なんだもん。言ってくれたらなんでも力になるよ」

「……ラベンダーにお願いがある」

「私に? いいよ、なんでも言ってね」

「大人になって私たちが争うことになったとしても、私のことを嫌いにならないでほしいの。私はラベンダーとずっと友達でいたいから……」

 

 懇願するかのようにみほの目を見つめる愛里寿。その瞳は不安げに揺れているようにみほには見えた。

 みほは西住流で愛里寿は島田流。今はお互い学生の身の上なので気兼ねなく話すことができるが、いずれはそうもいかなくなる。お互いの流派が争っている以上、みほは愛里寿との戦いを避けることはできないだろう。

 

 みほは愛里寿の歓迎会の準備をしていたときに、愛里寿と戦うことを予見していた。そのときは愛里寿の気持ちまでは考えていなかったが、初めてできた友達と争うことを愛里寿が喜ぶとは思えない。 

 もちろんそれはみほも同じだ。だから、みほは愛里寿に自分の思いを正直に話すことにした。

 

「愛里寿ちゃんは知ってると思うけど、いちおう名乗っておくね。私の本当の名前は西住みほ。たぶん愛里寿ちゃんが考えてるとおり、西住の娘である私は将来愛里寿ちゃんと戦うことになると思う」

 

 みほの言葉を聞いた愛里寿は悲しそうな顔で目を伏せる。

 

「でもね、私は愛里寿ちゃんの友達をやめる気はないよ。私がラベンダーから西住みほに戻っても、それだけは絶対に変わらない」

 

 みほは力強い眼差しで愛里寿の目を見つめ返す。みほが本気でそう思っていることを愛里寿に伝えるために。

 

「わかった。私はラベンダーの……西住みほの言うことを信じる」

 

 みほの気持ちはしっかり愛里寿に届いたようである。その証拠に、愛里寿の表情からはもう不安や恐れといったものは感じられない。

 

「二人とも、あまり長話をしていると紅茶が冷めてしまいますわよ。今日はラベンダーの好きなマカロンも用意してあるから、みんなで食べましょう」

「お客様のおもてなしをさぼってもいいの? あとでまた怒られちゃうよ」

「少しぐらい構いやしませんわ。それに、お客様の話し相手になるのも大事な仕事ですわよ」

 

 そう言って二ッと笑うルクリリ。

 友達に恵まれた自分は本当に幸せ者だ。みほは心からそう思い、ルクリリの優しい心づかいに感謝した。

 

「ついに見つけたわよっ! 西住流の真の後継者!」

「ふえっ!?」

 

 突然声をかけられたことに驚いたみほが振りむくと、そこには愛里寿よりも背の小さい金髪の女の子が立っていた。隣にはみほよりも背の高い黒髪の少女の姿も見える。

 

 プラウダ高校の制服を着たこの二人は、第六十二回戦車道全国大会で大きく名を上げた戦車乗りであった。決勝戦で黒森峰を圧倒した作戦を立案した副隊長のカチューシャと、圧倒的な撃破数で勝利に大きく貢献した砲手のノンナ。決勝戦の様子をテレビで見ていたみほも、この二人の名前はもちろん知っている。 

 

「私が西住流の真の後継者? いったいなんのことですか?」

「とぼけても無駄よ。カチューシャの目は誤魔化せないんだから」

 

 小さな体でみほに詰めよるカチューシャ。その勢いにみほは思わずたじろいでしまう。

 西住流の後継者は長女のまほのはずだ。そもそもみほは聖グロリアーナ女学院を卒業しなければ、実家に帰ることすらできない。それなのになぜカチューシャがこんな勘違いをしているのか、みほには訳がわからなかった。

 

「カチューシャ様がいらっしゃいましたわ」

「私たちの出番ですね」

「隊長よりも小さくてかわいらしいかたですわ」

「な、なによあんたたちは!?」

 

 カチューシャの登場を待っていたかのように、ダンデライオンの戦車の乗員がカチューシャを取りかこむ。三人は少し怯えた様子のカチューシャをひょいと担ぎあげると、そのまま奥の控室に向かった。

 そんな三人の前にノンナが立ちふさがる。表情に変化はないが、体からはものすごい威圧感がにじみ出ていた。

 

「待ちなさい。カチューシャをどこへ連れていくつもりですか?」

「私たちは隊長の命令に従っているだけですわ」

「カチューシャ様が到着したら控室にお通しするように言われているんです」

「これから楽しいお着替えの時間なのですわ。被服部のみなさんがかわいいウェイトレスの衣装を用意してくれてますの」

「わかりました。私も同行します」

「ちょっとノンナ! なんでカチューシャを助けないのよー!」

 

 ノンナを仲間に加えた一行は控室に消えていく。

 その様子を困惑したままの顔で見送るみほ。そんなみほのもとにダンデライオンが小走りでやってきた。

 

「ラベンダーちゃん、大丈夫でしたか?」

「タンポポ様が助けてくれたんですね。おかげで助かりました」

「あたしは指示を出しただけで大したことはしてませんよ。それに、カチューシャさんが来るのは最初から予定に入っていたんです。本当はダージリンさんがいるときに来るはずだったんですけど……まったく、ダージリンさんも詰めが甘いんですから」

 

 ダージリンとアッサムは、マチルダの発表に参加しているのでここにはいない。その間のお茶会の指揮はダンデライオンに一任されていた。

 ダージリンと張りあっているときは子供っぽい言動が目立つダンデライオンだが、ダージリンと絡みさえしなければとても頼りになる。クルセイダー隊の隊長の名は伊達ではないのだ。

 

「タンポポ様ー、少しよろしいでしょうか?」

「はーい! ラベンダーちゃん、カチューシャさんのことはあたしたちに任せてください。それじゃ!」

 

 ほかの生徒に呼ばれて忙しそうに早足で歩くダンデライオン。みほは友達だけでなく先輩にも恵まれていたようだ。  

 

 

 

 みほとルクリリが愛里寿とお茶会を楽しんでいると、みほが招待状を送った大洗一行がやってきた。秋山優花里という新しいメンバーも加わっていたので、まずはお互いに軽く自己紹介。そのあとに、みほが愛里寿のことを沙織たちに紹介した。

 来年飛び級する予定の天才少女という愛里寿の肩書に、沙織たちは目を丸くしている。優花里だけは愛里寿が島田流の生まれということに驚いていたが、みほと愛里寿が仲良くしている姿を見てすぐに口をつぐんだ。

 

 優花里は戦車が大好きと語っていたので、おそらくみほと愛里寿の流派の関係もある程度知っているのだろう。それでもなにも聞かずにいてくれるのだから、彼女が気配りのできる優しい人間だということがわかる。優花里とは今日初めて会ったばかりだが、みほは彼女とも仲良くなれそうであった。

 

「愛里寿さんは次はサンダース大学付属高校に体験入学されるんですね」

「うん。体験入学もそこが最後になる」

「サンダースって共学だよね? いいなぁ、きっとカッコいい男の子がいっぱいいるんだろうなぁ」

「沙織、お前の頭の中はそれしかないのか……」

「それより、サンダースといえばM4中戦車ことシャーマンですよ。圧倒的な物量を誇るサンダースのシャーマン軍団が進撃する姿は、一度見たら忘れられない大迫力なんです」

「物量ならマチルダも負けていませんわ。なんといっても、マチルダは聖グロリアーナの主力戦車ですから」

 

 大洗の人たちには不思議な魅力がある。大好物のマカロンを食べながらみほはつくづくそう思った。

 愛里寿は人見知りが激しい上に性格は内向的。それなのに初めて会った沙織たちと普通に会話ができているし、気疲れしているようにも見えない。みほとルクリリが橋渡し役になっているとはいえ、体験入学をしていたときにお茶会で体調を悪くしてしまったときとは雲泥の差だ。

 

「でも、マチルダって全国大会だと黒森峰にぼこぼこにされてたじゃん。クルセイダーのほうがカッコよかったよ」

「武部さん! それは禁句……」

「マチルダⅡといえば重装甲が売りですよね。初期のドイツ戦車は、マチルダⅡの装甲の厚さに苦戦させられましたから。それに大量の歩兵を従えて進撃するマチルダⅡは、戦場の女王とまで称されたんですよ」

「秋山さんはよくわかってるじゃないか! 準決勝では活躍できなかったけど、マチルダはクルセイダーに負けないくらい良い戦車なんだ。戦場の女王……いい響きだな」

 

 マチルダがほめられたことで上機嫌なルクリリ。そのせいか人前にもかかわらず、うっかり地が出てしまっていた。

 

「……ルクリリさん、今すごく活き活きしてたよ」

「口調も変わってましたね。そういえば、前にローズヒップさんと言い争っていたときもあのような口調でした」

「ルクリリはあれが普通。私たちと話すときはいつもあの口調」

「今までは猫を被っていたわけか」

「あっ……。今のは忘れてくださいまし……」

 

 ルクリリは真っ赤な顔でうつむいてしまう。アールグレイに注意された油断して失敗してしまう癖はいまだに直っていなかった。 

 そのとき、『紅茶の園』の両開きの扉が勢いよく開かれる。警備員に捕まった兄を迎えに行ったローズヒップが帰ってきたのだ。

 

「ただいま戻りましたわー!」

「ローズヒップさん、お帰りなさい。お兄さんは大丈夫だった?」

「お兄様はちょっと興奮してましたけど、まあ心配ないですわ。今は頭を冷やしてくるといって、吹奏楽部の演奏を聞きに行ってますの」

 

 ローズヒップの髪と服装が少し乱れているところを見ると、なにか一悶着あったのは間違いない。もしかしたら兄と喧嘩をしてしまったかもしれないが、ローズヒップの様子は普段となにも変わらなかった。

 そんなローズヒップの心の強さは、みほの憧れであり目標でもある。みほは少しでもローズヒップに近づくために、ある一大決心を固めていた。

 

 みほが決意したこと、それは冬休みに実家に帰りまほと会うことだ。去年はまほも冬休みに実家に帰省していたので、おそらく今年も帰ってくるだろう。みほは家に入ることはできないが、家の門に張りついてでもまほに会うつもりだった。

 

「ローズヒップ、服装が乱れてますわよ。ダンデライオン様に見つかるとまずいから、早く控室で直してきなさい」

「それもそうですわね。それではみなさま、少しの間失礼するでございますわ」

 

 ルクリリに促され控室に向かうローズヒップ。大勢の客の前ということもあって、その足取りはいつもと違いゆっくりであった。

 

「ダンデライオンってすごいニックネームだね。やっぱり体が大きくて怖そうな人なのかな?」

「ううん、全然そんなことないよ。とても優しくて頼りになる人なの」

「体も小さいし、間違っても怖い人ではないですわね」

「それに、ダンデライオンは動物のライオンじゃなくてタンポポの英語名だぞ。沙織も少しは英語を勉強したほうがいい」 

「やだもー! 恥ずかしいよー!」

「私たちの前のテーブルで接客している人がダンデライオンさん」

 

 愛里寿の言うとおり、ダンデライオンはすぐ前のテーブルで接客中だ。

 そのテーブルの客はほかのテーブルとは違い、男性が二名。二人ともピシッとしたスーツ姿であり、女の子ばかりの空間の中であきらかに浮いていた。

 ダンデライオンは白髪で真っ白になった髪をきっちり固め、立派な口ひげを生やした男性と楽しそうに会話をしている。

 

「お前は本当にかわいいな。その服もよく似合っているよ」

「もうー、パパったら口がお上手なんですから」

「これはお世辞ではなく、わしの本心だ。辻君もそう思うだろう?」

「ええ、先生のお嬢様は本当にお美しく聡明でいらっしゃいますよ」

「そんなにほめられちゃうと照れちゃいますよぉ。辻さん、今日はパパのわがままに付きあってくれてありがとうございます」

 

 ダンデライオンに辻さんと呼ばれた髪を七三分けにした眼鏡の男性。この男性にみほは見覚えがあった。 

 彼は何回か実家にやってきたことがある文部科学省の役人だ。しほは高校戦車道連盟の理事長を務めているので、文部科学省の役人が訪ねてくるのは別に不思議なことではない。

 家に来たのを見たことがある程度なので、自分のことを彼は知らないだろう。そう考えたみほは、この役人のことをとくに気には留めなかった。



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第十九話 聖グロリアーナ祭 後編

「それでね、それでね。生徒会は戦車道部を作ることを認めてくれただけじゃなくて、部費まで都合してくれたの。そのおかげで、砲弾や燃料のことを気にせずに練習できるようになったんだよ」

「生徒会のみなさんは、戦車を置くことができる専用のガレージまで用意してくれたんですよ。沙織さんと二人でかけあったときに門前払いされたのが、なんだか嘘みたいです」

「あと、ほかにも学園内に戦車があるかもしれないからって、生徒会が一緒に探してくれることになったんです。そしたら本当にあったんですよ! IV号戦車のD型が!」

「それはよかったですわね。これもラベンダーの助言の賜物かしら?」

「私の助言なんてただのきっかけにすぎないよ。順調に行ってるのは、沙織さんたちが諦めないでがんばったからだもん」

 

 紅茶の香りに包まれたテーブルで、みほたちは楽しそうにおしゃべりをしていた。ちなみに、愛里寿と麻子はケーキに舌鼓を打っており、ローズヒップは控室からまだ戻ってきていない。

 

 いつもとは違うにぎやかなお茶会をみほは心から楽しんでいた。普段のお茶会も別に嫌いではないのだが、つねに優雅な態度と会話を心がける必要があるので肩がこるのである。最近はそれにも慣れてきたとはいえ、みほは友達感覚で楽しくお茶ができるほうが好きであった。

 

 友達。この言葉が頭に思い浮かんだみほはあることに気づいた。みほは沙織たちと友達になったわけではないのだ。

 沙織、華、麻子、優花里。みんなそれぞれ違った魅力があり、人柄も文句のつけようがない。夏休みに愛里寿と一緒に四人で遊びに行ったように、沙織たちも含めてみんなで遊びに行けたらきっと楽しいはずだ。

 

 友達になろうと沙織たちに告げる。それはとても勇気のいることだ。

 だが、ここで尻込みするわけにはいかない。自分の意見を素直に言えるようにならなければ、まほと会っても思いを伝えることはできないだろう。

 

 意を決したみほは話を切りだそうとしたが、カメラのシャッター音が鳴りひびいたことで中断を余儀なくされる。音のしたほうにみほが顔を向けると、そこには大きなカメラを手に持った少女が立っていた。

 

「ども、新聞部ですぅ。聖グロリアーナ祭の取材中なんですけど、何枚か写真を撮らせてもらってもいいですか?」

 

 新聞部の少女はカメラを片手にニコニコしている。グレーがかったストロベリーブロンドの髪をポニーテールにしており、脚がすらっとしていて胸も大きい。容姿も整っていて笑顔が似合う美少女だが、活発そうな見た目と幼い声のせいかあまりそれを感じさせなかった。

 

 その幼い声にみほは聞き覚えがあるような気がした。どうやら彼女も同じ一年生のようなので、どこかで声を耳にしていたらしい。一度聞いたら忘れられないぐらい特徴がある声だ。たまたま耳が覚えていたとしても不思議はない。

 

「写真!? どうしよう、私お化粧とかしてない。男の子に見られたら恥ずかしいよー!」

「校内新聞ですので、男性に見られることはまずありませんわ。心配は無用ですわよ」

「そもそも、女子高の文化祭の写真を男が見るという発想に至るのがおかしい。沙織、あんまり男のことばっかり言ってると、飢えてるみたいでカッコ悪いぞ」

「ひどいよ麻子! 私は真剣に悩んでるんだよ!」

「その表情いただきです。もう一枚撮ってもいいですか?」

「やだもー! こんなところ撮らないでー!」

 

 新聞部の少女が登場したことで、楽しいお茶会は一転してドタバタ騒ぎに早変わり。もはや沙織たちに決意を告げる空気ではなくなってしまい、みほはタイミングを完全に逃してしまう。

 それでも、みほの表情には笑顔が浮かんでいた。みほたちはまだ高校一年生。友達になる機会はこれからいくらでも作れる。戦車道というつながりがある限り、沙織たちとの関係が断たれることはないのだから。

 

 

 

「いやー、いい写真が撮れましたよぉ。ご協力に感謝します」

 

 新聞部の少女は丁寧に頭を下げると、みほたちのテーブルから離れて別のテーブルに向かった。彼女が次に向かった先はダンデライオンが接客中のテーブルである。

 

「どもども、新聞部ですぅ。写真を撮らせてもらってもよろしいですか?」

「あれ? クラークちゃんじゃないですか。黒森峰から戻ってきたんですね」

「全国大会も終わりましたから、しばらくは新聞部の活動に専念するつもりなんです。来年もお役に立てるようにがんばりますので、またクラークをよろしくお願いしますね」

「お願いするのはこちらのほうですよ。来年はあなたの情報を活かして、きっと黒森峰に勝ってみせますから」

 

 新聞部の少女はダンデライオンにクラークと呼ばれていたが、もちろんこれは彼女の本名ではない。

 戦車道チームに協力している情報処理学部第六課ことGI6。そこに所属している生徒は戦車道チームのニックネームのように、英国出身の作家の名前を名乗っている。彼女のクラークという名前は、有名なSF作家であるアーサー・チャールズ・クラークから取ったのだろう。

 

 GI6のことはみほも知っているが、そこに所属している生徒を見たのは初めてであった。クラークは黒森峰女学園の情報収集を担当していたようなので、みほの情報を集めていたのは彼女なのかもしれない。

 ただ、そのことについてみほはすでにアールグレイとアッサムから謝罪を受けている。それにGI6は戦車道チームの依頼で動いていただけだ。クラークが陽気で明るい人物だったこともあり、みほは彼女を不快に思うことはなかった。

 

「お待たせしましたでございますわー!」

 

 控室の扉が開きローズヒップの元気な声が聞こえてくる。クラークのことを見ていたみほは視線をそちらに移すが、そこには予想だにしない光景が広がっていた。

 ローズヒップは先ほど控室に消えたカチューシャを肩車していたのだ。

 

「おろしなさいよ! こんなカッコ悪い服装で人前に出られるわけないじゃない」

「そうでございますか? わたくしはよく似合っていると思いますわよ」

 

 カチューシャはみほたちと同じウェイトレス姿であった。文句を言っているところを見ると、本人の意思で着替えたわけではなく無理やり着替えさせられたようだ。ローズヒップが肩車をしているのは、渋るカチューシャを肩車で強引に連れだしたのだろう。

 

「ノンナ! さっきから黙って見てないで、早くカチューシャを助けなさい」

「カチューシャ、少し動かないでください。撮影の最中です」

「なんで写真を撮ってるのよ!」

「カチューシャの貴重なウェイトレス姿です。この感動をトモーシャにも分けてあげようと思いまして」

 

 ノンナは携帯電話のカメラで写真を撮るのに没頭している。その表情は戦車の砲手をしているときと同じくらい真剣だ。 

 

「まさか、その写真をトモーシャに見せる気!? やめなさい! カチューシャのカッコいいイメージが崩れちゃうわ」

「トモーシャがカチューシャに幻滅することはありえません。私が保証します」

「なんでノンナが断言できるのよ?」

「トモーシャは同志ですから」

 

 はっきりとした声でそう告げるノンナ。彼女はトモーシャという人物のことを心から信頼しているようである。

 トモーシャという名前にみほは心当たりはないが、この二人の知人なら戦車道の選手である可能性が高い。ノンナは他校から『ブリザードのノンナ』という二つ名を付けられるほどの戦車乗りだ。そのノンナからここまで信頼されるということは、トモーシャもかなり優秀な戦車乗りなのだろう。

 

「みなさん、騒いじゃダメですよ。ここは淑女が集まる『紅茶の園』なんですから。今日は特別とはいえ、マナーは守らなければいけません」

 

 丁寧な口調でカチューシャたちをたしなめるダンデライオン。ダージリンからここを任されているだけあって、実に堂々とした振る舞いである。

 

「出たわね。ちびっこライオン」

「ちびっこ!? あなたにだけは言われたくないんですけど!」

「このカチューシャ様にこんな格好をさせるなんて、いい度胸じゃない。覚悟はできてるんでしょうね?」

「これはダージリンさんの命令です。あたしが考えたんじゃありませんよ」

「ダージリンの命令に素直に従うなんて、すっかり腑抜けたわね。ダージリンと競ってた去年のあんたはどこに行ったのよ?」

「今はダージリンさんが隊長なんです。隊長の命令に従うのは当たり前じゃないですか」

 

 ダンデライオンはカチューシャと口論を始めてしまう。先ほどまでの淑女の姿はすっかり霧散し、いつもの子供っぽい姿に戻ってしまった。

 

「残念だわ。隊長の座をすんなり諦めるだけじゃなく、ダージリンの犬に成りさがるなんて……。今すぐへっぽこライオンに改名しなさい」

「なんでカチューシャさんにそこまで言われないといけないんですか!」

「私があんたのことを気に入っていたからよ。身長が低くても隊長になろうと努力していたあんたを……」

 

 カチューシャの声には寂しそうな響きが混じっていた。

 ダンデライオンはカチューシャよりも少し背が高い程度で、二人の体格にそれほど大差はない。そんなダンデライオンが隊長の座をダージリンにあっさり譲ったことに、カチューシャは思うところがあるようだ。

 

「あたしはダージリンさんのことをずっと近くで見てきました。だからわかっちゃったんです。彼女はあたしよりも聖グロリアーナの隊長に相応しい人なんだって……。あたしは自分の選択に後悔はしていません。隊長になったダージリンさんをそばで支える、それがあたしの選んだ道です」

 

 ダンデライオンの言葉には強い思いが伝わってくる。いつもダージリンと喧嘩ばかりしているダンデライオンだが、これが彼女の本心なのだろう。

 

「それがあなたの答えなわけね……。私は来年隊長に就任するわ。もし聖グロと戦うことになったら、全力で叩きつぶしてあげるんだから」

「望むところです。こっちも負けるつもりはありません」

 

 カチューシャはダンデライオンの真摯な思いに対し、否定することもバカにすることもしなかった。大胆不敵な笑みでダンデライオンを見つめる表情は、どこかすっきりとしているようにすら見える。

 対するダンデライオンもカチューシャの目をしっかりと見据えていた。二人が良きライバルであることがわかる、実に清々しい光景である。

 

 ただ、みほには一つ気になる点があった。

 カチューシャはローズヒップに肩車されているので、ダンデライオンよりも目線が高い。これでは本人にその気がなくても、周囲からはカチューシャがダンデライオンを見下しているように見えてしまう。

 二人の関係が分かった今、みほはそのことを少し残念に思った。

  

 そのとき、みほはあることに気づいた。カチューシャを肩車しているローズヒップがみほに目で合図を送っていたのだ。

 ローズヒップは手に持ったカチューシャの両足を軽く上下に動かし、視線をダンデライオンの足に向けている。みほはそれだけでローズヒップの意図を理解できた。どうやらローズヒップもみほと同じような気持ちを抱いていたようだ。

 

「タンポポ様、少し足を広げてもらってもいいですか?」

「いいですけど……。ラベンダーちゃん、いったいなにをするつもりなんですか?」

「今からタンポポ様を肩車します。落っこちないように私の頭をしっかりつかんでいてください」

「えっ? えぇぇー!?」

 

 みほはダンデライオンの股の間に頭を入れて両足をしっかりつかみ、そのまま一気に立ち上がる。小柄なダンデライオンを肩車するのはそれほど難しいことではなく、みほはすんなりと肩車をすることができた。

 

「これでお二人の背の高さが同じになりましたわ。タンポポ様とカチューシャさんは対等のライバルですの」

「ふーん、良い後輩を持ったじゃない」

「これすごい恥ずかしいんですけどっ! カチューシャさん、よく平気でいられますね?」

「人の上に立つ人間であるカチューシャには、高いところがよく似合うの。恥ずかしいとか思ったこともないわ」

「大丈夫ですよタンポポ様。みんなでやれば恥ずかしくありません」

「西住流、あんたもなかなかおもしろい子ね。もっとまじめでお堅い子だと思ってたわ」

「今の私は西住じゃなくて、ラベンダーですから」

 

 そう言ってカチューシャに笑顔を向けるみほ。

 初対面で食ってかかってきた相手だが、みほはカチューシャのことを嫌ってはいない。ダンデライオンとのやり取りを見たことで、カチューシャが悪い人間ではないことがわかったからだ。

 それに自分の意見を正直に言うことは、みほがこれからやろうとしていることである。それがすんなりできるカチューシャは、みほにとって尊敬に値する人物だった。

 

「……さっきは悪かったわね。もう余計な詮索はしないわ。あなたが誰であろうと、勝つのは私なんだから」

 

 そう自信満々に言い放つカチューシャの表情は、みほと同じように笑顔であふれていた。

 

 

 

 

「ダージリン様、カッコよかったですの。あんなステキなかたと一年間ご一緒できるなんて、夢のようですわ」

「マチルダだってカッコよかったですよ。午後からの試乗会では絶対に乗りましょうね」

「二人とも、少しはしゃぎすぎですよ。次はお茶会なんですから、気を引きしめないと」

 

 聖グロリアーナ女学院付属中学校の制服を着た三人の少女が校舎内の廊下を歩いている。演習場で行われていたマチルダⅡの発表を見終えて、『紅茶の園』に向かう途中のようだ。

 

「お茶会は正直自信ないです。私は妹たちと緑茶ばっかり飲んでましたから」

「私は姉様とよくお茶会をしていましたので、作法はバッチリですの。あとでコツを教えてあげますわ」

「ぜひお願いします。全力でがんばります!」

「私たちはゲスト役だから、そこまで気合を入れなくても大丈夫ですよ。今日はホスト役の先輩たちの姿をよく見て、勉強させてもらいましょう」

 

 オレンジがかった金髪の小柄な少女は、同級生を安心させるような言葉を投げかけた。この少女は三人の中で一番気品があり、歩く姿も背筋がピンとしていて育ちの良さが感じられる。

 

 そのまま軽く会話をしながら歩きつづけた三人は、ついに『紅茶の園』に到着した。

 『紅茶の園』の格式の高さは付属中学校でも有名である。今日は普通に入ることができるが、本来は選ばれたものしか入ることができない特別な場所だ。先ほど同級生を安心させていたオレンジがかった金髪の少女も緊張したような面持ちであり、扉にかけた手も少し震えていた。

 

「いいですか。開けますよ」

「いつでもOKですの」

「ひと思いにドーンとやってください!」

 

 同級生に確認をとったオレンジがかった金髪の少女は静かに扉を開ける。そこに広がっていたのは思いもよらない光景であった。

 

「みなさーん、そろそろやめにしましょうよー。もうすぐダージリンさんたちが帰ってきちゃいますから」

「タンポポ様、心配ありませんわ。ダージリン様にはかくし芸だと言って誤魔化せばいいんですの」

「ダージリンを気にする必要はないわ。あなたは高い目線で相手を見ることに慣れたほうがいいの。そうすれば普段とは違うものの見方ができるわよ」

「ごめんね二人とも。妙なことに巻きこんじゃって」

「誤魔化すなら盛大にやったほうがいい」

「私が入ればいつものバカ騒ぎで押し通せますわ。問題児トリオの異名はこういうとき便利ですわね」

 

 淑女が集うお茶会の会場で行われていた謎の肩車大会。 

 下にいるのは、準決勝で黒森峰女学園のフラッグ車を単騎で追いこんだクルセイダーの乗員たち。上にいるのはプラウダ高校の副隊長とクルセイダー隊の隊長。さらには、島田流の後継者と噂されている天才少女の姿もある。

 

 理解に苦しむ光景を目撃したオレンジがかった金髪の少女は一言こうつぶやいた。

 

「なにこれ?」

 

 

 

 

 噴水近くに設置されたベンチは、聖グロリアーナ祭を訪れた人々の憩いの場となっている。

 そこにいるのは家族の姿が多い。学園艦という海を隔てた遠い地で暮らす娘との再会を喜び、どのベンチも親子の会話が弾んでいるのがわかる。

 大きなカメラを二人で覗きこんでいる父娘もその中の一組であった。

 

「よくやった頼子(よりこ)。これだけの写真がそろえば、しほ様を説得する材料には事欠かないな」

「お父様、ここでの呼び名は頼子ではなくクラークですよぉ」

「そうだったな。でかしたぞクラーク」

「お父様のお役に立ててクラークもうれしいですぅ」

 

 父親に頭を撫でられ、クラークはうれしそうに目を細める。

 

「ところでお父様。まほ様の状況にお変わりはありませんか?」

「残念だが、状況に変化はない。まほ様が自力で再起するのはもう無理だろう」 

「そうですか……しほ様もおつらいでしょうね」

「実際、しほ様も相当まいっていらっしゃる。お二人と西住流を救うためにも、例の計画は早急に実行しなければならん」

「いよいよお父様の念願が叶うときが来たんですねぇ。よーし、クラークはもっとがんばりますよ!」

 

 クラークの元気な言葉を聞いた父親は、再び娘の頭を撫でた。

 引きしまった顔をしていたクラークであったが、頭を撫でられたことで表情がふにゃっと崩れてしまう。この親子にとって、頭を撫でるという行為は一番の愛情表現のようだ。

 

「すべての準備が整ったら芽依子(めいこ)を迎えに行かせる。姉妹で仲良く協力して、みほ様を西住邸までお連れするのだぞ」

「はーい。みほ様のことはクラークとめいめいにお任せください」

「うむ、しっかり頼むぞ。みほ様は西住流の後継者に相応しいおかただ。みほ様がお戻りになれば、すべての問題が解決するのだからな」

 

 満足そうな顔で娘の頭を撫でる父親。その手つきはとても優しく、彼が娘を大切に思っていることがよくわかる。

 二人はその後も話し合いを続けながら、久しぶりの親子の触れあいをたっぷり堪能したのであった。



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第二十話 西住家と犬童家

 西住流戦車道家元と書かれた看板が目立つ大きな邸宅。この邸宅が西住みほの実家であり、日本戦車道の最大流派である西住流の総本山であった。

 

 現在、この邸宅の大広間では二人の人物が長机を挟んで向かい合っている。

 一人は西住流の師範であり、来年家元を襲名することがすでに決まっている西住しほ。もう一人は、西住流一門の中でも古株である犬童(いんどう)家で当主を務めている男。

 

 犬童家は西住家をずっと支えてきた忠臣である。

 支えたといっても、戦車に乗ってともに戦ったわけではない。情報収集や財務関係、交渉事などの裏の方面で、犬童家は西住家の力になっていたのだ。西住流が日本で大きな力を持つことができたのも、犬童家のサポートによるところが大きかった。

 

 犬童家の現当主は二人の娘を持つ父親で、しほの夫である常夫とも親しい。高校生の娘がいるとは思えないほど外見は若々しく、スーツをきっちり着こなしたハンサムな男であった。

 しほにとっても良き相談役であり、信頼に値する人物。それが西住家の人々が抱く、犬童家当主の評価だ。

 

「島田流がみほに手を伸ばしている。あなたはそう言いたいのですね」

「はい。島田愛里寿の体験入学に加えて、みほ様が準決勝で見せた島田流の動き、さらにみほ様と島田愛里寿の親密さをうかがわせるこれらの写真。この事実を踏まえると、その可能性は十分にあると思われます」

 

 机の上で列を作る数多くの写真。そのすべてにみほと愛里寿の姿が写っていた。

 写真の中の二人はとても親しそうにしており、二人の仲が良好だということが一目でわかる。

 

「あなたの言うとおり、みほと島田愛里寿は親しい間柄なのでしょう。ですが、みほがそれだけで島田流に傾倒するとは思えません」

「もちろん私もそう思っておりました。しかし、先日行われた聖グロリアーナ祭で風向きが変わってきたのです」

 

 犬童家の当主は懐から別の写真を取りだした。それを見た瞬間、眉間にしわを寄せていたしほの表情がさらに鋭さを増す。

 写真に写っていたのは、聖グロリアーナ祭に向かう愛里寿に手を振る日傘を差した女性。この人物こそ愛里寿の母親であり、島田流の家元でもある島田千代であった。

 

「しほ様、この場に姿を見せたのは島田流家元だけではありません。こちらの写真もご覧ください」

 

 犬童家の当主はもう一枚写真を机の上に置いた。その写真には聖グロリアーナ女学院の校内を歩く、眼鏡をかけたスーツ姿の男が写っている。

 

「この男のことはしほ様もよくご存知のはずです。文部科学省学園艦教育局長、辻廉太。娘が通っているわけでもないのに、聖グロリアーナ祭に姿を現すのはいささか不自然ではありませんか? 現に聖グロリアーナ女学院に通っている私の娘は、辻廉太がみほ様と島田愛里寿の近くにいたのを目撃しております」

「彼が島田流と手を組んでいるということですか?」

「それは私にもわかりませんが、違うとも言いきれません。この男は実にしたたかな人物です。裏で島田流とつながっていたとしても不思議はないかと……」

 

 犬童家の当主の言葉には説得力がある。情報収集は犬童家のもっとも得意としているところであり、彼の助言にはしほも何度も助けられてきたからだ。

 しほが迷うようなそぶりを見せていると、犬童家の当主はたたみかけるように言葉を発していく。 

 

「幼少時のみほ様は、島田流のような奇策を用いる戦い方を好んでおりました。これ以上島田流とみほ様を接触させては、取り返しのつかない事態になりかねません。しほ様、聖グロリアーナ女学院にみほ様を在籍させたままにしておくのは危険です」

「みほに聖グロリアーナ女学院を薦めたのは私です。今更それを変えることは……」

「まほ様があのようなことになってしまった今、後継者になれるのはみほ様しかおりません。これは西住流の存亡がかかった非常事態です」

「みほを後継者に?」

「そうです。みほ様が後継者になり黒森峰女学園に戻る。これですべてが丸く収まります。しほ様、島田流につけ入る隙を与えないためにも、どうかご決断を!」

 

 犬童家の当主は畳に額をこすりつけるように頭を下げる。

 長年自分を支えてくれた人物の必死の懇願。それがしほの決断を後押しする大きな決め手となった。

 

 

 

 犬童家の当主は西住邸をあとにすると、近くに停車させていた高級車の後部座席に乗りこんだ。主が帰ってきたことを確認した運転手は、車を発進させ来た道を引き返していく。

 後部座席にはストロベリーブロンドをショートポニーテールにしている少女が乗っており、帰ってきた犬童家の当主に深々と頭を下げた。

 

「お疲れ様です。お父様」

「ただいま芽依子」

 

 芽依子と呼ばれた少女は美少女といっても過言ではないが、声が低く表情も硬い。目つきもかなり鋭く、優れた容姿はまったく活かされていなかった。

 そんな娘の表情をまったく気にせず、犬童家の当主は優しい手つきで芽依子の頭を撫でる。表情は硬いままであったが、芽依子の頬はうっすらと赤く染まっていた。

 

「しほ様との話し合いの結果はどうでしたか?」

「うまくいったよ。しほ様をだますようで心苦しいが、これも西住流のためだ」

「みほ様は納得してくださるでしょうか? 姉さんの話ですと、みほ様は聖グロリアーナでの生活を楽しんでいるようですが……」

「みほ様は心の優しいおかただ。まほ様の現状を知れば必ず納得してくださる」

 

 犬童家の当主は自信ありげにそう答えた。

 西住家を陰で支え続けてきた彼は、みほのことを幼少期から知っている。だからこそ、みほが出す答えをある程度予想ができるのだろう。

 

「問題があるとすれば、みほ様が黒森峰に戻ったあとだな。みほ様の交友関係の件は早めに対処する必要がある」

「みほ様の友達候補はすでに姉さんが目星をつけています。高校からの新隊員で構成されたグループの中に、みほ様と相性が良さそうなグループがあるそうです。これがそのグループの写真と資料になります。橋渡し役は黒森峰に転校する姉さんが担当します」

 

 芽依子は持っていた資料を犬童家の当主に手渡した。

 一枚目の資料の写真に写っていたのは、栗毛の髪をショートカットにしたタレ目の少女。くせ毛の髪が特徴的で、優しそうな印象が写真からも伝わってくる。 

 

「みほ様の護衛は来年入学する芽依子にお任せください。逸見エリカは徹底的に排除します。もうみほ様に手出しはさせません」

「期待しているぞ。中学時代のみほ様につらい思いをさせてしまったのは我々の落ち度だ。今度はみほ様を全力で支えなければならん」

「はい。芽依子と姉さんがみほ様を守ってみせます」

 

 はっきりと断言する芽依子の表情はまるで鋭利なナイフ。少し怒っているようにも見えるその顔は、中学生とは思えないほど威圧感に満ちていた。

 娘の怖そうな表情を前にしても、父親である犬童家の当主は嫌な顔一つしない。たとえ表情が乏しくとも、彼は娘の気持ちがよくわかっているようだ。

 

「お前のような娘を持てて私は幸せだよ。……しほ様もまほ様のお気持ちを正しく理解していれば、このような事態にはならなかったのかもしれんな」

「お父様はまほ様のお気持ちがわかるのですか?」

「私はまほ様とみほ様を幼少期からずっと見守ってきたからな。すべてとは言わんが、ある程度はわかる。まほ様はみほ様に依存しているんだよ。みほ様がいなければ、まほ様が力を発揮できないのも当然だ」

 

 芽依子は難しそうな顔で考えこんでいる。その姿からは、父親の発言の意図をつかみかねている様子がうかがえた。

 

「芽依子は幼いころのお二人と一回しか会ったことがないからな。わからないのも無理はない」

「はい。姉さんと一緒に遊び相手を務めさせていただいたときは、とくにそのようなことは感じませんでした」

「幼少期のみほ様がやんちゃで好奇心旺盛なおかただったのは芽依子も知っているだろう? 小さいころのお二人は、みほ様が物事の先頭に立っていたんだ。自己主張が少なく物静かなまほ様は、いつもみほ様に手を引いてもらっていたんだよ。お二人が成長したことで立場は逆転したが、みほ様は今でもまほ様の心のよりどころなんだ」

 

 犬童家の当主はどこか遠い目で窓の外に広がる田んぼを眺めていた。 

 

「しほ様はそのことをお気づきにならなかったのですか?」

「多少はお気づきになっていただろうな。中学生になったみほ様に厳しくするようまほ様を指導したのは、おそらくそれが理由だ。まほ様に西住流の後継者としての自覚をもってほしかったんだと思うが、あれは悪手だった。みほ様を失ったことで、まほ様は瓦解してしまったからな」

「だからお父様はみほ様を後継者に推薦していたんですね」

「ああ、まほ様と違ってみほ様は意思が強いおかただ。しほ様に面と向かって黒森峰に行きたくないと言えるくらいだからな。だが、ほかの連中がこぞってまほ様を後継者に推したせいで、しほ様は判断を誤ってしまった。西住流を陰で支えることは我が一族の誇りだが、あのときばかりは自分の発言力のなさに頭を抱えたよ」

 

 西住流に多大な貢献をしている犬童家だが、ほかの西住流一門からは軽んじられていた。

 犬童家の役割はほとんどが後方支援。戦車で華々しく戦うことに比べると、どうしても地味な役回りになってしまう。さらに犬童家の当主が男性なのも軽視されている理由の一つだ。女性の武芸である戦車道の世界では、男性の意見が通ることはないに等しい。

 

「まほ様には本当に申し訳ないことをした。まほ様が重荷を背負うことになってしまったのは私の失態だ」

「大丈夫ですお父様。みほ様が戻ってきてくだされば、まほ様も立ちなおってくれます」

「……そうだな。後継者となったみほ様をまほ様が支える、これが西住流にとって一番理想の姿だ。お二人が手を携えて歩むことができれば、島田愛里寿に勝つことができる」

「島田愛里寿……西住流最大の障害」

「あれは本物の天才だ。将来西住流にあだなす存在になるのは間違いない。みほ様は気を許しているようだが、我々はそうはいかん。みほ様が島田愛里寿と戦うことになる前に、打てる手はすべて打つ。いいか、島田愛里寿には絶対に負けられんぞ!」

「はい!」

 

 犬童親子の興奮した声が車内に響きわたる。

 島田流の後継者である島田愛里寿。長年西住家の陰にいた犬童家が表に出てきたのは、彼女の存在も大きな理由の一つのようだ。

 

 水面下で起こっていた西住流の後継者問題。

 みほの将来にも大きな影響を与えるこの問題は、犬童家の介入によって新たな局面へと向かっていく。

 

 

◇ 

 

 

 冬休みに入ったことで、聖グロリアーナ女学院の学園艦は母港である横浜港に戻ってきた。

 多くの生徒が正月を家族と一緒に迎えるためにここで退艦する。学園艦に残っている女子生徒はほとんどおらず、女子寮もひっそりと静まりかえっていた。

 

 その女子寮でみほは熊本に帰る準備をしている。昨日は冬休み突入記念と称して三人で遊びまわっていたので、帰る準備をするのをすっかり忘れていたのだ。

 ちなみに、ローズヒップとルクリリの二人はすでに退艦済みであった。二人の実家は横浜市内にあり、軽く準備をするだけでよかったからだ。みほは休み明けに会う約束をして二人と別れ、こうして一人で荷造りに励んでいるのである。

 

「よし、準備完了。この日のためにお金も少し貯めておいたし、これならなんとかなるよね?」

 

 みほが準備を終えて一息ついていると、インターホンが鳴る音が聞こえてきた。

 

「誰だろう? この女子寮に残ってるのはもう私しかいないのに……」

 

 みほは不思議に思いながら玄関の扉を開ける。そこに立っていたのは、みほがまったく予想していなかった人物であった。 

 

「どもどもー、クラークですぅ。みほ様、お迎えにあがりましたよ」

「ふえっ!?」

 

 みほが驚くのも当然だろう。クラークとは聖グロリアーナ祭で一度会っただけで、自己紹介すらしていないのだ。にもかかわらず、彼女はみほに親しそうに話しかけてきた。それもニックネームではなく本名呼び、しかも様付けだ。

 

「みほ様の準備も万端なご様子ですねぇ。荷物はクラークが持っていきますので、みほ様は外に待たせてあるタクシーにお乗りください」

「えっ? えっ?」

「さあさあ、お急ぎください。めいめいも首を長くして待っていますよ」

 

 みほが困惑しているうちにクラークはどんどん話を進めていく。みほがまとめていた荷物はすでにクラークに持ち運ばれ、玄関も彼女が鍵をかけてしまった。

 突然の出来事に茫然としているみほは、あれよあれよという間にタクシーに押しこめられてしまう。クラークが運転手に指示した目的地は、学園艦に設置されているヘリポートであった。

 

「クラークさん、説明してください! どうしてクラークさんが私を迎えに来るんですか? これから私をどこへ連れていくつもりなんですか?」

「落ちついてくださいみほ様。大丈夫です、これから向かう先はみほ様のご実家ですから。みほ様もまほ様にお会いするために準備していたんですよね? なら好都合じゃないですかぁ」

「……あなたはいったい誰? どうして私のことをそこまで調べてるの?」

 

 目の前でニコニコしているクラークに、みほは得体の知れない恐怖を感じた。みほは聖グロリアーナの生徒であり、黒森峰とはつながりがない。なのに、クラークはいまだにみほのことを調べている。これはどう考えても不自然だ。

 

「クラークの本当の名前は犬童頼子と言います。頼子と気軽にお呼びください」

 

 犬童。その苗字にみほは聞き覚えがある。

 西住流一門の中で、父ともっとも親しくしていた人物。その人物の名前がたしか犬童だったはずだ。

 

「もしかして、お父さんと仲が良かった犬童さんの……」

「はい。常夫さんと親しくしていたのは頼子のお父様です。みほ様はお忘れになっているようですけど、小さいころに頼子たちは一度だけお会いしたことがあるんですよぉ。頼子は今でもそのときのことをよく覚えています」

 

 みほは幼少期のころ、一度だけまほと一緒に同年代の二人の女の子と遊んだことがある。

 四人で無理やり乗りこんだⅡ号戦車。アイスを食べながらみんなで楽しんだ川釣り。全員で泥まみれになりながら行ったカエル捕り。まほしか遊び相手がいなかった幼いみほにとって、まさに夢のような体験であった。

 今思えば、あの体験がみほの友達がほしいという願望のきっかけだったのかもしれない。 

 

 クラークの声を初めて聞いたとき、みほは声に聞き覚えがあったのを思いだした。あれは学校内で声を耳にしたのではなく、幼いころに聞いた声をみほが覚えていたのだ。クラークの声には特徴があると思っていたが、どうやら声だけは幼いころのままらしい。

 

「これから向かう西住邸でみほ様は重要な選択を迫られます。ですが安心してください。みほ様がどんな選択をしようと、頼子はみほ様の味方です」

 

 今までずっと笑顔だったクラークは、一転して真剣な表情に変わる。目はしっかりとみほのことを見据えており、彼女が嘘をついているようにはとても思えない。

 クラークに恐怖心を感じたみほであったが、その気持ちはだんだん薄れていく。幼いころに一緒に遊んだ記憶は、クラークに対する警戒心をみほからあっさり奪ってしまった。

 

 

 

 ヘリポートでは左右のツインローターが特徴的なヘリコプター、フォッケ・アハゲリス Fa 223通称ドラッヘがみほを待っていた。黒森峰女学園が視察などに使用しているヘリコプターで、みほも中学時代に何回か乗ったことがある。

 そのドラッヘの近くで、一人の少女が直立不動の姿勢で立っていた。

 

 少女の顔立ちは少しクラークと似ており、髪色と髪型もほぼ同じだ。双子というほど似ているわけではないが、二人に血縁関係があるのは間違いないだろう。

 ちなみに似ているのは外見だけで、スタイルは天と地ほどの差があった。クラークと比べると、少女は良くいえばスレンダー、悪くいえば貧相である。

 

「お待ちしておりました。みほ様が搭乗されるヘリの操縦士を務める犬童芽依子です」

 

 少女は左ひざを地面に着けて右ひざを立てる奇妙な座り方で、みほにあいさつを行った。その姿はまるで主の前にはせ参じた忍者のようだ。

 少女の服装は黒森峰女学園中等部の制服姿。当然下はスカートであり、右ひざを立てていると下着が見えてしまう。みほは慌ててやめさせようとしたが心配は無用であった。すらりと伸びた少女の白い足は、スベスベの黒いスパッツに包まれていたのだ。

 

「めいめい、お迎えご苦労様ですぅ」

「姉さん、そのめいめいという呼び方はやめてください。芽依子はもう子供じゃありません」

「つれないですねぇ。久しぶりのお姉ちゃんとの再会なんですから、もっと甘えてくれてもいいんですよ?」

「嫌です。みほ様の前でそんなみっともないことはできません」

「ガーン! 昔はあんなにお姉ちゃんに懐いてくれてたのに……めいめいはお姉ちゃんのことが嫌いになったんですね」

「なっ! 芽依子が姉さんのことを嫌いになるわけないじゃないですか!」

 

 よよよと泣き崩れたクラークに向かって、芽依子はすぐさま否定の言葉を吐く。クラークはあきらかに嘘泣きなのだが、彼女は本気にしてしまっているようだ。

 

「めいめいは昔と変わらず優しい子ですね。まっすぐに育ってくれてお姉ちゃんはうれしいですぅ」

「……姉さん、もしかして嘘泣きだったんですか? 芽依子をだましたんですね」

「あわわ、めいめい顔が怖いよ。みほ様の前でそんな顔しちゃダメだってば」

「はっ! 申し訳ありませんみほ様! お見苦しいところをお見せしました」   

「私は全然気にしてないから大丈夫だよ。それより、どうして私を迎えに来たのか理由を話してほしいかな?」

 

 みほが実家に帰ることができないのは周知の事実のはずである。西住流一門の犬童家がそれを知らないわけがない。

 それなのに犬童家はみほに迎えをよこした。しかも、みほがまほに会いに行く計画を立てていたのを事前に調査している。みほとしては、なぜ犬童家がこのような行動に出たのか真実を知りたかった。

 

「みほ様に西住流の後継者になっていただくためです。芽依子のお父様もそれを望んでおります」

「私を後継者に? 無理無理! 私にはまったく向いてないよ。それにお母さんが決めた後継者はお姉ちゃんなんだし」

「この話はしほ様も了承済みです。残念ながらまほ様はもう……」

 

 まほの話題になったとたん、芽依子は急に黙りこんだ。ためらうような芽依子の表情は、まほになにかトラブルが起こったことを如実に表している。

 決勝戦で取り乱すまほの様子が脳裏に浮かんだみほは、焦ったような口調で問いかけた。  

 

「教えて! お姉ちゃんになにがあったの!」

「みほ様、その質問には頼子がお答えします。まほ様が全国大会の決勝戦で失態を演じてしまったのはご存知ですよね?」

「う、うん。私もテレビで試合を見てたから……」

「ご実家に呼びだされたまほ様は、しほ様から激しく叱責されました。まほ様はそのあと、ご自分の部屋に閉じこもってしまったんです。世に言う引きこもりってやつですね」

 

 クラークはあっけらかんとした様子で答えるが、その言葉がみほに与えた衝撃は計りしれないものであった。



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第二十一話 ラベンダーと西住まほ

 みほは熊本の実家に帰ってきた。この家に入るのは、みほが家族と大喧嘩をしたあの日以来である。

 どうやって実家まで帰ってきたのか、みほはまったく覚えていない。まほが引きこもりになった。あまりに衝撃的すぎるその事実に、みほの頭は混乱状態に陥っていたからだ。

 犬童姉妹がいなかったら、みほは今でも学園艦のヘリポートに立ちつくしていただろう。

 

「しほ様はお出かけになっているみたいですねぇ。みほ様、先にまほ様のお部屋に行ってみますか? しほ様の許可はもらっていますから、中に入っても大丈夫ですよ」

「みほ様がお戻りになったことを知れば、まほ様も出てきてくださるかもしれません。行きましょう、みほ様」

「……うん」

 

 実家へと足を踏みいれたみほは、犬童姉妹に促されてまほの部屋へと向かう。冬休みにまほと会うつもりだったみほであったが、まさかこんな展開になるとは思ってもいなかった。

 いったいまほにどんな言葉をかければいいのか。みほは答えを出せぬまま、実家の長い廊下を重苦しい表情で歩いていく。 

 

 芽依子に先導される形で、一行はまほの部屋の近くまでやってきた。まほの部屋付近は薄暗く、空気が淀んでいるのがここからでもはっきりとわかる。

 負の空気が漂っている陰気な空間。それがまほの閉じこもっている世界であった。

 

「まずは芽依子がまほ様と少し話をしてきます。突然みほ様に声をかけられたら、まほ様がパニックを起こしてしまう可能性もありますので」

「みほ様、ここはめいめいに任せましょう。めいめいは引きこもってしまったまほ様の話し相手を務めてましたから、心配は無用ですよ」

「芽依子さんが? でも、芽依子さんは黒森峰女学園の学園艦に住んでるんじゃ?」

「めいめいは中学校を適度に休みながらヘリで往復してたんですよぉ。あのドラッヘは犬童家の所有物ですから」

 

 いくらヘリがあるとはいえ、海を航行している学園艦から熊本までの距離は遠い。おそらく学園艦が陸に近づいたときに熊本に来ていたのだろうが、すぐに往復できる距離ではないはずだ。しかも、ヘリが運転できるとはいえ芽依子はまだ中学生。普段の生活を犠牲にしてまほに尽くすことは、そう簡単にできることではない。

 

 みほは芽依子に感謝すると同時に、自分がそれをできなかったことを情けなく思った。まほの異変に気づいていたのなら、もっと早く行動を起こして状況を確認するべきだったのだ。冬休みになってから動いたのでは遅すぎたのである。

 

 みほが後悔にさいなまれていると、まほの部屋の前で話をしていた芽依子が戻ってきた。

 

「みほ様、まほ様がお話したいことがあるそうです。芽依子たちは少し離れた場所で待機しています」

「がんばってくださいみほ様。まほ様をお救いできるのはみほ様だけですから」

 

 犬童姉妹はさっとその場を離れ、廊下にはみほだけが残される。心の準備はまったくできていないが、いつまでもまほを待たせるわけにはいかない。

 みほは勇気を振り絞ってまほの部屋の前まで進むと、ドアを軽くノックした。

 

「お姉ちゃん、みほだよ。大丈夫?」

「本当にみほの声だ。みほが帰ってきた……」

 

 部屋からはまほの呆けたような声が聞こえてくる。それはすぐにすすり泣く声へと変わった。

 

「お姉ちゃん!?」

「ごめん、ごめんみほ……ダメなお姉ちゃんでごめんなさい」

「お姉ちゃんはダメじゃないよ。今は少し疲れてるだけで、休めばきっともとのお姉ちゃんに……」

「もう私はみほの姉には戻れない。みほの気持ちをわかってあげられなかった私は、姉失格だ」

「そんなことないよ。お姉ちゃんは私がくじけそうなとき、いつも助けてくれた。私が西住流の修行をがんばれたのはお姉ちゃんがいたからだもん」

「逆だよ。みほがいなかったら、私は逃げだしていたかもしれない。私がつらい修行に耐えることができたのはみほのおかげなんだ。私は西住流の後継者なんて大それた器じゃないんだよ……」

 

 まほの告白はみほに大きな衝撃を与えた。みほはまほのことを才能がある強い姉だとずっと思っていたからだ。

 西住流の後継者としてつねに堂々とした態度を示していたまほ。そのまほがこんな弱気なことを考えていたなんて、みほは思いもしなかった。西住流の後継者という重圧は、みほが想像していたよりも重いものだったようだ。

 

「それなのに、私は中学でみほに厳しく接してしまった。お母様の言うことを鵜呑みにしないで、みほの気持ちをもっと考えるべきだったのに……。全部みほのためなんだって自分に言い訳して、私はお母様の命令に逆らうこともせず黙って従ってた。お母様の真似をすることしかできない無能な後継者のくせに、偉そうにみほに説教してたんだ」

「お姉ちゃん……」

「こんな情けない姉なんだ。みほに嫌われるのも当然だよ……それにみほのそばにはあの二人がいる。もう私が入る余地なんてない」  

 

 まほが言うあの二人とはローズヒップとルクリリのことだろう。まほは練習試合で、みほが二人と一緒にいるところを見ているのだ。

 

「みほがあの二人の手を握っているのを見たときは、嫉妬で狂いそうだった。みほの手を握って励ます役目を取られた気になって、みほの友達に嫉妬するなんてバカみたいだろ。ダージリンにはそれを見抜かれて怒られたよ、大事な後輩をあんな目で見るなって……それに腹を立てて準決勝で彼女を追いまわした私は、本当に救いようがない愚か者だ」

 

 涙声で告白を続けるまほ。自分を卑下し続けるまほの言葉は、容赦なくみほの心に突き刺さっていく。

 まほがこうなってしまったのは、間違いなくみほのあの一言が原因だ。みほが激情に流されて発してしまったあの言葉は、取り返しがつかない事態を招いてしまったのである。

 

「準決勝といえば、みほに撃たれそうになって私は大泣きしていたな。みほに拒絶されて、みほを励ます役目も失って、もう私はみほにとってただの敵でしかない。そう思ったら自然と涙が流れていたよ。私は本当に情けなくてどうしようもない姉だ……」

「もうやめてっ!」

 

 みほの大声でまほの独白は止まった。そのかわりに、今度はまほの泣いている声がみほの耳にはっきりと聞こえてくる。

 

「お姉ちゃん、その部屋から出てきて。そんなところに閉じこもってるから、悪い考えばかりが頭に浮かんじゃうんだよ」

「い、嫌だ。私はもうみほに合わせる顔がない」

「私はお姉ちゃんに会いたいの! お願いだから出てきてよ!」

 

 みほはドアノブをガチャガチャと動かし、ドアをバンバンと叩く。

 まほをこの部屋から救いだす。みほの頭の中にあるのはその一心だった。次にみほはドアに体当たりを試みようとしたが、駆けつけた芽依子に羽交い締めにされてしまう。

 

「おやめくださいみほ様!」

「放して! お姉ちゃんはここにいちゃいけないの!」

「あんまり興奮するとかわいい顔が台無しですよ。ここは深呼吸して気を落ちつけましょう。大きく息を吸いこんで吐きまーす。5、6、7、8」

「姉さん、ラジオ体操をやってる場合じゃありません!」

「これが聖グロで身につけたジョークってやつなんですけどねぇ。めいめい、ここはひとまず撤退しますよ」

「わかりました。みほ様、少し失礼します」

 

 芽依子はみほをお姫様抱っこで軽々と持ち上げると、頼子と一緒にまほの部屋の前から立ちさった。

 あまりにも手際よく、そして素早いその動きは忍者を彷彿とさせる。芽依子にお姫様抱っこをされたみほは、犬童家が西住家に仕える忍者の末裔だという父の話を思いだしていた。

 

 

 

 まほの部屋の前から移動した犬童姉妹が向かったのは、みほの部屋であった。

 頼子がみほの部屋のドアを開け、みほを連れた芽依子が滑りこむように中に入る。主がいなくなったはずのみほの部屋はきれいに清掃されており、ちり一つ落ちていない。みほが飾りつけていたボコのぬいぐるみもそのままだ。

 

「みほ様、お部屋に到着しました。急を要していたとはいえ、お恥ずかしい姿をさせてしまい大変申し訳ありません」

「謝らないでいいよ。芽依子さんのおかげで私も頭が冷えたから。私を止めてくれてありがとう」

「みほ様、みほ様! 頼子もがんばりましたよ」

「姉さんはふざけてただけじゃないですか」

「チッチッチッ、あれが場を和ます大人のジョークなんですよ。まだまだお子様のめいめいには難しかったかもしれませんねぇ。みほ様はちゃんと気づいてましたよね?」

「えーと、ごめんね。興奮してたからよく聞いてなかったの」

「ガーン! そんなぁ……」

 

 頼子は両手を床についてオーバーにうなだれる。そこでみほはようやく彼女の意図に気づいた。頼子はみほが落ちこまないようにわざと大げさに振舞っているのだ。

  

「ありがとう二人とも。私たちのために一生懸命になってくれて」

「西住家を支えるのが犬童家の務め。みほ様たちのためなら、芽依子はなんだってできます」

「頼子も同じ気持ちですよぉ。ただ、めいめいと違って頼子はか弱いので荒事の役には立てませんけど」

「姉さん、最近忍道の修行をさぼってますよね。今日から芽依子と一緒に鍛えなおしましょう」

「無理無理無理! めいめいと一緒に修行してたら頼子は死んじゃうよぉー!」

 

 犬童姉妹はとても仲がいいのだろう。二人のやり取りを見ているだけでそれがよくわかる。

 みほとまほもとても仲がいい姉妹であった。それが今では、顔を合わせて話すことすらできない関係になってしまっている。その事実がみほに重くのしかかるが、ここでくじけるわけにはいかない。まほともう一度仲のいい姉妹に戻るには、みほががんばるしかないのだから。

 

「芽依子さん、お姉ちゃんはずっとあんな感じなの?」

「はい。まほ様はみほ様に対する謝罪と後悔の言葉しか口にしません。芽依子がいないときは、一言もしゃべらずに泣いてばかりいるそうです」

「そうなんだ……。どうすればお姉ちゃんは立ち直ってくれるんだろう?」

「みほ様、西住流の後継者になる気はまだありませんか? みほ様が戻ってきてくだされば、まほ様も外に出てきてくれると思うんですよねぇ」

「みほ様と一緒ならまほ様も再起できるはずです。お願いですみほ様、どうか戻ってきてください」

 

 西住流の後継者になるということは、おいそれと決められるようなことではない。まほが背負いきれなかった後継者の重圧を担う覚悟は、みほにはまだなかった。それに後継者になるということは、黒森峰女学園に戻るということを意味する。

 黒森峰女学園は西住流の権威の象徴。西住流の後継者が在籍しないなど、許されることではないだろう。

 

 ローズヒップとルクリリと別れて黒森峰女学園に通う。それを想像するだけでみほの体は小刻みに震えてきた。二人ともっと一緒に高校生活を送りたい。それがみほの本音である。

 しかし、それではまほはいつまでも西住流の後継者という鎖に縛られてしまう。西住流の後継者の座から解放されなければ、まほは引きこもりから脱却できない。

 

 いったいどうすればいいのか。みほは答えが出せないまま、思考の袋小路に迷いこんでしまった。

 それでも状況は待ってはくれない。みほが考えこんでいる間に携帯電話を操作していた頼子が、しほが帰ってくることを告げたからだ。

 

「みほ様、お父様から連絡がありました。もうすぐしほ様がお戻りになるので、先に大広間で待っているようにとのことです。頼子たちも一緒に行きますので、すぐに大広間に向かいましょう」

 

 

 

 犬童姉妹と一緒に大広間にやってきたみほは、正座をしながらしほが来るのを待っていた。

 犬童姉妹はみほよりも後方で正座をしている。二人は犬童家の娘がみほの隣に座るわけはいかないと主張し、後ろに下がったのだ。みほとしては犬童姉妹が隣にいてくれたほうが心強かったのだが、二人は頑として譲らなかったのである。

 

 心細さを感じたみほは無性にローズヒップとルクリリに会いたくなった。あの二人なら、みほの隣に座って最後まで一緒にいてくれたはずだ。

 みほがそんなことを考えていると大広間のふすまが開き、しほと犬童家の当主が入室してきた。

 

「しほ様、我々は部屋の外で待っております。なにか御用がありましたらすぐにお呼びください」

「わかりました」

「二人ともご苦労だった。我々の仕事はここまでだ。行くぞ」

「はーい、お父様」

「はい」

 

 犬童家の人間がいなくなり、部屋にはみほとしほだけが残される。久しぶりの親子の対面だが二人に笑顔はなかった。みほは心細い顔のままであり、しほは険しい表情を崩さない。

 

「ただいま、お母さん」

「おかえりなさい、みほ」

 

 なんともぎこちないあいさつを交わす二人。そのままお互いなにもしゃべらず、しばらく無言の時間が過ぎる。

 

「まほとは会いましたか?」

「話はできたけど、お姉ちゃんは出てきてくれなかったの……」

「そうですか……」

 

 みほの答えを聞いたしほは落胆したような顔を見せる。よく見ると目の下には薄っすらとクマができており、表情には覇気がない。少し見ない間に、母がずいぶんと老けこんでしまったようにみほは感じた。

 

「みほ、今日あなたを呼んだのは頼みたいことがあったからです」

「西住流の後継者の件だよね……犬童さんから聞いたよ」

「知っているのなら単刀直入に言います。みほ、あなたが西住流の後継者になるのです」

「……そんなの勝手すぎるよ。聖グロリアーナ女学院を卒業するまでは家に帰れないって言ったのは、お母さんだよね?」

「母の身勝手を許してくれとは言いません。ですが、西住家には西住流を担う責任があります。私たちは、西住流を支えてくれる門下生を裏切るわけにはいかないのです」

 

 西住流は日本戦車道の最大派閥。島田流は世界中に道場を持ち、門下生の数だけなら西住流を上回るが、日本戦車道の先頭に立っているのはいまだに西住流だ。

 その西住流を支えているのが大勢の門下生である。西住流が日本一の栄誉を得られているのは、西住流一門の活躍のよるところが大きかった。

 だからこそ、西住流の中心にいる西住家は門下生のがんばりに報いなければならない。西住の人間は、西住流を投げだすような不義理なことはできないのだ。

 

「今すぐ返事をしないとダメなの?」

「返事は急ぎません。みほが納得するまで母は待ちつづけます」

「しばらく考える時間がほしいの。それまでこの家にいてもいいかな?」

「構いません。冬休み中に結論が出なかったら、学校を休んでもいいです」

「ありがとうお母さん。部屋に戻って真剣に考えてみるね」

 

 部屋に戻るために立ちあがろうとするみほ。そのとき、しほが驚きの行動に出た。 

 しほはみほに向かって土下座をしたのだ。

 

「や、やめてよお母さん! そんなことしないでよ!」

「これは母のけじめです。みほが気にする必要はありません」

「でも!」

「もう部屋に戻りなさい。あなたにはほかに考えることがあるはずです」

「お母さん……」

 

 いつまでも土下座をやめないしほ。これがみほに対する最大限の謝罪なのだろうが、みほはそんな母の姿を見たくはなかった。

 しほに対する不満はたしかにある。それでもみほはしほを恨んではいない。どんなに厳しく理不尽でも、みほにとってしほは大切な母親。嫌いになんてなれるわけがない。

 

 いたたまれない気落ちになったみほは、逃げるように大広間をあとにする。みほが最後にちらっと見たしほの姿は土下座をしたままであった。

 

 

 

 みほが自分の部屋に向かうために廊下を歩いていると、犬童家の面々と出くわした。

 三人は犬童家の当主を中心にして、硬い木の廊下に正座している。犬童家の当主と芽依子が平然とした顔をしているのに対し、頼子は苦悶の表情。どうやら三人はここでずっと正座をしていたようだ。

 

「みほ様、お疲れ様でした。突然の話で混乱されたと思いますが、どうか前向きにお考えください。我々にできることがあればなんでも協力いたします。娘二人が滞在する許可はしほ様にいただいておりますので、どうか好きなように使ってください」

 

 みほがすぐに答えを出せないことなど、犬童家の当主にはお見通しだったのだろう。みほにとっては父の知り合いという認識しかなかったが、どうやらかなりやり手の人物のようだ。

 

「お父様~。みほ様もお戻りになったことですし、そろそろ正座はやめにしませんか?」

「もうへばったんですか姉さん。やっぱり修行が必要ですね」

「ひいっ! 助けてお父様!」

「姉さんっ! お父様に抱きつくのはやめてください! 芽依子だって我慢してるんですよ!」

「こらこら、みほ様の前だぞ。二人ともはしたない真似はよせ」

 

 口では苦言を呈していても、娘を見る犬童家の当主はとても優しそうな目をしている。犬童家は姉妹の仲だけでなく、家族の仲も良好なようであった。

 

「みほ様、私はこれで帰りますが、あとで常夫のやつにお顔を見せてあげてください。みほ様と三年間会えないことを知ったときは、常夫もかなり寂しがっていましたから。寡黙な男なんで口には出しませんけど、同じ年ごろの娘を持つ私にはすぐにわかりましたよ」

「そうですね。お父さんともしっかり話をしたいと思います。今日はいろいろとありがとうございました」

「礼なら私ではなく娘たちに。この子たちは本当によくやってくれてますよ。これからもきっとみほ様の助けになるはずです。それでは失礼します」

 

 犬童家の当主はみほに深々と頭を下げたあと、玄関へと向かった。背筋はピンと伸びており、歩く姿はよどみない。背が高く顔もハンサムである犬童家の当主は、まるで絵に描いたような理想の父親だ。そんな父親の後姿を犬童姉妹は目をキラキラさせながら見送っていた。

 

 みほの父親である西住常夫は犬童家の当主のようにハンサムではない。服装はいつもつなぎ姿で、カッコいいスーツ姿などみほは見たことがなかった。物静かで口数が少なく、戦車の整備ばかりしている、それがみほにとっての父の印象である。

 

 はっきりいって理想の父親からは程遠い。それでもみほはそんな父が好きだった。みほが乗る戦車を父は一生懸命に整備してくれたし、みほが泣いていたときは優しく頭を撫でてくれた。父は言葉ではなく、行動でみほを愛していることを示してくれたのだ。

 

 思えば父とは長い間話をしていなかった気がする。まほのことや西住流の後継者のことなど考えることは山積みだが、みほはまず父と話をしようと思った。



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第二十二話 ラベンダーの決断

 みほが始めにしたことは、まほと会話を重ねることだった。

 西住流の後継者の件をないがしろにはできないが、みほにとってはまほの方が大事である。まずはまほの心のケアが最優先。後継者の件は二の次だ。

 

 みほは毎日まほの部屋に向かい根気よく話しかけた。

 聖グロリアーナ女学院での生活、二人の親友、尊敬する先輩たち、そして聖グロリアーナの戦車道。みほは自分の身に起こったことをすべてまほに話した。その中には、問題児トリオと呼ばれていることや島田愛里寿と友達になったことも含まれている。

 

 まほからの返答はほとんどなかったが、みほは諦めなかった。

 そんなみほの助けになったのが犬童姉妹である。二人はみほに付きそい、積極的に会話に参加してくれたのだ。

 姉の頼子は話術が得意であり、みほが言葉に詰まっても的確にカバーしてくれる。妹の芽依子はしゃべるのが不得手だったが、まほと会話を重ねていた芽依子がいることで話が弾むこともあった。

 

 自分は一人ではない。その思いがみほを前へと進ませてくれる。

 

 

 

 クリスマスの夜はまほの部屋の前でパーティーを開催。

 暖房がない廊下はとにかく寒かったが、三人は服を着こむことで対処した。料理は買ってきたケーキとチキン。飲み物はみほが土産として持ってきた紅茶だ。

 

「メリークリスマス! いやー、このターキーはおいしいですねぇ」

「姉さん、それは鶏です。七面鳥ではありません」

「……ジョークですよ」

「今、少し間がありませんでしたか?」 

 

 犬童姉妹は明るい会話を絶やさない。みほとまほが話しやすい環境を作るのが、彼女たちの役目であった。

 

「お姉ちゃんの分もちゃんと用意してあるよ。あとで食べてね」

「……すまない」

「謝らないでもいいよ。でも、できれば一緒にケーキを食べたいかな?」

「それは……できない。ごめんみほ」

「ううん、いいの。お姉ちゃんが出てきてくれるまで、私は待ってるから」

「ごめん……ごめん……」

 

 扉の前からはまほのくぐもった泣き声が聞こえてくる。

 部屋に引きこもったままで、復調の兆しが見られないまほ。クリスマスという特別な日でもそれは変わらなかった。

 

 

 

 大晦日の夜もみほたちはまほの部屋の前にいた。

 真夜中の廊下は寒さも一段と厳しさを増す。三人はコートを羽織り、頭から毛布を被って、ひたすら寒さに耐えつづけた。すべてはまほと一緒に新年を迎えるためだ。

 

「5、4、3、2、1! ハッピーニューイヤー! みほ様、まほ様、めいめい。今年も頼子をよろしくお願いします!」

「こちらこそよろしくね。犬童さんたちにはいっぱい迷惑かけちゃうかもしれないけど、私がんばるから」

「迷惑なことなどありません。みほ様とまほ様をお支えするのが芽依子たちの使命です」

「めいめい、表情が硬いですよぉ。ほら、スマイル、スマイル」

「こ、こうですか?」

 

 芽依子は笑顔を作ろうとするが、思いっきり顔が引きつっている。表情のバリエーションが乏しい芽依子は、笑顔を作るのがへたくそだった。

 

「お姉ちゃん、あけましておめでとう。今年もよろしくね」

「……おめでとう」

「私たちはこれから近くの神社に初詣に行くんだけど、よかったらお姉ちゃんも……」

「……ごめん」

「それじゃ私たちだけで行ってくるね。すぐに戻ってくるから」

 

 みほの言葉にまほからの返答はなく、かわりに聞こえてきたのはまほのすすり泣く声。しかも、今日はいつもより声が大きい。それがまほの苦悩を表しているようで、みほは思わず涙しそうになった。

 

 新しい年を迎えても、まほはいまだに自分の世界に閉じこもっている。苦しむまほに声をかけ続けることが、今のみほにできる精一杯だった。

 

 

 

 西住家では年明け早々に大広間で新年会が行われる。

 西住流一門が集まる新年会は恒例行事の一つ。みほも毎年参加しているが、今まではまほが矢面に立っていたのでおとなしく座っていただけでよかった。だが、まほが参加できない今年はそうもいかない。みほはまほのかわりを務めなければならないのだ。

 

「みほ様、緊張しなくても大丈夫ですよ。頼子がお助けしますから」

「芽依子もおそばにいます。ご安心くださいみほ様」

「二人ともありがとう」

 

 犬童姉妹はみほのすぐ後ろに控えている。不安な気持ちはあるが、一人ではないというのは心強い。それにみほには聖グロリアーナで学んできた会話術がある。社交辞令を並べたてるのには自信があった。

 

 新年会はただあいさつをするだけの場ではなく、今年初の西住流全体会議の場でもある。

 戦車道の世界大会の日本開催に向けた動きとそれに伴うプロリーグ発足の話。大学戦車道で勢いを伸ばしている島田流の話。そして、今年予定されているしほの家元襲名の話。大人たちの難しい話がしばらく続いたあと、ついにみほに関係する話題がやってきた。

 

「しほ様、まほ様のことなのですが……」

「わかっています。今からすべてを話しますので、話が終わるまで質問は控えてください」

 

 まほが部屋に引きこもったこと、みほを後継者に指名したこと、みほが態度を保留していること。しほはそれらを包み隠さず説明した。

 新年会の席にざわめきが広がっていく。一門の中には、その事実をまったく知らなかったものも多かったようだ。みほも多くの視線に晒されることになり、居心地は悪い。

 

 それでも、みほは表情を崩さずしっかりと前を見据えた。いかなるときも優雅。それが聖グロリアーナの戦車道だ。アールグレイとダージリンから何度も聞かされたその教えは、みほが平静を保つ助けになっていた。

 

 

 

 その後行われた食事会でみほを待っていたのは、一門からの質問攻めの嵐だった。西住流の屋台骨がぐらいついていることへの不安。それを解消するための矛先がみほに向かうのは当然である。

 

「みほ様、なぜ返事を保留なさっているのですか? 西住流の未来はみほ様にかかっているんですよ」

「黒森峰女学園がプラウダ高校に敗北したのは戦術面に問題があったと思います。みほ様はどうお考えですか?」

「あの、まほ様のお体の具合は大丈夫ですか? 大変だとは思いますが、みほ様が支えてあげてくださいね」

 

 聖グロリアーナで学んだ会話術を駆使して、みほはすべての質問に答えていく。答えが出せない質問はうまくはぐらかし、できるだけ相手が満足する回答を導きだす。不安を抱えている一門を少しでも安心させるのがみほの役目だ。

 

 頼子はみほの回答を補足する形で手助けしてくれる。彼女の話術は大人相手でも通用する一級品。その力は大いにみほの役に立った。  

 

 みほの回答に納得しない一門が出たときは芽依子の出番。みほの後ろで芽依子が殺気をこめた目で睨みつけると、みんなすごすごと引きさがっていく。みほですら背中にピリピリしたものを感じるのだ。実際に視線を向けられた一門が受けたプレッシャーは相当なものだろう。

 

 そうやって三人で協力して一門の相手をしていると、次にやってきたのは犬童家の当主であった。

 

「みほ様、ご苦労様です。少しお姿を拝見させていただきましたが、実に堂々たる振る舞いでした。聖グロリアーナ女学院で立派に成長なされたようですな」

「私なんてまだまだですよ。頼子さんや先輩たちとは比べものになりませんから」

「頼子は子供のころから話術の勉強をしていますからね。みほ様に負けてしまったら、この子の立つ瀬がありませんよ。頼子もご苦労だったな。お前がみほ様の役に立っている姿を私はしっかり見ていたぞ」

 

 犬童家の当主はそう言って頼子の頭を優しく撫でた。安心しきったように父親に頭を預けている頼子はとても幸せそうだ。

 

「お父様、芽依子もがんばりました。姉さんばかりずるいです」

「お、めいめいがやきもちをやいてますよぉ。でも、今回は頼子の方ががんばりましたからね。お父様は独り占めです」

「姉さんっ!」

「ジョークです、ジョーク! お願いだから殺気を頼子に向けないでぇー!」

「おいおい、あんまりはしゃぐんじゃないぞ。みほ様、お騒がせしてすみません。しっかりしているように見えますが、二人ともまだまだ子供なんですよ」

 

 犬童家は今日もいつも通りの仲良しぶりを発揮している。みほはそれをうらやましく思った。

 みほが小さいころは西住家も家族仲は良好だった。それが今ではこの有様である。いったいどうしてこうなったのか、みほの脳裏に思い浮かぶ原因はただ一つ。みほが黒森峰女学園を拒んだからだ。

 

「お前たち、みほ様は少しお疲れのようだ。しほ様には私から説明しておくから、三人で散歩でもしてきなさい」

「はーい! さあさあ、みほ様。外に出て羽を伸ばしましょう」

「芽依子が上着を取ってきます。みほ様は先に玄関に向かってください」

 

 犬童家の当主はみほに気を使ってくれたようだ。どうやら後ろ向きなことを考えていたのが、表情に出ていたらしい。犬童家の当主のさりげない気づかいに心の中で感謝し、みほは気分転換のために外に出ることにした。

 

 

 

 芽依子が持ってきてくれたコートを羽織り、みほは犬童姉妹と一緒に玄関を出る。

 冬の冷たい風が吹きすさび、容赦なくみほの体を冷やしていく。心も冷え気味のみほにはこたえる寒さだった。

 

 ローズヒップとルクリリに会いたい。ここにはいない二人の親友にみほは思いをはせる。

 

 犬童姉妹はみほによく尽くしてくれるが、部下という立場を決して崩さない。親友の二人とは違い、一歩引いた位置にいるのだ。そのこともローズヒップとルクリリを恋しく思う理由の一つになっていた。

 

「みほ様! お下がりください!」

「ふえっ!?」

 

 二人の親友のことを考えながらぼんやり歩いていたみほの前に、突然芽依子が立ちふさがった。芽依子はみほを守るように背中に隠すと、前方に鋭い視線を向ける。全身から殺気をみなぎらせるその姿は、みほも恐怖を感じるほどだ。

 

 芽依子がこれほどの殺気を向ける人物。それが誰なのか気になったみほは、視線を恐る恐る前へと向ける。そこにいたのはジーンズにコート姿のエリカだった。

 

「逸見エリカさんじゃないですかぁ。みほ様になにか御用でしょうか?」

「みほ様? 見かけない顔だけどあなた誰よ?」

「西住流一門の犬童頼子ですぅ。一門といっても戦車には乗らないので、末席を汚させていただいているだけですけど」

「姉さん、名乗る必要なんてありません。この女は即刻排除すべきです」

 

 芽依子はエリカをかなり敵視しているようだ。その理由はみほにも察しがつく。みほとエリカが乱闘騒ぎを起こしたことを芽依子は知っているのだろう。

 

「めいめい、争いはなにも生みませんよ。まあ、ここはお姉ちゃんに任せてください。逸見さんはみほ様とお話がしたいんですよね?」

「……ええ、そうよ。できれば二人だけで話をさせてほしいの」

「ふざけないでください。あなたは自分がみほ様になにをしたのかもう忘れたんですか?」

「いいですよ。みほ様も構いませんよね?」

「なっ!? 姉さん、なにを考えているんですか!」

 

 頼子がエリカの要求をあっさり了承したことに、芽依子は怒りをあらわにする。それに対し、頼子は平然とした態度を崩さない。

 

「めいめいの気持ちはわかりますけど、ここは我慢のしどころですよ。みほ様、頼子たちは少し離れた場所で待機しています。なにかあったらすぐに駆けつけますので、安心してくださいね」

「うん。逸見さん、場所は近くの公園でいい?」

「わかったわ」

 

 もとよりみほはエリカから逃げる気はない。話があるのなら真正面から受けとめる覚悟がある。何度もぶつかり合ったことで、エリカに対する苦手意識はもうほとんどなくなっていた。

 

 

 

 近所の公園のベンチに並んで腰かけるみほとエリカ。ほかに人はおらず、小さな公園は二人だけの貸し切りだ。

 犬童姉妹の姿も見えないが、きっとすぐ近くでみほのことを見ているのだろう。

 

「逸見さん、話ってお姉ちゃんのことだよね?」

「……隊長が学校に来なくなって、もう四ヶ月近く経つわ。教えて、隊長になにがあったの?」

「逸見さんには教えるけど、これから話すことはできれば誰にも言わないでほしいかな」

 

 みほはまほの現状をエリカに説明した。みほのかわりにまほを支えてくれたエリカには知る権利がある。

 みほの話を聞いている間、エリカは終始冷静だった。みほに噛みつくこともなければ、嫌味を言うこともない。エリカがこんなおとなしい姿を見せたことに、みほは内心驚いていた。

 

「教えてくれてありがとう。おかげで少し気持ちが落ちついたわ」

「怒らないの? お姉ちゃんは私のせいで……」

「今さらあなたを怒っても意味はないわ。それに、責任は私にもある。隊長が壊れていくのを私は止めることができなかった。みほを連れもどすのにも失敗したしね」

「……ねえ、逸見さん。もし私があのとき黒森峰に戻ってたら、お姉ちゃんは苦しまないですんだのかな?」

「たらればの話をしてもしょうがないわ。今ここでそんな話をしても、隊長は戻ってこないんだから」

 

 エリカはみほのことをいっさい責めない。練習試合のときにみほを責めたて、ローズヒップとルクリリをけなしたエリカとはまるで別人だ。

 

 今思えば、あのときのエリカは少し様子がおかしかった。中学時代のエリカも小言が多かったが、それは嫌みや悪口ではなく注意と進言が主である。口調はきつかったが、練習試合のときのように一方的に意見を押しつけるようなものではなかったはずだ。

 

 おそらく、まほが壊れていくのを止められない焦燥感がエリカを強行に走らせたのだろう。エリカにとってみほを連れもどすことは、まほを助けるための最後の賭けだったのかもしれない。

 

「逸見さん、相談したいことがあるんだけどいいかな?」

「みほが私に? いいわよ、私も隊長のことを教えてもらったしね」

「ありがとう。実はね……」

 

 みほは西住流の後継者の件をエリカに話すことにした。みほは悩みを相談する対等な相手がほしかったのだ。

 ローズヒップとルクリリに電話で相談するという手もあったが、もし二人の声を聞いたらみほの気持ちは聖グロリアーナに傾いてしまう。これは簡単に結論を出してはいけない問題なのだから、二人に相談することはできない。

 

 みほは聖グロリアーナ女学院でいろんな経験を積んできた。エリカの小言をわずらわしく思っていた中学時代よりも、精神的に成長できたという自信もある。エリカへの苦手意識を克服できた今なら、彼女の話を冷静に受け止めることができるだろう。

 

 みほの話を聞き終えたエリカは、口に手を当てたまま真剣な表情で考え事をしている。即座に黒森峰を薦めてこないところを見ると、エリカを相談相手に選んだみほの判断は間違いではなかったようだ。

 

「私から言えることは後悔しない道を選びなさいということだけよ。たしかにみほが戻ってきてくれれば、隊長も元気になってもとの生活に戻れるかもしれない。でも、それでみほが苦しむようになったら隊長はきっと悲しむわ」

「やっぱり私が納得して結論を出さないとダメだよね。もうこれ以上お姉ちゃんを悲しませたくないから」

「それが一番いいと思うわ。みほを無理やり連れもどそうとした私が言っても、説得力はないかもしれないけど……」

「ううん、そんなことない。相談に乗ってくれてありがとう逸見さん」

 

 みほは笑顔でエリカにお礼の言葉をかける。エリカにお礼を言ったのも初めてなら、笑顔を向けたのも初めてだ。みほから感謝の言葉を受けたエリカは、気恥ずかしそうな顔でそっぽを向いている。こんなエリカの表情を見たのも初めてだった。

 

「べ、別にお礼を言われるようなことはしてないわ。私はもう行くから、あとは一人で考えなさい」

「うん。後継者になって黒森峰に戻るか、後継者にならないで聖グロリアーナに残るか、しっかり考えて答えを出すね」

「その、できればまた……やっぱり今のなし! じゃあね!」

「バイバイ逸見さん。今日は本当にありがとう」 

   

 エリカは最後になにか言いたいことがあったようだが、結局言わずに走りさってしまった。

 

 エリカのことを苦手だと思っていたのは、みほの誤りだったのかもしれない。苦手だと決めつけず、勇気を持ってエリカと正面から接していれば、今のようないい関係を築けたのだ。

 今度会ったときもまたこんな風に話をしたい。みほはそう思いながら、どんどん小さくなっていくエリカの背を見つめていた。

 

 

 

 

 犬童姉妹はとある場所でみほの姿をじっと見守っている。彼女たちがどこにいるかというと、公園の隣に建っている家の屋根の上であった。

 

「みほ様たちはとくに問題なくお別れできたようですねぇ。いやー、よかったよかった。めいめい、もう手裏剣はしまっていいですよ」

 

 芽依子は手に持っていた棒状の手裏剣を懐にしまうと、頼子にジト目を向ける。どうやらまだ姉の行動に不満を持っているようだ。

 

「姉さん、なぜ逸見エリカの接近を許したんですか? あの女はみほ様に二度も手をあげたんですよ。今回は何事もありませんでしたが、逸見エリカが危険なことには変わりありません」

「みほ様とエリカさんの相性はそんなに悪くない気がするんですよ。うまくいけば、みほ様の強い味方になれそうな人だと思うんですけどねぇ」

「芽依子は逸見エリカを信用できません。あの女は排除すべきです」

「まあまあ、この件はひとまず様子見ということにしましょう。エリカさんも帰ったことですし、みほ様のもとへ戻りますよ。めいめい、帰りもよろしくね」

 

 そう言って頼子は芽依子の背中におぶさった。屋根にのぼることができない頼子は、こうやって芽依子に運んでもらったのだ。

 

「まったく、修行をさぼっているからこんな簡単なこともできなくなるんです」

「これが簡単といえるのはめいめいくらいですよ。あんまり人間離れしないでくれるとお姉ちゃんはうれしいなぁ」

「姉さんと違って、芽依子にはこれしか取り柄がありませんから。みほ様とまほ様をお守りするにはもっと強くならないと……」

「みほ様とまほ様を助けられなかったのは芽依子のせいじゃないよ。西住流を陰で支えるのが犬童家の誇りであり使命である。お父様はそう言ってたでしょ。頼子たちが表立って行動しているのは、愛里寿さんというイレギュラーな存在がいるから。本当なら、こんなに早くみほ様たちの前に姿を現すことはなかったんだよ」

 

 頼子は柔らかい口調で芽依子に語りかけたあと、優しい手つきで頭を撫でた。普段のお調子者の姿からは想像できないほど、頼子の表情は慈愛に満ちている。

 

「……みほ様を待たせるわけにはいきません。姉さん、しっかりつかまっていてください」

「はーい。 わわっ! 早い早いっ! めいめい、もっとゆっくりー!」

 

 顔を赤くした芽依子はスイスイと屋根を下りていく。その速度はいつもの倍近い速さであった。

 

 

 

 

 冬休み最終日の夜。

 みほは自室で携帯電話のメールアプリにメッセージを打ちこんでいた。送信相手はローズヒップとルクリリ。内容は西住流の後継者になることと、黒森峰女学園へ転校することが書かれた簡素なものだ。

 

「大丈夫。後悔なんてしない。私は十分いい思いをさせてもらったもん」

 

 メッセージを書き終えたみほは送信ボタンを押そうとするが、手が震えてなかなかボタンが押せなかった。頭は結論を出しているのに、心はまだ納得してくれない。

 

『もし、そこのおかた。わたくし達と一緒にチームを組みませんかでございますわ』

『その取ってつけたようなお嬢様言葉はやっぱりおかしいだろ。すごく驚かれてるぞ』

 

『大丈夫ですわよ、ラベンダー。わたくしも小さいころは家族と殴り合いの喧嘩をしたでございますけど、今はみんな仲良しですわ』

『私だって親とはよく口喧嘩してたし、誰だって一度や二度は親と喧嘩ぐらいするさ。今はつらいかもしれないけど、あんまり気に病まないほうがいいぞ』

 

『ラベンダー、ちょっと目をつぶっていてくださいまし。汗臭いかもしれないけど、そこは我慢してほしいですわ』

『またネガティブなことを考えてたんだろ。手を握っててあげるから、冷静になって心を落ちつけるんだ』

 

『ラベンダー! わたくし達はずっとお友達ですわ。もう寂しい思いはさせませんわ』

『ラベンダー、これだけは約束して。困ったことがあったら、私とローズヒップに相談すること。一人ではどうにもできなくても、三人ならきっとなんとかなる。クルセイダーだって三人で協力して動かしてるだろ』

 

 ローズヒップとルクリリの言葉が脳裏に思い浮かぶたびに、みほの目からは大粒の涙がこぼれ落ちる。

 それでも、みほは未練を断ちきり送信ボタンを押した。直後に携帯電話の電源を切り、ベッドの上に放りなげる。二人から電話がかかってきたら、みほの決意は簡単に揺らいでしまうからだ。

 

 ボロボロ涙を流すみほの目の前には二着の制服が壁にかけられている。一つは慣れ親しんだ聖グロリアーナ女学院の制服、もう一つは真新しい黒森峰女学園の制服であった。



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第二十三話 西住みほと二人の親友

 冬休みが終わり今日から新学期が始まった。聖グロリアーナ女学院の新学期初日は始業式だけで、授業は行われない。なので多くの生徒は、始業式が終わったら早々に学校をあとにする。

 にもかかわらず、『紅茶の園』にある隊長室には明かりがついていた。ここでは今、マチルダ隊とクルセイダー隊の隊長を決める会議が行われているからだ。

 

「クルセイダー隊の隊長はラベンダーちゃんしかいませんよ。実力は申し分ないし、あたしの指示にもちゃんと従ってくれるとってもいい子です。彼女になら安心してクルセイダー隊を託せます」

「私も同意見です。データを見ても、ラベンダーが一番クルセイダー隊の隊長に適していますわ」

「決まりね。クルセイダー隊の隊長にはラベンダーを任命しましょう」

 

 クルセイダー隊の隊長はあっさりとラベンダーに決まった。どうやらダージリンも二人と同じ考えだったらしい。ちなみに、この部屋にいるのはダージリンとダンデライオン、アッサムの三人のみである。

 

「次はマチルダ隊の隊長ね。あなたたちは誰が隊長に相応しいと思っているの?」

「あたしはシッキムちゃんを推します。マチルダ隊は聖グロリアーナの看板を背負っているようなものですから、お淑やかで礼儀正しい子がいいと思いますよ」

「シッキムは突出したものはないですけど、悪いところもありません。黒森峰との練習試合では彼女がマチルダ隊を指揮していたので、指揮能力もそれなりにありますわ」

 

 アッサムはノートパソコンでシッキムのデータを提示する。すべてのデータが平均値になっているグラフは、シッキムの無難さをよく表していた。

 ダンデライオンとアッサムの意見を聞いても、ダージリンはすぐに判断を下さない。ラベンダーのときとは違い、ダージリンには別の意見があるようだ。

 

「私はルクリリに任せようと思っていたのだけど、あなたたちは反対かしら?」

「……本気ですか? 聖グロリアーナのイメージをぶち壊すことになりますよ? ルクリリちゃんはすぐボロが出ますから」

「あなたはルクリリとローズヒップにはいつも厳しいわね」

「当然です。ラベンダーちゃんが問題児扱いされているのは、あの二人が原因なんですよ」

「でも、あの二人のおかげでラベンダーは笑って毎日を過ごせているのよ。そうよねアッサム?」

「はい。中学時代のラベンダーは表情を顔に出さない暗い子だったそうですわ。あの子が変わったのは、ローズヒップとルクリリに出会えたから。だからこそ、私はあの三人を引き離すような人事には反対です」

 

 アッサムがダージリンの意見に反対するのは珍しいことだった。その証拠に、ダンデライオンは心底驚いたような表情を浮かべている。

 

「いつまでもローズヒップとルクリリに依存しているようでは、ラベンダーは強くなれないわ。それにルクリリがマチルダでいい成績を残しているのは、アッサムのデータにも入っているわよね?」

「データではそうかもしれません。ですが、この件に関してはデータを優先する気はありませんわ。ラベンダーにはローズヒップとルクリリが必要です」

「アッサム、あなたがラベンダーに負い目を感じているのはわかるけど、少し過保護すぎですわよ。ラベンダーも成長しているのだから、少しは信じてあげてもいいのではなくって?」

「たしかにラベンダーは成長してますけど、人はそんなに早くは強くなれませんわ」

「まあまあ、二人とも熱くなっちゃダメですよ。紅茶でも飲んで一息つきましょう。ね?」

 

 ダンデライオンの一言で会議はいったん休憩となった。

 アッサムが紅茶をいれなおしたことで、隊長室は紅茶の優しい香りに包まれる。柑橘系の香りは気分転換にはもってこいであり、ピリピリしていた隊長室の空気は徐々に穏やかになっていく。

 静かな時間が流れていた隊長室であったが、その静寂は扉を強くノックする音で突然破られた。

 

「ダージリン様、ローズヒップですわ。入ってもよろしいでございますか?」

「よろしくてよ。それと、ノックはもう少し静かになさい」

「はい! 次回から気をつけるでございます。では、失礼しますわ!」

「失礼します」

「あら、ルクリリもいたのね。二人ともずいぶん気合が入っているようだけど、なにかあったの?」

 

 ローズヒップとルクリリは神妙そうな面持ちだ。こんな表情は試合のときでさえ見せたことがない。

 

「あれ? 今日はラベンダーちゃんは一緒じゃないんですか? いつも三人で行動してるのに珍しいですね」

「ラベンダーはもう帰ってきませんわ。これからわたくしたちは、ラベンダーに会うために熊本に行くつもりなんですの。今日はしばらく留守にすることを、ダージリン様に伝えにきたのでございますわ」

「ラベンダーが帰ってこない? それにしばらく留守にするって、学校はどうするつもりなの?」

「アッサム様、止めないでください。誰になんと言われようと、私たちの意思は変わりません」

「二人とも、こんなことわざを知ってるかしら? 『急いては事を仕損じる』。ここでつまづきたくないのなら、まずは順を追って私たちに説明しなさい」

 

 ダージリンに諭されたローズヒップとルクリリは事情を説明した。

 二人の話だと、西住流を継ぐために黒森峰女学園へ転校するというメッセージがラベンダーから送られてきたという。事情を聞こうにも、ラベンダーが携帯電話の電源を切ってしまい連絡が取れない。そこで二人は、ラベンダーに会うために熊本へ向かうことを決意したというのだ。

  

 話を聞き終えたアッサムとダンデライオンは絶句している。ラベンダーの転校は、二人にとって寝耳に水の事態だったようだ。

 そんな二人とは対照的に、ダージリンは冷静に紅茶を飲んでいた。

 

「アッサム、サンダースの学園艦は佐世保港に停泊中でしたわよね?」

「そのはずですわ。練習試合の申し込みがあったときに、一月の第二週までは母港に停泊していると言ってましたから。航路の関係でお断りしましたけど……」

「そう……私は生徒会に用事ができましたわ。少し長くなると思うので、今日の会議はこれでおしまいにします」 

「ダージリンさん、まさか航路を変える気ですか!?」

「学校を休むことは許可できないけど、戦車道の時間に外出する許可なら出せるわ。生徒会に根回しをしてくださったアールグレイ様には、さっそく感謝しないといけないわね。二人とも、間違っても早まった真似をしてはダメよ」

 

 ローズヒップとルクリリに念押しをして、ダージリンは隊長室をあとにする。ラベンダーの転校という突然の事態に見舞われても、ダージリンは動じる様子をまったく見せない。

 アールグレイから素晴らしい隊長になれると称されたダージリン。その本領が発揮された瞬間であった。

 

 それから数日後、聖グロリアーナ女学院の学園艦は長崎県の佐世保港に入港。熊本への道はなんの問題もなくつながった。

 

 

 

 サンダース大学付属高校の学園艦。その隊長室でダージリンは金髪の少女とお茶をしていた。

 

「ケイさん、練習試合を引き受けてくださったこと、心から感謝いたしますわ」

「That's all right。結局どことも試合の予定は組めなかったから、こっちが感謝したいくらいよ」

 

 ダージリンにケイと呼ばれたこの金髪の少女が、サンダースの新隊長である。同い年のダージリンとは試合で何度も戦った間柄であり、彼女の茶飲み友達の一人でもあった。

 

「それに、聖グロ期待のNew faceを見れるチャンスを逃す手はないわ。去年の準決勝の試合見てたわよ。あのクルセイダーの一年生すごかったじゃない」

「あの子たちには私も期待しているわ。ケイさんにもご紹介したいのだけど、お約束はできませんの」

「Why? なんで?」

「『未来は「今、我々が何を為すか」にかかっている』。あとはあの子たちのがんばり次第ですわ」

「またそうやって難しいこと言って煙に巻くんだから……まあいいわ。明日の試合はこっちもすごいゲストがいるの。ダージリンもきっとびっくりするわよ」

 

 そのとき、隊長室の扉が控えめにノックされ一人の少女が入室してきた。

 サンダースの制服に身を包んだ、銀髪サイドテールの少女。この少女のことはダージリンもよく知っている。

 

「運命というのは本当にあるのかもしれませんわ。ねえ、愛里寿さん」

 

 ダージリンの前に姿を現した島田愛里寿。その表情はひどく不安げであった。

 

「ラベンダーたちになにかあったの? できれば教えてほしい」

   

 

 

 飼い犬と散歩に出かけたみほは、実家への帰路についていた。

 犬童姉妹は不在であり、今日のみほは一人。頼子は犬童家の当主の指示で長崎県に行くことになったと言っていたが、理由までは教えてくれなかった。

 

 西住流の後継者になることはすでにしほに伝えてある。聖グロリアーナ女学院にも転校届けを提出したが、まだ受理はされていなかった。新しい生徒会長から、学院長が長期出張中で手続きに時間がかかるという連絡を受けてから音沙汰がないのだ。

 

「あれ?」 

 

 家の門前まで帰ってきたみほの目に飛びこむ二つの人影。それが誰なのかみほにはすぐわかった。ずっと会いたいと願っていた二人を見間違うわけがない。

 

「あっ! ラベンダーですわ!」

「やっと会えた。まだ実家にいてくれてよかったよ」

 

 みほの大事な二人の親友。ローズヒップとルクリリが西住邸までやってきたのである。

 

 

 

 みほはローズヒップとルクリリを自分の部屋に招きいれ、これまでの事情を説明した。

 表情には出さないが、みほの内心では不安が渦巻いている。みほは二人を裏切っているのだから、それは当然だろう。

 

 みほはローズヒップとルクリリに相談もせず、黒森峰女学園へ転校することを決めた。ルクリリから相談するようにと言われていたのに、それを無視した格好だ。その事実はみほの心を万力のように締めつけていく。

 

 二人から非難の言葉を浴びたらどうしよう。黒森峰に行くなと言われたらなんて断ろう。事情を話している間、みほはそんな後ろ向きなことばかり考えていた。

 

「いろいろ大変だったみたいですわね、ラベンダー。けど、わたくしたちが来たからにはもう大丈夫ですわ。大船に乗った気持ちでいてくださいまし」

「ラベンダーから連絡をもらったあと、二人でいい案を考えたんだ。ラベンダーもきっと安心できると思うぞ」

 

 みほの心配は取り越し苦労に終わった。ローズヒップとルクリリはまったく怒っておらず、逆にウキウキしているようにすら見える。みほが心の中で胸を撫でおろしていると、二人から思いもよらない発言が飛びだした。

 

「わたくしたちは西住流に入門することにいたしましたわ」

「学校は別になっても、西住流が私たちをつないでくれる。ラベンダーが西住流を継いだら、そばで助けてあげることもできる。どうだ、素晴らしいアイディアだろ」

「わたくしたちが西住流を習って上達すれば、ダージリン様のお役にも立てますわ。これぞまさに一石二鳥の……あれ? ラベンダー、どうして泣いてるんですの?」

 

 泣くなというほうが無理だった。ローズヒップとルクリリの優しさに触れてしまえば、みほの涙腺などすぐにゆるゆるになってしまう。

 

 ローズヒップとルクリリに相談したら聖グロリアーナに気持ちが傾く。みほのその考えは当たっていた。

 二人ともっと思い出を作りたい、一緒に聖グロリアーナ女学院を卒業したい。みほの心はそればかりを訴えてくる。

 もう黒森峰女学園に転校することはできない。すでに感情は理性を上回っているのだ。

 

 みほはローズヒップとルクリリに抱きつき声をあげて泣いた。ずっと不安だった気持ちを表すかのように、大粒の涙が頬を流れていく。

 情けないとか恥ずかしいという思いはまったく湧いてこなかった。二人の温もりを感じていたい。みほの心はただそれだけを求めていた。

 

 

 

 みほはローズヒップとルクリリと手をつなぎ、大広間で正座をしている。服装は二人と同じ聖グロリアーナ女学院の制服姿。立ち位置はみほが中央で、ローズヒップが左、ルクリリが右だ。

 目の前には、みほたちと同じように正座をしているしほの姿。みほは大事な話があると言って、しほを大広間に呼びつけたのであった。

 

「話とはなんですか?」

「お母さん、西住流を継ぐことに異論はありません。けど、私はどうしても友達と一緒に聖グロリアーナ女学院を卒業したいの。お願いお母さん。黒森峰女学園への転校を取りやめて、聖グロリアーナ女学院に戻ることを許してください!」

 

 みほは畳に頭をこすりつけて頼みこんだ。中学時代の進路相談のときとは違い、小細工をいっさいしない心からの嘆願。自分の思いを伝える真っ向勝負にみほは打って出たのである。

 みほの震える手をローズヒップとルクリリはしっかり握ってくれていた。それだけではなく、一緒に頭まで下げてくれる。二人がそばにいれば、みほは無限に勇気が湧いてくる気さえした。 

 

「みほ、西住流を継ぐことに嘘偽りはない。それを本当に誓えますか?」

「はい! 西住流は私が継ぎます!」

 

 みほの目をじっと見つめるしほ。

 母の鋭い視線を受けてもみほは目をそらさなかった。ここで目をそらしたらみほの思いは伝わらない。

 

「……わかりました。黒森峰女学園のほうは私がなんとかします。みほは聖グロリアーナ女学院に帰りなさい」

「お母さん……ありがとう! 本当にありがとう!」

「やったでございますわ! これでまた三人一緒にいられますの! そうだ。ラベンダーのお母様、わたくし西住流に入門したいのでございますわ」

「私も入門を希望します」

「入門するのは構いません。ですが、みほの友達だからといって特別扱いはしませんよ」

「望むところですわ。全力で食らいついてみせますの!」

「一生懸命がんばります。ラベンダーを助けられるぐらい強くなってみせますわ!」

 

 ローズヒップとルクリリの力強い言葉に満足そうにうなずいたしほは、みほへと顔を向ける。しほの表情は心なしか穏やかになっているように、みほには感じられた。

 

「みほ、いい友達ができましたね」

「うん。二人がいるから、私はがんばれるの」 

「あなたが成長したのは友達のおかげのようですね。まほにも頼れる友達がいればよかったのですが……」

 

 しほのその言葉で、みほの頭にある一つの考えが思い浮かんだ。

 西住流の後継者でなくなったまほはすでに自由の身。別の学校に転校し、新しい人間関係を構築することも可能である。みほが友達に支えられているように、まほにも友達の支えが必要なのだ。

 

 引きこもっていたまほは、もう一回二年生をやり直すことになる。口下手で留年しているまほが友達を作るのは容易ではない。そんなまほが友達になれそうな人たちに、みほは心当たりがあった。人見知りが激しい愛里寿とすぐに打ち解けることができた沙織たちだ。

 

 みほが口利きをすれば、沙織たちとまほはきっと仲良くなれるだろう。戦車という共通の話題があるのも大きい。

 それに戦車道がない学校なら、黒森峰を裏切ったと批判されることもないはずだ。もし戦車道が復活したとしても、まほが戦車道を選択しなければいい。沙織たちは、まほが戦車道を選択しないことで態度を変えるような人たちではない。

 

 考えれば考えるほど、大洗女子学園に転校するのがまほにとって最良の道だとみほには思えた。

 

「お母さん、私に考えがあるんだけど聞いてもらえるかな?」

 

 みほが起こしたこの行動は、後に起こる大騒動の引き金になってしまう。そして、それはもう一つの物語の幕が上がることを意味していた。

 

 

 

 

「ねえ、いつまでこうしてるつもりなの? 用があるなら正面から乗りこめばいいじゃない」

「ここは西住流のテリトリー。うかつには近づけない」

 

 サンダース大学付属高校の制服を着た二人の少女が、電信柱に身を隠しながら西住邸の様子をうかがっている。

 一人はダージリンから事情を聞いて駆けつけた島田愛里寿。もう一人は愛里寿のお供をするようにケイから命令を受けた、茶色の髪を星形の髪留めでツインテールにしている少女だ。

 

「島田流が西住流といがみ合ってるのは知ってるけど、少し大げさすぎよ。これから戦いに行くわけじゃないんだし」

「学校にいる間も私はずっと見張られてた。今も殺気を帯びた視線を感じる。アリサも用心したほうがいい」

「ちょ、ちょっと! 怖いこと言わないでよ! 私まで巻き添えになるのはごめんだからね!」

 

 アリサと呼ばれた少女は慌てふためきながら周囲を見回すが、あたりに怪しい人影はなく、物音一つしない。それなのにアリサは身震いしながら両手で肩を抱いた。どうやら愛里寿に向けられている視線に気づいてしまったようだ。

 

「どこっ! どこから見てるのよ!」

「静かに。誰か出てくる」

「むぐっ! むぐーっ!」 

 

 わめくアリサの口を愛里寿は強引に手で塞ぐ。それと同時に西住邸の門から三人の少女が姿を現した。

 聖グロリアーナ女学院の制服姿の少女たちは、仲良く手をつなぎながら歩き去っていく。その様子を確認した愛里寿は、安堵したようにふーっと息を一つ吐き、アリサの口を塞いでいた手をどけた。

 

「よかった……」

「会わなくていいの? 友達なんでしょ?」

「ここでは接触できない。それに明日になれば学園艦で会える」

「しがらみっていうのは本当めんどくさいわね。まあ、私には関係ないけど。用が済んだのなら私たちも帰るわよ」

「わかった。付きあってくれてありがとう」

「恩を感じているなら、礼なんかより明日の試合で活躍しなさい。聖グロのお嬢様をぼこぼこにして、タカシにいいとこ見せるんだから」

 

 サンダースの学園艦で行われる練習試合は、男子も含めた大勢の学生が見学に来る。それだけでなく、そのあと開かれる懇親会には特別に男子も参加する予定だ。タカシに想いを寄せるアリサがやる気になるのもうなずける。

 

「同じ相手に二度は負けられない。明日は全力を尽くす」

 

 明日の練習試合は、愛里寿にとってもダージリンに負けた借りを返す絶好の機会。顔には決して出さないが、どうやら愛里寿もやる気がみなぎっているようだ。

 

  

 

 翌日行われたサンダースと聖グロリアーナの練習試合。愛里寿はダージリンを撃破し、見事にリベンジをはたす。試合もサンダースが勝利したので、愛里寿にとっては大満足の結果であった。

 

 その反面、アリサはショッキングな事態に見舞われることになる。アリサの想い人であるタカシが、聖グロリアーナのお嬢様に一目ぼれしてしまったのだ。懇親会でもタカシはそのお嬢様に夢中で、アリサのことなど見向きもしなかったのである。

 その日の夜、アリサは枕を涙で濡らした。にっくき恋敵であるラベンダーという少女の名を胸に刻みながら。

 

 

◇◇

 

 

 西住邸に負けず劣らずの大きさを持つ犬童家の屋敷。その屋敷の大広間で犬童家の当主は娘から報告を受けていた。報告に来たのは頼子だけで、芽依子の姿はない。

 

「というわけで、みほ様は聖グロリアーナ女学院に戻ることになりました。まほ様も大洗女子学園への転校に前向きなようです。みほ様としほ様の必死の説得が効いたみたいですね」

「……残念だが、仕方がないな。みほ様が後継者になる決断をしてくださっただけでも上出来だ。それに、来年の三月末で廃校になる大洗女子学園はいろいろと都合がいい。まほ様には一年間ゆっくり静養してもらって、来年黒森峰に戻っていただこう」

「でもお父様、戦車に乗らない生活を一年間続けたら、ブランクが大きいんじゃないですか?」

「心配するな。まほ様は才能があるおかただ。みほ様との関係が改善されれば、すぐに結果を出せる。まほ様の弱点はメンタル面だからな」

 

 犬童家の当主はそこで言葉を切り、あごに手を当て思案顔になった。

  

「芽依子を大洗女子学園に入学させよう。まほ様が心を許している芽依子なら、大きな支えになれるはずだ」

「了解ですぅ。さっそくめいめいに連絡しますね」

「まあ、待て。大洗の廃校の件は芽依子には内緒にしておこう。芽依子は頼子と違って、隠し事ができるような子ではないからな」

「お父様、ひどいですぅ! 頼子だって正直者ですよぉ!」

「はっはっはっ! そう怒るな。私はお前の才能を高く評価してるんだぞ。犬童家に生まれたものにとって、嘘をつくのがうまいのは誇るべきことだ。我々は西住流の陰で生きる人間なのだからな」

 

 ふくれっ面の頼子の頭を犬童家の当主は優しく撫でる。それだけで、すぐに頼子の機嫌はもとに戻った。もし頼子にしっぽが生えていたら、ちぎれ飛びそうなほど勢いよく振られていただろう。

 

 西住流の後継者問題に決着がついても、犬童家の企みはまだ終わらない。

 

 

◇◇◇

 

 

 黒森峰女学園の学園艦ではある噂が広まっていた。

 戦車道の訓練後の更衣室は今日もその噂で持ちきりだ。この噂は戦車道に関わることなのだから、彼女たちが騒ぐのも無理はない。

 

「ねえねえ、隊長が転校するって話本当なの?」

「間違いないよ。西住流の門下生の子から聞いた話だもん。その子の話だと、隊長の妹さんが西住師範に転校の話を持ちかけたんだって。西住流も妹さんが継ぐことになったらしいよ」

「噂だと黒森峰に転校するのを拒否したんだよね? 隊長の居場所を奪って追いだしたくせに、自分はもとの学校で今までどおり。それってずるくない?」

「聖グロのお嬢様だもん。今さら黒森峰には戻りたくないんでしょ。妹さんは聖グロに入学して別人みたいになったって、中等部出身の子が話してたよ」

「優雅で華やかな生活に染まちゃったんだねー。いいなー、うらやましいなー」

「あんたじゃ無理でしょ。優雅に紅茶を飲んでる姿がまったく想像できないわ」

「ひどーい! そこまで言うことないじゃん!」

 

 話に夢中になっている少女たちの前を一人の少女が通りすぎる。その少女の表情を見たことで、みんないっせいに口を閉ざした。目の前の少女が見るからに不機嫌な表情を浮かべていたからだ。 

 その沈黙は少女が更衣室から出ていくまで続いた。

 

「怖かったー。逸見さん、すごい顔してたし」

「ここ最近ずっと不機嫌だよね。やっぱり隊長の噂が原因かな?」

「絶対そうだよ。逸見さん、隊長のことすごく尊敬してたもん。きっと隊長の妹さんのことを恨んでるんだよ」

「聖グロと試合したら血の雨が降るかもね……」

 

 学校の薄暗い廊下を一人歩く逸見エリカ。両手は固く握りしめられ、表情はひどく歪んでいる。

 一人の少女に対する憎しみを心に抱えながら、エリカは闇の中へと消えていった。




 今回で一年生編は終了となります。

 ここまで書くことができたのも、このお話を読んでくださったすべてのみなさまのおかげです。本当に感謝しております。

 次回から二年生編に入ります。二年生編はみほ以外のキャラクターの視点が増えて少し書き方が変わるかもしれませんが、読者のみなさまが混乱しないように気をつけたいと思っています。

 次回はオレンジペコ視点のオレンジペコと問題児トリオという話を予定しております。
 完結目指してがんばりますので、二年生編もよろしくお願いします。


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二年生編
第二十四話 オレンジペコと問題児トリオ


 日本一と名高い戦車道の流派、西住流。その西住流の若き後継者、西住みほは聖グロリアーナ女学院に通う高校二年生である。

 ラベンダーティーのニックネームを持つみほは、戦車道チームの快速戦車部隊、クルセイダー隊の部隊長を務める優秀な生徒だ。隊長のダージリンからの信頼も厚く、戦車道チームの要ともいえる存在であった。

 

 みほにはとても仲がいい二人の親友がいる。

 一人はみほが搭乗するクルセイダーMK.Ⅲの操縦手、ローズヒップ。西住流の門下生である彼女は、クルセイダーの操縦が並外れてうまい。車長のみほとの息もぴったりで、二人の搭乗するクルセイダーは戦車道チーム一の技量を誇っていた。

 

 もう一人は戦車道チームの主力戦車隊、マチルダ隊の部隊長を務めるルクリリ。彼女も西住流の門下生で、部隊の指揮には定評がある。攻撃よりも防御を得意とし、ダージリンの搭乗する隊長車、チャーチルを守ることに関して彼女の右に出るものはいない。

 

 一見すると非の打ちどころがない優等生に見えるこの三人。しかし、実は彼女たちは一年生時に数多くの騒ぎを起こし、問題児トリオの異名を持つトラブルメイカーなのだ。

 

 そんな問題児トリオも二年生に進級したことで、ダージリンからある一年生の教育係に任命される。

 その一年生のニックネームはオレンジペコ。小柄でかわいらしいこの少女との出会いが、問題児トリオに新風をもたらすことになる。

 

 

◇ 

 

 

 昼休みになり、今日も大勢の生徒でにぎわいを見せる聖グロリアーナ女学院の学食。その中には入学したばかりの一年生の姿も多い。テラス席もほぼ埋まっており、空いてる席を見つけるのが難しいほどの盛況ぶりであった。

 

 そのテラス席で憂いを帯びた顔で座るオレンジがかった金髪の少女。

 戦車道を履修しているこの少女は、ダージリンがいつも手元に置いている期待の新人である。ニックネームは紅茶の等級を表すオレンジペコ。新入生代表あいさつを行うほどの優等生で、優雅で可憐な姿が板についている生粋のお嬢様だ。

 

「ペコさん、最近元気がないですね。高校生活は始まったばかりですよ! もっとテンションあげていきましょう!」

「カモミールさんはいつも元気ですね……」

「はい! つねに全力疾走が私の信条ですから!」

 

 ハーブティーの一種、カモミールティーのニックネームを持つこの少女は、オレンジペコの中学からの友達。セミロングの黒髪を二つ結びにしており、身長はオレンジペコとさほど変わらない。元気が自慢のパワフルな少女で、オレンジペコは中学時代から落ち着きを持つように言い聞かせているが、効果はあまりなかった。

 

「オレンジペコさん、なにか悩みでもあるんですの? 私でよかったらなんでも相談に乗りますわ。遠慮なく言ってくださいませ」

「ありがとうございます、ベルガモットさん。悩みというほどのことではないんですけど……」

 

 この少女もオレンジペコの中学からの友達で、ニックネームはハーブティーのベルガモットティー。ストロベリーブロンドの長い髪を二つ結びにしている小柄な少女で、あまりに幼い見た目から小学生に間違われることも多い。

 その幼い見た目に反し、性格は冷静沈着で考え方も大人。自分が小さいことをまったく気にしない堂々とした姿勢には、オレンジペコも密かに憧れを抱くほどだ。

 

「ははーん、わかった。ペコっち、生理でしょ。あたしも重いからよーくわかるよー、その気持ち」

「あの、ハイビスカスさん。あんまりそういう話はしないほうが……オレンジペコさんに失礼ですし」

「おーおー、ニルっちは初心だねー。真っ赤になっちゃって、かわいいー。ねえ、ぎゅって抱きしめてもいい?」

「えっ? あの、その……」

「ハイビスカスさん、ニルギリさんに平然とセクハラしようとするのはやめてください。それと、私の体調は問題ありませんので、余計な気づかいは無用です」

 

 この二人はオレンジペコが高校に入学してからできた友達だ。

 ハイビスカスはハーブティーのハイビスカスティーがニックネーム。艶やかなロングの黒髪を背中に流した学年一の美少女で、スタイルもダージリンに匹敵する。そんな彼女の最大の欠点は品位の欠片もない言動。入学する学校を間違えてるとしか思えないそのマイナス面のせいで、容姿の良さはまったく意味をなしていなかった。

 

 インド紅茶の一種、ニルギリ紅茶のニックネームを持つニルギリは、ハイビスカスと違ってまじめな優等生。茶色の長い髪を後頭部でまとめており、大きな眼鏡がトレードマーク。背が高く、プロポーションも良いのでハイビスカスにはよくセクハラをされている。欠点は気が弱いことで、オレンジペコが助けに入る機会も多かった。

 

「じゃあなんでペコっちは元気ないのさー。お姉さんが聞いてあげるから話してみなよ。困ったら助けあうのが友達でしょ?」

「良いこと言ってますけど、ハイビスカスさんは私と同い年ですからね」

「私もオレンジペコさんの力になりたいです。私じゃ頼りないかもしれないけど、少しでも役に立ってみせますから」

「そこまで大げさに考えなくてもいいですよ。そんなに深刻なことじゃありませんから」

 

 ハイビスカスとニルギリ。性格は正反対だが、二人とも友達思いの優しい子なのだ。

 

「このままだと収拾がつきませんので、みなさんには話しておきます。実は……」

「あっ! オレンジペコさん発見ですわ!」

「カモミールさんとベルガモットさん、ハイビスカスさんも一緒だね」

「ニルギリもいますわ。友達はたくさんいるみたいだから、友人関係で私たちが世話を焼く必要はなさそうね」

 

 オレンジペコたちの前に現れた三人の二年生。

 クルセイダー隊の隊長、ラベンダー。マチルダ隊の隊長、ルクリリ。ラベンダーの戦車の操縦手で、聖グロ一の俊足という二つ名を持つローズヒップ。三人とも一年生時に活躍した戦車道チームの主力選手である。

 

「みなさま、ごきげんようですわー! カモミールさん、ベルガモットさん、今日の訓練もガンガン飛ばしますわよ」

「装填はお任せください。今日は装填時間をもっと縮めてみせます!」 

「私も命中率を向上できるようにがんばりますの」

 

 カモミールとベルガモットは、クルセイダー隊の隊長車であるクルセイダーMK.Ⅲの装填手と砲手を担当していた。

 一年生でありながら、この二人が隊長車の乗員に選ばれた理由。それはほかの生徒に比べて、この二人の体が小さいからであった。クルセイダーMK.Ⅲは本来三人乗りの戦車で、砲塔には二人しか乗ることができない。だが、小柄なこの二人ならラベンダーと三人で砲塔に乗りこむことができるのだ。

 

「ハイビスカスさんはオレンジペコさんと仲が良かったんですね。全然気づきませんでした」

「いやー、あたしもまさかペコっちみたいな優等生と仲良くなれるとは思いませんでしたよ。これが運命の出会いってやつですかねー」

「もし運命だとしたら、この縁を大事にしてください。高校で仲良くなれた人は、一生ものの友達になるかもしれませんよ」

 

 ハイビスカスはクルセイダー隊に所属しており、車長のポジションを任されている。隊長のラベンダーと相性が良く、彼女からアドバイスを受ける回数がもっとも多いクルセイダー隊の有望株だ。

 

「ニルギリは今日は車長でしたわね。あなたは器用だから失敗しないと思うけど、油断してはダメですわよ」

「はい、ルクリリ様。足手まといにならないように精一杯がんばります」

 

 マチルダ隊に所属しているニルギリはポジションがまだ決まっていない。どのポジションを任せてもそつなくこなすので、ダージリンがポジションを決めかねているからだ。

 

 例年どおりなら部隊やポジションが確定するのは二年生になってからだが、今年はすでにほとんどの一年生の部隊とポジションが決まっていた。ダージリンは短期間で一年生全員を見極め、的確に部隊とポジションを割りふったのである。

 一年生のうちに部隊とポジションを決め、技量をあげることに多くの時間を使う。これがダージリンの方針だった。

 

 ちなみにオレンジペコはというと、なんとチャーチルの装填手に抜擢された。チャーチルに一年生が搭乗するのは極めて異例であり、ダージリンがオレンジペコを相当気に入っていることがうかがえる。もっとも、オレンジペコは小柄な割に力自慢で、装填速度も戦車道チームで一番早い。なので、この起用は単に実力の結果ともいえる。

 

「それではみなさん、私たちはこれで失礼します。オレンジペコさん、あとで迎えにいくね」

「昨日は遅刻してしまいましたけど、今日は大丈夫ですわ。案ずることなかれでございますわよ、オレンジペコさん」

「ペコ、パジャマパーティーのことも忘れないようにね。場所はラベンダーの部屋ですわよ」

 

 去っていく三人を乾いた笑顔で見送るオレンジペコ。この三人はオレンジペコの教育係であるが、同時に彼女の悩みの元凶でもある。

 

 オレンジペコは優等生であり、本来なら教育係など必要ない。にもかかわらず、ダージリンはあの三人をオレンジペコの教育係に指名。それからというもの、オレンジペコは三人に振りまわされて失敗続きの日々を送っていた。

 昨日も近道があるからとついていったら、バラ園で迷子になり戦車道の授業に遅刻している。あの三人は問題児トリオの異名を持っているが、オレンジペコもすでに片足を突っこんでいる状態だ。

 

 そんな中で行われる初めてのパジャマパーティー。

 どうか何事もなく終わりますように。そう心から願うオレンジペコであった。

 

 

 

「いらっしゃい、オレンジペコさん」

「本日はお招きいただきありがとうございます」

「そんなに気を使わなくても大丈夫だよ。さあ、あがってあがって」

 

 ラベンダーに促され、オレンジペコは部屋へと入る。表情は平静を装っているが、内心は不安でいっぱいだ。

  

「お、来たか。ペコはなにもしないで座ってていいぞ。今日はペコの歓迎会だからな」

「お料理のほうも準備はバッチリですわ。腕によりをかけて作りますので、期待しててくださいまし」

「暇だったらテレビでも見ててね。リモコンはそこの棚にあるから」

 

 料理に取りかかる三人の動きには無駄がなく、手伝おうとしてもかえって邪魔になってしまうだろう。

 そうかといって、テレビを見る気分にはなれそうもない。手持ち無沙汰になったオレンジペコがリモコンが置かれている棚を眺めていると、複数の写真立てが目に入った。

 

 写真は家族や友達と一緒のものが多いが、その中に気になる写真が二枚ある。

 一つは島田流の後継者、島田愛里寿が一緒に写っている写真だ。西住流と島田流がいがみ合っているのは、戦車道の世界では有名な話。天才少女とうたわれる島田愛里寿が飛び級で大学に進学した理由も、大学戦車道を牛耳って西住流に対抗するためというのがもっぱらの噂であった。

 その対立している流派の後継者である二人が仲良さそうに写真に写っている。オレンジペコにはそれが不思議でしょうがなかった。

 

 もう一枚は栗毛のロングヘアの少女が写っている写真である。

 この少女も戦車道の世界では名の知れた有名人だ。西住流の元後継者、西住まほ。髪を伸ばしたことでかなり印象が変わり、服装も緑色のスカートが特徴のセーラー服姿。なので、ぱっと見では別人に見える。噂だと黒森峰女学園から戦車道がない学校に転校したらしいので、その学校の制服姿を収めた写真なのだろう。

 

 西住まほの転校に関しては、新たに後継者になった西住みほの策略といった噂もあるが、オレンジペコはその話をまったく信じていなかった。

 ラベンダーはそんなことをする人物ではない。ここ最近の濃厚な付きあいで、オレンジペコは問題児トリオの人となりを大体把握していた。

 

 問題児トリオは悪人ではなく、ただ落ち着きがないだけなのだ。とはいえ、淑女育成を掲げる聖グロリアーナ女学院では、落ち着きのなさは致命的な欠点。三人に問題児トリオの異名が付くのも当然といえる。

 

「オレンジペコさん、さっきからずっと棚を見てるけど、もしかしてボコに興味があるの?」

「はいぃ?」

「それならそうと言ってくれればよかったのに。ちょっと待ってて、今すぐボコのDVDをセットするから。これを見ればもっとボコの良さがわかると思うよ」

「ちょ、ちょっと待ってくださいラベンダーさん! 私が見てたのはボコじゃないんです!」

 

 オレンジペコが棚のボコのぬいぐるみを見ていたと勘違いするラベンダー。こうなるともうラベンダーは止まらない。問題児トリオの中では一番落ち着きがあるラベンダーだが、ボコられグマのことになると目の色が変わるのだ。

 結局、暴走したラベンダーをオレンジペコは止めることができず、料理ができるまでボコのアニメを見続ける羽目になるのであった。

 

 

 

 問題児トリオの作った料理は普通においしかった。聖グロリアーナは調理実習の授業が必修科目なので、その成果が表れているのだろう。てっきりゲテモノ料理が出てくると思っていただけに、オレンジペコにとってはうれしい誤算だ。

 

 夕食のあとはお茶の時間。聖グロリアーナの生徒にとって食後のお茶は欠かせない。

 紅茶の準備をするのはオレンジペコの仕事。場所がどこであろうと、一年生が紅茶をいれるのは聖グロリアーナでは常識である。

 

 オレンジペコが紅茶の用意を終えると、ラベンダーがニコニコしながら茶色の箱を取りだした。

 

「今日のティーフーズは外国のチョコレートだよ。お母さんがお土産を送ってくれたの」

「そういえば、西住師範は海外のプロリーグを観戦中でしたわね。わたくしもいつかは本場の戦車道を生で見たいですわ」

「その言い方だと遊びに行ってるみたいに聞こえるだろ。西住師範は日本のプロリーグ設置委員会の委員長になる予定だから、海外に視察に行ってるんだぞ。ペコが勘違いしたらどうするんだ」

 

 問題児トリオは西住流に所属している。といっても、三人は西住流が重視する勝利にこだわったことはなかった。どうやら、高校在学中は聖グロリアーナの戦車道を貫くつもりらしい。

 

「オレンジペコさん、遠慮しないで食べてね」

「ありがとうございます。いただきますね」

 

 このチョコレートをよく確認せずに食べてしまったことを、後にオレンジペコは後悔することになる。

 ボンボン・ショコラと呼ばれるこのお菓子は、中身が入った一口サイズのチョコレート。このチョコレートの中に入っていたもの、それはヨーロッパ原産のお酒だったのだ。

 

 

 

 

 問題児トリオは三人そろって正座をしていた。

 目の前には真っ赤な顔で仁王立ちしているオレンジペコ。目は完全に据わっており、普段のかわいらしい姿からは想像もできないほどの迫力に満ちている。

 

「聞いてるんですか! みなさんはもう高校二年生なんですよ! もう少し落ち着きを持ったらどうなんです!」

「ぺ、ペコ、冷静になれ。こんな夜中にそんな大きな声を出したら、みんなの迷惑になるぞ」

「言葉づかい! どうしてそうすぐ地が出るんですか!」

「す、すまん。じゃなかった、ごめんなさい」

 

 ルクリリの次にオレンジペコの標的になったのはローズヒップであった。

 

「ローズヒップさん! あなたが一番落ち着きがないんですよ、わかってるんですか! 廊下は走りまわる。変なお嬢様言葉を使う。紅茶は一気飲みする。数えたらきりがありません」

「申し訳ないですわ。わたくしも気をつけてはいるのでございますが、ついうっかりしてしまうんですの」

「言い訳しない!」

「はい! ごめんなさいですわ!」

 

 ローズヒップを叱りつけたオレンジペコは、最後にラベンダーへと視線を向ける。

 

「ラベンダーさん、一言だけ言いたいことがあります」

「な、なにかな?」

「ボコを私に押しつけるのだけはやめてください」

「ごめんね……」

 

 問題児トリオに一通り苦言を呈したオレンジペコは玄関へと向かう。荷物を置きっぱなしにしているところを見ると、帰るわけではなさそうだ。   

    

「オレンジペコさん、どこへ行くの?」

「もう一人文句を言いたい人がいますので、三年生の寮に行ってきます」

「三年生? まさかダージリン様じゃありませんわよね?」

「そのまさかですよ、ローズヒップさん。なんで私に教育係を三人もつけたのか、真意を問いただすんです!」

 

 オレンジペコは玄関の扉を開けると、勢いよく走りだした。三人も慌てて玄関を飛び出るが、オレンジペコの姿は影も形もない。

 

「まずいぞ。もう門限はとっくにすぎてる。外を出歩いてることがばれたら大騒ぎになるぞ」

「ダージリン様の身の安全も心配ですわ。今のオレンジペコさんはなにをするかわかりませんわよ」 

「私たちも三年生の寮に行こう。走ればきっと間にあうよ」

 

 その後、三人は三年生の寮の入り口前でオレンジペコに追いつくが、止めようとして取っ組みあいになってしまう。その様子は多くの三年生に目撃されることとなった。

 

 この出来事はすぐに学校中を駆けめぐり、オレンジペコはついに問題児の仲間入りを果たす。問題児トリオは問題児カルテットへと進化を遂げ、新たな伝説が誕生した。

 

 

 

 

「ペコさん、元気出してください。落ちこんだ気持ちのままだと、元気がどんどん逃げちゃいますよ」

「他人の評価なんて気にする必要はありませんの。私たちはオレンジペコさんのことをちゃんと理解してますから」

「あたしも騒ぎを起こして問題児に入ってあげるよ。あたしが入ればペコっちも一人じゃないから安心じゃん」

「それなら私も入ります。一人より二人、二人より三人っていいますし」

 

 教室の机でオレンジペコがうつぶせになっていると、友人たちが励ましの言葉をかけてくれる。ちょっとずれた発言もあるが、オレンジペコのことを励ましてくれていることに変わりはない。

 

 いつまでもふさぎこんだままで、友達に心配をかけてはダメだ。そう決意したオレンジペコが顔を上げた瞬間、教室の扉が音を立てて開いた。問題児トリオがいつもようにオレンジペコを迎えに来たのだ。

 

「ごきげんようですわー! オレンジペコさん、今日は罰でカヴェナンターに乗りますけど、わたくしたちも一緒ですから安心してくださいまし」

「私たちは去年もカヴェナンターに乗ってるからね。熱さ対策もバッチリだよ」

「ペコの分も用意してありますわ。最初はきついかもしれないけど、みんなでがんばりましょう」

 

 オレンジペコは再び机にうつぶせになった。現実はかくも非情である。 



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第二十五話 犬童芽依子の決意

 聖グロリアーナ女学院が毎年行う一年生だけで戦う練習試合。今年の対戦相手は早い段階で決まっており、入学したばかりの一年生はこれが初の実戦である。

 今年の対戦相手は前年の戦車道全国大会で優勝したプラウダ高校。一年生だけで戦うには荷が重い相手だが、それだけダージリンは今年の一年生に期待しているのだろう。

 

 優勝校のプラウダ高校は練習試合で人気がある。なかでもとくに練習試合を行っているのが黒森峰女学園で、プラウダ高校の試合スケジュールは多くが黒森峰女学園で埋まっていた。

 そんなプラウダ高校と早期に練習試合を組めたのは、ダージリンの手腕によるところが大きい。プラウダ高校の新隊長であるカチューシャはダージリンの茶飲み友達であり、ダージリンがプラウダの学園艦へおもむくことも多かった。その際にダージリンはカチューシャを言葉巧みに誘導し、練習試合の約束を取りつけたのだ。

 

 一年生の引率はマチルダ隊とクルセイダー隊の隊長の役目。

 ダージリンの指示を受けたみほとルクリリは、補佐役に任命されたローズヒップとともにプラウダ高校の指定した演習場へと向かうことになった。

 

 

 

 

 雪が舞う演習場は見渡す限り一面の銀世界。あちこちに雪だるまが作られており、雪景色という言葉がよく似合う。聖グロリアーナ女学院一行がやってきたのはそんな極寒の地であった。

 ほとんどの一年生が身を震わせ、持参した防寒具で寒さを耐えしのんでいる。つねに優雅が聖グロリアーナの合言葉だが、この寒さでそれを実践できる一年生は少ないようだ。

 

 そんな一年生とは対照的に、引率役であるみほたちは身じろぎ一つしていなかった。一年生のお手本にならなければいけない二年生が、この程度の寒さで見苦しい姿を見せるわけにはいかない。いつものタンクジャケット姿で、防寒具すら身につけていない三人は聖グロリアーナの精神を身をもって示していた。

 

「もうすぐプラウダ高校がやってきます。あと少しの辛抱ですので、みなさんがんばりましょう」

「プラウダ高校が到着したらコートは厳禁ですわよ。聖グロリアーナの生徒がこれぐらいの寒さで音を上げていたら、他校の生徒の笑いものになりますわ」

「みなさま、『心頭を滅却すれば火もまた涼し』でございます。心持ちがしっかりしていれば、こんな寒さなんてへっちゃらですわ。カモミールさんとハイビスカスさんを見習ってくださいまし」

 

 ローズヒップが指差した先には、雪合戦をしているカモミールとハイビスカスの姿があった。たしかに二人は寒さをものともしていないが、雪遊びに夢中になっている姿は淑女とは言いがたい。 

 

「なにをやってるんですかあの二人は……ちょっと注意してきますね」

「私も行きますの」

「あの、私も……」

 

 オレンジペコはベルガモットとニルギリを連れて注意に向かう。

 不幸な事故により問題児の仲間入りを果たしてしまったオレンジペコ。それでも、彼女が一年生の中でリーダー的存在であることに変わりはない。

 

 オレンジペコに任せておけば大丈夫だろう。みほはそう楽観視していたが、事態は思わぬ方向に進んだ。友達が来たことでハイビスカスの悪ノリがさらにエスカレートし、雪合戦の第二ラウンドが始まってしまったのだ。

 

 顔面に雪玉を連発されたオレンジペコが反撃したことで、すでに事態は収まりがつかなくなっている。どうやら問題児入りしたことで、オレンジペコもいろいろと染まりつつあるようだ。  

 

「オレンジペコさんたちはやっぱり一味違いますわね。元気があってたいへんよろしいですわ」

「ペコのやつ、雪だるまの頭を投げてるぞ。さすが聖グロ一の怪力無双だな」

「感心している場合じゃないよ。こんなところをプラウダの人たちに見られたらまずいことに……ってもう来ちゃった! みなさん、整列! 整列してください!」

 

 みほたちは慌てて雪合戦を止めに入る。三人の行く先々でドタバタ騒ぎが起こるのは、もはや宿命なのかもしれない。

 

 

 

 試合前はゴタゴタしたが、練習試合はとくに問題も起こらず終了した。

 結果はプラウダ高校の勝利。とはいえ、聖グロリアーナもプラウダの車輌を数多く撃破したので、戦車の性能差がある割に善戦したといえる。

 

 プラウダの主力戦車であるT-34は高い機動性と攻撃力を兼ね備えた優秀な戦車だ。聖グロリアーナのマチルダとクルセイダーに比べると、その性能差は歴然。さらにプラウダはソ連製の重戦車、KV-2まで投入してきたので、最初から分の悪い戦いだったのだ。

 

 そのプラウダ相手に一年生が健闘できたのは、オレンジペコの指揮が優れていたからである。

 普段チャーチルの装填手を務めているオレンジペコは、ダージリンから直々に指揮官になるための指導を受けている。おそらく、ダージリンはオレンジペコを将来の隊長に育てたいと考えているのだろう。今回の練習試合でオレンジペコが活躍したことは、ダージリンの人を見る目が正しいことの証明でもあった。

 

 オレンジペコの指揮で動いていたクルセイダー隊も大きな戦果をあげた。その中でもっとも活躍したのが、ハイビスカスが車長を務めるクルセイダーMK.Ⅲだ。T-34だけでなくKV-2まで撃破したのだから、その活躍には文句のつけようがない。

 

 ハイビスカスのクルセイダーが活躍できた一番の要因はチームワークの良さにある。車長がハイビスカス、装填手がカモミール、砲手がベルガモット、操縦手がニルギリ。仲のいい友達同士でチームを組んだことが、抜群の連携を可能にしていた。

 入学したばかりの一年生は戦車に不慣れである。それを見越したオレンジペコは、技術よりも信頼関係を重視した乗員の配置をしたのだ。

 

 試合で大活躍したハイビスカスたちは、試合後のお茶会でKV-2の乗員と仲良く紅茶を飲んでいた。もちろんそこにはオレンジペコの姿もある。

 試合の勝敗や撃破されたことを双方が気にしている様子はない。敵味方でいがみ合うことなくお茶会を楽しんでいるその姿は、聖グロリアーナの戦車道が次の世代にしっかり受け継がれている証拠であった。

 

「あなたのとこの一年生もなかなかやるわね。正直、ここまでやるとは予想してなかったわ」

「今年の一年生は優秀ですから。ダージリン様もすごく期待しているんですよ」

「それに比べてうちのニーナたちときたら……相手の力を甘く見てカーベーたんを撃破されるなんてお仕置きが必要ね。シベリア送り25ルーブルぐらいが妥当かしら?」

「ふえっ!? そんなに厳しい罰を与えるんですか?」

「ラベンダーさん、安心してください。カチューシャが大げさに言ってるだけで、実際は日の当たらない教室で25日間の補習を受けるだけですから」

「ちょっとノンナ、大げさとはなによ。これはプラウダの伝統的な罰なんだからね」

「聖グロリアーナのカヴェナンターみたいなものですわね」

「補習を受けるぐらいならカヴェナンターのほうがましでございますわ。二回目は楽勝でしたもの」

 

 カチューシャとノンナがいるテーブルでみほたちはお茶会を楽しんでいた。ちなみに、このお茶会が行われている会場は演習場近くのホテルの食堂。人数が多いので当然貸し切りだ。

 費用はお茶会を主催している聖グロリアーナがすべて負担する。戦車道に関わることなら、なんでもOG会の援助でまかなうことができるのだ。

 

「それはそうと、聞いたわよラベンダー。やっぱりあなたが西住流の後継者だったのね」

「だますつもりはなかったんです。実はあのあといろいろあって……」

「気にしなくても大丈夫ですよ。詳しい話はトモーシャが教えてくれましたから」

「トモーシャさん?」

「トモーシャは黒森峰の隊長の愛称よ。カチューシャがつけてあげたの」

 

 黒森峰の新隊長は去年副隊長だった深水トモエである。黒森峰女学園にはすでにしほが事情を説明してくれたので、新隊長に就任したトモエが詳しい話を知っているのもうなずけた。

 どうやらカチューシャにとって、トモエは愛称をつけるほど親密な間柄のようだ。プラウダの試合スケジュールが黒森峰で埋まっているのもそれが大きな理由なのだろう。

 

「トモーシャの話だと、ラベンダーの評判は黒森峰ではかなり悪いらしいわ。まあ、詳しい話を知らない子が多いから仕方がないわね。なかでもとくにあなたのことを嫌ってるのは、副隊長の逸見エリカって子よ」

「あのワニ女、まだ去年の練習試合のことを根に持ってるみたいだな」

「次に会ったら今度こそやっつけてやりますわ!」

「言われてみれば、逸見さんの鋭い目つきはワニのイメージに合いますね。カチューシャも最初は怯えてましたから」

「あれはあの子の威圧感にちょっと押されただけで、別に怯えてたわけじゃないわ!」

 

 逸見エリカに嫌われる原因を作ったのはみほだ。

 みほは聖グロリアーナ女学院に在籍したまま西住流を継ぐという第三の道を選び、相談に乗ってくれたエリカに嘘をついた。それだけでなく、再び聖グロリアーナに通えることに浮かれ、エリカに事情を説明するのを忘れてしまったのである。こんな不義理な自分にエリカが腹を立てるのは当然だろう。今さら遅いかもしれないが、次にエリカに会ったときはしっかりと謝らなければならない。

 

「逸見エリカは西住まほを敬愛してたみたいだからね。ラベンダーが後釜に座ったことがおもしろくないのよ。そういえば、西住まほは元気にしてるの? 戦車道がない学校に転校したのよね?」

「お姉ちゃんはもう大丈夫です。新しい学校で友達もできて、楽しい生活を送ってるみたいですから」

 

 カチューシャの問いかけにみほははっきりとした声で答えた。まほが大洗女子学園で穏やかな日々を過ごしているのは、沙織から送られてきたメールや写真で確認済みである。

 

 まほが元気になれたのは沙織たちのおかげだ。みほはまほと友達になってくれた沙織たちに心から感謝していた。

 メールには大洗の戦車道が復活することも書かれていたので、沙織たちと試合をする日も案外近いかもしれない。もしそうなれば、沙織たちの練習に協力しているまほも応援に来るはずだ。

 その日が来るのを楽しみに思いながら、みほは熱い紅茶に口をつけた。

 

 

◇◇

 

 

 犬童芽依子は大洗女子学園に通う高校一年生。

 黒森峰女学園中等部出身でありながら、芽依子がそのまま高等部へ進学しなかった理由はただ一つ。犬童家の当主を務める父から、西住まほの支えになるようにと指示を受けたからだ。

 

 すべての授業が終わり放課後になると、芽依子はとある場所へと向かう。

 校庭を見渡すことができる大きな木の上。ここが芽依子が最初に陣取るお決まりの場所だ。芽依子はここで、まほが参加している戦車道部の練習が始まるのをいつも待っているのである。

 

 犬童家の人間が戦車に乗ることは決して許されない禁忌。なので戦車道部に入れない芽依子にできることは、こうやってまほを見守るぐらいしかない。まほはすでに友達もできたようなので、芽依子が積極的に動かなくてもいいのが救いであった。

 

「おーいっ! めいちゃーん!」

「そんなところでなにしてるのぉ~?」

 

 芽依子が木の上で戦車道部の活動開始を待っていると、下から二人の少女が声をかけてきた。

 元気いっぱいの阪口桂利奈とのんびりした口調の宇津木優季。二人とも芽依子のクラスメートであり、クラスで一番親しくしている。

 

 芽依子は表情が硬く、会話下手。そんな芽依子が二人と仲良くなれたのは、忍道で鍛えた身体能力の賜物であった。体育の時間に驚異的な運動神経を披露したことがきっかけで桂利奈に好かれ、そのおかげで桂利奈の友人である優季とも親しくなれたのだ。

 アニメや特撮モノを見るのが趣味と語っていた桂利奈は、芽依子の人間離れした身体能力とクールな雰囲気が気に入ったらしい。めいちゃんって戦隊モノならブルーポジションだねとは、桂利奈の談だ。

 

 クラスメートを無下にはできず、芽依子は素早く木をおりていく。その際に風圧でスカートがふわりとめくれあがるが、芽依子はスパッツを着用しているので下着が見えることはない。

 素早い身のこなしと飛んだり跳ねたりする動作は忍道の基本。普段からその基本を忘れないようにしている芽依子にとって、スパッツは必須アイテムである。

 

 最後はジャンプで華麗に地面へと着地する芽依子。その姿を見た桂利奈は少し興奮した様子であった。

 

「やっぱりめいちゃんってカッコいいね! 今の着地なんて特撮ヒーローみたいだった!」

「これから友達とアイスを食べに行くんだけど、芽依子ちゃんも行かない? 芽依子ちゃんのこと、みんなに紹介したいのぉ~」

「申し訳ありませんが芽依子には任務があるので……」

 

 芽依子が誘いを断ろうとしていると、ガレージから数台の戦車が飛びだしてきた。戦車道部の練習が始まったのである。

 

「芽依子はもう行かねばなりません。ごめんなさい」

 

 戦車が走りさった方向へと芽依子も走る。目にもとまらぬ速さで戦車のあとを追う芽依子の姿は、あっという間に見えなくなってしまった。

 

「任務って戦車道のことなのかなぁ? 今日のオリエンテーションで生徒会は戦車道をおすすめしてたし、芽依子ちゃんも秘密裏に協力してるのかもぉ」

「もしそうなら、めいちゃんは戦車道を選択するってことだよね? 一緒の戦車に乗れたらいいなー」

「桂利奈ちゃんは芽依子ちゃん大好きだよね。これが初恋だったりするのかなぁ~」

「そ、そんなんじゃないよ! ただ憧れてるだけだもん!」

「そういうことにしといてあげるよぉ~」

「だから違うってばー!」

 

 桂利奈と優季はじゃれ合いながらその場を去っていく。芽依子に誘いを断られても、二人がそれを気にしている様子はないようだ。

 

 

 

 翌日の昼休み。芽依子は桂利奈と優季と一緒に学食へやってきた。

 芽依子が学食に来たのはこれが初めて。いつもはまほを見守るために昼はさっさと一人で済ますのだが、今日は桂利奈と優季に強引に押し切られてしまったのだ。

 幸いなことに今日はまほも学食だったので、芽依子の任務に支障は出ない。

 

 桂利奈と優季に連れられた芽依子は、彼女たちの友達である四人の少女を紹介された。

 まじめで落ち着いた印象の澤梓。ロングの黒髪とスタイルの良さが目立つ山郷あゆみ。ツインテールの眼鏡っ子という特徴的な外見の大野あや。無口で表情の変化が乏しい丸山紗希。

 この四人は桂利奈と優季の親友であり、放課後もだいたいこの六人で一緒に過ごしているとのことだった。

 

 芽依子は目つきが悪いので初対面だと怖がられることが多いのだが、みんなフレンドリーに接してくれる。桂利奈と優季は芽依子のことを友達に紹介したがっていたので、芽依子のことはある程度知らされているのだろう。

 

「ねえ、芽依子さんは必修選択科目どうするの? 私たちは戦車道にするつもりなんだけど」

「芽依子はまだ決めていません。子供のころから修行している忍道を選択したいとは思っていますが……」

 

 梓の問いかけに対し、芽依子はそう答えた。

 戦車道部に所属しているまほの友達は、当然戦車道を選択するはず。そうなると、立場的に戦車道を選択できないまほは一人になってしまう。まほを守るためには、芽依子が選択科目を合わせるしかなかった。

 

「えー! めいちゃんも一緒に戦車道やろうよー」

「桂利奈、無理強いはよくないよ。修行してたんなら忍道やりたい気持ちもわかるし」

「芽依子ちゃん、忍道って感じするもんねー。手裏剣とか投げるの上手そう」

 

 あゆみとあやの否定的な意見でふくれっ面になる桂利奈。

 芽依子としては桂利奈の気持ちをくんであげたいところだが、こればかりはどうすることもできない。

 

「二人とも、あんまりいじめないであげてね。桂利奈ちゃんは芽依子ちゃんが大好きだから、ずっと一緒にいたいんだよぉ~」

「芽依子さんの話をするときの桂利奈、いつも楽しそうだったもんね」

「ライクじゃなくてラブかもしれないのぉ」

「えっ!?」

「嘘っ!?」

「マジでっ!?」

 

 梓、あゆみ、あやが驚きの声をあげる。紗希は声こそ発しないが、視線は桂利奈に向けられていた。

 

「そうだったのですか……桂利奈の気持ちはうれしいのですが、芽依子は女性を愛することはできません。芽依子のことは諦めてください」

「優季ちゃん! めいちゃんが信じちゃったじゃない!」

「ごめん、ごめん。芽依子ちゃん、今のは冗談なのぉ~」  

「冗談でよかったです。桂利奈を傷つけずに済みましたから」

「なんか、芽依子さんって達観してるね。忍道をやってるからなの?」

「たしかに忍道は芽依子を強くしてくれました。ですが、まだまだ芽依子は未熟者です。もっと心や体を強くしなければなりません」

 

 西住姉妹が苦しんでいるとき、芽依子はなにもしなかった。姉の頼子は家の事情があると言っていたが、それは言い訳にすぎない。芽依子がやろうと思えば、もっと早く西住姉妹の支えになれたはずである。

 

 結局のところ、芽依子は勝手なことをして父に嫌われるのが怖かったのだ。愛する父と西住姉妹を天秤にかけ、父を選んでしまった結果、西住家は家庭崩壊の危機を迎えた。みほのおかげで危機は去ったが、あのときほど自分の不甲斐なさを痛感させられたことはない。西住家を支えるのが犬童家の誇りだったはずなのに、芽依子はそれを放棄してしまったことを深く悔やんでいた。

 

 だからこそ、今回の任務は犬童家の誇りを守る絶好の機会。まほを全力で支えることで、今度こそ西住家の役に立つ。芽依子は並々ならぬ決意を抱いて大洗女子学園にやってきたのだ。

 

『普通一科、二年A組、武部沙織さん、五十鈴華さん。普通二科、二年C組、秋山優花里さん。至急職員室まで来てください。繰りかえします。普通一科……』

 

 芽依子が自身の決意を再確認していると、生徒の呼びだしを伝える校内放送が流れた。

 武部沙織、五十鈴華、秋山優花里。まほが仲良くしているこの三人の名前は芽依子もよく知っている。

 

「武部先輩って戦車道部の部長だよね? 職員室に呼びだされるなんて、なにしたんだろ?」

「戦車でなにか壊しちゃったんじゃない。学園長の車とか……」

「きっと戦車道のことだよ。戦車道の授業は戦車道部の人たちが担当するみたいだから、その打ちあわせじゃないかな?」

 

 あゆみ、あや、梓の三人が話しているのを聞きながら、芽依子は視線を別の場所へ向けた。

 友達が職員室に呼ばれたことで、まほは今一人。まほにはほかにも冷泉麻子という同学年の友達がいるが、今日は一緒ではないようである。

 

『普通一科、二年A組、西住まほ。普通一科、二年A組、西住まほ。至急生徒会室に来ること。以上』

 

 芽依子がまほに意識を向けていると、再び校内放送がアナウンスされる。先ほどの放送とは違うこの声は、たしか生徒会の広報を担当している生徒のはずだ。

 

「みなさん、すみません。芽依子は急用ができましたので、これで失礼します」

「また任務なのぉ~?」

「ええ。いつもすみません」

「気にしないでいいよめいちゃん。任務がんばってね!」

「ありがとう桂利奈」

 

 芽依子は深々と会釈をすると、猛スピードで駆けだした。食堂は多くの生徒で混雑しているが、芽依子は誰とも衝突することなく食堂をあとにする。まったく無駄のない動きで生徒を回避するその姿は、まさに忍者そのものであった。

 

 

 

 生徒会室の扉の前で芽依子はまほの到着を待っていた。

 しばらく待っていると、不安そうな表情のまほが重そうな足取りでこちらにやってくる。まほの表情を見る限り、芽依子が行動を起こしたのは正解だったようだ。

 

「まほ様。芽依子もご一緒します」

「……あまり気持ちのいい話じゃないぞ」

「芽依子に気づかいは無用です。どこへでもお供します」

「わかった。一緒に来てくれ」

「はい」

 

 芽依子はまほと一緒に生徒会室へ入っていく。

 そこで二人を待ちうけていたのは、三人の生徒会役員。生徒会長の角谷杏と副会長の小山柚子、そして広報の河嶋桃だ。

 

「生徒会室に来るように伝えたのは西住だけだぞ。部外者は立ち入り禁止だ」

「その命令には従えません。芽依子はまほ様をお守りしないといけませんから」 

「なんだとっ!」

「いいよー、犬童ちゃんが一緒でも」

「いいんですか? それだと武部さんたちを職員室に呼びだした意味が……」

「小山、余計なこと言わない」

 

 生徒会はまほだけを生徒会室に呼びだしたかったらしい。まほの友達が職員室に呼びだされたのは生徒会の策略だったのだ。

 芽依子は生徒会は信用できないと判断し、警戒レベルをグッと引きあげることにした。

 

「まほ様にご用件があるようですが、芽依子もうかがってよろしいですか?」

「その前にさ、犬童ちゃんは必修選択科目、どうするか決めた?」

「芽依子はまほ様と同じ科目を選ぶつもりです」

「なら犬童ちゃんも戦車道で決定だね。いやー、戦車道履修生が増えてくれて助かるよ」

「あなたはなにを言っているのですか? まほ様が戦車道を選択するわけないでしょう」

「たしかに西住ちゃんは香道を選択してるね。けど、それじゃ困るんだよー。西住ちゃんにはどうしても戦車道を選択してもらわないといけないんだ」

 

 にこやかに話しかけてくる杏に対し、芽依子の警戒心は最高レベルまで跳ねあがった。姉の頼子を思わせるこのひょうひょうとした態度と話し方。とても芽依子が口で勝てるような相手ではない。

 

「必修選択科目は自由に選べるはずです。あなたに決める権利はありません」

「そうなんだけど、西住ちゃんだけは別なんだ。西住ちゃんが戦車道を選択するのは決定事項。断られちゃうと、私もいろいろ考えないといけないんだよねー。ねえ西住ちゃん、せっかく新しい環境でうまくやれてるのに、また転校するのは嫌でしょ? 留年もしてるしね」

 

 杏のその言葉で、元気のなかったまほの顔がさらに曇る。それと同時に、芽依子は懐から棒手裏剣を取りだし、杏に向かって投げつけた。

 芽依子の投げた棒手裏剣は杏の顔付近を通過し、彼女が座っていた革張りのイスに穴を開ける。それでも、杏の表情はまったく変わらず、余裕な態度も崩さない。芽依子が考えつくような脅しでは、杏を動揺させるのは無理そうである。

 

「おいっ! 会長になんてことを……」

 

 詰めよってきた桃に向かって芽依子は棒手裏剣を投げる。勢いよく投げられた棒手裏剣は、桃の髪をかすめて背後の壁に突き刺さった。手裏剣術の大会で毎回上位に入る芽依子にとって、近距離から放つ棒手裏剣は百発百中。相手に当たらないように投げることなど造作もない。  

 

「柚子ちゃーん!」

「よしよし、怖かったね桃ちゃん。あとは会長に任せよう」

 

 芽依子の脅しを受けてすっかり戦意喪失した桃とあまり争う気がないように見える柚子。どうやら、この二人を警戒する必要はなさそうだ。

 敵は角谷杏ただ一人。芽依子は気を引きしめなおすと、再び杏と対峙した。

 

「さすがは小さいときから忍道をやってるだけあるねー。犬童ちゃんはあんまり怒らせないようにしたほうがよさそうだ」

「そう思うならまほ様のことは諦めてください」

「そうはいかないよ。私にも譲れないものがあるからね。西住ちゃん、やっぱり考えは変わらない?」

「戦車道を選択することはできない。すまないな」

「そう。なら、戦車道部は今日で廃部だね」

「なっ!? 沙織たちは関係ないだろっ!」

 

 まほは声を荒げるが、杏はどこ吹く風と聞き流している。どこまでもマイペースでつかみどころがない、本当に厄介な相手だ。

 

「武部ちゃんたちは戦車道部を作るのに一生懸命だったんだけどなー。廃部理由を知ったらきっとがっかりするだろうね。西住ちゃん、嫌われちゃうかも」

「……わかった。戦車道を選択する」

「いけませんまほ様! そんなことをしたら、まほ様のお立場が危うくなります!」

「芽依子、ごめん。でも、沙織たちは私の初めての友達なんだ……」

 

 まほは震える声でそうつぶやいた。おそらく、まほの心の中は友達に嫌われたくないという思い一心なのだろう。もとからそれほど強くなかったまほの心は、長い引きこもり生活でさらに弱くなってしまったようだ。

 まほが決断してしまった以上、もう芽依子にはどうすることもできなかった。殺気をこめた視線を杏にぶつけても、彼女が怯む様子はまったくない。ならば、芽依子がやるべきことはただ一つだ。

 

「まほ様、芽依子も戦車道を選択します」

「ダメだ。私の勝手な判断に芽依子を巻きこむわけにはいかない」  

「芽依子のことは気にしなくても大丈夫です。まほ様を支えることが芽依子の使命ですから」

「……すまない」

 

 犬童家の当主である父は、芽依子が戦車に乗ることを許さないはずだ。もしかしたら、愛する父から勘当を言い渡されてしまう可能性すらある。

 それでも、芽依子に迷いはいっさいなかった。もう二度と同じ後悔はしたくない。その思いが芽依子を突き動かしていた。 



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第二十六話 澤梓の初陣

 時刻は夜の八時。女子寮のみほの部屋には、三人の少女が泊まりに来ていた。ローズヒップとルクリリ、そしてGI6に所属している犬童頼子ことクラークだ。

 

 みほたちがお泊り会を行うのはよくあることなのだが、今回は普段とは事情が違う。今日のお泊り会は、西住流に所属しているものが集まる緊急会議の場でもあるのだ。学校ではみほとあまり接触をしてこないクラークがここにいるのは、それが理由であった。

 

 議題はまほが大洗で戦車道を始めた件。沙織から連絡を受けたみほはすぐさま三人と連絡を取り、お泊り会という形で相談する場を設けたのである。

 

「まずいことになりましたねー。まほ様が大洗で戦車道をしている事実が外に漏れたら、黒森峰や西住流一門が黙っていませんよ。あの人たちは西住流のイメージダウンになることをもっとも嫌いますから」

「ラベンダーのお姉さんはなんで戦車道を選択したんだろう? 問題になることぐらいすぐわかるはずなのに……」

「お姉ちゃんは最初は香道を選択してたらしいんだけど、急に戦車道に変更したみたいなの。武部さんも驚いてたよ」

「ラベンダー、たしか西住師範に今日電話するって話してましたわよね。師範はなんておっしゃっていたんですの?」

「お母さんは犬童さんと相談して対策を練るって言ってた。こっちでなんとかするから、私はなにも心配しなくていいって……」

 

 しほに優しい言葉をかけてもらえたのはうれしいが、まほのことを思うとみほは素直には喜べなかった。

 おそらく、まほは今後多くの困難に見舞われるはずだ。そのことを考えただけで、みほの心は不安に揺れてしまう。

 

「そんな顔しなくても大丈夫だぞ、ラベンダー。西住師範ならきっとなんとかしてくれる」

「師範は西住流の家元になるおかたですわよ。これぐらいの問題を解決するのなんて、お茶の子さいさいでございますわ」

「犬童家も全力でまほ様をお助けします。みほ様が心配する必要はこれっぽっちもありませんよぉ」

 

 三人の言うとおり、みほがいくら心配しても問題は解決しない。

 今はしほを信じて、自分のやるべきことをやるのが最善。西住流の後継者といっても、みほはまだ十六歳の高校生にすぎないのだから。

 

「ありがとう、みんな。お姉ちゃんのことはお母さんに任せて、私は自分の役目を果たすよ」

「その意気ですわ! わたくしもクルセイダーの操縦に磨きをかけますわよー!」

「私もマチルダ隊をもっとうまく指揮できるようにならないとな。聖グロの看板に泥を塗るわけにはいかないし」

「クラークは明日から黒森峰へ偵察に行ってきます。今年も聖グロリアーナに役立つ情報をばっちり仕入れてきますよぉ」

 

 みほたちがそれぞれの思いを口にしたことで、先ほどまでのどんよりとした空気は吹きとび、部屋は明るい雰囲気に包まれていく。

 

「そうだ。お母さんからお土産が届いてるの」

「……またチョコレートじゃないだろうな。ペコの二の舞はごめんだぞ」

「今度のお土産は問題ないよ。私もよく知ってるものだし」

「ラベンダーが知ってるということは、熊本の名物でございますか?」

「熊本じゃなくて黒森峰のかな。用意するからちょっと待っててね」

 

 みほは立ちあがると冷蔵庫に向かい、銀色の缶が複数入った小さな箱を持ってきた。缶に描かれたパッケージは、どうみても未成年お断りのアルコール飲料にしか見えない。

 

「どこが問題ないんだっ! むしろ大ありだろっ!」

「ふえっ!?」

「これはノンアルコールビールですよぉ。黒森峰は学園艦内にある工場でノンアルコールビールを作っていて、それが名物にもなってるんです」 

「パッケージにもノンアルコールって書いてありますわ。早とちりするなんて、ルクリリは相変わらずおっちょこちょいですわね」

「……すまん」

「ううん、ちゃんと言わなかった私が悪いんだよ。さあ、気を取りなおしてみんなで乾杯しよう」

 

 みほが全員にノンアルコールビールを配り、乾杯の準備はすぐに整った。音頭をとるのは、盛り上げ上手なローズヒップである。   

 

「それでは、わたくしたちの前途を祝して、かんぱーいですわ!」

 

 みほたちはノンアルコールビールを飲みながら、しばしの団らんを楽しんだ。

 まほのことは心配だが、みほには信頼する母と頼れる友達がいる。不安に思うことなど、なに一つない。みんなで力を合わせれば、きっとまほを助けることができるのだから。

 

 その後、雰囲気に酔って騒いだ結果、みほたちは苦情を受けたやってきた管理人にノンアルコールビールを目撃されてしまう。オレンジペコの暴走の件で敏感になっていた管理人はみほたちが飲酒をしていると勘違いし、アッサムが呼びだされる騒動へと発展してしまうが、それはここでは割愛する。

 

 

 

 大洗女子学園との練習試合がダージリンから発表されたのは、それから一週間後のことであった。

 

 

◇◇

 

 

 大洗女子学園の生徒たちが放課後に寄り道する人気スポット、74アイスクリーム。

 74種類という圧倒的な数のフレーバーを提供しているアイスクリームショップは、今日も大勢の女子高生でほぼ満員。その中には戦車道の授業を終え、学園内の大浴場で汗を流したばかりの一年生の姿もある。

  

 この一年生グループでリーダーの役割を担っているのが澤梓という少女だ。面倒見がよくまじめな性格の梓はみんなから頼りにされており、搭乗する戦車の車長も担当している。

 梓が車長をしている戦車は、英国でリーという愛称で呼ばれたM3中戦車。七人乗りのM3リーは大所帯だが、六人中五人は梓との付き合いも長い。なのでポジション決めなどもとくに揉めることなく、話し合いですんなりと決まった。

 ちなみに梓以外のポジションは、主砲砲手が山郷あゆみ、副砲砲手が大野あや、主砲装填手が犬童芽依子、副砲装填手が丸山紗希、操縦手が阪口桂利奈、通信手が宇津木優季である。

 

 このグループの中で犬童芽依子だけは高校に入ってからの付き合いであり、知り合ってからそう時間は経っていない。それなのに、芽依子はすっかりグループの一員として溶けこんでいた。

 芽依子をとくに慕っている桂利奈の影響もあるが、素直でまっすぐな芽依子の性格がメンバーに気に入られたことが一番大きい。それに加えて、梓には芽依子に好感を抱いたもう一つの理由がある。

 

 梓が芽依子を好んでいる理由。それは芽依子がメンバーの一人である丸山紗希を邪険に扱わず、みんなと同じように接していることだ。

 無口で感情の起伏が少ない紗季は、他人から気味悪がられることが多い。付き合いが長い梓たちは紗希の気持ちが仕草などでだいたいわかるのだが、初対面の人は紗季の気持ちを理解できないからだ。なにを考えてるかわからない紗季を不気味に思い、梓たちの前から去っていった友人も少なくなかった。

 芽依子はそんな紗季のことを疎まない久しぶりの好人物。グループのリーダーを務める梓は、紗季を理解してくれる人が増えたことがうれしかったのだ。

 

「……」 

「芽依子のさつまいもアイスがほしいのですね。どうぞ」

 

 芽依子はスプーンでアイスをすくい、紗季の口へと運ぶ。アイスをもらった紗季の表情は変わらないが、梓には紗季が喜んでいるのがよくわかった。

 

「お口に合ったようでなによりです。お返しをくれるのですか? ありがとうございます」

 

 紗季が自分のアイスをスプーンに乗せ、芽依子へと差しだす。それを芽依子はなんのためらいもなく口に含んだ。どうやら芽依子も紗季の気持ちがわかっているらしい。

 こんな短期間で紗季と打ち解けることができた芽依子に、梓は内心驚いていた。

 

「梓、今日の作戦会議どうだったの? 相手の聖グロリアーナ女学院はすごく強い学校だって、先輩たち話してたけど……」

「そんな相手といきなり試合するだなんて、無茶ぶりもいいとこだよね。勝てるわけないじゃん」

「私たち、ようやく戦車をまともに動かせるようになったばかりだしねぇ。教官が来たときにやった練習試合も完敗だったしぃ~」

 

 あゆみ、あや、優季の発言に共通しているのは練習試合に対する不安。もちろんそれは梓も同じだ。教官が来たときに行った練習試合とは違い、今度は対戦相手がいる本格的な実戦である。戦車に乗ってまだ一週間ほどしか経っていない梓たちには、荷が重い話であった。

 

「会議はしたんだけど、武部先輩と河嶋先輩の意見に隔たりがあって、はっきりと作戦は決まらなかったの。武部先輩は、生徒会が勝手に練習試合を申しこんだことにも怒ってたみたいだったし……」

「武部先輩が怒るのも当然です。よりによって聖グロリアーナ女学院を試合相手に選ぶなんて……まほ様へプレッシャーをかけているとしか思えません」

「聖グロリアーナには西住先輩の妹さんがいるもんね。生徒会は意地悪だよ」

 

 生徒会への不満を口にする芽依子と桂利奈。

 ここにいるメンバーは、芽依子の任務のことや西住家の事情をすでに知っている。初めて一緒の戦車に乗ったとき、芽依子はすべてを話してくれたのだ。

 おそらく、芽依子はともに戦う仲間である梓たちに隠し事をしたくはなかったのだろう。彼女のそんな誠実なところも梓は好ましく思っていた。

 

「作戦は決まってない、隊長と副隊長は不仲、頼みの綱の西住先輩は家の都合で積極的に動けない。これじゃ勝てる見込みゼロだよぉ~」

「練習試合だし、胸を借りるつもりでいいんじゃない? 負けてもペナルティないんだし」

「実はあるのペナルティ。負けたら大納涼祭りであんこう踊りだって」

 

 梓のその言葉で、練習試合を楽観視していたあやは固まってしまう。梓が周りを見回すとあやだけでなく、芽依子を抜かした全員が同じような有様。あの紗季ですら顔が青くなっているのだから、あんこう踊りの衝撃は絶大だ。

 

「あんこう踊りとはなんですか?」

「大洗町に古くから伝わる伝統的な踊りなんだけど、衣装がすごく恥ずかしいの」

「あんこうをモチーフにしたピンクの全身タイツだからね。体の線もはっきりわかっちゃうし」

「あゆみちゃんはスタイル良いからまだましじゃん。私が着たらいい笑いものだよ」

「私も彼氏以外の前で恥ずかしい格好するのは嫌だなぁ~」

 

 あやと優季は心底嫌そうな顔である。それに対し、梓からあんこう踊りの説明を受けた芽依子はまったく動じた様子を見せない。

 

「まほ様にそんなハレンチな踊りはさせられません。絶対に勝ちましょう」

「めいちゃんの言うとおりだよ! 試合に勝ってあんこう踊りを回避しよう!」

 

 芽依子と桂利奈の言葉に紗季も大きくうなずいている。

 メンバーが熱意を見せているのだから、リーダーの自分もしっかりしないといけない。梓はそう気持ちを引き締めると、元気な声で号令をかけた。

 

「相手は強いだろうけど、みんなでがんばれば勝てるかもしれないよ。私たちは自分たちのやれることを精一杯やろう」

 

 梓の呼びかけにメンバーは肯定的な返事を返してくれる。声の感じからやる気には差があるようだが、今はこれで十分だと梓は思った。全員が勝つことを真剣に考えるのは、もう少し戦車に慣れてからでも遅くはないのだから。

 

 

 

 迎えた聖グロリアーナ女学院との練習試合当日。大洗女子学園戦車隊一同は、試合会場である大洗の市街地付近の平原に集合していた。試合開始前のあいさつをするために、ここで聖グロリアーナ女学院が来るのを待っているのだ。

 あいさつを行うのは車長のみ。なので、梓も先輩たちに混じって右端に整列している。

 

 しばらく待っていると五輌の戦車がこちらに向かってきた。どうやら聖グロリアーナ女学院が到着したようである。

 隊長車とおぼしき濃い緑色の大きな戦車を中心に、右側をブルーグレーの戦車二輌、左側をサンドブラウンの戦車二輌で固めた聖グロリアーナの戦車隊。車種が違っても横一列の隊列を乱さない実にきれいな走りだ。

 

「やっぱりクルセイダー出てきたじゃん! 河嶋先輩、今からでも作戦変えない?」

「ダメだ。練度の低い我々が勝つには有利な地形で戦うしかない」

「クルセイダーはきっと別動隊だよ。相手が二手に分かれてきたらどうするの?」

「別動隊のことは本隊を叩いてから考えればいい。つべこべ言わずに私の作戦を信じろ」

 

 梓の隣では隊長の武部沙織と副隊長の河嶋桃が口論中。山岳地帯で待ちぶせして囮が敵を誘いこむ作戦で決まったはずなのだが、沙織はまだ納得していないようだ。

 そのとき、梓は沙織が後方をちらちら見ていることに気づいた。沙織の視線の先にいるのは、隊長車のⅣ号戦車で通信手をしている西住まほ。しかし、まほは沙織の視線に気づいておらず、なにやら深刻そうな顔でうつむいている。

 沙織はまほに助け舟を出してほしいようだが、まほは妹のことで頭がいっぱいなのだろう。芽依子から西住家の複雑な事情を聞いている梓には、なんとなくそれがわかった。

 

 聖グロリアーナの戦車隊は大洗の戦車隊の前に到着すると、全員が戦車の外に出て素早く列を作る。戦車道は礼に始まって、礼に終わると教官は言っていたが、大洗は整列だけで格の違いを見せつけられてしまった。

 格の違いは整列だけではない。聖グロリアーナの生徒はみんなおそろいのタンクジャケット姿だが、大洗は梓も含めてほとんどの生徒が制服姿。なかには体操服姿の生徒や私服のコートを着用している生徒もおり、統一感はまったくなかった。

 戦車に関してもそれは同じだ。大洗の戦車は車種も大きさもバラバラ。対する聖グロリアーナは、車種は三種類でも真ん中の大きな戦車を隔てて左右にきれいに分かれている。どちらが見栄えがいいかは、誰が見てもはっきりわかるだろう。

 

 戦車道部の秋山優花里の判断は正しかったようだ。自分たちの戦車がわかるように色を塗るという提案を彼女が却下してくれなければ、危うく大恥をかくところだったからである。

 梓が心の中で優花里に感謝していると、聖グロリアーナの列の先頭に立っていた五人のうち、中央の三人がこちらに向かって歩いてきた。

 

「大洗のみなさま、ごきげんよう。私が隊長のダージリンですわ。隣の二人は部隊長のラベンダーとルクリリ。残りの二人は一年生ですけど、実力は申し分ありません。こちらはベストなメンバーをそろえてきたつもりですので、お互い本気でがんばりましょう」

「本気でやってもらえるならこちらも助かる。大会前に少しでも経験を積みたいからな」

「あなたが隊長なのかしら?」

「いや、私は副隊長だ。隊長は隣にいる武部が務めている」

「た、隊長の武部沙織です。よろしくお願いします!」

「こちらこそ、よろしくお願いしますわ」

 

 ダージリンと沙織はにこやかに握手を交わす。強豪校である聖グロリアーナにとっては大洗など弱小もいいところだが、ダージリンの表情からは油断やおごりは感じられない。どうやら本気という言葉に嘘はなさそうだ。 

 

 そのダージリンが従えてきた二人の部隊長。この二人のうち、ラベンダーという名前の少女が西住まほの妹であることは梓も聞きおよんでいる。

 穏やかで優しそうな表情のラベンダーは、うつむいて下を向いているまほとは対照的に、気品ある優雅な姿でしっかりと前を見ていた。姉妹だけあって二人の顔つきはよく似ているが、髪の長さとまとっている空気は正反対。ショートヘアのラベンダーが陽なら、ロングヘアのまほは陰。おそらく二人を見たほとんどの人が、十中八九そのような印象を抱くだろう。

 

 そんなことを考えながら梓がラベンダーのことを眺めていると、梓の前方に立っている黒髪の少女が軽く手を振っているのが見えた。

 ダージリンの話が本当なら、この少女は梓と同じ一年生のはず。だが、この少女の存在感は梓とは比べ物にならない。腰まで流れる漆黒の髪、パッチリとした澄んだ瞳、服の上からでもわかる抜群のプロポーション。梓が思わず見とれてしまうほど、目の前の少女は美しかった。

 

 梓が無意識のうちに手を振りかえすと、少女は満面の笑みで大きく手を振りかえしてくる。その笑顔に梓はドキッとしてしまい、みるみる顔が赤くなっていく。頭を振って変な考えを払おうとするが、視線はどうしても目の前の少女に釘付けになってしまう。

 

「ハイビスカス、ちゃんと整列してないとダメですの」

「ごめんごめん。ベルっちも意外と厳しいねー」

「物事にはメリハリというものがあるんですの。大事な試合のときだけはしっかりしてくださいませ」

「りょーかい」

 

 あの少女は、ストロベリーブロンドの小さな女の子にハイビスカスと呼ばれていたので、それが彼女のニックネームなのだろう。

 読書が趣味の梓は花言葉の本を読んだことがある。本に書かれていたハイビスカスの花言葉は、『繊細な美』と『勇気ある行動』、そして『新しい恋』。その『新しい恋』というフレーズが頭に浮かんだ瞬間、梓の顔は耳まで真っ赤に染まってしまうのだった。

 

 

 

 あいさつを終え、いよいよ試合が始まった。ルールは五対五の殲滅戦。先に相手を全部倒したほうが勝者となる。

 大洗女子学園の戦車隊は当初決めた作戦どおりに動き、囮になったⅣ号戦車以外は山岳地帯の高台で待機していた。あとはⅣ号戦車の到着を待つだけなので、はっきりいって暇である。

 そんな暇な時間を潰すために梓たちがとった行動は、トランプゲームの大富豪で遊ぶことであった。

 

「梓の番だよ。ねえ、聞いてる?」

「……へっ? あ、ごめん、あゆみ。ぼーっとしてた」

「梓ちゃん、熱でもあるのぉ~。さっきから顔も赤いし」

「だ、大丈夫だよ。全然平気。それより、芽依子と桂利奈はどこへ行ったの?」

「なんか偵察に行くって言ってたよ。芽依子ちゃんは西住先輩のことが心配なんだろうね。はい、革命」

「え~、嘘ぉ~」

 

 あやが革命を起こしたことで悲鳴をあげる優季。それと同時に、なにかが着地した衝撃でM3リーが少し揺れる。びっくりした梓たちがそちらに目を向けると、そこには桂利奈をおんぶした芽依子の姿があった。

 

「Ⅳ号が戻ってきました。どうやら作戦の第一段階は成功したようです」

「それって、もうすぐ敵がこっちに来るってこと? あーあ、革命起こした意味ないじゃん」  

「トランプはもうおしまい。みんな早く戦車に乗りこんで」

 

 梓の指示で全員が戦車に乗りこむと、すぐさま副隊長の河嶋桃から通信が入る。

 

『Aチームが戻ってきたぞ! いいか、作戦どおりやれば勝てる。相手が距離を詰めてくる前に、撃って撃って撃ちまくるんだ!』 

「相手が近づいてきたらバンバン撃っていいらしいよぉ」

「指示がアバウトすぎない。どこを撃てばいいの?」

「適当に撃てばどっかに当たるんじゃないかな?」

 

 桃の大雑把な指示に困惑している様子のあやとあゆみ。そんな二人を落ち着かせるために、梓は努めて冷静な口調で声をかけた。

 

「とにかく、まずは相手に当てることに集中しよう。芽依子、紗季、装填はできるだけ早くお願いね」

「心得ました」

「……うん」

 

 装填手の二人が落ち着いているのは梓にとって救いだった。冷静を装ってはいるものの、梓の心臓はバクバクと音を立てている。戦いが始まったら、冷静でいられる自信はあまりなかった。  

 

『来たぞっ! 撃てー!』

 

 桃の号令で大洗の戦車隊はいっせいに砲撃を開始。梓たちのM3リーも主砲と副砲で砲撃を行った。ところが、実際に現れた戦車はⅣ号戦車のみで、聖グロリアーナの戦車は影も形もない。

 

『私たちは味方だってばー! ちゃんと確認してから撃ってよー!』

『敵車輌は足の遅い歩兵戦車が三輌だ。慌てる必要はない』

「西住先輩は敵が三輌だけって言ってる。相手はスピードが遅いみたい」

「遅い戦車が三輌なら本当に勝てるかもしれない。あゆみ、あや、次は落ち着いて狙おう」

 

 敵は三輌。この情報で少し心に余裕ができた梓であったが、すぐにそれが甘い考えだったと思い知らされることになる。

 

 Ⅳ号戦車を追いかけてきた聖グロリアーナは、大洗の高台からの攻撃を難なくかわし、左右に分かれて崖を前進。そのまま距離をじわりじわりと詰めると、大洗の戦車隊に撃ちかえしてきたのだ。

 梓たちの持ち場である右斜面側を進撃してきたのは、サンドブラウンの戦車が二輌。厚い装甲が特徴の聖グロリアーナの主力戦車、マチルダⅡだ。

 

 相手が撃ちかえしてきたことで、M3リーの梓たちは大混乱に陥った。こちらの砲撃はまったく当たらず、相手は砲撃しながら徐々に迫ってくる。その威圧感は、普段の生活からは考えられないほどの恐怖を梓たちに与えてきた。冷静になどなれるわけがない。

 

「もう無理ー!」

「怖いよー!」

「逃げよう!」

 

 あゆみ、優季、あやの三人が恐怖に耐えきれず、戦車から降りてしまう。

 梓はそれを止めることができなかった。それどころか、一緒に逃げ出したいと思ってしまうほど、恐怖に心を支配されている。それでも梓が逃げなかったのは、まだここで戦おうとしている仲間がいるからであった。

 

「梓、砲手の二人がいなくなってしまいました。芽依子と紗季、どちらが砲手をすればいいですか?」

「めいちゃん、相手がこっちに向かってきたよ!」

「……このままではこちらに勝ち目はありませんね。梓、こうなったら一か八かで敵に突撃しましょう。紗季も賛成してくれてます」

「待って待って! どうして三人ともそんな冷静でいられるの? 逃げたいって思わないの?」

 

 芽依子、桂利奈、紗季の三人が梓に振りかえる。芽依子と紗季の表情は普段と変わらなかったが、桂利奈は目に涙をためていた。

 

「まほ様を置いて逃げるわけにはいきません。芽依子はもう後悔したくありませんから」

「私も逃げないよ! 怖いけど、めいちゃんが一緒だもん!」

 

 芽依子と桂利奈がはっきりした口調で答え、紗季はなにも言わずに静かにうなずく。どうやら、残ったメンバーで弱気なことを考えているのは梓だけのようだ。

 あまりの情けなさに、梓は自分が恥ずかしくなった。三人は諦めずに戦っているのに、車長の自分はなにもできずにうろたえるばかり。これではリーダー失格である。

 

 そのとき、紗季が突然梓に近寄り、肩をトントンと軽く叩いた。

 

「紗季?」

「……砲撃、止まった」

「えっ? 止まったって相手は撃ってこないの?」

 

 紗季の言葉どおり、先ほどまで梓に恐怖を与えてきた着弾の衝撃はいつまでたってもやってこない。理由は不明だが、聖グロリアーナは急に砲撃を中止したのだ。

 

「優季たちが外に出たから、安全を配慮して砲撃を止めてくれたんですね。勝つことに固執しない聖グロリアーナらしい戦い方です。梓、今のうちに後退しましょう」 

「でも、勝手に下がっていいのかな?」

「ここにいても犬死にするだけです。この作戦はもう破綻してますから」

 

 ここであっさり負けたら、梓の初陣はハイビスカスという少女にドキドキしただけで終わってしまう。

 やれることを精一杯やろうとみんなに言ったのは梓だ。口先だけのリーダーにはなりたくなかった。 

 

「桂利奈、全速後退!」

「あいっ!」

 

 桂利奈は元気よく返事をするとM3リーを後退させる。それを確認した梓は、次に芽依子と紗季に指示を出す。

 

「芽依子は主砲の砲手、紗季は主砲の装填手をお願い。マチルダⅡは装甲が厚いから、火力の高い主砲のほうを生かそう」

「わかりました」

 

 芽依子は声で、紗季は仕草で了承の意を返してくれる。これでなんとか戦える体制は整った。

 梓は優季が置いていったヘッドホンを拾いあげる。ここからの梓は車長兼通信手だ。

 

「武部隊長、聞こえますか! Dチームはいったん後退します!」

 

 隊長の武部沙織に大きな声で後退を告げる梓。その姿は一年生グループのリーダーに相応しい、実に堂々としたものであった。



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第二十七話 聖グロリアーナ女学院と大洗女子学園

『ラベンダー、大洗の戦車隊が市街地へと逃走したわ。そちらに向かっているのは、履帯が外れた38t以外の四輌よ。見つけ次第、攻撃を開始しなさい』

「わかりました。クルセイダー隊は市街地の偵察任務を終了し、戦闘態勢に移行します」

 

 この練習試合でクルセイダー隊に与えられた最初の任務は、大洗の市街地の偵察であった。

 相手は全部で五輌の少数部隊。市街地にこもって遊撃戦をしかけてくることも大いに考えられる。ダージリンはそれを見越して、クルセイダー隊を市街地へと偵察に向かわせたのだ。

 

 しかし、大洗が選んだのは市街地での遊撃戦ではなく、山岳地帯での待ちぶせ作戦だった。

 クルセイダー隊の偵察任務は空振りに終わったが、相手の先回りをできたという点は有意義だ。もっとも先回りをしたところで、聖グロリアーナの戦術は変わらない。卑怯な手は使わず、正々堂々真っ向勝負で相手に挑む。それが聖グロリアーナの戦車道である。

 

 それを示すように、ダージリンは履帯が外れた38(t)を撃破したとは言わなかった。動けない戦車を撃破するような卑怯な真似を聖グロリアーナは良しとしないからだ。

 

『任せましたわよ。くれぐれもお姉さんのことに夢中にならないようにね』

「もちろんです。私はクルセイダー隊の隊長ですから、今は試合のことだけに集中します。お姉ちゃんのことは試合が終わってから考えますね」

『忠告は無用だったようですわね。頼りにしてますわよ、ラベンダー』

 

 ダージリンとの無線のやり取りを終えたみほは、大洗の市街地の地図を確認した。

 山岳地帯から市街地へと入る道は多い。みほはその中から大洗マリンタワー前の道路に狙いを絞った。ダージリンの本隊の追撃をかわすならここが一番適している。この道路は市街地へ逃げるルートがもっとも豊富なのだ。

 

「偵察は終了です。クルセイダー隊は大洗の戦車隊を迎え撃ちます」

「いよいよここからが本番ですわ。カモミールさん、ベルガモットさん、相手は戦車道を復活させたばかりの学校でございますが、甘く見てはダメですわよ」

「了解です! 全力全開で戦います!」

「承知しましたの。油断しないように気をつけますわ」

 

 隊長車の士気は上々だ。ルクリリと離れ離れになったときは寂しさも感じたが、かわいい二人の後輩はそれをすぐに忘れさせてくれた。どうやらみほは良い乗員に恵まれる運を持っているようだ。

 

「全車、大洗マリンタワー前まで移動開始。ハイビスカスさん、私のあとに続いてください」

『ほーい。みんな、準備はいい? それじゃ、いっくよー!』 

 

 みほの隊長車の後ろをハイビスカスのクルセイダーMK.Ⅲが追走する。返事の仕方には多少問題があるものの、ハイビスカスはみほの指示にきちんと従ってくれた。言動で誤解を受けやすいが、ハイビスカスはとても素直な少女なのである。

 

 ダージリンからこの試合に出場させる一年生を選ぶように指示を受けたとき、みほは悩むことなくハイビスカスを選んだ。

 ハイビスカスは何事にも物怖じせず性格も快活。それに加えて、容姿の良さも同年代と比べて頭一つ抜けている。みほが個人的に気に入っているだけでなく、ハイビスカスには人を惹きつける魅力があるのだ。きっと将来はクルセイダー隊を引っぱる存在になって、聖グロリアーナの戦車道を盛りあげてくれるだろう。

 

 そのハイビスカスに手本を示すために、みほはまほのことを頭からいったん消した。部隊長が試合中に雑念にとらわれるような姿を見せるわけにはいかない。

 まほの件は試合が終わってからだ。今は全神経を聖グロリアーナの戦車道に傾け、部隊長としての責務を果たすとき。クルセイダーのハッチから身を乗り出すみほの瞳に迷いはなかった。

 

 

 

 クルセイダー隊が大洗マリンタワー前の道路に到着すると、みほの予想どおり大洗の戦車隊がこちらへ向かってきた。

 逃げるので必死なのか、大洗の戦車隊の隊列はバラバラ。これならクルセイダー隊のコンビネーション攻撃で一輌は間違いなく撃破できる。

 

 問題はどの車輌を狙うかだが、みほはすぐにターゲットを決定した。前から三番目を走行しているⅢ号突撃砲だ。

 大洗が市街地での遊撃戦を目論んでいるなら、車高が低いことで待ちぶせに適しているⅢ号突撃砲は脅威になる。

 

「目標はⅢ号突撃砲です。市街地に隠れられる前にサンドイッチ作戦で撃破します」

 

 サンドイッチ作戦とは、二輌のクルセイダーで相手を挟みこみ、側面を同時に攻撃するクルセイダー隊伝統の必殺戦術。前クルセイダー隊隊長、ダンデライオンからみほに受け継がれた戦術で作戦名はみほがつけた。わかりやすい名前をつけたほうが意思疎通が図りやすいと考えたからだ。

 

 二輌のクルセイダーMK.Ⅲは、お互いの場所を入れ替えるように交差しながら前進する。相手に狙いを絞らせないこのジグザグ走行は、お互いの位置をしっかり把握するのが肝心。足が速いクルセイダーで成功させるのは難しいが、訓練の成果のおかげで問題なく走行できている。ダージリンの個々の技量をあげる訓練方針のおかげで、少数精鋭であるクルセイダー隊の練度は飛躍的に向上していた。

 

 大洗の戦車隊は突撃するクルセイダー隊に向かって砲撃をしてくるが、二輌のクルセイダーはそれを華麗に回避。スピードを維持したままⅢ号突撃砲に肉薄すると、すれ違いざまに両サイドから側面を砲撃した。装甲の薄い側面を両側から撃たれたことで、Ⅲ号突撃砲はまたたく間に白旗を上げる。

 

 Ⅲ号突撃砲を撃破したクルセイダー隊はUターンで追撃に移ろうとしたが、大洗の戦車隊はすでに市街地へと逃げてしまった。市街地での戦いは、少しの油断が大きな痛手につながる。ここからは慎重かつ冷静な試合運びが求められるだろう。

 

「ダージリン様、大洗のⅢ号突撃砲を撃破しました。残りの三輌は市街地へと逃走。これよりクルセイダー隊は追撃に移ります」

 

 市街地へと場所を移し、聖グロリアーナと大洗の戦いは新たな局面へと突入した。

 

 

◇◇

 

 

 M3リーの梓たちは市街地のとある場所で身を潜めていた。

 市街地での遊撃戦は、隊長の武部沙織が最初に提案していた作戦だ。河嶋桃の作戦を採用したことでお蔵入りになったが、市街地へと敗走したことで沙織はこの作戦を実行に移したのである。

 

 遊撃戦の要になるのは待ちぶせが得意なⅢ号突撃砲。しかし、そのⅢ号突撃砲は市街地に入る前にクルセイダーに撃破されてしまった。聖グロリアーナのクルセイダー隊は、大洗が遊撃戦に移ることを読んでいたのだ。

 

 M3リーが今いるところは、本来はⅢ号突撃砲が隠れる場所だった。車高が高いM3リーで代役が務まるかはまったくの未知数。それでもこの場を任された以上、やるしかない。

 

 梓が自分を落ち着かせるために息を整えていると、偵察に出た芽依子が戻ってきた。

 

「マチルダが一輌こちらに向かってきます。隠れ蓑の準備も万全ですので、確実に仕留めましょう」

「相手がマチルダでよかったね。スピードが遅いから、クルセイダーよりも命中させやすいよ」

「でも、マチルダは装甲が厚いから百メートル以内じゃないと通用しないって河嶋先輩は言ってた。撃破するには、できるだけ至近距離で撃たないと……」

 

 はたして相手はこの偽装でだまされてくれるだろうか、失敗して反撃されないだろうか。そんな様々な不安が梓の心を疲弊させていく。

 そのとき、震える梓の手に三人の仲間の手が重ねられた。

 仲間たちの温かい手は梓の心を安心させてくれる。言葉はなくとも、梓が冷静になるにはそれだけで十分であった。そんな仲間たちの思いに、梓は応えなければならない。このM3リーのリーダーは梓なのだから。

 

 梓はこの試合で初めてキューポラから身を乗りだした。

 怖くないといえば嘘になる。しかし、砲撃のタイミングが命のこの作戦は車長の指示がもっとも重要。作戦の成功率を上げるために、車長は外の状況を確認して的確に命令を下すことが求められる。

 

 薄暗い視界の中で息を殺しながら、梓はその瞬間が来るのを待った。  

 

 

 

 

 マチルダ隊の一員であるニルギリは、車長のポジションでこの試合に参加している。

 一年生のニルギリが試合のメンバーに選ばれたのは、ルクリリの推薦があったからだ。ダージリンが一年生の起用を明言したとき、マチルダ隊の隊長であるルクリリが大勢の一年生の中から真っ先に選んだのがニルギリであった。

 

「このままゆっくり前進してください」

 

 マチルダⅡのキューポラから上半身を出したニルギリは、ティーカップ片手に周囲を索敵中。

 大きな眼鏡が示すとおり、ニルギリは視力が低い。なので、索敵の際には必ずキューポラから顔を出して外を確認していた。

 

 いつ砲弾が飛んでくるかわからない戦車道の試合で、戦車の外に体を出すのはとても勇気がいることだ。気弱なニルギリがそれを実行するためには、普通の人よりも多くの勇気が必要になる。そんな彼女に勇気をもたらしてくれるのが、尊敬するルクリリの役に立ちたいという純粋な思い。この試合のメンバーに選んでくれたルクリリのためにも、ニルギリは結果を出さなければいけないのだ。

 

 ニルギリのマチルダⅡは敵戦車と接することなく、商店街を進んでいく。路地は多いものの、大洗の戦車が隠れている気配は感じられない。目の前の薬局を過ぎたところには路地がなく、薬局と民家の間は緑の生け垣が壁を作っている。

 

 ニルギリはその生け垣のことを気にもとめなかった。結果的にこの判断ミスが彼女の命取りとなる。

 

「芽依子、撃って!」

「えっ?」

 

 驚いたニルギリが声のしたほうに顔を向けると、生け垣だと思っていたものから砲身が顔をのぞかせていた。よく見るとそれは生け垣ではなく、木の枝や葉っぱを大量につけた大きな布。大洗の戦車はこの布をすっぽりと被り、ここで獲物が来るのを待っていたのだ。

 

 ニルギリが砲塔に隠れるのとマチルダⅡが砲撃を受けるのはほぼ同時だった。砲塔部の側面を撃たれたことでマチルダⅡは大きく揺れ、ニルギリが手に持ったティーカップからは紅茶がいきおよくこぼれる。

 厚い装甲が自慢のマチルダⅡとはいえ、近距離で砲塔部の側面を撃たれてはひとたまりもない。ニルギリがそーっとキューポラから顔をのぞかせると、マチルダⅡの砲塔からは白旗がはためいていた。ニルギリのマチルダⅡは、大洗に初めて撃破された戦車になってしまったのである。

 

「申し訳ありません、ルクリリ様。私はお役に立てませんでした……」

 

 眼鏡を外して涙をぬぐうニルギリ。

 油断しないようにといつもルクリリに念を押されていたのに、ニルギリはその教えを守ることができなかった。不甲斐なさと情けなさでつい涙を流してしまったが、こんなことではルクリリのような立派な淑女にはなれない。

 ニルギリにはダージリンに状況を報告するという最後の仕事が残っている。めそめそ泣くのはせめてその仕事を終えてからだ。四人で抱きあって喜んでいる大洗の少女たちを横目で見ながら、ニルギリは無線機へと手を伸ばした。

 

 

 

 一方そのころ、ニルギリに油断しないようにと指導していたルクリリは、見事に油断してマチルダⅡを盛大に炎上させていた。立体駐車場を利用した大洗の八九式中戦車の策に、まんまとハマってしまったのだ。

 

「くそっ! だまされたっ!」

 

 どうやら、ニルギリは油断したことをあまり気に病む必要はないようだ。

 

 

◇◇

 

 

『Bチーム、マチルダ一輌撃破!』

『こちらDチーム、マチルダ一輌を撃破しました。これから次のポイントへ移動します』

 

 仲間たちから次々と吉報が送られてくるが、隊長の武部沙織はそれに返答をすることができなかった。

 沙織の搭乗するⅣ号は、現在二輌のクルセイダーから追撃を受けている真っ最中。操縦手の冷泉麻子に逃げ道を指示するだけで、沙織はてんてこ舞いの状態だ。その証拠に、キューポラから上半身を出している沙織の顔は汗まみれであった。

 

「沙織、次の交差点を左に曲がれば例の場所に出る。みほに通用するかはわからないが、やるだけやってみよう」

「わかった。麻子、次の交差点を左に曲がって! スピードはなるべく維持してほしいんだけど、できる?」

「やってみる。ローズヒップさんには負けたくないからな」

 

 スピードを落とすことなく、交差点を左折するⅣ号。それに対し、クルセイダーもスピードを落とさずに左折してくる。相手がスピードを落とさないことがこの作戦の重要な要素なので、沙織にとっては好都合であった。

 

「速度を落とさないでこの先のカーブを曲がるよ。かなり揺れると思うから、みんなしっかりつかまってて!」

 

 この先には下り坂の急カーブがあり、進行方向には割烹旅館が建っている。かなりスピードが出ているが、麻子の運転技術があればうまく曲がりきれると沙織は踏んでいた。

 大洗の地理に疎い聖グロリアーナは、突然の急カーブに対応が遅れるはず。曲がり切れなければ旅館と正面衝突だ。沙織がスピードを落とさないように指示したのは、ここに急カーブがあることを悟らせないためだったのである。

 

 この旅館に相手を突っこませる作戦は、沙織がまほと一緒に事前に考えた策の一つ。標的は連携を組んで行動するクルセイダー一択である。装甲の薄いクルセイダーをここに玉突き衝突させれば、うまくいけば行動不能にできるかもしれないからだ。

 旅館が壊れてしまうのは申し訳ないが、戦車道の試合で壊れた建物は戦車道連盟が補償してくれる。タダで新築できるのだから旅館の主人も許してくれるだろう。

 

 沙織の予想したとおり、Ⅳ号は急カーブをなんとか曲がりきった。訓練に励んでいたことで麻子の運転技術は格段に向上しており、無茶な動きもある程度こなすことができる。麻子のおかげで沙織は大胆な作戦を実行に移すことができるのだ。

 

 Ⅳ号が曲がりきれたことで沙織の意識は後続のクルセイダーに移った。

 すぐさま後ろを確認し作戦の成否を確認する沙織。そこで沙織は驚きの光景を目の当たりにすることになる。

 

「すごい……」 

 

 ラベンダーが搭乗しているクルセイダーは、見事なドリフトで急カーブを曲がりきった。しかし、それは沙織の予測の範囲内。ラベンダーの実力を知っている沙織にとっては別に驚くことではない。

 沙織を驚かせたのは、ラベンダーの手に握られたティーカップから一滴も紅茶がこぼれなかったことだ。あのドリフトで紅茶を一滴もこばさないバランス感覚はまさに超人レベル。沙織の憧れの戦車乗りであるラベンダーは本当に底が知れない。

 

 沙織はそんなラベンダーとようやく同じ舞台に立つことができた。がんばってきた努力が実を結んだことで、大粒の汗を流している沙織の表情には笑みが浮かんでいる。

 最初はモテモテになりたいというだけで始めた戦車道。その意味合いが沙織の中で変化したのは、間違いなくラベンダーの影響であった。

     

 作戦は失敗したかに思われたが、もう一輌のクルセイダーは曲がりきれずに猛スピードで旅館に激突。走行不能になったかは判別できないものの、追っ手を一輌減らすことには成功した。

 

「やった! 一輌は引っかかったよ!」

「でも、まだラベンダー殿が残っていますよ。武部殿、これからどうするんですか?」

「いっそのことラベンダーさんとタイマン張ります?」

「みほと一対一で戦うのか……」

「ラベンダーさんは私たちの実力で勝てるような相手じゃない。今は逃げ回ってチャンスを待とう。ほかのチームもまだ残ってるんだし、慌てる必要はないよ」

 

 大洗で撃破されたのはⅢ号突撃砲のCチームのみ。履帯が外れた38(t)のEチームの安否は不明だが、残りの三輌は健在である。地の利を活かしてじっくりと戦えば勝機を見いだせる、沙織はそう考えていた。

 それが甘い考えだったことをすぐに沙織は思い知らされることになる。Bチームが撃破したと思っていたマチルダⅡはまだ死んでいなかったのだ。

 

 

 

「バカめっ! マチルダの装甲を甘くみるなよ。ファイヤー!」

 

 マチルダⅡの反撃を受けた八九式中戦車はあっけなく白旗を上げる。Bチームが撃破されたことで、大洗は車輌数に差をつけられてしまった。

 さらに運が悪いことに、次の待ちぶせポイントに向かっていたM3リーのDチームも敵に補足されてしまう。相手は旅館に激突したことで隊長車と別行動をとっていた、傷だらけのクルセイダーだ。

 

「敵戦車発見! あたしってば超ラッキー。この戦車を倒して、さっきの失敗を帳消しにするじゃん」

 

 一転して大ピンチに陥ってしまう大洗女子学園。決着のときはすぐそこまで迫っていた。

 

 

 

 

 ハイビスカスが脱落してもⅣ号戦車を追いかけ続けたみほ。少し時間がかかってしまったが、ようやくその追いかけっこに終止符を打つときがきた。

 

 Ⅳ号戦車の進行方向は道路工事で通行止めになっている。どうやら地理は把握していても、道路工事のスケジュールまでは調べていなかったらしい。みほのクルセイダーの後方には、ダージリンのチャーチルとルクリリのマチルダの姿もあり、このままいけば三対一となる。ハイビスカスからM3中戦車を追撃していると無線で連絡があったので、味方が助けにくることもないだろう。

 

 ダージリンのチャーチルを中心にして、みほのクルセイダーが右、ルクリリのマチルダが左を固め、Ⅳ号戦車の包囲は完了。前後をふさがれたⅣ号戦車にもう逃げ場はなくなった。

 Ⅳ号戦車が詰み状態になったことで、チャーチルの車長キューポラからダージリンが身を乗りだす。どうやら、ダージリンは沙織になにか言いたいことがあるようだ。 

 

「沙織さん、どうやらチェックメイトのようね。ところでこんな格言があることをご存知? 『あなたが転んでしまったことに関心はない。そこから立ち上がることに関心があるのだ』。よろしかったら、あとでまほさんに伝えてくださらないかしら」

「ちなみに今のはアメリカ合衆国第16代大統領、エイブラハム・リンカーンの言葉です」

 

 装填手ハッチから顔を出し、ダージリンの格言の補足をするオレンジペコ。怪力だけでなく、頭の回転の速さもオレンジペコはずば抜けており、ダージリンがどんな格言を引用してもすらすら答えてしまう。この頭の良さもオレンジペコがダージリンに気に入られている要因の一つであった。

 

 ダージリンの格言を聞いた沙織はポカンとしている。ダージリンのこの変な癖を知らないのだから、沙織が驚くのも当然だろう。みほも初めてダージリンの格言を聞いたときは、どう反応したらいいのか戸惑ったものだ。

 

 一年間ダージリンの格言とことわざを聞きつづけたことで、今のみほにはダージリンの言いたいことがなんとなくわかった。

 ダージリンは大洗で戦車道を始めたまほに発破をかけているのだろう。もしかしたら、今まで競いあってきた相手であるまほが隊長も車長もしていないことを歯がゆく思っているのかもしれない。

 

 みほがそんなことを考えていると、事態は急展開を迎えた。路地から突然一輌の戦車が現れ、Ⅳ号戦車を守るように立ちはだかったのである。

 その戦車の名は38(t)。山岳地帯で履帯が外れたと聞いていたが、どうやら履帯を直して追いかけてきたようだ。

 38(t)の砲塔はみほのクルセイダーに向けられていた。火力が低い38(t)でも装甲が薄いクルセイダーなら倒せると計算したのだろうが、黙って砲撃の的になるみほではない。

 

「38tの狙いは私たちです。戦車前進!」

 

 みほは38(t)の砲撃を回避する自信があった。みほの判断もローズヒップの反応の速さも完璧だ。

 だからこそ、みほはそのあとに起こった出来事が信じられなかった。38(t)はクルセイダーの背面に装着されている予備燃料タンクを正確に撃ち抜いたのである。

 

 ガソリンが入っている予備燃料タンクを撃たれたことで、クルセイダーは爆発を起こした。爆発といっても、戦車道に使用される戦車は特殊なカーボンが使用されているので車内は安全。みほもすぐに車内に引っこんだのでもちろん無事だ。だが、その一瞬の隙を沙織は見逃してはくれなかった。

 

 Ⅳ号戦車は前進すると、38(t)がやってきた路地を左折する前にクルセイダーに向かって砲撃。至近距離から直撃を受けたクルセイダーからは白旗が上がり、みほは撃破されてしまった。爆発に気を取られたことで、全員の判断が遅れてしまったことが敗因だ。

 

 ダージリンはすぐさま38(t)を撃破し、ルクリリを連れてⅣ号戦車の追撃に移る。部隊長のみほが撃破されても、動揺する素振りすら見せないのはさすがであった。

 

「ラベンダー様、ごめなさいですの。砲撃するのが一歩遅かったですわ」

「謝る必要はないよ、ベルガモットさん。予備燃料タンクを狙ってくるなんて私も予想してなかったし、今回は相手が一枚上手だったんだよ。練習試合でいい経験ができたと前向きに考えよう」

「ラベンダーの言うとおりですわ。かの発明王エジソンもこんな言葉を残してますわよ。『失敗したわけではない。それを誤りだと言ってはいけない。勉強したのだと言いたまえ』」

「カッコいいですー! 今のローズヒップ様、まるでダージリン様みたいでした!」 

「おほほほほ、二年生になったことでわたくしのお嬢様度も格段にアップしているみたいですわ。この分だと、目標であるダージリン様に到達する日は案外近いかもしれませんわね」

 

 撃破されたにもかかわらず、車内の空気は明るかった。聖グロリアーナの戦車道は勝ち負けにこだわらない。そのことを一年生にはっきり伝えるのも二年生の役目だ。

 

「それじゃ、消火作業を終えてからお茶にしようか。試合が終わるまでもう少し時間がかかると思うから」

「はい! 消火活動にも全力を尽くします!」

「紅茶の準備は私に任せてくださいませ」

「それではさっそく行動開始ですわ! カモミールさん、行きますわよ!」

「おーっ!」

 

 消火器片手にクルセイダーを飛び出すローズヒップとカモミール。楽しそうに消火活動に勤しむ二人は、まるでとても仲のいい姉妹のようだ。大家族の末っ子であるローズヒップは、カモミールを妹のように思っているのだろう。

 

 姉妹という言葉が頭に浮かんだことで、みほは試合中に考えないようにしていたまほのことを思いだした。

 このあとみほはまほと再会する。まほが引きこもっていたときに会話を重ねてはいたが、面と向かって話すのは久しぶりだ。

 まほが大洗で戦車道を始めたことを話題にするつもりはない。しほがすべて任せろと言ってくれたのだから、この件でみほが出しゃばる必要はないからだ。みほは普通に姉妹の会話をすればいい、まほだってそれを望んでいるはずである。

 

「ラベンダー様、どうかしたんですの? 考えごとをしていらっしゃるみたいですけど……」

「ううん、なんでもないよ。さあ、二人が戻ってくる前に紅茶の準備を終わらしちゃおう」

「はいですの」

 

 

◇◇

 

 

 梓たちのM3リーは海岸の砂浜でクルセイダーと対峙していた。

 すでに隊長車のⅣ号は撃破され、残りはこのM3リーのみ。ここまでなんとか逃げてきたものの、もう勝ち目はゼロに等しい。梓はせめてこのクルセイダーだけでも倒そうと、一騎打ちをするために広い砂浜までやってきたのだ。

 

 梓の意図を相手も理解したのか、クルセイダーも砂浜で停止している。

 合図があればいつでも決闘が始まるこの状況で、梓はキューポラから顔を出した。それと同時にクルセイダーのハッチが開き、中から梓の心を大きく揺さぶったハイビスカスという名の少女が姿を現す。

 

 何度見ても目を奪われてしまうぐらい、ハイビスカスは美しいお嬢様だ。容姿も平凡で普通の女子高生である梓とは、はっきりいって住む世界が違う。

 そんなハイビスカスを前にしても、梓が卑屈になることはなかった。戦車を動かすのに容姿や家柄は関係ない。今この瞬間だけは、梓とハイビスカスは対等な存在であった。

 

「行くよ! みんな、力を貸して!」

「戦闘開始じゃん! 突撃いたしましょう!」

 

 

 それから数分後。聖グロリアーナ女学院の勝利というアナウンスが大洗の町に響きわたり、大洗女子学園の初めての練習試合は幕を閉じた。 



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第二十八話 姉と妹

 みほたちは試合終了のアナウンスをクルセイダーの車内で聞いていた。小さなお茶会はここでお開きとなり、あとは回収車の到着を待つだけである。

 その前にみほには一つだけやりたいことがあった。みほのクルセイダーの動きを読み、予備燃料タンクを正確に砲撃した38(t)の乗員に会ってみたかったのだ。

 38(t)の三人の乗員は戦車からすでに降りている。話しかけるチャンスは今をおいてほかにない。

 

「大洗の人たちにあいさつしてくるね。ベルガモットさん、紅茶を三つ用意してもらえるかな?」

「お任せくださいませ。最高の紅茶をご用意いたしますわ」

「ベルガモットさんがいれた紅茶は本当においしいですからね。きっと喜んでもらえますよ」

 

 カモミールの言うとおり、ベルガモットがいれた紅茶はおいしいと評判だ。上質な紅茶は会話を弾ませる役に立つだろう。

 

「ラベンダー、わたくしもご一緒してよろしいでございますか? 凄腕のお砲手のかたにお会いしたいんですの」

「うん。一緒に行こう」

 

 ベルガモットにいれてもらった紅茶をトレイに乗せ、みほとローズヒップは38(t)へと歩いていく。乗員の三人はなにやら話しこんでいたが、みほは思い切って声をかけた。

 

「お疲れ様でした。紅茶をいれてきましたので、よろしかったらどうぞ」

「お、悪いね。小山、河嶋、せっかくだからごちそうになろう」

 

 ツインテールの小柄な少女がみほから紅茶を受け取ったことで、ほかの二人もティーカップを手に取る。

 試合が終わったばかりだが、紅茶のおかげで場の空気は悪くない。これなら話題を振っても問題ないだろう。そう判断したみほは、さっそく話を切りだすことにした。

 

「ところで、38tの車長のかたはどなたなんですか?」

「それはもちろん、ここにいる会長だ」

「たしかに車長は私だけど、お飾りみたいなもんだよ。今日の試合で一番がんばったのは副隊長の河嶋だからね。私は通信手をしてただけで、ほとんどなにもしてないよ」

「ということは、クルセイダーの予備燃料タンクを砲撃する策を考えたのは河嶋さんなんですね」

 

 大洗の副隊長はかなりの切れ者のようだ。片眼鏡の知的な風貌は伊達ではないらしい。

 

「桃ちゃん、あれって狙ってたの?」

「いや、あれは偶然……」

「そうなんだよー! 予備燃料タンクを狙うことを考えたのも、実際に砲撃したのも全部河嶋がやったんだ。なんたって大洗の副隊長だからね」

 

 相手の動きを予測して予備燃料タンクを狙い撃つのは簡単にできることではない。それをあっさりとやってのけた大洗の副隊長は、砲手としての能力も高いのだろう。  

 

「すげーですの! 策を練るだけじゃなく実際にクルセイダーに当ててみせるなんて、河嶋様は傑物ですわね」

「私もあれには驚かされました。良い腕をお持ちなんですね」

「ま、まあ、副隊長だからな。これぐらいはできないとみんなに示しがつかない」

「よっ! さすがは副隊長! 次の試合もよろしく頼むよ」

 

 そんな風に和気あいあいと話していると、回収車が近づいてきた。

 大洗女子学園はこのあと大納涼祭りに参加する予定が入っているので、試合後のお茶会は行われない。名残惜しいが、もうお別れの時間だ。

 

「それでは、私たちはこれで失礼します。今日の試合は良い勉強になりました」 

「河嶋様、次こそは絶対に回避してみせますわ。では、ごめんあそばせでございます」

 

 38(t)の乗員と別れのあいさつを済ませ、みほはローズヒップとともにクルセイダーへと戻っていく。

 良い勉強になったと言ったことはみほの本音である。大洗女子学園は戦車道を復活させたばかりの学校だが、油断はできない相手だということが今日の試合でよくわかったからだ。

 

 相手に地の利があったとはいえ、みほは二対一で沙織を撃破することができなかった。それどころか、河嶋副隊長の機転で逆に自分が沙織に撃破されてしまう有様。ハイビスカスのおかげで全滅はまぬがれたが、クルセイダー隊は大洗にしてやられてしまった。

 マチルダ隊もニルギリが撃破され、ルクリリも不意をつかれている。今日の試合は聖グロリアーナの勝利に終わったが、この次も同じ結果になるとは限らないだろう。

 

 大洗が厄介な相手だろうと、今年の全国大会だけはどこにも負けるわけにはいかない。今年はみほがお世話になった三年生の最後の大会なのだ。

 ダージリンとダンデライオン、そしてみほたちの面倒をずっと見てくれたアッサムに優勝をプレゼントしたい。その強い思いが、みほのやる気をみなぎらせる原動力だった。

 

 

◇◇

 

 

「会長、どうしてラベンダーさんに嘘をついたんですか?」

「河嶋は実際に命中させたんだから別に嘘ってわけじゃないっしょ。これであの子が河嶋を必要以上に警戒してくれたら、次に戦うときに有利に働くかもしれないしね」

「会長の言うとおりだぞ。我々は絶対に優勝しなくちゃいけないんだ。きれいごとばかり言ってる場合じゃない」

 

 杏と桃の言葉に眉をひそめる柚子。その表情からは彼女が不満を抱いていることがうかがえる。 

 

「……ラベンダーさんは私たちがお姉さんを脅したことを知ったら怒るでしょうね」

「それについては心配しなくていいよ。あの子に怒られるのは私の役目だ。すべてが終わったら私が責任を取る」

 

 きっぱりとそう言いきる杏の言葉は、いつものようなのらりくらりとした物言いとはまるで違う。ここまではっきりと思いを口にするのは、彼女にしては珍しいことだった。

 

「さーて、これで西住ちゃんが少しでもやる気を出してくれれば万々歳なんだけどね。まあ、いざとなったら武部ちゃんに賭けてみるのもありかな。正直、あの子を少し見くびってたよ。私の人を見る目も当てにならないねー」

 

 

 

 

 聖グロリアーナの戦車道にとって、試合後のあいさつは欠かせない重要な要素。しかし、この日は大洗との試合後のあいさつは行われなかった。双方の生徒が全員そろわなかったことで、あいさつする機会を逃してしまったのだ。

 

 聖グロリアーナ側でいなくなったのはハイビスカスただ一人であった。

 部下の不始末は部隊長の責任。みほはクルセイダー隊の隊長としての責務を果たすため、彼女の戦車の乗員に事情を聞くことにした。 

 

「それじゃ、ハイビスカスさんは大洗の逃げてしまった乗員を一緒に探してるんですね」

「はい。困ったときはお互い様と言ってましたわ。止めることができなくて申し訳ありません」

「そんなにかしこまらなくても大丈夫だよ。話してくれてありがとう。ダージリン様には私が連絡しておくから、なにも心配しなくていいよ」

「ありがとうございます、ラベンダー様」

 

 ハイビスカスのクルセイダーの操縦手をしている少女から事情を聞いたあと、みほはダージリンにこのことを報告した。もちろんハイビスカスが善意で行動したのを強調するのも忘れない。部下をフォローするのも部隊長の大切な仕事だ。

 

「仕方ありませんわね。ラベンダー、あとであなたからよく言って聞かせておきなさい」

「わかりました。一言ビシッと言っておきます」

「それならここでお手本を見せてもらえないかしら? ラベンダーがどんな叱責をするのか興味がありますわ」

「ふぇ!? えーと……ハイビスカスさん、あんまり度が過ぎると私も怒っちゃいますよ!」

 

 ハイビスカスを怒る気などさらさらなかったみほは、適当な言葉でお茶を濁す。腕を組んで頬を膨らませているので、怒っている雰囲気はよく出ているはずだ。

 

「ふふっ、冗談ですわ。厳しくしろとは言わないけれど、あまり後輩を甘やかしてはダメよ。私はアッサムとペコを連れて武部隊長と審判団にあいさつをしてきますわ。観客のみなさまへのあいさつはあなたとルクリリに任せましたわよ」

 

 ダージリンはそう言ってみほの前から立ちさった。

 どうやら、みほの思惑はダージリンにはお見通しだったようである。

 

 

 

 みほとルクリリは残った隊員と一緒にアウトレット施設に用意された見学席へと向かった。

 見学に訪れていた大洗町の人たちは、みほたちに温かい拍手を送ってくれる。それに応えるように、みほたちも聖グロリアーナの生徒の名に恥じない態度であいさつを行った。

 これで今日の試合の日程はすべて終了。今日は日曜日なので、着替えが終わればあとは自由だ。 

 

「ラベンダー、これからお姉様に会いに行くのでございますか?」

 

 一番早く着替え終わったローズヒップがみほに声をかける。せっかちなローズヒップは着替えるスピードも高速であった。

 

「お姉ちゃんも大納涼祭りに参加してるだろうし、会うのはお祭りが終わってからになるかな」

「それなら、大納涼祭りが終わるまでどこかで時間を潰さないとな。いっそのこと祭りの見学でもするか?」

「今日は大洗の伝統的な踊りが披露されるらしいので、それを見に行くのもありかもしれませんわね」

「そうしようかな。もしかしたら、お姉ちゃんもその踊りに参加してるかもしれないし」

 

 制服に着替えたみほは、ローズヒップとルクリリと一緒に祭りを見学することにした。

 ちなみに踊りの名はあんこう踊りというらしい。大洗町はあんこうが名物なので、それに関連した踊りなのだろう。 

 

 まさかこのあと実の姉の恥ずかしい姿を目撃することになろうとは、このときのみほは露ほども思っていなかった。

 

 

 

 アウトレット施設の中庭にあるおしゃれなカフェテラス。そこに大納涼祭りの見学を終えたみほたちの姿があった。

 みほは真っ赤な顔で放心している。ピンク色の全身タイツで踊るまほの姿はみほには刺激が強すぎたようだ。

 しかも、みほはまほと目が合ってしまった。熟したトマトのような顔で涙目になってしまったまほの姿は、たぶん一生忘れられないだろう。

 

「すごい踊りを見てしまいましたわね。大洗マジパネェですわ」

「私もあれには度肝を抜かれた。あれに比べたら、去年のウェイトレス姿なんて恥ずかしくもなんともないな」

「お姉ちゃんのあんな姿を見ることになるなんて……」

「あれ? みなさん、まだ大洗に残っていたんですね。学園艦の出航にはまだ時間がありますけど、あんまり遅くなっちゃダメですよ」

 

 三人があんこう踊りについて語っていると、突然甲高い声で話しかけられた。

 

「タンポポ様? どうしてここに?」

「それはもちろん、クルセイダー隊の雄姿を見るためです。実に見事な戦いぶりでしたよ。あたしが教えた作戦も完璧に決めてくれましたしね。ラベンダーちゃんを隊長に推薦したあたしも鼻が高いです」

 

 みほの問いかけに笑顔で答えるダンデライオン。みほは撃破されてしまったが、彼女の中では今日の試合は満足のいくものだったようだ。

 

「おー、学校ではちゃんと先輩やってるんだね。お父さんとユミ姉に甘えてばかりの家とは大違いだ」

「お姉ぇーっ! なんてことを言うんですか!」

「あ、もとに戻った。これぐらいで動揺しちゃダメだよー、うりうり」

「や、やめてくださいよぉ~! あたしの髪型崩れやすいんですからー!」

 

 ダンデライオンは赤い髪のショートカットの女性に髪をくしゃくしゃにされてしまう。

 ジーンズにパーカー姿のこの女性は、ダンデライオンとは違い背が高く胸も大きい。顔立ちもまったく似ておらず、姉妹という感じはあまりしなかった。

 

「タンポポ様、こちらのかたはどなたでございますか?」

「この人はあたしのすぐ上のお姉さんです。大学生なんですけど、今日はたまたま大洗に来てたんですよ。なので、せっかくの機会だから一緒に試合を見ることにしたんです」

 

 乱れた前髪を手ぐしで直しながらダンデライオンはローズヒップの質問に答えた。

 

「私も大学で戦車道をやってるからね。それに、母校の戦車道にはやっぱり興味があるし」

 

 どうやらダンデライオンのお姉さんは聖グロリアーナのOGらしい。OG会の話はよく聞くが、みほが実際にOGに会うのはこれが初めてであった。

 

「えーと、たしか新しい部隊長は君たち二人だよね? 西住流のことはOG会でも噂になってるよ。聖グロリアーナの戦車道は大丈夫なのかって」

「私たちは西住流を聖グロリアーナに持ちこむ気はありません。聖グロリアーナの戦車道はきちんと守ってみせます」

「私も同意見ですわ。心配なさらなくとも身の程はわきまえております」

 

 みほとルクリリは間髪を入れずにそう答えた。聖グロリアーナの戦車道を尊重することはみほたちの共通認識である。

 

「二人とも大人だねー。うちのちびっ子ライオンにも見習わせたいよ」

「ライオンって言わないでください! それは禁句だって言ったじゃないですか!」

「そういうところが子供なの。ニックネームは大事にしなさいって、私は教えたよね」

「うぐっ……お姉に痛いところを突かれるなんて不覚です」

 

 姉妹という感じがしないという印象はみほの誤りだったようだ。妹をたしなめるダンデライオンのお姉さんは、立派に姉の務めを果たしている。

 

「そんなに気に入らないなら、私のニックネームだったワイルドストロベリーに変更する? なんなら私が隊長に話を通してあげるよ」

「そ、それだけは嫌です! ダージリンさんには絶対に言わないでくださいよ。あの人は本気でやりかねないんですから」

「それならもっと自分のニックネームに自信を持つこと。ニックネームをもらえない子もいるんだから、つまらないことにはこだわらないの」

「……わかりました。がんばってみます」

 

 ダンデライオンのお姉さんは妹思いなのだろう。彼女が妹を大事に思っているのをみほは言葉の端々から感じ取ることができた。

 姉が妹を思う気持ちに気づけたのは、みほが成長した証。みほの心が中学時代のままだったら、おそらくこのことには気づけなかったはずだ。

 

 まほはみほの気持ちを考えなかったと後悔していた。けれども、あの小言の数々はみほのことを真剣に考えなければ出てこない。たとえそれが母の真似だったとしても、まほはまほなりにみほのことを思ってくれていたのである。今のみほにはそれがはっきりと理解できた。

 まほは今、この大洗のどこかにいる。手を伸ばせば届くところにいるのだ。みほは一刻も早くまほに会いたかった。

 

 しかし、物事はそう思いどおりにはいかない。まるでみほがまほと再会するのを邪魔するように、新たな登場人物がこの場に現れたのであった。

 

「探しましたよキクミさん。もうすぐ集合時間です。隊長を待たせるようなことをしたら、またバミューダトリオに怒られますよ」

「ありゃ、もうそんな時間かー。ごめんねアサミ」

 

 アサミと呼ばれた女性は快活なダンデライオンのお姉さんとは違い、上品で大人な大学生といった印象だ。背が低く体型も小柄だが、スカートにブラウスという清楚な見た目と腰近くまで伸びた黒髪が上品さを引き立てており、あまり幼さを感じさせなかった。

 

 キクミという名のダンデライオンのお姉さん同様、彼女ともみほたちは面識がない。にもかかわらず、アサミはみほたちに気づくと見下すような鋭い視線を向けてきた。

 

「あなたたちのことは知っています。聖グロリアーナ女学院始まって以来の問題児三人組といえば有名ですからね。OG会でも聖グロリアーナの伝統を破壊する危険な存在だと、よく噂されていますよ」

「私たちは伝統を破壊する気などありませんわ。聖グロリアーナの戦車道は必ず守りします」

「あなたたちの言葉は信用に値しません。去年の問題行為の数々がその証明です」

 

 ルクリリの言葉をバッサリと切ってすてるアサミ。彼女も聖グロリアーナのOGのようだが、キクミとは違いみほたちへの態度は辛辣そのものだ。

 

「去年のわたくしたちはたしかにダメダメでしたわ。でも、今年は一味違いますの。去年の失敗を糧にして、わたくしたちは成長したのでございますわ」

「私にはあなたたちが成長したようにはとても思えません。むしろ去年よりも危険度が増したのではないですか? そうですよね、お姉さんを追い出して後継者になった西住みほさん」

 

 アサミは不快感を隠そうともしない目をみほに向ける。それに対し、みほは反論もせずに正面からそれを受け止めた。

 みほがまほを追い落としたという噂をアサミは頭から信じこんでいる。そんな人間に事情を説明したところで時間が無駄になるだけだ。こんなときこそ、つねに優雅の精神を忘れずに相手を怒らせないような対処をしなければならない。

 

 そんなみほの姿をあざ笑うかのように、アサミの嫌味はさらにエスカレートしていく。

 

「そういえば、さっきあなたのお姉さんが踊っているのを見かけました。大きな胸を揺らして男性の注目を集める姿はまるで娼婦のようでしたよ。あんな卑猥な格好で踊れるなんて、お姉さんも少し問題があるみたいですね」

 

 まほをバカにするアサミの発言をみほは歯を食いしばって耐える。心の中では怒りのマグマが煮えたぎっているが、ここで噴火させるわけにはいかなかった。

 クルセイダー隊の隊長で西住流の後継者という立場のみほは、逸見エリカと大喧嘩した去年とは背負っているものが違う。なにを言われても我慢するしかないのだ。 

 

「姉妹そろって問題児とはなんとも情けない話です。いったいあなたの家はどんな教育を……」

「アサミ姉さんっ! ラベンダー様にひどいことを言うのはやめてください!」

 

 アサミの嫌味を大きな声でさえぎったのはカモミールであった。ベルガモットとニルギリの姿もあるので、どうやら三人でこのアウトレットを訪れていたようだ。

 姉さんと呼んでいるということはアサミとカモミールは姉妹なのだろう。その証拠に、今までずっと冷淡な目つきを崩さなかったアサミに変化が現れた。

 とはいっても、それは事態が好転するようなものではない。カモミールを見るアサミの目には憎悪の色がありありと浮かんでいたからだ。

 

 アサミはつかつかとカモミールに歩みよると、いきなり大きく右手を振りかぶった。アサミはカモミールを平手打ちするつもりだ。

 それに気づいたみほは足を一歩前に踏みだすが、それよりも早く動いた人物がいた。聖グロ一の俊足の二つ名を持つローズヒップである。

 

 ローズヒップはアサミとカモミールの間に割って入ると、カモミールのかわりに平手で頬を叩かれた。小気味のいい音が響いたことで、平手打ちには相当な威力があったことがわかる。それでも、ローズヒップは倒れることなくアサミの前に立ちふさがった。

 

「どきなさい。私は生意気な口をきいたそこの愚妹に用があるんです」

「お断りしますわ。この子には指一本触れさせませんわよ!」

「邪魔をするならもう一発殴ります。私は本気ですよ」

「どんと来いですわ!」

 

 一歩も引かないローズヒップに向かってアサミは右手を振りかぶるが、その手がローズヒップに振り下ろされることはなかった。

 アサミが高く上げた右手をキクミがガシッとつかんだのだ。

 

「みっともない真似はもうやめなよ。ディンブラは聖グロリアーナで学んだことをもう忘れちゃったの?」

「そのニックネームは返上しました」

「返上するのはニックネームだけにしてほしかったなー。今のディンブラの姿をウバ様が見たら悲しむよ」

「……待ち合わせの時間に遅れてしまいます。キクミさん、先に行きますね」

 

 アサミは逃げるようにその場から走りさった。わずかに動揺しているところを見ると、キクミの言葉はアサミにとって耳が痛いものだったようだ。

 ウバとディンブラはスリランカ原産の紅茶である。原産国が同じことを考えると、もしかしたらアサミとウバ様と呼ばれた人物は親密な関係だったのかもしれない。

 

「さーてと、私もそろそろ行くよ。あんまり遅れるとバミューダアタックされちゃうからね。あとのことは任せたよ」

「うん、わかった。お姉、ローズヒップちゃんを助けてくれてありがとね」

 

 キクミは片目でウインクするとアサミが逃げた方向に走りだす。それとほぼ同時に、みほとルクリリもローズヒップのもとへ駆けよった。

 

「ローズヒップさん、大丈夫……大変! 鼻血が出てるよ!」

「これぐらいなんともありませんわ。逸見エリカのアイアンクローのほうが強烈でしたわよ」

「嘘つけ! 口からも出血してるじゃないか!」

 

 どうやら平手打ちの当たり所が悪かったらしい。ローズヒップは口の中を深く切っており、口内は真っ赤に染まっていた。

 

「わ、私のせいでローズヒップ様が……ごめんなさい、ごめんなさい!」

 

 大粒の涙を流し、頭を何度も下げるカモミール。それを見たローズヒップは、鼻血を袖でぬぐうとカモミールを優しく抱きしめた。

 

「カモミールさん、淑女は人前で涙を見せてはいけないのですわ。泣くならわたくしの胸の中でお泣きなさい」

 

 カモミールを胸に抱きとめるローズヒップの姿は慈愛に満ちている。

 ダージリンに憧れ、彼女のようになりたいと努力を続けてきたローズヒップ。残念ながら目標のダージリンに到達するには、まだまだ足りないところのほうが多い。それでも、精神の気高さだけはすでにダージリンに匹敵しているようにみほには思えた。

 

「みなさん、ほかのお客さんの迷惑になりますのでひとまずここを離れましょう。ベルガモットちゃんとニルギリちゃんも一緒に……どうかしたんですか?」

「それが、ローズヒップ様が血を流しているのを見たニルギリさんが気分を悪くしてしまったんですの」

 

 ダンデライオンにそう答えたベルガモットは、倒れそうになっているニルギリを必死に支えていた。ベルガモットとニルギリは体格差があるので、低身長のベルガモットは今にも押しつぶされそうだ。

 それを見たルクリリは慌てて二人に近寄ると、前かがみになってニルギリを背負う。どうやらニルギリをおんぶして運ぶつもりのようだ。

 

「しっかりしろニルギリ。いいか、私の肩を放すんじゃないぞ。ラベンダー、ローズヒップのことは頼む」

「任せて。ローズヒップさん、歩けそう?」

「なんとか大丈夫ですわ。カモミールさん、移動しますわよ」

「それでは出発しますよ。すみませーん、通してください……通してくださぁいぃーっ!」

 

 甲高い声を張りあげてダンデライオンは野次馬をどかしていく。優雅とは程遠い姿だが、おかげでみほたちはすんなりとアウトレットを離れることができたのだった。

 

 

 

 結局、みほはこの日まほと再会できなかった。負傷したローズヒップと泣いてしまったカモミールを放っておくことなどできるわけがない。

 あとで沙織に連絡を入れてみると、あちらも五十鈴華の家庭の問題で一悶着あったようだ。どうやら今日は星の巡りが悪い日だったらしい。物事というのはなかなかうまくいかないものである。

 

 

◇◇◇

 

 

 大洗マリンタワーの展望室で一人の少女が大洗の町を眺めていた。

 聖グロリアーナ女学院の制服を着たこの少女の視線の先には、道を歩く大洗女子学園の生徒たちの姿がある。聖グロリアーナ女学院のタンクジャケット姿の少女が一人混じっているという違和感はあるが、それを抜かせばいたって普通の光景だ。

 

「いつかこんな日が来るとは思っていましたが、こんな形でめいめいと道が分かれることになるとは予想外でしたねぇ」

 

 展望室の少女、犬童頼子はポツリとそうつぶやく。

 

「大洗女子学園の廃校がお父様の望みなら、頼子はそれを全力で成しとげるだけです。バイバイ、芽依子。お友達とは仲良くするんですよ」

 

 妹に別れを告げ、頼子は大洗マリンタワーの展望室をあとにする。その表情は普段の明るい様子とは違い、どこか寂しそうなものであった。



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第二十九話 オレンジペコと戦車喫茶 前編

 オレンジペコは問題児トリオと一緒に陸のとある街を歩いていた。

 四人が陸にいる理由は戦車道の行事に参加していたからだ。今日は陸にある多目的ホールで戦車道の全国大会の抽選会が行われる日であった。

 聖グロリアーナ女学院の戦車道チームは全員抽選会に参加していたが、終了後は自由解散。学園艦の出航時間にさえ遅れなければ、このまま陸で遊んでいても問題ない。オレンジペコの友人たちもすでに街へと繰りだしている。

 本当ならオレンジペコもそこに混ざりたかった。しかし、不運なオレンジペコは問題児トリオに捕まってしまったのだ。今のオレンジペコの状態を例えるならドナドナされる子牛。逃げることはもうできない。

 

「ダージリン様はくじ運まで持っているおかたでしたわね。相手が知波単学園なら一回戦は楽勝ですわ」

「知波単は突撃戦法だけで小細工してこないからな。チハが相手ならマチルダでも十分戦えるし」

「あんまり甘く見るのは危険だけど、一回戦は心配いらないかな。問題は二回戦だね」 

「二回戦の相手は青師団高校と継続高校の勝者ですね。まあ、たぶん継続高校が勝ち上がってくると思いますけど」

 

 全国大会の抽選結果について語る問題児トリオの会話にオレンジペコも加わった。ルクリリの言葉づかいはもう諦めているのでスルーである。

 

「継続高校は隊長が優秀な人らしいからね。アッサム様のデータでも要注意の学校に入ってたし、厳しい戦いは避けられないと思うよ」

 

 継続高校が厄介な相手というラベンダーの言葉にはオレンジペコも同意見だった。

 寒冷地や湖沼地帯での戦いを得意とする継続高校は、操縦手の運転技術が優れていることで知られている。それを活かした迂回作戦などで相手をかく乱するのを好むので、正々堂々をつねとする聖グロリアーナにとっては相性が悪い相手だ。

 

「相手がどこだろうと今年は負けられないですわ。三年生に優勝という最高の名誉を手にしてもらうために、わたくしは今回の大会に命をかけてますの」

「少し大げさじゃないですか? なにも命までかけなくても……」

「ペコ、私たちは本気だぞ。三年生には今まで迷惑ばかりかけてきたからな」

「アッサム様にはとくにね。でも、アッサム様は私たちのことを見捨てないで、ずっとそばで守ってくれたの。私たちはその恩返しがしたいんだよ」

 

 問題児トリオの熱意を前にしたオレンジペコは、それ以上なにも言えなくなってしまう。普段はあまり表に出さないが、勝利に並々ならぬ意欲を燃やす三人の姿は西住流そのものだ。

 その迫力に息苦しさを覚えたオレンジペコは話題をそらすことにした。

 

「ところで、今日はどこへ連れて行ってもらえるんですか?」 

「戦車喫茶という珍しい喫茶店ですわ。今、インターネットで話題になっているお店なんですの」

「ウェイトレスさんが軍服姿だったり、ケーキが戦車の形をしてるんだって。たまにはオレンジペコさんとこういうお店に行くのもいいかなって思ったの」

「今日は私たちのおごりだからな。遠慮しないでお腹いっぱい食べていいぞ」

 

 話題が切り替わったことで、三人から漂っていた緊迫感が薄らいでいく。どうやら西住流門下生からいつもの問題児トリオに戻ったようである。

 

「あ、ありがとうございます」

 

 場の空気を変えるのには成功したが、オレンジペコの笑顔はひきつっていた。問題児トリオに誘われて今まで無事に終わった試しはないのだから、彼女がこんな表情になるのも仕方がないだろう。しかも、今回の行き先は戦車喫茶という珍妙な喫茶店。もうそれだけで危険なにおいがプンプンしている。

 神様どうかお助けください。オレンジペコはそう心で祈りながら戦車喫茶へと連行されていった。

  

 

 

 

 今日の戦車喫茶ルクレールは女子高生でほぼ満席。色とりどりの制服姿の少女であふれている店内はとても華やかで、道行く男性が思わず歩を止めるほどだ。

 なぜいろんな学校の女子高生がこの店に集まっているかというと、この日は近くの多目的ホールで戦車道の全国大会の抽選会が開かれていたからである。ここにいる女子高生のほとんどが戦車道をたしなむ戦車女子であった。

 

 その戦車女子の中には大洗女子学園のDチーム改め、ウサギチームの姿もある。それだけでなく、一緒のテーブルには聖グロリアーナ女学院の生徒も混じっており、合計十一人の大所帯になっていた。

 テーブルをともにしている聖グロリアーナの生徒は、以前行った練習試合で仲良くなったハイビスカスと彼女が連れてきた友達三人。ハイビスカスから抽選会の帰りに合同女子会をやろうと提案され、ウサギチームのメンバーはこの喫茶店へとやってきたのだ。

 

「みんなー、今日はカモっちの失恋をなぐさめに来てくれてありがとう。カモっち、今日はパーッと騒いで嫌なことは忘れようね」

「ちょっと待ってください! 失恋てなんのことですか!?」

「えー、違うの? 最近カモっちしょんぼりしてるから、あたしはてっきり恋愛の悩みだと思ったんだけどなー」

「れ、恋愛なんて私にはまだ早いです。それに、私は妹たちの世話ばかりで男の子と遊んだこともないんですよ」

 

 カモミールは赤い顔でそうまくし立てた。

 

「なら、今度あたしの男友達を紹介してあげる。ボーイフレンドはたくさんいるからね。カモっちと気があいそうな男の子もきっと見つかるよ」

「男友達はボーイフレンドって呼ばないと思うよ……」

 

 ハイビスカスのボーイフレンド呼びにあゆみがツッコミを入れる。

 普通、ボーイフレンドと呼べるのは恋愛関係にある男子のみ。男友達はフレンド呼びだ。

 

「でもでも、ハイちゃんって明るくて美人だから、いっぱい恋人がいても不思議じゃないよね」

「実はあちこちの学校に彼氏がいる魔性の女だったりして。梓ちゃん、ライバルが多いと大変だねぇ」

「ゆ、優季! 変なこと言わないでよ!」

 

 あや、優季、梓も会話に加わり、女子会はだんだんにぎやかになっていく。

 

「ほかにも男の子を紹介してほしい人がいたら言ってねー。バンバン紹介しちゃうから」

「私には将来を誓いあった殿方がいますので必要ありませんわ」

「芽依子も好きな人がいるので遠慮しておきます」

 

 ベルガモットと芽依子の発言で一瞬ときが止まる。話を振ったハイビスカスもピシッと音を立てたように固まっていた。

 

「ええーっ!? めいちゃんに好きな人がいたなんて初耳だよ!」

「ベルっちにそんな設定があったなんて知らなかったんだけどっ!?」

 

 桂利奈とハイビスカスの驚きの声を皮切りに、場が色めき立つ。

 女の子は恋愛話が大好きである。戦車道をたしなむ戦車女子も例外ではない。

 

「将来を誓いあったってことはその人は許婚なのぉ?」

「許婚ではありませんわ。私から告白して了承をもらったんですの」

「どんな人なの? 同級生? 年上? それともまさかの年下?」

「年上ですわ。優しくて豪胆で男気がある、とってもステキなかたなんですの」

 

 優季とあやの質問に丁寧な答えを返すベルガモット。好きな人のことを語る彼女の姿は恋する乙女そのものであった。

 最初にベルガモットへ質問が集中するのは当然だろう。将来を誓ったという言葉は乙女の心を揺さぶるパワーワードなのだ。

 

「ベルっち、ベルっち。写真とか持ってないの? ベルっちの旦那様がどんな男の人か気になるじゃん」 

「もちろん持ってますの。今見せますから、少し待っていてくださいませ」

    

 ベルガモットはスマートフォンを操作して画像を探し始める。すると、突然カモミールが待ったをかけた。

 

「待ってくださいベルガモットさん。本当にいいんですか? あまり公にしないほうが……」

「なぜ隠す必要があるんですの? 私はなにも後ろめたいことはしていませんわ」

「でも……」

「大丈夫、誰になんと言われようと私は気にしませんわ。愛は無敵なんですの」

 

 カモミールとベルガモットのやり取りから漂う不穏な空気。その影響もあってテーブルは徐々に静かな緊張感に包まれていく。みんなが固唾を飲んで見守るなか、ベルガモットは恋人が写っている画像をついにお披露目した。

 

 スマートフォンの画面に映っているのは三人の男女の写真。中央にいるのがベルガモットで、右隣には真っ白い自衛官の制服を着用した男性が、左隣にはストロベリーブロンドの髪を腰まで伸ばした美しい女性が立っている。

 自衛官の制服を着ていることもあり、男性はまじめで武骨な男といった印象だ。女性のほうはとても穏やかな笑顔で男性に寄りそっており、ベルガモットの肩に優しく手を置いていた。ベルガモットの見た目が小学生にしか見えないので、恋人の写真というよりは幸せそうな家族写真に見える。

 

「このかたが私の恋人ですの」

 

 ベルガモットの発言でテーブルはシーンと静まりかえった。

 このテーブルだけ世間の喧騒から隔絶されたような状態に陥ったことで、隣のテーブルの少女たちが何事かと視線を向けてくる。

 

「ちょっち聞いていい? ベルっち、この人本物? 実はコスプレだったりしない」

「そんなわけありませんわ。このかたはれっきとした海上自衛隊の自衛官ですの」

「この女の人は誰なの? お母さんにしては若すぎるような気が……」

「私の姉様ですわ。姉様は本当にすごいお人なんですのよ。聖グロリアーナ女学院の戦車道チームが全国大会で準優勝したとき、隊長を務めていたんですの」

 

 梓の質問に答えるベルガモットの声は、好きな人のことを語っていたときと同じくらい活き活きしていた。その様子からはベルガモットが姉をとても尊敬していることがうかがえる。

 

「なんでお姉さんが一緒に写ってるの? この写真だとお姉さんがこの人の恋人に見えるよ」

「姉様もこのかたの恋人ですわよ。私が聖グロリアーナ女学院を卒業したら三人で一緒に暮らすんですの。姉様と私がいれば、彼も安心して港に帰ってこられますわ」

 

 あゆみの問いかけに答えたベルガモットの爆弾発言によって、再びテーブルの空気が凍りつく。

 妙齢の美女と小学生にしか見えない美少女の二人と二股する海上自衛官。カモミールが止めようとするのもうなずける衝撃の事実であった。

 

「あなたはそれでいいのですか? 二股をかけられているんですよ」

「このかたは二股なんて器用なことができる人じゃありませんわ。私と姉様を平等に愛してくれる度量の大きい殿方なんですの」

「なんかハーレムアニメの主人公みたいな人だね。でも、現実は世間の目があるから厳しいんじゃないかな?」

「世間からどう思われようと関係ありませんの。これが私たちの愛の形なんですわ。愛を見くびらないでくださいませ!」

 

 芽依子と桂利奈の否定的な言葉をベルガモットは一蹴する。その力強い言葉は彼女の本気度の表れともいえた。

 体は小さくても愛の大きさは人一倍。ベルガモットのニックネームを与えられた少女は愛に生きる女だったのだ。くしくもベルガモットの花言葉には、『身を焦がす恋』と『燃え続ける想い』というフレーズがある。偶然の産物だが、ベルガモットは彼女にぴったりのニックネームだったようだ。

   

「まさかベルっちが愛の戦士だったなんて、人は見かけによらないねー。ニルっちもそう思う……なにしてるの?」

 

 ハイビスカスが話しかけたニルギリは、おだやかな表情で紗希のことを見ていた。ニルギリの対面に座っている紗希はもくもくとケーキを食べており、二人が先ほどの騒動とは無縁の世界にいたことがわかる。

 

 そのとき、ケーキを食べていた紗希の手がピタッと止まった。そのまま紗希がボーっとしていると、ニルギリがすかさず戦車の形をした注文ボタンを押す。砲撃の音とともに店員がやってくると、ニルギリは紅茶のおかわりを注文。すぐに紅茶が運ばれてくるとそれを紗希に向かって差しだした。

 紅茶を受けとった紗希はそれを一口飲むと、ニルギリに向かって軽く会釈。それを受けてニルギリは軽く笑顔で返す。二人は言葉をまったく発していないが、流れるような自然な動作は心が通じあっている親友のように見えた。

 

「紗希が初対面の相手と打ちとけてる!?」

「紗希ちゃんとこんなに早く仲良くなった人は初めてじゃない?」

「うん。芽依子もかなり早かったけど、それ以上だよ」

「聖グロリアーナのお嬢様はすごいねぇ」

「よかったね紗希ちゃん!」

「ニルギリさん、紗希をこれからもよろしくお願いします」

 

 ニルギリと紗希の交流を喜ぶ大洗の少女たち。

 見かけによらないのはベルガモットだけではなかったようである。  

 

 

 

 ベルガモットの次は芽依子への質問タイム。しかし、芽依子の答えは実に拍子抜けするものであった。

 

「芽依子の好きな人はお父様です。お父様を愛する気持ちはお母様にも負けません」

 

 自信満々の表情でそう告げる芽依子。そして、三度目の静寂に包まれるテーブル。

 大洗の少女たちも芽依子が重度のファザコンだったことは知らなかったらしい。

 

「親父が好きとか変わってるね。あたしだったら絶対ごめんだけどなー」

「ハイビスカス! 愛を否定することは私が許しませんわ!」

「いやいや、否定してないし! あくまで個人的な感想を言っただけじゃん。あたし、親父と仲悪いし……」

 

 ベルガモットにすごまれハイビスカスはタジタジである。愛の戦士は恋愛の話になると頭に血が上るようだ。

 

「お父さんと喧嘩でもしたのぉ?」

「したした、進路のことで大喧嘩したよ。あたしはサンダースに行きたかったのに、親父は聖グロに入れの一点張り。最後は聖グロに入らなかったらお前を勘当するとまで言われたじゃん。あたしが男の子とばっかり遊んでたのがそんなに気に入らないのかねっ!」 

 

 ハイビスカスはプリプリ怒ったあと、フォークをケーキにぶすっと突きたてる。お嬢様とは思えない乱暴な行為だが、それだけ怒り心頭なのだろう。

 

「サンダースって私たちの一回戦の対戦相手だよね?」

 

 あゆみの言葉に大洗の少女たちはいっせいにうなずく。

 

「ありゃ、それはついてないねー。初戦から強敵じゃん」

「けど、サンダースは早めに対戦したほうが絶対に楽ですよ。一回戦は十輌しか出場できませんから、車輌数が多いあの学校の強みは活かせません」

「とはいっても、うちは五輌しか戦車がないからね。十輌の相手に勝てるとは思えないよ」

 

 カモミールのフォローに対し、悲観的な物言いをするあや。

 すると、あやの言葉を聞いた芽依子が突然立ちあがった。鋭利な刃物を連想させる表情は少し怒っているようにすら見える。

 

「芽依子ちゃん、ごめんっ! さっきのは冗談だから、もう絶対に逃げたりしないから!」

「芽依子は怒っていませんよ? ちょっとお花を摘みに行ってきます」

「私も一緒に行くー!」

 

 芽依子と桂利奈は連れたって席を立つ。芽依子が本当に怒っていないことがわかったあやは、ほっとした表情を浮かべていた。

 

「あや、芽依子は逃げたことを怒らなかったでしょ。あの子は優しい子だよ」

 

 芽依子の行動に過剰反応を示したあやを梓がたしなめる。

 

「それはわかってるんだけど……。芽依子ちゃん、このごろすごく顔怖いじゃん。最初に会ったときはあそこまで怖くなかったよね?」

「あやちゃん、びびりだぁ~」

「その言いかたひどくない!?」

「でも、私もあやがそう思う気持ちは少しわかるかな。生徒会の人を見てるときの芽依子って近づきがたいオーラが出てるし」

 

 あやの主張にあゆみが相槌を打つ。

 芽依子の生徒会嫌いはエスカレートする一方で改善する兆しが見えない。団体戦である戦車道においてチームの不和は大きなマイナス要素。一回戦の相手が強豪校なこともあり、あやとあゆみはそれを快く思っていないらしい。

 

「そのことについては私から芽依子に話してみるよ。すぐには無理かもしれないけど、芽依子ならきっとわかってくれる。だから、みんなは今までどおり普通に芽依子と接してあげて。芽依子は私たちの大切な仲間だよ。ウサギチームの結束はこんなことで崩れるようなものじゃないでしょ」

 

 真剣な表情で訴えかける梓の言葉をうさぎチームのメンバーは黙って聞いていた。今まで会話に参加せず、ずっとケーキを食べていた紗希もいつの間にかそこに加わっている。

 

「ごめん梓。私、余計なこと言ったね」

「あゆみちゃんが悪いんじゃないよ。元はといえば私のせいだし」

「誰も悪くなんてないよぉ。だって私たちはみんな仲良しだもん。ねー、紗希ちゃん」

 

 優季の言葉にコクコクと力強くうなずく紗希。あゆみとあやの表情も次第に和らいでいき、テーブルを支配していたどんよりした空気は跡形もなく消えさった。どうやら梓の思いはみんなにしっかりと伝わったようである。

 

「あずっち、超カッコよかったよー! あたしが男の子だったら間違いなく告白してた。ねえねえ、ハグしていい? いいよね?」

「え? ちょ、ちょっと待っ……」

「いーや、待てない!」

 

 勢いよく席を立ったハイビスカスは梓にぎゅっと抱きついた。

 ハイビスカスに抱きしめられた梓は口をパクパクさせながら硬直してしまう。顔は真っ赤に染まっており、今にも湯気が出そうであった。

 

「他校の生徒にセクハラはまずいですよハイビスカスさん。やるなら私にしてください。胸を揉まれても我慢しますから」

「ニルっち、これはセクハラじゃないよ。あたしの熱い気持ちをあずっちに伝えたかったの」

「だからって抱きつくのはやりすぎですの。オレンジペコさんに知られたらまた怒られますわよ」

 

 ベルガモットの口から出たオレンジペコというニックネーム。この場にいない第三者の名前が登場したことで、大洗の少女たちは頭に疑問符を浮かべている。

 

「オレンジペコさんってどんな人なのぉ?」

「あたしたちのリーダー的存在な子だよー。頭脳明晰、品行方正を絵に描いたみたいな優等生。それだけじゃなくて、問題児カルテットっていう異名まで持ってるじゃん」

「優等生なのに問題児?」

「ペコさん自身に問題はないんです。ただ、高校生になってから妙にトラブルが舞いこむようになってしまって……」 

 

 あやの疑問に意味深な答えを返すカモミール。

 優等生と問題児。相反する二つの顔を持つオレンジペコという人物の謎は深まるばかりだ。

 

 そのとき、遠くから騒ぎ声が聞こえてきた。店内でなにやら揉め事が起こっているらしい。

 騒ぎの中心にいるのは、目つきの鋭い銀髪の少女とオレンジがかった金髪の小柄な少女である。その小柄な少女を見た瞬間、聖グロリアーナの少女たちはいっせいに驚きの声を上げた。

 

「大変です! ペコさんが黒森峰の生徒と喧嘩してます!」

「またトラブルに巻きこまれてしまったみたいですわね……」

「みんな、ペコっちを助けに行くよ! あたしに続けーっ!」

「は、はいっ! 喧嘩とかしたことないですけどがんばります!」

 

 聖グロリアーナの少女たちは大慌てで席を離れ、騒ぎが起こっている場所へと向かう。

 大洗の少女たちはそれを茫然と眺めていたが、紗希だけは反応が違った。紗希は聖グロリアーナの少女たちのあとに続こうとしたのだ。

 

「ちょっと待って紗希ちゃん! まさか一緒に行くつもりなの?」

「心配」

「ニルギリさんは紗希ちゃんのお友達だもんねぇ」

「私たちも行こう。紗希を一人で行かせられないよ。梓! いつまでも固まってる場合じゃないから!」

 

 あゆみは梓の肩をつかんでがくがくと揺らす。それによって、心ここにあらずといった状態だった梓がようやく復活した。

 

「あゆみ? どうしたの?」

「説明はあと。いいから梓もついてきて!」

「なになに? みんなどこ行くの?」

 

 困惑する梓を仲間に加え、大洗の少女たちも現場へ走る。

 そこで大洗の少女たちが目撃した光景は、聖グロリアーナのお嬢様のイメージを一変させるものであった。



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第三十話 オレンジペコと戦車喫茶 後編

 神様は意地悪だ。今日ほどオレンジペコがそう思った日はなかった。

 

「よく私の前に顔を出せたわね。みほっ!」

 

 憤怒の表情でずんずんとこちらに近づいてくる黒森峰女学園の生徒。オレンジペコの記憶が正しければ、この人物は黒森峰女学園の戦車隊で副隊長をしている逸見エリカという名前だったはずだ。 

 ラベンダーが黒森峰女学園で大ひんしゅくを買っているのはオレンジペコも知っている。けれども、あの温厚なラベンダーにここまで怒りをむき出しにする人物がいたことは正直驚きであった。エリカはラベンダーの本名を叫んでいたので、もしかしたら二人の間にはなにか特別な事情があるのかもしれない。

 

 それにしても、戦車喫茶に入店したばかりでまだ席にすらついていないのに、もうトラブル発生である。ここまでくると、呪われてるんじゃないかと疑いたくなるレベルだ。

 

「逸見さん……」

 

 エリカの姿を目にした途端、先ほどまで笑顔だったラベンダーの表情は一気に曇った。それと同時に、ルクリリとローズヒップがラベンダーを守るようにエリカの前に立ちはだかる。

 

「ワニ女、ここから先は一歩も通さないぞ!」

「わたくしたちが相手になりますわ!」

「邪魔をするなぁっ!」

 

 エリカは一気に距離を詰めるとルクリリとローズヒップにアイアンクローをお見舞いする。二人が避けるのを許さないスピードはまさに電光石火。黒森峰の生徒は鍛錬に余念がないという話をオレンジペコは聞いたことがあるが、実際に目の当たりにした身体能力は驚くべきものだった。

 

「くそっ! 放せこの馬鹿力!」

「や、やっぱりあのときのビンタよりこっちのほうが強烈ですわ……」

直下(なおした)! 三郷(さんごう)! この二人を押さえてなさい!」

 

 エリカはルクリリとローズヒップを後方へと放り投げる。そこで二人を待っていたのは、黒森峰女学園の制服を着た二人組。

 直下と呼ばれたベリーショートの少女はルクリリを三郷と呼ばれた眼鏡の少女はローズヒップをがっしりと拘束。ラベンダーの盾になった二人はあっという間に無力化されてしまった。

 

「おとなしくしてなさいよ。私たちだってこんなことしたくないけど、副隊長の命令には逆らえないの」

「お前たちの力じゃ副隊長どころかあたしたちにも勝てないよ。ここであの子が殴られるのを黙って見てな。あっはっはっはっ!」

「なんでそんなノリノリなの!?」

 

 なぜかこの状況を楽しんでいる三郷に対し、びっくりした様子でツッコミを入れる直下。二人はエリカの命令に従っているがやる気には差があるようだ。

 

 ルクリリとローズヒップが脱落し、残るはオレンジペコとラベンダーのみ。

 ラベンダーは諦めに近いような表情で突っ立っており、逃げる様子はなかった。このままでは、三郷が話していたようにラベンダーはエリカに殴られてしまう。ルクリリとローズヒップを暴力で排除したのだから、それぐらいは平気でやりそうな相手だ。

 

 エリカの目に映っているのはラベンダーだけで、オレンジペコのことなど眼中にない。ラベンダーを見捨てれば、オレンジペコはトラブルに巻きこまれないですむだろう。

 守るか逃げるか。その異なる二つの選択肢の中からオレンジペコは迷わず前者を選んだ。

 

「あんたも痛い目にあいたいわけ?」

「本当は関わりたくないんですけどね。でも、先輩たちは私の友達を助けてくれました。これはそのお礼です」

 

 身を挺してカモミールを守ってくれたローズヒップ。泣いてしまったカモミールのそばにずっと寄りそってくれたラベンダー。淑女という体面をかなぐり捨ててニルギリをおんぶしてくれたルクリリ。

 問題児トリオはオレンジペコの大事な友達を救ってくれた。ラベンダーを守る理由はそれだけで十分である。 

 

「なら仕方がないわ。あんたも間抜けな先輩と同じ目にあわせてあげる!」

 

 エリカはオレンジペコへすばやく右手を伸ばす。ルクリリとローズヒップを制圧した必殺のアイアンクローをかけるつもりだ。

 しかし、黙ってやられるオレンジペコではない。オレンジペコはエリカの右手に自分の左手を組み合わせ、アイアンクローをがっちりとガード。オレンジペコの抵抗に眉をひくつかせたエリカは次に左手を伸ばすが、オレンジペコはそれも自分の右手で受けとめた。

 手と手が組み合った二人の状態はプロレスでいうところの手四つ。オレンジペコは自慢の怪力が活かせる力比べに持ちこむことで、エリカの進行を阻止したのであった。

 

「やるわね」

「あなたこそ」

 

 二人の力は五分と五分。オレンジペコはエリカよりも小柄だが、体格のハンデをものともしていない。

 

「オレンジペコさん、負けないでくださいましー!」

「ペコ、聖グロのリーサルウェポンと呼ばれたその力を見せつけてやれ!」

「呼ばれてません!」

 

 ルクリリの言葉をオレンジペコは即座に否定する。いくらなんでも殺人兵器呼ばわりはあんまりだ。

 

「ラベンダーさん、今のうちに逃げてください」

「みんなを置いて私だけ逃げられないよ。お願い逸見さん、オレンジペコさんにひどいことしないで。私、謝るから」

「この人になにを言っても無駄ですよ。私の知っている人と同じ目をしてますから。アサミさんと言えばわかりますよね?」

 

 オレンジペコとカモミールは中等部でずっと一緒だった親友同士。なので、彼女の姉であるアサミのこともオレンジペコはよく知っている。

 アサミはオレンジペコがもっとも嫌悪している人間だ。憎しみに歪んだどす黒く濁った目をカモミールに向け、彼女をまるで物のように扱う姿は邪悪そのもの。カモミールを守るためにオレンジペコがアサミと対立したのは一度や二度ではない。

 今目の前にいるエリカの目は、実の妹を憎むアサミと同じである。これもオレンジペコが戦う理由の一つであった。

 

「逃げたら許さないわよっ! あんたには言いたいことが山ほどあるんだからね」

「早く逃げてくださいっ! あなたは軽々しく喧嘩をしていい人ではないはずです」

 

 こんな人の多い場所でラベンダーが黒森峰の副隊長と喧嘩をすれば、マスコミやゴシップ誌の餌になるだけだ。

 西住流の後継者という看板は人目を引く。この件が記事になれば、西住まほを追いだしたという噂を信じている人間がまた騒ぎだすだろう。オレンジペコが大嫌いなあのアサミのように。

 ダージリンとアッサムがどんなに手を尽くしても陸ではラベンダーを守りきることはできない。ラベンダーが問題児トリオでいられるのは学園艦の中だけなのだ。

 

「ラベンダー、今は逃げるときですわ!」

「私たちのことは気にするな!」

「……ごめんなさい」

 

 ローズヒップとルクリリの声に背中を押されたラベンダーは、出口に向かい走りだす。それを見たエリカはラベンダーの背中に向かって大声をあげた。

 

「待ちなさい! みほ! みほぉっ!」

 

 エリカの叫び声を聞いたオレンジペコは、自分が少し思い違いをしていたことに気づいた。実の妹に憎しみの言葉しか浴びせないアサミとは違い、エリカの声からは悲しみといった感情を察することができる。それはエリカがラベンダーのことを心の底から憎んでいない証拠だ。エリカはアサミの同類ではなかったのである。

 

「よくも邪魔してくれたわね……」

 

 エリカから発せられる怨嗟の声。それを正面から受けたオレンジペコは、まるで背中に氷柱を差しこまれたような寒気を覚えた。

 エリカの暗い感情に飲まれオレンジペコは一歩後ずさる。そんな危機的状況のオレンジペコを救ってくれたのは彼女の友人たちであった。

 

「ペコっちー! そんな奴に負けちゃダメだよー!」

「ペコさんなら絶対に勝てます!」

「オレンジペコさんには私たちがついてますの!」

「が、がんばってください!」

 

 オレンジペコへの声援は友人たちにとどまらない。驚いたことに、友人たちのそばにいる大洗女子学園の生徒までもが声援を送ってくれたのだ。

 

「よくわかんないけど、とにかくがんばってー!」   

「がんばれぇ~」

「やれやれー!」

「ぶっ殺せー!」

「ファイト」

 

 みんなの声援で気力を取りもどしたオレンジペコは、渾身の力をこめてエリカを押しかえす。

 オレンジペコの力強い歩みはまるで戦車のようだ。エリカはそれを止めることができずに徐々に後退していく。この力比べの勝敗はここに決した。

 

「あの副隊長が押されるなんて……、聖グロのちっこいのは化け物か!?」

「ねぇ、もうやめにしない? 私たち完全に悪役だよ。それにそろそろ赤星たちが……」

「おいっ! お前らなにやってんだ!」

「エリカさん、喧嘩なんてやめてください!」

 

 三郷と直下が驚き戸惑っていると、トイレのほうから黒森峰女学園の制服を着た二人の少女がこちらに向かってきた。

 

「やばっ、根住(ねずみ)と赤星が戻ってきた……二人とも、あたしは反対したんだよ。でも副隊長と直下には逆らえなくて……」

「はあぁっ!? やる気満々だったのはあんたじゃない! このぉー、自分だけ助かろうって魂胆かー!」

「うわっ! 暴力はんたーい!」

 

 直下と三郷が仲間割れを起こしたことで、ルクリリとローズヒップは拘束から解放される。

 それを見たエリカは組み合っていたオレンジペコの手を離した。どうやらこれ以上は無意味だと悟ったようだ。

 

「覚えてなさい。この次はこうはいかないから」

 

 捨て台詞を残して店の出口へと向かうエリカ。歩いているところ見ると、ラベンダーを追いかけるつもりはもうないらしい。

 

「ほら、お前たちも行くぞ。このことはあとで深水隊長に報告するからな」

「ええぇぇーっ! そんなぁ~」

「プラウダ式の穴掘り罰は確定だな。あっはっはっは……はぁー」

 

 根住と呼ばれた毛先がピンピン外ハネしているボブカットの少女に、直下と三郷は引きずられていく。

 最後に残ったのは赤星という名のくせ毛が目立つショートカットの少女。彼女はオレンジペコに向かって頭を下げると、謝罪の言葉を口にした。

 

「ごめんなさい。お怪我はありませんか?」

「私は大丈夫ですので心配はいりません。それより、狂犬には首輪をしっかりと付けといたほうがいいですよ」

「二度とこんなことがないように気をつけます。本当にすみませんでした」

 

 赤星はもう一度深々と頭を下げたあと、小走りで去っていく。自分が悪いわけでもないのに謝る羽目になるあたり、彼女は貧乏くじを引きやすいタイプなのだろう。お互い損な役回りである。 

 

 そんなことを思いながら赤星の背中を眺めていると、次にオレンジペコを待っていたの割れんばかりの大歓声であった。オレンジペコへの称賛の声は友人たちや大洗の生徒たちだけでなく、騒ぎを見ていた他校の生徒からもあがっている。店内がお祭り騒ぎの様相を呈したことで、オレンジペコの顔はみるみるうちに赤くなってしまう。

 

「わたくし、感動しましたわ。オレンジペコさんは聖グロリアーナの誇りですの」

「よくやったぞペコ。それでこそ聖グロのリーサルウェポンだ」

「だから、リーサルウェポンって呼ぶのはやめてください。それ、女の子に使っていい言葉じゃないですよ」 

  

 ルクリリに憎まれ口を叩くオレンジペコであったが、言葉とは裏腹に表情はすっきりしていた。

 オレンジペコは自分が正しいと思うことをしたのだ。ダージリンからの叱責とカヴェナンターのお仕置きが待っていたとしても後悔はなかった。

 

 

 

 それから数日後、オレンジペコは隊長室に呼びだされた。戦車喫茶での一件がダージリンの耳に入ってしまったのである。

 

「ペコ。なぜここに呼びだされたのかわかっているわよね?」

「はい。カヴェナンターに乗る覚悟はすでにできてます」

「今回の罰はカヴェナンターではありませんわ。あなたたちはもうカヴェナンターに慣れてしまったでしょう? そんなあなたたちのために、私は新しい罰を考えましたの」  

 

 慣れてるのはあの三人だけです。そう声高に叫びたい気持ちをオレンジペコは必死に抑える。 

 

「あなたたちには戦車道チーム全員の前である踊りを実演してもらいます」

「踊りですか?」

「ええ、そうよ。ピンクの衣装を着用する実にユニークな踊りですわ。衣装はとある深海魚がモチーフになっていて、この踊りの名前にもなっているの。ここまで言えば、どんな踊りかペコなら理解できるのではなくって?」

 

 ダージリンの言葉を聞いたオレンジペコの表情が絶望に染まる。その条件に合致した踊りといえば、大洗で目撃したあの踊りしかない。

 ピンク色の全身タイツ姿で踊る自分の姿を幻視し、オレンジペコは体を小刻みに震わせる。いやいやと首を振ってもダージリンはニッコリと微笑むだけだ。

 

「衣装は被服部のみなさまがすでに作成済みですわ。踊りの手順が入ったDVDはもうラベンダーに渡してあります。彼女は罰の対象外だったのだけれど、本人たっての希望で参加するそうよ。ペコ、優しい先輩と一緒にかわいらしい姿を見せてちょうだいね」

    

 ダージリンからくだされた無慈悲な最終通告。それを受けたオレンジペコはがっくりと膝をつき、両手を床について四つん這いの体勢でうなだれた。

 現実はどうしてこんなにつらく厳しいのだろう。そう思わずにはいられないオレンジペコであった。

 

 

◇◇◇ 

 

 

 犬童家の屋敷では父と娘の話しあいが行われていた。

 二人の間に横たわる高級感あふれる木のテーブルに置かれているのは、第六十三回戦車道全国大会のトーナメント表。このたった一枚の紙きれが二人の話題の中心だ。

 

「黒森峰の一回戦は問題なさそうだな。対戦相手のBC自由学園はチームとしての体を成していない烏合の衆。味方同士で潰しあって自滅するのがオチだろう」

「聖グロリアーナも一回戦は余裕ですぅ。知波単学園とは相性ばっちりですから」

「となると、懸念するべきはやはりここか……」

 

 犬童家の当主が指でトントンと叩いた箇所には大洗女子学園と書かれている。

 

「頼子は大洗が勝てるとは思えませんけどねぇ。相手のサンダースは四強の一角ですよ」

「だが、大洗にはまほ様がいる。聖グロリアーナとの練習試合で大洗が健闘したことを考えると、楽観視するのは危険だな」

「大洗に潜入して妨害工作でもしますか? お父様のためなら頼子はなんでもやりますよぉ」 

 

 頼子は胸を張ってそう答える。学園艦に潜入するのは彼女の得意分野。戦車道が復活したばかりでスパイ対策などしていない大洗に防ぐ手立てはないだろう。

 

「頼子が手を汚す必要はない。例の件で難儀しているサンダースに手を貸してやれば、大洗の勝ち目はなくなる」

「いいんですかお父様? あれをサンダースが手に入れたら黒森峰が不利になりますけど?」

「あんなものに頼ったところで黒森峰には勝てん。種が割れた手品ほどつまらないものはないからな」

「了解です。橋渡しは頼子にお任せ!」

 

 元気よく返事をする頼子と満足げな表情でうなずく犬童家の当主。大洗廃校に向けてついに犬童家が動きだした。



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第三十一話 第六十三回戦車道全国高校生大会一回戦

 季節は春から夏に移りゆき、いよいよ第六十三回戦車道全国高校生大会が開催されるときがきた。

 聖グロリアーナ女学院の一回戦の相手は千葉県の知波単学園。九七式中戦車チハを主力にしている学校で、過去にはベスト4に入ったこともある古豪である。

 しかし、得意の突撃戦法に傾倒しすぎたせいで知波単学園は近年いい成績を残せていない。ある意味、聖グロリアーナ女学院と知波単学園は似た者同士の対決であった。この両校は伝統に縛られて結果が出せない学校の筆頭なのだ。

 

 その知波単学園との一回戦当日。みほの姿は試合会場ではなく、聖グロリアーナ女学院の学園艦の中にあった。

 一回戦は十輌しか出場できない上に、相手は突撃一辺倒の知波単学園。マチルダⅡの浸透強襲戦術で圧倒できる相手にわざわざクルセイダーを出す意味はなく、今年もクルセイダー隊の一回戦は留守番で終わった。

 

 置いてきぼりをくらったクルセイダー隊であったが、それで腐るような隊員はいない。

 聖グロリアーナが優勝するためにはクルセイダー隊の協力が必要不可欠。ダージリンがクルセイダー隊を応援にすら連れていかなかったのは、彼女たちの練度を少しでも向上させるためだ。そのことは隊員全員が理解している。

 

「今日はコンビネーションの練習をしましょう。継続高校の生徒は運転技術が優れています。私たちが勝つにはそれを上回る連携技で対抗するしかありません」

 

 訓練の指揮を執るみほの言葉に隊員たちは大きくうなずいた。

 二回戦の相手は一回戦で青師団高校をくだした石川県の継続高校。知波単学園とは違って簡単には勝てない難敵だ。

 

「訓練は三輌でチームを組んで行ってください。訓練の最後には三対三の模擬戦もありますので、みなさんがんばりましょう」

「よーし、やってやるじゃーん! ラベンダー様、今日こそ白旗上げさせるからね」 

 

 ハイビスカスは元気な声でそう言い放ち、足早に移動を開始した。

 

「私たちも一年生には負けていられませんよ。最上級生としてのお手本を示しましょう」

「了解ですわ、ダンデライオン様」

「任せてください、ダンデライオン様」

「今日も愛らしくてステキですわ、ダンデライオン様」

 

 ダンデライオンの戦車の乗員はタンポポではなく、本来のニックネームで彼女の名前を呼んだ。キクミにさとされたダンデライオンは、タンポポという呼び名を捨てニックネーム呼びを解禁。もうタンポポという名で彼女を呼ぶ隊員は一人もいない。

 

「ニックネームを連呼するのはさすがにやめてほしいんですけどっ!」

 

 キンキン声で文句を言うダンデライオン。ニックネームで呼ばれることにはまだ慣れていないようである。

 そんな愉快なやり取りを繰りひろげながらダンデライオンは乗員とともにクルセイダーへと向かう。ちなみに、ダンデライオンの搭乗する戦車は部隊長時代と同じクルセイダーMK.Ⅱであった。一年生のときからずっと同じ戦車に乗っていた彼女たちのチームワークの良さは折り紙付き。ダージリンはその長所を活かすことを優先し、クルセイダーMK.Ⅲに乗りかえはさせなかったのだ。

 

 ほかの隊員たちも軽快な足取りで移動し、練習開始の準備は着々と整っていく。

 みほはそれを見届けたあと隊長車へと視線を移した。視線の先にあるのはブルーグレーのクルセイダーではなく、深緑のクロムウェル。アールグレイの置き土産であるこの巡航戦車クロムウェルがみほの搭乗する新たな隊長車だ。

 

 クロムウェルをクルセイダー隊の隊長車として使用する。この案を実現させるまでの道のりは長く険しいものだった。

 OG会の派閥の一つ、クルセイダー会は比較的話のわかる派閥である。それでも、さすがに隊長車を変えることには難色を示し態度を硬化。ダージリンの粘り強い交渉とアールグレイの口添えのおかげもあり、なんとか許可が下りたのは大会直前。野球で例えるなら滑りこみセーフといったところだ。

 

 みほがクロムウェルの近くまでやってくると、すでに乗員が整列して待っていた。急な戦車の乗りかえであったが、不安な顔をしている乗員は誰もいない。

 

「遅いですわよラベンダー。さあ、早く出発しますわよ。ハリー! ハリーですわ!」

「ローズヒップ様のやる気がみなぎってます。私たちも負けていられませんよー!」

「もちろんですの。姉様が見にきてくださる大会で不甲斐ない結果は残せませんわ」

 

 乗りかえたといっても操縦手、装填手、砲手はクルセイダーに乗っていたときと同じメンバー。変わったのは通信手が一人増えたくらいだ。

 クルセイダーよりサイズが大きいクロムウェルは五人の乗員を乗せることが可能。クルセイダーとは違い、乗員が自分の役割に専念できるので効率は格段にアップする。それだけでなく、部隊長のみほが指揮に力を注げるというおまけつき。独立部隊として運用されることが多いクルセイダー隊にとって、クロムウェルはまさにうってつけの隊長車なのだ。

 

 そのクロムウェルで通信手を担当することになったのは、どこのポジションもこなせる万能選手、ニルギリである。

 普段はマチルダに乗っているニルギリだが、そのたぐいまれなる器用さはどんな戦車も苦にしない。なので、クロムウェルの通信手というポジションも彼女にはまったく問題にならなかった。

 

「ニルギリさんも元気出していきましょうね!」

「は、はい。ご迷惑にならないようにがんばりますね」

「そんな小声じゃダメです。もっとこう、うおーって叫ぶくらいの気持ちでお腹から声を出してください」

「えっ? そ、その……お、おおーっ!」

 

 大声で気合を入れるニルギリ。余程恥ずかしかったのか顔は耳まで真っ赤に染まっている。

 

「そうそう、その感じです。テンションアゲアゲでがんばりましょう!」

 

 アサミとの一件以来、暗い表情を見せることが多かったカモミールも最近はすっかり元気になった。おそらく、一緒の戦車に乗る友達が増えて心に余裕が出てきたのだろう。連携重視のクルセイダー隊は乗員同士のコミュニケーションも重要な要素。どうやら、ダージリンがニルギリをクロムウェルの通信手に起用したのは正解だったようだ。

 

 新たな戦車と乗員を仲間に加え、クルセイダー隊は今日も訓練に励む。

 お茶会の時間を短縮し、授業時間のほぼすべてを訓練にあて、彼女たちは戦車を走らせる。すべては二回戦以降の戦いで悔いのない結果を残すため。そんな彼女たちに一回戦突破の朗報がもたらされたのは、この日の夕方のことであった。

 

 

 

 聖グロリアーナ女学院が無事に一回戦を突破した数日後。

 みほ、ローズヒップ、ルクリリの三人はとある試合の会場へと足を運んでいた。この日は土曜日で学校は休み。学園艦も試合会場近くの港に停泊しているので移動の支障もなしだ。

 

 試合会場には第六十三回戦車道全国高校生大会一回戦、サンダース大学付属高校対大洗女子学園と書かれた大きな旗が掲げられている。この試合は沙織たちのデビュー戦であると同時に、大洗へ転校したまほの初めての公式戦。みほにとっても結果が気になる大事な試合であった。

 

「武部様と河嶋様はサンダース相手にどう戦うおつもりなのでございますかね? わたくしには想像すらできませんわ」

「十対五は数字的に考えたら圧倒的に不利だからな。それに八九式は正直戦力外だし」

「その戦力外に一泡吹かされたのはどこのどなたでございましたっけ?」

「よし、その喧嘩買ったぞ。こら待てっ! 逃げるな!」

 

 脱兎のごとく逃げだしたローズヒップをルクリリが追いかける。問題児トリオの二人は今日も平常運転のようだ。

 とはいえ、屋台が出ている広場で追いかけっこはさすがにまずい。そう思ったみほは二人に注意を促すことにした。

  

「二人とも、あんまりはしゃいじゃダメだよ。ほかのお客さんの迷惑に……」

「あぁーーっ! あなたたち、なんでこんな所にいるの!?」

「ふえっ!?」

 

 大きな声に驚いたみほが顔を向けると、そこには黒森峰女学園の制服を着た少女が立っていた。ベリーショートというボーイッシュな髪型なこの少女は、エリカの指示に従っていた二人のうちの一人だ。

 

「お前はワニ女の手下の……誰だっけ?」

「なんか雑魚っぽい名前のかただった気がしますの。あっ! 思いだしましたわ。たしか三下様ですわ」

「私の名前は、な、お、し、たっ! 三郷と名前を混ぜないでよ!」

 

 ローズヒップに名前を間違えられた直下は両手をぶんぶん振りまわして怒っている。

 

「直下さん、また聖グロリアーナにちょっかいをかける気ですか? 今度問題を起こしたらプラウダに短期転校させる、そう深水隊長から言われてますよね?」

「こ、これは違うの。いきなりだったから動揺しちゃっただけなの。許して赤星……じゃなかった副隊長!」 

 

 隣に立つくせ毛のショートカットの少女に許しを請う直下。

 戦車喫茶で騒ぎを起こしたエリカは副隊長を解任された。そのエリカに代わって新しく副隊長に就任したのが、この赤星小梅という名の生徒だ。

 

「私の呼び名は赤星のままでいいですよ。私たちは友達じゃないですか」

「でも、副隊長を呼び捨てにしてるって誰かに告げ口されたらプラウダ行きになっちゃうから……」

「深水隊長はそんなことで罰を下すような人じゃありませんよ。それに、いざとなったら副隊長の私が助けますから安心してください」

 

 赤星小梅は人を思いやれる人物なのだろう。直下に優しい言葉をかけている姿を見て、みほは素直にそう思った。

  

「みなさん、その節はお世話になりました。黒森峰が今年の大会に出場できるのもみなさんの寛大なご処置のおかげです。本当にありがとうございました」

 

 直下が落ち着いたのを見計らい、赤星はみほたちに向かって感謝の言葉を口にした。

 あの戦車喫茶での喧嘩は一時かなり大きな問題になったが、すでに騒動は沈静化している。あれは喧嘩ではなく友達同士の悪ふざけ。世間ではあの出来事はこのような認識になっているからだ。

 当然のことながら、みほたちがエリカたちと友達というのは真っ赤な嘘。これはある人物が書いたシナリオであり、みほたちはそれに乗っかっているだけにすぎない。

 

 そのシナリオを書いた人物の名は深水トモエ。黒森峰女学園戦車隊隊長であり、エリカを副隊長から解任した張本人である。

 トモエはエリカたちを連れて聖グロリアーナの学園艦にやってくると、三人の不始末を正式に謝罪。その後行われた話し合いの結果、この騒動を収めるために先ほどのシナリオをみほたちは演じることになったのだ。

 もともと聖グロリアーナ側にことを荒立てる気はない。淑女を目指す少女たちが喧嘩に巻きこまれたというのは、聖グロリアーナにとってもイメージダウンにつながる。この件が大事にならないですむのならそれに越したことはなかった。

 

 あとは騒ぎ立てる外野をどうするかだが、そちらのほうはトモエが全部けりをつけてしまった。

 トモエの父親は中央政界に太いパイプを持っている実業家で、三人いる彼女の兄も様々な方面で顔が利くエリートぞろい。トモエはその家の力をフルに活用し、聖グロリアーナと話をつけたあと問題を一気に収拾させたのである。深水家は犬童家とも接点があったようで、裏で犬童家が手を貸していたのも問題解決の要因の一つであった。

 

 去年の深水トモエはすぐにぺこぺこ頭を下げるどこか頼りない印象が強かったが、今年はまるで別人のように堂々としている。隊長になったことで気持ちに変化があったのか、それともなにか別に理由があるのか。詳しいことはみほにはわからないものの、彼女が優勝を目指す聖グロリアーナの大きな壁となるのは間違いないだろう。

 

「そんなに気にしないでください。深水さんのおかげで私たちも学校に迷惑をかけずにすみましたから」

「ワニ女と友達っていうのはちょっと複雑だけどな。まあ、すべて丸く収まったんだから良しとしよう」

「直下様、さっきは名前を間違えてごめんなさいですわ。わたくしたちは一緒にあんこう踊りを踊った仲間。これからは仲良くするでございますわ」

「お願いだからあんこう踊りの話だけは勘弁して。あれ踊ったあと、私ガチで三日間引きこもったからね。塹壕を十個掘ったほうがまだましだったよ」

 

 トモエがエリカたちに科した罰は二つ。一つはプラウダ仕込みの戦車壕を十個掘る罰。もう一つはみほたちと一緒にあんこう踊りを披露する罰だ。

 ダージリンからあんこう踊りの罰のことを聞いたトモエはエリカたちにも参加を強要。トモエの依頼でダージリンもすぐさま被服部に追加の衣装を発注。二人の隊長の迅速な行動と悪ノリでエリカたちとの合同あんこう踊りが実現し、みほたちは七人という大人数であんこう踊りを披露することになったのである。

 

「そういえば、今日はワニ女とメガネとネズミは一緒じゃないのか?」

「あの三人も来てるよ。私たちが買い出し班で、残りが場所取り班」

「ということは、観客席でわたくしたちと鉢合わせになる可能性もありますわね。今度は大丈夫でございますか?」

「三郷は根住がそばにいれば心配いらないよ。あの子は根住みたいな強気な子には基本逆らわないしね。逸見のほうはもうそんな気力ないでしょ。最近は牙を抜かれた虎みたいにおとなしいから」

 

 エリカの近況を淡々と話す直下の言葉はみほの胸を苦しくさせる。憔悴しきった顔でみほに謝罪するエリカの姿は見るに堪えないものだった。世間を誤魔化すための形だけの仲直りはすでにすませている。しかし、みほの心はエリカと本当の意味での和解を望んでいた。

 

「赤星さん、できれば逸見さんと話がしたいんだけど、ダメかな?」

「ごめんなさい。それは許可できないです。今のエリカさんはラベンダーさんと会えるような精神状態じゃありませんから……」

「そうなんだ……」

「ラベンダーさん、エリカさんのことは私たちが支えます。西住隊長がいなくなって困惑していた私たちを導いてくれたのは、深水隊長とエリカさんでした。今度は私たちがエリカさんを助ける番です」

 

 赤星小梅に任せておけば心配いらないだろう。彼女はみほが出しゃばるよりもいい結果をもたらしてくれる。そう頭では理解しているのに、みほの心のモヤモヤは一向に晴れてくれなかった。

 

 

 

 赤星たちと別れ観客席に向かっていたみほたちは、その途中で再び声をかけられた。

 今度の相手はオレンジペコである。どうやら彼女もこの試合の観戦に訪れていたようだ。

 

「ようやく見つけました。みなさん、まだなにも問題は起こしていませんよね?」

「こんなところで騒ぎを起こすわけがありませんわ。オレンジペコさんは心配性ですわね」

「黒森峰の生徒が来てたら心配もします。駐機場で黒森峰のヘリを見かけたときは心臓が止まるかと思いましたよ」 

「安心しろペコ。いくら私たちが問題児でも短期間で二度も同じ失敗はしないぞ」

 

 ルクリリは腕を組んで得意顔になっているが、それに対するオレンジペコの反応は冷ややかなものであった。 

 

「申し訳ないですけど、その言葉は信用できません。またあんこう踊りを踊るハメになるのはゴメンですから」

 

 オレンジペコの声は少し怒気を含んでおり、ご機嫌斜めなことがうかがえる。あんこう踊りの罰は直下だけでなく、オレンジペコにもかなりの精神的ダメージを与えてしまったようだ。

 

「とにかく、黒森峰の生徒がいる観客席にみなさんを行かせるわけにはいきません。別の場所に観戦スペースを用意してますので、私に着いてきてください」

 

 そう言うと、オレンジペコは観客席とは違う方向へ歩いていく。みほたちはお互いに顔を見合わせると、黙ってオレンジペコの後に続いた。オレンジペコが怒ったら怖いのを三人はよく知っているのだ。

 

 歩くこと数分。観客席から少し離れた場所でオレンジペコは立ち止まった。

 そこに置かれていたのはピンク色に迷彩された一台のランドローバー。ピンクパンサーと呼ばれたこの車は、英国の特殊部隊が砂漠で使用していた戦闘車両だ。本来なら機銃が搭載されていたはずの荷台は改造されており、柔らかそうなシートが取りつけられている。

 

「お嬢様、お待ちしておりました。ご観戦の準備はすでに整っております」

「ありがとうございます。先輩たちを招待したいんですが、お願いできますか?」

「ええ、お任せください。すぐに追加のイスをご用意いたしますね」

 

 オレンジペコは運転席に座っていたメイド服姿の女性に指示を出したあと、助手席のシートに腰かけた。

 

「さあ、みなさんもどうぞ。荷台になりますけど、乗り心地は保証しますよ」

「本当にいいのオレンジペコさん? 私たち邪魔にならないかな?」 

「気を使わなくていいので、私を助けると思っておとなしく乗ってください。観客席で黒森峰と喧嘩されたら、こっちに飛び火してくるのは間違いありませんからね」  

 

 オレンジペコに促され、みほたちはピンクパンサーの荷台に乗りこんだ。

 この間の戦車喫茶の件といい、みほは最近オレンジペコにお世話になってばかりである。これではどちらが教育係なのかわかったものではない。この失態を挽回するには、今まで以上にオレンジペコの面倒を見なければならないだろう。みほがそう心の中で気合を入れていると、オレンジペコが話しかけてきた。

 

「ラベンダーさん、変な気は起こさないでくださいね。いいですか、絶対ですよ」

 

 

 

 ピンクパンサーに揺られて丘を登ると、そこに現れたのは大型ディスプレイを一望できる観戦スペース。イスと屏風が置かれ、地面にはカーペットまで敷かれている聖グロリアーナ仕様である。

 もちろん紅茶の準備も万全だ。小さな机の上にはティーセットが用意されており、すでに一人の少女がイスに座って優雅に紅茶を飲んでいた。

 

「あら、あなたたちも来ていたのね」

 

 紅茶を飲んでいたのはダージリンであった。この観戦スペースを用意したのはオレンジペコのようだが、観戦を望んだのはおそらくダージリンだろう。まほの奮起を期待していたダージリンは、この試合でそれを見極めるつもりなのだ。

 

「ラベンダー、なにか悩みがあるみたいですわね。まほさんのことかしら?」

 

 みほの顔を見たダージリンは疑問を投げかける。学校では滅多に暗い顔を見せないので、みほが悩んでいるのはすぐにバレてしまった。

 

「お姉ちゃんのことはなにも心配していません。お姉ちゃんには武部さんたちがいますから」

「そう、なら逸見エリカさんのことで悩んでいるのね」

「な、なんでわかるんですか!?」

「わからないほうが不自然ですわよ。悩んでいるなら話してごらんなさい。偵察で不在のアッサムに代わって、私があなたの相談に乗りますわ」

 

 ダージリンに相談するか否か、みほは一瞬判断に迷った。ダージリンはあんこう踊りを罰に採用するような突拍子もないことをする人物である。エリカとの関係が余計にこじれてしまう可能性もゼロではない。

 しかしながら、赤星に任せているだけではみほの心はいつまで経ってもすっきりしないだろう。エリカとの関係修復は発端を作った自分の手で解決しなければならないのだ。そう考えたみほはダージリンに悩みを話すことにした。

 

「なるほど、ラベンダーは逸見さんと和解したい、けれでもそのきっかけがつかめないわけね。それなら私にいい考えがありますわ。『山は山を必要としない。しかし、人は人を必要とする』。あなたと逸見さんが仲良くなれる突破口を私が作ってあげましょう。この試合が終わったらまずは逸見さんを探すわよ」

 

 スペインのことわざを引用して自信満々にそう告げるダージリン。

 

「さっすがダージリン様ですわ。相談してよかったですわねラベンダー」

「安心してラベンダー。なにが起きても私たちはあなたのそばにいますわ。気を落とさないようにね」

 

 親友の二人の反応は正反対。オレンジペコは無言であったが、捨て犬を見るような哀れみの眼差しをみほに向けていた。

 ダージリンに相談したのが吉と出るか凶と出るか。大洗の試合もそうだが、この選択の行方も非常に気になるみほであった。



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第三十二話 大洗女子学園対サンダース大学付属高校 前編

 大洗女子学園とサンダース大学付属高校の試合がついに始まった。

 みほは静かに試合を見守っていたが、すぐにある異変に気づく。サンダースの戦車隊が大洗の行動を予知したかのような動きを見せたのだ。

 

 大洗が森にM3リーを偵察に出せば、すぐさま六輌のシャーマンでこれを包囲。M3リーの救援にⅣ号と八九式が向かえば、今度は三輌のシャーマンを追加で派遣。大洗の三輌が森から脱出しようとすれば、森の出口に二輌を先回りさせて退路をブロック。大洗の戦車隊は決死の突撃で無事に包囲を突破できたが、危うく一気に三輌を失うところであった。

 

「サンダースにはエスパーでもいるのでございますか? 勘が良いってレベルじゃありませんわよ」

「フラッグ車以外を一箇所に集中させたのもおかしいわね。フラッグ車に護衛を付けないなんて、まるで大洗が攻めてこないのがわかっているみたいですわ」

 

 みほだけでなく、ローズヒップとルクリリもサンダースの動きに違和感を覚えているようだ。

 三人は定期的に熊本のしほのもとへ向かい、西住流の道場で修行を受けていた。修行は戦車の操縦や指揮などの実技だけでなく、様々な状況に対応するための座学も含まれている。その座学で習った中に、サンダースの不可解な動きを説明できるものがあったのをみほは思い出した。

 

「無線傍受だ。サンダースは大洗の無線を盗聴してるから相手の動きがわかるんだよ」 

「無線を盗み聞きするなんて卑怯ですわ! 礼節を重んじる戦車女子の風上にも置けない方々でございますわね」

「ちょっと待ってラベンダー。西住師範は無線傍受の機器は入手しにくいと仰っていましたわよ。いくらサンダースがお金持ちの学校とはいえ、高校生が簡単に入手できる代物とは思えませんわ」

 

 ルクリリの言い分はもっともだ。戦車と違って、通信を傍受する機器を取り扱っている業者は少ない。購入するならお金だけでなく、それなりの伝手が必要になる。

 

「『人生はしばしば、善よりもむしろ悪の選択を我々に提供する』。サンダースの誰かさんは悪い人の誘惑に負けてしまったようね」

「英国の作家、チャールズ・カレブ・コルトンの言葉ですね。ダージリン様、その悪い人が誰なのか知ってるんですか?」

「そこまでは私にもわからないわ。たしかなのは、サンダースの勝利を願うズルい大人がいるということだけよ」

 

 通信傍受機の購入を手助けした人物がいるとすれば、すべてのつじつまが合う。ダージリンの言うとおり、サンダースを勝たせようとしている人物がいるのは間違いないだろう。

 しかし、それがわかったところでみほに打つ手はない。ただの観客にすぎないみほができるのは、大洗の勝利を願って応援することだけなのだ。

 

「無線傍受を逆手に取ればチャンスはある。お姉ちゃん、武部さん、あきらめないで……」

 

 

◇◇

 

 

 初戦の大ピンチをしのいだ沙織たちは、ウサギチームと一緒に森の中で作戦会議を開いていた。ちなみに、アヒルチームと名を変えた八九式は周囲の偵察に出ており不在である。

 

「西住先輩、盗聴ってまじですか!?」

「通信傍受機が打ち上げてあるのをこの目で確認した。我々の手の内はすべて相手に知られていると思っていい」

 

 桂利奈の問いかけに対し、冷静に答えを返すまほ。

 

「無線を盗聴するのってルール違反なんじゃないの?」

「ルールブックには傍受機を打ち上げちゃいけないとは書いてないんです。打ち上げていいとも書いてませんけどね」

 

 あやの疑問に答えた優花里は少しムッとした表情を浮かべていた。戦車道をこよなく愛する優花里は、サンダースがグレーゾーンとも呼べる作戦を使ってきたのを快く思っていないのだろう。

 

「武部隊長、私たちはどうすればいいんですか?」

「無線が使えないと、私のやることがないんですけどぉ……」

「二人とも、不安なのはわかるけど今は指示を待とう。私たちが焦ったら武部隊長の迷惑になるよ」

 

 不安を口にするあゆみと優季を梓がなだめる。

 車長の梓がしっかりと乗員をまとめてくれているのは、沙織にとって天の助けにも等しかった。無線が傍受されるというまさかの事態に沙織も内心動揺しており、みんなの不安を取り除くような余裕はなかったからだ。

 隊長としての経験が沙織には圧倒的に不足している。そんな沙織がルールブックにも書いてない状況を打開する策など思いつけるわけがない。パニック状態になっているのを表に出さないことが今の沙織にできる精一杯だった。

 

「沙織、私に考えがある。あまり良い案とはいえないが、話だけでも聞いてもらえないか?」

「まぽりん……うん、聞かせて」

 

 安堵したような声でまほの提案を受けいれる沙織。どうやら、沙織が困っているのはまほにはバレバレだったようである。

 

「サンダースの隊長が無線を傍受するような手段を選ぶ人物じゃないのは断言できる。私は彼女と何度も戦ったことがあるからな。おそらく、無線を傍受しているのは一部の隊員のみで、ほかの隊員はなにも知らないはずだ」

「隊長が白なら、怪しいのは副隊長か」

「メンバー表を見ると副隊長車はフラッグ車になってます」

「先ほどの戦闘でもフラッグ車は姿を現していません。どこかに隠れて部隊の指揮を執ってる可能性は高いですね」

 

 麻子、華、優花里の三人がまほの考えを補足する。友人たちの協力もあり、まほはそのままスムーズに話を進めていった。

 

「それを踏まえて私が提案するのは、部隊を囮部隊と奇襲部隊に分ける作戦だ。偽の情報を流して本隊をおびき出し、そこで囮部隊が時間を稼ぐ。その隙に奇襲部隊が単独のフラッグ車を捜索。見つけ次第、即座にこれを撃破する」

「それだと囮部隊は全滅することになるんじゃ……」

「囮部隊は間違いなく全滅する。犠牲を強いるのは申し訳ないが、私にはこれしか勝つ方法が思いつかない。みほと違って私は無能だからな……」

 

 あやの戸惑いの言葉を受けて、まほは自虐的なつぶやきを漏らす。

 

「ラベンダーさんはたしかにすごい人だけど、まほだって十分すごいもん。この状況ですぐに作戦を立てられる人が無能なわけないよ」

 

 沙織はまほの言葉をすぐさま否定した。

 大洗の戦車道に関して、まほは今までいっさい自己主張をしてこなかった。そんなまほが初めて声を上げ、沙織に策を授けてくれたのだ。今度は沙織がその優しさに応える番である。

 

「まほ様、どんな作戦だろうと芽依子は従います。芽依子が大洗に来たのはまほ様を支えるためですから」

「私たちにできることがあったらなんでも言ってください。必ずやり遂げてみせます。みんなもそれでいい?」

「異議なーし!」

「盗聴するような相手には絶対に負けたくないしね」

 

 梓の呼びかけに桂利奈とあゆみが反応し、ほかのメンバーもそれを肯定するように首を縦に振る。

 ウサギチームの意思疎通は今日もばっちりだ。彼女たちのチームワークの良さは大洗一といっても過言ではない。

 

「西住殿、我々の気持ちは一つです。なにも不安に思うことはありません」

「ほかのチームのみなさんも私たちと同じ気持ちのはずですよ」 

「で、チーム分けはどうする? 私はどちらの部隊でもかまわないぞ」

「みんな……ありがとう」

 

 感謝の言葉を述べるまほの目は少し潤んでいる。

 妹のラベンダーとは違い、まほは表情の変化が乏しい。それでも、目尻にたまった涙を指で拭い軽く笑顔を見せるまほの姿は、どこかラベンダーと似ているように沙織には思えた。

 

「作戦はまぽりんの案でいくとして、ほかのチームにはどうやって作戦を伝えるの? 無線はもう使えないよ」

「伝令を出す。芽依子、頼めるか?」

「はい」

 

 芽依子はまほから作戦内容を聞いたあと、一瞬で森の中へ消えた。その足の速さはまさに神速。運動神経抜群の芽依子はこの手の任務に最適な人材だ。

 それとは対照的なのがほかのウサギチームのメンバー。まほから作戦の具体的な内容を聞いた彼女たちは、紗希を除く全員が固まってしまっていた。

 まあ、それも無理はないだろう。まほがフラッグ車を撃破する奇襲部隊の主力として選んだのは、ウサギチームのM3リーだったのだから。

 

 

◇◇◇

 

 

『まぽりん、これからどうしよう』

『どこかに隠れて相手の戦力を分散させたほうがいいな。こちらの居場所がわからなければ、サンダースは部隊を分けて捜索を行うはずだ』

『わかった。全車、0175地点の森まで移動するよ。梓ちゃん、フラッグ車の護衛はお願いね』

『は、はい。わかりました』 

 

 大洗の無線のやり取りを聞いていたアリサは一人ほくそ笑む。

 大洗の居場所など無線傍受でバレバレなのだ。どこに隠れようが無駄なのである。

 

「0175地点の森に向かってください。大洗の戦車隊はそこに身を隠しているものと思われます」

『それも女の勘なの?』

「ええ。今日の私の勘は冴えてます。大洗の車輌は必ずそこにいるはずです」

『OK! 今日はアリサの勘をとことん当てにさせてもらうわ。全車、Go ahead!」

 

 ケイの号令を皮切りに、いっせいに移動を開始するサンダースの戦車隊。

 あとはサンダースの誇るシャーマン軍団が大洗を蹴散らすのをここで待つだけだ。

 

「これで大洗はおしまいよ。あの子のお姉さんもたいしたことないわね」

「車長、黒森峰の元隊長がいるからって無線を傍受するのはやりすぎだったんじゃ……」

「うるさい! 私はどんな手を使っても勝たないといけないの。決勝であの子をこてんぱんに打ちのめして、タカシに振りむいてもらうんだから!」

 

 アリサはヘルメットを被った装填手の少女に怒鳴り散らす。

 打倒ラベンダー。嫉妬の炎で身を焦がすアリサにとって、それが今大会にかける思いのすべてであった。

 

 

◇◇

 

 

 大洗の奇襲部隊は、囮部隊が布陣した森から離れた場所にある見晴らしのいい丘に集合していた。

 奇襲部隊に選ばれたのはウサギチームのM3リーとフラッグ車の38(t)の二輌。しかし、軽戦車である38(t)の低火力ではまずシャーマンの装甲は抜けない。なので、実質的な戦力はM3リーだけという極めて脆弱な部隊だ。

 

「芽依子はフラッグ車の捜索に向かいます」

 

 発煙筒を手に持った芽依子は地面に降りたつ。まほが予測した潜伏ポイントへ向かってフラッグ車を発見し、発煙筒で合図を送るのが芽依子の役目だった。

 そんな芽依子を不安そうな表情で見送るウサギチームの仲間たち。平然としているのは紗希のみで、梓ですら顔がこわばっている。フラッグ車撃破という大役を任されたことで、仲間たちの緊張はピークに達しているようだ。

 

「めいちゃん……」

「桂利奈、緊張する必要はありませんよ。芽依子たちは今まで一生懸命練習してきました。努力は人を裏切りません」

「でも、めいちゃんがいないと私……」

 

 芽依子と別行動になることが桂利奈の不安を倍増させているのだろう。いつもの快活な様子はすっかり消えうせ、桂利奈は自信なさげに地面を見つめている。

 それを見た芽依子は懐から一本の棒手裏剣を取りだした。棒手裏剣はあちこちに傷が付いており、かなり年季が入っているのがわかる。

 

「これは芽依子がお父様から初めてもらった棒手裏剣です。この棒手裏剣と共に芽依子は過酷な忍道の修行を乗り切ってきました。いわば芽依子のお守りのようなものです。桂利奈、これを受けとってくれませんか? この棒手裏剣がきっと桂利奈を守ってくれるはずです」

「う、受けとれないよ! それってめいちゃんがお父さんからプレゼントされた大事な物だよね?」

「たしかにこれは芽依子の宝物でした。ですが、今の芽依子にはもっと大事なものがあります。これが少しでも桂利奈の役に立つのなら惜しくはありません」

 

 はっきりとそう告げた芽依子は桂利奈に向かって棒手裏剣を差しだす。

 桂利奈は迷ったそぶりを見せていたが、大きく一つ深呼吸をしたあと棒手裏剣を手に取った。

 

「ありがとう。めいちゃんの気持ちを無駄にしないようにがんばるね」

「桂利奈はやればできる子です。大丈夫、必ず勝てますよ」

 

 笑顔で桂利奈に優しく声をかける芽依子。その表情は以前のような引きつった笑みではなく、とても自然な笑顔であった。

 

「梓、みんなのことを頼みます」

「う、うん。芽依子も気をつけてね」

 

 芽依子は次に梓へと向きなおるが、梓の表情は浮かないまま。

 ウサギチームのリーダーであり、M3リーの車長である梓には相当なプレッシャーがかかっている。その重圧に梓は飲みこまれてしまっているようだ。

 

「責任ある任務だとは思いますが、愛しのハイビスカスさんにカッコいい姿を見せるチャンスです。梓、この機会を活かしてください」

「ととと、突然なに言ってるの!?」

 

 芽依子の突拍子もない発言に動揺し言葉がどもる梓。

 

「そういえば、ハイちゃんたち試合見に来るって言ってたね」

「梓ちゃんがフラッグ車を撃破したら、ハイビスカスさんもきっとメロメロだよぉ」

「いつまでもビクビクしてられないね。梓の恋を成就させるためにみんなでがんばろう!」

『おーっ!』

 

 あゆみの掛け声に合わせて、気合を入れるウサギチームのメンバー。どうやら緊張の糸はだいぶほぐれてきたらしい。

 

「もーっ! 芽依子が変なこと言うから、みんながすっかりその気になっちゃったじゃない!」

「申し訳ありません、梓。姉さんを真似てジョークで場を和まそうとしたんですが、失敗してしまったようです」

「……こうなったら芽依子のジョークに乗ってあげる。絶対にフラッグ車を撃破してみせるからね」

 

 芽依子の目論見どおりとはいかなかったが、もう梓の心配はいらないだろう。ほかのメンバーも気持ちが晴れたようなので結果オーライだ。

 

 ウサギチームの仲間たちにあいさつをすませ、芽依子は最後の相手のもとへと向かう。そこには38(t)に寄りかかり、芽依子を見ている角谷杏の姿があった。

 

「犬童ちゃん、早く行かないと囮部隊が全滅しちゃうよ。私にかまってる場合じゃないっしょ」

「あなたにお願いがあります」

「犬童ちゃんのお願いかー、なんだろ? 私にできることなんてたかが知れてるよ」 

「私の友達を助けてください。あなたならそれができるはずです」

 

 芽依子はそう言うと杏に向かって頭を下げた。

 杏の表情にあまり変化はなかったが、隣にいる桃と柚子はびっくりしたような顔をしている。今まで生徒会を毛嫌いしていた芽依子が急に態度を改めたのだ。二人が驚くのも当然といえる。

 

「もう私たちを許してくれたのかな?」

「あなたたちのした行為を許すことはできません。けれど、それは芽依子の心の中に秘めておきます。生徒会とはもう争わない。芽依子は友達にそう約束しましたから」

「そっか……うん、いいよそれで。小山、河嶋、フォーメーションBでいくよ」

「いいんですか会長? あれはいざというときの切り札だったんじゃ……」

 

 柚子の言葉に杏は首を横に振る。

 

「切り札を温存して負けたら意味がない。河嶋、負担をかけることになるけどよろしく頼む」

「これくらいの負担は問題ではありません。会長が全力を出せるようにサポートするのが私の仕事ですから。柚子も本気を出すんだぞ」

「私はいつだって本気だよ。会長みたいに器用なことはできないもん」

 

 生徒会の三人が影で努力しているのを芽依子は知っている。彼女たちが積極的に協力してくれれば、敵のフラッグ車を撃破するのも容易なはずだ。

 後顧の憂いを断った芽依子は眼前に広がるフィールドを見下ろした。ここからはフラッグ車を見つけるという一人だけの戦いが始まる。

 

「犬童ちゃん、あんまり無茶しちゃダメだよ。危なかったら逃げてもいいからね」 

「お気遣い感謝します。では」

 

 芽依子は滑るように丘を駆けおり、フラッグ車が潜んでいる可能性が一番高いとまほが予測した竹林を目指す。

 もし竹林がハズレだったとしても芽依子は足を止める気はない。忍道で得た技術と体力を駆使すれば、囮部隊が全滅する前にフラッグ車を見つけられる。たゆまぬ努力の成果で、この世代最強の忍者と呼ばれるまでになった芽依子はそう確信していた。



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第三十三話 大洗女子学園対サンダース大学付属高校 後編

 観客席の前面に鎮座しているのはドイツ製の列車砲、クルップ K5。

 この列車は車体の上面に装備された砲を大型ディスプレイに換装した改造列車である。ディスプレイには試合の詳細な情報が表示されており、観客はこれで試合の展開をつぶさに確認できるのだ。

 

 大勢の観客がひしめいているサンダース側と観客もまばらで閑散としている大洗側。双方がディスプレイの映像に一喜一憂し、会場は大きな盛り上がりを見せる。膠着状態となっていた試合が一気に動きだし、派手な砲撃戦が始まったからだ。

 森の入口で砲撃戦を始める大洗とサンダースの戦車隊。数は大洗が三輌に対し、サンダースは九輌と圧倒的な差がある。しかし、大洗側は森に隠れながら応戦し一歩も引く気配がない。サンダースの数の暴力に屈することなく戦う大洗の姿に、双方の観客席から歓声が上がった。 

 

 そんななか、大洗側の観客席で冷静に試合を観察する一団がいた。昨年の大会の準優勝校である黒森峰女学園の生徒たちだ。 

 

「大洗はサンダースの手品に気づいたみたいですね」

「西住元隊長が気づいたんだろうな。やる気がないって噂されてたけど、噂は噂でしかなかったみたいだ」

「手品? いったいなんのこと?」

 

 赤星と根住の会話を隣で聞いていた三郷は頭に疑問符を浮かべて首をひねる。

  

「私たちの目的を忘れたの? 深水隊長からサンダースが使う手品の種明かしをするようにって言われたでしょ」

「そういえばそうだった。直下もわかったのか?」

「えっ! いや、それはその……」

 

 三郷にツッコミを入れた直下も種明かしはできていないようだ。

 そんな二人に手品の種を明かしたのは、暗い表情で一番端に座っているエリカであった。

 

「無線傍受よ。まさかサンダースがこんな姑息な手を使うなんてね」

「なるほど、だからサンダースは大洗がいる森に向かって迷わず突き進んでいったのか。ん? ということは大洗の二輌が別行動しているのは……」

「大洗はサンダースの無線傍受を逆手にとって、フラッグ車を撃破するつもりなんですよ」

「丘の上で動かないのは、フラッグ車の位置を探っているからだ。闇雲に動き回って相手に感づかれたら、大洗に勝ち目はなくなるからな」

 

 赤星と根住から試合の状況を説明され、三郷と直下は合点がいったと手を叩く。

 そのとき、丘の上で待機していた大洗の別動隊が動きを見せた。ほかの観客もその動きに気づいたようで、前に座っている聖グロリアーナの制服を着た少女たちから声援が飛ぶ。

 

「ウサギさんチームが動きましたよ!」

「サンダースのフラッグ車がいる竹林に向かってますの。どうやらフラッグ車の居場所がわかったみたいですわ」

「いっけー、あずっちーっ! サンダースをやっつけろー!」  

「いよいよあれを使うんですね。紗希さん、がんばってください」

 

 サンダースのフラッグ車が潜む竹林へと一直線に歩を進める大洗の別動隊。

 決着のときが刻一刻と近づいていた。

 

 

◇◇◇

 

 

『アリサ、森に隠れてた大洗の車輌は全部撃破したけど、肝心のフラッグ車が見当たらないわよ?』

「そんなバカな! どこかに隠れてたりはしていませんか?」

『もう隅々まで探したわ。この森には最初からフラッグ車はいなかったみたいね』

「わかりました。大洗のフラッグ車の居場所を予測しますので、少し待ってください」

 

 いったん無線を切りケイとの会話を中断したアリサは思案に暮れる。

 大洗のフラッグ車が森にいなかったのはまったくの想定外だった。大洗の隊長である武部沙織は、フラッグ車を連れて森の奥へ隠れるようにM3リーの車長に指示を出していたからだ。

 

「もしかしてあれは演技だった? 大洗は無線を傍受されているのに気づいて、一芝居打ったっていうの?」

 

 無線傍受を大洗に看破された。その結論に至ったアリサの背中を冷たい汗が伝う。

 それが事実なら大洗の残存部隊の狙いはアリサのフラッグ車だ。そう考えると護衛がいないこの状況はどう考えてもまずい。M3リーの主砲は旋回角度に制限があるので使い勝手は悪いが、その分威力はある。当たり所が悪ければシャーマンの装甲も抜かれてしまうだろう。

 

「大丈夫。大洗にフラッグ車の居場所はわからないはずよ。本隊と合流できれば私の勝ちだわ」

 

 キューポラから身を乗りだし、アリサは念のため辺りを確認する。

 竹林は不気味なほどの静寂を保っており、物音一つしない。その様子にほっとしたアリサは車内に戻ろうとしたが、途中でピタッと動きを止めた。誰かに見られているような鋭い視線を肌に感じたからだ。

 アリサはこの状況に覚えがある。島田愛里寿と西住邸の様子をうかがっていたときに気づいた殺気を帯びた視線。今アリサに向けられている視線はそれと酷似していたのだ。

 

「い、今すぐ出発しなさい!」

「そんなに怯えてどうしたんですか?」

「この場所にいたら危険なの! 私はまだ死にたくないのよ!」

 

 どこへ移動するかの指示も出せないほどアリサは取り乱していた。

 早くここから逃げなければならない。アリサの頭にはその思いしか浮かんでこなかったのである。

 

「ひとまず竹林から出ますけど、それでいいですか?」 

「なんでもいいから早くっ!」   

 

 アリサの指示で操縦手はシャーマンを発進させた。

 シャーマンは行くあてもなく前進し、竹林を抜けて森を切り開いた広い道に出る。そんなシャーマンの前に現れたのは、消息不明だった大洗の一輌の車輌。前方からこちらへと向かってくる小さな戦車は、大洗のフラッグ車である38(t)だ。

 

「車長! 大洗のフラッグ車がこちらへ向かってきます!」

 

 混乱状態だったアリサは操縦手の言葉で我に返った。敵が出てきたのだから、いつまでも冷静さを失っている場合ではない。 

 38(t)が真正面から突っこんでくるこの状況で打てる手は二つ。ここで38(t)を始末して決着をつけるか、それとも後退して本隊との合流を優先するか。その二つの選択肢からアリサが即座に選んだのは、フラッグ車の撃破であった。

 

「飛んで火にいる夏の虫とはこのことよ。蹂躙(じゅうりん)してやりなさい!」

 

 向かってくる38(t)を撃破すべく、アリサは砲撃命令を下す。

 アリサが後退を選ばず、攻勢に打って出たのには戦車の性能差以外にも理由がある。38(t)の砲手である河嶋桃は砲撃の命中率に難があるのだ。彼女の腕ではシャーマンに傷一つ付けることはできないだろう。

 一回戦の対戦相手である大洗女子学園をアリサは徹底的に調査した。ラベンダーの姉である西住まほのやる気がないことや、大洗が今年で廃校になることまで情報は完璧である。大洗の選手の長所も短所もアリサにはすべて把握済みだ。

 

 アリサの命令でシャーマンの砲撃が38(t)に放たれた。

 しかし、38(t)は砲撃をぎりぎりで回避し、なおも前進してくる。愚直に突き進む38(t)の姿にアリサは小さく舌打ちすると、すぐさま次の砲撃を指示した。

 操縦手の小山柚子はとくに特徴がない並みの選手で、車長の角谷杏はそもそも練習すらまともにしない。そんな連中がシャーマンの砲撃を何度も避けられるはずがないとアリサは高をくくっていた。

 

 それが慢心だったことをアリサはすぐに思い知らされる。

 シャーマンの砲撃は38(t)に当たる気配がなく、逆に38(t)の攻撃は的確にシャーマンに命中。38(t)の火力が低いおかげで白旗は上がらないが、衝撃で車体が揺れるせいで装填手はうまく装填ができず、シャーマンの砲撃回数は徐々に減っていく。立て続けに起こった予想外の事態にアリサのイライラは頂点に達した。

 

「なんでっ! なんで当たらないのよ!」

「車長、後退しましょう。このままだと負けるかもしれませんよ」

「相手は38(t)だぞ! あんな貧相な戦車にシャーマンが負けるわけないわ。近づいてきたところを狙い撃ちしなさい!」

 

 見事な回避能力を見せていた38(t)だが、近距離なら確実に当てられる。この距離で外すような選手はサンダースの一軍にはいないのだ。

 当たりさえすれば軽戦車の38(t)など一撃で撃破できる。無駄な抵抗を続けてきた38(t)もいよいよ年貢の納め時だ。

 

「手間をかけさせられたけど、これで終わりよ。おとなしく廃校になりなさい」

 

 余裕の笑み浮かべアリサは勝利を確信する。

 そのとき、今までとは比べ物にならない衝撃がシャーマンを襲った。白旗は上がっていないが、あまりの衝撃に乗員は慌てふためいている。

 

「車長、これは38(t)の砲撃じゃありません。威力が違いすぎます」

「まさかM3!? いったいどこに隠れてたの!?」

 

 アリサは急いでキューポラから周囲を確認した。M3リーが出てきた以上、もう38(t)に構っている場合ではない。

 砲撃を受けた方向にアリサが目を凝らすと、森の中を緑色の大きな物体が走っている。その物体の正体は大きな布を被ったM3リー。大量の木の葉が付けられている布は、薄暗い森の中では判別がつかない精巧なカモフラージュであった。

 

 大洗のM3リーが偽装作戦で聖グロリアーナのマチルダⅡを撃破したのをアリサは知っている。しかし、38(t)の撃破に躍起になっていたアリサはそのことをすっかり失念していた。

 

「後退! 後退!」

 

 二対一となったことでアリサはすぐさま撤退を決断する。

 その判断は間違ってはいなかったが、タイミングはあまりにも遅すぎた。大洗はシャーマンを逃がさないための策をすでに施していたのだ。

 

「車長! 38(t)に履帯をやられました!」

 

 操縦手の悲痛な叫びが車内にこだまする。

 履帯を破壊されれば戦車はもう動けない。アリサは38(t)を取るに足らない存在だと見くびっていたが、ここにきてそのツケが回ってきた。

 

「こんな連中に負けるなんて……私はあの子に勝たないといけないのに……」

 

 目前まで迫ったM3リーを涙目でボーっと見つめるアリサ。

 そんなアリサを装填手の少女が車内に押しこんだ瞬間、M3リーの主砲が火を吹き、長い戦いに終止符が打たれた。

 

 

 

 

「よっしゃー! 大洗が勝ったぞ!」

「ざまあみさらせですわ! 悪の栄えた試しはないんですのよ!」

「二人とも、興奮しすぎだよ。少し落ち着こう、ね?」

 

 大興奮のルクリリとローズヒップをなだめるみほ。淑女らしからぬ言動はダージリンの前では控えなければならない。

 

「ラベンダーももっと喜んでくださいまし。ほら、お姉様も歓喜の涙を流してますわよ」

「大洗で戦車道を始めたのを知ったときは戸惑ったけど、ラベンダーのお姉さんがこの道を選んだのは正しかったのかもしれないな」

 

 大型ディスプレイには大泣きしているまほが沙織と抱きあう姿が映っていた。

 恥も外聞もなく人前で号泣するまほの姿は、西住流の元後継者とは思えないほど見苦しい。おそらく、西住流に所属している人間がこの映像を見たら誰もが苦い顔をするだろう。

 

 その西住流に所属している人間の中で、頂点に近い位置にいるのが現後継者のみほだ。西住流の後継者としての在り方を考えれば、眉をひそめるぐらいはすべきなのかもしれない。

 しかし、みほにできたのは涙を流すことだけだった。苦しみ続けたまほが沙織たちと喜びを分かちあっている光景は、みほの心を大きく震わせたのだ。

 

「泣いてる場合ではありませんわよ、ラベンダー。次はあなたが答えを出す番なのだから」

「駐機場はここからそう遠くありません。今から出発すれば、黒森峰の人たちが戻ってくる前にたどり着けますよ」 

 

 ダージリンとオレンジペコの言うとおりだ。みほにはこのあとやるべきことがある。

 ポケットからハンカチを取りだし、みほは涙をぬぐった。泣き顔でエリカと会うわけにはいかない。 

 

「よしっ! この勢いでワニ女……逸見とも仲直りするぞ!」

「『思い立ったが吉日』ですわ。急いで駐機場に向かいますわよ。どおりゃあああああー!」

「待ってくださいローズヒップさん! ちゃんと車で送りますからー!」

 

 ものすごい勢いで走るローズヒップをオレンジペコがダッシュで追いかける。

 なにも言わずに付きあってくれる友人たちに心の中で感謝し、みほもローズヒップのあとを追った。

 

 

◇◇

 

 

 夕焼け空の下で行われた試合後のあいさつが終了し、大洗女子学園の一回戦は幕を閉じる。

 あとは学園艦に帰るだけなのだが、その前にサンダースの隊長が沙織たちのもとへやってきた。

 

「一回戦突破おめでとう。二回戦もがんばってね」

「あ、ありがとうございます」

 

 負かした相手から激励の言葉をかけられた沙織がドギマギしていると、ケイは次にまほへと言葉をかけた。

 

「ハーイ、まほ。囮と偽装を使ったあの作戦、Greatだったわよ」

「作戦を考えたのは私だが、勝てたのはチームメイトの助力があったからだ。全部みんなのおかげだよ」

 

 大泣きしたせいでまだ少し目が赤いまほは、すっきりしたような笑みをケイへと向ける。 

 

「あなたが転校したって聞いたときは心配したけど、どうやら杞憂だったみたいね。私は今年で卒業だけど、大学であなたと戦える日が来るのを楽しみに待ってるわ」

「ああ。そのときはよろしく頼む」

 

 夕日に照らされた二人がガッチリと握手を交わす。まるで漫画のようなその光景に、沙織は思わず見入ってしまった。

 

「それと、そのロングヘアーとってもcharmingよ。大学生になったら男の子に囲まれちゃうかもね」

「それは少し困るな。私は男子とほとんど接点がなかったから、どう対応したらいいかわからない」

「ふふ、あとで私が男の子のあしらい方を教えてあげるわ。See you next time!」

 

 ケイは英語で別れのあいさつを告げると、ゆっくりと歩き去っていく。

 試合に負けたとしてもそれを表に出さず、さわやかに対戦相手と会話ができる大人な女性。それが沙織がサンダースの隊長に抱いた印象であった。

 沙織が出会う戦車乗りは魅力的な女性ばかりだ。練習試合で戦ったラベンダーとダージリン、そして今回対戦したケイ。同性の自分ですら彼女たちを好ましく思うのだから、世の男性の目にはもっと魅力的に映るだろう。

 自分もみんなと肩を並べられるような戦車乗りになってモテモテになる。沙織の原点であるモテモテになりたいという思いは、今熱く燃え上がっていた。

 

「武部殿がすごく気合を入れてますよ」

「もう次の試合のことを考えているのでしょうか?」

「いや、あれはきっとろくでもないことを考えてる顔だ。関わると面倒だから、そっとしておこう」

「すごいな。幼馴染というのはそこまでわかるものなのか……」

 

 なにやら感心した様子のまほに対し、麻子は静かに首を横に振った。

 

「西住さん、沙織は単にわかりやすいだけだ。そのうちみんなにもわかって……すまない、電話だ」

 

 会話を途中で切り麻子は携帯電話を手に取る。すると、麻子は少し話しただけで携帯電話を地面に落としてしまった。

 青ざめた表情で小刻みに震える麻子の様子は、なにか深刻な事態が起きたことを物語っている。

 

「もしもし、私は麻子の友人で武部と言います。いったいなにがあったんですか?」

 

 沙織は麻子が落とした携帯電話を拾いあげ、電話の声に耳を傾ける。

 電話の主はとある病院の看護師。要件は麻子の祖母が倒れたので、今すぐ病院に来てほしいというものだった。

 麻子に電話がかかってきたのは、彼女の両親が交通事故ですでに亡くなっているからだ。麻子にとって、祖母は残された唯一の肉親なのである。

 

「どうしよう、麻子のおばあさん倒れたって。看護師さん、早く病院に来てほしいって言ってる」

「まずいな。まだ試合が終わったばかりで、撤収には時間がかかる。学園艦が帰港するころには真夜中になっているぞ」

 

 まほのその言葉を聞いた麻子は急に駆けだすが、すぐに足をもつれさせて転んでしまう。精神的動揺のせいで体も満足に動かせないようだ。

 

「冷泉殿、大丈夫ですか!?」

「嫌だ……おばあ、私を一人にしないで……」

「しっかりしてください、冷泉さん」 

 

 優花里と華に助け起こされた麻子の顔は土で汚れてひどい有様。あまりの痛々しさに沙織は胸が締めつけられる思いだった。

 一刻も早く麻子を病院に送り届けなければならないが、沙織がいくら考えてもいい案はまったく浮かんでこない。サンダースとの試合で沙織に策を与えてくれたまほも難しそうな顔で考えこんだままだ。

 そんな絶望的な状況のなかで、実に意外なところから救いの手が差し伸べられた。

 

「隊長! 黒森峰のヘリを使ってください!」

「エリカ? それに小梅まで……なぜ二人がここにいるんだ?」

「お久しぶりです、西住元隊長。話はあとにして今は駐機場に向かいましょう。さあ、急いでください!」 



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第三十四話 エリカと仲直り作戦開始

 意気揚々と駐機場へやってきたみほたちであったが、そこにエリカの姿はなかった。

  

「逸見さんはいないみたいだね」

「赤星様の姿も見えませんわ。二人でどこかに出かけてるみたいですわね」

「しばらくここで待つしかないな。ほかの三人がヘリの点検をしてるから、すぐに戻ってくるだろ」

 

 黒森峰女学園が所有しているドイツ製のヘリコプター、フォッケ・アハゲリス Fa 223。その操縦席には根住が座っており、計器の状態などを確認している。どうやら彼女がこのヘリのパイロットらしい。

 直下と三郷はツインローターや機体を目視で点検中。戦車喫茶では仲間割れしていた二人だが、楽しそうに話をしているところを見ると仲が悪いわけではなさそうだ。

 

「待つならどこかに隠れたほうがいいかも。三郷さんに見つかるとまずいことになりそうだし」

「三郷だけは最後まで私たちに悪態ついてたからな。プラウダ送りの脅し文句もあいつには通用しないだろう」

「頼りの根住様もヘリの中でございますからね。見かけの割に気が弱い直下様では、三郷様を止められそうにありませんわ」

 

 あんこう踊りを一緒に踊ったあとも三郷の態度はまったく変わらなかった。それどころか、みほたちへ向かってうらみ言まで吐く始末。反省の色すら見せないその強気な姿は、心が折れてしまったエリカとは対照的であった。

 

 そんな三郷と接触すれば一悶着は必至。これからエリカと仲直りするという重要な作戦が控えているのだから、無用なトラブルはできるだけ避けるべきだろう。

 そう考えたみほたちは、物陰に隠れて様子をうかがうことにした。ときには引くのも兵法である。

 

 ちなみに、ダージリンとオレンジペコは仲直り作戦の準備のために席を外している。具体的な作戦内容は明かされていないが、ここでエリカを引きとめるのがみほたちに課せられた使命。今はダージリンを信じてその役目を全うするときなのだ。

 

 

 

「逸見様と赤星様が戻ってきましたわ!」

「あれ? お姉ちゃんが一緒にいる」

「武部たちもいるな。ずいぶん焦ってるみたいだけど、なにかあったのか?」

 

 ようやく姿を見せたエリカと赤星は、なぜか大洗の面々を連れて戻ってきた。

 エリカは直下と三郷をスルーし、真っ先に操縦席の根住のもとへ向かいなにやら話をしている。エリカが話を終えてヘリから出るとすぐにツインローターが回転し、ヘリは発進準備を開始。理由は不明だが、ヘリは今すぐに飛び立とうとしているようだ。

 

「まずいですの! 逸見様がお空に上に行ってしまいますわ!」

「待って、ローズヒップさん! ヘリに乗りこんでるのは逸見さんじゃない」

「冷泉と武部と赤星? いったいどういう組み合わせだ?」

 

 大洗の二人と赤星小梅を乗せてヘリは飛び立っていく。状況をまったく理解できないみほたちは、それをポカンと見送ることしかできなかった。

 

 エリカはまほと少し会話をしたあと、駐機場の出口へと向かった。それを見た直下と三郷が慌ててエリカの後姿を追いかける。二人は説明を求めているが、エリカはずんずん歩くだけで口は閉じられたままだ。

 

「どうする、ラベンダー? お姉さんと再会するチャンスだけど……」

 

 ルクリリの問いかけに対する答えは最初から決まっている。みほが今するべきなのは、まほと再会することではないのだから。

 

「お姉ちゃんとはいつかまた会えるよ。今は逸見さんのあとを追おう」

「そうと決まれば『善は急げ』ですわ。大洗のみなさまに気づかれないよう、慎重に移動しますわよ」

 

 姿勢を低くして小走りするローズヒップに続き、みほとルクリリもその場を立ちさる。

 駐機場の出口近くでみほがちらりと後ろを振りかえると、まほは長い髪を風になびかせながらヘリの飛びさった方向をまだ見つめつづけていた。

 

 

 

 駐機場を出たみほたちはエリカたちのあとをつけていたが、突然事態が急変する。

 ひと気のない場所に来たところで、三郷の怒りがついに爆発したのだ。

 

「おい、逸見っ! いつまでだんまりを決めこむつもりだ。そろそろあたしたちにも説明しろ」

「人助けでヘリを大洗の子に貸したのよ。戻ってくるのは早くても明日の朝でしょうね」

「ちょ、ちょっと待って! 私たちはこれからどうするの?」

「最悪の場合はここで野宿ね。ま、一日ぐらいなんとかなるわよ」 

 

 直下の質問にやる気のなさそうな顔で回答するエリカ。

 その言葉を聞いた三郷はいきなりエリカの胸ぐらをつかんだ。どうやらエリカの投げやりな態度は、三郷の怒りに火を点けてしまったらしい。

 

「ふざけんなっ! こんなところで野宿とかできるわけないだろ! なにかあったらどうするんだ!」

「そのときはそのときよ。運命だと思って諦めなさい」

「こいつっ!」

「三郷、こんな場所で喧嘩なんてやめようよ。いがみ合ってる場合じゃないでしょ」

 

 エリカに殴りかかろうとした三郷を直下が羽交い締めにし、二人を引き離す。

 

「直下、本来ならお前が一番怒るべきだぞ。あたしの背中に当たってるこの大きなおっぱいに、男どもが群がってくるかもしれないんだからな」

「こ、怖いこと言わないでよ!」

 

 直下は三人の中で一番スタイルがいい。その大きな胸は男性を惹きつける武器になると同時に、不埒な男性の欲望を吸いよせる的にもなってしまうだろう。

 

「別に放してもいいわよ、直下。殴りたければ殴ればいい。私はいっさい反撃しないわ」

 

 エリカはなおも三郷をあおるような発言を繰り返す。その姿は三郷に殴られたがっているようにすら見えた。

 もしかしたら、これがエリカなりの責任の取りかたなのかもしれない。しかし、みほはそれを黙って見ていることはできなかった。

 

「待ってください!」

 

 物陰から飛びだしたみほは、エリカを守るように両手を広げて立ちふさがった。

 

「お前はラベンダー! あたしの前に立つとはいい度胸だ。あのときの借りを返してやる!」

 

 直下の拘束を振りきり、みほに駆けよる三郷。頭に血が上っているせいで、ターゲットがエリカからみほへと完全にすり替わってしまったようだ。

 みほは殴られる覚悟を決めて目をつぶったが、いつまで経っても衝撃はやってこなかった。みほが恐る恐る目を開けると、目の前にはグレーの制服とそれに映えるきれいな銀髪。誰がみほを守る盾になってくれたのかは一目瞭然であった。

 

「逸見さん大丈夫!? 怪我はない?」

「私は無傷よ。あんたの友達が助けに入ってくれたからね」

 

 みほがエリカの背中から顔を出して前を確認すると、ローズヒップとルクリリが三郷を左右から捕まえてくれていた。

 

「三郷様、あんまりおいたが過ぎるのはどうかと思いますわよ」

「二対一なら私たちだってお前に勝てる。観念しておとなしくしたほうがいいぞ」

「……あたしの負けだ。煮るなり焼くなり好きにしろ」

 

 三郷はその場にドカッと腰を下ろしてあぐらをかくと、眼鏡を外し地面に置いた。その姿はまるで介錯を待つ武士のようである。

 みほはそんな三郷のそばに近寄ると、地面に置かれた眼鏡を拾い、そっと彼女に手渡した。

 

「三郷さん、もうやめにしましょう。私たちが戦車道を学んでいるのは、争うためじゃありません。戦車道で得た経験を活かして、人として大きく成長するためです。同じ道を歩んでいるのなら、私たちはきっと分かりあえます」

 

 みほの言葉を三郷はきょとんとした顔で聞いていたが、眼鏡をかけると静かに立ちあがった。怒りで我を忘れていた先ほどとは違い、表情はいくぶん和らいでいる。

 

「お前、よくそんなクサいセリフ真顔で言えるな」

「ふえっ!?」

「でも、おかげで目が覚めたよ。あたしは初心を忘れてたみたいだ。今まで迷惑かけて悪かった、ごめんなさい」

 

 三郷はみほに向かって勢いよく頭を下げると、ローズヒップとルクリリに対しても同じように謝罪した。

 今の謝罪は深水トモエに促された形だけのものでは決してない。みほたちは三郷と本当の意味で和解することができたのだ。

 

 これならエリカとも仲直りできる。みほはそう期待してエリカに目を向けるが、現実はそれほど甘くなかった。エリカはみほをつまらなそうな顔で見ていたのである。

 先ほどはとっさにかばってくれたものの、みほとエリカの間には依然として目に見えない大きな壁があった。

 

「で、あんたはなんでここにいるのよ? 落ちぶれた私を笑いに来たの?」

「ち、違うよ。私は逸見さんと仲直りしたくて……」

「謝罪ならもうすませたじゃない。足りないっていうなら、ここで土下座でもすればいい?」

 

 エリカは本当に土下座しかねない雰囲気を漂わせている。

 もしエリカを土下座させてしまったら、もう関係を修復するのは不可能だろう。どうすればエリカに思いが伝わるのか、みほは適切な言葉を導き出せずにいた。   

 

「逸見さん、あんまりラベンダーをいじめないでくださらない。それとも、気になる子にはつい意地悪をしたくなってしまうのかしら?」

 

 困っていたみほを助けてくれたのはダージリンであった。隣にはオレンジペコの姿もあるので、作戦準備を終えてみほたちを迎えに来てくれたのだろう。

 

「今度は聖グロの女王様とリーサルウェポンのおでましか……いったい私になんの用があるのよ?」

「女王様は私のことでしょうけど、リーサルウェポンとはどなたのことかしら?」

「女王様の隣にいる子に決まってるじゃない」

「ペコがリーサルウェポン? 人間凶器ペコ……」

 

 ダージリンはとっさに口を右手で塞ぎ、左手で自身の太ももをつねる。それでも体が小刻みに震えているので、笑っているのは丸わかりだった。どうやら、自分が口にした人間凶器ペコというフレーズが笑いのツボに入ってしまったようである。

 

「い、逸見さん。あなた、なかなかおもしろいジョークをおっしゃるのね」

「私は本当のことを言っただけで、ジョークを言ったつもりはないんだけど……」

「私は逸見さんを気に入りましたわ。あなたをゲストとして聖グロリアーナの学園艦にご招待します」

「へっ?」

 

 エリカはキツネにつままれたような顔で立ちつくしている。急な事態の変化に頭が追いついていないのだろう。

  

「ペコ、今すぐ車を用意してちょうだい。逸見さんとご友人の二人を学園艦にお連れするわよ」

「はい、ダージリン様」

 

 ペコが携帯電話で連絡をすると、みほたちが駐機場に行く際に乗せてもらったピンクパンサーがすぐにこの場へやってきた。

 ピンクパンサーの荷台には数人のメイドが乗っており、到着すると全員が降車してエリカたちを丁寧に案内していく。プロのメイドの完璧な仕事の前ではエリカもお手上げ状態であり、あれよあれよという間に荷台に連れこまれてしまう。三郷と直下もとくに抵抗せず荷台に乗りこみ、出発準備は数秒で完了した。

 

「ダージリン様、私は一足先に学園艦に戻りますね」

「あとは任せましたわよ。大事なお客様なのだから、くれぐれも粗相のないようにね」

「わかりました。出発してください」

 

 助手席に乗ったオレンジペコが運転手のメイドに指示を出し、ピンクパンサーは聖グロリアーナの学園艦が停泊している港へと向かう。どこまでがダージリンの計算どおりだったのかは不明だが、恐るべき手際の良さであった。

 

「私たちも学園艦に帰りますわよ。ペコが別の場所に車を用意してくれてますわ」

「ダージリン様、わたくしたちはこれからなにをすればよろしいのでございますか?」

 

 ローズヒップが疑問に思うのも無理はない。みほたちはエリカを足止めするまでしか作戦内容を教えてもらっていないのだ。

 

「イタリアの芸術家、レオナルド・ダ・ヴィンチがこんな言葉を残しているわ。『私の仕事は、他人の言葉よりも自分の経験から引き出される。経験こそ立派な先生だ』。あなたたちがなにをすべきかは、聖グロリアーナで学んできたことが教えてくれるはずよ」

 

 

 

 聖グロリアーナ女学院の校舎には来賓用のゲストルームが存在する。内装は高級ホテル並みの豪華な作りになっており、英国アンティークで統一された家具はどれも一流の家具職人が作ったものばかり。限られたごく一部の人間しか立ち入ることができないこの部屋は、聖グロリアーナの生徒から開かずの間と呼ばれるほどだ。

 

 今、この開かずの間では三人の少女がソファに腰を下ろし、落ち着かない様子で身を寄せあっていた。オレンジペコにこの部屋へと案内されたエリカたちである。

 

「野宿を回避できたのは助かったけど、この部屋居心地悪いね」

「そりゃそうだろ。どう考えても普通の女子高生が泊まる部屋じゃない」

「私、この部屋で寝られるかな? 絶対ぐっすり寝れない気がする」

「直下は相変わらず小心者だな。そのでかいおっぱいは飾りか?」

「胸の大きさは関係ないでしょ!」

 

 雑談で気を紛らわせている直下と三郷とは違い、エリカは足を組んだままぼんやり壁を眺めている。

 そのとき、部屋のドアをノックする音が室内に響いた。直下と三郷はビクッと身を震わせるが、エリカは身じろぎすらしない。余程のことがなければ、今のエリカは眉一つ動かさないだろう。

 

「ラベンダーです。入ってもいいですか?」

「……勝手にすれば」

 

 みほに向けて冷めた返事をするエリカ。二人の間に存在する心の壁は高くそびえたままだ。

 

「失礼します」

「失礼しますわ!」

「邪魔するぞ」

 

 みほ、ローズヒップ、ルクリリの三人が部屋へと入る。

 それを見たエリカはソファの上からずるっと滑り落ちた。三人の恰好は彼女を驚かせるぐらい、インパクトのある服装だったのだ。

 

「作戦の第一段階は成功みたいですわね。逸見様の目はラベンダーに釘付けになってますわよ」

「うん。ちょっと恥ずかしいけどね……」

「この試作品、去年よりスカートが短いからな。あとで被服部の人たちに注文を付けたほうがいいかもしれない」

 

 ミニスカウェイトレス。みほたちの服装を一言で言い表すなら、その言葉が妥当だろう。

 白を基調にし、黄色と青のいろどりを加えた制服はかわいらしく、少女たちの可憐さを引き立てている。エプロンには聖グロリアーナの校章が刺繍され、頭には白のホワイトブリムと小さな青い蝶リボン。さらには首にもおそろいの黄色い蝶リボンが付けられており、統一感もばっちりであった。

 

 みほたちが着ているこの服は、今年の聖グロリアーナ祭に向けて被服部が試作していた新しい制服。これがこの仲直り作戦を成功させる最初の鍵だ。

 

「もしかして、それって聖グロ祭で来てた制服か? 少しデザインが違うような気もするけど……」

「三郷様は去年の聖グロリアーナ祭をご存知なのでございますか?」

「妹が聖グロに通ってるからな。去年はチケットもらって家族でここに来たんだ」

「三郷さんの妹? 去年の私たちって一年生だよね?」

「三郷は五つ子姉妹の長女なの。全員別の学園艦に通ってて、聖グロリアーナには三女さんが通ってるんだよ」  

 

 頭にはてなマークを浮かべるみほに直下が答えを教えてくれる。

 五つ子というからには、三郷の妹の外見は三郷そっくりのはずだ。しかし、みほはそんな生徒にまったく見覚えがなかった。どうやら三郷の妹は、みほたちと馴染みが薄い情報処理学部の生徒のようだ。

 

「まさか三郷と私たちに接点があったなんて、思いもよらなかったな。妹さんは戦車道を履修してないみたいだけど、戦車道やってるのはお前だけなのか?」

「戦車道をやってるのはあたしとプラウダに行った次女だけだな。聖グロの三女とアンツィオの四女、大洗の五女はあたしたちとは別の道に進んだんだ」

「大洗にまで妹さんがいるの!?」

 

 三郷の妹とまほは同じ学校の同級生。その事実はみほを大いに驚かせた。世の中というのは思ったよりも狭いのかもしれない。 

 

「それで、なんであんたたちはウェイトレスの恰好をしてるのよ?」

 

 みほたちが和気あいあいとした雰囲気で会話をしていると、ずっこけていたエリカがようやく復活した。

 エリカがみほたちの姿に興味を持ってくれた今が、本格的に作戦をスタートさせる絶好の機会。みほはしっかりとエリカの目を見つめ、作戦開始の号令をかけた。

 

「今日は私たちがゲストの逸見さんたちをおもてなしします。お食事をご用意しますので、どうぞこちらへいらしてください」

 

 作戦の第二段階は手料理を振舞うこと。献立はもちろんエリカの大好物であるハンバーグだ。

 大型連休を利用して遊びに来る愛里寿のために、みほはハンバーグ作りの腕に磨きをかけてきた。その経験を活かし、まずはエリカの胃袋をがっちりキャッチする。ここが聖グロリアーナで学んだ料理の腕の見せ所であった。



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第三十五話 お風呂で裸の付き合い作戦

 学校が休みの日も聖グロリアーナ女学院の大浴場にはお湯が張られている。

 休日も部活動に励む生徒。学園艦の運営のために働く生徒会。生徒たちに付きそい、ときにはアドバイスを送る教職員。そんなすべてのがんばる人のために、学校は大浴場を休日も開放しているのだ。

 

 その大浴場の露天風呂でエリカたちは一日の疲れを癒していた。

 

「うまい飯においしい紅茶。さらには大きな露天風呂。まさに至れり尽くせりだな」

「着替えも用意してくれてるみたいだしね。私たち、こんなにお世話になっていいのかな?」

「遠慮する必要はないってあいつらも言ってただろ。その自己主張が激しいおっぱいみたいに、もっとドーンと構えてればいいんだよ」

「あんたねぇー! 胸のことで私をいじりすぎでしょ!」

「うらやましいんだよっ! お前のおっぱいをあたしにも少しよこせー!」

 

 逆ギレした三郷が直下に飛びかかり、水面が大きく波打つ。湯船にはバラの花びらが浮かべられていたが、三郷と直下が暴れたせいでその多くが湯船の下へと散ってしまう。

 

「あなたたち、そのへんにしときなさいよ。もう子供じゃないんだから」

「ほほう。子供みたいに夢中でハンバーグに食らいついてた逸見さんのお言葉とは思えませんなー。ラベンダーの手作りハンバーグはそんなにおいしかったのかい?」

「三郷、あんた最近調子に乗ってるでしょ?」

「強いほうにつくのがあたしのスタイルだからな。今の逸見はあたしと同格。もうお前のご機嫌取りはしないのさ」

 

 湯船から立ちあがり、仁王立ちでそう宣言する三郷。慎ましい胸と違って態度はどこまでも大きい少女である。

 

「そういえば、ラベンダーはお前だけにカモミールティーを用意してたな。特別扱いしてもらって実はご満悦だったんじゃ……あがっ!」

「減らず口はそこまでよ。たしかに私はあんたと同格になったけど、それで弱くなったわけじゃないわ」

 

 エリカはアイアンクローで三郷の頭をぎりぎり締めつける。三郷は入浴の際に眼鏡を外していたので、手加減はまったくなしであった。

 

「うぎゃああああーっ! 助けて直下ー!」

「あんたの自業自得じゃない。少しは反省しなさい」

 

 女子高生とは思えない叫び声をあげて助けを求める三郷を直下は無視。胸のことで散々直下をからかったのだから当然の結果だ。

 しかし、大声で助けを求めた三郷の行為は無駄ではなかった。エリカを止められる救いの女神がこの場に現れたからだ。

 

「逸見さん!? なんで喧嘩してるの!?」

「あれは逸見様の十八番、アイアンクロー! あそこまで完璧に決まったらもう逃げられませんわ」

「少しはおとなしくなったと思ったけど、血の気の多さだけは変わってないみたいだな」  

 

 みほたちの姿を見たエリカはバツが悪そうな顔で三郷から手を放した。

 アイアンクローから開放された三郷はすぐさまみほたちのもとへ駆けより、すばやくみほの背中に隠れる。誰が一番エリカに対する影響力が強いのかを彼女はよく理解しているらしい。

 

「聞いてくれよ、ラベンダー。逸見の奴があたしの冗談を真に受けて暴力を振るってきたんだ」

「そうなんですか? 逸見さん、悲鳴をあげるほどの暴力はよくないと思うの。友達の悪ふざけぐらい大目に見ようよ」

「ぐっ……三郷、あとで覚えてなさいよ」

 

 エリカは鋭い目で三郷をにらむが、当の三郷は表情一つ変えずに口笛を吹いている。

 

「逸見様、そんなにカッカしてるとのぼせてしまいますわよ。このアイスティーを飲んで気を沈めてくださいまし」

「直下と三郷の分もあるぞ。もしホットのほうがいいなら、こっちのお盆の紅茶を飲んでくれ」

「ちなみに、わたくしのおすすめは断然ホットですの。お風呂につかりながら飲む熱ーいお紅茶は最高ですわよ」

「いや、そんな我慢大会みたいなことしたくないから……」

 

 直下はローズヒップの提案をやんわりと断りアイスティーへと手を伸ばす。それを見たエリカと三郷もアイスティーを手に取り、大浴場の露天風呂はお茶会の会場へと早変わりした。

 仲直り作戦の第三段階、お風呂で裸の付き合い作戦の幕開けである。

 

 

 

「BC自由学園はそんなにひどい学校だったんですか?」

「あれはひどいとかいうレベルじゃないよ。仲間同士でいきなり潰しあいを始めたときは、みんなで唖然としちゃったもん」

「深水隊長は相手の策だって警戒してたけど、結局ほとんどの戦車が同士討ちで自滅したからな。あいつらなにがしたかったんだろう?」

「あんな学校が全国大会に出場できること事態がおかしいのよ。戦車道に対する冒涜だわ」

 

 エリカは不機嫌そうに鼻を鳴らしている。戦車道の全国大会はここにいるメンバー共通の話題だが、どうやらエリカのお気に召す話題ではなかったようだ。

 

「ところで、みなさまはどんな戦車にお乗りになっているのでございますか? ちなみに申しますと、わたくしはクロムウェルの操縦手をやっておりますの」

「奇遇だな、あたしも操縦手だぞ。駆逐戦車ヤークトパンターのな」

 

 ローズヒップの質問に対し、三郷は薄い胸を張って得意げにそう答える。

 

「そのヤークトパンターの車長兼通信手が私で、逸見が砲手なの。装填手は今用事で大洗に行ってる根住が担当してるんだよ」

「ちょっと! なんで敵に情報をばらしてるのよ!」

「硬いこと言うなよ。私たちは敵じゃなくて友達だろ? あ、私の戦車はマチルダⅡでポジションは車長だから」

「あれは深水先輩の命令で……」

 

 ルクリリの言い分に反論しようとしたエリカは口ごもる。深水トモエのシナリオを遂行したことで、エリカとみほたちは事実上の友達だ。まったくの嘘ではないのだから、面と向かって否定はできないのだろう。

 

「逸見さんは車長から砲手にポジションを変えたんだね。私はてっきり車長をやってると思ってたよ」

 

 みほは何気なくそう言っただけなのだが、すぐにそれを後悔することになった。みほの言葉を聞いたエリカが渋い表情を浮かべていたからだ。

 

「あたしと逸見は車長をやってたんだけど、お前たちと喧嘩した一件が原因で乗員に逃げられたんだ。それで仕方なく、同じように一人になった直下のヤークトパンターに二人で転がりこんだってわけ。根住があたしたちのところへ来てくれなかったら、試合にも出れなかっただろうな」

 

 三郷が語った真実はみほの心に衝撃を与えた。みほはまたしてもエリカの心を土足で踏みにじってしまったのだ。

 湯船につかっている体とは対照的に、みほの心はどんどん冷えていく。せっかくみんなが協力してくれた仲直り作戦をみほの無神経な一言が台無しにした。その事実はみほを深い絶望の淵へと沈みこませる。

 

「不始末を起こしたのは私よ。これはその報いだから、みほが気にする必要はないわ」

「逸見さん……。でも、私が……」

「それ以上言うとまた怒るわよ」

「……わかった。もうなにも言わないよ」

 

 エリカはみほを拒絶するどころか逆に気遣ってくれた。凍えそうになっていたみほの心にエリカが温もりを与えてくれたのだ。

 あまりのうれしさに涙が出そうになったみほは、両手でお湯をすくって顔に叩きつけた。ここで泣いてしまったら、またエリカに気を遣わせてしまう。

 

「みなさま、聞いてくださいまし! わたくし、実は今悩みがあるのでございますわ」

「よし、私たちが相談に乗るぞ! お前らもローズヒップの悩みを聞いてやってくれないか?」

 

 ローズヒップとルクリリが芝居がかったような口調で強制的に話題を変える。

 どうやら二人は、場の空気が悪くなったときのために流れを変える話題を用意していたらしい。みほに内緒だったのは、より自然な形でフォローするためだろう。

 

「別にいいけど、私たちで力になれるかな?」

「むしろ直下様に一番聞いてもらいたいですわ。わたくしはダージリン様のようなお嬢様になりたいのでございますが、どうしても足りないものがあるんですの」

「足りないもの? 落ち着きかな?」

「まあ、それも足りないといえば足りませんわ。けど、それよりもっと足りないものがあるのでございます。それはずばり、大人の色気。ダージリン様や直下様のように、わたくしもお胸を大きくしたいんですわ!」

 

 湯船から身を乗りだし声高に力説するローズヒップ。

 それに対する直下の反応は冷ややかなものであった。表情が消えて真顔になっているその様は、直下の不機嫌さをはっきりと表している。

 

「あんたもか……あんたも私をいじるのか……。私だって好きでおっぱいが大きくなったんじゃねぇー!」

 

 突然激怒した直下は、ローズヒップと三郷の頭を左右の脇に抱えて締めあげた。見事なダブルヘッドロックの完成である。

 

「いだだだだっ! 直下様、いったいどうしたんですの!?」 

「あぎゃああああーっ! なんであたしまで! 助けて逸見ー!」

 

 露天風呂はプロレス会場へと一転し、仲直り作戦は一時中断。その後は、みんなで直下をなだめるのに時間がかかったせいで、お風呂で裸の付き合い作戦はあいまいな結果で終わってしまった。

 それでも、このお風呂タイムはみほにとって有意義な時間であったといえる。エリカとの心の距離が少し縮まったのを感じられたし、まるで本当の友達のようにみんなでじゃれ合うこともできた。去年愛里寿と一緒に露天風呂へ入ったときと同じように、この出来事もみほの大切な思い出の一つとなったのだ。

 

 

  

 大浴場を出たみほたちは、休憩室に設置された扇風機でほてった体を冷やしていた。

 休憩室にはエリカたちの姿もあり、みほたちが用意した寝間着に着替えて涼を取っている。露天風呂で大暴れした直下の機嫌も回復し、今はルクリリとおそろいの浴衣姿で談笑中だ。

 そんな直下とは違い、エリカと三郷はなにやら浮かない顔。その原因はみほとローズヒップの用意した寝間着にあった。 

 

「ねぇ、みほ。あなた本当にこれしか寝間着を持ってないの?」

「うん! ボコパジャマはボコマニアにとって必須装備なの」

「そう……あなたの趣味にケチをつける気はないけど、いざというときのために普通のパジャマも買っておいたほうがいいわよ」

 

 みほと一緒にボコの着ぐるみ型パジャマに身を包んだエリカは、赤く染まった顔で目を伏せる。フードを被らないことで抵抗を試みているが、恥ずかしさを誤魔化しきれてはいないようだ。

 

「あたしに比べたら逸見はまだましだよ。おいっ! なんであたしだけ羞恥プレイを受けないといけないんだ!」

「なにを怒っているんですの? わたくしたちはもうすぐ大人の仲間入りをするのでございますから、セクシーな寝間着ぐらい着こなせないといけませんわ」

「あたしみたいな貧相な体型の女がこんなの着てたらおかしいだろ!」

 

 ローズヒップと三郷の寝間着は大きく胸元が開いたピンク色のネグリジェであった。しかも、かなりスケスケ。

 体の線どころか下着の色までわかってしまうのだから、三郷が嫌がるのも無理はない。ちなみに、ローズヒップが三郷に用意した下着の色は赤。まさに鬼の所業であった。

 

「ローズヒップ、さすがにその恰好で学校をうろつくのはまずいんじゃないか?」

「心配ご無用ですわ。ちゃんとガウンも持ってきてますわよ」

「なら問題ないな」

「このスケスケ自体が問題なんだよっ!」

 

 ルクリリとローズヒップのやり取りを聞いていた三郷は、片足で床をドンドンと叩く。

 

「三郷、もう諦めなよ。用意してくれたものに文句を言うのは失礼だよ」

「直下はまともな寝間着を借りられたからそんなことが言えるんだ。あたしのスケスケと交換しろ!」

「絶対に嫌っ!」

「今日一日はそれで我慢しなさい。どうせあとは寝るだけなんだし……」

 

 エリカは寝るだけだと思っているようだが、みほたちにはまだ作戦の最終段階が残っている。

 最後の作戦、それはダージリン主催のレクリエーション大会。詳細は聞かされていないが、入浴後にエリカたちを『紅茶の園』へ案内するよう、みほたちはダージリンから指示を受けていた。

 

「みなさん、就寝の前にちょっとした催し物があります。私たちのあとについてきてください」

 

 主催がダージリンということには一抹の不安もある。

 ただ、みほとしてもこのまま寝るわけにはいかない。エリカとの距離がだいぶ縮まってきた今こそ、一気に仲直りするチャンスなのだ。ボコパジャマを着用したことで、みほのやる気はみなぎっていた。  

 

 

 

 みほたちは『紅茶の園』で普段お茶会が開かれている広間へとやってきたが、そこにダージリンの姿はなかった。

 明かりのついた広間のテーブルには大きなスピーカーがポツンと置かれている。今からいったいなにが起こるのか、詳細を聞いていないみほたちもチンプンカンプンだ。

 

 全員がその場で困惑していると、スピーカーから声が聞こえてきた。このイベントの主催者であるダージリンの声である。

 

『みなさま、ごきげんよう。本日は私の考案した企画にわざわざお越しくださったこと、心から感謝いたしますわ』

「女王様は姿も見せずに高みの見物か……それで、これからなにをするつもりなのよ?」

『姿を見せることができない無礼は許してくださらないかしら? これにはちゃんとした理由がありますの』

 

 エリカの皮肉めいた言葉をダージリンは軽くいなす。この程度の嫌味ではダージリンの心に一ミリも傷はつけられない。

 

「ダージリン様、理由とはなんでございますか?」

『今からあなたたちに肝試しをやってもらうからよ。主催者が姿を現さないほうが雰囲気が出ていいでしょう?』

「肝試し? バカバカしい。なんで私たちがそんなことしなきゃいけないのよ」

『逸見さん、あなたに拒否権はなくってよ。それに、もしこの肝試しがクリアできなければ、あなたたちは恐ろしい事態に見舞われることになるわ』

 

 低い声で脅し文句をかけるダージリン。さすがのエリカもこれには少し動揺したようで、どこかそわそわした様子で周囲を見回した。

 

「ふ、ふん! そんな脅しに私が屈すると思ってるの?」

『脅しではありませんわ。この映像をごらんなさい』 

 

 ダージリンがその言葉を口にした瞬間、広間の明かりがフッと消えた。幸い明かりはすぐについたが、テーブルの上にはいつの間にかノートパソコンが置かれている。

 そのノートパソコンにこの場にいる全員を驚愕させる動画が流れていた。

 

『アアアン アン アアアン アン アアアン アアアン アン アン アン』

「嫌あああああっ!」

 

 直下が絶叫して隣のルクリリに抱きつく。ほかのメンバーは声こそあげないものの、動画を見ている顔は一様に青い。

 それはみほも同じであった。あんこう踊りを踊る自分の姿を見て平静を保てる女子高生はなかなかいないだろう。

 

『肝試しのクリア条件は、校内の三ヶ所に置かれているティーカップを取ってくること。拒否、もしくは降参した場合、この動画をインターネットに配信します』

「ダージリン様、冗談ですよね?」

『ラベンダー、私はつまらない冗談は言わない主義なの。詳しい説明は肝試しに協力してくれるGI6の生徒がしてくれますので、心して聞くように。あなたが無事に逸見さんと仲直りできるのを祈っているわよ』

 

 その言葉を最後にダージリンからの通信は途絶え、スピーカーはウンともスンとも言わなくなった。みほの不安は現実のものになってしまったのだ。

 そのとき、広間の扉がガチャッと重い音を立てて開き、制服姿のオレンジペコが部屋へと入ってきた。ダージリンはGI6の生徒と言っていたが、どうやらオレンジペコが詳しい説明をしてくれるらしい。

 

「ペコ、ダージリン様を止めてくれ。あんこう踊りがネットに晒されたらお前まで大ダメージを受けるぞ」

「ルクリリ様、ダージリン隊長の命令は絶対です。逆らおうなんて考えちゃいけませんよ」

 

 オレンジペコはいつもと違い、ルクリリの名前を様付けし、ダージリンを隊長と呼んだ。しかも、口角をあげて意地悪そうにニヤニヤと笑っている。別人になってしまったかのようなオレンジペコの姿に、みほはうすら寒いものを覚えた。

 

「違うっ! そいつはリーサルウェポンじゃない!」

「ふっ、ふふふっ、あはっ、あひゃひゃひゃひゃっ!」

 

 三郷に人差し指を突きつけられたオレンジペコは狂ったように大笑いし、懐から丸い玉を取りだして床に叩きつけた。すると、玉が割れた瞬間に白い煙が噴きだし、周囲を真っ白に染めあげる。

 

 煙が晴れたあとに姿を現したのは三郷と瓜二つの少女。顔つきだけでなく、前髪を七三に分けたショートカットも大きな丸眼鏡も一緒だ。唯一の違いは髪の色のみで、三郷が黒髪、謎の少女は金髪である。

 

「やっぱりお前か、(しのぶ)!」

「お久しぶりですわね、お姉様。それと、今の私は三郷忍ではありません。私はGI6所属の忍者エージェント、キャロルですわ。みなさま、以後お見知りおきを」

 

 『不思議の国のアリス』の著者、ルイス・キャロルの名前を名乗った少女は、右手を胸の前に添え仰々しく頭を下げる。 

 みほがGI6に所属している生徒に出会ったのはこれで二人目だ。しかし、その第一印象はまったくの正反対。一人目のクラークには親近感がわいたのに対し、二人目のキャロルから感じたのは得体の知れない不気味さだけであった。



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第三十六話 変身忍者キャロルと忍道履修生

「それでは肝試しのルールをご説明いたします。ティーカップの置かれている場所は、教会、第二ガレージ、校舎三階の談話室の計三ヶ所。みなさまは二人一組でそれぞれの場所へ向かい、ティーカップを取ってきてもらいます。チーム分けと目的地は私に一任されておりますので、今から発表しますわ。ちなみに反論は受けつけませんから、そのつもりでお願いしますね」

 

 キャロルは有無を言わせぬ強い口調でそう言い切った。どうやら、彼女も姉の三郷同様かなり強気な性格のようだ。

 

「教会へ向かっていただくのはラベンダー様と逸見様のマゾグマチーム。第二ガレージはローズヒップ様とお姉様のスケスケチーム。談話室はルクリリ様と直下様の巨乳チームになります」

「ボコはマゾじゃないよ!」

「ほかの妹たちには絶対スケスケばらすんじゃないぞ!」

「私をおっぱいでいじるのはやめろーっ!」

 

 みほ、三郷、直下は勢いよくキャロルに詰めよるが、キャロルは後ろジャンプでみほたちから距離をとる。その跳躍力はすさまじく、広間の中央から一気に後方の扉の前まで移動していた。忍者を名乗るだけあって、運動神経と身軽さはかなりのものだ。

 

「今宵は聖グロリアーナ女学院忍道履修生がみなさまのお相手をいたします。どうぞ存分にお楽しみくださいませ。あひゃひゃひゃひゃっ!」

 

 気味の悪い笑い声を残し、キャロルは広間の外へと消えた。

 キャロルがいなくなり広間は静寂に包まれる。その静寂を破ったのは、キャロルの姉である三郷であった。 

 

「みんなに言っておくことがある。忍……いや、今はキャロルだったな。あいつは変装の達人だ。姿だけでなく、声までそっくりにできる。見知った人が目の前に現れても決して油断するなよ」

 

 三郷の言葉に全員がうなずく。

 先ほどの変装はどう見てもオレンジペコにしか見えなかった。オレンジペコらしからぬ口調で話さなければ、みほも違和感を覚えなかったはずである。

 おそらくキャロルが口調を崩したのはわざとだろう。この肝試しの脅かし役を担当する彼女は、自身の変装技術を見せつけることでみほたちの不安をあおったのだ。

 もはやこの肝試しはなにが起こるかわからない。エリカとの仲直りに意欲を燃やしていたみほであったが、事態はそれどころではなくなってしまった。

 

 

 

 ルクリリと直下は談話室を目指して夜の校舎を歩いている。

 校舎内は真っ暗で、明かりはルクリリが持っている懐中電灯のみ。そのせいか二人の歩みはマチルダⅡ並みの遅さだが、それにはほかにも理由があった。

 

「直下、少しビビりすぎだぞ。これじゃ私もうまく歩けないじゃないか」

「しょうがないでしょ。怖いものは怖いんだもん」

 

 直下はルクリリの右腕をがっちりと両腕でホールド。さらには体もぴったりとルクリリに密着させており、まるでお化け屋敷に訪れたカップルのような状態になっていた。

 

 ルクリリと直下が今歩いているのは校舎の二階だが、ここにたどり着くまでに二人は様々な脅かしを受けた。

 背中に水滴。顔にこんにゃく。足元にねずみ花火。いずれも古典的な脅かしかたではあるものの、忍道を履修しているだけあって忍道履修生は姿をまったく見せない。

 脅かし役の姿が見えないという心理的な圧力は大きく、気弱な直下はすっかり戦意喪失。二階に着いてからはずっとルクリリに抱きついたままで、いっこうに離れようとしなかった。

 

「階段を上がるときは離れてくれよ。この状態じゃ危ないからな」

「う、うん。わかった……」

「階段を上がったら談話室は目の前だ。あと少しの辛抱だからな。がんばるんだぞ」

 

 ルクリリは柔らかな口調で直下を励ます。気が弱い子の扱いはラベンダーで慣れているのか、励ましかたも堂に入っていた。

 

 

 

 カップル状態で階段付近までやってきたルクリリと直下。

 そこで二人は思わぬ光景を目撃することになる。階段手前の壁の色が一部分だけ違っていたのだ。

 

「そこに隠れてるのはわかってるぞ。さっさと出てこい」

 

 ルクリリが懐中電灯で怪しい壁を照らす。白い壁が一部分だけレンガ色になっているのだから、わからないわけがない。

 すると、レンガ色の布をその場に放り投げ、淡いピンク色の忍装束を身にまとった一人の少女が現れた。顔を隠している頭巾までピンク色なので、全身真っピンクである。

 

「拙者の隠れ身の術を見破るとは、さすがはマチルダ隊の隊長でござるな」

「この子が私たちを脅かしてた子なの?」

「たぶん違うと思うぞ。さっきまでのやつはこんなマヌケじゃなかったからな」

「この半蔵をマヌケ呼ばわりとは聞き捨てならないでござる! ものども、であえ! であえー!」

 

 半蔵と名乗った少女はほら貝を手にすると勢いよく吹き鳴らす。それと同時に二つの人影が半蔵のもとへと集結し、ついに脅かし役が姿を現した。

 

「半蔵、またドジをやったわね」

「面目ないでござる、弥左衛門」

 

 い草で作られた深編笠を頭に被り、黒の着物姿で手には尺八、足には草履。時代劇で見かける虚無僧、それが弥左衛門と呼ばれた少女の恰好であった。

 

「まったく……。そんなことではいつまでたっても一人前になれませんわよ。ねえ、小太郎」

「半蔵も努力はしている」

「さっすが小太郎! いいこと言うでござる。半蔵は頭領からも努力家だと認められているでござるよ」

「調子に乗るな」

 

 背の低い小太郎という名の少女が半蔵の頭を軽く小突く。

 暗視ゴーグルのせいで顔は見えないが、小太郎はほかの二人と違い恰好はいたって普通。下は黒のスパッツ、上は白の半袖体操服姿の運動が得意そうな栗色ショートカットの少女だ。

 

 その小太郎の姿を見たルクリリは不思議そうに首をかしげている。どうやら小太郎の見た目になにか思うところがあるようだ。

 

「こいつ、どこかで見たことあるような……あっ! 思い出した。お前は大洗の八九式の車長!」

「たしかに今日の試合に出てた車長の子に似てるけど、あの子がこんなところにいるわけないでしょ」

「わかったぞ。お前がキャロルだな。大洗の車長に化けて私をだますつもりだろ!」

 

 ルクリリは小太郎に向かってビシッと指を差す。

 

「キャロルって頭領の二つ名でござるよね。えっ!? 小太郎は頭領の変装だったのでござるか!?」 

「違う」 

「頭領はクルセイダー隊の隊長のお相手をすると仰ってましたわ。ここにいるのは正真正銘、本物の小太郎ですわよ」

「なーんだ、危うくマチルダ隊の隊長にだまされるところだったでござる。よくも拙者を惑わそうとしたでござるね。ここから先へは、一歩たりとも通さないでござるよ!」

 

 階段前の道を通せんぼする三人の忍道履修生。

 すでに肝試しの体はなしていないが、彼女たちはまだ邪魔をするつもりらしい。 

 

 そのとき、三階の階段から誰かが下りてくる足音が聞こえてきた。

 

「あなたたち! そこでなにをしてるんですか!」

「半蔵がほら貝なんて吹くから、部外者に見つかってしまいましたわよ」

「ここはひとまず引くべき」  

「撤退! 撤退でござる!」

 

 忍道履修生は蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていく。

 それと入れ替わるようにこの場へやってきたのは、黄色のパジャマ姿のダンデライオンであった。

    

「ダンデライオン様? どうしてここに?」

「学校でパジャマパーティーをするってダージリンさんに誘われたんです。それより、さっきの変な恰好をした子たちはなんなんですか?」

「あの子たちは忍道履修生です。ダージリン様から肝試しの脅かし役を依頼されたみたいで、私たちを脅かそうと躍起になっているんですわ」

 

 ダンデライオンが登場したことで、お嬢様モードに入ったルクリリ。そんなルクリリの猫被りを目撃した直下は、びっくりしたような表情を浮かべている。

 

「私たち以外にはお嬢様言葉で話すんだね」

「なんのことかしら? 私はいつもこのしゃべりかたですわよ」

 

 ルクリリは誤魔化そうとするが、ダンデライオンは冷たい目をルクリリへと向ける。

 ダージリンやアッサムとは違い、ダンデライオンはローズヒップとルクリリにはとくに厳しい。ルクリリが嘘をついていることなど彼女にはお見通しなのだろう。

 

「ルクリリちゃん、嘘をついても無駄ですよ。あたしの目の届かない場所でまた下品な言葉を使っていましたね」 

「下品な言葉など使っておりませんわ。直下さんは勘違いを……」

「あたしに言い訳をするつもりですか? あなたにはお仕置きが必要なようですね」

 

 ダンデライオンはそう告げると、ルクリリにバレーボールほどの大きさの玉を投げつけた。 

 虚をつかれたルクリリは思わずそれをキャッチしてしまう。それを見たダンデライオンはニヤリと笑みを浮かべると、バックステップでその場を離れ、ルクリリが持っている玉へ小さな針を投げつけた。

 その針が刺さった瞬間、玉は破裂音とともに爆発し、周囲に黒い液体をまき散らす。

 玉の正体はふくらませた風船。そして、その中身には墨汁が入っていたのだ。

 

「あひゃひゃひゃひゃっ! 引っかかりましたわね」

「くそっ! お前がキャロルか!」 

「お風呂に入ったばっかりなのにー!」

 

 墨汁の直撃を受けたルクリリだけでなく、直下も真っ黒になっている。ルクリリに抱きついていたせいで、彼女も大きな被害を受けてしまったようだ。

 

「よくも私をだましてくれたなっ!」

「だまされるほうが悪いんですわ。悔しかったら私を捕まえてごらんなさい」

 

 そう言うと、偽ダンデライオンは階段を軽快な足取りで上がっていった。

 

「追うぞ、直下!」

「ま、待ってよ。置いてかないでー!」

 

 ルクリリと直下はすぐさま偽ダンデライオンのあとを追いかける。しかし、三階に着いたときにはすでに姿を見失ってしまった。恐るべき逃げ足の速さである。

 

「あいつめ、どこへ逃げたんだ?」

「あそこじゃない? ほら、明かりがついてる部屋があるよ」

「あの部屋は談話室だな。よし、行くぞ」

 

 ルクリリは大きな足音を立て大股開きで歩を進める。かなり下品な歩きかただが、それだけ怒り心頭なのだろう。

 ルクリリと直下が談話室の前までやってくると、部屋の中からは複数の声が聞こえてくる。二人はアイコンタクトで確認を取ると、転がるように談話室へとなだれ込んだ。

 

「ルクリリちゃん? どうして真っ黒になってるんですか?」

「お前がやったんだろっ! とっとと正体を現せ!」

 

 ルクリリはダンデライオンを見つけると、一気に間合いを詰めて両手でダンデライオンのほっぺたを引っ張った。

 

「いふぁい! いふぁい! にゃにしゅるんれすか!?」

「あわわ、ルクリリ様がご乱心です。喧嘩はダメですよー!」

「ルクリリ様、なにがあったか存じませんが気を静めてくださいませ。今のルクリリ様の姿をニルギリさんが見たら、きっとがっかりしますわよ」

 

 ダンデライオンのそばにいたパジャマ姿の二人の少女がルクリリを止めに入る。

 ラベンダーのクロムウェルの乗員であるカモミールとベルガモットだ。 

 

「二人とも、こいつはダンデライオン様に化けた偽物だぞ」

「私たちはさっきこの子にひどい目にあわされたの」

 

 ルクリリと直下はカモミールとベルガモットに事情を説明するが、話を聞いた二人はきょとんとした顔をしている。二人の心情を例えるなら、わけがわからないといった言葉がぴったりだろう。

 

「先ほどというのはほら貝の音が響いたときですわよね? ダンデライオン様はあのときここでお茶をしてましたわ。お二人を真っ黒にできるわけがありませんの」

「……マジか?」

「大マジです。ここにいるダンデライオン様は本物ですよ」

 

 ルクリリの顔が徐々に青ざめていく。ほっぺたを引っ張っていた手を放したところで、すべては後の祭りであった。

 

「乙女の柔肌になんてことを……。今日という今日はもう許しませんっ! そこに正座しなさいっ!」

 

 怒髪天を衝く、子猫のダンデライオンは百獣の王ライオンへとクラスチェンジし、ルクリリへのお説教タイムが始まった。

 

「私が二度もだまされるなんて……」

「ちゃんと聞いてるんですかっ!」

 

 ダンデライオンに怒鳴られるルクリリを尻目に、直下はこの部屋にあるはずのティーカップを探し始めた。

 誰よりもあんこう踊りに怯えていたのは直下だ。ルクリリを助けるよりもティーカップ探しを優先するのは無理からぬことである。

 

「お探し物はティーカップですよね? それなら私がペコさんから預かっています」 

「ペコさんって、もしかしてオレンジペコ?」

「はい、私の親友のオレンジペコさんです。黒森峰のお客様がここへ来たら、このティーカップを渡してほしいと頼まれたんです」

 

 カモミールは小さな箱を直下に差しだす。直下が恐る恐るそれを開けると、中には白いティーカップが一つ入っていた。  

 墨汁まみれにはなったが、直下は無事にあんこう踊りの恐怖から逃れることができたのだ。

 

「よかったー。これで助かった……」

 

 脱力した直下はその場にへなへなと崩れ落ちた。

 

「それにしても、今日のオレンジペコさんは少し様子がおかしかったですわね」

「あ、私もそれは気になってました。ラベンダー様の話になった途端、急に不機嫌になっちゃいましたからね。なんだかペコさんらしくなかったです」

 

 カモミールとベルガモットの前に現れたオレンジペコは、十中八九キャロルの変装だろう。

 頭領はラベンダーの相手をする。三人組の忍道履修生の一人、弥左衛門はそう言っていた。キャロルがラベンダーを狙うのには理由があるようだが、それが穏やかな理由でないことはカモミールの話から容易に推測できる。

  

「ラベンダーには世話になったし、このまま見て見ぬふりはできないよね」

 

 直下は重い腰を上げると、ダンデライオンから説教を受けているルクリリのもとへ向かった。どうやら、直下とルクリリの肝試しはもう少しだけ続くようである。 

 

 

 

 

 みほとエリカは教会へ向かう途中にあるバラ園を歩いていた。 

 

「なんで学園艦にクマがいるのよ。ここは海の上なのに……」

「私たちを仲間だと勘違いしたのかな?」

「のんきなこと言ってるんじゃないわよ!」

 

 みほたちがバラ園にいるのはクマに襲われたからだ。

 暗闇の中から突然現れたクマに仰天したエリカは、みほの手を引きバラ園へと避難。クマの襲撃をやり過ごした二人は、仲良く手をつなぎながら安全な場所を探しているところだった。

 

「そんなに慌てなくても平気だよ、逸見さん。あれは本物のクマじゃないから」

「へっ? な、なんでそんな自信満々に断言できるの?」

「クマはボコのモチーフになった動物だもん。本物か作り物かの見分けぐらいはつくよ」

 

 みほはえっへんと胸を張る。みほのボコに対する思い入れは、すでにモチーフになった動物にまで及んでいるのだ。

 

「それならなんで最初にそう言ってくれなかったのよ。全力で逃げた私がバカみたいじゃない」

「逸見さんが私の手を引いてくれたのがうれしくて、つい言いそびれちゃった。私のことを守ろうとしてくれたんだよね?」

「あ、あれは無意識の行動よ。別にみほを助けようと思ったわけじゃないわ」

 

 顔を赤くしたエリカはみほの手を振りほどく。動揺しているのはあきらかであり、それがただの照れ隠しであるのは丸わかりであった。

 

「そんなことより、あれが作り物ならここに隠れてる必要はないわ。クマもどきは無視して早く教会に……」

「クマァーっ!」

 

 エリカが話をしている途中で先ほどのクマが物陰から飛びだしてきた。

 作り物とは思えないような精巧な着ぐるみだが、人間だとわかってしまえば怖くもなんともない。それに輪をかけたのがクマとほえる残念な演技力。幽霊の正体見たり枯れ尾花とはこのことだ。

 

「どきなさいっ!」

「クマっ!?」

 

 エリカに一喝された偽クマは一目散に逃げだした。中の人はあまり気が強い人物ではないようである。

 

「怒鳴ったらかわいそうだよ」

「どうしてあなたはそうお人好しなのよ。あいつは私たちの邪魔をしてきた敵なんだから、みほもガツンとなにか言ってやりなさい」 

「逸見さん、敵か味方かで物事を判断するのはあまりよくないと思うの。あのクマさんは肝試しを盛り上げようとしただけなんだし……」

「相変わらず甘っちょろいわね。みほは西住流の後継者になったんでしょ。なら、そんな甘い考えは早く捨てなさい。そうしないと、あなたはいつか足をすくわれることになるわ」

 

 みほに苦言を呈するエリカはまるで中学時代に戻ったかのようだ。もしみほが中学時代の子供のままであったら、この時点でエリカを再び拒絶していただろう。

 しかし、今のみほは中学時代とは違う。多くの人との出会い、そして様々な経験がみほを大人にした。だから、今もこうして笑顔でエリカの話を聞くことができるのだ。

 

「変わったわね。前はいつも嫌そうな顔してたのに……」

「私も少しは成長したからね。逸見さんは私のことを思って助言してくれてるって、今ならわかるよ」

「みほ……」

 

 みほとエリカの間にあった心の壁はもう崩壊寸前だ。みほがあと一つアクションを起こせば、エリカと手を取りあうことができるだろう。

 だが、そんなみほの思いを妨害するかのように、意外な人物が二人の前に立ちふさがった。

 

「ラベンダー、あなたは中学時代からなにも変わっていませんわ。人の迷惑も考えず自分勝手に行動する愚か者、それがあなたよ。現にこうして、ダージリンと一緒になって今日も学校で騒ぎを起こしている。あとであなたたちの尻拭いをする私の身にもなってほしいですわね」

「えっ……」

 

 気の抜けた声を発し、信じられないといった表情で目の前の人物を見つめるみほ。

 この人がこんなひどいことを言うはずがない。理性はみほにそう必死に訴えかけるが、心はどんどん負の感情に包まれていく。

 

 みほがもっとも信頼している先輩であり、ずっとみほの面倒を見てくれたアッサム。そのアッサムから罵倒されて平静を保てるほど、みほの心はまだ強くなかった。

  

「逸見さんも災難でしたわね。この子がバカな真似をしなければ西住まほは転校せずにすんだし、あなたが副隊長の座から転落することもなかった。心中お察しいたしますわ」

「知った風な口を聞かないでほしいわね、チャーチルの砲手さん」

「私のことをご存知のようですわね」

「黒森峰は情報収集もしっかりやってるもの。四強の一角である聖グロの主要選手を調べるのは当然よ。だから、あんたが偽物だってことも私には察しがつくわ」

 

 エリカはアッサムにそう言いはなつと、次にみほのほうへと向きなおる。

 

「しっかりしなさい、みほ! 三郷が言ってたでしょ、キャロルは変装が得意だって。それとも、あなたを成長させてくれた教育係はこんな底意地が悪い人だったの?」

「ううん。アッサム様はそんな人じゃない。ありがとう逸見さん、私はもう大丈夫だよ」

 

 エリカの言葉がみほの弱った心に勇気を与えてくれた。

 このアッサムは真っ赤な偽物。心が落ち着いた今なら、そうはっきりと断言できる。

 

「あらあら、もう立ち直ってしまったんですの? 私はあなたが苦しむ姿をもっと見たかったのに、残念ですわ」   

「あんた、どこまで性悪なのよ! もうバレてるんだから、いい加減その変装はやめなさい」

「そうさせていただきますわ」

 

 偽アッサムは丸い玉を取りだし、自分の足元に投げつけた。

 玉は破裂音とともに爆発し、白い煙が辺りを包む。煙が晴れ、ようやく姿を現したキャロルだが、オレンジペコの変装を解いたときとは様子が違っていた。彼女はあの不気味な笑い声をあげずに、憎々しげな表情でみほを見ていたのだ。

 

「この程度では終わりませんわよ、西住みほ。私は必ずあなたの心を折ってみせますわ」

「どうしてそんなに私を憎むの? 私たちは今日出会ったばかりなのに……」

 

 みほは困惑した顔でキャロルに質問を投げかける。初対面のキャロルから憎まれる理由は、みほにはまったく思い当たらない。

 

「あなたがお姉様に屈辱を与えたからですわ。戦車喫茶であなたたちのくだらない争いに巻きこまれたお姉様は、車長の座を追われ周りから白い目で見られるようになった。全部あなたのせいよ」

「あれは私の責任よ! みほは悪くないわ!」

「逸見エリカ、もちろんあなたも私のターゲットですわ。西住みほが片付いたら、次はあなたの番よ」

 

 鋭い目でエリカをにらむキャロル。三郷と同じ顔をしているが、彼女の目力は姉をはるかに上回っていた。

 

「弱虫でいじめられっ子だった私をお姉様は身を粉にして守ってくれた。お姉様は私にとって闇を払う太陽のようなおかた。そのお姉様を辱めたあなたたちを私は許しませんわ」

 

 低い声で恨み言を吐き捨てると、キャロルは音もなく姿を消した。

 

「早く教会にいらしてくださいね。とっておきの変装をご用意してお待ちしております。五右衛門、お二人が逃げないようにしっかりと見張っていなさい。先ほどの失態はそれで帳消しにしてあげますわ」

「クゥーマーっ!」

 

 闇の中から聞こえるキャロルの声に応えるように、バラの垣根の隙間から姿を現した偽クマが両腕を高くあげ万歳をする。 

 キャロルは偽クマを五右衛門と呼んでいたが、中の人の声は女の子だ。おそらく、忍道履修生も戦車道チームと同じようにニックネームで呼びあっているのだろう。

 

「上等じゃない。みほ、あいつの変装を徹底的に無視して、あの高慢ちきな鼻っ柱をへし折ってやるわよ!」

 

 キャロルの挑発はエリカの怒りに火をつけてしまった。こうなるとみほがなにを言ってもエリカは止まらない。

 ただ、みほとしても教会に行かないという選択肢は頭にはなかった。キャロルの言い分は理不尽ではあるものの、みほが災いの種を蒔いたのは事実だからだ。

 自分の不始末は自分で刈りとる。それが西住流の後継者としてのあるべき姿。みほはそう決意を固めると、エリカとともに教会へと向かった。



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第三十七話 ラベンダーの新しい友達

 教会へ向かう道すがら、みほとエリカは歩きながら意見を交わしていた。

 話の内容はキャロルの変装について。彼女が誰に化けるのかを予想し、事前に対策を立てようというのが二人の考えだ。

 ちなみに偽クマこと五右衛門は、付かず離れずの距離を保ってみほとエリカのあとをつけてくる。

 

 キャロルの命令に従っている五右衛門は忍道履修生の一年生なのだろう。

 聖グロリアーナ女学院の忍道は、履修生がほとんどいないことで有名な必修選択科目。その不人気っぷりは去年廃止を検討されたほどである。しかし、今年入学した数人の一年生が履修したことにより、忍道は寸前で廃止を回避。この出来事は校内新聞の一面を飾るなど、ちょっとした話題となった。

 

「私の予想では、キャロルが次に変装するのはローズヒップかルクリリ、それかダージリンね。あの女はみほに狙いを定めてるみたいだから、あなたと親しい人たちの姿を取るはずよ」

「それだと、ダンデライオン様の可能性もあるかも。一年生のころから良くしてくれた先輩で、私をクルセイダー隊の隊長に推薦してくれた人なの」

「みほの戦車の乗員あたりも怪しいわね。ローズヒップ以外は全員一年生だってお風呂で話してたでしょ。あなたのことだから、一年生の子たちを猫かわいがりしてるんじゃない?」

「そんなことしてないよ。クルセイダー隊の隊長がえこひいきなんてしたら、ほかの隊員に示しがつかないもん。そう言う逸見さんのほうこそ一年生には甘い気がする。逸見さんは美人だから、一年生から人気がありそうだし」

 

 エリカに軽口を叩いたみほは、むすっとした顔で口をとがらせる。

 無意識に言葉が口から出てしまったが、エリカとこんな風に会話ができたことにみほは内心自分でも驚いていた。もしかしたら、みほが自分の思いを素直に口にできるようになったのは、エリカとの心の距離が縮まっている証なのかもしれない。

 

「みほも言うようになったわね。でも、なにも言ってくれない昔のあなたより、今のあなたのほうが私は好きよ」

「好きっ!? こ、困るよ。私たち女の子同士なのに……」

「なっ!? なにバカなこと言ってんのよ! ラブじゃなくてライクに決まってるでしょ!」

「そ、そうだよね。ご、ごめん。突然だったから変な勘違いしちゃった」

 

 みほに向かって吠えるエリカの顔は、怒りに燃えていたときの倍以上に赤くなっている。みほもそうだが、エリカもこういった話には免疫がないようだ。戦車が恋人とも比喩される、戦車女子の悲しい性だった。

 

「とにかく、キャロルがどんな変装をしようと感情を乱さないようにすること。いいわね」

「う、うん。わかったよ」

 

 その後はぎこちない雰囲気のまま、みほとエリカは終始無言。けれど、決して二人の仲が悪くなったわけではない。二人の状態を言葉で言い表すなら、据わりが悪いといった感じだろう。まるで付きあい始めのカップルのようである。

 

 そんな二人の甘酸っぱい空気を教会の扉の前に立っていた人物が一気にぶち壊す。

 グレーの制服。栗色のボブカット。みほとよく似た顔立ち。

 みほの姉である西住まほがそこにいた。

 

「遅かったな。みほ、エリカ」

「あんたはどこまで性根が腐ってんのよっ!」

「エリカ、怒りっぽいのはお前の悪い癖だ。優秀な戦車乗りは感情をうまくコントロールするもの、私はお前に何度もそう教えたはずだがな」

「黙れ! 黙れ! 黙れぇぇぇっ!」

 

 エリカの叫びが夜の闇に消えていく。

 エリカが激怒するのも無理はない。キャロルが変装しているまほはエリカの大事な人なのだから。

 

「逸見さん、気をたしかに持って。怒ったら相手の思う壺だよ」

「みほは腹が立たないの!? あいつは黒森峰にいたころの隊長の変装をしてるのよ!」

 

 キャロルが変装したまほは黒森峰時代の姿だ。髪が長く、表情に覇気がない今のまほとは正反対。まほをよく知る人が見れば、誰もが西住まほの全盛期のころと答えるだろう。

 だからこそ、みほは冷静でいられた。キャロルの変装はたしかに見事だが、彼女が真似できるのは外面まで。本当のまほを知っているみほにとって、この変装はただの虚像にすぎない。  

 

「全然イライラしないよ。だって、黒森峰時代のお姉ちゃんは自分を偽って強い姿を演じてただけだもん。本当のお姉ちゃんとはほど遠い姿を真似たところで、私の心にはいっさい響かない」

「随分と強気だな、みほ。私から西住流の後継者の座を奪って自信をつけたか?」

「奪ったんじゃなくて、私が背負うことにしたんだよ。もうお姉ちゃんにつらい思いを味わってほしくなかったからね」

 

 偽まほの挑発をみほは動じることなく切って返した。黒森峰時代のまほを模している限り、みほの心は揺るがない。

 

「ふむ……話は変わるが、お前はエリカと親しくなったみたいだな。中学時代はあんなに毛嫌いしていたくせに、いったいどういう風の吹きまわしだ?」

 

 偽まほは会話の切り口を変えてきた。みほの心を折るのを諦めるつもりはないようである。

 

「中学時代の私が逸見さんから逃げてばっかりだったのは認めるよ。でも、今は違う。私は逸見さんとしっかり向きあって、新しい関係を築きたいと思ってるの」

「エリカのことをいまだに名字で呼んでるお前には無理だよ。心の奥底ではまだエリカを拒んでるんだろう?」

 

 みほを見下すような笑みを浮かべる偽まほ。的確にみほの痛いところを突いてくるあたり、変装だけでなく話術のほうも腕が立つようだ。

 

「私は逸見さんを拒んでいません。今からそれを証明します」

 

 みほは偽まほに背を向けると、エリカの真正面に立った。

 エリカとの確執に終止符を打ち、みほの思いが伝わる言葉。それを告げるときがやって来たのだ。

 

「逸……エリカさん。私と友達になってください!」

 

 エリカと初めて感情をぶつけあった練習試合。エリカを見る目が変わった西住流の後継者問題。そして、エリカの心を傷つけてしまった戦車喫茶での争い。

 様々な出来事を通してみほはエリカのいろいろな面を見てきた。見て見ぬふりをしていた中学時代とは違い、エリカの本質を知ることができたのだ。エリカと友達になりたいというのは、それを踏まえて導きだした結論であった。

 

「み……今の名前はラベンダーだったわね。いいわよ、ラベンダー。あなたの友達になってあげる」

 

 素直じゃない言いかたは実にエリカらしい。それでも、エリカはみほを初めてニックネームで呼んでくれた。聖グロリアーナ女学院の一員であるみほをエリカは認めてくれたのである。エリカの思いを察するのはそれだけで十分だった。

 

「これで任務は完了ですわね。茶番はここまでといたしましょう」

 

 偽まほはそう告げると、地面に煙玉を投げつけて変装を解いた。

 

「任務? あんたはラベンダーと私に復讐したかったんじゃないの?」

「いいえ。そんなつもりは毛頭ありませんわ。お姉様がああなったのは自業自得。そろそろ三郷家の長女としての自覚を持ってもらいたいものですわ」

「あれ? 三郷さんは太陽のような人じゃなかったの?」

「純粋にそう思っていたころが私にもあったのですわ。大人になるというのは悲しいことですわね」

 

 今までのキャロルの言動は演技だったらしい。

 みほを憎む目は演技とは思えなかったが、それだけキャロルの演技力が高いのだろう。他者に成りすます変装を得意としているのだから、当然といえば当然だ。

 

「それで、任務ってなんなのよ?」

「あなたたちが仲直りできるように手を尽くすこと。それがダージリン隊長から請け負った任務ですわ。私という共通の敵がいればお二人は団結できると踏んだのですが、正直ここまでうまくいくとは思いませんでした」

 

 今回の騒動はすべてダージリンが意図して仕組んだシナリオ。ダージリンは仲直りできるのを祈っていると言っていたが、彼女はみほとエリカを仲直りさせる気満々だったようだ。

 

「お二人には感謝しかありませんわ。あなたたちが仲直りしてくれたおかげで、私はあの女と決着をつける機会を得ることができました」

 

 あの女と決着をつける、そう口にしたキャロルはみほたちを憎む演技をしていたときと同じ表情をしていた。

 キャロルはダージリンから任務を請け負った。それはすなわち、キャロルにはなんらかの報酬が約束されているということだ。しかも、それは穏便な話ではないらしい。

 新たな騒動の火種が誕生したのを目の当たりにしたみほは、思わず苦笑いを浮かべてしまった。

 

「そうだ。ラベンダー様、お礼にいいことを教えてあげますわ。サンダースの通信傍受機入手を手引きしたのは犬童家ですわよ」

「ふぇ? ど、どうして犬童さんが?」

「犬童家は大洗女子学園をなにがなんでも廃校にするつもりなんですの。今年の戦車道全国大会で優勝できなければ、大洗女子学園は廃校になりますから」

「廃校? 大洗が? なんで?」

 

 みほは極度の混乱状態へと陥ってしまう。キャロルが衝撃発言を続けざまに言い放ったことで、みほの心は悲鳴をあげてしまったのだ。

 

「廃校についてはお国の取り決めなのでなんとも言えませんわ。ただ、戦車道の全国大会で優勝したら廃校を撤回する、そういった約束が交わされたのは事実ですの」

「待ちなさい。なんであんたがそんな重要なことを知ってるのよ」

「聖グロリアーナ女学院には、学園艦教育局長と親しい政治家の娘さんが在籍しておりますの。この情報はそのかたが情報源ですわ。GI6の情報収集力を甘くみないでくださいまし」

「ただの憶測じゃないってわけね。あんたの言いたいことはわかったから、もうその口は閉じなさい。これ以上はラベンダーの負担になるだけだわ」

 

 エリカはふらつくみほの肩を支えてくれる。たったそれだけで、みほは混乱状態からすぐに立ちなおった。

 今のエリカからは、ローズヒップとルクリリと一緒にいるような安らぎを感じることができる。以前はあれほど嫌悪していた相手だというのに、心というのは本当に不思議なものだ。 

 

「私もラベンダー様を困らせるのは本意ではありませんので、この辺にしておきますわ。ただ、これだけは言わせてもらいます。犬童芽依子には気をつけたほうがいいですわよ。あの子は父親の操り人形、最後には必ず大洗を裏切りますわ」

 

 犬童芽依子を名指しで批判するキャロル。彼女が憎むあの女が誰なのか、みほにはわかった気がした。

 

「頭領ー! 一大事でござるー!」

「五右衛門、あなたも一緒に来なさい。そこにいたらひき殺されますわよ」

「死にたくなければ走れ」

 

 ピンク忍者、虚無僧、暗視ゴーグル装備の体操服少女という奇妙な三人組が全速力でこちらに走ってくる。

 五右衛門を含めたあの子たち四人が忍道履修生の一年生なのだろうが、統一感はゼロに近い。忍道履修生というよりは、むしろ大道芸の一団といったほうがしっくりくる。

 

「半蔵、あなたたちにはお姉様の足止めを命じましたわよ。もしや、またしくじったんですの?」

「それが……」

 

 半蔵が言い訳を口にする前に、エンジン音とともに一輌の戦車が姿を現した。

 クルセイダーによく似た車高が低いサンドブラウンの戦車。聖グロリアーナが誇るお仕置きマシンこと、巡航戦車カヴェナンターのお出ましだ。

 

「ラベンダー! 助けに来ましたわよ!」

「この戦車、ヤバすぎ。私、死んじゃう……」

「しっかしろ直下。ほら、目的地に着いたぞ」

 

 真っ先に外へと飛びだしたローズヒップに続いて、ルクリリが直下に肩を貸しながら降りてくる。最後にキャロルの姉である三郷が外に出てくるが、その手には割れた眼鏡が握られていた。

 

「キャロル、よくもやってくれたな。お前がガレージに仕掛けたトラップのせいで、眼鏡が割れちゃったじゃないか!」

 

 三郷は割れた眼鏡を地面に叩きつける。どうやらブチ切れモード全開のようだ。

 

「またそのような野蛮な振る舞いをして……。お姉様、もう少し大人になってくださいまし。それにそのハレンチなお姿。お父様が見たら泣きますわよ」

 

 動くサウナであるカヴェナンターに搭乗したことで、三郷は汗だくになっている。ガウンもすでに脱ぎ捨てており、肌にぴったりくっついたネグリジェは体を隠す用途をまったく満たしていない。隠せているのは、赤パンツが守っている女の子の大事な部分くらいである。

 

「うるせーっ! そんなの知ったことか!」

 

 三郷は大きな声でわめき散らす。暑さで頭をやられてしまったのか、冷静さを完全に失っていた。  

 

「頭領は姉上と本当にそっくりでござるね。髪の色以外では見分けがつかないでござる」

「頭領が五つ子なのは知ってましたけど、体型まで同じだとは思いませんでしたわ。なんだか頭領のヌードを見ている気分ですの」

「これはエロい」

「クマクマ」

 

 忍道履修生の会話を聞いていたキャロルの顔が徐々に赤く染まっていく。自分と同じ顔をした女が裸同然で人前に立っていたら誰だってそうなる。

 

「お姉様! 早く服を着てくださいまし!」

「よし、捕まえたぞ。あたしの怒りを思い知れ!」

 

 不用意に三郷へと近づいたキャロルはプロレス技の卍固めをかけられてしまった。

 

「痛い痛い痛い! ギブ、ギブですわ! 許してお姉様ーっ!」

 

 三郷がキャロルにきついお灸を据えたことで、この騒動も一件落着。新しい友達もできて万々歳、と言いたいところだが神様はみほに休息を許す気はないらしい。

 大洗の廃校と犬童家の暗躍。この二つの問題の打開策をみほは早急に講じなければならないからだ。

 

「ローズヒップさん、ルクリリさん、エリカさん。三人に相談したいことがあるんだけど、いいかな?」

 

 課題は山積みであり、なにから手をつければいいのか見当もつかない。けれど、今のみほには頼りになる友達が大勢いる。みんなの力を借りることができれば、どんな無理難題も解決できるだろう。

 エリカという新たな友を得て、みほの心はさらに強固なものへと成長していた。

 

 

 

 

 演習場にある司令塔の最上階。肝試しの仕掛人であるダージリンの姿はそこにあった。

 ダージリンはオレンジペコにいれてもらった紅茶を飲みながら、メインモニターに映っているみほたちの様子を眺めている。司令塔にあるモニターは、防犯目的で学校中に設置された監視カメラの映像を映すことができるのだ。

 

「キャロルは私の依頼を完璧にこなしてくれたみたいですわね」

「ダージリン様、例の件をラベンダーさんに教えて本当によかったんですか? このことをアッサム様が知ったらきっと怒りますよ」

「『人生では、学ばなければならない課題が次々と与えられます。ひとつを完全に身につけたとき、また新しい課題が与えられるのです』」

「米国の教育家、ヘレン・ケラーですね」

 

 ダージリンはオレンジペコの返答に満足げにうなずくと話の続きを口にした。

 

「西住流の後継者となったラベンダーには、これから先も多くの困難が待ちうけているわ。大洗の件もラベンダーの人生に訪れた一つの試練にすぎないの。どんな試練にも耐えられるくらい強くならないと、ラベンダーは西住流に潰されてしまう。そうならないように、私はラベンダーが成長するための手助けをするつもりなのよ」 



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第三十八話 オレンジペコの偵察活動

 黒森峰女学園の隊長室で、紅茶を口にしながらまったりとした時間を過ごす一人の少女。

 彼女の名は深水トモエ。黒森峰女学園戦車道チームの隊長であり、西住流に多大な出資をしている深水家のご令嬢だ。

 

 机の上には紅茶だけでなく、小さな器に盛りつけられたイチゴジャムも置かれている。

 どうやら、トモエはジャムを舐めながら紅茶を飲む、ロシアンティーと呼ばれる飲みかたでティータイムを楽しんでいるようだ。

 

「今日の仕事も無事に終わりました。これもカチューシャ様が見守ってくれているおかげです」

 

 机の上に置かれている無数の写真立てに向かって、トモエはにっこりと微笑んだ。写真の被写体はもちろんすべてカチューシャである。

 

 制服姿のカチューシャ。タンクジャケット姿のカチューシャ。ウェイトレス姿のカチューシャ。浴衣姿のカチューシャ。

 服装だけでもかなりのバリエーションに富んでいるが、多種多様なのは服装だけではない。

 ノンナに肩車されているカチューシャ。お昼寝するカチューシャ。口元にジャムをつけたまま紅茶を飲むカチューシャ。温泉旅館に宿泊した際、子供用の浴衣しか着れなかったことで苦い顔をするカチューシャ。

 カチューシャの人となりを余すことなく記録したこれらの写真は、カチューシャとの思い出が詰まったトモエの大切な宝物なのだ。

 

 トモエがカチューシャの写真を見てうっとりしていると、隊長室のドアが控えめにノックされた。

 時刻は夜の八時過ぎ。戦車道の訓練もすでに終了しており、学校に残っている生徒はほとんどいない。しかし、トモエはこんな時間にここを訪ねてくる人物に心当たりがあった。

 

 その人物がトモエに会いに来るのはいつも決まって夜遅い時間である。

 まあ、彼女の仕事を考えればそれも仕方がないことだろう。聖グロリアーナのスパイが真昼間から堂々と黒森峰の隊長に会えるわけがないのだから。

 

丸目(まるめ)ですぅ。深水隊長、お邪魔してもよろしいですかぁ?」

「どうぞ。私もついさっき仕事が終わったところです」

「それでは、夜分遅くに失礼しまーす」

Добрый вечер (ドーブリィ ヴェーチェル) 、頼子さん」

 

 隊長室へ入ってきた少女にトモエはロシア語でこんばんはとあいさつをした。トモエは現在ロシア語を勉強中であり、簡単なロシア語なら話すことができる。

 

 トモエがロシア語の勉強を始めたのはカチューシャがきっかけだ。

 カチューシャは高校卒業後にロシアへ留学するのがすでに決まっているが、彼女はロシア語が話せない。ロシア語が堪能なノンナが教えてはいるものの、戦車道の訓練の疲れもありカチューシャは勉強中にすぐ居眠りをしてしまう。

 そんなカチューシャの姿に業を煮やしたノンナはトモエに協力を要請。

 それ以来、トモエはカチューシャと一緒にロシア語の勉強をすることになり、カチューシャも勉強に熱を入れるようになった。トモエの前でカッコをつけたがるカチューシャの癖を利用したノンナの頭脳プレーである。

 

 トモエもロシア語の勉強はするつもりだったので、ノンナの提案は願ったり叶ったりだった。

 カチューシャの進む道がトモエの進路。たとえそれが海外であろうと、トモエが道を違えることはありえない。

 

「トモエさんもだいぶロシア語が上達しましたねぇ。あと、ここでは犬童頼子じゃなくて丸目恵子( よしこ)なので、お間違えのないようにお願いしますね」

「最後の日くらいは本名で呼んでもいいじゃないですか。今日はお別れのあいさつに来たんですよね?」

「さすがはトモエさん。恵子の行動はお見通しってわけですねぇ」

「私はそこまで切れ者じゃありませんよ。逸見さんが犬童家のことを調べてるみたいなので、頼子さんが帰る日もそろそろかなと思っただけですから」

 

 聖グロリアーナ女学院から帰ってきたエリカは見違えるように元気になった。エリカに引っ張られる形で三郷、直下、根住も調子を上げており、彼女たちが操るヤークトパンターは最近の紅白戦で無敗の強さを誇っている。

 

 エリカの復調はトモエにとっても朗報だ。

 裏方の仕事を得意としているトモエは、選手としては人並程度の才能しか持っていない。黒森峰屈指の実力者であるエリカは、そんなトモエのいまいちな部分を補ってくれる貴重な人材であった。

   

 しかし、エリカが調子を取り戻したのは良いことばかりではなかった。エリカは聖グロリアーナでなにか吹きこまれたらしく、犬童家について精力的に調べるようになったのだ。

 財力で西住流を支援する深水家は犬童家の盟友ともいうべき間柄。エリカがその両者の関係に気づいたことで、トモエは連日のように質問攻めにあっている。これまで隠しとおしてきたものの、丸目恵子の正体がばれるのはもはや時間の問題だろう。

 

「いやー、まさか逸見さんがこんなに早く勘付くとは思いませんでしたよぉ。名残惜しいですけど、恵子はいったん聖グロリアーナ女学院に帰ります。トモエさん、二回戦がんばってくださいね」

「ヨーグルト学園への対策は万全です。黒森峰が負けることは百パーセントありませんよ」

「恵子の情報が役に立ったみたいでよかったですぅ。ヨーグルト学園は島田流の息がかかってますので、徹底的に叩いてくださいね」

 

 黒森峰はトモエが隊長になって日が浅く、戦車の質は高いが全体的にまとまりが欠けていた。

 そんな黒森峰が勝利を確実にするためには正確な情報が必要不可欠。ところが、黒森峰の情報収集能力は聖グロリアーナのGI6や犬童家に遠く及ばない。そこでトモエは、不足している対戦相手の情報を手に入れるために頼子の力を借りることにした。

 対戦相手の仲間割れという異常事態に見舞われた一回戦のBC自由学園戦。この試合で黒森峰が浮足立たなかったのは、BC自由学園の内情をトモエがしっかりと把握できていたからだ。

 

 そのかわりに黒森峰の情報は聖グロリアーナへ筒抜けになってしまったが、背に腹はかえられない。

 それに、頼子との関係はギブアンドテイクが一番都合がいい。本気になった彼女を捕まえることなど、黒森峰の生徒にできるわけがないのだから。

 

「では、恵子は今すぐ出発しないといけないので、これで失礼しますね」

「もう夜遅い時間ですよ。出発は明日でもいいのでは?」

「ところがそうもいかないんですよぉ。恵子は先にアンツィオ高校で用事をすましてこないといけませんので」

「また悪だくみですか……。この際はっきり言いますけど、そんなことをする必要はないですよ。大洗がアンツィオに勝っても準決勝で待っているのはプラウダです。カチューシャ様が大洗に負けるわけがありません」

 

 アンツィオ高校は大洗女子学園の二回戦の対戦相手。犬童家の事情を知っているトモエは、頼子の用事にもある程度の察しがついた。

 

「カチューシャさんの実力を疑うつもりはありませんよぉ。ただ、災いの芽は早々に摘みとったほうがいろいろと安心ですからねぇ。それに、大洗の早期退場はお父様の望み。それを成し遂げるためなら、頼子は悪魔にだってなれます」

 

 笑みを浮かべてそう告げる頼子の姿にトモエは薄ら寒いものを感じた。どうやら、頼子を敵に回さないほうがいいと判断したトモエの考えは正しかったようである。

 

 

 

 

 オレンジペコは緊張した面持ちでクルセイダーMK.Ⅲに搭乗していた。

 オレンジペコのポジションは装填手。同乗しているのはオレンジペコをトラブルに巻きこむ元凶こと問題児トリオだ。オレンジペコが小柄なので、クルセイダーMK.Ⅲの砲塔には三人で搭乗可能であった。

 

 クルセイダーと四人の装いは普段とは異なる。

 クルセイダーは濃い緑色のペンキで塗りつぶされ、聖グロリアーナの校章が消えた場所に描かれているのはボコのイラスト。オレンジペコと問題児トリオが着ている制服は、緑のプリーツスカートが映えるセーラー服。そして、クルセイダーが向かう先にある学校の校舎の壁には、『洗』の漢字一文字の校章。

 

 今、オレンジペコは問題児トリオと一緒に大洗女子学園の学園艦へ来ているのだ。

 

「ローズヒップさん、そろそろ大洗女子学園の校舎に到着します。キャロルさんが待っている裏門へ向かってください」

「了解でございますですわ」

 

 車長であるラベンダーの指示を受け、ゆっくりしたスピードでクルセイダーを裏門へと向かわせるローズヒップ。スピードに取り憑かれることが多い彼女も今回ばかりは安全運転だ。

 ダージリンから与えられた任務を考えればそれも当然だろう。オレンジペコたちが大洗女子学園にやってきたのは偵察が目的なのだから。

 

 

 

 裏門に回ったクルセイダーを待っていたのは、金髪を黒髪に染めたキャロルだった。服装はもちろん大洗女子学園の制服である。

 

「お待ちしておりました。駐車スペースはすでに確保しておりますので、どうぞこちらへ」

 

 キャロルの案内でクルセイダーは駐車場へと向かう。するとそこには、大洗女子学園の生徒が数人待ちかまえていた。一般の生徒だけでなく船舶科や風紀委員、さらには生徒会の生徒まで混じっているその一団は、今回の偵察任務の協力者だ。

 

「ご苦労様、(かえで)。手抜かりはありませんわよね?」

「ここなら絶対見つからないよ。ずっと戦車が放置してあるのに、誰も見向きもしない場所だし」

 

 楓という名の少女の容姿はキャロルと瓜二つ。二人が話している光景はまるで合わせ鏡のようだ。

 彼女の正体は三郷家の五女、三郷楓。放送部所属の彼女は取材のために校内を巡ることが多く、交友関係の幅が広い。今回の偵察任務がここまで順調なのは、彼女の根回しによるところが大きかった。

 

「かなり汚れてる戦車ですわね。ラベンダー、この戦車はなんという名前なんですの?」

「これは日本製の三式中戦車だよ。主砲の口径がたしか75㎜だったはずだから、攻撃力はそこそこある戦車だね」

「大洗はなんでこの戦車を使わないんだ? どう考えても八九式よりこっちのほうが役に立つだろ」

「壊れてるから使いたくても使えないんじゃないかな? 聖グロリアーナと違って大洗には整備科もないし、陸へ修理に出すとけっこうお金がかかるからね」

 

 屋根付き駐車場に停車させたクルセイダーから降り、三式中戦車の前でのんきに雑談する問題児トリオ。不安と緊張で身を固くしているオレンジペコとは雲泥の差だ。

 

「お姉ちゃん、私たちはしっかりと役割を果たしたよ。転校先の優遇の件、忘れないでね」

「任せてくださいまし。聖グロリアーナは、学園艦廃校計画に関わっている大物政治家とつながりがありますの。数人の生徒の転校先を操作するくらい朝飯前ですわ」

「絶対だよ。ドッペルゲンガーとか、幽体離脱とか言われていじめられるのは、もう二度とごめんだからね。私はお姉ちゃんたちと別の学校ならどこでもいいから」

 

 キャロルの言う大物政治家とはダンデライオンの父親のことである。学園艦廃校計画だけでなく、戦車道の世界大会の日本開催や将来のプロリーグ発足にも関わっており、学園艦教育局長とも親しい人物だ。

 ちなみに、末っ子のダンデライオンを溺愛している彼は今回の裏工作をすでに了承済みであった。大物政治家といえど、家に帰ってしまえばただの娘大好き親父。かわいい娘の猫なで声には抗えなかったのだろう。 

 

「それじゃあ、私たちはここでひとまず消えるね。帰るときになったらまた連絡をちょうだい。お姉ちゃん、私に成りすますのは構わないけど、くれぐれも変ことはしないでよ」

 

 楓はそう言うと、仲間たちと一緒に校舎の中へ入っていく。

 ここから先の仕事は聖グロリアーナの領分。彼女たちが手助けしてくれるのは行き帰りだけだ。

 

「それではさっそく参りましょう。戦車道履修生はガレージに集まっていますわ」

 

 機嫌の良さそうな足取りで前を行くキャロル。そんなキャロルの後ろ姿を見つめながら、オレンジペコはここに至る経緯を思い返していた。

 

 

 

 今回の大洗女子学園への偵察は、ダージリンがキャロルに約束していた報酬が話に絡んでくる。GI6に大洗女子学園の偵察任務を依頼することが、キャロルが肝試しの仕掛人を引きうける条件だったのだ。

 

 キャロルが大洗女子学園へ赴く権利を勝ちとり、大洗と犬童家の事情を知ったラベンダーたちがキャロルについていくことを願いでる。そして、過保護なアッサムがそれに猛反対し、ダージリンに要求を退けるよう訴える。

 ここまではダージリンが想定したシナリオ通りであり、オレンジペコにも不都合はない。問題が起こったのはこのあとのダージリンの返答だ。

 

「それなら、ペコをラベンダーたちに同行させましょう。しっかり者のペコが一緒ならアッサムも安心できるのではなくって?」

 

 ダージリンのこの発言を聞いたオレンジペコは、飲んでいた紅茶を吹きだしそうになった。ラベンダーを大洗へ行かせるためにダージリンが策を弄していたのは、オレンジペコも知っている。だが、ここで自分の名前が出てくるとは予想だにしなかった。

 偵察任務はGI6の十八番。今回のラベンダーたちの面倒はきっとキャロルが見ることになるはず。そう思いこんでしまったのがオレンジペコの誤りだった。

 

 その後、多少の粘りは見せたものの、結局アッサムはダージリンに押しきられてしまう。

 こうしてオレンジペコは問題児トリオとともに大洗女子学園へ行くことになり、またトラブルに巻きこまれるのが確定した。

 

 

 

 キャロルに先導され、ガレージがよく見える場所へとやってきたオレンジペコと問題児トリオ。キャロルはまず最初に、ここで双眼鏡を使いガレージの様子を確認するつもりのようだ。

 ガレージの前では大洗の戦車道履修生がなにやら話しあっており、なかには懐中電灯や大きな地図を持っている生徒もいる。戦車がガレージに格納されたままで動かす気配がないのを考えると、今日は訓練ではなくなにかの捜索を行うつもりらしい。

 

「なあ、キャロル。八九式の車長がお前の部下の小太郎にそっくりなんだけど、もしかしてあの二人って姉妹なのか?」

「まさか。小太郎と磯辺典子は赤の他人ですわ。世の中には自分に似た人間が三人いると、よくいうではありませんか。私には四人もいますわよ」

「ラベンダーのお姉様、なんだか楽しそうですわね。お顔も憑き物が落ちたみたいにすっきりしてますわ」

「うん。あんなに笑顔のお姉ちゃんを見たのは何年ぶりだろう……」

 

 のほほんとした会話を重ねる問題児トリオとキャロルは緊張感ゼロ。偵察に来ているというのに、なんとも気楽なものである。

 

 そのとき、そんな四人の空気が一変する事態が起こった。

 キャロルと問題児トリオがお目当ての人物を発見したのだ。

 

「ついに見つけましたわよ、犬童芽依子。私がこの日をどんなに待ち望んだことか……今日こそあなたに勝ってみせますわ」

「キャロルさん、できれば穏便に対決してもらえるとうれしいかな。犬童さんには私も用があるの」

「あの、お二人とも。あくまで偵察目的だということを忘れないでくださいね」

 

 キャロルは犬童芽依子と決着をつける。ラベンダーは犬童芽依子の真意を探る。偵察と銘打っているが、この二人の主目的は犬童芽依子と接触することだ。

 だからこそ、オレンジペコはまじめに偵察活動をしなければならない。加減を知らないキャロルと暴走しやすい問題児トリオの手綱を握るのが、オレンジペコの役割なのだから。

 

 そうオレンジペコが心の中で決意を固めていると、一人の少女がこちらへ向かってきた。

 

「あなたたち! 覗きは立派な風紀違反よ!」

 

 オレンジペコたちの前に現れたのはおかっぱの風紀委員だ。先ほどの協力者の風紀委員がそうだったように、大洗女子学園の風紀委員は全員おかっぱ頭なのである。

 

「園先輩、これは覗きじゃありませんよ。今日は戦車道の取材に来たんですけど、最初に全体会議があるとのことでしたので、邪魔にならないように訓練が始まるのをここで待っているんです」

 

 どうやら、キャロルは妹のふりをしてやり過ごすつもりらしい。楓は放送部員なので、取材というのは言い訳として妥当なところだろう。

 

「今日は王さんはいないの? あなたたちが別行動するなんて珍しいわね」

「王さんはちょっと体調が優れなくて、今日はほかの部員と一緒に取材に来てるんです」

「三郷さん。あなたいつもは王さんのこと、大河って呼び捨てにしてるのに、どうして急に呼び名を変えたの? それに後ろの子たちにも私は見覚えがないわ。……なんか怪しいわね」

 

 キャロルに園先輩と呼ばれた少女はこちらに疑いの目を向けてくる。細かいことに目を配る風紀委員だけあって、なかなか勘が鋭いようだ。

 このピンチをキャロルはどう切り抜けるのか。オレンジペコが手に汗を握りながら動向を見守っていると、キャロルは驚きの行動を起こす。

 

「うーん、どうもごまかすのは無理みたいですの。こうなったらあとは実力行使あるのみですわ。みなさん、うまく逃げてくださいましね」

 

 キャロルはスカートのポケットから小さな玉を取りだすと、足元の地面にそれを投げつける。玉からはおびただしい量の煙が吹きだし、あたりは一瞬にして真っ白に染まった。

 

「こんなに大量の煙を使うのは校則違反なんだからね! 風紀委員、全員集合! 侵入者を捕まえるわよ!」

 

 持っていた笛を吹きならし、周囲に大音量を響かせるおかっぱ頭の園先輩。

 

 キャロルが暴走したことで偵察活動は早くも頓挫してしまった。ここまで大事になっては、協力者の風紀委員一人ではどうにもできないだろう。

 ここはひとまず逃げるしかない。そう判断したオレンジペコは逃走を開始した。

 逃げる場所は校内ではなく学園艦の内部。複雑に入り組んでいる内部のほうが、校内よりも逃げ道が多いのだ。

 

 

 

 風紀委員から逃げ回った結果、オレンジペコは学園艦の最深部へと足を踏みいれていた。

 最深部の艦底の様相はまるでスラム街。壁のいたるところに落書きが施され、床にはごみが散乱。照明も非常に薄暗く、この空間の淀んだ空気をいっそう際立たせている。

 

「大洗にこんな場所があるなんて……。廃校になるにはそれなりの理由があったということですね」

 

 オレンジペコがそうひとりごちながら歩いていると、いかにも不良ですといった見た目の二人組の少女に行く手をふさがれてしまった。

 

「お嬢ちゃん、ここはあんたのような上品な子が来る場所じゃないよ。とっとと上へ帰んな」

「そうさせてもらいますね。お気遣い感謝します」

 

 頭をぺこっと下げて回れ右をするオレンジペコ。この手の輩には関わらないのが吉だ。

 だが、二人組の片割れがそれに待ったをかけた。

 

「ちょっと待ちな。お前、どこかで見た顔だな……」

「どこにでもいる普通の顔ですよ。他人の空似ではないですか?」

 

 当然のことながら、オレンジペコに不良の知り合いはいない。おそらく、彼女は自分を誰かと勘違いしているのだろう。

 そうオレンジペコが楽観視していると、事態は予想外の展開を迎えた。近くを歩いていた別の不良少女がオレンジペコを指差し、ある単語を声高に叫んだからだ。

 

「げえっ! リーサルウェポン!」

 

 ルクリリが勝手につけたあだ名はこんな場所にまでひとり歩きしていた。問題児トリオに付きあっていると、本当に災難には事欠かない。

 

「思い出した。こいつは黒森峰最強の逸見エリカを倒した聖グロの小さな巨人、人間凶器ペコだ!」

「おいおい、マジかよ! ということは……」

「カチコミだーっ! リーサルウェポンが攻めてきたぞー!」

 

 艦底はハチの巣をつついたような騒ぎになり、オレンジペコは不良少女たちに取り囲まれてしまう。

 とはいえ、オレンジペコに慌てた様子はなかった。いかなるときも優雅なのが聖グロリアーナの戦車道、この程度で動揺するような柔な精神の鍛えかたはしていない。

 それに、戦車喫茶で矛を交えたエリカとは違い、不良少女たちには若干怯えの色が見える。不本意ではあるが、リーサルウェポンというあだ名の効果は絶大であった。

 

 雑魚というのはハッタリに弱いとなにかの本で読んだことがある。オレンジペコがひそかに自慢に思っている怪力を見せつければ、相手はきっと戦意を失うだろう。そう考えたオレンジペコは、スカートのポケットに入れていた装填手用の皮手袋を装着し、足元に転がっている二つの丸い物体をひょいっと拾いあげた。

 

「リーサルウェポンのやつ、風紀委員を捕まえるために用意した鎖付きの鉄球を軽々と持ちあげたぞ!」

「なんてパワーだ……」

 

 不良少女たちはあきらかにうろたえている。

 それを見たオレンジペコは鉄球の鎖部分を両手に一つずつ持ち、それをその場でグルグルと振り回す。その姿は、三国志を題材にした有名な歴史漫画で、敵の城に一番乗りした呉の武将のようであった。

 

「こ、こんな化け物にあたいらが勝てるわけないっスよ!」

「そう思うなら引いてください。私も無益な争いをするつもりはありません」

「なめるなよ、リーサルウェポン。こっちにだって強い味方がいるんだ。おい、誰かひとっ走りして姐さんたち呼んでこい!」

「ムラカミさんに勝てると思うんじゃねえぞ!」

 

 不良少女たちにはムラカミというボスがいるらしい。あとはその人物さえなんとかできれば、このくだらない争いを終えることができるだろう。

 

 オレンジペコの戦いはこれからだ。



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第三十九話 ラベンダーと角谷杏

 学園艦に侵入者あり。その情報は、戦力増強のために戦車を捜索しようとしていた戦車道履修生の面々にもすぐに伝わった。

 侵入者を目撃した風紀委員、園みどり子の話によると、侵入者は戦車道チームの様子をうかがっていたらしい。そうなると、侵入者の正体は偵察に来た他校の戦車道関係者と考えるのが自然だ。

 現に大洗も秋山優花里をアンツィオ高校の偵察に向かわせているのだ。他校が偵察を送りこんできたとしても不思議はない。

 

 戦車の数が少ない大洗は他校より戦力が劣っている。それに加えて情報まで漏れてしまったとしたら、勝利への道はさらに遠のいてしまうだろう。

 風紀委員と協力して侵入者を捕まえる。戦車道履修生の意見はそれで一致し、戦車から侵入者の捜索へと活動内容は切り替わった。

 

 

 

 

 芽依子は侵入者を見つけるべく、単独で行動していた。芽依子のスピードには誰もついてこれないので、一人のほうが効率がいいのである。

 侵入者の形跡を探しながら芽依子は学園内を駆ける。すると、一本の木に的がくくりつけられているのを発見した。

 

「あれは手裏剣術で使われる的……なぜこんな所に?」

 

 木に的をつけるのは手裏剣術では珍しくない。しかし、ここは忍道履修生が活動している場所からかなり離れている。

 違和感を覚えた芽依子は的を調べるために木へと近づくが、そこで思いがけないことが起こった。校舎の影から突然棒手裏剣が飛来し、的の真ん中に突き刺さったのだ。

 まるで挑発するかのような投てきに、芽依子はスッと目を細める。芽依子が近づいたのを見計らって投げたのを考えると、相手は大洗の忍道履修生ではないだろう。

 

「侵入者は忍びの者のようですね」 

 

 ポツリとそうつぶやき、校舎裏へと走る芽依子。 

 侵入者が忍者なら自分が相手をするまでだ。そう意気込んで校舎裏へとやってきた芽依子が見つけた侵入者は、実に意外な人物であった。

 

「久しぶりだね、犬童さん」

「みほ様?」

 

 優しそうな笑みを浮かべて芽依子に手を振っているのは、大洗女子学園の制服を着た西住みほ。

 これにはさすがの芽依子も面食らった。みほが大洗に来ているとは思いもしなかったのである。

 

「どうしてみほ様が大洗の学園艦に? もしかしてまほ様に御用なのですか?」

「ううん。私がここに来たのは、犬童さんに聞きたいことがあったからなの。できれば質問に答えてほしいんだけど、ダメかな?」

「そのような確認をとる必要はありません。みほ様のご質問なら芽依子はなんでもお答えします」

 

 西住みほは西住流の後継者。いずれは西住流のトップに立ち、芽依子が仕える主となる。

 芽依子にとってみほは神にも等しい人間であり、彼女が芽依子に命令をするのならそれを断る理由はない。

 

「ありがとう。それじゃあ、質問するね。……なぜ忍道を捨てたんですの?」

 

 みほが別人の声と口調でしゃべった瞬間、芽依子はみほの前からすばやく飛びのいた。

 あの声の人物に芽依子は覚えがある。彼女だとしたら、目の前のみほは真っ赤な偽物だ。

 

「三郷忍!」

「ご名答。あなたの永遠のライバル、三郷忍ですわ。訳あって、今はキャロルと名乗っていますけどね」

 

 三郷忍は中学の忍道の全国大会で、芽依子が何度も対決した一つ年上の忍者。

 身体能力の高さと変装技術で芽依子を苦戦させた相手であり、中学の大会では一番の強敵であった。 

 

「それにしても、私の変装にすぐ気づかないなんて……。戦車道のせいで勘が鈍ったのではありませんか?」

「気づけなかったのは三郷さんの変装の腕が上がっているからです。戦車道は関係ありません」

「それもそうですわね。戦車道に心を奪われたあなたと違って、私は努力してきましたから」

 

 みほの姿のままで不敵な笑みを浮かべる忍。みほなら絶対にしないであろう人を見下すその視線は、芽依子を大いにいらだたせた。

 対戦相手の近しい人間に変装して動揺を誘う。これが忍のもっとも得意とする手だ。高校生になっても悪辣な性格はそのままのようである。

  

「そう、私はあなたに勝つために腕を磨きました。それなのに、あなたは忍道から逃げた。失望しましたわよ、犬童芽依子」

「芽依子は後悔しないためにこの道を選びました。三郷さんにとやかく言われる筋合いはありません」

「その様子だと忍道に戻ってくる気はなさそうですわね。けど、それでは私が困るんですの。私はどうしてもあなたに勝ちたいのよ」

 

 忍は不愉快そうな表情を隠そうともしない。みほの顔で負の感情を表に出す忍の行為に、芽依子はますますいらだちを募らせていく。 

 

「今すぐ変装を解いてください。三郷さんにみほ様の変装は似合いません」

「怒るのはまだ早いですわよ。どうせなら、これを見てから怒ってくださいまし」

 

 忍はスカートのポケットから棒状のものを取りだし、芽依子に見せつける。

 年季が入った傷だらけの棒手裏剣。それは間違いなく、一回戦のサンダース戦で芽依子が桂利奈にあげた棒手裏剣であった。

 

「桂利奈になにをしたんですかっ!」

「大事な友達を返してほしかったら、私と勝負してくださいまし。私はあと三回変装しますので、二回以上見破ったらあなたの勝ちですわ」

「そんなことをする必要はありません。今ここであなたを捕まえます!」

 

 忍は凄腕の忍者だが芽依子のほうが実力は上だ。小細工をしてきたとしても芽依子が不覚を取ることはない。

 しかし、忍の次の発言で芽依子は動きを止めざるを得なくなる。

 

「断ると阪口桂利奈が悲惨な目にあいますわよ。この学園艦の船底にゴミ溜めがあるのはあなたもご存知ですわよね? もしあなたが拒否したら、私の仲間が阪口桂利奈をゴミ溜めに放置しますわ。縄張りを荒らされたら、単細胞のゴミクズどもは腹を立てるでしょうね」

「……卑怯者」

「最高の褒め言葉として受けとっておきますわ」

 

 園みどり子は侵入者は五人だと言っていた。仲間がいるという忍の言葉は嘘ではない。

 芽依子と違って桂利奈はごく普通の女の子。大洗のヨハネスブルグと呼ばれる不良の溜まり場に捨て置かれたら、きっと泣いてしまうだろう。暗い船底で涙を流す桂利奈の姿が鮮明に脳裏へと浮かびあがった芽依子は、両手が白くなるほど拳を握りしめた。

 

「それでは、また後ほど。私はあなたにガンガン仕掛けていくつもりなので、楽しみにしていてくださいまし。あひゃひゃひゃひゃっ!」

 

 忍は大きな声で笑ったあと、校舎裏から姿を消した。

 この気持ちの悪い笑い声が出たときの忍は手ごわい。あれは彼女の調子を察することができるバロメーターであり、絶好調のときに必ず飛びだす口癖だった。

 だが、芽依子に敗北は許されない。阪口桂利奈は犬童芽依子の一番の親友なのだから。

 

 

 

 

「ラベンダーちゃん、干し芋うまいっしょ。これ私のお気に入りなんだよねー」

「あ、はい。おいしいです」

 

 みほは大洗の生徒会長、角谷杏と生徒会室で二人きりのお茶会をしていた。

 キャロルが煙幕を張ったあと、みほたちはバラバラになって逃げたのだが、みほは速攻で風紀委員に捕まってしまった。聖グロリアーナで大きく成長したみほであったが、所々でドジを踏む癖は依然健在だ。

 その後は生徒会室へと連行され、杏とお茶をしている今に至るというわけである。

 

「気に入ってもらえてよかったよ。あとでお土産に包んであげるから、帰ったら聖グロのみんなで食べてね」

「あの、どうしてこんなによくしてくれるんですか?」

「ラベンダーちゃんのお姉さんには世話になってるからね。それに、大洗には聖グロに知られて困るような切り札もないし」

 

 杏のみほへの対応は実にフレンドリー。偵察に来たのを怒りもしないし、詰問するようなこともしない。

 人がいいのか、それともなにか裏があるのか。みほは杏の真意を測りかねていた。

 

「いやー、まさかクルセイダー隊の隊長が直々に偵察に来るとはねー。やっぱりお姉さんのことは気になる?」

「……角谷会長に聞きたいんことがあるんですけど、質問してもいいですか?」

「いいよー。なんでも教えてあげる」

 

 みほが大洗に来た表向きの理由は偵察だが、真の目的は次の二つ。

 一つは犬童芽依子の胸中を探ること。そして、もう一つはまほが大洗で戦車道を始めた理由を確認することだ。

 

 しほはまほをかばってくれているが、西住流の中にはサンダース戦で号泣したまほを非難するものも多いと聞く。このままではそう遠くない未来に、まほは西住流内で居場所を失ってしまうだろう。

 それを防ぐために重要となるのが、まほが戦車道を始めた本当の理由だ。

 

 もし、まほが自分勝手な理由ではなく、廃校になる学校を救うために再び戦車道を始めたとしたら、それは美談になる。すべてが終わったあと、この事実をうまく西住流一門に伝えられれば、まほの立場を守ることができるはずだ。

 聖グロリアーナ女学院で会話術を学び、西住流の後継者の仕事で大人と接する機会が増えたみほには、それをうまくこなせる自信があった。

 

「戦車道の全国大会で優勝できなかった場合、大洗女子学園は今年で廃校になるという話を聞きました。この話は本当ですか?」

「……本当だよ。やっぱり聖グロはすごいねー。そんなことまでわかっちゃうんだ」

「私たちに協力してくれる情報処理学部のみなさんは、優秀な人ばかりですから。お姉ちゃんも廃校の話は当然知ってるんですよね? だから大洗で戦車道を……」

「西住ちゃんはなんにも知らないよ。大洗で廃校の話を知ってるのは、私と副会長の小山、それと広報の河嶋の三人だけだし」

 

 みほの言葉をさえぎり、バッサリと否定する杏。勢いこんでいたみほであったが、冷や水を浴びせられた格好になった。

 

「そうなんですか……。でも、それならどうしてお姉ちゃんは戦車道を?」

「私が脅したからだよ。戦車道を履修しないと戦車道部を廃部にするって、西住ちゃんを脅迫したの」

 

 まほが戦車道を始めた理由は脅迫されたから。その衝撃の事実は、みほを放心状態に陥らせるほどの威力を持っていた。

 杏はそんなみほのことなどお構いなしに話の続きを口にする。

 

「武部ちゃんたちに嫌われちゃうよって言ったら、西住ちゃんはすぐにOKしてくれたよ。一緒にいた犬童ちゃんも、西住ちゃんを支えたいからって戦車道を履修してくれたから、こっちとしてはしてやったりだったなー」

 

 得意げに語る杏の言葉は、みほの心をぐちゃぐちゃにかき回していく。

 まほはみほの家族であり、大事なお姉ちゃんだ。大好きな姉を脅迫されて冷静でいられるわけがなかった。

 しかし、心は乱れてもみほの怒りは爆発しない。西住流の後継者であるという自覚と愛里寿という友達の存在が、みほの心に待ったをかけているからだ。

 

 愛里寿と同じ学校で学ぶことはできなかったが、二人の交流は今も続いている。

 みほが西住流の後継者になり、二人の関係は後継者同士のライバルになった。だが、みほと愛里寿の友情はなにも変わりはしない。むしろ、先に島田流の後継者になった愛里寿に、みほが後継者の心得を聞くぐらい仲良しである。

 愛里寿のように振る舞いたいという思いは今ではより強くなり、それがみほの怒りを鎮める抑止力となっていた。

 

「言いたいことはそれだけですか、角谷会長」

「あれ? 怒らないんだ」

「今さら私が怒ったところで意味はありません。それに、お姉ちゃんは大洗で戦車道を楽しんでます。きっかけはどうあれ、お姉ちゃんが笑顔になれたのなら、私は角谷会長を責める気はないです」

「西住流の後継者ともなると精神的に成熟してるね。私とは大違いだ……」

 

 杏はソファーの背もたれに寄りかかり、視線を天井へと向ける。その表情はどこか疲れているようにみほには見えた。

 

「西住ちゃんを脅迫したときの私は、学校を守ることに必死になりすぎて周りがよく見えてなかった。今思えば、西住ちゃんと犬童ちゃんにはずいぶんひどいことをしちゃったよ。それなのに、私は二人に謝ってすらいない。犬童ちゃんは自分の気持ちにフタをして折り合いをつけてくれたのにね」

 

 杏の声は徐々に涙声になっていく。

 

「私はね、ラベンダーちゃんに怒られたかったんだよ。私を罵倒して、いっそのこと殴ってほしかった。犬童ちゃんはもう私を責めてくれないから……」

 

 杏は胸の内を次々とみほに晒していった。涙ながらに語る杏の姿は、まるで親に助けを求める子供のようだ。

 学園艦の生徒の代表である生徒会長という肩書は、みほの想像以上に重いものなのだろう。ましてや、大洗は学校がなくなるかどうかの瀬戸際なのだ。高校三年生の少女の心が悲鳴をあげるのも無理はない。

 

 だから、みほは杏を責めるのではなく、助けるという選択をとることにした。

 

「角谷会長、私が大洗の力になります。私じゃ頼りないかもしれませんけど、これでも西住流の後継者ですから」

「えっ?」

「ただし、手助けできるのは準決勝までになります。決勝戦で手を抜くようなことはしませんよ」

 

 真剣な表情から一転し、みほは杏に笑顔を向ける。

 聖グロリアーナが優勝を目指している以上、そこはみほもゆずれない。決勝戦で大洗と戦うことになっても手加減するつもりは毛頭なかった。

 

「ラベンダーちゃん……。わかった。私たちは決勝戦で聖グロに勝って、絶対に廃校を阻止してみせる。それを実現するために、ラベンダーちゃんの力を貸して!」

 

 杏の目には力強いものが宿っている。どうやら、気持ちを持ち直したようだ。

 

「はい! 一緒にがんばりましょう!」

 

 大洗の進む道は去年の優勝校、プラウダ高校が立ちはだかる茨の道。そして、それは聖グロリアーナにも当てはまる。

 油断できない難敵、継続高校。最強のライバルであり、聖グロリアーナとみほにとって因縁の相手である黒森峰女学園。この二校に勝てなければ、聖グロリアーナも決勝に進むことはできないのだ。

 

 大洗が決勝へ行けるようにサポートし、なおかつ自身は強敵との戦いに勝利する。どちらも簡単にクリアできる目標ではないのだから、目的達成のためには大勢の人の協力が必要だ。聖グロリアーナの仲間たちだけでなく、愛里寿とエリカにも助力を仰ぐことになるだろう。

 

 これほどの困難な道を進むのは、みほにとっても初めての経験。黒森峰女学園以外の道を模索した中学時代の進路決めなど、この道に比べれば些細なことである。

 それでも、みほは悲観せずに前を向いて進んでいく。道の先に全員が笑顔になれる未来が待っていると信じて。



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第四十話 犬童芽依子と三郷忍

 芽依子は校舎の壁に背を預け、乱れた呼吸を整えていた。

 桂利奈を救出するために学園中を駆け回ったが、依然手がかりはつかめていない。それだけでなく、芽依子はすでに一回目の忍の変装を見抜くのにも失敗している。

 ミスが許されるのは一回まで。この次の変装を見破れなければ、桂利奈は船底行きになってしまう。

 

「風紀委員が捕まえた侵入者は一人だけ。三郷さん以外にまだ三人も残ってる」

 

 校内ですれ違った風紀委員から侵入者を一人捕まえたという朗報は得た。

 だが、この短時間ですぐに捕まるドジな人物だ。おそらく使い捨ての駒のような存在であり、桂利奈を拘束している忍の仲間ではないだろう。

 

「桂利奈を救うには三郷さんに勝つしかない。でも、さっきの彼女の変装は本人としか思えなかった……」

 

 忍が最初に変装したのは、Ⅳ号戦車の砲手、五十鈴華。その変装は姿や声だけでなく、清楚で上品な物腰さえも模した完璧なものであり、芽依子はまんまとだまされてしまった。

 忍の体型は貧相という言葉がしっくりくるほど胸が小さく、背も低い。なので、以前はスタイルのいい女の子に変装するとボロが出たのだが、彼女はその弱点を完全に克服したようである。

 

 さらに、芽依子はいつも使っている水色の髪留めを忍に奪われる失態まで犯してしまった。

 あの髪留めは姉の頼子からプレゼントされた大切な物。忍はそれを承知で奪ったようで、立ち去るときに次のような言葉を残している。

 

『この調子だと、あなたの宝物は全部なくなってしまいますわよ。あんまり私をがっかりさせないでくださいまし』

 

 髪留めを失ったストロベリーブロンドの髪が鎖骨のあたりまで垂れさがる。サラサラと風になびく髪は、まるで不安に揺れる芽依子の気持ちを表しているかのようだった。

 

「我ながら情けないですね。いつの間に芽依子はこんなに弱くなったのでしょう……」

 

 自虐的な言葉を吐き、芽依子は地面へと視線を落とす。

 大洗での生活は毎日が楽しかった。友達もたくさんできたし、まほの力になることもできた。しかし、その代償に芽依子は忍道で鍛えた精神的な強さを失ってしまった。

 一人きりで戦う忍道とは違い、戦車道は仲間が一緒に戦ってくれる。それを考えれば、芽依子が弱くなったのも必然であった。

 

「犬童! そんなところでさぼってる場合じゃないだろ。侵入者に逃げられたら大洗はおしまいなんだぞ」

 

 傷心の芽依子のもとに河嶋桃が近づいてきた。

 それを見た芽依子は、桃の手を取りお互いの体の位置を入れ替える。そして、桃の体を校舎に押しつけると、壁に勢いよく手をついた。いわゆる壁ドンというやつである。

 

「ひっ!?」

「あなたは本物の河嶋先輩ですか?」

「なにを訳の分からないことを言ってるんだ! 犬童、お前はもう生徒会とは争わないと言ったじゃないか。あれは嘘だったのか?」

「質問に答えてください」

 

 芽依子は鋭い眼光を桃に向ける。

 

「わ、私が悪かった。西住を脅したことは謝る。だからその目はやめてくれ……」

 

 この怯えようを見るに、目の前の人物は河嶋桃本人で間違いないだろう。

 それに、生徒会がまほを脅した事実を知っているのは、あのとき生徒会室にいた人間だけだ。忍が知っている可能性は限りなくゼロに近い。

 

「河嶋先輩、申し訳ありません」

 

 芽依子は沈痛な面持ちで桃に頭を下げた。忍の変装の件があったとはいえ、非は芽依子にある。

 それに対し、桃は心配そうな表情で芽依子に話しかけてきた。

 

「犬童、なにか悩みでもあるのか? もしそうなら私に事情を話せ。生徒会は生徒の悩み相談も受けつけてる。お前の悩みを解決するのも私の仕事だ」

「……わかりました。すべてをお話します」

 

 芽依子は忍のことや桂利奈が誘拐されたことなど、知ってる情報を全部桃に話した。

 

「侵入者はアンツィオの生徒だと思っていたが、まさか聖グロとはな……。わかった、阪口の件は私に任せろ。今から船底に行って、船舶科の生徒に事情を説明してくる」

「大丈夫なのですか? 船底は風紀委員もうかつに近づけない無法地帯ですよ」

「あいつらは誰彼構わず喧嘩を売るような生徒じゃない。事情を話しておけば、阪口が船底に放置されても保護してくれるはずだ」   

 

 河嶋桃は角谷杏の腰巾着であり、虎の威を借る狐。芽依子は桃をそう評していた。

 だが、それは芽依子の思い違いだったようだ。本当の桃は、学園の生徒のことをしっかり考え、不良の巣窟にも単身で飛びこめる勇気を持った良き先輩だったのである。

 それがわかった今、よく知りもせずに桃を見下していた過去の自分を芽依子は恥じた。

 

「三郷忍の相手は犬童に任せるぞ」

「はい。三郷さんは私が必ず捕まえてみせます!」

「それだけの元気があれば絶対に勝てる。いいか、聖グロのお嬢様にお前の力を見せつけてやれ!」

 

 今の芽依子には助けてくれる大勢の仲間がいる。一人では無理でも、仲間がいればどんな困難にも立ち向かうことができるのだ。

 桃のおかげで芽依子はそれを思いだした。もう芽依子の心が迷うことはない。 

 

 

 

 桃と別れた芽依子は桂利奈の捜索を中止し、忍を待ちかまえることにした。

 芽依子が今いるのは校庭のど真ん中。ここなら不意打ちを受けることなく、忍の攻撃に備えることができる。

 

 ここにいる間に数人の戦車道履修生と接触したが、いずれも本人であった。

 本物か偽物かを見分ける方法。それは、ただ普通に会話をするだけだ。大洗の戦車道履修生はみんな個性的な人間ばかりなので、少し質問すれば本人だと確認するのは容易である。

 

 すると、また新たに一人の戦車道履修生が芽依子のそばにやってきた。

 Ⅲ号突撃砲の装填手であり、カバチームのリーダーでもあるカエサルだ。

 

「犬童さん、校庭の真ん中でなにをしているんだ?」

「侵入者を捕まえるために網を張っています。ところで鈴木先輩、松本先輩たちと一緒ではなかったのですか?」

「私は松本達とは別行動をしている。それがどうかしたか?」

「いえ、もう結構です。目的は果たせましたから」

 

 芽依子は右手ですばやくカエサルの腕をつかむ。これで簡単には逃走できない。

 

「なにっ!?」

「リサーチ不足でしたね、三郷さん。歴女のみなさんは本名ではなく、ソウルネームを名乗っているんですよ。鈴木先輩はカエサル、松本先輩はエルヴィンです」

「くっ! 抜かりましたわ。まさかうちの忍道履修生と同じようなことを考える人たちがいるなんて……」

「観念してください。もう逃げられませんよ」

  

 力勝負なら芽依子に軍配が上がる。忍は小柄で身軽な分、パワーはあまりないのだ。

 

「待ってくださいまし。阪口桂利奈がどうなってもいいんですの?」

「芽依子は一人で戦っているわけではありません。桂利奈は河嶋先輩がきっと助けてくれます」

 

 芽依子は忍の腕をさらに力強く握る。そこには、脅しには屈さないという芽依子の強い気持ちがこめられていた。

 

 そのとき、二人の戦いは予想外の展開を見せる。風紀委員の園みどり子が芽依子と忍の間に割って入ってきたのだ。

 

「校庭で喧嘩なんてやめなさいよ! 風紀が乱れるでしょ!」

「芽依子たちは喧嘩をしているわけでは……」

「言い訳無用! ゴモヨ、パゾ美、あなたたちも手伝いなさい!」

 

 みどり子と一緒にいた二人の風紀委員も参加し、あっという間にもみくちゃになる五人。

 このままだと怪我人が出てしまう。そう判断した芽依子は、忍の腕からぱっと手を放す。

 すると、忍はスカートのポケットに手を入れ小さな玉を取りだした。中学時代に彼女が好んで使用していた煙玉だ。   

 

「犬童芽依子! 最後はあなたの友達に変装しますわ。見破れるものなら見破ってみなさい!」

 

 威勢のいい言葉を吐き、地面に煙玉を叩きつける忍。

 煙玉の威力は絶大であり、校庭はまたたく間に白煙に包まれた。

 

「ごほっ、ごほっ。だから、煙を使うのは校則違反だって言ってるでしょー!」

 

 みどり子の叫びが校庭にこだまするなか、芽依子は園芸部の活動場所へと移動を開始していた。

 あの花を持っていけば、友人たちの中に偽物がいてもすぐにわかる。忍は芽依子に揺さぶりをかけるつもりのようだが、その意地の悪さが命取りだ。

 この勝負、もはや芽依子に負けはない。

 

 

◇◇

 

 

 全員集合のアナウンスを受けた戦車道履修生は、いったん生徒会室に集まることになった。

 その中には変装をすませたキャロルの姿もある。ちなみに、本物は阪口桂利奈と同じ場所に監禁済みだ。

 

「お前らに二度もだまされるなんて……。私のプライドはズタズタだ」

「ルクリリさん、元気出してください。そうだ、これからみんなでバレーをしましょう。バレーに夢中になれば、嫌なことは忘れられます」

「それはお前だけだろ……」

 

 がっくりとうなだれるルクリリを磯辺典子が励ましている。

 ルクリリは八九式の乗員に捕まったようだが、これはキャロルの想定内。うっかりもので細かいミスが多い彼女は、偵察には向いていないのだ。

 

「冷泉様。今回はわたくしの負けでございますが、次は負けませんわよ!」

「私もローズヒップさんに負ける気はない」

「それでこそわたくしのライバルですわ!」 

 

 がっちり握手を交わすローズヒップと冷泉麻子。

 ローズヒップが捕まるのも既定事項。もし彼女が逃げきれたら、それは奇跡と呼べるものだ。

 

「みほ……」

「そんな顔しないで、お姉ちゃん。大丈夫、私はお姉ちゃんの味方だから」

「ごめん」

「謝っちゃダメだよ。お姉ちゃんはなにも悪いことしてないもん」

 

 泣きそうな顔の西住まほをラベンダーが優しく抱きとめる。

 ラベンダーの評価も先の二人と大差ない。戦車に乗っているときは聖グロリアーナ屈指の優等生だが、戦車から降りた途端にポンコツになる。それがラベンダーという少女である。  

 

 オレンジペコはまだ逃走中らしい。ダージリン隊長のお気に入りで、次期隊長の最有力候補という肩書は伊達ではないようだ。

 それなのに、アホの三人のせいで学院内での評判がいまいちなのは、かわいそうとしか言いようがなかった。

 

 大洗の面々でこの場にいないのは犬童芽依子と河嶋桃。そして、キャロルが監禁した阪口桂利奈の三人だ。

 M3リーの乗員たちは、犬童芽依子と阪口桂利奈の姿がないことを不安そうに話している。もちろんキャロルもその輪の中に加わっているが、誰も変装には気づかない。

 まあ、それも無理はないだろう。キャロルの変装技術と他者になりすます演技力は超一流なのだから。

 

 そのとき、キャロルの待ち人がようやく姿を現した。

 

「お待たせしました」

「芽依子ちゃん、大変だよぉ! 桂利奈ちゃんがどこにもいないの!」

「優季、安心してください。桂利奈を誘拐した犯人を今から捕まえます」

 

 犬童芽依子はそう言うと、後ろ手に隠していた小さな鉢植えをM3リーの乗員たちに見せた。

 鉢植えに咲いていたのは一輪の赤い花。その色鮮やかな姿に一同の目は釘付けになる。

 

「ハイビスカスですね。南国の元気なイメージが強い花ですけど、実際は朝に花が咲いて夜にはしぼんでしまう、とても儚い花なんですよ」

 

 花の名前を教えてくれたのは近くにいた五十鈴華だ。少し見ただけで花の名前がわかるあたり、さすがは華道の家元の娘といったところか。

 そんな風にキャロルが感心していると、ある異変が起こった。M3リーの乗員たちが、なにやらニヤニヤした顔でキャロルのことを見ているのだ。

 

「どうしたの? 私の顔になにかついてる?」

 

 キャロルは当たり障りのない言葉で様子を探ることにした。自分がいきなり注目された理由がわからない以上、安易な発言はできない。

 

「見つけましたよ、三郷さん。桂利奈と梓をどこに監禁したんですか?」

「なっ!? どうしてわかったんですの!?」

「ハイビスカスは梓にとって特別な名前の花なんです。リサーチ不足のあなたはこの情報を知らないと予想したのですが、案の定でしたね」

 

 敗因は情報収集不足。変装と演技の腕を磨いてきたキャロルであったが、それだけで勝てるほど犬童芽依子は甘くなかった。

 

 

 

 

 芽依子は忍に勝った。だが、油断はできない。ずる賢い忍が素直に負けを認めるとは、芽依子には思えなかったからだ。

 しかし、そんな芽依子の思いとは裏腹に忍はあっさりと負けを認めた。

 

「私の負けですわ。阪口桂利奈と澤梓の居場所は、駐車場のクルセイダーの中ですの」

「なぜこんな騒ぎを起こしたんですか? 芽依子が忍道の道を選ばなかったからといって、三郷さんに不都合があるとは思えません」

「私は忍道の全国大会であなたに勝ちたかったの。あなたに勝利して一番の忍者になって……」

 

 忍はそこでいったん言葉を区切ると、次にとんでもない発言を口にした。

 

「彼氏に私のことをもっと好きになってもらいたかったんですの!」

 

 彼氏にいい格好を見せたい。あまりにも身勝手なその理由に、芽依子の怒りのボルテージはマックスまで跳ねあがった。

 

「ふざけないでくださいっ! そんな理由で桂利奈をひどい目に遭わせたんですか!」

「私にとっては大事なことですわ! 彼がいなかったら、私は今もダメダメなゴミカスのままだった。その彼に愛してもらいたいと思うことのなにがいけないんですの!」

 

 逆ギレした忍に対し、芽依子は思わず手が出そうになったが、すんでのところで耐えた。

 梓の姿をしている限り暴力は振るえない。たとえ偽物でも友達には手を上げたくなかった。

 

「わかる! 私にはわかるよ。梓ちゃんのその気持ち」

 

 芽依子が頭を冷静に保とうとしていると、予想外の乱入者が現れた。

 恋と男のことになると目の色が変わる武部沙織だ。

   

「芽依子ちゃん、梓ちゃんを許してあげて。女の子なら男の子にモテたいって思うのは当然だもん」

「武部先輩~、その子は梓ちゃんじゃないですよぉ」

「えっ! そうなの?」

 

 優季が沙織の誤りを指摘する。沙織は離れた場所で角谷杏と話をしていたので、状況を把握できていなかったようだ。

 

「顔と声は梓そのものだから、武部先輩が間違えるのも無理ないかも。さっきの大胆な発言とか、動画に撮って梓に見せたいレベルだし」

「動画、撮ってる」

「紗希ちゃん、ナイス!」

「見せて見せて~」

 

 紗希のスマートフォンをあゆみ、あや、優季の三人が覗きこむ。

 地味な梓が男のことを熱く語っているのだ。みんなが興味津々になるのも無理はなかった。

 

「大洗の隊長様はほかのかたとは一味違いますわね。男女の関係の重要さをよく理解している大人のレディーですわ」  

「そ、そう。まあ、私こう見えて好きになった彼氏の趣味に合わせるタイプだからね」

「奇遇ですわね。私もですわ。この変装も彼氏の趣味に付きあうために努力を重ねたんですの」

「変装が趣味? コスプレ好きな彼氏なの?」

 

 沙織の疑問に忍は嬉々とした様子で答えを返す。

 それは、この場に新たな問題発言が投下された瞬間であった。

 

「私の彼は高校戦車道の大ファンなんですの。有名な選手はほとんどチェックしてて、試合もよく観戦してますわ。そんな彼のために、私は自身の変装技術をより完璧なものへと昇華させたのですわ。ダージリン様に変装してお家デートをしたときは、彼も喜びと興奮で鼻息が荒くなってましたわね」

 

 芽依子は呆れてものも言えなくなった。こんな不純な動機で変装をマスターするなんて、忍道をバカにしているとしか思えない。

 沙織も少し引いている様子なのが見てとれる。自称恋愛マスターの彼女もこれは許容の範囲外だったようだ。

 

「ちょっと待て。今の話は聞き捨てならないぞ」

「ダージリン様のお姿を汚すなんて、許されることではないでございますわよ!」

「キャロルさん、ダージリン様に謝りましょう。素直に話せばきっと罰が軽くなります」

 

 聖グロリアーナの三人が忍に食ってかかるが、それでも忍のピンクな暴言は止まらない。

 

「みなさまに変装したときも、彼はすごく喜んでくれましたわよ。ラベンダー様の甘やかしプレイとか、ルクリリ様のツンデレプレイとかは彼のお気に入りでしたわ。ローズヒップ様は色気ゼロなので、彼の好みではなかったみたいでしたけど……」

「よし、こいつ海に放りなげよう」

「異議なしですわ」

「角谷会長、救命胴衣ってありますか?」

 

 三人が殺気を放っているのを忍が気にしている様子はない。おそらく、彼女はあえてくだらない話をすることで逃げるチャンスを探っているのだろう。

 

「お気に入りといえば、彼はオレンジペコさんがもっとも気に入ってましたわね。オレンジペコさんのお兄ちゃん大好きプレイは彼の性的嗜好にストライクだったみたいで、ついその姿のまま二人で熱い夜を過ごしてしまいましたわ」

 

 忍が今までで一番ピンクな発言をかました瞬間、生徒会室の扉がものすごい音を立てて開け放たれた。

 

 現れたのは河嶋桃とオレンジがかった金髪の少女。

 この少女の名は芽依子も知っている。聖グロリアーナ女学院最強の女、オレンジペコだ。

 オレンジペコの髪は解けており、着ている制服はところどころが赤い。その姿は戦地から帰ってきた兵士を彷彿とさせる。

 

「おい! 乱暴に扉を開けるやつがあるか。ここは会長の仕事場なんだぞ」

「少し静かにしててくれませんか?」

「ひっ! 柚子ちゃあああん!」

    

 桃はひとにらみされただけで小山柚子のもとへと走り、彼女に勢いよく抱きついた。涙目になっているところを見ると、オレンジペコの目が余程怖かったらしい。

 

 生徒会室に入室したオレンジペコはゆっくりと忍に歩みよる。

 さすがの忍もオレンジペコの威圧感に恐怖を感じたのか、怯えたような顔でスカートのポケットに手を伸ばした。どうやらまた煙玉を使って逃げるつもりのようだ。

 しかし、オレンジペコは忍の逃走を許さなかった。一瞬で忍の間合いに入ると、彼女の手を荒々しくつかんだのである。

 

「いだだだだっ!」

「逃がしませんよ。話しがあるので屋上へ行きましょう」

 

 忍の体をぐいっと引きよせるオレンジペコ。勢いよく引っぱられた忍はバランスを崩し、オレンジペコの胸に顔をうずめてしまう。

 それが忍のさらなる悲劇の始まりだった。

 

「ぎゃああああーっ! 辛い、痛い、目がああああーっ!」

「でしょうね。この赤いのは激辛ノンアルコールラム酒ですから」

 

 なぜそんなもので制服を汚しているのか。この生徒会室にいる誰もがそう疑問に思っただろうが、それをオレンジペコにつっこめるものはいなかった。

 触らぬ神に祟りなし。今のオレンジペコに関わるのは自分から死地に向かうようなものだ。

 

「ペコ、二度と悪さができないようにコテンパンにしてやれ!」

「その女に慈悲はいりませんわ。派手にやっちゃってくださいまし!」

「ダージリン様には私がうまくごまかしておくから、遠慮はいらないよ」

 

 聖グロリアーナの三人はオレンジペコを応援するほうに回った。

 あの優しいみほですら助ける気がないところを見ると、忍がやらかしたのは今回が初めてではないらしい。

 

 あとはオレンジペコに任しておけば問題ないだろう。そう判断した芽依子は、桂利奈と梓の救出に向かうことにした。 

 芽依子と忍の戦いはこれにて決着である。

 

 

◇◇◇

 

 

 昼間の喧騒が嘘のように静まりかえった夜の生徒会室。

 静寂に包まれたこの空間で、部屋の主である角谷杏はある人物に電話をしていた。

 

『どうやら首尾良くいったみたいですわね』

「うん。ラベンダーちゃんは大洗の手助けをしてくれるって。私が弱気な姿を見せたらすぐ手を差し伸べてくれたよ」

『あの子の優しい性格は美徳ではあるけれど、少しまっすぐすぎるきらいがありますわね。あなたの演技を見抜けたのなら、言うことなしでしたのに……』

「演技じゃなくて私の本心をぶつけただけだよー。ちょっとオーバーだったかもしれないけどね」

 

 どこかおちゃらけた様子で話す杏。相手に本心をあまり見せない彼女らしいしゃべりかたであった。

 

『そういうことにしておきますわ。迎えの船は次の土曜日に大洗の学園艦へ接触します。それまであの五人をよろしくお願いしますわね』 

「いろいろ手回ししてくれてサンキューね、ダージリンさん」

『礼には及びませんわ。それではごきげんよう、角谷会長』 



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第四十一話 西住まほの前進

 ごく普通の学生向けアパートの三階角部屋。

 西住まほはこの部屋で一人暮らしをしながら学校に通っている。引きこもりの後遺症もあって最初は苦労したものの、今ではこの生活にもすっかり慣れた。

 そんなまほの部屋に、聖グロリアーナ女学院から一人の交換留学生がやってきたのはつい先日のことだ。

 留学生の名前は西住みほ。ニックネームはラベンダー。

 次の土曜日にはお別れになる超短期留学生の妹と、まほは短い二人暮らしの真っ最中であった。

 

「おはよう、お姉ちゃん。もう少しで朝食の準備が終わるから、ちょっと待っててね」

「私も手伝おうか?」

「あとは紅茶を用意するだけだし、私一人でも大丈夫だよ。今日はアッサムの茶葉を使ったおいしいミルクティーをいれてあげるね」

 

 そう言うと、みほは手際よく紅茶の準備を整えていく。

 朝はコーヒー派のまほであったが、ここ数日は紅茶しか口にしていない。

 それでも、コーヒーが飲みたいとは口が裂けても言えなかった。

 聖グロリアーナ女学院の生徒が紅茶にこだわりを持っているのをまほはよく知っているからだ。みほもご多分に漏れず、どっぷりと紅茶に染まっていたのである。

 

 その後、他愛もない話をしながらまほはみほと朝食の時間を過ごした。

 一時は姉妹の絆が断ち切れそうになった二人だが、今はもう元通りの仲良し姉妹に戻っている。

 子供のころはなにをするのも二人一緒だったのだ。関係を修復するのは、まほが思っていたよりもたやすいことだった。

 

 

 

 朝食と身支度を終えて通学の準備を整えたまほとみほ。

 そのとき、玄関のインターホンが鳴った。

 

「まほ様、みほ様、おはようございます」

「おはよう、芽依子」

「犬童さん、おはよう」

 

 芽依子は毎日まほの迎えに来てくれる。それだけでなく、料理や洗濯などの家事方面でもまほを献身的に支えてくれた。

 引きこもりだったまほが普通に生活できるようになったのは、芽依子の助けがあったからといっても過言ではないだろう。

 

 芽依子を仲間に加え、三人はともに学校へと向かった。

 三人は一緒に歩いているが、芽依子はまほとみほの隣には並ばない。彼女は必ず二人より一歩下がった場所を歩くのだ。

 西住に仕える犬童の人間らしい所作だが、まほとしては隣を歩けないことが少し寂しかったりもする。大洗に来て友達ができたまほは、芽依子とも対等な交友関係を築きたいと思っていた。

 

 そんな芽依子にみほは積極的に話を振っていく。

 昨日の放課後、学校の屋上で二人きりで話をしていたみほと芽依子。そこでどんな話が交わされたのかは不明だが、二人はかなり打ちとけているようにまほには見えた。

 

 みほのコミュニケーション能力の高さは中学時代とは別人だ。 

 もともと、子供のころのみほは明るく元気で人当たりもよかった。厳しい西住流の修行の影響で徐々にその明るさは失われていったが、どうやらみほ本来の性質が復活したようだ。

 おそらく、聖グロリアーナ女学院の教育とあの二人の存在がみほを変えたのだろう。

 

「おはようございますですわー!」

 

 まほがみほに注意を向けていると、後方から元気な声で朝のあいさつがかけられた。

 先ほどまほが思い浮かべたあの二人のうちの一人、ローズヒップである。

 

「おはよう、ローズヒップさん。冷泉さんは……まだ寝てるみたいだね」

「冷泉様、そろそろ起きてくださいまし。もうすぐ学校に着きますわよ」

「……あと五分寝かせてくれ」

 

 ローズヒップの背中から麻子の眠そうな声が聞こえてくる。

 ローズヒップは、半分寝ているような状態の麻子をおんぶしながら登校しているのだ。

 

「今日も麻子をおんぶしているのか?」

「もっちろんですわ。こうでもしないと冷泉様は確実に遅刻でございますからね」

 

 低血圧で朝に弱い麻子の面倒を見るのは本来沙織の役目。

 その沙織に代わって、なぜローズヒップが麻子の朝の世話をしているのかというと、彼女は現在麻子の家で厄介になっているからだ。

 ちなみに、あの二人の片割れであるルクリリは磯辺典子の家、みほの後輩であるオレンジペコは澤梓の家に滞在している。

 

「冷泉先輩を毎日背負って登校するのは大変ではないですか?」

「おほほほほ! これくらいどうってことないですわ。わたくし、小さい子の面倒を見るのは得意ですの」

 

 芽依子の問いかけにそう答えたローズヒップは、自慢気な表情で胸を張る。

 

「……小さくて悪かったな」

「あ、違うの。冷泉さんのことをバカにしてるんじゃないんだよ。ローズヒップさんはお姉さんとお兄さんの子供の面倒を見てたから、手のかかる子の世話をするのが得意って言いたかったの」

「ラベンダー、それではフォローになっていませんわよ」

「もうっ! そんなこと言うならローズヒップさんが弁解してよー!」

 

 にぎやかな会話を繰りひろげるみほとローズヒップ。

 みほはローズヒップに文句を言っているが、ご機嫌な様子なのはまほには一目でわかった。うれしくて仕方がないという思いが顔いっぱいにあふれているのだ。

 

 そんな二人の姿を見ていたまほの心に少しずつ暗い感情が広がっていく。

 まほを襲った暗い感情の正体、それは嫉妬だ。

 かつてまほが引きこもりになった原因の一つである醜い感情。みほに対する強い依存心が引きおこした負の思いは、いまだにまほの心のどこかに潜んでいる。

 大洗で友達を得たことで、以前のように心がぐちゃぐちゃになることはない。それでも、みほの一番ではなくなったという事実は、まほの心に少しずつダメージを与えていた。

 

 

 

 ローズヒップに対する嫉妬心を隠し通し、まほはなんとか平静を装ったまま学校に到着した。

 しかし、まほの試練はまだ続く。学校にはみほのもう一人の一番がすでに登校しているからだ。

 

「おーい、ラベンダー! ボール取ってー!」

 

 ルクリリは体操服姿でバレー部と一緒にバレーボールをしていた。

 彼女は朝だけバレー部の練習に付きあっており、まほたちが登校するころはいつもグラウンドで白球を追いかけている。

 

「ルクリリさんは今日も朝からバレーボールをしてるみたいだね。たしか精神修行の一環だっけ?」

「磯辺様の影響をモロに受けてますわね。ちょっと心配になるレベルのチョロさですの」

「でもでも、スポーツは健全な精神を養うってよくいうよ。ルクリリさんには大事なことなんだよ、きっと」  

 

 みほとローズヒップの会話を耳にしたまほは、嫉妬の感情が暴れないように心を抑えこむ。

 ローズヒップとルクリリ。この二人がそろうとみほはさらに機嫌がよくなる。表情もやすらぎと安心に満ちているように見え、それがまほの心をさらにささくれ立たせるのであった。

 

「みほ様の言うことも一理あります。一緒にバレーボールをしている三郷さんを見てください。芽依子はあんな清々しい表情をしている三郷さんを初めて見ました」

 

 芽依子に勝負を挑んで敗北し、オレンジペコからきついおしおきを受けた三郷忍。彼女は大洗を騒がせた罰として、バレー部の練習に強制参加するように角谷杏に命じられた。

 もちろん忍は猛反発したが、杏が耳元でなにかを囁くとすぐに首を縦に振った。おそらく、杏はある人物の名前を出して忍に脅しをかけたのだろう。

 その人物は十中八九ダージリンで間違いない。みほたちの短期留学があまりにスムーズに進んだ件といい、どうも杏とダージリンの間には深いつながりがあるらしい。

 

「よし、次はレシーブ練習。いくよ、忍!」

「はい! キャプテン様!」

 

 三郷忍はノリノリで練習に参加している。

 意外にも忍は磯辺典子と相性がよく、それがやる気につながっているようだ。

 

「三郷先輩、ナイスレシーブです」

「ありがとうございます、河西様」

 

 忍に声をかけているのはバレー部の一年生、河西忍であった。

 

「私のほうが年下なんですから、様付けなんてしなくていいですよ。遠慮なく呼び捨てしてください」

「では河西さんとお呼びしますわ。それとも忍さんのほうがよろしいかしら?」

「私はどちらでもかまいませんよ。同じ名前同士、一緒にがんばりましょう」

「はいですの!」

 

 この短期間で三郷忍はずいぶん変わったように見える。 

 芽依子との戦いの決着とオレンジペコからの制裁。そして、バレー部との交流。なにが彼女の心境に変化をもたらしたのかはわからないが、人は変わることができるのだ。

 

 なら、西住まほが変われない道理はない。

 みほに依存してばかりの人生にピリオドを打ち、前に向かって進む。今はまだ完全には無理かもしれないが、いつかきっとみほの友達ともしっかり向きあうことができるはずだ。

 それに、まほはもうみほだけが全てではない。この大洗でまほはかけがえのない友を得ることができたのだから。 

 

「まぽりーん! おっはよー!」

 

 遠くから聞こえてくる沙織の声がまほの決意を後押ししてくれる。

 あまりにタイミングがいい沙織の登場の仕方は、まるで恋愛漫画の主人公のようであった。

 日ごろからモテたいモテたいと言っている沙織だが、もしかしたら男性ではなく同性にモテる星のもとに生まれたのかもしれない。

 

  

 

 午後からは戦車道の授業の時間。素人集団である大洗はまだまだ基本が不足しているので、訓練は今日も基礎的なことがほとんどだ。

 みほたち聖グロリアーナ勢の手助けもあり、訓練は滞りなく進んでいる。

 とくに助かったのは、素人である戦車道履修生の質問に答えられる人員が増えたことだ。まほしか経験者がいないせいで四苦八苦していたころに比べると、忙しさには雲泥の差がある。

 

 その浮いた時間を使い、まほは新たなチャレンジに乗りだしていた。

 校内の駐車場で新たに発見された大洗の新しい戦力、三式中戦車。

 自動車部のがんばりのおかげで整備は万全。戦車を動かす人員が不足しているという問題をクリアすれば、次の試合で大きな力になれる。

 

 まほはその三式中戦車に操縦手として乗りこむことを決めた。

 車長という目立つポジションは西住流やみほに迷惑がかかる。その点、操縦手は車外に姿を見せる必要もなく、どちらかといえば地味なポジション。今のまほにはうってつけである。

 

「私たちはこの戦車に慣れることが最優先だ。芽依子、あや、今日もよろしく頼む」

「必ずまほ様のお役に立ってみせます」

「がんばりまーす」

 

 三式中戦車のほかの乗員はウサギチームの芽依子とあや。

 ポジションは芽依子が車長兼通信手、あやが装填手兼砲手だ。

 チームワークが売りのウサギチームのメンバーを減らすのはそれなりにリスクがある。それでも、大洗には一輌でも多くの戦車が必要であった。

 偵察を終えて帰ってきた優花里から、アンツィオ高校が新戦車を入手したという情報がもたらされたからだ。

 

「P40は重戦車だが前面装甲は50㎜しかない。三式中戦車の火力なら遠距離からでも貫通可能だ。三輌のP40のうち、最低でも一輌、できれば二輌は私たちが撃破したい」

 

 イタリア製の重戦車、P40が三輌。それがアンツィオ高校の新戦車だ。

 購入資金を貯めていたのか、それとも大口のスポンサーでもついたのか。詳しいことはわからないものの、アンツィオ高校が手強くなったのはだけは確かである。

 

「責任重大ですね。私の腕で当たるかな?」

「あや、芽依子もできるだけ手助けします。力を合わせてP40を撃破しましょう」

「芽依子ちゃんが助けてくれるなら大丈夫かも。よーし、次の試合で活躍して男友達に自慢しよーっと」

 

 急造チームだが雰囲気は決して悪くない。これなら次の試合までに、それなりの連携が取れる出来には仕上がるはずだ。 

 

 アンツィオ高校がP40を三輌購入したと優花里から聞かされたときは、正直勝てないかもしれないという不安もあった。

 アンツィオ高校の隊長である安斎千代美は、中学時代に名を馳せた優れた戦車乗りだ。豆戦車が主力のアンツィオ高校では目立った実績を上げられなかった人物だが、戦力が整ったのなら話は別。一回戦のサンダース同様、もしくはそれ以上の壁となって大洗の前に立ちふさがるだろう。

 

 しかし、絶対に勝てない相手ではない。

 相談や疑問に答えてくれる聖グロリアーナの生徒のおかげで、戦車道履修生の訓練には熱が入っている。

 士気の高さは試合の勝敗に直結する重要な要素。それが保たれていれば勝機は見出せる。

 

 さらにもう一つ、士気の向上に一役買っていることがある。この試合を突破できれば大幅に戦力を増強できるのだ。

 三郷忍が学園中をくまなく捜索してくれた結果、フランスの重戦車B1bis、ドイツの重戦車ポルシェティーガー、それに43口径75mm砲を大洗は得ることができた。

 人員と整備の関係で次の試合には出場できないが、戦力として計算できるようになればこれからの戦いがぐっと楽になる。

 

「まずは射撃練習から始めよう。芽依子、指示を頼む」

「了解しました。では、パンツァー・フォーでお願いします」

「忍者の芽依子ちゃんにドイツ語は似合わないよー。戦車も日本製なんだし、戦車前進でいいんじゃない?」

「……まほ様、日本語で指示を出してもよろしいですか?」

 

 戸惑ったような表情の芽依子に、まほは穏やかな表情で答えを返す。  

 

「この戦車の車長は芽依子なんだ。私に気を使う必要はない」

「ありがとうございます。目的地は射撃練習場、戦車前進!」

 

 芽依子の指示を受け、まほは戦車を走らせる。

 次の試合に向けた大事な訓練の時間が今日も始まった。  

 

 

 

 あたりが茜色の夕日に包まれ始めたころ、戦車道の授業は終わりを告げた。

 しかし、まほたち三式中戦車チームの訓練はまだ終わらない。これからみほたち聖グロリアーナチームとの居残り練習を行うのだ。

 次の試合まで残された時間は少ない。急造チームを成熟させるためには、二部練習がどうしても必要であった。

 

「今日は私たちボコさんチームと模擬戦をやりましょう。クルセイダーが白旗を上げたら、そこで訓練は終了になります。クルセイダーを撃破しないといつまでも訓練は続きますので、がんばってくださいね」

 

 授業とは違い、みほは二部練習では鬼になる。

 まほたちのチームは連携不足なのだ。オレンジペコが装填手を担当することで、明確な弱点がなくなったみほのクルセイダーに勝てるわけがない 

 言葉は丁寧だが、みほの容赦のなさは母であるしほにそっくりであった。どうやら、みほは西住流の後継者として順調に育っているらしい。

 

「芽依子ちゃん、私今日死ぬかも……」

「あやを一人では死なせません。死ぬときは一緒です」

「いやいや、本気で死ぬつもりはないからね!?」

「ジョークです」

「芽依子ちゃんが真顔で言うとジョークに聞こえないよー」

 

 芽依子とあやが耐えられるか少し不安はあったものの、冗談を言い合えるのならまだ大丈夫だろう。

 

「私も全力を尽くす。最後まで諦めずにがんばろう」

 

 まほの声に芽依子とあやが無言でうなずきを返す。

 これでいよいよ地獄の特訓の始まる。だが、そこに待ったの声がかかった。

 

「先輩、私たちも参加させてください!」

 

 声のしたほうにまほが振りむくと、そこには梓を先頭にしたウサギチームのメンバーが立っていた。

 いや、ウサギチームのメンバーだけでない。そこには解散して帰ったはずの、戦車道履修生が勢ぞろいしていたのである。

 

「まぽりん、私たちも戦うよ!」

「今日はバレーボールの練習は休みにします。ルクリリさんと忍のおかげで、朝と昼に内容の濃い練習ができましたから」

「いくらラベンダーちゃんが強いといっても、この人数で戦えばなんとかなるっしょ?」

 

 これで勝負は五対一。

 しかし、みほは優しそうな表情をいっさい崩さず、次のように言い放った。

 

「どんな不利な状況でも西住流に後退の二文字はありません。私も本気で戦いますので、全員でかかってきてください」 

  

 まほの背筋に悪寒が走る。みほのまとっている雰囲気がある人物とそっくりになったからだ。 

 

「この圧倒的な強者のオーラ、まるでローマ史上最強の敵と恐れられたハンニバルのようだ」

「いや、アメリカに我らの最も恐るべき敵と言わしめたマインシュタインだろう」

「尊攘派の志士が恐れた新選組の一番組組長、沖田総司ぜよ」

「後の天下人、徳川家康に粗相をさせるほどの恐怖を与えた甲斐の虎、武田信玄!」

『それだっ!』

 

 みほにぴったりの人物が決まったのか、歴女の面々は満足そうにうんうんとうなずいている。

 ちなみに、まほが想像した人物は母の西住しほであった。

 こうなってくると、無事に訓練が終わるのかも怪しい。

 どうかみんなの心が折れませんように。まほは心の中でそう祈ることしかできなかった。

 

 その後、なんとか訓練は終わったものの、本気のみほは怖いというのを全員が思い知ったのは言うまでもない。



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第四十二話 聖グロリアーナ女学院対継続高校 前編

 一面に広がる砂、砂、砂。そして、ギラギラと照りつける太陽。

 砂漠といっても差し支えないこの砂丘が聖グロリアーナ女学院の二回戦の舞台。

 すでに継続高校との試合前のあいさつは終了済み。

 今行われているダージリンの訓示と試合前のお茶会が終われば、いよいよ試合開始だ。

 

「先の一回戦とは違い、この試合は厳しいものとなるでしょう。ですが、聖グロリアーナの戦車道を守るのが私たちのなすべきこと。どんな困難に襲われてもそれだけは忘れないように」

 

 自分たちの戦車道を貫く。それが試合前にダージリンが口にする決まり文句である。

 訓示に試合の勝敗に関する話は含まれない。聖グロリアーナの戦車道にとって勝ち負けは重要ではないからだ。

 

 訓示の次はお茶会の時間。

 試合前のお茶会は普段とは違って簡易的だ。戦車の前で紅茶を飲みながら軽く談笑する程度であり、ティーフーズも用意されていない。

 試合前でも心を乱さず、あくまで優雅な姿を保つ。それがこのお茶会の目的なのだ。

 

「ローズヒップ、今日はアイスティーにしておいたほうがいいんじゃないかしら? 顔から汗が滝のように流れてますわよ」

「わたくしは信念を曲げる気はありませんわ。アイスティーを飲むぐらいなら、アイスコーヒーを飲みますの!」

「しっかりしてローズヒップさん! 言ってることが無茶苦茶になってるよー!」

 

 優雅な姿はどこへやら、試合前であっても問題児トリオは騒がしい。

 アッサムがため息をつきながら首を振り、ダンデライオンが口を尖らせている光景もいつも通りだ。

 

 その様子を友人たちと一緒にながめているのは、問題児の最後の一人であるオレンジペコ。

 大洗でいろいろやらかしたこともあり、問題児カルテットというオレンジペコの二つ名はもはや不動のものとなっていた。

 

「ラベンダー様たちはまったく緊張していませんね。私たちも見習わないといけないです」

「あの三人を見習うのは正直どうかと思いますよ。優雅とはほど遠い人たちですから」

 

 オレンジペコがカモミールと話をしていると、ハイビスカスが会話に割りこんできた。

 

「ペコっちも人のこと言えないしー。大洗であずっちしめてたじゃん」

「あれは澤さんの偽物です! それに、あのときの私は激辛ノンアルコールラム酒を飲んだせいで、正気を失ってたんです!」

 

 丸山紗希の撮った動画が友人たちに流失したのが運の尽き。

 オレンジペコが必死に言い訳しても事実はくつがえらない。

 

「さ、澤さんといえば、大洗女子学園の二回戦も今日ですよね! 紗希さんもすごくやる気満々でしたよ!」

 

 大きな声で話に割って入ってきたのは、オレンジペコの失敗動画を誤って流出させてしまったニルギリであった。

 おそらく、これが彼女にできる精一杯の罪滅ぼしなのだろう。

 

「やる気なら私も負けていませんわ。今日は姉様とダーリンが応援に来てるんですの。必ず勝ちますわよ!」

「やばっ! ベルっちが愛の戦士モードに入ってるし。これは本当に負けられないじゃん」

「私も妹たちの前でいいところを見せますよー!」

 

 一回戦に出番がなかったクルセイダー隊はこの二回戦が初陣である。

 にもかかわらず、友人たちはこの試合が公式戦の初戦とは思えないぐらい自然体だった。

 ほかのクルセイダー隊の隊員も緊張している様子がないところを見ると、隊長であるラベンダーのゆるさが伝染しているらしい。

 

 どうやら、オレンジペコが友人たちを心配する必要はなさそうだ。

 問題児トリオには毎度ひどい目にあわされているが、今日ぐらいは感謝してもいいのかもしれない。

 そんなことを思いながら、オレンジペコは再び問題児トリオへと視線を向けた。

 

「継続高校の隊長はどんなかただったんですの?」

「少し変わったかたでしたわ。変な楽器を弾きながら哲学的なことを語りかけてきたの」

「『戦車道は人生の大切なすべてのことが詰まっている。君たちはそれに気づいているかい』だっけ? 私は子供のころからずっと戦車道をしてきたけど、そんな風に考えたことは一度もなかったよ」

 

 問題児トリオは継続高校の隊長について話しているようだ。

 

「なにやら意味深なセリフでございますわね。継続高校の隊長はただ者ではありませんわ」

「変人じゃないと隊長というのは務まらないのかもしれませんわ。うちのダージリン様と似たもの同士……」

「ルクリリさん! それ以上はダメっ!」

「『しゃべってから口に手を当てても遅い』。ルクリリ、あなたとは一度きちんと話しあう必要があるようね」

 

 フランスのことわざと共に登場したダージリンに、ルクリリは問答無用で連れていかれた。

 この分だと、ダージリンの機嫌を直すのにオレンジペコは苦労することになるだろう。

 前言撤回。やっぱり問題児トリオは災いしか持ってこない。

 

 

 

 

 聖グロリアーナ女学院対継続高校。

 熱気漂う砂丘で行われるこの試合は、選手だけでなく観客にもつらいコンディションだ。

 観客の多くが日傘や帽子で太陽を遮断し、水分補給にも余念がない。

 ラベンダーたちの応援に来た島田愛里寿もその中の一人であった。

 

「隊長、かき氷を買ってきました。イチゴとレモン、どっちがいいですか?」

「私はレモンがいいー」

「キクミには聞いてない」

「うわー、ルミってば極悪非道ー」

 

 愛里寿と一緒に試合を見にきた二人は、聖グロリアーナ女学院と継続高校に縁がある。

 ルミと呼ばれたショートカットで眼鏡の女性は継続高校の卒業生。キクミと呼ばれた赤い髪のショートカットの女性は聖グロリアーナ女学院の卒業生なのだ。

 

「うるさい。今日のあんたと私は敵同士なんだからね」

「それだったら隊長だってルミの敵だよ。隊長も聖グロリアーナの卒業生だもん」

「隊長は体験入学しただけだろ。あれはノーカンよ、ノーカン」

 

 ルミとキクミは愛里寿が隊長をしている大学選抜チームの一員。

 普段は仲良しの二人だが、母校が対戦するとあってはそうもいかないらしい。

 

「二人とも、喧嘩はダメ」

「喧嘩なんてしていませんよ。私たちは仲良しですから。ねー、キクミ」

「ルミの言うとおりですよ。ほら、仲が良いからハグだってしちゃいます」

「やめろ! 暑苦しい!」

 

 くっつくキクミをルミが引きはがす。

 漫才めいた掛けあいがすぐにできるあたり、二人の相性の良さがうかがえた。

 

「ところでキクミ。アサミはなんで来なかったんだ? あいつも聖グロの卒業生でしょ」

「アサミは用事があるって言ってたけど、たぶんあれは嘘だね。きっと妹さんたちと顔を合わせたくなかったんだよ」

「あいつ、そんな理由で隊長のお誘いを断ったのか。メグミとアズミが知ったら激怒するぞ」

「あの二人、都合がつかないことすごく悔しがってたからねー」

 

 メグミ、アズミ、ルミ、キクミ、アサミ。

 この五人は大学選抜チームの主要メンバーであり、愛里寿をなにかと気づかってくれる優しいお姉さんたちだ。

 大学選抜チームの隊長に就任したばかりの愛里寿がうまくやれているのも、彼女たちのサポートによるところが大きかった。   

 

「アサミの気持ちをよく考えずに誘った私が悪いの。アサミは悪くない」

 

 六人姉妹の長女であるアサミは妹たちと折り合いが悪い。

 なかでも聖グロリアーナ女学院に通う次女とは、とくに関係がギクシャクしている。

 ほかの妹たちの信頼を一身に集める次女に対し、アサミが激しい嫉妬心を抱いているからだ。

 愛里寿はそのことを知っていたのだが、友人の試合を初めて応援に行けることに舞いあがり、それを失念してしまったのである。

 

「た、隊長は悪くありません! アサミのことを悪く言った私が悪いんです」

「そうですよ、全部ルミが悪いんです。この性悪眼鏡、鬼、ずんどう!」

「あんたはあとで泣かす!」

 

 またルミとキクミの口喧嘩が始まったが、今度は愛里寿はなにも言わなかった。

 二人が愛里寿の暗い雰囲気を払拭するために、わざと言い争いをしているのに気づいたからだ。

 

 以前は極度の人見知りで、他人に無関心だった愛里寿。

 その愛里寿がこんな風に人の心の機微が感じられるようになったのも、ラベンダーたちとの付きあいのおかげなのかもしれない。

 

「あら、ワイルドストロベリーじゃない。あなたはいつも元気ねー」

 

 愛里寿が二人の気づかいに胸を温かくしていると、近くを通りがかったカップルの女性から声をかけられた。  

 ワイルドストロベリーはキクミが聖グロリアーナ女学院に在学していたときのニックネーム。

 それを知っているということは、この女性も聖グロリアーナ女学院の卒業生なのだろう。 

 

「ウバ様? どうしてここに?」

「もちろん母校の応援に来たのよ」

「本当ですか? ウバ様、OG会の集まりにもあまり顔を出さないし、ぶっちゃけ聖グロリアーナの戦車道に興味ないですよね?」

「応援に来たのは本当よー。正確には妹の応援だけどね」

 

 ストロベリーブロンドの長い髪を姫カットにし、どこかふわふわした雰囲気を持ったウバと呼ばれた女性。

 彼女は一見すると戦車道とは無縁な人物に見える。

 しかし、実は彼女こそ聖グロリアーナ女学院が夏の全国大会で準優勝したときの隊長なのだ。

 去年聖グロリアーナ女学院に体験入学した愛里寿は、資料でそのことを知っていた。

 

「今日はディンブラは一緒じゃないの?」

「アサミは例の病気がまた悪化しちゃいまして、今回はパスです」

「そう……私の妹とあの子の妹が仲良くなったのもなにかの縁だし、なんとかしてあげたいけど……」

「ウバ様が一緒だった高校一年生のときは安定してたんですけどねー。私じゃウバ様の代わりにはなれませんでした」

 

 愛里寿にもアサミの問題を解決してあげたいという思いがある。

 とはいえ、家庭の問題というのはかなりデリケートな部分を含む。

 いかに愛里寿が天才であってもそう簡単に解決できる問題ではなかった。

 

「こうなったら最後の手段を使うしかないわね」

「ウバ様、なにかいい案があるんですか?」

「女がダメなら男の出番。ダーリン、もう一人ぐらい面倒見れない? ディンブラは内面にちょっと問題を抱えてるけど、外見は色白で清楚な大和撫子よー」

 

 ウバにダーリンと呼ばれた男性は眉間にしわを寄せて困ったような顔をしている。

 お前はなにを言っているんだ。そんな彼の心の声が聞こえてきそうであった。 

 

「ウバ様、ウバ様。隊長の前でそういう話はダメですよ」

「あなたのお父様でもいいわよ。英雄色を好むっていうし、もう一人ぐらい愛人が増えても問題ないでしょ」

「だから、ダメだって言ってるでしょ! これ以上お母さんが増えたら、私だって困りますよ。かわいいライオンちゃんのおかげで、やっとお父さんの悪い癖が直ってきたところなんですから、刺激するようなまねは絶対にやめてくださいね!」 

  

 キクミもアサミ同様、複雑な家庭の事情を抱えているらしい。

 しかし、大学生といってもまだ十三の少女にすぎない愛里寿には、色恋沙汰の話はちんぷんかんぷんだ。

 

「隊長、試合が始まりました。暑さで頭がゆだってる人たちは放っておきましょう」

「わかった」

 

 ルミに促され、愛里寿は大型ディスプレイへと目を向ける。

 そこにはラベンダーが率いるクルセイダー隊の姿が大きく映しだされていた。

 

 

 

 

 本隊とは別行動中のクルセイダー隊は、みほのクロムウェルを先頭に砂丘を走行している。

 左にダンデライオンのクルセイダーMK.Ⅱ、右にハイビスカスのクルセイダーMK.Ⅲを従え、きれいな三角形を作って進撃する姿は実に優雅だ。

 ちなみに、二回戦に出場しているクルセイダー隊は合計三輌なので、これがクルセイダー隊の全戦力である。

 

「ラベンダー様、本隊が敵部隊と交戦に入りました。フラッグ車の姿は確認できないそうです」

「わかりました。こちらも敵部隊を発見したと連絡してください。T-34が二輌、T-26が一輌です」

「りょ、了解しました!」

 

 多少の硬さはあるものの、通信手のニルギリは自分の役割をしっかりこなしてくれる。

 部隊への連絡や本隊との通信を彼女が一手に担ってくれることで、みほは目の前の相手に集中できるのだ。

 

「ダンデライオン様、ハイビスカスさん、トライアングル作戦を開始します」

『待ってました! クルセイダー隊はやればできるってところを披露しましょう』

『練習の成果を発揮するときじゃーん。マチルダ隊には負けないよー!』

 

 砂丘の暑さもなんのその。クルセイダー隊の士気は高い水準を維持している。

 

「アッサム様のデータによると、継続高校はこの暑さの影響で動きが鈍っているはずです。私たちは暑さ対策もしっかりやってきましたので、ミスを恐れず自信を持って戦いましょう」

 

 継続高校の学園艦は寒い海域が主な航路。

 普段とは違うこの暑さにはすぐ対処できないだろうというのがアッサムの見立てだ。

 それに対し、聖グロリアーナ女学院の学園艦は二回戦が砂丘ステージだと連絡があった直後に航路を変更。たった数日ではあるが、赤道付近の暑い地域を航路したので暑さには多少慣れている。

   

「クロムウェルが先行しますので、あとに続いてください。戦車前進! まずは最後方のT-34を叩きます」

「おほほほほ! このクロムウェルの圧倒的なスピードで度肝を抜いてさしあげますわ。さあ、行きますわよー!」

 

 ご機嫌な様子でクロムウェルを加速させるローズヒップ。

 第二次世界大戦中最速の戦車と呼ばれたクロムウェルは、スピードを出すのが大好きなローズヒップにうってつけの戦車なのだ。

 

 

 

 その後の戦闘でクルセイダー隊は継続高校の三輌を難なく撃破した。

 三輌で三角形を作り、その中央へと相手を誘いこんで撃破するトライアングル作戦。この新技に継続高校はまったく対応できなかったのである。

 相手が暑さで本来の動きができなかったのが一番の勝因ではあるものの、クルセイダー隊の努力はしっかりと身を結んだようだ。

 

 無傷で継続高校の別動隊を撃破したみほは、クロムウェルの砲塔にすっと立って周囲を確認する。

 クルセイダー隊の本命は継続高校の隊長車兼フラッグ車のBT-42。

 この暑さに参っているだろうBT-42を早期に発見し撃破するのが、クルセイダー隊に与えられた任務だ。

 

「愛里寿ちゃんの教えを無駄にはしない。見ててね、愛里寿ちゃん。私はきっと勝ってみせるよ」

 

 トライアングル作戦は大学選抜チームの中隊長が得意としている連携技がもとになっている。

 クルセイダー隊の新たな連携を模索していたみほは愛里寿に助言を仰ぎ、この技を教えてもらったのだ。

 すべては継続高校、さらにその先に待つ黒森峰女学園に勝ち、大洗女子学園と決勝戦で戦うため。

 ラベンダーでいられる間はできることはなんでもする。角谷杏と約束したあの日、みほはそう心に決めたのであった。



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第四十三話 聖グロリアーナ女学院対継続高校 後編

 継続高校のフラッグ車、BT-42は小高い砂の丘で停車していた。

 両隣にはフラッグ車を守るように控える二輌のBT-7。

 BTシリーズで統一されたこの小さな部隊こそ、継続高校が誇る精鋭部隊であった。

 

「ねぇー、ミカ。こんなにのんびりしてていいの? ユリの部隊はもう全滅しちゃったんだよ」

「今はまだそのときじゃない。ほら、風もそう言っているだろう? アキも耳を澄まして風の声を聞いてごらん」

 

 BT-42の車体に腰かけ、フィンランドの民族楽器であるカンテレを弾きながらそう語りかける少女。

 ミカと呼ばれたこの少女こそ、他校から一目置かれる強豪校、継続高校の隊長だ。

 そのミカの言葉に対し、アキという名のおさげの少女は憮然とした表情を見せる。

 

「またそんな風にはぐらかして……ミカは勝つ気ないの?」

「試合に勝つ。それは戦車道において必要なことかな?」

「必要でしょ。負けたら二回戦敗退なんだよ」

「たしかに勝つことは大事だ。人生には必ず勝たないといけないときが来るからね。でも、戦車道が教えてくれる一番大切なことは勝利じゃない。私はそう思っているんだ」

 

 ミカの言葉は吹き抜ける風に乗って空の彼方へ消えていく。  

 どうやら、アキとミカが話しこんでいるうちに風が強くなってきたようだ。

 すると、ミカはカンテレを弾くのをやめ、BT-42の操縦席に座るツインテールの少女に声をかけた。

 

「ミッコ、砂丘にはもう慣れたかい?」

「ばっちり。暑さにも砂にも慣れたよ。ユリとヨウコが時間を稼いでくれたおかげ、十分に練習できたからね」

 

 ミッコの返事を聞いたミカは次にアキへと声をかける。

 

「アキ、ヨウコの部隊の現状はどうなってるのかな?」

「ちょ、ちょっと待って! 今、連絡取るから」

 

 慌てた手つきで無線機を操作するアキ。

 やる気がなかったミカが突然動いたことに少々面食らっているようだ。

 

「Ⅲ号突撃砲はやられちゃったみたいだけど、ヨウコのⅣ号とBT-5は健在みたいだよ」

「なら、もうしばらくフラッグ車の足止めを頼むとヨウコに伝えてくれるかい? すぐそちらへ向かうという言葉を添えてね」

「うん!」

 

 アキへの指示を終えたミカは再びカンテレを弾き始めた。

 その音色は先ほどまでのゆったりしたものとは違い、リズミカルなものへと変化している。

 風がさらに勢いを増してきた。

 

 

 

 

 継続高校の小隊を粉砕し、敵フラッグ車の捜索を再開した聖グロリアーナ女学院のクルセイダー隊。 

 いまだフラッグ車の発見にはいたっていないが、ダージリンが指揮する本隊も優勢に試合を進めている。

 すでに継続高校の戦車を四輌も撃破していることもあり、戦況は聖グロリアーナ女学院有利といっても過言ではないだろう。

 

『継続高校は強いって話だったけど、全然たいしたことないじゃん。ラベンダー様、フラッグ車を見つけたら一気にカタをつけて、クルセイダー隊の強さをみんなに見せつけましょうよ』

「ハイビスカスさん、あまり油断しないでください。継続高校はこれで終わるような学校じゃありません。アッサム様のデータどおりなら、そろそろなにか仕掛けてくるはずです」

 

 みほは緊張感が欠けている様子のハイビスカスをたしなめる。

 厳しい言葉をかけるのはあまり得意ではないが、部隊長として締めるところは締めなければならない。

 

『ラベンダーちゃんの言うとおりですよ。淑女たるもの、いついかなるときも油断せず、冷静に物事を判断しなければなりません』

 

 ハイビスカスに淑女の心得を説いたのはダンデライオンだ。

 さすがは最上級生。試合のことしか頭になかったみほと違って、淑女について語れるぐらいの心の余裕を持っている。

 みほがダンデライオンに尊敬の念を抱いていたちょうどそのとき、一発の砲弾がクルセイダー隊の至近距離に着弾した。

 

『なになに!? どこから撃ってきたんですか!?』

 

 さっきの余裕はどこへやら。ダンデライオンは一発の砲撃で取り乱してしまう。

 ダンデライオンが尊敬できる先輩なのは間違いないが、突発した事態に弱いのが玉にきずであった。 

 

「みなさん、落ち着いてください。あちらから姿を現してくれたのは好都合です。ここで決着を……」

 

 ここで決着をつける。その言葉をみほは最後まで言うことができなかった。

 砲撃が放たれた方角に目を向けたみほの視界に、巨大な砂嵐が映りこんだからだ。

 継続高校は砂嵐の中から砲撃してきたのである。

 

「ラベンダー、どうしますの? 砂嵐の中に陣取ってるのは罠かもしれませんわよ」

「BT-42があそこにいる可能性がある以上、後退はできません。フラッグ車の発見が私たちの任務ですから」

「上等ですわ!」

 

 ローズヒップはみほの回答に満足そうな声で返事をすると、クロムウェルを砂嵐の方角へ向けた。

 みほに確認を取ってはいたが、彼女も砂嵐に突っこむ気満々だったようだ。 

 

「ダンデライオン様、ハイビスカスさん。なるべくクロムウェルから離れないでください。あの視界の悪さだと同士討ちの危険があります」

『わかりました。あたしはクロムウェルの右を固めるので、ハイビスカスちゃんは左をお願いします』

『オッケーじゃん!』

『コラー! 淑女に相応しくない言葉は使っちゃいけません!』

 

 ぎゃあぎゃあ騒ぎながらクルセイダー隊は砂嵐に突入した。

 いつもはキューポラから身を乗りだして外を確認するみほであったが、今回ばかりは戦車の中に引っこんだ。この砂嵐の中で外に出ても満足いく索敵はできないからである。

 それと、お気に入りのマイカップが砂だらけになるのも避けたかった。

 これは親友の二人とおそろいのティーカップであり、みほが友達と初めて買い物に行ったときに買った思い出の品なのだ。  

 

「ラベンダー様、ハイビスカスさんが敵戦車を発見しました。数は三輌です」

「継続高校の残存車輌を考えると、その三輌の中にフラッグ車がいるのは間違いありません。ニルギリさん、ダージリン様にも連絡してください」

 

 ダージリンの本隊が相手をしている敵戦車は全部で四輌。クルセイダー隊がすでに撃破した三輌を加えると、計七輌の敵戦車と遭遇している。

 二回戦に出場できるのは全部で十輌。すなわち、この三輌のどれかが継続高校のフラッグ車ということになる。

 

「この場で停止して砲撃します。ベルガモットさん、発射のタイミングは任せます」

「了解ですの!」

「ドンドン装填しますのでバンバン撃っちゃってください、ベルガモットさん」

 

 継続高校の戦車が動く気配はなかった。おそらく向こうも撃ちあいに望むつもりなのだろう。

 この視界の悪さだ。フレンドリーファイアの可能性を考慮するなら派手に動くのは得策ではない。

 

「砲撃開始!」

 

 みほの号令で砂嵐の中での戦いが始まった。

 

 

 

 しばらく撃ちあいが続いたが、決め手を欠いた戦いは膠着状態に陥った。

 原因は砂嵐による視界不良。継続高校が機銃による牽制を繰りかえしたこともあり、舞いあがった砂で視界はほぼゼロに近い。

 そろそろ接近戦も視野に入れなければならない。みほがそんなことを考えていると、一瞬だけ風が弱まり視界が開けた。

 

「謀られた!」

 

 みほは思わず大きな声をあげてしまう。

 淑女らしからぬ振る舞いだが、そんなことを気にしている場合ではなかった。

 

「砲撃中止! 急いで本隊と合流します」

「ラベンダー? いったいどうしたのでございますか?」

「継続高校の戦車が二輌しかいないの。フラッグ車には逃げられてる」

「マジですの!?」

 

 砂煙が晴れた場所にいたのは二輌の戦車のみ。そして、両方ともBT-7だった。

 砂嵐を利用し、BT-42はクルセイダー隊に気づかれないうちにこの場を離脱していたのである。

 牽制だと思っていた機銃は攻撃ではなく、砂煙を上げてBT-42の姿を隠すためのものだったのだ。

 クルセイダー隊を突破したBT-42が向かう先は一つしかない。

 ダージリンが率いる本隊の背後だ。

 

「ラベンダー様、BT-7がこっちに向かってきますの」

「私たちを足止めするつもりみたいです」 

 

 ベルガモットとカモミールが言うとおり、クルセイダー隊が後退する素振りを見せた途端にBT-7が距離を詰めてきた。

 クルセイダー隊のこの行動も継続高校は織りこみ済みなのだろう。

 

『ラベンダーちゃん、ここはあたしたちに任せてください。BT-7はあたしとハイビスカスちゃんが相手をします』

「わかりました。お願いします」

 

 BT-7にいつまでも構っているわけにはいかないのだから、部隊を分けるのは最善の策といえた。

 

『ラベンダー様、別にあいつらを倒しちゃっても構わないんでしょ?』

「あっ! それ知ってます。有名な死亡フラグです」

「あの、まだハイビスカスさんが負けると決まったわけでは……」

「ニルギリさん、ハイビスカスは犠牲になったんですの」

 

 ハイビスカスの発言をネタに盛りあがるクロムウェルの一年生たち。

 この一年生グループのリーダー格はオレンジペコだが、ムードメイカーはハイビスカスのようだ。

 

『犠牲言うなし! こうなったら絶対にあいつらぶっ倒してみせるからね。ダンデライオン様、先に仕掛けますよ』 

『ちょっと待っ……もぉー、勝手なんだからー!』

 

 ハイビスカスのクルセイダーMK.Ⅲの後をダンデライオンのクルセイダーMK.Ⅱが慌てて追いかける。

 いささか不安の残る組み合わせではあるものの、今は二人を信じるしかない。

 

「クロムウェルはこれよりBT-42の追撃に移ります」

 

 みほの指示を受け、猛スピードで砂丘を疾走するクロムウェル。

 継続高校との戦いはここからが正念場だ。

 

 

 

 

「ルクリリ、あなたはBT-42の迎撃に向かいなさい。相手は継続高校の隊長車、一輌だからといって油断はしないように」

『このルクリリ、大洗戦のようなヘマは二度といたしませんわ。リゼ、キャンディ、チャーチルの護衛は任せましたわよ』

 

 チャーチルの護衛に二輌のマチルダⅡを残し、ルクリリはBT-42の迎撃に向かった。

 聖グロリアーナ女学院のマチルダⅡ四輌に対し、継続高校はBT-42一輌。

 数字上では聖グロリアーナ有利といえる状況だが、ダージリンは表情をいっさい緩めない。

 

「継続高校はラベンダーを簡単に欺いてみせた。暑さと砂にはもう慣れていると考えてよさそうね」

「データではもう少し時間がかかると計算していたのですが……。継続高校の適応能力の高さを甘く見ていたようですわ」

 

 チャーチルの車内に持ちこんだノートパソコンをアッサムは険しい表情で眺めている。

 今回の作戦はアッサムが主導して立案されたものだ。自慢のデータを元に構築した作戦にヒビが入ったのだから、彼女の顔が曇るのも当然であった。

 

「今回はアッサムのデータ主義が裏目に出てしまったわね。これを契機にデータ主義は卒業したらどうかしら?」

「お断りしますわ。データを集めるのは私の趣味のようなものですから。ダージリンこそ、格言とことわざにこだわるのはおやめになったらいかがですか?」

「それはできない相談ですわ。私の人生は偉人たちの言葉と共にあるのよ」

 

 ダージリンとアッサムがそんな不毛なやり取りを交わしていると、オレンジペコが話しかけてきた。

 

「ダージリン様、Ⅳ号とBT-5が攻撃を開始しました。かくれんぼはもうおしまいみたいです」

 

 オレンジペコから報告を受けたダージリンは、普段と変わらぬ様子でティーカップを口元へ持っていく。

 あくまで優雅。敵が攻勢をかけてきても動じないダージリンの姿はその一言に尽きる。

 

「粘り強いかたでしたけど、功を焦って前に出てきたのは軽率でしたわね。『慌てる蟹は穴へ入れぬ』。今からそれを教えてさしあげますわ」

 

 

 

 

 ダージリンの命を受けて迎撃に向かったルクリリだが、BT-42の圧倒的な強さの前に防戦一方になってしまう。

 四輌いたマチルダⅡはすでに残り二輌。BT-42を撃破するどころか、侵攻を遅らせるのが精一杯の有様だ。

 それでも、ルクリリの表情に焦りの色はない。

 守備的な戦術は彼女のもっとも得意としているところなのだ。

 

「BT-42は私たちを突破してダージリン様の背後をつくつもりですわ。シッキム、相手の挑発には乗らないように」

『わかりましたわ』

 

 二輌のマチルダⅡを撃破したBT-42はいったん後方へ引いた。

 マチルダⅡを無視してチャーチルにたどり着く道を模索しているのかもしれないが、その可能性は低いだろう。

 チャーチルと対峙していたⅣ号はすでに動きだしている。 

 一刻も早くチャーチルを挟撃したいBT-42は、マチルダⅡを突破する道を選ばざるを得ないはずだ。

 ルクリリがそんなことを考えていると、思いもよらない方法でBT-42が奇襲を仕掛けてきた。

 

「上から来るぞっ! 後退しろ、シッキム」

『えっ?』

 

 ルクリリの目に映ったのは、正面の盛りあがった丘から大ジャンプするBT-42の姿だった。

 猫を被るのも忘れて指示を出し、ルクリリは全速力で自分のマチルダⅡを下がらせる。

 しかし、判断が遅れたシッキムのマチルダⅡは、砲塔部に直撃を受け白旗を上げてしまう。

 砂の丘をジャンプするというBT-42の奇襲は、シッキムを混乱させるのに十分な威力を持っていたようだ。

 

「こうなったら体当たりしてでも止めてやる。戦車前進!」

 

 一人になってしまったルクリリは時間稼ぎに徹することにした。

 BT-42の実力はルクリリを上回っており、まともに戦っても勝ち目はないからだ。

 それに、聖グロリアーナにはまだラベンダーが残っている。

 彼女ならきっとBT-42を撃破してくれるだろう。

 

 そんなルクリリの思いも虚しく、BT-42はいとも簡単にマチルダⅡの突進を回避する。

 そして、すれ違いざまに砲撃を受けたマチルダⅡはあっさりと白旗を上げてしまった。

 

「くそっ! けど、この試合は私たちの勝ちだ」

 

 ルクリリの視線は全速力でこちらに向かってくるクロムウェルの姿を捉えていた。

 どうやら時間稼ぎ作戦はうまくいったようである。

 

  

 

 

「ニルギリさん、私のティーカップを預かっててもらえるかな?」

「へっ?」

 

 ニルギリはつい気の抜けた返事をしてしまうが、それも無理はなかった。

 車長はティーカップを持ちながら戦車に乗らなければならない。

 聖グロリアーナの流儀ともいえるその約束事を、ラベンダーは今から破ると言っているのだ。

 

「あ、あの……、そんなことをしたら、あとでOG会になにを言われるかわかりませんよ」

「うん、きっとすごく怒られると思う。でもね、BT-42はティーカップを気にして戦える相手じゃなさそうなの。負けるつもりはないけど、不安要素は少しでも減らしたいんだ」

 

 いつもと変わらぬ穏やかな表情でそう答えるラベンダー。

 だが、その柔和な様子は次のセリフで一変する。

 

「それにね、ルクリリさんは私たちを信じて犠牲になってくれたんだよ。仇を討たないと合わせる顔がないでしょ?」

 

 ニルギリの背中に冷たいものが走った。

 ラベンダーの口調と表情は決して怒っていない。そのはずなのに、相対するだけで息が詰まるような圧力を感じてしまう。

 ルクリリが撃破されたことで、ラベンダーの感情に変化が現れたのは間違いないだろう。

 

「わ、わかりました。責任を持ってお預かりします」

「ありがとう。ニルギリさんのおかげで私も全力が出せるよ」

 

 ラベンダーはニルギリにティーカップを手渡すと、無線機片手にキューポラから身を乗りだした。 

 その直後、クロムウェルが今までとは比べ物にならないほど俊敏な動きを見せる。

 ローズヒップの操縦技術は折り紙付きだが、ラベンダーが指揮に専念することでこれまで以上のキレが生まれているようだ。

  

 ニルギリが手に持つティーカップはラベンダーがいつも大事そうにしている品。

 もしこれを割ってしまったとしてもラベンダーは怒らないとは思うが、あの謎のプレッシャーに襲われないとは限らない。

 このティーカップはなにがなんでも死守しなければ。そう固く心に誓うニルギリであった。

 

  

◇◇

 

 

 マチルダⅡを一蹴したときとは打って変わり、BT-42はクロムウェルの猛攻の前に苦境に立たされる。

 機動力が売りのBT-42は鈍足のマチルダⅡとは相性が良かった。

 しかし、今度の相手は足の速いクロムウェル巡航戦車。

 速度差というアドバンテージもなく奇襲もできないこの状況では、苦戦を強いられるのも必然だった。

 さらに厄介なのは、クロムウェルの動きがこの試合一番の輝きを放っていることだ。

 

「強すぎるよ。西住流半端ない!」

「人畜無害な顔の裏には獰猛な獣が隠れていた。いったいどちらが本当の彼女なのか、興味は尽きないね」

「のんきなこと言ってる場合じゃないでしょ! なんとかしてよ、ミカ」

「さて、どうしたものかな……」

 

 クロムウェルの迫力にお手上げ状態のアキとミカ。

 そして、さらなる不測の事態がアキの無線に飛びこんでくる。

  

「ミカ、ヨウコの部隊が全滅しちゃったみたい……」

 

 チャーチルの足止めを任せていたヨウコの部隊が全滅したことで、状況はさらに苦しくなった。

 クロムウェルを早急にどうにかしなければ敗北は必至である。

 

「仕方ない。一か八かの賭けになるのは不本意だけど、接近してクロムウェルと決着をつけよう。ミッコ、反転」

「あいよ!」

 

 ミッコは相手の砲撃をうまくかわし、クロムウェルに背後を取られていたBT-42を反転させた。

 クロムウェルの操縦手の腕前は見事だが、ミッコも負けてはいない。

 これでBT-42はクロムウェルと正面から向かい合う形になった。

 

「勝負は一瞬で決まる。アキ、私が合図をするから砲撃のほうは任せたよ」

「わかった。あとはお願いね、ミカ」

 

 ミカはキューポラから顔を出し、クロムウェルの位置を確認する。

 そのとき、ミカは遠くにいるクロムウェルの車長と目が合ったような気がした。

 

「君はそんな顔もするんだね。君には戦車道で一番大切なことに気づいてもらいたいけど、それは次の機会にしようか。ミッコ、行くよ」

「よしきたー!」

 

 BT-42がアクセル全開で進む。

 先に撃ってくるだろうクロムウェルの動きを予測し、すれ違いざまに近距離で砲撃を叩きこむのがミカの策だ。

 ところが、いくら近づいてもクロムウェルは砲撃してこなかった。

 それだけでなく、BT-42とほぼ同じスピードで突撃を敢行してきたのである。

 どうやらクロムウェルも接近戦で勝負を決めるつもりらしい。

 

 そして、いよいよBT-42とクロムウェルがすれ違う瞬間がやってきた。

 

Tulta(トゥルタ)!」

「撃て!」

 

 BT-42とクロムウェルの砲撃は的確に相手の側面に命中し、両戦車から白旗が上がる。

 クロムウェルは仕留めたとはいえ、この試合はフラッグ戦。

 BT-42が白旗を上げた時点で継続高校の敗北である。

 

『聖グロリアーナ女学院の勝利』

 

 試合終了のアナウンスが流れるなか、ミカは一人静かにカンテレを弾き始める。

 そんなミカの元にアキとミッコが近づいてきた。

 

「負けちゃったね。でも、あのクロムウェルと相打ちだったんだもん。私たちはよくやったよ」

「いいや。これは私の推測だけど、クロムウェルは相打ちを狙ってたんだと思うよ。私たちの接近戦に付きあったのも、こうなることを見越していたからじゃないかな」

「まさか、それはないでしょ。私たちはクロムウェルに押されてたんだよ」

「それでも、彼女は確実に勝利できる方法を選んだんだよ。どんな犠牲を払っても勝利するのが西住流だからね」

 

 ミカとアキがそんな話をしていると、今話題にしていた人物がお盆に複数のグラスを持って現れた。 

 

「おつかれさまです。うちの一年生がいれてくれたアイスティーなんですけど、よろしければどうぞ」

「ありがとう。いただくよ」

「試合後のあいさつが終わったらお茶会も予定していますので、ぜひ参加してください」

「おいしいものでも出るの?」

 

 アイスティーをごくごく飲んでいたミッコが問いかけると、クロムウェルの車長は笑顔を見せた。

 

「はい。腕によりをかけておいしいティーフーズをご用意します」

「なら行く」

 

 ほぼ即答であった。ミッコは余程お腹が空いていたのだろう。

 そのミッコの返答を聞いてうれしそうな表情を浮かべるクロムウェルの車長。

 戦車に乗って戦っていたときとはまるで別人である。

 

 しばし談笑したあと、クロムウェルの車長は飲み終わったグラスを回収し、クロムウェルへと引き上げていく。

 その背中を三人で眺めていると、アキがふと口を開いた。

 

「不思議な人だね。興味があるって言ったミカの気持ちが少しわかったかも」

「だろう」

 

 

◇◇◇

 

 

 聖グロリアーナ女学院が勝利したことで、愛里寿はほっと胸をなでおろした。

 大洗女子学園が勝利したことは、すでにスマートフォンのインターネット速報で確認している。

 これなら、ラベンダーと前から計画していた作戦をスムーズに実行に移すことができるだろう。

 

「おーっほっほっほ。どうですかルミさん。聖グロリアーナ女学院の実力を思い知っていただけたかしら?」

「気持ち悪っ! いきなり変なしゃべりかたをするな」

「えーっ、高校時代に必死に覚えたお嬢様言葉を変扱いはひどくない?」

「キクミはガタイがいいからお嬢様言葉は似合わないんだよ。見ろ、鳥肌立っちゃったじゃないか」

「そこまでなの……」

 

 コントじみたやり取りを繰りひろげるルミとキクミ。

 愛里寿がそんな二人の様子を見つめていると、近くに座っていたウバが声をかけてきた。

 

「聖グロリアーナが勝ってよかったわねー。私の妹も活躍したし、応援にきた甲斐があったわ」

 

 愛里寿は静かにコクっとうなずく。

 これが人見知りの愛里寿にできる最大限の意思表示だった。

 

「ただ、クルセイダー隊の隊長がティーカップを手放したのは問題になりそう。うちのOG会、規律にうるさいから」

「ラベンダーは怒られるの?」

「たぶんね。けど安心して。私が弁護してあげる。去年卒業した子からもOG会に来てほしいって頼まれてたし」

 

 去年卒業した子とはアールグレイのことだろう。

 ウバは聖グロリアーナ女学院を準優勝させた実績を持つ人物だ。

 聖グロリアーナ女学院を強化したいという野望を抱くアールグレイなら、積極的にコンタクトを取ろうとするはずである。

  

「ありがとう」

「別に気にしなくてもいいわよ。私の妹もクルセイダー隊の隊長にはお世話になってるしね」

 

 ウバは朗らかな笑顔でそう答えたあと、愛里寿の手を両手で握ってきた。

 

「かわりと言ってはなんだけど、ディンブラのことよろしく頼むわね。道に迷ってるあの子を助けてあげて」    

「わかった。約束する」

 

 愛里寿がウバと言葉を交わしていると、聖グロリアーナ女学院の生徒が観客席へとやってきた。

 恒例の生徒全員による観客に向けてのあいさつだ。

 

「ダーリン! 私、がんばりましたのー。あとでぎゅっと抱きしめてくださいませー!」

 

 生徒の中でもひときわ小さい女の子が、ぴょんぴょん飛び跳ねながらとんでもないことを言い放った。

 それと同時に、缶ビールを飲んでいたウバの彼氏がビールを盛大に噴出して咳きこむ。

 ダーリンというのは、どうやらウバの彼氏のことらしい。

 

「あらあら、情熱的なところは高校生になっても変わらないわね。これは私も負けてられないわ」

 

 ウバはそう言うと、突然彼氏に抱きついた。

 大きな胸を体に密着させる実に大胆なポーズである。

 

「あーっ! 姉様、ズルいですの。私も今からそっちへ行きますわ」

「ベルガモットさん、待って、待って。今はまずいから、あいさつの途中だから!」

 

 ラベンダーの制止の声も届かず、小さい女の子はどんどん観客席に向かってしまう。

 

「ベルっちがご乱心じゃん。ものども、かかれー!」

「おーっ! 覚悟してください、ベルガモットさん」

「私の愛の邪魔は誰にもさせませんの!」

「こんなところで恥を晒すのはやめてくださぁぁいぃぃ!」

 

 聖グロリアーナの生徒が揉みあいになるなか、ダンデライオンの金切り声が砂丘に響きわたる。

 愛里寿が体験入学した去年と違って、聖グロリアーナ女学院の雰囲気はずいぶんと柔らかくなっているようだ。

 大学に進学したことに後悔はない。それでも、あの輪の中に混ざりたかったとふと思ってしまう愛里寿であった。

 

 

◇◇◇

 

 

「聖グロリアーナが勝ちましたか、それはよかったですぅ。ん? こっちはもうとっくに終わりましたよ。残念ながら大洗の勝利です」

 

 犬童頼子は丘の上で携帯電話片手に会話中。

 そんな彼女の眼下では、大洗女子学園とアンツィオ高校の食事会がにぎやかに行われていた。

 

「そんなに心配しなくても大丈夫ですよぉ。次の相手はプラウダ高校。大洗の強運もここまでです。ブッキーは引き続き、みほ様と島田愛里寿の動きを追ってください。キャロルに勘付かれないように気をつけるんですよ」

 

 頼子は電話を切ると食事会へと目を向けた。

 頼子の妹である芽依子も仲間たちと一緒に食事会を楽しんでおり、滅多に見せない笑顔を振りまいている。 

 

「プラウダは小細工できなそうですし、次はめいめいに揺さぶりでもかけますかねぇ。ふっふっふ、久しぶりにお姉ちゃんの狡猾なところをお見せしますよぉ」



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第四十四話 犬童頼子の暗躍

 大洗女子学園の廊下で瓶底眼鏡の少女が肩を落としていた。

 この少女の名は猫田。ハンドルネームはねこにゃー。

 猫耳カチューシャを頭に付け猫背でたたずむその姿は、名は体を表すということわざを如実に物語っている。

 

「はあ……。どうしてボクはこんなにチキンハートなんだろう」

 

 ため息をつきながら自虐的な言葉をつぶやくねこにゃー。

 

「ボクに少しでも勇気があれば戦車に乗れたかもしれないのに……」 

 

 大洗女子学園で今話題沸騰の戦車道。それがねこにゃーのため息の原因だ。

 ねこにゃーの趣味はネットゲーム。なかでも一番好きなゲームが対戦型の戦車ゲームである。そんなねこにゃーにとって、戦車道はゲームではなくリアルで戦車に触れられるまたとない機会だった。

 しかし、戦車道はスポーツ。スポーツとは無縁の生活を送ってきたねこにゃーは二の足を踏んでしまい、履修するタイミングを逃してしまったのだ。

 

「やっぱりボクにはゲームがお似合いなんだにゃ」

「簡単にあきらめていいんですかぁ?」

「にゃ!?」

 

 突然声をかけられたねこにゃーが振りかえると、そこにはカメラを手に持った少女が立っていた。ピンクブロンドのポニーテールとニコニコ笑顔がまぶしい美少女であり、オタクのねこにゃーは少し怯んでしまう。

 

「戦車に乗りたいんですよね? だったらいい情報ありますよぉ」

「いい情報?」

「はい。近いうちに戦車に一輌空きが出るんで、戦車道履修生を追加募集する予定があるんですぅ」

 

 搭乗する戦車がない。ねこにゃーが戦車道をあきらめかけていた理由がそれだ。

 学校の駐車場に戦車が放置されているのをねこにゃーは知っていた。

 あの戦車があれば、いつか勇気が出たときに戦車に乗れる。ねこにゃーはそう楽観視して結論を先延ばしにしていたのだが、駐車場の戦車はすでに戦車道履修生に見つかってしまった。そのときの後悔をねこにゃーは今でも忘れていない。

 

「その話、本当かにゃ?」

「お、やる気が出てきたみたいですねぇ。これでも放送部の端くれですので、信じてくれていいですよ」

 

 ポニーテールの少女は、カメラをポンポン叩きながら笑みを浮かべる。

 大洗で一番熱心に戦車道を取材しているのは放送部だ。その放送部の情報なら間違いはないだろう。

 

「ところで、ほかにも戦車に乗りたいという人の当てはありませんか?」

「ネトゲ仲間の二人も乗りたいって……。会ったことはないけど、この学校の生徒だって言ってたにゃ」

「それは好都合ですぅ。あなたはお友達に声をかけておいてください。三人いれば戦車を動かす人員は足りますので、すぐに乗ることができますよ」

 

 おそらくこれがラストチャンスになる。もう二度と後悔しないために、なけなしの勇気を奮い立たせるときが来たのだ。

 そう決意したねこにゃーは、背筋をピンと伸ばし気合を入れる。いつもより景色が明るく見えるのは、きっと気のせいではない。

 

 このとき、ねこにゃーは気づくべきだった。隣に立つポニーテールの少女の笑みが邪悪に歪んでいたことを。

 

 

 

 

 大洗女子学園の公園といえば、学園艦の左舷に整備されている通称左舷公園が有名だ。空と海の大パノラマが自慢のこの公園は、大洗女子学園の生徒にも人気がある憩いの場であった。

 とはいえ、今の時間は午後の九時。公園は普段のにぎわいが嘘のように静まりかえっている。

 

 そんな公園のベンチに犬童芽依子は一人で座っていた。

 行儀よくベンチに座る芽依子の手には一通の手紙。芽依子はとある人物からこの場所へ呼びだされ、その人物が到着するのを待っているのだ。

 

「お待たせしましたー! めいめい、お姉ちゃんですよぉー!」

 

 現れたのは大洗女子学園の制服姿の姉、犬童頼子。ちなみに、芽依子はパーカーに半ズボン姿である。

 

「姉さん……」

「おやおやー? どうしたんですか、めいめい。そんな真剣な顔して」

「要件はわかっています。勘当される覚悟はできていますので、遠慮なく言ってください」

 

 犬童家の人間は戦車に乗ってはならない。芽依子はこの家の決まりに背いて戦車に乗った。しかも、アンツィオ戦では車長までこなしてしまっている。

 家から勘当されるのはもはや時間の問題だった。

 

「もうー、めいめいったら早とちりさんなんだからー。そんな時代錯誤な理由で、お父様がめいめいを勘当するわけないじゃないですかぁー」

「芽依子は犬童の名を捨てなくてもよいのですか?」

「お父様は芽依子を心から愛してくれてます。心配することはなにもありませんよ」

「よかった……」

 

 思わず安堵の声を吐きだす芽依子。

 覚悟をしていたとはいえ、勘当されることに不安がないといえば嘘になる。

 その不安が解消されたのだ。芽依子の心の負担が軽くなったのは言うまでもないだろう。

 

「ただ、まほ様のほうはそうはいかないかもしれませんねぇ」

「どういうことですか?」

「この際だからはっきり言います。最悪の事態になった場合、まほ様は勘当されるかもしれません」

 

 その言葉を聞いた瞬間、芽依子の安堵感は一気に吹き飛んでしまう。まほが勘当されるという事実は、芽依子を奈落の底に突き落とすのに十分な威力を持っていた。

 

「そんな顔しなくても大丈夫ですよ、めいめい。要はその最悪のシナリオを回避すればいいんですぅ。お父様もその方向で動いてくれてますよ」

「姉さん、最悪のシナリオとはいったい? 芽依子にできることはないんですか?」

「まあまあ、慌てなくても今からちゃんと説明します。もちろん、めいめいにもやってもらうことがありますよぉ」

 

 頼子が語った最悪のシナリオ。それには今開催されている第六十三回戦車道全国大会が深く関わっていた。

 大洗女子学園と黒森峰女学園。もしこの両校が対戦するようなことになった場合、まほが勘当を言い渡される可能性があるというのだ。 

 

「西住流と黒森峰は蜜月の関係ですからねぇ。門下生も黒森峰出身のかたが多いですし。まほ様が黒森峰に弓引くようなことになると、西住流が割れかねません」

「しほ様はまほ様より西住流をとるということですか?」

「島田流が勢いを増している今、仲間割れをしている場合じゃありませんからね。それに、しほ様はもうすぐ家元になられるおかたです。どちらを選ぶかなんて火を見るよりも明らかですよぉ」

 

 西住しほは厳しい女性だ。西住流を守るためなら実の娘を平気で犠牲にできるだろう。

 それほどの非情さがなければ、戦車道の名門流派である西住流の家元を務めることなどできはしない。

 

「決勝戦の相手は間違いなく黒森峰です。伝統を守るのに固執する聖グロリアーナの勝ち目はほぼゼロ。みほ様も伝統を守るおつもりのようですからねぇ」 

「大洗がプラウダに勝ったらまほ様は勘当される……」

「まほ様を守るには大洗が次の試合で負けるしかありません。けど、安心してください。八百長をしろなんて言うつもりはないですから。めいめいは三式中戦車を降りて、M3リーの装填手に戻るだけでいいんですぅ」

 

 大洗女子学園がアンツィオ高校に勝てたのは、芽依子が車長を務めた三式中戦車の活躍が大きい。その三式中戦車を失うことは、大洗にとって大きな戦力ダウンになる。

 だからこそ、芽依子は簡単に首を縦に振るわけにはいかなかった。

 

「仲間を裏切るような真似はできません」

「大洗に来た目的を忘れちゃいけませんよ。芽依子はまほ様を守るためにここへ来たんでしょ?」

「それは……」

 

 以前の芽依子であれば即座にまほを守る選択をしたはずだ。

 しかし、芽依子は大洗でたくさんの素敵な思い出を作ってしまった。まほも大洗もどちらも大切なのだから、すぐに結論は出せない。

 

「実はですねぇ。どうしても戦車に乗りたいという生徒がいるんです。その子は友達も連れてくると言っているので、三式中戦車は戦力外にはなりませんよ」

「そうなのですか?」

「はい。悩むことはなに一つないんです。めいめいは、戦車に乗りたい子の希望を叶えてあげるだけなんですぅ」

 

 頼子の幼く甘い声はまるで悪魔のささやきのようだ。芽依子の罪悪感を溶かし、すべてを肯定してくれる魔性の声。頼子が交渉事を得意としているのは、もしかしたらこの声の力が一番大きいのかもしれない。

 そんなことを漠然と考えていた芽依子に、頼子はさらに言葉を畳みかけてくる。 

 

「大洗は来年がんばればいいんですよぉ。しほ様が家元になられたら、大手を振ってまほ様を守ることができますから」

「それでも、芽依子は……」

「お父様もまほ様を守るために苦労してるんだよ。優しい芽依子なら、お父様のご苦労をわかってあげられますよね?」

 

 それは芽依子にとって最大級の殺し文句だった。

 芽依子は超がつくほどのファザコン。父親が苦労していると聞かされてしまえば、もう抗うことはできない。

 

「……わかりました。姉さんの言うとおりにします」

「うんうん。めいめいが良い子でお姉ちゃんはうれしいですぅ」

 

 頼子に抱きしめられ、頭を優しくなでられる芽依子。

 悪魔の誘惑に負けた芽依子は、姉の抱擁を黙って受け入れるしかなかった。

 

 

◇◇

 

 

 芽依子と別れた頼子は一人公園に残り、携帯電話で話をしていた。この日はブッキーから定期連絡が入る日なのだ。

 

「みほ様が島田愛里寿を連れて大洗にねぇ。ふむふむ、今度の三連休を利用してですか。なるほど、島田愛里寿の力を借りて、大洗にプラウダ対策を仕込むつもりですね」

 

 西住みほは本気で大洗女子学園を廃校から救おうとしている。あの島田愛里寿まで出張ってくるとなると、うかうかはしていられない。

 

「これは情報を集める必要がありそうですぅ。ブッキー、あなたは大洗が三連休でなにをしていたのか調査しなさい。潜入の手回しは頼子がやっておきます」

 

 会話を終えた頼子は携帯電話をポケットへとしまう。大洗での用事はあらかた済ませたが、どうやらもう一仕事しなければならないようだ。

 

「プラウダにはちょっかいを出さない予定でしたけど、そうも言っていられませんねぇ。みほ様の策は頼子が必ず潰してみせます!」

 

 そう力強く宣言し、闇の中へと消える頼子。

 大洗とプラウダの準決勝を巡る戦いは、水面下でさらに激しさを増していく。

 

 

◇◇◇

 

 

 今日は祝日の金曜日。多くの学生が待ち望んでいたであろう三連休の幕開けだ。

 そんななか、冴えない表情で大洗女子学園の学園艦を歩く少女がいた。大洗女子学園の船底で大暴れしたという伝説を作ってしまったオレンジペコである。

 

「そこまで暗くならなくても大丈夫だよ、ペコっち。不良が襲ってきたらあたしたちも戦うし」

「ペコさんはどーんと構えていてください。私が必ずお守りしますから」

「大洗ってそんなに治安が悪いんですか? 紗希さんはごく普通の学園艦だと言ってましたけど……」

「治安が悪いのは大洗の船底ですの。船舶科以外の生徒は、たぶん船底の現状をよく知らないんですわ」

 

 今回のオレンジペコは問題児トリオではなく、友人たちと一緒に大洗を訪れている。ただ、仕掛人は問題児トリオなので、遅かれ早かれ出会うことにはなるのだが。

 

「私は喧嘩を売られるのを恐れてるわけじゃありません。そろそろお払いが必要かなって考えてただけですから……」

 

 オレンジペコが問題児トリオに振り回されるのはいつものことだが、今度は友人たちまで巻きこまれてしまった。

 もう神に祈るだけでは被害は防げない。本格的な厄落としを行わなければ、オレンジペコに平穏な日々は戻ってこないだろう。

 

「ペコっちは大げさじゃん。大洗と合同合宿するだけなんだし、もっと気楽にいこうよ」

 

 少数精鋭での短期合宿。これが今回の大洗訪問の理由だ。

 オレンジペコはラベンダーの目的を知っているので、これに関しては思うところはない。

 

「それに、合宿ってなんだか楽しそうじゃないですか。私なんて昨日は興奮して眠れなかったくらいですよ」

 

 無邪気な笑顔でそう話すカモミール。このカモミールこそが、オレンジペコの唯一の気がかりであった。

 ラベンダーが最初に合宿へ誘ったのがカモミールであり、なおかつ必ず来てほしいと念押しまでしたのだ。普段控えめなラベンダーにしては珍しい、らしくない行動である。

 

 この合宿にはカモミール絡みでなにか裏があるに違いない。オレンジペコはそうにらんでいた。

 場合によっては、オレンジペコが問題児トリオの魔の手からカモミールを守らなければならないだろう。

 とはいえ、大洗女子学園の校舎に到着するにはまだ時間がかかる。問題児トリオは学校で待ちかまえているのだから、今くらいは肩の力を抜いてもいいのかもしれない。

 

 ところが、オレンジペコの巻きこまれ体質は安息の時間を許さなかった。交差点に差し掛かったちょうどそのとき、路地から異様な恰好の四人組が現れたのだ。

 

「むむっ! 敵でござるか?」

「違うようですわね。全員聖グロリアーナ女学院の制服を着ていますわ」

「同胞だな」

「ワニワニ」

 

 路地から出てきたのは、面頬付き日本兜をかぶった少女と時代劇で浪人がかぶる浪人傘を着用した背の高い少女。つば付きの黒い帽子を後ろかぶりにしているサングラスをかけた小柄な少女に、二足歩行する精巧なワニの着ぐるみという四人組。

 オレンジペコ一行は、道端で会ったら誰もが目をそらす奇天烈な集団と鉢合わせてしまった。

 

「本当に不良さんが出てきました!」

「マジかっ!? こうなったらやるしかないし!」

「ふぅ……」

「ニルギリさん!? 気を確かに持ってくださいませ!」

 

 友人たちはパニックに陥ってしまっている。見るからに怪しい連中と出くわしたのだ。普通の女子高生が冷静でいられるわけがない。

 その点、オレンジペコはこの手の輩には慣れっこであり、動じることはなかった。自分が普通の女子高生から逸脱しているようで、ほんの少し悲しくなったが。

 

「みなさん、この人たちは不良じゃありません。聖グロリアーナ女学院の忍道履修生の方々です」

 

 オレンジペコは、ダージリン発案の肝試しで脅かし役をしていた忍道履修生とは面識がある。

 一年生の忍道履修生グループのリーダー兼ムードメイカーである日本兜の少女、半蔵。

 この中で一番お嬢様っぽい雰囲気を醸しだす浪人笠の少女、弥左衛門。

 大洗の二年生、磯辺典子にそっくりなサングラスの少女、小太郎。

 着ぐるみ姿しか見たことがない謎の少女、五右衛門。

 ちなみに、彼女たちは有名な忍者の名前をニックネームにしているので本名は不明である。

 

「そういうあなたは戦車道履修生のオレンジペコ殿。こんなところで会うなんて奇遇でござるな。今日はなにゆえ大洗に?」

「話をする前に、まずはその恰好をなんとかしてください。なんで兜なんてかぶってるんですか?」

「大洗は無法地帯だと風のたよりに聞いたのでござる。万全の備えをするのは当然でござるよ」

 

 半蔵は誇らしげに少々控えめな胸を張る。この少女よりも自分が問題児扱いされている現実に、オレンジペコは理不尽さを感じずにはいられなかった。

 

「周りを見てください。これが無法地帯に見えますか?」

「見えないでござる」

「つまりそういうことです。無法地帯なんて根も葉もない噂ですよ」

「まことかっ!?」

 

 大洗の船底は無法地帯ともいえる状態になっているが、そこにはあえて触れない。面倒事はもうたくさんなのだ。

 

「誰でござるか! 大洗はヨハネスブルグだ、修羅の国だとか言って騒いだのは!」

 

 忍道履修生は半蔵をいっせいに指差す。どうやら下手人は半蔵のようだ。 

 

「拙者でござった。てへっ」

「五右衛門。一発ガブっと噛んでやりなさい」

「ワニィーっ!」

「うぎゃああっ! お代官様、どうかお慈悲をー!」

 

 弥左衛門に促された五右衛門が半蔵に襲いかかる。直立するワニに頭を丸かじりにされてジタバタもがく半蔵の姿は、まるでホラー映画のようであった。

 

「それで、どうして忍道履修生のみなさんは大洗に来てるんですか?」

 

 オレンジペコは半蔵とワニをスルーし、残りの二人に事情を聞くことにした。

 

「大洗の忍道履修生と合同合宿をするためですわ。副頭領が特別に手配してくださったのよ」

「副頭領?」

 

 弥左衛門の返答にオレンジペコは疑問符を浮かべる。忍道履修生の頭領はキャロルこと三郷忍だが、副頭領と呼ばれる人物にオレンジペコは心当たりがなかった。

 

「犬童頼子様だ」

 

 小太郎が口にした名前を聞いた瞬間、オレンジペコの背中に嫌な汗が伝った。

 犬童家は今年の戦車道全国大会の裏で暗躍している存在だ。サンダースの通信傍受機やアンツィオの三輌のP40も犬童家の差し金だと、すでにGI6は当たりをつけている。ダージリンの話では、決定的な証拠をつかむまでGI6は犬童頼子を泳がしているとのことだった。

 

 その犬童頼子が大洗に送りこんできた四人の忍道履修生。おそらく、この中にスパイがいるのは十中八九間違いないだろう。

 一人なのか、それとも複数なのか、はたまた全員グルなのか。わからないことは多々あれど、一つだけはっきりしていることがある。

 これ以上トラブルに巻きこまれたらオレンジペコの身は持たない。

 

「学園艦に戻ったら教会で悪魔払いをしてもらおう……」

 

 生気のない顔でそうポツリとつぶやくオレンジペコ。

 オレンジペコの明日はどっちだ。



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第四十五話 対プラウダ合宿作戦

 大洗女子学園の次の相手は優勝候補の筆頭、プラウダ高校。まほにとっては、去年の大会で完膚なきまでに叩きのめされた因縁の相手だ。

 今までの対戦相手も強敵ぞろいであったが、プラウダ高校の実力はさらにその上を行く。そんな難敵に大洗が勝つには、とにかく必死で練習するしかない。

 この三連休に行う合宿は一日も無駄にできない貴重な時間であった。

 

 休日を無駄にできない理由はもう一つある。

 フランスの重戦車B1bisが次の試合に使用できることになり、新しいメンバーが戦車道チームに加わったからだ。

 

「新しい隊員はそど子か……。面倒なことになった」

「名前を略さないでよ! いい冷泉さん、チームメイトになったからって遅刻を見逃したりはしないからね」

 

 B1bisを担当するのは、風紀委員長の園みどり子がリーダーを務める風紀委員チーム。当然ながら戦車道に関してはずぶの素人であり、戦力として計算するにはかなりの練習が必要だろう。

 そして、新たに増えた素人は風紀委員チームだけではない。

 

「ついにこの日が来たにゃ!」

「ゲームで鍛えた腕前を見せるときだっちゃ!」

「がんばるもも!」

 

 三式中戦車の前で気合を入れているのが、ネットゲームマニアで構成されたもう一つの素人チームだ。ゲームで得た豊富な戦車知識が武器だが、実際の戦車には触れるのはこれが初めて。彼女たちが三式中戦車をうまく扱えるかは出たとこ勝負であった。

 とはいえ、三式中戦車に搭乗してくれる生徒が現れただけでも上出来といえる。まほと芽依子とあやの三式中戦車チームは、すでに解散してしまっているのだから。

 

 アンツィオ高校戦で活躍した三式中戦車チームが解散したのは、車長の芽依子が三式中戦車に搭乗するのを拒否したからだ。

 河嶋桃を始めとした一部の生徒は芽依子に詰めよったが、芽依子はただ謝罪を繰りかえすのみで理由を語らなかった。もちろんそれで桃が納得するわけもなく、芽依子を守ろうとしたうさぎチームのメンバーを巻きこんで、一時一触即発の事態にまで陥ってしまう。

 そのきは沙織とまほが仲裁に入ったことで事なきを得たが、ちょっとでも遅れていたらチームがバラバラになるところだった。

 

 芽依子が三式中戦車を降りた理由。まほはそれに心当たりがある。

 犬童家の人間は戦車に搭乗しない。その決まりを守り裏方に徹することで、犬童家は西住流を盛り立ててきた。

 西住流一門からは臆病者の誹りを受け、世間からは評価もされず、ただひたすら西住流の発展に尽くす。西住家が光なら、犬童家は影。どちらが欠けても西住流は栄光をつかめなかっただろう。

 

 戦車に搭乗し戦車道の試合に参加した芽依子の行いは、犬童家に対する裏切り行為。おそらく、アンツィオ高校戦で目立ちすぎたことで、家から圧力がかかったに違いない。

 芽依子が戦車道を始めるときにまほが危惧した事態。それが現実に起こってしまったのだ。

 

 その芽依子は今、聖グロリアーナ女学院の一年生と話をしている。

 この一年生たちは、大洗に協力しているみほが用意した助っ人その一。ちなみに、その二は大洗に向かっている最中とのことだ。

 

「めいっち、なんか元気なくなーい?」

「そんなことはありません。ハイビスカスさんの気のせいでは?」

「ははーん。もしかして、愛しのパパと喧嘩でもした? それならさっさと新しい恋を見つけたほうがいいよー。親父なんて臭いし、顔だってヌメヌメしてるし」

「……」

 

 芽依子はゆらりとした動作で棒手裏剣を取りだすと、それをハイビスカスへと向けた。

 

「やばっ! 助けてペコっち!」

「自業自得です。自分でなんとかしてください」

「愛を愚弄した報いですの」

「薄情者ーっ!」

 

 オレンジペコとベルガモットに見捨てられダッシュで逃げるハイビスカス。そして、それを猛スピードで追いかける芽依子。

 三式中戦車の一件以降、芽依子は気落ちした表情を見せることが多い。この合宿が少しでも彼女の気分転換になるのを祈るばかりである。

 

 本当ならまほが芽依子の問題を解決するべきなのだが、残念ながらまほにもあまり余裕がない。まほにはこの合宿でやらなくてはならないことがあるのだ。

 

「角谷会長、そろそろ到着するみたいです。準備はいいですか?」

「ばっちりだよ」

「わかりました。もしもし、こちらが誘導しますので着陸態勢に入ってください」

 

 みほはインターカムを使ってあれこれ指示を出している。仕事ができる女。今のみほの姿はまさにそれだ。

 そのとき、慌ただしく動いていたみほがなにもないところでつまずいた。

 

「わわっ!?」

「おっと! 大丈夫か?」

「ありがとう、ルクリリさん」

 

 倒れそうになったみほを助けたのはルクリリであった。このルクリリこそが今回の合宿でまほのターゲットとなる人物だ。

 

「あんまり無茶するなよ。最近のラベンダーはなんだか生き急いでるみたいで、私は少し不安になる」

「心配いらないよ。私にはルクリリさんとローズヒップさんがいるから」

「……そうか。まあ、なにかあったら遠慮なくこき使ってくれ。ラベンダーを守るのが私たちの役目だからな」

 

 仲睦まじい様子のみほとルクリリ。

 そんな二人の姿を見ていたまほの胸がキリキリと痛む。まほの中にある嫉妬心はいまだに衰えを見せない。

 ローズヒップに対する嫉妬心はすでに克服したが、ルクリリだけはダメだった。みほに優しい言葉をかけ、なにかとみほを気遣い、まるで姉のように振舞う彼女がどうしても許せないのだ。

 みほの姉は自分だというちっぽけな自尊心。これを断ち切らない限り、まほはいつま経っても弱い少女のままだ。

 

 まほがこの合宿でなすべきこと。それは弱い自分との決別。一人の少女との交流がまほのやる気を燃えあがらせていた。

 

「安斎。お前の助言、無駄にはしないぞ」

 

 

 

 

「妹の友達に嫉妬してる?」

「ああ……」

 

 二回戦終了後に行われたアンツィオ高校との食事会。まほはこの場で、アンツィオ高校の隊長であるアンチョビこと安斎千代美に自分の悩みを打ちあけた。

 まほが己の抱く嫉妬心を誰かに話したのはこれが初めてだ。友人である沙織たちには、失望されるのを恐れて今まで話すことができなかったのである。

 

「みほが……妹が誰かに取られるのを私は恐れているんだ」

「西住、今からそんなことでどうするんだ。お前の妹もいつかはお嫁に行くんだぞ。西住は妹の旦那さんにまで嫉妬するつもりか?」

 

 みほが結婚する。そんな考えは今まで一度もまほの頭に浮かんでこなかった。小さいころから西住流の修行に明け暮れていたせいで、まほは色恋沙汰には無頓着なのだ。

 

「そんなことはない……と思う」

「少し間があったのが気になるけど、まあいい。とにかく、妹さんの友達はあくまで友達であって、西住の手から妹さんを奪う泥棒猫じゃない。妹さんのお姉ちゃんはお前だけなんだ。もっと自分に自信を持て」

 

 アンチョビはまほをビシッと諭してくれる。

 彼女を相談相手に選んだのは正解だったようだ。さすがは後輩からドゥーチェと呼ばれ慕われている隊長だ。

 

「ありがとう、安斎。がんばってみるよ」

「アンチョビだ。まあ、待て。西住にはもう一つ言いたいことがある」

 

 アンチョビはコホンと一つ咳払いをすると話の続きを始めた。

 

「妹依存から脱却する一番の方法、それはずばり恋だ。西住はもっと異性に興味を持ったほうがいい」

「……恋愛のことはよくわからない」

「なら今度おススメの恋愛小説を貸してやる。西住も恋に興味をもつこと間違いなしだ」

 

 どうやらアンチョビは恋愛小説を読むのが趣味らしい。

 意外な趣味だなとまほが驚いていると、そこへ沙織が乱入してきた。

 

「なになに? 恋愛の話? ガールズトークならみんなでしようよ」

 

 恋愛に関する話はどんなささいなことも沙織は聞き逃さない。さすがは後輩から恋愛マスターと呼ばれ慕われている隊長だ。

 

「今ね、梓ちゃんたちの友達の話で盛りあがってるの」

「梓たちの友達……聖グロリアーナ女学院の一年生か?」

 

 ウサギチームのメンバーは、聖グロリアーナ女学院の一年生と仲が良い。

 みほの後輩はどんな生徒なのか。まほにとっても気になる話ではある。

 

「そうそう、聖グロリアーナの一年生。中学の学園艦で逆ハーレムを築いたモテクイーンがいるんだって」

「まるで小説か漫画の主人公みたいなやつだな。よし、私たちも参加するぞ、西住。小説よりもおもしろい話が聞けそうだ」

 

 その後、モテクイーンに加えて、年上の自衛隊員の彼氏がいる愛戦士の話でガールズトークは大盛況。まほにはピンとこないが女子高生というのは異性に興味津々のようだ。そして、おそらくそれはみほにも当てはまるだろう。

 みほに恋人ができたとき、はたして自分は冷静でいられるのか。アンチョビには先ほど否定したものの、少し不安になってしまうまほであった。

 

  

 

 

「みほに恋人ができることに比べたら、ルクリリを許容するほうが容易だ。今日でけりをつける」

 

 まほが一人そう意気込んでいると、みほたちのもとへローズヒップがやってきた。

 

「またお二人でイチャイチャしてますわね。本当はお付き合いしているのではございませんか?」

「お前もしつこいな。ラベンダー、一発ガツンと言ってやれ」

「私は……ルクリリさんならいいよ」

「は?」

 

 狐につままれたような顔で立ちつくすルクリリと微笑みを絶やさないみほ。

 ショッキングな光景を目の当たりにしたまほはその場から逃げだした。ルクリリはみほを奪う泥棒猫だったのである。

 

 

◇◇

 

 

「あ、あのなラベンダー。お前の気持ちはうれしいけど、私は女の子を恋人にする趣味はないんだ。でも安心しろ! これでお前のことを嫌いになったりはしないから」

 

 早口でまくし立てるルクリリに対し、みほはペロッと舌を出していたずらっ子のような笑みを浮かべた。

 

「ごめんね。今のはジョークなの。これが相手の心をわしづかみにする西住流ジョークです」

「ルクリリったらお顔が真っ赤ですの。言動はがさつでも心はウブなのでございますね」

「うるさい黙れっ!」

「いだだだっ! こめかみをグリグリするのはご勘弁ですわー!」

 

 三人がいつものように戯れていると大型輸送機がこちらに向かってきた。

 最強の助っ人である島田愛里寿。そして、愛里寿が手回ししてくれたサンダースの戦車隊がやってきたのだ。

 

 

◇◇◇

 

 

 ここはアンツィオ高校の学園艦。

 戦車隊の隊長である安斎千代美は自室で恋愛小説を読みふけっていた。

 この日のアンツィオ高校戦車隊は完全オフ。ノリと勢いで活きるアンツィオ高校の生徒は、毎日練習させるよりもオンオフをうまく切りかえるほうが効率が良いのである。

 

 そんな千代美の携帯電話に一通のメールが届いた。

 差出人は西住まほだ。

 

「西住からか……吉報だといいんだけどな」

 

 まほと連絡先を交換した千代美は何度かメールのやり取りをしている。

 まほは今日、嫉妬している妹の友達と会う機会があるとメールに書いていたので、このメールはそれに関してのことだろう。よい知らせを期待した千代美がメールを開封すると、そこにはこう書かれていた。

 

『安斎千代美様へ

 

 妹の友達は泥棒猫でした。

 

 今夜決着をつけます。

 

 西住まほ』

 

 メールを見た瞬間、千代美は目が点になってしまう。

 泥棒猫、今夜、決着。これらの不穏なワードに深刻な妹依存症を患っている西住まほを加えると、導きだされる答えは一つしかない。恋愛小説には付きものの修羅場だ。

 

「早まるな! 西住ーっ!」 

 

 せっかくの自由な休日であったが、のんびり恋愛小説を読む時間はここで打ち止めらしい。

 

 

◇◇

 

 

 大洗の学園艦に着艦したサンダース大学付属高校の輸送機、C-5Mスーパーギャラクシー。

 最大六輌のM4中戦車を搭載できるこの輸送機は、対プラウダ合宿作戦の重要な要素を占めている。今回行う訓練は基礎練習ではなく試合形式の実戦。多くの戦車を大洗へと運べるスーパーギャラクシーがなければ、試合自体が成り立たないのだ。

 

「残りのもう一機も間もなく到着する」

「ありがとう、愛里寿ちゃん。これで十分な練習ができるよ」

「礼ならメグミに言ってほしい。私は彼女にお願いしただけだから」

 

 愛里寿が隊長を務める大学選抜チームは副隊長格が三人おり、メグミはその中の一人である。サンダース大学付属高校出身であるメグミは、今回の作戦を円滑に進めるために尽力してくれた人物だ。

 

「うん。あとでお礼を言っておくね。姿が見えないけど、メグミさんは次の輸送機で来る予定なの?」

「それが……」

「Sorry。メグミ先輩は体調不良で今回はお休みよ」

 

 言いよどむ愛里寿の代わりに返答したのは、サンダース大学付属高校戦車隊隊長であった。この隊長の名はケイといい、一年生のときに練習試合で対戦したみほは彼女と面識がある。

 

「But don't worry。大学から戦車も借りてきたしファイアフライとナオミもいる。プラウダに引けを取らない戦力をそろえてきたつもりよ」

「ケイさん……私のわがままに付き合ってくれてありがとうございます」

「こんなの全然OKだよ。それに、悪い大人に利用されたまま終わるのはおもしろくないしね」

 

 どうやら、ケイはこちらの事情をある程度察しているようだ。

 サンダースは試合に負けたあとに必ず反省会を行う。おそらく、そのときに一回戦の通信傍受機の件が明るみに出たのだろう。サンダースほどの学校なら裏で誰が動いていたのか、おおよその見当をつけていても不思議はない。

 

「そうだ、その件であなたに会わせたい子がいるの。アリサ、Come here!」

「は、はい!」

 

 ケイが呼びだしたアリサという少女にみほは見覚えがあった。たしか一年生の時に行われたサンダースとの懇親会で、タカシという名の男子生徒と一緒にいた少女のはずだ。

 アリサはみほの前までやってくると、ビッと指を突きつけてくる。

 それでも、みほがアリサから目をそらすことはなかった。この程度で怯んでいたら西住流の後継者は名乗れない。

 

「これからは正々堂々と勝負するわ。あなたにタカシは渡さないからっ!」

「ふぇっ!?」

 

 女子の友達を渇望していたみほは男子に対しての興味が薄い。実の所、みほに熱心に話しかけてきたタカシのこともなんとなく覚えている程度であり、とくに関心はなかった。

 それなのに、なぜかアリサはみほを恋敵だと思いこんでいる。恋愛事情に疎いみほには、なにがなにやらさっぱりであった。

 

「よく言ったわ、アリサ! 恋も戦車道も負けちゃダメよ!」

「Yes ma'am!」

 

 ハイテンションの二人に圧倒され立ちつくすことしかできないみほ。愛里寿が袖をクイクイと引っぱってくれなければ、しばらくそのまま唖然としていただろう。

 

「ラベンダー、メグミは来れなかったけどアサミは次の輸送機に乗ってる。妹さんのほうは?」

「カモミールさんはもう来てるよ。アサミさんが来るのは内緒にしてある」

 

 愛里寿はみほの言葉に満足そうにうなずくと真剣な眼差しをみほに向けた。

 

「私はプラウダ対策に専念する。アサミには妹さんと喧嘩しないように言い聞かせてあるけど、もしアサミが暴走するようならフォローを頼む」

「任せて。最高の結果が得られるようにみんなでがんばろう」

 

 今回の合宿の目的は二つ。大洗がプラウダに勝てるように力を貸すこととアサミとカモミールを仲直りさせることだ。

 どちらの目的達成も一筋縄にはいかないだろうが、みほと愛里寿が手を組めばできないことはなにもない。日本を代表する戦車道の流派、西住流と島田流。その後継者の名は飾りではないのである。



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第四十六話 ラベンダーとアサミ

「敵戦車隊は北東方面に進行中。数は五輌、陣形は斜行陣を敷いています」

『了解した。全車に通達。これより作戦Aを開始する。アサミはそのまま偵察を続行。ただし、決して深追いはするな』

「心得ています。取るに足らない試合ですが、手を抜くつもりは毛頭ありません」

 

 大洗女子学園との練習試合でアサミが任された役目は、M24チャーフィー軽戦車を使用した偵察任務だ。

 アサミは大学選抜チームでもチャーフィーの車長を担当しており、偵察はお手の物。しかし、慣れ親しんだ仕事のはずなのに今日のアサミはご機嫌ななめであった。

 それも無理はないだろう。このチャーフィーの乗員は、アサミが苦手としている人物ばかりで固められているのだから。

 

「アサミさん、そういう言いかたはないんじゃないですか? 大洗のみなさんは真剣にこの試合に取り組んでいます。嫌味を言うのは淑女としてどうかと思いますよ」

「ふふっ、あなたの口から淑女という言葉が出るとは思いませんでした。ですよね、問題児カルテットのリーサルウェポンさん。あなたが淑女を語るのは百年早いのでは?」

「たしかにそうかもしれません。では訂正します。嫌味を言うのは人としてどうかと思いますよ」

 

 涼しい顔でアサミにカウンターを入れるオレンジペコ。中学生のころからアサミに反抗的な態度をとるこの少女がチャーフィーの砲手である。

 だが、苦手ではあるものの装填手席に座っている少女に比べればオレンジペコはまだましだ。

 チャーフィーの装填手はカモミールのニックネームを与えられたアサミの妹。不運なことに、アサミは一番嫌悪感を抱いている人間と同じ戦車に乗る羽目になってしまったのだ。

 

「アサミ姉さん、ペコさん、喧嘩はやめて仲良くしましょうよ。あっ! ほらほら、大洗の戦車隊が先に進んじゃいますよ」

「言われなくてもわかっています。戦車前進」

 

 嫌っている妹から注意されたアサミは表情を歪めるが、カモミールに罵声は浴びせなかった。

 カモミールと喧嘩をしてはダメ。それが愛里寿がアサミに下した命令だ。

 隊長の命令ならそれに従うまで。生真面目で上下関係を重んじるアサミは、愛里寿に逆らうようなことはしない。

 

「そろそろ大洗と囮部隊が鉢合わせします。このまま進めば愛里寿ちゃんの狙いどおりですね」

「相手は素人同然。隊長ならこの程度の予測は造作もないでしょう。あなたが隊長だったとしても、これくらいは予想できたのでは?」

「私には無理ですよ。愛里寿ちゃんだからできるんです」

 

 チャーフィーを運転する操縦手はアサミの問いかけにそう答えた。

 この操縦手のニックネームはラベンダー。今回の合宿を仕組んだ張本人であり、いろいろな噂が飛びかう戦車道界の有名人だ。

 その噂の中でもっとも有名なのが、実の姉を追いだして後釜に座った悪女というもの。アサミが初めて出会ったラベンダーに辛辣な態度をとったのも、この噂が頭の片隅にあったからだ。

 

 ラベンダーに関しては苦手というより後ろめたさのほうが大きい。

 大洗のアウトレットモールでいざこざを起こしたあの日、アサミは愛里寿からこっぴどく叱られた。驚くべきことに、聖グロリアーナの問題児トリオは愛里寿の友人だったのだ。

 知らなかったとはいえ、隊長の友人に無礼を働いてしまったのは許されない失態。誠心誠意謝ったことで愛里寿には許してもらえたが、あのときは生きた心地がしなかった。

 アサミが愛里寿の口からラベンダーの本質を聞いたのはそのときだ。彼女は姉を追放した性悪な妹ではなく、姉を守ろうとした優しい妹だったのである。

 

「あなたには謝罪しなければいけませんね。噂を真に受けてあなたとまほさんを罵倒した私が愚かでした。申し訳ありません」

「そんなに気にしないでください。私が問題児と言われているのは事実ですから。それよりカモミ……」

「止まってください。これ以上大洗を追う必要はありません」 

「は、はいっ!」

 

 チャーフィーが停車したのを確認したアサミは無線で連絡を入れる。相手は囮部隊で重要な役目を担っているハイビスカスだ。

 

「大洗が網にかかります。あとはあなた次第ですよ」

『大船に乗ったつもりでいてくださいよ、先輩。今日のあたしってばマジ絶好調だし。ありっちの期待にばっちり応えてみせるじゃん』 

「……そうですか。調子に乗って油断だけはしないでくださいね」

『オッケーオッケー!』 

  

 アサミはこめかみをひくつかせながら無線を切る。

 無線を入れたのはラベンダーとの会話を打ちきるためであったが、余計なストレスを増やす形になってしまった。堅物なアサミと俗っぽいハイビスカスの相性は最悪らしい。

 

 アサミとカモミールが同じ戦車に乗ることになったのは、おそらくラベンダーの差し金。そして、それには愛里寿も一枚噛んでいる。

 あの二人の望み。それは間違いなくアサミとカモミールの関係改善だろう。

 しかし、いくら愛里寿の願いでもこれだけは受けいれることができない。

 カモミールはアサミのプライドをズタズタに引き裂き、居場所を奪った忌むべき存在。そうやすやすと溝が埋まる相手ではないのだ。

 

 

◇◇

 

 

 武部沙織はいつも以上に緊張していた。

 すでに公式戦を二試合消化し、隊長職も板についてきた沙織。そんな沙織がなぜこれほどまでに緊張しているかというと、助言を与えてくれる西住まほが新チームの基礎練習に同行していて不在だからだ。

 ちなみに、新チームの指導にあたっているのはローズヒップとルクリリの西住流門下生コンビである。

 

「元気出してください、武部殿。西住殿の穴は私たちがカバーします」

「まほさんのようにはいかないと思いますけど、沙織さんの助けになれるように精一杯がんばりますね」

「沙織はもう一人前の隊長だ。西住さんがいなくてもやっていける」

「ありがとう、みんな。よーし、愛里寿ちゃんに勝ってまぽりんをびっくりさせよう!」

 

 あんこうチームのメンバーに励まされた沙織が意欲を燃やしていると、カメチームから通信が入った。

 

『今日はそんなに気を張らなくてもいいよー。ラベンダーちゃんも言ってたでしょ。この試合を準決勝の参考にしてくださいって』

『武部、この試合は勝てなくてもいい。プラウダ攻略の糸口さえつかめれば十分だ。そのかわり、プラウダには絶対に勝つんだぞ! 負けたら終わりなんだからな!』

『桃ちゃん、プレッシャーをかけるようなこと言っちゃダメだよ。武部さん、今日は気楽にやってね』 

 

 柚子の言葉を最後にカメチームとの通信は途絶えた。

 桃が一杯一杯になるのはいつものことだが、最近はとくにそれが目立っている。犬童芽依子が三式中戦車を降りると言ったときに、人一倍取り乱していたのも桃だった。

 準決勝が近いので気が立っているのかもしれないが、今度の相手は去年の優勝校。普通に考えれば、素人に毛が生えた程度の大洗が勝てる学校ではない。

 にもかかわらず、桃は勝つことに異常にこだわっている。なぜそこまで必死になるのか、沙織にはまったく理解できなかった。

 

『敵戦車発見! クルセイダーが一輌、シャーマンが二輌です』

 

 先頭を走るウサギチームの梓から無線が入る。

 桃がなにを考えているかはわからないが、今はこの練習試合に集中するべきだ。沙織はそう頭を切り替えると仲間たちに指示を出した。

 

「クルセイダーとシャーマンは機動力に差があるから、クルセイダー隊お得意の連携攻撃はしてこないと思う。数はこっちが有利だから、ここは正面から仕掛けるよ。全車、砲撃戦用意!」

 

 

◇◇◇

 

 

 大洗と相対しているのは、聖グロリアーナとサンダースに大学選抜の助っ人が加わった連合部隊。

 とはいえ、部隊の主力はほとんどがサンダース所有の戦車。聖グロリアーナの戦力は、ボコられグマのイラストが描かれた深緑色のクルセイダー一輌のみだ。

 ところが、連合部隊の隊長、島田愛里寿はこのクルセイダーを大絶賛。作戦Aの重要な要素を請け負う部隊の中心にクルセイダーを抜擢したのであった。

 その大事なクルセイダーを任されたのは聖グロリアーナ女学院所属の一年生。車長ハイビスカス、操縦手ニルギリ、砲手ベルガモットの三名である。

 

「あ、囮シャーマン先輩が撃破された。おーし、次は大洗を例の場所におびき寄せるじゃん」

「ここまではうまくいきましたわね。ニルギリさん、あとはお願いしますの」

「は、はい。では、後退しますね。しっかりつかまっていてください」

 

 ハイビスカスが車内に引っこんだのとほぼ同時に、ニルギリはクルセイダーを軽やかな走りで後退させた。大洗の砲撃がかすりもしないその操縦技術は見事の一言に尽きる。

 どのポジションでも難なくこなすオールマイティー選手、ニルギリ。その実力はこの試合でも遺憾なく発揮されていた。

 

「ニルっち、そんなに完璧にこなさなくてもいいよー。白旗があがらない程度にボコられたほうがありっちも喜ぶっしょ」

「島田様が喜ぶ? なぜですの?」

「クルセイダーのイラストを見たありっちの目、ものすごく輝いてたでしょ。ラベンダー様と同じ目をしてたから、ありゃ相当なボコられグマ狂いだね」

 

 ボコられグマのことになるとラベンダーは頭のネジが外れる。ラベンダーのボコられグマ好きに触れた一年生が、一時間ボコられグマ談義に付き合わされたのは有名な話だ。

 優しく聡明で面倒見の良いステキな先輩、ラベンダー。そんなラベンダーが問題児扱いされているのは、ボコられグマが原因であるというのが一年生の共通認識であった。

 

「あの短時間でよくそこまで見てましたわね」

「観察眼と洞察力には自信があるじゃん。この能力をフルに使って男の子にモテまくったからね」

「殿方を取っ替え引っ替えするのはよくありませんわ。女性は一人の殿方を愛し尽くす。それが男女の愛のあるべき姿ですの」

「ちょっち待って。ベルっちの彼氏だって女の子を二人もはべらせてるじゃん。それは問題ないわけ?」

 

 唇を尖らせて文句を言うハイビスカス。

 それに対し、ベルガモットは顔色一つ変えずにこう言い放った。

 

「優れた殿方が複数の女性を愛することになんの問題があるんですの? 姉様のご後輩のお父様は愛人が五人もいますわよ」

「その親父、いつか絶対奥さんに刺されるね。もしくは愛人が刺される」

「奥様と愛人の方たちの仲は良好ですわ。姉様が聞いた話だと、同じ家に住んで子育ても協力して行っていたそうですの」

「マジか……」

 

 ハイビスカスが絶句していると、ニルギリが申し訳なさそうに話に割りこんできた。

 

「あの、そろそろ目的地に着きますけど……」

「おっと、ごめんごめん。大洗は……よしよし、ちゃんと食いついてるじゃん」

 

 作戦が成功したことを確信したハイビスカスは無線連絡を入れる。相手は前方で待機しているシャーマン小隊のフラッグ車だ。

 

「無線傍受先輩、大洗をつれてきたよー」

『なんであんたがそのことを知ってんのよ!』

「あずっちたちが教えてくれたし」

『あいつらーっ! 今日は目に物見せてやる! あんたは念のため私の守りに入りなさい』

「了解じゃん。ニルっち、反転してシャーマンの前に出るよ」

 

 ハイビスカスの命を受けたニルギリはクルセイダーをドリフトさせ方向転換。器用にくるっと回転したクルセイダーはフラッグ車の前へと躍り出た。

 これにて作戦Aはほぼ完了。大洗が罠にかかれば、一回目の練習試合は早期に決着がつくだろう。

 

 

◇◇

 

 

『武部隊長~、ハイビスカスさんのクルセイダーがシャーマン三輌と合流しましたぁ。フラッグ車も一緒だから、梓ちゃんは突撃したいって言ってますぅ』 

 

 沙織のもとにウサギチームの通信手、優季から無線が届く。

 梓が血気盛んになるのは珍しいがその感情は沙織にも理解できる。ハイビスカスは聖グロリアーナとの練習試合で梓を負かした相手。梓がリベンジしたいと躍起になるのも当然だ。

 沙織だってあのときはラベンダーに手も足も出なかった。成長した姿をラベンダーに見せたいという思いは少なからずある。

 

「わかった。この勢いに乗って短時間で決着をつけよう。全車、突撃!」

 

 沙織は全車輌に号令をかけるが、すぐにその判断が誤りだったのを思い知らされることになる。

 まるで大洗が前がかりになるのを見越したかのように、シャーマンの後方から見覚えのない戦車が突然三輌現れたからだ。

 

「なにあれっ!? シャーマンじゃないよ!」

「あれはM26パーシング! アメリカがティーガーに対抗するために開発した重戦車ですよ」

 

 優花里が即座に戦車の名前を教えてくれるが、今はそれに感心している場合ではない。

 

「なんでそんな戦車がいきなり出てくるの? 全国大会にはいなかったじゃん!」

「ラベンダーさんは大学選抜チームから助っ人が来ると仰っていました。あの戦車もそうなのでは?」

 

 たしかに華の言うとおり、ラベンダーはそんなことを言っていた。助っ人というのは人員だけだと思っていたが、ラベンダーは戦車まで手配していたらしい。

 

「この先は坂が連続して見通しが悪いエリアだ。連中は坂の下に隠れていたんだろう」

「M26は坂道を登るのが遅い。最初からここで待ち伏せしていたと考えるのが自然ですね」

「もしかして、これって罠!?」

 

 大洗五輌に対し、聖グロサンダース連合は七輌。しかも重戦車のオマケつき。

 沙織たちが見事に釣られたのは明らかである。

 

「沙織さん、どうします? フラッグ車を狙いうちしますか?」

「ううん、ここはいったん後退しよう。後ろは塞がれてないからまだ退路は……」

 

 沙織は最後まで指示を言いきることができなかった。聞きおぼえのある砲撃音があたり一面に響いたからだ。

 

『やられたー』

 

 杏の緊張感の薄い声が無線から聞こえてくる。

 沙織がキューポラから身を乗りだして確認すると、最後尾の38(t)から白旗があがっていた。今日の試合で使用されているのは練習弾だが、ダメージ判定は試合とほぼ同じ。白旗があがれば即失格である。

 

「今のって、もしかしなくてもファイアフライの17ポンド砲?」

「ですね。どうやら我々は袋のネズミみたいです」

 

 優花里の言葉どおり、後方からファイアフライと一輌のパーシングがこちらに迫ってくる。そのパーシングのキューポラから顔を出しているのは、サンダース大学付属高校隊長、ケイ。

 パニック状態の沙織が当然勝てる相手ではなく、一回目の練習試合は大洗の完敗で幕を閉じるのであった。

 

 

 

 

 今日の練習試合はインターバルを置いて二回行われる。大洗の戦車隊と戦闘を行った部隊は戦車の点検や補給などでてんてこ舞いだ。

 そんななか、みほたちのチャーフィーは燃料の補給をさっさと終え、すぐに持ち場へついていた。極力無駄をなくし与えられた役割を正確に実行する。遊び心がいっさいないやり方はいかにも生真面目なアサミらしい。

 しかし、みほにはアサミとカモミールを仲直りさせるという目的がある。このまま素直にアサミに従っているわけにはいかない。

 

「次の試合が始まるまでまだ時間がありますから、少し休憩しましょう。カモミールさん、お茶の準備をお願いね」

「はいっ! お任せください」

 

 ティータイムを大事にするのは聖グロリアーナ女学院の伝統。OGであるアサミはそれを咎めることはできないだろう。 

 カモミールが紅茶を用意すればアサミに直接手渡すことになる。この程度で二人が仲良くなるなどと楽観視はしていないが、言葉を交わす機会ぐらいは作れるはずだ。

 だが、そんなみほの淡い期待はオレンジペコが待ったをかけたことでもろくも崩れさった。

 

「カモミールさんはラベンダー様の紅茶を用意してください。アサミさんのは私が用意します」

「ほほう、リーサルウェポンさんが私に紅茶をいれてくれるんですか。これは毒を盛られないように見張っておく必要がありそうですね」

「安心してください。今日お出しするのは普通のレモンバームティーですから。アサミさんのように年中イライラしているかたにぴったりのハーブティーですよ」

 

 もしかすると、アサミとオレンジペコを仲良くさせるほうが難しいかもしれない。この二人の関係はまさに水と油だ。

 

 本来の計画では、チャーフィーの砲手はベルガモットに担当してもらう予定だった。

 ベルガモットはアサミが慕っていたウバの妹。チャーフィーの砲手にこれほど適した人物はほかにいないだろう。

 ところが、アサミのことをリサーチしてきたみほの計画はオレンジペコによって頓挫した。オレンジペコは搭乗する戦車をベルガモットと交換し、アサミの前に立ちはだかったのだ。

 おそらく、オレンジペコはカモミールをアサミの魔の手から守るつもりなのだろう。友情に厚いオレンジペコの姿が見れたのはうれしく思うが、できればもっと違う場面で発揮してもらいたかった。

 

「そ、そういえば! 愛里寿さんの作戦は見事でしたよね。私たちが苦戦した大洗にあっさりと勝っちゃうなんて、本当にすごいです」

「あれは隊長の考えた作戦ではありません。隊長は他人の作戦を完璧に再現しているだけですから。そうですよね、ラベンダーさん」

 

 カモミールの話にすぐ反応したのはアサミであった。

 先ほどの愛里寿の作戦はプラウダ高校の数ある戦術の一つ。アサミの言ったとおり、愛里寿はカチューシャの作戦をなぞっているにすぎない。

 

 大洗の生徒にカチューシャの戦いかたを肌で感じてもらう。それがみほの考案した対プラウダ合宿作戦の全容。

 とはいえ、みほ一人ではこの作戦は実行できなかった。ここまでこぎつけられたのは友人たちの協力があってこそだ。

 プラウダの戦術を詳細にまとめてくれたのは、練習試合でプラウダ高校と幾度となく対戦していたエリカ。プラウダの作戦を急造チームで実行するのは、大学選抜チームという名の混合部隊を率いている愛里寿。この作戦はみほと友人たちが力をあわせて完成させたものなのである。

 

「ああ、勘違いしないでください。隊長があなたに手を貸すと決めたのなら、私はそれに従うまでです。あなたがなにを企んでいようと、文句を言うつもりはありません」

 

 みほがどう返答するか考えを巡らせていると、アサミが先に言葉を投げかけてきた。

 アサミは愛里寿の命令には絶対に逆らわない。とある人物が教えてくれたアサミ情報にはこのような話もあったが、どうやらそれは事実のようだ。

 

「企む? ラベンダー様が? アサミ姉さん、またラベンダー様のことを悪く言うんですか……」

 

 カモミールは悲しそうな顔でアサミを非難するような言葉をつぶやいてしまう。   

 アサミが再び凶行に走るのではないか。そんなネガティブな思考が一瞬頭をよぎったみほであったが心配は無用だった。

 アサミは暴力に訴えるのではなくひたすら深呼吸を繰りかえしている。アサミはアサミなりの方法で怒りを我慢しているのだろう。

 

「先ほどは失礼しました。発言を撤回します」

 

 愛里寿はこの日のためにアサミと話し合いを複数回行ったと語っていた。アサミがカモミールに手を出さなかったのは愛里寿の努力が実を結んだ結果だ。

 愛里寿は対プラウダ合宿作戦でもきっちり結果を出しているのだから、みほも負けてはいられない。目指すはみんなが笑顔になれるハッピーエンド。それを実現させるために、みほは今一度気合を入れなおすのであった。

 

 

◇◇

 

 

『こちらアヒル。クルセイダー一輌とシャーマン二輌を発見。一試合目とまったく同じ場所に陣を敷いています』

 

 沙織に連絡を入れてきたのはアヒルチームの車長、磯辺典子。

 一試合目で不覚をとった沙織はアヒルチームを偵察に回し、まずは相手の出方を伺うことにしたのである。

 

「布陣を変えてないってことはさっきと同じ作戦なのかな? みんなはどう思う?」

「こちらの裏をかいて別の作戦を展開している可能性もありますし、この情報だけでうかつに行動するのは危険ですね」

「だが、いつまでも動かなければじり貧になるだけだぞ」

「愛里寿さんは作戦立案能力に長けているようですから、それ相応の手を打ってくるかもしれませんね」

 

 あんこうチームのメンバーがそれぞれ意見を述べる。その意見を踏まえ、沙織は一つの決断を下した。

 

「クルセイダーを無視して別ルートを進もう。アヒルチーム、今度は西側の偵察をお願い」

『了解しました!』

 

 アヒルチームを先行させて細心の注意を払いながら進軍する。沙織は方針をそう定めると待機している仲間たちに命令を飛ばした。

 

「今度はアヒルチームの情報を逐一確認しながら慎重に進むよ。戦車前進。全車、あんこうチームのあとに続いて!」

 

  

 

 索敵が功を奏したのか、それからしばらくは順調な進軍が続いた。

 もしかしたら、聖グロサンダース連合は作戦を変えていないのかもしれない。配置が前回と同じなら、うまく進めばフラッグ車の背後を突けるだろう。

 沙織がそんなことを考えていると、アヒルチームから通信が入った。

 

『武部隊長、パーシングが一輌前方に陣取っています。車長は……島田愛里寿です!』

「愛里寿ちゃん!? さっきの試合で姿が見えなかったけど、こんなところにいたんだ……」

 

 部隊の指揮をとるべき隊長が一人離れて別行動。天才の考える作戦は沙織の想像をはるかに超えているようだ。

 

『おい、武部。隊長が一人だなんてどう考えても罠だ。ここは撤退しよう』

 

 桃にしては珍しくまともな提案である。普段は試合になると冷静さを欠いてわめき散らすので、桃の発言はあまり当てにならないのだ。

 

『待ってくれ。見方を変えればこれはチャンスでもある。隊長を撃破できれば敵は間違いなく浮足立つ』 

『大将を失った部隊がもろいのは歴史が証明しているぜよ』

『桶狭間の戦いも義元公が討ち取られたことで今川軍は敗北した!』

『武部隊長、ここで一戦交えてみるのはどうだろうか?』

 

 カバチームのメンバーが一通り意見を出し、最後にリーダーのカエサルが沙織に提案を持ちかけた。

 たしかに敵隊長を撃破できれば試合を有利に進めることができる。しかし、相手は天才少女の呼び声高い島田愛里寿。そう都合よく勝てる相手ではないだろう。

 ところが、カバチームの提案にほかのチームは乗り気なようであった。

 

『私たちはカバチームの先輩たちの意見に賛成です』

『大丈夫ですよ、武部隊長。根性があればなんでもできます!』

『明日も練習試合はあるんだし、島田ちゃんの実力を測っておくのはありかもね』

 

 結局、沙織は仲間たちに押し切られる形で愛里寿と戦うことになった。

 その結果はというと――

 

『ウサギチーム、走行不能! 武部隊長、すみません!』

「武部殿、これで残るは我々だけです……」

「やっぱり罠だったじゃない! もぉーやだー!」

 

 後悔しても後の祭りだ。愛里寿に軽々しく手を出した時点で大洗の負けは確定していたのである。



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第四十七話 それぞれの思惑

 日本有数の貿易港である横浜港。三連休初日のこの日、横浜港にはひときわ大きな船舶が停泊していた。数多のお嬢様を乗せた聖グロリアーナ女学院の学園艦が帰港したのである。 

 

 長い船旅から帰ってきた生徒たちがまず最初に行うのは、やはり実家に帰ることだろう。

 淑女を目指す聖グロリアーナ女学院の生徒は、その辺にいる高校生より精神的に成熟している。それでも、家族と離れて寂しいと思う気持ちは普通の子と変わらない。女の子ならそれはなおさらだ。

 

 町は家族との再会を喜ぶ声であふれ、いつもより優しい雰囲気に包まれているように感じられる。そんな中、山手にある洋風の豪邸で一人の少女がため息をついていた。

 少女のニックネームはダンデライオン。クルセイダー隊の元隊長で、現在はクルセイダーMK.Ⅱの車長としてラベンダーを支える高校三年生だ。

 

「はぁー、あたしが帰ってきたっていうのにお迎えがお姉だけなんて……。最近、あたしの扱いが軽くなってる気がします」

「しょうがないでしょ。お母さんたちは前々からこの連休に旅行へ行く予定があって、ユミ姉はその付き添い。お父さんは支援者へのあいさつ回りで忙しくて、兄さんたちはその手伝い。私がいるだけでも感謝しなさい」

「むぅー」

 

 紅茶が置かれている丸テーブルの上で頬杖ついてふてくされるダンデライオン。お出迎えにキクミしかこなかったのが相当こたえたらしい。

 

「なんで家に帰ると昔のわがまま娘に戻っちゃうかなー。そんなことだと、いつか学校でも失敗してあのラベンダーって子に笑われちゃうよ」

「……そういえば、お姉はラベンダーちゃんとネットでやり取りしてましたね。どんな話をしたんですか?」

 

 学園艦が帰港する少し前に、ダンデライオンはラベンダーからキクミの連絡先を教えてほしいと相談された。

 かわいがっている後輩のお願いを断るわけにはいかない。ダンデライオンはすぐさまキクミと連絡をとり、インターネット電話サービスのユーザー名とメールアドレスを聞きだして、それをラベンダーに教えたのだ。

 

「アサミの話が聞きたいっていうから、私の知ってることをいろいろ話してあげたよ」

「アサミって、お姉の友達のアサミさんですか?」

「そう、そのアサミ。私の高校時代の親友で、お互い妹のことで悩みを抱えていた似た者同士。思いだすなー、わがままで高慢ちきなあんたをどうすれば更生させられるのか悩んだ日々を……」

「うぐっ。その話はやめてください。耳が痛いです」

 

 今でこそ少し子供っぽい以外は欠点がないダンデライオンだが、昔は問題児カルテットをはるかにしのぐ問題児だった。

 ダンデライオンの最大の問題点。それは蝶よ花よと大事に育てられたせいで、超絶わがままな性格になってしまったこと。取り巻きを作って威張り散らしていたあのころは、ダンデライオンにとっても忘れたい過去である。

 

「それにしても、聖グロリアーナに入学しただけで、よくここまで真人間になれたね。しかもたった半年足らずで。私は最初、あんたの中身が転生者に入れ替わったのかと思ったよ」

「そんな小説みたいな話があるわけないじゃないですか。アールグレイ様の熱心な指導を受けて、あたしは生まれ変わったんです」

「アールグレイ……あー、あの子か! なるほどね。OG会すら牛耳ろうとしているあの子なら、それぐらいはやってのけても不思議はないか」

 

 両腕を組んでうんうんと頷くキクミ。アールグレイの聖グロリアーナ女学院強化計画はどうやら順調に進んでいるらしい。

 

「ところで、アサミさんが悩んでいたっていうのは、やっぱりカモミールちゃんのことですか?」

「正解。アサミには妹が五人いるんだけど、ほとんどの子がアサミを嫌っててね。そんな妹たちのまとめ役が次女のカモミールってわけ。アサミは次女が姉の立場を奪ったって憤慨してたよ」

「カモミールちゃんはそんな悪い子じゃありません。アサミさんの逆恨みですよ」

 

 明るく素直なカモミールは人を陥れるような子ではない。それにカモミールはダンデライオンのお気に入りの後輩、ラベンダーが操るクロムウェルの搭乗員だ。アサミが悪いとダンデライオンが断言するのは至極当然であった。

 

「だろうね。アサミはしつけが厳しかったから、嫌われるのは必然だったんだよ。カモミールは妹たちを慰める役割に回っているうちに、いつのまにか姉妹の中心に収まっちゃったんだと思う」

「お姉は注意しなかったんですか? アサミさんが間違ってるって」

「一応したけど、妹にナメられてた私がたしなめても聞く耳なしだったよ。ウバ様の言うことはわりかし聞いてたんだけど、一年でいなくなっちゃったからなー」

「うっ……ごめんなさい」

 

 もしキクミがアサミを矯正できたら、カモミールはつらい思いをしなくて済んだのではないか。ダンデライオンだって同い年のライバルのダージリンから強い影響を受けたのだ、あり得ない話ではないだろう。

 ダンデライオンがわがまま放題だった結果、後輩のカモミールにしわ寄せが及んでしまった。それを考えると申し訳ないと思う気持ちがふつふつと湧いてくる。ダンデライオンの謝罪はキクミとカモミール、二人に向けてのものだった。

 

「本当、あんたがいい子になってくれてお姉ちゃんはうれしいわ。この、このっ!」

「ふわぁぁっ!? せっかく前髪かわいくセットしたのにぃー! ふぇぇん、やめてぇ!」

 

 ダンデライオンはキクミに前髪をくしゃくしゃにされてしまう。しかし、口では文句を言いつつも嫌な気持ちはまったくしなかった。こんな気持ちになれたのは、聖グロリアーナで少しだけ大人になれたからだろう。

 ダンデライオンは、自分を変えてくれたアールグレイとちょっぴり意地悪な同級生に、心の中で感謝するのであった。

 

 

◇◇◇

 

 

 休日のラフな格好から、漆黒のマントとドリルツインテールが特徴の総帥アンチョビにチェンジした安斎千代美。

 アンチョビが西住まほの暴挙を止めるために向かったのは休日の学校。ところが、休みで生徒がいないはずの校内は大勢の人でにぎわいを見せている。アンツィオ高校はイタリア風の建造物やイタリアの有名な観光名所を模した施設が多数あり、休日は観光客が訪れる人気スポットになっているのだ。

 

 そんな観光客には目もくれず、アンチョビはずんずん先へ進んでいく。

 目指す先はアンツィオ高校の生徒が屋台を開いている一角。懐事情が厳しいアンツィオ高校は部活や必修選択科目に予算はかけられない。なので、生徒たちは商売をして地道に活動費を稼いでいるのである。

 アンチョビはその中にあるパスタ屋の前で歩みを止めた。ここでパスタを作っている黒髪ショートヘアーの少女に用があるのだ。

 

「あれ? 姐さんじゃないッスか。手伝いに来てくれたんスか?」

「悪いが今日はそれどころじゃないんだ。頼むペパロニ、力を貸してくれ」

 

 アンチョビはまほと連絡を取ろうと試みたが、何度コールしても電話はつながらなかった。こうなったら、直接大洗女子学園に乗りこんでまほを止めるしかない。そう決断したアンチョビが助力を頼んだのが、戦車道チームで副官をしているこのペパロニである。

 明朗快活、単純明解を地でいくペパロニは友人が多く、交友関係も幅広い。大洗女子学園とつながりがある友人が一人や二人いても不思議はないだろう。一刻も早く大洗女子学園に向かいたいアンチョビは、ペパロニの顔の広さに賭けたのだ。

 

「話はわかったッス。姐さんが求めてる条件にぴったりの奴がいますよ」

「本当かっ!?」

「姐さんに嘘なんてつきませんよ。あそこでアイスを売ってる奴に頼めば、大洗までひとっ飛びッス。おーい、(まい)ー!」

 

 アンチョビから事情説明を受けたペパロニは、大声で近くの屋台でアイスを売っている少女に声をかけた。すると、アイス屋から小走りで一人の少女がやってくる。茶髪のショートヘアーを七三分けにし、大きな丸眼鏡をかけた、どこにでもいるごく普通の少女だ。 

 

「なーに? 私のこと呼んだ?」

「舞の腕を見込んで頼みたいことがあるんスよ。ここにいるアンチョビ姐さんを大洗女子学園に連れて行ってほしいんだ」

「楓の学校に? 話が全然見えないんだけど……」

 

 ペパロニが結論から入ったせいで舞と呼ばれた少女は小首をかしげている。ペパロニは行動力があるかわりに、頭を使って物事を考えるのが不得手であった。

 このままでは貴重な時間を無駄に過ごしてしまう。そう結論付けたアンチョビは、本日二度目の事情説明をすることにした。

 

「うーん、協力してあげたいのはやまやまなんだけど、今日はもっとアイスを売りたいんだよね。ほら、うちもそんなにお金の余裕ないし」

「そこをなんとか頼む。友人を犯罪者にしたくないんだ」

 

 アンチョビはまほと正式に友達になったわけではない。それでも、アンチョビの中ではまほはすでに友達だった。悩み相談を受けて連絡先も交換したのだから、まほもきっとそう思ってくれているはずだ。

 友人が罪を犯すならそれを止めるのが真の友。だからこそ、アンチョビはここで引きさがるわけにはいかなかった。

 そんなアンチョビの思いを神様はしっかりと汲んでくれた。金髪ロングヘアーの救いの女神をこの場に派遣してくれたのだ。

 

「アイスは私が売ります。それなら問題ないでしょ?」

「カルパッチョ!? どうしてここに?」

「今日は午後からペパロニの手伝いをする予定だったんです。統帥、この場は私に任せてください」

 

 カルパッチョは戦車道チームのもう一人の副官。ペパロニと違って頭が切れるので、安心して仕事を託せる隊員だ。

 

「カルパッチョが手伝ってくれるんなら、まあいいかな。大洗女子学園に通ってる妹と連絡を取るから、ちょっと待ってて」

 

 携帯電話を取りだし少し離れた場所で通話を始める舞。

 アンチョビが祈るような気持ちで舞の後姿を見つめていると、数分もしないうちに舞は戻ってきた。どうやら話はすぐにまとまったようだ。

 

「大洗女子学園に潜入する手引きは妹の楓がしてくれるんだけど、楓はアンチョビさんにお願いしたいことがあるみたい」

「交換条件というわけだな。わかった、なんでも言ってくれ」

「楓のお願いはアンチョビさんへのインタビューです。楓は放送部に所属してるんだけど、大洗女子学園で話題の的になってる戦車道の情報を欲しがってるの。二回戦の対戦相手だったアンチョビさんはうってつけの取材対象なのよ」

「そんなことならお安い御用だ。どんな質問にも答えてやる」

 

 アンチョビの発言は誇張でもなんでもない。秘密兵器のP40を投入して敗退したアンツィオ高校に隠すことは何もないのだから。

 

「舞は私に頼むことはないのか? お金以外のことなら力になるぞ」

「私はとくにないです。みんなでお金を貯めて購入した水上機の飛行試験ができる、いいチャンスだしね」

「水上機? あっ! もしかして舞は……」

 

 舞があの学科の生徒だとしたら、ペパロニがひとっ飛びと言ったのも納得がいく。あの言葉は大げさな発言ではなく、そのままの意味だったのだ。 

 

「自己紹介がまだでしたね。航空科二年生、三郷舞です。アンチョビさん、Ro.43の長距離飛行試験に付きあってもらいますよ」

 

 

◇◇

 

 

 ルクリリは練習試合には参加せず、新チームに基礎を教える役に回った。

 まだ日が浅いとはいえ、ルクリリは日本一の戦車道流派、西住流の門下生。さらには、ラベンダーの母で師範でもある西住しほから徹底的なしごきを受けている。素人に戦車道の基礎を一から教えることなど朝飯前であった。

 とはいえ、しほのように鬼訓練を課すことはしない。あれと同じ訓練を施してしまうと、新人が一日で逃げだしてしまう可能性が高いからだ。ルクリリがあのしごきに耐えられるのは、ひとえにラベンダーとの友情が成せる業である。 

 

 そんなルクリリが担当するのは、三式中戦車に搭乗するネットゲーマーチームことアリクイチームだ。すでに戦車の動かしかたに関しては指南済みであり、訓練は砲撃の練習に入っている。三式中戦車は五人乗りなので、ルクリリは戦車に乗りこんで直接指導を行っていた。

 

「砲撃は停止してから撃つのが基本ですわ。移動中の射撃はほとんど当たらないと思っていたほうがいいわね」

「聖グロって行進間射撃が持ち味じゃないの? ネットにはそう書いてあったけど……」

 

 アリクイチームのリーダー、ねこにゃーの質問にルクリリは思わず苦笑いしてしまう。

 ルクリリの教えは聖グロリアーナのやりかたを否定しているのだ。もしこれがOG会に知られたら大ヒンシュクを買ってしまうだろう。

 

「今の私は西住流の人間だからこれでいいのよ。聖グロリアーナの戦いかたは新人にはおススメできませんの。さあ、余計な話はやめて訓練に集中しましょう。ぴよたんさん、装填は終わりましたか?」

「なんとか終わったずら」

「あなたは筋力をつけたほうがいいですわね。装填に時間がかかりすぎると、砲撃戦が始まったとき不利になりますわ」

「筋トレ……自信ないぴよ」

 

 ぴよたんはしょんぼりした様子でうつむいてしまう。どうやら彼女は運動が得意ではないらしい。

 

「ボクもトレーニングするにゃ! 一緒にがんばろう」

「私もやるなり!」

 

 ぴよたんを励ますようにねこにゃーとももがーが声をかける。三人はチームワークの点では問題ないようだ。

 

「トレーニングといっても無理する必要はないわ。筋力を少し増やして装填時間を短縮できればそれで十分よ」

「わかったっちゃ。教官、私がんばるぴよ!」

「それだけ元気なら心配いらないわね。次は実際に砲撃よ。しっかり的を狙ってくださいまし。ももがーさん、砲撃が終わったらすぐに移動するのを忘れないように」

「了解したもも!」

 

 その後、訓練は何事もなくスムーズに進んだ。ルクリリが想定していたより三人のやる気が高かったのは、うれしい誤算である。

 

「戦車道で大事なのは攻撃だけじゃありませんわ。相手の攻撃をいかに防ぐかも重要な要素よ。三式中戦車の装甲はそれほど厚くないけれど、いざとなったら身を挺してフラッグ車を守ることも求められるわ」

「味方の盾になって散る。かっこいい最後だにゃ」

「教官は良いこと言うっちゃ」

「西住流一の守備職人なり」

 

 守備を褒められるのは素直にうれしかった。守備的な戦いかたに関してだけは、ラベンダーにも負けていないという自負がルクリリにはある。

  

「そんなに褒めるなよ、照れちゃうだろ。まあ、私の守備能力の高さは西住師範のお墨付きだからな」

 

 ここまで上品なお嬢様をうまく演じてきたルクリリであったが、ついにボロが出てしまった。

 急にルクリリの口調が変わったことで、アリクイチームの三人は目を白黒させている。それを見たルクリリの顔は徐々に赤くなっていった。穴があったら入りたいとはまさにこのことだ。

 

「コホン。今のように気を抜いてはダメよ。戦車道は油断大敵ですわ」

 

 ルクリリがそう取り繕っていると、まほから訓練終了の連絡が入った。気まずい空気を打破できる実にグッドなタイミングである。しかし、このまほの無線連絡こそがルクリリの身に降りかかる災いのスタートだった。

 

 

 

「ルクリリ、一つ質問してもいいか?」

「私にですか? 訓練に問題はなかったはずですけど……」

 

 訓練終了のあいさつが終わったあと、ルクリリはまほに呼びとめられた。表情に変化はないが、まほは不機嫌そうな気配を漂わせている。

 もしかしたら、なにか訓練でミスをしてしまったのかもしれない。だが、ルクリリが思い返してみてもとくに目立った失敗はなかった。あえて挙げるなら最後に地が出てしまったことくらいだ。

 

「訓練に不満はない。今からする質問は個人的なものだ。君はみほと接するときと私に接するときで口調が違う。これには何か理由があるのか?」

 

 ルクリリが地を出すのは友達と気をつかわなくてもいい相手のみ。それ以外の人物と接するときはお嬢様言葉を使うように心がけている。

 ルクリリは淑女になるために聖グロリアーナ女学院に入学したのだ。がさつな性格はできるだけ表に出したくないという思いは当然ある。

 まほはそんなルクリリの見栄っ張りなところが気に食わないのかもしれない。とはいえ、それを変えることはできないだろう。ダージリンのような完璧なお嬢様になるのは、ルクリリにはハードルが高すぎた。

 

「私にはこれが限界なのですわ。()()()()の機嫌を損ねたのなら申し訳……」

「誰が()()()()()だっ!」

 

 まほが突然怒りだしたことにルクリリは面食らってしまう。いったい何がまほの癪に障ったのか、ルクリリには見当もつかなかった。

 

「そこの二人、喧嘩は風紀違反よ。これ以上続けるなら自習室に連行するわ」

「お二人が喧嘩なんてしたらラベンダーが悲しみますわ。お願いだから矛を収めてくださいまし」

 

 園みどり子とローズヒップの制止の声が効いたのか、まほはバツの悪そうな顔で黙りこんでしまう。その姿は初めて先生に叱られた子供のようであった。

 さすがにこれはかわいそうだと思ったルクリリは、まほを擁護することにした。ルクリリは弱っている子を見ると放っておけない性分なのである。

 

「私は気にしておりませんわ。虫の居所が悪い日は誰にでもありますし」

「……すまない」

 

 ルクリリに向かって深々と頭を下げるまほ。

 これでこの話はおしまいだろう。ルクリリがそう安堵していると、まほがいきなりとんでもないことを言いだした。

 

「お詫びと言ってはなんだが、ルクリリの背中を流させてくれないか?」

「えっ!? いやいや別にそんな……」

「入浴の時間は私たちが一番先だったな。では、さっそく向かうとしよう」

 

 ルクリリはまほに腕をむんずとつかまれ、問答無用で引きずられていく。西住流の元後継者だけあって、その力はルクリリが振りほどけるようなものではなかった。

 

「背中の流し合いっこができるなんて、これはもうお二人が仲良くなった証拠ですわ。よかったですわね、ルクリリ」

「よくなーいっ!!」

 

 夕暮れの校庭にルクリリの叫びがむなしく響く。ルクリリの苦難はこれからが本番のようだ。

 

  

 

 

 一日目の訓練が終了し入浴の時間となった。しかし、今回の合宿は大勢の人間が参加しているので全員一緒には入れない。その問題を解消するために採用されたのが、グループを三つに分けて順番に入浴する案だ。

 先ほどルクリリを見送ったローズヒップは一番目のグループに入っている。しかし、ローズヒップはゆと書かれたのれんの前でお風呂セット片手に待機中だった。待ち人が来るまでここで待つのも作戦の一環なのである。

 そんなローズヒップのもとに、同じようなお風呂セットを手にしたラベンダーがやってきた。

 

「ローズヒップさん、遅れてごめんね。待たせちゃったかな?」

「こんなの待っているうちに入りませんわ。それと、ルクリリはラベンダーのお姉様に連れられてもう入場してますわよ」

「お姉ちゃんがルクリリさんと? 急にどうしたんだろう?」

「お二人は仲良しになったのですわ。だからなにも心配はいりませんの。それより、例の計画はうまくいったのでございますか?」

 

 入浴のグループ分けはラベンダーが考えた。目的はもちろんカモミールとアサミを同じグループにすることだ。

 

「ばっちり。アサミさんも渋々だけど了承してくれたよ」

「そいつは重畳ですわ。おっ、『噂をすれば影がさす』。アサミ様がやってきましたわよ」

 

 アサミを含む一番目グループがラベンダーのあとから続々とやってきた。

 その顔ぶれはというと――

 

「あっ、ローズヒップ様じゃん。チーッス!」

「ルクリリ様は一緒ではないんですね」

「カモミールさん、大浴場でも私からできるだけ離れないようにしてください」

「ありがとうございます、ペコさん。でも、私はもう大丈夫です。なにがあっても挫けませんよ」

「お二人の麗しい友情は素晴らしいですわ。これは友情という名の愛ですの」

 

 ラベンダーが一番目のグループに選んだのは聖グロリアーナ女学院の一年生たちだ。まあ、カモミールは必須なのでごく自然な人選ではある。

 もう一人の重要人物であるアサミは一年生たちの後ろを一人で歩いていた。とても居心地が悪そうだが今は我慢してもらうしかない。

 ちなみにB1bisのカモチームと三式中戦車のアリクイチームもグループは一番目。だが、彼女たちは計画に関与していないので先に入場してもらった。

 

「これで全員そろいましたわね。ではみなさま、ささっと入浴を済ませますわよ。もたもたしてるとあとのグループの方々の迷惑になりますわ」

 

 ローズヒップのこのセリフは事前にラベンダーと打ち合わせていたもの。迷惑になるという言葉を使えば、生真面目なアサミはみんなと一緒に入らざるを得ないだろう。

 あとは、お風呂で少しずつアサミとカモミールの距離を詰めていけばいい。ラベンダーが逸見エリカと仲直りするために行ったお風呂で裸の付き合い作戦。ローズヒップとラベンダーは、成功に終わったあの作戦の再現を狙っているのだ。

 

 ところが、着替えの最中にあるハプニングが起こった。今まで無言だったアサミがカモミールに食ってかかったのである。

 

「その下着の色はなんですか! 私はあなたをそんな遊び人に育てた覚えはありませんよ」

「ごめんなさい! やっぱりいけないですよね。だから怒られるって言ったんですよ、ハイビスカスさん」

 

 カモミールの下着の色はまさかの黒。しかし、今のカモミールの口ぶりからすると、この件にはハイビスカスが深く関わっているらしい。

 

「えー、あたしはいいと思うけどなー。ちっちゃいカモっちがセクシーな黒下着。これがギャップ萌えってやつだよ」

「あなたの仕業ですか……。よくも私の妹を不良にしてくれましたね。このビッチ!」

「ビッチじゃないし! あたしまだ処女だし!」

「嘘をつかないでください。あなたが私と同じだなんて、そんなことあるわけないじゃないですか!」

 

 自分が処女だとぶちまけたあと、アサミは急に静かになった。どうやら、自分が相当恥ずかしい発言をしたことに気がついたらしい。

 雲行きが怪しくなったのを察したローズヒップは、アサミをフォローすることにした。この状態で放置するとアサミがカモミールに危害を加えかねない。

 

「アサミ様、安心してくださいまし。わたくしもバージンですの。淑女を目指す聖グロリアーナの乙女は簡単に体は許しませんわ。そうでございますよね、みなさま!」

 

 処女であることを告白し、みんなに同意を促すローズヒップ。少々恥ずかしいがこれもカモミールのためだ。 

 

「わ、私も……しょ、処女です!」

 

 まっさきに追随してくれたのはラベンダーであった。さすがは大親友。ローズヒップとラベンダーの意思疎通には一片の淀みもない。

 とはいえ、その代償は大きかったようだ。ラベンダーの顔は耳まで赤くなっており、潤んだ瞳は今にも涙があふれそうになっている。

 

「もちろん私もです。アサミ姉さん、私は不良になんてなってませんよ」

「わわわ、わた、わた、私は……」

「ニルギリさん、無理に答えなくてもいいですよ。あ、私はノーコメントでお願いします」

 

 カモミール以外は処女宣言をしていないが、まあ二人とも間違いなく生娘だろう。ニルギリは言わずもがな。オレンジペコもほんのり頬が赤くなっており、動揺を隠せていないのは丸わかりだ。

 その一方でいっさい感情を乱していない人物が一人いた。愛という言葉に人一倍敏感な少女、ベルガモットである。

 

「私の答えはみなさんのご想像にお任せしますわ。日ごろの行いで判断してくださいませ」

 

 ローズヒップは普段のベルガモットを思い返してみた。

 礼儀作法や言葉づかいは問題ない。しっかり気配りもできるし、余裕を感じさせる上品な物腰はオレンジペコにも匹敵する。その反面、愛というワードが絡むと制御不能の暴走機関車になってしまう。恋人がいるベルガモットの愛に対するこだわりは半端ではなく、注意を促した教育係に愛の大切さを逆に説くほどであった。

 それを踏まえて判断すると答えはおのずと決まってくる。あのベルガモットが恋人と何もしないというのは考えられない。むしろ最後までやったと考えるほうが自然だろう。

 

 そう思ったのはローズヒップだけではなかったようで、アサミ以外はみんな顔を赤くしている。ニルギリなんて今にも煙を吹いて倒れそうだ。

 

「あ、あなたたち、学園の風紀をなんだと思ってるのよ! 全員自習室送りにしてやるー!」

 

 激怒しながら現れたのは、バスタオルを体に巻いたカモチームの園みどり子だった。肌がしっとりしているところを見ると、風呂上がりの着替えの最中に今の話を聞いてしまったようだ。

 

「そど子、こんなところで騒いだら風紀違反になっちゃうよ」

「落ちつけ」

 

 カモチームの残りのメンバー、後藤モヨ子と金春希美がみどり子を止めに入った。すべてを有耶無耶にして逃げるなら今しかない。

 

「みなさま、今のうちに大浴場へゴーですわ!」

 

 ローズヒップのその言葉を皮切りに、その場にいた面々はそそくさと大浴場へ向かっていく。ローズヒップもぱぱっと裸になって頭にタオルを巻くと、右手はカモミールの腕、左手はアサミの腕をそれぞれ手に取った。 

  

「ほらほら、お二人とも。のんびりしてると風紀委員に捕まってしまいますわよ」

「わわっ! 待ってください、ローズヒップ様」

「まったく、なんで私がこんな目に……」

 

 カモミールとアサミの手を引きローズヒップは前へと進む。二人の間に入ったのは、自分が緩衝材になるというローズヒップの強い意気込みの表れだ。

 ローズヒップはラベンダーに頼まれたから協力しているのではない。

 家族は仲良くしてほしい。それがこの二人と同じように大家族の中で生まれ育ったローズヒップの願いなのだ。



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第四十八話 オレンジペコの戦い

 入浴を終えたオレンジペコは、友人達と一緒に調理室へと向かっていた。

 聖グロリアーナ女学院の制服に色とりどりのエプロンを着用した彼女達の姿は、可憐の一言に尽きる。もしこの学校に男子生徒がいたら、あまりの可愛さに思わず二度見してしまうだろう。

 オレンジペコ達がエプロンを着用している理由。それはもちろん料理をするためだ。

 合宿初日の夕食は聖グロリアーナ女学院の当番。事前にそうラベンダーから連絡を受けていたので、エプロンはみんな自前である。

 

「さすがはペコっち、エプロン選びも抜かりないね。花柄のエプロンは男受けバツグンじゃん」

「別にそんなつもりはなかったんですけど……。ベルガモットさんのハート柄のほうが男性は喜ぶんじゃないですか?」

「新婚夫婦ならハート柄が一番なんだけど、かわいいエプロンの王道はやっぱり花柄っしょ」

「なら、私はこのエプロンで問題ありませんの。ダーリンとは結婚したようなものですし」 

 

 きっぱりとそう言いきるベルガモット。結婚という言葉をあっさり口にできるあたりがいかにも彼女らしい。

 

「でもでも、ハイビスカスさんはピンクの無地エプロンなんですね。王道には飽きたんですか?」

「甘いね、カモっち。シンプルな無地のエプロンは結構男の子に人気があるじゃん。カモっちのネイビーも大人っぽくて有りだと思うよ。ニルっちの白は悪くないけど、ちょっとお母さんっぽいかな」

「私ってそんなに老けて見えるんですか……」

 

 ニルギリは落ちこんだ様子でがっくりと項垂れてしまう。

 このグループには背の低いオレンジペコとカモミール、さらには小学生並みの容姿であるベルガモットがいる。背が高くて落ちついた雰囲気のニルギリは、余計に大人びて見えてしまうのだろう。

 とはいえ、オレンジペコだって何もしていないわけではない。食事は一日三食しっかりとっているし、牛乳もほぼ毎日飲んでいる。食べ過ぎた分を脂肪にしないために、日々のトレーニングだって欠かしたことはなかった。

 しかし、そうして得た経験値はなぜかパワーのステータスに全振りされてしまう。そのせいでついたあだ名がリーサルウェポン。世の中は本当に思いどおりにはいかないものだ。

 

 エプロン談議が一段落したところで、オレンジペコ一行は調理室に到着した。

 中で待ちうけているのはオレンジペコをトラブルに誘う問題児トリオ。何事もなく終わりますように、そう祈りながらオレンジペコは調理室の扉を開けた。

 

 

 

「これから夕食の準備に取りかかります。料理の腕を披露するいい機会ですので、みなさんがんばりましょう」

「お料理の基本は真心をこめることですわ。手抜きをしてはダメでございますわよ」

 

 ラベンダーとローズヒップはやる気満々の様子で発破をかけてくる。

 思えば、この二人は大浴場でもテンションが高かった。カモミールとアサミに積極的に話しかけ、気まずい空気にならないように奮闘していたのだ。

 

 オレンジペコはアサミが来たことに最初は納得がいかなかったが、ここにきてようやく問題児トリオの狙いが見えてきた。おそらく、問題児トリオの目的はカモミールとアサミの関係修復だろう。

 アサミはオレンジペコにとって最低最悪な人物だ。アサミが今までカモミールにしてきた仕打ちは到底許せるものではない。

 だが、カモミールはアサミを嫌っていない。どんなに酷い扱いを受けても、アサミを悪く言ったことはなかった。大洗のアウトレットモールでカモミールがアサミに歯向かったと聞いたときは、心底驚いたものだ。

 カモミールが姉との和解を望んでいるのなら、オレンジペコも野暮なことを言うつもりはなかった。一番大事なのはカモミールの気持ち。オレンジペコの感情は二の次だ。

 

 今回は問題児トリオに協力しよう。オレンジペコがそう決心していると、ふとあることに気づいた。問題児トリオの一人、ルクリリの姿が見えないのである。

 

「あの、ラベンダー様。ルクリリ様のお姿が見えないようですが、何かあったのでしょうか?」

 

 心配そうな表情でラベンダーに問いかけるニルギリ。どうやら、彼女もオレンジペコと同じことに思い当たったようだ。

 

「ルクリリさんはお風呂でのぼせちゃったみたいなの。今は保健室で横になってるよ」

「心配する必要はありませんわよ、ニルギリさん。西住流の門下生は柔な鍛え方はしておりませんの。ちょっと休んだらすぐ戻ってきますわ」

 

 そういえば、ルクリリは西住まほと二人っきりでサウナにこもっていた。

 サウナに偵察へ行ったハイビスカス曰く――

 

『今はサウナに行かないほうがいいよ。西住先輩とルクリリ様が修羅場の真っ最中だったし。みほのことをどう思ってるんだとか、みほを幸せにする自信はあるのかとか……あれじゃまるで彼氏に詰問するうざい親父だね。ルクリリ様も顔が引きつってたじゃん』

 

 どうやら、オレンジペコの知らないところで一悶着起こっていたらしい。まあ、それについては関わるつもりはない。今はカモミールが最優先だ。

 しかしながら、ルクリリがいないとなると人数的に厳しくなる。

 今日の夕食は学食を借りた立食形式。料理の品目も多いし、ある程度の量を作る必要もある。時間も限られているので、要領よくやらないと夕食の時間に間に合わないだろう。

 

「ちょっと待ったー!」

 

 オレンジペコが頭の中で料理時間を計算していると、調理室に四人の人物が入ってきた。

 

「聖グロ忍道履修生、ただいま参上! 拙者たちも助太刀するでござる」

「今日は大洗の忍道履修生の方々にいろいろとご指導いただきました。恩は返すのが礼儀ですわ」

「料理は得意だ。任せろ」

「ぴょん!」

 

 夕食会には、戦車道履修生と同じように合同合宿をしていた忍道履修生も参加する。なので、ここで忍道履修生が現れても違和感はない。犬童頼子の名前さえ聞かなかったら、オレンジペコだって何も疑問に思わなかったはずだ。

 忍道履修生はいつものように素顔を隠している。忍者頭巾、編み笠、サングラス。五右衛門にいたっては、リアルなうさぎの被り物で頭部だけ隠していた。

 スパイである可能性を考えると顔を隠しているだけで怪しく見えてくる。けれども、彼女たちの破天荒さを考えると、忍者が素顔を隠すのは当たり前と考えていても不思議はない。誰がスパイかもわからない現状では、追求したところでうまくかわされてしまうだろう。

 

「ラベンダーと逸見様が仲直りしたときの状況にますます近づいてきましたわ。これはいけるかもしれませんわね」

「うん、私もそんな気がしてきた。みんな、手伝いに来てくれてありがとう」

 

 援軍が来たのを手放しで喜ぶラベンダーとローズヒップ。彼女たちは犬童頼子が陰で動いているのを知らないのだから、浮かれてしまうのも無理はない。

 この中ですべての事情を把握しているのはオレンジペコのみ。犬童頼子の暗躍を阻止できるのはオレンジペコしかいないのだ。

 

「はぁ、仕方ないですね」

 

 ため息まじりにそうつぶやくオレンジペコ。

 オレンジペコは聖グロリアーナ女学院の生徒だ。知っていながら見て見ぬふりをするような真似はできない。

 それに、カモミールを救おうとしている問題児トリオには借りができた。なら、大洗を救うことでその借りを返そう。借りを返すのは早いほうがいいと相場は決まっているからだ。

 

 その後、ルクリリも無事に復帰し、夕食会の準備は時間どおりに終えることができた。

 問題はこのあと行われる夕食会。スパイがなにか仕掛けてくるとしたら、おそらくこのときだろう。オレンジペコにとってはここからが勝負どころだ。

 

 

 

 学食で開催される夕食会は立食パーティー形式。決まった席は用意されておらず、それぞれ好きな場所で食事や会話を楽しむことができる。

 大洗の忍道履修生が加わったことで会場はかなりの大人数だ。その中には昼間戦車道の取材に来ていた放送部の生徒、王大河と三郷楓の姿もある。放送部は今はサンダースの生徒を取材中らしく、せわしなくマイクとカメラを動かしていた。

 

「アリサさん、意中の相手であるタカシさんに振られたという噂は本当ですか?」

「告白もしてないのに振られるわけないじゃない!」

「ということはあの噂はデマということですね。ではでは、ずばり聞きます。いつタカシさんに告白なさるんですか?」

「それは……その……」

 

 大河にマイクを突きつけられたアリサの返答は歯切れが悪い。どうやらすぐに告白する勇気はないらしい。 

 すると、そこへいきなりベルガモットが乱入してきた。

 

「アリサ様、そんなことではダメですの! 好きな殿方がいるのなら、自分の気持ちを正直に伝えるべきですわ。早く告白なさってくださいませ」

 

 ベルガモットの悪い癖が顔を出したことで、オレンジペコは思わず頭を抱えそうになった。

 他校の放送部の前で恥を晒せば、ダージリンの耳にまで入ってしまう可能性がある。そうなれば、オレンジペコに災いが降りかかってくるだろう。ここ最近の運のなさを考えるとそれは必然といえた。

 

「先輩、恋は戦いじゃん。ぐずぐずして敵に先手を取られたら、一生後悔するよ」

「モテクイーンの言うとおりだよ。私もこの大会で優勝したら告白してみせるから、アリサさんもがんばって」

「アリサ、ここが勝負のしどころよ。 Let's go!」

 

 ハイビスカスに武部沙織、さらにはケイにまで詰め寄られてしまうアリサ。どうやら彼女もかなりの巻きこまれ体質らしい。

 オレンジペコがそんなことを思っていると、ついにアリサが重い口を開いた。

 

「わかりました。今年度は冬季無限軌道杯が復活します。その大会で優勝したら告白するということで……」

「バッカモーン!」

 

 ケイに怒鳴られたアリサは小さくなってしまった。アリサが告白できるのはまだまだ先の話になりそうだ。 

 

 あちらの話にオチがついたことで、オレンジペコは自分がいるテーブルに意識を戻した。スパイの動きを察知するため会場全体に気を配っているが、オレンジペコの本命はあくまでカモミールだ。

 オレンジペコ以外でこのテーブルにいるのは問題児トリオとカモミール、そして要警戒人物のアサミ。しかし、オレンジペコの警戒は今のところ取り越し苦労に終わっている。

 アサミはずっとカモミールを毛嫌いし、彼女に対して何かと嫌味を言ってきた。そんなアサミが大人しくしているのは、ローズヒップの存在が大きい。ローズヒップは二人の間に立ち、会話が円滑に進むようにうまくコントロールしているのである。

 

「アサミ様、このプリンはカモミールさんが作ったのでございますわ。ぜひ食べてみてくださいまし」

「アサミ姉さんの好きなプリンの味とは違うかもしれないですけど、真心を込めて一生懸命作りました」

「……私がプリンを好きなのを覚えていたのですね」

 

 アサミはじっとプリンを見つめているだけで手は伸ばさなかった。

 アサミは頑固で融通が利かない人間。ここで素直にプリンを食べられたのなら、二人の関係はこんなにこじれたりはしない。

 とはいえ、アサミの態度が以前と違うのは明白。カモミールだけでなく、アサミにも寄りそったローズヒップの作戦はうまくいっている。

 アサミを敵視していたオレンジペコではこうはいかなかっただろう。親友の助けになれないのは悔しいが、この問題に関してはローズヒップに任せたほうがうまくいく。

 オレンジペコはそう判断し、アサミに対する警戒を解いた。頭をサッと切り替えることができなければ優等生は務まらない。 

 しかし、一難去ってまた一難。サウナでルクリリと揉め事を起こした張本人。西住まほがこの場へやってきた。

 

「見つけたぞ、ルクリリ。私はまだ納得していない。さっきの話の続きをするぞ」

「も、もう勘弁してくださいまし! ラベンダー、助けて!」

 

 オレンジペコの隣にいたルクリリがラベンダーの背に隠れた。

 これはかなり新鮮な光景といえる。普段の問題児トリオはルクリリが先頭に立つことが多いからだ。 

 

「お姉ちゃん、ルクリリさんに何をしたの?」

 

 ラベンダーの表情はおっとりしたままで変化はない。だが、オレンジペコは彼女が少し目を細めたのを見逃さなかった。

 

「みほ、わかってくれ。これはみほのためなんだ」

「私の?」

「ああ。中途半端な輩にみほは託せないからな」

「中途半端? ルクリリさんが? ……私の大事な人を悪く言うのはお姉ちゃんでも許さないから」

 

 まほは地雷を踏んだ。

 ラベンダーの前でローズヒップとルクリリの悪口を言うのはタブー。問題児トリオと濃い時間を過ごしてきたオレンジペコは、それをよく知っていた。ラベンダーが感情を表に出すのは、ローズヒップとルクリリを除けばあとはボコくらいだ。

 ラベンダーの視線の先にいるまほは顔面が真っ青になっている。普段はのほほんとしているラベンダーが氷のような視線を向けてきたのだ。ビビるなというほうが無理だろう。

 ところが、この状況でビビらない人物が一人いた。

 

「西住まほさん、あなたは妹に軽く見られています。生意気な態度をとる妹には厳しく接するべきではないですか? このままだと姉としての沽券に関わりますよ」

 

 強い口調でまほに問いかけたのはアサミであった。

 姉が妹に負ける。アサミにとってこの光景が許容できないのは容易に想像がついた。

 

「それはできない」

「なぜですか?」

「私は一度それで失敗している。同じ過ちを繰り返すわけにはいかない」

 

 きっぱりとそう言いきったまほの表情は、さっきまで青ざめていたのが嘘のように凛としている。

 

「以前の私は苦しんでるみほを助けてあげられなかった。妹を守るのが姉の役目なのに、それを放棄したんだ。姉失格だよ」

「姉失格……」

「そんな私をみほはまだ姉と呼んでくれる。その気持ちを裏切ったら、私はもう二度とみほの姉には戻れない。姉の威厳なんてちっぽけなものより、みほのほうが私は大事なんだ」

「そう……ですか」

 

 アサミはわなわなと体を震わせうつむいてしまった。

 これはまずいかもしれない。そう思ったオレンジペコはすすっとカモミールの隣に移動した。

 もしアサミが怒りで震えていたら、矛先は間違いなくカモミールへ向く。それがオレンジペコが今まで見てきたアサミという人間の性質だ。

 しかし、オレンジペコのその行動は無駄に終わった。アサミはぱっと顔を上げるとテーブルの上のプリンを食べ始めたのだ。

 

「……味は悪くありません。料理がうまくなりましたね、カモミール」

「アサミ姉さんがプリンを食べてくれた。ちゃんとニックネームで呼んでくれた……ううっ……よかった、よかったよぉ……」

 

 大粒の涙をぼろぼろこぼすカモミール。

 そんなカモミールに対し、オレンジペコはすぐさま自分のハンカチを手渡した。

 

「カモミールさん、これで涙を拭いてください」

「ペコさん、私やりました。アサミ姉さんと仲直りできました。これもペコさんのおかげです」

「私は何もしてませんよ」

「いいえ、そんなことはありません。ペコさんはいつも私のそばにいてくれました。ペコさんがいたから私はがんばれたんです。私はペコさんが大好きです!」

 

 カモミールはオレンジペコにギュッと抱きついてきた。

 大好きというのは友達としてだと思うが、さすがにこれは少し恥ずかしい。どうしたものかとオレンジペコが視線を漂わせていると、こちらを見ているアサミと目があった。

   

「オレンジペコさん、あなたには謝らないといけませんね。リーサルウェポンだの、ゴリラ女だの、ドワーフだの、カッパだのと、今までいろいろと酷いことを言ってしまいました」

  

 オレンジペコは言い返したい気持ちをぐっとこらえた。この和やかな雰囲気を台無しにするわけにはいかない。

 

「アサミさん、心変わりはしないでくださいね。カモミールさんが悲しむ姿はもう見たくありませんから」

「わかっています。今までの私は姉の本質を見誤っていました。西住さんのような真の姉になれるように、これから努力します」

 

 まほの姉理論はアサミには効果てきめんだったらしい。

 まさかまほが決着をつけるとは思わなかったが、この問題はひとまず終止符を打つことができた。ここ最近不運続きだったオレンジペコにとっては、久しぶりの明るい話題だ。

 

「お姉ちゃん、カモミールさんを救ってくれてありがとう」

「事態がよく飲みこめないんだが、私はみほの役に立てたのか?」

「うん! お姉ちゃんは私の自慢のお姉ちゃんだよ」

「そうか」

 

 大はしゃぎのラベンダーに両手を握られたまほの表情は、どこか安堵しているように見える。 

 

「あの、その調子で私にも穏やかに接してもらえると助かるのですが……」

「ダメだ」

「なんでっ!? 私にいったい何の恨みがあるんだーっ!」

 

 他校の生徒が大勢集まっている食堂にルクリリの絶叫がこだまする。聖グロリアーナの上品なイメージにまた一つヒビが入ってしまった瞬間であった。

 

「ルクリリはみほと添い遂げるつもりなんだろう? お前がみほのパートナーに相応しいと納得できるまで、私の態度は変わらない」

 

 まほのビックリ発言でシーンと静まり返る会場。せっかく問題が一つ片付いたのに、また新たな騒動の勃発だ。

 オレンジペコがほっと一息つけたのはほんの数分。頼むからもっと心の休まる時間を与えてほしい。

 

「思わぬところでスクープをゲットしてしまいました。お嬢様学校で芽生えた禁断の恋、マチルダ×クルセイダー。明日の三面記事はこれで決まりです。楓、カメラカメラ!」

「二人とも、こっち向いてくださーい」

 

 真っ先に寄ってきた放送部はカメラでラベンダーとルクリリの姿を撮影していく。

 新聞記者が素早いのはどこの学校でも同じらしい。オレンジペコも問題児トリオと一緒に騒ぎを起こしたときは、よくこうやって囲まれたものだ。

 

「女の子同士の恋愛なんて風紀違反よ。不純同性交遊だわ」

「園様! 愛を否定する権利は誰にもありませんわ。人を愛するという行為はこの世で最も尊いものなんですの」

「そど子は横暴すぎる。今の発言は取り消せ。ついでに私の遅刻も取り消せ」

「取り消すわけないでしょ!」

 

 高校生になってからベルガモットの暴走が止まらない。オレンジペコが密かに憧れていた大人な彼女は、どこへ消えてしまったのだろうか。

 

「梓ちゃん、聖グロリアーナは女の子同士の恋愛にも寛容みたいだよぉ」

「梓も告白しちゃえば。ノリと勢いが大事だって、アンツィオの人達も言ってたし」

「梓ちゃんのカッコいいとこ見てみたい~、それ、こっくはく、こっくはく、こっくはく!」

「うるさーいっ!」

 

 大野あやに向かって澤梓が吠えた。梓は大人しい子だと思っていたが、意外と大胆なところもあるようだ。

 大洗の生徒まで騒ぎだしたのを考えると、そろそろこの事態は収束させるべきだ。放っておくとこっちに飛び火しかねない。

 

「お姉様は西住流ジョークを小耳に挟んでしまったようですわね。思いっきり勘違いしてますの」

「お姉ちゃん、あれは冗談なの。ルクリリさんは私の恋人じゃないよ」

 

 オレンジペコより先にラベンダーが火消しに動いた。この騒動の引き金を引いたのはやっぱり問題児トリオだった。

 

「ルクリリはみほの恋人になる気はないのか?」

「あるわけないっ!」

「みほの姉になる気もか?」

「ラベンダーの姉はあんただろっ!」

 

 ルクリリは猫被りができないくらい追いこまれていたらしい。よく見ると少し涙目である。

 

「……ごめんなさい。正直に言うと私はルクリリに嫉妬してた。みほはルクリリみたいなお姉ちゃんが欲しかったんじゃないかって、不安でたまらなかったんだ」

「私のお姉ちゃんは世界に一人だけしかいないよ。妹思いで、優しくて、でもちょっと泣き虫。そんなお姉ちゃんが私は大好きだよ」

「みほ……」

 

 今度はまほが涙目になった。ラベンダーの言葉はそれだけ彼女の心を震わせたようだ。

 慈しみに満ちた笑顔をまほに向けるラベンダーは、まるで本当の女神のように見える。

 問題児と呼ばれながらも多くの人から好かれるラベンダー。なぜ彼女の周りに人が集まるのか、オレンジペコはその理由の一端を垣間見た気がした。

 

 そのとき、この場に新たな登場人物が現れた。

 

「ノリと勢いとパスタの国から総統(ドゥーチェ)参上! 西住、お前が凶行に走っても妹さんが悲しむだけだ。妹さんの幸せを願うなら、二人の仲を素直に認めてやれ」

「楓ー。アンチョビさんを連れてきたよー」

 

 突然やってきたのは、アンツィオ高校の制服に身を包んだ二人の少女。

 一人はアンツィオ高校戦車隊隊長、アンチョビこと安斎千代美。もう一人はオレンジペコの知らない少女だが、三郷楓と瓜二つの容姿を見る限り、三郷家の五つ子姉妹の一人なのは間違いない。

 

「すまない、安斎。あれは私の勘違いだった」

 

 まほの発言を聞いたアンチョビが頭からずっこけた。まるで野球のヘッドスライディングである。

 

「おおいっ! 私は何のためにここへ来たんだー!」

「それはもちろん、私たちの取材を受けてもらうためです。今日はサンダースの隊長もおいでになってますし、対談形式でお話を伺いたいと思います。楓、さっそく準備に取りかかりましょう」

「了解。お姉ちゃんも手伝って」

「もうー、楓は姉使い荒いよー」

 

 放送部はそそくさと食堂を出ていった。対談場所は別のところに用意するつもりらしい。

 

「ハーイ、チョビー。あなたもいいように利用されたのが我慢できなかったの?」

「利用された? 何のことだ?」

「あらら、なーんにも知らなかったのね。じゃあ特別に教えてあげるわ」

 

 ケイとアンチョビは二人でなにやらひそひそ話。

 オレンジペコはその内緒話の内容に大体の察しがついている。十中八九、大洗の廃校を目論む犬童家の企みの件だろう。

 

「なにーっ!! その話は本当か!?」

「Yes。それで、この話を聞いてあなたはどうするの?」

「どうするもこうするもない。私も協力する」

「OK。明日の試合は今日よりも楽しくなりそうね」

 

 どうやら大洗に新たな協力者が誕生したようである。大洗にもラベンダーのように人を惹きつける力があるようだ。

 オレンジペコがそんな風に事態を観察していると、ニルギリと丸山紗希が小走りでこちらに向かってきた。

 この二人はコンビになると要注意だ。動画流失事件の悪夢を忘れてはならない。

 

「オレンジペコさん、大変です!」

「そんなに慌ててどうしたんですか?」

「紗希さんが撮った写真にとんでもないものが写っていたんです。紗希さん、お願いします」

 

 ニルギリに促された紗希はオレンジペコに持っていたスマートフォンの画面を見せた。

 そこに映っていたのは――

 

「ボコ……」

 

 オレンジペコは小さな声でそう呟いた。

 スマートフォンの画面に映っていたのは島田愛里寿の手を引くボコの着ぐるみ。しかも、場所はこの学校の校内だ。

 ニルギリが慌てるのも頷ける。このことがラベンダーに気づかれでもしたら大惨事は必至。ボコはラベンダーを一瞬で別人に変えてしまう劇薬なのだ。

 

「この件は私がなんとかします。ほかの人たちには悟られないようにしてください」

「わ、わかりました」

 

 ニルギリが怯えた声で返事をし、紗希もこくこくと首を縦に振る。

 オレンジペコはそれを確認すると、調理室へと歩きだした。聖グロリアーナの忍道履修生は、この時間は調理室で追加料理の用意をしているはずだ。

 ついにスパイが動いた。オレンジペコはそう確信していた。

 

 

 

 オレンジペコが調理室の扉の前までやってくると、中から忍道履修生の話声が聞こえてきた。

 

「それにしても、大洗のバレー部の部長は小太郎にそっくりでしたわね。小太郎、これでいつでも分身の術ができますわよ」

「うれしくない。おかげで私はもみくちゃにされた。おっぱい怖い」

「あの二人の発育具合はすごかったでござるからね。拙者が関東平野なら、あっちはエベレストでござるよ」

 

 調理室から聞こえてくる声は三人。

 オレンジペコの思ったとおり、やはり一人足りない。ボコの正体は忍道履修生でほぼ間違いないだろう。

 オレンジペコは事実確認をするために調理室へと足を踏みいれた。これが終われば、いよいよスパイとの直接対決だ。

 

「あなた達に聞きたいことがあります」

 

 

 

 

 連休二日目。

 忍道履修生は今日も大洗と合同合宿を行っているが、そこに五右衛門の姿はなかった。彼女にはこの合宿中にやらなければならない任務があるからだ。

 大洗のプラウダ対策を丸裸にする。それが彼女に与えられた命令。

 忍道履修生の五右衛門ではなく、犬童頼子の部下、ブッキーになる時間がやってきたのだ。

 

 とはいえ、ブッキーにとってこの命令はあまり気乗りがしない。

 この作戦はブッキーの友達である忍道履修生を利用している。ブッキーはそれがたまらなく嫌だった。

 

 大洗のことは別にどうでもいい。この世は弱肉強食。弱いものが淘汰されるのは自然の摂理だ。

 しかし、この件に忍道履修生を巻きこんだのは気に食わない。

 彼女達は自分の殻に閉じこもり気味だったブッキーがやっと手に入れた大切な友人。頼子なんかよりもよっぽど大事な存在である。

 その掛けがえのない友をだます片棒をブッキーはかついでいる。こんなことは絶対にやりたくなかった。

 

 だがしかし、ブッキーは犬童頼子には逆らえない。

 ブッキーの実家は戦車道に関連する商品を売る老舗業者。保有する戦車も多種多様で、ティーガーからパーシング、はてはカール自走臼砲にいたるまでなんでもござれだ。

 西住流の財務を担当している犬童家は実家のお得意様。頼子を適当にあしらうことはできず、気弱なブッキーはすぐに部下にされてしまった。

 ブッキーというあだ名の由来。それは戦車という兵器を売る武器屋の娘だから。なんともふざけたあだ名である。

 

 犬童頼子は気に入らない。それでも、ブッキーは今回与えられた命令をほとんど終えていた。

 ボコの着ぐるみ姿で島田愛里寿を油断させ、情報を手に入れるのにはすでに成功している。あとはこの情報をまとめて頼子に渡せば任務は完了のはずだった。

 任務が終わっていないのは、今朝になって頼子からメールで新たな命令を受けたからだ。

 追加された命令は、ブッキーが今持っている手提げ袋の中身のビラをばらまくこと。

 ビラに書かれているのは大洗が廃校になるという記事だ。頼子は大洗に潜入したとき、あらかじめ用意していたこの記事を校内に隠していたのだ。

 負けたら即廃校という事実を公表して、大洗の士気を落とす。これが頼子から下された新たな作戦内容。相変わらず悪知恵がよく働く女だ。

 

 頼子に心の中で悪態をつきながら、ボコの着ぐるみ姿のブッキーはある場所を目指していた。

 普段戦車が収納されているガレージ。そこがブッキーの目的地である。戦車道履修生は練習試合で出払っているので、ビラをまくなら今がベストのタイミングであった。

 

 やる気のない足取りでブッキーはガレージへ向かう。するとガレージまであと少しというところで、一人の少女に行く手を塞がれた。

 彼女のことはブッキーもよく知っている。聖グロリアーナ最強の名をほしいままにした怪力少女、戦車道履修生のオレンジペコだ。

 

「ごきげんよう、五右衛門さん。新作の着ぐるみ、よく似合っていますよ。愛里寿さんにも好評だったんじゃないですか?」

 

 着ぐるみの中でブッキーは冷や汗を流した。

 ブッキーがやったことはオレンジペコにはすべてお見通し。そんな彼女がここにいる理由など一つしかない。

 裏切り者の粛清だ。

 

「それで、あなたはこのあとどうしますか? 私としては、抵抗しないで何もかも洗いざらい吐いてもらいたいんですけど」

 

 捕まってしまうと友達に罪がばれてしまう。それだけはなんとしても避けたい。

 相手は最強と噂されているが、よくよく見れば可愛らしい少女だ。それに着ぐるみ姿のブッキーのほうが体格は上。勝てる可能性は十分にある。

 ブッキーはそうやって自分に言い聞かせながら前に進んだ。そうでもしないと恐怖で失神しそうだったのだ。

 

「やってやる、やってやるぞぉ!」

「ボコはそんな腰の引けた声は出しませんよ。やっぱりあなたは演技がヘタですね」

 

 

 

 

 オレンジペコは戦いに勝った。

 といっても、大したことはしていない。オレンジペコが怪力をちょっと披露しただけで、五右衛門は気を失ってしまったからだ。

 

「全国大会で負けたら廃校決定、大洗の運命は戦車道履修生にかかっている……。くだらない記事を作る暇があるなら、ラベンダーさんのボコ狂いを少しは矯正してほしいものですね」

 

 五右衛門が持っていたビラを読んだオレンジペコはそう独り言をつぶやいた。この記事を作った犬童頼子は、よほど大洗に廃校になってもらいたいらしい。

 このまま頼子を野放しにしていたら、聖グロリアーナの品位が疑われてしまう。事はもう大洗だけの問題ではない。一刻も早く彼女の陰謀を阻止するべきだ。

 

「その前に、まずはこの人をどうにかしないといけませんね。こんなところを誰かに見られるわけにはいきませんし」

 

 オレンジペコは片手でボコの着ぐるみを引きずっている。今この姿を見られたら、熊殺しペコという新たな異名が付けられかねない。 

 だが、運の悪いことにガレージの中から出てきた生徒にオレンジペコは見つかってしまった。しかも、よりによって相手は放送部の三郷楓。

 さようなら、優等生のオレンジペコ。そして、こんにちは、熊殺しペコ。

 

「あ、ちょうどいいところに! ねえ、あなたも手を貸して!」

 

 ところが、楓はオレンジペコがボコを引きずっているのをスルーし、焦った様子で手伝いを依頼してきた。どうやら、何かただならぬ事態が起こっているらしい。

 

「いったい何があったんですか?」

「これを見てよ! 誰かが放送部の許可なしに学校中に号外をばらまいたの」

 

 楓から号外を受けとったオレンジペコは驚きを隠せなかった。号外に書かれていた内容が五右衛門が持っていたビラとまったく同じだったからだ。 

 

「楓ー!」

「お姉ちゃん、どうだった?」

「ダメ。体育館は号外がびっしり貼られてた。運動部の生徒にばっちり見られちゃったよ」

「えーっ! これじゃ放送部の面目丸つぶれだよ。なんとか騒ぎを最小限に食い止めないと。お姉ちゃん、次は三年生の教室!」

「だから、姉使い荒いってばー!」

 

 オレンジペコは犬童頼子を甘く見ていた。

 五右衛門はあくまで囮で本命は別。いや、もしかしたらこの事態を引きおこしたのは頼子本人なのかもしれない。

 もう大洗廃校の事実を隠すことはできないだろう。大洗女子学園は、とてつもないプレッシャーを抱えながらプラウダ高校と対戦することになってしまった。



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第四十九話 プラウダ高校と大洗女子学園

 雪がちらつく海域を一隻の学園艦が航行している。

 寒い北方の海域を主な航路にしているこの学校の名は、プラウダ高校。第六十二回戦車道全国大会優勝校であり、今年度の大会の筆頭優勝候補だ。

 そのプラウダ高校の学園艦で二人の人物がお茶会を行っていた。

 

 一人はプラウダ高校戦車隊隊長、カチューシャ。もう一人は黒森峰女学園戦車隊隊長、深水トモエ。

 この二校は去年の決勝戦でも対戦したライバル校である。ところが、お茶会の二人の様子はそれを微塵も感じさせない。

 それもそのはず、トモエはカチューシャの友人であり、カチューシャに傾倒する崇拝者でもあるからだ。

 

「トモーシャの次の相手は聖グロだったわね。ダージリンは今までの対戦相手とはワケが違うから、十分に注意するのよ」

「はい。カチューシャ様の教えを活かして、必ず勝ってみせます」

「トモーシャもだいぶ自信がついてきたみたいね。隊長は部隊にとっての生命線。どんな相手だろうと絶対に弱気になっちゃダメよ」

 

 トモエに隊長としての心構えを説いたカチューシャは、イチゴジャムを舐めながら紅茶を飲んだ。

 ここまではカッコいい隊長像をキープしていたカチューシャ。しかし、ここで痛恨のミスを犯してしまう。イチゴジャムでべったりと口元を汚してしまったのだ。

 

「カチューシャ、口元にジャムがついていますよ」

 

 テーブルのすぐそばで控えていたノンナがそう言うと、カチューシャよりも先にトモエが動いた。

 

「あ、私がお拭きしますね」

 

 トモエはさっとハンカチを取り出し、カチューシャの口元を丁寧に拭いていく。

 もちろん、このハンカチは未使用。彼女はカチューシャ専用のハンカチをつねに持ち歩いているのだ。

 

 トモエはあまりにもカチューシャを崇拝しすぎている。ノンナはそれが心配であった。

 トモエが自信満々に振舞えるのはカチューシャの存在があるから。もしカチューシャに何かあったら、トモエは一気に崩れてしまうだろう。

 ノンナがそんなことを考えていると、隊長室の扉が控えめにノックされる。

 この部屋に来るのはほとんどが戦車道履修生だ。どうやら、カチューシャに用がある生徒がいるらしい。

 

「カチューシャ様、(しずく)です。お伝えしたいことがあります」

「今は来客中よ。あとにしなさい」

「侵入者がいます。早めに対処したほうがよいかと思いますが……」

「……入りなさい」

 

 カチューシャに促され、一人の生徒が隊長室に入室する。

 髪は黒髪ショートカット。前髪は七三分け。顔には大きな丸眼鏡。

 彼女の名は三郷雫。戦車道を履修しているプラウダ高校の二年生だ。

 

「あなたは、もしかして三郷さんの……」

「はい。三郷(あかね)の妹、三郷雫です。姉がいつもお世話になっております」

 

 トモエに向かって雫は深々と頭を下げる。雫の礼儀正しさに、トモエは心底驚いたような顔をしていた。 

 

 雫はプラウダ高校内でも屈指の大和撫子。礼節を重んじる女性の育成という戦車道の本質を体現した存在である。

 そのかわり、雫の戦車道の成績はパッとしない。平均を下回る程度の実力しかなく、試合もスタンドで観戦することが多かった。

 そんな雫ではあるが、一年生からは圧倒的な人気を集めている。

 誰に対しても親切で優しく、上品でお淑やか。戦車道の授業にも積極的に取り組み、実力がなくても腐ったりしない。外見は地味でも内面が優れている雫は、純朴な田舎娘が多い一年生の憧れの的なのだ。

 

「雫、侵入者がいると言ったわね。根拠は?」

「一年生が怪しい人物から手紙を渡されました。プラウダの役に立つからカチューシャ様に渡してほしい、そう言われて手紙を押しつけられたそうです」

「なるほどね。それで、困った一年生は雫を頼って、あなたが私に手紙を届けに来たと……侵入者はどんな人物だったの?」

「顔は暗がりでよく見えなかったそうです。ただ、ちらっと見えた髪色は桃色だったと言っていました」

 

 プラウダ高校にピンク髪の生徒はいない。その人物が他校からの侵入者なのはほぼ確定だろう。

 

「侵入者を探しに行きます。まだそう遠くへは行っていないはずですから」

「待ってください、ノンナさん。その人は私の知ってる人です。恐ろしく手際がいい人ですので、もう艦内にはいないと思います」

「トモーシャ、詳しく聞かせなさい」

 

 その後、トモエは第六十三回大会の裏で起きている出来事について、知っているすべてを話してくれた。

 廃校が決まった大洗女子学園の廃校撤回条件。犬童家の他校への助力。そして、その思惑。

 諜報活動にあまり力を入れていないプラウダ高校の生徒にとって、それは衝撃の事実であった。

 

「アンツィオが失敗したから、次はプラウダの番ってわけね。カチューシャもなめられたものだわ。大方、この手紙には大洗の攻略法でも書かれてるんでしょうね」

「カチューシャ、その手紙をどうしますか?」

「決まってるわ。こんなものはこうよ!」

 

 カチューシャは手紙をその場でびりびりに破り捨てた。カチューシャの手から離れた手紙は、紙吹雪となって床に落ちていく。

 それを見たトモエは感激したような表情で両手を合わせている。どうやら、トモエの崇拝はまた一段階レベルが上がってしまったようだ。

 

「雫、今の話は他言無用よ。しゃべったらシベリア送りだからね」

「心得ております」

「なら、訓練に戻りなさい。まとめ役のあなたがいないと、あの戦車は前に進むことすらできないでしょ。十人の一年生の手綱をしっかり握って、次の試合までに実戦で使えるようにするのよ」

「カチューシャ様のご期待に添えるように精一杯務めさせていただきます。それでは、失礼します」

 

 雫はカチューシャに頭を下げたあと、部屋から退出した。

 

「本気であの戦車を使うつもりですか? あまり役には立たないと思いますが……」

「どんな戦車でも使い道はあるわ。それに、新しい戦術にはあの戦車が必要不可欠なのよ」

「また新しい作戦を考案したんですね。さすがカチューシャ様です」

「戦車道の世界は日進月歩なの。現状で満足してたら置いていかれちゃうわ」

 

 ノンナは先ほどトモエの心配をしていたが、同じぐらいカチューシャのことも心配であった。トモエの前でいい格好をしようとするカチューシャは、無茶を平気でやってしまう危うさをはらんでいるからだ。

 どうかこの二人が笑顔で今大会を終えられますように。ノンナは心の中でそう願わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 大洗女子学園に謎の号外がバラまかれてから、学園を取り巻く状況は一変した。

 生徒会室には連日のように説明を求める生徒が押し寄せ、生徒会はその対応にてんてこ舞い。風紀委員は全員総出で騒ぎを収めようとしているものの、人手はまったく足りていなかった。

 非常事態ともいえる状況だが、教師陣がしてくれるのは生徒の相談に乗ることのみ。

 生徒の自主性を重んじる学園艦は、学生だけで運営しなければならない。大人が助けてくれるのは事故や災害のときだけだ。

 

 戦車道履修生のところにも多くの生徒がやってきた。戦車道の全国大会の結果は学園の運命を左右する。不安になった生徒たちの矛先が向くのは当然の成り行きであった。

 隊長の沙織の元にはひっきりなしに生徒が集まり、休み時間には長蛇の列。風紀委員が規制してくれなければ、昼休みの昼食すらとれなかっただろう。

 

「こんなに人に注目されたの生まれて初めてだよ。モテる女はつらいね」

「沙織さん、モテモテになる夢が叶ってよかったですね」

「武部殿と五十鈴殿、けっこう余裕ありますね」

「隊長の私がへこたれるわけにはいかないもん。それに、ようはプラウダに勝てばいいんでしょ? 女は度胸、やってやれないことはない。ケイさんもそう言ってたし」

 

 今は戦車道の授業中。最初に行っているのはガレージに集まってのミーティングだ。

 

「しかし、相手は去年の優勝校。それに比べて、我々は戦車道を始めたばかりのルーキーだ。そうやすやすと勝てる相手ではないだろう」

「新政府軍に挑む白虎隊の心境ぜよ」

「ローマは一日にして成らずともいうが、努力するにしても時間が足りないな」

「鉄甲船並みの新兵器でもあれば話は違うのだが……」

 

 いつもは頼りになるカバチームも今回ばかりは士気が低い。それだけで、大洗がプラウダに勝利するのがどれだけ困難かがわかる。

 

「初めて戦う相手がラスボスクラス。しかも、ノーコンティニュー」

「無理ゲーぴよ」

「せめて中ボスと戦わせてほしいもも」

 

 ルーキー中のルーキーであるアリクイチームも嘆き節だ。

 ちなみに、もう一組のルーキーチーム、カモチームは生徒への対応で授業に遅れている。生徒会のカメチームも同様の理由で不在であった。

 

「バレー部復活どころか、学校の存続が危うくなるなんて……」

「このままだと、バレー部は永遠に復活できないです」

 

 元気が売りのアヒルチームもすっかり意気消沈。近藤妙子と佐々木あけびにいたっては、何も言葉を発せなくなっていた。

  

「こんな士気では有効な訓練はできないな。沙織、なんとかしろ」

「なんとかしろって言われても……。まぽりん、何か良い案は……あれ? まぽりんは?」

「西住さんならあそこだ」

 

 麻子の指差す先には、ガレージのすみっこで体育座りでうつむくまほの姿。

 その姿は、大洗女子学園に転校してきたばかりのころのまほを彷彿とさせる。謎の号外事件は、まほにかなりの精神的ダメージを与えたようだ。

 

「そういえば、ウサギチームの姿が見えませんね。どこへ行ったのでしょうか?」

「号外を見た犬童殿は、かなりのショックを受けていた様子でした。もしかして、それがチーム全員に波及したのかも……」

「ゆかりん、縁起でもないこと言うのはやめてよ!」

 

 そのとき、ガレージに七人の生徒が入ってきた。梓率いるウサギチームだ。 

  

「遅くなってすみません!」

 

 謝罪の言葉を口にする梓の額には白いハチマキ。よく見ると、ウサギチームは全員おそろいの白いハチマキ姿だった。

 表情はみんな引き締まっており、気落ちしているようにはいっさい見えない。

 

「武部隊長、すぐに訓練を始めましょう。プラウダに勝つには練習しかありません」

「梓ちゃん……うん、今日のミーティングはおしまい。みんな、訓練開始するよ。優花里、まほを連れてきて」

「了解です!」

 

 やる気あふれるウサギチームの勢いに押され、全員がいそいそと動き出す。

 完全ではないものの、チーム全体の士気は上向いた。これで少しは実りある練習ができるだろう。

 

 

◇◇

 

 

 ウサギチームがやる気に燃えている理由。それは、合宿最終日の夕方に起こったある出来事が発端だった。 

 

「あの号外を作ったのは私の姉さんです」

 

 場所は夕暮れの校舎裏。衝撃の発言をした話し手は犬童芽依子。聞き手はウサギチームのメンバー。他に誰もいない七人だけの舞台の幕はこうして上がった。

 

 犬童芽依子は様々な事情を友人たちに話していった。

 三式中戦車を降りたワケ。西住流と黒森峰の関係。そして、姉の頼子が大洗を敗北させようと画策している事実。

 そうしてすべてを話し終えたあと、芽依子はその場で土下座した。地面に頭をこすりつける本気の土下座だった。

 

「芽依子は裏切り者です。姉さんの手のひらで踊らされた愚者です。この事態を招いた責任は全部芽依子にあります。絶交してもらってもかまいません」

「そんなこと言わないでっ! 私はめいちゃんと絶交なんてしたくないよ!」

 

 目に涙を浮かべた桂利奈が芽依子に抱きつく。

 

「桂利奈ちゃんを泣かせちゃダメだよ、芽依子ちゃん。憧れてる人の土下座姿を見たい人なんていないんだからぁ」

 

 のんびり口調の優季が芽依子をさとす。

 

「私、なんか安心しちゃった。だって、私たちだけに打ち明けたってことは、私たちが芽依子ちゃんの特別になれたってわけだし」

 

 弾んだ声のあやが芽依子に向かって微笑む。

 

「ボロ泣きしてる顔で絶交していいとか言われても説得力ないよ。絶交されたくないって丸わかりだもん」

 

 さばさばした様子のあゆみが芽依子にそう指摘する。 

 

「大丈夫」

 

 いつもと同じ無表情の紗希が芽依子の背中をさする。

 

「芽依子、前に私に言ったよね。愛しのハイビスカスさんにカッコいい姿を見せるチャンスだって。正直に言うとね、私は今まで恋とかしたことなかったから、この気持ちがなんなのかよくわからないんだ。でもね、はっきりと言えることが一つだけあるよ」

 

 真剣な表情の梓が芽依子の目を正面から見据える。   

 

「私はあの人に、ハイビスカスさんに勝ちたい。でも、私一人じゃハイビスカスさんには絶対に勝てない。私にはみんなの、芽依子の力が必要なの。芽依子、私たちと一緒に戦おう。プラウダに勝って、その先にいる聖グロリアーナにも勝って、私たちの学校を守ろうよ」

 

 梓は地面に膝をついている芽依子に手を差し出した。

 その手を芽依子は迷いなくつかむ。ウサギチームの結束は大洗一。そう簡単に途切れるヤワなものでは決してない。

 

「芽依子はもうみんなを裏切りません。全身全霊をかけてともに戦います」

 

 その瞬間、校舎裏に歓声があがった。

 

「めいちゃん、私も一緒にがんばる!」

「芽依子ちゃんがいてくれたら百人力だよ! プラウダなんて怖くない」

「私たちはチームワークが売りだもんねぇ」

「お前たちはチーム内のバランスがいいって、アンチョビさんもほめてくれたしね」

「絶対に勝つ」

 

 不安渦巻く大洗女子学園の希望の光が今ここに誕生した。

 

 

 

 

 準決勝の舞台に選ばれたのは雪原。ところどころに集落や森林があり、作戦次第ではいろんな戦い方ができるステージだ。

 しかし、大洗女子学園にとっては不利なステージともいえる。

 プラウダ高校は寒い地域を航行する学園艦。寒さや雪上の戦いは彼女たちの得意とするところだろう。

 

 だがしかし、大洗女子学園だって負けてはいない。

 この日のために猛練習を積み重ねてきた。多少の雪など障害にはならないし、寒さだって我慢できる。

 学校を守るための戦いにおもむく準備は万端。といいたいところだが、実は一つだけ懸念があった。チームの知恵袋、西住まほのモチベーションが上がらないのだ。

 それを象徴付けるような出来事がプラウダ高校とのあいさつの場で起こった。

 

「少しはマシになったのかと期待したけど、カチューシャはあなたを買いかぶりすぎていたようね。西住まほ、あなたは一年前と何も変わっていないわ」

 

 大洗女子学園の陣地にやってきたプラウダ高校の隊長、カチューシャは開口一番そう言い放った。

 それに対するまほの反応は黙って下を向くだけ。その姿はカチューシャを怖がっているようにしか見えない。

 

「そんなにカチューシャが怖いなら、今すぐここから立ち去りなさい。やる気がない相手と試合をしてもつまらないわ」

「やる気はあります! 今はちょっと気持ちが揺れてるだけで、試合が始まれば元のまほに戻ってくれます。まほのことをよく知りもしないで、勝手なこと言わないでください」

 

 まほの前に立ち、カチューシャの視線を一身に受ける沙織。

 それを見たカチューシャは、おもしろくなさそうな表情を一変させ、不敵な笑みを浮かべた。 

 

「武部沙織って言ったわね。あなたはなかなか骨のある隊長のようだわ。ノンナ!」

 

 そばに控えていた副隊長のノンナを呼びよせ、肩車をさせるカチューシャ。

 身長が高いノンナに肩車をしてもらったことで、カチューシャは沙織を見下ろす状態になった。

 

「沙織、悔しかったらカチューシャに勝ってみなさい。もしあなたが勝てたら、西住まほに謝罪してあげてもいいわよ。もっとも、そんなことは絶対に起こらないでしょうけどね。ПокаПока(パカパカ)~」

「カチューシャ、Пока(パカ)は親しい人に使う別れのあいさつですよ。この場合はДа свидaния(ダスヴィダーニャ)を使うのが正しいです」

「ちょっと間違えただけよ! ノンナ、今のはトモーシャには内緒だからね」

 

 ノンナに肩車されたままカチューシャは去っていった。

 小さな暴君との異名を持つカチューシャだが、そう呼ばれるのも納得の傍若無人ぶりである。

 

「沙織……すまない」

「まほは何も気にすることないよ。悪いのはあっちだもん」

「沙織さんの言うとおりです。まほさんは悪くありません」

「西住殿、一年前とは違うってところをカチューシャ殿に見せつけましょう」

「勝ってロシア語で謝罪させるぞ。何て答えるか見ものだ」

 

 まほに励ましの言葉をかけるあんこうチーム。

 そんなあんこうチームに厳しい視線を向ける人物がいた。白ハチマキを風になびかせ、両腕を組んだ状態で仁王立ちしている犬童芽依子だ。

 忍道の大会で殺気を帯びていると恐れられた芽依子の眼力。数多の忍者を震え上がらせたその鋭い眼差しは、今はまほだけに向けられていた。



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第五十話 大洗女子学園対プラウダ高校 前編

『カチューシャ隊長、こちらフラッグ車。大洗は最前線の部隊を無視して進行方向を右に変えたようです。どうしましょう?』

「囮には引っかからないってわけね。作戦変更よ。部隊を本隊に合流させなさい」

Поняла(パニラー)!』

 

 フラッグ車の車長はロシア語で返答してきた。

 Понялаは日本語で了解を意味する言葉。ロシア語を勉強中のカチューシャでもわかる簡単な単語だ。

 

「やる気があるのは嘘じゃないみたい。囮作戦を見破ったのは、おそらく西住まほでしょうね。ふふん、おもしろくなってきたわ」

「大洗の進む先にいるのは雫の部隊です。途中で進路が変わらなければ、カチューシャの目論見どおりの展開になりますね」

「うまくいきすぎて怖いくらいよ。さて、西住まほはどう出るかしらね」

 

 そう言って不敵な笑みを浮かべるカチューシャ。

 その自信満々の表情からは、大洗が罠にかかるのを確信している様子が見てとれる。

 

「雫、大洗がそっちへ向かったわ。止めを刺してあげなさい」

『了解しました。雫隊、前進します』

 

 最初の手は打った。あとはその結果を待つだけ。

 カチューシャの余裕は揺るがない。

 

 

 

 

 沙織はアヒルチームに偵察を敢行させ、プラウダの出方を探る作戦をとった。聖グロサンダース連合との練習試合で一定の成果を収めたこの策は、慎重に試合を進めるにはもってこいだ。

 その効果はすぐに現れた。プラウダは聖グロサンダース連合と同じような部隊配置をしていたのである。

 

「ここであの三輌と交戦したら、大部隊に包囲されるってオチだよね。もしかして、愛里寿ちゃんの作戦って全部プラウダの作戦?」

「そうかもしれません。島田殿はプラウダ戦の予行演習をしてくれたんですよ」

「ですが、愛里寿さんは大学生ですよね。どうやってプラウダ高校の作戦を熟知したんですか?」

「ラベンダーさんが教えたんだろう。あのメンバーを集めたのは彼女だからな」

 

 あんこうチームはいろいろ考察をしているが、まほは会話に入ってこない。

 試合が始まってもまほのメンタルは下降線のままで、いまだに上向く気配がなかった。

 

「ねえ、まほはどう思う」

「みほが大洗のために準備を整えたんだろうな。それに比べて……」

「その話は禁止!」

 

 沙織はまほの発言をさえぎった。まほは弱気になると、すぐに妹と自分を比べる発言をするからだ。

 

「まほ、ラベンダーさんと学校のことはいったん忘れて、今は試合のことだけ考えよう。そうしないと頭がパンクしちゃうよ」

「……そうだな」

 

 まほを気づかう沙織の姿はどこからみても立派な隊長だ。

 男子にモテる夢は叶っていないものの、カッコいい戦車乗りになる目標には着実に前進している沙織であった。

 

「よーし、囮は無視して先に進むよ。アヒルチーム、引き続き偵察お願いね」

『任せてください!』

 

 車長の典子から景気のいい返事が戻ってくる。

 一時は低下していた士気もだいぶ上がってきた。プレッシャーはゼロではないが、動きが極端に固くなることはないだろう。

 

 

 

 囮らしき三輌のT-34を無視し、大洗の戦車隊は別ルートを突き進む。

 すると、先行偵察を行っている典子から通信が入った。

 

『武部隊長、前方に敵戦車を発見しました! 大きくて強そうな戦車がこっちへ向かってきます』

 

 典子の情報はかなり漠然としている。大洗で戦車に詳しいのはまほと優花里だけなので、当然といえば当然であった。

 

「プラウダで大きい戦車ってなんだろ?」

「武部殿、おそらくKV-2ですよ。街道上の怪物と呼ばれたソ連製の重戦車です」

「IS-2の可能性もある。もし砲手がノンナだったとしたら厄介な相手だ。彼女の砲手としての能力は、全国の高校で一二を争うレベルだからな」

 

 優花里とまほが別々の答えを提示してくる。

 聖グロサンダース連合との練習試合で別ルートにいたのは愛里寿だった。それを参考にするなら、どちらが現れてもエース級なのは間違いない。対応を誤ると大洗はここで終わってしまう。

 

「典子、他に何か特徴はないか? どんな些細なことでもいい」

 

 更なる情報を求めるまほ。どうやら、少しは前向きになってくれたようである。

 

『えーと、砲塔がたくさんあります。全部で五つです』 

 

 砲塔が五つ。つまり、相手はそれだけ攻撃手段を持っているということだ。

 今までの対戦相手にそんな戦車はいなかった。大洗にとってはまさに未知の相手である。

 

「あの、武部殿。そんなに真剣に悩む必要はないかもしれません。その戦車、たぶんT-35ですよ」

「T-35?」

「はい、ソ連製の多砲塔戦車です。砲塔は多いんですが、砲塔同士が射線を妨害しちゃうので射界は制限されています。位置取りさえミスしなければ、さほど脅威ではありません。巨体なのでスピードもありませんし」

「攻撃だけでなく、防御にも問題がある戦車だ。一番厚い正面装甲でも30㎜しかない」

 

 優花里とまほの話を総合すると、T-35は見た目が強そうなだけで性能は大したことないらしい。

 とはいえ、油断はできないだろう。あえて弱い戦車を配置したのは罠かもしれないからだ。

 しかし、逃げ回っていても試合には勝てない。それに、相手よりも先に戦車を撃破できればチームに勢いをもたらせる。

 ここは沙織の隊長としての資質が問われる場面であった。

 

「決めた! 本当にT-35だったらここで撃破しよう。試合の流れをつかむには出足が肝心だと思うし」

「わかった。全車に通達。これから敵戦車と交戦に入る。準備を怠らないように」

 

 まほが無線で連絡を入れたことで、大洗はフラッグ車を守る陣形をとった。

 フラッグ車は一、二回戦同様、38(t)。戦車が増えてもフラッグ車が据え置きなのは、カメチームに対する信頼の表れだろう。

 

 

 

 アヒルチームが合流し、再び七輌になった大洗の戦車隊。

 そのまましばらく進んでいると、正面に巨大な戦車が現れた。

 

「あれがT-35?」

「ええ、砲塔の形状から察するに1933年型だと思われます」

「ずいぶん遅い戦車だな。自転車のほうが早いんじゃないか?」

「重量が45tありますからね。あんまりスピードを出すと、すぐにエンジンがオーバーヒートしちゃうんですよ。ドイツ軍との戦いでは、戦闘で撃破された数より、故障で動けなくなった数のほうが圧倒的に多かったぐらいですから」

 

 麻子の言葉に即座に反応する優花里。戦車マニアの血が騒ぐのか、その姿はすごく活き活きしていた。

 

「装甲が薄いならこの距離でも十分撃破できるはず。よし、全車停止! T-35に向けて砲撃開始するよ」

「華、狙いは正確でなくてもいい。長砲身になったⅣ号なら、どこに当たってもT-35の装甲を抜ける」

「わかりました。当てることに専念します」

 

 隊長車のⅣ号戦車は、この試合から43口径75mm砲に換装されている。T-35は火力が大幅に上がったⅣ号の力を試す恰好の的だ。

 

 沙織の号令で大洗の戦車隊は射撃体勢に入ったが、このタイミングでT-35が動きを見せた。

 五つの砲塔に搭載された主砲、副砲、機関銃。そのすべてがいっせいに火を吹いたのだ。

 

「デカブツが撃ってきたぞ。回避するか?」

「慌てる必要はないです。T-35の主砲は野戦榴弾砲、この距離で戦車の装甲を貫ける威力はありません」

「前面の45㎜砲にだけ注意すればいい。機銃と後方の副砲は無視してかまわない」

 

 優花里とまほは的確なアドバイスをくれる。

 そのおかげで大洗の戦車隊は平静を失わずにすんだ。正確な情報は戦車戦に必要不可欠なのである。

 

「反撃開始。全車、撃て!」

 

 沙織の指示で大洗の戦車隊から砲撃が放たれる。

 巨大で鈍重なT-35に避けるすべはなく、砲撃は全弾命中。ほどなくして白旗が上がり、T-35は完全に沈黙した。  

 

「やった! まずは一輌撃破」

 

 しかし、沙織の喜びは長くは続かなかった。T-35の陰から二輌の戦車が姿を現し、こちらに向かってきたからだ。

 しかも、T-35とは比べ物にならない速さである。

 

「あれはソ連が開発した快速戦車、BT-5!」

『そんな! 私たちが偵察したときは確かに一輌でしたよ!』

「アヒルチームの動きは相手に察知されていたようだな」

 

 偵察に長けているアヒルチームが見落としをするとは考えにくい。まほの言ったとおり、大洗の動きはプラウダに読まれていたのだ。

 

『武部隊長、私たちが前に出ます!』

「梓ちゃん、お願い!」

 

 BT-5の足止めをするためにウサギチームが前進する。

 ウサギチームは練習試合でクルセイダーと何度も交戦していた。足が速い戦車にぶつけるなら、彼女達をおいて他にいない。

 

「カバチームとカモチームはフラッグ車を守って! 他のチームはウサギチームを援護するよ」

 

 BT-5を迎え撃つため各車に指示を飛ばす沙織。

 ところが、事態は思わぬ展開を迎えた。二輌のBT-5は、ウサギチームが迎撃に向かうや否やすぐさま方向転換し、そのまま逃走を開始したのである。

 

「逃げた!?」

『武部隊長、追いましょう!』

『この機を逃す手はない』

 

 アヒルチームとカバチームがBT-5を追って前に出てしまう。

 T-35を撃破したことでチームは勢いづいたが、逆にそれが仇になってしまった。

 

「待って! これは罠……」

 

 沙織の無線は一発の轟音でかき消される。それと同時に一輌の戦車が吹き飛ばされ、真っ白な雪原に無残に転がった。

 このパターンは練習試合でファイアフライにやられたのと同じだ。もし、あのときのように38(t)が撃破されていたら、この試合は終了してしまう。

 沙織は高鳴る心臓を押さえながら撃破された戦車を恐る恐る確認した。

 

「三式中戦車……アリクイチーム!」

 

 横転した戦車は三式中戦車だった。

 ぽっかりと開いたフラッグ車の防御の穴を彼女たちは身を挺して埋めてくれたのだ。

 

『間一髪だったにゃ』

『教官の教えが活きたぴよ』

『あとは頼むもも』

 

 三式中戦車の乗員は無事のようだが、大洗は貴重な戦力を一輌失ってしまった。

 それに対し、プラウダは戦力として計算できない戦車が撃破されただけ。失った戦車はともに一輌だが、その価値は大いに異なる。

 初戦は大洗の完敗。そういって差し支えないだろう。

 

 

◇◇

 

 

 三式中戦車を遠距離からの砲撃で撃破したのは、街道上の怪物ことKV-2。

 しかし、敵戦車を撃破したにもかかわらず、乗員の表情は一様に暗い。

 

「フラッグ車の撃破に失敗しただ」

「カチューシャ様におごらえる……」

「もう一発お見舞いするべ。このままでは雫さんに申し訳が立たね」

 

 この中でもひときわ小さな黒髪おさげの少女が仲間を鼓舞する。

 KV-2の装填手をしているこのニーナという少女は、三郷雫をとくに慕っている一年生であった。

 

「でも、雫さんは撤退しろって言ってるだ」

「雫さん!? 代わっでけね!」  

 

 戦車が撃破されても無線には多少の猶予期間がある。

 KV-2の車長から無線機を受けとったニーナは、心配そうな声で無線に話しかけた。

 

「雫さん、怪我はねだが」

『私は大丈夫です、他の子達もみんな無事ですよ。それより早く撤退してください。KV-2は砲撃を終えたら撤退する。それがカチューシャ様の命令だったはずです』

「ちびっこ隊長は雫さんをポンコツに乗せで捨て駒にしただ。あったしゃっこい人の命令ば聞ぐ必要ね」

『カチューシャ様は冷たい人なんかじゃありませんよ。尊敬する姉さんがいつも見ている景色を私にも見せてくれたんです』

「したばって……」

 

 ニーナはカチューシャに粛清された回数がもっとも多い一年生だ。

 いくら雫の言葉であっても、そう簡単に踏ん切りはつけられないのだろう。

 

『カチューシャ様がニーナちゃんに厳しいのは、それだけ期待をしているということなの。KV-2の装填手にあなたを抜擢したのがその証拠よ。カチューシャ様が一番好きな戦車がKV-2なのは、ニーナちゃんも知っているでしょ?』

「……わかったじゃ。撤退するべ」

 

 通信を終えたKV-2はこの場を離脱した。大洗の戦車も後退したので、最初の戦いはこれで一区切りだ。

 この場に残されたのは、白旗が上がったT-35と三式中戦車の二輌のみ。

 そのT-35の車体の上で、雫は雪が舞うくもり空を見上げていた。

 

「これで少しは姉さんに近づけたかな」

 

 ポツリとそうつぶやく雫。白い息と共に消えたその言葉は、彼女が尊敬する偉大な姉にきっと届いたはずだ。

 

 

◇◇◇

 

  

「ぶえっくしょーい!!」

「汚なっ! 茜、くしゃみするならあっち向いてよ!」

「寒いんだからしょうがないだろ! エミ、ティッシュ持ってないか?」

 

 観客席で盛大なくしゃみをしたのは、黒森峰女学園の二年生、三郷茜。その隣で文句を言っているのが同じく二年生の直下エミ。

 さらに、この場には逸見エリカと聖グロリアーナ女学院の生徒の姿もある。

 クルセイダー隊の隊長、ラベンダー。マチルダ隊の隊長、ルクリリ。クロムウェルの操縦手、ローズヒップの三人だ。

 

「三郷さん、どうぞ」

「サンキューな、ラベンダー」

 

 ラベンダーは茜にティッシュを手渡した。

 さすがは名門お嬢様学校の生徒。細かいところにまで注意が及んでいる。

 

「名前で呼び合うことにしたんだな。隊長クラスじゃないと名前呼びは許されないんだと思ってた」

「黒森峰で名前呼びをすると浮ついた印象を持たれるから、基本みんな名字呼びなんだけど。ほら、私たちはもう外れちゃってるし」

「いわゆるアウトローだからな。堅苦しい名字呼びはやめたんだよ」

 

 ルクリリの質問にエミと茜は淡々と答えてくれる。戦車喫茶での乱闘騒ぎはちょっとしたことにも影響を与えたようだ。

 

「ということは、赤星様と根住様も名前呼びなんですの?」

「赤星は無理かな。あの子は副隊長だし」

「ヒカリはあたしたちの仲間だから、もちろん名前呼びだ」

 

 ヤークトパンターの装填手である根住は、どうやらヒカリという名前らしい。

 

「根住ヒカリ……ヒカリネズミ……ピカチュ……」

「おっと、それ以上はやめとけ。それに触れるとヒカリはキレるから」

 

 ローズヒップの発言を茜は途中で制した。

 

「赤星とヒカリは深水隊長と一緒だから、こっちには来ないんじゃない?」

「油断は禁物だ。あいつは怒らすと本当に怖い。ルームメイトのあたしが言うんだから間違いない」

「ルクリリも怒らすと怖いんですのよ。わたくしの頭をぐりぐりするんですの」

「お前が私をからかうのが悪いんだ」

 

 準決勝で戦う相手だというのに、実に和気あいあいとした雰囲気だ。

 全員制服姿なので、通りすがりの戦車道ファンには何度も二度見されてしまっている。聖グロリアーナ女学院と黒森峰女学園は、去年の準決勝でも対戦した因縁のライバル。戦車道ファンがいぶかしむのも無理はない。

 

「ラベンダー、隊長……まほさんは大丈夫だと思う?」

「大丈夫だとは思いたいけど、確信は持てないかな。あとはお姉ちゃんの気持ち次第だから……」

 

 エリカの問いかけにそう答えたラベンダーの瞳には、大型ディスプレイに大きく表示されたⅣ号戦車が映っていた。



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第五十一話 大洗女子学園対プラウダ高校 中編

 先に試合の流れをつかんだのはプラウダ高校であった。

 三式中戦車を撃破したのを皮切りに、Ⅲ号突撃砲、八九式中戦車と立て続けに二輌を撃破。その戦闘の際にT-34を二輌失ったが、大洗とプラウダには最初から戦力差がある。

 失った戦車の数が同じであれば、勝利の天秤はプラウダに大きく傾く。戦車を失えば失うほど大洗は追いつめられていくのだ。

 

「カチューシャ、残りは四輌です。次はどう動きますか?」

「雪原で撃ち合いをしてもプラウダには勝てない、それくらいは大洗も理解しているはずよ。そうなると、打てる手は限られてくるわ。玉砕覚悟でフラッグ車に突撃するか、それともどこかに身を隠して籠城するか。選択肢はその二択しかないでしょうね」

「破れかぶれで突撃してくるとなると、双方に怪我人が出るかもしれません」

「スポーツに怪我はつきものだけど、できればそんな事態は避けたいわ。武部沙織が愚かじゃないことを祈りたいわね」

 

 やれやれといった感じで両手を軽く広げるカチューシャ。この試合に対する興味はすでに失われてしまったらしい。      

 

「まほさんに期待するのはやめたんですか?」

「ノンナも見てたでしょ。カチューシャたちが今まで戦っていた相手は、西住まほじゃなくて武部沙織よ」

 

 西住まほは試合中に一度も姿を見せていない。それどころか、彼女が何かしている様子すら感じられなかった。

 拍子抜けとはまさにこのこと。西住まほは依然として負け犬のままだ。

 

『カチューシャ隊長! 大洗の戦車を発見しただ』

 

 そのとき、戦車を降りて偵察に出ていた隊員から連絡が入った。

 試合中のプラウダ高校は偵察を盛んに行っている。新鮮な情報は、作戦を練るのにもっとも重要な要素だからだ。

 

「大洗の連中はどこに雲隠れしていたの?」

『廃集落の教会の中に隠れでますた。四輌全部そろってら』

「よくやったわ。本隊が到着するまで、大洗を見張っていなさい」

『わがったべ』

 

 これで試合の行く末は決しただろう。包囲戦術はプラウダ高校が一番得意としている戦術なのだ。

 

「大洗に引導を渡しに行くわよ。Танки вперед(タンキ フピェリョート)!」

Ураааааааа(ウラー)!!』

 

 カチューシャがロシア語で戦車前進と伝えると、隊員から勇ましい返事が返ってくる。雪が降り続く極寒の中での戦いだが、プラウダ高校の士気はまったく衰えていなかった。

 

 廃集落へ向けて移動を開始したプラウダ高校。大洗の運命はまさに風前の灯であった。

 

 

 

 

 劣勢を強いられ廃集落の教会へと身を隠した大洗女子学園一同。

 激しい戦いの連続で疲労はピークに達し、多くの仲間を失った精神的動揺は計りしれない。

 それでも、彼女たちはまだ試合を諦めてはいなかった。

 

「梓ー、M3のペンキの塗り替え終わったよー!」

 

 作戦会議に参加している梓にあゆみが声をかける。

 背後のM3リーは白一色に塗り替えられており、まるで白磁の置物のようだ。

 

「じゃあ、次は後藤先輩と小山先輩を手伝ってあげて」

「了解。桂利奈と紗希は私についてきて。あやと優季はルノーのほうをお願い」

 

 ウサギチームのメンバーにテキパキと指示を出すあゆみ。

 さっぱりした性格のあゆみは、グループの風通しをよくするのに一役買っている。梓はそんなあゆみをサブリーダーに指名したようだが、どうやらうまく機能しているらしい。

 

「よっしゃー! やったるぞー!」

「ねえ、優季ちゃん。ペンキが髪に付いちゃったんだけど、これ取れるかな……」

「ほんとドジだな~あやは~」

「よりによって優季ちゃんに言われるなんて、サイアクー!」

 

 わいわい騒ぎながら次の作業場へ向かうウサギチームの面々。

 彼女たちは何があっても明るさを失わない。大洗女子学園の希望の光は簡単にくもりはしないのだ。

 

「武部ちゃん、塗り替えが終わったらどうすんの? みんなで突撃して乱戦にでも持ちこむ?」

「戦車の色が同じならプラウダの混乱を誘える。武部、会長の案を試してみよう」

「風紀委員はその案に反対します。怪我をするかもしれない危険な行為は認められないわ」

 

 杏と桃の提案をみどり子がバッサリ却下する。

 生徒の安全を守るのも風紀委員の仕事だ。討ち死に上等の特攻などもってのほかである。

 

「なんだと! それなら、お前には何かいい案があるのか? ないとは言わせんぞ!」

「あるわけないでしょ! 私はこの試合が初陣なのよ!」

 

 桃とみどり子は口喧嘩を始めてしまう。

 精神的に未熟なところがある桃と突然戦車道の世界に放りこまれたみどり子。追いつめられつつある状況も手伝って、両名ともかなりのストレスが溜まっているようだ。

 

「お二人とも、イライラする気持ちはわかりますが、ここは冷静になりましょう」

「秋山先輩の言うとおりです。それに、そろそろ芽依子も偵察から戻ってきます。作戦を立てるのは情報がそろってからにしましょう」

 

 優花里と梓からやんわりと注意された桃とみどり子は、気まずそうに下を向いた。

 最上級生がみっともなく取り乱してしまったのを恥じているのか、二人の頬は少し赤くなっている。

 

「それじゃあ、芽依子ちゃんが帰ってくるまで少し休憩しようか。華ー、スープをみんなに配ってー!」

 

 準決勝の舞台が雪原ということもあり、沙織は温かいスープを用意していた。戦いには休養も必要なのだ。

 

 沙織の号令で休憩に入る大洗の生徒たち。そんな中、スープに手すら付けず、教会の隅で毛布にくるまっている生徒がいた。

 Ⅳ号戦車の通信手、西住まほだ。

 

「沙織、西住さんは重症みたいだ。一声かけてやれ」

「任せて。この前雑誌で、男を励ます魔法の言葉が載ってたから、それを試してみる」

「そんな本ばかり読んでいるからモテないんですよ。沙織さん、知識ばっかり貯めこむのはもうやめにしましょう」

 

 華に厳しい言葉を投げかけられた沙織は、がっくりと地面に膝をついた。

 モテないという言葉は、沙織を打ちのめす威力を持ったパワーワード。安易に使ってはいけないのだ。

 

「西住、いつまでそうしているつもりだ? お前には勝つ気がないのか?」

 

 そのとき、打ちひしがれた沙織に代わって、桃がまほの前に立った。

 先ほどの一件を反省しているのか、声のトーンは抑え気味になっている。

 

「カチューシャは去年の大会でMVPに選ばれた選手だ。勝てるわけがない」

「……この状況を打開しろとか、先陣を切って戦えとか言うつもりはない。やる気さえ見せてくれればそれでいい」

 

 右手で左手の甲をつねりながら、空気を読んだ発言をする桃。その姿からは、爆発しそうな感情を必死に抑えているのがうかがえる。

 

「私に期待してもがっかりするだけだぞ。私にはカチューシャのような意志の強さも、みほのような才能もないからな」

 

 桃の気持ちなどおかまいなしで、ネガティブな発言を繰り返すまほ。 

 さらっと妹の名前まで混ぜるあたりが、筋金入りのシスコンのまほらしい。

 

「いい加減にしろ! 西住、お前の根性はどこまで捻じ曲がってるんだ!」

 

 怒りを爆発させた桃は、まほに向かってずんずん歩を進める。

 人の本質はそうすぐには変わらない。ここまで我慢できただけでも上出来だ。

 

 しかし、桃はまほに詰め寄ることはできなかった。

 教会の天井から一人の人物が地面に降り立ち、桃の行く手をふさいだからだ。

 

「おい、びっくりしただろ! 犬童、心臓に悪い登場の仕方はやめろ」

 

 桃の前に現れたのは犬童芽依子であった。

 芽依子は偵察から戻ったばかりなのだろう。体は上から下まで全身雪まみれだ。

 

「河嶋先輩、まほ様を殴るおつもりですか?」

「止めるな、犬童。今日という今日はもう我慢ならん」

「殴るのを止めはしません。ただ、その役は芽依子がやります」

 

 芽依子はそう言うと、まほの胸倉をつかんで強引に立ち上がらせ、強烈な平手を一発見舞った。

 その一連の動作はまさに電光石火の早業。あまりの速さに、まほは受身も取れずに地面へ転がった。

 

「口を開けば、みほ、みほ、みほ。そうやって一生みほ様にすがって生きていくつもりですか? 自分を恥ずかしいとは思わないんですか?」

「……仕方ないだろ。私はみほみたいに強くないんだ」  

「妹の名前を免罪符に使うのはやめなさい!」

 

 芽依子は再びまほを立たせると、今度は反対側の頬を張った。

 忍道の世界で無敵を誇った芽依子の力の前に、まほはなすすべがない。

 

「みほ様は支えてくれる人たちがいたから、強くなれたんです。最初から強かったわけじゃありません。芽依子だって同じです。梓たちがいなかったら、芽依子は自責の念に押しつぶされてました」

 

 芽依子がちらっと目を向けた先には、心配そうな表情で事態を見守るウサギチームの姿がある。

 

「まほ様にだって支えてくれる人がいるはずです。まほ様は今まで一人で戦ってきたんですか?」

「私は……」

 

 地べたに座りこんだまま視線を漂わせるまほ。

 その視線があんこうチームの姿を捉えるまで、そう時間はかからなかった。

 

「気づいたのなら、芽依子はもう何も言いません。暴力を振るってしまったのは謝ります。申し訳ありませんでした」

 

 芽依子はまほに謝罪したあと、沙織のいる方向に体を向けた。

 

「武部隊長、この教会はすでに包囲されています。一刻も早く対策を練りましょう」

「わ、わかった。休憩終了! みんな、持ち場に戻って」

 

 沙織の命令で大洗女子学園の生徒たちがそれぞれの場所へ散っていく。

 

「芽依子ちゃん、プラウダの配置を教えて」

「はい。すでに地図は用意してあります」

 

 芽依子の用意した地図には、教会をぐるっと取り囲むプラウダの戦車が書かれている。

 教会の入口正面には、85mm砲搭載のT-34が五輌。その内の一輌がカチューシャの搭乗する隊長車だ。

 右側にはIS-2が一輌とT-34が三輌。ここに配置されている76.2mm砲搭載のT-34がフラッグ車である。

 左側はKV-2が一輌。他と比べて左側は配置が薄いが、教会の真後ろにはBT-5が二輌隠れている。ここを抜けても、BT-5に道をふさがれ挟み撃ちにされてしまうだろう。

 

 大洗の戦力は残り四輌。たったこれだけの戦力では、どこへ突撃しても返り討ちにされる。袋のネズミとはまさにこのことだ。

 

「少し時間をもらってもいいか?」

「まほ……ってどうしたのその髪!?」

 

 沙織が驚くのも無理はない。まほはロングヘアからショートヘアにイメチェンしていたのだ。

 

「切った。ハサミは華に借りた」

 

 華は生け花用のハサミをつねに持ち歩いているが、どうやら試合の際も所持していたらしい。

 生け花で使うハサミは髪を切るものではないので、当然見栄えは悪い。髪の長さもバラバラであり、とても人前に出られるような髪型ではなかった。

 しかし、髪を切ったまほの表情は先ほどまでとはまるで別人だ。伏し目がちだった顔はまっすぐ前を向いており、目には力強い光が宿っている。

  

「沙織、プラウダの戦術のタクトを握っているのはカチューシャだ。彼女さえ倒せば、プラウダの作戦は機能不全に陥る。勝利をつかむにはカチューシャを撃破するしかない」

「でも、どうやってカチューシャさんを倒すの? こっちは四輌しか戦車がないんだよ?」

「これから話す作戦は沙織のプライドを傷つけることになる。そのかわり、絶対にカチューシャは仕留めてみせる。沙織、私を信じてくれ!」

 

 まほは沙織に向かって頭を下げた。

 そんなまほの手を沙織は両手で優しく包みこむ。

 

「私はいつだってまほを信じてるよ。だって、まほは私の友達だもん」

「沙織……ありがとう」

 

 いよいよ大洗女子学園の反撃が始まる。戦いはここからが本番だ。 

 

 

◇◇

 

 

 カチューシャは教会を包囲する布陣を敷いた。

 大洗がKV-2を配置した包囲が薄い場所を選べば、BT-5を使って挟み撃ち。フラッグ車を狙いに行けば、ノンナのIS-2の餌食。正面はカチューシャが率いる五輌のT-34がふさいでおり、大洗に逃げ場はない。

 

「さっさと出てきなさい、武部沙織。ここで決着をつけてあげるわ」

 

 余裕の態度を崩さないカチューシャ。

 彼女は自分の作戦に絶対の自信を持っているのだろう。

 

 そして、ついにそのときが来た。大洗の戦車が教会から姿を現したのだ。

 

「来たわね。どこへ逃げようとしても無駄よ。カチューシャ戦術に死角はないわ」

 

 しかし、カチューシャの余裕の態度もそこまでだった。 

 教会から出てきたⅣ号戦車のキューポラから身を乗り出していたのは、武部沙織ではなかったのである。

 

「西住まほ!? ノンナ、フラッグ車を守って!」

 

 引きこもる前の西住まほは、西住流そのものと呼ばれるほどの優秀な戦車乗りだった。隊長として優れているのはもちろん、車長としての能力も同年代ではずば抜けている。

 カチューシャの選手としての実力はまほの足元にも及ばない。だからこそ、カチューシャは戦術という自分の武器を必死に磨いてきたのだ。 

 そのまほが車長のポジションで試合に出てきた。しかも、試合前に会ったときとは違い、表情に覇気がある。カチューシャが危機感を募らせるのは当然であった。

 

 だが、カチューシャの予想は外れた。

 Ⅳ号戦車が目指す先にいるのは教会の正面に展開している部隊。どうやら、まほはカチューシャと戦うつもりのようだ。

 

「カチューシャの首をとろうってわけ! いいわよ、やってやろうじゃない!」

『カチューシャ、撤退してください。あなたを失うわけにはいきません』

「逃げるなんて隊長じゃないわ。それに、トモーシャが見てる前でカッコ悪い真似はできないの。西住まほは私が倒す!」

 

 ノンナの言葉を無視し、カチューシャはまほとの戦いに挑む。

 カチューシャはトモエの前では無茶をする。ノンナが危惧していたカチューシャの不安要素が一気に噴出してしまった瞬間だった。

 

 

◇◇◇

 

 

 静まり返っていた観客席から地鳴りのような歓声が沸き起こった。大洗のⅣ号戦車がプラウダの戦車隊を相手に派手な立ち回りを演じ、合計五輌の戦車を撃破したからだ。

 残念ながらⅣ号戦車は撃破されてしまったが、最後の最後でプラウダの隊長車を落とした。プラウダの絶対的存在が消え、大洗にも逆転の目が出てきたのだから、観客が熱狂するのもうなずける。

 

 その観客席から少し離れた場所に設置された巨大なテントの中で、優雅にお茶を飲みながら試合を観戦している二人の少女がいた。

 ダージリンとオレンジペコである。

 

「『人は誰でも負い目を持っている。それを克服しようとして進歩するのだ』。まほさんはようやく自分を取り戻すことができたようね」

「日本海軍大将、山本五十六の言葉ですね」

 

 いつものように誰の格言かを言い当てるオレンジペコ。ダージリンと一緒のこの時間は、オレンジペコが優等生に戻れる貴重な時間であった。

 ちなみに、偵察に放ったメイドの報告で、オレンジペコは問題児トリオの動向を把握している。彼女たちが観客席で静かにしているのを考えると、オレンジペコの不幸は今日は休業中らしい。

 

「ここからは両校の総合力が問われる試合になるわ。ペコ、あなたはどちらが勝つと考えているのかしら?」

「個人的には大洗を応援したいです。いろいろとご縁もありましたし」

「それなら、ここでのんびり観戦している場合ではありませんわね。ペコ、あなたも大洗の応援団に参加しなさい」

 

 ダージリンはそう言って、大型ディスプレイの一部を指差した。

 それを見たオレンジペコは紅茶を吹き出してしまう。大型ディスプレイには、チアリーダー姿で大洗を応援する友人たちが映っていたのだ。

 そのとき、外で控えていたメイドたちがテントになだれ込んできた。しかも、メイド長の手にはチアリーダーの衣装が握られている。

 

「お嬢様の衣装も用意してあります。今すぐ着替えて車にお乗りください」

「いったいなんのつもりですか? 私を裏切ってダージリン様についても、あなた達に利益はありませんよ」

「お嬢様、お許しください。これは旦那様のご命令なのです」

「お父様の?」

 

 意外な名前が出てきたことで、オレンジペコはあっけにとられてしまう。

 しかし、その時間もごくわずか。オレンジペコの優れた頭脳はすぐに再起動し、ある一つの結論にたどり着いた。

 

「ダージリン様! 謀りましたね、ダージリン様!」

「生まれの不幸を嘆きなさい。あなたのお父様がチアフェチなのがいけないのですわ」

 

 その後、オレンジペコはチアリーダーの衣装に無理やり着替えさせられ、車で連れていかれた。

 オレンジペコの不幸に休日という文字はないらしい。

 

 

◇◇◇◇

 

 

 オレンジペコとメイドたちがいなくなり、テントの周囲に人の気配はなくなった。

 ここは興奮に包まれている観客席とはまるで別世界。このテントがこの会場内で一番静かな場所なのは間違いない。

 それを見計らったかのようなタイミングで、一人の人物がダージリンの元へやってきた。

 GI6所属のエージェント忍者、キャロルだ。

 

「人払いはすませました。キャロル、準備は整っているかしら?」

「万事滞りなく進んでおりますわ。あとは半蔵たちの到着を待つだけですの」

 

 ダージリンがキャロルと話をしていると、テントの外から大きな声が聞こえてきた。

 

「頭領ー! お客様をお連れしたでござるー!」

「噂をすればなんとやら。ダージリン隊長、少々お待ちくださいませ」

 

 キャロルはテントから退出した。おそらく、客人に事情を説明しに行ったのだろう。

 ダージリンがしばらく待っていると、テントの中に客人が入ってきた。

 

「西住しほ様、ようこそおいでくださいました。本日はお忙しいなか、貴重な時間を割いていただき、感謝申し上げますわ」

 

 どうやら、ダージリンの(はかりごと)はここからが本番のようである。



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第五十二話 大洗女子学園対プラウダ高校 後編

 Ⅳ号戦車の突撃はプラウダに大打撃を与えた。

 戦車を五輌失ったのも大きいが、なんといってもカチューシャを失ったのが一番の痛手。

 プラウダ高校の作戦はカチューシャの指揮があってこそ。彼女がいなければ、もう効果的な作戦は行えない。

 しかも、プラウダは大洗の残存車輌を見失ってしまった。Ⅳ号戦車が大暴れしている間に、残りの三輌は教会を脱出していたのである。

 Ⅳ号戦車による強襲と戦車の色を白に塗り替えるカモフラージュ。この二つの策にプラウダはまんまとハマってしまったのだ。

 

 プラウダの指揮は今はノンナがとっている。

 しかし、ノンナは砲手としての腕前は一流だが、部隊の指揮に関しては人並み程度。カチューシャのように部隊を運用する力はない。

 

『ノンナ副隊長、大洗の戦車を一輌見つけただ!』

 

 そのとき、大洗の戦車を捜索しているBT-5部隊から連絡が入った。

 混乱している部隊の中で、雫隊の生き残りだけが積極的に動けている。

 雫隊のメンバーは全員一年生。雫の存在が彼女たちのやる気に火をつけているのは間違いないだろう。

 

「発見したのはフラッグ車ですか?」

『フラッグではね。M3じゃ』

「私たちもそこへ向かいます。場所を教えてください」

 

 ノンナはM3中戦車を先に片づけるつもりのようだ。

 M3中戦車は一、二回戦で相手のフラッグ車を撃破した戦車。いわば大洗の快進撃を支えている存在だ。

 ウサギのエンブレムが入ったM3中戦車は、世間から首狩りウサギと呼ばれている。

 相手チームの生命線であるフラッグ車の首を次々とあげてきたのだ。そんな異名がついても不思議はない。

 この試合展開でノンナがM3中戦車を危険視するのは、ごく自然な成り行きであった。

 

「フラッグ車とKV-2は待機。残りの車輌は私についてきてください」

 

 KV-2をフラッグ車の護衛に残し、IS-2とT-34はウサギ狩りに出発。

 戦いはいよいよクライマックスに突入した。

 

 

 

 

 二輌のBT-5に追いかけられるM3リー。

 だが、ウサギチームの面々に慌てた様子はない。

 M3リーが囮になるのは作戦の内。時間を稼ぐのが彼女たちに課せられた使命なのだ。

   

 とはいえ、快速戦車のBT-5から逃げ続けるのは神経を使う。

 カモフラージュのおかげで相手の命中率は下がっているが、スピードは向こうが上。近づかれてしまうと被弾の確率はぐっと上がる。

 それに、いつまでもこの状況が維持できるとは限らない。事実、桂利奈は額に汗をかきながら必死に運転している。桂利奈の集中力がいつまでもつかはまったくの不透明だ。

 

「梓、BT-5をなんとかしないと桂利奈がダウンしちゃうよ!」

「芽依子もあゆみと同意見です。桂利奈にこれ以上の無理はさせられません」

 

 あゆみと芽依子の進言を受けた梓は、少し思案したあとである決断を下した。 

 

「あや、37㎜で牽制をかけて。確認したいことがあるの」

「わかった!」

 

 車体上部の小型砲塔が回転し、M3リーの攻撃態勢が整う。

 梓からの指示は撃破ではなく牽制。なので、あやはとくに狙いを定めず37㎜砲を発射した。

 もちろん、そんな攻撃が当たるはずもなく、あやの砲撃はBT-5に回避されてしまう。

 しかし、今の砲撃であやは何やら手ごたえをつかんだ様子だ。

 

「狙いをつければ当たるかもしれない。あの二輌、ニルちゃんよりも運転下手だよ」

「当然」

 

 あやの発言を聞いた紗希はなぜか誇らしげだ。表情は変わらないが、仲の良いニルギリがほめられたのがうれしいのだろう。

 

「BT-5はここで撃破しよう。優季、ウサギチームは今から交戦に入るって会長に連絡して」

「本当にいいのぉ? 私たちのお仕事は時間稼ぎなんでしょ?」

「私はハイビスカスさんに勝つって決めたの。彼女より弱い相手には負けられない」

 

 操縦手だけが優れていても戦車はうまく機能しない。戦車の運用は、すべてを統括する車長の能力に左右されるからだ。

 ニルギリの操縦が上手ということは、ハイビスカスがそれだけ優秀だということである。

 

「次のBT-5の砲撃を回避したら、反転して攻勢に転じよう。もう少しだけがんばって、桂利奈」

「あいっ!」

 

 桂利奈の元気な声を聞いた梓はそのときを待った。

 ここからはタイミングが勝負を分ける。梓が指示をミスすれば、その時点でゲームオーバーだ。

 

「今だ! 反転して!」

 

 器用に反転したM3リーは二輌のBT-5と向かい合う形になった。

 

「接近して二輌同時に攻撃するよ。あゆみは右、あやは左をお願い。桂利奈、右のBT-5に向かって全速前進!」

 

 梓は75㎜砲と37㎜砲を使用した同時撃破を狙っているようだ。

 リスクの高い博打のような作戦だが、成功すれば一気に局面を打開できる。

 ハイビスカスに勝利する。その一心で梓は努力を重ねてきた。ここは梓の車長としての真価が問われる場面であった。

 

 ジグザグに走行しながらM3リーはBT-5に突撃をかける。

 距離が近くなったことで、今まで当たらなかったBT-5の砲撃がM3リーに初めて命中した。しかし、この程度のダメージではM3リーの足は止まらない。

 M3リーの正面装甲は約51㎜。BT-5の45㎜砲では、至近距離まで近づかないと装甲は抜けない。

 

 それに対し、M3リーの75㎜砲は遠距離でもBT-5の正面装甲を抜ける。

 だが、梓はすぐに砲撃命令は下さなかった。一輌しか撃破できなかった場合、残りのBT-5が逃走する可能性があるからだ。

 撃破すると決めた以上、BT-5は二輌とも仕留めなければならない。カメチームとカモチームの作戦の障害は、少ないほうがいいに決まっている。

 

 そして、ついにそのときが来た。

 

「撃て!」

 

 梓の命令でM3リーの砲塔が火を吹いた。

 あゆみの75㎜砲が右のBT-5の正面、あやの37㎜砲が左のBT-5の側面にそれぞれ命中し、BT-5は二輌同時に白旗を上げる。

 梓は賭けに勝ったのだ。    

  

「あや、お見事です」

「三式のときに散々しごかれたからね。これぐらいはできないと、ラベンダーさんに怒られちゃうよ」

 

 全試合で同じ戦車に乗っている芽依子とあや。

 ぎこちない関係になったこともある二人だが、今はそれをまったく感じさせない。

 

「やったね、桂利奈」

「桂利奈ちゃん、お疲れ様~。はい、お水だよ」

「ありがとう、優季ちゃん。……ふぅー」

 

 あゆみと優季に労われた桂利奈は、受け取ったペットボトルをラッパ飲みしたあと、深く息を吐いた。

 桂利奈の疲労の色は濃く、表情も疲れきっている。どうやら、BT-5を撃破する梓の決定は正解だったようだ。

 

 喜ぶ仲間たちの様子を見ながら梓も勝利の余韻に浸る。

 BT-5はハイビスカスのクルセイダーよりも技量が劣る相手だ。それでも、快速戦車を二輌撃破できたことは、梓の自信を深める大きな戦果だった。

 

 そんな梓の肩を紗希が軽く叩く。みんなが勝利に沸くなか、彼女だけはいつもどおりのポーカーフェイスだ。

 

「来た」

「紗希? 来たって何が?」

「鼻の長いの」

「桂利奈! 後退して!」

 

 梓は即座に桂利奈へ指示を飛ばす。

 それを受けた桂利奈は、ペットボトルを手放し全速力でM3リーを後退。次の瞬間、M3リーが先ほどまで留まっていた場所に砲弾が着弾した。

 

「IS-2だ。みんな、もうひと踏ん張りだよ!」

 

 IS-2はプラウダ高校の副隊長が搭乗している重戦車。撃破するのはまず無理だろう。

 あとはできるだけ時間を稼ぐしかない。ウサギチームの任務はここからが正念場だ。

 

 

◇◇

 

 

 プラウダ高校のフラッグ車であるT-34は廃集落で待機中。

 激しい戦いが行われている雪原と違って、この場は静寂そのもの。だからなのか、フラッグ車の乗員は戦車の上でのんびりお茶を飲んでいた。

 隠れているだけというのは精神的な疲労が溜まる。少しは息抜きも必要なのだ。

 そのとき、見張りに立っていた隊員が慌てた様子で戻ってきた。

 

「敵、来襲!」

 

 敵戦車が現れたことで、フラッグ車の乗員は戦車に乗りこむ。

 全員が配置についたあと、車長はIS-2に無線連絡を入れた。敵が来たのだから、それに対応しなければならない。 

 

「こちらフラッグ。敵に発見されました。どうしましょう?」

『悪いけど、そっちで判断して。何やってんの! 馬力はこっちが上なんだから、M3なんて弾き飛ばして!』

 

 無線に出たのはノンナではなく、IS-2の代理車長だった。どうやら、ノンナは砲手に専念しているらしい。

 

「どうする?」

「私に聞かれても困るじゃ……」

 

 フラッグ車の乗員が戸惑っていると、大洗の戦車が姿を現した。現れた戦車は大洗のフラッグ車、38(t)である。

 すると、後方に控えていたKV-2がいきなり発砲し、38(t)の近くにあった建物が吹き飛んだ。

 勇み足ではあるものの、それは仕方がない。KV-2の乗員は全員一年生で経験が浅いのだ。目の前にフラッグ車が現れれば撃ちたくもなる。

 

 38(t)は反撃をしてくるが、砲弾はあさっての方向に飛んでいった。

 ここまで大外れができる砲手はなかなかいない。あの砲手がど下手くそなのは疑いようがないだろう。

 

 攻撃がまったく当たらないことで不利を悟ったのか、38(t)は逃走。

 それを好機と判断したのか、KV-2はフラッグ車を追い抜いて38(t)を追いかけ始めた。

 

「KV-2と離れるのはまずいべ」

「私たちもあとを追うじゃ」

「あれを倒せばうちの勝ちだし。たまには前に出るのも悪くないか」

 

 KV-2に続いてT-34も前進を開始。廃集落を舞台にしたフラッグ車同士の戦いが始まった。

 

 

 

 

 KV-2の砲撃で廃集落の建物が次々と破壊されていく。

 その崩壊していく集落の中を38(t)は死に物狂いで逃げ続けていた。

 

「小山、そこの角を右に曲がって直進。目的地まであと少しの辛抱だよ」

「はい!」

 

 地図を見ながら杏は柚子に進む道を指示する。

 

「河嶋、園ちゃんにもうすぐ着くって連絡しておいて。これがラストチャンスだって言葉も忘れずにね」

「わかりました!」

 

 ウサギチームはついさっき撃破された。

 これで大洗は残り二輌。ここで試合を決められなければ、敗戦は必至だろう。

 

 38(t)が角を右に曲がると、左右に家が立ち並ぶ広い道に出た。

 KV-2とT-34は砲撃を続けながら38(t)を追いかけてくる。

 

『カモチーム、突貫します。行くわよ、規則破りの風紀委員アターック!!』

 

 家の影に隠れていたカモチームのルノーB1bisがKV-2の側面に体当たりを敢行。

 KV-2は重量があるのではね飛ばすことはできないが、少しでも進路を脇にそらせればそれで十分。この道の脇には落とし穴が用意してあるのだ。

 その策は見事に的中する。カモチームの体当たりを受けたKV-2は、落とし穴に足を取られて横転し、車体から白旗が上がった。

 

 KV-2は倒した。しかし、後続のT-34の砲撃でカモチームは撃破されてしまう。

 この場に残ったのはお互いのフラッグ車のみ。ここからはフラッグ車同士の一騎打ちだ。

 

「よし! 河嶋、代わって!」

「はっ!」

 

 杏は地図を投げ捨て砲手の座につく。これで38(t)の命中率は格段に上がった。

 

「37㎜でも至近距離なら装甲を抜ける。小山、突っこめ!」

「はい!」

 

 38(t)は反転し、T-34に近づいていく。

 装甲が薄い38(t)は近距離で一発もらえば即白旗だ。当たれば終わりという恐怖感は、程度は違えどカメチーム全員が抱いている。

 それでも、怯むわけにはいかなかった。

 このチャンスはみんなが作ってくれたもの。この戦いを始めた生徒会がそれを逃すわけにはいかない。

 

 カメチームの思いが詰まった37㎜砲がT-34の装甲を貫いたのは、それから間もなくのことであった。

 

 

 

 

 大型ビジョンには大洗女子学園WINという文字が大きく映し出されている。

 それを見た瞬間、あんこうチームは喜びを爆発させた。

 

「やった! 勝ったよ! 私たち、去年の優勝校に勝てたんだよ!」

「やりましたね、武部殿!」

 

 沙織と優花里は抱きあって喜びを分かちあっている。

 

「華、ありがとう。華が貸してくれたハサミは私に勇気をくれたよ」

「まほさんのお役に立てて何よりです」

「来たな。西住さん、お客様だぞ」

 

 まほが華と話していると、麻子が来客の到来を告げた。

 やってきたのは、プラウダ高校戦車隊隊長、カチューシャだ。

 

「カチューシャの負けよ。約束どおり、あなたを侮辱したことを謝罪するわ。Простите(プラスチーチェ)

 

 ロシア語で謝罪し、深々と頭を下げるカチューシャ。

 

「あのときの私は侮辱されて当然の人間だった。カチューシャが謝る必要はない」

「……そう。なら、もう謝罪はなしね」

 

 カチューシャはぱっと顔を上げると、まほに向かって手を差しだす。

 カチューシャの意図を察したまほはその手を握り、二人は熱い握手を交わした。

 

「あなたはこの私を倒したんだからね。決勝戦で無様な試合をしたら許さないわよ」

「迷いは断ちきった。もう情けない姿は見せない」

「その言葉、信じてあげる。決勝戦もがんばりなさい」

 

 カチューシャはまほと握手を終えると、次に沙織の前へ立った。

 

「武部沙織、あなたに聞きたいことがあるわ」

「私に?」

「あなたは車長の座を西住まほに渡した。悔しいとは思わなかったの? あなたじゃカチューシャに勝てないと言われたようなものよ」

「まほがカチューシャさんを倒すって言ってくれたんです。だから、私はそれを信じました。友達を信じられないような隊長にはなりたくないですから」

 

 沙織はカチューシャの目をしっかり見据えてそう答えた。

 消極的な答えかもしれないが、カチューシャに不機嫌そうな様子は見られない。

 

「ずいぶん腰が低い隊長ね。でも、隊員の意見にしっかり耳を傾けられる点は合格よ。私に勝ったお祝いに愛称をつけてあげるわ。沙織だから……サオリーニャがいいわね」

 

 上機嫌で沙織の愛称を口にするカチューシャ。だが、当の沙織はいささか困惑気味な様子。

 いくらなんでもサオリーニャはないだろう、そう言いたげな顔である。

 

「決勝戦も勝つぞ、サオリーニャ」

「サオリーニャ殿、絶対優勝しましょう」

「私たちはサオリーニャさんについていきます」

「サオリーニャってみんなで呼ぶのはやめてよ! 恥ずかしいじゃん!」

 

 どうやら、カチューシャがつけた愛称はあんこうチームの心の琴線に触れたらしい。 

 愛称連呼を沙織が抗議していると、まほが沙織の肩をポンポンと叩いた。

 

「大洗女子学園の隊長はサオリーニャしかいない。次の試合もよろしく頼む」

「まぽりんまでっ!? やだもー!」

 

 大洗女子学園はプラウダ高校に見事勝利し、決勝戦に駒を進めた。

 廃校を回避するまであと一勝。次の試合が大洗女子学園の未来を決める試合になる。 

 

 決勝戦の相手は黒森峰女学園と聖グロリアーナ女学院の試合の勝者。どちらが決勝に出てくるかで大洗女子学園の運命も変わる。

 その試合に影響を与える出来事が今まさに観客席で起こっていた。

 

 

◇◇◇

 

 

 周囲に誰もいない観客席でみほはしほと対峙していた。

 

「お母さん、本気で言ってるの?」

「私は本気です。まほが黒森峰女学園に弓引くことになれば、西住流との関係悪化は避けられない。西住流を守るためには、まほを勘当するしかないのです」

「お姉ちゃんのことは私がなんとかするって、お母さんはそう言ったよね? あの言葉は嘘だったの?」

「母は無力でした……。言い訳はしません、どんな罵倒も甘んじて受け入れます」

 

 突然現れたしほにここへ連れてこられ、まほを勘当するという衝撃の発言を突きつけられたみほ。

 母に裏切られた。その事実は、鋭利なナイフとなってみほの心を滅多刺しにしてくる。

 本当ならしほにあらん限りの罵声を浴びせたい。涙を流して文句を言いたい。しかし、それは決してやってはいけないことだ。

 今のみほは聖グロリアーナ女学院の制服姿。聖グロリアーナの生徒が人前で親と喧嘩をするわけにはいかない。

 

「お願い、お母さん。お姉ちゃんを助けて。私にできることがあるなら、なんでもするから……」

 

 感情を押さえつけながらみほは声を絞り出す。

 みほの感情コントロールもだいぶ上達した。これも愛里寿のおかげだろう。

 

「……まほの勘当を回避する方法が一つだけあります」

「本当!? どうすればいいの!」

「聖グロリアーナ女学院が次の試合で勝てばいいのです。そうすれば、まほを勘当する理由がなくなります」

「それは……」

 

 難しいと言いそうになったみほはとっさに口をふさいだ。

 聖グロリアーナの戦車道を守って黒森峰に勝利するのは、奇跡でも起こらない限り不可能。しかし、その奇跡を起こさなければ、みほはまほと姉妹でいられなくなる。

 奇跡が起こる確率が減るような発言は口に出したくなかった。

 

「みほ、あなたなら黒森峰女学園に勝てる作戦を見いだせるのではないですか? 母はみほの幼少期のやんちゃぶりをよく覚えていますよ」

「あれは私が何も知らない子供だからできたんだよ。後継者が西住流を汚すような真似は……」

「あなたの今の名前はなんですか?」   

「私の名前?」

 

 しほの質問にみほは首をかしげるが、その答えはすぐに出た。

 エリカと初めて喧嘩をした一年生のときに、みほはこの問いの答えをすでに口にしていたからだ。

 

「私の名前はラベンダー」

「西住流の後継者は西住みほであって、ラベンダーではありません。ラベンダーが西住流とかけ離れた戦いをしたとしても、誰も咎められないはずです」

「それは屁理屈って言うんじゃ……」

「ラベンダーは西住流ではなく、聖グロリアーナの戦車道で戦ってきました。西住流一門は今までそれを黙認してきたんです。文句は言わせません」

 

 しほがここまで言うのだから、西住流一門に関しては本当に問題がないのだろう。  

 それでも、みほはすぐにハイとは言えなかった。

 みほが幼少期に試した作戦は卑怯としかいいようがないものばかり。そんな邪道な戦いを聖グロリアーナに持ちこむことはできない。

 

「お母さん、やっぱりダメだよ。私は聖グロリアーナの教えを破れな……」

「話は聞かせてもらいました。ラベンダー、次の試合の作戦はあなたに一任します。どんな作戦を練ろうとあなたの自由。責任はすべて私が取りますわ」

「ダージリン様!?」

 

 みほの言葉をさえぎったのはダージリンであった。

 なぜここにダージリンがいるのか、あまりの急展開にみほの頭はまったくついていけなかった。

 

「『思い立ったが吉日』。今すぐ学園艦へ戻って作戦を考えましょう。私も協力しますわ」

「ふえっ!? ダージリン様、待ってください!」

 

 みほがぼーっとしていると、ダージリンは先にすたすたと歩いて行ってしまう。

 何が何だかわからないが、今はとにかくダージリンのあとを追うしかない。そう結論付けたみほが一歩足を踏みだすと、しほが声をかけてきた。

 

「みほ、頼みましたよ」

「うん。お姉ちゃんは私が守るよ」

 

 みほは無意識にそう返答していた。

 状況にはついていけないし、頭も混乱している。それでも、まほを守りたいという気持ちには一点の曇りもなかった。



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第五十三話 聖グロリアーナ女学院対黒森峰女学園 前編

 第六十三回戦車道全国大会、準決勝第二試合。

 対戦するのは去年の準優勝校、黒森峰女学園と去年のベスト4、聖グロリアーナ女学院だ。

 この試合は大会屈指の好カード。準決勝第一試合で勝利したのが無名の大洗女子学園ということもあり、世間では事実上の決勝戦とささやかれていた。

 

 ところが、今日の天気はあいにくの雨模様。

 試合会場は平原だけでなく、うっそうと生い茂ったジャングルと丘陵地帯も含まれているので、コンディションは最悪の部類に入るだろう。

 さらに、丘陵地帯を流れる川はかなり水位が上がっている。いかに戦車といえど、うかつに渡河するのは危険を伴う。

 この試合の進軍ルート選びは、両校にとって重要なポイントになりそうだ。 

 

 

 

 

 黒森峰女学園は陣地で大型テントを立てて、試合前のミーティングを行っていた。

 しかし、隊長の深水トモエはどこか上の空。会議には参加しているものの、心はここにあらずといった感じだ。

 

「隊長、作戦はこれでよろしいですか?」

「……いいと思います」

「それでは、会議はこれで終了になります。隊長、最後に何か言うことはありますか?」

「……ありません」

 

 司会進行役の赤星小梅は、トモエの投げやりな返事に困惑したような表情を浮かべている。

 部隊をまとめるはずの隊長がこの有様なのだ。彼女の戸惑いは察するに余りある。

 

 そんな会議の様子をエリカたちは一番後ろの席で見ていた。

 嫌われ者の彼女たちに近づく生徒はおらず、周りは空席だらけ。会議中におしゃべりしていても注意する生徒は誰もいなかった。

 

「隊長、プラウダが負けてからずっとああだよね。やっぱりショックだったのかな?」

「プラウダの隊長は深水さんの自信の源だったのよ。その精神的支柱がまほさんに負けたことで、深水さんは元の臆病者に逆戻りってわけ」

 

 エミの問いにトゲのある答えを返すエリカ。

 最近は少し丸くなったエリカだが、歯に衣着せぬ物言いは健在だ。

 

「あの隊長の面倒を見ないといけないんだから、赤星も大変だな。そのうち胃薬が必要になるんじゃないか?」

「他人事みたいに言うな。元はといえばお前らのせいだろう」

 

 ヒカリはムッとしたような表情で茜に文句を言う。

 根住ヒカリは赤星小梅と一番仲がいい。小梅が苦労するきっかけを作った一人である茜の軽口は、彼女のかんに障ったのだろう。

 

「私たちが喧嘩しても意味ないでしょ。もう会議は終わったんだから、戦車の点検に行くわよ」

 

 そう言ってエリカが席を立とうとしたとき、会議場に異変が起こった。

 予期せぬ来客がこの場を訪れたのである。

 

「黒森峰のみなさん、ごきげんよう。ずいぶん暗い感じで作戦会議をしてるんですね。まるでお通夜みたいでしたよ」

 

 現れたのは聖グロリアーナ女学院のクルセイダー隊隊長、ラベンダーだ。

 だが、ラベンダーはどこか様子がおかしい。エリカたちの知っているラベンダーは、人を小馬鹿にしたような発言をする人物ではなかったはずだ。

 

「深水隊長、プラウダの結果は残念でしたね。まさか、カチューシャさんが負けるとは思いませんでした。大洗のような素人集団に敗北するなんて、私はあの人を過大評価してたみたいです」

 

 ラベンダーは手にした扇子で口元を隠し、見下したような視線をトモエに向ける。

 

「あんな弱い人に傾倒してたなんて、黒森峰の隊長の名も地に落ちたものです。深水隊長、カチューシャさんの太鼓持ちはもうやめてくださいね。あなたが必要以上に持ち上げるから、田舎のお山の大将が調子に乗るんですよ」

 

 トモエはわなわなと体を震わせながら両手を握りしめている。

 目に溜まった涙は今にも決壊寸前。ラベンダーがあと一押しすれば、トモエが我を忘れて激怒する様が見られるだろう。

 それに待ったをかけたのは、副隊長の小梅であった。

 

「ラベンダーさん、あなたにはがっかりしました。こんな傲慢な人だったなんて……隊長をコケにするのはもうやめてください」

 

 敵意のこもった目でラベンダーをにらみつける小梅。

 それを見たラベンダーは小梅に冷たい目を向けた。

 

「がっかりしたのはこっちです。黒森峰はプラウダに乗っ取られそうになってたんですよ。赤星さん、あなたは自分の隊長がプラウダの隊長の言いなりになってるのを見て、何も感じなかったんですか?」

「それは……」

「事実だから反論できませんよね。他のみなさんも同罪ですよ。私が知っている黒森峰は、こんな情けない集団じゃありませんでした。嘆かわしいことです」

 

 高慢ちき、横柄、尊大。黒森峰の全隊員を見下すラベンダーは、高飛車なお嬢様そのものだ。

 おそらく、この場にいるほとんどの人間がラベンダーに嫌悪感を抱いているだろう。

 例外はラベンダーの友人であるエリカたちくらいであった。

 

「ラベンダーって最低なやつだな。お前らが戦車喫茶であの子と喧嘩した理由がよくわかったよ」

「いやいや、ラベンダーはあんな子じゃないよ。あ、わかった! あれ、茜の妹でしょ。性格の歪み具合とかそっくりだし」

「バカ言うな。あたしが妹の変装を見抜けないわけないだろ。忍が変装してるときと感じが似てるから、たぶんラベンダーは誰かの演技をしてるんだ」

 

 茜はエミの仮説を即座に否定し、次に自身の仮説を口にした。

 茜の妹である三郷忍は変装の達人。妹の変装を見知っているであろう茜の説は説得力がある。

 

「なるほど、そういうこと……。ちょっと行ってくるわ」

 

 エリカは席を立ち、ラベンダーの元へと向かう。

 この二人は一年生時に取っ組み合いの喧嘩をした間柄。普通に考えれば、争いになる前に誰かが止める。

 しかし、エリカはすんなりラベンダーの前にやってこれた。もしかしたら、エリカがラベンダーに暴力を振るうのをみんな期待しているのかもしれない。

 

「逸見さん、また私を殴るつもりですか? あなたは本当に野蛮な人ですね。淑やかという言葉を辞書で引くのをおすすめしますよ」

「ラベンダー、あんた相当無理してるでしょ? 似合わないことはやめたほうがいいわ」

 

 言いたい放題だったラベンダーの口がピタッと止まり、持っていた扇子で顔を覆う。

 しばらくそうしていたラベンダーが次に顔を出したとき、表情は笑顔に変わっていた。

 

「逸見さんは有象無象の輩とは一味違いますね。私が西住流の頂点に立ったら、あなたを重用してあげます」

「まだ続けるつもりなの……。それはいいから、早く仲間のところへ帰りなさい」

「エリカさんは優しいですね。それでこそ私の見込んだ人です」

「ああもう、じれったいわね。ほら、行くわよ」

 

 エリカはラベンダーの手を引っぱり会議場の外へと連れだした。

 そして、傘も持たずに雨の中を二人で歩いていく。

 不測の事態に見舞われた黒森峰女学園の作戦会議はこうして幕を閉じた。

 

 

◇◇

 

 

 みほはエリカに手を引かれながら雨の中を歩いている。

 心が疲れているせいで体が重い。エリカが手を引いてくれなかったら、一歩も前に進めなかっただろう。

 

「無茶しすぎよ。もっと自分を大事にしなさい」

「ごめんなさい……」

「それで、あれは誰のものまねなの?」

「一年生のころのダンデライオン様。キャロルさんが演技指導をしてくれたの」

 

 これは黒森峰に勝つための作戦。本当ならエリカに真実を話してはいけない。

 だが、自分の心を偽るのはもう限界だった。大勢の人に嫌われるのは、みほの心に想像以上のダメージを与えていたのだ。

 

「迎えが来たみたいね。それじゃ、私は戻るわ」

 

 ローズヒップとルクリリがバシャバシャと水を跳ね上げながらこっちに走ってくる。   

 どうやら、みほは親友の二人にまた心配をかけてしまったようだ。

 

「エリカさん、ありがとう」

「……あなたの作戦、効果抜群だと思うわよ。あんなにバカにされて冷静でいられる子は少ないでしょうからね。私の話を聞いてくれそうなのは、赤星くらいなもんだし」

 

 エリカはそこで言葉をいったん区切ったあと、強い口調で話の続きを口にした。

 

「私は負けないわ。あなたがどんな策を使ってきたとしてもね」

 

 できれば、エリカとはもっと違った形で戦いたかった。

 しかし、今回ばかりはそうもいかない。

 まほを守るため、今日だけは悪い子になる。みほはそう決めたのだから。

  

 

 

 

 いよいよ試合が始まった。

 黒森峰は重戦車を先頭にした楔形陣で平原を前進。パンツァーカイルと呼ばれるこの攻撃陣系は、黒森峰お得意の進軍方法である。

 エリカたちの駆逐戦車ヤークトパンターは左翼の側面担当。普段よりもかなり進軍速度が早いので、車長のエミは陣形を維持するのに四苦八苦している。

 

「みんなイライラしてるな。ラベンダーの思惑どおりってわけか……」

 

 装填手のヒカリがそう独り言をつぶやいた。

 エリカの話をヒカリはすんなり信じてくれた。彼女は、超重戦車マウスの車長の座を捨ててヤークトパンターに来てくれた男気あふれる少女だ。エリカを疑う気など毛頭ないのだろう。

 

「ラベンダーは試合前から策を仕掛けてきた。しかも、聖グロはフラッグ車をチャーチルからクロムウェルに変更してる。今日の聖グロはいつもと同じだと思わないほうがいいわね」

「エリカは聖グロが小細工してくるって思ってるの? それはありえないでしょ。あそこはOG会がうるさいんだよ」

「ラベンダーは独断であんなことはしないわ。あの子を操っているのは、おそらくダージリンよ」

 

 ダージリンの名を耳にしたエミは軽く身震いした。

 エミはダージリンに関わるとろくな目に遭っていない。恐怖を感じるのも無理はないだろう。

 三日間ひきこもった恥辱のあんこう踊り。そして、墨汁まみれでカヴェナンターに乗った苦難の肝試し。この二つの出来事は今でもエミのトラウマだ。

 

「敵が来たみたいだ。エミ、びびってる場合じゃないぞ!」

 

 操縦手の茜がエミを一喝する。

 それと同時に、ヤークトパンター以外の戦車がいっせいに攻撃を開始した。

 敵が現れた瞬間、即発砲。強豪校の黒森峰らしからぬ余裕のなさだ。

 

「敵はクルセイダー隊だよ。蛇行しながらこっちに向かってくる」

 

 キューポラから顔を出し、双眼鏡でエミが状況を確認する。

 先ほどは気の弱いところを見せたエミだが、どうやら気持ちをスパッと切り替えたようだ。

 

「エミ、深水さんの指示は?」

「雑魚に構わずクロムウェルを潰せって言ってる」

「安直な。ラベンダーが無策で突撃してくるわけないじゃない。エミ、相手は何をしてくるかわからないわ。十分に注意しなさい」

「了解!」

 

 この戦車の車長はエミのはずなのに、いつの間にかエリカが仕切っている。

 それでも、エミは文句一つ言わない。直下エミは付和雷同という言葉がよく似合う小心者なのだ。

 

「エリカ、二輌のクルセイダーが左右から突っこんでくる。すごいスピードだよ」

「リミッターを解除したわね。ヤークトパンターの火力なら当たればいちころだけど……」

 

 クルセイダーの接近をエミから知らされたエリカは、砲撃を当てようと試みる。だが、リミッターを解除したクルセイダーには当たらなかった。

 ヤークトパンターは砲塔が搭載されていない駆逐戦車。回転砲塔を持っていないので素早い相手の対処は不向きであった。

 

「クルセイダーが煙幕を張ったぞ! エミ、あたしはこのまま進めばいいのか?」

「えーと、えーと、どうしよう、エリカ?」

 

 茜に答えを返せなかったエミはエリカに助けを求めた。

 エミは突発的な事態に弱い。正確にいえば、黒森峰自体が緊急時の対処を苦手としていた。

 いつもであれば、情報収集を得意としている隊長のトモエが場を鎮める。しかし、今日のトモエは当てにできない。

 ラベンダーの策にはまったトモエは、黒森峰で一番冷静さを欠いている人間だからだ。

 

「落ち着きなさい。ヤークトパンターの装甲は伊達じゃないわ。よほどの至近距離でない限り、クルセイダーにやられることはない」

 

 エリカは自信を持ってエミにそう答えるが、その直後に振動がヤークトパンターを襲う。

 どうやら、どこかに砲撃を受けたようだ。 

 

「被弾箇所はどこ!?」

「履帯をやられたみたいだな」

 

 エミの問いに茜は両手を上げてそう答える。

 履帯を壊されると戦車は動けない。操縦手はもうお手上げだ。

 

「仕方ない。履帯を直すわよ」

「えーっ!! うちの履帯、すっごい重いのに……」

「ごちゃごちゃ言うな。早く直さないと試合が終わっちゃうぞ」

 

 エリカの提案に不満を漏らすエミをヒカリが黙らせる。  

 ヤークトパンターの履帯が壊れたことで、エリカたちは試合開始早々、肉体労働を行うはめになった。

 

 

 

 

 全七輌のクルセイダー隊は黒森峰の戦車隊にぶつかる前にくるっと方向転換し、ジャングルを目指していた。

 二輌のクルセイダーMK.Ⅲが煙幕を張ってくれたおかげで、今のところ脱落車輌はゼロ。

 けれども、煙幕を張ったクルセイダーMK.Ⅲはリミッターを解除してしまっている。エンジンが故障するのは時間の問題だ。

 

『ラベンダーさん、私はここまでみたいですわ。ご武運をお祈りいたします』

 

 一輌のクルセイダーMK.Ⅲのエンジンが火を吹き、ついに白旗が上がった。

 

「ごめんなさい。あなたにこんな役を押しつけてしまって……」

『謝らないでくださいまし。ラベンダーさんと一緒に戦えて光栄でしたわよ』

 

 これでクルセイダー隊は残り六輌。

 そのとき、最後尾を走っていたハイビスカスが隊長車に連絡を入れてきた。

 

『ラベンダー様、黒森峰が追ってきたよ。ヤークトパンターとティーガーⅡの姿は見えないから、履帯の破壊はうまくいったみたいじゃん』

 

 エリカのヤークトパンターと赤星小梅のティーガーⅡを一時的に動けなくする。これがみほの下した命令であった。

 黒森峰をイライラさせるためにみほは演技の勉強までしたのだ。部隊を冷静にできる人物が残っていたら、あの苦労が水の泡になってしまう。

 当初はエリカだけのつもりであったが、エリカの口から小梅の名が出たので追加させてもらった。この戦いは絶対に負けられないのだから、念には念を入れる必要がある。

 

「このままの距離を保ちながら黒森峰をジャングルの中に誘導します。ニルギリさん、全車にそう通達してください」

「わかりました」

 

 フラッグ車のクロムウェルを餌にし、黒森峰をジャングルにおびき寄せるのがクルセイダー隊の役割。

 ジャングルの中には罠を張ったマチルダ隊が控えており、黒森峰をさらなる混乱に追いこむ予定であった。

 

 そのとき、クロムウェルの近くに砲弾が着弾した。

 煙幕を張っていた一輌のクルセイダーMK.Ⅲが脱落したことで、煙は薄くなっている。そのせいで黒森峰の砲撃の精度は明らかに上がっていた。

 

『ラベンダー様、煙幕使っていいー? この砲撃を避け続けるのは、ちょっち厳しいじゃん』

「ハイビスカスさん、今は耐えてください。残りの煙幕はジャングルの中で使用します」

 

 黒森峰を罠にはめて部隊を分断するには煙幕が必要不可欠。ここで消費してしまうわけにはいかない。

 とはいえ、ここでクルセイダーを一輌でも失うと、作戦の成功率は大幅に下がる。最悪の場合、煙幕の使用も許可しなければならないだろう。

 みほがそう思案していると、すでに煙幕を使用しているクルセイダーMK.Ⅲの車長から無線連絡が入った。

 

『ラベンダー様、私たちが時間を稼ぎますわ』

 

 一輌のクルセイダーMK.Ⅲが反転し、黒森峰の戦車隊に向かっていく。彼女たちは自分を犠牲にして部隊を助けるつもりなのだ。

 

「危険です! 戻って……」

『ダメっ!!』

 

 みほの指示を金切り声でさえぎったのは、クルセイダーMK.Ⅱに搭乗しているダンデライオンであった。

 

『ラベンダーちゃん、あたしたちは聖グロリアーナの伝統を捨てました。だけど、それはあなたにお願いされたからじゃない。みんなこの試合にいろんなものを賭けてるんです。あの子たちの思いを無駄にするのはあたしが許しません!』 

 

 みほがダンデライオンに怒られたのはこれが初めてだ。

 でも、おかげで目が覚めた。この試合はどんな犠牲を払っても勝たなければならない。この戦いを始めた張本人であるみほは、それを曲げてはいけないのである。

 

「ローズヒップさん、急いでジャングルに向かってください。ニルギリさん、各車に連絡をお願いします」

 

 みほは静かな声で乗員に指示を飛ばしたあと、車長席に腰を下ろす。

 すると、みほの目の前に紙コップが差しだされた。砲手のベルガモットが飲み物を用意してくれたのだ。

 

「ラベンダー様、どうぞ。お疲れのようですから、リラックスできるハーブティーを用意しましたわ」

 

 ダンデライオンも言っていたが、この試合は聖グロリアーナの伝統を捨てて戦っている。なので、今日は誰もティーカップを所持していない。

 どうやら、ベルガモットは水筒と紙コップを持参してきたようだ。

 

「ありがとう、ベルガモットさん。あれ? もしかして、これってラベンダーティー?」

「はい。ラベンダー様のニックネームになったハーブティーですわ。精神の高まりを鎮め、心の緊張を和らげてくれる癒しのお茶ですの」

「さすがベルガモットさん。ハーブティーのチョイスもばっちりです」

「カモミールさんもどうぞ。まだまだありますので、遠慮はいりませんわ」

 

 ベルガモットとカモミールの会話を耳に入れながら、みほはラベンダーティーに口をつける。

 ベルガモットのラベンダーティーは何だかとっても優しい味がした。 



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第五十四話 聖グロリアーナ女学院対黒森峰女学園 中編

『クルセイダー隊はジャングルに突入しました。ルクリリさん、マチルダ隊の準備は整っていますか?』

「ばっちりだ。いつでもお客さんを歓迎できるぞ」

『わかりました。クルセイダー隊は三手に分かれて、黒森峰を分断します。バラバラ作戦開始です!』

 

 敵も味方もまとまらないで分散する。だから、バラバラ作戦。

 わかりやすい名前を好むラベンダーらしい作戦名だ。

 

「ラベンダー、試合が終わったら一緒に黒森峰の連中に謝りに行こう。事情を話せば、きっとみんなわかってくれる」

『うん……。ありがとう、ルクリリさん』

 

 作戦開始を宣言したときとは違い、ラベンダーの声には覇気がない。

 ラベンダーは人の悪口を今まで言ったことがなかったのだろう。精神が疲弊しているのはルクリリには丸わかりだった。

 

 ラベンダーとの通信を終えたルクリリは、次にマチルダ隊へと無線連絡を入れる。

 自分の評判をかなぐり捨ててまで、ラベンダーはこの試合に勝とうとしている。なら、ルクリリがやるべきことはただ一つだ。

 

「この試合に関して、みんないろいろと言いたいことがあると思う。だけど、今は自分の気持ちに蓋をしてくれ。今日の試合は、黒森峰に勝つことだけに集中してほしい」

 

 ルクリリはお嬢様言葉を使わなかった。

 今日だけは見栄を張らず、ありのままの自分をさらけ出す。そうでなければ、ルクリリの思いはみんなに伝わらない。

 

「ラベンダーは家族のために自分を汚せるくらい優しい子なんだ。私はそんなあの子の力になりたい。だから……」

『ルクリリさん、ラベンダーさんの力になりたいのはあなただけじゃありません。私は去年の練習試合で黒森峰に完敗したあと、ラベンダーさんに鍛えてもらいました。この試合に勝つことで恩返しができるのなら、喜んで従いますわ』

 

 ルクリリの言葉にストップをかけたのはシッキムであった。

 シッキムはマチルダ隊きっての優等生であり、品行方正を絵に描いたような少女。聖グロリアーナの伝統を捨てた作戦に諸手を挙げて賛成しているわけではないだろう。

 それなのに、シッキムはラベンダーの力になると言ってくれた。伝統よりもラベンダーを優先してくれたのだ。

 

『ルクリリ様、一年生はシッキム様と同意見ですの。黒森峰を倒してラベンダー様をお救いしましょう』

『三年生から言うことはとくにありません。どんな命令であろうと遂行してみせますわ』

 

 シッキムの言葉が部隊に与える影響は大きかったようで、次々に前向きな言葉が出てくる。

 どうやら、マチルダ隊の士気は問題なさそうだ。

 

「作戦名はバラバラだけど、私たちのチームはこんなにまとまってる。これなら黒森峰が相手だって勝てる! みんな、声出していくぞー!」  

 

 余程うれしかったのか、大洗のバレー部のノリで味方を鼓舞するルクリリ。先日行われた大洗とプラウダの試合観戦後に、みんなでバレーをしたのが尾を引いているようだ。

 もちろん、バレー部の暑苦しいノリをお嬢様学校の生徒が再現できるわけもなく、マチルダ隊の間にしばらく無言の時間が流れた。

 

『あの、ルクリリさん。こういう場合はなんとお答えすればよろしいのかしら?』

「今のは忘れてくれ。私がどうかしてたんだ」

 

 シッキムが困惑した様子で質問してくるが、ルクリリはそれをさらっと受け流した。

 

「ルクリリさん、大洗のバレー部の人たちに思考を染められていますよ。気をつけたほうがいいんじゃないですか?」

「そう言うペコだって、バレー部と一緒にバレーボールをしたじゃないか。雪の中をチアリーダー姿で」

「あれは、ハイビスカスさんがやりたいっていうから付きあっただけです! 私はやりたくありませんでした!」

 

 オレンジペコはルクリリに食ってかかった。

 装填手席を立ち上がり、ルクリリに詰め寄る姿はヒステリー一歩手前だ。

 

「ペコ、私が言えた義理じゃないけど、自分を取り繕うのはもうやめにしたらどうだ。現実を現実として、あるがままに受け入れなさいってダージリン様も言ってただろ。えーと、諸葛孔明の言葉だっけ?」

「中国の哲学者、老子の言葉です。ともかく、私はまだ諦めていません。いつの日か必ず問題児を卒業してみせます」

 

 試合とは無関係なことで闘志を燃やすオレンジペコ。優秀な彼女ならこの闘志を試合にも活かしてしまうに違いない。

 

「なら、まずはこの試合に勝たないといけないな。いつもと勝手は違うけど、よろしく頼むぞ」

「はい。チャーチルの扱いは私のほうが慣れていますので、今日は精一杯サポートしますね」

 

 ルクリリが今日の試合で搭乗している戦車は、マチルダではなくチャーチル。これもラベンダーの作戦の一環である。

 チャーチルはルクリリにとって馴染みの薄い戦車だが、さしたる問題はない。

 自分の持っている力でラベンダーを助ける。戦車が違ってもルクリリのやるべきことは変わらないのだ。

 

 

 

 

「エリカ、あっちはえらいことになってるみたいだよ。無線からひっきりなしに援護要請が来てる」

 

 煙幕、待ち伏せ、挑発。エミが無線から得た情報は卑怯な作戦のオンパレードだ。

 なかには、泥沼に落とされたとか、湖の中から戦車が出てきたなんて報告もあった。

 

「何も考えずにジャングルへ突っこめばそうなるに決まってるわ。これで少しは頭も冷えたでしょ」

「それで、あたしたちはどうする? そろそろジャングル探検に出発するか?」

 

 茜はそう言うと操縦桿をポンポンと叩いた。

 現在、エリカたちのヤークトパンターはジャングルの入り口で待機中。理由はもちろん進軍ルートを見極めるためだ。

 何も考えずにジャングルに進入すれば、先に進んだ部隊の二の舞になるだけ。ルート選びは慎重を期す必要がある。

 

「こういうときは副隊長に意見を求めるべきだろ。エミ、小梅はなんて言ってるんだ?」

 

 ヒカリだけは副隊長の赤星小梅を名前呼びする。義理人情に厚いヒカリにとっては、部隊の規律よりも友情のほうが大事らしい。

   

「赤星、なんか悩んじゃってるみたいだよ。さっきから全然応答がないし……」

 

 小梅のティーガーⅡも履帯を破壊されたことで出遅れ、この場に待機している。

 もしかしたら、小梅はこの事態を止められなかった責任を感じているのかもしれない。

 

「エミ、無線を貸しなさい」

 

 エリカはエミから無線機を受けとり小梅に話しかけた。

 

「副隊長、あなたが気に病むことじゃないわ。聖グロが私たちよりも一枚上手だっただけよ」

『私に副隊長の資格はありません。エリカさんに忠告してもらったのに、私はラベンダーさんへの憎悪を捨てきれなかった。私が部隊を正常に戻さなくちゃいけなかったのに……』

「副隊長がそこまで人を憎むなんて珍しいわね。ラベンダーに馬鹿にされたのがそんなに頭に来たの?」

『私がどうしても許せなかったのは、ラベンダーさんがエリカさんを侮辱したことです。エリカさんは権力者に媚びを売るような人じゃないのに、あの人はそれを承知で戯言をっ!!』

 

 戦車乗りは血の気が多いとよくいわれるが、普段おとなしい小梅も例外ではなかったらしい。

 もっとも、エリカも人のことは言えない。ラベンダーと友達になっていなければ、一番取り乱していたのはエリカだった可能性が高いからだ。

 

「それだけ元気があるなら大丈夫みたいね。小梅、その悔しさはラベンダーに直接ぶつけなさい」

『えっ……。エリカさん、今私のこと名前で……』 

「ラベンダーはフラッグ車を餌にして罠に誘いこんでる。おそらく、あの子は戦わずにどこまでも逃げ続けるつもりだわ。小梅、私とあなたでラベンダーを挟み撃ちにするわよ!」

『はいっ!』

 

 エリカの言葉にうれしそうな声で返事をする小梅。

 この様子ならもう小梅は大丈夫だろう。ラベンダーを前にしてもきっと冷静でいられるはずだ。

 

「みんな、話は聞いてたわね。ラベンダーの通りそうなルートを予測して先回りするわ。頼んだわよ、茜」

「了解。そうだ、今のうちにこれだけは言っとく。エリカ、来年は絶対に隊長になれよ。お前はこんなところで終わっていい人間じゃない」

「その言葉、そっくりそのままお返しするわ。茜の操縦は荒すぎてお尻が痛いのよ」

「それなら、あたしの操縦手生活は今大会限りだな。よーし、今日は飛ばすぞー!」

 

 茜は大声で気合を入れると、ヤークトパンターを再始動させた。走攻守三拍子そろった駆逐戦車、ヤークトパンターの復活である。

 戦車喫茶での揉め事から始まった一連のトラブルはこれにて一件落着。エリカたちにとってはこれからが試合本番だ。

 

「これで私も安心してマウスに戻れるな。あとで散り散りになったマウスメンバーに招集かけないと」

「ちょっと待って! 私はどうなるの?」

「エミは新しい乗員を探すところからスタートだな。がんばれよ」

「私が一人で見つけるの!? そんなの無理! ヒカリ、私を見捨てないでー!」

 

 訂正。一人だけ落着していない人物がいた。

 エミの場合は人員探しより、小心者なところを改善するのが先かもしれない。

 

 

 

 

 怒りに燃えるトモエは無我夢中でクロムウェルを追っていた。

 カチューシャをけなしたラベンダーを叩き潰す。その強い思いが無気力だったトモエを突き動かす原動力だった。

 

 クルセイダー隊の陽動作戦に引っかかり戦車隊は分散。トモエの部隊はティーガーⅠ一輌とパンターG型三輌に減少した。

 しかし、それは相手も一緒だ。随伴のクルセイダーは残り一輌。しかも、攻撃力が低いMK.Ⅱ。

 あの貧弱な戦車が消えれば、いよいよラベンダーに鉄槌を食らわすことができる。

 

『クロムウェルとクルセイダーが距離をとりました。どうやら二手に分かれるみたいです』

「クルセイダーは無視して、クロムウェルだけを追ってください」

Поняла(パニラー)!』 

 

 パンター小隊に搭乗しているのはトモエがプラウダ送りにした隊員たちだ。

 プラウダで訓練という名のしごき受けた彼女たちはトモエの命令には逆らわないし、カチューシャへの忠誠心も高い。

 ゆえに彼女たちは挑発には乗らない。このパンター小隊はトモエがもっとも信頼している部下なのだ。

 そのとき、先頭を走っていたパンターの車長から通信が入った。

 

『隊長! クロムウェルが逃げた道をチャーチルにふさがれました!』

「あの女はダージリンさんすら捨て駒にするんですね。本当に身勝手な子です」

 

 自分の隊長を盾にして逃げる。ラベンダーにとって、他人はただの駒にすぎないのだ。

 とはいえ、この作戦は実に効果的である。

 チャーチルをどかさなければ、クロムウェルを追撃することは不可能。無視して迂回する手もあるが、チャーチルを放置するのは得策とはいえないだろう。

 相手はカチューシャが注意するようにとトモエに忠告したダージリンだ。ここで放置して大事な場面で邪魔立てされたら目も当てられない。

 そう考えたトモエはチャーチルを撃破することにした。 

 

「チャーチルを叩きます。砲撃開始」

 

 車輌数は四対一。いくらダージリンが優秀な戦車乗りとはいえ、この戦力差は覆せない。早期に撃破できればすぐにクロムウェルに追いつける。

 ところが、そんなトモエの思惑は見事に外れた。

 チャーチルは周辺の木々を利用するなどして防御に徹し、まったく隙を見せない。さらに、チャーチルの射撃間隔が短いせいで、うかつにチャーチルに近づくこともできなかった。

 このままではクロムウェルを見失う。カチューシャを馬鹿にしたラベンダーに逃げられる。

 チャーチルの粘りに焦ったトモエは早々に部隊を分ける決断を下した。

 

「ミーシャ、カーシャ、あなた達はここでチャーチルの相手をしなさい。私はアーシャとクロムウェルを追います」

Да(ダー)! プラウダ仕込みの戦いかたを教えてやります。カーシャ、しっかり迎撃するんだぞ』

『わかってるわよ!』 

 

 二輌のパンターをこの場に残し、トモエはティーガーⅠを迂回させる。

 目指す先はクロムウェルと別れたクルセイダーMK.Ⅱが進んだ道だ。あの道はクロムウェルが逃げた道につながっているのである。

 クルセイダーとマチルダが待ち伏せしているかもしれないが、どちらも火力の低い雑魚戦車。ティーガーⅠの障害にはならない。

 

  

 

 トモエのティーガーⅠと随伴車輌のパンターが先を急いでいると、ジャングルの中の開けた空き地に出た。

 そこにはトモエが予想したとおり、クルセイダーMK.ⅡとマチルダⅡの姿がある。

 ところが、その二輌の戦車の車長はトモエが想像だにしない人物だった。

 聖グロリアーナの隊長とクルセイダー隊の元隊長。その二人がわざわざ弱い戦車に搭乗するなんて誰が予想できるだろう。

 

「ごきげんよう、トモエさん。今日はずいぶん怖い顔をなさっていますわね。かわいいお顔が台無しですわよ」

「ダージリンさん、無駄話はそこまでです。美咲(みさき)、リミッターを解除しなさい。ここでクルセイダーMK.Ⅱのすべてを出し切ります」

 

 トモエは去年の練習試合でこの二人と会っている。

 ダージリンは去年とさほど変わっていないが、ダンデライオンの雰囲気はまるで別人だ。

 

「そのギラついた感じ、二年前にあなたと初めて会ったときのことを思い出しますわ。ラベンダーの演技に何か思うところがあったのかしら?」

「ラベンダーちゃんは関係ありません。この試合には聖グロリアーナの未来がかかってる。だから、今日は絶対に負けられない。アールグレイ様の野望はあたしが実現させます!」

 

 大声で吠えたダンデライオンがクルセイダーMK.Ⅱの車内に引っこんだ。

 

「ダージリン、あなたも早く戦闘態勢に入りなさい! この試合にはラベンダーの未来がかかってるのよ!」

「あらあら、みんな血気盛んね。それではトモエさん、私たちのワルツのお相手をしてもらいますわよ」

 

 マチルダⅡの車内から発せられた怒声に促され、ダージリンも戦車の中に入る。

 これで双方の戦う準備は整った。

 

「邪魔者を片づけます。アーシャ、頼りにしていますよ」

Хорошо(ハラショー)。隊長の背中は私が守ります』   

「いい返事です。では、行きます」

 

 ダンデライオンは負けられないと言っていたが、それはトモエも同じである。

 ラベンダーにカチューシャを侮辱した報いを受けさせる。その使命を果たすまで、トモエは力尽きるわけにはいかないのだ。

   

 

◇◇

 

 

「ダージリン様とダンデライオン様がティーガーⅠと戦闘を開始しました」

 

 ニルギリからの報告を聞いたみほは、ほっと安堵のため息をついた。

 試合はみほの作戦どおりに進んでいる。念願の勝利まであともう一息だ。

 

「ローズヒップさん、逃げるのはここまでです。私たちもティーガーⅠとの戦いに参加します」

「ダージリン様とダンデライオン様の最強コンビにラベンダーが加われば、勝ったも同然ですわ。全速力で馳せ参じますわよ」

 

 来た道を引き返すために、ローズヒップはクロムウェル旋回させる。

 そのとき、キューポラから身を出していたみほはゾクッとした悪寒を感じた。

 雨に打たれて寒いからではない。戦車乗り特有の危機察知能力ともいうべき第六感が非常警報を鳴らしていたからだ。

 

「後退しちゃダメ! 前に進んで!」

 

 みほの声に反応したローズヒップは、超信地旋回でクロムウェルを一回転。進行方向を元に戻すとアクセルをべた踏みし、クロムウェルを急発進させた。

 その瞬間、クロムウェルの背後の木が粉々になって吹き飛んだ。もし、あのまま進んでいたらクロムウェルの側面に命中し、白旗が上がっていただろう。

 

「エリカさん!」

 

 ジャングルの中から現れたのは履帯を破壊したはずのヤークトパンター。

 おそらく、履帯を直してここまで追いかけてきたのだろう。あの程度の妨害でエリカを止められないのはわかっていたが、再び出会ったタイミングは最悪だった。 

 

 ヤークトパンターに背後を取られた以上、クロムウェルは前進するしかない。

 クロムウェルはフラッグ車だ。勝てる確率が低い相手と一対一で戦うようなリスクは犯せない。

 それに、この先に広がっているのは丘陵地帯だ。不整地での追いかけっこはクロムウェルに分がある。

 みほは即座にそう判断し、クロムウェルを丘陵地帯へと走らせた。

 

 

 

 クロムウェルは崖の一本道を走行していた。

 この道は逃げ場が少ないが、重量があるヤークトパンターには走りづらい道だ。しかも、崖下には増水した川が流れている。

 不用意な砲撃で崖が崩れれば、クロムウェルは真っ逆さまに川へと転落し、試合どころではない大事故に発展しまう。

 みほの友達のエリカは心の優しい人物だ。事故が起こる可能性を無視して砲撃してくるような人間ではない。

 なので、この道を走っていれば安全に逃げきれる。みほがあえてこの危険な道を選んだのは、様々な要素を計算に入れた結果だった。

 

 人の優しさに付けこむような策をとるみほは、世界一卑怯な人間なのかもしれない。

 今のみほは勝つためなら手段を選ばない怪物だ。聖グロリアーナどころか西住流をも冒涜している。

 それでも、この苦悩の先に大好きな姉を救う道がある。みほはそれを信じて戦うだけだ。

 

「ラベンダー! 前からごっつい戦車がこっちに来ますわよ!」

「ティーガーⅡ……赤星さん」

 

 ローズヒップの声に反応したみほが前を向くと、猛スピードで走るティーガーⅡの姿が目に飛びこんできた。

 みほの進軍ルートは赤星小梅に読まれていたのだ。

  

「ニルギリさん、ダージリン様の状況を確認してください」

「は、はい!」

 

 一本道で挟み撃ちにされてしまったクロムウェルはもはや万事休す。

 あとはダージリンたちがフラッグ車を先に撃破してくれるのを祈るしかない。

   

「戦況はほぼ互角みたいです。黒森峰の追撃を撒いたハイビスカスさんが援軍に向かっています」

 

 ハイビスカスが加われば、ダージリンたちは勝利できるだろう。

 だが、それでは時間がかかりすぎる。今すぐ敵のフラッグ車を撃破できなければ、聖グロリアーナの負けは確定だ。

 砲撃でティーガーⅡの足を止めるという考えが一瞬頭をよぎったが、みほはすぐさまその思考を破棄した。

 事故につながるようなことができないのはみほも同じ。人の命よりも大事なものなどこの世にありはしない。

 みほは最後の最後で怪物になりきれなかった。

 

 そのとき、事態は思いもよらない展開を迎えた。ティーガーⅡの履帯が突然破損したのである。

 重戦車は足回りが壊れやすいのが弱点。スピードを出してみほを追いつめたのが仇となった格好だ。

 しかし、事態はそれだけでは収まらなかった。

 履帯が壊れたことで進行方向が狂ったティーガーⅡは崖下へと落下。そのまま勢いよく川に着水し、濁流に飲みこまれてしまったのだ。 



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第五十五話 聖グロリアーナ女学院対黒森峰女学園 後編 

 ティーガーⅡが川に落ちた瞬間、みほの心に様々な思いが去来した。

 聖グロリアーナを勝利に導ける。まほを救うことができる。

 黒森峰の隊員を助けなければならない。見殺しにしてはいけない。

 西住流は勝利を目指して前進する流派。勝つためなら多少の犠牲はやむを得ない。

 聖グロリアーナの戦車道はいかなるときも優雅。他人を犠牲にするような野蛮な行為は慎まなければならない。

 多くの思考が頭をかすめるが、みほが悩んだのはほんの一瞬だった。

 ティーガーⅡに砲撃をしなかった時点で、みほの答えはすでに決まっていたのだ。

 

「止まってください!」

 

 クロムウェルを停車させたみほは戦車から飛び降り、崖の斜面を滑るように下りていく。

 西住流の後継者になったあの日から、みほは日々のトレーニングで体を鍛えている。この程度の斜面を下りることなど造作もない。

 

 崖を難なく下りたみほは、ためらうことなく荒れ狂う川へと飛びこんだ。

 そのままティーガーⅡが水没した地点まで泳いでいくと、数人の黒森峰の隊員が水面に浮かび上がってきた。

 どうやら、彼女たちは自力で戦車から脱出したようだ。しかし、これで状況はさらに深刻化したといえる。

 ハッチを開ければ車内は一気に浸水してしまう。逃げ遅れた隊員がいたら命はない。

 

 水面に上がってきた隊員は四人。

 ティーガーⅡの乗員は基本五名なので、人数が一人足りないことになる。戦車の中に置き去りにされた隊員がいるのは間違いないだろう。

 だが、いくらみほが鍛えているとはいえ、水没した戦車に突入するのは容易ではない。下手をすればみほも命を落としかねない危険なミッションである。

 さらに厄介なことに、水面に上がってきた四人はひどく狼狽している。混乱している彼女たちが無事に岸へたどり着けるかはまったくの不透明だ。

 

「ラベンダー! 助けに来ましたわよ!」

「大丈夫ですか! ラベンダー様!」

 

 悩むみほの元へ駆けつけてくれたのはローズヒップとカモミールであった。

 自分は一人ではない。その事実がみほにさらなる勇気を与えてくれる。

 

「私は車内に取り残された人を助けにいきます。二人はこの人たちを岸に案内してください」

 

 二人にあとを託し、みほは水中へと沈んでいった。

 目指すティーガーⅡは目と鼻の先。あとは一気に突き進むのみだ。

 

 

 

 

「どどど、どうしよう! ティーガーⅡが川に落ちちゃったよ!」

 

 ヤークトパンターの車内でエミは慌てふためいている。

 仲間が崖から落ちるシーンを目撃してしまったのだ。小心者のエミがパニックになるのも無理はない。 

 

「車長が真っ先に取り乱してどうすんのよ。エミ、あんたは大会本部に救援を要請しなさい。いい、わかったわね!」

「はい!」

 

 エリカに大声で念を押されたエミはすぐさま無線機に手を伸ばした。

 ヤークトパンターの車長を任されているエミは、決して無能ではない。やるべきことがわかれば最善を尽くすだろう。 

 

「エリカ、クロムウェルを撃たないのか?」

「下で救助活動してるのに撃てるわけないでしょ。くだらないこと言ってないで、私たちも助けに行くわよ」

 

 茜の問いかけをエリカは一蹴する。それに対し、茜は納得がいっていない表情。

 どうやら、彼女はまだ何か言いたいことがあるようだ。

 

「ここで撃たなかったらまた総スカンを食らうぞ。そんなことになったら、もうお前は隊長にはなれない。それでもいいのか?」

「茜、戦車道は戦争じゃない。味方を救ってくれた恩人を撃つような恥知らずな真似はできないわ」 

 

 真剣な表情で向かい合うエリカと茜。

 一触即発の空気が漂うなか、先に折れたのは茜のほうだった。

 

「……わかったよ。あたしの負けだ」

「悪いわね。来年もあなたの運転のお世話になると思うけど、よろしく頼んだわよ」

「おうよ。来年はお前を痔にしてやるから覚悟しろ」

 

 笑顔を浮かべながら軽口を叩く茜。

 エリカも茜に向かって笑みを返すと、ヤークトパンターのハッチへと向かう。

 そのとき、今まで黙っていたヒカリがエリカに声をかけた。

 

「エリカの選択は正しい。私とマウスメンバーは全力でお前を支持する」

「ありがとう。あなたも付き合ってくれるわよね?」

「もちろんだ。早く小梅たちを助けに行くぞ!」

 

 エリカはヒカリと連れ立ってヤークトパンターをあとにした。

 外は戦車の中とは別世界。雨は滝のように降り注ぎ、風がうなり声をあげて吹きすさぶ。

 自然の脅威と化した川のスピードはさらに勢いを増していた。

 

 

◇◇

 

 

 ティーガーⅡの車内に取り残されていた赤星小梅を救出したみほであったが、まだ岸にはたどり着けていなかった。

 腕の中の小梅は意識を失っており、みほは小梅を抱えながら泳いでいるのだ。いくらみほが鍛えているといってもそう速くは泳げない。

 それに加え、雨脚が強くなったことで川の流れも速くなっている。

 水の流れる力は容赦なくみほの体力を奪っていき、疲労はすでに限界寸前。今は気力を振り絞って前に進んでいるが、気持ちが切れた瞬間にみほの命は露と消えるだろう。

 

「ごめんね、赤星さん。私がもっと強い子だったらあなたを助けられたのに……」

 

 絶望的な状況のなか、ついにみほの口から弱音がこぼれる。

 西住流の後継者になってから人前で弱い姿を見せたのはこれが初だ。みほは体面が保てないほど追いつめられていた。

 

「ラベンダーは強いわよ。こうやって他人のために命をかけられるんだからね」

「えっ……」

 

 もうろうとした意識の中でみほが声のしたほうに顔を向けると、逸見エリカの姿が目に飛びこんできた。

 なぜ彼女がここにいるかなんて考えなくてもわかる。エリカはみほを助けに来てくれたのだ。 

 

「エリカさん……」

「まったく。だから無茶するなって言ったのよ……私の話を素直に聞かないところは昔と変わってないわね」

「ごめん。私、エリカさんに迷惑かけてばっかりだね」

「反省は後回しよ。みんなが引っ張ってくれるから、私にしっかりつかまってなさい」

 

 よく見るとエリカの体にはロープが巻きつけられていた。

 ロープの先は岸に続いており、クロムウェルの乗員とヤークトパンターの乗員がロープを手にしている。

 そこには、あとから合流したであろうベルガモットとニルギリ。さらに、先に脱出したティーガーⅡの乗員の姿もあった。

 

 その光景を目の当たりにしたみほの目から涙がこぼれていく。

 敵味方関係なく助け合う光景は美しいの一言に尽きる。みほは幼少期から戦車道に関わってきたが、こんな光景を見たのは生まれて初めてだ。

 

 戦車道には人生の大切なすべてのことが詰まっている。以前、継続高校の隊長に言われたことがみほの脳裏をよぎった。

 あのときのみほは彼女の言葉がよくわからなかったが、今なら理解できる。

 人生において、人とのつながりというのはもっとも大事なもの。戦車道は人と人を結びつけることができる、とってもステキな武道だったのである。

 

 

◇◇◇

 

 

 準決勝第二試合は聖グロリアーナ女学院が勝利した。

 結果だけ見れば、聖グロリアーナ女学院が去年のリベンジを果たしたことになり、おもしろい結果になったといえるのかもしれない。

 しかし、この試合に関しては勝敗など些細なことにすぎなかった。

 

 人々の関心は少女たちの決死の救助活動に集約され、大きな話題となった。

 自らの危険をかえりみず救助に向かった彼女たちの行動は正しかったのか、それとも間違っていたのか。マスコミにも取り上げられたその議論は、様々な媒体で度々討論されるほどであった。

 正解などありはしないその議論に、人々は今日も答えを出そうと躍起になっている。

 

 そんな中、犬童家の屋敷では当主と頼子が別のことで議論を交わしていた。

 議題は犬童家にとって大きな問題になりつつある、大洗女子学園の廃校についてである。

 

「大洗女子学園は決勝に進出し、黒森峰女学園は準決勝敗退。おまけに、みほ様のとった行動は連日世間を騒がしている。状況は悪化の一途をたどっているな」

「お父様、申し訳ありません! 頼子が至らぬせいで、お父様にご迷惑をおかけしてしまいました……」

 

 畳の上で正座し深々と頭を下げる頼子。

 体を小刻みに震わせるその姿は叱責を恐れる幼子のようだ。

 

「頼子を責めるつもりはない。私も大洗女子学園を甘く見ていたからな」

「お父様……」

 

 慈愛に満ちた表情で頼子の頭を優しく撫でる犬童家の当主。

 しかし、彼が穏やかな表情を浮かべていたのはここまでだった。

 

「こうなった以上、もはや手段を選んではおられん。大洗女子学園には必ず廃校になってもらう」

「でも、大洗はもう素人とは呼べないレベルまで成長していますよ。それに、聖グロリアーナはOG会が支援を打ち切ると言い出して大騒ぎになってます。足並みがそろっていない聖グロリアーナが大洗に勝てるとは思えないですよぉ」

「聖グロリアーナのほうは私がなんとかしよう。納得できる答えを提示してやれば、OG会はおとなしくなるはずだ」

 

 裏工作は犬童家の得意とするところ。

 これまでの実績で培った人脈を駆使すれば、聖グロリアーナのOG会に渡りをつけることは可能であった。 

 

「頼子、大洗は自動車部がすべての戦車の最終点検をしていると言っていたな。それもたった四人で」

「はい。その自動車部もポルシェティーガーで決勝戦に参加するつもりみたいですぅ」

「失敗兵器まで投入するとなると、整備はもっと大変になるな。大事な決勝戦で故障する戦車が出なければいいが、そうもいかないだろう。なんせ人員が四人しかいないんだ。整備ミスの一つや二つは起こり得る」

 

 そう断言した犬童家の当主は不敵な笑みをもらす。

 悪い笑顔とはこういう顔のことを指すのだろう。

 

「お父様……まさか……」

「芽依子を大洗女子学園に入学させたのがここにきて役に立ったな。あの子なら誰にもバレずに細工ができる。頼子、芽依子の説得はお前に任せるぞ」

 

 第六十三回戦車道全国大会も残りは決勝戦一試合のみ。

 それと同時に、大洗廃校をめぐる裏の戦いもいよいよクライマックスを迎えようとしていた。

 

 それから数日後、聖グロリアーナ女学院の戦車道チームからある発表があった。

 ダージリン隊長の解任とダンデライオン新隊長の就任。 

 この人事がセットで発表されたことで世間に再び激震が走ることになる。



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第五十六話 アールグレイの野望

 ダージリン解任。この衝撃的なニュースは大洗女子学園にもすぐに伝わった。

 決勝戦の対戦校の隊長交代劇は、大洗女子学園にとっても大きな出来事だ。新隊長がどんな戦いをするのか見極めなければ、黒森峰女学園と同じ轍を踏んでしまう。

 準決勝のように伝統よりも勝利を優先するのか。それとも、再び伝統に固執した戦いかたに回帰するのか。

 大洗女子学園が優勝するためには、それをどうしても探らなければならなかった。

 

 そこで白羽の矢が立ったのが秋山優花里である。

 優花里はサンダース大学付属高校、アンツィオ高校と偵察を立て続けに成功させている。聖グロリアーナを探ることができるのは、彼女を措いてほかにいない。

 しかし、聖グロリアーナはGI6と呼ばれるスパイ集団の存在が噂される学校。今までの学校のようにすんなりとはいかないだろう。

 それでも、優花里の手腕に賭けるしか手はないのだ。残った隊員は彼女の成功を信じ祈るだけであった。

 

 そして、優花里が出発して数日たったある日、彼女は無事に大洗女子学園へと戻ってきた。

 ところが、帰還した優花里は浮かない顔。その落ちこんだ様子の表情は、彼女の偵察任務が失敗したことを物語っていた。

 

「この映像は武部殿に見せるようにとダンデライオン隊長から渡されたものです。お役に立てず、すみません……」

「最初から無謀な作戦だったんだもん。ゆかりんが無事に帰ってきてくれただけで、私はうれしいよ」

「優花里が貴重な情報を持ち帰ったことに変わりはない。この映像を見れば、何かヒントをつかめるかもしれないからな」

 

 落ちこむ優花里を沙織とまほが励ました。

 ちなみに、会議が行われている生徒会長室に集まっているのはあんこうチームとカメチームの面々。それに各チームのリーダーを加えた計十四名である。

 

「それじゃ、さっそく見てみよっか。鬼が出るか蛇が出るか、楽しみだね」

 

 干し芋を食べながらのんきにのたまう杏。

 さすがは廃校寸前の学園艦の生徒会長。肝が据わっている。 

 

 優花里は手にしたマイクロSDカードをノートパソコンにセットし、映像を再生させた。

 画面に現れたのはティーカップを手にした金髪ツインテールの小柄な少女。この少女が聖グロリアーナ女学院の新隊長、ダンデライオンだ。

 

『大洗女子学園のみなさん、ごきげんよう。あたしがダージリンさんに代わって隊長に就任したダンデライオンです。今日はこの場を借りて、みなさんに宣言したいことがあります』

 

 優雅な物腰で語るダンデライオンは、背格好は小さいものの淑女然としていた。

 あのダージリンの後釜に座るだけはある。おそらく、彼女をよく知らないメンバーはそう思ったことだろう。

 

『聖グロリアーナは決勝戦で卑怯な戦いはいっさいしません。伝統を守り、正々堂々と戦うことを誓います。これはあたしの一存ではなく、戦車道チーム全員の総意です』

「卑怯なことはしないって言ってるけど、本当かにゃ?」

「我々を油断させる罠かもしれない。シーザーの好敵手、ポンペイウスも最後はだまし討ちで命を落としている」

「私は信じたいです。聖グロリアーナの人たちは一緒にバレーをやった仲ですから」

 

 ねこにゃー、カエサル、典子がそれぞれ意見を述べる。

 そのとき、ダンデライオンしか映っていなかった画面に変化が起きた。

 

『ダンデライオン様、わたくしにも発言させてくださいまし』

『いいですけど……聖グロリアーナの品位を下げるような発言は許しませんよ』

『わかっているでございます。では、失礼いたしますわ』

 

 元気よく画面に現れたのは、大洗の面々とはすっかり顔なじみのローズヒップだ。

 

『冷泉様、いよいよ雌雄を決するときが来ましたわ。わたくしのクルセイダーと冷泉様のⅣ号。どちらの運転技術が優れているか、勝負でございますわ!』

「冷泉さん、あの子はあなたをご指名みたいよ。絶対に勝ちなさいよね……って会議中に寝るんじゃない! 起きなさい、冷泉さん!」

 

 激しい剣幕で寝ている麻子をゆさゆさと揺らすみどり子。

 しかし、麻子が目を覚ますよりも先に画面は新たな展開を迎えた。

 

『次はルクリリの番ですわよ』   

『えっ!? 私は別にいいよ』

『逃げるのでございますか? それでよく西住流の門下生を名乗れますわね』

『言ったな。わかったよ、やってやろうじゃないか』

 

 ローズヒップに言葉巧みに誘導されたルクリリが画面に登場した。

 だまされやすい性格は依然健在だ。

 

『えーと、決勝戦はお互いベストを尽くして戦おう。どっちが勝っても恨みっこなしの真剣勝負だ。あとは……バレー部! 今度はだまされないからな!』

「ルクリリさんの挑戦、受けて立ちます!」

 

 体育会系特有のノリで一気に室内が暑苦しくなった。なんだかんだでルクリリとアヒルチームは馬が合うのかもしれない。

 

『次はあたしたちの番じゃん! 一年生のみんな、全員集合!』

『待ちなさい。これは友達に送るビデオレターじゃないんですよ。あ、ちょっと待っ……』

 

 ハイビスカスの号令で画面にわらわらと聖グロリアーナの生徒が集まってきた。そのせいで、小さなダンデライオンは人波に埋もれてしまう。

 この映像を撮影した場所にはかなりの生徒が集まっていたようである。ダンデライオンの総意という言葉は、あながち嘘でもないのかもしれない。

 

『あずっちー! あたし、小隊長に出世したよー。決勝戦ではハイビスカス小隊の恐ろしさを存分に味合わせてあげるからね。バニラ、クランベリー、二人もあいさつするじゃん』

『は、はい。ハイビスカス小隊所属のバニラです。よろしくお願いします』

『クランベリー。よろしく』

 

 金髪セミロングの小柄な少女、バニラ。そして、茶髪のロングヘアーで大柄な少女、クランベリー。

 一年生の梓にさらなるライバルが二人も登場した形だが、梓の視線はハイビスカスしか捉えていない。どうやら、彼女にとってのライバルはハイビスカスただ一人のようだ。

 

「澤、ハイビスカスはきっとお前を狙ってくる。あいつの相手は頼んだぞ」

「はい。私はあの人に勝ちたい一心でここまできました。ハイビスカスさんには必ず勝ってみせます」

 

 桃に発破をかけられた梓は勇ましい返事でそれに答えた。

 ウサギチームは大洗の準エースとも呼べる存在。みんながかける期待は大きいが、梓はそれを気にも留めていないようだ。

 

『あの、私も梓さんと戦えるのを楽しみにしています。決勝戦はマチルダの車長で出場しますので、練習試合の雪辱を果たさせてもらいますね』

『私は武部様にご報告があります。ダーリンの話では、若い自衛隊員の間で武部様の人気が高まっているらしいですわ。武部様、このチャンスを活かしてくださいませ』

「マジでっ!? いやいや、そんな都合のいい話があるわけないもん。何かの間違い……わかった! きっとまぽりんと勘違いしてるんだよ」

 

 ニルギリの次に発言したベルガモットの言葉に沙織は激しく動揺していた。

 

「なぜそんなに否定するんだ? 沙織は異性に好かれたかったんだろう?」

「まほさん、沙織さんはモテ慣れてないんです。今はそっとしておいてあげましょう」

 

 まほと華がそんな話をしている間に映像はどんどん進んでいく。

 にぎやかな一年生が退散したことで、画面に映っているのは髪型が崩れたダンデライオンだけになった。

 

『お見苦しいところをお見せしてしまいましたが、これで終わりにしたいと思います。そうそう、言い忘れたことがありました。ダージリンさんは決勝戦には出場しません。この映像もダージリンさんの策略ではありませんので、安心してください。ではみなさん、ごきげんよう』 

 

 騒がしい映像が終了し、静まり返る生徒会長室。

 誰も発言しないのは、みんなこの映像の真意を計りかねているからだろう。

 聖グロリアーナ女学院は強敵だ。対応を誤れば取り返しがつかない事態になりかねない。

 そんな重苦しい空気を打ち破ったのは生徒会長の杏であった。

 

「もしかしたら、この映像の中に勝利のカギが隠されてるかもしれないね。小山、何か気づいたことある?」

「うーん、気になったのはラベンダーさんが出てこなかったくらいですね。彼女は聖グロリアーナの主要メンバーですから」

「そういえば、練習試合でお見かけした隊長車の砲手のかたもいませんでしたね」

「オレンジペコさんとカモミールさんもいませんでした」

 

 柚子、華、梓が映像に出てこなかった人物を次々にあげていく。

 

「ラベンダーも決勝戦には出ないんじゃないか? フラッグ車を放棄してチームを敗北させるところだったんだ。ダージリンと同じように罰せられたかもしれない」

「それはないな。み……ラベンダーの行動は聖グロリアーナで称賛されたはずだ。あの学校は淑女育成を掲げる学校だからな。敵ですら救おうとした高潔な行いを非難するような輩はいないだろう」

 

 桃の仮説をまほはあっさり否定した。

 妹の名前をニックネームで呼んだのを考えると、まほのシスコンは順調に改善へと向かっているようだ。

 

「私もあの救出劇には感動しました。否定的な意見もありますけど、ラベンダー殿の判断は間違っていませんでした」

「同感だな。左衛門佐も彼女は武田信玄ではなく敵に塩を送った上杉謙信だったとほめ称えていたぞ」 

「ネットでも好意的な意見が多かったよ。ネット掲示板には戦車に乗った天使だって書かれてたにゃ」

「みほが天使……ふふっ……」

 

 キリッとしていたまほの表情が一瞬でにやけ顔に変わった。妹が天使と呼ばれたことが心に刺さったらしい。

 この分だと、まほが完全にシスコンから脱却するのはもう少し時間がかかりそうだ。

 

「ラベンダーさんはわからないけど、クロムウェルは使わないんじゃないかな? ローズヒップさんはクルセイダーで勝負するって明言してたからね。あの子はクルセイダーの整備を手伝ってくれたし、私としてはあの子の言葉は信じたいな」

 

 ポルシェティーガーで決勝戦に参加する自動車部チームのリーダー、ナカジマの発言に一同の注目が集まる。

 

「クロムウェルの通信手だったニルギリさんもマチルダで出場すると言ってました。紗希と仲がいい彼女が嘘をつくとは私には思えません」

 

 ナカジマの仮説を梓が補足。さらに、先ほどの桃の発言とは違い、否定的な意見は誰からもあがらない。

 聖グロリアーナの一部の生徒は大洗のために力を貸してくれた。程度の差はあるが、彼女たちを信じたいという気持ちはここにいる全員が持っている。

 

「クルセイダーが増えるとなると、例の作戦が成功しやすくなるね。河嶋、人員の件はうまくいった?」

「船舶科の生徒に助っ人を頼みました。顔合わせは今日行うと連絡してあるので、もうそろそろ到着するはずです」

「オッケー。これで勝率を上げられる」

「会長、本当にいいんですか? 恩を仇で返すような真似をして……」

 

 なにやら不満げな表情の柚子。彼女はこの作戦に乗り気ではないらしい。

 

「使用許可はもらってるよ。前隊長のだけどね」

「でも……西住さんはいいの? 妹さんの好意を無碍にすることになるんだよ?」

「私は今までみんなに助けてもらってばかりだった。だから、今度は私がみんなを助ける。みほに恨まれることになっても構わない」

 

 髪を短くしたまほはすっかり印象が変わった。

 以前の弱々しいまほだったら、妹に恨まれてもいいとは口が裂けても言わなかっただろう。

 

「西住ちゃんもやる気になってるんだ、小山も頼むよ。あのとき、ああしてればよかったって後悔はしたくないでしょ?」

「……わかりました。私も全力を尽くします」

「それでこそ私の副会長だ。よし、あとは練習あるのみだね。武部ちゃん、よろしく……ってあれ?」

 

 杏の視線の先では沙織がまだ一人でぶつぶつ独り言をつぶやいていた。

 簡単に気持ちの整理がつかないの当然だ。

 男にモテたい。それが沙織の行動原理なのだから。

 

「私がモテてる? 本当に? はっ!? もしや、これって聖グロリアーナの罠なんじゃ? ううっ……やだもー!」

 

 

 

 

 みほは一年生の学生寮に来ていた。

 目的はカモミールのお見舞いである。準決勝で川に飛びこんだカモミールは風邪をこじらせ、しばらく学校を休んでいるのだ。

 

「カモミールさんの具合はどうですか?」

「今眠ったところです。熱も少し下がってきたので、ひとまずは安心といったところですね」

 

 みほの問いに答えたのはカモミールの姉、アサミだ。

 カモミールが熱を出したその日に学園艦へ乗りこんできたアサミは、大学を休んでずっと看病に励んでいる。

 

「ごめんなさい、アサミさん。カモミールさんの具合が悪くなったのは私の責任です」

「謝罪は無用です。私にあなたを責める資格はありませんから」

 

 大洗で行った合宿でアサミはカモミールと仲直りをしたが、彼女は自分の罪をまだ許せていないのだろう。こういうところは、良くも悪くも生真面目なアサミらしい。

 

 みほとアサミがその後も軽い雑談を続けていると、話は決勝戦の話題に移った。

 

「ダージリン隊長とクロムウェルの件は残念でした。反対意見もあったんですが、結局は賛成多数で可決されてしまいました」

 

 OG会は支援を継続するかわりにいろいろと条件を出してきた。ダージリンの解任とクロムウェルの使用禁止はその一端だ。

 ダージリンの解任はチームにとっても痛いが、みほの心にも大ダメージを与えていた。

 聖グロリアーナの伝統を捨て、やりたい放題やったのはみほである。ダージリンはそれを承認したにすぎない。

 それなのに、処分されたのは許可を出したダージリンのみ。

 実行犯のみほは対戦相手を救助したことをOG会に大絶賛され、逆にほめられる有様だった。

 

 自分の行動が肯定されたのは素直にうれしい。しかし、そのせいでダージリンの風当たりはさらに強くなってしまった。

 問題児トリオのみほと優秀な隊長のダージリンの評価はすっかり逆転。ダージリンは隊長を解任されただけでなく、決勝戦も出場禁止。それだけでなく、卒業後のOG会への参加資格もなくなった。

 みほが無茶苦茶した結果、ダージリンの居場所は完全に失われてしまったのだ。

 

「どうしてダージリン様ばかりが責められるんですか? あの作戦を考えた私が全部悪いのに……」

「OG会はダージリン隊長の作戦ということにしたいみたいです。本人も否定しませんでしたからね」

「えっ? どうしてですか?」

「あなたはチームの勝利ではなく敵の救助を優先した。最後の最後で聖グロリアーナの伝統を守ったんです。OG会があなたを擁護するのは当たり前ですよ」

 

 聖グロリアーナの戦車道は優雅さだけでなく、騎士道精神も大事な要素。

 優しさと勇気にあふれたみほの崇高な行動は、あの試合で唯一見ることができた聖グロリアーナの戦車道だ。OG会にとって、みほの救助活動は救いといっても過言ではなかったのである。

 

「ただ、OG会の大多数が同じ意見でまとまったのは、いささか不自然でした。当初はいろんな意見があったのに、いつの間にかとんとん拍子で話が進みましたからね。このシナリオを書いた人物は、よっぽどダージリン隊長を解任したかったんでしょう」

 

 ダージリンにすべての責任を押しつけ、解任に追いこむ。いったい誰がそんなひどいことを考えたのか、みほには見当もつかない。

 

「私のしたことは正しかったんでしょうか? ダージリン様もカモミールさんも私のせいで……」

「……ダージリン隊長の件に関してはあなたが気にする必要はありません。この結末は彼女たちにとって、最良といってもいい結果ですから」

「ふえっ?」

 

 みほはアサミの言っていることが理解できなかった。

 彼女たちとは誰を指しているのか。なぜ解任が最良なのか。彼女の言葉はわからないことだらけだ。

 

「私もかつて聖グロリアーナで隊長をしていました。なので、いろんな話が耳に入ってくるんです。聖グロリアーナを真の強豪校にする計画があるのも知っています」

 

 アサミはそこで言葉を区切りひと呼吸置くと、信じられないような一言を口にした。

 

「三年生の一部の生徒は決勝戦でわざと負けるつもりです」

 

 

◇◇

 

 

 聖グロリアーナ女学院に数多く設置された談話室。

 その談話室の一室で、オレンジペコはダージリンと二人きりで紅茶を飲んでいた。

 

「OG会のお姉様がたは伝統を何よりも大事にしているわ。けれど、伝統を守って負け続ければ在校生からは不満が出る。そうなると、いつか必ず第二第三のダージリンが現れてしまう。ペコ、伝統を守るにはどうすればいいと思う?」

「既存の戦車を一新するしかありませんね。マチルダとクルセイダーで勝ち続けるのは、不可能に近いですから」

「アールグレイ様もペコと同じ答えに行き着いたのよ。伝統を守るかわりに戦車を高性能なものに変換する。それがアールグレイ様の聖グロリアーナ強化計画なの」

「だから準決勝でラベンダーさんの作戦を許可したんですね。現状のままだと今回のように伝統が破壊されるぞって、OG会に脅しをかけたわけですか」

 

 準決勝でやる気を見せていた三年生はこの計画を知っているのだろう。

 伝統を捨てれば勝てるという結果が出れば、OG会も脅し文句を無視できなくなる。あの試合はラベンダーにとって大事な試合だったが、聖グロリアーナにとっても重要な試合だったのだ。

  

「決勝戦で伝統を守った聖グロリアーナは無名校に敗北。優勝という結果が出なかった以上、伝統が捨てられる可能性は今後も消えずに残ったままになる。OG会のお姉様がたが安心して伝統を守るためには、アールグレイ様の計画に乗るしかない。これがアールグレイ様の描いた筋書きよ」

「私はそれには反対です。ラベンダーさんたちは迷惑をかけた三年生に恩返しをしたいと言ってました。私だって思いは同じです」

「ダンデライオンはアールグレイ様の命令には逆らわないわ。ペコ、いざというときはあなたがダンデライオンを止めなさい」

「はい!」

 

 ダージリンはアールグレイの計画にすべて賛同しているわけではなかった。それがわかっただけで、オレンジペコの気分は高揚していく。

 ダージリンが誰かの操り人形になってる姿は似合わない。つねに人の上に立って頂上を見つめているのが、オレンジペコの憧れたダージリンだからだ。

 

「ダンデライオンを制圧したら、あなたが隊長になって部隊を指揮しなさい。来年はあなたが隊長になるのだから、ちょうどいい予行演習になりますわ」

「はいぃ?」

 

 思わぬダージリンの発言にオレンジペコは困惑の声をあげてしまう。

 オレンジペコが来年の聖グロリアーナの隊長。そんな話は今日初めて聞いた。

 

「何を驚いた顔をしているのかしら? 現部隊長のラベンダーとルクリリは西住流の門下生。OG会との関係がややこしくなっている今、あの二人を隊長にはできませんわ。ペコが隊長になるのは最初から既定路線だったのよ」

「まさか、問題児トリオを私の教育係にしたのは……」

「あの三人の人となりはもう理解できたはずよね。あの子たちを使いこなすペコの雄姿が今から楽しみですわ」

 

 どうやら、オレンジペコの苦難の道は隊長になるための試練だったようだ。

 あの災難続きの日々が無駄でなかったのは喜ばしいが、できればもう少し手心がほしかったというのが本音であった。

 

「さて、私は別件があるので少しの間、学園艦を離れます。ペコ、あとのことは任せましたわ」

「別件? ダージリン様、どこへ行くつもりですか?」

「裏でこそこそしていたネズミに退場してもらうのよ。あなたたちの晴れの舞台、決して邪魔はさせませんわ」



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第五十七話 決勝前夜の攻防

 赤いじゅうたんが敷かれたプラウダ高校の隊長室。その中央に置かれたテーブルで、カチューシャと深水トモエは二人きりで話をしていた。

 いつもは仲睦まじい様子で会話に花を咲かせる二人だが、今日は普段と様子が違う。

 ピリピリした空気。このテーブルのまとう雰囲気を表現するなら、その言葉がしっくりくる。

 

「トモーシャ、それがあなたの出した結論なのね?」

「はい。私は戦車道を引退します」

 

 戦車道を辞める。トモエは開口一番そう切り出した。

 これがこの部屋に漂う独特の緊張感の原因である。

 

「理由を聞かせてもらえるかしら?」

「私はカチューシャ様に甘えてばかりで何も成長してなかったんです。この前の試合でそれを思い知らされました」

 

 黒森峰女学園は聖グロリアーナ女学院に敗北した。

 カチューシャも現地で観戦していたので、試合の顛末はほぼ把握している。

 

「試合が終わったあと、ラベンダーさんが謝りに来たんです。目に涙をためて頭を下げる姿は、カチューシャ様を侮辱したときとはまるで別人でした。それで気づいちゃったんです。彼女は自分を曲げてでもこの試合に勝ちたかったんだって……私にはそんな気概はありませんでした」

 

 トモエはどこか寂しそうな表情で言葉をつむいでいく。 

 

「私が今までがんばってこれたのはカチューシャ様のおかげです。でも、私はカチューシャ様の優しさに浸るだけで、本気で自分を変えようとはしなかった。こんな私が隊長をしてるんです。黒森峰が負けるのは必然でした」

 

 カチューシャはトモエの話を黙って聞いていた。

 カチューシャが何も言わないのはトモエのことを信頼しているからだ。

 深水トモエはこれで終わるような少女ではない。トモエと絆を深めてきたカチューシャはそう確信していた。

 

「このまま戦車道を続けていたら、いつかきっとカチューシャ様に見捨てられる。だから、私は選手としてではなく、別の形でカチューシャ様のお役に立つことにしたんです」

「別の形?」

「はい。私はカチューシャ様のスポンサーになります」

 

 これにはさすがのカチューシャも度肝を抜かれた。

 カチューシャは一介の高校生にすぎない。そのカチューシャにトモエは出資するというのだから、驚くなというほうが無理だ。

 

「お父様も乗り気でした。文科省は世界大会誘致のために戦車道のプロリーグを作るつもりなので、有力選手のスポンサーになるのは悪い選択肢じゃありません。お父様はこの一連の流れをビジネスチャンスと捉えたみたいです」

 

 実家まで巻きこんでいるのだから、トモエは本気なのだろう。

 選手としての実力はないが、実家の権力は超弩級。それが深水トモエの強みだった。

 

「それがあなたの進む道ってわけね」

「私は武家じゃなくて商家の娘ですから。これからは自分の得意分野でカチューシャ様に貢献します」

 

 すっきりしたような顔でそう言い切るトモエ。

 その表情からは、トモエが内包していた怯えや迷いといったものはいっさい感じられない。 

 

「それなら、カチューシャも一層努力しないといけないわね。スポンサーに恥をかかせるわけにはいかないし」

 

 カチューシャはそう言うと、トモエに向かって手を差し出す。

 カチューシャの意図に気づいたトモエは、すぐさまその手を取った。これで契約は完了だ。

 

「あなたの広告塔になってあげる。絶対に損はさせないわ」

「私も精一杯サポートします。もろもろの雑務は私にお任せください」

 

 この日、カチューシャと深水トモエの関係は大きく変化した。

 それでも、二人の間に芽生えた絆は途切れない。戦車道の世界で生きていく二人の関係は、今後もずっと続いていくはずだ。

 

「ところで、黒森峰のほうはどうなっているの? トモーシャのことだから、ちゃんと目処はつけてきたと思うけど……」

「新隊長には逸見さんを指名しました。副隊長は赤星さんのままなので、スムーズに新体制へ移行できると思います」

「ずいぶん思い切った決断をしたわね。反対意見も多かったんじゃないの?」

 

 逸見エリカは勝利のチャンスを見す見す逃したヤークトパンターの乗員。準決勝の戦犯に祭り上げられてもおかしくない人物だ。

 エリカは優秀な隊員かもしれないが、下手をしたらチームがバラバラになるかもしれない諸刃の剣。隊長に据えるにはリスクがあるとカチューシャは思ったのだろう。

   

「反対意見も多少はありましたけど、ほとんどの隊員は納得してくれました。逸見さんが優秀なのは間違いないですし、彼女には人を引っ張っていく力もあります。それに……」

 

 そこで一度言葉を切ったトモエは、少し考えこんだあとで話の続きを口にした。

 

「私だったらクロムウェルを撃ってました。それがどんなに卑怯で恥知らずなことなのか、頭に血が上っていた私は考えもしなかったと思います。逸見さんは黒森峰にとって最良の選択をしてくれました。彼女を隊長に推したのはそれが一番の理由です」

 

 あの場面でクロムウェルを砲撃していたら、黒森峰は勝利よりも大事なものを失っていた。

 二年連続で優勝旗を逃してしまったが、黒森峰の名声はまだ地に落ちていない。再起させることは十分可能である。

 新生黒森峰の旗頭に勝利ではなく名誉をとった逸見エリカを起用するのは、あながち間違いではないのかもしれない。

 

 そのとき、隊長室の扉が控えめにノックされた。

 

「ノンナが帰ってきたようね。さて、ちまたで話題の解任隊長はカチューシャに何の用なのかしら?」

「おいしい紅茶を飲みに来ただけかもしれませんよ。プラウダのロシアンティーは絶品ですから」

「ダージリンならその可能性もあり得るわね」

 

 いつもカチューシャのそばに控えているノンナが不在なのは、ダージリンを迎えに行っていたからであった。

 事前の連絡もなしにダージリンがここを訪れるのは珍しいが、隊長を解任されて暇を持て余しているのだろう。ダージリンは無類の紅茶好きなので、トモエの言ったとおり紅茶を飲みに来ただけの可能性も高い。

 

「カチューシャ、ダージリンさんをお連れしました」

「ごきげんよう、カチューシャ。今日はあなたに仲介役を頼みに来たのだけれど、私は運が良いみたいですわ。『棚から牡丹餅』とはこのことね」

 

 ダージリンはそう言うと、トモエのほうに顔を向けた。

 どうやら、ダージリンのお目当てはトモエのほうだったようである。

  

「トモエさん、大事な話がありますの。少しお時間をいただいてもよろしいかしら?」

 

 

 

 

 みほは『紅茶の園』でアッサムと二人きりでお茶会をしていた。

 明日は決勝戦当日。その大事な決戦の前に、みほはどうしてもアッサムに確認したいことがあった。

 一部の三年生は大洗にわざと負けようとしている。アサミが語ったその話が事実だとしたら、おそらくアッサムも含まれているだろう。

 アッサムはアールグレイの命令で中学時代のみほを調査していたのだ。無関係とは考えづらい。

 

 決勝戦は大洗女子学園の廃校がかかった試合だ。大洗が勝てば廃校は取り消されるし、まほが苦しむこともなくなる。聖グロリアーナの敗北ですべてが丸く収まるなら、そのほうがみほにとっても都合がいい。

 だが、それは絶対にやってはいけないことだ。

 西住流はどんな困難があっても前を見据えて突き進む流派。みほは楽なほうに逃げてはいけないのである。

 今日のみほは、ラベンダーではなく西住流の後継者、西住みほであった。

 

「ラベンダー、話とは何ですの?」

「アッサム様に聞きたいことがあります。正直に答えてください」

 

 その後、みほはアサミから聞いた話を包み隠さずアッサムにぶつけた。

 ここは小細工を使うのではなく、正面突破が吉。みほはそう判断した。

 

「アールグレイ様の情報管理は徹底されていないようですわね」

「アッサム様もわざと負けるつもりなんですか? もしそうなら、私は!」

 

 いすから立ち上がり、テーブルの上に身を乗り出すみほ。

 

「ラベンダー、こっちへいらっしゃい」

 

 アッサムはみほを手招きする。

 先ほどのみほの行動は淑女らしからぬ振る舞い。いつもだったらお説教間違いなしだ。

 ところが、アッサムの元へやってきたみほを待っていたのは、厳しいお説教ではなく優しい抱擁だった。

 

「安心しなさい。私は八百長まがいのことをするつもりはありません。アールグレイ様から指示はされたけど、丁重にお断りしましたわ」

「アッサム様……」

 

 アッサムの優しさに包まれたみほは、自分の心がどんどん満たされていくのを実感していた。

 一番お世話になった先輩が自分と同じ考えでいてくれたのだ。みほが心に抱えていた最大の不安はこれで消えた。

 

「だけど、ダンデライオンはアールグレイ様の指示に従うつもりですわ。あの子はアールグレイ様に恩がある。命令には逆らわないはずよ」

 

 わがままで傲慢なお嬢様だったダンデライオン。そのダンデライオンが変わったのはアールグレイの指導の賜物だ。

 みほが演技をみんなの前で披露したとき、ダンデライオンはアールグレイへの感謝の言葉を口にしていた。残念だが、アッサムの予想が外れる可能性は低いと言わざるを得ないだろう。

 

「ラベンダー、あなたは自分の判断で行動しなさい。ダンデライオンの命令が不可解だった場合は無視していいですわ」

「わかりました」

「泣いても笑っても次が最後なのだから、悔いのない試合をしましょう。ダージリンも私たちを見守ってくれているはずですわ」

「はい!」

 

 みほは元気よく返事をした。

 懸念はすべて消えたわけではない。それでも、前へ進む原動力は得た。

 あとは優勝に向かって突き進むのみである。

 

 

◇◇

 

 

 大洗女子学園の学園艦は大洗港を目指していた。

 決勝戦の会場は静岡県の東富士演習場。学園艦が入港したあと、大洗の生徒は貨物列車で現地に向かうことになっている。

 今夜が犬童頼子が父の望みを叶えるラストチャンスだった。

 

「芽依子にこんな仕事はさせられませんよ。お父様が言ったとおり、頼子は嘘をつくのが上手みたいです」

 

 犬童家の当主は芽依子に大洗の戦車の細工をさせろと頼子に命じた。

 しかし、頼子はその命令を芽依子に伝えていない。父親には芽依子に連絡したと嘘の報告をしている。

 

「汚れ仕事は全部頼子がやります。芽依子には清く正しい道を進んでほしいですからね」

 

 頼子はそう独り言をつぶやいたあと、大洗の戦車が格納されているガレージへと向かった。

 全部やるとはいっても、頼子が得意としているのは話術を使った計略。破壊工作は専門外だ。

 なので、頼子は助っ人を大洗に送りこんでいた。

 頼子の部下、武器屋のブッキー。彼女は老舗戦車ショップの跡取り娘だ。戦車の細工などお手の物だろう。

 

 頼子はガレージの入口までやってきたが、ブッキーの姿はない。

 もしかしたら、ブッキーはすでに工作を開始しているのかもしれない。そう思った頼子がガレージの中に入ると、予期せぬ人物が頼子を待ち構えていた。

 

「遅かったわね、クラーク。紅茶がもう冷めてしまいましたわよ」

 

 頼子に目の前にいるのは、ティーカップを手にしたダージリン。

 それでも、頼子は冷静だった。人を精神的に揺さぶる手段を好む人物には心当たりがある。

 

「ダージリンさんがこんな場所にいるわけがありません。正体を現しなさい、キャロル」

「あら、忍道の授業をさぼっている割には勘が鋭いのね。真っ当な道を進んでいれば、あなたもいい忍者になれたのに……残念ですわ」

「あなたがここにいるということは、ブッキーはしくじったみたいですねぇ。二回連続で失敗するなんて、思ったよりも役に立たない子です」

「いいえ。五右衛門は失敗していないわ。だって、これはあなたを捕まえる罠なんですもの」

 

 偽ダージリンがティーカップを地面に叩きつけると、あたり一面に白い煙が充満した。ティーカップの中には、キャロルお得意の煙玉が仕込まれていたのだ。

 視界を奪われた頼子が怯んだ瞬間、強烈な足払いが頼子を襲った。

 芽依子と違って頼子は荒事に慣れていない。なので、何の抵抗もできずに床に転がってしまう。

 そこに再びの追撃。何も見えない白い視界の中で、頼子の腕と足に激痛が走る。

 どうやら頼子は関節技をかけられているらしい。あまりの痛みに頼子の目からは涙があふれてきた。

 

「いだだだだっ!! ごめんなさい! もう許してぇ!」

「ちょっとやりすぎたみたいでござる」

「半蔵の腕ひしぎ十字固が決まりすぎたんですわ」

「そういう弥左衛門のアキレス腱固めのほうが痛そうでござるよ」

「私の足払いもきれいに決まった。あれは痛い」

 

 頼子に攻撃を仕掛けてきたのは聖グロリアーナの忍道履修生のようだ。 

 彼女たちは忍者じゃなくて格闘家になったほうがいい。頼子はそう思わずにはいられなかった。

 

「お仕置きはもうそのへんでいいですわ」

 

 キャロルのその言葉で頼子はようやく痛みから解放された。

 

「クラーク、あなたの陰謀は五右衛門がすべて教えてくれましたわ。今日が年貢の納め時ですわよ」 

「ブッキー、頼子を裏切ったんですね。どうなっても知りませんよ」

 

 頼子はキャロルの隣に立っていたボコの着ぐるみをにらみつけた。

 犬童家を裏切れば実家に悪影響が出る。商人の娘であるブッキーは当然それを理解しているはずだ。

 にもかかわらず、ブッキーは頼子を罠にはめた。それ相応の報いは覚悟してもらうほかない。

 

「五右衛門を脅しても無駄ですわよ。あなたのお父様も今ごろ同じような目にあっているはずですわ」

「へっ?」

 

 思わず間の抜けた返事をしてしまう頼子。

 嫌な汗が頬を伝うが、この場で頼子ができることはもう何もなかった。

 

「さて、あなたは私が責任を持って真人間にして差しあげますわ。今日から一週間ほど伊賀で修行する予定なので、あなたにも参加してもらいますわよ」

「無理無理無理! 頼子は脳筋のあなた達と違って、か弱い女の子なんですぅ!」

「大丈夫ですわ。一週間死ぬ気で努力すれば、あなたも立派な忍者になれますの」

 

 キャロルは聞く耳を持たない。このままでは頼子は地獄へ真っ逆さまだ。 

 

「三郷さん、待ってください!」

 

 そのとき、頼子にとっての救いの女神、犬童芽依子が現れた。

 芽依子は騒ぎに気づいてここへ来たのだろう。頼子が助かるチャンスは今しかない。

 

「めいめい、助けて! お姉ちゃんはこの子たちに殺されちゃいますぅ!」

「犬童芽依子、口出しは無用ですわ。この件は聖グロリアーナが決着をつけますの」

 

 両者の言い分を聞いた芽依子は、頼子の元へ歩み寄った。

 

「姉さん、忍道の修行はつらく厳しいですが、慣れればなんてことはありません。どうか生き延びてください」

「えっ? お姉ちゃんを助けてくれないんですか?」

「今は試合に集中したいんです。姉さんとお父様が何を企んでいたのかは、試合が終わってから聞きます」

 

 芽依子はそう言うと、ガレージの入口に向かってスタスタと歩いていく。

 その背中に向かって頼子は最後に声かけた。

 

「芽依子、試合がんばってね」

「……はい」

 

 

◇◇◇

 

 

「しほ様、今なんとおっしゃいましたか?」

「聞こえなかったのならもう一度言います。本日をもってあなたを西住流から破門します」

 

 夜の西住邸で通達された突然の破門通告。それでも、犬童家の当主に動じた様子はなかった。

 犬童家は西住流の雑務を司っている。西住流を円滑に回すには彼の力は必須なのだ。

 ゆえに、犬童家の当主は余裕の態度を崩さない。

 

「失礼を承知でお聞きしますが、私がいなくて西住流はうまく立ち回れますかな?」

「その件に関しては問題ありません。あなたの業務を引き継いでくれるかたとはすでに話がついています」

「ご冗談を……そんな人物がいるのならお目にかかりたいものですな」

 

 犬童家が行っていた業務は多岐に渡る。

 財務、情報収集、マスコミ対応。西住流の内情をしっかり把握し、なおかつこれらの業務をすべて行えるものなどいるわけがない。犬童家の当主はそう高をくくっていた。

 

「今日は代理人のかたがこの家を訪れていますので、あなたにも紹介します。トモエさん、どうぞお入りください」

「失礼します。この度、西住流に協力させていただくことになった深水家当主の代理、深水トモエです」

「なっ!? バカなっ! なぜ深水が私を裏切る!」

 

 声を荒げる犬童家の当主。この展開は彼も予想していなかったらしい。

 深水家は西住流の大口スポンサー。犬童家との付き合いも長く、ずっと良好な関係を築いてきた。 

 それがここにきてまさかの背信。まさに虚をつかれた形だ。

 

「自分で言うのもなんですけど、お父様は私に甘いんです。私がお願いしたら即了承してくれました。お兄様たちも手伝ってくれるそうなので、西住流の業務はなんの支障もなく遂行できると思います」

 

 深水トモエは深水兄弟の紅一点。家族から大切に育てられてきた深水家のお姫様である。

 深水家の男衆はエリートぞろいだが、全員彼女には甘い。トモエにおねだりされたら、ほいほい言うことを聞いてしまう親バカとシスコンばかりだ。

 

 犬童家の当主の見通しは不十分だった。

 深水トモエは西住流のパワーバランスを崩壊させることができるジョーカー。真っ先に抑えておかなければならない危険なカードだったのだ。

 

「私は深水の娘に恨まれることをした覚えはない! いったい何が目的だ!」

「あなたは頼子さんを使って大洗女子学園が敗北するように仕向けました。理由なんてそれだけで十分です」

「言いがかりだ! どこにそんな証拠がある!」

 

 犬童家の当主がトモエと言い争っていると、一人の少女が部屋に入室してきた。

 

「『失敗の言い訳をすれば、その失敗がどんどん目立っていくだけです』。見苦しい姿を晒すのはもうおやめになったらいかがかしら?」

 

 英国の劇作家、シェイクスピアの言葉と共に登場した少女を犬童家の当主はよく知っている。

 彼女が隊長を解任されるように仕組んだのは犬童家の当主だ。知らないわけがない。

 

「わかったぞ。お前が元凶だな。深水の娘をたぶらかして私に復讐するつもりか!」

 

 激高してダージリンに詰め寄る犬童家の当主だが、その手が届くことはなかった。

 二人の間に突然割って入ったきた背が高い黒髪の少女に、犬童家の当主は取り押さえられてしまったからだ。

 

「貴様、何者だっ! ええい、放せ!」

「カチューシャ、罪人を拘束しました」

「ご苦労様、ノンナ。さーて、このおじさんにはどんな罰が相応しいかしらね」

「いっそのことプラウダ送りにしますか? カチューシャ様の指導を受ければみんな良い子になりますよ」

 

 少女たちの会話を聞いていた犬童家の当主は、深水トモエというジョーカーを手にしたのが誰なのかを知った。

 プラウダ高校戦車隊隊長、カチューシャ。小学生にしか見えないこの少女が、犬童家の当主を破滅に誘う死神だった。

 

Wow(ワーオ)! 男の人に勝っちゃうなんて、ノンナったらパワフルね」

「おいおい、無茶するなよ。怪我したらどうするんだ」

  

 次に部屋へと入ってきたのは、サンダース大学付属高校の隊長とアンツィオ高校の隊長。

 犬童家が裏工作をした学校の隊長が姿を現したことで、犬童家の当主は自身の敗北を悟った。

 

「証拠は取りそろえてありますわ。ご覧になりますか?」

 

 ダージリンから突きつけられた書類の束。その書類の内容を確認する気力は、犬童家の当主にはもう残っていなかった。

 西住流を自分の思いどおりに操作しようとした彼の野望はここに潰えたのである。



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第五十八話 聖グロリアーナ女学院対大洗女子学園 前編

 決勝戦の会場、東富士演習場には大勢の観客が詰めかけていた。

 聖グロリアーナ女学院と大洗女子学園。普通に考えれば、四強の一角である聖グロリアーナ女学院のほうが有利に思える。

 ところが、今回の決勝はありえない事態が立て続けに起こっている。

 決勝直前の隊長解任。クロムウェルの登録削除。そして、クルセイダー隊の隊長車の装填手が欠場し、隊長車の乗員が三人になった事実。

 聖グロリアーナ女学院のこれらの事情を踏まえると、大洗女子学園が優勝する可能性も十分にある。

 だからこそ、観客は期待してしまう。無名校が強豪校を倒すジャイアントキリングを。

 マイナー競技の決勝戦にこれだけの人が集まったのは、それも大きな理由であった。

 

 その観客席から少し離れた丘の上で、車体に継という漢字が書かれた一台のトラックが止まっていた。

 トラックの車体からは、足場がにょきにょきと空に向かって伸びている。このトラックは本来は高所作業に使われるものなのだろう。

 その足場の上で、二人の少女が決勝出場校の戦車が格納されているガレージを見ていた。

 二回戦で聖グロリアーナ女学院と対戦した継続高校の生徒、ミカとアキだ。

 

「知波単と黒森峰は聖グロを激励してるみたいだよ。ねえ、ミカ。私たちも行こうよ」

「その役目は彼女たちに任せよう。人には適材適所があるからね」

「またひねくれたこと言うー。そんなだから、ミカは交友関係が広がらないんだよ」

「人の輪を広げすぎると身動きが取れなくなる。私は自由なままでいたいのさ」

 

 ミカはつねにマイペース。他人に興味を持つことも少ないし、戦車道の試合でも感情を表には出さない。

 逆にアキはたくさん友達がほしいタイプ。決勝戦を見にきた理由は仲良くなった聖グロの生徒に会いたいからだ。

 二人の性格はまるで正反対。にもかかわらず、二人はいつも一緒にいる。

 アキが文句を言って、ミカがのらりくらりとそれをかわすのもお決まりのパターン。性格は違っても二人の相性は悪くないのだ。

 

「じゃあさ、ミカはどっちが勝つと思う?」

「この試合にはいろんな人の思惑が複雑に絡み合っている。勝敗を予想するのは難しいね」

「なによそれー。そもそも、なんでミカはそう思ったの?」

「風が教えてくれたんだ。この試合は荒れるってね」

 

 

 

 

 試合前のあいさつを終え、ついに決勝戦が始まった。

 準決勝のような卑怯な作戦はしない。それが聖グロリアーナの合言葉だ。

 クルセイダー隊を率いるみほも当然それは理解している。

 この試合に西住みほの出番はない。どんな苦境に立たされても最後までラベンダーであり続ける。みほはそう決めていた。

 

『ラベンダーちゃん、様子はどうですか?』

「大洗の戦車隊は姿を現しません。おそらく、市街地で私たちを待ち受けるつもりです」

 

 試合会場の東富士演習場は、平原、山岳、市街地の三つのエリアがある。

 聖グロリアーナが得意としているのは浸透強襲戦術を用いた面制圧。遮蔽物が何もない平原に大洗の戦車が出てくるとは考えづらい。

 大洗にはポルシェティーガーがいるので山岳地帯も選択肢から外していいだろう。

 足が遅いあの戦車で坂道を登るには時間がかかる。大洗が山登り中に背後を突かれるような愚を犯すとは、みほには思えなかった。

 

『それなら、市街地へ行くしかないですね。ラベンダーちゃん、先行してください』

「了解しました。クルセイダー隊はこれより市街地に向かいます」

 

 この試合のフラッグ車はダンデライオンが搭乗するチャーチルだ。

 足の速いクルセイダー隊で市街地のクリアリングを行い、マチルダ隊に守られながらゆっくり市街地へ向かう。実に堅実で合理的な作戦であり、不審な点は見られない。

 だが、アールグレイの命令を遂行しようとするダンデライオンはどこかで必ず仕掛けてくるはずだ。

 この試合は普通の試合とは違う。敵は大洗だけとは限らない。

 

 クルセイダー隊は本隊より一足先に市街地へ到着した。

 今回のクルセイダー隊は全九輌。マチルダ隊十輌に匹敵する大部隊である。

 ここからどう部隊を動かすか。みほがそう思案していると、市街地の入口付近にある団地エリアで大洗の戦車を三輌発見した。

 

「ラベンダー、フラッグ車のⅣ号ですわ!」

「澤様のM3中戦車もいますの」

「残りの一輌は河嶋さんの38t。どれも大洗の主力戦車……罠かな?」

 

 相手は三輌だが油断はできない。

 フラッグ車のⅣ号は準決勝で五輌の戦車を撃破しているし、M3リーも二輌同時撃破という離れ業を演じている。

 さらに、38(t)には大洗の副隊長、河嶋桃がいるのだ。準決勝であえて砲撃を外し、敵をその気にさせて返り討ちにした彼女の手腕は侮れない。

 

「ダンデライオン様、大洗の戦車を三輌発見しました。場所は……」

 

 みほが無線で報告していると、大洗の三輌の戦車はバラバラになって逃走した。

 どうやら、大洗はクルセイダー隊を分断させて市街地に引きずりこむつもりのようだ。

 

「大洗の戦車が逃走しました。全車輌でフラッグ車を追跡します」

 

 相手の分断作戦にわざわざ乗る必要はない。戦力の分散は各個撃破されるリスクがある。

 みほはそう判断したが、ダンデライオンはそれに異を唱えた。 

 

『ここは部隊を分けて三輌すべてを追うべきです。河嶋副隊長と澤梓さんは放置していい相手じゃありません』 

 

 ダンデライオンの言うことにも一理ある。

 あの二輌は放置するにはあまりに危険。みほだって、できれば早めに撃破したいと思っている。

 しかし、それは大洗の罠にみすみすはまりに行くようなものだ。この命令がダンデライオンの策略なのは疑いようがない。

 

『ラベンダーちゃんはあたしの命令に従ってくれますよね? あたしに逆らうなんてことはしませんよね?』

「……わかりました。クルセイダー隊はこれより三手に分かれます。ハイビスカスさんはM3中戦車、ジャスミンさんは38tを追ってください」

『その言葉を待ってたじゃん!』

『承りましたわ』 

 

 みほは小隊長の二人にそう指示を出した。

 不可解な命令には従わなくていい。アッサムにはそう言われたが、みほはそれを実行することができなかった。

 ダンデライオンのすがるような声を耳にしたみほは、どうしてもNOとは言えなかったのである。

 

「ダメだな私って……」

「落ちこんでいる暇はありませんわ。ここまできたら行け行けドンドンでございます。地の果てまで追いますわよ!」

 

 うなだれるみほに声をかけたのはローズヒップだった。

 親友の二人にはアールグレイの陰謀の件は話してある。みほがダンデライオンとどんな話をしたのかローズヒップには察しがついているのだろう。

 だからなのか、いつもよりローズヒップのテンションは高めだ。彼女は彼女なりの方法でみほを鼓舞してくれているのである。

 

「ラベンダー様、カモミールさんも応援に来てますの。フラッグ車を撃破して彼女を安心させてあげましょう」

 

 ベルガモットの言葉にみほは大きくうなずくと、二輌のクルセイダーと共にⅣ号のあとを追った。

 これにより、クルセイダー隊は三輌ずつの小隊に分かれることとなる。

 試合がついに動き出した。

 

 

◇◇

 

 

 38(t)の乗員は大きく様変わりしていた。

 これまでと同じ乗員は河嶋桃のみ。あとの二人は桃が用意した船舶科の助っ人だ。

 

「親分、魚が餌に食いついたみたいですぜ」

「罠があるとも知らずにのこのこついてくるなんて、飛んで火にいる夏の虫とはこのことね。夏の虫がどんな虫なのかは知らないけど。ラム、例の場所までこいつらを誘導するよ」

「アイアイサー!」

 

 元気な声で返事をするチリチリパーマの赤髪少女。

 仲間内で爆弾低気圧のラムと呼ばれているこの少女が、38(t)の操縦手を担当している助っ人その一である。

 

「桃さん、あとはあたしたちに任せてください」

「頼んだぞ。私は今のうちにほかのチームと連絡をとる」

 

 桃に声をかけたのは黒のロングコートをまとった黒髪の少女。

 仲間内で竜巻のお銀と呼ばれているこの少女が、38(t)の車長を担当している助っ人その二である。

 

 クルセイダーを引きつれたまま団地エリアを抜けた38(t)は、そのまま市街地へと入った。

 大通りには聖グロリアーナをあっと言わせる仕掛けが用意してある。そこに敵を誘いこむのが38(t)に課せられた任務だった。

 

「なかなかスピードが速い魚だね。ラム、もっと飛ばしな」

「これが最大戦速でさ!」

「私が牽制する。もう少しで大通りに着くんだ。ここでやられてたまるか!」

 

 桃は37㎜砲でクルセイダーを砲撃した。

 もちろん、ノーコンの桃の砲撃が当たるはずもなく、クルセイダーにはあっさり回避されてしまう。

 だが、砲撃の目的はあくまで時間稼ぎ。大通りに到着する前に38(t)が撃破されなければ作戦成功だ。

  

「うほっ。大通りに着きましたぜ」

「でかしたよ、ラム」

「西住、敵を連れてきたぞ。一気に蹴散らせー!」

 

 大通りに入った38(t)の進行方向には一輌の戦車がたたずんでいた。

 色はブルーグレー。砲塔はそろばん玉型。砲塔の側面にはデフォルメされたカニのチームエンブレム。  

 巡航戦車クルセイダーMK.Ⅲを使用するこのチームの名はカニチーム。乗員は車長が西住まほ、砲手が角谷杏、操縦手が小山柚子。腕利きの隊員がそろったこのチームは大洗最強のチームだ。

 

 その後、カニチームは38(t)を追跡していた二輌のクルセイダーを撃破し、鮮烈なデビューを飾った。

 

 

 

 

「大洗がクルセイダーを!?」

『はい。突然現れたクルセイダーによって、ジャスミン小隊は壊滅しました。残ったのは私だけですわ』

 

 大洗が使用したクルセイダーは、みほたちが持ちこんだもので間違いないだろう。

 まさか大洗がクルセイダーを使ってくるとは夢にも思わなかったが、この試合には学校の運命がかかっている。

 いや、よくよく考えれば学校だけじゃない。学園艦で生活するすべての人の人生がかかっているのだ。 

 大洗からしてみれば藁にもすがりたい状況である。使える戦車が目の前にあるのなら使わない手はない。同じ立場に置かれたら、みほだってそうした。

 

 しかし、不思議なのは大洗のメンバー表にクルセイダーの名前がなかったことだ。

 いくらなんでもメンバー表に細工はできない。登録されていない車輌を使えばレギュレーション違反の対象である。

 ということは、大洗はクルセイダーを登録しているが、みほが渡されたメンバー表からは名前が消えていたことになる。

 それができるのは最初にメンバー表を受けとった人物。隊長のダンデライオンだけだ。

 

最上(もがみ)様は大洗のクルセイダーの存在を知っていたんじゃないですか? だから、あなただけ生き残れた」

『……敵が来たようなので通信はここまでにしますわ』 

 

 最上からの無線は唐突に打ち切られた。どうやら、みほの指摘は図星だったようだ。

 最上はダンデライオンのクルセイダーMK.Ⅱの装填手をしていた三年生。ダンデライオンと歩調を合わせるのは当然といえば当然だ。

 

 みほは自分の甘さを痛感させられた。試合前の段階ですでに手を打っていたダンデライオンは、みほより一枚も二枚も上手だ。

 おそらく、この作戦を考えたのはアールグレイだろう。

 ダンデライオンは策を弄する軍師タイプではなく、勇猛果敢な武人タイプの人物。このような狡猾な作戦を彼女が立案したとはとても思えない。

 アールグレイの影を実感したことで、みほの背筋に嫌な汗が浮かんだ。

 

 

◇◇◇

 

 

 M3リーは市街地の中を逃走中。

 追ってくるのは三輌のクルセイダー。それがハイビスカス小隊なのを梓はすでに確認済みだ。

 M3リーのキューポラから身を乗り出す梓とクルセイダーのハッチから顔を出すハイビスカス。二人の視線が合わさった回数はもう数えきれない。クルセイダーは合計三輌だが、梓の目にはハイビスカスしか映っていなかった。

 

「梓ちゃん、カニさんチームがクルセイダーを二輌撃破したって。あっちの作戦は順調みたいだよぉ」

「了解。こっちもそろそろ頃合いかな」

 

 優季から情報を受けとった梓は決心を固めた。

 カメチームには敵をカニチームの元へおびき寄せるという作戦があった。それに対し、ウサギチームには何の策もない。

 それは当然だろう。ハイビスカス小隊相手に元から策など不要。必要なのは自分たちがやってきた努力を信じる心だけだ。

 

「みんな、準備はいい? 私たちは今日こそハイビスカスさんに勝つ!」

『おーっ!!』

 

 梓の力強い言葉にウサギチーム全員がおたけびを上げた。

 ウサギチームは過去最高に気合が入っている。これなら、練習でやってきた成果を遺憾なく発揮できるだろう。

 

 市街地を抜けたM3リーは学校の敷地内に入った。

 校舎はボロボロで校庭は穴だらけ。その様相は過去にここで激しい戦いが行われたのを物語っている。

 その中で梓が決戦場所に選んだフィールドは校庭であった。

 

 三輌のクルセイダーは校庭の中央に陣取ったM3リーを三方向から取り囲む。

 二回戦の継続高校で見せた連携攻撃。あれをM3リーにかけるつもりなのだ。

 

「あゆみ、あや、私が合図するまで絶対に発砲しないで。この戦いはタイミング勝負だからね」

「わかった。梓を信じる」

「梓ちゃん、私の出番をなくさないでね」

 

 砲手の二人に指示を出した梓は、次に装填手の二人へと命令を飛ばす。

 

「芽依子、紗希、装填は素早くお願いね。ここで三輌全部撃破するよ」

「御意」

「……うん」

 

 装填手の二人の次は通信手。

 

「優季、クルセイダーを撃破したらすぐに武部隊長に報告して。私たちの勝利を伝えてチーム全体の士気を上げるの」

「は~い」

 

 そして、梓は最後に桂利奈へと目を向けた。

 この勝負は車長と操縦手の意思疎通が肝心かなめ。操縦手の桂利奈がこの戦いのカギを握っているといってもいい。

 

「桂利奈、自信を持って戦おう。あんなに練習したんだもん、私たちならやれる」

「あいっ!」

 

 桂利奈の心地の良い返事を聞いた梓はキューポラから顔を出し前を見つめた。

 正面のクルセイダーには、梓の目を惹きつけてやまないハイビスカスの姿がある。

 初めて戦った練習試合では、ドキドキしっぱなしでまともにハイビスカスの顔が見れなかった。

 だが、今日は違う。梓の瞳はしっかりとハイビスカスの姿を捉えていた。

 

 再び二人の視線がぶつかり合ったことが合図となったのか、クルセイダーがいっせいに攻撃を開始した。

 三方向から迫る砲撃の嵐。しかし、M3リーに砲弾は当たらない。

 クルセイダーの波状攻撃を回避するM3リーの姿は、まるでワルツを躍っているようだ。

 

 乗員が三名のクルセイダーMK.Ⅲは車長が装填手を兼任しているので、戦闘中の車長は外の様子を正確に視認できない。なので、砲撃の命中率は砲手の能力がものをいう。

 継続高校戦で見せたクルセイダー隊の連携攻撃は見事の一言につきるが、実際に敵戦車を撃破したのはクロムウェルとクルセイダーMK.Ⅱ。ハイビスカスのクルセイダーMK.Ⅲの砲撃はかすった程度だ。

 三人乗りのクルセイダーMK.Ⅲは命中率が悪い。聖グロリアーナの二回戦の映像を何度も確認した梓はそう結論付けた。 

 それからは、特訓に次ぐ特訓。機動力があるカニ、アヒル、カメの三チームに手伝ってもらい、三方向からの砲撃回避をひたすら練習した。

 この回避力はその努力が実を結んだ結果。さらに、努力したのは回避だけじゃない。

 

 プラウダ戦で成功したダブルアタック。BT-5を撃破したことで自信を深めた梓はこの攻撃方法にも磨きをかけてきた。

 練習でもアヒルとカメの両チーム撃破には成功している。カニチームは最後まで撃破できなかったが、あのチームは大洗でもっとも能力が高い。二輌同時撃破などという甘い目論みが通じる相手ではないのだ。

 今、M3リーに砲撃の雨を降らせているクルセイダーにも同じことがいえる。

 小隊長のハイビスカスを狙っても同時撃破はきっとうまくいかない。狙うなら僚車のクルセイダーだ。

 

 集中力を極限まで高め、梓は桂利奈に回避の指示を出しながらそのときを待った。

 すると、砲撃が当たらないことに痺れを切らしたのか、クルセイダーの包囲の輪が徐々に狭くなっていく。

 クルセイダーが向こうから近づいてきてくれたことで、梓は即座に頭のスイッチを回避から攻撃に切り替えた。

 

「撃てっ!!」

 

 梓の号令で放たれるM3リーの二門の砲撃。

 ウサギチームの思いを乗せた砲弾は二輌のクルセイダーの命中し、白旗が二つ上がった。

 それはまさに準決勝の再現。梓たちは再び奇跡を起こしたのだ。

 

「装填急いで! 次はハイビスカスさんを落とす」

 

 梓はそう勢いこむが、残る一輌のクルセイダーは砲撃を中止し、校舎へ向かって逃走した。

 

「戦車前進! 絶対に逃がさないから」 

 

 梓とハイビスカス。二人の勝負の決着は近い。



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第五十九話 聖グロリアーナ女学院対大洗女子学園 中編

 聖グロリアーナのクルセイダー隊が一方的に押されている状況に観客席は大盛り上がり。

 判官びいきの観客と大洗女子学園の応援団にとっては、理想的ともいえる試合展開。応援にも熱が入るし、ボルテージもどんどん上がっていく。

 それとは対照的に、聖グロリアーナ側は静かに試合を見守ることしかできない。

 その聖グロリアーナ側の観客席の中にカモミールとアサミの姿があった。

 カモミールの黒目がちな瞳には大粒の涙が溜まっており、ときおりぐしぐしと制服の袖で涙をぬぐっている。

 

「泣いているのですか?」

「アサミ姉さん、私は悔しいです。どうして私はみんなと一緒に戦えないんだろうって考えると、涙が止まらないんです」

「それは仕方ありません。あなたは病み上がりなのですから」

「でもっ!」

 

 カモミールは涙でぐちゃぐちゃになった顔でアサミに反論しようとする。

 そんなカモミールをアサミは優しく胸に抱き入れた。

 ダメ姉一直線だったころのアサミだったら、間違いなくビンタしていただろう。この短期間で彼女もずいぶん大人になったようだ。

 

「この程度で泣いていたら妹たちに笑われますよ。あなたにはまだ来年がある。この悔しさは次の機会に晴らしなさい」

「……私……もっと強くなります。もう……みんなに……迷惑かけません」

 

 カモミールは嗚咽交じりの声で言葉を絞り出す。

 この経験はカモミールにはつらい出来事かもしれない。それでも、この失敗を活かして前に進むことはできる。成長した彼女は、来年きっとこの場所に帰ってくるだろう。

 

「しっかりお姉ちゃんしてるねー。感心感心」

「そう言うあなたは妹さんの暴走を止められなかったみたいですね、キクミさん」

 

 アサミの視線の先にはキクミと愛里寿の姿があった。

 どうやら、二人は少し遅れて試合会場に到着したらしい。

 

「ライオンちゃんにとっては、私よりあの子の言葉のほうが重いんだよ。なんといっても、人生を変えられちゃったからね」

「あの子はこの事態を予測してキクミさんの妹を調教したんじゃないですか? 手駒にするには最適ですから」

「ストップ。それ以上言うと怒るよ。私は妹をまともにしてくれたあの子に感謝してるんだから」

「……すみません。失言でした」

 

 深々と頭を下げるアサミ。

 友人相手でも彼女の生真面目さは変わらない。

 

「アサミ、状況を報告して」

「はい。聖グロリアーナはすでにクルセイダーを四輌失っています。それに対し、大洗はすべての戦車が健在です。序盤戦は大洗の圧勝でした」

「……そう」

 

 アサミから試合経過を聞いた愛里寿は、手にしたボコのぬいぐるみを胸の前で抱きしめている。

 友人が苦戦を強いられているのだ。表情には出さないが、愛里寿の心中は穏やかではないのだろう。

 

「大丈夫です! ラベンダー様はきっと大洗をボコボコにしてくれます!」

「ボコみたいに?」

「そうです! 喧嘩を売ってきたら即カウンターですよ!」

 

 大きな声で愛里寿を励ますカモミール。

 さっきまで大泣きしていたが、すでに気持ちを切り替えたようだ。

 

「ほらほら、ラベンダー様がⅣ号を追跡していますよ。元気いっぱい、テンションアゲアゲで応援しましょう」

「うん!」

 

 二人が見つめる大型ビジョンに映っているのは、Ⅳ号戦車とそれを追う三輌のクルセイダーMK.Ⅲ。

 序盤戦を終え、試合は中盤戦へと突入した。

 

 

 

 

 みほが率いるクルセイダー小隊は、路地裏に逃げこんだⅣ号を一列縦隊で追っていた。

 路地裏は砲撃の手数も減るし、数の有利も活かせない不利な地形。それでも、追跡をやめるわけにはいかなかった。

 もうすでに四輌もクルセイダーを失っているのだ。相手のフラッグ車を見失うような失態は犯せない。

 

「フラッグ車の撃破を急ぐ必要はありません。今は追いかけることに専念してください」

 

 最後尾のみほは僚車にそう指示を下した。

 この路地裏には必ず罠が用意してある。Ⅳ号を撃破するのはそれを見破ってからだ。

 

 そのとき、大洗がついに動きを見せた。

 Ⅳ号が十字路を通過した直後、一輌の戦車がいきなり横から現れ、十字路を塞いだのである。

 現れたのはフランス製の重戦車、ルノーB1bis。

 クルセイダーはスピードを出していたが、重量があるルノーB1bisを弾き飛ばすことはできず、先頭車と後続車は激突して停止してしまう。

 

「後退してください。ただし、曲がり角の前では急停止を忘れないように」

「任せてくださいまし!」

 

 この先には左に入れる道がある。そのほんの少し手前で、勢いよくバックしていたクルセイダーは急停止。決勝戦という大舞台でもローズヒップはみほの要求に的確に応えてくれる。

 すると、一発の砲弾が左の道から飛んできた。何も考えずに後退していたら車体の側面を撃ち抜かれていたのは間違いない。 

 みほは市街地の地形を頭に叩きこんでいる。大洗が十字路を塞いだ時点で、この場所を待ち伏せポイントにしているのはお見通しだった。 

 

 みほはクルセイダーを再び後退させて左の道を確認した。

 待ち伏せしていたのは三式中戦車。前面装甲は50㎜しかないので、クルセイダーの6ポンド砲ならこの距離でも装甲を抜ける。

 そこからのみほの判断は早かった。

 

「砲塔旋回。まずは三式中戦車を撃破します」

「はいですの」

 

 ベルガモットは素早く砲塔を旋回し、三式中戦車に向かって砲撃を放つ。

 57㎜口径の6ポンド砲はいともたやすく三式中戦車の装甲を撃ち抜き、大洗に初の白旗を上げさせた。

 

「次はルノーを仕留めます。次の角を左に曲がってください」

「了解でございますわ」

 

 ルノーB1bisは車体前面と側面の装甲は60㎜と厚いが、背面の装甲は55㎜。至近距離ならクルセイダーでも撃破可能である。

 みほのナビゲーションでクルセイダーは狭い路地裏を進む。もちろん、スピードはいっさい落とさない。ルノーB1bisが同じ場所に留まっているとは限らないからだ。

 最短距離を猛スピードで駆け抜けた結果、クルセイダーはルノーB1bisの背後をつくのに成功。近距離で放った6ポンド砲によって、ルノーB1bisも白旗を上げた。

 

 二輌の戦車を撃破したみほは、クルセイダーのハッチを開け砲塔の上に躍り出た。ティーカップを手に持ちながら戦車に立つみほの姿は、勇ましさと優雅さの両方を兼ね備えている。

 次の獲物であるⅣ号は必ず近くにいるはずだ。みほが自分の直感を頼りに索敵をしていると、大通りの方向に逃げるⅣ号の姿を発見した。

 

「フラッグ車は大通りに向かっています。隊長車が先行しますので、あとに続いてください」

 

 みほは僚車のクルセイダーに命令を飛ばしたあと、Ⅳ号の追跡を再開する。

 みほの手がⅣ号に届くのはもはや時間の問題だ。

 

  

◇◇

 

 

 M3中戦車に二輌のクルセイダーを撃破され、逆に自分が追われる羽目になったハイビスカス。

 校舎が立ち並ぶエリアでM3中戦車に決闘を挑んだものの、一度傾いた流れを止めることはできず、苦境に立たされていた。

 

「いやー、あずっちも強くなったねー。ちょっと前まではあたしが圧倒してたんだけどなー」

「このままでは小隊は全滅ですわ。どうするおつもりなんですの?」

 

 砲手の少女の問いかけに、ハイビスカスはなにやら思案顔。

 憂いを帯びたハイビスカスの表情はまるで美の化身。その威力は砲手の少女が思わず見とれてしまうほどだった。

 

「よし。リミッター外そう。くまっち、よろしく頼むじゃん」

「正気ですか!? ガバナーを解除したらすぐにエンジンが壊れますよ!」

「それぐらいしないと勝てないよ。今日のあずっちはものすごく勘が冴えまくってるし」

 

 M3中戦車はクルセイダーの動きを予測し、つねに先手先手を打ってくる。

 梓がこんなに勘が鋭いとは知らなかった。能ある鷹は爪を隠すというが、梓の天性の勘はまさにそれだ。

 

「……わかりました。ここでM3を道連れにしましょう」

「死なばもろともってやつだね。それじゃ、いっくよー!」

 

 リミッターを解除し、時速60km近いスピードで疾走するクルセイダー。

 スピードを殺さずに校舎の陰から飛び出したクルセイダーは、M3中戦車に向かって砲弾を発射。砲撃は外れたものの、M3中戦車の反応は明らかに遅れていた。

 勘の良さを誇っていた梓もリミッターを解除したクルセイダーの動きにはついてこれないようだ。

 

「さすがのあずっちも戸惑ってるみたいだし。このまま縦横無尽に走り回って、隙を見て一気に叩くよ!」

 

 梓がすべてを先読みできる超能力者でもない限り、こちらの勝利は揺るがない。

 そんなハイビスカスの思惑は次の瞬間、もろくも崩れ去った。校舎脇を走っていたクルセイダーの車体側面に砲弾が直撃したのである。

 白旗が上がったクルセイダーの車内でハイビスカスが唖然としていると、M3中戦車の車体に一人の少女が降り立ったのが目に飛びこんできた。

 彼女の名は犬童芽依子。M3中戦車の主砲装填手を担当している忍者少女だ。

 種がわかればなんてことはない。梓の勘が鋭かったのは、芽依子が校舎の屋上でナビゲーションをしていたからだ。

 

「参った参った。あずっちに一杯食わされたじゃん。はぁ……負けるのってこんなに悔しいんだね……」

 

 ハイビスカスの夏は終わった。

 だがしかし、この敗北の経験はきっと彼女の糧となるだろう。

 

 

◇◇◇

 

 

 一方そのころ、団地エリアではマチルダ隊と大洗の戦車隊が激しい砲撃戦を繰りひろげていた。

 大洗の戦車隊は全部で四輌。八九式中戦車、Ⅲ号突撃砲、38(t)。そして、88㎜砲搭載のポルシェティーガー。

 このポルシェティーガーがマチルダ隊にとっての最大の難敵であった。

 マチルダⅡは装甲の厚さが売りではあるが、88㎜砲相手では分が悪い。さらに、ポルシェティーガーの堅牢な装甲を抜くには、2ポンド砲では火力不足。マチルダⅡで重戦車の相手をするのは荷が重すぎるのだ。

 そんな不利な状況にも関わらず、ルクリリの表情に焦りの色はなかった。

 この試合はフラッグ戦。ポルシェティーガーを無理に倒す必要はないのである。

 

「うかつに前へ出てはダメよ。私たちの役目はフラッグ車の護衛、それを決して忘れないように。ラベンダーが相手のフラッグ車を撃破するまで耐えきれば、聖グロリアーナの勝ちですわ」

 

 遮蔽物が多い団地エリアは、ルクリリの守備的戦術を活かせる絶好のフィールド。相手が重戦車だろうと、この鉄壁の防御はそう簡単には破れない。

 ちなみに、ルクリリの口調は再びお嬢様言葉に戻っている。

 決勝戦は聖グロリアーナの戦車道を貫く。みんなでそう決めたのだから、優雅とはいえない汚い言葉づかいは当然NGだ。

 

『ルクリリちゃん、ラベンダーちゃんを助けに行かなくていいんですか? ハイビスカスちゃんも撃破されちゃいましたよ?』

「すでにニルギリを増援に送っていますわ」

『ラベンダーちゃんはルクリリちゃんの助けを求めてますよ。だってそうでしょ? ラベンダーちゃんの一番の理解者は、あなたとローズヒップちゃんなんですから』

 

 バカめ、だまされるか。そう言いたい気持ちをルクリリはぐっとこらえた。

 ルクリリがいなければこの守りは維持できない。ダンデライオンは大洗を自然な形で勝利させるために、ルクリリをこの場から遠ざけようとしているのだ。

 本音を言えば、ルクリリだってラベンダーを助けに行きたい。けれども、それをしたら彼女の信頼を失ってしまう。

 ルクリリがフラッグ車の守備に徹するのは、ラベンダーを真に理解しているからこそだ。

 

「私がここを離れたら防衛線が崩壊します。その命令は断固拒否しますわ」

『仕方ありません。あなたがその気ならあたしにも考えが……ん? なんですか、オレンジペコちゃん。あたしは大事な話の途中……』

 

 ダンデライオンの言葉はそこで途切れた。

 不思議に思ったルクリリが耳を澄ますと、無線からはダンデライオンの悲鳴じみた声が聞こえてくる。どうやら、チャーチルの中でただならぬ事態が起こっているようだ。

 しばらくすると、ダンデライオンの声は完全に消え、無線は沈黙する。

 ルクリリが試しに呼びかけてみると、次に無線に出たのはチャーチルの装填手、オレンジペコだった。

 

『ルクリリさん、オレンジペコです。今から私がチームを指揮しますね』

「……いいのか、ペコ? あとで問題になるぞ」

『構いません。それに、私は問題児カルテットの一員ですから。問題行為の一つや二つ、今さらどうってことないです』   

 

 おそらく、オレンジペコはダンデライオンを力でねじ伏せたのだろう。彼女もたくましくなったものである。

 

『大洗の戦車を二輌撃破したとラベンダーさんから連絡がありました。まだまだ勝負はこれからです』

「そうだな。そのためにも、まずはここをしっかり守ろう。そうすれば、ラベンダーも安心して戦える」

『はい。全車に通達。これより、チーム全体の指揮は隊長代理のオレンジペコがとります』

 

 聖グロリアーナ女学院の懸念事項はこれでなくなった。

 あとは大洗女子学園と雌雄を決するだけである。

 

 

◇◇◇◇

 

 

 体調不良のダンデライオンにかわって、オレンジペコが指揮をとる。

 この情報はまたたく間に全車輌を駆けめぐり、ジャスミン小隊の生き残りであるクルセイダーMK.Ⅲにも伝わった。

 

「隊長は拘束されてしまったみたいですわ」

「実力行使に出るなんて、オレンジペコさんも大胆なことをしますね」

「かわいそうな隊長。今ごろチャーチルの中で泣いていますわ」

 

 車長兼装填手の最上、砲手の相馬(そうま)、操縦手の南部(なんぶ)

 物語の登場人物で例えるなら、彼女たちの役柄はダンデライオンの取り巻きABC。一年生のころからずっと行動を共にし、ダンデライオンが矯正されても態度を変えなかった数少ない隊員である。

 彼女たちはダンデライオンを裏切らないし、ダンデライオンも彼女たちを頼りにしている。なので、このような事態になった場合の対策も事前にしっかりと打ち合わせていた。

 

「隊長の意思は私たちが継ぎます。フレンドリーファイア作戦を開始しますわ」

「ラベンダーさんは大通りでカニのクルセイダーと交戦中。タイミング的にはばっちりですね」

「ラベンダーさんがいなくなれば、聖グロリアーナは総崩れですわ」

 

 大洗がクルセイダーを使用しているのだから、誤射は普通にあり得る展開。乱戦ならそれはなおさらだ。

 ジャスミン小隊を壊滅させたクルセイダーの実力はラベンダーにも匹敵する。ラベンダーが外野の動きに意識を向ける余裕はないだろう。

 

「仮に私たちが失敗しても、こちらにはまだルフナさんがいますわ。いざというときは相打ち覚悟で突撃しますわよ。戦車前進、目標はラベンダーさんのクルセイダーMK.Ⅲですわ」

 

 裏切り者のクルセイダーがいよいよ動き出した。



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第六十話 聖グロリアーナ女学院対大洗女子学園 後編

 大洗のフラッグ車であるⅣ号戦車はひたすら逃げ続けていた。

 フラッグ車を囮に使うのはリスクが伴うが、格上の相手に勝つには有効な手段。現に、聖グロリアーナも準決勝でフラッグ車を囮にして黒森峰に勝利している。

 とはいえ、聖グロリアーナが勝利できたのはラベンダーの力があってこそ。沙織がラベンダーのようにうまく立ち回れるかは、まったくの未知数だ。

 それに、この作戦は悪くいえば聖グロリアーナの模倣。オリジナリティなど欠片もありはしなかった。

 

 作戦はパクリで、新戦車も拝借したクルセイダー。あれこれ盗んでばかりで情けないことこの上ない。

 それでも、沙織はこの作戦にすべてを賭けた。

 大洗は弱小校で母校は消滅寸前だ。綺麗事をいってる場合ではないのである。

 それに、あの妹大好きお姉ちゃんのまほが自分からクルセイダーの車長に名乗りを上げ、対クルセイダーの指導までしてくれたのだ。 

 妹よりも学校を選んだまほのためにもこの試合は負けられない。卑怯だろうが、カッコ悪かろうが、勝利をもぎ取ってみせる。

 モテたいから始めた戦車道。けれども、沙織はその感情に蓋をした。

 この試合の勝敗はモテることよりも大事。恋愛脳はいったんお休みである。

 

 その効果が現れたのか、沙織はラベンダー小隊の二輌のクルセイダーを撃破した。

 ラベンダーを大通りでまほが釘付けにし、残った二輌を沙織が撃破する作戦は大成功。もしかしたら、沙織は煩悩を捨てたほうがいい戦車乗りになれるのかもしれない。

 これでクルセイダー隊は残り二輌。このままクルセイダー隊を全滅させることができれば、勝利をぐっと引き寄せられる。

 

「よーし、私たちもカニさんチームの援軍に向かうよ。ラベンダーさんを倒して、一気に試合の主導権を握っちゃおう!」

 

 パンツァーハイになっている沙織は、重要なことをすっかり忘れてしまったようだ。

 ラベンダーという戦車乗りは大洗の前に立ちはだかるもっとも高い壁。簡単に勝てる相手なら誰も苦労しない。

 

 

 

 

「ラベンダーちゃんはやっぱり強いね。一対一を挑んだのはまずったかな……」

 

 杏の独り言に答えられる乗員は誰もいなかった。

 ハッチから身を乗り出して懸命に指示を出すまほ。額の汗をぬぐうこともできずにクルセイダーを操縦する柚子。

 悪戦苦闘。二人の状態を言い表すならこの言葉がぴったりだろう。

 

 杏の置かれている状況も二人と大差はない。

 本来は車長のまほが装填手を兼任するのだが、そんなことをしたらラベンダーに瞬殺される。クルセイダーが命脈を保っていられるのは、まほの的確な状況判断のおかげだ。

 なので、今は杏が砲手と装填手を兼任している。体が小さく、力もそれほどない杏にとっては中々ヘビーな戦いだった。

 

「河嶋の苦労が身に染みる。武部ちゃん、私たちが負けたらあとはよろしくね」

 

 杏の口から弱音がこぼれる。いつも強気な杏がそう言いたくなるほど戦いは絶望的だった。

 ラベンダーはハッチから姿を現してすらいない。彼女は車長と装填手を兼任しながら、クルセイダーを上手に運用しているのだ。

 こちらは回避で手一杯なのに対し、相手は余裕しゃくしゃく。まほとラベンダーに実力の差はないと杏は考えていたが、その見通しは甘かったらしい。

 戦車道から離れた時期があるまほと戦車道に向きあい続けたラベンダー。両者の歩んできた道をよく熟考しなかったのは痛恨のミスであった。

 

 そのとき、大通りの脇道から一輌の戦車が出現した。

 現れた戦車はクルセイダーMK.Ⅲ。敵の増援なのはいうまでもない。

 もはやこれまで。杏がそう覚悟を決めた瞬間、予想外の出来事が起こった。増援のクルセイダーがラベンダーを攻撃し始めたのである。

 背後を突かれたラベンダーのクルセイダーは杏たちを無視して前進。それを見た増援のクルセイダーは追撃をかけ、その場にはカニチームだけが残された。

 

「西住ちゃんをラベンダーちゃんと勘違いしたのかな? 二人は姉妹だからよく似てるし」

「……いや、違う。あのクルセイダーは意図的にラベンダーを狙っていた」 

「仲間割れってこと? 西住さん、私たちはどうすればいいの?」

 

 柚子は不安そうな表情でまほにそう問いかける。

 その問いに対するまほの回答時間は一秒もかからなかった。

 

「ラベンダーを助ける」

「だよね。小山、あのクルセイダーを撃破するよ」

「いいのか?」

 

 杏のほうに顔を向けたまほは驚いたような表情をしていた。

 大洗にとって有利なこの状況。杏ならそれを利用するとまほは思ったのだろう。

  

「この戦車の車長は西住ちゃんだもん。私がとやかく言う権利はないっしょ。それに、こんな形で決着がつくのは私だって納得いかないし」

「私も会長と同じ気持ちだよ。西住さんもやられっぱなしじゃ終われないよね?」

「ああ。私はもう大丈夫だって姿をみほに見せないといけないからな」

 

 生徒会とまほの出会いは最悪なものだったが、今はこうして一緒の戦車に乗っている。

 チームの輪は上々。ラベンダーの猛攻をしのげたのだから連携も悪くない。みんなで力を合わせれば、ラベンダーにだってきっと勝てるはずだ。

 そのためにも、まずはあの不届き者を叩く。それが三人の共通見解だった。

 

 そうと決まれば話は早い。

 柚子がクルセイダーを操縦し、杏が照準を合わせ、まほが砲撃命令を下す。

 流れるような動きで放ったカニチームの砲弾は、乱入者のクルセイダーの背面に命中。無法者はあっけなく成敗された。

 

 すると、事態はさらなる展開を迎えた。あんこうチームとウサギチームが大通りへとやってきたのである。

 大洗とラベンダーの戦いは新たな局面を迎えようとしていた。

 

 

◇◇

 

 

 団地エリアの攻防は我慢比べに突入した。

 よくいえば一進一退。悪くいえば停滞戦線。

 どちらかが思い切った行動でもしない限り、早期の決着は望めないだろう。

 

「クルセイダー隊は残り一輌。ちょっと苦しくなりましたね」

「大丈夫よ。データ上ではこちらが不利だけど、まだラベンダーがいる。あの子の力はデータで測れるようなものじゃないわ」

 

 オレンジペコとアッサムがそんな話をしているとチャーチルに異変が起こった。 

 団地の影に隠れていたチャーチルが急に動き出し、単騎で敵陣に突撃したのである。

 

「ルフナ!? まさか、あなたまで! やめさない!」

 

 砲手席から離れたアッサムが操縦手に飛びかかる。

 どうやら、チャーチルの操縦手、ルフナはアールグレイ派だったらしい。さすがのダージリンも彼女が裏切り者であることは見抜けなかったようだ。

 

「ペコ、チャーチルは私が操縦します。あなたは外の様子を確認してちょうだい」

 

 アッサムの命を受けたオレンジペコは、キューポラから半身を出し外を確認した。

 マチルダ隊の対処は遅れている。現状のチャーチルは守るものがいない丸裸な状態だ。

 それでは、肝心の大洗の動きはどうかというと、なぜかあちらも不可解な行動を起こしていた。38(t)がたった一輌で真正面から突撃を仕掛けてきたのである。

 

 呆気にとられるオレンジペコだったが、キューポラから身を乗り出す車長には見覚えがあった。

 黒のロングコートを羽織り、一つ結びにした長い黒髪をなびかせた車長の少女は、大洗の船底を仕切っていたボスだ。

 オレンジペコは彼女のことをよく知っている。もちろん悪い意味で。

 

「ようやく姿を現したね、リーサルウェポン! ここで会ったが百年目。あのときの勝負の決着をつけにきたよ。まあ、実際に百年経ったわけじゃないんだけどね」

 

 リーサルウェポンの呪いはまだ解けていなかった。

 これも隊長になるための試練なのだろうか。だとしたら、神様はオレンジペコに試練を与えるのが好きなサディストに違いない。

 

 

◇◇◇

 

 

「勝手に持ち場を離れるやつがあるか! 早く戻れ!」

「いくら桃さんの命令でもこればかりは聞けませんぜ。ラム、リーサルウェポンに一発ぶちかますよ」

「合点でさ!」

 

 暴走した38(t)はチャーチルに向かって突っ込んでいく。

 そのとき、一輌のマチルダⅡがそれに待ったをかけた。チャーチルの手前で38(t)の突撃を身を挺してブロックしたのだ。

 そのマチルダⅡのキューポラから身を乗り出しているのは、マチルダ隊の隊長、ルクリリであった。

 

「ペコのところには行かせないぞ!」

「あたしのターゲットはリーサルウェポンだ。あんたに用はない」

 

 二輌の戦車が押し合う様子はまるで刀のつばぜり合いのようだ。

 すると、もう一輌の戦車がこの場に乱入してきた。ルクリリの因縁の相手である八九式中戦車である。

 

「根性ーっ!!」

「なっ!? しまった!」

 

 38(t)と八九式中戦車に挟まれ、マチルダⅡは身動きが取れなくなってしまった。

 そこに入るダメ押しの一手。大洗唯一の重戦車、ポルシェティーガーがマチルダⅡの正面に走りこんできたのだ。

 マチルダⅡは防御に特化した歩兵戦車。しかし、いくらなんでもこの距離で88㎜砲は防げない。

 

「くそーっ! ごめん、ラベンダー……」

 

 ルクリリが落ちたことで団地エリアの我慢比べは終わりを迎えた。

 防御陣形がズタズタになった聖グロリアーナと高火力の戦車が二輌も残っている大洗。どちらにチャンスが訪れたのかは火を見るよりも明らかだった。

 

 

◇◇◇◇

 

 

 ラベンダーのクルセイダーを三方向から包囲した大洗の戦車隊。

 あんこうチームのⅣ号が右、カニチームのクルセイダーが中央付近、ウサギチームのM3リーが左にそれぞれ陣取っている。

 戦力差は三対一。数で上回る大洗は戦いを優位に進めていた。

 けれども、梓には勝てるという実感がまったく湧いてこなかった。

 大洗が強くなれたのはラベンダーの指導によるところが大きい。梓たちもわかないことを懇切丁寧に教えてもらったし、実戦形式で稽古もつけてもらった。

 だからこそ、ラベンダーの力がいかに強大かわかる。大洗の隊員が束になっても勝てなかったあの強さはまさに圧倒的だった。

 梓が知っている人物でラベンダーと一対一の勝負ができるのは、島田愛里寿くらいのものだ。

 

 ハッチから姿を現したラベンダーは平然とした顔で紅茶を飲んでいる。

 その姿は隙だらけに見えるが、待てども待てども沙織から攻撃命令は出てこない。

 カニチームはラベンダーに押しこまれ手も足も出なかったと言っていた。おそらく、沙織はそれを知って及び腰になってしまったのだろう。

 この均衡を保てているのは車輌数というアドバンテージがあるからだ。こちらが一輌でも欠ければパワーバランスは崩壊する。

 それに、マチルダ隊と戦闘中の別動隊は優勢に戦いを進めているのだ。

 このまま時間を進めて相手フラッグ車を撃破すれば大洗の勝利。沙織はそれも計算に入れて静観の構えをとっているようだ。

 

「梓、こちらから先に仕掛けましょう。みほ様が動かないのは、何か策があるからに違いありません」

「めいちゃんに賛成ー。敵を倒すには早いほうがいいって、新兵の人も言ってたもん」

「私も賛成かな。ラベンダーさんはほんわかしてるように見えるけど、中身は鬼だからね」

 

 芽依子、桂利奈、あやの三人から出された意見具申。

 梓がそれにどう答えるか考えていると、あゆみと優季が反対意見を述べた。

 

「勝手に行動したら命令違反だよ。それはまずいんじゃない?」

「軍法会議にかけられて拷問されちゃうよぉ。あやちゃんの眼鏡も割られちゃうかも」

「縁起でもないこと言わないでよ、優季ちゃん。この眼鏡買ったばっかりなんだから」

  

 珍しく意見が割れたウサギチーム。

 とはいえ、最終的に行動を決めるのは車長の梓だ。梓が決断すればみんな従ってくれるだろう。

 いったいどちらの意見を採用するのが正しいのか。梓が頭を悩めていると、一人黙っていた紗希が梓の肩を叩いた。

 紗希の助言には色々と助けられてきた。もしかしたら、今回もいいヒントをくれるのかもしれない。

 梓がそんな風に期待していると、紗希の口から発せられたのは予想外の言葉だった。

 

「ニルギリさんが来る」

「えっ……ニルギリさん?」

 

 梓が友人の名を口にした瞬間、一発の砲弾が大通りに着弾した。驚いた梓が砲撃音のしたほうに目を向けると、そこにはマチルダⅡの姿がある。 

 マチルダⅡのキューポラから顔を出しているのは車長のニルギリ。紗希のエスパーじみた勘の良さに梓は思わず目を見張った。

 

 そのとき、今までのんきにしていたラベンダーが突然動き出した。

 紅茶を飲む手を止め車内に引っこみ、クルセイダーを急発進させてⅣ号に突撃をかけたのである。

 芽依子の主張は正しかった。ラベンダーはニルギリが到着するのを待っていたのだ。

 

「戦車前進! フラッグ車を守るよ!」

 

 マチルダⅡに背後をとられたが、今はニルギリの相手をしている場合ではない。フラッグ車をラベンダーから守るのが最優先だ。

 しかし、M3リーはクルセイダーの猛スピードにまったく追いつけなかった。

 クルセイダーは速度制限用の調速機を解除することでスピードが増す。ラベンダーがリミッターを外したのは間違いないだろう。

  

 Ⅳ号は必死に後退するものの、すでに砲弾を何発も受けている。 

 白旗が上がらないのは、試合前に追加装備したシュルツェンと呼ばれる増加装甲の賜物。

 だが、頼りのシュルツェンはすでにボロボロ。Ⅳ号がやられるのは時間の問題であった。

 

『澤、私がラベンダーを食い止める。フラッグ車を連れてこの場から離れろ』

「わかりました。がんばってください」

 

 ここにはもうすぐニルギリもやってくる。ただでさえ強いラベンダーに援軍が加わるのだから、カニチームの勝てる可能性はゼロに等しかった。

 それでも、ラベンダーの足止めができるのはまほしかいない。クルセイダーのスピードについていけるのはクルセイダーだけだ。

 今の梓にできるのはⅣ号を守りながら逃げることだけだった。

 

 

 

 M3リーはⅣ号と一緒にハイビスカス小隊を撃破した学校まで逃げてきた。

 梓が撃破したクルセイダーはすでに回収されており、学校はあの激闘がなかったかのように静まりかえっている。

 

「私がもっと早く決断していればよかったのかな……」

「隊長のせいじゃありません。ラベンダーさんのプレッシャーにのまれて動けなかったのは、私も同じですから」

「これからどうしよう? カニさんチームなしでラベンダーさんと戦うのは無理だよ……」

 

 カニチームはラベンダーに撃破された。

 だが、あの状況でニルギリのマチルダⅡは倒したというのだから驚きだ。きっと大洗最強の名に相応しい戦いぶりだったのだろう。 

 別動隊からフラッグ車を撃破したという報告はいまだになく、ラベンダーはすぐそこまで迫っている。

 ラベンダーを倒すのか、それとも時間稼ぎに徹するのか。梓たちは選択しなければならなかった。

 

「隊長、私たちに良い作戦があります。ラベンダーさんの弱点をついて、クルセイダーを撃破しましょう」

 

 ラベンダーをよく知る芽依子は彼女の弱点も把握済み。その情報を活用し、ウサギチームは対ラベンダーの秘策を用意していた。

 先ほどは実行できなかったが、今が作戦を発動する絶好の機会だった。

 

「ラベンダーさんに弱点なんてあるの?」

「あります。みんな、すぐに準備して」

 

 梓の指示でウサギチームのメンバーが全員車外に出た。

 その手に握られているのはペンキ缶。色は茶色、青、白、ベージュ、こげ茶色である。

 ラベンダーをあっといわせる奇策がついにベールを脱ぐときがやってきた。

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 みほはクルセイダーを学校に走らせていた。

 Ⅳ号が逃げた方向で探索していない場所はあとはあそこだけ。Ⅳ号が学校に身を隠しているのは十中八九間違いない。

 酷使したクルセイダーのエンジンは故障寸前。さらに、フラッグ車のチャーチルは絶体絶命の大ピンチ。

 みほがⅣ号を撃破できなければ、聖グロリアーナの敗北は決定的なものになってしまう。まさにここが正念場だった。

 

「見つけた! ローズヒップさん、Ⅳ号は校舎のほうに向かっています。全速力で追ってください」

「了解ですわ! リミッターを外したクルセイダーからは逃げられませんわよ!」

  

 速度を緩めることなく、クルセイダーは学校の敷地内に突入した。

 Ⅳ号が逃げた先は四方を校舎に囲まれたエリア。校舎が連なっているあの空間は追いかけっこにぴったりの場所だ。

 どうやら、沙織はあそこで最後の時間稼ぎをするつもりらしい。

 

 もちろん、みほは沙織に思惑に付き合う気はない。

 クルセイダーのスピードで一気に距離を詰め、早々に勝負を決める。Ⅳ号のシュルツェンはほとんど破壊したので、至近距離で砲撃すればたやすく撃破できるはずだ。

 おそらく、このエリアにはM3中戦車も隠れているだろう。

 彼女たちのポテンシャルの高さは誰もが認めるところだが、みほの相手をするにはまだ未熟。みほの前に立ち塞がってもたいした障害にはならない。

 

「武部さん、次の一撃でこの試合を終わらせます」

 

 Ⅳ号が校舎の角を曲がった瞬間に加速し、肉薄して一瞬でケリをつける。それがみほの思い描いた筋書きだ。

 そして、Ⅳ号はみほの予想どおり校舎の角を曲がった。長かったこの試合もこれで終わりである。

 ところが、勝利を確信したみほを待っていたのは思いもよらない光景だった。 

 

「ふぇ?」

 

 あまりの衝撃に間の抜けた声を出してしまうみほ。

 それも無理はないだろう。角を曲がったクルセイダーの目の前に現れたのは、車体に大きなボコの絵が描かれたM3中戦車だったからだ。

 しかも、みほを驚かせたのはそれだけじゃない。キューポラからはボコの着ぐるみが上半身を出しており、みほに向かってファイティングポーズをとっていたのだ。

 ボコが戦車に乗ってみほに喧嘩を売ってきた。ならば、答えはただ一つ。

 ボコから売られた喧嘩は買うしかない。それがボコシリーズのお約束だ。

 

「撃て!」

 

 クルセイダーの砲弾はM3中戦車に命中し、白旗が上がる。

 すると、それとほぼ同じタイミングでM3中戦車の影からⅣ号が現れた。ボコに気を取られたみほは、M3中戦車の背後に隠れていたⅣ号を見落としてしまったのである。

 罠だと気づいたときにはもう手遅れ。砲弾を撃ってしまったクルセイダーは砲撃できず、Ⅳ号の体当たりをまともに受けて動きも止まった。

 そして、Ⅳ号の砲塔がクルセイダーの車体に向けられる。

 みほは至近距離でⅣ号を撃破しようとしたが、逆に沙織の接近戦によって敗れることとなった。

 

 

◇◇◇◇◇◇

 

 

 大洗女子学園の勝利。そのアナウンスをダージリンは大型ビジョンが見える丘の上で聞いていた。

 隣にはこの試合を引っかき回した張本人、アールグレイの姿もある。

 

「ルフナまで仲間に引きこんでいたとは思いませんでした。この勝負はアールグレイ様の勝ちですわね」

「そのニックネームで呼ばれる資格は私にはありません。後悔はしていませんが、私はあなた達を裏切りましたから」

 

 アールグレイは無表情で大型ビジョンを見つめている。

 この試合結果はアールグレイが望んだもの。それなのに、彼女の表情はまったく生き生きしていない。

 

「あなたとはここでお別れです。もう会うこともないでしょう」

「わかりました。では、最後にこの言葉をお送りします。『速度を上げるばかりが、人生ではない』。アールグレイ様、まじめに働きすぎるのは考え物ですわよ」

「……そうかもしれませんね」

 

 沈んだような表情を浮かべるアールグレイ。後悔していないと先ほど語っていたが、心の底からそう思っているわけではなさそうだ。

 インド独立の父、ガンジーの名言はアールグレイの心を揺さぶった。だが、彼女の目を覚まさせるのにはあともう一手必要。

 その次の一手を成功させるために、ダージリンは頼れる仲間たちに協力を依頼したのだ。

 

「あ、いたいた。ハーイ、ダージリン。こっちは準備OKよ」

「アンツィオの準備も万全だ。今日は腕によりをかけるぞ」

「ノンアルコールビールもたくさんご用意しました。アルコール度数ゼロ、安心安全の黒森峰産です」

「デザートはカチューシャが用意したわ。プラウダの鳥のミルクケーキは絶品なんだから」

 

 サンダースとアンツィオ、黒森峰にプラウダ。

 四校の戦車道チームの隊長が勢ぞろいした光景を前にしたアールグレイは目を丸くしている。

 

「ダージリン、いったい何を企んでいるの?」

「アールグレイ様に聖グロリアーナの戦車道を思い出していただきたいだけですわ。もう少しだけ私たちの戦車道にお付き合いくださいませ」



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第六十一話 みなさんお疲れ様でした会

 大洗女子学園は聖グロリアーナ女学院を下し、優勝を勝ち取った。

 学園艦の存続をかけた戦いもこれで終幕。閉会式を終え、深紅の優勝旗を手にした今、あとは学園艦に帰るだけだ。

 誰も彼もが笑顔になれた最高のハッピーエンド。その歓喜の輪を二人の生徒が遠巻きに眺めていた。

 

 角谷杏と西住まほ。

 試合は終わったが、彼女たちの戦いはまだ終わっていない。

 大洗は聖グロリアーナのクルセイダーを借用した。不義理を働いた責任は誰かが取らなければならない。

 

「西住ちゃんは私に付き合わなくてもいいんだよ?」

「私も責任を取る。クルセイダーの車長は私だからな」

「わかった。じゃあ、行こっか」

 

 聖グロリアーナはすぐには撤収しない。試合に関わったすべての関係者にあいさつをするのがあの学校の伝統だからだ。

 大洗の生徒の前にはまだ姿を現していないので、観客や審判団へのあいさつを優先しているのだろう。二人だけで謝罪に向かうのは、今がちょうどいいタイミングといえる。

 ところが、杏とまほは移動することができなかった。二人が会おうとしていたお相手が向こうからやってきたのである。

 

「角谷会長、お姉ちゃん」

 

 クルセイダー隊の隊長、ラベンダー。

 杏の恩人であり、まほの大事な妹であるラベンダーは、真っ先に謝罪しなければならない相手だった。

 

「先に会長に会えたのは好都合でございますわ」

「そうだな。これで手間が省ける」

 

 ラベンダーの隣にはローズヒップとルクリリの姿もある。

 この二人も大洗に手を貸してくれた恩人だ。

 

「三人に謝らないといけないことがあるんだ。私は……」

「クルセイダーのことですよね? それなら気にする必要はないですよ」

 

 杏の言葉をラベンダーはばっさりカットした。

 

「いいですか。聖グロリアーナの戦車道はあくまで……」

『優雅!』

「なんです。大洗の勝利にケチをつける気はありません」

 

 ラベンダーの言葉にローズヒップとルクリリが合いの手を入れ、三人はすまし顔でティーカップ片手にポーズを決める。

 ヘンテコなポーズを前にした杏とまほは凍りついたように固まってしまった。ラベンダーたちの突飛な行動に面食らってしまったようだ。

 

「カッコいいこと言ってますけど、その変なポーズで台無しですよ」

 

 あとからやってきたオレンジペコがラベンダーたちにツッコミを入れる。

 困惑していた杏とまほにとっては、まさに渡りに船であった。

 

「来年はわたくしたちが最上級生。優雅という言葉を体で表現する必要があるのですわ、オレンジペコ隊長さん」

「まあ、ペコ隊長の言うことも一理ある。ポーズをとるのはやめるか」

「ごめんね、オレンジペコ隊長様。私たち、ちょっと舞い上がってたよ」

「その変な呼び方はやめてください。リーサルウェポンの二の舞だけはまっぴら御免ですからね」

 

 オレンジペコ隊長。ラベンダーたちはオレンジペコのことをそう呼んだ。

 どうやら、次の戦車道チームの隊長はオレンジペコに決まったらしい。

 

「角谷会長、体調不良で不在のダンデライオン様に代わって、私があいさつに参りました。優勝おめでとうございます」

「ありがとう。これも聖グロのみんなが助けてくれたおかげだよ」

「優勝できたのはみなさんの努力の成果ですよ。私たちはほんの少し手伝っただけです」

 

 オレンジペコもクルセイダーの件は何も言わない。おそらく、気にする必要はないというラベンダーの言葉は聖グロリアーナの総意なのだろう。

 

「本当なら、このあとみなさまをお茶会にご招待する予定だったんですが、今回は事情が変わりました。今日は前々隊長がサプライズをご用意してくれたので、今からみなさまを会場へご案内します」

「前々隊長……ダージリンか」

 

 まほの言葉に静かにうなずくオレンジペコ。

 

「ダージリン様のサプライズは本当にすごいんでございますわよ。きっと度肝を抜かされますわ」

「戦車道をたしなむ戦車女子なら誰でも参加できるからな。普段とは人数が桁違いだ」

「なので、今日のお茶会は名前も違います。今回開催されるのは、みなさんお疲れ様でした会です」

 

 意気揚々と話すラベンダーたちのテンションはかなり高く、喜びの感情を隠しきれていない。あの決めポーズが飛び出したのはこれが原因のようだ。

 こうして、大洗女子学園の面々は激闘を繰りひろげた相手と仲良くパーティをすることになったのであった。

 

 

 

 

 東富士演習場の近くの空き地で開かれた立食パーティー。

 戦車女子なら誰でも参加できるとあって会場は大盛況。様々な学園艦の生徒が一堂に会するこの会場は、まるで今大会の抽選会場のようだ。

 そんな中、まほは二人の人物と話をしていた。

 一人はまほの友人であるアンツィオ高校のアンチョビ。そして、もう一人は準決勝で戦ったプラウダ高校のノンナだ。

 

「優勝おめでとう、西住。私は今年で卒業だけど、来年はペパロニ率いる新生アンツィオ高校が大洗に必ずリベンジする。首を洗って待ってるんだぞ」

「私も負けないようにがんばるよ。まぐれで優勝したとは言われたくないからな」

「プラウダもと言いたいところですが、来年は分が悪いかもしれません。まだ次の隊長すら決まっていませんので」

 

 カチューシャ戦術を完璧に使いこなせるのはカチューシャだけ。カチューシャ戦術は彼女の残したデータだけで運用できるほど単純ではないのだ。

 プラウダが来年苦労するというノンナの予想は多分当たるだろう。良くも悪くもカチューシャは偉大すぎたのである。

 そのカチューシャはここにはいない。彼女はまほと少し話したあと、深水トモエと共にこの場を離れている。

  

 そのとき、会話を弾ませている三人の元に一人の少女が走ってきた。

 先ほどアンチョビの話に出てきたアンツィオ高校次期隊長、ペパロニだ。

 

「姐さん、緊急事態ッス! コアラって何食べるんスか!?」

「コアラといったらユーカリの葉だろう」

「そんなもん用意してないッスよ!」

「あー、あの学校が来たのか……よし、私が何とかしよう」

 

 アンチョビは席を離れる前にまほのほうへと顔を向けた。

 

「私は料理に戻る。西住、もう妹さんの友達に嫉妬するんじゃないぞ」

 

 そう言い残し、アンチョビはペパロニと一緒にこの場を去った。

 すると、それと入れ替わるようにプラウダ高校の制服を着た少女がやってくる。

 

「ノンナさん、面倒なことになっただ」

「どうしたのですか?」

「ケーキの味にうるさいお客がやってきたべ。わんどの作ったケーキだば満足できねって」

「私も手伝います。あの隊長を納得させるケーキを作るには、プラウダの総力を結集する必要がありますからね」

 

 どうやら、ノンナもこの場を離れるようだ。

 そして、アンチョビ同様、ノンナも去り際にまほへ言葉を贈った。

  

「まほさん、今度戦うときは私とカチューシャが勝利します。勝ち逃げは許しませんよ」

 

 アンチョビとノンナが去り、一人残されるまほ。

 留年しているまほは今年は卒業できない。それはすなわち、同年代のライバルたちから置いていかれることを意味する。

 それでも、まほはこれからも前を向いて進んでいく。ライバルたちに背中に追いつくために。

 

「ハーイ、まほ。次は私の話に付き合ってもらうわよ」

 

 また一人、まほのところにライバルがやってきた。 

 この分だとまだまだ多くの生徒がまほの元を訪れそうである。 

 

 

◇◇

 

 

 どこも人でいっぱいのパーティー会場。そのなかでもひときわ人数が集まっている場所があった。

 大洗女子学園と聖グロリアーナ女学院の一年生。その主要メンバーが一つのテーブルに集結していたのだ。

 

「みんなー、今日はあたしとニルっちの部隊長就任パーティーに集まってくれてありがとうー!」

「えっ!? それがこのパーティーの趣旨だったんですか!?」

「カモミールさん、だまされちゃダメですの。今のはハイビスカスのジョークですわ」

「私とハイビスカスさんが部隊長になるのは本当なんですけどね」

 

 聖グロリアーナ女学院の部隊長は新二年生が就任するのが伝統。

 来年のクルセイダー隊の隊長はハイビスカス、マチルダ隊の隊長はニルギリ。そして、そのすべてを統括する総隊長はオレンジペコ。

 決勝戦終了直後に来季の準備を進める。この切り替えの早さも聖グロリアーナが強豪校と呼ばれる理由の一つなのだろう。

 

「大洗はやっぱり梓が副隊長になるのかな? 河嶋先輩は今年で卒業だし」

「ありえるね。来年は武部隊長、澤副隊長。そして、ゆくゆくは澤隊長が誕生するかも」

「大出世だねぇ、梓ちゃん」

「みんな、気が早いよ。私はまだそんな器じゃないから」

 

 あゆみ、あや、優季の言葉を否定する梓。

 あれだけ活躍しておいて謙遜するのは、戦車道を始めるまでは地味で目立たない少女だった梓らしい。

 

「ということは、あずっちはあたしのライバル兼ペコっちのライバルでもあるわけだ。これは負けてらんないね、ペコっち……なんで怖い顔してるの?」

「……ハイビスカスさん、あなたに言いたいことがあります」

「なになに、もしかして愛の告白?」

「どうしてそうやっていつもふざけるんですか! あなたはクルセイダー隊の隊長になるんですよ。もっと自覚を持ってください!」

 

 真っ赤な顔で怒鳴り散らすオレンジペコ。

 普段からは考えられないような行動をとるオレンジペコは、どう見ても正常ではなかった。正気を失っているといってもいい。

 

「梓、まずいことになりました」

「芽依子、オレンジペコさんに何があったの?」

「ノンアルコールビールの中に本物のビールが紛れこんでいました。オレンジペコさんはそれを飲んでしまったようです」

「もしかして、芽依子も飲んじゃった?」

「はい。桂利奈と紗希もです」

 

 芽依子は平然としているが、桂利奈と紗希はテーブルに突っ伏している。アルコールが入ったことで二人は眠ってしまったようだ。 

 

「これは非常事態ですの。お酒が入ったオレンジペコさんは手が付けられませんわ」

「三年生の寮に突撃した伝説の再来です」

「今はハイビスカスさんが防波堤になってますけど、それもいつまでもつか……」

 

 暴走するオレンジペコと説教を受け続けるハイビスカス。

 それを見守ることしかできない聖グロリアーナの一年生と、茫然としている大洗女子学園の一年生。

 誰もうかつに動けないこの混沌とした状況。それを打破したのは意外な人物だった。

 

「探したよ、リーサルウェポン。戦車での勝負は結局有耶無耶になったからね。今度こそ決着をつけるよ」

 

 現れたのは大洗の助っ人選手、お銀とラム。

 その二人をオレンジペコはキッとにらみつける。眼光の鋭さは女子高生とはいえないレベルだ。

 

「……いいですよ。あなたとの因縁、今ここで絶つ!」

「お、親分、リーサルウェポンの奴、すごい気迫ですぜ。船底でサルガッソーのムラカミを倒したとき以上だ」

「これがこの女の本性なんだよ。口では嫌だ嫌だと言いながら、心はつねに戦いを求めている。リーサルウェポン、あんたのそういうところ嫌いじゃないよ」

 

 オレンジペコが啖呵を切ってもお銀は少しも動じなかった。荒くれ者だらけの大洗の船底を仕切っている彼女は、この程度で動じるタマではない。 

 

「それで、今度はどんな勝負をするんですか?」

「あんたとの決着はこれでつける。ノンアルコールラム酒、ハバネロクラブ飲みくらべ対決。前回の対決は引き分けに終わったからね。今回は勝たせてもらうよ」

「わかりました。受けて立ちます」

 

 この日、オレンジペコの伝説に新たな一ページが刻まれた。

 戦車道チーム歴代最強の隊長、オレンジペコ。

 彼女の名は、オレンジペコが卒業した後も聖グロリアーナ女学院内で永遠に語り継がれることとなる。

 

 

◇◇◇

 

 

 パーティー会場の近くにある木の下でダンデライオンは体育座りをしていた。

 ダンデライオンは自分の膝に顔を埋め、決して顔を上げない。その姿からは、誰にも会いたくないという彼女の意思が伝わってくる。

 

「こんなところにいたのね。探したわよ、ちびっこライオン」

「アッサムさんもダンデライオンさんのことを心配していましたよ」

 

 ダンデライオンのところへやってきたのはカチューシャと深水トモエであった。

 

「あたしのことは放っておいてください」

「そんな風に後悔するなら、あんなバカなことしなければよかったのよ」

「後悔はしていません。みんなに合せる顔がないだけです」

「それを後悔っていうのよ。ほら、さっさと立ちなさい」

 

 カチューシャはダンデライオンを立たせようとするが、まったくビクともしない。

 ダンデライオンは小柄だが、カチューシャはもっと小さいのだ。パワー不足のカチューシャでは土台無理な話だった。

   

「トモーシャ!」

「はい。私にお任せください」

 

 トモエはダンデライオンに近づくと、足の隙間に手を入れて体をひょいっと持ち上げた。いわゆるお姫様抱っこというやつである。    

 黒森峰は重戦車主体のチーム。その分砲弾や履帯も重いので、ある程度の力がなければ練習についていくことすらできない。黒森峰の隊員は小さな女の子を持ち上げるくらい訳ないのだ。

  

「ななな、何をするんですか!? 下ろしてください!」

「そうはいきません。このままパーティー会場まで連れていきます」

「深水さん、あなたそんなキャラじゃありませんでしたよね? カチューシャさんに洗脳でもされたんですか!?」

「私はカチューシャ様に出会えたことで人生が変わりました。だから、ダンデライオンさんの気持ちも少しはわかるつもりです」

 

 騒ぎながらジタバタしていたダンデライオンの動きは、トモエの言葉でピタッと止まった。

 それを見たトモエは、静かにダンデライオンを地面へと下ろす。ダンデライオンが抵抗する様子はもうなかった。

 

「ちびっこライオン、私はあんたを責める気はないわ。でも、あんたにはまだやるべきことがある。このまま腐って終わるのだけは許さないわよ」

「あたしにはもうやることなんて……」

「あんた、去年の聖グロ祭で私にこう言ったわよね。ダージリンをそばで支えるのが選んだ道だって。自分の吐いた言葉にはちゃんと責任を持ちなさい。ダージリンの計画にはあんたの力が必要なんだから」

「ダージリンさんの計画?」

 

 ダンデライオンは何が何だかわからないとでも言いたげな顔をしている。

 

「そう。あんたとトモーシャ、それと西住流に聖グロのOG会。いろんな人を巻きこんで、ダージリンはおもしろいことをやろうとしてるの」

「その言葉を聞いただけで、嫌な予感がひしひしと伝わってくるんですけど。ダージリンさん、今度はいったい何をやらかす気なんですか……」

「知りたいなら教えてあげるわ。ダージリンは大洗女子学園の廃校を完全に阻止するつもりなのよ」

 

 

◇◇◇◇

 

 

 華やかなパーティー会場の一角に辛気臭い空気を漂わせている空間があった。

 そこにいるのは、アッサムと大洗の生徒会役員。アッサムはノートパソコンを使ってなにやら説明しており、大洗の生徒たちはそれを静かに聞いていた。

 

「というわけで、文科省が廃校を撤回する可能性は限りなく低いと思われます。私たちが集めた情報でシュミレーションした結果、八十パーセントの確率で廃校になるというデータが出ましたわ」

「口約束は約束じゃないか……いやー、聖グロの情報収集能力はすごいね。たしかに、あの役人ならこれくらいの言い訳は用意してそうだ」

「感心してる場合じゃないですよ。早く対策を練らないと……」

「もうダメだよ、柚子ちゃん! 大洗はおしまいだー!」

 

 大泣きしながら柚子にしがみつく桃。今までの苦労が無に帰す可能性が高いというデータは、彼女にかなりのショックを与えたようである。 

 

「心配する必要はありません。このデータを覆すための策をすでにダージリンが実行しています。作戦が成功すれば、この確率を十パーセント近くまで下げられるはずですわ」

「一つ質問してもいいかな?」

 

 アッサムに問いを投げかける杏の顔は真剣そのもの。

 その表情からは嘘はいっさい許さないという杏の強い意志がうかがえる。

 

「どうして親切にしてくれるの? 聖グロが大洗を助けるメリットってそんなにないと思うけど?」

「私が協力する理由はただ一つ。ラベンダーの悲しむ顔が見たくないからですわ」

「……ラベンダーちゃんは人気者だね。うちの子もメロメロだし」

 

 杏の視線の先にはいるのは、あんこうチームの面々に囲まれているラベンダー。その馴染みっぷりは別の学校の生徒とは思えないほどだ。

 ラベンダーの魅力は学校の垣根すらあっさり超えてしまう。だから、彼女の元には人が集まるのだ。

 

「納得していただけましたか?」

「うん、した。それで、私は何をすればいいのかな?」

 

 アッサムに向き直る杏の目は前だけを見据えている。

 杏が諦めない限り、大洗が廃校になることは決してないだろう。

 

  

◇◇◇◇◇ 

 

 

 パーティー会場全体を見渡せる丘。そこでは、ダージリンとアールグレイの二人だけのお茶会が開かれていた。

 

「聖グロリアーナの戦車道で大事なのは勝敗ではなく、心を成長させること。アールグレイ様が教えてくださった聖グロリアーナの伝統は、今も生徒たちの心に根付いています。この光景がその証拠ですわ」

 

 聖グロリアーナ女学院は決勝戦という大舞台で敗北した。しかし、それを表情に出している生徒は一人もいない。

 聖グロリアーナの戦車道はあくまで優雅。伝統は後輩にしっかりと受け継がれている。

 

「アールグレイ様の強引なやり方では、そう遠くない内に伝統は失われてしまいます。勝つことだけを考えるようになってしまえば、それはもう聖グロリアーナの戦車道ではありません。その考え方は、アールグレイ様が打倒しようとしていた黒森峰の戦車道ですわ」

 

 手にした紅茶をじっと見つめたまま沈黙するアールグレイ。

 彼女の沈んだ様子からは、悩んでいるのが手に取るようにわかる。ダージリンの言葉は確実に彼女の心を揺さぶっているようだ。

 

「ですが、アールグレイ様がやろうとしたことをすべて否定する訳ではありませんわ。伝統に縛られすぎて盲目になり、他校から置いていかれる。そんな母校の姿は私も見たくありません。大洗女子学園のような新進気鋭の学校が現れた今、多少の改革は必要だと思います」

「……私は少し焦りすぎていたようですわ。ダージリン、あなたはすべてにおいて優秀な子でしたが、弁も立つようになりましたね」

「これもアールグレイ様のご指導のおかげですわ」

 

 二人の間に流れていた空気は徐々に穏やかになっていく。

 元々二人は敵対していたわけではない。目指す方向は一緒なのだから、再び手を取りあうのは十分可能だった。

  

「聖グロリアーナを強化する計画は白紙に戻します。大洗女子学園の廃校阻止にも手を貸しますわ」

「ありがとうございます。アールグレイ様のお力添えがあれば『鬼に金棒』ですわ」

「礼はいりません。私はあの子たちの真剣勝負に水を差してしまいました。彼女たちの雪辱の機会を守るのは当然の責務です」

 

 中央政界にも顔が利く深水家。高校戦車道連盟の理事長を務め、戦車道プロリーグ設置委員会の委員長にも就任予定の西住しほ。そして、社会的地位が高い良家の人間が多いOG会を手中に収めつつあるアールグレイ。

 これだけの協力者がいれば外堀は埋められる。学園艦教育局長よりも立場が上の政治家を父に持つダンデライオンの協力さえ得られれば、大洗女子学園の廃校は百パーセント阻止できるだろう。

 

 ダージリンの作戦はこれにて完結。あとは、オレンジペコが優勝旗を持って帰ってくる日を待つだけだ。



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エピローグ ラベンダーと西住みほ 

「ただいまー! モテまくって大変だったよ。あのモテっぷりはモテクイーンにも匹敵するんじゃないかな?」

「モテモテといっても全員女子ですよね。沙織さん、言ってて虚しくないですか?」

「五十鈴殿、それを言ったら戦争ですよ!」

 

 他校の生徒から質問攻めにあっていた沙織は、場所を変えて交流会を開催していた。

 質問に答えるついでに恋愛相談にも乗ったことで、交流会は大盛況。後半は戦車道よりも恋愛の質問のほうが多かったくらいである。

 交流会を終えた沙織があんこうチームのところへ戻ってきたころには、あたりはもう真っ暗。

 楽しいパーティーの時間もあとわずかだ。

 

「あれ? ラベンダーさんは?」

 

 華の言葉をスルーした沙織は、この場にいたはずのラベンダーの姿がないことに気づいた。

 

「ラベンダーさんは散歩に出かけた。静かな場所で星空を眺めたいと言っていたから、たぶんこの周辺にはいない」

「すごい淑女っぽい……。私もアンニュイな表情で星空を見てたらモテるかな?」

「そんなことを考えているうちは無理だろうな」

「さっすが冷泉様! うまい返しでございますわ」

 

 沙織の目の前には麻子とローズヒップが並んで立っている。

 それを見た沙織の頭にある疑問が浮かんだ。

 ラベンダーは親友の二人のそばをあまり離れない。単独で動くのは、彼女にしてはかなり珍しい行動だった。

 ちなみに、ラベンダーのもう一人の親友であるルクリリは、大洗女子バレー部主催の即興バレーボール大会に駆り出されて不在だ。 

 

「ローズヒップさんはラベンダーさんと一緒に行かなかったの?」

「ラベンダーは一人で考える時間がほしくて散歩に出かけたのでございます。わたくしがいたら邪魔になってしまいますわ」

「そうなの?」

「わたくしとラベンダーはマブダチですわ。ラベンダーが今どんな気持ちなのか、表情を見ればある程度は察することができますの」

 

 ローズヒップはそう豪語する。彼女たちの仲の良さを考えれば、それくらいはできても不思議はないのかもしれない。

 

「ですが、パーティーも終わりに差しかかっています。そろそろ迎えに行ったほうがいいのでは?」

「サンダースのみなさんの催しもすでに始まっていますからね」

 

 華と優花里の言うことはもっともだ。

 パーティの締めはサンダース主催のボーンファイヤー。それが始まったのだから、もう間もなく宴も終わる。

 

「一人で先走るわけにはいきませんわ。迎えに行くときは友達みんなで行くと決めておりますの」

 

 そのローズヒップの言葉に呼応するかのように、三人の人物がこの場に現れた。

 

「悪い、遅れた。試合の決着がなかなかつかなくて……」

「五セットマッチもやるのがおかしいのよ。試合が終わるのを待ってるこっちの身にもなりなさいよね」

「そういうエリカだって、ハンバーグの食べ歩きしてたくせに」

「あれは愛里寿に頼まれて仕方なく……」

「嘘。本当はエリカが私に頼んだ」

「ちょっと! それは言わない約束でしょ!」

 

 ルクリリと逸見エリカ。そして、島田愛里寿。

 ラベンダーの友達が全員この場に集結した。

 

 

 

 パーティー会場から少し離れた平原でみほは星空を眺めていた。

 そんなみほの元へ近づいてくる足音が一つ。みほがその方向へ静かに振り向くと、そこにいたのは二回戦で対戦した継続高校の隊長だった。

 

「こんばんは。こんなところで悩みごとかい?」

「いいえ。星空がきれいだったので、天体観測をしていたんです」

「たしかに今日は雲一つない星空だ。天体観測にはもってこいの日だね」

 

 みほがここへ来たのは感情の整理をするため。天体観測というのはただのジョークだ。

 おそらく、継続高校の隊長もそれには気付いているだろう。今は戦車道の話はしたくなかったので、ジョークに乗ってもらえたのは正直ありがたかった。

 

 聖グロリアーナ女学院はみほのミスで負けた。みほが戦犯というわけではないが、ボコに気を取られたのは落ち度としかいいようがない。

 情けない、悲しい、悔しい。みほの心の中では負の感情が渦を巻いている。

 とはいえ、それを表に出してはいけない。聖グロリアーナのラベンダーは淑女でなければならないのだ。

 だからこそ、みほは一人でこの場所へやってきた。みほには心を落ちつかせる時間が必要だったからだ。

 

 その後、二人は終始無言のまま星空を眺め続けた。

 みほは継続高校の隊長、ミカと親しい間柄ではない。けれでも、不思議と居心地は悪くなかった。

 

 しばらくそうしているうちに、みほの心もだいぶ落ちついてきた。

 みほがこんなに早く気持ちを立て直せたのは、聖グロリアーナ女学院でいろんな経験を積んだおかげである。

 もし、みほが西住みほのままだったら、自分のせいで試合に負けたことをいつまでも引きずっていた。最悪の場合、戦車道から逃げ出していたかもしれない。

 友人、教養、精神的強さ。西住みほでは得られなかったものが今のラベンダーの強さを形作っている。

 

「一つ質問をしてもいいかな?」

「どうぞ」

「君は卒業後も聖グロリアーナの戦車道を続けるのかい? 西住みほさん」

 

 ミカはみほをラベンダーではなく、西住みほと呼んだ。どうやら、彼女は西住みほの考えを聞きたいらしい。

 

「私は卒業したら西住流に戻ります。でも、聖グロリアーナで学んだことを忘れるつもりはありません。ラベンダーの名前は返上しますけど、心はラベンダーのままです」

 

 西住流の長所と聖グロリアーナの長所。その両方を合わせたのがみほの目指す戦車道だ。

 自分なりの西住流を極める。幼いころの思いは形を変え、みほの新しい目標となったのである。

 

「それが君の答えなんだね。戦車道はこれから激動の時代を迎えると思うけど、今の君なら大丈夫そうだ。君たち二人が切磋琢磨すれば戦車道はもっと発展する。私はそれに期待するよ」

 

 ミカはそう告げるとみほの元から立ち去った。

 君たち二人。ミカのその言葉が気になったみほだったが、疑問が氷解するのに時間はかからなかった。

 ミカが去ったすぐあとに、みほの友人たちがこの場へやってきたからだ。

 

「ラベンダー、誰と話をしていたの?」

「継続高校の隊長さん。私と愛里寿ちゃんに期待してるんだって」

「私に? いったい何を期待されたんだろう?」

 

 愛里寿は不思議そうな表情で小首をかしげている。

 

「深く考える必要はないわ。継続の隊長はかなりの変人だって話は有名だし」

「お、久しぶりにエリカの嫌味が出たな。黒森峰の隊長は性格最悪って噂されないように気をつけろよ」

「うるさいわね! 余計なお世話よ!」

「お二人は口喧嘩ばかりですわね。少しはわたくしを見習って大人になったらいかがでございますか?」

『ローズヒップにだけは言われたくない!』 

 

 息ぴったりにハモるエリカとルクリリ。

 いまだに口喧嘩が多い二人だが、もしかしたら相性はバッチリなのかもしれない。

 

「じゃれ合いの時間は終わり。ボーンファイヤーはもう始まってるから、早く移動しよう」

 

 愛里寿にそう言われた三人は押し黙ってしまう。

 この中で一番大人なのは愛里寿で間違いないだろう。

 

「キャンプじゃないのにファイヤーしたがるのは、いかにもサンダースらしいですわね」

「盛り上がっていいじゃないか。きっといい思い出になるぞ」

「ほら、ラベンダーも行くわよ」

「ちょっと待って。みんなに聞いてほしいことがあるの」

 

 みほの言葉に友人たちは足を止める。

 それを確認したみほは一呼吸置いてから口を開いた。

 

「あのね、私ってやっぱりどこか抜けてるみたい。今日も大事な試合でポカしちゃったし、これから先もいっぱい失敗すると思う。だからね、私がダメになりそうなときは助けてほしいの。みんながいれば、私は何があっても前に進んでいけるから」

 

 みほが思いのたけをぶちまけると、友人たちはすぐに優しい言葉を返してくれた。 

 

「言われるまでもないですわ。わたくしたちは最後まで一蓮托生ですわよ」

「私たちはラベンダーを支えるって決めたからな。女に二言はないぞ」

「あなた達だけだとすぐに無茶しそうだし、私が三人まとめて面倒見てあげるわ」

「ラベンダーが困ってたら必ず助ける。心配しなくていい」

 

 みほは西住流の後継者。行く手に待ちうける壁は高く、道も険しい。

 それでも、友達という助けがあれば困難を乗りこえてゆける。

 聖グロリアーナで学んだ経験と友人たち。この二つがそろえば、恐れるものなど何もないのだから。




このお話はこれでおしまいになります。
最後まで書き終えることができたのは読者のみなさまのおかげです。
お読みいただきありがとうございました。






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