私の名前はラベンダー (エレナマズ)
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一年生編 第一話 ラベンダーと二人の友達

 授業終了を示すチャイムが鳴り教師が退室すると、生徒たちはすぐに次の授業の準備に移った。
 次の授業は必修選択科目。履修した科目によって授業が行われる場所が違うので、移動は素早く行う必要がある。
 
 この教室にいるのは入学したての一年生だが、おしゃべりをしたり、騒いだりする生徒は一人もいない。
 それもそのはずだ。ここは名門お嬢様学校である聖グロリアーナ女学院。慌てず騒がず優雅に行動することは、聖グロリアーナ女学院の基本的な作法なのだ。

 とはいえ、すべての生徒がそれを実践できているわけではない。
 
 教室の中央にいる少女は、机の上からペンケースを落として中身を派手にぶちまけていた。茶色の髪を短めにカットしているこの少女は、大きな音を立ててしまったことに慌てふためいている。
 少女はペンケースの中身を拾うために机の下に潜るが、今度は机の底に頭をぶつけて他の文房具を落としていた。どうやらこの少女はかなりのドジっ子のようだ。
 
 そんなドジな少女を見かねたクラスメイトが、落ちた文房具を拾うのを手伝ってくれた。

「大丈夫、西住さん? ノートが落ちてましたわよ」
「あ、ごめんね。ありがとう」
「どういたしまして。戦車道の授業は大変だと思いますけど、がんばってくださいね」

 親切なクラスメイトの少女は、足音一つ立てない洗練された足取りでその場を去っていく。
 このクラスには、西住さんと呼ばれた少女が戦車道を履修しているのを知らない生徒は一人もいない。それには大きな理由が二つあった。
 一つ目は、西住さんが戦車道の強豪校である黒森峰女学園中等部出身であること。そして二つ目は、西住さんと同じ戦車に搭乗している生徒が校内でも有名な問題児だったからだ。

 西住さんが机の上を片づけていると、廊下を軽快に走る大きな足音がこの教室に近づいてきた。西住さんのチームメイトがいつものように彼女を迎えに来たのである。

「ごきげんようですわー!」

 教室の扉を開けはなって飛びこんできたのは、セミロングの赤い髪を真ん中分けにした少女であった。
 赤い髪の少女は教室に入ってくるや否や、西住さんに向かって一直線に突っこんでいき、彼女の手を荒々しくつかむ。

「さあ、早くいきますわよラベンダー。クルセイダーがわたくしたちを待っているでございますわ」
「ちょっと待ってよローズヒップさん。そんなに引っぱらないでー!」

 赤い髪の少女に引きずられながら、西住さんは教室を飛びだしていった。
 
 彼女たちはお互いを植物の名前で呼びあっていたが、これは彼女たちのニックネームだ。
 聖グロリアーナの戦車道チームでは、優秀な生徒に対し、紅茶に関するニックネームが与えられる。ニックネームを与えられた生徒は、在学中は内外問わずニックネームを名乗るのが決まりであった。
 
 黒森峰女学園中等部で去年戦車隊の隊長を務めていた西住さんは、今年入学した一年生の中でも一番の実力者。彼女は入学してすぐに、フレーバーティーの一種、ラベンダーティーのニックネームを与えられていた。

 そんな西住さんの本名は、西住みほという。
 戦車道に詳しいものなら誰もが聞いたことがあるであろう、日本を代表する有名な流派、西住流。西住みほはその西住流宗家の次女として生を受けた、由緒正しい武家のお嬢様なのだ。





 ローズヒップに手を引かれて廊下を走りつづけたみほは、一年生の別の教室にやってきた。もう一人のチームメイトがこのクラスに在籍しているからだ。

「ごきげんようですわー! ルクリリ、迎えに来ましたわよー!」

 ローズヒップはみほのときと同じように、栗色の長い髪を三つ編みにしている生徒に突進していく。がっしりと手をつかまれているみほもあとに続くが、ここでみほのドジっぷりが発動した。ローズヒップのスピードについていけず、足をもつれさせてこけたのである。
 
「あわわっ!」
「おっととととぉー!」
「うげっ!」

 みほに引っぱられたローズヒップもバランスを崩し、前方にいた三つ編みの生徒を巻きこんで派手に転倒した。
 とくに悲惨だったのは三つ編みの生徒で、前傾姿勢で倒れたローズヒップの頭突きが運悪くみぞおちに命中。よほど痛かったのか、左手でお腹をさすりながら右手で床をバンバン叩いていた。

「こ、このバカっ! 私を殺す気か!」
「ごめんなさいですわ。悪気はなかったんですの」
「ごめんですむか! 本当に痛かったんだからな!」

 三つ編みの生徒は片足で地団駄を踏み、長い髪を振りみだして怒っている。ルクリリのニックネームを持つこの生徒が、みほのもう一人のチームメイトであった。
 
 ルクリリの見た目はとても清楚であり、美人といっても過言ではない。その反面、言葉づかいが荒っぽく、行動はがさつそのもの。そのせいで容姿の良さがすべて台無しになっている、少し残念なお嬢様だ。

「ルクリリさん、ローズヒップさんを怒らないであげて。私が転んじゃったのが悪いの」
「ラベンダーが転んだのはローズヒップが引っぱったからだろ。もとはといえばこいつが悪い。迎えに来てくれるのはうれしいけど、もっと静かに来れないのか?」
「おほほほほ、それは無理な相談ですわ。今日はクルセイダーの日でございますわよ。ぐずぐずなんてしていられませんわ」
「黙れっ! このスピード狂!」 
「二人とも落ちついて。みんな見てるから」

 周囲の目も気にせず騒ぎたてる二人をみほは必死になだめた。そのかいもあって、なんとかルクリリの怒りは収まったがかわりに時間を大幅にロスしてしまう。
 気がつくとあたりにはみほたち以外は誰もいなくなっており、授業開始の時間も間近に迫っていた。制服からタンクジャケットに着替えることを考えると、無駄にできる時間は一秒もない。

「もうこんな時間。のんびりしてたら間にあわないよ」
「まずいぞ。遅刻なんてしたらまたアッサム様に怒られる」
「こうなったらリミッターを外すしかありませんわ。お二人とも、わたくしのあとに続いてくださいまし。ぬおりゃああああ!」

 下品な叫び声をあげて走るローズヒップのあとに続き、みほとルクリリも廊下を駆けていく。ふかふかのじゅうたんが敷きつめられている廊下を三人で全力疾走する姿は、とても名門お嬢様学校の生徒には見えない。

 このような光景はすでに日常茶飯事。ローズヒップとルクリリが起こす騒ぎに、みほはいつも巻きこまれている。
 いつしか三人は問題児トリオとして扱われ、二年生の先輩からはお説教を毎日のように受けていた。西住流のお嬢様で優等生というみほの当初の評判は、すでに地の底にまで急降下。このことが厳しい母に知られれば、大目玉を食らうだけではすまないだろう。
 
 それでも、みほはこの騒がしい日常に満足していた。友達と楽しい学生生活を送るのは、今まで一人も友達がいなかったみほの長年の夢だったからだ。
 全力で走っているせいで体は悲鳴をあげているのに、みほの顔には笑みが浮かんでいる。今日も三人で一緒に戦車に乗れることがみほは楽しみで仕方がないのだ。



 平原や森林だけでなく、小高い丘や砂地まで作られた広大な演習場には、すでに多くの生徒が整列している。彼女たちは英国軍服風の赤色のタンクジャケットに身を包んで、隊長がやってくるのを静かに待っていた。
 戦車道は乙女のたしなみといわれる伝統的な武芸。上流階級のお嬢様が多い聖グロリアーナ女学院では、茶道、華道と並び人気が高い選択科目であった。

 授業が始まる前に演習場に到着することができたみほたちは、いそいそと一年生の列に入っていく。それとほぼ同時に、サラサラの金髪を腰のあたりまで伸ばした三年生がやってきた。
 この三年生が聖グロリアーナ女学院戦車道チームの隊長、アールグレイである。名家出身のアールグレイは生徒会長も務めており、文武両道、才色兼備を地で行くお嬢様だ。
 
 非の打ち所がないような人物であるアールグレイだが、みほは彼女に苦手意識を持っている。
 その原因はアールグレイの容姿にある。アールグレイの少しつり上がった目と綺麗な青い瞳は、苦手だった中学の同級生に酷似していた。アールグレイの目を見るとあの同級生を思いだし、みほは萎縮してしまうのだ。

「みなさま、ごきげんよう。聖グロリアーナの戦車道はいかなるときも優雅、この言葉を忘れずに本日も訓練に励んでください。他校のように勝つことだけを考える下品な戦い方だけは、決して真似をしてはいけません。戦車道で大事なのは勝つことではなく、自分を高めることなのですから」

 聖グロリアーナの戦車道は独特であり、西住流の教えとは違うところがある。
 西住流が重視するのが勝利なのに対し、聖グロリアーナが重視するのは戦車道を学ぶことで得られる人間的な成長だ。簡単にいうと、試合の勝敗に対する考え方が決定的に違う。
 
 みほは幼いころから西住流の鍛錬を積み、勝利することを義務づけられてきた。そのため最初は聖グロリアーナの戦車道に困惑していたのだが、今ではこの考え方をすんなりと受けいれている。初めて友達ができたことも手伝って、みほは聖グロリアーナのことをすっかり気に入っていた。

「それと大変申し訳ないのですが、私は少し席を外します。みなさまなら私が見ていなくても、聖グロリアーナの戦車道をしっかり守ってくれると信じておりますわ。ではダージリン、あとは任せましたよ」
「はい、アールグレイ様」

 アールグレイはあいさつだけすますと、優雅な足取りで校舎のほうに歩いていった。
 生徒会長のアールグレイは学園艦の運営にも関わっており、つねに多忙の身。戦車道の授業にも多くの時間を割くことができず、顔見せだけしかできないことも多い。
 
 そんなアールグレイから授業の指揮を任されているのは、容姿端麗な金髪の二年生、ダージリンであった。ダージリンは次期隊長に指名されている優秀な生徒で、一年生の中には彼女に憧れている生徒も少なくない。みほの隣で瞳を輝かせているローズヒップもその中の一人だ。

「本日の訓練ですが、最初に隊列運動と陣形訓練を行います。一年生のみなさまは、隊列運動を満足に行えたチームから陣形訓練に参加してください。まだ戦車の扱いにも慣れていないと思いますが、アールグレイ様のお言葉をしっかり守って先輩方についてきてくださいね」

 一年生がまず最初に覚えることは、戦車の速度を合わせて綺麗な隊列を作ることである。一糸乱れぬ隊列を組むことは、浸透強襲戦術を得意とする聖グロリアーナの基本だからだ。

「訓練はマチルダ隊から行います。クルセイダー隊は戦車の中で待機していてください。それではみなさま、本日も優雅に訓練を行いましょう」



 みほたちはクルセイダーのハッチを開けて、マチルダ隊の訓練を見学していた。
 一年生は訓練の際、マチルダⅡ歩兵戦車とクルセイダー巡航戦車に日替わりで搭乗している。一年生時はタイプの違う二種類の戦車に搭乗し、二年生からは適正が高いほうの戦車隊に専属になるのが聖グロリアーナのやり方であった。
 
 今日の訓練で三人が搭乗するのはクルセイダーMK.Ⅲ。素早さが売りの巡航戦車だが、定員が三名なので一人の人間が複数のポジションを兼任しなければならない。
 各ポジションはみほが車長兼装填手、ローズヒップが操縦手、ルクリリが砲手兼通信手だ。

「はぁ、早くクルセイダーを動かしたいですわ。マチルダ隊の訓練はまだ終わらないんですの?」
「隊列運動が今終わったところだから、もう少し時間がかかると思うよ」
「遅い! 遅すぎですわ! これだからマチルダは嫌なのでございますわ」
「私はマチルダ好きだぞ。聖グロの花形戦車といえば、やっぱりマチルダだからな」

 マチルダⅡ歩兵戦車は聖グロリアーナの主力戦車であり、ほとんどの生徒がこの戦車に搭乗する。装甲は厚いが火力が低く、足も遅いと少々問題がある戦車だが、生徒の間では人気が高い。試合には多数のマチルダⅡ歩兵戦車が出場するので、活躍する機会が多いのだ。
 
 それに対し、クルセイダー巡航戦車はあまり人気がない。マチルダⅡ歩兵戦車よりも高火力で快速だが、装甲が薄く故障しやすいという欠点があるからだ。そのせいで試合にもあまり使用されず、目立つ機会が少ないのも人気のなさに拍車をかけていた。
 
 ちなみに聖グロリアーナにはほかにも戦車がある。主に隊長車として使用されるチャーチル歩兵戦車MK.Ⅶだ。チャーチルは一輌しかないので一年生が搭乗する機会はほとんどない。

「ルクリリは浮気者ですわ。ラベンダーはクルセイダーのほうが好きですわよね?」
「私はどっちも好きかな。クルセイダーにもマチルダにもそれぞれいいところがあるし、それに二人と一緒なら私はどんな戦車に乗っても楽しいから。……私なんかと友達になってくれた二人には本当に感謝してるんだ」

 みほが突然感謝の言葉を口にしたことで、ローズヒップとルクリリは顔を赤くしている。

「い、いきなりはずかしいこと言うなよ。照れるじゃないか……」
「そ、そうでございますわ。それと、自分を卑下するような言葉を使うのはよくありませんわ。ラベンダーの悪い癖ですの」
「あ、またやっちゃった。気をつけてはいるんだけどね」

 そんなふうに三人でおしゃべりをしていると、無線からマチルダ隊の訓練が終了したという連絡が入った。
 いよいよクルセイダー隊の訓練の時間がやってきたのである。



 みほたちはほかのクルセイダーとともに訓練のスタート地点にやってきた。これから隊長車のクルセイダーMK.Ⅱの指示に従って、基本の隊列運動が始まる。
 クルセイダーMK.Ⅱは火力と装甲ではクルセイダーMK.Ⅲに劣るが、それと引きかえに四名の乗員を搭乗させることができる。車長が装填手を兼任しなくてすむので、部隊全体の指揮を執るのに適しているのだ。

 車長席に座っているみほは紅茶が入ったティーカップを手に持ち、訓練開始の合図を待っていた。
 聖グロリアーナ女学院は英国と提携している学校なので、英国の影響を強く受けている。戦車がすべて英国製なのもそれが理由だが、一番影響を受けているのは紅茶に対するこだわりだ。戦車道チームはそれがとくに際立っており、戦車に搭乗するときも紅茶をたしなむのが伝統であった。
 
 隊列運動では砲撃は行わないので、隣の砲手席に座っているルクリリの手にもティーカップが握られている。

『今から訓練を開始します。最初は森林エリアまで一列縦隊になって前進です。今日の先頭は四号車にお願いします。ラベンダーちゃん、よろしくね』
「わかりました。パンツァー……戦車前進! ローズヒップさん、私たちが先頭です。加速して前に出てください」
「待ちくたびれましたわ。さあ、飛ばしますわよー!」

 クルセイダー隊の隊長から無線で連絡を受けたみほは、ローズヒップにクルセイダーを発進させる指示を出す。
 中学時代の癖でついドイツ語で指示を出しそうになったが、なんとかうまく修正できた。英国戦車に搭乗してドイツ語を使うのは優雅とはいえない。
 そんなことを考えながらみほが紅茶を飲もうとした瞬間、クルセイダーが急発進で動きだした。
 
 前ではなく、後ろに。

「こらっ! いきなりバックする奴があるか!」
「あれ? 変ですわ?」
「ローズヒップさん、ブレーキ踏んでください!」
 
 ローズヒップがブレーキを踏んだことでクルセイダーは急停止。その反動でみほは紅茶をこぼしそうになったが、なんとかティーカップの縁ぎりぎりのところで耐えることができた。
 ホッと安堵の息をついたみほは、隣にちらりと視線を向ける。そこには派手に紅茶をこぼして、びしょびしょになっているルクリリの姿があった。

「ルクリリさん、大丈夫?」
「私は大丈夫。それよりローズヒップをフォローしてやって。ラベンダーが一声かけてあげれば、少しは落ちつくと思うから」
「はい!」

 口ではなんだかんだ言いながらも、ルクリリはローズヒップのことを気にかけている。それがみほにはたまらなくうれしかった。失敗しても友達が支えてくれる光景は、みほがずっと憧れていたものだったからだ。

「大丈夫だよ、ローズヒップさん。いつもどおりに運転すれば、ミスはすぐに取りかえせる。ローズヒップさんの運転が上手なのは、私が一番よくわかってるから」
「面目ないですわ。この失敗は走りで挽回してみせるでございますわ!」

 ローズヒップの元気な声を聞いて安心したみほは、トラブルで遅れることを隊長車に伝えるとクルセイダーのハッチを開けた。
 ほかのクルセイダーはすでに出発していたが、最後尾のクルセイダーの姿は肉眼でもはっきりと視認できる距離だ。無駄な動きを少なくすればすぐに追いつける。
 みほはそれを確認すると、すぐさま車内に体を滑りこませ素早く指示を出した。

「気を取りなおして戦車前進です。まずは最後尾のクルセイダーに追いつきます」

 そのあとの訓練はとくに問題なくこなすことができた。
 最初にミスはしたが、ローズヒップは一年生の中で一番運転技術が優れている。はやる気持ちを抑えることができれば、みほの指示どおりにクルセイダーを動かすのは造作もない。
 ローズヒップはこの運転技術の高さが評価されてニックネームを与えられたのだ。



 みほたちは訓練を無事に終えることができたが、これからある一つの試練が待ちかまえていた。
 その試練とは身だしなみを整えたあとに行われる恒例のお茶会。聖グロリアーナでは、このお茶会を終えるまでが戦車道の授業なのである。
 
 ニックネーム持ちの生徒は、『紅茶の園』と呼ばれる豪華なクラブハウスでお茶会に参加しなければならない。優等生が集う『紅茶の園』は、お嬢様らしい仕草や会話が苦手な三人にとっては肩身の狭い場所であった。

「茶葉の量はこれくらいでいいかな?」
「もう少し多いほうがいいんじゃないか? 緑茶だって薄いより濃いほうがおいしいぞ」
「それじゃあ、もう少し入れてみるね」
「お湯を持ってきましたわよー!」

 みほが茶葉の量に四苦八苦していると、ポットを手にしたローズヒップがやってきた。熱湯を手にしているので、いつものように走ったりはせずにゆっくりと歩いている。

「あとはお湯を入れて少し蒸らせば完成だな」
「では、わたくしがお湯を入れるでございますわ。えーと、たしか高い位置からお湯を入れるのがおいしいお紅茶のコツだったはず。よし、いざ参りますわ」

 ローズヒップは腕を高くあげて、熱湯を茶葉が入ったティーポットに注いだ。腕の位置が高すぎたせいで少しお湯がはねたが、ティーポットにはしっかりとお湯が満たされていた。
 数分蒸らしたあと、ルクリリがティーポットをスプーンでかき混ぜ、茶こしで茶殻をこしながらティーカップに紅茶を注ぐ。こうして三人分の紅茶が無事に完成した。

「今回は失敗しないでうまくできたね」
「うん。色も香りもいい感じだ」
「お味のほうも確かめてみるでございますわ。いただきます!」

 ローズヒップはティーカップを手に取ると紅茶を一気に飲んでいく。紅茶の熱さなどまるで気にしないローズヒップの飲みっぷりに驚きつつ、みほも紅茶に口をつけた。

「くぁーっ! うまい!」
「本当だ。おいしい」
「このできなら今日はアッサム様に怒られなくてすみそうだな」

 会心の紅茶をいれられたことに三人は満足そうな表情を浮かべている。
 そんな三人のもとに、縦ロールの長い金髪を黒い大きなリボンで結っている生徒が近づいてきた。彼女のニックネームはアッサムといい、問題児トリオの教育係を任せられている二年生だ。

「あなたたち……」
「あ、アッサム様。今日は失敗せずに紅茶をいれることができました。自信作ですよ」
「ラベンダー、忘れてることがありますわよ」
「忘れてることですか?」
「まずは三年生に紅茶とティーフーズを用意しなさいと教えたわよね。どうしてホスト役のあなたたちが真っ先に紅茶を飲んでるの」

 聖グロリアーナのお茶会は一年生がホスト役、二年生がその補佐、三年生がゲスト役と決まっている。ホスト役の一年生は二年生に協力してもらって、お茶会の準備を整えなければならないのだ。

「それと、ローズヒップ。紅茶は熱いうちに飲むように教えたけど、一気に飲めとは言ってません。ルクリリも、紅茶を飲むときはカップを両手で持ってはいけないと教えたでしょ」

 結局、今日もみほたちはアッサムからお説教を受けることになった。
 三人が優雅にお茶会をこなせるようになるには、まだまだ時間がかかりそうである。

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第二話 ラベンダーの日常

 聖グロリアーナ女学院は英国とつながりが強い学校だが、すべてが英国に染まっているわけではない。
 その代表的な例の一つが食事だ。聖グロリアーナ女学院の学食には、英国料理以外のメニューも幅広く用意されている。腕利きの料理人が作る食事は好評であり、昼の時間になると学食は多くの生徒でにぎわいを見せていた。
 
 みほの昼食は基本的に学食。ローズヒップとルクリリも学食派なので、昼食はいつも三人一緒だ。みほにとって昼食の時間は、友達とともに過ごせる貴重な時間なのである。
 
 聖グロリアーナ女学院の学食はインテリアが英国風なのを除けば、普通の高校の学食とほとんど変わらない。違いがあるとすれば、おしゃれなテラス席が多めに用意されているぐらいだろう。
 みほたちはそのテラス席で昼食をとっていた。
 
 三人の今日の昼食は、みほがさば煮定食、ローズヒップがミートパイ、ルクリリがハンバーグ定食であった。

「ローズヒップさんってミートパイ好きだよね。ついこの前も食べてなかった?」 
「ミートパイはダージリン様がお好きな食べ物なのですわ。憧れのダージリン様に少しでも近づくために、わたくしもミートパイを食べているのでございますわ」
「ダージリン様はそんな豪快にミートパイは食べないと思うぞ……」

 ローズヒップは口を大きく開けてミートパイにかぶりついている。その姿は上品なダージリンとは似ても似つかない。
 
「ルクリリさんはハンバーグ定食なんだね」
「今日のおすすめメニューだったからな。……どうした? 私のハンバーグをじっと見て。ハンバーグ食べたいのか?」
「ち、違うの! ちょっと昔のことを思いだしちゃって……」

 ハンバーグを見たみほの脳裏には、ある一人の人物の顔が浮かんでいた。その人物とは、アールグレイに容姿が似ている中学時代の苦手な同級生。彼女はハンバーグが大好物で、学食ではよくハンバーグ定食を注文していたからだ。
 
 中学時代のみほは、姉と苦手な同級生の二人と一緒に昼食をとっていた。そこに楽しい会話は存在せず、話題はいつも戦車道のことと、みほの態度のことばかり。みほは弱気で頼りなかったので、もっとしっかりしろというお小言を言われるのはほぼ毎日であった。中学時代の昼食の時間は、みほにとって苦痛な時間という思い出しかない。
 
「ルクリリの食べるのが遅いから、ラベンダーが目移りしてしまうのですわ。わたくしはもう食べ終わりましたわよ」
「いつも思うんだけど、なんでそんなに食べるのが早いんだ? ローズヒップがせっかちなのは知ってるけど、食事ぐらいゆっくりでもいいんじゃないか?」
「お食事の時間は戦いなのでございますわ。自分の食べる分を確保するためには、相手を上回る食事スピードが必要不可欠。ご飯をのんびり食べてたら、大家族の中では生きていけないのですわ」
「そういえば、ローズヒップさんの家は十八人家族だって前に言ってたね」

 三人が昼食の時間に話す内容は世間話が多い。戦車道の話題も少しは出るが、中学時代のように息が詰まるようなことはなかった。
 充実した昼食の時間はみほの心を温かくしてくれる。友達と楽しく話しているうちに、中学時代の嫌な思い出は綺麗さっぱり消えさっていった。



 午後からの戦車道の授業。みほたちが搭乗しているのはクルセイダーではなく、マチルダⅡ歩兵戦車だ。
 マチルダに搭乗するときのポジションは車長兼通信手がルクリリ、みほが操縦手、ローズヒップが砲手である。装填手のポジションは、手の空いている上級生がついてくれていた。
 
「よし、次は横隊から斜行陣に移行だ。ラベンダー、私がしっかり指示するから慌てずに頼むぞ」
「は、はい! 迷惑かけないようにがんばります」

 クルセイダーの車長を務めていたときとは違い、みほは緊張でガチガチに固まっている。そのせいでルクリリに対する返答がいつもより丁寧になっていた。
 みほは優れた戦車乗りだが運転だけは苦手なのだ。運転技術だけなら一年生の中でも下から数えたほうが早い。
 
 そんなみほがマチルダの操縦手をしているのは、遅すぎるマチルダの操縦をローズヒップが拒否したからだ。ルクリリはマチルダの車長を希望していたので、マチルダはみほが操縦するしか選択肢がない。
 
「ローズヒップも少しは気合を入れるんだぞ。今日は砲撃訓練もあるんだからな」
「はーいですわ……」

 ローズヒップの声はいつもと違って意気消沈している。原因は、マチルダに搭乗したことでテンションが急激にさがっているからだ。
 普段の猪突猛進ぶりはすっかり鳴りを潜め、今は魂の抜けたような顔でおとなしく砲手席に座っていた。


 
「ラベンダー、前の車輌に近づきすぎてるぞ。減速、減速!」
「はい!」

 ルクリリはキューポラから身を乗りだして、みほに指示を出していく。片手に持ったティーカップの中身は大きく波打ち、今にもこぼれそうだ。
 
 戦車道を始めたばかりの生徒は、怖がってキューポラから上半身を出せないことが多い。それに加えて、聖グロリアーナの場合は紅茶入りのティーカップを持つという制限もつく。なので、なおさらキューポラから上半身は出しづらい。
 
 今年の一年生の車長でキューポラから身を乗りだせるのは、今のところみほとルクリリの二人のみ。ルクリリがニックネームを与えられたのは、その度胸の良さと車長としての能力が評価されたからだ。

 今日の訓練も、みほは大きなミスなくマチルダを運転することができた。
 みほが失敗せずにマチルダを操縦できる理由。それは的確な指示をくれるルクリリのおかげである。みほの運転下手を知ったルクリリが自ら進んでキューポラから身を乗りだしてくれた姿は、今もみほの目に焼きついていた。
 
 自分を助けてくれる友達がいる喜びを噛みしめながら、みほは今日も戦車道を楽しんでいる。



 茜色の夕暮れが照らす学園艦の街中を、みほたちはおしゃべりをしながら歩いていた。三人は同じ女子寮に住んでいるので登下校の時間はいつも一緒だ。

「今日のお茶会は最高でしたわね。ダージリン様とご一緒できるなんて、超ラッキーですわ」

 マチルダでガタ落ちしていたローズヒップのテンションは、ダージリンとのお茶会で完全復活。それとは対照的にルクリリのテンションは下降気味である。

「私は眠気を我慢するのが大変だったぞ。ダージリン様の話は小難しいからな……」
「ダージリン様は格言とかことわざが好きだからね。私も意味がわからなくて混乱するときがあるよ」

 ダージリンは偉人の格言やことわざをよく会話に組みこんでくる。ダージリンの話を完璧に理解するためには、その格言やことわざの意味を知っていなければならない。
 格言にはスポーツや芸能関係の言葉が出てくるときもあるので、幅広い分野の知識が必要であった。

「わたくしもダージリン様のお言葉の意味は、これっぽっちもわかりませんわ。けど、いつかきっとダージリン様のお考えを理解してみせるでございますわ」
「がんばってね、ローズヒップさん。私にできることがあればなんでも協力するから」
「頼んだぞ、ローズヒップ。お前がダージリン様の話し相手になれば私たちは解放される」
「お二人の声援があれば勇気百倍ですわ。これからも日々精進いたしますわよー!」

 ローズヒップは夕日に向かって叫びながら力強く拳を振りあげる。
 みほはそんなローズヒップの前向きなところが好きだった。中学時代に後ろ向きなことばかり考えていたみほには、ローズヒップの前向きさが輝いて見えるのだ。ローズヒップがダージリンの上品さに憧れているように、みほはローズヒップの前向きさに憧れを抱いていた。

 しばらく談笑しながら歩いていると、帰り道の途中にあるコンビニが見えてきた。多くの学園艦に店舗を構えている有名なコンビニで、学校帰りの生徒たちがよく利用している。
 みほたちもこのコンビニにはちょくちょく訪れており、ここに寄るのが最近の日課になっていた。

「私はいつものように立ち読みしてるから、終わったら声をかけて」

 ルクリリは基本的に買い物ではなく立ち読みがメイン。読んでいるのは漫画雑誌が主で、すでに棚に置かれている週刊誌を物色していた。
 漫画を探しはじめたルクリリと分かれたみほとローズヒップは、店内の奥へと入っていく。目的地はお菓子やアイスが陳列されているコーナーだ。

「うーん、新しい商品がいっぱいあって悩むなあ。これはおいしそうだけど、あっちのほうが値段が安いし……」
「ラベンダーは相変わらず優柔不断ですわ。たまにはスパッと決めることも大事でございますわよ」
「でも、どれもおいしそうだからやっぱり迷うよ」

 みほはアイスが満載されている冷凍ケースの前で、うんうんとうなっている。いろんな商品に目が引かれてしまうのはみほの欠点の一つで、新商品が発売されると決まってこうなってしまう。

「しょうがないですわね。わたくしは先に会計をすませて外で待ってますわ。では、ごめんあそばせー!」

 ローズヒップは飲み物とお菓子を手早く選ぶと、風のように去っていった。
 
 ローズヒップはダージリンの話に聞き入っていたので、今日のお茶会であまり飲食をしていない。さっきから腹の虫をグーグー鳴かせていたので、おそらくかなりお腹を空かせているのだろう。
 あまりローズヒップを待たせては悪いと感じたみほは、本腰を入れて商品を選ぶことにした。





 会計をすませたローズヒップは、コンビニの敷地内に設置されたテーブル席で買ってきたお菓子を食べていた。飲み物はペットボトル飲料だが、ローズヒップは鞄から取りだしたティーカップにそれを注いでいる。

「やっぱりお飲み物をいただくのは、ティーカップが一番でございますわ。いつダージリン様からお茶会に誘われてもいいように、マイカップを持ち歩く。これも淑女のたしなみですわね」
「淑女は通学路で堂々と買い食いはしないわよね? そうでしょ、ローズヒップ」
「へっ?」

 ローズヒップが声のしたほうに顔を向けると、そこにはアッサムの姿があった。

「アッサム様!」
「下校途中で買い食いをしてはいけないとあれほど教えたのに……残りの二人もここにいるはずよね? 呼んでくるからここで待っていなさい」

 ローズヒップをその場に待たせ、アッサムはコンビニへと入っていく。
 目当ての二人のうち、ルクリリのほうはすぐに見つかった。出入り口付近の本が陳列されているコーナーで漫画雑誌を読んでいたのだ。
 アッサムは静かに近づくと、ルクリリの肩を軽く叩いた。

「お、もう終わったか。今日はいつもより早いな」
「淑女は立ち読みなんて下品な行為はしないもの。そう教えましたわよね、ルクリリ」
「げっ! アッサム様!」
「店内で大きな声は出さないの。それに、その言葉づかいも少しは直しなさいといつも言ってるでしょ」

 アッサムはルクリリの手をつかむと、残った一人を探すために店内を歩いていく。
 最後の一人であるラベンダーは、冷凍ケースの前で両手にアイスを持ちながら考えごとをしていた。

「決めた。こっちのアイスにしよう」
「食べたい物が決まってよかったですわね、ラベンダー」
「ふえっ!?」
「あなたたちには、聖グロリアーナの流儀をもう一度叩きこむ必要がありますわね。ラベンダー、早く会計をすませてきなさいな」

 アッサムはそう言い残し、ルクリリの手を引いてコンビニの出入口へと向かう。
 一人残されたラベンダーは、アイス片手に青い顔をして立ちつくしていた。
   




 アッサムのお説教からようやく開放され、みほたちは重い足取りで女子寮に帰宅した。
 三人が住んでいる女子寮は、外観がレンガ造りの三階建てマンション。入り口にはフロントがあり、女性管理人の門限のチェックはとても厳重であった。
 すでにあたりは薄暗くなっていたが、門限にはまだ時間がある。三人はフロントの管理人にあいさつをして女子寮に入ると、階段をのぼって三階にあるみほの部屋までやってきた。
 
「ちょっと散らかってるけど、入って入って」

 三人は月に数回、それぞれの部屋に集まって夕食会を開いている。この女子寮には食堂がなく、自炊をすることが推奨されているからだ。
 この日はみほの部屋で夕食会をする予定で、材料は昨日すでに購入してある。

「いつまでも失敗を引きずっていてはいけないですわ。さっそくお料理を作りますわよ」
「そうだね。今日は肉じゃがを作るんだっけ?」
「予定ではそうなってるな。アッサム様の説教のことはいったん忘れて、今は料理に集中しよう」

 三人は役割を決めて、てきぱきと料理を作っていく。聖グロリアーナ女学院は調理実習も教科に含まれているので、三人は料理が苦手ではなかった。
 英国ではあまり料理スキルは重視されていない。しかし、ここは英国ではなく日本。お嬢様だからといって料理ができないようでは、日本では理想的な淑女とは呼べないのだ。

 作業を分担したのが功を奏し、肉じゃがをメインに据えた夕食は手早く完成した。調理実習のかいもあり、料理は見た目も味も悪くないできに仕上がっている。
 先ほどまでの暗い雰囲気はおいしい料理のおかげで消えさり、三人は雑談に花を咲かせながら夕食の時間を楽しんだ。
 
 夕食の時間も終わりに差しかかったころ、時計で時間を確認したみほが慌ててテレビのスイッチを入れた。
 画面に映ったのは、両手に包帯を巻いて頭に大きな絆創膏を貼った、デフォルメされた熊のキャラクター。その名をボコられグマといい、ボコという愛称で呼ばれている。

「あぶないあぶない。再放送があるのを忘れるところだったよ」
「あ、ボコですわ。今日もぼこぼこにやられるんですの?」
「うん。それがボコだから」

 テレビ画面では、ボコが三匹の猫のキャラクターに因縁をつけていた。ボコが様々な相手に突っかかり、返りうちにあってぼこられるのがボコのお約束だ。

「いつも負けてばかりだとワンパターンじゃないか? 私はたまには勝つ展開が見たいぞ」
「ダメだよ! ボコが勝ったらボコじゃなくなっちゃう。ボコはどんな強い相手にも立ちむかうけど、絶対に勝つことはできないの!」
「わ、わかった。私が悪かった。ほら、今日もボコは負けてるぞ」

 ルクリリが指差したテレビ画面には、いつも通りやられているボコが映っている。それを見たみほはさっきまでの剣幕が嘘のように消え、すっかりテレビに夢中になっていた。
 
 みほは熱狂的なボコマニアである。部屋中に並べられているたくさんのボコのぬいぐるみが、それを物語っていた。普段は引っこみ思案でおとなしい性格のみほだが、大好きなボコのことになると感情がむき出しになるのだ。



 夕食の片づけを終え、食後の紅茶を飲んだあと、夕食会は解散となった。
 ローズヒップとルクリリがいなくなった部屋はしんと静まりかえっており、一人になった寂しさをみほに実感させる。みほはその寂しさをまぎらわせるために、お気に入りのボコのぬいぐるみを手に取った。
 
 今日という日を振りかえると、いつもより失敗が多かった気がする。アッサムからは過去最大級のお説教を受け、ボコのことではつい熱くなってしまった。
 みほが失敗したことにあまり落ちこまないでいられるのは、ローズヒップとルクリリがそばにいてくれるからだ。二人と一緒なら、失敗したことでもいい思い出の一つにすることができる。
 
 明日も二人といい思い出を作れますようにとみほは心の中で願い、ボコのぬいぐるみを力強く抱きしめた。

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第三話 ラベンダーと大洗

 大海原を進む聖グロリアーナ女学院の学園艦を、朝の日差しが柔らかく照らしている。
 みほは今日も友達二人と一緒に登校しているが、いつもとは登校風景が違っていた。普段は早歩きで先頭を行くローズヒップが、今日は最後尾でとぼとぼと歩いているのだ。
 
「ローズヒップさん、元気出して。きっともうすぐクルセイダーも帰ってくるよ」
「そうだぞ、ローズヒップ。それにこの前、マチルダの砲撃訓練でアッサム様にほめられてたじゃないか」
「マチルダでほめられてもうれしくないですわ。ああ、クルセイダー、あなたは今どこにいるんですの?」

 ローズヒップの元気がない理由。それはここしばらくクルセイダーに搭乗していないからだ。マチルダに搭乗し続けたことで、戦車を降りたあともローズヒップはおとなしくなってしまったのである。

「クルセイダーなら陸の整備工場で元気にやってるよ。だから今日もマチルダでがんばろうな」
「もう、もうマチルダは嫌ですの! クルセイダー、カムバーックですわー!」

 ローズヒップは両手を口元に添え、空に向かって叫んだ。今までのうっぷんを晴らすかのような大声のせいで、通行人から奇異の目で見られてしまう。
 みほはそんなローズヒップに対し、申し訳なさそうに声をかけた。

「ごめんね、ローズヒップさん。クルセイダーが壊れちゃったのは、車長である私の責任だよ……」

 みほたちのクルセイダーは、先日行われた紅白戦で故障してしまった。
 原因は速度制限用のリミッターの解除。クルセイダーはリミッターを外すことで時速60㎞近いスピードを出すことができるが、その分エンジンに多大な負荷がかかる。クルセイダーのリミッターを解除したのはこれが初めてだったが、運悪くエンジンは寿命を迎えてしまったのであった。
 
 整備科の生徒ではお手上げ状態だったクルセイダーは、本格的な修理を受けるために陸の整備工場に運ばれている。クルセイダーがいつ戻ってくるのか、現状では見通しはまったく立っていない。
 
「ラベンダーのせいではないですわ。ダージリン様の前でいい格好をしようとしたわたくしが悪いのでございますわ……」
「私もラベンダーも最終的にはローズヒップの意見に賛同したんだ。だから全員に責任があるでいいじゃないか。私たちはチームだからな、なにがあっても一蓮托生だ」
「それってたしか、どんな結果でも最後まで運命や行動をともにするって意味の言葉だよね。この前のお茶会でダージリン様が話してたから、私もよく覚えてるよ」
「今の私たちにぴったりの言葉だろ。ダージリン様の難しい話もたまには役に立つな」

 ダージリンの話の最中によく居眠りをしていたルクリリであったが、ここ数日はまじめに話を聞いていた。アッサムに指摘されていた言葉づかいも大幅に改善。今ではルクリリがお嬢様言葉を使わないで話すのは、みほとローズヒップの前だけだ。

 ローズヒップがおとなしくなったのと、ルクリリの態度が良くなったことで、アッサムに怒られる回数も減少した。この分なら、問題児トリオの汚名を返上する日は案外近いのかもしれない。

「ところで、クルセイダーはどこに運ばれたんですの?」
「茨城県の大洗ってところだ。どうして大洗なのかは私もよくわからないけどな」
「大洗は昔戦車道が盛んだったの。大洗女子学園の学園艦で直せなかった戦車は、大洗町の整備工場で修理してたんだよ。もう二十年も前に大洗女子学園の戦車道は廃止になっちゃったけど、大洗町の整備工場はまだ現役で稼動してるんだ」
「ラベンダーは大洗に詳しいですわね。お知りあいが住んでたりするのでございますか?」
「大洗女子学園は進学先の第一候補だったの。中学のころ戦車に乗るのが嫌になった時期があったから、最初は戦車道がない学校に進学したかったんだ。けど、西住流の看板を背負ってる私が戦車道から逃げることを、お母さんは許してくれなくて……それがきっかけで喧嘩になっちゃったんだけどね」

 みほは悲しそうな顔で目を伏せた。
 母と喧嘩し、姉に暴言を吐いたあの日以降、二人とは会話らしい会話をしていない。家族と疎遠になる原因を作ってしまったことを、みほは深く後悔していた。
 
「大丈夫ですわよ、ラベンダー。わたくしも小さいころは家族とよく殴りあいの喧嘩をしたでございますけど、今はみんな仲良しですわ」
「私だって親とはよく口喧嘩してたし、誰だって一度や二度は親と喧嘩ぐらいするさ。今はつらいかもしれないけど、あんまり気に病まないほうがいいぞ」

 ローズヒップとルクリリはみほを必死に励ましてくれる。
 みほは今まで、家族のことや西住流のことは二人にあまり話さないようにしてきた。二人の自分を見る目がラベンダーから、西住みほに変わってしまうことを恐れたからだ。
 
 大洗の名前が出たことでうっかり口を滑らせてしまったが、みほの不安は杞憂だった。二人は西住流のことなど気にもせず、みほを励ますことを一番に考えてくれたのである。
 二人の目に映っているのは西住流の西住みほではなく、聖グロリアーナのラベンダーなのだ。
 
「二人ともありがとう。私、大洗女子学園じゃなくて聖グロリアーナ女学院に入学して本当によかった。だって、こんなにすてきな友達に出会えたんだもん」 
 
 感謝の言葉を口にするみほの目には、うっすらと涙が浮かんでいた。
 
 

 それから数日後、みほたちは訓練後のお茶会の最中に隊長室へ呼びだされた。三人がアールグレイから呼びだしを受けるのはこれが初めてだ。
 
 隊長室に向かう途中の三人の表情には緊張感が漂っていた。アールグレイが苦手なみほはとくにそれが目立ち、顔からは血の気が引いている。
 
 ほどなくして隊長室に到着した三人は、ルクリリを先頭に部屋に入っていく。みほが入室したのは一番最後であった。
 隊長室は中世ヨーロッパの貴族の部屋をイメージした作りになっており、部屋を彩る家具は一目で豪華なものだとわかる。その隊長室の中央に置かれたソファーで、アールグレイは上品に紅茶を飲んでいた。

「失礼します。ルクリリ、ローズヒップ、ラベンダーの三名、お呼びだしに従い参りましたわ。アールグレイ様、ご用件はなんでございますか?」
 
 ルクリリが先陣を切ってアールグレイに問いかけた。怯えるみほと本調子ではないローズヒップを守るように、体は二人より一歩前に出ている。
 
「そんなにかしこまる必要はありませんよ。あなたたちをここへ呼んだのは、お願いしたいことがあったからなの。だからそんな不安な顔はしなくていいのよ」

 アールグレイはほがらかな笑顔でみほたちに優しく語りかけた。
 その表情を見たみほは、不安や恐れの気持ちが少しずつ薄れていくのを感じていた。中学時代の苦手な同級生は、あんな綺麗な笑顔を自分に見せたことは一度もなかったからだ。
 
「あ、あのっ! アールグレイ様の頼みごとってなんですか?」

 みほは勇気を奮いたたせてアールグレイに話しかけた。
 目の前の人物はあの同級生と容姿が似ているだけで、なにも怖がる必要はない。いつまでも過去の幻影に怯えていてはアールグレイに失礼だ。
 
「あなたたちには、大洗の整備工場にクルセイダーを受けとりに行ってもらいたいの。学園艦は明日の早朝には大洗港に入港する予定ですから、午後の戦車道の授業中に向かってもらうことになりますわ」
「アールグレイ様、それはマジでございますか!」
「ええ。時間がかかってしまいましたけど、クルセイダーが直ってよかったですわね」
「やったでございますわ! 直ったばかりのクルセイダーに一番乗りできるなんて、超ハッピーですわ!」

 ローズヒップは喜びを爆発させ、ガッツポーズをしながらぴょんぴょん飛びはねている。先ほどまでのおとなしい様子とはまるで別人であり、さすがのアールグレイも驚いたような表情で固まっていた。
 
「よ、喜んでもらえたようでなによりですわ。それともう一つお願いがあって、実はその整備工場には聖グロリアーナのお客様が来ているの。申し訳ないのだけど、クルセイダーを受けとったら彼女を学園艦まで送ってほしいのです」

 アールグレイは一枚の写真をみほたちに見せた。
 写真には小学生ぐらいの少女が写っている。銀色の長い髪をサイドテールにしており、手にはボコのぬいぐるみが握られていた。
 
「お客様はこの子よ。名前は島田愛里寿さん」

 島田という苗字はみほには聞きおぼえがあるものだった。
 日本には西住流と双璧をなす代表的な戦車道の流派がある。その流派の名は島田流。島田流は集団よりも個の力を重視し、あらゆる状況に柔軟に対応するのを得意としている。集団の力強さに重きを置く西住流にとって、島田流はライバルといえる存在である。
 
 島田流のことが一瞬頭をよぎったみほであったが、そのことはすぐに忘れさられた。みほの興味は、すでに少女が持っているボコのぬいぐるみへと移っている。

「この子もボコが好きなのかな? 貴重なレアボコを持ってるなんて、ただものじゃないよ」
「そうかしら? 私には違いがよくわからないけど……」
「全然違うよ! 両目を怪我してるタイプのボコには、なかなかお目にかかれないもん!」
「そ、そうね。よく見てみたら、ラベンダーの部屋にあるボコとはまったく違いますわ」
「ルクリリはうかつ者ですわね。同じ失敗を何度もするようでは、上品なお嬢様にはなれないでございますわよ」
「お前にだけは言われたくないわ!」

 みほの突然の豹変と、油断したことで出てしまったルクリリの乱暴な言葉づかいに、アールグレイは目を丸くしている。
 もしこの場にアッサムが同席していたら、久しぶりのお説教タイムが始まっていただろう。

「こほん、では頼みましたよ。大事なお客様なのですから、くれぐれも粗相のないようにお願いしますわね」

 

 翌日、午前中の授業を終え昼食をすませたみほたちは、大洗港からバスに乗り整備工場へと向かった。
 整備工場はバスを使って一時間ほどかかる場所にある。三人は久しぶりの陸の景色を見ながら、短いバスの旅を楽しむことにした。
 
 バスは海沿いの道を北上し、目的地に向かって進んでいる。途中で渋滞もなく移動は順調であったが、ゴルフ場の看板を越えたあたりからみほが急にそわそわしだした。
 
「ラベンダー、どうしたのでございますか? もしかしておトイレですの?」
「ち、違うよ。ちょっと看板を探してるの。このあたりにあるはずなんだけど……」
「どんな看板なんだ? 私たちも探すのを手伝うぞ」
「ありがとう。実は……あっ! 見つけた!」

 窓側の座席に座っていたみほが指差した先にあったのは、薄汚れたぼろぼろの看板。ボコの絵が描かれたその看板には、ボコミュージアム500m先左折と書かれてある。

「ローズヒップ、私は今猛烈に嫌な予感がしてるんだが……」
「わたくしもでございますわ。今のうちに覚悟を決めておいたほうがいいかもしれないですわね」

 浮かない表情の二人とは違い、みほは輝くような笑顔で徐々に小さくなっていく看板を見つめていた。  
  


 整備工場に到着したみほたちは、工場の女性スタッフに案内されて戦車が格納してあるガーレジにやってきた。
 この整備工場は戦車の販売も手がけており、ガレージの中には様々な戦車が並んでいる。その一角にある英国戦車が集合している場所に、ぴかぴかに磨かれたクルセイダーの姿があった。

「クルセイダー! こんなに凛々しい姿になって、やっぱりあなたは最高ですわ!」

 ローズヒップは大喜びでクルセイダーに飛びついた。そこまでなら微笑ましい光景だったのだが、ローズヒップは喜びのあまり車体に頬ずりを始めてしまう。それを見た女性スタッフは、お嬢様とは思えないローズヒップの奇行にドン引きしているようだ。

「あ、あの。こちらに受けとりのサインをお願いできますか?」
「わかりました。これでいいでしょうか?」
「申し訳ありません。本名ではなく、ニックネームでお願いします。聖グロリアーナ女学院のお客様とは、いつもニックネームでやり取りしておりますので」
「ふえっ!? ご、ごめんなさい……」

 みほは慌てて西住みほというサインを二重線で消し、隣にラベンダーと書きなおした。それを確認した女性スタッフは、一仕事終えたことでほっとした顔をしている。

「ありがとうございます。この度はわざわざご足労願うことになってしまい、申し訳ありませんでした。本来ならこちらの車輌と一緒にお届けにあがる予定だったのですが、手配ミスで大型の運搬車輌が用意できなくなってしまって……。引きとりに来ていただけたのは本当に助かりました」

 女性スタッフが手のひらで指し示した先には、濃い緑色のごつごつした戦車が置かれていた。隣にあるクルセイダーよりもサイズは大きく、チャーチル歩兵戦車を小さくしたようなデザインだ。
 
「正面から見ると、少しチャーチルに似てるでございますわね。これはなんて名前の戦車なんですの?」
「これはクロムウェル巡航戦車だよ。すごく足が速い戦車で、クルセイダーよりも速く走れるの」
「マジですの!? 見た目だけだと、とてもクルセイダーより速いとは思えないですわ」
「聖グロリアーナは、マチルダとクルセイダーとチャーチルしか使用できないんじゃなかったかしら? OG会の圧力があるから、別の戦車は導入できないって話を聞いたことがありますわ」

 女性スタッフがいるのでお嬢様モードになっているルクリリが指摘したとおり、聖グロリアーナの戦車道はOG会の強い影響下にある。
 
 戦車道はお金がかかる武芸。戦車の購入費や整備費はもちろん、燃料や砲弾などの消耗品費にも多額の出費をともなう。
 そんな聖グロリアーナの戦車道を財政的に支えている組織。それが卒業生で構成されているOG会である。OG会の援助のおかげで、聖グロリアーナはいっさいお金に困らず戦車道を行えるのだ。
 
 貧乏な高校が聞いたらうらやましがられる話かもしれないが、援助をもらえるのはいいことばかりではない。OG会は聖グロリアーナの戦車道チームに、使用する戦車の車種や戦術などで注文をつけてくるからだ。
 ほかの強豪校に比べて聖グロリアーナの戦車が劣っているのは、OG会が原因であった。

「OG会の了承がないと新しい戦車は買えないはずだよ。アールグレイ様は許可を取ったんだと思うけど、急にどうしたんだろう?」
「クロムウェルを購入したいという連絡があったときは、私どもも驚きました。去年まではクルセイダーの購入を検討されていましたからね。それでは、私は島田愛里寿様をお連れします。しばらくこの場でお待ちください」

 女性スタッフはその場で一礼すると、きびすを返してガレージを退出した。
 クロムウェルのことが気になったみほであったが、島田愛里寿の名を聞いた瞬間、クロムウェルの存在は即霧散。みほの頭の中は、愛里寿と早くボコの話がしたいという思いで埋めつくされてしまった。





 整備工場の応接室では、一人の少女が女性スタッフが来るのを待っていた。
 少女は持っていたボコのぬいぐるみを膝に乗せ、ぬいぐるみの腕を動かして遊んでいるように見える。無表情な顔でぬいぐるみをいじっている姿は、とても楽しそうには見えない。
 
「お待たせしてすみません。ここを片づけたら、すぐに聖グロリアーナの生徒さんのところへお連れしますので、もうしばらくお待ちください」

 応接室に入室してきた女性スタッフは手にしていたバインダーを机に置き、応接室の片づけを始めた。片づけといっても、少女が飲んでいたお茶とお茶請けをさげるだけの簡単な作業だ。
 
 女性スタッフが片づけをしているなか、少女は机の上に置かれたバインダーを凝視している。正確にいうと、バインダーに挟まれた書類の受領欄のサインに注目していたのだ。
 そこに書かれていたサインは、二重線で消された西住みほという名前とラベンダーという植物の名前。

「西住みほ……ラベンダー?」

 少女は女性スタッフが片づけを終えるまで、不思議そうな表情でその名前を見続けていた。

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第四話 ラベンダーと島田愛里寿

 大洗町の海沿いの道をブルーグレーの色をした戦車が走っていた。
 時速約40kmで走るその戦車は、車線をはみ出すことなく道路をまっすぐに進んでいる。途中でカーブに差しかかってもその綺麗な走りは変わらず、走行が乱れるようなことはない。
 
 戦車は対向車や同一車線の車に迷惑をかけず安全運転で走行中。その走りにはなんの問題もなかった。一つ問題があるとすれば、その安全運転をしているのが戦車であるということだ。

 戦車の後方から、サイレンを鳴らしたパトカーがすごいスピードで走ってくる。パトカーは戦車のすぐ後ろに近づくと、助手席の警察官が拡声器を使って戦車に停止命令を出した。
 
「そこのブルーグレーの戦車! 止まりなさい!」

 拡声器で呼びかけている警察官の額には汗が光っている。もし戦車が暴走でもしようものなら、パトカーなどひとたまりもない。彼にとってはまさに命がけの交渉である。
 
 警察官が必死に呼びかけを続けていると、戦車の砲塔部のハッチが開いた。
 そこから顔を覗かせた人物を見た警察官は驚きのあまり固まってしまう。無骨な戦車から出てきたのは、群青色のセーターを着た穏やかそうな顔の女の子だったからだ。





 警察から解放されたみほたちは、海沿いにある公園の駐車場で休憩をとることにした。
 駐車場からは海が一望でき、気分転換をするにはもってこいの雄大な自然の風景が広がっている。三人はクルセイダーの上で風景を楽しみながら、先ほどの出来事について話しあっていた。

「まさかおまわりさんに職務質問される日が来るなんて、夢にも思わなかったですわ」
「うん。ローズヒップさんが戦車の免許を持っていて本当によかった。もし警察署に連れていかれたら、二度と実家に帰れないところだったよ」
「いくらなんでも逮捕はされないだろ。アールグレイ様はローズヒップが免許を持っていなかったら、私たちには頼まなかっただろうし」

 三人の中で戦車の免許を持っているのはローズヒップのみ。みほも学園艦にある免許交付センターで試験を受けたのだが、結果は不合格であった。ルクリリに至っては試験を受けてすらいない。
 
「それにしても、戦車道は世間ではマイナーな武芸だったんだな。あの若い警察官、最後まで私たちの話を疑ってたぞ」
「私の地元では有名なんだけどね。熊本なら戦車が道路を走ってても誰も驚かないもん」
「それより、わたくしは免許を偽造扱いされたのが許せないですわ。ダージリン様にほめてもらったこの免許は、わたくしの宝物なんですのよ」
「免許証の写真が笑顔でピースサインしてたら、私だって不審に思う。よくこの写真でOKが出たな」

 ローズヒップの免許が変なのは写真だけではなかった。有効期限の欄には年月日が書かれておらず、とりあえず今のところ有効と書かれている。なにも知らない人が見たら、偽物と思われても仕方がない適当さだ。

「戦車道は女性の武芸だから男の人には馴染みが薄いのかも。大洗は戦車道が廃れてるし、興味がなければ年配の人ぐらいしか知らないんじゃないかな?」
「戦車道は乙女のたしなみでございますからね。殿方には理解しにくい武芸なのかもしれないですわ」
「まあ、ともかく無事に解放されてよかったじゃないか。ところで、愛里寿はどこに行ったんだ?」
「愛里寿ちゃんはお手洗いに行ってるの。もうすぐ戻ってくると思うよ」
「あ、戻ってきましたわよ。愛里寿さーん! クルセイダーはここですわー!」

 ローズヒップの呼びかけに反応した少女は、クルセイダーのところまでゆっくりと歩いてくる。
 彼女の名前は島田愛里寿。聖グロリアーナのお客様で、三人が学園艦までエスコートしている小学六年生の少女である。
 
 すでに整備工場で簡単な自己紹介は終了済み。にもかかわらず、みほはまだ愛里寿とうまく会話ができていなかった。ラベンダーというニックネームを名乗った途端、なぜか愛里寿がみほのことを警戒しだしたのだ。
 
 みほは愛里寿とボコの話をしたいと思っているが、愛里寿は内向的な性格のようで積極的に話しかけてはこない。ボコの話をするにはみほから会話を切りだすしかないのだが、それにはまず愛里寿の警戒を解く必要があった。
 
 みほには秘策がある。愛里寿がボコを好きなら、あの場所に行けばきっと仲良くなれるはずだ。あそこには初めから立ちよる予定だったので、みほにとっては好都合だ。

「愛里寿ちゃんも戻ってきたし、そろそろ出発しようよ」
「そうですわね。いつまでも油を売ってないで、早く学園艦に戻りますわよ」

 愛里寿が戻ってきたので口調をお嬢様に切りかえたルクリリに対し、みほは静かに首を横に振った。 

「ルクリリさん、目的地は学園艦じゃないよ。大洗に来たからには、私はあの場所へ行かないといけないの」
「……そんな予感はしてた。ええい、こうなりゃヤケだ! どこへでも付きあってやる!」
「わたくしたちの覚悟はとっくに完了済みでございますわよ!」

 突然騒ぎだしたルクリリとローズヒップの姿を見た愛里寿は、目を白黒させている。そんな愛里寿に向かってみほは満面の笑みで語りかけた。

「愛里寿ちゃん、ちょっと寄り道をするね。大丈夫、とっても楽しいところだから心配しなくても平気だよ」



 みほたちが愛里寿を連れてやってきたのは、ぼろぼろに荒れた洋風のお城のような建物であった。屋根には所々にボコのオブジェが設置してあり、看板には大きな文字でボコミュージアムと書かれている。
 それを見た瞬間、今まで感情を表に出さなかった愛里寿が一気に破顔した。

「ボコミュージアムだー!」
「やっぱり愛里寿ちゃんもボコが好きだったんだね。私はここに来たのは初めてなんだけど、いつか絶対に来たいと思ってたの」
「ねえ! 入ってもいい!」
「いいよ。今日は思いっきり楽しもうね」

 みほと愛里寿はすっかり仲良しだ。とくに愛里寿は、みほに対する警戒心など最初からなかったかのような変わり様である。
 ハイテンションな二人とは違い、ローズヒップとルクリリは唖然とした表情でボコミュージアムを見つめていた。

「ここは本当に入って大丈夫なのか? 肝試しに使う廃墟にしか見えないぞ」
「わたくしたち以外は人っ子一人いないですわね。もしかしたら、今日はお休みなのかもしれないですわ」
「二人ともなにしてるのー。早く入ろうよー」

 みほと愛里寿はすでにボコミュージアムの建物に入っており、入り口から手招きをしている。どうやら今日は通常営業のようだ。
 ローズヒップとルクリリは顔を見あわせると、意を決してボコミュージアムの内部へと足を踏みいれた。 


 
 ボコミュージアムは館内も外装同様ぼろぼろの有様。壁や床は薄汚れ、天井には無数の蜘蛛の巣。経費節減のためなのか照明も薄暗く、お化け屋敷だと思われても不思議はない。
 みほと愛里寿はそんなことは気にもとめずにはしゃぎ回っている。お出迎えのボコロボットに大喜びし、ボコだらけのライド型アトラクションでは目をキラキラさせていた。
 
 ローズヒップとルクリリは二人食らいつくのに必死だ。今のみほと愛里寿は行動力にあふれており、少しでも目を離せばすぐに見失ってしまうからである。
 なんとか二人に置いていかれずにすんだローズヒップとルクリリだが、小劇場に入ったころにはもうへろへろであった。

「こ、このキャラクターショーが終われば、全アトラクション制覇ですわ。最後まで気を抜いてはダメですわよ、ローズヒップ」
「もっちろんでございますわ」

 疲れきっているローズヒップとルクリリだが決して弱音は吐かない。二人のその姿からは、ボコミュージアムを心の底から楽しんでいるみほと愛里寿への気づかいが感じられた。
 
 キャラクターショーの主役は当然ボコ。ショーの内容もテレビシリーズと同じで、些細なことでボコが喧嘩を売るいつものスタイルだ。 
 
 今日のボコの対戦相手は、白猫と黒猫とネズミの三人組。
 ボコは先手必勝とばかりに殴りかかるが、攻撃が当たる直前に転んでしまい、三人組に踏みつけられてしまう。テレビシリーズでは、ボコがこのままぼこぼこにされて物語が終了する。
 
 ところが、このキャラクターショーはテレビとは展開が違っていた。痛めつけられているボコが、観客に向かって声援を送ってほしいと呼びかけてきたのだ。

「みんなー、おいらに力を分けてくれー」

 ボコの呼びかけを聞いたみほと愛里寿はすぐさま反応し、ボコに声援を送った。

「がんばれ、ボコ!」
「ボコー! 負けないでー!」

 みほと愛里寿は大きな声でボコを応援しているが、小劇場にはみほたちしか観客がいない。そのせいでいまいち声援が足りず、ボコは立ちあがることができなかった。
 それを見たローズヒップとルクリリは、すっと立ちあがると大声でボコの応援を始めた。

「ボコさーん! がんばってくださいましー!」
「ボコ! 根性見せろ! いつも負けっぱなしで悔しくないのかー!」

 熱心に声援を送るローズヒップとルクリリに負けじと、みほと愛里寿も立ちあがった。四人の大きな声援は小さな劇場にしっかりと響きわたっている。

「ありがとう、みんな。みんなの声援のおかげでおいらはまだ戦える。お前ら、覚悟しろ!」

 ボコは立ちあがると再び三人組に殴りかかった。
 ヒーローショーなら逆転勝利する場面であるが、残念なことにボコは勝つことができないキャラクター。ボコの攻撃はまたも空を切り、二度目のぼこられタイムが始まった。
  
「くそっ! この展開でも勝てないのか!」
「それがボコだから」
「納得できるか! 立てー! ボコ、負けんなー!」

 ルクリリはステージに駆けよると、床を両手で叩いてボコに奮起を促した。アッサムが見たら卒倒しかねない蛮行だ。
 みほとローズヒップは慌ててルクリリを止めに入った。このままではキャラクターショーの進行に支障をきたしてしまうからだ。

「ルクリリさん、ボコは負けないから。大丈夫だから」
「興奮しすぎですわよ。深呼吸して気をたしかに持つのでございますわ」

 みほたちがどたばたしている間に、ステージにはボコしかいなくなっていた。
 叩きのめされたボコはうずくまって動かない。その姿に愛里寿は心配そうな視線を送っている。そんな愛里寿の様子を察したのか、ボコは起きあがると元気な声でこう言いはなった。

「明日もがんばるぞ!」

 ボコのそのセリフとともにステージの幕がおりる。最後に少しトラブルはあったが、無事にキャラクターショーは終了したようだ。
 
「ボコー。明日は勝てるよー」

 愛里寿はボコに惜しみない拍手を送っている。
 みほはそんな愛里寿の姿を見ながらルクリリに優しく語りかけた。

「ね、ボコは負けなかったよ。どんなに痛めつけられてもボコの心は折れないの」



 キャラクターショーを見終わったみほたちは、ボコミュージアム内のお土産屋へとやってきた。
 店内にはボコの様々なグッズが置かれており、どこを見渡してもボコだらけである。 

「さっきはごめんなさい。頭に血がのぼりすぎましたわ」
「気にしなくていいよ。ルクリリさんがボコにあれだけ熱心になってくれて、私はうれしかったし」
「ルクリリはカルシウム不足かもしれないですわ。明日から毎日牛乳を飲んで、わたくしと一緒にお淑やかなお嬢様を目指すでございますわ」

 ルクリリは先ほどの失態に反省しきりであった。
 そんなルクリリをみほとローズヒップはそれぞれの言葉で励ましている。失敗が多い三人は、ミスをしてもこうやって励ましあうのがすでに当たり前になっていた。 

「三人は仲がいいんだね」
「うん。私たちは友達だもん」
「友達……」

 愛里寿は友達という言葉をつぶやいたあと、なにやら難しそうな顔で沈黙してしまった。
  
「愛里寿ちゃん、どうかしたの?」
「私、友達ってよくわからないの。今まで戦車の訓練と学校の勉強ばかりしてきたから、友達なんて一人もいなかった。お母様は私が戦車を上手に扱えて、テストでいい点数を取ればほめてくれたの。だから、これまでは別に友達がいなくても問題ないんだって、ずっとそう考えてた。けど、三人が仲良くしてるのを見てたら、私も友達がほしいなって初めて思ったの……」

 愛里寿の告白を聞いたみほは、衝撃のあまりしばらく言葉を失ってしまう。愛里寿の境遇はあまりにもみほと酷似していた。
 
 島田という苗字を聞いたときに思ったことがみほの頭をよぎる。おそらく愛里寿は島田流の血を引く娘なのだろう。みほも小学生時代は西住流の修行に明けくれていたので、愛里寿の気持ちが痛いほどよくわかった。
 
 できれば自分が愛里寿と友達になってあげたいが、それは簡単に口にできることではない。
 西住流と島田流はライバル関係。島田流の娘と仲良くしていることを母が知れば、きっといい顔はしないだろう。 

「なら、わたくしたちとお友達になればいいんですわ」
「えっ。……いいの?」
「愛里寿が嫌じゃなければな。ラベンダーもいいだろ?」
 
 ローズヒップとルクリリは、愛里寿が望んでいるだろう言葉を簡単に言えてしまう。それに比べてみほは、あれこれと理由をつけて悩みなにも答えが出せずにいた。
 自分もいつかは、二人のように思ったことをはっきりと言えるようになりたい。みほはそう心に誓うと、迷いを振りはらい愛里寿の正面に向きなおった。

「もちろん。今日から私たちと愛里寿ちゃんは友達だよ」
「みんな、ありがとう。……とってもうれしい」

 みほたちは愛里寿と友達になった記念に、小さなボコのぬいぐるみを一つずつ買うことにした。
 みほが選んだのは、自分のニックネームであるラベンダー色をしたボコである。本当は激レアボコとポップに書かれていた商品が欲しかったのだが、一つしかなかったのでそれは愛里寿に譲ったのだ。
 
 四人は思い出の品を購入してお土産屋をあとにする。すでに時刻は夕方になっており、もうすぐボコミュージアムが閉館する時間だ。

「よし、今度こそ学園艦に戻るぞ」
「ごめんね、長い時間付きあわせちゃって」
「それは言いっこなしですわ。わたくしたちも今日は楽しかったですわよ」

 みほたちが雑談しながら歩いていると、前を歩いていた愛里寿が急に立ち止まった。突然のことに驚いた三人も愛里寿につられて歩みを止める。
 三人が立ち止まったのを確認した愛里寿は、その場でくるっと反転すると感謝の言葉を口にした。

「あの、今日は私も楽しかった。ボコミュージアムには何回も来たことがあるけど、こんなに楽しかったのは初めてだった。いつもは一人だったけど、今日はみんなが一緒にいてくれたから……。だから、……ありがとう」

 素直な気持ちを言葉にしたことで、愛里寿は頬を赤く染めて恥ずかしそうにしている。
 そんな愛里寿の姿を見たみほは、友達ができることの素晴らしさを改めて感じるのであった。



「あなたたち、今回ばかりは少しおいたが過ぎたようね。アールグレイ様はとても心配なさっていたわよ」

 みほたちはかつてないプレッシャーを感じながら、目の前の人物に相対していた。三人の中でもとくにローズヒップはうろたえており、さっきから足が震えっぱなしだ。
 
「あなたたちには、聖グロリアーナの生徒であるという自覚はないのかしら? 大事なお客様を連れまわして遊びに行くなんて、許されることではないわ」
「ダージリン様、全部私が悪いんです。車長の私が二人を無理矢理巻きこんだんです」
「ラベンダー、私は首謀者を探しているわけではなくってよ。あなたたちは三人一組のチームなのだから、責任は三人で負う必要があるわ。一蓮托生という言葉を前にも聞かせたわよね」

 学園艦でみほたちを待ちかまえていたのはダージリンであった。いつもなら真っ先にお説教をするアッサムは、ダージリンの後ろで心配そうな顔をして三人を見ている。
 愛里寿はすでにここにはいない。ダージリンと一緒に三人を待っていたクルセイダー隊の隊長が、アールグレイのもとへ連れていったのである。
  
「あなたたちには罰を受けてもらいます。聖グロリアーナに古くから伝わる伝統的な罰をね」
「待ってくださいダージリン。もしかしてあれを使う気ですか? あれは危険です。この子たちも反省していますから、あれだけは許してあげてください」
「ダメよ、アッサム。ここでこの三人を甘やかしたら他の生徒に示しがつかないわ。それに、この件はアールグレイ様もすでに了承済み。この決定をくつがえすことはもうできなくてよ」

 めったに見せないアッサムの慌てように、みほの不安と恐怖はどんどん増していく。一体どんな罰が待っているのか、みほには想像すらできなかった。
 
 ダージリンは明日の戦車道の訓練後に罰を執行することを伝え、優雅な足取りでその場を立ちさっていく。みほたちはそんなダージリンの背中を無言で眺めることしかできない。
 
 そのまま立ちさるかと思われたダージリンだったが、途中で歩みを止めると三人のほうへと顔を向けた。

「あなたたちに古代ギリシアの哲学者、エピクロスの言葉を贈るわ。『困難が大きいほど、それを克服したときの栄光も大きくなる。熟練した操縦士は、嵐や暴風に耐えて名声を得る』。あなたたちには期待しているのだから、この程度の罰など軽く乗りこえなさい」

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第五話 ラベンダーと欠陥戦車

 いつもどおりの訓練が終わり、戦車道の授業もあとはお茶会を残すのみになった。
 生徒たちは身だしなみを整えるために演習場をあとにするが、その場から動かない生徒が四人いる。愛里寿を連れまわした罪で罰を受けることになったみほたちと、引率役を任されたアッサムである。

「あなたたち、私についてきて。ガレージでダージリンが待ってますわ」

 重苦しい空気のなか、戦車が格納されているガレージに向かってアッサムが歩きだした。みほたちも黙ってそのあとに続く。
 
 アッサムは普段使っているガレージの前を通りすぎ、少し離れた場所にある第二ガレージに向かっていた。
 第二ガレージ。そこは戦車の部品や砲弾などが置かれている倉庫のような場所だ。主に整備科の生徒が使用するため、みほたちが中に入ったことは一度もなかった。
 
 アッサムに連れられ、みほたちは第二ガレージまでやってきた。入り口の前には大きな段ボール箱が置かれているだけで、ダージリンの姿はない。
 アッサムは段ボール箱に近づくと中に入っている物を三人に手渡した。

「あなたたちの助けになる物を用意しました。けど、決して無茶はしないでね。無理だと思ったらすぐに連絡するのよ」

 アッサムから手渡されたのは、スポーツドリンクが入ったペットボトル数本と塩飴。そして、清潔感が漂う白いタオルであった。

「これからマラソンでもするのでございますか?」
「でも、私たちタンクジャケットのままだよ。マラソンをするなら着替えるんじゃないかな?」
「この格好でマラソンをするのが罰なのかもしれませんわ。この短いスカートで走るのはかなり恥ずかしいですわよ」
「それなら大丈夫ですわ。短いスカートで走るのは制服で慣れてますの」
「お前はお淑やかなお嬢様を目指すんじゃなかったのか?」

 みほたちの会話を聞いていたアッサムは、片手を額に当て弱々しく首を振った。ルクリリがうっかり言葉を崩してもノーリアクションなあたりに、アッサムの呆れて物もいえないという様子がうかがえる。

「ただのマラソンなら私がここまで心配するわけないでしょ。聖グロリアーナの罰はそんなに甘くはありませんわ」
 
 アッサムはそう言い残すと、ガレージの中へと入っていく。
 アッサムの発言に不安をかき立てられたみほであったが、いつまでもここで突っ立っているわけにもいかない。みほは覚悟を決めると、友達二人とともにダージリンが待っているガレージの中へと歩を進めた。



 第二ガレージは、倉庫として使われているとは思えないほど綺麗に片づいていた。整備科の生徒は整理整頓もしっかりと教えこまれているようだ。
 
 みほたちがおそるおそるガレージを進んでいくと、多数の戦車が置かれている広い場所に出た。
 そこに置かれている戦車はどこか古臭く、年季が入っている物が多い。なかには聖グロリアーナでは珍しい米国製の戦車もあった。英国でスチュアートという愛称で呼ばれた、M3軽戦車だ。
 
「あら、遅かったわね。もう少しで紅茶が冷めてしまうところだったわよ」
「あ、みんなも来たんだ」

 そこに三人をこの場に招待したダージリンと、聖グロリアーナのお客様である島田愛里寿の姿があった。愛里寿は表情の変化こそ少ないが、声はどことなくうれしそうだ。
 二人はここでお茶会をしていたようで、即席のテーブルセットにはお菓子と紅茶が置かれている。先にガレージに入っていったアッサムは、テーブルのすぐそばで控えていた。

「主役の三人も到着したことですし、そろそろ始めましょう。あなたたち、あそこにある戦車がなにかわかるかしら?」

 ダージリンの視線の先にあるのは、ほかの戦車と区別するように置かれている一輌の戦車。その戦車はサンドブラウンの塗装を施され、見た目はクルセイダーと似ていた。よく見ればクルセイダーよりも車体が短く、車高も低いことがわかるが、ぱっと見で判別するのは難しい。

「クルセイダーのご兄弟でございますか?」
「たしかにクルセイダーそっくりですわね。ラベンダー、あの戦車はなんという名前なのかしら?」
「うーん、子供のころ図鑑で見たような気はするんだけど……」

 幼いころのみほは、姉と一緒に戦車の図鑑を見るのが好きであった。図鑑で調べた知識をもとにおもしろい作戦を考え、それを姉と実行して母を激怒させてしまったこともある。
 
 目の前にある戦車はその図鑑に載っていたような気がするが、どうしても名前が出てこない。記憶に残っているのは、あの戦車の解説を読んで姉と一緒に笑いころげていたことくらいだ。

「カヴェナンター」
「あ、そうだ! カヴェナンター巡航戦車だ! ありがとう、愛里寿ちゃん。私もだんだん思いだしてきたよ」

 いつのまにかみほの隣に立っていた愛里寿は、すぐにあの戦車の名前を言いあてた。カヴェナンターという名前を聞いたことで、みほの脳裏にもあの図鑑の解説がよみがえってくる。
 
 図鑑に載っていたカヴェナンターの解説は、問題点や失敗談であふれていた。幼いみほには、ありえないミスを連発するカヴェナンターがとても愉快な戦車に見えたのである。西住流が使用していたのは優秀なドイツ戦車だったので、余計にカヴェナンターのダメさ加減が目についたのだ。

「あのカヴェナンターは問題を起こした生徒の懲罰に使うのよ。カヴェナンターに搭乗して演習場の平原を一周してくるのが、聖グロリアーナの伝統的な罰なの」

 楽しかった子供のころの思い出に浸っていたみほは、ダージリンの言葉で一気に現実に引きもどされた。
 問題を起こした生徒であるみほたちは、これからカヴェナンターに搭乗しなければならない。子供のころ笑っていた失敗談を自分が体験しなければならなくなったことで、みほは目の前が真っ暗になった。

「去年このカヴェナンターに搭乗した生徒は、すぐに白旗を上げて戦車道を辞めてしまったわ。あなたたちはそんな無様な真似はしないわよね?」
「ダージリン様のご期待を裏切るような真似は、絶ッ対にしないでございますわ」
「いい返事ね。愛里寿様もご覧になるのだから、必ず最後までやり遂げなさい」
「お任せあれですわ!」

 カヴェナンターのことをなにも知らないローズヒップは、力強くそう宣言した。その答えにダージリンは満足そうな笑みを浮かべている。
 
 ローズヒップはダージリンに微笑んでもらえたのがうれしいのか、頬をほんのり赤く染めていた。一方、これから始まる苦行に頭を悩ませていたみほの表情は冴えない。みほにはダージリンの笑みが、まるで悪魔が自分たちに微笑んでいるように感じられた。



 聖グロリアーナの広大な演習場をカヴェナンターがゆっくりと走行していた。
 巡航戦車とは思えないようなのんびりとしたその走りは、まるで優雅なドライブをしているようである。それとは裏腹に、車内は地獄の様相を呈していた。

「くそ熱い! なんなんだこの戦車は!」

 狭い砲塔の中にルクリリの叫びが響く。ルクリリは全身汗だくであり、顔からは滝のような汗が流れている。

「ルクリリさん、がんばって。あと半分ぐらいだから。ローズヒップさん、スピードはこのままを維持してください」

 ルクリリを励まし、ローズヒップに指示を飛ばすみほも同じような状態だ。すでに下着まで汗でぐっしょりと濡れており、車長席の足元には汗で小さな水溜りができていた。
 
 なぜこんなことになっているのかというと、原因はカヴェナンターの設計ミスのせいであった。
 カヴェナンターのエンジンは液冷式なので、エンジンと冷却装置を配管でつなぎ冷却液を循環しなければならない。エンジンで温められた冷却液は、配管を通って冷却装置に送られ、冷やされてからエンジンに戻るのだ。
 
 カヴェナンターは車高を低くした影響でエンジンが車体後部に、冷却装置が車体前部に配置されていた。そのせいで配管が車内を通ることになり、高温の冷却液によって温められた配管の熱が、車内を灼熱地獄に変えてしまう。
 カヴェナンターに搭乗する乗員は、このサウナ状態の車内で耐えつづけなければならない。これが去年搭乗した生徒が即白旗を上げた理由だ。

「あと半分……。ローズヒップ、もっとスピードを上げろ!」
「その言葉を待っていましたわよ、ラベンダー!」
「ローズヒップさん、待って! 今の指示は私じゃないよ!」

 ローズヒップがみほの指示だと勘違いしたのには理由があった。
 冷却装置が配置されているのは操縦席の隣。つまりローズヒップのいる場所は、この車内で一番高温になっている。そんなところに長時間もいれば、正常な判断ができないのも無理はなかった。

「さあカヴェナンター、あなたの実力を見せるときがきましたわよ!」

 ローズヒップは喜び勇んでギアチェンジを行い、アクセルを踏みしめた。
 巡航戦車であるカヴェナンターは、整地で時速50km近いスピードが出せる。その速度を維持できれば、短時間でゴールすることも不可能ではない。
 
 もっとも、それができればみほは初めからスピードを上げる指示を出していた。みほがそれをしなかったのは、カヴェナンターの足回りの弱さを知っていたからだ。

「あれ? 動けませんわ?」 
「履帯が外れたんだ。一回外に出て直さないと……」
「どこまでへっぽこなんだこの戦車は!」

 カヴェナンターがスピードを出して曲がろうとした瞬間、簡単に履帯が外れてしまった。カヴェナンターは操舵装置の反応が良すぎるので、慎重に操縦しないとすぐ走行不能に陥ってしまうのである。



 みほたちがカヴェナンターの履帯を直し終えたころには、すでに太陽は夕日に変わっていた。
 三人はスポーツドリンクと塩飴で水分と塩分を補給したあと、体力と気力を回復させるための休憩をとっている。表情には疲労の色が濃く、誰も言葉を発することができない。
 
 みほは激しい後悔にさいなまれていた。ローズヒップとルクリリをこんな目にあわせているのは、みほの軽率な行動が原因だからだ。
 二人はみほのことを一言も責めたりはしない。そのかわりに、みほは自分で自分のことを責めつづける。
 
 ──私が二人をひどい目にあわせている。
 ──私がしっかり指揮しないから、履帯が外れた。
 ──みんな私が悪い。
 
 自己嫌悪がどんどんエスカレートしていくなか、みほの瞳からは自然と涙がこぼれてくる。情けないと思いながらも自己防衛本能には逆らうことができず、みほは涙を止めることができない。

 そんなみほを救ってくれたのは、やはりこの二人であった。

「ラベンダー、ちょっと目をつぶっていてくださいまし。汗臭いかもしれないけど、そこは我慢してほしいですわ」
「ラベンダーのことだから、またネガティブなことを考えてたんだろ。手を握っててあげるから、冷静になって心を落ちつけるんだ」

 ローズヒップがタオルでみほの涙を優しくぬぐい、ルクリリがみほの手をぎゅっと握りしめる。
 たったそれだけのことで、さっきまでみほを苦しめていた心の声は消え、あふれ出る涙も止まった。かけがえのない二人の友達がそばにいてくれることが、みほにとっては何よりの救いなのだ。

「二人にみっともないところを見せちゃった」
「それはお互い様ですわ。わたくしたちも、ラベンダーには恥ずかしい姿ばかり見せてきましたわよ」
「ローズヒップはいつも学校中を走りまわっているからな。自覚があるなら走るのをやめたらどうだ?」
「一度走りだすと止まれないんですの。きっとこれは、わたくしのDNAに刻まれた本能なのでございますわ」
「ローズヒップの口からDNAなんて難しい言葉が出てくるとは思わなかった……」
「失礼なっ! これでもお勉強は得意でございますわよ」
「ふふっ、ローズヒップさんは意外と頭がいいもんね」
「ラベンダーまでそんなこと言うなんて、ひどすぎですわー」
「わわっ、冗談だよ冗談」

 先ほどまでのしんみりした空気は一変し、いつもの楽しい空気が戻ってきた。三人の表情には笑顔があふれ、疲れていた体も元気を取りもどしたようだ。
 
 気分を一新させた三人は再びカヴェナンターに搭乗しようとするが、そこでルクリリが待ったをかけた。

「カヴェナンターに乗る前に私から提案がある。少しでも熱さに耐えるには、もうこうするしかないと思うんだ」

 ルクリリは赤いタンクジャケットのボタンを外し、勢いよくそれを脱ぎすてた。 
 タンクジャケットの下に着ていた白シャツは汗で濡れており、白いブラジャーが透けて見える。ルクリリのあられもない姿を目の当たりにしたことで、みほとローズヒップは思わず赤面してしまった。

「これで多少は熱さもましになるだろ。次こそは耐えてみせるぞ」
「は、はしたないですわ! ダージリン様が見ていらっしゃるんですのよ!」

 ダージリンと愛里寿は、演習場を見渡すために作られた司令塔の最上階で三人の様子を見ている。優雅とはかけ離れたルクリリの突飛な行動も、司令塔のビデオカメラにバッチリとらえられているだろう。

「そんなこと言ってる場合じゃないだろ。水も残り少ないし、もうすぐ日も暮れる。この次失敗したら、もうあとがないんだぞ」
「それはわかってるでございますけど……」

 ローズヒップは赤い顔で指をもじもじさせていた。女らしさの欠片もない行動が目立つローズヒップだが、憧れの人であるダージリンに恥ずかしい姿を見られるのは抵抗があるらしい。
 
 みほもローズヒップ同様、タンクジャケットを脱ぐのを恥ずかしいと思う気持ちが強い。それでも、みほはタンクジャケットのボタンを次々と外していった。自分を救ってくれたルクリリの思いを、無駄にすることはできないからだ。
 
「私も脱ぐ。ルクリリさんだけに恥ずかしい思いはさせないよ」
「ラベンダーまで……。もうどうにでもなれですわ!」

 みほがタンクジャケットを脱いだことで、ついにローズヒップも観念した。
 ルクリリと同じ白シャツ姿になった二人は、当然ブラジャーも透けて見える。みほはルクリリと同じ白いブラジャーで、ローズヒップは赤いブラジャーであった。皮肉なことに最後まで渋っていたローズヒップが、三人の中で一番目立つ格好になってしまっている。
 
 そんなローズヒップが勢いよく挙手をした。どうやら彼女にもなにか考えがあるようである。

「わたくしからも提案ですわ。この前ネットで見た元気が出るおまじないを三人で一緒にやりますわよ」

 ローズヒップがみほとルクリリの立つ場所を指定し、三人は三角形になる状態で向かいあう。中央にいるローズヒップが右手でみほの左手を握り、左手でルクリリの右手を握る。みほの右手にはルクリリの左手を握らせ、三人の腕がクロスするような形でつながった。
 
 その状態のまま三人は腕を前後させる。これでおまじないは完成であった。

「最後までがんばりますわよー」
「もうひと踏んばりだからな。諦めずにがんばるぞ」
「私もがんばる。もう二人に迷惑はかけない」

 三人がそれぞれの思いを口にし、決意を新たにする。
 ローズヒップとルクリリの温もりを心地よく思いながら、みほは二人との絆が強くなったことを実感していた。





「あの子たちはなんて格好をしてるのよ……」

 司令塔の最上階でアッサムは頭を抱えている。
 演習場全体を映している大小様々なモニター。その中でも一番大きい中央のメインモニターには、懲罰中の三人が仲良く手をつないでいる姿が映っていた。
  
「アッサム、そんなに悲観しなくてもよくってよ。あの子たちが変な行動をとるのはいつものこと、今さら気にする必要はないわ。それにこんな格言もあるわよ、『欠点の中には、美点に結びついて美点を目立たせ、矯正しないほうがよいという欠点もあるものである』」
「えーと……ちょっと待っててくださいね、ダージリン。すぐ調べますから」

 アッサムはノートパソコンでダージリンの格言について調べはじめた。その結果が出るより先に、ダージリンの隣の席に座っている愛里寿の口から答えが出る。

「フランスの随筆家、ジョセフ・ジュベールの格言」
「さすがは愛里寿様、博識ですわね」

 ダージリンは愛里寿をほめたあと、機嫌のよさそうな声で話の続きを口にした。

「あの子たちはほかの聖グロリアーナの生徒にはないものを持っている。それが聖グロリアーナに新しい風を起こしてくれるのを私は期待しているのよ」



 

 みほたちの搭乗したカヴェナンターは、日が暮れる前になんとかゴール地点にたどり着いた。
 カヴェナンターのエンジンが停止すると同時に、三人は車外へ脱出。すぐさま持っていたペットボトルの中身を飲みほし、新鮮な空気を肺いっぱいに吸いこんだ。
 
 そうして一息つくと、今度は三人ともその場にへたりこむように地面に尻餅をついた。汗まみれの体からは湯気が立ちのぼり、したたる汗で地面が濡れていく。

「ローズヒップ、大股開きをしてると下着が見えるぞ」
「そういうルクリリも足が開いてますわよ。ラベンダーはアヒル座りだから見えないですわね」
「ふえっ!? ローズヒップさん、覗いちゃダメだよー」

 だらしない格好で地べたに座りこむ三人。しばらくそのままでいると、整備科の生徒を引きつれたダージリンたちがやってきた。
 本当ならすぐに立ちあがらなければならないのだが、熱で体力を消耗したみほの体はまったく動いてくれない。ローズヒップとルクリリも足を閉じるのが精一杯のようである。

「よくがんばったわね。誇りなさい、この罰を最後までやりきったのはあなたたちが初めてよ」
「後片づけは整備科の生徒がやってくれるから、あなたたちは大浴場に行きなさい。制服と替えの下着は私が用意しておきますわ」

 ダージリンたちと一緒にやってきた整備科の生徒は、さっそくカヴェナンターの点検を始めている。その姿をぼんやりと眺めていたみほの目の前に、透きとおるような白い小さな手が差しだされた。

「大丈夫?」
「愛里寿ちゃん、ありがとう」

 みほは愛里寿の手を取り立ちあがる。愛里寿は汗まみれのみほの手を握っても、嫌な顔一つしなかった。

「愛里寿さん、わたくしにも手を貸してくださいまし」
「私も頼む……」

 ローズヒップとルクリリも自力では立ちあがれないようだ。
 みほと愛里寿はうなずきあうと、大切な友達に向かって手を差しのべた。 

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第六話 島田愛里寿の体験入学

 聖グロリアーナには主に運動系の部活の生徒が使用する大浴場がある。
 大浴場はジェットバスやミストサウナなどの設備が充実しており、外には露天風呂まで作られていた。大理石でできた露天風呂の円形の浴槽にはバラの花びらが浮かべられ、鮮やかな花色と香りを楽しむことができる。
 汗で汚れた体を綺麗にしたみほたちは、その露天風呂で疲れをいやしていた。

 露天風呂には四人の人影が見える。みほたちと楽しくおしゃべりしている人物はとても小柄で、高校生とは思えない背丈であった。
 それも当然であろう。みほたちと一緒に露天風呂につかっているのは、小学生の愛里寿なのだから。

「愛里寿ちゃん、お湯加減はどうかな?」
「温かくて気持ちいい。お花もいいにおいがする」
「気に入ってもらえてよかった。紅茶も用意してあるから、好きに飲んでいいよ」

 浴槽には花びらのほかにも、ティーポットとティーカップを乗せたお盆が浮かんでいた。
 聖グロリアーナの大浴場には給湯室まで設けられており、入浴中でも紅茶を楽しむことができる。冷蔵庫も設置されているのでアイスティーを作ることも可能だ。   
 
「汗をかいたあとに飲むお紅茶は格別ですわね。体の芯まで温まる気がするでございますわ」
「あれだけ高温の場所に長時間いて、よく熱い紅茶が飲めるな。私はアイスティーにしたぞ」
「アイスティーは邪道ですわ。淑女を目指すのであれば、お紅茶はホットに限りますわ」

 そう力説したローズヒップはいつものように熱い紅茶を一気に飲みほす。はっきりいってかなり暑苦しい。
 ローズヒップの熱気にあてられたルクリリは逃げるようにその場を離れ、対面の浴槽まで移動。両腕を浴槽のふちにかけうつ伏せにもたれかかると、ふーっと一つ息を吐く。
 そんなルクリリの姿を愛里寿はじーっと見つめていた。

「どうした、愛里寿? 私のことをずっと見てるけど?」
「ルクリリは美人だね。おっぱいも大きいし」
「うええっ!? い、いきなりなにを言いだすんだ……」

 愛里寿に容姿をほめられたルクリリは、あからさまにうろたえてしまう。
 ルクリリは入浴のとき、三つ編みをほどいてヘアクリップで上にまとめている。その姿はみょうに色っぽく、もとから優れている容姿がさらにレベルアップするのだ。
  
「私もルクリリさんは美人だと思うよ」
「ルクリリは物静かにしてたら、深窓の令嬢に見えるでございますからね」
「み、みんなして私をからかうなよ。恥ずかしいだろ……」

 ルクリリの顔はゆでだこみたいに真っ赤だ。それに追いうちをかけるように、愛里寿の口から爆弾発言が飛びだした。
 
「ねえ、おっぱい触ってもいい?」
「はあっ!? ダ、ダメに決まってるだろ!」

 ルクリリは慌てて胸を両手で隠した。顔はさらに赤くなり、瞳もわずかにうるんでいる。
 普段とは違うルクリリのしおらしい姿は、みほの好奇心を大いに刺激。それはローズヒップも同じだったようで、顔にはにやにやした笑みが浮かんでいた。

「おもしろそうだから、わたくしも触りますわ」
「私も触りたいかな」

 三人はルクリリのいるほうへゆっくりと間合いを詰めていく。三方向からにじり寄られたことで、ルクリリに逃げ場はなくなった。

「よ、よせっ! それ以上近づいたら本気で怒るぞ!」
「おほほほほ、もう逃げ場はありませんわよ。観念してくださいまし」
「覚悟して」
「ごめんね、ルクリリさん」

 三人はいっせいにルクリリに飛びかかった。
 浴槽の水面は大きく波打ち、バラの花びらがゆらゆらと揺れる。

「やめっ、ひゃぁっ! バカっ、強くもむな! そ、そこはダメっ……、もういやぁっ!」

 ルクリリを中心にもみくちゃになる四人。
 ルクリリに悪いとは思いながらも、みほはじゃれあいを止めることはできなかった。こんなたわいもない悪ふざけも、みほにとっては大切な思い出の一ページなのである。



 大浴場を出たみほたちは併設された休憩室で湯涼みをしていた。
 散々いじくりまわされたルクリリは、革張りのソファーの上で完全にグロッキー状態だ。背もたれに体を投げだしている姿は、激しいラウンドを戦い終えたボクサーのようであった。
 その隣ではルクリリがこうなるきっかけを作った愛里寿が、イチゴジュースをおいしそうに飲んでいる。
 
 露天風呂から上がった直後は烈火のごとく怒っていたルクリリだったが、愛里寿が素直に謝るとあっけなく許してくれた。
 ちなみに簡単に許されたの愛里寿のみ。みほとローズヒップは強烈なデコピン一発で手打ちにしてもらえた。

「みんなに言うことがある」

 イチゴジュースを飲み終わった愛里寿はそうつぶやいた。
 デコピンで赤くなった額をさすっていたみほは、愛里寿のほうへと視線を向ける。愛里寿の表情はいつもどおりで、あまり変化は見られない。どうやらそれほど重大な話ではないようだ。

「私も明日から聖グロリアーナに通うことになった」
「ふええっ!?」
「マジですの!?」
「うわっ! な、なんだ!? なにがあった!?」

 休憩室に三人の驚きの声がこだまする。
 みほの予想とは違い、愛里寿の話は衝撃的なものであった。
 
 
 
 翌日、みほたちはいつものように『紅茶の園』で開かれる朝のお茶会に参加していた。聖グロリアーナの生徒は朝に必ず一回ティータイムをとるのが決まりなのだ。
 『紅茶の園』でお茶会に参加できるのはニックネーム持ちの生徒だけだが、今日は例外が一人いる。聖グロリアーナ女学院の制服に身を包んだ島田愛里寿だ。

「本日から島田愛里寿さんが聖グロリアーナ女学院に体験入学なさいます。愛里寿さんはあの島田流のお嬢様で、来年高校か大学に飛び級する予定なの。今回の体験入学は、進路を探している愛里寿さんの参考になればと、私が企画したものですわ。一週間という短い期間ですが、みなさま仲良くしてあげてくださいね」

 アールグレイの話を聞いたほとんどの生徒は驚きを隠せていない。愛里寿が体験入学することは、ニックネーム持ちの生徒ですら知らない秘密事項だったようだ。
 驚いていないのは事前に知っていたみほたちを除けば、ダージリンとアッサム、そしてクルセイダー隊の隊長くらいであった。

「ラベンダー、ちょっといいかしら?」
「は、はいっ!」

 アールグレイに突然呼びだされたみほは、小走りでアールグレイのもとへ向かった。慌てたせいでこけそうになったが、足を踏んばったおかげでなんとか転ばずにすんだ。

「そんなに慌てなくても大丈夫ですよ。ラベンダーを呼んだのは、あなたに愛里寿さんのサポートをお願いしたいからなの。彼女は本来なら小学生なのだから、なにかと苦労することも多いはずですわ」
「わかりました。愛里寿ちゃん、よろしくね」
「うん。よろしく」

 みほは優しい笑みを浮かべて愛里寿と握手をする。みほと比べるとぎこちないが、愛里寿も笑顔でみほの手を握っていた。

「愛里寿さんのクラスはラベンダーと同じにしてもらいますわ。彼女が住む場所もラベンダーと同じ部屋になる予定です。大変だとは思いますが、もしなにか困ったことがあったら遠慮なく私に相談してくださいね」

 こうして今日から、みほと愛里寿の短い共同生活が始まった。



 愛里寿と一緒に授業を受けることになったみほは、彼女の天才ぶりに度肝を抜かされることになった。愛里寿は高校生の授業についていける学力をすでに身につけていたのだ。
 
 数学、英語、世界史、物理。これら四つの教科で出された質問に対し、愛里寿が出した答えはすべて完璧であった。それに加えて、世界史では教師のミスを指摘し、丁寧に解説をしてみせるといった博識ぶりを披露している。
 
 聖グロリアーナ女学院に入学するには一定の学力が必要なので、みほの学力は決して低くはない。それでも勉強に関しては、みほが愛里寿を手助けする必要はなさそうだ。

「愛里寿ちゃんはすごいね。私には到底真似できないよ」
「別にたいしたことじゃない。今まで勉強してきた成果が出ただけ」

 みほと愛里寿は話しながら学食に向かっていた。愛里寿は昼食の用意をしていなかったので、一緒に学食に行くことにしたからだ。
 学食の入り口にはすでにローズヒップとルクリリが立っており、みほと愛里寿は二人に合流した。 

「ごきげんようですわー! 愛里寿さん、午前の授業は大丈夫でございましたか?」
「うちの学校の授業はけっこう難しいからな。愛里寿なら無難にこなしたとは思うけど……」
「二人とも、聞いて聞いて。愛里寿ちゃんはすごく頭がいいんだよ」

 愛里寿の活躍の話をしながらみほたちは学食に入っていく。
 うれしそうに愛里寿のことを語るみほに対し、当の愛里寿はポーカーフェイス。ただ、頬にわずかな赤みがさしているところを見ると、愛里寿も完全に無表情を装えてはいないようだ。
 
  

 みほたちは外のテラス席で昼食をとることにした。
 それぞれの今日の昼食は、みほが海鮮丼、愛里寿がオムライス、ルクリリが中華丼である。ローズヒップはなにやら珍しい料理を頼んだようで、できあがるのに少し時間がかかっていた。

「ローズヒップはなにを頼んだんだ?」
「きっと英国の料理だと思うよ。聖グロリアーナでしか食べられない料理を愛里寿ちゃんに見てもらいたいって、話してたから」
「英国料理か……私はあまり頼んだことがないな。ここの料理人の腕はたしかだけど、英国料理の味を完全再現するのは正直どうかと思うぞ」

 この食堂で腕を振るっているのは一流の料理人ばかり。それゆえ料理の味に関しては、妥協するという言葉はいっさいない。本場の味を生徒たちに提供することは、一流と呼ばれる料理人の使命なのだ。
 
 もちろん英国料理も本場で食べられているものと、まったく同じ味つけだ。要するに、あんまりおいしくない。料理人のこだわりが詰まっている英国料理だが、学食では断トツの不人気メニューであった。

「お待たせですわー!」

 ローズヒップが持っている皿には布が被せられていた。大きさと形はローズヒップがよく食べているミートパイに似ているが、被せている布の表面は大きく波打っている。どうやらパイ生地になにか突起物が刺さっているらしい。

「ローズヒップさん、これはなに? 形はミートパイに似てるけど……」
「英国料理の中で一番インパクトがあるお料理ですわ。これが食べられる学園艦はきっと聖グロだけですわよ」

 ローズヒップの自信満々な態度が気になったのか、オムライスを食べていた愛里寿も手を止めた。布が被せられた料理を見つめる愛里寿の姿は、興味津々といった様子である。
 全員の注目が集まるなか、ローズヒップは一気に布を取りはらった。

「じゃーん、わたくしが頼んだお料理はスターゲイジーパイですわ」

 布の下から現れた料理はたしかにインパクト抜群だった。パイ生地からは複数の魚の頭や尻尾が突きだし、無数のうつろな目が天を眺めている。正直、見た目は不気味としかいいようがない。
 
 さすがの愛里寿もこれには驚いたようで、隣に座っていたみほに抱きつくと、顔をみほのお腹に埋めて視界を塞いでしまう。

「こわっ! なんだこれは?」
「だからスターゲイジーパイですわ。英国の伝統的なお料理ですわよ」
「ローズヒップさん、早くそれを隠して! 愛里寿ちゃんが怖がってる」
「わ、わかったでございますわ」

 みほの大きな声に驚いたローズヒップは、再び布でスターゲイジーパイを隠した。
 みほがスターゲイジーパイを隠したことを伝えると、ようやく愛里寿はみほのお腹から顔を離す。その顔は気恥ずかしさのせいなのか赤く染まっていた。
 
「申し訳ないですわ。愛里寿さんにはちょっと刺激が強すぎたようですわね」
「私でもこれはきついぞ。今晩の夢に出てきそうだ」
「でも、どうしよう。これじゃローズヒップさんがお昼を食べられないよ」
「心配は無用ですわよ、ラベンダー。愛里寿さん、もう一回目をつぶっていてくださいまし」

 愛里寿が目をつぶったことを確認したローズヒップは、スターゲイジーパイにかぶりつく。そのまま猛スピードで食べつづけたローズヒップは、あっという間にスターゲイジーパイを完食してしまった。もちろん魚の頭も残さずである。

「ごちそうさまでした!」
「はやっ!」
「いつもの食べるスピードより全然速いよ……」
「これがリミッターを外したわたくしの本気ですわ。それでは、わたくしは食後のお紅茶の準備をしてくるでございますわ」

 ローズヒップは給湯室に向かって駆けだしていった。食べ終わったばかりだというのにその足取りは軽快そのものだ。
 
 今日のみほは驚かされてばかりであった。午前中は愛里寿の頭の良さに驚かされ、お昼はローズヒップの本気の食事スピードに驚かされている。
 もしかしたら、午後はルクリリに驚かされることになるのかもしれない。そう思ったみほは、視線をルクリリのほうへと向けた。

「安心しろ。私にはラベンダーを驚かせるようなものはないぞ」
「でも、ルクリリさんは美人だし……」
「もうっ! その話はやめろって言っただろ」 
「あははっ、ごめんね」 
 
 ルクリリの抗議の声をみほは笑ってごまかした。
 そんな二人に向かって、ずっと目をつぶったままの愛里寿が困ったような声で話しかけてくる。

「ねえ、もう目を開けてもいい?」

   
  
 午後から行われる戦車道の授業では、みほたちのクルセイダーに愛里寿が搭乗することになった。クルセイダーMK.Ⅲは三人乗りの戦車だが、体の小さい愛里寿なら砲塔内に三人乗りこむことも可能なのである。
 ポジションは愛里寿が車長兼通信手、みほが装填手、ルクリリが砲手専任になり、ローズヒップは変更なしだ。

 アールグレイのあいさつから始まった訓練は、いつものように隊列運動からスタート。今日は愛里寿の初日ということで、基本メニューを一通りこなす予定になっている。
 最初はマチルダ隊から訓練をすることになったので、例によってクルセイダー隊は待機。待機中のみほたちは、クルセイダーのハッチを開けてマチルダ隊の訓練を見学していた。
 
「今日のマチルダ隊はいつもより動きがいいね。一年生もほとんどミスがないよ」
「愛里寿が見てるから、今日は気合が入ってるんだろうな。シッキムもずいぶん張り切ってたみたいだし」

 インド紅茶の一種、シッキム紅茶のニックネームを持つシッキムはみほたちの同級生。セミロングの栗色の髪を白いヘアバンドでまとめていて、いつも丸見えになっているおでこがチャームポイントの生徒だ。
 
 お淑やかで物腰が柔らかいシッキムは上級生から人気がある。なので問題児の三人とは違い、お茶会では毎回引っぱりだこ。それでもおごることなく、問題児と呼ばれている三人にも分け隔てなく接する心優しい少女であった。

「動きがよくても、足が遅いのは変わらないでございますけどね。この分だとクルセイダーの出番はまだまだ先になりそうですわ。愛里寿さんも退屈そうにしてますわよ」

 ハッチから出てクルセイダーの砲塔に腰かけている愛里寿は、先ほどから一言もしゃべらずにある一点を見つめている。その視線の先にあるのはマチルダ隊ではなくみほの姿。

「ラベンダーに聞きたいことがある」
「なにかな? 愛里寿ちゃんがわからないことを私が答えられるとは思えないけど……」
「この質問はラベンダーにしか答えられない。教えて、ラベンダーはどうして聖グロリアーナを選んだの?」

 愛里寿は真剣な表情でみほに問いかける。愛里寿の質問に戸惑ったみほは、すぐに答えを出すことができなかった。この質問に答えるには、みほの過去を話さなければならないからだ。
 迷っているみほに向かって、愛里寿はさらにたたみかける。

「なんで黒森峰を選ばなかったの? アールグレイさんは勝つことを優先してはいけないと言ってたけど、もしかして西住流が嫌になったの?」

 愛里寿の口から西住流という言葉が出てきたことで、みほはすべてを察した。愛里寿はみほの正体を知っているのだ。
 
 みほは自分の本名を名乗っていないが、島田流の娘である愛里寿ならみほのことを知っていてもおかしくはない。そう考えれば、初めて会ったときに愛里寿がみほのことを警戒していたのも納得がいった。
  
「愛里寿さん、その質問は勘弁してあげてほしいですわ。ラベンダーは、そのことにはあまり触れてほしくないのでございます」
「私が聖グロを選んだ理由ならいくらでも答えるぞ。愛里寿は進路を探してるんだから、そういう話を聞きたい気持ちもわかるからな」

 ローズヒップとルクリリは、みほが気まずい思いをしないように助け舟を出してくれる。その気持ちをうれしく思いながらも、みほは過去を話す決断を下す。
 
「二人とも、もういいの。私、話すよ。愛里寿ちゃんには、私と同じような失敗をしてほしくないから」

 自分と生い立ちが似ている愛里寿には、進路のことで失敗してほしくない。みほは自分の失敗談を愛里寿の進路先選びに活かしてもらうことにした。
 友達に助けてもらってばかりのみほは、今度は自分が友達の力になりたかったのである。
 
 みほはゆっくりと自分の過去を語りだす。
 思い起こされるのは、家族の関係が壊れてしまったあの日の情景であった。

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第七話 ラベンダーの過去

 西住みほは西住流が嫌いではなかった。
 西住流の修行はとても厳しく、くじけそうになったことは何度もある。それでもみほが西住流を嫌いにならないでいられたのは、母と姉のおかげだ。
 
 母のしほはとても厳格な人で、実の娘であろうと手加減はいっさいしなかった。みほが少しでも甘いことを言えばすぐさま鉄拳が飛び、いくら泣きわめいても修行には手を抜かない。
 
 そんなしほも、みほが西住流の教えどおりに戦車を操ればほめてくれたし、試合に勝利すれば一緒に喜んでくれた。しほが優しくしてくれるこの瞬間が、幼いみほにとっては至上の喜びだったのである。
 西住流を極めれば母はもっとほめてくれる。幼いみほはそれを支えに、西住流の過酷な修行を乗りきってきたのだ。

 みほにとってもう一つの心の支えが姉のまほの存在だ。
 
 西住流の修行は朝早くから始まり、夜遅くまで行われる。みほは小学校が終わるとすぐに帰宅し、修行を開始しなければならなかった。
 戦車漬けの毎日を送っているみほには当然友達などできるわけがない。そんなみほが孤独を感じずにいられたのは、まほがいつもそばにいてくれたからだ。
 
 家でも小学校でも、みほはまほといつも一緒だった。まほはみほが悲しんでいるときは言葉で励まし、泣いているときは手を握って安心させてくれる。そんな優しいまほのことがみほは大好きであった。
 
 西住流はみほと家族を結びつけてくれる絆のようなものだ。その思いは今でもみほの心に残っている。だからこそ、その絆を自分で断ちきってしまったことをみほは深く後悔していた。



 黒森峰女学園中等部入学。これがみほの転機となった。
 黒森峰女学園に入学するということは、親元を離れて学園艦で生活するということである。学園艦の女子寮に引っ越したことで、みほは母の優しさという心の支えを失ってしまう。
 
 大事な心の支えを一つ失ってしまったが、みほにはまだ心の支えがあった。黒森峰には去年入学したまほが在籍しているのだ。みほは、まほと再び一緒の学校に通えることをとても楽しみにしていた。
 
 そんなみほの思いはもろくも打ちくだかれることになる。中学生になったまほは、別人のようにみほに厳しく接するようになったからだ。
 
「みほ、ここではお姉ちゃんと呼ぶのはやめろ。これからは隊長と呼べ」

「お前はもう少し言いたいことをはっきりと言ったほうがいい。いつまでもおとなしいままだと、部隊の指揮に支障が出る」

「みほも副隊長になったのだから、もっとしっかりしろ。隊員たちの模範になるのは上に立つものの義務だぞ」

 毎日のように投げかけられるまほの苦言は、みほの心を苦しめていく。それに輪をかけたのが、まほに心酔している逸見エリカという同級生の存在だ。
 まほから副隊長であるみほの補佐役に任命されたエリカは、行動力がある強気な性格。おとなしくて引っこみ思案なみほは、エリカと絶望的にそりがあわなかったのである。

「みほも西住の名を継いでるんだから、少しは自覚を持ちなさいよ。あなたが失敗して迷惑するのは隊長なんだからね」

「影でみほのことをへっぽこ呼ばわりしている隊員がいたわ。今から問いつめに行くからあなたも一緒に……えっ、別に気にしてない。そんな態度だからなめられるのよ!」

「副隊長、どうして手を抜いたの! 相手が立ちむかってくるなら完膚なきまでに叩きつぶすべきよ!」

 エリカの攻撃的な口調を前にするとみほは身がすくんでしまい、なにも言えなくなってしまう。エリカの激しい気性にみほはいつも怯えてばかりであった。
 
 ほかの生徒はみほが西住の人間であるというだけで、誰も近づいてこない。黒森峰女学園は西住流の影響力が強い学校なので、みほにどう接していいかわからない生徒が大半だったからだ。
 それに加えて、隊長であるまほと苛烈な性格のエリカがつねにみほにべったりなのも影響していた。自分から進んで厄介ごとに首を突っこむ生徒は黒森峰にはいなかったのである。   
 
 みほがボコに夢中になったのはちょうどこの時期だ。
 
 ボコはどんな相手にも立ちむかえる勇気を持っており、負けても決してへこたれない。自分にはできないことをやってのけるボコの姿は、みほの目にはまぶしく映ったのだ。
 みほはすぐにボコのぬいぐるみやグッズを買い集めるようになり、寮の自室がボコグッズでいっぱいになるのに時間はかからなかった。
 
 ボコだけを心のよりどころにしてみほは中学生活を耐えていたが、人の温もりが恋しくなるのだけはいくらボコでも防ぎようがない。
 友達がほしいという思いは、みほの心の奥底で幼いころからずっとくすぶっている。今まではまほがそばにいてくれたのでその欲求を我慢できたが、優しかった姉は変わってしまった。
 
 すでにみほの不満は限界に達しており、黒森峰だけでなく戦車に搭乗することすら嫌気がさしている。みほの心が爆発する日は刻一刻と迫っていた。

 

 その日がきたのは中学三年生の夏。
 最上級生になったみほは隊長に就任し、夏の戦車道全国大会に出場。他校に圧倒的な力の差を見せつけ、見事に優勝を勝ちとる。まほが在籍している黒森峰女学園高等部も九連覇を達成し、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いであった。
 
 みほは今まで学んだ西住流を駆使して、最高の勝利を手につかんだ。この優勝は文句のつけようがないほど見事なものであり、西住流の力強さを世に知らしめる形になった。
 みほが勝つことだけでなく、内容にまでこだわったのには理由がある。みほはこの優勝を手土産にして、母にお願いしたいことがあったのだ。
 
 みほの願い。それは進路のことだ。みほがなにも行動を起こさなければ、このまま自動的に黒森峰女学園高等部に入学することになってしまう。
 みほはなんとしてもそれを阻止するつもりだった。
 
 ――お姉ちゃんと逸見さんがいる黒森峰には行きたくない。
 ――あの孤独な日々を繰りかえすのだけは絶対に嫌だ。
 ――高校生になったら友達がほしい。
 
 友達を渇望する心の声はもう歯止めがきかなくなっていた。
 


 優勝報告のために実家に戻ったみほは、さっそくしほに進路のことについて切りだした。畳が敷きつめられた大広間には、みほとしほだけでなくまほも同席している。
 
 みほの第一志望校は、茨城県の大洗港を母港にしている大洗女子学園。この高校を選んだ理由は、戦車道が廃止になっていることと、大洗町にボコミュージアムというテーマパークがあるからであった。

「戦車道から逃げるような真似は許しません。あなたは西住の名を背負っているのよ」
「お母さん、私がんばって優勝したよ。お母さんから教わった西住流を最後までやりきったよ」
「西住流は勝利を得るために前進する流派、勝つのは当たり前です。あなたの西住流がすばらしかったのは認めますが、それで満足するようではまだ未熟。あなたには黒森峰で学ぶことが残っているはずです」

 しほが簡単に許してくれないのはみほも予想していた。しほの後ろで目をつぶって黙っているまほが助けてくれないのも想定内である。
 第一志望はあくまで希望。ここから徐々に譲歩していくことで、最終的に黒森峰以外の高校に入学することを認めてもらう。これがみほの考えた作戦だ。
 
「ごめんなさい、お母さん。戦車道から逃げるのはやっぱりダメだよね。でも、できれば他の学校で戦車道をしたいの。例えばサンダースとか……」

 サンダース大学付属高校は長崎県の佐世保港を母港にしている。母港がみほの地元の熊本から比較的近いため、名前だけはよく耳にする学校だった。みほがこの高校を引きあいに出したのは、ただ単に名前を知っていたからなのだが、このことが思わぬ事態を引きおこしてしまう。

「みほ、あなたが黒森峰を嫌がるのは男子と遊べないからですか?」
「ふえっ!? ち、違うよ。私はそんなつもりじゃ……」
「ではなぜ共学の学校を選ぼうとしているのです。戦車道がない学校と共学で自由な校風の学校。あなたの選択には、高校で羽目を外して遊びたいという思惑が透けてみえます」

 この展開はみほにとってまったくの想定外であった。みほは男の子の彼氏が欲しいのではなく、女の子の友達が欲しいだけなのだ。
 しほの誤解を解きたいみほであったが、混乱している頭ではうまい言い訳はまったく浮かんでこなかった。

「中学に入ってからのあなたはどこか様子がおかしかった。その理由に母は心当たりがあります。あなたがだらしないことを考えるようになったのは、あの熊のキャラクターが原因ではないですか?」
「もしかしてボコのこと?」

 みほは寮の自室に入らなくなったボコグッズを実家に郵送していた。長期の休みで実家に帰った際には、自分の部屋にボコグッズを飾りつけて楽しんでいたのである。

「母はあなたが集めている熊について調べました。勝つことができないくせに、威勢だけは一人前の情けないキャラクターです。あんなものにうつつを抜かしているから、よこしまなことを考えるようになるのです」

 情けないキャラクター。しほのその言葉を聞いた瞬間、みほの感情は混乱から怒りへと切りかわった。
 ボコは壊れそうなみほの心を守ってくれた大切な存在。そのボコをけなしたしほをみほは許せなかったのだ。

「ボコは情けなくなんかない! ボコは勝てないけど、強い心を持ってるもん! お母さんはボコのことをまるでわかってないよ!」

 突然激高したみほに対し、しほは眉間にしわを寄せ鋭い眼差しを向けている。しほの表情は、普段のみほであればすぐに萎縮してしまうほど険しいものであった。

「みほ、もうそのへんにしておけ。お母様に失礼だぞ」

 今まで黙っていたまほが口を開いたことで、みほの怒りの矛先はそちらに移った。まほへの溜まりに溜まった不満が爆発し、口からはまほを非難する言葉が次々と飛びだしていく。

「お姉ちゃんはいつもそう! 私が困っているときは助けてくれないくせに、こういうときだけ口を挟むんだ。私が逸見さんに怒られてるときも、逸見さんの味方ばっかりしてた。私の気持ちをなにもわかってくれないお姉ちゃんなんて、大嫌いっ!」

 そこまで言いきったところでみほの頬に衝撃が走った。しほが平手でみほの頬を打ちすえたのである。
 強烈な平手をもらったみほは畳の上に勢いよく倒れこんだ。みほの頬は赤くはれあがり、あまりの痛みに目には涙が浮かぶ。   
 
「あなたには失望しました。進路については母に考えがあります。しばらく自室で頭を冷やしなさい」

 みほにそう告げると、しほは大広間を出ていった。
 みほは痛む頬をさすりながらゆっくりと起きあがる。大広間にはまだまほが残っており、みほのことをじっと見ていた。
 
 まほの視線を感じたみほは、気まずそうな顔をまほのほうへと向ける。そこでみほは信じられない光景を目撃することになった。めったに表情を変えないまほが、泣きそうな顔でみほのことを見ていたのだ。
 
「お姉ちゃん、ごめん……」

 みほが声をかけると、まほは逃げるように大広間から走りさった。
 一人大広間に残されたみほは怒りに任せて暴言を吐いたことを後悔したが、すべてはあとの祭り。真っ赤になった頬の痛みよりも今は心のほうが何倍も痛かった。
  


 失意のうちに自室に戻ったみほは、一時間経ったあと再び大広間に呼びだされた。
 大広間にいたのはしほだけでまほの姿はない。

「みほ、先ほどの件であなたの心が成長していないことが、母にはよくわかりました。今のあなたに西住流を名乗る資格はありません。本来なら破門を言いわたすところです」

 破門という言葉にみほは体を震わせた。西住流を失うことは、家族とのつながりを失うことと同じだからである。

「ですが、あなたはまだ中学生。未熟な心を鍛えなおす時間は十分にあります。この学校で戦車道の本質を見つめなおし、あなたが立派に成長することができれば、母は今回の醜態を許します」

 聖グロリアーナ女学院。机の上に置かれた学校案内のパンフレットには、大きな文字でそう書かれていた。

「聖グロリアーナ女学院はしつけが厳しいことで有名な学校です。この学校の戦車道は人格育成を重視しているので、あなたの心を鍛えるには最適だと判断しました」

 みほは机の上のパンフレットをぼんやりと眺めている。
 ようやく黒森峰以外の高校を選ぶことができたのに、みほは素直に喜ぶことができなかった。最後に見たまほの泣きそうな顔が脳裏に焼きついて離れないからだ。

「黒森峰の学園艦に戻ったら、戦車道のことはいったん忘れて勉強に専念しなさい。今のあなたの学力では、聖グロリアーナ女学院に合格するのは難しいはずです。学校のほうには私から説明をしておきます。あなたは副隊長にこのことを話しておきなさい」

 みほは黒森峰の生徒の模範になるため、勉強もしっかりやってきた。なので、勉学にいそしむことはそれほど苦ではない。問題があるとすれば、副隊長である逸見エリカにこのことを告げなくてはならないことだ。
 
 黒森峰から逃げだすことをあのエリカが快く思うわけがない。彼女の性格を考えれば、激怒して詰めよってくることは容易に想像できた。

「最後に言っておくことがあります。聖グロリアーナ女学院を卒業するまでは、この家の敷居をまたがせません。みほが西住流の名に恥じない心の強さを身につけて帰ってくることを、母は信じていますよ」

 
 

 夕焼けに包まれた教室の中でみほは一人の生徒と対峙していた。
 強気につり上がった目と意思が強そうな青い瞳。夕日を浴びてきらめいている銀髪。美少女といっても差しつかえない容姿を持ったこの生徒が、副隊長の逸見エリカである。
 すでに下校時間はとっくに過ぎており、教室にいるのはみほとエリカだけであった。

「みほ、すぐに西住師範のところに戻って謝罪するわよ。私も一緒に頭を下げるわ。才能を持ってるあなたが聖グロなんかに行く必要はない」
「ごめんね、逸見さん。聖グロリアーナを選んだのはお母さんだけど、黒森峰に行きたくなかったのは私の意志なの」
「なんでよ……、なにが気に食わないのよ。あなたが全国大会で見せた西住流は完璧だった。その力があれば高等部でもすぐレギュラーになれる。きっと隊長だって、みほが来るのを待ってるはずよ」

 エリカが隊長と呼ぶ人物はまほしかいない。中等部でみほが隊長に就任しても、エリカはみほのことを隊長とは一度も呼ばなかった。

「お姉ちゃんは私のことを嫌ってるはずだよ。私、お姉ちゃんにひどいことを言ったから」
「……隊長になにを言ったの?」
「大嫌い、そう言っ……」

 みほは最後まで言葉を言いきることができなかった。いきなりエリカに胸ぐらをつかみ上げられ、首を圧迫されたからである。

「なんてことを言ったのよっ! 隊長があんたのことをどれだけ大事にしてたと思ってるの。それを知りもしないで、あんたはっ!」

 エリカの怒声が教室中に鳴りひびく。エリカは短気で怒りやすい性格だったが、これほどの怒りを見せたのは初めてだった。
 
 首を絞められる形になったみほはエリカの手を外そうとするが、いくら力をこめてもびくともしない。ボクササイズが趣味と以前語っていたエリカは、中等部で誰よりも体を鍛えている生徒だ。本気の力を出されてはみほが手も足も出ないのは当然であった。
 
 みほの意識はだんだんと薄れていき、目からは涙が止めどなくあふれてくる。それを見たエリカは顔を苦々しげに歪め、みほをつかんでいた手を放した。

「隊長は私が支える。あなたは聖グロにでも行けばいいわ。軟弱者のあなたにはお似合いの学校よ」 

 エリカはみほに刺々しい言葉を投げかけて、教室から立ちさった。
 涙で顔をくしゃくしゃにしたみほの口からは嗚咽が漏れる。みほは震える体を両手で抱きながら、誰もいない教室で一人泣きつづけた。

   
 
 それからのみほは一心不乱に勉強に取りくんだ。勉強に集中している間は、つらいことをすべて忘れられたからだ。
 必死に勉強したおかげで、みほは聖グロリアーナ女学院の入学試験に見事合格。望みであった黒森峰以外の高校に入学することができた。
 
 その聖グロリアーナ女学院で行われた戦車道の初日の授業で、みほはあの二人と出会ったのだ。

「もし、そこのおかた。わたくしたちと一緒にチームを組みませんかでございますわ」
「ふえっ!?」
「その取ってつけたようなお嬢様言葉はやっぱりおかしいだろ。すごく驚かれてるぞ」
「わたくしは誰からも認められるお嬢様になりたいのですわ。お嬢様言葉を使うのは、その第一歩なのでございます。そういうあなたこそ、殿方のような言葉づかいをするのは変ですの」
「変で悪かったな。言葉づかいはこれから直していく予定なんだ」
「わわっ。いきなり喧嘩しないでください」

 みほは黒森峰を離れたことで多くのものを失ってしまった。しかしそのかわり、聖グロリアーナに入学したことでどうしても欲しかったものを手に入れたのである。 

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第八話 島田愛里寿の歓迎会

「私の話はこれでおしまい。愛里寿ちゃんは後悔しない進路を選んでね」

 自分の過去をすべて話し終えたみほは、雲ひとつない青空を見上げた。
 青いキャンバスには自分が傷つけた人たちの顔が次々と浮かんでくる。真剣なまなざしで信じていると言ってくれたしほ、悲しみに染まった顔で逃げだしたまほ。そして、怒りと憎しみで表情を歪めた逸見エリカ。 

 自然とみほの目からは涙がこぼれてきた。
 聖グロリアーナで友達に囲まれているみほは、夢にまで見た幸せな時間を過ごしている。それが多くの人の思いを踏みにじって得られたものであることが、どうしようもなく悲しかったのだ。

「ラベンダー! わたくしたちはずっとお友達ですわ。もう寂しい思いはさせませんわ!」

 ローズヒップは、クルセイダーの砲塔に腰かけていたみほにいきなり抱きついてきた。
 よく見ると、ローズヒップの顔は大粒の涙でぐちゃぐちゃだ。一緒に泣いてくれる友達がいることがうれしくて、みほの目からは再び涙があふれてくる。

「ありがとう、ローズヒップさん。本当にありがとう……」

 みほはローズヒップの背中に手を回し、優しく抱きしめ返した。
 先ほどまで曇っていたみほの心は、上空の青空のように澄みわたっていく。ボコでは味わえなかった人の温もりは、みほの想像以上に素晴らしいものだった。

 泣きながら抱きあうみほとローズヒップの姿は、まるで恋愛ドラマのワンシーンのようだ。
 そんな二人に向かって二枚のハンカチが差しだされる。目を涙でにじませているルクリリと、申し訳なさそうな顔をした愛里寿のハンカチであった。
 
「涙のあとを残して訓練に参加したら、アッサム様からお説教されるぞ。淑女は人前で簡単に涙を見せてはいけないって前に教えられたからな」
「つらいことを聞いてごめんなさい。ラベンダーの話を無駄にしないように、進路はお母様とよく相談して決める」

 みほは愛里寿から受けとったハンカチで涙をぬぐった。ボコがプリントされたかわいらしいハンカチがみほの涙で濡れていく。みほの隣では、ローズヒップがルクリリからハンカチを手渡されていた。

「泣き虫な先輩でごめんね、愛里寿ちゃん」
「泣きたいときは誰にでもある。泣いてすっきりするなら、そのほうがいい」
「愛里寿ちゃんはしっかりしてるね。私とは大違いだよ」

 みほはまだまだ心が弱く、大人になりきれていない。それに比べて、愛里寿は受け答えもしっかりしておりみほよりも大人の雰囲気を漂わせている。
 みほがそんな愛里寿の姿に感心していると、隣から鼻をかむ大きな音が聞こえてきた。

「バ、バカっ! 鼻をかんでいいとは言ってないぞ!」
「ごめんですわ。つい癖で……」
「うわっ、べとべとだ。思いっきり出しすぎだろ……」
「いっぱい出たからお鼻もすっきりですわ」
「満足気に言うなっ!」

 ローズヒップとルクリリが騒ぎはじめたことで、さっきまでのもの寂しい空気はすっかり霧散してしまった。つくづくシリアスな雰囲気が長続きしない二人である。
 
 みほはいつものように仲裁に入ろうとするが、一輌のマチルダⅡがこちらに向かってきたのを見て動きを止めた。
 周囲を見渡すと待機していたほかのクルセイダーの姿が消えており、車内の無線からは応答を求める声が聞こえてくる。みほたちが話に夢中になっている間に、すでにマチルダ隊の訓練は終了していたようだ。

 マチルダⅡはクルセイダーの前で停止し、キューポラからシッキムが姿を見せた。シッキムの表情からはみほたちを心配している様子がうかがえる。
 
「みなさん目が真っ赤ですけど、なにか問題でもありましたの? 無線で呼びかけても反応がなかったので、アールグレイ様が心配なさっていましたわよ」 
「なにも問題はない。訓練への参加が遅れたのは私の責任。アールグレイ隊長にはあとで謝罪するので、そう報告してほしい」
「わ、わかりましたわ。すぐにアールグレイ様に連絡します」

 愛里寿からの矢継ぎ早な回答に圧倒されたシッキムは、無線でアールグレイと連絡を取っている。愛里寿はその隙にみほたちに向かって目配せをした。愛里寿の視線の先にあるのはクルセイダーのハッチだ。
 
 愛里寿の意図を察したみほはクルセイダーに搭乗し、ローズヒップとルクリリもあとに続く。全員が持ち場につくと、ローズヒップがクルセイダーのエンジンを始動させ発進準備は即座に完了。あとは車長である愛里寿の到着を待つのみとなった。
 
「準備が整ったので今から訓練に参加する。クルセイダー隊は今どこへ?」
「アールグレイ様、少々お待ちください。クルセイダー隊なら砂地エリアに向かってますわ」
「わかった。感謝する」

 アールグレイと無線でやり取りしているシッキムに感謝の意を伝えると、愛里寿はクルセイダーに乗りこんだ。
 
「余計なことを悟られないうちにこの場を離脱する。目的地は砂地エリア」
「がってん承知の助でございますわ!」

 ローズヒップの巧みな操縦で、クルセイダーはあっという間にマチルダⅡから離れていった。
 愛里寿は演習場の地図を見ながら、ローズヒップに最短ルートの指示を出す。そんな愛里寿を横目で見ながら、みほはあることを考えていた。
 
 みほの脳裏に浮かんだのは、愛里寿のように振舞うことができれば母との約束を果たすことができるのではないかということだ。希望的観測にすぎないかもしれないが、天才である愛里寿を目標にするのは悪い考えではないように思えた。
 
 この日から、愛里寿はみほの目指すべき目標になったのである。



 時刻は夕方。
 一日の授業を終えたみほたちは帰宅の途についていた。もちろんみほの部屋で暮らすことになった愛里寿も一緒だ。
 四人は楽しく話をしながら歩いており、今話題になっているのは今日のお茶会のことであった。

「今日のお茶会のダージリン様はご機嫌だったな。訓練に遅れたこともそんなに怒られなかったし、これも全部愛里寿のおかげだ」
「愛里寿ちゃん、ダージリン様の話に一人だけついていけてたもんね。誰の格言なのかすらすら答えちゃうのは本当にびっくりしたよ」
「あんなに楽しそうにお話するダージリン様は初めて見ましたわ。今のわたくしでは愛里寿さんには歯が立たないですわね……」

 ダージリンの格言を織りまぜた小難しい言いまわしも、愛里寿にはまったく問題にならなかった。
 愛里寿はダージリンが引用した格言やことわざをすぐさま理解し、うまい言い返しで会話を盛りあげたのだ。自分の話についてこれる人がいるのがうれしかったのか、ダージリンの引用した言葉はいつもの倍近かった。
 
「本を読むのが好きだったから答えることができたの。私が小さいころ、お母様がよく偉人伝を買ってきてくれたから」
「偉人伝とか表紙すら見たことないな。私が小学生のころはほぼ漫画しか読んでなかったぞ」
「私はお姉ちゃんと一緒に戦車の図鑑ばっかり見てたよ」
「わたくしも似たようなものですわ。後悔先に立たずとは、まさにこのことでございますわね」
 
 何気なくことわざを使っているローズヒップだが、みほはローズヒップがその手の本をよく読んでいるのを知っている。ローズヒップの努力の成果が少しづつ出ていることを、みほは微笑ましく思った。
 
 みほたちは女子寮に向かって歩いているが、普段とは違いコンビニには立ちよらない。今日はほかに行かなければならない場所があるからである。
 四人がコンビニの代わりに足を止めた場所。それは女子寮の近くにあるスーパーマーケットだった。

「愛里寿ちゃん、なにか食べたいものはあるかな? 簡単な料理なら作れるからなんでも言ってね」
「本当にいいの?」
「今日は愛里寿の歓迎会だからな。主役が遠慮する必要はないぞ」
「お味のほうも心配しなくて大丈夫ですわよ。わたくしたちはお料理が得意なんですの」

 愛里寿はしばらく考えたあと、ある料理の名前を口にした。
 それを聞いたみほは一瞬顔が曇りそうになったが、すんでのところで持ちこたえる。愛里寿が食べたいといった料理は、逸見エリカが好きだった料理と同じだったのだ。

「じゃあ、ハンバーグがいいな。ハンバーグに目玉焼きが乗せてあるのが好きなの」



 食材を買いこんだみほたちは女子寮へと帰ってきた。
 愛里寿は管理人から女子寮の説明を受けるため応接室に向かい、ローズヒップとルクリリもいったん自分の部屋に向かう。今日の歓迎会はパジャマパーティーも含まれているので、準備をする必要があるからだ。
 
 女子寮では管理人の許可さえあれば、他の寮生の部屋に泊まることが可能であった。
 聖グロリアーナは会話術の授業があるほど、会話スキルを磨くのを重要視している。淑女を目指すのであれば、相手を不快にさせない上品な会話ができることは必要不可欠だ。

 それにジョークなどを加えてユーモアな会話ができれば完璧なのだが、授業だけでそれを身につけるのは難しい。
 そのユーモアセンスを磨くべく、聖グロリアーナでは生徒同士の交流は積極的に行うよう勧められていた。寮生同士のお泊り会が許されるのもその一環である。

「みんなが来る前に少し片づけておかないと」

 自室に戻ったみほは片づけを開始した。短期間とはいえ、これからは愛里寿もこの部屋で暮らすのだから、だらしない姿は見せられない。

「あっ……」

 みほがボコのぬいぐるみがたくさん置かれている棚を整理しようとしたとき、棚に飾られている写真立てが目に入ってきた。写真立ては二つあり、それぞれ別の写真が収められている。
 
 一つはみほとローズヒップとルクリリの三人が笑顔で写っている写真。そしてもう一つは、小さいころに家族で一緒に撮った写真であった。
 写真の中の家族は本当に幸せそうで、みほも笑顔でまほと手をつないでいた。

「お姉ちゃん……」

 まほのことを思うとみほは胸が苦しくなる。まほに大嫌いと言ってしまったことは、みほにとって悔やんでも悔やみきれない失言だった。
 今になって思えば、中学時代のまほが厳しかったのは全部みほのためだったことがわかる。まほの言うとおりにしていたおかげで、みほは母に怒られることはなかったし、戦車道でも優秀な成績を収めることができた。
 
 それに、西住流のライバルである島田流には天才の愛里寿がいるのだ。
 流派が違う愛里寿とは、いずれ対決しなければならないときがくるかもしれない。そう考えれば、まほがみほに厳しく接したのも納得できる。今のみほでは愛里寿には逆立ちしても勝てないからだ。

「逸見さんの言うとおりだった。お姉ちゃんは私のためを思って忠告してくれてたのに、なにも知らない私はそれを疎ましく思って拒絶した。中学時代の私は、どうしようもない愚か者だったね」

 まほと昔のように仲良くすることはもうできないかもしれない。
 それでもみほは、まほともう一度会って話がしたかった。仲違いしてしまったとしても、まほはみほの大切な家族だからである。



 みほの部屋に全員が集まったところで、さっそく歓迎会の準備が始まった。
 みほたちが料理を作っている間に愛里寿は食器を並べている。主役である愛里寿はなにもしなくてよかったのだが、どうしても手伝いたいというので料理以外の仕事を頼んだのだ。
 
 愛里寿が手伝ってくれたおかげで歓迎会の準備は滞りなく終わった。
 テーブルの上には、愛里寿のリクエストである目玉焼きハンバーグが四つ。ご飯やサラダ、飲み物の準備もばっちりであった。

「愛里寿さんの聖グロご入学を祝って乾杯するでございますわ」
「おいおい、愛里寿はまだ入学してないぞ。あくまで体験入学だからな」
「細かいことは気にしなくていいんですの。さあ、愛里寿さん。一言あいさつをお願いしますわ」
「あいさつ……、なにを言えばいいの?」
「そんなに難しく考えなくても大丈夫。お友達同士なんだもん、簡単なあいさつでいいよ」
 
 愛里寿はグラスを持って立ちあがったが、なかなか言葉が出てこない。どうやらかなり緊張しているらしい。

「えっと、今日は私のために歓迎会を開いてくれてありがとう。短い間だけど、これからよろしくお願いします」

 愛里寿は赤い顔で頭を一つ下げると、すぐに座ってしまった。 

「それでは、かんぱーいですわ!」

 愛里寿が座りこんでしまったので、乾杯の音頭はローズヒップがとった。ローズヒップの行動力はこういうとき頼りになるのだ。
 
 乾杯も終わり、四人は食事に移った。
 愛里寿はハンバーグをおいしそうに食べている。ハンバーグは焼きかたや味つけによって好みが分かれる料理であるが、みほたちの作ったハンバーグは愛里寿の口に合ったようだ。

「こんなにおいしいハンバーグが作れるなんて、みんなすごいね。私にも作れるかな?」
「愛里寿ちゃんならすぐ作れるようになるよ。私も聖グロリアーナに入学するまでは料理を作ったことがなかったんだ」
「聖グロは調理実習が必修科目だからな。私も最初は苦労したよ」
「作りかたはわたくしたちが教えますので、今度一緒に作ってみてはいかがでございますか?」
「うん。みんなと一緒にハンバーグが作れたら、きっとすごく楽しいと思う」

 愛里寿とハンバーグを作る約束をしたみほたちは、そのあとも楽しく会話をしながら食事を楽しんだ。まほのことで悩んでいたみほであったが、それをいったん忘れることができた心安らぐひとときであった。

 
 
 食事のあとはパジャマパーティーの時間である。
 食事の片づけと入浴を交互にすませ、みほたちは全員すでに寝間着姿になっていた。

 みほと愛里寿の寝間着はボコの着ぐるみ型パジャマ。ボコの頭部を模したフードを被ることで、ボコと同じ姿になれるマニアにはたまらない逸品だ。
 ローズヒップの寝間着はピンク色のネグリジェ。下半身部分はショートパンツ型であり、動きやすさを重視したデザインであった。
 ルクリリの寝間着は浴衣。薄い紫色をした上品な柄の浴衣は、髪をおろしたルクリリによく似合っていた。

「今日はみんなでこのDVDを見ようね。私のボコグッズの中でもとっておきのレア物なんだよ」

 みほは上機嫌でボコのDVDの再生準備をしている。大好きなボコのアニメを友達と見ることができるのが、みほはうれしくてしょうがないのだ。
 それは愛里寿も同じようで、表情は満面の笑み。冷静沈着な天才児の姿はすっかり鳴りを潜め、今は年相応な小学生の姿に戻っていた。

 DVDの準備が整いみほは部屋の明かりを消した。
 オープニングが終わり本編が始まると、最初に登場したのはボコではなく青い目をした銀色のワニ。どうやらこのワニが今回のボコの対戦相手のようだ。

『ついにやってきたワニ!』




 ボコのDVDを見終わったみほたちは就寝の準備をしていた。
 みほの部屋にある寝具は、ベッドが一台と来客用のふとんが二組しかない。四人で相談した結果、みほと愛里寿がベッドで一緒に寝ることになり、ローズヒップとルクリリがふとんで寝ることになった。
 
 みほたちより先に就寝準備を終えたローズヒップとルクリリは、ふとんの上でさっき見たボコのDVDについて話している。

「それにしても、あのワニは嫌なキャラクターだったな。思いだすだけでむかむかする」
「嫌味と皮肉ばかりが目立つキャラクターでございましたからね。人気が出なかったのも当然ですわ」

 ボコのテレビシリーズはボコが喧嘩を売るのがお決まりのパターンなのだが、銀色のワニはボコに喧嘩を売ってくるキャラクターであった。嫌味と皮肉たっぷりのセリフでボコをあおり、怒ったボコを文字どおりぼこぼこに打ちのめしたのである。

 銀色のワニはワンパターンからの脱却のために作られたキャラクターだったが、不評だったせいですぐに画面から消えた。ボコマニアの間であのDVDがレア物扱いなのは、幻のキャラクターと呼ばれている銀色のワニが登場する唯一のDVDだからだ。
 
「このまま寝るのは精神衛生上よくないな。なにか気分を変えられるようなことでもするか?」
「それなら、わたくし一回やってみたいことがあったのでございますわ」
「気分転換できるならなんでもいいぞ。それで、なにをやりたいんだ?」

 ローズヒップはルクリリの質問には答えず、枕片手にゆっくりと立ちあがった。そのまま素早い動作で距離を取るとルクリリめがけて枕を投げつける。
 ローズヒップの投げた枕は見事にルクリリの顔面に命中。ローズヒップのやりたいこととは枕投げだったのだ。

「よくもやったな。お返しだ」
「おほほほほ、そんなスローリィな攻撃、わたくしには当たりませんわ」

 ルクリリの投げた枕をローズヒップは難なくかわす。動きやすい格好をしているので、枕のような投げにくいものは簡単に回避できてしまうようだ。
 ルクリリは追撃を加えるため、手近にあったボコのぬいぐるみを手に取った。比較的小さいサイズなので枕よりも投げやすい。

「これならどうだ!」
「あだっ!」

 ルクリリが投げたボコのぬいぐるみは、ローズヒップの顔面にクリーンヒットした。
 攻撃が当たったことでルクリリの顔には笑みがこぼれている。この部屋がボコマニアの巣窟であることを、ルクリリはすっかり忘れているようであった。

「ボコを投げるなんて、ひどいよルクリリさん」
「ボコのかたき。覚悟」
「こらっ、二人いっぺんはずるいぞ!」

 みほと愛里寿のダブル枕攻撃がルクリリを襲う。
 負けじと反撃するルクリリだが一対二では圧倒的に不利だ。

「ルクリリ、加勢いたしますわ」
「よし、ローズヒップは私の盾になれ」
「そんなの嫌ですわ。ルクリリが盾になってくださいまし」
「こうなったのはお前のせいだろ」

 助太刀に入ったローズヒップであったが、ルクリリとの息はまったくあっていない。
 それに対し、みほと愛里寿のコンビネーションは抜群のキレを見せている。
 
「愛里寿ちゃん、次はダブルボコアタックでいこう」
「わかった」
「ちょっと待てー! ラベンダーたちもボコを投げてるじゃないか!」

 枕とボコが飛びかう白熱の戦いは、その後もしばらく続いたが決着はつかなかった。寮生からの苦情で駆けつけた管理人にしこたま怒られ、全員廊下に正座させられることになったからである。

 いろいろな出来事があった愛里寿の体験入学初日はこうして幕を閉じたのであった。

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第九話 クロムウェルとダンデライオン

 愛里寿が体験入学をしている間、みほたちと愛里寿はつねに一緒に行動していた。
 みほは愛里寿のサポート係なので一緒にいるのは当たり前なのだが、実際は愛里寿がみほたちと一緒にいるのを好んだのである。
 
 みほたちと一緒に行動するのだから、愛里寿は何回もトラブルに巻きこまれた。
 戦車を降りるとドジが目立つみほ。しょっちゅう暴走気味のローズヒップ。油断すると荒っぽい言動が顔を出すルクリリ。三人が問題を起こすたびに、一緒にいる愛里寿までとばっちりを受けるのだ。
 
 しかし、そこは天才小学生である島田愛里寿。持ち前の頭脳でうまく機転を利かし、問題を素早く解決したことでみほたちとは違い問題児入りすることはなかった。
 
 体験入学の一週間は土日の休日込みだったので、みほたちは休日も愛里寿と一緒に過ごした。
 四人で買い物に行く。以前約束していたハンバーグを一緒に作る。海が見える公園をみんなで散策する。どれもいたって普通な休日の過ごしかたであったが、愛里寿はいつものクールな態度を崩して大はしゃぎであった。

 この一週間で四人は様々な思い出を作ることができたが、始まりがあれば当然終わりもある。
 気がつけば愛里寿の体験入学も今日が最終日。最後の戦車道の授業が終われば、愛里寿とはお別れしなければならない。
 
 愛里寿は今後ほかの高校や大学にも体験入学をするようだが、進路についてみほが言えることはすでに伝えた。みほがあとできることは、愛里寿が選んだ進路に後悔がないことを祈るだけだ。



「本日は愛里寿さんの体験入学最終日ということで、特別に島田流を見せていただけることになりました」

 愛里寿との最後の授業はアールグレイの衝撃的な一言から始まった。
 今まで愛里寿は聖グロリアーナのやり方に素直に従っており、一度も島田流を見せてはいない。個の力を重視して様々な作戦を駆使する島田流は、集団で隊列を組む聖グロリアーナの戦術と相性が悪いのだ。聖グロリアーナの隊列と陣形重視の戦術はどちらかといえば西住流に近いのである。

「愛里寿さんの搭乗する戦車は、あちらにあるクロムウェルになりますわ。車長が愛里寿さんで、ほかの乗員は島田流門下生の大学生の方々が務めてくださいます。大学選抜に選ばれるほどの実力がある方々ですので、愛里寿さんも十分に力が発揮できるはずですわ」

 アールグレイがクロムウェルをお披露目したのはこれが初めてであった。
 突然の新型戦車の登場に静かにしていた生徒たちからざわめきが起こる。聖グロリアーナで新しい戦車を導入することが難しいことは、ここにいる全員が知っているからだ。
 
 みほがクロムウェルを見たのは愛里寿と出会った日以来だった。
 アールグレイがクロムウェルを用意したのは愛里寿のためだったようだが、みほには少し気になる点がある。それはアールグレイが聖グロリアーナの戦力を強化しようとしていることだ。
 
 もし愛里寿が聖グロリアーナに来年入学すれば大幅な戦力アップになるし、クロムウェルは現時点で即戦力になれる。アールグレイは勝つことにはこだわらなくてもいいと公言しているが、この一連の行動はそれと矛盾しているようにみほには思えたのだ。

「愛里寿さんの対戦相手は、ダージリンとダンデライオンに務めてもらいます。勝負方法は一対十の殲滅戦。愛里寿さんのクロムウェル一輌に対し、ダージリンにはマチルダ隊五輌、ダンデライオンにはクルセイダー隊五輌を率いてもらいますわ」

 アールグレイのこの発言でざわめきは驚きの声に変わった。
 いくら愛里寿が天才とはいえ、戦力差がありすぎる上に試合形式は殲滅戦。ダージリンたちは愛里寿を倒せばいいだけだが、愛里寿は十輌すべて倒さなければならないのである。
 島田流をよく知らない生徒たちが驚くのは至極当然だ。

 みほは島田流のことをある程度知っているので、そこまでの驚きはなかった。愛里寿の島田流を見るのは初めてだが、愛里寿なら一対十という不利な戦いでも勝利してしまうかもしれない。愛里寿の天才ぶりを一週間見続けてきたみほにはそんな予感があった。

「双方の準備ができしだい試合を開始します。試合に参加しないみなさまは、大型ビジョンで観戦してもらうことになりますわ。整備科の方々が観戦準備を整えてくださるので、その場で待機していてくださいね」



 整備科の生徒たちがせわしなく動きまわるなか、みほたちは愛里寿のところにやってきた。
 一年生は全員見学であり、試合に出ないみほたちは愛里寿を激励しにきたのだ。

「愛里寿ちゃん、がんばってね。相手の数は多いけど、愛里寿ちゃんならきっと勝てるよ」
「ダージリン様には気をつけたほうがいいぞ。あの人は試合には手を抜かないからな」

 みほとルクリリは愛里寿を応援する言葉をかけているが、ローズヒップは神妙な顔で考えこんでいる。
 みほにはなんとなくローズヒップの心情を察することができた。友達である愛里寿と憧れの人であるダージリン。どちらを応援するべきなのか、おそらくローズヒップは迷っているのだろう。
 軽はずみに愛里寿を応援すると言わないあたり、ローズヒップのダージリンに対する深い敬意がうかがえた。

「愛里寿さんには申し訳ないですけど、わたくしはダージリン様を応援しますわ。ダージリン様が負けるお姿は見たくないんですの」
「私のことは気にしなくてもいい。曲げたくないものを無理に曲げる必要はない」

 ローズヒップの宣言を聞いても、愛里寿はまったく気にする様子を見せない。実に大人な対応である。
    
「あ、ダンデライオン様は倒しちゃって構わないですわ」
「ダージリン様と同じチームなんだから、そこはダンデライオン様も応援するべきだろ」
「二人とも、絶対にそのニックネームを本人の前で言っちゃダメだからね。タンポポ様、そのニックネームで呼ばれるのをすごく嫌がってるから」

 ダンデライオンはクルセイダー隊の隊長を務めている二年生。黄色がかった茶色の長い髪をツインテールにしている小柄な生徒で、かわいらしい容姿と素直な性格からチーム内での人気も高い。少し子供っぽいところがあるのが欠点だが、小隊の指揮能力が高く、アールグレイからの信頼も厚かった。
 
 そんなダンデライオンが声高に訴えているのが、自分のニックネームについてであった。
 ハーブティーの一種、ダンデライオンティーのニックネームを与えられたダンデライオンだが、淑女のイメージにあわないライオンという名前を嫌がっているのだ。なので一年生と二年生には、ダンデライオンの和名であるタンポポというニックネームで呼んでほしいと、常日頃から主張していた。
 
「ダンデライオン。私はカッコいいニックネームだと思う」
「私も愛里寿と同意見だな。クルセイダー隊の隊長なんだから、タンポポなんて弱そうな名前より、ダンデライオンのほうが強そうで似合ってると思うぞ」
「ダンデライオン様は少し神経質すぎるのですわ。もっとご自分のニックネームに誇りを持つべきでございますわ」
「みんな、ダンデライオンって言いすぎだよ。もし聞かれたらまずいことに……」
「もぉぉぅ、みんなしてひどいっ! あたしがそのニックネームを嫌いなの知ってるくせにー!」

 みほの悪い予感は見事に的中してしまった。
 みほたちが声がしたほうに顔を向けると、そこにはプンプン怒っているダンデライオンが立っている。隣にはダージリンとアッサムの姿もあるので、どうやら愛里寿に試合前のあいさつをしに来たようだ。
  
「あら、私もあなたのニックネームはダンデライオンのほうがいいと思っていますわよ。あなたの勇猛果敢な指揮は、ライオンのイメージにぴったりではなくって?」
「ふぇぇん! ダージリンさんはいつもあたしに意地悪する。あたしはライオンなんかじゃないんですー!」

 ダンデライオンは涙目でダージリンに猛抗議。甲高い声でわめくその小さな姿は、ライオンというより子猫のほうがしっくりくる。

「ダージリン、本人が嫌がっていることを言うのはよくありませんわ」
「あたしの気持ちをわかってくれるのはアッサムさんだけです。今からでも遅くはありません、あたしのクルセイダーの砲手になってください」
「私のマチルダの大事な砲手を引き抜こうだなんて、あなたもずいぶん大胆なことを言うようになりましたわね」
「あたしはまだアッサムさんを諦めてないですから。この件に関してだけは、ダージリンさんに負けるのは嫌なんです」

 アッサムを間に挟んで火花を散らすダージリンとダンデライオン。
 この二人は険悪な関係というわけではないのだが、アッサムをめぐって争うだけでなくことあるごとに対立していた。 

「そこまでです。お二人はアールグレイ様を補佐する立場なのですから、一年生の前でみっともない姿を見せるのはやめてください」

 聖グロリアーナには副隊長という地位は存在しない。そのかわりに、マチルダ隊とクルセイダー隊の部隊長には二年生が就任し、隊長である三年生をサポートするのである。
 アールグレイから次の隊長に指名されているダージリンは、今はマチルダ隊の隊長であった。

「アッサムの言うとおりですわね。タンポポ、ここは一時休戦しますわよ」
「わかりました。あたしもアッサムさんを困らせるのは本意ではありませんから」

 アッサムにたしなめられたダージリンとダンデライオンは素直に和解し、並んで愛里寿の前に立った。

「愛里寿さん、本日はよろしくお願いいたします。私たちは本気で勝ちにいきますので手加減は無用ですわ」
「こっちが有利な条件なのは少しずるいと思うけど、これもアールグレイ様の命令です。悪いけど勝たせていただきます」
「受けて立つ。勝つのは私だ」

 愛里寿は真剣な表情で、ダージリンとダンデライオンを正面から見据えている。
 冷静沈着な愛里寿が闘志を燃やしていることを、みほは少し不思議に思った。愛里寿にとってこの試合はデモンストレーションのようなものであり、勝ち負けにこだわる必要はないからだ。

「『我々は言葉だけでなく、行為でそれを示さなくてはならない』。愛里寿さん、お互いがんばりましょう」
「またダージリンさんの悪い癖が出た。アメリカの大統領の格言なんか使わないで、自分の言葉で語ればいいのに」
「……そろそろ戻りましょうか。行きますわよ、ダンデライオン」
「むぅっ! 違います! あたしはタンポポですー!」

 頬をふくらませて怒るダンデライオンを無視して、ダージリンはその場を離れた。置いていかれたダンデライオンは抗議の声を上げながらダージリンを追いかけていく。
 一人残されたアッサムは大きなため息をついて、二人のあとに続いていった。みほたちの教育係だけでなく、ダージリンとダンデライオンの調停役までこなさなければいけないアッサムは、チーム内一の苦労人なのである。

「私たちも戻るか」
「そうですわね」
「愛里寿ちゃん、またあとでね」
「うん。絶対に勝ってみせるから」

 愛里寿はみほたちに背をむけると、クロムウェルに向かって歩いていく。
 みほにはそんな愛里寿の小さな背中がなんだかとても大きく見えた。
 

 
「それでは、これより試合を始めますわ。一同、礼」

 審判を務めるアールグレイの言葉を受けて、全員が礼とあいさつをした。もちろんその中には、観戦会場にいる生徒たちと整備科の生徒も含まれている。
 礼節を重んじる聖グロリアーナでは、試合に参加しない生徒も礼を尽くすのが常識なのだ。 
 
 整備科が用意した英国アンティーク風のテーブルセットでみほたちは試合を観戦していた。
 大型ビジョンには三分割された映像が映しだされている。映像は愛里寿のクロムウェル、ダージリンのマチルダ隊、ダンデライオンのクルセイダー隊の三者を追っており、試合の状況がよくわかる。

 愛里寿のスタート地点は観戦会場近くの平原エリア。ダージリンたちのスタート地点は平原エリアから遠くはなれた森林エリアの近くであった。

「タンポポ様はまっすぐ愛里寿ちゃんのほうに向かってる。ダージリン様とは連携をとらないで、単独で愛里寿ちゃんを叩くつもりなんだ」
「マチルダとクルセイダーは足の速さが違うからな。綺麗な隊列を作ることができないから、連携するつもりもないんだろ」
「ダージリン様のマチルダ隊は森の中へ入っていきますわ。待ちぶせをするおつもりなのでございますかね?」
「この試合は殲滅戦だから待ちぶせは有効な手段だけど、そんな卑怯な真似はしないんじゃないかな? ダージリン様は愛里寿ちゃんを警戒してたから、きっとなにか策があるんだと思う」
 
 聖グロリアーナの戦車道は優雅でなくてはならない。たとえ練習試合であっても下品な戦いをすることは禁じられている。
 ダージリンがそれを破って待ちぶせのような手段を使うとは、みほにはとても思えなかった。

 
◇ 

 
 ダンデライオンが指揮するクルセイダー隊は、隊長車であるクルセイダーMK.Ⅱを先頭に二列縦隊で進軍中だ。左右二列で綺麗なジグザグを組んで走行する姿は実に華麗であった。
 
「敵戦車発見! 全車、二列縦隊から横陣に移行」

 ハッチを開けて双眼鏡で周囲の索敵をしていたダンデライオンが、クルセイダー隊に指示を出す。先頭を走っていた隊長車に後続のクルセイダーMK.Ⅲが並び、クルセイダー隊は横一列の隊形になった。

「撃ちかた始め! バンバン撃っちゃってください」

 ダンデライオンの命令を受けたクルセイダー隊は、行進しながらいっせいに砲撃を開始した。
 移動しながら砲撃を行う行進間射撃は聖グロリアーナの基本的な攻撃方法。命中率が悪いのが難点だが、相手にプレッシャーを与えることができるので、大部隊で陣形を組んで進撃する聖グロリアーナの戦術にはあっている。

 対する愛里寿のクロムウェルのとった行動は反撃ではなく進撃。砲撃を続けるクルセイダー隊に向かって猛スピードで突っこんできたのだ。

「嘘っ!? なんでそんなに速いの?」

 見た目が速そうに見えないクロムウェルの機動性に、ダンデライオンは心底驚いたような表情を浮かべていた。
 クロムウェルは整地を時速60㎞近いスピードで走行することができる快速巡航戦車。デザインがチャーチルに似ているだけでその性能はまるで違う。

 一気にクルセイダー隊との距離を詰めたクロムウェルは、ここで初めて主砲の6ポンド砲を発射した。砲撃は横陣の中央を走行していたクルセイダーの正面に命中し、クルセイダーからは白旗が上がる。装甲が薄いクルセイダーでは近距離からの6ポンド砲の直撃を防ぐことはできなかった。

 クロムウェルは一輌撃破されたことで穴が開いたクルセイダー隊の隙間を通りすぎる。
 隊長車は撃破された車輌の隣を走行していたので、すれ違う瞬間キューポラから半身を出している愛里寿とダンデライオンの目があった。

「ひうっ!」

 淑女にあるまじき声を出してしまったダンデライオンは慌てて口に手をやった。愛里寿の表情はいつもと変わりはなかったが、その目は今までにない力強さにあふれていたからだ。 

「ぜ、全車、180度回頭!」

 ダンデライオンはクルセイダー隊をUターンさせようとするが、驚くべきことにすでにクロムウェルは方向転換を終えていた。
 背中をさらしたクルセイダーに向けてクロムウェルは再び砲撃を開始。一輌のクルセイダーが背面を撃たれて白旗を上げた。

「超信地旋回!?」

 超信地旋回とは左右の履帯を互い違いに回転させて行う旋回で、前後に動かなくてもその場で進行方向を変えることができる。聖グロリアーナではチャーチルのみができる旋回方法であった。

「このまま無様に負けたら、アールグレイ様に顔向けできません。全車、散開。三方向から突撃して至近距離で撃破します」

 三輌まで数を減らしたクルセイダー隊は三手に分かれてクロムウェルに迫る。
 クロムウェルの砲撃で一輌が撃破されたが、隊長車と残った一輌のクルセイダーはクロムウェルを左右から挟みこむことに成功した。

「撃てっ!」

 ダンデライオンの号令により、二輌のクルセイダーから砲撃が放たれる。
 この必殺の攻撃を愛里寿は思いもよらない方法で回避してみせた。クルセイダーが砲撃するタイミングを読んで、クロムウェルに急ブレーキをかけさせたのである。
 
 クロムウェルが停止したことで左右からのクルセイダーの砲撃は無情にも空を撃つ。再び背面をさらしてしまったことにより最後のクルセイダーMK.Ⅲも撃破されてしまい、残ったのはダンデライオンの隊長車のみになってしまう。

「クルセイダー隊が全滅するわけにはいきません。作戦変更、プランBを実行します。この場から全速力で離脱して、ダージリンさんとの合流地点に向かってください。リミッター解除!」

 リミッターを外したクルセイダーMK.Ⅱは高速でクロムウェルから離れていく。
 クロムウェルと距離が離れたことで安堵の息をもらしたダンデライオンは、スカートのポケットから懐中時計を取りだし時間を確認した。

「合流予定の時間まで逃げきるぐらいの仕事はしないと、またダージリンさんにいじめられちゃう。そんなの絶対にイヤっ!」
「隊長、あれはいじめではありませんわ。これは私の憶測ですけど、ダージリンさんは隊長のことを好いているから、ああいう態度をとってしまうのです」
「私もそう思います。隊長とお話しているダージリンさんは、自然体でとてもリラックスしているようにお見受けしますわ」
「隊長があまりにかわいらしいから、ダージリンさんも気を引こうとしてつい意地悪をしてしまうのですわ」

 クルセイダーの乗員の話を聞いていたダンデライオンは、見る見るうちに顔を赤くしていった。

「こ、困りますよ。あたしにそっちの気はないんですから。たしかにダージリンさんは美人で、スタイルも抜群で、頭もいいけど……」
「隊長、私の言っている好きは親愛感情であって、恋愛感情ではありませんわ」
「でも、隊長もダージリンさんのことを少しは意識されているみたいです。これはもしかすると、なにかの弾みでお二人が急接近することもあるかもしれませんわ」
「普段は喧嘩ばかりしている二人の禁断の恋。ロマンチックですわー」

 試合中だというのに、クルセイダーの空気は桃色に染まっていた。
 お嬢様といってもみんな年頃の女子高生。色恋沙汰が好きなのは普通の女の子となんら変わらないのであった。
 
「もぉー、やめてよぉー。あたしは別にダージリンさんのことなんて、なんとも思って……」

 ダンデライオンの否定の言葉は砲撃が地面に着弾する轟音でかき消された。
 ダンデライオンが急いでハッチから背後を確認すると、クルセイダーとほぼ同じスピードでクロムウェルが追いかけてくるのが目に飛びこんでくる。あまりの衝撃に、ダンデライオンは手にしていたティーカップを思わず落としてしまった。

「嘘でしょ……。リミッターを外したクルセイダーに追いついてきてる。相手に狙いを絞らせないようにジグザグに走ってください!」

 クルセイダーは蛇行運転をしながら逃走を開始した。先ほどまでのゆるんだ雰囲気は一変し、車内には張りつめた空気が満ちていく。

「待っててね、ダージリンさん。必ず合流地点にたどり着いてみせるから!」

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第十話 ダージリンと島田愛里寿

 観戦会場は割れんばかりの歓声に包まれていた。
 上品なお嬢様が多い聖グロリアーナでは珍しい光景だが、生徒たちが興奮するのも無理はない。愛里寿は一対五という不利な状況を難なく覆してみせたのだ。その圧倒的な個の力強さは、生徒たちの心を大いに揺さぶったようだ。

「私たちと一緒のときとはまるで動きが違う。あれが愛里寿の本気なんだな」
「マジですごいですわ。島田流はあんな神業みたいな動きができるお方ばかりなんですの?」
「あそこまで完璧な動きができるのは、きっと愛里寿ちゃんだからだよ。私は島田流の人と戦ったことがあるけど、あんなに自由自在に戦車を操れる人はいなかったもん」

 みほは中学時代に島田流を学んでいる学校と試合をしたことがある。西住流では邪道とされるような方法で奇策を仕掛けてきたのだが、みほは労せずそれを打ちやぶってみせた。西住流の王道の前では、多少の小細工はなんの支障にもならない。
 
 愛里寿の持っている技量はあのとき戦った相手とは段違いだ。あの高い個の力が島田流の真骨頂だとすると、臨機応変に策を用いるのは単なるおまけにすぎないらしい。
 
「数の上ではダージリン様たちがまだ有利だけど、愛里寿ちゃんには勝てないかもしれない」
「そんなことはありませんわ! ダージリン様は愛里寿さんに一矢報いてくれるはずですわ」
「一矢報いるだけじゃだめだろ。それだとダージリン様が負けることになるぞ」
「ダージリン様が負けるなんて嫌ですわ。ダージリン様ー! がんばってくださいましー!」

 ローズヒップは大型ビジョンに向かって大きな声援を送っている。
 ダージリンのマチルダ隊は依然として森の中を進軍。このまま進んでいくと、森を抜けて小高い丘が並ぶ丘陵エリアに出る。
 大型ビジョンに大きく映しだされているダンデライオンのクルセイダーは、その丘陵エリアへと向かっていた。





『ダージリンさん、もうすぐ丘陵エリアに到着します。合流準備は整っていますか?』
「こちらもまもなく合流地点に到達するわ。さすがはクルセイダー隊の隊長ね。予定時間ぴったりにあわせるその手腕、お見事ですわ」
『そ、そんなにほめても無駄ですよ。あたしはダージリンさんのこと、なんとも思ってないですからね!』
「なにをそんなに怒っていますの?」

 ダンデライオンが突然語気を荒げたことにダージリンは首をかしげている。

『な、なんでもないです。それより、あとはお願いしますよ。クルセイダーはリミッターを解除しちゃったので、長くは持ちませんからね』
「あなたのがんばりに報いるためにも、最善をつくしますわ」

 ダンデライオンとの通信を終えたダージリンは、ティーカップを片手にキューポラから身を乗りだした。
 五輌のマチルダⅡはもうすぐ小高い丘を登りきる。登ってさえしまえば、あとは傾斜を滑るように下るだけだ。
 
 丘の頂上にたどり着いたダージリンの目に映ったのは、クルセイダーを追跡しながら丘のふもとを走るクロムウェルの姿だった。

「『じっくり考えろ。しかし行動する時が来たなら、考えるのをやめて、進め』。全車、目標に向かって全速前進。チャンスはこの一度きり、必ず仕留めなさい」

 フランスの皇帝、ナポレオンの格言のあとにダージリンはマチルダ隊に突撃命令を下す。
 ダージリンの命令を受けたマチルダ隊はいっせいに丘を下りはじめた。足が遅いマチルダⅡだが、丘の傾斜を利用することで普段よりもスピードが上がっている。陣形はダージリンの隊長車を先頭にして傘型に広がる楔形陣だ。

 勢いよく丘を下っていくマチルダ隊はクロムウェルに向かって砲撃を開始した。クルセイダー隊も行っていたお得意の行進間射撃である。
 高地から奇襲をかけ、クロムウェルの装甲が薄い箇所である上面装甲を狙う。どうやらこれがダージリンの立てた策のようだ。卑怯な奇襲に見せないために、時間を計算して偶然鉢合わせた演出をするあたりなかなかの策士ぶりであった。

「アッサム、しっかり狙いなさい。この作戦の成否は、あなたたち砲手の腕にかかっていますわよ」
「わかっています。囮になってくれたタンポポたちの苦労を無駄にはできませんわ」

 この試合に参加しているマチルダ隊はチーム内でも上位の実力者たちであり、砲手も命中率が高い生徒がそろっている。行進間射撃で動く目標に命中させるのは難しいが、撃破できる可能性はゼロではない。
 
 クロムウェルはブレーキと転回を巧みに使って砲撃をかわしていくが、クルセイダーを追跡していた最中に突然の奇襲だ。愛里寿もすべての砲撃をかわすことはできず、ついにクロムウェルがこの試合で初めて被弾した。
 
 それでもクロムウェルから白旗は上がらない。クロムウェルが被弾した箇所は、装甲が厚い正面装甲だったのである。
 愛里寿は避けきれないと判断した砲撃を正面で受けとめたのだ。
 
「攻撃を続けなさい。相手に考える時間を与えてはダメよ」

 丘を下りきったマチルダ隊は追撃の手をゆるめず、積極的に接近戦を仕掛けていく。 
 火力の低いマチルダⅡの2ポンド砲でも近距離で命中させればクロムウェルを撃破できる。初めて被弾したことで相手が動揺しているであろう今が好機であった。

 普通の対戦相手であればこの時点で勝負ありだったが、島田愛里寿はそうやすやすと勝てる相手ではなかった。
 クロムウェルは接近してくるマチルダ隊の砲撃をかわしながら砲塔を回転させ、的確に反撃。装甲が厚いマチルダⅡとはいえ、至近距離で側面や背面を撃たれては防ぎようもなく、次々と撃破されて白旗が上がっていく。

 わずか数分で残るマチルダⅡはダージリンの隊長車のみになってしまい、形成は一気に逆転した。

「おやりになりますわね。でも、ここまでですわ」

 僚車がすべて撃破されたというのにダージリンは涼しげな顔をしており、ティーカップもしっかりと握られている。
 その余裕を裏付けるように、クロムウェルの背後から一輌の戦車が猛スピードで迫っていた。ダンデライオンのクルセイダーMK.Ⅱである。

『ダージリンさん、助けにきました!』   
「タンポポ、クロムウェルの動きを封じてちょうだい。やり方はあなたに任せるわ」
『えぇー! そんなこと丸投げされても困りますよ』
「丸投げとは人聞きが悪いですわね。あなたを信じているから、任せるのよ」
『……こうなったら一か八かです。クルセイダーをクロムウェルに体当たりさせます。みなさん、衝撃に備えてください』
 
 ダンデライオンのクルセイダーMK.Ⅱは、車体を横滑りさせてクロムウェルに体当たりを敢行。
 背後から急接近されたことと、先ほどまでマチルダ隊の対応に追われていたことで、愛里寿の指示は一歩遅れた。今まで機敏な動きを見せていたクロムウェルは、最高速度のクルセイダーの体当たりを側面に受け、一瞬動きを止めてしまう。
 
 そのわずかなスキをダージリンは見逃さなかった。

「『ダービーはつねに強い馬が勝つ。だが、いちばん強い馬が勝つとは限らない』。愛里寿さん、この勝負は私たちの勝ちですわ。アッサム、側面の装甲が薄い部分を狙いなさい」 

 英国のことわざとともにダージリンは攻撃命令を下した。動きが止まったクロムウェルの側面をアッサムは正確に砲撃し、装甲の薄い部分を撃たれたクロムウェルからは白旗が上がる。
 
 愛里寿の島田流を披露するという名目で始まった試合は、ダージリンとダンデライオンの勝利という形で決着がついたのであった。





「やりましたわ! ダージリン様が勝ちましたわー!」
「うわっ、急に抱きつくな。びっくりしたじゃないか」
「抱きつくぐらいは許してほしいですわ。本当ならキスしたいほどうれしいのでございますわよ」
「それだけは絶対にやめろ。なんで私のファーストキスをお前に捧げなくちゃいけないんだ」
「安心していいですわよ。わたくしもファーストキスでございますわ」
「そういう問題じゃない!」

 ローズヒップとルクリリがいつものように騒ぎだしたが、みほの視線は大型ビジョンに釘付けになっていた。
 大型ビジョンには愛里寿の表情が映しだされている。試合に負けたというのに愛里寿の表情に変化はなく、とくに感情が乱れているようには見えない。
 
 みほにはそんな愛里寿の表情が普段と少し違うように思えた。この一週間、誰よりも愛里寿のそばにいたみほだからこそ、愛里寿の表情の微妙な変化にも気づけたのだ。
 
「愛里寿ちゃん……」

 ──愛里寿ちゃんは私とは違う。
 ──負けた程度で落ちこむわけがない。
 ──必要以上に心配するのはお門違いだ。

 みほは自分にそう言い聞かせるが、胸の中のもやもやは消えてはくれなかった。


 
 試合終了後、観戦会場はお茶会の会場へと早変わりした。
 今日は愛里寿の体験入学最終日。すべての生徒が一緒にお茶会に参加し、愛里寿が最後にあいさつをする形で体験入学を締めくくる予定だ。

 今日のお茶会は試合に出場していた生徒がゲスト役、それ以外の生徒がホスト役であった。
 みほたちはティーフーズを用意する係にまわされ、会場近くに特設された調理場で懸命にサンドイッチを作っている。今日は人数が多いので、いつもより多くティーフーズを用意しなくてはならないのだ。
 
 みほがちらりと会場に目を向けると、愛里寿は多くの生徒に囲まれていた。紅茶を用意する係にまわされた生徒は比較的早く準備を終えたようで、すでにお茶会に参加していたのである。
 それを見たみほは早く愛里寿と会いたい思いを抑え、一心不乱にサンドイッチの具材であるキュウリを切りつづけた。

「ラベンダーさん、キュウリを切るのを少し待っていただけませんか? こちらはまだ準備が整っていなくて……」
「あ、ご、ごめんね」

 みほの隣でパンにきゅうりを挟んでいたシッキムから、申し訳なさそうに声がかかる。みほのスピードにシッキムはまったくついていけず、キュウリが山のようになっていた。 

「シッキムさんはローズヒップと持ち場を交代したほうがいいみたいですわ。ローズヒップ、頼んだわよ」
「了解でございますわ。シッキムさん、選手交代ですわ」

 ルクリリとスコーンを作っていたローズヒップがみほたちのところまでやってくると、シッキムはみほに向かって申し訳なさそうに頭を下げた。

「ラベンダーさん、ごめんなさいね」  
「ううん、シッキムさんは悪くないよ。私がもっと周りをよく見るべきだったの」  
 
 一つのことに夢中になると冷静な判断ができなくなるのはみほの悪い癖だ。
 みほはこの悪癖で何度も失敗を繰りかえしているが、いまだに治すことができていない。愛里寿のようにつねにクールに振舞うのは、簡単にできるようなことではないからだ。
 
「ラベンダー、ぼーっとしている暇はないですわよ。わたくしも本気を出すので、じゃんじゃん切っちゃってくださいまし」
「わかったよ、ローズヒップさん。私も本気で切るからね」
「かかってこいでございますわ」
「やけに物騒な掛け声ですわね。張り切るのはいいけど、怪我だけは気をつけてね」

 ルクリリは二人を心配していたようだが、みほとローズヒップはとくに問題も起こさずサンドイッチを完成させてしまった。クルセイダーという快速戦車を操る車長と操縦手だけに、物事を素早くこなす二人の息はばっちりだったのである。



 無事にティーフーズを作り終えたみほであったが、すぐに愛里寿のところに行くことはできなかった。愛里寿の周囲には黒山の人だかりができており、簡単に近づくことはできそうもない。
 今日のお茶会はニックネームを与えられていない生徒たちにとって、普段話すことができない相手と会話できる絶好の機会。試合であれほどの活躍を見せた愛里寿が人気なのも当然であった。

「愛里寿ちゃんのところにはまだ行けそうもないね。お茶会が終わる前に会えるといいけど……」
「ダージリン様のおそばも無理そうですわね。わたくしの俊足をもってしても、あの包囲網は突破できそうにありませんわ」
「ニックネーム持ちの生徒はみんな囲まれてるな。ひと気がないのは私たちの周りくらいか」

 みほたちのところに来る生徒は誰もいない。これは三人がチーム内で嫌われているからではなく、単に優先順位が低いのが原因だ。

「まあ、もう少ししたら人もばらけるだろ。それまではサンドイッチとケーキでも食べてのんびりしよう」
「それもそうですわね。ではさっそく、いただきます!」
「ローズヒップさん、待って待って! 最初にケーキを食べちゃダメだよ。始めはサンドイッチから食べるのがマナーなんだから」
 
 ケーキを勢いよく食べはじめたローズヒップにみほは慌ててストップをかけた。
 三段になっているケーキスタンドは下からサンドイッチ、スコーン、ケーキの順に並べられている。一番下のサンドイッチから食べはじめ、スコーン、ケーキの順に食べていくのがティーフーズを食べる作法なのだ。
  
「わたくしとしたことが、ついうっかりしてましたわ」
「気をつけろよ、ローズヒップ。今のがアッサム様に見つかったらまたお説教だぞ」
「あらあら、今のはいただけませんわね。お茶会の作法を身につけるのは、聖グロリアーナの生徒にとってとても大事なこと。まだ一年生とはいえ、そろそろマスターしなければいけませんよ。それと、公の場で言葉を乱すのも感心しませんわ。誰が聞き耳を立てているかわからないのですから、あまり油断しないようにしてくださいね」
「アールグレイ様、それに愛里寿ちゃんも?」

 ローズヒップとルクリリをたしなめたのは愛里寿を連れたアールグレイであった。

「ラベンダー、愛里寿さんは少し気分がすぐれないそうなの。悪いのですが、彼女を保健室に案内してくれませんか?」
「わかりました。大丈夫? 愛里寿ちゃん」
「大丈夫……」

 口では大丈夫と言っていても、愛里寿の顔色はあまりよくない。それでも決して表情をつらそうに歪めないあたり、愛里寿の精神力の強さが見てとれた。

「ラベンダー、わたくしも一緒に行きますわ」
「私も行くわ。人数が多いほうがなにかあっても対処しやすいはずよ」
「ありがとう、二人とも。愛里寿ちゃん、自分で歩ける?」
「うん……」

 みほは愛里寿の手を握ると、四人で一緒に保健室へと向かった。
 今までは愛里寿という天才の偉大さばかりを感じていたみほであったが、今の愛里寿からはそれを感じることはできない。そのことにみほは言い知れぬ不安感を覚えながらも、努めて冷静に保健室への道を急いだ。
   

  
 保健室に着いたみほたちであったが、残念なことに養護教諭は外出中。保健室のカギが開いていたのは不幸中の幸いだった。

「先生いないね……」
「わたくしがひとっ走りして探してきますわ。学校中を走りまわれば見つかるはずですわ」
「それは効率が悪すぎるだろ。緊急時の連絡先がどこかに書いてあるはずだから、まずはそれを探すぞ」

 みほたちは保健室の中を捜索しようとしたが、愛里寿がそれに待ったをかけた。

「必要ない。これは精神的なものだから……」

 愛里寿はそこで言葉を区切り、なにかを考えているような顔で宙を見つめている。
 少しの間保健室に無言の時間が流れたが、やがて愛里寿はぽつぽつと語りだした。

「あの試合、私はどうしても勝ちたかった。たぶん、初めてできた友達にいいところを見せたかったんだと思う。……それなのに私は負けた。そのことが悔しくて体調のコントロールができなくなったの」

 愛里寿がコントロールできていないのは体調だけではない。愛里寿の目からは大粒の涙がこぼれ落ち、声も震えていた。言葉にしてしまったせいで、感情のコントロールもできなくなってしまったようだ。

 愛里寿が泣いているのを見たみほはすぐさま駆けより、愛里寿を優しく抱きしめた。
 みほが泣いていたときはローズヒップとルクリリが助けてくれた。今度はみほが友達を助ける番である。

「愛里寿ちゃんは私たちにカッコいい姿を見せてくれたよ」
「でも、私はあれだけ大きな口を叩いて負けた……」
「負けたっていいんだよ。聖グロリアーナの戦車道で大事なのは試合に勝つことじゃないんだもん」

 愛里寿は不利な状況にも関わらず、正々堂々と真っ向勝負でダージリンたちと戦った。
 小細工などいっさいしない優雅で華麗な戦いかたは、聖グロリアーナが理想とする戦車道そのものだ。愛里寿が恥じるようなことはなに一つない。

「だから大丈夫。誰も愛里寿ちゃんのことを悪くなんて言わないよ。不安になる必要なんて全然ないの」
「……ありがとう」
「今日は試合とお茶会で疲れたよね。少し横になろうか」
「うん」 

 愛里寿はみほの言葉にうなずくと、保健室のベッドに横になった。
 みほは左手で愛里寿の左手を握り、右手で愛里寿の頭を優しくなでる。みほに優しくされたことで安心したのか、愛里寿は目を閉じるとすぐに穏やかな寝息を立てはじめた。

「よっぽど疲れてたんだね」
「あれだけの試合をしたあと、すぐお茶会でございましたからね。きっと気の休まる暇がなかったんですわ」
「今日のお茶会は初めての顔も多かったからな。人見知りの愛里寿にはお茶会のほうが大変だったんだろ」
「私も話すのは得意じゃないから、愛里寿ちゃんの気持ちがよくわかるよ。おつかれさま、愛里寿ちゃん。今はゆっくり休んでね」

 みほたちに見守れながら眠る愛里寿の顔はとても安らかだ。
 みほは今まで愛里寿の強い部分ばかりを見てきたが、よく考えてみれば彼女はまだ小学生。弱いところを見せることがあるのは当たり前である。
 そのことに気づかないで愛里寿を特別視していたことをみほは恥じた。みほがやるべきことはティーフーズを作ることではなく、愛里寿を励ますことだったのだ。
 
 みほは助けてあげられなかったことを心の中で謝罪し、片手で握っていた愛里寿の左手を優しく両手で包みこんだ。 
 

 
 愛里寿の体験入学はこうして終わりを迎えた。
 みほは愛里寿と別れることに一抹の寂しさを覚えたが、愛里寿との関係はここで絶たれるわけではない。長期の休みになったらみんなで遊びに行く約束を交わしており、またすぐに会うことができるからだ。
 次に会える日を楽しみに思いながら、みほは笑顔で愛里寿と別れることができた。

 この日から、みほの部屋の棚には新たに一つ写真立てが増えた。
 その写真立てには愛里寿と別れた日に撮った写真が収められている。三人の友達に囲まれた写真の中の愛里寿は、クールな無表情ではなく花咲くような笑顔だった。



 愛里寿と別れてから数日後、アールグレイからある発表があった。
 お互いの一年生同士を戦わせる、毎年恒例の練習試合の対戦相手が決まったのだ。 
 
 今年の対戦相手は黒森峰女学園。
 戦車道全国高校生大会九連覇中の名門校であり、みほの姉であるまほが隊長を務めている学校である。

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第十一話 ラベンダーと黒森峰女学園

 海が見える公園は、聖グロリアーナ女学院の学園艦の中でも人気の休日お出かけスポットだ。
 祝日である今日も多くの人でにぎわいを見せており、園内はどこも笑顔であふれていた。大海原が見渡せるベンチも人で埋まっており、みんな思い思いの表情で雄大な海の景色を眺めている。
 
 そのベンチの一つにみほの姿があった。
 休日ということもあり、みほの服装は白いワンピースに黄色のカーディガンというお嬢様スタイル。一人でベンチに座って考えごとをしている姿は、一見すると清楚で可憐なお嬢様に見えるがその表情は険しい。

「黒森峰との練習試合は明日。私はどんな顔でお姉ちゃんと会えばいいんだろう……」

 黒森峰女学園と練習試合を行うことが発表されたときから、みほが考えているのはまほのことばかりだった。まほと会ってなにを話せばいいのか、そもそもどんな顔をして会えばいいのか、みほはいまだに頭の中を整理しきれていない。
 まほと会って話がしたいと願っていたみほであったが、こんなに早くその機会が訪れるとは夢にも思っていなかったのである。

「おまたせ。今日は人が多いから自販機も混んでて……、また一人で悩んでるのか?」
  
 悩むみほのもとに缶ジュースを両手に持ったルクリリがやってきた。
 みほが清楚なお嬢様スタイルなのに対し、ルクリリは上が濃い緑色のジャケットと白いシャツに赤いネクタイ、下はショートパンツというボーイッシュスタイル。みほは一人で公園に来たのではなく、ローズヒップとルクリリの二人と公園に遊びに来ていたのであった。

「あれ? ローズヒップさんは?」
「ホットの紅茶が売りきれてたから別の自販機を探してる。今日は休日なんだから、別に紅茶にこだわらなくてもいいのに」
「ローズヒップさんはダージリン様に憧れてるからね。ダージリン様も休日は紅茶をよく飲むって前に話してたし」
「ダージリン様の真似をする前に、紅茶の一気飲みをやめるのが先だと思うけどな。はい、これがラベンダーの分」
「ありがとう」

 ルクリリは持っていた缶ジュースをみほに手渡し、ベンチに腰を下ろした。

「それで、なにを悩んでたんだ? なんとなく察しはつくけど」
「……お姉ちゃんのことを考えてたの。明日の黒森峰との練習試合で顔を会わせることになると思うし」
「やっぱりか。気持ちはわかるけど、あんまり深く考えすぎるのは体に悪いぞ」
「心配かけてごめんね。でも、どうしても不安になっていろんなことを考えちゃうの……」

 みほは両手で持った缶ジュースに視線を落とす。のどは乾いているはずなのに、ジュースを飲む気分にはなかなかなれない。

「ラベンダー、ちょっと手を貸して」
「ふえっ?」

 みほが缶ジュースをベンチの上に置くと、ルクリリはみほの手を両手で握りしめた。 
 みほはこの感触に覚えがある。カヴェナンターの履帯が外れて落ちこんだときも、ルクリリはこうやってみほの心を守ってくれた。

「ラベンダー、これだけは約束して。なにか困ったことがあったら、私とローズヒップに相談すること。一人ではどうにもできなくても、三人ならきっとなんとかなる。クルセイダーだって三人で協力して動かしてるだろ」

 ルクリリの力強い言葉はみほの心に深く響きわたった。友達が助けてくれるとわかっただけで、今まで悩んでいたのが嘘のように気持ちが前向きになっていく。
 戦車が一人では運用できないように、一人で悩んでいては問題は解決しない。みほが強くなるためには友達の助けが必要なのだ。

「約束するよ、ルクリリさん。本当に困ったときは必ず二人に相談するね」

 みほはうつむいていた顔を上げると、ルクリリの目を見ながらはっきりと答えを口にした。みほが元気を取りもどしたことが伝わったのか、ルクリリもどこかホッとしたような笑みを浮かべている。
 
 そんな二人の耳に、なにかを地面に落としたような鈍い音が聞こえてきた。二人が音のしたほうに目を向けると、そこには唖然としたような表情で立ちつくすローズヒップの姿。足元には口の空いていない缶紅茶が転がっているので、先ほどの音の正体が缶紅茶を落とした音だとわかる。

 ちなみに、ローズヒップは上は赤いジャケットに黒とグレーのボーダーニット、下はピンクのデニムパンツという服装である。前向きで行動力があるローズヒップには、明るい色がよく似合っていた。

「まさかお二人がそんな関係だったなんて、まったく気づかなかったですわ」

 海が見える公園のベンチで、両手をつなぎながら見つめあうみほとルクリリ。
 たしかになにも知らない人が見たら、恋人同士の触れあいと思われてもおかしくない状態だ。ローズヒップが盛大に勘違いしてしまったのもうなずける。

「なるほど、ルクリリがキスされるのをすごく嫌がっていた理由がわかりましたわ。ルクリリのファーストキスはラベンダーのものだったんですわね」
「そそそ、そんなわけないだろっ! 勘違いするな、このバカっ!」
「ムキになって否定しなくても大丈夫ですわ。お二人が恋仲だったとしても、わたくしたちの友情は不滅でございますわよ。お二人の結婚式には必ず参加させていただきますわ」
「ローズヒップさん、誤解なの! お願いだから話を聞いてよー!」

 結局、この日はローズヒップの誤解を解くだけで一日が終わってしまった。一般的に見れば、有意義な休日だったとはとてもいえないだろう。
 それでもみほにとっては、あれこれ悩む時間を忘れさせてくれた貴重な休日になったのであった。





 聖グロリアーナ女学院の学園艦は熊本県西部の海域に到着した。
 今回の練習試合は黒森峰女学園が試合会場を決めることになっている。黒森峰側が指定してきた会場は黒森峰女学園の学園艦にある演習場であったため、学園艦が停泊中の海域へとやってきたのだ。 
 黒森峰女学園の母港は熊本港なのだが、有明海は大きな学園艦が入りづらいため港ではなく沖合いに停泊しているのである。

 聖グロリアーナの一年生は全員演習場で待機中。一年生以外でこの場にいるのは、今回の練習試合の引率を任されているダージリンとダンデライオン、そして補佐役のアッサムだけだ。

「まもなく黒森峰から迎えがきます。ご丁寧に戦車まで運んでくださるそうなので、いつでも動かせる準備をしておきなさい」
「試合後は黒森峰と合同でお茶会をする予定なので、ティーセットも忘れないようにしてね」

 ダージリンとダンデライオンは一年生に手際よく指示を出していく。
 この二人が引率役なのには大きな理由があった。この練習試合は、どちらの部隊長が上手に一年生をまとめられるかを測るテストでもあるからだ。
 
 今年はすでにダージリンが次期隊長に内定しているので、部隊長が引率役をする意味は薄い。
 しかし、これも長い間続けられてきた伝統。聖グロリアーナで伝統をないがしろにすることは許されることではない。

「お二人とも、迎えがきたようですわ」

 ダージリンとダンデライオンのそばに控えていたアッサムが遠くの空を指差した。そこには巨大な飛行船が二機浮かんでおり、こちらに向かってゆっくりと近づいてくる。

「それにしても、なんで黒森峰の学園艦で試合をやるんですかね? わざわざ飛行船を使うぐらいなら陸でやったほうが楽なのに」
「誰かさんは私たちに黒森峰の学園艦に来てほしいのよ。正確にいえば私たちではなく、あの子が来るのを心待ちにしているの」
 
 ダージリンの視線の先にいるのは、クルセイダーの近くで友達と談笑しているラベンダーであった。
 
「ダージリン、ラベンダーは大丈夫でしょうか? あの子は黒森峰にあまりいい感情を抱いていないはずですが……」
「そんなに心配する必要はなくってよ、アッサム。ラベンダーにはあの二人がついているのだから」
「あの二人が一緒にいるほうがあたしは心配だと思うんですけど……」

 ダンデライオンがジト目で見つめているのは、ラベンダーと談笑しているローズヒップとルクリリだ。
 
「『案ずるより産むが易し』ということわざもあるわ。過度に心配するよりも、今はあの子たちのことを信じましょう」
「また出た。ダージリンさん、黒森峰の前では格言とことわざは自重してくださいね」
「あら、ひどい言いぐさですわね。あなたもニックネームを間違えないように気をつけなさい、ダンデライオン」
「うぐっ! わ、わかってますよ。ニックネームはしっかり名乗ります」
「あなたはクルセイダー隊の隊長なのだから、黒森峰の隊長に名前を覚えてもらう必要があるわ。一字一句間違えないようにしっかりと発言するのよ、ダンデライオン」
「うぇぇぇん! ダージリンさんの意地悪ー!」

 涙目でダージリンの前から走りさるダンデライオン。ダージリンのニックネーム連続呼びは、ダンデライオンにかなりの精神的ダメージを与えたようだ。
 それを見たアッサムは片手を額に当て天を仰いでいた。この二人の面倒も見なくてはならないアッサムにとって、今日は長い一日になりそうである。





 黒森峰女学園の学園艦はみほの記憶通りのままであった。ドイツを模した街並みも、だだっ広い演習場もなに一つ変わったところはない。 
 黒森峰が変わっていないかわりにほには変わったところがある。それは着ているタンクジャケットの色。目の前に整列している黒森峰の生徒たちのタンクジャケットが黒なのに対し、みほが着ているタンクジャケットは赤だ。

 その整列している生徒の中に、みほにとってはある意味まほよりも顔を合わせづらい人物である逸見エリカがいた。
 エリカはみほに向かって鋭い視線を投げかけてくる。みほはそんなエリカを直視できず、目をそらしてうつむいてしまう。

「怖い顔でこちらをにらんでくるかたがいますわね」
「本当ですわ。ルクリリ、もう黒森峰の生徒に喧嘩を売ったんですの?」
「私がそんなことするわけないだろ! お前は私をなんだと思ってるんだ!」
「おほほほ、これくらいのジョークでお言葉を乱すようでは、まだまだ淑女への道は遠いですわよ。あれ? ラベンダー、どうしたのでございますか?」

 みほがうつむいてるのに気づいたローズヒップが心配そうに声をかけてきた。
   
「あの子がにらんでるのは私だよ。逸見エリカさん、前に話した副隊長の……」
「ラベンダーをいじめた子ですわね!」

 ローズヒップはエリカに向かって、うなり声をあげながら思いっきりにらみ返している。みほに暴力を働いたエリカに、ローズヒップはかなりの嫌悪感を抱いているようだ。
 
 ローズヒップからにらまれたことでエリカの目つきはさらに鋭さを増す。エリカの目に恐怖を感じたみほの体は、まるで金縛りにあったように動けなくなってしまった。
 みほはアールグレイの目がエリカに似ていると思っていたが、本物が与えてくるプレッシャーはそれとは比べ物にならないぐらい強烈だったのである。

「ラベンダー、私の後ろに隠れていなさい」

 ルクリリはみほを隠すように立ちふさがった。ルクリリの背丈はみほとあまり変わらないので、十分にエリカの視線をさえぎることができる。
 視界からエリカの姿が消えたことでみほの体の震えは収まるが、同時に自分を情けないと思う気持ちが湧きあがってきた。みほはローズヒップのようにエリカに立ちむかうことも、ルクリリのようにエリカの視線を受け止めることもできなかったのだ。
 
 このまま友達に守られてばかりではいけない。強い心を持って逸見エリカに立ちむかうべきだ。
 みほはそう決意を固め足を一歩前に踏みだそうとするが、それよりも先に事態が動く。

「みなさま、黒森峰の隊長が来られました。聖グロリアーナの生徒らしく、優雅な姿で出迎えましょう」

 ダージリンの言葉を聞いたみほが目を向けると、そこにはまほの姿があった。
 みほがまほの姿を見るのはあの暴言を吐いてしまった日以来だ。みほが最後に見た泣きそうな顔とは違い、まほの表情はキリッと引きしまっている。
 
 黒森峰の隊長に相応しい凛とした姿を見せるまほであったが、みほはその姿に軽い違和感を覚えた。みほは幼少期からつねにまほと一緒に過ごしてきたので、微妙な表情の変化や体調の不良もすぐに気づくことができる。
 
 みほの目にはまほが少し疲れているように映った。
 戦車道全国大会九連覇中の黒森峰女学園を率いているまほ。おそらく、その苦労は並大抵のものではないのだろう。みほも去年中等部で隊長を務めていたが、まほの苦労はそれとは比較にならないはずである。
 
「練習試合を引きうけてくださったこと、感謝いたしますわ」
「こちらとしても聖グロリアーナと試合ができるのはありがたい。一年生にはいい経験になるだろう」
「試合方法は十対十の殲滅戦の予定ですが、すぐに始めますの?」
「いや、一度この演習場をそちらの一年生に案内してから始めようと思う。トモエ、ちょっと来てくれ」
「は、はい! 今行きます西住隊長!」

 まほにトモエと呼ばれたセミロングボブの黒髪の少女が慌てた様子で走ってきた。まほよりも背が低く体型もスレンダーなので、発育のいいまほの隣に立つと違いがよく目立つ。 
 みほはこの少女にまったく見覚えがなかったので、彼女が高等部から入った新隊員だということがわかる。
 
「紹介する。副隊長の深水(ふかみ)トモエ。学年は私たちと同じ二年生だ」
「深水です。よろしくお願いします」

 深水と名乗った少女はダージリンに向かってペコペコ頭を下げた。

「よろしくお願いしますわ。こちらもクルセイダー隊の隊長をご紹介します。出番ですわよ、ダンデライオン」
「はーい。あたしがクルセイダー隊の隊長、ダンデライオンです。よろしくお願いしますね」
「あ、あの。こちらこそよろしくお願いします、ライオンさん」
「ライオンじゃありません! ダンデライオンです!」
「ご、ごめんなさい!」

 トモエは再びペコペコ頭を下げている。
 その姿は常勝軍団である黒森峰の副隊長とは思えない実に気弱なものであった。
 
「ダンデライオン、タンポポの英語名だな。ニックネームはタンポポコーヒーか?」
「おしいですけど違いますね。ハーブティーのダンデライオンティーがあたしのニックネームです。けど、別にタンポポと呼んでくれてもいいんですよ?」
「聖グロリアーナの生徒にとってニックネームは大事なものなのだろう? 間違った名前で呼ぶような失礼なことはできない。ちゃんとダンデライオンのニックネームで呼ばせてもらうよ」
「そ、そうですか……」

 がっくりと肩を落としたダンデライオンの隣で、ダージリンは必死に笑いをこらえていた。
 ダンデライオンの期待に満ちた表情が一転して曇り顔になったことが、笑いのツボに入ったようである。

「トモエ、聖グロリアーナの一年生に演習場を案内してくれ。人手が必要ならうちの一年生を使うといい」
「一年生の人選はどうしますか?」
「誰を使うかはお前に任せる」
「了解しました」

 先ほどまでの弱々しい姿とは打って変わり、きびきびとした動作でまほの命令を遂行するトモエ。命令を与えられると生き生きした姿を見せるところは、戦車に乗るとドジで弱気なところが直るみほに少し似ているのかもしれない。
 
 みほが親近感を覚えながらトモエの姿を目で追っていると、偶然まほと目があってしまった。なんの心の準備もしていなかったみほは思わず視線をそらしてしまい、助けを求めるようにローズヒップとルクリリの手をつかんでしまう。

「ラベンダー、不安にならなくても大丈夫ですわよ。逸見エリカが喧嘩を売ってきたら、わたくしたちが守ってあげますわ」
「前にも話したけど、困ったら遠慮なく私たちを頼りなさい。あのかたは、ラベンダーが一人で相手をできるような人ではないようですわ」

 ローズヒップとルクリリは、みほがエリカに怯えて手をつかんできたと勘違いしているようだ。それでも二人から守ってもらえるという言葉が聞けただけで、みほの心には安堵感が広がっていった。
 二人が一緒ならまほとも向きあうことができる。そう確信したみほはまほがいるほうに目を向けるが、そこで見てはいけないものを見てしまった。

 まほはダージリンたちと話していたときとは違い、冷たい目でみほのことを見ていたのである。
 まほの表情からは親愛の情というものはまったく感じられない。感じられるものがあるとすれば、それは負の感情と呼ばれるものだけだ。

 まほの目を見てしまったみほは、頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けた。背筋には冷たいものが走り、呼吸も徐々に乱れていく。この展開をみほはある程度予想していたが、まほに嫌われることで受ける衝撃はみほの想像をはるかに超えていた。
 みほはローズヒップとルクリリの手をつかむ両手にぎゅっと力をこめる。二人がそばにいてくれることが、崩れそうなみほの心を支える最後の頼みの綱であった。

「ラベンダーのお顔が真っ青になってますの!」
「本当に大丈夫か!?」

 みほの異常に気づいたローズヒップとルクリリが大きな声を出したことで、聖グロリアーナの一年生の間にざわめきが広がる。つねに優雅な態度を崩さないのが聖グロリアーナの作法だが、初めての練習試合にのぞむ一年生には心の余裕がまだ足りていないようだ。

「みなさま、お静かに。聖グロリアーナの戦車道はいかなるときも優雅。アールグレイ様のこのお言葉を思いだして、今一度冷静になりなさい」

 ダージリンがさとすように語りかけるとざわめきはすぐに収まった。

「まほさん、ごめんなさいね。お見苦しいところをお見せしてしまいましたわ」
「……私はなにも見ていない」
 
 まほは一言だけそう告げると、聖グロリアーナの生徒たちに背を向け黒森峰の生徒たちがいるほうへと戻っていった。
 
 まるで二人の心の距離を表しているかのように、まほはみほから遠ざかっていく。友達の手を借りなければ立つことさえできないみほは、黙ってまほの背中を見つめることしかできなかった。

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第十二話 ラベンダーと逸見エリカ

 黒森峰女学園の演習場を走行する三台の六輪軽トラック。このトラックはクルップ・プロッツェといい、黒森峰が隊員の輸送のために使用する車輌だ。
 聖グロリアーナの一年生は三班に分かれて荷台に搭乗し、演習場の案内を受けていた。引率のダージリンたちも分かれてトラックに搭乗中である。

 みほたちは今日の試合でクルセイダーに搭乗する生徒と一緒の班であった。
 この班の引率役はクルセイダー隊の隊長、ダンデライオン。荷台に設置されたベンチシートに座って物珍しそうに演習場を見ている小さな姿は、一年生の中にすっかり溶けこんでいる。
 みほたちはそんなダンデライオンの隣に座っていたが、その表情は普段とはまったく違う。みほは暗い顔でうつむいており、ローズヒップとルクリリは警戒したような顔で運転手をにらんでいた。
 
 ローズヒップとルクリリが運転手をにらんでいるのには理由がある。助手席に座っている深水トモエがこのトラックの運転手に指名したのが、逸見エリカだったからだ。

「二人とも、そんな怖い顔をしていたらダメですよ。試合の前で気持ちが高ぶるのはわかりますけど、それを表に出すのは優雅とはいえません。どうして運転手の子をにらんでいるんですか?」
「タンポポ様、あの子はラベンダーをいじめたのでございますわ」
「えええっ!? 本当ですか!?」

 ダンデライオンは優雅とは程遠い大声で叫んでしまう。そのせいで荷台にいる全員の視線が集まってしまい、ダンデライオンの顔はまたたく間に赤く染まっていく。

「み、みなさんはこんな風に大きな声で叫んではいけませんよ。い、今のは悪い見本ですから。冷静沈着があたしのモットーですから!」

 しどろもどろになりながら言い訳をするダンデライオンであったが、説得力は皆無だ。日ごろからダージリンにいじられて泣きわめいているのを一年生はみんな知っている。
 
「もちろん心得ておりますよ、タンポポ様」
「わざわざ悪いお手本を見せてくださるなんて、本当にタンポポ様は後輩思いのかたですわ」
「私たちもタンポポ様のような淑女になれるように、これからも努力いたしますわ」
「わ、わかってもらえたならいいんです。物分かりがいいみなさんなら、きっと立派な淑女になれるはずですよ」

 一年生にフォローされてあどけない笑顔を見せるダンデライオン。一年生はそんなダンデライオンの姿を優しそうな眼差しで見守っていた。
 ダージリンとはベクトルが違うが、ダンデライオンは一年生からとても好かれているのである。

 クルセイダー隊が微笑ましい光景を見せているなか、助手席のトモエがおずおずと話しかけてきた。

「あ、あの。この先に綺麗な川がありますので、そこで休憩にしたいと思うんですが……、どうでしょうか?」
「あたしたちは別にかまいませんよ。みなさーん、いったん休憩になりまーす」

 ダンデライオンは機嫌がよさそうな声で一年生に呼びかける。先ほどの失態はすでに忘却の彼方へ消えさったようだ。
 
 そんなダンデライオンとは対照的に、まほに拒絶されたみほの心はいまだに晴れない。
 暗い顔をしていてはダメなことはみほもわかっているのだが、頭ではわかっていても心が言うことを聞いてくれないのだ。

 それに追い打ちをかけたのが、このトラックを運転しているエリカの存在だ。
 休憩時間でエリカと再び話す機会があったときのことを考えると、みほの心はますます憂うつになってしまうのであった。
 


 黒森峰の演習場にある川はとても澄んでおり、小石が散りばめられている河原は綺麗な川を眺めることができる。クルップ・プロッツェを降りた聖グロリアーナ一行は、その河原で休憩をとっていた。綺麗な川を前にしても羽目を外す一年生はおらず、川のせせらぎに耳を傾けながら静かに雑談をしている生徒が大半である。

 その大半の中にみほたちは含まれていない。
 みんなが休憩をとっている場所から少し離れたところで、みほたちはエリカと対峙していたからだ。 

「それで、お話とはなんですの?」
「あんたたちに話すことなんてないわ。用があるのはみほだけよ」

 ルクリリの問いかけに不機嫌そうな声で答えるエリカ。

「あなたとラベンダーを二人きりになんてさせませんわ!」
「ふうん、ラベンダーねぇ……」
 
 エリカはローズヒップが口にしたみほのニックネームを小馬鹿にしたように笑うと、冷たい視線をみほに向ける。

「みほ、偽りの名前をもらってお嬢様と馴れあう生活は楽しい? 西住流から逃げて無駄な時間を過ごしてるあなたは、隊長がどれだけ苦労しているか考えたこともないんでしょうね」
「……無駄じゃない」

 今までうつむいたまま黙っていたみほがついに重い口を開いた。友達と過ごしてきた輝かしい日々を無駄扱いされて、黙っていられるわけがない。
 みほは顔を上げると、あれだけ恐れていたエリカの目を正面から見据えた。

「私が聖グロリアーナで過ごした日々は無駄なんかじゃない。どうして逸見さんにそんなことを言われないといけないの?」
「やっとこっちを見たわね。これでようやく本題に入れるわ」
「本題?」
「単刀直入に言うわよ。みほ、黒森峰に戻ってきなさい」

 みほはなにを言われたのか理解できなかった。厳密にいうと、理解することを脳が拒んだのだ。
 黒森峰に戻れ。エリカが発したその言葉は、みほの頭を一気に混乱させる破壊力を持っていた。

「悔しいけど、私じゃあなたのかわりにはなれなかった……。隊長にはみほが必要なの。お願い、黒森峰に戻ってきて」
「い、いや……」
「いやなんて言わせない! 西住流を隊長一人に押しつけてのうのうと暮らしているあんたに、拒否する権利はないわ!」

 みほが蚊の鳴くような声で否定の言葉を絞りだすと、エリカが急に激高した。
 エリカの怒声を受けたみほは恐怖のあまり体が固まってしまう。みほが苦手だったエリカの性格は、中学時代とまったく変わっていないようだ。

「ラベンダーをいじめないでくださいまし!」
「ラベンダーの進む道を決める権利はあなたにはないはずよ」
「部外者は黙ってなさい! みほは聖グロのお遊戯にいつまでも付きあっていい子じゃないの!」
「お遊戯? もしかして戦車道のことを言ってるのか?」

 エリカの物言いにカチンときたのか、ルクリリの言葉づかいが崩れはじめた。
   
「そうよ、あんたたちの戦車道は所詮お嬢様の習いごとだわ。みほの戦車道の才能は、聖グロなんかに置いておくのはもったいないのよ」
「言いたい放題言ってくれるじゃないか。なんなら、このあとの練習試合で試してみるか?」 
「いいわよ。みほの目を覚まさせるにはそのほうが手っ取り早いわ」
「あなたなんかには絶対負けませんわ!」
「ふん、実力の差を思い知らせてあげる。みほ、さっき私が言ったことをよく考えておきなさい。隊長を助けられるのはあなただけなのよ」

 エリカはそう言い残すと、クルップ・プロッツェが駐車してあるほうへと去っていく。
 エリカの言葉は一方的なものばかりであったが、まほのことを心配しているという思いだけはみほにもはっきり伝わった。まほが疲れたような表情をしていたことを考えると、エリカの言い分もあながち間違いではないのかもしれない。
 
 だがしかし、みほが黒森峰に戻る可能性はゼロだ。
 ローズヒップとルクリリがいない高校生活はもうみほには考えられなかった。二人と別れることを想像しただけで胸が張り裂けそうになるのだから、実際にそうなってしまったらみほの心は確実に壊れるだろう。

「久しぶりに頭にきたぞ。あの憎たらしいワニ女に目にもの見せてやろう」
「ワニ女? 逸見さんが?」
「あいつ誰かに似てるなーと思ってたんだけど、今思いだした。愛里寿と一緒に見たボコのDVDに出てきたワニにそっくりなんだ」
「銀色、青い瞳、嫌味な性格。たしかに似てるでございますわ」
「あんなむかつく相手に負けるわけにはいかない。あのワニ女をぎゃふんと言わせてやるぞ!」
「うん!」
「やってやりますわ!」

 相手は強豪中の強豪である黒森峰女学園。もしみほが一人だったなら、立ちむかうことすらできずエリカに屈服していたはずである。
 みほの心が折れずにいられるのは一緒に戦ってくれる友達がいるからだ。そのことを心強く思いながら、みほは打倒逸見エリカに闘志を燃やした。



 結論からいうと、ぎゃふんと言わされたのはみほたちであった。
 黒森峰の戦車隊に囲まれたみほたちのクルセイダーからは白旗が上がり、試合終了を告げる無線が車内にこだまする。

「くそっ! 負けたっ!」
「私たちの完敗だね……」
「悔しいですわー!」

 この試合のルールは十対十の殲滅戦。聖グロリアーナはマチルダⅡ六輌、クルセイダーMK.Ⅲ四輌で試合にのぞみ、みほはクルセイダー隊の指揮官を担当した。
 聖グロリアーナの戦車隊はマチルダ隊とクルセイダー隊の二手に分かれて進軍。装甲が厚いマチルダ隊が正面から突撃し、別方向からクルセイダー隊が強襲する作戦だった。 

 それに対し、黒森峰の戦車隊はⅢ号戦車J型五輌をクルセイダー隊に向けて投入。クルセイダー隊が別行動をするのを読んでしっかりと手を打ってきた。ちなみに黒森峰の戦車隊はⅣ号戦車F2型が五輌、Ⅲ号戦車J型が五輌だ。
 
 Ⅲ号戦車J型隊を指揮していたのはエリカであり、みほのクルセイダー隊は苦戦を強いられる。苦戦した理由は戦車の数と性能の差もあったが、もっとも主な原因は隊員の練度の差。全国から優秀な生徒が集まる黒森峰に比べて、聖グロリアーナは戦車道をやったこともないお嬢様ばかりなのである。

 苦戦した理由の一つには、みほの搭乗している戦車が三人乗りのクルセイダーMK.Ⅲだったこともあげられる。自分の戦車の指揮と砲弾の装填をしながら部隊の指揮までとるのは、いくらみほが優秀な戦車乗りでも負担が大きすぎたのだ。
 
 満足に指揮がとれないだけでなく、聖グロリアーナの戦車道の流儀も守らなくてはならないみほは次第に追いつめられていく。クルセイダー隊がみほたちだけになってしまったころには、すでにマチルダ隊も全滅。マチルダ隊を蹴散らして増援に現れたⅣ号戦車F2型に挟み撃ちにされる形で、最後まで粘っていたみほたちも撃破されたのであった。



 撃破された戦車は牽引車が来るまでその場で待機しなければならない。みほたちはクルセイダーのハッチから外に出ると、牽引車が来るのを静かに待っていた。
 クルセイダーを囲んでいた黒森峰の戦車隊はすでに撤収準備を始めていたが、一輌の戦車がクルセイダーに近づいてくる。エリカが搭乗していたⅢ号戦車J型だ。

「みほ、これでわかったでしょ。あなたは聖グロにいたらきっとダメになる。ぬるま湯につかるのはもうやめにして、黒森峰に戻ってきなさい」

 Ⅲ号戦車から降りたエリカはみほに厳しい言葉を投げかけた。試合に完敗してしまったみほは、なにも言いかえすことができずに下を向いてしまう。

「敗者に鞭を打つのは礼儀に欠けるぞ。礼に始まって礼に終わるのが戦車道だろう?」
「実力がないくせに口だけは達者ね。それにその乱暴な言葉づかい。あんたみたいなエセお嬢様がみほと一緒にいるのは不釣りあいなのよ」
「その言いかたあんまりですの! ラベンダーの次はルクリリまでいじめて……、わたくしの我慢もそろそろ限界でございますわよ!」
「変な言葉づかいのエセお嬢様がここにもう一人いたわね。名門お嬢様学校の名が泣くわよ」

 エセお嬢様。エリカはみほの大切な友達をそうけなした。
 みほはローズヒップが上品なお嬢様になろうと努力しているのを知っている。ルクリリが慣れないお嬢様言葉を使うのに一生懸命なのも知っている。エリカはそんな二人を偽物のお嬢様だと言いきったのだ。
 
 みほの心の奥底から猛烈な怒りが湧きあがってくる。これほどの怒りを感じたのは、母がボコのことを悪く言ったとき以来であった。
 みほは自分が悪く言われるのはいくらでも我慢できる。そのかわり、みほが心から大切にしているものを悪く言われるのは耐えられない。心の中の冷静な部分は愛里寿のようにクールになれと訴えてくるが、未熟なみほはまだ自分の感情を制御することができなかった。

「二人のことを悪く言うのはやめて!」
「な、なによ。急に大きな声を出して……」

 今まで黙っていたみほがいきなり大きな声を出したことに、エリカはたじろいでいる。みほがエリカに怒りをあらわにしたのはこれが初めてのことだった。

「私のことはいくらでも悪く言っていいよ。でも、私の大切な友達を悪く言うのは許さないから!」
「……聖グロに入って堕落したわね。みほ、いい加減に目を覚ましなさい。西住の名を継いでいるあなたは、こんな連中といつまでも付きあっていたらいけないの」
「今の私は西住みほじゃない。私の名前はラベンダーだもん!」
「このわからずや! 私はあなたのためを思って言ってるのよ!」

 みほに釣られたのか、エリカのほうも語気が荒くなってきた。言い争う二人の距離は、手を伸ばせば触れられるところまで近づいている。
  
「逸見さんが思ってるのはお姉ちゃんだけでしょ! 私の気持ちなんて考えたこともないくせに! ローズヒップさんとルクリリさんは私のことをちゃんと見てくれる。口ばっかりの逸見さんとは違うもん!」
「私がどんな気持ちであんたの副隊長をやってたと思ってるのよっ!」

 エリカはみほに向けて平手打ちを見舞った。突然の事態にみほは動けず、勢いよく頬をはたかれ地面に激しく倒れこむ。怒りに任せてみほが口走った言葉は、エリカの逆鱗に触れてしまったようである。

「ラベンダーになにをするんですの!」

 ローズヒップは激しい剣幕でエリカに詰めよるが、それに対するエリカの答えは問答無用のアイアンクローであった。

「あだだだだっ! この、放せですわー!」
「あんたたちみたいなのと一緒にいるから、みほがおかしくなったんだわ!」

 ローズヒップはエリカの手を外そうとするが、両手を使ってもエリカの手は微動だにしない。中学時代から体を鍛えていたエリカだったが、高校に入ってさらに力を増したようだ。

「ローズヒップから手を放せー!」

 地面に倒れたみほを助け起こしていたルクリリは、ローズヒップを助けるためにエリカに向かっていった。それを見たエリカはローズヒップを振り飛ばし、ルクリリの突進をひらりとかわす。そのまま背後に回ったエリカは、ルクリリの左腕をつかんで後ろ手に捻りあげた。

「ぐっ! ちくしょー!」
「威勢がいいのは口だけのようね。あんたたちが束になってかかってきても、私には勝てないわよ」
「ルクリリさんを放してっ!」
「わたくしの堪忍袋の緒もついに切れましたわよ!」
「ふんっ」

 エリカはみほとローズヒップに向かってルクリリを突き飛ばし、三人との距離をとった。

「みほ、あんたの腐った根性を叩きなおしてあげるわ。大事なお友達と一緒にねっ!」

 エリカは怒気をはらんだ目でみほたちを見ている。中学時代のみほはいつもあの目に怯えていたのだ。
 今のみほは中学時代とは違い、エリカの目を見ても怯えることはない。友達を守りたいという強い思いが、恐怖という負の感情に打ち勝っていたからだ。
 
「私はもう逸見さんから逃げない!」
「ぼこぼこにしてさしあげますわ!」
「ワニ女、今度は負けないからな!」

 みほたちとエリカの戦いは戦車を抜きにした場外乱闘に突入。みほが家族以外と喧嘩をしたのはこれが初めてのことであった。


 
 練習試合が終了した演習場では、聖グロリアーナ女学院主催のお茶会が開かれていた。
 聖グロリアーナの一年生はホスト役として黒森峰の一年生を丁重にもてなし、同じテーブルで一緒に紅茶を飲んでいる。試合には完敗したが、それを決して態度に表さないのが聖グロリアーナの流儀なのだ。

 その聖グロリアーナの流儀を豪快に破ってしまったみほたちは、お茶会が行われている会場のすみっこで正座中。三人の目の前ではアッサムが腕を組みながら仁王立ちしており、普段のお説教のときとは違い表情はとげとげしい。

「試合後に乱闘騒ぎを起こすなんて、前代未聞ですわ。あなたたち、少しは恥を知りなさい」

 みほたちのタンクジャケットは土で汚れており、体は擦り傷だらけ。エリカに叩かれたみほの頬は真っ赤になっており、ローズヒップの顔にはアイアンクローの指の跡がくっきりだ。ルクリリに目立った外傷はなかったが、三つ編みがほどけたせいで髪はボサボサである。
 聖グロリアーナの生徒が晒していい格好ではないことは、誰の目にも明らかであった。

「学園艦に戻ったら、あなたたちには私の考えた罰を受けてもらいます。罰といっても、カヴェナンターのような危険なものではないから安心しなさいな」

 みほはアッサムの言葉に黙ってうなずく。今回の失態はなんの申し開きもできそうにない。ローズヒップとルクリリもみほと同じように、アッサムに向かって静かに頭を下げる。
 そんな三人の姿を見たアッサムは一つ大きな息を吐いてから表情を崩した。 

「……反省はしているようですから、今日のお説教はここまでにします。その格好でお茶会に参加させるわけにはいきませんので、あなたたちの紅茶は別の場所に用意しておきましたわ」

 お茶会の会場から少し離れた場所には、ティーセットが置かれたテーブルが用意されている。アッサムは三人が気まずい思いをしないように気を使ってくれたのだ。

 アッサムが用意してくれた紅茶を飲みながら、みほは自分の未熟さを痛感していた。
 今まで失敗をするたびに反省をしてきたが、反省するだけではもうダメだ。これからは二度と同じ過ちを繰りかえさないように、強い心を持たなければならない。
 みほは決意を固めると、気合を入れる意味もこめて熱い紅茶を一気飲みした。ローズヒップと違い紅茶の一気飲みに慣れていないみほは、紅茶が気管に入り盛大にむせてしまう。

「ごほっ、けほっ、けほっ!」
「ローズヒップの真似なんかして、急にどうしたんですの? 背中をさすっててあげるから、ゆっくりせきをしなさい」
「ラベンダーは紅茶の一気飲みに慣れていないようですわね。わたくしがお手本を見せてあげますわ」
「だからっ! 紅茶を一気に飲んでいいとは言ってません!」 
 
 黒森峰との練習試合はみほにとって散々な結果に終わった。まほとはまともに話すこともできず、エリカとは新たな因縁まで作ってしまう始末だ。
 それでも、みほは初めてエリカと正面から向きあい、自分の思いをはっきりと口にすることができた。この出来事はみほの心を大きく成長させる一つの転機となったのである。


◇   


「まほさん、あなたがたの勝利に水を差してしまったことをお詫びいたしますわ」
「謝る必要はない。先に手を出したこちらにも非はある」

 お茶会の会場を見渡せる丘の上でダージリンとまほは紅茶を飲んでいた。テーブルにはダンデライオンと深水トモエも同席している。 
 ダージリンの謝罪の声を聞いてはいるが、まほはダージリンのことを見ていない。まほの視線はさっきからある場所にしか向けられていなかった。

「そんなに妹さんのことが気になりますの?」
「……お前には関係ない」
「そう。ところでまほさん、私は名言集を読むことを日課にしておりますの。過去の偉人たちの言葉は、私たちの人生を豊かにしてくれるヒントを与えてくれるわ。今のまほさんにぴったりの格言がありますので、ぜひ聞いてくださるかしら?」
「格言を言えるなんてすごいですね。物覚えの悪い私には到底真似できないです」
「全然すごくないですよ。格言ばっかりひけらかすダージリンさんの悪い癖には、あたしも困っているんです」

 トモエとダンデライオンはダージリンのほうに顔を向けているが、まほは相変わらずダージリンのほうを見ようとしない。ダージリンはそのことを気にもせずに話の続きを始めた。

「まずはドイツの詩人、ゲーテの言葉ですわ。『憎しみは積極的な不満で、嫉妬は消極的な不満である。したがって、嫉妬がすぐに憎しみに変わっても不思議はない』」
「……何が言いたい」

 まほは初めてダージリンのほうに顔を向ける。その視線はとても鋭く、ダージリンの隣に座るダンデライオンはビクッと硬直してしまう。しかし、まほに視線を向けられた当人であるダージリンは平然とした様子で話を続けた。

「まだまだありますわよ。次は英国の劇作家、シェイクスピアの言葉ですわ。『嫉妬は、自分で生まれて自分で育つ、化け物でございます』」 
「やめろ」

 まほの声に含まれるむき出しの憤怒。ただならぬ雰囲気にトモエはガチガチ震え、ダンデライオンは慌ててダージリンを止めに入る。

「ダージリンさん! 自重してくださいってあれほど言ったじゃないですか!」
「あら、ではこれで最後にいたしますわ。最後は古代ギリシアの哲学者、ソクラテスの言葉をまほさんに贈ります。『ねたみは魂の腐敗である』」
「やめろと言ってるだろっ!」

 怒鳴り声をあげてテーブルに両手を激しく打ちつけるまほ。机に置かれていたティーカップはその衝撃で倒れ、飲みかけの紅茶がテーブルの上に広がっていく。
 まほの隣に座っていたトモエは涙目でダンデライオンに抱きつき、ダンデライオンは地面に押し倒されてしまった。

「ちょ、ちょっと! やめてくださいよ。ダージリンさんが見てるんですから!」
「ごめんなさい、ごめんなさい!」

 半狂乱でダンデライオンにしがみつくトモエを気にも留めず、まほの目をじっと見つめるダージリン。

「まほさん、私の大事な後輩をあのような目で見るのはやめてくださらないかしら。はっきり言って不愉快ですわ」
「くっ! トモエ、帰るぞっ!」
「は、はいっ!」

 まほは逃げるようにその場を立ちさった。そんなまほの後姿をトモエは小走りで追いかけていく。
 トモエから解放されたことでようやく立ちあがることができたダンデライオンは、頬を膨らませながらダージリンに近づいた。

「ダメじゃないですか、ダージリンさん。どうして黒森峰の隊長を怒らせるようなことをしたんですか?」
「黒森峰の隊長は精神的に不安定になっている。この情報の真意を確かめたかったのよ。眉唾物の情報だったけど、あの動揺ぶりを見るとどうやら事実だったようですわね」
「なるほど、そういうことだったんですか。あたしはてっきり、ダージリンさんの悪い癖が病気に進化しちゃったのかと思いましたよ」
「……ダンデライオン、あなたにもぴったりの格言があるのだけど、聞いてもらえるかしら?」
「ひっ! ご、ごめんなさーい!」

 走って逃げだしたダンデライオンの後ろ姿を眺めながら、ダージリンはティーカップを持ちあげる。ダージリンはティーカップとソーサーを手に持っていたので中身の紅茶は無事だ。

「アールグレイ様の夢である打倒黒森峰。今年は達成できるかもしれませんわね」

 ダージリンはそうつぶやくと、冷めてしまった紅茶に口をつけた。

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第十三話 新たな出会いと全国大会

 黒森峰との練習試合に惨敗した数日後、聖グロリアーナでは何事もなかったように戦車道の授業が行われていた。
 一見いつもどおりの授業風景に見えるが、一年生はどの生徒も目の色を変えて訓練に打ちこんでいる。聖グロリアーナの戦車道は試合の勝敗を度外視しているが、あまりに一方的な敗戦を喫したことで一年生にも思うところがあったのだろう。

 そんな一年生の中にみほたちの姿はなかった。
 三人はアッサムの罰を執行している最中であり、戦車道の授業には参加していないのだ。

 みほたちが今いるところは校舎内に設置された茶道室である。
 三人は着物に着替えて畳の上で正座し、普段とは違う厳粛な空気の中で行われているお茶会に臨んでいた。

「お点前ちょうだい致します」

 みほは畳に両手をつき、亭主役の三年生と亭主を補助する半東役の二年生に深くお辞儀をした。畳の上には抹茶が入った茶碗が置かれており、教えられた手順どおりに抹茶を飲んでいく。
 飲み終わったあと飲み口を指先で軽くぬぐい、みほは茶碗を自分の正面に置いた。もちろん指先を懐紙で拭くのも忘れてはいない。

 次に行うのは茶碗の拝見だ。みほは畳に両手のひらをついて上から茶碗を見たあと、両手で茶碗を持ち裏を含めた全体を見回す。
 拝見を終えて茶碗を畳の上に置くと、最後にもう一回茶碗全体を見回し、みほは茶碗の正面を亭主側へと向ける。

 それを見た半東役の二年生が茶碗を下げにやってきた。半東役の二年生は、みほの前で畳に手をつき深々とお辞儀をする。みほもそれに合わせてお辞儀をし、半東役の二年生が茶碗を下げたところで亭主役の三年生から声がかかった。

「合格です。さすがは西住流のお嬢様ですわね。畑違いの茶道でも上達が早いわ」
「ありがとうございます」
「よろしかったら、このまま茶道の道に進みませんか? 歓迎いたしますわよ」
「いえいえ、私なんて全然ですよ。それに私には戦車道がありますから」
「そうでしたわね。残念ですけど、あなたを勧誘するのはやめておきますわ」

 みほをべたぼめしていた亭主役の三年生は、次の番のローズヒップへと目を向けた。

「ローズヒップさんもラベンダーさんをお手本にして、今日こそは成功させてくださいね」
「お任せですわ。わたくし、今日は自信ありでございます」
「期待していますよ。また抹茶を一気に飲むようなことがあれば、容赦なくここから叩きだしますので覚悟しておいてくださいね」
「き、肝に銘じておきますわ」

 亭主役の三年生の鋭い眼光を目にしたローズヒップは冷や汗をかいている。茶道の茶会は、戦車道のお茶会よりも作法に厳しいのだ。



 戦車道の授業はまだ行われているが、茶道の授業を終えたみほたちは一足先に帰宅していた。
 アッサムの罰を受けている間、三人は戦車道の授業に参加することを禁止されているからだ。

「茶道はお堅苦しくて大変でしたわ。ずっと正座しているのはわたくしの性に合いませんの」
「そんなこと言ってるからあの先輩に目をつけられるんだ。ローズヒップの次だったせいで、私まですごいプレッシャーをかけられたんだぞ」
「でも、無事に茶道が終わってよかったね。明日からは華道か……」

 茶道と華道の授業への短期参加。これがアッサムから与えられた罰だ。
 アッサムはみほたちに足りない淑やかさを鍛えるために、茶道と華道の代表に自らかけあい三人の参加を実現させたのである。
 
「またお着物を着て正座でございますか?」
「そこは同じだけど、華道は茶道より大変だぞ。なにしろ美的センスが問われるからな」
「私、華道のほうは自信ないよ……。美術とか苦手だし」

 みほの唯一の苦手科目は美術。とくに苦手なのは絵を書くことで、みほが書いた絵を見て正解を答えられる人はまずいない。

「華道のほうがおもしろそうですの。自分の色を出せるほうがわたくし向きですわ」
「頼むから今度は目をつけられないでくれよ」
「華道が終われば戦車道に戻れるから、みんなで協力してがんばろうね」
「クルセイダーに乗れるまで、あともうひと踏ん張りでございますわね。明日も張りきっていきますわよー!」

 大きな声で気合を入れるローズヒップ。淑やかとはとても呼べない行為だが、ローズヒップは正座でおとなしくしているよりこっちのほうが似合っている。
 アッサムに悪いと思いながらも、みほはローズヒップがこのまま変わらないでほしいと願うのであった。

 
 
 次の日から始まった華道の授業。意外にもみほの生けた花は好評を博した。
 生け花は知識や技術だけでなく、感性や自由な発想も重要である。子供のころ型にとらわれない自由な作戦を考えていたみほにとって、自分の好きに生けることができる生け花は相性がよかったのだ。
 
 ローズヒップとルクリリもとくに問題は起こさなかったため、華道の授業は順調そのもの。この分なら戦車道に復帰できる日もそう遠くはないだろう。

 そんなある日のこと。みほたちは華道の代表から、近々開かれる生け花の展示会へ見学におもむく話を伝えられる。

「五十鈴流の展示会ですか?」
「はい。開催場所は茨城県の大洗町ですわ。華道を履修している生徒は全員参加する予定ですので、あなたがたもぜひ参加してくださいね」 
「また大洗ですの。これで二回目でございますわ」
「私たちは大洗と縁があるみたいですわね。ところでラベンダー、今度はボコミュージアムはなしの方向でお願いしますわよ」
「わ、わかってるよ。いくら私でも同じ失敗を二度はしないもん」

 みほもルクリリと同じように、大洗とは奇妙な巡りあわせを感じていた。
 みほが第一志望校に選んだのは大洗女子学園で、故障したクルセイダーが運ばれたのが大洗の整備工場。その整備工場で愛里寿と出会い、友達になれた場所が大洗のボコミュージアム。そして、今度は大洗で行われる生け花の展示会。
 
 みほの人生に度々登場するようになった大洗という不思議な場所。後にみほは大洗とさらに深く関わることになるのだが、このときのみほはそれを知る由もなかった。



 聖グロリアーナ女学院の学園艦が大洗港に着くと、港には別の学園艦の姿があった。
 聖グロリアーナ女学院の学園艦よりも小さいその学園艦には、艦首に洗の一文字をベースにした校章が描かれている。この大洗港を母港にしている大洗女子学園の学園艦だ。
 
「大洗女子学園の学園艦が来てるね」
「ラベンダーの第一志望だった学校ですわね」
「補給でもしにきたんだろ。ここは大洗女子学園の母港なんだし」

 学園艦にはそれぞれ母港がある。母港には長期の休みや物資の補充の際に帰港するのが一般的で、聖グロリアーナ女学院の学園艦も母港である横浜港によく立ちよっていた。

 大洗港に降りたったみほたちは、華道を履修している生徒と一緒にさっそく展示会へと向かった。
 展示会の会場はアクアワールド茨城県大洗水族館。大洗港からそれほど離れていない距離にあるので、会場への移動も実にスムーズだ。

 展示会へ到着したあとは自由行動である。
 みほたちはほかの生徒にならって、のんびりと生け花の鑑賞を楽しむことにした。会場には様々な作品が飾られており、三人は生け花の感想をそれぞれ言いあいながら会場を歩いていく。
 その中にある一つの作品の前でみほは足を止めた。作品の作者を示すプレートには、五十鈴華という名前が書かれている。

「五十鈴華さんって五十鈴流の家元の子で私たちと同い年なんだよね?」
「うん。パンフレットには大洗女子学園に通う一年生だって書いてあったな」
「大洗の学園艦が入港していたことを考えると、こちらに来ているのかもしれないですわね」

 同い年の少女の作品に興味を持ち、じっくりと鑑賞するみほたち。生け花の良し悪しがわかるほど華道を習っていない三人であったが、目の前の作品が自分たちとはレベルが違うことぐらいはわかる。
 花の色使いやバランスもしっかり整えられており、どこを見ても悪い点は見当たらない。さすがは家元の子の作品だなと、みほは素直に感心していた。

「すごくきれいだね。私の作品と違って基本がしっかりしてるよ」
「たしかにいい作品だと思うのでございますが、わたくしはもっと明るい色が多いほうが好みですわ。この作品は少しインパクトに欠ける感じがしますの」
「ローズヒップの作品は派手だからな。あれと比べたら、どんな作品も印象が薄くなると思うぞ。まあ、私もちょっと個性が弱いなとは感じたけど」
「あの、少しよろしいでしょうか?」

 みほたちがいろいろと作品の感想を言いあっていると、後ろから声がかけられた。
 三人が声のしたほうに振りむくと、そこにいたのは着物姿の黒髪の少女。少女からは淑やかで柔和な雰囲気が感じられ、みほたちよりもお嬢様然としている。

「あなたは?」
「私は五十鈴華と申します。みなさんが見ていらっしゃった作品は、私が生けさせてもらいました」

 みほの問いかけに少女が答えた瞬間、ローズヒップとルクリリは気まずい顔になった。よりによって作者の目の前で、作品を悪く言ってしまったのだから無理もない。

「あ、あのっ! 私たち、生け花のことはあまりよくわからなくて……、気を悪くされたんなら謝ります」
「私は怒ってなんていませんよ。素直な感想をいただけるのはありがたいことですから。それに、個性が足りないのは私も薄々感じていましたので……」

 華は憂いを帯びた表情で自分の作品を見つめている。
 みほはなんと声をかけるべきか迷ったが、みほが声をかけるより先に華のほうが話しかけてきた。

「ところで、みなさんは聖グロリアーナ女学院の生徒さんですよね。やっぱり華道を履修なさっているのですか?」
「わたくしたちが履修しているのは戦車道ですわ」
「戦車道……。あの、もしよろしければ、どのような活動を行っているのか教えてもらってもいいですか? 大洗女子学園には戦車道がないものですから」
「別に構いませんわよ。では最初に、私たちがよく乗っている戦車であるマチルダの話を……」
「ちょっと待ったーですわ! ここはクルセイダーの話をするべきでございますわ」

 ローズヒップが横槍を入れてきたことで、ルクリリの表情が少しムッとしたものに変わった。

「マチルダは聖グロリアーナの主力戦車ですのよ。攻守のバランスがとれてるマチルダのほうが、戦車道を知らないかたにも説明しやすいはずですわ」
「なにも知らないからこそ、まずは興味をもってもらえることが重要でございますわ。鈍足で地味なマチルダより、快速のクルセイダーのほうが華やかですの」
「マチルダだ!」
「クルセイダーですわ!」
「あわわっ、二人ともこんなところで喧嘩しちゃダメだよ。茶道と華道で学んだことを忘れないで」

 言い争いを始めたローズヒップとルクリリを懸命になだめるみほ。他校の生徒の前で恥を晒してしまっては、今まで学んだすべてのことが無駄になってしまう。
 
「……そうだな。せっかく淑やかさを学んだのに、それを台無しにするわけにはいかない。ごめんな、ローズヒップ」
「わたくしのほうこそムキになりすぎましたわ。マチルダのことを悪く言ってごめんなさいですわ、ルクリリ」

 みほの思いが通じたのか、ローズヒップとルクリリはすぐに仲直りをしてくれた。茶道と華道で学んだことは、二人にいい影響をもたらしているようである。
 その様子を見たみほがほっと胸を撫でおろしていると、話を中断されてしまった華が不思議そうな顔で声をかけてきた。 

「あの……」
「あ、話の腰を折っちゃってごめんなさい」
「いえ、それは別にいいんですが、どうしてハーブティーや紅茶の名前で呼びあっているんですか?」
「私たちはニックネームで呼びあうのが決まりなんです。私のニックネームはフレーバーティーのラベンダーですよ」

 その後、みほは聖グロリアーナの伝統のことや戦車道のことなどを華に説明した。みほは幼いころから戦車道を学んでいるので、戦車道をわかりやすく魅力的に説明することは難しいことではない。
 みほの説明は好評だったようで、華は次々に質問を投げかけてきた。どうやら戦車道にかなりの興味を持ったようである。

「戦車道は楽しそうでいいですね。私にもできるでしょうか?」
「戦車道は女の子なら誰でもできるから問題はないですけど、五十鈴さんには華道があるんじゃないですか?」
「私、最近自分の華道に迷いが生まれてしまって……、なにか別の新しいことに挑戦したいと思っていたんです。華道とまったく違う戦車道は、私が思い描いていたイメージにぴったりなんです」

 みほには華の気持ちが少しだけ理解できた。みほも聖グロリアーナに入学するまでは、戦車道のことで悩んでいた時期があったからだ。
 もっとも、みほと華では悩みの質は異なる。華が自分の華道に悩んでいるのに対し、みほは自分の戦車道の在り方自体には悩みはなかった。

「でも、大洗は戦車道が廃止になっていますわよね。どうなさるおつもりなんですの?」 
「そんなの簡単でございます。五十鈴さんが聖グロに転校してくればいいんですわ」
「それはいくらなんでも無茶だよ。五十鈴さんにも都合があるだろうし……」
「大洗で戦車道が復活してくれるのが一番いいんですけど、そううまくはいきませんよね」

 四人でなにかいい案がないかと考えこんでいると、後ろから華の名を呼ぶ明るい声が聞こえてきた。
 全員で振りかえってみると、そこには大洗女子学園の制服を着た生徒が立っている。ふわっとした茶色の髪が特徴的な優しそうな顔をした少女だ。

「華ー、来たよー。あれ? 華のお友達?」
「五十鈴さんとはさっき知りあったんです。あ、私の名前はラベンダーって言います」
「えっ! もしかして外人さんなの? えーと、ハウアーユー?」
「沙織さん、違いますよ。ラベンダーさんはどう見ても日本人じゃないですか。彼女たちはニックネームを名乗る決まりがあるんです」
「やだもー! それを早く言ってよ!」

 華に沙織と呼ばれた少女は赤くなった顔に両手を添え、イヤイヤをするように首を振っていた。お淑やかな華とは違い、かなり感情表現が豊かな少女のようだ。

 少女の名は武部沙織といい、華とは親友の間柄であるとのことだった。
 四人が戦車道のことについて話していたことを告げると、沙織は微妙そうな表情を浮かべている。沙織はあまり戦車道に興味はないらしい。

「華がやりたいっていうのを否定はしないけど、私はパスかなー。戦車道は今どきの女子高生っぽくないし」
「そんなことはありませんわ。聖グロリアーナでは戦車道は人気の選択科目ですわよ」   
「戦車道はなんと言っても乙女のたしなみでございますからね。女として磨きをかけたいなら、戦車道一択ですわ」
「……もしかして戦車道って女子力上がる? モテる?」
「うーん、上がるんじゃないでしょうか? 私のお姉ちゃんも戦車道をやってるんですけど、男の人からもよくファンレターをもらってましたから」
「やっぱり私もやる!」

 先ほどまでのやる気のなさはどこへいったのか、沙織はすっかりやる気満々の様子だ。沙織の中では、モテるかモテないかが重要なウェイトを占めているようである。 

「沙織さん、やる気になっているところ申し訳ないんですが、大洗は戦車道が廃止になっているんです」
「そうなの? なら生徒会に掛けあって戦車道復活させようよ」
「生徒会とのコネもないのにどうやって掛けあうんですか?」
「それはその……。ラベンダーさん、なにかいい案はない?」
「ふえっ!? えーと、最初は動かせる戦車があるか探してみてはどうでしょうか? ひょっとしたら、昔使っていた戦車がまだ残っているかもしれないですよ」

 大洗は戦車道が盛んだった時期があるので、戦車が残っていてもおかしくはない。もちろんそれは可能性の話であり、現実的に考えると望みは薄いだろう。
 みほとしては苦しまぎれの提案だったのだが、沙織はすでに戦車を探す気になっているようだ。

「華、明日から戦車探そう。私の友達に頭の良い子がいるから、その子にも一緒に探してもらえるように頼んでみる」
「わかりました。みんなで戦車を見つけて、生徒会に戦車道の復活をお願いしましょう」
「よーし、目指せ女子力アップ!」

 拳を真上に突きあげ、大きな声で宣言する沙織。
 明るく元気な沙織はどこかローズヒップと似ているところがあり、みほにとっては好印象の人物であった。伝統を持つ流派の生まれという共通点がある華に対しても、みほはいい印象を抱いている。
 
 もし大洗女子学園に入学していたら、この二人と友達になる未来もありえたのかもしれない。みほはそんなことを考えながら、戦車探しの計画を練っている沙織と華の姿を見つめていた。



 聖グロリアーナ女学院の学園艦は大洗港を出港し、穏やかな海を悠々と航行中だ。
 今日は土曜日であり学校は休み。にもかかわらず、みほたちは学校の演習場に集合しており、その場には太陽に照らされてきらめくクルセイダーとマチルダの姿がある。

「今日はよく晴れた絶好のクルセイダー日和ですわ。久しぶりに飛ばしますわよー!」
「私たちはみんなより練習量が不足してるからな。この連休で遅れを取りもどすぞ」
「うん。武部さんと五十鈴さんも全国大会を見にきてくれるって言ってたし、活躍できるようにがんばろうね」

 もうすぐ戦車道全国大会の季節がやってくるが、勝利は二の次の聖グロリアーナは学校が休みの土日と祝日は訓練をしない。戦車道は部活ではなく授業だからだ。
 みほたちは茶道と華道に参加していたことで生じた練習不足を解消するために、アールグレイから休日訓練の許可を取ったのである。
 
「あのワニ女を今度こそぎゃふんと言わせてやりたいしな。ラベンダー、どっちから乗るんだ?」
「最初はクルセイダーかな? 逸見さんに負けたときの反省を活かして、動きの質と砲撃の精度をもっと上げたいから」
「今度は絶ッ対に勝ってみせますわ! ラベンダー、遠慮はいらないのでガンガン指示を出してくださいまし。目標にするのは、囲まれても負けなかった愛里寿さんのクロムウェルの動きでございますわ」
「愛里寿ちゃんの動き……」

 西住流のみほには愛里寿のような動きはできない。あれは島田流を学んできた天才の愛里寿だからこそできた神業なのだ。
 
 それでも、みほは愛里寿の動きに挑戦することを決めた。黒森峰は無策で勝てる相手ではないことは、練習試合で思い知らされている。簡単に真似できることではないのは百も承知だが、試してみる価値は十分にあった。 

「見よう見まねだけど、愛里寿ちゃんの動きをやってみよう。かなり激しい動きになると思うけど、二人とも大丈夫?」
「どんと来いですわ!」
「ワニ女に勝てるならなんだってやるぞ!」

 ローズヒップとルクリリの元気な返事にうなずき、クルセイダーを静かに見据えるみほ。目は真剣そのものであり、どことなく中学最後の全国大会の姿を彷彿とさせる。みほがこのような姿を見せたのは、聖グロリアーナに入学して初めてのことだ。
 
 この日から、全国大会へ向けた三人の休日返上の特訓が始まったのであった。  

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第十四話 ラベンダーとアールグレイ

 みほたちが休日に訓練を行うようになったことは、聖グロリアーナに大きな変化をもたらした。
 三人が休日返上で特訓をしていることを知った一年生が、休日訓練に参加するようになったのである。参加する人数は日に日に増していき、今ではほとんどの一年生が参加していた。

 人数が増加したことによって、訓練のバリエーションも大幅に増えた。今までは個人の技量を上げることしかできなかったが、複数の車輌を使った連携の訓練ができるようになったのだ。
 訓練の指揮はみほが執ることになり、わかりやすく丁寧な教えかたは一年生に好評であった。
 
 しばらくすると一部の二年生も加わり、休日訓練がかなりの大所帯になってきたころ。いつものように訓練を始めようとしたみほたちの前に、クロムウェルに乗ったアールグレイが姿を見せた。

「ラベンダー、私も訓練に参加していいかしら?」
「私は別に構わないですけど……アールグレイ様は大丈夫なんですか?」
「私を心配する必要はありませんよ。今日の仕事はもう片づけてきましたし、あとを任せた副会長は優秀な子ですから」

 アールグレイはみほが仕事のことを心配していると勘違いしたようだが、みほが心配しているのはアールグレイの体調のほうだ。 
 
 アールグレイは休日でも学校で仕事をしている。みほたちがこうやって訓練を行うことができるのも、アールグレイが監督をしているという名目があるからだ。
 大海原を航海する学園艦を円滑に運営していくためとはいえ、アールグレイの仕事量は激務といってもいい。戦車道は体力を使うので、アールグレイの体調をみほが心配するのは当然である。

「それに、もうすぐ全国大会も始まります。明日からは私も積極的に授業に参加しますので、少しでもクロムウェルに慣れておかないといけませんわ」

 アールグレイは今まで搭乗していたチャーチルではなく、全国大会ではクロムウェルに搭乗する予定になっていた。
 アールグレイが慣れ親しんだチャーチルではなく、クロムウェルに搭乗する理由。それは愛里寿が練習試合で見せた動きが神がかっていたことが原因だった。完璧ともいえる愛里寿の動きを見てしまったことで、ほかの生徒たちはクロムウェルに搭乗するのを尻込みしてしまったのだ。

 OG会を説得して導入したクロムウェルを全国大会で使わないわけにはいかない。アールグレイは自分がクロムウェルを使用することを決断し、チャーチルをダージリンに託したのであった。

「アールグレイ様、私に手伝えることがあったらなんでも言ってください。クロムウェルには私も乗ったことがないんですけど、少しくらいならアドバイスできると思います」

 みほは西住流の修行と図鑑で得た知識のおかげで、様々な戦車の情報が頭の中に入っている。愛里寿の動きを見ていたことで、クロムウェルのこともある程度把握していた。

「ラベンダー、あなたは本当に優しい子ですね」
「ふえっ!? あの、アールグレイ様?」

 アールグレイは突然みほの頭を撫ではじめた。その顔はとても穏やかで、みほを撫でる手つきはとても優しい。
 逸見エリカに容姿が似ていたことでみほは最初アールグレイのことが苦手だったが、今ではそういった感情は微塵も湧いてこなかった。
 
 生徒たちのために身を粉にして働き、愛里寿が体験入学をしていたときはみほと愛里寿を誰よりも気づかってくれたアールグレイ。そんなアールグレイのことをみほは心から尊敬しており、容姿のことはすでに気にならなくなっていたのである。

「……全国大会が終わったら、あなたに言わなければならないことがありますわ」
「私にですか?」
「ええ。今は話すことができないけど、すべてが終わったら必ず話します。申し訳ないですけど、もう少し待っていてください」
「はい。わかりました」

 みほに関係する話といえば戦車道のことである可能性が高い。おそらく聖グロリアーナの戦力を強化していることに関係があるのだろう。
 アールグレイの話が少し気になったみほであったが、すぐに頭を訓練に切りかえた。今やるべきことは全国大会に向けて少しでもいい準備をすることだけだ。 

 勝つことがすべてではない戦車道を掲げる聖グロリアーナだが、全国大会は優勝を目標にしている。卑怯な手段は使わず、正々堂々と戦って優勝しなければいけないので目標のハードルは高い。
 
 困難な戦いになることは間違いないが、みほは高校生になって初めての全国大会に気合が入っていた。
 黒森峰にいたときとは違い、今は友達や尊敬できる先輩が一緒に戦ってくれる。みほがやる気になる理由はそれだけで十分であった。



 組み合わせを決める抽選会も終わり、いよいよ全国大会の幕が切って落とされた。
 
 高校生の全国大会には四強と呼ばれている優勝候補の学校がある。
 九連覇中の王者、黒森峰女学園。ソ連製の優秀な戦車を多数保有しているプラウダ高校。戦車保有数全国一位で三軍まであるサンダース大学付属高校。そして、最後の一校がみほの通う聖グロリアーナ女学院である。
 
 抽選の結果、聖グロリアーナ女学院は黒森峰女学園がいるAブロックに入った。プラウダ高校とサンダース大学付属高校がBブロックに入ったので、うまい具合に四強が分かれた形だ。
 聖グロリアーナ女学院の入った山はとくに手ごわい相手はいない。順調にいけば、最大の壁である黒森峰女学園と準決勝で戦うことになるのは間違いなかった。 
  


 聖グロリアーナ女学院は一回戦でワッフル学院を、二回戦でヴァイキング水産高校を難なく撃破し、準決勝に駒を進めた。
 
 一回戦と二回戦は参加車輌数が十輌と少なかったのだが、みほたちはマチルダⅡで二試合とも出場。任せられた役割はフラッグ車であるチャーチルの護衛だ。
 全国大会の試合形式はフラッグ車を撃破すれば勝利となるフラッグ戦。そのフラッグ車を守る役目を一年生で与えられたことは、三人が期待されていることの表れであった。
 
 車長のルクリリはチャーチルの盾になるようにしっかり指示を出し、みほもそれに答える形でマチルダⅡを懸命に操縦。見事にフラッグ車の護衛という大役を果たし、周囲の期待に答えることができた。ちなみに、ダージリンを守る役目をもらったことで、ローズヒップのテンションが普段とは違い上がりっぱなしだったのは言うまでもない。
 
 準決勝の相手は大方の予想通り勝ちあがってきた黒森峰女学園。
 みほにとって因縁の相手である黒森峰女学園との戦いは、すぐそこまで迫っていた。



 迎えたAブロック準決勝当日。
 準決勝の試合会場は平原と山で構成されており、山の中には観光用に復元された大きな城がある。この城は近々大規模改修を行うことが決定しているので、試合で壊れたとしても問題はなかった。

 準決勝は今までと違い、参加車輌数は十五輌。
 一、二回戦では出番のなかったクルセイダー隊も、車輌数が増えたことでようやく出番が回ってきた。みほたちはそのクルセイダー隊の一員として、準決勝に出場している。
 
 現在、みほたちはクルセイダーを降り、山の中の城で偵察に出ている真っ最中であった。
 その理由は簡単だ。聖グロリアーナの戦車隊は少数を残して壊滅し、城の本丸で籠城している状態だからである。

「黒森峰の戦車隊は正面の広場に集まってる。フラッグ車のティーガーⅠは最後尾だね」
「あっ! ワニ女のⅢ号戦車だ。なんとかあいつだけでも倒せないかな?」
「Ⅲ号戦車は後方にいますわね。正面を突破して近づくのは、かなり難易度が高いミッションですわよ」

 みほたちは高所に設置された物見櫓に登り、双眼鏡を使って偵察を行っていた。
 双眼鏡に映るのは、堀に囲まれた本丸前の広場に続々と集結する黒森峰の戦車隊。どうやらすべての車輌がそろってから、聖グロリアーナの戦車隊が立てこもっている本丸に突入する腹積もりのようだ。

「突入は時間の問題かな。早くみんなのところに戻ろう」

 みほは偵察を打ちきることを決め、友人二人とともに仲間たちが待つ本丸へと向かった。


 
 天守閣前の広場に停車している聖グロリアーナの戦車は全部で四輌。
 アールグレイのクロムウェル、ダージリンのチャーチル、ダンデライオンのクルセイダーMK.Ⅱ。そして、みほたちのクルセイダーMK.Ⅲだ。

 みほたちの持ち帰った情報をもとに、残った一同は紅茶を飲みながら作戦会議を開いている。一見余裕そうに見える行動だが、それは見せかけにすぎない。
 ダージリンですら背中にびっしょりと汗をかいているのだから、聖グロリアーナが切羽詰まっている状態なのがよくわかる。

「ごめんなさいね、ダージリン。あなたには相当な負担をかけてしまいました。私のクロムウェルをフラッグ車にできればよかったのですが……」
「アールグレイ様、私のことはお気になさらずに。チャーチルを任されたのですから、多少の苦難は承知の上ですわ。それに、チャーチルがフラッグ車を務めるのは聖グロリアーナの伝統。伝統を軽んじるわけにはいきませんわ」

 聖グロリアーナのフラッグ車はチャーチルでなければならない。これはチャーチルが導入されてからずっと守られてきた伝統であった。  
 OG会の中では穏健派であるチャーチル会も、大会前は必ずフラッグ車をチャーチルにするようにと念押ししてくる。もしこの伝統を破ってしまえば、チャーチル会が激怒するのは想像に難くない。

「それにしても、黒森峰の隊長の鬼気迫る様子には驚かされましたわ。執拗にチャーチルばかりを狙ってくる姿には、殺気のようなものまで感じましたから」
「チャーチルはもうボロボロですね。白旗が上がってないのが不思議なレベルですわ」
「マチルダ隊が守ってくれましたからね。彼女たちの犠牲がなければ、とっくに走行不能になっていましたわ」

 そう話すアッサムの背中もダージリン同様汗まみれ。トレードマークともいえる縦ロールの金髪も、心なしかへたっているように見える。
 ルクリリがボロボロと評したチャーチルもひどい有様だ。あちこちに砲弾を受けたせいで塗装は剥がれ落ち、装甲も一部が破損していた。はっきりいって、ここまで逃げてこれたのが奇跡ともいえる損傷具合である。

「『藪をつついて蛇を出す』。これは私も誤算でしたわね」
「はいはいはいっ! その言葉知ってますの。余計なことをすると、かえって悪い結果を招くという意味のことわざですわ。ダージリン様、ラベンダーのお姉様になにをしたのでございますか?」 
「それはですね。ダージリンさんが……」
「ダンデライオン、こんなことわざを知っているかしら? 『口は災いの元』。この言葉の意味、賢いあなたなら当然知っているわよね?」
「も、もちろんです。黒森峰の隊長はなんで怒ってるんでしょうかね? あ、あたしには見当もつきませんよ」

 ダージリンに威圧され、すぐさま意見をひるがえしたダンデライオン。声がどもっているところを見ると、どうやら相当焦っているようだ。
 ダージリンとまほの間に起きたいざこざ。そのことが気になるみほであったが、その思考はアールグレイのパンパンと手を叩く音にさえぎられてしまう。

「時間もあまりありませんし、雑談はこれくらいにしましょう。みなさま、私から一つ提案があります。成功する可能性は低いかもしれませんが、やってみる価値はあると思いますわ」

 アールグレイの作戦は部隊を二つに分けることだった。
 本丸には正門以外に裏門も存在する。正門で味方が敵を食い止めている間に一輌が裏門から抜けだし、黒森峰のフラッグ車の背後をつくというのがアールグレイの策だ。
 
 みほたちのクルセイダーMK.Ⅲは、その重要な任務を帯びた一輌に指名された。
 クルセイダーMK.Ⅲの素早さと火力、そして三人の連携力の高さが考慮された形だが、みほの表情には困惑の色が浮かんでいる。 

 こそこそと相手の裏を取る作戦はとても優雅とはいえない。現状の戦力差で正面から戦っては勝ち目がないとはいえ、このような作戦を実行していいのかとみほは疑問に思ったのだ。
 アールグレイはそんなみほの感情を読みとったのか、みほと正面から向きあい話を続けた。

「ラベンダー、あなたが戸惑うのも無理はありません。聖グロリアーナの戦車道は優雅でなくてはならない、そう教えてきたのは私ですから」
「あの、アールグレイ様。どうして急に考えを変えたんですか? この作戦もそうですけど、クロムウェルや愛里寿ちゃんの体験入学も、全部聖グロリアーナが勝つための策ですよね?」
「……聖グロリアーナは世間からは四強と呼ばれていますが、実際はほかの三校に大きく水をあけられています。とくに黒森峰とは……。私が入学してから、聖グロリアーナは黒森峰に一度も勝ったことがないの。一年生のときに黒森峰に大敗して味わった悔しさは、今でも忘れられませんわ」
 
 みほの疑問に答えたアールグレイの言葉には、強い感情がこもっていた。つねに優雅を地で行くアールグレイが、人前でこんな姿を見せたことにみほは驚いてしまう。

「黒森峰に勝ちたい、それが私の夢でした。ですが、聖グロリアーナの戦車道は試合の勝ち負けにこだわるものではありません。私もその考えを尊重しておりますので、今までは心に秘めるだけでなにも行動は起こしませんでしたわ。でも、今年になって私の考えを変える出来事が起こったの。中学生の戦車道全国大会でチームを優勝に導いた隊長が、聖グロリアーナに入学してくることがわかったのですわ」

 アールグレイの話に口を挟むものは誰もいない。その隊長が誰であるかは、ここにいる全員がすでに知っているからだ。

「中学生の全国大会は私も拝見しておりましたので、正直心が躍りましたわ。この子がいれば黒森峰に勝てるかもしれない、そう考えた私はクロムウェルの導入を推し進め、来年のことも見据えて愛里寿さんの体験入学の話を島田家に持ちかけました。生徒会への根回しももうすぐ完了します。私が卒業したあとも、生徒会は戦車道チームの良い味方になってくれるはずですわ」

 生徒会への根回し。これはみほには思いもよらないことであった。
 アールグレイが日々忙しそうに仕事をしていたのは、すべて戦車道チームのためだったのである。

「ラベンダー、前にあなたに話があると言いましたよね。私はクロムウェルや愛里寿さんの件で、あなたの名前をダシに使ったことを謝りたかったのです。本当にごめんなさい……あなたが聖グロリアーナに入学することになった経緯を知っておきながら、それを利用するような真似をしてしまいましたわ」
「アールグレイ様、その件に関しては私も同罪です。GI6と一緒にラベンダーのことを調べていたのは私ですから……。ラベンダー、あなたの過去を探ったりしてごめんなさい」

 アールグレイとアッサムはみほに向かって深々と頭を下げた。
 アッサムの話に出てきたGI6とは、聖グロリアーナの情報処理学部第六課のことだ。GI6は対戦相手の偵察や戦車道に関する様々な情報提供などで、戦車道チームを陰ながら支えてくれている。情報処理学部の生徒であるアッサムは、このGI6と協力して偵察活動を行っていた。   

「わわっ! お二人とも、頭を上げてください。私のほうこそ、アールグレイ様とアッサム様に迷惑ばっかりかけてごめんなさい!」

 みほは二人に向かって勢いよく頭を下げた。そのせいで謝罪を受けたほうも一緒になって頭を下げるという、かなり珍妙な光景ができあがってしまう。

「ふふっ、ラベンダーまで頭を下げてしまっては収拾がつかなくてよ。あなたもそう思うわよね、タンポポライオン」
「あたしのニックネームはダンデライオンです!」
「あら、ごめんなさいね。こんな失礼なミスをしてしまうなんて、私も少し疲れているようですわ。次からは間違えないように気をつけますわね、ダンデライオン」
「まったく、次はちゃんとダンデライオンって呼んでくださいね。……あれっ?」
「タンポポ様が墓穴を掘ってますの」
「タンポポ様、私たちもダンデライオン様と呼ばせてもらってもよろしいですか?」
「絶対にダメっ! もうっ! あなたたちはすぐ調子に乗るんだから」

 ローズヒップとルクリリをたしなめるダンデライオンだが、いつもと違ってダージリンにいじられても泣きわめかない。そのことを不思議に思ったみほであったが、この場の空気が和やかになっていることがわかると、ある一つの答えが思い浮かんできた。
 
 おそらく、あれはダージリンのジョークだったのだろう。ダンデライオンもそのことがわかっているから過剰に反応しないのだ。いつも喧嘩が絶えない二人だが、こういった意思疎通ができるあたり、実は相性がいいのかもしれない。

 ダージリンとダンデライオンが話を進めやすい空気を作ったことで、アールグレイは作戦の細かい指示を出し始めた。
  
「ラベンダー、私が正門で敵を引きつけます。黒森峰はクロムウェルを一番警戒しているでしょうから、私が囮になるのが最適のはずですわ。あとのことはあなたに任せます」 
「はい!」
「ダージリン、あなたのチャーチルはもう戦える状態ではありません。ここで防御に徹して時間を稼いでください」
「わかりましたわ」
「ダンデライオン、あなたにはチャーチルの護衛を任せます。装甲の薄いクルセイダーには難しい任務になりますが、あなたの奮闘に期待します」
「ご期待に応えてみせます!」
 
 最後の指示を出し終えたアールグレイは、その場にいる全員を見渡しながら締めの言葉を口にした。

「作戦会議はこれで終わりにしますわ。みなさま、聖グロリアーナの意地を黒森峰に見せてあげましょう」

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第十五話 決着と始動

 十連覇を目指す黒森峰女学園の準決勝ということもあり、観客席には大勢の人が詰めかけていた。観客が見つめる先には試合映像を流している大型ビジョンがあり、そこには本丸への進撃を開始した黒森峰の戦車隊が映っている。
 その観客の中に、聖グロリアーナ女学院の応援にやってきた沙織たちの姿があった。

「麻子、どうしよう。このままだとラベンダーさんたちが負けちゃうよ!」
「……落ちつけ沙織。観客席の私たちが騒いだところで、どうすることもできん」

 沙織は右隣に座っている黒髪の少女を両手でゆさゆさと揺らす。
 麻子と呼ばれた黒髪の少女は、激しく揺さぶられているのに表情は眠そうだ。さっきまでうつらうつらと船をこいでいたので、眠気がまだ完全に消えていないのだろう。
 
「沙織さん、今はラベンダーさんたちのことを見守りましょう」 

 沙織の左隣で食い入るように大型ビジョンを見つめる華。その大型ビジョンでは、黒森峰の戦車隊が固く閉ざされた城門を砲撃中である。
 この城門を抜けて二の丸に侵入し、そこにある本丸の正門さえ突破してしまえば、聖グロリアーナの戦車隊はもう目前だ。

「沙織、五十鈴さんの言うとおりだぞ。それに、聖グロはまだ勝負を諦めてはいないようだ」
「えっ!? 麻子、なんでわかるの?」
「聖グロの戦車が一輌裏門に向かってる。本丸を抜けだして黒森峰の背後に回るつもりなんだろう」

 大型ビジョンは画面を四分割して試合の様子を流している。
 麻子が指差しているのは、両チームの戦車が色分けされた駒になっている戦略ゲーム風の画面。その画面では、聖グロリアーナの戦車を示す青い駒の一つが本丸の裏門に向かっていた。
 カメラのほうもその動きに気づいたようで、裏門に向かっている戦車の映像が大型ビジョンに映しだされる。

「あっ! ラベンダーさんだ!」
「あの子が沙織に入れ知恵した子か」
「入れ知恵ではありませんよ。ラベンダーさんは、私たちが進もうとした道の手助けをしてくれたんです」
「その結果、私まで戦車探しに巻きこまれることになったわけだが……」
「かわりに毎日起こしに行ってあげてるんだからいいじゃん。私のおかげで遅刻もだいぶ減ったでしょ?」
「……それについては感謝してる。最近はそど子のやつも静かになったしな」

 そど子とは大洗女子学園で風紀委員をしている二年生のことだ。本名は園みどり子というのだが、麻子は名前を略してそど子と呼んでいる。
 一年生でありながら、麻子はすでに遅刻の常習犯。風紀委員にも目をつけられており、なかでもそど子はとくに口うるさく説教をするので、麻子が一番煙たがっている人物であった。

「ところで、どうしてラベンダーさんはティーカップを持っているんだ?」
「あれは聖グロリアーナの伝統なんだって。一滴の紅茶もこぼしちゃいけないらしいよ」
「いや、それは無理だろ。そもそも戦車に乗りながら紅茶を飲むことに、いったいなんの意味があるんだ?」
「聖グロリアーナの戦車道は優雅でなければいけないと言っていましたから、たぶんそれと関係があるんですよ」
「戦車と優雅……正直まったく結びつかない言葉だな。それにラベンダーさんには優雅というより、勇敢という言葉のほうが似合ってる。両手がふさがってる状態で戦車から身を乗りだすのは、相当な勇気がいるだろうからな」

 戦車のハッチから上半身を出しているラベンダーの左手にはティーカップが握られ、右手は無線機のマイクをつかんでいた。
 ラベンダーは平然とした顔で戦車を指揮しているが、あのような無謀な行動は簡単にできるものではない。もしあの状態で戦車が衝突でもすれば、体が外に投げだされてしまうのは間違いないだろう。

「ラベンダーさんって戦車に乗ると雰囲気変わるんだね。ほんわかしてる感じの人だと思ったけど、今はすごくカッコいいもん」
「はい。あの体勢で微動だにしないのは本当にすごいです。それだけ試合に集中しているんですね」
「私も戦車に乗ればラベンダーさんみたいになれるかな? あんな風にカッコよく振舞えたらきっとモテるよね?」
「そんなことより、ラベンダーさんはどうするつもりなんだろうな? 向かっている先には黒森峰の戦車が待ちかまえてるぞ」
 
 本丸の裏門を抜けても二の丸に出ただけにすぎない。黒森峰のフラッグ車がいる三の丸に向かうには、黒森峰の戦車が群がっている門とは別の城門を抜ける必要がある。
 その城門の前に立ちふさがる一輌の戦車。大きな車体に長い砲身を持つその戦車は、ラベンダーの戦車よりも強そうに見える。それに加えて、もう一輌の黒森峰の戦車がその場に向かっており、このまま進めば二対一の不利な状況になるのは明らかだ。

「あんな大きな戦車に勝てるわけないじゃん! ずるいよ黒森峰!」
「ルールは守ってるんだから、別にずるくはないだろ」
「大丈夫ですよ沙織さん。ラベンダーさんは全然ひるんでいません」

 本丸の裏門を突破したラベンダーは、城門に陣取る黒森峰の戦車を前にしても慌てた様子は見せない。それとは逆に、黒森峰の戦車に乗っている黒髪の少女は目に見えてうろたえている。
 車長が動揺しているせいなのか、黒森峰の戦車の砲撃はラベンダーの戦車にまったく当たる気配がなかった。

「それにしても妙だな。なぜラベンダーさんは撃ち返さないんだ?」
「きっとなにかいい作戦があるんですよ。私たちはそれを信じて応援しましょう」
「ラベンダーさん、がんばれー! 黒森峰なんてやっつけちゃえー!」

 黒森峰の戦車の砲撃を避けながら堀のほうへと向かうラベンダー。増援に現れた黒森峰の戦車はその動きに気づいたようで、対面側の堀へと向かっていた。


◇  


「深水さんのティーガーⅡと戦う必要はありません。ローズヒップさん、作戦どおりお堀に向かってください」
「了解ですわ」

 城門を守っている深水トモエのティーガーⅡは、正面から戦って勝てる相手ではない。クルセイダーとは比較にならない装甲と火力を持っており、性能だけ見れば天と地ほどの差がある。このような厄介な相手はフラッグ戦なら無視するのが一番いい。

「ルクリリさん、ここからは動きが激しくなります。私の足をしっかりつかんでいてください」
「わかった。絶対に放さないから安心してくれていいぞ」

 ルクリリは砲手席から離れてみほの足を抱きかかえている。これが両手のふさがっているみほが不動の体勢でいられる理由だ。
 
 三人乗りのクルセイダーMK.Ⅲは車長が砲弾を装填する。しかし、単身で黒森峰のフラッグ車に挑むのに、みほがいちいち砲弾を装填していたのでは勝ち目は薄い。
 そこでみほは、一撃で勝負を決めるという賭けに出た。フラッグ車のティーガーⅠを撃つまで砲撃はせず、敵の砲撃の回避に専念することにしたのだ。
 車長が操縦手の目になれば回避率は大幅に上がる。みほがハッチから身を乗りだし、車内無線のマイクを握っているのはそのためであった。
 
 両手がふさがることで体勢が不安定になるデメリットをルクリリにカバーしてもらい、みほは戦車の指揮にすべての集中力を傾けていた。
 ちなみにティーカップを手放すという選択肢は初めから存在しない。伝統を守ることは試合の勝敗よりも優先されるからだ。

「この先にある船着き場からお堀を飛びこえます。ローズヒップさん、私が合図したらリミッターを解除してください」
「ついにクルセイダーの本領を発揮するときがきましたわね」

 この城は二の丸と三の丸の間に城壁がなく、距離もそれほど離れてはいなかった。堀を小船で一周するために作られた船着き場付近はスペースが広く、最高速度のクルセイダーが助走をつければ堀を飛びこえられる。
 かなり危険な行為だが、ローズヒップとルクリリの二人と一緒なら必ず成功するとみほは確信していた。

「ローズヒップさん! 速度を落として!」

 ローズヒップがブレーキを踏んだことでクルセイダーは減速。それと同時に、クルセイダーの進行方向の地面に砲弾が着弾し、土煙が舞いあがる。あのままの速度で進んでいれば、クルセイダーに砲弾が命中したのは間違いないだろう。

「逸見さん……」

 クルセイダーに向かって砲撃をしてきたのは、逸見エリカのⅢ号戦車であった。Ⅲ号戦車は堀を挟んだ反対側を並走しており、エリカはキューポラから上半身を出してみほのことを見据えている。
 それに対し、みほは顔を背けずにしっかりとエリカの目を見つめ返す。逸見エリカから逃げ回っていた西住みほはもういないのである。

「リミッターを解除してお堀を越えたら、逸見さんを振りきってフラッグ車を目指します。ローズヒップさん、お願い!」
「頼むぞローズヒップ。ワニ女に目にもの見せてやれ!」 
「任せてくださいまし!」

 ローズヒップがリミッターを解除したことでクルセイダーは急加速し、並走していたⅢ号戦車を一気に引き離す。そのままスピードを落とすことなく船着き場に到着すると、クルセイダーは堀に向かって大ジャンプを決行した。
 
 華麗なジャンプで堀を越え、地面に勢いよく着地するクルセイダー。着地の衝撃でみほのティーカップからは紅茶がこぼれてしまうが、みほの体はルクリリがつかんでくれていたおかげで無事だ。

 みほがすぐさま周囲を確認すると、エリカのⅢ号戦車がこちらに向かってくるのがわかった。
 遠目から見たエリカの表情は焦っているように見える。クルセイダーの大ジャンプは、エリカにとって予想外のことだったのだろう。

「ここからはスピードが命です。エンジンが故障する前にフラッグ車を叩きましょう」
「スピードを出すことなら誰にも負けませんわ!」

 最高速度が出ているクルセイダーを嬉々として操縦するローズヒップ。久しぶりのリミッター解除にかなり興奮しているようである。

「ルクリリさん、もう大丈夫なので砲手席に戻ってください。砲撃のタイミングは私が指示します」
「十分に気をつけるんだぞ。試合に勝つのは大事だけど、怪我をしたら元も子もないからな」
「うん、わかってる。……いつも心配してくれてありがとう」

 みほが感謝の意を伝えると、ルクリリは少し顔を赤くして砲手席に戻っていった。素直な好意に弱いのは相変わらずらしい。

 エリカのⅢ号戦車は追撃してくるが、クルセイダーとⅢ号戦車の距離は徐々に離れていく。整地で時速40kmほどのスピードしか出せないⅢ号戦車が、最高速度のクルセイダーに追いつけるわけがない。
 エリカをうまくやり過ごせたことにみほが胸を撫でおろしていると、ダージリンから通信が入った。

『ラベンダー、そちらの状況はどうかしら?』
「こちらは今のところ順調です。本隊のほうは大丈夫ですか?」
『こちらも順調と言えればよかったのだけど、残念ながらそううまくはいかないわ。アールグレイ様のクロムウェルが撃破されて、こちらはあと二輌。今はタンポポが黒森峰の目を引きつけてくれているところよ』
 
 聖グロリアーナはみほたちを入れて残り三輌。数字だけみれば絶望的だが、この試合はフラッグ戦。チャーチルから白旗が上がる前にティーガーⅠを倒せば、聖グロリアーナの勝ちだ。

「わかりました。本隊が全滅する前にフラッグ車を叩きます」
『私たちもできる限り時間を稼ぎますわ。ラベンダー、あとは任せましたわよ』 
「はい!」

 はっきりとした返事でダージリンとの通信を終えるみほ。その目にはかつてないほどの力強さが宿っていた。



 三の丸を爆走するクルセイダーの前に、ついに黒森峰の戦車隊が姿を現した。
 その数はわずかに三輌。どうやら残りのほとんどの戦車は本丸のほうに向かっているようだ。その三輌の中に黒森峰のフラッグ車であるティーガーⅠの姿があった。

「フラッグ車を発見しました。これより突撃します」 

 クルセイダーが砲撃できるチャンスは一回のみ。そのチャンスをものにするには、ティーガーⅠにできるだけ接近しなければならない。
 それを邪魔するかのように、ティーガーⅠの近くにいた二輌の戦車がクルセイダーに向かってきた。走攻守すべてにおいてバランスがとれている優良戦車、パンターG型である。 

「パンターをどうにかしないとフラッグ車にはたどり着けない。確実なのは撃破することだけど、それだと時間がかかりすぎる」

 ルクリリが砲手席に戻ったので砲撃はできる。装填をルクリリにしてもらえば、多少不利だがパンターと戦うことは可能だ。
 とはいえ本隊が残り二輌なことを考えると、パンターと戦うのは得策ではない。

「パンターの隙をついて突破したあと、一気にフラッグ車に肉薄して決着をつけます」

 二輌のパンターと後方のティーガーⅠからクルセイダーに向けて砲撃が放たれる。クルセイダーの進路を予想した砲撃はまさに正確無比。もしクルセイダーがリミッターを解除していなければ、回避し続けるのは困難だっただろう。
 
 クルセイダーのスピード。みほの的確な指示。そして、ローズヒップの運転技術。
 この三つが合わさることで、クルセイダーはなんとか黒森峰の攻撃を耐えしのいでいた。みほの額には大粒の汗が浮きでており、激しい動きを続けたせいでティーカップの中身はすでに空だ。
 
 少しでも気を抜けば撃破されてしまう状況のなか、じっと反撃の機会をうかがうみほ。最初で最後のチャンスを活かすために、集中力は極限まで研ぎすまされている。
 その待ちに待ったチャンスがついにやってきた。二輌のパンターの砲撃がほぼ同時に行われたのである。
 必勝を期する渾身のダブルアタックをクルセイダーは紙一重で回避。パンターの砲撃の脅威が一時的に途切れたことで、みほは即座に決断を下す。
 
「戦車前進! 二輌のパンターの間を抜けてください!」

 クルセイダーは一直線に突っ走り二輌のパンターを突破。すぐさまティーガーⅠから砲弾が飛んでくるが、クルセイダーはそれも回避してみせた。パンターを抜けた瞬間に攻撃をしてくるだろうことをみほは読んでいたのだ。
 障害がなくなったことでクルセイダーはティーガーⅠに突撃をかける。狙うは堅牢なティーガーⅠの弱点である背面のエンジン部分。
 
「背面に回りこみます!」
「わたくしにお任せでございますわ!」
 
 ローズヒップはクルセイダーをドリフト走行させて、見事にティーガーⅠの背面をとった。ティーガーⅠはクルセイダーに向けて砲塔を回転させているが、タイミングは一歩遅い。
 勝った。みほは勝利を確信し、ルクリリに砲撃の指示を出そうとする。そのとき、みほは驚くべき光景を目撃してしまった。

「えっ?」

 信じられない光景を前にして思わず絶句してしまうみほ。
 みほの眼前では、ティーガーⅠのキューポラから上半身を出したまほがぼろぼろ涙を流していた。絶望したような顔でみほを見るまほの姿は、痛々しいの一言につきる。
 初めて見た姉の泣き顔にみほは激しく動揺。空のティーカップは手を離れて落下し、ルクリリへの指示も頭から抜け落ちてしまう。

 この一瞬の出来事が試合の勝敗を分けた。

 動きが止まったことで無防備になったクルセイダーの側面に砲弾が命中し、クルセイダーからは白旗が上がる。
 みほは宙に投げだされそうになるが、片手で車体をとっさにつかんだことで事なきを得た。直前にティーカップを落としていたことが幸いしたのだ。
 みほが砲撃を受けたほうに目を向けると、エリカのⅢ号戦車の砲身から煙が出ているのが見えた。みほはまたしてもエリカの前に敗北を喫してしまったのである。

 それとほぼ同時刻に、チャーチルが撃破されたことが場内にアナウンスされる。
 これにより、聖グロリアーナ女学院の第六十二回戦車道全国大会は終わりを告げた。





「負けてしまいましたね。あと少しのところだったんですが……」
「ラベンダーさんは結局一発も撃たなかったな。もしかしたら、なにかトラブルがあって砲撃ができなかったのかもしれない」
「戦車道という武芸は一筋縄ではいかないんですね。私たちの目指す道は想像以上に険しいみたいです」
「まあ、私たちはまだ舞台にすら立っていないけどな。ん? どうした沙織?」

 試合が終わってから沙織は一言も言葉を発していない。真剣な眼差しで大型ビジョンを見つめる沙織の姿は、普段とは様子が違っていた。

「麻子。私は確信したよ」
「なにをだ?」
「戦車道はモテる」
「またその話か。いいか沙織、ラベンダーさんの姿が華やかで魅力があったことは認めるけど、あれは常人にできるようなことじゃないぞ」
「それは私もわかってるよ。でも、だからって諦めたくない。私がモテるために足りなかった要素が、戦車道には詰まってるんだもん!」

 麻子に力説する沙織は鼻息が荒くなっており、かなり興奮している状態である。ラベンダーの華麗な戦いに沙織はすっかり魅せられてしまったようだ。

「五十鈴さんからも沙織に言ってやってくれ。あれは天才のなせるわざだって」
「たしかに、すぐにラベンダーさんのようになるのは無理かもしれません。けれど、挑戦することは別に悪いことじゃないと思います。それに冷泉さんだって、マニュアルを読んだだけですぐに戦車が操縦できたじゃないですか」
「あれは動かせただけだ。私にはあの操縦手のような才能はない」
「私たちの中では麻子が一番運転上手じゃん。練習すればもっとうまく動かせるようになるよ。お願い麻子、私たちの練習に付きあって」
「……しょうがないやつだ。朝起こしに来るのを忘れるなよ」
「やったー! 麻子、ありがとう!」

 沙織は麻子の手を取ると大きく上下に動かした。表情にはあふれんばかりの笑みが浮かんでいる。
 元気いっぱいの沙織に麻子はされるがままだが、嫌そうな顔はしていない。どうやら二人は強い信頼関係で結ばれているようだ。

「あ、もちろん華も手伝ってくれるよね?」
「はい。三人であの戦車を乗りこなしましょう」
「華が森の中で戦車を見つけてくれたおかげで、私の希望の道が開けてきたよ。よーし、みんなでがんばろー!」

 華が森の中で見つけたのは、ビスだらけでポツポツしている小さな戦車であった。はっきりいって、しっかり手入れされている聖グロリアーナの戦車と比べると、みすぼらしい感じは否めない。
 それでも、沙織にとってはやっと見つけることができた貴重な戦車だ。沙織は率先して自動車部に協力をお願いしたり、洗車を熱心に行うなどしたりして、あの戦車に情熱を注いでいた。

「がんばるのも大事だが、まずは人材の確保を優先するぞ。最低でもあと一人はいないと、生徒会に部活動の申請ができん」
「部として認められれば、いろいろと活動もやりやすくなりますからね。戦車を置く場所も自動車部のみなさんから借りてる状態ですし……」
「本格的にやるなら地に足をつけたほうがいい。わかったか沙織、……聞いてないみたいだな」

 キラキラ輝く瞳で虚空を見つめる沙織。先ほどの麻子と華の会話は、まったく耳に入っていないようである。

「私もラベンダーさんみたいなカッコいい戦車乗りになってみせる。そしたらモテモテ間違いなしだもん!」

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第十六話 カチューシャと深水トモエ

「ごめんね……。私が判断を誤ったから負けちゃった」

 白旗を上げたクルセイダーの隣で、みほはローズヒップとルクリリに頭を下げる。まほの泣き顔を見たことで頭が混乱し、ルクリリへの指示が遅れたことは弁解の余地がない。
 涙を流さないように耐えていたみほであったが、頭を下げたことで瞳に溜まっていた涙が一粒地面に落ちていく。

「頭を上げてくれ! あれはラベンダーのせいじゃない! 指示を待ってるばかりでなにもしなかった私のせいだ。私が早く撃てばよかったんだ……」

 沈痛な面持ちで自らを責めるルクリリ。みほのように涙を見せることはないが、その表情には悲愴感が漂っている。
 
 一度しかない砲撃のタイミングを決めるのはみほの役目だ。ルクリリは車長の指示に従っただけでなんの非もない。
 いつも自分を心配してくれる優しいルクリリに、悲痛な思いを味合わせてしまった。そのことが深い後悔となって、みほの心に重くのしかかってくる。

「ルクリリさんはなにも悪くない! 私が全部悪いの!」
「違う! 私が悪いんだ!」

 責任の所在をめぐって、みほとルクリリは口論になってしまう。大好きな友達と争うことになったみほの涙腺はついに決壊し、止めどなくあふれる涙が頬を濡らしていく。
 
 どちらも自分が責任を取ろうとしている二人の悲しい争い。そんな争いを終わらせたのは、額に手を当ててずっと考えごとをしていたローズヒップであった。

「お二人とも、こんな言葉をご存知でございますか? 『我、事において後悔せず』。」

 ローズヒップの発言にみほとルクリリは思わず顔を見合わせた。格言を使ったこの独特な言い回しに二人は嫌というほど覚えがある。

「今のは剣豪、宮本武蔵の言葉ですわ。失敗したことを後悔しても無意味ですの。大事なのは失敗したことを反省し、次に同じ失敗をしないこと。わたくしたちの戦いは、まだ始まったばかりでございますわよ」

 二人を諭すローズヒップはまるで本物のダージリンのようだ。みほとルクリリは口論するのも忘れて、ローズヒップの言葉に聞きいっていた。
 
「だから喧嘩はやめてくださいまし。お二人が言い争う姿を見るのはつらいですわ……」
「ローズヒップ……。そうだな、お前の言うとおりだ。ラベンダー、この話はもうやめにしよう」
「うん。不安な気持ちにさせてごめんね、ローズヒップさん」
「わかってくれたらいいんですの。そうだ、仲直りの記念にみんなで肩を組んで帰るでございますわ」
「そ、それはさすがに恥ずかしいよぉ」
「そんな姿を見られたらダージリン様に怒られるぞ。あなたたち、肩を組んで歩くなんて下品な行為は優雅とは言えませんわよってな」

 ローズヒップに触発されたのか、ダージリンの口調を真似ておどけるルクリリ。言葉づかいだけでなく、表情もダージリンを模した自信満々のどや顔だ。少し演技が過剰気味なところはあるものの、特徴はしっかりと捉えている。
 
 それを見たみほは笑みをこぼしそうになったが、すんでのところで持ちこたえた。ルクリリの背後に立っている人物に気がついたからだ。みほの隣にいるローズヒップも顔面蒼白である。

「ルクリリ、いったい誰の真似をしているのかしら?」
「もちろんダージリン様……」
「あら、私はそんな顔をしているようにあなたに見られているのね。いい勉強になりましたわ」

 ルクリリに向かってニッコリと微笑むダージリン。それを見たルクリリは、まるでヘビににらまれたカエルのように固まってしまった。表情は笑顔でも、ダージリンの目はまったく笑っていなかったからだ。
 
 よく見ると、その場にいるのはダージリンだけではない。どうやら本丸まで生き残ったメンバーは全員ここに集まっているようだ。
 その中の一人であるダンデライオンは、まるでこの世の終わりが来たような顔でアッサムにしがみついていた。

「ダージリンさんの悪い癖がローズヒップちゃんにうつった……。あ、悪夢です。アッサムさん、あたしはこれからどうしたらいいんですか?」
「タンポポ、そんなに悲観することはありませんわ。今回のようにプラスの作用をもたらすなら、いっそ諦めて許容してしまうという手も……」
「あたしには無理っ! 格言とことわざはもうお腹いっぱいですー!」
「待ちなさいダンデライオン。まだ試合終了のあいさつが残っていますよ」
 
 アールグレイの制止の声が聞こえなかったのか、ダンデライオンはキンキン声を張りあげて走りさってしまう。体が小さくすばしっこいので、ダンデライオンの姿はあっという間に見えなくなった。

「アッサム、ダンデライオンを連れもどしてください。聖グロリアーナの生徒が礼を怠るわけにはいきません」

 礼節を尊ぶことは聖グロリアーナの戦車道の根幹。どんな形で試合が終わったとしても、それを疎かにしてはならない。
 対戦相手、審判団、観客。そのすべてにあいさつを終えなければ、聖グロリアーナでは試合が終わったことにはならないのだ。

「わかりましたわ。あなたたちも手伝ってちょうだい」
「はい。隊長のことなら私たちに任せてください」

 アッサムが手伝いを頼んだのは、ダンデライオンのクルセイダーに搭乗していた生徒たちであった。彼女たちはアッサムと同級生だが、ニックネームを持っていないのでアッサムには敬語で話す。

「それにしても、隊長はダージリンさんの癖が本当に苦手なようですわね。一年生のときにがんばりすぎたのが、まだ尾を引いてるみたいですわ」
「隊長はダージリンさんとずっと張りあってましたからね。よくご一緒にお泊り会をしていたみたいですし……」
「ダージリンさんのあの癖が原因でお二人が親密な関係になれないと思うと、残念でなりませんわ」
「無駄話はそこまでにして、早く探しに行きますわよ」

 クルセイダーの乗員を引きつれてダンデライオンを探しに向かうアッサム。アールグレイはそんなアッサムたちの姿を見送ると、次にみほたちのほうへと体を向けた。

「最後に悔いのない良い試合をすることができました。ありがとう、これもあなたたちのおかげです」
「アールグレイ様……。あの、勝てなくてごめんなさい」
「ラベンダー、どうして謝るのかしら? 聖グロリアーナの戦車道は結果がすべてではない。私はそう教えてきましたわよ」
「でも、黒森峰に勝つのはアールグレイ様の夢だったのに……」
「そのことなら別に気にする必要はありませんわ。私は今まで黒森峰のフラッグ車に近づくことすらできませんでしたが、あなたたちがそれを覆してくれました。それだけで十分です」

 柔和な笑みを浮かべているアールグレイの表情はとても満足そうだ。その笑顔は、同性であるみほが思わずドキッとしてしまうほど美しかった。
 みほたちに感謝の言葉を述べたアールグレイは、最後にダージリンの正面に立つ。顔は穏やかなままだったが、目にはどこか真剣な色が宿っている。

「ダージリン、あなたは私よりも優秀な隊長になれるはずですわ。来年は私もOG会に入りますので、多少の融通は利かせることができます。戦車の車種と戦術に関しては難しいですが、それ以外はあなたの好きなようにやりなさい」
「アールグレイ様のご期待を裏切らないよう、精一杯務めさせていただきますわ」

 ダージリンの返答に大きく一つうなずいたアールグレイ。
 それはアールグレイの戦車道が終わりを告げた瞬間であり、新しい聖グロリアーナの戦車道がスタートした瞬間でもあった。




 
 準決勝の激闘が終わったあとの観客席には、まだ多くの観客が残っていた。
 大勢の観客が残っている理由は、聖グロリアーナ女学院のあいさつを見届けるためである。聖グロリアーナの全生徒が一列に並んで礼をする光景は壮観であり、それを目当てにしている戦車道ファンも多い。

 そんな観客席の中に、異様に目立つ二人組がいた。一人は小学生ほどの背丈しかない金髪の少女、そしてもう一人は背が高い黒髪の無表情な少女。
 この二人がなぜ目立っているかというと、それは黒髪の少女が金髪の少女を肩車しているからだ。

「聖グロは来年厄介な相手になりそうね。ダージリンがあのラベンダーって子を使いこなしたら面倒だわ」
「もう来年のことを考えているのですか? まだ決勝戦が残っていますよ」
「試合中に泣きだすような隊長がいる相手に、このカチューシャ様が負けるわけがないわ。今年の優勝はプラウダがもらったようなものよ」

 金髪の少女の発言からは自信と余裕が感じられる。カチューシャと名乗ったこの少女は、Bブロックを制して決勝進出をはたしたプラウダ高校の副隊長を務める二年生であった。

「サンダースのファイアフライに追いまわされて、泣きそうになっていたのは誰ですか?」
「なんでノンナがそのことを知ってるのよ!」
「カチューシャと同じ戦車に乗っている同志から聞きました」
「あの子たちはー! あとでシベリア送りにしてやるんだからー!」

 カチューシャにノンナと呼ばれた黒髪の少女。彼女はカチューシャの同級生で、砲手としての能力が高く、他校からも警戒されている優秀な戦車乗りだ。身長が低いことにコンプレックスを抱いているカチューシャを肩車するなど、常日頃から献身的に彼女を支える姿はプラウダでは有名である。 

「ところでカチューシャ。ダージリンさんには会っていきますか?」
「今日はやめておくわ。今度会ったときにカチューシャが優勝した姿を見せつけて、目いっぱい悔しがらせてやるから」
「では、今日はもう帰りますか?」
「その前に黒森峰のところに寄っていくわ。カチューシャの恐ろしさを連中の胸に刻んであげるの」
「わかりました」

 カチューシャとノンナは観客席をあとにすると、黒森峰の生徒が集合している場所へと向かった。



 黒森峰女学園が拠点にしていたのは試合会場近くの森の中だ。試合が終わった今、森では黒森峰の生徒たちによる撤収作業が行われていた。
 
「ごめんなさい。西住隊長は気分が優れないそうなので、誰にも会いたくないそうです」

 カチューシャの前にやってきた副隊長の深水トモエは、謝りながら何度も頭を下げている。
 謝罪を繰りかえすトモエに対し、ぶすっとしたような表情で腕組みをしているカチューシャ。意気揚々とやってきたのに肝心の隊長が出てこないのだから、カチューシャの機嫌が悪くなるのも当然である。
 ちなみにカチューシャはノンナに肩車をしてもらっていない。トモエがすぐに頭を下げるせいで、カチューシャの目線よりも頭が上に来ることが少ないからだ。
 
「聖グロリアーナの方々が先にここへ来たはずですが、まほさんは誰ともお会いにならなかったのですか?」
「はい。西住隊長は試合が終わってからずっとテントにこもってしまって……。聖グロリアーナに通っている西住隊長の妹さんは会いたがっていたんですが、隊長は会いたくないの一点張りでした」 

 困惑したような顔でノンナの質問に答えるトモエ。
 そんなトモエに向かって、カチューシャは不機嫌そうな顔のまま質問を投げかけた。

「あなたはティーガーⅡの車長をやってた副隊長よね? ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
「なんでしょうか?」
「聖グロのクルセイダーに突破されたあと、どうしてそのまま門の前に残ってたのよ? もう門を突破しようとしてくる敵がいないぐらいわかったはずでしょ。あなたもⅢ号戦車と一緒にクルセイダーを追いかけるか、本丸に突入でもすればよかったじゃない」
「あの、私は西住隊長から門を守るように命令されていたので……」
「バッカじゃないの! あんたの頭はなんのために付いてるのよ! 命令されたことしかできないなら、田んぼに立ってるかかしと変わんないわ!」
「ご、ごめんなさい! ごめんなさい!」

 カチューシャに怒鳴られたトモエは涙声で再び頭を下げる。
 その姿を見たカチューシャの表情はさらに険しさを増していく。異様に腰が低いトモエの態度は、カチューシャの怒りに火を注いでしまったようだ。

「そのペコペコ頭を下げるのもやめなさい! あんたは私と同じ副隊長なんでしょ! そんなみっともない姿を見せるんじゃないわよ!」
「ひっ! あ、あの、ごめんなさ……」
「ノンナ!」
「はい」

 ノンナはトモエに素早く近づくと後ろから羽交い締めにした。ノンナに体を拘束されたことで、トモエは身動きができなくなってしまう。
 突然動きを封じられパニックになるトモエであったが、助けを呼ぶことはできなかった。トモエの体の自由を奪ったノンナは、次に言葉で彼女の抵抗する意思を奪ったのだ。

「静かに。騒ぐと痛い目を見ることになりますよ」

 自分よりも背が高く、力も強い相手にトモエはあっさり屈服。
 そのままノンナに言われるがままにトモエは地面に膝をつく。立膝になったことでトモエとカチューシャの頭の高さが同じになり、二人は真正面から視線を合わせることになった。

「いい、副隊長は部隊の中で二番目にえらいのよ。その副隊長があんな情けない姿を見せてたら、部隊の士気に関わるわ。次からは簡単に謝らないこと。わかったわね?」

 カチューシャの言葉にトモエはコクコクとうなずいた。カチューシャの言葉が柔らかくなったことで、引きつっていたトモエの表情も徐々にほぐれていく。

「それと、隊長の命令に従うのはたしかに大事だけど、思考を停止していいわけじゃないわ。優秀なカチューシャのようになれとは言わないけど、ある程度は自分で考えることも必要よ」
「……あの、どうして私にアドバイスをしてくれるんですか?」
「そんなの決まってるじゃない。カチューシャの晴れ舞台の相手が泣き虫ばかりじゃ締まらないからよ。隊長はどうしようもないみたいだから、あなただけでもしっかりしなさい」

 自分の意見を包み隠さず話すカチューシャの物言いは、ともすれば相手を不快にさせてしまうようなものだ。彼女は好かれる人にはものすごく好かれるが、嫌われる人にはとことん嫌われるだろう。
 カチューシャの前でひざまずいている深水トモエは前者であった。

「カチューシャさんってカッコいいですね」
「カッコいい……カチューシャが?」
「はい。今まで私のことをそんな風に叱ってくれる人はいませんでした。自信あふれる態度も、自分の意見をはっきり言える意思の強さもステキです。それに加えて、こんな怖い人まで従えちゃうなんて憧れちゃいます」
 
 先ほどの一件のせいで、トモエからすっかり悪いイメージを持たれてしまったノンナ。それでもノンナの表情にいっさい変化はなく、ずっと無表情を貫いたままだ。
 一方、トモエから尊敬の視線を浴びることになったカチューシャ。その表情はさっきまでとは違い、思いっきりゆるんでいた。
 
「そ、そう。あなたなかなか見所があるじゃない。名前はたしか深水トモエだったわよね?」
「はい。私の名前をご存知だったんですね」
「黒森峰の副隊長の名前だもの、事前に調べておくのは当然よ。よし、今日は気分がいいから特別にあなたに愛称をつけてあげるわ。えーと、トモエだから……トモーシャなんてどうかしら?」
「愛称までいただけるなんて感激です。ありがとうございます!」

 トモエはうっとりしたような表情でカチューシャのことを見ている。最初にあれだけ怖がっていたのが嘘のような変わりようであった。 

「カチューシャ、そろそろ帰るお時間です」
「わかったわ。トモーシャ、決勝戦でカチューシャの本気をあなたに見せてあげるから」
「私もカチューシャ様に失望されないようにがんばります。あ、少々お待ちください」

 カチューシャたちを待たせたトモエは近くのテントに入っていく。少ししてテントから戻ってきたトモエの手には、大きめの袋が握られていた。 
 
「これをどうぞ。黒森峰名物のノンアルコールビールです」
「あら、悪いわね。そうだ、今度プラウダの学園艦にいらっしゃい。おいしいロシアンティーをごちそうしてあげるわ」
「はい! 必ず伺わせていただきます」
「いい返事よ。それじゃ、決勝戦でまた会いましょう。ピロシキ~」

 ロシア料理の名前を別れ言葉にして、カチューシャは大きな袋を手に去っていった。袋が重いせいなのか歩きかたはぎこちないが、表情は満面の笑みだ。
 えっちらおっちら歩くカチューシャの背中をトモエが見送っていると、その場に残っていたノンナが深々と頭を下げてきた。

「先ほどは手荒な真似をしてしまい、申し訳ありませんでした」
「私なんかに謝る必要はありませんよ。あれはカチューシャ様のご意向だったんですから」
「今の言葉をカチューシャが聞いたら怒りますよ。自分を卑下するな、と」
「ご、ごめんなさい! 今の話はカチューシャ様には内緒でお願いします」

 慌てた様子でノンナに頭を下げるトモエ。あれだけカチューシャに怒られても、身に染みついた癖は簡単には抜けないようだ。  
 ノンナはそんなトモエの手を掴むと両手で固く握手を交わした。突然の事態にトモエは一瞬固まってしまうが、ノンナの真剣な眼差しを見てすぐに表情を引き締める。

「同志トモーシャ。これからもカチューシャと仲良くしてあげてください」
「も、もちろんです。私のほうこそ、カチューシャ様に愛想をつかされないようにがんばらないと……」
「カチューシャがあなたを見限ることはありませんよ。彼女のことをあれだけ素直にほめ称えたのは、あなたが初めてですから。では、до свидания(ダスビダーニャ)

 ロシア語で別れのあいさつを口にしたノンナは、カチューシャのもとへと走っていく。その足取りは、彼女の機嫌がいいことが遠目からでもよくわかる軽快なものであった。
 


 カチューシャはノンナと一緒に学園艦への帰路についていた。
 トモエからもらったノンアルコールビールが入った袋は、今はノンナが持っている。

「ノンナ、学園艦に戻ったら今日の試合を参考に作戦を練りなおすわ」
「優勝はもらったようなものではなかったのですか?」
「前言撤回よ。トモーシャの前でカッコ悪い姿は見せられないわ。最高のカチューシャ戦術を編みだして、黒森峰を圧倒するんだから」
「わかりました。私も全力をつくします」

 ノンナの言葉に満足げにうなずくカチューシャ。表情は活力にあふれており、彼女のやる気が満ちていることは誰の目にも明らかだ。
 Bブロックの準決勝ではサンダースのファイアフライに油断して不覚を取ったカチューシャであったが、もう同じ轍は踏まないだろう。



 

 第六十二回戦車道全国大会決勝戦。黒森峰女学園とプラウダ高校の一戦は、プラウダ高校の圧勝という結果で幕を閉じた。
 
 十連覇がかかっていた黒森峰女学園であったが、プラウダ高校の巧みな戦術の前に翻弄されてしまい大混乱に陥ってしまう。とくに隊長の西住まほの動揺ぶりはすさまじく、試合終了間際は完全に恐慌状態であった。
 副隊長の深水トモエを中心とした一部の部隊は意地を見せていたが、試合の形勢を逆転するまでには至らず、黒森峰女学園の十連覇の夢は絶たれることになったのである。

 黒森峰の栄光に泥を塗り、全国に無様な姿を晒してしまった西住まほ。彼女は即座に実家に呼びだされることになり、そのまま黒森峰女学園に戻ってくることはなかった。

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第十七話 聖グロリアーナ祭 前編

 暑い夏が終わり、季節は秋。
 三年生が引退した聖グロリアーナの戦車道チームはダージリンが隊長に就任し、新しい体制がスタートした。今後はダージリン主導のもとで、マチルダ隊とクルセイダー隊の隊長人事や訓練方針などを決めるのだが、新隊長にはその前にやるべきことがある。
 
 毎年秋に開催される聖グロリアーナ祭。生徒たちが日ごろの成果を発表する場であるこの催しを、新隊長は三年生の力を借りずに成功させなければならないのだ。
 聖グロリアーナ祭は新隊長の力量を示す最初の機会であり、新チームの結束を高める大事なイベントであった。

 ちなみに聖グロリアーナ祭は普通の高校の文化祭とは違い、クラスごとの出し物は行われない。聖グロリアーナ女学院では、どのような発表を行うかは生徒の自主性が尊重されているからだ。
 ほとんどの生徒は、履修している選択科目や部活動の成果を発表することが多い。戦車道を履修している生徒は、戦車道チームで発表を行うのが恒例である。
 
 今日の戦車道の授業は訓練を行わず、校舎内の会議室で聖グロリアーナ祭の打ち合わせを行うことになっていた。
 みほたちも会議室の席に着いているが、そこにはローズヒップの姿がない。会議室に入る直前に、ローズヒップだけダージリンから呼びだしを受けたからだ。

「ローズヒップさん、大丈夫かな……」
「ここ最近はとくに問題も起こしてないし、心配しなくても大丈夫よ。きっと軽い用事ですわ」
「でも、いつも三人一緒に呼びだされてたのに今日は一人だけだよね。やっぱり心配だよ」
「たしかにローズヒップだけっていうのは変ですわね。もしかして、一人でなにかとんでもないことを仕出かしたのかしら?」

 みほとルクリリがローズヒップのことを話していると、会議室の扉が開きダージリンが入室してきた。会議室に入ってきたのはダージリンのみで、ローズヒップはまだ戻ってこない。

「みなさま、ごきげんよう。本日の議題は間近に迫った聖グロリアーナ祭についてですが、一年生のみなさまにとっては初めての行事になります。なので、まずは去年行った発表を一度説明いたしますわ」

 ダージリンの説明によると、去年の戦車道チームは二種類の発表を行っていたらしい。
 一つ目は戦車を使用したパフォーマンス。日ごろの訓練の賜物である綺麗な隊列と素早い陣形の切りかえを、来校者に披露したのだ。
 二つ目は来校者を招いたお茶会。『紅茶の園』で開かれるお茶会に来校者を招待し、紅茶とティーフーズでもてなしたのである。

「今年も去年と同じような発表を行うつもりですわ。けれどまったく同じことをしたのでは面白みがありません。そこで、今年は新しい試みをしたいと思っておりますの」

 新隊長に就任して間もないダージリンだが、この聖グロリアーナ祭でさっそく自分の色を出していくつもりのようだ。

「まずは戦車を使用する発表について。こちらでは、お客様が直接戦車に触れられる時間を作る予定ですわ。来年入学予定の付属校の方々もご来校されますので、戦車のことをよく知ってもらう良い機会にもなります」

 戦車道は世間ではマイナーな武芸。茶道や華道に履修生を奪われないためにも、戦車の良さをアピールすることは重要なことだ。

「次にお茶会の発表に関してですが、その前にみなさまに見てもらいたいものがありますの。ローズヒップ、入ってきなさい」
「お呼びでございますか! ダージリン様!」

 ダージリンに呼ばれたローズヒップが、大きな音を立てて会議室の両開きの扉を開け放った。
 
 ローズヒップがようやく姿を見せたことに安堵するみほ。しかし、その表情はすぐに驚きに染まってしまう。ローズヒップは学校の制服姿ではなく、黄色のフリル付きブラウスとこげ茶色のフレアスカートを着用したウェイトレス姿だったからだ。

「今年はこの制服を着てお客様をもてなしたいと考えております」
「ダージリンさん、気でも狂ったんですか!? 意味がわかんないんですけどっ!」
「ダンデライオン、隊長である私に対してその物言いは失礼ではなくって? どうやら、あなたには少しお仕置きが必要なようですわね」

 ダージリンがパンパンと手を叩くと、会議室に数人の生徒が入室してきた。その手にはミシン糸や待ち針、メジャーやはさみなどの裁縫道具が握られている。

「こちらは今回の企画にご協力してくださる被服部のみなさまです。お手数ですが、次はこの子をお願いしますわ」
「お任せください」
「小さい子の服を作るのは慣れておりますから、すぐにご用意できますわ」
「あたしは断固拒否しますからね。ダージリンさんの世迷いごとには付きあっていられません」

 両腕を組んでプイッとそっぽを向くダンデライオン。そんなダンデライオンを両隣に座っていた生徒がガシッと拘束した。
 
「隊長、ダージリンさんの意見に逆らうのはよくありませんわ」
「そうですよ。ここはみんなで協力するべきですわ」
「隊長のウェイトレス姿。楽しみですわー」
「あなたたち、あたしを裏切るの!? は、放してくださいっ!」

 自分の戦車の乗員に捕まったダンデライオンは引きずられるように、会議室から連れだされていく。その姿を見送ったダージリンは、何事もなかったかのように話を続けた。

「ほかにも疑問に思われるかたがいるかもしれませんが、この企画にはちゃんとした根拠があります。アッサム、詳しい説明は任せますわ」
「わかりましたわ。みなさま、前方のスクリーンをご覧ください」

 アッサムは会議室の電気を消すと、いつも愛用しているノートパソコンをプロジェクターに接続し、大型スクリーンに映像を映しだした。

「これは去年の聖グロリアーナ祭のアンケート結果をまとめたものですわ。注目していただきたいのは、二ページ目の不満点の項目。去年のアンケートによると、お茶会の雰囲気を苦手に感じたかたが多かったのがわかります」

 アッサムの言うとおり、不満だった点のアンケート結果上位にはお茶会の雰囲気についての意見が目立つ。
 みほにはなんとなくその気持ちがわかった。みほも最初のころは、お茶会の時間の苦労が絶えなかったからである。

「具体的には『堅苦しい』、『気疲れする』といった意見が挙げられます。お茶会は聖グロリアーナの戦車道に欠かすことができないものですが、お客様は少し窮屈に感じてしまっているようですわ」

 説明を終えたアッサムは会議室の電気を点灯させた。ダージリンとローズヒップはすでにスクリーンの前に移動しており、二人に生徒たちの視線が集まる。

「この制服はその問題を少しでも緩和するためのものよ。学校指定の制服よりも、お茶会の空気を柔らかくすることができるはずですわ。ローズヒップ、一回転してみなさまにその姿をよく見せてあげてちょうだい」 
「わかりましたわ! それっ!」

 ローズヒップはものすごい速さでその場でターンした。あまりに早く回転しすぎたせいで、短いスカートから危うく下着が見えそうになってしまう。
 その姿を目の前で見ていたアッサムは、両手で顔を覆って机に突っ伏してしまった。

「それじゃダメよ。もう一回、今度はゆっくりと回転しなさい」
「ご、ごめんなさいですわ」

 ダージリンにたしなめられ、二回目はゆっくりと一回転するローズヒップ。
 いつもと違うローズヒップのウェイトレス姿は、みほにとっても新鮮であった。黄色を基調にした制服は、明るい色が似合うローズヒップを魅力的に見せており、頭に付けたホワイトブリムやスカートに付いている白いエプロンも愛らしい。

「ラベンダー、あなたはどう思っているのかしら?」
「ふえっ? は、はいっ!」

 ローズヒップのウェイトレス姿に見とれていたみほは、ダージリンに指名されたことで慌てて立ちあがった。
 会議室の全員の視線が集まったことで顔が熱くなるみほであったが、ここで動揺するわけにはいかない。準決勝で敗北したのはみほの心の持ちかたが原因だ。同じ過ちを何度も繰りかえさないように、普段から平常心を保つことをみほは心がけていた。

「私はダージリン様の意見に賛成です。お客様に楽しんでもらうのが一番大事ですから、いろいろ工夫を凝らしてみるのはいい案だと思います」
「ありがとう、ラベンダー。反対意見がないようでしたら、この件はこのまま話を進めていきたいと思います。みなさま、いかがですか?」

 ダージリンの問いかけに対し、反対意見を出すものは誰もいない。
 先の全国大会準決勝で黒森峰のフラッグ車をあと一歩まで追いこんだみほは、みんなから一目置かれている。そのみほがダージリンの案に賛同しているのだから、反対意見を言う生徒がいないのも当然だ。

「ダージリンさん、隊長の準備が完了しましたわ」
「隊長、みなさんがお待ちかねです。もう観念なさってください」
「ダージリンさんも隊長のウェイトレス姿をほめてくれるはずですわ」
「やっぱり恥ずかしいですよぉ。あ、ダメっ! 引っ張らないでー!」

 クルセイダーの乗員に連れられて会議室に戻ってきたダンデライオン。その姿はローズヒップと同じウェイトレス姿だが、一点だけ違うところがある。スカートに付けられたショートエプロンに、デフォルメされたライオンのアップリケが縫いつけられているのだ。

「あら、かわいらしいウェイトレスさんが来ましたわね。似合ってますわよ、ダンデライオン」
「かわいいだなんて、そんな……。うぅぅ、お世辞を言っても騙されませんよ」
「私は自分の思っていることを正直に話しているだけですわ。それで、あなたはまだ反対しますの?」
「……わかりました。あたしも賛成します」
「これで全員の意見がまとまりましたわ。みなさま、明日からの戦車道の授業は聖グロリアーナ祭の準備になります。三年生の先輩方が安心してご卒業できるように、私たちの手で聖グロリアーナ祭を成功させましょう」



 日が落ちるのが早くなったことで薄暗くなった街中をみほたちは帰宅していた。
 聖グロリアーナ祭は横浜港に帰港して行われる。陸と同じような日の落ちかたなのは、学園艦が日本近海を航行中だからだ。

「ダージリン様、すごく張りきってたね」
「隊長としての初仕事だからな。そりゃ気合も入るだろう」
「明日からはわたくしたちもがんばらないといけませんわ。ダージリン様に恥をかかせるわけにはいきませんの」

 ウェイトレス姿から学校の制服に着替えたローズヒップは、両手で握りこぶしを作って気持ちを高ぶらせていた。

「そういえば二人は招待状を多く申請してたけど、いったい誰に渡すんだ?」
「わたくしは家族全員を招待するから、いっぱい招待状が必要なのですわ」
「私は愛里寿ちゃんと大洗の人たちを招待するつもりだよ」

 聖グロリアーナ祭は付属校の生徒以外は入場に招待状が必要であった。
 上流階級のお嬢様が通う学校で万が一の事態が起これば、学園艦の存亡にもかかわる。当日は警備に万全を期すために警備員が大量に動員される予定で、招待状がなければアリの子一匹通ることはできない。

「大洗か……全国大会で会ったときには戦車を見つけたって言ってたし、もう戦車道を復活させる目処は立ったのかな?」
「武部さんの話だとまだ難しいみたい。戦車も一輌しかなくて、人数も四人しかいないらしいから」
「人数が増えてるだけでも大したものですわ。『千里の道も一歩から』、諦めなければ道は開けるはずですの」
「ローズヒップさん、最近ダージリン様に少し似てきたね。今のことわざを引用したところなんてそっくりだったよ」
「マジですの!? やったでございますわ! これも日々努力してきた成果ですわね」
「似ているのは格言とことわざを引用するとこだけで、それ以外はダメダメだけどな」
「ひどいっ! そこは態度も似てきたと言ってほしかったですわ」
「ふふっ、それはこれからがんばっていこうね。まだまだ高校生活は長いんだから」

 友達との楽しいひとときは、悩みを抱えているみほの心を軽くしてくれた。二人が一緒にいてくれるから、みほは悩みを忘れて平静を保つことができる。

 決勝戦で黒森峰女学園はプラウダ高校に完敗した。みほもテレビで試合を見ていたので、そのことはもちろん知っている。
 西住流の後継者が敗北したという事実はきわめて重い。それが黒森峰の十連覇がかかった試合ならなおさらだ。
 
 つらい心境で過ごしているだろうまほのことを思うと、みほは気が気でない。本当なら今すぐにでも黒森峰の学園艦に乗りこんでいきたいが、おそらくまほに会うことはできないだろう。準決勝の試合が終わったあと、まほはみほに会うことを激しく拒絶したからだ。
 まほが涙を流した理由がわからない以上、みほができることはまほの身を案じることだけであった。





 横浜港に帰港している聖グロリアーナ女学院の学園艦には多くの人が集まっている。
 人々のお目当ては聖グロリアーナ女学院で行われている聖グロリアーナ祭。招待状がなければ入ることができない文化祭だが、学校の正門前にはすでに長蛇の列ができていた。正門を守る警備員のチェックが厳重なせいで、入場に時間がかかっているせいだ。
 
 入場チェックをしている警備員はすべて女性である。女性といえどもスタンガンと特殊警棒で武装した猛者ばかりなので、警備体制の不備はいっさいない。

 列には家族連れと付属校に通う中学生の姿が多いが、招待状を受けとったであろう他校の制服を着た高校生の姿もある。その中には大洗女子学園の制服姿の沙織たちも含まれていた。

「武部殿、ありがとうございます。戦車に乗る機会を与えてもらえただけでなく、憧れの西住殿に会えるチャンスまでもらえるなんて……、もう武部殿には足を向けて寝られません」 
「ゆかりん、大げさすぎ。私はラベンダーさんから招待状をもらっただけで、そんな大それたことはしてないよ。それにゆかりんが入ってくれたおかげで、戦車道部が発足できたんだもん。感謝するのはこっちのほうだよ」

 沙織にゆかりんと呼ばれたフワッとしたくせ毛が印象的な少女。彼女の名は秋山優花里といい、少し前に沙織たちの活動に加わった新たな戦車仲間だ。

「ところで秋山さん。西住殿とはどなたのことですか?」
「みなさんがラベンダーさんと呼んでいるかたですよ。西住殿は戦車道ファンの間では有名人なんです」
「あれだけ自由自在に戦車を操れるんだ。有名になるのもうなずけるな」
「冷泉殿、それだけじゃありませんよ。西住殿は日本戦車道の二大流派の一つである西住流の後継者なんです。彼女の西住流は完璧との呼び声も高くて、とくに去年の中学の全国大会で見せた戦いぶりはファンの間で今でも語り草に……」
「ゆかりん、ストップストップ! みんなに見られてるよ!」
「はっ! すみません……」

 優花里が突然熱く語りだしたことで、沙織たちは列に並んでいる人から注目されてしまっていた。

「それと、ラベンダーさんのことを西住殿って呼ぶのも禁止。私たちはニックネームしか教えてもらってないんだから」
「聖グロリアーナのみなさんはお互いニックネームで呼びあっていますから、私たちもそれに習いましょう」
「郷に入っては郷に従えともいうしな」
「わかりました。不肖秋山優花里、ラベンダー殿と会う際には細心の注意を払うことをお約束します」

 背筋をビシッと伸ばし、右手を額に当てて敬礼する優花里。敬礼姿はなかなか様になっているが、そのせいでさらに周りから注目を集めてしまう。

「やだもー! ゆかりん、お願いだから普通にしててよー!」

 騒ぐ沙織たちのすぐ後ろには、聖グロリアーナ女学院付属中学の制服を着た三人の中学生が並んでいた。彼女たちは沙織たちの話を聞いていたようで、ひそひそと話をしている。 
 
「戦車道チームにはすごい人がいるみたいですの」
「なんだかわくわくしてきましたねぇ。テンションも上がってきましたよー!」
「大きな声を出したらダメですよ。私たちも来年にはここに入学するんですから、つねに優雅な振る舞いを意識していないといけません」
「あぅ、ごめんなさいです……」

 オレンジがかった金髪の小柄な少女が、大声を出した同級生を注意する。どうやら彼女がこのグループのリーダー格らしい。
 
「クルセイダーで大立ち回りを演じたラベンダーさん。いったいどんな人なんでしょうね……」

 小さな声で独り言をつぶやくオレンジがかった金髪の少女。その後ろには、少女よりもさらに背が低いプラウダ高校の制服を着た女の子の姿が見える。
 
 このプラウダ高校の制服を着た少女の正体は、ダージリンから招待状を受けとったカチューシャであった。隣には同じく招待状を受けとったノンナの姿もある。

「あのラベンダーとかいう一年生。ただものではないと思ったけど、まさか西住流の生まれだったなんてね……。きっとあの子が西住流の真の後継者だわ」
「カチューシャは西住まほさんが後継者ではないと考えているのですか?」
「あんな弱っちい子が西住流の後継者だなんて変だと思ったのよ。本命は妹のほうだったわけね」
「なぜ後継者が聖グロリアーナ女学院にいるのです? 普通に考えれば、西住流と関係が深い黒森峰女学園に入学するはずでは?」
「それは、その……カチューシャにだってわからないことぐらいあるわ! 今日はそれを確かめるいい機会なのよ!」

 ノンナからの質問の答えに詰まったカチューシャはそうまくし立てた。ヒステリックを起こした姿は身長同様お子様そのものだ。 
 
 わめくカチューシャの後ろには、ボコのぬいぐるみを両手で抱えた私服姿の少女が並んでいた。
 聖グロリアーナ女学院を訪れるのは体験入学以来となる島田愛里寿である。 

「ラベンダーが西住流の後継者……」

 愛里寿は一言そうつぶやくと、不安そうな表情でボコのぬいぐるみを両手でぎゅっと抱きしめた。

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第十八話 聖グロリアーナ祭 中編

 荷物チェックと身体検査を終え、沙織たちはようやく聖グロリアーナ女学院の校内に入ることができた。
 校内は文化祭が開かれているとは思えないほど静かだ。文化祭の恒例ともいえる屋台やイベントなどはいっさいなく、ゆったりと落ちついた空気が流れている。

「なんか文化祭って感じがしない……。これだとステキな出会いは期待できないかな」
「女子高の文化祭に出会いなんてあるわけないだろ。男の姿を探すのが難しいレベルだぞ」
「男子はとくに検査が厳しそうでしたよ。私たちの前に並んでいた人は、招待状を持っていなかっただけで警備室に連行されてましたから」
「お嬢様学校は普通の高校とは勝手が違うんですね。校内の様子も大洗とはずいぶん異なっているみたいですし……」

 華の言葉どおり、聖グロリアーナ女学院の校内には大洗女子学園では見られないものが多い。
 色とりどりのバラが咲き乱れるバラ園。彫刻で彩られた大きな噴水。レンガ造りの荘厳な教会。
 どれもお金と手間をかけて作られたことがわかるものであり、ここがお嬢様学校であることを実感させるには十分であった。

「それで、まずはどこへ行くんだ? 演習場か?」
「午前中はマチルダⅡの華麗な隊列運動が披露されるんですよね? ぜひ見たいです!」
「ごめんねゆかりん、まずはラベンダーさんたちに会いに行く予定なの。午前中は『紅茶の園』とかいうところで、お茶会に参加してるらしいから」
「いえ、私のことは気にしないでください。ラベンダー殿にお会いすることが一番大事ですので」 
「午後からはクルセイダーの発表があるそうなので、そちらを見に行きましょう。ラベンダーさんたちも参加されるみたいですよ」
「会えるだけでなく、ラベンダー殿の雄姿まで見られるなんて……今日は忘れられない一日になりそうですー」

 締まりのないニヤけた顔でうっとりしている優花里。年ごろの女子高生が浮かべていい表情ではないが、それだけ今日という日を楽しみにしていたのだろう。
 
「ゆかりん、いつまでも恍惚としてないで早く行かないと……あれっ? 誰かこっちに来る」
「聖グロにはメイドもいるんだな。さすがはお嬢様学校」
「けど、メイドのかたがあんなに早く走るのはおかしくありませんか? 色合いもなんだか派手ですよ」

 前方からすごい勢いで走ってくる赤い髪の少女は、たしかに黄色を基調としたメイド服のような格好をしている。
 だが、短いスカートをひらひらとなびかせて走る姿はとてもメイドには見えない。ここはしつけが厳しいと評判の聖グロリアーナ女学院なのだから、こんな不作法なメイドがいたら主人の顔に泥を塗るようなものだ。
 
 そんな粗野なメイドの正体は沙織たちの知っている人物であった。 

「あの人ってローズヒップさんじゃん!?」
「クルセイダーの操縦手か……」
「なぜあのような格好をしているのでしょうか?」

 ローズヒップは沙織たちの存在に気がついたようで、急ブレーキをかけて立ち止まった。

「大洗のみなさまではございませんか。ごきげんようですわー!」
「ローズヒップさん、なんでそんな格好してるの? それも聖グロリアーナの伝統?」
「これはお茶会を堅苦しくしないためのユニフォームですわ。ダージリン様がお考えになったんですのよ」
「メイド服がユニフォーム……。優雅という言葉はどこに行ったんだ」

 沙織の質問に胸を張って答えるローズヒップ。知人にメイド服姿を見られてもまったく動じる様子はなかった。

「ところで、なぜあんなに急いでいたのですか?」
「わたくしのお兄様が警備室にしょっぴかれてしまったので、迎えに行くところなのですわ」
「あの連行されてた人、ローズヒップさんのお兄さんだったんだ。招待状が必要なことを知らなかったのかな?」
「実はわたくしが間違ってカラオケの割引券を送ってしまったのでございます。招待状を確認するのを忘れるなんて、そそっかしいお兄様ですわ」
「どう考えても招待状を間違えたほうがそそっかしいだろ」
「それを言われると返す言葉もありませんわ。冷泉様はお厳しいかたですわね」

 麻子のツッコミを受けてもローズヒップは涼しい顔をしている。それに対する麻子の表情もとくに変化は見られない。
 にもかかわらず、二人の間にはなんとも言いようのないピリピリした空気が漂っていた。ローズヒップは麻子がマニュアルを読んだだけで戦車が操縦できたことを知っているし、麻子はローズヒップの優れた運転技術を目の当たりにしている。どうやら操縦手の二人にはお互いになにか思うところがあるようだ。

「おっと、こうしちゃいられないですわ。早く行かないとお兄様が警察に連れていかれてしまいますの。では、ごめんあそばせー!」

 風を切るかのような速さでローズヒップは走り去っていく。聖グロリアーナ女学院に通うお嬢様とは思えない自由奔放ぶりだが、そこが他校の生徒と壁を作らないローズヒップの良いところであった。

「あっ! ゆかりんを紹介するの忘れてた」
「沙織、秋山さんはそれどころじゃないみたいだ」
「なんだかさっきより表情が緩んでいるような気がしますね」

 優花里は先ほどよりも夢心地な様子だ。表情は今にもよだれを垂らしそうなほどのとろけ具合である。

「ラベンダー殿のメイド服姿……今日は人生最良の日かもしれません~」



 

 多くの来客でにぎわいを見せる『紅茶の園』。そこには外部からの客だけでなく、聖グロリアーナの生徒たちの姿も多い。
 『紅茶の園』は選ばれた人間しか入ることができない格式高い場所。聖グロリアーナ祭はそこに入ることができる年に一度のチャンスであり、それを心待ちにしていた生徒も多かったようだ。さらに、今年は戦車道チームがウェイトレス姿でおもてなしするということもあって、例年にない盛り上がりを見せている。
 その大勢の客の中には、みほから招待状を受けとった愛里寿の姿もあった。

「愛里寿ちゃん、来てくれてありがとう。今日は楽しんでいってね」
「うん……」

 ウェイトレス姿のみほが笑顔で語りかけるが、愛里寿はなにやら浮かない顔。みほのショートエプロンに縫いつけてあるボコのアップリケも目に入っていないようだ。

「いったいどうしたんですの? なにか悩みごとでもあるの?」
「あの……ううん、なんでもない」

 心配したルクリリが声をかけるが愛里寿は言いよどんでしまう。その表情からは迷っている様子が感じられた。

「遠慮する必要はありませんわ。悩みがあるなら話したほうがすっきりしますわよ」
「そうだよ愛里寿ちゃん。私たちは友達なんだもん。言ってくれたらなんでも力になるよ」
「……ラベンダーにお願いがある」
「私に? いいよ、なんでも言ってね」
「大人になって私たちが争うことになったとしても、私のことを嫌いにならないでほしいの。私はラベンダーとずっと友達でいたいから……」

 懇願するかのようにみほの目を見つめる愛里寿。その瞳は不安げに揺れているようにみほには見えた。
 みほは西住流で愛里寿は島田流。今はお互い学生の身の上なので気兼ねなく話すことができるが、いずれはそうもいかなくなる。お互いの流派が争っている以上、みほは愛里寿との戦いを避けることはできないだろう。
 
 みほは愛里寿の歓迎会の準備をしていたときに、愛里寿と戦うことを予見していた。そのときは愛里寿の気持ちまでは考えていなかったが、初めてできた友達と争うことを愛里寿が喜ぶとは思えない。 
 もちろんそれはみほも同じだ。だから、みほは愛里寿に自分の思いを正直に話すことにした。

「愛里寿ちゃんは知ってると思うけど、いちおう名乗っておくね。私の本当の名前は西住みほ。たぶん愛里寿ちゃんが考えてるとおり、西住の娘である私は将来愛里寿ちゃんと戦うことになると思う」

 みほの言葉を聞いた愛里寿は悲しそうな顔で目を伏せる。

「でもね、私は愛里寿ちゃんの友達をやめる気はないよ。私がラベンダーから西住みほに戻っても、それだけは絶対に変わらない」

 みほは力強い眼差しで愛里寿の目を見つめ返す。みほが本気でそう思っていることを愛里寿に伝えるために。

「わかった。私はラベンダーの……西住みほの言うことを信じる」

 みほの気持ちはしっかり愛里寿に届いたようである。その証拠に、愛里寿の表情からはもう不安や恐れといったものは感じられない。

「二人とも、あまり長話をしていると紅茶が冷めてしまいますわよ。今日はラベンダーの好きなマカロンも用意してあるから、みんなで食べましょう」
「お客様のおもてなしをさぼってもいいの? あとでまた怒られちゃうよ」
「少しぐらい構いやしませんわ。それに、お客様の話し相手になるのも大事な仕事ですわよ」

 そう言って二ッと笑うルクリリ。
 友達に恵まれた自分は本当に幸せ者だ。みほは心からそう思い、ルクリリの優しい心づかいに感謝した。

「ついに見つけたわよっ! 西住流の真の後継者!」
「ふえっ!?」

 突然声をかけられたことに驚いたみほが振りむくと、そこには愛里寿よりも背の小さい金髪の女の子が立っていた。隣にはみほよりも背の高い黒髪の少女の姿も見える。
 
 プラウダ高校の制服を着たこの二人は、第六十二回戦車道全国大会で大きく名を上げた戦車乗りであった。決勝戦で黒森峰を圧倒した作戦を立案した副隊長のカチューシャと、圧倒的な撃破数で勝利に大きく貢献した砲手のノンナ。決勝戦の様子をテレビで見ていたみほも、この二人の名前はもちろん知っている。 

「私が西住流の真の後継者? いったいなんのことですか?」
「とぼけても無駄よ。カチューシャの目は誤魔化せないんだから」

 小さな体でみほに詰めよるカチューシャ。その勢いにみほは思わずたじろいでしまう。
 西住流の後継者は長女のまほのはずだ。そもそもみほは聖グロリアーナ女学院を卒業しなければ、実家に帰ることすらできない。それなのになぜカチューシャがこんな勘違いをしているのか、みほには訳がわからなかった。

「カチューシャ様がいらっしゃいましたわ」
「私たちの出番ですね」
「隊長よりも小さくてかわいらしいかたですわ」
「な、なによあんたたちは!?」

 カチューシャの登場を待っていたかのように、ダンデライオンの戦車の乗員がカチューシャを取りかこむ。三人は少し怯えた様子のカチューシャをひょいと担ぎあげると、そのまま奥の控室に向かった。
 そんな三人の前にノンナが立ちふさがる。表情に変化はないが、体からはものすごい威圧感がにじみ出ていた。

「待ちなさい。カチューシャをどこへ連れていくつもりですか?」
「私たちは隊長の命令に従っているだけですわ」
「カチューシャ様が到着したら控室にお通しするように言われているんです」
「これから楽しいお着替えの時間なのですわ。被服部のみなさんがかわいいウェイトレスの衣装を用意してくれてますの」
「わかりました。私も同行します」
「ちょっとノンナ! なんでカチューシャを助けないのよー!」

 ノンナを仲間に加えた一行は控室に消えていく。
 その様子を困惑したままの顔で見送るみほ。そんなみほのもとにダンデライオンが小走りでやってきた。

「ラベンダーちゃん、大丈夫でしたか?」
「タンポポ様が助けてくれたんですね。おかげで助かりました」
「あたしは指示を出しただけで大したことはしてませんよ。それに、カチューシャさんが来るのは最初から予定に入っていたんです。本当はダージリンさんがいるときに来るはずだったんですけど……まったく、ダージリンさんも詰めが甘いんですから」

 ダージリンとアッサムは、マチルダの発表に参加しているのでここにはいない。その間のお茶会の指揮はダンデライオンに一任されていた。
 ダージリンと張りあっているときは子供っぽい言動が目立つダンデライオンだが、ダージリンと絡みさえしなければとても頼りになる。クルセイダー隊の隊長の名は伊達ではないのだ。

「タンポポ様ー、少しよろしいでしょうか?」
「はーい! ラベンダーちゃん、カチューシャさんのことはあたしたちに任せてください。それじゃ!」

 ほかの生徒に呼ばれて忙しそうに早足で歩くダンデライオン。みほは友達だけでなく先輩にも恵まれていたようだ。  
 


 みほとルクリリが愛里寿とお茶会を楽しんでいると、みほが招待状を送った大洗一行がやってきた。秋山優花里という新しいメンバーも加わっていたので、まずはお互いに軽く自己紹介。そのあとに、みほが愛里寿のことを沙織たちに紹介した。
 来年飛び級する予定の天才少女という愛里寿の肩書に、沙織たちは目を丸くしている。優花里だけは愛里寿が島田流の生まれということに驚いていたが、みほと愛里寿が仲良くしている姿を見てすぐに口をつぐんだ。
 
 優花里は戦車が大好きと語っていたので、おそらくみほと愛里寿の流派の関係もある程度知っているのだろう。それでもなにも聞かずにいてくれるのだから、彼女が気配りのできる優しい人間だということがわかる。優花里とは今日初めて会ったばかりだが、みほは彼女とも仲良くなれそうであった。
 
「愛里寿さんは次はサンダース大学付属高校に体験入学されるんですね」
「うん。体験入学もそこが最後になる」
「サンダースって共学だよね? いいなぁ、きっとカッコいい男の子がいっぱいいるんだろうなぁ」
「沙織、お前の頭の中はそれしかないのか……」
「それより、サンダースといえばM4中戦車ことシャーマンですよ。圧倒的な物量を誇るサンダースのシャーマン軍団が進撃する姿は、一度見たら忘れられない大迫力なんです」
「物量ならマチルダも負けていませんわ。なんといっても、マチルダは聖グロリアーナの主力戦車ですから」

 大洗の人たちには不思議な魅力がある。大好物のマカロンを食べながらみほはつくづくそう思った。
 愛里寿は人見知りが激しい上に性格は内向的。それなのに初めて会った沙織たちと普通に会話ができているし、気疲れしているようにも見えない。みほとルクリリが橋渡し役になっているとはいえ、体験入学をしていたときにお茶会で体調を悪くしてしまったときとは雲泥の差だ。

「でも、マチルダって全国大会だと黒森峰にぼこぼこにされてたじゃん。クルセイダーのほうがカッコよかったよ」
「武部さん! それは禁句……」
「マチルダⅡといえば重装甲が売りですよね。初期のドイツ戦車は、マチルダⅡの装甲の厚さに苦戦させられましたから。それに大量の歩兵を従えて進撃するマチルダⅡは、戦場の女王とまで称されたんですよ」
「秋山さんはよくわかってるじゃないか! 準決勝では活躍できなかったけど、マチルダはクルセイダーに負けないくらい良い戦車なんだ。戦場の女王……いい響きだな」

 マチルダがほめられたことで上機嫌なルクリリ。そのせいか人前にもかかわらず、うっかり地が出てしまっていた。

「……ルクリリさん、今すごく活き活きしてたよ」
「口調も変わってましたね。そういえば、前にローズヒップさんと言い争っていたときもあのような口調でした」
「ルクリリはあれが普通。私たちと話すときはいつもあの口調」
「今までは猫を被っていたわけか」
「あっ……。今のは忘れてくださいまし……」

 ルクリリは真っ赤な顔でうつむいてしまう。アールグレイに注意された油断して失敗してしまう癖はいまだに直っていなかった。 
 そのとき、『紅茶の園』の両開きの扉が勢いよく開かれる。警備員に捕まった兄を迎えに行ったローズヒップが帰ってきたのだ。

「ただいま戻りましたわー!」
「ローズヒップさん、お帰りなさい。お兄さんは大丈夫だった?」
「お兄様はちょっと興奮してましたけど、まあ心配ないですわ。今は頭を冷やしてくるといって、吹奏楽部の演奏を聞きに行ってますの」

 ローズヒップの髪と服装が少し乱れているところを見ると、なにか一悶着あったのは間違いない。もしかしたら兄と喧嘩をしてしまったかもしれないが、ローズヒップの様子は普段となにも変わらなかった。
 そんなローズヒップの心の強さは、みほの憧れであり目標でもある。みほは少しでもローズヒップに近づくために、ある一大決心を固めていた。

 みほが決意したこと、それは冬休みに実家に帰りまほと会うことだ。去年はまほも冬休みに実家に帰省していたので、おそらく今年も帰ってくるだろう。みほは家に入ることはできないが、家の門に張りついてでもまほに会うつもりだった。

「ローズヒップ、服装が乱れてますわよ。ダンデライオン様に見つかるとまずいから、早く控室で直してきなさい」
「それもそうですわね。それではみなさま、少しの間失礼するでございますわ」

 ルクリリに促され控室に向かうローズヒップ。大勢の客の前ということもあって、その足取りはいつもと違いゆっくりであった。

「ダンデライオンってすごいニックネームだね。やっぱり体が大きくて怖そうな人なのかな?」
「ううん、全然そんなことないよ。とても優しくて頼りになる人なの」
「体も小さいし、間違っても怖い人ではないですわね」
「それに、ダンデライオンは動物のライオンじゃなくてタンポポの英語名だぞ。沙織も少しは英語を勉強したほうがいい」 
「やだもー! 恥ずかしいよー!」
「私たちの前のテーブルで接客している人がダンデライオンさん」

 愛里寿の言うとおり、ダンデライオンはすぐ前のテーブルで接客中だ。
 そのテーブルの客はほかのテーブルとは違い、男性が二名。二人ともピシッとしたスーツ姿であり、女の子ばかりの空間の中であきらかに浮いていた。
 ダンデライオンは白髪で真っ白になった髪をきっちり固め、立派な口ひげを生やした男性と楽しそうに会話をしている。

「お前は本当にかわいいな。その服もよく似合っているよ」
「もうー、パパったら口がお上手なんですから」
「これはお世辞ではなく、わしの本心だ。辻君もそう思うだろう?」
「ええ、先生のお嬢様は本当にお美しく聡明でいらっしゃいますよ」
「そんなにほめられちゃうと照れちゃいますよぉ。辻さん、今日はパパのわがままに付きあってくれてありがとうございます」

 ダンデライオンに辻さんと呼ばれた髪を七三分けにした眼鏡の男性。この男性にみほは見覚えがあった。 
 彼は何回か実家にやってきたことがある文部科学省の役人だ。しほは高校戦車道連盟の理事長を務めているので、文部科学省の役人が訪ねてくるのは別に不思議なことではない。
 家に来たのを見たことがある程度なので、自分のことを彼は知らないだろう。そう考えたみほは、この役人のことをとくに気には留めなかった。
 
 みほ、愛里寿、沙織たち、役人。この四者はとある場所で再び一堂に会することになるのだが、それはもう少しあとの話である。

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第十九話 聖グロリアーナ祭 後編

「それでね、それでね。生徒会は戦車道部を作ることを認めてくれただけじゃなくて、部費まで都合してくれたの。そのおかげで、砲弾や燃料のことを気にせずに練習できるようになったんだよ」
「生徒会のみなさんは、戦車を置くことができる専用のガレージまで用意してくれたんですよ。沙織さんと二人でかけあったときに門前払いされたのが、なんだか嘘みたいです」
「あと、ほかにも学園内に戦車があるかもしれないからって、生徒会が一緒に探してくれることになったんです。そしたら本当にあったんですよ! IV号戦車のD型が!」
「それはよかったですわね。これもラベンダーの助言の賜物かしら?」
「私の助言なんてただのきっかけにすぎないよ。順調に行ってるのは、沙織さんたちが諦めないでがんばったからだもん」

 紅茶の香りに包まれたテーブルで、みほたちは楽しそうにおしゃべりをしていた。ちなみに、愛里寿と麻子はケーキに舌鼓を打っており、ローズヒップは控室からまだ戻ってきていない。
 
 いつもとは違うにぎやかなお茶会をみほは心から楽しんでいた。普段のお茶会も別に嫌いではないのだが、つねに優雅な態度と会話を心がける必要があるので肩がこるのである。最近はそれにも慣れてきたとはいえ、みほは友達感覚で楽しくお茶ができるほうが好きであった。

 友達。この言葉が頭に思い浮かんだみほはあることに気づいた。みほは沙織たちと友達になったわけではないのだ。
 沙織、華、麻子、優花里。みんなそれぞれ違った魅力があり、人柄も文句のつけようがない。夏休みに愛里寿と一緒に四人で遊びに行ったように、沙織たちも含めてみんなで遊びに行けたらきっと楽しいはずだ。
 
 友達になろうと沙織たちに告げる。それはとても勇気のいることだ。
 だが、ここで尻込みするわけにはいかない。自分の意見を素直に言えるようにならなければ、まほと会っても思いを伝えることはできないだろう。
 
 意を決したみほは話を切りだそうとしたが、カメラのシャッター音が鳴りひびいたことで中断を余儀なくされる。音のしたほうにみほが顔を向けると、そこには大きなカメラを手に持った少女が立っていた。

「ども、新聞部ですぅ。聖グロリアーナ祭の取材中なんですけど、何枚か写真を撮らせてもらってもいいですか?」

 新聞部の少女はカメラを片手にニコニコしている。グレーがかったストロベリーブロンドの髪をポニーテールにしており、脚がすらっとしていて胸も大きい。容姿も整っていて笑顔が似合う美少女だが、活発そうな見た目と幼い声のせいかあまりそれを感じさせなかった。

 その幼い声にみほは聞き覚えがあるような気がした。どうやら彼女も同じ一年生のようなので、どこかで声を耳にしていたらしい。一度聞いたら忘れられないぐらい特徴がある声だ。たまたま耳が覚えていたとしても不思議はない。

「写真!? どうしよう、私お化粧とかしてない。男の子に見られたら恥ずかしいよー!」
「校内新聞ですので、男性に見られることはまずありませんわ。心配は無用ですわよ」
「そもそも、女子高の文化祭の写真を男が見るという発想に至るのがおかしい。沙織、あんまり男のことばっかり言ってると、飢えてるみたいでカッコ悪いぞ」
「ひどいよ麻子! 私は真剣に悩んでるんだよ!」
「その表情いただきです。もう一枚撮ってもいいですか?」
「やだもー! こんなところ撮らないでー!」

 新聞部の少女が登場したことで、楽しいお茶会は一転してドタバタ騒ぎに早変わり。もはや沙織たちに決意を告げる空気ではなくなってしまい、みほはタイミングを完全に逃してしまう。
 それでも、みほの表情には笑顔が浮かんでいた。みほたちはまだ高校一年生。友達になる機会はこれからいくらでも作れる。戦車道というつながりがある限り、沙織たちとの関係が断たれることはないのだから。



「いやー、いい写真が撮れましたよぉ。ご協力に感謝します」

 新聞部の少女は丁寧に頭を下げると、みほたちのテーブルから離れて別のテーブルに向かった。彼女が次に向かった先はダンデライオンが接客中のテーブルである。

「どもども、新聞部ですぅ。写真を撮らせてもらってもよろしいですか?」
「あれ? クラークちゃんじゃないですか。黒森峰から戻ってきたんですね」
「全国大会も終わりましたから、しばらくは新聞部の活動に専念するつもりなんです。来年もお役に立てるようにがんばりますので、またクラークをよろしくお願いしますね」
「お願いするのはこちらのほうですよ。来年はあなたの情報を活かして、きっと黒森峰に勝ってみせますから」

 新聞部の少女はダンデライオンにクラークと呼ばれていたが、もちろんこれは彼女の本名ではない。
 戦車道チームに協力している情報処理学部第六課ことGI6。そこに所属している生徒は戦車道チームのニックネームのように、英国出身の作家の名前を名乗っている。彼女のクラークという名前は、有名なSF作家であるアーサー・チャールズ・クラークから取ったのだろう。

 GI6のことはみほも知っているが、そこに所属している生徒を見たのは初めてであった。クラークは黒森峰女学園の情報収集を担当していたようなので、みほの情報を集めていたのは彼女なのかもしれない。
 ただ、そのことについてみほはすでにアールグレイとアッサムから謝罪を受けている。それにGI6は戦車道チームの依頼で動いていただけだ。クラークが陽気で明るい人物だったこともあり、みほは彼女を不快に思うことはなかった。

「お待たせしましたでございますわー!」

 控室の扉が開きローズヒップの元気な声が聞こえてくる。クラークのことを見ていたみほは視線をそちらに移すが、そこには予想だにしない光景が広がっていた。
 ローズヒップは先ほど控室に消えたカチューシャを肩車していたのだ。

「おろしなさいよ! こんなカッコ悪い服装で人前に出られるわけないじゃない」
「そうでございますか? わたくしはよく似合っていると思いますわよ」

 カチューシャはみほたちと同じウェイトレス姿であった。文句を言っているところを見ると、本人の意思で着替えたわけではなく無理やり着替えさせられたようだ。ローズヒップが肩車をしているのは、渋るカチューシャを肩車で強引に連れだしたのだろう。

「ノンナ! さっきから黙って見てないで、早くカチューシャを助けなさい」
「カチューシャ、少し動かないでください。撮影の最中です」
「なんで写真を撮ってるのよ!」
「カチューシャの貴重なウェイトレス姿です。この感動をトモーシャにも分けてあげようと思いまして」
 
 ノンナは携帯電話のカメラで写真を撮るのに没頭している。その表情は戦車の砲手をしているときと同じくらい真剣だ。 

「まさか、その写真をトモーシャに見せる気!? やめなさい! カチューシャのカッコいいイメージが崩れちゃうわ」
「トモーシャがカチューシャに幻滅することはありえません。私が保証します」
「なんでノンナが断言できるのよ?」
「トモーシャは同志ですから」

 はっきりとした声でそう告げるノンナ。彼女はトモーシャという人物のことを心から信頼しているようである。
 トモーシャという名前にみほは心当たりはないが、この二人の知人なら戦車道の選手である可能性が高い。ノンナは他校から『ブリザードのノンナ』という二つ名を付けられるほどの戦車乗りだ。そのノンナからここまで信頼されるということは、トモーシャもかなり優秀な戦車乗りなのだろう。

「みなさん、騒いじゃダメですよ。ここは淑女が集まる『紅茶の園』なんですから。今日は特別とはいえ、マナーは守らなければいけません」

 丁寧な口調でカチューシャたちをたしなめるダンデライオン。ダージリンからここを任されているだけあって、実に堂々とした振る舞いである。

「出たわね。ちびっこライオン」
「ちびっこ!? あなたにだけは言われたくないんですけど!」
「このカチューシャ様にこんな格好をさせるなんて、いい度胸じゃない。覚悟はできてるんでしょうね?」
「これはダージリンさんの命令です。あたしが考えたんじゃありませんよ」
「ダージリンの命令に素直に従うなんて、すっかり腑抜けたわね。ダージリンと競ってた去年のあんたはどこに行ったのよ?」
「今はダージリンさんが隊長なんです。隊長の命令に従うのは当たり前じゃないですか」

 ダンデライオンはカチューシャと口論を始めてしまう。先ほどまでの淑女の姿はすっかり霧散し、いつもの子供っぽい姿に戻ってしまった。

「残念だわ。隊長の座をすんなり諦めるだけじゃなく、ダージリンの犬に成りさがるなんて……。今すぐへっぽこライオンに改名しなさい」
「なんでカチューシャさんにそこまで言われないといけないんですか!」
「私があんたのことを気に入っていたからよ。身長が低くても隊長になろうと努力していたあんたを……」

 カチューシャの声には寂しそうな響きが混じっていた。
 ダンデライオンはカチューシャよりも少し背が高い程度で、二人の体格にそれほど大差はない。そんなダンデライオンが隊長の座をダージリンにあっさり譲ったことに、カチューシャは思うところがあるようだ。

「あたしはダージリンさんのことをずっと近くで見てきました。だからわかっちゃったんです。彼女はあたしよりも聖グロリアーナの隊長に相応しい人なんだって……。あたしは自分の選択に後悔はしていません。隊長になったダージリンさんをそばで支える、それがあたしの選んだ道です」

 ダンデライオンの言葉には強い思いが伝わってくる。いつもダージリンと喧嘩ばかりしているダンデライオンだが、これが彼女の本心なのだろう。
 
「それがあなたの答えなわけね……。私は来年隊長に就任するわ。もし聖グロと戦うことになったら、全力で叩きつぶしてあげるんだから」
「望むところです。こっちも負けるつもりはありません」

 カチューシャはダンデライオンの真摯な思いに対し、否定することもバカにすることもしなかった。大胆不敵な笑みでダンデライオンを見つめる表情は、どこかすっきりとしているようにすら見える。
 対するダンデライオンもカチューシャの目をしっかりと見据えていた。二人が良きライバルであることがわかる、実に清々しい光景である。

 ただ、みほには一つ気になる点があった。
 カチューシャはローズヒップに肩車されているので、ダンデライオンよりも目線が高い。これでは本人にその気がなくても、周囲からはカチューシャがダンデライオンを見下しているように見えてしまう。
 二人の関係が分かった今、みほはそのことを少し残念に思った。
  
 そのとき、みほはあることに気づいた。カチューシャを肩車しているローズヒップがみほに目で合図を送っていたのだ。
 ローズヒップは手に持ったカチューシャの両足を軽く上下に動かし、視線をダンデライオンの足に向けている。みほはそれだけでローズヒップの意図を理解できた。どうやらローズヒップもみほと同じような気持ちを抱いていたようだ。

「タンポポ様、少し足を広げてもらってもいいですか?」
「いいですけど……。ラベンダーちゃん、いったいなにをするつもりなんですか?」
「今からタンポポ様を肩車します。落っこちないように私の頭をしっかりつかんでいてください」
「えっ? えぇぇー!?」

 みほはダンデライオンの股の間に頭を入れて両足をしっかりつかみ、そのまま一気に立ち上がる。小柄なダンデライオンを肩車するのはそれほど難しいことではなく、みほはすんなりと肩車をすることができた。

「これでお二人の背の高さが同じになりましたわ。タンポポ様とカチューシャさんは対等のライバルですの」
「ふーん、良い後輩を持ったじゃない」
「これすごい恥ずかしいんですけどっ! カチューシャさん、よく平気でいられますね?」
「人の上に立つ人間であるカチューシャには、高いところがよく似合うの。恥ずかしいとか思ったこともないわ」
「大丈夫ですよタンポポ様。みんなでやれば恥ずかしくありません」
「西住流、あんたもなかなかおもしろい子ね。もっとまじめでお堅い子だと思ってたわ」
「今の私は西住じゃなくて、ラベンダーですから」

 そう言ってカチューシャに笑顔を向けるみほ。
 初対面で食ってかかってきた相手だが、みほはカチューシャのことを嫌ってはいない。ダンデライオンとのやり取りを見たことで、カチューシャが悪い人間ではないことがわかったからだ。
 それに自分の意見を正直に言うことは、みほがこれからやろうとしていることである。それがすんなりできるカチューシャは、みほにとって尊敬に値する人物だった。

「……さっきは悪かったわね。もう余計な詮索はしないわ。あなたが誰であろうと、勝つのは私なんだから」

 そう自信満々に言い放つカチューシャの表情は、みほと同じように笑顔であふれていた。
 




「ダージリン様、カッコよかったですの。あんなステキなかたと一年間ご一緒できるなんて、夢のようですわ」
「マチルダだってカッコよかったですよ。午後からの試乗会では絶対に乗りましょうね」
「二人とも、少しはしゃぎすぎですよ。次はお茶会なんですから、気を引きしめないと」

 聖グロリアーナ女学院付属中学校の制服を着た三人の少女が校舎内の廊下を歩いている。演習場で行われていたマチルダⅡの発表を見終えて、『紅茶の園』に向かう途中のようだ。

「お茶会は正直自信ないです。私は妹たちと緑茶ばっかり飲んでましたから」
「私は姉様とよくお茶会をしていましたので、作法はバッチリですの。あとでコツを教えてあげますわ」
「ぜひお願いします。全力でがんばります!」
「私たちはゲスト役だから、そこまで気合を入れなくても大丈夫ですよ。今日はホスト役の先輩たちの姿をよく見て、勉強させてもらいましょう」

 オレンジがかった金髪の小柄な少女は、同級生を安心させるような言葉を投げかけた。この少女は三人の中で一番気品があり、歩く姿も背筋がピンとしていて育ちの良さが感じられる。

 そのまま軽く会話をしながら歩きつづけた三人は、ついに『紅茶の園』に到着した。
 『紅茶の園』の格式の高さは付属中学校でも有名である。今日は普通に入ることができるが、本来は選ばれたものしか入ることができない特別な場所だ。先ほど同級生を安心させていたオレンジがかった金髪の少女も緊張したような面持ちであり、扉にかけた手も少し震えていた。

「いいですか。開けますよ」
「いつでもOKですの」
「ひと思いにドーンとやってください!」

 同級生に確認をとったオレンジがかった金髪の少女は静かに扉を開ける。そこに広がっていたのは思いもよらない光景であった。

「みなさーん、そろそろやめにしましょうよー。もうすぐダージリンさんたちが帰ってきちゃいますから」
「タンポポ様、心配ありませんわ。ダージリン様にはかくし芸だと言って誤魔化せばいいんですの」
「ダージリンを気にする必要はないわ。あなたは高い目線で相手を見ることに慣れたほうがいいの。そうすれば普段とは違うものの見方ができるわよ」
「ごめんね二人とも。妙なことに巻きこんじゃって」
「誤魔化すなら盛大にやったほうがいい」
「私が入ればいつものバカ騒ぎで押し通せますわ。問題児トリオの異名はこういうとき便利ですわね」

 淑女が集うお茶会の会場で行われていた謎の肩車大会。 
 下にいるのは、準決勝で黒森峰女学園のフラッグ車を単騎で追いこんだクルセイダーの乗員たち。上にいるのはプラウダ高校の副隊長とクルセイダー隊の隊長。さらには、島田流の後継者と噂されている天才少女の姿もある。

 理解に苦しむ光景を目撃したオレンジがかった金髪の少女は一言こうつぶやいた。

「なにこれ?」





 噴水近くに設置されたベンチは、聖グロリアーナ祭を訪れた人々の憩いの場となっている。
 そこにいるのは家族の姿が多い。学園艦という海を隔てた遠い地で暮らす娘との再会を喜び、どのベンチも親子の会話が弾んでいるのがわかる。
 大きなカメラを二人で覗きこんでいる父娘もその中の一組であった。

「よくやった頼子(よりこ)。これだけの写真がそろえば、しほ様を説得する材料には事欠かないな」
「お父様、ここでの呼び名は頼子ではなくクラークですよぉ」
「そうだったな。でかしたぞクラーク」
「お父様のお役に立ててクラークもうれしいですぅ」

 父親に頭を撫でられ、クラークはうれしそうに目を細める。

「ところでお父様。まほ様の状況にお変わりはありませんか?」
「残念だが、状況に変化はない。まほ様が自力で再起するのはもう無理だろう」 
「そうですか……しほ様もおつらいでしょうね」
「実際、しほ様も相当まいっていらっしゃる。お二人と西住流を救うためにも、例の計画は早急に実行しなければならん」
「いよいよお父様の念願が叶うときが来たんですねぇ。よーし、クラークはもっとがんばりますよ!」

 クラークの元気な言葉を聞いた父親は、再び娘の頭を撫でた。
 引きしまった顔をしていたクラークであったが、頭を撫でられたことで表情がふにゃっと崩れてしまう。この親子にとって、頭を撫でるという行為は一番の愛情表現のようだ。

「すべての準備が整ったら芽依子(めいこ)を迎えに行かせる。姉妹で仲良く協力して、みほ様を西住邸までお連れするのだぞ」
「はーい。みほ様のことはクラークとめいめいにお任せください」
「うむ、しっかり頼むぞ。みほ様は西住流の後継者に相応しいおかただ。みほ様がお戻りになれば、すべての問題が解決するのだからな」

 満足そうな顔で娘の頭を撫でる父親。その手つきはとても優しく、彼が娘を大切に思っていることがよくわかる。
 二人はその後も話し合いを続けながら、久しぶりの親子の触れあいをたっぷり堪能したのであった。

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第二十話 西住家と犬童家

 西住流戦車道家元と書かれた看板が目立つ大きな邸宅。この邸宅が西住みほの実家であり、日本戦車道の最大流派である西住流の総本山であった。
 
 現在、この邸宅の大広間では二人の人物が長机を挟んで向かい合っている。
 一人は西住流の師範であり、来年家元を襲名することがすでに決まっている西住しほ。もう一人は、西住流一門の中でも古株である犬童(いんどう)家で当主を務めている男。

 犬童家は西住家をずっと支えてきた忠臣である。
 支えたといっても、戦車に乗ってともに戦ったわけではない。情報収集や財務関係、交渉事などの裏の方面で、犬童家は西住家の力になっていたのだ。西住流が日本で大きな力を持つことができたのも、犬童家のサポートによるところが大きかった。

 犬童家の現当主は二人の娘を持つ父親で、しほの夫である常夫とも親しい。高校生の娘がいるとは思えないほど外見は若々しく、スーツをきっちり着こなしたハンサムな男であった。
 しほにとっても良き相談役であり、信頼に値する人物。それが西住家の人々が抱く、犬童家当主の評価だ。

「島田流がみほに手を伸ばしている。あなたはそう言いたいのですね」
「はい。島田愛里寿の体験入学に加えて、みほ様が準決勝で見せた島田流の動き、さらにみほ様と島田愛里寿の親密さをうかがわせるこれらの写真。この事実を踏まえると、その可能性は十分にあると思われます」

 机の上で列を作る数多くの写真。そのすべてにみほと愛里寿の姿が写っていた。
 写真の中の二人はとても親しそうにしており、二人の仲が良好だということが一目でわかる。

「あなたの言うとおり、みほと島田愛里寿は親しい間柄なのでしょう。ですが、みほがそれだけで島田流に傾倒するとは思えません」
「もちろん私もそう思っておりました。しかし、先日行われた聖グロリアーナ祭で風向きが変わってきたのです」

 犬童家の当主は懐から別の写真を取りだした。それを見た瞬間、眉間にしわを寄せていたしほの表情がさらに鋭さを増す。
 写真に写っていたのは、聖グロリアーナ祭に向かう愛里寿に手を振る日傘を差した女性。この人物こそ愛里寿の母親であり、島田流の家元でもある島田千代であった。

「しほ様、この場に姿を見せたのは島田流家元だけではありません。こちらの写真もご覧ください」

 犬童家の当主はもう一枚写真を机の上に置いた。その写真には聖グロリアーナ女学院の校内を歩く、眼鏡をかけたスーツ姿の男が写っている。

「この男のことはしほ様もよくご存知のはずです。文部科学省学園艦教育局長、辻廉太。娘が通っているわけでもないのに、聖グロリアーナ祭に姿を現すのはいささか不自然ではありませんか? 現に聖グロリアーナ女学院に通っている私の娘は、辻廉太がみほ様と島田愛里寿の近くにいたのを目撃しております」
「彼が島田流と手を組んでいるということですか?」
「それは私にもわかりませんが、違うとも言いきれません。この男は実にしたたかな人物です。裏で島田流とつながっていたとしても不思議はないかと……」

 犬童家の当主の言葉には説得力がある。情報収集は犬童家のもっとも得意としているところであり、彼の助言にはしほも何度も助けられてきたからだ。
 しほが迷うようなそぶりを見せていると、犬童家の当主はたたみかけるように言葉を発していく。 

「幼少時のみほ様は、島田流のような奇策を用いる戦い方を好んでおりました。これ以上島田流とみほ様を接触させては、取り返しのつかない事態になりかねません。しほ様、聖グロリアーナ女学院にみほ様を在籍させたままにしておくのは危険です」
「みほに聖グロリアーナ女学院を薦めたのは私です。今更それを変えることは……」
「まほ様があのようなことになってしまった今、後継者になれるのはみほ様しかおりません。これは西住流の存亡がかかった非常事態です」
「みほを後継者に?」
「そうです。みほ様が後継者になり黒森峰女学園に戻る。これですべてが丸く収まります。しほ様、島田流につけ入る隙を与えないためにも、どうかご決断を!」

 犬童家の当主は畳に額をこすりつけるように頭を下げる。
 長年自分を支えてくれた人物の必死の懇願。それがしほの決断を後押しする大きな決め手となった。



 犬童家の当主は西住邸をあとにすると、近くに停車させていた高級車の後部座席に乗りこんだ。主が帰ってきたことを確認した運転手は、車を発進させ来た道を引き返していく。
 後部座席にはストロベリーブロンドをショートポニーテールにしている少女が乗っており、帰ってきた犬童家の当主に深々と頭を下げた。

「お疲れ様です。お父様」
「ただいま芽依子」

 芽依子と呼ばれた少女は美少女といっても過言ではないが、声が低く表情も硬い。目つきもかなり鋭く、優れた容姿はまったく活かされていなかった。
 そんな娘の表情をまったく気にせず、犬童家の当主は優しい手つきで芽依子の頭を撫でる。表情は硬いままであったが、芽依子の頬はうっすらと赤く染まっていた。

「しほ様との話し合いの結果はどうでしたか?」
「うまくいったよ。しほ様をだますようで心苦しいが、これも西住流のためだ」
「みほ様は納得してくださるでしょうか? 姉さんの話ですと、みほ様は聖グロリアーナでの生活を楽しんでいるようですが……」
「みほ様は心の優しいおかただ。まほ様の現状を知れば必ず納得してくださる」

 犬童家の当主は自信ありげにそう答えた。
 西住家を陰で支え続けてきた彼は、みほのことを幼少期から知っている。だからこそ、みほが出す答えをある程度予想ができるのだろう。

「問題があるとすれば、みほ様が黒森峰に戻ったあとだな。みほ様の交友関係の件は早めに対処する必要がある」
「みほ様の友達候補はすでに姉さんが目星をつけています。高校からの新隊員で構成されたグループの中に、みほ様と相性が良さそうなグループがあるそうです。これがそのグループの写真と資料になります。橋渡し役は黒森峰に転校する姉さんが担当します」

 芽依子は持っていた資料を犬童家の当主に手渡した。
 一枚目の資料の写真に写っていたのは、栗毛の髪をショートカットにしたタレ目の少女。くせ毛の髪が特徴的で、優しそうな印象が写真からも伝わってくる。 

「みほ様の護衛は来年入学する芽依子にお任せください。逸見エリカは徹底的に排除します。もうみほ様に手出しはさせません」
「期待しているぞ。中学時代のみほ様につらい思いをさせてしまったのは我々の落ち度だ。今度はみほ様を全力で支えなければならん」
「はい。芽依子と姉さんがみほ様を守ってみせます」

 はっきりと断言する芽依子の表情はまるで鋭利なナイフ。少し怒っているようにも見えるその顔は、中学生とは思えないほど威圧感に満ちていた。
 娘の怖そうな表情を前にしても、父親である犬童家の当主は嫌な顔一つしない。たとえ表情が乏しくとも、彼は娘の気持ちがよくわかっているようだ。

「お前のような娘を持てて私は幸せだよ。……しほ様もまほ様のお気持ちを正しく理解していれば、このような事態にはならなかったのかもしれんな」
「お父様はまほ様のお気持ちがわかるのですか?」
「私はまほ様とみほ様を幼少期からずっと見守ってきたからな。すべてとは言わんが、ある程度はわかる。まほ様はみほ様に依存しているんだよ。みほ様がいなければ、まほ様が力を発揮できないのも当然だ」

 芽依子は難しそうな顔で考えこんでいる。その姿からは、父親の発言の意図をつかみかねている様子がうかがえた。

「芽依子は幼いころのお二人と一回しか会ったことがないからな。わからないのも無理はない」
「はい。姉さんと一緒に遊び相手を務めさせていただいたときは、とくにそのようなことは感じませんでした」
「幼少期のみほ様がやんちゃで好奇心旺盛なおかただったのは芽依子も知っているだろう? 小さいころのお二人は、みほ様が物事の先頭に立っていたんだ。自己主張が少なく物静かなまほ様は、いつもみほ様に手を引いてもらっていたんだよ。お二人が成長したことで立場は逆転したが、みほ様は今でもまほ様の心のよりどころなんだ」

 犬童家の当主はどこか遠い目で窓の外に広がる田んぼを眺めていた。 

「しほ様はそのことをお気づきにならなかったのですか?」
「多少はお気づきになっていただろうな。中学生になったみほ様に厳しくするようまほ様を指導したのは、おそらくそれが理由だ。まほ様に西住流の後継者としての自覚をもってほしかったんだと思うが、あれは悪手だった。みほ様を失ったことで、まほ様は瓦解してしまったからな」
「だからお父様はみほ様を後継者に推薦していたんですね」
「ああ、まほ様と違ってみほ様は意思が強いおかただ。しほ様に面と向かって黒森峰に行きたくないと言えるくらいだからな。だが、ほかの連中がこぞってまほ様を後継者に推したせいで、しほ様は判断を誤ってしまった。西住流を陰で支えることは我が一族の誇りだが、あのときばかりは自分の発言力のなさに頭を抱えたよ」

 西住流に多大な貢献をしている犬童家だが、ほかの西住流一門からは軽んじられていた。
 犬童家の役割はほとんどが後方支援。戦車で華々しく戦うことに比べると、どうしても地味な役回りになってしまう。さらに犬童家の当主が男性なのも軽視されている理由の一つだ。女性の武芸である戦車道の世界では、男性の意見が通ることはないに等しい。

「まほ様には本当に申し訳ないことをした。まほ様が重荷を背負うことになってしまったのは私の失態だ」
「大丈夫ですお父様。みほ様が戻ってきてくだされば、まほ様も立ちなおってくれます」
「……そうだな。後継者となったみほ様をまほ様が支える、これが西住流にとって一番理想の姿だ。お二人が手を携えて歩むことができれば、島田愛里寿に勝つことができる」
「島田愛里寿……西住流最大の障害」
「あれは本物の天才だ。将来西住流にあだなす存在になるのは間違いない。みほ様は気を許しているようだが、我々はそうはいかん。みほ様が島田愛里寿と戦うことになる前に、打てる手はすべて打つ。いいか、島田愛里寿には絶対に負けられんぞ!」
「はい!」

 犬童親子の興奮した声が車内に響きわたる。
 島田流の後継者である島田愛里寿。長年西住家の陰にいた犬童家が表に出てきたのは、彼女の存在も大きな理由の一つのようだ。
 
 水面下で起こっていた西住流の後継者問題。
 みほの将来にも大きな影響を与えるこの問題は、犬童家の介入によって新たな局面へと向かっていく。


◇ 
 

 冬休みに入ったことで、聖グロリアーナ女学院の学園艦は母港である横浜港に戻ってきた。
 多くの生徒が正月を家族と一緒に迎えるためにここで退艦する。学園艦に残っている女子生徒はほとんどおらず、女子寮もひっそりと静まりかえっていた。
 
 その女子寮でみほは熊本に帰る準備をしている。昨日は冬休み突入記念と称して三人で遊びまわっていたので、帰る準備をするのをすっかり忘れていたのだ。
 ちなみに、ローズヒップとルクリリの二人はすでに退艦済みであった。二人の実家は横浜市内にあり、軽く準備をするだけでよかったからだ。みほは休み明けに会う約束をして二人と別れ、こうして一人で荷造りに励んでいるのである。

「よし、準備完了。この日のためにお金も少し貯めておいたし、これならなんとかなるよね?」

 みほが準備を終えて一息ついていると、インターホンが鳴る音が聞こえてきた。

「誰だろう? この女子寮に残ってるのはもう私しかいないのに……」

 みほは不思議に思いながら玄関の扉を開ける。そこに立っていたのは、みほがまったく予想していなかった人物であった。 

「どもどもー、クラークですぅ。みほ様、お迎えにあがりましたよ」
「ふえっ!?」

 みほが驚くのも当然だろう。クラークとは聖グロリアーナ祭で一度会っただけで、自己紹介すらしていないのだ。にもかかわらず、彼女はみほに親しそうに話しかけてきた。それもニックネームではなく本名呼び、しかも様付けだ。

「みほ様の準備も万端なご様子ですねぇ。荷物はクラークが持っていきますので、みほ様は外に待たせてあるタクシーにお乗りください」
「えっ? えっ?」
「さあさあ、お急ぎください。めいめいも首を長くして待っていますよ」

 みほが困惑しているうちにクラークはどんどん話を進めていく。みほがまとめていた荷物はすでにクラークに持ち運ばれ、玄関も彼女が鍵をかけてしまった。
 突然の出来事に茫然としているみほは、あれよあれよという間にタクシーに押しこめられてしまう。クラークが運転手に指示した目的地は、学園艦に設置されているヘリポートであった。

「クラークさん、説明してください! どうしてクラークさんが私を迎えに来るんですか? これから私をどこへ連れていくつもりなんですか?」
「落ちついてくださいみほ様。大丈夫です、これから向かう先はみほ様のご実家ですから。みほ様もまほ様にお会いするために準備していたんですよね? なら好都合じゃないですかぁ」
「……あなたはいったい誰? どうして私のことをそこまで調べてるの?」

 目の前でニコニコしているクラークに、みほは得体の知れない恐怖を感じた。みほは聖グロリアーナの生徒であり、黒森峰とはつながりがない。なのに、クラークはいまだにみほのことを調べている。これはどう考えても不自然だ。
 
「クラークの本当の名前は犬童頼子と言います。頼子と気軽にお呼びください」

 犬童。その苗字にみほは聞き覚えがある。
 西住流一門の中で、父ともっとも親しくしていた人物。その人物の名前がたしか犬童だったはずだ。
 
「もしかして、お父さんと仲が良かった犬童さんの……」
「はい。常夫さんと親しくしていたのは頼子のお父様です。みほ様はお忘れになっているようですけど、小さいころに頼子たちは一度だけお会いしたことがあるんですよぉ。頼子は今でもそのときのことをよく覚えています」

 みほは幼少期のころ、一度だけまほと一緒に同年代の二人の女の子と遊んだことがある。
 四人で無理やり乗りこんだⅡ号戦車。アイスを食べながらみんなで楽しんだ川釣り。全員で泥まみれになりながら行ったカエル捕り。まほしか遊び相手がいなかった幼いみほにとって、まさに夢のような体験であった。
 今思えば、あの体験がみほの友達がほしいという願望のきっかけだったのかもしれない。 

 クラークの声を初めて聞いたとき、みほは声に聞き覚えがあったのを思いだした。あれは学校内で声を耳にしたのではなく、幼いころに聞いた声をみほが覚えていたのだ。クラークの声には特徴があると思っていたが、どうやら声だけは幼いころのままらしい。

「これから向かう西住邸でみほ様は重要な選択を迫られます。ですが安心してください。みほ様がどんな選択をしようと、頼子はみほ様の味方です」

 今までずっと笑顔だったクラークは、一転して真剣な表情に変わる。目はしっかりとみほのことを見据えており、彼女が嘘をついているようにはとても思えない。
 クラークに恐怖心を感じたみほであったが、その気持ちはだんだん薄れていく。幼いころに一緒に遊んだ記憶は、クラークに対する警戒心をみほからあっさり奪ってしまった。



 ヘリポートでは左右のツインローターが特徴的なヘリコプター、フォッケ・アハゲリス Fa 223通称ドラッヘがみほを待っていた。黒森峰女学園が視察などに使用しているヘリコプターで、みほも中学時代に何回か乗ったことがある。
 そのドラッヘの近くで、一人の少女が直立不動の姿勢で立っていた。

 少女の顔立ちは少しクラークと似ており、髪色と髪型もほぼ同じだ。双子というほど似ているわけではないが、二人に血縁関係があるのは間違いないだろう。
 ちなみに似ているのは外見だけで、スタイルは天と地ほどの差があった。クラークと比べると、少女は良くいえばスレンダー、悪くいえば貧相である。

「お待ちしておりました。みほ様が搭乗されるヘリの操縦士を務める犬童芽依子です」

 少女は左ひざを地面に着けて右ひざを立てる奇妙な座り方で、みほにあいさつを行った。その姿はまるで主の前にはせ参じた忍者のようだ。
 少女の服装は黒森峰女学園中等部の制服姿。当然下はスカートであり、右ひざを立てていると下着が見えてしまう。みほは慌ててやめさせようとしたが心配は無用であった。すらりと伸びた少女の白い足は、スベスベの黒いスパッツに包まれていたのだ。

「めいめい、お迎えご苦労様ですぅ」
「姉さん、そのめいめいという呼び方はやめてください。芽依子はもう子供じゃありません」
「つれないですねぇ。久しぶりのお姉ちゃんとの再会なんですから、もっと甘えてくれてもいいんですよ?」
「嫌です。みほ様の前でそんなみっともないことはできません」
「ガーン! 昔はあんなにお姉ちゃんに懐いてくれてたのに……めいめいはお姉ちゃんのことが嫌いになったんですね」
「なっ! 芽依子が姉さんのことを嫌いになるわけないじゃないですか!」

 よよよと泣き崩れたクラークに向かって、芽依子はすぐさま否定の言葉を吐く。クラークはあきらかに嘘泣きなのだが、彼女は本気にしてしまっているようだ。

「めいめいは昔と変わらず優しい子ですね。まっすぐに育ってくれてお姉ちゃんはうれしいですぅ」
「……姉さん、もしかして嘘泣きだったんですか? 芽依子をだましたんですね」
「あわわ、めいめい顔が怖いよ。みほ様の前でそんな顔しちゃダメだってば」
「はっ! 申し訳ありませんみほ様! お見苦しいところをお見せしました」   
「私は全然気にしてないから大丈夫だよ。それより、どうして私を迎えに来たのか理由を話してほしいかな?」

 みほが実家に帰ることができないのは周知の事実のはずである。西住流一門の犬童家がそれを知らないわけがない。
 それなのに犬童家はみほに迎えをよこした。しかも、みほがまほに会いに行く計画を立てていたのを事前に調査している。みほとしては、なぜ犬童家がこのような行動に出たのか真実を知りたかった。

「みほ様に西住流の後継者になっていただくためです。芽依子のお父様もそれを望んでおります」
「私を後継者に? 無理無理! 私にはまったく向いてないよ。それにお母さんが決めた後継者はお姉ちゃんなんだし」
「この話はしほ様も了承済みです。残念ながらまほ様はもう……」

 まほの話題になったとたん、芽依子は急に黙りこんだ。ためらうような芽依子の表情は、まほになにかトラブルが起こったことを如実に表している。
 決勝戦で取り乱すまほの様子が脳裏に浮かんだみほは、焦ったような口調で問いかけた。  

「教えて! お姉ちゃんになにがあったの!」
「みほ様、その質問には頼子がお答えします。まほ様が全国大会の決勝戦で失態を演じてしまったのはご存知ですよね?」
「う、うん。私もテレビで試合を見てたから……」
「ご実家に呼びだされたまほ様は、しほ様から激しく叱責されました。まほ様はそのあと、ご自分の部屋に閉じこもってしまったんです。世に言う引きこもりってやつですね」
 
 クラークはあっけらかんとした様子で答えるが、その言葉がみほに与えた衝撃は計りしれないものであった。

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第二十一話 ラベンダーと西住まほ

 みほは熊本の実家に帰ってきた。この家に入るのは、みほが家族と大喧嘩をしたあの日以来である。
 どうやって実家まで帰ってきたのか、みほはまったく覚えていない。まほが引きこもりになった。あまりに衝撃的すぎるその事実に、みほの頭は混乱状態に陥っていたからだ。
 犬童姉妹がいなかったら、みほは今でも学園艦のヘリポートに立ちつくしていただろう。

「しほ様はお出かけになっているみたいですねぇ。みほ様、先にまほ様のお部屋に行ってみますか? しほ様の許可はもらっていますから、中に入っても大丈夫ですよ」
「みほ様がお戻りになったことを知れば、まほ様も出てきてくださるかもしれません。行きましょう、みほ様」
「……うん」
 
 実家へと足を踏みいれたみほは、犬童姉妹に促されてまほの部屋へと向かう。冬休みにまほと会うつもりだったみほであったが、まさかこんな展開になるとは思ってもいなかった。
 いったいまほにどんな言葉をかければいいのか。みほは答えを出せぬまま、実家の長い廊下を重苦しい表情で歩いていく。 

 芽依子に先導される形で、一行はまほの部屋の近くまでやってきた。まほの部屋付近は薄暗く、空気が淀んでいるのがここからでもはっきりとわかる。
 負の空気が漂っている陰気な空間。それがまほの閉じこもっている世界であった。

「まずは芽依子がまほ様と少し話をしてきます。突然みほ様に声をかけられたら、まほ様がパニックを起こしてしまう可能性もありますので」
「みほ様、ここはめいめいに任せましょう。めいめいは引きこもってしまったまほ様の話し相手を務めてましたから、心配は無用ですよ」
「芽依子さんが? でも、芽依子さんは黒森峰女学園の学園艦に住んでるんじゃ?」
「めいめいは中学校を適度に休みながらヘリで往復してたんですよぉ。あのドラッヘは犬童家の所有物ですから」

 いくらヘリがあるとはいえ、海を航行している学園艦から熊本までの距離は遠い。おそらく学園艦が陸に近づいたときに熊本に来ていたのだろうが、すぐに往復できる距離ではないはずだ。しかも、ヘリが運転できるとはいえ芽依子はまだ中学生。普段の生活を犠牲にしてまほに尽くすことは、そう簡単にできることではない。
 
 みほは芽依子に感謝すると同時に、自分がそれをできなかったことを情けなく思った。まほの異変に気づいていたのなら、もっと早く行動を起こして状況を確認するべきだったのだ。冬休みになってから動いたのでは遅すぎたのである。
 
 みほが後悔にさいなまれていると、まほの部屋の前で話をしていた芽依子が戻ってきた。

「みほ様、まほ様がお話したいことがあるそうです。芽依子たちは少し離れた場所で待機しています」
「がんばってくださいみほ様。まほ様をお救いできるのはみほ様だけですから」

 犬童姉妹はさっとその場を離れ、廊下にはみほだけが残される。心の準備はまったくできていないが、いつまでもまほを待たせるわけにはいかない。
 みほは勇気を振り絞ってまほの部屋の前まで進むと、ドアを軽くノックした。
 
「お姉ちゃん、みほだよ。大丈夫?」
「本当にみほの声だ。みほが帰ってきた……」

 部屋からはまほの呆けたような声が聞こえてくる。それはすぐにすすり泣く声へと変わった。

「お姉ちゃん!?」
「ごめん、ごめんみほ……ダメなお姉ちゃんでごめんなさい」
「お姉ちゃんはダメじゃないよ。今は少し疲れてるだけで、休めばきっともとのお姉ちゃんに……」
「もう私はみほの姉には戻れない。みほの気持ちをわかってあげられなかった私は、姉失格だ」
「そんなことないよ。お姉ちゃんは私がくじけそうなとき、いつも助けてくれた。私が西住流の修行をがんばれたのはお姉ちゃんがいたからだもん」
「逆だよ。みほがいなかったら、私は逃げだしていたかもしれない。私がつらい修行に耐えることができたのはみほのおかげなんだ。私は西住流の後継者なんて大それた器じゃないんだよ……」

 まほの告白はみほに大きな衝撃を与えた。みほはまほのことを才能がある強い姉だとずっと思っていたからだ。
 西住流の後継者としてつねに堂々とした態度を示していたまほ。そのまほがこんな弱気なことを考えていたなんて、みほは思いもしなかった。西住流の後継者という重圧は、みほが想像していたよりも重いものだったようだ。
 
「それなのに、私は中学でみほに厳しく接してしまった。お母様の言うことを鵜呑みにしないで、みほの気持ちをもっと考えるべきだったのに……。全部みほのためなんだって自分に言い訳して、私はお母様の命令に逆らうこともせず黙って従ってた。お母様の真似をすることしかできない無能な後継者のくせに、偉そうにみほに説教してたんだ」
「お姉ちゃん……」
「こんな情けない姉なんだ。みほに嫌われるのも当然だよ……それにみほのそばにはあの二人がいる。もう私が入る余地なんてない」  

 まほが言うあの二人とはローズヒップとルクリリのことだろう。まほは練習試合で、みほが二人と一緒にいるところを見ているのだ。

「みほがあの二人の手を握っているのを見たときは、嫉妬で狂いそうだった。みほの手を握って励ます役目を取られた気になって、みほの友達に嫉妬するなんてバカみたいだろ。ダージリンにはそれを見抜かれて怒られたよ、大事な後輩をあんな目で見るなって……それに腹を立てて準決勝で彼女を追いまわした私は、本当に救いようがない愚か者だ」

 涙声で告白を続けるまほ。自分を卑下し続けるまほの言葉は、容赦なくみほの心に突き刺さっていく。
 まほがこうなってしまったのは、間違いなくみほのあの一言が原因だ。みほが激情に流されて発してしまったあの言葉は、取り返しがつかない事態を招いてしまったのである。

「準決勝といえば、みほに撃たれそうになって私は大泣きしていたな。みほに拒絶されて、みほを励ます役目も失って、もう私はみほにとってただの敵でしかない。そう思ったら自然と涙が流れていたよ。私は本当に情けなくてどうしようもない姉だ……」
「もうやめてっ!」

 みほの大声でまほの独白は止まった。そのかわりに、今度はまほの泣いている声がみほの耳にはっきりと聞こえてくる。

「お姉ちゃん、その部屋から出てきて。そんなところに閉じこもってるから、悪い考えばかりが頭に浮かんじゃうんだよ」
「い、嫌だ。私はもうみほに合わせる顔がない」
「私はお姉ちゃんに会いたいの! お願いだから出てきてよ!」

 みほはドアノブをガチャガチャと動かし、ドアをバンバンと叩く。
 まほをこの部屋から救いだす。みほの頭の中にあるのはその一心だった。次にみほはドアに体当たりを試みようとしたが、駆けつけた芽依子に羽交い締めにされてしまう。

「おやめくださいみほ様!」
「放して! お姉ちゃんはここにいちゃいけないの!」
「あんまり興奮するとかわいい顔が台無しですよ。ここは深呼吸して気を落ちつけましょう。大きく息を吸いこんで吐きまーす。5、6、7、8」
「姉さん、ラジオ体操をやってる場合じゃありません!」
「これが聖グロで身につけたジョークってやつなんですけどねぇ。めいめい、ここはひとまず撤退しますよ」
「わかりました。みほ様、少し失礼します」

 芽依子はみほをお姫様抱っこで軽々と持ち上げると、頼子と一緒にまほの部屋の前から立ちさった。
 あまりにも手際よく、そして素早いその動きは忍者を彷彿とさせる。芽依子にお姫様抱っこをされたみほは、犬童家が西住家に仕える忍者の末裔だという父の話を思いだしていた。



 まほの部屋の前から移動した犬童姉妹が向かったのは、みほの部屋であった。
 頼子がみほの部屋のドアを開け、みほを連れた芽依子が滑りこむように中に入る。主がいなくなったはずのみほの部屋はきれいに清掃されており、ちり一つ落ちていない。みほが飾りつけていたボコのぬいぐるみもそのままだ。

「みほ様、お部屋に到着しました。急を要していたとはいえ、お恥ずかしい姿をさせてしまい大変申し訳ありません」
「謝らないでいいよ。芽依子さんのおかげで私も頭が冷えたから。私を止めてくれてありがとう」
「みほ様、みほ様! 頼子もがんばりましたよ」
「姉さんはふざけてただけじゃないですか」
「チッチッチッ、あれが場を和ます大人のジョークなんですよ。まだまだお子様のめいめいには難しかったかもしれませんねぇ。みほ様はちゃんと気づいてましたよね?」
「えーと、ごめんね。興奮してたからよく聞いてなかったの」
「ガーン! そんなぁ……」

 頼子は両手を床についてオーバーにうなだれる。そこでみほはようやく彼女の意図に気づいた。頼子はみほが落ちこまないようにわざと大げさに振舞っているのだ。
  
「ありがとう二人とも。私たちのために一生懸命になってくれて」
「西住家を支えるのが犬童家の務め。みほ様たちのためなら、芽依子はなんだってできます」
「頼子も同じ気持ちですよぉ。ただ、めいめいと違って頼子はか弱いので荒事の役には立てませんけど」
「姉さん、最近忍道の修行をさぼってますよね。今日から芽依子と一緒に鍛えなおしましょう」
「無理無理無理! めいめいと一緒に修行してたら頼子は死んじゃうよぉー!」

 犬童姉妹はとても仲がいいのだろう。二人のやり取りを見ているだけでそれがよくわかる。
 みほとまほもとても仲がいい姉妹であった。それが今では、顔を合わせて話すことすらできない関係になってしまっている。その事実がみほに重くのしかかるが、ここでくじけるわけにはいかない。まほともう一度仲のいい姉妹に戻るには、みほががんばるしかないのだから。

「芽依子さん、お姉ちゃんはずっとあんな感じなの?」
「はい。まほ様はみほ様に対する謝罪と後悔の言葉しか口にしません。芽依子がいないときは、一言もしゃべらずに泣いてばかりいるそうです」
「そうなんだ……。どうすればお姉ちゃんは立ち直ってくれるんだろう?」
「みほ様、西住流の後継者になる気はまだありませんか? みほ様が戻ってきてくだされば、まほ様も外に出てきてくれると思うんですよねぇ」
「みほ様と一緒ならまほ様も再起できるはずです。お願いですみほ様、どうか戻ってきてください」

 西住流の後継者になるということは、おいそれと決められるようなことではない。まほが背負いきれなかった後継者の重圧を担う覚悟は、みほにはまだなかった。それに後継者になるということは、黒森峰女学園に戻るということを意味する。
 黒森峰女学園は西住流の権威の象徴。西住流の後継者が在籍しないなど、許されることではないだろう。
 
 ローズヒップとルクリリと別れて黒森峰女学園に通う。それを想像するだけでみほの体は小刻みに震えてきた。二人ともっと一緒に高校生活を送りたい。それがみほの本音である。
 しかし、それではまほはいつまでも西住流の後継者という鎖に縛られてしまう。西住流の後継者の座から解放されなければ、まほは引きこもりから脱却できない。

 いったいどうすればいいのか。みほは答えが出せないまま、思考の袋小路に迷いこんでしまった。
 それでも状況は待ってはくれない。みほが考えこんでいる間に携帯電話を操作していた頼子が、しほが帰ってくることを告げたからだ。

「みほ様、お父様から連絡がありました。もうすぐしほ様がお戻りになるので、先に大広間で待っているようにとのことです。頼子たちも一緒に行きますので、すぐに大広間に向かいましょう」



 犬童姉妹と一緒に大広間にやってきたみほは、正座をしながらしほが来るのを待っていた。
 犬童姉妹はみほよりも後方で正座をしている。二人は犬童家の娘がみほの隣に座るわけはいかないと主張し、後ろに下がったのだ。みほとしては犬童姉妹が隣にいてくれたほうが心強かったのだが、二人は頑として譲らなかったのである。

 心細さを感じたみほは無性にローズヒップとルクリリに会いたくなった。あの二人なら、みほの隣に座って最後まで一緒にいてくれたはずだ。
 みほがそんなことを考えていると大広間のふすまが開き、しほと犬童家の当主が入室してきた。

「しほ様、我々は部屋の外で待っております。なにか御用がありましたらすぐにお呼びください」
「わかりました」
「二人ともご苦労だった。我々の仕事はここまでだ。行くぞ」
「はーい、お父様」
「はい」

 犬童家の人間がいなくなり、部屋にはみほとしほだけが残される。久しぶりの親子の対面だが二人に笑顔はなかった。みほは心細い顔のままであり、しほは険しい表情を崩さない。
 
「ただいま、お母さん」
「おかえりなさい、みほ」

 なんともぎこちないあいさつを交わす二人。そのままお互いなにもしゃべらず、しばらく無言の時間が過ぎる。

「まほとは会いましたか?」
「話はできたけど、お姉ちゃんは出てきてくれなかったの……」
「そうですか……」

 みほの答えを聞いたしほは落胆したような顔を見せる。よく見ると目の下には薄っすらとクマができており、表情には覇気がない。少し見ない間に、母がずいぶんと老けこんでしまったようにみほは感じた。

「みほ、今日あなたを呼んだのは頼みたいことがあったからです」
「西住流の後継者の件だよね……犬童さんから聞いたよ」
「知っているのなら単刀直入に言います。みほ、あなたが西住流の後継者になるのです」
「……そんなの勝手すぎるよ。聖グロリアーナ女学院を卒業するまでは家に帰れないって言ったのは、お母さんだよね?」
「母の身勝手を許してくれとは言いません。ですが、西住家には西住流を担う責任があります。私たちは、西住流を支えてくれる門下生を裏切るわけにはいかないのです」

 西住流は日本戦車道の最大派閥。島田流は世界中に道場を持ち、門下生の数だけなら西住流を上回るが、日本戦車道の先頭に立っているのはいまだに西住流だ。
 その西住流を支えているのが大勢の門下生である。西住流が日本一の栄誉を得られているのは、西住流一門の活躍のよるところが大きかった。
 だからこそ、西住流の中心にいる西住家は門下生のがんばりに報いなければならない。西住の人間は、西住流を投げだすような不義理なことはできないのだ。

「今すぐ返事をしないとダメなの?」
「返事は急ぎません。みほが納得するまで母は待ちつづけます」
「しばらく考える時間がほしいの。それまでこの家にいてもいいかな?」
「構いません。冬休み中に結論が出なかったら、学校を休んでもいいです」
「ありがとうお母さん。部屋に戻って真剣に考えてみるね」

 部屋に戻るために立ちあがろうとするみほ。そのとき、しほが驚きの行動に出た。 
 しほはみほに向かって土下座をしたのだ。

「や、やめてよお母さん! そんなことしないでよ!」
「これは母のけじめです。みほが気にする必要はありません」
「でも!」
「もう部屋に戻りなさい。あなたにはほかに考えることがあるはずです」
「お母さん……」

 いつまでも土下座をやめないしほ。これがみほに対する最大限の謝罪なのだろうが、みほはそんな母の姿を見たくはなかった。
 しほに対する不満はたしかにある。それでもみほはしほを恨んではいない。どんなに厳しく理不尽でも、みほにとってしほは大切な母親。嫌いになんてなれるわけがない。

 いたたまれない気落ちになったみほは、逃げるように大広間をあとにする。みほが最後にちらっと見たしほの姿は土下座をしたままであった。



 みほが自分の部屋に向かうために廊下を歩いていると、犬童家の面々と出くわした。
 三人は犬童家の当主を中心にして、硬い木の廊下に正座している。犬童家の当主と芽依子が平然とした顔をしているのに対し、頼子は苦悶の表情。どうやら三人はここでずっと正座をしていたようだ。

「みほ様、お疲れ様でした。突然の話で混乱されたと思いますが、どうか前向きにお考えください。我々にできることがあればなんでも協力いたします。娘二人が滞在する許可はしほ様にいただいておりますので、どうか好きなように使ってください」

 みほがすぐに答えを出せないことなど、犬童家の当主にはお見通しだったのだろう。みほにとっては父の知り合いという認識しかなかったが、どうやらかなりやり手の人物のようだ。

「お父様~。みほ様もお戻りになったことですし、そろそろ正座はやめにしませんか?」
「もうへばったんですか姉さん。やっぱり修行が必要ですね」
「ひいっ! 助けてお父様!」
「姉さんっ! お父様に抱きつくのはやめてください! 芽依子だって我慢してるんですよ!」
「こらこら、みほ様の前だぞ。二人ともはしたない真似はよせ」

 口では苦言を呈していても、娘を見る犬童家の当主はとても優しそうな目をしている。犬童家は姉妹の仲だけでなく、家族の仲も良好なようであった。

「みほ様、私はこれで帰りますが、あとで常夫のやつにお顔を見せてあげてください。みほ様と三年間会えないことを知ったときは、常夫もかなり寂しがっていましたから。寡黙な男なんで口には出しませんけど、同じ年ごろの娘を持つ私にはすぐにわかりましたよ」
「そうですね。お父さんともしっかり話をしたいと思います。今日はいろいろとありがとうございました」
「礼なら私ではなく娘たちに。この子たちは本当によくやってくれてますよ。これからもきっとみほ様の助けになるはずです。それでは失礼します」

 犬童家の当主はみほに深々と頭を下げたあと、玄関へと向かった。背筋はピンと伸びており、歩く姿はよどみない。背が高く顔もハンサムである犬童家の当主は、まるで絵に描いたような理想の父親だ。そんな父親の後姿を犬童姉妹は目をキラキラさせながら見送っていた。

 みほの父親である西住常夫は犬童家の当主のようにハンサムではない。服装はいつもつなぎ姿で、カッコいいスーツ姿などみほは見たことがなかった。物静かで口数が少なく、戦車の整備ばかりしている、それがみほにとっての父の印象である。
 
 はっきりいって理想の父親からは程遠い。それでもみほはそんな父が好きだった。みほが乗る戦車を父は一生懸命に整備してくれたし、みほが泣いていたときは優しく頭を撫でてくれた。父は言葉ではなく、行動でみほを愛していることを示してくれたのだ。

 思えば父とは長い間話をしていなかった気がする。まほのことや西住流の後継者のことなど考えることは山積みだが、みほはまず父と話をしようと思った。

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第二十二話 ラベンダーの決断

 みほが始めにしたことは、まほと会話を重ねることだった。
 西住流の後継者の件をないがしろにはできないが、みほにとってはまほの方が大事である。まずはまほの心のケアが最優先。後継者の件は二の次だ。

 みほは毎日まほの部屋に向かい根気よく話しかけた。
 聖グロリアーナ女学院での生活、二人の親友、尊敬する先輩たち、そして聖グロリアーナの戦車道。みほは自分の身に起こったことをすべてまほに話した。その中には、問題児トリオと呼ばれていることや島田愛里寿と友達になったことも含まれている。
 
 まほからの返答はほとんどなかったが、みほは諦めなかった。
 そんなみほの助けになったのが犬童姉妹である。二人はみほに付きそい、積極的に会話に参加してくれたのだ。
 姉の頼子は話術が得意であり、みほが言葉に詰まっても的確にカバーしてくれる。妹の芽依子はしゃべるのが不得手だったが、まほと会話を重ねていた芽依子がいることで話が弾むこともあった。
 
 自分は一人ではない。その思いがみほを前へと進ませてくれる。



 クリスマスの夜はまほの部屋の前でパーティーを開催。
 暖房がない廊下はとにかく寒かったが、三人は服を着こむことで対処した。料理は買ってきたケーキとチキン。飲み物はみほが土産として持ってきた紅茶だ。

「メリークリスマス! いやー、このターキーはおいしいですねぇ」
「姉さん、それは鶏です。七面鳥ではありません」
「……ジョークですよ」
「今、少し間がありませんでしたか?」 

 犬童姉妹は明るい会話を絶やさない。みほとまほが話しやすい環境を作るのが、彼女たちの役目であった。

「お姉ちゃんの分もちゃんと用意してあるよ。あとで食べてね」
「……すまない」
「謝らないでもいいよ。でも、できれば一緒にケーキを食べたいかな?」
「それは……できない。ごめんみほ」
「ううん、いいの。お姉ちゃんが出てきてくれるまで、私は待ってるから」
「ごめん……ごめん……」

 扉の前からはまほのくぐもった泣き声が聞こえてくる。
 部屋に引きこもったままで、復調の兆しが見られないまほ。クリスマスという特別な日でもそれは変わらなかった。



 大晦日の夜もみほたちはまほの部屋の前にいた。
 真夜中の廊下は寒さも一段と厳しさを増す。三人はコートを羽織り、頭から毛布を被って、ひたすら寒さに耐えつづけた。すべてはまほと一緒に新年を迎えるためだ。

「5、4、3、2、1! ハッピーニューイヤー! みほ様、まほ様、めいめい。今年も頼子をよろしくお願いします!」
「こちらこそよろしくね。犬童さんたちにはいっぱい迷惑かけちゃうかもしれないけど、私がんばるから」
「迷惑なことなどありません。みほ様とまほ様をお支えするのが芽依子たちの使命です」
「めいめい、表情が硬いですよぉ。ほら、スマイル、スマイル」
「こ、こうですか?」

 芽依子は笑顔を作ろうとするが、思いっきり顔が引きつっている。表情のバリエーションが乏しい芽依子は、笑顔を作るのがへたくそだった。

「お姉ちゃん、あけましておめでとう。今年もよろしくね」
「……おめでとう」
「私たちはこれから近くの神社に初詣に行くんだけど、よかったらお姉ちゃんも……」
「……ごめん」
「それじゃ私たちだけで行ってくるね。すぐに戻ってくるから」

 みほの言葉にまほからの返答はなく、かわりに聞こえてきたのはまほのすすり泣く声。しかも、今日はいつもより声が大きい。それがまほの苦悩を表しているようで、みほは思わず涙しそうになった。

 新しい年を迎えても、まほはいまだに自分の世界に閉じこもっている。苦しむまほに声をかけ続けることが、今のみほにできる精一杯だった。
 


 西住家では年明け早々に大広間で新年会が行われる。
 西住流一門が集まる新年会は恒例行事の一つ。みほも毎年参加しているが、今まではまほが矢面に立っていたのでおとなしく座っていただけでよかった。だが、まほが参加できない今年はそうもいかない。みほはまほのかわりを務めなければならないのだ。

「みほ様、緊張しなくても大丈夫ですよ。頼子がお助けしますから」
「芽依子もおそばにいます。ご安心くださいみほ様」
「二人ともありがとう」

 犬童姉妹はみほのすぐ後ろに控えている。不安な気持ちはあるが、一人ではないというのは心強い。それにみほには聖グロリアーナで学んできた会話術がある。社交辞令を並べたてるのには自信があった。

 新年会はただあいさつをするだけの場ではなく、今年初の西住流全体会議の場でもある。
 戦車道の世界大会の日本開催に向けた動きとそれに伴うプロリーグ発足の話。大学戦車道で勢いを伸ばしている島田流の話。そして、今年予定されているしほの家元襲名の話。大人たちの難しい話がしばらく続いたあと、ついにみほに関係する話題がやってきた。

「しほ様、まほ様のことなのですが……」
「わかっています。今からすべてを話しますので、話が終わるまで質問は控えてください」

 まほが部屋に引きこもったこと、みほを後継者に指名したこと、みほが態度を保留していること。しほはそれらを包み隠さず説明した。
 新年会の席にざわめきが広がっていく。一門の中には、その事実をまったく知らなかったものも多かったようだ。みほも多くの視線に晒されることになり、居心地は悪い。

 それでも、みほは表情を崩さずしっかりと前を見据えた。いかなるときも優雅。それが聖グロリアーナの戦車道だ。アールグレイとダージリンから何度も聞かされたその教えは、みほが平静を保つ助けになっていた。



 その後行われた食事会でみほを待っていたのは、一門からの質問攻めの嵐だった。西住流の屋台骨がぐらいついていることへの不安。それを解消するための矛先がみほに向かうのは当然である。

「みほ様、なぜ返事を保留なさっているのですか? 西住流の未来はみほ様にかかっているんですよ」
「黒森峰女学園がプラウダ高校に敗北したのは戦術面に問題があったと思います。みほ様はどうお考えですか?」
「あの、まほ様のお体の具合は大丈夫ですか? 大変だとは思いますが、みほ様が支えてあげてくださいね」

 聖グロリアーナで学んだ会話術を駆使して、みほはすべての質問に答えていく。答えが出せない質問はうまくはぐらかし、できるだけ相手が満足する回答を導きだす。不安を抱えている一門を少しでも安心させるのがみほの役目だ。
 
 頼子はみほの回答を補足する形で手助けしてくれる。彼女の話術は大人相手でも通用する一級品。その力は大いにみほの役に立った。  
 
 みほの回答に納得しない一門が出たときは芽依子の出番。みほの後ろで芽依子が殺気をこめた目で睨みつけると、みんなすごすごと引きさがっていく。みほですら背中にピリピリしたものを感じるのだ。実際に視線を向けられた一門が受けたプレッシャーは相当なものだろう。

 そうやって三人で協力して一門の相手をしていると、次にやってきたのは犬童家の当主であった。

「みほ様、ご苦労様です。少しお姿を拝見させていただきましたが、実に堂々たる振る舞いでした。聖グロリアーナ女学院で立派に成長なされたようですな」
「私なんてまだまだですよ。頼子さんや先輩たちとは比べものになりませんから」
「頼子は子供のころから話術の勉強をしていますからね。みほ様に負けてしまったら、この子の立つ瀬がありませんよ。頼子もご苦労だったな。お前がみほ様の役に立っている姿を私はしっかり見ていたぞ」

 犬童家の当主はそう言って頼子の頭を優しく撫でた。安心しきったように父親に頭を預けている頼子はとても幸せそうだ。

「お父様、芽依子もがんばりました。姉さんばかりずるいです」
「お、めいめいがやきもちをやいてますよぉ。でも、今回は頼子の方ががんばりましたからね。お父様は独り占めです」
「姉さんっ!」
「ジョークです、ジョーク! お願いだから殺気を頼子に向けないでぇー!」
「おいおい、あんまりはしゃぐんじゃないぞ。みほ様、お騒がせしてすみません。しっかりしているように見えますが、二人ともまだまだ子供なんですよ」

 犬童家は今日もいつも通りの仲良しぶりを発揮している。みほはそれをうらやましく思った。
 みほが小さいころは西住家も家族仲は良好だった。それが今ではこの有様である。いったいどうしてこうなったのか、みほの脳裏に思い浮かぶ原因はただ一つ。みほが黒森峰女学園を拒んだからだ。

「お前たち、みほ様は少しお疲れのようだ。しほ様には私から説明しておくから、三人で散歩でもしてきなさい」
「はーい! さあさあ、みほ様。外に出て羽を伸ばしましょう」
「芽依子が上着を取ってきます。みほ様は先に玄関に向かってください」

 犬童家の当主はみほに気を使ってくれたようだ。どうやら後ろ向きなことを考えていたのが、表情に出ていたらしい。犬童家の当主のさりげない気づかいに心の中で感謝し、みほは気分転換のために外に出ることにした。
 


 芽依子が持ってきてくれたコートを羽織り、みほは犬童姉妹と一緒に玄関を出る。
 冬の冷たい風が吹きすさび、容赦なくみほの体を冷やしていく。心も冷え気味のみほにはこたえる寒さだった。

 ローズヒップとルクリリに会いたい。ここにはいない二人の親友にみほは思いをはせる。

 犬童姉妹はみほによく尽くしてくれるが、部下という立場を決して崩さない。親友の二人とは違い、一歩引いた位置にいるのだ。そのこともローズヒップとルクリリを恋しく思う理由の一つになっていた。

「みほ様! お下がりください!」
「ふえっ!?」

 二人の親友のことを考えながらぼんやり歩いていたみほの前に、突然芽依子が立ちふさがった。芽依子はみほを守るように背中に隠すと、前方に鋭い視線を向ける。全身から殺気をみなぎらせるその姿は、みほも恐怖を感じるほどだ。

 芽依子がこれほどの殺気を向ける人物。それが誰なのか気になったみほは、視線を恐る恐る前へと向ける。そこにいたのはジーンズにコート姿のエリカだった。

「逸見エリカさんじゃないですかぁ。みほ様になにか御用でしょうか?」
「みほ様? 見かけない顔だけどあなた誰よ?」
「西住流一門の犬童頼子ですぅ。一門といっても戦車には乗らないので、末席を汚させていただいているだけですけど」
「姉さん、名乗る必要なんてありません。この女は即刻排除すべきです」

 芽依子はエリカをかなり敵視しているようだ。その理由はみほにも察しがつく。みほとエリカが乱闘騒ぎを起こしたことを芽依子は知っているのだろう。

「めいめい、争いはなにも生みませんよ。まあ、ここはお姉ちゃんに任せてください。逸見さんはみほ様とお話がしたいんですよね?」
「……ええ、そうよ。できれば二人だけで話をさせてほしいの」
「ふざけないでください。あなたは自分がみほ様になにをしたのかもう忘れたんですか?」
「いいですよ。みほ様も構いませんよね?」
「なっ!? 姉さん、なにを考えているんですか!」

 頼子がエリカの要求をあっさり了承したことに、芽依子は怒りをあらわにする。それに対し、頼子は平然とした態度を崩さない。

「めいめいの気持ちはわかりますけど、ここは我慢のしどころですよ。みほ様、頼子たちは少し離れた場所で待機しています。なにかあったらすぐに駆けつけますので、安心してくださいね」
「うん。逸見さん、場所は近くの公園でいい?」
「わかったわ」

 もとよりみほはエリカから逃げる気はない。話があるのなら真正面から受けとめる覚悟がある。何度もぶつかり合ったことで、エリカに対する苦手意識はもうほとんどなくなっていた。



 近所の公園のベンチに並んで腰かけるみほとエリカ。ほかに人はおらず、小さな公園は二人だけの貸し切りだ。
 犬童姉妹の姿も見えないが、きっとすぐ近くでみほのことを見ているのだろう。

「逸見さん、話ってお姉ちゃんのことだよね?」
「……隊長が学校に来なくなって、もう四ヶ月近く経つわ。教えて、隊長になにがあったの?」
「逸見さんには教えるけど、これから話すことはできれば誰にも言わないでほしいかな」

 みほはまほの現状をエリカに説明した。みほのかわりにまほを支えてくれたエリカには知る権利がある。
 みほの話を聞いている間、エリカは終始冷静だった。みほに噛みつくこともなければ、嫌味を言うこともない。エリカがこんなおとなしい姿を見せたことに、みほは内心驚いていた。

「教えてくれてありがとう。おかげで少し気持ちが落ちついたわ」
「怒らないの? お姉ちゃんは私のせいで……」
「今さらあなたを怒っても意味はないわ。それに、責任は私にもある。隊長が壊れていくのを私は止めることができなかった。みほを連れもどすのにも失敗したしね」
「……ねえ、逸見さん。もし私があのとき黒森峰に戻ってたら、お姉ちゃんは苦しまないですんだのかな?」
「たらればの話をしてもしょうがないわ。今ここでそんな話をしても、隊長は戻ってこないんだから」

 エリカはみほのことをいっさい責めない。練習試合のときにみほを責めたて、ローズヒップとルクリリをけなしたエリカとはまるで別人だ。
 
 今思えば、あのときのエリカは少し様子がおかしかった。中学時代のエリカも小言が多かったが、それは嫌みや悪口ではなく注意と進言が主である。口調はきつかったが、練習試合のときのように一方的に意見を押しつけるようなものではなかったはずだ。
 
 おそらく、まほが壊れていくのを止められない焦燥感がエリカを強行に走らせたのだろう。エリカにとってみほを連れもどすことは、まほを助けるための最後の賭けだったのかもしれない。

「逸見さん、相談したいことがあるんだけどいいかな?」
「みほが私に? いいわよ、私も隊長のことを教えてもらったしね」
「ありがとう。実はね……」

 みほは西住流の後継者の件をエリカに話すことにした。みほは悩みを相談する対等な相手がほしかったのだ。
 ローズヒップとルクリリに電話で相談するという手もあったが、もし二人の声を聞いたらみほの気持ちは聖グロリアーナに傾いてしまう。これは簡単に結論を出してはいけない問題なのだから、二人に相談することはできない。

 みほは聖グロリアーナ女学院でいろんな経験を積んできた。エリカの小言をわずらわしく思っていた中学時代よりも、精神的に成長できたという自信もある。エリカへの苦手意識を克服できた今なら、彼女の話を冷静に受け止めることができるだろう。
 
 みほの話を聞き終えたエリカは、口に手を当てたまま真剣な表情で考え事をしている。即座に黒森峰を薦めてこないところを見ると、エリカを相談相手に選んだみほの判断は間違いではなかったようだ。

「私から言えることは後悔しない道を選びなさいということだけよ。たしかにみほが戻ってきてくれれば、隊長も元気になってもとの生活に戻れるかもしれない。でも、それでみほが苦しむようになったら隊長はきっと悲しむわ」
「やっぱり私が納得して結論を出さないとダメだよね。もうこれ以上お姉ちゃんを悲しませたくないから」
「それが一番いいと思うわ。みほを無理やり連れもどそうとした私が言っても、説得力はないかもしれないけど……」
「ううん、そんなことない。相談に乗ってくれてありがとう逸見さん」

 みほは笑顔でエリカにお礼の言葉をかける。エリカにお礼を言ったのも初めてなら、笑顔を向けたのも初めてだ。みほから感謝の言葉を受けたエリカは、気恥ずかしそうな顔でそっぽを向いている。こんなエリカの表情を見たのも初めてだった。

「べ、別にお礼を言われるようなことはしてないわ。私はもう行くから、あとは一人で考えなさい」
「うん。後継者になって黒森峰に戻るか、後継者にならないで聖グロリアーナに残るか、しっかり考えて答えを出すね」
「その、できればまた……やっぱり今のなし! じゃあね!」
「バイバイ逸見さん。今日は本当にありがとう」 
   
 エリカは最後になにか言いたいことがあったようだが、結局言わずに走りさってしまった。
 
 エリカのことを苦手だと思っていたのは、みほの誤りだったのかもしれない。苦手だと決めつけず、勇気を持ってエリカと正面から接していれば、今のようないい関係を築けたのだ。
 今度会ったときもまたこんな風に話をしたい。みほはそう思いながら、どんどん小さくなっていくエリカの背を見つめていた。





 犬童姉妹はとある場所でみほの姿をじっと見守っている。彼女たちがどこにいるかというと、公園の隣に建っている家の屋根の上であった。

「みほ様たちはとくに問題なくお別れできたようですねぇ。いやー、よかったよかった。めいめい、もう手裏剣はしまっていいですよ」

 芽依子は手に持っていた棒状の手裏剣を懐にしまうと、頼子にジト目を向ける。どうやらまだ姉の行動に不満を持っているようだ。

「姉さん、なぜ逸見エリカの接近を許したんですか? あの女はみほ様に二度も手をあげたんですよ。今回は何事もありませんでしたが、逸見エリカが危険なことには変わりありません」
「みほ様とエリカさんの相性はそんなに悪くない気がするんですよ。うまくいけば、みほ様の強い味方になれそうな人だと思うんですけどねぇ」
「芽依子は逸見エリカを信用できません。あの女は排除すべきです」
「まあまあ、この件はひとまず様子見ということにしましょう。エリカさんも帰ったことですし、みほ様のもとへ戻りますよ。めいめい、帰りもよろしくね」

 そう言って頼子は芽依子の背中におぶさった。屋根にのぼることができない頼子は、こうやって芽依子に運んでもらったのだ。

「まったく、修行をさぼっているからこんな簡単なこともできなくなるんです」
「これが簡単といえるのはめいめいくらいですよ。あんまり人間離れしないでくれるとお姉ちゃんはうれしいなぁ」
「姉さんと違って、芽依子にはこれしか取り柄がありませんから。みほ様とまほ様をお守りするにはもっと強くならないと……」
「みほ様とまほ様を助けられなかったのは芽依子のせいじゃないよ。西住流を陰で支えるのが犬童家の誇りであり使命である。お父様はそう言ってたでしょ。頼子たちが表立って行動しているのは、愛里寿さんというイレギュラーな存在がいるから。本当なら、こんなに早くみほ様たちの前に姿を現すことはなかったんだよ」

 頼子は柔らかい口調で芽依子に語りかけたあと、優しい手つきで頭を撫でた。普段のお調子者の姿からは想像できないほど、頼子の表情は慈愛に満ちている。

「……みほ様を待たせるわけにはいきません。姉さん、しっかりつかまっていてください」
「はーい。 わわっ! 早い早いっ! めいめい、もっとゆっくりー!」

 顔を赤くした芽依子はスイスイと屋根を下りていく。その速度はいつもの倍近い速さであった。
 




 冬休み最終日の夜。
 みほは自室で携帯電話のメールアプリにメッセージを打ちこんでいた。送信相手はローズヒップとルクリリ。内容は西住流の後継者になることと、黒森峰女学園へ転校することが書かれた簡素なものだ。

「大丈夫。後悔なんてしない。私は十分いい思いをさせてもらったもん」

 メッセージを書き終えたみほは送信ボタンを押そうとするが、手が震えてなかなかボタンが押せなかった。頭は結論を出しているのに、心はまだ納得してくれない。

『もし、そこのおかた。わたくしたちと一緒にチームを組みませんかでございますわ』
『その取ってつけたようなお嬢様言葉はやっぱりおかしいだろ。すごく驚かれてるぞ』

『大丈夫ですわよ、ラベンダー。わたくしも小さいころは家族とよく殴りあいの喧嘩をしたでございますけど、今はみんな仲良しですわ』
『私だって親とはよく口喧嘩してたし、誰だって一度や二度は親と喧嘩ぐらいするさ。今はつらいかもしれないけど、あんまり気に病まないほうがいいぞ』

『ラベンダー、ちょっと目をつぶっていてくださいまし。汗臭いかもしれないけど、そこは我慢してほしいですわ』
『ラベンダーのことだから、またネガティブなことを考えてたんだろ。手を握っててあげるから、冷静になって心を落ちつけるんだ』

『ラベンダー! わたくしたちはずっとお友達ですわ。もう寂しい思いはさせませんわ!』
『ラベンダー、これだけは約束して。なにか困ったことがあったら、私とローズヒップに相談すること。一人ではどうにもできなくても、三人ならきっとなんとかなる。クルセイダーだって三人で協力して動かしてるだろ』

 ローズヒップとルクリリの言葉が脳裏に思い浮かぶたびに、みほの目からは大粒の涙がこぼれ落ちる。
 それでも、みほは未練を断ちきり送信ボタンを押した。直後に携帯電話の電源を切り、ベッドの上に放りなげる。二人から電話がかかってきたら、みほの決意は簡単に揺らいでしまうからだ。

 ボロボロ涙を流すみほの目の前には二着の制服が壁にかけられている。一つは慣れ親しんだ聖グロリアーナ女学院の制服、もう一つは真新しい黒森峰女学園の制服であった。

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第二十三話 西住みほと二人の親友

 冬休みが終わり今日から新学期が始まった。聖グロリアーナ女学院の新学期初日は始業式だけで、授業は行われない。なので多くの生徒は、始業式が終わったら早々に学校をあとにする。
 にもかかわらず、『紅茶の園』にある隊長室には明かりがついていた。ここでは今、マチルダ隊とクルセイダー隊の隊長を決める会議が行われているからだ。

「クルセイダー隊の隊長はラベンダーちゃんしかいませんよ。実力は申し分ないし、あたしの指示にもちゃんと従ってくれるとってもいい子です。彼女になら安心してクルセイダー隊を託せます」
「私も同意見です。データを見ても、ラベンダーが一番クルセイダー隊の隊長に適していますわ」
「決まりね。クルセイダー隊の隊長にはラベンダーを任命しましょう」

 クルセイダー隊の隊長はあっさりとラベンダーに決まった。どうやらダージリンも二人と同じ考えだったらしい。ちなみに、この部屋にいるのはダージリンとダンデライオン、アッサムの三人のみである。
 
「次はマチルダ隊の隊長ね。あなたたちは誰が隊長に相応しいと思っているの?」
「あたしはシッキムちゃんを推します。マチルダ隊は聖グロリアーナの看板を背負っているようなものですから、お淑やかで礼儀正しい子がいいと思いますよ」
「シッキムは突出したものはないですけど、悪いところもありません。黒森峰との練習試合では彼女がマチルダ隊を指揮していたので、指揮能力もそれなりにありますわ」

 アッサムはノートパソコンでシッキムのデータを提示する。すべてのデータが平均値になっているグラフは、シッキムの無難さをよく表していた。
 ダンデライオンとアッサムの意見を聞いても、ダージリンはすぐに判断を下さない。ラベンダーのときとは違い、ダージリンには別の意見があるようだ。

「私はルクリリに任せようと思っていたのだけど、あなたたちは反対かしら?」
「……本気ですか? 聖グロリアーナのイメージをぶち壊すことになりますよ? ルクリリちゃんはすぐボロが出ますから」
「あなたはルクリリとローズヒップにはいつも厳しいわね」
「当然です。ラベンダーちゃんが問題児扱いされているのは、あの二人が原因なんですよ」
「でも、あの二人のおかげでラベンダーは笑って毎日を過ごせているのよ。そうよねアッサム?」
「はい。中学時代のラベンダーは表情を顔に出さない暗い子だったそうですわ。あの子が変わったのは、ローズヒップとルクリリに出会えたから。だからこそ、私はあの三人を引き離すような人事には反対です」

 アッサムがダージリンの意見に反対するのは珍しいことだった。その証拠に、ダンデライオンは心底驚いたような表情を浮かべている。

「いつまでもローズヒップとルクリリに依存しているようでは、ラベンダーは強くなれないわ。それにルクリリがマチルダでいい成績を残しているのは、アッサムのデータにも入っているわよね?」
「データではそうかもしれません。ですが、この件に関してはデータを優先する気はありませんわ。ラベンダーにはローズヒップとルクリリが必要です」
「アッサム、あなたがラベンダーに負い目を感じているのはわかるけど、少し過保護すぎですわよ。ラベンダーも成長しているのだから、少しは信じてあげてもいいのではなくって?」
「たしかにラベンダーは成長してますけど、人はそんなに早くは強くなれませんわ」
「まあまあ、二人とも熱くなっちゃダメですよ。紅茶でも飲んで一息つきましょう。ね?」

 ダンデライオンの一言で会議はいったん休憩となった。
 アッサムが紅茶をいれなおしたことで、隊長室は紅茶の優しい香りに包まれる。柑橘系の香りは気分転換にはもってこいであり、ピリピリしていた隊長室の空気は徐々に穏やかになっていく。
 静かな時間が流れていた隊長室であったが、その静寂は扉を強くノックする音で突然破られた。
 
「ダージリン様、ローズヒップですわ。入ってもよろしいでございますか?」
「よろしくてよ。それと、ノックはもう少し静かになさい」
「はい! 次回から気をつけるでございます。では、失礼しますわ!」
「失礼します」
「あら、ルクリリもいたのね。二人ともずいぶん気合が入っているようだけど、なにかあったの?」

 ローズヒップとルクリリは神妙そうな面持ちだ。こんな表情は試合のときでさえ見せたことがない。

「あれ? 今日はラベンダーちゃんは一緒じゃないんですか? いつも三人で行動してるのに珍しいですね」
「ラベンダーはもう帰ってきませんわ。これからわたくしたちは、ラベンダーに会うために熊本に行くつもりなんですの。今日はしばらく留守にすることを、ダージリン様に伝えにきたのでございますわ」
「ラベンダーが帰ってこない? それにしばらく留守にするって、学校はどうするつもりなの?」
「アッサム様、止めないでください。誰になんと言われようと、私たちの意思は変わりません」
「二人とも、こんなことわざを知ってるかしら? 『急いては事を仕損じる』。ここでつまづきたくないのなら、まずは順を追って私たちに説明しなさい」

 ダージリンに諭されたローズヒップとルクリリは事情を説明した。
 二人の話だと、西住流を継ぐために黒森峰女学園へ転校するというメッセージがラベンダーから送られてきたという。事情を聞こうにも、ラベンダーが携帯電話の電源を切ってしまい連絡が取れない。そこで二人は、ラベンダーに会うために熊本へ向かうことを決意したというのだ。
  
 話を聞き終えたアッサムとダンデライオンは絶句している。ラベンダーの転校は、二人にとって寝耳に水の事態だったようだ。
 そんな二人とは対照的に、ダージリンは冷静に紅茶を飲んでいた。

「アッサム、サンダースの学園艦は佐世保港に停泊中でしたわよね?」
「そのはずですわ。練習試合の申し込みがあったときに、一月の第二週までは母港に停泊していると言ってましたから。航路の関係でお断りしましたけど……」
「そう……私は生徒会に用事ができましたわ。少し長くなると思うので、今日の会議はこれでおしまいにします」 
「ダージリンさん、まさか航路を変える気ですか!?」
「学校を休むことは許可できないけど、戦車道の時間に外出する許可なら出せるわ。生徒会に根回しをしてくださったアールグレイ様には、さっそく感謝しないといけないわね。二人とも、間違っても早まった真似をしてはダメよ」

 ローズヒップとルクリリに念押しをして、ダージリンは隊長室をあとにする。ラベンダーの転校という突然の事態に見舞われても、ダージリンは動じる様子をまったく見せない。
 アールグレイから素晴らしい隊長になれると称されたダージリン。その本領が発揮された瞬間であった。
 
 それから数日後、聖グロリアーナ女学院の学園艦は長崎県の佐世保港に入港。熊本への道はなんの問題もなくつながった。



 サンダース大学付属高校の学園艦。その隊長室でダージリンは金髪の少女とお茶をしていた。

「ケイさん、練習試合を引き受けてくださったこと、心から感謝いたしますわ」
「That's all right。結局どことも試合の予定は組めなかったから、こっちが感謝したいくらいよ」

 ダージリンにケイと呼ばれたこの金髪の少女が、サンダースの新隊長である。同い年のダージリンとは試合で何度も戦った間柄であり、彼女の茶飲み友達の一人でもあった。

「それに、聖グロ期待のNew faceを見れるチャンスを逃す手はないわ。去年の準決勝の試合見てたわよ。あのクルセイダーの一年生すごかったじゃない」
「あの子たちには私も期待しているわ。ケイさんにもご紹介したいのだけど、お約束はできませんの」
「Why? なんで?」
「『未来は「今、我々が何を為すか」にかかっている』。あとはあの子たちのがんばり次第ですわ」
「またそうやって難しいこと言って煙に巻くんだから……まあいいわ。明日の試合はこっちもすごいゲストがいるの。ダージリンもきっとびっくりするわよ」

 そのとき、隊長室の扉が控えめにノックされ一人の少女が入室してきた。
 サンダースの制服に身を包んだ、銀髪サイドテールの少女。この少女のことはダージリンもよく知っている。

「運命というのは本当にあるのかもしれませんわ。ねえ、愛里寿さん」

 ダージリンの前に姿を現した島田愛里寿。その表情はひどく不安げであった。

「ラベンダーたちになにかあったの? できれば教えてほしい」
   


 飼い犬と散歩に出かけたみほは、実家への帰路についていた。
 犬童姉妹は不在であり、今日のみほは一人。頼子は犬童家の当主の指示で長崎県に行くことになったと言っていたが、理由までは教えてくれなかった。
 
 西住流の後継者になることはすでにしほに伝えてある。聖グロリアーナ女学院にも転校届けを提出したが、まだ受理はされていなかった。新しい生徒会長から、学院長が長期出張中で手続きに時間がかかるという連絡を受けてから音沙汰がないのだ。
 
「あれ?」 

 家の門前まで帰ってきたみほの目に飛びこむ二つの人影。それが誰なのかみほにはすぐわかった。ずっと会いたいと願っていた二人を見間違うわけがない。
 
「あっ! ラベンダーですわ!」
「やっと会えた。まだ実家にいてくれてよかったよ」

 みほの大事な二人の親友。ローズヒップとルクリリが西住邸までやってきたのである。



 みほはローズヒップとルクリリを自分の部屋に招きいれ、これまでの事情を説明した。
 表情には出さないが、みほの内心では不安が渦巻いている。みほは二人を裏切っているのだから、それは当然だろう。
 
 みほはローズヒップとルクリリに相談もせず、黒森峰女学園へ転校することを決めた。ルクリリから相談するようにと言われていたのに、それを無視した格好だ。その事実はみほの心を万力のように締めつけていく。
 
 二人から非難の言葉を浴びたらどうしよう。黒森峰に行くなと言われたらなんて断ろう。事情を話している間、みほはそんな後ろ向きなことばかり考えていた。

「いろいろ大変だったみたいですわね、ラベンダー。けど、わたくしたちが来たからにはもう大丈夫ですわ。大船に乗った気持ちでいてくださいまし」
「ラベンダーから連絡をもらったあと、二人でいい案を考えたんだ。ラベンダーもきっと安心できると思うぞ」

 みほの心配は取り越し苦労に終わった。ローズヒップとルクリリはまったく怒っておらず、逆にウキウキしているようにすら見える。みほが心の中で胸を撫でおろしていると、二人から思いもよらない発言が飛びだした。

「わたくしたちは西住流に入門することにいたしましたわ」
「学校は別になっても、西住流が私たちをつないでくれる。ラベンダーが西住流を継いだら、そばで助けてあげることもできる。どうだ、素晴らしいアイディアだろ」
「わたくしたちが西住流を習って上達すれば、ダージリン様のお役にも立てますわ。これぞまさに一石二鳥の……あれ? ラベンダー、どうして泣いてるんですの?」

 泣くなというほうが無理だった。ローズヒップとルクリリの優しさに触れてしまえば、みほの涙腺などすぐにゆるゆるになってしまう。
 
 ローズヒップとルクリリに相談したら聖グロリアーナに気持ちが傾く。みほのその考えは当たっていた。
 二人ともっと思い出を作りたい、一緒に聖グロリアーナ女学院を卒業したい。みほの心はそればかりを訴えてくる。
 もう黒森峰女学園に転校することはできない。すでに感情は理性を上回っているのだ。

 みほはローズヒップとルクリリに抱きつき声をあげて泣いた。ずっと不安だった気持ちを表すかのように、大粒の涙が頬を流れていく。
 情けないとか恥ずかしいという思いはまったく湧いてこなかった。二人の温もりを感じていたい。みほの心はただそれだけを求めていた。



 みほはローズヒップとルクリリと手をつなぎ、大広間で正座をしている。服装は二人と同じ聖グロリアーナ女学院の制服姿。立ち位置はみほが中央で、ローズヒップが左、ルクリリが右だ。
 目の前には、みほたちと同じように正座をしているしほの姿。みほは大事な話があると言って、しほを大広間に呼びつけたのであった。

「話とはなんですか?」
「お母さん、西住流を継ぐことに異論はありません。けど、私はどうしても友達と一緒に聖グロリアーナ女学院を卒業したいの。お願いお母さん。黒森峰女学園への転校を取りやめて、聖グロリアーナ女学院に戻ることを許してください!」

 みほは畳に頭をこすりつけて頼みこんだ。中学時代の進路相談のときとは違い、小細工をいっさいしない心からの嘆願。自分の思いを伝える真っ向勝負にみほは打って出たのである。
 みほの震える手をローズヒップとルクリリはしっかり握ってくれていた。それだけではなく、一緒に頭まで下げてくれる。二人がそばにいれば、みほは無限に勇気が湧いてくる気さえした。 

「みほ、西住流を継ぐことに嘘偽りはない。それを本当に誓えますか?」
「はい! 西住流は私が継ぎます!」

 みほの目をじっと見つめるしほ。
 母の鋭い視線を受けてもみほは目をそらさなかった。ここで目をそらしたらみほの思いは伝わらない。

「……わかりました。黒森峰女学園のほうは私がなんとかします。みほは聖グロリアーナ女学院に帰りなさい」
「お母さん……ありがとう! 本当にありがとう!」
「やったでございますわ! これでまた三人一緒にいられますの! そうだ。ラベンダーのお母様、わたくし西住流に入門したいのでございますわ」
「私も入門を希望します」
「入門するのは構いません。ですが、みほの友達だからといって特別扱いはしませんよ」
「望むところですわ。全力で食らいついてみせますの!」
「一生懸命がんばります。ラベンダーを助けられるぐらい強くなってみせますわ!」

 ローズヒップとルクリリの力強い言葉に満足そうにうなずいたしほは、みほへと顔を向ける。しほの表情は心なしか穏やかになっているように、みほには感じられた。

「みほ、いい友達ができましたね」
「うん。二人がいるから、私はがんばれるの」 
「あなたが成長したのは友達のおかげのようですね。まほにも頼れる友達がいればよかったのですが……」

 しほのその言葉で、みほの頭にある一つの考えが思い浮かんだ。
 西住流の後継者でなくなったまほはすでに自由の身。別の学校に転校し、新しい人間関係を構築することも可能である。みほが友達に支えられているように、まほにも友達の支えが必要なのだ。
 
 引きこもっていたまほは、もう一回二年生をやり直すことになる。口下手で留年しているまほが友達を作るのは容易ではない。そんなまほが友達になれそうな人たちに、みほは心当たりがあった。人見知りが激しい愛里寿とすぐに打ち解けることができた沙織たちだ。
 
 みほが口利きをすれば、沙織たちとまほはきっと仲良くなれるだろう。戦車という共通の話題があるのも大きい。
 それに戦車道がない学校なら、黒森峰を裏切ったと批判されることもないはずだ。もし戦車道が復活したとしても、まほが戦車道を選択しなければいい。沙織たちは、まほが戦車道を選択しないことで態度を変えるような人たちではない。
 
 考えれば考えるほど、大洗女子学園に転校するのがまほにとって最良の道だとみほには思えた。

「お母さん、私に考えがあるんだけど聞いてもらえるかな?」

 みほが起こしたこの行動は、後に起こる大騒動の引き金になってしまう。そして、それはもう一つの物語の幕が上がることを意味していた。



 

「ねえ、いつまでこうしてるつもりなの? 用があるなら正面から乗りこめばいいじゃない」
「ここは西住流のテリトリー。うかつには近づけない」

 サンダース大学付属高校の制服を着た二人の少女が、電信柱に身を隠しながら西住邸の様子をうかがっている。
 一人はダージリンから事情を聞いて駆けつけた島田愛里寿。もう一人は愛里寿のお供をするようにケイから命令を受けた、茶色の髪を星形の髪留めでツインテールにしている少女だ。

「島田流が西住流といがみ合ってるのは知ってるけど、少し大げさすぎよ。これから戦いに行くわけじゃないんだし」
「学校にいる間も私はずっと見張られてた。今も殺気を帯びた視線を感じる。アリサも用心したほうがいい」
「ちょ、ちょっと! 怖いこと言わないでよ! 私まで巻き添えになるのはごめんだからね!」

 アリサと呼ばれた少女は慌てふためきながら周囲を見回すが、あたりに怪しい人影はなく、物音一つしない。それなのにアリサは身震いしながら両手で肩を抱いた。どうやら愛里寿に向けられている視線に気づいてしまったようだ。
 
「どこっ! どこから見てるのよ!」
「静かに。誰か出てくる」
「むぐっ! むぐーっ!」 

 わめくアリサの口を愛里寿は強引に手で塞ぐ。それと同時に西住邸の門から三人の少女が姿を現した。
 聖グロリアーナ女学院の制服姿の少女たちは、仲良く手をつなぎながら歩き去っていく。その様子を確認した愛里寿は、安堵したようにふーっと息を一つ吐き、アリサの口を塞いでいた手をどけた。

「よかった……」
「会わなくていいの? 友達なんでしょ?」
「ここでは接触できない。それに明日になれば学園艦で会える」
「しがらみっていうのは本当めんどくさいわね。まあ、私には関係ないけど。用が済んだのなら私たちも帰るわよ」
「わかった。付きあってくれてありがとう」
「恩を感じているなら、礼なんかより明日の試合で活躍しなさい。聖グロのお嬢様をぼこぼこにして、タカシにいいとこ見せるんだから」

 サンダースの学園艦で行われる練習試合は、男子も含めた大勢の学生が見学に来る。それだけでなく、そのあと開かれる懇親会には特別に男子も参加する予定だ。タカシに想いを寄せるアリサがやる気になるのもうなずける。

「同じ相手に二度は負けられない。明日は全力を尽くす」

 明日の練習試合は、愛里寿にとってもダージリンに負けた借りを返す絶好の機会。顔には決して出さないが、どうやら愛里寿もやる気がみなぎっているようだ。

  

 翌日行われたサンダースと聖グロリアーナの練習試合。愛里寿はダージリンを撃破し、見事にリベンジをはたす。試合もサンダースが勝利したので、愛里寿にとっては大満足の結果であった。

 その反面、アリサはショッキングな事態に見舞われることになる。アリサの想い人であるタカシが、聖グロリアーナのお嬢様に一目ぼれしてしまったのだ。懇親会でもタカシはそのお嬢様に夢中で、アリサのことなど見向きもしなかったのである。
 その日の夜、アリサは枕を涙で濡らした。にっくき恋敵であるラベンダーという少女の名を胸に刻みながら。


◇◇


 西住邸に負けず劣らずの大きさを持つ犬童家の屋敷。その屋敷の大広間で犬童家の当主は娘から報告を受けていた。報告に来たのは頼子だけで、芽依子の姿はない。

「というわけで、みほ様は聖グロリアーナ女学院に戻ることになりました。まほ様も大洗女子学園への転校に前向きなようです。みほ様としほ様の必死の説得が効いたみたいですね」
「……残念だが、仕方がないな。みほ様が後継者になる決断をしてくださっただけでも上出来だ。それに、来年の三月末で廃校になる大洗女子学園はいろいろと都合がいい。まほ様には一年間ゆっくり静養してもらって、来年黒森峰に戻っていただこう」
「でもお父様、戦車に乗らない生活を一年間続けたら、ブランクが大きいんじゃないですか?」
「心配するな。まほ様は才能があるおかただ。みほ様との関係が改善されれば、すぐに結果を出せる。まほ様の弱点はメンタル面だからな」

 犬童家の当主はそこで言葉を切り、あごに手を当て思案顔になった。
  
「芽依子を大洗女子学園に入学させよう。まほ様が心を許している芽依子なら、大きな支えになれるはずだ」
「了解ですぅ。さっそくめいめいに連絡しますね」
「まあ、待て。大洗の廃校の件は芽依子には内緒にしておこう。芽依子は頼子と違って、隠し事ができるような子ではないからな」
「お父様、ひどいですぅ! 頼子だって正直者ですよぉ!」
「はっはっはっ! そう怒るな。私はお前の才能を高く評価してるんだぞ。犬童家に生まれたものにとって、嘘をつくのがうまいのは誇るべきことだ。我々は西住流の陰で生きる人間なのだからな」
 
 ふくれっ面の頼子の頭を犬童家の当主は優しく撫でる。それだけで、すぐに頼子の機嫌はもとに戻った。もし頼子にしっぽが生えていたら、ちぎれ飛びそうなほど勢いよく振られていただろう。
 
 西住流の後継者問題に決着がついても、犬童家の企みはまだ終わらない。


◇◇◇


 黒森峰女学園の学園艦ではある噂が広まっていた。
 戦車道の訓練後の更衣室は今日もその噂で持ちきりだ。この噂は戦車道に関わることなのだから、彼女たちが騒ぐのも無理はない。

「ねえねえ、隊長が転校するって話本当なの?」
「間違いないよ。西住流の門下生の子から聞いた話だもん。その子の話だと、隊長の妹さんが西住師範に転校の話を持ちかけたんだって。西住流も妹さんが継ぐことになったらしいよ」
「噂だと黒森峰に転校するのを拒否したんだよね? 隊長の居場所を奪って追いだしたくせに、自分はもとの学校で今までどおり。それってずるくない?」
「聖グロのお嬢様だもん。今さら黒森峰には戻りたくないんでしょ。妹さんは聖グロに入学して別人みたいになったって、中等部出身の子が話してたよ」
「優雅で華やかな生活に染まちゃったんだねー。いいなー、うらやましいなー」
「あんたじゃ無理でしょ。優雅に紅茶を飲んでる姿がまったく想像できないわ」
「ひどーい! そこまで言うことないじゃん!」

 話に夢中になっている少女たちの前を一人の少女が通りすぎる。その少女の表情を見たことで、みんないっせいに口を閉ざした。目の前の少女が見るからに不機嫌な表情を浮かべていたからだ。 
 その沈黙は少女が更衣室から出ていくまで続いた。

「怖かったー。逸見さん、すごい顔してたし」
「ここ最近ずっと不機嫌だよね。やっぱり隊長の噂が原因かな?」
「絶対そうだよ。逸見さん、隊長のことすごく尊敬してたもん。きっと隊長の妹さんのことを恨んでるんだよ」
「聖グロと試合したら血の雨が降るかもね……」
 
 学校の薄暗い廊下を一人歩く逸見エリカ。両手は固く握りしめられ、表情はひどく歪んでいる。
 一人の少女に対する憎しみを心に抱えながら、エリカは闇の中へと消えていった。



 今回で一年生編は終了となります。

 ここまで書くことができたのも、このお話を読んでくださったすべてのみなさまのおかげです。本当に感謝しております。

 次回から二年生編に入ります。二年生編はみほ以外のキャラクターの視点が増えて少し書き方が変わるかもしれませんが、読者のみなさまが混乱しないように気をつけたいと思っています。

 次回はオレンジペコ視点のオレンジペコと問題児トリオという話を予定しております。
 完結目指してがんばりますので、二年生編もよろしくお願いします。


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二年生編 第二十四話 オレンジペコと問題児トリオ

 日本一と名高い戦車道の流派、西住流。その西住流の若き後継者、西住みほは聖グロリアーナ女学院に通う高校二年生である。
 ラベンダーティーのニックネームを持つみほは、戦車道チームの快速戦車部隊、クルセイダー隊の部隊長を務める優秀な生徒だ。隊長のダージリンからの信頼も厚く、戦車道チームの要ともいえる存在であった。
 
 みほにはとても仲がいい二人の親友がいる。
 一人はみほが搭乗するクルセイダーMK.Ⅲの操縦手、ローズヒップ。西住流の門下生である彼女は、クルセイダーの操縦が並外れてうまい。車長のみほとの息もぴったりで、二人の搭乗するクルセイダーは戦車道チーム一の技量を誇っていた。

 もう一人は戦車道チームの主力戦車隊、マチルダ隊の部隊長を務めるルクリリ。彼女も西住流の門下生で、部隊の指揮には定評がある。攻撃よりも防御を得意とし、ダージリンの搭乗する隊長車、チャーチルを守ることに関して彼女の右に出るものはいない。

 一見すると非の打ちどころがない優等生に見えるこの三人。しかし、実は彼女たちは一年生時に数多くの騒ぎを起こし、問題児トリオの異名を持つトラブルメイカーなのだ。

 そんな問題児トリオも二年生に進級したことで、ダージリンからある一年生の教育係に任命される。
 その一年生のニックネームはオレンジペコ。小柄でかわいらしいこの少女との出会いが、問題児トリオに新風をもたらすことになる。


◇ 
 
 
 昼休みになり、今日も大勢の生徒でにぎわいを見せる聖グロリアーナ女学院の学食。その中には入学したばかりの一年生の姿も多い。テラス席もほぼ埋まっており、空いてる席を見つけるのが難しいほどの盛況ぶりであった。

 そのテラス席で憂いを帯びた顔で座るオレンジがかった金髪の少女。
 戦車道を履修しているこの少女は、ダージリンがいつも手元に置いている期待の新人である。ニックネームは紅茶の等級を表すオレンジペコ。新入生代表あいさつを行うほどの優等生で、優雅で可憐な姿が板についている生粋のお嬢様だ。

「ペコさん、最近元気がないですね。高校生活は始まったばかりですよ! もっとテンションあげていきましょう!」
「カモミールさんはいつも元気ですね……」
「はい! つねに全力疾走が私の信条ですから!」

 ハーブティーの一種、カモミールティーのニックネームを持つこの少女は、オレンジペコの中学からの友達。セミロングの黒髪を二つ結びにしており、身長はオレンジペコとさほど変わらない。元気が自慢のパワフルな少女で、オレンジペコは中学時代から落ち着きを持つように言い聞かせているが、効果はあまりなかった。

「オレンジペコさん、なにか悩みでもあるんですの? 私でよかったらなんでも相談に乗りますわ。遠慮なく言ってくださいませ」
「ありがとうございます、ベルガモットさん。悩みというほどのことではないんですけど……」

 この少女もオレンジペコの中学からの友達で、ニックネームはハーブティーのベルガモットティー。ストロベリーブロンドの長い髪を二つ結びにしている小柄な少女で、あまりに幼い見た目から小学生に間違われることも多い。
 その幼い見た目に反し、性格は冷静沈着で考え方も大人。自分が小さいことをまったく気にしない堂々とした姿勢には、オレンジペコも密かに憧れを抱くほどだ。

「ははーん、わかった。ペコっち、生理でしょ。あたしも重いからよーくわかるよー、その気持ち」
「あの、ハイビスカスさん。あんまりそういう話はしないほうが……オレンジペコさんに失礼ですし」
「おーおー、ニルっちは初心だねー。真っ赤になっちゃって、かわいいー。ねえ、ぎゅって抱きしめてもいい?」
「えっ? あの、その……」
「ハイビスカスさん、ニルギリさんに平然とセクハラしようとするのはやめてください。それと、私の体調は問題ありませんので、余計な気づかいは無用です」

 この二人はオレンジペコが高校に入学してからできた友達だ。
 ハイビスカスはハーブティーのハイビスカスティーがニックネーム。艶やかなロングの黒髪を背中に流した学年一の美少女で、スタイルもダージリンに匹敵する。そんな彼女の最大の欠点は品位の欠片もない言動。入学する学校を間違えてるとしか思えないそのマイナス面のせいで、容姿の良さはまったく意味をなしていなかった。
 
 インド紅茶の一種、ニルギリ紅茶のニックネームを持つニルギリは、ハイビスカスと違ってまじめな優等生。茶色の長い髪を後頭部でまとめており、大きな眼鏡がトレードマーク。背が高く、プロポーションも良いのでハイビスカスにはよくセクハラをされている。欠点は気が弱いことで、オレンジペコが助けに入る機会も多かった。

「じゃあなんでペコっちは元気ないのさー。お姉さんが聞いてあげるから話してみなよ。困ったら助けあうのが友達でしょ?」
「良いこと言ってますけど、ハイビスカスさんは私と同い年ですからね」
「私もオレンジペコさんの力になりたいです。私じゃ頼りないかもしれないけど、少しでも役に立ってみせますから」
「そこまで大げさに考えなくてもいいですよ。そんなに深刻なことじゃありませんから」

 ハイビスカスとニルギリ。性格は正反対だが、二人とも友達思いの優しい子なのだ。

「このままだと収拾がつきませんので、みなさんには話しておきます。実は……」
「あっ! オレンジペコさん発見ですわ!」
「カモミールさんとベルガモットさん、ハイビスカスさんも一緒だね」
「ニルギリもいますわ。友達はたくさんいるみたいだから、友人関係で私たちが世話を焼く必要はなさそうね」

 オレンジペコたちの前に現れた三人の二年生。
 クルセイダー隊の隊長、ラベンダー。マチルダ隊の隊長、ルクリリ。ラベンダーの戦車の操縦手で、聖グロ一の俊足という二つ名を持つローズヒップ。三人とも一年生時に活躍した戦車道チームの主力選手である。

「みなさま、ごきげんようですわー! カモミールさん、ベルガモットさん、今日の訓練もガンガン飛ばしますわよ」
「装填はお任せください。今日は装填時間をもっと縮めてみせます!」 
「私も命中率を向上できるようにがんばりますの」

 カモミールとベルガモットは、クルセイダー隊の隊長車であるクルセイダーMK.Ⅲの装填手と砲手を担当していた。
 一年生でありながら、この二人が隊長車の乗員に選ばれた理由。それはほかの生徒に比べて、この二人の体が小さいからであった。クルセイダーMK.Ⅲは本来三人乗りの戦車で、砲塔には二人しか乗ることができない。だが、小柄なこの二人ならラベンダーと三人で砲塔に乗りこむことができるのだ。

「ハイビスカスさんはオレンジペコさんと仲が良かったんですね。全然気づきませんでした」
「いやー、あたしもまさかペコっちみたいな優等生と仲良くなれるとは思いませんでしたよ。これが運命の出会いってやつですかねー」
「もし運命だとしたら、この縁を大事にしてください。高校で仲良くなれた人は、一生ものの友達になるかもしれませんよ」

 ハイビスカスはクルセイダー隊に所属しており、車長のポジションを任されている。隊長のラベンダーと相性が良く、彼女からアドバイスを受ける回数がもっとも多いクルセイダー隊の有望株だ。

「ニルギリは今日は車長でしたわね。あなたは器用だから失敗しないと思うけど、油断してはダメですわよ」
「はい、ルクリリ様。足手まといにならないように精一杯がんばります」
 
 マチルダ隊に所属しているニルギリはポジションがまだ決まっていない。どのポジションを任せてもそつなくこなすので、ダージリンがポジションを決めかねているからだ。

 例年どおりなら部隊やポジションが確定するのは二年生になってからだが、今年はすでにほとんどの一年生の部隊とポジションが決まっていた。ダージリンは短期間で一年生全員を見極め、的確に部隊とポジションを割りふったのである。
 一年生のうちに部隊とポジションを決め、技量をあげることに多くの時間を使う。これがダージリンの方針だった。

 ちなみにオレンジペコはというと、なんとチャーチルの装填手に抜擢された。チャーチルに一年生が搭乗するのは極めて異例であり、ダージリンがオレンジペコを相当気に入っていることがうかがえる。もっとも、オレンジペコは小柄な割に力自慢で、装填速度も戦車道チームで一番早い。なので、この起用は単に実力の結果ともいえる。

「それではみなさん、私たちはこれで失礼します。オレンジペコさん、あとで迎えにいくね」
「昨日は遅刻してしまいましたけど、今日は大丈夫ですわ。案ずることなかれでございますわよ、オレンジペコさん」
「ペコ、パジャマパーティーのことも忘れないようにね。場所はラベンダーの部屋ですわよ」

 去っていく三人を乾いた笑顔で見送るオレンジペコ。この三人はオレンジペコの教育係であるが、同時に彼女の悩みの元凶でもある。

 オレンジペコは優等生であり、本来なら教育係など必要ない。にもかかわらず、ダージリンはあの三人をオレンジペコの教育係に指名。それからというもの、オレンジペコは三人に振りまわされて失敗続きの日々を送っていた。
 昨日も近道があるからとついていったら、バラ園で迷子になり戦車道の授業に遅刻している。あの三人は問題児トリオの異名を持っているが、オレンジペコもすでに片足を突っこんでいる状態だ。

 そんな中で行われる初めてのパジャマパーティー。
 どうか何事もなく終わりますように。そう心から願うオレンジペコであった。
 
 

「いらっしゃい、オレンジペコさん」
「本日はお招きいただきありがとうございます」
「そんなに気を使わなくても大丈夫だよ。さあ、あがってあがって」

 ラベンダーに促され、オレンジペコは部屋へと入る。表情は平静を装っているが、内心は不安でいっぱいだ。
  
「お、来たか。ペコはなにもしないで座ってていいぞ。今日はペコの歓迎会だからな」
「お料理のほうも準備はバッチリですわ。腕によりをかけて作りますので、期待しててくださいまし」
「暇だったらテレビでも見ててね。リモコンはそこの棚にあるから」

 料理に取りかかる三人の動きには無駄がなく、手伝おうとしてもかえって邪魔になってしまうだろう。
 そうかといって、テレビを見る気分にはなれそうもない。手持ち無沙汰になったオレンジペコがリモコンが置かれている棚を眺めていると、複数の写真立てが目に入った。

 写真は家族や友達と一緒のものが多いが、その中に気になる写真が二枚ある。
 一つは島田流の後継者、島田愛里寿が一緒に写っている写真だ。西住流と島田流がいがみ合っているのは、戦車道の世界では有名な話。天才少女とうたわれる島田愛里寿が飛び級で大学に進学した理由も、大学戦車道を牛耳って西住流に対抗するためというのがもっぱらの噂であった。
 その対立している流派の後継者である二人が仲良さそうに写真に写っている。オレンジペコにはそれが不思議でしょうがなかった。

 もう一枚は栗毛のロングヘアの少女が写っている写真である。
 この少女も戦車道の世界では名の知れた有名人だ。西住流の元後継者、西住まほ。髪を伸ばしたことでかなり印象が変わり、服装も緑色のスカートが特徴のセーラー服姿。なので、ぱっと見では別人に見える。噂だと黒森峰女学園から戦車道がない学校に転校したらしいので、その学校の制服姿を収めた写真なのだろう。

 西住まほの転校に関しては、新たに後継者になった西住みほの策略といった噂もあるが、オレンジペコはその話をまったく信じていなかった。
 ラベンダーはそんなことをする人物ではない。ここ最近の濃厚な付きあいで、オレンジペコは問題児トリオの人となりを大体把握していた。

 問題児トリオは悪人ではなく、ただ落ち着きがないだけなのだ。とはいえ、淑女育成を掲げる聖グロリアーナ女学院では、落ち着きのなさは致命的な欠点。三人に問題児トリオの異名が付くのも当然といえる。

「オレンジペコさん、さっきからずっと棚を見てるけど、もしかしてボコに興味があるの?」
「はいぃ?」
「それならそうと言ってくれればよかったのに。ちょっと待ってて、今すぐボコのDVDをセットするから。これを見ればもっとボコの良さがわかると思うよ」
「ちょ、ちょっと待ってくださいラベンダーさん! 私が見てたのはボコじゃないんです!」

 オレンジペコが棚のボコのぬいぐるみを見ていたと勘違いするラベンダー。こうなるともうラベンダーは止まらない。問題児トリオの中では一番落ち着きがあるラベンダーだが、ボコられグマのことになると目の色が変わるのだ。
 結局、暴走したラベンダーをオレンジペコは止めることができず、料理ができるまでボコのアニメを見続ける羽目になるのであった。


 
 問題児トリオの作った料理は普通においしかった。聖グロリアーナは調理実習の授業が必修科目なので、その成果が表れているのだろう。てっきりゲテモノ料理が出てくると思っていただけに、オレンジペコにとってはうれしい誤算だ。

 夕食のあとはお茶の時間。聖グロリアーナの生徒にとって食後のお茶は欠かせない。
 紅茶の準備をするのはオレンジペコの仕事。場所がどこであろうと、一年生が紅茶をいれるのは聖グロリアーナでは常識である。
 
 オレンジペコが紅茶の用意を終えると、ラベンダーがニコニコしながら茶色の箱を取りだした。

「今日のティーフーズは外国のチョコレートだよ。お母さんがお土産を送ってくれたの」
「そういえば、西住師範は海外のプロリーグを観戦中でしたわね。わたくしもいつかは本場の戦車道を生で見たいですわ」
「その言い方だと遊びに行ってるみたいに聞こえるだろ。西住師範は日本のプロリーグ設置委員会の委員長になる予定だから、海外に視察に行ってるんだぞ。ペコが勘違いしたらどうするんだ」

 問題児トリオは西住流に所属している。といっても、三人は西住流が重視する勝利にこだわったことはなかった。どうやら、高校在学中は聖グロリアーナの戦車道を貫くつもりらしい。

「オレンジペコさん、遠慮しないで食べてね」
「ありがとうございます。いただきますね」

 このチョコレートをよく確認せずに食べてしまったことを、後にオレンジペコは後悔することになる。
 ボンボン・ショコラと呼ばれるこのお菓子は、中身が入った一口サイズのチョコレート。このチョコレートの中に入っていたもの、それはヨーロッパ原産のお酒だったのだ。





 問題児トリオは三人そろって正座をしていた。
 目の前には真っ赤な顔で仁王立ちしているオレンジペコ。目は完全に据わっており、普段のかわいらしい姿からは想像もできないほどの迫力に満ちている。

「聞いてるんですか! みなさんはもう高校二年生なんですよ! もう少し落ち着きを持ったらどうなんです!」
「ぺ、ペコ、冷静になれ。こんな夜中にそんな大きな声を出したら、みんなの迷惑になるぞ」
「言葉づかい! どうしてそうすぐ地が出るんですか!」
「す、すまん。じゃなかった、ごめんなさい」

 ルクリリの次にオレンジペコの標的になったのはローズヒップであった。

「ローズヒップさん! あなたが一番落ち着きがないんですよ、わかってるんですか! 廊下は走りまわる。変なお嬢様言葉を使う。紅茶は一気飲みする。数えたらきりがありません」
「申し訳ないですわ。わたくしも気をつけてはいるのでございますが、ついうっかりしてしまうんですの」
「言い訳しない!」
「はい! ごめんなさいですわ!」

 ローズヒップを叱りつけたオレンジペコは、最後にラベンダーへと視線を向ける。

「ラベンダーさん、一言だけ言いたいことがあります」
「な、なにかな?」
「ボコを私に押しつけるのだけはやめてください」
「ごめんね……」

 問題児トリオに一通り苦言を呈したオレンジペコは玄関へと向かう。荷物を置きっぱなしにしているところを見ると、帰るわけではなさそうだ。   
    
「オレンジペコさん、どこへ行くの?」
「もう一人文句を言いたい人がいますので、三年生の寮に行ってきます」
「三年生? まさかダージリン様じゃありませんわよね?」
「そのまさかですよ、ローズヒップさん。なんで私に教育係を三人もつけたのか、真意を問いただすんです!」

 オレンジペコは玄関の扉を開けると、勢いよく走りだした。三人も慌てて玄関を飛び出るが、オレンジペコの姿は影も形もない。

「まずいぞ。もう門限はとっくにすぎてる。外を出歩いてることがばれたら大騒ぎになるぞ」
「ダージリン様の身の安全も心配ですわ。今のオレンジペコさんはなにをするかわかりませんわよ」 
「私たちも三年生の寮に行こう。走ればきっと間にあうよ」

 その後、三人は三年生の寮の入り口前でオレンジペコに追いつくが、止めようとして取っ組みあいになってしまう。その様子は多くの三年生に目撃されることとなった。
 
 この出来事はすぐに学校中を駆けめぐり、オレンジペコはついに問題児の仲間入りを果たす。問題児トリオは問題児カルテットへと進化を遂げ、新たな伝説が誕生した。





「ペコさん、元気出してください。落ちこんだ気持ちのままだと、元気がどんどん逃げちゃいますよ」
「他人の評価なんて気にする必要はありませんの。私たちはオレンジペコさんのことをちゃんと理解してますから」
「あたしも騒ぎを起こして問題児に入ってあげるよ。あたしが入ればペコっちも一人じゃないから安心じゃん」
「それなら私も入ります。一人より二人、二人より三人っていいますし」

 教室の机でオレンジペコがうつぶせになっていると、友人たちが励ましの言葉をかけてくれる。ちょっとずれた発言もあるが、オレンジペコのことを励ましてくれていることに変わりはない。
 
 いつまでもふさぎこんだままで、友達に心配をかけてはダメだ。そう決意したオレンジペコが顔を上げた瞬間、教室の扉が音を立てて開いた。問題児トリオがいつもようにオレンジペコを迎えに来たのだ。
 
「ごきげんようですわー! オレンジペコさん、今日は罰でカヴェナンターに乗りますけど、わたくしたちも一緒ですから安心してくださいまし」
「私たちは去年もカヴェナンターに乗ってるからね。熱さ対策もバッチリだよ」
「ペコの分も用意してありますわ。最初はきついかもしれないけど、みんなでがんばりましょう」

 オレンジペコは再び机にうつぶせになった。現実はかくも非情である。 

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第二十五話 犬童芽依子の決意

 聖グロリアーナ女学院が毎年行う一年生だけで戦う練習試合。今年の対戦相手は早い段階で決まっており、入学したばかりの一年生はこれが初の実戦である。
 今年の対戦相手は前年の戦車道全国大会で優勝したプラウダ高校。一年生だけで戦うには荷が重い相手だが、それだけダージリンは今年の一年生に期待しているのだろう。
 
 優勝校のプラウダ高校は練習試合で人気がある。なかでもとくに練習試合を行っているのが黒森峰女学園で、プラウダ高校の試合スケジュールは多くが黒森峰女学園で埋まっていた。
 そんなプラウダ高校と早期に練習試合を組めたのは、ダージリンの手腕によるところが大きい。プラウダ高校の新隊長であるカチューシャはダージリンの茶飲み友達であり、ダージリンがプラウダの学園艦へおもむくことも多かった。その際にダージリンはカチューシャを言葉巧みに誘導し、練習試合の約束を取りつけたのだ。

 一年生の引率はマチルダ隊とクルセイダー隊の隊長の役目。
 ダージリンの指示を受けたみほとルクリリは、補佐役に任命されたローズヒップとともにプラウダ高校の指定した演習場へと向かうことになった。

 

 

 雪が舞う演習場は見渡す限り一面の銀世界。あちこちに雪だるまが作られており、雪景色という言葉がよく似合う。聖グロリアーナ女学院一行がやってきたのはそんな極寒の地であった。
 ほとんどの一年生が身を震わせ、持参した防寒具で寒さを耐えしのんでいる。つねに優雅が聖グロリアーナの合言葉だが、この寒さでそれを実践できる一年生は少ないようだ。

 そんな一年生とは対照的に、引率役であるみほたちは身じろぎ一つしていなかった。一年生のお手本にならなければいけない二年生が、この程度の寒さで見苦しい姿を見せるわけにはいかない。いつものタンクジャケット姿で、防寒具すら身につけていない三人は聖グロリアーナの精神を身をもって示していた。

「もうすぐプラウダ高校がやってきます。あと少しの辛抱ですので、みなさんがんばりましょう」
「プラウダ高校が到着したらコートは厳禁ですわよ。聖グロリアーナの生徒がこれぐらいの寒さで音を上げていたら、他校の生徒の笑いものになりますわ」
「みなさま、『心頭を滅却すれば火もまた涼し』でございます。心持ちがしっかりしていれば、こんな寒さなんてへっちゃらですわ。カモミールさんとハイビスカスさんを見習ってくださいまし」

 ローズヒップが指差した先には、雪合戦をしているカモミールとハイビスカスの姿があった。たしかに二人は寒さをものともしていないが、雪遊びに夢中になっている姿は淑女とは言いがたい。 

「なにをやってるんですかあの二人は……ちょっと注意してきますね」
「私も行きますの」
「あの、私も……」

 オレンジペコはベルガモットとニルギリを連れて注意に向かう。
 不幸な事故により問題児の仲間入りを果たしてしまったオレンジペコ。それでも、彼女が一年生の中でリーダー的存在であることに変わりはない。
 
 オレンジペコに任せておけば大丈夫だろう。みほはそう楽観視していたが、事態は思わぬ方向に進んだ。友達が来たことでハイビスカスの悪ノリがさらにエスカレートし、雪合戦の第二ラウンドが始まってしまったのだ。
 
 顔面に雪玉を連発されたオレンジペコが反撃したことで、すでに事態は収まりがつかなくなっている。どうやら問題児入りしたことで、オレンジペコもいろいろと染まりつつあるようだ。  
 
「オレンジペコさんたちはやっぱり一味違いますわね。元気があってたいへんよろしいですわ」
「ペコのやつ、雪だるまの頭を投げてるぞ。さすが聖グロ一の怪力無双だな」
「感心している場合じゃないよ。こんなところをプラウダの人たちに見られたらまずいことに……ってもう来ちゃった! みなさん、整列! 整列してください!」

 みほたちは慌てて雪合戦を止めに入る。三人の行く先々でドタバタ騒ぎが起こるのは、もはや宿命なのかもしれない。
 


 試合前はゴタゴタしたが、練習試合はとくに問題も起こらず終了した。
 結果はプラウダ高校の勝利。とはいえ、聖グロリアーナもプラウダの車輌を数多く撃破したので、戦車の性能差がある割に善戦したといえる。
 
 プラウダの主力戦車であるT-34は高い機動性と攻撃力を兼ね備えた優秀な戦車だ。聖グロリアーナのマチルダとクルセイダーに比べると、その性能差は歴然。さらにプラウダはソ連製の重戦車、KV-2まで投入してきたので、最初から分の悪い戦いだったのだ。

 そのプラウダ相手に一年生が健闘できたのは、オレンジペコの指揮が優れていたからである。
 普段チャーチルの装填手を務めているオレンジペコは、ダージリンから直々に指揮官になるための指導を受けている。おそらく、ダージリンはオレンジペコを将来の隊長に育てたいと考えているのだろう。今回の練習試合でオレンジペコが活躍したことは、ダージリンの人を見る目が正しいことの証明でもあった。

 オレンジペコの指揮で動いていたクルセイダー隊も大きな戦果をあげた。その中でもっとも活躍したのが、ハイビスカスが車長を務めるクルセイダーMK.Ⅲだ。T-34だけでなくKV-2まで撃破したのだから、その活躍には文句のつけようがない。
 
 ハイビスカスのクルセイダーが活躍できた一番の要因はチームワークの良さにある。車長がハイビスカス、装填手がカモミール、砲手がベルガモット、操縦手がニルギリ。仲のいい友達同士でチームを組んだことが、抜群の連携を可能にしていた。
 入学したばかりの一年生は戦車に不慣れである。それを見越したオレンジペコは、技術よりも信頼関係を重視した乗員の配置をしたのだ。
 
 試合で大活躍したハイビスカスたちは、試合後のお茶会でKV-2の乗員と仲良く紅茶を飲んでいた。もちろんそこにはオレンジペコの姿もある。
 試合の勝敗や撃破されたことを双方が気にしている様子はない。敵味方でいがみ合うことなくお茶会を楽しんでいるその姿は、聖グロリアーナの戦車道が次の世代にしっかり受け継がれている証拠であった。

「あなたのとこの一年生もなかなかやるわね。正直、ここまでやるとは予想してなかったわ」
「今年の一年生は優秀ですから。ダージリン様もすごく期待しているんですよ」
「それに比べてうちのニーナたちときたら……相手の力を甘く見てカーベーたんを撃破されるなんてお仕置きが必要ね。シベリア送り25ルーブルぐらいが妥当かしら?」
「ふえっ!? そんなに厳しい罰を与えるんですか?」
「ラベンダーさん、安心してください。カチューシャが大げさに言ってるだけで、実際は日の当たらない教室で25日間の補習を受けるだけですから」
「ちょっとノンナ、大げさとはなによ。これはプラウダの伝統的な罰なんだからね」
「聖グロリアーナのカヴェナンターみたいなものですわね」
「補習を受けるぐらいならカヴェナンターのほうがましでございますわ。二回目は楽勝でしたもの」

 カチューシャとノンナがいるテーブルでみほたちはお茶会を楽しんでいた。ちなみに、このお茶会が行われている会場は演習場近くのホテルの食堂。人数が多いので当然貸し切りだ。
 費用はお茶会を主催している聖グロリアーナがすべて負担する。戦車道に関わることなら、なんでもOG会の援助でまかなうことができるのだ。

「それはそうと、聞いたわよラベンダー。やっぱりあなたが西住流の後継者だったのね」
「だますつもりはなかったんです。実はあのあといろいろあって……」
「気にしなくても大丈夫ですよ。詳しい話はトモーシャが教えてくれましたから」
「トモーシャさん?」
「トモーシャは黒森峰の隊長の愛称よ。カチューシャがつけてあげたの」

 黒森峰の新隊長は去年副隊長だった深水トモエである。黒森峰女学園にはすでにしほが事情を説明してくれたので、新隊長に就任したトモエが詳しい話を知っているのもうなずけた。
 どうやらカチューシャにとって、トモエは愛称をつけるほど親密な間柄のようだ。プラウダの試合スケジュールが黒森峰で埋まっているのもそれが大きな理由なのだろう。

「トモーシャの話だと、ラベンダーの評判は黒森峰ではかなり悪いらしいわ。まあ、詳しい話を知らない子が多いから仕方がないわね。なかでもとくにあなたのことを嫌ってるのは、副隊長の逸見エリカって子よ」
「あのワニ女、まだ去年の練習試合のことを根に持ってるみたいだな」
「次に会ったら今度こそやっつけてやりますわ!」
「言われてみれば、逸見さんの鋭い目つきはワニのイメージに合いますね。カチューシャも最初は怯えてましたから」
「あれはあの子の威圧感にちょっと押されただけで、別に怯えてたわけじゃないわ!」

 逸見エリカに嫌われる原因を作ったのはみほだ。
 みほは聖グロリアーナ女学院に在籍したまま西住流を継ぐという第三の道を選び、相談に乗ってくれたエリカに嘘をついた。それだけでなく、再び聖グロリアーナに通えることに浮かれ、エリカに事情を説明するのを忘れてしまったのである。こんな不義理な自分にエリカが腹を立てるのは当然だろう。今さら遅いかもしれないが、次にエリカに会ったときはしっかりと謝らなければならない。

「逸見エリカは西住まほを敬愛してたみたいだからね。ラベンダーが後釜に座ったことがおもしろくないのよ。そういえば、西住まほは元気にしてるの? 戦車道がない学校に転校したのよね?」
「お姉ちゃんはもう大丈夫です。新しい学校で友達もできて、楽しい生活を送ってるみたいですから」

 カチューシャの問いかけにみほははっきりとした声で答えた。まほが大洗女子学園で穏やかな日々を過ごしているのは、沙織から送られてきたメールや写真で確認済みである。

 まほが元気になれたのは沙織たちのおかげだ。みほはまほと友達になってくれた沙織たちに心から感謝していた。
 メールには大洗の戦車道が復活することも書かれていたので、沙織たちと試合をする日も案外近いかもしれない。もしそうなれば、沙織たちの練習に協力しているまほも応援に来るはずだ。
 その日が来るのを楽しみに思いながら、みほは熱い紅茶に口をつけた。
 
 
◇◇

 
 犬童芽依子は大洗女子学園に通う高校一年生。
 黒森峰女学園中等部出身でありながら、芽依子がそのまま高等部へ進学しなかった理由はただ一つ。犬童家の当主を務める父から、西住まほの支えになるようにと指示を受けたからだ。
 
 すべての授業が終わり放課後になると、芽依子はとある場所へと向かう。
 校庭を見渡すことができる大きな木の上。ここが芽依子が最初に陣取るお決まりの場所だ。芽依子はここで、まほが参加している戦車道部の練習が始まるのをいつも待っているのである。
 
 犬童家の人間が戦車に乗ることは決して許されない禁忌。なので戦車道部に入れない芽依子にできることは、こうやってまほを見守るぐらいしかない。まほはすでに友達もできたようなので、芽依子が積極的に動かなくてもいいのが救いであった。

「おーいっ! めいちゃーん!」
「そんなところでなにしてるのぉ~?」

 芽依子が木の上で戦車道部の活動開始を待っていると、下から二人の少女が声をかけてきた。
 元気いっぱいの阪口桂利奈とのんびりした口調の宇津木優季。二人とも芽依子のクラスメートであり、クラスで一番親しくしている。
 
 芽依子は表情が硬く、会話下手。そんな芽依子が二人と仲良くなれたのは、忍道で鍛えた身体能力の賜物であった。体育の時間に驚異的な運動神経を披露したことがきっかけで桂利奈に好かれ、そのおかげで桂利奈の友人である優季とも親しくなれたのだ。
 アニメや特撮モノを見るのが趣味と語っていた桂利奈は、芽依子の人間離れした身体能力とクールな雰囲気が気に入ったらしい。めいちゃんって戦隊モノならブルーポジションだねとは、桂利奈の談だ。

 クラスメートを無下にはできず、芽依子は素早く木をおりていく。その際に風圧でスカートがふわりとめくれあがるが、芽依子はスパッツを着用しているので下着が見えることはない。
 素早い身のこなしと飛んだり跳ねたりする動作は忍道の基本。普段からその基本を忘れないようにしている芽依子にとって、スパッツは必須アイテムである。
 
 最後はジャンプで華麗に地面へと着地する芽依子。その姿を見た桂利奈は少し興奮した様子であった。

「やっぱりめいちゃんってカッコいいね! 今の着地なんて特撮ヒーローみたいだった!」
「これから友達とアイスを食べに行くんだけど、芽依子ちゃんも行かない? 芽依子ちゃんのこと、みんなに紹介したいのぉ~」
「申し訳ありませんが芽依子には任務があるので……」

 芽依子が誘いを断ろうとしていると、ガレージから数台の戦車が飛びだしてきた。戦車道部の練習が始まったのである。

「芽依子はもう行かねばなりません。ごめんなさい」

 戦車が走りさった方向へと芽依子も走る。目にもとまらぬ速さで戦車のあとを追う芽依子の姿は、あっという間に見えなくなってしまった。

「任務って戦車道のことなのかなぁ? 今日のオリエンテーションで生徒会は戦車道をおすすめしてたし、芽依子ちゃんも秘密裏に協力してるのかもぉ」
「もしそうなら、めいちゃんは戦車道を選択するってことだよね? 一緒の戦車に乗れたらいいなー」
「桂利奈ちゃんは芽依子ちゃん大好きだよね。これが初恋だったりするのかなぁ~」
「そ、そんなんじゃないよ! ただ憧れてるだけだもん!」
「そういうことにしといてあげるよぉ~」
「だから違うってばー!」

 桂利奈と優季はじゃれ合いながらその場を去っていく。芽依子に誘いを断られても、二人がそれを気にしている様子はないようだ。
 


 翌日の昼休み。芽依子は桂利奈と優季と一緒に学食へやってきた。
 芽依子が学食に来たのはこれが初めて。いつもはまほを見守るために昼はさっさと一人で済ますのだが、今日は桂利奈と優季に強引に押し切られてしまったのだ。
 幸いなことに今日はまほも学食だったので、芽依子の任務に支障は出ない。

 桂利奈と優季に連れられた芽依子は、彼女たちの友達である四人の少女を紹介された。
 まじめで落ち着いた印象の澤梓。ロングの黒髪とスタイルの良さが目立つ山郷あゆみ。ツインテールの眼鏡っ子という特徴的な外見の大野あや。無口で表情の変化が乏しい丸山紗希。
 この四人は桂利奈と優季の親友であり、放課後もだいたいこの六人で一緒に過ごしているとのことだった。
 
 芽依子は目つきが悪いので初対面だと怖がられることが多いのだが、みんなフレンドリーに接してくれる。桂利奈と優季は芽依子のことを友達に紹介したがっていたので、芽依子のことはある程度知らされているのだろう。

「ねえ、芽依子さんは必修選択科目どうするの? 私たちは戦車道にするつもりなんだけど」
「芽依子はまだ決めていません。子供のころから修行している忍道を選択したいとは思っていますが……」

 梓の問いかけに対し、芽依子はそう答えた。
 戦車道部に所属しているまほの友達は、当然戦車道を選択するはず。そうなると、立場的に戦車道を選択できないまほは一人になってしまう。まほを守るためには、芽依子が選択科目を合わせるしかなかった。

「えー! めいちゃんも一緒に戦車道やろうよー」
「桂利奈、無理強いはよくないよ。修行してたんなら忍道やりたい気持ちもわかるし」
「芽依子ちゃん、忍道って感じするもんねー。手裏剣とか投げるの上手そう」

 あゆみとあやの否定的な意見でふくれっ面になる桂利奈。
 芽依子としては桂利奈の気持ちをくんであげたいところだが、こればかりはどうすることもできない。

「二人とも、あんまりいじめないであげてね。桂利奈ちゃんは芽依子ちゃんが大好きだから、ずっと一緒にいたいんだよぉ~」
「芽依子さんの話をするときの桂利奈、いつも楽しそうだったもんね」
「ライクじゃなくてラブかもしれないのぉ」
「えっ!?」
「嘘っ!?」
「マジでっ!?」

 梓、あゆみ、あやが驚きの声をあげる。紗希は声こそ発しないが、視線は桂利奈に向けられていた。

「そうだったのですか……桂利奈の気持ちはうれしいのですが、芽依子は女性を愛することはできません。芽依子のことは諦めてください」
「優季ちゃん! めいちゃんが信じちゃったじゃない!」
「ごめん、ごめん。芽依子ちゃん、今のは冗談なのぉ~」  
「冗談でよかったです。桂利奈を傷つけずに済みましたから」
「なんか、芽依子さんって達観してるね。忍道をやってるからなの?」
「たしかに忍道は芽依子を強くしてくれました。ですが、まだまだ芽依子は未熟者です。もっと心や体を強くしなければなりません」

 西住姉妹が苦しんでいるとき、芽依子はなにもしなかった。姉の頼子は家の事情があると言っていたが、それは言い訳にすぎない。芽依子がやろうと思えば、もっと早く西住姉妹の支えになれたはずである。
 
 結局のところ、芽依子は勝手なことをして父に嫌われるのが怖かったのだ。愛する父と西住姉妹を天秤にかけ、父を選んでしまった結果、西住家は家庭崩壊の危機を迎えた。みほのおかげで危機は去ったが、あのときほど自分の不甲斐なさを痛感させられたことはない。西住家を支えるのが犬童家の誇りだったはずなのに、芽依子はそれを放棄してしまったことを深く悔やんでいた。

 だからこそ、今回の任務は犬童家の誇りを守る絶好の機会。まほを全力で支えることで、今度こそ西住家の役に立つ。芽依子は並々ならぬ決意を抱いて大洗女子学園にやってきたのだ。

『普通一科、二年A組、武部沙織さん、五十鈴華さん。普通二科、二年C組、秋山優花里さん。至急職員室まで来てください。繰りかえします。普通一科……』

 芽依子が自身の決意を再確認していると、生徒の呼びだしを伝える校内放送が流れた。
 武部沙織、五十鈴華、秋山優花里。まほが仲良くしているこの三人の名前は芽依子もよく知っている。

「武部先輩って戦車道部の部長だよね? 職員室に呼びだされるなんて、なにしたんだろ?」
「戦車でなにか壊しちゃったんじゃない。学園長の車とか……」
「きっと戦車道のことだよ。戦車道の授業は戦車道部の人たちが担当するみたいだから、その打ちあわせじゃないかな?」

 あゆみ、あや、梓の三人が話しているのを聞きながら、芽依子は視線を別の場所へ向けた。
 友達が職員室に呼ばれたことで、まほは今一人。まほにはほかにも冷泉麻子という同学年の友達がいるが、今日は一緒ではないようである。

『普通一科、二年A組、西住まほ。普通一科、二年A組、西住まほ。至急生徒会室に来ること。以上』

 芽依子がまほに意識を向けていると、再び校内放送がアナウンスされる。先ほどの放送とは違うこの声は、たしか生徒会の広報を担当している生徒のはずだ。
 
「みなさん、すみません。芽依子は急用ができましたので、これで失礼します」
「また任務なのぉ~?」
「ええ。いつもすみません」
「気にしないでいいよめいちゃん。任務がんばってね!」
「ありがとう桂利奈」

 芽依子は深々と会釈をすると、猛スピードで駆けだした。食堂は多くの生徒で混雑しているが、芽依子は誰とも衝突することなく食堂をあとにする。まったく無駄のない動きで生徒を回避するその姿は、まさに忍者そのものであった。


 
 生徒会室の扉の前で芽依子はまほの到着を待っていた。
 しばらく待っていると、不安そうな表情のまほが重そうな足取りでこちらにやってくる。まほの表情を見る限り、芽依子が行動を起こしたのは正解だったようだ。

「まほ様。芽依子もご一緒します」
「……あまり気持ちのいい話じゃないぞ」
「芽依子に気づかいは無用です。どこへでもお供します」
「わかった。一緒に来てくれ」
「はい」

 芽依子はまほと一緒に生徒会室へ入っていく。
 そこで二人を待ちうけていたのは、三人の生徒会役員。生徒会長の角谷杏と副会長の小山柚子、そして広報の河嶋桃だ。

「生徒会室に来るように伝えたのは西住だけだぞ。部外者は立ち入り禁止だ」
「その命令には従えません。芽依子はまほ様をお守りしないといけませんから」 
「なんだとっ!」
「いいよー、犬童ちゃんが一緒でも」
「いいんですか? それだと武部さんたちを職員室に呼びだした意味が……」
「小山、余計なこと言わない」

 生徒会はまほだけを生徒会室に呼びだしたかったらしい。まほの友達が職員室に呼びだされたのは生徒会の策略だったのだ。
 芽依子は生徒会は信用できないと判断し、警戒レベルをグッと引きあげることにした。
 
「まほ様にご用件があるようですが、芽依子もうかがってよろしいですか?」
「その前にさ、犬童ちゃんは必修選択科目、どうするか決めた?」
「芽依子はまほ様と同じ科目を選ぶつもりです」
「なら犬童ちゃんも戦車道で決定だね。いやー、戦車道履修生が増えてくれて助かるよ」
「あなたはなにを言っているのですか? まほ様が戦車道を選択するわけないでしょう」
「たしかに西住ちゃんは香道を選択してるね。けど、それじゃ困るんだよー。西住ちゃんにはどうしても戦車道を選択してもらわないといけないんだ」

 にこやかに話しかけてくる杏に対し、芽依子の警戒心は最高レベルまで跳ねあがった。姉の頼子を思わせるこのひょうひょうとした態度と話し方。とても芽依子が口で勝てるような相手ではない。

「必修選択科目は自由に選べるはずです。あなたに決める権利はありません」
「そうなんだけど、西住ちゃんだけは別なんだ。西住ちゃんが戦車道を選択するのは決定事項。断られちゃうと、私もいろいろ考えないといけないんだよねー。ねえ西住ちゃん、せっかく新しい環境でうまくやれてるのに、また転校するのは嫌でしょ? 留年もしてるしね」

 杏のその言葉で、元気のなかったまほの顔がさらに曇る。それと同時に、芽依子は懐から棒手裏剣を取りだし、杏に向かって投げつけた。
 芽依子の投げた棒手裏剣は杏の顔付近を通過し、彼女が座っていた革張りのイスに穴を開ける。それでも、杏の表情はまったく変わらず、余裕な態度も崩さない。芽依子が考えつくような脅しでは、杏を動揺させるのは無理そうである。

「おいっ! 会長になんてことを……」

 詰めよってきた桃に向かって芽依子は棒手裏剣を投げる。勢いよく投げられた棒手裏剣は、桃の髪をかすめて背後の壁に突き刺さった。手裏剣術の大会で毎回上位に入る芽依子にとって、近距離から放つ棒手裏剣は百発百中。相手に当たらないように投げることなど造作もない。  

「柚子ちゃーん!」
「よしよし、怖かったね桃ちゃん。あとは会長に任せよう」

 芽依子の脅しを受けてすっかり戦意喪失した桃とあまり争う気がないように見える柚子。どうやら、この二人を警戒する必要はなさそうだ。
 敵は角谷杏ただ一人。芽依子は気を引きしめなおすと、再び杏と対峙した。

「さすがは小さいときから忍道をやってるだけあるねー。犬童ちゃんはあんまり怒らせないようにしたほうがよさそうだ」
「そう思うならまほ様のことは諦めてください」
「そうはいかないよ。私にも譲れないものがあるからね。西住ちゃん、やっぱり考えは変わらない?」
「戦車道を選択することはできない。すまないな」
「そう。なら、戦車道部は今日で廃部だね」
「なっ!? 沙織たちは関係ないだろっ!」

 まほは声を荒げるが、杏はどこ吹く風と聞き流している。どこまでもマイペースでつかみどころがない、本当に厄介な相手だ。

「武部ちゃんたちは戦車道部を作るのに一生懸命だったんだけどなー。廃部理由を知ったらきっとがっかりするだろうね。西住ちゃん、嫌われちゃうかも」
「……わかった。戦車道を選択する」
「いけませんまほ様! そんなことをしたら、まほ様のお立場が危うくなります!」
「芽依子、ごめん。でも、沙織たちは私の初めての友達なんだ……」

 まほは震える声でそうつぶやいた。おそらく、まほの心の中は友達に嫌われたくないという思い一心なのだろう。もとからそれほど強くなかったまほの心は、長い引きこもり生活でさらに弱くなってしまったようだ。
 まほが決断してしまった以上、もう芽依子にはどうすることもできなかった。殺気をこめた視線を杏にぶつけても、彼女が怯む様子はまったくない。ならば、芽依子がやるべきことはただ一つだ。

「まほ様、芽依子も戦車道を選択します」
「ダメだ。私の勝手な判断に芽依子を巻きこむわけにはいかない」  
「芽依子のことは気にしなくても大丈夫です。まほ様を支えることが芽依子の使命ですから」
「……すまない」

 犬童家の当主である父は、芽依子が戦車に乗ることを許さないはずだ。もしかしたら、愛する父から勘当を言い渡されてしまう可能性すらある。
 それでも、芽依子に迷いはいっさいなかった。もう二度と同じ後悔はしたくない。その思いが芽依子を突き動かしていた。 

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第二十六話 澤梓の初陣

 時刻は夜の八時。女子寮のみほの部屋には、三人の少女が泊まりに来ていた。ローズヒップとルクリリ、そしてGI6に所属している犬童頼子ことクラークだ。

 みほたちがお泊り会を行うのはよくあることなのだが、今回は普段とは事情が違う。今日のお泊り会は、西住流に所属しているものが集まる緊急会議の場でもあるのだ。学校ではみほとあまり接触をしてこないクラークがここにいるのは、それが理由であった。

 議題はまほが大洗で戦車道を始めた件。沙織から連絡を受けたみほはすぐさま三人と連絡を取り、お泊り会という形で相談する場を設けたのである。

「まずいことになりましたねー。まほ様が大洗で戦車道をしている事実が外に漏れたら、黒森峰や西住流一門が黙っていませんよ。あの人たちは西住流のイメージダウンになることをもっとも嫌いますから」
「ラベンダーのお姉さんはなんで戦車道を選択したんだろう? 問題になることぐらいすぐわかるはずなのに……」
「お姉ちゃんは最初は香道を選択してたらしいんだけど、急に戦車道に変更したみたいなの。武部さんも驚いてたよ」
「ラベンダー、たしか西住師範に今日電話するって話してましたわよね。師範はなんておっしゃっていたんですの?」
「お母さんは犬童さんと相談して対策を練るって言ってた。こっちでなんとかするから、私はなにも心配しなくていいって……」

 しほに優しい言葉をかけてもらえたのはうれしいが、まほのことを思うとみほは素直には喜べなかった。
 おそらく、まほは今後多くの困難に見舞われるはずだ。そのことを考えただけで、みほの心は不安に揺れてしまう。

「そんな顔しなくても大丈夫だぞ、ラベンダー。西住師範ならきっとなんとかしてくれる」
「師範は西住流の家元になるおかたですわよ。これぐらいの問題を解決するのなんて、お茶の子さいさいでございますわ」
「犬童家も全力でまほ様をお助けします。みほ様が心配する必要はこれっぽっちもありませんよぉ」

 三人の言うとおり、みほがいくら心配しても問題は解決しない。
 今はしほを信じて、自分のやるべきことをやるのが最善。西住流の後継者といっても、みほはまだ十六歳の高校生にすぎないのだから。

「ありがとう、みんな。お姉ちゃんのことはお母さんに任せて、私は自分の役目を果たすよ」
「その意気ですわ! わたくしもクルセイダーの操縦に磨きをかけますわよー!」
「私もマチルダ隊をもっとうまく指揮できるようにならないとな。聖グロの看板に泥を塗るわけにはいかないし」
「クラークは明日から黒森峰へ偵察に行ってきます。今年も聖グロリアーナに役立つ情報をばっちり仕入れてきますよぉ」
 
 みほたちがそれぞれの思いを口にしたことで、先ほどまでのどんよりとした空気は吹きとび、部屋は明るい雰囲気に包まれていく。

「そうだ。お母さんからお土産が届いてるの」
「……またチョコレートじゃないだろうな。ペコの二の舞はごめんだぞ」
「今度のお土産は問題ないよ。私もよく知ってるものだし」
「ラベンダーが知ってるということは、熊本の名物でございますか?」
「熊本じゃなくて黒森峰のかな。用意するからちょっと待っててね」

 みほは立ちあがると冷蔵庫に向かい、銀色の缶が複数入った小さな箱を持ってきた。缶に描かれたパッケージは、どうみても未成年お断りのアルコール飲料にしか見えない。

「どこが問題ないんだっ! むしろ大ありだろっ!」
「ふえっ!?」
「これはノンアルコールビールですよぉ。黒森峰は学園艦内にある工場でノンアルコールビールを作っていて、それが名物にもなってるんです」 
「パッケージにもノンアルコールって書いてありますわ。早とちりするなんて、ルクリリは相変わらずおっちょこちょいですわね」
「……すまん」
「ううん、ちゃんと言わなかった私が悪いんだよ。さあ、気を取りなおしてみんなで乾杯しよう」

 みほが全員にノンアルコールビールを配り、乾杯の準備はすぐに整った。音頭をとるのは、盛り上げ上手なローズヒップである。   

「それでは、わたくしたちの前途を祝して、かんぱーいですわ!」

 みほたちはノンアルコールビールを飲みながら、しばしの団らんを楽しんだ。
 まほのことは心配だが、みほには信頼する母と頼れる友達がいる。不安に思うことなど、なに一つない。みんなで力を合わせれば、きっとまほを助けることができるのだから。

 その後、雰囲気に酔って騒いだ結果、みほたちは苦情を受けたやってきた管理人にノンアルコールビールを目撃されてしまう。オレンジペコの暴走の件で敏感になっていた管理人はみほたちが飲酒をしていると勘違いし、アッサムが呼びだされる騒動へと発展してしまうが、それはここでは割愛する。


 
 大洗女子学園との練習試合がダージリンから発表されたのは、それから一週間後のことであった。
 

◇◇


 大洗女子学園の生徒たちが放課後に寄り道する人気スポット、74アイスクリーム。
 74種類という圧倒的な数のフレーバーを提供しているアイスクリームショップは、今日も大勢の女子高生でほぼ満員。その中には戦車道の授業を終え、学園内の大浴場で汗を流したばかりの一年生の姿もある。
  
 この一年生グループでリーダーの役割を担っているのが澤梓という少女だ。面倒見がよくまじめな性格の梓はみんなから頼りにされており、搭乗する戦車の車長も担当している。
 梓が車長をしている戦車は、英国でリーという愛称で呼ばれたM3中戦車。七人乗りのM3リーは大所帯だが、六人中五人は梓との付き合いも長い。なのでポジション決めなどもとくに揉めることなく、話し合いですんなりと決まった。
 ちなみに梓以外のポジションは、主砲砲手が山郷あゆみ、副砲砲手が大野あや、主砲装填手が犬童芽依子、副砲装填手が丸山紗希、操縦手が阪口桂利奈、通信手が宇津木優季である。

 このグループの中で犬童芽依子だけは高校に入ってからの付き合いであり、知り合ってからそう時間は経っていない。それなのに、芽依子はすっかりグループの一員として溶けこんでいた。
 芽依子をとくに慕っている桂利奈の影響もあるが、素直でまっすぐな芽依子の性格がメンバーに気に入られたことが一番大きい。それに加えて、梓には芽依子に好感を抱いたもう一つの理由がある。

 梓が芽依子を好んでいる理由。それは芽依子がメンバーの一人である丸山紗希を邪険に扱わず、みんなと同じように接していることだ。
 無口で感情の起伏が少ない紗季は、他人から気味悪がられることが多い。付き合いが長い梓たちは紗希の気持ちが仕草などでだいたいわかるのだが、初対面の人は紗季の気持ちを理解できないからだ。なにを考えてるかわからない紗季を不気味に思い、梓たちの前から去っていった友人も少なくなかった。
 芽依子はそんな紗季のことを疎まない久しぶりの好人物。グループのリーダーを務める梓は、紗季を理解してくれる人が増えたことがうれしかったのだ。

「……」 
「芽依子のさつまいもアイスがほしいのですね。どうぞ」
 
 芽依子はスプーンでアイスをすくい、紗季の口へと運ぶ。アイスをもらった紗季の表情は変わらないが、梓には紗季が喜んでいるのがよくわかった。

「お口に合ったようでなによりです。お返しをくれるのですか? ありがとうございます」

 紗季が自分のアイスをスプーンに乗せ、芽依子へと差しだす。それを芽依子はなんのためらいもなく口に含んだ。どうやら芽依子も紗季の気持ちがわかっているらしい。
 こんな短期間で紗季と打ち解けることができた芽依子に、梓は内心驚いていた。

「梓、今日の作戦会議どうだったの? 相手の聖グロリアーナ女学院はすごく強い学校だって、先輩たち話してたけど……」
「そんな相手といきなり試合するだなんて、無茶ぶりもいいとこだよね。勝てるわけないじゃん」
「私たち、ようやく戦車をまともに動かせるようになったばかりだしねぇ。教官が来たときにやった練習試合も完敗だったしぃ~」

 あゆみ、あや、優季の発言に共通しているのは練習試合に対する不安。もちろんそれは梓も同じだ。教官が来たときに行った練習試合とは違い、今度は対戦相手がいる本格的な実戦である。戦車に乗ってまだ一週間ほどしか経っていない梓たちには、荷が重い話であった。

「会議はしたんだけど、武部先輩と河嶋先輩の意見に隔たりがあって、はっきりと作戦は決まらなかったの。武部先輩は、生徒会が勝手に練習試合を申しこんだことにも怒ってたみたいだったし……」
「武部先輩が怒るのも当然です。よりによって聖グロリアーナ女学院を試合相手に選ぶなんて……まほ様へプレッシャーをかけているとしか思えません」
「聖グロリアーナには西住先輩の妹さんがいるもんね。生徒会は意地悪だよ」

 生徒会への不満を口にする芽依子と桂利奈。
 ここにいるメンバーは、芽依子の任務のことや西住家の事情をすでに知っている。初めて一緒の戦車に乗ったとき、芽依子はすべてを話してくれたのだ。
 おそらく、芽依子はともに戦う仲間である梓たちに隠し事をしたくはなかったのだろう。彼女のそんな誠実なところも梓は好ましく思っていた。

「作戦は決まってない、隊長と副隊長は不仲、頼みの綱の西住先輩は家の都合で積極的に動けない。これじゃ勝てる見込みゼロだよぉ~」
「練習試合だし、胸を借りるつもりでいいんじゃない? 負けてもペナルティないんだし」
「実はあるのペナルティ。負けたら大納涼祭りであんこう踊りだって」

 梓のその言葉で、練習試合を楽観視していたあやは固まってしまう。梓が周りを見回すとあやだけでなく、芽依子を抜かした全員が同じような有様。あの紗季ですら顔が青くなっているのだから、あんこう踊りの衝撃は絶大だ。

「あんこう踊りとはなんですか?」
「大洗町に古くから伝わる伝統的な踊りなんだけど、衣装がすごく恥ずかしいの」
「あんこうをモチーフにしたピンクの全身タイツだからね。体の線もはっきりわかっちゃうし」
「あゆみちゃんはスタイル良いからまだましじゃん。私が着たらいい笑いものだよ」
「私も彼氏以外の前で恥ずかしい格好するのは嫌だなぁ~」

 あやと優季は心底嫌そうな顔である。それに対し、梓からあんこう踊りの説明を受けた芽依子はまったく動じた様子を見せない。

「まほ様にそんなハレンチな踊りはさせられません。絶対に勝ちましょう」
「めいちゃんの言うとおりだよ! 試合に勝ってあんこう踊りを回避しよう!」

 芽依子と桂利奈の言葉に紗季も大きくうなずいている。
 メンバーが熱意を見せているのだから、リーダーの自分もしっかりしないといけない。梓はそう気持ちを引き締めると、元気な声で号令をかけた。

「相手は強いだろうけど、みんなでがんばれば勝てるかもしれないよ。私たちは自分たちのやれることを精一杯やろう」

 梓の呼びかけにメンバーは肯定的な返事を返してくれる。声の感じからやる気には差があるようだが、今はこれで十分だと梓は思った。全員が勝つことを真剣に考えるのは、もう少し戦車に慣れてからでも遅くはないのだから。



 迎えた聖グロリアーナ女学院との練習試合当日。大洗女子学園戦車隊一同は、試合会場である大洗の市街地付近の平原に集合していた。試合開始前のあいさつをするために、ここで聖グロリアーナ女学院が来るのを待っているのだ。
 あいさつを行うのは車長のみ。なので、梓も先輩たちに混じって右端に整列している。

 しばらく待っていると五輌の戦車がこちらに向かってきた。どうやら聖グロリアーナ女学院が到着したようである。
 隊長車とおぼしき濃い緑色の大きな戦車を中心に、右側をブルーグレーの戦車二輌、左側をサンドブラウンの戦車二輌で固めた聖グロリアーナの戦車隊。車種が違っても横一列の隊列を乱さない実にきれいな走りだ。

「やっぱりクルセイダー出てきたじゃん! 河嶋先輩、今からでも作戦変えない?」
「ダメだ。練度の低い我々が勝つには有利な地形で戦うしかない」
「クルセイダーはきっと別動隊だよ。相手が二手に分かれてきたらどうするの?」
「別動隊のことは本隊を叩いてから考えればいい。つべこべ言わずに私の作戦を信じろ」

 梓の隣では隊長の武部沙織と副隊長の河嶋桃が口論中。山岳地帯で待ちぶせして囮が敵を誘いこむ作戦で決まったはずなのだが、沙織はまだ納得していないようだ。
 そのとき、梓は沙織が後方をちらちら見ていることに気づいた。沙織の視線の先にいるのは、隊長車のⅣ号戦車で通信手をしている西住まほ。しかし、まほは沙織の視線に気づいておらず、なにやら深刻そうな顔でうつむいている。
 沙織はまほに助け舟を出してほしいようだが、まほは妹のことで頭がいっぱいなのだろう。芽依子から西住家の複雑な事情を聞いている梓には、なんとなくそれがわかった。

 聖グロリアーナの戦車隊は大洗の戦車隊の前に到着すると、全員が戦車の外に出て素早く列を作る。戦車道は礼に始まって、礼に終わると教官は言っていたが、大洗は整列だけで格の違いを見せつけられてしまった。
 格の違いは整列だけではない。聖グロリアーナの生徒はみんなおそろいのタンクジャケット姿だが、大洗は梓も含めてほとんどの生徒が制服姿。なかには体操服姿の生徒や私服のコートを着用している生徒もおり、統一感はまったくなかった。
 戦車に関してもそれは同じだ。大洗の戦車は車種も大きさもバラバラ。対する聖グロリアーナは、車種は三種類でも真ん中の大きな戦車を隔てて左右にきれいに分かれている。どちらが見栄えがいいかは、誰が見てもはっきりわかるだろう。
 
 戦車道部の秋山優花里の判断は正しかったようだ。自分たちの戦車がわかるように色を塗るという提案を彼女が却下してくれなければ、危うく大恥をかくところだったからである。
 梓が心の中で優花里に感謝していると、聖グロリアーナの列の先頭に立っていた五人のうち、中央の三人がこちらに向かって歩いてきた。
 
「大洗のみなさま、ごきげんよう。私が隊長のダージリンですわ。隣の二人は部隊長のラベンダーとルクリリ。残りの二人は一年生ですけど、実力は申し分ありません。こちらはベストなメンバーをそろえてきたつもりですので、お互い本気でがんばりましょう」
「本気でやってもらえるならこちらも助かる。大会前に少しでも経験を積みたいからな」
「あなたが隊長なのかしら?」
「いや、私は副隊長だ。隊長は隣にいる武部が務めている」
「た、隊長の武部沙織です。よろしくお願いします!」
「こちらこそ、よろしくお願いしますわ」

 ダージリンと沙織はにこやかに握手を交わす。強豪校である聖グロリアーナにとっては大洗など弱小もいいところだが、ダージリンの表情からは油断やおごりは感じられない。どうやら本気という言葉に嘘はなさそうだ。 

 そのダージリンが従えてきた二人の部隊長。この二人のうち、ラベンダーという名前の少女が西住まほの妹であることは梓も聞きおよんでいる。
 穏やかで優しそうな表情のラベンダーは、うつむいて下を向いているまほとは対照的に、気品ある優雅な姿でしっかりと前を見ていた。姉妹だけあって二人の顔つきはよく似ているが、髪の長さとまとっている空気は正反対。ショートヘアのラベンダーが陽なら、ロングヘアのまほは陰。おそらく二人を見たほとんどの人が、十中八九そのような印象を抱くだろう。

 そんなことを考えながら梓がラベンダーのことを眺めていると、梓の前方に立っている黒髪の少女が軽く手を振っているのが見えた。
 ダージリンの話が本当なら、この少女は梓と同じ一年生のはず。だが、この少女の存在感は梓とは比べ物にならない。腰まで流れる漆黒の髪、パッチリとした澄んだ瞳、服の上からでもわかる抜群のプロポーション。梓が思わず見とれてしまうほど、目の前の少女は美しかった。

 梓が無意識のうちに手を振りかえすと、少女は満面の笑みで大きく手を振りかえしてくる。その笑顔に梓はドキッとしてしまい、みるみる顔が赤くなっていく。頭を振って変な考えを払おうとするが、視線はどうしても目の前の少女に釘付けになってしまう。

「ハイビスカス、ちゃんと整列してないとダメですの」
「ごめんごめん。ベルっちも意外と厳しいねー」
「物事にはメリハリというものがあるんですの。大事な試合のときだけはしっかりしてくださいませ」
「りょーかい」

 あの少女は、ストロベリーブロンドの小さな女の子にハイビスカスと呼ばれていたので、それが彼女のニックネームなのだろう。
 読書が趣味の梓は花言葉の本を読んだことがある。本に書かれていたハイビスカスの花言葉は、『繊細な美』と『勇気ある行動』、そして『新しい恋』。その『新しい恋』というフレーズが頭に浮かんだ瞬間、梓の顔は耳まで真っ赤に染まってしまうのだった。



 あいさつを終え、いよいよ試合が始まった。ルールは五対五の殲滅戦。先に相手を全部倒したほうが勝者となる。
 大洗女子学園の戦車隊は当初決めた作戦どおりに動き、囮になったⅣ号戦車以外は山岳地帯の高台で待機していた。あとはⅣ号戦車の到着を待つだけなので、はっきりいって暇である。
 そんな暇な時間を潰すために梓たちがとった行動は、トランプゲームの大富豪で遊ぶことであった。

「梓の番だよ。ねえ、聞いてる?」
「……へっ? あ、ごめん、あゆみ。ぼーっとしてた」
「梓ちゃん、熱でもあるのぉ~。さっきから顔も赤いし」
「だ、大丈夫だよ。全然平気。それより、芽依子と桂利奈はどこへ行ったの?」
「なんか偵察に行くって言ってたよ。芽依子ちゃんは西住先輩のことが心配なんだろうね。はい、革命」
「え~、嘘ぉ~」

 あやが革命を起こしたことで悲鳴をあげる優季。それと同時に、なにかが着地した衝撃でM3リーが少し揺れる。びっくりした梓たちがそちらに目を向けると、そこには桂利奈をおんぶした芽依子の姿があった。

「Ⅳ号が戻ってきました。どうやら作戦の第一段階は成功したようです」
「それって、もうすぐ敵がこっちに来るってこと? あーあ、革命起こした意味ないじゃん」  
「トランプはもうおしまい。みんな早く戦車に乗りこんで」

 梓の指示で全員が戦車に乗りこむと、すぐさま副隊長の河嶋桃から通信が入る。

『Aチームが戻ってきたぞ! いいか、作戦どおりやれば勝てる。相手が距離を詰めてくる前に、撃って撃って撃ちまくるんだ!』 
「相手が近づいてきたらバンバン撃っていいらしいよぉ」
「指示がアバウトすぎない。どこを撃てばいいの?」
「適当に撃てばどっかに当たるんじゃないかな?」

 桃の大雑把な指示に困惑している様子のあやとあゆみ。そんな二人を落ち着かせるために、梓は努めて冷静な口調で声をかけた。

「とにかく、まずは相手に当てることに集中しよう。芽依子、紗季、装填はできるだけ早くお願いね」
「心得ました」
「……うん」

 装填手の二人が落ち着いているのは梓にとって救いだった。冷静を装ってはいるものの、梓の心臓はバクバクと音を立てている。戦いが始まったら、冷静でいられる自信はあまりなかった。  

『来たぞっ! 撃てー!』

 桃の号令で大洗の戦車隊はいっせいに砲撃を開始。梓たちのM3リーも主砲と副砲で砲撃を行った。ところが、実際に現れた戦車はⅣ号戦車のみで、聖グロリアーナの戦車は影も形もない。

『私たちは味方だってばー! ちゃんと確認してから撃ってよー!』
『敵車輌は足の遅い歩兵戦車が三輌だ。慌てる必要はない』
「西住先輩は敵が三輌だけって言ってる。相手はスピードが遅いみたい」
「遅い戦車が三輌なら本当に勝てるかもしれない。あゆみ、あや、次は落ち着いて狙おう」

 敵は三輌。この情報で少し心に余裕ができた梓であったが、すぐにそれが甘い考えだったと思い知らされることになる。
 
 Ⅳ号戦車を追いかけてきた聖グロリアーナは、大洗の高台からの攻撃を難なくかわし、左右に分かれて崖を前進。そのまま距離をじわりじわりと詰めると、大洗の戦車隊に撃ちかえしてきたのだ。
 梓たちの持ち場である右斜面側を進撃してきたのは、サンドブラウンの戦車が二輌。厚い装甲が特徴の聖グロリアーナの主力戦車、マチルダⅡだ。

 相手が撃ちかえしてきたことで、M3リーの梓たちは大混乱に陥った。こちらの砲撃はまったく当たらず、相手は砲撃しながら徐々に迫ってくる。その威圧感は、普段の生活からは考えられないほどの恐怖を梓たちに与えてきた。冷静になどなれるわけがない。

「もう無理ー!」
「怖いよー!」
「逃げよう!」

 あゆみ、優季、あやの三人が恐怖に耐えきれず、戦車から降りてしまう。
 梓はそれを止めることができなかった。それどころか、一緒に逃げ出したいと思ってしまうほど、恐怖に心を支配されている。それでも梓が逃げなかったのは、まだここで戦おうとしている仲間がいるからであった。

「梓、砲手の二人がいなくなってしまいました。芽依子と紗季、どちらが砲手をすればいいですか?」
「めいちゃん、相手がこっちに向かってきたよ!」
「……このままではこちらに勝ち目はありませんね。梓、こうなったら一か八かで敵に突撃しましょう。紗季も賛成してくれてます」
「待って待って! どうして三人ともそんな冷静でいられるの? 逃げたいって思わないの?」

 芽依子、桂利奈、紗季の三人が梓に振りかえる。芽依子と紗季の表情は普段と変わらなかったが、桂利奈は目に涙をためていた。

「まほ様を置いて逃げるわけにはいきません。芽依子はもう後悔したくありませんから」
「私も逃げないよ! 怖いけど、めいちゃんが一緒だもん!」

 芽依子と桂利奈がはっきりした口調で答え、紗季はなにも言わずに静かにうなずく。どうやら、残ったメンバーで弱気なことを考えているのは梓だけのようだ。
 あまりの情けなさに、梓は自分が恥ずかしくなった。三人は諦めずに戦っているのに、車長の自分はなにもできずにうろたえるばかり。これではリーダー失格である。

 そのとき、紗季が突然梓に近寄り、肩をトントンと軽く叩いた。

「紗季?」
「……砲撃、止まった」
「えっ? 止まったって相手は撃ってこないの?」

 紗季の言葉どおり、先ほどまで梓に恐怖を与えてきた着弾の衝撃はいつまでたってもやってこない。理由は不明だが、聖グロリアーナは急に砲撃を中止したのだ。

「優季たちが外に出たから、安全を配慮して砲撃を止めてくれたんですね。勝つことに固執しない聖グロリアーナらしい戦い方です。梓、今のうちに後退しましょう」 
「でも、勝手に下がっていいのかな?」
「ここにいても犬死にするだけです。この作戦はもう破綻してますから」

 ここであっさり負けたら、梓の初陣はハイビスカスという少女にドキドキしただけで終わってしまう。
 やれることを精一杯やろうとみんなに言ったのは梓だ。口先だけのリーダーにはなりたくなかった。 
 
「桂利奈、全速後退!」
「あいっ!」

 桂利奈は元気よく返事をするとM3リーを後退させる。それを確認した梓は、次に芽依子と紗季に指示を出す。

「芽依子は主砲の砲手、紗季は主砲の装填手をお願い。マチルダⅡは装甲が厚いから、火力の高い主砲のほうを生かそう」
「わかりました」

 芽依子は声で、紗季は仕草で了承の意を返してくれる。これでなんとか戦える体制は整った。
 梓は優季が置いていったヘッドホンを拾いあげる。ここからの梓は車長兼通信手だ。

「武部隊長、聞こえますか! Dチームはいったん後退します!」

 隊長の武部沙織に大きな声で後退を告げる梓。その姿は一年生グループのリーダーに相応しい、実に堂々としたものであった。

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第二十七話 聖グロリアーナ女学院と大洗女子学園

『ラベンダー、大洗の戦車隊が市街地へと逃走したわ。そちらに向かっているのは、履帯が外れた38(t)以外の四輌よ。見つけ次第、攻撃を開始しなさい』
「わかりました。クルセイダー隊は市街地の偵察任務を終了し、戦闘態勢に移行します」

 この練習試合でクルセイダー隊に与えられた最初の任務は、大洗の市街地の偵察であった。
 相手は全部で五輌の少数部隊。市街地にこもって遊撃戦をしかけてくることも大いに考えられる。ダージリンはそれを見越して、クルセイダー隊を市街地へと偵察に向かわせたのだ。

 しかし、大洗が選んだのは市街地での遊撃戦ではなく、山岳地帯での待ちぶせ作戦だった。
 クルセイダー隊の偵察任務は空振りに終わったが、相手の先回りをできたという点は有意義だ。もっとも先回りをしたところで、聖グロリアーナの戦術は変わらない。卑怯な手は使わず、正々堂々真っ向勝負で相手に挑む。それが聖グロリアーナの戦車道である。

 それを示すように、ダージリンは履帯が外れた38(t)を撃破したとは言わなかった。動けない戦車を撃破するような卑怯な真似を聖グロリアーナは良しとしないからだ。

『任せましたわよ。くれぐれもお姉さんのことに夢中にならないようにね』
「もちろんです。私はクルセイダー隊の隊長ですから、今は試合のことだけに集中します。お姉ちゃんのことは試合が終わってから考えますね」
『忠告は無用だったようですわね。頼りにしてますわよ、ラベンダー』

 ダージリンとの無線のやり取りを終えたみほは、大洗の市街地の地図を確認した。
 山岳地帯から市街地へと入る道は多い。みほはその中から大洗マリンタワー前の道路に狙いを絞った。ダージリンの本隊の追撃をかわすならここが一番適している。この道路は市街地へ逃げるルートがもっとも豊富なのだ。

「偵察は終了です。クルセイダー隊は大洗の戦車隊を迎え撃ちます」
「いよいよここからが本番ですわ。カモミールさん、ベルガモットさん、相手は戦車道を復活させたばかりの学校でございますが、甘く見てはダメですわよ」
「了解です! 全力全開で戦います!」
「承知しましたの。油断しないように気をつけますわ」

 隊長車の士気は上々だ。ルクリリと離れ離れになったときは寂しさも感じたが、かわいい二人の後輩はそれをすぐに忘れさせてくれた。どうやらみほは良い乗員に恵まれる運を持っているようだ。

「全車、大洗マリンタワー前まで移動開始。ハイビスカスさん、私のあとに続いてください」
『ほーい。みんな、準備はいい? それじゃ、いっくよー!』 

 みほの隊長車の後ろをハイビスカスのクルセイダーMK.Ⅲが追走する。返事の仕方には多少問題があるものの、ハイビスカスはみほの指示にきちんと従ってくれた。言動で誤解を受けやすいが、ハイビスカスはとても素直な少女なのである。

 ダージリンからこの試合に出場させる一年生を選ぶように指示を受けたとき、みほは悩むことなくハイビスカスを選んだ。
 ハイビスカスは何事にも物怖じせず性格も快活。それに加えて、容姿の良さも同年代と比べて頭一つ抜けている。みほが個人的に気に入っているだけでなく、ハイビスカスには人を惹きつける魅力があるのだ。きっと将来はクルセイダー隊を引っぱる存在になって、聖グロリアーナの戦車道を盛りあげてくれるだろう。

 そのハイビスカスに手本を示すために、みほはまほのことを頭からいったん消した。部隊長が試合中に雑念にとらわれるような姿を見せるわけにはいかない。
 まほの件は試合が終わってからだ。今は全神経を聖グロリアーナの戦車道に傾け、部隊長としての責務を果たすとき。クルセイダーのハッチから身を乗り出すみほの瞳に迷いはなかった。



 クルセイダー隊が大洗マリンタワー前の道路に到着すると、みほの予想どおり大洗の戦車隊がこちらへ向かってきた。
 逃げるので必死なのか、大洗の戦車隊の隊列はバラバラ。これならクルセイダー隊のコンビネーション攻撃で一輌は間違いなく撃破できる。

 問題はどの車輌を狙うかだが、みほはすぐにターゲットを決定した。前から三番目を走行しているⅢ号突撃砲だ。
 大洗が市街地での遊撃戦を目論んでいるなら、車高が低いことで待ちぶせに適しているⅢ号突撃砲は脅威になる。

「目標はⅢ号突撃砲です。市街地に隠れられる前にサンドイッチ作戦で撃破します」

 サンドイッチ作戦とは、二輌のクルセイダーで相手を挟みこみ、側面を同時に攻撃するクルセイダー隊伝統の必殺戦術。前クルセイダー隊隊長、ダンデライオンからみほに受け継がれた戦術で作戦名はみほがつけた。わかりやすい名前をつけたほうが意思疎通が図りやすいと考えたからだ。

 二輌のクルセイダーMK.Ⅲは、お互いの場所を入れ替えるように交差しながら前進する。相手に狙いを絞らせないこのジグザグ走行は、お互いの位置をしっかり把握するのが肝心。足が速いクルセイダーで成功させるのは難しいが、訓練の成果のおかげで問題なく走行できている。ダージリンの個々の技量をあげる訓練方針のおかげで、少数精鋭であるクルセイダー隊の練度は飛躍的に向上していた。

 大洗の戦車隊は突撃するクルセイダー隊に向かって砲撃をしてくるが、二輌のクルセイダーはそれを華麗に回避。スピードを維持したままⅢ号突撃砲に肉薄すると、すれ違いざまに両サイドから側面を砲撃した。装甲の薄い側面を両側から撃たれたことで、Ⅲ号突撃砲はまたたく間に白旗を上げる。

 Ⅲ号突撃砲を撃破したクルセイダー隊はUターンで追撃に移ろうとしたが、大洗の戦車隊はすでに市街地へと逃げてしまった。市街地での戦いは、少しの油断が大きな痛手につながる。ここからは慎重かつ冷静な試合運びが求められるだろう。

「ダージリン様、大洗のⅢ号突撃砲を撃破しました。残りの三輌は市街地へと逃走。これよりクルセイダー隊は追撃に移ります」

 市街地へと場所を移し、聖グロリアーナと大洗の戦いは新たな局面へと突入した。


◇◇


 M3リーの梓たちは市街地のとある場所で身を潜めていた。
 市街地での遊撃戦は、隊長の武部沙織が最初に提案していた作戦だ。河嶋桃の作戦を採用したことでお蔵入りになったが、市街地へと敗走したことで沙織はこの作戦を実行に移したのである。
 
 遊撃戦の要になるのは待ちぶせが得意なⅢ号突撃砲。しかし、そのⅢ号突撃砲は市街地に入る前にクルセイダーに撃破されてしまった。聖グロリアーナのクルセイダー隊は、大洗が遊撃戦に移ることを読んでいたのだ。

 M3リーが今いるところは、本来はⅢ号突撃砲が隠れる場所だった。車高が高いM3リーで代役が務まるかはまったくの未知数。それでもこの場を任された以上、やるしかない。

 梓が自分を落ち着かせるために息を整えていると、偵察に出た芽依子が戻ってきた。

「マチルダが一輌こちらに向かってきます。隠れ蓑の準備も万全ですので、確実に仕留めましょう」
「相手がマチルダでよかったね。スピードが遅いから、クルセイダーよりも命中させやすいよ」
「でも、マチルダは装甲が厚いから百メートル以内じゃないと通用しないって河嶋先輩は言ってた。撃破するには、できるだけ至近距離で撃たないと……」

 はたして相手はこの偽装でだまされてくれるだろうか、失敗して反撃されないだろうか。そんな様々な不安が梓の心を疲弊させていく。
 そのとき、震える梓の手に三人の仲間の手が重ねられた。
 仲間たちの温かい手は梓の心を安心させてくれる。言葉はなくとも、梓が冷静になるにはそれだけで十分であった。そんな仲間たちの思いに、梓は応えなければならない。このM3リーのリーダーは梓なのだから。

 梓はこの試合で初めてキューポラから身を乗りだした。
 怖くないといえば嘘になる。しかし、砲撃のタイミングが命のこの作戦は車長の指示がもっとも重要。作戦の成功率を上げるために、車長は外の状況を確認して的確に命令を下すことが求められる。
 
 薄暗い視界の中で息を殺しながら、梓はその瞬間が来るのを待った。  





 マチルダ隊の一員であるニルギリは、車長のポジションでこの試合に参加している。
 一年生のニルギリが試合のメンバーに選ばれたのは、ルクリリの推薦があったからだ。ダージリンが一年生の起用を明言したとき、マチルダ隊の隊長であるルクリリが大勢の一年生の中から真っ先に選んだのがニルギリであった。

「このままゆっくり前進してください」

 マチルダⅡのキューポラから上半身を出したニルギリは、ティーカップ片手に周囲を索敵中。
 大きな眼鏡が示すとおり、ニルギリは視力が低い。なので、索敵の際には必ずキューポラから顔を出して外を確認していた。
 
 いつ砲弾が飛んでくるかわからない戦車道の試合で、戦車の外に体を出すのはとても勇気がいることだ。気弱なニルギリがそれを実行するためには、普通の人よりも多くの勇気が必要になる。そんな彼女に勇気をもたらしてくれるのが、尊敬するルクリリの役に立ちたいという純粋な思い。この試合のメンバーに選んでくれたルクリリのためにも、ニルギリは結果を出さなければいけないのだ。

 ニルギリのマチルダⅡは敵戦車と接することなく、商店街を進んでいく。路地は多いものの、大洗の戦車が隠れている気配は感じられない。目の前の薬局を過ぎたところには路地がなく、薬局と民家の間は緑の生け垣が壁を作っている。

 ニルギリはその生け垣のことを気にもとめなかった。結果的にこの判断ミスが彼女の命取りとなる。

「芽依子、撃って!」
「えっ?」

 驚いたニルギリが声のしたほうに顔を向けると、生け垣だと思っていたものから砲身が顔をのぞかせていた。よく見るとそれは生け垣ではなく、木の枝や葉っぱを大量につけた大きな布。大洗の戦車はこの布をすっぽりと被り、ここで獲物が来るのを待っていたのだ。
 
 ニルギリが砲塔に隠れるのとマチルダⅡが砲撃を受けるのはほぼ同時だった。砲塔部の側面を撃たれたことでマチルダⅡは大きく揺れ、ニルギリが手に持ったティーカップからは紅茶がいきおよくこぼれる。
 厚い装甲が自慢のマチルダⅡとはいえ、近距離で砲塔部の側面を撃たれてはひとたまりもない。ニルギリがそーっとキューポラから顔をのぞかせると、マチルダⅡの砲塔からは白旗がはためいていた。ニルギリのマチルダⅡは、大洗に初めて撃破された戦車になってしまったのである。

「申し訳ありません、ルクリリ様。私はお役に立てませんでした……」

 眼鏡を外して涙をぬぐうニルギリ。
 油断しないようにといつもルクリリに念を押されていたのに、ニルギリはその教えを守ることができなかった。不甲斐なさと情けなさでつい涙を流してしまったが、こんなことではルクリリのような立派な淑女にはなれない。
 ニルギリにはダージリンに状況を報告するという最後の仕事が残っている。めそめそ泣くのはせめてその仕事を終えてからだ。四人で抱きあって喜んでいる大洗の少女たちを横目で見ながら、ニルギリは無線機へと手を伸ばした。

 
 
 一方そのころ、ニルギリに油断しないようにと指導していたルクリリは、見事に油断してマチルダⅡを盛大に炎上させていた。立体駐車場を利用した大洗の八九式中戦車の策に、まんまとハマってしまったのだ。

「くそっ! だまされたっ!」

 どうやら、ニルギリは油断したことをあまり気に病む必要はないようだ。
 

◇◇

 
『Bチーム、マチルダ一輌撃破!』
『こちらDチーム、マチルダ一輌を撃破しました。これから次のポイントへ移動します』
 
 仲間たちから次々と吉報が送られてくるが、隊長の武部沙織はそれに返答をすることができなかった。
 沙織の搭乗するⅣ号は、現在二輌のクルセイダーから追撃を受けている真っ最中。操縦手の冷泉麻子に逃げ道を指示するだけで、沙織はてんてこ舞いの状態だ。その証拠に、キューポラから上半身を出している沙織の顔は汗まみれであった。

「沙織、次の交差点を左に曲がれば例の場所に出る。みほに通用するかはわからないが、やるだけやってみよう」
「わかった。麻子、次の交差点を左に曲がって! スピードはなるべく維持してほしいんだけど、できる?」
「やってみる。ローズヒップさんには負けたくないからな」

 スピードを落とすことなく、交差点を左折するⅣ号。それに対し、クルセイダーもスピードを落とさずに左折してくる。相手がスピードを落とさないことがこの作戦の重要な要素なので、沙織にとっては好都合であった。

「速度を落とさないでこの先のカーブを曲がるよ。かなり揺れると思うから、みんなしっかりつかまってて!」

 この先には下り坂の急カーブがあり、進行方向には割烹旅館が建っている。かなりスピードが出ているが、麻子の運転技術があればうまく曲がりきれると沙織は踏んでいた。
 大洗の地理に疎い聖グロリアーナは、突然の急カーブに対応が遅れるはず。曲がり切れなければ旅館と正面衝突だ。沙織がスピードを落とさないように指示したのは、ここに急カーブがあることを悟らせないためだったのである。
 
 この旅館に相手を突っこませる作戦は、沙織がまほと一緒に事前に考えた策の一つ。標的は連携を組んで行動するクルセイダー一択である。装甲の薄いクルセイダーをここに玉突き衝突させれば、うまくいけば行動不能にできるかもしれないからだ。
 旅館が壊れてしまうのは申し訳ないが、戦車道の試合で壊れた建物は戦車道連盟が補償してくれる。タダで新築できるのだから旅館の主人も許してくれるだろう。

 沙織の予想したとおり、Ⅳ号は急カーブをなんとか曲がりきった。訓練に励んでいたことで麻子の運転技術は格段に向上しており、無茶な動きもある程度こなすことができる。麻子のおかげで沙織は大胆な作戦を実行に移すことができるのだ。
 
 Ⅳ号が曲がりきれたことで沙織の意識は後続のクルセイダーに移った。
 すぐさま後ろを確認し作戦の成否を確認する沙織。そこで沙織は驚きの光景を目の当たりにすることになる。
 
「すごい……」 

 ラベンダーが搭乗しているクルセイダーは、見事なドリフトで急カーブを曲がりきった。しかし、それは沙織の予測の範囲内。ラベンダーの実力を知っている沙織にとっては別に驚くことではない。
 沙織を驚かせたのは、ラベンダーの手に握られたティーカップから一滴も紅茶がこぼれなかったことだ。あのドリフトで紅茶を一滴もこばさないバランス感覚はまさに超人レベル。沙織の憧れの戦車乗りであるラベンダーは本当に底が知れない。
 
 沙織はそんなラベンダーとようやく同じ舞台に立つことができた。がんばってきた努力が実を結んだことで、大粒の汗を流している沙織の表情には笑みが浮かんでいる。
 最初はモテモテになりたいというだけで始めた戦車道。その意味合いが沙織の中で変化したのは、間違いなくラベンダーの影響であった。
     
 作戦は失敗したかに思われたが、もう一輌のクルセイダーは曲がりきれずに猛スピードで旅館に激突。走行不能になったかは判別できないものの、追っ手を一輌減らすことには成功した。

「やった! 一輌は引っかかったよ!」
「でも、まだラベンダー殿が残っていますよ。武部殿、これからどうするんですか?」
「いっそのことラベンダーさんとタイマン張ります?」
「みほと一対一で戦うのか……」
「ラベンダーさんは私たちの実力で勝てるような相手じゃない。今は逃げ回ってチャンスを待とう。ほかのチームもまだ残ってるんだし、慌てる必要はないよ」

 大洗で撃破されたのはⅢ号突撃砲のCチームのみ。履帯が外れた38(t)のEチームの安否は不明だが、残りの三輌は健在である。地の利を活かしてじっくりと戦えば勝機を見いだせる、沙織はそう考えていた。
 それが甘い考えだったことをすぐに沙織は思い知らされることになる。Bチームが撃破したと思っていたマチルダⅡはまだ死んでいなかったのだ。



「バカめっ! マチルダの装甲を甘くみるなよ。ファイヤー!」

 マチルダⅡの反撃を受けた八九式中戦車はあっけなく白旗を上げる。Bチームが撃破されたことで、大洗は車輌数に差をつけられてしまった。
 さらに運が悪いことに、次の待ちぶせポイントに向かっていたM3リーのDチームも敵に補足されてしまう。相手は旅館に激突したことで隊長車と別行動をとっていた、傷だらけのクルセイダーだ。

「敵戦車発見! あたしってば超ラッキー。この戦車を倒して、さっきの失敗を帳消しにするじゃん」

 一転して大ピンチに陥ってしまう大洗女子学園。決着のときはすぐそこまで迫っていた。
 




 ハイビスカスが脱落してもⅣ号戦車を追いかけ続けたみほ。少し時間がかかってしまったが、ようやくその追いかけっこに終止符を打つときがきた。
 
 Ⅳ号戦車の進行方向は道路工事で通行止めになっている。どうやら地理は把握していても、道路工事のスケジュールまでは調べていなかったらしい。みほのクルセイダーの後方には、ダージリンのチャーチルとルクリリのマチルダの姿もあり、このままいけば三対一となる。ハイビスカスからM3中戦車を追撃していると無線で連絡があったので、味方が助けにくることもないだろう。

 ダージリンのチャーチルを中心にして、みほのクルセイダーが右、ルクリリのマチルダが左を固め、Ⅳ号戦車の包囲は完了。前後をふさがれたⅣ号戦車にもう逃げ場はなくなった。
 Ⅳ号戦車が詰み状態になったことで、チャーチルの車長キューポラからダージリンが身を乗りだす。どうやら、ダージリンは沙織になにか言いたいことがあるようだ。 

「沙織さん、どうやらチェックメイトのようね。ところでこんな格言があることをご存知? 『あなたが転んでしまったことに関心はない。そこから立ち上がることに関心があるのだ』。よろしかったら、あとでまほさんに伝えてくださらないかしら」
「ちなみに今のはアメリカ合衆国第16代大統領、エイブラハム・リンカーンの言葉です」

 装填手ハッチから顔を出し、ダージリンの格言の補足をするオレンジペコ。怪力だけでなく、頭の回転の速さもオレンジペコはずば抜けており、ダージリンがどんな格言を引用してもすらすら答えてしまう。この頭の良さもオレンジペコがダージリンに気に入られている要因の一つであった。

 ダージリンの格言を聞いた沙織はポカンとしている。ダージリンのこの変な癖を知らないのだから、沙織が驚くのも当然だろう。みほも初めてダージリンの格言を聞いたときは、どう反応したらいいのか戸惑ったものだ。
 
 一年間ダージリンの格言とことわざを聞きつづけたことで、今のみほにはダージリンの言いたいことがなんとなくわかった。
 ダージリンは大洗で戦車道を始めたまほに発破をかけているのだろう。もしかしたら、今まで競いあってきた相手であるまほが隊長も車長もしていないことを歯がゆく思っているのかもしれない。

 みほがそんなことを考えていると、事態は急展開を迎えた。路地から突然一輌の戦車が現れ、Ⅳ号戦車を守るように立ちはだかったのである。
 その戦車の名は38(t)。山岳地帯で履帯が外れたと聞いていたが、どうやら履帯を直して追いかけてきたようだ。
 38(t)の砲塔はみほのクルセイダーに向けられていた。火力が低い38(t)でも装甲が薄いクルセイダーなら倒せると計算したのだろうが、黙って砲撃の的になるみほではない。

「38(t)の狙いは私たちです。戦車前進!」

 みほは38(t)の砲撃を回避する自信があった。みほの判断もローズヒップの反応の速さも完璧だ。
 だからこそ、みほはそのあとに起こった出来事が信じられなかった。38(t)はクルセイダーの背面に装着されている予備燃料タンクを正確に撃ち抜いたのである。

 ガソリンが入っている予備燃料タンクを撃たれたことで、クルセイダーは爆発を起こした。爆発といっても、戦車道に使用される戦車は特殊なカーボンが使用されているので車内は安全。みほもすぐに車内に引っこんだのでもちろん無事だ。だが、その一瞬の隙を沙織は見逃してはくれなかった。

 Ⅳ号戦車は前進すると、38(t)がやってきた路地を左折する前にクルセイダーに向かって砲撃。至近距離から直撃を受けたクルセイダーからは白旗が上がり、みほは撃破されてしまった。爆発に気を取られたことで、全員の判断が遅れてしまったことが敗因だ。

 ダージリンはすぐさま38(t)を撃破し、ルクリリを連れてⅣ号戦車の追撃に移る。部隊長のみほが撃破されても、動揺する素振りすら見せないのはさすがであった。

「ラベンダー様、ごめなさいですの。砲撃するのが一歩遅かったですわ」
「謝る必要はないよ、ベルガモットさん。予備燃料タンクを狙ってくるなんて私も予想してなかったし、今回は相手が一枚上手だったんだよ。練習試合でいい経験ができたと前向きに考えよう」
「ラベンダーの言うとおりですわ。かの発明王エジソンもこんな言葉を残してますわよ。『失敗したわけではない。それを誤りだと言ってはいけない。勉強したのだと言いたまえ』」
「カッコいいですー! 今のローズヒップ様、まるでダージリン様みたいでした!」 
「おほほほほ、二年生になったことでわたくしのお嬢様度も格段にアップしているみたいですわ。この分だと、目標であるダージリン様に到達する日は案外近いかもしれませんわね」

 撃破されたにもかかわらず、車内の空気は明るかった。聖グロリアーナの戦車道は勝ち負けにこだわらない。そのことを一年生にはっきり伝えるのも二年生の役目だ。
 
「それじゃ、消火作業を終えてからお茶にしようか。試合が終わるまでもう少し時間がかかると思うから」
「はい! 消火活動にも全力を尽くします!」
「紅茶の準備は私に任せてくださいませ」
「それではさっそく行動開始ですわ! カモミールさん、行きますわよ!」
「おーっ!」

 消火器片手にクルセイダーを飛び出すローズヒップとカモミール。楽しそうに消火活動に勤しむ二人は、まるでとても仲のいい姉妹のようだ。大家族の末っ子であるローズヒップは、カモミールを妹のように思っているのだろう。
 
 姉妹という言葉が頭に浮かんだことで、みほは試合中に考えないようにしていたまほのことを思いだした。
 このあとみほはまほと再会する。まほが引きこもっていたときに会話を重ねてはいたが、面と向かって話すのは久しぶりだ。
 まほが大洗で戦車道を始めたことを話題にするつもりはない。しほがすべて任せろと言ってくれたのだから、この件でみほが出しゃばる必要はないからだ。みほは普通に姉妹の会話をすればいい、まほだってそれを望んでいるはずである。
 
「ラベンダー様、どうかしたんですの? 考えごとをしていらっしゃるみたいですけど……」
「ううん、なんでもないよ。さあ、二人が戻ってくる前に紅茶の準備を終わらしちゃおう」
「はいですの」

 
◇◇


 梓たちのM3リーは海岸の砂浜でクルセイダーと対峙していた。
 すでに隊長車のⅣ号は撃破され、残りはこのM3リーのみ。ここまでなんとか逃げてきたものの、もう勝ち目はゼロに等しい。梓はせめてこのクルセイダーだけでも倒そうと、一騎打ちをするために広い砂浜までやってきたのだ。

 梓の意図を相手も理解したのか、クルセイダーも砂浜で停止している。
 合図があればいつでも決闘が始まるこの状況で、梓はキューポラから顔を出した。それと同時にクルセイダーのハッチが開き、中から梓の心を大きく揺さぶったハイビスカスという名の少女が姿を現す。

 何度見ても目を奪われてしまうぐらい、ハイビスカスは美しいお嬢様だ。容姿も平凡で普通の女子高生である梓とは、はっきりいって住む世界が違う。
 そんなハイビスカスを前にしても、梓が卑屈になることはなかった。戦車を動かすのに容姿や家柄は関係ない。今この瞬間だけは、梓とハイビスカスは対等な存在であった。

「行くよ! みんな、力を貸して!」
「戦闘開始じゃん! 突撃いたしましょう!」


 それから数分後。聖グロリアーナ女学院の勝利というアナウンスが大洗の町に響きわたり、大洗女子学園の初めての練習試合は幕を閉じた。 

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第二十八話 姉と妹

 みほたちは試合終了のアナウンスをクルセイダーの車内で聞いていた。小さなお茶会はここでお開きとなり、あとは回収車の到着を待つだけである。
 その前にみほには一つだけやりたいことがあった。みほのクルセイダーの動きを読み、予備燃料タンクを正確に砲撃した38(t)の乗員に会ってみたかったのだ。
 38(t)の三人の乗員は戦車からすでに降りている。話しかけるチャンスは今をおいてほかにない。

「大洗の人たちにあいさつしてくるね。ベルガモットさん、紅茶を三つ用意してもらえるかな?」
「お任せくださいませ。最高の紅茶をご用意いたしますわ」
「ベルガモットさんがいれた紅茶は本当においしいですからね。きっと喜んでもらえますよ」
 
 カモミールの言うとおり、ベルガモットがいれた紅茶はおいしいと評判だ。上質な紅茶は会話を弾ませる役に立つだろう。

「ラベンダー、わたくしもご一緒してよろしいでございますか? 凄腕のお砲手のかたにお会いしたいんですの」
「うん。一緒に行こう」

 ベルガモットにいれてもらった紅茶をトレイに乗せ、みほとローズヒップは38(t)へと歩いていく。乗員の三人はなにやら話しこんでいたが、みほは思い切って声をかけた。

「お疲れ様でした。紅茶をいれてきましたので、よろしかったらどうぞ」
「お、悪いね。小山、河嶋、せっかくだからごちそうになろう」

 ツインテールの小柄な少女がみほから紅茶を受け取ったことで、ほかの二人もティーカップを手に取る。
 試合が終わったばかりだが、紅茶のおかげで場の空気は悪くない。これなら話題を振っても問題ないだろう。そう判断したみほは、さっそく話を切りだすことにした。

「ところで、38(t)の車長のかたはどなたなんですか?」
「それはもちろん、ここにいる会長だ」
「たしかに車長は私だけど、お飾りみたいなもんだよ。今日の試合で一番がんばったのは副隊長の河嶋だからね。私は通信手をしてただけで、ほとんどなにもしてないよ」
「ということは、クルセイダーの予備燃料タンクを砲撃する策を考えたのは河嶋さんなんですね」

 大洗の副隊長はかなりの切れ者のようだ。片眼鏡の知的な風貌は伊達ではないらしい。

「桃ちゃん、あれって狙ってたの?」
「いや、あれは偶然……」
「そうなんだよー! 予備燃料タンクを狙うことを考えたのも、実際に砲撃したのも全部河嶋がやったんだ。なんたって大洗の副隊長だからね」

 相手の動きを予測して予備燃料タンクを狙い撃つのは簡単にできることではない。それをあっさりとやってのけた大洗の副隊長は、砲手としての能力も高いのだろう。  

「すげーですの! 策を練るだけじゃなく実際にクルセイダーに当ててみせるなんて、河嶋様は傑物ですわね」
「私もあれには驚かされました。良い腕をお持ちなんですね」
「ま、まあ、副隊長だからな。これぐらいはできないとみんなに示しがつかない」
「よっ! さすがは副隊長! 次の試合もよろしく頼むよ」

 そんな風に和気あいあいと話していると、回収車が近づいてきた。
 大洗女子学園はこのあと大納涼祭りに参加する予定が入っているので、試合後のお茶会は行われない。名残惜しいが、もうお別れの時間だ。

「それでは、私たちはこれで失礼します。今日の試合は良い勉強になりました」 
「河嶋様、次こそは絶対に回避してみせますわ。では、ごめんあそばせでございます」
 
 38(t)の乗員と別れのあいさつを済ませ、みほはローズヒップとともにクルセイダーへと戻っていく。
 良い勉強になったと言ったことはみほの本音である。大洗女子学園は戦車道を復活させたばかりの学校だが、油断はできない相手だということが今日の試合でよくわかったからだ。

 相手に地の利があったとはいえ、みほは二対一で沙織を撃破することができなかった。それどころか、河嶋副隊長の機転で逆に自分が沙織に撃破されてしまう有様。ハイビスカスのおかげで全滅はまぬがれたが、クルセイダー隊は大洗にしてやられてしまった。
 マチルダ隊もニルギリが撃破され、ルクリリも不意をつかれている。今日の試合は聖グロリアーナの勝利に終わったが、この次も同じ結果になるとは限らないだろう。
 
 大洗が厄介な相手だろうと、今年の全国大会だけはどこにも負けるわけにはいかない。今年はみほがお世話になった三年生の最後の大会なのだ。
 ダージリンとダンデライオン、そしてみほたちの面倒をずっと見てくれたアッサムに優勝をプレゼントしたい。その強い思いが、みほのやる気をみなぎらせる原動力だった。


◇◇


「会長、どうしてラベンダーさんに嘘をついたんですか?」
「河嶋は実際に命中させたんだから別に嘘ってわけじゃないっしょ。これであの子が河嶋を必要以上に警戒してくれたら、次に戦うときに有利に働くかもしれないしね」
「会長の言うとおりだぞ。我々は絶対に優勝しなくちゃいけないんだ。きれいごとばかり言ってる場合じゃない」

 杏と桃の言葉に眉をひそめる柚子。その表情からは彼女が不満を抱いていることがうかがえる。 

「……ラベンダーさんは私たちがお姉さんを脅したことを知ったら怒るでしょうね」
「それについては心配しなくていいよ。あの子に怒られるのは私の役目だ。すべてが終わったら私が責任を取る」

 きっぱりとそう言いきる杏の言葉は、いつものようなのらりくらりとした物言いとはまるで違う。ここまではっきりと思いを口にするのは、彼女にしては珍しいことだった。
 
「さーて、これで西住ちゃんが少しでもやる気を出してくれれば万々歳なんだけどね。まあ、いざとなったら武部ちゃんに賭けてみるのもありかな。正直、あの子を少し見くびってたよ。私の人を見る目も当てにならないねー」





 聖グロリアーナの戦車道にとって、試合後のあいさつは欠かせない重要な要素。しかし、この日は大洗との試合後のあいさつは行われなかった。双方の生徒が全員そろわなかったことで、あいさつする機会を逃してしまったのだ。

 聖グロリアーナ側でいなくなったのはハイビスカスただ一人であった。
 部下の不始末は部隊長の責任。みほはクルセイダー隊の隊長としての責務を果たすため、彼女の戦車の乗員に事情を聞くことにした。 

「それじゃ、ハイビスカスさんは大洗の逃げてしまった乗員を一緒に探してるんですね」
「はい。困ったときはお互い様と言ってましたわ。止めることができなくて申し訳ありません」
「そんなにかしこまらなくても大丈夫だよ。話してくれてありがとう。ダージリン様には私が連絡しておくから、なにも心配しなくていいよ」
「ありがとうございます、ラベンダー様」

 ハイビスカスのクルセイダーの操縦手をしている少女から事情を聞いたあと、みほはダージリンにこのことを報告した。もちろんハイビスカスが善意で行動したのを強調するのも忘れない。部下をフォローするのも部隊長の大切な仕事だ。

「仕方ありませんわね。ラベンダー、あとであなたからよく言って聞かせておきなさい」
「わかりました。一言ビシッと言っておきます」
「それならここでお手本を見せてもらえないかしら? ラベンダーがどんな叱責をするのか興味がありますわ」
「ふぇ!? えーと……ハイビスカスさん、あんまり度が過ぎると私も怒っちゃいますよ!」

 ハイビスカスを怒る気などさらさらなかったみほは、適当な言葉でお茶を濁す。腕を組んで頬を膨らませているので、怒っている雰囲気はよく出ているはずだ。

「ふふっ、冗談ですわ。厳しくしろとは言わないけれど、あまり後輩を甘やかしてはダメよ。私はアッサムとペコを連れて武部隊長と審判団にあいさつをしてきますわ。観客のみなさまへのあいさつはあなたとルクリリに任せましたわよ」

 ダージリンはそう言ってみほの前から立ちさった。
 どうやら、みほの思惑はダージリンにはお見通しだったようである。


 
 みほとルクリリは残った隊員と一緒にアウトレット施設に用意された見学席へと向かった。
 見学に訪れていた大洗町の人たちは、みほたちに温かい拍手を送ってくれる。それに応えるように、みほたちも聖グロリアーナの生徒の名に恥じない態度であいさつを行った。
 これで今日の試合の日程はすべて終了。今日は日曜日なので、着替えが終わればあとは自由だ。 

「ラベンダー、これからお姉様に会いに行くのでございますか?」

 一番早く着替え終わったローズヒップがみほに声をかける。せっかちなローズヒップは着替えるスピードも高速であった。

「お姉ちゃんも大納涼祭りに参加してるだろうし、会うのはお祭りが終わってからになるかな」
「それなら、大納涼祭りが終わるまでどこかで時間を潰さないとな。いっそのこと祭りの見学でもするか?」
「今日は大洗の伝統的な踊りが披露されるらしいので、それを見に行くのもありかもしれませんわね」
「そうしようかな。もしかしたら、お姉ちゃんもその踊りに参加してるかもしれないし」

 制服に着替えたみほは、ローズヒップとルクリリと一緒に祭りを見学することにした。
 ちなみに踊りの名はあんこう踊りというらしい。大洗町はあんこうが名物なので、それに関連した踊りなのだろう。 
 
 まさかこのあと実の姉の恥ずかしい姿を目撃することになろうとは、このときのみほは露ほども思っていなかった。



 アウトレット施設の中庭にあるおしゃれなカフェテラス。そこに大納涼祭りの見学を終えたみほたちの姿があった。
 みほは真っ赤な顔で放心している。ピンク色の全身タイツで踊るまほの姿はみほには刺激が強すぎたようだ。
 しかも、みほはまほと目が合ってしまった。熟したトマトのような顔で涙目になってしまったまほの姿は、たぶん一生忘れられないだろう。
 
「すごい踊りを見てしまいましたわね。大洗マジパネェですわ」
「私もあれには度肝を抜かれた。あれに比べたら、去年のウェイトレス姿なんて恥ずかしくもなんともないな」
「お姉ちゃんのあんな姿を見ることになるなんて……」
「あれ? みなさん、まだ大洗に残っていたんですね。学園艦の出航にはまだ時間がありますけど、あんまり遅くなっちゃダメですよ」

 三人があんこう踊りについて語っていると、突然甲高い声で話しかけられた。

「タンポポ様? どうしてここに?」
「それはもちろん、クルセイダー隊の雄姿を見るためです。実に見事な戦いぶりでしたよ。あたしが教えた作戦も完璧に決めてくれましたしね。ラベンダーちゃんを隊長に推薦したあたしも鼻が高いです」

 みほの問いかけに笑顔で答えるダンデライオン。みほは撃破されてしまったが、彼女の中では今日の試合は満足のいくものだったようだ。

「おー、学校ではちゃんと先輩やってるんだね。お父さんとユミ姉に甘えてばかりの家とは大違いだ」
「お姉ぇーっ! なんてことを言うんですか!」
「あ、もとに戻った。これぐらいで動揺しちゃダメだよー、うりうり」
「や、やめてくださいよぉ~! あたしの髪型崩れやすいんですからー!」

 ダンデライオンは赤い髪のショートカットの女性に髪をくしゃくしゃにされてしまう。
 ジーンズにパーカー姿のこの女性は、ダンデライオンとは違い背が高く胸も大きい。顔立ちもまったく似ておらず、姉妹という感じはあまりしなかった。
 
「タンポポ様、こちらのかたはどなたでございますか?」
「この人はあたしのすぐ上のお姉さんです。大学生なんですけど、今日はたまたま大洗に来てたんですよ。なので、せっかくの機会だから一緒に試合を見ることにしたんです」

 乱れた前髪を手ぐしで直しながらダンデライオンはローズヒップの質問に答えた。

「私も大学で戦車道をやってるからね。それに、母校の戦車道にはやっぱり興味があるし」

 どうやらダンデライオンのお姉さんは聖グロリアーナのOGらしい。OG会の話はよく聞くが、みほが実際にOGに会うのはこれが初めてであった。

「えーと、たしか新しい部隊長は君たち二人だよね? 西住流のことはOG会でも噂になってるよ。聖グロリアーナの戦車道は大丈夫なのかって」
「私たちは西住流を聖グロリアーナに持ちこむ気はありません。聖グロリアーナの戦車道はきちんと守ってみせます」
「私も同意見ですわ。心配なさらなくとも身の程はわきまえております」

 みほとルクリリは間髪を入れずにそう答えた。聖グロリアーナの戦車道を尊重することはみほたちの共通認識である。

「二人とも大人だねー。うちのちびっ子ライオンにも見習わせたいよ」
「ライオンって言わないでください! それは禁句だって言ったじゃないですか!」
「そういうところが子供なの。ニックネームは大事にしなさいって、私は教えたよね」
「うぐっ……お姉に痛いところを突かれるなんて不覚です」

 姉妹という感じがしないという印象はみほの誤りだったようだ。妹をたしなめるダンデライオンのお姉さんは、立派に姉の務めを果たしている。
 
「そんなに気に入らないなら、私のニックネームだったワイルドストロベリーに変更する? なんなら私が隊長に話を通してあげるよ」
「そ、それだけは嫌です! ダージリンさんには絶対に言わないでくださいよ。あの人は本気でやりかねないんですから」
「それならもっと自分のニックネームに自信を持つこと。ニックネームをもらえない子もいるんだから、つまらないことにはこだわらないの」
「……わかりました。がんばってみます」

 ダンデライオンのお姉さんは妹思いなのだろう。彼女が妹を大事に思っているのをみほは言葉の端々から感じ取ることができた。
 姉が妹を思う気持ちに気づけたのは、みほが成長した証。みほの心が中学時代のままだったら、おそらくこのことには気づけなかったはずだ。
 
 まほはみほの気持ちを考えなかったと後悔していた。けれども、あの小言の数々はみほのことを真剣に考えなければ出てこない。たとえそれが母の真似だったとしても、まほはまほなりにみほのことを思ってくれていたのである。今のみほにはそれがはっきりと理解できた。
 まほは今、この大洗のどこかにいる。手を伸ばせば届くところにいるのだ。みほは一刻も早くまほに会いたかった。

 しかし、物事はそう思いどおりにはいかない。まるでみほがまほと再会するのを邪魔するように、新たな登場人物がこの場に現れたのであった。

「探しましたよキクミさん。もうすぐ集合時間です。隊長を待たせるようなことをしたら、またバミューダトリオに怒られますよ」
「ありゃ、もうそんな時間かー。ごめんねアサミ」

 アサミと呼ばれた女性は快活なダンデライオンのお姉さんとは違い、上品で大人な大学生といった印象だ。背が低く体型も小柄だが、スカートにブラウスという清楚な見た目と腰近くまで伸びた黒髪が上品さを引き立てており、あまり幼さを感じさせなかった。
 
 キクミという名のダンデライオンのお姉さん同様、彼女ともみほたちは面識がない。にもかかわらず、アサミはみほたちに気づくと見下すような鋭い視線を向けてきた。

「あなたたちのことは知っています。聖グロリアーナ女学院始まって以来の問題児三人組といえば有名ですからね。OG会でも聖グロリアーナの伝統を破壊する危険な存在だと、よく噂されていますよ」
「私たちは伝統を破壊する気などありませんわ。聖グロリアーナの戦車道は必ず守りします」
「あなたたちの言葉は信用に値しません。去年の問題行為の数々がその証明です」

 ルクリリの言葉をバッサリと切ってすてるアサミ。彼女も聖グロリアーナのOGのようだが、キクミとは違いみほたちへの態度は辛辣そのものだ。

「去年のわたくしたちはたしかにダメダメでしたわ。でも、今年は一味違いますの。去年の失敗を糧にして、わたくしたちは成長したのでございますわ」
「私にはあなたたちが成長したようにはとても思えません。むしろ去年よりも危険度が増したのではないですか? そうですよね、お姉さんを追い出して後継者になった西住みほさん」

 アサミは不快感を隠そうともしない目をみほに向ける。それに対し、みほは反論もせずに正面からそれを受け止めた。
 みほがまほを追い落としたという噂をアサミは頭から信じこんでいる。そんな人間に事情を説明したところで時間が無駄になるだけだ。こんなときこそ、つねに優雅の精神を忘れずに相手を怒らせないような対処をしなければならない。
 
 そんなみほの姿をあざ笑うかのように、アサミの嫌味はさらにエスカレートしていく。

「そういえば、さっきあなたのお姉さんが踊っているのを見かけました。大きな胸を揺らして男性の注目を集める姿はまるで娼婦のようでしたよ。あんな卑猥な格好で踊れるなんて、お姉さんも少し問題があるみたいですね」

 まほをバカにするアサミの発言をみほは歯を食いしばって耐える。心の中では怒りのマグマが煮えたぎっているが、ここで噴火させるわけにはいかなかった。
 クルセイダー隊の隊長で西住流の後継者という立場のみほは、逸見エリカと大喧嘩した去年とは背負っているものが違う。なにを言われても我慢するしかないのだ。 
 
「姉妹そろって問題児とはなんとも情けない話です。いったいあなたの家はどんな教育を……」
「アサミ姉さんっ! ラベンダー様にひどいことを言うのはやめてください!」

 アサミの嫌味を大きな声でさえぎったのはカモミールであった。ベルガモットとニルギリの姿もあるので、どうやら三人でこのアウトレットを訪れていたようだ。
 姉さんと呼んでいるということはアサミとカモミールは姉妹なのだろう。その証拠に、今までずっと冷淡な目つきを崩さなかったアサミに変化が現れた。
 とはいっても、それは事態が好転するようなものではない。カモミールを見るアサミの目には憎悪の色がありありと浮かんでいたからだ。

 アサミはつかつかとカモミールに歩みよると、いきなり大きく右手を振りかぶった。アサミはカモミールを平手打ちするつもりだ。
 それに気づいたみほは足を一歩前に踏みだすが、それよりも早く動いた人物がいた。聖グロ一の俊足の二つ名を持つローズヒップである。
 
 ローズヒップはアサミとカモミールの間に割って入ると、カモミールのかわりに平手で頬を叩かれた。小気味のいい音が響いたことで、平手打ちには相当な威力があったことがわかる。それでも、ローズヒップは倒れることなくアサミの前に立ちふさがった。

「どきなさい。私は生意気な口をきいたそこの愚妹に用があるんです」
「お断りしますわ。この子には指一本触れさせませんわよ!」
「邪魔をするならもう一発殴ります。私は本気ですよ」
「どんと来いですわ!」

 一歩も引かないローズヒップに向かってアサミは右手を振りかぶるが、その手がローズヒップに振り下ろされることはなかった。
 アサミが高く上げた右手をキクミがガシッとつかんだのだ。

「みっともない真似はもうやめなよ。ディンブラは聖グロリアーナで学んだことをもう忘れちゃったの?」
「そのニックネームは返上しました」
「返上するのはニックネームだけにしてほしかったなー。今のディンブラの姿をウバ様が見たら悲しむよ」
「……待ち合わせの時間に遅れてしまいます。キクミさん、先に行きますね」

 アサミは逃げるようにその場から走りさった。わずかに動揺しているところを見ると、キクミの言葉はアサミにとって耳が痛いものだったようだ。
 ウバとディンブラはスリランカ原産の紅茶である。原産国が同じことを考えると、もしかしたらアサミとウバ様と呼ばれた人物は親密な関係だったのかもしれない。
 
「さーてと、私もそろそろ行くよ。あんまり遅れるとバミューダアタックされちゃうからね。あとのことは任せたよ」
「うん、わかった。お姉、ローズヒップちゃんを助けてくれてありがとね」

 キクミは片目でウインクするとアサミが逃げた方向に走りだす。それとほぼ同時に、みほとルクリリもローズヒップのもとへ駆けよった。
 
「ローズヒップさん、大丈夫……大変! 鼻血が出てるよ!」
「これぐらいなんともありませんわ。逸見エリカのアイアンクローのほうが強烈でしたわよ」
「嘘つけ! 口からも出血してるじゃないか!」

 どうやら平手打ちの当たり所が悪かったらしい。ローズヒップは口の中を深く切っており、口内は真っ赤に染まっていた。

「わ、私のせいでローズヒップ様が……ごめんなさい、ごめんなさい!」

 大粒の涙を流し、頭を何度も下げるカモミール。それを見たローズヒップは、鼻血を袖でぬぐうとカモミールを優しく抱きしめた。

「カモミールさん、淑女は人前で涙を見せてはいけないのですわ。泣くならわたくしの胸の中でお泣きなさい」

 カモミールを胸に抱きとめるローズヒップの姿は慈愛に満ちている。
 ダージリンに憧れ、彼女のようになりたいと努力を続けてきたローズヒップ。残念ながら目標のダージリンに到達するには、まだまだ足りないところのほうが多い。それでも、精神の気高さだけはすでにダージリンに匹敵しているようにみほには思えた。

「みなさん、ほかのお客さんの迷惑になりますのでひとまずここを離れましょう。ベルガモットちゃんとニルギリちゃんも一緒に……どうかしたんですか?」
「それが、ローズヒップ様が血を流しているのを見たニルギリさんが気分を悪くしてしまったんですの」

 ダンデライオンにそう答えたベルガモットは、倒れそうになっているニルギリを必死に支えていた。ベルガモットとニルギリは体格差があるので、低身長のベルガモットは今にも押しつぶされそうだ。
 それを見たルクリリは慌てて二人に近寄ると、前かがみになってニルギリを背負う。どうやらニルギリをおんぶして運ぶつもりのようだ。

「しっかりしろニルギリ。いいか、私の肩を放すんじゃないぞ。ラベンダー、ローズヒップのことは頼む」
「任せて。ローズヒップさん、歩けそう?」
「なんとか大丈夫ですわ。カモミールさん、移動しますわよ」
「それでは出発しますよ。すみませーん、通してください……通してくださぁいぃーっ!」

 甲高い声を張りあげてダンデライオンは野次馬をどかしていく。優雅とは程遠い姿だが、おかげでみほたちはすんなりとアウトレットを離れることができたのだった。



 結局、みほはこの日まほと再会できなかった。負傷したローズヒップと泣いてしまったカモミールを放っておくことなどできるわけがない。
 あとで沙織に連絡を入れてみると、あちらも五十鈴華の家庭の問題で一悶着あったようだ。どうやら今日は星の巡りが悪い日だったらしい。物事というのはなかなかうまくいかないものである。
 

◇◇◇


 大洗マリンタワーの展望室で一人の少女が大洗の町を眺めていた。
 聖グロリアーナ女学院の制服を着たこの少女の視線の先には、道を歩く大洗女子学園の生徒たちの姿がある。聖グロリアーナ女学院のタンクジャケット姿の少女が一人混じっているという違和感はあるが、それを抜かせばいたって普通の光景だ。

「いつかこんな日が来るとは思っていましたが、こんな形でめいめいと道が分かれることになるとは予想外でしたねぇ」

 展望室の少女、犬童頼子はポツリとそうつぶやく。

「大洗女子学園の廃校がお父様の望みなら、頼子はそれを全力で成しとげるだけです。バイバイ、芽依子。お友達とは仲良くするんですよ」

 妹に別れを告げ、頼子は大洗マリンタワーの展望室をあとにする。その表情は普段の明るい様子とは違い、どこか寂しそうなものであった。

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第二十九話 オレンジペコと戦車喫茶 前編

 オレンジペコは問題児トリオと一緒に陸のとある街を歩いていた。
 四人が陸にいる理由は戦車道の行事に参加していたからだ。今日は陸にある多目的ホールで戦車道の全国大会の抽選会が行われる日であった。
 聖グロリアーナ女学院の戦車道チームは全員抽選会に参加していたが、終了後は自由解散。学園艦の出航時間にさえ遅れなければ、このまま陸で遊んでいても問題ない。オレンジペコの友人たちもすでに街へと繰りだしている。
 本当ならオレンジペコもそこに混ざりたかった。しかし、不運なオレンジペコは問題児トリオに捕まってしまったのだ。今のオレンジペコの状態を例えるならドナドナされる子牛。逃げることはもうできない。

「ダージリン様はくじ運まで持っているおかたでしたわね。相手が知波単学園なら一回戦は楽勝ですわ」
「知波単は突撃戦法だけで小細工してこないからな。チハが相手ならマチルダでも十分戦えるし」
「あんまり甘く見るのは危険だけど、一回戦は心配いらないかな。問題は二回戦だね」 
「二回戦の相手は青師団高校と継続高校の勝者ですね。まあ、たぶん継続高校が勝ち上がってくると思いますけど」

 全国大会の抽選結果について語る問題児トリオの会話にオレンジペコも加わった。ルクリリの言葉づかいはもう諦めているのでスルーである。

「継続高校は隊長が優秀な人らしいからね。アッサム様のデータでも要注意の学校に入ってたし、厳しい戦いは避けられないと思うよ」
 
 継続高校が厄介な相手というラベンダーの言葉にはオレンジペコも同意見だった。
 寒冷地や湖沼地帯での戦いを得意とする継続高校は、操縦手の運転技術が優れていることで知られている。それを活かした迂回作戦などで相手をかく乱するのを好むので、正々堂々をつねとする聖グロリアーナにとっては相性が悪い相手だ。

「相手がどこだろうと今年は負けられないですわ。三年生に優勝という最高の名誉を手にしてもらうために、わたくしは今回の大会に命をかけてますの」
「少し大げさじゃないですか? なにも命までかけなくても……」
「ペコ、私たちは本気だぞ。三年生には今まで迷惑ばかりかけてきたからな」
「アッサム様にはとくにね。でも、アッサム様は私たちのことを見捨てないで、ずっとそばで守ってくれたの。私たちはその恩返しがしたいんだよ」

 問題児トリオの熱意を前にしたオレンジペコは、それ以上なにも言えなくなってしまう。普段はあまり表に出さないが、勝利に並々ならぬ意欲を燃やす三人の姿は西住流そのものだ。
 その迫力に息苦しさを覚えたオレンジペコは話題をそらすことにした。

「ところで、今日はどこへ連れて行ってもらえるんですか?」 
「戦車喫茶という珍しい喫茶店ですわ。今、インターネットで話題になっているお店なんですの」
「ウェイトレスさんが軍服姿だったり、ケーキが戦車の形をしてるんだって。たまにはオレンジペコさんとこういうお店に行くのもいいかなって思ったの」
「今日は私たちのおごりだからな。遠慮しないでお腹いっぱい食べていいぞ」

 話題が切り替わったことで、三人から漂っていた緊迫感が薄らいでいく。どうやら西住流門下生からいつもの問題児トリオに戻ったようである。

「あ、ありがとうございます」

 場の空気を変えるのには成功したが、オレンジペコの笑顔はひきつっていた。問題児トリオに誘われて今まで無事に終わった試しはないのだから、彼女がこんな表情になるのも仕方がないだろう。しかも、今回の行き先は戦車喫茶という珍妙な喫茶店。もうそれだけで危険なにおいがプンプンしている。
 神様どうかお助けください。オレンジペコはそう心で祈りながら戦車喫茶へと連行されていった。
  




 今日の戦車喫茶ルクレールは女子高生でほぼ満席。色とりどりの制服姿の少女であふれている店内はとても華やかで、道行く男性が思わず歩を止めるほどだ。
 なぜいろんな学校の女子高生がこの店に集まっているかというと、この日は近くの多目的ホールで戦車道の全国大会の抽選会が開かれていたからである。ここにいる女子高生のほとんどが戦車道をたしなむ戦車女子であった。

 その戦車女子の中には大洗女子学園のDチーム改め、うさぎチームの姿もある。それだけでなく、一緒のテーブルには聖グロリアーナ女学院の生徒も混じっており、合計十一人の大所帯になっていた。
 テーブルをともにしている聖グロリアーナの生徒は、以前行った練習試合で仲良くなったハイビスカスと彼女が連れてきた友達三人。ハイビスカスから抽選会の帰りに合同女子会をやろうと提案され、うさぎチームのメンバーはこの喫茶店へとやってきたのだ。

「みんなー、今日はカモっちの失恋をなぐさめに来てくれてありがとう。カモっち、今日はパーッと騒いで嫌なことは忘れようね」
「ちょっと待ってください! 失恋てなんのことですか!?」
「えー、違うの? 最近カモっちしょんぼりしてるから、あたしはてっきり恋愛の悩みだと思ったんだけどなー」
「れ、恋愛なんて私にはまだ早いです。それに、私は妹たちの世話ばかりで男の子と遊んだこともないんですよ」

 カモミールは赤い顔でそうまくし立てた。

「なら、今度あたしの男友達を紹介してあげる。ボーイフレンドはたくさんいるからね。カモっちと気があいそうな男の子もきっと見つかるよ」
「男友達はボーイフレンドって呼ばないと思うよ……」

 ハイビスカスのボーイフレンド呼びにあゆみがツッコミを入れる。
 普通、ボーイフレンドと呼べるのは恋愛関係にある男子のみ。男友達はフレンド呼びだ。

「でもでも、ハイちゃんって明るくて美人だから、いっぱい恋人がいても不思議じゃないよね」
「実はあちこちの学校に彼氏がいる魔性の女だったりして。梓ちゃん、ライバルが多いと大変だねぇ」
「ゆ、優季! 変なこと言わないでよ!」
 
 あや、優季、梓も会話に加わり、女子会はだんだんにぎやかになっていく。

「ほかにも男の子を紹介してほしい人がいたら言ってねー。バンバン紹介しちゃうから」
「私には将来を誓いあった殿方がいますので必要ありませんわ」
「芽依子も好きな人がいるので遠慮しておきます」

 ベルガモットと芽依子の発言で一瞬ときが止まる。話を振ったハイビスカスもピシッと音を立てたように固まっていた。

「ええーっ!? めいちゃんに好きな人がいたなんて初耳だよ!」
「ベルっちにそんな設定があったなんて知らなかったんだけどっ!?」

 桂利奈とハイビスカスの驚きの声を皮切りに、場が色めき立つ。
 女の子は恋愛話が大好きである。戦車道をたしなむ戦車女子も例外ではない。

「将来を誓いあったってことはその人は許婚なのぉ?」
「許婚ではありませんわ。私から告白して了承をもらったんですの」
「どんな人なの? 同級生? 年上? それともまさかの年下?」
「年上ですわ。優しくて豪胆で男気がある、とってもステキなかたなんですの」

 優季とあやの質問に丁寧な答えを返すベルガモット。好きな人のことを語る彼女の姿は恋する乙女そのものであった。
 最初にベルガモットへ質問が集中するのは当然だろう。将来を誓ったという言葉は乙女の心を揺さぶるパワーワードなのだ。

「ベルっち、ベルっち。写真とか持ってないの? ベルっちの旦那様がどんな男の人か気になるじゃん」 
「もちろん持ってますの。今見せますから、少し待っていてくださいませ」
    
 ベルガモットはスマートフォンを操作して画像を探し始める。すると、突然カモミールが待ったをかけた。

「待ってくださいベルガモットさん。本当にいいんですか? あまり公にしないほうが……」
「なぜ隠す必要があるんですの? 私はなにも後ろめたいことはしていませんわ」
「でも……」
「大丈夫、誰になんと言われようと私は気にしませんわ。愛は無敵なんですの」

 カモミールとベルガモットのやり取りから漂う不穏な空気。その影響もあってテーブルは徐々に静かな緊張感に包まれていく。みんなが固唾を飲んで見守るなか、ベルガモットは恋人が写っている画像をついにお披露目した。
 
 スマートフォンの画面に映っているのは三人の男女の写真。中央にいるのがベルガモットで、右隣には真っ白い自衛官の制服を着用した男性が、左隣にはストロベリーブロンドの髪を腰まで伸ばした美しい女性が立っている。
 自衛官の制服を着ていることもあり、男性はまじめで武骨な男といった印象だ。女性のほうはとても穏やかな笑顔で男性に寄りそっており、ベルガモットの肩に優しく手を置いていた。ベルガモットの見た目が小学生にしか見えないので、恋人の写真というよりは幸せそうな家族写真に見える。

「このかたが私の恋人ですの」

 ベルガモットの発言でテーブルはシーンと静まりかえった。
 このテーブルだけ世間の喧騒から隔絶されたような状態に陥ったことで、隣のテーブルの少女たちが何事かと視線を向けてくる。

「ちょっち聞いていい? ベルっち、この人本物? 実はコスプレだったりしない」
「そんなわけありませんわ。このかたはれっきとした海上自衛隊の自衛官ですの」
「この女の人は誰なの? お母さんにしては若すぎるような気が……」
「私の姉様ですわ。姉様は本当にすごいお人なんですのよ。聖グロリアーナ女学院の戦車道チームが全国大会で準優勝したとき、隊長を務めていたんですの」

 梓の質問に答えるベルガモットの声は、好きな人のことを語っていたときと同じくらい活き活きしていた。その様子からはベルガモットが姉をとても尊敬していることがうかがえる。

「なんでお姉さんが一緒に写ってるの? この写真だとお姉さんがこの人の恋人に見えるよ」
「姉様もこのかたの恋人ですわよ。私が聖グロリアーナ女学院を卒業したら三人で一緒に暮らすんですの。姉様と私がいれば、彼も安心して港に帰ってこられますわ」

 あゆみの問いかけに答えたベルガモットの爆弾発言によって、再びテーブルの空気が凍りつく。
 妙齢の美女と小学生にしか見えない美少女の二人と二股する海上自衛官。カモミールが止めようとするのもうなずける衝撃の事実であった。

「あなたはそれでいいのですか? 二股をかけられているんですよ」
「このかたは二股なんて器用なことができる人じゃありませんわ。私と姉様を平等に愛してくれる度量の大きい殿方なんですの」
「なんかハーレムアニメの主人公みたいな人だね。でも、現実は世間の目があるから厳しいんじゃないかな?」
「世間からどう思われようと関係ありませんの。これが私たちの愛の形なんですわ。愛を見くびらないでくださいませ!」

 芽依子と桂利奈の否定的な言葉をベルガモットは一蹴する。その力強い言葉は彼女の本気度の表れともいえた。
 体は小さくても愛の大きさは人一倍。ベルガモットのニックネームを与えられた少女は愛に生きる女だったのだ。くしくもベルガモットの花言葉には、『身を焦がす恋』と『燃え続ける想い』というフレーズがある。偶然の産物だが、ベルガモットは彼女にぴったりのニックネームだったようだ。
   
「まさかベルっちが愛の戦士だったなんて、人は見かけによらないねー。ニルっちもそう思う……なにしてるの?」

 ハイビスカスが話しかけたニルギリは、おだやかな表情で紗希のことを見ていた。ニルギリの対面に座っている紗希はもくもくとケーキを食べており、二人が先ほどの騒動とは無縁の世界にいたことがわかる。
 
 そのとき、ケーキを食べていた紗希の手がピタッと止まった。そのまま紗希がボーっとしていると、ニルギリがすかさず戦車の形をした注文ボタンを押す。砲撃の音とともに店員がやってくると、ニルギリは紅茶のおかわりを注文。すぐに紅茶が運ばれてくるとそれを紗希に向かって差しだした。
 紅茶を受けとった紗希はそれを一口飲むと、ニルギリに向かって軽く会釈。それを受けてニルギリは軽く笑顔で返す。二人は言葉をまったく発していないが、流れるような自然な動作は心が通じあっている親友のように見えた。

「紗希が初対面の相手と打ちとけてる!?」
「紗希ちゃんとこんなに早く仲良くなった人は初めてじゃない?」
「うん。芽依子もかなり早かったけど、それ以上だよ」
「聖グロリアーナのお嬢様はすごいねぇ」
「よかったね紗希ちゃん!」
「ニルギリさん、紗希をこれからもよろしくお願いします」

 ニルギリと紗希の交流を喜ぶ大洗の少女たち。
 見かけによらないのはベルガモットだけではなかったようである。  



 ベルガモットの次は芽依子への質問タイム。しかし、芽依子の答えは実に拍子抜けするものであった。

「芽依子の好きな人はお父様です。お父様を愛する気持ちはお母様にも負けません」

 自信満々の表情でそう告げる芽依子。そして、三度目の静寂に包まれるテーブル。
 大洗の少女たちも芽依子が重度のファザコンだったことは知らなかったらしい。

「親父が好きとか変わってるね。あたしだったら絶対ごめんだけどなー」
「ハイビスカス! 愛を否定することは私が許しませんわ!」
「いやいや、否定してないし! あくまで個人的な感想を言っただけじゃん。あたし、親父と仲悪いし……」
 
 ベルガモットにすごまれハイビスカスはタジタジである。愛の戦士は恋愛の話になると頭に血が上るようだ。

「お父さんと喧嘩でもしたのぉ?」
「したした、進路のことで大喧嘩したよ。あたしはサンダースに行きたかったのに、親父は聖グロに入れの一点張り。最後は聖グロに入らなかったらお前を勘当するとまで言われたじゃん。あたしが男の子とばっかり遊んでたのがそんなに気に入らないのかねっ!」 

 ハイビスカスはプリプリ怒ったあと、フォークをケーキにぶすっと突きたてる。お嬢様とは思えない乱暴な行為だが、それだけ怒り心頭なのだろう。

「サンダースって私たちの一回戦の対戦相手だよね?」

 あゆみの言葉に大洗の少女たちはいっせいにうなずく。

「ありゃ、それはついてないねー。初戦から強敵じゃん」
「けど、サンダースは早めに対戦したほうが絶対に楽ですよ。一回戦は十輌しか出場できませんから、車輌数が多いあの学校の強みは活かせません」
「とはいっても、うちは五輌しか戦車がないからね。十輌の相手に勝てるとは思えないよ」
 
 カモミールのフォローに対し、悲観的な物言いをするあや。
 すると、あやの言葉を聞いた芽依子が突然立ちあがった。鋭利な刃物を連想させる表情は少し怒っているようにすら見える。

「芽依子ちゃん、ごめんっ! さっきのは冗談だから、もう絶対に逃げたりしないから!」
「芽依子は怒っていませんよ? ちょっとお花を摘みに行ってきます」
「私も一緒に行くー!」

 芽依子と桂利奈は連れたって席を立つ。芽依子が本当に怒っていないことがわかったあやは、ほっとした表情を浮かべていた。

「あや、芽依子は逃げたことを怒らなかったでしょ。あの子は優しい子だよ」

 芽依子の行動に過剰反応を示したあやを梓がたしなめる。

「それはわかってるんだけど……。芽依子ちゃん、このごろすごく顔怖いじゃん。最初に会ったときはあそこまで怖くなかったよね?」
「あやちゃん、びびりだぁ~」
「その言いかたひどくない!?」
「でも、私もあやがそう思う気持ちは少しわかるかな。生徒会の人を見てるときの芽依子って近づきがたいオーラが出てるし」
 
 あやの主張にあゆみが相槌を打つ。
 芽依子の生徒会嫌いはエスカレートする一方で改善する兆しが見えない。団体戦である戦車道においてチームの不和は大きなマイナス要素。一回戦の相手が強豪校なこともあり、あやとあゆみはそれを快く思っていないらしい。

「そのことについては私から芽依子に話してみるよ。すぐには無理かもしれないけど、芽依子ならきっとわかってくれる。だから、みんなは今までどおり普通に芽依子と接してあげて。芽依子は私たちの大切な仲間だよ。うさぎチームの結束はこんなことで崩れるようなものじゃないでしょ」

 真剣な表情で訴えかける梓の言葉をうさぎチームのメンバーは黙って聞いていた。今まで会話に参加せず、ずっとケーキを食べていた紗希もいつの間にかそこに加わっている。

「ごめん梓。私、余計なこと言ったね」
「あゆみちゃんが悪いんじゃないよ。元はといえば私のせいだし」
「誰も悪くなんてないよぉ。だって私たちはみんな仲良しだもん。ねー、紗希ちゃん」

 優季の言葉にコクコクと力強くうなずく紗希。あゆみとあやの表情も次第に和らいでいき、テーブルを支配していたどんよりした空気は跡形もなく消えさった。どうやら梓の思いはみんなにしっかりと伝わったようである。

「あずっち、超カッコよかったよー! あたしが男の子だったら間違いなく告白してた。ねえねえ、ハグしていい? いいよね?」
「え? ちょ、ちょっと待っ……」
「いーや、待てない!」

 勢いよく席を立ったハイビスカスは梓にぎゅっと抱きついた。
 ハイビスカスに抱きしめられた梓は口をパクパクさせながら硬直してしまう。顔は真っ赤に染まっており、今にも湯気が出そうであった。

「他校の生徒にセクハラはまずいですよハイビスカスさん。やるなら私にしてください。胸を揉まれても我慢しますから」
「ニルっち、これはセクハラじゃないよ。あたしの熱い気持ちをあずっちに伝えたかったの」
「だからって抱きつくのはやりすぎですの。オレンジペコさんに知られたらまた怒られますわよ」

 ベルガモットの口から出たオレンジペコというニックネーム。この場にいない第三者の名前が登場したことで、大洗の少女たちは頭に疑問符を浮かべている。

「オレンジペコさんってどんな人なのぉ?」
「あたしたちのリーダー的存在な子だよー。頭脳明晰、品行方正を絵に描いたみたいな優等生。それだけじゃなくて、問題児カルテットっていう異名まで持ってるじゃん」
「優等生なのに問題児?」
「ペコさん自身に問題はないんです。ただ、高校生になってから妙にトラブルが舞いこむようになってしまって……」 

 あやの疑問に意味深な答えを返すカモミール。
 優等生と問題児。相反する二つの顔を持つオレンジペコという人物の謎は深まるばかりだ。

 そのとき、遠くから騒ぎ声が聞こえてきた。店内でなにやら揉め事が起こっているらしい。
 騒ぎの中心にいるのは、目つきの鋭い銀髪の少女とオレンジがかった金髪の小柄な少女である。その小柄な少女を見た瞬間、聖グロリアーナの少女たちはいっせいに驚きの声を上げた。

「大変です! ペコさんが黒森峰の生徒と喧嘩してます!」
「またトラブルに巻きこまれてしまったみたいですわね……」
「みんな、ペコっちを助けに行くよ! あたしに続けーっ!」
「は、はいっ! 喧嘩とかしたことないですけどがんばります!」

 聖グロリアーナの少女たちは大慌てで席を離れ、騒ぎが起こっている場所へと向かう。
 大洗の少女たちはそれを茫然と眺めていたが、紗希だけは反応が違った。紗希は聖グロリアーナの少女たちのあとに続こうとしたのだ。

「ちょっと待って紗希ちゃん! まさか一緒に行くつもりなの?」
「心配」
「ニルギリさんは紗希ちゃんのお友達だもんねぇ」
「私たちも行こう。紗希を一人で行かせられないよ。梓! いつまでも固まってる場合じゃないから!」

 あゆみは梓の肩をつかんでがくがくと揺らす。それによって、心ここにあらずといった状態だった梓がようやく復活した。
 
「あゆみ? どうしたの?」
「説明はあと。いいから梓もついてきて!」
「なになに? みんなどこ行くの?」

 困惑する梓を仲間に加え、大洗の少女たちも現場へ走る。
 そこで大洗の少女たちが目撃した光景は、聖グロリアーナのお嬢様のイメージを一変させるものであった。

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第三十話 オレンジペコと戦車喫茶 後編

 神様は意地悪だ。今日ほどオレンジペコがそう思った日はなかった。
 
「よく私の前に顔を出せたわね。みほっ!」

 憤怒の表情でずんずんとこちらに近づいてくる黒森峰女学園の生徒。オレンジペコの記憶が正しければ、この人物は黒森峰女学園の戦車隊で副隊長をしている逸見エリカという名前だったはずだ。 
 ラベンダーが黒森峰女学園で大ひんしゅくを買っているのはオレンジペコも知っている。けれども、あの温厚なラベンダーにここまで怒りをむき出しにする人物がいたことは正直驚きであった。エリカはラベンダーの本名を叫んでいたので、もしかしたら二人の間にはなにか特別な事情があるのかもしれない。
 
 それにしても、戦車喫茶に入店したばかりでまだ席にすらついていないのに、もうトラブル発生である。ここまでくると、呪われてるんじゃないかと疑いたくなるレベルだ。

「逸見さん……」

 エリカの姿を目にした途端、先ほどまで笑顔だったラベンダーの表情は一気に曇った。それと同時に、ルクリリとローズヒップがラベンダーを守るようにエリカの前に立ちはだかる。

「ワニ女、ここから先は一歩も通さないぞ!」
「わたくしたちが相手になりますわ!」
「邪魔をするなぁっ!」

 エリカは一気に距離を詰めるとルクリリとローズヒップにアイアンクローをお見舞いする。二人が避けるのを許さないスピードはまさに電光石火。黒森峰の生徒は鍛錬に余念がないという話をオレンジペコは聞いたことがあるが、実際に目の当たりにした身体能力は驚くべきものだった。

「くそっ! 放せこの馬鹿力!」
「や、やっぱりあのときのビンタよりこっちのほうが強烈ですわ……」
直下(なおした)! 三郷(さんごう)! この二人を押さえてなさい!」

 エリカはルクリリとローズヒップを後方へと放り投げる。そこで二人を待っていたのは、黒森峰女学園の制服を着た二人組。
 直下と呼ばれたベリーショートの少女はルクリリを三郷と呼ばれた眼鏡の少女はローズヒップをがっしりと拘束。ラベンダーの盾になった二人はあっという間に無力化されてしまった。

「おとなしくしてなさいよ。私たちだってこんなことしたくないけど、副隊長の命令には逆らえないの」
「お前たちの力じゃ副隊長どころかあたしたちにも勝てないよ。ここであの子が殴られるのを黙って見てな。あっはっはっはっ!」
「なんでそんなノリノリなの!?」

 なぜかこの状況を楽しんでいる三郷に対し、びっくりした様子でツッコミを入れる直下。二人はエリカの命令に従っているがやる気には差があるようだ。

 ルクリリとローズヒップが脱落し、残るはオレンジペコとラベンダーのみ。
 ラベンダーは諦めに近いような表情で突っ立っており、逃げる様子はなかった。このままでは、三郷が話していたようにラベンダーはエリカに殴られてしまう。ルクリリとローズヒップを暴力で排除したのだから、それぐらいは平気でやりそうな相手だ。
 
 エリカの目に映っているのはラベンダーだけで、オレンジペコのことなど眼中にない。ラベンダーを見捨てれば、オレンジペコはトラブルに巻きこまれないですむだろう。
 守るか逃げるか。その異なる二つの選択肢の中からオレンジペコは迷わず前者を選んだ。

「あんたも痛い目にあいたいわけ?」
「本当は関わりたくないんですけどね。でも、先輩たちは私の友達を助けてくれました。これはそのお礼です」

 身を挺してカモミールを守ってくれたローズヒップ。泣いてしまったカモミールのそばにずっと寄りそってくれたラベンダー。淑女という体面をかなぐり捨ててニルギリをおんぶしてくれたルクリリ。
 問題児トリオはオレンジペコの大事な友達を救ってくれた。ラベンダーを守る理由はそれだけで十分である。 
 
「なら仕方がないわ。あんたも間抜けな先輩と同じ目にあわせてあげる!」

 エリカはオレンジペコへすばやく右手を伸ばす。ルクリリとローズヒップを制圧した必殺のアイアンクローをかけるつもりだ。
 しかし、黙ってやられるオレンジペコではない。オレンジペコはエリカの右手に自分の左手を組み合わせ、アイアンクローをがっちりとガード。オレンジペコの抵抗に眉をひくつかせたエリカは次に左手を伸ばすが、オレンジペコはそれも自分の右手で受けとめた。
 手と手が組み合った二人の状態はプロレスでいうところの手四つ。オレンジペコは自慢の怪力が活かせる力比べに持ちこむことで、エリカの進行を阻止したのであった。

「やるわね」
「あなたこそ」

 二人の力は五分と五分。オレンジペコはエリカよりも小柄だが、体格のハンデをものともしていない。

「オレンジペコさん、負けないでくださいましー!」
「ペコ、聖グロのリーサルウェポンと呼ばれたその力を見せつけてやれ!」
「呼ばれてません!」

 ルクリリの言葉をオレンジペコは即座に否定する。いくらなんでも殺人兵器呼ばわりはあんまりだ。

「ラベンダーさん、今のうちに逃げてください」
「みんなを置いて私だけ逃げられないよ。お願い逸見さん、オレンジペコさんにひどいことしないで。私、謝るから」
「この人になにを言っても無駄ですよ。私の知っている人と同じ目をしてますから。アサミさんと言えばわかりますよね?」

 オレンジペコとカモミールは中等部でずっと一緒だった親友同士。なので、彼女の姉であるアサミのこともオレンジペコはよく知っている。
 アサミはオレンジペコがもっとも嫌悪している人間だ。憎しみに歪んだどす黒く濁った目をカモミールに向け、彼女をまるで物のように扱う姿は邪悪そのもの。カモミールを守るためにオレンジペコがアサミと対立したのは一度や二度ではない。
 今目の前にいるエリカの目は、実の妹を憎むアサミと同じである。これもオレンジペコが戦う理由の一つであった。

「逃げたら許さないわよっ! あんたには言いたいことが山ほどあるんだからね」
「早く逃げてくださいっ! あなたは軽々しく喧嘩をしていい人ではないはずです」

 こんな人の多い場所でラベンダーが黒森峰の副隊長と喧嘩をすれば、マスコミやゴシップ誌の餌になるだけだ。
 西住流の後継者という看板は人目を引く。この件が記事になれば、西住まほを追いだしたという噂を信じている人間がまた騒ぎだすだろう。オレンジペコが大嫌いなあのアサミのように。
 ダージリンとアッサムがどんなに手を尽くしても陸ではラベンダーを守りきることはできない。ラベンダーが問題児トリオでいられるのは学園艦の中だけなのだ。
 
「ラベンダー、今は逃げるときですわ!」
「私たちのことは気にするな!」
「……ごめんなさい」

 ローズヒップとルクリリの声に背中を押されたラベンダーは、出口に向かい走りだす。それを見たエリカはラベンダーの背中に向かって大声をあげた。

「待ちなさい! みほ! みほぉっ!」

 エリカの叫び声を聞いたオレンジペコは、自分が少し思い違いをしていたことに気づいた。実の妹に憎しみの言葉しか浴びせないアサミとは違い、エリカの声からは悲しみといった感情を察することができる。それはエリカがラベンダーのことを心の底から憎んでいない証拠だ。エリカはアサミの同類ではなかったのである。
 
「よくも邪魔してくれたわね……」

 エリカから発せられる怨嗟の声。それを正面から受けたオレンジペコは、まるで背中に氷柱を差しこまれたような寒気を覚えた。
 エリカの暗い感情に飲まれオレンジペコは一歩後ずさる。そんな危機的状況のオレンジペコを救ってくれたのは彼女の友人たちであった。

「ペコっちー! そんな奴に負けちゃダメだよー!」
「ペコさんなら絶対に勝てます!」
「オレンジペコさんには私たちがついてますの!」
「が、がんばってください!」

 オレンジペコへの声援は友人たちにとどまらない。驚いたことに、友人たちのそばにいる大洗女子学園の生徒までもが声援を送ってくれたのだ。

「よくわかんないけど、とにかくがんばってー!」   
「がんばれぇ~」
「やれやれー!」
「ぶっ殺せー!」
「ファイト」
 
 みんなの声援で気力を取りもどしたオレンジペコは、渾身の力をこめてエリカを押しかえす。
 オレンジペコの力強い歩みはまるで戦車のようだ。エリカはそれを止めることができずに徐々に後退していく。この力比べの勝敗はここに決した。

「あの副隊長が押されるなんて……、聖グロのちっこいのは化け物か!?」
「ねぇ、もうやめにしない? 私たち完全に悪役だよ。それにそろそろ赤星たちが……」
「おいっ! お前らなにやってんだ!」
「エリカさん、喧嘩なんてやめてください!」

 三郷と直下が驚き戸惑っていると、トイレのほうから黒森峰女学園の制服を着た二人の少女がこちらに向かってきた。

「やばっ、根住(ねずみ)と赤星が戻ってきた……二人とも、あたしは反対したんだよ。でも副隊長と直下には逆らえなくて……」
「はあぁっ!? やる気満々だったのはあんたじゃない! このぉー、自分だけ助かろうって魂胆かー!」
「うわっ! 暴力はんたーい!」

 直下と三郷が仲間割れを起こしたことで、ルクリリとローズヒップは拘束から解放される。
 それを見たエリカは組み合っていたオレンジペコの手を離した。どうやらこれ以上は無意味だと悟ったようだ。

「覚えてなさい。この次はこうはいかないから」

 捨て台詞を残して店の出口へと向かうエリカ。歩いているところ見ると、ラベンダーを追いかけるつもりはもうないらしい。

「ほら、お前たちも行くぞ。このことはあとで深水隊長に報告するからな」
「ええぇぇーっ! そんなぁ~」
「プラウダ式の穴掘り罰は確定だな。あっはっはっは……はぁー」

 根住と呼ばれた毛先がピンピン外ハネしているボブカットの少女に、直下と三郷は引きずられていく。
 最後に残ったのは赤星という名のくせ毛が目立つショートカットの少女。彼女はオレンジペコに向かって頭を下げると、謝罪の言葉を口にした。

「ごめんなさい。お怪我はありませんか?」
「私は大丈夫ですので心配はいりません。それより、狂犬には首輪をしっかりと付けといたほうがいいですよ」
「二度とこんなことがないように気をつけます。本当にすみませんでした」

 赤星はもう一度深々と頭を下げたあと、小走りで去っていく。自分が悪いわけでもないのに謝る羽目になるあたり、彼女は貧乏くじを引きやすいタイプなのだろう。お互い損な役回りである。 
 
 そんなことを思いながら赤星の背中を眺めていると、次にオレンジペコを待っていたの割れんばかりの大歓声であった。オレンジペコへの称賛の声は友人たちや大洗の生徒たちだけでなく、騒ぎを見ていた他校の生徒からもあがっている。店内がお祭り騒ぎの様相を呈したことで、オレンジペコの顔はみるみるうちに赤くなってしまう。

「わたくし、感動しましたわ。オレンジペコさんは聖グロリアーナの誇りですの」
「よくやったぞペコ。それでこそ聖グロのリーサルウェポンだ」
「だから、リーサルウェポンって呼ぶのはやめてください。それ、女の子に使っていい言葉じゃないですよ」 
  
 ルクリリに憎まれ口を叩くオレンジペコであったが、言葉とは裏腹に表情はすっきりしていた。
 オレンジペコは自分が正しいと思うことをしたのだ。ダージリンからの叱責とカヴェナンターのお仕置きが待っていたとしても後悔はなかった。
 


 それから数日後、オレンジペコは隊長室に呼びだされた。戦車喫茶での一件がダージリンの耳に入ってしまったのである。

「ペコ。なぜここに呼びだされたのかわかっているわよね?」
「はい。カヴェナンターに乗る覚悟はすでにできてます」
「今回の罰はカヴェナンターではありませんわ。あなたたちはもうカヴェナンターに慣れてしまったでしょう? そんなあなたたちのために、私は新しい罰を考えましたの」  

 慣れてるのはあの三人だけです。そう声高に叫びたい気持ちをオレンジペコは必死に抑える。 

「あなたたちには戦車道チーム全員の前である踊りを実演してもらいます」
「踊りですか?」
「ええ、そうよ。ピンクの衣装を着用する実にユニークな踊りですわ。衣装はとある深海魚がモチーフになっていて、この踊りの名前にもなっているの。ここまで言えば、どんな踊りかペコなら理解できるのではなくって?」

 ダージリンの言葉を聞いたオレンジペコの表情が絶望に染まる。その条件に合致した踊りといえば、大洗で目撃したあの踊りしかない。
 ピンク色の全身タイツ姿で踊る自分の姿を幻視し、オレンジペコは体を小刻みに震わせる。いやいやと首を振ってもダージリンはニッコリと微笑むだけだ。

「衣装は被服部のみなさまがすでに作成済みですわ。踊りの手順が入ったDVDはもうラベンダーに渡してあります。彼女は罰の対象外だったのだけれど、本人たっての希望で参加するそうよ。ペコ、優しい先輩と一緒にかわいらしい姿を見せてちょうだいね」
    
 ダージリンからくだされた無慈悲な最終通告。それを受けたオレンジペコはがっくりと膝をつき、両手を床について四つん這いの体勢でうなだれた。
 現実はどうしてこんなにつらく厳しいのだろう。そう思わずにはいられないオレンジペコであった。


◇◇◇ 


 犬童家の屋敷では父と娘の話しあいが行われていた。
 二人の間に横たわる高級感あふれる木のテーブルに置かれているのは、第六十三回戦車道全国大会のトーナメント表。このたった一枚の紙きれが二人の話題の中心だ。

「黒森峰の一回戦は問題なさそうだな。対戦相手のBC自由学園はチームとしての体を成していない烏合の衆。味方同士で潰しあって自滅するのがオチだろう」
「聖グロリアーナも一回戦は余裕ですぅ。知波単学園とは相性ばっちりですから」
「となると、懸念するべきはやはりここか……」

 犬童家の当主が指でトントンと叩いた箇所には大洗女子学園と書かれている。

「頼子は大洗が勝てるとは思えませんけどねぇ。相手のサンダースは四強の一角ですよ」
「だが、大洗にはまほ様がいる。聖グロリアーナとの練習試合で大洗が健闘したことを考えると、楽観視するのは危険だな」
「大洗に潜入して妨害工作でもしますか? お父様のためなら頼子はなんでもやりますよぉ」 

 頼子は胸を張ってそう答える。学園艦に潜入するのは彼女の得意分野。戦車道が復活したばかりでスパイ対策などしていない大洗に防ぐ手立てはないだろう。

「頼子が手を汚す必要はない。例の件で難儀しているサンダースに手を貸してやれば、大洗の勝ち目はなくなる」
「いいんですかお父様? あれをサンダースが手に入れたら黒森峰が不利になりますけど?」
「あんなものに頼ったところで黒森峰には勝てん。種が割れた手品ほどつまらないものはないからな」
「了解です。橋渡しは頼子にお任せ!」

 元気よく返事をする頼子と満足げな表情でうなずく犬童家の当主。大洗廃校に向けてついに犬童家が動きだした。

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