BIOHAZARD エージェント E (あまてら)
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プロローグ
 nightmare


 

 

 

 人は、運命を避けようとしてとった道で、しばしば運命にであう。

 

  ラ・フォンテーヌ[ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ]

  『寓話』

 

 

 

 

 

 

  ***

 

 

 

 

 

 瞼を開けば、深い闇が瞳に張り付く。

 光なんて何処にも無い。

 深い、深い、闇しかない。

 

 ──此処は何処なの?

 

 S.T.A.R.S.にいた頃のわたしが、暗闇の中で息を切らして流れる汗を拭い、何も見えない前を向いて必死に走っている。他には誰の姿もない、わたしひとりだけだ。

 

「ダイアナ」

 

 後方からわたしを呼ぶ声。走り続けた脚は反応し、その場に立ち止まってしまった。

 

 ──この声は。

 

 振り向いた先にいたのは、S.T.A.R.S.の隊長だった(・・・)男、アルバート・ウェスカー。周りは真っ暗闇なのに、その男の姿だけは、ライトが当てられているかの様にはっきりと見える。

 トレードマークのような黒いサングラス。唇は閉じられて笑みは無く、わたしの名前を呼んだ以外、一言もウェスカーは喋りはしない。顔を此方へと向けて、ゆっくりと歩み寄って来た。

 

──恐い。

 

 動物的本能だろう。様々な恐怖が全身を包む。わたしはウェスカーに脅威を感じ、膝を震わして息を飲み込んだ。

 

「ダイアナ!」

 

 今度は前方からクリスの声が。──瞬間、膝の震えが止まった。向けば、またはっきりと姿だけは確認出来た。クリス以外にジルと、それにS.T.A.R.S.のみんなも。……全員、とても穏やかな表情を浮かべ、楽しそうに笑い合いながらわたしの名を呼んでいる。

 

「クリス!」

「ダイアナ、先に行くぞ!」

 

 わたしに合図を送ると、みんなは前を向いて先へと進み出してしまった。

 

「待って! みんな待って、今行くから!」

 

 おいて行かれない様に追いかけようとしたわたしの足が動かない。何で──。

 地面に目を移動させると、植物の蔦とは違う、黒い触手の様なものが両足に巻き付いていたのだ。

 

「……ひっ」

 

 まるで蛇が獲物を絞め殺すかの如く、触手は足から上へと這い上がりながら絡み付いて来る。抵抗してもその力は強く、動く度にわたしをきつく締め付けた。

 

「く……、は、うっ!」

 

 それが首元にまで絡まった時、ウェスカーが高笑いをしながら目の前に移動して来た。よく見ればウェスカーの両腕が黒く染まっていて、その黒い部分が蚯蚓の様にうねうねと蠢いている。

 わたしの身体に絡み付くこれは(・・・)、ウェスカーの両腕から伸ばされていたのだ。

 

「はっ、はな……しっ!」

 

 苦しさにもがくわたしを見つめ、不気味な赤い眼をしたウェスカーが嘲笑う。

 

「っ……うぅ!」

 

 視界が完全に闇に染まると、遂には呼吸も出来なくなった。

 

「何も恐れることはない」

 

 ウェスカーのこもった声に全身が包まれれば、わたしの意識はそこで、電源を落とした様にぷつりと切れてしまった。

 

 

 

 



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ダイアナ・オブリーの過去
 1


 

 

 

 真新しい白いシーツのベッドの上で目を覚ましたわたしの気分は、物凄く最悪だった。

 時々、やけに鮮明でリアルな夢を見る。──しかも悪夢。もう見なくなってしまったのかと思っていたのに、ひと月程前から同じ夢を見るようになった。

 気怠く上半身を起こし、デジタルの目覚まし時計に目をやれば、AM7:00。

 ベッドから出ると、慣れたように真っ直ぐシャワールームへ。適温のシャワーを頭から浴びて気分を変え、サプリメントの錠剤を水で流し込む。

 ベッド横のシンプルな白いドレッサーの上に置いてある医療用の中型アルミケースを開け、中からカートリッジタイプのペン型注射器本体と、青色と赤色それぞれ4つずつある製剤入りのカートリッジの内、青色を1つ取り出す。そしてそのカートリッジを本体に装着し、首元に当てて注射をすれば、ちくりと全身に痛みが走った。

 髪の色がブロンドからブルネットに変わる様を、ドレッサーの鏡越しで見つめながら深い溜息を1つ。用意していたシックなモノトーンカラーの服装に着替え、鏡の前で肩にまでかかる長さの髪を内側に入れ込む様に軽くまとめる。

 準備が整ったら、必要な家具以外何も無い、簡素なこの白い部屋から出るだけだ。

 どこの街にもありそうなアパートメントの1室に見える部屋だけど、そうじゃない。暗証番号を入れて扉を開ければ、監視カメラに常に見張られた白い廊下が目に入ってくる。

 その廊下を真っ直ぐに進み、突き当りを左に曲がってエレベーターに。地下25階から地下10階へ上がり、また同じ様な白い廊下を通って応接室の前に立った。

 

「遅れてすみません」

 

 緩急のない声で一言。センサーで開かれた自動ドアを通り中に入る。豪華な造りの応接室の真ん中に置かれたソファには、口元に微笑を浮かべて深く腰を掛けている人物、ディレック・C・シモンズがわたしを待っていた。

 

「時間より早く来過ぎてしまってね。もう"新しい名前"には慣れてくれたかね?」

 

 ──エヴァ・グレイディ。わたしにこの名前を付けたのは、今や大頭領補佐官となったシモンズだ。

 

「ええ。此処ではみんな、わたしを『エヴァ』と呼んでくれるので」

「それは良かった。今の君にとても相応しい。──ただ、私は君の本当の名前も気に入っていたよ」

 

 シモンズが、足を組みながらわたしの反応を見る様に言う。

 本当の名前(・・・・・)というのは、死んでしまったダイアナ・オブリーの事……。

 わたしの思考は、一気に過去へと遡る。

 

 

 

 1998年7月──。S.T.A.R.S.の隊員になって半年経ったばかりの頃。多発していた猟奇事件の捜査の為にブラヴォーチームとして出動する筈だったわたしは、当日に街で転げ落ちそうになった子供を庇い、右手に怪我を負ってしまった。

 その怪我では『邪魔だ』と判断されたのだろう。隊長のアルバート・ウェスカーに自宅謹慎を命じられ、不甲斐なく自宅のアパートで眠れない朝を迎えたわたしの元に、クリスからの電話が入る。

 それは、S.T.A.R.S.がほぼ壊滅してしまった事と、壊滅に追いやった原因がウェスカーの裏切りであったという衝撃の報せだった。

 頭の中は真っ白。わたしは生き残ったクリス達に一刻も早く会いたくなって、簡単に身支度を済ませて警察署に向かおうとした。でもその時──、わたしは気付けなかったのだ。背後にいた、『ウェスカ(あの男)ー』の存在を。

 

 ──これがわたしの、辛くて長い11年間の始まり。

 

 気絶させられて目覚めた場所は、暗くて錆びついた部屋。何処なのか全くわからない。目の前に現れたのは、クリスから死んだと聞かされていたウェスカーだ。

 ただの人間としての死を前にウイルスを自ら投与。そのウイルスにより超人的な能力を備えて蘇ったと言うウェスカーは、以前とは全く違う、赤く発光した恐ろしい眼をしていた。

 何もかも一度に抱えきれない。信じ難い状況の中、1人だけ出動出来なかったわたしを連れ去って監禁。目的は、ウイルスの実験に使う事。

 一度目はTーウイルス。何も起こらない。……否、わたしの中で何かが変わったのは確か。

 わたしには、稀にあるというTーウイルスに対しての強い抗体があっただけではなかった。ウイルスを騙して逆に支配する細胞を持つ、特殊な体質の持ち主だったのだ。

 抗体持ちであった場合、血液中の細胞等はウイルスを取り囲み、ごく一部の害の無い部分だけを残して消し去るらしい。でも特殊だったわたしの細胞は、通常の細胞と同じく一度ウイルスに侵食された後、直ぐに中央からウイルスを食い破るかの様な働きを見せた。そしてそのまま一気にウイルスを吸収。吸収した細胞はウイルスの一部を取り囲んだ状態となり、感染状態のまま正常化しているのだそうだ。

 わたしが珍しい細胞を持っているとわかったウェスカーは、次に新たなウイルスを投与。研究施設の様な場所に移動させられ、別の部屋にまた閉じ込められた。実験を待つ動物の様な気持ちで数時間。ウイルスを打たれる際の、僅かに電気が全身を走る感覚以外は何もなく、逆にそれが不気味で恐ろしい。

 数日経ち、様々な検査を受ける。怪我をしていた手の痛みは何故か無くなり、聴覚が上がった。

 三度目の投与。監禁、実験体にされる辛い日々。この時を必死に耐え、大人しくしているのは、家族やクリスの事を思う以外にもう1人。ウイルスの実験体として、結婚式の前日に拉致されたミランダの存在があったからだ。ミランダは、Tーウイルスの抗体により第1段階をクリアしていた。次のウイルス投与の実験ではどうなるのか。

 

 ミランダの存在を知る前、Tーウイルスを打たれた場所で偶然にも再会したのは、大学で友人だったジャス。彼もまた、実験の為に無造作に選ばれ拉致されていた1人だった。

 ……ただ彼には抗体が無く、動く屍に変わって直ぐに射殺されてしまったのだけれど。

 その不安が頭を過る。ジャスの様な結果にミランダが今後ならないとも限らない。わたしは意を決して彼女と脱出を試みた。──だけどそれは叶わなかった。

 ウェスカーはミランダの足を撃ち、わたしに選択を迫る。大人しく実験を受け続ければ、ミランダは解放されるのだと。保証のない卑劣な交渉だってわかっていた。でもわたしは、目の前で血を流して苦しむ彼女を見捨てたくなかった。……だからなのだ。

 

 同年、9月29日。ミランダの事が気になったわたしは、ウェスカーの命令で動く研究員に彼女の安否を問うた。

 答えは一言。

『解放された』

 それだけだった。

 ウェスカーに拉致されて2ヶ月と少し。実験室へと移動中、研究員の話し声が耳に入る。普通なら聴こえない距離なのに、彼等の声はとてもクリアに聴こえてきた。

 

「被検体26番は、もう駄目らしい」

 

 嫌な予感がした。

 その日から一週間ぐらい経ったある日。また新しいウイルスを打たれたわたしの前に、久しく見なかったウェスカーが現れてこう言った。

 

「お前は、既に死んだ事になっている」

 

 嘘よ──。自分でも驚くくらい、わたしはヒステリックに叫んだ。

 これは何年も経ってから知り得たのだけれど、わたしの死亡記事には、住んでいたアパートの隣りのビルオーナーが火の不始末を起こし、アパートをも巻き込んで爆発。住人の殆どが死んだという。

 どの遺体も損傷は激しく、DNA鑑定も難航。偶然にも住人の数が一致していたせいで、どこの誰だかわからない人物がわたしの遺体として処理されたらしい。

 事故の日付は、拉致された日と同じだった。

 それともう一つ。これも後になってわかった事がある。わたしの死亡を知った両親がわたしの遺体を引き受けにラクーンシティを訪れていたが、手続き処理に時間を要した為に仕方なく自宅へと戻る事になり、警察からの連絡を待っていた。けれどその結果が出る前にラクーンシティでは大規模なバイオハザードが発生。

 街は政府によって隔離され、遺体も引き受けられなかった両親は『滅菌作戦』でラクーンシティが消滅してしまった事で諦める他あらず、遺体が無いままわたしの葬儀を行ったそうだ。

 自分の死を簡単に受け入れられる訳がない。

 更に追い討ちをかけたのは、ミランダの10時間前の映像だった。

 その映像は、拘束具でベッドにくくり付けられたミランダが、呻き声を上げながら酷く苦しんでいる様子から始まる。よく見れば、彼女のお腹は大きく膨らんでいて、破れる寸前の風船の様だった。

 何故ミランダの映像を……。何故あんなにも苦しんでいるのか。そして何故、彼女は解放されずにベッドにくくり付けられているのか。疑問をウェスカーにぶつけるより先に、ミランダが悲鳴を上げて仰け反った。

 そして次に起きたのは、学生の頃に友人と見た、SFホラー映画の演出みたいに、彼女のお腹を突き破って現れた、奇声を上げる醜い何か(・・・)

 映像は、そこでぷつりと切れた。

 これは本当の事じゃない。非現実的だ。そう思いたかったのに。

 ウェスカーの言う『ミランダの解放』は、この世からの解放──、つまり"死"である。

 裏切りのウェスカーの条件を簡単にのんだ間抜けさに、自分自身へ抑えられない怒りが溢れる。

 我に返って見れば、自分を縛る拘束具が足元に壊れ落ちていて、周りに置かれていた精密な機械や固定されていた頑丈な椅子は、飴細工の様にぐにゃりと曲がり折れて破壊されていた。

 わたしがやったのか。怒りが消え、悲しみに包まれたわたしは、その場に膝をついて項垂れながら泣いた。すると、背後から何人かの入って来る足音が。顔を上げるより先に首元がちくりと痛む。朦朧とした意識は、やがて暗転した。こうやって何度か、わたしは薬で眠らされる事が増えていった。

 目覚めはいつも気分が悪い。通常よりも布の面積が少ない検査衣が新しいものだと気付くと、また誰かに身体を洗われていたと知るからだ。

 そしてその日がやって来た。

 薬を打たれて目覚めるのは同じだったけど、その日は目覚めから違っていた。

 水の臭い、薄暗いライトに照らされた、濡れている白い壁と床。シャワールームだ。その壁にもたれかけて座らされている自分は、何も身に付けていない状態。目の前には、白い作業着を身に付けたガラの悪い男が、いやらし気にわたしを見下ろして自慰を行なっている。

 わたしは悲鳴を上げて逃げようとした。いつもこうだったのかと考えれば考える程に、気持ちが悪くて吐きそうになる。男は焦る様子でわたしの口を塞ぎ、身体を押さえつける様に馬乗りになった。するともう1人、別の男が拳銃を持って現れる。『だから言わんこっちゃない』声を荒げるもう1人。わたしを押さえつける男はそちらへと意識を向けると、2人で言い合いになった。

 男の押さえつける力が少し緩む。必死になって抵抗すれば、わたしの右手が男の顔にぶち当たる。頬には傷が。どうやら爪で引っ掻いてしまったらしいのだ。

 男は引っ掻かれた傷を手で押さえ、顔色を青くさせてわたしから慌てて離れた。

 それから多分、数秒だったと思う。変異したのは……。

 喉元を血が出るまで掻きむしり、頬の傷口から溶ける様に顔が崩れ、呻き、涎を垂れ流し、目をひん剥かせてもう1人に襲いかかる。顔や手を噛み千切り、蹴られ、最期は襲った相手から銃で撃たれて動かなくなった。

 目の前で起きた信じられない出来事に唖然と座り込んでいると、襲われた方の男が震えた手で拳銃を持ち、恐怖に怯えた目で銃口をわたしへと向けた。そしてまた、数秒経たぬうちに息を荒くさせ、膝をつき、噛まれた傷口を掻きむしりだす。

 正気を失った──否、既に人ではなくなった男は、だらしなく口を半開きにし、白濁した目でわたしに向かって来ようとする。恐怖に震えたわたしは、もう動かなくなってしまっていた男が落としたフォールディングナイフを咄嗟に拾うと、呻き声を上げて覆い被さって来た相手を必死になって切りつけ、最後にこめかみを刺せば、刺されて完全に動きを停止させた男はバタリと真横に倒れた。

 静かになった空間。わたしはナイフを投げ捨て、先程まで動いていた2人の死体を呆然と見つめた。

 変異していたとはいえ、人を殺してしまった事に変わりはない。罪の意識と自分への恐怖で全身が震える。ウイルスを打たれたわたしの身に何が起きているのか。引っ掻いてしまった男が変異したのは、自分がもう普通の人間ではなく、バケモノになってしまったからなのか。目から流れ出る涙は止まらない。嗚咽をもらし、側で転がっていた拳銃を震える手で取ったわたしは、その銃で自分の頭を撃ったのだ。

 悪夢から、逃れる為に……。

 

 ──なのに。

 



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 2

 

 

 

 

 心電図の電子音で目が覚めたばかりのわたしは、何も覚えてはいなかった。3年間も眠り続けて漸く目覚めたらしい。

 だけどあの男がわたしの前に現れると、忘れていた全ての記憶が一気に蘇った。

 何故自分は生きているのかという疑問を投げる。確かに頭は撃ち抜いた。でも、ウイルスによって自分を再生させる能力を持ってしまったわたしは、驚異の速さで穴が空いた頭や、崩れた脳を再生させたのだという。にわかには信じ難く思った。

 悪夢から逃れられなかった事を嘆こうとすれば、ウェスカーに3年前のシャワールームで起きた話を聞かされる。

 あれは『実験』だった──、と。

 第二、第三とウイルスを投与後も、次々と新しい細胞を作り出しては見せかけの感染状態を保っていた。曰く、わたしに主導権があるので体が腐り落ちる事もなく、醜い出来損ないにもならない。ウイルスの良い部分だけを吸収し、自らを進化させているのだそうだ。

 ただし、見せかけであっても感染状態。わたしに害はなくとも、わたし以外には、あった。

 人間を使った実験の開始。

 わざわざ素性怪しい野蛮な男2人を雇ったのは、体を洗うだけの仕事をさせる為ではなかった。あの男達は、初めからわたしの実験に使われるのが仕事だった。その事を承知していたかどうかなんてのは、今となっては知る由もない。

 いつもの鎮静剤を弱めにし、下劣な行為をしている最中に目を覚ます様にしておけば、相手に対し何らかの抵抗をする筈。噛み付く、引っ掻く、怒りによって殺す等の行動により、攻撃を受けた相手がどうなるかを調べるという実験だ。

 その後わたしが頭を撃ち抜くまでは予想しなかったらしいけど、この実験はウェスカーを喜ばせるだけの結果となった。

 目覚めたばかりの頭の中が今にも破裂しそうになる。普通の人間ではなくなった事が信じられないし、信じたくない。ウェスカーの言葉をそれ以上聞きたくなくて、わたしは堪らずに耳を塞いだ。

 でも、現実からは逃げられない。

 ウェスカーに右手をサバイバルナイフで突き刺され、その傷口が瞬く間に癒えていく様子を見せられたから。

 

 ──憎い。

 

 尊敬から憎しみへ。もう実験体として生きていたくなかった。

 わたしは、防護服とマスクを着けた傭兵らしき者達を奪った自動小銃で脅し、部屋から逃げ出した。自分を閉じ込めている施設の制御室を狙い、破壊して施設ごと心中しようと考えたからだ。

 だけど、それは見透されていたらしい。

 脅して案内された場所は、制御室じゃなかった。入口には謎の奇形生物が入った大きなガラス製の溶液タンクがいくつも並び、真ん中には広いデスクと何台かのパソコンや電子機械。──誰かの研究部屋の様だった。

 制御室ではなかった事に苛立ちはしたけど、この部屋の研究用パソコンには、わたしに関する情報や実験の内容が記されたデータがあった。

 今まで打たれたウイルスの事や、細胞内にあるウイルスが元のウイルスよりも強力を増し、それぞれの抗ウイルスを生成しやすくなった事など。そして、特殊な細胞持つわたしの体内では、新たなウイルスが生み出されていた。

 その後に記された内容に愕然としたわたしは、入口に並んでいる溶液タンクに目を向ける。

 

 ──まさか、嘘よ。

 

 何度も思った。あのタンクに入っているのは、ミランダの赤ちゃんだった。

 彼女本人はTーウイルスの害を受けず、お腹の中にいる胎児はウイルスに感染。臨月になるまで隔離され、最期は3年前に見せられた映像通り。

 母親の腹を破って産まれた赤子は直ぐにわたしのウイルスの実験に使われ、拒否反応を起こしてそのまま息絶えたと記されていた。

 映像で見た時よりも醜く崩れた姿に、わたしはその場で泣き崩れるしか出来ない。でも、ずっと悲しんではいられなかった。異常に上がった聴力のせいで、誰かがこの部屋にやって来る僅かな足音が聴こえたからだ。

 デスクを壁にして隠れ、自動小銃を持つ手に力が入る。数は4人、傭兵だ。入るとほぼ同時、部屋は銃弾によって蜂の巣状態。わたしは応戦、1人を拘束してこの研究部屋から出ようとすれば、拘束していた傭兵の頭が銃で一発撃ち抜かれた。撃ったのは、ウェスカーだ。

 その手に持つ拳銃は──、サムライエッジ。S.T.A.R.S.に正式採用された、カスタムアップガンだった。

 ウェスカーは撃つのを止めない。わたしはそれを避け、撃ち返し、また避ける。だけど長くは続かなかった。相手の動きが人間離れし過ぎているのだ。身体能力が上がったとはいえ、更に上のウェスカーには敵わない。

 背後から首の下に腕を滑り込まれると、動きを抑える為に太腿を銃で撃たれた。銃創(じゅうそう)が塞がり再生するのを待たずして、次は右腕や左肩にも一発ずつ撃ち込まれる。痛みや苦しみで悲鳴を上げるわたしを、ウェスカーは冷たく見下ろした。

 体内にとどまった銃弾が、ゆっくりと外へ出ては塞がっていく。見たくない光景から目を背けたい。仰向けの状態で、わたしは荒い息を立てながらウェスカーを睨みつける。

 『従え』、わたしの頬を撫でながら言った。『嫌よ』と返すと、ウェスカーは再び銃を向け、今度は右肩に銃口を押し当てたまま撃った。

 至近距離。息が止まりそうになる。骨まで砕けた音が全身に伝わった。銃創から溢れ出る血液が背中を濡らすのは僅か。直ぐに再生されて元通り。その瞬きの間、自分が燃え尽きそうな感覚と痛みが襲う。

 これ以上の抵抗は出来なかった。誰が従うものかと貫きたかった。でも、わたしはこの男に従うしか、他に道は考えられなかった。

 わたしが従わねば、わたしの両親や妹が実験体に使われてしまう。──つまり脅しだ。わたしが自分を犠牲にする性分だとわかっていて、ウェスカーは家族の事を脅しに使ったのだ。

 悔しさで涙が溢れた。背を向けて立ち去るウェスカーにすがり付いて乞う姿は、さぞ滑稽だっただろうと思う。

 

 四度目になる投与。また別のウイルスを打たれたわたしに、世話係が付いた。

 わたしより年下か、同じくらいの年齢だろう彼の名前は、ネイサン。この施設で初めて普通に(・・・)話かけられた。わたしの現状を何も知らされていないのか、わたしに対しての恐怖が感じられない。

 感情なんて捨ててしまいたいと思っていたわたしには、当たり前だった日々を思い出させる様なネイサンがとても鬱陶しくなって、決して言葉を返したりはしなかった。

 でもネイサンは、次の日も、そのまた次の日もわたしに話しかける。毎日毎日、飽きもせずに。

 何日も続いたある日。いい加減黙って欲しくなったわたしは、遂に『もう話しかけないで』とネイサンに言葉を返してしまったのだ。

 

「驚いた……! キミ喋れるんだ」

 

 驚きながらも喜んでいる様に見えた。ネイサンはずっと、わたしが口をきけないのだと思っていたらしい。

 彼はその日から監視するカメラの事なんかお構い無しに、わたしに話しかける内容を更に増やしていった。

 半月後。

 久々に会ったウェスカーから、『もうウイルス投与は無い』と言われた。まさか家族を実験に使われるのかと声を荒げれば、抑えていたものが一気に溢れる。

 明るめのブルネットだったわたしの髪の色が、上から下へと降りる様にブロンドへ変化。胸元ぐらいの長さしかなかったのに、一気に腰の辺りまで伸びた。

 これは、投与を続けた事による色素変化と、体内にあるウイルスがわたしの感情に作用されて起こる反応なのだそうだ。

 ウイルス投与を止めるのは、わたしの現状をキープする為。血液抽出等は続行。家族を実験に使われるわけではなかったけれど、盾から外されたのでは無い。

 結局のところ、状況は何も変わらなかった。

 実験動物用の薄暗いゲージの様な部屋から格段広い個室に移動になり、手から拘束具が外されて身動きがしやすくなった。でも、出入り口の自動ドアはしっかりと頑丈にロックがかけられている。嫌でもわかるのは、隠されたカメラの場所。微かな作動音、熱、電波。こんな体質になってから、それが嫌でもわかるようになってしまった。

 ネイサンが運んで来た食事も喉を通らない。食欲が一切湧かないのだ。きっとわたしの中の何かが、異質なモノへと変わってしまったからなのだと思う。

 ベッドに横になれば、いつの間にか瞼は自然に閉じていた。

 もう戻れはしない、あの時の事を夢に見た。

 勉強ばかりで真面目に生きてきて、恋すら知らなかったわたしが初めて人を好きになった日。

 

 ──クリス。

 

 目覚めてからも、懐かしい夢のせいで思い出に浸った。瞳を閉じて名を呼べば、不思議と心が温かくなる。クリスの安否を気にしつつ、シャワーを浴びて出れば、ネイサンが着替えを用意する為に部屋に来ていた。

 布切れみたいな薄い検査衣から普通の服へと着替えたわたしは、いつもより静かなネイサンが気にかかった。大切な愛犬の事や家族の話をしながら、彼の表情がどことなく悲しみを帯びているのだ。

 今まで相手にもしなかったわたしは、彼の話を初めてまともに聞いた。それを喜んでか、ネイサンはわたしにお礼を言う。

 きっと彼は優しい人なのだろうと思った。

 ネイサンはどうしてこんな場所にいるのだろう。何の理由であれ、此処にいるのは危険だ。

 安易な考えが働く。

 わたしは、彼を逃がそうとした。

 監視カメラに背を向け、立てないからと嘘を言ってネイサンに立たせてもらう。よろめいたフリをして抱きつき、耳元で囁く様に『逃げて』と告げる。わたしを実験室に連れて行く途中で理由をつけ、その隙に逃げてもらおうと思った。

 

「キミは……? キミも逃げれば」

 

 ネイサンの鼓動が激しくなる。彼もまた、わたしの耳元で小さく言った。

 わたしに逃げる選択は無い。ネイサンには自分の事だけを、此処での事を何もかも忘れて逃げてほしかった。

 彼も理解してくれたのだと思っていた。──なのに。

 

「ごめんよ。僕は全部知っているんだ」

 

 あと少しで実験室というところで、わたしの一歩後ろを歩くネイサンが口を開いた。

 立ち止まって振り返るわたしを真っ直ぐに見つめる彼は、何もかも承知の上、初めから死ぬ事を了承して此処に来た事を話し出した。

 何を言っているのかわからなかった。初めから死ぬ事をわかって此処にいると言うネイサン。彼がわたしの実験を受ければ、病気の母親の治療費が手に入ると。

 ざわりと胸が騒ぐ。

 

「でも、もう母は死んだ。大金なんて、必要なくなったんだ」

 

 ネイサンは涙を流しながら、虚ろげに死を覚悟していた。わたしの腕を引き、抱き締め、そしてわたしの唇を優しく塞ぐ。

 慌てて押し退ければ、彼は力の反動で床に倒れた。『実験だよ』と、悲しい笑みでわたしを見上げたネイサンは、突然苦しむ様に胸を押さえて咳き込んだ。

 何度も床に転がりながら顔を歪ませ、悶え苦しむネイサンの背中や手足に何かが蠢めいていている。骨や筋肉が音を立ててねじ曲がり、醜くグロテクス変化させていくその姿。

 恐怖と悲しみで溢れ出る涙は視界を歪ませる。彼は最後に残された力でわたしへ手を伸ばし、名を呼び、ゆっくりと溶ける様に崩れ落ちていった。

 見計らって現れる気配。

 ウェスカーは、実験の結果を特に残念がってもいなかった。

 ネイサンの死を目にしたわたしは、自分が本当にバケモノであるという事実を突き付けられた。そのまま泣き続けていたかったのに、悲しむ時間は与えられなかった。

 ウェスカーが、わたしの妹の名を口にしたからだ。

 5歳下に、ヴィニーという妹がいる。S.T.A.R.S.の入隊が決まって引っ越す事になったあの日以来、ヴィニーには一度も会っていない。

 執務室らしき部屋の中は、淡い照明だけで薄暗く、右側には壁いっぱいに大きな液晶モニターが備え付けられていた。

 ウェスカーがリモコンでを操作をすれば、モニター画面に何かが映し出される。

 ──わたしの家族。両親と、妹だった。

 会えなかった年月、老けた両親と、成長して綺麗になった妹の姿。

 これは、更なる脅しである。

 わたしがネイサンを逃がそうとしていたのを、ウェスカーは見通していたのだ。

 

「甘いな、考えが。お前はわかっていない、私が合図すれば──」

 

 リモコンのボタンを押そうとするウェスカーから、それを奪おうとわたしは飛びかかる。──が、避けられた。

 何度も立ち向かったけれど、ウェスカーには敵わなかった。

 右腕に銃弾を撃ち込まれて怯めば、再生を待たずして今度は左を。痛みで抵抗出来ないわたしの首を持ち上げると、掴んだままデスク上に叩きつけられた。

 

「余程素直になりたいらしい」

 

 別の手で注射器を取り出したウェスカーは、必死なって抵抗するわたしの首に、その注射器を射す。直後、焼けるような熱さが身体中を駆け巡った。

 中身は、わたし用に強力に改良された、四肢の動きを奪う薬だったのだ。

 呼吸も出来ない。無理矢理体を起こそうとすれば、そのまま床に転げるように倒れた。デスクを支えにし、歯を食いしばって震える足で立ち上がったけれど、これ以上は限界だった。

 再び床に倒れたわたしには、もう身体を起き上がらせる力も無い。唯一、動かせたのは目と口だけ。

 

「家族という脆い存在程、煩わしく邪魔なものはない。こうやって、脅しの材料になるのだからな」

 

 乱暴にデスク上にわたしを乗せたウェスカーは、覆うようにして顔を近付けた。

 

「……私を殺したいか?」

 

 サングラス越しのウェスカーと見つめ合う。勿論、わたしは『イエス』と答えてやろうとした。

 瞬く間だった。ウェスカーがわたしの唇を奪ったのは。

 深く侵入してくる舌が執拗に口内を攻める。舌から伝わる電気が全身を巡り、わたしは恐ろしくなった。

 何故、何も起こらないのか?

 それは、ウェスカーが元からウイルスに強い耐性を持っているから。だから、わたしのウイルスにも耐性があった。

 じゃあ何故、わたしの唇を奪う必要があったのか。

 この時はまだ、奪われる理由を知る術も無かった。

 言うことをきかない四肢。悔しさ、怒り、恐怖。涙を流すしか出来ないもどかしさ。

 心の中で何度もクリスに助けを求めた。

 

「お前の純真な想いは皆気付いていたさ。──クリスを除いてな」

 

 ──やめて。

 

「奴はお前の気持ちがわかるほど繊細じゃない、とてつもなく鈍い男だ。毎度お前を憐れに思ったよ」

 

 ──やめて!

 

 勉強ばかりで真面目だったわたしにだって憧れはあった。いつかは愛する人と結ばれて、平凡でも幸せな家庭を築きたかった。

 だけど、そんな憧れはもう抱けない。

 穢れを知らないこの身が奪われ尽くされた後、わたしは必死になって身体を洗い流した。でも、全ては落ちてくれなかった。

 

 部屋中を滅茶苦茶に散々暴れまわって、割れた照明器具の破片で自分を何度も傷付ける。痛み、溢れ出る血液、塞がる傷口。怒りと悲しみ。涙は出てはくれない。

 死にたいけれど、諦めたら、死んだら駄目だと言い聞かせる。

 怒りにまかせて握っていた破片を壁に投げ付けると、切れた掌から出た血飛沫が一瞬にして火を上げて燃えた。しかも右手が、松明に火をつけた様に炎に包まれている。

 慌ててそれらを消そうとすれば、消火する為の火災スプリンクラーが発動し、炎を消し流した。

 何が起きたのか、自分でもよくわからなかった。あんなに燃えた手は、一切痛みも熱も感じなかったからだ。

 唖然としながら火災スプリンクラーの水を浴び続けていると、ウェスカーが作業員と共に現れた。

 姿を見た瞬間、体が強ばった。

 わたしが大暴れした部屋は封鎖され、新たに別の部屋へと移動になった。家具は一つもない。ただの空間の様な部屋だ。

 

「あの時取ったお前の血液を調べた」

 

 無理矢理犯された後、この男はわたしの血液を抽出していた。曰く、『面白いデータが取れた』と。

 

「お前には特別な価値が出来た」

 

 何が『特別な価値』なのか。

 

 ──嫌だ。

 

 それでも従うしかない。自分を犠牲にしてでも、両親や妹を守りたかった。

 凌辱──否、実験。ただの慰み者の方がいくらかマシになったのだろうか。裸体を前にしても、わたしに向けるウェスカーの眼差しは、被験体を見る研究者の様だった。

 事が終われば、注射器で血液を採取される。

 屈辱的な行為は幾度となく続いた。身体を目的とした行為ではなく、わたしの中で生成されるウイルス細胞の為に。

 その特殊なウイルス細胞を使った実験途中、新しい反応があった。それが、こういう事になる始まり。

 ウィルスによって異形の存在となった被験体にわたしのウイルス細胞を投与後、一時的だが能力を上げる結果が出た。

 ひたすら実験を繰り返し、ウェスカーは自身を使って試した。──すると同じく、能力上昇の結果を得る。そして新たな発見もあった。ウェスカーの体内に入ったわたしのウイルスが、新しい変化を見せたのだ。それを求めて再度行うも、ウイルス細胞は安定を保たずに消えてしまう。

 やがてある仮設案の一つとして試されたのが、ウェスカーの細胞を注射器で投与する以外、わたしの体内浸入させる方法。──性行為だった。

 その案で結局は良質を得る結果になり、ウイルスの一部を取り込む形の性質であるわたしの細胞は、唾液や粘膜を通じてウェスカーの中に存在するウイルスの良質な部分だけを自身に取り込む。

 こうして出来るウイルス細胞を作り出す事は、わたしの体内以外では不可能であり、採取した血液から取り出す作業もまた一苦労あった。そうまでして、手間のかかる細胞が欲しかったのだ。ウェスカーは。

 作業的に犯される日々は、わたしを闇へと深く深く沈めて行った。

 

 ──こんなのわたしじゃない! わたしが求めているんじゃない!

 

 憎い男との性行為に強い快感を得ている自分に吐き気がした。

 おぞましい嫌悪感に苛まれながら、これは自分じゃないと何度も言い聞かせるのが精一杯だった。

 

 2005年。

 ある日からウェスカーが現れなくなった。それどころか、わたしを担当していた作業員の姿も見なくなり、気付けば誰一人来なくなった。

 カメラは作動しているのに、人の気配というものが一切感じられない。頑丈にロックされた扉に耳を当て、部屋の外の音を確かめたけれど、とても静かだった。

 すると突然、その扉が開いた。

 警戒しながらも、わたしは恐る恐る部屋から出ると、息を潜めながら壁伝いを歩いた。見慣れ過ぎている廊下を通り、実験部屋の壊れて点滅する明かりが目に入った。

 中は荒れ放題。壁には血飛沫。床にも凝固した血溜まりがある。何かが起こった事は確かだった。

 とりあえず向かったのは、ウェスカーが使っていた執務室。この状況を知れると思った。

 置かれていたパソコンを操作。監視カメラで記録されていた過去の映像を早送りで見れば、一週間前に、施設で突然のバイオハザードが起こったのがわかった。

 逃げ惑う職員達に襲いかかるのは、隔離された実験室から出る、元は人だった者。脱出口を封じられ、追い詰められた人達は必死にカメラに向かって何かを訴える。やがてその脱出口にまで実験体が現れて……わたしは映像停止ボタンを押した。

 カメラを切り替えて生存者を探して見たけれど、映るのは死体ばかりだった。

 この施設はもう駄目だ。前に一度やろうとした施設との心中が記憶に甦る。わたしを含めて此処はもう用済みであるとするなら、これは喜ぶべきだろう。

 でも、諦めた後はどうなるのか。わたしは思いとどまった。生きて此処から出てやると。

 見つけた施設全体の地図を頭の中に叩き込み、わたしは脱出口へ急いだ。

 散乱する物、割れた破片、血、死体、溶液タンクに漬かる実験体、異様な光景は恐怖を増していく。

 途中で拳銃を拾い、動く屍を倒したりしながらやっと脱出口の手前まで来た。

 扉を開ければ脱出口は直ぐ。──なのに。床の僅かな隙間から無理矢理生え拡がった植物が、扉や壁を覆い隠してしまっているのだ。

 何かが迫って来ている。引き返すなんて出来ない。わたしはその蔦を引き千切った。

 だけど、千切られた部分は直ぐに再生した。イタチごっこの様に何度かそれを繰り返し、落ちていたペーパーナイフも役には立たなかった。

 

 ──火でもあれば。

 

 不意に何となく、切った手から血と共に発火したあの時の事を思い出す。半信半疑だったけれど、わたしはペーパーナイフで指を傷付けてみた。

 だけど普通に傷口から血が流れるだけ。

 もう一度、今度は右手の掌を深く切った。──何も起こらない。

 苛立ちが募り、やけくそになって蔦を強引に引き千切ろうとした瞬間、血に濡れた右手が突然発火した。傷口は既に塞がっているのに。

 燃えている手には熱さを感じない。でも、確かにそれは火なのだ。

 燃えるその手を生える蔦に当てれば、あっという間に扉を塞ぐ植物は燃え尽くされる。と数秒の差、火災スプリンクラーが発動し、天井から降られた水で全ての火が消火された。

 扉を開け、短い廊下の先にあるハッチ扉まで走る。

 こんなに簡単に逃げ出せるものなのだろうか。開けるまでの最中からも、ずっと何かが引っかかっていた。

 出れば、視界に入るのは物凄く広い倉庫。そして、一機の軍用輸送機らしき乗り物だった。

 警戒しながら輸送機に近付いたわたしは、開かれていた後部の扉から侵入。人の気配などなく、操縦席には誰もいなかった。

 これで逃げるしか無いのかという不安。装置の電源を入れ、輸送機の正常を確認した時だ。

 突然鳴り響くサイレン。倉庫の天井が大きく開かれた。

 

 ──まさか。

 

 見計らう様に勝手に動き出す輸送機。自動操縦に切り替わり、何を押しても止まりはしない。回りくどいやり方で誘導されていたのだ、わたしは。

 飛び立った輸送機の後部にある窓から外を見た。今までわたしがいたであろう島の中心部が、煙を上げて燃えている。

 隠滅。ウェスカーは、簡単に島を消した。

 悲しい思い出のある場所が消えていく様を見つめ、ジャスやミランダ、ネイサンの顔を過ぎらせながら床へ座り込んだ。

 何処に行くのか。

 スイッチが入る音と共に、煙が頭上から降りそそぐ。急激な眠気に襲われたわたしの意識は、波が引く様に遠退いていった。

 

 

 



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 3







 

 

 

 次に目覚めた場所は、高そうなホテルの一室。

 久しく見ていなかった夜空。新鮮な外の空気に触れる中、現実に引き戻したのはウェスカーだった。

 名を偽ってホテルを貸し切りにしていたウェスカーは、ウイルスが安定したお祝いの『褒美』だと言って、このホテルにわたしをひとり住まわせた。

 見張りは無く、ホテルの従業員のみ。わたしはきっと、金持ちの囲われ女にしか思われていない。

 用済みなら解放してほしかったのに、必要なものはわたしでしか作られないと、搾り取られる作業は相変わらずだった。それが毎日でなくて本当に良かったと思う。

 ウェスカーは採取の為に数日後現れたりするだけで、1人でいる事の方が多かった。

 逃げ出せる事も出来た筈なのに、わたしはしなかった。島で脱出を図るも、結局は誘導されていただけだった事もあるし、家族は常に盾にされている。普通の人間ではなくなった自分が、今まで通り普通の暮らしを求めるなんて無理に決まっている。

 それに、今のわたしをクリスには知られたくなかった。

 数日を空けて現れるウェスカーに、採取の為とはいえ抱かれる行為は、快楽と苦しみが付きまとう。

 家族を思って堪えるのにも限界が来ていた。細胞、身体は快楽を求めても、心までは奪われたくない。

 そんなある日、クリスを想って何とかギリギリを保っていたわたしの前に、ジャックという男性が現れた。

 彼は似ていた。──クリスに。

 きっとそのせいだ。わたしは彼にクリスを重ねて想った。

 ウェスカーからの危機を感じ、『一緒に逃げよう』と言う彼を拒んだ。その時、弾みによって木の枝で傷付いてしまった頬の傷が癒える瞬間を見たジャックは、恐ろしいもの見る目でわたしを見た。

 わたしは彼から逃げる様に去った。ジャックがその後どうなったのか、もう知る事は出来ないだろう。

 弱いくせに浴びる程お酒を呑んだ。

 こんな事ぐらいしか思いつかない、現実逃避だ。

 だからわたしの感情をいちいち乱すウェスカーが、わたしを見つめながら他の誰かを重ねて見る様な眼差しが、ジャックにクリスを重ねて見た自分と同じだと気付いた時、わたしは自らウェスカーの唇に吸い付いた。

 こんなのは、最初で最後だったと思う。ただの男女の様な交わりが終わった後、ひとりになったベッドの上で永遠とわたしは泣いた。久しく出なかった涙を何度も手で拭う。クリスへの想いを捨てようと決めながら。

 

 半年ぐらい経った頃、ウェスカーの代わりにわたしを迎えに来た人物がいた。

 リカルド・アーヴィング。トライセル・アフリカ支社の資源開発部門が所有する油田の所長を務めていながら、裏では同社製薬部門に所属し、生物兵器の運用試験や、闇のマーケットでテロリストや犯罪組織に流し、膨大な利益を上げて資金を調達する役割を任されている男だ。

 中型のジェット機に乗せられて今度は何処へ連れて行かれるのかと思えば、降り立った場所はアフリカだった。

 窓の外一切をカーテンで隠したジープに乗せられ数時間後。到着した先は新たな研究施設。どこか古びている様子があり、増築や修理をしている作業員の姿が目立った。

 前を歩くアーヴィングと傭兵に挟まれて施設内に入り、暫く移動した後、着いた扉の前にわたしを1人残して、アーヴィングは施設から去って行ってしまった。

 扉を開ける以外何も無く、溜め息と共に扉を開ける。

 部屋の中心部、広いデスクに軽く腰を掛けていたのは、わたしに威圧的な態度を向けるウェスカー。それと、もう一人──。

 

「……アルバート、これが例の重要なサンプルなの?」

 

 少し訛りのある英語を喋り、長い黒髪を高く一つに纏め上げ、胸元を大胆に開けた黒のタイトワンピースを着こなしている若い女。その女は、ウェスカーにそっと擦り寄いながら、キツそうな眼差しでわたしを訝しげに見た。

 エクセラ・ギオネ。ヨーロッパでも名の通った貿易商、ギオネ家の令嬢であるエクセラは、世界的製薬企業、トライセル社のアフリカ支社長を務めている女だった。

 ウェスカーがこのエクセラと行動を共にしている理由を知るのは、この日からひと月以上経ってからの事だ。

 わたしには『少しばかりの自由』が与えられた。

 と言っても、自分が置かれる部屋以外に数部屋への出入りだけ。制限はあるし、カメラもある。

 逃げ出す事は不可能じゃない。監視の目は常にあるけど、死角を見つけるのは簡単なのだ。

 けれど逃げるなんて考え、今の自分にはなかった。

 このままずっと、ウェスカーの言いなりで生きていかなくてはならないのかと思うと癪だ。

 此処へ連れて来られてからも検査と血液採取の日々。わたしのやる事は何一つ変わらない。ウェスカーの部屋に呼び出され、乱暴に犯される。本格的に作業らしい行為だった。

 その最中、一気に全身が冷える。

 

 ──見られてる……!?

 

 仕掛けられていなかった筈のカメラや盗聴器が作動しているのがわかった。ウェスカーは気付いていない。じゃあ誰が仕掛けたのか。

 犯人は、自ずと姿を現した。

 仕掛けたのはアーヴィング。自ら自白したのだ。

 ウェスカーやエクセラの下で、資金源としても動かされていた事への不満による"ストレス発散"の為、普段から特殊なカメラや盗聴器を使って盗み見をしていたアーヴィングは、わたしの血液採取の様子に興味を抱き、試しにウェスカーの部屋に仕掛けたのだと言う。

 不愉快極まりない。だけどわたしの前にわざわざ現れてくれたのは都合が良かった。外の世界やこの施設を自由に行き来出来るアーヴィングは、多くの情報を得易い。

 カメラや盗聴器を脅しの材料にしてでも今の現状や、ウェスカーがこの施設で何をやろうとしているのかを知りたかった。こんな状況だけど。

 

「……オレにメリットが無い。だから嘘を教えるかもなぁ」

 

 あっさりとはいけなかった。じゃあ無理矢理と言う手もある。でも、嘘を教えられては意味がない。

 アーヴィングは、余裕のある表情で等価交換を要求してきた。──何で。此方が有利だったのに。

 

「あいつらからの無理難題に、文句の一つも言わず下手に出てやる。……オレはそうやって面倒な仕事をこなし、成功させてきたんだ」

 

 そんな中で得た情報を求めるならそれ相応のものを。それが、わたしとウェスカーの行為だった。

 

「オレはこれでも仕事が出来るからなぁ、あいつらも稼ぎ頭を失いたくないだろ」

 

 余裕だったのは、これがあるからだ。

 返事を渋っていれば、アーヴィングは『オマケ』だと言って自分の立場を明かした。信用ならない相手との等価交換。受けるか否かを迫られる。短い時間で葛藤しながらも、わたしはそれを受け入れた。

 作業という屈辱、他人に覗き見される嫌悪に堪えて1週間後。監視の無い部屋の前の廊下で落ち合い、事前にアーヴィングがカメラに細工していたお陰で、普段は入るのを許されていない部屋に入る。

 この日に知れたのは、1966年に始祖ウィルス発見を皮切りに、1998年の9月。ラクーンシティでバイオハザードが発生し、街が壊滅。アメリカ政府が出した決断によって核ミサイルが放たれ、10月1日にラクーンシティが消滅した事。──そして自分の死亡記事。

 他にも知りたい事はあった。

 

「……おっと、残念。今回はここまでだ」

 

 肝心な事が知れていない。アーヴィングは途中で去ろうとした。

 盗撮までさせたというのに。更に屈辱を与える要求に怒りをぶつける。『まだまだ重要な情報がある』と半笑いのアーヴィングへ『もういい』と返す。

 

「あの"ジル・バレンタイン"の情報を知りたいだろ?」

 

 何故ジルを。彼女に何かあったのか。

 思惑通り。不服にも、このまま『取引』を続行しなければならなくなった。またもわたしは堪える。

 2週間経ち、偶然にも会えたアーヴィングのノート型パソコンで、途中までだった情報が見れた。

 2004年にアンブレラが倒産。けれど、アンブレラの遺した負の遺産は世界に流れてしまっていた。

 エクセラがアフリカの支社長を務めるトライセル社も製薬部門のある大企業だ。まさかアンブレラと同じ事を……。

 それを問えば、『アンブレラとは少々違う』と返ってきた。この施設などは、アフリカ支社長の地位を使ったエクセラ個人で秘密裏に動かしているのだと。

 

「──否、実質操ってんのはウェスカーか」

 

 ウェスカーにべったりと寄り添うエクセラが頭の中で過ぎる。支社長の地位にまでなれたのは、ウェスカーが手に入れていたウィルスや寄生生物のお陰だった。

 

 ──何をしようとしているの?

 

 重要だけれど、今はジルの事が先だ。また『取引』だ何だと言われては困る。

 

「情報というか、アンタには残念な報らせさ」

 

 ふざけるなという思いを込めてアーヴィングに問えば、全く残念そうにない顔でこう答えた。

 

「ジル・バレンタインは、死んだ」

 

 クリスと同じくBSAAという組織にいたジルは、任務の最中に崖から落ちて死んだと言う。

 

 ──信じたくない。

 

 見せられた墓石の画像には、ジル・バレンタインの名。彼女が死ぬなんて本当に信じられなかった。取引で得たジルの情報が "死" だったなんて、あんまりだ。

 やめたくなった取引は、まだ肝心な事が知れていない。

 

 ──次で終わり……。

 

 採取の日、わたしはずっと上の空だった。ジルの死と、それを知ってわたしよりショックを受けているであろうクリスの事を考えていたからだ。

 ウェスカーの声でやっと我に返えり、戯れ(・・)の中でわたしは囁く様に問う。

 

「……ジルは、本当に死んだの?」

 

 動きが僅かに止まった。ウェスカーは、上の空の理由を作ったのがアーヴィングだと気付いたようだった。

 

「偶然よ。わたしの事、よく知ってるみたいだったし」

 

 以前渡り廊下でたまたま一緒になった所も知られているだろうし、その部分を隠す必要はない。

 

「フン……、ジルか。今更気になるのか?」

 

 そんなの当たり前だ。わたしにとってジルは────。

 

「元同僚? 仲間? 友人か? ……否、恋敵だろ?」

 

 違う。ジルは仲間、そして大切な友人だ。

 煽る言い方をするウェスカーにそう返せば、唇の両端を少し弓なりに下のほうへ曲げて、わたしを蔑むように笑った。

 

「ジルはクリスの相棒、良きパートナー。BSAAでも2人は常に一緒だった。さぞ、ジルの死をクリスは悲しんだだろうな」

 

 これを聞いたわたしは、疑惑から確信へと傾く。

 更に挑発は続き、ウェスカーに『クリスはお前を見てない、知らない。今もこれからも』と言われ、否定をした。

 

「まだ否定か? 違わないだろ? お前はクリスを想い、2人の絆に嫉妬した筈だ」

 

 ──嫉妬なんて、無い。

 

 2人が好きなのだ。クリスが笑い、ジルも笑う。息の合った2人の姿がわたしの憧れだった。だから……、だから嫉妬なんてしてない。そう思っていた。──なのに。

 不意に、胸が針に刺されたように痛んだ時の事が過ぎった。あれが、嫉妬だったのだろうか。

 

「報われないな、ダイアナ」

 

 わたしは何も言い返せなかった。止まっていた行為が動き出す。

 この身が悍ましい。当たり前の女のように抱かれ、憎い男に直ぐにでも溺れてしまいそうになる。……それだけは嫌だ。体は全て奪われようと、心だけは奪われるものか。絶対に……。

 

 アーヴィングから情報を得る為にこれが最後として会ったわたしは、もう取引をしない事を告げた。相手が相手だし、やめる事で情報をまともに出さない心配はあったけれど、意外にもそれは無用に終わった。

 そして最後に得た情報は──、【ウロボロス計画】。ウェスカーがこの地で行っている事だった。

 わざわざエクセラをアフリカ支社長の座につかせ、アフリカ奥地にあるこの施設を選んだのも、ウロボロス計画の為。

 過去、アンブレラが始祖ウィルスの源泉である植物、始祖花を研究するのにこの場所を研究施設として使用していたのを、ウェスカーは利用した。

 他のウィルスの欠点を克服して強制的な進化を起こさせ、始祖花から生成させた完全な新種のウィルスを生み出す事に成功。これが【ウロボロス・ウィルス】。若干の不安定さは残るものの、完全までには時間の問題なのだそうだ。

 

「もっと楽しい取引出来ると思ってたんだがなぁ。まあ、オレ様は寛大だ。取引にはいつでも応じるぜ」

 

 へらへらと薄ら笑いをするアーヴィングを横目にしながら、最後に採取のデータ(・・・・・・)の事を問う。

 後生大事に持っていたノートパソコンの中に保存していると疑っていたからだ。

 

「まさか! オレの頭の中には永久に保存するけどなぁ。信じろよオレをさぁ、アンタとオレの仲だろ?」

 

 信じられない。

 するとここで、タイミング良くアーヴィングの携帯電話が鳴った。アーヴィングは会議室にわたしひとりを残すと、仕事の話なのか慌てて出て行ってしまった。

 わたしはすかさず、マヌケな男が置いて行ったノートパソコンに手を伸ばす。疑っていた通り、アーヴィングのパソコンの中には採取のデータが隠しフォルダの中にあった。

 

 ──無用心ね。

 

 下衆な取引のお返しに。それらのデータが全て吹っ飛ぶよう細工し終えれば、何も気づいていないアーヴィングが会議室に戻って来た。

 

「さぁ、お開きだ」

 

 ジュラルミンケースにノートパソコンを仕舞い、去ろうとするアーヴィングを呼び止める。

 

「忘れ物よ」

 

 自身も去り際、アーヴィングの手のひらに、隠しカメラと盗聴器の残骸を渡してやった。

 

 1年と半年。

 ウロボロス・ウィルスの安定に向けての研究は、ウェスカーとエクセラの指示通り、研究員等によって着々と進められていた。

 日常と化す"採取"の間隔は、二週間もしくは三週間だったり。例の『お返し』でアーヴィングがこっそりと訪ねて来た事もあったけれど、もう関わりたくはない。そんなのに気を回すよりもわたしは、僅かな隙を狙って密かに探っている事があったから。

 それは一週間前、わたしはある事を耳にする。

 

「ジル・バレンタインの様子はどうだ?」

 

 偶然通りかかった研究員達の会話の中で、ジルの名前が出された。聴力が上がっている耳で確かに聞いたのだから、決して聞き間違いなんかじゃない。

 

「その名前を出すな"被験体J-α"、だろ」

 

 "被験体J-α"とは一体何なのか。もしかしたらジルも実験体にされてしまったのだろうか。

 わたしはその日から、監視を避けて死角を見つけながら何とか研究室内に入れないものかと探っていたのだ。

 試しに、監視の目が無い自分の部屋から。天井にある点検口を見つけ、蓋を開けて駆け上る様にダクトの中へ入った。

 人ひとり通れるくらいのダクトを這う様に進み、突き当たりを左に曲がる。下から漏れる光を見つけて近付いて見れば、二つ隣の部屋だった。

 このダクトが繋がっていれば目的の部屋に入れるかもしれない。そのまま進むかどうか迷ったけれど、慎重に調べてからにしようと、一旦は自分の部屋に戻る事にした。

 翌日。出入りが可能な他の部屋や廊下を歩きながら、死角に隠れつつ天井の点検口を確認。これを繰り返し、やっと研究室内に繋がっているルートを見つけ出せた。

 

「ライアン、そろそろ休憩しとけよ」

 

 実行中、点検口から漏れる光の先に進んでいると人の声がした。僅かな隙間から下を覗けば、予想通りの研究室だった。研究員の数は今のところこの部屋に2人。1人は研究室から出ようとし、ライアンと呼ばれた方はパソコンを操作している。

 短い会話の後、先に1人が出て先に一人が出て行き、残るはライアンのみ。研究室内にカタカタとキーボードを打つ音だけが響く。この状況をもどかしく思いながら5分程待つと、やっとライアンが室内から出て行った。

 監視カメラは作動していない。『今だ』と、点検口の蓋をゆっくりと開いて室内に降りたわたしは、目的のパソコンへ向かう。他には用が無い。研究員が戻ってくる前にジルの事を調べたかったからだ。

 ライアンが使っていたパソコンは直ぐに操作出来た。ウィルスの研究のフォルダ以外に被験体への実験や被験体リストを発見し、ジルの名前を探した。だけど何処にも無い。

 

 ──まさか。

 

 ジルの名前を"被験体J-α"と言い直していたのを思い出し、被験体リストの中の"被験体J-α"というデータを検索してみた。表示された内容には、ジルと同じ特徴に、『長期間にわたり薬剤による保存状態にある』と。しかも血圧、体温などのバイタルサインは全て正常だと記されていた。

 リストの他に画像ファイルが目に入り、これをクリックして更に驚いた。その画像には、何かの容器の中なのか、その中に入れられて目を閉じているジルの姿が写し出されていたのだ。

 死んだと聞かされたジル。でもこのデータ通り、生きているとしたら……。

 二日後にアーヴィングがまた現れた。消えたデータの事はもう水に流したらしい。取引を持ち掛ける気だったようだけれど、二度とごめんだ。わたしは睨みつける。

 何故ジルが死んだなどと言ったのか。そうカマをかけてみれば、アーヴィングは僅かに焦りの表情を浮かべた。

 

「な、何だ、それももう聞いちまったのか。……ハハ、別に嘘でもないだろ? ジル・バレンタインは公には死んでるんだから」

 

 アーヴィングは全てを吐き出す様に続ける。どうして死んだとされるジルがこの施設にいるのか。

 オズウェル・E・スペンサーの拘束任務受けていたジルは、同じく一緒に行動していたクリスを庇い、ウェスカーを道連れにして崖から落ちた。けれどウェスカーを道連れにするどころか、逆にその身を回収されてこの施設へ。

 救助に向かわれた崖下でジルが見つかる筈もなく、その後公に死亡扱いとなったのだ。

 

「今は保存液の中でおねんね中さ」

 

 ジルは本当に生きていた。

 アーヴィングの呼び止めをも無視し、わたしは研究室に急いだ。すんなりとダクトの中に侵入し、様子を伺いつつ研究室内へ。都合良くパソコンはネットも繋がっている。BSAAには、パスがかけられている専用のホームページがあった。

 これで伝わるのかどうか正直わからなかった。だけど、どうしても知らせたかった。今のわたしに出来るのはこれくらいしかなかったから。

 

『元同僚? 仲間? 友人か? ……否、恋敵だろ?』

 

 ウェスカーが言った言葉を思い出す。

 良き先輩、友人、憧れ。クリスの隣にいつもいる彼女(ジル)を羨ましく思い、時には幼稚な嫉妬心を持っていたのだ。どんなに頑張ったって、彼女の様になれないのはわかってた。でも壊したいなんて思ったり、憎いなんてのは一度も考えなかった。

 わたしはクリスが好きで、それと同じ位、尊敬するジルの事も好きなのだ。

 きっとクリスは、わたし以上にジルを亡くした事を悲しんでいる。少しでも希望を持ってくれたら良い。どうかクリスに伝わりますように。

 そう祈りながら、BSAAのサイトに進入し、『ジルは生きている』とメッセージを残した。

 

 

 



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 4

 

 

 

 

 研究室からダクトを通って自分の部屋へと戻れば、ドアの横に見張りがいないのが少し気になった。

 

「鼠の様に動き回るのは、あまり感心しないぞ」

 

 警戒しながら中に入れば、ウェスカーが壁に寄りかかる様に立っていた。こそこそと動いている事は気付かれているようだったけれど、何をしていたのかまでは知られてはいなかった。

 

「"採取"はまだの筈よね?」

 

 一体何の用があって来たのか。それに対しての返事は無い。ウェスカーは、トランシーバーで『入れ』と誰かを呼んだ。廊下で待っていたのだろう、直ぐにドアを開けて誰かが入って来た。

 誰なのか見当がつかなかった。何せ仮面のせいで顔は見えず、足元までの長さのあるフード付きマントを羽織っていて性別もよくわからないからだ。

 誰なのかを訊けば、『忠実なる『部下』だ」と返ってきた。

 

「今日はお前の為に来たんじゃない」

 

 ウェスカーに腕を掴まれ、座っていたベッドから強引に床へと突き飛ばされた。

 

「ダイアナを押さえろ」

 

 命令を受けた仮面の人物に、わたしは上から押さえ込まれてしまった。うつ伏せ状態のまま力強く床に押さえ付けられ、なかなか身動きが取れない。でも、逃れられない程の力ではなかった。

 押し退けようと動けば、思い出したくもない痛みが襲う。ウェスカーがわたしの手をナイフで刺し、左肩を銃で撃ったのだ。

 傷口が回復する様を仮面の人物に見せつけ、可笑しそうに見下ろしながらウェスカーは笑う。

 

「あれを打て」

 

 次の命令を受けた仮面の人物は、持っていたペン型の注射器をわたしの首元に打った。

 

「ぐっ……!」

 

 全ての機能を停止させるかの様な痺れが襲い、硬直。呼吸も出来ない程の熱が全身を覆った。四肢の動きを奪う薬の改良版らしく、以前よりも強力だった。

 ウェスカーに上半身を無理矢理起こされたわたしの意識は、朦朧としていた。息を何度か吐いては吸ってを繰り返す。徐々に呼吸機能は正常を取り戻せていたけれど、身体は言う事を聞いてくれない。

 

「これで取り乱し暴れられる心配もなくなった。仮面を外して顔を見せてやれ」

 

 ──まさか、そんな。

 

 フードを下ろして仮面を外し、此方を見るジル・バレンタインと目が合った。間違いなく彼女だった。だけどわたしを見る目はどこか冷たく、まるで知らない人を見る目をしていた。

 髪の色は金、肌の色はより白く。ウイルスを打たれたわたしの様な見た目の変化に、とても胸騒ぎがした。

 

「ジルに、な、何を?」

 

 捕らえられた後のジルについて、ウェスカーは語った。

 

「死にかけのジルを回収し、実験に利用する為に暫く冷凍睡眠状態で生かしておいた」

 

 始祖花から生成させた新しいウイルス。ウロボロス・ウイルスは、欠点だらけの今までのウィルスとは違っていた。適合すれば、投与された者の精神や外観を損ねる事無く知性的、肉体的な超強化を及ぼし、劇的な進化をもたらす。けれど毒性が強過ぎて難航。

 

「……そんな時、ジルが役に立った」

 

 彼女にはT-ウイルスの抗体が出来上がっていた。ラクーンシティでT-ウイルスに感染し、ワクチンで回復していた過去があるそうだ。

 冷凍睡眠により、数年間体内に潜伏していたT-ウイルスは完全に死滅し、彼女の体は非常に強力なウイルス抗体を生成するようになった。その抗体を使用する事で、毒性を弱められたのだと言う。

 

「ウイルスの実験に使えなくなったのは残念だが、抗体以外はいくらでも他に使い道はある。お前を従わせるには家族を、ジルの場合は薬物"P30"だ」

 

 P30とは、肉体を強化すると同時に、意識を奪う事なく精神を支配する薬物だ。強化する成分の一部には、わたしの中のウイルスも使用されていた。ウェスカーはP30をジルに長期投薬し、実験台にしていたのだ。

 

「意識はあるが、何度呼んでも無駄だぞ。もうジルは俺に逆らう事も出来んのだからな」

 

 ウェスカーは嘲笑っている。家族の為に逆らえないわたしと、意識がありながらも薬物による支配で歯向かう事の出来ないジルを。

 部屋の外で待てと言われたジルは仮面を再び被り、此方を一度も振り返る事なく部屋から出てしまった。

 残ったウェスカーがわたしに何をするのか、考えなくてもわかる。全力で拒否する力は、薬によって奪われていた。されるがままだ。

 採取を終え、身だしなみを整えたウェスカーが部屋の外の方を向いてジルを呼んだ。勿論、入って来た彼女にベッドの上で乱れた姿を見られる。わたしは目を閉じた。こんな再会なんて、あんまりだ。

 頭の中で繰り返されるのは、仮面を外したジルの顔。

 その日から許可無く部屋を出る事を禁じられ、数ヶ月が経った。

 

 2009年。ウロボロス・ウイルスは、遂に完成。

 部屋から出る事が出来なくなったわたしは、抜け殻の様に一日中ベッドの上で仰向けになっているか、部屋の隅で壁にもたれながら座っているかのどちらかをして過ごしていた。

 監視カメラは常にわたしを見ている。三週間に一度、ウェスカーがジルを連れてやって来る。──採取だ。その時だけは、カメラが作動しない。

 ジルを部屋の外で待機させ、わたしを犯して採取した血液を届けさせる。拒否などすれば薬を打たれ、苦しみと快楽が待っているのだ。

 採取した血液を受け取るジルの視線が、仮面越しから深く突き刺さる。意識のあるジルは、こんなわたしをどう見ているのか。きっと軽蔑している筈だろう。わたしはそれに堪えられなかった。

 

 ──違う、違うのよ。見ないで、聞かないで。これはわたしじゃない。

 

 心の中で何度も謝った。救えなくてごめんなさい、逆らいもせずに憎い男を受け入れるわたしを許して。

 

「お前は俺に従い続けるしかない」

 

 眼を細めてウェスカーが言った。

 

「お前の全てを受け入れる事が出来るのは、俺だけだ」

 

 それはまるで、愛の囁きのよう。

 わたしを繋ぎ止めている細い糸は限界を迎え、今にもぷつりと切れてしまいそうだ。

 

『諦めろ』

 

 空っぽにした筈の頭の中で、誰かの声が。

 

『何もかも全て忘れてしまえば、楽になれる』

 

 心までは奪われない様に堪えてきたけれど、毎日がとても苦しくて辛かった。このまま快楽に溺れ、ウェスカーに溺れれば楽になれるのか。

 

 ──楽に、なりたい。

 

 何もかもを諦めてしまいそうになった瞬間、言い表せぬ恐怖が訪れた。島で初めてを奪われた、恐ろしい時間が蘇ったから。

 あの時の様に泣き喚き、必死になってウェスカーから離れ、半狂乱になって部屋を飛び出す。だけど直ぐに阻止されてしまった。ウェスカーの声に動いたジルが、背後から体当たりをしてきたのだ。

 

「離して! いやぁあ!」

 

 床にうつ伏せに倒されて、抵抗虚しく薬を打たれた。

 

「ぐうっ!」

 

 力の抜けた身体は、ジルに引きずられながら部屋に放り戻される。床に仰向けに倒れて小刻みに震えるわたしを、ウェスカーは冷たい目で見下ろしたまま、『もう一度打ってやれ』とジルに命令した。

 一度でもキツイ薬をまた打たれるなんて。目だけをジルに向けて『やめて』と訴えたけれど、今の彼女には届かなかった。

 二度目は鈍器で思いっきり頭を殴られた様な衝撃を受け、目の前が真っ白になって何も聞こえない。身体中が燃える様に熱くなると、意識はそこで落ちた。

 薬を打たれると必ず酷い吐き気に襲われる。目覚めてから怠い身体を起こし、トイレに駆け込む。いつも以上に苦しんだのは、二度も打たれたせいだ。

 とにかく頭から水を浴びたくなって、そのままシャワーのレバーを捻って水を出す。少しも冷たくない。身体の熱は一向に冷めてはくれなかった。

 気づけば、わたしはまた気を失っていた。怠さや吐き気は治まったけど、あんなに熱かった身体が氷みたいに冷たい。体を拭いてシャワールームから出ると、ベッドの上に倒れ込んだ。悪寒に震え、壊れてしまいそうになりかけた自分を思い出す。一瞬だったけど、あの時全てを諦めようとした。

 一体いつまで、壊れない様に正気を保とうとする事が出来るのだろうか……。

 ふと、指先に目が行った。中指の第二関節辺りに、真新しい血の様なものが付着している。手で拭ってみると、僅かにその部分が痛む。直ぐに癒える体になった今では懐かしい痛みだ。

 もう一度凝らして見たけれど、不思議な事に傷口はどこにも無かった。少し気にはなる。でも、それよりも寒さが今は勝っていた。

 ベッドの上で暫く丸まって震えていると、誰かの気配。仮面を被ったジルが、『部屋を出なさい』とわたしに言う。

 何故。そう返そうとしたら声が出ない。喉元を軽く押さえながらもう一度試してみた。──やっぱり出せない。

 連続で打たれた薬のせいか、または精神的によるものなのかは不明だ。話したくもない相手と会話しなくて済むなら良いけど、このままずっと喋れなくなってしまうのは不便に思う。だけど壊れてしまったら、きっとそんな事を考えもしなくなるだろう。

 

「早く」

 

 ジルに急かされ部屋を出る。先頭にはジル。真ん中に挟まれて歩くわたしの後ろには、防弾チョッキを纏った黒人が武器を持って付いて来ていた。今までいた見張り達の姿はどこにも無い。代わりに同じ様な武装をした者達を何人も見た。よく見れば皆、一部の肌に変色と破損が目立っている。

 後になって知った情報によると、彼等はスワヒリ語で悪霊と意味を持つ"マジニ"と呼ばれ、寄生生物プラーガに肉体を乗っ取られた元人間なのだそうだ。

 他に気になるのは、何人もいた筈の研究員達。1人も姿を見ない。実験動物の鳴き声だけがこの施設内に響いている。

 通路からエレベーターに乗ると、ジルの合図で突然目隠しをされた。言葉を喋れない今は何も返せやしないし、大人しく従う。

 それにしても寒い。吐き気や怠さは消えて薬の効果は切れている筈なのに、いつまで経っても身体は冷えている。

 わたしは、普通じゃなくなってから今まで何ともなかった体の中の異変に、久しぶりの不安を抱いていた。

 手まで後ろに縛られたまま、移動して数十分後。縛られた手を解放され、後ろから肩を押されて何処かに入った。扉の閉まる音と共に、威圧的な気配がわたしを包む。

 ウェスカーだ。見えなくても、その存在だけは確実にわかる。目隠しを外し、電球の眩しさに目を細めながらウェスカーを視界に入れた。

 

「遂にウロボロスが完成した」

 

 満足気に言う。ウェスカーは、完成させたウィルスをこれからどうするつもりなのか。

 

「これで腐りきってしまった世界は浄化され、新たな世界を俺が創り出す。ウロボロスに選ばれた資格のある者だけが生きる世界だ」

 

 わたしは堪らず苦笑した。くだらない悪役が使う台詞の様だったから。まさかこの男の口からそんな事を聞かされるとは思わなかった。

 

「……可笑しいか?」

 

 わたしの顎を掴み上げるその手には、強い力が込められる。

 

 ──何が新たな世界だ。

 

 言葉の代わりにウェスカーの手を払い退けると、違う手で首を絞められて壁に押し付けられた。

 

「口も利けなくなったか」

 

 何も返さないでいると、ウェスカーがわたしの耳元で静かに囁く。

 

「お前の家族がウロボロスに選ばれるかどうか楽しみだな」

 

 怒りが湧いた。暴れ出る寸前、止められてしまったけれど。

 

「逆らいたいのか?」

 

 ウェスカーは、コートの内側からペン型の注射器を取り出して見せた。中身に感付いたわたしは、慌てて首を横に振る。薬を打たれるのを身体中で恐れたからだ。それ程までに、抑える薬は酷くわたしを苦しめていた。

 採取を終え、エクセラからの連絡を受けてウェスカーは行く。いつの間にか身体の冷えは治り、ひとり残されたわたしは、部屋の中で床に伏せて咽び泣いた。

 ウェスカーがこれからやろうとする事を止めるでもなく、何にも出来ない、しようとしない弱い自分に対してや、快楽の苦しみから起こる恐怖のせいで。

 

 数日が過ぎた。

 今度は薄暗い通路を歩かされ、更に暗くて狭い部屋の中に無理矢理押し込まれてドアを閉められた。中では冷たいシャワーを浴びせられ、出れば新しい衣服に着替えさせられる。

 濡れたままの髪の状態で次に向かわされたのは、コントロールルームらしき部屋だった。全体を見渡せるかの様なガラス張り仕様で、監視用であろう旧型モニター画面が無数に設置されているのが目に入った。

 部屋の中央に置かれている上等な黒いソファに深く腰をかけていたウェスカーは、ノート型のパソコンの画面をわたしに向けて告げた。

 

「クリス・レッドフィールドだ」

 

 心臓が強く跳ねる。荒い画質だったけれど、クリスらしき男の姿を見せられた。

 B.S.A.A.が動いていて、この地に来たと。そしてその最前線にクリスがいると言うのだ。

 ウェスカーはわたしの反応を鼻で笑っている。この男はきっと、このままクリスを放っておく筈がない。

 

「先に連れて行け」

 

 何も喋れないわたしは、半ば強制的に何処かへ連れて行かれた。

 寄生体に寄生され、人間の成れの果てとなってしまった見張りのマジニ数名に囲まれる様にして歩く。

 久しぶりの外の空気だ。微かな潮の香りがわたしの鼻をかすめた。

 

 ──船だ。

 

 とてつもなく大きい貨物船だった。

 乗り込んだ船の甲板を通り、船倉へ。階段やエレベーターを使って出た先は、船の中央。気付けば空は暗くなっていて、いつの間にか船も動いている。

 船央甲板、広い場所の真ん中に集められた大量の人の死体が視界に入り、その異様な光景に驚いた。何のつもりで死体を積み上げているのか見当がつかない。

 数分、この場所からそれ以上進むでもなく待たされた。此処まで一緒だったマジニ達は、1人2人と元来た道を戻って行き、わたしだけになってしまった。

 

「お待たせ」

 

 嫌な女の声がして振り向けば、先程抜けたマジニの1人を連れたエクセラが、何やら勝ち誇った様な笑みでわたしに近づいて来る。

 

「アルバートが望む世界はもう直ぐ」

 

 ゆっくりとわたしを中心にして回りながら、エクセラが暗い夜空を仰いだ。その時、四方からわたしへの囲む様な視線が刺さる。先程戻ったマジニ達だろうか。

 

 ──近い。

 

 わたしは確かめる様に目で追った。

 

「新しい世界で私は生きる。そして彼の隣に立つのはこの私、私だけなの。だから……!」

 

 此方へ銃口を向ける目の前のマジニと、四方の視線に気を取られ過ぎていたわたしは、避けようと動いた瞬間、真横にいたエクセラから注射器で腕を刺されてしまった。

 

「邪魔、本当に邪魔。アルバートと私の世界にあんたは不必要なのよ! 彼を救うのは私、私に出来ない事は無いの。だからもう用済み。最後の足止めになりなさい」

 

 いつもの動けなくする薬のせいで倒れて動けないわたしを見下ろすエクセラは、別の注射器を胸元から取り出した。

 

「ウロボロスよ。たまたま運が良かっただけのあんたが、ウロボロスにまで選ばれるとは思えない」

 

 邪魔なもの(わたし)を排除出来る喜びに、表面の美しさを歪ませる程の醜い心を露わにしたエクセラは、下品な高笑いをした。

 

「エクセラ」

 

 いつの間にやら甲板に姿を現したウェスカーが、エクセラと私のもとへと歩み寄る。

 

「アルバート!」

 

 正面から抱きつく様にして、エクセラはウェスカーに擦り寄った。

 

「私達を邪魔するものは全部終わりにしなくちゃ。ウロボロスを打って此処に置いて行けば……、クリス・レッドフィールドを止めている間に飛び立てるわ。貴方の代わりの安定剤は私が必ず見つけてみせるから。ねえ、良いでしょう?」

 

 ウェスカーは、言葉の代わりにエクセラを優しく抱き締める。

 

「アルバート……」

 

 抱き締め返された事を喜ぶエクセラは、優越に浸った顔でわたしを一度見た。『彼に相応しいのは私よ』と言って。

 首に己の腕を回し、ウェスカーと唇を重ねる。彼女が持っていた注射器は、自然にウェスカーが手に取った。

 

「──え?」

 

 唇を先に離したエクセラが、右側の首元を手で押さえた。それはウェスカーが、ウロボロス入りの注射器をエクセラに打ったからだ。

 

「アルバート? い、今、何を……っ」

 

 突如、エクセラはむせる咳を始めた。ウェスカーは何事も無い様に視線をエクセラから外し、ショルダーホルスターから拳銃を取り出すと、瞬く間に目の前と四方にいたマジニ達を撃ち殺してしまった。

 

「新しい世界への資格があるのかは、ウロボロスに訊かねばならんからな」

 

 回りきりった薬の所為か、わたしの意識が一気に朦朧となる。動けない体は、わたしの前に移動したウェスカーに簡単に担ぎ上げられた。

 

「待って、ま、待って────!」

 

 連れ去られながら耳に入って来るのは、愛しい男の名を呼ぶ悲痛なエクセラの声。

 

 暫くはっきりとはしなかったけれど、徐々に回復してくる意識。抑えられた感覚が、今までよりも早く戻っている様に思えた。壁を背にもたれかかっていたわたしは、僅かに動かせた顔を上げて今の状況を掴もうとする。

 中は薄暗く船内。前方には、此方に背を向けたウェスカー。丁度、船蛇室の真ん中だろう場所に立って、何かを呟いていた。

 相手は──クリス。ウェスカーは、ウロボロスか世界に放たれる事を告げると、次はエクセラへ向けても言った。

 

「やはりお前には資格がなかったようだな。今までご苦労だった。最後の仕事をくれてやる」

 

 エクセラはウロボロス・ウイルスに適合しなかった。やがてウィルスは暴走し、エクセラを含んだ周囲のあらゆる有機物を摂取して成長し続ける。大量の死体が確か甲板中央にあった。すれば彼女だったそれが、一気に巨大化するのは確実だ。

 

「お別れだ。クリス」

 

 わたしの思考が、最後にクリスへ別れを告げたウェスカーへ飛ぶ。エクセラを足止めに使って、その間にどうする気か。

 

 ──まさか空から……。

 

 甲板にいたあの時、エクセラがわたしをクリスの足止めにしている間に『飛び立てる』と言っていたのを思い出す。ウェスカーは航空機を使い、ウロボロスを世界に放つつもりだった。

 船が揺れる。ウロボロスに取り込まれたエクセラによるものだ。

 マイクを切ったウェスカーが此方へ振り向いた。動悸が激しくなる。わたしの前に立つまでの僅かな時間、どう行動すべきなのか考えた。抵抗するのも逃げるのも止めてしまった自分に、一体何が出来るのかを。

 

「う、……だ、め……っ」

 

 もう喋れなくなってしまったのかと思っていたのに、意外にも呆気なく声が出せるようになった。それと同時、わたしはウェスカーに抱き上げられた。

 

「これで奴も終わる」

 

 足止めが成功すると思っているらしい勝ち誇った表情だ。

 

「わ、たしを、あんたの言う新しい世界へ、連れて行く気? それとも、わたしもエクセラみたいに、ウロボロスを打って捨てる?」

 

 返事は無い。

 

「もう、降ろ、して」

 

 格納庫を目前に、わたしはもう立てる事を伝えた。

 

「まだ薬は切れてない筈だが?」

「打たれ過ぎたから耐性がついた、んじゃない? また改良した方が、良いわよ」

 

 格納庫に繋がる自動ドアを抜ければ、ウロボロスを積んだ爆撃機が目に飛び込んだ。自ら降りようと地面に両脚を下ろした直後、思っていたよりも力が入らなくてバランスを崩したわたしは、そのままウェスカーの胸にしがみ付いてしまった。一瞬、酒に酔って現実逃避をした時の事が頭を過る。

 

「……ね、え、わたしはいつ、まで、こうなの?」

 

 何故だろうか。わたしは直ぐ離れようとはしなかった。躊躇いがちに、ウェスカーの背中と腰に腕を回した。その腕に力を込め、顔を上げて何かを乞う様にウェスカーを見つめれば、サングラス越しの赤い眼がわたしを見つめ返した。

 

「あなたを愛したら、この苦しみから、解放され──」

 

 後頭部を少し乱暴に掴まれ、わたしの唇がウェスカーの唇で塞がれた。痛いくらいに目頭が熱いのは、わたしのこれまでの日々が走馬灯の様に脳裏を駆け巡ったからだ。

 そして背中に回していた手を、徐々に腰へと移動させながらある物を掴んだ時、勘付いたウェスカーがわたしを押しのける様にして離れた。

 

「お前には学習力というものが無いな」

 

 手すりに背をもたれて立つ、わたしの右手に目をやってウェスカーは睨んだ。掴み取ったのは、ウェスカーのサバイバルナイフ。

 

「それで何が出来る? 止める為に俺を刺すか?」

 

 無理だ。そんなのわかってる。

 

「意識を苦痛に思うなら、新しい世界を迎えるまで待てば良い」

「ジルにしたように、わたしにもP30を試すの?」

 

 ウェスカーから一度も目を逸らさず、掴んでいた右手に力を込めた。

 

「このナイフを取ったのは、こうするからよ……!!」

 

 振り上げた手は自分の中心へ。自分で自分の胸に、ナイフを深く突き刺した。

 無意味な事を何故、ウェスカーはため息を吐く。馬鹿らしいと呆れている。だけどわたしは微笑うのだ。

 痛みは不思議と感じなかった。

 残された力を振り絞り、刺したナイフを一気に引き抜く。わたしの胸からは、大量の血液が噴き出した。掴んでいたナイフが血に濡れた手から滑り落ちる。出続ける血液があまりにも可笑しくて咳き込むと、口からも血が溢れ出てしまった。

 ウェスカーは眉間に皺を寄せた。胸の傷口が再生しようと閉じかけるも、それを抗うかの様にぱっくりと開くを繰り返し、いつまで経っても完全に閉じられる様子がないからだろう。

 指先に付着していた真新しい血液、治りかけの傷の様な、久しい痛みの感覚。わたしはずっと気になっていたのだ。

 高い再生能力の衰えか、バケモノになる以前の体に戻ったのか。でも、それ以外の変化は特別感じられはしなかった。原因の全てはわからない。わたしを抑える薬を過剰に受けた事での副作用かもしれない。

 だけど、これは単なる憶測に過ぎなかった。わたしを使った安定剤用の血液採取や、原因かもしれない薬の使用は、変わらずに続けられたのだし。

 再生能力の有無を試したかったからだけじゃない。この先のわたしの運命の選択をしたんだ。どちらかの結果になっても受け入れようと。

 再生すれば、何もかも諦めてウェスカーに従っていく。再生しなければ、死。

 傷口は、再生しなかった。

 全てを捧げたエクセラは死に、大量の出血があるわたしも、もう長くはない。これでこの男を助ける者は──誰もいなくなる。

 

「ざん、ねんね、死体じゃ、安定剤、もう作れない」

 

 失った血液の多さに意識が混濁する中、ずっとウェスカーから目を離さなかったわたしは、此処へ近づいて来る2人の気配に気付く。

 最後に微笑みを向け、手すりに力の抜けた身体を完全に預ければ、浮遊感が背中から伝わった。

 

 ──これで、これでわたしは……。

 

 終わったと思っていたのに。

 

 

 

 

 



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合衆国のエージェント
 1









 

 

 

 傷口が再生しなかったのは、打たれた薬による一時的なもの。変わりなく、今まで通り(・・・・・)だった。

 目覚めれば、今度は合衆国政府の管理下にある極秘施設。唖然呆然とするわたしの前に、当時合衆国の政府高官を務めていたディレック・C・シモンズが現れ、わたしが此処に来るまでの経緯を知った。

 そして、アルバート・ウェスカーの死も……。

 辛い日々は『終わった』とシモンズは言うけれど、何も終わってなんかいない。今も自分は、あの男の為に生かされた"存在"でしかなかったから。

 貨物船で刺した胸の傷が再生しないとわかった時、『やっと楽になれる』と、正常な人間としての死が嬉しく思った。

 だけど結局死ねなかった。

 襲って来たのは虚無感。

 異常となったわたしは、家族や友人と再会する事よりも、苦しみから全て解放される死を望んでしまっている。

 こんな状態のわたしなんか知られたくもない。きっと会えば迷惑をかけるだけ。両親や妹には、正常で穢れのないわたしの記憶だけを残してほしい。

 わたしはシモンズにある頼み事をした。それは──、ダイアナ・オブリーの正式なる(・・・・)死。

 その"死"は二週間後に叶った。

 公式の死は1998年の爆発事故で。非公式での死は、2009年極秘施設内での衰弱死となり、生きていたわたしを知る一部の人間にのみ伝えられた。

 ダイアナ・オブリーとして生きる事をやめたわたしには、異常な身体以外何も無くなった。役に立てるのであれば、せめて実験体としてこの身を捧げたい。そうシモンズに願い出る。

 

「実験に協力的なのは大変に有難い事だ。だが私は言った。君の様な存在を救いたい、助けになりたいと。このまま君を、ただの実験体にだけはしないよ」

「わたしを拘束しないの?」

「我々は君を救いたいだけだ。永遠にベッドに縛り付けたりはしない。君が消してしまいたいと思っているその命を、この私が貰おう。君のこれからをアメリカ合衆国の為に使ってほしいからね」

 

 断る意思も気力も無い。そのまま身を委ねれば、わたしには"エヴァ・グレイディ"という別の名前が付けられた。

 シモンズ曰く、死んで生まれ変わったわたしへのプレゼントらしい。

 身体検査の毎日が過ぎ、極秘施設とやらに来て一年くらい経った頃。抜け殻の様に過ごしていたわたしのもとに、シモンズが久々に顔を出した。

 

「──どうかね、体の調子は?」

「元気よ。……体は、ね」

「カウンセリングを拒否しているようだが、君の為にも受けた方が良いと思うんだがね」

「気が向いたら受けるわ」

 

 カウンセリングは苦痛でしかない。わたしの全てが奪われたあの時の事が頭の中でフラッシュバックし、いつも言葉に詰まってしまうからだ。

 

「なら話し相手を君に紹介しよう」

「話し相手? わたしは別に話し相手が欲しいわけじゃない」

「カウンセラーより話が通じると思うよ」

 

 そう言ってシモンズがわたしに紹介したのは、シェリー・バーキンという若い女性だった。訝しく見つめるわたしに対して少しおどおどした態度の彼女は、シモンズに促されながら簡単な自己紹介をし始めた。

 

「彼女はただの話し相手じゃない。全てではないが、君とは共感出来る部分があるんだ」

 

 聞けば彼女はラクーンシティの生き残りで、しかも両親はアンブレラの研究員。Gーウイルスを開発した父親が、ワケあってウイルスを自身に打って変異。化け物となってしまった父親によって体内に胚を植えつけられた幼い彼女は、その後のワクチン投与で一命を取り留め、ラクーンシティ脱出後にアメリカ政府にその身を保護されていたそうだ。

 

「シェリーはアルバート・ウェスカーに狙われていてね、その理由というのがGーウイルスで──」

 

 ワクチンを打った彼女は正常を取り戻したものの、Gーウイルスを完全に体内から消し去る事が出来なかった。その為、異常な程高い回復能力と再生能力を持つようになったと言う。

 

「彼女もまた、致命傷を負っても瞬く間に回復するんだ。もっとも、君の様に頭を撃ち抜いたり心臓を刺したりしても回復するかどうかはわからないがね」

 

 シモンズからシェリー・バーキンへ目を向ければ、彼女は暗い表情をしながら目を伏せた。

 

「……それが共感出来る部分?」

「それだけでも分かり合える。君にはそんな友人も必要だ」

 

 正直、今のわたしにお友達はいらないし、話し相手が欲しい気分でもない。『必要ない』と突っぱねたかったけれど、それすらも面倒だった。

 渋々受け入れる事にしたその日から、彼女とは毎日顔を合わせるようになった。『君達2人の心の安定を願って』と言う、シモンズの計らいで。

 初日はお互い無言。検査や実験、カウンセリングの合間に交流場として多目的室で会ったけど、わたしの『話しかけないで』オーラに感づいたシェリーも、終始口を開かなかった。

 翌日からは、勇気を振り絞ったであろうシェリーが声をかけて来た。わたしは変わらず無言で、彼女の顔すら見ない。けれどシェリーは諦めなかった。

 何度無視をしても、彼女はわたしに話しかけてくる。

 

「放っておいてくれる?」

 

 1ヶ月程経ったある日。わたしは遂に口を開いた。無反応が効かぬなら、あえて言葉にしてみたのだ。

 

「会ってるのは本心で受け入れたんじゃない。あなたも頼まれて話しかけてくるんでしょうけど、諦めて。お互いの為にもね」

 

 シェリーの顔色が僅かに曇る。それだけを確認したわたしは、彼女をひとり残して多目的室から出て行った。

 

「おはよう」 

 

 3日振りに会うと、シェリーは笑顔でわたしの前に立った。その表情には精一杯の明るさが。だけど緊張も混じっている。

 

「これは頼まれたからなんかじゃない。私の意思よ。エヴァと仲良くなりたかったから、だから話しかけているの」

 

 少しも逸らさずにわたしを見つめるシェリーの瞳は、とても純粋で真っ直ぐだった。──胸が痛くなる程に。

 シェリーの笑顔は、わたしには眩し過ぎる。

 

「あなたは嫌かもしれないけど、私はあなたに会えてとっても嬉しかった」

 

 それだけを一方的に伝えられると、今度は逆に彼女がわたしを残して部屋を出て行ってしまった。

 1人になった瞬間に思わず漏れた溜息は、思っていたよりも多目的室中に響いた。

 次の日もそのまた次の日も、シェリーは笑顔で話しかけて来る。どんなに冷たい態度でもお構い無し。

 挨拶だけだったのに、その日に何をしたのかとかいう内容も自然と追加になった。相槌を打つでもなく、無言のままにいるわたしの感想は特に求められていないらしい。一方的に話して満足し、そして去る。

 いつまで続けるのだろう。面倒だと受け入れてしまったのが間違いだったのか。

 

「彼女とは、まだ仲良くなれそうにないようだね」

 

 シモンズとの面会の日、未だシェリーとまともに会話も成立していない状況を知って、彼がわたしに言った。

 

「前にも言ったように、私は君の様な存在を救いたい。助けになりたいんだよ。今回会わせたのは、君達2人の心の安定の為だった。急かせたようで君は不服だろうが、いずれは気持ちも変わる」

 

 安定なんて望んでない。わたしがそう返せば、シモンズは眉尻を僅かに下げた。

 

「シェリーは君と出会えた事を大変喜んでいたよ。シェリーには心を許せる友人がいてね、辛い日々の中で耐えてきたのはその友人のお陰でもあった。けれども、真の意味でシェリーとわかり合えているとは言い難い。その点君なら、誰よりも彼女の痛みや苦しみを理解出来る。逆も然りさ」

 

 渋るわたしに対しても、親身な声で話は続けられた。

 

「シェリーは近々、合衆国のエージェントに就く」

 

 それが何だと言うのか。

 

「そして君もエージェントになるんだ、エヴァ」

 

 わたしは逸らしていた目線をシモンズに向ける。

 

「……エージェント?」

 

 何故自分がと、半笑いで問うた。わたしのような存在は悪用されない為に機密扱いされ、本来ならば永久的に隔離される運命の筈だ。

 

「そうだ。君の存在は表には出せない。──しかし、それは"ダイアナ・オブリー"であってエヴァ・グレイディではない」

「"中身"は同じだけど?」

「確かに」

 

 自虐をジョークと捉えたシモンズが笑う。

 

「勿論、漏洩は避けたい。我々が全力で阻止するよ」

「だったら尚更。閉じ込めておいた方が良いに決まってる」

「覚えているかい? 諦めたように自分の命を差し出した事を。そして私が貰い、その命をアメリカ合衆国の為に使ってほしいと言った事も」

「……ええ。だからお好きにどうぞと答えたわ」

 

 備えられていた椅子の背もたれに、軽くもたれていた上半身を真っ直ぐにしたシモンズから笑みが消えた。

 

「研究材料としてだけの存在では惜しい。訓練すれば、今よりももっと優秀な人材としてこの国の役に立てる。君からすればどうでも良い話だろう。だが我々にとっては人材確保は重要でね、特に今の情勢なら尚更欲しい。合衆国を脅かす存在は常に潜んでいるんだ」

「その脅かす存在を排除する組織に入れと?」

「そうだ。危険と隣り合わせの仕事だかね」

「でもわたしは、どんなに怪我を負ったって死なない身体だし、弾除けにも役立つわね」

 

 また自虐、──否、これはジョークのつもりだった。

 いつだったか、この施設で研究としての実験最中、研究員の目を盗んで医療用メスを手にしたわたしは、自分の喉を切り裂いて自殺を図った。

 残念だけど、当たり前のように死ねなかった。何故そんな事をしたのか。理由は今も時々考えてる、『死ねたら』っていうのがそう。衝動的に、ね。

 きっと実験の前に受けたカウンセリングのせい。思い出したく無い記憶が辛かった。

 因みにこの時の実験は、身体の再生能力を切って確かめる事だった。メスで腕を切ったりだとか、第一関節までの指を切断とか。わたし専用の麻酔をかけられてだけど。傷はあっという間。骨だけは時間がかかるらしく、小指の場合だと完全再生だけで20秒。

 そんな経過も目の当たりにしたら、益々自分の存在に嫌気が指す。きっと爆弾で弾けとんじゃっても、飛び散った肉片が別々の生き物の様に集まってだとか、残った少しの部分からだけでも再生していくのかも。想像して物凄く気分が悪くなった。

 一方、切り離された小指の方はどうなったのか。個別に再生してまさか──なんて思ったけれど、第二関節ぐらいまで再生したところで完全に止まり、不要とばかりに、まるで蜥蜴の切られた尻尾の様にそれ以上の変化は無く、腐る前にホルマリンに漬けられた。

 

「普通の人間ならばそこでお終いだ。どんなに優秀であってもね。君ならば終わりはしない」

 

 その身が朽ち果てる迄、永遠(えいえん)に──。

 ああ、嫌だ。永遠だなんて。

 

「……わかったわ」

 

 寸前まで断ろうとした。けれど、どうやったら死ねるかという考えが先にわたしを支配した。

 この施設で無駄に長く生かされるのだけは勘弁だ。だからエージェントになればもしかしたら、自分が死ねる何かが見つかるかもしれない。そんな理由で選んだのだ。決してシモンズの言うアメリカの為にではなく、自らの死の為に承諾したのだ。

 

 そしてその日から、合衆国のエージェントとしての訓練が始まった。

 

 

 

 



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 2

 

 

 

 エージェントの訓練の初日。施設の中の広いトレーニングルームで初めに行ったのは体術からだった。ある程度の基礎は身に付いているけれど、普通の人間だった時には苦手だった体術は、今の状態になってから力を出せば割となんとかなっていた。その為、わたしがした訓練は、逆に相手を殺さないように抑えるやり方だ。

 これが思っていたよりも難しく、わたしは何度か訓練相手を力で殺しかけた。そのせいで誰も相手をしたがらず、もうすぐエージェントとなるシェリーが自ら相手になった。

 

「正気?」

 

 まさか自分からシモンズに頼んで相手になるなんて。わたしは彼女の正気を疑った。

 

「ええ、正気よ」

「聞いてないの?」

 

 高い再生能力と回復能力持っているとはいえ、人間ではなくなったわたしを相手にして恐ろしいとは思わないのか。

 

「あなたの今の状態の事は、シモンズさんから聞いてる。私は、あなたがエージェントになれるように協力したいの。これは強制じゃない。自分の意思よ」

「だったら──」

 

 専用のトレーニングウェアを着たシェリーは、わたしの言葉を遮るように言った。

 

「恐くなんてないし、酷い怪我をしたって平気。私もタフだから」

 

 真剣な表情で体術の構えをとるシェリーを複雑に思ったわたしは、爪でひっかけないようにタクティカルグローブをして気を引き締めると、彼女と同じく構えた。

 ──殺したら駄目。力の加減を覚えないと。

 自分にそう言い聞かせ、シェリーからの打撃を体捌きで避けて間合いを詰めれば、シェリーも同じくわたしからの当身をなんとか避けていた。

 

「エヴァ、それで本気なの?」

 

 暫く続けていてからの挑発だ。わたしがシェリーを死なせないよう、手を緩めてしまっているのに気付いたからだろう。

 

「折角の訓練なのにこんなんじゃ意味がない! 私なら大丈夫、だから本気でかかってきて!」

 

 そうだ。彼女の言う通り、これは訓練なんだ。ここでぐだついている場合じゃない。エージェントになる為には、これをクリアしなければならないのだ。わたしは一呼吸し、迷いを振り切る様に構えた。

 打撃を受け、避け、詰め合う。体術を相当訓練しただろうシェリーは、わたしの攻撃を次々に避けていく。

 

「今度はこっち!」

 

 攻撃がこちらへ向かう。──が、次にどうくるかの動きがわかり、それを避けて回り込んだわたしは、シェリーの膝を狙って右脚で蹴った。

 

「あ!」

 

 蹴られてバランスを崩したシェリーが仰向けに床に倒れる。……隙だ。素早く覆い被さるようにして跨り、拳を振り下ろそうする寸前でわたしは手を止めた。彼女の鼻先に当たるか当たらないというところで。

 

「……ありがとう、良い訓練になったわ」

 

 わたしがそう言ってシェリーに手を貸せば、数秒目をパチクリとさせ、驚きと喜びが交じった表情でわたしの手を取り起き上がった。

 

「……ねえエヴァ、あなた今、私にお礼を言った?」

「言ったけど、何?」

「凄く嬉しくて!」

 

 ありがとうと言っただけでこんなに喜ばれるとは。シェリーは感動のあまりにわたしに抱きついてきた。

 

「ちょっと……!」

 

 突然過ぎて動揺したし、少しだけ恐かった。抱きつかれるのはいつ振りだろうか。遠い昔の記憶のように、妹だったあのこの事を思い出して胸が締め付けられる。

 

「あ、ごめんなさい!」

 

 恥ずかしくなったのだろう、シェリーは慌ててわたしから離れてくれた。照れ隠しで笑いながらスポーツ飲料を飲む彼女に背を向け、『また明日』と告げて去ろうとすれば、嬉しそうな声で『また明日!』と返ってきた。

 何故だか不思議と、ほんの少しだけ温かい気持ちにはなったけれど、やっぱりシェリーの笑顔は、わたしには眩し過ぎる。

 それからひと月と数日、訓練の相手をしてくれていたシェリーが一足先にエージェントになった。

 彼女のお陰もあってだと思う。体術は感覚を掴めるようになってクリア出来たし、ある程度予想はつけられていたその他の訓練は一度でOKをもらえた。

 

「今日はこれを届けに」

 

 エージェントとしての色々を学ぶ中、シモンズがわたしに会いに来た。医療用の中型アルミケースを持って。

 目の前で開けられたその中には、カートリッジタイプのペン型注射器本体と、青色と赤色をしたカートリッジが2本あった。

 

「これは【Control EVA】、cEVA (シーヴァ)と名付けられた。試作段階ではあるが、是非使用してみてほしいんだ」

「それは?」

「忘れてはいないだろう? 動きを奪う薬を」

 

 嫌な思い出が一気に蘇り、わたしは警戒を露わにシモンズを睨んだ。

 

「……何をするつもりなの?」

「エヴァ、先ずは話を聞いてくれないか?」

 

 やれやれと一つ溜息。シモンズが眉尻を下げ、近くのソファに腰を下ろす。わたしはその場に立ったまま、謎めいたアルミケースの中身から目を逸らしはしなかった。

 

「君からの情報で得ていた薬はBSAAに回収されて手に入らなかったが、救出したばかりの君の体内に僅かに残っていてね、消えてしまう前にその成分を抽出していたんだ」

 

 その薬の成分と、わたしの体内に存在するウイルスの抗ウイルス剤を掛け合わせて作り出されたそれは、一時的に体内のウィルスの活動を、僅かにだが抑制する効果があるという。

 

「君の体内にあるウイルスは増して強力過ぎる。任務において必要性がある時にならば役に立つが、送らなければならない日常生活では邪魔になる日もあろう」

「日常生活?」

「いずれは君もこの施設を出る」

 

 死ぬまで施設暮らしは覚悟の上だったし、こんな危険な自分が外で暮らしても大丈夫なのかと思っていたから驚いた。

 

「ずっと施設内で暮らす事も望めば可能だ。けれど長期任務で外へ行く場合なんかに、嫌でもアパートかホテル暮らしを要するし、当たり前に休暇もある。その際に人間離れした力は不必要だ。ウイルスの能力を上手くコントロール出来ていたとしても、感情とリンクして伸びる髪は止められないだろう?」

 

 確かに。これだけ唯一、感情に左右される髪は自分にとってやっかいだった。

 

「この薬は完全にウイルスを消し去り治すものでは無いが、使用に協力してくれれば更なる改良もされ、今後の君にとっての希望にもなってくれる筈だ」

 

 例の薬の成分が使われていると知って躊躇いは物凄くあったけど、わたしはその本体を手に取り軽く一呼吸した。試作段階で使用して死ねたら良いかもしれないと思いながらね。

 

「青色が抑える薬で、赤色は抑制を強制的に解除する薬だよ」

 

 シモンズの説明通りに本体に青色を装着し、彼に目を向けながら自身の首元に当てて打つと、小さな痛みが全身を走った。感じ的には──、それだけ。

 

「どうかね? 何か変わった感じはあるかな?」

「特に──」

 でも、何だか少し身体が重くなった気がする。

 

「そうか……、ああ、今髪の色が変化したよ。ブルネットに」

「ブルネット?」

 

 それを聞いたわたしは、慌てて鏡になるものを求めた。シモンズは部下に用意させると、わたしを映すように持って見せる。

 

 ──ブルネットだわ。

 

 確かに髪の色は薬の抑える力のせいなのか、ブロンドから以前のブルネットに変わっていた。もう一生、金髪のままだと思っていたのに。

 

「気に入ってもらえたら幸いだ」

 

 その後直ぐ、検査が始まった。この結果について簡単に言うと、『力は半分以下に抑えられた』で終わる。でも普通の人間の中身と同じになったワケじゃない。抑えられても体液や血液等は毒に等しく危険である事に変わりなかったし、一般の成人女性よりかは少しだけ聴力視力が高く、人にしては怪力に入るレベルだった。

 唯一目立って数値が下がったのは再生、治癒能力。小指の第一関節を切断して再生するまで一時間かかった。もしかしたらって期待もあったけど、回復に時間を要するだけで死にはしない。一番気になっていた伸びる髪は一応に抑える事に成功しているらしく、シモンズ曰く今後の改良も期待出来ると、開発チームは喜んでいたらしい。

 薬の効果は5時間。それ以降は元通り。緊急を要する場合に使用する解除用の赤い薬のテストは2、3度受けたけど、薬が入って数秒間、抑えられたあの薬を思い出してしまうくらいの苦痛を感じた。でも、取り敢えずは制御も解除も現状問題無かったようで、このまま使用を定期的に続けての様子見となった。

 

 2012年12月──。訓練をクリアしてきたわたしはエージェントとして合格が決まり、デビュー日の24日を控えた2日前にシモンズに呼び出された。

 

「おめでとう、グレイディ君。これで君も合衆国のエージェントだ」

 

 シモンズの目の前にあるデスクには、真新しいエージェント手帳と薄型の携帯情報端末があった。それらを見つめたままでいれば、柔らかな笑みを崩さないシモンズがこれからの話をし始めた。

 わたしがエージェントとして配属される先は、【 DSO(Division of Security Operations) 】 に決まった。2011年に大統領のアダム・ベンフォードの指示により設立され、アメリカ合衆国がバイオテロの脅威から国家を守る為に必要とした新組織なのだそうだ。

 

「本来DSOのエージェントは大統領直轄で働いてもらうのが主にであるが、バーキン君──、シェリーや君は任されている私の直属エージェントとなる事が決定してね、任務は全て大統領から私を通して行動してもらう事になる」

 

 そして初任務へと話が進み、シモンズは隅にいる秘書に用意させたノート型パソコンの画面をわたしに向けて見せた。

 

「東欧の紛争地域であるイドニア共和国へ潜入して、そこである人物と合流するんだ」

 

 画面には、アジア系の女性が映し出される。

 

「名前はエイダ・ウォン。優秀な私の部下だ。君には、別件任務で行動している彼女と先ずは合流してもらいたい」

「……合流するだけ? この人間と合流した後は?」

「もっと面倒な任務を望んでいたのかね? 初めはこんなものさ、大体な。エイダと合流すれば私に連絡を。その後で追加任務をする」

 

 初任務を無事に終える事を願っているよ。シモンズは、そう言ってわたしに握手を求めてきた。わたしは笑んでいるシモンズからその差し出された右手に目線を向け、少しの間を置いて彼と握手をした。

 

「ありがとうございます、大統領補佐官」

 

 

 

 

 



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イドニアでの再会
 3


 

 

 いつもと同じように目覚めてシャワー浴び、錠剤を水で流しむ。着替えはブルゾンにタイトめのジーンズとロングブーツ。レザーグローブも手にしての黒一色だ。ミディアムヘアにした髪は一つにまとめ上げて動き易く、面倒な化粧は程々にして終了。

 ここまでは、この施設でのいつもの日常の始まりだった。でも、今回からは違う。

 

「君の装備品だ」

 

 施設から出発する前に渡された武器は自動式拳銃が一丁、ダガータイプのナイフが二本。わたしはそれらを手にし、ショルダーホルスターに拳銃を。ナイフはレッグホルスターに装備した。

 施設地下から地上、何年ぶりかの外へ。久しぶりの風を頬に感じる間もなく政府が用意してきた車に乗り込んで空港を目指し、民間機に乗り換えてイドニア共和国へと飛んだ。

 

 生まれて初めて見たイドニアの空は曇っていた。世間ではクリスマス色に染まっているだろうに、この地にはそれが無い。それどころではない情勢だからだろうか。

 1980年代後半に民主化を果たしたイドニアは、軍部によるクーデター事件の内政混乱を政府の結束で収めたものの、僅かに残った過激派が反政府軍となって抵抗を続け、周辺諸国の不安定な状況に便乗した。加えてイドニアの貧困層の人間が暴徒化し、2010年には内戦状態になったという。

 静かだ。空港近くでは人気は無く、戦いの跡は少なかった。今から向かおうとしている場所は、一体どんな状況になっているのだろうか。

 取り敢えず持っていた携帯情報端末を取り出し、シモンズが送って来たメールでの座標を端末機で入力する。今いる位置から目的地が表示され、それを確認し終えると、一台だけ見つけたタクシー運転手に声をかけた。でも直ぐに『道が封鎖されてるから無理だ』と断られてしまった。

 

 ──仕方ないわね。

 

 車での移動が無理なら歩くしかない。わたしは暫く道沿いに歩いた。

 タクシー運転手が言っていた封鎖された道を抜けて進み続けていると、前方にやっとまともな街並みらしき建物が見えてきた。真新しいビルなんてのは見当たらず、古めかしい景色というか、歴史ある建造物が建ち並んでいる。人の姿は変わらず無く、何処か安全な場所に避難しているのかもしれない。よく見れば、爆撃か銃撃戦の跡なのか、所々崩れた家や建物が目立つ。それに、何かが焼けたであろう臭いが強烈に鼻についた。

 

 ──人?

 

 第一村人発見か。人が歩く気配に気付いたわたしは、息を潜めて身を壁に隠しながら様子を伺って見た。

 1人、2人か。会話をしながら急いで何処かへと走って行く。その手には散弾銃を持って。腕にはイドニア反政府軍のエンブレムが。彼等は雇われた傭兵らしい。

 何処に向かっているのか。傭兵2人組が走り去る方向を見つめていると、遠くで爆撃音がした。今現在の戦場を把握しつつ、再び携帯情報端末を開いて溜息を吐く。

 

「……最高だわ」

 

 戦場が目的地になっている表示から目を逸らし、携帯情報端末を閉じてブルゾンの胸ポケットに仕舞い込む。──とほぼ同時、わたしは反射的に背後からの銃弾を避けた。もう1人傭兵がいたのだ。微かな歩みの音が耳に入り、わたしを狙っているのは直ぐに察知出来ていた。

 わたしは再度撃ってくる銃弾を避け、素早くホルスターから拳銃を取り出して傭兵の腕を狙う。

 

「わたしはアメリカ合衆国の!」

 

 手帳を出す暇は与えられない。相手はひたすらにわたしを狙っている。敵認定されてるならと、撃ち返して頭を狙い、二発目で仕留めた。

 

「聞いてくれないからよ」

 

 仰向けに倒れた傭兵に捨て台詞みたいなのを吐いたわたしは、拳銃をホルスターに装着し、踵を返して目的地に進もうとした。けれど死んだ筈の傭兵は、何事も無かったかの様に立ち上がったのだ。

 いや、何事もなくなんか無い。傭兵の顔は、目が無数にあった。損傷している筈の頭からは湯気の様な、火の煙のようなものが少し出ている。

 

 ──回復した?

 

 人間じゃ、ないのか。確かこの地に来る前、反政府軍のバックについているという謎の組織の存在と、そいつらによって傭兵が【ジュアヴォ】というB.O.W.に変異させられているという報告資料を見せられた事を思い起こす。

 その最悪なバイオテロリ(組織)スト名は、【ネオアンブレラ】。只々無性に怒りが込み上げてくる。

 何がネオアンブレラだ。ふざけんな、くだらない、くだらな過ぎる。

 わたしは頭の傷を異常な速さで回復させた傭兵ジュアヴォからの銃撃を避けて近付き、怒りを持って回し蹴りで頭を蹴り割った。頭を割られた傭兵ジュアヴォはというと、ジュウと焼け付くような音を立てて発火し、その場で燃え尽きて消えてしまった。

 その様子を見終えたわたしは、伸びた髪を気にしながら目的地へと走った。

 道中、遭遇した傭兵ジュアヴォを何人か倒しながら進んでいると、やがて戦場で荒れ果てた街並みが姿を現す。何もかもが滅茶苦茶だ。身近にありながら身近ではない光景。空には軍用機が飛び交い、道は爆撃やらでガタガタ。燃えた車と戦車、それに建物の破壊によって彼方此方から煙が上がっているし、前方で何かが飛んで来て爆発した。

 

 ──BSAA?

 

 通りすがりに目に入るのは、死体となった兵士。腕にはBSAAのエンブレム。イドニア反政府軍対BSAAか。わたしはこの戦争真っ只中に突っ込んでいかなくてはならないらしい。どうやって此処から進もう。橋を渡れば目的地までショートカット出来るのでは等と、酷く冷静に考える。

 

「オイ、そこの!」

 

 反政府軍が陣を張ってるであろう橋を落とそうする苦戦中のBSAAを傍観していれば、バリケードの向こうでそのBSAAの隊員の1人に声をかけられた。

 

「わたしは、アメリカ合衆国政府のエヴァ・グレイディ! 任務の為、此処を通りたい!」

 

 動じずにエージェント手帳を相手に見せる。

 

「此処は戦場だ! 危険過ぎる! 独断では許可出来ない!」

 

 でしょうね。息を漏らしながらわたしは、バリケードを軽く駆け登ってその隊員の前に飛び降りた。

 

「ちょ、危険だと言っただろ!」

「許可は必要無い。任務だからあの橋を通りたいだけなの。空気だと思ってくれて良いわ。絶対にBSAAの邪魔にはならないから」

 

 作り笑顔を向けて真横を通れば、相手は焦りながらわたし阻止しようと前に出て来た。

 

「これ以上進めば任務の妨害と見做して拘束せざるを得ない!」

「そっちこそ、こっちの任務の妨害と見做して全力で抵抗するけど?」

 

 引き下がろうとしないわたしと相手が暫く押し問答している中、橋では戦いが繰り広げられている。また何かが爆発し、反乱軍の軍用機が上空を飛んで橋に向かっていた。

 

「あなた、戦わなくて良いの? 苦戦してるみたいだけど」

「言われなくても行くさ! わかってる!!」

 

 わかっている。の部分は、わたしへじゃない。片耳を押さえながら誰かに向けて応えたから。

 

「……わかったわ。ごめんなさい。此処からは動かない。だから、向かって?」

 

 観念したかの様に溜息混じりに伝えてみると、焦っていた隊員は此方を何度か振り返って確認しつつ、攻防し合っている橋へと駆け走って行った。

 

 ──今、だけは、ね。

 

 はい、待つの終わり。こんな所でじっと立っている訳にはいかないの。残りの隊員達も皆が橋に集中していて、わたしを気にも留めてない。今なら橋に近付ける筈だ。

 わたしは拳銃を取り出して走った。傭兵ジュアヴォ達と戦うBSAAの端で見えない様に下側に飛び降り、放置された車の陰に隠れつつ前を進む。意外にもジュアヴォ達には気付かれない。

 よし、このまま行けば先周り出来る。と思っていたけど、わたしには見えた。ううん、見えてしまった。ジュアヴォがBSAAの隊員を背後から撃とうとしているのが。

 

 ──関係ない。

 

 そうよ、関係ない。どうでも良い。わたしがやられてるんじゃないし。狙われている隊員がどうなろうと知ったことか。

 そのまま進めば良かった。見なかった事にすればって。でも身体が勝手に動いた。拳銃を持つ手が。指が。

 ジュアヴォの頭を撃ち抜いた瞬間、助けた隊員にわたしは気付かれてしまった。しかもジュアヴォ側にも。

 

「手が勝手に動いた」

 

 何度目の溜息だろうか。

 バレたら仕方がない。わたしは助けた隊員に軽く手を振った。よく見れば、さっき押し問答した相手だった。『さっきの!』と口が動いている。今はそれは置いといて、先へ進む為にジュアヴォを倒さなくては。

 直ぐには死なないジュアヴォ相手に怯ませる為に銃を放ち、脚や手を使って完全なる致命傷を与えて走る。狙撃を避けながらその飛び散る破片で頬に傷が付いたけど、気付かぬ間に消えは付きを繰り返した。

 

「こっちだ!」

 

 彼が崩れた上の橋側から手を伸ばす。

 

「必要無い!」

 

 わたしはその手を取らずに、自力で壊れた車を台にして駆け上がった。

 

「動かないと言った!」

「別にずっとなんて言ってない。任務だから仕方ないでしょ? それに邪魔にはならなかったわ。むしろ貴方を助けてあげた」

 

 突如現れたわたしに、他のBSAAの隊員もやっと気付き始めたらしく、『おい、何で民間人が』とか『誰だ!』なんて言い始めた。でもわたしは名前も知らない助けた隊員と向き合っていて、後の隊員達には背を向けて立っていた。

 

「本当に合衆国政府の人間か?」

「だったらどうぞ聞いてみて」

 

 埒があかないとばかりにいれば、『何やってる!』と背後から若い男の怒鳴り声が。声の主は此方へと走って来た。

 

「す、すみません! こ、この女性が、合衆国政府の人間だと言って勝手に!」

 

 目の前の助けた隊員が慌ててその相手に直るので、わたしはその人物に向けてエージェント手帳を突き出すようにして見せた。

 

「申し訳ありません。BSAAの邪魔になるつもりはありませんでした。こちらもたまたま任務の為にどうしても橋を通りたくて」

「合衆国政府の人間なのは分かったが……」

 男はわたしの差し出した手帳を自分の手で退けると、眉間に皺を寄せて言った。

 

「此処はただいま絶賛戦場中でね、お宅ら合衆国政府の人間に気軽にフラフラっと立ち寄られちゃあ良い迷惑なんだよ。状況を弁えてもらおうか?」

「ちょっと待って。まさか観光に来てるとでも? 地図広げて大きなキャリーケース引きずってるように見える?」

 

 上官だかなんだか知らないけど、こっちを目の敵みたいにして偉そうなのよ態度が。黙って反省していれば流せたかもしれないけど、苛立ちからか、言い返せざるを得なかった。

 

「任務で仕方なく通りたかった。邪魔にはならなかった。迷惑にも。しかも彼、わたしが助けた。感謝して欲しいくらい。以上。退いて下さる?」

 

 相手に詰め寄りながら威嚇の如くすり抜ける様に前を向けば、わたしの前にまた、誰かが立った。

 

 ──また?

 

 こういうやり取りはいつまで続くのよ。見上げた相手を視界に入れた瞬間、わたしは驚いた。

 

「ダイアナ……」

 

 とても信じられないという表情の彼──。もう二度と会いたくなかった相手、クリス・レッドフィールドが、わたしの目の前に立っていたのだった。

 

 

 

 



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 4

 

 

 

「ダイアナ、良かった生きて──」

 

 此処に来て初めてわたしは緊張した。BSAAの隊服を身につけた彼は、紛れもない存在。あの日を最後にして以来だ。でも、動揺は表に決して見せない。見せちゃいけないんだ。ダイアナは死んだ、もういない。冷静でいろ。

 そして彼の言葉を遮った。

 

「ダイアナ? 見間違いでは? わたしはアメリカ国家安全保障局のエヴァ・グレイディです。先程から信じてもらえないようなので、何なら確認を取っていただけても結構ですが?」

 

 そんな。見間違いなんかじゃない。信じられない。否定したわたしに困惑しているクリス。そんな彼を避ける様に、わたしはひとり前に出た。

 

「危ない!」

 

 警戒もせずに堂々と道の真ん中を歩くわたしに驚いてか、クリスが慌てながら周りを警戒して付いて来る。

 

「敵が潜んでいるかもしれないんだぞ!」

 

 真横に並ぶクリスは、わたしへと吠える様に言う。残りのBSAAの隊員はというと、クリスに合わせてなのだろう、先程の偉そうな態度の若い男がハンドサインをし、道の端、左右に分かれて警戒しながら同じく付いて来た。

 

「気配が無いし平気よ。今、はね」

 

 わたしはクリスの呼び止めを一切無視し、橋を抜けた先の中心地へと出て、周りに目を向けながら耳を澄ませた。

 

「だからって! 此処も橋と同じく危険に!」

 

 何とか止めようとしたのか、冷静に欠けたクリスが、咄嗟にわたしの左肩を掴んだ。掴まれたわたしはというと、条件反射で彼の手を振り払う。

 

「なら静かにして。貴方が大声上げたら来るでしょ?」

 

 わたしはレッグホルスターのナイフを手に取り、斜め前の二階建ての建物から現れた傭兵ジュアヴォの眼を狙って素早く投げつけた。皆は一斉に視線を其方へと向け、燃え尽きて消えたジュアヴォからわたしへと移して息を呑む。

 

「ダイアナ、お前……」

「違う」

「しかし間違える筈は!」

「人違いよ」

「ダイアナ!」

「違う」

 

 いくら否定してもクリスが諦めようとしない。BSAAの隊員達は空気を読んでいるのか誰も止めようとはしないし、辛くなってきたわたしは早くこの場から逃げたくなって、苛立ちを露わにして、その場に立ち止まってクリスを睨みつけてしまった。

 

「しつこい男に用は無い。ナンパは他でやって」

「オイ! アンタ!」

 

 わたしの言葉に異議を唱えるかの如く、堪えられないといち早く反応した例の若い男は、まるで番犬の様に噛み付く勢いで此方へと向かって来る。

 

「ピアーズ!」

「隊長! 何で!」

 

 クリスに呼び止められたその男は、ピアーズという名前らしい。何故言い返さないのかと不満そうなピアーズは、わたしを睨みながら指を指す。

 

「やめろ。俺が人違いをしてしまったんだ。彼女を責めるな」

 

 クリスはピアーズからわたしへと向き直り、『しつこくして申し訳なかった』と謝ってきた。

 ごめんなさい。クリス──。心の中で彼に謝るしか出来ない。わたしは敢えて何も応えずに、クリスから顔を逸らして歩みを進めた。

 

「国家安全保障局のシェリー・バーキンです!!」

 

 目的地までもう少しというところ、反対側から見知った相手が、エージェント手帳を見せながら此方へと歩いて来た。

 

「エヴァ!」

 

 目が合って気付いたシェリーは、緊張から解けた様に僅かな笑みを滲ませると、わたしを目指して小走りにやって来る。

 

「こんな所でエヴァに会えるなんて! 任務でイドニアへ?」

「ええ。まさかあなたもイドニアだったとは。知らなかったわ』

 

 私もよ。と、緩んだ表情のシェリーはその顔を一変させた。わたしの後ろにいた、クリスとピアーズに気付いたからだ。

 

「失礼しました! シェリー・バーキンです!」

 

 シェリーが冷静を装って彼等に向き直った。クリスはシェリーという名前を聞いて何かを思い出したらしく、彼女に『ラクーン事件の?』と、問いかける。

 

「どうして、それを?」

「クレアから聞いている」

 

 確かクリスの妹の名前だ。シェリーはその名前を聞いて直ぐに理解出来たようで、目の前の相手が"クリス"であるとわかった。どうやらクリスの妹とシェリーは面識があるらしい。

 

「隊長、後ろの奴は反政府軍です」

 

 ピアーズが誰かを見つめながらクリスに報告する。視線の先にいたのは、離れてひとり、放置された車にもたれながら怠そうにして立つ男。坊主頭で長身、左頬に斜めの深い傷跡がある青年だった。ピアーズが彼を反政府軍だと見たのは、腕にそのエンブレムが付いていたからだ。

 

「た、……確かに彼は傭兵です! 理由があって合衆国政府が保護しましたが、BSAAの敵ではありません!」

 

 事を穏便に済ませたいのだろう、緊張を含んだ顔をしたシェリーは、何とか今の状況をクリスに理解してもらおうとした。しかし何故だかわからないけれど、シェリーはクリスに向かって言いながらも、私に何度も何度も視線を送っていたのだ。その意味は全くもって意味不明だ。何かを気にしている様にも見えたけど、ワケを聞くのは任務後でも別に良い。

 それよりも──。

 

「金次第で化け物どもと隊列だって組むぜ」

 

 わざとなのか、挑発気味に鼻で笑いながら青年が呟く。

 

「何だと? 今何て言った!?」

 

 聞き捨てならないと反応したのはピアーズだ。それに応えてやろうとした青年は、車から離れてクリス達と睨み合った。

 

 ──早く此処から去りたいんだけど。

 

 溜息が出た。男同士のくだらない争い勃発か。しかし互いを見つめ合った青年とクリスには、妙な間が感じられた。

 

「……何だよ?」

 

 変に思ったのは青年の方で、クリスは先に目を逸らして『何でもない』と返した。

 さあ、わたしはそろそろ。一連の流れで嫌気がさし、任務の為に先に抜けようとした時だった。耳に入る軍用機の音。その音は、わたしの目を空へと向けた。そして周りには無数の気配。ジュアヴォだ。

 

「来る……」

 

 警戒態勢。連絡を受けたらしいクリス達BSAAの隊員らは左耳を押さえ、彼等もまた空に顔を向ける。すると、何処からともなく現れたジュアヴォらがそれぞれ配置に着き、高射砲を使って空にいるBSAAのヘリに撃っていた。

 そしてもう一つ。それは、反政府軍の輸送機によって運ばれて来た。超巨大な人型B.O.W.。

 前に立ち塞がる壁の如く、そのB.O.W.は地上に落とされる。御伽噺に出てくる巨人よりも悍ましい姿だ。目に付いたのは、背中に露出している赤い部分。巨大なチューブが刺さっている。牽引の為のモノか。

 

「話は後にしよう。隠れているんだ」

 

 クリスはシェリーとわたし、それと青年に向けて言う。隊員達はクリスに従うように装備していた短機関銃を手にし、一斉に銃口を巨大なB.O.W.へと向けた。

 一方でわたし達は踏み潰されないように距離を取りつつ、其々に拳銃を構える。馬鹿だと思うけど、ほんの一瞬、『足で踏み潰されたら死ねるかも』なんて過った。本当、馬鹿ね。

 シェリーは隠れるつもりなんて考えてないらしく、『一緒に戦わせて。守られるのはもう卒業したんだから』とクリスに言っていた。子供の時から政府のあの施設でずっと軟禁生活を送っていたシェリーにとって、わたしとは違った何かしらの思いがあるのだろう。

 

「傭兵のがよっぽど楽だったじゃねぇのか?」

 

 1人戦う意志の強いシェリーを放って置けない青年は、やれやれとボヤきながらも参戦。わたしは"ついで"だ。この巨人を放って置けば任務の邪魔になるし。

 クリスは仕方がないと諦めたのか、それ以上はわたし達に何も言ってはこなかった。それにBSAAはBSAAの任務遂行の為に忙しいらしい。ジュアヴォが放つ三機の高射砲を早急に対処すべく、巨人に警戒しながら爆破の準備をし始めていたから。

 巨人は闇雲に撃っても効かない。ただ、チューブが刺さっている赤い部分に一発当ててみると、巨人は痛がる様な大きな動作をしていた。わたしは巨人の振り回す腕を避けながら、剥き出しに崩れた建物の上の階から巨人を狙っていたシェリーに近寄る。

 

「シェリー、赤い部分が弱点みたいよ」

「オーケー、エヴァ!」

 

 わたしとシェリーが赤い部分を狙って撃てば、『口ん中も、だ』と、近くにいた青年も同じくそれらを重点的に狙い出した。

 

「はっ、デケェのだけ相手してる場合じゃねーな!」

 

 一方だけに集中は許されないようだ。 BSAAの隊員やわたし達を阻止する為、次々と傭兵ジュアヴォが現れる。青年はそれらに蹴り技を繰り出し、また、巨人を攻撃した。

 

 ──弾が。

 

 切れた。代わりは持ってない。周りを見て、青年やBSAAの隊員が倒したジュアヴォの側に短機関銃を発見。それを手に取ろうとした時、右からジュアヴォが襲って来た。わたしはそいつからのナイフ攻撃を避けて脚を折り、ナイフを奪ってトドメを刺す。

 次は後ろ──。背後に気配を感じ、肘鉄で対応しようと左腕を後ろに突き出した瞬間、知った痛みが走った。

 

「……ぐっ!」

 

 わたしの上腕辺りには、サバイバルナイフが突き刺さっている。背後から来たジュアヴォが刺したのだ。

 

「──っ邪魔よ!!」

 

 刺された怒り。わたしは決して逃すまいと右手でジュアヴォの顔面を鷲掴み、そのまま近くの壁にぶち当てて、更に力を込めて頭を押し潰した。壁は衝撃により当てられた部分から上が半分ひび割れて崩れ落ち、潰された頭の持ち主は燃えカスとなって消えていった。

 

「脆い壁だな。ヤワそうな腕したアンタに当てられたぐらいで」

 

 先程の光景を偶然目に入れていた青年が、ジュアヴォを倒しながら隣りで皮肉る。この時点でやっと、わたしは初めて青年と目が合った。時間にすれば数秒間。青年は一瞬だけ驚いていたようにも感じたけど、その理由なんて別に知りたくもないし、きっと、わたしの上腕に刺さったままのナイフに驚いただけよね。……という事にしておいた。

 

「う……っ!」

 

 ナイフを引き抜いて地面へと投げ捨てたわたしは、ジュアヴォのせいで拾い損ねていた短機関銃を掴み取り、巨人への攻撃を再開した。

 

「やった!」

 

 今のはシェリーの喜んだ声。BSAA以外のわたしとシェリー。そして青年の3人で急所を狙い続けた結果、巨人は倒れると同時に、ヘドロの様な色をして溶けていった。

 

「一機爆破!』

 

 同じくしてBSAAの隊員達は高射砲の一機目の爆破に成功。二機目に取りかかっている。

 残りのジュアヴォも始末しようと皆が動く中、巨人の邪魔が入らないお陰で二機目をすんなり爆破させたその時、わたしは先程倒した巨大B.O.W.と同じ気配を近くで感じ取った。

 

「あ、あれは!」

 

 シェリーが指を指した方向、建物によじ登って来たのはもう1体の巨人。どうやらBSAAが別の場所で逃したヤツらしい。

 

「まだいんのかよ!」

「さっきと同じところを狙うだけ!」

 

 わたしがそう言うと、シェリーも頷く。BSAAは高射砲の爆破や邪魔するジュアヴォで忙しいし、手の空いたわたし達が巨人を相手すれば良い。

 

「まどろっこしい!」

 

 青年が巨人の顔面を狙い撃ち、怯んで倒れた隙に巨人の肩に上る。何をするのかと見れば、刺さっているチューブを限界まで引っ張り出したのだ。

 

「これで狙い易くなっただろ」

 

 直ぐさま飛び降りた青年は巨人に向かって嘲笑った。大胆で命知らずな奴とは思ったけど、確かに彼の言う通り狙い易い。

 

「高射砲の爆破準備完了!」

 

 いよいよ最後の一機。爆破までの時間を稼ぎつつ、巨人やジュアヴォの相手をする。

 

「爆破!」

 

 高射砲は三機全てが爆破に成功。邪魔なジュアヴォを殲滅後、全員で巨大B.O.W.に一斉攻撃。簡単に敗れ、巨人は溶けていった。

 

「シェリー、さっきは助かった。礼を言うよ」

「そんな。クリスやBSAAの皆さんのお役に立てて良かった」

 

 BSAAの増援部隊が無事に着陸。それぞれに任務再開という事で、やっと解散となった。シェリーは任務で青年と共にイドニアから出る話をクリスとし、協力の礼としてBSAAのヘリで行くという。

 

「行き先は伝えてある」

「ご協力頂きありがとうございます!」

 

 シェリーとクリスは握手を交わす。

 

「エヴァ、任務が終わった連絡するわ!」

「別にしなくてもいいわよ」

「またね! エヴァ!」

 

 手を振ってヘリへと乗り込もうとするシェリーに軽く手を振りながら、わたしはまた青年と目が合った。

 

 ──何よ。

 

 目つきが鋭いだけなのか睨んでるのか知らないけど、取り敢えずわたしも彼を睨み返してみる。

 

「オイ」

 

 突然、クリスが青年を呼ぶ。青年は少しだけ苛つきながら『何の用だよ』と、わたしからクリスへと目を移動させた。

 

「何処かで会ったか?」

「ハ、阿保面に見分けなんかつくワケねぇだろ」

「テメェいい加減にし……!」

 

 悪態を最後にヘリに乗り込んだ青年に対し、許せないと熱くキレたピアーズをクリスがまたも止める。

 

「引きとめて悪かった」

 

 此処はもう良い、行ってくれ。シェリーはクリスの言葉に頷くと、青年が待つヘリと乗り。そして上空へと飛んで行った。

 

「キミはどうする? 乗って行かなくて良いのか?」

 

 ヘリの飛んで行く空を見上げていると、背後からクリスの声が。わたしへの問いかけだ。

 

「別の任務がある。……では、先を急ぐので」

 

 顔は見たくない。これ以上話したくない。わたしはクリスや他のBSAAの隊員らに背を向けたまま、この場から去ろうとした。

 

「まだジュアヴォは潜んでいるかもしれない。気を付けて」

 

 去り際にクリスが言った。でもわたしは何も返さず、振り向きもせずに行く。

 

 ──もう、出来れば彼に会いませんように。

 

 そこから少し離れた場所まで歩き、図書館らしき建物の前に立つ。此処が一応の目的地のようだ。

 

「誰もいないけど?」

 

 BSAAやジュアヴォ、人間すら周りにはいなかった。時間も指定されてないし、取り敢えず待っていれば良いかと暫く待機していたけど、エイダ・ウォンは一向に現れない。いつまで待てば良いのか。すると、わたしの携帯情報端末が音を鳴らして着信を知らせた。……非通知だ。

 

『初めまして、エヴァ・グレイディ』

「……あなた、エイダ・ウォンね? 何処にいるの?」

『ああ、待ち合わせ場所にまだいたのね』

「『まだいたのね』って、一体どういう意味?」

「ごめんなさい、エヴァ。残念だけど、デートはキャンセルよ。それじゃあシモンズによろしく』

 

 滑らかな笑い声を最後に、エイダ・ウォンから通話が切れた。

 

 

 



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 5

 

 

 

 エイダ・ウォンが来ないとシモンズに報告すれば、電話越しからでもわかるくらいに動揺し、とても憤慨していた。現れなかっただけでそこまで取り乱す事なのかと思ったけど。シモンズは"エイダ・ウォン"をそれ程までに信用していたのかもしれない。

 

『私としたことが……。取り乱してすまない、まさか彼女が私の命令を無視するとは思ってもいなくてね。折角の君の初任務が無駄足になってしまった。君にはエイダと合流し、彼女と共にバーキン君を手助けしてほしかったんだが』

 

 わたしの任務、エイダ・ウォンと合流後はシェリーの手助けだったのか。彼女が来なかった理由は知らないけど。まあ、偶然にもシェリーとは会ったし、最後は見送ってる。

 

『今は無事にアメリカに戻る事を祈ろう。君も戻って来るんだ。話がある』

「……わかりました」

 

 シモンズとの通話を終了し、わたしは彼の言う通りにアメリカへと帰国した。帰国後真っ直ぐに施設へと戻ると、先にアメリカにいる筈のシェリーがまだ帰国もしていないと知らせを受けた。しかも音信不通。幾ら待っても現れず、あの青年と共にシェリーは、イドニアから行方不明になってしまった。

 

「大変な事になった」

 

 施設でシモンズと会えば、彼は深刻な顔をして言った。

 

「わたしに話とは?」

「まあ、座りたまえ」

 

 壁にもたれて立っていれば、自分の目の前の置かれたソファに座るようシモンズに促され、わたしはそれに従った。

 

「今回の任務、バーキン君の任務は非常に重要かつ重大な極秘任務だった。君も会っただろ? バーキン君と一緒にいた若い男を」

 

 若い男と聞いてわたしが思い浮かべたのは、左頰に傷のある、目つきの悪い坊主頭の青年だった。どうやらシモンズは彼の事を言っているらしい。

 

「名はジェイク・ミューラー。バーキン君には、彼をこのアメリカへと連れて来てもらう任務を与えた。我々は彼を、どうしても保護しなければならなかったんだ」

 

 シモンズはわたしを見つめて深い溜め息ひとつ。眉尻を下げながら言った。

 

「ジェイク・ミューラーは……、アルバート・ウェスカーの実の息子だ」

 

 鈍器で頭を思いっきり殴られた様な衝撃だった。あの青年──、ジェイクがウェスカーの息子だったなんて。

 言われてから思った。ジェイク・ミューラーの顔はどことなく、"あの男"に似ている気がする。シェリーは知っていたから。だからあの、わたしを気にするような謎の視線を送っていたのか。わたしは意識をそちらへ飛ばしながら、それでもシモンズの話を聞いた。

 

「ウェスカーが珍しい特異体質であるというのは、君も既に知っているだろう。そしてその血を受け継ぐジェイク・ミューラーもまた、奴と同じ特異体質だとわかった。イドニアで確認されたC-ウイルス。彼にはそのウイルスの抗体があるんだ」

 

 昨今のバイオテロの増加、新たなウイルスの存在、珍しい体質のジェイクは悪用されかねない。シモンズは早急に保護しようと急いでいた。しかし、そのジェイクはシェリーと共にイドニアから行方が分からなくなっている。

 事は重大だ──。シモンズは頭を押さえた。

 

「GPSは?」

 

 わたしには万が一の事が考えられ、『何処へ行くにも必ず所持するように』と渡された携帯情報端末にGPS機能が備えられている。本来は身体に埋め込まれる予定だったけど、銃弾と同じく不要だと身体から外へと排出されてしまう為、今は改良中段階。身体に埋め込まないにしても、シェリーや他のエージェントにも任務時にはその機能が付けられている筈だ。

 

「イドニア上空を最後に消えたよ。付近へ捜索隊は出したが、まだ見つかったという知らせは無い」

 

 そんな。イドニアで会ったシェリーの笑顔が過る。

 

「バーキン君の任務が無事に終われば、機を見て君にも伝える予定だった」

 

 一応に気を使ってくれているのだろう。でも、遅かれ早かれだ。避けては通れない。

 

「話は以上だ。見つかれば直ぐにでも知らせる」

 

 その日から数日が過ぎ、年も明けて更に数ヶ月。捜索は続けられていたけど、シェリーとジェイクの行方は依然として見つかってない。あの通りから飛び立って少し、山間の場所からヘリの残骸がいくつか発見された。2人が乗ったヘリもその内の一機。遺体もあったみたいだけど、DNA鑑定の結果は2人のものじゃなかった。

 微かな希望。2人は生きているかもしれない。

 でも、何処へ──。

 見つかったという連絡も無いままに、イドニアで別れてから早半年が経った。

 この半年間、バイオテロ組織として際立っている存在が【ネオアンブレラ】。イドニアを中心とし、ジュアヴォ化した傭兵を使って今もBSAAと交戦状態が続いている。

 わたしのエージェント職の現状といえば、シェリー達が行方不明になってから三ヶ月くらいは政府の施設で訓練三昧だった。専用のGPSも無いまま、わたしまで行方不明になっては……と、シモンズが警戒したらしい。

 専用GPSが完成すると直ぐに体内に埋め込まれた。今のところ排出はされてない。国内で機能を確かめる為に副大統領の表敬訪問に護衛として参加させられたり、他のエージェントと一緒に犯罪組織を壊滅に追い込んだりの簡単(・・)な任務でエージェントの日々を過ごした。

 

『バーキン君の行方は変わらずだ』

 

 この頃特に忙しいシモンズとは通話のみで会う事も無く、指示は全て携帯情報端末へと送られて来る。

 

『捜索隊の数も今は減らさせざる終えなくてね、何としてでもバーキン君やジェイク・ミューラーを見つけなければならないのに。公に出来ないのがとても厄介だ。そこでなんだが、イドニア上空で墜落したヘリから行方のわからない2人の情報が無いかどうか、またイドニアに行って探って来て欲しい』

 

 もしかしたら生きてイドニアにいるかもしれない、と。なんらかの事情で連絡出来ずに留まっているのか、もしくは何者かに連れ去られてしまっているのか。それか最悪の結果、命を落としてしまったのかどうか。シモンズに『僅かな情報でも見つかれば探るように』と指示され、わたしは再びイドニアの地へ足を運んだ。

 

「こちらエヴァ・グレイディ。イドニア共和国に到着した」

『ええ、バッチリ確認したわ』

 

 携帯情報端末の画面に映し出された相手は【FOS(Field Operations Support)】のオペレーター、日系アメリカ人女性のマヤ・カトウ。

 FOSは無線通信で主にDSOのエージェントをサポートしている組織で、その指揮権を持っているのがシモンズ。今回からわたしにはFOSのサポートが改めて付けられる事になり、休暇だとしても関係無く、何処へ行くにもオペレーターに確認してもらわらなければならない。

 因みに彼女はわたしの専属になったようで、公にされていないシェリーやジェイクの状況をシモンズから知らされている1人だ。

 

「今回は前回とは違う方へ行くわ。観光地は避けてなるべく人がいる田舎の方へね」

『オーケー、エヴァ。見守ってる』

 

 マヤが笑顔で通信を切り、わたしは携帯情報端末を左側の胸ポケットにしまう。 服装は前とあまり変えてない。上着をカーキ色の厚手ジャケットにしたくらいだ。今のイドニアは過ごしやすい気候になっているとはいえ、朝晩はとても冷えるらしい。

 そして空港の外へ出る前にトイレに立ち寄る。ベルトに着けている小型のポーチからペン型注射器を取り出し、既に装着済みである青色を自身の首元に当ててcEVAを打つ。大幅な改良はされて無いけど、持ち運びは随分楽になった。

 

「っ……」

 

 小さな痛みが全身を走り、髪の色がブルネットに変わる。その様を鏡で確認したわたしは、一つに結んでいたミディアムヘアの髪を解くと、前回と同じタクシー乗り場に向かう。今回も一台だけしか居なかったけど、運転手は違う中年男性だった。

 

「この2人、見た事は?」

「ねえな」

 

 後部座席に乗り込んで直ぐ、わたしは携帯情報端末でシェリーとジェイクの画像を運転手に見せた。……即答する運転手にあまり期待はしてなかったし、一応に。仮に知ってたらもっと良い反応したのかも。

 

「で、何処へ?」

 

 訛り英語を使う運転手は、インナーリアビューミラー越しにわたしを見て話を切り替える。

 

「紛争区域外の、なるべく人のいそうな村か街へお願い」

 

 運転手は『はいよ』と返し、被っているハンチング帽を直しながら気怠そうに車を発進させた。

 多少の運転の荒さを無視し、車内の窓から外を眺める。晴れ間も無い曇り空、白樺の木々や湖。それらを通り過ぎて暫くすると、中世の街並みの様な古い家屋や建物が見えて来た。前に見た紛争地の建物とは打って変わって、此処には爆撃の後もBSAAや傭兵の姿も無い。

 全意識を外へ向けていれば、携帯情報端末からメールを知らせる着信が鳴って我に返る。

 

「此処で良い」

 

 タクシーから降りた場所は、何処か寂れた雰囲気のある小さな片田舎の街のバス停。日も暮れ始めていたけど、歩いている人の姿はちらほらと視界に入った。

 此処で降りた理由はマヤからのメール。この街は、2人が乗ってたヘリの墜落現場から一番近い街だった。

 

「本当に此処で良いのか? 昼間はそうでもないが夜は治安も良くない。もう夕方だし、少し戻ればまだマシな村が──」

「別に大丈夫」

 

 どうなっても知らねえぞ。親切心を無下にしたわたしに苛立ってか、運転手は窓から顔を出して唾を吐くと、乗って来た車でそのまま走り去って行った。

 わたしはそれを一切気にする事なく意識を他へ。道を歩いていた老人に自ら近寄って声をかける。英語が通じるのかどうかわからなかったけど、意外にも老人とは会話は出来た。

 

「人が集まる場所? 此処じゃあ、あの店だけだよ」

 

 老人が嫌そうに話すのは、この街で一番栄えているであろう一角にある、とある一軒の酒場だった。

 

「お嬢さん、アンタあそこへ入る気かい? やめときな、ろくでもない連中が行くとこだからね」

「それでも行かなきゃいけないの。ありがとう」

 

 止める老人にお礼をして、わたしはその酒場へと早速向かう事にした。

 酒場なんて入るのはいつ振りだろうか。緊張はしなかったけど、入る前から店の雰囲気があまりよろしくないと感じる。酒場のドアを開けて中に入れば、テーブル席やカウンターにいるガラの悪そうな連中が、わたしを値踏みする様な視線を向けてきた。

 

「いらっしゃい。珍しいわね、女性のひとり客は」

 

 カウンター席に腰を下ろせば、カウンターの内側にいる壮年の女性が英語で話しかけて来た。働いてるのは1人しか見当たらないし、彼女はこの店の店主なのかもしれない。

 

「どこから? まさか観光にでも来たの? 観光地なら他にもあるでしょ?」

「……アメリカよ。観光じゃないし、人を捜してるの」

「人捜し?」

 

 わたしは携帯情報端末を目の前に取り出し、画像を彼女に見せた。

 

「半年程前からこの街の近くで行方不明なの。女性はアメリカ人。名前はシェリー、男の方はジェイクという名前よ」

 

 女店主は画像の2人をよく見ていたけど、反応も薄く、全く知らない様子だった。

 

「この街は狭いからね、新しいのが来たら話にも上がるし直ぐにわかるの。それに店に来てたなら絶対覚えてるし。悪いけど、見た事無いわ」

「そう……」

「そうだ、待って」

 

 知り合いだとかいう外国人と商売している情報通が、『たまたまうちの店の客として居いるから』と紹介されるも、相手も同じく覚えが無いと言う。2人を見せた時の動揺も感じられなかったし、敢えて嘘を付いている様にも見えなかったので、女店主や情報通が言うように、2人はこの街には来ていないようだ。

 墜落現場から一番近い街だから、もしかしたらという期待もわたしの中であったんだけどね。

 

「ねえ、もう夜になるけど宿は決めた?」

 

 意識を戻して女店主に向き直る。

 

「まだよ」

「なら良い宿があるのよ。ほらあそこに座ってる人、あの人がその宿の店主でね」

 

 この酒場は新しい客に色々と紹介してくシステムなのだろうか。……まあ良い。どうせ適当に探す予定だったし。

 

「俺はベドジフってんだ。言葉通じてる? 直ぐに部屋に入るなら案内するよ」

「ええ、通じてるわ。オーケイ」

 

 肥満体型の中年男性が酒場の女店主に軽くウィンクするのを横目に酒場から出ようとすれば、女店主は何かを思い出したかのようにわたしを呼び止めた。

 

「あ、ちょっと待って!」

「何? チップが足らないとか、まだ誰かを紹介する気?」

 

 女店主へ振り向いて溜め息混じりに問えば、彼女は『違うそうじゃなくて』と首を左右に振った。

 

「捜してる2人とは違うんだけど、同じ半年か五ヶ月くらい前だったかしら? この街の人間じゃないのがふらっと現れてね」

 

 ピンと来たらしいベドジフがわたしの隣で『ああ、野良犬!』と、女店主より声を大きくして先に言う。

 

「そうそう、"野良犬"」

 

 この2人の言う"野良犬"って一体何。

 

「最近じゃ外国から人が来るなんて、滅多に無いしさ、もしかしたらソイツが知ってたりするかも知れないって思ったのよ」

「……関係ないと思うけど」

 

 女店主の言う"野良犬"とは、本人が名前を覚えて無いらしくて周りからそう呼ばれてる呼称だった。この街の言葉は喋らずに英語を使い、体格も良くて喧嘩か強いと言うので、もしかしたらBSAAのヘリに乗ってた隊員が生き延びてこの街に偶然流れ着いたのでは……なんて一瞬頭の中で過ぎったけど、まさかそんな筈は無いだろう。

 

 ──シェリー達とは無関係よ。

 

 酒場から出てベドジフの案内で宿に向かう途中、わたしは道の端でふと足を止める。

 

 ──何で。

 

 この街の"野良犬"の話を聞かされたわたしは、不思議とその相手の事が気になってしまった。

 関係無いと自分は思っているのに、何故なんだろうか。

 まあ良い。気になるなら実際この目で確かめてみたら良いんだ。そうすればこの『気になる』というのもスッキリする筈だ。

 

「どうした?」

「別に、何も」

 

 考えるのは明日にしよう。わたしは止めていた足を前に進め、先を歩くベドジフに付いて行った。

 

 

 

 



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 6

 

 

 

 

 酒場の女店主に紹介された宿に泊まった次の日、わたしは昼過ぎにもう一度酒場を訪れた。シェリーとジェイクの情報も見込めなかったから、この街にこれ以上長居する必要性もなさそうだけど、一つ気になっている"野良犬"に一目でも会っておきたかった。

 

「いらっしゃい。昨日はよく眠れた?」

 

 カウンター席に座れば、女店主が笑顔で迎えてくれた。

 

「居心地は悪くなかったわ」

「それは良かった」

 

 あの宿はこの街で一番良い宿なんだから。少しだけ得意気に、そして何故か嬉しそうに女店主は言う。

 

「何か頼む? お腹空いてない?」

「いいえ。水かジュースで良い」

「ここ酒場だけど?」

「体に合わないのよ」

「……なら仕方ないわね。チップも弾んでくれるし、オーケー」

 

 目の前に出されたオレンジジュースを一口飲んで、わたしは女店主に件の"野良犬"について聞いてみた。

 

「昨日教えてくれた"野良犬"の事なんだけど。この店にはよく来るの?」

「野良犬? よく来るっていうか、毎日。もう常連化してるわよ。払いが悪いくせにめちゃくちゃ呑むんだからアイツ。なんか暗いし乱暴だし、最悪よ」

 

 女店主は、"野良犬"と今は呼ばれている男がこの街に現れ、そしてこの店に来てからの事を教えてくれた。

 持っていたのは僅かな現金だけ。名前も忘れた男はふらりと現れ、酒を浴びる程呑み、その僅かな現金を使い果たした。言葉は酷く乱暴で暗く、似つかわしく無い体格の良さに皆の視線が集中した。酔って体をよろつかせながら店を出た男はガラの悪い連中に目を付けられたらしいが、全員返り討ちにしたという。酔っ払いでも見た目通り腕は立つという事で、その日から男には用心棒みたいな仕事が依頼されるようになり、 報酬の金でこの街の安宿を転々としながら酒場に出入りする日々を送っているそうだ。

 

「アイツが来るのは大体夕方以降だから。昨日は仕事してたのか遅くに来たわ」

 

 ならこの店で暫く時間でも潰していようか。残る理由は"野良犬"に会う事だけだし。

 この時間潰しに了解を得られたのは、女店主へ弾んだチップのお陰かもしれない。

 

「でも大丈夫なの? 私が言うのもなんだけど、この街って治安もあまり良くないのよ」

 

 政府と反政府の争いのせいもあってか、この街は以前よりももっと治安が悪くなり、物騒な連中も増えてきたと言う。外国から来た女1人のわたしは、そういう奴等の格好の餌食らしい。

 

「お気遣いどうも。殺さないように手加減はする」

 

 わたしの返しをジョークだと受け取ったらしい女店主が、他の客の酒を用意しながら若干不満気な表情を浮かべた。

 

「冗談じゃなく本当に心配して言ってあげてるのよ? 良いお客だから」

 

 別にこっちは冗談を言ったつもりは無いし、女店主への機嫌取りの訂正もしない。わたしは黙ったまま、グラスに残っているオレンジジュースを静かに飲み干した。

 

「……ねえ」

 

 それから二時間以上待っただろうか。注文してないオレンジジュースをわたしの目の前に置いて、女店主が小さな声で話しかけてくる。

 

「何?」

 

 一体何杯飲ませる気だ。断ろうとすれば、わたしにだけわかるように目配せをしてきた。

 どうやら"野良犬"が来たらしい。わたしは敢えて見ようとせず、気配だけで野良犬を感じ取る。

 のしりのしり。多少ふらつきながらの重みある足音、もう既に酔っているのか。野良犬はカウンター席の左隅に腰を下ろした。同じくカウンター席にいるわたしとの距離は、端と端だ。

 

「……いつものやつを出してくれ」

 

 常連化しているという野良犬は、当たり前のように女店主に言った。

 

 ──待って。

 

 知らない筈の野良犬の声は、何故だか凄く聞き覚えがあった。まさか何で。ざわりと騒ぐ心臓。覚えがあるどころじゃない。この声は──。

 わたしは端に座る野良犬に目を向けて驚いた。だってどう見たって野良犬と言うより……、いや彼は、あのクリス・レッドフィールドにそっくりであったからだ。

 

「もう一杯」

 

 注がれたウイスキーを一気に飲み干し、また同じのを注文する。

 

「今夜はツケなんてしないでよね」

 

 女店主がグラスにウイスキーを注いで出すと、野良犬はくしゃくしゃになった何枚かの紙幣を叩きつけるように目の前に出した。

 

「ツケ分以上だ。これで文句は無いだろ」

 

 ぶっきらぼうに、そしてまた一口で飲み干す。癪に触ったのだろう、眉間に皺を寄せた女店主はくしゃくしゃの紙幣を掴み取ると、ウイスキーのボトルを野良犬の前に乱暴に置いてカウンターから離れて行ってしまった。

 わたしは、酒を何度も呷る野良犬を横目にしながら暫く考えていた。

 

 ──どういう事?

 

 見た目が似ているだけなのか。少しだけ雰囲気が違う気がする。でも、風貌や声はあの時に会ったクリスと確かに同じ。彼が本人だとして、何故この街に"野良犬"としているのか。

 よくわからないけど、一応気になっていた野良犬には会えはした。だけどこれでよしとしてアメリカに帰るべきなのだろうか。

 

「おい野良犬」

 

 その決断に悩んでいた時、如何にも怪しげな連中の1人が野良犬に声をかけた。

 

「話がある」

 

 野良犬は背後にいたその人物の顔を見上げると、のそりと椅子から立って店の隅にあるテーブル席に連中らと席についた。

 女店主から聞いていた通り、野良犬はどうやら用心棒の依頼を受けている様子だった。耳を澄ませなくても聴こえてくるのは、先程の仲介人らしき男と依頼人の会話。依頼された日は今日の20時。場所に報酬金など。指定された場所でのやり取りから解散するまで依頼人の用心棒を務めるように依頼され、野良犬はそれを直ぐに承諾していた。

 

 ──何の為に?

 

 わからない。余計な接触は避けたかったけど、わたしはこのまま街を去る事がどうしても出来ずにいた。だから気持ちとは反対に、身体が勝手に動いてしまったのだ。依頼の現場へ──。

 街のとある倉庫跡。わたしは野良犬を尾行し、息を潜めていた。錆臭くて薄暗い中、ライトを照らしながら依頼人と共に野良犬は誰かと会っている。何の取引かは興味は無い。相手は数人、全員銃を所持。

 依頼人は現地の言葉で相手に伝え、野良犬をちらりと見る。相手も何かを伝えると、部下らしき者にアタッシュケースを用意させて中を開き、綺麗に整えられた大量の紙幣を見せた。依頼人はそれを確認後に携帯電話を使って連絡をし、誰かを連れたもう1人の男を倉庫跡に呼んだ。

 

 ──女性?

 

 両手を縛られ、口をテープのようなもので塞がれた女性は、必死に抵抗しながら男に無理矢理引っ張られていた。

 何かに巻き込まれたか、それとも人身売買のそれか。女性は相手方に渡り、依頼人はアタッシュケースを受け取った。

 

 ──胸糞悪い犯罪現場ね。

 

 わたしは下唇を噛みながら野良犬を見つめた。彼は目の前の悲願して泣いている女性から顔を逸らし、依頼人と共に倉庫跡から去って行く。

 

 ──ちょっと、何で。

 

 此処に来るまで、本当はもしかしたら、BSAA関連での何かの捜査なのかもしれないんじゃないかって勝手に思ってた。だからあんな風な感じで街にいたのかもって。

 倉庫跡から出た野良犬は、依頼人から札束の一つを受け取っていた。『また頼む』って依頼人が英語で言うと、そいつらは車に乗って野良犬だけを残して行ってしまった。

 

 ──何をしてるの?

 

 野良犬は倉庫跡を振り返り、黒の上着のポケットからスキットルを取り出して一気に呷った。そしてフラつく足取りで倉庫跡から遠ざかって行く。

 

 ──待って、まだ中に。

 

 取り引きされた女性がまだ中にいるのに。わたしは今直ぐに野良犬を追いかけたかった。だけど女性をあのまま見過ごせなくて、葛藤しつつも1人でまた倉庫跡に戻った。

 女性は縛られた状態で椅子に座らされ、ボスらしき男に顔面を何発も殴られていた。見るに堪えない様に拳を握り締めたわたしは、地面に転がっていた石ころをいくつか拾ってそれを数人の男の顔面に投げつけた。

 思わぬ襲撃に驚いた男らは銃を構えるも、顔面を抑えてうずくまる数名に気を取られている。わたしはその隙を狙って瞬時に行動。なるべく殺してしまわないように銃弾を避けながら体術を使って両脚や両腕を狙って骨を折り、全員戦意喪失にさせた。

 

「もう大丈夫よ」

 

 縛られていた女性を解放し、口を塞がれていたテープを外してあげると、女性は僅かに痛そうな顔をしていた。

 

「わたしが喋ってる言葉、わかる? 何があったかは知らないけど、助けが欲しいのなら出来るだけ協力するわ」

 

 数秒女性は黙ってわたしを見上げると、『ありがとう』と言って微笑んだ。どうやら言葉は交わせるみたいだ。

 

「……あなた、アメリカの人?」

 

 椅子からよろついて立ち上がった女性が、自身の指で流れ出ていた鼻血を拭いながら問うてきた。

 

「ええ」

「私はイギリスからよ。仕事で少し、……同僚がヘマをしちゃってね。もうサイアクなんだけど、その尻拭いをさせられたってワケ」

 

 仕事……。彼女は軽い口調でそう言って、地面に横たわりながら呻いているボスらしき男の顔面を蹴り上げた。

 

「あなたのお陰で随分と楽になったわ」

 

 そして顔面の蹴りで完全に気絶した相手の内ポケットを探って何かを取り出し、それを自身の上着のポケットに仕舞う。

 

 ──ただの人間じゃない。

 

 野良犬の前で泣いて頼んでいたのは演技だったのか。普通の民間人かと思って心配したけど、表情も今はけろりとしているこの女性からは違うものを感じた。でも、わたしは別に気にしないし探るつもりもない。わたしに対して敵意が無ければね。

 

「あなたが何者かはわたしにはどうでも良いけど、このままさよならでかまわない?」

 

 大丈夫そうならもう此処から去って野良犬を追いたい。

 

「良いわよ、どうぞ。……あ、ちょっと待って。今お金持ってる? お金無くしちゃったからタクシー代貸してほしいんだけど」

 

 わたしは躊躇いなく彼女に空港までのタクシー代金を手渡した。

 

「これで足りる筈よ」

「ありがとう。ホント助かる。そうだ、お金返したいから名前教えてくれる? 私、ジェシカ──」

「返さなくていい。それじゃあ」

 

 早く去りたいが為に言葉を遮ると、まだ何かを言いたげな彼女を一人おいて、わたしは倉庫跡から走り去った。名前を聞いたところで彼女とはもう二度と会う事も無いだろうしね。

 

 ──見つけた。

 

 歩いて行ったであろう元来た道の先に向かって走れば、意外にも早く野良犬に追い付ける事が出来た。ふらりふらりと前を歩く彼は、スキットルに入っている酒を口に含みながら何処かへと向かっている様子だった。

 

「止まって!」

 

 わたしは思わず彼を呼び止めた。だけどそれには応えてくれない。

 

「聞こえてるでしょ?」

 

 止まらない。

 

「クリス・レッドフィールド!」

 

 野良犬をそう呼んで、わたしは彼の前を塞ぐように立った。

 

「一体この街で何をやってるの? さっきのお金を受け取った現場で、あなたは助けを求めている人を無視した! ただの民間人じゃなかったけど、あなたなら区別せずに助けてる!」

 

 何年振りだろうか。わたしから、クリスの目を真っ直ぐに見つめたのは。

 

 ──クリス。

 

 間違いない。"野良犬"は確かにクリス本人だ。絶対に。

 でも──、何か反応がおかしい。

 

「……俺を誰かと勘違いしてるようだが、そんな名前の奴は知らねぇ。どきなお嬢ちゃん」

 

 彼はわたしの肩を押し退け、再び歩き出した。

 

「あなたは確かにクリスよ!」

 

 絶対、絶対に彼はクリスだ。何でそんな違うだなんて嘘を。わたしはクリスを追いかけた。

 ふと、野良犬がこの街に現れた時の状態の話を思い出す。

 

 ──まさかクリスは記憶を?

 

 半年前のあの日、何年振りかに再会したクリスは、わたしの事をしつこいくらいに覚えていてくれた。仮に嘘の演技をしてたとしてあの彼なら、わたしが目の前に現れたら、僅かにでも動揺する筈。なのにクリスは……、彼の瞳は、わたしを完全に忘れてしまっている。

 

「一体あなたに何があったの? BSAAは何を? ねえクリス! 待って!」

 

 もう一度引き止める為、わたしはクリスの腕に手を伸ばす。

 

「……っう、うあぁ!」

 

 その時突然、クリスは苦しそうに呻きながら地面に両膝を付いて頭を抱えた。

 

「クリス!」

 

 わたしはクリスの側に近寄り、前屈みになって咄嗟に彼の肩を掴んだ。

 

「大丈夫なの?」

「うぅ、……クソッ!」

 

 頭が痛むらしい。クリスは何度か荒く息を吐いた後、徐々に顔を上げてわたしを訝しみながら睨んだ。

 

「……クリスなんて名前は知らないと言ってるだろ!」

「それはあなたが忘れてしまっているだけよ」

「どけ!」

 

 わたしの手を振り払って立ち上がったクリスは、何かから逃れる様にスキットルの酒を呷る。

 

「クリス待っ──」

 

 行こうとするクリスをまたも止めようとすれば、今度は向こうがわたしの手首を掴んで引き寄せる。わたしはその力に抗う事をすっかり忘れ、クリスによって路地裏の建物の壁に背中を押さえつけられてしまった。

 身動きを取れないように自らの腕をわたしの胸元辺りに押し付けたクリスは、更に自分の身体を重石にするかの様に密着させた状態で、己の顔を近付けながらドスのきいた声で言う。

 

「いい加減にしろ」

 

 記憶は無くとも身体は覚えているらしい。普通の人間ならば身動きは完全に取れないだろう。でもわたしは違う。cEVA使用中の今は半分以下に抑えられていても、それでも抜け出すのは簡単だ。

 

「客が欲しいんなら別の奴を探せ」

「違う!」

 

 商売女じゃない。わたしは叫びたい衝動を抑える様にクリスを力で押し退けて離れた。

 

「ハ、なら、……何だ?」

 

 今更酔いが回ってきたのか、少し足下をよろつかせながら一歩下がったクリスの問いに、わたしの口は噤んだ。

 

「お前は誰なんだ?」

「わ、わたしは……」

「どうした? お前が金さえ払えば股開く女じゃないとして、何用でこんな俺を呼び止める?」

「わたしはただ、あなたが……」

「おいおい、恥ずかしがってないでさっさと言っちまえよ。ほら早く、早く言えって」

「や、止めてクリス……」

 

 いくら記憶が無くったってこんなの、こんな物言いのクリス、見ていたくなかった。

 

「手伝ってやろうか?」

 

 酷く哀しげに薄ら笑いを浮かべたクリスが、またスキットルのお酒を口に含もうとしていた。わたしはその瞬間に手を伸ばし、スキットルを地面に叩き落とした。

 

「もう止めて! こんなのは、こんなのはあなたらしくない!」

「……叩き落としちまいやがって」

 

 ひしゃげてしまったスキットルからわたしへと、クリスは目を向ける。

 

「ハハ、俺らしいって……。一体俺の何を知ってるってんだ?」

 

 クリスはもつれかけた足でわたしに詰め寄った。

 

「お前は俺の何だ?」

 

 もう一度彼は問う。

 

 ──わたしは、わたしは、わたしは、

 

 喉元まで出掛かったけど、それは答えられなかった。

 彼の何を知ってるのか。あの頃のクリスしか知らないのに。

 "死者"の想い出を今のわたしが語るべきなのか。

 いやそれは駄目だ。

 だってわたしは、彼の何者でも無い。

 

「わたしは……、わたしは合衆国、国家安全保障局のエヴァ・グレイディ。この街で人を探してた。あなたはBSAAのクリス・レッドフィールド。あなたとは半年前、任務の際に協力してもらった事がある。それくらいの関係よ。久しぶりに会ったら別人だから気になったの」

 

 ただ、それだけ。

 わたしは彼の前で冷静を取り戻すべく、感情を押し殺した。

 

「……俺はお前も、BSなんとかってのも知らない。知りたくもない」

 

 数秒黙って呟く様にクリスは言った。

 

「俺に構うな。さっさと消えろ」

 

 そう言い残し、彼はわたしを避けて去って行った。行く場所はどうせ酒場ぐらい。この街から出はしないだろう。わたしはそれ以上引き止めはしなかった。

 クリスの姿が見えなくなって暫く経っても、わたしはその場に立ち止まったままだった。

 

 ──何やってるのよ。

 

 自分からクリスを避けていたのに。

 腹が立つ程、物凄く自嘲した。

 

「マヤ、いる?」

 

 携帯情報端末を取り出してマヤに連絡を取る。

 

『連絡もしてこないで何やってたの? 場所はしっかり把握してたけど。で、何か情報を手に入れた?』

「残念だけど、この街にはいなかった」

『そう……』

「マヤ、半年前にイドニアにいたBSAAで何か起きてないか調べられる?」

『BSAA? ちょっと待ってて』

 

 マヤに調べてもらってわかったのは、シェリーとジェイクがBSAAのヘリで発った後、BSAA北米支部に所属するクリス・レッドフィールドが、率いる部隊と作戦行動中にネオアンブレラに罠にかけられ戦闘。負傷しイドニアの病院に搬送されるも失踪し、今現在も行方は不明なのだという。

 だからなのか──。クリスが記憶を無くしている理由を知ったわたしは、マヤにもう一つ頼み事をした。

 

「北米支部に所属している人間で、"ピアーズ"という名前の人物とコンタクト取りたいの」

『オーケー。聞いてみる』

 

 ピアーズという名前は思ってたよりも早く簡単に見つかった。何せBSAAには1人しかいなかったからだ。

 

『名前はピアーズ・ニヴァンス。彼と直接繋いでもらえるけど、どうする?』

「お願い」

『わかった。じゃあそのまま待ってて』

 

 マヤによって切り替わると、携帯情報端末から聴いた覚えのある声がした。

 

『合衆国政府の人間さんがBSAAに何用で?』

「あなた、ピアーズ・ニヴァンス?」

『そうだけど』

「半年程前のイドニアでのご協力感謝してます」

『半年……アンタ、あの時の』

「本題に入るけど、あなたたちBSAAは、まだクリス・レッドフィールドを見つけられてない?」

『あ? オイ、一体何が言いたい?』

「彼を早く迎えに来てあげて。場所は送る。以上」

 

 機器が割れてしまいそうな声を上げて何やら吼えているピアーズとの通話を強制的終了し、GPSでの情報をピアーズに送るように伝えたわたしは、これ以上の不必要な滞在に堪えきれずに街から去り、アメリカへと帰国した。

 

 この日から数日後、BSAAがクリスを発見。そしてアメリカと中国でバイオテロが発生した。

 

 

 

 















初めに考えたのと違う流れになってむずかしかったです
ゴ……クリスはそんなこと言わない

次回もお楽しみに!




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崩れた安寧
 7


 

 

 

 

 

 トールオークス市の大学内の会場で大規模なバイオテロが発生し、講演予定だったアメリカ合衆国大統領アダム・ベンフォードを含む、トールオークスのほぼすべての市民がバイオテロの犠牲になった。まさかの事態に政府は混乱を極め、わたしのいる施設内でもその慌しさが拡がっていた。

 そしてシモンズからの着信。その声は、僅かながら苛立っている様に感じられた。

 

『グレイディ君、仕事だ。cEVAは打たずに、直ぐに出発出来るよう準備しておいてくれ』

「はい。わかりました」

 

 準備の為、服を着替えようとクローゼットドアに手を伸ばす。すると再び、携帯情報端末の着信を知らせる音が鳴った。

 因みにこれは、直属となったわたしへシモンズから直接渡された端末だ。連絡が来るのは決まってシモンズか、それか繋がりでマヤしかいない。きっとどちらかであろうと思って表示を見れば、相手は非通知だった。一体誰だ。

 

『ハァイ、エヴァ』

 

 通話ボタンを押せばこの声。女性──、聞き覚えがある。

 

「……エイダ・ウォン?」

『覚えてくれていて良かったわ』

「用件は何?」

『今を楽しめているのかどうか気になって。……ああ、自ら籠の鳥になるのを選んでいるんだったかしら?』

 

 含みのある言い方が気に障る。

 

「何が言いたいの?」

『フフ、ごめんなさい。別に怒らせるつもりで連絡したんじゃないの。親切心からあなたに知らせてあげようと思って』

「なら早く言って」

 

 急かせるとエイダ・ウォンは『本当にせっかちね』と、溜め息混じりに話を続けた。

 

『保管されていたあなたの情報が、あなたのいる極秘施設から盗み出されてしまったの』

「わたしの情報?」

『ええ。全てよ』

「どうしてそれを?」

『盗んだ奴はシモンズに内緒で潜ませていた私の部下──だった男。優秀な人間だったからとっても残念ね。裏切りは勿論いけない事だけど、仕事はちゃんとしてくれたし、今だけは特別に見逃してあげたわ』

「わざわざどうもありがとう。用が終わりなら切るから」

『あら、随分あっさりな反応ね。自分の情報が盗まれたっていうのに』

「こんなの、遅かれ早かれよ』

『それもそうね……。それじゃあエヴァ、またね。早くそこから出られる世界になる事を祈ってるわ』

 

 通話を終了し、それをベッドへと放り投げる。エイダは本当に親切心だけでわたしに連絡をして来たのか。シモンズとエイダの関係性、二人の間に何があったのか。

 

「どうでもいい」

 

 さっさと着替えてしまおうとすれば、またもや着信が。今度はマヤからだった。

 はぁ、仕方ない。手を伸ばして通話ボタンを指でタッチする。

 

『……君のことは、大統領から聞いていたよケネディ君』

 

 マヤである筈が、聴こえてきたのはシモンズの声。近くではなく、少し距離がある。通信機を使って誰かと会話しているようだ。

 これは何なのかを問いたいところだったけど、わたしは黙って聞き流そうとした。

 

『大統領の死に君達2人だけで立ち会ったそうだが……。この卑劣なテロの容疑が君達にかかっていてね、特にハーパー、君はテロ発生前後に自らの任務を放棄し、大統領の側から姿を消している。これは何よりの証拠ではないのかな?』

『このテロを仕組んだのはあんたよ!』

 

 シモンズが話する相手の荒げる声。女性か。

 

『何を証拠に? 告発のつもりかね? ……私は合衆国を守る立場。国家の安定を保つ事、それこそが私の使命』

『嘘よ!!』

『君達は大統領を殺害したテロ事件の容疑者だ。無実であると証明したければ、是非とも私の前へ来たまえ』

 

 シモンズがそれを言い終えると同時、通話は切られた。

 何これ──。

 間違い電話にしては変だし、敢えて聴かせたのだろうか。

 理由は?

 ここまでの流れからわたしは、腹立ち紛れに携帯情報端末機を壁に叩き付けたくなった。それから3分も経たない内に着信。

 

「何度もご苦労様」

 

 嫌味を込めて応えると、次はちゃんとマヤが出た。

 

『ごめんなさいエヴァ。さっきの聴いてた? 突然FOSのオペレーター室に大統領補佐官が側近達と現れてね、何事かと思ってたら珍しく声を荒げて信じられない事を言い出したの。だからあなたにも聴いてもらいたくてこっそり繋げたわ』

「さっきのって、シモンズが言ってたテロ容疑者の事?」

 

 問えば、騒がしい周りの環境音にかき消されない程度の小声でマヤが言った。

 

『ええ。補佐官が容疑者だって言ってた相手、USSSに入ったばかりの元CIAのヘレナ・ハーパーと、あのレオンよ』

 

 USSS。合衆国シークレットサービスであるヘレナという女性は、今回のトールオークスのバイオテロの際、大統領の警護の一端を任されていたらしい。そしてもう一人、マヤが興奮気味に話すのはレオン・S・ケネディの事。

 彼は同じDSOの大統領直轄エージェントだ。アメリカ政府が一番の信頼を寄せてる人物で、DSO立ち上げメンバーでもある。配属されて直ぐに彼についての情報はシモンズから得ていた。あのラクーンシティでの生き残りだって。

 エージェントの中でも有名人な彼には熱を上げてる人も少なくないみたいで、マヤもその一人だ。こっちは聞いてもないのに、まるで崇拝者かの様に何度か彼の話題を出されてうんざりした時もあるくらい。

 実は一度実際に会った事がある。副大統領の表敬訪問の護衛での事前確認で会議室へ向かう途中、ホワイトハウスの廊下でレオン・S・ケネディにすれ違いざまに声をかけられた出来事があった。

 

「これ、落としたよ」

 

 まるでどこぞの映画俳優の様な端正な顔立ち。彼がわたしに手渡そうとしたのは、わたしのではない誰かの万年筆。

 

「わたしのじゃないわ」

「通りで。こんな渋めのセンス、俺でも使わない。キミのじゃなくて良かったよ」

「そうね」

 

 気になる事もないしさっさと会議室へ足を向けようとした去り際、『ちょっと待ってくれ』と再度呼び止められる。

 

「間違えたお詫びに、この後ランチでもどうかな? コーヒーの美味い店を知ってるんだ」

「悪いけど急いでるの」

「それは残念。呼び止めて悪かったよ」

「ええ。では良い一日を」

「良い一日を」

 

 そのまま踵を返して会議室へ。彼がレオン・S・ケネディだと知ったのは、用が済んで会議室を出た後の事。

 

「今日彼を見たわ」

「レオン・S・ケネディでしょう?」

「羨ましい。忙しいみたいだからなかなかお目にかかれないのよね」

 

 廊下を歩く女性職員達の楽しそうな会話が耳に入り、次に『あ、いたわ。彼よ』って発見したらしい声で、わたしは何となくその方向に目を向ける。彼女達と同じ様な興味があったんじゃなく、マヤから散々聞かされてたから何となくどんな人なのかついでに見てみただけだった。

 丁度外から室内へ戻って来た彼がホールを歩いてる。そう、わたしに万年筆を落としてるって渡そうとして来た人物が、レオン・S・ケネディ本人だったのだ。確かに凄く容姿の良い男性で、マヤが興奮気味にわたしに語るわけだと、その時はそう納得した覚えがある。

 この程度くらいしか彼を知らないけど、シモンズが言っていたように、あんな酷いテロを引き起こす人物なのだろうか。

 

「で、それを何でわたしに聴かせたの?」

 

 思考をマヤへと戻す。

 

『大統領に一番に信頼されてたレオン・S・ケネディがこんなテロを起こす為だけにわざわざ信用を得てただなんて思えないのよ。FOSで私の尊敬する先輩が彼を担当してるから、彼についての話もよく聞いているし』

「そんなのわからないじゃない。表面上は良く見えるだけかも。目的の為に手段を選ばない人間は沢山いるんだから」

『それはそうだけど、 でも……』

「わたしはシモンズの直属のエージェントであなたも仕事を請けてる。どこで誰が聴いて(・・・・)るかわからないのよ。発言には慎重になるべきだと思うけど?」

 

 レオン・S・ケネディを疑いたくない余り、冷静に欠けるマヤに対して敢えて強い口調で返す。別にマヤを嫌って言ったんじゃないのは確か。『表面上は良く見える』ってのはシモンズにも当てはめてるつもり。まあ、シモンズ贔屓だと思われても別にかまわない。

 

『そうね、エヴァ。私冷静じゃなかったわ』

「ええ。シモンズがわたしに仕事の連絡を入れてきたわ。気を引き締めて」

 

 通話を終了させて準備し終えると同時、シモンズからの迎えで空港へ。

 到着して直ぐにプライベートジェット機へ乗せられ、中で待つシモンズと合流した。

 

「中国へ向かう」

 

 シモンズが告げる。中国でバイオテロが起きたと。東欧で確認されたC-ウィルスが使用されているのだそうだ。

 

「中国でのわたしの仕事はあなたの護衛ですか?」

「その為に君を連れてる。この先色々と物騒だからな」

 

 何故こんな時に中国へ行くのか。何の為に──。

 少しだけ気にはしながらも、わたしからは詳しい理由を問わなかった。

 空へ発って少し、トールオークスで滅菌作戦が実行された。あのラクーンと同じように、全て消滅してしまった。それを今回も決議させた中心人物はシモンズだった。プライベートジェット内、通話一本。

 ラクーンでの実行の件は極秘内容で、本来ならわたしなんかが知り得ない事。だけどそれを知ってるのは、思い出したくも無いリカルド・アーヴィングとの等価交換で得ていたからだった。

 シモンズが裏で実行していたという事実を知ってるって事は、今現在誰にも話していない。カウンセラーにもね。

 

「グレイディ君、バーキン君から無事の知らせが入ったよ」

 

 中国、蘭祥。中国南部沿岸に位置し、複数の地区に分けられた大都市。到着して直ぐ、シモンズにシェリーから直接の連絡が来た。

 

「この半年間、ジェイク・ミューラーと共に中国で監禁されていたらしい。……裏切り者によってな」

 

 なんとか自力で脱出した2人は、どうにかしてシモンズへ連絡したのだ。シモンズの言う『裏切り者』とは誰なのかわからないけど、シモンズには心当たりがあるらしい。

 それよりも兎に角、わたしはシェリーが無事で良かったと安堵していた。

 

「彼女が送ってくれた現在地によれば、我々と同じ中国だった」

 

 急ぎシェリー達と合流しなくてはならないと、シモンズがとある場所へと移動し始める。

 わたし達は、中心部である達芝に近接している偉葉地区とへ向かった。空港で用意されていた車で街中を通る最中、バイオテロによる被害が及んでない中心部へ市民を避難させるべく、誘導の役割りをするBSAAの隊員達の姿が目に入る。他にも彼らは部隊を組み、被害が大きい地区へ次々と移動している様子だった。

 

「BSAAに足止めされないルートを行け」

 

 シモンズが運転手に命令を出し、正規ルートとは離れた道へと出る。道は避難する人や車で混雑していて、やがて車から降りて徒歩で向かわざるを得なくなった。

 偉葉は中心部と違って酷く荒れていた。スラム街から近い所為で治安も悪く、発生したジュアヴォにより更に悪化。シモンズの護衛達が突如現れたジュアヴォに苦戦する中、わたしだけは難なく応戦してシモンズの壁となっていた。

 

「──ああ、合流場所を送る。そこで落ち合おう。他の接触は避け、くれぐれも用心をするように」

 

 途中、シェリーに連絡を入れたシモンズが、クーチェンの崑崙ビルを合流場所に指示した。

 シモンズの壁をしながらのクーチェンへは特に、だった。護衛が1人が死んだけど。周りへの警戒を広げていると、上空から轟音がして立ち止まる。それほど遠くない場所で、民間航空機が派手に墜落したようだった。それもバイオテロの被害によるものだったのだろうか。

 

「……さあグレイディ君、急ごう」

「はい」

 

 崑崙ビルに到着して内部に入ると、シモンズは見知った様に歩く。

 

「以前此処へ?」

 

 今まで静かに黙って従っていたわたしが問い掛ければ、シモンズは僅かに眉間に皺を寄せて言った。『いいや。初めてだよ』と。なんて分かりやすい嘘だろうとは思う。いつもは冷静な人物であるのに、どこか何かを気にしている様な……。疑問はあるけど、特別それ以上追求する気もしなかった。

 

「バーキン君、合流場所へは来れそうかね? これ以上は危険が伴う。急いでくれ」

 

 またもシェリーに連絡を取ったシモンズが、ビル内部から屋外へ通じる線路沿いの裏手にまわる。線路の数は一本。まともに運行しているかわからない電車が何度か通り過ぎて行く。

 

 

「あそこで待とう」

 

 シモンズが指差し、外壁も無いコンクリート剥き出しの非常階段を上る。それ程高さはない最上階の屋上。このビルは一見、まともに使われているとは思われないような、安全性が感じられないような建物に見える。

 

「周りに高いビルもあります。此処は狙われやすく、危険では?」

 

 護衛の1人が、独特なネオン看板だらけの建物に目を配りながら言う。同意見だ。

 

「何の為の護衛かね?」

 

 シモンズが冷たい視線を向けて返せば、護衛は平謝りで外への警戒を強めた。

 すると、此処へ向かってる来る複数の足音がわたしの耳に入る。シェリー達か。いや、2人にしては多い。

 

「大統領補佐官、誰か来ます」

 

 わたしがそう言うと、シモンズは護衛達に前へ出るよう命令する。

 

「シモンズ!」

 

 男女2人が現れ、気づいて直ぐさまに銃口をシモンズへと向けて下段階から見上げた。よく見れば、男の方はあのレオン・S・ケネディだった。なら女はヘレナ・ハーパーか。

 

「おやおや。これは意外なお客人だ」

 

 そして数秒遅れてシェリーとジェイク・ミューラーがドアを開けて入り、シェリーが慌ててレオンらの前に出る。

 

「待って下さい!」

「バーキン君、この場所を彼らに教えたのは君かね?」

 

 シェリー達4人を見下しながらシモンズが問うた。

 

「貴方がテロに関与しているというのは、本当ですか?」

「余計な事まで吹き込まれたか!」

「答えて下さい!」

「アメリカの為、ひいては世界の安定の為だ」

 

 何故か、何故だかわからない。全く違う台詞なのだけれど、シモンズがソレを言った瞬間、テンプレートの悪役の様な台詞を吐いたあの男が頭を過って胸がざわりとした。

 

「それが大統領を殺した理由か!」

 

 レオンが怒りを露わにする。

 

「そんな、まさか大統領を……!?」

 

 シェリーが信じられないというような、ショックを受けた目をしてシモンズを見上げた。

 

「何を言うかと思えば。殺したのは君だろ? レオン・S・ケネディ君」

「どこまで卑怯なの!」

 

 ヘレナは今にも銃弾を放ちそうだ。

 

「エヴァ! どうしてあなたも此処へ?」

 

 シモンズの前に立てば、シェリーはやっとわたしに気づく。

 

「大統領補佐官の護衛。仕事よ」

「今の、聞いてたでしょう?」

 

 この状況の中、淡々とした態度のわたしを見つめながらシェリーは、『おかしいと思わないの?』と言わんばかりの表情を向ける。

 

「グレイディ君、バーキン君は騙されているんだ。あの2人に」

 

 答える前に先にシモンズが割り込み指差す。わたしはシェリーから、レオンとヘレナへ目を向けた。

 

「賢い君ならわかるだろう? 私がどんなにアメリカや世界の事を思い考え、君やバーキン君の心の安定を願って尽くしてきたのを」

「エヴァ!」

「シェリー無駄だ!」

 

 レオンがシェリーを止めようとすれば、シモンズが黙るわたしに痺れを切らして合図した。

 

「邪魔者は始末しろ」

 

 危ない。危機一髪。護衛達が放った自動小銃の弾がシェリーに当たりそうになる寸前、ジェイクがシェリーごと死角へ避けた。

 

「シェリーとジェイク・ミューラーは殺すな! まだ聞きたい事があるからな!」

 

 護衛達に命令を下すシモンズは、わたしにも続けて言う。

 

「よく考えるんだグレイディ君。君ならば直ぐにでもこの場を対処出来るだろう?」

「……大統領補佐官、シェリーをどうする気です?」

 

 わたしはシモンズと対面して訊いた。

 

「彼女は重要参考人だ。おとなしく同行してもらい、アメリカへ連れ帰る。何、殺したりはしない。情報を必要としているからね。本当だ。言っただろう? 私は君達の様な存在を救いたい。これからの平穏の為に、君とシェリー、2人の心の安定を願っていると」

 

 初めて会った時のように優しい笑みを浮かべるシモンズの瞳の奥は、黒い黒い、ドス黒い深い闇が見えた。

 

「わたしは────」

 

 

 

 



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 8





 

 

 

 

 

 心の安定なんて、平穏なんて望んで無い。

 目を逸らさずにホルスターから拳銃を取り出したわたしは、護衛達全員の頭を素早く撃ち抜いてシモンズへと銃口を向ける。

 

「愚かな! 一体誰に銃を向けているのか理解出来ているのか?」

 

 アメリカの事なんて、世界の事なんてわたしにはどうでも良い。今この時も、わたしは自分の死の為にいる。

 けれど……。

 

「わたしは安定なんて拒んだ筈よ。なのにあなたはシェリーを引き合わせた。彼女を知らなければ、わたしはあなた側へと平気で付いたかも」

 

 やっぱりわたしは、"エヴァ"になっても心の底から非情にはなれなかった。

 

「エヴァ、君には失望したよ。私が今まで君の為にしてきた事は、全て無駄だったようだな」

「自分の望む世界の為でしょ? ああ、でも、新しいわたしにしてくれた事だけは感謝してる」

 

 今まで隠していた怒りを、シモンズは苦虫を噛み潰した様な顔でわたしを鋭く睨んだ。

 

「シモンズ! もう終わりだ!」

 

 護衛が死んだとわかったレオンとヘレナは、無造作に置かれた輸送コンテナから姿を現して再度銃口をシモンズへと向ける。続けてシェリーとジェイクもだった。

 

「こうなれば仕方ない。実に残念だ。エヴァ、そしてシェリー」

 

 わたし達に向けられている銃口に少しも動じず、シモンズは不敵な笑みを浮かべている。

 何故か──。

 

「!?」

 

 わたしは誰よりも早く気づく。シモンズはまだ、この死んだ護衛達以外にも他に人を潜めさせていたのだ。何の為の刺客か。レオン達の背後を狙い突如現れた刺客は、麻酔銃の様なものを手にしてシェリーを狙い撃とうとしていた。

 

「後ろ!」

 

 打つよりも先に。わたしは刺客の頭を狙って自分のナイフを投げる。見事に命中して刺客はその場に倒れたのだけれど、刺客は一人だけじゃなかった。

 

「まだいるぞ!」

 

 ジェイクが体術でもう一人を倒し、次々と現れる刺客にレオンやヘレナも必然的に対応せざるを得ない状況になる。

 

「どうしたエヴァ? 君も参戦しなくて良いのかね?」

 

 シモンズが嘲笑う。銃口を向けているのがわたしだけだからだ。だからわたしも刺客を狙いに行けば、この場からシモンズは逃げてしまえる。

 

「動けば撃つわよ」

 

 引き金にかけた指を強調してそう返せば、シモンズは薄く微笑んで大声を張り上げた。

 

「今だシェリーに狙いを定めろ!」

 

 ジェイクやレオン達を潜り抜けた刺客の一人が、再度シェリーに狙いを定めて撃ち放った。

 間に合わない。わたしは人間離れした速さで下へと飛び降り、シェリーの背後に回り込んで彼女の盾になった。

 

「ぐううっっ!」

 

 代わりにわたしの首元へ放たれた針が刺さった瞬間、嫌という程味わった全身の痺れがわたしを襲う。これは四肢の動きを奪う薬だ。しかもわたし用に改良されたものと近しい。

 

「エヴァ!?」

 

 全身を硬直させて倒れ、酷く小刻みに痙攣したわたしをシェリーが押さえるように抱き起こす。

 何故これをシモンズが。

 わたしはシェリーに抱き起こされ、唯一自由のきく目を使ってシモンズを睨んだ。

 

「君自ら当たりに行くとは……」

「エヴァに、彼女に何をしたの?」

 

 わたしの様子にシェリーは悲しみと怒りの表情を滲ませ、咎めるような視線をシモンズに投げる。

 

「それは身体の自由を一時的に奪う薬だ。元はあのアルバート・ウ(悪党)ェスカーがエヴァを抑える目的で使用していてね、彼女の体内に僅かながら残されていた成分を我々が抽出し、似たようなものを作らせておいたんだ。言うことを聞かない相手を懲らしめるのにとても役に立ったよ」

「酷い!」

「すまないエヴァ。辛い過去を思い出させてしまって悪かったね」

「しっ……、モンっ、っズ!!」

 

 謝罪の言葉も挑発に聞こえ、怒りの作用で髪が伸びる。自由の利かない身体が憎らしい。動けるなら今直ぐにでも殺してやりたい衝動にわたしは駆られた。

 

「何処へ行くつもりだ!」

 

 刺客を倒し切ったレオンとヘレナ、ジェイクがシモンズに銃口を向ける。が、シモンズはお構いなしに立ち去ろうとする。余裕からまだ他に伏兵でもいるのかもしれない。

 すると、だ。突如シモンズの目の前に京劇の面を被った人物が現れ、シモンズに何かを放つ。

 

「うっ!?」

 

 シモンズは首元を押さえて注射器のようなものを外し、地面に叩きつける。何かを打たれたらしく、僅かに苦悶の表情を浮かべていた。

 

「ぐっ、あの女め……!」

 

 何かを打った仮面の人物はシモンズが護衛の銃を使って撃ち殺し、身を発火させて瞬時に燃え尽きる。ジュアヴォだったようだ。

 

「シモンズが逃げる!!」

「彼女は?」

 

 レオンとヘレナがシモンズを追おうとしながらわたしを見るので、『早く、シモンズを』と急かす。二人はシェリー達に目配せをし、逃げるシモンズを追いかけて行った。

 

「シェリー、あなた達も早く、この場から離れて。き、けんよ」

「でもエヴァを置いては行けない!」

「わたしは大丈、夫。この薬、劣化品だから」

 

 シェリーに身を任せていた上半身を自力で起こしてみると、シェリーは安堵して微笑んだ。

 

「シモンズの部下は、まだいるし、ジュアヴォだって潜んでる。さあ早く行って。後で追いかけるから」

「だけど……」

「おいシェリー、行こう。まだ終わってねぇぞ。あのレオンとかって奴も言ってただろ?」

 

 躊躇うシェリーを促すジェイクに『シェリーをお願い』と頼めば、『言われなくてもやるさ』とぶっきらぼうに彼が言う。

 

「……わかった。エヴァ、どうか無事で」

「あなたもね」

 

 シェリーとジェイクが扉の向こうへ去ったと同時、ジュアヴォが5体目の前に現れた。普通のとは違って変異したものらしく、足が節足系の虫の様だ。その脚を活かした大きなジャンプ力でこの階まで上がって来たらしい。

 

「何体来ようがかまわない」

 

 薬の効果を微かに残しつつ、わたしは立ち上がる。

 

「かかってきなさいよ」

 

 ジュアヴォが一斉に襲い掛かるより速く動き、床に落とした拳銃を拾って脳天を撃ち抜く。再生しようとする前にもう一発ずつ撃ち込み、リロードして撃つ。そして何度か繰り返す内に、現れた変異ジュアヴォは全て燃えて消え失せていった。

 早くシェリー達を追いかけなくては。急ぎ扉を開けるも、今度は蜘蛛みたいな変異ジュアヴォも追加されて、数体が立ち塞がるようにしてわたしを待ち構えていた。ふと視線を横にずらせば、気絶したシェリーとジェイクが今まさに連れ攫われようとしているのが見えた。

 

「シェリー!」

 

 助けに向かおうとするけど、ジュアヴォは次から次へと途切れる事なく現れてわたしを攻撃する。しかもそこへシモンズの側近達が現れ、三つ巴の戦いになってしまった。どちらかの攻撃を避け、反撃、避ける。

 両方を相手をしてる暇はないのに。

 

「邪魔!」

 

 その間にシェリーとジェイクが連れて行かれてしまった。2人を拉致するジュアヴォらを狙い撃とうとするも、わたしの拳銃は弾切れだ。

 こんな時に。攻撃を交わしながらマガジンを交換しつつ、背後から襲いかかろと来たジュアヴォの頭を腹立ち紛れに回し蹴りで割り、そのジュアヴォが落とした青龍刀を拾って胴体を叩き斬る。

 

「ああ! もう!」

 

 いくらわたしでも数十人を相手に一度には倒せない。すると、下の階から銃声音が。数名の足音と声。また敵かと警戒すれば、やって来たのは騒ぎを聞きつけたらしいBSAAの隊員達だった。

 

「撃て撃て!」

 

 彼らが来たお陰で、ジュアヴォとシモンズの側近達を倒し終える事は出来た。でも──。

 

「此処へ来る途中、ジュアヴォが2人連れて行くのを見なかった?」

 

 わたしが隊員にエージェント手帳を見せながら問うと、『ビルから出て行った変異ジュアヴォ数体を見た』と、別の隊員が教えてくれた。

 追いかけようとしたけど、高いジャンプでビルからビルへ逃げられて見失ってしまったのだと言う。

 

「なんてこと……」

 

 まさか2人が攫われてしまうなんて。

 

「他に誰か?」

「わたしだけよ」

 

 辺りに警戒を広げ、状況を伝える為の無線連絡をし始めるBSAAの隊員らを他所に、わたしは携帯情報端末を取り出す。

 

「マヤ?」

『ああエヴァ、無事良かった。大統領補佐官と中国へ行ったっきり連絡もしないから、あなたに何かあったかと思って心配してたんだから。それにあなたの情報が盗まれたって報告が上がってる』

「そうみたいね」

『知ってたの?』

「ええ」

 

 どうや"エイダ・ウォン"が言っていたのは本当だったらしい。

 

「それより、こっちも大変な事態になったわ。今回の大統領殺害とバイオテロだけど、シモンズが関与してる疑いを持ったまま逃げたの。それをレオン・S・ケネディとヘレナ・ハーパーが追ってるわ。そっちでも何か聞いてない?」

 

 マヤにFOSでの状況を訊く。わたしが中国へ行く時よりも更に混乱を極めたらしい。でも、イングリッド・ハニガンというレオンのサポートをしてる女性が中心となって、なんとか場を納めたようだった。

 マヤが憧れるレオンは一時、トールオークスの滅菌作戦でヘレナと共に死亡したと伝えられてたみたい。でも実はシモンズを欺く為だったそうで、絶望から一転、生きてるとわかってマヤは凄く喜んでた。

 

『シェリーとジェイクとは合流出来てないの?』

「それが──」

 

 悔いながら2人の事を報告する。多勢を1人で相手してたのもあったけど、それでも二人を目の前で攫われてしまったのは、わたしが至らなかった所為だ。

 

『ジュアヴォが2人を?』

「誰が指示したのかはわからないけど、半年も2人を監禁してた人物と同じだと思う」

 

 何故監禁する必要があったのか。ジェイクがあの男の息子で同じ特異体質を受け継いでおり、しかもC-ウイルスの抗体持ち。それをなんらかで知ったシモンズが、悪用を防ぐ為の保護を目的とした極秘任務をシェリーに命じていた事を、わたしはマヤに伝える。

 マヤはその情報を知らされてなかった。

 

『なら大変。至急上層部に伝えないと。レオンを担当してる先輩にこの事を報せるわ。大丈夫。彼女は上層部にも一目置かれてるし、とても信用に値する人物だから』

「ええ、急いで」

『あなたは? 上層部があなたを至急アメリカへと戻すようにって通達が出てる』

「こっちは何とかなるから、シェリー達を優先に」

『わかった。あなたの無事も祈ってる』

 

 通話を切れば、BSAAの隊員らに達芝への避難を促される。いくら合衆国のエージェントだとしても、ジュアヴォがまだまだ現れるこの地区は危険であると判断されたようだった。別に拒否する理由も無いし、促されるままに歩みを進め、丁度崑崙ビルを出た時だった。

 

「あれは……!」

 

 隊員の一人が言った。

 どこからか放たれたミサイルが、達芝方向へと向かっているのが見える。そしてあっという間に上空で爆発。達芝の街が蒼いガスに覆われた。

 

「こちらインディア! 達芝へのミサイルを確認! 応答せよ!」

 

 達芝にいるであろう仲間への応答を待つと、数分後に途切れ途切れで通信が入る。

 

『達芝に……は来るな! テロ……により住……人が……ぐわあああ!』

 

 通信は途中でノイズと共に途切れた。他にも達芝からの応答はあったけど、どれも同じようなものだった。

 隊員達は悔しさを滲ませながら小隊長らしき人物の判断を仰ぎ、達芝から逃げて来るであろう仲間の隊員らと合流すべく、達芝と偉葉の境を目指した。わたしは途中まで彼らと行動し、偉葉側にいた別小隊の協力を得て空港へと戻る事が出来た。

 空港へと到着すると、別任務で一緒だったDSOの同僚がわたしを迎える。情報が極秘施設から盗み出された事により、容疑がかかったシモンズによって隠されていたわたし(ダイアナ)の経歴が上層部に上がったそうで、悪用を防ぐ為と、今回の重要参考人としての保護も兼ねての迎えだった。

 

 そして今回の結末は、首謀者のネオアンブレラのエイダであるカーラ・ラダメスと、元大統領補佐官ディレック・クリフォード・シモンズ両名の死亡が確認、バイオテロによる被害は抗体を持つジェイクの協力もあって抑えられ、事態は収束していった。

 それからの詳しい事はわからない。わたしにはそれ以上の情報は得られなかった。何故ならわたしは、合衆国の極秘施設で軟禁状態になっていたからだ。

 合衆国政府内を牛耳っていたシモンズがいなくなった今、管轄下にあったわたしとシェリーは、関与を疑われての参考人として長い期間拘束される事になってしまった。

 

「エヴァが無事で良かった」

「あなたもね」

 

 3日ぶりにシェリーと再会した。聴取の為に待機させられていた廊下で、挨拶程度の会話しか出来なかったけど。

 2週間後。疑いの晴れたシェリーが軟禁状態から解放され、一足先にエージェントに復帰したと、シェリー本人からの手紙で知った。

 同じく容疑から外れたわたしはと言うと、2ヶ月経っても施設から一歩も外へ出られないままだった。

 カーラの部下だった人物が極秘施設内で研究員として働き、わたしの情報を持ち去ったから。その所為で新たなバイオテロを警戒しての隔離なのだと。

 

 

「ダイアナ・オブリーに戻るかね?」

 

 半年後のある日、急死した大統領に代わって務めた副大統領が、大統領になって面会にやって来た。シモンズが死んだ今、DSOやFOSの指揮権を持っているのは彼だ。

 

「いいえ。ダイアナは死にました。可能であるならわたしは、エヴァ・グレイディでいたい」

「そうか。わかった」

「あの、大統領。わたしの軟禁状態は解かれますか?」

 

 仕切られたガラス壁の向こうにいる大統領を見つめれば、大統領は小さく溜息を吐いた。

 

「君の仕事はとても優秀で、私も買っていたんだ」

「この特殊な体質を哀れに思ってくれるのであれば、わたしはエージェントとしての復帰を望みます」

「君の気持ちは理解出来なくもない。そこまで望むのなら、復帰を視野に考えてみよう」

「お願いします」

 

 

 大統領からは何も音沙汰が無かった。

 折角自分の死への手がかりを見つける道だったのに。

 このままわたしは、この極秘施設で永遠に閉じ込められてしまうのかもしれない。

 

 ──それから年月は経ち、2015年を迎えた。

 

 

 

 

 



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