おーばーろーど ~無縁浪人の異世界風流記~ (水野城)
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1章 無縁の人 プロローグ

 無限の楽しみを追求できるDMMO-RPG

 

 ―――ユグドラシル―――

 

 嘗ては日本を代表するゲームとして名声を馳せたが、それももう過去の栄光。各所に多大なる影響を与えながらも、今夜、その幕を下ろそうとしていた。

 

 

 

 サービス終了はネットゲームならばいつか必ず訪れるものである。だが、このゲームだけは誰もが別だと考えていた。栄華を極めた文明も一度崩壊すると二度と栄えることはないと言われるように、ユグドラシルも一度右肩下がりになれば、あれよあれよと見る間に下がり続けた。何ともあっけない物であった。

 

 自分は社会という柵に呑まれ、息をつける時といえばユグドラシルをプレイしている時だけだったろう。伸び伸びと感じ、考え、動く。それが出来る唯一の場所であった。

 終わっても別のゲームをすればいいと割り切った考えはできるのだが、ユグドラシルで生きてきたもう一人の自分という存在が死んでしまうという事実に、何とも言えぬ歯痒さを覚えてしまう。形容しがたい哀しさが胸にあるのだ。

 

 ソロプレイヤーであった。己の好きなロールプレイを続けてきた。ギルドに誘われたこともあったがやんわり断り、時には野良パーティに入ってアイテム採集に費やすこともあれば、傭兵として雇われ小金稼ぎをしたこともあった。

 

 自由なプレイを行ってきたつもりだ。時には苛烈に戦い、一時の平穏を過ごせばまた戦う。ゲーム内では何よりも喧嘩が好きであった。ゲームの中であろうと身の内にグツグツと滾り立つものを感じたことは数知れず。派手に戦い、暴れ、遮二無二突き進む。

 

 そんな無茶なプレイングであったがやはり思う。本当に悔いは無いか、一つの人生といってもいいユグドラシルをこのまま終えてもいいのか。自由気ままに振舞い、現実でのストレスを散らしていただけであったが、そこそこ名の知れた、知る人ぞ知るプレイヤーの一人にもなれることができた。

 

 だからつい、こぼれてしまう。

 

 

 

 

 

 

 

「あっけないなぁ………」

 

 湖の傍らで肘をついて寝ている男が、ボソリと呟いた。その言の葉には、言い表せぬ哀しみが込められている。なんとも憂鬱な。

 

「この辺の自然の美しさには驚いたなあ」

 

 男はゲームプレイ初日の思い出に浸る。ユグドラシルを始めて幾年、色々ありすぎた。だからこんなにも別れが惜しい。

 

 所謂カンストプレイヤー。最も人口の多い人間種のありふれたポピュラーなプレイヤーの一人として、長い時間を他プレイヤーと同じように捧げてきた。

 だが、男の装備は何とも見窄らしい。和服の着流し一枚に刀を一振り佩しているだけで、アクセサリーの類はちらほら見受けられるがとてもカンストプレイヤーには見えない風貌である。

 

 しかし勘違いすることなかれ。彼は侍を、正確には浪人をロールプレイしているだけであり、ガチ装備がまた別に用意してある。彼はあらゆるユグドラシル史の場面にふらりと現れては掲示板で叩かれ、称賛された。

 

 背中まで届くポニーテールを振り上げながら彼は立ち上がると、コンソールを開いてフレンド覧を見てみた。やはり何人かログインしている。

 メッセージを送るでもなく、ただ載っている名前を見流す。自分と比べて何とも個性的な名前を見ながら彼らとの思い出に浸り、すっかり感傷的な気分に入りきっていた。広いが浅い友好関係、中には親友と呼べた者もいた。そんな者たちと現実では体験できない広く美しく闇が見え隠れする世界を、気ままに見て回った。時には剣を振るって闘い、強者たちと立ち合い、一時の中で親睦を深めた友と語り合う。

 

 自由にプレイしたつもりだ。

 

「最後にバカなことでもしたら綺麗に終われるか?」

 

 視界の端に映る数字が何かに駆り立てる。最後だ、記念だ、誰だって派手なことをしてこの世界に別れを告げている。プレイヤーが大勢集う街の方からは花火の爆音と閃光が、男の背中にまで届いていた。

 

 時計が、流れる時を数えている。終わりが近い。

 

 終焉を告げる数字が、男を突飛な行動に走らせた。入水自殺とでも言うべきか、湖に飛び込んだ。忽ち水泡が視界を埋め尽し、そのまま時が来た。

 

 0:00:00――――

 

 男は自分の体温が失われていくの感じたが、辛苦(たしな)みつつ沈んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 気付いたのは直ぐであった。息苦しさに耐え兼ねて水面に顔を出した時だ。

 

(何だ? 終わってない?)

 

 予定ではリアルに戻っている時間のはずだが、どういうことかまだゲーム内に残っていた。

 

(いやそれどころか辺りが明るい。夜のはずだったが寝落ちでもしたか………?)

 

 周りの異変にも勘付く。先ほど飛び込んだ湖畔の光景ではなかった。うっそうとした大自然の中、吹く風に木々たちが枝を揺らし、ザラザラと自然の音楽を奏でている。水に浮きながらであったが感動が胸を一杯にした。だが、すぐに冷静になる。妙に肌の感触が気持ち悪い。

 

(ん? 感触だと………)

 

 おかしい。水の感触が、肌に着流しが張り付く感触にリアリティがあり過ぎる。ゲームではこのような処理は働かなかった。

 

 暫し水面に顔を出しながら無心になった。

 

「さっさとここを出よう。分からんがイベントでも起こったのかもしれない」

 

 浮いているだけでは何も始まらないと思い畔に上がり、コンソール画面を開こうと手を動かした。

 

「なに?」

 

 本来なら浮かんでくるはずのメニューが出てこない。他の機能も呼び出そうとするがそのどれもが反応を示さなかった。こんな時にバグか何かしらの不具合が起きたのか、途端に怒りに似た感情が湧き出す。焦っている時のバグほど厄介なものはない。

 

(俺以外のプレイヤーは近くにいないのか? いや待て先ずは装備を………)

 

 濡れてピッチリと自分の肌に張り付いた着流しを脱いだ。ゲームの中で装備欄を選択せずに装備を脱ぐという行為にある種の感動すら覚える。

 防具〈洗練された至高の着流し〉はこれ一つで胴、腕、脚の三つの装備欄を埋めてしまういわばネタ防具の一種なのだが、浪人のロールプレイをしている男には非常に合うので気に入り、よく装備していた。

 

 着流しを二度三度絞り、水気を払って皺を伸ばした。

 

(今までこの服にこんな深い皺なんて出来たことないんだけどな………)

 

 知らない内に大型アップデートでも実装されたのか、そもそもサーバーダウンのはずじゃなかったのかと思考を巡らせていると、何かに勘付いた。

 

 (何だ………)

 

 何らかの生き物の鋭い視線、敵意とも取れるモノを背後から感じた。

 

「誰かそこにいるのか?」

 

 低いが良く通る声が湖畔に響くと草葉の陰からひょっこりと雑多に伸ばした青い髪の男が顔を出して、明らかに警戒した様子でこちらを見てきた。



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果し合い

 ブレイン・アングラウスは天才的な才能を持った剣士である。

 

 幾多の戦場を渡り歩き、王国最強のガゼフ・ストロノーフに敗れた際のショックから立ち直ってからは、野盗として手を血に染め、人を斬る感覚を忘れないようにしていた。いつかガゼフに勝つための特訓として、更なる高みへと昇るために我が身を研磨してきたのだ。

 

 最近では腕の立つ相手と出会えない為か、酷く退屈していた。野盗としての仕事の合間を見つけては訓練で汗を流し、特に代わり映えのない生活にやや不満を感じながらも、ガゼフ・ストロノーフを倒すたった一つの目標のために剣を振るう日々は、荒寥としたものであったが何ら苦にはならなかった。

 

 かいた汗をアジトの近くにあるこの湖に流しに来ている最中であった。いつもはこんな辺鄙な場所には誰も来ないのだが、今回は先客が居たみたいだ。

 黒い髪を頭の後ろで高く結った男が、褌一つで濡れた服を絞っていた。湖の畔ではよく見られる光景なのだが、ブレインはある一点に視線を奪われる。男の足下に刀が一振り置かれている。南方から時おり流れてくる珍しい武器だ。

 ブレインは自分の腰に視線を移した。そこには男の足下にあるのと似た物が佩刀されている。

 

(珍しい………)

 

 ブレイン自身、愛用している身でありながら他の使用者を全く見かけたことがなかった。それ故に深い興味が湧く。あの男の腕前はどれほどなのか、どのような技を扱うのか、この一時だけは自分に敗北を味わわせた男よりも強い関心を抱いた。

 

「誰かそこにいるのか」

 

(!?)

 

 不意に、男がずっしりと重たく響いた声を上げた。顔は明らかにブレインの方を見ている。それほど離れた距離ではなかったが良く気付いたなと、ブレインは思わず感心していた。こうなった以上、姿を見せなければ余計に怪しまれるであろう。

 

 ブレインは草葉から身を出し、正面から見合った。男は彫りの浅い黒目黒髪。この辺りでは見かけない人種だ。ブレインの美的センスで言えば二枚目とは決して言えない分類ではあったが、涼風が通るような男らしさを感じる顔立ちである。

 

(ただ者ではないな………俺達の討伐に来た冒険者か?)

 

 異風を身にまとったような男の佇まい。褌一つだからこそ視覚できるよく鍛えられた筋肉。触れただけで吹き飛ばされそうな力が感じ取れるほど、素晴らしい肉体美であった。

 

(雑魚ではない。だが、僅かな隙を感じる………俺を誘っているのか?)

 

 警戒を強めるブレインを知ってか知らずか、男は彼に言葉をかけた。

 

「少し訊きたい。ここは何処だろうか?」

 

 その言葉はブレインを惑わすのには十分であった。

 ここは何処だろうか、なんて訊いてくる人間が正気であろうか。自分の置かれている現状を理解していない者が、ブレインほどの強者を楽しませてくれるのだろうか。

 

「サービス終了と聞いていたが見知らぬ場所に飛ばされてな、あんたもそうなのか?」

 

 何を言っているのかブレインには分からなかった。首を傾げ、眉をひそめる。だが、明らかに困惑していることが見て取れる。迷子の旅人のように見えるが、珍しい人種の上に旅人ならこの辺りの地形に詳しくなくて当然と言えようが、果たしてどうなのだろう。

 

「お前みたいなのが南方にいると聞く。足元の刀を見るにそちらからここに来たように思えるが、プレートを付けていないとなればワーカーか?」

 

 今度は男が首を傾げた。

 

「あんた表情が動いて、待て何かおかしいぞ」

 

「どうした? 慌てているみたいだが俺の事を知っているのか」

 

「いやお前は知らんが、これはアップデートで機能が拡張したのか? それで不具合が起きてコンソールが」

 

「さっきから何を言っているのか知らないが、その足元の興味深い。南方の剣士はどれほど刀を上手く扱えるんだ?」

 

 ブレインから何かを察したのだろう、男は足元の刀をブレインから視線を外さず手探りで拾い上げる。

 

「その前に服を着たらどうだ。裸のヤツを斬るのは忍びない」

 

「そ、それもそうだな」

 

 絞り終えた着流しを豪快に着込み、男は帯に刀を挟む。それを見届けて、ブレインが口を開いた。

 

「俺はブレイン・アングラウス」

 

 名乗りをあげる。一騎打ちの際に交わされる了解のようなものだが、男の方は少しきょとんとした顔でブレインのことを見ている。

 

「どうした? この作法はそっちの方が馴染み深いと思ったが?」

 

 漸く男が意味を理解したのだろう。軽く咳払いをすると改めて名乗るではないか。

 

「ゴンベエとでも名乗ろうか」

 

「変わった名だな」

 

「俺の国では、身元不明の男の事を名無しの権兵衛と呼ぶんだ」

 

 聞き慣れない名に風体、警戒する価値は十分にあるとブレインは踏んだ。久しぶりに戦い甲斐のある相手と立ち合えて、喜びにも似た感情が胸に湧き出すがそれを振り切るように腰の刀に手を伸ばすと、居合の構えを取った。

 

「別におちょくっている訳ではない。こちらの質問には答えてはくれないのか?」

 

「悪いな。俺以外の使い手がどれほどなのか、そっちの方に興味がある」

 

「む?」

 

 ゴンベエと名乗った男は顎に手を当て、暫し検討するようにブレインを見ていたが結論が出たのか、ニカッと破顔すると大きく喚いた。

 

「よし、ならば手合わせ願おう!」

 

 そして腰の刀に手を伸ばしゆっくり構える。

 直感した。その手慣れた動作と佇まいからかなり場慣れした剣士だと。

 

(こりゃあ、とんだ掘り出し物だ………)

 

 刀は南方の砂漠にある都市から流れてくる代物だ。非常に高価で芸術的価値もあった。

 ゴンベエの一枚布から仕立て上げられたような服は綺麗な紺色で染められている。そういった物に疎いブレインでも良い生地を使っていると分かった。南方ではさぞ名のある剣士なのだろう。刀の扱いに関しては、もしかすれば上かもしれない。

 

 かつてのような驕りはブレインには無かった。ガゼフ・ストロノーフに御前試合において敗北した彼は努力を重ね、腕を昇華させてきた。それに伴い精神も鍛え上げ、驕りといった気持ちは全て削ぎ落とした。

 構えを寸分と崩すことなく、武技〈領域〉を発動させながらゴンベエの動きを見やると彼はようよう刀を抜き、大きな弧を張るように大上段に構えを取った。その動きにブレインは息を呑む。ゴンベエが腕をまっすぐに伸ばしたその姿は、いかにも誇り高い感じで気品さえあった。腕は逞しく、肘から手首にかけて筋が奔っている。

 

(大振りの構え、俺を一撃で仕留めるつもりか)

 

 大振りの大上段。剣に覚えのあるものならこの構えの意図が読める。相当腕に自信にある証拠だ。どの位置から間合いに入ろうと瞬時に斬れるが一対一で、それも相手が真正面にいる時にやる構えではない。ブレインはゴンベエから相当の自信と確かな実績の裏付けの表れと取り、一撃で勝負を決めると読んだ。

 

 先にゴンベエが地を蹴った。それが開戦の合図、ピンと張った糸が断ち切られた瞬間であった。それとほぼ同時に〈領域〉の中に動きを捉えた。

 

(この距離を一瞬で………!?)

 

 少し面食らってしまうが何度も軽戦士と戦い、全て切り伏せてきたブレインは慌てることなく、その動きに対応する。先ずは小手調べといった感じに、鞘から刀をゴンベエの胴体に走らせた。

 武技〈瞬閃〉と名付けた高速の振り抜きだ。これで仕留められればブレインは自分の目利きはまだ未熟と改めなければならないだろう。

 ゴンベエは地に付けた足を間髪入れず蹴って反対側に跳んだ。人間の身体能力を軽く超える動きに武技でも発動させたのだろうかとブレインは考え、全力で挑まなければ腕の一本や二本では済まない相手と知り高揚感を得る。強者と斬り合えるのは、彼にとって如何なる娯楽よりも楽しいものなのだ。

 

 振り抜けた腕をすぐに引っ込めると刀を鞘に戻して構えを整えようとするが、もうゴンベエがその刃の届く距離にいた。頭上には湿り気を帯びてつやつやと陽に光る刃がブレインに目掛けて振り下ろされていたが、武技〈領域〉の内ではどんな動きも筒抜けである。ブレインは振るわれた刀の一撃を左足で地を蹴り右に避けるが、その異様な太刀筋に驚嘆してしまう。

 

 ゴンベエの振るったその一振りの速度。

 

 ―――速い―――遅い

 

 そのどちらとも判断がつかなかったのだ。

 

(―――今まで色んな戦士の攻撃を見てきたが、こんな奴は初めてだ)

 

 避けた。確かに避けた。その一振りを何とか避けれたと言うべきなのか。

 

「ちっぃぃ!」

 

 雑念を振り払うように気合を発し奥歯を噛み締めると、神速の速さでブレインの刀が抜かれた。武技〈神閃〉は〈瞬閃〉を越える。もはや人の動体視力では視認することさえ不可能な抜刀の一撃は、防具を着込んでいないゴンベエならどこを斬ろうと致命となるだろうが、確実に仕留めようとするのなら、狙うは首しかない。

 今ここで攻撃を避けて隙の出来たこの瞬間、もう次のチャンスは無いと感じた。この瞬間を逃せば、命を落とすのは自分自身だとブレインの勘が告げている。

 

 その一閃は確実に首を切り落とす全力の一撃であったと、ブレインは確信していた。生涯最高の速度、鍛錬により適度に温まっていた全身の筋肉が良く動いたのも作用したのだろう。

 

 だが現実はとても非情だ。

 

 ギンッと湖畔に鈍い音が響いた。ゴンベエの刀が神速の剣先を遮っていたのだ。防がれたと見るや、ブレインは弾けるように後ろに飛んだ。

 ゴンベエは飄々と露に濡れる刀を胸の前で掲げて見せている。嫌な汗がブレインの背を伝った。額に玉のような汗が出る。吐き気を催す。

 

(違う、同じ次元じゃない………)

 

 言うなれば逸脱の剣。

 ブレインは自分の目の前にいる男が違う次元に立っている存在だと理解し、絶望感が胸から込み上げてくる。速さを競う下等な獣の剣ではない、ただ力強く探究された極限の剣。

 

 汗を拭う間もなくゴンベエが刀を構えている。

 パッとゴンベエが跳び、宙に躍り上がった。

 

「―――!!」

 

 宙に逃げ場はない。下策の下策。唯一訪れた勝機であったが、油断は一切しない。武技〈領域〉を発動してその動きを先読みする。ゴンベエが間合いに入った瞬間、鞘走りした刀が天に昇った。敵わないまでも最後まで全力で相手をする、それが武人としての最低の礼儀であり、この男に殺されるのなら仕方がないと諦めのような物もあったのかもしれない。

 

「~~~ッ!!!」

 

 獣のような声と共に、ブレインの眉間に刀が振り下ろされた。ブレインの振り抜きよりも速い。宙で地に足を付けられない状態で太刀筋を確認できないとなれば、このゴンベエの本気とはどのようなものなのか死への刹那、ブレインは強い興味を抱いていた。

 視界で火花が散り、割れた裾から純白の褌が見えたのを最後にブレインの意識は白い渦に消える。その最中でゴンベエの声が聞こえた。

 

「安心しろ、峰打ちだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大の字に倒れているブレインが目を覚まし、首だけ動かして辺りを見回した。

 先ほどと同じ様に飄々とした態度で、彼の傍にゴンベエが胡坐を掻いていた。その肩にはブレインの持っていた刀が掛けられていたが、当の持ち主は身体を起こす気力さえ残ってはいなかった。

 

「負けたのか俺は………」

 

 ブレインが、酷く頭が痛むのを我慢して絞るように声を出した。

 

「そうだな」

 

「なぜ殺さなかった?」

 

 その言葉にゴンベエは不思議な顔をした。質問の意味を理解していないような、そういった風に読み取れる。

 

「殺す必要がないだろう。ちょっと派手に血が出て驚いたが、こう見えて俺は回復魔法が少し使える」

 

 ゴンベエの風体はどう見ても軽戦士である。まさか神官戦士だったとは人は見かけによらないものだと、ブレインはため息交じりに思った。

 

 暫くして痛みが引いた眉間を擦りながら上体を起こし、自分を負かした相手と足を崩して正面から向き合う。

 

「お前みたいな化け物と出会うとは俺は心底付いていないなぁ」

 

 今まで自分より強い者はガゼフ・ストロノーフ位しか彼は知らなかった。彼よりも強い者など存在しないと無意識の内に考え、自分でも気づかない内にガゼフ以外には負けないと驕りを持っていたのかもしれない。

 

「化け物とは心外だな、ただの人間だぞ」

 

 ゴンベエはそう言いながらも、ニコッと笑って答えた。

 

「お前が人間なら俺は何だ? 鼠か? 蟻か? 今まで積み上げてきた物が崩れ落ちた気分だ。あんた何者なんだ?」

 

「なら改めて名乗ろう。俺は名無しの権兵衛。親しきものからはゴンベエと呼ばれている。気が付けば湖の中に沈んでいてな、少しお前に話を訊きたいのよ」

 

 ゴンベエは、自分の身に起こっている事の大きさに薄々ながら気付いていた。流暢に口を動かして話す目の前の男、ユグドラシルでは見かけなかったスキル、それに何とも美味しい空気が肺一杯に広がる。最も現実味から遠くてあり得ない出来事が、次第に現実味を帯びてゴンベエに迫っていた。

 



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釣り

 知っての通りだがゴンベエ、またを名無しの権兵衛はユグドラシルのプレイヤーである。

 

 果し合いで負かしたブレイン・アングラウスから色々と情報を訊き出させ、今自分の身に起こっている現象に答えを見出し始めていた。

 異世界に転移、または可笑しな夢を見ていてそこに閉じ込められている。このどちらかと判断するに至った。もはや、五感で感じる現実を受け入れるしかゴンベエには道はなかった。

 

 だが望まずとも果たされたもう一つの人生続き。自由気ままにさすらい、時には奔放にして苛烈に精一杯生き抜いてやろう、そうゴンベエは誓うのであった。

 

 

 

 

 

 ブレインは次々と質問してくるゴンベエに多少の違和感を覚えながらも、それは仕方がないものと考えた。武術や魔術に逸脱した者はどこかしらおかしいのだ。一般常識に欠けていたり、常軌を逸した考えや物事の捉え方。

 十三英雄や口だけの賢者と呼ばれた者たちも同じような人物像が伝えられており、現在ではフールーダ・パラダインといった逸脱者の代名詞と呼ばれる人物も、魔術に関しては深い興味を示すが他の事に関しては頓着しない浮世離れした性格をしていることで有名だ。

 

 ブレインは、ゴンベエを彼らと似た型破りな異色の人物だろうと推測した。

 

「しかし、自分がどこから来たか分からないなんて、旦那は余程散々な目に会ったんだな」

 

 ブレインはゴンベエを、旦那、と呼んだ。

 

 掠り傷一つ与えられずに負かされた尊敬と畏怖の念を込めてそう呼んでいる。それに自分のことを名無しの権兵衛と呼んでいたのも関係していた。

 明らかに偽名、いや偽名と呼べる物ですらないだろう。名無しの権兵衛は身元不明の人物に付けられる名前だと言っていたのを覚えている。王国や帝国にも似たような俗語があるが、基本的に生きている人物に使われるものではない。

 何か訳があるのだと思えるが、それを気軽に尋ねるほどブレインは馬鹿ではない。下手に質問して今度こそ本当に殺されるのは不本意で戦士として恥だ。だから名前ではなく、愛称で呼ぼうと決めた。

 

「そうか、何とも面白い話だ。ありがとうアングラウス、ならエ・ランテルとやらに行ってみようかね。こいつは返しておくよ」

 

 ゴンベエはそう言って、肩にかけていたブレインの刀を返すと立ち上がり、教えられた街道の方向を向いた。

 

「ちょ、ま、待ってくれ旦那!」

 

 返してもらった刀を腰に携えながら、まだおぼつかない脚を動かしてゴンベエの背を追いかけるブレイン。

 自分の身に起きた現象の考察と、久しぶりの果し合いをしたかっただけのゴンベエは彼への関心を既に失っていた。やや煩わし気に振り返り足を止めた。

 

「何だ?」

 

「なあ、付いて行っていいか? もちろん旦那には迷惑はかけない。あんたの強さを学ばせて、ほしい………」

 

 絶対的な自信を無くした今、彼にあるのは更なる強さへの探究。瞼の裏にしっかりと焼け付いているガゼフ・ストロノーフでさえもゴンベエには勝てないと断言できた。そんな万夫不当の戦士が目の前にいるのだ。これを機と取らずして何である。

 気が優しくて力持ち、なんて言いたくはないがお伽噺の登場人物のような男。ブレインが目指すべき人物、師事するに値する戦士としてこれほどの者はいない。

 

「はぁ? 付いてくるって………俺に付いてきて何をする気なんだ?」

 

 鳩が豆鉄砲を食ったような顔でゴンベエは反応した。

 

「旦那が何をしたくて何を得たいか知らないし興味はない。ただ、あんたのその強さに惚れた」

 

(惚れたって、こいつホモか?)

 

 ゴンベエは呆れながら思った。ここはゲームの世界ではないから、人は感情や頭で考え行動と発言をするが、まさか時代劇みたいな台詞を言われるとは思いもしなかった。

 頭を下げるブレインの姿を見つめ、ゴンベエは少々馬鹿らしく思えてくる。強くなりたいのは分かるが、自分はゲームで得た偽りの強さとも呼べるものしか持たない。教えてやれることなど無いに等しい。

 だが、ブレインの真摯な口上の響きに騙そうという意思は感じられない。旅の仲間としてこの世界の住人を旅のパーティに加えるのは申し分ない。それにブレインはこの世界ではかなりの強者に入る人物だと話の中で分かった。それを踏まえれば益々申し分ない。

 

「俺はこの国じゃ無縁だが、アングラウスには家族や友と呼べる者がいるだろう? どこの馬の骨とも知れない男に付いて行っても、何も面白いことは無いと思うが………」

 

「戦塵の中に身を置くようになってから、ある縁は切った。身を置いてる傭兵団から抜けるのも何の悔いも無い」

 

「つまり、無縁って訳か」

 

 旅をするつもりだが、どこかの町に身を置いて伸び伸びと自由に過ごすのも良い。いつ死んでも悔いは無いのだ。こんな道に誰かを同行させるのは忍びないが、縁も所縁もない者が付いて行きたいと願うのなら、何もそこまで拒む必要はなかった。

 

「つまらない旅になると思うが付いてくるだけなら自由だ。アングラウス、いやブレインと呼ばせてもらう。お互いに縁の無い寂しい男同士、生きていこうじゃないか」

 

「だ、旦那ぁ………」

 

 これからどのような数奇な人生をこの二人が送ることになるのか、それを知るにはまだ時は浅く、ゴンベエは中々の食わせ者であった。ブレインが呆れ返り、付いて来たのを後悔するほどに最初の内は酷く退屈でつまらないものであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 漆黒の剣の一団は異様な男二人組と遭遇した。

 

 

 それは街道に現れるモンスターを退治する依頼を終えた帰り道の事であった。拠点としているエ・ランテルへと伸びる川沿いの街道を、四人で軽い談笑を交えながら歩いていた時だ。

 川辺で釣りをしている男を見つけた。正確には二人だが、もう一人は釣りをしている男の後ろに座り込み、武器の手入れに励んでいた。それも珍しい刀と呼ばれる剣の一種であったのも彼らの目を引いた一因かもしれない。

 

 この街道には、オーガやゴブリンといったモンスターが頻繁に現れる。今日も彼らは何度か襲撃を受け、何とか撃退していた。そんな危険な街道なのにその男は黙々と釣りに興じ、もう一人は火にかけた鍋の隣で刀を丹念に磨いている。釣った魚を食らおうとでもしているのだろう。

 

 今日、この街道を担当しているのは漆黒の剣だけである。もしも死者が出れば自分たちが要らぬ批判を受けることになってしまう可能性があった。四人がそれを無視できるほど態度の悪い冒険者ではない。仕事はきっちりとこなす、冒険者としては当たり前のことをやる者たちだ。

 

 声をかけたのはリーダーのペテル・モークであった。

 

「あの、冒険者の方であれば申し訳ないのですが、ここで釣りをするのは少々危ないと思いますよ」

 

 首に冒険者を示すプレートが無いことを確認した上で、念の為にそう言った。

 彼の後方では野伏(レンジャー)のルクルット・ボルブが辺りを警戒して危険があればいち早く知らせるようになっている。他の二人、ニニャとダイン・ウッドワンダーもルクルットには劣るが辺りを警戒していた。

 

「お? 冒険者か。お仕事ご苦労さん。俺たちのことは気にしなくてもいいぞ。多少の腕はあるからな」

 

 応じたのは青い髪を雑多に伸ばした無精髭の男。その男の纏っている雰囲気から自分たちを軽く凌駕する強者の気配を感じた。彼の言う通り要らぬお節介だったのかもしれない。

 

 もう一人の釣りに興じる男の方も、異様な空気を放っている。後姿から分かるのは黒髪の馬の尻尾(ポニーテール)。紺色の着流し一枚の薄着。青髪の男は軽装ながら防具を着込んではいるが、こちらの男は流石に不用心と言わざるを得ない。それか身の守りは彼に一任しているのか、金持ちの道楽に付き合う傭兵みたいな間柄なのかもしれない。倒木に腰を下ろして足元に刀を転がしている様子を見るに、戦えない訳ではないようだが。

 

「まったくよ。こんな所で釣りをするなんてお二人さん命知らずもいいところだぜ」

 

 後ろでルクルットが空気の読まない発言をかます。ニニャが慌て、ダインがそれを咎めるが、釣り人はカラカラと笑った。

 

「ハハッ。確かに変わってはいるかもしれないが、俺は釣りが好きなんだ。魚が住んでいる水辺があれば釣らなくては気が済まない性分でな。趣味みたいなものさ」

 

 このゴンベエ。

 彼はユグドラシルにて経験値稼ぎの次に釣りに時間をかけていた。釣れる魚をコンプリートするほどの玄人だが、現実の世界では海は汚れ魚釣りという行為、そういった文化自体が廃れていた時代であった。

 ユグドラシルにて魚釣りをする者は少ない。リアルを求めた結果、魚がかかるのに一時間二時間は余裕で待たなければならない。もしも釣ったところでレア素材になる訳でもなかった。何よりも、魚釣りの何が面白いのか理解できない者が多かったのだ。

 

 ゴンベエは、本当に釣りをただの趣味として行ってきた。

 

「ハッ! そう言って二時間経つが一匹も釣れてないがな。用意した火が無駄にならなきゃいいが」

 

 青髪の男、ブレインが軽口を吐いた。

 

「ま、そう言うな。おっ? 亀だ! 食えるだろうか?」

 

 すると、川の中から人の顔ほどの亀が這いあがって来た。甲羅を乾かすために日に何度か陸に上がる生態を持っている。今日は絶好の天日干し日和だ。

 

「おいおい。亀を食うのかよ」

 

「食えない訳ではないだろう。ほれ」

 

 ゴンベエが素早く亀に駆け寄り、ひょいと持ち上げるとブレインに向かって放り投げる。

 投げてこられた方は慌てる様子も無く、手入れをしていた刀をちゃんと握ると軽く腕を動かすといった風に、宙に浮いていた亀が甲羅と身に分けられる。亀はそのまま湯の煮立った鍋の中に放り込まれた。

 

 その一瞬の動きに漆黒の剣の四人は驚愕した。中でも、ペテルが特に驚いていた様子であった。彼は戦士として冒険者をしている。その中で色んな戦士を見てきたが、その記憶の中にあるどんな者よりも卓越していた。ミスリルやオリハルコン級の腕前かもしれない事に軽く興奮するペテルを尻目に、二人は鍋を囲んで亀を煮始めた。

 

「そうだ。四人もどうだろう、冒険者の仕事とやらで腹が空いているなら一緒に」

 

 漆黒の剣にとっては悪くない誘いであった。

 朝から歩き続け、モンスターと命懸けで戦いそろそろ休憩でもして空かした小腹を満たそうとしていた所であった。だが二人が手に入れた亀を食べる気にはなれない。六人で食べるには少なすぎるのもあるが、何より亀という未知の味への恐怖があった。

 

「お言葉に甘えさせていただきます。ですがお二人の食事を邪魔するのは悪いので、こちらはこちらで用意した食事があります。亀はお二人でどうぞ」

 

 漆黒の剣のメンバーはこれほどリーダーのペテルに感謝したことがあっただろうか。今だけはペテルが神様のように思えた。

 二人と軽い会話を交えながら漆黒の剣は隣で準備を整え、一息付いた頃にお互いに改めて自己紹介をすることになった。

 

「私たちは漆黒の剣というチームです。もう既に知っていると思いますが全員銀級の冒険者をしています」

 

 確かに四人の首にはシルバープレートがぶら下がっている。

 ブレインから冒険者の情報は余り出てこなかったが、強さのランクがあるようだ。下から(カッパー)(アイアン)(シルバー)(ゴールド)白銀(プラチナ)、ミスリル、オリハルコン、アダマンタイトの順。

 漆黒の剣はその銀級の冒険者だと言うが、ゴンベエにはいまいち強さの目安が分からなかった。

 

「私はリーダーのペテル・モーク。こっちは野伏(レンジャー)のルクルット・ボルブ、彼は森司祭(ドルイド)のダイン・ウッドワンダー。最後に魔法詠唱者(マジックキャスター)のニニャ――『術者(スペルキャスター)』」

 

 名前を呼ばれるごとにそれぞれが軽く挨拶をする。

 

 鍋を混ぜながらゴンベエが喚く。

 

「俺は名無しの権兵衛。ゴンベエと呼んでくれ、漆黒の剣の方々。ほれブレイン」

 

「分かってるよ。ブレイン・アングラウスだ」

 

 ブレインと名乗った男は悪態を付きながら亀の身を刀で切り分けている。せっかく綺麗に磨いた刀身が瞬く間に汚れていく中、ペテルが喚き返した。

 

「ブレイン・アングラウス!? あの王国戦士長ガゼフ・ストロノーフと御前試合で戦った。あのブレイン・アングラウスですか!?」

 

「あんた俺のこと知ってるのか。暫く表から身を引いてたが覚えてる奴がいるなんてな」

 

「忘れるわけありませんよ。お二人の戦いはまさに歴史に残る一戦と聞き及んでいます―――」

 

「もう、ペテル」

 

 興奮してペラペラとまくしたてるペテルをニニャが宥める。

 身が柔らかくなってきた亀肉を、手に持ったナイフではふはふと噛り付いていたゴンベエが、ニニャに何気なく訊ねた。

 

「確かニニャ――『術者(スペルキャスター)』といったか? 大層な名前を付けてるのを見るに腕の良い魔法詠唱者(マジックキャスター)だと思われるが」

 

「いやそれはペテルが勝手に付けた二つ名で………」

 

 ニニャが言いよどむ。どうやら自分から望んで名乗っている訳ではない様子だ。リーダーのペテルが付けたらしいが、彼はロマンを知る男なのだろう。

 うんうんと、頷きながらゴンベエは亀肉を食す。

 

「この硬い筋のとこ美味いな」

 

 ブレインが予想外の美味しさに喉をうならし舌鼓を打っているのを余所に、ペテルが話を引き継いだ。

 

「ニニャはタレント持ちなんです。習熟に八年掛かる魔法が四年で済む魔法適正というもので」

 

「そりゃ凄い」

 

 タレントの話はブレインから聞いていたので、具体的にどういうものなのか良く理解していた。タレント持ちは珍しいようで、ブレインも剣術に関するタレントを持っていると言っていたのを覚えている。

 

「ゴンベエさんはさ、名無しとか名乗ってたけど同じような二つ名? それとも素性を知られたくないみたいな?」

 

 ルクルットが硬そうなパンを手にそう言う。確かに名無しなんて名乗られれば気になるのは仕方がない。他の三人も気にはなっていた様子だった。

 

「二つ名というか『縁も所縁もない者』という意味と考えてくれ。俺は旅人でな、こいつともついさっき知り合ったばかりなんだ」

 

 こいつとは、ブレインの事だろうかと四人が互いに顔を見合わせる。疑問に思うのも無理はない。二人は長年連れ添った友人のように接していた。とてもついさっき知り合った仲には見えないのだ。

 

 二人に何があったかは想像が付かないが、剣を持った男同士。何か通じる物が合って意気投合したのだろうと、捉えるしかなかった。なら、ゴンベエもブレインと同じ程度の腕前なのだろうと、自ずとそういう考えに行き付いた。銀級冒険者の四人がアダマンタイト級と思われる二人のことを心配していたのだと気付くと、本当に要らない心配だったとため息をついた。

 

「ゴンベエ殿は旅人と申したが、どちらから来たのであるか?」

 

「あっちさ」

 

 ダインの問いにゴンベエは彼らの背後の森を指差した。先ほどまで二人が剣を交えていた森である。ダインは何だか謀られているように思うが、ニニャが継いで訪ねる。

 

「ではどちらに?」

 

「こっちさ」

 

 そう言って指差したのはエ・ランテルに続く街道の方角。それは確かに旅人らしさのある物言いだった。他人の詮索をするのは良くない事だが、旅人とは各地の面白い話を持っている。それにアダマンタイト級の腕前を持つと思われる人物だ。漆黒の剣は強い興味が湧いた。

 

「エ・ランテルに行くのでしたらご一緒してもよろしいですか? お二人の話も聞きたいですし、道中危険も多いです」

 

「そうだなぁ。飢えも満たしたことだし、ブレインは異論無いか?」

 

「俺は旦那に付いていくだけだ」

 

 ブレインは刀を磨きながらぶっきら棒に答えた。

 

「そうか。じゃあ、少し休んでから行こうか。漆黒の剣の皆は疲れているだろうし」

 

 空になった鍋を片付けながらゴンベエは提案を呑んだ。

 冒険者がどういう職業なのか気になっていたこともあったが、ゴンベエはこの世界の貨幣を持っていない。ユグドラシルの金貨なら山ほどあるのだが使えないだろうと予想していた。何か稼ぐ手段が必要だろうと考えての事だった。

 だが、違う世界に来てまで金のことで辟易したくないのがゴンベエの本心である。

 

 道中、それとなく冒険者のことを尋ねてみると何とも夢の無い職業だと察せられる。社会不適合者の受け皿でもあるのだろうか。堅実に生きられない者や何か大きな夢がある者、真っ当なことで生活できない者たちが冒険者となって生きていく。

 これなら、ならない方がいいと結論を付けた。そもそも何かに属するという行為をしたくなかったのだ。ゴンベエが今後冒険者組合に属することはないだろう。

 

 

 

 

 後日。

 

 エ・ランテル近郊の川辺で変わった釣り人が頻繁に目撃され、軽い噂話となった。



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好きな事で飢えを凌ぐ

 エ・ランテルに伸びる街道を、金髪のショートボブをわさわさと上下に揺らしながら歩く女がいた。黒い外套(マント)をまとい、まるでその内にある狂気を隠そうとしているかのようだ。

 

 彼女、クレマンティーヌ。元漆黒聖典第9席次にて現ズーラーノーン十二高弟の一人。

 整った顔立ちに猫を思わせる可愛げを持った見た目麗しい女戦士だが、とんでもない性格破綻者。今まで仕えてきた法国を裏切り、秘宝を盗み、追っ手から逃れるために何人も手に掛けてきた。人を殺すのが好きで拷問も好き。それを愛して恋しているイカれた女。

 

 エ・ランテルでは盗んだ秘宝である〈叡者の額冠〉をズーラーノーンの仲間に譲り、面白い騒ぎでも起こしてもらおうとしていた。

 法国からの追っ手はしつこく、エ・ランテルにも既に潜んでいるかもしれない。騒ぎに便乗し、法国の手も届かない遠い土地に逃げ、好きに暮らそうとでも考えていた。だが、このクレマンティーヌ自身がよく騒ぎを起こす女である。

 街で人を殺したり攫ったり、中でも冒険者を多く狩っていた。彼女の着る鎧には今まで狩った冒険者たちのプレートが隙間無く打ち付けられている。まさに狂気の逸品と言えよう。

 

 当然行く先々でそんなことをしていれば、法国の情報網にすぐに引っ掛かり居場所がばれることになるのだが、彼女の衝動は収まることを知らない。枷が無いのだ。このままずっと気ままに殺し、人命を弄ぶことだろう。

 

 ふと、傍を流れる川の方を見てみた。この時間帯は人通りが少ないため、人の気配があればクレマンティーヌほどの強者であればすぐに勘付いた。

 

 そこには男が二人。黒い髪の釣り人と青い髪の刀を持った人。風貌から冒険者だろうかと考えるが、冒険者ならこの時間帯には大抵依頼に出かけているはずである。休日を過ごしている可能性もあるが奴らは宿屋か酒場に引きこもる生き物だ。もしくは旅人だろう。その呑気に過ごし、陽気に暮らしている姿に頭に来るものがあった。

 

(あぁ、あんなの見ると壊したくなっちゃうよぉ~~)

 

 余り騒ぎを起こすなと言われている。だが、堪らないのだ。のほほんと生活している奴らが、まさか今日死ぬなんて思ってもいなかった者の死に際の顔が何よりもこの女は好きだ。

 

(ついつい見ちゃうよ。ヤバいヤバい、警戒されちゃうなぁ)

 

 クレマンティーヌの下卑た視線に気付いた青髪の男が、刀を手に警戒した面持ちでクレマンティーヌを睨んでいる。

 

(なに睨んでやがるあいつ)

 

 咄嗟に腰のスティレットに手を動かそうとしたが、男の佇まいと纏う空気に何か気圧されるものがあった。俺は強いぞと思わせる、オーラとでも呼べる物。それは強者にしか許されない態度である。益々、クレマンティーヌの腹は立つ。

 

(ん? アイツ………)

 

 彼女は思い出した。ずいぶん前に集めた自分と対等に戦えるであろう戦士たちの情報を。その中の一人に刀を使う男が、今こちらを見ている人物と情報が合致していた。

 

(まさかブレイン・アングラウスか!? 何でこの街に!)

 

 ガゼフ・ストロノーフと互角の戦いを演じた男として記憶している。近隣国家最強のガゼフ・ストロノーフだが、それはあくまで表世界での話である。裏ではもっと強い者がゴロゴロいることを、クレマンティーヌは良く知っていた。

 

 彼女は当然、ガゼフに勝つ自信があった。漆黒聖典時代の装備を捨てたため、王国の至宝を纏った状態のガゼフなら多少危ない戦いになるかもしれないが、ブレイン・アングラウス程度なら今の装備でも倒す自信がクレマンティーヌにはある。

 

 自分を強いと思っている者を殺すのはとても心地良い。この行いは皆が知るべきものだと、切に願う。

 

(あ~でも、メインディッシュは最後にって言うし。カジッちゃんには黙ってお~~こおっと)

 

 にんまりと口が広がり、可愛げのある笑い声を出しながら二人の前から遠ざかって行った。

 一度火が点けば簡単には消せないものだ。今夜には路地裏のジャンキーが何人か消えることになるだろう。絶えることのない笑いを上げながら、クレマンティーヌはエ・ランテルの闇に姿を眩ませるのだ。

 

 女が去ったのを見て、ブレインは息をつき額の汗を拭った。

 

「旦那。イカれた女が見ていたの、気付いていたか?」

 

 クレマンティーヌから浴びせられた殺気を一身に受けていたブレインは、多少の疲労感を負っていた。いつ相手が仕掛けてくるか分からない状況と未知数の力量。裂けんばかりに笑う口元は気味が悪く、今までに出会ったことのない類の女であった。強い相手と戦うのは歓迎なのだが、あの女に自分が負ける光景が何度か頭に浮かんでしまうほどのプレッシャーを感じさせられた程だ。

 ゴンベエと力を合わせれば勝てただろうが、これほど心労を負わされるのは初めてのことでブレインは少々動揺していた。

 

「ああ、可愛い女だったな」

 

 終始、二人に背を向けていたゴンベエは何事もなかったかのように、ぼそりとそう言う。

 

「マジで言ってるのか旦那?」

 

「俺はいつだって大真面目よ」

 

 呆れた。彼は正直なのだ。こう言われれば何も言い返せない。他人の趣味にとやかく言うつもりないブレインであるが、これだけは別だ。

 

「こっち見て、こう笑ってたんだぞ?」

 

 そう言いながらブレインは指で口を引っ張り大きく広げた。女の口が裂けたような笑いを真似しているのかとてもユーモア溢れる姿だが、ゴンベエは一瞥しただけで川の方を抜き直り「ふーん」と鼻を鳴らした。

 

(こいつ初めて会った時より、何か明るくなったな)

 

 あの湖畔で会った時のブレインは、研ぎ澄まされた一本の剣そのもの。触れれば指が飛び、決して馴れ合いをしない野生の獣。ゴンベエはブレインにそういう印象を抱いていたが、彼と過ごしたここ何日かで棘が抜けたような落ち着いた印象に変わった。

 

「女の趣味悪いぞ」

 

 ゴンベエが聞く耳を持たないと分かると、ブレインは吐き捨てるようにそう言った。

 言われた本人はケラケラと笑っている。太陽から零れ落ちたような気持ちの良い顔で笑うのだ。ブレインは馬鹿々々しくなり、寝転がって不貞寝をする。何が面白いのか、ゴンベエは川辺に響き渡るほど高笑いを続けた。

 

 無論、今日も魚は釣れなかった。彼はユグドラシルでは魚釣りの名人であったが、現実の世界となった今、こっちの世界では下手もいいところであった。ゲームの仕様と違うなどと文句は言わず彼は出向く。飢えを凌ぐためでもあるが、何よりも楽しくて仕方がないのだ。ゲームでしか体験したことが無いことを実際にやってみると驚くほどに違うのだが、何倍も面白く刺激的な体験。それがどこにでもあるのだ。

 人々の営みや天気の移り変わり、草花の香りや夜空に広がる星々の美しさに心から魅了されていた。

 

 

 

 ゴンベエの一日は無為に過ぎていく。朝早く宿から飛び出すと、エ・ランテル近くの川にて釣り糸を垂らす。そのまま何もかからないまま一日が過ぎていく。夜遅くまで起きていることもあればさっさと寝ることもある。朝早く起きることもあれば昼まで寝ていることもあった。

 ブレインは彼の生活リズムに極力合わせていた。朝早く出ていくゴンベエに置いて行かれても追いかけ、その傍で刀を振るうか手入れをして一日を消費する。酷く退屈だったが、どこか充実した日々に最初は困惑した。

 

 日々消費することになる宿代や食事代などの各種料金はブレインが払っていた。傭兵団―――ほぼ野盗みたいなものだが―――では高給で雇われていたため、暫くは無理せず暮らせるだけの蓄えがあった。なぜ自分がゴンベエを養っているのか疑問に思うこともあるが、仕方がない出費だと捉えるしかない。自分が望んだ道だ。文句は言わない。

 

 人生に余裕ができたとでも言うべきなのか、知らず知らずの内に生き急いでいたのかもしれない。時には寝転がって何もしない日があっても良いのだと、ブレインは教えられた。

 

 

 

 

 イカれた女と出会った次の日も、ゴンベエは釣りに勤しむ。傍には相変わらずブレインが片時も離れずにそこに居た。朝から何組かの冒険者を見送っていた。そこにまた一組の冒険者が依頼に出向こうと彼らの背後を通り過ぎようとしていた。

 

 彼らは漆黒の剣の一団であった。ゴンベエたちと面識のある彼らだったが、三人ほど見知らぬ顔を連れている。一人は馬車に乗り馬を操るンフィーレア・バレアレという街でも有名な薬師の少年。

 

 そして漆黒の甲冑を纏った大柄の戦士。彼は騎士のような印象を受けるがその実、ゴンベエと同じようにユグドラシルからやってきたプレイヤーの一人であった。

 

 名はユグドラシルではモモンガ。現在はアインズ・ウール・ゴウンと名乗っている。

 

 ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの至高の四十一人の一人にして死の支配者(オーバーロード)。人間に化け、冒険者のモモンとして身分を偽り、この世界での活動を始めたばかりだ。その傍らにいるのは、モモンの相棒として共に冒険者をしているのはナーベラル・ガンマというNPCの一人である。

 

 アインズは、釣りをしているゴンベエに気付いた。河原に転がっている大岩に胡坐を掻いて糸を垂らしている姿が気になったのだろう。

 

「あそこにいる方は何をしているのですか?」

 

 自然と発した言葉であった。

 

「え? 魚釣りだと思いますが………」

 

 ペテルが訝しい顔をしながら答える。その様子に馬鹿なこと訊いてしまったと、アインズは自分を責めた。

 

(釣りならユグドラシルでも出来たじゃないか俺のバカ。でもブルー・プラネットさん以外やってる人見たことない不人気なアクティビティだったしな)

 

「仕方ねえよ。だってゴンベエさんが釣ってる所なんて見たことないしな」

 

「ハハハッ、そうであるな」

 

「何日か街から離れますし、挨拶していきましょうか」

 

 ニニャの提案に漆黒の剣の皆が大きく頷いた。トブの大森林まで行く依頼だ。もしかすれば帰ってこれないかもしれない。行き掛けの駄賃に見知った顔に軽い挨拶を交わすの冒険者としての験担ぎのようなものである。また会おうと約束していれば、破ることはできない。

 

「我々の友人です。モモンさんもどうです? ここだけの話ですが、彼らはアダマンタイト級の実力を持ってるみたいなんです。顔を繋いでおいて損はないですよ」

 

 ペテルの言葉を聞いて、アインズは疑問符を浮かべた。

 

(アダマンタイト級といえば冒険者の最上級の位じゃないか。そんなのがエ・ランテルに居るなんて聞いてないぞ)

 

 調べた情報では、アダマンタイト級の冒険者は王国では二組しかいないと聞いていた。早速得た情報と相違が出るのは望むところではない。

 

「彼らも冒険者なのですか?」

 

「いえ、旅人だと聞いています。エ・ランテルに滞在してから、いつも釣りに出ている変わった人達でして」

 

「はあ、変わった人ですか。興味がありますね」

 

 何かあればナーベが第5位階魔法を唱える手筈になっている。いざとなればアインズが本気を出し、それでも何とかならなければ逃げる手段はいくつも用意していた。

 

「ナーベよ、警戒を怠るな」

 

 アインズは漆黒の剣には聞こえないように隣に静かに佇んでいたナーベラルに言った。コクリと頷き、鋭い眼差しで二人の事を睨んだので「怪しまれない程度に」と付け足す。

 

 漆黒の剣とンフィーレアと共に河原に降りていく。青い髪、ブレインが彼らに気付いて抜いていた刀を鞘に納めた。見慣れない顔が混じっていたので、危ない印象を与えない為であろう。

 

「旦那、漆黒の剣と他の冒険者だ。依頼に行く挨拶にでも来たんだろう」

 

「んぁー」

 

 ゴンベエが首だけを回して彼らに振り返った。アインズが彼の顔を見て軽く驚いた。

 

(日本人みたいな顔立ちだ。この世界にもアジア系の人種がいるのだろうか?)

 

 軽く親近感が湧いたが、心までアンデットと化した彼は人間など虫けらと変わらない存在にしか思えない。この感情も一時のものだろうと感じる。

 

「ゴンベエさん。今日はこのンフィーレア・バレアレさんの依頼でトブの大森林に行ってくるので、暫くは会えません」

 

「どうも」

 

 ンフィーレアが軽く二人に頭を下げる。彼もこの二人の噂は少しだけ聞いていた。店にやって来た冒険者が度々話してくれる人物であった。曰く、空桶の釣り師や天才剣士など憶測に過ぎないような噂だったが、大凡の人となりは分かっていた。

 

「俺たちに会えないからって寂しくて泣くんじゃないぜ」

 

 ゴンベエはルクルットの軽口を慣れたように無視すると、風を切るように岩から飛び降りて彼らと向き合う。巨躯のモモンに負けず劣らない偉丈夫である。アインズはこの世界で初めて、味わったことのない圧迫感に思わず一歩退いた。ナーベラルが両者の間を遮るようにアインズの前に移動しようとするが、彼はそれを手で退け、怪しまれないように演じた。

 

「どうも初めまして、モモンと申します。彼女はナーベ」

 

 ゴンベエは立派な鎧を着たモモンと美しい容姿のナーベに「ほう」と息を漏らすが、銅のプレートを見て訝しい顔になった。モモンは銀級の漆黒の剣より良い装備をしている。怪しまれても仕様がない。

 

「俺のことはゴンベエとでも呼んでくだされモモンとやら。その鎧を見るに何やら訳ありと見えるが、まあ漆黒の剣となら大丈夫だろう」

 

 冒険者は野蛮な連中だ。アインズ達を騙して装備を盗まれる心配をしたのだろうが、漆黒の剣はそういう事をする連中ではないと知っていた。ゴンベエは釣竿を持ち直すと、手首にスナップを効かせて糸を飛ばす。ポチャリと音を立て、浮きが流された。

 

 ただブレインだけが、ナーベラルに向けて射るような視線を送っていた。彼女のちょっとした動作や表情から違和感があったのだろう。美麗な瞳を見ていると、ナーベラルがゴミ虫でも見るかのようにブレインを見下した目で答える。ブレインの背筋に悪寒が走った。

 

 自然と刀に手が伸びたが、はたと手を止めて頭を振った。軽はずみな行動を起こして騒ぎを起こすのはまずいと分かっていたが、この女の眼がブレインに剣を抜かせようとする敵意に似た何かを感じさせたのだ。屈強な精神力で宥め、ナーベラルから目を反らした。

 

 どこか勝ち誇った顔をしていたナーベラルを横目に、アインズはゴンベエの傍に寄って川の流れに揺れる浮きを眺める。そして何日か前に会ったガゼフ・ストロノーフの顔を思い浮かべた。彼が王国最強と称され、その実力はアダマンタイト級の冒険者より勝ると言われていた。アインズにしてみればあの程度どうってことないが、傍にいるゴンベエがガゼフ位の強さと考え、慎重に言葉を選んで投げかけた。将来的に敵になるかもしれないのだ。彼が欲深い人間ならば、味方に引き込んで情報でも引き出せれば申し分ない。

 

「釣りがお好きなんですね」

 

 言った後にもっと何か良い言葉あったのではないかと思うが、意外と嫌な顔もせずにゴンベエは答えてくれた。

 

「まあ、飢えない為に釣りをしているのさ」

 

「飢えない為ですか……」

 

 アンデッドの身体になってから飲食は不要となった。それどころか睡眠や休息など人間には必要な行為のほとんどが不要となっていたが食べ物には興味があった。魚なんて尚更だが、味覚を持っていない自分が食べても意味がないし胃袋もないから全部出ていってしまう。

 

「あれ、釣りは趣味だって言ってませんでした?」

 

 ニニャが軽い疑問を口に出した。初めて会った時にそう言われたのを覚えていたからだ。

 

「確かに言ったな。こうしていると心が落ち着いて、色々と考えさせられるからな」

 

 ゴンベエがニニャにそう言うのと同時に、彼の竿に動きがあった。浮きが沈み、流れに逆らって動き出す。ゴンベエが透かさず竿をあげるが、綺麗にエサだけを食べられており、魚の姿はそこには無かった。

 

「好きなことをしながら食料が手に入る。こんな素晴らしいことはないと思わないかニニャ?」

 

「ははは………」

 

 ニニャの乾いた笑いが河原にこだました。

 

「飢えるというのは怖いことだからな。知っているからこそ、どうにかしようとする。冒険者なら分かるだろう」

 

 漆黒の剣は、ゴンベエの言わんとしていることは何となく理解できた。自分たちも冒険者を始めた頃は、収入が安定せずに飢えを凌いだことなど一度や二度じゃ済まなかった。

 

 だがしかし。

 

「そう言うが、旦那が釣り上げてるところなんて見たことないが」

 

 それだ。ブレインが漆黒の剣の代弁をしてくれた。

 

 アインズは、なるほど変わった人物だと納得した。ギルドにいた変人たちとはまた違った変わり具合の人物。『風変わり』という言葉が良く似合う男だなと思った。格好も和服の着流しだし、刀を佩刀している。昔にいた侍という言葉も似合いそうだがどこか違う。ギルドにザ・サムライと呼ばれたプレイヤーもいたが、あそこまでの堅苦しさは見られない。

 

(プレイヤーという線も捨てられない。この世界に似つかわしくない人間だ)

 

 軽い別れの言葉を交え、お互いは分かれた。

 

 アインズは道中張ったキャンプ地の見張りをしながら夜空を見上げているとき、ゴンベエの言葉をふと思い出す。

 

「好きなことをしながら食料が手に入る。こんな素晴らしいことはないと思わないか、か。確かに自分のやりたいことをしながら飢えが凌げるのなら素晴らしいことだ」

 

 自分に置き換えるのならば、ユグドラシルをプレイするだけで食べていけると言ったところだろう。少し違うかもしれないが、趣味で食っていけるのならそれより素晴らしいものはないと思うのは当然だ。

 もし、アインズがナザリック地下大墳墓と共にこちらの世界に転移していなければ、ゴンベエのように好きに行動し、自由に生きていたかもしれない。

 だが、今のアインズにそれはできない。大事な友人たちが残してくれた愛する家族がいる。元はただのNPCだが、勝手に動き出すようになって最上の敬意を示してくれる。そんな者たちを、放っておける筈がない。

 多少羨ましいとは思うが、アインズが今行っていることは好きなことであり己の正義である。彼にとってこれ以上に素晴らしいことは無いのだ。

 

 傍に座っているナーベラルに視線を移した。

 

「そうだよ。俺には大切な家族とナザリックを守るご立派な趣味があるじゃないか」

 

「何か仰いましたモモンさ――ん」

 

「えっ!? いや、何でもないナーベよ。警戒を続けよ」

 

 

 こうして夜は明けていく。アインズはどこか誇らしげに、白々の空を見詰めていた。



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勇気ある者

 旅は道中での難儀が多いという。町から町に行こうものなら、道中で何度モンスターか野盗に襲われるか分かったものじゃない。この世界で護衛を伴わない旅は大変危険なものだと、行商人から教わった。

 当面の目標は大陸を見て回るとしていたが、別に急ぐ必要のない旅である。どこかに格別の用事がある訳でもない。

 

 エ・ランテルの活気はゴンベエに合っていた。冒険者が大勢生活しており、それに伴い商人や食料がよく流れて来る。毎年行われているという帝国との戦争も一因していた。三国の境界に位置しており、交易商人たちの町でもある。昼は人々が行き交い、夜は冒険者たちの騒ぎ声が酒場から聞こえてくる。

 ゴンベエはこの町が気に入った。いざ住もうと思えばこれ位の町が丁度良いものだ。無縁であるが故に気に入ればとことん気に入るのがこの男である。正直、ブレインに世話になるのは心苦しかったが、意外と面倒見が良い男であった。断るのも忍びないので甘んじて受けていた。

 

 ゴンベエは、すっかり友人となった宿屋の親父に安い茶を淹れてもらい、ロビーでのんびりとした昼時を過ごしていた。

 

(王都の街並みはどのようなものかな)

 

 漠然とそう思うが、行こうとは思わない。当てのない旅だ。ここから帝国に行ってもいいし、法国に行ってもいい。伝説や伝承に事欠かない世界だ。何処に行こうが目新しい出会いと発見があることだろう。そういう感性は大事にしたいものだと、ゴンベエは思う。

 

 ウエスタンドアの軋んだ音が聞こえてそちらを振り返ると、ブレインが昂った顔で詰め寄って来て、突然言った。

 

「旦那。今日は一日宿に居とけ」

 

 初めて出会った時のブレインがそこには居た。野生の獣を思わせる気配を振りまきながら、そう言うのだ。その昂った感情は顔を見ただけでは判断できない。何かに怒っているのか、ぼんやりそう感じただけでゴンベエは考究しようと思わない。意味もなくそういう事を言ってくる人間ではないと分かっていた。ブレインがそうしてほしいのなら、そうするだけである。

 昂った顔のまま、用件だけを告げるとブレインはさっさと出ていってしまった。余程のことだなと、ゴンベエはゆらゆらと前後に揺れるウエスタンドアを一見すると他の客の視線を気にせずに、ゆったりと茶を飲み続けた。

 

 ブレインが戻って来たのは、夜も更けた時分であった。昼時に会った時より落ち着いていたが、少々粗暴な佇まいであった。

 

「行くのか?」

 

 何も訊かず、ブレインにそう問うた。彼は頷く。ゴンベエは椅子に立て掛けていた刀を手に取り、宿屋から出る途中で帯に挟んだ。

 夜の世界にあると、人の営みは落ち着いたものとなっていた。通行人もちらほらとしか見えない。まさか夜釣りに行こうなんて訳ではないだろうし、黙ってブレインに付いて行く。

 

「昨日会ったイカれた女を覚えているか?」

 

 イカれた女とは、あの金髪の猫みたいな女のだろうか、とゴンベエは返した。ブレインは渋い顔したが、構わずに話を続ける。

 

「昨日の夜、あいつを見かけたから後を付けてみれば、貧民街で人を攫っていやがった」

 

 そういえば、昨日の夜はブレインがどこかに出かけていたなと思い出した。大の男なのだから、色々堪っていることもあるだろうと何も言わずにいたがそんな事をしていたとは思いもしなかった。ゴンベエは妙に嬉しくなってきた。

 ゆっくりとこの世界で人生を謳歌できるとは思ってもいない。ちょうど刺激が欲しいと思っていた所だった。そこに面倒事がやって来た。口元が僅かに綻んだ気がした。

 

「今朝も見かけてずっと後を付けててな、今夜も貧民街に行ったみたいだ」

 

「なぜ、そこまでするんだ?」

 

 当然の疑問であった。ブレインが義侠心でも目覚めたというのなら納得できるが、あれから半月も経っていない。心境の変化なんてそうそう簡単に起こることじゃなかった。

 

「さあ、なんだろうな」

 

 何かを誤魔化すような言い方だった。ゴンベエはその言葉の奥に隠されているものを見抜いた。それは気恥ずかしさであった。普段は気さくな男である。隠し事という言葉はブレインには似合ってもいない。

 

「あんたに影響されたのかもな………」

 

 ゴンベエは疑問を頭に浮かべた。正直に言って今まで何かをしたような記憶はない。影響を与えるような行動は何も起こしていないつもりだ。

 すると、ブレインの口から立て続けに言葉が飛び出す。それはゴンベエが思ってもみない物言いであった。歯切れ良くぽんぽんと言葉が続く。

 

「あの女はこの町で何かをやってやがる。具体的には分からないが、俺はそれを見逃せるほど腐っちゃいない」

 

「お前………」

 

 素直にゴンベエはブレインの言葉に感動していた。突然惚れたなどと言い出すかと思えば、常に刀を振っていたり手入れをしていたり、その他への興味が薄い男だと考えていたが違った。

 

 ブレインが変わろうとしているのだと気付く。ブレインの過去に何があったかは正確には聞いていない。ガゼフという男に負けたなどの断片的な情報を他の人から又聞きしたに過ぎない。本人から語られたことは無いのだ。それを直接訊くような無粋な真似をゴンベエはしなかった。ある日酒でも交えながら、ふと話してくれたらそれでいいと思っている。

 

「今夜も貧民街に行ったみたいだ。旦那―――」

 

「もちろん行こう」

 

 最後まで聞かずにゴンベエは答える。ブレインは自分の我が儘にゴンベエを付き合わせるのは忍びないと思っていたのだろうが、そんな事はこの男には関係ない。友が何かをなそうとするなら、黙って手を貸してやらねばならない。

 

 肩を並べながら脇道を歩き、大通りに出る。永続光(コンティニュアル・ライト)が唱えられた街灯が等間隔に設置されていた。夜中であろうと足下が見えないことは無いだろう。

 石畳の道を酒場から聞こえてくる陽気な声をBGMとして二人は歩く。

 

 ブレインが不意に口を開いた。

 

「漆黒の剣の奴ら………」

 

 突然、何を言い出すのかと思えば、予想外の言葉であったのでゴンベエは目を見張った。ここで彼らの名を出すという事は、この行動に何かしら関係しているのだろうと考えるが、本心までは見抜けない。

 

「あいつらのチーム名の由来、覚えてるか?」

 

「ああ。確か黒騎士の魔剣だったか?」

 

 かつて存在した十三英雄の一人である黒騎士と呼ばれた者が持っていた四本の魔剣。それをメンバー全員で持つことを夢見ていると言うのだ。大それたことだと思う、現在も残っているのか分からない魔剣を探してメンバー全員で持つなど。

 

「若気の至りと言っていたが、それを持てば英雄の仲間に入れるとでも思ったのだろうな。俺にはあいつらが眩しく見える」

 

 ブレインは、どこか遠い眼をすると頭の後ろで両手を組み、夜空を見上げる。大きな月がブレインを照らしていた。

 

(そうか………)

 

 ブレインもこの町と漆黒の剣のことを気に入っているのだ。だから、こんな事をする。気恥ずかしさの正体はこれだったのだ。良い男だと心底思った。

 

「だが、夢はいつまで経ったって夢なんだ」

 

 ガゼフ・ストロノーフの顔が頭に浮かぶ。彼の記憶の中にあるガゼフの強さを抜いた確信はあったが、あれから長い時間が経っている。それに伴いガゼフも強くなっているはずだ。

 なら、ブレインはどこまで強く鍛えればいいのか天井が見えてこない。ガゼフを倒すために作った技もゴンベエの前には児戯のようにあしらわれた。まだまだ強くならなければ。

 

「そうか? やってみなければ分からないだろ? 無いのなら無いで、自分で作ればいい」

 

 魔剣を作るなんて発想自体、おかしいと言わざるをえない。ブレインは苦々しく笑った。

 

「強くない奴らが大層な夢を持つことがおかしいんだよ。この世は才能だ」

 

 ブレインは何も本心でそう言っているのでない。漆黒の剣の四人はとても将来性がある男たちだった。ブレインは彼らの才覚を見抜いていた。いつか必ず有名な冒険者として名を馳せることになるだろうと、確信にも似た何かをブレインは彼らに抱いていた。

 

「何も剣を振るって、モンスターを倒すのが強さではないだろう」

 

「なら、旦那の言う強さって何だ?」

 

「さあ、何だろうな。俺にも分からないよ」

 

「なんだよそれ」

 

 拍子抜けの答えであった。ゴンベエのような強い者なら、何か心を打つような言葉でも言ってくれるのかと思っていたのだ。

 

「ただ、勇気のある奴は強いと思う」

 

「勇気?」

 

「ああ、自分の弱い心を認めそれに打ち勝ち、正々堂々と言いたいことは包み隠さず口にする。俺はそういう者が本当に強い奴だと思う」

 

「弱い心に打ち勝つか………」

 

 ブレインは何か思うことがあったのだろうか。ぽつりぽつりと言葉を発する。

 

「旦那には直接は言っていなかったが、俺はある男を越えることが夢だ」

 

「ああ」

 

 ゴンベエは何となくは分かっていた。時々聞く、ガゼフ・ストロノーフの名前と御前試合の話。

 

「俺はそいつに勝てるだろうか?」

 

「どうだろうな。やってみなければ判らないとしか言えないが、そういう考えは大切にした方がいい。出来るか分からないという疑問が、勇気を生む第一歩だと思う」

 

 ブレインは何も言わなかった。何もゴンベエの言葉に納得した訳ではないが、そういった考えもあるのだなと覚えておくことにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 貧民街はこの世から見放された区画である。そういった場所は当然のように犯罪者や物乞いの巣窟となっている。後ろ暗い者たちが潜伏するのにも持ってこいの場所である。治安は悪く、犯罪は横行していた。

 今夜もワーカーと呼ばれる金に汚い者たちが仕事の依頼を受けにここに集まっていた。だが、彼らが生きて金を受けることはなかった。依頼の主はクレマンティーヌ、彼女の依頼はあらゆるマジックアイテムの使用可能というタレントを持った、ンフィーレア・バレアレの監視を頼むことだったのだが、頼み方が尋常ではなかった。

 

 まず目の前の三人の男を瞬く間に殺した。彼女の持つスティレットはミスリルにオリハルコンをコーティングした逸品だ。人体など容易に穴だらけにできる。最後に一人だけを残すと、クレマンティーヌはその男と話を始める。

 

 その様子を、ゴンベエとブレインの二人は古びた建物の陰から観察していた。少し距離が離れていたため、正確には聞き取れなかったが先ほどの虐殺と打って変わって意外と話し込んでいる。

 

 ゴンベエは背後のブレインをちらりと見た。柄に手を掛け女とやり合う気満々といった感じだ。

 

 ゴンベエには一抹の不安があった。彼はユグドラシルではダメージを稼ぐアタッカーを務めることがほとんどであった。それ故に誰かを守るという戦い方を知らない。

 女の強さは不明、他に仲間がいるかもしれない。ブレインを交えて戦うとなれば、守る自信がなかったのだ。弱気とも取れるかもしれないが、まだこの世界での戦闘はブレインとの差しの勝負しかない。ブレインの強さを信頼していない訳ではないが、彼はここで死ぬには惜しい男なのだ。

 

 加えて、ブレインは歴戦の戦士である。もしかすれば女との一対一の勝負を願うかもしれない。もし、そんな事を願われればゴンベエには断る自信が無かった。安全策を取って二人で戦おうと提案をしても、彼は一言の下に拒否するに違いない。そして、それを邪魔をする無粋な真似などゴンベエには出来ない。そんな事をしてしまえば、ブレインの顔を潰す事にもなる。大怪我はもとより、討たれても構わない。そういう決意が彼の顔にあったことをゴンベエは素早く察した。立派な男である。だが、この世界で初めて友となれた男を、ここで死なせる訳にゆかなかった。

 

 ならどうするか、ゴンベエは思案する。

 

(脅すか)

 

 出た結論はそれであった。もちろん相手は女、クレマンティーヌのことである。生半可ではなく、本気で脅さねばならない。危険な男だと、印象付ける。とんでもない男と敵対してしまった。心底そう思わせ、こんな男に勝てるかと逃げてもらえれば大成功である。

 

 ゴンベエは優しすぎた。

 この世界では、命のやり取りは殺すか殺されるしかないのだ。

 この世界では、強者は冷酷でなくてはならない。

 

 結論が出たのを見計らったように動きがあった。クレマンティーヌと話し込んでいたワーカーが、彼女に後ろを見せて逃げ出したのだ。クレマンティーヌは追おうとしなかったが、一呼吸するとその背に跳び付いた。

 咄嗟にゴンベエが陰から飛び出し、逃げる男を横合いからぶん殴った。もちろん手加減してだ。そのまま彼はゴミ溜めに頭から突っ込み伸びてしまう。彼を助けるために仕方がないことであったとゴンベエは開き直り、クレマンティーヌと向き合う。互いに抜けば、すぐに命を取れる距離で立っていた。

 

「おんやぁ~~? 誰か後をつけてるのは気付いてたけど、いつかの釣りのお兄さんじゃない。ストーカーなんかして、私に惚れちゃったの?」

 

 からかう様にそう言った。口元は可愛げに笑っているのだが、ゴンベエを見る目は警戒そのものだ。

 続いてブレインが後を追って姿を現した。クレマンティーヌの顔から笑みが消え、両者の手が腰の獲物に伸びる。

 

「待て」

 

 そう言ったのはゴンベエである。凄味のある声が両者の間で響いた。獲物に手を掛けた状態で二人は動きを止めた。

 

「武器を抜けば生きるか死ぬかふたつにひとつだ。その覚悟はあるのか?」

 

「ああぁ!? 何言ってんだテメェ!!」

 

「死ぬ覚悟はあるかと訊いている」

 

 クレマンティーヌの肩が、どっと重たくなった。まるで巨岩を載せられたような、それほどの重みがゴンベエの声に込められていた。敵ではないブレインさえ、身体が硬くなったのを感じたほどだ。

 

「な、なにを偉そうなこと言ってんだぁ! このクレマンティーヌ様に向かってぇええっ!!」

 

 クレマンティーヌは自分の強さに絶対的な自信がある。人外、英雄の領域に足を踏み入れてもまだまだ伸び代があると自負し、勝てないと思う相手でもいつかは抜けるという確信があった。

 だが、別格というものはどんな世でも存在した。彼女の故郷であるスレイン法国には神人と呼ばれる者達がいた。過去に存在した神々、プレイヤーの血を受け継ぐ存在である。漆黒聖典の隊長と聖域を守るアンチクショウ。絶対に勝てないと思えたのはこの二人だけだが、いつか越えてみせるという向上心は外道になろうが持ち続けていた。

 その終着点は、自分を見下してきた兄や両親に分からせてやるという復讐にも似た願望。彼女の真正面にいるこの二人も、その長い道のりの道中にしか過ぎない。

 

(手足をもぎ取ってから謝らせてやる)

 

 スティレットを握った手に力を伝えようとしたその時、気が付いてしまった。

 いつ抜いたのか、ゴンベエの右手には抜身の刀があった。クレマンティーヌがスティレットを抜こうものなら、そのまま切り捨てる構えである。

 クレマンティーヌには、彼がいつ抜いたのかさえ分からなかった。知覚できない一瞬の抜刀、その気なら首が飛んでいたことだろう。背筋に悪寒が走った。

 動揺して揺れる瞳で、ちらりと刀身を見る。その白刃は波打つかのように美しく、それでいて濡れていた。露であった。掲げるように持ち上げていたため露は付け根に溜まる。やがて雫となりゴンベエの足下に落ちた。クレマンティーヌの爪先を凍り付くような寒気が襲う。小さく「ひっ」と彼女は悲鳴を上げた。

 

 強力なマジックアイテム。法国の至宝にも勝るとも劣らない武器だと、一瞥するだけで分かった。

 

 敵愾心が滾る。あのバケモノに似た者がこんな所にいるのが信じられない。

 

(何で、なんで、なんでこんな所に!!)

 

 ―――勝てない。

 

 そう確信した。ただ剣を抜いただけなのに、圧倒的な実力を見せつけられた。屈辱と怒りで頭が狂いそうになっていた。この手で絞め殺してやりたい。

 素手でなら引っ掻き傷の一つでも作れるかもしれない。スティレットを抜けば死ぬだろう。メイスではまず無理だ

 

 クレマンティーヌは行き場を失った両手を握ったり開いたりしている。凍えるような寒気に襲われているのに汗が出てきていた。

 

「抜かないのか」

 

 唸るようにゴンベエが言った。クレマンティーヌの身体がビクッと飛び跳ねる。

 

(これはいけるか?)

 

 上手く演じられたと、ゴンベエは安堵する。見るからにクレマンティーヌの顔は青ざめていた。

 

「旦那、逃がすことはない」

 

 ブレインはゴンベエの思惑に気付き始めていた。逃がして後で厄介なことになるのは自分らなのだ。それならここで禍根を断っておけば、今後彼女に襲われることはない。 

 彼の言いたいことは十分理解していたが、ゴンベエはただの一般人でもある。ただのゲームのプレイヤーなのだ。いざ、人を斬ることに躊躇しても仕方がないのだ。剣を持つものは時に薄情にならねばならない。

 

「に、逃がしてくれるの?」

 

「ん、ああ。そうだな………」

 

「おい!」

 

「ほ、本当に……!?」

 

 クレマンティーヌは媚びを売るような上目遣いをしてくるが、その眼の奥にはまだ火のようなものが燻っているように思われた。

 

「俺の気が変わらん内にだ」

 

「わ、分かった。すぐに目の前から消えるから」

 

 クレマンティーヌが摺り足で徐々にゴンベエから距離を取り、刀の間合いから完全に抜けると、瞬く間に闇の中に消えていった。

 ゴンベエは一息付き、刀を鞘に収めていたところ、ブレインが声をかけた。

 

「どういうつもりだ?」

 

「すまん。何とか穏便に済ませたかった」

 

「逃がしたら元も子もないだろ」

 

「これであの女が心を入れ替えてくれればいいが………」

 

「あの様子じゃあ、また何かしでかすだろうな。旦那、あんた俺の時もそうだったが甘いんだよ」

 

「むむ………」

 

 言い訳はしない。またあの女が何かしでかせば、責任を取って斬り殺すしかないと腹を決めていた。もしも、自分の命を狙うのであればそれはそれで良い。ゴンベエにとって命を狙われるのは、退屈凌ぎのようなものに過ぎない。

 

 

 

 

 

 共同墓地に秘匿に作られたズーラーノーンの隠し神殿に逃げ帰ってきたクレマンティーヌは、腹を括っていた。町は法国の追っ手に監視されている。ただでは逃げ出せない。叡者の額冠を用いて騒ぎを起こしてもらい、それに便乗して逃げる算段であったがあんなバケモノに目を付けられたのだ。騒ぎを起こせば、すぐにでも殺されるだろう。俎上の魚であった。

 

 だが、追い詰められた鼠は猫にも噛み付く勇気を見せる。もしも、あの男を倒せたのなら兄や両親と法国の者たちを、今まで見下してきた者たち全員を見返してやることができる。

 クレマンティーヌは一人。宛がわれていた部屋で、自分の心は折れていないと、何度も何度も自分を騙すかのように心の中で言い続ける。戦意喪失するのはまだ早い。殺されたくはないが、逃げられないのならば牙を剥くしかない。



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少年担ぎ

 うららかな日差しが降り注ぎ、心地よい風が吹いていた。こんな日はとても過ごし易い。人々は家に籠るのを嫌い街に出かけ、商人たちはこんな日こそ稼ぎ時だと意気込む。肉を焼いた匂いを風に乗せ、腹を空かせた者達を誘導する。冒険者は依頼の前の腹ごしらえとばかりに、串に刺さった肉を五本ほどペロリと平らげてしまう。身体が資本だ。食って体力を付けなくてはいけない。

 

 こんな日だというのに、良い歳をした男二人は働きもせずにエ・ランテルから出掛ける。昨晩、何事もなかったかのようにゴンベエは釣りに出かけ、ブレインはそれに付いてゆく。

 エ・ランテルから少し離れた川辺に陣取り、ゴンベエは地べたに胡坐を掻いて釣りを始める。ブレインは五歩ほど後ろに離れ、手頃な岩に腰掛けて刀を握っている。いつもように刃の手入れをするではなく、手に持って振るでもない。ただ、左手に握っていつでも抜けるように待機していた。

 

 吹いた風がゴンベエの裾を通り、胸元から抜けていく。早朝だったためか少し肌寒く感じた。ここで、ゴンベエが欠伸を一つ。

 

「くぁ~」

 

 ブレインがそれに反応するかのように肩を小さく振るわせた。明らかに警戒の色を出している。

 

 くるり。

 

 ゴンベエが後ろを向いた。二人の背の方角から鳥が飛んで来ていた。全身を白く染め抜いたかのような体色で、翼を広げた姿はその鳥を倍の大きさに錯覚させる。

 つぅーー、と白い鳥が川辺に降り立つとそのまま川の中に歩を進めた。中ほどで立ち止まると何かに狙いを定めたように嘴を水面に向け、鋭く突いた。引き上げたその嘴には小ぶりの魚が銜えられており、空を見上げてゴクゴクと飲み込むように胃袋に入れた。どうやら鳥は朝食を食べに来たようだった。

 

 素晴らしいものを観られたと、ゴンベエは心を震わせた。初めて自然界の弱肉強食の構図を観ることが出来た。食する白鳥の美しさたるや、何か歌でも詠みたい気分にでもなってしまう。食された魚も、食われてたまるか、と身体を暴れさせて抵抗する様には生き物としての意地を感じた。

 

 世界を織りなす無数の理の一つを垣間見た。これだけで、遠出をした甲斐があった。

 

 二人は、昨晩の女を警戒してわざわざ町から離れた場所まで来ていた。ここならば周りに被害が出ることも無いし、誰かに見られる心配もない。襲ってこられても大立ち回りを繰り広げられるだろう。だが、誰か付けてきている気配も無ければ、待ち伏せされていたことも無かった。杞憂だったかと思われたが、こういった荒事ならブレインの方が良く知っている。彼のアドバイスの下、暫くは警戒を任せることにした。

 

(しかし、美しいな)

 

 昔話に出てくる鳥を思い出す。名前は何だったか覚えてはいないが、異世界だ。違う名前だろうから無理に思い出す必要もないかとゴンベエは思考を放棄し、暫しの間その美に酔いしれた。

 

「おい、旦那」

 

 背後からブレインがその背に声を掛けたが、ゴンベエは自分の世界に入っていたためにその声には気が付かなかった。

 

「旦那!」

 

 少し言葉尻を強めて、彼はもう一度言った。ゴンベエが振り返る。

 

「かかってるぞ!」

 

「ん?」

 

 釣竿が大きくしなっていた。慌てて竿を引っ張り、獲物に針を食い込ませる。手応えがあったので、勢い良く上半身を反らせて釣り上げた。

 

「おっ!?」

 

 ブレインから仰天の声を上げる。二人の間に釣り上げた魚が横になってピチピチと跳ねていた。魚の尾が上下に動くと、跳ねた上げた石ころがゴンベエの足下まで飛んでくるほど力強く、そしてかなりの大振りである。二人で食べても十分に腹が膨れるほど身を付けていた。

 

 目から鱗が落ちるブレイン。初めて釣り上げた魚を持ち上げて純粋に子どもの様に喜んでいるゴンベエ。傍から見れば何とも奇妙な光景に見えたことだろう。

 

 ゴンベエが興奮の面持ちで言った。

 

「火は?」

 

「いや、用意してねえな」

 

「生で食らうのか!? それはそれでありだな……」

 

「腹壊すぞ!? 分かった落ち着け、すぐに用意するから」

 

「おいおい、俺も手伝うぞ」

 

 時に忍び笑いを漏らしながらゴンベエはブレインと共に火を熾した。川辺に流れ着いていた枝を口から突き刺し、火で魚を焼いていく。至福の一時であった。焼き色が付き、良い匂いが鼻を刺激する。

 

「うふふ」

 

 ゴンベエが楽しみといった感じに笑った。正直、気色悪かった。だが何とも楽しそうにしているので、ブレインはからかうような事は言わない。

 

 敵襲の警戒などすっかり忘れて二人は火を囲み、談笑に耽った。

 

「なんだか、今日は良いことがありそうだ」

 

 ゴンベエは魚の腹に噛り付いた。ホタホタ、と膝を打って感無量と味を噛み締めている。そしてブレインに渡す。代わりばんこに食べていこうというのだ。

 

「そうか? 俺は悪いことが起こりそうだと思うが………」

 

 ブレインはそれを受け取ると、ホクホクと口の中で熱い身を転がしながら味わう。何とも旨く感じたので、彼はもう一度齧り付いた。これで酒でもあれば申し分ないが、今は我慢しておくしかない

 

「何故だ? これほどの大物を釣り上げて罰でも当たるというのか?」

 

「今まで釣れなかったんだ。突然おかしいだろ?」

 

「いやいや、信心深い俺に神様が褒美をくれたのかもしれない」

 

「は?」

 

 旨い物は宵に食えと言う。それからはもう二人でガツガツと夢中で噛り付いた。最後の食事とでもいうのか、二度と釣り上げた魚を食えないとでも思ったのか、余すところなく食し、残った骨を土に埋めてやった。

 

 

 斜陽となった時分。夕陽を浴びながら、二人は町に戻って来た。心配していたような事は全く起きず。ブレインは何だか遣り切れない気持ちを胸に、トボトボと歩く。事の張本人は、悠揚迫らぬ態度であった。もうすっかり忘れているのか、すれ違う者たちに、やれ今日の釣った魚はデカかった、やれあれは川のぬしだ、と大きな口で語っている。

 

 聞かされる者たちも、ほとほと参ったと聞くしかなかった。

 

 中には、虚言、と言い返した女もいた。鳥の巣のような赤い髪形をした身嗜みに気を遣わない典型的な女冒険者である。昨晩行った依頼で、野盗化した傭兵団が全滅していたのを発見したらしく、眼の下に隈が出来ていた。

 

 彼女は、よく桶が空のまま帰ってくることを見ている。ゴンベエの釣り下手は知られたことであった。それが突然、川のぬしを釣ったと言われても信じられたものではない。

 

「いや、俺の桶が空なのは訳がある」

 

 その訳とは、銀の冒険者が訊いた。

 

「俺の剣の腕は『古桶』と例えられる」

 

 そう言ってゴンベエは腰の刀に手を掛けた。周りの冒険者たちは興味深く、その動きを見る。刀を差しているのだから、そこそこの腕はあると噂される男である。

 

「古桶ってどういう意味だい?」

 

 鳥の巣が訊いた。

 

「その腕前、水もたまらぬ」

 

 どっと周りが湧いた。もうブレインも笑うしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 陽が完全に落ち、街を永続光(コンティニュアル・ライト)が照らし始めた。トブの大森林に行っていた漆黒の剣はアインズとナーベラル、依頼主のンフィーレアと共に帰って来ていた。馬車には草やら木の実やら、一般人が見たら何に使用されるのか見当も付かない物ばかりであるが、薬師にしてみればそれは宝の山であった。

 そして、やたらと人々の眼を引く存在が居た。森の賢王と称される魔獣、銀の体毛に英知を感じさせる眼差し、強大な図体。アインズはそれを服従させて、街の中まで連れてきたのである。

 

 アインズとナーベラルは漆黒の剣と一旦分かれて森の賢王こと、大きなハムスターに乗って組合に向かう。もう、恥ずかしくて恥ずかしくて仕方がないが、威厳溢れる姿を崩さず、魔獣の登録に赴いた。

 

 

 漆黒の剣はンフィーレアと戦利品を載せた馬車を連れ、バレアレ薬品店に向かう。その道中で騒がしい一団を見つけたので、良く観察してみると見知った顔を何人かいた。冒険者が道端で固まって話し込んでいる。その中心に、変わった風体の男が何やら話して彼らを笑わせていた。

 

「ありゃ、ゴンベエさん達じゃないか?」

 

「本当だ。いつの間にあんなに仲良くなったんだろう?」

 

 野伏(レンジャー)のルクルットがやはり一番に気が付いた。

 冒険者に囲まれているのを不思議そうにペテルが見ている。釣りばかりしていて、誰かと仲良くしているのは余り見たことが無かったのだが、何とも楽しそうに話しているではないか。あれでいて、意外と交友関係が広いのだろう。

 

「おう、あんた達か。帰って来たみたいだな」

 

 その一団から少し離れた場所に壁に凭れて立っていたブレインが彼らに話しかけてきた。騒がしいのは余り好かない性格なのだろうか。ペテルがそう思ったが、何やら呆れた顔をしていた。

 

「疲れて帰ってきたとこ悪いけどよ、旦那を止めてきてくれないか? ずっと話し込んでやがる。馬車の荷卸し手伝うからよ」

 

 馬車にはいくつか重い荷も積まれている。ゴンベエとブレインが手伝ってくれればかなり楽になると考えた。ペテルがリーダーとして先陣を切る。

 

「あの、ゴンベエさん?」

 

「おお、ペテル! 帰って来ていたか。よしよし、お前の話も聞かせてくれ。今回の依頼で何か武勇伝の一つでも出来たのではないか?」

 

 輪に近づいたペテルは、そのままゴンベエに手首を捕まれ中に引き摺られると、姿を消した。

 

「ペテルが食われた!?」

 

「救うのである!」

 

 ルクルット、ダインが服に付いた塵をまき散らして救いに掛かる。ルクルットが男達の隙間に身体を捻じ込ませて侵入する。ダインは大柄の身体を活かして押し退けていく。

 ニニャが冷たい視線で彼らを見ていた。暫くしても出てこないので、やむをえないと近づくとペテルの声がした。彼らに何か話しているらしいく、耳を澄ませた。

 

「森の賢王と呼ばれる魔獣をモモンさんが打ち倒し、使役する偉業を成し遂げたんです」

 

「おお~! それは素晴らしい。その魔獣は今どこに?」

 

 ゴンベエはよく分かっていないが、仰天の声を上げる。

 

「今組合で魔獣登録しています」

 

「森の賢王と称される魔獣か、ぜひ見たいものだな」

 

 うんうんと、顎に手を当ててゴンベエが頷く。

 覗いてみるとルクルットとダインも、他の冒険者と話に耽っているではないか。ニニャのこめかみがピクピクと震えた。

 

「三人とも、まだ依頼は完了してないですよ。早く行かないと、ンフィーレアさんを困らせてしまいます! 皆さんもこんな所で集まってないで早く宿にでも戻って明日の準備でもした方が良いと思いますよ!」

 

 怒号が冒険者たちの耳を劈く。彼らは軽くニニャを囃し立てるが、怖い顔をしていたのでばつが悪そうに互いの顔を見回すと蜘蛛の子を散らすように去って行った。残ったのはゴンベエと三人の男。彼らは苦笑いを浮かべて何とか誤魔化そうと努力するが、ニニャの前では無駄のようだ。

 

「早く行きましょう。ゴンベエさんも手伝ってくれますね」

 

「あ、ああ」

 

 ゴンベエは、笑って誤魔化した。

 

 

 

 

 

 バレアレ薬品店の脇道に馬車を入れる。裏口に続く道を彼らは進んだ。大きな月が彼らを照らしていた。何か不気味な雰囲気が辺りに漂っているが、暗闇に対して本能的に危うさを感じただけかもしれない。

 

 馬車を裏口に付けて、ンフィーレアがランプを片手に裏口から中に入った。

 

「では皆さん。こちらに運んでもらえますか」

 

 中から声がした。ゴンベエは一際重そうな木箱を楽々と持ち上げた。ステータスが反映して力持ちにもなっているのだろう。ブレインがそれに対抗してか、同じ大きなほどの木箱を持ち上げる。

 

 ンフィーレアが、祖母であるリイジーに声をかけても姿を現さないので、また何かに集中して声が耳に入っていないのだろうと思っていると、奥の扉が開いた。その隙間から、可愛げのある女の顔が覗いてきたではないか、女は怪しげな雰囲気を漂わせている。何やら吹っ切れたような、覚悟を決めた人間の意志が垣間見えた。

 

 それが殺気のように女から漂っている。ンフィーレアは堪らず、驚いて声を上げた。

 

「ど、どなたですか!?」

 

 ンフィーレアが後ろに下がるよりも早く、女が飛び付いて動きを封じる。左手を首に回し、右手の刺突武器がンフィーレアの首元に突き付けられた。ランプが床に落ち、店内は闇へと戻る。

 

「ンフィーレアさん!?」

 

 事態に気付いたペテルが荷物をほっぽり出して助けに入ろうとしたが、ブレインが腕で制止した。彼の顔が厳しい面持ちに変わっている。

 

「お前らはそこにいろ! 旦那!」

 

 ブレインが漆黒の剣に指示を飛ばし、隣のゴンベエに声をかける。

 

 ゴンベエ、怖い顔である。

 

 ブレインでさえ怖気づいてしまうほど鬼気迫るものがあった。ズカズカと店の中に踏み入れ、ゴンベエはンフィーレアを人質のように取ったクレマンティーヌと向き合った。手は腰の位置にある。

 

「や~ぱり、何でもお見通しだったんだね。私がこの子を攫うことも」

 

 これはクレマンティーヌの勘違いである。ゴンベエが店に来たのは偶然でしかない。ゴンベエは何も語らず、慎重に間合いを測っている。いくら腕が立とうと人質を取られれば迂闊に動くどころか、刀を抜くことも出来ない。

 気付けばブレインが回り込むように動いていた。柄に手を当て、いつでも抜ける準備をしている。狭い部屋だ。二人で囲めば逃げられないが、ンフィーレアを助けるのが何よりも優先だ。

 

「近づかない方が良いよぉ。手が滑っちゃうかもしれないから」

 

 ハッタリである。彼女にンフィーレアを殺すことは出来ない。儀式には彼のタレントが絶対に必要なのだ。それに、儀式を行った方が僅かな勝機があるとクレマンティーヌは睨んでいる。

 死者の軍勢(アンデスアーミー)。第7位階の魔法であるが、叡者の額冠を用いれば唱えることが出来る。大量のアンデッドと共に戦えば、1%ほどの勝機はあるのではないかと考えていた。だから何ともしても、クレマンティーヌはここから逃げる必要があった。

 

「あんたたちが居なかったら、後ろの彼らで鬱憤でも晴らそうとしたんだけど……そんな暇は無いみたい」

 

「その子を連れたままじゃ逃げられないぞ。諦めろ」

 

「そうかな? 私が何も用意せずにのこのことやって来たとでも思ってるの? 意外と馬鹿なんだねぇ」

 

 クレマンティーヌが嘲笑う。すると、ゴンベエの背後から誰かの甲高い悲鳴が聞こえた。彼は後ろを振り返った。

 

 そこにはアンデッドに囲まれている漆黒の剣がいた。馬車の荷台に昇ってニニャが魔法を唱えようとしている。他の三人は馬車を囲んで防陣を構成して立ち向かっているが、明らかに劣勢の色が見えた。奇襲を受け、それぞれが上手く立ち回れていない様子だ。

 

「先にあっちを助けた方が良いよ?」

 

 クレマンティーヌがそう提案する。確かにこの状態なら先に助けられる方を助ける方が賢明ではあるが、ここでクレマンティーヌを逃がせば取り返しの付かないことになるのではと、ゴンベエは危惧していた。

 

「俺が行く」

 

 ブレインが裏口から飛び出してアンデッドの囲いを突破して漆黒の剣と合流したが、それによりクレマンティーヌに対する包囲が解けてしまう。

 

「ふふふ。じゃーねー、待ってるから」

 

 スティレットを持った手を振りながら、ひび割れたような笑みを浮かべてクレマンティーヌは店の奥に消えていった。ゴンベエは追いかけることが出来ず、悔しさに身を震わせた。

 

「クソ!」

 

 後ろを振り向いて、その衝動のままに動死体(ゾンビ)を背後から真っ二つに両断した。次いで骸骨(スケルトン)の頭が飛ぶ、食屍鬼(グール)が細切れになる。気が付けば、あれだけいたアンデッドの群れは消滅していた。

 ゴンベエの刀に張り付いた血肉が露によって洗い流され、まるで鞘から抜いたばかりのように綺麗に輝いている。まだ百でも二百でも斬れそうであった。

 

 ブレインは刀を懐から出した布で拭い、辺りに散らばっているアンデッドだった物を見て疑問を浮かべている。どうしてこんな街中にアンデッドが湧いたのか、クレマンティーヌの口振りからすると用意していたように窺える。ネクロマンサーの仲間でも辺りに潜んでいるのではないかと辺りを見渡すが、彼女が逃げたのを確認して一緒に逃げたのだろう。

 

「こりゃあ、ただ事じゃないぞ。どうする?」

 

 裏で強大な何かが蠢いている。ブレインは、漸く自分達がとんでもない事件の中心にいることを自覚した。

 漆黒の剣は大した怪我はしていないようだ。ダインが軽傷治療(ライト・ヒール)をかけて治療に励んでいる。

 

「追いかけるしかないが、どこに行ったのか見当も付かんな」

 

 ブレインの問いかけにゴンベエが答える。探知系の魔法を唱えられれば見つけることは容易かもしれないが、魔法詠唱者(マジックキャスター)のクラスを取得していないゴンベエはもちろん覚えていないし、使えないのなら巻物(スクロール)も当然持ってはいない。持っていればニニャにでも使わせてどうにか出来たかもしれないが。

 

 どうするか、そう思案に暮れていると正面入り口の方から女性の声がした。ンフィーレアを呼ぶ声である。店主のリイジーが帰って来たのだ。

 ゴンベエはぶん殴られる覚悟で声のする方に向かった。

 

 

 

 

 

 当然、リイジーは可愛い孫を攫われて怒りを露わにした。ゴンベエと漆黒の剣はただ頭を下げる。冒険者が依頼主を危険に晒せてはいけない。

 

「落ち着け、リイジー・バレアレ。彼が攫われたのは魔獣登録で離れていた私の責任でもある。私が傍にいれば誘拐は防げたかもしれない」

 

 魔獣登録を終えて、組合から出てきたところを偶然出会ったアインズとナーベラルはリイジーと共に店に来ていた。

 

「モモンさ――んに責任はございません。そこの者たちが貧弱だっただけです」

 

「なっ!?」

 

 事情も知らずに、とブレインが何か言いたげに口を開くがゴンベエがそれを止め、静かな顔で首を振る。あの夜、自分が逃がした責任が何よりも大きいと自覚していた。何を言おうが無駄なのだ。

 

「全ては俺の責任だ。あんたたちが謝る必要はない」

 

 ゴンベエがそう言った。アインズはなぜ彼がここにいるのか疑問に思ったが、深くは追及しなかった。この誘拐に関わっているかもしれないと一案を頭で浮かべるが、まだ仮説に過ぎないので片隅に置いておく。

 

「ほう、責任か。なら誘拐犯を自分達で捕まえると言うのか?」

 

「そうしたいのは山々だが、どこに行ったのやら皆目見当も付かん。分かっているのは刺突武器を持った金髪の女が、ネクロマンサーの力を借りて少年を攫ったことだけだ。目的もその他のことは一切分からない」

 

「ネクロマンサーか、その根拠は?」

 

「裏でアンデッドに襲われた。まだ転がっていると思うが」

 

「案内を」

 

 ゴンベエは、アインズとナーベラルを連れて裏口に向かう。裏の少し開けた場所には馬車とそれを引く馬、その周りにいくつもの肉片や骨が転がっている。アインズはそれらを抓むように持ち上げてじっくりと観察した。

 

(残骸がいくつか残っているって事は、召喚されたアンデッドじゃないな)

 

 どこかで死体を用意して、わざわざここまで運んできたのだろうか。その出所が分かれば解決の糸口が見付かるかもしれない。

 

「何か分かるか?」

 

 ゴンベエが声をかけた。

 

「ええ、どうやら死体を用いて作られたアンデッドのようだ」

 

「それだけじゃ、場所は特定できないのか?」

 

「いや、十分だ。ナーベ、リイジー・バレアレに地図の用意をしておくように伝えてくれ」

 

「畏まりました」

 

 そう言うとナーベラルは店に入っていた。ゴンベエはその背を目で追い、訝し気な顔をしていた。

 

「二人はどういう関係なんだ? いやに堅苦しいが」

 

「ただのパートナーさ。それより、貴方は魔法を使えるか?」

 

「いや、多少の回復魔法なら使えないこともないが。探知系ならあの子に任せたらいい」

 

「力を貸してもらおうと思ってだな。となると巻物(スクロール)も使用できないと?」

 

「たぶんそうじゃないか?」

 

 僅かながら、ゴンベエの情報を聞き出せただけでもアインズには収穫と言えた。生粋の戦士職か、一つか二つの神官系クラスを取得して小細工の利く準神官戦士かもしれないと踏む。

 

(レベルはどの位だろうか、大雑把でも分かればいいんだけど……)

 

 アインズがゴンベエの相手を想定していると、地図の準備が出来たようでナーベラルが戻ってきた。まずは目先のことから片付けようと、彼は頭を切り替えた。

 

 

 

 

 

「皆さん。まずこの町の墓場の場所を教えて頂けますか?」

 

 地図を広げた机の周りを全員で囲んでいる中、アインズが言った。リイジーが地図の一部、エ・ランテル外周部の城壁内の西側に指を置いた。城壁内のおおよそ四分の一を占める何かが描かれている。

 

「ここじゃ。この町の共同墓地、ここならば素材には困らんじゃろう」

 

「相手はネクロマンサーと思われる。なら死体が簡単に集まる場所の付近にアジトを作ると思われるが」

 

「共同墓地は高い壁で囲まれていて簡単には入れません。門は衛兵がいつも守っていて一般の方は入れないようになっています」

 

 ニニャが鋭く指摘する。死体を回収するのに毎回命懸けでは堪ったものじゃないし、それなら噂になっていても不思議ではない。

 

「なら、こうならどうだ。そのネクロマンサーは共同墓地の中にアジトを作っていると」

 

 アインズの言葉に、ゴンベエとナーベラル以外が反応した。驚愕の声を上げ、顔色が曇る。もしも、その言葉通りならとんでもないことだ。共同墓地には沢山の遺体がある。毎年行われている戦争で出た戦死者は王国や帝国関係なくここで丁寧に埋葬される事になっていた。

 それでもアンデッドは墓場で良く発生している。頻繁に発生することもあれば、全く発生にしないこともあった。それがそのネクロマンサーたちの企みであったのなら、アインズの言葉には説得力があった。

 

 アインズは無限の背負い袋(インフィニティ・ハヴァザック)からいくつかの巻物(スクロール)を出すと机に積み上げていく。十はあるだろうか、それを対面に立っていたナーベラルに渡した。

 

「ナーベよ、言わなくても分かるな」

 

 探知系の魔法を使う時は相手に察知されないように気を付ける必要がある。偽りの情報(フェイクカバー)発見探知(ディテクト・ロケート)といった魔法も唱えて幾重にも警戒する必要がある。ユグドラシルでPKをする時の基本だ。

 

 ゴンベエはその様子をどこか懐かし気に見ていた。ユグドラシルで傭兵として雇われたときに、雇い主のギルドが同じようなことをしていたのを記憶している。あの時の戦闘は非常に楽だった覚えがあった。事前に情報をある程度知っているだけで楽になるのだなと、古い記憶に思いを寄せた。

 

 気が付けば、水晶の画面(クリスタル・モニタ-)が地図の上に浮かんでいた。皆がそこに目を向けて恐怖に慄いていた。声にもならない悲鳴を上げる者もいる。何だろうかと、ゴンベエも目を凝らした。

 

 そこにはギクシャクと動く何かが画面を覆い尽くしていた。

 

 骸骨(スケルトン)動死体(ゾンビ)はさることながら、もう少し上位のアンデッドも見受けられる。その中心にンフィーレアが冠を被り、透けるほど薄い衣を身に纏いながら突っ立っていた。

 

「ンフィーレア!?」

 

 リイジーが嘆き崩れた。

 ンフィーレアは尋常な状態ではないと見て取れる。自我が無いかのように立ち尽くしているのを見るに何らかの魅了状態に陥っているのか、そもそもアンデッドに襲われていないのが疑問だ。

 

(これは、せっかくだな)

 

 アインズはよからぬ考えを思い浮かべた。あれほど大軍を用意したのだから、何か大きな事を成そうとしていると考えた。ンフィーレアを救出するついでにその一件を解決すれば、自分たちの冒険者としての名が上がるのではと期待する。

 

 それに、とアインズはゴンベエの方を見る。

 

(奴の実力を探るには絶好の機会だ)

 

 この一件でゴンベエの強さが脅威となるか、もしくはプレイヤーなのか知ることが出来れば一石二鳥にもなる。

 

 これ以上は情報を得る時間が無いと、アインズはリイジーに提案した。

 

「依頼したらどうだ。冒険者ならここにいる」

 

「お主を雇えと言うのか?」

 

 確かに彼は銅ながら、あの森の賢王を自らの魔獣として登録するほどの力量を持っている。モモンならばこの件を解決できるかもしれないと、淡い希望がリイジーの胸が芽生えた。

 

「雇おうとも。孫を、孫を救ってくれるのならば幾らでも用意する」

 

 震える膝を動かして、リイジーはアインズの膝に縋り付いて懇願した。愛する孫の為ならば、どのような要望でも叶える覚悟している。

 

「全てだ」

 

 アインズは冷淡に告げた。

 

「な!? す、全てじゃと!?」

 

「そうだ。お前は孫を助けたいのだろう? ならば答えは決まっているはずだ」

 

 漆黒の剣は、リイジーがどう答えるか固唾を呑んで見守った。かの名高いバレアレだ。その全てと言えば莫大な物であり、とんでもない価値がある。まるで悪魔と契約する一場面のように思えた。切羽詰まったリイジーに考える時間はない。その、悪魔の手を握るしかなかった。

 

「汝らを雇う。だからンフィーレアを助けてくだされ」

 

 

 

 

 

 その光景をブレインは少し離れた場所から見ていた。壁に凭れて、気に食わなそうに鼻を小さく鳴らした。アインズのことが少し信用ならないのだ。ゴンベエがその様子を察して、彼の傍に立った。

 

「どうした?」

 

「いや、少しな………」

 

「言わんとすることは分かるが、今は口にするな」

 

 ゴンベエも何となくだが、アインズの闇の一面に気付き始めていた。もう少し気楽に居たかったのだが、そう言っていられる状況ではない アンデッドの軍勢が今にも墓地の外に溢れ出すかもしれない。町に溢れかえれば取り返しの付かない事態となる。今このことを知っているのは、恐らくここにいる者たちだけだろう。

 

「リイジーはこの話を組合や町の人々に伝えてくれ。漆黒の剣の方々は念のために彼女の護衛を」

 

「分かりました。それはお任せください」

 

 ペテルは力強くそう答えた。本心から言えば、自分たちも墓地に行ってンフィーレアを救いたいが足手纏いにしかならない事だろう。

 

「ゴンベエ――さん」

 

 アインズが甲冑を鳴らしながらゴンベエに歩み寄って来た。申さんとすることは何となく察し付く。

 

「それにブレインさんでしたか? 出来れば力を貸して頂きたいのだが?」

 

 後ろでナーベラルが一見涼し気な顔をしているが、頭の中ではそんな奴らは不要だと考えていた。だが、何か自分では及ばない考えがあるのだろうと口をつぐんでいる。

 

「ああ、力をお貸ししよう。それで良いなブレイン?」

 

「旦那に付いて行くさ」

 

 ブレインは仕方がないという風に言うが、内心でとても喜んでいた。アンデッドの大群に挑む、それもゴンベエの隣で。十二分にその腕前を見られることだろう。

 

「ならば急ぎましょう。時間がありません」

 

 全員がそれぞれの役割を果たそうと店から出たると、店先には大きな毛の塊が置かれていた。

 ゴンベエはそれに惹かれた。

 

(こいつがペテルの言っていた魔獣に違いない)

 

 そう直感する。身体は大きく、良く肥えていた。一度も刈られたことのない毛を伸ばし、太くて長い尻尾を左右に揺らしている。脚は逞しく、足首はきりっとしまっていた。だがこれは、馬ではない。これはハムスターだ。

 

(なんて大きなハムスターだ…)

 

 これがこの世界の魔獣と呼ばれる存在なのだろう。そう思い込めばおかしな感じはしなくなった。

 

「素晴らしいなこいつぁ!」

 

 声に出して言った。そのままゴンベエは魔獣の毛に手を沈み込ませていく。

 

「殿!? だ、誰でござるかこの方は?」

 

「あ~、協力してもらう方だ」

 

 ゴンベエの様子にアインズは、こいつはプレイヤーではないのではないかと考えを改めようとするが、少し感性が違うというものもある。呆れながら自らの魔獣、ハムスケにそう言った。

 

「ハムスケ。これから私たちは墓地に向かう。お前は彼らと一緒に付いてリイジー・バレアレを護衛してやれ」

 

「何と!? 某も殿と共に行くでござる!」

 

「これは命令だぞ?」

 

「むむむ、言う通りにするでござるよぉ」

 

 言葉尻が弱々しくなった。よほどアインズと居られないのが嫌なのだろうが、そんなハムスケを元気付けるかのようにゴンベエが喚いた。

 

「お前、喋れるのか!?」

 

 丹念にハムスケの身体を愛撫していたゴンベエが飛び退き、感嘆の声を上げていた。ハムスケが誇らしげに答えた。

 

「そうでござるよ。この森の賢王を嘗めないでほしいでござるな」

 

「ほほぅ。お前みたいな素晴らしい奴は初めて見たよ」

 

 アインズには、大男と大きなハムスターが会話を交わす光景が奇妙に見えて仕方がない。もしも人間だったのなら、忍び笑いでも漏らしていたのではないだろうか。

 

 時間が無いので話もそれほどに、二手に分かれてンフィーレアの救出作戦に乗り出した。真紅のマントを翻すアインズの後ろにナーベラル、ゴンベエ、ブレインが続いた。

 

 心地よく吹いた風がゴンベエの頬を撫でた。思わず、頬が緩む。

 笑うのはまずいと、ゴンベエは歯を食いしばった。隣で歩いていたブレインが怯えたように歩幅を狭めた。ゴンベエは、怖気づいてしまったのかと考えたが答えはおのずと分かった。かなり凶悪な面になっていたようだ。

 仕様がない。あの水晶の画面(クリスタル・モニター)に映っていたアンデッドの軍勢を見て、このアバターに流れる武辺者としての血が滾るのだ。

 

 この世界で、婆娑羅に風流尽くす絶好の機会を楽しまなくてどうする。

 

 ゴンベエの胸に湧く熱は、まさに天を裂く勢いであった。



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怒涛

 エ・ランテルの共同墓地。その門を守る衛兵隊はアンデッドの大軍に襲撃されていた。

 

 門を打ち破ろうと、骸骨(スケルトン)の群れが殺到する。防壁の上から衛兵たちが槍を突いて何とか引き剥がそうと試みるが、今まで戦ったことのない大軍。更には骸骨弓兵(スケルトン・アーチャー)骸骨の魔法使い(スケルトン・メイジ)が防壁の衛兵に対して激しい攻撃を飛ばしてくる。徐々に防衛力を削られていき、隊長は判断を迫られていた。

 

 百や二百で済む数ではない。千か、もしくはそれ以上の数がまだ後方から迫って来ていた。門は今にも突破されそうである。防壁の衛兵はすでに何人もやられており、今も内蔵の卵(オーガン・エッグ)の臓物に引き摺られて墓地の内側に落ちていく者もいた。耳を劈くような悲鳴が聞こえた。

 

 骸骨(スケルトン)がお互いの身体をよじ登るようにして、防壁に上がり込んでくる。アンデッドだからこそ出来る攻め方だ。そこには知性の欠片も見られない。だが、この力攻めは圧倒的な数の暴力と合わされば最上の策と呼べた。

 

 すぐに決断しなければもっと大勢の人間が死ぬ。ここで守っているだけではどうにもならないのだ。衛兵駐屯地に走らせた者はまだ帰って来ていない。

 

「この場を放棄するぞ、すぐに壁から降りろ!」

 

 隊長が声を張り上げた。号令直下、壁上で戦っていた衛兵たちは隊長に続いて階段を駆け下りると、そのまま門の前に陣取る。格子の隙間から白骨の腕が伸びる。まるでこちらに誘っているかのようだ。数百のアンデッドが殺到すれば鍵の掛かった門など役にも立たない。ミシミシと音を立て、徐々にへし曲がっていくではないか。

 

 ここまでか、と隊長に諦めの色が見えてしまう。エ・ランテルは死の都市へと変わってしまうのか。

 

 だが、そこに希望が訪れた。

 

 ガチャリ、と後方で金属同士の擦れる音がした。皆が一斉に後ろを振り向いた。

 

 それは漆黒に輝く全身鎧。金と紫を使い上品な模様を入れていた。細いスリットの入った面頬付き兜(クローズド・ヘルム)を被っていたため、その顔を見ることは出来ない。一体、この光景を見てどのような表情を浮かべているのか、衛兵たちには想像もできなかった。その後ろに控えるように立っていた黒髪の大変美しい女性は、主人に付き従う従者のような印象を受けた。女性ながら怯えもせず、過酷な惨状に対しても冷静な表情を崩していない。

 

 その後ろにまだ男が二人ほど見える。王国では余り見られない衣服に身を包み、刀と呼ばれる剣を腰に携える大柄の男と青髪の男。青髪はまだ普通の戦士のように見えたが、この中では普通過ぎる故に浮いて見えてしまう。彼らは甲冑と美女に隠れるようにして立っていた。四人の男女で組まれた冒険者のチームと推測される。

 

 僅かな希望を抱いて隊長が声をかけようとして近付くが、その首元にはカッパープレートがぶら下がっていた。銅級冒険者は、ほぼ新入りのようなものだ。控えめに言って役に立たない。希望から再び絶望に叩き落された気分であった。

 

「あんたらすぐにここを離れた方がいい」

 

 隊長が声を大にして言うが、甲冑の男は聞こえていないかのようにグレートソードを抜くとそれを頭上に掲げ、槍投げをする時のように構えたのだ。

 

「後ろを見ろ」

 

 そして彼は、呟くようにそう言った。

 衛兵たちが後ろを恐る恐ると見てみると、防壁からのっそりと顔を出すほど巨大なアンデッドがいた。防壁が4mだと考えると、かなりの大きさである。壁に手をかけてよじ登ろうとするその集合する死体の巨人(ネクロスウォーム・ジャイアント)目掛けて、彼はグレートソードを放り投げた。鋭く空気すら裂く速度で巨人の頭に突き刺さると大きく仰け反り、壁の向こう側に崩れるように倒れて姿を消した。

 

 呆気なかった。隊長は信じられないものを見る目付きで甲冑の男と向き合う。

 

「あんた何者だ?」

 

 そう尋ねたが、彼は聞く耳を持たないようだ。

 

「門を開けろ」

 

 そう言った。さも当然かのように。

 隊長は断固拒否する。門の向こうにはアンデッドの大軍がいる。それを唯一防いでいる門を開けてしまえば、どうなるか想像もしたくはなかった。

 

「それが? この私、モモンに何か関係があるのかね?」

 

 いやもう、傍若無人である。隊長は言葉が出てこなかった。

 

「まあいい。門を開けないと言うのなら仕方がない」

 

 そう言うとモモンと名乗った男はもう一本のグレードソードを抜き、甲冑の重みを感じさせないかのように高々と跳び上がって壁を越えていった。美しき女性もそれに続いて、飛行(フライ)の魔法で後を追っていく。

 

 衛兵たちは嘆声を漏らしていたが、更に彼らを驚かせることが続く。残った二人の男の内、長い髪を後ろで高く結った男が、ゆっくりと一歩を踏み出した。肩で風を巻くかのように、威風堂々として階段の方に進んでゆく。その顔は涼風が吹き抜けているかのように微笑を浮かべている。匂い立つような男の笑みであった。

 青髪の男もそれに続いていく。彼も僅かながら口元が緩んでいた印象を受けた。

 

 この二人はプレートを付けてさえいない。冒険者でないのなら一体何者なのか、なぜ笑っていられるのか、衛兵たちには不思議で堪らなかった。これから死地に出向くというのに、何をそんなに笑う必要があるのか。狂人としか思えない。

 

 壁に上がり、二人の姿が見えなくなって彼らは息を止めていた。

 

 すると、爆音が鳴り響いた。鼓膜が破れるかのような轟きが辺りに響き渡る。最初、それが雷の落ちた音かと思ったが、どうやら違った。壁の上からするのである。それは、獣が遠くの仲間に何かを知らせる時の遠吠えに似ていた。

 

 咆哮が止み、何度か風を切る音が聞こえるとアンデッドの呻き声が止んでいた。

 

 まさか、と彼らは防壁に登った。眼下に群れをなしていたアンデッドは音を立てない屍へと変貌していたのである。

 

「嘘だろ。何なんだよ、あの人たちは?」

 

 誰かがそう言った。

 

「モモンと言ったか」

 

 これで彼らが銅級冒険者とは、とてもじゃないが信じられない。アダマンタイトの間違いではないかと、口々に言い合う。

 

「俺たちは伝説を目にしたのかもな。漆黒の戦士。いや、漆黒の英雄だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ブレインは、眼下に蠢くアンデッドの群れを見て、武者震いを起こした。

 

 今からここに突入するのだ。

 

 アインズ達はすでに降りて戦っている。左右の手でグレートソードを振れば、骸骨(スケルトン)が粉々に叩き崩れ、動死体(ゾンビ)が上下に両断される。ナーベラルは宙から魔法を放って彼の援護に励んでいた。

 

 ブレインは、今すぐにでも飛び降りたい衝動を抑えて、傍に立つゴンベエを見る。彼は、笑っていた。

 

「行くか」

 

 ゴンベエは、気軽に問うた。

 

「ああ」

 

 ブレインも気軽に応じた。お互い、これから風俗街にでも繰り出すような声をかけあう。

 

 念のためと、ブレインは二つのポーションを一気に飲み干した。下級筋力増大(レッサー・ストレングス)下級敏捷性増大(レッサー・デクスタリティ)の効果を持っている。この程度のアンデッド相手には必要ないが、これほどの大軍である。無茶をしなければ突破できないだろう。

 

 一方、ゴンベエは静かに目を閉じて大きく息を吸っていた。見る間に胸がどんどん大きくなってゆく。ブレインが訝しんだ次の瞬間、爆音が響いた。

 

 なんとゴンベエの口上であった。だが、あまりに大きすぎて、人語に聞こえなかったのだ。

 

 ナーベラルは空中で耳を塞いで、魔法を唱える手を止めてしまう。アインズも何事かとばかりに見上げていた。

 

 そして、驚くブレインを置いて、ゴンベエは一人で飛び降りてしまうのだ。遅れまいとブレインが、南無三とばかりに飛び降りた。降りた付近のアンデッドはすでに誰かに倒された後であった為に、着地の隙を襲われる心配はない。もう門の近辺に動くアンデッドはおらず、三人は奥へと進んでいた。

 

「凄いな………」

 

 柄を握る力が強くなった。あの男に追い付きたい。その一心で、ブレインは駆けた。

 

 

 

 

 

 

 

 三人とも、驚いていた。

 

 ゴンベエのあし、天馬のごとく速いのである。

 

 脛が車輪のように回転して土埃を上げて駆けてゆく。行く手を阻むアンデッドは、彼が刀を振ると山のような屍を築いた。アインズとブレインは付いて行くのに必死だ。ナーベラルはまだ耳が痛いのか、それを気にしながらも宙を飛んで何とか追い付いている。

 

 まるで荒れ狂う海だ。アンデッドの波を逆巻く勢いとなり、遮二無二突き進んでゆく。その姿は阿修羅としか形容できない。

 派手といえば派手な戦いぶりである。だが、命を捨てるかのような無茶苦茶な戦い方であり、そこには作戦も駆け引きも何もない。

 

 ブレインは屍に躓かないように走り、横合いから襲ってくるアンデッドを切り伏せながら男の背を追いかける。速さと勇猛さ、刀を持って駆けるその姿には見た者の血を滾らせる何かがあった。とても危険な力である。かっと燃え上がるように、ブレインの身体は熱を持っていく。

 

 アインズは単純に驚いていた。

 魔法詠唱者(マジックキャスター)である彼の身体能力に頼った素早さはそう速くはない。累々と転がる屍を蹴散らしながら、彼を追いかける。正体がアンデッドであるアインズを仲間とでも思っているのか、アンデッドたちは彼を襲わずに隣で駆けるブレインばかり攻撃している。

 

 ハムスケを置いて来たのはこのためだ。アンデッドは生きている者に強い反応を示す。当てが外れれば、二人を囮にでもして先に行こうと考えていたが、かなりの戦力として役立っている。それこそモモンという冒険者が要らないほどだ。

 

(これは滅茶苦茶だ……)

 

 生粋の戦士職の戦いを見るのは、久しぶりであった。ギルドメンバーとパーティを組む機会が無くなってからは、ソロで金貨を稼いでギルドの維持に努める毎日。

 

 レベル30程度の戦士を偽っている自分と、比べるまでもないほど強いと分かる。彼の戦いぶりからプレイヤーであると、アインズは確信していたが、それよりも彼の頭を支配していたのは、すぐにでもこの鎧を解いて魔法詠唱者(マジックキャスター)に戻り、後衛として彼の援護に努めたいという衝動。僅かに残っている人間としての感性が、ゴンベエに影響されたかのように前面に押し出ていたのだ。身体に血があれば猛っていただろう。心臓があれば高鳴るほどに興奮しただろう。アンデッドの特性ですぐに冷静になるが、それが何度も続いた。

 もしも人間であったのなら、彼の傍に立って魔法を唱えてみたいとさえ思えてしまうほどの強い魅力が、ゴンベエにはあった。

 

 

 

 

 

 

 遠くから聞こえてきた声にクレマンティーヌは耳を傾けた。

 

 男の口上と取れる叫び声。それはこう言っていた。

 

 「我は名無しの権兵衛! いざ、尋常に風流尽くそうか!」

 

 聞き取れない部分もあったが、確かにこう聞こえた。戦いの前に名乗りを上げるとは、戦場の習わしに従っているのだろう。だが、場違いもいいところだ。クレマンティーヌは笑ってしまう。腹を抱えながら、今からこちらに攻め込んでくると宣言した男の顔を思い浮かべた。

 

 何が名無しのゴンベエだ、ゴンベエは名前じゃないのかアンチクショウ。

 

 とてもじゃないが勝てる気がしてこない。死者の軍勢(アンデスアーミー)で呼び出した軍勢は彼女の仲間達によって操られている。彼らは忠実なる兵士となってクレマンティーヌと共に戦ってくれるが、正直に言ってこれでも1%も勝ち目があるとは思えなかった。

 アンデッドがいくら足止めをしたところで、結局戦うのは自分だ。あんな化け物と剣を交えるなんて想像もしたくはない。それなら町から逃亡を試み、風花聖典と一戦交えた方が遥かに楽で生存率が高いと思われる。だが、彼女はそれを選ばなかった。

 

 クレマンティーヌの胸にあるこの感情は何なのか。

 

 負けると分かっている戦い。

 圧倒的力量差への絶望感。

 死に対する恐怖。

 なぜ戦う。なぜ挑む。

 絶望、恐怖、それ以上に強い感情が彼女の胸に渦巻いている。これが一体何なのか、彼女には分からない。

 

 絶望の夜を越えて、彼女は覚悟を決めていた。

 感情などに感けていられない。彼女の視線と意識はある一点に釘付けになっていた。それは、言うなれば嵐。肉と骨を巻き上げながら縦横無尽に駆ける狂飆(きょうひょう)

 巻き込まれたアンデッドたちは次の瞬間には消し飛んだ。数を減らし続けるその嵐を止めるために、囲み、飛び込み、また山を築いた。

 

「お主、一体誰に喧嘩を売ったのだ……?」

 

 すぐ後ろにいた同じズーラーノーン十二高弟であるカジットは、迫りくる嵐を呆然と見つめながら、呻きを漏らすように言った。

 

「さあ、誰なんだろー? わっかんないや」

 

 惚けるように答えた。クレマンティーヌにしたら、もう相手が何処の誰だろうと関係ない。今際の際に立っている、命を賭して戦うだけだ。

 

「カジッちゃん。最後まで付き合ってねぇ」

 

「き、貴様ぁ………くっ」

 

 カジットは、手の中にある死の宝珠を掲げた。

 予め呼び出していた骨の竜(スケリトル・ドラゴン)が、カジットを護るように降り立つ。更に追加でもう一体が、地の底から生えるように召喚された。墓場に散るアンデッドたちを出来る限り集め、迎え撃つ準備を始める。

 

 クレマンティーヌは焦る相棒の姿を見てまたも破顔する。もう何をしても手遅れである。今さら必死になったところで、あれを止められる筈がない。笑わずに正気を保っていられない。

 

 腰からスティレットを一本抜いた。

 これを一瞥する。この一本がどれほどの血を吸ってきたのか覚えてはいないが、今日もそうなることを願う。

 

 自らの美点から、近付いてくる嵐に視線を移した。

 

 死人と化した彼女は、今まさに勇気の一歩を踏み出した。己の足跡が後へ続くように力強く、土を蹴った。

 

 

 

 頭蓋骨、肋骨、上腕骨、臓物、吹っ飛ぶボロキレ、宙を舞う挽肉―――それらが、ゴンベエの視野を、忙しく、掠め過ぎた。

 そんな渦中であろうと、自分を狙う存在に気付く。金髪の女が駆けてくる。

 

「あいつは……」

 

 ンフィーレアを攫った女とすぐに気付いた。立ち塞がるのなら、切り伏せるだけだ。

 

 道中、後ろから速すぎると文句があったので、脚を抑えていた。追い付いてきたブレインが隣で喚いた。

 

「あの外道は俺にくれ!」

 

 ここまで大した活躍をしてこなかったブレインの、魂からの叫びであった。

 ゴンベエは軽く頷いた。彼を止める理由は無かったし、少し暴れ過ぎたかと自重し始めていた。他の者にも獲物を分けてやらねば不公平である。

 

 ブレインは先駆け、クレマンティーヌ目掛けて一直線に駆けた。

 

「邪魔だぁああああっ!!」

 

 クレマンティーヌの腹底から轟く絶叫。ゴンベエに向けられた殺気が一度にブレインを襲う。

 足は止めず、刀を構える。両者、同じ意図のようだ。すれ違いざまに一撃を入れ合う。初撃は痛み分け。

 ブレインは脇腹に、クレマンティーヌは頬に掠り傷を作った。

 

「我々は奴らを」

 

 打ち合った二人を一瞥すると、ゴンベエはアインズに向かってそう言った。

 ローブを纏った魔法詠唱者(マジックキャスター)らしき者らが霊廟の前で輪を作っていた。中でも一際目を引いたのは二体の骨の竜(スケリトル・ドラゴン)。第6位階までの魔法無力化能力を持つアンデッドのドラゴンだが、このパーティなら脅威とはならない。魔法を使わなくても、ぶん殴れば相手は死ぬ。

 

「彼は、大丈夫なのか?」

 

 アインズはブレインの方を見てそう言った。

 

 同じように転移してきた彼は、この世界での武技というものを余り詳しくなかったので、正直に言えば自分がクレマンティーヌと戦って、戦士の戦い方を学びたかったのだ。

 だが、もう言える空気ではない。アインズは空気を読む男である。

 

「ああ」

 

 何も言うまい。

 アインズも納得したのか、頭上のナーベラルに檄を飛ばす。

 

「ナーベよ、道を開けよ!」

 

「はっ!」

 

 上空から落とされる雷撃が、アンデッドの群れを切り裂いた。その割れ目にゴンベエとアインズが突入し、こじ開け、霊廟の手前まで押し進んだ。

 

 ブレインは彼らを見送ると、改めて相対する。女は静かな怒りで肩を震わせながら、ブレインを睨んでいた。

 

「お互いに、最後の相手になるかもしれないぞ。名乗り合わないか?」

 

 ブレインは眼前の女に提案した。三人の討ち溢したアンデッドが周りに集まってきていたが、飄々とした態度であった。

 

 クレマンティーヌはそれを無視しても良かったが、一時の酔狂とも呼べるものに身を任せた。

 

「私はクレマンティーヌ。よ・ろ・し・く・ね、水差し野郎がぁ!!」

 

 アンデッドがブレインに四方より飛び掛かった。武技〈領域〉の内では、多勢であろうと動きは察知できる。〈瞬閃〉で抜刀しつつ、身体を一回転。取り囲んだアンデッドの首が撥ねる。

 

 残心をとりながら、刀を鞘に収めた。ぼたぼた、と首が音を立てて落下した。

 

「あの人とやり合いたいのなら、まずはこのブレイン・アングラウスを倒してからにしな」

 

 これは警告のようなものであった。自分に勝てる腕が無いと、ゴンベエには勝てないと暗に言っているのだ。

 

「あっはあっははっはっは! なにそれー? 子分でも気取ってるつもりなのかな? あのブレイン・アングラウスが? 案外、面白いこと言うんだねー」

 

 クレマンティーヌは、笑った。

 笑うがすぐに顔が変わる、相手を嘲笑う顔ではない。一分の隙もない、覚悟を決めた戦士の顔である。

 そして、異様なほど体勢を低くとった。猫科の動物が、今にも獲物に飛び掛かるような姿勢を維持して、ブレインの様子を窺っている。

 

 女性特有の柔らかな見た目をしているが、猛獣のような、しなやかで力強い肉体を持っている。それに気付かないブレインではない。力量も当然見極めていた。

 

 相手が速いか、こちらが速いか。たった一撃。一瞬の速さが勝負を決める。

 

 クレマンティーヌのスティレットが不気味に光る、まるで氷柱だ。ブレインが着込んでいるチェインシャツなど、いとも容易く貫かれることだろう。だが、それはお互い様である。彼女も軽装であり、人体の急所である心臓を守るために胸甲、腰回りに腕と脚。露出している方が多いが、速さを重視する戦士にはそれが用途に合った装備だ。

 

 姿勢を支える指先に力を込め、飛び出すタイミングを見極めている様子に、身体その物が一つの武器のように研ぎ澄まされて見えた。ならば、ブレインにとってこの構えは鎧と言えよう。これを維持できれば、隙を潰せる。隙を見せれば、負けだ。

 

 しかし、一対一で戦うとは限らない。周りのアンデッドが不気味に身体を揺らしていた。数はそう多くはないが、着実に間合いを詰めてくる。

 

 これから起こることを予感したのか、ブレインは奥歯を噛み締めた。何百、何千、何万と刀を振る度に噛み締めていた内に、彼の奥歯はまっ平らになっていた。女性と舌を絡めれば驚かれることだろう。

 

 辺りで蠢く有象無象が、倒れるように襲い掛かった。

 弾けるようにブレインは身を返す。抜き様に一体、返しで二体。空いた左手で、骸骨(スケルトン)を投げ転ばした。これで最後だ。

 

 ここぞとばかりに、滑るようにしてクレマンティーヌが踏み込んできた。武技によって強化された異常なほどの瞬発力だったが、ブレインには筒抜けだ。動きと刀を合わせるが、驚くことに彼女は更に加速した。

 

 そこには、一撃で仕留めるという意思が垣間見える。瞬時に間に合わないと判断したブレインは、咄嗟に身を反らした。スティレットが左肩を掠めた。無理な動きをしたせいで足がもつれ、転がり、そのまま距離を取ると刀を地面に刺して体勢を立て直し、跳ね上がって構えを戻す。

 

 とんでもなく不利な状況であるのに、ブレインの心は湧き立っている。強敵と戦えた喜びからか、先ほどの余韻が残っているのか、正確には分からないが良い方面に作用してくれているようだ。肩から血が流れてはいるが、ブレインは闘争に酔って痛みを忘れていた。

 

「良い武器だねー。でも、持ち主が弱いと宝の持ち腐れって言うんだよ?」

 

「ぬかせ」

 

 会話をするのも惜しいほど、ブレインは楽しくなっていた。自分を凌駕する相手と剣を交える機会など、彼にはそうそうない事だ。

 

「ほらあれ見てよ。カジッちゃんの骨の竜(スケリトル・ドラゴン)とあの人が戦ってるみたい」

 

 そう言ってクレマンティーヌはブレインの背後を指差した。ブレインは軽く振り返った。

 

 なるほど、ゴンベエが骨の竜(スケリトル・ドラゴン)のバフが乗った前足の一撃を受け止めている。余りの衝撃で、ゴンベエの足が、ずしっと土に埋まっている。二頭を相手取って大立ち回りを繰り広げているらしいが、どこか手加減しているようにも見えた。

 他のアンデッドたちも、何かを取り囲むように集まっている。その中心に仲間たちがいるのだろう。

 

「あれでもあの人には勝てないかな? どう思うブレインちゃん?」

 

 軽口を言う余裕を見せているが、クレマンティーヌの胸に渦巻く感情はますます勢いを増していた。戦えば戦うほど、メラメラと燃え盛るのだ。彼女は困惑していた。このまま続ければ、身体が燃え尽きてしまうのではないかとさえ思えてしまうのだ。

 

 その熱烈に駆られるように独特の体勢を取る。頭は低く、尻を少し持ち上げて武技を発動した。

 

 〈疾風走破〉〈能力向上〉〈能力超向上〉〈超回避〉

 

 飛ぶように駆けた。一本の針に見えるほど速く、細く、鋭い。

 

 一挙手一投足、その一つでも動きを間違えば待っているのは死だ。

 

 半身になって迎え撃つブレイン。その柄を握る力は弱々しいほどである。呼吸を詰めて、指先は強くなく弱くなく。限界まで脱力し、極限まで集中力を研ぎ澄ませる。

 月夜に霜の落ちる如くに、ブレインの様相が変わった。

 

 〈領域〉の内では捉えている。捨て身の一撃で挑まねば、クレマンティーヌには勝てない。ならば、腕の一本だろうと犠牲にしてでも勝てばいい。

 

 クレマンティーヌが次の一歩を踏み込んだ瞬間、身体を捻るようにして抜いた。脱力していた全身の筋肉が瞬時に稼働し、その一閃を、極限の高みまで加速させる。

 ブレインの頬には、筋肉のえくぼが出来ていた。クレマンティーヌの狂気の微笑のようなものではない。純粋に楽しくて破顔する時のものだ。

 

 リーチも速さも勝っていたが、何が因果したのだろう。腕前か、戦士として長年培った勘か、その胸に渦巻くある思いか。

 勝利の欲求、情熱に女神がクレマンティーヌに微笑んだ。

 

〈不落要塞〉

 

 防御の武技により、ブレインの刀が弾き返された。手放しそうになって堪えるが、上半身が大きく仰け反る。

 

 〈流水加速〉

 

 攻撃を防いで硬直したクレマンティーヌの身体が、一瞬だけ加速したように見えた。スティレットを引いてブレインの懐まで潜り込む。もう防御は間に合わない。

 

 その瞬間、墓場が光に包まれた。

 

 強烈な閃光に二人は目を開けてられなくなり、身体を硬直させてしまう。スティレットの軌道が逸れ、何とか命拾いを果たすが、それはどうでもいい。

 

 全身を包むそれは、どこか温かみのある光であった。

 

 ブレインは、胸の瞳の首飾り(ネックレス・オブ・アイ)を起動した。目を開くことは出来たが、光源調整が追い付かず白い世界しか見えない。まるで夢か幻を見ている感覚になる。

 

 そこに世界を切り裂くように一筋の黒々とした線が引かれた。まっすぐで太く、迷いのない線だ。

 それが何か、良く目を凝らした。

 

 

 

 

 

 

 

 アインズは、アンデッドを退けながらもブレインとクレマンティーヌの戦いを観察していた。ガゼフ・ストロノーフや漆黒の剣を参考にするならば、二人は一流の戦士と呼べるだろう。

 

(本当は俺が戦いたかったんだけどなぁ………あんな場面で割って入れるはずないじゃん)

 

 いや、それよりもだ。この状況をさっさと何とかしてしまおう。武技の観察は周りのアンデッドを殲滅してからでもいい。

 

 しかし、第3位階を超える魔法や特殊なスキルを使用して、ゴンベエに正体がバレることを危惧していた。

 この鎧を纏った状態では大した魔法は使えないし、ナーベラルも当然ダメである。彼女は第3位階魔法までしか使わないという条件の下で戦っており、骨の竜(スケリトル・ドラゴン)を鞘に入れたままの剣で殴っていた。それでもレベル差があるのでダメージは与えられているが、魔法詠唱者(マジックキャスター)たちが回復とバフをかけて持ち直させて戦いを長引かせる。

 

 そうこうしている内にまた、ハゲている凶相の男がアンデッドを呼び出した。

 

 アインズはうんざりして来ていた。

 

(面倒くさいな。もう、ゴンベエさんに頼んでみるか。スキルでも使って貰えば御の字だ)

 

 正直なところ、この願いが通るとは思ってはいなかった。向こうもこちらに手の内を見せないようにしていると思っていたからだ。ここまでで、彼がスキルを使った姿は見受けられていない。こちらを警戒しての事だろうと考えていたのだが。

 

「ゴンベエさん。何か広範囲にダメージを与える術は持っていないのですか?」

 

「あぁ~、あるにはあるが、あれは日に一度しか使えないからなぁ」

 

(日に一度の制限付きスキルか。戦士職で広範囲となると数が絞られるけど………)

 

 候補のスキルが何個か頭に浮かぶが、どれを使うか見てみるまで分かるものではない。ここは、最後までゴンベエに任せてみようと思い立った。

 

「だが雑魚アンデッドの殲滅ならばこれが一番よ。そこを動くなよ」

 

 雑魚アンデッドの殲滅、その言葉がアインズの頭に引っ掛かる。

 そんな彼を尻目に、ゴンベエはスキル発動の体勢を整えた。居合の型である。周囲の空気が彼に集まっていく様な気さえした。

 アインズは、咄嗟にナーベラルの前に立ち塞がった。

 

「〈白玉楼中(はくぎょくろうちゅう)〉」

 

 ゴンベエの右腕が抜刀の速度で消える。

 そして、それは刀身から発せられたのか、神速の抜刀で生じたのか、誰も知りえなかった。

 

 世界が光に包まれた。

 

 アインズは盲目効果を無効化するアイテムを装備していたのでよく観ることが出来た。光は近くのアンデッドを消滅させ、骨の竜(スケリトル・ドラゴン)を怯ませる。

 

 生者には心休まる温かな光であったが、死者には身体を焦がす灼熱の業火であった。モモンはダメージを負ったが、その威力は使用者のステータスに反映されるのだろう。全くと言っていいほど体力は減っていない。だが、周りの低級アンデッドはたちまちに灰燼と帰す。

 

 その光の中、ゴンベエが刀を振ったように見えた。

 

 白い世界の中に黒々とした刃が駆け巡る。自由にして自在に、骨の竜(スケリトル・ドラゴン)はその一撃で灰と化す。

 

 

 

 ブレインは、稀有の感激で見ていた。

 

 弘法が、紙に筆を走らせるごとく、白光の世界に迷いの無い一筆が引かれる。 

 

 一本。

 

 もう一本。

 

 また一本。

 

 意連にして韻致(いんち)。一つの作品を仕上げるかのように引かれ続け、その度にアンデッドが断ち切られた。

 

「あぁ………」

 

 この光景に、思わず声が漏れた。闘争で火照った身体と心が氷で冷やされたかのように、沈静していく。それほどまでに美しく感じた。

 芸術家の卵が尊敬する画家の名作を見た時のような、憧れにも似た感激が胸を一杯にする。

 

 武の頂、その一片を拝見した。

 

 気が付けば、終わっていた。周りを見渡せば、あれほど蠢いていたアンデッドの姿は無い。

 

 ブレインの傍にクレマンティーヌが膝をついて呆然としていた。魂が抜けたような、信じられない物を見てしまった人の顔であった。

 

 どこか、今の自分に似ているなとブレインは思ったが、すぐに気を取り直して握っていた刀を彼女に向けた。

 

「まだやるか? 俺としてはまだやって欲しいんだがな」

 

「あはは………何でもありなんだねーー」

 

 目を擦りながら、彼女は力無く笑った。憑き物が取れたような顔をしている。もはや戦える雰囲気ではなくなってしまった。ブレインは刀をしまう。

 

「こ、殺さないの?」

 

 その問いに、何も言わずに霊廟の方を指差した。彼女の仲間たちも同じように項垂れている。特にカジットは灰となった骨の竜(スケリトル・ドラゴン)だった物を掬い上げて、嘆いている。

 何はともあれ、全員無事のようであった。斬られたのはアンデッドだけのようだ。

 

「旦那があいつらを斬らないのなら、俺もお前を斬らない。そもそも、お前との戦いは負けていたからな」

 

「へえー………」

 

「ほら、向こうでお仲間とよろしくやってろ」

 

 少々乱暴に腕を引っ張り、クレマンティーヌを立たせると彼女は喚いた。

 

「ちょっと痛い痛ーい。女の子には優しくって習わなかったの?」

 

「言ってろ、若作り」

 

「あぁ!? てめぇ………」

 

 ぶん殴って逃げる気力も湧かなかった。あんなものを見た後だ。何とちっぽけで取るに足らない人間なのか、再び分からされてしまった。

 ブレインもそんな彼女の心情を察したのか、それ以上は何も言わなかった。無理もないのだ。今思い返すだけで、膝が震えてしまうほどの衝撃だった。自分より強い者などいないと驕っていた昔の自分を殴ってやりたい気分になるが、それより一秒でも早くゴンベエと話したいが為に、クレマンティーヌを引きずるようにして歩いた。

 

 

 

 霊廟の中に消えていったアインズが出てくると、腕の中にはンフィーレアが包まれるように眠っていた。その様子をナーベラルが羨ましそうに見ている。

 

 胸に抱いているンフィーレアをゴンベエが覗き込んだ。眼が潰され、閉じた瞼からは血が流れている。酷に思ったのだろう、眉間に皺を寄せて彼はンフィーレアの顔に手を差し伸ばすと掌が淡く光り、へこんでいた瞼が盛り上がった。治癒魔法で眼球を再生したらしい。

 

「本当に治癒魔法が使えたんだな」

 

「旅人は色々と芸を覚えている方が良いからな」

 

 ユグドラシルでは、ソロプレイヤーは野良でパーティを組んでもらう為に、万能なクラス構成をとる傾向があった。一芸に秀でているより、多芸で何でも出来るソロプレイヤーは補佐として役立つ。

 ギルドに所属しないプレイヤーは器用貧乏が多いイメージをアインズも持っていた。ゴンベエもその類なのだろうと思うが、戦い方は多芸ではない。刀を振って敵に突っ込む、猪のような何か、余りに無法だ。

 

(この人のクラス構成は気になるが、まずは仕事を片付けなくては)

 

 ンフィーレアを胸に抱きつつ、アインズがゴンベエに訊いた。

 

「彼らはどうします?」

 

 彼らとは、この騒動を起こしたズーラーノーンと名乗った者たちの事だろうが。武器は取り上げ、魔力も底をついている彼は反抗の意思も残ってはいない。

 

「どうするとは異な物言い。これ以上、何をすると言う?」

 

「これ程の騒ぎを起こしたのだ。それ相応の罰を受けるべきだと思うのだが」

 

「ほう。降参して戦う意思を失った者に、何をすると言うのだ?」

 

 ゴンベエがのんびりと尋ねた。

 

「分かりませんか?」

 

「分かりたくないな」

 

 途端に、場の空気が張り詰めた。

 ブレインにも緊張が走る。まさかと思う、先ほどまで肩を並べていた仲間だった。ナーベラルの方はすでにアインズを護るようにして立っていた。ブレインもそれに習う。あくまでも立つだけ、刀に手はかけない。

 

「勝負はついた。これ以上に何を求める気だ」

 

「情が深いのですね。ゴンベエさんは」

 

「ゴンベエでよい」

 

「そうか、ならゴンベエ。貴方たちは冒険者ではないはず、この活躍を機に組合へ所属するつもりはあるのか?」

 

 確かに、ゴンベエが冒険者組合に入れば百人力だろう。これ程の活躍をしたのだ、初めからミスリルかオリハルコンは約束されたようなものであった。

 だが、答えも分かり切っているようなものである。その顔が物語っているのだ。百の言葉より何よりも、雄弁にゴンベエの顔が、アインズの言葉を否定していた。

 

(名声や地位に興味が無いのか、名を広める目的は持っていないみたいだな)

 

 冒険者の活動は資金を集める目的もあるが、後にアインズ・ウール・ゴウンの名を広げるための前準備でもある。

 

「貴方は旅人だと聞いていたが、何か目的があって旅をしているのか?」

 

「なぜ、そんな事を訊く?」

 

「いやなに、少し気になってな」

 

 確かに、こんな場で訊くようなことではなかったが次にまた会えるという保証もない。少々強引にでも、ゴンベエの真意を知らなければならない。

 

「自由気ままな旅さ。この国をゆっくりと見て回ろうと思っている。旅に名誉など要らないだろう? 邪魔なだけさ」

 

 ゴンベエは苦笑いした。

 

(本当にソロプレイヤーなのか? 他のプレイヤーやギルドと一緒に転移してきた可能性はゼロではない)

 

 正直なところ、ゴンベエ一人だけならばナザリックにとって大した脅威とはならない。その気になれば、守護者を総動員してタコ殴りにしてしまえば簡単に倒せるだろう。

 

「今回の件で冒険者組合からそれ相応の報酬が与えられるだろう。リイジー・バレアレから依頼を受けたのは私だが、そちらの活躍もある。報酬は半分でどうだろうか?」

 

「いや、金などいらん。元はといえば、俺がそこの女を逃がしたのが原因だ。取り上げた装備もそちらが全て貰うといい。が、このブレインにはそれ相応の物を与えてやりたい」

 

 パーティのリーダーが報酬は要らないと言って、他のメンバーが反発しない訳がない。仕事には相応の対価が必要だ。

 もしも絶対的な忠義を誓っているのならいざ知らず、ゴンベエとブレインはあくまで対等な立場である。パーティやリーダーなど関係なく、友人の関係として過ごしてきたつもりだ。

 

「待ってくれ、旦那が貰わないのに俺だけ貰うのはおかしいだろ?」

 

 ブレインはそう言う。

 

 それを聞いて、ゴンベエは頬をぽりぽりと指で掻いた。

 違う、そういう関係で居たくはなかった。ただの友人としてやっていきたい、余計な信義は不要である。あのスキルを見て、ゴンベエに対する敬意の念を一層強めたのだろう。

 ブレインにとっては負かし負かされた関係で上下の立場が出来ているのかもしれないが、ゴンベエにしてみればこれ程に余計な物は要らなった。

 

「お前はあの女相手によくやっていたじゃないか。怪我もしている、何も得ずとはあんまりではないか」

 

「いや、あんたの技を十分見させてもらった。それだけで死にかけた甲斐があったもんさ」

 

「ふぅ、何も言わずに貰えばいいんだよ」

 

 ゴンベエは、胸元をぱたぱたと捲って風を送ると一息ついた。胸には汗が流れていた。大技を発動して体力を消費したのだろう。アインズは呆れた様子でその光景を見ていた。

 

(この人、疲労無効アイテム装備してないのか……)

 

 流石に不用心だ。持っているのに装備していないのか、本当に持っていないのか。この様子だと、神器級(ゴッズ)アイテムも持っていない可能性が出てきた。本当にただのソロプレイヤーが転移してきた風にしか見えないのだ。少し同情してしまうほど、酷に見えた。

 

「では、こうしましょう。ブレイン――さんには、彼と戦ったクレマンティーヌという女の武器を渡します。確か、ミスリルにオリハルコンをコーティングした物と言っていた。売ればそれなりの金額になるかと。ナーベ、彼に」

 

「はっ!」

 

 ナーベラルが、スティレットが収められているポーチをブレインに差し出して言った。

 

「モモンさ――んからの御慈悲です。ありがたく受け取りなさい」

 

 その物言いに、ブレインは苦虫を噛み潰したような顔となる。この女はどうしても好きにはなれない。

 

「はいはい、ありがたく」

 

 わざと恭しく受け取る。女王に剣を授けられる騎士のような様であったが、何とも似合って見えた。いずれ、一角の人物と出会って仕えるのも彼に合っているのかもしれない。

 

「そろそろ、衛兵や冒険者達がやって来るだろう。モモン、今回は楽しめたよ。我々はここには居なかった。手柄は全て二人の物、そういう事でな」

 

 ゴンベエはそう言うと、さっさと去ろうと背を向けた。

 

「ちょ、ちょっと」

 

 アインズが、慌てて止めようとする。まだ色々と訊きたいこともあった。

 

「なんだ?」

 

「いえ、この後はどうされるのかと……?」

 

 しかし、訊いてどうするか。そのまま敵対するかもしれない。アインズが正体を晒せば、高確率でユグドラシルのプレイヤーなら敵になることを選ぶことだろう。悪名高いDQNギルドの統括者。良くは見られないだろう。

 

 ゴンベエは問い掛けに腕を組んで考え出した。その様子は本当にどうしようと悩んでいる、考えなしで生きている人間にしか見えなかった。

 

(どうやら本当に旅をするみたいだな。監視でも付けるか? いや、高レベルのプレイヤーだ。監視を暴く手段なんて当然用意しているだろう。反感を買うのは出来ればしたくない)

 

「判らないな」

 

 ゴンベエが諦めたように言った。嘘を言っている感じはしない。

 

「そ、そうですか」

 

「まあ、王都の方にでも向かおうかと」

 

「はぁ。ではゴンベエ、今夜は助かった。また会える時を楽しみにしている」

 

 ゴンベエは軽く頷き、後ろ手に手を振りながら何事もなかったかのように去って行った。ブレインが何も言わずにその背に続いて、彼らは墓場から消えた。

 

「アインズ様。彼らは良いのですか?」

 

 ナーベラルが二人の去った闇の中を睨みながら言った。何となく、彼女も気付いているのだろう。

 

「モモンと呼べ、ナーベ」

 

 アインズがじろりとナーベラルを見た。

 

「これは失礼を」

 

「――良いのだ。一人ぐらい、自由な奴がいても」

 

 ナーベラルが二の句を言う前に、アインズが質問に答えた。それはどこか柔らかで羨ましさを含んだような口調であった。

 

 兜の奥で光る赤い瞳が、とうに見えなくなった男をいつまでも眺めていた。



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風狂

 ゴンベエとブレインの泊まる部屋は、ベッドと机だけが置かれた質素な部屋であった。不満は無い、金を出してくれているのはブレインである。それに寝られる所があるだけでも満足であった。二晩も寝ると、もう墓場の事は頭にない。今日と明日があるだけの男であったが、早急に町から出る事態となっていた。

 

 この日、早朝に起きたゴンベエとブレインは部屋を掃除していた。手の届く高さから、柱、机、床、ベッドの類まで、宿屋の親父に借りた雑巾で拭い、箒で塵一つ残さない。徹底的と言えよう、まるで自分達がここに居たという痕跡を消し去るようである。

 

 掃除で舞う埃を外にやるため、窓を全開する。暖かい日差しと、新鮮な空気が部屋を満たした。

 

 ブレインは、掃除に従事しながら事件の後日談を思い起こしていた。

 

 先ずは攫われたンフィーレア少年の事だが、霊廟から助け出された時はまだ昏睡状態であった彼は、何の後遺症も無く回復したらしい。何処かに腕の良い魔法詠唱者(マジックキャスター)でもいたのだろうと、言われている。

 彼は祖母のリイジーと店を畳む準備と荷造りに大忙しだそうだ。何でも、カルネ村に引っ越すのだと言う。町は優秀な薬師を失う事を懸念したが、村はトブの大森林のすぐ傍らしく、良い薬草などが取れる為に今までよりもポーションの研究が捗るのだそうだ。ポーションはエ・ランテルにも運ぶというので、町の者は機嫌を損ねるのを危惧したのか最終的には承諾した。

 

 事件を起こした首謀者の事は良く分かっていない。だが、あれが噂の邪教の一団なのではないかと、ブレインは考えている。

 

 そして町には新たなミスリル級冒険者が誕生した。漆黒と称される、戦士モモンである。その一撃で巨人を打ち倒し、数千に及ぶアンデッドの軍勢を勇敢なる仲間達と突破し、首謀者を全員生かして捕らえ、ンフィーレアを救い出した豪傑。

 その功績を称えられ、銅級からミスリル級に飛び級したらしい。流石だと感心した。両手にグレートソードを持った彼と共にアンデッドの中を駆け抜けた仲だ。強さならブレインが良く分かっていた。

 あの場にゴンベエとブレインが居なくても、二人で難なく突破していた事だろう。

 

 墓場でのゴンベエの活躍はほとんど語られていない。

 あの夜、共同墓地での出来事は各方面で口止めがされており、事の詳細は組合長クラスの者か耳聡い者が噂として聞いたに過ぎない。町に要らぬ混乱を起こしてはならない配慮であったが、墓地が大きな光で包み込まれた事は噂となっていた。

 墓場の外周で待機していた衛兵や冒険者がその噂を広めたのだが、ナーベラルが強力な魔法を使った事になっており、彼女は美しき姫と書いて『美姫』と称される事になっていた。

 

 

 何故、二人が宿の掃除をしているかというと、徐々に二人の噂が広がりつつあったことに由来する。要らぬ噂を広められては堪らない、二人の事を黙ってくれているモモン達に、義理を通せなくなってしまうからだ。それで昇級が無かった事になってしまえば、折角の苦労が水の泡だ。

 既に冒険者組合は、ゴンベエとブレインに目を付けつつあった為、二人は自分達の痕跡を消すように部屋の掃除をしてこの町から去ろうとしていた。

 

 黙って去れば良いとゆうのに、律儀な男なのだ。

 

 

 

 

 

「何も町から出ることはないだろ?」

 

 ブレインが、桶の上で雑巾を絞っている。普段は刀以外掃除しない男だ。何とも似合わない。

 

「なに、そろそろ次の町に行こうと思っておった。ちょうど良い機会じゃないか」

 

 息苦しい町にはしたくなかった。ほどほどで良く、のんびりと魚でも釣って、稀に起こる騒ぎに混ざる。別に金も名声も欲しくはなく、天下に名を広める為にあんな事をしたのではない。

 こんな事は金輪際したくはない、訪れる町々でこんな事をしていれば、逃げるのが癖になってしまう。

 

 ブレインは納得するしかない。こんな酔狂、今に始まったことではない。これからも先もずっとそうするだろう、この男は。

 

 余談ではあるが、ナーベラルから受け取ったスティレットなる武器は、そこそこ良い値段で売ることが出来た。顔見知りであった商人が高く買い取ってくれたのだ。商人なる者は非常に聡い人間である。大方、二人と友好関係を結ぼうと高値で引き取ってくれたのであろう。

 

 掃除を終えて掃除道具を親父に返すと、彼は酒を一杯ずつ二人に奢ってくれた。ここは多くの人々が泊まる宿屋だ、誰かから噂を仕入れでもしたのだろう。彼にしてみれば、町を救ったと思われる二人をこのまま立ち去らせる訳にはいかない。

 その心意気を汲んでか、二人は一気に飲み干した。

 

「親父、またな」

 

「達者でな」

 

 交わした言葉は少なかったが、両者からは別れを惜しむ念が感じられた。この世界に来て初めて泊まった宿屋、それなりの愛着が湧いてもそれは仕方がない事である。

 

「さて、行くかね」

 

 まるで宣言をするかのようにゴンベエは言った。別段、見送りが居る訳ではない。誰にも去るとは言っていないのだ。親父だけが察しただけで、見知った者達は二人が去ることを知らない。出口までの間、ゴンベエは良く掛けていた椅子の背凭れに指を滑らせた。

 

 宿屋から出ると、のんびりと西の門を目指す。道すがらブレインがゴンベエに話しかけた。

 

「旦那、次は本当に王都に行くんだな?」

 

 ブレインには気掛かりがある。

 王都には、王国戦士長のガゼフ・ストロノーフが居るはずだ。任務で地方に行くことはあるが、基本的には王都に在中している。もしもだが、街中でばったりとガゼフと出会ってしまったら、どういう顔をして向き合えば良いのか分からないのだ。

 ガゼフも会ったとして気軽に声を掛けてくるとは限らない。二人は御前試合で戦った間柄で、それ以上でも以下でもないのである。手合わせを願っても快く受けてくれるとも限らないだろう。ガゼフには王国戦士長としての立場があり、断られる確率の方が高いのだ。

 

 こんな事をゴンベエになど恥ずかしく言い出せず、ブレインは悩まし気に顔を伏せるしかなかった。

 

「お前はここにいてもいいのだぞ」

 

 何やら悩む姿を見たゴンベエが、勘違いを起こしてかそう口走った。

 

「は?」

 

 確かにブレインはエ・ランテルに愛着は湧いてはいたが、ゴンベエと別れてまで残りたい程ではない。要らぬ誤解を生んでしまったと気付いたブレインは訂正しようとするが、彼は話を続ける。

 

「無理に付いてくることはない」

 

「いや―――」

 

「何も今生の別れではない。人は会おうと思えば会えるものよ、例え大陸の端であろうと大地の裏であろうと、会おうと思えば会いに行けるさ」

 

 ブレインに喋らせる暇を与えず、捲し立てる。何もブレインと別れたくてそう言っているのではない。旅――自由とは自分なりの生き方を見つける事でもあると、ゴンベエは考えている。ブレインがエ・ランテルで成したい事があるのなら、それを元気良く送ってやらねばならない。

 

「ま、待てよ。違う、違うぞ」

 

「ん? 違うのか?」

 

「そうだ。俺は―――」

 

「あ! ゴンベエさん! ブレインさん!」

 

 ブレインの言葉が終わる間も無く、二人に誰かが話しかけてきた。それは、やや高い中性的な声であった。

 濃い茶髪で、小柄な魔法詠唱者(マジックキャスター)の装いをした人物が少し離れた所で手を振っている。それはニニャであった。ばったりと出会ったからか、少し大きめな声で二人の名を遠くの方から呼んでいた。

 

「あれから見られなかったので心配していました」

 

 名を呼ばれた二人がニニャに気付くと、彼は小走りで寄ってくるなりそう言った。

 そういえば、あれから漆黒の剣とは会えていなかった。あの後どうしていたのか、心配してくれていたのだろう。

 

「まだお二人には御礼を言えていませんでした。漆黒の剣を代表して言わせて貰います、先日はありがとうございました」

 

 ニニャは恭しくそう言いながら、人目も憚らずに大きく頭を下げた。アンデッドから助けられた後も色々とあったせいか、漆黒の剣は二人と話せていなかった。もしもあの場に二人がいなければ、ニニャはこの世に生きていなかったかもしれない。深い感謝の意を示すのは当然であったと言えよう。

 

「ニニャ、こんな所でそう頭を下げるな」

 

 街中でこうも頭を下げられれば居た堪れなくなってしまう。

 何もそこまでする必要はない。寧ろ巻き込んでしまったこちらに非があるのだと、ゴンベエは気まずい顔でそう言うが、ニニャの意思は固いようだ。

 

「いえ、これだけはちゃんとやります。私の気が収まりませんから」

 

 こう見えて気概がある男だなと、ゴンベエは唸った。

 ニニャは少し遠目で見れば女性と見間違うこともある中性的な見た目である、色白の肌に青い瞳には少女の様な印象を抱いてしまうほどだ。人を見かけでは判断出来ないものであると教えられた。だからこそ冒険者をやっていけるのだろうか。

 

「あ、そういえば何だか邪魔しちゃいましたか? これから何処かに行くみたいですし」

 

「少し王都へな」

 

「町を出るんですか?」

 

「まあ、そうなるか」

 

 積もる話もあったので歩きながら話そうと提案すると、ニニャは軽く了承した。道中で冒険者組合の前を通るからだ。聞いてみると、他の三人はもう組合に居るそうでニニャだけは私用で少し遅れたとのこと。

 ゴンベエはこれも何かの縁だろうと、話したいだけ話すことにした。

 

「声を掛けた時は気付きませんでしたが、何か話していました?」

 

「なに、こやつが町に残るかと話していてな」

 

「いや、違うぞ。俺は残ったりなんてしねぇ、旦那に付いて行くって言ったはずだ」

 

「そうだったか?」

 

 二人がわちゃわちゃと言い合っているのを見て微笑ましかったのだろうか、ニニャがにこつきながら話に入ってくる。

 

「何を話していたか気になりますね」

 

「気にすることでもないさ。今生の別れではない、会おうと思えば誰だって会えるものだと、こいつに教えていただけだ」

 

 ゴンベエは何気なくそう言った。多少省いた言葉はあったが、ほぼ同じ意味として伝わるだろう。すると、ニニャの顔から笑みが消えているではないか。

 突然真顔になったので、何か不味い事でも口走ったかと二人は顔を見合わせていると、ゆっくりとニニャが口を開いてくれた。

 

「ゴンベエさんは何処にいるのか、生きているのかも判らない人とも、きっと会えると思いますか?」

 

 それは何かに縋るような口調であった。

 

 ブレインには何となく察しが付いた。最愛の人物または肉親だろうか、行方が知れず生死も不明など、今の世の中では不思議な事ではない。若い女を連れ去る貴族は多く、生活に困り果て人身売買に走る親は少なくない。それに王国には大きな犯罪集団が存在していた。人攫いや殺人、あらゆる悪事を平気で行うような連中だ。

 ブレインは何とも言えなかった。つい最近までは自分もそちら側の人間であったのだ。手をかけた者の中に、帰りを待つ者もいたことだろう。

 

「会えるさ」

 

 確信にも似た物が込められた言葉であった。ゴンベエが、軽くそう言ったのである。

 

「本当ですか?」

 

 こんな安直な言葉など、ニニャは聞き飽きていた。

 

 彼は、いや彼女は悲しき少女であった。両親を早くに亡くし、唯一残った姉と二人で助け合い仲良く暮らしていたある日、領主の貴族が妾として姉を連れ去り、その後ゴミのように捨てられた。今では何処にいるのかさえ、分からない。

 

 少女には力が無かった。だから姉を助けられるだけの力を求めた。それは復讐の力であったが、神は少女を見放さなかった。運の良い事に少女はタレント持ちで、素質を見抜いた偉大な師匠と出会い、弟子として教育を受けることになる。

 その後は独り立ちし、冒険者として活動。仲間には恵まれ、冒険者業は板についてくるも貴族への恨みと復讐の誓いを忘れたことはなかった。

 

 仲間達から姉は助けられると、何度も言われた。今さら、ゴンベエの言葉など心にも響かない。

 

「その人の事を忘れずに考えていれば、ある日ふら~と現れるものさ」

 

 ゴンベエは少女の心情など知ったことではないと、ペラペラと持論を語る。儚い希望を植え付けるような安い言葉にしか、少女は聞こえなかった。

 

「はい……」

 

「嫌な事を思い出させてしまったみたいだな」

 

「いえ、姉さんの事は一日たりとも忘れたことはありませんから」

 

「姉か……」

 

 そこには聞くも涙、語るも涙の物語があるのだろう。無理に聞くつもりはない、人の心にずかずかと土足で入り込むような真似はしてはならない。

 

 ニニャは何処か遠い目をしていた。希望を抱いているのか、絶望を抱いているのかは判らないが、同じ目をした人に会った事があった。貧民街に乗り込んだあの夜、ブレインが同じように月を見上げていたのを思い出したのだ。

 それと良く似ていた。それは昔の事を想い浮かべるような面持ちであった。

 

 はたと気付いた。誰もが多彩な過去を持ち、それを背負っていることに。

 隣で居心地の悪そうにしているブレインを見てみる。この男も、昔は人にも言えないような生き方をしていたのかもしれない。ニニャが姉を攫われたように、ブレインにもガゼフに敗れた過去がある。その過去を隠せない事は二人の顔を見れば良く分かった。過去がこの者達を形作ったと、物語っているからだ。

 

 この世界で過去を持たない自分は異質なのだな、とゴンベエは勘付いた。だからこうまで、安閑にして剽悍な心持ちなのだろうか。誠に無縁だからこそ自由で、何時死んでも悔いが無いのだ。されば、自分のような野良犬にはさすらうのが似合っている。

 

「お前の姉は生きているさ」

 

 声に出して言った。

 ニニャの心情を察する事は出来ないが、手を貸して欲しいのならば手を貸す。友の頼みを断るような真似はしない。

 

「分かるんですか?」

 

「いや分からんが、何となくそう思うだけさ。はははっ、さて行こうかね」

 

 軽く笑うとゴンベエは、歩みを速めた。二人を背に置き、沈んでいた空気を無理矢理持ち上げようとした印象を受ける。

 ニニャは、彼が自分を心配してくれているのだなと痛いほど分かった。隣のブレインと目が合うと、彼は何かを誤魔化すように笑う。

 

「ブレインさん。ゴンベエさんを支えてあげてください」

 

 ニニャは何を思ったのか、そう言った。

 

「は? 俺が?」

 

「ええ。ゴンベエさん、何だか道端で飢えてしまいそうで……」

 

「あ~………」

 

 否定は出来ない。そうなっても可笑しくはない生き方である。

 金銭や名声に関心を持たない世捨て人で、命を捨ててしまう危うさが垣間見える。自由に固執する余り死んでしまっては元も子もないが、彼はそれでも死ぬ事を受け入れるだろう。

 ブレインは少しでも長く彼の傍に居ようと誓う。自分が強くなる為であり、惚れた男を支えられるのなら、それは男としての本望であった。

 

 

 

 冒険者組合の前で、ニニャは二人と別れた。

 中に入ってみれば、いつも通りの光景が広がっている。机を囲み談笑する者、依頼と睨みっこする者、受付嬢を口説く者もいる。自分のチームを探すと、他の冒険者と何やら話し合っていた。

 

「で、そいつは何処から来たんだ?」

 

 同級の男が三人に訊いた。

 

「こっちだったかな?」

 

 ペテルが、こっちと言う方向を指差しながら答える。

 

「いや、そっちだろ」

 

 ルクルットが反論して、そっちと言う方向を指差した。ペテルとは反対側だ。

 

「どっちであるか?」

 

 ダインが腕を組んで悩んでいる。

 

 そんな話を聞いている相手の方にもなってやれ、とニニャはため息を付いた。こっちやそっちで分かる筈がないが、あの男の事は何も知らないのだ。どう生きてきたのか、過去に何があったのか謎多き男である。

 

 ニニャは彼らが囲む机に詰め寄ると、堂々と云った。

 

「違う、あっちだ」

 

 ニニャはあっちを指差した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゴンベエとブレインは門前で足を止めていた。朝も早い為、商人やその護衛が行列を作っていたが、それに並んだ訳でも門番に止められた訳でもない。

 二人の前には漆黒の甲冑を付けた男と美しいポニーテールの女。それぞれの首にはミスリルのプレートが掛けられている。

 通行人の邪魔にならないように、道端で二人は立っていた。まるで待ち構えていたかのように見えるが、野暮な事には突っ込まない。

 

「やあ、ゴンベエ」

 

 モモンに扮したアインズは、気軽に話しかけた。親しい友人の様に接しているがその内心、怪しまれていないか不安であったのは誰にも気付かれてはいない。

 

 監視をしないと決めていたが、やはり拠点としている町に同じプレイヤーが居るのは気掛かりである。せめてエ・ランテルにゴンベエが滞在している間だけでもと監視を付けることにした。それは危険を伴う冒険のようなものであったが、ゴンベエに気付かれた様子は無かった。

 この事はナザリックの者達には内緒で、そこには万全の注意を払った。これを知るのはナーベラルただ一人だけである。

 

 町を去ることを知ったアインズは、ナーベラルを連れて彼らを待っていた。

 待っている間、ナーベラルの顔は強張っていた。命を張ってアインズを護る事になるかもしれないと危惧していたからである。

 アインズは二人が来るまでの間に、そんな彼女に気楽な声を掛けていた。

 

「笑って見送ってやればいい」

 

 ゴンベエは人間ではあるが、恐らくアインズと同格の力を持っていると判断していた。そんな相手を笑って見送れなど、ナーベラルは理解に苦しんだが至高の御方の命令は絶対である。

 

「やあ、モモン。ミスリルに上がったって聞いたよ、今日も依頼か?」

 

 掛けられた声にゴンベエは応じた。井戸端会議のような口調である。

 

「いや、お前が町から去ると聞いてな」

 

 多少口ごもって答えるが、正直これといって用事は無いのだ。

 ただ、最後になるかもしれない男の顔を見ておきたかった。自分の様に明確な考えを持たずに生きていこうとする男、冒険者モモンとしてゴンベエを見るのはこれが最後なのかもしれない。

 鈴木悟として、同郷のよしみとして談話できる最後、本当はそうなって欲しくはないと願いたいが。

 

「見送りに来てくれたのか。そちらのお嬢さんと一緒に」

 

 そう言ってナーベラルを見てみると、口元を指で引っ張ったような笑顔を浮かべていた。ゴンベエは一瞬、ギョッと目を見張るが不器用ながら自分らを見送ってくれるのだなと、ありがたい思いで胸が一杯になってしまう。

 ブレインは、眉を痙攣させるほど不気味がっている。美しい顔が台無しなほど、酷い顔なのは言うまでもないだろう。

 

「ああ、そういう訳だ。生憎、何も餞別できる物はないがな」

 

「その気持ちで十分だ。このような無縁の身にはそれでも贅沢さ」

 

「旅の身には先立つ物が要るだろうが、こちらも色々と要りようでな」

 

「新しい甲冑でも買うのであろう。傾いているお主には必要だろうな」

 

「かぶく?」

 

「街中であろうと兜を脱がない、モモンの美意識が分かるよ」

 

 アインズは別に格好つけて街中でも兜を脱がない訳ではない。

 アンデッドの顔を見られないように脱がないだけである。幻術で顔を作ることも出来るが、見る者が見ればそれを見破ることが可能な為に、おいそれと脱ぐ訳にはいかないのだ。

 

 ゴンベエのように異風を気取る訳ではないが、ここは彼に同意した。

 

「そ、そうだ。それに何時でも戦えるようにするのは戦士としては当然のこと」

 

「誠にその通り」

 

 沈黙が場を制した。楽しげに続いていた会話が、変わった事にぴたりと止んだのだ。

 

 アインズは軽い挨拶でも済ませば、さっさと去ろうとしていたので沈黙は痛いほど辛い。

 気楽に肩でも叩いてもらって、ゴンベエ達には立ち去ってほしいと願ったが、彼は神妙な面持ちでアインズを見ていた。異様な笑顔を浮かべるナーベラルが浮くではないか。

 

「なあ、モモン。俺達と一緒に旅をしないか」

 

「え………?」

 

 アインズは困惑した。ブレインも同じように困惑している。ナーベラルに至っては笑顔が消え失せて、鋭い眼差しでゴンベエを睨んでいた、怖い顔である。

 

「なぜだ?」

 

 ゴンベエの思惑が見えてこない。アインズの言葉は純粋な疑問であった。

 

「墓場で色々と訊いてきただろう。興味の無い奴がそんな事を尋ねるかね?」

 

「ああ、そうだったな」

 

「それだけじゃない。似ていると言うのか、同じ匂いがするんだ、お前と俺」

 

「ッ!?」

 

 プレイヤーである事を見抜かれた、アインズはこの男を見誤った事を後悔する。すぐに逃げ出そうと思考を巡らせるが、ゴンベエの言葉がそれを吹き飛ばした。

 

「それに、何か背負ってるんだよ。重たい物っていうのか、本当は冒険者なんてたいしてやりたくはないのではないか?」

 

「なに………?」

 

 アインズは絶句した。憤怒のような感情が一瞬湧いたが沈静化してしまう。何か苦言の一つでも言わねばとするが、言葉が出てこなかった。

 どうしてだろうか。否定する言葉など、簡単に出せる筈である。ナザリックを去った仲間達の為に、自分を慕うNPCの為に、アインズ・ウール・ゴウンの名を不変の伝説として残そうとしている。そこには何の迷いも無い、確実にそう言い切れた。

 

「そう悪いものではないと思うがね。何より、自由だ」

 

「自由か……」

 

 アインズはうっとりと呟く。この男が言うと、何とも魅力的な響きに聞こえてしまうではないか。

 

「モモンさ――ん………」

 

 ナーベラルが、アインズの腕をそっと引いた。そこには普段の二重の影(ドッペルゲンガー)とは思えない卑屈な顔が、アインズを見上げている。

 それは彼を正気に戻すには十分であった。何をうっとりしているのだ、と自分に言い聞かせてアインズは彼を見やった。

 

「悪いな。私には成さねばならん使命がある」

 

 ゴンベエの誘いを受けるような事はない。それは絶対だ、傍らで立つ我が子の為にも。

 ナザリックには沢山の思い出がある。語ろうと思えば一晩二晩では済まない、とても大事で忘れたくはない記憶、永遠に残しておきたい、仲間達との絆、捨てられるものか。

 

「だろうな」

 

 まるで答えが分かっていたかのように、ゴンベエは完爾と笑った。粋な男笑いであった。

 思わず見惚れてしまったアインズは、咳払いをするかのようにわざとらしく声を出して、気分を整えて彼に尋ねた。

 

「最後に訊きたい。貴方は何処まで行くのか、王都が最後ではないのだろう」

 

 好奇心に溢れる、子供のような質問であった。アインズもまた、この未知なる世界を隅々まで知りたいという想いは強い。

 

 男は、雲一つ無い空を見上げて宣言した。

 

「この空が続く限り何処へでも」

 

 何処へでも、恋い焦がれてしまう遥か彼方の地まで、そこには柵から抜けた世界だけが広がる。何をしてもいい、そこには命の柵さえ無い。生きるも死ぬも自由だ。そこで死ねばそれまでの運命だったと割り切らねばならない。

 自由に大陸を旅し、その土地の風土を見て、そこに住まう人々と出会い、彼らと一緒の物を食い、酒を飲み、服を着て、時には喧嘩をする。そんな旅だ。

 

 その言葉は、アインズの胸をすくような気持ちとさせる。

 

 差し伸ばしたのは何方からだったであろうか、その手を握ったのは誰であったろうか、二人は互いの手を取った。右手で握ったあと、左手で相手の手を覆うような固く熱い握手であった。

 

「ではな、モモン殿。ブレイン、行こう」

 

「では、ゴンベエさん。ナーベ、行くぞ」

 

 名残惜しそうに手を放すと二組は背を向け合い、それぞれの道を進んでいく。

 

 アインズは背中から離れていく男を想った。

 あのような男が味方になるのなら、頼もしい事この上ない。戦いでは獅子奮迅の働きを約束してくれるであろう。彼の力で破れないのなら、自分の魔法と知識で手を貸そう。

 あのような男が敵となるのなら、素晴らしい事この上ない。邪知暴虐の限りを尽くして受けて立とう。彼が力で策を食い破るのなら、それを上回る筆舌に尽くしがたい策謀を練ってくれよう。

 

 そして望めるのなら、傍観者に努めてほしい。

 

 背から遠ざかって行く男の気配を感じながら、ナーベラルの肩に手を置いた。こんな可愛い子を一時でも不安にさせた自分が恨めしい。そして、またあの男が自分を誘って来るのならば、ぶん殴ってやろう。

 

 くるり、と後ろを見た。

 

 

 大きな背が門の向こうに消えていく。アインズは、それを最後まで見送ることは無かった。

 

 

 天涯孤独の身の上なれど、自由を愛する心は誰よりも強い。困難が立ちはだかろうと歯牙にもかけず、憂き世往来、名無しの権兵衛。

 

 かくしてゴンベエはエ・ランテルを後にした。ブレインは幸せそうにその後を追った。



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2章 縁 道中

 エ・ランテルから西に向かいエ・ペスペルを抜け、小さな町を通りそのまま北上すれば王都リ・エスティーゼが見えてくる。

 その北にも多くの大都市があり、西には海沿いにいくつかの港町もあった。大都市にはそこを治める貴族の名が付けられており、王都は都市と都市とを結ぶ、大国全土の伝播経路でもあるのだ。首都としての役割を十二分に果たしていた。

 ゴンベエはその話をブレインから聞き、いつか海の方にも行ってみようかと考えながら、のんびりと街道を進む。急ぐ必要もない旅であるので、通常の倍は時間をかけて気楽に歩む。

 

 空は澄明な青一色であった。

 

 左手に広大な草原が広がっている。ゴンベエはそれを眺め、ユグドラシルの光景を思い出した。不自然な、コピー&ペーストされた風景ではない。それぞれの草の長さはまちまちで、自分たちの成長を競っているかのようである。風が吹けば一斉に揺れるのではなく、風の動きに合わせて波のようにうねる。

 

「手付かずの自然が多いのだな」

 

 ゴンベエはブレインに言った。

 

「この辺りは深い森が広がっている。そこにはモンスターが住んでいてな」

 

「ほー」

 

 鼻から抜けるような返事である。ゴンベエは興味の無さげに後ろを振り向いた。そこにはブレインの言う深い森が広がっている。奥の方は木々が生い茂り、光が届いていないのか、暗いものだ。その中から誰かに見られたような気がした。いや、見られたと言えば語弊があるかもしれない、正確には敵意。明確な殺意が込められた視線であったのだ。

 

「どうした?」

 

「さあ、のんびり行こうか」

 

 誰であろうか、ゴンベエは見当が付かない。人に恨みを買うような事をした覚えはないが、知らず知らずの内というものがある。

 ゴンベエは気を引き締め、いつでも戦える心構えになった。もっとも上辺だけは悠々たる風情である。もう森の方を見向きもしない。森の中に潜むというのなら、暗殺者の類だろうか。雇われか、恨みを持つ本人か、気配は一人しかしない。野盗の偵察という線も考えられる、だとするとこの先で待ち構えているだろう。だが偵察が殺意など向けるであろうか。

 

 街道を暫く進む。もう草原は見えなくなっているが野盗の類は見られなかった。代わりとばかりに、色とりどりの花が顔を出した。

 ゴンベエは立ち止まると繚乱と咲いている花々を眺めた。辺りを見渡すように首を回す。風光明媚で風情ある景色に、浮ついた心地になってしまう。ゆっくりとその中に入った。散策でもするかのように群生地の中を抜け、ぽっかりと開いた場所に出ると、すっと膝を畳み、頬杖をして寝そべる。

 

 ブレインはまた始まったと肩を落とした。こうなれば梃でも動こうとしない、王都まで時間がかかるのはこの為だ。何か興味の引く物を見つければ、ゴンベエは立ち止まりそれを心行くまで味わわない限りは、進もうとも退こうともしない。

 仕方がないのでは辺りを見渡す。何処か野営の出来る場所を見つけて、テントでも張らなければ今夜寝る場所に困ってしまうだろう。街道沿いの近くに張ろうと、ゴンベエを放って戻っていった。

 

 放ったかされたゴンベエは何をするのでもない、何もしないのである。服が汚れるのも気にせず、寝そべり花を見る。赤、青、黄もあれば言葉に出来ない色で着飾った花もある。その彩りが彼を飽きさせない、瞳に映る度に嬉々として吟味した。

 生涯を暗い空の下で過ごしてきた自分には味わった事の無い体験である。今日一日は暇なく過ごせそうだと考えていると、街道の方から馬車を曳く音がした。音の移動からして、王都から遠ざかって行くようだ。行商人だろうか、音からして急いでいる様子であった。

 

「ゆっくりと、花を観る暇さえないのか」

 

 この世界に来て随分と多感になっていた。

 詠嘆とする光景を見て、他の人々は何とも思わないのだろうか。近くの花を引っ張り、鼻先に持って来ると匂いを味わう、虫が集うわけだ。いつか家を持てば、庭先に小さな花壇を作りたくなってしまう。

 手頃な草を引き抜き、それを口に当てると息を軽く吹く。いつか読んだ、草笛を試してみようと思いついたのだが上手く出来ない。ぷっ、ぱっ、と単音なら鳴る。音色となり一つの曲になることはなかったが、それでも楽しかった。いつか玄人に吹いてやろうと、今日の練習を終えて草を吹き捨てた。

 

 上体を起こし、脚を揃えて胡坐をかくと、目をつむり、風の流れを感じる。周りの草花の声を聞いているかのようで、このまま天上と天下を指差し、釈迦の真似事でもしてしまいそうであった。

 

「人間はこうして、万華を見て楽しんでいられるのに、好んで身を粉にして働きその心とゆとりを忘れようとする。まあ、以前の俺も言えたものではないが………」

 

 自分にはそれしか道が用意されていなかった。望んで進んだ訳ではない。

 だが幸か不幸か、こうしてお天道様の下を自由に歩いて行ける世界に来られた。そしてこの生き方を望んだ。先ほどの行商人も望んでその道に入ったのだから、批判することは出来ない。人には人の美しい生がある。

 

「くわ~」

 

 あくびが一つ出た。昨日は寝ていない、何となく寝る気にはなれなかっただけである。理由などは無い。だから無性に眠かった。花に囲まれた中で寝るのはさぞかし気持ちの良いことだろう。

 

 何か、何となくだが六感が告げた。先ほどと同じ殺気であった。一人になったのを狙ったのであろう。しかし明白な害意があるというのに、襲ってくる気配がなかった。襲ってこないのなら斬らなくて済む。あっちでもこっちでも人斬りを味わった事は無いが、一度だけ味わってみたい気持ちが、心の何処かしらにあった。危険な誘惑であるが、外道に落ちてやるつもりは無い。

 

 いよいよ胡散らしくなってきた。

 

「おい、こっちに出て来いよ」

 

 位置としては背後である。そちらに声をかけた。そちらには背の高い花が生えている、身を隠すのにはうってつけだ。草花を分ける音が聞こえると、姿を現した。

 

「やっぱり気付いちゃってた?」

 

 金髪の可愛い面をした女であった。

 

(おや、こいつは)

 

 ゴンベエは内心で驚いた。無理もない、縄に繋がれて牢獄にでもぶち込まれたと思っていたのだから。そいつはクレマンティーヌ、ゴンベエが墓場で―――直接戦った訳ではないが―――負かせた女であった。

 

 クレマンティーヌはゴンベエの前に回ると、胡坐をかいて座ってみせた。格好は依然見たビキニのような破廉恥な装備、武器を持っている様子は無かったが油断は出来ない。女というのは何処に武器を隠し持っているか分からないものである。

 

「お前か……」

 

 呆れたように言った。まさかこいつだとは思いもしなかった。あっさりと逃げ出して後を追ってきたのなら、随分と深い恨みを買ったものだ。この女だとすると殺気の説明も出来るが、こうして正直に顔を出してくる性格だとは思ってもいなかった。それに、女は友愛の笑みを浮かべているではないか。

 

「久しぶり、元気にしてたー?」

 

 気軽といった感じにそう言った。

 殺そうとしている相手にこの態度は、油断を誘っているのか、とんでもない下手くそか、ころころと忙しい女である。

 

「馴れ馴れしいな」

 

「そう言わないでよ~。殺そうとした仲じゃない、ある意味良い関係でしょ?」

 

「お前……」

 

 呆れて何も言えない、物も言いようだ。

 

「で、何の用だ?」

 

 こうして顔を出した以上、何か用件があるに決まっている。無駄に殺さないで済むのなら、その方が良い。

 

「こう言うのも何だけど、ちょっと助けて欲しいんだよね」

 

 意表を突かれた。さすがのゴンベエもつくづくとクレマンティーヌを見詰めた。

 

「も~う、そんなに見詰めないでよ。恥ずかしい」

 

 クレマンティーヌは、きゃっ、と頬を抑えてみせる。

 

 少々馬鹿らしくなって来ている。この女は、身を隠していた時には明確な殺意があった。ゴンベエは相手の敵意を感じ取るスキルを所持している、そうでなければクレマンティーヌに勘付くはずが無かった。殺したい相手に助けを求めるなど、矛盾している。

 

「昔の同僚に追われててさぁ、それがちょっと危ない連中なんだよね。あたしでも相手にするのはキツくって」

 

 なるほど、それで自分より強い相手を頼るという事か。

 

「しかし、何で俺なんだ?」

 

 この女には他に頼れる相手がいないのか、訊くのも野暮であったがゴンベエの気が済まない。

 

「う~ん、頼れる人が居ないって感じかなあ?」

 

 その言葉に嘘偽りは無い。だとするとこの女も無主の荒野を歩く者なのだろう。そう考えると妙な親近感が湧いた。

 

「だが、お前は」

 

 だが、ゴンベエは顔をしかめて言う。

 クレマンティーヌは顔を見せた。美しい面である、そこには殺意の欠片も見受けられない。

 

「俺を殺したいのではないのか?」

 

 ずばりと浴びせてみたが、クレマンティーヌは動じた様子もない。

 

「ふふっ、やっぱり分かっちゃったか~」

 

 小さく笑い、抜け抜けとそう言う。

 

「そうだよー、私はあんたを殺したい」

 

 いつか見た、割れたような笑顔を向けてきた。殺気だ。

 

「本当か」

 

 先に殺さなければ、自分が殺される。殺される道理もないのに、無駄に死ぬこともない。

 

 ゴンベエは応えてやった。

 

「ッ……」

 

 クレマンティーヌは肩をすぼめた。急に現実を見せ付けられたのである。貧民街での恐怖を思い出して、身が凍えた。だが一度死人の領域に足を踏み入れた身で、何に恐怖するという。

 

「ほんと」

 

 クレマンティーヌは大きく頷いてみせた。それは照れた少女の顔であった。

 

「あ~はっはっはっはっはっ!!」

 

 ゴンベエは弾けたような高笑いをあげた。この女は、正々堂々と言いたいことを包み隠さず口にしてみせた。これを真実の告白と受け取ったのである。

 

(この世界はどれだけ俺を楽しませてくれるのだ)

 

 人を殺すために生まれてきたような、信じてはいけない危険な者である。だが信じてみたくなった。

 

(きっと諦めないだろうな)

 

 言われなくとも分かっている。だが生命を狙っている女と旅をするのも、また乙なものではないか。この女に殺されるようなら、自分はその程度の男なのである。どのような形であれ、死ぬことになんら悔いるところはない。それが望んだ生き方ではないか。

 

「さて、本当のことを言ってくれたところで悪いが、俺は眠いんだ。少し眠らせてくれ」

 

 眠気が峠に差し掛かっていた。これ以上は我慢できない。眼の前に、殺そうとする女がいても眠ってみせる気概がゴンベエにはあった。

 

「えっ?」

 

「そうゆう事でな」

 

 唖然とするクレマンティーヌを放って、ごろりと大の字に寝てみせると、忽ちといびきをかき始めた。寝首をかいて下さいと言っているものである、クレマンティーヌは気持ち良さげな寝顔を覗き込んだ。

 

 

 

 

 目が覚めると、生きているのかと手足を動かした。どうやら生きているらしい、空は茜色に染まっていた。随分と眠ってしまった。

 

「おはよ~」

 

 頭上からクレマンティーヌが顔を出した。

 

「お前か」

 

「お前ってなによ? 私を試したんでしょ?」

 

 そうとも言えなくはないが、ただ眠たかった。

 

「ああ」

 

 曖昧な返事をして意味があるかのように振る舞ってみせると、クレマンティーヌは語る。

 

「そんなの面白くも何ともない。もっとシチュエーションを大事にしたいんだよね」

 

「そんなものか?」

 

「そんなものよ」

 

 いつ、どこで、どんな形で死のうが違いはないと思うが、彼女なりの美学があるのだろう。

 

「お前―――」

 

「クレマンティーヌ、そういや教えてなかったよね」

 

 そういえばそんな名前だったなと思い浮かべ、ゴンベエは小さな疑問を口にした。

 

「それは名か? 名があるなら姓もあるだろ?」

 

「前まであったけど、もう捨てちゃった」

 

「つまり、無縁ってことだな」

 

 ますます親近感が湧いてしまう。

 

「それを言うならあんたもじゃない? なに名無しって?」

 

「縁も所縁もない者って意味さ」

 

「そういうこと自分で言っちゃう? ゴンベエちゃんってやっぱりおかしいね」

 

「お前………」

 

 ゴンベエは素早く立ち上がった。近くでブレインが首を長くして待っているはずである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜更けの旅人の野営地、そこには無縁の者だけがいるはずだが、今夜は一人増えていた。焚火を挟んで二人の反対側に、クレマンティーヌが座っている。ブレインの用意した食事を何食わぬ顔で味わっていた。ゴンベエはそれとは別に、簡素な作りの木杯を握っていた。そこに並々と注がれた赤い酒は、近くの町に立ち寄った際に買っていたワインである。

 

 ゴンベエの機嫌はすこぶる良かった一方で、ブレインの方は堪ったものではなかった。まさか命のやり取りをした相手とこんなにも早く再会するとは考えもしなかったし、ゴンベエの背中から現れた時には、我が目を疑った。刀をいつでも抜けるようにしているが、まるで歯牙にもかけていない様子で食事をしている。

 

「で、何であったか」

 

 ゴンベエは、ワインをぐいっと呷った。芳醇な香りが鼻を抜ける、歳を取った逸品だ。奮発した甲斐があった。

 

「助けて欲しいって言ったよね?」

 

「そうだった」

 

「旦那、どういう事だ?」

 

 ブレインが事態を飲み込もうと必死になっている。

 

「ああ、付いてきたいらしい。俺達に」

 

「は?」

 

 ブレインは呆気に取られた。自分の知らない内でとんでもない事になっているではないか、蚊帳の外に置かれている気分であった。普通ならこちらに相談の一つでもするようなものであるが、こういう男なのだと納得しなければならない。だがこれだけは別件だ。

 

「止めとけ、こいつはぶっちぎりでイカれた女だ。きっと誰かに命を狙われてるんだよ。助けてやる必要はねえ、因果応報だ」

 

 これだけは受けられない。明らかな面倒事である、ここらでゴンベエの手綱を握らねばならない。クレマンティーヌに聞こえないよう囁いて耳に入れるが、ゴンベエの眼がきらきらと輝き出した。

 

(あ、マズイ)

 

 ダメと言われれば、押し切りたくなる性分だ。眼が光るのは何か妙なことを考える印で、大体ろくなことではない。もう無駄だと判っていても、責め立てるように訊ねた。

 

「こいつを信じるのか?」

 

「ああ」

 

 微笑を浮かべながらゴンベエは答えた。

 ブレインには理解できない。理解してやる気力も湧かない、若干諦めたような顔色でワインを呷った。自棄酒なんて、何年ぶりだろうか。

 

「ブレインはどうだった? 手を合わせただろ?」

 

「う~ん、ブレインちゃんは面倒くさいけど、手の内が判ったから普通に殺せるんじゃない?」

 

 二人はそんなブレインを無視して、談笑に耽っていた。話題は墓場での戦いに移っており、ブレインの強さについて話し合っている。

 

「こ、こいつ!」

 

 ブレインは文句を言ってみるが、それは無視された。

 

「でも、ゴンベエちゃんは不意打ちでもしないと勝てないかなぁ。だって超強いもん」

 

「どうだろうな………」

 

「分かんないのがそんなに強いのにそれを誇示しないことなんだよね。おかげでこっちはもうちょっとで死んじゃう所だったんだからさぁ」

 

 切々と言うのだが、お門違いの文句である。真っ当な生き方をしていれば、まみえることは無かったであろう。

 

「冒険者にでもなればアダマンタイトは確実だろうし、国に雇われれば戦士長クラスは任されるんじゃない? 野良で燻ってるなんて宝の持ち腐れ、ムカつくわ~。神様みたいに振舞ってくれるのなら、まだ許せるのにさぁ」

 

 ほとんど叫んだように、言いたいだけを言う。少し酒が入って饒舌になっていたらしい。この女の本音を、ゴンベエは一言一句聞き逃さず、酒を食らった。

 

 ゴンベエが自らの巨躯を威嚇するように使えば、誰もが近付くことを恐れるであろう。それだけの迫力が彼にはあるが、醸し出しはしない。いつでも眉間に皺を寄せて誰かを睨みつける、そんな殺伐とした生活など好む男ではない。生きるのなら、朗らかに誰に何と言われようが気にせず図太く生きたいと願っている。燻っているなんて微塵とも思っておらず、神様のように振る舞ってやるつもりも無い。

 

 ワインを飲み干すと、空になった木杯の底を見ながらぼそりと呟いた。

 

「無縁で生きてゆくには、芸が必要だ」

 

 芸とは、剣術、魔術、技術、芸術といった類の総称である。さすらう者が、生きる糧や好きに振る舞う為に用いるものだ。

 

 無主の荒野を歩む者達には上も下も無い。ゴンベエも、あらゆる俗世の権力を拒み、浮世を自由に往来する事を選んだ雑多な人々の内の一人に過ぎない。彼らは世俗の縁を一切切り捨てる代わりに、一切の義務から免除される。無縁で生きるにはそれなりの困難が付きまとう、更には様々な形となって危険が襲い掛かって来ることもあるのだ。それに抵抗し、打ち勝ち、生き抜くためには芸能、知識、武芸などを糧にして世を渡らなければならない。

 

 ブレインは心の中で深く頷いた。彼は剣によって世を生き抜いてきた道々の輩で、芸によって生きる道を見出した内の一人である。この道に踏み込んでから、死生観というものはガラリと変わった。そういった観点で見れば、クレマンティーヌも同じ人種なのかもしれない。

 

 だがここにいる誰も、ゴンベエの心底を知ることは出来ない。あの世界で生きて来た彼の心など、この世界で生きる者達には知りえない境地にあるのだ。

 

 ゴンベエは続けた。

 

「お前の言うように生きることも出来るだろう、お前のような悪党になることも出来ただろうが、俺はこれで満足している」

 

 無縁とは現世との縁を切る、つまりはあの世界との縁は断ち切られる事になる。あらゆる柵から解放される一面、無縁の身となってこの世界で生きて行かねばならない。飢えに苦しもうが、のたれ死のうが、弔ってくれる者はいない。

 無縁で生きるには芸が必要だ。その点、この身体は役に立つし、ブレインという友人も得られた。己には十分過ぎるほどの幸運であった。この僥倖を、誰かの迷惑に使ってやるなど天罰が当ってしまうではないか。

 

 クレマンティーヌは話を聞いて、気が引き締まった想いとなる。無縁という言葉に、解放感を感じると同時に身体中から力が抜けたような、うすら寒い感覚を得たからだ。その言葉には自由と死が背中合わせで確かに存在していた。

 自分はこれからその世界に足を踏み入れるのだ。そう思うと、思わず嬉しくなった。この男を頼って正解だったかもしれない。

 

「待ってくれ、旦那。良く考え直せ」

 

 ブレインが諦め悪く説得を続けていた。

 

「大丈夫だよ、そんなに直ぐに殺したりしないから」

 

 クレマンティーヌは、良い笑顔で抗弁をたれる。

 

「信じられるか」

 

 ブレインがなじる調子で言う。そもそも、クレマンティーヌが本当にゴンベエを殺せるとは思っていない。彼を殺せる者がいるとするなら見てみたいものだと、夢想してしまう。

 

「ブレインちゃんは信じなくてもいいよ。ゴンベエちゃんが信じてくれるだけでいいから」

 

「何だぁ、お前」

 

「バカぁ」

 

「言ったな!?」

 

 ブレインが跳び上がった。クレマンティーヌは案の定、何処からともなくナイフを取り出してみせる。もう滅茶苦茶である。

 

「ま、ま、二人とも」

 

 とゴンベエは手を上げた。男女の突き合いほど厄介なものはない。

 

「ブレイン、酒でも飲んで落ち着け。美味いぞ」

 

「あ、私にも注いでくれない」

 

「馴れ馴れしいぞ、旦那に近付くな」

 

「そう言うなよ、お前にもきちんと注いでやるから座っておれ」

 

 二人が咆え、それをゴンベエが諫める。酒を入れてやれば大人しくなるだろう。

 

 結局、その夜の内に瓶で三本飲み干した。ブレインが酔い潰れて寝転んでいる。ゴンベエは今夜も眠れないだろうなと彼に布をかけてやり、まだ飲み続けているクレマンティーヌの相手をしてやる。

 

 飲み交わす最中に、泥酔したクレマンティーヌが何十度目かの哀訴をした。

 

「私、クレマンティーヌっていうの」

 

「そうかよ、お前」

 

 信じはしたが、当分は許してやるつもりは無かった。ゴンベエがこの女の名前を呼ぶことになるのは随分先の事であろう。



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王都

気が付けば、お気に入りが2000を超えていました。クレマンティーヌのお蔭なのでしょうか?

それはそうとして、今回の話に登場する人物の性格がかなり改変されているかと思われますので、今更ながらご注意を。


 クレマンティーヌは、大きな樹の下を懸命に掘っていた。手頃な木の枝を地面に突き刺し、土を掘り起こす作業は酷くつまらない。黙々と、手頃な深さまで土をすくい続ける。

 

 彼女の傍ではゴンベエとブレインが手伝いもせずに、ただその様子を観ていた。小高い丘の上からは王都が良く眺められる、目と鼻の先だ。

 

 なぜこんな事をしなければならない、まるで罰を受けている子どもであるとクレマンティーヌは心の中で悪態ついていた。

 問題は彼女の鎧にあった。あちこちに冒険者のプレートが打たれた間違ったパンクな装いである。そんな物を付けて王都を往来できるはずがない、クレマンティーヌにしてみれば簡単に捨てられる物ではなかった。今日に至るまで、自分が狩った冒険者たちの戦利品(ハンティングトロフィー)である。エ・ランテルから逃げる際にも、これだけは取り返してみせた程だ。

 

 外套でも着て隠せばいいと提案をするが、ゴンベエに一言のもとに却下されてしまった。

 

「埋めてやれ」

 

 この時ばかりは、ゴンベエの声色も淡白であった。

 

 王都を一望できる丘の上には、大きな樹が生えていた。ゴンベエはその下に埋めてやり、彼らを弔ってやれと申す。その提案にクレマンティーヌは顔を歪めてみせるが、付いて行く以上は彼の言う事を聞かねばならない。

 

 革布に詰められたプレートを穴に放り入れると土をかぶせ踏み固めると、彼女は一息ついた。

 

「これでいい?」

 

 と、ゴンベエに尋ねる。

 

「最後に、手を合わせてやろう」

 

 うんざりと肩を落としながら、クレマンティーヌは手を合わせた。形だけで、大して心は込もってはいない。その隣で、ゴンベエはしゃがみ込むと同じように手を合わせ、眼を閉じて冒険者たちに拝んだ。

 

「お前がどう生きてきたか深く尋ねるつもりはないが、付いてくる以上は勝手なことはするなよ」

 

 立ち上がると同時に、彼はクレマンティーヌに釘を刺した。

 

 刺された女は、こくりと頷く。彼の言葉には、優しさと厳しさが込められていた。変わってみせろと言っている風にも聞こえる。自分の様な女をこの男は信頼してくれたのだから、多少の要望は応えてやらねばならない。もしも勝手なことをしたのなら、見捨てられる事であろう。

 

 クレマンティーヌの頬を風が撫でた。彼女はそれを追うようにしては振り返り、王都を眺める。王都には何度か来たことがあった。以前訪れた時は何の用だったかなと思い出そうとするが、出てこないのでどうでもいい事だったのだろう。どうせ血生臭い用事だ。

 

 

 

 

 

 王都リ・エスティーゼには意外にもすんなりと入れた。クレマンティーヌは、ゴンベエやブレインに足らない悪知恵に長けていて、軽い手心を加えてやると面倒な質疑応答も無く町に入れた。

 

 彼らを出迎えたのは往来する大勢の人々。王都だけあってやはり人が多く、彼らは忙しく行き交いしている。町並みは噂に聞いたように古臭さを感じたが、エ・ランテルとさして違いはないように見えた。

 

 旅疲れの身であったが、三人は軽い観光のつもりで人の流れに沿って歩いてみる。明確な目的も無いので、少し町を見てから宿でも探そうと決めていた。左右に立ち並ぶ建物は古く、建造されて何十年は経っているのだろう、無骨で華やかさが欠けた作りである。歴史があると言えばあるだろうが、文明の停滞というものがそこにある。立派といえば立派なのだが、それほど王都には新鮮さは感じなかった。古めかしいだけのしょぼくれた印象があり、ここにいるだけで活力を奪われるような気さえした。

 

 町は大きいくせに、通りは狭い。馬車の交通も多いため、脇に人が寄り、通りの中央はいつも開いている。そのため、歩くのにもコツがいった。王都の住民は慣れたように人通りの中を歩いてみせる。ゴンベエは人にぶつからないように気を付けるが、彼の風体を見た者が自主的に避けてくれた甲斐あって、人とぶつかり合うことは無かった。ぶつかれば難癖を付けられると思ったのであろう。恐れられているということにゴンベエも気付き、何ともやりきれない気持ちになっていた。

 

 暫く歩いてから、ゴンベエの面持ちが険しくなってきていた。それを傍の二人に悟らせず、彼は空を見上げた。青い空が何処までも広がっている。

 

 ―――ああ、空はこんなにも青いのに。

 

(嫌な町だ………)

 

 漠然とそう感じた。

 

 得体の知れないきな臭さが、辺りから漂っている。出所の判断はつかない。王都全体に充満しているのではと思ってしまうほどに、強烈な臭いであった。そのせいか擦れ違う多く者の顔が、まるで曇っているように錯覚してしまうのである。一度路地裏に眼を向けてみると舗装されていない道も多く、深い闇が見え隠れしていた。

 

 ―――陰気な町だ。

 

 これが王都か。これがこの国一番の町か。ゴンベエは落胆していた。どれほど華やかだろうか、そう道中で何度も妄想した。現実は華やかとは裏腹に、虚栄で着飾った大時代の都であった。歴史があることは認める、だがそれだけだ。ゴンベエの求めていた活気とは、似て非なるものがあるだけに、その落胆は大きい。

 

 そんなゴンベエの気も知らずに、クレマンティーヌが彼に話しかけた。

 

「ねえねえ、向こうの通りに美味しい屋台があったと思うから食べに行かない?」

 

「まるで来たことがあるような物言いだな」

 

「何度か来たことあるよ~、最後に来たのは随分前のことだけど」

 

 曖昧な記憶で王都を案内する気なのだろうか。しかし、あちこちを見て回れば、この町の良さに気付けるかもしれない。上辺だけを見て判断するのは愚の骨頂である、きちんと下部も見てから判断するべきだと、ゴンベエは考えを改める。まだ来てから半日も経っていない、何週間も滞在して、やっと気付ける事もある。

 

「そうだな。この町に来られるのもこれが最後かもしれんし、心行くまで楽しもうか」

 

 旅は一期一会、もう二度と訪れない町も出来ることだろう。それを心得た言葉であったが、ブレインとクレマンティーヌには気掛かりに聞こえてしまった。もう生きて王都の門をくぐれない、そう言っている風に聞こえてしまったのだ。

 

 何か悪いことでも起こってしまうのではないか、ブレインは予感してしまうがこういう男だったと思い返した。明日が無いと思うからこそ、今日が楽しいと考える男である。こういった心掛けは別段不思議ではない、戦士としては当然と言えた。

 

 クレマンティーヌは、己の思惑が成就されるのかと取った。彼女がいる限り、ゴンベエに命の安泰は無いのである。追っ手から逃げ切るまで殺す気はないが、彼を殺せる気もしない。意外と繊細な男なのかと思い、クレマンティーヌはゴンベエの顔を見上げてみるが、そこには爽やかに町並みを眺める顔があるだけで、陰は一つたりとも見えはしなかった。

 大柄な男である、中身も大雑把なのだろう。殺すと宣言したのに、傍に置くことを約束してくれた狂人でもあり、凡百の者には達しえぬ境地に至っていると思われる。本当に自分はこんな男を殺せるのか、今更ながら不安を感じてきた。

 

 三人は、人の流れに沿って王都を散策する。多少の地理が分かると言うクレマンティーヌを先頭に立たせ、ゴンベエとブレインの順に付いて歩いた。人混みの中を器用に通るクレマンティーヌは、少し歩くごとに後ろを確認するように振り返る。こういった場に慣れていないゴンベエは、向こうが避けてくれるがそれでも歩は軽快には進まない。早いところ、この通りから脱出するのを目的とした方が良いだろう。

 

 すると、ゴンベエの目線がある一点に止まった。その先にいるのは一人の老婆、大きな荷物の隣に座り込んで踝の辺りを撫でていた。見るからに足を痛めてしまって動けないのだろう。足を痛めた状態で荷物を背負って歩くのは、老婆には酷と言えた。

 

 しかし、これだけ人がいて誰も老婆を助けようとしない。老婆も、道行く人に乞うことに躊躇している様子にも見える。このままやるせない気持ちになっているより、自分が助けに行くべきだろうと、ゴンベエが考えた矢先に、通りを男が横切った。

 燕尾服を着こなした初老の男は、真っ直ぐと背筋を張り、颯爽と歩いては老婆の下に向かう。風体から、貴族に仕える使用人と思われた。森厳とした佇まいと匂わせる気品は、どこか異風を身に纏っているかに見えた。

 彼は老婆をおぶさり、重そうな荷物を片手で持ち上げると軽やかな足取りで立ち去る。

 

 ゴンベエは心の中で拍手を送った。

 

(立派な御仁だ)

 

 困っている他人を躊躇なく助けることなんて簡単な事でない、肖りたいものである。あのような男が仕える主人は、自分のような無頼ではとてもお目にかかることも出来ない天上の存在なのであろう、とゴンベエは思った。

 

(貴族なんて、簡単には会えないだろうな)

 

 去って往く執事の背中を眺めながら、昔を思い出す。ゴンベエの知る上に立つ者は、口だけは達者で偉そうな態度を取る職場の上司であったが、恐らくこんな者ではないだろう。

 彼の想像する貴族とは、強かで思慮深く道理を弁え、民のことを憂う者である。会ってみれば、格の違いを教えてくれることだろう。いや、もうその執事に格の違いを教えられていたところであった。至高の者に仕えるということは、その身も心も磨き自らも至高たれと精進するのであろう。かの御仁の立ち振る舞いは、紳士のそれであった。

 

 途端に、自分が情けなく感じた。

 

「どうした?」

 

 不思議そうな顔をして、ブレインが後ろから声をかける。

 

「なに、面白い男を見つけてな」

 

 と、ゴンベエは答えた。

 この男の言う面白いには、様々な意味が込もっている。どういう意味で面白い男なのか、ブレインは一概には判らなかったが、悪い意味で使われることはまず無い。

 

「おーい、置いてくよ~」

 

 少し離れた場所からクレマンティーヌが声を上げていた。足を止めて、距離が開いてしまったらしい。ゴンベエは名残惜しそうに眼を離すと、クレマンティーヌの後を追った。

 

 

 王都観光は、なかなかに楽しいものであった。やはり知らない町を闊歩することは、刺激的な事であったと、ゴンベエはしみじみと感じた。出店を見て回り、変わった物があればそれを店主に訊いて回った。彼はこの世界の言葉が読めない、品名から何まで尋ねる他に学ぶ術がなかった。だが、字を知らなくても言葉は何故か通じるので不便を感じたことはない。

 

 そんなゴンベエに、ブレインが辛口の意見を飛ばした。

 

「少しは字を読めた方が便利だぞ」

 

 全く以て正論だ。こう言われれば何も返せないが、王国民の全てが字を読める訳でもない。学を持たない民だって大勢いる。ゴンベエの一人くらいが読めないところで、大衆は気にはしない、珍妙な事ではないからだ。

 

「あっれ~、ゴンベエちゃんって文字読めないんだぁ」

 

 これは面白い事を聞いたと、クレマンティーヌは奇矯な笑みを浮かべるとこれを冷やかした。

 

「ああ、やはり変か?」

 

「ん~、ゴンベエちゃんはそのままで良いんじゃない?」

 

「うむ」

 

 自分らしくあれという事なのか、ゴンベエはその言葉を好意的に受け取った。人とは千差万別である、字が読めないぐらいどうってことはない。何より、字が読めなくても友人を作る事が出来たのだ。

 

 深く頷いたゴンベエに違和感を覚えた。おちょくる調子の言葉が、何故か好意的に取られた気がしたからだ。つい、この男の頭を掻っ捌いてその中を見たい衝動に駆られるが、まだその機会ではないとクレマンティーヌは自分を抑え、不意に湧いた疑問をぶつけた。

 

「……ゴンベエちゃんって、出身どこ?」

 

 どう答えてくれるだろうか、下手に誤魔化せば追及してやろうと画策するがゴンベエは多少の間を開けて、返事をする。

 

「遠い場所さ……」

 

 そう言ってゴンベエは、中空を見つめた。普通は故郷を懐かしんで哀愁を漂わせるものだが、彼はどこか鬱憤としており、思い返すのも腹立たしいとばかりにため息をついている。

 

 その何処か霊妙な仕草に、クレマンティーヌは惹かれた。

 

 なぜ、これほどの男が字を読めないのだろう。剣に生き、他を疎かにしてきた弊害なのか。彼女には何となくその答えが分かっていた。だが心にも思わず、それを口にもしない。思ったところでどうなる、言ったところでどうなるという。それは、ゴンベエの正体に繋がる重大な答えであった。ただ一つ言える事は、自分は神を信じていない。

 

 これは触れてはいけない話題だったと勘付き、クレマンティーヌはバツが悪そうに串に刺した肉に噛り付く。その姿を咎めるように、ブレインが睨んでいた。今までブレインでさえ、触れずにいた話題である。それを新参者が遠慮もなく踏み込むなど、見逃せるものではない。クレマンティーヌは横目でブレインを睨み返すがゴンベエの手前、喧嘩をする訳にもいかないので二人は憤りを胸に留めた。

 

 腹を満たすのも程々に、陽が高くなってきている。そろそろ今晩泊まる宿を見付ける必要が出てきた。こういう時に役立つのはブレインであった。店主に近くで安く泊まれる宿を軽く訊き出し、一行は宿に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 幼子が寝静まる刻、ゴンベエは一人歩んでいた。

 

 せっかく王都に来たのだから、夜の街も味わってみなければ損だ。そう考えると行動は早い、小金を懐に入れて宿を飛び出すともう見知らぬ通りに来ている。さて何処を行こうか、悩む真似をするが足は勝手に動き出していた。

 

 薄暗い路地を曲がると狭い通りの両壁に肌を露出した女が数人凭れ、白粉の匂いを漂わせてこちらを誘惑していた。客引きに精を出す娼婦たちである。この時間に居るということは、まだパトロンとなる男を捕まえられていないのだろう。ゴンベエはその中央を通ることを躊躇したが、足がその先に向かおうとするのを止められず、忽ちに取り囲まれてしまった。

 

「寂しい私を買ってくれないかしら?」

 

 袖を引いてきた女が、甘い吐息を混じらせながら囁いた。ゴンベエは軽い情欲を憶えたが、懐の金は女を買うほど余裕はない。それにこの金はブレインが懐寂しい己に恵んでくれた大事な物である、女を買う事に使うなど恥ずかしくて出来たものではない。

 

「今夜は酒場で軽く一杯引っ掛けようと思ってな、お主らを相手するのはまた今度にしてくれ」

 

 断られるや娼婦は舌を打ち鳴らし、また壁に戻っていった。次の獲物を待つのだろう、ゴンベエはそのプロ根性に感心して、女たちの痛い視線を通り抜けてその場をそそくさと去った。

 少し離れた場所に立っていた男が怪訝な眼でゴンベエを見ていた。形相悪い男は、娼婦たちのボディーガードであろうか。彼女たちは個人でやっているのではなく、きちんとした経営体制の下でその身を売っているらしい。

 その男の横を通り過ぎた。彼は地面に唾を吐き捨て、興味を失ったようにゴンベエから視線を外した。

 

 ゴンベエはきな臭さに鼻を塞ぎながら、足の行くままに任せた。このまま何処まで進むのか自分でも分からないが、何か誘われているような気がした。

 

 行き付いた先はこれといった何の変哲もない裏通りであるが、一軒の小さな酒場が建っていた。扉の傍にぶら下がっていた吊り看板の文字は読めなかったが、何となく今までの経験と描かれているグラスの絵で判断した。店は隠れ家的場所に建てられており、長くこの町に住んでいる者でさえここに店があると知っている者は少ないであろう。

 

 気が付けば、黒鉄の扉を押し開けていた。

 

 中は狭い。六人掛けの長机とカウンターに五席、店内に客は一人しか居なかった。シックな装飾品が目に付く場所に置かれており、酒場というよりはバーといった印象を受ける。カウンターの内側に立っていた渋い面の店主が、会釈してゴンベエの来店を迎えてくれた。

 

 特殊な雰囲気の店である。こんな所で気持ち良く呑めるのか疑問であったが、これも一興と納得して店内を見渡した。さて何処に座るか、無難にカウンターだろうかと悩むが、見知らぬ者と飲んでみたい。そう思うと、ゴンベエは長机の奥で静かに呑んでいた客の対面に腰掛けた。

 

 その者は巌の如き男であった。肩などは山のように盛り上がっている。頭はつるりと剃髪して僧の印象を受けるが猛禽の様な鋭い眼差しが、ゴンベエを睨みつけていた。顔や晒した肌などには入れ墨が彫られており、他人に良い印象を与えない男であったが怖気づくことも無く、店主に彼と同じ酒をくれと注文した。

 

 

 

 八本指警備部門の長にして、警部部門最強の六人を呼称する六腕。その筆頭である『闘鬼』ゼロは、眼の前に来た怪しげな男を睨んだ。もちろん、ゴンベエの事である。

 

 なんだこいつは、と心の中で憤怒していた。この街で、気を休めて酒を飲める時間は彼にとっては貴重な一時だ。自らが腕を振るう機会はめっきりと減ったが、部下たちの管理や施設の警備状態、要人警護などの確認作業も多々あり、意外に忙しく働いている。

 

 見ない顔であった。平たい顔に、長い黒髪を高く結っている。一枚布で身体を包んだ服装は珍しく、腰に帯びていた刀を机に立て掛けた。その様相は簡単に忘れられるものではない。流れの傭兵がたまたま立ち寄っただけだろうが、そんな事は関係ない。この一時を邪魔する者は誰であろうと許すつもりは無かった。

 

 ゼロは、ゴンベエに聞こえるように鼻を鳴らす。

 

「ふんっ………」

 

 ゴンベエは、この男に対する対応を間違ったことと喧嘩を売られたのを理解した。殺伐とした男は血の気が多く、ゴンベエの軽率な行動は彼の怒りを買ったらしい。

 

「帰れ、ここは貴様のような奴が来る場所ではない」

 

 低く、凄みのある声。己の力に絶対的な自信を持つ者の威厳があった。

 

「ちょっと待ってくれ、これを味わってから出ていくよ」

 

 注文した酒が届くと、それを口元に持っていった。何とも美味しそうに喉を鳴らして飲み込む、その様子をゼロは静かに眺めていた。

 

「美味いな」

 

 開口するやそう言った。

 

「ふざけた野郎だ……」

 

「良く言われるよ」

 

「お前は………アホなのか?」

 

「そういうお前は、訳もなく人に喧嘩を売るのか?」

 

 ただならぬ雰囲気を感じ取ってか、店主がカウンターの奥に身を隠した。

 

 ゼロは握っていた杯を置き、静かに手を握りしめると拳は一回り大きく膨らむ。指などには細かな傷が多く、素人目でも大勢の人間を殴ってきたと読めるものであった。腕など丸太のように太く、首は樹幹のように肉厚だ。纏う空気は常人のそれではない。隠しようもない毒気は、ゴンベエが今まで会った誰よりも暴力的であり、巨岩の如く存在感があった。

 

 すると、ゴンベエの口元がにこりと綻んだ。喧嘩の相手としてこれほど良い相手は、そうそう出会えないだろう。王都に来て早速こんな男と喧嘩が出来るなど、上等過ぎて堪らなくなっていた。どうやら今夜は自分も好戦的なようだと理解した。王都のきな臭さが、男の血を滾らせるのだ。

 

 まるで他人事のように、ゴンベエは酒をもう一口服した。

 

 中々の度胸であると、ゼロは感心した。臆している様子は一切ない。着流しから垣間見える胸は山脈のように盛り上がり、厚みがある。なるほど鍛えていた。こういった場は慣れているのか、よっぽど鈍感なのか。いずれにしても、余裕綽々とした態度は気に入らない。

 

「まあ、落ち着けよ」

 

 ゴンベエはそう言うが、ゼロの憤りはそう易々と沈められるものではなかった。

 

「文句があるのなら、これでどうだ?」

 

 ゴンベエは机に肘を立て、右手を伸ばしてみせた。力比べをしようと言うのだ。良い度胸であるが、注視してみた。佩刀していた時は、刀を左腰に下げていた。つまり利き手は右、ゴンベエが差し出している手も右である。刀も右側に立て掛けており、素早く手を動かせば抜けなくはないだろう。

 

 ならば、とゼロは手を握った。手を封じてしまえば刀は扱えない、修行僧(モンク)であるゼロは左手一本でも戦える。この近距離で手を取って動けなくしている状況では、攻撃を避ける事もままならないだろうと考え、その誘いに乗ってみせた。

 

「ッ!?」

 

 握った途端に驚嘆し、全てを理解した。

 

 ゼロは己が最強であると自負している。かのガゼフ・ストロノーフにも勝てる自信が彼にはあった。それ故に、相手の手を握りさえすれば、その力量が測れてしまう。手から伝わってくるモノは、力の集合からなる物質そのものであった。

 

 だが、ここで退く訳にはいかない。自らが強者であるため、そして強き相手と腕を試すのはゼロとしては願ってもない事である。しかし恨むべくは、両者には圧倒的な差があった為に、ゴンベエには手加減する余裕が出来てしまった。

 

 ゼロは投げ飛ばす勢いで力を込めるが、ゴンベエが軽く力むだけでビクともしなくなる。ゼロは力を緩めた。これ以上すると、自分の腕が折れてしまうと確信したからだ。冷汗が止まらなくなり、腰が僅かに浮いた。

 すかさず、ゴンベエが腕を引く。ゼロの巨体が浮き上がり、あっと気付いた頃には空中で一回転して床に叩き付けられ、天上を仰いでいた。

 

 たかが腕相撲、されど腕相撲。単純な力のぶつけ合いでこれ以上に相手の力を探る術は無い。

 

(この俺が………)

 

 最強を誇る彼であったが、その上を往く者と出会えたことに驚きと歓喜と悲嘆の念が胸に渦巻き、軽い混乱状態に陥った。自らが最強を誇るには、ゴンベエを殺さねばならないが、判ってしまった。力の差が、天と地ほどに開き過ぎている。

 

 場末の酒場は静寂に包まれた。店主がカウンターの下から、頭だけを覗かせて様子を窺っていた。この空気を支配しているのは、突然現れた無頼漢である。

 

 ゼロは、まず身体を起こそうとした。彼に押しつぶされた椅子の破片が辺りに散乱していたが気にもせずに立ち上がると、机の下に手を入れた。そのまま起き上がる要領で机を持ち上げ、同時にゴンベエの刀を器用に引っ掛けて真横に放り投げた。けたたましく砕け、欠片が宙を舞い、刀が向こうに飛んでゆく。

 

 怯むことなく、丸めた拳をゴンベエの腹に叩き込む。ゴンベエは腹筋を固めて座ったまま耐えてみせると、次はこちらの番だといわんばかりに拳を唸らせた。

 

 ゼロの巨躯が中空に跳ね、壁に叩き付けられた。気を失いかけたが、丈夫な肉体と手加減されたらしく何とか堪えてみせ、起き上がると構えを取って闘気を剥き出しにする。殴り飛ばした張本人は、不動と椅子から動いてはいない。

 構えた拳が、力なく垂れ下がった。それは裏世界最強を誇る『闘鬼』の戦いではまるでなかった。

 

 

 

 

 ゼロは痛飲した。己の身に起きた幸と不幸を飲み込むように、彼は久しぶりに酒を呷るように呑んだ。呪文印(スベルタトゥー)を使用していないので全力と言えば嘘になるが、それでも己の拳を座ったまま腹で受け止めてみせ、椅子から転げ落ちもせず、何食わぬ顔で殴り返してこの身を吹き飛ばしてみせたのだ。自分の知らない強敵が、まだ世に居たことが信じられない。裏世界最強と称しても、それは所詮小さな世界だけの事であった。受け入れ難く、それを認めてしまえば今までの自信が呆気なく砕け散る気がしてならない。だからこそ、彼は呑んだ。幸いにも、ここは酒場だ。酒はある。

 

 ゴンベエはそれに黙って付き合った。ゼロの心中は察していない。ただ、良く酒を呑む奴だなと絶賛した。黙々と呑んでいるだけであったが、ゴンベエが話しかけてやるとゼロは静かに、だが熱を持って喋り出した。

 

「お前は何者なんだ。この俺に勝てる奴などそうそう居ない」

 

「観光に来た旅人よ」

 

 酒の手を止め、ぽかんとゼロは口を開けた。巌の如き男がする表情ではない、まるで似合っていなかった。

 

「観光だと………」

 

 絶句とゼロは肩を落とし、拳を震わせた。純粋な怒りであった。ゼロは六腕最強の男であり、彼を仕留めさえすれば八本指の戦力は大きく低下する。ゴンベエの狙いがそれで何処かの貴族が放った刺客だと考えていたが、本人から出た言葉は『観光』であった。もちろん、信じはしなかった。

 だが、こんな事は嘘であってほしいと願う。最強を自負する自分が、観光客を名乗る男に敗れたなど、例え天地がひっくり返ろうとも信じたくない。

 

(驕りが祟ったか……)

 

 酔わねばならない、酔わねば正気を保てない。ゼロは大酒を胃に押し込もうと暇もなく呑み続けた。

 

「おお、今度は呑み比べか!」

 

 腕も度胸も酒量も並外れていた。にやにや笑いながら肴をつまみ、酒を食らう。強い男は何をやらせても強いのである。ゼロから見ても気持ちの良い呑みっぷりであった。

 

「おい」

 

「謝らぬぞ、先に殴ったのはお主だからな」

 

「そんな事はどうでもいい。なぜ殺さなかった」

 

「……武人ならば、喧嘩ごときで死ぬこともないだろう」

 

 白い歯を見せてそう言った。美男子とは言えないが、品があり、優しさがあり、何よりも人を惹きつける笑みであった。

 ゼロは複雑な思いでゴンベエを見据えた。彼は照れているように見えるが、微笑を保っている。

 

「名はなんだ?」

 

 気が付けば、ゼロはそう尋ねていた。

 

「権兵衛。名無しの権兵衛と申す」

 

 丁重にゴンベエは名乗った。

 己が打ち負かした相手に対する礼儀の込もった言葉を受けて、ゼロは杯に酒を献じようと立ち上がった。そこには男が男に対する誠意があった。拳をぶつけ合った出会いであっても、相手の素性など何一つ知らなくても、男とは酒と拳を交えれば分かり合えるものである。荒れたゼロの心に、涼風が吹き抜けた気さえした。

 

(ゴンベエ…か。久しぶりに本物の強者(つわもの)に会えた)

 

 みるみる酔っていくのを感じた。ゴンベエは相変わらず温かく笑っていたが、懐に手を突っ込むと顔色が青く変わっていく。どうやら手持ちが少なくて、呑んだ分を払えないらしい。

 

(こいつは碌な死に方をしないな………)

 

 禿げ頭は苦く笑った。




書きたい物と、書き上がった物が余りにもかけ離れていて何度も書き直しましたが、もうこれでいいかと妥協。ぱぱっと書いて気楽にやらねば、書き続けられませんからね。


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新たな日常

 ブレインは刀を腰に帯びると、その場で瞳を閉じ、瞑想する。左手を鍔元に置き、軽く膝を曲げて腰を落とし、右足を一歩前に出す動作を行うと武技〈領域〉を発動した。空気が僅かに流れていたのを感じた。足元では小さな物体が数匹動いている、蟻だろうか。半径3メートル、この狭い宇宙の内でなら万象が手に取れて知れる。そして、静かに瞼を開けた。

 刹那、右手が刀の柄に掛かり抜かれたかと思ったら、既に鞘の内に戻っていた。目に見えぬ速さ、並の者では抜いた事にも気付かないであろうが、ブレインは納得していない様子であった。もう一度腰を落とし、抜刀すると今度は上段に構えた。これも見事な速さであったがそれでも満足してはいなかった。

 

 ブレインは、エ・ランテルの貧民街での出来事を思い出す。ゴンベエがクレマンティーヌを脅そうと抜いたあの場面、その秒にも満たない一瞬の出来事を何度も頭の中で繰り返した。あれに比べれば、自分の抜刀など遅すぎて欠伸が出てしまう。瞬刻の速さのその上、神速に達したと思っていたが、まざまざと見せつけられ、思い知らされた。自分などまだまだと。

 ブレインはもう一度、瞳を瞑ると〈領域〉の内に身を置いた。集中力を高める、今まで限界と考えていたその上に昇ろうと深い瞑想に入った。自ずと腰が落ちる、身体に染み付いた自然とした動作は、自分で動いたとさえ認識しない。

 すると悠久の時を感じてくる。永遠がこの一瞬にあたり、一瞬が永遠に続くような感覚を行ったり来たりして、神経が研ぎ澄まされていく。瞼を開けると右手を柄に掛け、今度はゆっくりと抜いた。ゆっくり過ぎて手が震え、鞘の内を何度も叩いてしまう。ほんの少しの間だったが、一つの季節が過ぎたかの如く、長く感じた。

 

 今度は、正眼に構えると幾度か振ってみる。速すぎず遅すぎず。刃が空を斬り、滑らかな体捌きで数歩移動した。何気ない動きであったが、そこには想像もつかない大きな世界が生まれている。それをクレマンティーヌは、ぼっーと眺めていた。ブレインが体を動かしている空き地は宿の隣にある。宿の主人が洗濯物の干し場所や、脚の折れた椅子などの要らない荷物の置き場所として使用されていた。クレマンティーヌは二階の窓から、ブレインの事を暇つぶしに眺めていたのだった。

 

 こんな朝早くからよくやるな。鍛錬が大事なのは分かるがこうも早くからする必要も無いだろう、とクレマンティーヌが思った。

 

「まだ神様だって寝てるよ」

 

 そう呟いて部屋の方を振り返る。室内は安宿だけあって狭く、ベッドと小さな机だけが置かれていた。そのベッドの上では、もろ肌脱いだ男がいびきを立てている。そこに居るのは神様などではない、ゴンベエであった。解いた髪の毛がシーツの上で波のようにうねり、ゴンベエはその上で揺られるようにぐっすりと眠っている。酒の香りがまだほのかに漂っていた。

 

 気配に気付いたのだろう、ブレインが二階のクレマンティーヌに声をかけた。

 

「おい、そこは旦那の部屋だろ。何をしている」

 

「起こしに来ただけだよ~」

 

 クレマンティーヌは窓枠から顔を出して答えた。とても信じられたものではない。

 

「嘘つけ、何かしたらタダじゃおかねえぞ」

 

 と、言いつつもブレインはそれほど心配してはいない。戦ったからこそ分かるが、クレマンティーヌの腕では万に一つも勝てはしないだろうと読んでいた。彼女の願望は正しく無謀なのだ。

 

「はいは~い、と……」

 

 ブレインの喚き声もこうなると慣れてきたものであった。何事も無かったかのように振る舞いゴンベエの方を見ると、まだ気持ちよさそうに寝ていた。まるで寝首をかいて下さいと申しているようではないか。ならば望みを叶えてやろうとばかりに、クレマンティーヌはベッドの淵に膝を乗せて寝顔を覗いた。

 

(こんな男が、ほんとにぷれいやー?)

 

 六大神や八欲王といった過去にプレイヤーと確認されている者は、神や大罰者として歴史に名を残していた。神は人類を救済し、大罰者は世の理を乱し、大乱の傷跡は未だ各所に見られる。そんな者達と、眼の前で眠りこけている男が同一の存在だとは思えなかった。だが、一度剣を抜けばあの大立ち回りである。

 おまけに、この宿の代金を払っているのはこの男ではなく、ブレインだということ。さらにその金の出所は、戦利品として得たスティレットを売ったものらしい。つまり、巡り巡って彼らの宿代を払っているのはクレマンティーヌ自身だということに気が付いた。

 

 ―――とんだろくでなしの神も居たものだ。人に金を集るなど、乞食のやり方ではないか。

 

 もう十分に寝顔を見られたのでベッドから降りようとして身体を回すと、足が何かを引っ掛けてしまった。

 

「あら?」

 

 ゆくりなく立て掛けていた刀を引っ掛け倒してしまったらしい。倒れたくらいで傷が付いたりはしないと思うが、ゴンベエが愛用している得物だ。まずいと思ったが、無造作にそんな物を置いている方も悪いと開き直る。クレマンティーヌは、やれやれと悪態つきながら落ちている刀を拾ってやった。

 

「スゴ……」

 

 鞘の内に収まっていようと、見事な一振りと持っただけで理解できた。鞘から鍔、柄まで黒一色である。鞘は独特のてかりを見せており、まるで今日昨日に色を付けられたかのように目新しく見えた。鞘だけ新しく作られたのだろうか、そう考えてしまうほど長年の劣化というものが無い。鍔は金縁に四つ葉を模ったもので、これといって模様は彫られていない。外見でいうなら、ブレインの持つ神刀の方が無骨なカッコよさがあるが、こちらは洗練されたという印象を受ける。それに荒々しいゴンベエが持っていると思えば、より深みが醸し出されて見えた。

 恍惚としていると、不意に悪い考えが頭に過る。これで寝込みを襲えば、ゴンベエの首を取れるのではないだろうか。クレマンティーヌはもう一度彼の方を振り向いて相手を確認すると、相変わらず気持ち良く眠っている姿があった。暫く起きてくる様子はない。

 ぬるりと白刃が鞘から顔を出した。外見とは対照的に刀身が眩しく、刀文が水のように波打っている。そして、特徴的なのが付け根の部分から露が染み出していること。まるで、クレマンティーヌの殺意に呼応するかのように迸っていた。

 

 もう冗談では済まなくなっている。いつの間にか、頭上に振りかぶっていた。

 

「冷たっ!?」

 

 今まさに振り下ろさんと柄を握っていた手が、凍えた。何事かと目を向けてみると、溢れる露が指に零れているらしい。何て扱い難い剣だ。使用者にダメージを与えてくるなど酷い欠点である、とクレマンティーヌがただの刀に憤慨していたその刹那だった。ゴンベエの手が、凄絶に振り抜かれたのである。クレマンティーヌが見たのは、眉間目掛けて迫りくる軌跡だけだったろう。それ程までに凄まじい突きであった。

 ピタリと拳が眉間の前で止まった。ゴンベエは依然寝たままである、感覚だけで寸止めしたのだ。もう少し伸びていれば、クレマンティーヌの額はかち割れていた事だろう。彼女はあまりの出来事に戦慄したまま、立ち尽くして膝を小さく震わせていた。

 

 ゴンベエがゆっくりと起き上がった。伸ばした腕を引っ込めるとそれで目を擦り、仏頂面でじろりとクレマンティーヌを見てから、ようやく事態に気付いたらしい。クレマンティーヌの頭上には抜かれた刀、それも自分のであった。

 

「何だお前か、人の部屋で何をしているんだ」

 

 どうやらゴンベエは殺気を感じ取り、反射的に殴ろうとしたらしい。クレマンティーヌの企ては、やはり恐ろしい男だと再確認するだけに終わった。

 

「怪我はしていないか? 朝早いのに元気な奴だな、お前は」

 

 自分を殺そうとした刺客の心配をしてから、陽気に笑ってみせた。男にしてみれば、寝込みを女に襲われるのは遊びであり、命のやり取りなど存在していない。

 そんな顔をされれば、襲い掛かる気が静まり返ってしまった。クレマンティーヌは刀を鞘に収めると、ゴンベエに差し出した。彼は素直に受け取り、それをまじまじと見詰める。

 

「まだ遊びたいのなら、貸しておいてやってもよいぞ」

 

 突然そう言われたので、クレマンティーヌは少し遅れて反応した。

 

「……本気で言ってる?」

 

 鬼に金棒、虎に翼。こんな物を彼女が持てば、切れ味を試そうとして血を見るのは明らかである。ゴンベエは顎に手を当てて、やはりと考えを改めた。

 

「やっぱダメだな。ブレインにどやされてしまう」

 

「な~んだぁ、期待して損した」

 

「そんな事より、俺はまだ眠りたい。遊びたいのなら、部屋から出ていってはくれんか?」

 

「えぇー、起きてどこかに出かけない? ひまぁ~」

 

「ブレインに構ってもらえよ」

 

「ブレインちゃんは私のこと嫌ってるから遊んでくれな~い」

 

「そんな事はなかろう、あいつは立派な戦士だよ。お前の事は認めていると思うがね」

 

「えぇ、一応殺し合った仲だよ?」

 

「それなら俺とお前もそうだろう。奇妙な縁と申したのはお前ではないか、もう忘れたか? それにブレインは強い奴を好く気がある」

 

「なんかそういうの、すっごく気持ち悪い」

 

 突如として部屋の扉が開かれ、二人の意識がそちらに向いた。額に流れた汗を拭いながら、ブレインが入ってきたのだ。

 

「旦那、変な事されていないか?」

 

 入ってくなり、呑気にそう言った。

 

「おはよう、ブレイン。朝の鍛錬か?」

 

「ああ、いつ何があるか分からないからな。身体が鈍るとろくに剣も振れなくなる」

 

 そう言っているブレインの視線は、クレマンティーヌを向いている。冷汗をかいていたので、恐らく何か仕掛けたのだろうと察していた。とりあえず、懲りるまでは放置しておこうと決めた。ゴンベエには勝てないだろうと、自分で分からせるのが一番の方法だ。

 

「旦那もたまには身体を動かしたらどうだ?」

 

「そうだな」

 

 と、言ってもゴンベエはレベル100のカンストプレイヤーである。これ以上の成長は見込めないが、運動不足になってしまうのは確かに不摂生だとは思うが、

 

「いや、もう少し寝よう」

 

 眠くてしょうがない。そう素っ気無く言うなり、ゴンベエはベッドに寝転んでしまった。残された二人は互いに目配せし、ブレインが顎をクイッと上げた。外に出ろ、であろう。対してクレマンティーヌは、目を瞑りながら首を左右に振ってみせた。

 

 そこからはブレインがクレマンティーヌの手足を取り、癇癪を起した子供を引き摺るようにして部屋から退出していった。

 

 

 

 

 

 

 

 宿屋の一階は酒場になっている。二階が主な客室となっており、一階のと合わせて十も無い。ここの経営者は背が低く人懐っこい顔した男で、仕立ての悪そうな服に古い前掛け結んだ姿は、どこかうだつの上がらない男に見えた。今も酒場のテーブルを拭いているがのろのろと遅く、全て拭き終わるのに一日掛かりそうである。

 

 クレマンティーヌは、乱雑に並べられた机の一つに突っ伏し、退屈に喘いでいた。酒場の惨状は、彼女の心情と主人のいい加減さを良く表していた。

 誰も彼女の相手をしてくれない。唯一構ってくれそうな相手が寝ているのだ。本来は殺伐とした世界で生きてきた身である彼女には、こういった平穏な日々は耐え難いものでしかない。ブレインはクレマンティーヌを席に座らせるなり、また身体を動かしに戻って行った。自分も習って運動でもしようかと思うが、そんな気分じゃない。

 

 うだうだしていても仕様がない。クレマンティーヌは立ち上がると宿の外に飛び出た。路地だけあって朝日が入ってこないが、空を見上げると眩しいくらいに青かった。

 正面口の前で左右を見てみる。右の路地は通りに通じており、左はもっと奥に行けるが、行ったところで碌なことはないであろう。楽しいことでも探しに行こうか、とクレマンティーヌが通りに出ようと歩を進めた。ちょうど路地に小さな影が見えた。エプロンを巻いた人形のような少女であった。小さな両手に力を込め、水に揺れる大きな桶を運んでは休んで、また運んでは休んでを繰り返している最中だった。

 つい癖で、辺りに誰の目も無い事を確認すると、クレマンティーヌはにんまりと笑う。笑顔を保ったまま、少女に近付き声をかけた。

 

「お嬢ちゃん偉いねぇ~。親のお手伝い?」

 

 ガラス玉を思わせる大きな瞳は、突然話しかけてきた女に対して警戒の色を見せていたが、か細い首を折ってうんと頷いた。

 

「そお、大変だね。いくつなの?」

 

 少女は掌を差し出して、見慣れない女に小枝のような指を目一杯に広げてみせた。

 

「五つかー。そんなに小さいのに水運びなんて頑張るねぇ。家はどこなの?」

 

 すると少女はクレマンティーヌが出てきた宿を指差した。なるほど、そこの娘だったらしい。

 

「うーん、ちょっと貸して」

 

 クレマンティーヌは少女の桶に手を伸ばすと、片手でひょいと持ち上げた。手ぶらになった少女は、引っくり返りそうになるまで反って、丸い顔を上向けていた。不思議なものを見る目と、子供らしい遠慮のなさで、口をぽかんと開けてクレマンティーヌの顔を眺め回していた。

 

「どうしたの? 帰らないの?」

 

「お姉さん。お名前は? お父さんが知らない人に付いて行くなって」

 

「私の名前? クレマンティーヌ、お嬢ちゃんの宿に泊まってるお客様だよ」

 

「そうなの。ありがとうお姉さん、これでもう知らない人じゃない」

 

「………」

 

 無垢な子だ。自分も昔はこんな頃があっただろうかと記憶を頼りに思い返すが、覚えているのも苦痛という記憶しか出てこなかった。育ってきた環境が違い過ぎる。争いとは縁もなさそうな男に育てられた子で、このままクレマンティーヌが言葉巧みに路地裏まで連れて行こうと思えば連れていけるだろう。

 はっとして、クレマンティーヌは頭を振った。暫くそういった事は自重しなくてはならない。

 

 宿に入るとすぐに酒場である。少女はクレマンティーヌに再度礼を言ってここで待っていて欲しいと伝えると、運んでもらった水桶を手に奥へと消えた。酒場には鍛錬を切り上げたブレインが一人、失った水分を補給しつつ刀の点検を行っている。クレマンティーヌはその傍に座ると、机に置かれていた水を取り上げて一気に飲み干してしまった。

 

「俺の――」

 

 ブレインの言葉は彼女には聞こえていない。空になったグラスを置くと、天井を仰ぐように椅子を傾ける。もう何を言っても無駄だと悟り、ブレインは刀の手入れに戻った。

 二人の間に会話など存在しなかった。彼らはゴンベエを慕ってここにいる、きっかけは似たようなものだが目的は別であったので、仲良くしようとは思っていない。ブレインにしてみれば、尊敬する人を狙う刺客が懐に潜り込んできているのだ。仲良くしろなど言う方が無理であろう。

 暫くすると、奥の方から少女がとてとて駆けてきた。まだ短い脚ではこちら来るのでもやっといった感じであったが、それが二人の目には微笑ましく映る。少女は皿に乗ったサンドイッチをクレマンティーヌの前に置くと、八重歯を見せて笑った。

 

「これお礼に」

 

「あ、ありがとう」

 

 そういえば朝から何も食べていない。ここは少女の厚意に甘えようと手に持って噛り付いた。中の具は至ってシンプルである、野菜や肉など少し小さく口内でパンが余ってしまうがマズイという訳ではなかったので、ペロリと平らげた。

 

「ごちそうさま」

 

 クレマンティーヌがそう言うと、少女は満面の笑みで空になった皿を手にまた奥へと消えていった。

 

「どういう風の吹き回しだ?」

 

 刀を鞘にしまいつつ、ブレインはそう訊いた。

 

「何のこと?」

 

「人助けをするような女だとは思わなかったな」

 

 残忍で冷酷、人を殺すのが大好きな女。それが少女の仕事を手伝うなど意外であった。

 

「ただの気紛れ」

 

「ほお、そうか。それはそれで良い事だな」

 

「ふーん………」

 

 暫しの沈黙。クレマンティーヌは椅子を傾け天井を見上げていた。そして、隣に座る男に意識を向けた。

 ブレイン・アングラウス。王国最強のガゼフ・ストロノーフに並ぶ実力を持つ武人。かつて二人は壮絶に戦い、ブレインは敗れ姿を眩ましたと聞いた。それがなぜゴンベエと行動を共にしているのだろう。よくよく考えてみれば違和感があったので、思い切ってブレインに尋ねてみる。

 

「そういやさぁ、ブレインちゃんって何でゴンベエちゃんと一緒にいるの?」

 

「唐突だな」

 

「今思い付いたからね」

 

 予想は付いていた。おそらくは勝負に負けたからであろうが、ブレインはガゼフに敗れてから姿を眩ませたその間、武者修行として野盗に身を落として人を斬り続けていたという。その理屈でいえば、今回も人斬りを続ける筈だ。

 

「そうだな……簡単に言うなら惚れたのさ」

 

「ええ………」

 

 クレマンティーヌの顔から血の気が引いた。この世に存在してはならないものを見るかの目付きに変わる。

 

「ブレインちゃんってそっちなの?」

 

「おい、変な誤解をしているみたいだが俺は普通に女が好きだぞ」

 

「ええ、惚れたんじゃないのぉ?」

 

「まあ、女には分からんか」

 

 あの日の戦いは昨日のように思い出せた。ガゼフに敗れたという前例があったからこそ、気をしっかりと保てたのだろう。あの芯を衝くかのような剣先、飛燕の如き身のこなし。どれも求めていた武そのものに、憧れてしまった。

 

「ん~………」

 

 正直に申すのなら、分からなくはなかった。クレマンティーヌは墓場での出来事を思い返した。あの時、胸の内側から沸き上がった炎のように熱い何か。過去、幾度となく戦ってきたがあれほどまでに気持ちが昂ったことなど無かった。間違いなく原因はゴンベエであろう。あの男は、不思議と戦士の血を昂らせる能力、存在感があったのだ。ブレインと戦っている最中でも、彼の後方で剣を振るう姿を見ただけで身が焦げる思いであった。スティレットを突けば心臓が鼓動を強め、ブレインに勝とうかという瞬間は歓喜に震えてしまいそうになった。光を齎した姿の神々しさには、心惹かれてしまった。

 

 彼に怯えて震えた夜も、最終的には戦うことを選択したのは今にして思えば何故だろうか。兄や両親を見返してやる為、それもあるだろうが最終的に踏み出したのは自分の意思であった。あの男と全力で戦ってみたい、あの男を殺せるのなら自分の手で殺してみたい。だからブレインに阻まれた時には、腹の底から怒りが湧いた。

 

(そうかこれか……)

 

 ある意味で惚れたというのは、こういう事なのか。クレマンティーヌは二人の語った戦士としての真理、強き相手を気に入り惚れる仕組みが理解できた。今まで自分より強い者には敵愾心しか湧かなかったが、散々に打ちのめされ、彼と関わり、焚火を囲って何気ない話をして、その人柄に触れた。

 彼を殺したいのは今でも本当だ。どう殺そうか考えただけで心が沸き上がる。だが、共に旅をしてみたいのも本心であった。あの男に付いて行けば、きっと味わったことの無い体験を得られるだろうと想像してしまう。

 

「どうした?」

 

 ブレインの問い掛けに、クレマンティーヌは自分の顔が強張っていることに気が付いた。口元など、裂けたように笑っている。

 

「変なこと考えてないか?」

 

「いんやぁ、とても楽しいことだよー」

 

「本当かよ」

 

「例えば、ゴンベエちゃんをどうやって殺すかーとか」

 

「ほお……」

 

 クレマンティーヌがこう言うものならきつい目で睨んでくるものだが、今日のブレインはどこか落ち着き払っていた。

 

「まあ、分からなくもないな。俺もいつかは再戦を挑みたいもんさ」

 

「へぇー……」

 

 ブレインもまた腹に一物抱えていた戦士であった。考えてみればそうである、彼はその強さに惚れこみ付いてきた質だ。腕を磨き、いつかもう一度剣を交えてみようと考えるのは必然といえた。

 

 つくづくろくでもない男だな、とクレマンティーヌは思った。自分でもいうのもなんだが、周りに物騒な者が多い。そんな者達に好かれるなど命がいくつあっても足りないのではないだろうか。

 

「そろそろ旦那が起きてくるだろうな」

 

「分かるの?」

 

「慣れたもんさ。その内降りてくるなり―――」

 

 天井がドタドタと音を立て揺れた。客は三人以外泊まっていない、間違いないだろう。

 

「二人共、散歩か釣りにゆかぬか?」

 

 階段の踊り場からゴンベエが顔を覗かせた。顔も洗い、髪形も整えて外出の準備をばっちりと整えていた。クレマンティーヌは驚いて椅子と共に後ろに倒れそうになったが足でバランスを取り、絶妙な釣り合いで制止したまま感心するように、ブレインを見た。

 

 彼は肩を竦めて、手のひらを上に向けていた。その境地に至った姿は、どこか未来の自分を見ているような気がしてならなかった。



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酒と共に語れ

 風が匂った。雨雲の匂いを運んでくるらしい。空を見上げてみれば、黒雲が王都リ・エスティーゼに覆いかぶさっていた。王国戦士長ガゼフ・ストロノーフは外套を持って、城へと向かうことにした。

 

(帰る頃には降りだすだろうな)

 

 今にも鼻先に降ってきそうな様子であった。降るのなら、いっそ今すぐにでも降ってもらえれば、考え事が一つ減る。帰りに濡れるより、行きも帰りも濡れた方がいっそ心持ちが軽くなる気がした。もしも土砂降りになるのなら、城の詰め所にでも泊まろうかと思うが天にごねてもどうにもならない。諦めたように、ガゼフが自宅を出たのはまだ雨の降り始めない朝方の事であった。

 

 

 

 城での職務を終えれば、土砂降りとまではいかないが小雨が降っていた。王城内で待っていても、雨脚は強くなるばかりだろう。

 仕方がないとガゼフは外套を着込み、フードを目深に被ると雨の中に踏み込んだ。雨は瞬く間に彼を包み込み、外套を濡らしていく。ガゼフは、この外套の濡れた何ともいえない感触が嫌いであった。気持ちが悪くて堪らない。自然と彼の歩調は速まり、王都中央通りを通り過ぎていく。普段は猥雑極まる場所であるが、雨のせいか人通りが少ない。濡れて滑りやすくなった路面で、同じ様な外套を纏った男が派手に転んだのが目に付いた。

 

(俺も気を付けねば)

 

 そんな光景を見たからか、多少の気色悪さは我慢して歩調を落として、おっちょこちょいの二の舞にならないように黙々と歩いた。やがて自宅が近くなり、やっと濡れた外套から解放されるかと、ほっと息をつくとの向こうから誰がゆっくりと向かって来ているのに気が付いた。背丈から男と判断する。目測十歩の距離まで近づいて初めてその人物に違和感を覚えるが声を掛けることもなく、お互いにすれ違った。

 

(おや?)

 

 フードから垣間見えた横顔に確かな見覚えがあった。とても親しき友人のようでもあるが全く気心知れない他人のようにも思える不思議な懐かしさを感じていると、相手も何か感じ入る事があったのだろう。両者は互いに足を止めると向き合い、顔を確認し合う。

 

 その面貌を見た瞬間、怒涛のごとくガゼフの記憶が蘇る。

 

 かつて御前試合にて戦った男、ブレイン・アングラウス本人であったのだ。その姿は彼の脳裏に深く刻まれていた。今まで戦ってきた戦士の中では最強の男であり、一方的な思い込みかもしれないが終生のライバルとさえ思っている相手だ。

 記憶でのブレインは燃え盛るような戦意を顔に表していたが、眼前の彼は雨に打たれているというのに何処か涼し気な表情をとっている。

 

(腕を上げたか)

 

 その面を見て剣を交えずとも分かった。この男は自分の想像を超える高みにまで昇っていることにガゼフは歓喜にも似た稀有な感情が込み上がって無性に戦いたくなったが、久しぶりに会っていきなりでは無粋だなと改め、彼の名を呼んでみることにした。

 

「アングラウス。ブレイン・アングラウスか?」

 

 もしもこのまま彼が嘯くというのならば、斬り掛かってでも確かめてやろうとさえ今この男は考えていたが、その耳に驚嘆の声が届いた。

 

「ガゼフ・ストロノーフ!?」

 

 これを単純な驚きと取るか出合いたくない人物に出会ってしまったと取るか。ガゼフの判断は分かれた。

 

(そこまで驚くことはないだろう……)

 

 確かに会うのは酷く久しぶりでこうして顔付き合わせてまともに会話をするのが初めてだとしても、ガゼフはブレインの事を一度たりとも忘れたことはない。訓練の際は相手をブレインと仮定して剣を振ったのはもはや数え切れない程であった。そんな彼に、そのような反応をされれば、心が傷付いてしまうではないか。

 

 だが、ブレインにしてみればガゼフとばったりと出会うことは雷に打たれる事よりも衝撃であったのは言うまでもない。会うことは覚悟していたが、こうもあっさりと誰かのお使いの帰りに出合うなど想像だにしなかった。

 

 大の男が二人、雨の中お互いの顔を見詰めている光景は何とも奇妙といえたことだろう。

 

「久しぶりだな、アングラウス。元気にしていたか?」

 

 ガゼフはブレインと会えて単純に嬉しかった。でなければこの様な口は利かないだろう。何年も会わず、縁も薄れてしまっても剣で語り合った仲はそう易々と失われないものだ。

 

 だが、ブレインの方は少し違った。会えて嬉しいのだが、いざ合ってみるとまだ戦う心構えが出来ていなかったのだ。その隙間を突かれた事で何と返事をすればよいのか咄嗟には分からなかった。当人を前にして当惑してしまうなど無性に情けなく思えてしまい、顔色が曇る。

 

「どうした、アングラウス? 体調でも悪いのか?」

 

 ブレインがなぜ顔曇らせるのか。戦意の火が灯るその瞳にはまるで似合っていない事にガゼフは疑問を浮かべる。

 

「すまん、ストロノーフ。俺はまだ………」

 

 問いの答えにはなっていなかったが、その声には確かな英気があった。

 

「………そうか」

 

 たった一言。それだけでガゼフはブレインの心情を理解すると、大きく頷いてみせた。

 

 精根尽き果てるあの激闘を忘れるはずがない。その敗北を引き摺って生きていたのだろう。その頭では自分を倒す事だけを考えて剣を振ってきたはずだ。勝者である自分でさえ、ブレインの影を求めた。もしも勝敗が逆で立場は変わっていたら、今の状況で自分はどのように行動をするだろう。どれほど考えても分かることはない。

 

「もう少しだけ待ってくれないか」

 

 ブレインの絞るような声。哀愁と激情が不安定に釣合った声色は、ガゼフの心に大きく揺さぶった。

 

「ああ、待っているぞ」

 

 その言葉を聞くとブレインは背を向けて走り去ってしまった。ガゼフは追い掛けたくなる背を、口惜しく歯を食いしばって見送った。胸が苦しくなった。ライバルと碌に話を交えることも剣を交えることもなく。ただ再戦を約束して別れる。あの戦いの熱がぶり返してきたようだ。余熱がまだ残っていたらしい。尋常ではない熱さに胸が張り裂けてしまいそうである。このままいつ来るか分からない相手を待ち続けることが、果たしてできるだろうか。

 

 逃げるようにその場を去ったブレインは、己を恥じた。あれほど倒すと誓った相手をいざ前にして逃げるなど、死ぬほど恥ずかしく目尻には涙さえ浮かべている。雨の冷たさなど感じる事も忘れ、猛る叫ぶ胸を抑えて何故逃げてしまったのか自問を何度も繰り返した。

 

 怖い訳など無い。自信が無い訳でもない。足りないのは何だ、覚悟か。はたまたやり忘れた事でもあるのか。

 

 鉛色の蒼穹が頭上で重苦しくかかっている。だが、ブレインの心はそれよりも暗く、重苦しかった。

 

「~~~ッッ!!」

 

 唸り咆えた。彼の高ぶりに応じたかのように雨脚は強まり、雨音でブレインの叫びなど誰の耳にも届かなかった。喉を唸らせながら見知った角を滑るようにして曲がり、泊まっている宿を見つけた。

 

 この心情を吐露する相手は一人しかいない。もしかしたら自分の事を腰抜けと罵倒するだろうか。ガゼフから逃亡する事より辛いことなど今のブレインにはない。今はただ吐き出して、気持ちを少しでも沈めたかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「雨が降っている」

 

 湿気で結った毛が栗のように尖っているゴンベエが窓の外を見ながらそう呟いた。その手には杯が握られている。薄い屋根に雨の音がして、歌をかなでているのを肴にこれを飲んでいた。

 

 対面の席では奇異の目でクレマンティーヌがゴンベエを見ていた。

 

「見れば分かるよ」

 

「この街の汚れも匂いも全て洗い流しているようだな」

 

「そう……」

 

 だからなんだ、とクレマンティーヌは喚きたくなった。

 今まで小一時間ほどこのポエミーな会話に付き合っていたせいで、彼女の心は乾いていた。無感情でいて冷酷、人間味を失ってしまった。つまり、ほぼいつものクレマンティーヌである。

 

「こういう美しさも分かってきたぞ」

 

「そりゃあ良かったね……」

 

「お前は雨は好かんか?」

 

「……嫌い」

 

「そうか……」

 

 少ない言葉を交わすと、ゴンベエは酒を一口だけ飲んだ。

 

 ゴンベエだって昔は雨が嫌いだった。だが、この世界で降る雨は物を溶かすこともない。それに気付いてから好きになるのは本当に直ぐのことだ。ただ濡れるだけの雨を、なぜこの女は嫌うのだろうかと思案に暮れていると、宿に飛び込むようにブレインが帰って来た。

 

 二人は、すわ何事かと目を見張った。

 

 ブレインが肩を上下させ、顔を伏せているとその視線が自分に向けられていることを感じた。二人は何も言わず、ブレインをただ見ていた。クレマンティーヌの方は今にも下品な笑いを浮かべそうであるが。

 

 空気を察してか、ゴンベエが手に持っていた酒を飲み干すと主人に替えの酒を注文した。頬を淡く火照らせながら、ブレインに席に着くように手招きをした。

 

 酒を借りて愁いを灌げば更に愁わしというが、必ずしもその通りではないだろう。生半可に飲ましてしまえば却って疼くものだが、泥酔させてしまえば何も感じなくなる。酔わせるのはさほど難しいことではない。一緒に酔うまで飲んでやればいいだけのこと。

 

 ゴンベエも潰れるのを覚悟して、お代わりを頼んだのである。

 

 席に着いたのとほぼ同時に運ばれてきた酒をブレインは一口含むと味わう暇もなく喉元を通す。これを何杯か繰り返した。

 

「………いつまで黙ってんの?」

 

 促すようにクレマンティーヌが、ずけりと言う。こういう空気で会話のきっかけを作れるのは自分だと判断しての言葉であった。

 

「お前は静かにしておれ」

 

「はーいはい………」

 

 内心で彼女に感心しながらも、ゴンベエはむやみな口をきかせまいとに釘を刺すことにした。この女に対するある程度の扱いを覚えてきた様子だ。そして一向に名を呼んでやるつもりはないらしい。

 

「さっき……ストロノーフに会った」

 

 囁くような小さな声であった。

 

「ストロノーフ? ガゼフ・ストロノーフとかいう者のことか?」

 

「そうだ。随分前に戦って負けた。生涯を掛けて倒すと誓った男―――」

 

 ゴンベエは嬉しそうな様子で顔を上げた。気にはなっていた話である。それを本人の口からやっと聞けるかと思うと嬉しく堪らず、酒を乾す。

 

 話をするにつれてブレインの目には野性の光が灯り始める。それは戦いと反逆、人を寄せ付けない光であった。この瞳なくしては、ガゼフとの過去は語ることはできない。彼との死闘と決着、そしてその後の荒れた生活。ブレインは熱のこもった言葉で、しかし淡々と語った。

 

 これを肴にすると水でも混ぜていた酢のような酒が、驚くほどの美酒に化けたとゴンベエは錯覚した。ブレインの酸いも甘い人生がこの杯の中に混ざり、これを味わうとまるで彼の人生が追体験できた気さえする。胸がかあっと熱くなり、手には汗が浮き出て瞳がギラギラと輝いた。

 

 クレマンティーヌは詰まらなさそうにして、酒をペロリと舐めていたが二人はそんな女など眼中にまるでなかった。蚊帳の外に置き去りにして、ブレインとゴンベエはガゼフの背だけを夢想していたのだ。

 

「さっき剣を抜くべきだったのか………」

 

 ここにきてブレインはあの場で戦わなかったことを後悔し始めたいた。悲痛ともいえる声である。彼は待っていると言ってくれたが確証がない。そんな男だとはブレイン自身考えても居ないが、僅かな不安を抱いてしまっていた。

 

「ん? 彼は待つと言ったのだろう」

 

「ああ………」

 

「何を考える必要がある。その男が待つと言ったのなら、お前はたっぷりと時間を掛けて焦らしてやればいい。巌流島作戦よ」

 

「ガンリュウジマ?」

 

「だが、約束を反故するのなら所詮はその程度の―――」

 

「ストロノーフはそんな男じゃねえ」

 

 そのことは実際に剣を交えたブレインには誰よりもよく分かっていた。剣を交えるのは言葉で語るよりも、着飾る事のない濃厚な会話たりうる。

 

「もしかしたら、とんでもない変態趣味を持ってるかもしれないよ」

 

 黄色い声が二人の風情に穴を開けた。ブレインが猛然と立ち上がると鯉口を切ろうとしたので、ゴンベエが慌てて止めに入った。

 

「お前は黙っていろ」

 

「お~コワ」

 

 クレマンティーヌはお道化る調子で顔を背け、酒を飲んだ。

 

 

 カウンターの奥では宿の主人が眉をひそめて不思議に思った。なぜこの三人は一緒にいるのだろう。まるで反りが合っていない。開業十年余り、このような客は初めてだった。

 



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天下御免の義侠人

これぐらいの長さがちょうどいい気がする。


 ガゼフ・ストロノーフは足早に廊下を歩いていた。胸がひどく熱い、身体全体には熱を発しているように思えた。

 

 これほど気が高まるのはカルネ村以来だった。

 

 カルネ村にて出会った慈悲深い魔法詠唱者(マジックキャスター)。アインズ・ウール・ゴウン。天下に、自分など歯牙にもかけない強者がいるのは知っていたが彼のような魔法詠唱者(マジックキャスター)の名は聞いたこともない。自分の未熟さを教えられたのはブレイン・アングラウスと初めて戦った以来であった。そのブレインにも先日会って以来、この高ぶりを抱えたままであった。まともに寝られていないが身体の不調はまるで無かった。

 

 少しでも解消しようとこうして朝早くに訓練所に向かっていた。大広場なので誰が居ても存分に身体を動かせるはずであったが、見慣れた先客が体格に似合わぬ巨大な鉄塊を振っていた。

 グレートソードより一回り以上の大きさを誇る大剣を降り下ろす姿は、もう見慣れたものだ。

 

 クライムは、このリ・エスティーゼ王国第三王女付きの兵士である。王女の為に厳しい鍛錬を自分に課すのは素晴らしいが、やり過ぎてはいけないと幾ら嗜めても辞めようとしないのが玉に瑕である。

 

(そうだ。一つ、剣を交えてみるか)

 

 この熱に影響されたのだろう。普段はクライムと稽古することはなかったが、この火照る身体を冷やすには、誰かと剣をぶつけ合わせる必要があると感じた。ガゼフとまともに渡り合うにはアダマンタイト級の実力が必要である。兵士の中ではそれほどの強者は誰一人いなかったが、クライムだけは一流だと評価していた。

 

 ガゼフは口角上げると、そろそろ腕が痙攣してきたクライムを止めに入った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この街のきな臭さにも、すっかり慣れてしまった。

 

 こういう街だと分かってしまえば、何てことはない。エ・ランテルよりも騒々しいが、多くの人が入ってきては金を落としていく。人が多いと冒険者の数も多く、ここにはアダマンタイト級のチームが二つもいると聞く。少々大げさかもしれないが、王国の平和は、その二組が担っていると言っても過言ではないらしい。

 

(いや、今は三つだったか)

 

 黒い甲冑とそれに連れ添う美女を想い浮かべた。多少変わった者たちであったが数少ない友とさえ思っている。彼らの話が聞こえるのは愉快であった。

 

 

 

 ゴンベエは中央通り歩きながら、ゆっくり辺りを見物していた。日課の散歩のようなものだ。まだこの町の地理を把握できないのでこう歩き回ることはエ・ランテルでもよくやっていた。

 

 意外にもゴンベエも一人になりたい時がある。勘違いしている者もいるかもしれないが、彼はユグドラシル内ではソロプレイヤーとして遊び、現実では毎日忙しく働き誰かと共に日常を過ごすことはそれほど多く無かった。嫌いという訳ではないが、むしろ毎日が楽しくて堪らず、この夢がいつか覚めてしまうのではないかという苦悩すら感じることさえあった。身体に流れる血が熱いからこそ、こうして考え込んでしまう。

 

 胡蝶の夢を見た壮子のようにどちらが現実だと言うことはないが、こちら側が覚めても向こうに戻れる確証はない。

 

 後ろから付いてくる女は何か悩みがあるのだろうか、とゴンベエはくるりと振り返った。

 

 追っ手がいると言っていたが、日々の行いを見るにまるで悩んでいる様子は無かった。そして事あるごとに自分に付いて来たがるのにゴンベエは溜息を漏らすのだが、今日は連れ歩いている。ブレインが発起して宿で神経を研ぎ澄ましていたので邪魔をさせない為でもあるが、

 

(所詮俺も人だ。孤独は寂しいのかね)

 

 と、思う節もある。

 

「どったの?」

 

 いつもとゴンベエの調子が違うことに気付いたのか、クレマンティーヌが枝垂れ掛かるように肩に手を置いた。

 

「いやなに、この街にも慣れてきたと思ってな」

 

「へぇ。じゃあこんな所歩いてないで、市場にでも行こ」

 

「ふむ………」

 

 今日は騒々しい所に行く気にはならなかったが、なにかひどく柔らかいものゴンベエの腕に押し付けられた。なるほど、クレマンティーヌがその二つの乳房の間に腕を挟むような格好で、ゴンベエを連れて行こうとするのだ。いくら自分の要求を応えて欲しいからといってここまでする必要はない。ゴンベエはその勢いに負けて、黙って付いて行かざるを得なかった。

 

 

 

 

 市場ほど賑やかで人がごった返す場所はあるまい。無数の出店が軒を連ねた広場に来れば些細な悩みなど考えたりしなかった。肉屋で値引き交渉をする子連れの女、花を抱えて杖にすがる老婆、帽子を試す男性、共に靴を選ぶ夫婦。様々な人間が籠を下げて行き来し、威勢の良い商人の声があちこちから響いた。

 

 肉の生臭さや、油の焦げた匂い、野菜の泥臭さ、鶏の言いようのない臭みが、辺りに満ちている。様々な匂いが混ざり合い、じきに鼻が利かなくなる。市場の喧騒は活きがいい。誰もが笑顔を浮かべていた。

 

 焼き菓子を齧りながら、二人は武具屋で足を止めていた。ゴンベエからしてみれば品揃えが良いとは言えないが、クレマンティーヌが何か良い掘り出し物がないかと見ている。腰に忍ばせたナイフ一本では物足りなさを感じているのだろう。購入した武器で命を狙われる心配など余所に、ゴンベエは大道芸人の妙技を見物していた。

 

 ただでさえ世の中が新鮮に見えるのに、この市場の賑わいは楽しい物であった。熱に浮かされた子どものように、ゴンベエはぼんやりとしているとクレマンティーヌが、

 

「行こうよ」

 

 と、声を掛けてきた。腰には買ったばかりの何の変哲もない短剣がぶら下がっていた。

 

「あーあ。誰かのせいでこんな安物買うはめになっちゃったなあ~」

 

 どの口がそう言うのか。引き千切ってやろうかとゴンベエは呆れながら思っていると、悲鳴が聞こえた。市場から少し離れた所で人垣が作られており、そこから飛んで来たらしい。ゴンベエは少しだけ気には留めたが、少し様子を見ようと動かずにいた。

 

「なんだ、あんなに騒いで?」

 

 やがて近くの商人らしき男が、そちらから来た人に尋ねる。

 

「喧嘩をしている奴らがいんだ!」

 

 これに、ゴンベエは仰天した。見れば、周りから人がたかり始めている。怖いもの見たさだろう。

 

 こんな街中で喧嘩とはやはり物騒な街なのだな、とゴンベエは改めて認識する。

 

「とんだ余興だ。何が始まったんだか、お前も見に行くか?」

 

 と、ゴンベエがクレマンティーヌの方を向くとそこに姿は無く、人垣に交ざっているではないか。ゴンベエも興味がない訳ではない。逆に言えば大好物中の好物であったが、まだ焼き菓子を食べ終わっていないので食べ終えてから観に行っても遅くはないと、慌てずにモソモソと食べ続けた。

 

「どうしたものか。女が血生臭い騒ぎを男より好くのは」

 

 市場で買い物に励んでいた女性連中のほとんどがクレマンティーヌと同じように交じっている。先ほど見かけた杖をついた老婆まで参加していた。女が市場に来るのは何も買い物に来るだけではないらしい。井戸端会議に興じようと、噂も仕入れにやって来ていた。

 

「男には慣れたことだが、女には珍しいのか?」

 

 血の気が多い冒険者たちは性別が偏って多い訳ではなかった。仕方のない理由でなる者もいるとは思うが、この世界では争いは茶飯事だと伺っている。珍しいということでもなさそうだが。

 

「さて。動物の雌は強い雄が好きというが、似たようなものか」

 

 動物の雌は強い仔を生むために強い雄の番いになると教わったことがある。血生臭い騒ぎを嬉しがって見に行くのはこれと何か関係があるのではないか。人間といわず獣といわず、女の本性には何か不思議なものがあるのだろう。

 

 そういった話のタネにもならない事を考えていると、またこぼれ話が聞こえた。

 

「大勢で子供を袋叩きにしているらしい。ありゃリンチだな」

 

 眉をしかめたゴンベエは忽ち義憤した。憤りと侠気とが、ゴンベエの胸に沸き起こったのである。尋常な立ち合いであればいざ知らず、もはやそれは喧嘩ではない。相手も子供となれば話は変わってくる。

 

 焼き菓子を投げ捨てると彼は恐ろしい勢いで人垣に割って入った。

 

「やい! 寄って集って子を襲うとはけしからん連中だ。さあ、俺にかかって来い!」

 

 そう喚きながら人垣の中央に躍り出ると、散々痛め付けられたであろう少年と男たちの他に見覚えのある老人が男たちと正面から向かい合っていた。

 

 ゴンベエはその老人を見た瞬間に叫びたくなった。水でも浴びせられたように驚いている。その老人は、王都に訪れた日に老婆を助けていた老人その人だ。なぜ彼がここにいるのかは疑問にも思わない。自分と同じように助けに駆け付けたのだろうと自然に捉えた。

 

「正義のヒーロー気取りがまた増えた」

 

 男たちのリーダー格であろう人物が粗暴な口調で喚いた。その目は据わっている。酔っているらしく、開いた口からは独特の異臭を漂わせいる。

 

「御老人、助太刀いたす」

 

 老人はゴンベエを一瞥すると小さく頷いた。これを了承と受け取ったゴンベエは片肌を脱いで手を強く握り締めると、手の甲に分厚い青筋が浮き出た。

 

 男たちは二人を歯噛みしながら睨むばかりで、誰も先陣を切るつもりはないらしい。老人だけだと余裕を持っていたのだが、突然の乱入者であるゴンベエの巨体を見て肝を冷やしているようだ。

 

「ぶっ殺せぇ~!」

 

 人垣の中から聞き覚えのある女の野次が跳んできた。さすがにゴンベエもそこまでやるつもりは無いが、しこたまに打ちのめしてやろうとは考えている。

 

 やがて意を決したリーダー格の若者が老人に襲い掛かったが、次の瞬間には地面に崩れ落ちていた。老人の速い打ち抜きである。これを見逃さなかったゴンベエは、助太刀は不要だったかもしれないと思いながらも呆気に取られている男たちに躍りかかった。

 

 徒手空拳での彼の動きは素人のそれで、切れはないが純然たる力の塊をまともに食らえば意識を保つのは難しい。勝てぬと悟った男たちは次々に詫びの言葉を喚くと、意識の無い者を引き摺って逃げて行った。

 

 老人は逃げた男たちには興味も示さず、しゃがみ込んで少年の容体を診て近くの人物に神殿に運ぶように指示を出した。立ち上がるとゴンベエに向かって軽く頭を下げる。

 

 それに笑い返すと、老人は自然と割れた人垣の中を悠然と立ち去っていった。

 

 ゴンベエはこの奇妙な老人に不思議な縁を感じずにはいられなかった。まだ二度しか遭遇していないが、その二度とも誰かを助けていた場面と巡り会っている。自分の目が届かない場所では更に多くの人を助けていることだろう。

 

(また会えるだろうか?)

 

 そのまま老人を見送り、クレマンティーヌを連れて帰ろうと視線を移すと近くの建物の上で不審な動きをする者たちが目に入った。白昼堂々と働く盗人の類だろうかと一考してみるが、彼らは老人の後を付けるようにして屋根伝いに移動しているように見受けられた。

 

 ゴンベエは居ても立っても居られず、後を追いかけた。老人が曲がった通りまで差し掛かり、その姿を見つけたので横に付く。

 

「失礼いたす御老人。どうぞ歩きながら」

 

 聞いたばかりの声に従って老人は言われた通り足を止めず、横に付いたゴンベエを見た。その表情は鉄面のように微動だにしていないが、どこか怪訝な気を纏わせている。

 

「何か御用でしょうか?」

 

 芯のある渋い声だ。

 

「まずは名乗らせて頂く。手前は名無しの権兵衛と名乗るしがない旅の者。お気軽にゴンベエとでもお呼び捨て下され」

 

「名無しの、ゴンベエ様ですか……」

 

 老人は小さく名を反復した。変わった名に懐疑的な見方をしている。当然、ゴンベエの身なりは無頼のそれだ。初見で信用しろと言うのは無理がある。だが初対面の印象が良かったのだろうか、完全に拒絶するような意思は感じなかった。

 

「もしよろしければ、名をお聞かせいただきたい」

 

 真っ直ぐとした瞳と誠意のこもったゴンベエの言葉に些か警戒を解いたらしく、老人は名乗った。

 

「私はセバス・チャンと言います。貴方は先ほど手をお貸し頂いた方ですね」

 

「あの腕前ならばご不要でしたか?」

 

「いえ、私はこの見た目ですから少々侮られて見られるようです」

 

 セバスと名乗った老人は謙遜した風に言うが、老練とした立ち振る舞いと漂う品格は圧力さえある。

 

 ゴンベエは喉を鳴らした。今までこのような人物には出会ったことがない。こんな陰気な街に似合わない雰囲気と生気に満ちた人物である。何処か名のある大人物なのだろうか。

 

 

 二人は暫し無言になると、横並びに歩き続けた。

 

 

「つけられてますな」

 

 やがて、ゴンベエが囁いた。

 

「朝方からです。まさかそれを知らせる為に私に声をかけられたのでしょうか?」

 

「それもありましたが、以前お見かけした時よりセバス殿に興味がありまして今日出会えたのを何か縁と思って、いざ声をかけてみました。しかし流石はセバス殿、すでにお気づきでしたか。相手は四人ですかね?」

 

「いえ、屋根に五人。あの後に二人増えて七人」

 

 優れた洞察力で数を正確に把握している。ゴンベエは感服すると、増えたという二人を探そうと辺りを観察する。まだ人気も多いのでどれが追跡者なのかは分からなかったが、見覚えのある金髪が少し離れた所に見えた。クレマンティーヌである。すっかり忘れていた。

 

「一人は手前の連れですな。なに悪い奴ではありません。で、彼らに心当たりがおありで?」

 

「ええ…」

 

「よろしければ手をお貸ししたい」

 

 セバスは、これを断ろうとゴンベエの方を向くと彼は人懐っこいはにかみの微笑を浮かべていた。愚かしいほど人間臭い笑みであった。こんな顔は見たことが無い、とセバスが呆れるが表情には浮かべない。

 

「………構いません。ではこちらに」

 

 ゴンベエは心を踊らせた。なれば遠慮なくぴったりと離れず付いて歩く。薄暗い方へ曲がるにつれて人気が減り、やがてゴンベエにも追いかけてくる者の足音が聞こえてきた。大きさから男の歩調だ。

 クレマンティーヌは上手く足音を消しているらしく、殺気さえ向けなければゴンベエは気付くこともできないらしい。あれでいて中々に器用な女であった。

 

 やがて人気も完全に消えてゴンベエはいつ仕掛けてくるのだろうと構えていると、しわがれた若い男の声が飛んできた。

 

「すいません」

 

 ゴンベエは彼に見覚えがあった。先の騒ぎにて人垣の中に交ざっていた少年だ。セバスが応対するがその迫力に押されて少年は言葉を詰まらせる。それを察して力を抜いた柔らかな口調でセバスが話しかけると、調子が戻ったように彼は喋り出した。

 

 彼はクライムと名乗った。この国に仕える兵士らしく、二人に騒ぎを止めた礼を言ったかと思うとセバスに技を伝授してほしいと申し立てた。ゴンベエはこれを面白いと、二人のやり取りをただ見守る。

 セバスがクライムの手を確認したり、持っていた剣の刀身を見詰めたりする。それに何の意味があるのかゴンベエにはまるで分からなかったが、セバスはそれだけで少年の性格を把握したらしい。

 

 何か感じ入るものがあったのか、セバスは彼に訓練をつけると言った。ただし条件があるらしい。

 

 

 セバスは話を続けた。それはある一人の女性を助けたことから始まる闇の組織との対立の話であった。

 

 

 ゴンベエはこの話に暫し耳を傾け、そして心を震わせ確信した。

 

 

 このセバス・チャンなる老人こそが『天下第一の義の人』であると。

 

 



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無情の剣

 ゴンベエは一願だにしない。

 

 道すがらクレマンティーヌがどう説き付けようが、考えを改める気は無いらしい。ほとほと、厄介ごとに首を突っ込みたがる癖があるらしい。彼はセバスに同行して八本指の娼館に殴り込むと宣うのだ。八本指を敵に回せば平穏無事に過ごせないのを彼女はよく知っていた。

 ゴンベエの敗北は想像できない。武力胆力ともに神がかってはいるが、些か頭の方が物足りない。もう少し良く物事を考えてから動いた方がいいと辛辣に物申すが、この馬鹿の手綱を握れるのは不可能だろう。

 

 この貴重な意見にゴンベエは、

 

「まともな口が利けたのだな」

 

 と返事した。

 

 誰のせいだ、と顔を真っ赤にするクレマンティーヌ。それに対してゴンベエの顔は涼しいものだった。

 

「道理じゃないのさ」

 

「じゃあなんなのさ?」

 

「一人の女の為に命をかける。そんな事は簡単にはできん」

 

 八本指などゴンベエにとってはどうでもいいことである。この襲撃には、セバスに対する義侠で付き合っているのだ。一文の得になるかどうかではない。

 

 他人の為に命をかけるなど綺麗事であるとクレマンティーヌは思っている。自己犠牲など真っ平御免、アホとしか言いようがない行為であると断言できる。だからこそクレマンティーヌはこれに乗り気ではない。しかし付いて行けば、人を殺せる。そろそろ溜まってきた鬱憤を晴らせるというものだが、自分で自分が腹立たしくなった。

 このまま、ゴンベエが気の向くままに濃い情けばかり流して世を渡れば、命がいくつ必要なのか。自分が取るべき頃には、残っているのか定かではない。

 

「話は纏まりましたか? 無理に付いてくる必要はありませんよ」

 

 件の娼館が見えてきた頃、セバスが二人に尋ねた。

 

「セバス殿、ここまで来て帰るなどできますか」

 

「そちらの方は嫌がっている様子ですが……」

 

「そうか。ではお前は帰ってもいいぞ」

 

「はぁ!? 久しぶりに暴れられるのに帰れるか!」

 

(じゃあ、今までのは?)

 

 クライムがこのやり取りを見て唖然としていた。この二人は仲が良いのか悪いのかまるで分からない。

 クレマンティーヌは、暗殺者たちを倒した後にひょっこりと姿を現した。最初はその不気味な雰囲気から暗殺者の仲間かと思ったほどであった。伊達や酔狂でこの襲撃に加わる類の人間にはとても思えない。人の良さそうなゴンベエとどういった関係なのか定かではないが、上下関係はわりとはっきりとしているようだ。

 

 

 

 

 やがて件の娼館に着いた。周りと比べても変わった様子はない。外観だけでは娼館とは分からない造りとなっている。

 

 その前で四人は顔を合わせた。

 

「こことあちらにも入り口があるようですね」

 

 セバスは数軒隣の建物を指差して説明する

 

「二つですか。なら二手に分かれるのが最善でしょうか?」

 

「そうですね。ちょうど我々は四人ですので、ゴンベエ様とお連れのクレマンティーヌ様。私とあなたで分かれましょうか」

 

 クライムは嬉しそうに頷いた。セバスが連れ立ってくれるのならば不安は完全に無くなる。娼館には「六腕」というアダマンタイト級の戦士が警備に就いているらしい。自分がその者と戦っても勝てないのは分かっていたので、せめて足を引っ張らないようにとクライムは意気込んだ。

 

「それと、できる限り捕虜としますが―――」

 

「えぇ~、殺しちゃダメなの?」

 

 不満そうな声をあげるのはクレマンティーヌだ。

 

「いえ、抵抗するのなら殺しても問題ないでしょう。ですがサキュロントという者だけはなるべく捕まえるよう、お忘れなく」

 

 殺し、という言葉にゴンベエは反応した。覚悟はしていたが、いざとなると迷いが生じるものである。だが殺さずに済む事ではないのは重々承知していた。

 腰の刀に目をやった。アンデッドも人間も、斬ることは変わらないはずである。今さら情けない。セバスに対する義を通すのなら、斬ってみせようと意気込んだ。

 

「行こ」

 

 クレマンティーヌがゴンベエの肩に手を置く。その身体は、炎のように熱くなっていた。これがどういった兆しかは分からなかったが、娼館の中の連中はタダでは済むまいと彼女は悟る。

 

 

 

 

 

 セバスは入り口の分厚い鉄扉まで迫ると、数軒隣に向かう二人の男女を見る。

 

 正体の良く分からぬ不思議な男。その身に宿らせる内力は計り知れないものであったが、悪いものではない。善良な心の持ち主だということはよく分かった。

セバスは自分の行った行為が浅はかなものであると知っている。だからこうも面倒なことになって、関係の無い人々を巻き込んでしまっているのだ。是が非でもクライムだけは守らねばならない。あの二人はきっと大丈夫だろう。

 

「では、参りましょうか」

 

 ゴンベエ達が位置についたのを見計らってセバスは呟いた。クライムは既に剣を抜いている。

 

「どのように攻め入りますか?」

 

「ノックいたします」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少し離れた場所から、金属同士をぶつけ合わせたような音がした。

 

「セバス殿が始めたみたいだな」

 

「何の音?」

 

 クレマンティーヌが音の鳴り方に首を傾げているのを余所に、ゴンベエは鉄扉の前に立つと腰の刀に手をかける。

 

 ひゅう。

 

 風が鳴り、蝶番を断ち切られた鉄扉が手前側に倒れてきた。けたたましい音と困惑した声。ゴンベエが中を覗き込んだ。

 

「何だお前ら!?」

 

 人相の悪い男が二人を見て瞠目する。ゴンベエは鉄扉を跳び越えて男を蹴り上げると、男は大きく吹き飛び壁に叩き付けられた。それには目もくれず中に乗り込むと、騒ぎを聞き付けた二人の男が飛んできていた。両人とも剣を引っ提げている。荒々しい目付きだ。

 

 忽ち、二本の剣が風を巻き、左右からゴンベエに斬り込んだ。ゴンベエは身じろぎもせず太刀筋を眺めると、飛刀一閃。二人の絶叫があがった。二筋の光が宙を舞い、床に突き立った。男たちは激痛に顔を歪め、斬られた腕を押さえながら身を丸める。鮮血が床に流れ落ちた。ゴンベエの剣筋は一分の狂いもなく、腕の経路を断った。二度と使い物にならないだろう。

 

 ゴンベエが斬り心地を噛み締めていると、傍で風が巻き、瞬き一つの後に鮮血が飛沫を上げた。

 

「殺すことはなかろう」

 

 クレマンティーヌが刃に付いた血をペロリと舐めて、歪んだ笑顔を浮かべている。

 

「まだ腕が一本あるよ」

 

「……」

 

 目の前で人が死んだ。それもあっさりと二人も。言知れぬ感情が芽生える。

 

「ほら来たよぉ~」

 

 部屋の奥の扉から足音が聞こえた。クレマンティーヌが猛然と駆け、扉が開いた瞬間には、相手の首元にナイフが突き刺さっている。男の体を盾にして部屋の中に斬り込み、何かが床に落ちる音が二つほど聞こえると、顔を赤く濡らしたクレマンティーヌが何事もなかったかのように出てきた。

 

「中には何もないみたい。隠し扉とかあるのかなぁ?」

 

「……分かった。二階を見て来い、俺はここを探す」

 

 刀を腰に収め、クレマンティーヌに指示を出してやると彼女は嬉々として階段を上っていく。ゴンベエはそれ程広くない室内を眺めた。三人の男が倒れている。一人は壁に力無く凭れ、一人はうつ伏せで首から血を流してピクリともしない。その向かいに倒れている男は片側に頭を傾け喘いでいたが、死魚のような目だけは、ゴンベエを睨んでいるようだった。今まさに死に逝こうとしている。

 

(そんな目で俺を見ないでくれよ)

 

 ゴンベエの胸を突いた。言うに言われぬ哀感が、心をひたひたと満たしていく。何となく、腹が立った。

 

 ふと床の血溜りに違和感を覚える。一角がおかしな形で途切れていた。どうやら床下に染み込んでいるらしい。

 その辺りに手を這わせると、重い音が鳴って床が僅かに浮き上がった。隙間に指を差し入れ、勢い良く持ち上げると同時に何かが飛び出してきた。反射的に受け止めて、確認するとそれは矢である。隠し扉の裏にクロスボウが取り付けられていたのだ。その鏃は何やら濡れており、何ともなくこれは毒だと理解した。

 

 人間は異常状態に完全な耐性を持たない。装備でそれを補うのが普通であるが、ゴンベエは普段装備しておらず、異常状態を回復する魔法も覚えていない。

サービス終了が発表されて以来、消耗品の補充は怠っていた。使う機会が無い物を買う奴がいるか。だが、もしも刺さっていればどうなっていただろうか。

 

 ゴンベエは一考しない。その時は、その時である。のたうち回って死ぬだけだ。

 

 階上では騒がしい音が聞こえた。クレマンティーヌが暴れているのだろうかとぼんやり考えながら、ゴンベエは隠されていた階段を見下ろした。先の方はやや暗くて見えない。これを降りていくことにした。

 

 降りた先は別段変わった感じはしない石畳の通路であった。両側には牢屋らしきもの、少し先には扉が見える。そこだろうか。

 

 無警戒に通路を歩み、牢屋の中を覗いた。中に数人の女がいる。両手足を鎖でつながれ、布きれのような服を羽織っているばかりだ。ゴンベエの表情が凍った。

 

「お~い。こっちは終わったよ。二階には特に何も無かったけど………」

 

 鬱憤を晴らしたように清々しい面持ちをしたクレマンティーヌが降りてきたが、忽ち表情を曇らした。ゴンベエが小刻みに身体を震わせている。顔は伏して見えないが、その顔を覗くことが怖くてできない。

 

 ゴンベエはクレマンティーヌが来ていることにも気付かない。義憤と侠気が複雑に混ざり合って、冷静さを欠いていた。

 乱暴に歩み、扉を蹴り破ると中は広間だった。地下にしては十分広い。木箱や檻が置かれているのを見るに、荷物置き場だろうか。

 

「ん?」

 

 静かに、足音も立てずに五人の者がゴンベエを囲んでいた。全員男かと思ったが、囲みの中には女の顔もあった。全員、腰に剣を携えている。刺すような目で、彼らはゴンベエを見ていた。全身に殺気を帯びた視線を受けて、この後に起こるであろう出来事を、ゴンベエは容易に想像した。

 

「やはりここまで来ていたか。手下を伏せておいて正解だったかな」

 

 囲みの外に二人の男がいた。一人はセバスに教えられた外見に似ている。捕縛しろと言われたサキュロントだ。八本指において最強の六腕の一人、強さはアダマンタイト級に匹敵すると言われたが、ゴンベエにはどの程度なのかはさっぱり分からない。ブレインかクレマンティーヌほどだろうかとぼんやり考えた。

 

「腕が立ちそうだけど大丈夫なの?」

 

 サキュロントの傍に立っていた男が、甲高い声で彼に訊いた。

 

「この隙の無い布陣。俺が手を出すまでもなく、生き残るのは不可能だ」

 

 ゴンベエは現在の状況を素早く確かめる。五人に囲まれ、戦わずに逃げる事は叶わない。こうなってしまえば、手段ただ一つ。

 

 斬れ!

 

(ああ、そうだ。斬らねばならない)

 

 隙間風に乗ってきたかのような女の声。これを受け入れた。

 

「早く終わらせようか」

 

 サキュロントの顎が、僅かに上がった。それが合図だったらしい。ゴンベエを囲んだ五人の者が、まったく同時に、抜討ちを浴びせかけてきた。五人同時の斬撃である。しかし、ゴンベエはその窮地のど真ん中に居ようと刀も抜かず、一瞬だけ辺りを目配せした。

 

「んっ!」

 

 ゴンベエは無意識の動きで五つ同時の斬撃をかいくぐり、ほぼ同時に五人の腰から上が天井まで吹き上がった。

 

 息は乱れることなく、太刀を正眼に構えている。付け根から迸る露は、まるで彼の闘志に呼応するかのようだ。

 サキュロントと傍の男は一瞬の出来事を理解するのに、少しの時間を用いた。理解してようやく、身震いを起こして呻いた。サキュロントは、まさかゴンベエがここまで腕が立つとは思いもしていない。

 

「ッ!」

 

 剣を抜こうとした途端、足に力が入らなくなり前方にたたらを踏んで膝を付いた。自分からゴンベエに首を差し出すような格好だ。何が起こったのか、知る由も無かった。刀の峰がサキュロントの下あごを打ち上げた。

 

 甲高い声が広間にこだました。

 

 ゴンベエは立ち所にその声の主に迫るとこれも峰打ちにしようとするが、柄を握る力がふと抜けた。辺りには上下を別たれ血を失った人間が何人も倒れている。これを全て自分がやったのかと思うと、魂が凍えた。逃走する影が見えたがもはやどうでもよかった。

 

(これは理不尽だ)

 

 斬り始めてからまだ一分と経っていない。誰もが一撃で死に絶え、無残な屍を晒している。彼の知る戦いとは、ユグドラシルでの血沸き肉躍る心満たされるものであった。だがこれは何とも無益だ。

 

 理不尽、憐れ。そんな思いがゴンベエの胸を貫いた。これは、人を斬ったことと、無縁ではない。

 

 柄を握る手には、まだ斬った感触が残っている。空っぽのずた袋を切り裂いたような、何とも軽い感覚。刀の切れ味が良かったのか、はたまたステータスのせいか、硬い物を斬ったという感覚など一切無かった。

 

(人を殺したというのに)

 

 刀を振る動作一つにも迷いが無く、ユグドラシルで多人数を相手にする時の動きと同じように戦えた。エ・ランテルの墓場の時のように、ただ相手がアンデッドか人間かという違いだけだが、大きく違った。

 

 ゴンベエがこの世界に来て幾何か経っている。最初の数週は、目まぐるしく過ぎた。生まれて初めて、広大な自然を見た。初めて、人と刀で斬り合った。初めて、アンデッドを斬った。初めて、人間社会の裏側を見た。そして、初めて、人を斬った。

 

 人はなんと簡単に死ぬものか、という思いが心に刻まれ哀感が満たした。ただ、悔恨はない。刀を持ち歩き、自由気ままにさすらい、自分の生き方と哲学のためなら、命など捨てる気で生きていこうと決めたのだ。人を斬って悔恨などは覚えない。だが、欲しかったのは命ではなかった。ユグドラシルでは得ていた物が、何一つ無かった。こんな事を、好きにはなれない。

 

 

 

 

 

 暫く茫々然と立っていたが、気が付くと同じく乗り込んでいた三人が立っていた。傍らには縄で縛りあげた甲高い声の男とサキュロントがいる。

 

「どうかされましたか?」

 

 セバスが心配そうに言う。

 

「人を斬ったのは初めてで……」

 

 予想もしていなかった言葉にセバスは目を見開き、僅かに後悔の念を覚えた。まさか剣を携える者が人を斬ったことがないとは思いもしていなかった。

 

「剣とは無情なもの。硬く、冷たく、鋭く、人を斬るもの……」

 

 剣は無情である。その本質は人を斬るために存在する。人の命を奪うものが無情でないはずがない。持てば人は無情にならねばならない。

 

 諭すように、セバスは剣の本質を語った上で付け加えた。

 

「ゴンベエ様は情の濃い方でございますね」

 

 だが人は無情になれるのか?

 

 クライムのような人間がいれば、クレマンティーヌのような人間もまたいる。

 

 セバスは、人間に関しては未だ勉強中だ。人間に関しては分からない事の方が多い。

 

「濃ければ、人など斬りませんよ」

 

 以前のようにはせず、今回は合理性で人を斬った。

 

「いえ、濃いからこそ私などに手をお貸しになられた。深く生まれたからこそ、薄情の道を歩む者を斬ってしまわれた」

 

 ゴンベエは、顔を伏せた。そう簡単に納得してしまってよいものとは、思えない。後悔はしていない。斬った者らは、斬られるべくして斬られた。

 

ただ、まだ魂が凍り付いているようだった。

 

(これがセバス殿の言う無情の剣なのか)

 

 

そう様子を見ていたクレマンティーヌが、小さくため息をついているのが見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ゼロが攻め落とされた娼館の扉を観察していた。彼だからこそ、この扉が拳によって穴をあけられたと分かった。しかし、もう一方の扉は蝶番が綺麗に切断されて開けられていた。剣に覚えのあるものならこの程度の芸当は楽々とこなせるがゼロは悪寒を感じていたのだ。勘ではあったが、どうやら的中していたらしい。

 

 サキュロント直属の部下が一刀のもとに斬り捨てられており、反撃することなく殺された様だ。さらに目撃情報が出た。近くで髪を高く結った異国の装いの男を見たと語る証言が出たのだ。現場の検証から他にも仲間がいるらしいが、それはサキュロントを保釈させてから聞き出せばいい。

 

「マルムヴィスト、ちょっとこっちに来い」

 

 ゼロがそう呼んで声を掛けたのは、一見するとただの優男だが千殺の異名持つ六腕一人である。娼館の一室の隅に彼を呼んだ。

 

「どうしたボス?」

 

 マルムヴィストは不思議そうにゼロを見詰めていた。

 

「お前この間、良い毒が手に入ったと言っていたな」

 

「ああ。あのイジャニーヤのヤツですか?」

 

「それをよこせ。代金は後で払う」

 

「えっ? 待ってくださいよ、あの毒は手に入れるのに苦労……」

 

 無言の威圧に押され、マルムヴィストは言葉を詰まらせた。渡さなければゼロは力尽くで、奪ってくるだろうと予感させる。

 

「分かりましたよ……」

 

 胸元から取り出した小瓶の中には、無色の液体が詰まっている。それこそマルムヴィストが苦労の末に手入れたイジャニーヤの秘中の毒薬らしい。無味無臭で飲まされた事にも気が付かず徐々に弱っていき、翌日には死に至るという。

 

 ゼロは渡された毒をしまうと、後を任せて夜の街に消えた。

 

 



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酒を飲まない理由があるか

 窓から夕暮れの淡い陽が差している。部屋の中には一人、物静かな男が床にあぐらをかいて、心魂を落ち着かせていた。大一番が控えている。彼の人生を一変させた因縁との再戦、これを乗り越えねばならぬ。これに打ち勝たねば、高みへと昇ることなどできない。先人は遥か高みで見下ろしている。

 

 ガゼフ・ストロノーフ。己が超えねばならぬ男。

 

 知り得ている情報は戦い方だけだ。だが、それが今も変わっていないとは限らない。腕前も以前より格段に上がっているはずである。対策はあらず。無いと言うより、あえて作ろうとせずに、自分らしくあの男を打ち破る。向こうもきっとその腹積もりだ。

 

 ―――近い。

 

 そう予感した。何となくだが、もうすぐ会える気がする。それほどまでにガゼフの事を考え、思い、極まっている。

 

 事ここに至っては鍛錬など不要。あとは、抜いて斬るのみ。いつものことだがいつものことではない。そう簡単にいかないだろう。

 

 ブレイン・アングラウスの思考は一つの極点へ達する。もはやこの天下には己とガゼフしか存在せず、芥の物など眼中にない。そんな最中、藪から棒にも部屋の扉が開けられ、クレマンティーヌが入ってきた。

 

「ねぇ、ゴンベエちゃん帰ってない」

 

 いつもの調子変わらずと言いたいところだが、どこか言葉に力がこもっていない。軽い口調ではなかった。

 

「知らん」

 

 ブレインは変わらず。簡潔に冷たく返す。この女にはこれで良い。しかし、ゴンベエが帰ってないとはどういう事か。若干気掛かりだが、あの男の事だ。酒でも飲みに行っているのか、と一考した。

 

「気が付いたら居なくなっててさぁ。どこに行ったんだろ?」

 

「はぁ、大丈夫だろう。腹が減ったら帰って来るさ」

 

 犬でもあるまいし。ブレインも少々ゴンベエの扱いが分かってきたらしい。いや、雑になったとも言えるが内心では少しばかり心配していた。

 

「人やっちゃってさ。何か落ち込んでたように見えたんだけど……」

 

「人をやった? 殺したって事か? お前ら何処で何をしてたんだ?」

 

「ん~~八本指の娼館に殴り込み」

 

 ブレインは言葉を失った。一体何がどのようになって、そういう経緯となったのか定かではないが、王国内で八本指を敵に回せばどうなるかは知っている。

 さらに問いただしてみれば、クレマンティーヌは王国の兵士と共に乗り込んだと宣うのだ。自分の存じない所で何が起きているのか。ガゼフとの再戦を目前にして、とんだトラブルに巻き込まれてしまったらしい。

 

「戻ってきたら私が帰るまで、外に出さないようにしておいて」

 

 そう言うとさっさと部屋から出て行ってしまった。相変わらず騒がしい女だが、どこか一途だ。自分と似ているせいか、妙な親近感が湧いたが頭を振ってまで否定する。

 

「旦那。何やってんだ……」

 

 ブレインも探しに行こうかと一度あぐらを解いたが直ぐにまたかいた。自分が行ったところでどうなるというのか。気分の浮き沈みが激しいのは何も今に始まった事ではない。それに、今は自分の事だけで手一杯だ。人にかまえる余裕は、ブレインには無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 月が昇り始めた街をゴンベエは彷徨っていた。何やらいつもと様子が違っている。誘われるかのように勝手に足が動くのが彼の歩調だが、今の彼は見知った道であろうと見知らぬ道であろうと迷いさまよう幼子のようにおぼつかない足取りであった。

 

 彼の胸には変わらず哀感に満たされている。これを晴らすにはどうすれば良いのか、彼はその術を知らない。自分がどこに向かっているのかさえ分かっていない人間が、そんな事を知っているはずがない。

 

奇妙なけだるさを連れながらたゆたった。往来の人々に交ざり前後に歩き、けだるさにひたる。すると様々な思想が浮かんでは去って行く。この一時は、知恵を持つ生き物としてとても大事なことではないかとゴンベエは思う。これを繰り返すたび、彼の心は自由に果てしなく漂う事になる。

 

 ――自分の斬った者たちの死は、無益で無価値なものだったのだろうか。

 

 言葉にできぬ哀感の色が一層濃くなった。自分の情けなさに涙さえ出てきそうになり、この世界から隔絶されているとさえ思えてくる。いや、それは事実なのだろう。本来ならば、この世界に彼は存在していない。

 

 理想との隔たりが大きすぎただけ、ただそれだけ。それだけであるが、余りにも大きすぎた。彼の求めた戦いとは、無益で哀しいものではなかった。客観的に見てみれば、悪党の拠点が潰れて喜ぶ者が大勢いるのだが、そのような騎士道物語ではないのだ。

 

 ふとある裏通りに目がいった。どこか見覚えのあるような、無いような気がする。

 

 まるで誘われるかのようにゴンベエがそこに足を踏み入れると、一軒の小さな酒場が見えた。扉の釣り看板には簡素なグラスの絵。ここには来たことがあった。初めてこの街に来たあの夜、空気も読まずに喧嘩をして殴り飛ばした男がいたのを覚えている。

 

 彼は、今夜もいるだろうか。いるならば今夜こそ静かに酒でも飲みたい。

 

 扉を開けると一見以前と変わらない様子が広がっていた。六人掛けの長机には誰も座っていなかったが、カウンターには見覚えのある顔があった。

 初見時の毒気は感じず、愛用としている磁器の杯で酒を嗜み静かな夜を堪能している様子だ。こうして見れば何とも良い男ではないか。

 

ゴンベエはこれといって顔付きも変えず、何食わぬ顔で男の隣に腰を下ろした。

 

「俺と同じものを」

 

 打ち付けにゼロがそう言った。

 

 ゴンベエはささやかに笑い返す。まさかこの男がユーモアを持っていると思っていなかったからだ。以前の仕返しだろうか。随分と根に持っているらしい。

 

「もう酔っているのか?」

 

 堪らずそう尋ねたと、ゼロは口の端を僅かに上げる。

 

「生きていたか」

 

 不躾にそう言われたのでゴンベエは苦々しく笑い返す。

 自分の生き死になど何の役にも立たない。正しい生も死も無く、美しい生も死も無い。今日はそれを痛感した日であった。

 

「あいにくな……」

 

 それ故に、何とか出た言葉がこれであった。

 

 苦笑いしている内にグラスが目の前に置かれている。ゼロが飲んでいるのと同じく薄黒い酒が入っていた。よし口にふくもうかとして手を止めた。何か引っかかる事があったからだ。

 

「どうしてそんな事を訊いた?」

 

 そんな事とは、生きていたかという台詞だろう。未だに聞き慣れない言葉だけに気にかかったのだ。まるで何か知っているようではないか。

 

 ぎょろり、とゼロの目が動いた。やや間を開けた末、囁くように彼は答える。

 

「血の臭いがしてな」

 

 ゴンベエはわずかに瞠目する。そんな所まで気が回っていなかった。わざとらしく袖を嗅ぐと、微かだが血の臭いがしている。嗅ぎ慣れた者しか分からない程度だが、ゴンベエの斬り殺した相手の物なのは間違いないだろう。

 

「ふん、くだらない話だったな。酒でも飲め」

 

 そう言って、ゼロは少し傾けたグラスを血生臭い浪人に向けた。景気付けに乾杯をしようというのだ。ゴンベエはこれに応えようとしたが、ここで自分の肩に不自然な力が入っていることに気が付いた。

 

 ―――何を強張っているのか。

 

「ああ、飲みながら話でもしよう……」

 

 そう言ってグラスを打ち鳴らすと、二人は同時にグイッと呷った。一息に飲み干してみせるとゴンベエは、腰の刀を邪魔とでも言うかのように傍に立て掛ける。これより、これは無用の長物であった。

 

 酒で喉を潤すと肩から力が抜け、淡々とした語り口で始まった。

 

 二人は決して深い仲ではない。出会いは最悪でそれ以来会ったこともなかった。例え、くだらない話であろうとゴンベエは誰かしらと言葉を交わしたくなっていた。相手はブレインでもクレマンティーヌでも良い。それこそ道端の浮浪者や娼婦でも良いのだ。これは成り行きだ。たまたま目の前にゼロが居たから話すだけである。

 

「今日は人を斬ってきた」

 

「そうだろうな」

 

「初めてだ。人を殺すのは」

 

「……そうか」

 

 まさか、とゼロは思った。

 

 今のご時世で人を斬ったことが無いのはある意味で珍しい事ではないだろうか。しかしゴンベエは嘘を言っている風には思えない。ゼロは軽く頷きながら相槌を打ってみせる。

 

「怪しい娼館に乗り込んで散々に暴れたよ」

 

 (ああ、やはりな)

 

 ゼロは、決断した。この男を殺さなければ、この男を生存させておくことは出来ない。懐に隠した小瓶が、氷のような冷たさを帯びている。命を奪う意思でも持っているかのようだ。

 

「いざ、人を斬ると不思議な気持ちになった」

 

「詳しく言ってみろ」

 

「魂が凍える、というか。理不尽だと思ってしまった。人間は簡単に死んでしまうんだなと」

 

 そんなことはゼロにとって当たり前のことであった。人は呆気なく死ぬものだ。殴り、斬り、突けば簡単に死ぬのだ。ゼロは空いた手で拳を作った。今日までこの拳で奪った命は数えきれない。もはや人を殺すことに思うことなど無い。だから、ゴンベエの言葉がやけ新鮮に感じた。

 

「剣は無情。だが人は? 人は無情になれるのか?」

 

 人は、人間はどうなのか。剣と同じく情無くに人を斬れるのか。

 

 ゼロはすぐには答えられず、ただ酒を呷った。そんな哲学は歩んでいない。悪党に情など欠片も無い。語る相手を大きく間違っている。

 

 ゴンベエの口からそんな言葉が出るからには、もはやこの男は生かしておけないとゼロは確信していた。必ず、自分の前に立ちはだかる男になる。懐から何気なく小瓶を取り出した。

 

 だがその前に、答えなければ。この問いには、どうしても答える必要があった。

 

「自分のした事に誇りを持つべきだな」

 

 ゴンベエは、面白いものだと思った。自分の悩みなど一蹴するような言葉であったからだ。考え方も積み重ねてきた物も違うのだ。酒の酌み交わしながら語り合うことはこれほどまでに、楽しい。きっとこの一時は、人間にとって掛け替えのない時間なのではないだろうか。飲み交わし、語り合う。これほど心地よい気持ちになれるのだから。

 

(俺など、たかがしれている)

 

 人より力が強いからといってなんであろう。この国の王であろうと、庶民であろうと、娼婦や乞食だろうと、皆一様に短き生涯を生きて死んでゆく。己の殺した彼らのように、無情に、死んでゆくのだ。ならば最後まで自分らしく生きるべきなのだろうか。

 

 酔いの回るゴンベエの頭は以前にもまして鮮明に物事を考えられていた。胃の底に溜まる酒さえも、もはや清々しく思う。

 ゼロが直々にグラスに酒を注いできた。心の奥底から酔える。これほどまでに気持ち良く酔える夜など、初めてであった。

 

(この男は、俺を殺しに来たんだろうか……)

 

 唐突にそう思った。先ほど我らしく生きたいと感じた矢先にこれだが、ゴンベエはどうでもいいと思っていた。これほどまでに気持ち良く酔えている。殺そうと思えば簡単に殺せるのではないだろうか。もはや、傍の刀を抜く気さえ起らない。その気ならどうぞ殺してくれ。惜しい命など持ち合わせてはいない。

 

 だが、この王都まで連れ添った男女の顔が脳裏を過った。

 

(仕方がないだろう)

 

 全て、己の振る舞いが招いたことだ。この町に来たのも、あの娼館に攻め入ったのも。用心棒どもを斬り、この酒場に訪れたのも全て己の振る舞いの末。原因があって結果がある、それがこれ。成り行きなのだ。

 

 ゼロの注いだこの酒を飲めば、自分は死ぬのだろう。そう直感したが、躊躇せずに一息に飲み干した。

 

―――殺したければ殺すがいい。そんなこと、知った事ではない。

 

 一息に飲み干すと、なんとも美味い一杯であった。こんな酒を飲んで死ねるのならば、そんなに悪くないのではないだろうか。

 

 それから少しばかり時間が経った。どれほど飲んだのか、ゴンベエは数えていない。カウンターに顎が付きそうになった所を、ゼロに肩を叩かれた。

 

「飲み過ぎだな。帰った方がいい」

 

「そう、か」

 

 言われるがまま従った。どれほど時間が経ったことだろうか。意外と一時間も二時間も経っていないのではないだろうか。そんな事を思い浮かべながら懐から数枚の銀貨と銅貨を取り出してカウンターに置くと、重い腰を上げてゼロを真っ直ぐに見つめた。

 

「また話せるか?」

 

 そう尋ねるゴンベエは哀愁漂う面持ちである。そこにはゼロの胸を突く何かがあった。

 

「ああ……」

 

 ゼロは立ち上がると彼に歩み寄り、軽く抱擁を交わした。互いに一角の男同士、これを約束の証として二人は別れた。

 

 ゴンベエが去った後もゼロは暫く飲み続けたが、何杯か干した末に杯を置くと彼も追うように店を去った。

 

 客足の途絶えた店内を見渡した店主は次の客を迎える為に、カウンターを片付けようと杯を取ろうとしたが不思議な事に杯底が張り付いたかの様にビクともしなかったのである。妙な現象に良く確認するとカウンターが陥没して杯底がめり込んでいるではないか、何と恐れるべき力だ。卓に杯を陥没させるなど、常人では不可能であろう。しかしこれは一体、どういう意図があってのことだろうか。

 

 無理に取ろうとすると、杯が弾け飛んだ。店主は仕事が一つ増えたことにため息交じらせながら、飛んだ破片を集めるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人気も少なくなった夜の街。目立つ金毛の乙女が彷徨っていた。以前の彼女であれば夜に出歩くのは獲物を物色する為であったが、今は他の事に夢中でそんな考えは浮かばない。

 

 クレマンティーヌは、ゴンベエを探している。

 

 彼女でさえ、なぜあの男の為にここまでしているのか不思議ではあるが何となく理解しつつ、時間を割いてやっていた。ああいった人種はトラブルを起こすか巻き込まれやすい。手中の獲物が、誰かの手に渡ってしまう可能性も十分にありえる。

 

 だが目的の人物が一向に見当たらず、もはや馬鹿らしくなってきて帰ろうかと考え始めたていたところ、不意に気配を感じて道の隅を見てみると浮浪者のような男が胡坐をかいているではないか。

 

「いたぁ!」

 

 彼女は、思わず子どものように喚いた。目当てのゴンベエその人であったからだ。慌てて駆け寄って声をかけたが反応が無いので酔い潰れて寝てしまっているのかと思い、胸蔵を掴んで引き起こしてやろうとして彼女は驚愕する。

 

 ゴンベエの顔がやや青ざめていた。憔悴した表情で独り言のようにブツブツと何かも呟いているではないか。

 

「ちょっと!? どうしたのゴンベエちゃん!?」

 

 一目見て異常に気が付いた。

 

「お前か……」

 

 くすんだ瞳と弱々しい作り笑い。初めて見る表情に困惑するが、クレマンティーヌほどの一流の戦士であれば直ぐにゴンベエが毒を盛られていることに気が付く。だが手立てがない。近くに毒消しを扱う店は無く、こんな夜更けに開いてもいるはずもなかった。

 

「ねえ、毒だよね?」

 

 思い切って尋ねてみる。自身が毒を盛られていることに気が付いていない可能性も十分にありえるからだ。

 

「かもしれんな……」

 

 ゴンベエは、初めて味わう感覚に混乱していた。初めは何やら怠さを、そして徐々に身体から力が抜けていく感覚。アイテムボックスに残っているポーションは体力を回復する種類のみ。毒無効のアイテムを装備すれば今からでも間に合う可能性はあるかもしれないが、それをしたくはなかった。

 

 毒を盛ったのは、間違いなくゼロであろう。酒にでも混ぜたのだろうか、理由は明確だ。恐らくゼロは仇討ちで自分を殺そうとしているのだと、ゴンベエは考えた。

 

(ならば、受けねばなるまい)

 

 明日をも知れぬ身が本当に明日も知れなくなるだけのこと。このままのたうち回って苦しんで死んでいくのだろうか。徐々に力が抜けていく感覚が妙に心地良くて、何とも不思議な心持ちになってしまう。これも毒のせいだろうか。

 

「誰にやられたの?」

 

 クレマンティーヌは冷静であるが、隠しきれていない怒気が全身から溢れている。当然だ。自らの獲物を、目の前で悠々と取られていくのだ。彼女にとってこれ以上の侮辱はない。

 

「……分からん」

 

 白を切っている。嘘が下手くそな男だと、クレマンティーヌは胸中で舌を打つ。

 

「毒を持っているヤツは毒消しも持っているはずだけど……」

 

 その言葉には返さず。ゴンベエは、刀を杖のようにして立ち上がると千鳥足で歩き始める。まるで誰かに抱き着かれているように身体が重い。自らが殺した者たちに、あの世へと引きずり込まれているように錯覚してしまう。

 

「俺は薬のつけようのないろくでなしさ……」

 

 ゴンベエは侘しく笑う。力を振り絞って足を進めるが、時おり吹く向かい風にさえ足を止めるほどだ。

 

 その無様に、クレマンティーヌの怒りは悲憤に変わった。胸に熱いものまで込み上げてきたのを喉の奥で唸って堪えるが、今すぐに何かをぶっ壊してやりたい気分になっている。路地裏の野良猫でも害虫でも何でも良い。

 

 だが、彼女は自分でも驚く行動を取ってしまう。彼に肩を貸したのだ。彼女の右肩にずっしりと重みが伝わるが、これぐらい屁でもないと支えてみせる。

 

「すまんな」

 

 気の籠らない声であった。この男をここまで弱らせる毒など世に数えるほどしかないだろう。クレマンティーヌは知識と経験を頼りに毒の正体を推理するが、暗殺用の毒とはそう易々と分かる作りではない。症状も衰弱しているだけにしか見えないのだ。これは毒全般に見られる症状だ。

 

 真正面から勝てないからって毒を盛るなど、悪党のやることだ。クレマンティーヌには自ずと犯人の人物像が見えてきている。

 

「死ぬなど怖くないと思い上がっていたからこそ、こんな報いを受けた。成り行きの自業自得さ」

 

「全然面白くなーい」

 

「まだ、とっておきの話があるぞ」

 

「なに?」

 

「この毒は、今すぐには俺を殺さないみたいだ。だからゆっくり死ぬのを待つ味が楽しめる」

 

 ゴンベエが、こともなげに言う。

 

「それが最後の言葉?」

 

 クレマンティーヌは、毒々しく笑った。

 

「これで意外と体力が余っている。歩けないのは酔っているからさ」

 

「それじゃあ、遠出はできないね」

 

 暫くは、二人で道沿いに歩き続けた。街の中心はまだ人を見かける。遅くまで遊んでいる飲んだくれは何処にでもいるものだ。彼らから見れば二人も飲み歩いた男女にしか見えないのかもしれない。

 

「犯人が分かれば、助かるかもよ。毒消しもそいつが持ってるかもね」

 

 クレマンティーヌは、確かに感じる重みの方に呟いた。ゴンベエはうっすらと微笑でいる。

 

「そうかもしれないが、違うかもしれない」

 

「犯人は分かってるんでしょ」

 

「分かったからどうなる。毒を盛るような奴が行方を現すと思うか?」

 

「……何が何でも探す」

 

 そうだ。ゴンベエの命を取るのは自分だと、クレマンティーヌは決意している。奪われるようならば、彼女は奪った奴には容赦しないことだろう。

 

「いや、少し疲れた。どこか開いている店に入って酒でも飲んで休もう」

 

 この地に来て一日も楽しくない日はなかった。だが、楽しんでばかりでは疲れてしまう。少しだけ休んで、また明日から楽しめばいい。

 

「分かったから少しだけ静かにしてくれる?」

 

 ゴンベエの肩をぎゅっと掴むと、クレマンティーヌは近くの酒場に引き摺るように入った。まだ店内は活気がある。

 ゴンベエはクレマンティーヌの手を引き剥がすと、一人で店の奥まで歩いて行く。彼の言う通り、まだ体力はあるらしいが酔いは覚めておらず、他の客にぶつかっていた。

 

「すまん。怪我はないか?」

 

 瀬戸際に立って、まだ他人の安否を気遣っているその姿にクレマンティーヌの胸にわずかに熱いものが込み上げた。人事尽くさずして天命を待つなど愚か者のすることだ。彼女は堪え、ゴンベエの背中を押した。

 

「ほら、早く。私もゴンベエちゃん探して喉乾いちゃった」

 

「けっこう、けっこう。お前もその気だな」

 

 ―――俺は一杯やりたいほど良い気分なんだ。

 

 カウンターに手を伸ばして、重い腰を席に下ろした。早速とばかりにゴンベエは注文を入れる。

もっと酔いたい、酔わせてくれ。酔ったまま死ねるのなら僥倖である、とそんなゴンベエの隣ではクレマンティーヌがカウンターを手で叩き、

 

「水の混ざってない一番良いのちょーだい」

 

 と、喚いている。

 

 一方で亭主は唖然としている。唇の青い男はどう見ても病人だ。こんな客はこの店始まって以来初めてであった。気でも狂っているのだろうか。

 

 固まっている亭主をゴンベエはまじまじと見詰めて、にこりと笑った。

 

「金ならまだあるさ」

 

 口調はまだ元気そうだ。亭主は不安になりながらも金を持っているのなら良いかと、二人に上等な酒を出してやると和気あいあいと宴を始めた。

 

「お前と二人きりで飲むのは久しぶりじゃないか?」

 

「この前一緒に飲んだじゃん」

 

「……そうだったか?」

 

「そうそう」

 

 二人は周りの目を引くほど、仰け反って笑った。亭主には何が面白いのか、まるで分からない。

 ゴンベエは両手で杯を口に持っていき、ぐいぐいと飲み続ける。クレマンティーヌが自分の持っていた酒を差し出すとそれも一息に飲み干した。

 

「あの宿とは比べ物にならないな」

 

 ふいにゴンベエが大笑う。

 

「私は悔しいなぁー」

 

「おいおい、今は陽気に飲もう」

 

 クレマンティーヌはくすりと笑う。

 

「ゴンベエちゃん、マジで脳みそ腐ってるねえ」

 

 ゴンベエは弾かれたように笑いながら、どんどん飲み続ける。クレマンティーヌはマイペースに少しずつ飲みながら、ときどきゴンベエをからかう。

 

「よしもう一杯だ」

 

 飲み続けなければ、乾いて干からびる勢いだ。亭主は面倒な客だと思いながらも相手をしなくて幸いだと思っていると、上客が目に入った。

 

 短く刈り上げた金髪の女だった。良く鍛え上げられた巨体、それに根を張る大樹の如き太い首の上には精悍な顔が乗っている。一見すれば男と見間違えてしまいそうだが、この街で彼女を知らない者は少ないことだろう。店の誰もが親しみに声をかけている。彼女は一つ一つに応えながら店の奥にあるカウンターまで来ると、ゴンベエから二つほど空けた席に座った。

 

 亭主が笑みを浮かべながら酒を持って来る。彼女は何も言わずに一息にあけたると朗らかに笑った。

 

「いつもと変わらず良い酒じゃないか」

 

「どうも。ガガーランさん、飯はどうします?」

 

「もう食ってきたよ。今夜は飲むだけさ」

 

 ガガーランと呼ばれた女を見れば見るほど、ゴンベエは興味をそそられた。近づきになって一緒に飲んでみたいと思ったが、今の自分に巻き添えはできないのでぐっと我慢した。

 クレマンティーヌも酒が進んできたようで、遠慮なく杯ぐいぐいと空けている。ゴンベエも酒以外は気にしないようになってきた。

 

 その時、怒鳴り声が聞こえた。何事かとやおらと振り返ると酔っ払い同士の一団が喧嘩になったらしい。どやどやと騒ぐ冒険者衣装に身を固めたどれも腕に覚えのありそうな七、八人が取っ組み合っている。

 

「あそこで面白そうな事やってるよー」

 

 クレマンティーヌが跳ね上がって、隣人の肩を叩く。

 

「はっ、天が落ちてこようと酒が先だ」

 

 そう言った矢先、投げ飛ばされた男がゴンベエの背中にぶつかってきた。その衝撃で持っていた杯が吹っ飛んだ。ゴンベエが雷のように喚いた。

 

「おい! ここは酒を飲む所だ。飲まないのなら失せろ!」

 

 腹の底が震えるような一喝に取っ組み合いをしていた一団はびくりと震えて身を強張らせたが、引き下がらずゴンベエに食って掛かった。

 

「差し出口をしやがって!」

 

「どこの馬の骨だ!」

 

「俺達のプレートが目に入らねえか!」

 

 先ほどまでが嘘のように手を取り合って、言いたい放題浴びせてくる。ゴンベエが冷ややかな眼差しになろうが彼らの態度は変わらない。クレマンティーヌは瓶を手に持って臨戦態勢を取っている。

 

「おい、止めな!」

 

 号と喚いたのはガガーランであった。すると冒険者一団の態度が面白いようにコロッと変わるではないか。愛想笑い浮かべてへこへこと腰を折ると、

 

「ガガーランの姉さん!」

 

「これはお見それしましたぁ!」

 

 矢継ぎ早に台詞を残していくとさっさと店から尻尾を巻いて退散する様は何とも言えない小気味の良さがあったが、ゴンベエは興味を無くしたのか何もなかった顔で酒を飲んでいた。一方でクレマンティーヌはガガーランの顔を見て眉をひそめるが、関わらない方が良いと考えたのかこれまた何事もなかった顔で視線を反らした。

 

 ガガーランはこの二人を訝しげに見詰めると、すっと立ち上がり何食わぬ顔でゴンベエの隣に尻を据えてみせた。クレマンティーヌはこれに一瞬呆気に取られたが、眉間にしわを作る。

 

「酒だ! 酒!」

 

 ガガーランは二人に話しかける素振りも見せずに、亭主に向かって目を剥いている。ゴンベエの方もとくに気にかけずに黙々と杯を空けていた。クレマンティーヌもその場の空気に任せて用心しつつも飲みを再開する。三人は言葉少なく杯を空け続けた。

 

 ふいにガガーランが笑った。

 

「奇妙なものだろう。酔いたがるとかえって酔えない」

 

 ゴンベエも、軽く息をついた。

 

「酔いたくない時には簡単に酔えるのになあ」

 

「あいにく、酔って死にたがる奴に限って神様はそう楽にさせてくれないものさ」

 

 顔をしかめたクレマンティーヌを尻目に、ガガーランがゴンベエの顔を覗き込むように近付いた。

 

「酷い顔色だな。先は長くないね」

 

「もはや尽きたかな」

 

 と、ゴンベエは微笑む。

 

「あんた、分かっているのに酒を飲みに来たのかい?」

 

「生きるも死ぬも些細なこと。そんな事で酒を後回しにできるか」

 

「ちげねぇ! 俺も同感だ」

 

 手を叩いて哄笑して、ゴンベエの背中を叩いてまた哄笑するが、ガガーランは怒らせた目でゴンベエを睨んだ。

 

「俺のことは知ってるだろう」

 

「失礼かもしれんが、まだ」

 

「ほーう。本当に俺を知らないのかい」

 

「知らんものは知らん。何度も言わせるな」

 

 反対側でクレマンティーヌの苛立った顔には目もくれず、ガガーランはゴンベエを睨み続ける。

 

「そりゃあ、毒だろう?」

 

「そうだろうな」

 

「苦しくないのか?」

 

「あんたに関係があるかい?」

 

「気になるじゃないかい」

 

「はっ、四の五のぬかすな」

 

 ゴンベエはにこりと笑うとガガーランと向き合う。

 

「酒を飲むのならお付き合いするが、興がるというのならあちらへ。酒の邪魔をしないでいただきたい」

 

 そう言うとゴンベエはそっぽを向く。ガガーランはまだ興味深げに目を据えていたが、しぶとく話を続けた。

 

「俺の知り合いにそういう毒に詳しい奴がいるぞ。良かったら今すぐ紹介してやるが」

 

「治療代を払えるほどの金はないので、どうぞお引き取りいただきたい」

 

「いやいや、何としてもお前を治療してやる。嫌だというのならその剣で俺を斬れ」

 

 ゴンベエは身を乗り出して答えた。

 

「冗談は言うな。この刀は人も殺めるぞ」

 

 ガガーランが分厚い胸を張って答えてみせる。

 

「大真面目さ。嫌なら俺を殺せ」

 

 クレマンティーヌは今すぐにでもこの場からおさらばらしたくなった。こんな狂人共に付き合わされたら身が持たない。そんな彼女をよそに二人は神妙な顔で睨みあっている。

 

「治せるのか?」

 

「そういう毒に詳しそうなのが二人もいるよ」

 

「どういう毒か知ってるの?」

 

 クレマンティーヌがゴンベエの背から乗り出して尋ねた。

 

「俺は知らんさ。だが、俺の仲間なら何か知ってるはずさ」

 

 クレマンティーヌはじろりと目をくれる。要領を得ない返答に信用はならないが、ガガーランの素性から可能性は十分にあるのをクレマンティーヌは知っていた。彼女はこの王国が誇るアダマンタイト級の冒険者なのである。その力と人脈を持ってすればゴンベエの回復は恐らく可能なのだろう。

 

「俺はどうにもできないが、何とかなるさ。宿にはポーションだって沢山あるんだぜ」

 

 ガガーランは得意げに笑っている。

 

「かけるしかないかー」

 

 深い溜息を吐きながらクレマンティーヌは、そう呟くのだった。

 

「……死ぬのは難儀なものだな」

 

 ゴンベエは苦笑した。

 



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