我が愛しき少女(かいぶつ)達よ (トクサン)
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プロローグ

「はい、今日も健康だね、BTの値も正常だし身体機能面も問題無し」

 

 一面の白い部屋、加工されたリノリウム材の下にはヒカネ複合金属が敷き詰め固められている。ER-090と呼ばれるその金属は耐火性能の他、耐錐、耐溶断、耐衝撃性が備わっており、人間一人にどうこう出来るモノではない。壁にも同様の金属が埋め込まれており、宛ら此処は要塞か。

 

 部屋の中には中央に大きなベッドが一つ、後は仕切りのあるトイレとシャワー室、彼女唯一の趣味趣向となる書籍は乱雑に地面に放られているか、積み重なっている。大きさはそれなりにあるが、物の少ない殺風景な部屋。

 硬い金属に守られた部屋だと言うのに中の住人は年端もいかない少女一人だけ。

 

 尤も、目の前の――可憐な少女を守る為にある訳ではない。

 寧ろ、この金属の壁は彼女から『俺達』を守る為に存在しているのだ。

 

「お腹空いた」

「うん、もう少しで夕飯が届くから我慢してね、今日はカレーだよ」

 

 彼女の腹部に刺していた針を回収し、その傷にパッチを貼る。今ではこの作業も手慣れたもので、最初は痛がっていた彼女達も今ではそんな素振りを見せない。多少は腕前が上がったという事なのだろう。

 

 目の前の少女は白い髪を腰まで伸ばし、ぶかぶかの支給品を着た見目麗しい少女だ。眠たげな目元に艶やかな唇、肌は白く体つきは細い、そんな少女を金属の檻に入れている自分達は傍から見れば犯罪者以外の何者でもないだろう。

 しかし彼女はただの少女では無く、またこの檻も連邦によって設立された国際的に重要施設だったりする。

 この美しい少女(怪物)を飼い慣らす場所。

 

 名をレガリス――王者の名を冠するこの施設は、彼女達の様な存在を多く抱えた研究所。要するに人体実験をする為の場所であった。

 

 藤堂(あらた)、今年で二十六になるレガリス研究所デザインド健康管理官。

 それがこの場に居る一人の男――己の肩書きである。

 

 何故自分がこの場に居るのかと言えば、それは全く以て偶然という他ない。元々医者でも何でも無く、ただの一研究者だった己は何の因果か彼女達の健康を管理するという仕事を与えられ、四年経った今では当研究所の殆どのデザインドを一人で健康管理している状態となっていた。

 

 元々この施設には『デザインドの健康管理』という概念が存在しない。

 そもそもそういう風に設計された彼女達である、万が一は起こり得ない、そう思っていた研究者達だ、仮に体調を崩しても直ぐに回復する。実際その通りだ、彼女達の肉体は既に人間の枠組みを超えており回復力も並外れて高い。

 しかし、高いからどうしたと言うのだ、病に犯されるのが辛くない筈が無い。

 そうして彼女達の体調管理という名の世話を個人的に始めたのが運の尽き、あれよあれよという間に所長から健康管理官の役職を授けられ、こうして此処に立っている。

 

 

 デザインド、設計されて生まれた試験管ベイビー。

 

 

 計画当初から携わっている訳ではない為、全貌は知らない。己は途中から雇われた一研究者でしかないのだから。最初この研究所で行われていた所業を聞いた時は憤慨し、内定を蹴り飛ばしてやろうと思ったが、連邦機密保持法によって辞退は許されなかった。己一人の力など限られている、国際警察にマークされて日々を過ごすなんて、社会復帰は不可能に近い。

 結果、悛は渋々この場で働くしか無かった。

 しかし悛はこんな仕事をするには余りにも――善性であった故に。

 

 パッチを貼った後、悛はポケットの中から三つの小さなチョコレートを取り出す。研究所の売店で販売されている少しばかり高価な包みのチョコレートだ。それを拳の中に握り締め、目の前の少女の手に握らせる。

 

「替えのパッチを渡しておくから、もし傷口が痛んだらコレを張り替えて暫くは抑えていてね」

「……うん、分かった」

 

 少女は手の中にある感触を確かめ、僅かに頬を緩ませる。

 悛がこうやって毎日検診に来る度にお菓子を渡してくれる事を、目の前の彼女は心待ちにしていた。先のお腹空いた発言も、実際はお菓子が欲しいと言う遠回しな意思表示だ、悛もそれを分かっていた。

 

 彼女達には食事制限がなされている為、本来このような行為は禁止されている。しかしお菓子の類を一切禁止というのも辛かろう、故に悛は毎日少量の菓子を彼女達に与えていた。

 

「何か欲しいものはあるかい? 月に一度の趣向品支給は明日だ、手配しておくよ」

「じゃあ、悛」

 

 少女は満面の笑みでそう告げる、しかし悲しいかな、この身は一つしかないのだ。

 

「残念、今週の土日は他の子で埋まっているんだ」

「……なら、再来週」

「分かったよ、再来週の土曜日に遊ぼう」

「やった」

 

 悛の言葉に少女はガッツポーズを見せる。恐らく人との触れ合いに飢えているのだろう、彼女達は互いに接触する事も許されていないし、一日の殆どを一人で過ごしている。故に休日である土曜か日曜に悛と遊ぶことを何よりも望んでいた。

 

「それで、欲しいものは?」

 

 土曜と日曜は悛が休日を消費すれば良い話だ、故に支給品とは言い難い、そもそも俺は物ではないと。故にもう一度問いかけると、少女は少し考えた後に告げた。

 

「面白い小説が読みたい」

「……うん、分かった、取り寄せておくよ」

 

 そういう彼女の言葉に笑顔で頷き、悛は立ち上がる。取り敢えず流行の小説を三冊程、彼女の為に用意しておこう、この少女が喜びそうな恋愛小説を中心に。

 悛が立ち上がると、少女もベッドから立ち上がり悛の着込んだ白衣の裾を掴んだ。ぐいっと小さな力で引っ張られ、悛は苦笑を零す。

 

「また明日来るよ」

「…………うん」

 

 裾を掴んだまま悛と一緒に部屋の入り口まで歩く少女、その表情は暗い。貴重な触れあいの時間が終わってしまうからだろう、悛も出来る事なら部屋に留まってやりたいが、彼女一人だけに時間を割く訳にはいかない。

 

 少女が入口に近付くと、ビーッ! という警告音と共に扉の左右からテイザーガンが銃口を覗かせた。

 その銃口は少女だけを狙っており、悛は照準に入っていない。この部屋の入り口はICチップを内蔵したカードが無ければ入る事も出る事も出来ない。もし持っていない状態で出ようとすると、この様な警告が発せられる。人間なら最悪死に至る電撃を放つテイザーガン、無論デザインド用に開発された改良銃だ。

 

 少女ならば兎も角、悛が食らえば臓器ごと麻痺して見っとも無く痙攣した後、失禁して死ぬだろう。

 

「……明日、待ってるから」

「約束する、また来るから、安心して」

 

 悛が微笑み、少女は唇を噛んで頷く。

 少女が掴んでいた裾を放して一歩その場から退くと、テイザーガンは再び壁の中に埋没した。悛は後ろ髪を引かれる思いで扉の前に立ち、一拍後に開いたソレを潜る。そうすると白い部屋から一転、暗く機材に埋もれた研究室に早変わり。背後の扉が閉まって、悛は何とも言えない罪悪感を覚えた。

 

「……A-04番、今日も異常ありません、BT値も正常、詳細は後で送ります」

「あいよ、A-04担当官了解、詳細は要らねぇ、いつも通り勝手に上に報告してくれ」

「分かりました」

 

 皮椅子に深く腰掛け、煙草を吹かしたまま己の研究に没頭する男。彼はA-04番、この部屋の少女の担当官だ。仕事はA-04の監視と彼女を使った実験、それぞれ設計された目的が異なる為実験内容は様々だが、場合によっては目を覆いたくなる様な実験も行われる。

 そういう事を平気でやる連中なのだ。

 

 男は健康面など、どうでも良いとばかりにPCと向かい合いキーボードを叩く。大抵の管理官はこの男と同じ健康になど全く注意を払わない、一部の良心的な管理官でさえ比較的と付くだけで悛からすれば大差ない。

 ここに連れて来られる連中は皆、心が死んでいる。

 何故自分が選出されたのか今でも不思議だった、しかし自分が来なければ彼女達はもっと不幸な目に遭っていただろう。そう考えれば此処に来た意味はある、悛はそう考えて拳を握った。

 

「では、失礼します」

「うい、お疲れ~」

 

 研究室を後にし、悛はそのまま廊下に出る。

 籠った煙草の匂いから解放されて、悛は白衣を手で叩いた。

 

「………本当に、此処の連中は気が狂っている」

 

 

 





 Twitterに書かれていた奴を読みたいと要望を頂いたので、やったるでー! と書いてみたら筆が進むくん。
 と言う訳で取り敢えず二話まで投稿させて頂きます。


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希望への一報

 

 藤堂悛は本来誰かの健康を管理出来る程、医療の知識を持ち合わせていない。

 それでも何とか健康管理官なるものが務まっているのは単にデザインドの人体が人間のソレとは全く異なっているからだ。ベースとしては人型を模しているが、そもそも中には『人型』である必要がないデザインドも存在する。

 

 そもそも、デザインドは何故生まれたのか?

 

 ニュルンベルク綱領が提示された1947年から既に計画の原案は存在していたと言われているが、その真実を知る者は誰も居ない。その原案を生んだと言われているのが731部隊と呼ばれる日本の研究機関、関東軍防疫給水部本部と戦時中は呼ばれていたらしい、既に遠い昔の話で当時生きていた人はもう現代に誰ひとりとして残って居ないだろう。

 

 もう百年も前の話だ。

 

 当時の研究施設も爆薬によって破壊され、研究資料や実験を裏付けるデータ全てが隠滅されている。故に原案が彼の研究機関によるものだとは眉唾物の噂でしかない。しかし当時被検体(マルタ)と呼ばれていた女性の一人が後のデザインド、そのプロトタイプと呼ばれるに至ったというのは本当らしい。

 

 その女性も既にこの世を去っているらしいが、その事からデザインドが戦争に向けて準備された存在というのは明らかだ、尤も731のソレが意図して成った事なのか、それとも偶然の産物なのかは分からないが。

 

 元々デザインドは成人した男性や女性に特定の改造手術、薬物投与、人工ウィルス感染、ナノマシン強化などによって望んだ能力の獲得や身体能力の底上げを狙った計画だったが、今では誕生前に遺伝子改良によってある程度の方向性を持たせることに成功した。

 その第三号――所謂完成系と呼ばれる少女たちが現研究所レガリスのデザインド達である。

 

 彼女達は生まれた時よりBT臓器と呼ばれる人造の臓器を移植される、これはどんな方向性を持ったデザインドであっても絶対だ。人間に限りなく近い身体構造をしていようが、ゲル状のナニカが体に詰まって居ようが、少女たちはこのBT臓器を体内の何処かに持ち合わせている。

 

 例えばA-04番の少女、彼女のデザインは『単純な怪力』

 常人の三千倍の筋力をA-04の少女は瞬間的とは言え発揮する事が出来る、持続の場合は常人の二千倍まで低下するが、その怪力はデザインドならではと言う他ない。

 一馬力が750W、そして成人男性の平均が約200W――彼女の場合600,000Wである、最早意味が分からない。

 

 本来ならばあんな細腕に詰まった筋繊維では不可能と言える、無論彼女が力を発揮する場合、あんな細腕のままの訳がない。デザインドはそのデザインされた能力を使用する際、BT臓器から特定の因子を取り出すのだ。

 

 実際、BT臓器がどんなものであるか、どうなっているのか、それを悛は知らされていない。その研究を行う前に、悛は健康管理官として抜擢されてしまったから。故に彼はデザインド毎に設定された基準BT値の確認と身体機能の異常――人間に近い構造のデザインドならば兎も角、全く異なるデザインドの場合は過去の状態から変化が無いか推察する――の有無、後は適当に押し付けられたカウンセリング程度。

 

 これならば普通の医者を雇えばいいだろうと声を上げた事もあったが、そもそも医学を修めていても大して役に立たない、ならば既存の研究員でも良いだろうと言うのが上の考えだ。文句を言う研究員を外に出す訳にはいかない、なら丁度良いから雑用をさせてやる、そんな感覚なのだろう。

 

 悛は内定を蹴り飛ばそうとした時点で上の連中に目を付けられていた。

 

 それでも一部評価されているのだから世の中何があるか分からない、月に一度の趣向品支給も悛が作ったものだ、元々潤沢な資金がある研究所、たかだか数十万程度の出費には目を瞑ってくれる寛容さがある。

 

 悛が検診を開始してから、実験中にデザインドが暴れる事が少なくなったと言う報告も上がっている。飴と鞭――意図して行った訳ではないが、悛の行為はそれに該当したのだろう。

 

 我ながら何ともまぁ、残酷な研究に肩入れてしているのだと死にたくなる。

 

 

 

「定期報告は提出完了……後は月間のBT値推移を纏めて――」

 

 場所は悛に与えられた研究所内にある自室、連邦所属国際公務員という立場でもあるため自室は広く待遇も良い。備え付けのデスクの上には薄型のタブレットPCがあり、悛はそれを使って研究所内ネットワークを経由して上に報告を行う。

 

 悛に課されているのはデザインドの検診と定期報告、異常があった場合は直ぐに上へと打診しなければならない。そうでないならば各デザインドの欄に『異常なし、BT値正常』と書き込み各担当官から電子署名を貰うだけ。

 

 殆ど担当官は電子署名を悛に丸投げしているため、ワンクリックで事は済む、皮肉な事に健康に無頓着な事は悛の負担軽減に繋がっていた。

 

 後は月の終わりに月間報告――毎日のBT値を記載し、外見の推移や悛の主観も交えて詳細を綴った報告書の提出、それが悛の業務であった。

 

「……ん? 招集命令?」

 

 悛が月間報告書を纏めたメールを上に提出しようとすると、受信欄にアイコンが点滅している事に気付く。ダブルクリックして中を見てみれば、上層部による緊急会議が開かれる旨が書かれていた。

 緊急会議とは穏やかではない、何かあったのか?

 

 悛は顔を顰め、指定された会議室に白衣を掴んで駆け出した。緊急会議には三十分以内の招集が義務づけられている。それ以上遅れると遅刻報告書なるモノを書かされるのだ、要するに何をしていたんだという責任追及である。

 面倒な事この上ない、悛は自室から飛び出すと廊下を全力で駆け出した。

 

 

 

 会議室は第六室が使用される事になっていた。

 会議室の扉を開くと、中には計十名程の男女が椅子に座して待機していた。悛が入室すると、面々の視線が集中する。妙な圧力に背筋を伸ばしながら、「藤堂悛、健康管理部門、出席しました」と口にする。

 

 健康管理部門はデザインドの健康管理を名目に設立された部門だが、その実メンバーは悛一人きりである。そもそも言い出しっぺが悛なので配属される事に異論はないが、まさか全部ひとりでやる事になるとは……という気持ちだ。

 それでも一応部門である、そのトップは悛であり、幹部会への出席も認められていた。

 

「宜しい、一応招集時刻より十分早い、着席したまえ」

「はい」

 

 一番奥に座っている所長から声を掛けられ、悛は一礼する。所長は四十代の男性で金髪に青い目をしている、顔には深い皴が刻まれているが老いを感じさせない威圧を纏っていた。流石に心無い人間のトップに立つ男である、自然と冷汗が流れて来るような威厳だ。

 

 自分が最後だったのか。

 悛はその事に驚きながら一番端の席に座った、隣には経理部門のD・ホワスキーが座っている。白髪に厳つい顔をした初老の男性だ、今年で確か五十二になる。彼は悛が座ったのを見るや否や、「遅いな、新人」と鼻を鳴らした。

 

 この研究所に来て四年目だが、未だに新人と呼ばれる。

 自分が着任して以降、新しい人材が来ていないのだ。自分としてはそれなりに一端の人員になったつもりだったのだが、彼等からすると違うのだろう。「ははは、すみません」と笑いながら悛は内心で毒を吐いた。

 

「――さて、業務の合間に集まって貰ってすまないな、しかし緊急の件だ、至急皆に伝えなければならない事がある」

 

 会議室に集まった幹部の面々、その視線を一身に受けながら所長は真剣な面持ちで告げる。普段は緊急招集など掛からない、あっても定例会議程度のものだ。それ程に重要な案件なのだろう、自然と幹部の面々の表情は厳しくなり、皆が尋常ならざる空気で所長の言葉を待った。

 

 

 

 

「デザインドの第二号収容所が襲撃を受けた、デザインド約二十名余りが脱走――未だ全員の確保には至っていない」

 

 

 

 

 それは余りにも衝撃的で、幹部会の全員が一瞬思考に空白を生む程の爆弾であった。呆けた顔に浮かぶ感情は何だ、焦りか、或は恐怖か、少なくとも好意的な感情ではない筈だ。

 

「おいおいおい……嘘だろ、マジでか」

 

 一番最初に声を上げたのは警備部門の男、大きくゴツイ体格に刈り上げの髪型が特徴的な武闘派漢。彼は身を乗り出すと、「所長、それは最悪の部類だ」と声を荒げる。

 それに同調する様に隣に座していたデザインド研究部門の女が言った。

 

「報復が来るわ、連中、絶対に他の研究所を襲撃する、此処も例外じゃない、元々鎖が無ければ大暴れする連中よ、そういう風に作ってあるの」

「あぁ、俺もそう思うぜ、ただの銃じゃアイツ等は止まらねぇぞ」

「……現在連邦の軍部が第二号の足取りを追っている、見つけ次第確保、不可能なら射殺、脱走したのは二十五名、内一名を確保、三名を射殺、その間に軍部は二百人余りが死んだ、研究者としてはその戦闘能力に喜ぶべきなのだろうが――今は厄介な事この上ない」

 

 女の言葉に所長は手を組んだまま溜息を零す、デザインドの脱走、今まで聞いた事がない失態だ。デザインドはそもそも戦争に向けて作られた人工生命体、その戦闘能力は素の人間を遥かに上回り、上位個体ともなれば個人でどれ程の被害を出すか。

 

 第二号は第三号に先駆けて作られた限りなく完成に近い試作デザインド、能力も第三号に出力、持続性共に劣るものの、出力自体は大した違いが無い。第三号で改善されたのは持続性だ、例えばA-04の怪力が第二号相当であった場合、瞬間的な筋力は変わらないかもしれないが、時間経過によって常人の百倍程度までには落ち込むだろう。

 

 出力に問題無し、ただし持続性に難あり――いつか覗き見たBT臓器の一枚資料、それに記載されていた一文。

 

「軍部が出張っているのなら、私達が行うべきは施設の防衛でなくて?」

「そもそも何故デザインドが脱走したのだ、管理体制がなっていなかったのでは?」

「――防衛に関しては警備部門に一任する、そしてデザインドの各管理官には管理の徹底を通達して欲しい、最悪逃げられるようだったら自壊も許可する」

 

 騒めく会議室、誰もが意見を口にし所長が淡々と答えていく。悛はその光景を目にしながら、彼等とは全く違う事を考えていた。

 

 

 脱走――そうか、脱走か。

 

 

 悛は今の今まで、彼女達を逃がそうとは一度も考えなかった。

 単純にそんな勇気も力量も無いという部分もあったが、何より不可能だと思っていたからだ。連邦の保有する研究所なだけあって、警備は厳しく管理は徹底されている。そもそも研究所自体が北極海に在り、周囲十数キロは海と氷河に囲われている、通常の手段では侵入はおろか脱出すら不可能。

 

 更に一キロ毎に偵察塔が存在し、赤外線にて上空、海上を通過する物体を監視している始末。通過した物体は常に研究所のメインAIに通達され、リストに該当しない船や飛行物体が通過した場合は即座に連邦のマザーベースに通報される仕組みだ。これで逃げ出そうと考える方がおかしい、普通は意気消沈して諦める筈。

 

 しかし、似たような状況から逃げ出した連中がいる。その知らせは悛の固定概念を取り払い、一筋の光を齎した。

 彼女達をこの狭い世界から救い出す――可能ならばそうしたい。

 

 あんな少女たちにこんな場所は似合わない、もっと伸び伸びと自由に暮らして良い筈だ。無論、それに支払われる代償は余りにも大きい、恐らく彼女達を逃がした事が露呈すれば死罪は免れない。

 最悪生き残ったとしても二度と日の光は拝めないだろう。

 もうこの世に居ない両親にも怒られるかもしれない、真っ当な大学を出て、連邦所属の国際公務員という、表向きだけは立派な職に就いたと言うのに。

 

 己の人生を掛けてデザインドを救うか、見て見ぬ振りをするか。

 

「――兎も角、現状本部より齎された報告は以上だ、各自今まで以上に警戒してくれ、最悪第二号が攻め込んで来る可能性がある、警備部門は装備の拡充と施設強化に励んでくれ」

「了解、経理のおっさんも良いだろう? 今月の予算は他の連中には悪いがこっちに回してくれ、研究より防備が大切だ」

「誰がオッサンだ……まぁ、良い、相分かった、必要な分を申請すれば可能な限り通す、だが無駄な出費は控えてくれ」

「任せろ」

 

 会議は終了し、各々が厳しい表情で会議室を後にする。悛も会議が終了した事に気付き、慌てて椅子から立ち上がると、他の幹部に続いて会議室を退出した。その両手を握り締め、互いに意見を交わす幹部と共に廊下を歩く悛は決意する。

 

 多分、映画や漫画の主役の様な人間というのは、こういう時に全てを投げ出して手を差し伸べられる人間なのだろう。自身の信条に真っ直ぐで、どれだけ巨大な組織であっても対峙できる勇気がある。希望に満ち溢れ、間違えず、常に正しい選択をする。

 

 悛には――それがない。

 

 社会から弾かれてしまうという恐怖、二十六年積み重ねて来たモノが無くなると言う恐怖、命を失うかもしれないという恐怖、自分でなくとも、他の誰かが、そういう考えがいつまで経っても無くならない。

 

 だから、準備だけする。

 もしも、万が一、第二号がこの研究所に攻め込んで来た時に。

 彼女達が憂いなく此処を去れる様に。

 

 それが自分の精一杯。

 

「大丈夫――俺ならやれる」

 

 強いセリフを口にすると、自分も強く成った様な気分になれる。

 それは悛という人間の精一杯の強がりであった。

 

 



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取り返しのつかない一歩

「悛、遅いわ、遅刻よ」

「ごめん、ごめん、ちょっと徹夜で仕事が……」

 

 場所はA-013番と称される牢獄、或は管理室。今日は通常業務が休みであり、最低限の管理を残して休暇が許される日である。悛はその日、約束した一人のデザインドの元を訪れていた。昨日の第二号脱走の報を聞き、殆どの管理官が休日返上で働いているが、自分もそう見られているのだろうかと一人苦笑を零す。ここの所は休みなくデザインドの元を訪れている悛、彼女も待ち遠しかったのが不機嫌そうにしながらも口元は少し緩んでいた。

 

「仕事と私、どっちが大事なの!?」

「勿論君だよ」

 

 ベッドの上でプンスカ怒る一人の少女、まるで恋人同士の会話だと思った。

 彼女の名はA-013番、目の前の少女もまたデザインドであり白い髪を持っている。遺伝子改良の弊害か、デザインドは漏れなく全員色素が抜け落ちて白い髪になってしまうのだ。例外はあるが大体が白い肌を持ち、成長が遅い。彼女も例に漏れず四年前より多少背が伸びた程度か、まだまだ年齢的には中学生程度だろう。

 

「ふん……まぁ良いわ、それで今日もするんでしょう?」

「うん、君が良ければ」

「良く無い日なんて無いわ」

 

 悛が頬を掻きながらそう言えば、彼女はベッドから降りて部屋の隅に設置した棚を漁り出す。A-04とは異なり彼女は整理整頓ができる方であった、月に一度の趣向品支給も整理棚を要求する程で、それは悛が個人的に購入して買い与えている。

 

「さぁ――勝負よ!」

 

 そうして彼女が取り出したのは……とあるカードゲーム。

 名を『英雄大集合☆天下分け目の大合戦』、悛が小学生の頃に嵌っていたカードゲームである。何故か良く分からないが彼女はこのゲームを酷く気に入っており、悛が遊びに来る毎に勝負を挑んで来る。

 カードは悛が持っている分は全て彼女に差し出したのだが、今では数ヵ月に一回、箱買いを頼まれる程度にはハマっているらしい。

 

 因みに勝率は今のところ悛が全勝である、カードゲーム自体は小学生で卒業していた悛だが、今でもぼんやりとルールは覚えている。そして最近ではA-013のお蔭で昔の勘を取り戻していた。

 東北の猛犬と呼ばれた頃の魂が呼び起こされる……。

 

「良いよ……この藤堂悛に易々と勝てるとは思わない事だね」

「ふふん、その自信いつまで保てるか見ものだわ、ここの所ずっとデッキ組に時間を割いていたのよ、今日こそ吠え面拝んでやるわ!」

 

 凛とした顔立に笑みを浮かばせてこちらを鋭く射抜くA-013、どうやらデッキを一新したらしい。その自信あり気な表情に悛は白衣の中からデッキを取り出し――恐らく、こうなるのだろうと見越して持ち込んでいた――互いにデッキを突き付けた。

 

「今日こそ負けないんだから!」

 

 

 

 

「喰らえ! 『閃光の明智光秀』で攻撃、目標は『漆黒の織田信長』! 明智光秀の『信長殺す慈悲はない』スキルを発動、君の織田信長を撃破だ!」

「信長ぁアあぁァアアッ!」

 

 嘘、嘘よ! そう言って崩れ落ちるA-013、彼女のバトルゾーンには既に英雄の姿が無く、最後の英雄であった日本の英雄、織田信長が明智光秀に斬り殺される。因みに全てホログラムである、カードの中には立体映像を映し出す機能が存在しバトル結果に応じて映像が流れるのだ。

 最近のカードゲームは技術力が物を言う。

 

 信長は斬られた拍子に地面に倒れ込み、『信長死すとも、自由は死せずッ……!』と言って息絶えた。

 

「信長殺しって何ソレ、知らないわよ……アケチって誰よ、何なのよそのカードォ……」

「君は大英雄が好きだからね、誰もが知っている英雄を使うと思ったんだ――だから、対策もしやすい」

 

 そう言って悛は手札から一枚のカードを国力に加える、英雄を呼び出すための資源の様なものだ。カードの内容は『レッツ・楽しい刀狩り』、英雄カードではなく使用する事で効果を発揮する呪文カードだ。

 このカードの効果は相手の手札にある刀剣類の呪文カードを問答無用で捨てさせるというもの、中々に鬼畜である。

 

「ッ……でも負けないわ、まだ私の士気ポイント(HP)は残っているもの!」

 

 A-013は悛の攻勢に悔し気な表情を浮かべながらも、山札から一枚カードを引く。

 

「っ、私のターン! 恐れ戦きなさい、この英雄は全てを照らす戦乙女、大英雄『栄光のジャンヌダルク』を召喚!」

 

 勢い良くカードを手札から抜き出し、そのままバトルゾーンに叩きつけるA-013。そのカードはURと呼ばれる中々レアなカードであり、基礎能力値も素晴らしい。真正面から戦うのは難しいだろう、バトルゾーンに民衆を引き連れ剣を掲げた一人の女性が立ち上がった。

 

「このカードがバトルゾーンにある限り、私は毎ターン+一ポイントの士気ポイント回復が行われるわ! ふふふっ、まだ終わらないわ、私は何度でも蘇る――」

「計略発動、呪文カード『魔女狩り』、このカードが発動した場合、バトルゾーンに存在する英雄の中に魔女の属性を持つカードを消滅させる」

「じゃ、ジャンヌぅゥウッ!?」

 

 悛が一枚のカードを計略ゾーンから取り出すと、ジャンヌダルクは一瞬で火攻めにあって消滅した。中々良いカードだが対抗手段は無数に存在する、因みに悛の計略ゾーンには五枚のカードが伏せて置いてある。

 元よりこの男、相手の攻め手を全て叩き潰した上で反撃するタイプ。故にA-013の様な重コスト突撃タイプとは頗る相性が良い。

 

「そ、そんな……私のジャンヌが」

「……何か申し訳ない気持ちになるけれど、ごめんね、更に呪文カード発動、『シモ・ヘイヘーイ』、相手の士気ポイントが二以下、かつ国力が二以下の場合に発動した場合、相手の士気ポイントを二下げる」

 

 そうして悛が呪文カードを切ると、カードから白い煙が立ち上りホログラムから一人の狙撃手が現れた。彼は狙撃銃を構えるとA-013のキャラクターカードを撃ち抜く。

 バキン! という効果音と共にA-013のキャラクターカードに弾痕が表示され、即時に『敗北』表示が出される。士気ポイントがゼロ――即ち軍勢の敗走、彼女の負けである。

 

「私の対悛デッキが……負けたの……?」

「勝負の世界は無情である」

 

 そう呟くと悛は『勝利』表示を消し去り、デッキを一つに纏めた。

 

「ぅう……三日も考えたのにぃ、私のデッキ……うぅうう」

 

 涙目で呻くA-013、かなり悔しそうだ。それだけ本気で挑んだのだろう、彼女との対戦も既に百戦近くに上るが、そろそろ簡単には勝てなくなってきている。今回も万が一手札が事故でも起こせば敗北したのは自分になっていただろう。

 悛は彼女の成長に嬉しいような、そうでもない様な、そんな感情を抱いた。

 

「いや、でも凄く強くなったよ、前とは比べ物にならない、流石だ」

「ぅう……慰めなんて要らないわよ……」

「慰めなんかじゃないさ、君は本当に強くなった」

 

 昔は戦略などあったモノではなく、取り敢えず強いカードを出せば良いやと何処か脳筋プレイが目立つA-013デッキ、しかし今では大英雄を好むのは変わらずとも、その兼ね合いや能力の発動条件の吟味など中々サマになって来ている。

 

「努力した証拠だよ、次はもっと強くなって、俺にも勝てる様になるさ」

「………本当に?」

「勿論」

 

 継続は力なり、それは何事にも当て嵌まる。A-013はその言葉を聞くと涙ぐんでいた目元を拭い、再び凛とした表情を取り戻し立ち上がって悛を見下ろした。

 

「――ふん! 今は勝利の余韻に浸れば良いわ! 次勝つのは私だもの!」

 

 相変わらず立ち直りが早い事で、そのメンタル回復の速さを是非とも分けて頂きたいモノである。無い胸を張ってふんぞり返るA-013、将来に期待したい、悛は少女の姿を眩しそうに眺めていた。

 

「今日は夜まで遊べるのよね? なら次はテレビゲーム、テレビゲームをしましょう!」

「分かった、分かったから、そう急かさなくとも」

「時間は有限よ、特に悛とのはね!」

 

 散らばったカードを素早く纏めた彼女は床にデッキを放置し、悛の手を取って部屋の隅に設置してあるテレビまで引っ張る。テレビは旧型の薄型テレビでホログラム形式ですらない、最近では珍しいだろう、悛が強請られ支給品として購入したものだ。支給品は限度額が設けられており一人凡そ一万まで、一万で買える物など限られている。ゲームも最新式のモノではなく、十年近く前のもの。

 それでも遊ぶ分には十二分で、悛とA-013は楽しんでプレイしていた。

 

「今日はこれ、梨鉄、梨鉄よ! 悛に負けない様に特訓していたんだから!」

「また絶妙なチョイスをするね……」

 

 一人ポチポチ、ゲームを特訓するデザインド、中々シュールな光景だ。しかし梨鉄は特訓してどうにかなるものなのだろうか。悛は差し出されたコントローラーを受け取りながら苦笑する、実際悛はそれ程ゲームが強くない。

 

 今のところ勝率は半々と言ったところか、この研究所に来る前はそれなりに楽しんでいたのだが最近では余りやらなくなってしまった。スーパートリオブラザーズとか、フマブラとか、専らパーティーゲームをA-013とはプレイしている。

 

「今日はマンボー神を押し付けて破産させてやるわ、覚悟しなさい!」

「あぁー……破産は嫌だなぁ」

「………やっぱり少しは加減してあげるわ、少しだけね!」

 

 破産という言葉に悛が消沈すると、A-013は慌ててフォローを口にする。何だかんだと言って心優しい少女である、性善説が正しいモノだと証明している様な存在だ。悛は、ありがとうと微笑みながら心の中で思った。

 やはり――彼女達はこんな場所に居るべきではない。

 肉体は違えど心は人間だ。

 コントローラーを握り締めた手を必死に隠しながら、悛はA-013に笑みを浮かべ続けた。

 

 

 

 

 時間の流れは速い、特に楽しい時間は。

 悛が腕時計に目を落とすと、そろそろ八時を回ろうとしていた。警備もAIに切り替わり夜間警護となる時間帯である。この時間になると管理官も研究室から切り上げて自室に戻る時間だ、実際A-013の担当官も先程研究室の光を落とし帰宅した。今管理室に居るのは悛とA-013の二人だけ、見ている者はいない。

 ここから先はAIによる監視体制に入る。

 カメラによる記録は残るが、その点は何とでもなる。

 

 

 この時間が――悛にとっての『勝負の時間』であった。

 

 

「ごめん、そろそろ時間だ」

「……帰るの?」

 

 悛が時計を確認する度に不安そうな表情を見せたA-013、決定的な言葉が零れた今となっては悲しそうに眉を下げている。悛はそんな彼女の肩に手を置くと、「うん、でもその前に少しお願いがあるんだ」と口にした。悛の口からそんな言葉が出て来るとは思わなかったのか、少女は目を見開きながら心底不思議そうに首を傾げる。

 果たして、自分にお願いする様な事があるのかと。

 

「お願い……私に?」

「うん、ちょっとごめんね」

「?――ってえぇ!」

 

 悛はA-013に断りを入れると、間髪入れずに彼女へと抱き着いた。肩に手を回し、丁度彼女の頭を抱きしめる様な形だ。少女は突然の事に慌てふためき、両手で虚空を掴みながらアタフタと喚く。

 

「うぇ、ちょ、待って、待っ、私、まだそういうの分からなくて、いや、あの、ほ、本とかでちょっとは知っているけれど、私達は、まだその」

「今から君の『自壊装置』を停止させる」

「―――」

 

 耳元で囁いた言葉に、A-013の挙動が不自然に止まった。

 

 悛は白衣のポケットに忍ばせていた自作の電波発生装置を取り出した。自壊装置とはデザインドが生まれると共に首筋へと埋め込まれるチップである、ソレは万が一デザインドが反旗を翻した場合に彼女達を抹殺する為のモノ。

 

 作動方法は簡単だ、専用の電波発生装置をチップに向けて照射するだけ。そして取り除き方も同じ、チップを停止させる電波を浴びせれば良い。恐らく二号達もチップを取り除いて逃げ出したのだろう、元々チップ自体の無効化は難しいモノでは無かった。持ち主自身がチップに触れようとすると自壊へのカウントダウンが始まるが、協力者が一人居れば最悪首の肉ごと剥ぎ取れば良い。

 しかし、今の今まで逃げ出す算段が無かった為にどうしようもなかった。

 

 けれど今は違う。

 今だけは研究者の連中に感謝しよう、自壊装置は内部の人間が裏切らない前提で作られている、その杜撰な設計が綻びを生んだのだ。

 

「ほ、本気なの? 悛、貴方――」

「本気だ、君達を此処から出す……けれど今じゃない、俺も昨日知ったのだけれど、第二号収容所からデザインドが脱走したらしい、彼女達が此処に攻め込んで来る可能性がある、そうなったら君達も一緒に逃げるんだ」

「!」

 

 本来ならば幹部にしか知らされない重要情報、悛はそれを何の躊躇いも無く明かす。カメラから見れば悛が少女を抱きしめている様にしか見えないだろう、しかしいつまでも動かないのは拙い。

 

 悛は装置を首筋に埋め込まれたチップに近付けた。都合上、チップは表層に近い部分に固定されている、装置を作動させ電波を発生させるとチップの上部に赤い点灯が見えた。これでチップは動かなくなった、万が一自壊命令を受けても作動しなくなる。

 

 悛はA-013から離れると、呆然としたまま己を見る彼女の手に自分の手を重ねた。彼女の手の中にあるのは――研究者に配られるチップ内蔵カード。

 悛の研究者カードを複製したものだ、これがあればA-013はこの部屋から簡単に出る事が出来る。そして研究所内であれば悛と同じセキュリティレベル、凡そレベルⅣまでの部屋までなら行き来出来るだろう。

 研究所から出る事も可能な筈だ。

 

「良いか、君は生きろ、生きて此処から出るんだ、そしてもっと広い世界を知ると良い――君にはその権利と義務がある」

 

 それだけ言って悛は立ち上がる。

 A-013は渡されたソレを見つめ、言葉の意味を理解した瞬間慌てて後ろ手に隠した。彼女が今手にしたのは外への切符、そして希望の光そのものだ。

 

 カメラ映像の件で問い詰められたら、「帰って欲しくない」と駄々を捏ねられたのであやしていたと言ってしまえば良い。彼女は立ち上がった悛を見つめて、瞳に涙を滲ませた。

 

「こ、こんな事をして、悛は大丈夫なの!?」

「大丈夫さ、君がこの事を管理官に話さなければ、絶対にバレない」

「わ……分かったわ、私、絶対に喋らないから!」

 

 そう言ってコクコク頷くA-013に悛は微笑み、「じゃあね」と言って踵を返した。少女は慌てて悛の後に続き、しかしテイザーガンが出て来る寸でのラインで足を止める。今カードを持っているのがバレては拙い、そう思ったのだろう。

 聡い子だと思う、やはり彼女は此処から出るべきだ。

 

「ま、また逢えるよね? 明日――は日曜日だった……明後日は来てくれるよね?」

「勿論、平日は検診があるから、絶対に逢えるさ」

「私、待っているわ!」

「うん、なるべく早く来るよ」

 

 涙を滲ませ、そう叫ぶ彼女に手を振る。悛が扉を潜ると暗い研究室が広がり、背後で扉が閉まる音がした。管理室と研究室はまるで対極、光と闇を象っている様だ。

 

 大きく息を吸い込むと薬品の匂いが鼻を突く、それでも咳き込まず、悛は歯を食いしばった。

 

 此処からだ、此処から全てが始まる。

 

 悛はポケットに忍ばせた電波装置を握り締めながら覚悟を決める。既に賽は投げられた、もう止まることは出来ない。

 果たして死ぬか、果たさず死ぬか。

 バレれば即死、バレなくとも襲撃で死ぬか、いつか露呈する。

 悛は考える、もしこのまま襲撃も無く時が過ぎ去れば自分の行った行為はいつか露呈するだろう。隠し通すのは無理がある、しかし襲撃があれば問題無く処理される。全ては有耶無耶の内にという奴だ、故に悛とてこれは捨て身の奉仕。

 

「頼むぞ――先輩(第二号)

 

 悛は闇夜に潜む第二号の連中を想い、そう呟いた。

 

 

 



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深淵に覗かれた男

 A-013の自壊装置を停止させ三日後、定期健診にてどうにかこうにか監視の目を潜り抜け各デザインドの自壊装置を停止させた、正に綱渡りに次ぐ綱渡り。いつ露呈するか冷汗を掻きながら悛は何とか全てを成し遂げた。

 

 脱出用のカードも配布し、今では全デザインドが脱出可能状態にある。もし二号の連中が来れば研究所から逃げ出す事自体は容易だろう、ここまでの所悛の計画は順調であり大した障害も無いまま進んでいる。渡すための状況作りは中々骨が折れたが、万事うまく進んでいるので不満はない。

 

 悛は上に提出する報告書を作成しながら考えていた。

 自壊装置を無効化するには必ず一人目の協力者が必要である、即ちデザインドではない誰か。第二号収容所で、その一人目になった人物もまた自分と同じ様な考えを持っていたのだろうかと。

 その人物が内通者だとして果たしてソイツは生きているのか、死んでいるのか。

 

 あれから所長より招集命令が出される事もメールが届く事も無い。続報が無いままだ、連邦がどう動いているのかも分からない。

 

 襲撃は明日か? 明後日か? 一週間後か? 一ヶ月後か? 一年後か?

 

 自身の行動に対して動向が全く読めない、それがこんなにも歯痒いとは。こちらは一件露呈しただけで首を吊る羽目になる身、まるで死刑宣告を粛々と待つ罪人の気分。こんな思いをするなら止めれば良かったと思う反面、しかし心は全く後悔していない。

 だがこのまま第二号の連中が来なかったらと――恐怖を覚えた心は悪い想像ばかりを膨らませる、カードの複製や自壊装置の停止が露呈した場合、悛の処罰は悲惨なものになるだろう。そしてソレだけに留まるとは思えない、最悪デザインド達にも処罰が下される可能性がある。

 それだけは許容できない、最悪自分達だけでも反旗を翻すべきか。

 

 そんな事を考えるが悛には成功に至る為の過程が全く見えなかった、悛と言う人間は天才でも稀代の策略家でもない。ただ凡愚なりに足掻き、平々凡々だと自覚している男だ、恐らく才も秀才止まり、天才を見上げ賞賛し妬むだけの能力しかない。

 

 悛は唇を噛みながら神に祈った、元来神など全く信じない無神論者であるがこの際何でも良い、全能者だろうが超越者だろうがスパゲッティモンスターだろうが構わない。どうか二号の連中が彼女達を助けに来てくれる様にと――一心に祈った。

 

 果たして、その願いが通じたのか、はたまた偶然か。

 報告書を提出しようと送信ボタンをクリックしようとした手が、危険を知らせる大音量のアラートによって不意に止まった。

 

「ッ!?」

 

 それは余りにも唐突で、悛は思わず椅子に座ったまま飛び跳ねる。ビーッ! ビーッ! という騒々しいアラートは研究所内に鳴り響き、壁から緊急信号を発するレッドランプが顔を出す。研究所の主電源が落ち、部屋の明かりが一気に消灯され視界が赤色に染まった。

 

 赤色の信号――それは最大警戒を意味する。

 

 グリーンランプは警戒度低、所員は警戒しつつ自室待機。

 イエローランプは警戒度中、所員は指示に従い避難を開始せよ。

 レッドランプは警戒度高――最大の脅威が研究所に侵入、或は現防衛設備での迎撃不可、所員は各自全速力で脱出せよの意味。

 

 第二号の連中が来たのか……?

 

 悛は椅子を蹴り飛ばしながら立ち上がり、白衣に袖を通し部屋を駆け出した。電源の落ちた扉は自力で押し開けるしかなかったが、ロックボルトは外れている為それ程重労働でもない。

 

 予備電源が作動しない所を見ると、既に研究所内でのデータ孤立――スタンドアローンが進行しているのだろう。

 

 万が一の時に備えて研究所は侵入者を許した場合、電源を落とし実験データが集積されているサーバーを隔離、スタンドアローン(完全孤立状態)にするのだ。

 電力を全てそちらに回しデータの保護を優先したのだろう、全く研究者らしい、所員の命は二の次か。

 

「……しかし、警備部門の監視の目を潜り抜けたのか? レッドランプが点灯するのが早過ぎる、予兆も何も無いじゃないか」

 

 悛は研究所に侵入した人物の手際に舌を巻く、全く事前情報が齎されなかった、レッドランプが点灯するまで襲撃を受けているなど気付かなかったのだから。悛は廊下を疾走する、目指すは研究所の外、このまま他の研究員に混じって脱出するつもりだった。

 

 デザインドには出来得る限りの手助けをした、後は彼女達と襲撃者が上手くやってくれる事を祈ろう。

 

 廊下には無数の自立型走行警備機が走り回り、時折悛をカメラで捉えては『所員は速やかに退避して下さい』とアナウンスする。言われなくとも分かっている、このまま逃げるつもりだ。途中見えた他の研究室は既にもぬけの殻で、無数の書類が地面に散らばっており、中には焦げ跡が見える物もあった。どうやら重要書類だけは隠滅したのだろう、流石のプロ意識。

 

「俺が最後か……!」

 

 研究棟の最奥、厳重な隔壁で閉鎖されているその場所が悛に指定されている避難所。研究棟の連中は皆、此処に避難する様に指示されている。丁度今、上から隔壁が降りている最中で、数十人の白衣を着込んだ連中が悛を見て叫んでいた。

 

「急げ健康管理官! 隔壁が閉まるぞ!」

「悛君ッ、もっと早く走りたまえ!」

 

 研究棟の仲間達はそんな野次を飛ばす。

 無茶言うな、こちとらデスクワークだぞ、そんなに言うなら隔壁のスピード落とせよ!

 

 そう悪態を吐きながらも悛は全力で駆ける、脇の警備ロボを追い抜きながら隔壁手前まで自身の最高速度で到達した。

 

 後はこれを潜るだけ――そこまで来て。

 

 

 

 ボン! と天井が爆ぜた。

 

 

 

 それは余りにも唐突で予想出来る筈もなく、また避けられる筈も無かった。

 

 まるで爆薬で吹き飛ばされたように瓦礫が降り注ぎ、悛の体は飛来したそれらに蹂躙され、視界が一瞬で黒く染まる。何が起こったのか分かる筈もなく、硬い何かが全身を打ち据える感覚を覚えながら暗転。

 

 その光景を見ていた研究者達は唖然とした表情を浮かべ、そのまま無情にも隔壁は閉ざされた。バクン! と溝と隔壁が噛み合い、そのままボルトが差し込まれて固定される。

 

「っチ、遅かったか――」

 

 頭上から声がした。

 悛が再び目を開けた時、砂塵の中に人影が見える。周囲には天井であった瓦礫が大量に降り積もっており、それは悛の下半身を完全に呑み込んでいる。痛い、最初に悛が思ったのはソレ、余りの痛みに口から呻きが漏れた。自分の体を見下ろせば瓦礫に潰されていた、どうりで痛みが酷い筈だ、特に足の感覚が無い。

 

「あん? 下に人が居たのか、お前、運ねぇな……まぁ良いさ、ソレ、もう助からねぇだろ、諦めな、アタシ達にとっちゃ一石二鳥って奴だ」

 

 瓦礫の上から降り立った人影――長身の女性だ、その髪は真っ白で所々に傷が見える。歳は十代後半から二十代前半辺りか、随分若い。

 

 悛はその髪色だけで分かった、コイツは第二号収容所に居たデザインドだと。連中が襲撃して来たのだ、痛みの中でそれを確認した悛は内心で喝采を上げた。痛いし辛いし苦しい、けれど悛の努力が実を結んだ瞬間だった。これを喜ばずにはいられない、どうせバレて死ぬのなら彼女達と研究所に評価されながら死にたい。

 悛は込み上げる血を吐き出しながら、震える指で廊下の奥を指した。それを見た女は怪訝な顔をする。

 

「……えッ、A……04は、向こう、だ……他は、同フロアにぃ……三人と、三階……」

 

 震える声でデザインドの居場所を告げる。

 今頃異変を感じた彼女達は行動を起こしているかもしれない、しかし情報は無駄にならないだろう。女は意外そうな表情で悛を見ると、片眉を上げながら、「何だ、最後に善行すりゃ天国に行けるってか?」と吐き捨てた。

 

 そんなつもりは無い、どちらにせよ自分は地獄行きだろう、こんな場所に居るのだから。

 悛は特に何も答える事無く、女に薄い笑みを浮かべた。

 

「……薄気味悪い野郎だ」

 

 女は悛をそう称する、そしてコツンと悛の頭を爪先で軽く蹴ると、そのまま廊下の奥へと駆け出した。その背を見届けた悛は張り詰めていた息を解放し、大きな吐息を虚空に吐き出す。下半身の感覚が無く、鈍い痛みが全身を犯している。ジワリと瓦礫の下から血が滲み出し、胃の辺りが猛烈に痛んだ。

 

 あぁ、死ぬ。

 これは、死ぬ。

 

 悛が思ったのはそんな事、閉ざされた隔壁の前で瓦礫に埋もれた研究員が一人。助けは無し、向こうから銃声と何か金属を叩く音が鳴り響いて来る。先程のデザインドが警備ロボと戦っているのだろう、恐らく火薬式の旧式銃程度じゃデザインドは止められない。

 

 室内用に火力を制限したのは間違いだった、悛は内心で警備部門の男を嘲笑った。こんな事なら最新式の粒子銃を搭載しておけばよかったのに――なんて。

 

「ぁ――く………っそ」

 

 視界が徐々に狭まる、世界が終わる、まるで自分と言う境界線が空気に溶けている様に、世界と自分が曖昧になる。それは酷く甘美な感覚で、温い湯に沈んでいく様な感じだった。それが死への誘いだと理解はしているが、抗おうとか、何とかしようとか、そんな事は少しも思わなかった。

 

「ッ――悛!」

 

 悛が死の誘惑に呑み込まれようとした時、聞き覚えのある声が耳に届く。その人影は仰向けに転がる悛に駆け寄ると、その顔を覗き込んだ。

 

 A-013、悛が脱出の手引きをしたデザインドの一人だ。彼女は研究棟の中で一番浅い場所に管理室があった、恐らく異変を感じた瞬間行動に移ったのだろう。

 

 良かった、管理室から逃げ出せたのか。

 ならば後は第二号の連中と研究所から逃げ出さなければ、悛はA-013に向かって手を伸ばし、彼女は慌てて伸ばされた手を掴む。その表情は悲壮に歪んでいてポタポタと涙が悛の頬に落ちて来た。

 

「あ、貴方ッ――なによ、これ、何でこんな酷い状態にっ……!」

 

 悛の惨状にA-013は嗚咽を漏らす、今の悛は下半身を瓦礫に押し潰され夥しい量の血が地面に広がっている。一目で重症だと分かるだろう、もし赤の他人がこの状態にあったら悛は無理だと首を振って見捨てる。血も足りない、寧ろなぜ生きているのかが不思議な程。

 しかし死が怖いとは思わなかった、やけっぱちになったのだろうか、そうかもしれない。

 

「ぁ、に……げろ」

「いや、嫌よ! まだ私、悛に一回も勝ってない、もっと遊んでもらわなきゃ……!」

「ぅ、ぐふッ」

「ひっ」

 

 悛が思わず喀血し、その血がA-013の頬に付着する。彼女はその血に触れて、まるで恐ろしいモノを見たかのように震えた。自分の血は平気でも他人の――それも親しい者の血は恐ろしい。

 まるでその人の生命、そのものに見えて。

 

「駄目、駄目駄目駄目、止まりなさい、止まってッ、やだ、止まってよ!」

 

 悛の半身を押し潰す瓦礫、そこから流れる血をA-013は搔き集める。流れ出た血は止まらない、悛の意識も朦朧として来た、そろそろ本格的に意識を保つ事すら難しい。悛は泣き喚くA-013の肩を掴み、再度逃げろと口にした。

 

 既に喉はカラカラで大した声も出せそうにない。腹に力が入らないのだ、喉から絞り出される声は細く力ない。

 

「嫌よ、絶対に嫌! 悛を置いて此処から逃げる位なら、私も一緒に死んでやるわ!」

 

 A-013は泣き腫らした目で悛を睨みつけ、それから瓦礫に目を向ける。彼女に医学の知識は無い、しかしあの瓦礫が悛の体を圧迫している事は分かった。ならばコレをどうにかして悛を引き出し、治療を施せば助かる。

 

 ――彼女はそう考えていたが、悛の肉体は既に半分が潰れておりショック死しないだけ奇跡と言える状態であった。そうでなくとも失った血液は膨大で、遅かれ早かれ出血多量で彼は死ぬ。それは絶対に避けられない、確定された未来。

 

「私の力で、こんな瓦礫くらい……ッ!」

 

 A-013がそう叫んだ瞬間、彼女の背中が蠢く。恐らくBT臓器から因子を取り出し能力を発動させようとしているのだろう、しかし能力が発動する直前に声が聞こえた。

 

「悛……!」

 

 その声は廊下に良く響き、A-013が振り返って目を見開く。何故なら声の主は自分と同じ白髪と白い肌を持つ存在だったから、顔の造形こそ異なるモノの並んでいれば姉妹と言われるかもしれない。

 

 それは今しがた現場に到着した彼女――A-04も同じであり、己と酷似した容姿を持つA-013に驚愕を露にし足を止める。

 しかし、そんな彼女達の驚きは数瞬の内に消え去り、瓦礫に押し潰された悛へと視線が移った。

 

「これ……どういう事」

 

 自身の親しい人が瀕死の重傷、まさかやったのはお前かと、そんな殺気すら籠った視線がA-013を貫く。A-04は両の拳を握り締め、そこから腹部に力を込めた。

 返答次第では殴り殺す、そう言わんばかり。

 

「わ、私も知らないわよ! 来たらもう、悛はこうなってて……貴女、私と同じって事はデザインドよね!? これ、どうにか出来ないの!?」

「――悛の上の奴なら、任せて」

 

 敵ではない、同胞、そしてA-04は目の前の彼女の背中が異様に盛り上がっている事に気付いた、他ならぬデザインドの力を使う予兆、コイツは味方だとA-04は判断した。

 

 彼女はそう言うや否や、微塵の躊躇いも無くBT臓器から因子を取り出す。瞬間、A-04の両腕に無数の筋繊維が絡みつき肥大化した。

 

 彼女の能力を発動する際に起こる肉体変化、まるで筋繊維が鎧の様に纏わりつき彼女を守る盾に、そして最強の矛に変わるのだ。まるで丸太の様に太くなったA-04の両腕は、一定の大きさまで肥大化すると黒く変色し肥大化を止める。

 そしてソレが能力発動完了の合図であり、A-04は瓦礫の端を掴むと紙を捲る様な動作で瓦礫を取り払ってしまった。

 

「ッ、う」

「酷い……」

 

 瓦礫の下から出て来た悛の下半身、その状態を見て二人は呟く。

 

 下腹部と股間部分はまだ比較的マシだが、足などは特に酷い。まるでプレスにでも掛けられたかの様に平べったくなっている。足首が膝の辺りと平行になっていて、骨など無残に砕けていた。このままじゃ死ぬ、人体実験により何度も血を流した二人だが、こんな状態になった事は一度もない。

 デザインドですら顔を顰める怪我なのだ、ましてやただの人間には――。

 

「悛、死ぬのは許さない」

「えぇ……えぇ、そうよ、死ぬなんて許さないわ、絶対に」

 

 A-013とA-04は互いに顔を見合わせて頷く、初めて出会った二人であったが自然と何か通じるものがあると理解していた。白い髪、白い肌、怪物(ばけもの)みたいな力、生まれた時よりデザイン(設計)された人生。

 

 目の前の彼女は悛に人生を教えて貰ったのだろう、彼は恩師なのだ、二人にとって――このレガリスに閉じ込められたデザインド達にとって。

 

 A-04が瓦礫を持ち上げている最中に、A-013が悛を引き摺って救出する。血が白い廊下に線を引き、ぐじゅりと嫌な音が周囲に響いた。臓物が飛び出さなかったのは幸いだ、脇の瓦礫が辛うじて上の瓦礫を支え最後まで押し潰す事を防いでいた。

 しかし悛の意識は既に無くなっている、先程まで意識を繋いでいた事自体が奇跡。A-013は悛の顔を心配そうに覗き込むと、その口元に付着した血を拭った。

 

「ねぇ、治療……出来る?」

「――無理よ、私のデザインは『千手』なの、単純に便利な腕が増えるだけ、壊す事なら兎も角、治すのは無理よ」

 

 A-04の言葉に彼女は悔し気に返す、この時程自分の能力が恨めしく思った事は無かった。しかし全く手が無い訳でも無かった、医学に疎いA-013であっても唯一彼の回復を望める方法が――一つだけある。

 

「でも、大丈夫、私に考えがあるの」

「考え……?」

 

 A-04は目の前の同胞の言葉に疑問符を浮かべた、少なくとも彼女に悛を救う方法は思い浮かばない。無論、だからと言って諦める気は毛頭ないが、時間が無いのも事実。急かす様に、「それは、なに?」と問いかければ、A-013は唇を噛み締めながら言った。

 

「人間は脆いの、こんな瓦礫に埋まるだけで死にかける、弱い生き物だわ」

「知っている、人間は銃弾一発でも死ぬ、凄く脆いって聞いた」

「えぇ、私もそう聞いているわ、だから悛を生かす為に――【人間じゃなくしちゃえば良い】」 

 

 それは誰も思いつかない様な治療方法、否、それを治療と言って良いのか分からない。A-04は彼女の言葉に目を見開き、「本気?」と問いかけた。無論だとばかりにA-013は頷く、伊達や酔狂でこんな事は言わない。

 

BT臓器(怪物の心臓)を悛に移植するわ――私知っているんだから、此処の連中が私達のBT臓器に異常があった時の為、予備の臓器を隠しているって」

 

 彼女はこんな場所に十年余り住んでいる、実験の過程でBT臓器が不調になる事もあった。そうなると管理官は決まって聞いて来るのだ、「臓器の移植は必要か?」と。

 

 BT臓器とはデザインドの能力を発動する為の根源、核と言っても良い。そしてソレは持ち主に異常な程の再生能力を与える。全てのデザインドが過酷な人体実験を行って何故無事なのか? それは全員等しく、その恩恵を授かっているから。

 

やり方(移植方法)、分かるの?」

「分かる訳ないでしょ、でもやるしかないの、やらなきゃ悛が死ぬんだから……!」

 

 どこか心配げなA-04の言葉に荒々しく答えるA-013、彼女も絶対成功するという保証を持っている訳ではない、寧ろ失敗する未来の方が透けて見える。しかし何もせず手を拱いて待っているという選択肢はない。

 

 やるか、やらないか。

 その二択であれば前者しかない、悛を生かす為なら何でもする。

 それはA-04も同じであった。

 

「……分かった、臓器、持ってくる」

「お願い――多分、この棟の研究室にあると思うから……!」

「うん」

 

 A-04は頷くや否や、肥大化した腕で廊下を殴り付け弾丸の様に吹き飛んで行った。彼女が前々から考案していた移動方法だ、恐らく悛の意識があれば目を見開いて驚愕しただろう。

 A-013は目を瞑ったまま段々と青白くなっていく悛の顔を掴み、一心に祈る。

 

「死なないで、死なないで、死なないで、死なないで、死なないで、死なないで……!」

 

 まさに狂信、一心不乱の祈り。

 だが彼女の祈りも空しく、「こふっ」と悛が再び喀血する。既に気管に血液が入り込み、呼吸すら難しくなっていた。A-013はソレを見て直感的に拙いと感じる、少なくとも呼吸が出来なくなれば死んでしまう、その程度の知識は彼女にもあった。

 気管に血が詰まっているのなら吸い出せば良い、吸い出すにはどうすれば?

 

 突如、彼女に天啓とも言える閃きが走り――A-013は躊躇い無く悛の唇に吸いつき、その舌ごと勢い良く吸い込んだ。

 

 接吻と言うには余りにも荒々しいソレ、まさかファーストキスがこんな形になるとは彼女自身も思っていなかった。僅かに赤みが差す頬、無論これは救命行為でありA-013の中でノーカウントだ。

 

 捨て身の甲斐あって悛の喉に張り付いていた血液はA-013の口内に吸い込まれ、ゆっくりと口を離した彼女は口内のソレを傍に吐き捨てた。ベチャリと赤色が床に張り付き、A-013は口元を拭う。

 

「っぅ……初めては甘いって書いてあったのに、やっぱり本はアテにならないわ」

 

 初めての接吻の味は鉄一味、まんま血である。

 これが甘いとは流石に言えない、こんな状況でなければもっと喜べたのだろうけれども。悛とて意識が無いのだ、こういうのは互いに意識がある時にやってこそだろう。A-013は赤くなった頬を隠し、それから深呼吸して悛の体を見下ろした。

 

 べっこりと凹んだ悛の下半身、BT臓器の移植はどうすれば良いか。彼女が持ち得ている知識は少ない、元々生まれて来てから殆ど外界に晒される事無く生きて来た身だ。

 知識は書物と、そして専ら遊んでくれる悛が教えてくれる事だけ。

 気紛れに管理官が話しかけて来る事もあるが、殆ど専門用語のオンパレードで意味が分からない。けれど一般的な人間にBT臓器を移植しても上手く行かない事は分かる、この臓器には【適正値】があるのだ。

 

 要するにBT臓器に親和性があるかどうか。

 デザインドという存在はその点、最初からBT臓器に親和性が持たされた上で生まれる。故に拒絶反応が出る事は無いし、BT臓器を移植しても大した副作用はない。

 

 しかし悛は一般人である、BT臓器用にデザインされた肉体を持たず、天然そのまま。恐らく適合率は殆ど無いと言って良い、限りなくゼロだ。だがその確率を僅かばかり後押しする事は出来る、他ならぬデザインドの手によって。

 

「臓器、あったよ……!」

「っ、良かった! 流石ね!」

 

 廊下の向こう側からA-04の声が響き、彼女は専用のボックスに保存されていたBT臓器を抱えて駆けて来る。彼女が持って来た臓器はA-04研究室の一角にあった保管庫の中のもの、A-04は朧げな記憶でその保管庫の中に臓器が収納されている事を覚えていた。

 

 ボックスは指紋認証式であり、覗き込んだ二人を前に電子音で開放拒否を告げるが、A-04の怪力によって無理矢理蓋を抉じ開けられる。そうして冷気と共に顔を覗かせたのは球体のBT臓器――臓器と言っても心臓の様な物ではなく、肉塊と言うべきか、筋繊維と因子を内包したグロテスクな球体だ。

 

 A-013が掴み取れば、ぬちゃりと生々しい音が鳴る。

 これを悛に移植する、BT臓器は本来デザインド用に作り出された人工臓器。既に一人の人間として完成している悛に移植するのは無理がある、しかし。

 

「……貴女、自分を再生させる時の感覚、分かる?」

「……多分」

「なら手伝って、私達の力で臓器を悛に繋げるの」

「そんなの、出来る?」

「出来るか出来ないかじゃない、やるのよ」

 

 有無を言わせぬ言葉、悛を失う事の恐怖に気後れするA-04だったが、少なくともこのまま眺めていれば最悪の想像が現実になる。その状態に悛は片足を突っ込んでいるのだ。A-04も表情を硬くし、ゆっくりと頷く。

 

 それを見てA-013は臓器を握り締め、そのまま悛の下腹部に押し当てた。ぬちゃりと血に塗れた悛の腹部に臓器が密着し、A-013とA-04は緊張を覚える。

 

「良い? 因子を使って全力で悛の中に臓器を押し込むの、結合は多分、上手く行くと思う、後は悛の適正と私達の力次第、自分じゃなくて悛を再生させるの」

「やった事無い、でも……やってみせる」

 

 互いに臓器へと手を乗せ、そのまま目で合図を出す。

 千切れた自分の指を結合でくっ付けた事はあるが、他の誰かに結合を施すなどやった事が無い。ぶっつけ本番だ、しくじれば悛が死ぬ。

 

 失敗する訳にはいかない、それは二人の共通認識だった。

 

「行くわよ………?」

「うん」

 

 冷汗が滴り落ち、A-04は乾いた唇を舌で舐めた。

 

「一、 二の―――三ッ!」

 

 ミシリ、と。

 二人の腕から無数の筋繊維が伸びた、それは悛の下腹部と臓器に結合し互いに互いを融合させようと働く。BT臓器とはデザインドによって在り方が異なる、例えばA-04であれば通常の臓器の様に腹部へと収まっているし、A-013の場合は背中に薄く引き伸ばされている。故に何処に埋めるかは重要ではない、適合すれば勝手に最適化される。今この時は何より、臓器を悛と繋げる事が重要だった。

 

 

 

 あくまで、適合されればの話だが。

 

 

 

「ぐッ、あぁ、はァッ!?」

「っ、悛!?」

 

 臓器を悛の体に結合させた瞬間、悛は急激に苦しみだし口から噴水の様に血を吐き出した。それはビチャビチャと二人の元に降り注ぎ、思わず結合の手が緩みそうになる。二人の顔と手元は一瞬で真っ赤に染まり、只人なら目を背けたくなる惨状。

 

「駄目、止めないで!」

「っ、わ、分かってるわ!」

 

 A-04の叫びに緩みそうになった手を抑え、A-013は苦しみ悶える悛を辛そうに見る。此処で結合を止めれば不完全結合となり、親和性云々どころの話ではなくなる。二人は本能で理解しているのだ、BT臓器が外に露出している状態がどれ程危険なのか。

 故に悛がどれ程悶え苦しもうとも、結合の手は緩まない。

 

 不快な音を立てて悛の下腹部に縫い込まれて行く臓器は、肌色に混じって段々と見えなくなっていく。因子を取り出した能力を以て結合させた臓器は融合させるだけならば簡単だ、尤もその後は本人の親和性によって天命が決まる。

 

 A-013は遠い昔、己の管理官が話していた事を思い出した。

 

 彼としては話の意味が分からないA-013に対して雑談気分で振った話題なのだろうが、今でも脳裏にこびり付いて離れない。今でもあの男の興奮した表情で、資料を叩きながら話す癖を思い出せる。

 

 

 BT臓器の適合に失敗した奴は大抵、身体中の穴と言う穴から血を噴き出して死ぬか、或は内側から因子に貪り食われて死ぬ、眼球から肉柱が飛び出したり、皮膚から突き破ったりしてな。

 臓器の特性は万能細胞に近いが、ソレは唯の外郭に過ぎない、本命は内側の因子だけであり、お前達第三世代のデザインドは生まれる時点で因子そのものが組み込まれている。だから臓器って言ったって中の因子だけ取り出して移植すれば済む話なんだ、臓器の外郭、筋繊維部分は殆ど殻の様なもの、何で上が因子だけを運用しないのか理解に苦しむ。筋繊維で覆うのも、カプセルで覆うのも、大した違いはないのにな。

 

 

 何故、こんな言葉を覚えていたのかA-013自身分からない。けれど目の前の悛が吐き出す血液の量に、適合失敗という言葉がチラつくのだ。これは駄目なのか、悛は死んでしまうのか?

 

 A-013は臓器を押し込む力を強めながら、キッと隣の少女を睨みつけた。彼女も――A-04も危機感を抱いていたのか、涙目で叫んだ。

 

「足りない――もっと!」

「えぇ、全力よ、後の事は考えないで!」

 

 ビキリ、と両腕が悲鳴を上げる。腕から生え出る筋繊維が更に勢いを増し、悛の体へと縫い込まれて行く。まるで悛の体そのものを作り変える様に、因子の融合を後押しするように。

 

 悛は度重なる苦痛に白目を剥き、口から血と唾液を垂れ流している。最早精神は狂っていると言って良い、意識があるのか無いのか、限りなくグレーな場所を彷徨っている感覚。気絶すれば激痛に叩き起こされ、痛みに気を失えば痛みによって起こされる無限ループ。最早狂った方が楽であった。疾うに彼はその選択肢を掴んでいる。

 

 軈て数分に及ぶBT臓器の結合は終わりを告げ、悛の下腹部に臓器が完全に融合する。既にBT臓器の姿は影も形も無く、A-04とA-013は肩で息を繰り返していた。互いにBT臓器を全力で酷使し悛の結合を後押しした後、実験時の疲労など目ではない、気を抜けばその場に倒れてしまいそうだった。

 

「はぁ、はっ、はぁ……あ、悛?」

「ふっ、ふぅ、い、生きているわよね……?」

 

 二人は悛を挟み込んで彼を見下ろす、瞼を閉じ、唾液と血で口元を汚した彼は何も言わない。

 死――という文字が二人の頭を掠める。

 遅かったのか、或は無謀だったのか、悛が反応を返す事は無かった。

 

「悛――ねぇ?」

 

 震えた声でA-04が悛の胸に触れる、触れた指から伝わる筈の鼓動。しかしソレを微塵も感じない、それが意味するところは。

 

「……ぁ」

 

 心臓が――止まっていた。

 

「……」

 

 絶句、A-04の顔からサッと血の気が引き、その様子を見たA-013が慌てて口元に手を翳す。呼吸をしているのならば風を感じる筈だ、しかしいつまで経っても息を吸い込む様子が無い。悛は呼吸を止め、心臓を止め――死んでいた。

 

 駄目だった、自身の恩師は死んでしまった。

 A-04が無力感に項垂れ嗚咽を零し、A-013は現実を認めまいと大粒の涙を零しながら喚いた。既に悛の体はピクリとも動かず、ただ流れ出た赤色だけが跳ねるのみ。全ては手遅れだったのだ、無駄に苦しませ無駄に死なせた。

 二人は己の無力を嘆き彼が居ないのならば、生きる意味など無いと、本気でそう思い始めた。

 

 

 その時。

 

 

「ぅつ、ぐ、あァアッ!」

「っ!?」

「ぁ、悛!」

 

 悛の体が突如跳ね上がり、そのまま苦悶の叫びを上げる。もしやと思って二人が悛を凝視すれば、彼の下腹部が不気味に蠢き始めた。そしてみるみる内に筋繊維が身体中を覆い、破損した肉体を修復し始める。

 

 潰れた両足は勿論、切り傷や打撲があった上半身まで筋繊維は伸び、そのまま本来よりも一回り程太くなった両足が真っ黒に変色する。

 それはA-04やA-013と同じ能力発動完了の証拠。

 

 悛の肉体を覆う筋繊維、黒く変色したソレを見た二人は【まるで鎧の様だ】と思った。体を満遍なく覆いつくし、丁度鳩尾の辺りまで覆った黒色は完全に悛の肉体を再構築している。彼の獲得したデザインが何なのかは分からない、しかし今唯一分かる事は――

 

「やった……やったのよ、適合したわ! 悛は因子を取り込んだの!」

「嘘、本当に、悛、生きてる?」

 

 涙の痕を残しながら、二人は幽鬼の様に悛へと縋りつく。先程と同じように胸元に手を乗せれば、きちんと心臓の鼓動を感じる。生きている、彼は確かに生存している!

 

「――良かった」

 

 A-04は心から安堵し、涙を零しながら悛の胸に顔を埋めた。白衣は所々破れ血を大量に吸い込んでいたが、今は全く気にならなかった。A-013も悛の首筋に顔を埋め、「わ、私は最初から、大丈夫だって信じてたもの!」と誰に対してでもなく叫ぶ。

 

 そうして二人が安堵から泣き喚いていると、廊下の奥から一人の女性が歩いて来た。他ならぬ悛を圧殺しかけた第二号収容所のデザインドだ、その手には警備ロボの銃器が握られており、背後からは三人のデザインドが続く。

 

 女は声を頼りに廊下を歩いて来たが、目に見える二人が白い髪を持つ女性という事で武器を降ろす。他ならぬ同胞だ、これで五人回収した事になる。

 

 彼女の背後に続く三人のデザインドは研究棟に収容されていた此処のデザインドだ、彼女達は誰かに縋りついて泣き喚くA-04とA-013を見て己の同胞だと気付き、駆け寄ろうとした。元より皆が皆初対面であったが、同じ境遇なだけに仲間意識を持つのは速い。それは二号のデザインドも理解しており、ソレを止めるつもりは無かった。

 

「これで研究棟は全部か……?」

 

 女は呟き、周囲を見渡す。取り敢えず研究棟を回れるだけ回って来たが見つかったのはこの三人だけ、そしてたった今二人追加された。思ったより少ないが、完成品(第三号)となると生産数も限られているのかもしれない、そう考える。

 

 しかし、不意に泣き喚く二人のデザインドへと駆け寄ろうとした三人の足が止まり、女は怪訝な顔をした。

 

「おい、どうし――」

「悛……さん?」

 

 それは震えた小さな声であった。(あらた)――誰だそれはと第二号のデザインドが疑問符を浮かべ、泣き喚く二人の元に足を進める。彼女達が足を止めた原因が、二人の泣き喚く対象にあると思ったのだ。

 

 デザインド(仲間)でも殺されたのか? 

 

 如何にデザインドと言えど戦い方を知らなければ殺される事もある、寧ろ殺される奴の方が多い。銃を持っていてもトリガーを引いて撃てる事を知らなければ意味がない、銃そのもので殴っても大した利点はないのだ。

 

 疑問を覚えながら女は足を進める、そして泣き喚く二人の間から倒れ伏した人物を覗き見た。その顔に見覚えがある。

 それは己が天井を崩し圧殺した筈の男だった。

 

「……何だこれ」

 

 女は呟く。

 それは男を覆う黒い筋繊維に向けて放った言葉。

 常人の肉体ではない、まるで皮膚から生え出る様に体を覆っている。その黒色には見覚えがあり、自分達デザインドが使用する能力そのものであった。

 コイツは――女は思った。

 

「デザインド?」

 

 第二号の女が呟き、その声を聞いたA-04とA-013は緩慢な動作で顔を上げる。その視線の先には見た事も無い女、しかし白い髪に白い肌、少しばかり年齢が高く見えるが同胞だと思われる。

 二人は悛を庇う様に立ち上がると、静かに問いかけた。

 

「だ、誰よ、貴方――?」

 

 

 




 ランキング一位ありがとうございます。
 お礼に12700字置いときますね。


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拭えど消えぬ赤色

 無意識の内に能力を準備しながら目の前の人物を見据える二人、第二号のデザインドは手で二人を制しながら、「待て、敵じゃない」と窘める。実際彼女に同じデザインドを攻撃する気は無い、能力を発動させる事も無く、銃口を下げている第二号の女に対してA-04とA-013の両名はゆっくりと戦闘態勢を解いた。

 

 見れば背後には三人のデザインドが立ちすくんでおり、年齢は自分達と同じ位だろう。このレガリスのデザインドだ、二人は何となくそう思った。

 

「そこの男、その……デザインドか人間か知らねぇが、知り合いか?」

「知り合いじゃない、大切な人」

「そうよ! 私の一番大事な人なんだから!」

 

 吠える様に答える二人。

 その返答を聞き、第二号の女は『しくじった』と思った。

 彼女達のキーパーソン、恐らく核となる人物を傷つけてしまったと。しかし女が見た時この男は確かに人間であり、瓦礫に埋もれた時点で瀕死だった。下層へ急ぐ為に床を能力でぶち抜き、運悪くその下敷きになった凡愚。あの程度で死にかける様な奴がデザインドの筈が無い。

 

 一体何が起こったのか確かめる為に男へと足を進めるが、その前にA-04とA-013が立ちはだかる。同じデザインドだと口にする女、しかし完全に警戒を解いた訳ではない。何人たりとも悛へは近付かせない、そんな気概が視線から感じ取れた。

 第二号の女は肩を落としながら苦笑を零し二人に対して柔らかく語り掛ける。

 

「……アタシは第二号収容所のデザインドだよ、敵じゃない」

「第二号――もしかして悛が言っていた襲撃者の人……?」

 

 女の言葉にA-013が怪訝な表情を見せる。

 どうやらこの男は襲撃の情報を掴んでデザインド達にリークしていたらしい、それだけで相応に高い地位の男なのだと分かった。女がチラリと背後を見れば連れ出した三人のデザインド達も悛の状態に浮足立っている。心配そうに彼を見つめながら体を揺らしている三人、許可さえあれば直ぐに縋りつきたいと言った状態。

 

 デザインドが研究者に向ける感情としては異常だ、あの男に洗脳でもされているのか?

 

 女はそんな事を思った。

 兎も角、この五人にとって男が何らかの親しい間柄である事は分かった。ならば自分が殺し掛けたなど言うのは拙いだろう、最悪同胞で殺し合いに発展しかねない、バレるにしても状況が整ってからだ。

 

「男性型デザインドなんて聞いた事が無い、身なりからして研究所の人間だろソイツ――その足は普通じゃない、一体何をしたんだ?」

「……BT臓器を移植した」

 

 第二号の女の問いかけにA-04は淡々と答える。

 それを聞いた背後の三人は驚きに息を呑み、また第二号の女も目の前の二人を見つめ、「正気か?」と思わず口に出した。ただの人間にBT臓器を移植するなど、狂人でなければ自殺志願者以外の何者でもない。

 

 実験の都合上、第二号の女はデザインドではない人間に臓器を移植する場に立ち会った事が何度もある。その結果は散々だ、皮膚が破裂し血が噴き出し、臓物を垂れ流しながら肉芽に潰される。そんな最期を遂げた奴をごまんと見て来た。

 故に目の前の男を見て驚愕する他無い。男の足を覆っているソレは、明らかにデザインド能力によって生まれた物。

 

 あの悪魔の因子に適合したのだ、デザイン(設計)されていない肉体で。

 一体どれほどの可能性なのか、万に一つ、億に一つ、兎に角途方もない確率だ。

 

「だって、だってしょうがないじゃない! 瓦礫に挟まれて血が沢山出ているし、足なんてペチャンコだったんだから! このままじゃ死んじゃうって思って必死だったの! それに実際悛は生き延びた、なら何も問題無いわ!」

 

 第二号の女が向ける視線に耐えかねたA-013は慌てて叫ぶ、それは言い訳の様な口調だったが少なくとも事実だ、A-04とA-013の両名にとってはコレが最善だった。

 ただの人間であればとっくの昔に出血多量であの世逝きなのだから、生き延びただけでも僥倖。

 第二号の女は理解出来ても共感が出来ない、生かす為とは言え只人に臓器を埋め込むなど――どんな副作用があるかも分からないというのに。

 

「無知は強運を引き寄せるってか――まぁ良い、生きているんならそれが全てだ、気を失っている様だし一端ベッドにでも寝かせたらどうだ? 色々腰を落ち着けて話しがしたい」

「話って、そんな悠長な事を言っていて良いの? 早く研究所から逃げ出さなきゃ拙いんじゃ……」

「アタシが一人で来ているとでも思ってんのか? 他にも仲間がいる、警備の連中なら纏めて地獄に送ってやったさ、今この施設に居るのはアタシ等デザインドだけ、増援も一分二分で駆け付けられる距離じゃない」

 

 研究所の防備を固めようとしていたのは分かるが、高々数日で補強出来る分など限られている。電撃作戦、情報が届いて防衛網を構築する前に叩く――デザインド(脅威の単体戦力)だからこそ出来る技。

 それを成し遂げた今、このレガリスはデザインドの支配下に置かれている。

 無論、だからと言って気を抜いて良い程連邦の武力は優しくはない。しかし数分先の未来という訳でも無いのだ、腰を下ろして多少話す程度の時間はある。

 

「聞きたい事も沢山ある、取り敢えず話を聞け、悪い様にはしないさ」

 

 第二号の女は二人を一瞥し、それから小さく笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 ☆

 

 

 

 悛が意識を取り戻したのは戦闘開始から随分後だった、海を揺蕩う様な感覚から一気に五感を取り戻す。最初に感じたのは痛み、まるで全身を針で刺される様な痛みだ、悛は寝起き早々に悲鳴を上げかけ既のところで堪えた。

 

 堪えられたのは単に自身の状況が全く分からなかったから。

 

 最初に見えたのは白い天井、そして白いシーツに緑色のカーテン。此処は所員用の衛生管理室だ、悛は自分に掛けられたシーツを掴んで思った。悛が憶えているのは自分が瓦礫に押し潰された所まで、足と下腹部を圧迫され死んだものだと思っていたが、此処に運ばれているという事は死を免れたのだろうか。自分の両手を眺めれば多少の切り傷は見えるモノの、大した怪我はない。

 

 A-013はどうなった? 悛はぼんやりとした思考で彼女の安否を案じる。上半身を起こそうとすると、やけに両足が軽い事に気付いた。良く集中してみれば足と下腹部の感覚が全くない。シーツを被っている感触も何もかも感じないのだ。

 

 切除、という言葉が頭を過る。

 

 もしや自分は一生歩けない体になったのか。悛の顔からサッと血の気が引き、慌ててシーツを捲った。

 

「ッ、何だ……この足」

 

 悛の目に飛び込んで来たのは真っ黒な足、義足――ではない。宛ら西洋甲冑の様な足だが表面をよく見れば鋼のワイヤーの様な物がギチギチに束ねられて作られたものだ。その先には自分の下腹部があり、丁度へその辺りからソレは生え出ている。

 

 新たな病気か? 感染症、ウィルス? 自分の体が黒いナニカに覆われているという事実、それを見た悛は気が遠くなる。それはそうだろう、寝起きに自分の下半身が真っ黒になっていたら誰でもそうなる筈だ、黒死病とも違うだろう、兎も角悛は自分の状況が然程良いものではないと判断した。

 

 しかし、悛が体を動かすと釣られて足も動く。その事に悛は疑問を抱き、ゆっくりといつも通り足を動かせば、目の前の黒い足は意思通りに動いた。見間違いでなければ自分の両足は無残にも潰され骨肉諸共使い物にならなくなった筈だ。だが今悛が足を動かせば確かに動く、少なくともあの状態から動かせるまでに回復するなんて思えない――自分は何日寝ていた? 一日か、二日か、一ヵ月か? 

 

 その間に両足が再生したとは思えない、そんな生半可な負傷では無かった。潰れたトマトの様に無残にも圧壊したのだ、この両足は。

 なら何かを【新しく付け替えられた】と言った方がしっくりきた。

 

 悛はベッドを抜け出し、両足を地面につける。カンッ、と硬質的な音が鳴り、両足が確りと床を踏み締めた。しかし踏み締める感触も無ければ、地面に触れているという実感すらない。まるで本当に義足の様だ、しかし動かそうと思えば今まで通り動かせる。この奇妙な感覚に悛は顔を歪ませた。

 

「皆は――どうなった」

 

 悛は自分が気を失う前の事を思い出す、第二号収容所のデザインドが此処に攻めて来た。そして無様にも自分は力尽き、こうして偶然にも命を拾った。ならば自分が逃亡を手引きした少女たちを見つけなければ。

 

 衛生管理室で寝ていたという事は、此処はまだレガリスなのだろう。そうなると彼女達の襲撃は既に過ぎ去った後で、今は研究所の立て直しが行われているのか? だがベッドに横たわっていたのが自分だけと言うのも気になる、あの襲撃で死亡、重傷を負った人間など腐るほど居るだろうに。

 

「っ、くそ、歩き難い……!」

 

 黒い足は確かに歩行するには十分だったが、今まで通り歩こうとすると重心が安定しない。足裏の感覚が無い為、歩行の際に僅かなズレを感じるのだ。カン、カン、と音を鳴らしながら歩く悛だが、その体は右に左に揺れる。

 それでも何とか廊下に続く扉を潜ると、酷くこもった血の匂いが鼻を突いた。

 

「っ、ぅ」

 

 思わず口を覆って周囲を見渡す、衛生管理室の前に広がる廊下には赤い血がそこら中に付着しており、横たわって動かない骸もある。まるで地獄だ、悛は胃が痙攣するのが分かった。丁度衛生管理室の前に倒れ伏している男に近寄ると、悛はその男性に見覚えがある事に気付く。

 

「……所長?」

 

 悛が死体を仰向けに転がすと、間違いない。

 金髪は血がべっとりと付着し固まっているが、その顔立ちは所長本人のもの。彼は心臓を何かに貫かれ、驚愕の表情を浮かべたまま息絶えていた。更に左半身は焼け爛れており、首元から腕に掛けてゲル状に溶けてしまっている。

 

 彼が死んだと言う事は襲撃は成功に終わったのだろうか――悛には分からなかったが、少なくとも研究所はかなりの損害を被った様に思える、そして自分がそれ程眠っていなかった事も確信した。

 

 所長に悲痛な目を向けていた悛は、彼の焦げた胸ポケットが振動している事に気付いた。

 手を伸ばしてポケットの中を探ってみれば、携帯端末が見つかった。幹部会の面々に支給される様なモノではなく、もっと高性能なデジタル通信機器だ、幸い故障した様子も見られない。中央に窪んだタッチパネルがあり、悛が触れるとホログラムが飛び出した。【sound only】の文字と共に発せられる声。

 

「やっと繋がった! 状況はどうなっているマックレリー!? 突然緊急通信が入ったと思ったら、直ぐに途絶したぞ! 例の襲撃か? お前は無事なんだな!?」

「ぅ、あ、えっと」

 

 当然の事に悛は口が止まる、怒涛の勢いで放たれた言葉はびりびりと肌を震わせた。しかし僅かに聞こえた悛の声から、向こう側の人物は所長ではないと気付いた様だった。怒声はなりを潜め、訝しむ気配だけが漂う。

 

「すみません……えっと、私は所長ではありません、健康管理部門総括、藤堂悛です」

「藤堂――幹部会の一人か、マックレリーはどうなった?」

 

 通信相手は恐らく本部のお偉いさんだろう、連邦政府高官という奴だ。悛は襟元を正しながら、淡々と事実のみを述べた。元より腹芸が得意なタイプでもない、しかし全てを話すつもりもなかった、大切なのは嘘と真実の比率だ。

 

「今、私の目の前に……心臓を射抜かれて即死しています、自分も先程目が覚めたばかりで、余り状況が分かっていません」

「では、やはり襲撃か!?」

「はい、既にデザインドの姿は見当たりませんが……私も、デザインドに両足を潰されて」

「っくそ、貴重な人材と被検体が……」

 

 高官は悔しそうに呟き、向こう側から何かを蹴飛ばす音が聞こえた。余程腹が立っているらしい、それはそうだろう、第二収容所に続いて第三収容所――レガリスすらも失ったのだから。

 ふぅ、と冷静を保つ為か深呼吸を行う音。それから高官は努めて淡々と問いかけた。

 

「生き残りは何人いる? 君だけか?」

「不明です、ですが廊下には何人もの死体が……少なくとも、私の見る限り生存者は見当たりません」

「殺すだけ殺して、さっさと逃げ去ったか――今、付近のマザーベースより増援が向かっている、可能ならば甲板まで脱出して欲しい、動けそうか?」

「……無理です、両足を能力で潰されて、先程止血と輸血を行ったのですが、動けそうにありません」

「――輸血?」

「はい、自分は健康管理官ですので……襲われたのが衛生管理室でした、不幸中の幸いでしょうか」

「成程……なら安静にしていてくれ、増援の一部隊を衛生管理室に向かわせる」

「すみません、お願いします」

 

 嘘と真実を絶妙にブレンドし、それらしく脚色する。悛は通信機の電源を切ると、そのままポケットの中に捻じ込んだ。少なくともこれで自分がデザインドを逃がしたと疑いをもたれる事は無いだろう。死人に口なし、少々思う所はあるが今だけは喜ぼう。

 

「あとは……コレだよな」

 

 悛は屈んだ状態で自分の両足を見る、何故こうなったかは分からないが普通ではない。義足と言い張るにも無理がある、まるでデザインドの持つ能力の様だ。

 これでは間違って攻撃されてしま―――。

 

 そこまで考えて、悛は一つの可能性に思い当たった。

 あれ程の重傷を負いながら何故生き延びられたのか、普通の方法では無理だろう、ならばどうすれば良いか。悛は自分の足を手で撫でた、硬質的で金属の様な滑らかさがある。先程自分で思考したが、これではまるで。

 

「――デザインド」

 

 口から洩れた言葉、そう、この両足が義足でないのなら何なのか。

 確かに潰れた両足、動かせるが感覚の無いコレ、そして見覚えのある材質。

 

 まさか、と思った。

 

 無論確証などない、そもそもこの考えが正しいのであれば今頃自分は拒絶反応で死んでいる筈だった。だってそうだろう、自分は元よりデザインされた存在ではないのだから。何より男性型のデザインドなど聞いた事が無い。

 

「臓器を埋め込まれたのか? いつ、誰に……? いや、誰か何て分かり切っているだろう」

 

 悛は血の滲んだシャツを捲り、ぺたぺたと自分の体に触れる。黒いワイヤーの様な物――恐らく筋繊維、それはへその辺りから生え出ている。となると臓器が埋め込まれたのはこの辺り、悛はへそを中心に手で感触を確かめる。すると一ヵ所だけ妙に柔らかい場所があった、此処だと悛は確信する。

 

 第三号である彼女達には存在しないが、臓器を表層に移植した場合その周辺には因子の影響が出にくくなる。要するに筋繊維が発生しない、髪で言う旋毛の部分とでも言えば良いのか。

 原因は分かっていないが、これで殆ど確定に近かった。

 

「本当に移植されたのか――俺が、デザインドに……」

 

 研究する側から、される側に。

 その事にゾクリと肌が粟立ち、悛は身震いする。そうこうしていると廊下の向こう側から僅かに布の擦れる音がした。悛はその方向に目を向け、思わず地面を這って衛生管理室の中に逃げ込む。

 

 増援だ、そう思った。

 恐らく高官の派遣した部隊だろう、この状態で見つかればどうなるかなど火を見るより明らか。殺されるか、若しくは捕縛された状態で一生(管理室)の中。

 ゾッとしない。

 

 悛は近くにあったベッドのシーツを掴み取ると、それを近くの死体の血だまりに浸し、血塗れにした。

 ツン、と強い血の匂いが鼻を突くが気にしていられない、血だらけのソレを両足に巻き付けキツク縛る。

 そして壁に背を預けると同時、管理室の扉から何人かの男達が雪崩れ込んで来た。

 銃口で室内をなぞり、それから壁に背を凭れて座り込んでいる悛を見つける。

 

 彼の恰好は黒色に統率され、近代兵器で武装されていた。手に持った銃は粒子銃で肩には電磁曲逸シールドまで取り付けられている。顔はガスマスクで覆われており、僅かに見える瞳が悛を油断なく射抜いていた。

 彼等は四人で行動しており二人は部屋の外を警戒、もう一人は室内を見渡している。最後の一人が悛の近くまで足を進め、その顔をじっくりと観察した。

 

「――報告にあった、藤堂悛だな、健康管理部門の」

「えぇ、はい、そうです……すみません、態々」

「いや、これでも任務だ」

 

 男はそう言うと血塗れの両足に目を向ける、本来ならば黒い足は何ともないのだが血を大量に吸ったシーツは酷い重症に見えるだろう。「両足を能力で潰されて、歩けそうにありません、触れられると凄まじく痛いので、何とか足に触れずに運んで貰う事は可能でしょうか?」と、悛は懇願する。足を庇う様に体を動かし、男は小さく頷いた。

 

「あぁ……本来であれば推奨されないが、車椅子を使おう」

 

 男は悛の足の怪我が本当の重傷だと思い込み、部屋の隅に用意されていた折り畳みの車椅子を指差す。そうこうしている内にもう一人の男が車椅子を手際よく運び、悛は肩を借りて何とか座る事に成功した。

 無論、足を動かす度に痛がる演技を忘れない。

 

「救出目標確保、幹部会の一人だ、一度帰還し引き渡した後、再度生存者の捜索に向かう」

 

 車椅子の後ろに立った男は腕に巻いたウェアラブルデバイスに声を掛けた、恐らく連邦本部だろう。その後、悛を中心に前方二人、後方一人、車椅子を押す人員が一人と分かれ衛生管理室を後にする。

 彼等の行動は酷く静かで、廊下にカラカラと小さな車椅子の音だけが聞こえていた。もしこの椅子が無ければ彼らが進行している事など誰も気付かないだろう、先程布の擦れた音に気付けたのは幸運だった。

 

 悛は車椅子で運搬されながら考える、何とか両足が露呈する前に逃げ出さなければならないと。しかしこんな状況で逃げ出す手段が浮かばなかった、このまま甲板まで連れていかれたら恐らくヘリでマザーベースまで運搬される事になるだろう。

 

 そうなったら終わりだ、悛に対抗する手段はない。

 逃げると言ったって、そもそもこの足を上手く扱えないのだ、歩くだけでも難儀しているというのに。

 悛は前方を警戒する二人を見つめながら唇を噛み締める、このままではじり貧だ。遅かろうが速かろうが、悛の未来は決定している。射殺かモルモットだ。

 

「――」

 

 悛が自分の未来に絶望していると、先頭の二人が足を止めて同時に手を挙げた。その動作を見た背後の二人は停止し、悛の車椅子を押していた男も離れ粒子銃を構える。どうした、誰かいるのか? 目の前の男の片割れが指を一本立て、そのまま前方に向ける。

 

 向こうに一人、誰かいる。

 

 何となくだが、そんなサインなのだろう。車椅子を押していた男が左手を挙げ、単独で廊下の向こう側に足を進めた。彼らは一言も話していない、前方二人は一人が壁際に寄りもう片方が悛の前に立つ、まるで壁になっている様だ、実際そうなのだろう。

 

 廊下は真っ直ぐ伸びていて左手にエスカレーターと階段、そして右側に資材管理棟に繋がる渡り廊下がある。男は壁に沿って動くと角でゆっくり腰を落とし粒子銃から小型カメラを放出した。カメラは指先程の大きさで、そのまま地面を滑って廊下の向こう側にピントを合わせる。あれで索敵し先制攻撃を加えるつもりなのだ、初めて見る軍隊の動きは新鮮だった。

 

 そう思った次の瞬間。

 

 

 男の居た場所が弾け飛ぶ。

 ボン! とまるで砲撃でも食らったかのような爆発が巻き起こり、男の上半身が爆ぜて血が撒き散らされた。

 

「ッ!?」

 

 悛は衝撃で思わず椅子から転げ落ちてしまい、残った三人も同様に浮足立つ。男の上半身がまるで蝋で出来た人形のようにバラバラになって砕け散った、臓器やら赤い血やら骨やらが混じって地面に散らばり、残った下半身が力なく地面に転がる。

 

「エンゲージ! エンゲージ!」

「デザインドだ! 連中、まだ居やがったのか!」

 

 転がった悛を後ろに立っていた男が引っ張り上げ、そのまま引き摺る様にして移動。足が地面に擦れてカリカリと音を立てていたが誰も気にしなかった。目に見えない攻撃から相手がデザインドだと判断した、悛もそう思った、こんな事はデザインドにしか出来ない。

 

 悛を引き摺った男が階段を下り、残り二人が粒子銃を握ったまま周囲を警戒する。しかし幾ら警戒した所で姿は見当たらない、次の瞬間には同時に並んで警戒していた二人の内一人が見えない何かに押し潰されたようにグチュリと圧殺された。血液も飛び跳ねる事無く地面に押し付けられ、百八十センチあった身長が十センチ程に圧縮される。

 

 まるで巨大な質量の塊に押し潰された様。

 

 隣に立っていた男は突然圧死した仲間を見て戦き、「くそ、クソッ!」と階段を駆け下り叫んだ。

 

「フロウ! デザインドB-09、【空気操作】の奴だ! 走れッ、止まったら死ぬ!」

 

 男は悛を引き摺るフロウと呼ばれた男性を抜き、一足早く下層に降り立った。そのまま粒子銃を構えるとデザインドの姿を探す。どうやら彼らはデザインドの能力を知っている様だ、恐らく本部から情報を与えられているのだろう。

 

 B-09.

 悛が逃がしたレガリス所属のデザインドだ、彼女のデザインされた能力も勿論知っている。

 

 悛が大人しく引き摺られていると、デザインドを探して忙しなく立ち位置を変えていた男が弾けた。最初に殺された隊員と同じ死に方だ、空気を膨張させ人間諸共破裂させる。粒子銃が地面に落ち、そのまま目玉やら何やらが悛の方まで飛んできた。ベチャリと階段にソレが張り付き悛は顔を歪める。

 

「っ、マルタ……!? クソ、Mr藤堂、すまない、もしもの時は」

 

 そう言って悛を引き摺っていた男は構えていた粒子銃を降ろし、足に装備していた拳銃を押し付けた。プラスチック製の外装で弾倉は実弾、今となっては懐かしい火薬で弾丸を飛ばす旧型だ。

 

 最悪、これで自殺するか、応戦しろという事か。

 男は粒子銃を構えて悛を置いたまま下層に躍り出た。

 

 破裂した男の脳髄やら臓器を踏み潰し、デザインドを索敵する。その行動からは焦燥が滲み出ており、背後は隙だらけに見えた。悛は思う、もし自分が彼と同じ状態だったらと、多分発狂して喚いて殺されるだろうな。

 

 拳銃の外装を一通り確認すると安全装置を弾いてスライドを引く、カチン! と最後まで引かれたスライド、エジェクションポート(排莢口)から一発の弾丸が排出された。

 どうやら薬室に一発、既に入っていたらしい。隊員の男は悛に背を向けたまま忙しなく銃口を動かしている、先程の攻撃が全てB-09のものであるならば彼女が能力で殺しているのだろう、他ならぬ彼女。

 自分より幼い――一人の少女が。

 

 罪は共有されるべきだ、血に濡れるのは彼女だけではない。

 悛はトリガーに指を掛けると、ゆっくりと銃を構えた。

 罪悪感は無かった、悪いとも思わなかった、けれど銃口は震えていた。

 

 それは今から行う行為に対する恐怖、これをやってしまえば未来永劫、胸を張って生きられなくなると言う緊張感。本当に良いのか、まだ間に合う、それだけは駄目だ、一線を越えてしまう。

 そう思うが、しかし既に己は連邦を――この世界を裏切っている。

 裏切って尚、世界のルールに従う必要なんて無い。

 社会と地位、正義と悪、道徳と倫理、それらを投げ捨てた結果。

 

 ただ内側から湧き上がる、『やるべきだ』という感情だけが残った。

 

 

 

 バキン! と銃声が鳴る。

 

 

 

 そして一拍遅れ、下層に立っていた男が膝を突いた。悛の構えた銃口は隊員の男に向いており、そこから硝煙が立ち上っている。続けて連射、バキン! バキン! と何度も音が鳴り男の身体中に弾丸が着弾する。数発外れ、血だまりに命中し赤色が跳ねた。

 

「っ、ぁ」

 

 男が膝を突いた状態で振り向き、目を見開いて悛を見る。

 悛は車椅子から無造作に立ち上がると、自分の足に巻き付いていたシーツを解いた。

 パサリと隠していたベールが脱げる、その下から現れるのは黒い両足。金属に近い光沢を放つそれを見て、男は粒子銃を持ち上げながら震えていた。

 

「で……デザ、イ――」

 

 その言葉が続く前に悛は階段を跳躍、男目掛けて飛び込んだ。思った以上に射撃が難しかった、確実に殺すためには近付かなければならないと思った。

 

 両足は男の体に突き刺さり、ゴギッ! と鈍い音が鳴り響く。肋骨が折れる音、そして倒れ込む勢いそのままに男の頭部目掛けて悛は無我夢中で拳銃を三度撃った。

 バキン! バキン! バキン! と銃声が鳴り響き、男の額に三つの穴が空く。流石にガスマスクには防弾性が無かったらしい、男は血だまりの中に背中から倒れ、二度と動く事は無い。

 

 カラン、カランと空薬莢が地面に転がって音を鳴らす。スライドは一番奥まで下がっており、悛が弾倉を引き抜くと全弾撃ち尽くされていた。悛は手に握っていた拳銃を力なく手放し、指先に付着した血をシャツで拭う。

 そのまま物言わぬ屍となった男を眺め、呟いた。

 

「そんな危険な物、頼むから……あの子達に向けないでくれよ」

 

 

 




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ただ、目の前の笑顔を求めた

 散々あの子たちの体に鉛弾を撃ち込んだ癖に、人間は脆くも簡単に死ぬ。

 

 初めて人を殺したにしては大して何も思う事が無かった、或は感情の振れ幅が大きすぎて実感が湧かないだけなのかもしれない。

 丁度銃口から放たれた弾丸が頭蓋を貫き、脳髄を撒き散らす光景が網膜に焼き付いて離れなかった。人を殺すという行為は何か、視覚的な快感を伴う。

 自分の中にある憎しみや怒り、フラストレーションが引き金を引き絞り、爆発的な燃料となって標的を撃ち貫く。それは独り善がりな行為ではなく丁度相手が居て成り立つ行為であり、しかし悛はその燃料に足る何かを完全には自覚できず呆然とした。

 

 己の引き金に掛かる燃料は彼女達を守らなければならないと言う義務感だろうか、けれど悛にとってはソレがまるで殺人を正当化しているみたいで、嫌だと思った。

 

「あ、悛……さんっ」

 

 感傷に浸っていた悛は、自分を呼ぶ少女の声に振り向いた。廊下の角からひょっこりと顔を覗かせ、肩を震わせながら涙を浮かべる小さな女の子――B-09

 

 他のデザインドと同じ白い髪を短く切り揃え、雪の様な肌を持つ少女だ。

 臆病で引っ込み思案な彼女は悛を見つけ名を呼ぶものの、此方に近寄って来る気配はない。管理室に遊びに行くと真っ先に近寄って来る彼女、何故此方に来ないのか、そう思って自分を見下ろせば己が座すのは屍の上。血に塗れた足元は誰でも近寄りたくないだろう、悛が僅かに動くと赤色に波紋が広がった。

 

「あぁ……」

 

 悛は納得し、血だまりの上を歩いてB-09の元へと急いだ。カン、カン、と甲高い音が廊下に響く。歩き難いが、彼女の前でそんな無様を晒す訳にもいかない。悛は努めて冷静に振る舞い、人を殺した直後だと言うのに微笑んで見せた。

 正直な事を言うと、今でも手が震えている。

 その震えが何から来るものなのか分からなくて、悛は後ろに手を隠した。

 

「ありがとう、助かったよ」

「い、いえ、その、私も……う、上手く出来なくて、ごめんなさい」

 

 悛が彼女の前に立つと、おずおずと角から出て来て頭を下げる。上手く出来なかったと言うのは恐らく殺しの事だろう、そんな事を謝る必要はない。寧ろ彼女に不快な思いをさせて悪かったと謝るべきは己だと思った。

 自分の震えた手を掴んで思う、人殺しなんてやらずに済むならその方が良い。

 

「いや、悪いのは俺だ、済まなかった――しかし、まだ研究所に留まっているなんて、てっきり皆は脱出したものだとばかり……」

「それは、えっと、その、色々あって――あ、あの、それより悛さん、足は大丈夫なんですか?」

 

 B-09は慌てたようにそう口にし、悛の足を凝視する。見た目は完全に体と融合した能力だが、その実何とも言い難い。悛は足をコンコンと叩くと、「まぁ何とか」と苦笑を浮かべた。

 

「コレを付けてくれたのはA-04だろうか?」

「えー…ぜろふぉー……えっと、多分そうです、あの凄い力持ちの子と、手が一杯の……」

「A-013とA-04の二人か、どちらにせよ生き延びられたなら僥倖だ」

 

 悛は胸の内で二人に感謝を述べる、あの場で終わった命をデザインド化とは言え繋いでくれたのだ。感謝する理由こそあるが、文句を言う立場にはない。当面は仮初の足に慣れる事から始めなければならないだろう、頬を叩いて気合を入れる。

 

「えっと、それで、今は蓮さんって人の指示で、その、侵入してきた人を倒していました……」

「蓮――聞いた事が無い名前だ」

「第二収容所のデザインドだって言っていましたけれど、多分、本当です……髪も白いですし、能力もありました」

 

 B-09の言葉を聞きながら悛は頷く。

 成程、このレガリスに攻め込んで来た一人だろう。何故この研究所に留まっているかは知らないが、デザインドに指示を出して増援を狩っていたらしい。このB-09に戦い方を教えたのも彼女かもしれない、昨日までのB-09であれば此処まで上手く能力を使えなかった。

 良くも悪くも彼女達は被検体――能力で人を殺した事など無かったのだから。

 

「今、その蓮という奴の場所に連れて行って貰う事は可能かな?」

「はい、丁度私もこの部隊で終わりですし……第一会議室を集合場所として使っています、多分、仕事が終わった人は其処に」

「良し、じゃあ行こうB-09――それと出来れば、肩を貸して欲しい」

「は、はい! どうぞ、幾らでも!」

 

 悛は苦笑を零しながらB-09に縋る。

 足元の血だまり。

 無様な姿は晒せないが、血塗れになるよりはマシだと思った。

 

 

 

 第一会議室はレガリスの中で最も大きく、多目的フロアとも言える部屋だ。何らかの招集で全所員が集まる場合も此処になる、故に懐かしき連邦学校の体育館並の大きさがあった。悛とB-09が扉の前に辿り着くと、僅かにだが少女達の声が聞こえる。どうやら全員此処に集まっているらしい。

 

「……行くか」

「は、はい」

 

 B-09の肩を借りて歩く悛は、小さく息を吸い込んで扉をノックする。すると中の声は形を潜め、ドアノブに手を掛けるとゆっくり押し開けた。

 中には乱雑に積み重ねられた椅子に端に寄せられたテーブル、その中心に見覚えのある顔と無い顔が一堂に会していた。

 人数は八人。

 見覚えのない顔が三人と、ある顔が五人――悛は最初に感じた、『少ない』と。

 

「あ、悛ッ!」

「起きた?」

 

 A-013とA-04は真っ先に反応し、慌てて立ち上がって悛の元へと駆け寄って来る。その勢いに驚いたのかB-09が肩を震わせて悛の後ろに隠れた。駆け寄って来る二人の突進を辛うじて受け止め、悛は苦笑する。

 今の一撃、下手をするとB-09諸共地面に転がる羽目になるところだった。今の両足では少女の突進すら辛い物が有る。勿論、そんな事は微塵も悟らせはしないが。

 その背後から残った三人が駆けて来て、悛を心配そうに見上げる。

 

「何をしていたんですか貴方は、遅いです」

「あ、悛ぁ~、良かったぁー!」

「悛様? 悛様ですか? 良かった、ご無事だったのですね……!」

 

 それぞれ階層の異なるデザインド達。

 蔑む様な目を向けつつその実、つぶさに悛を観察している『B-21』

 涙を流しながら大口を開け全身で喜びを表現する『C-01』

 悛の存在を聞き、そっと胸を撫で下ろす『C-34』

 

 全員悛が健康管理官として接して来た少女達だ、同じ白い髪、白い肌、悛は彼女達の無事を心から喜び、同時に一つの疑問を抱いた。

 悛が担当した少女達は――これで全員ではない。

 

「すまない、皆、迷惑を掛けた……それで――残りの四人は、何処かな?」

 

 悛がそう問いかけると、B-09を含めた全員が俯き顔を逸らしてしまった。

 悛が担当していたのは十人、『D』と『F』の階層デザインドが居ない、この場に居るのは六人だけだ。

 

「残りは死んだ、アタシ等が来る前にな」

 

 答えたのは少女達の背後に佇んでいた女性の一人、デザインドの白を持ち乱雑に髪を搔きながら言った。

 

「……貴女は」

「第二収容所デザインド、個体番号は『D-06』、今は蓮って名乗ってるよ、と言うか一回遭っただろうが」

 

 そう面倒そうに吐き捨てられ、悛は思い出す。彼女の顔立ちに少しだけ見覚えがあった、擦れた記憶だが自分が死ぬ間際――というかその原因を作った女性だ。その事に気付いた悛は何か怒りの様な感情を覚えたが、それがお門違いである事は理解している。

 そもそも彼女達からすれば、自分も此処の連中と同じ穴の狢なのだから。

 

「そっか……彼女達は」

 

 悛は拳を握って後悔の念を抱く、元より全員助けられると確信する程楽観主義でもない。誰か一人は、或は二人、脱走する最中命を落としてしまうかもしれないと思った。けれど実際に命を落としたのは四人、悛にとっては余りにも重い命だ。

 四年、言葉にすれば短いが悛の中では重い時間、気を抜くと涙を流してしまいそうだった。しかし彼女達の前で泣き喚くなど、そんな姿は見せられない。

 悔しさから唇を噛み俯くと、それを見ていたD-06――蓮が鼻を鳴らす。

 

「ソイツ等から話は聞いてる、(管理室)から逃がしたのはアンタなんだってな、健康管理官――アタシ等の研究所には無かった役職だ、四年も続けたんだって? 情でも沸いたのか、出来損ない(デザインドもどき)

「……情なら最初から持っているよ、そうでなきゃ命懸けでこんな事はしない」

「ハッ、お優しい事で、まるで聖人君子だ、それでどうだい、四人死んだ気分は?」

「―――」

 

 まるで悪意を隠さない口調、悛はそんな彼女を見ていて沸々と制御し難い激情が湧き上がって来るのを感じた。

 

 それは何と言えば良いだろうか。

 無責任な事だと理解しているが、恥知らずだとは分かっているが。

 もっと彼女が早く到着してくれればとか、尽力してくれればとか、そんな責任転嫁に近い感情を悛は覚える。この際、自分を殺しかけた事には目を瞑ろう。

 自分に力が在れば良かった、或は天才的な策を閃く頭脳があれば良かった。そんな凡愚な俺が、平凡な己が、無い知恵を振り絞ってなけなしの勇気で成し遂げた結果がこれなのだ。

 

 全てを絞り尽くしてコレ(この結果)なのだ。

 

 それを何だ、彼女は。

 まるでデザインド(同胞)の死に悲しまず、人の善意を、例え愚考だとしても(あげつら)って。

 

「――何だよ」

 

 悛は端的に言って、気に入らなかった。

 

 ピシリ、と悛の足元から殻が破れる様な音が響く。それに気付いたのはB-09を始めとする近くにいた少女だった。悛の黒い両足が罅割れ、ヘソから伸びていた筋繊維が僅かに蠢く。本人はその変化に気付く事無く、ただ一人、蓮だけを見つめていた。

 

「死んだんだよ、仲間が、同胞が、君達と同じデザインドが、それで何でそんな平然と……何故そんな人に悪意をぶつける様な言葉を吐くんだ」

同胞(同じ存在)だが仲間じゃねぇ、デザインドが無条件で仲間意識でも持っていると思ってんのかお前――ンな訳ねぇだろ、コイツ等を助けたのは『ついで』に過ぎねぇ、アタシ等の目的は別にある」

「目的……?」

「復讐だよ」

 

 蓮がそう言うと、彼女の両肩が不気味に蠢いた。

 同時に両脇に佇んでいたそれぞれ別の第二収容所のデザインドが鋭い視線で悛を射抜く、その二人も同じ目的を持っているという事だろう。悛は三人を視界に収めながらデザインド達を自分の背に隠した。

 

「アタシの体を好き放題掻っ捌いて、抉って、刺して、焼いて凍らせて楽しんでいた研究者(世界のゴミクズ)をぶち殺してやるのさ、いつか読んだ本にも書いてあった、『目には目を歯には歯を』――散々好き勝手やってくれたんだ、だったら同じ分やり返さなきゃ駄目だろ、腹を掻っ捌かれたら、お返しに掻っ捌く、抉られたら抉り返す、単純な話だ、馬鹿にも分かる、そうだろう?」

「………」

 

 それは当然と言えば当然で、誰も味方など居ない場所で延々と苦しめられてきた彼女達が出す結論としては、至極真っ当に思えた。

 散々好き放題やって来た連中に対する仕返し、成程、悛がもし同じ境遇に在ったら理不尽な環境に涙し怒り同じ事をするかもしれない。いや、もしくは失意に沈み全てを諦めるか。

 ある意味、こうしてぶっ殺してやると豪語し行動出来るだけ彼女達の精神は強靭なのだ。悛には持ち得ない強さだ、その行動は正当なものであり止める術を持たない。

 

「成程、良く、分かったよ」

 

 しかし。

 それが他の四人を助けられなかった理由になるのならば。

 悛は認められない。

 

 自分の事を棚に上げて、勝手に期待して、裏切られたらこれだ、理不尽だ、我儘だと己は罵られて然るべきだ。

 けれど、だとしても。

 悔いずにはいられない。

 

 あぁ、過去の己よ。

 こいつらに希望を持ったのは間違いだったぞ。

 人の心を忘れた怪物など最早人間足り得ない。

 故に、故にこの女達は――。

 

 

 

「なら、お前達は敵だ」

 

 

 

 悛は告げ、思い切り目の前の三人を睨みつける。

 今なら分かる、この女どもが何故この研究所から退去しなかったのか。単純に狩りを楽しんでいるのだ、増援として派遣される部隊を一方的に殺して。

 蓮は悛の言葉に一瞬驚いた様な顔をして、それからニヤリと獰猛な笑みを浮かべた。少女達を守ると豪語し、しかし何の力も持たなった人間に何が出来ると。

 

「ハッ、デザインド化しても所詮研究者(ゴミクズ)かよ、良いぜ、ぶっ殺してやるよ、どうせ安っぽい正義感から起こした行動だろう? その安価(チープ)な正義感に満足して死ねば良い」

「正義なんて安い言葉で俺を指すなッ!」

 

 埋め込まれたBT臓器から凄まじい数の筋繊維が伸び始める、その勢いに後ろに立っていた少女たちは顔を青くし、「駄目、悛!」、「悛さん!」と焦燥の声を上げた。

 しかし悛は止まらない、止まれない。

 これは彼女達を信じた己のケジメなのだ、何故もっと早く気付かなかったのか。道徳を説く人間が居なければ無垢な精神など何処にでも転ぶ。それが反転し憎しみに歪む事だってある、寧ろ当然の帰結だ。

 故にこれは考えの足りなかった己の失態。

 

 こんな連中に彼女達を任せられるか、復讐の道具として扱われるのが目に見えている。その未来はこの研究所と何が違う? そんな暴挙を見過ごす程、この藤堂悛は腐ってなどいない。

 

「蓮、余り無茶な事は――」

「ユーリカ、黙ってろ、これはアタシの喧嘩だ、明も手を出すなよ」

「んー……うん、まぁ面倒だしねぇ、あとは任せるよ~」

 

 両脇のデザインド――ユーリカと明と呼ばれた二人は、蓮の言葉に引き下がる。どうやら三人で食って掛かって来る訳ではないらしい、どちらにせよ相手はデザインドなのだ、一人だけでも手に余る。

 蓮は悛の目の前に立つと、これ見よがしに両手を広げて戦闘姿勢を見せつけた。

 

「そら新人君、成り損ない程度でも能力は使えんだろ? そこの二人がBT臓器を移植したからな、まさか適合するとは驚いたが……所詮素体はジャンク(人間)だ、アタシの一発でぶっ壊れちまうかもな?」

「――お前達の境遇には同情しよう、だが彼女達は巻き込むな、俺はただ何もなく、有り触れた幸せを享受して欲しいだけだ」

「あん? 随分と無茶言うじゃねぇか、普通の幸せなんざこの体に生まれた時点で掴めねぇよ、アタシ等の生き甲斐って言えば」

 

 蓮は両肩から筋繊維が溢れ出し、一瞬で細長い何かを作り出した。形状から用途が分かる、それはまるで銃身の様で。

 

「管理官の死に顔を拝む事だろう?」

 

 ズドンッ! と重々しい発射音、何を放ったのかは分からなかった、気付いた時には既に己に向かって硬い何かが飛来、腹部に直撃した。辛うじて筋繊維の上に着弾したソレはキュルキュルと高速回転し奥へ奥へと減り込んで来る。

 衝撃が背骨を直撃し、一瞬体が上と下に裂かれたのかと錯覚してしまう。しかし後方に退く事は出来ない、後ろには守るべき存在が居るのだ。

 

「グ、ッぉ!?」

 

 悛の黒い足がその場で踏ん張る、限界を超えて耐える。

 やがて放たれたソレは徐々に回転を止めて、最後には金属音と共に地面へと落ちる。カランと音を立てて転がったソレは、悛の足と同じ黒い材質で出来たナニカ。恐らくこれもBT臓器の因子によって作られたものだろう。直撃を受けた部分は赤く発熱しシュウと蒸気を上げていた、一体どれだけの回転数を誇っていたのか。

 生身で食らったら最悪腹をぶち抜かれていた。

 悛は罅割れ発熱した腹部を見てそう思った。

 

「あ、悛さんっ! 大丈夫ですか!?」

「ッ、あの女――」

 

 B-09が悛の負傷を心配し、B-21は鋭い視線を蓮に投げる。幸い怪我はない、着弾したのは筋繊維の上だ。まるで鎧の様に張り付いた黒色が弾丸から悛を守って見せた。

 もしかしたら、己の能力はコレなのかもしれない。

 恩師が攻撃されたという事実に殺気を滲ませる少女達を手で制しながら、悛は告げる。

 

「……下がってくれ、向こうも言ったがこれは、俺の『喧嘩』なんだ」

 

 一番先頭に立って戦闘態勢に入っていたB-21は悛の顔を見上げ不満を隠そうとしない、しかし彼の覚悟を感じ取ったのだろう。彼女は発動させようとした腕のソレを収縮させ、口をへの字に曲げて引き下がる。悛のシャツをきゅっと握ると、小さく呟いた。

 

「……次、危なくなったら手を出すわ」

「ごめん」

 

 彼女なりの優しさ、或は妥協点。

 少なくとも彼女達は自分に味方してくれている、それが堪らなく嬉しかった。

 蓮はそんなやり取りを目にしながら、余裕の表情で肩に生え出た銃身を撫でる。

 

「今のはほんの挨拶代わりだ、(連邦)の部隊は取り敢えず全部片してある、騒ごうが歌おうが絶叫しようが問題ねぇ、こんな一撃で戦意喪失してくれんなよ?」

「当たり前だ……!」

 

 悛は大きく眉間に皴を寄せ、己の体に語り掛ける。

 不本意だがこの体は既に人間の物から逸脱している、研究する側からされる側へ。悛はBT臓器を埋め込まれ恐らく世界唯一の男性型デザインドへと変貌した、成人男性にBT臓器を埋め込んでデザインド化した事例は存在しない。

 

 悛が持つのはデザインされた能力ではなく、完全に因子任せのランダム。要するにどんな能力を発現したのか不明、最悪伸びもせず、怪力も発揮せず、ただ普通の腕が一本生えただけ――なんて結果もあり得た。

 

 何でも良い、元より過ぎた力なのだ、多少足しになれば文句は言わない、だから頼む――何でも良いから出て来てくれ。

 

 悛が祈りBT臓器の移植された下腹部を叩く。

 するとミチミチと唸りを上げた筋繊維が蠢き、悛の上半身を一気に覆い始めた。最初は悛自身が驚いたが、筋繊維は決して意思に反しない。能力を発動する為の準備だ、それを見た蓮は、「くはっ」と笑みを浮かべる。

 元人間の悪足掻き、一体何をするのか見物だと。

 

「なら、少し強めにぶっ放す――ほら、気張って防がねぇと簡単に死ぬぞ!」

 

 蒸気を吹き上げ、肩に生み出した銃身に再び何かを装填する蓮。その動作を見て、悛は肩まで覆った筋繊維を黒く固めた。BT臓器はまるで三本目の腕に近い、己の意思によってある程度動かす事は可能だが、動かせるだけでどう動かそうとか、どんな風に動かせば良い等が全く分からない。

 我武者羅に走った筋繊維、鎧の如く固まったそれを以て弾丸を防ぐ、それしかない。

 

 ズン! と蓮の足元が陥没し、凄まじい勢いで弾丸が――否、砲弾が飛来し悛の腹部に着弾した。宛ら戦車砲の様なソレは寸分たがわず黒く硬質化した筋繊維に激突、悛の内臓と骨がビキリと悲鳴を上げる。

 体が数センチ背後にズレるのを自覚し、しかし両足から射出された(バンカー)の様な物が悛の後退を阻止した。ぐんっ、と体がその場に固定され問答無用で耐え切る。

 

 パキン! と腹部を中心に硬質化した筋繊維が罅割れるが、回転し凄まじい勢いで飛来した砲弾を悛は見事に受け止めて見せた。ゴトン、と先程より大きい弾が転がり、悛は大きく息を吐き出す。

 流石に完全に受け止められるとは思っていなかったのか、蓮も驚愕の表情で「マジか……」と呟いた。

 

「っ、はっ、どうだ、ざまぁみろ」

 

 悛は脂汗を流しながら笑みを浮かべる、気を抜くと吐きそうになるが必死に堪えた。今はただ自身の一撃を完全に防がれ驚く蓮の表情が心地良い。自分の腹を見下ろせばベッコリと凹んだ部分が新たな筋繊維によって瞬く間に補修されていく、本人の意思とは無関係にだ。食らった時は半ば死を覚悟したが――デザインドの能力と言う奴は予想以上に頑丈らしい。

 

「何そのデザイン能力、真正面から蓮の攻撃を防ぐとか……衝撃吸収、とはちょっと違うよねぇ?」

「どちらかと言うと『硬質化』かしら、蓮の『単独砲撃』に耐え切ったのだし、もしかしたら両方の性質を持ち合わせているかもしれないわね」

「防御特化じゃん、めっずらし~」

 

 蓮の背後に控えていた二人が悛の能力を目にし、驚きを露にする。

 どうやらデザインド能力で防御特化なのは珍しいらしい、悛は己の体を見下ろしながら思考する。今や硬化した筋繊維は首元辺りまで覆い隠し、宛ら本物の鎧の様な恰好となった。

 

 少なくともB-09やA-04、A-013と言った少女達と比較すると攻撃寄りとは言い難いだろう。これが己の持つデザイン能力、余り実感はわかなかった。そもそも自分がデザインドだと言う事すら上手く呑み込めないと言うのに。その上能力だ何だと言われても、悛の感情処理が追い付かない。しかし何故防御特化なのか、その理由は薄々感じていた。悛が一度死にかけた事に関係するのだろう、因子が読み取ったのかは知らないが、悛が求めるのは傷つける力ではない、守る力だ。

 要するに悛は死にたくないし、少女達を死なせたくもない。

 

「何ともまぁ、偽善者らしい能力じゃねぇかよ、えぇ? 亀みたいに籠って硬くなるだけか」

 

 悛の能力に攻撃を防がれた蓮は先程の表情から一転、つまらなそうに顔を顰める。

 しかし悛の余裕は崩れない、元より目の前の女に認められたくて能力を得た訳でもない。悛は両の拳を打ち鳴らし、自身の目前で構えた。見様見真似で覚えた防御姿勢だ、亀のように固くなるだけと連は言ったが悛からすればそれで十二分。

 デザインドの攻撃を防げるだけの硬度があるならば『それだけ』とは言えまい。

 

 悛は己が恐ろしく頑丈で頼もしい盾を手に入れた気分になった。

 凄まじい鋭さを誇る剣よりも、何物も受け付けない盾の方が悛は好ましいと思う。

 

「余りアタシの砲撃を見くびるなよ――!」

 

 悛が両腕を前に突き出し、亀のように体を丸めたからだろう。蓮はそのまま嬲り殺してやるとばかりに銃身へと砲弾を装填、ズン! と砲撃を開始する。悛は背後の少女達に命中しない様身を盾にしながら、あろう事かそのまま真っ直ぐ駆け出した。

 放たれた砲弾が盾とした腕に着弾し、ギャリギャリと火花を散らしながら悛の腕が弾き飛ばされる。同時に砲弾も軌道を逸らされ斜め後ろの天井目掛けて轟音を鳴らした。

 

 さしもの蓮さえ、その度胸に度肝を抜かれる。

 蓮の砲撃は本来、生身で食らえば腹をぶち抜いて余りある威力を秘めている。それは如何にデザインドの能力を持っているとはいえ到底無視できる威力――痛みではない。

 そもそもデザインド同士の戦闘など本来想定されていないのだ、デザインドを保有するのは連邦のみであり同族同士での戦闘経験など皆無。

 故に連は僅かに怯む。

 己の砲撃を喰らいながら平然と迫る奴など今まで一人として存在しなかったから。

 

「この――」

 

 蓮は続けざまに二発、迫り来る悛に向けって砲弾を放った。一発は悛の顔面に、もう一発は悛の腹部に、そのまま死んでも構わないと言う軌道。しかし頭部に向かった砲弾は腕に逸らされ、腹部の物は爆音と共に着弾するものの、僅かな間その場に足を縫い付ける程度の効果しかなかった。

 見れば悛の硬質化した筋繊維は破壊された傍から高速で修復されている、まるで映像の逆再生を見せられている気分だった、何と質の悪い、硬い上に治りが早いなど。

 

「っ、ふ、ぐ」

 

 しかし悛とて無傷で全てを受け切っている訳ではない、まるで全力で腹を蹴り飛ばされた衝撃に痛み、それを唇を噛み千切って耐える。本来ならば腹部に風穴を空けるソレがその程度で済んでいるのは僥倖だろう、だが幾ら痛みの質が下がろうと根本的には変わりない。

 

 悛はなりふり構わず突進し、兎に角蓮との距離を詰める。

 元から悛に喧嘩のスキル、技能など無い、この研究所に来るまで元々争いを好まず穏やかに生きていた男だ。故に作戦は単純明快。

 近付いて、殴る。

 

「ッ、おォ、おォおお!」

 

 無論、それは恐ろしいし、怖い、死ぬ程怖い。

 目で追えない金属の塊が凄まじい勢いで飛んでくる、それは自分の腹や腕、顔面目掛けて直進し防げなければ簡単に死んでしまう。そんな状態を恐れない人間など、感覚の麻痺した人造人間か、恐怖を母の腹に置いて来た不感症野郎だろう。

 

 恐ろしい、恐ろしくて目を背けたい、恐怖から何か狂った事をしたくなる。このまま頭部を庇っている腕を下げるとか、足を止めて無抵抗状態を見せるとか。そんな事をすれば死んでしまうと理解しているのだが、この迫り来る恐怖感から逃れる術を無意識の内に並べていた。

 

 一秒一秒が己との勝負。

 そして蓮にとっては己では無く、相手との勝負。

 

 七発目の砲弾が悛の腕を弾いた時、彼我の距離はほんの数歩の距離まで迫っていた。蓮が舌打ちを零し、至近距離からの砲撃を敢行する。先程とは異なり、殆ど加速距離がない。しかし威力が今までとは段違いで、手を抜かれていたのだと悛は理解した。

 放たれた砲弾は閃光を伴い、悛の突き出していた左腕に着弾、まるで紙の盾だと言わんばかりに弾き飛ばす。腕を覆っていた筋繊維が一気に崩壊、剥がれ、悛は上半身が大きく逸れた。

 見れば弾かれた左腕は複雑に折れ曲がり、骨が皮膚を突き破って血が滴っている。悛の戦闘を心配そうに見守っていたデザインド達が悲鳴を上げた。

 

 

 これまでだ、皆がそう思った。

 これ以上やったら死んでしまう。

 

 

 全員が悛を助け出そうと動き出し、BT臓器が奇妙な唸りを上げる。恩師の危機に全員の能力が一瞬で発動し、近距離組は躊躇うことなく悛の方へと飛び出した。

 

 それは蓮も同じ――防御を貫かれ、腕をへし折られたからには戦意を失うだろうと、そう踏んでいた。

 

 元よりこの蓮という女性、口で言う程悛を嫌ってはいない。

 出会いこそ最悪であったが、これまでの彼の行動は全て第三号のデザインド達に聞き及んでいた。赴任してから四年間毎日欠かさずデザインド達と逢い、平日は検診に(かこつ)けて菓子を手渡していたという。何の娯楽も持っていなかった少女達に『月間支給』なる制度を作り出し書籍やゲーム、各々の趣味となるモノを提供したとも。

 

 聞けば聞く程善人だ、最初は研究所の用意した飴と鞭――その飴に該当する管理官だと思っていたが、態々自壊装置を破壊しカードキーを融通した所を見るにそうでもないらしい。

 蓮とて己の同族に手を差し伸べた人物を殺す程、狭量ではない。

 だが、デザインドと人間は共に歩めない。

 蓮達の根底には人間への憎悪があり、それは例え善良だと分かっている相手であっても抱いてしまう性質故に。

 

 デザインドの力を理解させなければならない、その体に。

 普通の平和など得られない、ただの人間であれば少女達と切り離し、彼らの社会へと復帰させただろうが、それは既に叶わない願いだ。彼はデザインドの領域に足を踏み込んでしまった、だからこそ彼の意思を砕かなければ。

 

 悪いが、私達の復讐に付き合って貰うぞ。

 

「さぁ、これで」

 

 蓮は砕いた腕を確りと見つめながら、悛に向かって銃身を再度構える。腕をへし折った、後は痛みに蹲る男を脅せば終わりだ。

 そう思っていた。

 

「―――」

 

 だが、悛は挫けない。

 圧し折られた腕を後方にぶら下げながら、ただ蓮を見つめていた。

 

 ゾクリと、蓮の背筋が凍る。

 

 その瞳はただ一点蓮だけを捉えて離さず、己の肉体の事は微塵も省みていない。痛みに呻くどころか顔色一つ変えず、脂汗を滲ませながら蓮に向かって瞳を向ける。

 それは何処までも無機質で、光を伴わない目玉は酷く恐ろしく見えた。

 

「お前――」

 

 蓮が頬を引き攣らせ、思わず仰け反る。 

 悛は己の腕が砕かれた時、痛いと思った、恐ろしいと思った、このまま止まりたいと思った。しかし其処で足を止める事は即ち死であると確信する、フラッシュバックするのは己が死の淵に立った時の事。

 両足を砕かれ大量の血を流し、腹を潰され苦しみに喘いだ記憶。

 もう一度アレを味わえと言われたらきっと、悛は見っとも無く泣き喚き嫌だと叫ぶだろう。

 

 生きる為には止まるな。

 死なない為には止まるな。

 

 悛が向き合ったのは己、蓮が向き合ったのは相手。

 その差が此処に来て決定的な隙を生んだ。

 

 悛は走る勢いそのままに蓮へとタックルを繰り出す。元より上手く扱えなかった黒足である、減速しろと言われても無理だった。硬質化した筋繊維を突き出し、そのまま肩から蓮の腹部に飛び込む。

 宛ら特大の人間砲弾、飛び込む勢いで駆けた悛のソレに、蓮の体はくの字に折れ曲がって衝撃に軋んだ。ズドン! と蓮の肉体に重々しい音が響く、肺の空気が抜け落ち、蓮の体諸共背後のデスクに衝突。

 端に寄せられたソレを砕きながら悛は蓮を壁に叩きつけた。

 

「かハッ!?」

「蓮!?」

「うっそぉ」

 

 隣を猛スピードで過ぎ去り、そのまま蓮に一撃を入れた悛、そのあり得ない光景に明とユーリカは叫ぶ。

 叩きつけられた壁には罅が入り、蓮の表情は苦悶に歪む。普通の脚力ではない、能力で明らかに強化されている。蓮は己の体から鈍い音が響くのを聞き、予想以上の威力を秘めていると理解した。

 

「はぁッ、ふぅッ、ふっ、はッ…ぁあぁァぁッ…!」

「ぐぅッ、このッ、離せっ!」

 

 壁に叩きつけられた蓮は抑えられた状態で必死に足掻く。しかし悛の体はビクともせず、見れば杭の様な何かで体を地面に固定していた。いつの間に、そう考えるのも束の間、パキパキと何かが凍る様な音を聞き己の体を見下ろす。

 すると悛の体を覆う筋繊維が、己の足元を浸食し始めていた。

 足に付着したそれは次々と硬質化していき、蓮の体がどんどん固定化されていく。この場から動けない、逃げられない。

 

「お前ッ――まさか」

「っ……」

 

 悛がこの時感じたのは、『殺さなきゃ、殺される』という強迫観念にも似た感情。

 単純だが真理でもある、先の背後から射殺した時とは全く異なる緊張、引き金を引かなければ死ぬのは自分だ。そして背後に立つのは守るべきデザインド達、そう考えると『殺人』という二文字が脳裏から剝がされて行く。

 

 砕かれ使い物にならなくなった腕を放って、悛は残った片方の腕を振り上げる。黒い筋繊維に覆われた腕は盾であり、同時に鈍器と化す、コレで殴り付ければ如何にデザインドとは言えタダでは済まない。

 筋繊維が悛の振り上げた腕に纏わりつき、その筋力を底上げした。

 

「くたばれッ!」

「待っ――」

 

 振り下ろされた拳、轟と唸るソレは宛ら巨大なハンマーか。

 頭蓋を砕かんと振り下ろされる拳を見た蓮はサッと顔色を青く染め、咄嗟に静止の声を上げた。しかし勢い良く振るわれた腕は止まらない、悛は極限の恐慌状態により視野が狭くなっていた。

 

 

 あわや直撃か――蓮が身を竦ませる、その直前で悛の腕がグンッと掴み取られた。

 

 

 それは凄まじい力で、底上げした筈の腕力が容易く引っ張られる。悛の上半身が仰け反り、そのまま両足の杭が中ほどから折れた。

 

「ッ!?」

 

 突然の横槍に悛の思考が正常に戻る、ふと自分の腕を引っ張った人物を見れば額に汗を流したA-04が自分の腕を掴んでいる。

 

「悛、駄目」

 

 その瞳は悛の身を案じており、守るべき対象を目にした悛は自身の闘争心とも言えるモノが鎮火されて行くのを感じた。そして次いで体を襲ったのは凄まじい痛み、砕かれた腕が痛覚を取り戻し、悛の表情が痛みに引き攣る。

 そのまま蓮から数歩後退って離れると、歯を食いしばって痛みに耐えた。

 

「………すまない」

 

 悛は目の前の蓮に一言謝り、腕を抱えたままその場に座り込む。蓮が呆然とその姿を見ていると、後方から第三号のデザインドが次々やって来て悛を取り囲んだ。悛の脂汗が滲んだ苦悶の表情、無残な腕を見て皆が恐慌状態に陥る。

 

 デザインドは自分が傷つく事には慣れていても、大切な人が傷つく事には慣れていない。それは自分が傷を負うよりも遥かに辛かった。

 

「腕、大変……」

「ど、どうしよう……ええっと、えっと……」

「お、落ち着きなさい! こういう時は、こういう時は、そう……人工呼吸よ!」

「違います、心臓マッサージです!」

「貴女達は何を言っているの?」

「オチツイテ!」

 

 折れ曲がり血の滴る腕を見て、あぁでもない、こうでもないと騒ぐデザインド達。結局はBT臓器による再生能力によって一分と経たずに回復するのだが、それまで添え木だ包帯だ何だと騒がしかった。放っておいても勝手に傷が治る彼女達からすれば、適切な処置など分かる筈もない。

 

「………」

「蓮、大丈夫かしら」

「蓮ちゃ~ん?」

 

 A-04の怪力によって窮地を脱した蓮は、デザインドに取り囲まれる悛を眺めていた。駆け寄って来た明とユーリカの声によって自意識を取り戻し、「あ、あぁ」と頷きながら固定された足を動かす。

 

 持ち主が離れたからだろう、付着した筋繊維はボロボロと崩れ足も問題無く動く。軽く手で足を叩くと、彼女は小さく息を吐き出した。

 

「……元人間のデザインドもどきに殺されかかるとか、笑えねぇな」

「良く言うわ、出力、半分も出てなかったじゃない」

「ばっか、対人相手で全力出せるか、兵隊相手には十分本気だった」

 

 蓮は頭を掻きながら答える。

 単独砲撃は本来対人で使用する能力ではない、全力で放てば貫通するどころか、蝋燭で出来た人形のようにバラバラになってしまう。彼女の能力は浮遊戦車や対車両、航空機に対して設計された能力なのだ。

 蓮は最初から悛を殺すつもりなど無い、強い言葉を使ったのは彼の全力を引き出し、その上で叩き折る必要があったから。

 

「でも面倒ね、これで取り込むのは難しくなったわ、どうするの?」

 

 壁に背を預けて天井を眺める蓮に向けてユーリカは問いかける、元より彼女達第二号デザインドがこのレガリスに攻め込んだのは、同胞を助けるという理由もあったが戦力増強の為だ。

 デザインドという存在には人権も無く、世界の何処にも居場所など存在しない。どうせいつかは死ぬのだ、ならば自分達を生み出した研究者共を残らず殺してやろう。

 それが彼女達の行動理由、そして存在理由。

 それは此処のデザインドも同じだと思った、だからこそ助けに来たのだ。

 

「……」

 

 蓮は目の前の悛を眺める。

 研究所の人間は全員殺す、それは絶対。

 けれど悛の周りにはデザインド達が集まり、心の底から信頼し合った関係を見せつけていた。悛は引き攣った笑みで何でもないと周囲の少女達を安心させようとし、逆に少女達はそんな訳ないじゃないと激怒する。

 今はデザインドとは言え、元は人間。

 その脆さを良く知っているから。

 

「蘭とメフィーは第一の方に向かっているんでしょぉ? 一応殺すだけ殺したんだし、向こうと合流すれば良いんじゃない~? 別に全員連れて来いって話でも無かったしさぁ」

「……それも手ね、連邦の方に向かったリーン達と合流するのも良いわ」

 

 二人が出した案は第三号のデザインドを見限り他研究所、及び連邦支部を荒らして回っている他の第一号デザインドと合流するというもの。能力としては最も完成度の高い第三号、それを諦めるのは業腹だが元よりデザインドは一騎当千の兵士として設計された存在。現在の戦力でも問題無いと言えば問題無い、元より全員生き残る気など更々ないのだ。

 あれば嬉しい、なくとも構わない。

 それが結論。

 

「……その前に一つ、確かめたい事がある」

 

 蓮は悛を眺めていた視線をそのままに、そう呟いた。

 壁から背を離して一歩踏み出すと、悛を囲んでいたデザインド達が警戒を露にする。彼の腕は未だ再生途中で筋繊維が腕を覆い始めた所だ。多少の負傷ならば直ぐに回復するが、腕一本丸々再生となると瞬時再生とはいかないのだろう。

 

 能力を発動しようと構える第三号の面々を前に蓮は、「あぁー……何だ、もう戦う気はねぇよ」と両手を挙げる。

 新人(ルーキー)に殺されかけたのだ、勝負は既に終わっている、自身の敗北と言う形で。

 

(あらた)って言ったか、お前……一つ聞きたい事がある、正直に答えろ」

「……何だい」

 

 蓮の問いかけに意外な程素直に答える悛。

 先の戦いで悛は目の前の蓮という女性が思いの外真っ当な、それこそ戦闘狂でも復讐に取りつかれた人物でも無い事が分かっていた。漫画や映画の台詞ではないが、戦って初めて分かる事もある。

 言動とは裏腹な感情を悛は目の前の蓮から感じ取っていた。

 

「お前、研究所から逃げ出した後の事は考えていたのか? お前がついていても、いなくても良い、外に放り出されたデザインド達がどうやって生きるのか考えたのか?」

「……俺はお前達の襲撃で死ぬかもしれないと思っていた、だから最善としては第二号のデザインド達について行かせる事、同胞は見捨てないと思っていたから、お前達だって無策で外に出た訳じゃないんだろう? だからソレに(あやか)ろうとしたんだ」

「……成程」

 

 結局それは失敗だった訳だが。

 まさか復讐目的で研究所を襲撃するなんて思っていなかった、てっきり同じ境遇の同胞を助ける為に来たのだとばかり考えていた。故にこの選択肢は既に潰えている、復讐の旅に同伴させるなんて事は悛が許さない。

 その果てに待っているのは『死』だけだ。

 

「ならどうする、もう連邦の庇護は受けられないんだ、外に出たって待っているのは裏切りと迫害、それと恐怖だけだぞ、私達と離れて生きられるのか?」

「何でそんな事が分かる」

「アタシ等の協力者がそう言ったんだ、デザインドは外で生きられない、元からそういう風に設計(デザイン)されてるんだって」

 

 蓮の言葉に悛は沈黙する。

 彼女達の言う協力者がどんな人物なのか、悛は気になって尋ねた。

 

「その人は研究者か」

「いや、違うさ、彼女達の名誉の為にも詳しくは教えられねぇ、けれど実際に外に出て実感したよ……彼女は正しかった、アタシ達デザインドに世界は優しくない」

 

 夢も無ければ希望も無い。

 確かに実験はされないし痛みも無いだろう、けれど向こうに広がっているのは差別と偏見、そして迫害。その白い肌と白い髪、何より異形の能力はデザインドとしての証。それがある限り真っ当な道は歩めない、社会の片隅で何時か来る追手に怯えながら日々を過ごすだけ。

 それが幸せと果たして言えるのか。

 そんな世界で一体どうやって生きるんだ?

 

 まるで未来を見透かした様な言葉に、悛は沈黙してしまった。研究所から抜け出せさえすれば良いと思っていた、そこから先どうすれば良いのか――そんな事、一度でも自分は考えなかった。

 率直に言ってしまえば、研究所から出してしまえば己の役割は終わりだと無意識に思っていたのだ。襲撃で死んでしまうだろうとも思っていたし、丸投げだが第二号のデザインド達が居れば何とかなると思っていた。

 自分自身でも間抜けだと思う、一体見た事も無い人物にどれ程の期待を抱いていたのか。

 

「言っちゃ何だが、アンタも既にデザインドに足を突っ込んでいる、今更真っ当な道に戻れると思うなよ? ガラス越しにアタシ等を眺めていれば終わる日々は終了したんだ、今度はアンタも『こっち側』だ」

「……分かっているよ、そんな事は」

 

 自分の蠢く腕を見ながら呟く、こんな力は唯の人間に備わっていない。もし日の当たる社会で悛の存在が露呈すれば、すぐさま檻に入れられるだろう。

 それでどうやって生きていく――?

 突如突き付けられた現実に、悛は唇を噛んだ。

 浅慮だった、そう言わざるを得ない。

 

「連邦の手が伸びない場所で、細々と暮らす……それじゃ駄目なのか」

「まぁアリっちゃアリだろうな、まぁでも、普通の幸せとは言えねぇだろう」

「………」

「そんなんで無駄に時間を潰す位ならアタシ等の復讐を手伝えよ、別に復讐だけじゃねぇ、これから先、アタシ達と同じデザインドが生まれない様にする――そんな理由でも良いんだ」

 

 蓮は本気で言っていた、その命を疑似的な幸せに捧げる位ならば未来の為に使えと。

 それは復讐に加担させる為の方便なのかもしれない、けれど『正しい』と思ってしまった。

 こんな少女達を二度と生み出させない為に、創る事自体が誤りだと思わせるために、彼らを殺す。手段は兎も角、思想は理解出来る、理解出来る故に言葉が出てこなかった。

 

 彼女達を救うと決めた時、悛は思った。

 映画や漫画の主役の様な人間というのは、こういう時に全てを投げ出して手を差し伸べられる人間なのだろう――と。

 自身の信条に真っ直ぐで、どれだけ巨大な組織であっても対峙できる勇気がある。希望に満ち溢れ、間違えず、常に正しい選択をする。

 

 この正しさとは、何もかもを犠牲にという意味ではない、彼らは時として常人には成せぬ力で、或は知恵を使って全てを救って見せるのだ。悪を滅し正義を成す、この場合の悪とは未来を見捨て立ち去る事であり、正義とは未来の為に死ぬ事だと思った。

 だが正義と幸せは違う。

 悛にとっては世の正義より、少女達の幸せが重要だった。

 

 彼女達にとってのは幸せとは――一体何だ?

 

「悛」

 

 気付いた時、腕は既に修復を終えており、B-21が自分を見つめていた。思考の海に沈んでいた悛はハッと意識を取り戻し、背後を見る。

 デザインド全員が悛を見ており、その小さな手は悛の服を掴んで離さない。

 

「貴方は余計な事を考えなくて良い、ついて行っては駄目よ」

「そ、そうですよ! 私、その、悛さんと居られればそれで……」

「別に私は悛と遊べれば十分よ! 何だか良く分からないけれど、他は何も要らないわ!」

「悛が一緒、それで十分」

「あ、悛ぁ~、行っちゃ嫌だよ~!」

「悛様、どうか……」

 

 各々が悛に詰め寄り、口々に告げる。それは悛の判断を押す声であり、またこの先の未来を決定付ける言葉だった。

 悛が居れば十分。

 そう言って笑う彼女達は微塵も未来を悲観していない。

 世界を知らないから? そうなのだろう。

 けれど悛は思ったのだ、少女達を此処から出してやりたいと。

 それが悛の根源だった筈だ。

 全てを始める一歩目の。

 

 

「……そうだね」

 

 

 悛は笑う。

 修復された手で拳を握り、小さく息を吐き出す。少女達にとってソレが幸せならば、悛は喜んで従おう。藤堂悛という男は正義に殉じる主人公ではない。その勇気も無ければ度胸も無い。

 ただちっぽけな存在で、分不相応にも彼女達を助けたいと思った愚か者だ。

 

 デザインドの未来を背負うには、藤堂悛と言う男――余りにも小さ過ぎる。

 

「ごめん、一緒には行けない、俺達は此処を出て連邦の目が届かない場所でひっそりと暮らすよ、それが彼女達の……俺の幸せなんだ」

 

 悛は決断した。

 遠い未来に生まれるかもしれない不幸な少女達を救うのではなく、ただ目の前で笑う彼女達を助けようと。最初から悛はそう決めていた、それ以上は成し遂げられそうにない。藤堂悛は物語の主人公ではない、ただの一介の研究者――凡愚なのだ。

 

「………そうかよ」

 

 蓮は肩を落とし、鼻を鳴らす。

 最初から期待はしていなかったのだろう、けれどその表情は心なしか寂しそうでもあった。隣に佇む明とユーリカも残念そうに眉を下げていた、しかし蓮程感情は見せていない。

 

「それで、アテはあるのか? 住む場所と此処から逃げる手段は? 言っておくが手は貸さないぞ」

「……各棟に三十人が乗れる脱出艇があるんだ、一隻くらいは残っていると思う、それで此処を出るよ、場所についても問題無い」

「へぇ、自信がありそうじゃねぇか」

「一応、これでも連邦職員だからね、彼らの目が届かない場所も知っているんだ」

 

 悛がそう言って苦笑を零すと、蓮は感心したように、「何処だよ?」と問うてくる。

 悛は嘗ての故郷を脳裏に浮かべ、懐かしさと共に告げた。

 

 

「極東――(かつ)て日本と呼ばれた土地さ」

 

 




 週間一位ありがとうございます。
 お礼に17200文字置いておきますね。


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光り出す少女達の世界

 

 日本。

 アジアの端に存在する島国、海面上昇により湾岸部の都市が水没してからは規模が縮小し2029年を以て国家は連邦に吸収されている。首都東京は未だ存在しているが、月面都市移住計画が発案されてから人口は減少の一途。総人口は全盛期の百分の一まで落ち込んでおり、地方に関しては連邦の手も届かない辺境の地と化していた。

 

 対を成す西京に至っては解体処置が施されており、九州、四国の連邦支部は機能していない。東北も同じで今や日本は東京、京都を中心とした生活圏が僅かに残っている程度。

 現在地球人口の殆どがユーラシア、アフリカ、北、南アメリカ大陸に集っている状況なのだ。辺境と呼ばれる場所は一部を除いて切り捨てられ、日本と言う国もまた連邦の拡充に伴って捨てられた古き国であった。

 

「ねぇねぇ悛ぁ~、日本ってどんな場所?」

「そうだね……自然が豊かな、素朴な国さ、ご飯が凄く美味しいんだ」

「私、知ってる、武士、侍」

「織田信長やアケチの居る国ね!」

 

 救護棟の脱出艇を一隻拝借し、現在はその船内。

 

 三十人が搭乗可能な脱出艇の中は比較的広く作られており、船はAIの自動操縦にて日本を目指している。船内には小さいがベッドもある為快適だ、今まで一度も使われていなかったせいか豪華に作ったのかもしれない。兎も角、日本までは数日の航海が必要だったので素直に有り難いと思った。

 

 あの後、悛率いる第三デザインドは第二号のデザインド達に別れを告げ研究所を後にした。彼女達はもう少しレガリス研究所で粘り、増援部隊を磨り潰すらしい。

 聞けば第一収容所と連邦支部にもデザインドを仕向けていたらしく、今頃本部は大混乱だと言う。その混乱に乗じて悛達は警戒網を潜り抜ける事に成功した。

 元より監視塔の位置は把握している、見つからない様に海路を縫うのは簡単であった。

 

 デザインドの六人は悛の日本行きに全く口を挟まず、全員が付いて行くと宣言。

 研究所にある金目の物や衣料品、ドクターバッグやら何やらを大量に持ち込み、満を持して研究所を離れた。

 初の外世界である、海を見たデザインド達はその広大さに目を剥き、巨大な氷河を目の前にして大口を開けて驚いた。

 曰く、こんな大きな氷は見た事が無いと。

 

「ん~でも日本まで時間掛かるんでしょう? なら自己紹介、自己紹介をしようよぉー」

 

 船の一室、比較的広めに作られたスペースで談笑する悛達七人。因みに船内は操縦室、トイレ、ベッドルーム、出入りフロア(談話室)の四つで構成される、脱出艇と言うより動く小さなホテルか。食料や水もサバイバルキットとして備え付けられており、更に持ち込んだ分もある。

 談話室では壁に備え付けられた椅子に腰を下ろしながら、皆が顔を突き合わせていた。

 

「自己紹介、賛成」

「ん~、そうね! 私まだ皆の事知らないわ、教えて貰うのは賛成よ」

 

 C-01の言葉にA-04、A-013の両名が頷き、そのまま自己紹介の流れとなる。悛としては全員面識があるのだが各々の接点はなく、己の管理室が世界の全てだった彼女達からすれば自分と同じ存在というのは非常に興味の持てるものだった。

 

「ふふん! じゃあ私からね! 名前は『A-013』よ、好きな物は悛とカードゲームとテレビゲーム、あと本なんかも読むわ、特に推理小説が好きね、私ってば知的すぎない? 能力は『千手(せんじゅ)』、便利な腕が一杯作れて便利なのよ!」

 

 徐に立ち上がって堂々と胸を張り自己紹介をするA-013、大事な事なので便利と二回言ったのだろう、とても便利な腕らしい。

 言葉を一度区切ると、「何か他に言った方が良いのかしら……?」と悛に問いかけて来る。いや、その情報量だけでも十分だろう、現に他のデザインド達はパチパチと拍手をしている。

 その拍手に対して満足げに椅子へと腰を下ろしたA-013は口を『V』の字にして腕を組み、隣に居たA-04が次いで立ち上がった。

 

「次、私、名前は『A-04』、好きな物は悛と本、恋愛物、能力は『怪力』、凄く力持ちになれる、多分この船位なら持ち上げられる、やった事無いけど」

 

 少しだけ自慢げに語るA-04の言葉に皆が「おぉー」と声を上げる、怪力と言うのは単純だが中々にインパクトがあった。特に船を持ち上げられると言う部分には皆が驚きを露にする。

 しかし皆、好きなものに俺を挙げるのはやめて欲しい、何だか背中が痒くなる。まぁ俺もみんなの事が好きだけれど。

 悛は口に出さず思った。

 

「え、えっと、じゃあ、その、次は私で……な、名前は『B-09』と言います、好きな物は、悛さんと、それと、え、映画鑑賞です、能力は『空気操作』って言って、空間の密度を弄ったり、その、空気の塊をぶつけたり出来……ます」

 

 おずおずと身を竦ませながら自己紹介をするB-09、空気操作の能力がイマイチ分からなかったのか、頷く者と首を傾げるモノが半々だ。因みに首を傾げている筆頭はA-013とC-01の二人である。

 ぺこぺこと頭を下げながらB-09が席に座ると、次にB-21が立ち上がった。

 

「私の番ですか……名前は『B-21』、好きな物はあら――では無く、スポーツです、管理室では自重トレーニングが日課でした、能力は『同調』、要するに透明人間になれます」

「何それスゴイ!」

 

 B-21の自己紹介にA-013が食い付く、透明人間という部分に酷く惹かれたらしい。彼女が透明人間になって何をするのかは知らないが、酷く心配になるのは何故だろう。B-21がすまし顔で席に着くと、隣のC-01が勢い良く立ち上がった。

 

「次は私ねぇ~! 名前は『C-01』、好きな物は悛、悛大好き、あとご飯、美味しいモノね! 不味いご飯は要らないかなぁ、能力は『溶解』、色んなものをドロドロに溶かせるよぉ、凄いでしょ」

 

 どこか気だるげ、彼女を現わすのならばその一言だろう、ただし落ち込むと物凄い勢いでショボくれる。溶解の能力は中々にエグい、最新式の電磁複合装甲ですら二秒で溶ける、人間だと一秒未満だろう。しかしデザインド達には中々想像出来ないのか、そんな能力もあるんだね~という気分で拍手が送られる。

 そして最後は儚げな少女、C-34。

 

「最後は私ですね……名前は『C-34』と言います、好きな物は悛様と音楽鑑賞です、能力は『千里』と言って半径五キロに渡って疑似的な視覚を得る事が出来ます、ただ能力を酷使した代償で少々目が悪いのです、少しでも回復する様に普段は裸眼での生活を心掛けていますが、迷惑をおかけする事もあると思います、その時はどうかお許し下さい」

 

 少しだけ悲しそうに笑いながらそう告げるC-34、

 ある意味、最もデザインドとして生まれた弊害を持つ少女だろう。その瞳は光が薄く、瞳孔が開いたまま上手く景色を映さない。生まれた時より眼が弱かったと聞いていたが、能力の酷使によって本来の機能を完全に失いつつあった。

 緩やかな盲目、それはどれ程の恐怖か。

 

「えっ、C-34は目が見えないの!?」

「A-013貴女、気付いていなかったのですか」

「や、やっぱり目が見えて無かったんですね……」

 

 C-34の言葉を聞き、驚きを露にするデザインドの面々。しかし殆どの者は薄々勘付いていたらしい、彼女を見る目は同情的であった。しかし彼女はその視線を受けながら、あくまで笑顔を浮かべる。

 

「そうは言っても、見ようと思えば能力で視界は確保できますから、そんなに困ってはいないんです、本当に見たくなったら能力を使えば済みますもの」

 

 裸眼では碌に視界を確保できないが、見る手段はある。

 皮肉な事だ、能力によって視界を奪われたと言うのに、その能力が唯一の拠り所だなんて。悛は僅かに落ち込んだ空気を覚ます為手を叩いて声を上げた。

 

「……良し、自己紹介は済んだね、皆互いの事は分かったかい?」

 

 悛が全員に向けて問いかければ、皆が皆確りと頷く。デザインド達にとってこれほど多くの人物と逢う事は初めてだろう、何せ今まで世界の全ては己の管理官と悛で完結していたのだ。

 

「色んな能力があるんだねぇ~、凄く驚いたぁ」

吃驚(びっくり)した」

「好きな物がそれぞれ違うなんて、不思議ね、私達、見た目が殆ど一緒なのに」

 

 デザインドと一口に言っても、やはり普通の人間と同じ個性がある、それすらも彼女達にとっては新鮮で、『自分と同じなのに、考えている事も、感じる事も、口調も違う』というのは驚きに値する事だった。

 

「これから行く場所には多分、色々な人が居るだろう、君達の髪や肌の色を不気味に思う人も居るかもしれない、けれど幾ら貶され罵倒されても、例え敵意を向けられても、決して能力は使ってはいけない、C-34やB-21の千里や同調は兎も角、相手を傷つける事は極力避けて欲しい――約束出来るかい?」

「そ、それって……研究所に居た銃を持っている様な人でも殺しちゃダメって事……ですか?」

 

 悛の言葉にB-09が不安そうに手を挙げる。此方を殺す気で向かって来る相手に能力を使うなと言われれば不安にもなるだろう、しかし悛が言いたいのはそういう事ではない。「いや、そうじゃないんだ」と口にしながら悛は続けた。

 

「もし自分の命が危なくなったら能力を使って構わない、一番大切なのは君達の安全だからね、けれど直接的に害が無いのなら手を出しては駄目だ、人を殺すというのは取り返しがつかない事だから」

 

 彼女達にとって殺人とはどの程度の位置にあるのか、普通の人間にとっては最も避けるべき罪であるが、彼女達にとっては違う。悛の様な親しい者ならば兎も角、赤の他人――それこそ居ても居なくても変わらない存在が生まれた時、彼女達の中にある『殺人』のラインが何処に設定されるのか。

 悛にはそれが分からなかった。

 

「どうしようもない時、自分が傷付けられると思った時、兎に角身の危険を感じたら躊躇わずに使って欲しい、けれど同時に吟味して欲しいんだ――今、本当に能力を使って良いのか否か」

 

 能力の使用判断、それは彼女達にとって初めての事。明確に殺意を抱いた敵でも無く、何ら無害と言える訳でも無く、それこそ迫害や侮蔑の視線を送って来る様な相手と出会った時、能力を使うか否かの判断は各々に委ねられる。この判断が上手く出来ない場合、悛達の外の世界での生活は一気に遠ざかってしまう。

 ある意味これは彼女達が抱える最も重い命題の一つだろう。

 

「嫌な奴と出会ったからと言って問答無用で殺してしまったら、俺達の事が広まってもう一度捕まってしまうかもしれない、そうしたら研究所に逆戻りだ」

「んん~? 良く分からないけれど、人を殺しちゃうと研究所に連れていかれるの?」

「正確に言うと人殺しは罪なんだ、罪を犯すと警察と呼ばれる組織が来る、彼らに逮捕されてしまうと俺達は研究所に送られてしまう、これは絶対だ」

「……それは嫌」

「そうだね、だから極力人を殺しちゃいけない」

 

 自分で言っておいて何だが、何と物騒な会話か。

 人を殺してはいけない、コレは当たり前の事だ、けれど彼女達はその当たり前を知らない。創作物や本でもご丁寧に『人を殺してはいけません』とは書かれていないのだ。

 殺人に対する忌諱感は人間であれば誰しも本能として持っている。

 けれど彼女達は人工的に創られた生命――その本能が存在しない。故に彼女達にとっては『嫌な奴』=『殺しても良い』の方程式が成り立ちかねない、悛はそれを危惧していた。

 

「具体的にはどの辺りからが能力使用可能なラインなのでしょうか? 刃物で刺されたりとか、金属で殴られたりとか、四肢を切断されたりとか……」

「そのレベルになったらもう遠慮はしなくて良い、全力で能力を使って欲しい」

「じゃあ、殴られたり蹴られたりしたら?」

「……難しい所だけれど、能力を使って良い」

「ん~、睨まれたりとか、罵倒されたらぁ?」

「その程度は我慢かな」

 

 デザインドの難しい所は怪我が早く治ってしまう為に、害を害と思わない点だ。彼女達にとっては腕の一本や二本を捥がれた程度では動じない。悛が腕を捥がれれば大いに動揺する彼女達だが、自分のソレが吹き飛んでも笑って済ませるだろう。

 実際実験で何度となく四肢が吹き飛び、その度生え変わっている。

 

「睨まれるのはセーフで、殴られるのはアウト、腕とか腕が取れるのもアウト……で良いんだよね?」

「え、えっと、はい、そうだと思います」

「あれぇ、じゃあ研究所の管理官とか殺しても良かったのぉ?」

「馬鹿、研究所では自壊装置があったでしょう、アレがある限り管理官を殺せば貴女も死んでいたわ、そもそも状況が違うもの」

「あ、そっかぁ……」

「うん、私、覚えた、完璧」

 

 各々がセーフゾーンとアウトゾーンを記憶し、場面ごとの行動を決める。彼女達にとっては睨まれるのも殴られるのも同じ塩梅なのだろう、現に覚えるのに苦労している。それを眺めていた悛は取り敢えず彼女達が覚え終わるまでゆっくり待つ事にした。

 

「後は俺の足だな……」

 

 悛は互いにあぁでもない、こうでもないと覚え合うデザインド達を横目に自身の足へと手を伸ばす。

 肌触りは金属的で、その表面には光沢があった。能力によって復元された悛の新しい足だ、感覚こそないものの頑丈な義足としての役割を確りと果たしている。

 今の悛は上半身だけ見れば普通の人間で下半身は西洋甲冑の様な足になっている。真っ黒く変色したソレは中々に威圧感を持ち一目でデザインドだと判断できた、一般的にはデザインドという存在は知られていないので、宛ら怪物か半人半妖。

 

 こんな姿を衆目に晒す訳にはいかない、彼女達の白い髪は先天性の病気か何かと偽れば何とかなるだろうが、悛の足はどうしようもない。

 どうにかして隠す必要がある、悛は両手指先で輪っかを作ると徐に足の太さを測った。

 現在悛の下半身は完全に黒い鎧で覆われている、しかし全てが全て覆われているという訳でもなく、本格的に潰れてしまった両足は完全に置き換えられてしまっているが、辛うじて原型をとどめて居た下腹部から股間までは意識すれば黒化を解除する事が出来た。

 ズボンを履けばうまい具合に隠せるだろうかと考える、しかし元々履いていたスーツパンツが無残に裂けているところを見るに通常サイズのズボンでは無理だろう。

 もっとゆったりとした服を着る必要があった。

 

「何だっけ……村で神主さんが良く履いていた奴、アレ、伝統云々って言ってたよな……」

 

 悛は丁度良い衣類を記憶の中から思い浮かべる、故郷の村で特殊な衣服を好んで着ていた老人が居た、代々神社を守っている一族の人だ。まるで長いスカートの様なモノだったが、既に廃れた伝統文化の衣装など悛の脳内には残っていない。

 遠い昔の彼らはソレを『袴』と呼んでいたが、悛の記憶には終ぞ引っ掛からなかった。

 

 随分とゆったりとした服装だったが、今の悛にとっては最適解だ。

 足元が隠れていてパツパツにならずに済む、後は足の甲だがコレは大きめの靴を履けば問題無い、予め大きめの服と靴を研究所から持ち出していたのだ。誰の物かは知らないがどうせ生きてはいまい、有り難く使わせて貰おう。

 

「悛様、他に何か気を付ける事はありますか?」

「うん?」

 

 悛が足を隠す方法に難儀しているとC-34が控え目に問いかけて来た。その表情はどうにも不安気で、初めて踏む外の世界が余程心配らしい。同時に質問する事自体に慣れていないのだと分かった、彼女達は今の今まで質問が許される環境に居なかった故に。

 環境が未だ彼女達の中に根付いている、他のデザインド達も話す口を止めて悛を見ていた。

 

「……そうだな」

 

 悛は足を擦りながら思案する、普通の人にとっての当たり前が彼女達にとっては当たり前じゃない。その差異から来る行動が悛にとっての懸念事項なのだが、しかし悛とて万能の人間ではない。彼女達との付き合いは四年になるが全てを把握しているかと言えば否だ、普通とはつまり意識しないからこそ、その無意識を懸念するには余りにも選択肢が膨大過ぎる。

 

「ごめん、俺も全部分かる訳じゃないから……そうだね、もし何かあったらまず俺に教えて欲しい、出来るなら皆の判断を尊重したい、けれど自分だけじゃ分からないと言う状況に陥った場合は直ぐに頼ってくれ」

 

 結局悛に言えるのはその程度の事、全てを予測出来ると豪語する程悛は自分を買っていない。後手に回る為対応は遅れるだろうが、全てが露見し全員で研究所送りになるよりは良い。

 その言葉を聞きC-34は頷き、周囲で聞き耳を立てていた他の面々も信頼を滲ませる表情で頷いた。

 この先に待ち受ける人々は世界を見せる上での希望であり、同時に絶望にもなり得る。

 

 世界にデザインドの居場所など無い。

 不意に、蓮の口にした言葉が脳裏を過った。

 

「………」

 

 外の世界をデザインドとして過ごした彼女の言葉だ、嘘だと切り捨てるには余りにも重い。しかしだからと言って諦める訳にはいかない、この言葉一つで挫けるのならばそもそも悛は少女達を助けようなどと思わなかった。

 万が一、本当に言葉通りの世界が広がっていたとしても――藤堂悛という男が、彼女達の居場所になれば良いだけの話である。

 

 最初から決めていたんだ、自分と共に居る事が幸せならば彼女達が飽きるまで傍にいよう。

 

 自分を信じて付いて来てくれたデザインド達、世界を見る前に命を散らした四人を含め、悛は彼女達を幸せにしなければならない。

 それが自分の義務であり、また人外になってまで命を拾った意味だと思った。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 海面上昇によって村や町は内陸に移され早何十年。

 上陸した海岸には人の姿が見えない、あるのは珊瑚が砕けて出来た砂と流木。時折カモメが鳴いて上空を旋回している、それ以外は何も見えない。

 当たり前だ、ただですら人口が減少していると言うのに好き好んで海岸に居を構えるモノ好きはいない。どうせこの海岸も十年そこらで沈みだす。

 

 悛は海岸の端、丁度切り立った崖の影に隠した脱出艇に向かって手を振った。

 脱出艇の上には近くの藪から草木を調達し、上にこれでもかと言う位被せてある。カモフラージュになるかどうかは微妙だが、元より海に足を運ぶ奴など居ない筈だ。悛の動作を確認したデザインド達は、隠れていた岩陰から恐る恐る出て来る。

 皆薄手のシャツに半ズボンとスカート、各々適当な服を見繕って着用している。そして統一されているのは帽子だけ、麦わら帽子を被るA-04に野球帽のA-013、何とも性格が出るチョイスだ。

 因みに悛は帽子なし、シャツに下はダボダボのワークパンツを履いている。一応足が隠れる唯一のズボンだった。研究員の中に日曜大工でも嗜んでいた奴が居たのかもしれない。

 

「日差し暑いぃ~……」

「確かにコレは堪えるわ」

「す、凄く暑いです……と、溶ける」

 

 額から汗を流し悛の元に駆け寄って来るデザインド達、その表情は苦々し気でC-01に至っては「太陽ぉ砕けろぉ~」と言い出す始末。その姿に悛は苦笑を零し、蒼穹を見上げながら夏を語る。

 

「随分前から地球温暖化だと叫ばれていたからね、今は世界中どこに行っても夏だよ、昔の人が結局何も改善しなかった結果さ、この夏を止める為に二酸化炭素の排出量を制限する規則(ルール)が設けられたんだけれど、各国があろう事か排出量を金で買い始めたんだ、その結果どんどん気温が上がってこのザマ、万年夏の温暖星(地球)ってね」

「……夏、知ってる、暑い」

「そんな事は外に出れば分かるわよ馬鹿!」

 

 悛の目前で口々に夏に不満を零すデザインド達、悛としては馴染みのある熱だ。空調の効いた部屋での仕事に慣れ過ぎた為少々堪えると言えば堪えるのだが、元々悛はこの熱と共に生きて来た人間である。しかしデザインド達にとっては未知の熱なのだろう、実験で行われる熱とは違う――自然が齎す滲む様な暑さだ。

 頑丈なデザインド達である、暑さ程度に負けるとは思わないが不快な事には変わりない、悛は先を急ぐ事を決めた。

 

「良し、じゃあ行こう、人の姿も見当たらないし何とかなると思う、皆荷物は持ったかい?」

「はぁ~い」

「準備は万全よ」

「暑いし、早く日陰に入りたいわ!」

 

 問いかけに対して元気に答えるデザインド、その声を聞き悛は海岸を出発する。目指すは東北第十八ブロック、柏木と呼ばれた村である。デザインド達は研究所から持ち出して来た荷物を背負って歩き出す、先頭は悛で海岸を抜けると草木に覆われたアスファルトの道路を踏み締めた。

 嘗ての繁栄、その残り香。

 裂けたアスファルトの下からは花が生え出ている。

 目前に広がるのは廃棄された旧街、蔦が建物の外壁を覆い、窓ガラスは風化して砂に塗れている。点灯しなくなった信号、錆びた自転車、看板、交差点に聳え立つ木々。窪んだアスファルトに出来た水溜り。

 廃棄されたのは随分前なのだろう、文明がこの街のだけ止まっている。その街の中を歩きながら、デザインド達は初めての見る光景に目を輝かせていた。

 

「この緑色、凄い、植物?」

「ぜ、全部同じに見えますけれど……あっ、この植物綺麗ですね!」

「それは花と言うのよ」

「ハナって、私達の顔についてる鼻ぁ?」

「いえ、それは鼻です、こっちは花ですね」

「………?」

 

 悛の後ろをワイワイ、キャッキャと続くデザインド達。その姿は見ていて何とも心温まる。外の世界を見せてやれていると言う実感が悛の内側から湧いて出た。彼女達は何も知らず、下手をすれば一生あの小さな一室で生涯を終える。

 そんな事にならずに済んで良かったと、悛は一人微笑んだ。

 

「でも何か此処は変な匂いがするわね、海は何て言うか、塩っぽい感じがしたし、この場所は何かしら……何かこう籠った匂いというか……あぁ、もう、何かハッキリしなくて嫌ね!」

「何となく言いたい事は分かるわ、だから隣で叫ばないで、うるさいから」

「草木には匂いがあると聞きました、多分その匂いだと思います」

「こんな植物にも匂いはあるんですね……! わ、私、初めて知りました!」

 

 廃棄された街には様々な物が有る、それらは全て彼女達にとって初めて見るモノ。テレビや本の中ではない、本当の目で見た実物だ。悛にとっては何でもないモノであっても彼女達にとっては叫ぶに足る発見である。

 

「……この白いの、何?」

「これは、えっと……兎、でしょうか?」

「おぉお~、かっわいぃ~」

「随分小さいわね?」

 

 捨てられた街には人の代わりに動物が住み込む、人の数が減少した結果野生動物の数が増加した。人の生活圏が狭まった事により動物たちの生活圏が広がったのだ、故にこうして動物たちが姿を見せる事がある。

 デザインド達は初めて見る小動物に感動の声を上げる。

 感動に震え声を上げるのは悪い事ではない、悪い事ではないのだが――

 

「……あぁ、うん、まぁ、だよね」

 

 悛は不意に足を止め呟いた。

 先頭を歩いていた悛が止まった為、後続のデザインド達も足を止める。皆が首を傾げ、何か障害物でもあったのかと前方を覗き見た。

 そして見えるは茶色の壁、ギラリと鋭い眼光を向ける巨躯、四肢を地面に着け鼻息荒く興奮している。

 

「ん~、あれも兎ぃ? おっきいねぇ」

「でも茶色いわね、何でかしら?」

「た、多分違うんじゃ……」

「兎、違う」

「アレは熊よ、バカ」

 

 右からC-01、A-013、B-09、A-04、B-21の言葉である。

 街の中心をワイワイガヤガヤと、まぁ声高らかに話ながら歩いてれば位置が割れる。本来ならば音を立てれば逃げるのが野生動物、しかし縄張り意識の強い獰猛な熊には逆効果になったようだ。銃を持つ人が去った為に生態系の王者が彼にすり替わったのだろう、全く人間を恐れている様子が見えない。ある程度足の扱いに慣れて来た悛であるが、熊と競争して勝てる気はしなかった。

 

「やっぱり持って来て正解だったか……」

 

 悛はそう言って腰のポーチから拳銃を抜き出す、研究所を抜け出す時に持ち込んだモノだ。本来なら粒子銃を持ってこようかと思ったのだが、重い上に嵩張るし、そんな物騒な物を持ち歩いている時に現地人と接触したら最悪の展開になる。

 故に悛は考えを巡らせ、小型の拳銃だけを持ち込んでいた。弾倉は三つと計四十六発、これだけあれば十分だろう。

 取り敢えず体の何処かに当たれば逃げ出すか、そう考えて拳銃の安全装置を弾いた悛だが、背後からシャツを引かれて振り向く。

 

「悛、アレ、絶対襲って来る」

「わ、私もそう思います……」

「こういう場合ってどうなるのよ? 反撃しても良いの?」

 

 A-04、B-09、A-013の三人がやる気満々で問いかけて来る。明らかに攻撃して良いだろうという目だ、しかし先に悛へと確認してきた辺り約束は覚えているのだろう。

 先に設けていた条件からすれば今の状況は攻撃可能案件に合致する。目の前の熊は明らかに敵意を持っているし、相手は獣だ。これが人間であった場合は我慢案件だが、獣相手に話し合いなど不可能。

 しかし、だからと言って誰の目があるかも分からない場所で能力を使うのは拙い、やはり此処は拳銃で――

 

 そう口にしようとした悛はしかし、目前の熊が問答無用で駆け出した事により即時対応を余儀なくされた。熊は時速六十キロで駆ける俊敏な獣、あっと言う間に距離を詰められ、悛は慌てて拳銃を構える。

 直線状で最も近い位置に居る悛、このまま突き進めば最初に襲われるのは明白。それを見過ごす事が出来ない人物が後ろにごまんと居る。

 結果、悛が引き金を絞るよりも早く剣呑な目をしたデザインド達が問答無用で前に飛び出した。

 

「悛には近付かせないわよ!」

「あ、危ないのは駄目です!」

 

 最初にB-09が最小の動作で空気を圧縮、それを放つ事により熊の顔面が弾けた。まるで見えない壁にぶつかった様に急停止する巨躯、次いでA-013の背中が異様に盛り上がり幾つもの手が生え出る。能力である【千手】、万能をテーマに設計されたソレはどこまでも伸び、同時にA-04には劣るモノの成人男性と比較して何十倍もの力を持つ。

 それらが一斉に熊に殺到し、上からその巨躯を地面に叩きつけた。肉を打つ音と共にアスファルトへと押し付けられた熊は呻きながらもがくものの、無数の手によって抑えつけられた体はビクともしない。そうこうしている内にビキビキと腕が硬化し、そのまま熊を押し留める釘となる。

 

「悛を襲う悪い奴はぁ~こうだッ!」

 

 トドメはC-01、右手を大きく引き絞るや否や凄まじい速度で振り抜く。その指先からドロリと液状化し、黒色の液体が槍となって熊を貫いた。眉間から背中まで突き抜けたソレは、ジュウッ! という音を立てて熊の体を溶かし出す。

 悛にとっては一瞬の出来事だった、気付いた時には熊の体が溶け堕ち、中央からベッコリと凹んで内臓が零れ落ちる。電磁複合装甲ですら二秒足らずで溶かし落とす絶対溶解液、C-01が腕を引き戻し小さく手を払うと、雫が飛び散ってジュッ!と音を立てた。

 

「ちょっ、危ないッ! C-01、アンタ気を付けなさいよ!」

「こっちに飛ばさないで貰える?」

「わぁっ、ごめん~!」

 

 雫一滴でも皮膚と筋肉を溶かすには十分、その雫を飛ばされたデザインドが飛びずさりながら非難する。悛は使いどころを失った拳銃を見つめ、溜息と共に安全装置を再び弾いた。

 本来なら悛が処理すべき事だったのだろうが、如何せん射撃の経験が少なすぎる。咄嗟に引き金を引けない己を悛は恥じた。

 

「すまない、俺が最初に撃っておくべきだったな……」

「気にする必要、無い」

「そ、そうですよ! アレ、どう見ても話が出来る様子じゃなかったですし……!」

 

 しかし蒸気を吹き上げながら死臭を振りまく熊を放置するのは良くない、悛はC-01に頼んで熊を完全に溶かしてしまう様に指示した。後はB-09の能力で証拠隠滅を図り、熊の死骸は誰の目にも留まる事が無くなる。

 能力を使用した痕跡は可能な限り隠滅する、悛は外の世界でソレを徹底する事にしていた。

 

「でも凄いねぇ、兎って足がとっても速いんだぁ」

「だからアレは熊だって言っているでしょう」

「まぁ千手を使ったら私の方が速いけどね!」

「野生の動物は初めて見ましたが……狂暴なのですね」

「アレは特殊、だと……思う」

 

 初めての野生動物、飛び出して来た熊には悪いがコレも自然の驚異を知る良い機会となった。悛は頬を軽く叩いて気を引き締めると、未だ浮足立つデザインド達に告げる。

 

「都会ではあり得ないけれど、今から俺達が向かう場所は辺境も辺境だ、今みたいな野生動物が沢山居る、無害な動物も多いだろうけれど、逆に狂暴な動物も居るかもしれない、万が一の際は注意してくれ、能力を使用したら極力隠滅を図る様に」

「分かった」

「はい」

「りょ、了解です」

 

 悛の言葉に各々が了承を口にする、悛の事になると目の色を変えるデザインド達であるがそれ以外は極力約束を遵守しようと努力している。極力危険は避けるべきだろう、彼女達は大丈夫でも、自分に何かあれば暴走しかねない。

 悛は自分の指先を見つめると、不意にピシリと皮一枚分の硬化を行った。

 因子を取り出して発揮されるそれは、任意の場所ならば一部分だけ瞬時に硬化させる事が出来る。脱出艇の中で気付いた事実だ、因みに全身を覆う場合は移植された下腹部から徐々に進めるしかない。

 

 やはり自分の身を守る為にも、能力を使いこなすべきだろうか?

 

 悛はそう考える、元より望んで得た力ではないが自分に何かあればデザインド達の居場所がなくなってしまう。それは最悪の結末だ、研究所に居た頃は逃がせさえすれば良いと考えていたが、今の悛はその先を見据えて行動していた。

 

 そんな事を考えていると、不意に「あぁー!」とA-013が声を上げた。

 突然の叫びに悛は驚き、周囲のデザインドも何だ何だとA-013を見る。

 

「ちょっと見てよ悛、私の服が、私の服に穴がーっ!」

「貴女がさっき能力を使ったからでしょう、少し考えれば分かるじゃない」

「自業自得」

「わぁ、綺麗に穴が空いてますね」

 

 悛に駆け寄って来たA-013が焦燥した表情で背中を見せる、見れば腕を生やした部分が破けてしまったのだろう、幾つもの丸形の穴がA-013の背に空いていた。服には予備がある、しかし無限にある訳ではない。

 能力によっては服が駄目になってしまう、悛は苦笑を零しながら、「じゃあ次の休憩で着替えよう、それまで少し我慢してくれ」と告げる。涙ぐんだ瞳で、「ぅあ~」と呻くA-013、どうやら相当お気に入りの服だったらしい。

 

「ぬ、縫えばまだ着れるかしら……」

「裁縫道具が無いから無理ね、ついでに技術も」

「わ、私、そういう事は経験が無いので……」

「女子力皆無」

「じょしりょく、って何ぃ?」

「きっと戦闘能力の事ですわ」

 

 彼女が着ている服は薄い水色、裁縫道具があっても布を充てなければ無理な大きさの穴だ。悛は涙目のA-013を慰めながら、「こういう事も考えられるから能力の使用は慎重にね」と言葉を零す。

 返って来た返事は先程より大きく、ハッキリしていた。

 

 

 

 





 投稿は二日、三日に一回を心掛けています。
 最初の頃は三千時を毎日とかの方が良いかな、と思っていたのですが、やはりキリの良いところで終わらせたいと言う欲が……。
 
 今回はなるべくポンポンと話を進められるよう、削れる部分は大分削りました。
 付け足すのは兎も角、削る作業は何か新鮮で楽しかったです(小並感)
 感想、返信の方が滞っていますが目を通させて頂いています。
 いつもありがとうございます。


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その素朴な景色が好きだった

 

 海岸から出発し六時間程、何度も休憩を挟んで山一つを越えた。幸い途中で獣に遭遇する事も無く、また人の姿も見かけない。元々人の少ない場所だった、ここ十年で拍車が掛かったのかもしれない。

 

「着いた……!」

 

 時刻は夕暮れ、日本の夕暮れは何となくノスタルジックな気分に浸れる。黒と青の混じった空に赤く染まる地平線、山々に沈む太陽が光を放ち水面が茜色に染まる。背の高い草々や茂みが黒く染まって空と世界が混ざり合った様だ。

 僅かに息を切らした悛が到着を告げると、後方に続いていたデザインド達が声を上げる。山を一つ越えた先にある場所、それがこの柏木である。東北の中で残っている数少ない村、その内の一つ。

 

 何を隠そう、この藤堂悛が生まれた場所――故郷であった。

 

 夕暮れに照らされた視界に広がるのは無駄に広いアスファルトの道路と田んぼ、土手に作られた木造の家、そして木製の電柱と切れかけの電灯。あの頃から何一つ変わっていない、何も無くて、何もかもがある。

 この場所だけ2000年から時が進んでいない。

 まるで時代に取り残された廃村。実際それは間違いでも無い、この村は悛が出奔した時点で殆ど死に絶えている。所々に建っている家々に電気は点いておらず遠目でも蔦や苔に覆われているのが分かる。

 既に捨てられているのだ。

 少子高齢化によって子どもの少なくなった日本は過疎化した地域を救う事が出来なかった、結果家を継ぐ者が居なくなり村の殆どの家は空き家になっている。悛が連邦の普通科高校に通い出したのが十五歳の頃――約十一年ぶりの帰郷。

 

 悛が村を出ると言った時、残っていた百人足らずの村人が見送ってくれたものだが、今は誰の気配も感じない。連邦の移住勧告に従ったのか、或は見切りをつけて去ったのか、孤独死したのか。

 この村を去った悛には分からない。

 

「……誰も居ないわね」

「暗くて、ちょっと不気味」

 

 光の無い薄暗さに恐怖感を煽られたのか、A-04が悛のシャツを掴む。悛はそんな彼女の頭を撫でながら、沈みかけの太陽に照らされた一軒の家を指差した。丁度村に通じる道路の傍に建っていて、それなりに大きな一軒家だ。幸い苔や蔦も致命的な程には成長してない。

 

「あれが俺の家、正確に言うと両親から受け継いだ家だよ」

 

 悛がそう言うと、デザインド達から「おぉ~」という声が漏れる。見た事が無い形式の家に興味がある様だった、皆がまじまじと家を眺める。築何十年の木造住宅だ、無駄に土地だけ有り余っている為広い事だけが誇れる点か。

 

「お、大きいですね」

「雰囲気ある」

「……少し古いわね」

 

 悛の指差した家は二階建てて、屋根は瓦が被さっている。この時代に残った家としてはC-34の言う通りかなり古い部類だろう、一度リフォームをしたと両親からは聞いているが建築業者からも再建を勧められていたと聞く。

 肩にかけた荷物を背負い直すと、悛は皆に向かって言った。

 

「取り敢えず疲れたろう? 一端家に入ろう、今日から君達の家にもなる、遠慮せずに上がってくれ」

「はぁ~い」

「お、お邪魔します」

「ふふっ、楽しみですね!」

 

 悛に続いてゾロゾロと家に歩いて行くデザインド達、土手を登って玄関に立つと悛は胸ポケットから古ぼけた鍵を取り出す。今時電子施錠でも無く、物理的な鍵を必要とする家だ。差し込んで回すと、カチン、と音が鳴ってロックが外れた。周囲を見渡せばかなり雑草が生え育っていて家を覆ってしまっている。

 鬱蒼と生え茂ったそれらを見て悛は苦笑する、明日からやる事が多そうだ。

 

「………ただいま」

 

 悛は呟き、扉を開いた。

 すると中から何か懐かしい匂いが漂って来た、小さい頃に嗅ぎ慣れた我が家の匂いだ。少しばかり埃っぽいが、間違えなどしない。

 手探りで玄関の電気を点けると一応電球は生きていた様でちゃんと灯りを提供する。電気も供給されている様だ、この村は風力と太陽光による発電で電気を賄っている。無人でも電気を生成し続ける為有り難い、これでモーターを用意せずに済む。

 何か鼻がむずむずする感覚に靴を収納していた戸棚を指でなぞると、皮膚に大量の埃が付着した。

 

「――まぁ、だよね」

 

 最初にやる事は決まった。

 

 

 

 到着早々始まったのは大掃除、何せ十一年ぶりの帰宅である。此処の管理は誰にも頼んでいなかった為、埃が積もり放題だった。取り敢えず家全てを掃除するのは骨なので最低限必要な部屋だけ掃除する事になった。

 目下掃除が必要なのはトイレ、廊下、お風呂、居間、台所位だろう。

 それぞれ役割分担し、悛は居間の掃除を担当する事になった。各所基本は一人ずつで、廊下だけ二人掛かりでやって貰う。無駄に大きい家の為、廊下がとても長く多いのだ。今までシャワーしか知らなかったデザインド達が初めて風呂を見た時は、「なにこれ」と疑問符を浮かべていた、どうやら湯に浸かるという発想が無いらしい。

 きっと入浴する時は驚く事だろう、一度浴槽を味わえばシャワーだけでは満足できなくなる。

 

 居間は畳なので軽く掃除機をかけた後、雑巾で上を綺麗に拭いて行く。彼女達にとってはフローリングがデフォルトなので畳を見た時は中々驚いて貰えた。A-013などは、「これ草? 何で草が床!?」と中々に面白い反応をしてくれた、満足である。

 居間の大きさは二十四畳と中々に広い、中央に長テーブルと端にデジタルテレビ、後は本棚と収納棚程度。両親が他界し悛が高校に進学すると同時、殆どの物を手放してしまっていた。殺風景だが今はその方が安心する、立派な職業病だろう。

 

 畳を雑巾で拭きながら思う、研究所だったら清掃機に頼んだままだったろうなと。

 自分の家を自分で掃除する、それが妙に新鮮で少しだけ楽しかった。

 

「悛ぁ~、廊下、電気つかなぃ~、暗いよォ~」

「あぁ、うん、分かった、ちょっと待って!」

 

 掃除は進む。

 デザインド達の部屋は定期的に清掃機が巡回する為自分で自分の部屋を掃除する事は滅多にない、悛と同じだ。綺麗好きなC-34やA-013――意外な事に、彼女は綺麗好きである――などを除き、汚れを自分で落とすという事が楽しいのかデザインド達の掃除は妙に熱が入っていた。

 

 家に到着したのが午後六時頃、そして二時間程かけて最低限の部屋を綺麗にした悛達は持ち込んだ携帯食料で夕食と相成った。

 掃除したばかりの台所を使っても良かったのだが、そもそも食材が無いし包丁やまな板もすっかり使い物にならなくなっている。その為脱出艇から持ち出したサバイバルキットの中身や、研究所から持って来た食料を寄せ集めて少し豪勢な夕食にした。家の地下には幾つか缶詰や乾パンなどもあったので、これから先多少は凌げるだろう。

 

 しかし問題はこの後だ、こんな辺境の土地で商店などがある訳もなく、自分達の食事は自分達で都合しなければならない。幸いこの柏木村は山の麓にあるので山の幸を求めて歩けばそれなりには食っていけるだろう、しかし悛はソレでは駄目だと自分に言い聞かせる。藤堂悛という人間が居る以上、彼女達の食事を疎かにする気は無い。

 

 悛は日本に来ると決めた時から予め研究所の情報端末より幾つかの電子書籍を抜き出していた。ネットの海にある情報、それを自身の端末にダウンロードしていたのである。

 これから先些細なミスで位置を割り出される可能性がある、故に悛は脱出艇に乗り込む前に自身の端末を全て通信遮断状態にしていた。これから先の人生で悛が電子の海を頼る事は無い。

 所長から抜き出した端末は自身のカードを胸に下げた白衣と共に死体の中に放ってある、上手い具合に自身が死んだと勘違いしてくれれば万々歳だ。

 

 ダウンロードした書籍は主に農作業について、更に言えば管理機を使用しない人力での農作業だ。アグリビジネスとは違い、個人の食を満たす為の農作業。幸い悛の祖父と祖母は農作業を営む人たちであった、必要な農具の類は裏庭の倉庫に眠っている。

 田んぼもこう言っては何だが、既に廃れた村には腐るほどある。持ち主の無くなった田んぼだ、無断使用で悪いが使わせて貰うつもりでいた。

 肝心の種子は趣味で菜園をやっていた研究所の部屋から拝借してある、しかし残念ながら米の苗だけは手に入れられなかった。まぁ室内で米を育てる酔狂な奴はいない、手に入ったのはトマトやナスと言った類の物。

 面識もある、自然を愛する研究者だった。既にこの世にはいないFのデザインド管理官を務めていた女性だ。彼女は比較的マトモな人間だった――あくまで【比較的】ではあるが。彼女が何故あれ程に非合成野菜に拘っていたのかは分からない、だがソレが助けになったのは事実だ。

 

「わぁ~お腹いっぱい……そろそろ寝る?」

「その前にシャワーを浴びたいわ」

「うん、そうだね、片付けはしておくからお風呂に入って来ると良い、結構広いから六人でも大丈夫だと思うよ」

 

 居間のテーブルの上に並ぶ空の容器、畳が気に入ったのか転がる彼女達に向かって悛は入浴を勧めた。

 我が家の風呂は意味も無く大きい、祖父の代はそれなりに子沢山らしかったのだ。大きさで凡そ四畳程の広さがある、因みに浴槽だけでだ。浴室自体は浴槽含み八畳の広さ、この家を作った先代は余程風呂が好きだったのだろう。

 食事をする前に悛が湯を張っていたので入れる筈である、A-04がむくりと上体を起こし首を傾げた。

 

「……? 七人じゃ駄目?」

「あ、悛さんは入らないんですか?」

「あぁ、いや、俺は後から入るよ」

「一緒に入った方が楽しくて良いよぉ~?」

 

 入浴に楽しさを求めないで欲しい、切実に。

 悛は苦笑いを浮かべながら首を振る、しかし背後から誰かに抱き着かれ危うく畳に転がり掛けた。慌てて振り向けばB-21が悪戯をする子どもの様な顔で首にぶら下がっている。普段はこんな事をする子じゃないだろうに、そんな言葉が喉元まで出て来た。

 しかし悛が何かを言うより早く、彼女は顔を首元に埋めスンスンと匂いを嗅ぎ始めた。

 思わず「うぉ!?」と驚きの声が出る、いや、今は汗臭いと思うのでやめて下さい、本当に。

 

「や、あの、B-21、ちょっと恥ずかしいからやめて欲しい」

「ん……貴方の匂いは嫌いじゃありませんが、やはり少し汗の匂いが強いです、入浴を推奨します」

「うん、だから俺は後で入るから――」

「あ~、B-21ずるいぃ~、私も嗅ぐ!」

「嗅がなくて良いから!」

 

 そもそも海岸から柏木村まで歩いたのである、汗を掻いて当然だろうに。前方からタックルしてくるC-01を必死に受け止めながら、何とか懐に顔を埋めるのを防ぐ。彼女を皮切りにA-04が無表情で悛に迫り、B-09も恥ずかしそうに頬を染めながら悛の足元に匍匐前進で進行する。C-34とA-013は如何にも『出遅れた!』という表情で体を揺らしている、隙あらば飛び付いてやると言う気配をビシビシと感じた。

 

 えぇい、散れ、散れ!

 男の匂いなど嗅いで何が楽しいのだ、やめてくれ!

 というかB-21はいつまで首に顔を埋めているのだ、いい加減離れて風呂に行ってくれ風呂に。

 

 悛がB-21とC-01を引っぺがし、突っ込んで来たA-04を迎撃、匍匐前進で迫っていたB-09を鎮圧し纏めて浴室に押し込んだ。その後にA-013とC-34が如何にも残念そうな表情で続く、どれだけ懇願されようと風呂には一緒に入れないので諦めて欲しい。

 こればかりは男と女の差である、彼女達の年齢はギリギリアウトコース、もう少し幼ければ父と娘の関係の様にもなれただろうが。

 

「……さて」

 

 皆を浴室に押し込み洗い物を済ませた悛――水回りは特に不備も無く、水道管も生きていた――数分後には浴室からワイワイ、キャッキャと楽しそうな声が聞こえて来た。浴槽に身を沈めると言う行為もそうだが、誰かと裸の付き合いをした事もないのだろう。彼女達にとっては全てが新鮮な筈だ、人との触れ合いも異文化も。

 故に悛はやましい心などこれっぽちも、本当にもう微塵も持ち合わせずに彼女達の声を聞いていた。

 

 胸の大きさの話など耳に届いていない、毛が生えているとか生えていないとか全然分からない、ちょっと今は耳が遠い時期なのだ。

 

 悛は何となく嬉しい気持ちと羞恥の気持ち、ついでに僅かな罪悪感を覚え数分程彼女達の会話を聞いた後、裏庭の畑を見に行く事にした。

 窓から外を覗けば既に空は暗く、切れかけの電灯が玄関先を照らすだけ。悛は持ち込んでいたポーチの中から小型電灯を取り出しスイッチを入れる、充電は十二分でソレを片手に外へと踏み出した。

 一歩家の外に出るとカエルや鈴虫の声が夜空に響いている、辺境特有の合唱だ。悛は虫には詳しくないものの自然と心が落ち着くのを感じる、この音を聞いて育ったからだろうか?

 

 裏の畑は玄関から直ぐの場所にあり、家の外壁をぐるっと回れば直ぐに見つかった。流石に雑草が伸びすぎて少々歩き辛かったが明日にでも全て抜いてしまおうと決める。こういう時だけは疲れ知らずの黒足が有り難かった、デスクワーク主体の自分では恐らく、海岸からこの家に到着するまでで一日は掛かっただろう。

 

 畑はやはり家の周りと同じく雑草に覆われ中々に酷い惨状である、これらを全て抜いて作物を育てられる環境を整えるとなると中々どうして重労働に思える。しかしやらなければならない、食料は貴重なのだ。

 

「……研究所から除草剤を持って来れば良かったな」

 

 畑を電灯で照らしながら呟く、あそこなら植物を枯らす薬品の一つや二つあっただろうに。この事を予想出来なかった自分を悛は責める、やはり自分は万能ではない。

 悛は畑をぐるっと見て回ると明日の仕事を脳裏に描き、静かに玄関へと戻った。

 

 扉を開けてふと背後を振り向くと、月明かりに照らされた淡い村の景色が視界に入る。点々と存在する街灯は僅かに視界を明るくするだけで、寧ろ周囲の暗さを際立たせるだけであった。周囲の家々に目を向けても光が灯る事は無い、本当に誰も居ない、脱出艇の中で散々人との関わり方を説いた悛であるがアレは不要だったのかもしれない、悛はそう思った。

 

 人が少なくなっているだろうとは思っていた、しかしここまで誰も居ないとは。村の住人は殆どが老人であったが、中には若い世代も残っていた。

 彼等はどうしたのだろうか、自分と同じ連邦の学校に進学したのか、或は――いや、姿の見えない人物に思いを馳せるのはよそう、今は一日を生き延びる事だけを優先しなければならない。

 そう思って悛は玄関を潜り、扉を閉めようとした。

 

 

「悛………?」

 

 

 その声は背後から、闇夜の中に響いて聞こえた。

 虫達の大合唱に掻き消されぬ聞き覚えのある声。悛は思わず足を止め、後ろ手で閉めようとした扉をそのままに振り返る。

 悛と同じ電灯、旧式の懐中電灯を手にした一人の女性。日に焼けた健康的な肌、僅かに伸びた黒髪を一つに縛り肩に回している、整った顔立ちと言うよりは愛嬌のあるパーツ。玄関先の街灯に照らされた人物は悛の良く知っている女性(ひと)で、悛は思わず口を開いた。

 

「……優枝(ゆえ)

 

 その名を告げると同時、目の前の女性――優枝がじわりと涙を瞳に滲ませた。悛は一瞬思考に空白が生まれる、突然の旧友との再会、先程まで全く人の気配が無かったのに何故、いやそれよりも。

 悛は思わず両手で自身のズボンを掴み、足が露出していない事を確認した。

 

 見れば裾はちゃんと下まで伸びているし、何処も肌を露出していない。良かったと悛は安堵する、あの両足を彼女に見られたらと思うと、ゾッとしない。

 友人から化け物を見る様な目で見られるなんて、ごめんだった。

 

「悛、いつ帰って来てたの!? 私、ちっとも気付かんかった!」

 

 優枝は悛の動揺に眼もくれず、凄まじい勢いで詰め寄って来る。悛はズボンを掴みながら気押され一歩後退り、答えた。

 

「あぁ、いや、その……さっき村に到着したばっかりで」

「さっき!? さっきって何時!?」

「夕方の、ろ、六時頃」

 

 つっかえながらも何とか答える悛、優枝の目には涙が滲んでいて頬は僅かに紅潮している。最後に顔を見たのは十一年前の出奔の日、その日から彼女は大分大人びた様に見えた。自分も変わっただろうかと考えてみるが、そもそも両足は別物になって人ですらなくなっている。変わったどころの話ではないだろう。

 しかし何というか、十一年前までは同じ村の馴染み程度にしか思っていなかったが、こうして逢ってみると素朴な良い女性に育ったと思う。同年代として彼女を見るのならば、少々上から目線が過ぎるだろうが、事実は事実だ。

 一通り質問責めが終わると、優枝は胸を撫で下ろして笑みを浮かべる。きらりと目じりから落ちた雫は見なかった事にした。

 

「そっか、そっか、帰って来たばっかりだったんか……いや、驚いた、何ね、帰って来たなら連絡の一つ位寄越してくれればよかったのに」

「いや、ごめん、落ち着いたら連絡しようと思ったんだ、こっちも急に、その――休暇が決まってね、折角だから帰省しようかと思って、家の方も心配だったし」

 

 我ながら咄嗟の嘘が上手くなったと思った、帰省、言い訳としては十二分だろう。この村を去ると決めた時もう一度この土を踏み締めるなどとは思っていなかったが、悛の心境など誰にも漏らした事が無い。故に目の前の優枝は嘘を見抜けない、現に彼女は笑顔を浮かべたまま何度も頷いていた。

 

「突然来て、誰も居なくて驚いたっしょ? 此処の皆、もう本州の方に移っちゃったんよ、高田の爺ちゃん達は京都に、御蔭の祖母ちゃんは東京に、何でも連邦さんが移住の色々全部負担してくれるって言うて、残ったのは私のトコと宮下さん家、後は村長の樫木さん家だけ」

「そうか、皆も移住勧告に……優枝は何で移住しなかったんだい? 学校も、向こうの方が色々選べただろうに」

「私?」

 

 悛の問いかけに優枝は目をぱちくりとさせ、そのままだらしなく表情を崩した。「いやぁ、あはは」と笑う彼女は何と言うか照れているのだろうか、良く分からない。実際この村を出れば新しい生き方など幾らでも見つけられただろう。

 

「私は、何て言うかホラ、待つのも嫌いじゃないし、帰って来た時に誰も居らんかったら寂しいと思うて、ね?」

「……?」

「もう、相変わらず鈍感やねぇ!」

 

 笑いながら悛を小突く優枝、悛はズボンを掴みながら困惑の表情を浮かべた。良く分からないが、村が廃れるのが嫌だったという事だろうか。

 兎も角、どうやら村に誰も居ないと言うのは誤りだった様だ。殆どの住人は本州の方に移り住んだ様だが数軒だけ移住をしなかった人達も居るらしい。

 悛は故郷が廃村にならなかった事を喜びながら、同時にデザインド達の存在を危惧した。彼等に何と言い訳したものかと、東洋の地で見るには彼女達の容姿は異常の一言に尽きる。この展開を予想して何度もシミュレーションを行ったと言うのに、実際その場面に出くわすと心臓の音が煩い。

 

「悛、高校に進学してからは連絡一つ寄越さんと何してたん? 今は、何しとるん?」

「あぁ、うん、一応就職しているよ、連邦の普通学校だからそのまま専攻の大学に進んだんだ、其処の研究室で書いた論文が評価されて連邦の研究施設にそのまま就職して、つい先日大きなプロジェクトが成功してね、四年も働き詰めだったから長い休暇を貰った」

「へぇ、連邦の! 凄いねぇ……長い休暇って事は、こっちには、その、結構長く居ると?」

 

 どこか期待を込めた眼差しでそんな事を聞いて来る優枝、悛は少し考えながら頷いて見せる、というか此処に悛は腰を下ろすつもりだった。連邦に見つかりさえしなければと言う但し書きが付くが。

 

「そうだね……うん、少なくとも月単位では居るつもりだよ」

「そっか! 良か良か、久々の故郷でゆっくりしていって!」

 

 悛の答えに満足したのか、満面の笑みで肩を叩いて来る優枝。久々の再開にテンションが上がっているのだろうか、悛としても懐かしい顔ぶれに会えるのは嬉しい限りだ。デザインド達の事が無ければきっと、悛も心から再会を喜べたことだろう。

 しかし彼女達の存在が無ければ、こうして故郷の土を踏む事は無かった。

 

「悛?」

 

 複雑な心境、嬉しさと後ろめたさが絶妙にブレンドした胸中。

 そんな悛を呼ぶ声が背後から聞こえた、慌てて振り向けば居間から首だけ覗かせたA-04が此方を見ている。恐らく風呂から上がったのだろう、その髪は濡れたままだ。まだ十分程度しか経っていないと言うのに、少々早過ぎでは無いだろうか。

 悛以外の声がしたからか、優枝は「ん?」という表情を浮かべて悛の脇から家の中を覗く、拙いと思った時には既に遅く優枝の目は然りとA-04の姿を捉えていた。

 笑みを浮かべていた彼女の表情が僅かに曇る。

 

「ぁー……ん? んー………誰?」

 

 優枝の真っ当な疑問、どこか困惑した様な表情を浮かべる。それはそうだ、見た事もない少女が悛の実家に居る、しかも見た目は白髪で童顔、どんな間柄だと訝しむのも当然。悛は急激に肝が冷えるのを自覚した、まるで氷を腹に突っ込まれた気分だ。

 

「えらい可愛い子だけど、髪色と顔立ちが私等とは違うねぇ……もしかして、外国人さん?」

「あぁ、うん……そうだよ」

「はぁー! 村から出た事無かったし、初めて見た、おばんです!」

「……おばんです……?」

 

 優枝の挨拶に若干の困惑を込めながら返すA-04、そして優枝は徐に悛の袖を掴むと、「そんで、あの子は何? 親戚の子……って訳でもないっしょ?」と何処か不安そうな表情で問いかけて来た。

 勤務先の被検体を連れて逃げてきました、なんて馬鹿正直に話すつもりは無い。どう誤魔化すべきか、悛は脱出艇の中で何度も考えていた。しかしいざ口にするとなると、何か精神的な重圧が背中に圧し掛かって来る。旧友を騙す事に対する後ろめたさもそうだが、この嘘にどれだけの信憑性があるのか自分でも分からなかったからだ。

 

「この子たちは――」

 

 悛は乾いた喉を潤す為に唾をのみ込む、自分を見上げる優枝の瞳が僅かに揺れて、悛は内心で謝罪した。

 

「その、勤務先の上司の子なんだ……北欧系の人で、髪と肌は母親譲り、長期休暇で実家に戻るって言ったら是非日本を見せて上げて欲しいって頼まれてね、勤務してから四年間ずっと面倒を見て貰っていたから、断れなくて」

 

 悛は呼吸をする様につらつらと嘘を並べた、その時自分はペテン師か詐欺師で、目の前の彼女を全力で騙さなければならないと思った。無難と言えば、無難なのだろう。高々二十後半に入ったばかりの男に子どもを預けるなどと危機感の無い奴だと思われただろうか、しかし其処は信頼という便利な言葉を使わせて貰う。

 優枝の視線はどこか探る様なもので、「………ふぅん」と何か訝し気な声と共に彼女は頷いた。

 

「そっか、上司の子どもか、私には分からんけれど、そういう事もあるんやね……『悛の子ども』って訳じゃないのよね?」

「はっ?」

 

 突然の爆弾発言に思わず上擦った声が出る、悛の子ども――彼女達が?

 予想外の言葉に悛は両手を振って、「いや、そんな、俺にはそんな人、居ないよ」と否定を口にする。元より二十六年間、生きて来て恋人など出来た試しがない。連邦の高校では何度か告白された事もあったが、悛は学業に専念する為に全て断っていた。元来自分はそういうつまらない人間なのだ。

 悛の返事を聞いた優枝は、先程の不安げな表情から一転して笑顔を見せる。

 

「ん、そっか、そっか、なら良いや! 上司の子ね、名前は何て言うん?」

「――レイラ、って呼んでやってくれ」

 

 鋭い斬り込み、咄嗟の判断。

 悛は思わず浮かんだ名前を口にした。

 口にした名前は同じ研究所職員の名前、レイラ・D・ユディシュティラ。管理官ではない、主に研究所の財務を担当していた女性だった。

 

「分かった、レイラちゃんね、宜しく!」

「……よろしく」

 

 幸い優枝は疑うことなくA-04を受け入れ、笑顔で手を振っていた。ぶっきらぼうにもA-04は応じ、然もその名前が真実であるかのように振る舞う。そのまま優枝の目は悛を向き、少しだけ寂しそうに告げた。

 

「今日は夜も遅いし、また明日にでも来るね、何かあったらウチに来てくんしょ、父さんと母さんにも言っておくから」

「うん、分かった、ありがとう」

 

 悛は内心で大量の冷汗を流しながら帰路を行く優枝を見送る、そのまま背が見えなくなったところで大きな溜息を吐き出し、思わずその場に座り込んだ。床が地味に冷たい、そうしていると背後からA-04が抱き着いて来て耳元で問いかける。

 

「私、レイラ?」

「……取り敢えず、暫定で」

 

 

 

 まずは皆に名前が必要だと思った。

 

 

 



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造られた本性

 

 全員が風呂から上がり火照った体を夜風で冷ましていた頃、取り敢えず布団は一度洗って干さないと使い物にならないので持ち込んだタオルを枕代わりに、大きな保温シートを全員で使用し寝る事にした。

 

 まぁ下は畳みだしそのまま寝られると言えば寝られる、屋根があるだけマシだろう。夕食と入浴と歯磨き、全て終わらせて『さぁ寝るぞ』と相成った午後十一時、デザインド達と悛はテーブルを囲って一つの問題解決に当たっていた。

 

「皆に新しい名前が必要だ」

 

 題はデザインド達の新しい名前、優枝に彼女達の存在が露呈した以上、A-04やB-09という個体識別番号をいつまでも名前代わりにしておく訳にはいかない。元々いつかは変えねばと思っていたのだ、しかし命名センスが壊滅的であると自覚する悛は各自好きな名前を付ける様に進言する。

 

 それに名前とは子に対して親が贈るモノだ、彼女達の親代わり――生み出した連中は個体識別番号しか与えていない。ならばこそ、悛は彼女達自身が名前を付けるべきだと思った。居場所ではあるが親ではない、彼女達が幸せを掴む為だけに生きる人間、この名は研究所との決別を意味する。

 悛がその旨を告げると、デザインド達は互いに顔を見合わせて首を傾げた。

 

「名前、名前って、私のはC-01だし、もうあるよぉ?」

「特に不自由はしておりませんが……」

「不自由はしていないかもしれないが、本来数字何て言うのは名前に用いるものじゃないんだ、だから皆には好きな名前を自分につけて欲しい」

 

 彼女達にとって名前とは記号でしかない、自分を指し示す単語であれば何でも良い、そう在れと教えられてきた。しかし人間社会ではそうはいかない、名前とは個人を指すものであり同時に生涯大切にされるものなのだ。

 間違っても自己紹介でアルファベットと数字を口にしてはいけない。

 

「それにコレは研究所――連邦との決別だと思ってくれ、もう君達は被検体として生きていく必要はない、過去の名前なんて捨て去った方が良いんだ」

 

 悛が強い口調でそう言うと、デザインド達も悛がそう言うならと思い思いの案を頭に浮かべる。名前に対して特に思う事が無いらしい、悛はそれが研究の弊害だと感じ、少しだけ悲しくなった。

 

「名前ってアレよね、本に出て来る登場人物みたいな、01とか02とか、そう言うのが入っていない感じの……」

「もういっそ書籍から抜き出したらどうかしら」

「あっ、じゃあ私、エンリが良いです」

「不思議な名前」

「じゃぁ~、私ブラックサンダー」

 

 C-01が元気に手を挙げ、冗談か本気かも分からない名前を告げる。

 ブラックサンダーはやめて欲しい、悛は心からそう思った。少なくとも女性の名前ではない。というかソレは最早名前というか技名ではないだろうか、もう少し大人しめの名前を希望する。

 

「わ、私、皐月(サツキ)って名前が良いんですけど、これ、アリですかね……?」

「少なくともブラックサンダーよりは良いんじゃないかな……」

 

 B-09がおずおずと問うて来たので悛は緩く頷いて見せる。和名だが元より両親が日本を見せろと旅させる位には日本好きな上司という設定だ、子どもに和名を付けたとしても何ら違和感はない。

 

 そもそも国境という概念が連邦の出現によって取り払われた結果、ロシア人がアメリカ人の名前を付けたり、中国人がイギリス人の名前を付けたり、何て言うのはザラにある。

 どこの国か何て言うのは、既に大した意味を成さない。

 今その分け目があるとするならば、『地球』か『火星』かだろう。

 

「じゃあ私は推理小説、『ディラ・H・フォルマンス』の登場人物、マリーにするわ!」

「……なら私は(みやび)にしようかしら、皐月が大丈夫なら良いでしょう?」

「私はレイラ、悛に決めて貰った」

 

 各々が好きに決めていく中、A-04が一人そう言った。

 すると周囲のデザインド達がぎょっと彼女を見つめ、それから素早く悛の方に視線を集中させる。その瞳は雄弁に、『何故彼女だけに名前を付けたのだ』と語っていた。強い視線の集中砲火を浴びた悛は引き攣った笑みを浮かべる、だが笑って誤魔化せる雰囲気ではない。

 当のA-04、暫定レイラは自慢げに胸を張っていた。

 

「ごめん、実は――」

 

 そうして話すのは未だ留まっていた村人の事、先程のあれこれをデザインド達に話し決して贔屓した訳ではないと言い訳する。本当なら彼女自身にも自分で気に入った名前を付けて欲しいのだ。

 

「ぇえ~、なんかズルイ~」

「ちょっと、なら私にも名前つけなさいよ!」

「妬ましいわね」

「いや、頼む、落ち着いてくれ皆」

 

 しかし言い訳をした上で予想以上の反発の声が上がった。

 それに対して嬉しい様な照れる様な、何とも言えない感情が胸を覆う。

 

 A-04に対して別の名前にしないかと問いかけるが彼女は断固として譲らない、どれだけ説得しても無駄だと思わせる強い意思が瞳には宿っていた、何故そこまでの意固地さを今発揮するのだろうか。

 

 悛は自分のネーミングセンスに自信がない、納得できない名前のまま一生を過ごす事だけは避けたい、故に何とかデザインド達に頼み込み自身で考える様に説得した。最初は駄々を捏ねる様に首を横に振っていたが、やがて一人、また一人と折れていく。

 悛のお願い攻勢は稀である、もうこれでもかという位に手を合わせ、少女達に向かって頭を下げる。その勢いと姿勢にデザインド達は「これだけ頼んでいるんだし……」という気分になって来る、しかも相手は滅多にお願いなどしてこない男、藤堂悛である。

 

 結果、三十分のお願い攻勢を乗り切れたデザインドはおらず、各々が自分で名前を付けるに至った。

 因みにA-04だけは断固として名前を変えなかった、お願い攻勢も意味を成さなかったのである。

 無念。

 

 

 

 

 

 

 深夜、夜も更け月明かりが世界を照らす時間帯。

 居間に光は無く、全員の寝息だけが聞こえる空間。保温シートの上で横になり、悛を中心に横一列で寝ていたデザインド達。

 

 彼の隣を確保する為に戦争が勃発し、毎日のローテーションという制度を設けたのが三時間前。現在夜の三時、当の悛は完全に夢の世界に入り込んでおり目を覚ます気配はない。虫とカエルの合唱が窓越しに聞こえて来て、不意に布同士が擦れる音が加わった。

 

 悛の両脇に眠っていたデザインドがゆっくりと上体を起こし、なるべく音を立てないように立ち上がる。それに気付いた他のデザインド達も瞑っていた瞼を押し上げ起き上がる。そして闇夜の中対した足取りに迷いを見せる事無く、彼女達は居間を後にした。

 

 彼女達が静かに玄関を潜ると、そのまま外の世界に踏み込む。そして確りと鍵を掛け、六人は互いに頷いて家の前のアスファルトに屈みこんだ。夜の辺境は騒がしく、風の音と合唱が上手い具合に彼女達の声を掻き消す。

 

「バレて無いわよね……B-09?」

「た、多分問題無いかと……あと、私は皐月です」

 

 アスファルトに屈んだ彼女達の顔が月明かりに照らされる、其処には悛に見せる表情とは異なり、何か覚悟を秘めた表情を見せるデザインド達が佇んでいた。「名前が変わると、何か変な感じがするわ」とA-013が苦笑を零す、実際未だに番号以外で呼ばれても反応が出来ない。

 

「悛に余計な負担は掛けたくないわ、研究所(あそこ)から出して貰っただけで十二分だもの、取り敢えず名前を覚える事から始めない?」

「そうね、同感よ、私もまだ慣れないわ」

「ふふふ、でも何だか新鮮ですよね、人間らしい名前って」

「何だか悛さんに近付いた気がします」

「ふぁ~……眠いよぉ……」

「我慢」

 

 C-01――海莉(カイリ)が欠伸を零すとA-04――レイラが喝を入れる。各々が新しい名前を手に入れ、彼女達は互いに互いの名前を確認していく。新しい名前が悛の考えた研究所離脱への一歩である事は彼女達も理解していた、故に番号に固執しては彼も悲しむ。

 悛が悲しむ事はしたくない、それが彼女達の総意だ。

 その為ならどんな努力も惜しまない。

 

 彼女達は二度、三度相手の名前を口にして顔を見れば自然と顔と名前が一致し記憶できた。彼女達はデザインド、人工的に創られた戦闘兵器、そう在れと十年以上生かされた存在。故に知能は常人以上、普通の人間よりも精神の成熟が速い、そうでなければ兵器など務まらないのだから。

 

 A-013 『マリー』

 A-04 『レイラ』

 B-09 『皐月』

 B-21 『雅』

 C-01 『海莉』

 C-34 『エンリ』

 

 新しく付けられた名前(きごう)は直ぐに馴染んだ、最終確認として全員が自身を指差し、「名前は?」と問いかければ全員同じ回答が返って来る。名前の確認作業が終わった後は本題だ、全員の視線がエンリ(C-34)を向き、彼女は微笑みながら頷いた。

 

「大丈夫です、既に視ています、この村の全体は既に私の監視下ですから――村の住人は全部で十一人、武装は無し、警戒度は低、多分やろうと思えば二十秒で全滅させられます」

「全滅ですか? で、でも悛さんは人を殺しちゃ駄目って……」

「えぇ、そうね――でも、逆に言えば『見つからなければ罪には問われない』という事よ」

 

 皐月(B-09)の言葉に(B-21)が反論する。悛は言った、警察という組織に見つかれば自分達は研究所に連れていかれると。それは恐らく、人を殺す殺さず問わず、デザインドという存在が露呈した時点で連れていかれる。

 ならば自分達の存在がこの村の外に伝わる可能性――この場合は村人を、全て殺して隠滅してしまうのが一番良いのではないかと。(B-21)を含めた何人かのデザインドは村に到着した時から、そんな考えを持ち合わせていた。

 

海莉(C-01)の能力があれば人間なんてゲル状に溶かせるでしょう? 後は地面にでも埋めてしまえば良いわ、私達の存在さえ露見しなければ問題無いのだから」

「……そ、それはどうなんでしょうか」

「んぅ~、善いか悪いかは兎も角、私はアリだと思うなぁ、人間なんて何をするか分からないし、分からないなら、殺した方が楽だよぉ」

 

 僅かに渋る皐月(B-09)と同意する海莉(C-01)、彼女達は徹底して己の安全、何より悛の安全を重視している。他の人間など彼女達にとっては害悪でしかなく、寧ろ憎悪の対象にすらなり得る。

 

 第二号のデザインド達を見て、悛は『もし道徳を説く人物がいなければ』と考えた。

 それは正しく、同時に間違いでもある。

 

 例え道徳を説く人物が居ようが、居まいが――彼女達の根底にある人間への憎悪は消す事が出来ない。例え悛の様な人間が現れたとしても、それ以前の記憶が消える事は無いのだから。実験の度に腹を裂かれ、眼球を抉られ、焼かれ、潰され、繰り返したそれらの痛みを彼女達は忘れない。

 ただ、そこに『例外』が出来るか否かの問題なのだ。

 

 彼女達デザインドにとって人間とは等しく害悪、殺す殺さないで言うのならば取り敢えず全員殺すという程度には憎んでいる。それを表に出さないのは単に『悛』というストッパーが働いているから、彼の前でならば罪悪感を覚える演技すらしてみせよう。

 彼女達の根底にあるのは彼に嫌われたくないと言う私欲に塗れた情念。

 本来人を殺す事など、虫を潰す程度の感覚である。人を殺す為に作られたのだ、情など持ち得る筈が無い。

 

「けど、私達、まだ警察の事、何も知らない」

「……そうですね、私達はまだ自分達の脅威となる存在を熟知していません、行動を起こすにしても時間が必要ではないでしょうか? 浅慮な行動は最悪の結果を招く可能性があります」

 

 エンリ(C-34)レイラ(A-04)の二人は村人を殺す案を推す他の面々に対し、殺した際のデメリットを述べる。或は殺すにしても相手を良く知ってから行動するべきだと、万が一の場合を考えた慎重な行動を推す。

 

「私は村人を殺す事には賛成だけど……そうね、確かに一理ある、まだこの村に到着したばかりだし焦る事は無いわね、やるなら確信を持って殺すべきだわ!」

マリー(A-013)、声大きい」

 

 殺すか殺さないかで言えば殺すべき、ただし今すぐに殺さなければならない訳ではない。

 各々が意見を口にし、現状村人抹殺は否決される。だが場合によっては一切の躊躇い無く彼女達は村人を殺すだろう、ただメリットとデメリット、その差によって変わるだけだ。

 

「ではもう少し様子見という事で、場合によっては皆で話し合って動きましょう」

「分かったわ」

「はぁい」

「りょ、了解です」

 

 全員の妥協点が見つかった瞬間、皆が頷いて肯定の意思を示す。しかし一人だけ――レイラ(A-04)だけが何か思いつめたような表情で唇を噛み、徐にエンリ(C-34)に声を掛けた。

 

「……ねぇ、エンリ(C-34)

「ん? 何でしょう、レイラ(A-04)

 

 レイラの声にエンリは顔をそちらに向け疑問符を浮かべる。全員の視線が二人へと集まり、注目される中で淡々と彼女は言った。

 

「村人の中に若い女、居る?」

「……そうですね、此処から六十メートル程離れた家に一人、二十代の女性が居ます、どの程度までが若いと判断されるかは分かりませんが、恐らく村では一番若い方かと」

 

 そう答えるエンリ、その言葉を聞いたレイラは爪を噛み、何か黒い感情の見え隠れする瞳で呟いた。

 

「……そいつだけ殺す、それは可能?」

 

 突然の殺害宣言、それにエンリ(C-34)を含めた全員が驚愕の表情でレイラ(A-04)を見る。一体何を言っているんだと、皆が視線でそう語っていた。この村の住人には手を出さない、たった今そう決めた筈だ。

 

「れ、レイラ、今皆が殺さないって――」

「話を聞いていたのかしら? それとも上の空だった?」

「無論、聞いていた」

 

 口々に告げられる反対意見に、レイラは手で彼女達を制す。同時に全員の瞳を視界に捉えつつ、抑揚のない口調で言った。

 

「その女、悛の事が好き」

「……は?」

 

 それは余りにも感情が無く、まるで平面の様な言い方だった。しかし放たれた言葉は確かにデザインド達の耳に届き、嘗て無い程の衝撃が体を突き抜ける。そして辛うじてマリー(A-013)が再起動を果たし、震えた声で「え、なに、冗談……?」と問いかけた。

 

「本当、皆が入浴してた時、その女が来て、悛を見る目、私達と一緒だった」

「それは……危険かもしれません」

 

 レイラの言葉にエンリは呟いた、デザインド達は悛への好意を決して隠さない。同時にその執着心を自覚しているからこそ、同じ目をしていたと言う女性に危機感を覚える。皆の警戒心が否応なく高まっている最中、海莉がいつも通り間延びした声で問いかけた。

 

「普通の人間って事だよねぇ? その女」

「えぇ、デザインドではありません、視る限り、ただの一般人です」

「――じゃあ殺そっか、別に一人くらい消えても問題ないでしょぉ~?」

 

 彼女らしからぬ、苛烈な言葉。

 悛からは表面上それ程過激な性格だとは思われていないが、その実この海莉(C-01)というデザインドは好戦的な性格をしている。それこそ能力通り、執拗に相手が死ぬまで溶かしつくす、そういう性格。

 無論、悛の前では決して覗かせない一面。

 自分から恩師を奪う存在ならば殺すに値する、寧ろ殺さなければならない、人間というだけで害悪だと言うのに加えて横槍まで入れて来ると言うのなら、今すぐ殺して然るべき。

 

「悛に恋愛感情を覚えるなんて、可哀想な子ね、私は殺す事に賛成よ」

「私も……悛を盗られる位なら、殺したいと思う、賛成するわ!」

 

 (B-21)マリー(A-013)の両名が賛成の意を示す、元より悛を奪うのならば研究所の所員だろうが何だろうがぶち殺すと考えるデザインド達である。万が一悛が健康管理官から外される様な事があれば、彼女達は自分が死ぬ事も厭わずに行動を起こしていただろう。それ程の覚悟が胸の内にある。

 

「で、でも流石に突然居なくなったりしたら、拙いんじゃ……」

「人間は個体での戦闘能力が非常に低い為、常に集団を作ると聞いています、その最小単位のコミュニティが『家族』と呼ばれるそうです、恐らく誰か一人でも欠ければ、その家族が気付く可能性が……――」

 

 反対の意を示したのは皐月(B-09)エンリ(C-34)の二人、特にエンリは書籍から得た知識を元に女性を殺害するリスクの高さを説いた。しかしソレは別段女性を殺す事に後ろめたさがあるとか、そういう事では無く、単純に悛を盗られる可能性があったとしても軽率な殺害は警察への露呈に繋がると考えたからだ。無論、それが無ければ彼女とて直ぐに頷いて見せただろう。

 エンリの言葉に海莉は、「じゃあ家族ごと殺すのはぁ?」と問いかける。

 

「結局は一緒です、家族のコミュニティを壊滅させても、今度は『村』というコミュニティがあります、家族と言うコミュニティが消滅すれば、村のコミュニティがソレを訝しむでしょう、そして彼らを壊滅させた場合は先の話と一緒、つまり結論は変わりません」

「面倒」

 

 エンリの説明に対してレイラはそう吐き捨てる。まさか人間ひとり殺すのに此処まで考えなくてはならないとは、デザインド達は人間社会の複雑さを実感させられた。相互監視体制とでも言うのか、飽和した人口ならば兎も角、この村は余りにも閉鎖的で数が少ない。

 

「じゃあさぁ、そもそもの『警察』って奴を壊滅させたら良いんじゃない?」

「そ、それは無理ですよ、連邦と正面切って戦う様なモノですし……」

 

 海莉の面倒臭そうな口調に、皐月が慌てて返す。それでは悛の言っていた平凡で有り触れた幸せが手に入らない、それはデザインド達にとって許せない事である。

 

「逆に聞くけれど、村人を全滅させた場合、何がマズいのよ?」

「居る筈の人間が居ない、それは明らかにおかしいでしょう」

「そんなの、どうやって分かるっていうの?」

 

 マリーは眉を顰めて問いかける、その口調は苛立ちを含んでいた。対して雅は表情一つ変えず、淡々とデザインド達に語り掛ける。

 

「良いかしら? 人間社会には『戸籍』というモノが存在するの、連邦が持つ巨大なデータベース、その中に人間一人一人の情報が存在していて、何処に住んでいるのだとか、何歳なのだとか、細かい情報がビッシリと蓄えられている、つまり連邦は誰が何処に住んでいて生きているかどうか把握しているという事よ」

 

 その情報と照らし合わせて、きっと警察や連邦職員が巡回に来る。その時居る筈の人物が居なかったらどうなるか、そんなのは分かり切った事でしょう。雅は連邦が人口管理に力を入れている事を知っていた、火星という新たな星を手に入れた人類は再び人口増加を望んでおり、人口が大幅に減少した日本も例に漏れず徹底した管理が行われている。

 雅の言葉にマリーは口を噤み、不機嫌そうに鼻を鳴らした。感情は兎も角自身の存在が露呈するまでの道筋は見えたようだった、ならば安易に動く事も出来ない。

 

「でも実際、巡回なんて来るんでしょうか……? う、疑っている訳ではないのですけれど」

「巡回と言っても人ではなく、それこそ自立飛行機(ドローン)を飛ばすだけ等、方法は幾らでもあります、問題は彼等の失踪が確定した時、確実に警察と言う組織が動くと言う事です」

「推理小説でもあったわ、警察が動くと探偵と刑事とかいう肩書の人間が出て来て、殺された人の状態から事件を解決に導くの、例えば凶器とか、人間関係とか、指紋とか……そういうモノから犯人を特定するのよ、あれは中々の名作だったわ、まぁ私の名前(マリー)の人物だから当たり前と言えば当たり前ですけど?」

「凶器? 指紋?」

「凶器は殺害に使用された武器の事、指紋は人間の指先にある模様、これは個体差があって一人一人違うわ、だから死体にコレが残っていれば犯人が特定出来るの」

「能力を使えば分からないんじゃ……」

「分からないからこそ、デザインド(私達)の存在が浮き彫りになるんじゃないでしょうか……?」

 

 尤も、デザインドの場合は見つかっただけでアウト。

 この白い髪も肌も、デザインドだという証拠に成り得る。警察でも連邦職員でも、末端から上に報告が行けば直ぐに捕まるでしょうね。そう雅が淡々と口にすると、デザインド達は難しい顔をする。

 

 要するに村人を全滅させた場合、連邦職員か警察が来た時点で言い逃れは出来ない。末端だけならばデザインドの存在を知らないだろう、だが上層部は別だ、各地に点在する研究所の存在を知っている。その被検体に合致する条件をデザインドは備えている、万が一特徴を報告されれば詰み。巡回の人間を殺しても無限ループ、寧ろ警戒されるだけ。

 結論は、この村に巡回が来る状態で村人を殺すのは危険極まりないという事。

 

「殺して、隠れる、悛と一緒に」

「ど、どっちにしろ人が死んだら捜査されると思います、そうなったら余り意味が無いんじゃ……」

「警察や連邦職員が来た時点で村に住む事は出来なくなります、巡回ならやり過ごせるかもしれませんが、各地を転々とする訳には行きませんし、やはり現状この少数人数の村を維持する事が最良かと……」

 

 レイラの言葉に皐月とエンリは説得の言葉を漏らす、他の面々も頭では村人の殲滅が高リスクである事を理解していた。しかしどうにも、感情だけは抑える事が出来ない。

 レイラは爪を忌々しい表情で噛むと、小さく呟く。

 

「……じゃあ、アイツを悛に近付けさせない」

「こんな狭い村じゃ無理じゃなぁい?」

「でも、目の前でウロチョロされるのも鬱陶しいわ」

 

 結局のところは其処だ、件の女が居なければ村人を殺すのは後回しで良かった。しかし女が悛にちょっかいを出すならば別、悛はデザインド達の希望で在り、恩師で在り、想いを寄せる唯一無二の人なのだ。

 それこそ自分達の為に人生を投げ捨て、あらゆる全てを犠牲に此処(外の世界)まで連れて来てくれた。

『ただ待っていただけ』の女などお呼びではない、レイラはそう内心で思い唇を噛む。

 

「その女性の件はなるべく私達が悛さんの傍に張り付いて相手をさせない、というのが一番かと思います、業腹ですが直接的な排除は最終手段にしましょう、それこそ悛さんが自分で望んで彼女と――」

「そこから先は不要よ」

 

 エンリの言葉を遮って雅は立ち上がる、そして強い瞳で全員を見渡すと抑揚のない口調で告げた。

 

「もう話す事は話したわ、村人は放置、女はなるべく近付けさせない、後は各々で動けば良いでしょう」

「……そうね、まぁ何かあったら分かるし、また皆で話せば良いわ」

「ん~、なんか不完全燃焼ぉ、けどまぁ仕方ないかぁ」

 

 不承不承、良くはないけれど納得せざるを得ない。そんな表情を浮かべたデザインド達は立ち上がり、そのまま玄関の方へと歩いて行く。最後に残ったのはエンリと皐月の二人。最後まで殺人という行為に反対していた二人だ、彼女達の浮かべる表情は苦々しいもの。

 皐月とエンリの二人は確信していた、このまま行けばきっと、彼女達は村人達を全て殺すだろうと。

 

「出来れば――村の人を殺すのは最終手段にしたいんです、私は」

 

 エンリは虫の合唱と夜風のみが聞こえる闇夜の中、そう呟く。それに同調するのは皐月、目の前の彼女の言葉に頷いて俯きながら言った。

 

「多分、村の人を殺したら悛さん、悲しみますよね……」

「えぇ、恐らく、いえ……絶対悲しみます、旧友、或は同郷の人間ですもの、少なくとも喜びはしないでしょう」

 

 二人が懸念するのはその部分、こと悛に関しては恐ろしく鋭い勘を持つデザインド達だが、今は恋敵の出現に目が曇っている。そうでなければこんな簡単な事に気付かない筈が無い、二人はそう思った。

 けれど、最悪殺さなければ自分達の存在が露呈するのも事実。

 嫌われたくはない、彼に嫌われてしまったら生きる希望そのものが潰えてしまう、けれど――それが彼の生存に繋がるのなら。

 

「どうか、その時が来ない事を祈りましょう」

 

 エンリは夜空に瞬く星々を見上げ、小さく呟いた。

 どうせ、祈る事しか出来ないのだからと。

 

 





 投稿が遅れて申し訳ありません。
 実は学校の方でロシアに行く事になりまして、ビザの取得や奨学金や現地調査や色々込み入った結果小説を余り書く事が出来ませんでした、申し訳ない……。
 一応これからも定期的に投稿する予定ですが、ニ、三日投稿よりは若干ペースが遅くなりそうです。それでも一週間にニ、三話は投稿したい所存……!
 頑張ります。


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