装甲悪鬼村正 トータル・イクリプス (Flagile)
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異世界漂流
異世界への道(マブラヴ編)


注意
・深刻なトータル・イクリプスのネタバレがあります。
・アニメ版・小説版以降(・・)の話のネタバレが含まれます。
・トータル・イクリプス(PS3 or PC版)をやっていないと意味不明かも知れませんが仕様です。
・以上のことが許容できない方は次の話に移動してください。


 不知火・弐型を生かすためにアメリカ(祖国)の期待を俺は裏切るという決断をした。そのためにハイネマンの技術情報流出の証拠である不知火・弐型Phase3を強奪した。そして決断に至るもう一つの鍵であったクリスカとイーニァをサンダーク大尉の手から浚った俺は流れ流れてソ連のバラキン司令に匿われていた。クリスカが死んでから早一週間、気持ちの整理もつき、様々な政治的な取引や立場等がはっきりし始めた時の事だった。

 

 ソ連内部の権力闘争の結果、謀殺されそうになっていたラトロア中佐は俺と同様にバラキン司令に匿われていた。そしてそんな中佐と俺はバラキン司令に呼び出され、ある『お願い』をされた。

 

 この『お願い』というのが意外と厄介なのだ。バラキン司令に匿われてはいても指揮権や不知火・弐型に関する権利をバラキン司令は建前上、持っていない。しかし、当然の事だが、このソ連の地でイーニァと不知火を守りながら生きていけるのはバラキン司令の思惑による所が非常に大きい。サンダーク大尉を始めとした中央戦略開発軍団の陰謀の証人であり証拠でもある俺達は存在するだけでバラキン司令の手札になる、とは言えその立場は弱い。

 

 バラキン司令はそんな状況で意外な事に不知火のデータを積極的に取る事をしていない。仮にも西側製のステルス機であるにも関わらず、だ。もちろん裏ではこっそりとデータの収集をしているのだろうが、そんなコソコソしなくとも堂々とデータを集める事も簡単な状況の筈なのだ。要するに俺達の扱いは十分以上に『配慮』されていると言って良い。

 

 そんな関係が見えている中、バラキン司令が『お願い』してきたのだ。これは実質的に断ることのできない命令に等しい。その上、大きなリスクも予想されていないとなれば受ける以外の選択肢はなかった。ただどうにも俺は嫌な予感がしてならなかった。

 

 任務の内容は単純な物だ。とある研究施設を襲撃し、そこに保管されている重要物資を強奪する。これだけだ。作戦の内容も敵の戦力も問題ない。唯一問題があるとすればその重要物資の内容だ。

 

 G弾の試作品

 

 G弾、即ちアメリカ秘蔵の兵器、その圧倒的な威力は横浜で実証されている。そして、そのソ連による試作品がその研究所には存在するというのだ。これはある意味当然とも言えるだろう。核と同じ様に片方だけが超兵器を持っていることを持たざるものは許容できない。

 

 先日、『何者か』による襲撃によりソ連のG弾研究所は壊滅したのだが、実はその研究所には中央にも知らせていない独自の研究を行っていた一派が居たようなのだ。そしてその一派が一部のG元素を所持しており、それを元に独自のG弾を研究していたのだ。既に研究を行っていた研究者自体は中央に「保護」されているらしいのだが、その試作品を分裂した過激派が持ち逃げしているという。そしてそのG弾確保のため中央の部隊が向かっている、というのが現在の状況らしい。

 

 そこでバラキン司令はこれを極秘裏に確保することでより優位な立場に立つことを目論んでいるようだ。そのために不知火(ステルス)の力を使い、中央を出し抜きたいとの事だ。先程も言ったようにこの件を断ることはできなかった。

 

 唯一安心できる要素と言えば作戦の指揮をラトロア中佐が執っている事だろう。とは言え実際に戦闘を行うのはステルスの俺と突入する特殊部隊のみで、ラトロア中佐の部隊は不測の事態に備えて気づかれないように後方に待機しているだけなのだが。

 

 ラトロア中佐の部隊をバックアップに残し、単機で目的地に接近する。敵の戦術機は一機のみ、まだこちらに気づいていない。素早く照準し120mmで狙撃する。

 

 命中、敵機が二つに分解し崩れ落ちる。

 

 苦戦するどころか気付かれる前に一撃で終了した。アクティブ・ステルスの力は絶大だった。気付かれる前に殺る(ファーストルック・ファーストキル)、その典型例のような戦闘とも言えない戦闘だった。

 

「ゆうや、かんたんだったね」

 

 コ・パイロットとして後部座席に座っているイーニァがつまらなそうにそう言ってくる。

 

「そうだな、まぁ、楽な分には問題ないだろ。っと、こちらアルゴス1、敵機を無力化した。突入準備完了だ」

 

 敵機の無力化をこの作戦を指揮しているラトロア中佐へ報告する。

 

「こちらプラーミァ1、アルゴス1突入準備完了、了解した。そのまま歩兵共の露払いもしてやれ、楽な任務なんだろ?少しは働いてこい」

「あいよ、アルゴス1了解、じゃあ、行ってくるぜ」

 

 ラトロア中佐からの命令通りに特殊部隊の突入の露払いとして研究所に突入する。研究所と言っても戦術機のハンガーのような倉庫に機材を詰め込んだだけの簡易な物だ。周りに装甲車が一台あった程度で反撃すらろくにない。敵勢力の無力化を確認した後、正面のゲートを長刀で破壊し、内部を確認する。

 

 内部からの反撃は、ない。研究者らしき人員が逃げ出しているのが確認できる程度だ。彼等は突入部隊が捕縛するなりなんなりしてくれるだろう。

 

「やれやれ、これで終了だな」

 

 突入部隊が後方から近づいてくるのがセンサーで確認し、そう呟く。どうにか何事もなく終わるようだ。そう気を緩めかけた時の事だった。イーニァが警告を発する。

 

「ゆうや!あのひと!すごいいやなかんじがする!」

「!?ッツ、どいつだ!」

 

 イーニァが示す方向には一人の研究者がコンソールを操作しているのが確認できる。そのコンソールは中央に置かれている球形の何かに接続されている事を確認した段階で俺は36mmを研究者に向け発砲する。本来人に向けるような火力ではない36mmは直撃を受け、研究者のみならず周辺にあったコンソールを始めとする機械類がなぎ払われる。

 

 遅かったのか?それとも周辺機器の破壊がトリガーになったのか?中央に置かれていた球形の何か――おそらくはG弾の試作品――が名状しがたい状態へと変化を始める。周辺がまるで空間自体が湾曲しているかのようにグネグネと形を変える。その歪みが拡大し始める。

 

「プラーミァ1!G弾起爆!即時撤退する!」

 

 そう言うのが早いか即座に跳躍ユニットを起動し退避行動へと移る。いつもなら頼りになる不知火・弐型の加速性能が今日に限って遅く感じる。迫る空間に向け背を向けたまま補助腕を使い36mmと120mmを斉射する。が、歯牙にも掛けずに空間は膨張を続ける。

 

「ゆうや!」

 

 イーニァの焦った声に反応する余裕もなく必死で機体を飛ばすが、呆気無く膨張を続ける空間に飲み込まれてしまう。ユウヤ達を飲み込んだ空間はしばしその勢力を広げた後、急速に消滅する。その後には半球状の抉れた大地が残るのみだった。

 



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異世界への道(装甲悪鬼村正編)

注意
・装甲悪鬼村正のネタバレが含まれます。
・グロ注意


 夜闇の中で家屋を包む赤と黄色の衣。

 村が燃えていた。

 死が溢れていた。

 狂った人々が互いに互いを殺し合う。それまでの関係など関係ない。ただ殺すために殺す。母が子を殺し、子が父を殺す。そんな地獄がそこには展開されていた。

 

 唄が聞こえる滅びの唄が。その唄が聞こえるたびに地獄が広がる。そんな地獄のさなかに一人の少女がいた。ごく普通の少女に見える。それがこの地獄では異常だ。少女の傍らには銀色の鎧がいる。

 

 月の美貌を、

 魔の武威を、

 狂気の光を、

 全て備えて

 

 何よりも優美で何よりも禍々しいその姿はこの地獄に君臨する魔王のようだった。少女は白銀の魔王と戯れている。

 

「御姫~、またこんなにして、後片付けも大変なんだよ」

「む、そうかそれは迷惑だな。だが、おれは謝らん!」

「まぁ、それでこそ御姫だよね」

 

 少女と白銀の魔王がカラカラと笑い合う。その笑みに邪気など微塵も感じない。自身の行為に何の疑問も持っていない。その事が余計に異常さを際立たせる。

 

「だが、後片付けしないというのも行儀が悪いのは確かだ」

「御姫?」

「うむ、だから片付けてやるとしよう」

 

 白銀の魔王が飛翔する。村の中央付近、その上空へと

 少女は白銀の魔王が何をしようとしているのかようやく理解する。

 

「うわぁ、ちょっとタンマ!御姫タンマ!」

 

 少女が人の身とは思えない速度で疾駆する。

 その様が見えているのかいないのか、全く頓着せずに銀の魔王は始める。終わりを始める。

 

「天地万物に吸引の力有り。この作用を引辰、力を辰気と称す―――

 辰気、招き集わせ手繰る 誘聘」

 《辰気収斂》

 

 白銀の魔王の顔面が割れ、隠されていた数多の眼が顕になる。

 背中にある巨大な蕾が開花するように展開される。

 白銀の魔王が奇怪な光りに包まれる。

 黒い渦が現れ、周囲が歪んでゆく。

 あたかも陽炎に取り巻かれたかのように。

 世界が歪んでゆく。

 混沌の中心で。

 世界を屈服させる暴力の所有者が。

 終末の喇叭を高らかに吹く熾天使のように。

 一節の詩を唄った。

 

飢餓虚空(ブラックホール)―――」

「―――魔王星(フェアリーズ)

 

 建物が。

 土砂が。

 木々が。

 死骸が。

 根こそぎ浚われ、呑まれてゆく。

 渦の中心に行き着く前に、圧搾され、原形を失いながら。

 全てを無に帰す白銀の魔王の奥義。

 

 だが、今回は様子がおかしい。最初に全てを吸い込み跡形もなく飲み込むまでは良い。だが、その黒い渦と鏡合わせのように反対側に現れた白い渦は一体何だ?

 

 そんな疑問を抱くのと同時だっただろうか、巨大な人形が白い渦から吐き出される。劔冑の十数倍の大きさを誇る巨大な人形が地面に叩きつけられ砂埃をあげる。

 

「御姫ー!?何かすごいのが出てきたんだけど!」

(うむ)、予想外である!村正、あれは何だ?」

(あれ)にも予想外だ。何か冑ら(あれら)の力とは別種の力が干渉し空間がねじ曲がった結果のようだ》

 

 白銀の魔王が何者かに下問する。それに答える第三者の声がする。

 美しくそしてどこか機械的なその声はやはり同じく白銀の魔王からする。

 超常を宿す銀の鎧――劔冑(つるぎ)――そのOSである村正の声だ。

 

《見たところ単鋭装甲(やじりづくり)とも重拡装甲(おうぎづくり)とも違う。西洋の劔冑か?腰部に二基の合当理を備える理は何だ?根底から思想が違うように見える》

(うむ)、何も分からないという事だな!」

《残念ながら(あれ)には皆目検討が付かない》

「うわぁ、どうしようあれ……」

「任せた!おれは眠くなったから帰る!」

 

 それだけ言い残すと無責任なことに白銀の魔王は飛び去る。

 

「え!?ちょっと御姫!?……うわぁ、あてがどうにかするの?あれ」

 

 

 ――――――

 

 

「……や……ゆ…や、…………ゆうや!起きて!」

 

 機体の異常を知らせるアラートの中、俺を呼ぶイーニァの声が聞こえてくる。どうやら気絶していたようだ。何がどうなったのか全く分からないがとりあえず生きているらしい。

 

「ッツ、イーニァ……」

「ゆうや!!」

「悪い、大丈夫だ。そっちはどうだイーニァ?」

「イーニァはへいきだよ」

 

 後部座席から降りてきているイーニァの姿におかしな点は見受けられない。

 イーニァを見て軽く頷いておく、どうやら俺もイーニァも無事のようだ。

 そう判断し、機体のチェックを開始する。

 

 生命維持系……メイン系統断絶、強化外骨格のサブシステムが稼働中。

 バッテリー……メイン測定不能、サブで稼働中。

 センサー系……レッド、何の反応も返ってこない。

 操縦システム……レッド、辛うじて右腕だけは残っているようだ。

 通信システム……反応なし、完全な断絶。

 排熱システム……反応なし、完全に停止している模様。

 跳躍ユニット……レッド、緊急遮断弁の稼働を確認。

 推進剤残量……測定不能、センサーがやられている模様。

 機体各部情報……レッドアラートのオンパレード。

 

「酷いな、こりゃ……」

 

 本来損傷しづらい位置にある損傷を判定するセンサーもイカれている部分があるので明確な事は言えないが、ほぼ全身に何らかの力が加わった結果、無事な部分の方が少ないレベルで不知火・弐型は損傷しているようだった。フレームが歪んでいるようでハッチも開かないようだ。

 

「イーニァ、状況を確認したい、爆発に巻き込まれた以外で分かることはあるか?」

「んー、なにかおそとがへんなかんじがするけど、よくわかんない」

「外が?……とりあえず、再起動をしてみよう。イーニァ、手伝ってくれ」

「わかった!」

 

 元気良く返事するイーニァが笑顔で後部座席に戻るのを見届けながら、破損箇所のチェックと再起動の手順を確認し、大丈夫そうな部分を慎重に再起動を掛けていく。再起動した結果、誘爆なんて洒落にもならないからだ。

 

 どうにか周囲の状況を知りたいところなのだが、残念ながらカメラ類は全滅しているらしい。辛うじて生きていた音響センサーもザー、ザーというノイズが酷くて役に立たない。

 

「……無理、か。ベイルアウトするぞ」

 

 ベイルアウト、それは戦術機にとってほぼ最終手段だ。爆裂ボルトを使用し管制ユニット丸ごと機体から脱出する事になる。当然だが管制ユニットがなくなった戦術機を動かすことなどできない。要するに不知火・弐型をこの場に放棄していかざる負えないのだ。その事に忸怩たる思いを抱くが、どうしようもない。

 

 ベイルアウトができるかどうかのチェックを行う。幸いなことにベイルアウトの機能は生きているらしい。この機能が死んでいた場合、本当の意味で最終手段である強化外骨格での強行脱出を考えなくてはいけないところだった。

 

「大丈夫そう、だな。イーニァ、準備は良いか?」

「うん、だいじょうぶだよ、ゆうや」

「良し、じゃあ行くぜ!」

 

 爆裂ボルトが起動し、歪んしまったハッチがフレームごと分離される。そして次の瞬間強い衝撃とともに機体から管制ユニットが射出される。一瞬の浮遊感の後、展開されたエアクッションに守られながら管制ユニットが地面と激突する。

 

 ……どうやら無事にベイルアウトできたようだ。

 

 考えていた以上の衝撃に一瞬事故を想像したがどうやらベイルアウトは正常に行えたようだ。場合によってはベイルアウトの途中でフレームに引っかかったり、エアクッションが展開されないといった事態も想定されていたのだから怪我無く外に出られたのは幸いだろう。そんな事を思いながら備え付けられているサバイバルキットを装備し、外に出ようとする。

 

「おっと、コイツを忘れちゃダメだな」

 

 そう呟きながらコックピット横に貼り付けていた唯から貰った大切な刀――緋焔白霊――を手に持つ。そして意を決して管制ユニットから外へと出る。

 

 そこには想像もしない景色が広がっていた。

 

「何だ……こりゃ……」

「うわぁー、ゆうやすごいよ!みどりがいっぱい!」

 

 そこは森の中に現れた爆心地のような場所だった。先程まで俺達はカムチャッカ半島の雪の中に白一色の世界の中に居たはずなのだ。辺り一面をBETAに均された大地の上を厚い雪が覆った大地に居たはずなのだ。それが突然生命溢れる力強い森の中に移動したのだ。ふと気づく、衛士強化装備を着用していても感じられた、刺すような痛みすら感じる寒さを全く感じない。

 

「ここは、アメリカのどこかか?」

 

 世界の中でここまで緑が残っている場所と聞いてまず思い浮かぶのがアメリカだ。だが仮にアメリカだとしてもなぜこの場所に居るのかが分からない。いや、あのG弾が何か影響した、という予想はできるのだが、それが一体全体何を引き起こしたのか分からないのだ。

 

「ゆうや、なにかへんなひと?、がくるよ」

「変な人?どういう風に変なんだ?」

「う~ん、にんげんだけどにんげんじゃないみたいなかんじ、かな?」

 

 イーニァにも良く分かっていないようで首をかしげている。周りを見渡してみると黄色を基調としたジャケットを着た若干幼さの残る金髪の少女が駆け寄ってくる。

 

Freeze!(止まれ)

 

 その言葉が通じたのか一定の距離を保って静止する。

 

「ねぇねぇ、そこのお兄さんにお嬢ちゃん、これ何?劔冑(つるぎ)?」

 

 黄色い少女が発したのは日本語だった。と言うことはここは日本なのだろうか?少し遠目だが金髪とは言えどことなくアジア系の顔つきだ。その可能性もなくはないだろう。

 

「こんにちは、きれいなおねえさん。これはね、シラヌイっていうんだよ!」

「おっ、ありがとね、お嬢ちゃん……シラヌイ……不知火ね」

 

 どう対応するのがベストか一瞬考え込んだ隙に黄色い少女ごく自然に話しかけられ、イーニァも自然に対応してしまう。イーニァが警戒しないということはこちらに害意はないという事だろうか。

 

 そして、ツルギとはどういう意味だろうか?確かに戦術機は人類の刃と呼ばれる事もあるが、そう言ったニュアンスは感じ取れなかった。全く状況を把握できていないが、幸いと言って良いのか敵意は感じられない。とりあえず友好的に話を進める方が良さそうだ。

 

「……あー、騒がせてすまない。ちょっと事情があってな……」

 

 俺はどう話を進めるべきか悩みながら慎重に言葉を紡いでいく。それを遮るようにして黄色い少女が言う。

 

「お兄さん、このトンデモな物は何なのか?とか、その劔冑は?とか、お兄さん達はどこの誰なのか?とか色々聞きたいことがあるんだけどね、一つだけどうしても突っ込ませて!何そのエロい格好!エッロ!?体のラインがクッキリ、ピッタピタでスッケスケなんてお兄さん達変態さんなのかにゃ!?」

「バッ!?変態じゃねーよ、これは91式衛士強化装備って言って、国連衛士の基本装備で耐Gスーツ機能に耐衝撃性能、防刃性から耐熱耐寒、抗化学物質だけじゃなくてバイタルモニターから体温・湿度調節機能、カウンターショック等といった生命維持機能も兼ね備えたスゴイ装備なんだぞ!?」

「へーソウナンダ、スゴイデスネー」

「全く信用してなさそうな棒読み、だと……」

「クッ、それにしてもお嬢ちゃんイイモノ()を持ってるね、お姉さんへのあてつけなのかにゃ?」

「おねえさん、ありがとう!おねえさんもがんばってね!」

「これが格差社会ってヤツなのかにゃ……」

 

 確かに体のラインが出るし、エロいと言われれば反論しようがないのだが、基本装備として世界中の衛士が着用している事を考えるとどうにかして反論したいところなのだが言葉が出てこない。

 

 ……それよりもコイツ、衛士強化装備を知らないらしい。世界中の衛士が着用しているくらいに普及しているのだが、軍以外で見ることはないしおかしな事ではない、のか?

 

「なに、この圧倒的敗北感……まぁいいや……んー、よく分かんないな……それでお兄さんたち何者?」

「あー、その前に一つ良いか?変な事聞くんだが、ここはどこか教えてくれないか?日本語だし日本のどこかなのかな?」

「……えっと、ここだったね、日本ってのがどこか知らないけど、ここは伊豆の山ん中だよ、お兄さん」

 

 急にテンションが切り替わる。日本を知らない?

 

「伊豆?日本の半島だったか?……いや、それよりもここは日本帝国じゃないのか?いや、そうだアメリカは知っているか?」

「アメリカ?知ってるけどお兄さんもしかして新大陸派の人?んー、ここは大和帝国の伊豆だよ、堀越御所の近く」

 

 どういう事だ?大和帝国?堀越御所、は単に知らないだけか?生憎と日本帝国の内情に詳しいわけじゃない。それに新大陸派?そんな派閥あったか?国連のアメリカ派の事か?少なくとも俺の知識の中に大和帝国なる国は存在していない。仮にも帝国と名乗っているのに知らないとは思えないのだが……あり得るとしたらコイツが嘘をついてるか認識にズレがあるのかだが……

 

「ゆうや、ゆうや、ちゃちゃまるはうそついてないみたいだよ?かたくてふしぎなかんじがするからぜったいじゃないけど、うそついてるかんじはしないよ」

「イーニァ?そうか、分かった。嘘じゃないんだな。さっき言ってた人間だけど人間じゃないみたいなのってこの人か?」

「うん!そう。きれいなくろいろしてて、きかいみたいなひと!」

 

 俺の考えを読んだのかイーニァが小声でそう教えてくれる。イーニァと聞こえないように小声でやりとりしていると突然、黄色い少女――チャチャマル?――の雰囲気が一変したように感じる。ヒリヒリとするような敵意、闘争の匂いとでも言うべきものだ。

 

「!?待て!悪かった!いや何が悪かったのか良く分からないんだが、何か気に障ったなら謝るからとりあえず落ち着いてくれ!」

「……その子、人の心が読めるんだね?あての正体にも感づいてるみたいだし……」

「なっ!?」

(バレてる!どういう事だ!?アイツもリーディングができるのか?)

「ふーん、リーディングって言うんだ、その子の能力」

 

 完全に読まれてるようだ。こいつも第三計画の関係者か?こうなると交渉もあったもんじゃないだろう。チャチャマルの立場等、未だに状況は全く不明だがこうなれば素直に助けを乞うしかないだろう。

 

「……そうだ、勝手に心ん中読んじまってすまなかった……まぁ、お互い様のようだが……それで本題なんだが俺達は状況が分からない、アンタが誰なのか?ここはどこなのか?その能力は何なのか?とか全部分からない。だから助けてくれないか?」

「へー、恐れないんだね、その子が居るからかな?……まぁ、いいや、んー、交互に知りたいことを質問し合うのはどう?」

 

 どうせ嘘ついてもお互いに分かるんだし、先程とはうってかわってそう楽しそうに彼女は続ける。

 

 どうやらとりあえず戦闘になる危機は去ったようだ。警戒は全く解いていないし相手がどこの誰だかも分からない上に、何かとんでもない事態に巻き込まれているような嫌な予感もドンドンと広がっているが、相手の方もこちらの事情を十分に把握できていないらしい事は分かる。だからこそ今は状況の把握に務めるべきだ。そう考えると交互に質問し合う、というのは悪くない、いや良い提案だろう。

 

「ああ、それで十分だ。だが、その前にやりたい事がある」

「ん、何?」

「自己紹介だ。俺は……アメリカ陸軍所属、国連ユーコン基地アルゴス試験小隊所属衛士のユウヤ・ブリッジス少尉だ。こっちのちっちゃいのはイーニァだ、イーニァ」

「そびえとれんぽうりくぐんイーダルしけんしょうたい、しょぞくえいしのイーニァ・シェスチナだよ!よろしくねお姉さん!」

「んー、国連、ね……まいっか……あては大和帝国六波羅少将で堀越公方代理の足利茶々丸だよ」

 

 一瞬何か考えこんだようだが、すぐに自己紹介してくれる。だが、少将とは恐れいった。ほとんど雲の上の存在言って間違いないぐらいのお偉いさんだ。

 

 何せユーコン基地の基地司令が准将でそれよりも高位なのだ。そして公方と言えば政威大将軍や皇帝を指す言葉だったと記憶しているのだが、その意味で用いられているとしたら相当の権力者だろうし、年齢に沿わない階級の高さも納得できる。だが、問題はそんな所ではないだろう。

 

「失礼しました。茶々丸少将閣下。私から先に質問してもよろしいでしょうか?」

「あー、あての事は茶々丸で良いし、そんなに畏まらないで良いよ、って言うか止めて」

 

 上官向けの言葉遣いに直したのだが、割りと本気で嫌そうな雰囲気を感じる。相手が良いって言ってるのだ。周囲に人もいないし普段通りの口調で問題ない、のだろう……多分。そんな思考も読まれているのか、それで良いとばかりに笑顔で頷かれ、先にどうぞと促される。

 

「では、失礼して、茶々丸……最初の質問だ。BETAを知っているか?」

「にゃは、ノーだよ、お兄さん。この世界にはそんな化け物は居ない。精々くそったれな神様が居るぐらいさ」

 

 ちらりとイーニァを見る。嘘ではないらしい。

 ほぼ確定した。信じられないがここは俺達の居た世界とは違う世界だ。

 

 

 



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異世界交流

 異世界だ、という前提に立ってからは早かった。

 

 お互いの世界の情勢や兵器、そしてこの場所に来た原因などについて情報を交換していく。茶々丸はどうやら俺達の世界に興味があるらしく色々聞いてきた。俺達の世界との最大の差異はBETAの存在を除けば劔冑と呼ばれる超常の存在だろう。古代から存在し、現在も最強の兵器であり続けるパワードスーツなど一体何の冗談かと思ったほどだ。

 

 次に大きな差は時代だろう。ざっくりと見てみると第二次大戦が終わった直後BETAが現れるまでの冷戦時代が最も近いだろう。

 

 最も技術力に関して言えば俺達の世界と比較してかなり偏っているようだ。特に宇宙開発や航空機に関してはほとんど手付かずと言っていい程遅れているようだ。逆に材料技術に関して言えばかなりのレベルにあるように感じた。そして何より最大の特徴は劔冑の存在だろう。技術も劔冑を中心に発達している。

 

 そして地味にショックだったのはアメリカ合衆国が存在しない事だ。愛国的であろうとしていたが別に極端な愛国主義者という訳ではないのだが、それでも未だにイギリスから独立できていないという事に思いの外衝撃を受けた。

 

 こちらの世界の情勢を聞いて思ったことは平和だな、という事だった。大英連邦、露西亜帝国、そして仏蘭西の三つ巴、特にロシアと英国の微妙なバランスの中で大和帝国が侵略の危機に晒されているという事は分かった。

 

 大和国内に限っても大戦の末期に自国を裏切り降伏し、現在大和を支配している六波羅幕府、そして大戦の勝者であり占領者である国際統和共栄連盟――内実は大英連邦とその属国に依る協賛会らしい――の進駐軍GHQ。この二者は表立ってはないものの裏では対立し、そこに反幕府勢力が絡んでいる複雑怪奇な勢力模様のようだ。

 

 それでもこの世界では戦争で死ぬ人間が圧倒的に少ない。劔冑という存在が戦争の行方を左右するこの世界では戦闘の規模が小さいためなのか。俺の知っている人類間の戦争と比べても少ないように感じる。負けたとしても混乱はあれど全滅する事はなく統治者が変わるだけだ。それが重要なのは頭では分かっているのだが、どうしてもBETAに全て奪われる事を考えてしまうととそう思ってしまう。

 

「っツ」

 

 そんな事を考えながらも情報交換を続けていると突然、茶々丸の表情が曇る。この国の状況を聞いて平和と思うのは流石にまずかったか?そう一瞬思考を振り返るがどうも茶々丸の視点は自分を見ていないようだ。

 

「ちゃちゃまる、だいじょうぶ?うるさいの?」

 

 いつの間に近づいたのかイーニァが茶々丸の袖を引っ張りながらそう尋ねる。……煩い?周りからはざわざわと木々がざわめいており、虫や鳥の鳴き声も混じっているため静寂に包まれているとは言えないがそれでも煩いとは言い難い。あるいはリーディング能力者だけが感じられる煩さがあるのだろうか?そう言えばサンダーク少佐が無差別なリーディングの危険性について言っていた。茶々丸に制御装置はないようだし、そのせいか?

 

「ん、お嬢ちゃん、ありがとう。だいぶ収まってきたから大丈夫だよ……待たせちゃったね。さっ続きをしようか、お兄さん」

 

 まだイーニァは不安げな眼差しを見せているものの当の本人が大丈夫だと言うのだ。だったらここは早く状況を掴んで終わらせる事が最善ではないか、そう考え質疑応答を続行する。

 

 そんな良く分からないトラブルは有ったものの情報交換は順調に進んだと言えるだろう。そうして状況が把握できてくる中で考えることはこれからどうするか?という事だった。

 

 元の世界に帰りたい、いや帰らなくてはならない。そう思うのだが方法が検討もつかない。この世界に来た原因は試作品のG弾ではないかと予想はできるのだが、だからと言ってG弾を作る方法も材料も、まともな知識もない。そもそもG弾があったとしてそれで帰れるのかどうかも分からないのだ。万が一転移の技術が確立できたならばBETAの脅威から世界を救う事もできるかも知れないし、そこまでいかなくとも何かしら役に立つ物――例えば劔冑とか――が幾つもあるだろうから調査は必要だろう。

 

 まぁ、今すぐ帰れないのならば帰る方法を探すためにも当面はこの世界で生きていく必要がある。そこまで思考を進めた事で今まで忘れていた致命的な事実を思い出す。

 

「そうだ!イーニァ、アンプルは!?」

「だいじょうぶだよ、ゆうや。ちゃんと持ってきてる」

 

 そう言いながらイーニァはアンプルが入った箱を見せてくれる。箱の中には数本のアンプルが入っている。アンプルはイーニァが生きていくためには必要不可欠な薬なのだ。そしてこの僅かなアンプルがなくなってしまえば遠からずイーニァは死んでしまう。

 

 話を聞いている限りこの世界の技術レベルでは複製する事も困難だろうし、それが可能な程アンプルが持つとも思えない。

 

 ということはアンプルがなくなる前に元の世界に戻る必要があると言う事だ。絶望が足音を立てて迫ってきているように感じる。

 

「クソッ、俺はクリスカだけじゃなくてイーニァも助けられないのか!?」

「……まだ、絶望するには早いんじゃない?お兄さん」

 

 そうだまだ絶望するには早すぎる。

 もしかしたら何かの拍子に突然転移するという可能性もあり得ない訳ではないだろうし、そうでなくても戻れる手段、もしくはイーニァを延命させる何らかの手段を探すのが先決だ。

 

 そんな事を考えていると天使のような(悪魔のような)笑顔で茶々丸が囁く。

 

「にゃは、あてだったらお嬢ちゃんを助けられるかも知れないよ?」

「本当か!?頼む、イーニァを助けて欲しい」

 

 即座に受け入れる。イーニァが助かるのであれば大概の事はやるつもりだった。イーニァの事がなくとも生きていくためには誰かしらの協力が必須なのだ。そして運が良いのか悪いのかそれができそうな人物が目の前に立っているのだ。

 

「おにーさん、あてに協力しない?」

 

 そんな思考も読まれていたのだろうか。茶々丸の方からそう言い出してくる。どれほど権力を持っているのかまだ把握しきれていないが、それでも俺とイーニァを「保護」する事ぐらいは簡単な筈だ。なのに敢えて「協力」を申し出てくれる。

 

 これは状況からすると温情と判断すべきなのだろうが、どうも茶々丸からは裏があるような腹黒い感じがする。それでも提案を蹴るという選択肢はありえない。

 

 そう思い、イーニァに確認の目線をやると楽しそうに頷いている。

 

「その提案、受けたいと思う……で、だ。俺達は何をすれば良い?」

「んー、お兄さんの自由にして良いよ?あてとしても世界を渡る方法を知りたいし、ちゃんと結果を教えてくれるならお兄さんもお嬢ちゃんも何でもしてあげるよ」

「は?」

「だから三食昼寝付きでお世話してあげるよ、お嬢ちゃんの病気?も多分どうにかなるし」

 

 あまりにも都合が良すぎて、間抜けな声を出してしまった。少なくとも不知火・弐型は抑えられる可能性が高いと思っていた。イーニァの命が助かるならば無傷(ボロボロだが)での引き渡しも已む無しかとか考えていたのだが。まぁ、現段階では高価な鉄屑以上の価値を付けられないのだから仕方ないとも思っていた。

 

 その上で引き渡す際に爆破すべきかどうか悩んでいたのだ。機密保持のためには爆破しておくべきなのかも知れないが、まず俺達の世界と関わることがないだろう。ならば手札として温存しておきたい……いや、素直になろう。俺は唯と共に育て上げた不知火をこれ以上壊したくなかっただけだ。

 

「あてとしてはこの……不知火だっけ?にももちろん興味があるよ、むしろ興味津々なんだけどね、それ以上に世界の転移について知りたいんだ。……あてはね、お兄さん、堀越公方じゃなくてあて個人に協力して欲しいんだ」

 

 どういう事だ?茶々丸には何か別の目的があるという事か?

 ……クソ、さっきから翻弄されっぱなしだ。

 

「……茶々丸、アンタの目的って奴を教えてくれ。じゃないと判断できない」

「いいよ、お兄さん。……あてはね、くそったれな神様をどうにかしたいんだ」

「あのうるさいのがかみさまなの?」

「イーニァ?それに神様?煩いって……?」

 

 何を言ってるんだ?神?そんな物が何か関係あるのか?何やらイーニァと茶々丸の間では共通の認識があるようなのだが、俺には全く分からない。俺達の反応を気にせずに茶々丸は続ける。

 

「あては神の実在を知っている、感じている……さっきお嬢ちゃんがあてを機械みたいって言ってたろ?その感覚は正しいよ。だってあては生体甲冑(リビングアーマー)、劔冑と人の合いの子なんだ」

「なん、だって?」

 

 驚愕。その一言に尽きる。劔冑なんて超常の存在の実在すらまだ飲み込めていないのに劔冑と人の合いの子などと言われてもどう受け止めればいいのか分からない。……だが、そうだと仮定するならこの茶々丸のリーディング能力も納得できない訳でもない。

 

「今はそう言う物なんだって思っておいて、お兄さん。……そんな中途半端な物だからあては地下に眠る神の存在を感じる。くそったれな神様が喚いてるのが聞こえるんだ、ガーガーガーガーと四六時中煩いったらありゃしない……あてはそんな状況をどうにかしたい。……その一つの可能性をお兄さん達に感じたんだ。あてを神様の居ない世界に連れてってくれるかも知れない、そんな可能性を」

 

 だからあてに協力しない?おにーさん

 そう締めくくる。その姿からはどこか疲れ切ったような諦念と執念が同時に感じられた。

 

 その言葉に俺達はゆっくりと頷くのだった。

 

 

 協力することに肯んじた俺達に茶々丸はこんなトンデモナイ物(戦術機)、さっさと隠さないといけないから、ちょっと待っててとだけ言い残してその場を立ち去った。おそらくどこかから部下を呼んでくるのだろうと思う。

 

「なぁ、イーニァ、茶々丸に協力する事になっちまったけど良かったかな?」

「うん!ユウヤがいいとおもったんだからイーニァはそれでいいんだよ!」

「そっか、良い選択だったと思えるように俺も頑張るよ」

 

 それから先程はしなかった不知火の詳細なチェックを外部から行っていく。調べれば調べるほど不思議な壊れ方をしていることが分かっていく。最も頑丈な骨格部分がねじ切れているのに、その周囲にある配線は無事だったり、回路の一部が消失していたりと見たこともないような壊れ方をしているのだ。

 

 特に特筆すべきは跳躍ユニットだろう。右の跳躍ユニットの真ん中から先が球形に失われているのだ。断面は非常に綺麗でまるで鏡面加工でもしたようになっており、元からその形状だったと言われてもおかしくない状態なのだ。

 

「武装は……長刀は片方が破損、突撃砲は両方共健在、後は……短刀がシース内で折れてるな」

 

 そんな風に破損箇所のチェックを行うと同時に燃料の供給栓を閉めたり、爆発しかねない部分を取り外したりしていると轟音とともに4機の甲冑が飛んでくるのが見える。

 

 まだ遠目だが、その丸みを帯びて頑強そうな造りは目を引く。灰色に鈍い赤色という地味な配色が如何にも軍用と言った風情だ。鈍重そうな見掛けだが銃弾を見切り避けることも可能だと言う。レシプロ機のような合当理と呼ばれている推進器、その速度はなかなかの物だ。

 

 話こそ聞いていたが実際に飛んでくる姿を見ると強化外骨格との違いがよく分かる。あれは強化外骨格ではなく小さな戦術機とでも呼ぶべき存在。いやそれ以上の超常の存在なのだ。

 

「あれが、劔冑、か」

 

 自分達の世界には存在しない超常の存在、話をそのまま信じる限り強化外骨格と同サイズでありながら明らかに超越している。事実上燃料も必要とせず、戦術機と共同作戦を取れるかも知れない存在、劔冑。

 

 その存在は実際に目にした今でも半ば信じることができない。とりあえず、もしあれが俺達の世界に存在したとしたら戦車級以下の小型種の脅威は大幅に小さくなったのではないか?そう思える存在であるという事だ。

 

 4機は着陸すると同時に手に持っていた荷物を降ろし、そのまま迅速に周りから見えないように巨大な天幕を張っていく。

 

 その様子を確認すると荷物のように運ばれてきた2人の女性がこちらに近づいてくる。片一方は先程とは違う軍装をしている茶々丸だ。もう片方はメカニックらしきつなぎを来た褐色の肌をした白髪の少女だった。

 

「にゃは、おにーさん、お待たせ~」

「……初めまして、不知火つくし、です」

「ああ。初めましてユウヤ・ブリッッ耳!?尖ってる!?」

 

 不知火つくしと名乗った少女の耳は長く鋭く尖っていた。それこそ人間にはありえない程に。

 

「はにゃ?……ああ、そっかお兄さん達の世界には蝦夷(えみし)とかドワーフはいないのか……まぁそういう人種だと思って頂戴。若いけど劔冑のスペシャリストで超有能だから。あの子も任せる事になるんだし」

 

 そう言いながら不知火を示す茶々丸。ここまで色々と衝撃的な展開の目白押しだったが、蝦夷の存在は自分が異世界に居るのだ、と実感させた。正直、ドッキリでした、と言われたら信じてしまう程度に現実感がなかったのだが、無理矢理現実に叩きつけられた気分だ。

 

「あ、ああ。すまない。ドワーフなんて初めて見たから取り乱した。改めてユウヤ・ブリッジスだ。よろしく頼む」

「……大丈夫、大体話は聞いてる、よろしく頼む。それにしても、戦術機、美しい」

 

 つくしは一見むっつりと黙りこんだ無表情のように見えるのだが、眠たげな目が爛々と不知火・弐型を見ている。明らかにユウヤ達の存在よりも戦術機に興味があるようだ。このタイプの人間は基地でも見たことがある、技術にしか興味のないとびっきり有能で変人な開発者だ。人種差別的なことにも興味がないためビジネスライクに付き合えたのでよく覚えている。

 

「そうか?ありがとう」

「うん、美しい。有り様が……これは人を守るための刃」

 

 何やら無表情のまま陶酔したような目で不知火・弐型を見つめるという器用な真似をしているつくし。

 

「さて、夜も更けてきたし、今日はこれぐらいにしてそろそろ休まない?」

 

 天幕を張り終え、周りの目から戦術機が隠された事を確認した茶々丸がそう告げる。どうやら今日の内はとりあえず人払いをした程度で済ませ、近い内に整備ができるような基地に運びこむ算段らしい。一通り機体のチェックも終えており、この状態から突然爆発するような事もないと判断し、茶々丸を信じて付いていくことにする。

 

 茶々丸に連れられて近くに駐車されていた車に乗り込む。道は最低限均されている程度でかなり揺れる。軍用車で慣れているとは言え、下手に口を開けば舌を噛んでしまいそうだ。

 

 仕方なく、外の景色を眺めることにする。が、山の中というだけあってまともな街灯すら存在しない闇の中をヘッドライトだけが微かに照らす。すれ違う車どころか家すらもまばらな様子からここが比較的辺鄙な場所であると推測できる。

 

 しばらくヘッドライトだけを光源に暗がりの中を走ると外の様子が変わってきた事が分かる。家が建ち並ぶようになったのだ。街に入ったらしい。とは言えやはり街灯は少なく、暗い。すぐに一件の武家屋敷が見えてくる。どうもかなり広いようなのだが玄関以外にろくに明かりがないためどの程度広いのか判別が付かない。

 

「ここが茶々丸の家か?」

「そう、ここがあての家、堀越御所だよ」

 

 家の中へと通され、離れらしき一室へと辿り着く。

 

「しばらくはここで暮らして頂戴、何か用事があれば女中さんか誰かに伝えてくれればやってくれるように伝えとくから」

「ああ、ありがたく使わせてもらうぜ」

「さて、お腹空いてるでしょ?何か出してもらうけど食べられない物とかある?日本食自体が無理とか?」

「いや、そういうのはない、よな?」

「うん!イーニァはすききらいしないんだよ!」

 

 イーニァが胸を張って言う。

 

「そうか、それは偉いな」

「じゃ、そういう事で……あてはちょっと色々やらなくちゃいけない事があるから、詳しいことはつくしにって事でじゃねー」

「……任された」

 

 それだけ言い残すと茶々丸も去っていく。

 食事も終わり、一息ついているとつくしが話しかけてくる。

 

「……戦術機について、話、したい」

 

 本当に戦術機にしか興味がないようだが、こちらとしても色々と知りたいことがあるので話をするのは歓迎だ。

 

「いいぜ、俺も劔冑についてとか色々聞きたいことがあるしな」

「劔冑の事は、任せろ。……あの子(戦術機)は一対多、それも人じゃない物を相手にする事を重視していて、跳びはねる、いや、地を這うように戦う、違う?」

「あ、ああ。よく分かったな」

 

 いきなり戦術機の基本的な動き方を指摘され驚く。

 

「簡単、刀の重心が切り返しやすい位置にある、後柄、示現流。鍔がない。合当理(がったり)自体が可動する構造になってて、腰の位置にある。……これは凄い。腰は身体の要、動かない。安定した場所、根本的に概念が違う」

 

 つくしが無表情なドヤ顔という訳のわからない物を見せて解説する。最低限の説明を割っているような気もするが、つくしは74式近接戦闘長刀を見て、その重心と鍔、それに柄の工夫を見抜き特性を推察してみせたのだ。

 

「凄いな、よく分かるもんだ。ところでガッタリって言うのは跳躍(ジャンプ)ユニットの事か?」

「跳躍ユニットと言うのか。そうだ推進器、バレル、翼筒、を合当理と呼ぶ」

「なるほど、ところで劔冑はパイロットの熱量だけで動くって本当なのか?」

 

 劔冑の話を聞いて一番信じられなかった点を問う。どんな変換効率をしていれば人の熱量だけで空を飛べると言うのか。核分裂でもさせていなければ賄いきれるモノではないはずなのだ。

 

「そこは現在でも謎が残っている分野、焼き入れに熱量、現代科学でも劔冑は分からない事だらけ」

 

 つくしと戦術機と劔冑について話し込んでいるとイーニァが袖を引っ張る。

 

「ユウヤ、ねむい」

「あっ、そうだなもうだいぶ遅いよな」

 

 時計を見てみると既に丑三つ時だ。言われてみれば自分も眠い。

 

「……ごめんなさい。熱中した」

 

 無表情のまましょんぼりするというこれまた難易度の高そうな芸当をこなすつくし。つくしが女中さんを呼び、何事か伝える。するとすぐに布団の用意と寝間着が用意され、風呂の場所も教えてくれる。さらに手伝いも申し出てくれたのだがそれは遠慮しておいた。

 

「……至れり尽くせりだな」

「あの人達スゴイね!読めないのに私達の事分かるんだよ!」

「プロ、って事なのかな」

 

 そのまま寝ることも考えたが、せっかく用意してくれたのだから、と風呂に入ることにする。衛士強化装備を脱ぎ、風呂に入り、さっぱりする。衛士強化装備には身体を清潔に保つ機能もあるのだが、やはり気分が違う。

 

「これからどうなるんだかな……」

「ユウヤといっしょならきっとだいじょうぶだよ!」

「……そうだな、イーニァと一緒だもんな」

 

 

 

 



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異世界での第一歩
帯刀の儀


さていきなり異論がありそうな話です。


 あれからさらに数日が経過した。茶々丸は何やら忙しく飛び回っているらしく、俺達の前に姿を現さない。俺達の接待役として選ばれたつくしは鍛冶師と呼ばれる劔冑のメカニックらしく、その専門知識は深く興味深いものだった。そんな互いの知識を交換する時間はとても充実した物ではあったが、彼女にも当然仕事があるらしく一日中居るわけではない。そしてユウヤ達が寝泊まりしている部屋にやってくるのはつくしだけのためどうにも暇を持て余していたのだ。

 

 もちろん女中さんとでも言うべき人達は居るのだが、まず近づいてこない上に対応が非常にそっけなく話す気がない事を露骨に示しており、対話する事は放棄していた。そんな状況の中、イーニァの薬は確実に減ってきていた。焦りがじわじわと心の中の勢力図を拡大していく。

 

「お兄さんたち、元気にしてたー」

 

 いい加減自分も何か動くべきか、その思いが限界に達しようとした時の事だった。茶々丸が呑気な感じで現れたのは。

 

「あっ、ちゃちゃまる!こんにちは」

「お嬢ちゃん、元気そうだね。いやーこっちは大変だったよ。あっちこっちに指示飛ばしてね。うん、あて頑張った」

「それでどうなってるんだ?」

「ん?あの子(戦術機)の事?それならとりあえず淡島の研究施設に移送したよ。いやー、あれは本当に大変だったよ、お兄さん。あんな大っきいの運ばないといけないんだもん」

 

 この世界には当然だが戦術機用のトレーラーなど存在しない。それを淡島という島まで運んだというのだ。

 

「どうやって運んだんだ?」

「おっ、そこ聞いてくれます?竜騎兵(ドラコ)一個中隊で息を合わせて持ち上げてね、空輸したのよ。見られないように夜にね。いやー、うちの精鋭達が頑張ってくれたのですよ」

 

 どうやらかなりの手間を掛けてしまったらしい。不知火・二型(TYPE94-2nd)が動ければ楽だったのだが、生憎と大破に近い状況だ。持ち上げるだけでも崩壊しかねないことを思えば、無事移送完了したというのは朗報と言っていいだろう。

 

「そうか不知火の事は分かった。今度見に行きたいんだが大丈夫か?」

「もちろん!今は気づかれないように移送しただけだけど、良ければ修理とかしたいし」

「修理できるのか?」

「んー、わかんにゃい。お兄さん、あんまり技術広めたくないでしょ?そうするとできることも限られてしまうのですよ、これが」

 

 茶々丸は事を公にしない方向で動いている事が分かる。それがありがたい。どうするにせよ手札は多いほど良いし、伏せられるものなら伏せておきたいのだ。

 

「まだこの世界の事も全然分かってないからな……それで、茶々丸聞きたいことがある」

「うにゃ?なにかな、お兄さん」

「イーニァの事だ。薬がないとマズイって話はしただろ。その時に何か対策がある風な事を言っていたがそれを教えてくれないか?」

 

 自分にとって今一番大事な事を茶々丸に尋ねる。

 

「あー、それなんだけど、ちょっちアテが外れてね。用意できそうにないのですよ」

「用意できない?薬のことか?」

 

 舌打ちしそうになるのを必死に抑えて冷静に尋ねる。

 

「んにゃ、そっちも時間をかければできるかも知れないけど、その時間がないんでしょ。だから違う方法」

「違う方法?」

 

 焦るばかりの気を抑えながら茶々丸を促す。

 

「そう違う方法。根本的に薬を要らなくする方法」

「薬を要らなくする……」

「うん、イーニァに武者になって貰おうと思ったんだけどね。これがちょっとうまくいかなかった訳ですよ」

「!?武者って、劔冑か!」

 

 なるほど盲点だった。劔冑には仕手(使い手)を超人にし、病から遠ざける能力もあると聞いていたのに全く思い至らなかった。やはりイマイチ劔冑の事を実感できないのが原因だろう。

 

「そう真打劔冑ならお嬢ちゃんをベストの状態に固定する事もできる。根治することはできないかも知れないけど、悪化する事からは確実に解き放たれる」

「なるほど……いや、ちょっと待ってくれさっきアテが外れたって……」

「うん、あての手元には自由にできる真打劔冑がなかった。で、おじじから一領くらい引っ張ってこられるかと思ったんだけどちょっとダメっぽいのよ、これが」

「そんな……」

 

 劔冑は貴重な物だというのは分かっている。特に今回必要なのは真打劔冑なのだ。その貴重さは想像を絶するだろう。茶々丸を責めるのは明らかに筋違いだ。手は尽くしてくれたのだ。その事に感謝しよう。

 

「……分かった。ありがとう。……その上で厚かましい願いになるかも知れないが教えて欲しい、真打劔冑を手に入れる方法は何かないか?」

「短期間でってなると、難しいね。戦術機を交渉の材料に使っていいならどうとでもなるんだけどね」

「……分かった。不知火(TYPE94-2nd)の全知識を提供する。だからイーニァを助けてくれ」

 

 一瞬の躊躇の末、茶々丸に頭を下げる。

 

「わわっ、そういうつもりで言った訳じゃないの、お兄さん。頭上げて」

「だが、イーニァを助けるにはそれしか方法が……」

「うん、分かったから。お兄さんの覚悟は。……あても覚悟を決めるよ」

「?」

 

 そう言うと茶々丸が居住まいを正す。

 

「実はここにも真打劔冑があるんだ」

「本当か!?それを、厚かましい願いだがそれを提供して欲しい。頼む。俺ができることなら何でもする!」

「……あて」

 

 茶々丸が意地の悪そうな笑顔で言う。が、理解できない。

 

「えっ?」

「だからあて、生体甲冑(リビングアーマー)だって話はしたでしょ。お兄さん。お嬢ちゃんはあてと契約するのはイヤ?」

「うんん、そんなことないよ!ちゃちゃまるのこと、すき!」

「おっ、そんなに直球で来られると照れちゃうね」

「それは……良いのか?」

 

 茶々丸とイーニァが契約する?それは考えたこともなかった選択肢だ。だが、イーニァが助かるならその申し出を受けるしかないんじゃないだろうか。

 

「お兄さんの方が好みだけどお嬢ちゃんに使って貰うってのも良いかもね?まぁ、あてにも仕事があるから四六時中お嬢ちゃんを守れる訳じゃないし、道具としては不完全なんだけどね」

「……自分を道具みたいに言うなよ」

「お兄さん?」

 

 自分をまるで道具のように、それも不完全な物のように言うその言い様に俺はつい口を挟んでしまう。

 

「茶々丸、まだ短い付き合いだが、お前は確かに生きてるんだ。ここにいるんだ。生まれは特殊かも知れないが、それが何だ。お前は道具じゃない。人だ」

「お兄さん……」

「すまない、偉そうな事を言った。……偉そうなこと言った口で何を言うのかと思うかもしれない。だが、茶々丸にお願いしたい。イーニァの相棒になってくれないか?……イーニァ、勝手なこと言ってるがそれで良いか?」

「うん、ちゃちゃまるはちゃちゃまるだもん!」

「……お嬢ちゃん、うんん、御堂!あてと帯刀の儀を!」

「たてわきのぎ?」

「そう、劔冑と仕手がお互いを認めあって契約する儀式、あては御堂達を認めた。御堂もあてを認めた。後は契約するだけだ」

 

 茶々丸はおもむろに立ち上がると親指を口に当て、表皮を噛み切る。僅かに流れ出る赤い血。

 

「御堂、あてと同じようにしてみて」

「うん、分かった!」

 

 そう言うとイーニァも茶々丸と同じように親指の表皮を噛み切る。そして茶々丸が血が流れる親指と親指を合わせる。どこからとなく金属を弾いたような澄んだ音が一つ響き渡る。

 

「御堂、呼んで!()を!!」

「うん!―――虎徹!」

 

 イーニァが自然と腕を胸の前でクロスさせ拳を握り込む。銘を呼ぶとそれに合わせて茶々丸が光り輝き、次の瞬間、甲鉄の破片へと変じる。甲鉄の破片はイーニァの周囲を囲むように飛び回る。茶々丸が弾けた事に驚愕する。

 

「獅子には肉を。狗には骨を。龍には無垢なる魂を」

「今宵の虎徹は―――血に飢えている」

 

 そして誓言が紡がれる。甲鉄の破片がイーニァに向かって集まり、次の瞬間、そこには虎をモチーフにしたと思われるスタイリッシュな劔冑が誕生していた。銀を基調として黒色が虎の模様に象られ引き締まった印象を与える。豪壮な双発の合当理は如何にも速そうだ。ワンポイントとして赤く染まった脛当てが激しさを表す。丸みを帯びながらも要所々々は鋭く尖っており纏っている力強さを感じさせる。そして何よりも目を引くのは肩と腰にたなびく赤い布だろう。

 

「これが……真打」

 

 呆然と呟く。数打とはまた違う存在感。圧倒的な武力の象徴。鍛冶師の命を注ぎ込んで打ち上げられた本当の劔冑。

 

《御堂、どう?》

「うん、すごいよ!ちからがわきでてくるの!」

《じゃあ、ちょっと一飛び、って訳にはいかないか……御堂飛び方知らないもんな。じゃあ残念だけど今日はここまでだ》

「うん、わかった!」

 

 そう言うが早いか、虎徹が除装される。そして茶々丸が唐突にその場に現れる。

 

「……これでイーニァは薬がなくても大丈夫、なのか?」

「うん、あての診たところ大丈夫だね」

「……茶々丸、本当に、ありがとう」

「いいってお兄さん。あての方こそ……ありがとう」

「ちゃちゃまる、ありがとう、すごかったよ!」

「おっ、御堂にそう言ってもらえると嬉しいね」

 

 これで最大の懸念はなくなった。後はこの恩義に答える事が優先事項だ。とりあえず今は素直に喜ぼう。

 

 ――――――――――――――

 

「ウォルフ教授?」

 

 これからどうするのか、そんな話をしていた時の事だった。茶々丸がその名を上げたのは。

 

「そう、GHQ学術顧問のウォルフ教授、その人と接触して欲しいんだ」

「そりゃ、構わないが……なぜなんだ?」

 

 ウォルフ教授とは何者でなぜ接触したいのか?そしてなぜ俺達なのか?そんな意味を込めて疑問を発する。まぁ、後者については予想が付かない訳ではない。現在の一応協力体制にあり、平和が成り立っている。とは言え、GHQと六波羅は裏では対立してるのだ。六波羅の高官が表立ってGHQの関係者と繋がりを持とうとするのは危険だろう。

 

「うん、あては神を黙らせたい。そして、このウォルフ教授ってのは、その神を研究しているんだ。敵を知り己を知れば百戦危うからずって言うでしょ?」

 

 神を黙らせたい。確かに以前もそう言っていた。そのために神を調べているという事だろう。確かに敵を倒すために敵を知るのは王道だろう。そう思っているとどこから取り出したのか紙の束を投げて寄越す。

 

劔冑夢想論(ファンタジー・オブ・クルス)?」

 

 確かクルスとは劔冑の英国での呼び方だったか。読んでみろという事だろう。論文を手に取り、読み進める。幸いな事に論文は英語だった。固有名詞以外に読むのに苦労することはない。

 

「……神は宇宙から飛来して、大和の地下に眠ってるって事か?」

 

 劔冑が生まれたのは(宇宙人)の影響だというのは納得できないでもないが、はっきり言って与太話にしか思えない。あまりにも推測に推測を重ねすぎている。

 

「そんな与太話でも手繰らないと元の世界に帰る方法なんて見つかんないと思うよ、お兄さん」

「……そりゃそう、だな。異世界なんて人の手に余る。だから神の御業ってか」

 

 何でこんな途方もない上に雲を掴むような話になっているのか、頭を振る。だが、他に方法が思いつかない以上、今はこの線を追うのがベターだろう。

 

「分かった。そのウォルフとかいう教授に会ってくる。それでそのウォルフ教授ってのはどこに居るんだ?」

「安房国の山中にある研師の村、そこでGHQが何かやってるみたいなんだけどウォルフ教授もそこにいる」

「研師?」

「そっ、劔冑を修理する人たち、うち(六波羅)もお得意さんの筈なんだけどね……それもついでに探ってきてくれると嬉しいかな?」

 

 形としては六波羅の関係先でGHQが何かやっているらしい。話を聞いているだけで臭ってくる。陰謀の匂いだ。そんな中に飛び込まないといけないらしい。

 

「……ウォルフ教授に何か伝えることはあるか?」

「うーん、そうだね、あまり表立ってあてとの繋がりは作りたくないんだよね……あての事は隠して神の実在を証明する方法があるって事だけ伝えてくれない?それで食いついてきたならよし。食いついてこないなら一旦引いてちょうだい」

「分かった。それでどうやって神の実在を証明するんだ?」

「ん?お兄さんにはまだ見せたことなかったっけ。良いよ、覚悟があるなら見せてあげる。あてが見てる世界を」

 

 茶々丸の表情が今まで見たことないほど冷たく硬くなる。その気迫に押される。だが、ここで見ないという選択はない。それをしたら茶々丸から見捨てられるのではないかと思う。そうじゃなかったとしても俺が自分のことを許せなくなりそうだ。

 

「……ああ。覚悟ならある。見せてくれ」

「ホントに覚悟してね……じゃあ行くよ」

 

 茶々丸がそう言うと、脳髄を金槌で念入りに打ち砕いた上石臼にかけて磨り潰しペースト状になったところを炙り焼きにするような衝撃、感触。

 

「グッガッ……これが、これが茶々丸の見ている世界?……こんな物が神だと?」

 

 それは確かに神としか呼びようもないのかも知れない。だが、こんな物が……神だとは認めたくない。ただただ圧倒的な力。それが何かを延々と訴え続けているのだ。

 

「そうだよ、お兄さん。これはただの力の塊で、それ以外になにもありゃしない。途方もなく強大で……ただ強大なだけで、何もできやしないんだ。何の意味もない。虫ケラにも劣る。だからこいつは欲しいだ。自分に意味を与える仕手が」

 

 茶々丸が吐き捨てるように言う。

 

「だからずっと、四六時中、休みなしに吼え猛っていやがる。……人の迷惑も考えずにね……!」

 

 最後の呟きは憤怒と憎悪、そして絶望のカクテルだった。

 しばらく話もできないほどのダメージを受ける。茶々丸はこんなのを四六時中聞いているというのか、その事に愕然とする。そして納得する神を黙らせたい、その切実な願いを。別の世界という俺達への期待も理解する。

 

「茶々丸」

「なに、お兄さん」

「改めて、お前に協力する。堀越公方じゃないお前個人を信用する。何が何でも元の世界に帰る方法を見つけてやる。そしてお前に新しい世界を見せてやる。約束だ」

 



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参考:劔冑夢想論

参考資料です。
基本的に読まなくても問題ありません。
本文中に入れるには長すぎたために分離して置いておきます。
問題(原作のコピー)がありそうなら削除します。


劔冑とは何か。それは人の肉と金属を重ね合わせて造られる鎧であり、生命体と金属物の双方の特性を備える。即ち劔冑は人間に似た知性を持ち、生体らしく破損を再生し、独自に活動することも不可能ではない。且つ、この物体は紛れもなく金属であり、基本的には他者に使用されない限り動くことはなく、適切な保存環境に置かれていれば死亡・腐敗などの変質を遂げることもない。

 

そして。言うまでもあるまいが、着用する戦士に魔神の力を与える。それが劔冑である。

 

ただの鉄の鎧と劔冑、如何なる未知の物質が両者を天と地に隔絶するのか、我々の科学的認識力は未だ大きく不足しており、真実の島へ至れるだけの航行能力を欠く。先人と我々の労力が果たしていつ報われるものなのか、現時点では何一つ確たる言を述べ得ない。百年後の最高学府で現在より飛躍的に進歩した技術知識を持つ教授達が我々と全く同じようにひたすら頭を抱えているかもしれないし、あるいは、マケドニアの片田舎で無名の天才が書き上げた従来の劔冑研究を根底から覆す論文が来月号のニュー・サイエンス誌上に華々しく登場するかもしれない。だがいずれであれ、我々現代を生きる探求者にできることはただ一つだ。いつか訪れるゴール・インの瞬間を信じて、脳細胞に鞭を加えるだけである。

 

我々は過去、金属を調べ、人体を探って、劔冑の謎を解く決定的な何かを求めてきた。だが、一つ、重要な構成要素を軽視してこなかっただろうか。婉曲な言い方はやめよう―――劔冑を造る第三の物質、水について、我々は十分な研究を施してきたであろうか?

 

周知の通り、劔冑の製作過程において、鍛冶師らが最も重視し、神聖視すらし、儀式化のカーテンに長く隠されてきた、単なる鎧が超科学的な異物へ変貌する一瞬は、焼き入れの作業である。高温で打ち上げられた鎧と共に、鍛冶師が入水する工程。濛々と立ち込める蒸気が晴れた後には、鍛冶師の姿はなく、作業前と寸分違わぬ鎧だけが残る。だがその時には、鎧は既に鎧ではなく、恐るべき劔冑になりおおせているのだ。後は細かな調整作業が残るに過ぎない。

 

これまで我々は、この工程における水の役割を、単なる触媒と決め付けてきた。主体は鍛冶師と鎧であり、水は両者を接合する釘でしかないと。だが、もしそうではなかったなら?鍛冶師もしくは鎧の方がむしろ触媒であり、水が主体の一つであったなら?

 

私としてはこの発想に基づき、早速本論に入りたい。だがそれでは、読者は私を無責任な吹聴者としか見られないだろう。生憎、私は政治家にも宗教家にも志を抱いていないのだ。逸る気持ちを抑え、まずはこの点についての根拠を説明するところから始めようと思う。

 

図Aはユーラシア大陸東部の地下に存在する、かつて古代地球においてプレートの移動が太平洋の一部を地中に引き込むことでできた広大な地下水庫とその分派を、世界地図と重ねたものである。これはハウスホーファー教授を通して手に入れた資料で、世界最先端と呼ぶに値する地質学が作成した。技術的限界による誤差は想定しなくてはならないが、内容の八割以上は信頼に足るとみて良いと思われる。

 

(付記。ハウスホーファー教授によると、この地下水分布はおそらく正しいが、地質学上の常識に照らして不可思議と言わざるを得ない点が非常に多く、何らかの異常――例えば重力の――を考慮しないことには説明不可能なのだそうである)

 

図Bは地域における劔冑の誕生時期を色分けで示した世界地図。図Cは劔冑の生産量をやはり色分けで現した世界地図である。

 

私が着目した一致に、諸氏も気付いて頂けるだろう。そう、地下水庫に近いほど劔冑の誕生時期も早いのである。生産量についてはそうと言えない部分もあるが、地下水庫からの分派が全くない土地においては劔冑の生産も皆無であるという点は決して無視し得ないだろう。

 

だからどうしたのか、と諸氏は思われるかもしれない。劔冑の製造に水が必要である以上、水の分布と劔冑の生産状況が一致するのには何の不思議もない、と。だがご存知のはずだ。地球上の水はなにも全てが一つの水源を共有しているわけではないということを。

 

つまり、劔冑の焼き入れに使われる水は大陸東部の地下水庫を経由するものではなくてはならないのである。この水庫からの供給のない地域、つまり南北アメリカ、アフリカ、オーストラリア等においては、劔冑の製造が過去も現在も行われていない(過去については異論もあることを付記する)。

 

その理由は従来、鉄の質もしくは人種の違いに原因を求められており、水という観点は持たれなかった。水の性質が劔冑の鍛造において意味を有することは古くから知られていたが、必ずしも最重要の事項とは考えられていなかった。それは奇異と呼ぶに値しないことである。劔冑の焼き入れに使い得る水とそれ以外水との間に、何らかの成分上の差異が見受けられるわけではないのだから。だが、劔冑をただの金属としか識別できない我々の科学がその点においても同じ誤解をしているとしても、何の不思議があるだろう?

 

故に、私は仮設を立てた。―――ユーラシア大陸頭部の地下水庫、ここにこそ、劔冑の謎に迫る鍵がある。

 

私は劔冑を生物の一種(亜種?)であると判断する。独立した知性と行動力を限定的ながら所持すること、着用者の熱量を吸収して能力を発動する性質は新陳代謝とみることが可能であることなどがその理由だ。しかし無論、反駁は多いだろう。知性にせよ行動力にせよ劔冑のそれはあくまで着用者を主とする従的なものである。その性質はむしろ機械に近い、等々。私もそういった意見を否定はしない。劔冑は確かに機械的でもあるからだ。だが、そう主張する人々が結論として述べること――「劔冑は断じて生物ではない。なぜなら繁殖を、自己増殖をしないではないか」――その点が完全に覆されるとしたならば、どうだろうか?

 

劔冑は繁殖を行わない。それは事実だ。だがその理由を、生物ではないからだと決め付けて良いものだろうか。ある可能性を忘却してはいまいか?つまり、劔冑自体は繁殖によって誕生した生物であるが、子孫として不完全であり、完全でないが為に繁殖能力を持たないという可能性を。豹と獅子の合いの子、レオポンのように。この場合、劔冑を生む繁殖とは無論、鍛冶師による鍛造ということになる。

(他者の手を借りるならばそれは生物の定義の一つたる自己増殖とは呼べない、と思われる方も多いだろうが、その点についての議論は控えさせて頂く。劔冑を生物と定義することは本論においてあくまで便法であり、核心ではない)

 

ここで、前段を思い起こして頂こう。劔冑が生物的繁殖による子孫であるとして、一体何の子孫なのだ?金属?いや、金属は生物ではない。人間?いや、人間は別の、より完全な増殖方法を有している。では……?そう、水だ。正確に言おう。水に含まれる未知の何かの繁殖こそが、劔冑の鍛造なのではないか。

 

東アジアの地中深く、静謐な地下水庫から、その何かはやってくる。何年、何十年、何百年とかけて。長い旅の果て、遂に行き着くのは山奥の洞窟、その更に奥の小さな泉だ。そこは鍛冶師の仕事場になっている。鍛冶師は鉱石を焼き、打ち、一領の鎧を造り上げる。鉄に加工を許すのはとてつもない高温だけだ。空気を焙る火の甲鉄、しかし鍛冶師は一つ一つ身につける。肌を焼く。肉を焼く。それでもこの一時のために生きてきた鍛冶師は己の打った甲鉄にも劣らぬ固い意志で激痛に耐え抜き、全ての準備を終えて、神聖なる泉に己を沈めるのだ。灼熱の鉄と冷涼な水が接触し、激しい反応を起こす。洞窟は蒸気で満たされるだろう。そしてその中で、泉にたゆたう「何か」は鎧と、鍛冶師と交わり、一つになり―――劔冑が誕生する。

 

これを繁殖と呼ぶならば、菌類の一種に類似していると言える。冬虫夏草

、胞子を虫に寄生させ、それを苗床にして芽吹くあのユニークな茸のことを思い出して欲しい。虫から茸への異様な変貌は、鎧と鍛冶師から劔冑が生まれる驚異とある種共通するものがないだろうか?

 

冬虫夏草の神秘の鍵は胞子だ。胞子の寄生によって有り得ない変身が引き起こされる。では、劔冑鍛造において胞子に該当するものは何だろう?論を俟たない。「何か」である。……鍛冶用水が含む「何か」とは、地下水庫に存在する「茸」が散布している「胞子」なのではないか。つまるところ、私はそう推論しているのだ。

 

地下水庫に最も近い国の一つ、大和の鍛冶師たちの間では、古来より「金神」と呼ばれる神への信仰が盛んである。この神は鍛冶に適した土地と時節を知るとされ、その叡智は神官の卜占という形で表される。占術の内容は実に興味深いものだが、これに関しては別記に譲ろう。

 

この神はまた「外より来たる神」であるとも伝えられ、その意味を大和の宗教学は客人神、つまり渡来の神を指すと考えている。だが、果たしてそうであろうか。前説の通り、大和が劔冑鍛冶の原点とも言えるのであるなら、鍛冶と密着した信仰もまた大和が原点でなくてはならない。上古の時代において、信仰と技術は切り離せるものではなかったはずだ。彼らにとって宗教儀礼は技術の中の必須の一部だったのだから。ならば「外より来たる神」とは、何を意味するのだろう?

 

金神信仰は仏教が伝来するとこれと習合し、護法魔王尊という新たな姿を獲得した。天台宗の一派にあたる鞍馬宝教がこの魔王尊を本尊とする。総本山である鞍馬山香雲寺は、大和最古の鍛冶集落でもあり、仏教伝来以前から近畿の要地として栄えていた。そして記録によれば香雲寺は、鞍馬山の仏教導入の際に、以前からあった金神の大社改装して造られたものであるらしい。これらの経緯を勘案せば、鞍馬宝教の原型には金神信仰の最も古い形があると考えられよう。

 

香雲寺縁起が伝える魔王尊の姿は、極めて特異なものである。異様と言い換えてもいい。即ち、魔王尊とは650万年前(弥勒菩薩といい、仏教は莫大な数が好きなようである)に金星から飛来した、「人にあらざる素質」で構成された身体を持つ存在だというのだ。年齢は16歳のまま永遠に不変――これは信仰の中核を担った蝦夷のイメージが仮託されたのかもしれないが。毘沙門天・千手観世音が月と心を象徴するのに対し、魔王尊は大地と力を示すのだという。

 

金星から飛来した人ならざるもの!

 

前章において、私はヤーヴェ教の聖典にある神とはつまり巨大隕石ではないかと記した。鍛冶信仰の源流を辿って得た成果はその考察を補強した。いやそれのみならず、新たな要素を加えた。ただの隕石ではない。魔王尊の伝承は明らかに、生物的な何かの到来を示している。永遠に不変、とは金属を象徴するイメージだ。生命と金属。まさしく劔冑そのものではないか。

 

宗教説話が何らかの事実に基づくものとするならば、はるかな昔、宇宙から飛来した何物かが存在した可能性が示される。それは劔冑に酷似しており、そして劔冑よりも遥かに完成度の高い生物性と金属性の融合を果たした何かだ。――金属生命体。そう呼ぶべき「神」は実在し、今なお、我々の暮らす大地の下に眠っているのだろうか?

 

私は神の姿を夢想する。それはある時は光り輝くヒトに似た何かであり、またある時はただ巨大な鉱石だ。金属生命体という仮想は現時点においてあまりにも私の手から遠すぎ、明確なイメージを抱くことすら許してくれない。せめてその実在に確信が持てたなら、知性に方向性が与えられ、真相へ近づくことがかなうだろうに。

 

問題の地下水庫へ赴き、疑いようもない形で神の実在あるいは非実在を確認する手段がないことは、そのような時代に生まれたことはまさしく痛恨だ。しかし私は諦めていない。確証は無理でも、傍証を得るのは可能だと信じている。

 

それはいつか、史上最高の劔冑と巡り合った瞬間に判明するだろう。私は劔冑が繁殖しない理由を不完全ゆえだと述べた。逆に言えば、完全な劔冑は繁殖能力を持つはずなのだ。地下に眠る神の性質を受け継ぎ、「胞子」を用い、「寄生」して増殖を行うのだ――私の推論が正しく、その劔冑が完全であるなら!

 

完全な劔冑の誕生を、未来に期待することはできない。劔冑の技術は進歩しているが、それは劔冑の本質に近づく方向ではなく、むしろ遠ざかっているとしか思えないからだ。最新の数打劔冑は確かに素晴らしい生産性を備えている。だが個々の能力は、古来の製法で打ち上げられた真打劔冑に及びもつかない。数打劔冑は云わば変種に過ぎないのだ。

 

神の嫡子、最高峰の劔冑は過去の遺産の中にのみ探し求め得る。私は世界中を旅しなくてはならない。まずは大漢帝国を回ろう。名高い七星の劔冑を外国人が見ることは可能だろうか?その次はエジプトへ行こう。ツタンクアメンの黄金の劔冑をもしこの手にとって調べられるなら、呪いの一つや二つは甘受しようとも!そしてそう、あの極東の島国へも、必ずや足を運ばねばなるまい……

 

旅路は長く果てしない。だが私は目的地へ辿り着くか、あるいは天へ召されるまで、歩みを止めないだろう。私は探求者であり、探求者以外のものになろうとしたことは一度としてなく、これからもないのだ。

 

Wolfram von Sievers

 

 



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オヴァム

村正外伝「琴乃の劔冑」の裏ではこんなことがあったのではないでしょうか。


 俺とイーニァは鉄道に乗って安房国までやってきていた。そこから茶々丸が用意してくれた車に乗って山道を行く。安房国の山中にある平久里村(へぐりむら)、そこが俺達の目的地だ。

 

 平久里村に入ると適当なところに車を置いて、村長の家を目指す。茶々丸からウォルフ教授が逗留しているとしたら村長宅だと聞いていたからだ。村長宅はそれなりに広そうな和風の平屋だった。

 

「こんにちはー」

「はーい」

 

 インターホンなど存在しないらしいのでノックしながら声を掛けると屋敷の奥から女中さんが現れる。

 

「あら、これは六波羅様にお嬢様、ようこそいらっしゃいました」

「ああ、ちょっと用事があってな、村長はいるか?」

「はい、おります。ささ、こちらにどうぞ」

 

 そう言うと下にも置かないような所作で応接室へと案内される。その態度の裏に僅かな恐怖が紛れているように感じ、どうにも座りが悪い。ここに来るまでにも感じたが六波羅の評判は良いとは言えないようだ。茶々丸から六波羅の軍籍と軍服をもらったのだが、一般人として押し通した方が楽だったかも知れない。

 

「これはこれはようこそいらっしゃいました。……初めまして、で間違っておりませんよね」

「ああ、ここには初めてきた。俺は百橋(・・)ユウヤ少尉だ」

「わたしはイーニァ・シェスチナだよ!」

「これはご丁寧に……百橋少尉にシェスチナ様でございますね。私はこの村の村長を努めております青江荘助でございます」

 

 流石に外国人が六波羅にいるのはおかしいということで、俺は百橋という偽名を名乗ることになったイーニァも最初は偽名を使うことを考えたのだが、髪や瞳、肌の色が明らかに大和人の物ではないので諦めたという経緯がある。

 

 青江と名乗った老人からはこちらを伺うような気配がする。それもそうだろう。今この村にはGHQの人間が居るのだ。そんなところに初めてくる六波羅の人間、さらに謎の外国人少女付きときては何もないと思うほうがおかしい。そしてそれは正しい。俺は一気に踏み込む。

 

「単刀直入に言おう。ウォルフ教授と面会がしたい」

 

 ごく簡単に結論から言おう。俺の要望はあっさりと実現した。六波羅の威光を恐れたのか分からないが、すぐにウォルフ教授を呼んでくると行って村長は出ていったのだ。そしてその数分後、俺はウォルフ教授と対面していた。

 

「さて、まずはお嬢ちゃんパンツ履いてるかい?」

 

 第一声から最悪だった。イーニァが怯えて俺の後ろに隠れる。

 

「ウォルフ教授、いきなり失礼なことを聞かないでください」

「失礼とはなんだね、人はパンツを履かずに生まれてくる。ならばパンツを履いていない事こそ自然なのだ!」

「ダメだ。この教授……」

「ふむ、履いてる……それは良くない脱がせてあげよう!さぁさぁさぁこっちに来るんだそこな履いてる少女!」

「止めろって言ってるだろうが!」

「ゲバッチョ!?」

 

 全力でぶん殴る。吹き飛ぶウォルフ教授、そして何事もなかったかのように立ち上がり言う。

 

「それで六波羅の人間が私に何の用なのかな?」

「…………まずはお初にお目にかかります。ウォルフ教授、私はユウヤ・ブリッジス。こちらでは百橋ユウヤと名乗っております」

 

 そこでようやくこちらに興味を持ったのだろう。ギョロリとした眼がユウヤを捉え、そして横に座っているイーニァを見る。

 

「うん?ブリッジス……ハーフかね」

「はい、に……大和とアメリカの」

 

 危うく日本と言いそうになる。別に日本と言っても通じないだけで特に問題にはならないとは思うのだが注意するに越したことはない。

 

「ほう!アメリカ!アメリカか……それでそんな君がGHQの学術顧問なんかに一体全体何の用なのかな?」

「はい、教授は神の研究をされている、間違いありませんね」

「よく知ってるね。間違いない僕は神の研究をしている。ここにもその一環で来たんだ」

 

 教授が神の研究の一環でここに来たというのは本当の話なのだろう。だが、それだけではないはずだ。少なくともGHQの目的はまた別にあるはずだ。

 

「実は六波羅とは直接関係ない話なのですが、我々はあなたの神の研究のお手伝いをしたい」

「手伝いたい、と……それで一体何ができるのかな?生憎と人手も資金も足りているんでね」

「……神の実在を証明できます」

「今、何と言ったのかな?神の実在を証明できる?」

 

 釣れたようだ。明らかに反応が違う。やはり神の存在はウォルフ教授にとって重要なのだ。その神の実在を証明できると聞いて無視することはできなかったのだろう。

 

「はい、私達には神の実在、いえ神と云う名の宇宙人の存在を証明できます。宗教の話ではありません実在するナニカ(・・・)を知っているという話です」

「…………」

「信じられないのも無理はありません。ですが多少なりとも興味を持たれたようでしたら一度会って欲しいのです」

「……会って欲しい?誰とだね」

「神の実在を証明できる人物と、突拍子もないように思われるかもしれませんが、彼女はその神とやらを感じることができるのです」

「…………分かった。その人物と会おう」

 

 そういうことになった。これで後は茶々丸とウォルフ教授を引き合わせるだけだ。どうやって連絡を取るのかについてやり取りを重ねる。それは問題なく終わった。では、ここからはおまけの任務だ。

 

「それと話は全く変わってしまうのですが、教授がここで何をしていたのか教えていただくことはできますか」

「学術調査だよ。君達も知ってる通り神の研究さ、表向きはね。そして私にとってその表向きこそが重要だった。……これじゃあ答えにならないかな」

「私としましてはその裏向きの目的というのが気になるところなのですが……」

「まぁ、そうだろうね。……まぁ、正直私は言っても構わないと思うから言ってしまおう。数打に陰義(シノギ)を付ける研究さ」

 

 陰義(シノギ)、一部の真打劔冑が持つ超常の力。その最たるもの。物理法則すら無視するようなとんでもない能力を持つ劔冑も存在するという。そんな実在すら疑いたくなる馬鹿げた力、それが陰義だ。

 

「……なるほど、そんな事ができればパワーバランスが一変しますね。そんな物がこの村にあると?」

「正直あまり期待していなかったんだがね……あったんだよ。荒神結晶――私はオヴァム()と呼んでいるが――と呼ばれる物質を水から抽出する方法がこの村には伝わっていた。私はこのオヴァムこそが神の一部であり鍛冶師と鎧を繋ぎ合わせる第三の主体であると確信している」

 

 正直こんなに素直に話してくれるとは思っていなかった。そしてオヴァム、劔冑と鍛冶師を繋ぐ謎の物質、神の欠片、神の存在の傍証、そんな物が存在するとは俄には信じられない。まぁ、信じられないのは劔冑の存在自体なのだが。

 

「そんな重要な話を私にして良かったのですか?」

「ふむ、もう既に必要な情報は揃っている。研究も進んでいる。後は知られるのが遅いか早いか程度の違いだけだろう」

「……貴重なお話、ありがとうございました」

「まぁ、待ち給え。そちらばかり聞いて私からの質門はなしかね?」

「いえ、何かご質問があれば回答します」

 

 聞けることは聞いたそう思い話を切り上げようとするとウォルフ教授に引き止められる。

 

「なに、大したことじゃあない。君は新大陸独立派(アメリカン・ドリーマー)かね」

「アメリカン・ドリーマー、ですか?」

「おや、知らない?英国から新大陸の独立を狙っている人達のことさ」

「なるほど、世事に疎いもので。そうですね。……アメリカは独立すべきだと思います」

 

 自分の意見を表明するに留める。それにしてもアメリカン・ドリーマーとはよく言ったものだ。アメリカの独立を夢見るもの、そしてその困難さをよく表している。アメリカンドリームは叶いそうで叶わないからこそアメリカンドリームなのだ。それほどこの世界の英国は圧倒的な存在であり、劔冑の生産ができないアメリカの不利がよく分かる。

 

「そうかそうか、ああ聞きたいことはそれだけだ。ではなユウヤ・ブリッジス君、そしてパンツ履いてる少女。次こそは必ず脱がせてあげよう!」

 

 それだけ言い残すと返事も待たずにスタスタと出ていく。最後まであの教授は変態だった。

 

 さて、目的は全て達成できたようだが裏取りもした方がいいだろう。あの変態教授、ただの変態ではなく食わせ者の変態のようだった。その言うことを全てそのまま信じることはできそうにない。

 

 研師の仕事場を訪ねる。あの教授の言うことが正しいのであれば荒神結晶なる物を作ったのがここの研師達のはずなのだ。

 

「こんにちは、少し話を聞きたいんだが、良いか?」

「あら六波羅様、いらっしゃませ。話、ですか?良いですよ」

 

 仕事場に居た妙齢の女性に声を掛ける。

 

「俺は百橋ユウヤ少尉、ここにはちょっとした調査で来ている」

「百橋少尉……私は瀧澤静蓮です。よろしくお願いします」

「ああ、よろしく。で、早速だが荒神結晶について知りたい」

 

 そう切り出すと瀧澤静蓮の顔がみるみるうちに青くなっていく。六波羅とGHQの関係を考えればその反応もおかしくないだろう。この人は六波羅の仕事を受けながらGHQに自らの技術を売っていたのだ。そしてその事を六波羅の武士――つまり俺だ――に問い詰められる生きた心地がしないだろう。

 

「それをどこで……」

「ウォルフ教授から聞いた。この事で俺があんたを責める事はない。……信じられないかも知れないがな。俺が知りたいのは荒神結晶についてだけだ」

「……分かりました。知っていることを話します」

「そもそも荒神結晶ってのはどうやって作るんだ?」

「荒神結晶は特殊な製法で作られた伝来の七支刀を泉に浸け、三日三晩柄を握って念じ続ける事で七支刀の先に生まれます。初めは米粒程の大きさなのですが、念じ続ける事で段々大きくなり、三日目には卵程の大きさになります……これを鍛造時に埋め込むことで陰義が発現しやすくなります。しかし、念じる際に雑念や邪念が混じると劔冑が完成した時に暴走したりするなど妖甲となってしまいます」

「なるほど強い力を得る代わりに暴走する可能性もある訳だな」

「はい、私達はその妖甲になる可能性の高さからこの技術を禁術として封印してきました」

「だが、ウォルフ教授に教えた」

「それは……あの方達が技術者を紹介してくれと言うので紹介しただけなのです!……いえ、言い訳ですね。私は人買いの片棒をかつぎ、その事をネタに強請られ、禁を破った。それだけです」

「……悪党がよくやるやり口だ」

「騙された私が悪いのです」

「それは!……いや、続けてくれ」

「GHQは荒神結晶を研究し、複製人体(コピーボディー)の技術を応用することで人の意志を介さない荒神結晶、オヴァムの精製に成功しました。そして数打に組み込みとある条件下で陰義が発現する事が分かりました」

「ある条件?」

「極限の意志と仮に呼んでいます。仕手の意志が極限まで高まり純化することで陰義が発現する、ようです。これ以上は私の手を離れてしまったため分かりません。ただ、極限の意志が出やすい装甲競技(アーマーレース)に持ち込むとか言う話を聞きました」

「アーマーレース?」

「知りませんか?レーサークルスという劔冑で行うレースです」

「ああ、なるほど、競馬みたいな物か」

 

 元の世界では競馬なんて言う金の掛かる競技はもちろん、ほとんど全てのプロスポーツが行われなくなっている。自分にとって競馬も縁遠い歴史上の話なのだ。

 

「賭博ではないみたいですけどね」

「なるほど」

 

 だが、想像することはできる。そう言った競技では勝ちと負けに大きな差が生まれるのが世の常だ。そうなると勝ちたいという気持ちが強く出るだろうし、その思いが強いほど強くなるための土壌があると言えるだろう。

 

「七支刀を見せてもらうことはできるか?」

 

 そう静蓮に問いかけると静蓮は首を振る。研究のためにGHQに持って行かれてしまったそうだ。

 

「じゃあ、オヴァムも全部持っていかれたのか?」

「オヴァムはここにはありませんが……荒神結晶ならあります……これです」

 

 そう言うと静蓮は神棚の中から黒の混じった銀色の卵状の物体を取り出す。渡された荒神結晶はほのかに温かく、その形状も相まって何かの卵のようだ。

 

「これが荒神結晶……」

 

 その時だった。エンジン音が近づいてくるのが聞こえる。俺は特に気にもせずに話を続けようとしたが、静蓮の様子がおかしい。その事に気付いてようやく気づく。この国ではまだ車は貴重品なのだ。それこそ軍ぐらいでしか使われないほどに。

 

 軍が何しに来たのか知らないが、想像は着く。静蓮がGHQに協力していた事がバレたのだ。だからといって表立って非難することはできないためにおそらく冤罪を押し付けようと言うのだろう。推論に推論を重ねているがそう外れてはいないはずだ。

 

「動くな!反逆の疑いで拘束する!」

 

 六波羅の軍服を着た一団と一人の鎧士が乗り込んでくる。俺は素直に手を上げて交戦の意志がないことを示す。というより拳銃の一丁も持ち合わせていない状況で軍の相手は不可能だ。

 

「!お前……いや、あなたはどこの所属でありますか?少尉殿」

 

 部隊長なのだろう鎧武者が俺に所属を問う。その圧倒的な暴力の気配に引きそうになるが、丹田に力を込めて見返す。

 

「俺は堀越公方申次衆(もうしつぎしゅう)の百橋ユウヤ少尉だ。こっちのは堀越公方のお友達とでも言えば良いのかな?」

 

 申次衆とは奏者とも呼ばれ、元来は天皇や院に奏聞を取次ぐ役目をする人物のことらしい。まぁようするに取次役、マネージャーみたいな物だ。茶々丸の配下として動きやすい立場を考えた結果こうなった。イーニァには公式な身分は与えられなかったが、茶々丸の賓客として扱われる事になっている。

 

「堀越公方の!これは失礼いたしました!」

 

 相手の武者も身分としては少尉なのだが、一兵士と将官付きの少尉では持っている権力に差がある。それが態度に出たのだろう。

 

「それで、これは一体何の騒ぎなんだ?」

「はい!小弓公方からこの村に反逆の容疑が掛かっているため一人残らず拘束せよとの命令が出ております」

「反逆?」

「何でも売国行為を行ったと小官は聞いております」

 

 GHQに独自の物とは言え技術を流出させていたのだから売国行為と強弁できなくもないだろう。静蓮は顔面蒼白になりながら下唇を噛んでいる。

 

「なるほど、それでこの人も捕まえに来た、と」

「はっ、その通りであります……堀越公方の近習とは言え余計な手出しはご遠慮願いたいのですが……」

 

 そこは譲れないのだろう。断るようならば武力で押し通すと気迫が言っている。

 

「……ああ、好きにするといい」

 

 裁かれる程、悪だったとは思わないが、この場で抵抗しても無意味だろう。自分も技術流出の咎で追われている身だった者としては助けたいと思わなくもないが、この世界に積極的に関わってしまうことにまだ抵抗感がある。

 

「それと、申し訳ないのですが、確認が取れるまで付いてきて頂けますか?」

「ああ、当然だろう」

 

 そう告げると兵士は部下に静蓮の拘束と家探しを命じる。反逆の証拠でも探しているのだろう。

 

 その時の事だった。

 

「おもしろい物を持っているな」

 

 銀だった。

 いつの間にか白銀に輝く優美な鎧武者がそこにいた。俺は六波羅の部隊のさらに上官でも現れたのかと思ったのだが、そうではないらしい。六波羅の鎧武者――記憶が確かなら九○式竜騎兵――は俺以上混乱している。

 

「何者だ!」

 

 悠然と俺に歩み寄ってくる白銀の鎧武者に部隊長が鋭く問う。

 

「――ん?おれが何者か、だと?何者、というのは深い問いだな。誰だ、と尋ねるのとは違う。名を告げるだけでは答えとして足りるまい。おまえはおれの意味を問うのか?ならばこう答える。――おれは天下布武。白銀の星の名で呼ばれている者だよ」

「何を言っている?……白銀の星?まさか銀星号か!?天下布武だと?……この、痴れ者が!」

 

 その不敵な答えに敵と判断したのだろう。六波羅の鎧武者は太刀を抜き放ち、見事な太刀筋で斬りかかる。

 次の瞬間。

 九○式竜騎兵(・・・・・・)が兵士たちを巻き込みながら吹き飛ぶ。

 ……今、あいつは一体何をした?まるで何も見えなかった。

 

 そして、銀の鎧は俺の直ぐ側まで傲然と歩いてくると、俺の手の中にあった荒神結晶を掴み上げる。

 

「あっ!」

 

 あまりに自然、あまりに威圧的、その存在感に圧倒されて何もできないまま荒神結晶を奪われてしまった。

 

「ふむ、おもしろいな、力を結晶に纏めるか。……村正!」

《なんだ御堂?》

「おれたちもやるぞ、光の覇道を結晶にする!」

 

 そう言うが早いか銀の鎧武者の手の内の荒神結晶が、白銀の卵(・・・・)へと生まれ変わる。黒を含んでいた荒神結晶とは違う。純白の卵は美しい芸術品のような気品すら感じる。だが、目の前の鎧武者と同様にどこか禍々しい。

 

 銀の武者は今度は吹き飛んだ九○式竜騎兵へと歩み寄る。一歩近づくごとにどうにか周りを囲んでいた兵士達が後ずさる。そしてまだ痛みに呻いている九○式竜騎兵に白銀の卵を押し当てる。すると、まるで鎧などないかのように卵が鎧の中へと溶けて消えていく。そして絶叫。

 

「うがあああああああ!」

 

 九○式竜騎兵を駆る部隊長が苦悶の咆哮を上げる。

 

「何を……何をした!」

(うむ)、邪魔な倫理を消し飛ばした!」

「な、に?」

 

 九○式竜騎兵が幽鬼の如く立ち上がる。そして刀を振り上げる。

 味方である兵士に向かって(・・・・・・・・・・・・)

 

「な!?」

「ぐがあああああああ!」

 

 部隊長は錯乱したような咆哮を上げながら手当たり次第に味方を切り捨てる。何が起こってるのか分からない。だが、この場に居てはマズイことだけは間違いない。

 

「イーニァ!あいつが何をしたのか分かるか!?」

「うんん、わかんない。でもくろいのとかあかいのがぜんぶきえちゃってしろいのだけがのこってるの。わたしあのひとこわい」

 

 イーニァ自身も何を言いたいのか、分かっていないのか要領を得ない答えが返ってくる。だがイーニァが怯えているのは分かる。何が起きているのか全く把握できていないが、まずはとにかく一度距離を取るべきだ。そう判断する。その時、ちょうど腰が抜けたのかへたり込んでいる静蓮が目に入る。助けるべきだろう。そう判断し静蓮を助け起こしながら言う。

 

「立てるか!?逃げるぞ!」

「それなら裏口があります!」

 

 静蓮とイーニァを連れて仕事場の裏口を目指す。後ろでは阿鼻叫喚な地獄絵図が展開されている。死神がひたひたと迫ってくるのを感じながらひたすら走る。

 

「あの!百橋様!……娘が!娘が居るのです!」

「どこにいる!?」

「それは、こっちです!」

 

 静蓮に連れられて村を駆け抜ける。背後からは破壊の音が段々広がっているのが判る。音に追い立てられるように俺達は走る。村の外れ、山の近くにある一件の家屋に向かって静蓮が駆ける。家の前にはティーンエイジャーだろうか、まだ幼さを残している静蓮によく似た少女が居る。

 

「琴乃……」

 

 静蓮が震える声で少女に声を掛ける。そしてその手を掴み、俺達の方に引っ張って来る。あの少女が静蓮の娘なのだろう。

 

「大変な事になった。里を出よう」

「お母さん?……この人が?」

 

 琴乃と呼ばれた少女が物問いたげに俺達の、いや俺の事を静蓮に尋ねる。それにハッとしたように一度俺の顔を見る静蓮。

 

「うんん。違うわ。この人は私の恩人だけど、今日紹介するつもりだった人じゃないの。それより琴乃、早く里を出ないと……」

「ああ、何が起きてるのか分からないだろうが、とにかく今は逃げることだ」

 

 まだ何か言いたげな琴乃を制してとにかく走らせる。今はとにかく距離を取るべきだ。静蓮の先導で寺の裏手を抜けて薄暗い墓地をひた走る。

 

「琴乃……。本当にごめんなさい」

 

 いきなり静蓮が足を止め、琴乃に言う。

 

「どうした?」

 

 まだ事情が飲み込めていないのだろうぽかんとした表情の琴乃を差し置いて俺は問いただす。静蓮が目を見開き、喉の奥から言葉にならない息が漏れた。その尋常じゃない様子に振り返る俺達。

 

 静蓮の視線の先には分厚い刃金(はのかね)側金(がわかね)に身を包んだ存在――六波羅が誇る劔冑、九○式の姿が見えた。

 

 劔冑が一足で距離を詰める。その手に握られた巨大な太刀が夕日を浴びて血に濡れたように光る。

 

(こんな所で、何も分からずに終わるのか……)

 

 劔冑という圧倒的な存在に訳も分からないまま殺される。そんな最後を幻視する。せめて娘だけでも守ろうと言うのだろう。無駄だと分かっているだろうに静蓮が琴乃に覆いかぶさるのが見える。俺は歯噛みする。

 

「いや……諦めてたまるか!!」

 

 無謀だとしても立ち向かう。その覚悟を決める。九○式が太刀を振り上げるのが見える。とにかく九○式が動いてしまえば相手の勝ちは揺るがない。ならばそれより前に腕を取る。装甲した相手なのだ。殴ってもしょうがない。ならば関節を狙うしかない。そう思った時には飛びかかっていた。

 

 それに合わせたのだろう。太刀を振り下ろそうとするのが目に入る。万事休すか……。そう思った時だった。風切り音がした。そして俺は目標(九○式の腕)を見失う。ドサリ、そんな音が辺りに響く。九○式の脇を抜けて後方に転がり出る。

 

 地面には分厚い装甲に覆われた手のような何かが落ちている。九○式の腕だ。そして、目の前には噴火したような紅蓮の赤があった。深紅の劔冑が現れた。

 

「もう大丈夫よ。琴乃。《あの人》が護ってくれたから……」

 

 静蓮が琴乃に言う。現実に認識が追いつかない。次の瞬間、九○式が音を立てて崩れ落ちる。九○式からゆっくりと血溜まりが広がっていく。

 

「助かった、のか……?」

 

 呆然と呟く。

 だが、これで全てが終わった訳ではなかった。深紅の劔冑が抜いた刀を身体の正面に構えた。その刃の真っ直ぐ先に静蓮が居る。切っ先を向けられているにも関わらず静蓮はおだやかな笑みを浮かべていた。

 

「琴乃、お別れみたい」

 

 静蓮が琴乃にそう言う。

 

「ごめんね。お母さん、罰が当たったの。人買いの言いなりだったから。琴乃に言えない悪い事をしてたから」

「貴女に……非はありません」

 

 深紅の劔冑の中から、搾り出すような男の声が聞こえた。静蓮が優しい声で深紅の劔冑の中の男に呼びかける。

 

「ありがとう。私、うれしいの。あなたが私に好意を持ってくれてたって証拠だもの」

 

 その声に唐突に悟る。静蓮はこの劔冑の男が好きなのだ、と。

 

「仕方ないことなの。こういう仕組みになってるんだから。お母さんは好きな人のために死ねるの。わかる?」

 

 問われた琴乃が首を振る。俺も何が起きているのか、これから何が起きるのか理解できない。

 

「いつか分かるわ。そのときまで、忘れていなさい。……琴乃、あなたを巻き込まなくて良かった」

 

 静蓮が艶然と一笑する。

 

「ありがとう」

 

 それが、最後の言葉だった。

 静蓮の首が飛ぶ。厚い草生えにふわりと落ちる。弛緩した目蓋は半ば閉じ、丁度微睡みから引き戻されたばかりのように、幸福そうな顔をしていた。

 

「なんで?」

 

 琴乃が静蓮に問いかける。

 静蓮の胴からは、動き続けている心臓の拍動に合わせて、規則正しく血が流れ出している。

 

「う……うぅ……うおぉぉおおぉおお」

 

 劔冑の内から、吠えるような、うなり声が聞こえた。

 

「なんで?」

 

 琴乃が劔冑に問いかける。

 

「おぉぉおおおぉぉぉおおおおおおおお」

 

 深紅の劔冑は答えない。ただ、地鳴りのように響く声だけが漏れてくる。既に日は落ち、月が上っていた。

 

「なんで?」

 

 琴乃が同じ言葉を繰り返す。その時だった。

 

「何故答えてやらない?」

 

 天から童女の声が降ってきた。頭上を振り仰ぐ深紅の劔冑。俺も顔を上げる。そこには、何の支えもなく中空に腰掛ける者の姿があった。月よりも眩しく夜空に煌めく劔冑。先程九○式に何かした銀の劔冑だ。あれが現れてから世界が変わった。

 

 深紅の劔冑の中で何かが切り替わった。大気に不可視の力が満ちて産毛が逆立つ。すさまじい感情のうねりが空気に流れ出たかのようだ。合当理に火が入った。

 

「光ぅーーッ!!」

 

 叫びと共に、深紅の劔冑が地を蹴った。天空に静止する銀の劔冑に向け、驀直する。深紅の劔冑は盛大に合当理を噴かし、銀の劔冑に迫り、刀を振るう。何度も、何度も。それなのに一度たりと刀が甲鉄を叩く音は聞こえない。

 

 武者同士の空中戦を見るのは初めてだった。それでもこれが普通の戦いでない事はよく分かった。稲妻のような軌跡を描く深紅の劔冑に対して、銀の劔冑はまるで、見えない床の上で、優雅に円舞曲(ワルツ)を踊っているようにみえる。深紅の劔冑は触れることもできない。銀の劔冑の芸術的な動きに魅入られる。

 

 深紅の劔冑と銀の劔冑の距離が離れた。深紅の劔冑の装甲が青白い雷光を帯びる。その手に長大な野太刀が出現した。

 

「吉野御流合戦礼法"雪颪(なだれ)"が崩し、電磁抜刀(レールガン)―――"(おどし)"!!」

 

 裂帛の気合と共に、夜空に青い直線が走る。そこから広がった見えない力で俺の髪の毛が逆立ち、遅れて雷のような音が聞こえた。

 

 銀の劔冑に向けて放たれた光速の打撃。

 だが、その刃は銀の劔冑に届かない。

 突然、天地が逆転する錯覚に襲われた。空へ、銀の劔冑めがけて身体が落ちていきそうになる。奇怪な燐光を帯びる銀の劔冑。その背後の星空が歪む。まるで巨大なレンズを背負っているように見える。

 

 銀の劔冑の顔面が割れた。

 縦に並ぶいくつもの眼が、地上を睥睨する。異様な姿となった銀の劔冑に対して村正は距離をとろうとするが、不自然な姿勢のまま銀の劔冑へと引き寄せられていく。

 

 銀の劔冑はあくまで優雅に、深紅の劔冑に向かって降下突撃(ダイブ)する。

 

天座失墜・小彗星(フォーリングダウン レイディバグ)

 

 童女の声が響き渡ると、深紅の劔冑が夜空から消えた。

 遠く、地響きが聞こえてはじめて、深紅の劔冑が地面に叩きつけられたのだと分かった。

 

 地上から黒い小さなものがたくさん、螺旋を描いて空へ伸びていく。あれは屋根瓦だろうか。続けて、村にある何もかもが宙に浮かび、銀の劔冑に向けて飲み込まれていく。

 

 眼下から村が消え去った。抉り取られたような大地のみが無残な姿を晒す。幸いと言っていいだろう。破壊の魔の手は村から離れた墓地までは及ばなかった。銀の劔冑はいつの間にかどこかへと去っていった。その事に安堵し、へたり込む。

 

「…………クソッ、情けねぇ」

 

 何もかもが分からなかった。分かったことは劔冑の暴威だけだ。特に銀の劔冑は不知火・弐型(TYPE94-2nd)が手元にあったとしても相手にしたくない。あれは劔冑の形をした別のナニカ(・・・)だった。

 

 どれほど茫然自失していただろうか、肩を揺すられてそちらに目をやる。そこにはイーニァが心配そうに俺のことを見ていた。

 

「ちゃちゃまるにれんらくしたよ、すぐにむかえにくるっていってた」

「そうか……ありがとう、イーニァ。……そうだよな。しっかりしないと」

 

 どうにか気合をかき集めて立ち上がる。周りを見渡す。琴乃と呼ばれた少女が気絶しているのが目に入る。同時に静蓮の満足げな死に顔も。その顔に静蓮がなぜ死ななければいけなかったのか?そしてなぜ静蓮はその死を受け入れていたのか?疑問が頭を過る。だが、今はそんな疑問よりもまずは少女を保護することが優先だろう。保護と言っても何ができる訳でもないのだが、まずは人里まで送り届ける必要がある。俺は少女を背負うと町へと歩き始めるのだった。

 

 

 



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銀星号

「いや~、焦ったよ、お兄さん。御堂から連絡があった時はまさかと思ったね」

 

 茶々丸が気まずそうに言う。あの事件から丸一日、俺達は堀越御所に戻ってきていた。琴乃は地元の病院に預けてきた。薄情なようだが、たぶんもう会うことはないだろう。

 

「別に茶々丸のせいじゃないだろ」

「でも、あの村に派遣する事決めたのもあてだし……」

「それよりもあの銀の劔冑と深紅の劔冑について教えてくれ、この国にはあんなのがたくさんいるのか?」

 

 今でも背筋が凍るような恐怖がまざまざと思い出される。あんなのがたくさん居るとしたらこの世界に対する認識を変えないといけない。

 

「あー、銀星号のこと……」

「銀星号って言うのか、あれは」

「うん、今大和を騒がせている無差別大量殺人の容疑者……まぁ、今回の件で犯人確定ってとこかな?災厄みたいな存在で軍の施設も容赦なく全滅させてるから多分単独なら最強って言っても過言じゃないと思うよ」

「やっぱ、規格外なんだな……容疑者の当たりはついてるのか?」

「いやー、それが全く。六波羅だけじゃなくてGHQも捜査してるっぽいけど全く手がかりなしだね」

「とんでもねぇな」

 

 銀星号と会話らしい会話したのは自分だけであること。精神汚染の能力を持っているらしいこと。因縁ありそうな深紅の武者もいつの間にか消えていたことなどが分かる。とにかく運悪く天災に巻き込まれたとでも思うしかないようだ。

 

「それで深紅の劔冑については何か知ってるか?敵を切ったと思えば今度は好きな人のために死ねるだのなんだの言って静蓮は斬られちまった。訳が分かんねぇ」

「……それは多分、村正だね」

「村正?それがヤツの劔冑の名前か?」

「そう。南北朝の時代に膨大な死者を出した結果妖甲として封印された禁忌の劔冑、それが村正。そして村正には一つの呪いが掛かってたんだ。」

「呪い?」

「善悪相殺の戒律、それが呪いの正体さ、敵を一人殺せば味方も一人殺すべしってね」

「何だそりゃ、訳わかんねぇ。何だってそんな戒律を持ってるのさ」

 

 だが、これで納得いった。敵を殺したから愛する者を殺さなくてはいけなくなった。殺される対象に選ばれるということは好意を持っているということの証明になる。だから静蓮は自らの死を受け入れたという訳か……やっぱり理解できない。ガシガシと頭を掻く。

 

「……さてね、こればっかしは村正本人にでも聞いてみないと分からないね。ただ、当時は敵も味方も定かじゃない戦乱の時代だったのは確かだよ」

 

 遥か時を超え古の時代に思いを馳せる。そこで何が起こり、何を思ってそんな戒律を作るに至ったのか。そんな益体もない空想にしばし浸る。

 

「……そう言えばウォルフ教授は巻き込まれたのか?」

 

 茶々丸の引いては自分の目的にも関わってくる重要な人物の安否を茶々丸に問う。あの変態が生きていることを願わなくてはいけないとは世も末だと思うが……。

 

「うんにゃ、あの教授、悪運が強いことに事件前に逃げ出してるよ。今回の事件にGHQは巻き込まれてないみたいだね」

「ほう、そりゃ運がいい。……まぁ、生きてるんならいいさ」

 

 今回の目的はウォルフ教授との繋ぎを作る事だ。そのウォルフ教授が生きているなら今回の目的は達成できたといえるだろう。

 

「雷蝶のとこの兵士が踏み込む直前に逃げ出してるからどっかから情報が漏れてたんだろうね」

「雷蝶って小弓公方だったか?そうだとすると俺が話を聞いてすぐに逃げたんだな」

 

 小弓公方麾下の兵士に拘束されそうになったことを思い出しながら言う。

 

「そうそう、逆に雷蝶は運が無いね。それなりの兵力をただ失った訳だから」

 

 茶々丸がカラカラと笑う。六波羅を取り仕切っている四公方の間にはどうやら複雑な関係があるらしい。単純に味方がやられたというような感じではない。俺はそんな政治の世界に首を突っ込みたくないので適当に流す。

 

「それで、これからどうするんだ?すぐに会いに行くのか?」

「う~ん、ちょっと悩みどころだね。今は時期が悪いんだよね」

 

 時期が悪いというのならそうなのだろう。ウォルフ教授については後は茶々丸と会ってどうするかで、それまではできることなどないだろう。

 

「そうか。……なぁ、あれから考えたんだが、神の声が感じられるのって要するにセンサーが音を拾ってきてるんだよな?」

「ん?そうだと思うよ」

 

 突然の話題転換に茶々丸は僅かに戸惑いを見せる。

 

「なら、そのセンサーを誤魔化すか無力化する方法があれば良いんだよな?」

「んー、その通りだと思うけど、アイソレーションボックスじゃダメだったのですよ、お兄さん」

「アイソレーションボックス?」

「劔冑を外部と断絶させて封印するための箱、仕手と劔冑を捕虜にした時に使うんだ」

 

 当然だが、茶々丸も無策でいるという訳ではないのだろう。いろいろ対策を考えてその結果が神を黙らせるまという最終手段にまでに至ったという事なのだろう。

 

「そんな物もあるのか、じゃあ電波暗室もダメか?……水はどうだ?大概の物は純水で絶縁できると思うんだが」

「水、水ね。それは考えたことなかったな。プールぐらいじゃ効果は感じなかったけど、そんな事思いつきもしなかったからね。うん、一度確認してみる価値はあると思うよ」

 

 プールで泳ぐ程度では効果が感じられない、と。そうなるとどうするべきか、いやその前に確認すべきことがある。

 

「その前にまず何を感知しているのかの確認からしたいところだな。具体的な周波数とか分かれば対策のしようもあるだろうし」

「そうだね、お兄さん。まずはこの世界でできることから始めれば良いんだよね」

「ああ、いろんな方法があると思うぜ。パッと思いつくだけでも逆位相の波を流し込んで打ち消すとか、単純に距離を取ってみるとか、これは茶々丸に影響出そうだから止めておきたいけどセンサーを壊すとかいろいろあるぜ」

 

 とにかく思いつく限りのアイデアを並び立ててみる。すると茶々丸が俺の手を握ってキラキラした眼で言う。

 

「お兄さん、あては感動してるよ!そうだよ、神を黙らせなくてもいろんな方法があるんだよ!」

「ああ、その意気だ。頑張っていこうぜ」

「……つきましてはお兄さん、プール行かない?」

 

 そういう事になったのでプールに来ることになった。

 

「ここは?」

「竜騎兵専用の練兵場だよ」

「それでか、信じられないことやってるな」

 

 目前で行われている訓練は自由訓練なのだろう。各々が自由にプールを泳いでいる。

 

 問題は、泳いでいる人間の中には鎧を着込んでいる人間がいるということだろう。それも鎧を着込んでいながら自由自在にプールを動き回る。中には鎧の上に何か背中に背負って刀を振っている人間もいるのだ。

 

「泳法、体術、甲冑刀法。これらを統合した劔冑操法を修めるための訓練場だよ、ここは。体術訓練において基本的な運体を学び、泳法において平面的ではなく空間的な運動を学び、甲冑刀法において装甲状態での戦い方を学ぶ。その統合として、水中での着甲戦闘訓練を行っているところだよ、お兄さん」

「なるほど……戦術機とは違うんだな」

「やってみる?」

「良いのか?邪魔になりそうだが……」

「良いよ良いよ。さっ、これを背負って」

 

 そう言いながら部屋の隅に置いてあった子供ほどの大きさの推進器らしき物を渡してくる。

 

「これは?」

「水中用電動合当理、数打劔冑の調練のために開発された装備さ。これを付ける事でより本物の劔冑の動きに近い訓練が可能になったのさ。これがあるから武家じゃない新兵も短時間で安全に劔冑に習熟できるんだよ」

「なるほど」

 

 合当理を背負ってベルトを締める。身体に合当理が固定されたのが分かる。これを使って縦に8の字を描くように泳ぐのが正しいらしい。そのためか深さがかなり深い。10mはありそうだ。

 

 水に入ると、合当理の重さもあり、浮いているだけで一苦労だ。そしてまずは直進からスタートし、身体の動きを慣らしていく。すぐに戦術機とは違うという事を理解する。戦術機であれば跳躍ユニットを動かすことで方向転換を行っていた。それとは違うのだ。もっと全身で、背中に固定されているからこそ全身で方向を変えるのだ。戦術機でも迅速に方向を変えようと、あるいは負荷を減らして方向を変えるのならば考慮していた事をさらに突き詰める必要があるのだ。逆に細かな空力などは考慮する必要がない。というより考慮できない。だからこその劔冑の形状、だからこその戦術機の形状なのだ。その事をまずは理解する。

 

 背中の推進器を全身をひねるようにして向きを変える。そう、こうだ。体の軸の移動を意識しろ。常に推進器を意識しろ。全身を使って向きを調整し8の字を描くように水中を進む。

 

「流石だね」

 

 どうにか他の兵士がやっているような8の字の動きができるようになった辺りで一度やめると茶々丸がそう声を掛けてくる。

 

「精一杯さ」

 

 掛け値ない本音だ。地上に上がって初めて分かる。全身が疲労している。使ったことのない筋肉が悲鳴をあげている。合当理という推進器があるからこそ使う筋肉というのがあるらしい。

 

「これはなかなかハードだな。全身の筋肉が悲鳴あげてるぜ」

「いや、初めてで双輪懸(ふたわがかり)の訓練までできるのがすごいんだよ」

「フタワガカリって言うのか、あの8の字を描くように泳ぐのを」

「そうだよ、ってお兄さん知らなかったの?……武者の戦いの基本でね、装甲を抜くために正面衝突(ブルファイト)するんだけど、その時に武者同士の空中戦は∞の軌道を描くから双輪懸って呼ばれてるんだよ」

「ああ、聞いたことある気がするな……それにしても何度聞いても頭おかしいな、ヘッドオンから全速力でぶつかり合わないと装甲が抜けないとか硬すぎだろ」

 

 劔冑という存在の不条理に唖然とする。ベルトを外し、合当理を元あった場所に戻す。茶々丸を見ると、彼女も水に入ったらしく活動的な印象を与える美しい金髪が濡れているのが見て取れる、

 

「それで、どうだった」

「んー、ダメみたい。少し小さくなったような気もするけど誤差の範囲だね」

「そうか、じゃあまた別の方法考えないとな」

「―――うん」

 

 茶々丸が嬉しそうに頷く。それを見て俺も頑張らなくてはという思いを新たにする。

 

 



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転章
戦術機と劔冑


 俺達はとりあえず整備環境が整ったと聞いて不知火・弐型の様子を見に来ていた。急遽作られたのだろう簡単な骨組みにトタン屋根と周囲を布で覆った巨大でバラックな建物がそこにはあった。それも仕方ないだろう。戦術機のような巨大な物を整備するためのスペースなどこの国のどこにも存在しないのだから。

 

 中に入るとすぐに目に入るのは横たえられた不知火・弐型だ。横たえるために専用の架台をでっち上げたのだろう。鉄骨が無骨に組み合わされたベッドに横たわる姿は何か不思議な感じがする。その横には機体を持ち上げるためだろう大型のクレーンが三基並んでいる。

 

「いらっしゃい」

 

 つくしが俺達を出迎える。これから一緒に整備を通して不知火について理解を深めてもらうのだ。技術流出の危惧があるため本当に最低限の人間で不知火・弐型を整備しなければならない。特に劔冑の技術者でもあるつくしはその中心を担うことになるのだ。

 

「ああ、これからよろしく頼む」

「ん、戦術機、直す、楽しみ」

 

 まぁ、直すと言っても限界があるのは分かっている。正直に言えばこれは単なる自己満足以外の何物でもないだろう。特に跳躍ユニットのように半ばから失われている部分はどうしようもないだろう。それ以前にベイルアウトしたコアユニットを元の位置に戻せるかどうかさえ怪しいと言える。

 

「じゃあ、集まってくれ、まずは戦術機についてレクチャーから始める」

 

 不知火・弐型内部に搭載されている簡易整備マニュアルを教材として必要最低限の知識を整備班の皆に伝えていく。これでも本職の整備兵とまではいかないまでも整備兵の新兵程度には技術と知識はあると自負している。テストパイロットをやるにはその程度の知識と技術は必須と言っていいからだ。

 

 実機を教材に各部の分解方法、整備方法、破損している部品の交換方法などを教えていく、流石に集められた技術者だけあって、貪欲に分からない部分を質門をする。時には自分では答えられないような高度な事も求められ言葉に詰まることも度々だった。だが、全員の意志は一つだったように思う。このすごいのを自分の手で直したい、そんな意志が感じられた。

 

 パーツ一つとっても喧々諤々の言い争いが起きる。どんな仕組みなのか、こうではないか、いやそうじゃない。修理して使おう。いや新造してみよう。技術的に無理があるんじゃないかと誰かが漏らせば、そんなことはないはずだと誰かが吼える。

 

 そして破損が深刻な部品を丁寧に丁寧に分解し、その仕組と役割を理解する。そして直せるところは直し、無理なところは代用品を考える。幸いと言っていいのか破損はねじ切れるような物が多く、焼失や消失している部分は驚くほど少ない。この壊れ方なら直せるのではないか、そんな希望が見えてくる。

 

 そして気がつけば夜。様子を見に来た茶々丸が終了を宣告しなければ今でも脇目も振らずに修理に没頭していただろう。そう考えると茶々丸は良い時に終わるきっかけをくれた物だと思う。

 

「ユウヤ」

「ん?つくしか、どうした?」

「戦術機、凄いね」

「そうか、ありがとう。先人たちの血の結晶だからな」

「有り様が良い。これは、人を守るための刃」

「そんな事、初めて会った時も言ってたな」

「うん、正直な、感想。人同士で争うために生まれた訳じゃない所が特に良い」

 

 そう語るつくしからは寂しさのような感情が感じられた。それは戦術機と何かを、劔冑を対比させた結果のように俺には感じられた。

 

「つくしは……劔冑が嫌い、なのか?」

「昔は好きだった」

 

 昔は好きだった。今は嫌いという事だろうか?深い意味が込められていそうな一言に思わず言葉に詰まる。

 

「お祖父様は劔冑の設計士だった」

「……そう、なのか」

 

 唐突につくしが語りだす。

 

「六○式を設計した時にはこれで我が国の独立は守れると言ったらしい。そしてそれは嘘じゃなかった。八八式を設計した時には不当な侵略に抗えるって言ってた。そう信じていた」

 

 この国の数打劔冑は採用された国記の下二桁を型番に使っている。そこから考えるとつくしの祖父は本当に数打劔冑の黎明期から開発に関わっていた事が分かる。

 

「でも!……でも、今劔冑は民を虐げる象徴、こんな事望んでいなかった。私はそれが許せない。どうにかしたい、でもどうにもできない」

 

 つくしの言葉が僅かに荒れる。その無表情な顔の下にどれだけの思いを抱えているのか、俺には察することもできない。六波羅が苛烈な統治政策を推進している事は知識としては知っている。それに茶々丸が関わっていることも。だがそれが悪いことなのか俺には分からない。

 

「それは……誰が悪いわけじゃない。時代が悪いんだ」

 

 そんな月並みな言葉しか俺には掛けることができない。

 

「……お祖父様は劔冑鍛冶としての名誉を捨てて隠居した。今は民のことを考えてくれている岡部のところに居候している。私はレーサークルスの整備をやっていた時に茶々丸様に拾われて、ここにいる。茶々丸様が正しいかどうか分からない。でも、ユウヤに会えた。戦術機に会えた。だから、ユウヤに知っていて欲しかった。お祖父様の事を、私の事を」

「そうか……ありがとな」

「え?」

「話してくれて、つくしの事が少しわかった気がする」

 

 改めて実感する。俺はこの世界の事を何も知らない。もっとこの世界について知らなくてはならない。そう思う。

 

 それから数週間が過ぎた。不知火の整備はなかなか思うようには進まない。だが、俺が教えられる事は大概教えられたと思う。後は実際の作業を行う現場の人間に任せても大丈夫だと思える程度には進んでいた。そんなある日の事だった。

 

「これは……劔冑か?」

 

 そこにあったのは戦術機と劔冑を適当に混ぜ合わせたような風の機体だった。腰部に装着された跳躍ユニットからその事が察せられる。ベースとなったのは大和帝国の量産型劔冑の物だ。確か……八八式竜騎兵だっただろうか。大和帝国の量産型、数打はよく似ているので見分けるのが難しい。まして改造されていると見分けるための特長が消えて見分けるのが難しくなる。八八式だとすると特長は重装甲、堅牢さだった筈だ。

 

「そう、八八式を改良してでっち上げた(・・・・・・)、戦術機の技術試験騎」

「これ動くのか?」

「一応、動く、でもまともな操作不可能」

 

 詳しく話を聞いてみると、翼甲に無理やり小型の合当理を載せ、跳躍ユニットを模してみたというのだ。設計段階から考慮されているような改造の上限を軽く突破している曲芸じみた改造を施したとの事だ。

 

 そのせいか、計算上でも小型の合当理に換えたことで最高速度は落ち、双発にした分重量が嵩んで加速性能は劣悪、無理矢理搭載した翼甲は限界ギリギリでゆっくりしか動かせないから運動性も劣悪という三重苦の機体との事だった。

 

「そんな機体、何で作ったんだ?」

「ん、未知への挑戦、やってみないと分からない事も多い」

「いや、そりゃそうだけどさ」

「実際、分かったことも多い。跳躍ユニット、スーパーカーボンじゃないと成り立たない、重すぎる」

 

 戦術機の各所に用いられているスーパーカーボンは軽く、強く、耐熱性も高いというおよそコスト以外に非の打ち所がない万能材料だ。それを用いずに同じ構造を再現しようというのだから無理も当然だろう。

 

 整備兵の一人がつくしに駆け寄ってくる。そして何か耳打ちしてすぐに去っていく。

 

「……テスト中止、テストパイロット、来れなくなった」

「…………なぁ、そのテストパイロットって俺でも良いかな?」

「ユウヤ?」

「元々テストパイロットしてたって話はしたよな?それでこういう機会があるとどうしても自分で動かしてみたくなるんだよ」 

 

 俺がそう言うと渋るような気配を見せるつくし。それも当然だろう。いくら戦術機のテストパイロットで戦術機を模した劔冑とは言え劔冑なのだ。そして俺に劔冑を飛ばした経験はない。とは言えあれからもプールでの訓練はたまにやっていたから劔冑の感覚自体は分かってきている、と思う。

 

「でも……」

「良いじゃん、おもしろそうだし、この子(八八式)なら事故っても安心だし」

「茶々丸……じゃあ、そういう事で良いよな?」

 

 突然割り込んできた茶々丸が許可を出す。トップがオーケーと言ってるのだ。つくしもこれ以上反対する事ができなかったのだろう。不承不承と言った感じで頷く。

 

「直進だけ、カーブは不可」

「分かった。それで良い」

 

 条件を付けられてしまったがそれは許容しよう。どうせ、まともに飛ばない機体なのだ。元から無理をする気はなかったので直進だけで十分だ。

 

 劔冑を着込んで、スタートグリッドに移動する。この機体は試験機らしく生体認証システムをオフにしてあるらしい。そのため仕手の変更は自由に行えた。軍用の劔冑だとこうは行かない筈だ。最低でも登録された仕手と引き継ぐ仕手の両方が揃っていないと変更できないと聞いたことがある。

 

「よし、準備OKだ」

 

 金打声(きんちょうじょう)―――装甲通信(メタルエコー)を通して管制室に準備完了を告げる。すぐに管制室から返答が返ってくる。後はスタートのシグナルを待つばかりだ。

 

 そしてスタート、合当理に火を入れる。爆音を上げて試作機が飛び立つ。が、その進路は既に30度近く左にずれている。このままでは壁に激突してしまう。俺は落ち着いて重心を移動させ進路を右方向に向ける。そのまま暴れ馬を御すように右に左にひっきりなしに方向転換しながら前進する。

 

「コイツはッ!」

 

 どうやら左右の合当理の推力を調整する機構がまともに働いていないらしい。どうやってもどちらかの合当理が強く斜め方向にしか飛べない。そして直線が終わる。ここまでだ。合当理の推力をゆっくり落としながら、ピッチを上げる。が、突然右の合当理が停止し制御を失いスピンする。すぐに左の合当理も停止させて、そのまま地面に落下する。受け身を取る。幸いスピードはかなり落ちていたので粉塵を上げるだけで滑り止まる。墜落よりはマシなハードランディングだった。

 

「こちらユウヤ・ブリッジス、こいつはとんだ暴れ馬だぜ」

 

 やはりこういうのは乗ってみないと分からないものだ。八八式をベースにしてるだけあって、装甲はかなり厚く、事故を起こしても大丈夫だという確信がなければこんな機体には乗ってられないだろう。

 

「ユウヤ、大丈夫?」

「ああ、大丈夫だ。色々修正点がありそうだが、悪くなかったぜ、それよりも機体の方は大丈夫そうか?」

 

 だが、テストパイロットをやるということはそういうことなのだ。いつ事故が起こってもおかしくない状況で細心の注意を払いながら機体の限界を手探りで探る、それがテストパイロットの役目だ。そして事故が起きた時に如何に素早く対処するか、テストパイロットに必要な資質の一つだ。

 

 

 



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鍛錬

遅くなってしまい申し訳ありません。
必要なシーンを追加していたら時間が掛かってしまいました。


 夜、不知火・弐型の復旧作業を切り上げた俺は走っていた。別に追われている訳ではない。訓練だ。最近忙しくて碌に訓練もしていなかったのだ。このままでは衛士としてマズイ。そう思い、時間を作って走り込みをしている。昼は不知火・弐型の整備、夜は劔冑の勉強、時には茶々丸のお使いをすることもある。やるべきことは幾らでもあった。時間はまるで足りない。だが、衛士として身体をベストの状態に維持するのは義務だ。だから、まずは走る。とにかく走る。軍人にとって走ることは基本中の基本だ。走れなくては軍人足り得ない。

 

 10km程走った頃の事だった。俺を見つめる視線に気づく。茶々丸だ。手にはタオルとドリンクを持っている。ちょうど頃合いも良かったので訓練を中断する。

 

「はい、お兄さん」

「ありがとう、茶々丸」

 

 ドリンクを呷り、タオルで汗を拭う。

 

「ふぅ、生き返るぜ」

「訓練?精が出るね」

「ああ、最近出来てなかったからな」

 

 そこまで、言ってふと思い出した事があった。前に唯に剣術を習おうとした事があった。結局碌に教わることもできなかったのだが、今はある意味その機会なのではないだろうか?

 

「なぁ、茶々丸」

「んあ、何?お兄さん?」

「剣術を習うことってできるか?」

「うーん、劔冑の理解の一環としてって事?」

 

 そうだった。この世界の剣術は劔冑の存在を前提にしているのだった。となると俺が習いたかった剣術とは全く別物なのかも知れない。だが、逆に興味が湧いた。さっきまでは体力作りの一環、より高みを目指すためとは言え断られたら諦める程度の気分だったが気が変わった。

 

「その考えはなかったんだが、古代より連綿と切磋琢磨してきた劔冑剣術、一体どんな物なのか俄然興味が湧いてきたぜ」

「あー、お兄さん、本気だね」

「ああ、本気も本気さ」

「……うん、分かった。お兄さんの頼みだ。……ちょうど紹介したい人も居るし」

「よっしゃ!……紹介したい人?」

「そ、まぁ、明日楽しみにしといて」

 

 そう言うと茶々丸はイタズラ気に笑う。この感じ絶対に喋る気はなさそうだ。

 

 そして、翌日、俺は堀越御所に併設された道場に居た。

 

「こう、か?」

「そう、その動きです。」

 

 10kg程の長く重い木刀を、右肩に担ぐような構えから左下方向へ、一息に振り切る。足の踏み込みは行わない(・・・・)。場を動かずに、振る。これが意外と難しい。どうにも足が出てしまうのだ。それを意思の力と体幹で制しながら斜め袈裟の形で振る。

 

「……あなたは筋が良い。ですが、動きの基本が劔冑の物ではありませんね。素肌剣術のそれに近い。あまり矯正しすぎるとそちらの方にも影響が出てしまう……。劔冑を扱う予定がないならそのままの方が良いのですが、どうしますか?」

 

 穏やかに問いかけられる。なるほど確かに戦術機のそれ(・・)は地上での戦い方だ。自然、それは地上での戦い、素肌剣術に近くなる。それに対して劔冑は足場のない空での戦いを基本にしている。必要なのは腕力と上半身のバネだ。その点を考える突き詰めた結果がこの素振りなのだろう。

 

「いや、劔冑を扱う予定はない。今回道場に来たのも劔冑を知る(・・)ためだ。それに……役に立たない訳じゃない」

 

 嘘ではない。戦術機同士による空中近接戦というかなり限られた戦場だが、俺はそれを体験している。その戦いを思えばこの素振りも無意味なものではない。

 

「……ふむ、知るため……ならば、あなたが覚えるべきはこの素振りのみでしょう」

 

 男が言う。異形の男だった。黒塗りの夜間天眼鏡(ナイトビジョン)を掛け、縮緬の灰装束を羽織り、長髪を後ろで括っている。(えら)の張った顎に痩せこけた頬が張り付いている相貌は、幽鬼のようである。

 

 柳生常闇斎、六波羅新陰流宗主。厩衆の元締でもあるという。厩衆とは、六波羅幕府、主に其の中でも足利一族に元来服従している剣客集団である。身辺警護は勿論、公に事を成せぬ様々な職務に従事する。其れは要人の暗殺、潜入捜査など多岐にわたるという。

 

(そして何より、強い)

 

 その立ち居振る舞いはさり気ない。強者のオーラを纏っているという話ではない。雰囲気がない(・・)。ひたすらに自然なのだ。

 

「俺が新陰流を覚えても無駄って事か?」

 

 素振りを止め、常闇斎に問う。

 

「そうです。害悪ですらある。あなたの根幹から変える努力が必要とされ、なおかつそれが実を結ぶとは限らない……。ですが、知る(・・)必要はあります」

「?」

 

 常闇斎が壁に掛けられていた木刀を一本手に取る。

 

「体験してください。あなたならそれで十分な筈です」

 

 新陰流を覚える事は無駄、だが、知る必要はあるという。そして常闇斎は俺の対面に立ち、武者正調の上段に構える。新陰流を体験させてくれるという事なのだろう。そう受け取り俺も上段に構える。

 

「まずは"一刀両段"、六波羅新陰流の基本です。」

 

 常闇斎がスルスルと間合いを詰めて来る。間合いが狭まっているのは確かなのにその距離感がうまく掴めない。手、足、呼吸、見えている全てが矛盾しながら迫ってくる。

 

 常闇斎を相手に一部を見て間合いを把握する事は不可能だ、と断じる。全体を感じるように観る、半ば勘任せの所業だが、これの方がまだマシなように思える。

 

 腹も決める。間合いに入ったら躊躇せず叩きつける!

 

 そして、間合いが盗まれる(・・・・・・・・)。全身全霊を掛けて注意していたにも関わらず、意識の隙間を縫うように常闇斎が間合いを詰める。そして真半身になり、ゆるゆる(・・・・)と木刀が振られる。その段になって漸く俺も素振りの通りに木刀を振り下ろす。狙える場所は多くはない。目標は常闇斎の肩。

 

 ゆるゆると振られた常闇斎の木刀と俺の渾身の木刀が交わる。いつの間に剣の軌道が変わったのだろうか?否、最初から変わってなどいない。常闇斎の木刀は俺が振るであろう木刀の軌道上に予め置かれていたのだ。木刀の軌道上に横から現れた常闇斎の木刀が弾き飛ばす。

 

 そのまま腕を打たれ、僅かに衝撃が走る。ゆるゆると振られた木刀が直撃したのだ。そして、そのまま木刀が喉へと伸びてくる。

 

「参った」

「では、次です。動は『陽』、静は『陰』で御座います。重要なのは、『陽』と『陰』を、内外に“変える”、という事。内で『陽』動かざれば、外見は『陰』とせねばなりません」

 

 そう言うと常闇斎は離れていき、再び木刀を上段に構える。常闇斎の言葉は抽象的な概念だが、その言わんとするところは分かりやすい。……だが今度は間合いなど測らない。間合いの勝負では話にすらならない。間合いなど気にせず飛び込み振り下ろす。

 

 常闇斎が遅れて動き出す。だが、常闇斎に緩みなど感じられない。敢えて遅れて、十分以上に見てから動き出したのだ。

 

 そして、再び腕に衝撃、今度は全身が痺れるほど強烈な一撃だった。一瞬何が起きたのか分からない。こちらが早く動き出したのに明らかに遅れた剣が先に届いたのだ。

 

「六波羅新陰流、"合撃(がっし)"。遅れて――相手の剣筋を見切った上で動き。その上で大きな円を描く敵の剣筋の内側に、我が剣は小さな円を描き――。結果的に、相手よりも早く目標に達し。打ち合わず。乗り込んで。斬る」

 

 何を言っているのか分からない。いや、理屈は分かる。だが、そんな事が実現可能なのか?要するに相手が攻撃という隙を晒している間に相手よりも早く動いて斬る、そう言っているのだ。

 

 確かに疾さとは強さだ。だが、ここまで隔絶した疾さを人間は実現可能なのだろうか?(アメリカ)だって人間工学を元にした早さの研究を重ねてきているのだ。

 

「では、次です」

「あ、ああ、頼む」

 

 次に常闇斎が今度は下段に構える。俺も構えを変えるべきだろうか?いや、せっかく見せてくれているのだ。ならばまずは上段に対する下段の対処を見せてもらうのが正解だろう。

 

 間合いの読み合い、相手にならないと分かっても工夫を凝らさない訳ではない。最初は読もうと思って読めなかった。次は読めないならば機先を奪おうとした。ならば次はどうする?今度はこちらが読ませないようにしてみよう。

 

 常闇斎はなんと言っていた?動くのであれば動かないように見せかけろ、動かないのであれば動くように見せかけろそう言っていたと思う。

 

 動かない事をまずは決めた。まずは相手を動かす。露骨にやっても手の内がばれるだけだ。我慢に我慢を重ねた結果、我慢できなくなった、そう見せかける。そう決める。

 

 上段の構えのまま、相手を待つ、常闇斎がジリジリと摺り寄ってくる。間合いに入った。だが、待つ。常闇斎と俺のリーチの差はそう大きくない。僅かに俺が長い程度だ。その僅かの差を縮めるのに常闇斎は時を掛ける。

 

 崩れたように見せかける、なのにその前に本当に崩れそうになる。これで良いのか?そんな疑問が頭をもたげる。待つことの辛さを感じる。だが、まだだ。今は待つ。

 

 俺の間合いの内側に入り込まれる瞬間、我慢できなくなった風を装う。いや、実際に我慢できなくなったのかも知れない。斬る!そんな意志を身体に巡らせる。だが実際には動かない。その矛盾。

 

 常闇斎は動かなかった。

 

 そして俺の間合いが死ぬ。そこまで至りゆるゆると常闇斎の木刀が振られる。俺は何もできないまま打ち据えられる。

 

「ふむ……今のはなかなか良かったですね」

「だが、何もできなかった……」

「考えなさい。試しなさい。まだ時間はあるのです」

「……もう一手、頼む」

 

 そこから下段で中段で、上段で。ありとあらゆる構えから全身を打ち据えられる。どれだけ工夫を凝らそうとも常闇斎に届かない。ひたすら考えながら対処法を捻り出し続ける。そのどれにも常闇斎は対応してくる。そしてどれほど時間が経っただろうか?

 

「最後に……無刀取り、は知る必要はないでしょう」

「その無刀取りって言うのはどんな技なんだ?」

「技、ではありません。《理》です。生身を以て劔冑を打倒する――研鑽の果にある《理》、それが無刀取りです」

 

 生身を以て劔冑を打倒する。剣術の理を積み重ねていけば人間はそこまで到達できるという事だろうか。確かに要撃級を剣で斬ったなんて噂話は元の世界でもあったが眉唾ものだと思っていた。……だが、この柳生常闇斎ならそれを達成したとしてもおかしくないように思える。

 

「常闇斎、ありがとう」

「いえ、あなたには私も期待しているのですよ」

 

 最後という宣言通り、常闇斎は終わりを告げる。外を見ると既に日は落ちていた。常闇斎の教えを振り返りながら道場を後にする。

 

「どうだった?お兄さん」

「ああ、凄い参考になったぜ。あれが本当の達人って言う奴なんだな……手も足も出なかった」

「ハハハ、仮にも大和最強の剣士だからね」

「ところで紹介したかった人っていうのは常闇斎の事なのか?」

「おっ、鋭いね」

 

 そう言うと茶々丸が周囲を確認するようなそぶりを見せる。

 

「実はね、お兄さん。ウォルフ教授と会ったんだ」

「ウォルフ教授と?ようやくだな」

「うん、何せあても有名人だからね、常に見張られているんだ。それをすり抜けて会いに行くのはなかなか骨だったんだ。で、常闇斎は六波羅の諜報部門厩衆のトップでもあるんだ」

 

 柳生常闇斎はスパイでもあるということか。それが一体これからする話にどう関わってくるのだろうか?

 

「だからその常闇斎が居ない時を見計らってウォルフ教授に会いに行ったんだ。まぁ、あてもリーディングの能力があるから警備の網を掻い潜るぐらいはどうってことなかったよ。それでウォルフ教授とも無事協力関係を確立できたんだ」

「おっ、無事協力関係になれたんだな」

「うん、そこまでは良かったんだけどね」

「何かあったのか?」

「現れたんだよ。常闇斎が。私も興味がありますってな感じでごく自然に。どうやったのか出てきたのですよ」

 

 茶々丸が困ったような表情でそう言う。茶々丸にはリーディング能力がある。なのにそれを乗り越えてスパイする。常人にできる所業ではない。というかまずリーディング能力のことを知っているのか、どうなのか、確認する必要があるのではないだろうか。

 

「それは……何というか凄いな」

「幸い、常闇斎とも協力関係を結ぶことができたから良かったけど、もし敵に回ったらと思うと……背筋が寒くなったよ」

「まぁ、仲間になってくれたんだ。良しとしようぜ」

「うん、おかげでウォルフ教授との繋ぎもやりやすくなったし、結果オーライなんだけどね……」

 

 柳生常闇斎、何を目的に神を求める?あるいは茶々丸の策謀が国のためになるとでも判断したのだろうか?今日一日剣で会話したが未だに常闇斎がどのような人物なのか判然としない。

 

 俺も気をつけなくてはいけない。そう改めて心に決める。

 

 




さて、剣術について無理解な私がネットと原作を頼りに頭を捻った結果です。
おかしな点があるかも知れませんがこれがとりあえず限界です。


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大阪探索行

さくさく行きます。


「うう、お兄さん。急ぎじゃないんだから今回は延期して、あても一緒に行った方が良いんじゃない?」

「仕事なら仕方ないさ。それに危険地帯って言ってもコイツを持たせてもらってるし、何より俺は軍人だぜ、危険なとこ行くのも仕事さ」

「ホントーに気をつけてね。お兄さん」

 

 心配そうな茶々丸に見送られ堀越を出発した俺達は伊豆から大阪近辺まで列車に乗り、一番近い新大阪の駅で降りるのだった。他に降りる人物はいない。そこから淀川を渡れば大阪の中心部だ。大阪と言えば日本帝国では経済の中心地として有名な街だ。大和でも経済の要所だった(・・・)らしい。

 

 だが

 

「これは酷いな……」

「うん」

 

 眼前に広がるのは広大な廃墟の森。たった今爆撃を受けた後だと言われても納得できてしまうほど徹底した破壊の跡がそこかしこに残っていた。ここが経済の中心地であったことは立ち並ぶ廃墟群だけが僅かに主張するのみだった。

 

「……大阪虐殺」

 

 今回水先案内人として同行したつくしがぽつりと言う。そこには怒りと僅かな恐れが感じられる。大阪虐殺、事前のブリーフィングでも聞いた言葉だ。六波羅の暴虐を示す代表的な例。

 

「確か、反六波羅勢力、そしてそれに加担する街の有力者を街ごと(・・・)葬り去った事件だったよな」

「そう、さらに大阪虐殺を根拠に国難の時代すなわち戦時であるとして六衛大将領が施政権を持つべきだと主張。六波羅幕府は支配体制を確立した」

「……何度聞いても反吐が出そうな話だな」

 

 何時になくつくしが饒舌に語る。六衛大将領とは六波羅幕府のトップであり、征夷大将軍と対をなす将軍職だ。征夷大将軍が外征のための将軍だとすれば六衛大将領は防衛のための将軍だ。そして防衛戦において施政権を認められている。現在の六波羅幕府はその拡大解釈によって大和を支配している。

 

「イーニァ、何か感じるか?」

 

 さて、そんな荒廃した大阪に何をしにやって来たのかと言えば劔冑の探索である。坐摩神社という神社の御神体として劔冑が祀られていた可能性があり、その劔冑が目的(・・)のために必要だから調査にやってきたのだ。目的というのは神の事だ。先頃ウォルフ教授と茶々丸の協力体制が確立し、具体的な神の調査が始まったのだ。そしてその調査のために必要な劔冑がここ大阪にあるかも知れないのだ。

 

「うんん、このあたりにはヘンなの(・・・・)はいないよ」

 

 イーニァは頭を振る。イーニァが言う変なのとは劔冑の事だ。この間、鎌倉を訪ねる事があったのだが、そこでイーニァが変なのを見つけたと言い出して走り出したのだ。それを追いかけていった結果、誰とも血縁していない劔冑を発見するという一大事があったのだ。

 

 その時の騒動を思い出す。

 

 ―――――――

 

「ゆうや!こっちこっち!」

「おい、待てってイーニァ」

 

 俺達は茶々丸のお使いで鎌倉にやって来ていた。用事も終え、そろそろ帰ろうという時にイーニァが変なの見つけたと言って走り出したのだ。それを追いかけている内にいつの間にか神社へと入り込んでしまう。流石に勝手に上がり込むのはマズイだろう。そう思った時にはイーニァは既に中に入り込んでしまっていた。それを追いかけて俺も上がり込む。

 

「……失礼しますっと」

 

 ドンドンと進んでいくイーニァを追いかける。段々と奥に進むに連れて不安になっていく。これはミーシャに会わせてあげると言われてソ連軍基地に無断侵入した時と同じではないのかと思ったのだ。戻ろう、そうイーニァに言おうとした時だった。奥まった部屋の前でイーニァが立ち止まったのだ。

 

「このへやの中にヘンなの(・・・・)がいるの」

「ここか?イーニァその変なの見たらすぐに帰るぞ」

 

 正直に言えばイーニァが言う変なのが何なのか気になったというのも間違いない。だが、その時はあんな大騒動になるとは思いもしなかったのだ。俺はそーっと戸を開ける。立て付けの良い戸は音も立てずに開く。部屋の中を覗くとそこには大きな神棚のような物がある。それ以外には目を引く物は何もない。

 

「これ、か?」

「うん、この中!」

 

 そう言ってイーニァは止める間もなく神棚の扉を開く。中には子供程の大きさのある大きな狐の像が鎮座していた。深い紫紺の色味も雅やかな金属の光沢を持つ九尾の狐。

 

「ちゃちゃまるみたいなの、このこ!」

「何?」

 

 茶々丸みたい、だと?それはもしかして……そう考え込んだ時の事だった。

 

「おまさんらは誰や?」

 

 呑気な声が俺達に掛けられる。俺が振り向くとそこには冕冠(べんかん)で顔を隠した如何にも貴人と言った風な和服を身に着けた男が立っていた。

 

「あっ、これはそのすみません。勝手に上がり込んでしまって……」

「うん、分かったえ。それはええ」

「本当にすみません……あの、これ(・・)は劔冑、ですよね」

 

 そう俺が問うと、貴人はマズイ物を見られたとばかりに黙り込む。

 

「……何も見んかった。そんな事にはできんかえ?」

「それは……」

 

 返答に窮する。仮にも茶々丸という幕府の高官に養われている身としてはあまり隠し事をしたくはない。だが、勝手に首を突っ込んで面倒を起こしたのは自分なのだ。

 

「うん、分かった。腹は決めたわ。で、結局おまさんらは何物なんや?」

「堀越公方の元で世話になっている者です」

「堀越公方!それは驚きやわ、何でそんな人がこんなとこにおるんや?」

「それは……イーニァがこれ(・・)の気配を見つけた物で……」

「気配?」

「はい、ちょっとした特殊技能です」

 

 貴人の視線がイーニァに向かうのを感じる。その言葉の真偽をイーニァから探ろうとしているのだろうが、イーニァはいつも通りニコニコとしているだけだ。

 

「偶然っちゅうことやね。はぁ、しょうがないわ。諦めた。好きにすればいいえ」

「……大切な物なのですか?」

「実家の倉で埃被っとっった骨董品や。古いばっかりで由来も何もはっきりわからんような、いい加減な代物やな」

 

 実家の倉ということは、この貴人の所有物という事なのだろう。ここの御神体のような物ではないという事だ。そしてそんな物をわざわざここに持ってきていると言う事は……

 

「申し訳ないのですが、堀越公方に報告させてもらいます」

「……好きにしたらええ。どうせわしには何もできん」

 

 そう言って貴人は道を譲るように身体を避けてくれる。このまま出ていっていいという事なのだろう。そう判断し、イーニァの手を引く。

 

「イーニァ、行くぞ」

「……最後におまさんの名前教えてくれんかえ」

「ユウヤ・ブリッジスです。こっちはイーニァ、イーニァ」

「イーニァ・シェスチナです。おもしろいおにいさん」

「おもっ!?……まぁええわ、ユウヤ君、またな、何か知らんがまた会う気がするんやわ」

「あの、こちらもお名前を伺ってもよろしいでしょうか?」

「ん?わしかえ?わしは舞殿宮(まいどののみや)と呼ばれとる」

 

 やはり生粋の貴人だったらしい。おそらく朝廷のお偉いさんだ。今は実権はないとはいえ尊敬を集めている存在なのだろう。

 

「宮殿下、失礼いたしました」

 

 そう言って、頭を下げ舞殿宮の横を通り、もと来た方向へと向かう。今度は呼び止められなかった。そのまま誰に出会う事もなく外に出ることができる。そこで初めてここが鎌倉八幡宮と呼ばれる場所である事が分かる。

 

「変な人だったな」

 

 そう呟く。嫌いになれそうにない。だが、鎌倉という事実上の首都に劔冑という至上の武器を持ち込んでいたのだ。その事を見逃すことはできない。後は茶々丸にどうにかうまいこと処理するようにお願いするだけだ。他人任せだが他にどうしようもない。

 

 後に調べたところによると出会った人物は舞殿宮春熙親王。先帝の長兄である基熙皇太子に次いで、皇位継承権第二位に位置する人物であった。まごうことなき貴人である。

 

 そんなやんごとなき身分の人間は、本来であれば朝廷がある京都に坐する。ともすれば、春熙親王の御名の由来も窺い知れよう。六波羅の手によって京の都から招かれ、此の奥殿へ迎えられた親王――故に舞殿宮。

 

 源氏棟梁を称する六波羅一門は、当然源頼義を開祖とする八幡宮を信仰している。であればこそ、六波羅は朝廷への信仰心、勤皇精神を顕すため、京都から八幡宮の祭祀長職別当として春熙親王を奉じたと。表向きにはそう謂われている。実際は、皇室をも自在に動かしうるという六波羅の権威表明であった。

 

 とどのつまり、宮殿下は人質なのだ。直接的に手を下せぬ朝廷に睨みをきかせるために、六波羅は春熙親王を鎌倉に囲った。そしてそんな人物が六波羅の地、鎌倉に劔冑を持ち込んだのだ。問題にならない訳がない。その事を茶々丸に報告すると、しばらく何事か考え込んだ後

 

「分かった。お兄さん、余計なことしてくれたけど、ありがとう」

 

 そんな感謝とも何ともつかない事を言われる。

 

「すまない……すまないついでに申し訳ないんだが、あまり舞殿宮殿下を責めるような事にはして欲しくないんだ」

「それは舞殿宮の立場をわかった上での発言?」

「いや、全く分かってない。個人的なお願いだ」

「うーん……まぁ、それもありか、分かった。堀越で秘密裏に回収する方向で動いてあげるよ」

「すまん、助かる」

 

 そこまで報告を聞くという体だった茶々丸が一気に表情を変える。ここからは個人としての茶々丸ということらしい。

 

「それよりも御堂だよ。封印状態の劔冑を見つけられるって凄い能力だよ。あてにもできないことをやってのけたんだから」

「茶々丸にはできないのか?」

「あてには封印状態の劔冑の声は聞こえないね」

 

 凄い凄いという茶々丸に相槌を打ちながら雑談へとなだれ込む。それから茶々丸が舞殿宮の事をどう処理したのかはよく知らない。ただ舞殿宮殿下はそのまま鎌倉に居るということだけは教えてもらった。

 

 

 ―――――――

 

 思い返してみてもとんでもない事をしてしまったと思う。

 

 このイーニァの特殊技能を利用して坐摩神社にあったという劔冑を見つけ出すのが今回の目的だ。完全にイーニァの能力頼りの行き当たりばったりの調査になる。

 

 そのまま旧大阪市街へと足を踏み入れる。そこもやはり復旧は一切されていない廃墟が立ち並ぶ。大通りには人気が一切ない完全なゴーストタウンだった。だが、道を何本か入ったところには僅かに人の気配がする。この大阪という街は今、巨大なスラム街、いや六波羅を嫌う者達、その落人が最後に流れ着く場所になっていた。そのためまともな法はない自分の身は自分で守るしかないそんな危険な場所だった。

 

 そんな場所を坐摩神社を目指してひたすら南下する。会話はない。ピリピリした雰囲気で、遠くから見られている事が分かるからだ。

 

「……多分、こっち、だと思う」

 

 つくしの先導で歩いているとだいぶ近づいたのだろう。大通りから裏通りへと導かれる。いい加減視線にもなれ、気になっていた事を尋ねる。

 

「つくしは昔大阪に住んでいたのか?」

「そう、昔、子供の頃、父の仕事で」

「そうか、お父さんは何をされてたんだ?」

「ん、技術者、大阪工廠で働いてた。でも大戦で……」

 

 つくしが言葉を濁す。それだけでつくしの父に何が起きたのか大体想像がつく。

 

「そうか……話してくれてありがとな」

「いい、それより、着いた。ここが坐摩神社」

 

 つくしが足を止め、指をさす。そこには辛うじて焼け残ったのだろう石造りの鳥居だけが存在している。他の建物は焼けてしまい無残な姿を今も晒している。

 

「イーニァ、どうだ?ここから何か感じるか?」

「うんん、だめ、なにもかんじないよ」

 

 もしかしたら、という期待があったのだが、流石にそううまく行くことはないらしい。だが、これでとりあえず最低限の任務は達成だ。ないということが確認できただけでもそれはそれで成果なのだ。

 

 踵を返す。こんなところで夜を越したくはない。その思いから足早に歩いて行く。チラリを背後を確認する。誰も見えない。

 

「もし、お武家様……」

 

 しばらく歩いていると女性に声を掛けられる。ようやく来たか、そんな思いもある。ここに来てからずっと尾けてきていた相手が遂に声を掛けてきたのだ。振り返ると顔色の悪く痩せこけた、だがそれが凄烈な美を醸し出している女性が立っていた。

 

「何かな?お嬢さん」

「……お願いがあるのです。あの人を殺した山賊を殺して欲しいのです」

「山賊?……俺は殺し屋じゃない。そんな願いは叶えられないね」

「でも、お武家様じゃないと、そのバイク、劔冑なんでしょう?山賊は劔冑を持っているのです」

「山賊が劔冑を?……それでも答えは変わらない。他を当たってくれ」

 

 そう切り捨てるように言う。確かに俺は今、劔冑を所持している。俺がずっと押して歩いていきたモノバイクがそれだ。だが、劔冑と戦えるような物じゃない。何せこの前テストパイロットをした試作機なのだ。旧式の上に無茶な改造でバランスも劣悪。精々一般人に対する圧力になるぐらいが関の山なのだ。

 

「あなた達は坐摩神社にあった物を探しに来たんでしょ?」

「……そうだ、それがどうかしたのか?」

「それならアイツラが持ってるわ」

「何、アイツラってのは山賊の事か?」

 

 聞き捨てならない事を女が言う。坐摩神社に探し物をしに来たことは尾行していたのなら分かってもおかしくない。山賊が劔冑を持っていると言ったがそれが目的の劔冑の可能性がある。こうなっては単に無視するという訳にもいかない。

 

「……分かった。話だけは聞こう」

 

 そして女が語りだす。女の名は匂宮望、元々大阪に住んでいたごく普通の夫婦だったらしい。それが全てが変わったのが大阪虐殺の後だった。大阪虐殺には軍に入った幼馴染の警告があったため巻き込まれることは避けられた。しかし、生活の基盤が失われ、廃墟となった大阪の町で細々と農業をして生きていたらしい。

 

 その生活が一変したのは警告してきた幼馴染が戻ってきた時からだった。幼馴染は軍で出世し竜騎兵まで成り上がったのだが、何か事情があって脱走したそうだ。そしてその武力に頼ってこの大阪の町に一大勢力を築き上げる。一般人には手に負えない山賊の誕生だ。

 

 だが、それでも幼馴染という縁があった夫婦は見逃されてきたのだ。いやむしろ最初は何くれとなく物資を融通してくれたり親切にしてくれた。しかし、山賊がその立場を笠に着て望を手に入れようとした時、その関係は終わった。反抗する望の夫を山賊が殺してしまったというのだ。それから望は夫を殺した山賊を殺すために生きているのだという。

 

「……そう、か」

 

 これも六波羅の暴政が招いた歪みだろう。想像はしていても実際に本人から聞かされるとその酷さが実感できる。だが、目的を取り違えるわけにはいかない。

 

「それで、坐摩神社にあったのは何なんだ?」

「劔冑、だと思うわ。何をしても反応しない、でも絶対に普通の像じゃない大きな土竜の像があの神社には祀られていたわ」

 

 土竜の像!それこそが探し求めていた劔冑に違いない。こうなれば望の話を無視する訳にはいかないだろう。

 

「何でそんなこと知ってるんだ?」

「私と夫、そして山賊は幼馴染だったっていうのは話したでしょ。この近辺の生まれだった私たちにとって神社は良い遊び場だったのよ。ある時入ってみようって話になってそれで見つけたわ」

「なるほど、分かった。とにかく山賊に会いに行く」

「山賊達は大阪城跡を根城にしているわ……それじゃあ、頼んだわよ」

 

 山賊に会いに行くと言うと望の瞳が怪しげに光ったように見える。望は山賊の根城を教えるとどこかへと去っていく。

 

「それで、ユウヤ、行くの?」

「行かないわけにも行かないだろう。何せ目当てのものがある可能性が高いんだからな」

「応援を呼んだ方がいい」

「応援か……呼んだ方がいいんだけどな」

 

 劔冑を所持している山賊に会いに行き、劔冑を引き渡してもらう。言葉にすれば単純だが、実行は困難だ。最低限度の武力はあるとは言え討伐部隊を用意すべきなのだろう。しかし、この近辺で協力が得られそうな場所は京都守護を目的としている室町探題しかない。室町探題と四公方の関係を考えると躊躇せざる負えない。

 

「いや、とりあえず様子を見てからにする」

「……ん、分かった」

 

 俺達は大阪城を目指して移動する。

 

 そして今、俺達は山賊の頭と対面していた。あれから大阪城に近づいたのは良かったのだが、あっさりと見張りに見つかりそのまま囲まれて御用になったのだ。だが、事情を話すとあっさりと頭の元まで案内されたのだ。

 

「ほう、お前さんらが俺を殺しに来たって奴等か」

「いや、別に殺そうとは思ってないが」

「ほう?望と会ったからここに来たんじゃないのか?」

「それはそうなんだが……俺達には俺達の目的がある」

「その目的ってのはなんだい?」

「あんたが坐摩神社から持ち去ったって話の劔冑だ」

「劔冑?俺が?」

「土竜の劔冑、違うのか?」

「……ああ、あれか……なるほど、そう言う事か」

「?持ってるんだろ?違うのか?」

「ああ、欲しければ俺と戦いな」

 

 そう言うと山賊の頭はところどころ欠けているボロボロのモノバイクを椅子の裏から引っ張り出す。あのモノバイクは待騎状態の大和の数打劔冑だ。俺が押してきた物と同質のものだ。

 

「そんなボロボロの状態でやるってのか?」

「ああ。……おい、この兄ちゃんの劔冑を持ってきてやれ」

 

 頭がそう言うと取り上げられていた劔冑が返却される。どうやら戦うしかないようだ。

 

「尽忠報国」

 

 頭が誓言を唱える。モノバイクが甲鉄の欠片となり一瞬空を舞い、頭を包み込む。そこにはそこかしこに破損が見られるものの堂々たる佇まいの武者―九○式竜騎兵―が出現していた。

 

「八紘一宇!」

 

 俺も続いて誓言を唱える。頭と同じようにモノバイクが甲鉄の欠片となり空を舞う。次の瞬間には全身を劔冑が包み込み、活力が全身を満たす。この感覚は劔冑独特の物だと思う。少なくとも戦術機では感じられない。

 

「何だそりゃあ?双発の八八式?そんなもんもあるのか」

「これは試作機だからな、まともに飛びやしない」

「はっ、お前こそそんな状態でやるってのか?」

「やるしかないんならやるだけさ」

「いい覚悟だ!じゃあ行くぜ!」

 

 そう言うと頭は合当理に火を入れる。合わせて俺も合当理に火を入れる。爆音を上げて飛び立つ俺達。が、やはり双発に変更された結果の重量増が出足を鈍らせる。もっとも向こうも万全ではないらしくそこまで高度差はない。

 

 武者の戦いの第一段階はまず高所の取り合いから始まる。この時に重要なのが加速性能だ。そしてこの試作機は加速性能が劣悪である。高度優勢を取った方が重力を味方に付けて攻撃できる分重い攻撃ができるのだ。

 

 高度優勢は取られたがまだ水平に近い状態だ。この状態なら高度の差はほとんどないと言っても過言ではないだろう。そのままヘッドオンで直進していく。太刀は武者正調の方に担ぐような上段の構え、相手も同じようだ。まずは一手目、どうする?

 

「はっは、鈍亀だな!」

「うるせぇ、そっちも似たようなモンだろうが!」

 

 金打声(メタルエコー)で煽られる。決めた。どうせ二撃目に優位を取れるような機体じゃないのだ。ならばまだ有利不利が定まらないこの一撃に全てを賭けるぐらいの気持ちで切り込む!

 

 幸いと言っていいのか武者の剣は力任せだ。力とは、最も単純な強さだ。そして単純であるが故にアメリカでも、引いては自分でも研究している。そして得た結論は力とは速さだ。俺にとって最もやりにくい相手とは技を持った相手である。単純な力勝負であればまだ勝機は見える。

 

 斬り間に入ると同時に全力で太刀を叩きつける。鋭く重い金属音が響き渡り手首に凄まじい負荷が掛かる。太刀が弾かれた、だが、相手もほぼ同様に弾かれている。即座に旋回機動へと移る。

 

 武者の戦いの二段目はこの旋回能力だ。これが優れていれば二撃目以降に高度優勢を取りやすい。そしてこの機体は運動性能も劣悪である。腰に合当理が存在しているため何も支えがない空中では向きを動かしにくいのだ。そして跳躍ユニットのメリットであるユニット自体の可動もカタツムリよりも遅い。即ち糞の役にも立たない。それでも必死に旋回を終え、再び敵騎を捉える。

 

 今度は互いに高度優勢を取り合うように上昇しながら距離を詰めていく。僅かに敵騎の方が上方を確保する。その場で敵騎はピッチを下げて加速体制に入る。高度優勢は敵騎に奪われたようだ。

 

 相手は武者正調の上段の構え、そのまま下に駆け抜ける算段のようだ。ならばこちらは下段に構える。下に抜ける敵騎に対して上段に構えても打ち下ろしが敵を追いかける事になり致命傷になりえない。ならば下段に構えて待ち構える。これで構えは五分、問題は高度優勢を取られているためにこれでは負けが見えているという事だ。

 

「おらぁ!」

「シッ!」

 

 激突の瞬間、双発である利点を活かし、単発ではあり得ないバレルロールを行い、僅かに打点をズラす。お互いの太刀が互いの甲鉄を打ち砕く。

 

 《右肩部装甲被弾、中度損傷》

 

 CPUがダメージレポートを伝えてくる。腕がちぎれたかと思ったが、八八式の分厚い甲鉄がダメージを抑えてくれたようだ。壮絶な痛みとともに腕の感覚も戻ってくる。まだ繋がっているし動く。ならば問題なし、だ。敵騎はこちらの不意打ち、相打ち上等の奇襲でかなりダメージを負ったはずだ。それぐらいいいのが入った感触がある。機体を立て直し、旋回する。

 

 敵騎はまだ旋回途中だった。ここで高度優勢を取るのも一手だろうが、それよりも奇襲の効果が薄れない内にもう一撃しておきたい、そう判断し、敵騎に向かって直進する。

 

 どうにか旋回を終えた敵騎に太刀を振り下ろす。態勢の整わない敵騎は太刀打ちできないと判断したのか回避を選択する。翼甲(ほろ)を僅かに掠る程度で終わる。

 

「チィッ!」

 

 だがまだ優位はこちらだ。即座に旋回し、再び突撃しようとする。が、その出足の事だった。

 

 《一二○度下方(たつのしも)より不明騎接近》

「なに!?」

 

 機械的な音声が新手の存在を告げる。慌ててそちらに向き直るとそこには茶色の劔冑が飛び上がってきていた。その姿は異様、獣をそのまま直立させたような異形の姿、その手には杭打機(パイルバンカー)だろうか?長い杭を備えた機械を両手で持っている。

 

「あの劔冑……真打か!まさか目的の!?」

「悪いな、兄ちゃん、俺の客だ」

 

 そう金打声が響く、見ると頭の九○式竜騎兵が新手の真打劔冑へと向かっていくのが見える。敵の増援という訳ではないようだ。そのまま頭と不明騎は双輪懸を開始する。だが、様子がおかしい。頭は見事な技でパイルバンカーの一撃をいなしている。問題はいなしているだけという事だ。十分にカウンターを入れられるタイミングにも関わらずそれをしていない。ただひたすら守り続けるだけだ。激突を繰り返すたびに僅かずつ頭の機体にダメージが蓄積していく、いくら受け流すことに成功しても完全にノーダメージとはいかないからだ。

 

 そして遂に綱渡りは終わりを迎える。いなしてなお威力十分だったパイルバンカーの一撃が翼甲(ほろ)を抉ったのだ。バランスを崩し、フラフラと地上へと堕ちていく頭の九○式。勝負有りだ。それでも不明騎は態勢を整え地上に堕ちた頭の命を狙う。事情は知らないが、目の前で人が殺されそうになっているそれを見過ごすことはできない。そう思い乱入する。

 

「待ちな、勝負は着いた。殺さなくてもいいだろ?」

「邪魔しないで!!!」

 

 女性の金切り声が金打声で響く、そして躊躇なくこちらに向き直り、突進してくる。邪魔する者は全て排除しようと言うことだろう。仕方なくこちらも応戦の準備をする。幸い高度優勢はこちらの側だ。

 

 ピッチを下げて降下、加速体制に入る。向かってくる敵騎は中段の構え、というより武器の形状上他に選択肢はないのだろう。先程から中段以外に構えていない。そして攻撃は突き一択。分かりやすいことこの上ないがその一撃がこちらを確実に破壊可能なのだ。対応は慎重に慎重を重ねる必要がある。

 

 こちらは上段に構える。そして衝突の寸前、身を捩って敵騎の上に抜けるコースへと進路を変更、同時に太刀を下段に構え直す。敵騎はただがむしゃらに杭を撃ち放つ。

 

 衝撃

 

 《腰部甲鉄被弾、軽度損傷》

「きぃゃああああああ!」

 

 敵騎にはかなりいいのが入った。やはり敵騎は素人のようだ。俺も劔冑の戦術に関しては詳しいとはいい難いのだが、それよりも拙い。中段からの突きを上に抜ける敵に当てることは困難だ。本当に一瞬を掴むしかない。それに対してこちらは線で攻撃できる。狙えるほどの腕もないならラッキーパンチにさえ気をつけていれば大丈夫だ。

 

 旋回しながらピッチを上げて上空を目指す。一度明確に高度優勢を確保できれば機体性能に明確な差がない限りそう簡単に奪取されることはない。その例に逆らわず、二撃目もこちらの高度優勢は間違いない。とは言え一撃の威力は侮れない。決して油断していい相手ではない。

 

 未だ機体制御にもたつく敵騎に向けて直進する。隙だらけの姿に狙う部位を選べるだけの余裕がある。狙うは合当理飛行できなくなれば戦闘続行は不可能になる。そう考え太刀を振るう。

 

「……やらせねぇよ」

「なっ!?」

 

 墜落した筈の頭の九○式が突然、割り込んでくる。背中に不明騎を庇う態勢だ。とっさに翼甲(ほろ)を切り、進行方向を変える。

 

「死ねぇえええええええ!!!」

 

 そして事態は唐突に終焉を迎える。背中を晒している九○式にむかって不明騎が攻撃を仕掛けたのだ。背後からの奇襲、対処できるはずもなくパイルバンカーに貫かれる九○式。そして二度目の墜落。今度は致命的な落ち方をした。

 

「頭!……クソッ」

「やった!やってやったわ!!あは、あはははははは!」

「お前は何なんだ!」

 

 吼えながら、再び敵騎へ向かって降下を開始する。避けるどころかこちらに反応すら見せない敵騎に向かって太刀を振り下ろす。殺すつもりはない。だが、墜落は覚悟してもらおう。太刀が合当理を切り裂き、不明騎が堕ちていく。

 

 地上に降りる。偶然のなせる技か、二騎はほとんど同じ場所に墜落している。

 

「頭!生きてるか!」

「……騒ぐな、若造。……死神に嫌われちまったようだ」

 

 そこには腹に大穴を空け血をだくだくと流してる頭が廃墟の壁に凭れていた。周りには九○式竜騎兵の残骸が散らばっている。残骸の破損具合から考えると奇跡的だと言えるのかも知れない。

 

「すぐに病院に連れて行く」

「俺の事はいい、それよりあっちだ」

 

 残った気力を振り絞ったのだろう。指差す左手は震えている。指差した先には例の不明騎が墜落していた。

 

「何でそんなにあいつの事を気にかけるんだ!?」

「俺は……あいつを……俺のせいなんだ。だからこれは自業自得さ」

「クッ、分かった。あっちを見てくる。すぐ戻ってくるからくたばるんじゃねぇぞ!」

 

 不明騎へと駆け寄る。ダメージの受けすぎで装甲状態が解除されたのだろう。一人の女性と一体の金属製の土竜がいる。

 

「な!?この人は……」

 

 そこで気絶しているのは匂宮望だった。土竜の劔冑の仕手は望みだったのだ。だがそこまで驚きはない。良く考えてみれば劔冑を持っていた事以外はごく順当な成り行きなのだ。頭を殺したがっていた望が頭を襲撃した。ただこれだけなのだ。呼吸を確認し、外傷もない事を軽く確認する。大丈夫だ。望を頭の近くの安全な場所に横たえ、再び頭の元へと戻る。どう考えても頭のことが最優先だ。

 

「匂宮望は大丈夫だ。今は自分の事だけ考えてろ」

「……そうか、望は無事だったか、良かった」

 

 持っていたタオルで直接圧迫止血法を試みる。

 

「俺達は幼馴染でな、バカみたいに気があったんだ」

「いいから喋んな!」

「聞いてくれよ、どうせ最後だ。……それで何をするにも一緒だった。そんな俺達に転機が訪れたのはあいつが十三が望に告白した時だったな。望はそれを受け入れ、俺は祝福した。でも……どこか受け入れられなかったんだ。だから軍に逃げた」

 

 そこで頭は口腔内に溜まった血を吐き捨てる。

 

「それからは必死だったな。そしたらいつの間にか竜騎兵まで成り上がってた。そんな時だった。大阪を、俺達の町を、焼き捨てるって話が入ってきたのは、それまでも散々焼き払ってきたのにその時だけは受け入れられなかったんだ。俺はすぐに脱走して、あいつらに伝えた。そこから仕方なく。いや仕方なくもなかったのかな?山賊を始めたんだ。意外と才能があったようで今じゃ結構な数のお頭って訳さ」

 

 頭が力なく笑う。

 

「あいつらの事は何くれとなく面倒見てやってた。それが間違いだったのかも知れないな。いや、山賊なんか始めたのが間違いか。俺に頼るしかない現状に十三が耐えられなかったのさ。望の暴力を振るうようになったんだ。そんなこと知らない俺はお気楽に物資を渡しては冗談めかして、言い寄ったりしていた。そして次に耐えられなかったのは望だった。望は……十三を殺した」

「お前が殺したんじゃないのか!?」

「俺にはそんな勇気はなかったね。結局。そして望はその自責の念に耐えられず、俺が殺したって事にしたらしい。望は俺を殺そうとどこから手に入れたのか劔冑まで使って襲ってくる。殺される覚悟がない俺はただ熱量が尽きるまで相手をしてやるだけだった。それから望は俺を殺せる誰かを求めて彷徨いだした。後はあんたも知っての通りさ」

 

 そう語り終えると安堵したように目を閉じる。血はまだ止まらない。そろそろ墜落を聞きつけて山賊たちがやってきてもおかしくないと思うのだが。そう思い周囲を確認する。一瞬見逃しそうになるが、望の姿が消えている。それに気付き逡巡する。重症の頭か、何をするか分からない望か。

 

「ゆうや!」

 

 イーニァがつくしと共にやってくる。

 

「悪い、この人を頼む!」

 

 それだけ言い残すと俺は望を追いかける。何故か胸の内側から不安を吹き出してくるような感覚がある。

 

 ……遅かったようだ。

 

 そこには望がいた。自らの手で胸を一突きしている。脈を確認する。ない。既に冷たくなり始めていた。遺体の横には血文字でごめんなさいとだけ残されている。そしてその側には土竜の劔冑。俺は廃墟の壁を叩く。手が痛くなっただけだった。

 

 望の遺体と土竜の劔冑を持って、イーニァ達の元へと戻る。そこからはあまり覚えていない。頭を部下に引き渡して、俺達は解放された。

 行きと同じようにモノバイクを押す。その座席には土竜の劔冑が鎮座していた。任務は達成できた。だが、後味の悪い任務だった。

 

 




本当は小狐丸はこの段階では鎌倉にないと考えたほうが自然なのですが、話の都合上持ち込まれてる事にしました。贖罪編(無料公開中!)のフラグが折れてしまいました。小狐丸の活躍が見たい方はぜひ贖罪編のダウンロードを自分とは違い原作の雰囲気そのままです(ダイマ)

以降、後書きと言う名の言い訳です。

話の流れが唐突な部分が多々あると思います。掘り下げ不足も甚だしいと思います。実はプロット段階では大阪編という形で四日に渡るシティーシナリオを予定していたのですが、本筋に直接関わらないためバッサリカットしてしまいました。これはこの先の書きたい部分を書くための措置ですが、申し訳ありません。


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装甲競技

「今日と明日は遊びに行くから支度してね」

 

 鶴の一声であった。そう告げる茶々丸に引っ張られるようにして俺達は出発したのだった。あのよく揺れる車に乗ること数時間、俺達は駿河国小鹿の田村甲業直営サーキットに来ていた。

 

「ここで何するんだ?レース観戦か?」

 

 サーキット場に来てすることなど他にないだろうと思いそう言う。遊びに来たというのならそれできっと正解だと思っていた。

 

「んにゃ、お兄さんにはレースに出てもらおうと思ってる」

「何!?本気か!?」

「本気も本気、お兄さんのために新型機も用意したんだからね」

「そんなに規模の大きくない大会なのか?」

 

 新型機というは気になる所だが、俺にお鉢が回ってくるってことは戦術機を模した機体だろう。大会にイロモノ枠というは付き物だ。そういう意味での参加なら有りうるかも知れない。

 

「んー、大会の規模としては大きくないよ。でも参加する各社のワークスチームが来年の勝負を見据えた機体を送り込んでくるから注目度はバッチリだね」

「なんでそんな大会に出なくちゃならないんだ……」

 

 想像以上に大会の規模としては大きいようだ。

 

「何でって面白そうだから?」

「そんな理由なのか……」

「うーん、気に入らなかった?なら政治向きの理由もあるけど」

「政治向きの理由?」

 

 問い返すとちょっとだけ真面目な空気に切り替わる。

 

「あては戦術機の事を完全には隠していないんだ。これは下手に隠したほうが興味を惹かれるからね。で、隠していないからにはある程度実績ってもんが必要な訳、まぁ結果が出なくてもあての道楽って事になるだけなんだけどね」

 

 ちゃんとした理由があるのなら出るのを断る訳にはいかないだろう。これで出て優勝しろとか言う無茶振りならともかくそうじゃない。できることをやらない理由はない。

 

「……分かったよ。茶々丸。出ること自体はそんなにイヤって訳じゃねぇし」

「流石お兄さん、話が早い。後お兄さん、これからは茶々丸じゃなくてこの名で呼んでね」

 

 そう言うと一枚の名刺を渡される。

 

 灰色の荒野(コンクリートサバンナ)を駆け抜ける風

 弾丸雷虎(ダンガンライガー)・見参!!

 

 名刺にはそう書かれていた。

 

「何だ、これ……」

「え?見てわかんない?名刺だよ、名刺」

「いや、名刺は知ってるが、ダンガンライガーって何だよ……」

「あての偽名」

 

 とてもいい笑顔で自分を指差す茶々丸、改めライガー。何かもうどうでも良くなってきた。それから劔冑を見せてあげる、といってガレージに案内される。その途中の事だった。

 

「おっと、すまない」

「いえ、こちらこそすみません」

 

 気が抜けていたのだろう。角を曲がったところで人とぶつかってしまう。学生の四人組だ。きっと装甲競技(アーマーレース)のファンなのだろう。

 

「お兄さんはレースの参加者なんですか?」

「……ああ、一応な」

 

 彼らのすぐ先はスタッフエリアとなっており、部外者は進入禁止になっている。その場所を目指していたのだレースの関係者である事は一目瞭然だろう。だが、飛び入り参加の身で堂々と参加者だと名乗るのも憚られた。

 

「どこのチームなんですか!?」

 

 少年の一人、軽薄そうな糸目の少年がキラキラした目で問う。だが生憎と今日参加を知らされた俺はどこのチームの所属なのかすら知らない。その事に今、気づいた。

 

「あ、ああ。茶、ライガー頼む」

「おうさ!あてらチームは閃光の雷(ライジングサンダー)だぜ!!」

「おおっ、あのライジングサンダー!!……って知ってるか?」

「うん、確かあまりパッとしない金満プライベーターだったと思う」

「おい、忠保言い過ぎだ!」

「うう、正論が痛い……」

 

 酷い言われようだった。とは言え茶々丸の落ち込み様を見る限り、その通りなのだろう。否定する要素は何もないように思う。苦笑しながら言う。

 

「まぁ、今回は度肝を抜く事にはなると思うぜ」

「おっ、お兄さん強気発言だね~、やる気になってくれてあて嬉しい」

「レース楽しみにしてます!」

「ああ、楽しんでいってくれ」

 

 手を振り、応援してくれる少年たちと別れてガレージへと向かう。

 

「さてお兄さん、遂に、遂にあて達の愛しい愛騎とのご対面だよ!」

「そうか、おーいつくし居るんだろ?」

「うわぁーい、軽く流されちまったぜ」

 

 茶々丸が若干いじけてるが気にしてはいけない。ガレージのドアを開け中に入る。中ではつくし達が一騎のクルス(劔冑)を整備していた。

 

「あ、ユウヤ、いらっしゃい」

「コイツが俺の乗る劔冑か?」

 

 そこにあったのは白一色の純白の劔冑だった。八八式のような武骨さとは対称的な流麗なフォルム。ベースとなった機体がレーサークルスなのだろう。流線型の機体は如何にもスピードを意識しているように見える。そしてこの機体の特徴である腰部にマウントされた二基の合当理、跳躍ユニットだ。

 

「今回はまともに飛ぶのか?」

「大丈夫、サンダーボルトの4WD(四翼駆動)を組み替えて跳躍ユニットをマウントから可動速度も十分。合当理も高出力の物に取り替えた。左右の合当理の調整も万全、この前みたいな無様は起きない。でもスタートだけは気をつけて多分暴れる(・・・)でもユウヤの技術なら乗りこなせる、勝てる」

 

 つくしが饒舌に語る。最後の言葉だけで十分過ぎるほど伝わった。つくしは勝つつもりなのだ。

 

「よっしゃ、じゃあ勝つぞ!」

 

 俺が気合を入れるとスタッフ一同が気炎を上げる。スタッフからレースに関してのブリーフィングを受ける。何せこちらはズブの素人なのだ。最低限レースのルール程度は把握していないとどうしようもない。

 

 そして練習が始まる。今日は午前が練習で午後に予選があるという話だ。そして明日が本番。だが、まずは予選を突破しないことには話にもならない。

 

 ピットからコースに出る。会場がどよめく、それも無理ないことだろう。他の機体は全て単発、なのに双発の上腰部に合当理がマウントされているのだ。双発というのはルール上問題ないらしいが、どこも取り入れてない。それはそうだろう。単発で十分な出力が出せるなら双発にするなどデッドウェイトを増やすだけの愚行だ。会場からもそんな声が聴こえる。

 

 だが、そんな声は気にならない。何せこの機体は根本的に設計思想が違うのだ。そんな的外れの指摘を気にしても仕方がない。

 

 スタートする。出力が極端に上がったためにスタート時の安定性は悪い。つくしの言葉通り暴れる。それをねじ伏せる。左右の合当理の出力調整機構が逆に悪さをしているようだ。がそれもすぐに収まり安定した騎航に入る。

 

 出足は遅い。とは言っても他の機体に比べれば、だ。八八式・改の時と比べれば雲泥の差だ。加速は適当なところで止め最初のカーブ、攻めない。ただ安全に曲がりきることだけを考える。他の機体がドンドン抜き去っていく。観客の盛り下がりを感じる。だが、これが初飛行なのだまずは慣らしていかないと話にならない。

 

 一周、もう一周とドンドン観客が盛り下がっていくのを感じる。だが、俺は手応えを感じていた。カーブでの挙動、直進での加速性能一つ一つを丁寧に確認していく、そして午前の練習も最終盤、残り一周まで来た時にはほとんどのチームが練習を終えていた。俺はその最後の一周を全力で攻める。今までのような様子見の走りじゃない全力を尽くす。

 

 加速はゆるゆるとこれは仕方ない重いのだから。だがその加速が終わらない(・・・・・)、双発で高出力だからこそできる圧倒的な最高速度、全身のフレームが振動し、暴れ馬のように乗り手を振り落とそうとする。それを強引に押さえ込む。そしてカーブ、今までのような低速での突入ではない。他の機体を置き去りにするほどの高速での突入だ。

 

 ぶつかる!

 

 そんな悲鳴が聞こえた気がする。跳躍ユニットを可動させ、慣性をねじ伏せる。身体に尋常じゃないGが掛かる。がそれでも機体を制御し続ける。最低限の減速でカーブを抜け、再び短いストレート。歓声が上がる。それからも最低限の減速でカーブを抜けていく。その度に歓声が上がる。機体が悲鳴を上げる。だがコイツの限界はまだ先にある筈だ。そう感じる。そして最後のホームストレート。コイツの限界速度を見せつける!そんな思いで機体を駆る。そしてゴール。一際大きな歓声が上がる。

 

 ゴールを抜けピットに戻る。スタッフが駆け寄ってくる。

 

「どうだ!見たかコイツの限界を!」

 

 つくしに頭をぶん殴られた。

 

「無茶しすぎ、機体もボロボロ……」

「ああ~、こりゃダメだね、跳躍ユニットを保持してるフレームの奥の方が歪んでやがる」

 

 茶々丸がレーサークルスの表面を叩いて何かを診断する。

 

「フレームの強度が足りなかった。お兄さんの技量にこの子がついて行けてない。これは、私達の未熟」

「すまない、戦術機と同じ気分で乗っちまった」

「良い、私達の未熟」

 

 限界まで酷使し過ぎたらしい。コイツには悪いことをしてしまった。そこで気づく。俺はコイツの名前すら知らないのだ。

 

「なあ、コイツの名前って何て言うんだ?」

「……名前、ユウヤが付けて。良いよね、ライガー?」

「もちろん!あてがビックリするようなカッコイイ名前をお願いね」

 

 そう言われて考える。名前、名前か……。戦術機と劔冑の合いの子。そう思うと不知火・弐型(TYPE94-2nd)の事が思い出される。あれも日米の戦術機の合いの子だった。

 

「……不知火、コイツの名前は不知火・参型だ」

「それがお兄さんの選択?」

「ああ、そうだ。戦術機と劔冑の架け橋、そんな機体になって欲しい」

 

 結局、整備できるような状態じゃないとして出走は取り消しになった。だが、不知火・参型の走りは確かに存在したのだ。観客の記憶の中に残っている。

 

 そして、午後、暇になってしまった俺達はレース観戦をしていた。

 

「あっ、さっきのレーサーのお兄さん!」

「ん?ああ、さっきは悪かったな」

 

 そこには先程ぶつかってしまった学生四人組が居た。

 

「いえ……あの凄い走りだったんですけど、リタイアですか?」

「ああ、機体に無理させすぎてな、合当理のとこのフレームが逝っちまった。……俺の技量不足だな」

「そんなことないです!あの走り、他のレーサーとは違う何かを感じました!」

「ははっ、そう言ってもらえると嬉しいね」

 

 確かに俺はレーサーではない。骨の髄までテストパイロットだ。いつだって機体の限界を手探りで探している。そして今回はその限界を見誤った。死ぬ事はなかったが、死んでもおかしくなかったと思う。思いの外自分の意志を反映してくれる機体に浮かれすぎていたのだ。

 

「あのお兄さん、お兄さんの名前を教えてくれませんか?」

「ん?ああ。俺の名前はユウヤ・ブリッジス、こっちでは百橋ユウヤと名乗ってる。あんたらは?」

「ユウヤさん……あっ、俺は稲城忠保です。レーサー目指してます」

「友人の新田雄飛です。よろしくお願いします」

「飾馬リツよ、よろしく」

「来栖野小夏です。よろしくお願いします」

「ああ、よろしく。稲城君はレーサーを目指しているのか?」

「はい!もしよければどうやってレーサーになったかを教えてもらえませんか?」

 

 レーサーになった経緯、か。そもそも一度も出走していない俺はレーサーなのだろうか?少年には悪いが俺の例は参考にはならないだろう。それならむしろ……。

 

「生憎と、レーサーをやることになったのは流れだからあんまり話せることはないな。……だが、テストパイロットについてなら話してやれる」

「テストパイロット?」

「そうだ。俺は元々軍に所属していてそこで新型機を開発するためのテストパイロットをやってたんだ」

「それって凄いエリートって事なんじゃ……」

「まぁ、そういった面があるのは否定しない。幸い俺のいた軍は実力主義が基本だったからな。多少生まれが変わっていても受け入れる懐の深さがあったんだ。で、必死になって勉強して機体を動かして、最善の挙動を研究し続けていたらいつの間にかテストパイロットに抜擢されてた。それでも満足できなくて色々酷い無茶もやったもんだ」

 

 思い出されるのは苦い経験。自分の無茶の結果、上官を死なせてしまったという自分が背負わなくてはならない咎だ。

 

「あの、ユウヤさん」

 

 それまで俺と稲城の会話を聞いているだけだったもう一人が問う。

 

「ユウヤさんはなぜ軍に入ろうと思ったんですか?」

「なぜ軍に、か……。そうだな俺は……ダブル、いや、ハーフとして生まれたんだ。生まれた土地は差別意識が強くてな。それに負けないように愛国心を示してやるって士官学校に入ったんだ。……大した理由じゃなくて悪いな」

「あの、何か、すみません、立ち入ったことを聞いてしまって……」

「別にいいさ、もう俺の中では割り切ったことだからな」

 

 そこまで話すとどうも場がしんみりしてしまった。俺はもう気にしていないのだが、少年には少し刺激が強い話だったらしい。

 

「さて、俺の話はここまでにしよう。それよりレースを見ようぜ!」

「そう、ですね。うん、レースを楽しみます!」

 

 ちょうどタイミングも良く、各騎がピットから姿を現し始め各々飛び始める。今日の予選は一周のラップタイムを競う。制限時間内なら何度挑戦しても良いし、すぐに止めてもいい。そんなルールだ。

 

 予選開始直後、できるだけ長いこと飛びたいというチーム達によるデッドヒートにボルテージが上がっていく観客、俺達も場の流れに合わせて無理矢理テンションを上げていく。無理矢理でもテンションが上げればいつの間にか本当になっているものだ。

 

「どこか注目のチームしてるチームはあるのか?」

「そうですね、やっぱりタムラですね」

「確か……タムラって言うと今回の主催でサンダーボルトを作ったとこだったか」

「あれ?ユウヤさん、あまり詳しくないんですか?」

 

 そう問われてしまうと困ってしまう。俺にとって装甲競技(アーマーレース)自体ほとんど未知のものなのだ。ここでごまかしてもすぐにバレるだろうと思い、本当の事を言う。

 

「ああ、装甲競技自体初めて観戦する」

「ええっ!?それでいきなりレースって……」

「だから言っただろ。俺の例はあてにならないって、不知火を操縦するためだけにここに来たって言っても過言じゃないんだ」

「不知火ってあの双発の機体ですか?何か合当理自体が動いてましたけど……」

「俺達は跳躍ユニットって呼んでる。根本的に通常の合当理とは設計思想が違う代物さ。まぁ色々問題も多いんだが……」

 

 先程、全力走行で不具合を出してしまった跳躍ユニットを保持してるフレームの強度のことを思い嘆息する。やはり根本的にスーパーカーボンを使用しないとどうしようもないのだ。スーパーカーボンなしでやろうとすると重量が嵩み過ぎる。今度、折れた長刀を素材にすることも提案してみようと心のなかで決める。

 

「なるほど……特別な機体を操縦するためのユウヤさんって訳なんですね!……それで、何でそんな特殊な機体がレースに出てきたんですか?」

「まぁ、実績作りの一環だよ。お偉いさんにこんなもんができてこんな事ができるんだぜってことをアピールするためさ」

 

 肩をすくめながら、茶々丸に聞いた表向きの理由を言う。

 

「なるほど……あっ、タムラが出てきました」

「おっ、あの青いのか、確かに不知火の面影があるな」

 

 出てきたのは群青色が空のような、特徴的な四翼を持つ流線型をした機体だ。こうして比べてみると同じ機体を改造したとは思えないほど別物に見える。

 

 走り出す。他の機体と比べても軽快に加速していく。その姿は不知火とは比べ物にならない程スムーズだ。乗っている騎手もいいのだろう。順調に周回を重ね、順当に良いタイムを出している。

 

「なるほど、良い騎手だな」

「やっぱり分かりますか!皇路操はやっぱり世代ナンバーワンですよね!」

 

 稲城忠保が言うように他の機体と比べても動きがいい、特に優美でありながら攻撃的なコーナリングは他の誰にも負けないと言っても過言じゃないだろう。

 

 こうして外から眺めていると、自分も内側で走りたかったという思いがふつふつと湧いてくる。さっきの限界走行を行ってようやくついていけるかどうか、そんな世界が目の前で展開されているのだ。それを見てるだけでも試してみたくなることが増えていく。自分はまだ劔冑の仕手として未熟なのだと思い知る。

 

 そこからはひたすら食い入るようにレースの予選に見入るのだった。

 

「長刀の破片を使えないか?」

「ユウヤ?良いの?」

 

 不知火・参型の整備を行っていたつくし達に提案する。この前のレースで発覚したフレーム強度の問題、それを根本的に解決できるかもしれない提案だ。つくしも同じような案を検討したことがあったのだろう。あまり戸惑うことなく、反問する。

 

「ああ、折れた長刀なら使ってくれて構わない」

「ユウヤ……ありがとう」

 

 そう言うと早速部下達を率いて破損した長刀に挑む。未知の材料なのだ。俺にとっても流石に材料の特性や大まかな作り方程度ならともかくそれ以上の事は出てこない。そしてそうした基礎知識は既に伝えてある。後は実際に扱ってみてもらうしかないだろう。

 

 そして一月後、そこには長刀のスーパーカーボンを部分的に組み込んだ不知火・参型の姿がそこにはあった。

 

「えらく早かったが、ちゃんと試験はしたのか?」

「大丈夫、の筈。一通り材料評価はした。安全マージンは十分以上にとってある。後は疲労破壊の結果待ち、それも多分大丈夫。前みたいな無理をしても壊れない。その筈」

 

 確かに戦術機に用いられている材料なのだ。そうそう悪い結果が出ることはないとは思うが、それでも材料を変えるというのは根本を変えるという事だ。何が起こるのか分からない。

 

「まぁ、後は飛んでみるしかない、か」

 

 そういう事になったので、テストフライトを行う。緊急事態に備えて救助用に茶々丸の所から八八式竜騎兵を借り、万全の態勢で臨む。

 

 合当理に火を入れず、跳躍ユニットをグニグニと動かす。反応も悪くない。これぐらい反応速度があれば十分に機体を振り回せるだろう。同じように全身の感触を確かめていく。

 

 そして、まずはストレートを飛んで見る。相変わらず初動で暴れるが問題はないようだ。着甲したまま簡易整備を受ける。茶々丸による触診も問題なしだった。今度はカーブを曲がる。とは言っても跳躍ユニットを使ってではない。あくまで通常の劔冑のように全身の体を操作することによってだ。そして、一周、再び簡易整備を受ける。仕手としての感触も悪くない。むしろ良さそうだ。

 

 ついに跳躍ユニットを使う時がやってきたようだ。合当理に火を入れ、地面を蹴り飛び立つ。ストレートは問題ない。そしてカーブ、先程曲がった時とは異なり、跳躍ユニットによる推進方向の変更でカーブを曲がる。

 

 ここまでは以前の機体でもできていた事だ。問題はここから先なのだ。一周、一周丁寧に飛びながら負荷が掛かっていないかをチェックする。ここで無理をする必要はない。以前のように熱気に浮かされて動かすなどもってのほかだ。

 

 そして、テストフライトは順調に進んでいく。改良した部分も問題ないようだ。戦術機のテストパイロットとしての経験と学んだ劔冑の知識を基に限界を手探りで探すように一歩にも満たない距離をジリジリと踏破していく。

 

 ついに計算上の限界性能を達成する。歓声が上がる。俺も心の中でガッツポーズする。そしてテストパイロットとしての勘が言っている。これ以上は機体に無理を掛ける事になると、緊急事態じゃない限り、否、緊急事態だとしても発揮すべき領域ではない、と。

 

「……ここまでだ」

「ユウヤ……了解、帰投して」

 

 帰投した不知火・参型を徹底的にメンテナンスする。僅かな歪みも見落とさないように丁寧に、丁寧に。最も負荷が掛かったであろう跳躍ユニットを繋ぐフレーム部分にも問題はないようだ。茶々丸のお墨付きをもらう。

 

 ここに戦術機と劔冑の合いの子が本当の意味で誕生したのだった。

 

 そしてその実戦の機会がユウヤに与えられた。東雲サーキットで行われる全大和装甲競技選手権がそれだ。この大会は東京万博で戦技披露を行う選手の選抜も兼ねているらしい。上位5チームにその権利が与えられるそうだ。正直そちらには興味がない。茶々丸からも勝利するようにとはオーダーは出ていない。

 

「……お兄さん、気をつけてね」

 

 貴賓席でレースについて茶々丸と打ち合わせをしていた時、茶々丸はそう言った。それはレースという速度の限界に挑むという意味ではないように俺には感じられた。

 

「?何をだ?」

「実はこのレース……オヴァムが使われているんだ」

 

 オヴァム、神の欠片、劔冑を超常の存在にする第三の主体、その結晶。数打に陰義を付与する追加パーツ。平久里村での事が思い出される。

 

「それは、GHQがこのレースで実験してるって事か?」

「そう、GHQは資金援助の代わりにオヴァムを供与し、テストしようとしている。……だから何が起きるかあてにも分からない」

 

 そう言われて見ればたかがレースに九○式竜騎兵を八騎も動員するのは如何にもおかしい。過剰戦力過ぎる。

 

「まさか、俺の機体にも?」

「まさか!そんな事黙ってしたりしないよ、お兄さん。お兄さんの役目は何が起きるか分からないレースを無事に生還する事、いつもより安全マージン多目にとってくれると嬉しいかな」

「了解、気をつける」

 

 それだけ言い残すとガレージへと向かおうとする。その時の事だった。声を掛けられる。

 

「やぁ、ユウヤ君。元気だったかい?」

「ウォルフ教授……あなたもレース観戦ですか?」

「ん?茶々丸君から聞いていないのかね?」

「……オヴァム、ですか」

「何だ、知ってるではないか。……まぁ、私にとって陰義の発現がどうとかはどうでもいいのだがね」

 

 貴賓席を後にしようとするとウォルフ教授と出会う。GHQがオヴァムの実験をしているのならこの教授が居ることは何もおかしくないのだろう。GHQからの来賓というのもこの教授の事なのかも知れない。

 

「そう言えばモグラの劔冑を見つけたのは君なのだろう?」

「え、ええ。そうです」

「いやー、あれは実に役に立ってくれているよ。今まで地質調査とは効率が違う。おかげで研究も捗っているよ」

 

 大阪で回収した土竜の劔冑は茶々丸を通して、ウォルフ教授の研究に役立てられているらしい。そしてウォルフ教授の研究とは神の研究だ。特に今はその神がどこに座しているのかを突き止める事を目標にしていると聞いている。

 

「そう、ですか……」

 

 歯切れが悪くなる。どうしてもあの誰も救われなかった、どうしようもない結末を思い出してしまうのだ。

 

「おや?あまり嬉しくなさそうだね。君にとっても神は価値があるものだと聞いていたのだが、そうでもないのかな?」

「いえ、ちょっとその劔冑を入手した経緯で色々ありまして……」

「なるほど、神ではなく劔冑の方の問題か、それは私の範疇外だね」

「ええ、教授に何かしてもらう類の話ではありません」

「むしろ、手伝ってもらっているのは私の方だからね。……また、何か茶々丸君を通して頼むと思うからその時はよろしく頼むよ」

「教授の研究が成就することを私も願っています」

 

 それだけ話すとウォルフ教授と別れ、今度こそガレージへと向かう。

 

 今回は前回と違って十分な練習時間を確保できている。ならば最初から無理する必要はない。そう判断し、しばらく他チームの練習飛行を観察する。今のところおかしなところは、ない。

 

 流石に練習飛行から陰義が発現するような惨事にはならないようだ。そう言えば「極限の意志」が必要だとか言っていたような気がする。それが正しいのなら本当に危険なのは本レースの時だろう。自分の限界を見誤って事故を起こすならまだしも他人と絡んで事故など堪ったものではない。つくづく俺はテストパイロットなのだと思う。

 

 ピットから出撃し、無理をしないように飛ぶ。各部の動作を確認しながら一周一周テーマを定めて飛ぶ。何周走っただろうか?それそろ燃料が底を着く。機体の調子も悪くない、これなら明日も期待できるだろう。

 

 補給も兼ねてピットインする。確認したいことは一通り確認できた。その事をつくし達に伝える。長めのメンテナンスを行い、メカニック視点で見ても問題ない事を確認する。

 

「今日はこれぐらいにしておく?」

「ああ、無理をする必要は今はないと思う」

 

 サーキットを確認すると翔京やタムラと言ったワークスチームは続々と練習を切り上げていた。今走っているのはプライベーターが主だ。特に目を引くのはオレンジ色の劔冑、ワスプだろう。出場している機体の中でも群を抜いて古い(・・)。何せ戦前の機体だ。二翼稼働(2WD)にも関わらずコーナーを上手く捌いて機体性能の差を詰めている。その走りは評価に値するのだろうが、昔の自分を見ているようでどこか危なっかしい。

 

 そしてその危惧は若干予想とは違う形で現れる。限界に近いものの完全に制御された状態でコーナーに侵入するワスプ。そこに完全に速度を見誤って突入してきた機体がいたのだ。蟹光線(クラブ・レイ)、丸輪水産がスポンサーを務めるプライベーターだ。ワスプはどうにか接触を避けようと努力するも結局接触。ワスプは僅かに態勢を崩した程度で治める。なかなかの技術だ。接触した際にどこか痛めたのだろう。ピットインするワスプ。それに続くように蟹光線(クラブ・レイ)もピットインする。

 

 気になるのは蟹光線(クラブ・レイ)だろう。練習飛行など無理をする場面ではない。なのに無理な騎航を行った。その原因にオヴァムがあるのではないだろうか?だとすれば蟹光線は要注意だ。

 

 そして、翌日。春の青空の下。風は冴えて、空気は澄んでいる。絶好の装甲競技日和だった。スターティンググリッドに着き、シグナルが変わるのを待つ。合当理は既に火が入っており、唸りを上げている。シグナルが青に変わる。その瞬間身体が反射的に地面を蹴り、飛び立つ。接触しないように特に注意する。何せ不知火だけが双発で、加速性能に差があるからだ。横を他のチームの機体が抜き去っていく。

 

 だがこれで良い。と言うかこうなるしかない。ほとんど最下位まで順位を落とす。ストレートでゆるゆると加速していく。前方では第二集団が直角コーナーに挑むのが見える。先頭は驚いたことに旧式のワスプ、超低空飛行により地表効果を得た結果だ。その速度の代わりに激しいGと急な失速を招きやすい死と隣り合わせの危険な走りだ。

 

 そしてコーナー、どうにか第二集団の尻尾まで食いつくことに成功する。先頭のワスプは減速し、高度を上げている。流石に直角コーナーにあのまま飛び込むほど命知らずではなかったらしい。

 

 俺は第二集団の尻尾の位置から、ほとんど減速せずにコーナーに突入することを企図する。

 

「!!」

 

 減速しないのに他のチームを抜けない。その異常事態に咄嗟に減速する。案の定というべきだろうか。跳躍ユニットもなく、減速もせずに直角コーナーに飛び込んだ第二集団が次々とクラッシュする。

 

「クソッ!」

 

 これもオヴァムの影響か?無茶が過ぎる。レースが加熱しすぎている。最低でもオヴァムの影響下にあるのか、それを乗りこなせているのか確認できるまでは安全第一で行くしかない。

 

 それからもレースは荒れに荒れた。二十の参加機体の内、六騎がクラッシュにより飛べなくなり棄権(リタイア)、優勝候補だった翔京のワークスチーム三城七騎衆も六周でピットインし、そのままマシントラブルで棄権。

 

 俺はどうにかクラッシュに巻き込まれないように周回を重ねていく。そして十五周目に突入した時の事だった。既に参加機体は半分に減っていた。また騎航を続けている中にはあのワスプもいた。上位陣に食い込むその騎航は旧型機であることを考えれば驚異的だった。

 

 そろそろ機は熟したように思う。今飛んでいる機体は安定した飛行を見せている。これならそれなりに信用して飛べるのではないかと思う。今までの安全第一の騎航から勝負の騎航へと移る。コーナーで一騎ずつ丁寧に抜いていく。時にブロックされる事もあったが、こと運動性で不知火に勝てる機体は存在していない。振り回し、隙を見て抜き去っていく。後は劣悪な加速性能を付かれてストレート序盤で抜き去られないように気をつけるだけだ。ブロック勝負となりながら先頭集団をジリジリと追っていく。

 

 蟹光線(クラブ・レイ)を抜き去り、先頭集団に追いつく。驚いたことに要注意と思っていた蟹光線は安定した騎航を続けていたのだ。抜く時も何事もなく、順調に抜くことに成功する。そして前に居るのは旧型機ワスプ、だが油断できる相手では間違ってもない。旧型騎を駆りながら上位に食い込む、その技術は一流と言っても過言ではないだろう。

 

 そのブロックも巧みだった。最低限の動きで頭を抑えつける。加速性能が劣悪な不知火では完璧にブロックされると再チャレンジまでに時間が掛かってしまう。どうする?そう思った時の事だった。十分に加速できていない内にスプーンカーブに突入する。その隙を狙ったのだろうか、後方から蟹光線が抜きに掛かる。俺は蟹光線の頭を抑え、ブロックする。

 

「な!?」

 

 だが、蟹光線は減速しない。しまった!油断した!こいつはやっぱりオヴァムを使っていたのだ。ブロックを止め退避行動に移る。が、既に近接しすぎていた。跳躍ユニットに突っ込む形で蟹光線と衝突する。咄嗟にぶつかる跳躍ユニットを停止させる。そして衝撃。片肺になりながら辛うじて飛行を続ける。幸いアーチにぶつかることはなかったようだ。片側の跳躍ユニットは衝突によりぐちゃぐちゃだ。コースに復帰する。残念ながらここでリタイアのようだ。コースの端によりピットインを目指す。

 

 そう言えば蟹光線はどうなった?そう思い頭を巡らす。驚愕の光景が目に入る。蟹光線は貴賓席を目指して暴走していた。護衛の九○式竜騎兵が迎撃態勢に入っている。それを阻止しようと言うのだろうか、ワスプも貴賓席へと飛び出していく。

 

「茶々丸!!」

 

 クラブ・レイは九○式の暴威に気付いたのだろう。回避行動へと移る。だが、無茶な騎航は続く、九○式を振り切り高空へと至るクラブ・レイ、そしてそれを追うワスプ。九○式の重機関銃がクラブ・レイを狙っている。競技用劔冑の高度限界に至り、失速する。そこに手を伸ばすワスプ、だが、まだ僅かに距離がある。届かない。その次の瞬間だった。クラブ・レイの合当理が火を吹き爆発する。九○式は発砲していない。火球が広がりワスプも飲み込む。墜落するワスプ。

 

「死なせてたまるかよ!」

 

 片肺の跳躍ユニットに鞭を入れ、墜落予想地点へと移動する。ボロボロになったワスプを受け止める。勢いを殺しきれず一緒に地面に叩きつけられる。ワスプのレーサーはどうなった?救助隊が駆け寄ってくる。どうやら生きているらしい。

 

 あの後ピットに帰還した俺はつくしに説教されていた。無茶しすぎだと言われてしまった。だが、あんなガッツのある行動を見せられて見捨てる訳にはいかなかったのだ。とは言え心配を掛けたのは事実だ。今は説教を受け入れるしかない。そんな時の事だった。一人の少女がガレージを訪ねる。

 

「あの、ありがとうございました。おかげでうちの前ちゃん……前田が助かりました」

 

 そう言うと俺に向かってお辞儀をする。前田、おそらくワスプの仕手だろう。それよりもこの少女だ。俺はこの少女を知っている。

 

「いや、大した事はしていない。彼が助かったのは彼が行動に移したからだ……あー、その名前を聞いても良いか?」

「あっ、失礼しました。瀧澤琴乃です」

 

 瀧澤琴乃、やはり瀧澤静蓮の娘、琴乃だった。こんな偶然があるのだろうか?二度と会うことはない、そう思っていたのだが。

 

「やっぱり、か」

「?どこかでお会いしたことがありましたっけ?」

「…………ああ、平久里村で会っている」

 

 数瞬、答えるべきか悩んだ末、回答する。

 

「村で?……あっ!あの時のお武家さん!」

「ああ、そうだ。ユウヤ・ブリッジスだ」

「ユウヤさん……ということは、あの時も助けてもらったんですよね?ありがとうございます」

「いや、大した事はしていない。結局静蓮さんも助けられなかったしな……」

「それは……」

 

 活発そうな雰囲気が沈み込む。やはりまだ村での事を引きずっているらしい。そう察し、話題を変える。

 

「瀧澤さんはやはりメカニックを?」

 

 研師であった静蓮の事を考えると娘である琴乃も研師の技術を仕込まれているのだろう。その技術を活かしてレーサークルスのメカニックをしているのではないかと思ったのだ。

 

「はい!あ、琴乃で良いですよ」

「そうか、琴乃。メカニック、頑張れよ」

「はい!あの……話は変わるんですけどオヴァムって知っていますか?」

「!?どこでその名前を?」

「やっぱり知ってるんですね。お願いします。知ってることを教えてください」

 

 確かにオヴァムについて俺は知っている。だが、この子は一体どこまで知っているんだ?

 

「そう、だな……GHQが供与している部品だってのは知ってるか?」

「はい、うちのチームにもテストの依頼が来てましたから」

「そうか。どんなパーツなのかは?」

「いえ、怪しげなパーツなんて付けられないと断ってしまったので……でも!今回の大会で問題が多発したのはオヴァムのせい、なんですよね?」

「……おそらく、その通りだ。オヴァムは劔冑を暴走させる危険性を孕んでいる」

「何で、そんな物を装甲競技に?」

「それは……」

 

 琴乃の強い視線を感じる。絶対に喋ってもらうそんな決意すら感じられる。これは下手に隠してもGHQや他のチームに突撃してしまいそうだ。そうなれば彼女の身が危うい。

 

「極限の意志、彼女はそう言っていた」

「極限の意志……」

「オヴァムは数打に陰義を付与する効果を持っている。陰義を発現させるために必要なのが極限の意志だ。そしてレースではそれが発現しやすいのではないかと推定されている。だからこの大会が利用されたのだろう」

「数打に陰義を……」

 

 まだ、理解が及んでいないのだろう。ただ呆然と呟く琴乃。

 

「だから、琴乃、この件はこれ以上関わるな。死ぬぞ」

「それは!……そうなんでしょうね。……ユウヤさん。ユウヤさんはなんでそんな事を知ってるんですか?そしてなぜ教えてくれたんですか?」

「それは……知ると辛くなるかも知れないぞ?」

「構いません。教えてください」

 

 ため息を一つついて琴乃の疑問に答える。

 

「琴乃、お前が無関係じゃないからだ」

「無関係じゃない?」

「オヴァムの原形は平久里村で確立されたんだ……そしてお前の母、静蓮に受け継がれていた」

「お母さんが……」

「オヴァムの事も静蓮さんに聞いたことだ。だからお前には知る権利があると俺は思う。そして俺が知っている理由はその調査を俺がしていたからだ」

「ユウヤさんが……」

「静蓮さんはお前に生きていて欲しい筈だ。だからこれ以上オヴァムに手を出しちゃいけない」

 

 言いたいこと、言うべきことは一通り言ったと思う。後は琴乃がどう判断するか、だ。

 

「ユウヤさん、ありがとうございました。でも私はオヴァムを追いたいと思います。お母さんが関わったなら尚更」

 

 その決然とした言いように言葉を失う。

 

「……そうか、気をつけろよ、俺から言えるのはそれぐらいだ」

「はい、ユウヤさんもお気をつけて、本当にありがとうございました!」

 

 礼を言って琴乃が去っていく。これで良かったのか分からない。知らないほうが良かったのかも知れない。関わってはいけなかったのかも知れない。だが、俺は教えてしまった。それだけが事実だ。

 

 



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鮮紅騎

さて、原作に突入です。
こんなの村正じゃないと思われるかも知れません。


「ん?よお、稲城に新田だったか」

「ユウヤさん!」

「こんにちは、ユウヤさん」

 

 鎌倉での用事の帰り道、鎌倉駅での事だった。俺は以前レース会場で出会った二人の少年と期せずして再会したのだった。平日の夕方とは言え鎌倉駅に用がある人間は少ない。物資の運送以外はほとんど軍専用と言ってもいいぐらい運賃が高いからだ。こういった些細なことからも今の大和の状況が感じられる。俺みたいに茶々丸の用事があるからと頻繁に列車を利用できる方が珍しいのだ。そんな利用者の少ない駅に学生が二人、道行く人に何事か聞いて回っているのだ。それが知り合いなのだから声を掛けてもおかしくはないだろう。

 

「二人共なにしてるんだ?そろそろ夜間外出禁止の時間だろ?」

「それは…………」

 

 何か言いづらそうに言いよどむ、何か理由があるらしい。

 

「何か分からないが、場合によっては手伝うぞ」

 

 幸いと言っていいのか、元の世界に帰る方法は全く検討もつかない中、今の俺は使いっ走りをするか、文献を当たる程度しかやることがないのだ。

 

「あの……リツを見ませんでしたか?」

「リツって言うとこの前一緒にいた子か。いや、見てないな」

 

 記憶の底を浚ってみるが、この前会ったのが最後だったと思う。そしてその子を見たかどうか聞くっていうことはつまり。

 

「……居なくなったのか?」

「はい、一昨日から……」

「それは、心配だな……よし、分かった。俺も協力しよう」

 

 そう言うと驚いたような顔をする少年二人。

 

「え!?手伝ってくれるんですか?」

「ああ、あまり役に立たないかも知れないが、大人が必要って場面もあるだろうしな。これも何かの縁だ」

「それは、そうですね。……じゃあ、お言葉に甘えます」

「おう、そうしろそうしろ。若い内は迷惑かけてなんぼだぜ」

 

 そこからの捜査はとんとん拍子と言いたいくらい順調に運んだ。リツは駅前で数軒の店舗を覗いたあと帰路についたことが確認できたのだ。さらにリツの帰り道を辿っていき飲み屋通りで聞き込みをしたところ竹林に入っていくのを見たという人を何人か確認することができた。

 

「この竹林に入っていったらしいなリツさんは」

「竹林、か……」

「どうした?この竹林に何かあるのか?」

「いえ、ここの田中の爺さんは俺達にとってなかなか鬼門なんですよ」

「よく分からないが、俺の出番ってことだな、ここで留まっていても仕方ない。行くぞ」

 

 通行路としては使われているらしいので、そのまま竹林に踏み込む。しばらく足元に何か痕跡がないかどうか注意しながら進む。

 

「コラァああああ!貴様らかぁあああああああ!」

「どわっ!」

 

 突然、雷鳴の如き闊達な怒声が響き渡る。物理的な衝撃すら感じる程の驚嘆すべき肺活量だ。

 

「田中の爺さんだ」

「うわぁ、雷帝今日も元気だな」

 

 竹林の奥から一人の老人が現れる。その背ピンシャンと伸びており、歳を感じさせない。片手に持った竹箒を振り上げており、いたく怒っていることが察せられる。

 

「おい、お前ら何かこのご老人にしたのか?」

「昔、この竹林を遊び場にしようと戦争を」

「……なるほど」

 

 悪ガキ共がまた侵入したとでも思ってるのだろう。この状態から落ち着かせて話を聞くのはなかなか骨が折れそうだが、やらないと話が進まない。

 

「すみません!」

「ん?何じゃお主は」

「私は百橋ユウヤ、今はこの子達の責任者です」

「責任者?なんじゃそれは、それよりもこの竹林を荒らそうっていうなら誰だろうと容赦はしないぞ!」

「竹林を荒らすつもりはありません。一昨日の事なんですが……」

「一昨日じゃと!?やはりお主等か!竹林を荒らしたのは!!!」

 

 再び老人が激する。それに対してこちらは静かに反駁する。

 

「いいえ、違います。ですが、興味深い。一昨日一人の少女がこの竹林で行方を晦ましたのですが、何か気づきませんでしたか?」

「行方不明じゃと?ワシは何も見取らんな。それよりもワシの竹林で行方不明など勝手なことを言いよるな!」

「ですが、厳然たる事実です。この竹林で姿を消したのは。ですからこの竹林の調査を行いたいのです」

「ふん!勝手を言いよる。何の権利があってワシの竹林に入り込もうと言うんだ!許さんぞ!」

「確かに権利はありません。ですので、できるのはお願いすることだけです。お願いします。この竹林の調査を認めてください」

 

 深々と腰を折る。今できることは頼むことだけだ。少年たちも俺に続いたのが気配でわかる。

 

「お願いします!リツが……友人が危険に晒されているかもしれないんです!」

「…………イヤじゃ。そう言いたい所じゃがの、フン、分かったわい。好きにするといい。じゃが、竹林を荒らすようなら……許さんぞ」

「はい!ありがとうございます」

 

 老人はイヤイヤ調査することを認めるとすぐに立ち去る。聞きたいことがあったのだが、そんな事を尋ねられるような雰囲気ではなかった。下手につついて許可を取り消されるような事は避けたい。

 

「よし、調査の続きをするぞ」

 

 風が運ぶ川のせせらぎを聞きながら歩く。竹林の中はあまり、見通しが良いとは言えない。手入れのされていない伸び放題の竹は視界を妨げること甚だしい。

 

 鬱蒼と茂っている草木が折れていないかなどよく観察しながら歩く。生憎とトラッキングのような追跡術は講義で軽く習った程度のためどの程度役に立つのか分からないが、どこから道を離れたのか程度は判別できる。

 

「ん?」

 

 道の途中で草が折れているのを発見し立ち止まる。何かが通った跡だ。足元をさらに注意して見る。残念ながら足跡は見つけられない。

 

「どうしたんですか?」

「ここから何かが道を外れている」

「え?そんな事が分かるんですか?」

「まぁ、半ば素人判断だが、たぶん間違いない」

「あっ!あれ何か奥の方。なんか荒れてない?」

 

 忠保が何かを見つけたのか指を指す。その指の先を見る。確かに荒れているようだ。慎重に痕跡を辿る。やはり痕跡は荒れているところに向かっているようだ。

 

 しばらく進むと一群の竹がまとめて切り払われ、相撲の土俵程度の空き地になっている場所に出る。その周囲には切られた竹が散乱している。竹は鮮やかな切断面を見せており、一刀両断されている事が判別できる。

 

「爺さんが言ってたのはこれか」

「あぁ、竹林が荒らされたってやつ?」

「鉈かな?」

「斧かもねぇ。どっかの不良が憂さ晴らしでもしたかな?」

「いや、違うな」

「え?」

「相当な達人に業物だ。切断面が鮮やか過ぎる」

 

 少なくともそんじょそこらの工具ではこう(・・)はならない。軍用のブッシュナイフを使った事があるから分かる。這いつくばって周りを確認する。ここが誘拐の現場である可能性があるからだ。その様子に少年たちも同じように探し出す。

 

「これは……」

 

 俺は一つの足跡を見つける。それは常人とは思えないほど大きく、深く沈み込んでいた。似たような足跡を俺は知っている。強化外骨格のそれだ。そして強化外骨格のそれに似ていると言うことは劔冑のそれにも似ているということだ。即ちここに居たのは武者であるという事だ。そして武者であるなら竹の断面も納得できる。

 

 それからさらに周囲を捜索していく。また、何かが通った跡を見つける。今度の物はかなり大きいようだ。俺の想定が正しければ武者が通った跡だ。その跡を追っていく。無造作に歩いているらしく痕跡を辿るのはそう難しいことではなかった。

 

 川の流れる音が聞こえる。いや近づいている。痕跡を辿っていくとそこには川が流れていた。なだらかな斜面が唐突に口が裂けたような谷のようになっており、その底には川が流れている。地下水脈が一部だけ露出しているのだ。そして痕跡はその中へと消えていた。

 

 別々に調べていた少年達を呼び寄せる。

 

「これは……」

「……地下水脈、だね」

「そっか。この音、弁天川から聞こえてきていたわけじゃなかったんだ」

「おれもそう思ってたよ。まさかこんなとこにこんなもんがあるとはなァ」

「武者の痕跡がこの中に続いている」

「え?」

 

 唐突過ぎたらしい。俺が発見した痕跡のことを話して聞かせる。最初は懐疑的だった少年達もすぐに理解の色を見せる。

 

「武者がここを通ってリツを浚った……」

「今のところそう推定できるな」

「確かに武者ならこれぐらいの川くらい下流だろうと上流だろうと平気で動けるねぇ」

「……下流は銭洗弁天かな?」

「そうだとすると人目につかないわけがないな」

「じゃあ、上流……源氏山の頂上か?」

 

 上流がどこに続いているのか、これ以上ここで話していても仕方ないだろう。

 

「……さて、今日はここまで、だな」

 

 既に日が落ちかけている。これ以上暗くなってしまったら調査どころではないだろう。だが、かなりの事が分かってきた。犯人は武者。そしておそらく地元民だ。この竹林の事をよく知っていないとこんな抜け道を見つけられない。渋る少年達に明日も協力を約束して強引に帰宅させる。

 

 堀越御所まで戻った時には夜も更けていた。茶々丸に事の次第を説明し、許可を願う。断られたらどうしようと思ったが、そんなことはなくあっさりと許可が出る。それどころか劔冑を持ち出す許可まで出してくれる。

 

 そして翌日、待ち合わせの時間よりだいぶ前に到着した俺は竹林へと向かう。学校があるから集合は放課後なのだ。前回見つけた竹林の奥にある地下水脈近くまで来ると、押してきたバイクを一旦止める。

 

「八紘一宇」

 

 誓言を唱え、劔冑を装甲する。そして地下水脈の中へと歩を進める。どれほど歩いただろうか?唐突に光が差し込んでいる場所を見つける。おそらくここだろう。慎重に出る。

 

 山の中に出る。そこは竹林と同じように地面に裂け目があり、その下を今通ってきた川が流れていた。そして周囲をくまなく見て回る。が、残念ながら今朝の雨で足跡は流れてしまったらしい。道らしい道もない。しかたなく山を登る方向へと向かう。こういう時は登るのが鉄則だからだ。

 

 山を登っていく。幸いな事にすぐに道らしき場所へとぶつかる。そしてその先には小さな学校のような建物がある。

 

「ここ、か?」

 

 知らずに呟く。だいぶ古い建物らしく、まともに手入れもされていない。荒れ放題だ。だが、最近誰かが訪ねてきたらしい。床に厚く堆積した埃が一部ない。慎重に歩を進める。

 

 教室らしき部屋に入る。椅子も机もないガランとした空間。だが教壇のあるべき辺りに大きな箱が四つ並んでいる。近づいてみる。箱はプラスチック製。鍵が掛かっているという事もないようだ。

 

 縁に手を掛け開ける。中には予想も付かないものが入っていた。花だ。箱は水で満たされ、その水面一面を花弁が覆い尽くしている。色は紫。秋桜(コスモス)だ。

 

 一瞬呆気にとられるが、目的を思い出す。嫌な予感がする。恐る恐る花を掻き分ける。

 

 そこには

 

 制服が見える。鞄が見える。そして、人の形をした物が見える。人だった物が見える。それは死体だった。おそらく飾馬リツの。

 

 他の箱も確認する。同じように花が入っており、その下には死体が入っていた。何れの死体も学生だと思われる。

 

 目的は達した。最悪の形で、だが。俺は蓋を戻し、山を下山する。そして警察署へと向かう。身分を明かし、事情を話す。茶々丸の名を出したらあっさりと出動の許可がでた。警官を連れて再び学校を目指す。

 

 学校に着くとまずその異臭に驚く。埃の匂い。黴の匂い。そしてそれを押し潰し圧倒的な存在感を誇る饐えた臭気。先程は装甲していたので匂いまでは感じなかったのだ。人が腐乱した得も言えぬ悪臭。その匂いに辟易しながら、教室に入る。

 

 が、箱が存在しない。

 

 付近を探し回ったが結局箱は見つからず、当然死体も見つけられない。ただ、明らかな異臭があったため何かがここであったことは認められた。だが、そこ止まりだった。警官は死体がないなら捜査できないと言って帰っていった。

 

「クソッ、やられた」

 

 恐らく犯人に見られていたのだ。そして急いで死体を別の場所に隠した。そう言う事なのだろう。迂闊だったとしか言いようがない。

 

 そろそろ約束の時間だった。俺は重い足取りで集合場所を目指す。集合場所には少年少女が三人、そしてもう一人(・・・・)、暗い青年だった。ただひたすらに雰囲気が暗い。周囲の空間が歪んで見えるほどだ。あまりの暗さに声を掛けるのを躊躇する。

 

「あ、ユウヤさん!」

「よ、よう」

 

 見つかってしまったようだ。暗黒星人がこちらを見る。見られるだけで気分が暗くなるような気さえする。

 

「お久しぶりです。ユウヤさん」

「ああ、久しぶり。来栖野さん、だったよな」

「はいっ」

 

 昨日は別行動をしていた来栖野小夏が挨拶をする。当然だが、周りの人間は暗闇星人になっていなかった。

 

「あー、えーっと……この人は?」

「自分は内務省警察局鎌倉市警察署属員……湊斗景明です」

 

 そう言うと上着の前を軽く開き、ホルダーの中に収まっている拳銃を示してみせる。旭日章、警察のシンボルマークだ。信じられない事にこの暗い人物は警察の人間だというのだ。

 

「警察官?」

「そのような物です。厳密には署長に雇われているだけの非公式な人員ですが」

「……良いのかそれ」

「良くはありません。バレれば処罰は免れないかと」

「……まぁ、いいさ。それでその湊斗さんは何で稲城達と一緒にいるんだ?」

「えーっと、それはですね……」

「些細な行き違いがあったというか……」

 

 少年達が言葉をつまらせる。

 

「端的に言いますと、犯人と間違われ襲撃されました」

 

 湊斗景明が端的に説明する。なるほど……。

 

「こいつらがすいませんでした!」

 

 湊斗景明に向かって頭を下げる。

 

「「すいませんでした!」」

「状況を鑑みれば、自分が疑われたのも無理からぬことと言えます。貴方がたにのみ一方的な非があるとは思えません」

 

 いい人だった。とてつもなくいい人だった。だが、暗黒星人だ。

 

 湊斗景明もこの事件を捜査しているとのことだったので遠慮なく巻き込むことにする。それにしても警察にあの(・・)銀星号事件を追っている人間が居るとは驚いた。さらにその銀星号事件がこの事件にも関連していると言うことはもう何と言って良いか分からない。

 

 そして、ついに辛い話を伝えなくてはいけない時が来てしまったようだ。

 

「あー、……クソッ。……飾馬リツさん何だが……」

「リツがどうしたんですか!?」

「おそらく、だが。死亡している」

「そ、んな……」

「……何があったんですか!?」

「俺は今日の午前にあの竹林の地下水脈を辿ったんだ。それでその先にある学校で死体を見た」

 

 俺は端的に事実を説明する。

 

「地下水脈を?あの気になっていたんですがそのバイクって……」

「コイツか、コイツは俺の相棒だ。察しの通り劔冑だ」

「ユウヤさん、武者だったんですか!?」

「まぁ、な」

「ユウヤさんは……六波羅、なんですか?」

 

 信じたくない。そんなニュアンスが込められた問いが新田から発せられる。

 

「そうだ。六波羅堀越公方の申次衆、百橋ユウヤ少尉だ」

「そんな……」

「隠してたつもりはなかったんだがな……すまない」

 

 少年たちは衝撃を受けているようだ。想像は着く。今まで顔の見えない敵だった六波羅に急に顔ができて戸惑っているのだ。

 

「百橋ユウヤさん、先程死体を確認したとおっしゃられていましたが、その現場に案内して頂くことは可能でしょうか」

 

 湊斗だった。湊斗は動じることなく淡々と俺に尋ねる。

 

「あ、ああ。もちろん良いぜ」

 

 それから痛い沈黙の中、黙々と歩く。六波羅に属している俺に何か言う資格はないだろう。

 

「百橋ユウヤさん、今日はいい天気ですね」

「あ?ああ、そうだな……」

 

 唐突に湊斗が天気の話題を振ってくる。あまりに唐突過ぎて碌な返しができなかったが、今のはもしかして話題を作ろうとしたのだろうか?

 

「百橋ユウヤさん、あなたはレーサーだとか」

 

 話題を作ろうとしていたので間違いなかったらしい。今度は乗り損ねない。

 

「ああ、レースには二度出たことがある。まぁ一度は予選すら出られなかったんだが……装甲競技(アーマーレース)に興味があるのか?」

「ええ。好きです。双発の機体を操っていたとか」

「そうだな、コイツもそうなんだが、俺にとっては慣れ親しんだ形なんだ。双発で腰部に合当理がマウントされているってのは」

「なるほど、レースにおいて双発というのはかなり珍しいと思いますが、どのような利点があるのですか?」

「それは……」

「なるほど……」

「……」

「……」

 

 ポツポツと話が弾む。どうやらアーマーレースが好きというのはその場凌ぎの嘘という訳ではないようだ。少年たちは押し黙ったままだった。そうこうしている内に本日三度目の学校に着く。

 

 相も変わらぬ悪臭に少年たちは顔を顰める。この悪臭だけでもこの場所で何かあったということは十分に伝わるだろう。教室に案内する。やはり箱は存在しない。

 

「ここに箱が四つあったんだ。そしてその箱の中に、その、死体が入ってた」

 

 湊斗は箱があった教壇の辺りにしゃがみ込むと地面を観察している。

 

「なるほど……確かに箱の跡が残っている。それに足跡、これは武者の物だ。それがおそらく二騎……」

「片一方は俺の物だと思う」

 

 湊斗の独り言と思わしき言葉に補足を入れておく。

 

「百橋ユウヤさん、箱は四つあったとおっしゃっていましたが、他の箱にも死体が?」

「ああ、全部学生の物だと思う」

「学生の死体が四人分……」

 

 考え込む湊斗。

 

「なぁ、ユウヤさん、本当にリツは、リツは死んだのか?」

「少なくとも俺はそうだと思ってる。生憎と証拠が消えちまったから証明はできない」

「犯人……犯人は誰なんだ?」

「……ここら辺に詳しい人間、地元民の犯行だと思う」

「そんな……」

「百橋ユウヤさん、私もあなたの意見に賛成です。百橋ユウヤさんあなたはこの辺りの生まれですか?」

「は?いや違うが…………なるほど、俺を疑っていると」

 

 地元民の犯行であると結論付けた後に、地元民かどうか尋ねる。疑っていますと言っているような物だ。確かに自分の行動を振り返ってみると犯人だと思われても仕方ない面もあるように感じる。

 

「はい、地下水脈という抜け道を最初に発見し、劔冑を所持している。さらにただ一人死体を見たと主張している。疑わしいと言わざる負えません」

「確かにな。だが、俺じゃないぜ」

「はい、そう私も思います」

「えらくあっさり信じるな?」

「この事件が銀星号事件に関係しているのなら犯人はあなたではない(・・・・・・・)

「?変な確信だな」

「詳細は話せないのですが、銀星号事件と関わりがあるかどうか判別する方法があるのです」

 

 流石は銀星号事件専属の捜査員という事なのだろうか?

 

「その方法で犯人が分かったりしないのか?」

「残念ながら」

 

 さて、この場での調査はこれぐらいで終了だろう。

 

「なぁ、図書館に行かないか?」

「図書館ですか?」

「ああ、この学校の卒業アルバムがあるかも知れないと思うんだ」

「なるほど、犯人がこの学校の卒業生の可能性はあるね」

 

 図書館に到着した頃には既に日が傾きかけていた。急いで図書館に入り、まずは司書に源氏山の学校の事を尋ねる。すると義務教育が始まったために建てられた建物で、使われていたのは十年ほどだけだと言うことが分かる。卒業アルバムもすぐに出してくれる。

 

「この中に犯人が……」

「いるかも知れないし、いないかも知れない。まぁ見てみよう」

 

 しばらくは無言でアルバムの名前を追っていく。生憎と見知った名前など存在しているはずもないのでそこは地元民である少年たち頼りだ。

 

「あっ!鈴川先生だ」

「おっ、本当だ。あの学校の卒業生だったんだな」

「お前らの先生か?……ちょっと話を聞きたいな」

「先生を疑ってるんですか?先生が犯人なわけないですよ」

「あの学校についても知りたいからな」

 

 確認はそう時間も掛からずに終わる。残念ながら他にめぼしい名前は見当たらなかった。当然だが、俺の名前も存在していなかった。すっかり日も傾いき薄暗くなった道を学校へ急ぐ。唯一の手がかりである鈴川に話を聞くためだ。教員である鈴川ならまだ学校に居るはずだ。

 

「鈴川先生」

 

 鈴川は職員室に一人残っていた。

 

「ん?なんだお前達、こんな遅い時間に……あなた達は?」

「自分は内務省警察局鎌倉市警察署属員、湊斗景明です。あなたに話があってきました」

「俺は六波羅に所属している百橋ユウヤだ」

 

 六波羅と名乗った途端凄まじい眼光で鈴川に睨まれる。それを受けてさて、どう聞くのが良いのか、そんな事を考えていた時だった。

 

「あなたが飾馬リツさんを殺した犯人ですね」

 

 湊斗景明が爆弾を投げる。もしかしたら、そんな可能性は考えていたが、いきなり過ぎる。

 

「な、何を……」

「あなたは飾馬リツさんを竹林で拉致、その後廃校舎で殺害に及んだ。間違いないですね」

 

 それは有無を言わさぬ断定だった。狼狽える鈴川。少年たちを保護するように自らの後ろに移動させる。

 

「鈴川令法、あなたは劔冑を所持している。当方にはそれを判別する方法がある」

「なぜだ……なぜなのだ。六波羅、六波羅ァ、巨悪の片棒を担ぎながら、この私を捕らえ、罪に問うというのか!恥を知れ!」

「恥ならば知っている。六波羅に頭を垂れ、ただ機を待つばかりの不甲斐なさ、心ある警官ならば誰もが心の底より恥じている。……しかしそれが、貴様を見逃す理由になる筈もない。例え汚物に満ちた街であっても、屑を一つ一つ拾う行為が意味を失うことはない。恥は貴様こそが知れ」

「ぐ……ッ!」

「なぜ殺した?」

 

 景明が淡々と問う。その姿は地獄の裁定を司る閻魔大王のようだった。

 

「欲しいからだ!惜しいからだ!美しいものが腐り果て失われることに私は耐えられない。耐えたくもない。美しいものは必ず失われる。守り通す方法はない。だから愛する美しき諸々よ。私のこの手で、破壊する」

 

 鈴川が立ち上がると叫ぶ。その叫びに合わせるように地鳴りがし、轟音が室内を揺るがした。そしてそれは現れた。蜈蚣、百足だ。だが尋常の物ではない。人の体長を優に超える巨大な百足だった。その黄銅色の肌は鈍い金属の煌めきを放っていた。劔冑だ。それも真打の劔冑。

 

「真改」

 

 鈴川が劔冑の銘を呼ぶ。百足が割れた。十数、あるいは数十の破片と化し、鈴川を囲うように散る。鉄甲の渦の中。ゆるゆると腕が上がった。装甲ノ構(ソウコウノカマエ)。武者の礼法、その第一。

 

 渦を描くように左手を顔の横に、それと平行に右手を軽く伸ばす。

 

「いかで我がこころの月をあらはして」

「闇にまどへるひとを照らさむ」

 

 そして開放するように両手を下に広げる。

 

 誓言を唱える。閃光とともに鋭い金属音が響き渡る。武者が現れた。そして太刀を振りかぶる。それに決然と立ち向かう湊斗景明、一歩も動かずその場に仁王立ちしている。間に合わないと知りながらも俺は自らの劔冑を求めて走りだす。生憎と俺の劔冑は外に置きっぱなしになっているのだ。

 

「捕まるものか!お前らは殺す!」

 

 振り下ろされる刃。硬質な音。弾かれる太刀。慌てて飛び退く鈴川。

 

「抗う強さも耐え忍ぶ靭さもなく、ただ八つ当たりのように凶行を働いた鈴川令法。その罪状は明白。だが貴様の処断に警察の名は借りない」

「何ィ……?」

 

 す、と湊斗景明は左腕を差し上げた。天を刺す手刀。それが示すもの。―――いつからそこにいたのか。

 

「!!」

 

 蜘蛛がいた。それは大きな、紅い蜘蛛。天井に張り付いて、見下ろしている。複眼に妖しい(ひかり)を瞬かせ。肌の朧な光沢は、肉が放ち得るものではない。それは鉄。鋼鉄の肌。鋼鉄の大蜘蛛。頭上に逆座する化生を見ず、湊斗景明は銘を唱う。

 

「村正」

 

 蜘蛛が弾ける。弾けて散る。黒い男の周囲を舞う。紅い鉄が踊る直中、片手が再び、ゆるりと流れる―――装甲ノ構(ソウコウノカマエ)

 

 左手で顔面を隠す。

 

「鬼に逢うては鬼を斬る

 仏に逢うては仏を斬る

 ツルギの理ここに在り」

 

 左手を突き出し握り込む、そして遥か彼方の星を掴まんとするがごとく手を伸ばす。

 

 禍々しい深紅の武者が現れた。

 

「な!?村正、だと!?」

 

 それは平久里村で見た呪われし深紅の武者だった。善悪相殺、敵を一人斬れば、味方も一人斬らなくてはならない戒律を背負った呪われし劔冑。

 

「鈴川令法。弱さに溺れた惨めな外道。当方村正、ただ一身の都合によって貴様を討伐する」

「―――!!」

 

 村正の登場に怯えたのか、鈴川令法が飛び立つ。屋根を突き破り空へと翔ける真改。それを追って飛び立つ村正。噴き上げた熱風が頬を打つ。

 

 湊斗景明が村正の仕手だった。驚愕すべき事実だ。だが、納得いった部分もある。あの(・・)銀星号事件専属の捜査員が何の武力も持たない訳がなかったのだ。そして銀星号を追っている過程で平久里村の事件もあったのだろう。そこまで思考が進んだことでようやく静蓮の事、善悪相殺の意味にまで頭が回る。

 

「―――マズイ!?」

 

 俺は止まっていた足を動かし外へと走り出す。このまま村正に鈴川令法を殺させる訳にはいかない。それは鈴川令法だけじゃない他の誰かも犠牲にするという事だ。それは止めなくてはならない。

 

「八紘一宇!」

 

 誓言を唱える。真打劔冑と違い一瞬で装甲が完了する。地を蹴り、合当理に火を入れ飛び立つ。鈍い出足が今は憎い。既に二騎は遥か彼方へと至っていた。

 

 真改は当初逃げていたようだが、すぐに逃げ切れないと観念したのか下方(・・)から村正に向かっていく。高度確保もせず、何の工夫もない突撃。当然だがあっさりと村正に斬られる。幸い真改の甲鉄はかなりの強度を誇っているようだ。一撃で落とされる事はなかった。やはり鈴川令法は素人のようだ。このままいけば村正の勝利は揺るがないだろう。それはマズイ。

 

「何で俺が敵の心配しなくちゃならないんだ……」

 

 呟きながら、機体を駆る。交戦を開始した事で徐々にだが距離は詰まってきている。そして二合目、ストール寸前の機体の制御に手間取っている内に村正がいち早く態勢を整え突撃する。

 

 三合目、互いに手を出さない不可解なすれ違い。ここからではよく見えなかったが何かが起きたらしい。おそらくは陰義、劔冑が有する超常の能力。その結果だろう。

 

 そして四合目、大きな緩旋回からの激突。真改は相も変わらず高度劣勢のままだ。高度の優位という基本中の基本すらも知らないようだ。そしてようやく金打声(きんちょうじょう)―――装甲通信(メタルエコー)の距離に入る。

 

「村正!止めろ!俺が代わる!」

「不要です。この敵は当方の敵です」

「鈴川はどうでもいい!だが、善悪相殺の呪いは無視できない!」

「!!何故それを」

「無視するなぁあああ!!!」

 

 動揺したらしい村正に折り悪く真改が切り込んでくる。それを辛うじて捌く村正。だが、これでいい。今は村正に真改を落としてもらっては困るのだ。

 

 交戦距離まで至り、俺はまず高度を確保する。何をするにしても優位を得ておくというのは損にならない。村正と真改が再度激突する。だが、その有利不利は変わらない。このままいけば真改が落ちる。ならその前に俺の手で落とす!

 

 そう覚悟を決め、真改に向かって突撃(ダイブ)する。態勢も整っていない時に横撃を受け為す術もなく切り裂かれる真改。だが、直前で身を捻られた結果、狙っていた合当理には当たらず脇腹を削るに留まる。それでも十分な威力の一撃を入れた筈だった。だが削るに留まってしまった。想定を遥かに超える呆れるほどの装甲の堅牢さだ。

 

「邪魔を!するなァ!」

 

 鈴川が吼える。マズイ。今のは不用意な一撃だった。一撃で決めるつもりだったが、これでは絶好の機会を村正に与えただけだ。さらに態勢が崩れた真改に向かって村正が向かっていく。

 

 その時だった。

 

曲輪来々包囲狂(くるわ・くるくる・くるい・くるう)

 暮葉紅々刳々刃(くれは・くれくれ・くれくれ・は)

 白華蘭丹燦禍羅!(びゃっか・らんたん・しゃん・かあら)

 

 鈴川が何かを唱える。

 その言葉に引き寄せられるように下方から水が渦を巻いて噴き上がる。地上の河川から噴き上がった水流に打ち飛ばされ、村正が転げ落ちる。怒涛は更に村正を追う。天を渡る水の龍からしてみればあまりにもちっぽけな武者を一呑みに呑む。

 

「村正!」

 

 今の非常識な力は何だ?陰義だ。だが、陰義とはこのような規模の攻撃すら可能にするのか?

 

「はっ……ははははは!ははははははははは!どうだ、見たか……この力。真改の力。私の力だ!美しきもののために!我が正義だ!」

「鈴川令法!」

 

 俺のせいだ。俺が不用意に手を出したから村正が落ちた。後悔は後に、今は鈴川をどうにかするのが先決だ。そう心に決め真改に向かって突撃(ダイブ)する。

 

「チィ、六波羅の羽虫が!私の力を見ろ!」

 

 そう言うと、再びあの(・・)呪文を唱え始める。それを聞き慌ててピッチを上げる。今のところあの非常識な攻撃に対して逃げる以外に有効な策を俺は持っていない。

 

曲輪来々(くるわ・くるくる)―――」

「……?」

 

 呪文が途中で止まる。速度(あし)が落ちる。姿勢(バランス)が崩れる。そして落ちていく。真改(・・)が。

 

 頭の中に閃く物がある熱量欠乏(フリーズ)。劔冑を動かしている仕手の熱量が底をついた状態。今、鈴川はその状態にあるのだろう。

 

「真改!どうしたのだ!?」

 

 鈴川が醜く吠えている。未だ自分の状態も理解していないのだろう。

 

「……熱量欠乏(フリーズ)だ」

熱量欠乏(フリーズ)!?」

「さっきの陰義で限界だったって事だよ」

「そ……そんな」

 

 落ちていく真改を追う。ここまで手間取らせたのだ。死なれるのも寝覚めが悪い。ここまで来たらちゃんと司法の場で裁いてもらうのが筋ってモンだろう。真改の腕を掴み、ゆっくりと降下していく。

 

 その時だった。

 

 《敵騎、一九五度上方(うまひつじのかみ)より接近》

 

「鈴川令法。俺は貴様の生存を認められない。故に最期は、俺の手で送る」

 

 ボロボロになった村正が急速に接近している。湊斗景明は生きていたのだ。そして既に戦闘不能の状態になってもまだ鈴川令法を殺そうと言うらしい。

 

「クソッ、まだやるっていうのかよ!?」

 

 深紅の武者が太刀を鞘に納める。居合/抜刀術の構。一刀必殺の意思の具現。

 

「し……真改……!?」

 《双極の磁力。その吸引と反発の作用を、居合の技に持ち込むか……何という恐ろしき工夫よ。ここまで精密かつ高圧の力を御すは仕手にとっても劔冑にとってもまさしく生死を天に預ける綱渡りの筈……それを遂げている……》

「真改ぃぃぃぃぃぃぃっ!!」

 《……我が仕手よ。武の鬼道を歩んだ者の逃れ得ぬ運命、今がその時と存ずる》

「助けて、助けてくれぇええええ!」

「チッ」

 

 咄嗟に真改を手放す。既に地上は近い落ちたとしても死ぬことはないだろう。そして村正に向かって突撃する。タックルしてでも押し留めようという腹だ。斬られないとは思うが、確信はない。迫り絶対的な死の気配に背筋が凍る。だが、身体は勝手に動いている。村正に組み付く。幸いな事に斬られなかった。

 

「何故そこまで邪魔をする!」

「何でそこまで殺したがる!」

「奴の生存を認められないからだ!」

「何で認められない!」

「……奴の劔冑が寄生されているからだ」

「寄生、だと?」

「……そうだ、銀星号の卵に犯されている」

「……孵化したらどうなる?」

「銀星号が増えることになる。故に俺は奴の生存を認められない」

「劔冑だけを破壊したらどうなる?」

「それは……分からない」

「ならまずはそれを試してからだ!」

「…………承知」

 

 村正を離し、地上に降りる。油断はしない。真改は居た。装甲状態は解除されている。巨大な百足は死んでいるかのように巨躯を横たえていた。鈴川令法は……辛うじて生きている。

 

磁装塗装(エンチャント)――蒐窮(エンディング)

 《諒解。

 死を始めましょう》

「吉野御流合戦礼法、"迅雷"が崩し……

 電磁抜刀(レールガン)―――"(まがつ)"」

 

 ここに真改の心鉄(しんがね)は絶たれた。真改は自重に耐えきれないようにバラバラに崩れ落ちる。ここにあるのは既に死んだ劔冑の亡骸だ。

 

「……あった……野太刀の……柄だ」

 《これで一つ。……残りは六つね》

「それは何なんだ?」

「村正の野太刀の一部だ。銀星号に奪われ卵にされた」

「何でも有りだな……善悪相殺の呪いは?」

「……大丈夫だ」

「そうか、これでとりあえず解決だな。疲れたぜ。……それで何で銀星号を追っている。そんな呪いを背負ったままで」

 

 そこからは後処理は俺が行った。非公式な警官である湊斗景明は口止めの『お願い』だけして俺からの問いには何も答えず去っていった。また銀星号を追いかけるのだろう。

 

「……なぁ、これはないだろ」

 

 その翌日の朝、朝刊を読んでいると吹き出しそうになる。俺が新聞デビューしていたのだ。これを企んだ犯人は目の前に居た。足利茶々丸だ。

 

「にゃは、お兄さんがGHQの悪巧みを阻止してくれたからね、六波羅の風聞を少しでも良くしたいって言うあてのプロパガンダに利用させてもらいました」

「はぁ、狙いは判るけどよ……どうりで協力してくれた訳だ」

 

 茶々丸には今回の件だけでも劔冑の持ち出しから始まって警察を動かす際にも名前を借りるなど世話になってしまっている。それを考えると文句を言う筋合いはないのだろう。俺は大きくため息をつくのだった。

 

 

 




今回は完全にプロットなしで書き上げたのですが、ユウヤが思いの外動いてくれました。
正直、装甲悪鬼村正っぽくはないのですが、これもありかな?と。
いっそ完全スルーした方が良いかと思ったのですが悩んだ末、出すことにしました。
一応、この作品で目指しているのは世界にとってよりベターな結末です。
湊斗景明にとってベストな世界にはなりえません。

さて、書き溜めていた分は消化してしまったので、ここからの更新は週1程度になると思います。


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劔冑の本分
黒瀬童子


 岡部弾正尹頼綱、六波羅幕府において四公方に次ぐ実力者であり、鎮守府という東北、引いては露帝への備えの一軍を任された人物である。そして、一般大衆からは六衛大将領足利護氏の専横に表立って対抗できる、または対抗している人物であると専ら噂されている。また、朝廷から見ても護氏を掣肘できるライバルと見なされており、それがために弾正尹という本来皇族を充てる位を与えられている。

 

 幕府成立から今日に至るまで暴虐の限りを尽くしてきた六波羅だが、岡部という重しがあったからこそ国として成り立っていたのだとまことしやかに囁かれている程だ。

 

 そんな民を思っているという噂が人望を集め、六波羅に不平不満を持つ者が次々と岡部の旗のもとに集まっていた。そしてそうした部下達に後押しされる形で岡部弾正尹は足利護氏に様々な諫言をしていた。

 

 当然、足利護氏にとってはおもしろくない人物であり、排除の機会を伺っていたのだが、遂にその機会が訪れる。前堀越公方足利守政が岡部と手を組んで反乱を企図したのだ。

 

 だが、その反乱の芽はあっさりと消え去る。現堀越公方である茶々丸が当主守政を含めた派閥のトップを鏖殺し、権力を握ったからだ。これにより岡部は追い詰められる事になる。辛うじて反乱の疑惑は逸らす事ができたもののそこからの関係は悪化の一途を辿った。そして追い詰められた岡部が反乱を起こすのはもう時間の問題と言える状況となった。

 

 そんな時の事だった。つくしに一通の手紙が届いたのは。

 

「茶々丸様、お世話に、なりました」

「どうしても行くのかい?」

「はい」

 

 手紙の送り主はつくしの祖父不知火国包、内容は岡部の状況を知らせるもの。そしてこのまま岡部弾正尹の共をするから決して来るな、という物。だが、その手紙は逆効果だった。

 

「はぁ、止めても聞かないって顔だね」

「はい」

「分かった。行くと良い。……だけど戻ってくることは許さない。どこへなりとも逃げ延びな」

「茶々丸!」

「お兄さん、あてには立場って面倒なもんがあるんだ。まだ起こってないとは言え岡部の反乱に加わりに行くってのを見逃すのはともかく参加した者を匿うことはできないんだよ」

 

 茶々丸が何時になく冷たい声で俺に告げる。

 

「岡部の旦那には個人的に世話になったから不義理はしたくない。捕らえることはしない。反乱に加わらないのなら保護もしてやる。だけど反乱に加わるつもりならそこから先は知ったこっちゃないね。好きに生きなとしか言えない」

「クッ」

 

 正論だった。温情であるとすら言えるだろう。だが、死にに行くつくしを救うことはできない。既につくしを説得する言葉は尽くした。それでも行くというのなら俺にはどうしようもない。それに俺だって思うのだ。岡部の方が正しいのではないかと。六波羅にはついていけないと。

 

「ユウヤ、ありがとう、でも、大丈夫。茶々丸様、お世話に、なりました」

 

 そして、つくしは旅立っていった。

 それから数日、不知火の整備ぐらいしかやることのない日々、その整備も集中できてないと整備班長に追い出されてしまった俺は、茶々丸に与えられた部屋で立ったり座ったり、もう読み終わった新聞を開いてみたりどうにも身の置き場がない気分を味わっていた。

 

 やるべきことは、ある。劔冑の研究もしなくてはいけないし、体力作りもやるべきだ。そのための資料も茶々丸に集めて貰った。だが、どうにも集中できず、内容が頭に入ってこない。

 

「あーもう、鬱陶しい!」

 

 同じ部屋で執務をとっていた茶々丸がキレる。

 

「……すまない、だが、どうにも落ち着かなくてな」

「もう、お兄さん、鬱陶しすぎ!そんなに気になるなら篠川まで行ってきたら!」

 

 篠川というと四公方の一人篠川公方大鳥獅子吼の本拠地だ。そして岡部弾正尹の本拠地会津若松の直ぐ側でもある。要するに岡部が蜂起した際に対応する最前線だ。

 

「それは……良いのか?」

「どうせ、篠川に補給を送らないといけないからね。その護衛してきてよ。篠川まで行ったついでにちょっと足を伸ばすと良い。でも気づかれないようにね」

 

 つくしと会ってきて心に区切りを付けてこいって事だろう。

 

「ありがとう、茶々丸」

 

 翌日、用意されたトラックに便乗して篠川に移動する。当初予定していた列車は上野での鉄道爆破事件があった影響で使用できなくなった。そして折り悪く接近する台風、暴風雨の中、トラックに揺られる。轟々と響く暴風が心を暗くする。結局、雨でぬかるんだ道で一度スタックした程度で、篠川まで無事に辿り着く。

 

 逸る気持ちを抑えて篠川公方軍への補給物資の受け渡しを見届ける。そして、補給物資の受け渡しが終わったのを確認し、当初の予定通りに篠川での待機に入る。復路で運ぶ物資の用意ができていないからだ。待機と言っても準戦時体制にある篠川でできることなどほとんどない。必然割り当てられた宿舎に籠もることになる。

 

 俺はそっと宿舎を抜け出す。そして堂々とモノバイクに乗って移動する。茶々丸の近習という身分を持っている俺の行動を阻む者はそうはいない。下手に隠れて抜け出すような慣れてもいない事をやって目立つぐらいなら堂々と正面から抜け出した方がまだマシだ。要は岡部の軍と接触したという事さえ知られなければ良いのだ。

 

 茶々丸に教えてもらった通り、会津若松への道は封鎖されていない。これは反乱分子をできるだけ一塊にまとめたいという六波羅の意志が現れた結果だ。そして現在の天候は暴風が吹き荒れている。絶好の潜入日和だった。

 

 そして、俺は無事岡部の土地に辿り着く事に成功するのだった。それからはそう悩む必要はない。つくしに会いに来たことを正直に話せばよい。現在も拡大を続けている岡部軍は多少怪しかろうが人手を欲しており、受け入れざる負えない状況にあるからだ。弾正尹に会いたいと願うならともかく一介の蝦夷に過ぎないつくしに会いたいと願う程度なら認められる可能性が高い。

 

 俺は何故か岡部弾正尹と対面していた。弾正尹の横には老年に入っているであろう民族衣装を身にまとった蝦夷が座っている。もしかしたらつくしの祖父かも知れない。他には誰もいない。

 

(これが岡部弾正尹頼綱)

 

 そこには居るだけで目を引くような覇気を纏った壮年の男だった。鍛え抜かれた身体に威風堂々とした立ち居振る舞い。これこそがトップに立つべき人間だと一目で思わせるだけの雰囲気を持っている。

 

「そちが不知火翁の孫娘を訪ねて参ったという男か?」

「はい、その通りです」

「ふむ、何故訪ねて参ったか、聞いても良いかの?」

「それは……会いたかったからです」

「ほう、会いたいから会いに来たと?」

「はい」

 

 自分でもまだはっきりしない。だが、このまま放っておけばつくしは死ぬだろう。それは受け入れられなかった。その前に何かしたかった。だから迷惑を掛けてでも会いに来たのだ。

 

「クックックッ、そうか、そうか、ただ会いたいからか。よろしい!」

 

 岡部弾正尹は如何にもおもしろい物を見たと言わんばかりに呵々大笑すると、誰かを呼ぶように一つ、二つと手を叩く。そしてその音に導かれるようにして襖が開く。

 

「つくし……!」

「ユウヤ、何で来たの?」

「それは……死んで欲しくなかったからだ」

 

 つくしが襖の奥から現れる。いつも着ているツナギではない。青と白を基調とした和服のような、だが、それとはどこか違う民族衣装を着ている。つくしとの再会。兎にも角にも生きていてくれて嬉しい。だが、これからどうするのかそれが問題だ。

 

「つくし、お前はその方と共に生きろ」

「お祖父様……でも……」

 

 それまで黙っていた老年の蝦夷が言う。想像通りつくしの祖父だったらしい。祖父の言葉に反発するつくし。その覚悟は固い。

 

「ここで死んでも何も変わらん。ならば生きて見届けよ」

「なら!お祖父様も!」

 

 老年の蝦夷が首を振る。

 

「拙者は十分に生きた。弾正尹殿。拙者はもう六波羅の世を見ることに飽き申した。この上は殿の劔冑となりて共に散りとうございます」

「翁……娘は、つくしはどうするのだ?」

「娘には良き人が付いているようにございます。安心してその者に託せると信じております」

 

 そう言うと俺を一瞥するつくしの祖父。その視線に自然と背筋が伸びる。

 

「……そうか、そこまで言うのならば是非はない。主命を持って命ずる。劔冑を打て不知火翁、だが散ることは許さん。……忠綱!」

「はっ!ここに」

 

 岡部弾正尹が誰かを呼ぶ。どこからともなく一人の男が現れる。まだ若い男のようだが判然としない。全身を黒い装束で覆っているからだ。特に顔は目以外が完全に覆われている。だが、その目つきだけでも分かるものがある。

 

「忠綱よ、お主も生きよ」

「父上!?」

「我が一族、知られておる者は皆殺されるであろう、だがお主は知られておらぬ、故に生きよ、生きて岡部の生き様を繋ぐのだ」

「ッ……御意に御座いまする」

 

 忠綱と呼ばれた男が平伏する。握り込まれ震える拳、その目には光る物が浮かんでいたように見えた。苦渋の決断なのだろう。

 

「不知火翁。すまんな。どうか我が息子と共に生きて欲しい」

「これは厳しい。理想を貫けと仰るのですね……承知仕りました、その命この身を掛けて」

「すまんな」

「いえ、これもまた一興かと」

「ふっ、そうか。息子を頼んだぞ」

 

 急展開すぎて付いていけない。今不知火翁が劔冑になる決断が下されたのだろうか。真打劔冑は生涯一領。鍛冶師の命を以て完成する。それが良いとか悪いとか判断することではないと思う。

 

「つくし、拙者はこれより鍛造に入る、全てを見、そなたのために使え」

「お祖父様……」

「悲しむことはない、蝦夷にとって劔冑になるは最上の名誉ぞ」

「……はい!」

 

 つくしが不知火翁に泣きついている。それをあやすように頭を優しく撫でる不知火翁。そのつくしに向けられる視線はどこまでも優しい。その優しげな視線を切り、一度瞑目する。

 

「我が身に銘は残さぬ、鬼となりて理想を貫かん」

 

 不知火翁が宣言する。それは透徹した表情で巌の如く告げられたのだった。

 

「……先に鍛冶場に行っておる。準備ができ次第来なさい。それでは弾正尹殿、失礼致しまする」

 

 そう言うと不知火翁は退出する。

 

「しばらく話し合うと良い。寝床はこちらで用意しておこう」

「……ありがとうございます」

「礼は不要よ。しかと話し合え。若者よ」

 

 それだけ告げ、弾正尹も出ていく。いつの間にか黒一色の男、忠綱も居なくなっている。今、この部屋にはつくしと俺しかいない。

 

「つくし……生きて帰るつもりはないのか?」

「ユウヤ、私は六波羅が許せない。同じ天を仰ぎたくない……でも、この戦いで散るつもりもなかった」

「つくし!それは生きて帰るって事か!?」

「……お祖父様の事が終わったら一度、茶々丸様に会いに行く」

 

 つくしが死を選ばない。それだけで今は十分だ。それからしばらく近況について話をして、つくしは不知火翁の元へと向かうのだった。

 

 そして、三日後。不知火翁の準備が整ったと伝えられる。三日、これはとても早いのではないかと思う。元から劔冑になるつもりで準備を進めていたのだろう。

 

 鍛冶場では盛大に熱気を振りまく巨大な炉を中心に、鍛冶師の道具が並んでいる。炉の前には澄んだ泉が湧いている。不知火翁がやってくる。つくしと同じような、だがこの前より豪華な装飾が施された民族衣装を身にまとっている。

 

 黒を基調とした鎧が運び込まれる。大和数打の鈍重そうな見掛けとは全く違う如何にも早そうな見掛けをしている。だが間違っても弱々しくはない。引き絞られた肉体のような美を感じさせる。その顔立ちにはどこか大和数打の流れを感じられる。

 

「――四金の司を招き願い奉る。ここに御霊送り御返し候えば遊行の道にこれを拾い百幸千福授け給え。五方化徳共々に在れ。大幸金神、大恵金神、願わくば北斗八廊に留まり、御徳御恵、天上天下へ下し給え。奇一金心、全一金光、護法金輪、殺法金掌――」

 

 祝詞だろうか?不知火翁が朗々と唱え上げる。不知火翁が鎧を炉の中へ投入する。開いた炉が放つ熱気がかなり離れたこの場所でも感じられる。

 

 炉から焼き入れを終えた鎧が取り出された。内側から赤く発光し、燃え盛る炎そのもので出来ているようだ。不知火翁は赤熱する甲鉄に手を伸ばすと、ためらいなくそれを掴みあげ、身にまとう。

 

 ふわりと甘い匂いがした。人の脂の焼ける匂いだ。激痛が不知火翁の身体を貫いているはずだ。だが、不知火翁は眉一つ動かさない。淡々と装甲を続ける。

 

 全身が鎧に覆われると不知火翁は顔を上げ、泉に向かってゆっくりと一歩を踏み出した。一歩一歩確実に泉へと歩んでいく。そして遂に泉へと至る。濛々たる蒸気が吹き上げる。ゆっくりと歩を進めていく。そして全身を泉の中へと浸す。前が見えない程の凄まじい蒸気。

 

 蒸気が晴れるとそこには一領の鎧が残されていた。先程までとは存在感が違う。劔冑だ。不知火翁の命を以て完成したのだ。

 

 つくしの目から一条の涙が流れ落ちる。だが、その顔には誇らしさが浮かんでいる。

 

「忠綱様」

 

 つくしが全身黒ずくめの男を呼び寄せる。忠綱が劔冑に触れる。帯刀の儀(たてわきのぎ)だ。どこからとなく金属を弾いたような音が一つ響き渡る。

 

「―――敬天愛人」

 

 忠綱が呟くように唱える。誓言だ。敬天愛人、天を敬い、人を愛する。民のことを考え続けた不知火翁が行き着いたのがこの誓言だったのだろう。

 

 鎧が数十の甲鉄の破片へと変じる。甲鉄の破片は忠綱を囲むように空を舞う。そして、次の瞬間黒を基調とした堂々たる武者が現れる。立ち上がるとその威容がよく分かる。細身の甲冑に豪壮な翼甲。大袖と呼ばれる肩当てに描かれた月が優美だ。大和古来の形式に改良を加えて作られた造りは堅牢さと運動性を両立している。特徴的なのは足先が蹄のようになっていることだろうか、空中戦のために徹底した軽量化を図った結果だ。

 

 集まっていた観衆から歓声が上がる。

 

「よくやった。忠綱よ。そしてご苦労であった不知火翁。つくしもよくぞやり遂げた。……それでこの劔冑の銘は何というのだ?」

 

 弾正尹がつくしに下問する。

 

「……無銘。お祖父様は銘を残さなかった。ただ民のための刃であれ、と」

「そうか……だが、呼び名がないのは不便であろう。……ならばこれより黒瀬童子と呼ぶこととする。良いな?」

「……はい」

「忠綱、これよりお主も黒瀬童子と名乗り、生き延びよ」

「はっ!……父上」

 

 こうして不知火翁は黒瀬童子となり、その理想を遂げるために忠綱とともに戦いを始めるのだった。




キャラを無理矢理動かした感があるので、書き直すかも知れません。

原作ではかませも良いところだった黒瀬童子ですが、その背景にこんな物語があっても良いのではないかと思います。

以下、捏造裏設定

不知火一族は元は月山系の鍛冶師でしたが、「劔冑は民のために民とともにあるべし」と野鍛冶となった一族です。農具の修理なども行った事から農鍛冶とバカにされていましたが、扱いやすく頑丈な作風は根強い人気と大きな蔑視を浴び、未熟者が求める品とされていました。しかし使い手の技量に沿って性能を発揮するため成り上がった者も多く輩出しました。そうした経緯から銘を彫らない事が伝統となっています。

後に不知火一族は大和の竜騎兵の設計に関わるようになりました。不知火翁はその黎明期から活躍しており、低速域で優位なターボプロップ式を確立しました。国情が悪化していた当時に設計された九四式竜騎兵は渾身の一品でしたが、それが自国民に対して振るわれる現状を憂いており、開発の第一線から外れました。これが零零式が九四式とほぼ変わらない理由であると設定しています。

黒瀬童子が高性能な理由は、全国の鍛冶師の秘伝を合わせてまとめ上げた数打の技術をさらに発展させた物を使用しているためです。様々な改良が加えられており、その技術の一つが熱量と電気の変換技術です。

この技術を基に零零式は発振砲を装備できるようになりました。黒瀬童子ではさらに単純に熱量を保存する技術として使用しています。これにより持久戦はもちろん、短期決戦でも熱量をドーピングすることで有利に立てる、筈でした。

黒瀬童子
仕手:黒瀬童子
種類:真打/単鋭装甲
陰義:???
仕様:強襲/白兵戦
合当理仕様:熱量変換型単発火箭推進
独立形態:???
攻撃:3
防御:3
速度:4
運動:3

甲鉄練度:3
騎航推力:3
騎航速力:4
旋回性能:3
上昇性能:3
加速性能:4
身体強化:3



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不知火

 岡部が蜂起した。蜂起した当日、混乱に乗じて俺達は黒瀬童子の先導で会津の地を後にした。安全と思われる場所までたどり着き黒瀬童子とは別れた。俺とつくしは堀越に一度戻る事にしたからだ。黒瀬童子は僅かな手勢を率いて何処かへと去っていった。

 

「……なんで戻ってきた」

 

 茶々丸が重々しく問う。堀越に戻ってくるとすぐに茶々丸の前に案内され、その冒頭のことだった。

 

「茶々丸!せっかくつくしが戻ってきてくれたのに、そんな言い方しなくても……」

「お兄さんは黙っていて。あては言ったよね『戻ってくることは許さない。どこへなりとも逃げ延びな』って」

 

 茶々丸は本気だ。俺はあまりに甘く考えていた生きて帰ればどうにかなると。それでも言い募ろうとした時、横に居るつくしの顔が目に入る。その顔に困惑や怯えは一切なくただ茶々丸を見据えていた。

 

「……茶々丸様。元より生きてこの地を踏むつもりはありませんでした」

「つくし……?」

「ここに戻ってきたのは生きるためではありません」

 

 つくしが静かに宣言する。その言葉に興味を惹かれたのか茶々丸が剣呑な雰囲気をさらに鋭くする。眼光は敵を睨みつけるかのように強い。つくしが言った内容に衝撃を受ける。生きるためじゃない?ならなぜ俺と一緒に来てくれたのだ?

 

「ほう、じゃあなんで戻ってきた?」

「……一つの提案をするために」

「提案?」

 

 つくしは一度目を伏せた後、決然と茶々丸を真正面から見つめる。そして告げる。

 

「私はユウヤの劔冑になる。それを認めて欲しい」

「なっ!?」

「……ほう」

 

 茶々丸がおもしろい話を聞いたとばかりにクツクツと嗤う。言いたいことは言ったとばかりに茶々丸を静かに見つめるつくし。

 

「そんなことが認められるか!」

「ユウヤは黙っていて。これは私の問題」

「そんな事ない!もっと良い解決策がある筈だ!」

「……お兄さん、ここに戻ってきた段階でその選択肢はないんだよ。ただ死ぬか。それとも劔冑となって死ぬか。その二択さ」

「そん、な……。いや諦めない。俺は諦めないぞ」

 

 つくしがおもむろに俺と正対する。そしてしっかりと抱きしめ言う。

 

「ユウヤ……私は望んで劔冑になる。それを邪魔するの?」

 

 望んで劔冑になる。俺には分からない感覚だ。確かにテストパイロットとして戦術機に命を掛けていたが、だからといって文字通り戦術機のために命を差し出すことはしていない。

 

 不知火翁を思い出す。彼は自らの命を費やし劔冑となった。果たしてそこに未練はなかったのだろうか?当然あったのだろう。だが、その未練よりも劔冑になることを優先したのだ。その判断を間違っているなど誰が言えるだろうか。ならば同じようにつくしの判断を尊重すべきなのではないだろうか。

 

「つくし、答えてくれ。つくしはいつ劔冑になること決断したんだ?」

 

 つくしを引き剥がし、正面から見つめながら問う。つくしの瞳はどこまでも優しく、俺を受け入れているように感じられた。

 

「ユウヤが迎えに来てくれた時、そしてお祖父様が劔冑になった時、それまではお祖父様を連れてどこかへ逃げるつもりだった」

「そん、な……それじゃあ、俺が居たからつくしは劔冑になるっていうのか?」

「それは……そう。きっとユウヤに出会えなかったら劔冑になろうなんて思えなかった。……だけど、それは悪いことじゃない。ユウヤの役に立ちたい、もっとユウヤの側に居たい、だから私は劔冑になる」

「つくし……」

 

 唐突に察する。つくしを止めることなどできはしないのだと。

 

「認めよう。つくし、あんたが劔冑になることをこの足利茶々丸が認める。期間は一ヶ月、その期間で最高の劔冑を打ち上げな」

「ありがとうございます。茶々丸様」

 

 茶々丸が後は好きにしなとだけ言うとその場から立ち去る。

 

「ユウヤ……騙すような形になってごめんなさい」

「良い、とは言えないが、それがつくしの判断なんだ。受け入れるよ」

「ありがとう、ユウヤ……」

 

 つくしがもじもじと何かを言いたげにこちらを見ている。

 

「何か言いたいことがあるのか?」

「それは……あの……お願いがある」

「お願い?何だ言ってみろ」

「強化外骨格を劔冑の素材に使わせて欲しい」

「強化外骨格を?」

 

 この場合の強化外骨格とは戦術機の管制ユニットに内蔵されている奴だろう。ハッチが歪んだ場合など脱出できなくなった時に強行脱出するために備え付けられている装備だ。こちらの世界に来た時、若干使用したっきり管制ユニットに戻すこともせずに置きっぱなしになっていた筈だ。現状使わない物ではあるが、あれがないと戦術機は動かない。それは大分修繕が進んでいる不知火・弐型の修復が大きく後退するという事を意味している。

 

「それは……厳しいな。俺は不知火・弐型を修復したいと思ってる」

 

 これが不知火・弐型が完全にスクラップなら判断に迷うことはないのだが、思いの外順調に修繕が進んでいる事が俺をためらわせる。跳躍ユニット以外の修理の目処が立っているのだ。

 

「分かってる。私も不知火・弐型を諦めたくない。だから私は劔冑に強化外骨格の代替をさせられないかと思ってる」

「強化外骨格の代替だと?」

「そう、要はパイロットと戦術機を繋ぐ役割を劔冑でする」

「それは……できるのか?」

「理論的に、できる。そのために強化外骨格が必要」

 

 つくしが鼻息も荒く訴える。全くコイツは結局戦術機と劔冑の事しか頭にないのだ。自分の頭をガシガシと掻く。悩んでたって結論は出ないのだ。ならば今は行動あるのみだ。

 

「とりあえず分かった。まずはその理論の確認からやるぞ」

 

 こうして俺達の劔冑造りが始まったのだった。

 

 まず俺達はどんな劔冑にするのか話し合った。結果、戦術機のような劔冑を目指すことが決まる。これはあっさりと決まった。人のための刃、その具現である戦術機の有り様につくしが魅せられていたからだ。むしろ劔冑に寄せることに抵抗を示したほどだった。

 

 戦術機を修理する過程で得た技術やノウハウ(リバース・エンジニアリング)を惜しげもなく注ぎ込み、時に新しい手法も試してみる。その過程で戦術機の修復も劔冑の技術を代用することで進んでいく。

 

「お兄さん達頑張ってるね。そんなお兄さん達に差し入れ」

 

 篭りっきりになっていた鍛冶場に茶々丸が現れた。全く新しい劔冑を作り出すために既存の劔冑の製法をまとめなおしていた時の事だった。そして差し入れとして渡されたのは黄金に輝く結晶だった。

 

「これは?」

「神の血肉、賢者の石、そんな風に呼ばれている物さ。分かりやすく言えば金神の欠片、荒神結晶やオヴァムと同質のモノ。その原形だよ、お兄さん」

「……これを使え、と?」

「使う、使わないは自由だけど使ったほうが"目的"のためには良いと思うよ」

 

 目的、忘れてはいない。元の世界に帰ること。だが、そのための方策は全く見つかっていない。茶々丸の言う神を頼る以外に何もできていない。劔冑の超常的な力を頼りにするとしてもそんな都合の良い能力を持った劔冑は見つからなかった。ならば、自分達の手で作れという事だろうか。

 

「つくし、どう思う?」

「元からそのつもりだった。可能性が高くなるのなら受け入れるべき」

 

 その視線に迷いはない。ただ我武者羅に力を求めている訳ではないことが理解できた。その上で足りないのなら外から補おうという意志を感じる。不確定要素であるのは間違いない。だが元から戦術機を模すという常識外の挑戦をしているのだ。今更不確定要素が増えた程度飲み込んで見せるという気概がある。

 

「……分かった。組み込もう。計算をし直すぞ!」

「おう!」

 

 そして劔冑の設計は進んでいく。時にナイフを装備するかどうかで喧嘩し、ブレードベーンの設置の有無で口論になり、アフターバーナーを搭載するかどうかを検討し、劔冑とどう戦うのかの戦術を煮詰めていきながら。

 

 そして矢のように一月が過ぎようとしていた。

 

「つくし、本当にやるんだな?」

「うん。ユウヤが何を言ってもやめる気はない」

「……分かった」

 

 この一月の間に何度となく繰り返した問答をまた繰り返してしまう。つくしの覚悟を否定するような気がしてならないが、それでもつくしに生きていて欲しいがためについ言葉が出てしまう。

 

「後は任せた」

 

 無言で頷き、つくしを抱きしめる。これが終生の別れだと思うと胸が詰まる。

 

 鍛冶場では巨大な炉が盛大に熱気を振りまいている。炉の奥には澄んだ泉が湧いている。つくしがやってくる。禊を終え、不知火翁のような豪華な装飾が施された民族衣装を身に纏った姿はどこか神聖さすら感じられた。

 

 白を基調とした細身の鎧が運び込まれる。戦術機を模した唯一無二の劔冑、全身にブレードベーンを装備した姿は鋭角的なイメージを作り上げている。だが不知火・弐型と違いがある部分もある。明確なのは肩部装甲だ。肩部装甲にはブレードベーンがなく丸みを帯びているのだ。これは戦術機ではありえない戦闘方法である双輪懸を意識した物である。他にも細部をよく見ると劔冑の技法がそこかしこで活かされている事が確認できる。

 

「――四金の司を招き願い奉る。ここに御霊送り御返し候えば遊行の道にこれを拾い百幸千福授け給え。五方化徳共々に在れ。大幸金神、大恵金神、願わくば北斗八廊に留まり、御徳御恵、天上天下へ下し給え。奇一金心、全一金光、護法金輪、殺法金掌――」

 

 祝詞が始まる。金神祭詞と呼ばれる金神に捧げる祝詞らしい。不知火一族に伝わる劔冑を打つ時に神に捧げる祝詞、それが金神祭祀だ。つくしが朗々と唱え上げる。つくしが鎧を炉の中へ投入する。開いた炉が放つ熱気が近くに居る俺に襲いかかる。

 

 炉から焼き入れを終えた鎧が取り出された。内側から赤く発光し、燃え盛る炎そのもので出来ているようだ。つくしは赤熱する甲鉄に手を伸ばすと、一瞬ためらった後にそれを掴みあげ、身にまとう。

 

「ッッッ!」

 

 声に出さないが苦悶の表情を浮かべるつくしに駆け寄りそうになる。甘い嫌な匂いがした。人の脂の焼ける匂いだ。激痛がつくしの身体を貫いているはずだ。だが苦悶の表情を浮かべながらも着々と装甲を続ける。

 

 全身が鎧に覆われるとつくしが立ち上がる。泉に向かって一歩を踏み出した。一歩一歩確実に泉へと歩んでいく。だがどうした事か、つくしの足が止まる。

 

「つくし!!」

 

 俺の呼びかけに反応したのかつくしが僅かにこちらを向き、再び歩み出す。一歩一歩。ジリジリと距離を詰めていく。そして遂に泉へと至る。濛々たる蒸気が吹き上げる。その中を確実に歩を進めていく。そして全身を泉の中へと浸す。前が見えない程の凄まじい蒸気。

 

 蒸気が晴れるとそこには一領の鎧のみが残されていた。圧倒的な存在感、だがどこか優しい。

 

 ふらふらと夢遊病者のように劔冑に近づく。抱きしめるように触れる。

 

 意識が反転する。世界が白一色の何もない場所へと変ずる。いや目の前に一つだけある褐色の肌をし、長い耳を持つ民族衣装を纏った少女――つくしだ。

 

《いらっしゃい、ユウヤ》

「つくし……なのか?」

 

 少女は首を振る。

 

《私は劔冑、つくしじゃない》

「でもこんなにはっきりと会話できるじゃないか」

 《それでもつくしと劔冑(わたし)は別の物、私はつくしを基にした劔冑のOSに過ぎない》

「つくし……俺は」

 

 遮るように少女は言う。

 

 《さぁ、帯刀の儀(たてわきのぎ)を始めましょう》

 

 つくしが居住まいを正し、厳かに告げる。

 

《私は不知火》

《私は盾 虐げられし者、全てを守る盾》

《私は刃 虐げし者への抵抗の刃》

《万民の未来のため この身を捧げる物》

《私との契りを求める者》

《その身を礎となす覚悟があるならば宣誓せよ》

 

 つくしの残した覚悟を受け入れる。否、元からそれは俺の物でもあるのだ。自然と誓言が頭に浮かぶ。噛みしめるように誓言を唱える。

 

「未来なき煉獄に生まれ

 牙なき者の明日のために

 希望の糸を紡いで朽ちる

 されど刃、礎となり

 虚空へ至る道となる」

 

「飛翔せよ!不知火」

 

 俺の全てが変貌を遂げた。

 外は甲鉄に覆い尽くされ。

 内は異力が駆け巡り。

 人間にあらざるモノに成りおおせた――

 余りの超越感に意識が恍惚とする。

 

 これが本物の劔冑、真打の力。頬を熱い物が流れる。その違和感に手を伸ばす。だが甲鉄に阻まれ届かない。嗚咽が漏れる。つくしはもう居ないのだ。その事を強く実感する。高揚感と絶望、相反する感情に身を裂かれる。その全てをぶつけるかの如く俺は咆哮するのだった。

 

 




不知火
仕手:ユウヤ・ブリッジス
種類:真打/単鋭装甲
陰義: ???
仕様:汎用/射撃
合当理仕様:跳躍ユニット
独立形態:鷹
攻撃:3
防御:2
速度:4
運動:5

甲鉄練度:2
騎航推力:4
騎航速力:4
旋回性能:5
上昇性能:3
加速性能:4
身体強化:2

ようやく舞台が整ってきました。ここまでやたらと長かった気がします。
不知火はかなり高性能です。金神の欠片とスーパーカーボンを使用している点がかなり大きいです。とは言え銀星号には遠く及ばないのですが……


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予備予選

遅くなりました。
何故か難産でした。


大和GP、戦後初の国内統一選手権、今年から始まった国内統一規格の装甲競技の一大イベント。

大和中どころか国外からもチームが集まりその頂点を決めるべく競われる国内最大規模、いやアジア最大の大会だ。

 

その本戦に出場するために俺は予備予選に挑んでいた。予備予選、要するにあまり実績のない、言ってしまえば二流の選手たちをふるいにかけるためのレースだ。

 

レース前に茶々丸とした会話が思い出される。今回のレースは今までと違って茶々丸から明確なオーダーが下されているのだ。即ちタムラか俺が優勝すること。

 

「今回のレースはお兄さんにも優勝を目指して欲しいんだ」

「やるからには勝つつもりでやるが、何かあるのか?」

「うん、今回のレースの裏では一つの企てがあるんだ。それが賭博化。今、装甲競技の賭博化の企みが進行してるんだ」

「ふうん、そうなのか。それでその事と俺が優勝する事が何の関係があるんだ?」

「ありゃ?お兄さんはあまり賭博化に反対でもない感じ?」

「反対と言うか、よく分からないってのが本音だな」

 

元の世界では競馬やモータースポーツと言った賭博は完全に過去の物になっている。それどころかプロスポーツもほとんどなくなり細々と個人で楽しむ程度まで縮小されてしまっているのだ。そんな状況しか知らない俺としては賭博化と言われてもどうにも実感が薄い。

 

「うーん、そっか。まぁ、あては賭博化に反対してる訳なのですよ。できればお兄さんにも理解して欲しかったんだけど……」

「茶々丸が反対するなら俺も反対派でいいぜ、特に思い入れがある訳じゃないが、やることは変わらないしな」

「お兄さん……。で、何で優勝が必要かって言うと一言で言えば客層の支持が必要だからって事だね。初代国内統一王者のカリスマを利用して客を取り込もうって魂胆なのさ」

「なるほど、そこを俺が優勝することで邪魔しようって事か」

「そういう事!だから同じ反対派のタムラには負けてもいいけど、翔京には絶対に負けちゃダメだからね!」

 

茶々丸が人差し指を立てて熱く訴える。その勢いに若干押される物を感じるが、さっきも言った通り俺のやることは変わらない。勝つために全力を尽くすだけだ。

 

「分かった。勝てば良いんだろ。勝てば」

「そういう事、お兄さん、頼んだよ」

 

予備予選開始を知らせるアナウンスが流れる。そしてスタートの合図の空砲が鳴り響く。待ち構えていたチーム達がスタートするのを横目で確認し、少し遅れてピットから出る。コースに出た瞬間観客がざわめく、何度かレースに出たとは言えやはり異形の機体は目立つようだ。

 

コースを流すように回る。予備予選で無理をする必要はない。どうせ同じように明日も予選に出なくてはいけないのだ。ならば今、無理に目立つ必要はない。そして三週目、十分態勢も整いコースも頭に入ったので仕掛けることにする。十分に安全マージンを取った上でのトライ、トップギアだけは本戦のために隠した状態で全力で攻める。

 

第一コーナーをレイトブレーキで攻め、S字カーブを最小の減速で抜け、緩いバンクを抜け、130Rを捻じ伏せる。バックストレートを疾走し、スプーンカーブを突破し、最終コーナーを突っ走る。そしてゴール。

 

一分二七秒五五。

 

会場がわっと盛り上がる。まぁ、まずまずの結果だろう。このコースのワールドレコードが、一分二五秒一三。その記録と比べると二秒以上の差があるが、トップギアを残してこれなら十分だ。予備予選は周回タイムを競う。後はこの記録で出場枠を確保できるかどうかが問題だが、今の所問題なさそうだ。

 

現在の順位は二位、一位は横森鍛造のセミワークスチーム《Y.T.R》がハウンドで出した一分二七秒四三だ。地面を舐めるように疾走するその姿は他のチームとは一線を画するガッツある走りだ。地表効果(グランドエフェクト)を最大限に活用するその騎航は激しいGと失速の危険が隣り合わせの命懸けの騎航だ。そのハウンドも早々にコースから抜け出しているため記録が更新される事はないだろう。

 

後、脅威になりそうなのはポリスチームのホットボルトぐらいだろうか?ホットボルトという旧型機ながらこちらも安全マージンを削った限界騎航でよく騎航(はしって)いる。他には見どころのありそうなチームは居ない。

 

「お兄さん、ご苦労。順調そうじゃない」

「ああ、機体が良いからな」

《んっ、照れる》

「つくしはどうだ?まだいけそうか?」

《問題ない、それとつくしって呼ばないで》

 

不知火(つくし)から素っ気ないぐらい簡潔な報告が告げられる。劔冑となったつくしは以前と変わらないようで変わっている。その違和感を未だに拭えない。つくしと呼ぶと嫌がるのも劔冑になってから変わっていない。

 

除装し、一息入れる。茶々丸がドリンクを手渡してくれたのでありがたく頂く。金属の擦れる羽撃く音が響く、俺の横に大きな金属でできた鷹が舞い降りる。不知火の待騎状態だ。レースで付いたのだろう不知火の背に付いたちょっとした泥をタオルで拭う。それにむずがるように身を捩る不知火。が嫌ではないらしく逃げることはなく受け入れる。

 

「はははっ、仲良いね、お兄さん」

「……劔冑を大切にするのは当然だろ」

「さて、それじゃあ、お邪魔虫は退散するとしようかな」

「なんだレース見ていかないのか?」

「んー、貴賓席の方で人を待たせているのですよ、お兄さん」

「そうか、なら早く行かないと」

「だね、じゃあまた後でねお兄さん」

「ああ、気をつけろよ」

 

茶々丸は貴賓席へと向かう。コースに視線を戻すとレースは順調に進んでいる。その様子を眺める。既にライバルに成りえそうなチームはコース上から消えている。残っているのは二流どころばかりだ。それでも観客は熱狂している。まぁ、前座しか行われないのにわざわざやってきているような観客たちだ。相当な装甲競技マニアだろう。

 

《もう走らないの?》

「ああ、十分な記録を出したからな。……なんだ不満か?」

《うんん、それが御堂の決めたことだから》

 

劔冑になってからつくしは俺のことを御堂と呼ぶようになった。劔冑の仕手を呼ぶ古風な敬称。かつて武者溜まりが釈天堂という建物にあったことに由来するらしい。どうにもその呼び名にも慣れない。そんな事をつらつら考えていると予備予選の終了時刻が近づいていた。予想通り順当に予備予選は突破することができた。

 

そして予備予選も終わり観客の大半が帰宅の途についた後のサーキット。明日の本予選に備えて練習騎航をする者やメンテナンスに余念がない者、色々居る中で俺達は微妙に暇を持て余していた。不知火は当然だが真打だ。メンテナンスフリーに近い。ある程度の調整は不知火自体が行ってしまうからやることがないのだ。そんな手持ち無沙汰な時間を丁寧に不知火を磨きながら潰していた時の事だった。一人の男が訪ねてきたのは。

 

「チーム閃光の雷(ライジングサンダー)の百橋ユウヤ」

「ん?あ。あんたは湊斗景明」

 

そこに居たのは村正の仕手、湊斗景明だった。鈴川令法の事件で会った時と変わらぬ雰囲気の暗い人間だった。まるで悪魔が誘いに来たかのようだ。

 

「お久しぶりです」

「ああ、久しぶりだ。……あんたが居るってことはまさかまた銀星号か?」

「はい、この会場のどこかに『卵』を植え付けられた劔冑がいます」

 

銀星号事件、謎の劔冑銀星号によって起こされる大量虐殺事件。そしてこの湊斗景明は銀星号事件を追っており、銀星号の気配とでも言うべきものを感じられるという。

 

《ねぇ、御堂、この人知り合いなの?》

「ああ、銀星号事件を追ってる警官だ。……もう目星は付いてるのか?」

「いえ、残念ながら……単刀直入に伺います。銀星号から卵を受け取りませんでしたか?」

「今回も疑われてるって事か。いや。銀星号に何かを貰ったことはないな」

 

思い当たる節もないので知らないと返答する。これで疑いが晴れてくれれば良いのだが、どんな方法で判定しているのか判然としない以上どうとも言えない。

 

「そうですか。実はその劔冑から変わった気配を感じたのです」

「変わった気配?不知火から?」

「はい、『卵』の気配とはまた違った気配を感じたのです」

「なるほど、それで訪ねてきた、と」

「はい、そうなります」

「確かに不知火は従来の劔冑とは色々違う点があるからな、その何かに反応したんだろうな」

 

どうも不知火が疑われているという訳でもないようだ。精々ちょっと気になったから見に来た程度のようだ。さて、どうするか。銀星号事件と聞いて放って置くことはできないだろう。となると湊斗景明に協力するのが得策のように思えるのだが。善悪相殺の呪いが問題だ。それにしても何故湊斗景明はそんな因果な劔冑と血縁しているのだろうか。

 

「銀星号事件は放っておけない。何か手伝えることはあるか?」

「そうですね……では、選手の中で力を求めている人間を知りませんか?」

「力を求めている人間?それが『卵』を渡される条件なのか?」

「はい、そう考えています」

「あいにくだが、俺はレース出場者とほとんど面識がないんだ。これから会う人間にそういうのがいないかどうか調べることはできると思うが、現段階では心当たりはないな」

「そうですか、ご協力ありがとうございます」

「ああ、あまり役に立たなくてすまない」

 

心当たりがないことを告げると湊斗景明は丁寧に腰を折って礼をする。そして何かあったら連絡して欲しいと告げ立ち去っていくのだった。

 

これから銀星号事件が起こるかも知れないと知ってしまった俺は、懇親も兼ねて近隣のチームを訪ねることにする。とは言え直接的に銀星号との関係を尋ねる訳にはいかないだろう。湊斗景明が俺に直接的に尋ねたのだって銀星号を追っている事を知られているからこそだったのだろうと思う。まさか他のチームにも同じように聞いているとは思えない。

 

そんな事を考えながら隣のチームを訪ねる。隣のチームは予備予選でいい騎航(はしり)を見せていたY.T.Rのガレージだ。そのガレージの入り口をノックしてみる。

 

「あんっ?誰だ。テメェ」

 

現れたのはメカニックと思わしきチームのロゴが入ったツナギを身に付けた横柄な態度の男だった。その態度に鼻白むと同時に反発心を抱く。

 

「隣のチームの者なんだが、ちょっと挨拶を、と思ったんだがな」

「おう、隣のチームって言うと閃光の雷(ライジングサンダー)のレーサーか?」

「そうだ。百橋ユウヤだ。よろしく頼む」

 

そう自己紹介するとメカニックは入んな、と言いガレージの中へと案内してくれる。横柄な態度は目に余るがそう悪い奴でもないのかも知れない。そうして一人の男の前に連れて行かれる。男は何かの書類を確認しながら蒸した芋をガツガツと食べている。

 

「前田さん、客だぜ」

「ん?客?俺にか?」

「おう、金満の閃光の雷(ライジングサンダー)のレーサー様だよ」

 

そこでようやく男の視線が俺を捉える。芋と書類を置き、立ち上がる。そしてメカニックの男の頭に一発ゲンコツを入れる。

 

「その言葉遣いと態度は直せって言っただろうが、お客さんに失礼だろ」

「前田さん、痛いっす」

「お前はあっち行ってろ。……っと、ウチのがすまない。レーサーの前田博士だ」

「ライジングサンダーのレーサー、百橋ユウヤだ。よろしく」

 

挨拶して、握手をしようと手を差し出す。だが前田と名乗った男は何かに驚いたように固まっている。

 

「どうかしたか?」

「あっ、あの。もしかして東雲サーキットでワスプを助けてくれた人ですか!?」

「あ、ああ。確かにそんな覚えもあるな……」

 

確かに覚えがあった。だが、あれは助けたと言えるのだろうか?助かるべき人間が勝手に助かったとでも言うべきだと思う。

 

「やっぱり、あの時助けてもらった前田博士です!本当にありがとうございました!」

 

前田は俺の手を取ると両手でブンブンと振り、感謝を表す。

 

「そんなに大した事はしていないさ」

「そんな事ないですよ!あなたが居なかったらきっとここには居なかった!入院していたせいで直接お礼もできなくてすみませんでした」

 

そう言うと今度は九十度腰を曲げて頭を下げる。

 

「止してくれ、本当に大したことはできなかったんだから」

「いえ、そんな事は……いえ、とにかくありがとうございました。……それで何か私に用でもあったんですか?」

「いや、ちょっと隣のチームに挨拶しとこうかなと思っただけさ」

「ああ、それは、こちらから伺うべきだったのにすみません」

 

それからしばらく雑談をしながら銀星号事件について探りを入れていく。とは言え何か変な事が起きなかったか?とかレースには何故参加しているのか?と言った一般的な事しか聞けていないのだが。

 

「そう言えば、あのメカニックの子、瀧澤さんは居ないのか?」

 

以前縁の有ったメカニックの少女の名前を挙げる。すると前田の表情が曇る。どうやら何かあったようだ。もしかしたらオヴァムに首を突っ込み過ぎたのかも知れない。

 

「……実は、琴乃なんですが、銀星号事件に巻き込まれてしまったんです」

「何?銀星号事件だと?」

「はい、夏に万博会場で巻き込まれたようです」

「そうか……それは……残念だったな」

 

それ以外に言いようがない。オヴァムに首を突っ込んだ結果ならまだしも銀星号事件に巻き込まれていたとは驚くしかない。予測不能の災厄としか言いようがない銀星号事件では嘆くことしかできない。そして銀星号事件を起こしてはならないという決意を新たにする。

 

「だから、琴乃のためにもこのレース勝ちたいんです」

 

前田がポツリと呟く。そう漏らした言葉からは執念のような物を感じた。勝利を、力を求める者で間違いないだろう。だが、銀星号事件で親しい人を亡くした前田博士が銀星号の誘惑に負けるとは思えない。

 

「―――――!」

「―――――!」

 

なんとなく雑談を続けるような雰囲気ではなくなった時の事だった。ガレージの外から言い争う声が聞こえる。その声に顔を見合わせる俺と前田。そして前田は立ち上がり喧騒のするガレージ前へと向かう。それに付いていく。

 

「謝れっつってんだろ!」

「ふざけんな!」

 

そこには三人の人物がいた。一人は先程の大柄なメカニック。もう一人はその眼光が印象的なセーラー服に身を包んだ女学生。そして最後の一人は尻もちをついた男の子。女学生とメカニックが言い争っているようだ。

 

「ここは関係者以外立ち入り禁止だ!そこにそう書いてあるだろうがッ!勝手に入り込んできたその餓鬼が悪いんだよ!!」

「だからって襟首掴んで放り投げていいって決まりがあるかよ!大の大人が子供苛めて喜んでんじゃねぇ!!」

「んだとォ――」

 

事情は今の言葉から明白だった。男の子がガレージに侵入し、放り出され、女学生その扱いに抗議しているのだ。躊躇なく前田が二人の間に割り込む。

 

「前田さん!?」

「お前もそいつの仲間か?」

「ウチの佐々木が乱暴だった事は謝る。すまない」

「前田さん!!」

 

前田が男の子に向かって謝る。それに納得がいかないのか抗議する佐々木と呼ばれたメカニック。

 

「勝手に入ってきた奴を追い出すのは良い。だがやり過ぎはダメだ。いつも言ってるだろ。ファン第一だって」

「それは……そうですけど……」

「嬢ちゃんもこれで矛を収めてくれないか?これ以上やっても誰の得にもならない」

「あたしは……そいつが謝ってくれれば得とかはどうでも良い」

 

突然乱入され謝られたことに鼻白んだのかそれまでヒートアップしていた勢いがなくなる女学生。

 

「ほら、佐々木、そこの坊主に謝ってやれ」

「……チッ、すまなかったな」

「はぁ……すまない。これで許してやってくれないか?」

 

男の子が涙目になっていた顔を拭い、一つ頷く。そして一変してキラキラした目で前田を見ている。シャツにプリントされたロゴはY.T.Rの物だ。きっと前田のファンなのだろう。

 

「そっちの嬢ちゃんもこれで良いな?」

「それは……はい。お騒がせしてすみませんでした」

「あの!」

 

それまで黙っていた男の子が意を決したように声を上げる。

 

「前田さん!あの、サイン、貰えませんか!」

「ん?サインか、いいぞ」

 

そう言うと男の子の求めに応じてシャツにサインをする前田。

 

「ありがとうございます!」

「さて、じゃあ、解散!作業に戻るぞ!」

 

手をパンパンと叩いて解散を告げる。女学生と佐々木の視線が一瞬絡み火花が散ったように見えたが、すぐに前田に促されて視線を外す。そしてそんな佐々木を連れてガレージに戻ろうとする前田を俺は呼び止め、俺も別れを告げる。挨拶にしては長居をし過ぎたからだ。十分情報も集まった。ならばこれ以上ここにいる意味はないだろう。明日の健闘を願いあい別れるのだった。

 

 



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本予選

翌日、本予選。銀星号の事は気になるが今はとりあえずレースに集中だ。他のチームが最後の確認に追われている中、俺達もレースに向けて準備を進めていた。

 

「つくし、調子はどうだ」

《上々。後、つくしって呼ばないで》

「そうか、なら今日も頼むぜ」

 

昨日、あらから幾つかチームを周ったのだが結局手がかりといえるような物は手に入らなかった。如何せん、力を求めていないレーサー等いないのだ。全員が容疑者と言える。こうなると湊斗景明の持つ感覚だけが頼りだと言えるだろう。

 

そんな事を考えていると本予選開始を知らせるアナウンス、続いて空砲が鳴り響く。既に待ち構えていた十チーム程がピットを飛び出して騎手をコースへ送り出した。たちまち合図の空砲など圧する合当理の轟音が唸り狂い、人形の銃弾が舗道の上を疾駆し始める。そしてその轟音をもかき消す勢いで観客席からは熱狂的な声援が沸き上がった。

 

俺達は昨日と同様にしばらく様子見だ。レースの序盤というのはとかく事故が多い。長く走れば走るほどコースに順応できるために有利だというのは分かるがそれ以上にマシントラブルや事故が怖い。もっとも真打である不知火は多少の事故など物ともしないのだが。それでも事故など起こさないにこした事はない。

 

そしてその予想に反することなく、早速第一コーナーで事故が発生している。二、三騎ほどが衝突し、跳ね飛ばされて無残な姿を退避域に晒している。

 

「酷い事になってるな……」

《どうしても脆くなる、仕方ない》

「そりゃ、勝つためには仕方ない部分もあるんだろうがな……」

 

どうやら騎手は無事なようだ。競技用劔冑の方はスクラップのようだが。勝利するために装甲を削り、命を削る。レーサーとテストパイロットの違いと言ってしまうと語弊があるのかも知れないが、正直理解しているようで理解しきれない部分がある。

 

「さて、そろそろ行くぞ」

《おう、任せろ。御堂》

 

レースが落ち着いてきた頃合いを見てピットから飛び立つ。昨日と同じ様にトップギアは封じたまま安全マージンを十分に取っての騎航だ。カーブを他の騎体とは次元の異なるレベルで滑らかに最短距離を走っていく。

 

一分二七秒三三

 

この条件であれば上々過ぎるタイムだろう。今日の本予選も周回記録を競う事になる。問題は上位二〇チームに入れるかどうかという点だが、このタイムであればまず問題ないだろう。今日の順位によってスタートグリッドが左右されるのだが、実戦仕様で重い不知火にとってスタートダッシュは圧倒的に不利だ。ならば最初の順位など気にしても仕方ない。それよりも牙を隠しておく方がよっぽど重要だ。

 

会場の熱に浮かされているのを自覚する。ある程度は問題ないが熱くなりすぎるとまた何かやらかしてしまいそうだ。そう思い、切りあげることにする。ピットに入る。

 

「ゆうやっ!」

 

不知火を纏ったままの俺に抱きついてくる影が一つ。イーニァだ。最近何やら茶々丸と一緒に行動している事が多かったため以前のように一緒に居るということはなくなったのだが、その分会えた時にこうやって親愛の情を示す。

 

「おう、イーニァ、元気か?」

「うん!ゆうやは……ちょっと落ち込んでる?」

 

イーニァをちょっと持ち上げて横に置き、不知火を除装する。しかし、落ち込んでいる、か。つくしの事をふっきったつもりなのだが、まだどこかにしこりが残っているのかもしれない。

 

「イーニァがそう言うならそうなのかも知れないな。……イーニァは今度は何してきたんだ?」

 

そう問いながら周囲を見回す。今日は茶々丸は来ていないようだ。貴賓席から見ているのだろうか?生憎とそちらの方まで気にするほど頭が回っていなかったから覚えていない。

 

「あのね!チャチャマルのおしごとをてつだってるの!」

「それは凄いな、俺はあまり役に立ってないからな……」

 

これは厳然たる事実だった。茶々丸は俺の行動にほとんど制約を掛けていない。仕事を手伝おうとしたこともあるのだが、それよりも元の世界に帰るための方策を探す方を優先して欲しいと言われてしまったのだ。そしてその方策を全く見つけられずにいる。逆にイーニァはたまに茶々丸の手伝いをしているようだ。ESP能力は似たような能力を持っている茶々丸でも代わりができない事がある。そしてそんな時にはイーニァに協力を要請しているようだ。

 

「きのうのレースもみたかったけど、ちゃんとおしごとしたんだよ」

「そうか偉いな」

 

褒めて褒めてと言わんばかりのイーニャの頭を撫でる。イーニァと一緒にレースを見る。現在のトップはヨコタンワークスのスーパーハウンドで一分二七秒二五、二位が俺だ。確かにスーパーハウンドは群を抜いていい走りを見せていた。

 

「ゆうや!レースっていいね!」

「ん?何がいいんだ?」

「みんな一つのことにいっしょうけんめいなの!ちょっとうるさいけどきれいないろしてるんだよ!」

「そうか、イーニァはレースが好きか」

「うん!」

 

それから数周スーパーハウンドを中心に見る。コース取りやコーナーの攻め方、そう言った速く走るための技術の引き出しは俺よりも遥かに深い。見ているだけで勉強になる。スーパーハウンドが速度を落とした。ピットインだ。いや、このまま終了するようだ。電光掲示板を確認する。一分二七秒一九。良い記録だ。茶々丸に事前に確認したコースレコードを参照しても『大和のレーサーなら』良い記録だと言える。

 

しばらくレースは膠着状態に陥った。千分の一秒を争うようなギリギリの闘いが三位以下で繰り広げられる。頭半分抜け出しているのはY.T.Rのハウンドだろうか。昨日の予備予選を考えるともう少し行けそうな感じなのだが、苦戦しているようだ。

 

拡声器を通したアナウンスが新たなチームの参戦を伝える。そして、コース上に姿を現す騎体。

 

――翔京兵商ワークスチーム"三城七騎衆"

それは名騎アプティマに似ていた。

その改良騎ダガーアプティマにも似ていた。

派生騎パルチザンにも似ていた。

だが、そのどれとも違った。

……黄金色の翼。

――騎手(レーサー)来馬豪(くるまごう)

――騎体名"理想(ウルティマ・シュール)"

 

何かとんでもない物が出てきたという事は分かる。だがそれ以上を読み取るには情報が足りなかった。

 

《何よあれ……》

「どうしたんだつくし?」

《あれ、全身ユーツ鋼》

 

ユーツ鋼、確かインドの鉄だっただろうか、非常に希少性が高く、重量比強度に優れた材料だった筈だ。なるほど、その貴重な材料を惜しみなく使ったとなると性能も突き抜けた物になるだろう。

 

異様な光景がそこにあった。

黄金翼の騎士が、ストレートを駆けている。

その速さは付近を走る数騎とほぼ同等。あるいはやや劣るか。だが、おおむね変わらない程度の速度で騎航()んでいる。

一周目(・・・)スタート直後(・・・・・・)の騎体が。

 

「圧倒的な加速性能、か」

《ユーツ鋼製だから軽量、常識外に》

「…………」

 

とんでもない強敵が現れた。確かに翔京は賭博化を成功させるためにこのレースに入れ込んでいるという話だったが、ここまでやるとは思わなかった。文字通り金の力でレースを勝とうというのだ。

 

ウルティマ・シュールが駆ける。観客らも熱狂を忘れ、ただただ唖然として、疾駆する金色を見つめている。魅入られたように。サーキット場としておよそ考えられない静寂の中を、翔京の"理想"――ウルティマ・シュールは王者そのものの傲岸ぶりで駆け続ける。

 

二周、三周……周回を経るにつれ、いよいよその異様な本性は露わになる。

 

五周目ラップ、一分二六秒八九

六周目ラップ、一分二六秒四四

七周目ラップ――― 一分二六秒二七

 

一秒以上も差を付けられてしまった。圧倒的な速さ。その圧倒的な速さに暫定一位から転げ落ちたヨコタンワークスが再び騎体を引っ張り出してコース上に現れた。

……無駄だろう。しかも意味がない。混乱しているのだろう。

 

騎航(はしり)が荒い。あのままでは事故を起こすだけだろう。その気配を感じたのか逆に翔京が下がっていく。観客が喧騒を取り戻した。誰もが電光掲示板に目を向けている。

 

――― 一分二五秒九七

 

鎌倉サーキットの落成式に招かれた欧州のトップレーサー達の記録に肉薄するレベルの数値だった。そのレベルが違う記録に盛り上がる観客。そしてその盛り上がりが一段落すると観客が白けていくのが感じられる。明日の決勝などやらなくても結果が目に見えていると言いたいのだろう。

 

「凄まじい、な」

《ええ》

「…………」

 

その時ふと横を見るとイーニァが可愛らしく頬を膨らましている。先程までご機嫌だったのが一転不機嫌になったようだ。

 

「どうした?イーニァ」

「あのこ、きらい!あのこがでてきてからつまんなくなった」

 

『あのこ』とはウルティマの事だろう。どうやらイーニァも気に入らないようだ。俺も気に入らない。ウルティマ・シュールの傲岸さが、そして何よりも観客の白け具合が。

 

ふつふつと反発心が沸き上がってくる。まだレースの結末は分からない、その事を思い知らせてやる必要があるようだ。

 

《御堂?》

「気が変わった。もう一回出るぞ」

「ゆうや!がんばってね!」

 

今まで封印してきたトップギアを開放する。情報戦と言う意味では下策も良いところだが、それでもやる。この空気はBETAに勝てないのではないかという雰囲気に似ている。だから打ち砕くのだ。

 

再度装甲し、コース上に飛び出す。白けた雰囲気の中、不知火は順調にラップを刻んでいく。騎体の慣らしが終わり、十分にスピードも出ている。ここからが本番だ。

 

緩い第一コーナーをノーブレーキのまま全速力で突っ込み速度を落とさないまま跳躍ユニットに任せて最小半径で曲がり切る。S字カーブも知ったことかと言わんばかりに抜け、緩いバンクを踏破する。

 

そこまで来てようやく気づいたのか観客がざわめき始める。

 

130Rを最小の減速幅で捻じ伏せる。そのままバックストレートを疾走し、スプーンカーブを押し切る。最終コーナーも全速力のまま突入し全速力で抜ける。そしてゴール。

 

――― 一分二六秒一五

 

観客が再び熱気を取り戻し熱狂する。ウルティマ・シュールに対抗できる騎体はここに居る!その事を宣言する。そのまま記録を更新すべくラップを刻む。

 

数周したところでスタート周辺が慌ただしくなったのを感じる。アナウンスが遠く聞こえる。最後の大物、タムラの登場のようだ。集中力も切れてきた事を自覚し、挑戦を取りやめピットインする。

 

「ゆうや!ありがとう!」

「ごめんなイーニァ、アイツを負かす事ができなかった」

「うんん、いいの。それにこれからきっとおもしろくなるよ!」

 

そう言うイーニァの視線の先にはタムラのピットがある。ピットからスタッフが出走の準備を着々と進めているのが分かる。

 

――田村甲業ワークスチーム"T・F・F(タムラ・ファイティング・ファクトリー)"

 

――騎手 皇路操

 

瞬間、歓声が上がる。皇路操はカリスマを備えたレーサーのようだ。登場するだけで会場を熱狂させる。だが歓声は一瞬で途切れる。場を温め直してと言っても、まだどこか白けた雰囲気が残っているようだ。それを残念に思う。

 

まばらになってゆくさざめきと拍手を浴びながら、雲間から差す薄い日差しのように彼女は現れる。

 

――騎体名……

 

その、

刹那。

 

サーキット内のあらゆる光が固定され、あらゆる風が流れを止めた。あらゆる思考が、同じ方向を指した。停止した世界で、誰もが音のない声で、ただ一言を主張していた。

 

―――あれは、何だ。

―――あれは、何だ。

―――あれは、何だ。

あれは(・・・)何だ(・・)!?

 

それは嘗て、どのような企業も、どのようなチームも、造り上げたためしのないカタチをしていた。全く前例のない、競技用劔冑(レーサークルス)。あれに比べればまだ不知火の方が常識的なカタチをしている。

 

奇形。

歪んだ姿。

凝視すれば、平衡感覚を失いかねない程に。

狂っている。

この造形は、狂っている。

この形を造り上げた人間は心を病んでいる。間違いなく、脳神経系の大切なネジを一本、外してしまっている。頬を掻き毟りたい。そんな狂躁さえ呼び起こされる。そして、それと糸一筋で危うく均衡を取っているかのような、感慨――

 

美しい。

いたたまれぬほどに、美しい。

円周率を無理やり解き明かして形容したかのような流線型のフォルム。そこにメタリックブルーのカラーリングが重なれば、それは無限の海であり果てなき空だ。

 

異界の美。

あってはならないもの。

禁忌の芸巧。

 

今―――

そんな代物が、サーキットに立っている。

 

――騎体名"逆襲(アベンジ)"

 

「あのこはとってもきれいなんだよ!」

 

イーニァが嬉しそうに言う。それに反応することもできずにアベンジを見つめる。

 

「……なんだ、ありゃ?」

《分からない、でも強烈な思想を感じる》

 

思想、そう思想だ。

攻撃的で狂気的、そして強烈な思想をあの騎体からは感じる。

妄想にほど近いほどの思想。それがあの騎体にはある。

 

……滑り出しはゆるゆると。

ホームストレートを静穏に、青の騎体が流れてゆく。

平凡な加速。

平凡な速度に達して、コーナーへ。

最短距離を行こうとして大きく膨らむ(・・・・・・)

 

バタついたコーナリングだった。

短い直線を抜け、緩いカーブをこなして進む。

長いバンク。

ゆったりと曲がってゆく。

攻めない。

 

外見に反して目を引くところのない騎航。観客席には拍子抜けのような空気と、本気を出すであろう後の周回に期待する空気が混ぜこぜになって広がりつつあった。

 

「跳ねたっ!?」

 

ヘアピンカーブを曲がるタムラ騎は跳ねていた。速度と旋回がもたらす空力抵抗に押し負ける格好で騎体後部が跳ね上がっている。酷い横流れ。カーブの曲線に全く沿っていない。

 

「酷い、な」

《ええ……でも、まだ何かある》

 

だが、何も起こらないまま時間だけが過ぎていく。せっかく盛り上げた空気は弛緩しきっていた。本予選は終了に近づいていた。もう数分ほどで規定の時間となる。電光掲示板を確認する。

 

現首位は翔京ウルティマ、それに続いて俺達不知火、大分差があって長崎鳴滝に拠点を置く、外国企業のアソシエイブルのセミワークスチームRG-一〇。ヨコタン・スーパーハウンドは四位。以下ヒラゴー、鎌倉マツイ、ゲッコーのワークスが順々に並び、次にヨコタンのセミワークスY.T.R。後は群小のワークスやプライベーターが団子状に固まった成績で連なる。タムラもその中だ。

 

「ゆうやっ!くるよ!」

 

イーニァの呼びかけに意識をコース上に戻す。時間的におそらくラストアタックになるだろう。アベンジがメインストレートに滑り込む。

 

そして、

爆発した(・・・・)

 

メタリックブルーの閃光がメインストレートを、疾走っていた。

 

「なっ!?」

 

マウンド上でピッチャーの投げた一四〇キロの速球が突然、銃弾に変貌したかのような異様な加速。圧倒的速度。

何か思う間こそあれ、言葉にするよりも先にストレートを駆け抜けた青光はコーナーへ突入している。

エアブレーキによる減速――足りない!到底足りない!あんな速度では曲がり切れない!クラッシュする!

 

―――捻じ伏せた。力ずくで。

 

酷いコーナリングだった。最短距離も最少効率もあったものではない。だが曲がった。あの速度で。それは奇跡ではない。乱暴と言うにも酷烈な騎航はなお続く。

S字カーブ

緩いバンク

130R

立ちはだかる関門に対して、減速という必要代価を踏み倒し続けながら、タムラ・アベンジは走破する。凄惨に。

 

これほど無惨で、

これほど醜悪で、

これほど低劣で、

これほどまでに速い、装甲騎手が――

過去に一度でも存在したろうか。

 

断定できる。

こんなものはいなかったと。

こんな――

悪魔のような騎手は何処にもいなかった。

 

バックストレートを疾走。

息一つ吸う間はおろか、瞬き一つの間さえなく。

スプーンカーブに突入……

押し切る。

 

かつてあらゆる騎手を屈服させ、隷従せしめ、頭を低くして通過することのみを許してきたこの急カーブの権威が、この反逆者には通じない。一切の礼儀を払わずに、彼女はコーナーを蹴り散らす。

 

走り抜けるという表現さえもはや相応しくはなかった。踏み潰している。剛力に任せて。それは、ただの暴力だった。

 

似たような事をやっているから分かる。あれは可変翼騎だ。

 

《パワー過剰の中枢設計。流線型の甲鉄。低角度のダンパー。可変翼……》

「その結果生み出される直線における爆走と、曲がればいいという程度の旋回性能、か」

 

最後のコーナーを今、アベンジは曲がり切った。ホームストレートへ帰還……駆け抜けて、基準線を越えてゆく。

 

記録――――

 

一分二六秒〇八

 

翔京の理想(ウルティマ)に次ぐ第二位の成績を、タムラの逆襲(アベンジ)は打ち立てていた。会場が一呼吸遅れて熱狂する。本物の熱狂だった。

 

そして本予選が終了した。俺はイーニァに留守番を頼んで、ガレージを回っていた。湊斗景明を見つけ昨日の調査結果を共有するためだ。もしかしたら既に『卵』を発見していて解決しているなんて線もあり得る。その場合の善悪相殺の呪いが誰に掛かるかという点は問題だが。

 

果たして湊斗景明はポリスチームのガレージに居た。考えてみれば湊斗景明は警官である。警官がポリスチームに居るのはごく自然な事だろう。だが、ポリスチームの雰囲気がおかしい。緩みきっているのだ。湊斗景明の横には長身の女性と一人の老女が控えている。

 

「よう、湊斗さん、何か進展はあったか?」

「百橋ユウヤさん、いえ、残念ながら」

「あの景明様?そちらの方はどなたなのかしら?」

 

景明の横に控えていた、この場には場違いな雰囲気を漂わせている長身の女性がそう尋ねる。俺の方もこの貴婦人が一体誰なのか気になっていた所だからちょうどいいと思い自己紹介をする。

 

「ライジングサンダーってチームの百橋ユウヤだ。湊斗さんとは以前銀星号事件でちょっと縁があったんだ」

「あら、ありがとうござます。私はGHQの大鳥香奈枝です」

「私めは香奈枝の侍従、永倉さよでございます」

 

GHQ(・・・)大鳥(・・)香奈枝と永倉侍従か。大和の情勢に詳しくない俺でも気になる名前だ。なぜこの二人と湊斗景明が行動を共にしているのかは想像もつかない。だがとりあえず仲間のようだ。それから簡単に情報共有を行う。

 

「なるほど、本予選に出ていた騎体に『卵』はなかった、と」

「はい、そしてどのチームもやはり力を求めている。その裏には賭博化の企みがある、と」

 

要するに手がかりはないという事だ。何らかの方法で偽装しているのかそれ以外に方法があるのか、とにかく時間がないという事だけは分かった。卵の孵化は遅くとも明日だそうだ。困った状況にガシガシと頭を掻く。

 

「そう言えばポリスチームはなんでこんなに弛緩してるんだ?」

「それは、決勝レースに出ることができないからです。予選の最後に事故を起こしてしまい予備騎もないため出場ができないのです」

「それは……ご愁傷様だな」

 

なるほど、通りで弛緩した空気を漂わせている訳だ。彼等の大和GPは終わってしまったのだ。ポリスチームは力ない動きで撤退の準備をしている。

 

「待て、ポリスチームが撤退したら調査はどうするんだ?チーム関係者じゃ通らなくなるだろ?」

「それを苦慮しているところです」

 

湊斗景明が若干苦みばしった表情で方策がないことを告げる。どうすればいいのか途方に暮れた空気が満ちた時の事だった。

 

「湊斗さん、食事調達してきましたっ」

 

一人の女学生がビニール袋を片手にやってきた。見た顔だ。昨日Y.T.Rのメカニックとやりあっていた女学生だ。

 

「あら、ご苦労さま。お茶まであるなんて行き届いたこと」

「細やかな気配りでございます。流石は綾祢さま」

「……誰も、お前らの分があるなんて言ってねぇんだけどな。まぁいいや……ほら。……それでこの人は?」

 

綾祢と呼ばれた少女は昨日のことを覚えていないのか俺の存在を訝しげに見る。先程大鳥香奈枝に答えたのと同じ自己紹介をする。

 

「ふぅん、あたしは綾祢一条、名前はこの順であってるから、間違えて呼ぶなよ」

「ああ、綾祢一条さん、よろしく頼む」

 

一条とは珍しい名前のように思う。一体何を考えて親はこの名前を付けたのだろうか。それにしても女学生にGHQに警官、さらに混沌の度合いが増した。一体どんな繋がりから行動を共にしているのだろうか。気になるところだ。

 

一条が調達してきた握り飯とパックの緑茶を食べる景明達。そう言えば腹が減ってきたように思う。帰りに売店によってイーニァと俺の分の夕食を確保しようと思う。

 

「さて、腹も減ってきたし、そろそろ行くな」

「はい、情報提供ありがとうございました」

「あまり役に立たなくてすまない」

「いえ、そんな事は……」

 

湊斗達と別れガレージに戻る。そして夜。ガレージには鉄を叩く音ような音が響いていた。と言ってもガレージの中がうるさい訳ではない。むしろガレージの中からはほとんど何も聞こえないと言っていいだろう。他のチームが夜を徹しての最後の調整をしているのだ。

 

「ゆうや、起きて」

 

暗くしたガレージ内で仮眠を取っていた俺をイーニァが揺すって起こす。

 

「んっ、ああ、イーニァ?どうしたんだ?」

「へんなひとたちがきてるの」

 

その一言に眠気を無理矢理追い出す。イーニァが警告する『へんなひとたち』尋常な用件の者たちではないだろう。まず間違いなく襲撃者だ。もっとも何故襲撃されるのかは分からないのだが。

 

「ありがとな、イーニァ、そいつらはすぐ来るのか?」

「うん、あそこのドアの前に集まってるの」

「分かった。……不知火」

《御堂、何事?》

「多分、荒事になる。装甲する」

《了解》

 

静かに立ち上がり、ドアから距離を取る。そして誓言を唱える。

 

「未来なき煉獄に生まれ

 牙なき者の明日のために

 希望の糸を紡いで朽ちる

 されど刃、礎となり

 虚空へ至る道となる」

 

「飛翔せよ!不知火」

 

誓言を唱え終わるのとほぼ同時にドアが蹴り開かれ賊が押し入ってくる。格好は典型的な野盗スタイル。顔だけは覆面で隠した簡易的な物だ。武器は手に持ったナイフやバールと言った工具程度だろうか。拳銃ぐらいは隠し持っているかも知れないがはっきり言って戦力差が酷すぎた。

 

不知火を纏った俺が立ち塞がっていることにまず動揺する襲撃者達。がその動揺も一瞬の内に納め飛びかかってくる。レーサークルスならまだしも真打である不知火に勝てるはずもなく次々と無力化される襲撃者、最後の一人を沈めるのに1分とかかっていなかった。むしろ殺さないように手加減する事が一番難しかったと言えるだろう。

 

ガレージにあった縄で襲撃者達を縛る。その時の事だった。一人の男がガレージへと入って来る。鋭く重い想念を感じさせる目つきをしている以外に印象に残らない男だった。不審な男を警戒する。

 

「久しぶりだな」

 

男が言う。その発言に改めて男を見直すが見覚えがない。いや、そう言われてみるとあの目は見たことがあるかも知れない。だが、思い出せない。

 

「誰だ?すまないが思い出せない」

「ふっ、無理もない。一瞬、それも直接言葉を交わした事もないのだからな。こうすれば思い出せるか?」

 

そう言うと男がおもむろに懐から黒い布を取り出し顔に巻きつける。顔をほとんど隠し目のみが見えるその姿に記憶が刺激される。そう遠い過去の話ではない。ほんの一月二月前の事だ。

 

「―――黒瀬童子」

「思い出したか」

「ああ、それで俺に何の用だ?」

 

そう問いかけると、黒瀬童子は視線を俺から外す。その視線の先は……イーニァ?

 

「貴様に用などない。死んで欲しくないと、守ると誓った者を守れなかった貴様のような奴には、な」

 

視線を俺に戻す。その鋭い眼光から感じるのは――軽蔑。悪意の篭った視線が俺を焼く。……確かに俺はつくしを守ることができなかった。自らの意志で劔冑になることを決断したとは言えつくしは死んだのだ。守れなかったという指摘は間違っていない。否、正しいと思う自分が居る。

 

《劔冑になったのは私の意志。御堂は悩む必要はない》

 

つくしがそう言ってくれる。だが心の何処かでそれを受け入れられないのを感じる。とは言え黒瀬童子に言われる筋合いはない。悩みを無理矢理一度断ち切り黒瀬童子に問う。

 

「……じゃあ、何しに来た?」

「その少女、怪しげな妖術を使うようだが、生かしておけん」

「なに?イーニァを殺す、と?」

「そうだ!その少女によって多くの仲間が犠牲になっているのだ!」

 

強烈な敵意を黒瀬童子は隠さない。黒瀬童子が言っている事も想像は付く。幕府の重鎮である茶々丸の手伝いをする中で、反幕府勢力を率いている黒瀬童子の恨みを買うような事があったのだろう。どちらが正しいという問題ではない。とは言え、イーニァを狙っていると言われて放って置けるはずもない。戦う準備を整える。

 

「イーニァ、俺の後ろに居ろ」

「うん!」

「ふんっ、その少女は生かしておけん。だが、この場で戦うつもりはない。百橋ユウヤ、貴様は堀越公方に使われたままでいいのか?」

「……どういう意味だ」

「言葉通りだ。大和を六波羅の好き勝手にさせていていいと思うのか、と問うている」

 

大和の現状、民衆の暮らしは良いものだとは言い難いだろう。六波羅による圧政、それが民衆を蝕んでいる。だが、GHQ、引いては大英連邦という強敵を抱えている情勢を鑑みると一概に六波羅が悪とは言えないのではないだろうか、強権的ではあるが必要悪だとも言えるのだ。そしてその判断は異世界人である俺が下していいものじゃないと思う。

 

「……良いかどうか判断する立場に俺は居ない。悪いが勧誘なら俺以外を当たってくれ。だが、イーニァに手を出すつもりなら俺の敵だ」

「……そうか、時間の無駄だったな。堀越公方に組みするなら我らの敵だ」

 

無言で睨み合う。どれほど時間が経っただろうか、フッと黒瀬童子が下がり、視線を合わせたままドアの外へと消える。どうやら立ち去ったようだ。イーニァを見ると笑顔で頷いている。本当に立ち去ったようだ。安全を確認して不知火を除装する。

 

戦いにならなくて良かったという思いがある。黒瀬童子は劔冑持ちだ。それもつくしと親子関係にある。そんな身内同士で戦わせたくはない。それに彼の言っていた事も間違いではないのだ。

 

それから放置していた襲撃者の処置を大会組織委員会に聞きに行く。表に出ていないとは言え堀越公方がスポンサーをしているチームだからかすぐに動いてくれる。襲撃者を引き渡す。だが、襲撃の真相が明らかになることはないだろう。

 

おそらく襲撃者のバックには翔京が居るのだと思う。ウルティマ・シュールで圧勝する筈がぽっと出のプライベーター相手にいい勝負だったのだ。賭博化という利権を得ようとしている翔京にとって堪ったものではないだろう。それで排除しようと襲撃を試みたのだと思う。

 

そして翔京のバックには小弓公方が居る。その権力を考えると黙殺される見込みが高いと思う。もちろん茶々丸にどうにかしてもらうという手もあるのだが、被害もないしそこまでする必要を感じない。

 

それよりも俺が襲われたと言うことはもっと手強いライバルであるタムラも襲われた可能性が高いと思う。それについて何ができる訳ではないのだが安全を祈っておく。やはりレースの結末はコース上で決めるべきだと思うのだ。

 

一通り処置を終える。できれば茶々丸にも報告と相談をしたかったのだが、生憎と捕まえることはできなかった。やるべきことを終えた頃には本戦の当日になっていた。今日の試合に向けて身体を休めるのだった。

 



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逆襲騎

非常に長くなりました。


《大和初、装甲競技(アーマーレース)国内統一選手権……大和GP。決勝まで勝ち残った二十の戦隊(チーム)。そして、彼等の戦いを見るために詰め掛けた観客席の人々……。麿がなぜこの大会を開いたか教えましょう》

 

 開会の辞を述べる貴賓席の男――小弓公方、今川雷蝶はそこで一息入れると大仰な口調で宣言する。

 

《美よ!

 麿は美しいものを見たいのよ!

 強い者は美しい!

 巧な者は美しい!

 賢い者は美しい!

 そして、速い者も美しいッ!

 風すらも置き去りにして直向に駆け抜ける姿は、ただそれだけで目を奪われる美しさに満ち満ちている!》

 

 茶々丸が今川雷蝶は変な奴だと言っていたがその言葉に間違いはなかったようだ。スタートに向けて集中する頭の片隅で思う。

 

《その美しさの極限は何処?決まっているわ……それは最も速いもの。最も速い者は、最も美しい!麿はその雄姿を見るために大和GPを開催したのよ!……いいわね?あなた達……選ばれし二十の騎手!最高の美を見せなさいッ!》

 

 熱の篭った独白が会場に響き渡る。美しいか?何てことは知ったことじゃないが不知火の速さを見せつけてやろうとは思う。

 

《ここに――大和GP、決勝戦の開始を宣言する!!》

 

 その宣言が放たれた瞬間、若干の困惑が混じっていた会場が一気に沸騰する。

 

《えー、程良い感じにナチュラルジャンキーな開会挨拶でした。ありがとうございます。決勝開始までもう間もなく!司会と解説はワタクシ、弾丸雷虎がお送りします》

「――茶々丸!?……何やってんだアイツ」

 

 ごく自然に解説席に納まっている茶々丸を望遠で確認する。本気で解説をやるつもりらしい。確かに装甲競技について並々ならぬ情熱を傾けていたから解説もできないことではないと思うが、本来の解説役はどうしたんだか。

 

《なんでよッ!?》

《放送席で大声出すなよケバ太》

《誰がケバ太かっ!司会も解説も麿の手配した人間がちゃんといるはずでしょ!?なんであんたなの!》

《あー、あいつら腹痛で休み。賞味期限の切れた牛乳なんて飲むから》

《……牛乳?》

《や、ここんとこ伊豆高原の牛乳の売れ行きが悪くてさー。北曾(えぞ)産に押され気味で。うちの蔵にもだいぶ余ってんだよね。ヨーグルトになりかけのとか。バター風味のとか》

《あんたが飲ませたんじゃないのッ!!》

 

 まるでコントのような掛け合いを行う小弓公方と堀越公方。これがこの国のトップなのだ。本当に何をやってるんだか。だが、観客にはなかなか好評のようだ。場は暖まって来ている。その雰囲気を感じているのだろう。すかさず各騎の紹介に移るようだ。

 

《さー、各チームとも現在ピットで騎航準備に余念がありません!ミスは許されない!戦いは既に始まっている!ではここで最速を争う二○チームを順々に紹介していきましょう。まずはポールポジション――翔京ワークス"三城七騎衆"騎体は黄金の翼の"理想(ウルティマ・シュール)"。騎手は真剣勝負最強と知る人ぞ知る来馬豪(くるまごう)。昨日の本予選では騎体名に恥じぬ凄まじい騎航を見せてくれましたッ!まさに装甲競技の覇王!圧倒的なパワーでこの決勝も制することができるか!?》

 

《……そうね。今のところはここが一番期待できるかしら。ともすれば俗っぽい黄金の翼も、全国制覇の意気の顕れと思えば悪くなくってよ。美しく闘いなさい!その黄金が鍍金(メッキ)と笑われないようにね!》

 

 理想(ウルティマ・シュール)、ユーツ鋼という比強度に優れた希少金属を利用することで圧倒的な軽さを実現した騎体。その軽さから導き出される加速性能は脅威の一言だ。加速性能は実戦も想定している不知火では到底太刀打ちできない。

 

《続いてタムラワークス"T・F・F(タムラ・ファイティング・ファクトリー)"!騎体は青く輝く"逆襲(アベンジ)"、騎手は悲運の天才の血を受け継ぐ皇路操。こちらの騎体も翔京ウルティマと同様昨日が初登場!驚天動地の爆走でしたッ!あれはこの青い劔冑(クルス)の性能を限界まで出し切った結果か。それとも更に先があるのか!?》

《せめて、まぐれではないことを期待するわ。決勝をつまらない勝負にはして欲しくないもの。限界を究めなさい!その青いボディにかけて!》

 

 逆襲(アベンジ)、とにかく圧倒的な直線の速さを実現するために全てを注ぎ込んだ騎体と言えるだろう。加速性能と最高速度、ゼロヨンであれば不知火以上に速いであろう強敵だ。一応反賭博派の味方と言っても間違いではないが負けるつもりはない。

 

《なんと今回紹介する機体は真打劔冑です!プライベーターの閃光の雷(ライジングサンダー)。騎体は白い閃光、不知火!真打が装甲競技でも遅れを取らないという証明をすべく騎航します》

《アーマーレースに真打なんて無粋ね、あり得ないわ。それになにあの騎体、腰部に合当理をマウントするなんてなにを考えているのかしら……あれじゃあ、重心位置がずれて空気抵抗が大きくなるだけじゃない》

《おや?予備予選と予選は見ていない?……なるほどならじっくり御覧ください》

 

 紹介に合わせて観客に手を振る。観客が湧き上がる。歓声を受け気合も入るがどこか座りが悪い。こういう高揚感はテストパイロットをしていた時も感じたことのないレース特有の物だろう。慣れてないということもあるが、やはり俺は根っからのテストパイロットであり、レーサーではないのだろう。

 

《……おっと、開始が近いようです。巻いていきましょう。四番手、シーサイドバーサーカーズ。ここはアソシエイブルのセミワークスです。騎体は新鋭騎RG-一〇CX(レーシング・テン)。奥の手スリッパークラッチは果たして効果を発揮するのかッ!?》

《ここの騎体はデザイン面であまり冒険してないわねぇ。性能の高さは認めるけど》

 

《五番手はヨコタンワークス。騎体は世界を獲った名騎ハウンドの発展型超越猟犬(スーパーハウンド)。この騎体からベルト駆動へ転向!チェーンの翔京、シャフトのタムラに対して優位を示したいところだが!?》

《相変わらず不格好な面構えね……。でも速さは正義よ。世界の頂点に立つための姿がこれだと言うなら、貫き通しなさい》

 

《続いてベルトの本家、ヒラゴーワークス。新型騎"魅惑(セクシー)"を投入して五番グリッドを確保!その異様なほど滑らかな騎航には定評あり。……しかしセクシーって何だ?》

《この会社のネーミングセンスは時々よくわからないわね……》

 

《六番手、鎌倉マツイ。フラッグシップ"芸者(ザ・ゲイシャ)"に試作品と思しき部品を積み込んでの登場だ!……ここもさぁ……どうしてこう毎度毎度、大和マニアの外国人がつけたみたいなネーミングなんだ?》

《そういう人が担当なんでしょ?》

 

《七番手!ヨコタンセミワークス、騎体"ハウンドMk.Ⅴ"!ようやくまともな名前だ!》

《まともだけど、まとも過ぎて冒険していないわねぇ》

 

 前田が騎手を務めるチームだ。翔京系とは別の賭博推進派でもある横森鍛造のチームでもある。ワークスチームのスーパーハウンドと連携を取って戦われると厄介な敵になるかもしれない。

 

《八番手!ゲッコーワークス、騎体"疾走紳士(ジェントルダッシュ)"!……おーい……》

《……いつの間にか面白ネーミング選手権になってるんじゃないでしょうね?この大会……》

 

 次々とレースの参加騎体が紹介されていく。その度に歓声が上がりドンドンと観客のボルテージも上がっていく。それに合わせるかのようにピンと張り詰めた緊張感溢れる空気も鋭さを増していく。ネーミングセンスは、その、あれだ。俺は良いと思うんだが。

 

《えー、では一一番グリッド。官公庁代表ポリスチーム。騎体は予選で破損した火箭(ホットボルト)に代わり、その独自アレンジバージョン――"串焼腸詰(ホットドッグ)"だぁッ!……てめーもかオイ!!》

《それ、あんたがごり押しで突っ込んだ騎体と騎手でしょうがッ!!》

 

 そこに居たのはどう見ても村正だった。一応偽装をしようと言う努力の跡は見受けられるが見間違いようがない。確かにホットボルトと村正は似ていなくもないが村正を見たことがあれば見間違いようがないだろう。

 

 考えてみればレースに出ている理由は分かる。このレース中に『卵』が孵化した場合に即座に対応するためだろう。だが、そのためだけに真打でレースに参加するなんて酔狂な真似をするとは思わなかった。だが、レース自体には関係ないだろう。今は気にしなくていい。

 

《……さぁ全ての装甲騎手(アーマーレーサー)がスターティンググリッドに揃った!いよいよスタートです!全騎手、全観衆、スタートランプに注目を!あれが青になった瞬間だッ!大和最速を決する勝負が――今、火蓋を切るッ!!》

 

最初のランプが赤く点灯する。跳躍ユニットの出力を飛び出す直前まで上げる。

 

次のランプが赤く点灯する。飛び立つべく膝を曲げ足に力を貯める。

 

最後のランプが緑色に点灯した。溜め込んだ力を一気に解放する!

 

《各騎一斉に飛び出したぁーーーッ!!凄まじい爆音交響曲(エグゾースト・シンフォニー)!》

 

 不知火の跳躍ユニットが火を吹き、加速していく。その横をすり抜けていくレーサークルス達。残念ながら実戦仕様で重い不知火の加速性能はレーサークルスに一歩劣る。だが、それを補ってあまりある大出力で速度の差は即座に詰められる。立ち上がりの差で順位は一気に下位にまで落ちたが勝負はこれからだ。

 

《群を成してホームストレートを駆け抜けてゆく!危険だッ!クラッシュの発生率は今この瞬間が最も高いィィィーーーッ!!ああーー!?一三番、浮いた―――》

 

 早速一騎事故ったようだ。とは言え流石一流のレーサーが集まっているだけあって、順位を競り合いながらも限界ギリギリで上手くコントロールしている。

 

《直撃ッ!接触を避けようと無理な騎首転換を行った一三番、チーム・サワダ!浮いてしまった!コースアーチに激突ぅッ!直ちに救助が行われます!》

《無様ね。翼の扱いを知らない鳥は、落ちて当然よ》

《吹き飛んだアーチの修復も手早く行われております。この辺りはさすが熟練のスタッフ、仕事に無駄がない。一方レースは第一コーナーへ突入ッ!先頭はやはりか!翔京ウルティマ!続いてヨコタン、タムラ、マツイにアソシ、後は団子だ!最後尾はポリスチーム!さぁ、この順位!最初のコーナーを抜けてどう変化する!?》

 

 下位集団の渦中で身動きが取りづらいがここが最初の勝負所だろう。他の騎体コーナーを曲がるため減速する中、コーナーへノーブレーキでの突入を試みる。これに付いていこうと数騎が続くがすぐに諦めて速度を落とす。跳躍ユニットの利点を最大限に活かし、コーナーに沿うように最短距離を最速で曲がる。

 

《ああっと!ここでプライベーターの不知火が下位集団を抜け出したッ!独自機構から繰り出されるノーブレーキ走法に誰も付いて行けないッ!》

《な、なんなのよ、あの騎体!加速は凡庸、いえ真打ちであることを考えれば優れていると言っていいのでしょうね。でもその後が、コーナリングがおかしいわ。減速しない。最高速度のまま飛び込んで最高速度のまま出てくる。あり得ない!あり得ないわ!……可変翼に推力偏向ノズル?いえそうじゃないわね。それとは系統が同じでも思想が違う。ウィングとバレルが一体化したあの機構は一体何なの》

 

 こと運動性能において不知火を凌駕する騎体は存在しない。それが例え競技用劔冑(レーサークルス)であろうとも、だ。それだけの自負がある。そして自信もある。不知火の思想は少なくとも10年は先を行っている。

 

《ポリスチームがコーナーを曲がる!なんというかッ――堅実な騎航だ!》

《……なにあれ。劔冑の性能も騎手の力量も凡庸。見るべき点が無いわね》

 

 村正達がボロクソに言われている。戦闘用の真打にレーサーじゃない騎手、俺達よりもさらにレース向きじゃない組み合わせなのだ。そうなるのもむべなるかなと言ったところか。

 

《ウルティマがスプーンカーブを抜けるッ!どうやら頭一つ抜き出たッ!続く集団はスーパーハウンド、RG-一〇、アベンジの三強!激しい鍔迫り合い!マツイはやや遅れたか!?追う不知火がマツイに襲いかかる!》

《おおむね順当な展開ね。さあ、これからどうなるかしら……》

 

 下位集団を抜け出した俺は上位集団からはぐれ気味になっていたマツイと一騎打ちを演じていた。流石に決勝に残るだけあってマツイは上手い。加速性能に難があることを見抜いて、抜きどころであるコーナーを的確にブロックしてくるのだ。そこを抑えられると一気に闘いづらくなる。勝負どころは次のスプーンカーブだ。

 

《スプーンカーブで不知火が勝負に出たッ!アウトからマツイを抜きに掛かる!だが、マツイ上手い!アウト側のコースを絶妙にブロック!これは手が出ないかァ!》

「それぐらい予想の範囲内なんっ、だ、よ!」

 

 急激なGに耐えながら吼える。アウト側を狙っていたかのように見せかけていた不知火をイン方向に無理矢理流し、がら空きになっているマツイのインに頭をねじ込む。

 

《何とッ!アウトを狙っていたと思った不知火が一瞬の内にインに移動!マツイの横を抜けていきます!順位は入れ替わり不知火が四位に浮上!》

《とんでもないわね、あれができる騎体もそうだけど、騎手の方にもかなりの負荷が掛かっている筈よ》

 

 確かにかなり負荷が掛かる上に奇襲に近い。そう何度も通じる技じゃないだろう。

 

《おっ、アソシが抜きに掛かった!インを攻める――が、駄目だッ!がっちりラインを封じられて、こちらは手も足も出せず!二位三位の変動はありません!》

《良い攻防ね。……それに引き換え、最下位のあれは何なのよ。どん臭いったら。よっぽどの駄作なのね、あの劔冑》

 

《先頭がコントロールラインを越えたっ。これで五周!六周目です!残り一五周。そろそろ中盤戦に差し掛かります。状況はやや膠着してきたか?》

《そのようね。翔京を筆頭にヨコタン、アソシ、タムラ、不知火、マツイ……不知火以外上位陣は順当なところで安定しているわ》

《やはり注目はダークホース不知火でしょうか?一方、下位の情勢はいまだ混沌。激突ありコースアウトありの激しいデッドヒート繰り広げています!》

 

 マツイと戯れた結果生まれた距離を一歩、いや半歩ずつ削っていく。コーナーを一つ越えるたびに本当に僅かだがアベンジのリアが近づいていく。神経を削る消耗戦。だが今は耐える時だ。

 

《しかし、最後尾のポリスチームだけは孤立気味だッ!やはり予備騎での参加は無理があったか!?昨日の事故が痛かった!それでもポリスは騎航(はし)る!ご来場の皆様、血税ではありません!彼らは皆様の税金を浪費して参戦しているのではありませんッ!月給です!月給から費用を捻出しています。安月給の貴重な一部、一食の食費を三〇円から二〇円に切り詰めて貯めたお金で彼らは駆ける!偉いぞ警察!頑張れポリス!失われた給料にかけて飛べ、串焼腸詰(ホットドッグ)

いけー串焼腸詰(ホットドッグ)

負けるな串焼腸詰(ホットドッグ)

頑張れファイトだ串焼腸詰(ホットドッグ)ゥーーー!!

うわーん!応援してるこっちがアホみてー!》

《ほっときゃいいでしょうがッ!?》

 

 コントのようなやり取りに気が削がれる。茶々丸は一体何をやっているのだか……それにしても村正は茶々丸が押し込んだ騎体だと言っていたが、賭博反対派としての行動なのだろうか?それとも銀星号事件を知ってなのか?

 

《…………えーーーーーーーーーー!?》

《なんじゃありゃァーーーーーーー!?》

 

 大歓声とともにアナウンスが絶叫する。咄嗟に後方を確認する。物凄い勢いで村正が疾駆していた。あれは……陰義の力、か?とにかく尋常の物ではない。村正の陰義は磁力操作だと思うのだが、それをどうやったらあんな加速が実現できるのだろうか。

 

《すげー!すごいぞホットドッグ!なんだかわけわかんねー加速で一気に追い上げたぁーーーーーッ!!》

《なんでよっ!なんであんな騎体であんなスピードがあんな急に出るのよ!ありえないわっ、監視員に連絡!なにかおかしな器械をつかってなかったか確かめて!》

《おお!?ホットドッグ、加速が止まった!結局なんだったのかさっぱりわからんけどとにかく限界に達した模様。安定した騎航に戻るようです》

《……それでもまだ……さっきまでの騎航に比べると随分速いわね。これが本当の性能なのかしら……?》

《やー、すごかったね。そういやおめー、あれに凡庸だの駄作だの散々言ってなかったっけ?》

《……くっ。わかったわよ。取り消すわよ、認めるわよ。あの騎体は並ではないわね。どうにもよくわからないところがあるけど……あの加速は超常的で――美しくもあったわ。あれを見せただけでも、この決勝戦に参加する資格はあったと言えるでしょう》

《主催者サマのお言葉でした。良かったねー、ポリスの人!》

 

 何が村正達に起こったのかは謎だが、それはそれとして遂に上位陣に食らいつく。が、タムラは何を考えているのか、こちらがアウトに振っても気にする様子がなかったためそのままスルーさせてもらう。何事もなくタムラの前に出る。

 

「不気味、だな」

《そうね、でも今は気にしても仕方ない》

「ああ、この調子でどんどん行くぜ!」

 

 アソシのRG-一〇のピッタリ後ろに付ける。そして先程と同様にコーナーを利用してノーブレーキでアウト側に振る。当然、そのラインを塞ごうと騎体をアウト側に寄せるアソシ、そこに一気にイン側に横スライドするように動き、抜き去る。

 

《おおっと!ここで一気に不知火が二台抜き、いやさ、タムラは敢えて抜かせたようにも見えたが?さてここからどうなる!このまま一位の座まで掻っ攫ってしまうのかァ!?》

《見事ね……でもワンパターンだわ》

《おや、先頭を独走していた翔京のペースをダウン!どうした!マシントラブルか!?》

 

 翔京のウルティマがヨコタンのスーパーハウンドの直ぐ側まで下がってくる。その動きに疑問を感じながらも、スーパーハウンドに対してもアウトからの攻めを見せる。

 

「!?これが狙いか!」

 

 アウトに振った騎体をインに持って行ったのだが、そこはウルティマが陣取ってラインを塞がれていた。咄嗟に減速し、衝突を避ける。

 

《これは凄い!ウルティマとスーパーハウンドが協力して不知火のアタックをブロッッック!流石に二騎相手では手も足も出ません!》

《これは協力と言うよりスーパーハウンドが上手く利用されている形ね。流石一流のレーサーだわ、見事な駆け引きよ。そして不知火は手を見せすぎたわね》

 

 それから数度アタックを掛けるもスーパハウンドを上手く使うウルティマを突破できずに遂に十周、半分が終わってしまう。

 

《ここで各騎ピットインに入る。このピットイン作業の早さもレースに影響を与える重要な要素だ。……いや、一騎ピットインしない!不知火はピットインしない!それも当然か!あの機体は真打!補助推進機構(アフターバーナー)を装備していない!ここで頭を抑えられ続けていた不知火が悠々と先頭に躍り出る!》

《これは……決まったかもね》

 

 先頭に立ち、今までとは別の類のプレッシャーが掛かってくる。後ろから追われる恐怖。ここから先はこのプレッシャーとの闘いだ。

 

《不知火がトップに躍り出て順位は大きく変動!十周前後で不知火を除いた各チームとも補助推進器(アフターバーナー)交換のためにピットイン!ピットクルーも奮闘しますが、ピットインなしという圧倒的アドバンテージは覆し難い!》

《今、レースは完全に不知火の物よ。ここからどうその圧倒的優位を奪い返すのか?それが見どころね》

 

――――――

 

 レースを観戦するVIP席のすぐ近く、一人の男が憤懣やる方ないといった感じで手当たり次第に物に当たりながら出て来る。

 

「クソっ、タムラはともかくあんなどこの誰とも分からない輩に邪魔などされてたまるか!かくなる上は……」

 

 男は通信機を手に取ると何処かへと連絡を付ける。

 

「……私だ。ああ。手筈とは状況が異なるがやらせろ。何が何でもアイツを止めるんだ。……嫌がっている?そんなことは承知の上だ。……レーサーのプライド?知った事か!そのプライドごと買ってやれ、どうせ勝ち目はない今日の勝負での意地を売り、明日の勝負での勝ちを買え、と伝えろ。資金援助に技術提供、やつらが喉から手が出るほど欲しがっているものを約束してやれ。そうすれば動くだろう」

 

 そう告げるとそれまでの怒りはどうしたのか男は嫌な笑みを浮かべる。

 

「……案ずるな。後でどうにでも誤魔化せる。とにかく我々には今日の勝利が必要なのだ。そうだろう?そのためには詐術のひとつやふたつ、こなさねばなるまい……」

 

――――――

 

《おっと。後方で異変です。いくつかの騎体がタイミングを同じくして減速っ。後退していきます》

《接触でもしたの?まあどうでもいいわ。終盤が近いのにあの調子じゃ、どうせ勝ち目はないでしょう。邪魔にならないようにどいていなさい》

《邪魔にならなきゃ、いいけどねー?》

《え?》

 

 独走状態にあった不知火の前に周回遅れになった騎体達が見える。茶々丸が警告してくれなくても分かる。こいつらは邪魔する気だ、と。

 

《……え?ちょっと、ちょっと!》

《おおーっと、これはアクシデント!中盤争いから脱落した騎手らが周回遅れになってトップの不知火に近接。不知火、進路を塞がれた格好になった!》

《青旗は出ないの!?どうせ騎体にトラブル起こして落ちてきた連中でしょう!さっさと脇へどかせなさいよ!》

《いやいやところがあのお歴々、周回遅れになった途端に調子が回復したようでーす。決勝参戦騎にふさわしい騎航(はしり)を取り戻しているー。わー。がんばれー》

《……なんでそっぽ向いて耳ほじりながら言うのよ?》

《別にィ?》

 

 進路妨害されてペースがダウンする。その隙に接近する上位陣達、そして上位陣が十分に接近してきたのを確認したのだろう。下位の一騎がバランスを崩したフリをして体当たりを仕掛けてくる。

 

「そこまでするか!!」

 

 咄嗟に減速し、激突を回避。しかしその隙に俺を除いた上位陣が抜き去っていく。ピットインのアドバンテージは奪い返されてしまった。それから数度アタックを試みるも行かせる気はないようだ。アウトからの奇襲もこれだけ数が揃っていると効果はない。

 

《ちょっと待って。あの機体真打なんでしょう?何で頭を抑えられているのよ》

「ちっ、好き勝手言いやがる。こっちがどれだけ気を使ってるのかも知らずに」

《御堂、やっちゃおう》

「仕方ねぇ、一騎ずつ丁寧にやるぞ!」

 

 目標は前方で進路を塞いでいる内の一騎、芸者(ザ・ゲイシャ)だ。

 

《おっと?どうした?不知火がゆっくりと芸者(ザ・ゲイシャ)に近づいていく!このままでは接触してしまうぞ!?いやさ!それが目的か!?装甲強度にモノを言わせて強行突破すると宣言しているのか!?》

《―――なるほど、今まではそのあまりの格差に気を使っていたのね。でもその思想は惰弱だわ。使えるものは使う。他人でもなんでも使えるものを使って勝つのが勝者よ》

芸者(ザ・ゲイシャ)が跳ね飛ばされたァーーーーーーー!!そのままなおも進路を塞いでいる各騎に迫る不知火。強い!強すぎるぞ!不知火!進路を塞いでいた五騎を鎧袖一触!そして再びトップ、ウルティマ・シュールを追う!》

 

 開けた視界の中を全力でトップ集団を追う。レースの流れはウルティマへと支配者を変えていた。 僅かな差が重く響いていた。ようやく上位集団の尻尾を捕まえた時には既に終盤に入っていた。

 

 先頭集団の尻尾を走るはタムラ・アベンジここまでひたすら上位集団を走り続けてきた技術は流石の一言だが昨日のような異常な速度は未だに見せていない。まだ奥の手を隠し持っている状態だ。このまま黙って終わらせるわけがない。

 

《おっと、ここで不知火が仕掛ける!が、その攻め手にアベンジは全く反応を見せない!不気味だ!先程と同様にただで抜かせる!》

《タムラは何を考えているのかしら?》

 

 仕掛けない訳にもいかないので、立体交差で仕掛けたのだがアベンジは無反応。悠々と抜き去り順位を上げる。続いてアソシの隙を狙う。そのチャンスは意外とすぐにやってきた。

 

《立体交差を越える!ウルティマ、ミスを犯しません!》

《危なげないわね。むしろ続く連中の方が怪しくなってきたわ》

《おおっ!?スーパーハウンドとRG-一〇がいま接触しかけた!そしてその隙を見逃さず一気に不知火がごぼう抜き!これは上手い!》

《スーパーハウンドとRG-一〇は無様ね。ウルティマと不知火の圧力に耐えきれなくなってきたんでしょう。その点不知火は見事ね、一瞬の機を逃さなかったわ》

 

 順位を二位に上げ、遂に残るはウルティマだけだ。先程とは違いスーパーハウンドはいない。レース経験では圧倒的に差があるがどう対処してくる?

 

《一時は落ち込んだ順位を脅威の粘りで取り返した不知火!さぁここからどうでる!そしてウルティマはどう対処する!?》

《見どころね、今までのようなワンパターンな攻めはそろそろ飽きてきたのだけれどどうなるのかしら?》

 

 とりあえず攻めるポイントはコーナーだ。アウト側からの攻め。ワンパターンと言われようとレーサーとしての引き出しが少ない俺はこれに頼らざる負えない。

 

《不知火、やはりアウト側に騎体を振った!それに反応してウルティマもラインを塞ぐ!ここからっ!……ダメだァ!ウルティマもイン側に移動してラインを潰した!不知火の必殺技、破れたり!!》

《とりあえずウルティマが見事ね、何が来るか分かっていたとしてもよく対応したわ》

 

 ダメ、か。流石に見せすぎたらしい。ならば次は運動性能を最大限に活かすまでだ。ウルティマから僅かに距離を取る。

 

《おっと、ここで不知火が若干ペースダウン、何をする気でしょうか?》

《このままではウルティマに勝てないと判断したのでしょうね。その判断は良くてよ》

 

 加速するためのスペースを確保する。今までの戦い方でブロックされてしまうと加速が途切れ、コーナーを脱出した時の速度が遅くなってしまう。そうなってしまうと相対的に重い不知火は加速に時間が掛かってしまう。

 

 それを避けるためにわざとスペースを開けたのだ。130Rに加速しながら突っ込んでいく。カーブの最中も減速するどころか加速を続ける。そしてコーナーの出口でウルティマのぴったり後ろを取る。要するに立ち上がりを重視し、その後の直線で勝負しようという作戦だ。

 

《130Rを加速しながらクリアー!こんな事が許されていいのか!?カーブは減速する物という常識を塗り替えて不知火が走る!!》

《改めてとんでもない騎体ね、カーブをものともしていないわ。でもこれでウルティマと並んだだけここからどうするのかしら?》

 

 バックストレートを左右に騎体を振り、相手に対応を迫る。左右に振る度に僅かずつであるが相手に遅れが生じている。運動性能ではこちらの方が一枚優れているのだ。相手の騎手はその遅れを最小限にしようと努力を続けているが限界がある。ついに鼻先を相手の横に突っ込むことに成功する。そしてそのまま最終コーナーへ、減速せざる負えない敵騎を尻目に最高速度のまま突入する。

 

《抜いたァァァァアア!!!ついにウルティマの壁を突破し不知火がトップに躍り出た!》

《見事よ。ちょっとバタ臭い抜き方だったけど騎体の性能を存分に活かした結果ね。》

 

 そのままホームストレートを最高速度まで加速し疾駆する。一度前に出てしまえばウルティマは敵ではない。もちろんレーサーの経験は圧倒的に上だから油断はできないが、加速性能以外に特出した点はないのだ。そして減速しなくても良いという不知火の特性上加速性能の差は問題にならない。

 

《さぁ、先頭集団はホームストレートに突入!――お?アベンジが……速度を落としています!》

《何かしら?まさかマシントラブル?》

《……いや。こいつは、多分……あの》

 

「翼をください。

 私は空を駆けたいのです」

「翼をください

 私は風と戯れたいのです」

「翼をください

 私は鳥になりたいのです」

「翼をください

 私は空も風も鳥も裏切りたいのです」

「私の翼は全てを裏切る。

 全てを捨て去り忘れ去り、なかったものにしてしまう」

「なぜならこれは恋ではないから。

 なぜならこれは逆襲なのだから」

「空は私を厭い風は私を憎み鳥は私を妬め。

 慟哭をかき鳴らしてこの名を唄え」

 

「"逆襲騎(アベンジ・ザ・ブルー)"」

 

《来たーーーーーーーッ!》

《こ、この加速は……ッ!》

《タムラ・アベンジ、本性を見せたッ!

 爆走(スコーチ)爆走(スコーチ)爆走(スコーチ)ィィィーーーーーー!!やはり昨日のあれはマグレではなかったッ!サーキット場の熱が見せた幻でもなかった!この爆走はリアルな現実だぁッ!!》

《凄い……!さっきポリスチームが見せた魔術のような理解し難い暴走とは全く違う。完成された機構による統制された爆走よ!美しい!美しいわぁ!》

 

 どうやらアベンジが遂に動き出したようだ。先程の包囲網だって本来はこのアベンジに仕掛けるための物だったはずだ。それが俺達というイレギュラーが独走していたために投入せざる負えなくなったのだろう。おそらくこれ以上の妨害はない筈だ。

 

《抜いたッ!RG-一〇!アソシエイブル社の誇る傑作騎、防ぐとかどーとか以前に反応できませんでしたッ!ヨコタン、スーパーハウンドも後塵を拝す!いつの間にか後姿を見せ付けられているッ!騎手の愕然とした顔が見えるようです!タムラ・アベンジ、皇路操ッ、一躍三位へ急浮上ぉーーーーーッ!!》

 

 アベンジとウルティマが壮絶な二位争いをしながらジリジリと距離を詰めてくる。ここに来てさらに加速しているようだ。先程ウルティマは脅威ではないと言ったが、訂正が必要なようだ。このままでは単純に速度で負ける。

 

《これはっ……凄まじい勝負になってきたァーーーッ!!直線ではタムラ・アベンジ!爆発的な速力で首位を強奪するッ!しかし、コーナーでは翔京・ウルティマ!大きくリアを振りながら回るアベンジの懐を容易く破って引き離す!それでもアベンジ、完全に振り切られはしない!粘るッ!そしてストレートで逆転する!両者一歩も譲らず!そして確実に不知火に迫っているッ!逃げる不知火!追う二雄!》

《す―――素晴らしい……ッ!》

 

《只今の周回のタイムが出ました。……これはすごい!

閃光の雷(ライジングサンダー)不知火、一分二五秒九一!

翔京ウルティマ、一分二五秒八七!

タムラアベンジ、一分二五秒八八!

三者共に大和人騎手のコースレコードッ!百分の一秒の争い!誰に軍配が上がるのか、まるで見えません!》

《直線のアベンジ。コーナーの不知火。そして技のウルティマ……いいわ!全員最高よ!荒々しい野性の美と、驚愕の機構の美、それに精緻を極める技巧の美……誰がより美しいのか。答えを教えて頂戴!》

《さあ誰だっ!主催者の求める答えは果たして三者のいずれがあたえるのかっ!》

 

 ウルティマがアベンジを抑えてくれていれば良いのだが……どうやらそうもいかないらしい。二者が壮絶なデッドヒートを繰り広げながら……いや、アベンジが僅かに差を付け始めた。

 

《ここでアベンジが一歩前に出たッ!不知火はもう手の届く距離にいるッ!このままアベンジがトップを強奪するのかッ!それとも不知火が守りきるのかッ!》

《ウルティマは……ここまでかしら。コーナーと立ち上がりがいくら上手くても詰められるタイムに限界があるってことね》

 

 アベンジがバックストレートで一気に距離を詰めてくる。だが、抜かさせない。半ば勘を頼りに必死に騎体を振りブロックする。遥か後方から一瞬で距離を詰めてくる青い閃光に見てからでは付いて行けない。次はブロックすらできないのではないかと背筋が凍る。

 

《不知火必死のブロック!進路を塞がれたアベンジは一気にペースダウン!》

《危ないわね。……衝突のリスクを負ってでもアベンジを前に行かせたくないという意気の現れかしら》

 

 ブロックに失敗したらウルティマの二の舞いを演じる事になりかねない。タイミングを外したら激突の危険すらある。だが、アベンジを止めるにはそのリスクを背負わせる(・・・・・)しかない。

 

 緩いバンクを抜け短いストレート、アベンジが青い稲妻となる。インかアウトか、その判断をしている段階ではどちらにでもいけるのだ。限界ギリギリまで待つしかない。そして一瞬の見極めでインかアウトに賭ける。

 

《アベンジが前に立ったッ!不知火は自ら進路を開ける形になってしまったッ!これはどうした事だ!》

《アベンジのあまりの速度に山を張っていたのでしょうね。そしてそれが外れた。それだけの話よ》

 

 外した!いつまでもブロックしきれるとは思っていなかったが、早速外してしまった。ならば何が何でもコーナーで前を取る必要がある。……そして130R、大きくリアを振るアベンジの懐を食い破る。

 

《一度は首位を強奪したアベンジ!だが、あっさりと懐を取られ不知火が前に出るッ!》

《ウルティマとの対決を思い出すわね。ウルティマは衝突のリスクを負えなかったけど、今度はどうなるかしら?》

 

 最終コーナー前のストレート、アベンジは背中にぴったりとくっついている。この状態では動き始めから抜きに掛かるまでの時間がなさすぎる。少なくとも後ろを気にしながら走っているようなでは防ぎきれない。

 

《御堂》

「なんだ?つくし」

《……アベンジがどっちに行くか私が判断する》

「それがつくしの判断か……よし、任せる」

 

 つくしにアベンジの監視を任せ、俺は最短距離を走ることだけに集中する。

 

《アウト!》

「おう!……くっ、ダメ、か」

 

 つくしの助言から即座に騎体をアウトに振る。が、間に合わない。アベンジが横を抜き去っていく。アベンジの事はつくしに任せて俺は最速で走ることだけを考える。

 

《直線ではやはりアベンジ!圧倒的に速いッ!だがそれでも不知火は食い下がる!そしてコーナーでは寄せ付けない!とんでもない速さで曲がっていく!僅かずつではあるがこれは不知火が引き離しているかッ!》

《走り方を変えてきたわね。より速く、より美しく。いいわ。その決断、麿の好みよ》

 

 必死だ。僅かでもミスが出ればアベンジに引き離される。最短、最善のコースを全速で行く事だけが今できる全てだ。相変わらずアベンジが抜くことをブロックする事には成功していない。少しずつピントが合ってきているような気もするのだが、タイミングがシビア過ぎる。早ければインとアウトを変えるだけの猶予をアベンジに与えてしまう。遅ければ反応する間もなく抜き去られる。そして長いホームストレート、今まで苦闘しながら貯めてきた貯金が一気に切り崩される。それでもどうにかアベンジの真後ろを確保する。

 

《アベンジ、ホームストレートで一気に距離を詰め、再び首位に浮上!だが不知火を振り切ることができないッ!不知火、アベンジの背後を取る!スリップについた!》

《ホームストレートで突き放せない。これは決定的かも知れないわね》

《さぁ、第一コーナーが近い!不知火、第一コーナーで抜きに掛かる――》

 

 第一コーナーに突入する。その瞬間の事だった。唐突に視界が失われる。

 

混乱。混乱。混乱。

 

 コントロールを失う。そこからはテストパイロットとしての本能だった。跳躍ユニットを前方に向けてフルブレーキング、無理な挙動に跳躍ユニットが軋む。が、それでも足りない。

 

―――衝撃

 

 サンドトラップに突っ込む。何が起こった?何が起こったのだ?一拍間を置いて思い出す。前を行くアベンジが唐突に光った事を。

 

―――何故?

 

《――――あっ》

《……激突ッ!?不知火が……コースアウトしてサンドトラップに突っ込んだわ!!丁度抜きに掛かろうと速度を上げたところで、事故を起こしたのね……!なんてこと……》

《…………》

《ちょっとあんた、ぼーっとしてないで解説しなさいよ!こんなのレースでは良くあることでしょ!?アベンジは……無事ね!騎航(はし)ってる……まさかこんなことになるなんて……これは奇跡と言っていいのかしら……とにかくアベンジがトップに立ったわ。神はあの青い騎体を選んだのね……!》

 

 それまで上機嫌だった茶々丸が手元のマイクのスイッチを切る。その表情には隠し様もない失望の表情を浮かべていた。

 

「………………その手使うのかよ。馬鹿が……それじゃなんにも面白くねえ。レーサーの癖に……アベンジなんて怪物創ってみせた癖に

……どうして、速く騎航(はし)以外(・・)の事を考える?神話が出来たかもしれないのに。最後の最後で三文芝居に貶しやがった……っ……」

 

 俺はサンドトラップから不知火を立ち上がらせる。

 

「っつ。……つくし、損傷を報告」

《了解、頭部および跳躍ユニットに軽度損傷、跳躍ユニット保持部に過負荷が掛かってちょっと危険、何れも自動回復可能》

「了解、騎航は可能なんだな?」

《問題ない。……許せない》

 

 許せない、か。確かにそうだ。事故を誘発するようなやり方は許せない。アベンジは騎体の表面を鏡面化することで日光を反射させ、俺の目を潰したのだ。スタッフが駆け寄ってくる。その手を振り払い、空へと舞い戻る。

 

「追いつくぞ!不知火!」

《おう!》

 

 既にアベンジと半周近い差が付いていた。跳躍ユニットを手繰りながら、最高速に持っていこうとしながら不知火に問いかける。

 

「通常の騎航で追いつくことは可能か?」

《不可、尋常の方法じゃ追いつけない》

「そうか……」

 

 普通に騎航しても追いつくことはできない。これは物理的な限界があるからだ。最高速度が足りない。加速性能が足りない。距離が足りない。

 

《諦める気はないんでしょ?》

「もちろんだ」

 

 不知火が笑うような声で呟く。それを受けて腹に力を入れて返答する。そして覚悟を決める。尋常の方法では追いつくことはできない。だが、このまま奴を優勝させる気など俺にはなかった。

 

「不知火!陰義を使うぞ!」

《良いのね?》

 

 真剣な、だがどこか分かっていたと言わんばかりの声で不知火が最終確認する。無言で頷く。

 

《了解!私達の力見せてやろう》

 

 丹田に全身の『気』を回すような意識をする。この『気』と言うのは不知火を纏うと感じられるよく分からない物だ。だが、これが陰義に直結しているという事は事前の実験で判っている。

 

《祈りの翼を以て

 無窮の空を超え

 事象の果を開け》

 

 不知火が呪句(コマンド)を詠唱する。それに合わせて気がどこかへと搾り取られていく。その量をコントロールしながら唱える。

 

「翔けろ!刃金の翼!」

 

 イメージする。目標は次のアーチ、アーチをくぐる必要があるからだ。アーチの真下、限界ギリギリにいる自分(不知火)が居るのだ、居て当然なのだとイメージする。

 

 次の瞬間

 

 俺達はアーチの下にいた。瞬間移動、それが不知火の陰義だった。騎体が擦れそうなほどアーチの至近。コース上で得られる限界高度、そこから降下する。重力を味方に付けて加速する。そして地面ギリギリ、俺達は騎体を立て直さない(・・・・・・)

 

「まだだ!もう一回行くぞ!!」

《了解!》

 

《なにーーーーーーーーッ!!》

《なんじゃそりゃーーーッ!!》

 

 再びアーチギリギリに出現する。そのまま地面に向けて加速を続ける。以前から考えていた不知火の陰義の使い方の一つだ。

 

《事故でリタイアかと思われた不知火がレースに復帰!その後次々とアーチを跳んでいきますっ!これは陰義でしょうか?》

《陰義、なんでしょうね。瞬間移動かしら?とんでもないわね。それに、何よあれ。まだ加速し続けてるわ》

 

 視界が次々と変わっていく、瞬間移動の反動で体内に直接手を突っ込まれぐちゃぐちゃにかき回されたような違和感がある。だが、それがどうした(・・・・・・・)落ち続ける(・・・・・)事で騎体は想定外の速度まで加速している。後一歩、後一歩であのアベンジに届くのだ。

 

《レースは既に最終盤!残りも半周となりましたが、とんでもない事が起こっていますッ!》

《こうなるとアベンジが逃げ切るのか、それとも不知火が追いつくのか、それが問題ね、特に不知火の体力が持つかどうか疑問だわ》

 

 身体の中から熱量を捻り出して陰義と跳躍ユニットに費やす。まだだ、まだ落ちる訳にはいかない。最終コーナー直前。アベンジの真後ろに瞬間移動する。既に熱量は枯渇寸前だ。手足が冷たい。それでも大きくリアを振るアベンジの懐を食い破りどうにか前に出る。だが、ラストのホームストレートをどうする?ここで前に出られたらもう追いつけない。視界から色が失われる。考える余力すらない。

 

一瞬の閃き

 

《今!》

 

つくしの声がするよりも早く、身体が勝手に動く。アベンジの頭を抑える。あまりのタイミングに出足をくじかれるアベンジ。真後ろにアベンジがいる。

 

何も考えられない。もう限界もいいところだ。限界まで飛びそのまま墜落する。何も感じない。地面を滑るように墜落する。

 

歓声が遠く聞こえる。

 

《不知火が!不知火が!!不知火が!!!ゴールラインを墜落しながら突破!!!執念の勝利です!!》

《す―――素晴らしい……ッ!見事よ!》

 

 




 当初のプロットではユウヤは事故で途中退場の予定だったのですが、陰義まで使って勝利してしまいました。

 また、割りとどうでもいい設定の話ですが、不知火はチェーンドライブです。一言にチェーンと言っても通常の自転車のチェーンのような物ではなくサイレントチェーンと呼ばれる類のチェーンです。通常品とくらべて高性能化や低騒音化、軽量化などの効果があります。

 感想、批判お待ちしております。


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顛末

ほとんど原作と同じですが、ないとどうなったのか分からなくなるので


 レースは不知火、百橋ユウヤの勝利に終わった。陰義を使った逆転劇。今でも真打はレースに出るべきではないと思っている。だが、アベンジがあのような事をした以上、この結果が最善だったのだろう。

 

 レースをコース上から眺めていた俺達はアベンジの凶行の一部始終を見た。汚された。そう思った。不知火がレースに戻った時の怒りが理解できた。そして陰義を使ってまで勝ちにいった姿が目に焼き付いている。本来は使うつもりなどなかった筈だ。

 

 レースは終わった。墜落した百橋ユウヤへのヒーローインタビューは延期され、大会は終わった。俺は装甲を解く気にもなれないままガレージで待っていた。

 

「景明さま」

 

 長身の貴婦人とその付き人、そして女学生が戻ってくる。彼女たちには調査をお願いしていた。

 

「どうでしたか」

「ほとんどのチームは帰ったようです。観客も……」

「残っているチームは何処ですか」

「タムラとライジングサンダー、他にプライベーターが幾つかです。百橋ユウヤさまは先程意識を取り戻したそうですよ」

「有難うございます。――村正」

《ええ》

「『卵』の反応は」

《まだ、この周辺にある。覚醒寸前の状態のまま……》

「わかった。……アベンジか不知火、そのどちらかが『卵』を持っている可能性が高いと云えよう」

《……そうなるかしらね。でも、どうして……寸前(・・)で留まっているの……?》

 

 どちらのチームも自分と関わりが深かった。だが、自分がやらねばならない。

 

「湊斗さん……これから、その」

 

 女学生――綾祢一条が言い淀む。調査は事実上終了した。これからは実力行使の時間だ。そして、一条は無力でも付いてきたいのだろう。それは認められなかった。

 

「この先は俺の職責。お前は戻れ。指示あるまで待機だ」

「……あの。あたしも……!」

「帰れ」

「…………はい」

「大尉殿も。後の事はどうかお任せ下さい」

 

 そう大鳥香奈枝大尉にも伝える。

 

「……わかりました。後程、またお会いしましょう」

「……では。失礼致します、湊斗さま。ご武運を」

 

 香奈枝に促されて一条が立ち去る。それを無言で見送る。

 

 村正を纏ったままタムラのガレージを訪ねる。

 

「……!これは……湊斗さん、ですね?」

 

 皇路操の父であり、アベンジを作ったメカニックでもある皇路卓が驚きの表情を向ける。劔冑姿でやにわに現れればそれも当然だろう。彼の後ろにはレーサーである皇路操がいた。その奥にはアベンジが置いてある。他にスタッフの姿は見えない。皇路親子、二人きりだ。

 

「どうしました、そのような格好で。まだお帰りではなかったのですか?」

「はい。やらねばならぬ事が、ありまして」

「あの、申し訳ないのですが、できれば後日にして頂けませんか」

 

 皇路卓が柔らかく拒否したい旨を伝える。

 

「残念ですが、付き合ってもらいます」

「……」

「――本当に残念ですが、無理にでも付き合ってもらいます。皇路氏」

「……一体、何の用なのですか」

「自分は警察としての職務を果たしに参ったのです。犯罪を摘発するという職務を」

「……!」

 

 そう告げると今までの柔らかい表情を一変させる皇路卓。そしてなおも無表情を続ける皇路操。

 

「田村甲業勤務、皇路卓。並びに皇路操。貴方がた両名を殺人未遂容疑で逮捕します。署までご同行下さい」

「…………な、なんですかそれは。何のことだかさっぱりだ。不知火の事故のことですか?あんなの装甲競技では珍しくもないことです。それに真打だったからほとんど無傷だったでしょう……」

「はい――幸いな事に不知火はサンドトラップに突っ込んだだけでほぼ無傷でした。確かに装甲競技では起こり得ること。特筆すべき事態とは言えません」

 

 そこで一度言葉を切る。

 

事故(・・)であるなら」

「そ、そうですよ。それに第一あの事故と僕らは何の関わりもない!不知火の騎手が焦ってミスを犯しただけです」

(いいえ)

「うッ……!?」

「不知火に焦る理由はありませんでした。あの状況下、焦っていたのは貴方がたに他ならない。――違いますか」

 

 淡々と事実を突きつける。

 

「……そ、それは確かに……我々にも焦りはありました。しかし不知火とて同じです。優勢な側には、優勢な側なりの緊張があるものですよ、湊斗さん」

「その点は否定しません。確かに彼はレースの経験も浅く、プレッシャーを感じていたでしょう」

「ほ、ほら、そうでしょう。やはり事故だったのですよ!湊斗さんあなたの言うことは何の筋も通っていない!名誉毀損です!本来なら訴えるところですが、あなたには恩があります。今回は忘れましょう。お帰り下さい!早く!」

 

 皇路卓がまくし立てるのを最後まで黙って聞く。

 

「…………」

「……ッッ」

「――あの時。あれを確認できたのは、不知火・アベンジ両騎の様子を後方から窺っていた自分と極めて注意深く、且つ位置と視線の方角が適切であった観客席の人間。これは幾人もいないでしょう。しかし少なくとも一人はいました」

 

 大鳥大尉の事である。彼女は観客席からアベンジの凶行を目の当たりにしたのだ。

 

「な……何を言っているのだか。さっぱり……」

「不知火がアベンジを抜くために、アベンジへ注意を集中させた瞬間。アベンジの甲鉄の一部が鏡面化(・・・)し、日光を反射した」

「!!」

「スリップを活用して抜こうとした、まさにその瞬間です。不知火の騎手は視覚を潰され、制御を失い――コースアウトしサンドトラップに突っ込んだ。真打でなければ死亡したでしょう」

「……しょ……証拠……証拠は……!」

 

 まだ認められないのか。不知火に、真打にこの仕掛を使わざる負えなかった段階で策は失敗しているのだ。目撃者は死亡する、それが成功するための必須条件なのだ。

 

「そこに有ります」

 

 アベンジを指差す。

 

「その競技用劔冑(レーサークルス)を証拠品として押収します」

「うっ……うぅ……!うっ、……ああああ!」

「……お父さん!」

 

 皇路卓が懐から拳銃を取り出しこちらに向ける。

 

「……無意味な行動です。その銃を捨てて下さい。それはただ、貴方の罪を増やすだけに過ぎません」

「はは……無意味?違う……違うな。レーサークルスの事なら何でも知っている。……この距離で、この口径の弾丸は防げない。湊斗さん。あなたがいなくなればいいんだ。あなたさえ……」

「無意味です」

 

 繰り返す。だが、激した皇路卓には何も通じていないようだ。

 

「あなたが……あなたが僕の翼を奪うのなら……」

「銃を捨てなさい」

「――死ねッ!死んでしまえッ!」

 

 銃弾が放たれる。そして無意味に村正の装甲に弾かれる。

 

「……ッ!?」

「……」

「ば……馬鹿な。そんなはずが!」

 

 再び銃弾が放たれ、明後日の方向に弾き飛ばされる。

 

「……投降せよ。皇路卓。貴方の抵抗は不可能である」

「なっ……なぜ……!レーサークルスの薄い甲鉄で、防ぎきれるはずがないのに……!?……ま、まさか……それは……。それは……ァッ!?」

「村正。外すぞ」

《やっと?良かった。ようやく息が継げる……》

 

「鬼に逢うては鬼を斬る。

 仏に逢うては仏を斬る。

 ツルギの理ここに在り」

 

 村正に偽装のために取り付けたパーツが弾け飛び、村正本来の姿が露わになる。

 

「……真打劔冑(シンウチ)……ッ!そんな、どうして、警察が……!?」

「皇路卓。銃を捨てよ。皇路操。投降せよ。両名に投降を命ずる。一切の抵抗は不可能」

「あ……あぁ……」

「……」

「どうして……どうしてこんなことになる。勝利は手にできず……世界に挑むこともできない。みっ、湊斗さん……あなたは僕を応援してくれていたんでしょう!僕の無念を知っているでしょう!僕は……僕は、ようやくあの挫折からここまで還ってきたんだ!どれほどの苦労だったか!あなたならわかってくれるはずです!」

 

 思うところがない訳ではない。だが、認められない。

 

「見逃してください……!お願いします……お願い……」

「貴方の苦労は知っている。烏滸がましくも、同情さえする」

「みっ……湊斗さん……」

「しかし。貴方は人を殺めようとした」

「……ッ!」

「……湊斗さん……やったのは……わたしです……お父さんじゃ……ありません……」

 

 皇路操が皇路卓を庇うように前に出て訴える。

 

「み、操……」

「…………」

「うっ……うぅぅ……くそっ、くそっ、くそぉっ!!」

 

 メチャクチャに拳銃を発泡する。弾が切れても引き金を引き続ける。

 

「あんなポッとでの奴なんか知ったことかっ!このご時世に真打なんて持ってるのはどうせロクでもない奴なんだ!!レーサークルスが、僕の技術の粋が、真打に負けるなんて……有り得ない!!」

「……投降せよ」

「ぐっ……あああ、ああああ」

「投降し、縛につけば危害は加えない。法に基づいた待遇を保証する」

「逮捕されれば、僕はどうなる……操はどうなる」

「……」

「奪うんだな!?全て、何もかも、また僕から奪うんだな!?諦めろと――またしても僕に、諦めろというのか!嫌だぁッ!嫌だ嫌だ嫌だ!僕の勝利は盗まれたんだ!さらに僕から奪おうというのか!あんな奴は認めない!今日の勝利は僕の物だったんだ!」

「皇路卓。それは貴方のものではない。貴方が……闘い方を、誤った時に。失ったのだ」

「認めなぁい……認めないぞ、僕はァ……」

 

 正気ではない。皇路卓は既に狂気へと落ちていた。

 

「操……クルスを纏えぇ!」

「……お父さん……」

「皇路卓!投降を!」

「操ぉッ!」

「……はい」

 

 皇路操がアベンジへと駆け出す。だがレーサークルスは一つ一つ手で纏わなくてはならない。時間が掛かる。無意味だ。

 

「皇路操。父の指示に従っても意味は無い!競技用劔冑(レーサークルス)を纏うような時間は与えない!抗戦は不可能!投降せよ!」

「……ごめんなさい。湊斗さん。きっと、あなたが正しい……けど……間違っていても……わたしはお父さんに従います」

「……っ」

「そうだ……操。僕らは別々のものではない。一つのものだ。僕はお前だ。お前は僕だ」

「はい」

「お前の勝利が僕の勝利なんだ。だからお前は勝たなくてはならない。勝たなくてはならないんだ」

「はい」

「僕はお前を勝たせなくてはならない……何をしても」

 

 皇路卓の手から拳銃が離される。無造作に。そして懐から取り出す。

 

「――!?」

《御堂!……あれは――!!》

 

 拳大の、輝く球体――銀星号の『卵』!!

 

 ……植え込まれていなかったのか!?

 銀星号はあのまま手渡したのか!?

 

「だから発見できなかったのか……」

《だから孵化しなかったの!?》

 

「お父さん……それは……」

ちから(・・・)だ。きっと、とてもとても、恐ろしいちからだ。銀色の悪魔に、貰ったのだよ」

「それを直ちに引き渡せ、皇路卓!それはお前に何も与えない!ただ奪うだけだ!何もかもを!」

「……ああ。悪魔もそう言った。これを使えば何もかも失う。そして、引き換えに……望むだけの力を得られると。最速の世界を制する夢が叶うと!」

 

「欺瞞だ!確かに力は得られるかもしれない。しかしその力はお前も、娘も、食い破らずにはおかない!」

「だからどうした?僕は自分の滅びには耐えられる。僕の一部、操を失うことにも耐えられる。耐えられないのは……」

 

 狂気、既に理は遥か彼方に過ぎ去っていた。ただただ妄執。

 

「僕と操が勝利できないことだけだ!!」

「皇路卓ッッ!!」

「操ぉッ!僕らは勝つ!必ず勝つんだ!!」

 

 取り憑かれていた。魅入られていた。勝利に。

 

「……はい。お父さん」

《御堂ッ!だめ、止めて――!》

「ぁ――ぁぁあああッ!!」

 

 アベンジに『卵』を植え付けようとする皇路卓。それを阻止すべく未だ装甲の叶っていないアベンジを両断する。

 

「――――ッ!!」

「アベンジッ!?」

 

 アベンジが心鉄を断ち切られ崩壊する。その残骸に取り付き、『卵』を押し当てる皇路卓、そしてその傍らに寄り添い、こちらを睨んでいる皇路操。『卵』はただ無為に床に転がるだけだった。

 

 行き場を失った『卵』を回収する。

 

 握り潰す。

 

『卵』は内側から噴き出すように光を放つ。白銀色の光輝。一瞬の煌めき。『卵』は虚空へと溶けるように消えていく。

 

「……野太刀の、鞘」

 《ええ……》

 

 アベンジを失い、勝利への執着を断ち切られ、抵抗の意志を失った二人を署に連行する。後は署長が上手く処理してくれるだろう。彼らが再び立ち上がる事を信じる。あの二人はまだ(・・)誰も殺めていないのだから。




これにてレース関連の話は終わりです。


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獣の正義

大変おそくなりました。
待っていて下さった方(いない?)には申し訳もありません。


「茶々丸、相談がある」

 

 大会が終わり、祝勝会も済んだ後、伊豆の堀越公方御所へと戻ってきた俺は戻って早々に茶々丸に相談を持ちかけていた。

 

「はにゃ?なぁに、お兄さん?」

 

 まだ劇的な勝利に浮かれているのか腑抜けたような態度だったが、眼だけはいつも通りギラギラした光を放っているのを見て既に平常運転に戻っていると判断する。

 

「……イーニァが岡部の残党に狙われている。大会の前に宣戦布告された」

 

 端的に事実のみを伝える。それだけで茶々丸なら十分伝わるという信頼がある。

 

「えっ、マジで?それは……あての失敗だね。できるだけ御堂の存在は隠してきたつもりだったんだけど、つもりはつもりでしかなかったって事かにゃ……いや、岡部の残党が思いの外やる(・・)って事か」

 

 茶々丸がしょぼんとした様子で眉をハの字にするが、すぐに気を取り直し、思考を巡らせ始める。暫しの沈黙の後、考えが纏まったのか茶々丸が口を開く。

 

「……狙われているって言う状況は面白くないね。警備を増やしても万が一って事がある」

「ならどうする?こっちから打って出るか?」

「それも地下に潜られているから結構難しいんだよね。……うん、やっぱり釣ろう(・・・)

 

 やはりそう言う結論になる、か。対テロ戦に詳しいという訳ではないが、穴熊を決め込んだ相手を叩くのはいろんな意味で難しい。そうなると餌を用意して動いた所を一網打尽にするのがベターだろう。

 

()はどうする?」

「ちょうど良いのが居るよ。お兄さん」

 

 茶々丸が悪い笑顔を浮かべる。こうして策略が張り巡らされていく。その事に抵抗感を感じながらもイーニァを守るため、と積極的に関わっている俺は衛士の本分から外れた存在になってしまったような気がしていた。

 

 囮として岡部の遺児、桜子と言う人物が選ばれたと聞いた。しかし、この策略を主導しながらも抵抗感を感じていた俺は移送中の桜子と接触することはせず、ただ警護の任に専念していた。

 

そう今回の作戦とはごく簡単に言えば岡部桜子の移送計画を漏らす事で襲撃を誘発し逆に殲滅する。それだけだ。この計画の肝となるのは餌だ。岡部残党にとって旗頭に成りうる重要人物である桜子がそれに当たる。そして彼女を篠川から普陀楽城塞へ移送する計画をわざと(・・・)漏洩させたのだ。後は襲撃される可能性が高い場所を事前に調べておくだけだった。

 

 『予想通り』線路が爆破され、その復旧作業を待つために宿を借り上げる。規定の料金以上を支払っているが、ここが戦場になる事を考えれば全くもって不足だろう。だがそれを黙って見過ごす。突然、六波羅による借り上げを命じられたにも関わらず不平を見せず、恐縮した様子の宿の主人を傍目に自分が襲撃者ならどう襲撃するかを検討する。

 

 そして、夜。桜子が居る部屋を背負い侵入者を待つ。そして遂に待ち人が来る。照明の落ちた暗い廊下の闇から滲み出るように黒瀬童子が現れたのだ。相対し、睨み合う。これは想定の範囲内だが、面白くない状況だ。本来ここに来るまでに捕殺する筈だったからだ。その警備網を完全にすり抜けてこられてしまった。

 

「……なぜここに貴様がいる!」

 

 黒瀬童子が静かに吼える。

 

「予想されていたってだけだ。……イーニァを守るため、いや、俺のために死んでもらう」

「チィ、桜子はその奥に居るのだな!?」

「囮として十分に役目を果たしてくれた。今は薬で眠っている筈だ」

 

 今回の作戦、どちらかと言わなくても黒瀬童子の方に心が寄っている。自分の大切な人を救うために巨大な敵に挑み、決死の覚悟で侵入する。俺もイーニァが囚われているとなれば同じことをしただろう。

 

「ならば押し通る!」

 

 黒瀬童子が太刀を構える。だが、俺はそれに応じない。単純な生身の戦闘、それも刀剣を用いた戦闘において俺が勝てる可能性が低いからだ。故に選択肢は一つ。忸怩たる思いを抱えながらも相棒を呼ぶ。

 

「――不知火!」

 

 傍らに寄り添っていた銀の鷹が弾ける。弾けて散る。俺の周囲を舞う。銀が踊る中、右手は心臓に当て、左手は右手の手首を添える、祈るような仕草―――装甲ノ構(ソウコウノカマエ)

 

「未来なき煉獄に生まれ 

 牙なき者の明日のために 

 希望の糸を紡いで朽ちる 

 されど刃、礎となり 

 虚空へ至る道となる」

 

「飛翔せよ!不知火!」

 

 誓言を唱える。周囲を舞っていた銀が発光し、次の瞬間、異形の劔冑が現れる。黒瀬童子は気圧されるように一歩後退し、それを取り繕うようにすぐさま一歩踏み出す。

 

「貴様ァ!…………やはりこうなるか。親子を戦わせるは不憫なれど引くことはできん!かくなる上は――敬天愛人!」

 

 黒瀬童子も誓言を唱え。装甲する。分かっていた事だ。こちらが装甲したとなれば相手も装甲する。武者には武者しかないのだ。親子を戦わせる事に未だに迷いがある。その迷いを見透かしたのだろうか。

 

《御堂、手を抜く事こそ劔冑(わたしたち)の恥よ》

「……分かってる」 

 

 黒瀬童子は太刀を下段、いや、それよりも低く構えた。地面に触れるか否かの所まで剣先を下げている。それに相対する俺は武者正調、肩に担ぐ上段の構えだ。剣術勝負の土俵に引きずり込まれてはおそらく勝ち目はない。ならば馬鹿の一つ覚えと言われようと選択肢は一つ、間合いに入った瞬間に相手より速く叩き込む。これだけだ。

 

 それでも相手の構えの意図を探ることは止めない。相手の意図が読めればその分だけ早く動くことができるからだ。自身の経験を、記憶の底を浚う。確か柳生常闇斎との相対の中でこのような地を這うような下段の構えが有ったはずだ。その時はどう対処してどうなった?

 

 そう記憶を辿ろうとするとその前に黒瀬童子が動く、すり足で素早くだが静穏に距離を詰めてくる。このままでは数瞬もしない内に間合いに入るだろう。勝機があるとしたらここだろうか?

 

 圧力に飛び出しそうになる足を必死に抑える。瞬間、フラッシュバックする。記憶が繋がる。そう、ぬるりと近づいてくる常闇斎に対して俺は我慢できず、がら空きの頭部に打ち込み、見事に跳ね上がってきた切先で喉元を射抜かれたのだ。

 

 敵の狙いは分かった喉だ。ならばどうする?……当然『待ち』だ。不十分な体勢で仕掛けて逆にやられたのだ。ならば十分な体勢を維持し黒瀬童子が間合いに入るのを待つ。それが俺の選択だ。

 

 間合いがじわりと侵食されていく。まだだ。後、半歩。素早く、だが確実に黒瀬童子がこちらの間合いへと侵食してくる。

 

 今!

 

 蓄えた力を解放し、黒瀬童子に向かって打ち込む。黒瀬童子もまた同時に動き出す。狙いは読み通り喉、一直線に喉元へと剣先が迫ってくる。踏み込む。張り出した不知火の胸部装甲で黒瀬童子の射線を遮る。胸部装甲に触れるか否かの刹那、黒瀬童子が狙いを下げる。

 

 黒瀬童子の肩口を長刀が強かに打ち付ける。鈍い手応え。斬りきれなかった。そう判断し、飛び退く。左手を鳩尾に持っていく。鋭い痛みが腹部に感じられる。斬られた。だが十分な威力がなかったため装甲を抜いた所で止まったようだ。

 

 黒瀬童子は喉への射線が遮られるのとほぼ同時に鳩尾に狙いを修正してきた。そして比較的装甲の薄い鳩尾を見事に捉えたのだ。こちらの一撃は相手の一撃に気を取られすぎており、十分な威力が乗らなかった。いや、黒瀬童子が上手く最も装甲の厚い部分で受けたと言うべきだろう。双方ともに軽傷。武者であればそう時を置かずに回復できる。やはりと言うべきか剣術勝負では向こうの方が一枚上手だ。

 

 ならばどうする?長刀を構え直す。跳躍ユニットに火を入れる。轟音が広間に響き渡る。

 

「なっ!?……正気か!!」

 

 黒瀬童子の驚く声。合当理は本来、閉所での使用は想定していない。だが、跳躍ユニットの技術をふんだんに取り入れた不知火の合当理であればこのような場所でも使う事は不可能ではない、筈だ。大胆さと繊細さの両立が要求されるだろうが、戦術機(不知火・弐型)の頃から付き合ってきたのだ。その姿形が変わろうとも手足のように扱える。扱えなくてなにがテストパイロットだ。

 

 跳躍ユニットに火を入れた事は音で既に黒瀬童子に伝わっている。焦りを振り払い油断なく太刀を構える黒瀬童子。一見対応策は持ち合わせていないように思える。合当理を使う以上、相手に当てる以上の繊細な運剣は至難の技。であれば速度を威力に変換できるこちらが圧倒的に有利となる、筈だ。

 

 迷いを振り払い黒瀬童子へと飛びかかる。跳躍ユニットの出力を調整し、斬った後の事も考慮に入れる。それで威力が削がれようとも壁に激突して隙を晒すなどという無様な事はできない。

 

 長刀と太刀がぶつかり合う。鋼が擦れ、金屑が散る。一方的に押し切り、黒瀬童子の太刀が弾かれる。重い感触。痛撃を与えた。そう思うが早いかもうすぐそこまで壁が迫ってきている。劔冑の装甲であれば問題なく抜ける厚さではあるが、無駄に破壊するつもりはさらさらない。と言うかそんな無駄な時間を掛けていては桜子を奪還されてしまう隙になる。跳躍ユニットを逆噴射し、急制動を掛ける。

 

「ふっ、と!!」

 

 殺しきれなかった勢いを壁に足を付けて膝のクッションで吸収させる。壁がその衝撃で半壊する。気にせずそのまま跳躍ユニットを一度切り、逆向きにして再び黒瀬童子へと飛び立つ。

 

 黒瀬童子はこの短時間でこちらが再び戻ってくると想定していなかったらしく、完全に意表をついた形になった。とは言え無理な態勢からの一撃は分厚い胸甲と黒瀬童子が寸前で上体を反らした事により致命傷とは程遠い。

 

 この段階に至り黒瀬童子は自身の不利を明確に悟ったのであろう。桜子奪還という目標を半ば諦める事になる決断を下す。即ち黒瀬童子も合当理に火を入れたのだ。流石に閉所での戦闘の心得はないらしく、屋根をぶち破って空へと飛び立つ黒瀬童子。それを追う不知火(おれたち)。戦いの舞台は劔冑の主戦場である空へと移る。

 

 傷を負ったとはいえ未だに意気軒昂な黒瀬童子は先に飛び立った利を活かし高度優勢をしっかり確保している。高空からダイヴしてくる。単純な力勝負では不利。ならばここは被害を最小限に抑えれば十分と踏む。黒瀬童子の太刀を打ち払う事のみに集中する。

 

「っっク!」

 

 すれ違いざま、太刀と長刀が噛み合い、刹那、長刀が弾かれる。肩口に損傷。

 

「不知火!ダメージレポート!」

《肩部装甲に被弾!小破!戦闘続行に問題なし》

 

 即座に体勢を立て直し、跳躍ユニットを手繰る。敵騎とは次元の違う旋回半径で回り、突撃体勢を整える。黒瀬童子はようやく旋回を終えた所だ。高度の不利をほぼ対等まで立て直し、次撃。刃を打ち付けあい鋼が削れ、互いに弾かれる。弾かれた長刀に引きずられバランスを崩すが跳躍ユニットと全身を操り即座に体勢を整える。黒瀬童子も同様に必死に体勢を整えている。

 

 そして、次。いち早く体勢を整え、旋回を終えた俺達は完全に高度優勢を確保することに成功する。優勢な高度からのダイヴ。黒瀬童子も不利を悟ったのか今までの武者正調の上段を捨て下段に構える。ならばこちらの上へ抜けつつ斬り上げて来る筈。そう読む。上段に構えたこちらは下へ抜けつつ斬り下ろすのが定石。噛み合っている。とは言え単純に不利な勝負を挑んでくるような相手ではない。ならば何かしらの()を仕込んでくると予想できる。

 

 だが、ここは地上ではない空だ。小手先の技で高度の優位を覆すことは至難の技だ。惑わされずに真っ直ぐ行くのが正着、そう判断する。だが油断することはない。する余裕などない。

 

「……!?」

 

 寸前で――下へ抜けてきた。衝突の直前、その刹那、黒瀬童子は下段に構えていた太刀を体と平行に構え――八相――刺突を狙ってきたのだ。そしてその突きは見事、胸部装甲に被弾。直前で勘に従って回避行動をしていなかったら内蔵を抉られていただろう。

 

「ちぃ!」

 

 渾身の一手だったのだろう。黒瀬童子から苛立たしげな金打声(メタルエコー)が響く。刺突には驚いたがまだ高度優位はこちらの物だ。そして刺突は気をつけていれば恐れる事はない。元々双輪懸において一点を正確に狙い撃ち抜くと言うのは困難窮まるのだ。実際先程も、僅かな回避でほぼ無傷で切り抜ける事ができたのだ。

 

 次撃。再び下段に構えた黒瀬童子と相対し、激突。今度は先程のように変化する事なく素直な斬り合いになる。剣速で上回ったこちらが一方的に黒瀬童子を斬る。肩部装甲に着弾。中破させる。

 

《敵騎、左肩部に被撃。中破》

「よしっ!このまま押し切るぞ!」

「くっ、このままでは……」

 

 黒瀬童子の苦しげな金打声(メタルエコー)が響く。高度優勢を確保したまま旋回を終える。その時の事だった。

 

《!!敵騎、熱量増大!陰義発動!》

 

 不知火の報告に警戒レベルを一気に上げる。黒瀬童子は遂に切り札を切ってきたようだ。陰義の発動は即ち戦局を一変させ得る『何か』が起こるという事だ。そして呪句(コマンド)が唱えられる。

 

「――千変万化!!!」

 

 変化は――ない。少なくとも急加速したり火を吹いたりするような分かりやすい陰義ではないようだ。……まさか、ブラフ(はったり)か?そんな思いすら過る。

 

 そのまま何事も起きないままヘッドオンの状態で交差する。一体何の陰義なのか判別できないが、ここで手を出さなければ一方的に斬られてしまう。ここまで来ればできる事などない。迷いを振り払い長刀を振るう。

 

「なっ!?」

 

 長刀が空を斬る。その直後に衝撃が奔る。

 

《右肩部装甲に被弾!中破!!》

「何が起こった!不知火!?」

《――不明、突然、敵騎の位置がズレた》

 

 急減速?いや違う。確かにそこ(・・)に居たはずなのだ。まさか瞬間移動?

 

「このまま決める!」

「ック!」

 

 互いに旋回し、再び双輪懸の態勢へと移る。高度優勢はまだこちらの物。だが、敵の陰義のからくりを見破らなければ同じ様にやられてしまう。どうする?方策も見極められないまま、衝突の時が迫る。

 

 長刀と太刀がぶつかり合い、一瞬の均衡の後、長刀が弾かれる。

 

《胸部装甲に被弾!かすり傷!》

「もう対応されただと!?」

 

 閃きとも言えない思い付きに身を委ねたがどうにか成功したようだ。注目したのは黒瀬童子の太刀の動きだった。先程の衝突の際に黒瀬童子は間合いに入ってもまだ太刀を振っていなかったように思えたのだ。だから今回は黒瀬童子が動いて(・・・)から動いた。結果、威力が大きく削がれ、弾かれる事になったが、『太刀打ち』する事ができた。

 

 この結果から黒瀬童子の陰義の内容が分かってくる。敵は急減速や瞬間移動のような自身に作用する陰義ではない。恐らく幻覚のような物だ。問題はどの程度ズラす事ができるか、だが……。

 

「不知火、レーダー反応とヤツの動きに差はなかったか?」

(いいえ)、微妙だけどレーダーでも瞬間移動したように見えた》

 

 レーダー情報も欺瞞されている?それとも推測が間違っているのか?

 

「ならばこれはどうだ!」

《!!敵騎反応、3つに分裂!》

「なっ!?」

 

 黒瀬童子が3体に増えた。それぞれ上段、下段、八相に構えている。厄介な状況だ。だが、敵の陰義は幻覚である可能性が高まった。さて幻覚だとすれば、どれが本物だ?

 

 今、敵騎は優位な状況にある。こちらの態勢が整わない内に確実に打撃を与えたい筈だ。ならば博打の要素が強い突きは使わないのではないだろうか?要するに八相はダミーではないか?そうだとしても上段と下段の二択。苦しいことには変わりない。下段が本物である事に賭ける。

 

《背面装甲に被弾、中破!》

 

 敵は八相が本物だった。太刀打ちの直前に忽然と下段と上段の黒瀬童子は消え、八相の黒瀬童子のみが残った。対応できる筈もなく一方的に被弾する。だがこれでほぼ確定した幻影によるダミーだ。

 

《御堂》

「どうした?」

《敵のダミーは熱源反応がなかった》

「よし!どれくらいの距離で判別できる?」

《残念だけど、太刀打ちの直前》

 

 不知火の声に自身に対する不満の色を感じる。黒瀬童子の陰義に対応できない自分を責めているのだろう。だが、今は戦闘に集中だ。

 

《どうする?陰義を使う?》

「いや、陰義を使っても的を絞れなければ意味がない」

 

 つくづく思う。流石、よく出来た陰義であり、劔冑だ、と。幻影による距離の欺瞞、そしてダミーによる選択肢の増加、どちらも地味だが効果的だ。そしてあるものをなくすというような無理をしていないためかなり燃費の良い陰義である事も予想できる。実際、黒瀬童子に熱量切れの気配はない。

 

 戦術を変える。このまま戦っていてもジリ貧になるのが目に見えている。背部に取り付けられた兵装担架に長刀を戻す。代わりに突撃砲を装備する。そう不知火は射撃戦に対応した、もっと言えば射撃戦で真価を発揮する劔冑なのだ。

 

 この突撃砲は戦術機の突撃砲を模した物で、戦術機の36mmケースレス弾を使用する事ができる。この砲弾は劣化ウラン貫通芯入り高速徹甲弾で、この時代としては有り得ないと言っていい程、高性能を誇っている。その分、今ある砲弾を使い切ったらそれまでなのでそう簡単に使用できる物ではないのだがこの状況だ。出し惜しみなどしていられない。

 

 跳躍ユニットを操り、一気に高度を下げる(・・・)。高度優勢など既に何の意味も持たない。ならば戦術機として慣れ親しんだ地表付近の方が砲撃が安定する。

 

 黒瀬童子もこちらを追って地表付近まで加速しながら突っ込んでくる。そのまま騎首を上げ、水平飛行へ移行。その段階で3体に分裂し、それぞれの構えでこちらへと猛然と襲い掛かってくる。こちらの目論見通りに。

 

 水平に薙ぎ払うように突撃砲を斉射する。腹に響く砲撃音が鳴り響く。強い反動が手首に響く。地表近くまで誘き寄せたのは敵騎の動きを制約するためだ。思った通りこちらを斬るために水平に3体並んでくれた。36mmが黒瀬童子の装甲を貫く。背負った合当理が爆発し、そのまま地面に吸い込まれるように残骸が落下する。

 

 墜落地点へと移動する。そこには僅かに残った鉄片があるばかりだった。殺した。殺してしまった。今までもテロの時のように人を撃ったことはあったのだが、ここまで明確に殺したと意識した事はなかった。それも自分のために、だ。

 

「……すまない」

 

 誰に対する謝罪だったのか。心に残るのは虚しさばかりだった。 

 





ちょっとだけ言い訳を
実は震天騎編を3万字ほど書いていたのですが、バッサリカットしました。
アスカロンのアウトロウとか、かなりもったいないのですが、プロットに深刻な不備が見つかったのでこんな形になりました。
ついでに、新プロットが「黒瀬童子との死闘」の一言しか書いておらず全く妄想が捗らなかったためにここまで遅くなってしまいました。改めて申し訳ありません。


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宿星騎

原形がありませんが、宿星騎編です。


「まだだッ!俺はF-22EMD(ラプター)の限界を見極める……ッ!!」

「でめぇはいつもいつも――いい加減にしろッ!!」

 

 ()が吼える。ゴースト5(レオン)が制止しようとする。だがそんな事は意に介さずラプターを振り回している俺の姿が見える。レコードを更新するための安全を限界ギリギリまで切り詰めたアタック。ラプターの事しか頭になかった俺の姿。これは俺の過去、忘れ難い、背負うべき過去だ。その証拠に止めろと幾ら叫んでも聞こえない。――いや聞こえたとしても当時の俺は止める事などなかっただろう。そう忸怩たる思いを抱く。

 

ゴースト1(スヴェン大尉)より各機、ゴースト4(ユウヤ)のチェイサーは俺がやる。各機は距離を取り巡航追尾。ゴースト4はこのままレコードブレイク――以上だ!」

 

 嘘だ。これは嘘だ。心の中の何かが訴えている。何だか分からないが、これは真実ではない。だが目が離せない。そうこのまま行けばスヴェン大尉は……。

 

「さすがだな隊長(スヴェン大尉)、離されてもしっかり食らいついてやがる――だが、F-15E(ストライク・イーグル)をぶっちぎれない新型(ラプター)じゃ、お偉方も納得しねえだろッ!?」

 

 眼下でラプターを限界まで振り回している姿が見える。――止めろ。限界を見誤り岩盤をジャンプユニットが擦る。――止めてくれ。推力圧で脆くなった岩盤が崩落する。――ぁああ。

 

「隊長高度をあげろッ――岩盤が推力圧でッッ!!」

「むっ!?ぬおおおおおっ!!」

「隊長ォォォッ!」

「スヴェン大尉ィィッ!?」

 

 スヴェン大尉が崩落に巻き込まれる。そして爆発。その瞬間を目の当たりにする。自分がどれだけ傲慢だったのかそしてその代償がどれだけ大きかったのかを改めて実感する。

 

「お前だけは……お前だけは絶対にゆるさねえッ!!隊長を殺したのは――お前だッ!」

 

 レオン(ゴースト5)が俺を責める。それに何も言い返す事ができない。いや、あの時自分を許せなかったのは自分も同じだったからだ。そうスヴェン大尉を殺したのは俺なんだ。その事から眼を逸す事はできない。

 

「……従って、当該案件に関するユウヤ・ブリッジス少尉の過失、あるいは責任を、当委員会は一切認めない。以上――閉会!」

 

 場面が暗転する。次の瞬間俺は軍の査問委員会の被告席に立っていた。その場で言い渡される無罪の判決。その事に納得できていなかったのは俺自身だった。だから……だから……。

 

「誰が何て言おうが……隊長はお前が殺したんだ……!!その事実から逃げられると思うなッ!?」

「レオン……!」

「事故りたくなかったら、俺に付いてくるな。……憶えておけ、下手クソ」

 

 俺の子供じみた言葉。取り消したくても取り消すことなどできない。これは過去。変えることのできない俺の一部だ。背負って飲み込んで痛んでそれでも前に進むしかないのだ。

 

 そう心を定めた瞬間だった。霧が晴れるように視界が明転する。ここはどこだ?――空だ。そう俺は空を飛んでいた。跳躍ユニットの轟音が耳を打つ。目の前には敵が今にも斬りかからんとしている。それを咄嗟に右手に持っていた長刀で捌く。

 

 敵

 

 そう敵だ。今俺は連続殺人事件の犯人ニッカリ青江と対峙していたのだ。今のは一体何だったんだ?――分からない。だが何かしらの方法で化かされていたようだ。

 

「ぬぅ、掛かりが浅かったか、なぁらぁば、これはどうだ!」

《陰義が来る!》

 

 つくしからの警告が再び(・・)発せられる。そう再びだ。その警告を聞いた後、俺はスヴェン大尉の死の瞬間を追体験していた。きっとアレは奴の陰義なのだ。

 

「了、解!」

 

 了解と言ったものの対処法など分からない。精々心を強く持とうと思う程度だ。

 

「呵! 呵!

 呵呵呵呵呵呵呵呵呵呵!!」

 

 ニッカリ青江の奇怪な嗤い声、奇妙に粘っこい大笑が虚空を渡る。ただの嗤いではないのだろう。おそらく陰義の呪句(コマンド)。そう思うが早いか視界が暗転する。

 

許さない

「つくし?」

 

 そこに居たのはツナギを身に着け、見たこともない陰鬱とした表情を浮かべたつくしだった。この状況に疑問を覚える。そうつくしは劔冑となった筈なのだ。

 

絶対に許さない……

 

 つくしの語気は強くはない。だが粘りつくような執念が感じられる。自分は何を責められているのか、そこに疑問はない。言われたことはなかったがその事が棘のように刺さっているからだ。

 

お祖父様を殺した……壊した!

 

 やはりそうだった。責められ胸がジクジクと痛む。だがこの傷みすら傲慢なように感じる。

 

「つくし……」

 

 これは自分に対する罰なのだろう。甘んじて受けるべきものだ。そう思う。

 

――だが――

 

 それは"今"なのか?何か大事な事を忘れているように思う。そう思う間もつくしが俺を責める声は止まらない。いや激しさを増している。聞きたくない!だが聞かなくてはならない。そんな相反した思いが胸中を掻き乱す。

 

《……堂!御堂!!》

 

 心の中を探っていると小さな小さな声が聴こえる。いや、ずっと聴こえていたのに認識できていなかったと言うべきだろう。それに意識を持っていった時の事だった。突然視界が開ける。怨嗟の声が止む。

 

――そして衝撃、痛み

斬られた。

 

 混乱の最中それでも必死にバランスを取り戻す。目の前には趣味の悪いニヤけた顔を模した面を付け、肩口に歪んだ顔の肩当てを付けた下品さを感じさせる劔冑が居た。

 

 そう、そうだ。俺はこのニッカリ青江と戦っていたのだ。そしてそう。奇怪な嗤い声と共につくしの陰義が来るという警告を受け、次の瞬間にはあの幻覚に囚われていた。そう幻覚だ。おそらく自分のトラウマを抉る類の陰湿な。

 

「つくし……」

「何?御堂」

 

 いつもならつくし呼ばれる事を嫌がる不知火が素直に呼びかけに応えてくれる。それだけ心配を掛けたという事か。

 

「いや、何でもない」

 

 これは俺の問題だ。俺が乗り越えなければいけない試練なのだ。俺は知っている。つくしが黒瀬童子の事で俺を責めなかった事を。それどころか労って寄り添ってくれた事を覚えている。そのつくしを、相棒を信じなくてどうする。

 

 体勢を整えて再びニッカリ青江を正面に捉える。バランスを崩したせいで高度優勢は向こうのもの。陰義の突破法も見当たらない不利な状況。――だからもう陰義は撃たせない。そう決める。

 

 さらなる加速をするために一度捉えたニッカリ青江から離れるように高度を下げる。

 

「ぬぅ、逃げる気か!」

「不知火!」

《了解》

 

 何を言わずとも察してくれる相棒。この戦いが終わったら労ってやろうとふと思う。そのためには勝たなくては、そう改めて心に決める。茶々丸からの依頼とは言え連続殺人犯を放っておく趣味はない。ならば勝利あるのみだ。

 

《祈りの翼を以て

 無窮の空を超え

 事象の果を開け》

 

 丹田に気を送る。そこに存在する存在しない(・・・・・)回路に気を流し込む多すぎても少なすぎてもダメだ。繊細な作業。ちょうど十分な速度まで加速が完了する。ピッチを上げ、ニッカリ青江を正面に捉える。

 

「翔けろ!刃金の翼!」

 

 呪句(コマンド)を発する。それと同時に視界が歪み。全身が歪む。内蔵をぐちゃぐちゃにかき回された感触。それを抜けた瞬間、視界が明転し、こちらに背を向けた(・・・・・・・・・)ニッカリ青江の姿を捉える。僅かに進行方向を調整し、背後から斬り下ろす。

 

「悪いが、死んでくれ」

 

 その段になってようやくこちらの存在に気付いたのか振り向こうとするがこちらが斬り下ろす方が遥かに早い。合当理を両断し、翼甲も抜け、背面装甲を大きく深く抉る。致命傷だ。背骨を割った嫌な感触が手に残る。

 

「がひっっつ」

 

 ニッカリ青江は何も言い残すこともなく爆散した。また一人殺してしまった。こちらの世界に来てから殺すという事の意味を考える事が多い。ニッカリ青江は明確な悪だった。だが、俺が殺して良かったのか?その点にだけは未だに疑問がある。

 

――――――

 

パチパチパチパチ

 

 茫然としていた俺の耳に拍手する音が聞こえる。――一体いつから居たのだろうか?妖しい銀の煌めきを纏った武者が空中に静止(・・)して居た。通常の劔冑では考えられない所業を軽々と行うその劔冑、銀星号。各地で虐殺事件を繰り返す呪われた劔冑。

 

「――見事!奴に渡そうかとも思っていたが、貴様の方が相応しい!」

「何を言ってやがる!――不知火!」

 

 劔冑を纏っていてもなお感じる不気味なまでの武威。アイツは違う。何が違うと云えば、もはや世界(・・)が違う。それほどまでに異質。それほどに不可解。それでも分かることがある。正面からやりあったら負けるという確信が背筋を凍らせる。それでも何もしない訳にはいかない。奴はニッカリ青江以上の悪なのだ。

 

《祈りの翼を以て

 無窮の空を超え

 事象の果を開け》

「翔けろ!刃金の翼!」

 

 ならば取りうる選択肢は一つ、卑怯だと言われようとも全身全霊を賭けての不意打ち、それだけだ。視界が歪み、銀の劔冑の背面僅かに上方、ヴァリネラブルコーン(後方危険円錐域)に出る。この角度からの攻撃であればまず対応することなどできない。

 

 次の瞬間

 

 重力が喪失し、天地の感覚がなくなる。そして衝撃。全身を強かに打ち付ける。――何が起こった?ここはどこだ?土煙で周りは何も見えない。――いや、土煙?と言うことは地面に叩きつけられたのか?どうして?どうやって?疑問が渦巻く。

 

「っつつ、不知火……ダメージレポート」

《……全身に重度の損傷、戦闘続行不可、逃走推奨。……今私達投げられた?空中で?》

「投げられた?……なるほど、言われてみればそんな感じだ」

 

 土煙が晴れる。起き上がろうとする。崩れ落ちる。両足の感覚どころか、そもそも上下の感覚がない。立てなかったという事実だけが残る。それでも立ち上がる。もしかしたらただ地面に伏して、足掻いているだけではないのか。そんな疑問が出てくるほど曖昧な感覚。それでも立ち上がらなければならない。

 

「乙女を背後から襲うとは不埒者め。――まぁいい、お前にはいいものを贈ろう」

 

 そう告げるが早いか、気付いた時には目の前に悠然と立つ白銀の魔王。彼女は片手を掲げる。指の間に、現れる――光明。

 

「"卵"!?」

 

 光の球を握り締め、銀星号がその手をこちらに差し出す。その光が触れる直前にどうにか声を出す事に成功する。

 

「やめろ……」

「なぜだ?力が欲しくないのか?」

 

 止まるとは思っていなかった。だが、俺の震えた弱い声は銀星号を止める。そして臣下に下問するかのように心底疑問と言った風に尋ねる。

 

「お前に与えられた力なんて願い下げだ!」

 

 叫ぶ。思い出す。銀星号が何をしてきたのかを。平久里村では村がなくなった。竜騎兵は発狂した。鈴川令法は力を求め、そして力に溺れた。他にも直接見ていないがどれだけの人が銀星号と関わったために死んだか……。俺はそんな力を必要としていない。

 

「ふむ、元の世界に帰れるとしても、か?」

「……な!?」

 

 最初、何を言っているのか分からなかった。分かってからも理解できなかった。銀星号が何を言っているのか。

 

「辰気のちょっとした応用で……ほら」

 

 空間が歪む。歪みは円形に引き伸ばされ窓のように開く。向こうに見えるのは……廃墟。そして銀星号が歪みに手を入れ何かを取り出す。それは……見たことがある()だった。こちらの世界に有ってはならない物。

 

「ソルジャー級だと!?」

「ほう、お前の世界の生き物か?……醜いな」

 

 必死に銀星号を喰おうと噛るソルジャー級。だが、それを意にも介さない銀星号。そして最後の言葉とともに手刀が落とされ、ソルジャー級は両断される。

 

「本当に戻れる、だと……?」

 

 その光景に心が揺さぶられる。

 

「ああ、本当だとも。さぁ、力を受け入れる気になったか?」

 

 銀星号からの再びの問い。それに俺は……

 

 

 

 

「…………だが……それでも……断る!!」

 

 

 

 それでも拒否する。帰れるかもしれないというのは例えようもなく大きい。だが、それはヤツの手による物であってはならない。そう思う。

 

「強情な。――だが、力を得れば考えも変わろう」

「……やめろ!クソっ、動け」

 

 必死に力を込めて四肢を動かそうとするが、遅々として動かない。そして、光の球が不知火の装甲に触れる。そのまま何もないかのようにズプリと沈み込んでいく『卵』。そして俺の心臓へと至り『卵』が植え付けられる。

 

「あ、ああ」

《なに、これ、ダメ。侵食される……》

 

 力が満ちる。傷が癒される。心臓が痛いほど脈動する。全身が熱い。全身を掻き抱くように身を丸める。必死に膨れ上がる熱を押さえつけようとする。

 

「――これで良い。さて、思いの外(辰気)を使ってしまったからな。おれは帰るぞ!」

「ック!待て!」

 

 どうにか制止の声を上げるが、ろくに動くこともできない。傷は無理矢理癒やされている。だが、熱を押さえつけるのに全力を費やしており、体と頭が分離されたように上手く動かない。銀星号は暫しこちらを見守った後、悠然と飛び去っていく。それをただ見送る事しかできない。銀星号の事など構っている余裕などなかった。

 

「つくし!排除できないのか!?」

《やってる……けど……っ!》

 

 思うように運んでいない事は体で感じている。()が徐々に侵食した領域を広げているのだ。取り除く事は困難だろう。心臓に居る寄生虫を自力で切除するような物だからだ。

 

《……く、ぁあ……!》

「つくし!」

 

 つくしと俺は力という力を振り絞って、自らを侵食しようとするものに抗っている。このままでは――不味い。素直に受け入れてしまえば何れ銀星号の複製と成り果てるか、湊斗景明に斬られる事になるだろう。それは避けなければならない。

 

 どれほどの時間抗っていただろうか、波が引くように()の侵食が弱くなる。だが、解決した訳ではない。厳然として存在している。波が引いても次の波が来るように間隙の時間になったというだけの話だろう。

 

 だから、今の内に何かしらの対策を考えなくてはならない。朦朧とする頭を必死に働かせ、解決策を探る。だが、そのような悠長な時間は与えられなかった。不知火から報告が入ったのだ。不明騎接近と。

 

「不知火――ユウヤ・ブリッジス……」

「村正、湊斗景明か。……俺を殺しに来たのか?」

「…………何があったか聞かせて欲しい」

 

 長い沈黙の後、決断を先延ばしにするような事を言う湊斗。もしかしたら対処法を知っているかも知れないと一縷の望みを賭けて今まで有ったことを語って聞かせる。その間も互いに一刀一足の間合いより僅かに広い間合いを維持し続ける。刀は地面に向けてはいてもいつでも即応できるだけの用意だけはしておく。互いに気の抜けない瞬間の連続。

 

「対処法は――ない。少なくとも俺達は知らない」

 

 絶望的な言葉が告げられる。そう告げると共に村正が太刀を構える。それに呼応するようにこちらも長刀を肩に担ぐ。もう言葉は必要なかった。村正は『卵』に侵されたこちらを逃がすつもりはなく。こちらもそれを打開する術を持たない。ならば戦いは必然だった。

 

 剣術の優劣が如実に出る地上戦は不利と踏んで、即座に跳躍ユニットに火を入れる。飛び立つ。この瞬間が最も危ういと踏んでいたが幸いにも村正はこの機を見送り、こちらと同様に空へと飛翔する。とは言え不利は変わらない。何せ内側がぐちゃぐちゃだ。陰義を使う事もできないだろう。それでもやるしかない。

 

 探り合うように数度の激突を経て互いに軽傷のみの互角。高度優勢はこちらの物であったにも関わらず、だ。高度の不利を跳ね返す引き出しをどれだけ持っているのか。奥歯を噛み締める。体調は最悪。敵は強者。そもそも勝つことが最善かすらも怪しい。それでも生きることを諦める事はできなかった。

 

 高度優勢を保ったままヘッドオン。こちらは武者正調の上段。対して村正は下段に構える。このまま様子見の一撃をただ繰り出せば、いなされるか、躱されるか、何か引っ掛けられるか。とにかく埒が明かない。頼るのは技か術か。―――否、剛力だ。ただ、速度のみを追求した最速最強の一撃を相手より疾く叩き込む。それだけだ。

 

 その覚悟を感じ取ったのだろうか、村正もまた今までとは異なる動きを始める。最初に感じたのは威圧感だった。次に見て取ったのは急加速する村正の姿だった。これは――知っている。レースで見せた

あの(・・)加速だ。全力で長刀を振り下ろす。加速により高度優勢の有利は掻き消された。だが、あの加速では村正も運剣を凝らす事はできないだろう。―――ならば後は単純な威力の勝負!

 

 渾身の一撃

 

 太刀と長刀が噛み合い、一瞬の均衡の後、弾かれる。互いにバランスを崩し、双輪が崩れる。即座に態勢を整える。渾身の一撃は互いの得物を削ったのみ。決着は次へと持ち越される。だがこれで十分だと判断する。村正は超常的な加速を行った。おそらく陰義だ。それに対してこちらは全身全霊とは言え通常の攻撃。熱量の消費量から見れば十分勝ったと言えるだろう。

 

 次の一撃、僅かに平行方向に傾いたもののそれでも高度優勢はこちらの物だった。ならば渾身の一撃を重ねる!そう判断する。

 

 叩き込んだ渾身の一撃は村正の肩部装甲を捉えた。そう思った。だが長刀は硬質な壁を叩いたように弾かれる。返す刀は狙い澄ましたように右の跳躍ユニットへと吸い込まれる。

 

 そこからは防戦一方だった。片肺飛行で相手になる訳もなくどうにか墜落せずに済んでいるのみだった。そして遂に地上へと押し込められる。村正が止めを刺さんと旋回している。それを見送り、俺は長刀を地面に突き刺す。この期に及んでもう是非もなかった。

 

「――参った!!」

《御堂!?》

 

 装甲通信(メタルエコー)で降参の意志を伝える。それで止まるかどうかも分からなかったが、このまま続けても勝ち目がない。ならば一か八かの賭けに出た方がマシだ。幸いにして村正は止まってくれた。最後の一言ぐらいは許してくれるらしい。空中で油断なく構えているが、それで十分だ。

 

「俺の負けだ」

「ならば大人しく斬られるという事か?」

「その前に最後の賭けをしたい」

「賭け?」

「そうだ。"卵"を心臓ごと抉り取る」

《な!?正気?御堂》

 

 失敗しても俺が死ぬだけだ。損はしないだろ?そう続ける。それに対して村正は無言。どうやら最初の賭けには勝ったようだ。不知火には長刀しかないために村正に脇差しを渡してくれないかと要求する。まだ半信半疑なのか近づくことはせずに投げて寄越す。

 

「ありがとよ」

 

 受け取った脇差しを卵の気配がある部分に狙いを定める。息が荒い。流石に緊張しているようだ。心臓を失えば幾ら武者とは言えまず死ぬ。

 

「神よ……いや、クリスカ俺を守ってくれ……」

 

 普段は碌に祈りもしない神にまで頼りそうになる。そして大きく息を吸い込み。一息に『(心臓)』に向かって脇差しを突き立てる。激痛。痛みを超えた痛み。それでも意識は手放さない。『卵』を心臓ごと抉り取る。光り輝く『卵』がへばり付いた心臓が取り出される。だくだくと血が流れ出し意識が朦朧とし始める。

 

 即座に脇差しで卵を両断し、心臓から引き離す。その段階で意識が途切れる。これで、こんな所で終わり……なの、かよ。最後にそんな事を思う。

 

 気付いた時、俺はまだ生きていた。

 

「……どう、なったんだ?」

《村正が助けてくれたのよ》

 

 つくしが言う。村正は卵を引き剥がした心臓を体内に戻し、鋼糸を使って血管を縫合する事までやってくれたのだという。後は不知火の回復能力の範疇だったらしい。

 

「とにかく生き残った、そうだな」

《うん。でもあんな無茶もう嫌よ》

「俺も二度と御免だ。他に方法があればそうするさ」

 

 富士が夕焼けに照らされていた。その幻想的な風景に生き残った事を改めて実感するのだった。

 

 




盛りだくさんでした。
ちょっと描写が弱い気がするので加筆するかも知れません。


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イカロスの翼
つくし


クリスマスプレゼントじゃないですが、更新です。
しばらく(できれば完結まで)毎日投稿します。


「……っ」

 

 闇の底から意識が浮上する。寝ていたらしい。夢を見ていた。長い夢を。上半身を起こす。普段ならなんてことのない動作。だが全身、特に胸の辺りがが痛む。記憶が繋がってくる。そう。そうだ。村正との戦闘の後、どうにか堀越御所まで戻ってきた俺はそこで力尽きてしまったのだ。茶々丸の姿を見た記憶があるから茶々丸がここまで運ばせたのだろう。そこまで思いを巡らせた時、不知火はどうなったのかという疑問が浮かぶ。

 

《御堂、起きたのね》

 

 不知火は、俺の相棒は振り返るとすぐ後ろに居た。枕元でずっと見ていてくれたのだろう。

 

「ああ、そっちはどうだ不知火(・・・)

「!!私は平気。むしろ御堂の方が重症」

 

 夢を見た。夢の中でつくしの、不知火の思いを見た。劔冑としての責任感、人としての思い、劔冑となった事による意識の変化。劔冑となると決めた時の覚悟、そして……俺と共にこれからも在れるという思い。それらを見た時、一歩歩み寄るべきだと思ったのだ。

 

「そうか……ん、ちょっと胸の辺りが引きつって痛むが、大丈夫そうだな」

「御堂……」

「何だ、不知火」

 

 不知火がとことこと回り込んでくる。正面まで来ると、顔を横に向けたままぶっきらぼうに言う。

 

「……つくし」

「ん?」

「つくしで良い」

「嫌だったんじゃないのか?」

「……でも、良いの」

「そうか。……つくし、ああ、やっぱりこっちの方がしっくり来るな」

 

 つくしの名を呼ぶと恥ずかしそうに羽を広げて顔を隠す。その様子をしばらく眺めた後、気になっていた事を尋ねる。

 

「……あれからどうなったんだ?」

《どこまで覚えてる?》

「堀越御所に戻ってきた所までだ」

《分かった。……大変だった》

 

 つくしの話によると俺が堀越御所に戻ってきて倒れた後、覚えていないが血を吐いたらしい。そこから俺の無茶についてつくしが茶々丸に報告。即座に手術となったらしい。6時間に及ぶ大手術の結果、変にくっつきかけていた部位を繋ぎ直したり、村正の鋼糸を手術用の糸に取り替えたりととにかく大変だったらしい。そしてそれから一週間近く眠っていたらしい。

 

「どうりで全身が固まってる筈だぜ」

《あまり無茶はしないで。死にかけてたんだから》

 

 慎重に立ち上がり軽くストレッチするだけでボキボキと全身が鳴る。しばらくは体力を戻すことを優先しなくてはいけないようだ。とは言えつくしと結縁していなければそんな感想も言えなかっただろう。そんな事を考えながら次にやるべきことを考える。

 

「茶々丸がどこにいるか知ってるか?報告はやってくれたみたいだが、俺からもしておきたい」

《今月は月番で鎌倉》

「鎌倉の防衛当番か……となるとしばらくは報告できないな。……これからの事も相談したかったんだが」

《それなんだけど……御堂》

 

 つくしが改まったように言う。それに合わせて俺もストレッチを止めつくしに正対する。

 

「なんだ?」

《重要な報告が二つある》

「二つ?教えてくれ」

《一つ目は不知火・弐型の復旧の目処が立った》

「なに!?本当か!」

 

 前回作業した際には半ばから失われた右の跳躍ユニットに大きな問題を残していたのだが、その課題が解決したらしい。何か大きなブレイクスルーがあったのだろうか。とにかく吉報だ。まさかこの世界で限定的とは言え復旧する事ができるとは夢にも思わなかった。

 

《うん、本当、職人達が頑張ってくれた》

「――そうか。今度宴会でも開いてやらないとな。それでもう一つは何なんだ?」

《この前の戦闘で御堂の世界の座標が判った》

「本当か!?どうやって……銀星号が空間に穴開けてたからそれか!」

 

 不知火の陰義では世界を越える事はできない。それを目指して創られたが、何かが足りなかったのだ。そして今分かっている足りない物は大きく三つ、その内の一つ、俺の世界の座標。それが判明したというのだ。

 

《そう。銀星号が繋げた世界は御堂の世界だった。BETAが居たからほぼ間違いない筈》

「嫌な確認の方法だな。――残る問題は後二つ、か……」

 

 苦笑気味に同意する。残る問題は二つ、世界を渡る術式と渡るために必要となる膨大なエネルギーだ。この内エネルギーは解決できなくもない。不知火・弐型と発電所が一基あればどうにかなる……かも知れない。問題は術式だ。転移の陰義では何かが足りなかったのだ。

 

《いいえ、術式も目処が立った》

「何!?どうやってだ?」

《『卵』あれが鍵だった。私達が理解していなかった力、即ち重力、その力があれには含まれていた。その力が部分的に私の物になった事で理解できた。術式の目処が立った》

 

 帰れる。突然過ぎて喜ぶことすらまともにできてないが、とにかく帰れるらしい。これまでの事が思い出される。

 

「ありがとう」

 

 万感の思いを込めてつくしに告げる。

 

《まだ早い。術式構築にはまだ時間が掛かる》

 

 照れたように早口でつくしがそう答える。つくしに歩み寄り、抱きしめる。鋼鉄の肌が冷たい。傷の影響で熱を持っている体にはその冷たさが気持ち良い。つくしが抜け出そうと僅かに暴れるがすぐに治まり身を委ねてくれる。

 

 どれほどそうしていただろうか、突然腹が鳴る。

 

《御堂、お腹が空いてる》

「……ああ、そうらしい」

 

 空気を読まない自分の体が恨めしい。だが、腹が減っているのは確かだ。厨房に行き、ちょっと摘める物でも失敬してこよう。そう思い。襖を開ける。綺麗な満月が空高くに浮かんでいた。つくしが羽ばたき肩にとまる。

 

 厨房へ歩いて行く。時刻は深夜らしく動いている人間は居ない。床を軋ませながらゆっくりと歩いていく。それだけでもそれなりの負荷がある。一週間近く寝ていた事を改めて実感する。

 

「あっ……」

「茶々丸……?」

 

 そこに居たのはここに居ないはずの茶々丸だった。それも誰かを背負っている。それだけではない他にも大きな物を担いでいる。あれは――鎧櫃?とりあえず明らかに積載量オーバーだ。

 

「……起きたんだね。お兄さん」

「あ?ああ、お陰様でな。……それで何してんだ?そんな大荷物背負って」

「あー、うん。これはね……」

 

 その時、茶々丸の影になっていた背負っていた人物の顔が見える。その人物は気絶する前に会った、ある意味馴染み深く印象深い人物だった。気絶していてもなお暗い雰囲気を漂わせている。むしろ暗黒を発しているのではないかと疑いたくなるレベルだ。

 

「湊斗景明!?」

 

 茶々丸がやっちまったという顔をする。いつも余裕を持ってる茶々丸の珍しい様子に何か尋常ではない事が起きている事を察する。

 

「……色々言いたいことはあるが、とにかくどっちか寄越せ、重いだろ」

「あー、じゃあ、これお願いします」

 

 鎧櫃を受け取る。ずっしりと重い鎧櫃によろけそうになるが、踏みとどまり背負う。つくしは鎧櫃を受け取った時点で邪魔になると思ったのか縁側に降りてくれた。

 

「どこに運べばいい?」

「じゃあ、付いてきてお兄さん」

 

 使われていない客間の一つに湊斗景明と鎧櫃を運び込む。茶々丸が押し入れから布団を取り出し湊斗景明を寝かせる。枕の位置を整えて、しっかり掛け布団も掛けてやり、甲斐甲斐しく世話しているがとても楽しそうだ。こんな茶々丸は見たことない。

 

「で、どういう事だ?」

 

 なぜ鎌倉に居るはずなのに戻ってきているのか、なぜ湊斗景明を運んできたのか、そもそも知り合いだったのかなど聞きたい事は幾らでもあった。それらを含めて大雑把に聞く。きっと茶々丸が説明しやすくてできるところから説明してくれるという思いがあった。

 

「全部教えちゃっても良いんだけど、時間がないし今度って事で許してくれない? ざっくり言えば神を黙らせるためにおにーさん――湊斗景明――が重要人物って事なんだけど」

「……それ以上は答える気はないってか?」

 

 後ろ頭をガシガシと掻く。ここは今度言うという言葉を信じるべきだろうか。いや、無理強いしてもしょうがない。信じる。そう決める。

 

「……分かった。何やってるのか知らないが気をつけろよ」

「うん、ありがとう。お兄さん」

 

 陰謀の匂いがぷんぷんする。だが信じると決めたのだ。名残惜しそうに景明を見た後、話は終わりとばかりに茶々丸が立ち去ろうとする。その後姿に報告すべき事が有った事を思い出す。

 

「ああ、そうだ。重要な報告があった。――俺の元の世界に行けるかもしれない」

 

 茶々丸が振り返り、目を丸くして一瞬驚きを露わにする。どうやらこの事は不知火からは報告されていなかったらしい。こちらに正対し、その後何かを噛み締めるように目をつむり、そしてゆっくりと開く。

 

「――おめでとう。お兄さん達の努力の結果だよ」

「いや、茶々丸、お前が居なかったらありえなかった」

 

 謙遜ではない。金神の欠片(ラピスサギ―)を手に入れてくれたり、必要な設備や材料を調達してくれたりと何不自由無い開発環境を提供してくれたのだ。その協力がなければつくしは不知火に成り得なかった。

 

「俺達はこれから元の世界に渡るための術式の構築、計算に入る。茶々丸も後の事を考えてくれ……来るんだろ?」

「分かった。ケジメをつけてくるよ」

 

 茶々丸は一つ頷くと静かに宣言する。そして力強い足取りで立ち去る。



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お兄さん

「でき、た……?」

 

 計算が終わったことが信じられなかった。だが、現実に術式は一つの式へと収束していた。美しい式。複雑な計算の果てに顕れた美しさ。そのシンプルさこそが式の正しさを現しているように思えた。

 

「できたね」

「ああ……」

 

 元の世界、即ち異世界への移動が可能かも知れないと知った日から既に数日の時間が過ぎていた。失われた体力を取り戻すための訓練もそこそこに全てを注ぎ込んだ濃密な時間だった。

 

「茶々丸……そうだ、茶々丸にも伝えよう」

「行ってらっしゃい。御堂、私は検算をしておく」

 

 散らかった計算用紙を避け、襖を開ける。日の光が眩しい。僅かに伝わってくる人の動き。どうやらもう朝らしい。その中を足早に歩く。

 

「……いない」

 

 茶々丸の朝は早い、眠れないから、そう言った時の疲れきった声を今でもよく覚えている。だからこそ早く伝えてやりたい。茶々丸はいつもならこの時間には執務室に居るのだが、今日は居ないようだ。ちょっと席を外したという雰囲気でもない。人の気配と言うものが感じられなかった。

 

「もしかして……」

 

 心当たりを片っ端から当たるが居ない。最後に思いついたのがここだった。普段は使われていない客間。そう、湊斗景明が寝ている部屋だ。

 

「茶々丸、居るか?」

 

 景明を起こさないように小声で呼びかけながら襖を開ける。

 

「あっ……」

「にゃ?」

「…………お早うございます」

 

 男と女が一つの布団で見つめ合っていた。というか茶々丸が景明に乗っかっていた。――不味いところに入ってしまったかもしれない。

 

「――すまない。すぐに出ていく」

 

 そう言い、出直そうとするが景明に呼び止められる。その声には困惑と助けを求める真摯さが篭っていた。

 

――――――

 

「あー、要するに茶々丸が勝手に乗っかって一緒に寝ていた、と。アンタは今起きたばっかりで何も分かっていない。この理解で間違いないか?」

「――その通りです」

「うん、その通りじゃないかな。お兄さん」

「ですので、説明願います」

 

 景明が状況の説明を求める。自分も同意見だったので、視線で茶々丸を促す。が、茶々丸はこっちの事を全く頓着していないようだ。仕方ないので景明と茶々丸の会話を聞くことに専念する。

 

「おにーさんは八幡宮で銀星号と戦って気絶した、ここまでは覚えているよね?」

「はい、意識を失う前に八幡宮で戦っていたと記憶しています」

「けど、それがここにつながらない」

「はい」

「そりゃ仕方ないかな」

「何故でしょう」

「気絶して倒れてたおにーさんを、あてが勝手にここまで連れてきたから」

「…………」

 

 茶々丸の言葉に先日の深夜景明と鎧櫃を背負ってここまで運んできた事を思い出す。なるほど景明はある意味いつも通り銀星号を追いかけ返り討ちにあったのだろう。片方の疑問は氷解する。

 

「つまり……貴方は八幡宮(・・・)にいたのですか」

「うん」

「……あの時の八幡宮(・・・)に?」

 

 景明が八幡宮という場所をやけに強調する。八幡宮、それに茶々丸が鎌倉に居たことを考えるとあの舞殿が居る鶴岡八幡宮の事だろうか?そこで何かがあったらしいが、生憎と引きこもっていた俺には何のことなのかさっぱり分からない。だから口を挟む。

 

「八幡宮ってのは鶴岡八幡宮の事か?そこで何があったんだ?」

「ありゃ?知らない?」

「ああ、全くもって」

「……おじじによる奉刀参拝があったんだよ。で、そこに銀星号が現れていつも通り全滅、あてとおにーさんを残してね」

「おじじ?おじじって……大将領の事か!?」

「うん、死んじゃった。――足利護氏死す。一代の覇王も最期はあっけないもんだ」

 

 茶々丸がしゅんとした様子を見せる。とてつもない大事件だった。大和を二分する軍事力である六波羅のトップが殺されたというのだ。アメリカで考えれば大統領が暗殺された並の衝撃がある筈だ。そこまで思考が回って気付く、なるほど景明が八幡宮を強調する訳だ。だが逆に疑問も湧いてくる。

 

「それで何で八幡宮にアンタは居たんだ?警戒も厳重だっただろうに」

「それは――」

 

 景明がそこで言葉を切る。一瞬の躊躇。

 

「――足利護氏の暗殺をするためです。……正確にはすべきなのか見極めるためと言うべきでしょうか」

 

 またとんでもない発言が飛び出してきた。いや、今の大和の情勢を思うとある意味順当なのか?とにかく驚きだ。驚きすぎて逆に冷静になるレベルだ。

 

「結局、御姫がやっちゃったんだけどね」

「御姫?」

「うん、銀星号の事」

 

 さらっと告げられたが、今の一言も非常に意味深だ。『御姫』非常に親密さを感じさせる呼び名だ。茶々丸は銀星号と深い繋がりを持っていることを指し示しているのではないだろうか。今まで八幡宮に居たのは護衛のためだと思っていたのだが違うのかも知れない。

 

「あの時は大変だったよー。もうちょっとであの黒いのに巻き込まれるとこだった……。怖いの怖くないのって……」

「待て待て待て!茶々丸、お前は銀星号と関わりがあるのか!?」

「うん……ごめんね。お兄さん。黙っていたけど実は関係あるのだよ」

「なぜ?いつからだ?」

 

 俺が知っている限り銀星号はただの殺戮者だ。それをなぜ幕閣の一人である茶々丸が関わることになるのか、それが分からなかった。その圧倒的な武力を利用するためというならまだ分かるがそう言うニュアンスは感じない。だからこそ分からなかった。

 

「――最初から。恩人なんだよね」

「恩人?それだけ、なのか?」

「うーん、もう一つ目的があるけど今は秘密かな、おにーさんも居るし」

 

 意味ありげに景明を流し見る茶々丸。恩人、恩人か。銀星号から最も遠い言葉のように思えるが、嘘ではないのだろう。思ってみれば元の世界へ帰還する手掛かりとなった『卵』も茶々丸の策謀だったのだろう。その事に気付き衝撃を受ける。

 

「さて、おにーさんの方もだいぶ疑問が解けてきたんじゃないかな?あてが何者でここが何処だか、そろそろ見えてきたかな?」

「……あなたはあの時、八幡宮にいた。奉刀参拝の――部外者は立ち入りできない、重大な祭事の最中であった八幡宮に」

「そうですね」

 

 景明がこれまでの事を振り返り頭の中を整理するように言葉を紡いでいく。

 

「……以前から、訝しんでいた事があります。行方不明者として全国に手配が回っているのに、なぜ(あれ)の消息は全く知れないのか。二年もの間。これは、光が誰か有力な人物に保護されている証左なのではないか……と」

「ごもっとも」

 

 話の流れ的に光というのは銀星号の本名だろう。そう言えば以前にも聞いたことがある気がする。やはりと言うべきか景明と銀星号は深い繋がりを持っているようだ。そして茶々丸は暗に認めた。銀星号を保護しているのは自分であると。

 

「……部屋の様相から類推するに……ここは相当の構えを誇る御屋敷の中」

「それほどでも。あ、これ謙遜だからね。おにーさんの推測は当たってますよ」

「…………」

 

 茶々丸の軽い相槌を受けて、推測は確信の域に達したのだろう。結論を思ってか、景明が一度言葉を止める。

 

どうぞ(ぷりーず)

「貴方は――幕閣の足利茶々丸ですね」

「大正解!堀越公方足利茶々丸。はじめまして、って言っておかないといけないかな、おにーさん」

「――――――」

「……」

「…………」

 

 沈黙が部屋を満たす。その沈黙を破ったのはギュルギュルという音だった。音源は景明。有体を言えば腹の音だった。

 

「おなか空いてる?」

「……その様子です」

「じゃ、まずは朝飯にするかぁー、お兄さんもいいよね?」

 

 何となくの事情は分かった。朝飯にするのもOKだ。だがここまでの会話でどうしても一つだけ言いたいことがあった。

 

「――その前に一つ言っておきたい事がある」

「ん?何か分かんない事でもあった?お兄さん」

「それだ!まず俺の事は?」

「お兄さん」

 

 そこで景明を指差しながら同じ質問を投げかける。

 

「じゃあ、景明の事は?」

「おにーさん」

「同じじゃねぇか……紛らわしいと思わないか?」

「同じじゃないよ!あての親愛度に大きな差があるよ!」

 

 茶々丸的には違いがあるらしいが、どうにも分かりづらくてダメだと思う。

 

「……ちなみにどっちが上なんだ?」

「おにーさん」

「自分……ですか。察するにお二人は大分長い関係のように思えるのですが」

「うん、だけどそんなこと関係ないよ」

 

 そこで一度言葉を切り、景明を上目遣いで見つめ、恥じらうように言う。

 

「――だって一目惚れですから」

 

 言っちゃったとばかりに恥じらう茶々丸。ちなみにまだ景明の上に乗ったままである。俺は薄々そうじゃないかと思っていたから驚きはない。

 

「……とにかく、紛らわしいからどっちか呼び方を変えてくれ」

「うーん、じゃあユウヤって呼ぶね」

「ああ、分かった。それでいい」

 

 

 



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足利茶々丸

 景明達と朝食を食べる。いつも職人の技を感じるが今日は殊更だ。どうもいつもより気合が入っているように感じる。と言っても露骨なご馳走という訳ではない。いつもより一品多く、いつもより一手間掛ける、そんな感じだ。茶々丸の客人を格式張らず自然にもてなそうという意図が感じられる。

 

「だからさ、あてとしては言いたいわけよ。鯨獲るな鯨獲るなって最近にわかに喧しい白人ども、そもそも鯨の数を激減させたのはてめーらじゃねえかってな」

 

 鯨料理の話から流れて捕鯨問題へと話題が移り茶々丸の弁舌は止まらないどころか加速していた。日系アメリカ人の俺としてはどう反応していいか困る話題だった。

 

「大和の捕鯨は生態系まで破壊してねぇ。大量に獲れるほど船も捕鯨技術も発達してなかったし、一頭穫れば村が半年遊べるってくらい有効活用してたし」

「そうなのか?鯨はどんな風に使えるんだ?」

「肉はもちろん食べるし、ヒゲは人形浄瑠璃を始めとする伝統芸能で使用して、骨も根付けなんかに加工してたんだよ。――で、そもそも狭い島国のこったから需要がそんなになかった。需要があったのは――世界中の海で獲りに獲ってそれでも足りなかったのは、光源にするんで鯨油が幾らでも必要だったてめーらだろうがぁ!片脚船長(エイハブ)どもの乱獲が鯨を滅ぼしかけてんだよっ!!」

 

 どうにか話題を穏当な方向に持っていこうとしたのだが失敗に終わったようだ。机をバンバンと叩いて茶々丸はさらにヒートアップしている。景明も困っているのか黙って鯨の佃煮を食べている。

 

「いや、ちょっと待て確か大和も鯨油とか農薬にするために乱獲してたんじゃなかったか?」

「そうだけどさ……歴史が違うよ!歴史が。それに何だオイ。光源需要がなくなった途端、エコロジーに目覚めやがって。絶滅の危機だから保護しましょうだー?それが自分らの責任を認めて反省するって態度ならまぁ、聞く耳もあるけどさ。あいつら反省なんてカケラもしてねーじゃねえかっ!てめーの過去は棚に上げて、今のあてらの捕鯨だけ問題にしてぎゃーすか非難しやがる。NA・ME・N・NA!!」

「…………」

 

 どうやら何を言っても無駄なようだ。鯨の叩きに箸を伸ばしている景明と同じように大人しく鯨料理に舌鼓を打つのが正解のような気がしてきた。

 

「近頃は連中、鯨は頭のいい動物だから殺すのは野蛮だなんて妙なことまで言ってんな。アホか。じゃあその鯨の知能を解析して、コミュニケーション取ってこう言ってみろ、私はあなたの味方ですってな。賭けてもいいけど、クジラ君はツッコミの衝動を抑えられないと思うぜ」

「……確かに、妙な主張ではあります。知能が高いから殺すなというのは」

 

 一通り食事に手を付けた景明が会話に参加する。

 

「牛や豚は馬鹿だから食ってもいいけど鯨は賢いからだめだってんだからな。何言ってんのかわかんねー」

「文化の違いから来る思想の違いというものでしょうか」

「突き詰めると、人種差別思想が起因かな。白人的には、優秀な生物はそうでない生物よりも上等って考えは、侵略の歴史を支えてきた馴染み深い正義なんだろ」

「……成程」

「正義っていうか、どっちかって言うと宗教だな。奴等にとって|WASP《ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント》以外は人間じゃねえし、神が許せば何でもありだ」

 

 黙っているつもりだったが、思うところがありすぎる話題につい吐き捨てるように言う。

 

「なるほど、宗教、ね。ふん、馬鹿くせぇってーの。あては神なんかに縋らないし差別なんかしないもんね。牛も豚も鯨も平等に食う」

「……ユウヤさんはハーフなのですか?」

「ああ、日……大和系アメリカ人だ」

「そうなのですか、私もクォーターです」

「あ、そうなんだお兄さんもクォーターなんだ」

 

 どうやら茶々丸の興味は鯨から景明に移ったらしい。茶々丸の言葉に一つ頷くと、景明は箸を置いて、居住まいを正した。鯨の話題も一通り終わり頃合い良しと見たのだろう。

 

「あれ、もういいの?」

「は。充分に頂きました。……本題へ入りたく思うのですが、宜しいでしょうか」

「?なに?」

 

 茶々丸が分かっているくせに惚ける。ここまで景明はほとんど疑問を発していない。状況を見極めていたのだろう。そしてその見極めが終わった。もしくはこれ以上は無駄と判断したのだろう。自然とこちらも背筋が伸びる。

 

「銀星号は、今――ここにいるのですね?」

「今?いないよ」

 

 景明が固まる。景明は最初の一歩で盛大に躓いてしまったようだ。結局これで朝食は終わりになった。そして、庭が見える縁側に移動する。すぐに女中さんが熱い茶を用意してくれる。

 

「お茶どうぞー」

「……有難うございます」

「ああ、ありがとう」

 

 茶々丸と景明、そして自分の三人が縁側に並んで熱い煎茶を啜る。いつも通りとても美味い。元の世界ではもっぱらコーヒーばかりだったがこれもまた良い物だ。ちなみに支給される軍のコーヒーは劇的に不味かった。

 

「今日は雲が張っててだめだな」

「?」

「あっちの空。富士山がよく見えない」

「……あぁ。この北向きの庭は、富士を楽しむ仕立てでしたか」

「そっ」

 

 そう言われてみると晴れた日には綺麗な富士山が見えたような気がする。そんな心の余裕がなかったからじっくりと見たことがない。見えない富士をじっと見る。

 

「この辺りからだと、富士山のどてっぱらに開いたでっかい穴がちゃんと見えて面白いんだよ」

「そうですか……。して閣下」

 

 景明が気を取り直したのか再び茶々丸に挑むようだ。おそらく景明が知りたいことと俺が知りたいことはほぼ同じの筈だ。ならばここは景明が追求するに任せよう。

 

「あて?」

「はい」

「そんな他人行儀な呼び方をしなくても」

「他人です」

「クール……」

 

他人と言い切られて茶々丸がしょんぼりしている。茶々丸の方は以前から知っていたようだが、景明からすれば今日あったばかりだ。その態度もむべなるかなと言ったところか。とは言え告白まがいの事をされているのだ。もう少し意識しても良いと思うのだが……いや、それで距離感を測りかねているのか?

 

「お伺いしますが。何ゆえ、自分を伊豆まで連れてこられたのです?」

「鎌倉にいたら面倒なことになるからね。あて、東都防衛警備の月番だったもんでさ。八幡宮の事件はあての不手際だって言えばそう言えるわけで。雷蝶あたりから責任追及される前に、先手を打って本拠地に自主謹慎したのよ」

 

 茶々丸は答えたくないのかわざとピントをずらした回答をする。もちろんそれは景明にも分かったのだろう。さらに斬り込んでくる。

 

「閣下にお尋ねしたかったのは、自分の身柄をわざわざ回収された件についてです」

「あそこにほったらかしといたらまずいやん。お兄さん、事件の主犯に仕立て上げられて処刑よ?」

「しかしそれは、自分の都合に過ぎません」

「あての都合でもあるんだなァ」

「……どういう事でしょうか?」

「お茶うめぇー」

 

 露骨に惚ける。ここまで露骨だと答える気がなさすぎて追求する意味を感じない。その事は景明も分かったのだろう。切り口を変える。

 

「…………。では閣下の御都合に照らした場合、自分の身は今後どのように扱われるのでしょう」

「特に考えてないけど。お兄さん次第」

「……?自分の好きにして構わないと?」

 

 景明が困惑したように問い返す。

 

「もちろん。あては男を縛って食い物にするタイプではなく、陰から尽くすタイプなのです。邪魔はしないけど必要なことは何でもしてくれる女。当然処女。でも床上手だったり。……うわーなんて都合がいいんでしょう。色男は得だねーこのー」

「…………。鎌倉に戻ろうかと考えているのですが」

「そりゃさみしぃ……。あてはまだしばらく戻れないしなー。でもお兄さんがそうしたいなら仕方ないね。列車の手配しようか?船でちんたら行くよりいいでしょ」

「…………」

 

 茶々丸の真意が図れず景明が沈黙する。これはそろそろ俺も加勢した方が良さそうだ。少なくともなぜ銀星号に協力しているのかは知りたい。何となく答えが分かっているが、それでも、だ。そう思い口を開こうとした矢先だった。

 

「おや?」

「……何か?」

「しばらく現れないと思ってたんだけどな。お兄さんが起きたせいかな?」

「?」

「良かったね。待ち人来たれり。落ち着いた場所で向き合うのって久しぶりなんじゃない?」

 

 そう言って、茶々丸は廊下の先を指し示す。廊下の奥から一人の少女が悠然と歩んでくる。遠目に何度か見たことがある。長庚の局とか呼ばれていた少女だ。

 

「――――」

「光ッッ!!」

 

 悠然と現れた少女に向かって景明が駆ける。そのままどうしようとしたのだろうか、それが分かる前に少女が動く。流麗な動きで景明の勢いをそのままに、しかし優しく投げる。望遠で見ていたからどうにか見えたが恐ろしい早業だった。……景明は今確かに光と呼んでいた。この少女が銀星号の中身……?

 

「……景明……。そう熱烈に求められるのは、悪い気分ではないというか、光としても本望なのだがな。TCOはわきまえてくれ」

「……資産保有費用(TCO)……?」

「御姫、時と場所と場合(TPO)です」

「――TPOはわきまえるように。まだ朝方、ここは縁側、光は起き抜けだ。そして、親しき仲にも礼儀あり。まずは朝の挨拶からだ。おはよう、景明」

「…………お早う」

「おはよー、御姫」

 

 間違いないようだ。茶々丸が『御姫』と呼んでいる。コイツが銀の魔王、白銀の悪魔、殺戮者、銀星号だ。

 

「うむおはよう。今日は青空が見えるな。いい気分だ」

「光……」

「何だ?」

 

 ようやく景明が立ち上がる。再び襲いかかる事は――なかった。どうやらこの場は話し合いでどうにかなるらしい。俺も会話に混ざろうとするが、その機先を制して茶々丸が邪魔してくる。

 

「景明?」

「いや……」

「お前は……ずっとここに……堀越公方のもとにいたのか?」

「そうだな。故郷を離れてからこれまで、おおむねこの館を足場にしている」

「何故だ」

「なぜ?……ふむ。訊かれてみれば、格別の理由はない。故郷を出た後、真っ直ぐ進んでいたらここへ行き着いたというだけの話だな別にほかの場所へ移っても構わない――」

 

 そう光が言った時の事だった。茶々丸が泣きながら光を引き止めるように抱きつく。

 

「御姫ーっ!」

「――構わないのだが、嫌がるやつがいる。これが理由といえば理由か」

「引き止められているから……?それだけなのか」

「人から好意を向けられるのは嬉しいものだ。無闇にはねつけるのも気が引ける。光の目的の障害になるなら別だが、そうでなければ意に沿ってやっても構わん。それに伊豆は水も空気も良いしな。居心地はなかなかだ」

「姫ありがとーっ」

 

 驚いた。茶々丸と銀星号の関係だが、どう見ても銀星号の側が主導権を持っている。

 

「…………。閣下」

「うに」

「貴方は如何なる所以から、光の滞在を望まれるのですか」

「さっきも言ったけど恩人なんだよね」

「恩人……?」

「そうなのか」

 

 助けた当事者である筈の光が茶々丸に尋ねる。

 

「……忘れられてるよ……。うっかり殺されかかってたあての前に颯爽と現れてくれた御姫の勇姿、総天然色でマイ・メモリーに保存してあるのに……!」

「そういえば死に掛かっていたな。うむ、思い出した!見たところ戦えそうにないし、どうしてか汚染波(うた)の影響を受けないし、なんだか珍妙な生き物に思えたので殺すのをやめたんだった」

「そんな理由かよ」

 

 珍妙な生き物扱いは流石に心外だったのか頬を膨らまして抗議する茶々丸。

 

「いやまー、御姫にあてを助ける気なんてなかったのは最初から知ってたけどね。結果的にそーなったってだけで。――でも御姫が来てくれたおかげであてが救われたのは事実だし、なら恩に着るのは当然てもんでしょう」

 

 その掛け合いを俺と同じ様に見ていた景明が茶々丸に尋ねる。

 

「……敢えてお尋ねします。閣下が光を手元に留めておかれるのには、何か目的とするところがお有りなのではございませんか」

「うん」

 

 あっけらかんと肯定する茶々丸。それに毒気を抜かれた様子の景明。

 

「……」

「あるよ?」

「あると聞いているな」

「……それはどのような目的でしょうか」

「まだ内緒」

「内緒だと聞いている」

 

 思わずと言った風情で景明が頭を押さえる。

 

「…………。お前はそれでいいのか」

「構うまい。光が野望を抱いて生きるように、他の者にも望みがあるのは当然のこと。望みのため、光を利用したくばするがいい。それがおれの関知せぬ所で終始するのならどうでも構わぬことであるし、おれの妨げになるのなら戦って勝敗を決するまでのことだ」

「御姫と話してると、小さなことでいちいち悩んでる自分が馬鹿に思えてこない?あてはしょっちゅう」

「……は」

 

 逡巡の末、景明が短く答える。確かに馬鹿らしくなってきた。こうなると直接聞いた方が早い。

 

「――お前は何のために殺戮しているんだ?」

「む、おれか?無礼な奴め、質問するならまずは名乗ってからにしろ」

「あ、ああ。ユウヤ・ブリッジスだ。よろしく」

「うむ、よろしく。湊斗光だ。さて、質問の答えだが――天下布武。人類全てと闘い勝利し神となる。そして奪われた父を取り戻す。それがおれの望みだ」

「……他に道はないのか?」

「ない!!」

 

 銀星号が何を言ってるのか理解できなかった。論理自体は単純明快だ。なぜそうなるのかは全くの謎だが。説得の言葉を探す。論理が明確過ぎて反論の言葉は見つからない。次の言葉に迷っている間に茶々丸が言う。

 

「御姫、朝ごはんどうする?」

「貰う」

「厨房に言えばくれると思うよ」

「今日の当番は誰だ?」

「三千場のおっちゃん」

「あの職人か。なら期待できるな。行ってこよう」

 

 それをただ見送る景明と俺、その視界に茶々丸が割って入る。

 

「で。お兄さん、これからどうするの?鎌倉に帰る……?」

「…………」

「じゃ、そこら辺考えておいて、あてはちょっと仕事してくるから。あっ、そうそう部屋は自由に使っていいからね」

 

 混乱したまま場は解散となる。今は落ち着いて考えたい。そう言えばつくしの事もだいぶ放っておいているので部屋に戻ることにする。

 

「つくし、戻った」

「御堂、おかえり。茶々丸は何て?」

「あっ……」

 

 忘れていた。そう言えば術式に必要な計算が終わった事を伝えるために茶々丸を探していたのだ。それが衝撃的な話の連続ですっかり抜け落ちていた。

 

「……検算の方はどうなった?」

「後少しよ」

「じゃあ、それが終わってから報告に行くか……」

「了解」

 

――――――

 

「術式ができあがった」

 

 茶々丸に単刀直入に報告する。あの衝撃的な朝食から数時間。全く集中できなかった俺は、さんざんつくしに突っ込まれながら検算を終えた。これならつくしに任せておいた方が早かったのではないかと思う。

 

 それはさておき、検算まで終えた今、ここから先は茶々丸の協力が不可欠だった。残る課題は一つ、エネルギーだ。具体的には発電所一基分の電力相当のエネルギー。幾らなんでも個人の力で用意することはできない。これは完全に茶々丸を頼るしかない。

 

「それは異世界に行く準備が整ったって事?」

「その目標に向けて大きなステップを踏んだってとこだな。これから小規模な試験を行う。これは俺の熱量だけで賄える予定だ。だがその後に大規模な試験も行いたい」

「うん、分かってる。発電所、だね」

 

 茶々丸が分かってるとばかりに頷く。さすが茶々丸だ。話が早い。

 

「一つアテがあるんだけど、どれくらいの電力が要る?」

「最低でも約100MW、できればそれ以上欲しい」

 

 計算で弾き出した必要なエネルギー量を伝える。100MWというのは最新型の火力発電所をフル稼働させた時の出力に匹敵する。それを用意しろと言ってるのだ無茶は承知の上だった。

 

「――キツイね。最低ラインはどうにか用意できそうだけどそれ以上は今回の場所じゃ用意できそうにないね」

「仕方ない。どうにか省電力化できないか再検討してみる……が、できれば他の発電所の方も検討して欲しい」

 

 それから不知火・弐型の移動方法などさらに細かい条件を詰めていく。ようやっと実行可能な計画にまで落とし込めた時には日が傾いていた。

 

「ふはー、とりあえず準備できる事は準備し終わったかな?」

「そうだな。流石に疲れた。……それで茶々丸の方の準備はできてるのか?」

 

 仮にも幕閣として国の要職に付いているのだ。引き継ぎ作業など幾らでもあるだろう。そう思い、聞いてみる。

 

「あて?あての方はちょっとケジメを付けたい事があるんだ。長くても一月、最短で明日にでも。だから時間が欲しい」

 

 ケジメを付けたい事。それは引き継ぎではないのだろう。だが、茶々丸の事だ。無責任に投げ出すことはないと信じている。

 

「――それは銀星号が関わっているのか?」

「おっ、鋭いね。ユウヤ」

 

 茶々丸が茶化すように言う。

 

「茶々丸」

「――分かった。そうその通りだよ。銀星号の、御姫の結末を知りたいんだ」

「結末?」

「そう結末、御姫と湊斗景明(お兄さん)がどんな選択をするのか知りたいんだ」

 

 愛しそうに柔らかい表情で言う。

 

「それはこの前言っていた神を黙らせる事に繋がってるのか?」

「――うん。だけどユウヤが方法を見つけてくれたからそっちの計画はお兄さん(景明)に任せようと思う。――だけど御姫達の事は見届ける責任があると思う」

 

 銀星号と繋がっていた事をどう判断すべきか、未だに答えは出ない。ただ分かっているのは茶々丸がどうしようと銀星号は同じ様に行動しただろうという事だけは分かった。そして茶々丸がどれほど神の存在を疎ましく思っているかも知っているのだ。ラトロア中佐の言葉を借りるならば茶々丸は全てを分かった上で自身の戦いをしているのだ。それを責められるだろうか?

 

「責任、か。茶々丸、お前の決断――いや、違うな、俺達(・・)の決断が他人に犠牲を強いている事は分かっているよな?」

「何?ユウヤ、今更止めろって言うの?」

 

 一気に場が冷える。もしそうなら許さない。そんな気迫を感じる。

 

「いいや、違う。止めても被害は戻ってこない、死者は生き返らない。それを理解していながらそれでも俺達はやるって決めたんだ」

「そうだね。あては何があろうと神を黙らせるって決めた」

「そうだ。だが、だからこそ犠牲を強いた事を忘れちゃいけない。何を言ったって言い訳になる。死者は何も言わない。納得なんてしない。それでも向き合い続けるしかないんだ」

「向き合う……」

 

 思う。俺が殺した相手の事を。理不尽に奪った相手の事を。テロ犯がいた。武者がいた。兵士がいた。共感できる奴もいたし、理解できない奴もいた。その全てを俺は殺した。ただ、自分のために。命令だったこともある。だが最後に決断したのは自分なのだ。ならば責任は俺にある。

 

「贖罪しろなんて言わない。死者に意味を持たせろとも言わない。ただどんなスタンスであれ向き合い続けるそれが責任だと俺は思う」

「……分かった。考えてみるよ」

「ありがとう。俺も考える。その責任がある」

 

 



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村正

 翌日、朝早くから久しぶりに淡島にやってきていた。最後にやってきたのはレースが終わった後だっただろうか。既に修復は俺の手を離れ、完全にエンジニア達の領域に入っている。

 

 ある程度知ってるとは言え所詮概要程度、そこから実際の部品にまで落とし込むには相当な苦労があった。その苦労と比例するようにこの島の設備もだいぶ整ってきていた。最初は掘っ立て小屋に毛が生えたような倉庫が立っていただけだったのに今では立派なガレージが完成している。その横には不知火・弐型の修復のために必要な加工装置などの設備が整えられている。

 

 とは言っても必要な部品の大半は外注だ。幾らなんでもこの島だけで部品の全てを作るわけにはいかないからだ。その中にはあのアベンジを作った田村甲業も居た。

 

 不知火・弐型の姿は以前見た時から様変わりしていた。外装を外されて部品が露出しているのはいい。全部外されているのはレストアの時など珍しいが無いことじゃない。ところどころ不格好に飛び出している部分がある。それは大和の技術で小型化できなかった代用の部品達だ。即ちエンジニア達の苦労の跡だった。

 

 それ以上に目を引くのは右の跳躍ユニットが付いていた(・・・・・)部分だ。修理する上で大きな課題となっていた右の跳躍ユニットが根本から存在しなかった。代わりに取り付けられているのはずんぐりとした短いユニット。そこから伸びるケーブルがコックピットまで伸びているのがまた異様な感じがする。

 

《これ……とてつもなく大きいけど合当理……?》

「こんなものどうしたんだ?」

 

 どう見てもこの島の設備で作れるような代物ではない。いや、それどころか外注したとしても実現できそうにない。そう思いチーフエンジニアに尋ねる。

 

「いや、それが茶々丸様が突然持ってきたんですよ。我々は繋がるように改造しただけでどこからこんな物を持ってきたかは知らないんです」

「そう、か。……それでこれは動くのか?」

「はい。出力の調整が難しいと思いますが、動きます。――ただユウヤさんの人間離れした熱量を持ってしても15分も飛べないと思います」

「あのケーブルは伝熱管なのか……。つくしどう思う?」

《どんなに難しくてもやる。やってみせる》

 

 つくしが回答せずに意気込む。とは言え、まだ調整は済んでいないらしいので、今日の所は不知火・弐型を稼働させる事はできない。今回の目的はそれではないのだ。もっと小規模である意味重要な実験、それを行うためにこの島まで来たのだ。

 

 実験の第一段階としてつくしと不知火・弐型がドッキングする。大仰に言っているが、単につくしを纏った状態で弐型に乗り込み、二、三ケーブルを接続するだけだ。その内一つは伝熱管で、つくしの右肩、肩部装甲の下に接続する。つくしの右肩には突撃砲に熱量を伝える伝熱装置が付いている。真打には存在しない特殊仕様だ。

 

《接続を確認》

「了解」

《今回は、向こうの世界を観測するのが目的よね》

「そうだ。観測だけなら不知火・弐型の電力と俺の熱量だけでいける、筈だ」

 

 いつも以上に慎重に転移の術式を構築していく。

 

 基準座標設定……現在地点を基準点とする。

 

「ゼロセット」

 

 範囲設定……今回は観測が目的だ。だから前方の何もない空間に極小の点を範囲に設定する。これはいつもより楽だ。いつもなら対象は移動し続けている自分だ。……この設定を失敗すると範囲の内外で割断されてしまう。とは言え範囲を広げてしまうと級数的に熱量の消費が増えてしまう。どこでバランスを取るかが重要だ。

 

「範囲確定」

 

 転移座標設定……基準点からどこに移動するかを設定する。この座標は昨日求めた計算式に基準座標を代入することで求められる。

 

「座標設定」

 

 除外設定……転移座標が転移に向いていない場合に転移が行われないようにする条件付けだ。要するに転移先に人が居たら転移範囲で分断されてしまう事になる。そんな事になったら大惨事だ。

 

「転移準備」

 

 設定を終える。

 

「じゃあ、行くぞ……」

《うん》

 

 緊張の一瞬。一瞬の間の後、不知火が詠唱を開始する。

 

《祈りの翼を以て

 無窮の空を超え

 事象の果を開け》

 

 臍下丹田から熱量を引き出す。五臓六腑を馳せ巡り、脊髄へ落とす。再び丹田へと回す。そこに存在する存在しない(・・・・・)回路に熱量を流し込む多すぎても少なすぎてもダメだ。繊細な作業。いつもよりもさらに慎重に行う。

 

「翔けろ。刃金の翼」

 

 呪句(コマンド)を発する。何事も起こらない。だが、熱量が大量に喪われ体の奥がずっしりと重い。

 

「……どうだ?」

 

 だがこれでいい。元から派手な何かが起こるような実験ではない。予想通りの結果だ。問題はここから先。

 

《――転移先情報の取得を確認》

「成功か?」

《少なくともこの近辺じゃない筈》

「データをくれ」

 

 視界にデータが転送されてくる。項目数はそう多くない。あの一瞬では詳細な分析まではできないのだ。分かることは三つ。

 

・大気中かつ物体内ではない事

・重力に僅かなゆらぎ(・・・)がある事

・自然には存在しないの濃度で重金属が存在すること。

 

《どう思う?》

 

 こっちの世界ではなさそうなのは確かだった。重力の異常に重金属。思い当たる節があった。横浜、そこに投下されたG弾だ。重金属の組成もAL弾の物と近い。

 

「――成功だ」

 

 喜びが湧き上がってくる。転移先が日本らしいというのも良い。元々の目的地だ。大きく遠回りしたが、これで帰るための目処が立った。

 

――――――

 

 熱量を使い果たしできる実験を終えた俺達は淡島から公方府に戻ってきていた。昼食を部屋で済ませ、日課の訓練をしようと外に出る。庭へと繋がる廊下、そこに一人の蝦夷の女性が居た。

 

「つくし……じゃない」

 

 一瞬つくしかと見間違えたが、よく見ると全く似ていない。むしろ共通点は褐色の肌と白髪程度だ。身長も髪型も体型も違う。間違えた事に抗議するように肩に止まっていたつくしが嘴で頭をつつく。……痛い。

 

 この世界に来てつくしとその祖父以外の蝦夷は見たことがなかった。ということはおそらく公方府の人間じゃない。とは言えその所在なさげ表情と物憂げなため息から侵入者でもないだろう。

 

「あら、あなた……ユウヤさんだっだかしら?」

「?どこかで会ったことあったか?」

 

 じっと見つめられていた事に気付いたのだろう。蝦夷の女が話し掛けてくる。蝦夷の女は自分の事を知っているようだ。だがこちらの記憶にはない。

 

「……そうね。分からなくて当然よ。私は村正、千子右衛門尉村正。こう言えば分かるかしら?」

《……景明の劔冑?》

 

 つくしが自信なさそうにそう言う。その言葉を聞いても一瞬理解ができなかった。理解した後もまさかという思いの方が強い。

 

「――あら。驚いた。理解が早いわね」

「…………劔冑がどうして人に?……まさかお前もリビングアーマーなのか?」

「リビングアーマー?……いいえ、普通の劔冑よ?」

 

 劔冑と人の合いの子、茶々丸と同じリビングアーマーでもないらしい。

 

《それ私にもできる?》

「不知火、だったかしら。それは無理ね。母様(かかさま)の力が……。あなた僅かだけど母様(かかさま)の匂いがする?」

《かかさま?》

 

 つくしと村正の間で話が進んでいく。

 

「……銀星号の事よ。二世村正。あたしの母。――そうか、あなたは『卵』を植え付けられたものね。……もしかしたらできるかも知れないわね」

《教えて欲しい。ちょうど手がなくて困っていた所》

「……あなたたちには世話になった物ね。――いいわ教えてあげる。と言っても見せるだけよ。術式は自分で編みなさい」

 

 そう言うと村正が発光し、次の瞬間。そこには巨大な赤蜘蛛がいた。本当に景明の劔冑、村正だったのだ。その事に改めて驚きを感じる。

 

《良い?しっかり見ておきなさい。まずは第一段階》

 

 そう言うと仕手がいないにも関わらず装甲状態になる。仕手がいないと言うことは中は空なのだろうか。驚きのうめきを上げる。

 

《――で、次が第二段階っと》

 

 次の瞬間には先程の蝦夷の女が立っていた。何が起こっているのか全く分からない。とりあえず異常な事が起こっているのは確かだった。

 

《こう?》

 

 つくしが俺の肩から舞い降り、何かをする。次の瞬間、俺が装甲していないにも関わらずそこには不知火の姿があった。

 

「あら、上手いわね。でも無駄だらけね」

《ん、ダメ。維持できない》

 

 そう言うと不知火は再び鷹の状態へと戻る。どうやらすぐにできるような技ではないようだ。

 

《もっと検討がいるね》

「そうね、だけどその調子で行けばすぐにできるようになるわ」

 

 どうやっているんか全く理解できないが、つくしにはある程度伝わったらしい。和気あいあいとしているつくしと村正。つくしもつくしの姿になれる可能性があるという事だろうか。それは……、どうなのだろうか?嬉しい?よく分からなかった。

 

「…………それで、えらく物憂げな表情をしていたが、何を悩んでいたんだ?」

「……そう、ね。相談するのも良いかしら……」

「悩んでるなら相談した方がいい。一人で悩んでいたってロクな結論は出ないぜ」

 

 吹雪を乗りこなそうと格闘した時の事を思いながら言う。あの時間が無駄だったとは思わない。俺には必要だったと今なら思うが、あの時ももっと早く本気でヴィンセントに相談できていたら日本製戦術機の事を分かっていただろうと思う。

 

「銀星号を追っていることは知っているわよね?私達は銀星号を追って何度か捉えている。なのに勝つことができない。……私はその原因の一つが心甲一致の差にあると思うの」

「心甲一致?」

《仕手と劔冑の関係の理想、仕手と劔冑の間に全く齟齬のない状態、似た概念に人馬一体っていうのもある》

 

 つくしが補足説明してくれる。なるほど銀星号はその心甲一致の状態にあるからあれほど強さを誇る、と言いたいのだろう。

 

「湊斗光と母様(かかさま)は互いを同一視してるんじゃないかと思える事があるの。少なくともそれに近い領域にいるわ」

「なるほど、それで心甲一致に至る方法を悩んでいる、と」

「――ちょっと違うわ。……仕手(御堂)を他者として意識している自分がいるの。それが心甲一致の邪魔になってるんじゃないかと思って……」

 

 村正が言っている事はこうだ。心甲一致には仕手と劔冑が互いを同一視する必要がある。なのに自分は仕手を他人としか思えない。そして恐らくその意識を捨てることに躊躇いがあるのだ。だから悩む。

 

「――馬鹿馬鹿しい」

「何よ、人が真剣に悩んでいるのに」

「銀星号に勝ちたいんだろ?」

「そうよ!そのために心甲一致が必要なの!」

 

 そう銀星号に勝利する事が必要なのだ。別に銀星号になる必要はない。同じ道を通る必要などないのだ。そもそも出発地点が違うのだから同じ道など通りようがないのだ。

 

「お前達と銀星号は同じになる必要なんてない。――想いあった果てにだって心甲一致はあり得るだろ?というかいまさら他人じゃなくて自分だと思うなんて到底無理なんだよ。だったら自分の道を突き詰めるしかないだろ」

「それは……そうかも知れないけど」

 

 受け入れ難いのか懊悩する村正。俺ができるアドバイスは既にもう伝えた。後は村正がどう受け取るかだろう。

 

 一体どれほどの時間村正は悩んでいただろうか?ハッとした表情で庭の方を見る。その視線を追う。何も見えない。次の瞬間、村正は蜘蛛の状態になり走り出す。(はや)い。

 

「何があった!?――クッ、行け!つくし!」

《了解!》

 

 村正は答えない。ただどこかを目指して突き進む。とにかく追いかける。靴を探す余裕もなかったために素足で追いかける。つくしが肩から飛び立ち先行する。

 

 俺が追いついた時には全て終わっていた。銀星号――光が地面を踏みにじりながら去っていく。明らかに怒っている。何かがあったのだ。彼女が視界から完全に去ったのを確認した後、景明へと注意を戻す。

 

「何があったんだ」

《銀星号が景明を汚染しようとした》

 

 つくしが答える。汚染、あの敵味方、親兄弟関係なく襲い続ける地獄を引き起こすアレの事か。

 

「それを、村正が防いだ、と。景明、大丈夫か?」

「はい、ご心配をお掛けしました」

 

 未だ地に尻を付いた状態だった。景明を助け起こす。

 

「なぁ、質問してもいいか?」

「はい、何でしょうか?」

「何で銀星号を止めようとしてるんだ?」

 

 ずっと聞きたかった事。景明が銀星号を追っている事は知っている。だが、なぜ追っているのかは知らなかった。

 

「……妹なのです」

 

 それは予想の付いていた事だった。同じ苗字、親しげな態度、仲の良い家族だったのだろう。だからこそ分からなかった。なぜああ(・・)なってしまったのか。それに村正だ。

 

「家族だから……、その凶行を止めたい。それだけなのか?それだけで善悪相殺の呪いを受け入れられるものなのか?」

「それは――私が罪人だからです。私にはあれを止める義務がある」

 

 それから景明は懺悔するように語ってくれた。自らの罪を。

 

「最初の一歩で……一番大切な者を亡くしたから止まれなくなったんだな」

「それは……そう、なのかも知れません」

「景明、お前は銀星号を倒した後、どうするつもりなんだ?」

 

 これだけ罪の意識が強いのだ。そう簡単に自分を許すことなどできないだろう。そう思い尋ねる。

 

「……司法の裁きを受けます。……受けるつもりでした」

「つもり?どういう事だ?」

「署長――私の後ろ盾――が言ったのです。俺の、私の罪を赦免する、と」

 

 その言葉は様々な思いが混じり合い真っ黒に感じられた。

 

「良かった……とは考えてないみたいだな」

「私は罪人です。多くの罪なき――いえ、例え罪があったとしても殺すべきではない人間を殺してきました。ならばその行いには罰が必要なのです」

「死にたい、のか?」

「いいえ、自分は死にたくなどありません。死は何にも勝る恐怖です。……泥にまみれ糞尿を啜ってでも生き延びたいと思うまでに自分は死を恐れています。――だからこそ自分は死すべきなのです。死にたいと欲して死ぬのは安楽への逃避に過ぎません。何の処罰でもない。それは単に自殺であり、贖罪の放棄です」

 

 その思いに圧倒される。と同時に納得いかない。両方分かり、両方共納得できないのだ。

 

「……善悪相殺の呪いは、例えば人食い熊を殺しても発動するのか?」

「?それは……村正、どうだ?」

「発動しないわ」

「宇宙から来た化物だったらどうだ?人類の天敵みたいな奴だ」

「……発動しないと思うわ。……一体何が言いたいの?」 

 

 発動しない、か。景明は罪とこの上なく真摯に向き合っている。ならば俺が景明の死に場所を与えても罰は当たらないだろう。ちょうど良くそんな地獄と救いを求める人がたくさん居る場所を知っている。

 

「なら、俺が。……俺がお前を地獄に導いてやる。単に殺すなんて生温い罰は与えねぇ。永遠の地獄で悶え苦しめ、その果てに無残に果てろ。お前はその手で地獄から生者を救い続けるんだ。殺した以上に救え、救って救ってその果てに化物に人知れず殺されろ」

「――私を罰してくれる、と?」

「ああ、お前に相応しい惨たらしい死を約束してやる」

「……ありがとう、ございます」

 

 



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湊斗光

賛否がありそうな話です。


「責務を果たそうと思います」

「責務?」

「はい、心が定まりました。銀星号を倒さなくてはなりません」

 

 景明は迷いが吹っ切れたような顔をしていた。そして宣言する銀星号を打倒することを。

 

「……そっか。じゃあ、試してみよう」

 

 唐突に現れた茶々丸が言う。

 

「試す、と?」

 

 訝しげに景明が言う。意味が取れなかったのだろう。

 

「お兄さんに機会をあげる。御姫を殺す機会をあげる」

「――――」

「……何ですって?」

 

 驚きはある。だが、同時に納得もある。これが茶々丸が言っていた景明に任せるという事の意味なのだろう。

 

「できるかな?お兄さんに……『英雄』に徹して――肉親を殺すことが」

「………………」

 

 茶々丸が悪そうに嗤う。だが、嘘は言っていないのだろう。茶々丸は真実しか言っていない。そう思う。無言で廊下を歩く。重たい沈黙。何か言う資格は俺にはないだろう。ただ見届ける、これだけは譲れなかった。

 

「閣下。事前に教えておいて頂きたいのですが……」

「ん?」

「光を、どうやって……殺すと?寝込みを襲うつもりですか?」

 

 当然の疑問、例え堀越に存在する全ての軍を動員したとしても銀星号に勝てるか怪しい。少なくとも追いつくことは無理だ。

 

「違うよ」

「……」

「それじゃ殺せない。逆だよ」

「逆?」

「うん」

「……?」

「例によって、わけわからない」

 

 村正が茶々丸に問う。同意だった。訳が分からない事を言う茶々丸、だがこれ以上何かを言う気はないらしく。ゆったりと歩を進めていく。

 

「すぐにわかる。一目でわかるさ」

「――――――」

 

 湊斗景明の足が止まる。踏み出そうという意志はあるのに無意識に体が避けようとしているような突然の停止だった。

 

「……御堂」

「どうしたの?お兄さん」

「…………」

「行くよ?」

「…………はい」

 

 茶々丸が急かす。そしてとある部屋へとたどり着く。堀越御所の最も奥深く、滅多に人も来ないような奥まった部屋だった。確認するように見回す茶々丸、そして戸を引き開けた。

 

 中は暗い。夜の海のように茫漠と無が広がっている。しかしやがて目が慣れるにつれて、客間のような部屋だと分かる。そう多くない調度品。上質の畳が敷き詰められた床。

 

――中央には、白い何か(・・・・)

 

「……光?眠っているのか?」

「いいや、起きてる……目覚めているよ」

 

 かちり、と音がして。全てが電灯の光明に照らし出された。

 

 そこに居たのは布団に寝ている少女だった。病んでいる。一目でわかる。死期が近づいている。目は開いているが意志が宿っていない。そこまで見て取ってようやく気付く。この死に瀕している少女が湊斗光(銀星号)だと。あまりにも違いすぎる。銀星号は生気に満ち溢れていた。それがどうして……?

 

「こ……これって、これって」

「おめーは知らないんだっけ?湊斗光の病気」

「し、知ってる……御堂が教えてくれたから知ってるけど!」

「どういうことよ!?これが湊斗光なら、二世(かかさま)を装甲して銀星号になっているのは誰なの!!」

 

 そうだ。この少女が銀星号をできる訳がない。この少女は終わっている(・・・・・・)。湊斗光がもう一人居るのでない限り説明が付かない。

 

「誰っしょね?」

「はぐらかさないで!」

《そうよ、教えなさいよ》

「つくし、今は黙って聞いていよう」

 

 思わずといった風に茶々丸に噛み付くつくし。それをなだめる。俺も聞きたいが、それは俺が尋ねるべきじゃないと思う。チラリとこちらを見た後、すぐに視線を村正へと戻す茶々丸。

 

「はぐらかしちゃいねえ。単なる意地悪だ。けどおめーもわかり切ったこと訊くなよ。ここに湊斗光がいるんだから、この湊斗光が装甲して銀星号やってるに決まってんだろ」

「どうやってよ!できるわけないでしょう!?こんな、植物状態の重病人が……装甲して戦うなんて」

 

 茶々丸の言うことを素直に聞くのならばこの(・・)湊斗光が銀星号だ。だが、こんな終わっている少女が本当に銀星号だというのだろうか、到底信じられない。

 

「どう聞いてもデタラメな話だよなー。でも、ここに嘘はなんにもない。真実、この湊斗光が銀星号だ」

「だからっ……どうやって!そんなことができるっていうのよ!」

「眠る」

 

 眠る?そう言えばさっき目覚めていると言っていた。そこに何か秘密があるのか……?

 

「……眠る、って」

「この湊斗光が眠ると『銀星号』が出てくる」

「何よ……それ」

「…………」

「二重人格……?」

 

 ずっと黙って湊斗光を呆然と見ていた湊斗景明がふっと漏らす。

 

「いや、違う。銀星号は人格じゃない。実験して調べてみた」

「実験?」

「あては最初、この状態を見ても、御姫って変な寝方するんだなーとしか思わなかったよ。湊斗光が鉱毒病で廃人になってるなんて、初めは知らなかったしね」 

「……」

「でもその内、段々と妙に思えてきたからさ。物は試しで脳波を調べてみたの。この状態と、立って動いてる時と」

「脳波……?」

「てきとーにわかりやすく言えば、頭の血の巡り具合だ。わりと最近の学問だけど、お兄さんは多分知ってるよ。――いや……おめーら村正こそ誰よりも詳しく知ってるはずだ。知らないわけねえ。知らなかったら、どうして人の精神を書き換えられる?その脳波を調べてみたら、さ。結果は逆だったんだ」

「逆……」

この状態の湊斗光は覚醒していて(・・・・・・・・・・・・・・・)活動する銀星号は常に眠っていた(・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 そんな……そんな事があり得るのだろうか?だが、それでも銀星号の罪は変わらない。銀星号はこの世に存在してはいけないのだ。

 

「――――――」

「夢なんだよ。『銀星号』は湊斗光の見ている夢、既に破壊された人格が、砕け散った意識の底で見続けている夢だ」

「……夢……?」

「そう」

「そんな――ふざけた話が」

「心当たり、何もないか?」

「あるわけないでしょう……」

「お兄さんは?」

「…………」

 

 否定は、ない。湊斗景明には何か心当たりがあるようだ。だが、まだ受け入れられないのだろう。

 

「あるっしょ?言ってたもんね……御姫が目の前にいるのに、その実在を疑ったって」

「……しかし……やはり……有り得ません。あれを全て、眠りの中で行っていたなど!」

「言うなりゃ、天然の無想――無想剣だ。御姫が無敵なのも道理だぁね。どだい、人間ってのは無駄が多く出来てる。その無駄を全部取っ払って、自分に必要なものだけを残したのがあの銀星号(ゆめ)だっていうなら、誰も勝てるはずがない」

「有り得ません」

 

 湊斗景明が否定する。だが俺は納得した。世界が隔絶しているように思ったことを思い出したのだ。あれは正しくこの世の存在ではなかったのだ。 

 

「そんな都合のいい奇跡があってたまるか、って?」

「…………」

「安心してよ。これは奇跡なんて素敵なもんじゃない。呪いに過ぎない。代償は支払われている」

「……どういう意味ですか」

「お兄さん、この容態を見てどう?二年前と比べて」

 

 茶々丸に言われて景明がマジマジと湊斗光を見る。その目は痛ましいものを見る目だった。

 

「………………衰えている……?」

「うん。活動中は理不尽なパワフルぶりに騙されるけど、こうして寝てると明らかでしょ?中身はもっと酷いよ。最新最高の医療技術をかたっぱしから注ぎ込んで、どうにかこうにか命を繋いでるけど……あといくらも保たない」

「それは――」

「抑制のない夢の世界に根差しているからこそ、銀星号は人外境の力を揮える……。けどその分の負債は、現実の湊斗光の肉体からきっちり取り立てられてるってわけ。こうして……」

「…………」

 

 誰もが沈黙する中、茶々丸が淡々と言葉を紡いでいく。

 

「あての見るところ、あと二回かな。銀星号として動けるのは」

「二回……」

「多分ね」

「その後は――」

「無いよ」

「……」

「そこで終わり。銀星号も……湊斗光も」

 

 これが……銀星号の真実。

 

「…………」

「さて。どうしよう、お兄さん?」

「……どう、とは?」

「あては約束を守ったよ。御姫を殺すチャンスをあげた」

「…………」

「今ならそこらの子供でもやれる。首に手をかけて、軽く捻ればおしまいだ。さ、どうぞ」

 

 真実は明かされた。後は結末だけだ。辛い決断の時だ。どちらを選んでも景明は後悔するだろう。だが決断しなくてはならない。湊斗光を、銀星号をどうするかを。

 

「………………馬鹿な」

「あと二回。でもその二回で、どれだけの人間が死ぬのかな?」

「――――――」

「『銀星号』は湊斗光がごく深い熟睡状態に陥ったとき発生する現象だ。出現を未然に阻止する方法はない。現れたものを、力で止めるのも無理。……今しかない。お兄さん。犠牲者を出したくないなら、いま殺すしかないよ」

「……御堂……少し……席を外して。私が、」

 

 見かねたのか村正が申し出る。だがその言葉は他ならぬ景明によって止められる。

 

「すっこんでろよ。言っとくが、おめーにはやらせねえ。あてが機会をあげるのはお兄さんだけだ」

「……村正……」

「…………」

「そっ。すべてはお兄さん一人の決断。お兄さんの意思でやらなくちゃいけない。湊斗光を……殺害する……」

「……っ……」

 

 苦悶の表情を浮かべる湊斗景明。その事につい手を出したくなる。だが、我慢するどんな決断を下すにせよそれは湊斗景明がするべきものなのだ。俺に、他の誰にも資格はない。

 

「お兄さん……あてと坊主が言ったことを思い出して」

「……?」

 

 茶々丸が優しく優しく囁く。

 

「無我。湊斗景明が湊斗光の死を望まないなら……湊斗景明を捨てるんだ。英雄になるんだ。世界の意思は銀星号(まおう)の死を望んでいる」

「――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――」

「お兄さん。自己(おのれ)を、捨てて」

 

 どれだけ時間が流れただろうか。湊斗景明が湊斗光の上に移動する。湊斗光の首に手を掛ける。今何を思っているのか、手は止めどなく震えていた。

 

「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」

 

 湊斗景明が絶叫する。骨が砕ける。嫌な音が響く。景明が崩れ落ちる。

 

「あ、ああ、あああああ!!」

 

 悲痛な鳴き声が部屋に響き渡る。村正が駆け寄る。俺も駆け寄ろうとする。――が、それを茶々丸が制する。

 

「――ユウヤ、これから何があったとしても逃げて、そのまま元の世界に帰って。いい?」

「茶々丸?茶々丸はどうするんだ?」

「あては……と時間がないみたいだ」

「何?」

 

 景明がゆらりと立ち上がる。その幽鬼のような雰囲気に背筋が凍る。背中からだけでも感じられる物がある。何かが変わった。

 

「景明……?」

「村正」

「えっ!?」

 

 村正が戸惑った声を残して蜘蛛の姿へと变化を遂げ、弾ける。弾けて散る。幽鬼のような男の周囲を舞う。紅い鉄が踊る直中、片手が再び、ゆるりと流れる―――装甲ノ構(ソウコウノカマエ)

 

 左手で顔面を隠す。そして誓言が紡がれる。

 

「鬼に逢うては鬼を斬る

 仏に逢うては仏を斬る

 ツルギの理ここに在り」

 

 左手を突き出し握り込む、そして遥か彼方の星を掴まんとするがごとく手を伸ばす。禍々しい深紅の武者が現れた。血のように赤い朱い深紅。湊斗光の死体と相まって不吉なまでの存在感を放っていた。

 

《御堂!》

 

 茫然としていた俺につくしが警告の声を発する。ハッとする。湊斗景明は今湊斗光を殺した。だから景明を蝕む呪いはその履行を求める。善悪相殺。その犠牲者を求めているのだ。

 

「未来なき煉獄に生まれ

 牙なき者の明日のために

 希望の糸を紡いで朽ちる

 されど刃、礎となり

 虚空へ至る道となる」

 

 景明が一体誰を狙うのか分からない。だが、何をするにも装甲していなければどうしようもない。そう判断し、誓言を紡ぐ。

 

「飛翔せよ!不知火!」

 

 装甲した時には既に事態は取り返し難い程進んでいた。

 

「さようなら、グッドラック。ユウヤ」

 

 朱い武者が大上段に脇差しを構える。その刃の先には茶々丸。致命的なまでに判断が遅かった。茶々丸はこの結末を迎えたなら初めから死ぬつもりだったのだ。

 

「ウオオオオッッッッ!!」

 

 合当理を急起動、茶々丸へと向かう。全ての判断を置き去りにしてただ体だけが動く。今思うのはたった一つ、間に合え、間に合え!それだけだった。

 

 一秒が寸刻みになり、コマ送りのように死神の鎌が近づいていくのが見える。

 

 衝撃。

 

 背中が熱い。斬られた。深手。腕の中を見る。茶々丸が目を丸くしている。生きている。その事に喜びが湧き上がる。

 

《御堂!》

 

 背後で気配、脇差しを振り上げたのを感じる。

 

「翔けろ!刃金の翼!!!」

 

 丹田に熱量を供給。無理矢理陰義を発動させる。範囲設定も移動先も適当だ。発動すればそれでいい、そんな思いが功を奏したのか、次の斬撃の前に陰義は発動する。

 

 背中から落下する。地面へと背中を強かに強打。背中の傷が激痛を発する。

 

「ッツ」

 

 それでも腕の中を確認する。そこにはまだ茶々丸が収まっていた。生きている。助けられた。今度は油断することなく周囲を確認する。赤い武者はいない。そこは荒野のような場所だった。

 

「どこだ?ここは?」

「……江ノ島だ」

 

 茶々丸が機嫌悪そうに答える。江ノ島?確か鎌倉の近くの観光地だっただろうか。 

 

「茶々丸、無事か?」

「何で助けた……」

 

 茶々丸が腕の中を抜ける。責めるような、安堵したような様々な感情が入り交じった表情。立ち上がる。背中に激痛。適当に発動した陰義の代償も大きい。体の奥がずっしりと重く、手足は冷たい。それでも立つ。

 

「助けたかったからだ。迷惑だったか?」

「それは…………」

「――そうだ!村正はどうなる!?」

 

 善悪相殺の対象を見失った村正がどうなるのか?逃げることしかできなかったが、後がどうなったのか気になる。

 

「湊斗景明は己を捨て『英雄』になった」

 

 荒野の一方向を見ながら茶々丸がポツリと呟く。

 

「『英雄』?」

「そう、遂にお兄さんは至ったんだ」

「それで、善悪相殺の対象を見失ったらどうなるんだ?」

「もう関係ないよ。大義を以て湊斗光(まおう)を殺したんだ」

 

 何?ちょっと待て。大義を以て殺した(・・・・・・・・)?まさか……。

 

「湊斗景明は世界を救った『英雄』となった。そして村正は仕手が英雄であることを許さない。善悪相殺、大義を以て殺したならば(・・・・・・・・・・・)三千世界を殺すべし(・・・・・・・・・)。そういう事さ」

「そん、な。――――――俺が地獄に導いてやるって言っただろうが……馬鹿野郎。英雄になんざなりやがって」

 

 魔王は地に堕ちた。だが、だから(・・・)英雄は世界を滅ぼす。そんな理不尽があっていいのか?

 

「ユウヤ、ユウヤの世界に行こう……。後の事はこの世界の人間に任せればいい」

 

 茶々丸が甘く甘くささやく。

 

「行かないと……」

「どこへ?」

「景明を、村正を止めに」

《無茶よ!大怪我してる!》

「……どうしても行くって表情だね」

「ああ。景明を放っておくことはできない」

 

 茶々丸が仕方ないとばかりに穏やかに笑う。

 

「まず建長寺に行きな」

「建長寺?」

「そこに景明の仲間と舞殿宮がいる。ユウヤは後の事が気になるんあだろ?だったらそれも解決しなくちゃ、ね」

 

 



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湊斗景明

「御機嫌よう、皇子様(プリンス)

「おまさんは……堀越の。それに……ユウヤはんやないか!」

 

 建長寺へやってきた俺達はズカズカと舞殿宮の前へと上がり込んだ。途中制止する者も居たがそれは堀越公方の権力と不知火(しんうちつるぎ)を前に抵抗を続けられる者はいなかった。

 

「――六波羅が、何しに来やがった」

「湊斗景明について重要な事を伝えに来てやったってのにそんな態度でいいのかにゃ?」

 

 眼光鋭い気の強そうな少女が吼える。その印象的な目は覚えている。確か名を綾祢一条と言っただろうか。その背後には明らかに真打と思われる巨大な天牛虫(カミキリムシ)が居た。

 

 この場には七人の人間がいた。(すだれ)の奥にいる舞殿宮、それを守るように立つ壮年の男。未だに座ったままお茶を飲んでいる糸目の貴婦人とその従者らしき老婆。そして噛み付いてきた一条。最後に俺達だ。

 

「ま、ま、ここはとりあえず話を聞こうやないか。堀越の姫さんも嬢ちゃんも座って座って」

 

 舞殿宮が場を収める。とりあえず話は聞いてもらえるようだ。いきなり乗り込んだのは悪かったと思う。時間がなかったとは言え短絡的だった。最も茶々丸はその程度の事は想定の範囲内だっただろうが。

 

「さて、景明の事で重要な事を伝えに来たと聞こえたのですが、どういう意味ですか?」

 

 互いに距離を取って座った後、口火を切ったのは壮年の男だった。

 

「時間もないし、単刀直入に行くよ。――湊斗景明は銀星号を倒した」

「なんですと?」

「だから、湊斗景明が湊斗光を殺害した。英雄になったんだ」

「――そう、か……ついに景明はやったのか……。伝えてくれて感謝します。……ですが、なぜあなたが?」

「おや?そんな軽い反応で良いのかな?」

 

 茶々丸が意地悪そうに嗤う。

 

「……と言うと?」

「湊斗景明は英雄となった。大義を以て銀星号(まおう)を殺した。――ならば善悪相殺の対象は?」

「――――まさか」

「そう、その通り。三千世界を殺すべしってね」

「そんな、湊斗さんが!」 

 

 黙っていられなかったのだろう。一条が悲痛な声を上げる。それを興味なさげに見やる茶々丸。

 

「さて、事情は分かったかな?……それで、あてはともかくこっちのユウヤがそれは放っておけないって言うからさ、ちょっと手伝って欲しい訳」

「俺は景明をあのままにしておきたくない。――だから頼む、力を貸して欲しい」

「――事情は分かりました。ですが、何故六波羅の武力を用いないのですか?」

 

 まだ、警戒しているのだろう。いやそれも当然と言うべきか。

 

「それはあての都合。あては堀越で死んだことになった方が都合が良い。だから六波羅を頼る訳にはいかないって訳」

「…………」

「うーん、一応真実を話してるんだけどね。信じられない、か……じゃあ、ユウヤの希望もあるしもうちょっと情報をあげよう」

「情報……?」

「そう、おたくらにとって盤面をひっくり返すような重要情報。もう出血大サービスで教えちゃう。――教える情報は三つ、一つGHQではアメリカ大陸独立派が暗躍してて大和を占領して策源地にしようとしている。二つ、GHQは六波羅全軍が集結したならば一撃で消滅させられる兵器を所有している。三つ、六波羅は真打を超える数打を開発し配備した」

「……少なくともGHQに関しては事実ですわ」

 

 それまで日和見を決め込んでいた長身の貴婦人がそう言う。この長身の貴婦人はGHQの関係者なのだろうか。俺にとって聞いたこともない情報のオンパレードだった。

 

「――そんな情報渡して何が望みなんや」

「アフターサービス。これだけの情報でもあんた(舞殿宮)だったら有効活用して大和を平和な方向に持ってけるだろ?あてとおじじが欠けて揺らいでいる六波羅だったら雷蝶辺りを操ればどうにでもなる。今は時王丸――足利邦氏(次代大将領)と新田雄飛――今は大鳥雄飛――もいるやりやすいだろうさ」

 

 平和実現装置(ザ・ガジェット)をどうにかしないとどうしようもないけどね、そう茶々丸は続ける。沈黙が間を満たす。意外な所で意外な人間の名前を聞いた。新田雄飛とはあの新田雄飛だろうか。確かに好青年だったが、逆に言えばそれだけだと思っていたのだが……。

 

「…………おまさんは何も得しないやないか。茶々丸。おまさんの本当の望みを聞かせてもらおか」

「――世界終焉(ワールドエンド)……なんてのも悪くないけど、どちらにせよ(・・・・・・)、あての望みは叶う。御姫の結末は見られたしこの世界に未練はない。だけど立つ鳥跡を濁さずって言うだろ。だからアフターサービス」

「…………」

 

 再び沈黙が場を満たす。今度の沈黙は情報を咀嚼するために必要な時間だったのだろう。

 

「…………どちらにせよ、景明を放ってはおけません」

「せやな、分かった。協力しよう。一条くんと香奈枝さんはどやろ?」

「あたしは……あたしも湊斗さんを放っておけません」

「私は、そうですね。ちょっとやることがあるので辞退しますわ」

 

 舞殿宮が二人に尋ねる。GHQに詳しかった貴婦人の名を香奈枝と言うらしい。二人に尋ねるということはこの二人が舞殿宮の戦力という事なのだろう。片方は協力してくれるらしいが、もう一方はこの情勢で別にやることがあるのだと言う。

 

――――――

 

 『英雄』村正とどう戦うかを中心に詳しい打ち合わせを行った俺と一条は俺の陰義で淡島へと跳んだ。幸いな事に淡島にはまだ被害が及んでいなかったため、エンジニア達を船で逃し、最後の熱量補給(食事)を済ませる。

 

「なぁ、ユウヤさん。聞きたいんだけど……」

 

 一緒に食事を取っていた綾祢一条が尋ねる。

 

「ん、なんだ?気になることは全部消化しといた方が良いから何でも聞いてくれ」

「これって……江ノ島に居た怪物の腕だよな?」

 

 そう言いながら、一条が指し示したのは不知火・弐型に追加された歪で巨大な合当理だった。

 

「腕?このでかい合当理が?」

「はい、江ノ島で戦った巨大劔冑の物だと思います」

 

 合当理のサイズから考えると戦術機並の大きさがあるという事になる。そんな物と戦ったという。

 

「それは、六波羅の物だったのか?」

「はい、六波羅の秘密兵器って言う話でした」

「そうか……茶々丸がどこからか持ってきたんだが、六波羅はそんな研究もやってたんだな……」

 

 合当理の所以を意外なところから聞き、驚いていた俺だったが、戦い前の最後の食事という呑気な気分でいられたのもそこまでだった。

 

「ユウヤさん。こいつ(・・・)他人(・・)を燃料にして動くんですか?」

 

 一条の雰囲気が変わっていることに気付いたのだ。鋭い抜身の刀の如き気配。返答によっては斬ると言わんばかりの激しさを押し隠して問は発せられた。

 

「他人を燃料に?熱量の供給を分散化するって事か?考えたこともなかったな……こいつは正真正銘電力と俺の熱量だけで動くよ。……まぁ、その分稼働時間は短いが」

 

 慎重に答える。とは言え一体何が地雷なのか見えていない。慎重に、だが素直に答える。嘘は察知されるそんな直感があった。

 

「良かった。他人の命を食い物にするような人ならあたしは斬らないといけなかった。ユウヤさんがそんな人じゃなくて良かった」

「……その怪物って言うのは他人の命を燃料にするような騎体だったのか?」

 

 殺気が解かれる。その事に安堵する。そしてまた一つ六波羅の悪行を知る。無辜の命を浪費して動く巨大な劔冑。確かにそんな物を知っていたら不知火の事も疑わしく思えるだろう。

 

「――じゃあ、行ってきます。あたしは村正をこの島まで引っ張ってくれば良いんですよね?」

「そうだ。不知火・弐型は稼働時間に問題があるからできるだけ誘き寄せて欲しい」

「分かってます。……別にあたしが倒してしまっても問題ないでしょう?」

「……無理は禁物だ。今の村正はこの上なく強いぞ」

「はい!じゃあ行ってきます!」

「ああ、グッドラック」

 

 最後にちょっと不安になる事を言っていたが、一条を行かせる以外の選択肢はない。後は一条が落とされない事を祈るばかりだ。正直、この作戦には不満もある。だが、それは呑み込んで今は傷の修復に専念すべきだ。そう迷いを振り払い不知火・弐型へと乗り込み傷の修復に専念する。

 

――――――

 

 どれほど待っただろうか?もしかしたら一条が先走って落とされたのではないかとも思ったが、遂にレーダーに二騎の騎影を捉える。即座に不知火・弐型を待機状態から戦闘モードへと切り替えていく。供給を受けていた電源ケーブルをパージする。

 

 不知火を立ち上がらせる。懐かしい感触。今となっては違和感のある皮を一枚挟んだようなリニアじゃない(・・・・)感覚。そうだこれが戦術機だ。残っている唯一の突撃砲を装備する。状態は万全ではないが整備は万全だった。

 

 軽く跳躍ユニットと合当理を噴かせる。大丈夫動く。だが、予想よりも熱量の消費が大きいし、動きが遅い。今は戦えることで満足しないといけないようだ。

 

《ユウヤさん、後は任せました!!》

「ああ、後は任せろ!」

 

 装甲通信(メタルエコー)が一条――正宗から飛んでくる。それに応答するが早いか正宗の片方の合当理が爆発し、墜落する。

 

「一条!!」

《――大丈夫です!!ちょっと飛べそうにありませんけど》

 

 無事そうな声を聞き、少し安堵する。村正は真っ直ぐにこちらに向かってきていた。それに対して突撃砲で狙撃する。あっさりと回避される。距離があるとは言え超音速の弾を軽々と避けるか。

 

「じゃあ、これでどうだ!」

 

 突撃砲を連射に切り替え、回避エリアを制限するように弾を打ち込み包囲を狭めていく。途中でこちらの意図に気付いたのだろう包囲陣を抜けようと試みる村正。だが抜けさせてやらない。さらに濃密な包囲網へと追い込む。そして必殺を期した一射が放たれる。

 

「――本当か……」

 

 その瞬間、俺は見た。飛んできた必殺の一射を切り払う村正の姿を。そして包囲網を抜け悠々と飛んでくる村正。超音速の弾を事も無げに切り払ったのだ。無想の境地、茶々丸が言っていた事が思い出される。今、村正は無想の境地にいるのだ。

 

 再び包囲し追い立てるように弾を放っていく。近づくことができず段々と追い込まれて行く村正、ここまでは先程までと同様だ。そして追い込みきったと思った時に弾をばら撒く。一発でダメなら複数発だ。これで少しでもダメージを負ってくれれば良いのだが、そう祈る。――が祈りは裏切られる。直撃した、そう思ったのだが、全くの無傷。あれが磁力による障壁だろう。

 

 そして、村正の動きが変わる。包囲陣を抜け出ようとする動きのパターンがパターンではなくなっていく、劔冑にできるような機動ではなかった。重力がなくなったかのような自由な飛行。速度も今までの比ではない。それでも追い込もうと砲弾を放ち続けるが、近づけないという程度しかできなかった。

 

「埒が明かねえ……」

 

 残り弾数を確認する。残り少ない。まず、追い込めない。追い込めても文字通り切り抜けられる。それで足りなければ磁力の壁がある。どうしようもなかった。事ここに至り、悟る突撃砲では無理だ、と。

 

 突撃砲を左手に持ち替え、右手に長刀を装備する。跳躍ユニットと合当理を起動する。舞台は空へと移った。高度優勢は狙わない。と言うか万全の状態でない不知火・弐型では狙えない。そもそも狙う意味もない。

 

 村正が突撃してくる。その注意は未だ突撃砲にあるようだ。幻惑するように軌跡を細かに変えながら近づいてくる。間合いに入ったので長刀を振る。回避しようと動くが即座に対応する。どれだけ動きに自由度があろうと振り下ろした長刀から逃れるには左右のどちらかに行くしかないのだ。そして行くと分かっていれば十分に対応できる。

 

 村正も悟ったのだろう避けきれない、と。脇差しで受ける。が、鉄量が違いすぎる。一瞬で弾かれて地面に叩きつけられる。土煙が舞う。――やったか?そんな思いで、土煙が収まるのを待つ。それほど待つこともなかった。土煙を切り裂いて一つの影が飛び出す。村正だ。損傷は奇妙な程少ない。咄嗟に磁力の障壁を張ったのだろうか。

 

 再び村正が突撃してくる。今度は先程のようなステップは踏まず、真っ直ぐに愚直に突き進んでくる。長刀を構え先程と同様に振り下ろす。村正が雷光を纏う。

 

――電磁抜刀(レールガン)!!

 

 長刀を止めるには遅すぎた。ならば振り切る!村正が電磁抜刀を放つ前に長刀で切り捨てる。

 

 だが、全ては遅すぎた。電磁抜刀は放たれ、長刀は半ばから消失する。村正が来る。それに対して36mmを放つ。磁力の壁が全てを防ぐ。懐に入られる。村正が再び雷光を纏う。――不味い!咄嗟に跳躍ユニットを逆噴射させる。

 

 斬

 

 僅かに間合いが離れた事で村正は跳躍ユニットを割断する。そして爆発。跳躍ユニットが爆散する。それに巻き込まれる村正と不知火。咄嗟に跳躍ユニットをパージしたが間に合わなかった。地面にどうにか着陸する。残った合当理ではまともに飛ぶことも出来ない。今の爆発で突撃砲も左手ごと失われた。ここまでか、そんな思いがある。だが、まだ諦める訳にはいかない。

 

《まだやる?御堂》

「もちろんだ」

 

 コックピットを開放。不知火を固定していたハーネスとケーブルを引きちぎって空へと駆ける。ここからは不知火(つくし)と俺が相手だ。

 

《お疲れ様、不知火・弐型》

 

 つくしが呟く。一条の光となって空を駆ける。

 

 空。

 

 打ち鳴らす剣戟は雷鳴にも似ていた。

 稲妻のような軌跡が、ふたつ。

 深紅と、純白

 

 ――迅る(はし)

 空を引き裂く衝撃。

 金切り声の悲鳴を上げる鋼。

 肉がえぐれる。骨が軋む。

 

 交わした攻撃は十を下らぬ。

 その全てが必殺の威力。

 交差する死と死、瞬きにも満たぬその間隙を縫っては斬り結ぶ、灼ける大気を呼吸する時間。必死だった。今までの全ての経験を吐き出してどうにか付いていく。

 

 戦の作法を心得た武者同士の一騎打は、その噴煙が空に(ふたわ)を描き出す。武者の戦闘が双輪懸と呼ばれる所以である。

 

 劔冑の性能が拮抗している程―――仕手の技量が肉迫している程、双輪は完全で美しい。しかしどれほど美しく描こうと、その芸術は一瞬のものであり、当人達ですら見届ける事は叶わなかった。

 

「村正ァ!」

 

 "赤い武者"村正は正真の化け物に相違なかった。それこそが武の正体である。人を殺せば、人ではなくなる。殺戮の輪廻を生むものは、みな化け物なのだ。

 

 それに相対するは化け物を殺戮するために生まれた異形の劔冑。英雄を、化け物を討つための力その物。その劔冑は今、条理を超えて己が役目を果たさんとしていた。

 

 戦いの(ふたわ)は拡大を続ける。その条理を超えて戦いの双輪はここに収束を開始する。∞を描いていた双輪を一方は辰気の力でねじ伏せて、もう一方は異世界物理の極みで乗り越えて、∞は今、一へと収束をし始める。

 

 熱量はとうに底を着いていた。それでも諦める事など出来よう筈がない。命を燃やしてただ英雄を討たんと戦う。

 

 不意に悟る。次の一撃が終わりになる、と。それは対手も同じだったのだろう。雷光を纏う。今までよりも激しく美しく。その姿は凄烈な美その物だった。

 

《祈りの翼を以て

 無窮の空を超え

 事象の果を開け》

 

 既に全身を飛ばすような熱量は存在しない。電磁抜刀(レールガン)は不可避だった。それでも、だから(・・・)

 

「翔けろ!刃金の翼!」

 

 全身を飛ばすような熱量は存在しなかった。だから(・・・)長刀を振り下ろしている右腕は持っていかなかった。最後の一滴まで絞りきり村正の背後に出る。左手に握った短刀を全推力を掛けて突き出す。電磁抜刀が放たれる。残された右腕が長刀ごと消滅する。

 

 ――届け

 

 背面甲鉄を抉り短刀が心臓へと至る。

 

 それが終わりだった。村正が堕ちる。俺も堕ちる。

 

「――ありがとう」

 

 そんな声を聞いた気がした。

 

「馬鹿野郎」

 

 どうにか体の底から力を振り絞り呟く。

 

 



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外伝 王道編
喪失


最終話を投稿するつもりだったのですが、話がうまく繋がらないため外伝を開始します。
本当は完結後に投稿するつもりだったのですが、順序を変更いたしました。

時系列が飛びます。鮮紅騎の直後になります。


 隣に居る小夏が泣いている。リツの両親も嗚咽を漏らしている。皆が泣いている。俺も上がってくる涙を必死に耐えていた。リツの葬式だった。逮捕された鈴川令法は犯行を自白、それに基づいて捜査が行われ、リツは見つかった。無惨な姿で。

 

 小夏が泣いている。何故だ?そんな疑問が頭を巡る。その事を思うと怒りが湧いてくる。そして思う。理不尽に奪われる事は、悪なんだ。そんな事は、罷り通ってはいけない。否定しなくちゃいけない。だからこそ、怒って戦うべきなんだ。そう思う。

 

 ……だが、既に鈴川令法は逮捕された。正義は執行された。リツは戻ってこない。だが、だからこそこれ以上奪われないために戦わなくてはならない。そう村正のように湊斗景明のように。

 

 六波羅は悪だ。そう思ってきた。だがそれは本当に真実なのだろうか、一面の真実ではあるのかも知れない。だが、全てではないのだ。ユウヤさんが居た。助けてくれた人が居たのだ。ならば俺にできることは知ることだろう。戦うべき悪を、助けるべき善を見極める。それが必要なんだと思う。

 

 リツの葬式が終わった。小夏はまだ泣いている。俺には小夏の肩を抱いてやることぐらいしかできない。無力感に苛まれる。これ以上、小夏を泣かせるような事は起こさせないと誓いを立てる。

 

「……そう言えば雄飛、新聞は読んだかい?」

 

 忠保が幾分沈んだ声だが、雰囲気を変えようと話題を振ってくる。

 

「ああ、ユウヤさんだろ?一面トップだったな」

 

 昨日の新聞事だった。見出しは『六波羅武者お手柄!不逞武者を捕縛!』犠牲者の事などほとんど書いていなかった。湊斗景明と村正の事もどこにも書いていなかった。プロパガンダじみた記事だった。それを思い出す。

 

「湊斗さんの事、書いてなかったな」

「そうだね。きっと政治的な判断だろうね」

「六波羅以外が活躍するのはマズイってか?」

 

 苦々しく吐き捨てる。初めて読んだ時の怒りが思い出される。

 

「うん、それもあるんだろうね。でも公式には劔冑の所持が認められていないんだ。湊斗さんも違法状態だし、新聞に載せる訳にはいかないよね」

「そっか、それもそうだな」

 

 それからちょこちょこと会話が進んでいく。どうもいつものような調子が出ない。僅かな沈黙が気持ち悪い。

 

「……じゃあ、僕はこっちだから……小夏を頼むよ、雄飛」

「ああ、じゃあな忠保」

 

 僅かにしゃくりあげている小夏を気遣いながら家への道をゆっくりと歩く。

 

――――――

 

 ようやく泣き止んだ小夏と一緒に夕食を食べる。会話はない。黙々と用意してもらった夕食を食べる。申し訳ないが味もよく分からない。玄関のチャイムが鳴る。

 

「俺が……」

「いや、疲れているだろう?私が行ってくる」

 

 そう言って、おじさんが玄関へと向かう。こんな時間に誰だろうか?そんな疑問が頭に浮かべていた時の事だった。

 

「雄飛君!逃げろ!!」

「黙らんか!!」

 

 おじさんが叫ぶ。そして聞き覚えのない男の声、そして殴打するような鈍い音。俺は咄嗟に玄関へと走り出す。

 

「おじさん!!」

「雄飛君、なぜ来た!?」

「――新田、雄飛様ですね。ご尊顔を拝し奉り恐悦至極に存じます。私は大鳥獅子吼、御身の臣です」

 

 そこに居たのは六波羅の軍服を来た数人の男達だった。その内一人はおじさんを動けないように押さえつけていた。先頭に立っていた偉丈夫――獅子吼と名乗った――が俺の姿を認識すると同時に膝をつき頭を垂れる。まるで上位者に出会ったかのように。

 

「――六波羅が何しに来やがった」

「御身があるべき場所に戻って頂くために」

「この佞臣が!雄飛君、私の事はいい!早く逃げるんだ!」

「……そいつを黙らせろ」

「はっ!」

「おじさん!っく」

 

 おじさんの口に六波羅の兵士が猿轡を噛ませる。もがもがと何かを言っているおじさんを獅子吼が冷たい目で見ている。……今しかない。全ての目がおじさんに集中している。理不尽に戦うことは既に決めた。ならば後はどう行動するか、だ。冷静に、だが大胆に。

 

 そっと動き、玄関に飾ってあった花瓶を手に取る。狙うのはおじさんを抑えている六波羅兵士!狙いを定めて水が掛かるように投げつける。

 

「喰らえ!」

「なっ!?」

 

 そして、獅子吼に全力でタックルし、そのままの勢いでおじさんを抑えていた兵士にドロップキックを叩き込む。そして、即座に体勢を立て直して状況を確認する。……そこまでだった。ふと気付いた時には宙を舞っていた。そのまま床に叩きつけられ関節を極められる。

 

「ふんっ、匹夫の勇だな。……だが、理性を捨てている訳ではない、か。悪くない、クックック、悪くないぞ」

「こらっ!離しやがれ!!」

 

 必死に藻掻くも全く抜けられない。おじさんも別の兵士が即座に取り押さえている。ドロップキックを御見舞した兵士も頭を擦りながら立ち上がっている。……詰みだ。それでも藻掻く。

 

「まぁ、話を聞け」

 

 そう言うと獅子吼は俺を取り押さえながらも居住まいを正し告げる。

 

「単刀直入に申し上げます。御身の真の名は大鳥雄飛。大鳥家の正統な後継者であらせられます」

「な、に?」

 

 頭が真っ白になる。大鳥家、それは俺も知っている程の名家だ。そして国内最大の軍事派閥でもある。四公方の一人大鳥獅子吼が当主を務めていることでも有名だ。待て、待て、待て、コイツは何て名乗った?大鳥獅子吼?四公方の一人?そしてその大鳥家の正当な後継者?誰が?俺が?

 

「是非御身には大鳥を継いで頂き、そのお力を振るって頂きたいのです。もちろん私めも粉骨砕身、犬馬の労を厭わずお仕えさせて頂く所存です」

「…………俺が、六波羅に……?」

 

 大鳥家は六波羅に組みしている。当然、俺も六波羅幕府の統治に協力することになるのだろう。その事に一瞬嫌悪感が込み上げてくる。……だがすぐにユウヤの事を思い出す。……六波羅の全てが悪という訳ではないのだ。流石にそれぐらいは分かっている。……中から変えていく、そんな事をふと思う。

 

「……雄飛を連れて行っちゃうの?」

 

 ガタガタと震えながらダイニングに繋がるドアに縋り付くように立っていた小夏が呟く。すぐにおばさんが小夏の口を塞ぐ。顔が死人のように青い。

 

「……ふむ、ついでだ。捕らえておけ」

 

 小夏の事は無視して、無造作に部下達に命令する。警戒していた六波羅の兵士が小夏とおばさんを捕縛すべく動き出す。悲鳴を上げる二人、藻掻くおじさん。

 

「待て!!」

「何ですかな?雄飛様」

 

 必死に考える。最善は何だ?最悪は何だ?このままでは来栖野家がどうなるのか分からない。最悪は俺を匿っていた事で殺されることだろう。……殺される?小夏が?おじさんが、おばさんが?そんな事は許せない。だがどうこの状況を乗り越える。

 

「……何もないようでしたら――」

「――来栖野家に手を出すことは許さない」

「……残念ですが、御身の意思は関係ないのです」

「だから取引だ。来栖野家に手を出すなら俺は――自殺する。その代わり手を出さないならお前に従ってやる、どうだ?」

 

 覚悟を決める。俺はここで死ぬ。少なくとも一市民新田雄飛はここで終わりだ。ならばせめて小夏を守りたい。その覚悟が伝わったのだろうか、拘束が僅かに緩む。だが、抵抗はしない。獅子吼は面白そうに笑みを浮かべていた。

 

「…………良いでしょう。おい、そいつを離してやれ」

「はっ!」

 

 おじさんが解放される。そして丁寧に立たされる。俺を守るように、逃げられないように兵士が周囲を固める。

 

「よく育てた。雄飛様に感謝しろ。……では雄飛様こちらに」

「――雄飛!!」

「大丈夫だ。小夏。……お別れだ。元気でな」

 

 ボロボロと泣く小夏の肩をおじさんが抱く、おじさんは最後の最後まで獅子吼を睨みつけ、不甲斐なさを恥じるような顔をしていた。

 




新田雄飛による王道な物語となります。


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問答

 人生初となる列車に乗り移動、いや護送された俺は篠川の地を踏んでいた。特別に仕立てられた列車に軍しか使用できないレール、出される食事は食べたことがないような豪華さだった。まさか列車内に立派な食堂があるとは思わなかった。そこで噂にしか聞いたことのないフランス料理とかいう物を食べたのだ。正直に言えば気後れしてしまい味もろくに判別できなかった。対面に座っていた獅子吼の目が気になったというのもあるだろう。最初にマナーについては『まだ』気にしなくていいとは言われたとは言え、やはり気になる。

 

 篠川の公方府、大鳥家本屋敷に着いた時にはすっかり疲労困憊と言った体だった。それでもまだ気を抜くことはできない。いや、これから本当の意味での安息など許されない立場になるのだろう。

 

「……それにしてもでけーな」

 

 横に座る獅子吼に聞こえないように小声で呟く。まず驚愕すべきは敷地の広さだった。無駄に巨大な門を潜って『車で』数分掛かったのだ。そして屋敷もまた大きい、荘厳という言葉が相応しい一際巨大な建造物、それが本屋敷だった。そんな事を思っていると、一つの如何にも豪華な、しかしどこか落ち着いた品の良い部屋に案内される。

 

「ここが雄飛様の部屋となります。何か用事があれば――冬太!」

「はっ!ここに」

 

 獅子吼が誰かの名を呼ぶと即座に一人の少年が現れる。まだ声変わりも済んでいない甲高い声。背もそう高くない俺よりも頭半分ほど低いだろうか。身に纏っている和服はこなれており着慣れていることが窺える。その表情はまじりっけのない純粋な笑顔、ここまで来る間に見た人達のように窺うようなところはない。

 

「この者は風間冬太、雄飛様専属の小姓、世話係となります。ご自由にお使いください」

「風間冬太と申します。ご尊顔を拝し奉り、恐悦至極に存じます」

「あ、ああ、よろしく」

「はい!よろしくお願いいたします」

 

 本当に嬉しそうに冬太が深々と一礼し言う。その事に気後れしながらもどうにか言葉を返す。それにしても、カザマ、か。思う。守ることのできなかったかけがえのない友人のことを思い出す。

 

「雄飛様もお疲れでしょう。今日のところはお休みになってください。では、私めはこれで」

 

 そう言うと冬太に後事を託し獅子吼が去っていく。冬太は礼をして獅子吼を見送ると先ほどまでと変わらぬ笑顔で身の回りの世話を始める。その動作に嫌味な点は全くなく、慣れていない俺でも戸惑うことなく世話を焼かれてしまった。正直に言えば身の回りのことなど自分でやってしまいたいのだが、冬太になら任せても良いかもしれないそう思わせる程だった。

 

 疲れていたのだろう。まだ眠くないという俺を冬太は派手ではないが品の良い、やたらと寝心地の良いベッドに優しく押し込む。そしてしばらく冬太と話をしている内に寝ていた。冬太は気配が自然でなぜか居ても気にならないのだ。まるで長年の友人のように。

 

 翌日、自然な光に目が覚める。起きて伸びをするとスッと冷たい水が差し出される。冬太だ。一体いつから居たのだろうか?

 

「おはようございます!雄飛様」

「ああ、おはよう、ずっとここに居たのか?」

「いえ、ちょうど起こしに来たところです」

「……そうか」

 

 ベッドから抜け出すと全自動で着替えさせられる。用意ができたと見たのだろう。冬太の案内でとある扉をくぐる。すると、俺の瞳に一人の女性の姿が映った。貴族を思わせる華やかなドレス。腰まで伸びている二つ結びの黒髪が照明の光を受けて微かに煌めいている。整った顔立ちをした僅かに幼さを残した女性はまさにこの屋敷に相応しい姫に見えた。

 

 だが、女性の外見などよりもよっぽど気になる物があった。彼女が自分が部屋に入った瞬間から見せている笑顔だ。愛しげに母のように恋人のように柔らかで慈愛に満ちた表情だった。

 

「雄飛くん」

 

 彼女の口から、自分の名が零れる。ふと思い至る。この感覚は以前にも感じた、と。自分は無条件に愛されている。そう疑いなく思えた。

 

「月並みな言葉だけど、大きくなったね……本当に」

「……貴女は?」

 

 そう問い返すのが申し訳なく思える。だが、自分の記憶の中に彼女の姿は、ない。自分が問を発すると僅かに残念そうな仕草を見せる女性、だがすぐに答えてくれる。

 

「覚えてないよね?私は花枝。――雄飛くん、貴方の婚約者」

「こんやくしゃ……?」

 

 意味が理解できず、彼女が言った音をそのまま繰り返す。こんやくしゃ、こんやく者、婚約者!?

 

「……婚約者!?」

「そう婚約者、貴方と私の親が決めてくれた許嫁」

 

 どう理解していいのかわからず、助けを求めるように周りを見回す。そこでようやく気付く、獅子吼もまた部屋に居たことに。そして獅子吼は苦々しいという思いを隠すことなく表情に浮かべながら俺の視線に答える。是、と。そして言う。

 

「さて、そろそろよろしいでしょうか?」

「チッ、うんこ野郎か」

「えっ……?」

 

 今なにか幻聴が聞こえたような気がする。

 

「おい、うんこ野郎。お前はどっか行け。私は雄飛くんと食事するんだ」

「幻聴……じゃないよな」

「それがその女の本性です。雄飛様。お気を抜かれぬように。そして貴様と雄飛様を二人っきりにするなどありえんわ」

「ふん、まぁいいわ。居ない者を相手にしても仕方ないもの」

「……貴様」

 

 そのまま花枝は俺の手を取り、純白のクロスが掛けられたテーブルへと導く。そして席につくと次々と料理が運ばれてくる。幸いと言っていいだろう。洋風な見かけには全く合わないが和食だった。花枝に勧められるままに食べ始める。……美味い。気付いた時には夢中になって料理を食べていた。

 

 和やかに――獅子吼の存在を無き物として扱った上で、だが――食事は済んだ。最初は緊張していた俺も美味い食事と花枝の気さくな物言いにいつの間にか獅子吼の存在も忘れて食事を楽しんでいた。

 

 

――――――

 

 

  新田雄飛がなくなり、大鳥雄飛になってから一週間が過ぎた。この間にやったことと言えば大鳥家の当主として必要な勉強と鍛錬だった。あまり勉強が得意ではない俺だが小夏のためにも頑張らなくてはと思いどうにかやっている。幸いと言っていいのか獅子吼が用意した教師陣はとてつもなく優秀だった。どうすれば勉強が分かりやすくなるのか、面白くなるのかを熟知しており、うまく俺のやる気を引き出し、導いてくれた。学校の先生もこうだったら良かったのにそう思った程だ。

 

「それでは僭越ながら、帝王学についての講義を開始いたします」

 

 そんな俺が唯一苦手としている授業がある。獅子吼本人による帝王学の授業だ。他の授業とは緊張感が違う。ちょっとでも手を抜こうものなら斬られるのではないかとすら思える。

 

「先日は六波羅幕府の歴史について概略を説明いたしました。ではまず復習を兼ねて六波羅幕府の成り立ちについて簡略に述べてください」

「……えっと、六波羅幕府の始まりは八年前、国記2992年。大和は国際連盟軍との戦争で敗色濃厚の情勢だった。その大和に露西亜帝国への備えとして残されていた軍事組織、六波羅が政府、議会の承認を得ずに独断で連盟軍と終戦協定を結び、国内を制圧した。で、六波羅幕府が成立する」

 

 先日までの講義を思い出しながらできるだけ簡潔になるように述べる。前回の講義では詳細な大和の状況や六波羅の内情、連盟軍の規模などを中心に授業を受けたが、大まかな流れは学校で習ったものとそう変わりはなかった。獅子吼は可能な限り客観的に判断材料を増やすように講義しているように思えた。

 

「結構、ではそれらの基本事項を踏まえ雄飛様に問います。六波羅の行動を雄飛様は如何様にお考えか」

 

 これだ。獅子吼はこういった問を頻繁に投げてくる。どう答えるべきか悩ましい、答えのない問。これがあるからこの講義は気を抜くことができない。そして最初の講義でこうも言われている。取り繕わず、率直に、考えを述べろ、と間違っていても良い。本当の間違いは間違いを認めないことだ、と。

 

「昔はこう思っていた。裏切り者、と」

「ふむ、では今はどうですか?」

「今は……今も正しいとは思っていない。――だが、間違っているとも思えない。現実的に取る得る唯一の方策だったのかも知れない。……少なくとも俺にはもっと良い方法ってのは思いつかない。なら批判するのは違うと思う」

 

 獅子吼に俺の思うところを素直に伝える。中途半端な回答だがこれが俺が今返せる精一杯の返答だった。獅子吼は瞑目するように一度目を閉じるとじっと俺を見つめる。

 

「……責難は成事にあらず、良き見識にございます」

 

 どうやら俺の返答は獅子吼の眼鏡に叶うモノだったらしい。だが緊張は抜けない。むしろ高まる。責難とは批判の事だろう。批判することは何かを成す事ではないと獅子吼は言っているのだ。

 

「六波羅の成した事は悪の誹りを免れない事です。……ですが世の中には必要悪というモノがあるのです。そして私は六波羅の選択こそが必要悪であり、唯一の現実解だったと信じます」

「必要悪……」

 

 躊躇う。それでもここで言葉を飲み込むようならそれは湊斗さんのような正義の味方ではない。そう心を定めて斬り込む。

 

「必要悪なのかも知れない。――だが、それでも六波羅は悪だと思う」

「ほう、何故ですかな?」

 

 獅子吼の眼光が鋭くなる、雰囲気が重厚になる。圧される。下手な回答をすれば徹底的に潰される予感。だが、引かない。ここで引くようなら最初から口に出していない。この程度予想を通りだ。腹に力を込め一語ずつ言葉を吐き出す。

 

「必要悪だと言い訳して、その事を恥じたか?最小限に抑える努力はしたか?守るべき民の事を本当に考えていたか?」

「――――――」

 

 獅子吼は目を見開くと口元を歪ませた。

 

「クッ、クックック……失礼。鋭い指摘です」

「六波羅は自分達が絶対的な権力を得るために連合軍の手先になったんじゃないのか?」

「肯定です。そうした思惑は少なからずありました。特に六衛大将領――足利護氏様は顕著でありましたな」

「なら――「ですが六波羅も、本懐ではなかった事は事実。統治者(トップ)がどうであれ、兵は、少なくとも篠川軍の兵士は、民のために尽力し、故国のために命を捧げた者も多くおりました。事実民に銃を向けることを恥じる兵は多い」

 

 嗤っていた獅子吼が表情を引き締め居住まいを正して述べる。そこに嘘の気配は欠片もなかった。真実、篠川の兵士が民のためにあったと信じているのだ。

 

「そしてそれは、この獅子吼にも当て嵌まります。これだけは理解しておいて頂きたい」

 

 真摯な言葉、今までの短い付き合いの中で最も心を込めた言葉だった。足利護氏はともかく獅子吼という男は国を、民を思って生きてきた事は間違いないのだろう。それは否定できない、そう思った。だが、それでも六波羅という総体が悪――必要悪であったとしても――である事は否定されなかった。

 

「さて、先程雄飛様は六波羅の行いが現実的に取る得る唯一の方策だったと仰られました。では、まず何故六波羅が政府や議会、国家を裏切ることになったか、です。もし裏切らなかった場合どうなったと予想できますか?」

「それは……連盟軍と六波羅軍が潰し合いする事になったらって事だよな?」

「はい、その通りにございます」

 

 連盟軍の方が規模が大きく勝率が高くないという単純な事実を答えろ、という話ではない。国内情勢、国際情勢を踏まえて大和がどうなるのか?という問だ。

 

「――露西亜帝国が頃合いを見計らって攻め込んでくると思う。そうなれば連盟軍が勝とうが、六波羅が勝とうが関係ない大和は戦場となり国体を維持できなくなる。そして――露西亜帝国の農奴になるのが一番ありえる未来だと思う」

「その通りです。露西亜帝国に隙を晒すことは最悪の未来に繋がる可能性が高かった。もちろん露西亜が動かず連盟軍に六波羅が勝利するという可能性もありましたが、考慮に値するような物ではありません。奇跡がダース単位で必要になるでしょうな」

 

 要するに連盟軍と戦うという選択肢は存在しなかったという事だ。

 

「じゃあ、もし大和が連合軍に全面降伏していたら?」

「民にとってはそう悪くない選択肢に見えます。大英連邦は人種差別があるとは言え圧政を敷くような短絡的な国ではありません。民は死ぬことなく生きていくことができるでしょう。――ですが、それは生きているだけです。大和という国は、大和という民はその魂を殺されるのです。それを良しとする事は私にはできません」

 

 魂、誇りと言い換えても良いのかも知れない。そういう精神的な柱がなくなった時、果たして人は人足り得るのか?そう問いかけられているのだ。その選択は理解できなくはない。だが果たしてそれは命を、他人の命までも賭けて守るべき物なのか、その判断はまだ付かなかった。

 

「…………」

「どうか雄飛様には、”先代”当主のような目先の餌に釣られるうつけ者を他山の石とし、御父君である時治様に倣っていただきたい。時には己の手を汚し、兵の、民の犠牲を厭わず、真の平和を求めていただきたいのです」

 

 

 



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責任

 さらに数日の時が流れた。この数日は今までの人生で感じたことのない濃密な数日だった。当主としての引き継ぎが行われ、勉強の一環として篠川の政務を一部行うようになった。もちろん獅子吼の監督の元だが、獅子吼はある程度の失敗はした方が勉強になるというスタンスらしく致命的な判断ミス以外は確認こそ取るが見過ごす事が多いのだ。そのせいで慎重に慎重を重ねて、分からないことは獅子吼にその都度確認して行うことになる。なにせ下手しなくとも人命に関わってくるのだ。

 

 最初に犯した判断ミスは今でも覚えている。飢饉が発生した村がありそこから援助の陳情の書類だった。俺は困っているならと求められている援助するという決定をした。これがあらゆる意味で判断ミスだった。援助物資を届けるところまでは順調に進んだように思えたのだが、翌日、援助した村は援助物資ごと居なくなった。援助物資を元手に夜逃げしたのだ。この報告を聞いた時には愕然とした。そして獅子吼に言われた。人を助ける事はとても難しいことだ、と。安易に行ってはならないのだ、と。

 

 俺の犯したミスは大きく3個あった。最初に本当に困っているかの確認をしなかったこと、どうもこの村は最初から物資の持ち逃げを企図していたようで、確かに飢饉は起きていたが書類に書いてあった規模とは程遠かったのだ。そして次に、他にも飢饉が起きている村があり深刻な状況にあった事に気付かなかった事、要するに公平さの問題だ。最後に最優先で物資を用意したため無理が生じ、一部の兵士への補給が滞った事。結果、兵士の一部が反乱を起こし山賊となり人死が出ることになった。

 

 俺の責任だった。獅子吼はこうなることを見越した上で敢えて俺を失敗させたのだ。それから俺はしばらく決断できなかった。決断の重さを知ったからだ。これがまた失敗だった。決断しないという決断こそが事態を悪化させたのだ。獅子吼は暗にこう言っているのだ。迷っても決断せよ、それが大鳥雄飛の責任である、と。俺は恐怖した。それでも逃げ出すことはできなかった。逃げ出せば小夏に迷惑が掛かる。それだけは許せなかった。獅子吼に全てを任せてしまうという選択肢もあったのかも知れない。だが、それは今の六波羅を認める事と同義だった。それも選択できなかった。

 

 今日も鍛錬と講義を終え、執務室に入る。獅子吼がいつも通り膨大な量の書類を処理している。自分に任せられている案件など重要度も優先度も低いものばかりだ。それでも人が容赦なく死ぬ。背筋に鉛を流し込まれたような重さを感じる。こんな重いものを背負っているのだ。為政者というモノは。

 

「雄飛様」

「……なんだ?」

 

 用意された豪華な執務机に座る。冬太が飲み物を机に用意してくれる。獅子吼が声を掛けてくる。このタイミングで声を掛けられるのは珍しい。大概俺が判断に迷い質問するという形になるのがいつもの流れなのだが。

 

「申し訳ございませんが、これより数日、篠川を離れますので、雄飛様の教育が行なえません」

 

 獅子吼が忸怩たる思いだと言わんばかりに言葉を発する。どうも獅子吼は俺の教育が全てに優先すると考えているフシがある。獅子吼は四公方としての仕事もある。その関係だろうか。

 

「鎌倉に行くのか?」

「いえ、会津の方に行きまする」

「えっ……会津?」

 

 そこまで言われてようやく気付く。会津、即ち岡部弾正尹の本拠地である。そして岡部と六波羅の関係は非常に悪い。そこに四公方の一人大鳥獅子吼が行くのだ。ただ事ではない。そう言えば屋敷内もいつもより騒がしい気がする。あまり慣れていないので変化を感じ取れなかったが。

 

「戦争になるのか……?」

「はい」

 

 獅子吼が断言する。ある意味予想はできていた事だ。誰もが言っていた。いずれ岡部と六波羅による戦争が起こるだろうと、それが今なのだ。また血が流れる。その事に胸が痛む。

 

「……それは避けられないのか」

「避けられませぬ。……丁度良うございます。岡部と六波羅の関係について講義を行いたいと存じます」

 

 そう言うと、自らの執務机を立ち上がり、部屋に用意されている黒板へと移動する。それに合わせて俺も黒板の前へと移動する。こう言った事は前にもあった。

 

「岡部弾正尹について雄飛様が知っていらっしゃる事を述べてください」

「分かった。一般市民に知られている事って事だよな?」

「はい」

 

 岡部についてはまだ篠川に来てから何かを特別教わった事はない。ならば今問われているのは俺自身がどういう認識を持っているか、だ。学校で習った知識を必死で浚う。

 

「……岡部弾正尹頼綱は北の露西亜帝国への抑え、鎮守府を任されている人物だ。六波羅幕府において四公方に次ぐ実力者だと言われている。民衆よりの人物で度々民衆のための献策を行っており、足利護氏に対抗できる唯一の人物であると言われている。……弾正尹という重しがあったから六波羅は成り立っていたとも言われていたな」

「ふむ、まぁ大まかには正解です。朝廷が護氏様を掣肘できるようにと本来皇族を充てる位である弾正尹を与えた事も述べられるとより良いでしょう」

 

 どうやら及第点は得られたようだ。その事にホッとするがすぐに気を引き締めなおす。今は戦争になるかどうかの瀬戸際なのだ。少なくとも六波羅、大鳥獅子吼は避けられないと見ている。本当に避けられないのか?その点を確認するのは俺の義務だろう。

 

「さて、では六波羅側から見た弾正尹と六波羅の関係について一般に知られていない事を講義いたします。まず、雄飛様も仰られたように弾正尹と護氏様は政敵と呼べる関係でございます。その根は深く護氏様と弾正尹が戦場を駆けていた頃にまで遡るとか。僅かに武勇で勝った護氏様が六衛大将領となり、弾正尹は護氏様の下に就くことになりました。しかしそれで事は終わらなかったのです。時の政府と朝廷が護氏様を怖れ、対抗馬を欲したのです。その結果が弾正尹という位になります。その頃から対立関係にはあったのですが、敵対まではしていませんでした。お互いに国の行く末を思っていたからです。それが変化していったのは六波羅が国を裏切った時、いえ、国内を平定するために民に銃を向ける事になった時からでしょうか。目指す国に差が出てきたのです。完全独立を第一義に置いた護氏様と国民生活を重んじた弾正尹、どちらが正しかったのかは歴史が審判を下すでしょう」

 

 そこで獅子吼は一度言葉を切ると、ちゃんと付いてこれているか確認するように俺の顔を見る。歴史が審判を下すと言っているが、間違っているなどこれっぽっちも思っていないという顔だった。

 

「契機が訪れたのは2年前です」

「2年前?」

「はい、岡部弾正尹はこのままでは護氏様に潰されると判断し、先手を取って足利守政――前堀越公方――と手を組み護氏様への反乱を企図したのです」

「なっ!?」

「ですがこの企みは失敗に終わります。計画の最終段階で堀越において政変が起こったのです。現堀越公方である茶々丸が当主守政を含めた派閥のトップを鏖殺し、権力を握ったのです」

 

 足利茶々丸が堀越公方になったというのは俺も知っていた。だがその裏にこんな血なまぐさい政争があったとはつゆ知らなかった。

 

「単独では勝機が見えなかった弾正尹は反乱を断念、会津の地に引きこもります。弾正尹は勝利を諦めたのです。ですが、不平分子はそんな事も分からずに岡部を頼ります。結果、配下を抑えきれず反乱に至るという訳です」

「…………岡部を餌にしたのか?」

「クックック、ご慧眼です」

 

 不平分子を固めるために敢えて岡部という爆弾を放っておいたというのだ。見えない脅威よりも見える脅威の方が対処しやすい。見えないのなら纏めて見えるようにすれば良いという理屈は分かる。だが悪辣だ。

 

 そしてここまで説明した上で獅子吼はのたまう。岡部討伐の許可を頂きたい、と。

 

 

――――――

 

 

 岡部の反乱はあっという間に鎮圧された。この2年間で岡部はほとんど軍拡をできなかった。旧式の劔冑に、練度の低い兵士、意気だけ荒い倒幕の志士。烏合の衆でロクに統制も取れずに一方的に篠川軍によって鎮圧された。岡部弾正尹も討ち死に。岡部の血統はまとめて根絶やしにされた。

 

「……以上です。何か質問などはございますか?」

 

 岡部の反乱の事を獅子吼の口から直接報告される。俺は結局、岡部討伐の許可を出した。この犠牲者の山は俺も加担した事なのだ。俺はこの戦争が必要だと判断したのだ。

 

「いや。……よくやった……」

 

 それでも割り切れない思いがあった。決断には後悔が付き纏った。獅子吼は俺の気持ちなど御見通しの癖に仰々しく一礼すると何気ない口調で続ける。

 

「裁可頂きたい事案があります」

「……なんだ」

「岡部に組みした村々にございます」

「!!」

「見せしめが必要かと」

 

 獅子吼の言っていることは分かる。だが理解したくない。冷静に判断すれば獅子吼の言う通りにすべきなのかも知れない。だが、俺は我慢できなかった。

 

「許可しない!」

 

 子供っぽい反発だ。獅子吼に叱られるかも知れないと思った。だが、獅子吼はニヤリと嗤っただけで話を続ける。

 

「……愚者は助けられても恩を感じる事はございません。それどころか恨みに思うだけでしょう」

「……それでも、だ」

「フッ、御意にございます」

 

 



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大和GP

 岡部の反乱、その鎮圧から数日、獅子吼の許可を貰い俺達は大和GPを見に来ていた。獅子吼は教育の途中だからと行かせる事を渋っていたのだが、なんと冬太がたまには休むことが必要だと獅子吼を説得してくれたのだ。

 

「冬太、ありがとな」

「いえ、雄飛様がお疲れのようでしたので、従者として当然の事でございます」

 

 久しぶりの休暇に心が躍る。久しぶりに装甲競技(アーマーレース)を見ることができるのだ。それも国内統一王者を決める最高峰のレースを。きっと忠保も見に来ているに違いない。そう思うと居ても立ってもいられない気分になるが、生憎と貴賓席から動くことは禁止されている。……それに会いに行っても迷惑を掛けるだけだろう。

 

 日程の都合上、予選は見ることができなかったため本戦からの観戦になったがそれで十分だ。わくわくしながら開会を待つ、用意されたパンフレットに目を落とす。タムラと翔京、横鍛、本命達の中に見慣れない名前がある。プライベーター・閃光の雷(ライジングサンダー)、騎手は百橋ユウヤ、そうユウヤさんのチームだ。あの人は並み居る強豪を押しのけて本戦に出ているのだ。いつもはタムラ贔屓な俺も知り合いが出てるとなればそちらを応援せざる負えないだろう。

 

《大和初、装甲競技アーマーレース国内統一選手権……大和GP。決勝まで勝ち残った二十の戦隊チーム。そして、彼等の戦いを見るために詰め掛けた観客席の人々……。麿がなぜこの大会を開いたか教えましょう》

 

 準備が整ったのだろう。アナウンスの後、開会の言葉が読み上げられる。だが、どうも普段の大会とは違うようだ。主催者本人、即ち小弓公方、今川雷蝶が喋っているようだ。そうこの大会は今川雷蝶主催なのだ。ちなみに招待状が篠川にも送られてきており、それを見つけた俺が行きたいと漏らしたのが事の始まりだったりする。

 

《美よ!

 麿は美しいものを見たいのよ!

 強い者は美しい!

 巧な者は美しい!

 賢い者は美しい!

 そして、速い者も美しいッ!

 風すらも置き去りにして直向に駆け抜ける姿は、ただそれだけで目を奪われる美しさに満ち満ちている!》

 

 獅子吼は今川雷蝶の事を武人としては一流だと評していた。どんな立派な武人なのか知らないが、これから会うこともあるだろう。当然、気が抜けない相手だ。

 

《ここに――大和GP、決勝戦の開始を宣言する!!》

 

 そんな事を考えていると、開会の宣言が放たれ会場が一気に沸騰する。……しまったせっかくの休暇なのに気分が乗り切れていないようだ。これからは全力で楽しもう、そう思い、レースに意識を戻す。

 

《えー、程良い感じにナチュラルジャンキーな開会挨拶でした。ありがとうございます。決勝開始までもう間もなく!司会と解説はワタクシ、弾丸雷虎(ダンガンライガー)がお送りします》

《なんでよッ!?》

《放送席で大声出すなよケバ太》

《誰がケバ太かっ!司会も解説も麿の手配した人間がちゃんといるはずでしょ!?なんであんたなの!》

《あー、あいつら腹痛で休み。賞味期限の切れた牛乳なんて飲むから》

《……牛乳?》

《や、ここんとこ伊豆高原の牛乳の売れ行きが悪くてさー。北曾(えぞ)産に押され気味で。うちの蔵にもだいぶ余ってんだよね。ヨーグルトになりかけのとか。バター風味のとか》

《あんたが飲ませたんじゃないのッ!!》

 

 コントのような掛け合い。だが、若干困惑する。放送席に座っているのは小弓公方本人の筈なのだ。それに対してああも開けっぴろげに絡める相手は誰なのだろうか?ダンガンライガーとか名乗っていたが……。?記憶に何か引っかかる物がある気がする。

 

「なぁ、冬太。放送席に居るダンガンライガーって何者だ?」

「……おそらくですが、堀越公方足利茶々丸様かと」

 

 冬太が一瞬考え込むような仕草を見せた後、自信なさげに答える。だが、もし堀越公方だとすればあの気安い態度も納得できる。何せ同格の相手なのだ。

 

《さー、各チームとも現在ピットで騎航準備に余念がありません!ミスは許されない!戦いは既に始まっている!ではここで最速を争う二○チームを順々に紹介していきましょう。まずはポールポジション――翔京ワークス"三城七騎衆"騎体は黄金の翼の"理想(ウルティマ・シュール)"。騎手は真剣勝負最強と知る人ぞ知る来馬豪(くるまごう)。昨日の本予選では騎体名に恥じぬ凄まじい騎航を見せてくれましたッ!まさに装甲競技の覇王!圧倒的なパワーでこの決勝も制することができるか!?》

《……そうね。今のところはここが一番期待できるかしら。ともすれば俗っぽい黄金の翼も、全国制覇の意気の顕れと思えば悪くなくってよ。美しく闘いなさい!その黄金が鍍金メッキと笑われないようにね!》

 

 ポールポジションに陣取る黄金の騎体に目を引かれる。理想(ウルティマ・シュール)、翔京が繰り出してきた"王者"、勝利を約束された存在。その存在感は重厚で揺るぎない。……本来なら敵などいないのだろう。

 

《続いてタムラワークス"T・F・Fタムラ・ファイティング・ファクトリー"!騎体は青く輝く"逆襲(アベンジ)"、騎手は悲運の天才の血を受け継ぐ皇路操。こちらの騎体も翔京ウルティマと同様昨日が初登場!驚天動地の爆走でしたッ!あれはこの青い劔冑クルスの性能を限界まで出し切った結果か。それとも更に先があるのか!?》

《せめて、まぐれではないことを期待するわ。決勝をつまらない勝負にはして欲しくないもの。限界を究めなさい!その青いボディにかけて!》

 

 騎体から感じるのは狂気。煮え滾り、煮詰めきり、ドロドロになった怨念のような熱意。ただの岩を芸術品に叩き上げたような不安定さ、見ていて不安になる。だが、決して目を離す事はできない。

 

《なんと今回紹介する機体は真打劔冑です!プライベーターの閃光の雷ライジングサンダー。騎体は白い閃光、不知火!真打が装甲競技でも遅れを取らないという証明をすべく騎航します》

《アーマーレースに真打なんて無粋ね、あり得ないわ。それになにあの騎体、腰部に合当理をマウントするなんてなにを考えているのかしら……あれじゃあ、重心位置がずれて空気抵抗が大きくなるだけじゃない》

《おや?予備予選と予選は見ていない?……なるほどならじっくり御覧ください》

 

 纏う雰囲気が他の騎体と明らかに違う。浮いていると言っても過言じゃないのかも知れない。だが、決して弱さなど感じない。信念の基づき鍛え上げられた一本の剣。以前乗っていた双発の騎体によく似ている。だが、今回の騎体にサンダーボルトの面影はない。いやむしろ知っている限りの競技用劔冑(レーサークルス)と似ている点がない。だが、アベンジと違いどこか安定している。積み重ねの上に立っているような印象。真打だと言っていたが、これが原型騎なのか、それとも新造された騎体なのか、俺の知識では判別できない。

 

「なぁ、冬太、どこが勝つと思う?」

「そうですね……難しいですね。技術と金を注ぎ込んで勝ちに来た翔京、異端のアイデアを見事に形にしたタムラ、ダークホースの不知火、どこが勝ってもおかしくないと思います。……ですが、翔京はあまり好きじゃないですね」

「だな、金の力で勝っても面白くないしな」

 

 そしてレースが始まる。レースはデッドヒートだった。序盤はウルティマ・シュールの独壇場。王者に相応しい騎航(はしり)を見せていた。だが、中盤ピットインから状況は一変する。不知火がピットインしなかったのだ。圧倒的トップに立つ不知火。そして下位の騎体の妨害によるトップからの陥落、それを力で乗り越えて再びトップに返り咲いた時は絶叫物だった。

 

 そこから一進一退の攻防、直線のアベンジ、コーナーの不知火、技のウルティマ。三つ巴の戦いはアベンジと不知火による決闘になり、そしてクラッシュ。あの時は何が起こったのか一瞬把握できなかった。事態を把握した時には再び不知火は駆け出していた。その身に秘める本当の力を曝け出して。そこからは執念と言っていいだろう。墜落しながらのゴールは本当に心臓に悪かった。

 

 



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結果

「ユウヤさん、お久しぶりです。に……雄飛です」

 

 レース後、わがままを言ってユウヤの見舞いに来た。真打劔冑が低高度からの墜落程度でどうにかなるほどヤワではない事は知識としては知っているが、それでも心配な物は心配だ。

 

 医務室と書かれた部屋に入ると中にはベッドで眠っているユウヤと一人の少女が居た。目を引かれる少女だ。僅かに青みがかった長い銀髪。大きな瞳に幼い顔立ち。それに反比例するような大きな胸。どこか儚げな表情が印象的だ。外人さんだ。このご時世かなり珍しいが、装甲競技(アーマーレース)の事を考えるとそうおかしくもないのかも知れない。

 

「あっ、どうも初めまして、ユウヤさんの……チームメイトの方ですか?」

 

 チームメイトかと尋ねたが、違うような気がする。かと言って恋人と言った風でもない。強いて言えば家族、だろうか?ユウヤを見つめる瞳に年に似合わない母のような優しさを感じる。同時に父を慕う娘のようにも見える。繋いだ手に強い絆を感じた。

 

「うん、イーニァはユウヤのかぞくだよ。ユウヒはなにしに来たの?」

 

 首を縦に振って肯定の意思を示す。その事に一瞬違和感を感じる。家族、か。先程も思ったがその関係が一番しっくり来る。長年連れ添ったような安定感があるのだ。それにしても名乗っただろうか?……いや、きっと先触れをしてくれた冬太が俺の名前を出したのだろう。

 

「あー、ユウヤさんの御見舞に来ました。以前お世話になったので……あっ、これ御見舞の品です。って言っても売店で買ってきたタコ焼きなんですけど」

 

 それも経費削減のためか材料が手に入らない時勢のせいか、タコは入っていないらしいのだが。……果たしてそれはタコ焼きと呼べるのか限りなく疑問だ。見舞いに行くと決めた時に手ぶらはどうかと思って購入したのだ。冬太曰く、おそらく熱量欠乏だから食べ物は喜ばれるでしょうとの事だったのだが。

 

「タコヤキ?」

「えっと、小麦粉に卵とか入れてボール状に焼いた食べ物です。本当はタコが入ってるんですけどこれは入ってませんが。……食べてみますか?」

 

 そう問いかけるとコクンと頷いたのでビニール袋からパックに入ったたこ焼きを取り出し、爪楊枝を刺しイーニァに差し出す。イーニァは僅かな戸惑いの後に意を決したように爪楊枝に手を伸ばしたこ焼きを口に運ぶ。小さな口でたこ焼きを齧る。

 

「……美味しい」

 

 気に入ったようだ。爪楊枝に残ったたこ焼きも口に運ぶ。たこ焼きと言えば一口で食べて熱くてはふはふする物だと思うがたこ焼きファーストコンタクトならこれもまた良しだろう。……もっとも、できてから時間が経っているため口に放り込んでもどうせはふはふできないのだが。

 

「そりゃ良かった」

「ユウヒ、ありがとう!」

 

 ひまわりのような笑顔でお礼を言われる。そんな大した事をしていないのに過剰なお礼を言われたようで照れる。……もっともこのたこ焼きを買ったお金もこのレースに来たお金も全て大鳥家、引いては国民から出ている。気を引き締めなくてはならないそう思う。

 

「…………ん」

「ユウヤ!おはよう!」

「……ああ、おはよう、イーニァ」

 

 ユウヤさんが目覚めたようだ。ユウヤさんは上体を起こすと伸びを一つしてからあくびを漏らす。そこで俺達の存在に気付いたようだ。

 

「おはようございます。お久しぶりです。ユウヤさん」

「あ、ああ。おはよう。久しぶりだな、もしかして見舞いに来てくれたのか?」

「はい、あっ、これ一応御見舞の品のたこ焼きです」

「……タコヤキ?タコってあれか?デビルフィッシュの事か?」

 

 デビルフィッシュ?直訳すると悪魔の魚?タコはオクトパスだったと思うのだが……どういう事か分からなかったので、冬太に助けを求めると

 

「雄飛様、デビルフィッシュとは英語でタコの事です。一説によると鱗の無い魚を食用にしてはいけないためそう呼ばれる事があるそうです」

「へー、そうなのか……あっ、これたこ焼きですけど、タコは入ってないのでただの小麦粉と卵をボール状に焼いた物です」

「そうなのか……見た目は美味そうだな……」

「うん、おいしかったよ!」

「……じゃあ、せっかくだし貰うか」

 

 そう言うとユウヤは意を決したようにたこ焼きに手を伸ばす。爪楊枝でたこ焼きを突き刺し口に放り込む。

 

「……イケるな」

 

 そう言うともう一つ口に放り込む。どうやらお腹が空いているだろうという冬太の予想は当たっていたようだ。元から6個しかなかったたこ焼きはすぐにユウヤの腹に収まる。

 

「これ、どうぞ」

 

 たこ焼きと一緒に買ったラムネをユウヤに手渡す。

 

「ああ、ありがとう」

 

 喉も乾いていたのかラムネも一息に飲み干すユウヤ。満足気に口元を服の袖で拭い瓶をテーブルの上に置く。

 

「助かった。腹が減っていたんだ」

「そうじゃないかと思っていました。墜落したのって熱量欠乏が原因ですよね?」

「ああ、そうだ。……レースはどうなったんだ?よく思い出せないんだが」

「そりゃあもう大興奮でしたよ!最後の墜落しながらもゴールラインを突破したユウヤさんは最高に格好良かったです!」

「ん。あいつら(タムラ)に一泡吹かせてやれたって事かな……」

「え?何か言いましたか?」

「いや、何でもない」

 

 そこからしばらく大和GPや近況について話した後、あまり長居しても悪いという事で失礼する事にする。用事もないので俺達は篠川に戻るべく駅を目指していた。もちろん移動は車である。豪華な事だ。そう距離がある訳でもないのだから歩けば十分だとも思うのだが、冬太を含めて誰も譲ってくれない。……せっかく鎌倉まで来ているのだから小夏達に会いに行きたいという思いもある。だが、それは願ってはならない願いだ。少なくとも今はまだ。

 

「なぁ、冬太」

「はい、何でしょうか。雄飛様」

「……俺に尽くしてくれるけどなんでだ?」

 

 ずっと聞きたかった疑問。冬太は最初から俺の側に立って行動して提案してくれていたと思う。今回のレースもそうだ。さっきの見舞いもそうだ。俺は大鳥雄飛になると決めた日から味方などいないものだと覚悟していた。なのに冬太がいた。それが不思議でならなかった。

 

「雄飛様、これから無礼な物言いになることをお許し下さい」

「ああ、率直な言葉が欲しいんだ。気にしなくていい」

 

 冬太が車の座席に正座して居住まいを正す。それに合わせて俺も背筋が伸びる。

 

「一言で言えば雄飛様と自分は似ていると思うからです」

「似ている?」

 

 冬太は黒髪黒目、目鼻立ちはくっきりしているがどちらかと言えば弥生人系の顔立ちだ。あまり背格好や顔が似ているとは思えない。

 

「はい、私は孤児でした。生きるために同じ孤児達と野盗まがいの事をしていました。そんな折、獅子吼様に捕らえられたのです。反抗する野犬のような私を獅子吼様は気に入られたようで、衣食住と教育を受けられる機会を与えてくださったのです。私以外にも獅子吼様が引き取ったたくさんの孤児がそこにはいました」

「獅子吼がそんな事を……」

 

 意外だった。強者以外見捨てそうな獅子吼が孤児を養育しているという。確かに獅子吼はできる事はやっていた。それは政務を手伝うようになってから知っていたが、こうして実例を知るとその思いが深くなる。

 

「それから……いろいろあって、獅子吼様に忠誠を誓いました。拾われ、全く違う生活をする事になった私といきなり大鳥の後継者となった雄飛様、立場が変わったという意味では似ていると思うのです。そして私は先達から受けた恩を雄飛様に返しているだけです」

「そう、か。……なんで恩を直接返さないんだ?」

 

 いろいろあっての所で冬太は恥ずかしそうに頬を染める。きっと言葉通りいろいろあったのだろう。何れもっと仲良くなったら聞いてみたいと思う。先達から受けた恩を俺に返すというのは不思議な感じがする。

 

「恩送り、という考え方を知っていらっしゃいますか?」

「恩送り?」

「はい、誰かから受けた恩を、直接その人に返すのではなく、別の人に送ることです。恩を当人へ返すのはとても難しいです。ですから恩を送るのです。巡り巡ってその人の元へ行けば良いなとか、返せない恩に少しでも報いたいという祈りです」

 

 きっと、冬太はたくさんの恩を受けたのだろう。そしてそれを返すためにもっとたくさんの恩を送ろうと決めたのだと思う。小さいことなのかも知れない。大きな流れに歯向かう事などできないのかも知れない。だが、それでも現実を切り開こうとする確かな一撃だった。

 

「雄飛様には守りたいものがありますか?」

「守りたいもの?」

 

 考えるまでもなかった。そう問われた時に真っ先に思い浮かんだのは小夏の顔だった。小夏、リツ、忠保、友人たちとの掛け替えのない時間。そんな日常を守りたい、守らなければならないと思った。胸が痛む。小夏は泣いていた。そんな事がないようにしたかったのに。

 

「――みんなの日常だ。理不尽に奪われることのない世界、そんな世界になれば良いと思う」

「そうですね。そのお考えを忘れないでください。きっと叶います」

「そうなるように頑張らなくちゃな」

「そうだ!雄飛様、これを」

 

 満足気に頷くと冬太が何か良いことを思いついたと言った顔で、自分の首から掛けていたネックレスを取り出し、手渡してくる。冷たい感触。思わず受け取るとそれは美しい透き通るような緑色をした勾玉のネックレスだった。

 

「これは……勾玉……?」

「はい、そうです。母の形見なんですけど、この勾玉が私と獅子吼様を引き合わせてくれたような気がするんです。……この勾玉を雄飛様に受け取って貰いたいのです。今、勾玉の導きが必要なのは雄飛様だと思ったんです」

 

 ギョッとする。そんな大事な物を受け取ることなどできない。そう思う。あまりにも重い。そう重くないはずの勾玉がずっしりと重く感じた。

 

「そんな大切な物、受け取る訳にはいかないよ」

「そう仰らずにどうぞ受け取ってください。勾玉が雄飛様を選んだような気がするのです」

「俺を選んだ……?」

「はい!あっ、そうだ。受け取って頂けないなら預かって貰うというのはどうでしょう。……大切な物なのでちゃんと返してくださいね?」

 

 いたずら気に笑いながらそう言って、強引に首に付ける冬太。どうも俺がこの勾玉を持つことは確定路線らしい。諦める。これからも世話になるだろうし、適当なところで返そう。そう心に決める。

 

「っと、着きましたね。さっ、行きましょう。雄飛様」

 

 冬太は急いで靴を履くとドアを開けて雄飛側へと回り込み、ドアを開けてくれる。

 

「ああ、ありが……」

 

 礼を言おうとした時の事だった。フッと冬太の顔から表情が消える。そして、タックルするように抱きしめられる。

 

「頼綱様の仇!」

 

 爆竹が弾けたような軽い音が二回、そしてビクッと震える冬太の体。護衛達の取り押さえろ!という声。騒がしい。何が起きた?

 

「ご無事ですか?雄飛様」

「あ……ああ」

 

 頷く。自動車の中に押し込まれる。冬太の手が震えているのが印象的だった。

 

「よか、った」

 

 フッと笑顔を見せ、そのままずるずると力を失ったように倒れ込んでくる冬太。

 

「お、おい、大丈夫か!?」

 

 抱き上げようとするとぬるりと手が滑る。なんだ?そう思い手を見る。

 

「ひっ」

 

 赤かった。冬太を見る。ピクリとも動かない。

 

 それからの事はよく覚えていない。気付いた時には篠川の自室で寝ていた。立ち上がる。周りを見回す。暗い。誰もいない。廊下に出る。フラフラと歩く。ふと気付くと執務室の前にいた。ドアを開ける。眩しい。中に誰かいる。

 

「冬太……」

「おお、雄飛様。お目覚めでしたか!」

 

 大柄の男が椅子から立ち上がりこちらに近寄ってくる。……獅子吼だ。周りを見回す。冬太はいない。

 

「……獅子吼。冬太は……どうなった?」

 

 ようやく意識がはっきりしてくる。震える声を押さえ付けて獅子吼に恐る恐る尋ねる。

 

「冬太は見事、雄飛様をお守りし殉職いたしました」

 

 殉職、職務のために死ぬこと。死。死んだ。冬太が死んだ。俺を守って……。ようやく悲しさが現実に追いつく。だが、泣けない。泣いてはならない。涙を必死で堪える。

 

「犯人は岡部の残党……いえ、正確に言えば岡部に協力していた村の一般市民です。動機は六波羅に対する恨み。特筆すべき点はございません。六波羅に守られていた雄飛様が六波羅の重要人物と判断し突発的に襲撃に至ったとの事です」

「……岡部に協力していた村って」

「はい、以前見せしめに族滅するように奏上いたしました村です」

「俺のせいって事か……」

「いいえ、恩を恩と思わない愚民と警備に隙を作った護衛の責任にございます。こう言ってはなんですが、命を狙われるのは権力者の定めかと」

 

 責められた方がマシだった。誰がなんと言おうと俺の判断ミスがこの事態を招いたのだ。だが、だからと言ってまだ何もしてもいない民衆を手に掛ける事もまた俺にはできそうになかった。それでもやらなければならないのかも知れない。大鳥雄飛になるのならば。

 

 



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襲来と試練

 獅子吼に真実を突き付けられた俺はフラフラとまた来た道を戻る。この屋敷に他に行くべき場所などない。部屋の前まで戻ったところでふと異常に気付く。薄暗い廊下に扉の下から灯りが漏れていたのだ。先程まで部屋は確かに暗かった。誰かいる。そう思った時には迂闊にも駆け出していた。

 

「冬太!」

 

 部屋の中には以前何処かで見たことのある二人の人物がのんびりとお茶をしていた。この豪華な屋敷にお似合いの背の高い貴婦人とその従者らしき老婆。見回す冬太は居ない。その事に肩を落とす。分かっていたことだ。それでも確認せざる負えなかった。

 

「お久しぶりです。雄飛さん」

「あっ、……ええっと駅にいた占い師のお姉さん……?」

「はい、貴方の運命を占った流しの占い師です」

 

 ようやく俺の部屋にいた二人に意識が向く。お姉さんが椅子から立ち上がり、こちらに歩み寄ってくる。それに合わせて従者も付き従う。両者共、心配そうな顔でこちらを見ている。その姿は以前見た時のままだった。細い目筋が特徴的な、明らかな美人。長い髪が煌めく衣装のようでもある。そして以前も感じた自惚れた直感をまた得る。この人に俺は無条件で愛されているという悟り。だが、それも二度目となればもしかしたら正しいのではないかと思える。少なくともこの人の事を信じてもいいと思える程度には。

 

「占い師さん、なんでこの部屋に……?」

「雄飛さん、あなたに道を示すために」

「この前みたいに楽器で占ってくれるんですか?」

 

 道を示してくれる。確かに今、俺は迷子になっているのかも知れない。

 

「雄飛さんが望むのなら、喜んで大縦断森羅法による占いをしますわ、さよ」

 

 そう言うとたおやかに笑む。そして従者の老女に何かを要求するように名を呼ばう。そう言えば今はあの楽器を手にしていない。見回してみると壁際に楽器ケースらしき物が鎮座している。きっとあれを取ってくるように頼んだのだろう。……が、さよと呼ばれた従者は貴婦人の要求には答えずに言う。

 

「……お嬢様、この辺りで方向修正いたしませんとずっと占い師扱いのままでございますぞ」

 

 しばらく沈黙が流れる。

 

「……コホン、私の名前は大鳥香奈枝。あなたの従姉、花枝の姉と言えば分かりますかしら」

「香奈枝さん」

「はい」

 

 占い師改め香奈枝の名前を舌に乗せる。不思議と馴染む感覚。名を呼ばれたことに嬉しそうに、だがおしとやかに返事をされる。なんとなく納得する。自分はこの姉妹に愛されているのだ、と。同時に疑問も浮かぶ大鳥の名を冠しているからにはここに香奈枝がいること自体はおかしくないのだろう。だが、なぜ今まで紹介もされなかったのか、そして今なぜ自分の部屋にいるのか、それが分からなかった。

 

「えっと、香奈枝さんはなんでここにいるんですか?」

「雄飛さん、あなたに道を、選択肢を与えるためです」

「選択肢、ですか」

「はい、このまま大鳥雄飛として苦難の道を歩くのか、それとも市井の一市民に戻るのか、その選択です」

 

 意外、と言う程意外でもなかった。今振り返ってみればこの人は初めて出会った時にも警告してくれていたのだ。きっと大鳥雄飛となる運命が待ち構えていることに気づいて警告してくれたのだと思う。感じるのは平穏な生活を送って欲しいという願い。

 

 だからこそ、この人が選択肢をくれるというのであればそれは本当にこの先の運命を決める選択肢なのだ。初めは獅子吼に強制された事だった。不本意で選択肢などなかった。今までの事を振り返る。内臓がずっしりと重くなるような感覚。

 

「ありがとうございます。でも……でも大丈夫です。本当に理解なんてしてないのかも知れない。苦しくて止めたくなるかもしれない。だけどこの道を行きます、行かなくちゃ、ならないんです」

「……来栖野家のことを思っての選択ならそれも心配しなくて大丈夫ですよ」

「確かに小夏達のことは心配です。でもこの選択は違います。自分はもう背負ってしまったんです」

 

 冬太のことを思う。自分の失敗のために野盗に身を落とした兵士のことを思う。自分の選択のために道を踏み外した村人のことを思う。自分のために死んだ人がいる。彼等の事を思うとふつふつと湧き上がってくる物がある。彼等を死なせてしまった自分への怒りだ。弱い自分を許すことができない。弱いことは悪なのだ。そして弱い事が許されない世界が許せない。それなのに逃げ出すなんていう選択肢は選べない。いくら魅力的でもダメなものはダメなのだ。

 

「もう決めておしまいになっているのですね」

「はい、俺は無力なままでいることはできないです」

 

 香奈枝の目を見てまっすぐに告げる。

 

「お嬢様、どうやら遅かったようでございます」

「そうね、さよ。でも雄飛さんが自分で決めたことですもの。私達にできるのは見守ること、そして助けが必要な時に手を差し伸べること、それだけですわ」

「はい、お嬢様」

 

 香奈枝とさよと呼ばれた従者が、残念なような誇らしいような不思議な表情で会話を交わす。

 

「あの、香奈枝さん……」

 

 一体何を聞こうとしたのか自分でもよく分からない。そしてその問いは発せられることはなかった。廊下の方が突然騒がしくなったのだ。

 

「あら、気づかれたようですわね」

「そのようでございますな」

「雄飛様、残念ですがお別れの時間です」

「えっ……あっ」

「また会いましょう。今度はあなたが助けを欲するときに」

「さっ、お嬢様こちらでございます」

 

 それだけ告げると香奈枝は楽器ケースを担ぎ、さよに連れられて窓から闇の中へと消えていく。次の瞬間だった。ドアがノックされ開かれる。急いで、しかし丁寧に礼を失さないように。飛び込む、そういった方が正しい風情で獅子吼が入ってくる。

 

「雄飛様!ご無事ですか!?」

「……獅子吼」

 

 それは初めて見る獅子吼の姿だった。自分の無事を確認するとすぐさま視線を四方八方にやる。そして茶器が残されているテーブルと窓が開いているのを見咎めると、背後に続いていた兵士に向かって短く、窓だと指示を飛ばす。そして自分の前へと進み出ると膝をつき、頭を垂れる。

 

「雄飛様、申し訳ございません。何者かに侵入を許してしまいました。この失態、死をもって償う所存です」

「……別にいい」

「ご厚情ありがたく存じます。……侵入者について知っておられることを教えていただきたく存じます」

 

 侵入者がいなかったなど言っても納得してくれそうにはなかった。断固たる意志を感じる。俺が香奈枝と会った事を既に確信しているようだ。

 

「……大鳥香奈枝と名乗っていたな」

「あの女狐が……海外にいれば見逃してやろうものを……」

 

 獅子吼が低く唸るように呟き、窓の外を見やる。そして改めて自分の方を向き言う。やはりというべきかなんというか香奈枝と獅子吼は敵対しているようだ。

 

「何か言われましたか?」

「いや、ちょっと話をしただけだ」

「……そうですか、ありがとうございます」

 

 まだ、納得してなさそうな獅子吼に先んずるように言う。

 

「獅子吼、頼みがある。鍛錬と勉強を増やして欲しい」

「……ほう?」

「冬太が死んだのは自分に力がなかったからだ。今は一刻も早く力を付けたい」

「……ちょうど良い、か……。良いお覚悟です。わかりました。雄飛様には試練を受けていただくことにいたしましょう」

「試練?」

「はい、代々の当主が真の当主となるための試練でございます。まだ雄飛様には早いと思いお伝えしておりませんでしたが、そこまでの覚悟があるのならば挑んでいただきましょう。……先代はその意味でも愚物でした。当主の証を得ることができなかったのですから」

 

 詳しい説明を求めたが、獅子吼は答えてくれなかった。何かよく分からないが、力を得ることに繋がるのなら避けることではないだろう。試練、上等だ。今は一刻も早く悪を倒せるだけの力が欲しい。

 

――――――

 

 屋敷の地下に案内される。この屋敷に来てしばらくになるがこんな地下室があるなんて知らなかった。同行しているのは獅子吼のみ、香奈枝の襲来から増えた護衛の兵士達は部屋の外に置いてきた。代々当主の書斎だと言う部屋は高価そうな本で溢れていた。その中の一つの本棚を動かすと地下へと降りる階段が現れた。

 

 獅子吼と本当の意味で二人っきりになったのはこれが初めてのように思う。とは言え別に言いたいことなどない。向こうも特に言うこともないのか黙々と階段を降り続ける。どれほど降りただろうか。

 

「ここです」

 

 獅子吼が指し示したそこには無骨その物な巨大な鉄塊があった。一瞬これが扉なのだと認識できない程の重厚さ。唯一取り付けられた巨大な錠のみが扉であることを主張している。

 

 獅子吼は懐から古ぼけた鍵を取り出し、巨大な錠前に差し込む。ガゴンと低く唸るような音とともに錠前が開かれる。獅子吼が扉を押し開ける。化け物が唸るような音がするものの、意外と滑らかに扉が開く。知らず知らずのうちに唾を飲み込む。

 

「さぁ、行きましょう」

 

 無言で頷く。獅子吼が奥へと進んでいく。暗い。灯りはついていないようだ。階段から差し込む僅かな光を頼りに慎重に奥へと進む。視界が真っ白になる。目を眇める。獅子吼が灯りをつけたようだ。徐々に目が慣れてくる。そう広くない。

 

「これは……」

 

 この部屋の主は一目で分かった。存在感が違う。周りの空気すらねじ曲がっているように感じる。絢爛であり、重厚であり、鋭い。それでありながらどこか素朴だ。畏敬の念すら覚える。美術品に詳しくなくても分かる凄みがある。金属でできた見事な造形の巨大なホトトギスがそこには鎮座していた。直観する。劔冑だ。

 

「三日月宗近、大鳥家の当主が代々纏った劔冑です」

「三日月、宗近……」

「この劔冑に認められ、仕手になること。それが試練です。……さぁ、触れてみてください」

 

 躊躇する。あまりの神々しさに触れて良いものかと思う。だが、意を決して歩み寄る。そして、ホトトギスの首の辺りにそっと触れる。

 

《我が銘は三条宗近》

「あっ、に……大鳥雄飛です」

 

 脳に直接響くような独特の感覚。確か金打声と呼ばれる劔冑の会話方法があったはずだ。これがそうなのか。

 

《力なき正義は無能である

 正義なき力は圧制である

 我は力、王道を征く者のための力である

 問う、汝に正義の志はあるか、ないか》

 

 正義、そう問われて思うのは紅い武者の事、湊斗景明の事。戦うべき時に戦った正義の味方。憧れかも知れない。だがこの道を征くと決めたのだ。

 

「――ある。悪を許さない事、それが俺の正義だ」

《悪とは一体何だ?》

「理不尽に奪われることだ」

 

 間髪をいれずに答える。腹はくくった。ならば後は素直に答えるだけだ。

 

《何を以て正義を行う?》

 

 何を以て、要するに動機を聞かれているのだろう。自分を振り返る。なぜ正義を行いたいのか、悪を許せないのか。

 

「――怒りだ。俺は怒りを以て悪を断つ」

《それだけか?》

 

 それだけ、即ち足りなかったという事だろうか?だが、怒りというのは素直な気持ちだ。何が足りなかったのだろうか。

 

《……青き者よ、考えるのだ。怒りは正義を変容させる。いずれ独善へと堕するであろう》

「それは……」

 

 あり得ないとは言えなかった。自分の事だけ考えてもこの数週間で変わったという認識がある。だがそれでも怒りを否定する気にはなれなかった。その時、指先に冷たい感触を感じる。いつの間にか首から下げていた勾玉を触っていた。

 

 その冷たい感触に思い出す。冬太の事を。優しい思い出を。最期に交わした会話が思い出される。そうだ、怒りだけじゃ足りないんだ。俺は日常を守りたいのだ。なぜ?それが尊い物だからだ。だから奪われれば怒る。だがそれ以前に奪われないように守り、育てること、それを忘れちゃいけなかったんだ。奪われた者の事を思う。俺が連れ去られた時、小夏は泣いていた。その悲しみを忘れちゃいけなかった。

 

「……怒りが間違っているとは今も思ってない。……だけど、それじゃ足りなかった。悲しさ。悲しさを産まないように日常を守り、育てる。――怒りと悲しさ、これが俺の答えだ」

《その答え、未熟である》

 

 ダメ、か。だがこれでダメなら諦めも付く。

 

《未熟な者よ。我はその可能性に身を託す。考えよ。精進せよ》

「……えっ?」

《汝はこれより我が仕手である。御堂、しっかりせよ》

「認められた……?」

《王道を歩む限りこの身、汝の力となろう。我が銘を呼べ、誓言を唱えよ》

 

 宗近に言われて誓言を問い返そうとする。だが、誓言と思った瞬間に脳裏に浮かぶ物がある。自然とそれが宗近の求めているものなのだと理解する。

 

「宗近」

 

 銘を呼んだ瞬間、青と白の螺旋の中に立っていた。自然と右手を前に突き出し、左足を半歩引く。右手で虚空を掴むように握りしめ誓言を唱える。

 

「五月雨は

 露か涙か

 不如帰

 我が名をあげよ

 雲の上まで」

 

 俺の全てが変貌を遂げる。

 外は甲鉄に覆い尽くされ。

 内は異力が駆け巡り。

 人間にあらざるモノに成りおおせる――

 余りの超越感に意識が恍惚としそうになる。

 

 呆然と手を見つめる。青を基調に白が優美な模様を描く金属製の籠手が見える。自分と劔冑とのあまりもの差に感覚が付いていかない。

 

「お見事にございます。雄飛様」

「……獅子吼」

「この獅子吼、雄飛様が試練を越えられる事、信じておりました」

「そうか。……宗近、とりあえず脱ぎたいんだが」

《承知》

 

 次の瞬間、宗近が俺の横に現れる。手を見る。見慣れた手だ。その事に安心する。俺は俺なのだ。そこを間違えてはいけない。

 

「――行くぞ」

 



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