土下座少年リリカル☆土下座 (泣き虫くん)
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一話、始まりの土下座

 今年で小学三年生になる、高町なのは。

 彼女はとんでもないことに巻き込まれていた。

 放課後の帰り道、頭に響く助けを求める声。

 謎の声に応えて友達二人と周囲を探せば、フェレットがそこにいた。

 動物病院にフェレットを届けて、その夜、また頭に響く謎の声。

 導かれるように外へと出れば、動物病院にいるはずのフェレットが怪物に襲われていた。

 その人語を操るフェレットは自らをユーノと名乗る。

 助けて欲しい。

 この怪物を退治して欲しい。

 ユーノはそう言った。

 めまぐるしく展開される状況でもなのはの心は強かった。

 なのはが決意し、魔法の世界へと一歩を踏み出した。

 その筈だった。

 そんな物語の始まりは僅かに形を変える。

 魔法ではない。

 もっと凡庸で、見る者によっては醜悪で、しかし、時には人が命をかけて行う行為と少女は出会った。

 

「大変なことが起こっているな」

 

 少年がそこにいた。

 

 

 

 それは奇妙な少年だった。

 一見すればどこにでもいるような外見をしている。

 際立ってでかい身体をしているわけではない。

 際立って可笑しなところは顔にない。

 しかし、である。

 一つ一つ注意深く見ればしっかりと特徴があった。

 身体はでかくはない。

 しかし、代わりにしっかりと引き絞られている。

 細身に見える首も、肩も、腕も、腹も、腰も、脚も、その全てが細いが、筋肉で満ちていることが分かる。

 ダンサー。

 職業で表現するならこの言葉が一番似合っている。

 細いがひ弱さは微塵もない、均整の取れた肉体であった。

 そして、顔。

 眼も、鼻も、口にも特徴はない。

 しかし、それらが並んで一つとなると印象が大分違ってくる。

 パーツの並び方か、あるいは角度か、それらの要因によって魅力的な顔になっていた。

 中性的な、それでいてハンサムな顔つきであった。

 

「ふぅん」

 

 少年は呟いた。

 今、ここには化け物がいる。普通ならば目を背けたくなるような光景だった。

 少年はそれでも目を逸らさない。

 それをごく当たり前のように見つめていた。

 もっと言えば少年は観察していた。

 目の前の光景を見て、それにどう相対するのが良いのか思案しているようだった。

 少年の眼が、なのは、ユーノの順に向けられた。

 そして、少年は改めて怪物を見つめた。

 どういうわけか、その眼には深い憐みの色が浮かんでいる。

 

「こいつは酷いな」

 

 少年は怪物に声を掛けた。

 憐みの匂いを敏感にかぎ取ったのだろうか。

 怪物は動きを止めた。

 何を考えているのか分からない目で、少年を見つめている。

 

「あんた、望んでそんな姿になったのかい?」

 

 少年は問うた。

 知能も、理性も感じさせない怪物に質問を投げかける無意味。

 そんな無意味さを感じていないように少年は言う。

 少年の声が何かに響いたのか、怪物の両目に光が宿った。

 

「違うはずだ。あんたは多分誰かの願いを叶えてやりたかったんだと思う。

 長い眠りを超えてこの世に目覚めたあんたは誰かを助けてやりたかったんだと思う。

 そうだろう?」

「まさか、君は知っているのか……、ジュエルシードを!?」

 

 少年の紡いだ声に一匹が反応した。

 ジュエルシードが何らかの生き物を怪物に変えていることを、ユーノは知っていた。

 怪物から魔力が放射されているからだ。

 魔力にはパターンがある。

 その魔力とは基本、生み出すものによってパターンが異なる。

 ジュエルシードを事前に把握していたユーノは魔力波動からがジュエルシードにいち早く気づけたのだ。

 仮に魔力を感じていないのだとしても、ジュエルシードの特徴を知っていれば、気づきのキッカケにはなるだろう。

 だから、少年がジュエルシードに気づけたのだとするのなら、事前にジュエルシードのことを知っているはずだ。

 そうユーノは推測したのだ。

 少年はユーノの質問に答えた。

 

「ジュエルシード? 俺はそんなものは知らないね」

「でも、それじゃあ、なんで――」

「俺はこいつから嗅ぎ取っただけさ、後悔の念を」

 

 ジュエルシードを知らない。

 少年は簡潔に言うと、再び怪物に目を向けた。

 先の話を続ける。

 

「でも、もうやめようぜ。

 『それ』の望みを形にしたところで何にもならないし、今のあんたにそんな力はない」

「GRUUU……」

 

 怪物は唸る。

 意志の無い唸りとは違う。

 痛い所を突かれたことを紛らわすような――。

 狼狽えている。

 話術か、それとも魔法か、いかなる手段を用いてかは分からないが、少年はこの怪物と意識を通わせているようであった。

 

「NIIIッ……」

 

 その怪物が自嘲気味に笑う。

 怪物は知っているようであった。

 己の形が正しい流れから遠い地点にあることに。

 己が間違っていることに。

 それでも笑わずにいられない。

 もはや、何も変えることが出来ないから。

 正しく願いを叶えられない己の無念さ。

 しかし、それを変えることの出来ない己の無力さも。

 全てを承知し、しかし、己は何も変わらない。

 人を幸せへと導くことこそが『正しい』有りようのはずの己、が醜く変じ、人を怯えさせる存在へと成ってしまった。

 今、怪物に出来ることはそんな自分自身を嘲笑うことだけであった。

 

「GYAAAッ!」

 

 だから、問答はここで終わり。

 悲鳴と笑い声をミックスした絶叫でもって目の前の少年を終わらせる。

 その怪物の決意になのはとユーノは顔を青ざめた。

 早く助けなければ。

 その想いが二人の身体を動かしかけたとき――、

 

「安心しな」

 

 少年が言っていた。

 二人の不安を消し去る声色で。

 少年は堂々と怪物と向かい合う。

 怪物が右腕を振り上げて振り下ろす刹那、少年の身体が駆動していた。

 身体が素早く沈んでいた。

 棒が垂直に落ちていくように、少年の上半身が高度を下げていく。

 ストン。

 そんな擬音が似合うほどに、少年はすんなりと腰を下ろしていた。

 腰を下ろしている少年の姿勢。

 それは日本人なら誰でも知っている、伝統的な姿かたちであった。

 

「あれは正座ッ!?」

 

 日本で生まれ育ったなのはは当然知っている。

 父と姉と兄が武道の修練をしているので、ごく身近にある姿勢と言っても良い。

 そのなのはの言葉にユーノは目配せをする。

 あの姿勢に意味があることを期待して。

 だが、あの姿勢そのものに『敵』をどうにかする力などない。

 確かに少年の見せた正座。

 それはそれは見事なものであった。

 腰を下ろす最中であってもピンと伸ばした背筋。

 淀みのない動き。

 それだけ見れば武道家のそれであった。

 しかし、正座とはあくまでも『礼』に過ぎない。

 あの座った姿勢から放てる技などない。

 武術に関しては素人のなのはでもその程度のことは分かっていた。

 緊急事態により一瞬の情景にすら目をやれるほど圧縮された時の中。

 二人の心の中には、少年の奇怪への不安が出現し始めて――。

 

「KIYAAAAAAッ!?」

 

 怪物の悲鳴が響いていた。

 空気を引き裂いたような甲高い音が、怪物の口から鳴っている。

 あの怪物が怯えていた。

 何が起こっているのか!?

 理解できないなのはとフェレットを置き去りにして状況は進んでいく。

 少年の上半身が地面に向かって傾き始めていた。

 手を地に合わせてそこへと上半身を寝かしていく。

 それを見て怪物の表情が変わった。

 もうやめてくれ。

 なのはとユーノにはそう言っているように見えて――。

 それでも少年はやめることはない。

 少年が己の身体を折りたたむ。

 そして、ここに『礼』における一つの形が出来上がった。

 弱きものが最後に縋りつく、ある種の究極を体現した形。

 

 ――土下座がそこに現れていた。

 

「嘘……」

「なんだ!? この輝きは!?」

 

 二人が目にしたのは光であった。

 まばゆい光が少年から放たれている。

 きっと、それは実体をともなった光ではない筈であった。

 人が土下座で輝くことなどあり得ない。

 そんなことは当然だった。

 しかし、それならばこのまばゆい光がなんであるのか。

 そもそも、何故少年が光っているように見えるのか。

 何故怪物が土下座などに驚いているのか。

 現実ではあり得ないことばかりが起きているこの状況でそれをどう問えば良いのか。

 ただ、それでも二人には分かった。

 土下座が現実に干渉していることを。

 その姿勢こそが少年の切り札であり、少年にとっての『魔法』がこの土下座であることを。

 

「GYAAA――」

 

 今ならば分かる。

 この光だ。

 少年から放たれている光が怪物に作用し、苦しめているものの正体である。

 怪物の身体が光りの中へと溶けていく。

 表皮が散り散りとなり、光の粒へと形を変えていく。

 その光景のなんと神々しいことか。

 二人は素直に見惚れていた。

 

「GA……GA……」

 

 完全に光に飲まれる直前。

 力が尽きて、弱弱しくなった悲鳴。

 己が消えゆくことを悟った怪物。

 その顔は安らかなものだった。

 光が収まる。

 後に残ったのはきらびやかな宝石。

 ジュエルシードだけだった。

 

 

 

「あんたらが欲しかったのはこれかい?」

 

 少年はジュエルシードを手に取ると、無造作に投げてよこした。

 なのはがそれを受け取った。

 

「あ、ありがとう」

「別にお礼を言う必要はないよ。俺が勝手に放っておけないって思っただけだからね。

 俺はこれから自分の家に帰るつもりだけど、君らもそうした方が良い」

「ちょっと待って!」

 

 少年は背を向けて立ち去ろうとする。

 それをなのはが引き留めた。

 

「なんだい?」

「さっきのあれはなに?

 どうやって、あの怪物を退治したの?」

 

 訊きたいことはたくさんあった。

 怪物の正体は何か。

 そもそも、魔法とは何か。

 ユーノが口から漏らしていた次元世界とは魔法の世界なのか、等々。

 そんな疑問の中に合ってもっとも分からないのはやはり少年が何故怪物を退治できたのか、だ。

 

「僕も訊いておきたいね。君はあの奇妙な姿勢で怪物を退治したけど、あれは何だったんだい?」

 

 それを気にしているのはユーノも同じことだった。

 少年から魔力の気配はない。

 しかし、少年の土下座によってジュエルシードは封印状態にある。

 通常、暴走状態にあるジュエルシードの封印には『正しい』魔法の力が必要だ。

 正式な手順を踏んだ魔法の行使のみがジュエルシードの暴走を抑える唯一の方法であるはずだった。

 魔法を使えない筈の少年がどういう理屈でジュエルシードを抑えたのか。

 ユーノも興味を持っている。

 

「土下座だよ」

「土下座? その土下座をすれば誰でもあんなことが出来るというのかい!?」

「まさかね、そんなことを言うつもりはないよ。しかし――」

「しかし?」

「俺に言えることはただの一つ。真剣にやったってことだけさ」

 

 真剣。

 その言葉に込められた力はどれほどのものだったのか。

 少年は続ける。

 

「俺があの怪物から読み取ったのは後悔の念さ。

 自分が正しくないことは分かっている。しかし、分かっていながらその流れを覆せない。

 その無念さを俺は癒してやりたかった。真剣にだ」

「真剣――」

「だから、俺は祈った」

「なにを?」

「正しく生きることが出来るようにだ。そのための祈り――それこそがあの土下座だった」

 

 少年はそう言うと、足を踏み出した。

 もう言うべきことなどない。

 そう言わんばかりであった。

 なのはは声を張り上げた。

 

「私の名前は高町なのは!

 あなたの名前を教えて欲しいの!」

 

 少年は答えた。

 

「土ノ下 座(つちのした すわる)」

 

 少女の物語の始まり。

 それは魔法ではなく、座の土下座と共に始まった。



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二話、勇気の土下座

 高町なのはは布団の中で目を閉じていた。

 自分の部屋で、自分のベッドの布団の中で目を閉じて、眠ろうとしていた。

 体感で三十分はこうしている気がする。

 いつもならば目をつぶって横になるだけですぐ寝入ってしまう。

 しかも、今は深夜だ。

 もう、夢を見ていてもおかしくはない。

 原因はアレかとなのはは思った。

 今日は色々なことがあった。

 言葉を話すフェレットと出会った。

 しかも、そのフェレットは言葉を解せるだけではなく、魔法というものも使えるのだという。

 そのフェレットはユーノ・スクライアと名乗った。

 ジュエルシードという願いを叶える宝石を次元航行船で運搬中に事故に巻き込まれた。

 そして、この世界に21個のジュエルシードがばら撒かれてしまう。

 ユーノはそれに責任を感じて回収を試みたのであった。

 しかし、事故に巻き込まれたことによりユーノのコンディションは最悪だった。

 ジュエルシードが生み出したジュエルシードモンスターには叶わず、逆に追い詰められてしまった。

 なのはが聞きつけたのはユーノの助けを求める念話、魔法によるテレパシーだ。

 そして、今日、なのはは魔法という存在を初めて知ったのだった。

 しかし、なのはが眠れないのは、新たに出会った魔法という存在について思案していたからではない。

 魔法よりも身近で、魔法以上に衝撃的な行為。

 それに付与された新たな意味への驚きがまだ残っていたからだった。

 

「土下座だよ」

 

 少年が土下座で怪物を浄化した。

 嘘のような話であった。

 魔法の存在も、土下座で何かを祈祷するのも、どちらも同じように嘘のような話だ。

 しかし、ユーノの話だと、そうではないらしい。

 なのはにとっては魔法という嘘のようなものをリアルに受け止めているユーノ。

 その彼にとっても土下座で怪物を浄化した少年の行為は嘘のような話らしい。

 つまり、誰でもできるはずの土下座とは限られた人間以外には不可能な魔法以上に非常識な行為ということになる。

 ある種のパラドックス的な事実が理由だろう。

 なのはの脳裏には少年の土下座がぐるぐると回っていた。

 あの少年はこれからどうするのだろうか?

 なのはは少し考えた。

 

「私もあんな風に……」

 

 なのはは何事かを呟こうとして、その途中でまどろみへと身を任せたのだった。

 そして、翌日の学校で――。

 

「今日から転校してきました、土ノ下 座(つちのした すわる)です」

「え!?」

 

 件の少年と顔を合わせることになった。

 

 

 

 

 

 昼休みになった。

 なのはは困っていた。

 最初、なのはは少年に話しかけるつもりだった。

 人目につかないところで、こっそりと昨日のできごとについて相談しようと思っていた。

 しかし、この中途半端な時期の転校生だ。

 関心を持つのはみんなも同じで、声を掛けて人目の少ないところへと呼び出す余裕もない。

 結局、遠くから見るだけで、昼ごはんの時間になってしまった。

 いつものようにアリサとすずかと一緒に机をくっつけて、弁当を広げる。

 そんな状況でもなのはは少年のことが気になって仕方がない。

 男子と一緒に昼食を食べている少年へと自然に目を向けてしまう。

 どこか上の空ななのはにアリサが声を荒げた。

 

「ちょっと、なのは! そんなにあの転校生のこと気になるの?」

「え? いや、そんなことないよ!」

「嘘おっしゃい。 今日ずっと見ているじゃないの」

 

 なのははぎくりとした。

 まさか、少年に視線を向けているだけのことで、魔法のあれこれや、土下座のことが嗅ぎ付けられるとは思わない。

 それでも、秘密にしていることがある、そのことがなのはに余計なプレッシャーを与えていた。

 なのはの過剰な反応に、アリサはははーんと笑う。

 

「あなた惚れたわね」

「違うの!」

「じゃあ、なんでそんなに慌てるのよ?」

「それは……」

 

 なのはは口ごもる。

 何か言わなければいけないのは分かっているが、下手なことを言っては余計食いついてくる恐れもある。

 

「まあまあ、なのはちゃんも気になってるんだって」

「何よ? まさか、あんたも転校生を気にしているわけ?」

「やっぱりこの時期の転校生は珍しいからね……、結構興味はあるよ……。

 それにサッカー上手かったから、なのはちゃんのところのチームに入るんじゃないかって……」

「そうそう! サッカーといえば近々試合があるからね! 今の時期ならぎりぎり試合に参加できるかもしれないし、どうするのかなって思っていて」

 

 すずかの助け舟。

 それに乗っかる形でなのはは、近々行われるサッカーの試合へと、強引に話題を変えた。

 あまりに露骨ななのはの態度にアリサは眉をひそめるが、自分の話を中断されたことで気がそがれたのか。

 アリサの追求をなのはは逃れることができた。

 普段通りの日常だ。

 しかし、その日常の陰には間違いなく脅威が忍び寄っているのである。

 放課後に、なのははそれを実感することになる。

 

 

 

 突如、感じた悪寒。

 放課後、学校の帰り道である。

 それに従ってなのはは走り出した。

 悪寒の正体はジュエルシードの気配だった。

 気配を追ってたどり着いたのは、神社であった。

 長い階段を駆け上がると、そこには気絶した女性と口から牙を生やした獣のようなジュエルシードモンスターがいた。

 

「ひッ!?」

「大丈夫だよ、なのは。僕の言葉に合わせて、呪文を唱えるんだ!」

 

 ユーノの言葉に従い、なのはは起動パスワードを唱えた。

 すると、なのはの身体が光に包まれて、光が衣服として実体化した。

 どこか堅牢さを感じさせる白い衣装。

 それこそがバリアジャケット呼ばれるものであり、魔導士を守る鎧であった。

 布の柔らかさと鉄のような丈夫さを併せ持った優れものである。

 そして、手に現れたのは赤い宝石を先端に備えた魔法の杖、レイジングハート。

 魔導士が魔法を行使するために必要なデバイスであった。

 これで闘う準備は整った。

 不慣れながらも、自分がやるしかないという使命感でなのはは戦意を高揚させて――。

 そこにもう一人、あの少年が現れた。

 

「よう」

「あ! 座(すわる)くん!」

 

 土ノ下 座。

 この場にいる誰にも少年の用いた手段は分からなかったが、彼もまたこの異変を察知していた。

 魔法の力を何一つ持っていない、この場で一番弱いはずの少年。

 そんな少年はこの場にいる誰よりも不敵な面構えでジュエルシードモンスターを眺めている。

 ジュエルシードモンスターは少年の視線に押されてか、動かない。

 

「何か、出来るかもしれない。そう思ってここに来たんだが、どうやら必要なさそうだな」

「ええ!?」

 

 驚くなのはに少年は目配せすると、これまた不敵に笑った。

 

「今日のところは高町さんに任せようか」

「……どうして? 座くんが土下座をした方が早いんじゃないの?」

 

 なのはは躊躇する。

 少年の土下座で全てが解決するのなら自分がわざわざ出しゃばることはないのではないか。

 それは本来のなのはにはあり得ない消極的な想いだった。

 始まりは土下座だった。

 その土下座はどこまでも清らかで、向けられた全てを癒すかのような、効能があった。

 そして、少年は怪物すらも退治してみせた。

 それも傷つけるのではなく、癒すことによって。

 敵すら癒す少年の土下座を前にしてなのはは僅かに思う。

 自分でなくても良い、と。

 敵を癒せる分、自分の魔法よりも、少年の土下座の方が向いているのではないか、と。

 そして、今日ここにタイミングよく現れた少年は、自分にはない自信を身に纏って笑い――。

 自分が何かする必要性を感じさせないほどに不敵だった。

 少年の土下座。

 少年の態度。

 それらがなのはにはあり得ない消極性を生んでしまったことになる。

 であるのなら。

 その消極性を取り除くのもまた少年とその土下座の責務であった。

 

「どうやら、俺は昨日余計なことをしてしまったようだな」

「そんなことは……」

「だから、捧げさせてくれないか?」

「え?」

「これが、なのはに捧げる、俺の土下座だよ」

「ちょっと!」

「持っていってくれ、勇気を……」

 

 少年は動いた。

 それはしなやかな動きだった。

 土下座へと至る、腰を下げる動作が、筋肉を美しく輝かせているようだった。

 頭が重力に従い地へと吸い込まれていく、その光景には神秘的なものがあった。

 腰を下ろし、頭を下げる。

 幾らかのプロセスを経ているはずの土下座は、その工程ごとの切れ目を感じさせないほど流麗に完成されていて――。

 それ故に、まるで始めからそこにあったかのような錯覚さえ感じさせた。

 

「……ッ! 分かったよ!」

 

 土下座の出現を契機に飛び出してきたジュエルシードモンスターの前に、なのはは勢いよく飛び出した。

 怖くないわけではなかった。

 恐怖心を押しのけて去来した、使命感と誰かを助けたいという想い。

 それに身を任せることで、なのははほとんど反射的に動いたのだった。

 

「レイジングハートッ!」

『Protection』

 

 素早く構えたレイジングハートから迸る、魔法の結界がジュエルシードモンスターを阻む。

 敵は実体を持ち、幻獣形態へと姿を変えたジュエルシードモンスターだ。

 質量はそれなりにあり、魔法のそして実戦の初心者であるなのはにとっては接近されると少々きつい。

 ジュエルシードモンスターが四肢を強く踏み込むたびに衝撃がなのはを襲う。

 結界を押し切られたときにどうなってしまうのかを嫌でも想像させる。

 しかし、それでもなのはは恐れはしない。

 後ろに鎮座する土下座を守るという義務感。

 そして、土下座によって生まれた勇気。

 その二つを支えがなのはにはあったからだ。

 

「やぁ!」

 

 なのははジュエルシードモンスターを弾き飛ばした。

 弾き飛ばされたジュエルシードモンスターは宙空で反転し、着地する。

 睨み合う両者。

 間の空間に風が流れたところで、再び両者は動き始めた。

 

「なのは、まずは魔力弾でジュエルシードモンスターを弱らせるんだ!」

「うん! お願い!」

『Yes、Sir』

 

 なのはが手に持ったレイジングハートへと呼びかけると、先端の赤い宝石からピンク色の魔力弾が生み出される。

 それをどう使えば良いのか、ユーノからアドバイスも受けて、魔力弾を操るなのは。

 その複雑な軌跡にジュエルシードモンスターは戸惑い、動きを止める。

 やがて、狭まるピンク色の包囲網。

 ジュエルシードモンスターは成すすべもなく、ピンク色の光に貫かれた。

 

「今だ! 封印を!」

「分かった!」

 

 そして、なのはは封印の術式を唱えた。

 レイジングハートから帯状の光が伸びて、ジュエルシードモンスターに絡みつく。

 

「ジュエルシード、封印!」

 

 ジュエルシードモンスターは消えて、後に残ったジュエルシードもレイジングハートに吸い込まれていった。

 

 

 

 いつの間にか傾いている太陽。

 その赤い光を背中に受けていた少年はゆっくりと立ち上がった。

 一仕事終えて一息ついた職人を感じさせる所作である。

 

「座、君に聞きたいことがあるんだ」

「……ああ、そういえば、あんたは話すんだったっけ? 忘れてたよ。

 名前は……確か……」

「君には名乗っていなかったね。僕の名前はユーノ、ユーノ・スクライア」

「もう名乗ったとは思うがもう一度言っておこうか。土ノ下 座だ」

 

 今更の自己紹介を挟んで、ユーノは聞きたかったことを、少年へと尋ねた。

 

「座はどうしてなのはに土下座をしたんだい?」

「……そうだな。確信があった」

「確信?」

「高町さん。あんたを見たときにピンときたよ」

「え?」

 

 封印を終えて少し離れた位置で休憩をしていたなのはは、急に自分の名前が出て驚いた。

 

「高町さんは俺の土下座に頼ろうとしていたんだろうなって。

 この男に任せておけば問題はないんだろうから、自分は何もしないほうがいいんじゃないかって思っていたんだろう、と」

「……うん」

 

 なのはは目を伏せた。

 なのはを慰めるように、フェレットのユーノが背に飛び乗る。

 少年は少し慌てた様子を見せて言った。

 

「そんな申し訳なさそうな顔をしないでくれ。元を正せば俺が原因なんだからな」

「……それがどうして土下座をする理由になるんだい?」

「ああ、なんと言えばいいのか。

 高町さんが俺に頼り切るのは本来の流れから外れていて良くないことだ、と思ったんだよ」

「君がなのはに土下座をすれば、なにか変わると思ったのかい?」

「それは分からない。ただ、俺がこの場に来たのはジュエルシードモンスターに土下座をするためではなかった。

 ジュエルシードモンスターではなく高町さんに土下座をするために俺はここに導かれたのだという、確信に従ったまでのことさ」

「そんな理由で……」

 

 ユーノは驚いた。

 普通、バリアジャケットを纏った高位の魔導士でさえ、敵意を持った魔法生物に背中を晒すなどできない。

 できたとして、そこには防衛本能による躊躇が生まれて然るべきである。

 だが、少年はまるで当然だと言わんばかりに、無防備な背を晒した。

 それも生身という危険な状態で。

 その少年を守るために身を投げ出したなのはも凄いが、己の中にある確信だけを頼りに土下座を行う少年も尋常ではない。

 そういう風に驚くユーノとは正反対に、なのはは少し拗ねた顔をした。

 

「……むぅ」

「どうしたんだ、高町さん。少し不機嫌そうに見えるけど」

「なんか今の言い方だと、私になにも期待していなかったみたいに聞こえるよ」

「高町さん、それは違うぜ。俺は高町さんが俺を助けてくれる人だってことをちゃんと知っていたよ」

「本当に?」

「本当さ」

 

 ひと段落したところで、次の話題へと移った。

 少年が二人へと問う。

 

「じゃあ、明日からどうするか?」

「座くんはどうするつもりなの?」

「俺も手伝うよ。実は今日俺もそのことで話をするつもりだったんだが、時間が取れなくてね。

 高町さんはやれるかい?」

「もちろん!」

「一緒にがんばろう」

「うん!」

 

 夕日を背に握手をする二人。

 魔法少女と土下座少年。

 二人の協力関係が今ここに築かれたのだった。



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三話、海鳴市民総出の土下座

 夜の住宅街を飛ぶ、一人の少女がいた。

 ロングスカートの少女が、精巧な意匠で彩られた杖を両手に構えている。

 足から伸びたピンクの翼が少女の飛行を手助けしているようだった。

 その少女は何かを追っていた。

 

 ――GRUUU!

 

 それは怪物であった。

 大の大人ですら両手に収められないほどに発達した四肢。

 刃渡り30センチのナイフと同じサイズの牙に、それらがかみ合わさった顎。

 黄金に輝く毛並み。

 怪物であった。

 その能力もまたすさまじい。

 コンクリートの地面を踏み抜く脚力。

 その巨躯で宙へと跳ねる俊敏性。

 全てが現存する生物の規格の外であった。

 もし、人が襲われれば溜まったものではない。

 少女は人知れず街を守る正義の味方であった。

 魔法の力を、宿した戦士であった。

 少女の操る桃色の魔力弾は、俊敏に動き、怪物を追い詰めていた。

 闇雲ではないようだった。

 確かな戦術上の意味を持って、怪物を誘導する意志。

 少女の所作にはそれを感じさせる何かがある。

 

 ――!?

 

 その証拠に、進行方向に一人の少年がいた。

 パーカーを羽織っている。

 フードを被って陰になっている顔からは、表情をうかがい知ることはできない。

 少年は、ただ、ポケットに手を突っ込んで、無造作に立っていた。

 その立ち姿に恐れなど微塵もない。

 あるのは意志の力である。

 何事かを成そうとする強靭な意志が少年の半径10メートルほどの空間を撓ませ、その背景をぐにゃぐにゃに歪めている。

 ひ弱な、魔法の力すら感じさせない少年に、魔導士ですら持ちえないものが宿っていた。

 

 ――SYAAA!

 

 それがどうした。

 怪物の口元が歪む。

 少年の決意を鼻で笑い、取るに足りないものとして蹂躙する、思惑が表れている。

 例え、どのような思想であっても、暴力には勝てない。

 その現実を刻み付けるべく、怪物は少年へと牙を向ける。

 距離にして5メートル。

 怪物の感覚からしてみれば、ごくわずかの距離である。

 大地を蹴るために脚に力を込めて、怪物はその先に異形の形を見た。

 

 ――!?

 

 少年の正座。

 それを視界に入れた瞬間に、怪物は理解不能の現象を目にして、体験した。

 少年の身体が突如、光輝いたのである。

 光は帯状に広がり、空間ごと怪物を照らし出した。

 そして、痛みがあった。

 少年から放たれる光が身体をなでるたびに、その部分に鋭い痛みが、はしるのである。

 『アレ』はまずい。

 そう思う間もなかった。

 己を構成する後ろめたさが浮き彫りにされて、さらされてしまったような苦しみ。

 それが全身を焼いているものの正体である。

 早く止めねば。

 しかし、怪物が少年の更なる動きを止めることは不可能だろう。

 少年の腰を下ろす動作すら、その目に捉えることはできなかったのだから。

 土下座が完成したその時にはもう、怪物は光の粒となって、大気へと溶けていた。

 後に残るのは、ジュエルシード、輝く宝石のみである。

 少年、土ノ下 座(つちのした すわる)はその宝石を拾った。

 

 

 

「はいよ」

「ありがとう」

 

 魔法少女、高町なのはは少年から、ジュエルシードを受け取った。

 土下座の少年との共闘が始まってから、一週間が経っている。

 ジュエルシードの暴走は場所も時も選ばない。

 しかし、ある程度の法則性があるらしく、大抵こういう夜半に暴走が起こる。

 だから、家の者には内緒で、こうして外へと出ることが多くなった。

 なのははまだ小学三年生。

 基本的、夜間に一人で外出することは許されていないのだ。

 

「ありがとう。私一人じゃ、まだ、どうにも取り逃しそうになっちゃうし」

「いやいや、俺も楽させてもらってるよ。俺じゃジュエルシードモンスターには追いつけないしね」

 

 少年一人ではジュエルシードモンスターに追いつくことはできない。

 そして、特別な才能を持つなのはであっても、一人でジュエルシードモンスターの相手をするのはどうにも不安だ。

 空を飛べて、上空から魔力弾による追い込みができるなのはと確実にジュエルシードモンスターを浄化できる少年。

 二人の組み合わせは、この街に起きる異変にドンピシャでかみ合っていた。

 

「二人とも、お待たせ」

「ユーノ君!」

「どうやら、無事のようだね」

 

 一匹のフェレットが街頭の影から姿を現われた。

 人語を操る魔法使いのフェレットであった。

 人払いの結界を張るためにわざわざ離れていたのだ。

 その結界はジュエルシードモンスターの封印が済んでいる現在は解かれている。

 

「どう、そのマジックアイテムの調子は?」

「ああ、念話はスムーズだったよ。まさか、俺でも念話ができるとはな」

 

 少年はポケットから宝石を取り出した。

 ユーノが渡したマジックアイテムである。

 非魔法使いであっても、対象と心のうちで会話が可能となる、優れた道具であった。

 これのおかげでなのはと少年はスムーズに連携が取れていた。

 鎖で繋がれた宝石は首からもかけられるだろうが、魔法の道具ということもあって、人目がつかないようにベルトに鎖を繋いで上でポケットに入れている。

 それなりに重量もあるので、紛失に気がつかないことはないだろう。

 

「でも、いつ見ても君の術は興味深いね」

「そうかい?」

「ああ、一体どういう原理で封印を施しているのか、ジュエルシードを調べても分からない」

「ふふん」

「君は一体あの現象をどう説明する?」

 

 少年は顎に手を当てた。

 もともと、答えようのない質問である。

 土下座をして、結果、ああいうことが起こる。

 余人では説明はおろか、そのシステムを解明することすらできないだろう。

 だが、少年は自分の考えをまとめる作業を終えたようで、ユーノの目線に応えるように目を合わせた。

 

「中々難しい……が、俺の土下座はあの怪物たちの心に働きかけているじゃないか、と思っている」

「心?」

「そうだ、最初に俺は説明してたよな。ジュエルシードモンスターは誰かの願いを叶えられなかったものの末路だ、と」

「ああ」

「その未練とそれに伴って生じた後ろめたさ……土下座はそんな負の感情に大きく働きかけたりするんだよ」

 

 今、二人と一匹は住宅街を歩いている。

 道端の電灯が照らした少年の顔には、思考から滲み出る、深海のような深みがあった。

 

「だから、あいつらは俺の土下座に過剰に反応してしまう、心が生み出す感情を心が受け止めきれない。

 その一種の防衛として、自らが自らを封印する……そんなところかな」

「理に適っている……のかは判断できないけど、分かりやすい理屈ではあるね」

 

 ジュエルシードは願いを叶える宝石。

 しかし、過去に使いこなせた形跡もない上に、今や本来の用途で使いこなせる者はいない。

 無理に使おうとすれば、それこそ次元世界単位での災いが降りかかるのは目に見えている。

 もはや、誰も真っ当に使うこともない、誰からも必要とされない道具。

 

「かわいそうな話だよね」

 

 ふっとなのはは言った。

 誰からも必要とされていない。

 かつての己を思い出させる、ジュエルシードの在り方に、自分自身を重ねてしまったのである。

 その想いは結局のところ勘違いであったが、父が重症を負った時の寂しさは言葉にできない。

 

「誰かが必要としたから生まれてきたはずなのに、こうやって誰かに迷惑をかけるだけだなんて」

 

 自分はまだ良いと、なのはは思う。

 導き助けてくれる家族がいたのだから。

 だが、ジュエルシードには、自分を正しく使える者がいない。

 無理矢理に誰かがジュエルシードを使ったとしても、ジュエルシードは持ち主に害を及ぼしてしまう。

 それはお互いにとって不幸なことだ。

 

「……じゃあ、この騒動はもう使われない道具の無念さが引き起こしたのかもしれんな」

「否定はできないかもね。ロストロギアには人知を超えたオカルトな部分もあるから」

 

 ジュエルシードがばら撒かれてしまった事故の原因をユーノは未だに知らない。

 輸送船は無事に回収されただろうが、その顛末がどうなっているのか?

 管理局は動き出しているだろう、という推測はしている。

 散逸したジュエルシードの探索も行われていることだろう。

 しかし、世界は数えるのも億劫になる程度には存在している。

 その無数にある世界の内どこにジュエルシードが落ちてしまったのかを追うのには、時間がかかるはずだ。

 それこそ、あらかじめ事故が起きることを知っている人間でなければ。

 ユーノが管理局を交信を試みようにも、そこまでの魔力を回復できていない。

 当分は自分たちで何とかするしかなかった。

 

「でも、絶対に誰かに使わせるわけにはいかないよ。

 特に、人が使った場合は被害の大きさが今までの比じゃなくなってしまうんだから」

 

 ユーノの言葉の意味はなのはにもよく分かった。

 ジュエルシードへの余計な感傷は事態を悪化させる。

 同情心から、ジュエルシードを見逃すことなどできるはずもないのだ。

 できることはジュエルシードに封印を施すことだけ。

 

「うん」

 

 なのはは答えながら、それでも考えた。

 熟練の魔導士ですら望みを叶えることは難しい、ロストロギアのジュエルシード。

 ジュエルシードを正しく扱える者などいるわけがない。

 だが、もしそれでも、ジュエルシードの行使により願いを正しい形で叶えることができる人間がいるとすれば――。

 どういう人間なのだろうか、と。

 まだ、魔法の道を歩み始めたばかりのなのはには分からない。

 ただ、そういう人間がいるとするのなら。

 それは、土下座で祈ることのできる人間かもしれない。

 なのはの視線の先では、少年が険しい顔をして、何かを思案していた。

 

 

 

「私のせいだよね」

 

 なのははビルの屋上に立っている。

 手すりの向こうに広がる、光景を見下ろした。

 異様なことが起こっていた。

 街の至るところに巨大な樹が生えていたのだ。

 大きな幹であった。

 一つ一つが樹齢数百年の樹に匹敵する太さがある。

 

「そんなことを言ったら、俺も同罪だぜ」

「そうだよ、僕だって止めようと思えば止めれたはずだから」

 

 なのはを慰めるように言った、一人と一匹はその樹木の群れを見るために首を左右へと動かした。

 何せ、樹の群れは街中に広がっている。

 今は全容を確認するべくビルの屋上にいるのであるが、それでも被害の全てを目に収めることは叶わない。

 それほどまでに木々が広がった規模は大きかった。

 当然、その巨体を支えるために伸びた根も、太くて長い。

 折り重なった木の根は街全体を縛り上げる巨大な鎖、と同等のスケールだ。

 今、眼下では巨木に押しのけられたアスファルトと建造物、それら被害に対応する救急と消防の喧騒がある。

 突如、出現し巨大な姿へと成長した樹木による破壊で、街は壊れかけていた。

 

「でも、私があの時動いていれば……」

 

 なのはが罪悪感を抱いているのには理由があった。

 そもそも、この異変はジュエルシードが起こしているわけだが、それを止める機会は確かにあったのである。

 経緯はこうだ。

 なのははサッカーの試合を見に行っていた。

 父親である高町士郎が監督を務める少年サッカーチーム、翠屋JFCの試合だった。

 連日のジュエルシード騒動に疲れたなのはの息抜きである。

 試合日和の晴天の中行われた試合、ベンチではあるがマウンドに立ち要所要所で得点につながるプレーをした少年の活躍と翠屋JFCの勝利。

 アリサとすずかと楽しく観戦することができたなのはは上機嫌だった。

 そして、その時になのははジュエルシードの気配に気がついた。

 翠屋JFCのゴールキーパー。

 彼がジュエルシードを偶然拾っていたらしかった。

 だが、なのはとユーノは取りあえず、と様子見をしてしまったのだ。

 結果、止められるはずの災害は起こってしまった。

 被害が出たのは建造物のみではない。

 誰かの叫び声がどこかで響いていた。

 

「止めないで! 息子が中にいるのよ!」

「危険だ! あんたも死んじまうぞ!」

 

 家に子供を置き忘れた母親が、危険を承知で倒壊寸前の家へと入ろうとしている。

 しかし、家屋は半ば傾いていて、近づこうにもそこら中に張った木の根っこと隆起したアスファルトが行く手を阻んでいた。

 素人が手を出しても状況は悪化するばかりで、恐らく、専門のレスキューでもなければどうにもならないであろう状況。

 しかも、悪いことに救助隊が駆けつけてくれる保証はない。

 街に絡みついた樹木とひび割れた道路は車両の通行を阻んでいる。

 どうしたって時間は大きくロスしてしまう。

 

「……ううう。助けて……」

「誰か、誰か、手を貸してくれ! 車の下敷きになっている人がいるんだ!」

 

 ある所では、男がひっくり返った乗用車の下で苦しみ掠れた声を上げる女性を助けようと懸命になっていた。

 だが、男一人の腕力でどうにもなるものではない。

 だから、大声を上げて応援を呼んでいるのであるが、目に見える範囲に人はいない。

 男は叫び、女性を励ましながらも途方に暮れた。

 どうすれば彼女を助けることができるのか、男には分からない。

 

「……ひどい」

 

 街中でパニックが起きていた。

 傷を負った者。

 そして、誰かを助けようとする者。

 彼らにはできることが限られている、という共通点があった。

 木々は住民たちの行動を妨げている。

 傷を負った者は早く治療をしなければならない。

 人によっては病院で医者に診てもらわなければならない、重傷を負っている者もいる。

 だが、彼らの大半は自力で病院へと行くことはできない。

 傷の重さもそうだし、悪路と化した道路を進むことは容易ではないからだ。

 そういう人たちを救助するための救急隊であるのだが、これもまた木々が邪魔をして迅速な行動が取れなくなっている。

 助けを必要とする人が大勢いるのに、その助けはなかなか来ない。

 拡がっていく悲鳴と怒声をなのはは、そして、ユーノと少年は確かに聞いたのだった。

 なのはは肩を落としている。

 ユーノが再び励まそうとした、その時だった。

 

「私に何ができるのか教えて……ユーノくん」

「……うん!」

 

 なのはは顔を上げた。

 そこにあるのは後悔ではない。

 静かな決意を込めた瞳で、なのはは街を見渡していたのだ。

 この事態を収束させるためにやれることは何だってする、鋼のような強固な決意がそこにはあった。

 

「まず、探知魔法を使って核を探すんだ」

 

 これほどの規模がある樹木である。

 通常ならばためらう指示だったが、今のなのはにはそれくらいはやってしまうと感じさせるほどの頼もしさがあった。

 

「分かった。お願い、レイジングハート!」

 

 なのはは目を閉じて、感覚を全てレイジングハートに委ねた。

 レイジングハートを伝わって、周囲の感覚が伝わってくる。

 自分を見つめるユートの少年の姿が、目を閉じていても見えるのだ。

 その感覚はどんどん拡がっていき、街全体を覆う樹木の一本一本の魔力の流れすらも、俯瞰として見られる規模にまでなった。

 

「見つけた」

 

 一箇所。

 樹木が吸い上げたエネルギーが集まり凝固した部分があった。

 枝が寄り集まって、球形に膨らんでいる箇所であった。

 よほど大事なものを守っている、ことは簡単に想像がついた。

 樹木の中心に違いなかった。

 

「なるほど、結構、遠いね。一度、近づいてから――」

「ここから封印する」

「無理だ。遠すぎるよ!」

「大丈夫! できるよ!」

 

 コアまでの距離は遠い。

 正確な距離は分からないが、数キロは離れているように見える。

 ユーノは一度空を飛んで近づいてから魔法で撃ち抜くことを提案したが、なのははその提案を蹴った。

 限りなく遠くにある、樹木の心臓部。

 そこまでの距離が、なのはにはやけに近く思えた。

 それは気のせいなどではない。

 なのはに生まれた固い意志が、内に眠る才能を掘り起こしつつあったのだ。

 その才能が叫んでいた。

 やれるのだ、と。

 

「レイジングハート、力を貸して!」

「……なのは! まさか、君は」

 

 己の内なる声に従い力を解放したなのはは己の愛機を変化させていく。

 より流線型に、射線上の大気を切り裂く鋭い形状にレイジングハートは生まれ変わる。

 

「リリカルマジカル! ジュエルシード、シリアルⅩ……封印!」

 

 なのはの身体が淡い桃色で包まれた。

 一点へと、レイジングハートの先端へと一気に収束した。

 桃色の光は勢いよく打ち出されて、照準の先にある、ジュエルシードへと殺到する。

 ディバインバスター。

 その射程と威力にユーノは、そして、少年は戦慄した。

 しかし――、樹木の主は諦めない。

 

「なっ!?」

 

 木は生き物のように動いた。

 己の本体を守るように、核部分に木の枝が次々と巻いていく。

 なのはのディバインバスターは木の枝程度は容易にへし折る。

 だが、折れた側から別の枝が盾となり、光はジュエルシードへと届かない。

 なのはか樹木、のどちらが先に力つきるのかの我慢比べの様相だが、これは圧倒的になのはの方が不利だ。

 何せ樹木は地に張った無数の根からエネルギーを吸い上げることができるのだから。

 

「俺の出番か――」

「座くん!?」

 

 固い声を上げる後ろの少年。

 その姿を感知した、なのはは驚いていた。

 少年が上に着ていたものを脱いで、上半身を裸にしていたからである。

 

 

 

 露わになった肉体は細身でありながら、力で満ちていた。

 隆起こそしていない。

 しかし、細く凝縮されたバネ。

 それを思わせる力強さが屈強な印象を少年に与えていた。

 これほどの肉体を作るために一体どれほどの労力が必要なのだろうか?

 なのははこういう肉体を持っている人間を、少なくとも3人は知っていた。

 高町士郎、高町恭介、高町美由希。

 いずれもがなのはの肉親で同じ流派に所属する人間である。

 彼らは毎日、厳しい修行に励んでいる。

 血と汗を絞り尽くすような修行だ。

 側からそういう光景を見ていたなのはには、少年がどれほど厳しい環境に己を放り込んでいたのかは想像がついた。

 土下座をする、それだけのために、少年がこしらえた肉体は、よほど力が入っているのか、常軌を逸した気配を放っていた。

 

「なのは、そのままだ。そのまま、魔法を放ち続けてくれないか?

 後、二十秒もあれば十分だが、できるかい?」

「大丈夫! ジュエルシードを封印するまで、私は諦めないんだから!」

 

 少年は笑った。

 これから、執りおこなう業は至難のものだ。

 少年も成功させたことは一度たりともない。

 常識的に考えて、今できるという保証はない。

 

「なのは、お前は凄い奴だなぁ」

 

 しかし、なのはは成長して見せた。

 少年は魔法の術理をよくは知らない。

 精々が、凄いものだ、という程度の感想しか持ち合わせていない。

 そんな少年でもなのはが凄いことは分かる。

 街を襲った災害とそれがもたらす被害。

 少女一人が背負うにはあまりにも重い。

 それでも、少女はくじけなかった。

 くじけずに、この悲劇に立ち向かうことを選択したのだ。

 

「ならば、今度は俺の番だぜ」

 

 少年もまた、決意した。

 成長することを――。

 

「俺は……土下座をする!」

 

 少年は正座をした。

 目を閉じて、集中した。

 

 

 

 町ではすでに救助活動が始まっていた。

 救急隊は車で移動できる所までは車に乗り、できる限り救助を必要とする者の近くで車から降りて助けへと向かう。

 動ける者の中には、自分が二次災害に合わないようにしながらも、可能な範囲で人を助けようとする一般人もいる。

 そういう一般人の働きは大いに救急隊の助けになっている。

 どこで、誰が被害にあっているのか、を報告するだけの人間も多い。

 しかし、それでも構わなかった。

 広範囲に及んだ全てを把握するのも難しい現状、情報の提供だけでも力になるのだ。

 だが、それでも致命的に人手が足りていなかった。

 レスキュー隊の隊長が、恨めし気に生い茂る木々を睨む。

 せめて、救急車両がまともに使えていれば。

 そこまで、考えて隊長はいかつい顔を振った。

 そんなことを考えている場合ではないのだ。

 できることを迅速に行い、被害を最小限にする。

 それが自分の使命なのだ、と考えて、ふと一点に視線が集中した。

 

「……なんだ、あの光は?」

 

 桃色の輝きが樹の中心地点から放たれていた。

 その光に目を奪われたのは、彼だけではなかった。

 街で救助活動を手伝う人も、異変に巻き込まれてしまった人も、全員が等しくその網膜に光を焼き付ける。

 異常発達した樹木が光を発する様に、街中の視線が引き寄せられていた。

 なのはの放ったディバインバスターの魔力光。

 木々に遮られたそれが散り散りとなり、大気へと散っていくその様に、人の精神が揺さぶられていく。

 揺さぶられた精神から生れ落ちる、その感情の名は――。

 

「人の内に眠る畏怖という感情……それはある行為と深く結びついている」

 

 いにしえの時代。

 人は災害に対して全くの無力であった。

 雨が降り続ければ、洪水となる。

 日が照り続ければ、干ばつとなる。

 治水、貯水の概念が無い時代のことだ。

 そんな時、人はどうしてきたのか?

 祈るのである。

 一心に心を込めて、頭を垂れて、何者かに祈るのである。

 己の全存在を賭けて、事をたくすのである。

 古代に誕生した祈りの姿勢こそが土下座であった。

 そして、科学が進歩し、人が祈ることの珍しくなった現代。

 2000年もの時を超えて成就されるべきものがある。

 

「この街に生きる人々よ……今こそ、遠い過去に遺伝子に刻まれた約定を果たすのだ」

 

 人が忘れていたもの。

 かつてそこにあった、己の手に届かぬものを当り前のように諦め、全てを天に委ねる姿勢。

 少年はそれを取り戻せと言っているのだ。

 なぜなら、その先にこそ求めて止まないものがあるはずなのだから。

 

「ジュエルシードよ! お前が本当に願いを叶える宝石だというのならば、俺たちの願いを叶えてみせろ!」

 

 少年は頭を下げた。

 

 

 

 人々の背中を何者かがとん、と押した。

 誰かのいたずらではないか、と思った人もいた。

 だがそういう人も、周りの人々がほとんど同時に倒れ込んでいたこと、そういう証言が街中であったことから、後にあれはいたずらではなかったと気付くことになる。

 あの不思議な現象を何だったのだろうか?

 押された人たちはつんのめった。

 無防備な背中を押されたのだから、当然のことだ。

 上半身は倒れて、視界にある地面が近づいてくる。

 両手は自然と頭部をかばう。

 人はここで驚愕する。

 その形は正しく、人類の敗北を描いた形であった。

 

「一体……自分は何をやっているんだ?」

 

 両手を地面へと突き、頭を下げたその形こそは正しく土下座であった。

 人前でするのもはばかれるその姿勢。

 超常現象への畏怖が遺伝子に眠るこの形を引き出していた。

 自らの敗北を強制的に認めさせられるという異常事態の発生。

 人の精神には受け入れられる衝撃の許容量がある。

 限界を超えたショックによって揺さぶられ続けた人の精神はついに屈服し、何者かに全てを預ける境地へと、導かれていく。

 

「……助けてください」

 

 誰かが正直に告白した。

 誰かの言葉を皮切りに助けてくれ、という生々しい願いが声となる。

 海鳴市という同じ街にこそいるが遠く離れた人々はほとんど同時に、この災害からの救いを口にしていく。

 この理不尽なできごとから、どうか私たちを助けてください。

 それは古代の時代の再現ともいうべき光景であった。

 天へと向けた無垢な祈りがそこにはあった。

 土下座という正しい形が、人の想いを練り上げて、より洗練させたものとしてジュエルシードへと届けていく。

 海鳴市の無数の人々の願い。

 それがジュエルシードへと向けられた。

 後世に語り継がれる、海鳴総土下座。

 その完成の瞬間であった。

 ジュエルシードが輝いた。

 海鳴市の願いを吸収しているかのように。

 願いを叶える宝石は一際強く輝き、街を光が包み込み、そして、奇跡が起こった。

 

 

 

 全ての物がもとに戻ろうとしていた。

 壊れた建造物や穿たれたアスファルトだけではない。

 倒壊した建築物の一部などに巻き込まれて、けがを負った人々。

 そういう被害さえも、あるいは人にとってマイナスな影響を全て打ち消すように、光は全てを正しい形へと戻していくようである。

 元凶の樹木さえも、その例外ではない。

 木は急激にやせ細り、縮んでいき、街から消えていくのである。

 時計の針を逆に回したような変化は、街を覆い尽くすほどの巨大な木々たちを、ついには誕生の前の状態にすら戻してしまう。

 後に残ったのは、異変の前と寸分たりとも変わらない街並みと呆然と立ち尽くす人々のみだけだった。

 

 

 

「す、凄い!」

 

 二人をそばから見ていたユーノには二人の起こした現象がどういうものなのか、おぼろげながらにつかめていた。

 異常成長した木々。

 なのはの魔力光の輝き。

 二つの超常現象が人々に与えた巨大な衝撃。

 それを畏怖という感情として、少年がまとめあげたのである。

 土下座という手段を用いて。

 人や物に宿るとされる負の感情を解き放つ土下座はそれらの感情と相性が良い。

 思念の波を土下座は容易く伝わった。

 

「ふ、二人とも!」

 

 なのはと少年が膝から崩れ落ちた。

 海鳴市の全ての人間が目撃できるほどの規模のディバインバスター。

 海鳴市の全ての人間と気を合わせて放った土下座。

 二人にとっても体力の根限りを使って初めて成しえる絶技だった。

 立ち上がるだけの体力が二人には残っていなかった。

 

「やったね! 座くん!」

「……ああ」

 

 なのはと少年は屋上の上で大の字になった。

 今は身体にある疲労感すらも心地良かった。

 見上げた空はどこまでも青かった。

 

 

 

 その青い空の向こうから、この世界を窺う視線があった。

 ジュエルシード、願いを叶える宝石。

 個人的な事情により、このロストロギアを求めて止まない人間が少なくとも一人はいた。

 この地に起きた大きな異変は、その大きさ故に、ある少女の目に留まった。

 金髪の少女。

 フェイト・テスタロッサが情報を集めて、地球という惑星の日本。

 更に言えば海鳴市という街にジュエルシードが落ちたという確信を得た。

 少女の目の奥に静かな光が灯った。

 

「見つけた」

 

 魔法少女がやってくる。

 ジュエルシードを狙って。

 少女が果たして、なのはと協力できるのか否か?

 それは少女がジュエルシードへと託す願い、そして、土下座に左右されるだろう。



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第四話、懐柔の土下座

 祈りを必要とする人間。
 その見極めこそが、土下座にとって肝要である。

 ――土下座を操る少年の言葉


 その女の子との出会いは決して良いものじゃなかった。

 海鳴市に散らばったジュエルシードを集めるお手伝い。

 初めて顔を合わせたのはその最中だった。

 

「ジュエルシードは渡さない」

 

 金色の髪をした、綺麗な目の女の子には譲れない理由があった。

 ジュエルシードを巡り始まってしまった闘い。

 なんの覚悟もなく向き合った結果は散々なもので、気絶させられてしまった。

 親友のアリサちゃんとすずかちゃん。

 お兄ちゃんやその恋人の忍さんにも心配をかけてしまって、反省した。

 

「今さら、止めないでよ。もうこれは、ユーノくんだけの問題じゃないんだよ」

 

 それでも、手伝いを止めるつもりはなかった。

 ジュエルシードを放っておいたら、家族に友達に、街のみんなが危険な目に合うかもしれないからってだけじゃない。

 あの子の綺麗な目を思い出すたびに、放っておけない、と思ってしまう。

 だから、あきらめなかった。

 温泉宿であの子と会えたときは、チャンスだと思った。

 あの子の使い魔、赤い狼に変身できるアルフってお姉さんに脅されて怖かったけれど、なんとか闘った。

 それでも、あの子には歯が立たなくて、結局、ジュエルシードは奪われてしまう。

 あの子とは闘うしかないのだろうか?

 そんな悩みは募りに募って、遂にはアリサちゃんにも怒られてしまう。

 すずかちゃんはなだめてくれたけど、きっと、悩みを打ち明けてくれない親友をもどかしく思っているのだろう、と胸が締め付けられた。

 そんな悩みを抱えてジュエルシードを探す日々の中で、また、フェイトちゃんと会うことになった。

 

「フェイトちゃん。あなたはどうして、ジュエルシードを集めるの?」

 

 今度こそお話しができたらなって思う。

 アリサちゃんとすずかちゃんとは最初、友達じゃなかった。

 ちゃんとお話ができなかったから。

 しっかり理解し会えなかったから。

 私たちは同じ目的を持つもの同士。

 ぶつかり合うのは仕方がないのかもしれない。

 でも――。

 

「分かり合えないまま、分かり合おうとしないまま、闘うなんて嫌だよ!」

 

 だから、フェイトちゃんに語りかける。

 闘う理由と守りたいという思いを。

 でも、話を聞いてくれない。

 フェイトちゃんと何度もぶつかり合い、同時に、ジュエルシードへと杖を伸ばした。

 

「きゃぁ!?」

「なのはーーー!」

 

 ジュエルシードが暴発して、フェイトちゃんと一緒に吹き飛ばされてしまった。

 フェイトちゃんの立ち直りは早い。

 身体は怪我だらけで、手に持っているバルディッシュにはたくさんのヒビが入っているのに、ジュエルシードに向けて躊躇なく飛び込んでいく。

 止めなくちゃ、と思ってもとっさのことに身体は動かなくて、誰か止めてあげて、と祈った瞬間だった。

 

「下がってくれ」

 

 その深みのある声はよく知っていた。

 最近は、ジュエルシードを見つけたときに側にいないときも多くなったけど、私の負担を減らすようにユーノくんと一緒にジュエルシード探しを買って出てくれる、大事な友達。

 この状況でもっとも頼りになる男の子の登場に心底安堵していた。

 

「このジュエルシードの封印は俺に任せてもらおうか」

 

 座くんの言葉でフェイトちゃんが止まっていた。

 

 

 

 

 

 魔力のない一般人。

 少年に対する第一印象だ。

 魔力がなければジュエルシードは封印できない。

 増してや、相手は再び暴走状態に入り始めたジュエルシードだ。

 見るからに妖しい気配を漂わせたその物体に近寄ろうとする物好きはいないだろう。

 しかし、少年は違った。

 逆に全身から闘志をみなぎらせてジュエルシードへと一歩、また一歩と近づいていった。

 

「近づいちゃダメ!」

「良いよフェイト。私が止める!」

 

 今のジュエルシードはいつ暴発するかも分からない、危険物だ。

 魔道士ならばともかく魔力のない一般人が近づいて良いものではない。

 フェイトは純粋な心配から少年を止めようとする。

 アルフも少年のあまりにも無謀な行動を止めるべく、飛び出そうとする。

 そんな二人の前に、立ち塞がる一人、と一匹。

 

「止めないであげて!」

「ストップだ!」

 

 なのはとユーノがフェイトとアルフを制止した。

 一般人を危険にさらす彼らの行動は一見して不可解だ。

 

「どうして、止めるの? このままじゃ、あの子が怪我を、いや、もっとひどい目に合うかもしれない」

「なんなのさあんたら! なんで邪魔をするんだよ!」

 

 フェイトとアルフの叫びと狼狽はもっともなもので。

 しかし、それ以上に的外れなものでもあった。

 彼らは知らない、少年が只者ではないことを。

 魔法以上に不可思議な作法を操る人間であることを。

 彼らは知らない。

 

「大丈夫だよ、フェイトちゃん。

 だって、座くんは魔法を使うことができるんだから!」

「!?」

「なんだって!?」

 

 フェイトとアルフは同時に驚く。

 魔法の行使に、魔力は不可欠。

 それは魔道士にとっては常識であった。

 常識以上のルールですらあった。

 魔力の持たないものはどうあがいたところで魔法は使えないし、魔法が使えないのならばジュエルシードの封印などできるはずもない。

 到底、信じられる言葉ではない。

 

「嘘をつくんじゃないよ!」

「嘘じゃない。事実、彼には複数のジュエルシードを封印している実績がある」

「だから、嘘をつくなと言っているんだよ!」

 

 どれだけ言葉を尽くしても、話は並行線だ。

 実際に目で見ない限り信じることができないもの。

 それこそが魔法であり、魔法をも超えた奇跡なのだから。

 ただ、会話は長くは続かない。

 少年はゆっくりとは言え、確実にジュエルシードへとたどり着いていた。

 

「君もまた、願いを叶えられない哀しみに身を焦がしているのか」

 

 そんな周囲を他所に、ジュエルシードの前に立つ少年はゆっくりと呟いた。

 少年の見解は的を得ているのか、いないのか。

 それは余人には分からないが、彼の所作には迷える子羊を導く神官のような、後輩に行くべき道を指し示す先駆者のような。

 尋常ならざる印象がある。

 

「だから、捧げさせてくれ。君の無念に応えさせておくれ」

 

 少年の精神と肉体はすでに駆動の準備ができていた。

 精神は次なる動きを見定めていて、肉体は完璧な脱力の中にある。

 魔道士たちが見惚れて、思わず口論を中断してしまうほどに見事な立ち姿。

 それすらもこれから始まる儀式の序章に過ぎなかった。

 

「見てくれ。俺の渾身の土下座を――」

 

 少年の身体が流れるように動いた。

 

 

 

 

 

 

「なにが起こっているの!?」

 

 フェイトの声が擦れる。

 その目は大きく開かれていて、握っている杖を強く握りしめていることから、その驚愕の深さは相当なものだ、と思われる。

 実際、フェイトは驚いていた。

 少年の動きは滑らかだった。

 地面へと正座し、頭を下げて両手を添える。

 その動作と動作の間につなぎ目が一切存在しないのである。

 座り始めたと思えばもう頭を下げ始めていて、胴体が前に傾いたかと思えばもう頭が地面についているのである。

 ただ、滑らかなだけではこうはならない。

 見ているものが見たものを処理する速度を上回る、素早さが伴っているからこその現象でもあった。

 

 ――え? これだけ?

 

 フェイトは呆気にとられる。

 所作が見事なのは、分かった。

 しかし、その見事な所作はなんの力にもならないのだ。

 こんな動作でジュエルシードの封印ができるはずもない。

 少年が危険だ。

 やはり、自分がなんとかしなければ、と前に出ようとした瞬間だった。

 それが起こったのは。

 

「なッ!?」

「ちょっと、ちょっと! 一体、何なんだい!?」

 

 突如、少年から発生した光と対抗するかのように荒ぶるジュエルシードに、フェイトとアルフはびくりとした。

 相変わらず少年自身には魔力の痕跡は見られない。

 しかし、少年の発する光と、荒ぶる魔力が拮抗しているかのようにぶつかり合っている。

 そのあり得ない変化にフェイトとアルフはおののいた。

 ジュエルシードは解明されていない部分の多いロストロギア。

 なにが起きてもおかしくはない。

 少年の余計な行動のせいで、さらなる暴走でも起こったのか。

 最悪の想像が脳裏をよぎる。

 

「信じてあげて」

 

 フェイトは隣を見た。

 寄り添うようになのはが立っている。

 それに気づかなかったあたりに、フェイトの狼狽ぐあいは良く現れていた。

 

「信じてあげようよ、座くんの魔法をさ」

「いや、あれはどう見ても魔法じゃなくて、頭を下げてるだけじゃ――」

 

 フェイトにはなのはの言っていることの意味が分からない。

 それも当然の話だ。

 なのはが発する言葉は、少年の起こす奇跡への理解が下地にある。

 それをいきなりストレートに発したところで、なのはの見解に追いつけるはずもない。

 だが、それでも、説得の効果はあった。

 なのはの少年を見守る姿勢から、否応なしに、伝わってくる深い信頼。

 それが少しくらいなら様子見しても良いかもしれない、という態度をフェイトから引き出していた。

 

「違うよ。ただ、頭を下げているだけじゃない。

 あれは座くんの祈り。ジュエルシードに捧げる祈り」

「祈り?」

 

 相変わらず不安定な、ジュエルシードの魔力。

 光を押しのけようとする魔力は凄まじく、先ほどの暴発以上の暴走の前兆ですらあった。

 

「うん。自分のために、誰かのために、捧げる祈りの姿勢。

 そして、そこに込める心こそが、座くんの魔法なんだ」

 

 その拮抗が破られていく。

 少年の練り上げた意思が。

 地に頭を擦りつけて、両手を添えた姿勢により洗練された祈りが。

 輝きをより強くしていく。

 輝きが魔力を侵食していく。

 

 彼の行為は、肉体と想いが織りなす三次元的な術式。

 それは魔導士が駆使する魔法陣と比べても遜色のない、いや、それ以上の美しさがある。

 魔法に匹敵する技術に、初めて目にするフェイトとアルフは言葉を失う。

 

「その魔法の名は――」

 

 光が全てを包み込む。

 ジュエルシードも、なのはも、ユーノも、アルフも、当然フェイトをも。

 その現象に目を奪われながら、その場にいる全員が、その魔法の名を、脳髄に刻み込んだ。

 

「土下座」

 

 ジュエルシードの暴走が止まった。

 

 

 

 

 

 フェイトは感動していた。

 暴走状態のジュエルシードは危険物だ。

 魔道士ですら近づくのに二の足を踏むほどのものだ。

 そんな危険物に少年は近づいて、頭を下げたのだ。

 頭を下げて、それでジュエルシードを封印したのである。

 魔力のない少年が、魔道士でも難しいことを成し遂げたのである。

 感動しないはずがなかった。

 

 フェイトがわなわなと震えている。

 背筋を伝わって全身へと回った震えで、歯がカチカチとなる。

 虜になっていた。

 土下座、という行為に。

 土下座、という祈りに。

 土下座、という心意気に。

 心底、惚れていた。

 あの少年の動きを、輝きを、思い返すたびに、ゾクゾクとした快感があった。

 たまらなかった。

 

「フェイト! 大丈夫かい!」

 

 アルフの叫び声でようやく我に帰った。

 今、私たちは向かい合っている。

 少年の側には、白いバリアジャケットに身を包み込んだあの子がいる。

 

「おい、アンタ! そいつをこっちによこしな!」

 

 アルフの恫喝には遠慮がない。

 少年の手にはジュエルシード。

 その手に持つジュエルシードを見て、目的を思い出した。

 心が痛むけど、やるしかない。

 そう決心したときだった。

 少年から質問が飛んできたのは。

 

「一つ質問だ。何故、ジュエルシードを求める?」

「……言う必要はない」

「事情によってはジュエルシードを譲っても良いかもしれない、と思っているんだが?」

 

 答える必要はなかった。

 それでも、感動の余韻から判断力が鈍っていたのかも知れない。

 気がつくと、フェイトは正直に話をしていた。

 

「分からない。ただ、母さんが必要としているから」

「ふーん。なるほどね」

 

 少年は顎に手を当てて、観察するように、フェイトへと目を向ける。

 なんらかの事情をそこに見てとったのか、うんうん頷いた。

 

「残念だが、それだけじゃジュエルシードを譲ってあげられないな」

「そんな……!?」

「但し、あなたがこれから俺の言う条件を聞いてくれるなら、このジュエルシードを渡してもいい。条件は――」

 

 少年はいたずらっぽく笑った。

 

「俺をあなたの家に案内してくれ。住み込みでジュエルシード探しに協力してあげよう」

 

 とんでもない提案であった。

 

 

 

 

 少年は荷造りをしていた。

 フェイトの家にお邪魔をする準備だ。

 

「ねえ、どうしてそんなことを言うの?」

 

 ジュエルシードを封印した夜。

 フェイトへの協力を提案してなのはから詰め寄られていた。

 なのはの肩の上では、ユーノがにらんできている。

 

「なのはとユーノよりも、あの子の方が必要だと思ったから」

「なにを?」

「土下座を」

 

 その判断基準は変わらない。

 いつ、どこで、どのように土下座をするのか。

 それこそが最優先事項。

 そして――。

 

「土下座で解決しなくちゃならない問題を俺はあの子の中に見た」

 

 彼女を取り巻くなんらかの事情。

 彼女がジュエルシードを求めた理由にこそ、救いが必要なのではないか。

 それを探りたかった。

 だから、フェイトの家に滞在したいのだ、と説明をした。

 最初は戸惑っていたなのはたちも結局はそれを認めた。

 解決するべき問題があるのなら、それを解決してあげて欲しい。

 フェイトを気にかけているなのはらしい判断だ。

 それでジュエルシードの争奪戦が無くなるわけではない。

 激化していくのだろう。

 それでも、なのはがフェイトとの闘いの中で友情を深めていくだろうことは間違いない、と思われた。

 

 この混沌した状況で少年にできることとは何だろう。

 少年は魔法は使えない。

 それでも一つだけできることがあった。

 土下座。

 それだけだ。

 それだけで良かった。

 それこそがたった一つの少年が選んだ方法なのだから。



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第五話、懺悔の土下座、そして奇跡

 祈りとは愚かなものだ。
 しかし、愚かな祈りこそが人の願いを洗練させる。
 洗練された願いこそが成就する。
 愚かさこそが願望を叶える肥しなのだ。

 ――とある少年の言葉。


「なにが起きているのッ!?」

 

 時の庭園。

 フェイトの母親、プレシア・テスタロッサ。

 彼女が根城としている拠点が振動でゆれていた。

 

「次元震ですって!? 馬鹿な、ジュエルシードが起動しているとでもいうの? そんなあり得ないわ!」

 

 ジュエルシードは現在、封印状態にて隔離してある。

 プレシアほどの魔道士が施した封印だ。

 誰かが意図的に起動しない限り、ジュエルシードが次元震を起こすはずがないのだ。

 

「一体誰がジュエルシードを起動したというの?」

 

 プレシアの頭の中で、嫌っているはずのフェイトが真っ先に除外される。

 フェイトの使い魔であるアルフも同様に除かれる。

 あれは主人想いの使い魔だ。

 フェイトの身に危険が及ぶであろう、ジュエルシードの起動をするわけがない。

 となると、残るは――。

 

「あの子ね……」

 

 忌々しい少年がプレシアの脳裏に映る。

 それはつい先日、フェイトが無断で連れてきた少年であった。

 

「……ええっと、この子なんだけど、役に立ちそうだからここに置いても大丈夫かな?」

「は?」

 

 普段はわがままを言わないフェイトの不意打ちにプレシアは困惑した。

 ただでさえ忙しいのに余計な手を煩わせないで、だとか、いくら次元犯罪者と言っても誘拐は気が引ける、だとか。

 そんな注意すら口に出てこない位の衝撃。

 

「どうも、こんにちわ。あなたがフェイトのお母さんですね。どうぞ力をお貸ししますよ」

 

 そんな精神状態でこの少年を前にすればまともに応対できるはずもない。

 あれよあれよと言う間に話は進み、プレシアはいつの間にか少年の滞在を認めてしまっていた。

 

「大丈夫です。両親の許可は取ってありますよ。ご心配はいりません。

 そうだよな、フェイト」

「うん。私も一緒に工作したから抜かりはないよ。母さん」

「……そういう問題じゃないのよ。フェイト」

「大丈夫。ジュエルシードの収集効率も上がるはずだから、もう少しの辛抱だよ。母さん」

 

 フェイトに初めて気圧された瞬間だった。

 ともかく、フェイトと少年がペアを組んだ。

 効率は上がった。

 少年に魔力はない。

 魔力はないが、土下座でジュエルシードの封印はできる。

 だから、管理局は少年の追跡ができない。

 少年はジュエルシードの探索ができる。

 管理局もジュエルシードの追跡はできる。

 しかし、不完全なジュエルシードに対しての感度は少年の方が上だった。

 だから、少年たちは管理局を出し抜ける。

 少年が魔力を持たないからこそ、フェイトたちは管理局を上手くやり過ごすことができた。

 時たまに管理局と鉢合わせするし、先を越されることもあった。

 管理局へと力を貸すことになったなのはとぶつかる事もあった。

 しかし、それでも、当初の想定を超えるペースで集まっていくジュエルシードが、時の庭園へと積み上がっていく。

 だが、しかし――。

 

「でも、なぜ……?」

 

 現在、そのジュエルシードが起動している。

 暴走状態というほどに荒ぶってこそいないものの、不安定な状態だ。

 なぜ、そんなことをしたのか。

 それ以上に――。

 

「彼は一体何をしたの……ッ!?」

 

 現時点では少年が何かをしたという確証も無いのに、少年が何かをしたという確信だけが強くなっていく。

 もともと、底が知れない少年だった。

 いつの間にか、フェイトに取り入り、アルフも渋々ながらそれを了承していることもそうだが、何より彼の土下座だ。

 映像は見た。

 何度か、少年の土下座を観察したこともある。

 それでもそのメカニズムは未だに分からない。

 だから、プレシアは魔力の面で見れば何の変哲もない少年を恐れている。

 少年への確信は、プレシアの無意識の発露だった。

 プレシアは鳴動の中心部分に足を踏み入れた。

 時の庭園の最深部。

 そこにいたのはジュエルシードに囲まれた少年、土ノ下座。

 想像の通りに少年はジュエルシードを起動していた。

 少年が振り返りプレシアへと憎々しいほどに清々しい笑みを向けてくる。

 

「ああ、ちょうどいい所に来てくれた」

「! あ、あなた、それは――」

 

 だが、プレシアが真に困惑したのは、彼がジュエルシードを起動していたからではない。

 ジュエルシードは大事なものであるが、それは手段としてのもの。

 成就させるべき願いの結晶ともいうべき、培養液で満たされた生体ポッド。

 もっと言うのなら、その中で眠る少女こそが命に代えてでも守りたいものだった。

 

「どうして! なんで、アリシアがここに?」

 

 アリシア。

 それこそが、培養液に浸された少女の名だ。

 金髪に整った顔立ち。

 その姿はフェイトと瓜二つである。

 

「ごめんね、母さん」

「フェ、フェイト? あなたなの? あなたがアリシアをここに――」

「ごめんね、私どうしても母さんの力になりたくて。

 だから、色々、調べたんだ。母さんの過去とか、特に昔起きた事故については念入りに」

「勝手なことをしないでちょうだい!」

 

 忌々しい、とプレシアは思う。

 フェイトはクローンだ。

 アリシアに似せて作られた偽物だ。

 それが母のためとうそぶいては、足を引っ張ってくる。

 これほどまでに不愉快な存在はない。

 感情に任せて、フェイトを押し除ける。

 その先に立ち塞がっている少年をも排除しようとした矢先。

 少年の口が開いた。

 

「この千載一遇のチャンスを逃しても良いんですか?」

「なんですって?」

「今なら、アリシアを蘇らせることができるかもしれない」

 

 聞かなくても良い言葉だった。

 警戒する少年の言葉ならなおさらそうすべきだった。

 だけれども、プレシアはついつい聞き入れてしまう。

 土下座という正体不明の術を操る少年の言葉に耳を傾けてしまう。

 

「そもそも、何故、このアリシアという少女は目を覚さないのでしょうか?」

 

 そんな原因などすでに知っていた。

 肉体を作り記憶を埋め込むだけでは、不十分。

 例え、クローンを作ってアリシアとしての記憶を刷り込んだとしても、それは別の存在が生まれるだけ。

 それはフェイトという存在が証明している。

 だから、そういうふうに作った。

 器を作り込み、そこに魂を入れるという算段でアリシアはできている。

 

「あえて、意識を持たないように作られたから、なのでしょう。

 このアリシアという娘にはおよそ意識と呼ぶべき、ものが感じられない」

 

 しかし――、と少年は自らの言葉で、その推測を否定する。

 

「それだけではない。

 これほど精巧にできた肉体には必然的に魂が宿るはず。

 つまりはアリシアはもうこの段階で目覚めていてもおかしくはないのです」

「だったら、どうして、アリシアは目を覚まさないのよ?」

「あなたのせいだ」

 

 突然の非難にたじろいだ。

 少年を恐れる理由など何もないのに、身を竦ませてしまう。

 自分が悪人であることなど、とうの昔に理解していたというのに。

 

「あなたは娘を生き返らせたかった。

 非合法の研究、生み出される無数の検体、およそ、まともな行いではない」

「……黙りなさい」

「アリシアとの日々を取り戻すための執念はついには身を結び、そこのフェイトを生み出すことに成功する。

 最初はあなたも喜んでいたのでしょう。

 しかし、フェイトがアリシアではないことに気がついてしまう。

 喜びが大きかっただけに失望も大きい。

 ただでさえ過激だった研究はついに冒涜的なものへと変貌し、その結果としてアリシアの器が完成した」

「……黙れ」

「しかし、それこそが落とし穴だ。

 あなたの執念は身を結んだが、その執念ゆえに魂は回帰しない。

 あなたの業と、あなたが生み出したものの罪が、帰還しようとしている魂を拒んでいる」

「……黙れ、黙れ、黙れ、黙って!」

 

 ヒステリックな叫びと背筋を伝う冷や汗。

 まるで、上段から犯してきた罪を糾弾されているような。

 被告人席で罪が言い渡されるのを待つ罪人のような。

 そんな心境で耳を塞ぐ。

 しかし、耳を塞いでも、少年の低く響く声が直接響いてくる。

 

「俺が力を貸します」

 

 顔を上げた先には少年がいた。

 複数のジュエルシードの光が少年を照らしている。

 逆光の中で、少年が手を差し伸べてきている。

 少年の所作には、紛れもなく、フェイトとプレシアを救いたいという意志があった。

 

「ふ、ふふふ、ははははは、あっはははははは」

 

 だが、プレシアは信用しない。

 口から狂笑が漏れる。

 何を言っているのだこの少年は、と思う。

 散々、自分を非難しておいて、手を差し伸べる。

 これはあれだ、と思う。

 傷つけられた後に、優しくされると、その人物に服従してしまう、という現象。

 それを利用した人身掌握術。

 まさか、10歳にも満たない子供がそんな手を使ってくるとは。

 だが、プレシアは納得する。

 聖人ぶっても所詮、悪知恵が効くだけの子供にすぎない。

 危うく騙されるところだった。

 何を企んでいるのかは分からないが、大方、ロクでもないことを考えていたのだろう。

 プレシアの鞭を持った手がわなわなと震える。

 

「今すぐ、私の前から消えなさいッ!」

 

 プレシアは鞭を振るった。

 少年は貴重な協力者だった。

 ジュエルシードをのどから手が出るほどに欲しているプレシアにとっては、かなり有用な存在と言える。

 しかし、それでも、許せなかった。

 勝手にアリシアを持ち出してきた挙句に、ジュエルシードの無断開放。

 なにより、己の苦悩を全て分かっているかのような言動。

 少年の全ての言動が鼻についた。

 そして、それ以上に、そんな少年を神々しいなどとほんの少しでも思ってしまったことが許せなかった。

 

「なッ!?」

 

 だが、鞭は空を切った。

 プレシアの視界から少年の姿が消えていたのである。

 一体どこへと思う暇もなかった。

 プレシアは何かにつまずいた。

 足元になにかが当たってきたのだ。

 少年だ。

 その場で身をかがめた少年が素早くプレシアに体当たりしたのだ。

 プレシアは起き上がろうとして両手を地についた。

 そして、気がついた。

 その姿勢は正しく――。

 

「そう、やはり、この姿勢こそが今のあなたに一番ふさわしい」

 

 少年の手がプレシアの頭を押さえつける。

 プレシアはなおも抵抗しようとするも、その胴に鎖が巻きついて動きが封じられる。

 

「なッ! フェイト、止めなさい。この男に魔法を打ち込むのよ。今すぐに!」

 

 プレシアの抗議をフェイトは無視した。

 あまりの状況にフェイトの後ろでアルフがあわあわしているものの、主人の邪魔をできるはずもない。

 止めるもの不在のまま、状況は進んでいく。

 

「あなた、一体何を考えているのよ?

 フェイトも何故、止めないの?

 こんな無様な格好をさせて、それで満足だとでもいうの?」

 

 プレシアの声が弱々しいものへと変わっていく。

 想定外のできごとの連続と、自身が取っている屈辱的なポーズに、心が折れそうになっている。

 

「アリシアを救いたい。それ以上にあなたを放ってはおけない」

 

 少年の口調が強くなる。

 

「あなたの願いは正当なものだ。

 願いに至るまでの過程には問題も多いが、だからといって、俺はあなたが報われないべきではない、などとは考えてはいない。

 それでは、フェイトとアリシアがあまりにもかわいそうだ」

 

 少年が願っているのはあくまでも誰かの幸せで、土下座を志しているのは誰かを幸福にするため。

 幸せとは願いが報われることだ、と少年は定義する。

 そのためならば、自分が土下座をすることも、誰かに土下座をさせることも躊躇をしない。

 鋼の意思。

 本気で誰かの幸せを願う少年の阻めるものなど、この世には存在しない。

 

「だから、あなたの助けが必要なのです。ただ一言、フェイトとアリシアに謝ってくれればそれで願いは成就する」

「ふざけないで! そんなことでアリシアが戻ってくるわけがないわ!」

「もし、仮にアリシアがあなたの行いを全て見ていたとしたらどう思うでしょうか?

 きっと、こう思うはずです。

 『お母さん、もう、ひどいことをするのは止めて。私の妹をこれ以上虐めないで』と」

「人は死んだらそれまでよ。だから、私はこんなにも苦しんでいる!」

「ここで重要なのは、霊魂の有無ではありません。

 あなたが娘を生き返らせるためにした行いを、娘の前で誇れるかどうかです」

「!?」

「あなたが苦しいように、あなたの娘、2人は苦しんでいる。

 アリシアは彼岸の向こう側で、フェイトはあなたのそばで、今も苦しんでいる」

「やめて……ッ」

「心優しかったアリシアは特に苦しいでしょう。

 自分が生き返ればそれで済むのに、それができないんだから。

 アリシアの幸福を祈っているはずのあなたが、アリシアを苦しめている」

「もう、いやよ……。聞きたくないわ」

 

 プレシアの言葉に涙声が混じる。

 阻むものない少年の言葉に宿る説得力は、プレシアを容赦なく打ちのめした。

 プレシアはいつしか、追い込まれていた。

 もう、限界は近い。

 

「さあ、言うのです。その一言であなたたち家族は救われる。家族を救うのは他でもない……あなた、だ」

 

 極度の羞恥と極大の興奮。

 生命の危機にも匹敵するそれら衝撃は、プレシアに走馬灯を見せる。

 アリシアを失ったこと、違法な研究に没頭する自分自身、そして――。

 

 ――忘れていたわ。私がこんなにも喜んでいたことを。

 

 フェイトを作り出したときのことも、かつて感じていた喜びも甦る。

 かつて感じていた罪悪感も鮮やかになる。

 そして、今さらながらに後悔する。

 どうして、もっと優しくできなかったのか、と。

 過去を無かったことにはできない。

 してはいけない。

 ならば、どうすれば良いのか。

 ああ、そうだ。

 あるではないか、と思い至る。

 

 プレシアの手に力がこもる。

 上へと押し上げるようにではなく、下へと引き寄せるように。

 それは何かをはねのけるようにではなく、何かを抱き寄せるように。

 

 少年はもう押さえつけてはいない。

 拘束していた鎖も解かれている。

 にも関わらず、彼女は選択した。

 頭を下げることを、自身の愚かさを認めることを。

 

「ごめんなさい。フェイト、アリシア、どうか私を許してください」

 

 土下座が出現していた。

 ジュエルシードはより一層強く輝いて――願いは完遂された。

 アリシアの目がゆっくりと開いていった。

 

 アリシアは蘇ったのだ。

 少年は両手を広げて祝福した。

 願いの成就を。

 

 

 

 

 

「ママー! ごめんなさい! 遅くなってごめんなさい!」

「それは私の台詞よ……アリシア。フェイト。あなた達を傷つけた私は最低の母親だわ」

「謝るのは私の方だよ。ひどいことしてしまってごめんなさい」

 

 アリシアの復活。

 それは目に見えた効果を発揮した。

 具体的には、プレシアの病んだ精神の回復、それによるフェイトとの和解だ。

 まだまだ、これからこの家族の前には困難が立ちふさがっているだろう。

 だが、彼らには家族としてこの危機を乗り越える意思が芽生えつつある。

 プレシアが過去の反省を胸に、娘たちを幸せにしようと心がけるのであれば、どうということはないはずだ。

 

「おい、待ちな。あんたはどうする気だい?」

 

 アルフは、クールに去るぜとばかりに背を向ける少年に声をかけた。

 魔法の世界であっても非常識な行為で、少年は事態を丸く収めて見せた。

 しかし、だ。

 それでも、不安は消えない。

 プレシアは重罪人だ。

 管理局の追跡を振り切れるわけもない。

 

「まあ、俺は大丈夫だろうと踏んでいる」

「その言葉にどれだけの根拠があるっていうのさ?」

「プレシアさんには研究者として大きな価値があるはず。

 だったら、色々と減刑のためにできることもあるだろう。

 司法取引とかね」

「そんなことあんたに分かるもんか!」

 

 いかに土下座を操ろうと未来は不定形。

 土下座は所詮祈りの技法に過ぎない。

 が、少年の表情に陰りはない。

 何かを信ずるように、いや、プレシア・テスタロッサを信じているかのように、その顔つきは明るい。

 

「ああ、確かに俺には分からないことの方が多い。

 それでも、一つ確実に言えることがある」

「なにさ?」

「ようやく願望を成就させた大魔導士が、状況に流されるだけで終わるわけがない。

 だって、これから先に望んでいた未来が待っているのだから」

 

 少年はそうして歩き去っていく。

 それをアルフは止めようとは、思わなかった。

 ただ、黙って、感謝とも警戒とも定まりきらない視線を少年へと投げかける。

 

「さあて、なのはたちはどうしているかな」

 

 間抜けにも聞こえる呟きを残して、少年は部屋の外へと出ていった。



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第六話、呪いを祓う者

 絶望は呪いと祈りを産んだ。

 呪いは書を産み、祈りは土下座を産んだ。

 

 ――いにしえの賢者。

 

 

 

 

 

 土下座とは奇異な行為である。

 見る人によっては不快感を覚え、嫌悪するものもいるだろう。

 その土下座という行為の中に輝きを見出すものは余りにも少ない。

 

「……土下座とは力なきものがたどり着いた最後の手段だ」

 

 だから、少年は語る。

 土下座の効能を知るものは、魔法世界においては皆無。

 誰かが語らねば、その意味を紐解けるものなど誰もいないのだ。

 

「祈祷。

 懺悔。

 浄化。

 激励。

 応援。

 命乞い。

 土下座とはどれでもあって、どれでもない。

 場のシチュエーションとタイミング、のせる感情と所作の組み合わせにより、無限の可能性を秘めている」

 

 少年の声は厳かだった。

 洞穴の奥深くからとどろく振動であり、教会のオルガンがかなでる旋律でもあった。

 

「あいつらは無念の集合体だ。

 ずっと使われず仕舞い込まれるだけだった、数千年間の感情がよどみ溜まっていた。

 無念は誰かが晴らしてやらねばならない」

 

 でも、いったい誰が?

 どうやって?

 台詞が言外のうちに内包していた問いに少年は自ら答える。

 

「土下座にはそれができるんだ」

 

 恍惚の表情で少年は両手を開いた。

 

「プレシア・テスタロッサの土下座は素晴らしかった。

 彼女の祈りをジュエルシードは聞き届け、道具としての役割をまっとうすることができたのだ。

 祈りが叶うのと同時に無念が浄化される、その瞬間はたまらなかった」

 

 目を閉じて情景を反芻する少年。

 語り終えた少年の前に、見たところ10歳前後の男の子が座っていた。

 

「君、頭は大丈夫か?」

 

 入室するなり土下座論をぶち撒けた少年。

 クロノは面食らった様子で言った。

 

 

 

 

 土下座を操る少年、すなわち、土ノ下座は管理局に保護されていた。

 管理局はすでに協力関係あったなのはとユーノから、少年の特徴と人相は伝え聞いていた。

 だから、少年の保護は余計な行き違いはなくスムーズに済んだ。

 しかし、問題はここからだった。

 管理局はなのはとユーノから事情を聞いている。

 少年がフェイトと共に時の庭園へと赴いたことを知っているのは、当然ながら、それが自分の意思によるものであるということも把握していた。

 

 クロノはこれを問題視した。

 クロノ・ハラウオンは生真面目である。

 管理局に勤めて、犯罪を取り締まり、執務官という地位までに上り詰めたのが、クロノという人物である。

 そんなクロノにとって、少年の行動は身勝手極まりないものだった。

 次元犯罪者への協力とも取られかねない行動。

 ロストロギアへの不用意な接近。

 見過ごすことのできない行為である。

 少年に罪を問えるわけではないし、糾弾するつもりもない。

 それでも、せめて自分がしでかしたことが危険だということを理解させてやろう。

 そう思っていた。

 

「……君は一体なんなんだ?」

 

 それがどれほど甘い見通しだったのかを、痛感していた。

 土下座。

 少年の信仰は想像を超えていた。

 なぜ、フェイトについて行ったのかと問えば、そこに救うべき人がいたのだ、と言った。

 なぜ、不用意にジュエルシードと関わったのかと不満をぶつければ、そこに浄化すべき無念があったのだ、と悪びれない。

 土下座の話が織りまぜるものだから、言葉を重ねていくごとになんの話をしていたのか、分からなくなる。

 

「まあ、それくらいにしてあげたら?」

「艦長!?」

 

 そんなクロノを見かねてか、リンディが助け舟を出した。

 リンディ・ハラウオン。

 次元航行艦アースラーの指揮官である。

 

「まあ、そこの座くんだって反省しているでしょうし、ね」

「……分かりましたが、これだけは言わせてください。

 良いかい、座?

 ロストロギアは管理局でさえ全容を把握できていない代物なんだ。

 下手に手を出せばどんな被害が出るか、想像すらできない。

 今後、こういう事態に遭遇したら余計な事はしないでくれよ。

 君が土下座を信用するのは勝手だが、それで怪我でもされたら困るのは君だけじゃない。

 心配してくれる人がいるんだろう?」

 

 クロノの言葉はどこまでも正論だった。

 しかし、少年は頷かない。

 少年はばつが悪そうに頬をかいて、首を横に振ったのだった。

 

「ジュエルシード以上の危険物が海鳴市に存在している以上、黙って見過ごす事はできない」

 

 

 

 

 

「それは本当なのかい?」

 

 ユーノが怪訝そうにつぶやいた。

 海鳴市の海岸沿いの公園。

 そこで少年とユーノの視線の先ではなのはとフェイトが話をしている。

 なのはが積極的に話しかけて、フェイトが相槌を打っている。

 ジュエルシードを巡って争っていた二人はかなり相性の良い組み合わせのようだった。

 

「ああ、本当さ。俺は呪いの気配を感じている」

「呪いの気配?」

「土下座ってのは祈りから生まれたものだ。

 だから、土下座をやっていると人の負の感情に敏感になるものなんだ。

 それが負の極地にある呪いとなれば、なおさら、その気配を感じ取れないはずがない」

 

 祈りと呪い。

 それは絶望が生んだ双子。

 相反する二つのものは、総じて、近似の関係にある。

 土下座を操る祈りの申し子とも言うべき少年が、その存在を感知しないなどということがありえるだろうか?

 少年は隠れ潜む、呪いの気配を、大まかに探り取っていた。

 

「そこまで言うんだ。証拠はあるのかい?」

 

 ユーノは半信半疑だった。

 少年の異能を認めてこそいるものの、まさか、未だに隠れ潜む呪い、この場合だと、おそらくは潜伏しているロストロギアを察知するほどとは思ってはいない。

 その疑念をことさら否定するつもりは少年にはない。

 いくら土下座に精通しているとはいえ、魔法に関してはズブの素人だ。

 そんな素人が何でもかんでも見通せるなどという思い上がりはない。

 しかし、ないならないなりにできることもある。

 

「ない。ないけど、管理局のクロノ執務官は俺の話をある程度信じているらしい」

「なんだって!? それは本当かい?」

 

 ユーノは少年から出てきた言葉に驚いた。

 クロノ・ハラウオンのことは知っている。

 だって、つい最近まで、アースラーで一緒にジュエルシードを追っていたのだから。

 人となりもある程度は理解している。

 与えられた仕事をきっちりとこなし、自身の裁量で動けるだけの判断力を備えた、優れた人間だった。

 そんなクロノのお墨付きがもし付いているとなれば、ユーノが前のめりになるのは仕方のないことだろう。

 ユーノは少年と顔を突き合わせた。

 

「呪いに関して俺なりの推測を話したら、目の色を変えていた」

「本当に?」

「リンディ艦長もどうやら俺の話に思うところは合ったらしい。

 まず最初、ほんの少し、俺の考えを話したら彼らどんどん先を促していった」

「でも、彼らが君の話に興味を持ったとは限らないんじゃ?」

「そうかな?

 俺はあのとき、彼らから厳重注意を受けていた。知っているだろう」

「ああ、君には少し問題があったね」

「ははは。

 そんな話の最中に、でたらめな話をしても聞き流されるか注意されるのがオチだ。

 でも、あのとき、彼らは適当に頷くんでも、話を中断するでもなく、真剣に俺の話を聞いていた」

「……君のいう通りなのかな」

 

 ユーノが認めかける。

 そのときだった。

 不機嫌な声が会話を遮ったのは。

 

「でたらめなことを言うんじゃない」

「ああ、クロノ執務官、来てたんですね」

「当たり前だろう。フェイトはまだ裁判を控えているんだから、目を離すわけがないだろう」

 

 クロノ・ハラウオン。

 話に出てきていた張本人である。

 少年はその張本人に悪びれず問いかけた。

 

「それで、フェイトはどうなるんです?

 なのはからはそう重たい刑にはならないだろうって、聞いていますが」

「裁判中だからはっきりとは言えないけど、罪は比較的に軽いものになるだろう。

 近いうちに拘束も解かれるはずだ」

「プレシア・テスタロッサの方はどうなっているんだい?」

「彼女はやり手だね。

 ロストロギア関連の違法は本来、何百年単位の懲役になりうる大罪なんだが、そうはならないだろう」

「それは良かった。だけど、なんで?」

「彼女は娘を、アリシアを助けるために、必死になっていた」

「同情かい?」

「そうじゃあない。

 そうじゃあないけど、情状酌量の余地があったのも事実だ」

 

 プレシアはアリシアを救いたかった。

 事故で亡くなったアリシアを助けるために全力を尽くしたのである。

 無論、その手段は褒められたものではない。

 だから、プレシアは申し出たのだ。

 自身の刑期をできる限り短くするために、研究成果の提供と管理局への協力を。

 プレシアは優れた魔道士でもあり研究者でもある。

 これほどまでに優秀な人間が手を貸りられるメリットはあまりにも大きい。

 プレシアは今後、かなり自由を制限されるだろう。

 監視が常時張り付くこともあり得る。

 が、それでも、プレシアは家族との時間を過ごせるはずだ。

 裁判の成り行きによっては良い条件を引き出せるかもしれない。

 そういう話を聞いてから、少年は満足そうに頷いた。

 

「そうだ、話がある。君に会いたいって人がいるんだよ」

「座!」

 

 クロノが脇に退いた。

 そこから、一人の女の子がいた。

 少年はその正体に気がついた。

 女の子はアリシア・テスタロッサ。

 少年が取り仕切った土下座によって生還した少女である。

 

「初めましてだね。座」

「アリシアも元気そうでなによりだよ。

 今はアースラーに保護してもらっているんだって?」

「母さんたちが帰ってくるまではね」

「俺の方に来るだなんて、随分な物好きだな。フェイトとはお話ししなくて大丈夫なのかい?」

「フェイトとはもう何度も話をしてるし、それよりも……座と話がしたくて」

「僕は、向こうに行ってるよ」

 

 クロノはユーノを肩に乗せて一旦その場から去っていった。

 

 

 

 

 少年はアリシアと対面する。

 思えば、こうしてアリシアとゆっくり話しをするのは初めてだった。

 最初に口を開いたのは、アリシアだった。

 

「君って結構変わってるよね」

「いきなり本質をついてくるな」

「うん。だって、普通の人は土下座なんてしないから」

 

 少年は笑う。

 笑って、こう言った。

 

「一回やってみるかい?」

「は?」

「自分の尊厳も生きる権利も、何もかもを投げ出して相手に押し付けるんだ。

 これほど気持ち良い行為はこの世のどこにも存在しない」

「ぷっはははははは!」

 

 アリシアは爆笑して、少年を見た。

 

「なんとなく分かったよ」

「何がだい?」

「ママとアルフがあなたを警戒する理由が」

「何、あの二人は俺のことをよく思っていないのかい?」

「さあ。そんなことはないと思うけど……。

 ただ、私があなたと会うって話をしたらすごい心配されたからさ」

「心外だね。恩人面するつもりはないんだが、感謝されていなかったとは」

 

 少年は天を仰いだ。

 その様子はいかにもといった感じで演技じみてはいるものの、一掬いほどは本当の感情が混ざっていた。

 アリシアは目ざとくそれを見抜いて、慰めるように少年の肩を叩いた。

 

「まあ、しょうがないんじゃない?

 ママの首根っこを掴んで地面に擦り付けたんだからさ」

「俺が掴んだのは首じゃなくて、頭」

「余計悪いよ」

「それもそっか」

 

 少年は柵にもたれかかり、アリシアはその横で身を乗り出して海を見ている。

 

「う〜〜ん、気持ち良い〜〜」

「良い風だ」

「風だけじゃないよ」

「へえ」

「この青い空も良いし、海も青くて綺麗だし、潮の香りも慣れれば悪くないし、波の音は落ち着くし……」

 

 アリシアは目を輝かせた。

 

「とにかく、全部、全部、こうやって全身で色んなものを感じられるのがすごく嬉しい。

 目にするもの、手に触れるもの、口にするもの、全部が新鮮で生きてて良かったって思える。

 何より、ママと、私が死んでる間に増えていた妹と、生きていけるなんて夢みたい」

 

 アリシアは少年の手を取って、自分の胸に当てた。

 

「だから、ありがとう」

 

 少年はアリシアをチラリと見て、視線を下げた。

 顔を少しだけ赤くして、ただ一言。

 

「そのお礼。土下座でしてみない?」

「嫌!」

 

 そりゃそうか、と少年は笑うのだった。

 どこまでも青い気持ちのいい晴天だった。

 

 

 

 

 

 闇がうごめいていた。

 呪いが煮詰まった、ヘドロのような闇。

 それがうごめいている。

 闇の書。

 呪いから生まれた魔導書は一人の少女を侵食していた。

 少女は知らない。

 自分が呪いに侵されていることに。

 自分がもう長くないことに。

 

 闇から生まれたものは彼女の孤独を癒すだろう。

 しかし、それとて一時しのぎに過ぎない。

 いずれ彼女は孤独の中で全てを失ってしまう。

 

 一体誰がこの闇から彼女を救い出せるのだろう。

 闇はどこまでも深い深淵を形作り、やがて、この地上すらも呑み込んでしまう。

 そんな闇を祓うのに必要なのは、他の何者でもなかった。

 

 ーー呪いあるところに土下座あり。

 

 誰よりも雄弁に、誰よりも厳かに、誰よりも真摯に、誰よりも低姿勢に、誰よりも静寂に、土下座をしている男。

 彼の土下座こそが求められていた。

 そして、彼もまた土下座の機会を伺っていた。

 

「……かかってこい。いつでも土下座の準備はできている」

 

 闇と土下座の邂逅はもうすぐだ。

 少年の土下座が闇を祓うだろう。

 

 土下座少年リリカル⭐︎どげざ ー完ー



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