凶狼に救いを授けるのは間違っているだろうか (ナイジェッル)
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一傷:――凶狼――

 ソード・オラトリア8巻を読んで、創作意欲が『目覚めよ(テンペスト)』。
 私の心は『憤化招乱(バーサーク)』。
 お蔵入り予定だった短編なので、ちょっとした暇つぶしになれたら幸いです。

 ※この小説は原作、ソード・オラトリア8巻から物語が始まります。
  多くのネタバレがありますので、ご注意ください。


 迷宮都市オラリオ。その名の通り、巨大な地下迷宮を抱える都市の一つ。

 その大地を穿ち、下層へと下る迷宮には数多の怪物が点在し、居を構えている。

 多くの冒険者――怪物を狩り、『ダンジョン』を開拓する者達は皆、その迷宮都市(オラリオ)に訪れる。なにせ迷宮都市(オラリオ)こそ、至上の狩場。冒険の最先端として名を馳せているからだ。

 天空の超越者、神々もそこに住まい、冒険者に加護を与える。

 富も、名声も、名誉も、全て、全てを求めることができる。まさに欲望渦巻く理想郷。

 

 そして数年前、手負いの一匹狼がそのオラリオに訪れた。

 名をベート・ローガ。かつて、【灰狼(フェンリス)】と謳われた狼人(ウェアウルフ)

 

 誰よりも強さを求め、誰よりも愛する者達を護りたいと思いながらも、世界の(ことわり)の前に悉くその手から零れ落としてきた憐れな男。

 愛する者を失う度に心に大きな空白を作り、その哀しみを喰らい、成長し続ける自傷の獣。

 

 その底なしの渇望と、絶望が入り混じり、人の形を成した愚者はすぐに新たな二つ名が与えられた。名誉と不名誉が入り混じった、狂い狼に。

 

 【凶狼(ヴァナルガンド)】。

 

 敵を喰らい、味方をも虐げる、手負いの狼に相応しい称号だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 迷宮都市(オラリオ)は、その絶大な知名度から察せられるように、日々大きな発展を為し続ける場所だ。

 『ダンジョン』が通商となり、それを主軸として今日まで不動の地位を築き上げてきた。

 多くの神々が在籍しているのも、その潤いが尽きぬ証明。そして神の数だけ【ファミリア】があり、組織も乱立している。競争率が高いというのは、もはや言うまでもない。

 

 その中で最も高名とされる最優の【ロキ・ファミリア】。

 オラリオの頂点、オラリオ唯一のLv.7の冒険者を抱える最強の【フレイヤ・ファミリア】。

 

 あの二つの【ファミリア】は別格中の別格だ。迷宮都市二大巨頭と言われ、どちらもLv.6クラスの冒険者を複数人抱える、化物揃いの連中が犇く異界そのもの。

 特に【ロキ・ファミリア】は常に活発的に活動し、その度、大きな戦果を持ち帰っている。

 

 ベート・ローガは、その【ロキ・ファミリア】に所属することとなった。

 最初は弱小【ファミリア】の団長を務め、誰からも認められる武闘派【ファミリア】になるまで築き上げた功績を持つ彼だが、それも昔の話。とある経緯からその【ファミリア】を迷宮都市(オラリオ)から遠ざけ、【ロキ・ファミリア】の冒険者として改宗した。

 

 今やLv.6の第一級冒険者である彼なのだが、その気性の荒さから問題児としてもよく上げられる。それでもベートは望むところだと、まるで更正する兆しすら見えない。

 

 尤も、彼の主神であるロキはそんなベートを煙たがりはしなかった。彼の過去を知る者として、彼の矜持や独自の哲学を知る神として、ベート・ローガの生き様を認めているからだ。

 

 「しかし、まぁ……これはまた派手にやったなぁ………」

 

 赤髪が特徴的な女性、主神ロキはオラリオに存在する、とある森に訪れていた。

 彼女は糸目の瞳を更に細めて、その森の惨状を見る。

 木々は折れ、地面は穿たれ、大きなクレーターがあっちにもこっちにも。

 巨大な岩は軒並み粉砕されており、そこには紅い血痕が生々しく残っていた。

 

 ここは一匹の狼と、数多の暗殺者が争った現場だ。

 ……いや、訂正しよう。争ったのではない。一方的に殲滅された、惨殺された場であると。

 

 死体は既にギルドが片付けたようで、この森には破壊後しか残されてないが、それだけでもこの悲惨さが見て取れる。恐らく、いや、確実に皆殺しにされたのだろう。あの【凶狼(ヴァナルガンド)】に。

 

 数日前、【ロキ・ファミリア】は闇派閥(イヴィルス)と激しい闘争があった。

 

 闇派閥(イヴィルス)とは、十五年前から続くオラリオの『暗黒期』の象徴。迷宮都市の秩序を乱す邪神の使徒達の残滓のことを指す。決して放置してはならない危険分子の集まりだ。

 ソレと、【ロキ・ファミリア】は激突した。そして、【ロキ・ファミリア】が多くの死傷者を出した。もはや敗北を喫したといっても過言ではない。あのオラリオ最強の【ファミリア】の一角として名を馳せた【ロキ・ファミリア】の大敗だ。さぞ闇派閥(イヴィルス)共は心地の良い余韻に浸れたことだろう。

 

 彼らの最終目的は迷宮都市(オラリオ)の壊滅だ。

 

 『ダンジョン』は壮大な怪物(クリーチャー)の巣。何もせずに放置すれば、その怪物達が地上に進出し、人間と怪物の戦争が起こる。それを防ぐ蓋の役割を、迷宮都市(オラリオ)が担っている。

 あのダンジョンから溢れ出るであろう怪物達を、神の加護を受けし冒険者達が絶え間なく駆除する。それを繰り返してきたからこそ、今の平和が成り立っている。

 まさに安全装置と言える重要都市。その根幹を破壊し、世を混沌の戦乱期に陥れる。単純にして最悪の目標を、闇派閥(イヴィルス)は掲げている。

 

 その過程のなかで、【ロキ・ファミリア】は闇派閥(イヴィルス)にとって邪魔な障害物と目されている。何せかつて、全盛期を誇った闇派閥(イヴィルス)に大打撃を与えたのは他でもない、【ロキ・ファミリア】を中心とした各【ファミリア】、ギルド連合だったのだから。

 まさに【ロキ・ファミリア】と闇派閥(イヴィルス)は切っても切れない宿敵同士。互いに憎悪を募らせる憎き対象である。そして今回は意趣返しの如く、闇派閥(イヴィルス)の残党達が【ロキ・ファミリア】に一矢を報いた形となった。また後々の殺人騒動にも闇派閥(イヴィルス)が関わってきた。

 

 闇派閥(イヴィルス)にとって【ロキ・ファミリア】に知られたくない情報を持っている可能性がある、元【イシュタル・ファミリア】所属の戦闘娼婦(アマゾネス)を念入りに口封じ(暗殺)しようとした大量殺人。

 

 それにベートは巻き込まれた。

 彼らが標的としていたアマゾネスの一人と共に行動していたからだ。

 苛烈な暗殺者達の強襲から、ベートはその少女(アマゾネス)を護り抜くことができなかった。まぁ実際は、なんとか一命を取り留めていたのだが、ベート本人は死んだと思い込んでいた。

 

 その結果がコレ(皆殺し)だ。

 奴らは―――決して踏んではならぬ【凶狼】(・・・・)の尾を踏んだのだ。

 

 大切な者を奪われる。失う。護れない。

 大切な存在を奪われた喪失感は―――彼を蝕む癖に、強くさせる。

 

 また護ることができなかったベートは暴走した。怒りのままに殺戮を行った。暗殺を専門とし、アマゾネス達を狙った【セクメト・ファミリア】は文字通り壊滅。今回の件に関わった暗殺者は、十数人規模だったと聞くが、その全てをベートは狩り尽くした。

 慈悲も、許しも、何もない。ただ明確な死だけを届けに、【凶狼(ヴァナルガンド)】は暴れたのだ。

 

 この血生臭い森も、彼の怒りの一端でしかない。最も彼を激高させた場所が、更に奥地にある。

 その場所を知っている者はベート本人と、あともう一人しかいない。

 

 「アイズたんアイズたん、道案内頼むでー」

 「……うん」

 

 ロキはベートを追跡し、この殺戮を目にしたであろう【剣姫】アイズ・ヴァレンシュタインに案内役を頼んでいた。元々、この世界では神々は非力な存在だ。闇派閥(イヴィルス)の件もあり、ロキの護衛役としての役割も担っている。

 

 「こっち」

 

 彼女は言われた通りに己の主神を案内する。しかしその表情は、あまり良いものではなかった。

 それもそうだろうと、ロキは思う。きっと彼女は初めてだったはずだ。あのベート・ローガの本当の強さを直接目にしたのは。あのティオネ、ティオナたちでさえ【凶狼(ヴァナルガンド)】の本質を直視したことはない。【ロキ・ファミリア】の中でも、彼の本領を見たものは、ごく少数に限られている。

 そして何よりも、決してアレは、あの強さは、気持ちの良いものではない。傷つけ、傷つけられて、その末で強くなるという破滅の刃。歪んだ力そのものなのだから。

 

 「ロキ、ついたよ」

 

 アイズが連れてきた場所は、地面に途方もない大穴が開いていた。

 その周囲を見渡すと、この周辺の木々全てが炭化しているではないか。

 余波だけでこの有様か。いったいどれだけの熱量が開放されれば、こんなことになる?

 ガレスから色々と話を聞いていたが、まさかこれほどのものとは。

 

 「この穴の下に大規模な地下空間があった。そこで、ベートさんは『魔法(ハティ)』を使った」

 「地下空間て……やっぱりこれ、地下から爆炎一つで全て吹き飛ばしたんかい」

 

 アイズは無言で頷いた。

 

 「こんなもんを人間相手に使うなんてなぁ。ほんと、キレたベートは容赦ないなぁ」

 

 ダンジョンの階層主にでさえオーバーキルだろうに、それを人間相手に使えばどうなるか。

 少なくとも、真っ当な最期は送れない。血液も、骨も、何もかも蒸発してしまう。魂までも燃やし尽くさんと言わんばかりの怒りがその『魔法』に籠められていたことだろう。

 呆れた執念やとロキは呟き、改めて地面にぽっかり空いた大穴を見据える。

 

 「さて、これだけの惨状や。とても『鍵』の手がかりが残っているとは思えんが、念には念を入れて探索してみよか」

 

 わざわざロキがこの場所まで来たのにも理由がある。勿論ベートがどれだけ暴れたか、彼の主神として責任を持って目に焼付けに来たのもあるが、本命は『鍵』に関する手がかりの捜索だ。

 なにせベートが焼き殺した人間の一人に、闇派閥(イヴィルス)の主力幹部、【殺帝(アラクニア)】ヴァレッタ・グレーデがいたのだから。

 本来なら生け捕りにして尋問した方が確実であったのだろうが、あのブチ切れ状態のベートにそんなことが出来るはずもなし。案の定「『鍵』の在り処? 情報? 知るか、くたばりやがれ!!」で殺してしまっている。

 

 闇派閥(イヴィルス)の残党の砦。迷宮都市(オラリオ)の地下に存在する、もう一つの『迷宮(ダンジョン)』。『人口迷宮クノックソス』を護る最硬金属(オリハルコン)製の扉を開く唯一の『鍵』。その在り処が分かるかも知れない千載一遇のチャンスを、あの狼は分別なく全て灰にしてしまったのだ。

 まぁ何もかも終わってしまったことなので致し方ない。全てを承知の上で、団長のフィンも、主神のロキも、ベート・ローガを止めなかったのだから。

 

 取り合えずロキはアイズにおんぶして貰って、その大穴のなかを降りてみた。

 地下は未だに人肉が焼け焦げた異臭が残っており、ここで多くの人間が盛大に燃えたことが嫌でも理解できた。あまり長居しても、身体に良くないのは明らかだ。

 

 「ん~………んん~…………」

 

 そこからアイズと手分けして辺りを虱潰しに漁ってはみるのだが、全くと言っていいほど何も出ない。というか何もない。あるのは既に発動が終えた魔法陣やら、瓦礫やら、そして人だった大量の灰(・・・・・・)ばかり。

 

 「ま、元々望み薄で着たわけやしなぁ」

 

 闇派閥(イヴィルス)もそこらに情報を残すほどの間抜けではないか。

 何もないと分かった以上、ここに長居する理由もない。

 

 「アイズたん。せっかく付き合ってもらったのにごめんなぁ。これ以上探してもないみたいやし、そろそろ――」

 「ねぇ……ロキ。一つ、聞いてもいい?」

 

 口数がいつもより倍少ないアイズは、ロキの声を遮ってまでして、彼女に質問をした。

 神に対してあまりにも無作法な対応だが、それにロキは笑みを浮かべて頷いた。

 

 「ここまで付き合ってくれたお礼や。なんでも聞きぃ」

 「……ベートさんは、『魔力』のステイタスを全く鍛えていないの?」

 

 アイズは見た。ベートの『魔法』の禍々しいまでの輝きを。

 アイズは視た。あの常軌を逸した【ハティ】の底知れなさを。

 それでもベートが『魔法』を多様したところなんて、これまで目撃したことがなかった。

 彼はいつも白兵戦を行い、前線で共に戦ってきたのだ。それでも、ベートが『魔法』を使う姿を目撃したのは、(くだん)の戦闘が初めてだった。

 

 

 「ベートは『わざわざ使わねぇモンに、労力を割くほど暇じぇねェ』とか言って、まったく鍛えとらんかった。一切、合切……な」

 

 神の恩恵、ステイタスのアップ。

 それは攻撃をすれば力のステイタス、防御をすれば耐久のステイタスが向上するという仕組みとなっている。つまり、扱わなければ鍛えられることはない。それは『魔力』も同じことだ。常日頃から『魔法』を使わなければ『魔力』のステイタスを上げることはできない。

 

 「せやから、ベートは『魔力』をこれっぽっちも、最初の頃からちょびぃっと上がったくらいで、ぶっちゃけ言って初期の頃から変動してないにも等しいところやな」

 「それでも………」

 「ふむふむ。アイズたんの言いたいことは分かる。つまり『全く鍛えていない状態でこれほどの力を発揮できるのなら、ちゃんと鍛えればもっと強くなれるはずなのに、どうしてベートはしないの?』……と、不思議に思っとるんやろ?」

 

 ロキの言葉に、アイズはこくりと頷いた。

 これほどの力。きちんと鍛え上げれば、もっと強くなれる。

 ベートが常日頃から強くなろうとしていることは知っている。自分と同じように、毎日新しい一歩を踏み出そうと足掻いている。なら、どうして彼はこの力を持て余しているのか。それが分からなかった。

 

 「ベートの『魔法』を知ったラウルの奴も同じようなことを言いよったよ」

 

 ベートの『魔法(ハティ)』は超がつくほど希少だ。極レアと言っても過言ではない、破格の魔法だ。

 『魔法』を扱う者、『魔剣』を扱う者、そもそも『魔力』を帯びた代物を全て無力化し、己の力に変換する時点で滅茶苦茶にも程がある。『魔法陣』『結界』ですら例外なく喰われるのだから、こと『魔力』関係において無類のアドバンテージが付与される。

 それを主軸に、少なくとも補助として扱い、鍛えれば今のベートは格段に強くなる。もしかしたら『魔法』を扱う才能もあるのかもしれない。何にしても成長できる可能性の拡張性が大幅に広がることはまず間違いないだろう。

 

 「ただ、好かんのや。あの『魔法』は、ベートの牙を暴き立てる。ベートの持つ心の傷を、ベート本人が直視してしまう。だから、あの狼は滅多に使わない。鍛えようともしない」

 

 故に、ベートはその破格の『魔法』を己の手で封印している。

 

 「アイズたんは、ベートがあの『魔法』を使役して、戦う姿を見て何を感じた?」

 「………」

 「力強く見えたか? 美しく見えたか?」

 

 ロキに問われ、思い返すはこの場で強大な焔をその身に宿し、月に吠えるベートの後ろ姿。

 圧倒的な力を振りかざし、圧巻とも言える勝利をその手に掴んだ男の背中。

 いつもなら、歓喜に震えているだろう【凶狼(ヴァナルガンド)】。しかしあの時、あのベートの姿は―――

 

 「―――凄く、悲しく見えた」

 

 雄雄しく、猛々しい慟哭を響かせる【凶狼(ヴァナルガンド)】は、その勇ましさとは裏腹に、傷ついていた。

 勝利の余韻に浸ることもなく、復讐を完遂したことに、満足するでもない。

 あの時のベート・ローガは罪人のようだった。四肢を己の炎で焼き焦がし、責めているようにすら感じた。まるで、自分の牙で、自分を抉るように。

 

 「そう、アレはベート自身を傷つける。まさに古傷そのものや。牙なんて大層なもんやない」

 

 どれだけ強力であろうと。どれだけ素晴らしい『魔法』であろうと。その力が増せば増すほど、ベート・ローガは己を傷つける。

 大切な者を失い、自分さえ傷つき、その果てに得る力は悪魔の契約のようなもの。

 【ロキ・ファミリア】の仲間に、一人の少女に刃を突き立てた暗殺者共を殺しに向かうベートを、ロキは見送った。あの土砂降りの雨の中、頬に刻まれた彼の刺青()をそっとロキは触って、ある言葉を投げかけた。

 

 『悲しいなぁ』

 『そうやって、またベートは強くなってしまうんやなぁ』

 

 真正面から【凶狼(ヴァナルガンド)】を見つめ、放った(ロキ)の言霊。

 こんな方法で強くなってほしくはなかった。でも、彼は、強くなってしまう。これまでも、これからも、きっとベートは大切な者を失う度に強くなる。その強さの先に何が待ち受けているのか、何が残るかは、神だけではなくベート本人も分かっていることだろうに。それでも止まることを知らない、憐れで愛おしい眷属(こども)よ。

 

 「よりにもよって、あんなもんが発現するなんてなぁ。いやー、神様ってもんは大概がロクデナシや。人格者なんて、そうおらへんね」

 

 あんな『魔法』をベートに授けた天の主は、さぞ残酷な性格をしているとロキは言う。

 辛い運命、過酷なものをバーゲンセールの如くベートに見舞う。

 まぁそれを乗り越えてきたからこその【凶狼(ヴァナルガンド)】。そのうちあの『魔法』すらも喰らい尽くし、己がモノにするかもしれんが……それはいったいいつになるのやら。神たるロキの目を持ってしても、それは分からない。

 

 「なら、ロキもロクデナシ?」

 「あはは、そらもうロクデナシもロクデナシよ? アイズたんは知らんかったん?」

 「うん」

 「またまた冗談よしこさん」

 

 ロキは茶目っ気たっぷりで言うが、わりと本気で言っている。何せ、もう既にロキはベートに対して酷い行いをしてしまったのだから。恐らく今日中に、そのロクデナシっぷりがベートを襲うだろう。

 

 「さーて。そんじゃ帰ろか。そろそろ私のプレゼントがベートに届く頃やし」

 「プレゼント?」

 「せやで。ロクデナシの神様からの、とびっきりのプレゼント。そらもう、あのベートも泣いて喜ぶ一生に一度の贈り物や」

 

 クックックと笑うロキに、終始アイズは頭に?マークを浮かべていた。

 唯一 理解したのは、きっとベートはこれから酷い目に遭う。ただそれだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 迷宮都市(オラリオ)が誇る最強の【ファミリア】である【ロキ・ファミリア】所属の幹部にして、数少ない第一級冒険者である狼男(ウェアウルフ)のベート・ローガは、弱き冒険者を弱者と罵る。己が弱いだなんだと嘆く者、仕方ないと開き直る者は嫌悪感すら抱く。

 

 この世界はどうしようもなく残酷だ。弱き者は強き者に何をされても文句は言えない。弱いままでは奪われ、犯され、失う。嘆いても、憂いても、その立場は好転するなど断じてない。それがベート・ローガが見てきた世界だった。

 

 ベートを可愛がり、また厳しく育てた両親も、

 ベートが護るべき者と定めた一人の妹も、

 ベートの家族になるかもしれなかった幼馴染も、

 ベートを愛し、またベートも愛そうと思った恋人も、

 ベートに憧れ、恋をしていた【ロキ・ファミリア】の少女も、

 

 皆―――呆気なく死んだ。

 

 何のことはない。彼らが弱かったからだ。弱かったから、強者に、群れに、殺された。

 無残にも喰い散らかされ、嬲られ、蹂躙され、生きる権利を剥奪された。

 弱者は抗えない。弱者は死と常に隣り合わせだ。弱者は愛だのなんだのでは護れない。

 

 弱者である限り、自然の摂理に抗える術はない。

 ならばどうするべきか。どうあるべきかなど……愚問に等しい。

 

 弱者は、その器を蹴り破らなければならない。命を晒す冒険者ならば尚更だ。

 死にたくなければ。殺されたくなければ。奪われたくなければ、強くなれ。

 

 努力したところで皆が皆、アイズやフィンのようになれないことなど百も承知。

 それでもべートは弱き者を許さない。我が儘だと、余計なお世話だと言われても構わない。

 

 強くなれないのなら、潔く冒険者など止めてしまえ。

 死んでしまう前に、足を洗え。

 傷をこさえ、悲しむより、死ぬ方が良いなんて認めない。

 己が弱さを喚き散らす暇があれば、その弱き己を見つめ磨き上げろ。

 

 だからこそ、ベート・ローガは常に弱き冒険者を嘲笑う。虚仮にする。

 

 それが嫌なら、咆哮して魅せろ。悔しいと思うなら、見返して魅せろ。

 何も言い返さず、見返そうとも思わん腰抜けは一生そのままだ。もはや害悪だ。

 強くなる奴は、強くなれる奴は、罵詈雑言如きでは止まらない。

 

 【凶狼(ヴァナルガンド)】が求めるは、弱者の咆哮。

 【凶狼(ヴァナルガンド)】が期待を寄せるのは、弱者の殻を打ち破る者。

 【凶狼(ヴァナルガンド)】が認めるのは、弱者であっても前へと進み続ける心。

 

 そう、あのクソ生意気な仔兎のように―――。

 

 「今日も逢いたかったよ、ベート・ローガァァァァァ!!」

 

 否、否だ。

 弱者の咆哮と確かに言った。強くなる奴は自身の暴言如きでは止まらないとも確かに言った。

 だが、奇声を上げながら此方に突っ込んでくるアイツだけは明らかに毛色が違う。

 

 「また懲りずにきやがったか」

 

 酒場で飯を食いながら、今日もヘラヘラと笑う弱者達に苛立ちを積もらせていたベートの元に、何の躊躇いもなく飛び掛かってきた一人の少女。

 肌は艶かしい褐色にマセタ民族衣装。極めつけに、発情した獣の如き瞳。

 アマゾネス―――高い白兵戦能力を兼ね備えた一族の娘だ。

 

 暗殺者から護れず、死んだと思っていた女は今日もこうしてベートを求め、追いかけてくる。

 なんであの時、己はあれほど毛嫌いしていた『魔法』を解禁してまで、彼女に報いろうと思ってしまったのか。今ではもはや人生の汚点の一つだ。

 

 「いい加減……」

 

 何より、何気なく彼女の性癖に慣れてきた己にも嫌気が差す。こう何度も何度も付き纏われては嫌でも慣れてしまうものだが、それでも許せない。

 

 「しつけェんだよッ!!」

 

 激昂し、怒声を上げながら放たれるは【凶狼(ヴァナルガンド)】の上段回し蹴り。

 怒りに任せた一撃などタイミングがズレて外すものだが、それは弱者の理論だ。

 ベート・ローガは例え怒り心頭、周りが見えていない状態でも、一撃だけはきっちり抑え、的確に放つ。そうでもなければ、上級冒険者など務まらない。

 

 そう、その筈なのだが―――

 

 「………!」

 

 いつもの日課の如く、アマゾネスの少女、レナがベートの蹴りを腹に喰らい、店内の壁まで吹っ飛ばされる……はずだった。

 しかし、直撃するはずの回し蹴りを彼女は紙一重で回避した。これに店内の客も驚いていた。

 なにせ今まであのレナがベートの攻撃を回避できた試しなどない。いつもいつも、何の抵抗もなく吹っ飛ばされるのがオチだった。だからこそ、周りの客はさり気なく机の下に隠れるなり、避難するなりしていたのだが、まさかの展開にざわめき立っている。

 

 そして誰よりも、ベートが静かに驚いていた。あれほど怒っていた表情も霧散し、今や真顔になってレナを見つめている。何が起きたか、どうして回避できたのかを本気で考えているからだ。

 

 ”こいつ。まさか―――”

 

 伊達に第一級冒険者を務めているわけではないベートは、すぐにその答えに辿り着いた。

 レナはというと、まだかまだかとニヤついた表情でベートの口が開くのを待ってる。この期待に応えてやるのは少々癪だが、仮にも己の蹴りを回避されたのだから、此方も問わなければならないだろう。

 

 「テメェ……ランクアップしやがったな?」

 「うん!!」

 

 即答である。目が焼けるほど明るく、満面の笑みで応えやがって。

 

 「以前のテメェはLv.2……確かに俺はそのレベル相応の動きに合わせて蹴りを放った。加減はしていたとしても、Lv.2程度の雑魚が回避できるわけがねぇ」

 

 何十回もの蹴りをレナに叩き込んだ経験から、この女はどの程度の速度なら回避できるか否かを否応にも理解してしまったベートは、ある一定の力加減で蹴りを放ち続けていた。

 今回も例外ではなく、Lv.2のレナでは絶対に回避できない力で対応した。

 それが外された。外したとなると、答えは明確だ。此方の調整に間違いがなく、レナが紙一重とはいえ回避できるまでになったということは、ランクアップ以外に有り得ない。

 

 「褒めて、ねぇ褒めてよベート・ローガ! 私、強くなったんだよ! これでベートのお嫁さんにしてくれるよね!? ねーねーねー!」

 「うぜぇ。うるせぇ。ありえねェ。死ね」

 「ひどい!?」

 「何が酷いだクソアマゾネス。たかがLv.3程度になったからって浮かれてんじゃねぇぞ。まだまだテメェは雑魚だ。クソ雑魚のまんまだ。俺に見合う女はな、そんなことで一喜一憂なんてしねェんだよ。ソレで満足するんならその程度の玉だ。出直してきやがれ。いや、てかもう来るな」

 

 ベートはいつものように、弱者を罵る。飴などやらん。コイツには、罵倒一つで十分だ。

 どうせレナは諦めない。折れもしない。その狂った執着だけは、ベートが認めている彼女の長所だった。いや短所でもあるのだが、今回だけは長所として捉えてやろうと思えた。

 何せ、どんな形であれ、レナは強くなった。弱者から強者へと変わろうとしているのだから。

 

 「ちぇ…まだまだお嫁さんの道のりは険しく遠いなぁ」

 「なら諦めろ」

 「いや!」

 「そう言い張るならブーブー文句垂れてねェで腕を磨きやがれ」

 

 大きな溜息を吐いて、ベートは元いた席に戻り、酒盛りを改めて再開した。

 しかしそれを大人しく見ていることも、去ることもできないのがレナという娘だ。

 彼女は堂々とベートの真横の席に座った。あの【凶狼(ヴァナルガンド)】を全く恐れちゃいない。そして、普通に彼女が横の席に座ることをさり気なく許したベートも、なんやかんやでレナを受け入れているようだった。

 

 「ねぇベート」

 「今度はなんだ……」

 

 怒る気力も無くなったのか、最初の勢いが失われつつあるベート。

 この酒場の店主も、常連客も、心の内で「アイツ、ちょっとは丸くなったよなぁ」と呟いた。

 しかしその評価が致命的な過ちであると、すぐにその場にいる皆が悟ることとなった。

 

 

 

 「私――――【ロキ・ファミリア】に改宗したから!」

 

 

 

 刹那、酒場の会場が跡形もなく吹き飛んだ。

 鬱憤が溜めに溜め込まれたベートの堪忍袋が、盛大にぶち切れる音と共に。

 

 

 

 

 

 

 

 神であるロキがべート・ローガに与えたお節介(プレゼント)

 それは『魔法』のように強力なものではない。『魔剣』のような高価な物でもない。

 愚直で、素直で、それでいて傷つき強くなる【凶狼(ヴァナルガンド)】に好意を向ける一人のアマゾネス。

 手負いの狼は傷だらけ。その傷を癒す者は誰もいない。皆、ベートを置いて先に旅立った。

 

 だから、これが四度目の正直だ。

 

 レナ・タリー。

 純粋無垢なる戦闘娼婦(アマゾネス)

 あの【凶狼(ヴァナルガンド)】が闇派閥(イヴィルス)から必死に護ろうとした存在。

 彼女が凶刃により傷つき、倒れた際、『魔法(ハティ)』を使ってまで報いろうとした娘。

 

 どうかあの憐れで、儚い、灰狼の傍にいてやってほしい。

 レナ自身も強くなり、そして彼を護ってやってほしい。

 もう、愛おしい眷属(こども)が……絶望に堕ちないように。何も失わないように。

 

 一体の(ロキ)は、身勝手ながらも天に願うのだった。

 

 

 




 ベート・ローガ、大好きです。
 ダンまちのなかで最も応援している冒険者ですね。

 彼の罵詈雑言は、叱咤激励。
 誰も彼もが強者になれないと理解していながらも、言わずにはいられない我が儘。
 良い奴ではなく、悪い奴でもない。ただ弱者を見捨てられない、そんな不器用な男。
 拗らせすぎてツンデレどころの話じゃないですねぇ……だけど、そういうところも含めて好きになってしまったんだから是非もないネ!

 追記 短編→続編に改修。
 ただ不定期で限りなく不安定な更新速度になると思いますのでどうか御容赦を。


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二傷:その雄を選んだ理由

 この二傷はオラトリア8巻のストーリーをベートではなく、レナの視点で書いてみました。
 原作の原文をそのまま書くわけにはいかなかったので、所々、台詞を弄ったり、端折ったり、増やしたりしています。

 ですので多少、原作と会話内容が異なるものがあります。お許しください。


 レナ・タリーはベート・ローガに恋をしている。

 

 自分でもどうしようもないくらい、胸を高鳴らせてしまうほどの熱い想い。

 自身を律することも定まらない、身を焦がすほどの感情を抱いている。

 彼と出会えば顔が赤くなり、有頂天になり、そしていつも以上にはっちゃけてしまう。

 ベートが露骨に嫌な顔をしても、構ってくれるだけでも幸せだと思えるほど、この気持ちは治まりがつかない。今は嫌われていても、最終的に己が夫にしてみせるというポジティブ思考になる。何故か、身を引くという発想がまるで無かった。

 

 誰も彼もが聞いてくる。

 特に元【イシュタル・ファミリア】の仲間達は呆れた仕草で聞いてくる。

 

 どうしてあんな男なんか好きになったのか……と。

 

 レナ。お前は見る目がない、まだ若いんだから自分を安売りするんじゃないと耳にタコができるほど忠告も受けている。

 

 皆は心配しているのだ。可愛い妹分をガサツで乱暴な、あの狂犬の元に向かうのが。

 

 確かにアマゾネスは強い男に惹かれるものだ。しかしそれにも限度がある。

 どれだけ強かろうと、どれだけ屈強だろうと、ベート・ローガはそれ以前の問題だ。

 あの男は人を簡単に傷つける。誰にだって牙を向ける狼だ。そんな男をついて行ったところで、幸福なんて待ってはいない。きっと後悔するだけだと皆は言う。

 

 それでもレナは止まらなかった。

 聞いたうえで、それでも好きになったのだと皆にいつも公言していた。

 

 

 これはレナ・タリーが一匹の雄に惚れ、深く、深く、更に好意を抱くようになった過去のお話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レナは、ベート・ローガと初めて遭ったあの夜のことを忘れることができない。

 自分が所属する【イシュタル・ファミリア】と【ロキ・ファミリア】の衝突。レナもベートも互いに敵同士だった。命を取り合う戦場の中で出会った。

 まだベートに惚れていなかったレナは、全力でベートに立ち向かった。自慢の曲刀で斬りかかった。レベル差などに怖気づく暇も無く、やらなければやられると思うがあまりの行動。

 

 そのなけなしの覚悟が篭った一撃を、ベートはあっさりへし折った。

 

 狼人(ウェアウルフ)の『獣化』が施されたベートは、もはや埒外の怪物と化していた。まるで歯が立たなかった。まさしく瞬殺の二文字が似合う、そんな決着だった

 

 情け容赦なく腹部に叩き込まれたベートの拳。貫通するかと思ったほど、身体の芯まで響いた男の一撃。意識が飛び、胃の中のモノが全て逆流するほどの衝撃が、レナを襲った。

 

 そして―――惚れた。

 

 圧倒的だった。感動的なほど、彼は強かった。

 打ち抜かれた腹部の痛みによって悶絶するなかで、レナの心の奥底から焔が燈った。

 理屈じゃない、本能が叫んでいた。この男こそ、私が求める強い男なのだと。

 

 ベートと出会うまで、このような想いは経験したことが無かった。

 勿論、これまでレナは多くの『自分より強い雄』と会ったことがある。そんな雄達に負けたのも一度や二度じゃない。それでも、心を燻る恋なるものは燈らなかった。悔しいとは思えど、好きになるほどの衝撃は生まれなかった。

 

 自分より強いだけではない。これまでレナが見てきた強い男の冒険者達にはない魅力が、ベート・ローガには合ったのだ。それが何なのかは、レナ本人でも分からない。

 やはり、つまるところ、レナの本能的なものなのだろう。

 『この男に抱かれたい』『この男の仔を授かりたい』『この男と添い遂げたい』という原初の本能が、そうさせる。

 

 あの日から、レナ・タリーは生まれ変わった。

 

 何にでも模範的だったアマゾネスは、一夜にして好いた男を狙う狩人(ハンター)になった。

 そしてその狙った獲物は、そこらの獣とは訳が違う。誰からも恐れられた【ロキ・ファミリア】の【凶狼(ヴァナルガンド)】。人生一世一代の片思い。相手にとって、不足などまるで無かった。

 

 幸いにも、彼の気を引くカードをレナは持っていた。

 【ロキ・ファミリア】が血眼になって探している『人口迷宮(クノックソス)』の『鍵』の手がかり。

 かつて【イシュタル・ファミリア】に所属していた頃、偶然見た『鍵』と思わしき物の在り処。

 運は我にあり、とレナは無邪気に歓喜したものだ。まさかこんな使える情報が手元にあるなんて、まるで運命が自分の恋路を応援している気さえした。

 

 レナ・タリーは嬉々として【凶狼(ヴァナルガンド)】と二度目の接触を試みた。

 

 彼はレナのことなど、これっぽっちも覚えていなかったが、それもそうだろうと残念がりはしなかった。何せ己は瞬殺された一介の戦闘員でしかなかったのだから、是非も無いことだと受け入れられた。

 肝心なのはこれからだ。ここから、ベートにとって唯一無二の女になってやる。そう、自分を鼓舞し続けた。弱気な女、奥手な女、相手の機嫌を見て動く器用なことなどレナにはできない。ただ我武者羅に、『好き』という感情を前面に出す。それが、レナ・タリーが持つ最大の武器なのだから。

 

 

 

 

 

 『鍵』の情報を対価に、レナはベートとデートすることに成功した。彼は見た目相応に単純だったこともあり、常にリードすることができた。

 『ダンジョン』に潜り、共に怪物達を屠る時間など、今思い返しても至福に満ちていただろう。楽しさのあまり、一分一秒が頗る早く感じた。甘い思い出だ。

 そして、そこでベート・ローガの『厳しさ』のうちに隠された『真意』を知ることになる。

 

 彼はいつも弱者のことを『雑魚』という。

 彼は常に弱者を嫌う。

 反感を自ら買って、煽って、嘲笑する。

 

 レナは早くも気づいてしまった。【ロキ・ファミリア】のなかでも、極少数しか知らない、【凶狼(ヴァナルガンド)】の罵倒の意味を。表面だけではない、内面に隠された彼の思いを。

 

 ベートの言う『雑魚』とは、単なる悪口ではない。

 きっとソレは、彼なりの応援だった。

 あまりに捻くれていて、あまりにも粗暴だからこそ、皆は彼の暴言を『慢心』『傲慢』と取ってしまうが、アマゾネスのレナは違った。

 また『雑魚』と口汚く吐くベート・ローガ本人すらも気づいていない。自分が何を想い、何にイラつき、何を求めて他者を蹴落とすような言葉を発するのか。

 

 「雑魚じゃあ、強者(おれ)には釣り合わねぇ」

 

 弱者で、『雑魚』であるレナに向かって突き放すような言葉を放ったベート。

 彼は気づいていない。その言葉はある種の釣竿の餌、ロバの人参の如き激励であると。

 弱者じゃ強者には釣り合わない。それは即ち、弱者から脱し、強者になれと良いということだ。

 

 『雑魚のままでいるな』『雑魚のままで強請るな』『雑魚のままで満足するな』。

 

 ああ、それはなんて不器用な想いなのだろうか。(いびつ)で、捻じ曲がっている、狼の罵倒。

 それがまた堪らなく、愛おしく感じた。より努力を積み重ねようと思えた。

 だから言ってやった。彼が望む『言葉』を。彼が望む『全て』を。

 

 「私は強くなる……絶対にLv.6になってみせる! ベート・ローガと並び立てる、強者のアマゾネスに! だからその時は、貴方の妻にしてください!!」

 

 そう言ったら彼は鳩が豆鉄砲を食らったみたいな顔をした。

 ベートは彼女を切り離すつもりで暴言を吐きまくったのだろうが、もはや【凶狼(ヴァナルガンド)】の本質を見抜いてしまったアマゾネスには何にも効果も無い。むしろ逆効果だ。より熱く、より強く、ベート・ローガの妻になるべく奮起する。

 

 絶対逃がしてやるものか。ここまで『罵倒(応援)』されたら、彼の求める『強者』にならざるを得ない。弱いままでは、終われないのだと心に誓った。

 

 

 

 

 

 都合の良い幸運は更にレナに授けられる。

 

 ベートは【ロキ・ファミリア】と仲違いをしていて、寝る場所も定まらない状況だったのだ。これも神が与えた思し召しか、ありがたく利用させてもらった。

 ベートは野宿で構わないというが、そこはレナのごり押し交渉。なんとか宿を提供し、彼を廃れた高級娼館(隠れ家)に留めることに成功した。やればできる、為せば為るものだと、この時レナは心の内で微笑んだ。流れはキテいると。

 

 女と男が一つの屋根の下で寝る。

 これほどのチャンスがあるだろうか。いや、無い。断じて無い。

 

 レナは真夜中に、決断した。ここで「ベートを私の身体無しには生きられない男にする」と。

 早速彼女は勝負下着である黒の夜衣(ネグリジェ)を着込んだ。肌が丸々見えてしまう薄布(ヴェール)仕様。レナの火照った褐色肌も、胸も、尻も、全て見えてしまう大人風味の逸品。

 【凶狼(ヴァナルガンド)】がなんぼのもんじゃい。私の魅力で骨抜きにしてやんよ、と意気込んだものだ。

 

 「ねぇ、嫌なこと忘れて……良い夢見よう?」

 

 ダブルベッドの上で横になっていたベートに、レナは甘い声でそう言い寄った。

 裸も同然の下着、というか裸の方がまだ健全なエロティック下着を着用した状態でだ。

 蜜のような密度の香水を使用し、鍛え抜かれた雌の肢体を見せつけ、極めつけに『仔作り』をするという女の覚悟。本気で惚れて、本気で抱いて欲しいという意思の表れ。

 並みの男なら一撃だ。我を忘れ、貪り喰らうこと必至の誘惑。それをあのベート・ローガは―――

 

 「寄るな」

 

 あと一歩、あと少しで身体と身体が重なり合うというところで、彼はレナを蹴り飛ばした。

 

 「うそォー!? 普通、そこは寝るでしょ!?」

 「誰が寝るかマセガキなんぞと」

 「もしかして不能? 男の方が好きとか、そっち系?」

 「殺すぞ!?」

 

 かくして一夜目の夜這いは失敗に終わったのだった。

 流石は【凶狼(ヴァナルガンド)】と恐れられた男。並みの誘惑には屈しないと見える。

 というか狼なら襲わない? 獣ならまぐわらない? 孕まそうと思わない? と言い放つレナに、ベートは呆れながらにこう言い放った。

 

 「テメェに限った話じゃねぇが、俺は雑魚が嫌いだ。一度でも寝たら、弱さが移る」

 「でも、ベート・ローガより強い女なんてそういるわけないじゃん」

 「………」

 

 彼は、レナの言葉に少しだけ耳を傾け、沈黙した。

 

 「俺は、弱い女が………一番嫌いだ」

 

 ベートの『弱い女が一番嫌いだ』という言葉。その言葉は、彼の心象に深く残ったものによる言動だとレナは直感で気づいた。女の感というのは、なかなかどうしてバカにできない。

 きっと彼の言動一つ一つに、巧妙に隠された意味がある。【凶狼(ヴァナルガンド)】が歩んできた人生から来る、経験談的なものが。

 

 まぁそれはそれとして、夜這いが失敗したので今度は全裸で朝這いを決行し、実力行使に移行したのだが、結果は言わずもがな。まぐわう前にベートが眠りから起き、流れるように蹴りを叩き込まれた。やはり既成事実を無理矢理作るのは無理があったと悟ったのも、この時だった。

 

 

 

 

 

 ベート・ローガと出会って、夜を跨いだ二日目の朝。その日もレナは、【凶狼(ヴァナルガンド)】と共にデートに出かけた。肝心のベートには、これはデートではなくデート“ごっこ”と揶揄されたが、それでも構わない。人生はまだまだ長い。人の一生など、諦めなければ機会(チャンス)で埋め尽くされている。

 今はベートの言うように形だけのごっこ遊びだとしても、必ず本物にしてみせるという気概があった。恋に目覚めたアマゾネスに撤退はないのだと胸を張る。迷惑だと思われても、自己中心的だと言われても退かぬ、媚びぬ、手に入れるの精神だ。

 

 先日が『ダンジョン』でのアマゾネス式怪物狩りデートであるならば、二日目は普通の女の子らしくショッピング。言わば露天商街で共に店を練り歩き、色んなものを見て、買って、きゃっきゃうふふするオーソドックスなものでレナは攻めた。

 

 しかしこれでもベート・ローガは塩対応だった。

 

 これは似合うかな? あれ、美味しそうだね? 一緒にあんなものを見てみようと必至にアピールするレナを、ベートは冷たい言葉で返し続けた。悉く、似合わない、不味そうだ、くだらねぇと言うばかり。

 まったくこの男はどこまで頑丈な心の壁を作っているのだろうか。いくら嫌々でも、何か言うことくらいあるのではないだろうか。とはいっても、無理矢理連れまわしているレナにそんなことを言えた義理はないと自覚はしているので、仕方ないとも思っている。退きはしないが。

 

 「そんなに露天商巡りが嫌だった? 宝石とか、面白おかしいものも置いてて私は楽しかったんだけどなぁ……」

 「お前はいい加減、このデートごっこという名のオママゴトに付き合わされている俺の身にもなれ。いや、分かっていてやってるんだろうから尚のこと性質が悪いんだよ」

 「ひっどーい! 否定しないけど面を向かって言わないでよー」

 「否定しないのかよ。あと酷いのはどっちだよ。いい加減『鍵』の情報を寄越せ」

 

 ベートがレナの我が侭に付き合っているのは、全て『鍵』の情報の為だ。逆に言えば、その『鍵』の情報を教えれば、きっとベートはすぐにこの場から姿を消すだろう。そんなことも分からないレナではない。

 

 「嫌だよ。絶対『鍵』のこと教えたらどっか行っちゃうでしょ。ベート・ローガには今日一日付き合ってもらうんだからー!」

 「………分かった。もう催促はしねェ。だが、契約は護れよ」

 「私が約束を破る女に見える? 常識的に考えて大丈夫だから!」

 「マセタ下着で夜這い、全裸で朝這いするアマゾネスに常識を求められても困るんだがなァ」

 

 そんなことをいいながらも、ベートはあっちに行ったりこっちに行ったりするレナの後をついていく。手を引っ張られても、彼は無造作に振り解こうとしない。

 きっと、最初の頃なら『触るな』とか言って弾いていたであろう手を、握ってくれている。それだけでも嬉しかった。そんな小さなことでも、幸せだと感じることができた。

 

 「あ、お花屋さんだ!」

 

 そこで、レナは一番ベートと一緒に行きたかった店を見つけた。

 店内の内装も、花の手入れの行き届いた、この『迷宮都市(オラリオ)』のなかで最も繁盛している花屋だ。

 どの花も美しく、いい香りがする。

 レナはよりどりみどりの花達を目を輝かせながら眺めた。そして、その中で一際気になっていた小振りで薄青い色の花を見定めた。

 

 「ねぇベート・ローガ」

 「あァ?」

 「私の好きなもの、聞きたい? 聞きたい?」

 「聞きたくねェ」

 「聞きたいのなら仕方ないネ! 私、このミオソティスって花をプレゼントされたらすっごく喜ぶよ! もう有り得ないほど喜ぶ!」

 「自分で言ってんじゃねェか………」

 

 もはやベートは呆れた声も、呆れた表情も、すぐに出るようになっていた。

 

 「俺は買ってやら―――」

 「レナ……それに、アンタは【凶狼(ヴァナルガンド)】!!」

 

 ベートが言い終える前に、愕然とした声色で叫ぶ女の声があった。

 めんどくさそうにベートはその声がした場所に目を向ける。

 そこには成人のアマゾネスがいた。レナよりも背が高く、えらく敵意全開の視線を浴びせている……これはまた、面倒な奴に出くわしたとベートは心中で舌打ちした。

 彼女は、以前ベートが酒場で大喧嘩した相手だ。しかも元【イシュタル・ファミリア】の一員で、一方的にボコ殴りにした経緯がある。

 

 「アイシャ!?」

 

 しかもレナとの知り合いだった。

 これはいよいよもって、更に面倒くさくなりそうだ。

 

 「レナ! なんでそんな男と一緒にいる!?」

 「まって、アイシャ! 私、今ベート・ローガとデート中なの! 邪魔しないで、お願い!」

 

 レナは全力で姉貴分であるアイシャに頭を下げる。此処は見逃して欲しいと。せっかくのデートを台無しにされたくないと。

 

 「デートォ!? バッカ、あんた悪趣味にもほどがあるよ! もっとマシな雄を探しな! 【凶狼(ヴァナルガンド)】になんか花を強請るんじゃない!!』

 

 ベート・ローガ本人のいる前で、アイシャは容赦なく叱咤する。

 それに流石のレナも焦りを積もらせた。ここでベートに暴れられたら、本当にデートがおじゃんになってしまう。せっかく掴んだこのチャンス、失いたくは無い。できるだけ穏便に済ませなくてはならない。

 

 「お願いアイシャ! 二人の子供を産むまで待って!!」

 「まてコラ。ドサクサに紛れて何言ってんだお前は」

 

 ばれたか。流石に鋭い。ベートの突っ込みスキルもなかなかのものだ。

 気を取り直してレナは必至にアイシャに懇願した。

 アイシャはレナにとって大切な姉のような存在だ。自分のことを心配してくれているのは分かっている。ありがたいことだ。でも、今日は、今日だけは邪魔しないでほしい。好きな雄と、仮にもデートができる、今の時間を。

 

 「………チッ。本当に、なんで【凶狼(ヴァナルガンド)】を選んじまったんだい」

 

 アイシャはガシガシと頭を掻いて、大きな溜息を吐いた。

 これは根負けした時に彼女が行うクセの一つだ。

 どうやら、お許しが下ったらしい。

 

 「おい狼人(ウェアウルフ)。レナを連れ回していることには目を瞑ってやる。だがな、その子に何かあったら絶対に許しはしないからね」

 「連れ回してるんじゃねェ。連れ回されてるんだよ……」

 「ありがとうアイシャ! 後で何か奢るね!」

 「はいはい。レナ、男遊びも程々にしなよ」

 「誰も俺の話を聞きゃしねぇ……くそったれ」

 

 ベートはブツブツと恨み言を吐いているが、どうにか大きな騒乱なく収まったようだ。

 またアイシャは警備の仕事があるといって、この場を去っていった。

 レナは安堵した。まだ、この時間を続けることができると。

 

 「そろそろ行くぞ馬鹿ゾネス。ここは『ダンジョン』じゃなく地上だ。『迷宮都市(オラリオ)』だ。さっきのように知人と会えば、厄介な噂が立つかもしれねぇ」

 「だから人気(ひとけ)の少ないところに行くんだね? そして誰もいないところで」

 「何も起こらねぇよ」

 「ええー」

 

 残念だ、とレナが言おうとした時、ベートがぴたりと足を止めた。

 どうしたのだろうかと彼の顔を見てみると、今まで見たことの無い表情をしていた。しいて言えば、顔面蒼白。青ざめていると言ったらいいだろうか。かなり顔色が悪い。

 

 「ア……イズ………」

 「ベートさん…・・・何を、しているの?」

 

 彼が立ち止まった理由。彼が青ざめている理由。それは、単純明快だった。

 ベート・ローガの視線の先には、【剣姫】という二つ名を持つ、可憐な少女、アイズ・ヴァレンシュタインが立っていた。謂わばレナにとって恋敵なる存在である。

 なにせベートはアイズのことを気にかけているという噂があった。実際、ベートのこの反応を見れば嫌でも分かる。彼女こそレナが打倒しなければならない相手。ベートが嫌う弱い女。その例外、強い女こそアイズその人だ。

 

 だが、今回ばかりは譲れない。例え相手がかの【剣姫】であろうと、退くことはできない。

 今こそ女の見せ所。レナ・タリーこそが【凶狼(ヴァナルガンド)】の女であることを先制して宣言する時。

 

 「アイズ・ヴァレンシュタイン!」

 「え?」

 「初対面早々で悪いけど、先に言うね!」

 「おい、お前何を!?」

 

 何か嫌な予感を感知したのかベートはレナを静止しようとする。

 しかし、遅い。最速の男の行動は、どうしようもなく遅かった。

 エンジンのかかったアマゾネスはもう止まらない止まれない。

 

 「ベート・ローガの女は、私がなる予定だから! ほら、街中でも腕を組んでデート中! 丈夫な子供だって産む約束すらしているんだからー!!」

 「馬鹿よせ止めろォッ!!!」

 「ぴぎゃ!?」

 

 【凶狼(ヴァナルガンド)】は咆哮しながらレナの首に手刀を見舞って意識を刈り取った。

 だが、それも遅い。何もかもが遅いのだ、ベート・ローガ。

 レナの宣言は確実にアイズの耳に届いていた。聞き間違えも、聞き逃しもあるものか。

 

 「か、勘違いするんじゃねぇぞアイズ!?」

 

 もはや逃げの一手だった。ベートは錯乱するあまり、気絶したレナを小脇に抱えて逃走した。

 勘違いをするな、と言いながら逃げる。矛盾だ。言動の不一致だ。

 これはむしろより疑惑の念を強くする行動に他ならない。

 全ては獣の生存本能に従ってしまったからだ。あまりの窮地に、弁解より先に狼人(ウェアウルフ)は地面を蹴っていた。

 

 「まってベートさん! 早まっちゃいけない!!」

 

 他の【ファミリア】の女冒険者に手を出そうとする【ロキ・ファミリア】の幹部を止めようとアイズは追いかける。まさしく盛大に勘違いをしているが、これは仕方の無いことだ。明らかにベートが怪しい。どう考えてもベートのミスだ。

 

 「もしその子に手を出したら、きっと大変なことになる……!」

 

 他神の眷属同士での淫行はご法度だとアイズでも理解しているので、全力で追いかける。

 

 「誤解だ!!」

 「【目覚めよ(テンペスト)】!」

 「クソッタレがァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!」

 

 

 狼は絶叫した。

 『迷宮都市(オラリオ)』屈指の俊敏性を、まさかこんな情けないことに使うとは思いもしなかった。何より、『風』を纏った状態のアイズに追いかけられるとなると、如何に【凶狼(ヴァナルガンド)】と言えど骨が折れる。

 

 ベート・ローガはひた走る。小娘を抱えて全力疾走。全ては後から迫る、【剣姫】の手から逃れる為に―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ベートによって強制的に意識を狩られたレナは、無造作に地面に放り投げられ、地面にぶつかった強い衝撃でようやく目を覚ました。

 

 「いたた……あれ? ここは……私の、高級娼館(隠れ家)?」

 

 私はどうしてこんなところにいるのか。つい先程まで、露天商街にいた筈なのに。

 そして荒い息を吐く音がして、振り返ってみると、汗だくの【凶狼(ヴァナルガンド)】の姿があった。

 

 「ベート・ローガ……!」

 「あァ!?」

 「…………っ」

 

 凄まじい眼力で睨まれ、そして思い出す。

 レナが人目を憚らず、アイズに向けて放った言葉。

 それによりベートは混乱し、こうしてアイズから逃げてきたのだ。

 意識を失っていても、ある程度のことは予測できる。自身の身勝手な行動が、ベート・ローガに多大な損失を与えた。これまでの我が侭や迷惑加減とは、レベルが違う。

 もう、流石にこれは我が侭の度が超えていた……と、過去の己に恥じる。

 

 「クソが、辛気クセェ面を晒すな……今日はもう、疲れた。面倒だから今夜も此処で寝る。宿借りるぞ、バカゾネス」

 「え……?」

 

 思いがけない言葉に、レナは呆けた顔をした。もうデートは終わったのだ。ベートが『鍵』について聞いてきたら、約束通り話すつもりでいた。

 それで終わり。きっと『鍵』の情報を得たら、ベートは此処から立ち去る。そう覚悟していた。

 そんなレナに、ベートは言ったのだ。『今夜も此処で寝る』と。

 

 「また、泊まるの? 泊まってくれるの?」

 「………ああ」

 「一緒に、いてくれるの? ベート・ローガ……?」

 「だからそう言ってんだろ!?」

 「………ッ」

 

 まだ、ベート・ローガは一緒にいてくれる。ここにいてくれるのだと。

 それがどれだけ嬉しかったか。今まで邪険にされていた意中の雄に頼られるということが、どれほど幸福と思ったことか。

 

 「いいか、勘違いするなよ! 明日にはぜってぇ『鍵』探しに行くからな!!」

 「うん……うん!」

 「冒険者が簡単に泣くんじゃねェ!」

 

 感極まって泣くレナにベートは叱咤するが、レナの目からは涙が止まることはなかった。

 だって、仕方ないじゃないか。嬉しくて、嬉しくて、自分でもどうしようがない。

 こんなに胸が締め付けられる感情を、制御などできるはずがない。

 

 「ありがとう、ベート・ローガ! すぐ、晩御飯を用意するから、待ってて!!」

 

 レナは、溢れんばかりの想いを抱えて、厨房に駆けていった。

 少しでも優しき彼に報いろう。少しでも不器用な彼の疲れを癒そう。少しでも、この時間を意味のあるものにしようとする一心で。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とはいえ、もう楽しいデートは終わった。三日目の朝からは、自分の我が侭を多く聞いてくれたベート・ローガに恩返しをする時間だ。きちんと契約通りに対価を払わなければ、女が廃るというもの。

 

 レナは自身の用いる情報を全てベートに打ち明けた。

 

 【イシュタル・ファミリア】の隠し部屋にあった『鍵』らしきアイテム。

 【イシュタル・ファミリア】の副団長、タンムズの詳細。

 

 闇派閥(イヴィルス)に関わっていたと思われる副団長についてはレナもよく知らないので深く答えられなかったが、【イシュタル・ファミリア】の隠し部屋のことなら詳しく答えることができた。

 

 「イシュタルの神室(隠し部屋)か、そのタンムズとかいう野郎の部屋にあるかもしれねぇってわけか」

 「うん。でも、本当にあるかどうかは分からないよ? あの後タンムズも行方を晦ましてるし、もしかしたら持ち出しているのかもしれない」

 「構わねぇ。なんにしても、調べる価値はある……まずはあの『女神の宮殿(ベーレト・バベリ)』を目指す」

 

 ベートはこの高級娼館からでも目視できる、歓楽街にそびえ立つ巨大な宮殿を見据える。

 やることが決まった狼の行動は迅速だ。すぐさま彼は高級娼館を出ようとする。

 

 「おい」

 「え?」

 

 『鍵』の情報も伝えたし、もうお役目御免だろうなぁと思っていたレナにベートは声をかけた。

 彼は此方に顔を向けず、背中を向けて、ぶっからぼうな言い方で。

 

 「何呆けてやがる。この歓楽街はテメェの庭みてェなもんだろうが」

 「………それってつまり……私に道案内を?」

 「それ以外に何がある。昨日はあんだけ俺に迷惑かけたんだ。情報寄越したくらいでチャラになると思ってんのか? お前は」

 

 ベートの台詞に、レナはまた溢れんばかりの笑顔で頷いた。

 その無邪気な子供のような反応に狼人(ウェアウルフ)はガシガシと頭を掻いて、寝食を共にした廃れた高級娼館(レナの隠れ家)を後にする。

 

 きっとこれは、ベート・ローガがほんの少し見せた不器用な優しさだった。

 傷つき、傷つけ、一匹狼を続けてきた男の心に無作法にも上がりこんだ一人の少女。

 鬱陶しいと思いながらも、完全に振り解けなかった男の甘さ。

 放置しておけば終わりだったのに、それをしなかった狼の矛盾。

 久方ぶりに受ける、人の好意。人の善意。人の良心。

 

 

 ベートの(きず)の疼きは、レナと共に行動するその時に限り、消えていた。

 

 

 




 幼馴染のレーネ、【ヴィーザル・ファミリア】の女性、そして【ロキ・ファミリア】のリーネ。
 立て続けにベートを想う人達が死んでいく辺り、良い女ほど彼の手から離れていく印象。
 大切な者がドミノ倒しの如く消え去っていく様は、もはやエゲツナイの一言。
 尤もそれらの体験が今のベート・ローガの人格形成や独自の哲学に繋がっているのでしょうが、あまりにも痛々しいものですね。

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三傷:呪詛の凶刃

 レナを道案内役にするというベートの判断は、結果的に正しかった。

 元【イシュタル・ファミリア】の配下区域はとてつもなく広大だ。その上、様々な娼館が乱立しており、もはや迷路と言っても相違ない。尤もベート・ローガの獣の直感や嗅覚を駆使すればおのずと『女神の宮殿(ベーレト・バベリ)』に辿り着けるのだろうが、レナの土地勘はそれすらも凌ぐ。

 

 【ロキ・ファミリア】と並び、迷宮都市(オラリオ)最強と名高い【フレイヤ・ファミリア】はどういうわけか、【イシュタル・ファミリア】に全面戦争を起こし、この欲望渦巻く娯楽街を文字通り廃墟にした。なんでもフレイヤお気に入りの男をイシュタルが誘惑した怨みからよるものだ、とまことしやかに噂されている。

 冗談みたいな噂話だが、あの何事にも執着癖が凄まじい主神ならやりかねないと、神々の中では『なるほどなー……』など言って頷く者もいる。

 事実がなんであれ、【イシュタル・ファミリア】は力技で解体された。主神イシュタルも天界に強制送還されたことにより、もはやこの街は機能していない。今では【ガネーシャ・ファミリア】と呼ばれる大武闘派【ファミリア】と中立組織のギルドによって管理されている状態だ。なんとか【イシュタル・ファミリア】の跡地であるこの歓楽街を復興させようと努力しているらしい。

 

 無論、そんな跡地に【ロキ・ファミリア】の幹部クラスと元【イシュタル・ファミリア】のアマゾネスが共に嗅ぎ回っていると知られれば、面倒なことになるのは必至。できるだけ【ガネーシャ・ファミリア】の連中に気づかれずに行動しなければならないこともあり、人目の避けられる裏道などを活用する必要があった。

 その点では、レナ・タリーはよく働いている。恐らく【ガネーシャ・ファミリア】やギルドの人間では知らないであろうルートを事細かく把握しており、巧いこと隠密行動ができている。

 

 ベートはレナの征く道についていく。奥地に進めば進むほど、歓楽街の損傷具合が軒並み酷くなっていく。流石は天下の【フレイヤ・ファミリア】だ。敵とみなした者は、何物であろうと容赦しないこの過激さ。ベートをも関心させる徹底ぶり。

 見渡す限り、どの建築物の壁にも大穴が開き、石敷きの地面には無造作に武器が突き刺さっている。【イシュタル・ファミリア】の必死の抵抗も見て取れるが、この惨状からして勝負にすらならなかったのだろう。悉く破壊された街並みを見れば、どれだけ一方的な戦だったか……それを理解できない愚鈍はいまい。

 そもそも【フレイヤ・ファミリア】には迷宮都市(オラリオ)最強の男、Lv.7の【猛者(おうじゃ)】オッタルを始め、Lv.6のアレン・フローメル、ヘグ二、ヘディン、その他多数と『ダンジョン』にその名を刻んだ歴戦の冒険者達が在籍している。Lv.6はおろか、Lv.5の【男殺し(アンドロクトノス)】フリュネ・ジャミールが最高戦力の【イシュタル・ファミリア】に勝ち目など無い。

 

 “弱者は強者に何をされても文句は言えねぇ。強者は何をしても構わねェ……どこも同じだ”

 

 【イシュタル・ファミリア】の冒険者達は果敢にも武器を取り、【フレイヤ・ファミリア】に立ち向かったのだろう。最初から降参などせずに、絶望に喰らいつこうとしたのだろう。

 しかし結果はどうだ。彼らを一秒でも食い止められたか? 傷一つでもつけられたか?

 少なくともベートの耳には、【フレイヤ・ファミリア】陣営に被害が及んだという報告は届いていない。全くの無傷で鎮圧したという名声ばかりが聞こえてくる。

 

 この壊滅した歓楽街はベートの見てきたクソッタレな世界の縮図だった。

 圧倒的な力の前に、何もできず、何も為せず、捻り潰される残酷な(ことわり)だ。

 

 分かっている。この世界はいつもこうなのだと、理解している。

 今更、世の現実を見て感傷的になれるほどベートも暇ではない。

 【イシュタル・ファミリア】も所詮はその程度の器だったというだけの話なのだから。

 

 「こっちだよ、ベート・ローガ!」

 

 レナは呆れるほど元気な声を上げている。

 一応、【イシュタル・ファミリア】はレナの元【ファミリア】だろうに。

 自分はともかく、お前は少しくらい感傷的になれよとベートは心のうちでツッコんだ。

 

 「あんまり大声出すな。気づかれるだろうが」

 「えへへ、ごめんなさい」

 

 ベートの役に立てていると実感できるレナは、年相応にはしゃいでいる。

 何度目か分からない溜息を吐きながら、ベートは空を見上げた。

 空は薄汚れた灰色の雲によって覆われており、今にも一雨振りそうな気配だ。

 少し憂鬱な気分になりながらも、ベートは歩みを進める―――が、急に彼は足を止めた。

 

 「…………」

 「どうしたの、ベート・ローガ? もしかして【ガネーシャ・ファミリア】の連中が近くに?」

 

 突如として険しい顔をするベートを見たレナは周囲を見渡した。しかし【ガネーシャ・ファミリア】の冒険者の姿も、ギルドの人間と思わしき気配も、まるでしない。

 

 「おい、バカゾネス。俺の傍に来い」

 

 硬い声色で近くに来いという指示に、レナは困惑しながらも従った。

 

 「妙な連中が俺らを見張ってやがる」

 「が、【ガネーシャ・ファミリア】の冒険者?」

 「バカか。奴らなら、なんで気配を殺してまで俺らを視ている。普通、警告なり何なりしてくるだろうが……こいつァ、どう考えてもマトモな連中じゃねぇな」

 

 ベートの予想は的中していた。

 存在を知られた監視者達は、あるものは建物の影から、ある者は路地裏から姿を現した。

 その皆、全てが顔や身体を覆い隠す黒装束を身に纏っている。何より目だ。黒装束の人間達が此方に向ける目が、冒険者のする瞳ではない。冷え切った、人形のような冷たさを内包している。

 短い人生において、まるで経験したことのない薄気味悪い視線にレナは身を震えさせた。

 レナとてLv.2の冒険者。ある程度の修羅場は潜ってきた。獰猛な怪物達と戦い、そしてランクアップを果たしたアマゾネスだ。しかしこのような、殺意すら覆い隠すような連中との対峙は、今日で初めてだった。

 

 「……バカゾネス。さっさと武器を取れ」

 

 ベートの言葉に我に返ったレナは、急ぎ腰にぶら下げていた曲刀(シミター)を抜いた。

 しかしその獲物を握る手は、小刻みに震えてしまっている。

 

 「冒険者……いや、違う。こいつらァ………暗殺者(アサシン)か」

 

 彼らの装束を見たベートは吐き捨てるように言った。

 『ダンジョン』の怪物相手ではなく、対人専門の暗殺【ファミリア】の系統。

 道理で気配も何もないはずだ。彼らにとって、気配を殺すということは基本技術。スキルに頼らず、生まれながらの鍛錬において完成された特殊技能。狼人(ウェアウルフ)の鋭い嗅覚、視線に対する敏感さがなければ高ランクの冒険者でも気づくのは難しい。

 

 「おやァ? おやおやァ? 誰かと思えば【凶狼(ヴァナルガンド)】じゃねぇかぁ」

 

 朽ちた娼館の屋根の上に、ねっとりとした声色と共に現れた一人の女性。

 その女は黒い長外套(オーバーコート)を身につけ、皮の脚衣(レザー)を着用し、手には(いびつ)で禍々しい大剣を携えていた。殺意がおぞましいほど上がっているのも合わさって、明らかに真っ当な冒険者ではないとレナは確信する。

 

 「テメェは……ヴァレッタ・グレーデ………!」

 「【凶狼(ヴァナルガンド)】に名を覚えて貰えてるなんて光栄だねェ」

 

 ヴァレッタ・グレーデと呼ばれた女は、それこそ口が裂けるのではないかと思えるほど、邪悪な笑みを浮かべた。狂気に取り付かれた、狂人のする顔だ。

 レナは、ベートが叫んだ彼女の名を聞いたことがあった。

 確か、闇派閥(イヴィルス)の幹部にして【殺帝(アラクニア)】という二つ名が与えられた犯罪者。多くの犠牲者を生み出し、一時期迷宮都市(オラリオ)に『暗黒期』と呼ばれる災厄を招いた大悪党の一人。

 

 「ゲス女がなんでここにいやがる!」

 「それはこっちの台詞だぜ、【凶狼(ヴァナルガンド)】。まさかお前が歓楽街にいるなんてな。しかもアマゾネスの餓鬼と一緒たぁ……まさか、抱くつもりだったか? ヒヒッ」

 「ふざけるなよ、【殺帝(アラクニア)】ァ!!」

 「おいおい煽り耐性が無さすぎんだろこの狼」

 

 ヴァレッタは怒気を孕ませる大狼を見下ろしながら、溜息を吐いた。

 しかしその目は一向にベートとレナを捉えたまま離さない。

 

 「しかしとんだ偶然もあったもんだなァ。私はただ歓楽街を調べにきたってだけなのによォ……まさか、第一級冒険者と遭遇するなんて計算外だ」

 

 ブツブツと呟く【殺帝(アラクニア)】。

 彼女にとっても、ベートとの遭遇はイレギュラーだったようだ。

 しかし、だからと言って、大きな獲物を前にして見逃すという選択肢は、彼女にはなかった。

 

 「だが、ちょうどいい。ちょうどいいぜェ。ここらを徘徊していた【ガネーシャ・ファミリア】の塵共だけじゃ、殺し足りなかったところだ。ここで出会ったのも何かの縁。そこのアマゾネスのついでに【凶狼(ヴァナルガンド)】の首級を挙げるのも、一興ってなァ!!!」

 

 【殺帝(アラクニア)】が叫び、宣言すると同時にベートとレナに、暗殺者共は殺到した。

 やはり単なる様子見で終わるわけがないかとベートは大きく舌打ちした。

 

 「奴らは『呪道具(カースウェポン)』の短刀を持ってやがる! いいか、バカゾネス! あの凶器で一撃でも深手を負えば、助からないと思え!!」

 「は、はい………!!」

 「………これは契約だ。反故したら殺す。一度しか言わねぇ。拒否も許さねェ」

 

 四方八方から迫りくる狂人らを前に、ベートは頬に刻まれた刺青が大きく歪むほど、口を開き、声を上げた。

 

 「お前は、俺の傍から―――離れるんじゃねェぞ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ああ、そうだ。いつも、いつもこうなのだ。弱者は常に己を苛み続ける。雑魚はいつも足を引っ張ってばかりだ。今回もその例に漏れず、レナという少女を護る為に【凶狼(ヴァナルガンド)】は苦悩する。

 

 雨が打ちつけるように降ってきた歓楽街で、数多の暗殺者を蹴り飛ばすベート。まるで歯牙にもかけない圧倒的な力。しかしそれを存分に扱えているかといえば、否だ。

 彼の背後にはレナ・タリーがいる。持ち前の機動力を活かそうにも、もし一度でも彼女から目を離せば、彼女が殺される。生まれたての雛と同じくらい、軽い命なのだ。この戦場において、弱者の生命なぞ。

 

 見捨てればいい。見限ればいい。そうすれば、こんな暗殺者共など敵ではない。その脚で、その拳で、制圧することなど容易い。そんなことはベート・ローガが一番分かってる。自分が如何に甘い考えを持っているか、吐き気がするほど理解している。

 

 だが、できない。ベート・ローガは弱者を見捨てることができない。それは【凶狼(ヴァナルガンド)】の致命的な弱点だった。冷徹無比と謳われた男が持つ、弁慶の泣き所。

 

 いつも護れない。いつも助けることができない。弱者は、いつも己の手から零れ落ちる。

 嫌いだ。弱者は、雑魚は、これだから嫌いだ。まるで過去の自分をみているようで腹が立つ。

 あいつらの傷つく姿が、あいつらが哭く姿が、この眼に写る瞬間は、何時になっても慣れやしない。

 

 「ルオォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!!」

 

 【凶狼(ヴァナルガンド)】は吠える。

 迫りくる凶刃から、レナ・タリーを保護する。雨に濡れ、血が溢れ、呪いを受けながらも狼は一人の少女を護らんが為に拳を振るう。

 彼らの目的は、レナ・タリー。彼らの暗殺対象は、元【イシュタル・ファミリア】に所属していたこのアマゾネスなのだと、ベート・ローガも気づいていた。

 恐らくあの人口迷宮を突破する唯一アイテム、『鍵』の在り処を知っている可能性がある者の抹殺。口封じのためにレナを狙っている。ヴァレッタ・グレーデも言っていた。『そこのアマゾネスのついでに【凶狼(ヴァナルガンド)】の首級を挙げる』と。

 闇派閥(イヴィルス)の狙いは初めからレナだ。だから、暗殺者の攻撃はレナに集中している。だから、ベートは彼女から離れることも、離すこともできない。逃がすこともしてやれない。

 

 だが、それがどうした。護り切ればいいだけだろう。救えばいいだけだろう。

 今のベート・ローガは第一級の冒険者だ。Lv.6にまで上り詰めた大狼だ。一人の女くらい、護れずしてどうする。一人の餓鬼くらい、助けてやれずにどうする。

 

 “もう、誰も―――誰も、俺の前で―――――”

 

 ベートの脳裏に過ぎる、これまで救えなかった者達の顔。

 思い返すは『平原の主』と呼ばれる怪物に食い殺された幼馴染。

 弱さゆえに『ダンジョン』で命を落とした女。

 呪いの短剣により腹を突き刺され、絶命した仲間。

 

 『弱い女は、一番嫌いだ』

 

 己の無力さを思い知らされる。

 誰かが死んで、誰かが泣く。その姿に、ベートはかつての己の姿と重ねる。

 

 「………ガ……ァ……」

 「べ、ベート・ローガァ……!!」

 

 アマゾネスの少女に向かって投擲された一刀の『呪道具(カースウェポン)』の刃。それを見たベートは防ぐまでは間に合わないと判断。己の身を盾として、レナを庇った。

 呪詛の短刀はベートの右肩を容赦なく抉った。強烈な痛みがベートを襲うが、なんということはないと歯を食いしばる。

 

 この程度の痛み、呪いがなんだ。ふざけるな。こんなモノに、仲間がやられたのか。こんなクソッタレなモノに、リーネ達は殺されたのか。

 怒りはあらゆる痛みを忘れさせる。憎悪が深くなればなるほど、傷の痛覚が薄れていく。

 

 「うるせぇ……仮にも冒険者が……情けない声を、出すんじゃねぇ………」

 

 ベートは肩に突き刺さった呪いのナイフを忌々し気に引き抜き、地面に叩きつける。

 

 「はッ、ははははは! バカが、庇いやがった!!」

 

 膝をつくベートを嘲笑する【殺帝(アラクニア)】。あれほど勇名を轟かせた冒険者の憐れな姿に、笑わずにはいられないとばかりの大爆笑だ。

 

 「そのお荷物を捨てれば、生き残れるだろうに。そのアマゾネスを見殺しにすれば、自分は助かるだろうに。それどころか勝利することもできるだろう?」

 「黙れ……」

 「それをしないなんて、とんだあまちゃんだ。何がLv.6だ。何が【凶狼(ヴァナルガンド)】だ。聞いて呆れるぜ、一人の餓鬼も捨てられねェ愚図野郎がよォ!!」

 「黙れって言ってんだ……そのくせぇ口を閉じろ、ゲス女――――――!!」

 

 ベートは咆哮しながら、懐から『魔剣』を取り出し、第二等級特殊武器(スペリオルズ)である具足、フロスヴィルトにその刀身を宛がう。

 『魔剣』はその内包された『魔力』を全て喰われ、フロスヴィルトの魔石に装填された。

 怒りを籠めて、ベートは爆発的な『魔力』を蹴り放つ。

 

 周囲を囲んでいた暗殺者達の大半が、その『魔力』に肉体を吹き飛ばされる。斜線上にいなかったものでさえ、余波で四肢のどれかを失う大損害を被った。

 

 「逃げるぞ、バカゾネス!」

 

 ベートはレナの腕を引っ張りながら、この場を後にする。

 なけなしの『魔剣』を使っても、今はその場凌ぎ程度にしかならない。

 まだ、まだまだ暗殺者達の数は多い。たかがアマゾネスを狩る為だけに、中隊クラスの人数を揃えられている。今はとにかく、【ロキ・ファミリア】の連中にレナを保護してもらうことが先決だ。その後に、幾らでも奴らをぶち殺せる。

 

 「………くそが」

 

 しかし、そんな思惑など奴らも承知済み。

 またも暗殺者達がどこからともなく現れては包囲する。

 この歓楽街から、【ロキ・ファミリア】のアジトまでの距離が絶望的だ。

 加えてこれまでに多くの傷を負ったベートでは、レナを抱えて奴らを撒くことができない。

 八方塞りだ。なんとか突破口を開かなければ、レナどころかベート自身も『呪い』にやられる。『呪道具(カースウェポン)』に負わされた傷は、簡単に癒されることはなく、その傷口から溢れる出血により命を落とすのだから。

 

 「……私が……お荷物になってるんだよね?」

 

 レナは、震える声でそんなことを言い出した。

 レナも、気づいたのだ。自分が命を狙われ、自分が、ベート・ローガを巻き込んだのだと。

 その台詞に、【凶狼(ヴァナルガンド)】はとてつもなく嫌な予感がした。

 

 「おい……なに言ってやがる。これは俺に対して売られた喧嘩だ。テメェは、関係ねぇ!関係あるもんかよ!俺がお前を巻き込んだんだ、それすらもわからねぇか!?」

 

 やめろ、ヤメロ。

 何もするな。お前は、黙って俺の傍にいればいい。

 動くな、俺の傍から、絶対に離れるな。

 

 「ううん……私が、命を狙われて……ベート・ローガが巻き込まれてるんだよね?」

 「それ以上喋るな! そんな余裕、雑魚のお前にはないだろうがよ!!」

 

 『呪道具(カースウェポン)』を振り回す暗殺者を一人ひとり捌きながら、ベートは怒鳴る。

 何を勘違いしてやがる。何を責任がある風に言っている。雑魚は雑魚らしく、生きる為に必死になればいいんだ。背負い込むな。この戦場で泣き言なんて吐くんじゃねぇ。

 

 「私は、足を引っ張ってる」

 

 牙が疼く。

 ズキズキと、頬に刻まれた牙が痛む。

 

 「でも―――私がいなければ、ベート・ローガは強いもんね?」

 

 レナの言葉に、ベートの時が止まる。

 ベートは危険を承知で、敵を前にして背後を振り返ってみれば、そこには涙を流し、今にも自分の元から駆け出しそうな少女の姿があった。

 その姿に、狼は喉が張り裂けんばかりに叫んだ。絶対に、今 彼女の行おうとしていることを看過してはならぬと、全力で、吠えた。

 

 「俺は言ったよな、お前に! 俺の傍から離れるなと!! 俺の命令を反故しやがったら、殺すと言っただろうが!!」

 

 ベートは駆けた。今すぐ彼女の腕を掴もうと。

 ベートは手を伸ばした。愚かなことを決意した少女を繋ぎ止めようと。

 

 「血迷ったことを考えるんじゃねぇ! そこを動くなよ、レナァ!!」

 「……今、初めて、名前を呼んでくれた――えへへ、ありがとう。ベート・ローガ」

 

 アマゾネスの少女は、そんなベートの手を振り解き、走り出した。

 暗殺者もレナの逃げる方向に追従していく。

 その結果に、【凶狼(ヴァナルガンド)】は激昂した。

 

 「馬鹿タレがッ………大馬鹿アマゾネスがァ!!!」

 

 絶対に逃すものか。捕まえて、勝手な行動を取ったバカに蹴りを入れてやる。

 

 「おっと行かせね~ぜぇ? 【凶狼(ヴァナルガンド)】ォ」

 「そこをどけえェェェェェェェェェェェェェェェェェェ!!!!!!」

 

 目の前に立ち塞がる女を、ベートは殺意の純度100%の蹴りを見舞おうとするも、回避に徹した【殺帝(アラクニア)】はギリギリそれを避ける。

 本来Lv.5のヴァレッタ・グレーデがLv.6のベートに敵うことなど有り得ない。

 しかし度重なる『呪道具(カースウェポン)』の傷を負い、血を流し続けている今のベート相手なら話は別だ。勝てないにしても、生き残るくらいは造作もない。

 

 「ったくなんつう蹴りを放ちやがるんだよ糞野郎が。直撃したら死ぬところだったぞ?」

 「そのままくたばれ!!」

 

 今は【殺帝(アラクニア)】の相手をするほど余裕などない。

 

 「はッ、必死じゃねぇか? なァ!!」

 「黙れ!!」

 「そこまであの娘が大事かァ!?」

 「黙れェェェ!!!」

 

 怒れるままに吠え続ける男に、ヴァレッタ・グレーデは愉快そうに頬を歪める。

 最高の見世物だと、高らかに嗤う。

 その仕草、その声、その表情全てがベート・ローガの癇に触った。

 

 「まぁ落ち着けよ、【凶狼(ヴァナルガンド)】。ちょいと話でもしようや」

 

 この期に及んでまだ喋り続けるその口は、ただひたすらベートの煮え滾る怒りを煽る。

 そしてあろうことか、ヴァレッタは恐れを知らぬ愚者の如き、ある事実を吐いた。

 

 「お前らが『人口迷宮(クノッソス)』にやってきた時よォ……そりゃもう、くそほど多くの仲間が死んじまったんだよなぁ?」

 

 ヴァレッタの言葉に、ベートは目を見開いた。

 まさか――まさか―――こいつァ―――この女が―――。

 

 「あれ、全部私がやったんだぜぇ? 泣き叫ぶ冒険者どもを、きっちり全員刺し殺してやった! 助かった奴ァいねぇだろ? そうだろ? ちゃんと刺し貫いてやったもんなぁ!!!」

 

 ヴァレッタはまるで悪戯が成功した悪餓鬼のように言う。

 そうだ。あの惨劇は、悪戯と同じ、その程度と同じ感覚で行ったのだ。

 軽い気持ちで、【ロキ・ファミリア】の仲間を多く殺した。

 

 「特にあの治療師(ヒーラー)は殺し甲斐があった!」

 

 何かが、ベートの心の奥底で燈った。

 これは、この感情は、どうしようもない悪鬼の類い。

 殺して、殺して、殺し尽くさなければ収まらない、殺意の焔。

 

 「弱ェくせに、最後まで仲間を護りやがってよォ!? 嗤っちまうだろう? 最高の笑い話だろ? な、お前も笑えよベート・ローガァ?」

 

 ベートは拳を強く握り締めるあまり、掌の皮膚が破け、血が滲む。

 こいつが、この女こそが、リーネ達を殺した張本人。【ファミリア】の仲間を惨殺した者。

 もはや怒りの天井など当に通り過ぎている。激情するどころか、一週回って冷静になれた。

 

 「どけ……何度も言うが、邪魔だ」

 「およ? んだよその反応。白けるなぁ、オイ。もちっと叫んだりしねぇのかよ」

 「お前は、殺す。必ず……だが、今はあのバカゾネスが最優先だ」

 

 今、目の前の女を八つ裂きにしたい気持ちは大いになる。憤激の赴くままに、殺したい渇望で身がはち切れそうだ。しかしそれは後でもできる。それよりも、新しく犠牲になろうとしている女を救う方が先決だ。

 

 「はッ! そうかよ。私もあんまりアンタみたいな怪物と対峙してたら命が幾らあっても足りやしねぇからね。いいぜ、行ってやりなよ。まぁ、もう間に合わねぇだろうがなぁ!!!」

 

 醜悪な女の嘲笑は、どこまでもベート・ローガの耳に残り続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レナ・タリーは足掻いた。迫る暗殺者に、必死になって喰らいついた。

 怖い。怖いさ。誰だって、死の具現(アサシン)を前にして怖くならない人間などいない。

 だけど、この恐怖を超えて、更に一歩を踏み出せる者こそ、きっと英雄になれるのだろう。

 そう思いながらも、レナは曲刀を振るう。

 

 ベート・ローガのお荷物だった自分から開放されたレナの太刀筋は、澄んでいた。

 恐らくLv.1であろう、暗殺者の動きは、落ち着いてよく観察すれば幾らでも対処できる。

 もう、彼らの目には慣れた。この調子でいけば、もしかしたら生き残れるかもしれない。もしかしたら、ベート・ローガに褒めてもらえるかもしれない。そんな希望すら、見えてきた。

 

 「はぁ……はぁッ………へへ、私も、やれば、やれるもんだね」

 

 歓楽街の広場まで逃げおおせたレナは、一人笑みを浮かべる。

 残る暗殺者は一人。大丈夫、なんとかなる。そう己を鼓舞する。

 もう、ベート・ローガの足手まといにはなりたくない。だから、彼の元から飛び出した。後悔なんてないし、自分の判断に誤りは無いと信じている。

 つくづく我が侭な女だ、とレナは笑った。散々迷惑かけて、自分勝手な行動をして、そして自己完結して満足している。こんなアマゾネスは、世界が広いといっても自分くらいなものだろう。

 

 「なるほど。唯の腰抜けの冒険者かと思えば、そうでもなさそうだな」

 

 たった一人となった暗殺者は、地面に転がり、物言わぬ死体になった同胞を見て目を細めた。

 やはり腐ってもLv.2の冒険者。Lv.1程度の者を仕向けても、冷静に対処されればこの通り。

 小娘と侮り、物量で責めたことが仇となったと、暗殺者は口走る。

 

 「貴方が最後の一人……どうするの?」

 「無論、任務を完遂する。お前の命、ここで狩り受ける」

 「嫌だなぁ。なんでそこで、逃げてくれないのかなぁ」

 

 レナは改めて、武器を構え、柄を握り締める。

 気丈なアマゾネスを見た暗殺者は、もはや油断はしまいと短刀を向ける。

 

 「我はそこらの雑兵とは違う。頭目としての責務、果たさせてもらうぞ」

 

 暗殺者は、動いた。

 黒い軌跡を描きながら、暗殺者らしい素早い動きでレナに接近する。

 

 「頭目だろうとなんだろうと………!」

 

 レナもまた、暗殺者に向かって駆ける。

 アマゾネスという生まれながらにして強靭な肉体を兼ね備えるレナと、ヒューマンと思わしき暗殺者。そして恐らく、頭目クラスといえど、動きからしてLv.2程度。敵わない敵ではない。

 

 「ハァッ!」

 

 レナは曲刀を寸分違わず暗殺者の首に放つ。

 暗殺者は一対一の戦いにおいても、何をしてくるか分からない。

 できるだけ短期決着が望ましいが故の、致命傷狙い。

 

 「ふん、単純すぎる太刀筋だ」

 

 暗殺者は、首に(いざな)われる斬撃を短刀で受け止める。

 

 「初撃において即殺。フェイントもなく、ただ純粋に首を狙った。あまりにも予測しやすい、考え無しの直球的な一手だ。(つたな)いぞ、アマゾネス」

 

 こと対人において、そこらの冒険者よりも暗殺家業を生業とする暗殺者の方が優れている。

 怪物という異形の相手ならば、確かに冒険者は凄まじい活躍をするのだろう。

 しかし、しかしだ。人体を知り尽くし、人間自体を狙う暗殺者は、怪物を殺した数より圧倒的に人間の方が多い。替えの効く兵ならまだしも、頭目の位に立つ暗殺者である男が、同じLv.2の冒険者に遅れを取ることなど有り得ない。

 

 「人間は、知性無き怪物とは違う。思考する力がある。同じ人間を相手にする際は、それなりの考えを持って初撃を選べ」

 

 暗殺者は流暢に話しながら、レナの曲刀を弾き、短剣でその肢体を切り刻む。

 

 「痛ゥッ、この……!」

 「太刀筋を予測できまい? 力任せに、考え無しに膂力を振るう怪物とは違うのだよ」

 

 一瞬にして複数の斬撃を受けたレナは、苦痛に表情を歪ませる。

 人間を相手にしてきた経験の差。如何に殺しを行ってきたかの差。

 まだ子供のレナ・タリーにはないものを、暗殺者は用いている。単純な力量の差だけではない。

 

 「このまま刻み続ければ、その傷から溢れ出る出血だけでも死ぬだろう。しかし冒険者は何かと頑丈だ。念には念を入れて―――殺してやる」

 

 ずぶり……と、嫌な音がレナの耳に届いた。

 己の腹から押し寄せる火傷の如き熱さ。尋常ならざる痛み。

 目を下に向け、痛みの元凶を見れば、すぐに分かった。

 

 嗚呼。私は、刺されたのか。

 

 褐色の肌を突き破り、深々と突き刺さる『呪道具(カースウェポン)』の短刀。

 ベート・ローガが決して深手を負ってはいけないと念入りされた凶器。

 曰く、『呪道具(カースウェポン)』の傷は生半可なアイテムでは治らない。

 曰く、『呪道具(カースウェポン)』による致命傷は、死と同義である。

 この時レナは、己の死を自覚した。

 

 「どのような屈強な冒険者でも、『呪い』には勝てぬ。その傷ではもはや助かるまい」

 

 暗殺者は確かな手応えを得ていた。

 これまで幾度となく人間を死に追いやった確実な一撃だ。

 

 「任務は完了した。貴様は大人しく雨に打たれ、野たれ死ね」

 

 無慈悲に告げられた死刑宣告を告げ、暗殺者は去っていった。

 レナは血が溢れる腹を見ながら、ただ、己が弱さを実感し、自嘲して、斃れ伏した。

 歓楽街の大広間。かつての故郷、かつての家であったこの街で、一人のアマゾネスは、苦痛と共に、意識を失う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レナは、ある夢を見た。

 腹を刺され、今にも死のうとしている己を、ただただ見つめる男の姿を。

 

 しかし失血が酷いのか、目がぼやけ、意識がはっきりとしない。

 

 そこでようやくこれは夢ではなく、現実だと知った。

 

 血溜まりを作り、斃れ、弱っている女の前で、膝をついているベート・ローガ。

 その顔は、よく見えないけど、酷く、酷く、哀しい顔をしているように感じた。

 あれだけ迷惑をかけた己に、そんなに悲しまれるはずもないのに。

 

 彼はレナを呼んでいた。

 雨に打たれる音に負けそうなくらい、震えて、小さい、か弱い声で。

 傍若無人で知られるベート・ローガには似合わない。そんな声色だった。

 

 レナは最後の力を振り絞って、左手を持ち上げる。

 手にとってくれるだろうか。最後に、手を握ってくれるだろうか。

 そんな淡い少女の願いを、男は応えた。

 まるで繊細な宝物を掴むように、優しく、ぎゅっと握ってくれた。

 

 嬉しかった。

 彼の手から伝わる温もりが、この上なく尊く感じた。

 

 「ベート……ローガ………私……弱っちくて………ごめ…ん」

 

 結局自分は、彼が最も忌み嫌う弱者のままだった。

 弱者から脱却しようと意気込んだのに、このざまだ。

 こういう結末を見るのが嫌だから、雑魚を、弱者を、戦場から遠ざけようとする男の願いに反する結果を、今、レナ・タリーは見せている。

 

 「やくそく、無理、だった」

 

 必ず強者になると。ベートと並ぶ存在になるのだと約束したのに。

 あれほど、力強く宣言したのに。

 

 「あなたの……となりに………ならびたかった……な………」

 

 レナは、その言葉を最後に―――また、意識を手放した。

 もう二度と、起きることはないのだろうという、哀しみと共に。

 

 




 やっぱりあの『呪道具(カースウェポン)』はエグイ(確信)
 殺意が高いというか、生々しいというか、もはやそういう次元ではないと思う昨今


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四傷:薄青の花束

 ベート・ローガと出会った一人の少女は、恋に落ちた。

 ベート・ローガと共に刻んだ時間は、少女の宝物になった。

 そして、ベート・ローガの前で、情けなく斃れ、弱くも死のうとしている己に悔いを残した。

 

 まだ、いっぱい話したいことが山ほどあった。

 まだ、いっぱい触れ合いたいことが、たくさんあった。

 

 全てが志半ばで潰えるという現実。

 何より―――ベート・ローガと交わした約束を、何一つ守れなかった無念。

 

 彼の傍に寄り添いたかった。

 そのためには強くならねばならなかった。

 だからこれから、強者になろうという誓いを、彼の前で打ち立てた。

 

 それなのに、この様はなんだ。

 約束もろくに守れず、ただ彼に我が侭を聞いてもらっただけではないか。

 それどころか足手まといになり、勝手な行動をした挙句、死ぬ。

 

 不名誉以前の問題だ。女として、戦士として、アマゾネスとして、こんな終わり方であの世に行くつもりか? 魂を手放し、天界に至るつもりか?

 

 自問自答は繰り返される。

 同じ問いかけを幾度となく己に行う。

 

 結局、自分はどうしたいのだろう。

 

 レナ・タリーの前には二つの道がある。

 生きたいのか。死にたいのか。

 

 潔く、死という明確な終わりを前にして、大人しくしているのか。

 諦めず、死という終わりを前にして、見苦しく生きようと奮起するのか。

 

 どちらを選ぶかは、自分自身で決めなければならない。

 仮にどちらを選んでも、結果は同じかもしれない。

 無様に足掻き、生を望むというのは醜いことなのかもしれない。

 

 だけど、レナ・タリーの歩みは、既に一点に絞られていた。

 

 足掻け。泥臭く、生を求めろ。

 

 誰の為でもない、自分の為に。

 生きようとする意志がある限り、終わりではない。

 生き恥を晒してでも、生きて、生きて、彼との再会を果たしたい。

 

 ただその願いを胸に、レナ・タリーは、徐々に弱くなる意識の手綱を握り締めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ここ……は………」

 

 レナが目覚めた場所は天国でも、地獄でもない。薬品やら薬草やらの匂いが充満する、真っ白な部屋に設置されたベッドの上だった。

 がやがや、がやがやと、部屋の外から聞こえる慌しい音。人が忙しく歩く足音に、大量の荷物が運ばれる物々しい騒音が聞こえる。

 いったい自分は何処にいるのだろう。私は、どうしてこんなところにいるのだろう。

 まだ朦朧とする意識が続くレナは、いまいち状況の整理ができなかった。

 

 「……良かった。よく、生還してくれた」

 

 ほっと息をつく女性の声がした。

 その凛々しい声のする方向に目を向けてみると、そこには深緑の長髪を持つ、美しいハイエルフが立っていた。自分のような小娘ではない、大人の威厳に満ち溢れた風貌を身に纏う女性冒険者。

 レナは、彼女を見たことがある。【九魔姫(ナイン・ヘル)】のリヴェリア・リヨス・アールヴ。【ロキ・ファミリア】の副団長を務める、 Lv.6の重鎮。女性の冒険者ならば誰でも一度は憧れを抱く、 迷宮都市(オラリオ)屈指の古強者。

 

 「ここは治療院だ。深手を負った君は、ここに搬送された」

 

 リヴェリアは落ち着いた物腰で、右も左も分からぬレナに優しく語り始めた。

 

 本来であれば、あの『呪道具(カースウェポン)』によって深手を負えば、助かる見込みは無い。これまで多くの冒険者の後を追うように、死を待つしかなかった。【ロキ・ファミリア】の冒険者達が、闇派閥(イヴィルス)の残党によって多く呪い殺された時のように。

 

 しかし、それほど強力な『呪道具(カースウェポン)』の脅威をそのままにしておくほど、迷宮都市(オラリオ)も怠慢ではない。【ロキ・ファミリア】はその仲間達の遺体と共に、『呪道具(カースウェポン)』を回収。ここ医療専門の【ディアンケヒト・ファミリア】直属の医療院に分析と解呪薬を依頼した。全ては第二、第三の『呪道具(カースウェポン)』による被害を抑える為に。彼らの死を無駄にしない為に。

 

 結果、【ディアンケヒト・ファミリア】の治療師、【戦場の女神(デア・セイント)】アミッド・テアサナーレの尽力によって解呪の『魔道具(マジックアイテム)』が完成した。それが『対専用呪詛(アンチ・カース)』の秘薬である。

 

 不幸中の幸いにも、それが完成した間際に事件は起きた。

 

 元【イシュタル・ファミリア】に所属していた冒険者が『呪道具(カースウェポン)』を装備した闇派閥(イヴィルス)に襲撃を受けた。仮に、『対専用呪詛(アンチ・カース)』が完成する前にこの事件が起きていれば、誰も助かりはしなかっただろう。

 

 「とはいえ、なにぶん完成したばかりの試験品だった。こうして無事に効果が効いて、生還したのはアミッドの努力と、君達アマゾネスの『生きたい』という意志の強さによるものだ」

 

 今、生きていることを誇るべきだと、リヴェリアは諭す。

 助からなかった【ロキ・ファミリア】の仲間たちが、その命を賭した結果でもあるが故に。

 

 「……あ…り………が………とう………」

 

 この命は、【ロキ・ファミリア】の冒険者達に助けられた。その事実にレナは心の底から感謝する。まだ、呂律が回らなくてちゃんと言えないのが心残りではあるが。

 

 「ベー…ト……ろー………が……は………」

 

 彼も、自分のせいで『呪道具(カースウェポン)』により多く負傷していた。レナほどではないが、それでも衰弱するには十分な刺し傷があった。ベート・ローガもこの治療院に運び込まれているのかと、レナは聞く。

 

 「喋ることもままならないだろうに……流石、あの問題児に好意を寄せただけはあるな」

 

 レナ・タリーの一途さにリヴェリアは微笑む。

 如何にベートが強さ、顔の良さを兼ね備え得る男と言えど、性格はハッキリ言って捻じ曲がっている。決して善人や俗にいう「良い奴」ではない。それをここまで好いているということは、よほどの物好きか、彼の持つ不器用さの底にあるものに気づいている可能性がある。

 

 「ベートなら、無事だ。無事ではあるのだが」

 

 目覚めたばかりの彼女に今、ベート・ローガが何を行っているかを伝えることは褒められたことではないのかもしれない。しかし、問われたからには、このまま話を逸らすなり、誤魔化そうとしてもきっと見破られる。こういう女性には、きっと言葉のメッキなどすぐに気づく。そういう輩だと、リヴェリアは悟った。潔く事実を語った方が良いだろう。

 

 「奴は―――闇派閥(イヴィルス)の残党に対し、一人で報復を行っている最中だ」

 

 リヴェリアは深い溜息を吐きながら、今も雨が降り続ける外を部屋の窓越しから見やる。

 もう、何もかも手遅れなのだ。本気でキレたベート・ローガは誰にも止められない。

 きっとあのアイズであっても、フィンであっても、ガレスであっても、皆等しく今のベートを相手に力づくで止めようとすることはできない。

 

 「ベートはな。君がこうして生きていることを知らない。死んだものだと思い込んでいる」

 「…………!」

 「此方も必死だったのだ。より多くの命を助ける為、本部と連絡をしている暇がなかった。それに、未だに元【イシュタル・ファミリア】のアマゾネスたちは狙われている。であれば、襲われて助かった者でも、ほとぼりが冷めるまで死亡を装った方が好都合だろうと、私が独断で判断した」

 

 独断だったとはいえ、これが最善だと信じた判断だったのだ。だが、せめてベートには伝えようともした。しかし時すでに遅し。暴走した狼は全てを狩り尽す為に戦場に赴いた後だった。

 

 「耳を澄ませば聞こえるだろう。奴の遠吠えが」

 

 レナの耳にも、リヴェリアの耳にも、嫌というほど刻まれる狼の遠吠え。もはや迷宮都市(オラリオ)全域に届いているのではないかというほどの、怒り狂った獣の叫び。

 

 「狼が月下の元で吠える。それは、必ず何かを成し遂げる誓いを意味する」

 

 今もベートは魂を震わせている。

 己が身を震え立たせている。

 世の不条理を、世の怒りを、天すらも喰いかねない勢いで。

 

 「恐らく今のベートが遠吠えに籠めた誓いは、絶狩」

 

 獲物は逃がさない。確実に殺す。憎悪に塗りたくられた、怪物の合図。

 一度目の遠吠えが確殺の誓いであれば、今もこうして吠え続けているベートの遠吠えには何の意味が込められている? 何の為に吠えている?

 

 「一度目は開戦の合図であれば、二度目、三度目の遠吠えは……それは敵の命を絶った証明だ。今の遠吠えで計12回目。ということは、最初の遠吠えを除けば、既に敵の命を11人潰したということになる」

 

 あり得ないペースで人間が殺されていく。如何に相手が闇派閥(イヴィルス)の残党とはいえ、同じ人間だ。そう簡単に命を容易く根絶やしにできるものなのか。

 普通であれば、戸惑いが生まれるだろう。冒険者は怪物を殺すことに長けてはいても、人間を殺すことには少なくとも躊躇いが生まれる。会話が成立し、相手にも同じ人の心を持つと理解してしまうから。

 

 しかし、ベート・ローガは只の冒険者ではない。弱肉強食、命を賭して戦場を駆けた族長の息子にして、世界の(ことわり)をその胸に刻む者。

 一度相手を『殺すべき敵』と認識すれば、後は行動するのみ。強者としての力を、情け容赦なく振るう冷徹さを持っている。そんな男に、躊躇いなど生まれようはずがない。

 

 「闇派閥(イヴィルス)の残党は【ロキ・ファミリア】の仲間を多く殺した。そして護るべき存在として、必死に救おうとしたレナ・タリー。君を殺されたと思っている。誰も護れなかったという自責の念と、憎悪……もはや誰にも止められない」

 

 きっとベート・ローガは皆殺しにするだろう。レナ・タリーを襲った人間全てを。許しを乞おうと、逃げようとしようと、一切合切の慈悲も無く、殺し尽くすだろう。

 

 「で…も……ベート…ローガは、傷を………負って」

 

 レナは知っている。彼は深手を負っている。レナを護る際に、幾つもの傷を負ったのだ。

 ハッキリ言って今のベートはベストコンディションと言うには程遠い。そんな状態で殺人に長けた集団相手に一人で挑むなど、如何に【凶狼(ヴァナルガンド)】と言えども無茶だ。

 

 「ああ、知っているとも。だがそれは――――」

 

 ベートを心配するレナに、リヴェリアが何か言おうとしたその時だった。

 尋常ではない『魔力』の奔流が、ここではない、遠くの場所から感知された。

 あまりの濃度に治療に専念していたエルフ、護衛を担当していたエルフの動きが止まった。

 『魔力』に鋭敏な者ほど、今起こっている『魔力』の異常に瞬時に気づく。

 

 「どうやら、遂にベートはあの『魔法』を使ったようだな」

 

 ハイエルフのリヴェリアはその『魔力』の原因を知っている。この膨大な『魔力』を誰が扱っているのか知っている。これは、【ロキ・ファミリア】のなかでも限られた者しか知らない、仲間の『魔法』。決して開けてはならない煉獄の蓋。

 その蓋を開けようものなら、必ずそこ一帯は炎に包まれ、地獄を生む。

 

 「窓の外を見てみろ……レナ・タリー」

 

 リヴェリアが指さした窓の外を、レナは言われた通りに見た。見てしまった。

 そこには、極大な焔の柱が、此処より遥か遠くの場所で天を衝いている光景があった。

 その炎から逃げるように雨雲が霧散し、美しい月が迷宮都市(オラリオ)を照らしている。

 

 「あの火柱は【凶狼(ヴァナルガンド)】の尾を盛大に踏んだ、愚か者共の墓標だ」

 

 【九魔姫(ナイン・ヘル)】をも唸らせる、【凶狼(ヴァナルガンド)】が持つ唯一無二の『魔法』。

 あの狼しか扱うことを許されなかった、比類なき力。

 それをベート・ローガは、人間相手に使ったのだ。怪物にでなく、人に対して。

 

 「ベートの『魔法』の正体は魔力吸収(マジックドレイン)……そして損傷吸収(ダメージドレイン)の二大特性。吸収された力を全て炎に変換、己がものとして扱う究極の『魔殺し』。その火力は、見ての通りだ」

 

 レナは、リヴェリアにベートの奥の手を説明された時、分かってしまった。何故それほどの『魔法』を持ちながら、隠していたのか。否、使ってこなかったのかを。

 能力だけを見れば、なるほど確かに破格の力だ。『魔力』に属する全てを無力化するどころか、己がモノとする『魔法』。聞けば誰もがその圧倒的な性能に目がいく。

 だが、違う。きっとその『魔法』の注目すべきところは――――。

 

 「損傷(ダメージ)……吸収(ドレイン)………」

 「その様子を見るに、気づいたな。ベートの『魔法』の意味を」

 

 レナが気になったこと。それは損傷吸収(ダメージドレイン)という特性。

 『魔力』を受ければ、火力が上がり、傷を負えば、火力が乗算される。

 つまり、この『魔法』は、術者が完膚なきまで傷ついて初めて、真価が発揮されるということ。

 

 「あの『魔法』は己に傷を負うことを()いる。これまでベート・ローガが生きた歴史そのものと言えるだろう」

 

 傷つかなければ強くなれない。

 傷ついてこそ人は強くなれる。

 失う力は、何物にも勝る力となる。

 傷だらけの狼が持つ、牙というメッキに覆い隠された傷。

 

 それがベート・ローガが用いる『魔法』の正体だ。

 

 「私はベートの過去を詳しくは知らない。奴は頑なに喋ろうとしないからな………だがその生き方、矜持、『魔法』からある程度、察することができる」

 

 『魔法』が発現するまで、どれだけの仲間が死んだのか。どれだけの血族が死んだのか。どれだけの愛する人間を救えなかったのか。

 彼は【ロキ・ファミリア】の仲間に自分の過去を何一つ告げない。なにも喋らない。

 代わりに、捻くれた暴言で弱き冒険者達を常に叱咤する。常に怒る。

 それは、その行いこそが、素直になれない男の、自己中心的な願いを伝える数少ない手段。

 

 「あまりに歪んだ在り様だ。人を傷つけ、己を傷つけなければ何も伝えられない不器用な男だ。きっとその生き方は、これからも続けていくつもりだろう」

 

 牙を剥き、敵味方を寄せ付けない屈強な狼。

 その実、傷を負い、誰からも近寄らせないよう威嚇する手負いの獣。

 いずれ破綻するであろう、破滅の道を突き進む自傷の権化。

 

 「レナ・タリー。君が、あの狼を護ってやってくれ」

 

 ベートは確かに強い。しかし、それと同時にあまりにも脆い。

 心の傷を癒さず、足を止めず、ひたすら前へと突き進む。

 傷口からは常に苦痛が奔っているだろうに。常人なれば正気も保てないだろうに。

 彼は遠からず息絶える。力を、力をと求めた先に待つ終着点にいずれ辿り着く。

 ベート・ローガとは、死なねば傷も治せない愚か者の名だ。

 止めることはできないと分かっている。だから、せめて彼の側で見守る存在は必要だ。

 リヴェリアはその人間を、レナこそ相応しいと見定めた。並みの人間ではアレを追うどころか、追随することさえ許されない。だがこのアマゾネスならば、安心してベートを託すことができる。

 それだけベートへの強い想いと、多大な成長を見込めるポテンシャルが、彼女にはあった。

 

 「でも……私は………お荷物に………」

 「構うものか。今は、足手纏いで構わない」

 「え……?」

 「いずれ、追いつくのだろう? あの男に」

 「―――――」

 

 リヴェリアの言葉に、レナの瞳に光が灯った。

 それはレナがベートに約束した誓いだ。

 いつか、彼の隣に立ち、背中を預け合える冒険者に成長するという、目標。

 その約束を守る為に、レナは生死の狭間から抜け出たのではないのか。

 

 「その目……もはや、返答は必要ないな」

 

 再起した女の目を宿したアマゾネスに、答えを求めるほどエルフも野暮ではない。

 

 「恐らく君はあと一日もすれば歩けるようになる。だが、暫くは安静にしてもらおう。決してベートの元には赴かないように」

 「……ほと……ぼりが、醒めるまで………ですか?」

 「そうだ。心苦しいが、アマゾネスの殺傷事件が落ち着くまでは身を隠してもらった方がいい。私はその間、ベートに対する言い訳も考えなければならないからな………」

 

 レナ・タリーが生きているのに、死んだと思い、傷心を負っているベートに何も伝えず、黙っていることは少なからずリヴェリアの良心が痛む行為だ。

 きっと彼は怒るだろう。殺された少女の為に色々と仕出かしたというのに、当の本人は普通に生きていましたなんて知ったら羞恥の極み。皆が知って黙っていたことも理解したら怒髪天だろう。

 

 リヴェリアは火柱が上がった方角を眺め、一難去った後の対処の数に溜息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 憤激に身を任せた【凶狼(ヴァナルガンド)】は、【殺帝(アラクニア)】ヴァレッタ・グレーデ率いる闇派閥(イヴィルス)の残党及び、【セクメト・ファミリア】をわずか一夜にして全て殺し尽くした。

 凄惨な虐殺現場だったと、その後処理を任せられたギルドの人間は口を揃えて言う。

 戦場となった場所からは、死体、死体、死体ばかりが溢れ出る。見るも無残な屍の山が築き上げられ、生存者は一人も確認できず。おまけにアマゾネス事件の首謀者であったヴァレッタ・グレーデは肉片一つも残らなかったという。全てが灰になり、遺体は焼失。この世に彼女がいた形跡すら、残すことは無かった。

 

 これが【ロキ・ファミリア】の仲間と、アマゾネスの娘を死傷させた者達への報復。

 【凶狼(ヴァナルガンド)】の大切な者を奪った犯罪者の末路。

 

 復讐に駆られ、達成した男は、ここ数日、歓楽街に出向いては思い耽るように黄昏ていた。

 仲間達の仇を取ったという成果も、憎くて仕方がなかった【殺帝(アラクニア)】を殺したという達成感も、今のベートを満たし足りない。

 所詮、買われた喧嘩を買っただけの話なのだ。復讐を成し遂げたからといって、その死んだ人間が生き返るわけでもない。結局は怒りのままに暴れて、終わった。それだけだ。

 

 「クソが……俺は、何を未練がましいことをしてやがる」

 

 ベートは歓楽街にある半壊した高級娼館の前で苛立ちを吐き捨てる。

 この誰も住まわない高級娼館は、かつて一人のアマゾネスが隠れ家にしていた場所だ。

 『鍵』の情報を得るために、仕方なく取り入ろうとした餓鬼の寝床だ。そして、この隠れ家で、ベート・ローガはその少女と不本意ながらも寝食を共にした。

 

 レナ・タリーは五月蠅い少女だった。その評価は、今も変わらない。

 何かにつけては夜這いだの朝這いだのと淫乱極まりなく、頼んでも無い飯も勝手に作る。その上、愛情込めて作ったとぬかす飯は総じて不味かった。慣れもしない料理を馬鹿みたいに一生懸命に作っただけの、中身ばかりのそんな不味い飯だった。

 

 情報を対価に、デートと称して『ダンジョン』で怪物狩りに付き合わされるわ、迷宮都市(オラリオ)で買い物に付き合わされるわと散々な目に遭った。とんだ迷惑娘だ。

 

 思い返せば思い返すほど、ろくでもない娘だったとベート・ローガは笑おうと……しようとしたが、できなかった。いつも見たいに口角を吊り上げ、嘲笑うように下卑た笑みを浮かべる。ただそれだけのことも、今のベートにはできなかった。

 

 レナの好意は、愛し、愛された昔の女達を思い出させた。

 これまで遠ざけていた人の温かみは、否応なく彼女達の顔を思い浮かばせる。

 そして、己を好いた人間ほど、護れなかった事実がそこにあった。

 今回も例外ではない。

 あの時、闇派閥(イヴィルス)の残党を前にして、またベートは護ることができなかったのだ。

 

 どれだけ強くなろうとも、Lv.6になろうとも、ベート・ローガは護りきれない。傷つけるだけの牙では、人を救うことなどできはしない。失うことでしか、力を得られない呪われた傷を持つ狼に、何かを助けるなんて力は得られない。

 

 かつて【ヴィーザル・ファミリア】に所属し、【灰狼(フェンリス)】として団長を務めていたあの時に気づいた筈ではなかったのか。自分が如何に強くなろうと、何も奪われることは無いなんてありえないと。大切な者を護り抜くことなんてできないと。

 理解していたのではないのか。愛したあの副団長の女が勝手な無茶をして死んだあの日を境に。

 

 「これだから、弱者は嫌いなんだ」

 

 もういい加減、このウジウジした感情は切り捨てる。強者には必要のない感傷そのものだ。

 レナ・タリーという少女は既に死んだ。此処に来ても、彼女はいない。

 酒でも飲んで、酔いと共に彼女の存在も心の底に落とし込もう。これまでも、そうしてきた。

 

 「………チッ。またお前か」

 

 高級娼館に対して踵を返し、立ち去ろうとしていた時だった。

 ベートの前にどこからともなく、美しい長髪を持つ、可憐な少女が姿を現した。

 アイズ・ヴァレンシュタイン。今は亡き幼馴染の面影を持つ女。

 この女なら死なねぇだろうという、僅かながらな希望を抱く、数少ない強者の冒険者だ。

 

 「なんの用だ」

 

 大方、様子見でもしてこいとロキに頼まれたのだろう。

 彼女から自分に何かしらの接触ないしコミュニケーションを図る際は、必ず第三者の影がある。これまでの経験上、まず間違いない。

 

 「ロキが、そろそろ本拠に帰ってこいって」

 

 やはりロキの差し金か。

 ベートはなんやかんやで二日ほど、【ロキ・ファミリア】の本拠地に戻っていなかった。

 元々【ファミリア】との折り合いも悪く、今回の件も合わさって、わざわざ帰る気力も失せていた。しかしベートは【ロキ・ファミリア】が誇る最大戦力、第一級冒険者の肩書を背負っている。幹部クラスの人間が長く留守にしているのも、いい加減示しがつかないといったところだろう。

 

 「今、向かおうとしていたところだ」

 「そう………ですか」

 「なんだ、まだ何か聞きたいことでもあんのか」

 

 アイズは真っ直ぐベートの目を見て離さない。これは心の中で何を、どう聞こうかと無表情なアイズなりに思案している時の特徴だ。

 

 「言いたいことがあるなら、さっさと言え」

 

 気怠そうに狼人(ウェアウルフ)は問う。

 面倒事は、さっさと済ませるに限る。

 

 「いいの?」

 「良いっつってんだろうが」

 「………そう」

 

 意を汲んでくれたベートの催促に、アイズもまた、覚悟を決めた。

 そして彼女は口を開き、問いかけた。【凶狼(ヴァナルガンド)】の心を浮き彫りにする、想いを籠めて。

 

 「何度目かの問い掛けになるけど」

 「………」

 「ベートさんは………どうして人を見下すのか」

 「―――――」

 

 ベートは、絶句した。

 それは彼女の言葉の内容のせいではない。

 その問いを投げかけたアイズの表情が、まさに己の妹と瓜二つの貌をしたからだ。

 『草原の主』に殺された、あの少女と、寸分たがわぬ表情で。

 

 「どうして人を突き放すのか……」

 

 今度は、【ヴィーザル・ファミリア】の副団長と同じ眼差しを向けてきた。

 

 「―――教えてください」

 

 幼馴染(アイツ)と同じ美しい長髪を靡かせて、護ろうと誓った妹と同じ表情で、かつて愛した女と同じ眼差しを向ける一人の少女。普段なら「なんでそんな下らねぇことを言わなきゃならねぇ」、「わざわざ答えるまでもねぇだろそんなもん」と突っぱねることもできたはずだ。それなのに、その表情も、目も、雰囲気も全て、ベート・ローガが己の手から零し続けてきた大切な者達と被る。それを前にして、傍若無人な態度を取ることなど男にはできなかった。

 

 「チッ、どいつもこいつも同じことを聞いてきやがる」

 

 問われたベートは深く、深く溜息をついた。

 ああ、どうしてこんな子供に彼女達を重ねるのか。

 だから自分はアイズに嘘がつけない。無下にはできないのだ。

 あの瞳に対しては、取り繕ったガワだけの回答に意味などないと嫌でも理解させられるから。

 

 観念したベートは、重々しくアイズの問いに答える。

 

 「何度でも言ってやる。俺は、吐き気がするほど雑魚が嫌いだからだ」

 「それだけですか?」

 「……雑魚のみっともねぇ姿を目にしたくもねぇからだ」

 「本当に、それだけ?」

 「………雑魚の泣き言を聞くと虫唾が走るからだ」

 「それだけ―――」

 「しつけェぞ!! それ以外に何があるってんだッ!?」

 

 あまりに粘り強く聞いてくるアイズに、ベート・ローガは吠えた。

 感情の蓋を、己の手で開けてしまった音がした。

 もう、ダメだ。止まれない。この激情は、一度吐いてしまえば止まることなど知らない。

 

 「お前といい、あのババァといい……どうして其処まで甘くなれる!?」

 

 数年前、まだ今より荒れていた頃、リヴェリアは己を窘めるように「お前の価値観を押し付けて他人を傷つける道理は無い」と忠告してきた。これは善意の押し付けではない、悪意の押し売りだと。

 

 そんなものは分かってる。言われずとも、分かっているとも。

 

 「弱え連中を貶すのは強え奴の役目だ! 俺等がしなけりゃあ、誰がするってんだ!」

 

 弱者に「己が如何に弱い存在であるか」、「己の命が如何に軽いものか」を教えられるのは、強者だけだ。強者だけが『警告』を発することができる。強者だけが、弱者に『忠告』を行うことができる。

 

 弱者を甘やかすな。冒険者は甘やかしてはならない。己の無力さを噛み締め、無意味に散る前に、気づかせなくてはならないのだ。それが強者の責務だ。

 

 「でなけりゃあ勘違い野郎どもが益々増えやがる! 冗談じゃねえ!弱ぇヤツは戦場に出てくるな!弱ぇ女は巣に引っ込んでろ!身の程を知りやがれ!!」

 

 所詮、強者は弱者を完全に護り抜くことなどできはしない。必ず零れ落ちる。

 ならば、篩い落としをするしかない。死なせてしまう前に、戦場から遠ざけるしかないだろう。

 戦場に立てる弱者は、己の意思を貫き通せる人間のみだ。強者の罵倒に、強者の怒号に、なにくそと吠え返し、見返してやろうという気概を持つ者だけだ。

 それができないのなら去れ。「自分が死ぬわけがない」と笑える者など目障り以外のなにものでもない。己の無知さを理解できぬ者に、『ダンジョン』で生き残れると思うな。

 

 「ことあるごとに泣き喚きやがって、苛つくんだよ! もやもやしやがる!!」

 

 弱者は何かにつけては泣き喚く。

 どいつもこいつも己の弱さを前にして泣くばかり。

 ふざけるな。覚悟を決めて、冒険者になった人間が、何を跪いている。

 その情けない姿を俺の前で見せるな。その姿は、かつての己を見ているようで腹が立つ。

 

 「雑魚が目の前で野垂れ死ぬのはもう御免だ!!」

 

 仲間が、知人が、死んでいく。

 見知った顔が、土の血色で物言わぬ死体に成り代わる。

 暖かな体温は、徐々に、確実に、冷たくなっていく。

 そんな下らない過程を嫌というほど見てきた。嫌というほど見せられてきた。

 誰も、仲間が死ぬ姿なんぞ望んではいない。誰も、弱者が馬鹿みたいに死んでく姿なんぞ見たくなどない。そしてそれを嘆く者を、直視したいと思える人間なんて何処にいる?

 

 

 

 「―――もう、誰も哭くんじゃねェッ!!!」

 

 

 

 

 その言葉は、正真正銘、ベート・ローガの心の叫びだった。

 誰も悲しまない、死なない世界なんて夢見ているわけじゃない。

 ただ、自分の知る視界(世界)の中だけは誰も泣いて欲しくないという、狼の我が儘な願いだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 己の内を、盛大に吐き出したベートは荒く息を吐きながら、肩を僅かに上下に揺らしている。

 この告白は恐らく生涯において最初で最後のものだ。もう二度と口にはするまい。

 アイズを納得させるには、この感情を爆発させて、全て吐いてしまわなければならなかった。きっと彼女は本心を聞かなければ満足なんてしないと踏んだが故に。

 信頼できるアイズだから、こうして恥を忍んで、己の奥底にあるものを曝け出したのだ。

 

 しかし、当のアイズは何か様子が変だった。

 納得したような雰囲気を纏っていると同時に、罪悪感めいた、申し訳なさそうに両手を口に軽く当て、憐れむようにベートを見ている。

 

 なんだその目は、なんだその態度は。

 

 背筋に正体不明の悪寒が奔った。

 今、ベート・ローガは人生最大の過ちを犯したのだと、直感が囁いている。

 

 「アイズ………」

 「ごめなさい」

 「アイズ」

 「本当に、ごめんなさい……!」

 「おい、何でこのタイミングでテメェが謝るのか、きちんと説明を――――」

 

 不審極まりないアイズの反応に、不安のボルテージがMAXになったベートは彼女の肩を掴んで、何を隠しているのか問いただそうとした時だった。

 

 「「「「ベートさぁぁぁぁぁぁん!!!」」」」

 

 ベートとアイズの周辺に立つ、歓楽街の空き家の窓が一斉に勢いよく開き、大量の人間があちらこちらから姿を現した。しかも、その人間とは、一週間ほど前に仲違いしていた【ロキ・ファミリア】の仲間達だった。よほど周到に潜んでいたのか、ベートの感知範囲をギリギリ引っかからないほどの距離を律儀に把握して、隠れていたのだ。

 

 「やれやれ、いつもこれくらい素直だったら此方も助かるのだが」

 「そういってやるな。この捻くれ加減が、小僧足らしめてるようなもんじゃ」

 「確かに。素直なベートなんて、なかなか想像できないね」

 「なんというか、もう驚きしかありませんね」

 「ベートの意外過ぎる一面ってやつだねー」

 

 更にリヴェリア、ガレス、フィン、ティオナ、ティオネまで悪びれも無く物陰からひょっこり出てきた。気配遮断に付け加え、狼人の嗅覚を欺く消臭ポーションまで使用していた。

 

 「―――――は?」

 

 これにはベートも、文字通り石像の如く固まった。

 仲間が隠れていた? 独白を聞かれていた? 嵌められた? なんだこれ? え? なんだこれ?

 フリーズしそうだ。現実逃避をしてしまいそうだ。あまりの事態に、ベートはこれまでにないほど混乱している。

 

 「あ……あ、アイ…ズ」

 「ごめんなさい……ベートさんと、みんなが……仲直りしてほしくて……」

 

 アイズは誠心誠意謝るように頭を下げるが、もはやそれすらも視界に入らない。

 己が見る世界がモノクロに変化しそうだ。色褪せそうだ。

 立ち眩みを覚えるベートに、それでも【ファミリア】の仲間は容赦しなかった。

 

 「ベートさん、聞かせてもらったっす! あの酷い言葉にそんな意味が隠されたんすね!?」

 「………本当にごめんさい、私、貴方のことを勘違いしていました」

 「俺、俺はベートさんのことを信じてましたよ!」

 

 ラウルを筆頭に、津波の如くベートに押し寄せる仲間達。あれほど蛇蝎の如く嫌っていただろう【ファミリア】の冒険者達は、ベートの心の内を聞いたことにより、その見方を大きく変えていた。元々ガレスやロキがこっそりベートの詳細について教えていたこともあり、もはやその眼差しは羨望に切り替わっている。

 

 「なんというか、私、照れ臭くなっちゃいます……」

 

 特にベートに幾度となく罵倒を受けていたレフィーヤは少し羞恥によって頬を赤く染めていた。

 思い返せば、思い返すほど、レフィーヤはベートに助けられていたからだ。

 他の団員も皆そうだった。ベートは弱者に容赦なく罵倒を浴びせると同時に、死地において自分達を見捨てることなど一度も無かった。その拳で、脚で、窮地を救ってくれた。低ランクの冒険者ほど、その回数は多かったことだろう。

 

 「『もう、誰も哭くんじゃねェッ!!』に痺れました!」

 「神々が言ってました。そういうのを」

 「ツンデレって言うそうです!!」

 「つんでれ!」

 「ツンデレだ!」

 「黙れクソ雑魚共がぁあぁぁあぁああぁあぁぁぁぁぁぁぁぁあああ!!!!」

 「え、ちょ、すいまギャアァァァァァァァァ!?!?」

 

 ベートは熟れたトマトの如く、顔を真っ赤にして群がる団員たちを蹴飛ばしまくった。

 わいわい言いながらの大乱闘だ。しかしそこに殺意もなければ、陰気な雰囲気もありはしない。

 狼の照れ隠しに、冒険者達は面白おかしいものを見ているようで、笑っていた。蹴られながらも、いつも以上のバカ騒ぎだと、笑っていた。

 

 その光景を眺めていたアイズもまた、笑った。保護者、母親代わりとして彼女を8年間も面倒を見ていたリヴェリアはその姿を見て驚いた。

 あれほど表情の喜怒哀楽が乏しかったアイズが、あそこまで盛大に笑ったのは久しぶりに見る。

 

 まさに文句無しの大円満。これにて一件落着。そう締められたら、どれだけリヴェリアの心労は少なかっただろう。どれだけ肩の荷が下りただろう。

 しかし、しかしだ。これは、あの事実は、今この時に言わなければならなかった。

 リヴェリアとて辛かったのだ。ベート・ローガの傷心具合を知っている中で、あのことを毅然として黙っていることが。それなりにストレスになっていたのだ。この良心が痛むのを我慢していたが故に。

 

 「ベート」

 「あァ!?」

 「そう息を荒立たせるな」

 「うるせぇ! クソッタレが、ふざけたこと企みやがって!!」

 

 このサプライズがよほど効いたのか、まだベートの顔は赤く染まっている。

 きっと初めてのことだろう。自分の本心を、ここまで多くの人間に知られたことは。今まで自ら嫌われるような言動を己に強いて、遠ざけていた仲間から寄り添われる経験は。

 

 内心で微笑ましいと思いながらも、リヴェリアは改めて決意した。

 

 「聞け、ベート。レナ・タリ―のことで、話したいことがある」

 「…………あ?」

 

 一瞬だった。

 先ほどまで顔を真っ赤にしていた男は、その少女の名を聞いたことにより、すぐにいつもの表情に戻った……否、白けたというべきか、いつもより気性の荒さがなりを潜めている。

 

 「くだらねえ……アイツはもう死んだんだ。今更話すことなんてねェだろうが」

 

 拒絶か、拒否か。目の前の男は、その少女の名を出されることを目に見えて嫌がった。

 よほど彼女の結末に堪えているのだと鈍感な人間でもすぐ分かる。

 だがリヴェリアは退かなかった。退けない理由が、そこにあった。

 

 「いや、ある。あるんだ」

 「ねェっつってんだろうが!!」

 「大人しく聞け!」

 「ふざけんな! 話があるだと? 死んだ女のことでか!? 胸糞悪ィ、死んだ人間のことなんぞ掘り返してなんになるってんだ!? あいつはもうこの世にはいねェんだぞ!!」

 

 ベートは吠えた。あらん限りの力を籠めて。

 死者を嘆き、膝を折ることはベートにとって一番やりたくないことだった。

 生者の話ならまだしも、死者の話なぞ聞く気にならない。聞いたら、また何かが溢れ出しそうな、そんな恐怖もあったからだ。

 

 想像以上に頑固な対応をする狼に、エルフは最後の手段を使うことにした。

 できれば段階を踏んで、きちんとした形で行いたかったが是非もない。

 話も聞かぬというのなら、死者の話が受け入れらぬというのなら、別に構わない。

 直接、その身に教えてやるだけだ。今日(こんにち)最大のサプライズを。

 

 

 

 「やっほー、ベート・ローガ!」

 

 

 

 丁度、出番を待ちかねて飛び出してきたアマゾネス。

 レナ・タリーの生存。これこそ、リヴェリアがベートに伝えなくてはならなかった話の内容。

 

 「――――――――」

 

 また、ベート・ローガは固まった。

 【|凶狼(ヴァナルガンド)】と恐れられていた男が、隙だらけの状態で固まっている。

 心中察して余りあるほどの衝撃が、今ベートの心と体に駆け巡っていることだろう。

 今らならあっさり暗殺されかねないほどの呆け顔だ。心ここに非ずと言える有様である。

 

 「ベートもあんな顔ができるのね……」

 「あははは! ひど、ひっどい顔!!」

 

 【ロキ・ファミリア】第一級冒険者のアマゾネス姉妹は姉が憐れみ、妹が大爆笑。

 誰に対しても不敵な笑みと嘲笑を浮かべているベートのレアな表情に素直な感想を述べる。

 

 「惨いものじゃな」

 「死んだと思っていた女性が生きていたんだ。むしろ喜ばないか?」

 「フィン。お主もなかなか意地が悪いな」

 「あははは」

 

 フィンとガレスは他人事のように話し合っている。実際他人事なので間違いではないが。

 ベートがどれだけの覚悟で戦ったのか。どれだけの怒りを持って報復を行ったのか。

 それを理解しているからこそ、死んだと思い込んでいた女性が生きていたという事実の衝撃たるや、想像をも絶するものだろう。

 

 「彼女は確かに闇派閥(イヴィルス)の凶刃によって倒れた。生死の境を彷徨っていたのも間違いない」

 

 皆が自分勝手にベートの有様を酒のつまみの如く言い放っているが、責任感が人一番強いリヴェリアは違った。ベートのショックを十二分に理解しながら、できるだけ追い打ちをかけないよう事の顛末を説明しなければならないという義務感があった。

 

 「レナ・タリーはすぐに【ディアンケヒト・ファミリア】の治療院に運び込まれた。【戦場の女神(デア・セイント)】と謳われる、かのアミッド・テアサナーレの元に」

 

 放心状態のベートの耳にリヴェリアの台詞が入っているのかどうかは分からない。右から左へと言葉が聞き流れているだけかもしれない。しかしリヴェリアはバツの悪そうな顔をしながらも説明を続けた。

 

 「助けられないと覚悟したその瀬戸際で、アミッドはあの『呪道具(カースウェポン)』の呪いに対抗する『魔道具(マジックアイテム)』を投与した」

 

 『呪道具(カースウェポン)』を殺す『対専用呪詛(アンチ・カース)』。まだ試験途中の完成したばかりの代物だったが、ぶっつけ本番でレナを含むアマゾネス達に対して扱われた。

 

 「皆を救えたわけではない。命を落とした者もいる。そのなかで、レナ・タリーは生を勝ち取った。せめてそれだけは、怒りの中であっても理解してほしい」

 

 ベートは顔を俯かせたまま、動かない。

 

 「レナを含む元【イシュタル・ファミリア】のアマゾネス達はこの騒動が落ち着くまで匿っていた。彼女達が生き残っていることを知られ、また襲われる可能性があった。だから死を装っていたのだが………お前の気持ちを蔑ろにした。今日まで黙っていたことを、心から謝罪する」

 

 リヴェリアの謝罪にベートは怒ることもなく、何一つ反応しなかった。

 これは拙いな、とリヴェリアは察する。

 ベートは落ち着いているのではない。怒りが込み上げ、臨界点に達したものの、ギリギリ理性が栓の役割を担い、押し留めているだけだ。例えるならば、爆発寸前の爆弾と言ったところか。

 

 嵐の前の静けさに、リヴェリアは大人しく後ろに数歩下がった。これ以上、ベートの近くいれば巻き込まれかねない。そう、今からこの爆発間際の爆弾を棒で突っつく命知らずが声を上げるのだから。

 

 「ベート・ローガ! どうしたの、ほら、心配しなくても私は本物だよ! 幽霊じゃないんだからっ! 寂しかったその想い、私の胸に吐き出してもいいんだよ!?」

 「…………」

 

 ぴょんぴょんと飛び跳ねながら、元気よく吠えるレナの声を聴いたベートは静かに彼女の眼前までゆらり、ゆらりと揺らめく足取りで赴いた。そして巨大な狼人(ウェアウルフ)は何も言わずレナの頭の上にポンと手を置いた。

 この少女が『魔法』による幻術ではないか確かめるように。レナという少女が偽物ではないか確認するように。ガシガシ、ガシガシと犬の頭を撫でるように、乱暴に触り続けた。

 

 あのベート・ローガが女の子の頭を撫でている。その衝撃に団員達は己の目を疑うように瞼を擦っている。当人のレナはというと、これまでないほどベートが自分の体に触れていることに感動すらしていた。もはや言葉も出ないと言った蕩けた表情をしているのだ。

 

 「間違いねェ………確かに本物だ」

 

 ベートの声が震えている。

 それは感極まったことによるものか、喜びに満ちたものによるものか―――否、フィン、ガレス、リヴェリアと歴戦の猛者達はすぐに気づいた。

 

 【凶狼(ヴァナルガンド)】が、キレていることに。

 

 「く………」

 「く?」

 「くたばりやがれェッ、この大バカゾネスがアアアアァァァァァァァ!!!!!」

 「ほぐァッ!?」

 

 女性に対して、絶対にしてはならないレベルのボディブローがレナの腹部を貫いた。

 本当に肉体を貫通するのではないかという一撃を受けたレナは目をぐりんと白目にして倒れ伏す。それだけに飽き足らず、ベートは更なる追撃を仕掛けようとする。

 

 「べ、べべべベートさんストップ、ストォォォォップ!!!」

 「死んじゃう、本当に死んじゃいますよその子!?」

 「照れ隠しはもっと穏便にするものっす!!」

 「止めろ、ベートさんを止めろォォォォォ!!」

 

 もはや赤鬼と言わんばかりの顔色で、必死にレナを亡き者にしようとするベートに【ロキ・ファミリア】の冒険者達は慌てて仲裁しようとした。しかし『獣化』したが如く暴れるベートに次々と吹き飛ばされていく始末。

 

 「賑やかじゃのう」

 「賑やかだねぇ」

 「はぁ……結局、こうなるか。アイズ、こっちにおいで。巻き込まれたら大変だ」

 「でも、止めなくていいの?」

 「構わん。一度、溜まったガス抜きは必要だからな。今のベートは」

 「うん。分かった」

 

 触らぬ神に祟りなし。賢い幹部達は、その様を茶でも啜りながら眺めていた。

 あの血生臭いアマゾネス事件からはや数日。それを怒りを糧にして解決した男と、命を落としたと思われた少女。二度と出会うことのないと覚悟していた男女のバカ騒ぎが、そこにあった。

 この他愛の無い交わりこそ、何よりも傷を負い続けた手負いの狼に効く良い薬となる。

 

 廃墟と化した歓楽街は、その日に限り、これまでにない賑わいを見せたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【エピローグ】

 

 

 冒険者とは、言わずと知れた危険な職であると皆は熟知している。数多の怪物と矛を交わし、未知なる仕掛けにより呆気なく命を落とすなんてザラだ。それでも、命知らずの馬鹿共はまだ見ぬ世界を目指して『冒険』を行う。全ては己の夢を掴む為に。

 そして志半ばで倒れた迷宮都市(オラリオ)の冒険者は、都市南東部にある『冒険者墓地』に埋葬される。

 普段日であれば、その広大な墓地に人気(ひとけ)など無い。しかし今日は特別だった。踊り子のような装束を着込んだ、褐色の美女の一団―――アマゾネス達が、闇派閥(イヴィルス)の残党の凶刃により倒れた仲間達を弔いにきていた。

 

 「みんな、本当に死んじゃったんだね………」

 

 レナは、友人の墓の前でその現実を噛み締める。

 仲の良い冒険者も、喧嘩していた冒険者も、皆、等しく家族だった。

 元イシュタル【ファミリア】の構成員の殆どがアマゾネス。部族間での繋がりも強かった。

 何より、レナは彼女達に可愛がられてきた。今でもその暖かい温もりを思い出すことができる。

 しかし彼女達は先に旅立った。もう語りかけることもなければ、笑い合うことすらない。物言わぬ墓石を眺める自身の眼に、涙が溜まっていくのを感じた。別れとは、これほどまでに辛いのかと。親しき仲間の死が、こんなにも虚しいのかと。

 

 「なに哀しそうな顔してんだアンタは。仲間の前だよ、せめて笑顔で送ってやりな」

 「アイシャ………」

 「辛い顔して見送られるのと、笑顔で見送られるの。どっちの方がレナなら良い?」

 「笑顔……かな。やっぱり」

 「なら、いつまでもクヨクヨしてんじゃないよ。レナはレナらしく、元気にしてりゃあ死んでいった奴らも安心してあの世に行けるってもんだ」

 

 皆の姉貴分であるアイシャの言葉に、レナは涙を腕で拭き取り、いつもの活力ある顔になった。

 そうだ、彼女達をせめて心置きなく旅立たせることが、残された者の数少ない責務。生き残った者が辛い顔をしていたら、いつまで経っても心配をかけさせてしまうままだ。

 

 「アイシャ、私のお墓も作っちゃったんだよね?」

 「ああ、作っちまったよ、大金注ぎ込んで……私達はてっきりアンタが死んだとばかり思っていたんだ。ったく生きてるんならさっさと教えろってんだこの馬鹿」

 「だって【九魔姫(ナイン・ヘル)】に「敵を騙すならまず味方から」ってことで病棟に押し込まれてたんだもん! 事件が落ち着くまで、外に出る許可も取れなかったんだから仕方ないじゃん!」

 

 全ては闇派閥(イヴィルス)の残党を欺く為の行為。できるだけ秘匿状態が好ましいということで、息を潜めることしかできなかった。レナだってベートの元に向かいたいという感情を押し込めて我慢していたのだ。こればかりは非難されること自体が理不尽というもの。

 

 「やれやれ、とんだ大損だ。墓一つ、撤去する手間も増えた」

 「酷い!?」

 

 死んだと思われていた冒険者達は密かに匿われ、何も知らぬ仲間は涙しながら墓をこしらえた。

 せっかく完成した墓も、その墓に埋まるべき人間が生きているのなら置いていても縁起が悪いだけのものだ。アマゾネス達はその尻拭いも含めて、この墓地にやってきた。

 

 「さーて、アンタ達! 生き残った奴の墓だけさっさと除けちまうよ! 生きてる仲間の墓なんて置かれ続けても、死んだ奴らが迷惑するだけだからね!」

 「「「おう!」」」

 

 活きの良いアマゾネス達は各々墓の撤去に取り掛かった。

 この作業が終わって、初めて自分達は明日からこの犠牲を割り切って生きていくことができる。

 

 「私はレナの墓をやっちまおうかね。お金出したの私だしな……ぁ―――………」

 

 アイシャはレナの墓の前で、言葉を紡ぐことを止めた。

 不意に動きも止め、棒立ちになる元【イシュタル・ファミリア】の姉御。

 

 「これ……ああ、なるほど、くく、あっはははははははははは!!!」

 「ど、どうしたのアイシャ!?」

 

 今度は大爆笑し始めたアイシャにレナは心配しながら駆け寄った。しかし彼女はレナの問いに答えることなく、目頭に涙を溜め、腹を抱え、笑っているばかり。どれだけ聞いても彼女は答えない。それにレナは頬を膨らませ、何に笑っているのか直接見ようとした。アイシャは明らかに自分の墓を見て笑っている。落書き、悪戯でもされているに違いないと。

 

 「―――え」

 

 アイシャを押しのけ、自分の墓を見たレナは、言葉を失った。

 真新しい白い墓石に少女の名が刻まれている。そしてその墓石の前に、ある物が置かれていた。

 レナは、己が見ているものが信じれなかった。幻覚ではないか、とさえ思えた。

 彼女はおそるおそる、まるで触れたら消えやすいシャボン玉を触るように、優しく、『それ』を手に取った。

 

 「いやぁ、まったく、アンタが惚れた(オス)は本当にどうしようもないねぇ!」

 

 盛大に笑ったアイシャは、『それ』を大事に胸に抱いているレナの背中に語りかける。

 白き墓石の前に置かれたものとは、レナの好きな物だった。

 レナが『それ』について教えた者はアイシャと、もう一人だけ。

 そしてそのアイシャはこの墓に『それ』を置いた記憶などない。

 であれば、自動的に残る一人に絞られる。というかあの男しかいない。

 

 現実を受け止め始めたレナは、頬が徐々に紅くなっていくのを自覚した。

 嬉しくて、嬉しくて、この身に収まらないほどの熱が全身を駆け巡っているのを感じる。

 また瞳の涙腺が緩む。あまりの想いに、予想していなかった喜びに、震えている。

 

 「レナ……言いたいことがあるなら叫んじまえ。アイツの地獄耳に、届くようにな」

 

 アイシャの言葉に、レナは静かに頷いた。

 『それ』を大事に胸に収め、息を大きく吸い、叫んでしまおう。

 

 幾度もの戦いでさえ得られなかった万感の愛おしさを籠めて。

 この狂おしいまでの情熱を高らかに。

 今生きているこの瞬間に、最大の感謝を、蒼く広がる空に向けて。

 

 

 

 「ベート・ローガぁ!だぁーい好きぃー!!」

 

 

 

 レナの胸に抱かれた『薄青の花束(ミオソティス)』が、彼女の愛に微笑むように揺れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 可憐なる薄青の花(ミオソティス)

 別名、勿忘草(forget-me-not)

 

 花言葉は―――『真実の愛』―――『私を忘れないで』―――。

 

 

 



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五傷:意中一途

 冒険者の皆が口を揃えて言う。【神の恩恵(ファルナ)】によりLv.が【ランクアップ】したらまるで生まれ変わったような力を得ることができると。

 人としての器が更に一段向上するこの画期的な人間育成。謂わば人の成長を短時間でどこまでも引き延ばす神々の御業というものだ。本来であれば一生かかって辿り着ける領域に、僅か数年数か月で到達できる。だからこそ人は人の身でありながら怪物という存在に立ち向かうことができる。だからこそ『ダンジョン』という理不尽の塊のような地獄に身を投じることができる。

 『ダンジョン』の階層を下れば下るだけ怪物は強くなる。それに伴い、その階層に下れるだけの冒険者もまた、強くなっていく。まさしく互いに鬩ぎ合いながらの攻防と言っても過言ではないこの関係性。故に【ランクアップ】したからといって慢心はできないのだ。どれだけ強くなっても、下層の怪物はそれを大きく上回るのだから。

 

 「おおぉぉりゃああああああ!!」

 

 アマゾネスの少女、レナ・タリーは自慢の曲刀で怪物を屠っていく。相手は格下ばかりだが、【ランクアップ】を果たしたばかりの彼女には丁度いい調整(チューニング)役だった。

 晴れてレナはLv.2からLv.3になった。しかしその肉体強度の向上によってできた肉体と技術の差、違和感は残る。なにせ人が長い時を掛けて作り上げていく肉体を、神の介入によって段階飛ばしで実現しているのだ。以前までその肉体に合っていた技術が、【ランクアップ】後の肉体についていかず、もどかしい違和感を抱える。だからレナはその違和感を払拭すべく、少しでもこの誤差の修正を行う為に『ダンジョン』に潜ってひたすら怪物を狩っていた。ステータスの向上にも繋がり一石二鳥というやつである。

 

 「はは、すげーな。あれが噂の【挑戦者(ノルン)】か」

 「あのベートに惚れたってんだからどんな変質者かと思えば意外や意外ってやつだな」

 「てかここ数時間ずっと暴れてねぇか彼女。なんつースタミナだ」

 

 その姿を遠目で見ていた冒険者達は各々率直な感想を口にした。

 野蛮で粗暴が目立ち、神々にでさえ牙を剥く【凶狼(ヴァナルガンド)】にゾッコンな物好き。それが多くの冒険者達のレナに対する共通の認識だった。

 そして意中の相手、ベート・ローガは案の定彼女を突っぱねていた。それでも何度も何度も喰らい付いて、最終的には自分のペースに持っていくレナの根性も知れ渡っていた。まさしく高い壁に挑む恋の挑戦者。故に神々はレナの渾名を【挑戦者(ノルン)】と名付けた。

 

 「いや、渾名に負けぬ努力家だ。かーっ、ベートの野郎には惜しいぜありゃあ」

 「まったくだな」

 

 艶やかで健康的な褐色の肌。乙女とも言える愛に燃えた幼き素顔。それでいて振るう剣の太刀筋は極めて鋭い。こんな女性にアプローチされたら、並みの男であればイチコロだろうに。

 

 「ま、面白い二人だとは思うがね……どうだ、ひとつ賭けてみないか?」

 

 一人の冒険者はレナを見ながら提案する。

 

 「彼女の情熱はあの狼人(ウェアウルフ)の心を一年以内に掴むかどうか」

 「ほほう。そりゃまた、えらい長期間な賭けだな」

 「外した奴らは来年一ヶ月間 当てた奴らに飲み代を奢る」

 「オーケー……なら俺は、成就しないに賭ける」

 「俺も」

 「俺も」

 「賭けにならねぇじゃねーか!」

 

 口ではレナを立派だなんだと言いながら、誰も彼女の恋が叶うとは思ってはいなかった。

 しかしそれは当たり前なのかもしれない。なにせあのベート・ローガは弱き者を認めない。Lv.3程度の冒険者では見向きもしない。彼を振り向かせるのなら彼と同じLv.6になるほどの強者でなければならないだろう。

 僅か一年でLv.6に到達できるわけがない。そういう意味も含めて、一年未満でレナ・タリーがベートを振り向かせることは不可能だと皆は思っていた。せめて成就するにしても数年の時間の経過は必要であるだろうと。

 

 「満場一致でここまで偏ると賭けは成立しねーな」

 「ううん、そんなことないよ?」

 「「「「え?」」」」

 

 男共しかいない冒険者のパーティで、女性の声が乱入した。

 バッと声の聞こえた場所に目を向けると、先ほどまで怪物を大量に討伐していたレナ・タリーがいつの間にか自分達の集まりに潜り込んでいた。

 

 「話は聞かせてもらった! へへ、実は私って地獄耳なんだー」

 「お、おう」

 

 屈託のない笑みを浮かべるレナ。その威圧感に冒険者達は一歩後ずさる。

 その笑顔とは裏腹に明らかに不満げである。先ほどの賭け話を聞いていればある意味当然だろうが。

 

 「私も賭ける」

 「へ?」

 「私はベート・ローガを一年以内に心を掴める方に賭けるの! はいこれで賭け成立!!」

 

 頬を膨らませたレナは胸を張ってそう言い放った。

 

 「貴方達の顔覚えたからね! もし私が来年までにベート・ローガを惚れさせたら一ヶ月間奢ってもらうんだから!取り立ててやるんだから!」

 

 彼女はぷんすこと怒りながら好き放題捨て台詞を吐いてその場を去っていった。

 そのあまりの暴風っぷりに冒険者達も口が開いたままで閉じなかった。

 いきなり現れては賭けに乗っかり、勝利宣言をして立ち去る。これを嵐のような人物と言わずしてなんと言えばいいのか。

 

 「おおう……活力も一級品だなあの子」

 「ベート・ローガにアタックするだけはあるぜ」

 「大した玉だ。こりゃ本当に奢る羽目になるかもしれんぞ?」

 

 普通に考えれば無理な話だが、彼女であればもしかするかもしれない。そう思えるだけの自信がレナ・タリーから感じた。あれは諦めない。絶対に自分の納得のいく結果を得るまで邁進するタイプである。そういった人種が常に歴史においても多くの戦果を生み出し成長を遂げている。

 

 「いいじゃねぇか。あんな健気な子なら、奢り甲斐がある」

 「なら吉報を待つとするかね。命短し人よ恋せよってな」

 「ハハっ、確かに、確かに。少女とはいえ乙女である期間は実に短い。せめて青春に生きる今の若者を応援してやらにゃ、つまらん爺になるだけだ」

 「なに老けってんだよ冒険者たるものが。おら、若い連中に負けてられんぞ!」

 

 中年の域に達した冒険者達は、今時珍しい恋に生きる若き冒険者を見て自らも奮起した。

 彼女の活気は人に伝染する。それは一種の才能とも取れるレナの魅力でもあった。

 そして彼らは後々に理解することになるだろう。【挑戦者(ノルン)】の可能性を。彼女の想いの強さを。

 また、この軽い気持ちでした馬鹿馬鹿しい賭けごとが、彼女の推進力を後押しする更なる起爆剤の役割を果たしたことを、彼らはまだ知るよしもなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■ ■ ■

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「あー疲れたぁ」

 「おつかれさん、レナたんは頑張り屋さんやねぇ。怪物を100体くらい潰して回ったって聞いたで? あんまし根詰め過ぎたらアカンよ、緩急をつけな」

 

 レナは【ロキ・ファミリア】の拠点(ホーム)に帰るや否や、自室のベットの上に倒れ込み、突っ伏したままグロッキー状態になっていた。またそれを呆れた様子で見下ろしている主神ロキ。

 何故レナの部屋にロキがいるかというと、彼女の【ステイタス】を向上させる【神の恩恵(ファルナ)】を刻む為だ。本当はLv.2からLv.3に【ランクアップ】した体を馴染ませる為だけに『ダンジョン』に向かわせたつもりが、まさか100体も怪物を狩って経験値(エクセリア)を大量に得てくるとはロキも思ってはいなかった。

 

 「まぁ怪我もせぇへんかったから良かったようなもんやけど」

 「ロキは心配しすぎだよ。この程度、無茶の内には入らないんだから」

 「そうは言ってもなぁ……ウチには見える、見えるでぇ? レナたんがちょっとイラついてる気持ちが。何か原因があるんやろ、言ってみ? 隠してもこの神の目からは逃れられへんで」

 「………」

 「ありゃ、だんまり決め込むなんて……そんな悪い子はお仕置きやァ!」

 「え、ちょ、ロキなにをあははははははははは!?」

 「いやらしい艶肌しよってこのエロ娘め! ここか? ここが気持ちええんかほれほれほれ!」

 

 ロキの鍛え上げられたテクニックにより倒れ伏していたレナの肉体の節々をひたすら手で捏ね繰り回した。高速機動する指から放たれるコショばし。あらゆる場所を的確に掻いていく技にレナは涙目になって爆笑した。

 

 「ほれ、言わな何時までも続くで!? 堪忍するか!?」

 「あははは! あは、ヒヒ、ははははは……分かった、分かりました、だから止めてェ!」

 

 流石のレナもこれには耐えられなかった。数多の女性冒険者に襲っては破廉恥なことをしてきたロキの腕は伊達ではない。まだまだ青い第二級冒険者のレナは過呼吸になりながらピクピク痙攣している。恐るべし神の指(ゴッドフィンガー)

 

 「ふっ……また良いものを揉んでしまった」

 

 若者の英気に触れたロキは満足気に頷いた。

 アマゾネスの弾力ある肢体は実に素晴らしいという感想つきで。

 

 「まぁおふざけは此処までにして、ほんまに何があったんやレナたん」

 

 ロキは目を細めてレナを見つめる。

 その鋭利とすら言える視線にレナも観念したようで、『ダンジョン』に潜った際に出会った冒険者達との『賭け』の内容を包み隠さず話した。

 

 「ふむふむ。なるほど。だからレナたんは悔しくなって怪物(モンスター)狩りに精を出したと」

 「うん……だってだーれも私に賭けてくれなかったんだよ? こなくそー! ってなってつい力が入っちゃった。でも後悔はしていないもん」

 「ま、おかげで経験値(エクセリア)がっぽりやもんな。いいで、その悔しさをバネにする気骨は冒険者に必要なもんや。恥じるもんやない」

 

 何にしても冒険者として更に高みを目指す力になったのならそれでいいだろう。

 

 「ただ無茶は禁物や」

 「はーい」

 「ほんまに分かっとんかいな……」

 

 ロキは久しぶりに現れた期待の新人の天真爛漫ぶりに苦笑した。

 何せこのタイプの冒険者は【ロキ・ファミリア】でもあまり見かけない。きっとこれからも多くの眷属達に良い影響を与えてくれるだろう。

 

 「それよりロキ!」

 「はいはい、【ステイタス】の更新やね。そんじゃ背中を見せぇ」

 

 レナは躊躇いも無く上半身の衣服を脱ぎ捨て、その健康的な背中をロキに向けた。

 アマゾネスに相応しい筋肉のついた素晴らしい背中だ。無駄な脂肪もなく、かといって関節の動きを邪魔する余分な筋肉もない。まさに動くことに適した狩人の背中。その立派な背中に刻まれた大きな刺青こそ冒険者の証。神の恩恵(ファルナ)の証明。

 神だけが彼ら冒険者の【ステイタス】を引き上げることができる。この背中の刺青に経験値(エクセリア)を書き加え、新たな力を与えることこそ神の仕事でもある。

 

 “おちゃらけた性格をしていても、その中身は歴とした戦闘民族ってところやな”

 

 きっとこの子はティオネやティオナにも負けない優秀なアマゾネスになる。そんな期待を胸に、ロキは【ステイタス】を開いた。

 

 「どれどれ、今回頑張ったレナたんのはどれだけ向上するのかにゃ………あ!?」

 

 ふざけた口調で神の恩恵(ファルナ)を授けていたロキは奇声を上げた。

 そのレナの【ステイタス】の異常を見たが故に。ありえない異変を見たが故に。

 

 この日、この夜、レナの【ステイタス】を更新し終えたロキは急ぎフィン、ガレス、リヴェリアの三大幹部を【ロキ・ファミリア】拠点(ホーム)の会議室に召集した。

 

 【ロキ・ファミリア】所属、Lv.3の第二級冒険者。

 【挑戦者(ノルン)】のレナ・タリー。

 

 彼女は、これまで自分達が思っていた以上に、重要な冒険者になる。

 そう確信し、フィン達に知らせるほどのものを、主神ロキは見たのだから。

 だからこそロキはフィン達に開口一番、レナのことをこう評した。

 

 

 ―――彼女は可能性の塊であると―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■ ■ ■

 

 

 

 

 

 

 

 

  「はぁ……クソッタレ、あんだけ苦労したのに無駄足たぁちっとも割りに合わん」

 

 ベートは【ロキ・ファミリア】の拠点(ホーム)にある食堂で大きく溜息をついた。

 元【イシュタル・ファミリア】を狙った闇派閥(イヴィルス)の残党を悉く屠り、生きていたレナから『人口迷宮(クノックソス)』の扉の『鍵』――通称、『ダイダロス・オーブ』の手がかりとなる情報を聞き出した。そして荒事が収まり、状況が落ち着いた頃を見計らって、その『鍵』があると思わしきイシュタルの根城『女神の宮殿(ベーレト・バベリ)』に【ロキ・ファミリア】の精鋭を揃えて踏み込んだ。

 しかし、結果は得られなかった。レナの言う『女神の宮殿(ベーレト・バベリ)』の隠し部屋をくまなく探しても、【イシュタル・ファミリア】の副団長、タンムズの部屋を虱潰しに探しても、『鍵』らしきものなどなかったのだ。

 先に闇派閥(イヴィルス)の残党が回収したかと思えば、そうでもない。その場に奴らの臭いはなかった。もし仮に奴らが先にあの場所に到達し、『鍵』を持ち去るのなら、ある程度ガサ入れした後が残る。それすらもなかったとなると、元々あの場に無かったと考えるのが妥当だろう。

 

 「『女神の宮殿(ベーレト・バベリ)』から『鍵』を持ち去った奴がいる……俺らでもなければ闇派閥(イヴィルス)でもねぇ………行方知れずのタンムズの野郎が持ち去ったとしか思えねぇ」

 

 タンムズ。元『イシュタル・ファミリア』の副団長。

 レナの話を聞くに、闇派閥(イヴィルス)と関わりがあったことは明白だ。加えて行方不明の身であるのなら、怪しいと思うのは当然。隠し部屋も知り、『鍵』の存在も知っていたのなら、まずはその男の捜索、および捕縛が第一目標となる。

 

 振り出しに戻りはしたが、収穫は確かにあった。元々何一つとして手がかりがなかった状態から始まった『鍵』探し。闇派閥(イヴィルス)の本丸『人口迷宮(クノックソス)』を攻略する切り札。二歩進んで一歩下がったとしても、一歩分は確実に進めている。問題は行方を晦ませたタンムズが何処にいるかだが……それらの調査も、これから地道に行っていくしかない。闇派閥(イヴィルス)より早く確保し、『鍵』について吐かせる。これ以上後れを取ることなど許されないのだから。

 

 「珍しく気負っているな。少しは責任を感じているのかな?」

 

 背後から掛けられた声にベートは苦虫を噛み潰した表情で振り返った。

 そこには我等が【ロキ・ファミリア】の団長こと【勇者(ブレイバー)】フィン・ディムナが立っていた。見た目は華奢な小人(パルム)だが侮ることなかれ。この迷宮都市(オラリオ)でも数少ない最古参のLv.6。実力においても、最近ランクアップを果たしたアイズやベートよりも高い。まさに歴戦の第一級冒険者である。

 

 「俺が何の責任を感じてるってんだ、フィン」

 「いやぁ、ほら。ヴァレッタ達を容赦なく焼き殺した際に、彼女の持つもう一つの『鍵』を諸共やっちゃったんだろ? その責任を感じてるんじゃないかって思ってさ」

 「…………」

 

 フィンの言葉が胸に刺さる。

 そうだ、あの闇派閥(イヴィルス)の幹部を生け捕りにしておけばこんな手間は掛からなかった。何もわざわざ行方知れずのタンムズを捕らえることもなく、ヴァレッタ・グレーデが所持していた『鍵』を確保しておけば万事上手く行っていた。それも全て、このベート・ローガが灰燼に帰した。とは言え無くなった物をどうこう言ったところで戻りはしないし、奴に慈悲をくれてやるつもりもない。アレで良かったのだ。自分の行いが正しいかどうかではなく、納得のいく結果に収めただけなのだから。

 しかし仲間へ迷惑をかけたことも自覚している。こればかりは流石に威張ることもできない。

 

 「………うるせぇ。いちいち回りくどいんだよ。文句があるならさっさと言えってんだ」

 「責めはしないさ。そうなることも分かって、僕は君にあの件を一任した。だから気にすることはない。あ、隣、いいかな?」

 「チッ……好きにしろ」

 

 団長に対して不遜な態度を取るベート。それにフィンは訝しがることも無く、ニコニコと笑顔を絶やさず、ベートの隣の席に座った。

 

 「んで、用件は」

 「レナ・タリーのことで……ってそんな露骨に嫌な顔をしないでくれよ」

 

 彼女の名を言った瞬間、ベートは眉間に深く皺を寄せた。

 誰が見ても嫌気が差している顔である。

 

 「自分で言うのもなんだが、この僕も何かと女性から熱烈な好意(アプローチ)を受けている身だ。その苦労は分からないこともないけど、レディに対して無作法な対応はするべきではないと思うんだ」

 「俺はお前みたいに行儀が良くなければお人好しでもねェ」

 「まったく君ってやつは……ともかく、今から言う僕の用件はレナ・タリーについてだ。否応無しに聞いてもらうよ」

 「上司特権ほど憎たらしいもんはねェなおい」

 

 ともあれ団長の命令には強い強制力がある。よほどのことがなければ断る理由もない。また、彼の言うことはいつも最善の道を示している。どんな内容であれ、取りあえず耳を傾けるだけ傾けていた方がいいだろう。何故レナのことを自分が聞かなければならないのかという不安も押し留めて。

 

 「まず見てもらいたいものがある」

 

 そう言ってフィンは懐から紙を二枚取り出した。

 

 「これは?」

 「レナ・タリーの【ステイタス】を書き記したものだ」

 「はぁ……で、それがどうしたってんだよ」

 「そう急くな。コレがレナ・タリーの一週間前の【ステイタス】表記。そしてこっちが昨日、ロキが書き記した更新後の【ステイタス】表記だ。見比べてみろ」

 「…………ッ!」

 

 レナのステータスを見比べたベートは、言葉を失った。

 自分の見ているモノが信じられないと感じたのは何時ぶりだっただろう。

 それだけの衝撃がこの紙に記されていた。

 

 「これが彼女の成長速度だ……どうだ、異常すぎるだろう?」

 

 フィンの言う通り、この【ステイタス】の上昇値は明らかにおかしい。

 この数値は本来数ヶ月は掛かること必須の値だ。数日程度でなんとかなるものではない。

 しかし現実としてレナ・タリーは結果に残している。

 

 「どうなってやがんだ。何をしやがったあのバカゾネス」

 「考えられるのは一つしかない。彼女がLv.3になった際に発現したスキルの効果だ」

 「………聞かせろ、その効果を」

 「勿論だ。君も無関係ではないからね……スキル名は【意中一途(マル・ダムール)】と言うらしい」

 「あァ? なんだそのふざけたスキル名は」

 「ふふ、彼女らしいじゃないか。そして効果が、『早熟』だ」

 「意中……経験値(エクセリア)上昇系のレアスキル……なるほど、そういうことか」

 

 大まかなことを把握したベートはなんとも言えない顔をした。

 レナに発現したレアスキルは……思っている以上にアホらしい代物らしい。

 

 「つまりなにか。アイツが好意を持っている人間に近づく為のスキルか」

 「その通り。これはベートに追いつきたいという意思の具現だ。その想いが強ければ強いほど、彼女の成長速度に加速が加わる。まるで―――」

 「あの白兎のような成長をする」

 「ああ、まさに破格のレアスキルだ。稀に見る、急成長型だよ」

 「…………」

 

 狼人(ウェアウルフ)は一人黙して思い返す。

 出会った当初、彼女は身の丈に合わぬことを、自分に公言した。

 雑魚では俺には釣り合わねぇという煽りに対して、あの女は―――

 

 ―――私は強くなる……絶対にLv.6になってみせる! ベート・ローガと並び立てる、強者のアマゾネスに! だからその時は、貴方の妻にしてください!!―――

 

 雑魚は嫌いだ。弱者も嫌いだ。何より、口だけの奴はもっと嫌いだ。

 しかしどうだ。あの女は――レナ・タリーは口だけの女で終わるか否か。

 自然とベートの口角が上がっていた。見所はあると理解していたが、まさかこれほどの成長を見せようとは思いもしなかったからだ。

 だがこの程度で認めるわけにはいかない。まだあの女は餓鬼だ。発展途上だ。力も、心も、何もかも。ここからがレナ・タリーの価値を見定める機会となるだろう。

 

 「フィン……テメェの魂胆も見えてきたぜ。俺にあのバカゾネスの面倒見させる気だろ」

 「当たり前じゃないか。他に適任はいないだろう?」

 

 悪びれも無く言ってのける【ロキ・ファミリア】の団長。

 此方が嫌がっていることを承知で突き付けてくるのだからたちが悪い。

 

 「俺は嫌だね。誰が餓鬼の子守なんぞするか。だいたいアイツも第二級冒険者になったんだ、今更そこらの雑魚みたいに面倒見なきゃならねぇ玉じゃねーだろうがよ」

 「確かにね。だけど彼女の成長速度はバカにならない。君だって知っているだろ? あのベル・クラネルの目覚ましい成長力を。彼女は彼と似た成長の仕方をしている。化けることは確実だ」

 「だから特別扱いしろってのか」

 「そうだ。あの日、『人口迷宮(クノックソス)』に乗り込んだ際に僕達【ロキ・ファミリア】は闇派閥(イヴィルス)によって大打撃を受けた。多くの第二級冒険者を失った今、新しい戦力が必要となってきている」

 「それでアイツか。第二のベル・クラネル(トマト野郎)に祭り上げようってか……【ロキ・ファミリア】の団長ともあろう冒険者が女々しいことを考えやがる」

 

 この出鱈目な成長力は【ヘスティア・ファミリア】の団長のベル・クラネルと酷似している。

 僅かな期間で常軌を逸している成長速度。常識では測れない潜在能力。順調に進んでいる【ステイタスアップ】。どれを取っても第一軍になれる可能性が内包されている。

 本来であれば、自然に任せて彼女が地力で強くなるべきなのだろう。しかしこの人手不足が悩みの種としてある今の【ロキ・ファミリア】は少しでも早期に戦力を欲している。ならばベートの指導を受けて少しでも早く【ランクアップ】を果たしてもらいたいというフィンの考えも分からないでもない。

 だが、それでも【凶狼(ヴァナルガンド)】は簡単に頷くことはできなかった。

 

 「やっぱり俺ァ反対だ。俺らの喧嘩にアイツを巻き込むな」

 「彼女はもう僕達の【ファミリア】だ」

 「前まで奴らに命を狙われた餓鬼だぞ!?」

 「それがどうした。らしくないぞ。君であれば『冒険者であるのなら人間に命を狙われようが、怪物に命を狙われようが、自分で解決できねぇ奴に価値はねぇ』と言ってのけたと思うけど?」

 「…………ッ」

 「彼女を特別視しているのは他でもない。ベートじゃないのか」

 

 全てを見透かしていると言わんばかりにフィンの蒼い目がベートを射抜く。

 それにベートはこめかみに血管を浮かばせて吠えた。

 

 「ふざけンな! なんで俺がッ!!」

 「はは、そうムキになるなよベート」

 「テメェ………!」

 「まぁ兎も角、これも団長命令だ。それにこういった例はレナが初めてじゃない」

 「あ………?」

 「あのアイズも昔はよくリヴェリア、ガレスと共に面倒を見たものさ。まぁ今でも見ているようなものだが」

 

 アイズは今でこそ独り立ちして己が道を突き進んでいるが、何も初めから一人で強くなっていったわけではない。【ロキ・ファミリア】の幹部が懇切丁寧に道を示した助力もある。誰かの支えなく、幼少期の頃から放置していたら、確実に戦死していたと確信するほどの自負があった。

 

 「上に立つ者は、【ファミリア】の仲間を護り育てる義務がある。ベート……君にもその役が回ってきたと思えばいい。いつまでも暴れるままでは【ロキ・ファミリア】の幹部は名乗れない」

 「…………」

 「それとも逃げるか? 【ファミリア】の上に立つ、幹部としての責務から」

 

 煽りとも取れるフィンの言動にベートは怒りに体を震わせた。しかし彼の言うことに間違いは無い。ここで怒鳴り、反論しようものなら駄々を捏ねる子供という誹りを受けかねない。

 

 “分かっている。フィンに弁舌では逆立ちしたって勝てねェことくらいは”

 

 ベートとて無知ではない。自分のような学の無い人間が100の言葉を取り繕ったとしても、フィンは1000の言霊で丸め込めることができるだろう。フィンを隣に座らせ、会話が成立した時点でベートの返答など一つに絞られていた。

 何よりフィンは見抜いていた。ベートが少なからずレナ・タリーの成長に興味を持っていることを。そんな心の隙間を晒している状態で勝ち目などあるはずがない。

 

 「改めて答えを聞こうか、ベート・ローガ」

 「………クソッタレが」

 

 観念したベートはせめて悪態だけは貫こうとした。

 それがせめてもの団長に対する反抗だったからだ。

 

 「相変わらず腕だけじゃなく口も達者だな、テメェは。いいぜ、そこまで言うなら従ってやる」

 「助かるよ。ベートなら受けてくれると信じていた」

 「心にもねェことを………だがな、フィン。今回の件はそれなりの報酬を貰うぞ。『魔剣』調達の足しにでもしねぇと割りに合わねェ」

 「分かった、ちゃんと働き相応の収入を約束しよう」

 

 フィンの滑らかな対応にまた舌打ちをして、ベートはその場を去っていった。

 ベートとて、何も教導の心得がないわけではない。これでも元【ファミリア】の団長を務めていた男だ。才能のある冒険者一人の面倒を見ること自体は造作もない。

 ただ、久しぶりの感覚だった。他者の面倒を見るなどと。長らく遠ざけていた仕事だ。しかもよりにもよってその相手があのアマゾネスときた。

 まだやるべきことが山積みになっているというのに、また厄介なことが舞い込んできやがったと【凶狼(ヴァナルガンド)】は軽く頭を抱えたのだった。

 

 




 【ロキ・ファミリア】入りした女冒険者レナ・タリー
 二つ名【挑戦者(ノルン)】、新たに得たスキルは【意中一途(マル・ダムール)
 僭越ながら【ヘスティア・ファミリア】のベルくんと同系統のスキル持ちとさせて頂きました

 レナが【ロキ・ファミリア】に加入したことにより、これからベートの幸福(ふこう)な話が始まっていく予定です。彼女の破天荒さに苦労するベートを書いていけたら幸いです



 余談
 オラトリア9巻でレナが普通に出てきて、元気に喋っていたことが嬉しかった(コナミ感)


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六傷:ノルン育成計画

 フィンに前途有望な「レナ・タリーの指導」を任された一人の狼人(ウェアウルフ)は大きなため息を吐きながらも、契約を反故にする気はなかった。内容が何であれ団長直々の命令だ。それ即ち【ロキ・ファミリア】の、主神ロキの総意と同価値の意味を持つ。何より一度約束した物事を裏切ることは筋が通らない。また、その指示を完遂しないことには、自身の能力不足と捉えられることもある。そう、これはあくまで自分の為であり、レナの為ではない。ベートは自分に強く言い聞かせながら、歩を進める。

 

 レナには一通りの事情を話し、先に待ち合わせ場所である『バベル』地下一階(ダンジョンの入り口)で合流することになっている。しかしベートはレナと合流する前に、一つ寄り道するべきところがあった。

 そして着いた場所が、古ぼけた廃墟のような一軒家。ベートは懐かしそうに眼を細めるが、すぐにいつも通りのガラの悪い眼つきになり、そのオンボロなドアを開けて入室した。

 

 「邪魔するぜ、クソジジィ」

 

 入店するやいなや息をするように生意気口を叩くTHE・問題児。そのDQN的な姿勢、かつ関わったらろくでもないことになりそうな態度。並みの店員であれば萎縮するであろう第一級冒険者に対して、その店の主、どっかりとイスに腰を掛け、堂々とした佇まいを崩さない人間(ヒューマン)の老人が招かざる客に対して口を開いた。

 

 「アァン? そのドブで煮込んだような腐れ根性声はベートか」

 

 その声はただただ面倒な奴が来たと嫌気が差しているような声色だった。

 

 「おうおうお客様に向かってえらく舐め腐った罵倒だなァ? お客様は神様っていう薄っぺらい信条がアンタのモットーだったはずだがなぁ?」

 「黙れド阿呆。お主のような腐れ餓鬼にはこれでも十分接待した対応だ」

 

 さも当然のように繰り広げられる罵倒合戦。とても客と店主の会話ではない。

 しかし、その喋り方も、態度も、互いに心置きなく言える間柄であればこそ。

 数秒続いた罵倒が収まる頃には、二人共不敵な笑みを浮かべていた。

 

 「相変わらず元気そうじゃねぇか爺。ちったぁしおらしくなってるかと思えば……耄碌してなさそうで残念だ。ボケてたらからかってやろうと思ったのによ」

 「それはこっちの台詞だ……と、言いたいところだが。お主はそこそこ変わったと見える」

 「あァ?」

 「最初に来た時と比べて生意気な罵倒にキレがなかったぞ」

 「なんだそりゃあ」

 「自分の変化にすら気づかんか、傷だらけの野良犬めが。人の優しさに触れたな(・・・・・・・・・・)?」

 「…………!」

 「ほれすぐ顔に出る。精進が足らん証拠だ」

 

 露骨に顔を歪めた狼人(ウェアウルフ)を見て老人は愉快そうに笑った。

 

 「お主のような輩に寄り添ってくれる奇特な人間がまだいようとはな。この世も未だに捨てたものではないと見える」

 「世捨て人紛いが好き勝手言ってくれるじゃねぇか……」

 「だからこそよ。神が当然のように闊歩するようになった異常なりしこの世を誰も疑問に持たぬようになった。神の世と人の世が結合されたと言っても過言ではない。そのような混沌とした世を眺め、批評することこそ我がなけなしの趣味よ」

 

 今の世に呆れ返っているとでも言うような口ぶり。しわがれた声から発せられる言霊一つ一つがこの老人の嘘偽りない本音であった。

 

 「言ってろ怪物爺が……んなことより、こいつを今すぐ寄越せ」

 

 この爺はフィンと同じだ。口でベートが勝てる相手ではない。このまま泥沼の口論に発展する前に、さっさと用件を済ませて出ていく方が幾分も賢い。

 ベートは懐から一枚の紙を渡した。それを受け取り、目を通した老人はまた訝しがってベートを見た。

 

 「これを全てか? そこそこ値が張るぞ」

 「構わねェ。きっちり一括払いで払ってやる」

 「………少し待っておれ」

 

 やれやれと重い腰を上げた老人は古臭い棚を漁り始めた。

 注文を受けたモノは全てこの店に揃っている。

 

 「これで間違いないか」

 

 ドンとテーブルに置かれた品々を見たベートは軽く頷いた。

 ベートは老人の支払い要求にすぐに応じ、一銭の狂いも無く大金を渡した。

 

 「お主はつくづく変わり者であると熟知していたが、まさかここまでとはな」

 「放っておけ。俺だって好きでこんなモンを買ったわけじゃねェんだ」

 「ほう、自分の利益の為ではないと? では他人の為か……お主が? これは驚いた。かの【凶狼(ヴァナルガンド)】が他人の為に一肌脱ぐか」

 「笑いたきゃ笑えクソ爺が」

 「嗤うものかよ。むしろ、そのまま真人間にでもなってしまったらどうだ」

 「それこそ冗談だ。マトモな奴がダンジョンで生き残れるもんかよ……邪魔したな、爺」

 

 どこまでも憎まれ口を叩き続ける男はそう言い残して店を出ていった。

 嵐のように訪れ、そして暴風のように去った男を見送った老人は深く椅子に腰を下ろした。

 

 「フンッ、どこまでも生意気な餓鬼だ」

 

 老人は古びたパイプを取り出し、口に加えて火をつけた。

 

 「だが……ククッ。そうか、そうか。ようやくあの男もマシな面構えになった」

 

 重畳、重畳であると老人は笑った。その笑みは、ベートを嘲笑するものに非ず。まるで孫の成長に喜ぶ祖父のような笑みだった。

 

 ここは珍品揃いの道具商。店主たる老人に名はない。

 

 その店を知る者は少なく、ただ一匹狼がたまに足を運ぶ、不思議な場所である。

 

 

 

 ■ ■ ■

 

 

 

 

 品物を揃えたベートはレナが待つ『バベル』地下一階に到着した。

 しかし肝心のレナ・タリーの姿が見えない。軽く周りを見渡したが、やはりあの褐色娘はいない。あの娘なら自分が来た瞬間飛びかかってくるものだが―――。

 

 「チッ、見くびるんじゃねぇぞ」

 

 背後から忍び寄る気配を察知したベートは、その何者かの手が自身の腰に触れる前に掴み、組み伏せた。

 

 「ぎゃん!?」

 

 情けない声を出して地面に這いつくばった人間。その人間こそ、レナ・タリーだった。

 どうやら背後から自分を驚かそうとしていたようだが、相変わらず詰めが甘い。

 

 「俺の背中を取ろうなんざ100年早い。その上気配の隠し方がなっちゃいねェ。おふざけだろうが何だろうが、そこら辺はやるならやるで徹底しやがれ」

 「ら……らじゃー」

 

 関節を極められ、身動きの取れないアマゾネス。腕力こそ人間の比ではないが、相手も身体能力に優れた獣人。おまけに Lv.3とLv.6の圧倒的能力差。Lv.1の差だけでも子供と大人ほどの力量差が発生するのだから、圧し勝てるわけもなし。おまけに技量においてもベートの方が遥かに上だった。まさしく完全鎮圧。不意をついても、まず勝てはしない高みだということをレナは否応無く実感した。

 

 「はぁ、これがLvの差かぁ」

 

 拘束から解放されたレナは珍しそうに悔しがる。

 

 「阿呆が。Lvが同じだろうと結果は同じだ。だから雑魚なんだよお前は」

 「ぬぬぬ。でもすぐ追いつくからね! あのリトルルーキーみたいに!」

 「自惚れるなよ、バカゾネス。アイツの成長は、弱者なりに修羅場を潜ったからこそできたもんだ。んな軽く同じようにできるわきゃねェだろうが」

 

 あの少年の成長は確かに破格そのものだ。スキルの加護があってこそ成立する事例だろう。

 しかし、その全てがスキル頼みと言えば否だ。自身を超える猛者や怪物と幾度となく衝突し、今日まで生き残れたからこそ許された成長だ。

 

 「今のテメェのままじゃ逆立ちしたって俺には届かねェ。良くてあのトマト野郎の下位互換だ。成長が早いだけの冒険者なんざ、それだけの価値しかねぇ。いつかは死という終点にぶち当たる」

 「う………」

 「だからこそ、俺が直々に面倒を見ることになった。このクソ忙しいタイミングでだ」

 

 ベートの黄金色の瞳はレナをじっと見据えている。

 その視線は改めてレナの価値を計ろうとするものだった。

 

 「テメェには言いたいことが山ほどある。だが、こんな場所でしていい話でもねぇ。さっさと行くぞ」

 

 ベートはズカズカと『迷宮(ダンジョン)』の下層に向かって歩き始める。それにレナは慌てて後についていった。

 

 「行くって、『迷宮(ダンジョン)』の何処まで行くの?」

 

 レナは事前に何も聞かされていない。ただベートに『バベル』の入り口で待てとしか言われなかったからだ。

 それにベートは振り向かずに、無愛想に答えた。

 

 「俺達が向かう先は十八階層―――『迷宮の楽園(アンダーリゾート)』だ」

 

 十八階層とは『迷宮(ダンジョン)』の安全階層(セーフティーポイント)

 だだっ広い空間に大量発生した美しい水晶と、地下とは思えない自然に溢れた地下世界。

 レナはてっきり獰猛な怪物犇く最奥に放り込まれるとばかり思っていたが、どうやらそうでもないらしい。いったいその場所で何をするのか、何があるのか。

 ただただレナは不思議に思いながら、ベートの後ろをついて行った。

 

 

 

 

 ■ ■ ■

 

 

 

 「ほんまにあのベートがレナたんを弟子にするとはなぁ。流石やでぇ、フィン」

 「よしてくれ。元々ベートはレナ・タリーに興味を持っていた。そこを突いたに過ぎないよ」

 

 迷宮都市(オラリオ)最強の『ファミリア』の団長室に相応しい個室では、一人の小人と一柱の神が今注目の冒険者二人について話し合っていた。どちらも喰えない人物として有名で、彼らだけの会話になると何処までが本音でどこまでが建前なのか分かりもしない。

 

 「ほほう、なら相思相愛ってやつやな!」

 「それを本人が聞いたら怒髪天だね。あまり茶化さないでやってくれ」

 「なんやノリ悪ゥ。そういうところがおもろないわ~」

 「僕自身も人の好意に苦戦してるからね。何より人の色恋沙汰を面白半分で突くのは趣味じゃないだけさ」

 

 フィンは自身に言い寄ってくる一人のアマゾネスを脳裏に過ぎらせながら苦笑した。

 同じ苦悩を持つベートを笑いの種にするなんて出来たもんじゃない。

 

 「しかし見物やなぁ。いや心配でもあるんやけどなぁ。特にレナたんが」

 「そこまで心配かい? 彼は元【ファミリア】団長経験者だろう。確かにベートが仲間を鍛える姿は想像できないが、教導者としてのノウハウはあるはずだけど」

 「いや、ベートはともかくスパルタでな。生まれが大草原出身やったんや。あそこを縄張りとしていた【神の恩恵(ファルナ)】に頼らず怪物を狩っていた戦闘民族。博識なフィンのことや。噂くらい聞いたことあるやろ?」

 「………驚いた。あのベートが、大草原の一族出身だったなんて」

 

 知らないはずもない。かの大草原の一族は、神々の恩恵である【神の恩恵(ファルナ)】を用いらずに怪物を数多も狩り続けた伝説だ。『ダンジョン』外とはいえ、その冒険者でない存在が次々と戦果を残していく実績は神々からも大きな注目を寄せた。

 

 「ただ純粋に、神の手も借りずに己が肉体を極めんとした獣人の部族。それ故に冒険者ではなく、狩人として生きて滅びたと聞く」

 「そう、アレはその唯一の生き残り、それも族長の息子や。ベートは自分の過去を誰にも話したがらんからこのことを知っとる奴は数少ないけどな」

 

 もはや口にするのも罪であるかのように、ベート・ローガが隠していた傷でもあるとロキは心の中で呟いた。

 

 「なんで【神の恩恵(ファルナ)】も無く怪物を屠れていたかというと、答えは一つ」

 「冒険者達とはまた異なる、血の滲む鍛錬でその身を鍛えてきたから……か」

 「せや。ただただ自分達の肉体を限界まで虐め鍛えたからこそできた芸当。その真髄を今からあの幼い少女に叩き込むはずやで、あの男は」

 

 肉体改造のプロフェッショナル、教導のプロといっても過言じゃない過去を持つ反面、その厳しさは埒外。

 

 「さて、ベート流のやり方はレナに合ってるかどうか。レナ自身がついて行けるかどうか……色々と心配になることは多いけど、ベートほどレナの育成に適任な者もおらん。無事乗り越えてくれることを祈るしかない」

 「まさにハイリスク・ハイリターンってやつだね」

 「まぁ生易しい試練じゃ急激な成長は望めんし、このくらいのリスクは覚悟してもらうしかない。少々荒療治になるけど、気張って耐えろとしか言えんところや」

 

 ロキは心配だ、心配だと言うわりには口元が緩みっぱなしだった。そこからは絶え間ない期待と興味が溢れ出ている。フィンの目からしても、今のロキは興奮冷めやらぬ神のそれだ。

 

 「ずいぶんと機嫌がいい……よほど気に入ってるようだね。そんなにベル・クラネル(・・・・・・)と同じ冒険者を手に入れて嬉しいかい? 」

 「阿呆! 嬉しくないはずがないやろ! 早熟型やで早熟型! 超のつくレアスキル! あのリトルルーキーの異常な成長速度を裏付ける、可能性の原石! しかも可愛い女の子!ここ大事! これで期待しない主神がどこにおる!?」

 

 ロキは嬉々として感情を発露させる。

 そう、レナ・タリーはあのベル・クラネルと同じ素質を持つ冒険者。ベートに対する熱意が冷めぬ限り決して止まることのない奇跡の仔。これまでずっとベルという少年のめまぐるしい活躍と成長を見せ付けられてきた自分達だからこそ、期待してしまう。あの少年に勝るとも劣らない輝きを。

 

 「まぁ気持ちは分からないでもないけどね。注目すべき点は、そのベル・クラネルのように彼女もうまく成長できるかどうかだけだ」

 

 ベート・ローガは決して器用な男ではない。やることをやり、為すべきを為す。その実直さを少なからずフィンは信頼している。だからこそ、彼がレナ・タリーをどう扱うかも、彼なりの不器用さで進めるはずだと確信している。女子供だろうと容赦はしないだろう。冒険者になった時点で、そんなもの飾りにもならないのだから。

 

 「彼女の恵まれた素質は疑いようもない事実だ。しかしそれだけでは足りない。あの少年の再来になるかどうかは、それこそベート………君の腕に懸かっているよ」

 

 フィンはこの場にいない【凶狼(ヴァナルガンド)】にエールを送った。

 全て滞りなくやり通せ、とまでは言わない。せめてある一定の水準を超えるほどの成果を得られるように、巧く事が運ぶようにという期待を込めて。

 



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七傷:迷宮の楽園

遅くなって……すまぬ……すまぬ


 「親父、部屋二つ用意してくれ」

 

 ベートは『ダンジョン』の安全階層(セーフティーポイント)、『迷宮の楽園(アンダーリゾート)』に着くや否や、すぐに『リヴィラの街』と呼ばれる冒険者の街に立ち寄った。

 危険犇めく『ダンジョン』の中層まで辿り着いた冒険者達はこの街で宿を取り、疲れを癒す。モンスターも立ち入らないこの街は、まさしく休息の場として長らく栄えていた。

 

 「あいよ。部屋二つね……ところで【凶狼(ヴァナルガンド)】」

 「アン?」

 「そこの嬢ちゃんは何者だい? アンタが女を連れてこの街にくるなんて珍しい」

 

 『リヴィラの街』で宿を営む店主は不思議そうにべートに付き添う少女について言及した。

 あのベート・ローガが女の宿代まで払い、しかも連れ従うなどこれまで無かったことだ。

 それについてベートは身に見えて歯切れの悪い顔をした。

 

 「あいつァ………」

 「ベート・ローガの嫁です!」

 「………フンッ!!」

 「ほぐァ!?」

 

 話に割り込んできたアマゾネスに無言の鳩尾。衝撃波すら見られた一撃を受けた少女は奇声を上げて倒れ伏した。若干、酷い仕打ちを受けた少女が今も恍惚そうな顔をしている気がするが気のせいだと信じたい。

 そして素知らぬ顔で改めてベートは店主に対してこう答えた。

 

 「あいつァ、疫病神だ。俺にとってのな」

 「おーけー……あまり聞かない方が身のためっぽいから深くは聞かないようにするよ」

 「賢い判断だ。このバカゾネスにも見習ってほしいもんだ」

 

 ベートは「えへへ……また重い一撃貰っちゃったよぉ……妊娠確実だよもうこれ間違いない……」と寝言を口走っている少女をまるで呆れ果てた目で見下した。

 

 「ともかく、俺達は暫くここで世話になる」

 「長居してくれるのは宿主冥利に尽きるが………」

 「分かってる、金だろ。ここはクソたけぇほど金取るもんな」

 「これも立派な商売でね。冒険者には最高の休息を約束するが、そのサービスを維持するのも大変なんだ。『ダンジョン』の中だろうが、金銭の束縛からは逃れられんよ」

 「それを笑顔で言える辺り、テメェも図太くなったもんだ」

 「かの一級冒険者に認められるとは恐悦至極。ではさっそく部屋までご案内しよう」

 「おう……おら、いつまで寝てんだバカゾネス。行くぞ」

 「う…………いてて、本当にベート・ローガは容赦ないんだからぁ。でも好き!」

 

 ベートはいい加減俺も煽り耐性ってやつを付けなきゃなぁと密かに思いながら部屋へと向かう。

 いちいち反応していては身が持たない。普通は嫌気が差すであろうベートの態度を逆に幸福と感じるなど性質が悪いにもほどがある。

 そう憂鬱になりかけている間に、店主は二人の部屋まで案内した。そしてベートに鍵を渡し、店主はまた新たな冒険者の接待に戻っていった。ここは冒険者で栄える中間地点。来客が絶えることはない、というのは言い過ぎだが、少なくとも暇になることも少ないのだろう。

 

 「ベート・ローガ! いったいここで何するの?」

 「………対人訓練だ」

 「え?」

 「何度も言わすなめんどくせぇ。というかさっさと部屋ンなか入れ」

 

 ベートはトロくさいレナの尻を蹴り上げて部屋に入室させた。ここからの話は廊下で出来るようなものでなく、また無暗に聞かれていいものでもない。

 

 「はァ……ったく、つくづく俺の運の無さを呪いたくなるぜ」

 

 ベートは持参の荷物を置いて部屋に置かれていたベッドに腰を掛ける。この荷物とてレナ(・・・・)の為に用意したものだ。それをなんで俺がという苛立ちすら感じる。

 とはいえ一度受けた仕事は完璧に完遂する。妥協などあってはならない。

 

 「バカゾネス。ちょっとコッチに来い」

 「はい!」

 

 そう言うや否やレナは肌と肌が触れ合う距離まで接近し―――

 

 「ちょっとだと言っただろうが」

 

 頬っぺたをベートの掌で掴まれた。

 

 「ったく油断も隙もねぇ。落ち着くって言葉を知らねぇのか」

 「ふごご・ふごご」

 「何言ってるか分かっちまう俺もだいぶ毒されてきてんな……」

 

 自分自身にも呆れながらベートは手を放す。

 

 「いいか、バカゾネス。今の阿呆丸出し冒険者のまま生きてたら命が幾つあっても足りねぇぞ。そこんとこ分かってんのか」

 「大丈夫っ! ベートへの愛がある限り不死身だから! あ、ベートが愛を送ってくれたら無敵になっちゃうかも!」

 「頭が痛くなるようなこと言ってンじゃねェ…………だがまぁ、いいさ」

 「え、いいの?」

 「ああ。これから行う俺の指導に耐え切った上で、そのふざけた態度を取れる余裕が残れば上等だ」

 

 ベートはそう言って懐から一枚の紙を取り出した。

 

 「これが今日からお前がこなさなきゃならねェメニュー 一覧だ」

 「………え? これ、ぜんぶ?」

 「ったりめぇだ」

 

 レナに手渡された紙にはびっしりと書かれたベート直々の訓練法の数々。

 

 「まずは冒険者が疎い対人のやり方ってもんを叩き込む。どいつもこいつも『怪物』と殺し合う基本は身についてやがるが、『人』との殺し合いに慣れてる奴は少ねェ。お前もその一人だ」

 「…………」

 「俺達【ロキ・ファミリア】に喧嘩売ってきた奴は人を殺し慣れている。実際に戦って死にかけたオメェなら嫌でも分かるだろうが」

 「うん……凄く、人の壊し方を分かってた。今までの怪物とは違うって感じがした」

 「その未熟なテメェとクソ野郎共との隙間を埋めていく。いや、上回らせる。その為に此処に来て、その為に用意した」

 

 十分腰を休めたと言ってベートは立ち上がった。

 

 「表へ出ろ、バカゾネス。ここはだだっ広い空間が多く、訓練するにゃあ持ってこいだ。この環境で―――弱者のテメェを、ちったぁまともな程度にまで引き上げてやるよ。まぁ、ついて来れたらの話だがな?」

 

 レナの瞳を見つめるベートの顔は、「お前如きに耐えられるか?」という嘲笑こそあれど、「お前は俺に何を魅せる?」という値踏みするかのような興味の色も映っていた。

 レナは理解した。試されていると。これに応えなければ、女が……否、ベートと肩を並ぶことを目指す冒険者として廃るも同然。

 

 少女は今までのだらしなかった表情をキュっと引き締め、すぐに武装を手にして外に出たのだった。これから行われるであろう試練に畏怖と期待を込めて。

 

 この日から、並みの冒険者なら裸足で逃げ出すであろう【狂狼(ヴァナルガンド)】ベート・ローガによる【挑戦者(ノルン)】レナ・タリーの為に用意された長期訓練が始まった。

 

 

 

 

 ■   ■   ■

 

 

 

 

 ベート・ローガの特訓は極めて特殊だった。彼は「対人、対怪物における基礎の基礎」というが、その中身はそんな生易しい表現で済まされるものではなかった。

 

 「バカが、簡単に呼吸を乱すんじゃねぇ! 一定のリズムを刻んで走れェ!」

 「……ッ、はい!」

 

 まず最初に行われたのがこのだだっ広い十八階層の壁周辺を1000周すること。

 しかしレナとて多くの修羅場を乗り越えてきた冒険者。この程度の持久走程度、どうということはなかった……そう、十全の力を発揮できる、本来のレナ・タリーであればだ。

 

 「はぁ、はぁ……!」

 

 500周を超えた辺りから、既にレナの息は荒くなっていた。あまりにもレナらしくない苦悶の表情を浮かべてさえいる。

 

 「(あの液体……思った以上に、体が………!)」

 

 原因は分かっている。走る前に、ベートから手渡され飲むように言われたポーション(・・・・・)だ。

 アレを飲んだ後から、体力が徐々に吸われていく感覚がある。足腰が弱まり、呼吸は乱れ、動悸が激しくなる。

 この体調不良の原因がアレであるのは明らかだ。

 

 「(でも、なんでベート・ローガは平気なの……一緒に飲んだのに!)」

 

 実はベートもそのポーションと同じものを飲んでいた。そしてレナと同じスピードに合わせて500周以上走っている。いくらレベル差があるとしても、多少は息を乱してもおかしくはないはずだ。というか自分より多くあのポーションを摂取していた気がするのに、どうして!

 

 「(それどころか所どころで私に向かって叫んで叱咤している分、呼吸の乱れやすさもベート・ローガの方が高い……それなのに全く息を切らさないなんて)」

 

 これが第一級冒険者の地力。それを間近で感じ取れる。

 だが関心しているだけでは駄目だ。その技術、呼吸法、動作全てを学ばなければ意味がない。きっとベートが共に走ってくれているのは、自分の為だ。言葉で説明するより、実際の手本を近くで見せ、実践することで分かりやすく伝えようとしている。

 

 「ハッ、ハッ、ハッ―――フッ!」

 

 気合いを入れ直したレナは改めて横目でベート・ローガの動きをじっくり観察する。

 幸か不幸かまだ500周分の時間がある。考える時間など山ほどある。体力? 気力? それは全て根性でカバーするしかない。

 

 嗚呼、心臓が爆発しそうだ。

 

 これは辛い、痛い、苦しい。

 でも、それ以上に、嬉しい。

 

 あのベート・ローガが自分の為に、ここまでしてくれている。

 この訓練だって、まだ初歩的なもの。始まったばかりの、一欠けらでしかない。

 

 ここからもっと、もっと、もっと、彼の想いを感じることができるのだから――――!

 

 

 …………………

 ………………

 ……………

 …………

 ………

 ……

 …

 

 

 レナは奔った。走り続けた。全身を汗で濡らし、震える足に喝を入れ、ひたすら走り続けた。

 ただ走り続けるのではなく、乱れる呼吸、崩れる姿勢、ばらつく走行速度をコントロールしようと、必死に言うことの聞かない自分の肉体と戦った。

 一度(ひとたび)ふらつけばベートは心配するのではなく激怒する。幾度もモタつけば罵声を浴びせた。

 しかしレナが走行の安定を取り戻そうと足掻く姿には、静かに見守った。

 それを繰り返し、遂に1000周を迎えた。迎えた瞬間、レナ・タリーは糸の切れた人形のように倒れ伏した。

 

 「はぁ……はぁ………は……ごほっ、ごほ!」

 「やれやれだ。最初でこの体たらくたァ先が思いやられる」

 

 地面に倒れ込んでいるレナとは対照的に、ベートは走り出す前と同じ姿勢、同じ呼吸を維持したまま立っていた。まるで疲れを感じていないように見えるのはきっと気のせいではないのだろう。

 

 「だがまぁ、及第点と言ったところだな」

 

 確かにレナはあの持久走のなかでコツを掴もうとしていた。そしてベートの走りを見て自分から技術を奪おうとした。馬鹿正直に走るだけなら見込みなしと赤点をくれてやるところだが、ギリギリのところで合格点ラインを踏み越えた。

 

 草原の一族は手取り足取り丁寧に教えるなんてことはしない。

 『強くなりたければ教えを乞う前に技術を奪え』

 それが基本で、それが当然だった。

 

 レナは試行錯誤の末、正解に限りなく近い走行をし始めた。

 一回目で全てを会得することはなかったが、流石に最初からそのレベルを期待するのは酷というものだ。

 

 「そろそろポーションの効果も消えてきただろ。いつまで寝そべってやがる」

 「………何を、私は飲まされたんですか?」

 「あ? んなもん『毒』に決まってんじゃねェか。致死性はねぇが、耐久力、持久力、反射神経。運動機能全般に悪影響を及ぼす対冒険者用の衰弱系だ」

 

 劇薬使用をあっけらかんに言うベート・ローガ。

 

 「ベート・ローガも飲んでたよね?」

 「おう」

 「私より多めに」

 「レベル相応の量を摂取せにゃテメェと対等の条件にならねぇからな。『デメリットを背負った上での対処法、継続法』を教え込むには俺もそれなりのことをする必要がある」

 「………それ、危険性はないの?」

 「知らねぇさ。俺も今回初めて使ったからな。まぁ信頼できるところのポーションだ。危険性はねぇ、とは言い切れねぇが」

 

 ベートはあの老骨の顔を思い返して淡々と口にするだけだ。

 その口調や物腰に「毒」に対する恐れを微塵も感じられない。

 

 「いいかバカゾネス。人間ってのは、万全の状態で戦えば強ェのは当たり前なんだよ」

 

 きっとこれは自然の摂理だ。常識とも言えることを、多くの冒険者は忘れている。

 

 「適度な休息。最高の武具。数多の装備。まさに最高のコンディションってやつだな。それで弱けりゃ生きる価値すらねェ」

 

 そう、最高の状態で挑むなら、強くなければならない。それで弱いなど論外だ。

 

 「だがよ。自然の摂理で動く俺達の世界は毎回毎回その万全の状態で戦わせてくれるほど甘くはねぇぜ? 最高の武具は折れることも、欠けることもある。数多の装備も、消耗すりゃ無くなる。適度な休息も連戦で戦いに明け暮れる時なんぞあるわけがねぇ」

 

 ダンジョンなど特にそうだ。

 階層を下るごとに装備は消耗していく。

 100あった余力も気づけば20にも満たないことなど多々ある。

 

 「忘れるな。『此処(ダンジョン)』はそういうところで、戦場は更に劣悪な環境だってことを」

 

 そして心に刻め。

 

 「最悪なポテンシャルを最大限に活かし、図太く対応できる感覚を身につけろ」

 

 でなければ―――

 

 「俺達に喧嘩ふっかけてきたクソ野郎どもは、そういう隙を目ざとく見つけ、刺し殺すぞ」

 「―――――」

 「相手ァ俺達と同じ人間だ。人間は思考する生き物だ。そこらの本能で生きる怪物とはまた別方面でクソうざってぇ。そのうざってぇ相手に、お前らはてんで弱ェ。吐き気がするほどにな」

 

 きっとこれはベート・ローガ自身にも言っていることだ。

 人は人であるがゆえに(さか)しい。

 搦め手など星の数ほど思いつく。

 

 「もう一度言うぞ。オメェは弱ェ………弱ェが、そこらの愚図共よりはちったぁマシだ」

 「え?」

 

 思わぬ言葉にレナは顔を上げる。

 

 「勘違いすんな。ちったぁマシレベルだ。この程度で息切れしていることを大目に見てやってのクソみてぇな評価だ」

 

 ベートはそっぽを向いて、溜息混じりにそう言った。

 

 「………チッ。次だ。次の対人訓練に移るぞバカゾネス! たかが準備運動程度にいつまで休憩してやがんだぶっ飛ばすぞ!?」

 

 自身の甘い評価に自分で恥じたのか、それを誤魔化すように声を荒げた。

 その姿は、あまりにも不器用で、少し幼さすら覚えた。

 

 「返事はどうしたァ!!」

 「―――はい!」

 

 ああ、私は生き残れて良かった。

 本当にそう思う。

 準備運動でもこれほど辛いのに、まだまだ辛いことが山ほど待ち構えているのに。

 鼓膜が痺れるほど叱咤されるのに、激怒されるのに。

 

 レナ・タリーの瞳は暗くなるどころか、その光を増し続けていった。

 



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八傷:かつての誓い

 その日も、ベートはレナに付きっ切りで対人訓練を叩き込んでいた。根性無き者は裸足で逃げ出し、プライドが高いだけのものはプライドを即座に放り投げ、外面ばかりを取り繕っていた阿呆はもはや閉じ篭るであろう、そんな地獄をレナに浴びせている。無論、怪物の殺し方だけではない。『人』の殺し方を、重点的に教えているのだ。遠くない未来で起こる、【ファミリア】同士のくそったれのような戦争の為に。今まで人を積極的に傷つけようなどと思わなかったであろう、無垢な少女にだ。

 

 ベートに罪悪感などない。元より、そのような心は当の昔に捨て置いた。今更拾うことも、得ることもない。ただ彼は自分に課せられた仕事を淡々とこなすだけだ。そこに情など挟み込む余地などなく、むしろ鞭の如き厳しさを与えている。これが大草原で育ってきた狼の教育だ。そもそも甘ったれた環境下では早期成長は望めないのは誰よりもレナ本人が一番理解している。逆に優しくしようものなら、逆効果になることは間違いない。なんやかんやでレナにはこの方式が適しているとも言える。

 

 しかし、故郷の鍛錬を課していると、嫌でも思い出してしまう。思い出すまいと封印しようとしてもできず、今も残り続けるあの頃の思い出を。あの頃の青春を。あの頃の弱さを。

 

 まだ世の理不尽を知らなかった男の過去。

 まだ世界の非情さを知ろうとしなかった道化の傷。

 まだ、ベート・ローガという男が、愛する女を護ろうと誓った、あの過ぎ去りし幻想を、夢として再現される。

 

 その夢は狼にとって忌々しい悪夢か。それとも、心の底では決して忘れてはならぬと刻み込まれた原初の咎か――――。

 

 

 

 

 

 ……………………

 

 …………………

 

 ………………

 

 ……………

 

 …………

 

 ………

 

 ……

 

 …

 

 

 

 神々が当然のようにこの世界に現れ、その神が人に力を授け、『冒険者』という存在を生み出すことが当たり前になった地上。それが常識となった世の理。神々から【神の恩恵(ファルナ)】という加護を得た人間は、目に見えて強くなる。普通ではありえない成長を見せ、そして人の限界に迫ることができる、窮極の力。その尋常ならざる力を得た人間は、冒険者と名乗り、普通の人の身では到底太刀打ちできぬ怪物を屠る怪物となる。

 なるほど、確かに画期的な加護だ。人間の限界に近道できる権能。人生をかけて辿り着くべき領域に僅か数年で到達できる効率の良さ。全てにおいて、なにものにも勝る圧倒的な力だと信じられるに相応しい奇蹟。

 

 しかし、その奇蹟を頼らぬ例外が存在した。

 

 それが『草原の獣民』。

 彼らは【神の恩恵(ファルナ)】を得なかった。

 神々の愛する加護を真正面から殴り捨ててきたのだ。

 自分達の肉体は、人の身一つで極めることができるのだと信じて。

 

 そして彼らは実際にそれを『体現』してみせた。

 【神の恩恵(ファルナ)】を得ずに、怪物を殺す、正真正銘の怪物。

 純粋な戦闘技術、純度が極めて高い、不純物のない人の極みを知る者達。

 

 ベート・ローガはその『草原の獣民』の一員だった。元々獣人が持つ高い身体能力を最大限に利用し、人が持つ知恵をフルに使って、怪物を狩る一族の族長の誇り高き息子。いずれ父を超え、一族を纏め上げ、多くのものを道筋を導かんとする天性の志を持つ少年。それがベートという人間性だった。

 

 常に強くあれ。牙を研ぎ澄ませ。欲するものは力を示し勝ち取れ。

 

 生物の原典である食物連鎖。弱肉強食こそ『草原の獣民』の第一原則。ベートはその厳しくも当たり前と言える一族のシンプルな在り方を好ましく思った。そして己が弱者の立場であることを自覚し、一刻も早く脱する努力を惜しまなかった。

 この時からベートは口が悪かった。悪かったが、周囲は彼の努力を認めていた。それだけの向上心があった。誰にも負けない、誰も彼もがライバルだと言わんばかりの貪欲さを「流石、族長の息子だ!」と皆が笑って受け入れてくれた。たった一人のベートの妹も、そんな兄によく懐いていた。

 

 そしてベートには、絶対に守り抜くと誓った幼馴染の女がいた。その女こそ、ベートの初恋だったのだろう。

 その少女の名はレーネ。美しく長い金髪の髪を持っていた。獣人の一族では珍しい、体の弱い女だった。そしてその珍しい脆弱な在り方が、多くの男の庇護欲を加速させる魔性を持っていたのだ。自分が護らねばならない。男の持つ、そんな感情を湧き立たせる儚い美しさ。無論、彼女を狙う男もいた。自分のものにしてやるという名乗りを上げるものなど数知れず。その中にはベートと同年代でありながらも、ベートよりも強く逞しい獣人もいた。

 

 欲するものは力を示し勝ち取れ。一族の在り方の牙が、ベートに向けられた。ベートは、奮い立った。弱肉強食の理のなかで待つ過酷さを、小さなスケールながらも実感した。これが『奪われる』かもしれない恐怖。これが、大切なものを護らねばならないという現実。

 

 「上等だ。こいよ、レーネを奪おうって野郎は全員ノしてやるッ!!」

 

 若い狼は吠えた。恋敵を全員相手に喧嘩を売ったのだ。欲しけりゃ奪え、俺はテメェらに大切なモン奪われるほど弱くなど無いと。かかってこい、返り討ちにしてやると。

 

 「族長の息子だからって容赦しねぇぞベート!!」

 「ぶっ殺してやらァ!!」

 「誰が一番レーネちゃんの隣に相応しいか白黒つけてやるッ!」

 

 その挑発にレーネに恋をしていた男達は我こそは、我こそはと続々と名乗りを上げた。そして始まった少年達の死闘。ベートは死に物狂いで彼らと戦った。自分が一番だと証明する為に、有無を言わさぬ結果が欲しかった。必死に幼いベートは喰らいつき、戦って、戦って、戦い抜いた。奪われたくないという恐怖をその身一つで受け止め、拒み、抗った。

 

 人体の急所に幾つもの拳を貰った。歯など折れて当たり前だった。日々増えていくアザ。一夜を過ぎても休まることがなく、右腕が折れた時など絶好のチャンスとばかりに戦いの過激さが増した。しかしベートは泣き言を言わずに、拳を、脚を、持ちえる技術を全力で用いて応戦した。不思議と辛いという考えは生じなかった。ただ「護れている」という実感こそベートを満たしていた。

 

 長く続いた争奪戦は、最後の一人になるまで続いた。ベートは今までに無いほどの満身創痍。整った顔など殴られすぎて酷い有様だった。それでも眼光の鋭さが喪われることなく、立ち続けた。そして立ち向かってくるものを全て宣言通り叩き潰してみせた時、ベートはようやくベートは倒れ込んだ。誇らしげに、狩りを成し遂げた大人の戦士と相違ない顔をして。

 ここまでされては認めざるを得ない。ベートに倒されたライバル達は、参ったと言わんばかりにレーネから手を引いた。もはや、あの女を彼から奪うことなど不可能だと、清清しいと思わせるくらい証明したのだ。

 

 「ふふ。バカだね、ベート。こんなことしなくても私は貴方のものなのに」

 

 倒れ伏したベートの顔を覗き込んだレーネは意地悪そうな顔をしてそういった。

 

 「テメェの意思なんて関係ねぇよ。この世の中は奪い奪われる。どれだけレーネがそう言おうと、力の前じゃ無力だ。それは、大草原で生きるお前だって分かっているだろうが」

 「それでも、私の心はベートから離れない。絶対に」

 「なら俺のやったことは無意味か?」

 「ううん。そんなことないよ。また、私の心はベートを好きになっちゃった」

 

 レーネはそう微笑んで、ベートの唇に己の唇を重ねた。周囲からはヒューヒューと冷やかしの騒音が聞こえる。

 

 「俺はお前を護れたか」

 「うん、護ってくれた」

 「俺はお前から見て強かったか」

 「うん、誰よりも強かった」

 「なら……いい」

 

 ベートは満足した顔で、眠りに、否、気絶した。今までの疲労が、痛みが、緊張が切れて意識を手放したのだ。誰でもない、好きな女の隣で。

 

 「本当に、かっこよかったよ。私の愛おしい人」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 

 

 

 ベートにとって、レーネと妹は命を賭して護るべき存在だ。かけがえの無い人間だ。彼女達だけじゃない。一族そのものが、家族のようなもの。いつか己が一族の頂点となり、彼らを護る。そう、息巻いていた。

 

 「お前は笑うか? 俺にはできねェって」

 

 幼いベートは草原に背をつけて、寝転びながら隣に座っているレーネに聞いた。

 

 「仮に私ができないって言って笑ったらベートは諦めるの?」

 「……お前、遠回しにくだらねェこと聞いてくんなって言ってるよな」

 「もちろん」

 

 ベートの核心を短くも的確についてくる辛辣な返し。おまけに即答である。身体こそ弱いが、この女は意外と強気だ。もしも一族相応の身体能力を持っていればさぞ勇敢な戦士になっていただろうに。ベートはそう思わずにはいられない。

 

 「でも、一応言っておこうかな。ベートもその答えが欲しいんでしょ?」

 「………」

 「意外と甘えん坊ね、私に惚れた男は」

 

 ふふっと彼女は微笑んだ。ベートの好きな、女の笑みだった。

 

 「貴方は、きっと強くなれる。そして、いっぱい大切な人間を護り通す勇敢な守護獣になれるわ」

 

 レーネは強く断言した。ベートが欲しかった返答そのものだった。それが「おだて」でもなく「本音」で言っているのだということも分かる。だからこそ、ベートは嬉しかった。顔に出さず、ポーカーフェイスを決め込んでいるが、内心は踊りそうなくらい嬉しかった。彼女が、そう信じてくれているのだと改めて理解したから。その励ましはなにものにも勝る力になるのだから。

 

 「―――そうか」

 

 ベートは子供らしくテレを隠すように、そっけなく言った。それをレーネは愛おしいと思いながら、「恥ずかしがり屋さんめ」と心中で吐露した。きっとそんなことを口に出して言ったら彼は顔を真っ赤にして反論するに決まっているから。その姿も可愛らしくていいのだが、あまりからかいすぎると拗ねてしまうこともあるから自重するレーネだった。

 

 「護る。ああ、護るさ。お前も、妹も、一族も。俺は、目の前の大切なもんを全部背負って立てる大きな男になってやる」

 「お父さんと同じように?」

 「いいや、親父と同じようにじゃねェ。親父を超えてやるンだよ」

 

 それはどこまでも真っ直ぐな瞳だった。彼は本気で、この神々の目にも止まる部族の長を超えようとしている。ああ、それでこそ私が惚れた男だとレーネはまた惚れ直してしまった。本当にこのベート・ローガは良い雄であると。

 

 「なら、私もベートの前で誓おうかな」

 

 レーネはベートの瞳をじっと見つめて、透き通るような声で。

 

 「私は、あなたの伴侶になって、未来の族長を越える男の背中を支えます」

 

 まるで謳うように。

 

 「ベート・ローガという男が傷ついて、立ち止まって、倒れそうになった時、私はあなたの力になります」

 

 まるで妖精のように。

 

 「大切な人を護る男を、護れるような女になります」

 

 男は多くの人間を守り抜くという。なら、その強き男を誰が護ってやれる。多くの命を支えようとしている人間を、誰が助けてやれる。

 

 「私は弱くて、脆弱で、戦闘では何も役に立てないけど。それでも、私は私で何か役立てることを探して、ベート・ローガの力になる。そういう女に、なる」

 

 それは自分がどうしようもない弱者だと理解していながらも、地を這いずってでもベートの背中を追いかけようとする女の覚悟だった。

 

 「私はお荷物のままなんて嫌だからね、ベート」

 

 レーネはニカッと笑った。いつも優しく微笑む女のものではなく、一人の女として、ただひたすら万進していくベート・ローガに付いていくという女だてらに見上げた笑顔だった。

 ベートはその時、見惚れていた。あまり見続けると目が焼けそうなほど眩い彼女の笑顔(決意)に。

 ああ、この女は本当に良い雌だ。力の有無ではない、体の強弱ではない、その心が何よりも強く、熱く、高く、焦がれるほどの気高さがあった。惚れるのも道理だ。惚れない方がおかしい。

 

 「生意気言いやがって、馬鹿が」

 

 大地に寝転んでいた勢いよくベートは立ち上がり、彼女の雄雄しい宣言の返しをするように、レーネの唇に重ねた。

 

 彼女という存在を確かめるように、力強く、その幼馴染の体を抱き締めて。

 

 

 

 

 



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九傷:やり残した後悔

 大草原の一族の誇りは、ベートの誇りだった。神に頼らず、他者を頼らず、己が力でのみ生きていくその有り様が好ましく思えてならなかった。きっとこの誇りは未来永劫、続くだろうと。この牙は己が死ぬまでに研ぎ澄まされていくだろうと。幼いベートは、疑ってすらいなかった。

 しかし、そんな甘い現実は、すぐに崩れ去った。

 あれは―――赤い、満月の夜。人狼が最高のポテンシャルを発揮できる、絶好の条件下で起きた。

 

 「ふ、ムムムムムム!!」

 「気張れレーネ! 今夜こそお前は変化できる!」

 

 その夜、ベートはレーネの特訓に付き合っていた。

 種族、狼人(ウェアウルフ)の奥の手。月が出ている間、全てのステータスが膨れ上がる獣人化である。

 レーネはとにかくひ弱だった。本来持つはずの特性すら満足に引き出せずにいた。ベートは俺が護るって言ってんだから別に強くなろうとしなくてもいいじゃねぇかと諭そうとしたが、護られてばかりは嫌だとレーネの強い意思があった。

 その意気にベートも折れ、というか惚れ直した。その容姿端麗な肢体に、美しい金髪。それこそ貴族豪族の娘と言われても納得するだろうし疑われもしないだろう少女が、今こうして自分の生まれながらの脆弱な肉体に鞭を打って鍛えようとしている。その根性をベートは好いた。だからこそ、彼女の期待に一切の妥協無く応えようとしている。

 

 「もっと力を入れろ馬鹿! 血という血を全身に駆け巡らせるんだよ!」

 「ぬぐぐぐぐぐ!!」

 「おお!?」

 「え!? なにか変わった!?」

 「いや全然」

 「ええええええええ!?」

 

 期待させといて落とす。変化があると思って一瞬だけ喜んだレーネはちょっと涙目で面白いリアクションを取った。これはこれで面白いとベートは大笑いである。

 

 「からかわないでよ!」

 

 いたって真面目なレーネは顔を真っ赤にし、頬を膨らませる。狼人(ウェアウルフ)としては致命的に恐ろしくない。本当に同じ種族かと思うほど、お上品な少女である。

 

 「しかし一体なにが原因なのかサッパリ分からんのが問題だなァこいつは」

 「私としてはどうやって皆がそんなに簡単に変身できるのか知りたい」

 「どうもなにも、こう、力を入れてだな」

 「ベートの説明はアバウトすぎて分からないよ……」

 「仕方ねぇだろ、今までそこまで深く考えたことなかったんだからよ」

 

 そう、獣人化はベートたちの種族が生まれながらに持ち得る力である。例えるならば手足と同じだ。整った条件下でその機能を使おうと脳が信号(シグナル)を送れば自然と手に入る力のはずだ。しかしレーネがまるでそれができない。理由など、本人が分からないのであれば他人に分かるはずもない。

 

 「まぁ、そう焦るこたねェだろうが。地道にいきゃあ、いつかモノになる」

 「え…ベートが気遣ってる。今日なにか縁起でもないこと起きそう」

 「どういう意味だそりゃあ……」

 「自分のこれまでの言動を思い返してみて」

 

 この少女は自分をなんだと思っているのか。仲間に対してそりゃ横暴な時もあったが、こんな自分でも気遣いの一つや二つ……いや、してなかったかもしれない。

 ベートは己の粗暴を思い返して、我ながら不器用だと愕然とした。将来長になるものとして、多少は改めなければならないとすら。

 

 「……ふん。ともかくだ」

 「あ、誤魔化した」

 「突っ込むな。スルーしてくれこういう時は」

 

 このベート・ローガに物怖じせずに突っかかる同世代は恐らくレーネだけだろう。こんな乱暴な男に恐怖しないのだから、それは幼馴染ゆえに慣れているのか、怖いもの知らずなだけか。いや恐らく、この少女は純粋に仲間に対して「怖い」と思ったことはないのだろう。そういう、優しい娘なのはベートも重々承知している。

 

 「あそこにある草がなにか分かるか?」

 

 せっかくだ。彼女の獣人化の手助けになれなかったから、せめてもう少しだけ、力になることをしよう。

 

 「え? どれのこと? この草原の草はぜんぶ同じに見えるけど……」

 「ちげぇよ。よく見ろ、この草の葉っぱは形が違うだろ? 他の葉は丸みを帯びてて艶がある。だが、これにはねぇ。これだけは違う品種だ」

 「へー……なにか特別なの? この草」

 「薬草だ。この治癒の霊薬の元になる葉を傷に当てると、多少なりとも痛みは引く。これ単体ではそれほどの効力は得られねぇが、数と他の材料を合わせばポーションだって作れらぁ……ま、流石にそこらの高級なモンには劣るがな」

 

 それでも回復薬には変わりはない。特に現地調達して作れるものほど、戦場では重宝する。大金を出さなければ手に入らない高級品の代物よりか、すぐに手に入れることのできる代物の方がずっと役に立つ。

 

 「ベートって見かけによらず物知りだね」

 「うっせェ。これも生きていく上では必要な知識だ」

 

 馬鹿はどいつもこいつも力ばかり求める。無論、それに関しては否定はしない。ベート・ローガもその部類だからだ。しかし、それゆえに視野を狭めては、可能性をも狭めてしまう。だからこそ自覚が必要だ。自分にとって何が必要で、何が不要なのか。それを見極めるための見識の在り処を。

 

 「いいかレーネ。知っているのと、知らないのとでは、大きな違いが出てきやがる。こういった薬草の知識を知っていれば、わざわざ街まで出向いて安いポーションなんぞ買わなくて済む。金も当然浮く。それは別の資源に使うことができる。例えば自分の武器とかにだ」

 

 無知は馬鹿を見る。効率的な方法を知っていれば、それは自分の利益として還元される。

 

 「情報屋の真偽の見分け方もそうだ。一部の詐欺野郎は俺達が野蛮な蛮族と思い込んで、あれやこれやと嘘八百を並べ連ねる。まるであたかも「正しい知識から得た正しい情報」と錯覚させる技術をもってな。だが、その根拠となる知識を予め俺達も持っていれば、それが虚言だとすぐに分かる。騙されたらどれだけの被害を被るか分かったもんじゃねぇ。逆にその情報が正しけりゃあ大損だ。その情報を信じておけば良かったっていうくだらねぇ後悔が出る」

 

 時に情報とは自分達の命をも左右する重大な命綱となる。それを軽んじているようでは、他所から蛮族呼ばわりされても仕方が無い。だがベートたち大草原の一族は神々の恩恵をその身に宿さない純正の生き物だ。その分、冒険者という者達と違ってアドバンテージが無いに等しい。それを埋める為にも、得られるものは全て得なければならない。

 

 「この世は弱肉強食だ。利用できるもんは、何でも利用する。使えるものは何でも使う。それが例え環境だろうが知識だろうが、な」

 「うん……」

 「今回は、俺はお前の力になれなかった。獣人化の課題は、また今度だ。だが、ただ何にも得られずに終わる一日よりも、こうした知識を得て終わる一日の方が価値はある。そうは思わねェか?」

 

 ベートはレーネの頭をくしゃくしゃ揉んでニヤッと笑った。

 それに彼女はこくりと頷いた。

 

 「ありがとう、ベート」

 

 それが、最後の手助けだった。

 それが、最後の少女の笑顔だった。

 それが―――唯一、ベートが彼女にできた、贈り物だったのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 その夜、二人は分かれ、各々の陣地に戻り、眠りについた。

 また明日、続きをしようと約束を取り付けて。

 また明日、新しい知識を教えてくれとせがまれて。

 それが永遠に来ないと知らずに、当たり前のように、いつものように。

 

 次にベートが目が覚めたのは、まさしく地獄だった。

 

 山のような巨体を持つ魔物が突如として自分達の村を襲った。目的があって現れたのではない。アレは「ここを通るから通っている」だけにしか見えなかった。自分達を敵とすら見ずに、まるでアリを潰すように、その圧倒的な力をもって、全てを踏み潰していった。

 皆が退避する暇などなかった。時間を稼ぐこともままならなかった。

 歴戦の戦士達が、己が尊敬して止まなかった一族の大人達が、まるで紙切れのように飛ばされ、潰され、擦り削られていくサマを見た。

 

 ああ、これが、地獄なのだと。

 力なきものが辿り着く終わりなのだと、嫌でも悟ることができた。

 

 それでもベートは、せめて一太刀でも浴びせてみせると。弱者以前の腰抜けのままでは終わりたくないと、そんな下らない意地をもって怪物に挑んだ。当然、相手にもされず吹き飛ばされ、壁に激突してジャムのように砕け散る……そんな運命を辿るかに思えたが、運よく飛ばされた方角が洞窟に繋がる入り口だったのだ。

 

 「ぐ……あァ……」

 

 転げに転げ、洞窟の奥底まで落下するように落ちたベート。

 戻らなければ。戻らなければ! 戻らなければッ!!!

 必死に意識の手綱を握り締めた。これを手放せば、一生後悔すると分かっていた。

 それでも、すでにベートは死に体だった。とても動ける体でもなければ、意識を保てるほどの余裕などありはしなかった。

 

 洞窟の入り口の向こうから聞こえる絶叫。女子供の悲鳴。そして数秒後には大きな地響きと共に掻き消える騒音。今あの向こうで何が起きているかなど、火を見るより明らかだった。

 

 「レー……ネ………!」

 

 愛する者の名前を口にしたのを最後に、ベートの意識はそこで途切れた。

 途切れて、しまった―――…………。

 

 

 

 

 

 ……………

 

 …………

 

 ………

 

 ……

 

 …

 

 

 

 

 

 

 

 この後、ベートは意識を取り戻した。何秒、何分、何時間、何日?

 どれだけの時間を気を失っていたのか分からない。分からないが、傷の痛みがある程度引いていたのを見るに、おおよそ長く意識を飛ばしていたことが分かる。

 まだ巧く働かない頭を叩き起こし、すぐに体に喝を入れた。見るに耐えない情けない己が脚を見ていると切り落としたくなるほどの怒りを抱いて、洞窟の入り口まで歩を進めた。

 

 「みんな……みん………な……」

 

 振り絞って出た言葉も風に攫われ消え行く刹那。

 全てが終わった残骸だけが、そこにあった。

 

 踏みつけられ、磨り潰され、抉られ、バラされ。

 

 つい先日まで話しかけていた知己も、見知った顔も、全員絶望の表情のまま死に絶えていた。

 死臭も絶えず、鼻が常人よりも倍も良いとされる獣人の嗅覚はこの時ばかりは毒となった。

 

 「―――レ―…ネ」

 

 これで何度目か分からない少女の名前を口にするベート。その声色は、生存に縋るものではなかった。全て諦めた男の声色だった。

 それもそうだろう。だって、レーネだったもの(・・・・・・・・)はソコにあるのだから。

 

 彼女は、下半身を潰された状態で見つかった。

 

 言葉など発せられるわけもなく。体が動くわけもなく。あれだけ美しかった髪も土と共に薄汚れ、あれだけ整っていた綺麗な体は、ドロと血の交じり合った化粧が覆いかぶさっている。

 彼女だけではない。見渡せば、見渡すほど、その現実が浮き彫りとなる。

 親父も、おふくろも、妹も、仲間も。

 その最期の瞬間すら、見届けることもできずに、

 獣人としての力を最大限に発揮できたはずの満月の夜に、

 ただ、ただ―――弱肉強食の掟に従い、圧倒的な力の前に、怪物を前に、全てが脆く無残に砕け散っていた。

 

 絶叫する少年のベート・ローガ。

 

 一生分の涙をここで出し尽くし、枯らし、眼球を抉り取らんばかりの、号泣。

 血の海と化した草原の一角で、一匹の狼は精神崩壊の一歩手前まで追い詰められた。

 

 またそれを眺めていた男が、一人、そこにいた。

 

 「ちッ。これだから昔の夢ってのは好きになれねぇ」

 

 その男も、ベート・ローガ。

 過ぎた過去を俯瞰した目で見下ろしていた、この夢の主。

 そう、これは既に終わった記録にすぎない。それを繰り返し夢の中で追体験しているにすぎない。それが夢であり、この世界だ。

 

 「泣き喚きやがって、クソが。泣いたところでなんになる? そんなことをしたところでレーネは帰って来ねぇだろうがよ」

 

 かつての自分に苛立ちの視線を向けるベート。元より、他者よりも自分に厳しいこの男にとって、子供だろうがなんだろうが自分の無様が許せなかった。

 

 「………レーネよ。俺はそろそろ戻るぜ」

 

 物言わぬ死体となった少女にベートは踵を返した。

 全ては忘れてしまいたいほどの眩しい記憶。そして、憎むべき記録。

 惚れた女を護れず、力にもなれず。

 次の日が命日になるかもしれないという思考すら欠落していた愚かな少年の懺悔。

 

 だが、これもまたベートの贖罪でもある。

 

 忘れたくても、忘れてはならない。

 これが『現実』で、また起こり得る『悪夢』なのだと。

 生温い理想の果ての結末がこれなのだと、何度も、何度も、刻みつけなければならないのだから。

 

 

 

 ………

 

 ……

 

 …

 

 

 

 「………最悪の、目覚めだな」

 

 夢から覚めたベートはすこぶる機嫌が悪かった。当然だ、あんな夢を繰り返し見てて機嫌が良くなるわけがない。どれだけ図太い精神を持っていたとしても、多少なりともひっかかりはする。

 

 ドタドタドタ!

 

 扉の向こうから聞こえる五月蝿い足音。

 もはや嫌でもわかる。

 これから何が起きて、何をするべきなのかを。

 

 「ベート・ローガ! おはよォォォォォォォ!!」

 「ふんぬ!」

 

 扉が勢いよく開かれ、馬鹿正直に突貫してくるアマゾネス。そしてベートは彼女の胸倉を摑み、そのまま突進してきた力を利用して外に繋がる窓目掛けて放り投げた。

 

 「あぎゃあああああああああ!?」

 

 硝子の窓をぶち破り、二階の宿から真っ逆さまに堕ちていく女の最後を見届けたベートは何事もなかったように身体を伸ばした。この慌しい朝の目覚まし時計ももはや定番と化していた。怒る気力もなく、それこそ体力の無駄な消費でしかないとベートも理解している。

 

 「飯でも喰いにいくか」

 

 まずは腹ごしらえだ。あの馬鹿の面倒はその後でいい。

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 

 「ひどい! 最近のベート・ローガは私の顔すら見ずに放り投げてる!」

 「見る必要もねェからだ馬鹿。というかまず突っ込んでくるんじゃねェ」

 

 この会話もお決まりと化していた。

 レナがふざけたことを真顔で言って、それをベートが面倒くさそうにあしらう。

 冒険者達が集う集会所の名物と言えるまでになってしまった。

 

 「ひゅー!今日もオアツイねぇ!」

 「夫婦喧嘩は他所でやってくれよぉ!」

 「黙れアホ共! オメェらがコイツの面倒見るかアァン!?」

 「「それは断る」」

 

 周囲の冒険者の冷やかしが少しずつ洗練されていってる気がするのは気のせいではないだろう。【凶狼(ヴァナルガンド)】として恐れられてきた自分が他所の冒険者におちょくられている事実にも腹が立つ。

 

 「あー、クソッ。さっさと腹満たしていくぞ、バカゾネス」

 「はーい!」

 

 この天真爛漫なレナにも振り回されている気がする。自分が手綱を握っていなければならないと分かっていても、彼女の天然具合は軽くベートの想像を超えていく。おまけにあれだけ一切合財容赦の無い大草原仕込みの対人訓練に喰らいついてくるガッツもある。

 認めざるを得ない。確かにこの女はうまく行けば大成する器であると。本当にベート・ローガの指導次第では石ころにもなればダイヤモンドにもなってしまう。そんな冒険者だ。

 

 「(そろそろ、知識面も伸ばしていく頃合いか)」

 

 基礎はできている。根性もある。伸び代に関してはあのベル・クラネルに匹敵するものを有している。対人の技術もスポンジのようによく吸収する。後は、知識面だ。育ってきた環境からして英才教育など受けているはずもなく、恐らくそちらの方面はそこまで得意でもないはずだ。

 

 ベートはふと思い出す。

 

 かつて幼い頃のレーネに教えたかった知識の数々を。本当に教えたかった、生き残る為の知恵を。ベートは二度目のチャンスを与えられたのかもしれない。今度こそ、大切な存在に最後まで必要なことを、伝えたいことを伝える為の、チャンスを。

 そんな感慨と共に、ベートは樹海のエリアまでレナを連れて行った。自分が持ち得る生き残る為の知識と、戦う為の知恵を携えて。

 

 「まず最初に言っておく。今日は肉体的な訓練はしない」

 「じゃあ今日はデート休憩!?」

 「なんでそうなる。テメェの頭ンなかは万年ピンク色か」

 

 本当にこのアマゾネスの少女は自分がこれから伝えることをちゃんと理解して覚えるのだろうか。一抹の不安がベートを襲う。なにせあまりにも馬鹿っぽい。

 

 「知識だ」

 「え?」

 「これから生き残る為の知識を教える。周囲の環境で利用できるモンや、その特性や効力。何と何を掛け合わせれば効果が飛躍的に上がるのか。応急処置に使える素材はどれか。止血に使える自然の産物だってそこらに転がってる。それを今日、テメェの空っぽの脳内に叩き込む」

 

 レナはぽかーんと目を点にしている。ああ、その反応は許そう。自分でもガラでもないことを言ってるのは重々理解している。本来であれば性分でもないことだ。こういったことはそれこそあのリヴェリアの方が適任だろう。

 それでも、前線を任されているが故に「戦場の真っ只中では本当に何が必要か」を把握していることに関しては譲れないものがあるのだ。

 

 「いいか、バカゾネス。あれを見ろ」

 

 木々が生い茂る場所でベートは腰を下ろし、そこに生えている草を指差した。

 

 「あれって?」

 「アレは薬草だ」

 「じゃあ、あれも?」

 「違う。アレはただの雑草だ。煮ても焼いても使い道はねェ」

 「でも形は同じだよ?」

 

 嗚呼、この受け答え。かつての少女を思い出す。

 レーネも同じようなことを口にした。「どれも同じに見える」と。

 

 「一見同じに視えるがな。よく見ろ、この葉で見わけるんだ。後は―――」

 

 この時、ベート本人は気づいていなかった。レナに対して薬草や霊薬の話をしている際に、その目には今まで見せたことのないほど暖かさを篭らせていたことに。

 その瞳は、童心に返っているようだった。まるで、止まっていた時の一つが動き出したような感じがした。少なくとも、ベートの変化にレナはそう感じた。きっとこの知識を享受する行為、この知恵の修行はこれまでのものとは違う意味合いがあるのだと。ベートにとって特別なものなのだと。

 

 レナはベートの過去に何があったかなど知る由もない。それでもレナは感づいた。女の勘というべきか、好きな異性に対する洞察力か。きっと今のベートをおちょくったり、無神経な言葉を投げかけたりするべきではないと理解した。

 本当であれば、レナは言及したかったのだ。その瞳の奥にある暖かさの意味を。その変化の心境を知りたかった。だが、それは無粋であり、立ち入るべきテリトリーではない。

 

 レナは聞いた。そして頭に叩き込んだ。

 

 彼が今伝えている知識。

 彼が今教えている知恵。

 

 きっとこの修行は、忘れてはいけない、ベートにとって特別な時間なのだと胸に刻みながら。

 

 

 

 



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十傷:超えるべき試練

 レナ・タリー。
 これだけは言わせてくれ。
 アニメ出演、おめでとうゥ!!


 「………本当に効くんだろうな……コイツァ」

 

 ベート・ローガは自室にてテーブルに置かれたポーションをジト目で見つめている。それもかれこれ一時間ほど。彼にしては珍しい。何かに対して悩み、動かず、熟考するなどベートらしくもない。時間は有限であるが故に、1秒でも無駄にせず力に変えようとするのがこの狼だ。そんなことは誰よりもベート自身が理解している。しているのだが、今回ばかりは即決からの行動に移せないでいた。

 前回のデバフポーションは怯まずに行けたのだが、コレばかりは流石の【凶狼(ヴァナルガンド)】と言えども即決とまではいけない。それほどの代物なのだ、これは。

 

 「あのクソジジイを信用してないってわけでもないが………」

 

 このポーションを購入したのは自分だ。効果も分かっている。殆ど眉唾モノの存在と知られていたポーションを、もしかしたらあの店主なら持っているのではないかと思い、半ば半信半疑で注文したもの。それが翌日に届いた。

 

「(まさか本当に存在しているとは)」

 

 もしこれが本物であれば、それこそ女性が血眼になって得ようとするものだ。それは確信できるとベートは思う。しかしそれは俗な使用理由である。今からベートがこのポーションを飲む理由には該当しない。

 

 「…………」

 

 これはレナ・タリーを育てる為に必要なリスク。実質的に己の肉体を賭けに出しているようなものだ。というかなぜ俺がこんなことをと何度思ったか分からない。

 

 「………はぁ」

 

 その溜息を最後に、ベートは乱暴に手に取り、一気にポーションを飲み干した。それは覚悟を賭した男の行動に他ならない。半ば自暴自棄も含まれているが、ポーション如きにどうにかなるほどやわな生き方はしてないと自分に言い聞かせて。

 ベートは飲み切ったポーションを力強くテーブルに叩きつける。効果など、嫌になるほど早く出た。

 

 「(ルォ……体、がッ………!!)」

 

 感じる。己の肉体が急激な勢いで弱まっていっていることに。幾度となく傷つき、傷つけてきた筋繊維が収縮している瞬間を。骨格が歪み、臓器が撓み、本来あるべき姿から遠のくーーー否、逆光していくのを感じる。

 

 「ガァ……ァアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!」

 

 狼の遠吠えは、仮住まいしている宿全てに響き渡った。無論、隣の部屋で休息しているレナの耳に届かぬ筈もない。すぐにドタドタと煩い足音を響かせながらベートの部屋に近づくレナの気配。しかしベートはそれに対応できるほど余裕はなかった。あるはずがなかった。今の彼は、自分自身の異常を収めるだけでも精一杯なのだから。

 

 「どうしたの!? ベート・ロー………」

 

 いつものおふざけとは違う、愛しい男の叫びに血相を変えて飛び込んできたレナ・タリー。脳内が常にお花畑かと思わせる幼いアマゾネスでも流石に非常時では適切な反応を怠ることはない。そこは及第点と言える。

 しかし、その叫びを発したベートの姿を見たレナは思考を一瞬にして停止させた。目を見開き、口を大きく開け、まるで信じられないものを見ているかのようなリアクションをしたまま固まっている。

 

 「この薬、効き目がエグすぎんだろクソッタレ………」

 「べ、べべべべべ」

 

 鍛え上げられた強靭な筋肉はまるで見る影もなく、それはまるで少年のか細い体。

 幾千もの戦いに明け暮れた傷は消え失せ、それはまるで宝石のような純白な肌。

 まるでこれが誉れだと言わんばかりにピコピコと動くは小さく可愛らしい獣耳。

 

 「ベート・ローガが………」

 「アン?」

 「小さくなってる可愛いいいいいいいい!!」

 

 年齢はおそらくリトルルーキーくらいだろうか。しかし身長はあの小柄で有名なリトルルーキーよりも一回り小さく、あの整った顔立ちの青年は若き少年へと形を変えていた。

 レナは目を輝かせてベートに向かって大きく跳ねた。その姿は例えるなら宝に向かってダイブする古の怪盗の如く。なぜベートが小さく事態になっているかなど二の次だと言わんばかりの本能的行動。

 しかしレナは失念していた。あのような少年の姿に変わり果てていようとも、今レナが跳びつこうとしているのはーーーーー【凶狼(ヴァナルガンド)】であることを。

 

 「ヘッ、丁度いいぜバカゾネス!」

 

 勢いだけで飛び込んでくるレナの腕を払い、その勢いを殺さずに受け流す。ただそれだけでいい。馬鹿正直に受け止めることも迎撃することなく、相手の力を利用すればそれで事足りる。

 

 「そゥら!!」

 「ほあああああああああ!?」

 

 華麗に決まった巴投げ。放り投げられたレナの行き先はお約束の宿の外に繋がる窓である。それはもう盛大にガラスが割れ、大きな音を立ててレナ・タリーは場外に弾き出された。それはもはや何も思うこともない、いつも通りの日課であった。

 

 

 

 …………

 

 ………

 

 ……

 

 …

 

 

 

 

 場所は移り、迷宮の楽園(アンダーリゾート)の大広場。ここ数日ベートとレナが好んで使っている修行場である。この場所で主に基礎訓練、対人訓練、対集団訓練を毎日欠かさず行われている。そして今日も変わらずベートとの対人訓練が行われようとしていた。そう、これまでと同じようにエゲツない暴力の暴風を浴びせられ、必死に抵抗するだけのパワハラスパルタの極みのような原始的な訓練。その本質は遥か格上の攻撃を如何にして被害を最小限に収めるかを自問自答しながら対応すること。これは言うまでもなく生存確率を上げるためのもの。圧倒的な力を前に無様に蹂躙されることを避けるための訓練である。

 しかし、今回はいつもと違う。あの屈強な肉体を持つベートは見る影もなく、物理的に縮み、あれほどの体格差があったにもかかわらず、今ではその体格差も逆転してレナの方が大きい。

 

 「あ、あのー……ベート・ローガ………その姿は、どうしたの?」

 

 宿屋の二階から放り投げられてようやく冷静さを取り戻したレナは遂にその質問を口にする。だって朝起きたらあの大男が小さい少年になってましたとか奇天烈な事件にも程があるというもの。いくらレナでもそれをスルーし続けることはできない。いったい彼に何があったというのか。

 

 「自分で縮んだ」

 「は?」

 「ポーションを飲んで、自分でやったんだ。二度言わせんな」

 

 彼はカラになった瓶をレナに見せた。ベートの言っていることが本当なら、それは秘中の秘薬である若返りの薬。金貨1000枚に値する伝説のマジックアイテム。日頃から老いに悩む女性に見せたら喉から手が出るほどの代物であるのは間違いない。いったい何処からそのようなアイテムをベートが入手したのか。

 いや、違う。問題なのはそこではない。一番知らなければならない要点は別にある。

 

 「若返った理由は?」

 

 ベートは若さに渇望する男ではない。むしろ今から成長することを望んでいる雄だ。自ら弱かったであろう少年時代にまで肉体を若返らせる行為自体が彼の生き方に反する行い。おおよそベート・ローガという男に似合わないものなのだから。そんなことは誰よりもレナが一番実感している。

 

 「テメーをもう一段階、成長させる為に必要なことだった。それだけだ」

 

 レナの問いにベートがあっけらかんに答える。

 

 「私の……ため?」

 

 不思議とレナは自分の胸が熱くなったのを感じる。

 

 「テメェは身長もろくにねぇちっちぇ女だ。人間同士の戦いとなれば、基本的に自分よりも体格の良い相手と戦うことになる」

 「うっ」

 「そうなれば、想定するべきは己よりもデケェ奴を相手に立ち回れる戦い方だ」

 「常日頃からベートが言ってることだよね」

 

 ベートがレナを育てる上で力を入れていること。それが格上との戦闘で生き残る術である。自分よりも格下と戦うだけならば鍛える必要はない。最低限の基礎だけを叩き込み、油断しないよう仕上げるのみ。しかし現実はそう甘くはない。自分よりも強く、大きく、そして圧倒的なまでの戦力差で戦わなければならないことが常にある。

 

 「自分よりでけぇ奴、自分よりLv.がたけぇ奴。この二重苦ははっきり言って絶望的だ。だがな、分かってるなバカゾネス?」

 「『力の差があって嘆いたところで抗わなけりゃあ死ぬだけ』、だね!」

 「そうだ。実力差なんぞ言い訳にしかならねぇ。だからこそ、これまでソレを軸にしたやり方をお前に叩き込んできた。わざわざ(Lv.6)が今日この日までテメェと模擬戦闘を繰り返してきたのはその為だ」

 

 なにも必ず勝つ必要はない。元よりLv.が一つ違えば大人と子供の力の差が生じる。戦士としての駆け引きができるならばまだしも、まだ対人経験も戦闘経験も浅いレナにそれを望むのは酷だということはベートでも分かる。故に勝つのではなく生き残る術を重点的に磨き上げてきた。

 

 「バカゾネス。お前は愚図だが、筋はいい。そこは認めてやる。本当にLv.6になっちまえるんじゃねぇかって素質が、お前にはあるんだろうよ」

 「え!?」

 

 それは数少ない、【凶狼(ヴァナルガンド)】の誉め言葉だった。今まで鞭しか与えなかった男の賞賛にレナは喜ぶよりも先に困惑してしまった。何故ならこんなの今までのべートでは考えられなかったからだ。誉めては調子に乗って天狗になる。それを嫌うこの男は徹底的に厳しくレナに接してきた。

 

 「だから、バカゾネス。ここまで俺を認めさせたんだ。今更、失望させてくれるなよ?」

 

 少年体となったベートは静かにレナに向けて圧を発した。それだけではない。殺気の籠った眼光、殺意の詰まった威圧感。今まで感じたことのない、ベート・ローガが獲物を刈り取る際のシグナルをこの場でレナにぶつけてきたのだ。

 

 「………え?」

 

 レナは、震えた。これまでベートを怖がったことなどなかった。どんなに罵倒されようが、殴られようが、まったく意に返さなかった女が、一歩後退ったのだ。それは本能に近い。今まで手加減してくれていたベートはもういない。この少年は、本気でレナを殺す気だ。

 

 「何を怯えていやがる。今の俺は、お前より小せぇぞ。それだけじゃねぇ。Lv.も今や6どころか、Lv.2相当。身体能力においてLv.3の冒険者に劣っている雑魚だ」

 

 一歩、また一歩。ベートは歩を進める。ゆっくりとレナの元まで近づいていく。

 

 「格下相手に億す強者がどこにいる。なぁ、おい」

 

 ベートの言っていることは本当だ。今のベートはLv.2の冒険者レベルにまで力を落としている。恐らくあのデメリット満載のポーションをバカみたいに飲んだのだろう。いくら元に戻るとはいえ、Lv.6にまで上り詰めた第一級冒険者が、そこまでするなど正気ではない。いや、正気ではないことを承知でベートは行動に移したのだ。

 今から始めるこの殺し合いは、弱者が強者との断絶したレベル差を覆す為の手段を教える手っ取り早い方法。どうすれば自分よりLv.が高く、体格も上の相手に立ち回れるかをベート本人が直々に実演する為の儀式。

 

 ついに、小さき狼が有効打撃範囲にまで侵入してきた。いつでも殺し合いが始められる、二人の距離。拳を出せば当たる、刃を振るえば切り刻める。そのラインの上に少年と少女は立っている。

 空気が重々しい。たまらずレナ・タリーは頬から一滴の汗を滴らせる。

 

 「一時間後にてめぇが生きていたら、この修業は終わりだ」

 

 弱い存在にまで堕ちたハズの冒険者は、どこまでも強者然としていた。

 レナは、再度震えた。先ほどのような怖気づいたが故の恐怖からではない。今この瞬間、心の底から好きな男がここまでしてくれたこの日に、歓喜したからこその武者震い。本当に今日死んでもいいと思えるほど、幸せな一日だ。そして確信する。この試練を超えた先に、レナ・タリーはベートが求める強者に一歩近づくのだと。

 

 「行くぞ――――レナ(・・・・)

 

 今までバカゾネスと呼称していた男が、この死合を前にして、はっきりと彼女を名前で呼んだ。

 それは彼なりの誠意。彼なりの優しさ。一人の男として、レナ・タリーを曲がりなりにも冒険者の端くれと見なした。

 レナはベートに名前で呼ばれたことに対して浮かれることなく、頷いた。そして力強く愛刀の曲刀(シミター)を抜いた。

 この高揚感、幸せの末ならば刺し違えてもいい。いや、それではダメだ。生き残るんだ。生き残って、もっともっとベートに認めてもらうんだ。

 

 ドクンッ―――。

 

 彼女の力の源。成長を著しく活性化させるスキルが、背中が、最高潮の熱さを灯した。

 本物の殺気に恐怖がないといえばウソになるが、今はこの灯火を胸に賭して挑める。試練を乗り越えるのだ。

 

 「行きます……ベート・ローガッ!!」

 

 冒険者が休息に集う憩いの迷宮の楽園(アンダーリゾート)の広場は、この時ばかりに限り、冒険者と冒険者の殺し合いを容認する闘技場へと姿を変えた。




 ソード・オラトリア12巻
 ベート&レナの活躍を肴に誰かと語り合いたい人生だった


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十一傷:破るべき限界

 長らくお待たせしました!


 今のベート・ローガは弱い。なにせレナよりも小さく、レナよりもレベルが低いのだ。真っ向から戦えば勝てない道理などない。

 手足が短くなるというのはそれだけで致命的だ。今まで培ってきた戦闘勘すら鈍らせる。

 視点が低くなるということはそれだけで調子を狂わせるものだ。何故なら今まで慣れ親しんだ世界が一気に変わるのだから。

 筋力低下。魔力低下。何より【ステイタス】の低下。

 どれをとってもレナの方が有利になるようにお膳立てしてくれた。

 勝たなければならない。勝って当たり前の戦いだ。

 

 そんな風に、思っていた。

 

 だけど、違う。違うのだ。そのようなものは勘違い。

 否、ただの慢心。増長。過ち。

 【ステイタス】で勝っているから勝たなければならない?

 今はレナの方が冒険者として有利になっているから勝利して当たり前?

 寝言は寝て死ねと、ベートは言うだろう。

 何が、何が有利か。何が勝って当然か。

 そのような幻想を持てるほど、自分は強かったか。

 違うだろう、単なる弱者の一人でしかないはずだ。

 

「ぐ……あァ……っ」

 

 大地に膝をつき、蹲っているのはベートではなく、レナだ。

 能力数値はレナの方が高く、そして耐久力も当然格下の攻撃など微力程度にしか伝わらないはず。痛み自体が緩和されるものなのだが、現実における結果はコレだ。確かな痛みが打撃痕に残り、呼吸を乱す。涙目になるほどの鈍痛が確かに伝わってくる。

 

「なに跪いてやがる、バカゾネス!!」

 

 蹲るレナを黙って眺めるベートではない。

 高く跳躍した子供姿のベートは、重力に従い落下。踵落としをレナの頭を叩き潰す為に容赦なく振り下ろす。そのまま喰らえば割れた西瓜のように脳髄が潰される本気の一撃。

 生物としての本能。レナは痛みをシャットダウンして回避行動を取った。寸止めなんて生易しいことを今のベートは絶対にしないと確信しているが故に。

 ギリギリのところで回避したが、ベートの踵落としはレナの頭があった地面を容易く粉砕した。もし直撃すれば、即死。誰が見てもだ。

 

「なんだなんだその体たらくはァ! これまで何を学んできやがったァッ!」

 

 ベートの猛攻は止まらない。いや、更に加速を続けている。

 怒り。憤り。

 誰でもない、レナを知り、レナを見てきた男だからこそ噴気する。

 

「俺を見ろ! 俺が何をして、何を考え、何を思って動いているかを目に刻め!!」

 

 ベートは吠える。戦い方を、筋肉の動きを、小さき者の戦い方を実演している。

 レナは小さく、か細い。これから先、格上の相手と戦うことが殆どになるだろう。自分より遥かに弱い相手と戦って勝ったところで何の意味も生まれない。いや生まれる時もあるのだろうが、少なくとも今のレナには不要なものだ。

 今のレナに一番必要なものは、生き残る術だ。格上を相手にした場合どうする。体格で勝る相手に挑まれた時はどうする。【ステイタス】の差がある相手を前にしたら、どう動き、考えるのかを理解しなければならない。

 しかし、それは本来のベートでは完璧に教えることはできない。強者が弱者のふりをして教えたところで付け焼刃もいいところ。弱者の戦い方は弱者でなければ務まらない。それがベート・ローガの考えだった。

 【ステイタス】を抑え、肉体を縮め、幼少期にまで遡らせる秘薬。アレを飲み、一時的に本当の弱者になることによりベートはより確実に教えることを選んだ。弱者の幼少期のベートが、格上のレナを相手にどういった対応をするのか。それを実演で教える最適解。

 この際、弱き者に戻るのは目を瞑ろう。恥を飲み込み、全てはレナの為にと思えばこそ。だからこそ、レナもレナでベートの覚悟に報いる形で成長を見せなければならない。

 

「おらァ!!」

 

 それでも、強い。ベートは容赦なくレナの渠に拳を叩き込んだ。

 自分より小さい敵。小さいが故に、小回りが利く。小さいが故に、懐に入られやすい。

 体躯の差は埋めようのないバットステータスだと思っていた。小さきものはそれだけで不利なのだと思っていた。しかし、それがどうだ。ベートはその体格の差をフォローして余りある戦い方を披露している。【ステイタス】差を最大限埋める工夫を凝らしてきている。たかがその程度の要素で勝敗が決するなどあり得ないと体に叩き込んでくる。

 

「このォッ!!!」

 

 レナはベートの左腕を掴み、握りしめた。今のベートとレナであればレナの方が腕力が勝っている。

 一度掴めば、こちらのものだ。手加減もしている余裕はない、このまま組み伏せる!

 

「力任せが過ぎるっつってんだよ」

「!?」

 

 ベートはその力任せな組み伏せを力で対抗するのではなく、柳のように受け流し、敢えて体勢を崩すことによりベートを無理やり組み伏せようとしていたレナの体も釣られて崩れる。その一瞬の隙に今度はベートが自由が効く右手でレナの頭を掴みそのまま地面に叩き込んだ。

 

 「ごっ!?」

 

 自分の力が何倍にもなって帰ってきた。そんな感覚だ。

 これは己の知る剛の技ではない。力をいなす柔の技。

 一瞬で気を失いかけるが、なんとか堪える。

 

 「力で勝る奴が力で劣る敵を前にした時。大抵の雑魚は力技で相手を捻じ伏せようとする。分かるか、それが慢心って奴だ。強者のふりをした雑魚がしてくる基本行動なんだよ」

 

 そうだ。ベートの言う通り、レナは弱体化した今のベートの腕を掴んだ時、確信した。このまま能力差にものを言わせて捻じ伏せれば勝負はつくのだと。力で、体格で劣る相手を有無を言わさず組み伏せれるものだと思っていた。

 それがこのザマだ。自分の力を良いように利用され、あまつさえその威力を何倍にもして返された。

 

 「(そっか……これが、弱い者が格上に食らいつく技術……!!)」

 

 相手の力を利用しろ。自分に至らぬところを相手の力で補完する。

 【足りないのなら奪え】

 シンプルだ。冴え渡るベートの技術の奥底にある理念は、その高度な技術と比べて遥かに単純。合理性から生まれる荒っぽくも計算された極地。

 話を聞いて分かっている気がしていた自分は、実際何も分かっちゃいなかった。こんな技術を、聞いただけで十全に理解できるなど烏滸がましいにも程がある。

 

 「………」

 

 叩きつけられた顔を上げながら、レナはゆらりと立ち上がる。

 

 「ほう……ちったぁマシな顔つきになった」

 

 先程までの我武者羅と言わんばかりに何も考えず突貫してきた時とは違う。さっきまでのレナの目はまさしく何も考えず行き当たりばったりの力任せしか頭に入っていなかった。ベートは何よりそれに腹を立て、怒りもした。

 もしこの時、立ち上がってなおその姿勢が見られるようであれば今度こそチャンスを与えることなく叩きのめす。そう決めていたのだが、どうやら保留になりそうだ。

 

 「どうした。そのまま突っ立っても……!」

 

 ベートが喋っている最中にレナは動いた。今までベートの言葉を遮ることなく耳にしていたあの忠犬みたいなアマゾネスが、不意を突くように動いたのだ。

 悪くない。この場においてようやく遊びが無くなった。しかし相変わらず正面からの突進。例え遊びが無くなったとしても芸もなければ意味もない。無策に突貫する者は愚者だけだ。戦場において勇敢と思われる行動は得てして蛮勇の履き違えである。

 レナは再びベートの身体に手を伸ばそうとしているが、また組み伏せようというのか。何度やっても同じこと。技量が未だ未熟なレナが、幼少期の頃から対人、対獣の鍛錬を積んできたベートに敵うわけがない。そんなことは幾らレナでも気付くものだが、いったい何を狙っている?

 

 「構わねぇ、もう一度その体に叩き込んでやらぁ!」

 

 ベートはレナの腕を掴み、同じように叩き潰そうとした。

 

 「ッ―――!?」

 

 レナは一瞬だけ魔力を腕に籠め、ベートの掴みを振り払った。下手に力を入れるのではなく、緩急を活かした魔力操作。そして今までに無かった不意をついた対応。

 その上、この娘……!

 

 「はぁぁぁぁぁ!!」

 

 ベートの手を振り払った際、若干態勢を崩した体を無理やり起こし、更にベートの足を横薙ぎで蹴り飛ばした。

 たったあの一瞬でここまでの動きをするとは。

 スキル云々の力ではなく、レナ本人が持つ学習能力の高さが伺える。

 為されるがままに宙に浮かされたベート。本来の身体ならばびくともしない蹴りだが、力も体もレナより弱いよう調整されているこの状態では致命的。

 

 「はいやァ!!」

 

 レナは追撃の踵落としをベートの胴体にぶち込んだ。

 先ほど見せたベートの踵落とし。その真似を、この娘はやってのけた。

 

 「ッ!!」

 

 受け身を取る暇もなく地面に叩きつけられ、流石のベートも息を漏らした。

 これは確実に命を絶つ威力を持っている。それを容赦なく使ってくるか。

 いよいよ巣立ちが見えてきたのかもしれない。

 

 「舐めるな、クソガキ!!」

 

 それでも、そう簡単に合格点をやるわけにはいかない。

 ベートは追撃される前にレナのテリトリーから脱した。

 それに深追いをしないレナ。優位な状況から勝利を焦って追ってくるかと思ったら、存外冷静な対応をしてくる。

 

 「………ごふ」

 

 距離を置いたベートは、息を吸おうとした瞬間、吐血した。

 先ほどの一撃は思いのほか、重かったようだ。

 

 「少しは効いたようだね、ベート・ローガ」

 「ほざけバカゾネス。まだまだこれからだ」

 「そういうと思ってた」

 

 拳を握り締め、構えを解かないレナ。隙もだいぶ無くなってきている。

 無駄な力が抜けた。そんな印象だ。

 

 「ちったぁ分かってきたようだな……もちっとギア上げていくぞ」

 「はい!」

 「もっと、もっと俺にお前の可能性ってもんを魅せてみろ」

 「はい!!」

 「テメェの生命力捻り出して、俺の戦場についてこれると、証明してみせろ!」

 「はいッ!!!」

 

 ようやく形になってきたと、ベートは思う。

 脳裏に過るは過去にベートが取り零してきた女達の顔だ。

 救えなかった。助けられなかった。どれだけ己が強くなろうとしても、決して戻りはしない彼女達の生きた姿。

 愛した妹も、初恋の幼馴染も、添い遂げれたと思っていた女も、そしてこんな男を好いてくれた【ロキ・ファミリア】の仲間も。

 決して手放しはしないと誓った者ほど、自分の元から去っていく。だからこそ、今度こそ……ベートは、失いたくはない。この阿呆であり、純粋であり、厄介だが高みを目指し続けるアマゾネスを。

 

 「(生中な鍛え方ではコイツは……生き残れはしない)」

 

 スキルの強さは認める。潜在能力の高さもベル・クライネに並ぶだろう。

 ただ、それだけではダメなのだ。その程度の価値、戦場の中では何の意味もない。

 暗殺されれば終わる。呪いの剣を脇腹に受ければそれだけで死ぬ。理不尽な死が跋扈する。

 あの世界は、そういうものだ。殺し合いとは才能だけではどうにもならない。

 だからこそ手は抜かない。抜いてはいけないのだ。

 本当にこのバカな女を想うのであれば、ベートもまた、殺す気で鍛え上げなければ意味はない。

 もう、取り返しのつかない後悔はまっぴらだ。

 

 そんな想いの中で拳を振るっていると気付いた時。

 なにを想ってレナを鍛えているのかと気付いた時。

 

 ああ、そうか。

 

 「………クソッタレが」

 

 とうの昔に、ベート・ローガはこの娘に毒されていたのだ。

 瑕の一つではなく、護るべきものとして認識させられていた。

 そういう意味では、レナ・タリーはベートに勝っていたのかもしれない。

 それでもまだベートはお前の愛を素直に受け取ってはやれない。

 頬に刻まれた傷は、そう易々と消すことはできない。

 お前という存在がベートの氷を解かす焔というのならば、狼は拒もう。

 

 

 その拒みさえ押しのけれるほどの力をつけたなら―――認めてやろう。

 

 

 お前が雑魚ではなく、弱者でも無くなったと。

 

 

 

 




 今のベートはツン率高くてデレは少ないですが、レナが頑張りを魅せてくれたり、成長したり、何かを気付かされた時は彼の心もしっかり揺さぶられる。
 レナもレナで、ベートに依存するだけではなく、その想うが故に限界を突破できる。
 互いに「お前がいるから今の自分がいる」的な関係性を目指して書いていきたいのです……。


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