ガラクタと呼ばれた少女達 (湊音)
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書き直した物語
ガラクタ


 訓練で流した汗の分だけ戦場で血を流す量が減っていく。

 ただ何も考えずにグラウンドを走るよりも、明確に目的を持って走るだけで同じ訓練でも大きく差が出る事がある。

 

「どうした、もうバテたのか?」

 

 自身の後ろに誰も居なくなってしまった事に気付いた男がグラウンドを逆走すると地面に座り込んでしまった男達に声をかける。

 

「もうって、一体何時間走れば良いんですか……」

 

 地面に座り込んだ男達は不平不満の声を上げているが、それを聞いた男は「誰かが俺を追い抜くまで」と一言告げて再びグランドを走り始めた。

 今日は陽射しは暑く感じるが、風は冷たく走るには最適な天候となっている。最適であれば走らないのは逆に勿体ないと座学を中断してランニングを行うと言い出したのは依然走り続けている男だった。

 

「湊さーん、中将さんがお呼びですよー!」

 

 湊と呼ばれた男が走っているグラウンドの反対側で、眼鏡をかけた女性が手を振りながら声をあげている。

 

「すぐに向かいますー!」

 

 湊はノロノロと走り出した自分の部下達に柔軟を行ったら座学室へ戻って座学の続きを行うようにと指示を出して自身を呼ぶ女性の元へ走って行った。

 

「中将が俺に何の用なんです?」

 

「残念ながらそこまでは聞かされていません、ただ昨晩から機嫌が悪いようでしたので覚悟だけはされておいた方が良いかと」

 

 湊は女性に自分に何の用なのかと尋ねたが、内容が分からない所か下手すると叱責される可能性があると思考を巡らせる。

 実際に湊の最近の行動を思い返してみると「消灯後の外出」や「銀蠅」等の心当たりが数多くあった。

 

「失礼します」

 

 無駄に豪華な扉を数度ノックした後、部屋の中から「入れ」という返事が返ってきた事を確認して湊は扉を開けた。

 

「本日はどのような内容でしょうか!」

 

「別に貴様を叱責しようと呼びつけた訳では無い、楽にしても構わない」

 

 叱責される前に下手なケチを付けられると面倒だと考えた湊は新米の訓練生が行うが如く大げさに敬礼をしたのだが、予想が外れた事に内心安堵しているようだった。

 

「喜べ、貴様は本日を以て大尉から臨時少佐へと昇格する事となった」

 

「ありがとうございます、しかし随分と急ですね」

 

 最近の行動を考える限り評価されるような点が無いはずだ、と湊は昇格を告げられた意味を考えているようだが、何度考えても心当たりは無いようだった。

 

「貴様の昇格には条件があってな、明日付けで鹿屋基地への異動も決まっている」

 

「そうですか、それでは俺の昇格の件は無しという事でお願いします」

 

 湊の言葉に中将は眉間に皺を寄せ睨みつけるようにして口を開いた。

 階級が絶対とでも言える軍隊の中で湊の態度は決して許される物では無い、本来であれば昇格も異動も個人でどうにかできる問題では無かった。

 

「貴様も相変わらず変わらないな、もう少し大人になれと何度も言っているはずだが?」

 

「逆に質問させてもらいますが、鹿屋基地は海軍の航空隊を主とした基地だったと記憶しています、どうして陸軍の俺がそのような場所に異動する事になったのでしょうか?」

 

「貴様は海軍の所属になってもらう、それが昇格の条件だ」

 

「もう1度言わせてもらいます、俺の昇格は無しで構いません。 この基地にはまだ教育中の部下も居ますし、俺に海は合いません」

 

 湊には先ほど情けなく地面に座り込んでいた部下達を一人前の兵士になるまで面倒を見てやるという約束があった。しかしそれ以上に海軍の所属になるという事が堪らなく嫌だと考えていた。

 

「陸軍と海軍が不仲だという事は儂も重々承知しておる、先日貴様を寄こせと上を通して連絡が来た時には何度も断ろうとしたのだ」

 

「分かっているなら尚更です、どうして俺があんな腰抜け共と仲良くしなければならないのですか?」

 

「貴様は海がまずい事になっているのは知っているな?」

 

「はい、南の島へのバカンスは今でも良い思い出ですよ」

 

 以前海の問題に関して海軍との共同作戦を行った事があった、国内の人手不足もあって湊は訓練の途中であったにも関わらず最前線での作戦の参加を強制されていた。

 

「陸軍でも海軍でも人材不足は共通の問題だ、実戦経験があり人材育成に長けた者を寄こせと言うのが向こうの要求だ」

 

「それなら毎日兵舎で時計を見ながら珈琲を飲む仕事をしている中尉なんてどうでしょう? 彼もバカンスには参加しています」

 

「貴様は儂に恥をかけと言うのか? アレが向こうでどのような問題を起こしたのかは知らぬはずが無いだろう」

 

 便宜上彼の事を珈琲中尉と呼ぶことにする、彼はブルネイでの作戦に参加した時には珈琲大尉だった、そして間抜けにも他国の女性スパイに唆され国内の情報を流した。

 ブルネイでのゴタゴタのおかげでどうにか除隊にこそならなかったがその事が発覚してすぐに降格処分として珈琲中尉となってしまった経歴がある。

 

「もう決定された事だ、本日中に荷物をまとめて鹿屋基地に向かってもらう。 せめてもの手向けは海軍から迎えのヘリが来るという事くらいだな」

 

 湊にとって中将は数少ない軍に入る前からの知り合いだった、長い付き合いだからこそこれ以上この男に異論を申し立てた所で意味が無い事ということを理解していた。

 

「それでは自分は荷物を纏めてきますので、失礼します」

 

 せめて納得していないという事を中将に伝えてやるんだという意味を込めて湊は扉を叩きつけるようにして閉めた。

 軍という組織に属している以上は仕方が無い事だとは理解しているが、それでも物に八つ当たりしてしまう程度には苛立っている。

 

「あの、大丈夫でしたか……?」

 

「何でも無いよ、それよりも淀川さんって空いてるかな?」

 

 律儀に扉の前で湊の事を待っていた女性は自身のスケジュールを確認して、夕方までの予定が入っていない事を確認した。

 

「大丈夫です、1800から中将さんと会議に同席する事になって居ますが、本日は他に予定はありません」

 

「秘書官も大変だねぇ、爺の御守りなんて俺には絶対に無理だって言い切れるよ」

 

「流石に上官に爺は怒られてしまいますよ、それで何か私に用事があったのでは?」

 

 淀川と呼ばれている女性も湊とは古い付き合いだが、彼女は兵士というよりは中将の代わりに雑務を行ったり会議等の補佐を行う秘書官としてこの基地に在籍していた。

 

「少佐に昇格したって話までは良かったけど、明日から鹿屋に異動が決まったらしい、それでさっさと荷物をまとめる必要があるから手伝って欲しいと思ってさ」

 

「そうですか、この基地もこれで静かになりそうですね」

 

「俺ってそんなに煩いかな?」

 

 湊と淀川は他愛もないやり取りを繰り返しながら、湊の部屋へと移動する。

 基本的に基地内の宿舎は相部屋なのだが、教官に任命されてから湊は念願の一人部屋を手に入れる事ができた。

 

「せっかくの一人部屋だったんだけどな」

 

「私はずっと一人部屋でしたので、逆に相部屋ってなんだか憧れますよ」

 

「いろいろと不便しか無いけどなぁ」

 

 実際にその不便は相部屋を経験した人間にしか分からないだろう。何をするにしても他人の目があるというのは色々と行動に制限がかかってしまう。

 

「これって持っていきますか?」

 

「飯盒と簡易テントか、鹿屋って天井あると思う?」

 

「必要無さそうですね」

 

 元々室内に湊の私物はほとんど無く、野営のための備品や任務で使用する小道具といった物しか無かった。

 どうにか最低限の荷物を鞄に押し込んだ所で、淀川の携帯が着信を知らせる音色を奏で始めた。

 

「こちら淀川です。 はい、分かりました。 すぐに連れて行きます」

 

「呼び出し?」

 

「いえ、迎えのヘリが到着したみたいですよ」

 

 湊は大きな溜息をついて膨らんだ鞄を背負うとゆっくりと立ち上がった。その気怠そうな動きが面白かったのか淀川が口元を隠して笑っていた。

 2人はヘリポートへと移動すると、そこには海軍の象徴である錨のマークが描かれたヘリが止まっていた。

 

「本当にここから離れ無ければならないんですね」

 

「そうですね、少しだけ本音を言わせてもらえば寂しくなってしまいますが、『湊少佐』なら向こうに行っても上手くやって行けますよ」

 

 大尉ではなく少佐と呼ばれた湊は照れくさそうに頭を掻いて誤魔化すと、頭をぶつけないように気を付けながらヘリへと乗り込む。

 

「それじゃあ行ってきます」

 

「はい、寂しくなっても泣いちゃダメですよ?」

 

 湊は淀川の言葉を鼻で笑うと、ヘリのドアを閉めた。

 ヘリの中には肩に錨のマークを付けた男が2人居たため、簡単な挨拶を済ませて座席に座りシートベルトを装着する。

 

「鹿屋ってどんな所なんですかね?」

 

「戦闘機の殆どは呉や横須賀なんかに移したって聞いたことあるな」

 

「噂だと空いた敷地で新兵の訓練を行ってるってのも俺は聞いたことがあるぜ?」

 

 他愛も無い雑談をしながら窓から下を眺めていると、ヘリは大きな音を立てながら徐々に空へと上がっていく。

 その光景を見て湊は本当にこの基地から出て行ってしまうのだと少しだけ感傷的になってしまった。

 

「まぁ、そう凹みなさんなって、短い時間だが快適な空の旅を満喫したほうが何倍も有意義だ」

 

「そうは言っても海沿いは飛ぶなって指示が出てるし、下を見ても山ばっかだけどな」

 

 湊は励ましてくれている男達の言葉に適当に相槌を打ちながらも頭の中ではこれから自分が何をする事になるのか、そんな事ばかりを考えていた───。

 

 

 

 

「ここから真直ぐ進めば基地があるから、悪いが少しだけ歩いてくれ」

 

「気にすんなよ、最後の陸地だと思って一歩一歩噛み締めながら歩かせてもらうよ」

 

「基地の正門の前に迎えが居るはずだから、詳しい事はそいつにでも聞いてくれ」

 

 2時間程度の空の旅だったが、意外と気の合う連中だったと湊は思う。これから向かう鹿屋でも気さくな連中が多ければ良いなと少しだけ期待しても良いかなとも考えていた。

 

「それじゃあ気をつけてな」

 

「あぁ、そっちもな」

 

 湊は再び空へと上がっていくヘリを見上げながら両手を振って別れの挨拶を行う。

 ヘリが豆粒ほどの大きさになったのを確認して湊は教えてもらった邦楽へと歩き始めた。

 

「妙に静かだな……」

 

 少し歩いた所で、田畑が広がる場所に出たが農作物は育てられておらず完全に静まり返っていた。ヘリに乗っていた連中も海の近くは飛ぶことができないと言っていたし、この辺りにも避難勧告でも出ているのだろうか。

 

「あれが鹿屋基地か?」

 

 1つ山を越えた辺りで赤い煉瓦と有刺鉄線により区切られた建物が湊の視界に入ってきた。

 真直ぐに進めば正門と思われる場所に辿り着くのだが、見張り小屋に誰かが居るような様子は無かった。

 

「迎えが居るって聞いてたんだけどな……」

 

 もしかして場所を間違えたのかと不安になってしまったが、門の横に『鹿屋基地』と書かれたプレートが立てかけられているのを確認して間違いでない事を確認する。

 

「ちょっと、あんた誰よ」

 

 急に後ろから話しかけられた事で咄嗟に身構えそうになってしまったが、振り向いた先には誰も居ない。

 

「あんた、私を馬鹿にしてるの?」

 

 湊は視線を下げてみると、頭の上に奇妙な機械を浮かべた少女がそこには立っていた。

 

「ん、子供がこんな所に居たら危ないだろ。 早く親の所に帰りな」

 

「誰が子供よ!」

 

 少女は思いっきり足を振り上げると、湊の脛目掛けて振り下ろした。鈍い音と共に衝撃が湊を襲う。

 

「ってぇ……! 子供だからって流石に怒るぞ?」

 

「私は特型駆逐艦、5番艦の『叢雲』よ!」

 

「と、とくがたくちくかん……?」

 

 今の子供達の間ではこういった遊びが流行っているのだろうか、湊自身も幼いころはテレビで見たヒーローなりきって遊んでいた時期があるため似たような物かと判断したようだった。

 

「悪いが最近はニュースくらいしか見て無くてな、なんてタイトルの番組なんだ?」

 

「あぁもう、じれったいわね! 名前と階級を名乗りなさい!」

 

 湊は何か間違ってしまったのだろうかと首をかしげてしまっているが、少女が顔を真っ赤にして怒っているのを見て大人しく従った方が良いと自身の名前を階級を名乗った。

 

「本日付けで鹿屋に異動となりました湊です、階級は臨時少佐であります!」

 

 湊にとっては陸軍の広告ポスターをイメージしたかのような爽やかな笑顔を作ったつもりだったが、その様子をみた少女は顔を引きつらせていた。

 

「もう良いだろ、早く親の所に帰りな?」

 

 爽やかな笑顔を維持したまま、湊は少女に親の元へ帰る様に促す。しかし帰ってきた返答は2度目の脛への衝撃だった。

 

「いい加減にしないとマジで怒るぞ?」

 

「いい加減にするのはそっちじゃない!? 私は『艦娘』なのよ、さっきの説明でそれくらい分かりなさいよ!」

 

「かんむす……?」

 

 聞きなれない単語に湊は首をかしげる。

 少女はというと顔を真っ青にして残念そうな目で湊を見ていた。

 

「あ、あんた。 まさか艦娘を知らないのにここに来たの?」

 

「すまん、正直に言えば何も知らない」

 

 湊と少女の間に微妙な空気が流れる。

 湊にとっては何も聞かされていない以上は落ち度は無いはずだ、少女にとっても自分達の教育を行う教官が来るとしか聞かされていない。

 

「明日の挨拶までに最低限の知識は教えて置いた方が良さそうね……」

 

「お、お願いします」

 

 少女は足早に建物へと歩き始めると、湊もそれに続く。基地の中は所々年季の入った部分はあったが小まめに掃除されているのか綺麗な状態だった。

 

「そこに座りなさい」

 

 執務室と書かれたプレートがかけられている扉を開けると、目の前には埃が被った机と椅子が用意されていた。

 

「この部屋は随分と汚れているんだな」

 

 湊は椅子と机の埃を手で払うと少女の指示に従って椅子に座る。

 先ほどまでは綺麗に片付けられていたようだったのに、この部屋だけが妙に汚れているのに違和感を感じているようだった。

 

「これ、明日までに全部読んでおきなさい」

 

「全部って、朝までかかるぞ……?」

 

 少女は自身の背丈の半分ほどはありそうな程のファイルや資料を机の上に積み重ねると、呆れた表情のまま資料を追加していった。

 

「あら? 朝までに読めるなら挨拶までに間に合うじゃない、何か問題があるの?」

 

「お前な、こっちはいつまでも遊びに付き合ってる程暇じゃ無いんだ。 さっさとお偉いさんを呼んで来てくれ」

 

「居ないわよ、この基地には私達艦娘とあんただけ、前に居た人は逃げ出しちゃったもの」

 

『逃げ出した』という少女の言葉に湊は違和感を感じているようだった。しかし少女の真剣な表情を見る限り嘘や冗談を言っているような気配は無かった。

 

「少しだけ待っててくれ」

 

 湊は適当なファイルを取ると、ペラペラとページを捲りながら気になった単語を見つけたページを開いて机に広げる。

 

「いくつか質問に答えてくれ」

 

「何よ、変な事聞いてきたら酸素魚雷食らわせるんだからね」

 

「艦娘ってのは兵器なのか? 俺には君が普通の女の子にしか見えない」

 

 目の前にある全ての資料に目を通していたら確実に朝までかかってしまう。量と自分の読むペースを考えた湊は適当にページを捲って気になった単語を少女に質問していく事で時間短縮を図る事にした。

 

「兵器って呼ばれるのはなんだか不満だけど、合ってるわよ。 過去に沈んだ艦の魂が宿った艤装、それを扱う事ができるのが艦娘と呼ばれる私達ね」

 

「その艤装ってのは何だ?」

 

「分かりやすく言えば砲撃を行うための主砲や副砲、海上を進むための推進力を生みだす主機、その2つを動かすための動力を生み出す缶の3つの総称ね」

 

 湊は少女の説明した内容が長ったらしく書き記された項目を見つけたが、何百何千という文字を読むよりも少女の話の方が分かりやすいと思った。

 

「適正検査を実施、艤装との相性の確認、艦娘として登録。 海に現れた化物に対抗できる唯一の手段か」

 

 ファイルに書かれている内容は漫画やアニメの世界の出来事じゃないかと疑ってしまう内容ばかりだった。

 

「それで、俺は一体お前達をどうしたらいいんだ?」

 

「そうね、まずはお前って言うのやめてもらえるかしら? 私には叢雲って名前があるんだから」

 

 出会ったすぐに少女は自分の事を叢雲と名乗った、今覚えた内容と共に考えてみればそれが少女に与えられた艦の名前だという事が想像できる。

 

「それで『叢雲さん』に聞くが、俺は一体何をしたら良い?」

 

「あんたは教官としてこの基地にやってきたの、私はそう聞いているし呉からの手紙にもそうあった」

 

 湊は叢雲から手紙を受け取ると内容を確認する。

 手紙には確かに湊の名前を階級、そして簡潔に艦娘の管理運用、教育を実施と書かれてあった。

 

「そうか、まぁどうでもいい。 次の質問だが俺は叢雲に何を教えれば良い、俺が教えられることなんて君達に必要な事だとは思えない」

 

 湊にとって海上戦は分野違いであり、彼が教えられることと言えば陸軍で学んできた事に限られる。戦場も違えば兵装の違う叢雲に教えられることは無いと言い切っても良い。

 

「恥ずかしいけど、全部よ。 戦い方もそうだし、生きて行く事も含めて全部」

 

 叢雲の言葉の意味を考えながらも湊はファイルのページを捲り続ける。

 数ページ先に先ほどの言葉に関係すると思われる項目を見つけた。

 

「艤装との接続を行った被験体は艦との記憶の混在が確認された、個体差はあれど人としての記憶が艦の記憶に書き換えられた」

 

「そういう事、でも勘違いしないで、私は私の意志で艦娘になったんだから」

 

 湊は考えていた事が叢雲に読まれてしまったのかと一瞬焦ってしまったが、自身の眉間に皺が寄ってしまっていた事に気付いて大きく深呼吸をした。

 本に記されていた内容は要約してしまえばただの人体実験なのだ、新しく開発した兵器を使用するために一般人を改造して戦場へと送り込むただそれだけだった。

 

「艦娘についてはだいたい分かった、次はこの基地について教えてくれ」

 

 ページを捲っていくと『失敗』『欠陥兵器』と書かれた内容を見つけた湊はファイルを閉じるとできる限り表情を取り繕って叢雲を正面から見つめる。

 その行為は短い時間だが湊が叢雲がどのような人間なのかを観察した結果だった、湊から見た叢雲は初対面こそ気の強そうなイメージがあったが、こうして俺の表情から考えを予想したり律儀に質問に答えてくれる所を考えれば少なからず他人の考えに対して敏感な一面を持っているのだろう。

 

「ここは元々海軍の航空基地として運用されていたの、でもそれだけじゃ奴等に対抗する事ができなかった。 だから軍はここの兵器や資材を他の鎮守府へと移動させた」

 

 叢雲は積み上げられた資料の真ん中から器用に一冊のファイルを引き抜くと、湊へと手渡した。

 湊がファイルを捲っていくと確かに先ほど叢雲が話した通りの内容がそこには書かれていた。

 

「なるほど、それでも基地や施設を遊ばせておく程の余裕は無いと判断して、艦娘の教育、出撃の拠点として再利用か」

 

「机の引き出しの中に前に居た人の残したレポートが入っているわ、そっちにも目を通しておくと良いわよ。 私は疲れたから自室で休んでる事にするわね」

 

 そう言い残して叢雲は執務室から出て行った。若干足取りが不安定だと思った湊だったが、叢雲の指示に従って机の引き出しの中身を確認した。

 

「これは中々大変な場所に来たようだな」

 

『命令に従わない』『運用に難有り』そんな言葉が延々と書きなぐられている資料を見た湊は顔をしかめる。何よりも気分を悪くしたのは乱暴に書きなぐられた文字だった。

 

「こんなガラクタを運用する必要性は無いか……」

 

 湊は胸ポケットから煙草を取り出すと、口に咥える。

 しかし執務室には灰皿が存在しない事に気付いて気怠そうに窓際へと移動した。窓を開けてみれば目の前には一面の海が広がっており、とても未知の生物と戦争をしているなんて考えられないほど平穏だった───。

 

 

 

 風が窓から吹き込む音で湊は目を覚ました。執務室の中は冷たい海風によって冷やされ、その寒さを紛らわせるように両手を擦り合わせているようだった。

 

「少し冷えるな……」

 

 机の上に並べられた資料は風によってパラパラと音を立てながらまだ読んでいないページを開き続ける。朝までに読み終えるようにと言われた湊だが、冷えた身体を温めるために何か飲み物を探すために立ち上がった。

 

「しかし、何処に何があるかも分からないな……」

 

 叢雲に案内されたのが執務室への道のりだけだった湊は頭を抱えてしまう、基地内なのだから食堂の1つくらいは在っても良いはずなのだが肝心の場所を知らされていない。

 

 それでもいつまでも執務室に篭っていても仕方が無いと考えた湊はまずは適当に歩き回ってみようと結論を出したようだった。

 

「ここは誰かの寝室か……?」

 

 殆どの扉に鍵がかけられていたが、唯一開いた部屋の中はベッドに小さな机だけが置かれた殺風景な部屋だった。

 

「前任の部屋か?」

 

 この際珈琲では無く紅茶でも良いと期待して軽く部屋の中を漁った湊だったが、机の引き出しからは使い込まれた手帳と鍵の束しか出てこなかった。

 

「他の部屋の鍵……って訳じゃ無いよな」

 

 見つけた鍵にはピッキング対策の細かい形状は無く、2本の突起があるだけのシンプルな形状だった。これに似た鍵を過去に何度か見た記憶のある湊はそっと鍵を元の位置に戻すと少し複雑な気持ちで引き出しを閉めた。

 

 これ以上この部屋を漁っても仕方が無いと判断した湊はそっと扉を閉じて次の場所を散策しようとしたが、後ろから「動くな」と声をかけられた事で身体の動きを止めた。

 

「何をしてんだ、執務室から出るなって言われなかったか?」

 

 左目に眼帯を付けた少女が湊に日本刀を模した得物を突き付けたまま質問を投げかける、しかし湊は何も答えなかった。

 

「怖くて声も出ねぇかァ? お前も前の奴と同じ腰抜けみたいだな」

 

「……食堂の場所を知らないか?」

 

「はぁ? お前今の状況が分かってるのかよ」

 

 湊の回答が不満だったのか、少女は刀の背で湊の肩を軽く叩く。銃の類でも突き付けられているのでは無いかと様子を伺っていた湊だったが、少女の得物を確認してどう対処するべきなのかを考えていた。

 

「悪いな、今日着任したばかりで迷子なんだ。 食堂まで案内してもらえると助かるんだが」

 

「誰がするかよ、さっさと執務室に戻れ」

 

 再び刀が肩を叩こうとしたタイミングで湊は身体を捩じりながら後方へと振り向く。咄嗟の事に驚いた少女は刀を捻り刃の部分を向けようとするが湊に手首を掴まれ思うように身体を動かせないようだった。

 

 本来であれば刀を奪い床へと組み伏せる予定だったのだが、相手が予想以上に華奢な少女だと言う事に気付いた湊は手首を掴んだまま少女の様子を伺う。

 

「悪いな、この基地が夜間出歩き禁止だとは知らなくてな」

 

「余計な事を喋るんじゃねぇ、さっさと戻れって言ってるだろうが!」

 

 この少女も艦娘なのだろうかと余計な事を考えて居た湊だったが、少女にしては驚くほど強い力で振りほどかれてしまう。

 

「罰則にしては厳しすぎないか?」

 

「うるせぇ、余計な事は喋んなって言ってるだろ!」

 

 先ほど振り払われた時には少し焦ってしまった湊だったが、身のこなしを考えると少女がこういった事に関して素人だという事は分かる。現に刀を握る手は震えており、先ほどの湊の行動に動揺しているのは容易に見て取れる。

 

「寒いなら一緒に珈琲でも飲むか?」

 

「これは武者震いだ、あんま調子に乗ってるとマジで切るぞ!」

 

 湊は自身に突き付けられた刀にゆっくりと手を伸ばす、その動きを見た少女が「動くな」と警戒しているがその言葉を無視して刀に触れた。

 

 自分から刀に触れようとするという行為が理解できない少女は咄嗟に刀を引く、その行為によって湊の右手からは赤い滴が落ちる。

 

「コイツは玩具じゃねぇんだぞ!」

 

 少女は本当に相手を傷つけるつもりは無かったのか、徐々に床を汚していく赤い滴を見て声を震わせていた。

 

「おい、なんか言えよ……」

 

 後ずさりを開始した少女を見て湊は一気に間合いを詰める。少女の腋の下に左手を差し込むと背中を掴み身体を翻すようにして一気に前方へと投げる。

 

「っ!?」

 

 急に視界が反転した少女は声にならない悲鳴を上げると床に叩きつけられる衝撃に備えて身体を強張らせる、しかし背中が床に叩きつけられる寸前で湊が右手で少女の襟を掴んで引いた事により少女が想像していたよりも衝撃は少ない。

 

「痛ってぇな、なんで食堂に案内しろって言っただけで怪我しなきゃなんねぇんだよ」

 

 床に落ちた刀を拾い上げた湊は傷口を月明かりで照らして確認していた、あまり深くは切れていないのか出血の割には軽傷のようだった。

 

「てめぇ、返せよ!」

 

「先に名前を教えろよ」

 

 少女は床に手を付きながら起き上がると、湊に得物を返せと怒鳴りつける。しかし湊はそんな威勢を無視して少女に名前を尋ねた。

 

「オレの名は天龍。 フフフ、怖いか?」

 

 天龍と名乗った少女にとって精一杯の強がりだったのか、声は威勢が良いのだが、膝から下はガクガクと震えている。

 

「そうか、じゃあ食堂に行くぞ。 さっさと案内しろ」

 

 湊は刀を持ったままゆっくりと歩き始める、後ろから天龍が「約束が違う」と騒いでいたがそんな約束をした覚えの無い湊にとってはどうでも良い事だった。

 

「いつになったら返してくれるんだよ!」

 

「珈琲を淹れたら返してやるよ、さっさと働け」

 

 水道で傷口を洗い流している湊の後ろで天龍が必死で棚の中を漁っていた。その姿に先ほどまでの威勢の良さは無くどこか子供のような幼さが感じ取れる。

 

「珈琲ってこれか……?」

 

 天龍は焦げ茶色の粉末の入った瓶を湊へと差し出す。

 

「俺に粉のまま飲めって言うのか、さっさと淹れろ」

 

「ど、どうすりゃ良いのか分かんねぇんだよ……」

 

 珈琲の淹れ方も知らないのかと驚いてしまった湊だったが、叢雲との会話を思い出した。少女は生きて行く事も含めて全部教えて欲しいと湊に言った、目の前で暗い表情をしている天龍を見てその意味がはっきりと理解できたようだった。

 

「ラベルに淹れ方が書いてあるだろ、まずは書かれた量だけマグカップに粉を入れろ」

 

「お、おう……」

 

 天龍は湊に言われた通りラベルに書かれた手順を確認すると、慎重に瓶からマグカップへと粉を移していく。

 

「次は湯を沸かせ、それくらいはできるよな?」

 

「当たり前だろ!」

 

 当たり前だと天龍が言い切った以上は湊は黙ってその行動を見守る、天龍がヤカンいっぱいに水を入れて火にかけ始めたタイミングで少し意地悪な質問を投げかけた。

 

「何人分作るつもりなんだ?」

 

「……うるせぇな、お湯は多い方が美味いんだよ!」

 

 顔を真っ赤にした天龍と湊はじっとヤカンを見守る、無言が気まずいのか天龍はチラチラと湊の表情を伺っているようだった。

 

「ほら、返してやるよ」

 

 湊は近くにあった手拭いで刀についた血を拭き取ると天龍へと刀を差しだした。

 

「まだ珈琲を淹れ終わってない、それは受け取れないな」

 

 自信満々に言い切った天龍に湊は度肝を抜かれてしまう、この状況でどうしてそこまで強気で居られるのかまったく理解できていないようだった。

 

 仕方なく湊は天龍がマグカップにお湯を注ぐのを見届けて、改めて刀を手渡した。

 

「それじゃあ俺は執務室に帰るよ、夜更かしはほどほどにな」

 

「待て、どうせ何か企んでんだろ!」

 

 朝までに資料を読み終えたい湊は天龍の言葉を無視して執務室へと戻ろうとしたが、後ろをついてくる天龍に苛立ちを覚えた。

 

「いい加減にしてくれ、俺は忙しいんだ」

 

「じゃあ、ちゃっちゃと行こうぜ」

 

 天龍はそう言うと湊を置いて先に歩いて行ってしまった、本格的に天龍の行動が理解できない湊はただ茫然とするしかできなかった。

 

 執務室に戻ると湊は椅子に腰かけて珈琲を口に含む、少し味の薄い珈琲だったが冷えた身体を温めるには十分だった。落ち着いた所で資料の続きに目を通そうとしたが天龍の怒鳴り声によって中断させられてしまう。

 

「何だよこれ、苦すぎるだろ!?」

 

 何やら騒いでいる天龍を残念そうな目で見ていた湊だったが、少し観察してめんどくさいと判断したのか再び資料に視線を移す。

 

「なぁ、珈琲ってこんな不味いもんなのか?」

 

 開かれた資料には『艦娘の反抗』や『命令違反』と言った銀蠅等の些細な事から暴力沙汰まで様々な問題が書かれている。湊は先ほど切られた右手と資料の内容を見比べて大きく溜め息をついた。

 

「おい、無視すんなよ」

 

 艦娘と呼ばれる少女達に出会ってから蹴られる、切られると言った暴力沙汰しか経験していない湊にとってはもっと早くにこの情報を知りたかったようだった。

 

「おーい、聞こえてんのかー?」

 

「めんどくせぇな! 俺に何の用があるんだよ!」

 

「いや、よくこんな不味い物飲めるなって思ってさ」

 

 ブラックで飲めないのであれば砂糖やミルクを入れれば良かっただけなのだが、もう1度食堂まで行って天龍に説明するという行為を考えれば間違いなく面倒だろう。

 

「ほら、これでも入れてみろよ」

 

 湊は机を漁った際に見つけたチョコレートの箱を天龍へと投げ渡した、指示に従いたくないと反抗して見せた天龍だったが明らかに不機嫌な表情をした湊を見て大人しくマグカップの中にチョコレートを数個入れた。

 

「なかなかいけるじゃ……。 わ、悪くないな」

 

 甘さを増した珈琲に満足したのか、天龍は少しずつチョコレートの量を増やして自分好みの味に調整しているようだった。

 

「なぁ、いい加減帰れよ」

 

「その前にオレの質問に答えろ、お前は何なんだ?」

 

「元陸軍、階級は臨時少佐。 答えたからさっさと帰れ」

 

 望んでいた答えと違う回答が返ってきたのか、子供のように地団駄を踏んだ天龍を他所に湊は資料を読み進める。

 

「その、新しい提督なのか?」

 

「違う、俺はお前達の管理運用、教育を命令されている。 どちらかと言えば指導官や教官に近い立場だろうな」

 

 先ほどのやり取りを考えれば軍人としての教育よりも、子供に様々な事を教えるような教師としての立ち振る舞いも求められているのかもしれない。

 

「その傷の事について責めないのかよ」

 

「責めたらどうにかなるのか?」

 

 恐らくは天龍は初めて人を傷つけたのだろう、資料に書かれていた内容を定常的に繰り返していたのであればこの程度の傷でいちいち処罰を求めるような真似をするとは思えなかった。

 

「どうにも……ならないけどよ」

 

 この気まずい空気を湊は何度か経験していた、いたずらが見つかった子供や明らかに自分に非があると分かっているのに相手にされない女性が取る手段。

 

「叱って欲しいなら叱ってやる、俺はさっきの行動はお前なりに理由があっての行動だと思っている。 だから詳しくは聞かないし傷の事を恨んでも居ない」

 

「なんだよそれ……」

 

 そしてその手段は第二段階へと進む、天龍は少し俯き気味になり黙ってしまう。本人にそのつもりは無いのかもしれないが、その沈黙は湊に罪悪感を与えるには十分過ぎる行動だった。

 

「……天龍ってどんな艦だったんだ?」

 

「オレの事が知りたいのか? そりゃあ世界水準を軽く超えてたからなぁ~!」

 

 仕方が無く話題を変更した湊の質問に、天龍は自信に満ち溢れた表情で自分の事を語り始めた。湊は話半分に聞きながらも資料の中から『軽巡洋艦 天龍』と書かれたページを探す。

 

「駆逐艦を束ねて、水雷戦隊として敵陣に殴りこんでやったんだ。 相棒の龍田もそりゃあ良い艦で……」

 

「小型かつ高密度な設計ゆえに改装の余地がほとんどなく、後続の軽巡洋艦の開発により、時代遅れになってしまった。 天龍の話とは随分違うみたいだな」

 

 資料に書かれた内容を読み上げた湊に腹を立てたのか、天龍は顔を真っ赤にしながら刀を抜く。

 

「次の質問だ、天龍は艦娘になる前の事を覚えているか?」

 

「どういう意味だ……?」

 

 珈琲の淹れ方さえ分からない程に人としての記憶が欠落している、確かに読んだ資料の中に記憶の欠落についての内容はあったがここまで人としての自分が失われてしまうのかと湊は内心腹を立てているようだった。

 

「悪い、今の質問は無かった事にしてくれ。 天龍は明日の式には参加するのか?」

 

「オレとしては新参者の挨拶なんてめんどくさい行事に参加するつもりは無かったけど、コレに免じて出てやらない事は無いな」

 

 天龍は珈琲の入ったマグカップを指差すと、何故か自信ありげな表情で答える。

 

「強制参加とかじゃ無いのか?」

 

「日時は聞かされているけど、絶対に参加しろとは言われて無いぜ」

 

 本来この手の行事は嫌々でも参加させられる物だが、この基地ではその常識は通用しないらしい。

 

「駆逐艦を束ねて戦った天龍さんは明日も駆逐艦を束ねてくれるんだよな? 隊長が寝坊なんてしたら部下に悪影響を与えるぞ」

 

「ね、寝坊なんてしねぇよ!」

 

「そうか、0900まで後6時間しか無いが大丈夫か?」

 

 湊が時計を指差して天龍に時刻を告げると、天龍はマグカップの中身を一気に飲み干し執務室から出て行った。

 

「俺ももう少し資料を読んだら寝るか……」

 

 湊は持ってきた荷物から予備の上着を取り出すと、上から羽織る様にして机にだらしなく上半身を伸ばした。せめて天龍に寝る場所を教えてもらえば良かったと後悔するのは数分後の出来事であった───。



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鎖と少女達

 綺麗な銀色の髪の少女がなるべく音の立たないようにゆっくりと執務室の扉を開ける、しかし古くなってしまった扉はギギギと木の擦れる音を立てた事で少女は慌ててしまったようだった。

 

「起きて……、無いわね」

 

 机に突っ伏すようにして眠っている男を見ながら少女は呟く、机の上には資料が散乱しており男が睡魔の限界ギリギリまで読み進めていた事が想像できる。

 

「まったく、だらしないわね」

 

 少女は散らばった資料の下に書かれた数字を見比べながら丁寧にまとめている。資料には艦娘にとって感情は必要なのかという内容でどこかの偉い人達が話し合った記録がまとめられていた。

 

「アンタはどっちなのかしらね」

 

 少女にとって資料に書かれている事よりも重要なのは、先日突然やってきた男が自分達をどういう風に見ているかだった、欠陥兵器だと書かれた資料を呼んだ男は何を感じて、少女達をどのように扱うのか。ただそれだけが少女の悩みだった。

 

「ほら、起きなさいよ」

 

 少女は寝ている男の肩を揺する、しかし男はピクリとも動かなかった。一見死んでいるのかと思える程反応が薄いが、呼吸をしている事を考えればそれはありえない。

 

「流石に朝までに読んでおくようにってのは言い過ぎたかしら」

 

 着任の挨拶を行う式までにはもう少し時間がある、もう少しくらい寝させて置いた方が良いのだろうか。下手に起こして式の最中欠伸をしているようでは示しが付かない可能性がある。

 

 もう少しだけ眠らせておくと判断した少女は部屋の片付けをする事にしたようだった。片付けているうちに机の上に空になったマグカップが2つある事に気付き、この男が昨晩誰かと居た事を察する。

 

「私以外に物好きが居るみたいね」

 

 男には執務室以外の施設は案内していない、暗い建物の中を1人で歩き回った可能性もあるが、恐らくは誰かがこの男に食堂まで案内したのだろう。

 

 そんな事を考えながら部屋の片付けを進めていくと、時計の長針が数字2つ分動いたことに気付いて再び男を起こすことにする。

 

「そろそろ起きなさい」

 

 再び少女が男の肩を揺する、しかし男の反応は相変わらず無い。

 

「いい加減にしないと怒るわよ」

 

 3度目は強めに揺する、流石に眠り続けるという事ができなくなったのか男は起こすなと抵抗するように少女の手から身体を捻って逃げる。

 

「隊長、もう少しだけ寝させてください……」

 

 男の寝言に少女は少し考えてしまう、隊長とは一体誰の事なのだろうか。少女の記憶の中では軍人とは起床ラッパで目を覚まし、驚くような速度で衣服を整え整列するイメージがあった。

 

「いい加減にしろって言ってるのよ!」

 

「うわぁぁぁ!?」

 

 これ以上グダグダしていても式に遅れるだけと判断した少女は男の耳元で叫ぶ、流石に起きるには十分な刺激だったのか驚いた男は跳ね起きると何事かと周囲を見渡していた。

 

「お、おはようございますって叢雲か」

 

「ったく、様子を見に来て正解だったわね」

 

 湊が眠そうに目を擦っている様子を見て叢雲が驚きの声を上げる、手には白い布が巻かれていたが中心が赤い液体で汚れてしまっている。

 

「ちょっとアンタ、その怪我どうしたのよ!」

 

「あぁ、資料で切った」

 

 確かに紙で手を切る事もあるかもしれないが、そんな言い訳が通じるような出血量では無い事は容易に分かる。

 

「紙でそんなに切れる訳……、まぁ良いわ。 救急箱を持ってきてあげるから待ってなさい」

 

 叢雲はそう言って執務室から小走りで出て行った。湊の言葉が嘘だと分かっているようだったが、問題にしたくないと遠回しに言っている以上はあまり深く追求しない方が良いと判断したようだ。

 

 少しして息を切らせた叢雲が木でできた救急箱を持って執務室に戻ってきた。それを受け取った湊が包帯を巻くのに四苦八苦している様子を見て叢雲は呆れたように溜息をついた。

 

「貸しなさいよ、やってあげるから感謝しなさい」

 

「すまない」

 

 叢雲が湊から包帯を受け取り手当をしようとするが、その様子を見る限りお世辞にも手慣れているとは言い辛いものだった。

 

「昨日聞き忘れてたんだけど、着任の挨拶って何処でやるんだ?」

 

「正門の近くに大きな建物があったでしょ、場所も知らないなんて私が来なかったらどうするつもりだったの?」

 

 どうにか包帯を巻き終えた叢雲は呆れたように湊にそう告げる、湊にとっては昨日説明しておくべきだっただろと反論したくもなったようだが、下手に怒らせて朝から面倒なやり取りをするのは勘弁して欲しいようだった。

 

「まったく、アンタは本当に軍人なの? 全然起きないし、必要な事は聞いてこないし……」

 

「そ、そろそろ時間じゃないか?」

 

 湊はどうにかこの説教から逃れるために時計を指差して話題を切り替えようとする。説教自体は慣れているようだが、自分よりも幼い女の子に説教をされるというのは複雑な気持ちになってしまう。

 

 まだ言い足りないのか、少し不貞腐れた表情をした叢雲と湊は一緒に執務室から出る。流石に無言というのも気まずいので湊は叢雲に昨日の質問の続きをしてみる事にした。

 

「この基地にはどれくらいの人が居るんだ、とてもじゃないが俺の居た基地に比べると活気が無さすぎる」

 

 実際湊の居た基地ではこの時間になれば訓練を開始する小隊も居たし、食堂なんかでは非番の男達が馬鹿騒ぎしている事もあった。

 

「アンタと私を含めて19人くらいかしら。 艦娘は3艦隊分くらい居たと思うわよ」

 

「それって俺以外は全員艦娘って事か?」

 

 昨日読んだ資料の中に艦娘の運用方法の項目もあった、基本的には6人を1グループに分けて運用すると書かれていたからには単純に掛け算をすると艦娘の人数が分かる。

 

「あら、ちゃんと勉強したみたいね」

 

「朝までに読んでおけって言ったのはそっちだろ」

 

 相変わらず上から目線な叢雲に対して湊は少し苛立ちを覚えたようだったが、先ほど手当をしてくれた事に免じてどうにか我慢したようだった。

 

「それじゃあ私は入口から入るから、アンタは後ろから入りなさい」

 

「了解」

 

 叢雲は湊に軽く右手を上げると、気だるげな足取りで建物の中へと入って行った。少女に階級があるのかは不明だが、軍に属している以上は上官に対して取る行動では無いと思うが湊は特に気にしている様子は無かった。

 

「さて、行くか」

 

 1人になった湊は建物の側面に見える小さな扉から中へと入る。急に暗い建物の中へと入ったせいか目が慣れるまで少しかかってしまったが、明かりに照らされた壇上が視界に入って緊張しているようだった。

 

 湊は大きく深呼吸をすると、ゆっくりとした足取りで壇上へと登る。その姿にはこれから彼が育てていく艦娘達への期待や不安が感じ取れる。

 

「俺の挨拶の前に1つ質問をさせて欲しい、聞いていたより少ない気がするんだが?」

 

 壇上から見える範囲には10人にも満たない程度の人数しか確認できない。その中には天龍の姿や後ろに隠れるようにしてこちらの様子を伺っている少女が居るが半数程度しか集まっていないという事だろう。

 

「ちょっと、真面目にやりなさいよ!」

 

 最悪な第一声を放った俺に対して叢雲が野次を飛ばしてくる。睡眠不足や叢雲の説教に対して苛立っていた湊にとってこの基地に来てから第一回目の暴挙が始まってしまった。

 

「そこの君、ここのマイクって基地内に放送できるのか?」

 

「そ、そこの君ってあたし……?」

 

 1番先頭に立っていた少女は突然の指名に驚いているようだった。もしかしたら自分じゃないかもしれないという淡い期待を込めて周囲を見渡しているようだったが、少女の視線を避けるように全員が視線を下げる。

 

「あぁ、そこの金髪の君だ。 放送を切り替えるかそのうざい前髪を水平線のように真直ぐと切りそろえられるか選ばせてやる」

 

「あたしの前髪を馬鹿にしないでくださいぃ!」

 

「じゃあさぼってる奴等全員連れて来い、10秒以内に選ばせてやる」

 

 湊が数字を数え始めたのに慌てた少女は走って壇上の裏へと向かう。一連のやり取りを見ていた少女達は何が起こっているのか理解できないようだった。

 

「いけると思うけど……」

 

 金髪の少女が湊に放送を切り替えたと伝えると、湊は大きく息を吸い込んだ。その様子を見て勘の良い少女達は慌てて耳を塞ぐ。

 

「さぼってる奴等良く聞け、3分以内に集合しないと引きずり出してでも俺のありがたい自己紹介を聞かせてやるからな!」

 

 怒鳴り声でハウリングしてしまったのか、キーンと耳障りな音が鳴り響く。湊は右手を軽く上下に振って先ほどの少女に放送を切るようにと指示を出すと満足そうな表情をしていた。

 

「という事で、3分休憩。 楽な姿勢で待っていてくれ」

 

 湊は腕時計を見ながら3分を計った、結果としてはオレンジ色の制服を来た少女達が3人増えはしたのだが、それでも人数が足りていない事が分かる。

 

「なかなか度胸のある奴が多そうで楽しめそうだな」

 

 湊は金髪の少女にゆっくりと歩み寄るが、その動きを見て少女は身体を縮めて怯えてしまう。

 

「君の名前はなんて言うんだ?」

 

「阿武隈ですけど……」

 

 先ほどから湊にこき使われているせいか少女の表情には明らかな不満の色が見える。

 

「来てくれたみんなには悪いが式は中止だ、俺はさぼり共を指導してくる事にするよ」

 

 湊は笑顔でそう告げると、阿武隈と名乗った少女の肩に手を乗せる。

 

「それじゃあ行こうか」

 

「あ、あたしが案内するの!?」

 

 笑顔で阿武隈の肩を押して建屋から外に出ようとする湊を叢雲が引き留める。他の少女達に関しては自分に火の粉が飛ばらないようにと阿武隈に同情の視線を向けているだけだった。

 

「ちょ、ちょっと、アンタ何勝手な事をしてるのよ!」

 

「人がせっかく挨拶の内容まで考えて居たのにさぼる方が悪い」

 

「そういう事じゃなくて、別にこの式は強制じゃないんだから良いじゃない!」

 

 叢雲の言葉に湊は大きく溜め息をつくと、真直ぐと叢雲の目を見ながら話し始める。

 

「くだらない話を聞くだけのこの式をさぼる連中が今後の訓練を真面目に受けると思うか? 確かに強制じゃないかもしれないが、これから一緒に頑張って行こうって人間に対して興味を持つことすらしないのは直す必要があるだろ」

 

「アンタの言ってる事も分かるけど、あの子達はさぼりとかじゃないのよ!」

 

 さぼりだと決めつけていた湊だったが、叢雲の焦り具合から何か理由がある事を察したようだった。しかしそうであれば尚更現状を確認しておく日露があると判断した。

 

「阿武隈、案内しろ」

 

「ふわぁぁ~っ! そんなに押されたらころんじゃいますよぉ!?」

 

 阿武隈の叫び声を無視して湊は建屋から出る、もしこの式に参加できていない少女達が怪我や病気の類であれば放置しておくわけにはいかないだろうし、少しでも早く対応をしたいようだった。

 

「そ、その、あたし的にはやめた方が良いんじゃ無いかなぁって……」

 

「良いから案内しろ、酷い事はしないって約束する」

 

 それとなく止めるように促している阿武隈だったが、湊を止める事ができないと理解すると大きく溜め息をついてしまった。

 

「分かりましたよぉ……。 乱暴な事はしないって約束ですからね」

 

 先ほどまでは騒いだり頬を膨らませてみたりと幼い仕草の多かった阿武隈だったが、湊に約束は破らないようにとじっと睨みつける姿は先ほどの様子からは想像できない程真剣な表情だった。

 

「正直あたし的には、あなたみたいな人は苦手です。 でも前の人とは違うって思ったので案内するけど……」

 

 ブツブツと呟く阿武隈の後ろについて歩きながら湊は考える。先ほどまでの対応が演技だったのかと疑いたくもなったが、先ほどの約束はこの少女にとって重要な約束だからこそこれほど真剣になれるのだろうと。

 

「この建物は私達の宿舎です、1階の1番奥の部屋にあの子達の部屋があります」

 

 宿舎と説明された建屋を見て湊は顔をしかめる。他の建屋と比較すると年季が入った壁にはうっすらとヒビが入っており、窓には鉄格子が取り付けられている。

 

「宿舎ってより物置か刑務所って感じだな」

 

 阿武隈は湊の言葉を無視して宿舎の中へと入って行ってしまった。慌てて湊も続くが、やはり内装に関しても少女達が住んでいるとは思えないほど寒々しく質素だった。

 

「ここです、中に居る子達が怯えるといけないのであまり大きな声を出すのもやめてくださいね」

 

 扉には『暁』『響』『雷』『電』と書かれたプレートがかけられている。湊はドアノブを掴むとそっと中を覗き込む。照明が取り外され窓は木の板が打ち付けられている室内は暗く中の様子が分からないようだった。

 

 少し目が慣れてきた湊は部屋の隅で何かが動きた事に気付いた、ポケットからジッポを取り出すと何が動いたのかを確認するために火を付ける。

 

 小さな火で見えるようになったのは完全に怯えてしまった4人の少女達の姿だった、脚は鎖に繋がれ頬に痣がある子も居る。

 

「阿武隈、説明しろ」

 

 俺の言葉に反応したのか、少女達は恐怖や不安、助けを乞うような視線を向けてくる。湊は奥歯を噛み締め傷ついた右手を握りしめる事で冷静になるように自分に言い聞かせる。

 

「素直にさせるためだって聞いています、それ以上の事は何も……」

 

 容姿から察するにまだ小学生程度だろうか、4人の少女は互いに抱き締め合い突然現れた湊から互いを守ろうと必死になっているようだった。その光景を見た湊は腸が煮えくり返る程の思いをしたが、できる限り怯えさせないようにゆっくりと少女達に近づくと、足に繋がれている鎖を確認する。

 

「鍵は何処だ」

 

「分かりません……」

 

 湊は端的に阿武隈に質問を繰り返す。

 

「切断するための工具は」

 

「分かりません……」

 

 阿武隈に対して怒鳴りそうになってしまったが、大声を出さないようにと事前に警告されていた事を思い出して寸前の所で抑える。ここで阿武隈に八つ当たりしても何の解決にも繋がらない、今は少しでも現状を理解する事を優先した方が良いと判断したようだった。

 

「何時からだ?」

 

「2週間くらい前からです……」

 

 床を見れば缶詰や空になったペットボトルが転がっているのが分かる、食事を与えられなかった訳では無い事に少しだけ安心する。

 

「理由は聞いているか?」

 

「命令に従わなかったとしか……」

 

 命令違反による罰として謹慎処分を与える事は確かにある、しかしこれはどう考えてもやり過ぎと言えるし、場合によっては大問題になってもおかしくない。

 

「どうして誰かに助けを求めなかった」

 

「私達艦娘は兵器として扱われて居ます、助けを求めたって誰にも相手にされませんでした……」

 

 湊は質問をした後に自分の発言が間違いだったと気付く、少女達の扱いに関しては資料に嫌と言うほど書かれていたし、兵器となった以上は人権など認められて居ない。

 

「ちょっと鍵を探してくる、阿武隈は毛布と何か温かい飲み物でも容易してくれ。 人手が足りなければ後ろで様子を見ている叢雲にでも手伝わせろ」

 

 そう言って湊は床に火がついたままのジッポを置くと、部屋から出て行った。途中すれ違った叢雲が何か言いたそうにしていたがそれを無視して執務室へと戻る。

 

 少しでも気を落ち着けようと胸ポケットから煙草を取り出して口に咥えるが、ジッポを置いて来た事を思い出して舌打ちをしてしまう。今すぐにでも少女達にあのような罰を与えた人間に怒鳴り込みたい気持ちだったがどうにか冷静になるように自分に言い聞かせる。

 

「手始めに机から行くか」

 

 例え少女達が兵器としての扱いしか受けていないとしても、人型の生き物を拘束すると言う行為は必ず罪悪感を生み出す。罪悪感は不安を呼び寄せ、いつか復讐されるのでは無いかと恐怖に繋がる。

 

「必ず自分の目の届く範囲に置くはずだよな……」

 

 丁寧に探していても仕方が無いと判断した湊は手当たり次第引き出しを引き抜くと床にぶちまける。物に八つ当たりしても仕方が無いのだが、あまりに乱暴に引き出しを引き抜いたせいで右手に鋭い痛みが走る。

 

「何をボケてんだ俺は……」

 

 昨日から色々な事を経験したせいで忘れてしまっていた、執務室に隠してあるのであれば誰かが探し出していてもおかしくない。そしてこの傷を作った少女は昨晩は一体何をしていた。

 

「駆逐艦を束ねて敵陣に殴り込むか、探し物をしてたならそう言えば良かったのにな」

 

 この基地に来てからそれらしい鍵は既に見つけていた、そんな事に気付かない程熱くなっていたのかと自分に呆れてしまう。湊は執務室を出ると誰の物かも分からなかった寝室へと向かう。

 

 小さな机の引き出しを開くと4つのシンプルな鍵を取り出す。数は一致している、もしこれが違ったとしても再び探すか最悪元居た基地からチェーンカッターの1つでも借りてきたら良い。

 

「鍵、見つかりましたか……?」

 

 宿舎に戻った湊に阿武隈が声をかける。どうやら叢雲と2人で少女達に飲み物を配っているようだった。湊は阿武隈と叢雲に見つけてきた鍵を見せると鎖を外すために少女に近づく。

 

「み、みんなに酷い事をしたら……、許さないんだから!」

 

 黒髪の少女が湊の顔目掛けて中身の入ったマグカップを投げつける。中に入った液体は湯気が立つ程の温度だったが、それを浴びた湊は気にする様子も無く鎖に手を伸ばす。

 

「暁はお姉ちゃんなんだから、アンタなんかに好きにさせないんだからっ!」

 

「暁ちゃん落ち着いて!」

 

 自分の事を暁と呼んだ少女は湊の腕に噛みつく、阿武隈が必死で暁を宥めようとしているが、噛みつく力を緩める様子は無い。

 

「俺は大丈夫だ、阿武隈もそう慌てるな」

 

 慌てている阿武隈に声をかけた湊はゆっくりと暁へと噛まれていない左手を伸ばす。たったそれだけの動作なのだが、暁は異常なほど怯えた様子を見せた。

 

「い……、嫌っ!」

 

 恐らくは殴られるとでも思ったのだろうか、恐怖に負けて目を閉じた事で瞳から大粒の涙が零れる。しかし伸ばされた手は暁の頭に乗るとゆっくりと撫で始めた。

 

「ちゃんと妹達を守ってやるなんて偉いな」

 

 湊にとってはいつかの自分の姿が重なったような気がした、弟や妹のために年上の相手にだって立ち向かって行った、何度もボロボロにされてしまったがそれでも必死で立ち向かっていたと思う。

 

「もう良いんだ、お前は立派に妹達を守れたんだ」

 

「暁は響を……、雷や電を守れたの?」

 

 湊は少女の問いかけに優しく頷く、その瞬間少女の身体から力が抜け床に頭を打ち付けそうになったのを慌てて支える。他の子と比べても痣や服がボロボロになっている箇所が多い、文字通りこの少女は自分が犠牲になることで妹達が傷つかないようにと必死で頑張り続けていたのだろう。

 

「阿武隈、毛布を寄こせ」

 

「は、はいっ!」

 

 阿武隈から毛布を受け取った湊は暁を包んでやると、足に繋がれた鎖の鍵穴へと持ってきた鍵を差し込む。足枷はカチリという音を立ててから床へと落ちた。

 

「良かった、これで合ってたみたいだな」

 

 湊は暁を叢雲に預けると、次に銀色の髪をした少女の前まで移動する。やはり暁と同じようにこちらに敵意を向けてきていたが噛みついてくる事は無かった。

 

「もしかして君が2番目のお姉さんかな?」

 

「アンタ、知ってたの?」

 

 何も反応の無い少女の代わりに叢雲が肯定する発言をした。決して少女達の事を知っていた訳では無いが、少女達が互いに守ろうとしている子達の事を考えると自然とその順番が理解できる。

 

「名前、教えて貰っても良いかな?」

 

「……響だよ」

 

「響も良く頑張ったな、立派だったぞ」

 

 暁が俺に噛みついて来た時に茶色の髪をした少女2人を守る様に抱き締めたのが響だった。そして響の腕の中で必死にヘヤピンを付けた少女が中心の子を抱き締めている、この子達は自分達の妹を守ろうと全員で戦っていたのだろう。

 

 湊が響の頭を撫でると、緊張の糸が切れたのか響は嗚咽を漏らしながら泣き始めてしまった。阿武隈がそっと響を抱き締めて落ち着かせてくれている間に湊が響に繋がれた足枷を外す。

 

「君も名前を教えて貰えるかな?」

 

「雷よ、私は後で良いから先に電のを外してあげて……」

 

 次に湊は雷と名乗った少女の足枷を外そうとしたのだが、先に妹の足枷を外してくれと頼まれてしまった。別に順番を気にしていなかった湊は電と呼ばれた少女の足枷を外す事にする。

 

「電は最後で良いのです、雷ちゃんから先に外して欲しいのです……」

 

 湊にとってはこの際どちらからでも良いと思ったのだが、姉を立てるべきなのかどうかを悩んでしまう。そんなくだらない事を考えて居る湊に叢雲が鍵を寄こせと肩を叩いた。

 

「同時ならお互い文句無いでしょ?」

 

 少女達を鎖から解放した所までは良かったのだが、緊張の糸が切れて泣き出した電につられて全員が泣き出してしまった。湊は必死で泣き止むようにと声をかけていたが、結局全員が泣き疲れて眠るまで泣き止むことは無かった。

 

「俺が暁と響を運ぶから、2人は雷と電を頼む」

 

 湊は眠ってしまった暁と響を起こさないようにそっと抱き上げる、阿武隈は雷を叢雲は電を背負って少女達を閉じ込めていた部屋から出る。長い時間真っ暗な部屋に居たせいか、太陽の光から逃げるように湊が抱えていた2人が体を捩じったせいで湊は慌てて抱きなおす。

 

「アンタにしては良くやったわね、褒めてあげるわよ」

 

「あたし的にも感謝してます!」

 

 急に礼を言われた事で恥ずかしくなってしまったのか、湊は何か良い誤魔化し方が無いか考える。

 

「んー、礼より先にコイツ等を風呂に入れないとな、ちょっと臭い」

 

 湊の誤魔化し方は決して少女に使って良い誤魔化し方では無かった。その言葉を聞いた阿武隈と叢雲は湊に冷たい視線を送る。

 

「アンタ最っ低ね、さっきのは無しにして」

 

「あたしやっぱりこの人苦手かも……」

 

 先ほどとは正反対の言葉を投げつけられた湊だったが、その表情は明るかった。阿武隈も叢雲も冗談だとは理解しているようで、湊に対して文句を並べていたが2人とも嬉しそうだった。

 

「っと、ここから先は私達に任せて」

 

「流石に阿武隈や叢雲じゃ2人は抱えられないだろ」

 

「私達が先に雷ちゃんと電ちゃんを入渠させてくるので、ここで待っててくださいぃ!」

 

「お、おう」

 

 入渠施設と呼ばれる建物の前についた湊は突然慌てだした2人にその場で待つように指示されてしまった。阿武隈と叢雲は慌ただしく雷と電を抱えたまま中に入ると、息を切らせて戻って来た。

 

「なぁ、俺も手伝おうか?」

 

「良いから! あんたはそこで大人しく待ってなさい!」

 

「こ、ここは艦娘のメンテナンスを行う場所なんです! 私的には知識の無い湊さんが下手に手を出さない方が良いかなって」

 

「そういう事なら仕方ないか、じゃあ暁達をよろしくな」

 

 専門知識が無い以上は黙って少女達の指示に従おうと決めた湊は今回の出来事を確認するために執務室に戻った。

 

「さて、どうしたものか」

 

 執務室はまるで空き巣にでも入られたのでは無いかと思える程散乱しているが、荒らした張本人である湊は先に片付けるべきなのかどうか悩んでいた。

 

「片付けは後で良いか……」

 

 湊は手の届く範囲に散乱した資料を集めながら机までの道のりを確保すると、椅子に腰かけ電話を手繰り寄せると元上司に連絡を入れる。軍の管轄が違う以上は詳しい情報は聞けるとは思えなかったが、少なくとも部屋を片付けているよりは有意義な情報が手に入ると考えていた。

 

「こちら鹿屋基地の湊です、中将に確認したい事があるのですが」

 

『あら、湊さんでしたか。 すぐに代わりますね』

 

 電話に出たのは淀川だった、まだこの基地にきて1日しか経っていないが湊は淀川の声を聞いて懐かしい気分になっていた。

 

『どうした、もう根を上げたのか?』

 

「根を上げたと言えばそちらに戻して貰えるんですか?」

 

 淀川の声を聞いて懐かしんでいた湊だったが、低く威圧するような声が聞こえてきて気持ちを切り替える。

 

『用件は何だ?』

 

「以前鹿屋に居た提督が部下を監禁していたようです、これは上に報告しても大丈夫でしょうか?」

 

『貴様も命令違反をした部下に謹慎を与える事があっただろう、何の問題があるんだ?』

 

「まぁ、そう言われてしまうと身も蓋も無いのですが。 それで、俺が鹿屋に来る前にここを管理していた者の情報や、問題なんかの情報って無いですかね?」

 

 艦娘という存在が何処まで公にされているのか分からない湊にとって、先ほどの事件の内容を他人に伝えるというのは難しいようだった。

 

『儂から教える事はできんが、海軍の知り合いの連絡先を教えてやるからそちらに聞いてみると良い。 相手にしてもらえなければ陸の狐が海の狸に用があると言えば答えてくれるだろう』

 

 湊は中将に告げられた名前と電話番号を適当な資料の裏にメモしていく。

 

「教える事はできないという事は、ある程度は中将も知っていたって事ですよね? 事前に説明して頂ければもっと上手く立ち回る事ができたんですけどね」

 

 湊と中将の間に沈黙が続く、冷静を装っていても湊にとっては今回の事件は許すことができない内容だった。

 

『生意気な口を利くようになったものだ。 施設を思い出して機嫌でも悪くなったのか?』

 

「ええ、ガキの御守りなんて施設に居た頃以来ですよ。 それじゃあ、連絡先ありがとうございました」

 

 中将にも音が聞こえるように湊は乱暴に受話器を叩きつける。そして大きく深呼吸を繰り返した後叩きつけた受話器を拾い直しメモに書かれた番号を入力していく。

 

『こちら呉鎮守府です、ご用件は何でしょうか?』

 

「鹿屋基地の湊臨時少佐と申しますが、そちらの提督とお話をさせて頂いても大丈夫でしょうか?」

 

『申し訳ありません、提督は現在誰の連絡も取り次ぐなとの事なので……』

 

「陸の狐が海の狸に用があると連絡してもらっても大丈夫ですか?」

 

『狐に狸ですか、少々お待ちください』

 

 湊は中将に言われた通りに伝えてみると、数分して明らかに怒りの籠った男の声が聞こえてきた。

 

『儂に何の用だ?』

 

「初めまして、鹿屋基地に所属している湊臨時少佐です」

 

『自己紹介など要らん、何の用かと聞いておる』

 

 妙に威圧的な態度に1度は落ち着いた湊の怒りに再び火が付き始める。

 

「端的に申し上げますが、私が鹿屋に来る前にここを管理していた者は大層なクズみたいですね。 そんな男の情報を頂きたいのですが?」

 

『……暁型駆逐艦の事か』

 

「ご存知でしたか、そうであれば海軍とは組織で子供を鎖で繋ぐようなクソ野郎共の集まりだったという事ですね」

 

『貴様、誰に向かって口を利いているか分かっているのか?』

 

「ええ、子供を監禁するようなクソ野郎の親玉を相手にしていると理解しています。 階級が上がれば何をしても許されるとでも思っているのでしょうか?」

 

 湊の頭には完全に血が上っていた、呉の提督も湊の言動に対し怒りを覚えたのか互いの言葉は徐々に乱暴な物に変わっていく。

 

『鹿屋の艦娘の管理については前任の提督に一任してあった、前任がそうする事が艦娘の運用に繋がると考えての行動であれば間違った事をしていたとは言い切れん』

 

「それ本気で言っているんですか? 言う事の聞かない子供に体罰を与え命令を聞かせる事が本当に間違ってなかったと思っているのですか?」

 

『人道から外れた行為なのは儂も理解している、しかしそれ程にも海は危険に晒されておるのだ。 今は使えぬ兵器でもどうにか使う道を模索しろ大本営からの指示もあった』

 

「なるほど、戦に負けているのは少女達があんたの言う事を聞かない事が原因だと言いたいのですか?」

 

 湊にとって暁達の事も許せなかったのだが、少女達の事を兵器だと言い切った提督の発言が何よりも許せなかった。

 

「この際だから言わせてもらいますが、戦に負ける理由を艦のせいにするとは、それでもあんた達は船乗りなんですか? おっと、デスクワークで上に上がった提督には皮肉にもなりませんでしたね」

 

『……何も知らない癖に好き勝手言いおって! 艦娘は間違いなく欠陥兵器だ、前任の提督の資料にもそう書かれておる。 貴様は余計な事に首を突っ込むんじゃない!』

 

「欠陥兵器ですか、自分達が運用できなければ欠陥だと言うのはガキの我儘と何も変わりませんよ。 近いうちに少女達は間違いなくこの国の希望になります、その時に悔しがっても手遅れですからね」

 

『面白い、1週間後に呉から鹿屋に艦娘を輸送する作戦がある。 陸路を使おうと思っていたが、貴様の信じる少女達に護衛を任せようと思うが良いかね?』

 

「分かりました、詳細を鹿屋に送ってください。 私はクソ野郎の後片付けがあるのでこれで」

 

『……その任務に失敗したならば大本営も艦娘に頼ろうなど馬鹿な考えは捨てるだろう』

 

 湊は呉の提督の捨て台詞を聞き終えると再び受話器を机に叩きつけた。怒鳴りすぎて喉を傷めたのか湊が首を擦っていると、執務室の扉がゆっくりと開かれた。

 

 

 

 

 

 執務室で怒鳴っていた湊とは別に食堂でも少女達が難しそうな表情を浮かべ小さな会議を開いていた。

 

「それじゃあ第5回駆逐艦会議を始めるわよ」

 

「あの、あたしは駆逐艦じゃないんだけど……?」

 

「阿武隈さんはゲストよ、良いから本題に入るわね。 今回はアイツの事について意見を出してもらうわよ」

 

 叢雲はどこから持って来たのか分からないホワイトボードを叩くと意見を出すように声を荒げた。

 

「夕立は怖い人だけど、本当は良い人だと思うっぽい!」

 

「僕も夕立と同じ意見かな、直接話した訳じゃないからはっきりした事は分からないけど」

 

「あたし的にはOKですけど、ちょっとデリカシーが足りないかなぁって……」

 

「意外ね、もっと否定的な意見が出ると思ってたわよ」

 

 ここに居る全員の意見が肯定的だったのは間違いなく湊が暁達を助けた事に関係していた。この会議が開かれて5回目になるのだが、1回から4回までは全て暁達をどのようにして助けるかという議題で行われている。

 

「叢雲ちゃんが1番話をしていると思うし、叢雲ちゃんの意見も聞きたいかな」

 

 叢雲は阿武隈に話題を振られ腕を組んで考える。少女にとって湊の第一印象は決して良いとは言えなかった、式でも勝手な行動をしていたし正直に言ってしまえば暁達の件が無ければ印象は最悪だった。

 

「少なくとも私達の事を兵器としては扱って無いと思う」

 

「だったらもっと早く暁達の事を教えれば良かったっぽい!」

 

「結果的にそうだけど、何も知らない彼が暁達を見て僕達の事を間違った方向に勘違いされるとって考えると焦らなくて正解だったと思うよ」

 

「良くも悪くもあいつは無知なのよ。 艦娘についてだってここに着任するまで知らなかったみたいだし」

 

「じゃあ今のうちに私達の事を教えるってのはどうかな? そうしたらきっと優しくしてくれるっぽい!」

 

 叢雲は夕立の言葉を聞いて考える、恐らくは夕立の言う通りになるとは思ってもそれは『ぽい』ではダメなのだ。もしかしたら湊が叢雲達を騙すために演技をしている可能性を考えればここはもう少し様子を伺った方が良いと判断する。

 

「叢雲ちゃん?」

 

「何よ」

 

「思ってる事はちゃんと言葉にした方が良いよ、この問題はあたし達全員の問題なんだから、叢雲ちゃんだけが悩む必要は無いからね?」

 

 阿武隈の言葉を聞いて叢雲は大きく溜め息をついた、阿武隈は普段は頼りないとしか思えないが、時折見せる真剣な表情は叢雲達駆逐艦にとって最も信用の置ける軽巡洋艦なのだと自覚させる事がある。

 

「私はまだ信用できるかどうか分からないわね」

 

「叢雲の意見を否定する訳じゃないけど、僕は信じてみたいと思う。 もしかしたら艦の記憶がそうさせているのかもしれないけど、そうしないと始まらないと思うんだ」

 

 時雨の言葉を聞いて全員が黙ってしまった。艦の記憶を持つ少女達には人を信用したいという思いは確かにあった、個人差はあってもかつて人と協力して戦い、共に沈んでいった仲間達の事を疑うような真似はしたくなかった。

 

「そうね、裏切られる事ばかりを考えても前に進めないわよね」

 

「うん、分かってくれて嬉し──

 

 時雨の言葉を遮る様にして食堂の扉が音を立てて開かれる、少女達は一斉に音のした方向へ視線を向けると肩で息をしている天龍が立っていた。

 

「おい! ガキ共が居ねぇぞ!?」

 

 天龍は暁達が目覚めた時に不安になるとまずいと言って入渠施設で待ってくれていたはずだが、その一言で椅子に座っていた少女達は一斉に立ち上がった。

 

「まずいわね、脱走とかだったら下手すると解体もありえるわよ?」

 

「他の人に見つかる前にあたし達で先に見つけましょう、あたしは艤装が有るかを確認してきます」

 

「夕立は正門に向かって! 僕は桟橋の方を見てくる!」

 

「俺は鎮守府の周りを走って探してくる!」

 

 こうして少女達による暁姉妹捜索作戦が開始された。阿武隈は艤装が置かれた倉庫の中を必死で探した。

 

「艤装は有るみたいだし、海には出てないかな。 もしかして隅の方に隠れてたり……?」

 

 必死で棚を動かし衣服が汚れるのも気にせず倉庫のありとあらゆる場所を探していた。

 

 夕立は正門に辿り着くと周囲を見渡した。

 

「居ないっぽいぃ……。 そうだ、もっと高い所から探せばよく見えるっぽい!」

 

 木に登る途中毛虫と目があって何度も地面に落下したが、それでも夕立は諦めなかった。

 

 時雨は桟橋に置かれたテトラポットの中を確認していた。

 

「隠れるなら人目の付かない場所だよね。 おーい、暁ー?」

 

 時雨の返事に答えたのは大量のフナ虫だった、時雨は顔を真っ青にして咄嗟に飛びのいたが、足場の悪いテトラポットの上から転げ落ちる事になった。

 

 天龍は走っていた。

 

「ガキ共ー! 何処だー!」

 

 どうにか数十分かけて1週したが、暁達の事を見つける事はできず見落としたのかもしれないとひたすら走り続けた。

 

 叢雲は鎮守府に居る他の艦娘に暁達を見なかったかと聞いて回った。

 

「す、すみません! 睡眠中とは知らずに、お騒がせしました!」

 

 しかしもう昼過ぎだと言うのに眠っていた元上司の部屋を訪ねてしまい機嫌を損ねないようにと必死で頭を下げた。

 

 そんな必死な少女達とは関係ない場所で捜索作戦の目的は宙を舞っていた。

 

「すごいのです! 力持ちなのです!」

 

「危ないから絶対に手を離すなよ?」

 

 湊は電の両手を掴むとしっかりと軸足を決め回転しながら電を振り回していた。30秒ほど回転するとゆっくりと電を抱きかかえ床に降ろしてやった。

 

「次は私の番だよ」

 

「ちょ、ちょっとだけ休憩させてくれ……」

 

「目が回ったけど楽しかったのです!」

 

 そうして少女達の捜索作戦は日が沈みかける頃に暁達が居なくなったと湊に報告すると覚悟を決めた事で終わりを告げた。

 

「で、あんたは何やってんのよ」

 

「何って、こいつらがじゃれてくるから……」

 

 執務室に集まった少女達は皆悲惨な状態になっていた。阿武隈は服のあちこちに油がついており、自慢の前髪には大きな綿埃がついていた。

 

「もうやだ……」

 

 夕立の頭には木の葉が乗っており、服のあちこちが破れてしまっていた。

 

「も、も~ばかぁ~!」

 

 時雨は海にでも落ちたのか濡れてしまった靴を手に持っていた。

 

「君達には失望したよ……」

 

 叢雲は外見こそ他の子と比べればまともだったが、精神的にかなり追い詰められたような表情をしていた。

 

「……ありえない」

 

 そんな満身創痍な少女達を他所に暁達は湊に遊んでもらおうと騒いでいた。

 

「頭をなでなでしないでよ! もう子供じゃないって言ってるでしょ!」

 

「暁もそう言っているし、代わりに私の頭を撫でてもらっても構わないよ」

 

「響ちゃん順番飛ばしは良くないのです!」

 

「みんなちょっとは落ち着きなさいよ! 電こそ順番飛ばししないでよ!」

 

 本当は心配をかけた事に対して怒鳴ってやりたいと叢雲は思っていたが、久しぶりに笑顔を見せている暁達を見てどうでも良くなってしまった。

 

「いい加減離れろって!」

 

「はわわわ、怒っちゃったのです!」

 

「君達、いい加減にしないと怒るよ?」

 

 時雨の一言で全員が黙った、執務室の温度が一気に下がってしまったのでは無いかと思える程の緊張感に、何故か怒られる立場では無い夕立までも怯えてしまっていた。

 

「えっと、暁ちゃん達はどうしてここに居るのかな……?」

 

 長い沈黙を破ったのは阿武隈だった。

 

「一人前のレディとして、お礼は言わなきゃダメだと思って……」

 

「私も暁と同じだ」

 

「そうそう、お礼はちゃんとしないとね」

 

「みんなと同じなのです!」

 

 暁達の言葉を聞いて少女達は一斉にその場に崩れ落ちた、素直過ぎるその言葉に叢雲と同じように怒る気力が無くなってしまったようだった。

 

「ところで、君達とは初対面だよな?」

 

 湊は背中合わせに座り込んだ時雨と夕立に声をかけた。

 

「僕は白露型駆逐艦、時雨。 隣に居る夕立の姉になるかな」

 

「白露型駆逐艦、夕立よ。 時雨の妹っぽい!」

 

 鹿屋基地で空気が読めないと言えば夕立だったが、湊はそれ以上に空気が読めていないような気がする。叢雲達からすればこの場はまず自分達の心配をするのが優先されるのでは無いかと思っていた。

 

「2人共駆逐艦か。 阿武隈は軽巡洋艦だったよな、他の艦種ってこの基地に居ないのか?」

 

「居るわよ、と言っても軽巡洋艦が3人に重巡洋艦が1人、戦艦が3人と1人かしら。 あんたの事を信用できるまではどこかで監視てもしてるんじゃないかしら」

 

「なんというか複雑な気分だな、暁達の事を考えると仕方が無いのかもしれないけどな。 それと、折角集まったみたいだから伝えておくけど、明日から海上で訓練を開始するから0600に偽装をつけて桟橋に集合する事」

 

「夕立海に出れるっぽい!?」

 

 湊の言葉に1番に反応したのは夕立だった、他の少女達も夕立程大袈裟では無かったが、久しぶりに海の上を走れると考えると口元が緩んでいた。

 

「出れるっぽいぞ。 そろそろ本格的に君達の事を知る必要が出てきたしな、艦娘なんだから陸上よりも海上の方が良いだろ?」

 

「そんな勝手な事して良いの? 艤装を付けるって事はあんたが撃たれるとかそういう心配しない訳?」

 

 湊の前任は艦娘の反抗を恐れて一部の従順な艦娘にしか艤装を装着させていなかった。

 

「……もし俺目掛けて撃ってきたら罰として執務室の片付けをやってもらうからな」

 

 湊はそう言って部屋の隅に乱雑に集められた資料の山を指差す、中には『機密』と書かれた判子の押されている物もあり、それを見た少女達は呆れてしまった。

 

「でも、本には6人が良いって書いてたしこのままだと2人余るのか」

 

「僕は待機で良いよ、暁達をバラバラにするのは可哀そうだし、夕立はもう自分が海に出る気みたいだしね」

 

「うぅ~んっ! 楽しみっぽい!」

 

 夕立には時雨達の会話は届いていないのか、期待に目を輝かせ気持ちだけは先に海の上へと飛んで行ってしまっているようだった。

 

「どんな訓練にするの?」

 

「一応水雷戦隊ってのを組んで、護衛任務を想定した訓練にするつもりだ」

 

 叢雲の質問に湊は答える。

 

「そう、なら旗艦は阿武隈さんになるし、私も留守番で良いわよ」

 

「そうか、ありがとう。でも、一応時雨と叢雲も時間になった艤装をつけて桟橋に来てくれ。 それと───

 

「そうだ! 夕立達はあなたの事をなんて呼べば良いの?」

 

 我に返った夕立が湊の言葉を遮る。その言葉に執務室に居た全員がハッとした表情で湊に視線を集める。唯一叢雲だけは出会った時に自己紹介を受けていたし、鹿屋に着任した理由も聞いていたので興味無さそうにしていた。

 

「そういえば叢雲以外には自己紹介してなかったか、俺の名前は湊。 階級は臨時少佐で鹿屋には教官として新兵を鍛えてやって欲しいって指示を受けて着任している」

 

「みなとさんですか、私達にぴったりな名前なのです!」

 

「たぶん電が考えてるのは『港』の方だな、残念だけど漢字は違うぞ? 意味は一緒らしいけど、さんずいに奏でるって書いて湊だ」

 

 そう言って湊は胸ポケットにしまっていた身分証を電に見せた、全員がそれを見たかったのか電の上から覗き込むようにして電が潰されてしまった。

 

「重いのです!」

 

 しかしそんな電の悲鳴よりも少女達の視線は身分証の湊の写真に集中していた。

 

「一人前のレディは見た目で人を判断しないんだからね!」

 

「頭がいがぐりみたいなのです!」

 

「何か悪い事したっぽい?」

 

「あたし的には絶対NGかなって……」

 

「さすがにこれは恥ずかしいな」

 

 少女達に見せた身分証には軍服に坊主頭という正直お世辞にも見た目が良いと言う物では無かった、それだけでも威圧感は十分だったのだが写真に写っている湊の目付きの悪さが更に犯罪者のようなイメージを醸し出していた。

 

「髪の事には触れないでくれ、今はこうして伸びてるだろ」

 

「大丈夫、雷は髪型や目つきで人を嫌ったりしないわよ! それに、叢雲や天龍さんみたいに目付きが悪くても良い人だっていっぱい居るもの!」

 

 雷の言葉に叢雲、阿武隈、時雨、夕立が固まった。その様子を不思議に思った湊は尋ねた。

 

「どうした? そんなに目付きが悪いっての気にしてたのか?」

 

 暁姉妹捜索作戦が開始されて既に2時間近くが経っていた、しかしこの場には作戦に参加した艦娘が1人足りない。

 

「あんた達! 天龍さんを探すわよ!?」

 

 叢雲達は暁達の手を引き執務室を飛び出した、結局天龍は日が沈み真っ暗な道をフラフラと走っている所を湊によって保護された───。



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笑顔の仮面

 本日は快晴、海を渡ってくる風は程よく冷たく陽射しは少し強いが外に出て読書をするには最適な気候だろう。湊は海兵隊の訓練内容や実際に艦を動かす際の説明が書かれた本を読みながら少女達を眺めていた。

 

『電ちゃんこっちに流されてるっぽい!』

 

『はわわ、急に言われても止まれないのです!』

 

 海の上を滑るように航行している少女達を見ながら湊は少しだけ羨ましく感じる。湊は泳いだことはあっても水上スキーのようなマリンスポーツと呼ばれる物の経験は一切無かった。

 

 そんな事を考えていても仕方が無いと思いながら、本に書かれた内容を読み進めているが、やはり自分に経験の無い事を誰かに教えるというのは想像しているよりも難しいようだった。

 

「攻めの基本は単縦陣、潜水艦相手には単横陣、護衛の際には輪形陣。 こんなに勉強したのっていつ振りだろうな……」

 

 湊が読んでいる本には艦隊運動は陣形の維持が基本だと書かれている。流石に訓練の内容も告げずにただ海の上に出す訳にもいかず旗艦である阿武隈に本に書かれた内容をそのまま指示していたが、少女達の動きはぎこちなく、時折互いにぶつかり何度も海の上で転倒しているようだった。

 

『響ちゃん、前に出過ぎですぅ! もっと周りに合わせてくださいぃ!』

 

『すまない。 でも、流石に遅過ぎると思うんだ』

 

 少女達の中でも航行に慣れている者と慣れていない者が居るのか、少し移動するだけで出発前には整っていた陣形がすぐに乱れてしまっているようだった。

 

「全員集合」

 

 湊は本を閉じると無線機を使って少女達に声をかける。その声を聞いた阿武隈が陣形を単縦陣に切り替えるように指示を出したようだが、湊に向かいゆっくりと進む少女達は蛇やミミズが地面を這っているかのようにフラフラと左右にずれながら移動をしていた。

 

「だ、第一水雷戦隊、集合しました!」

 

 戻って来た阿武隈は湊に向かって精一杯声を出して報告をしたが、湊は手を上下に振って声のボリュームを下げるように促す。

 

「堅苦しい事は今は良いよ。 それで、久しぶりに海に出た感想はどうだった?」

 

 湊の質問に1番早く返事をしたのは夕立だった。

 

「すっごく楽しかったっぽい!」

 

「こら、夕立!」

 

 元気よく発言した夕立の頭を時雨が軽く小突く。少女達の中でもある程度察しの良い者は自分達の不甲斐なさに湊から叱責を受けるのでは無いかと表情を暗くして俯いてしまっている。

 

「阿武隈、輪形陣の目的って何だ?」

 

「主力や護衛対象を中心に位置させ、周囲の護衛艦が全方位に索敵を──」

 

 阿武隈の説明は先ほど湊が読んでいた本に書かれている通りだった。少しドヤ顔で説明している阿武隈を湊は「長い」と一言告げて黙らせる。

 

「もう少し分かりやすく説明してみろ、他の子達に輪形陣の目的はちゃんと説明したのか?」

 

「せ、説明はしましたけど、みんな分かってるって……」

 

「そうか、でも分かってない子も居たようだったが?」

 

 湊は響に向かって手招きをすると、桟橋の上にいる湊に近づくように指示を出す。

 

「響は阿武隈の説明をちゃんと理解できていたか?」

 

「もちろん、今回は叢雲を護衛対象にして周囲の索敵を行ったよ」

 

「そうだな、しっかり周囲を見渡していたみたいだしな。 でも1つ質問なんだが、響は周りが遅いと言っていたみたいだがその言葉は本当に正しかったのか?」

 

「そ、それは……。 すまない、久しぶりの海で少し気が緩んでいたようだ……」

 

 小さい身体を更に小さくするように俯いてしまった響を見て湊は胸を痛めているようだった。鹿屋に来る前のように相手が屈強な男達なら問題無いのだが、目の前で叱られ落ち込んでしまっているのがまだ幼い少女だという事実に罪悪感を感じたのだろう。

 

「ちょっと、響ばかり責めないでよ! 私達だってちゃんと阿武隈さんの指示通り動けてなかったんだから!」

 

 雷が湊に反論していたが、湊としては叱るべき場所で叱っておかないと示しがつかないと思っている以上、罪悪感に襲われながらでも少女達に伝えるべきだと覚悟を決めたようだった。

 

「雷は周りの子達を気にして周囲の索敵を疎かにしているようだったな、電は何度も他の子とぶつかっていた。 もしこれが訓練じゃなく実際の戦闘中だったらどうなる?」

 

「敵の発見が遅れるわね……」

 

「ぶつかった子も危ない目に合うのです……」

 

「うん、その通りだと俺も思う。 それが分かっているなら俺から言う事は無いよ」

 

 質問に答えられたという事は少女達は自分達の失敗に気付けているという事だろう、気付いているのであればこれ以上指導する必要は無いと湊は笑顔で頷く。

 

 その後も少女達全員の動きを思い出しながら湊は1つずつ質問を繰り返していくと、初めは叱られるのではと思い俯いていた少女達も話が終わる頃には顔を上げ真直ぐ湊の顔を見ていた。

 

「あんた、もっと適当な性格だと思ってたけど、意外としっかり見てるのね」

 

「うん、僕も驚いた。 てっきりだらしないと叱られて終わると思ってた」

 

 湊にとっては今回の指導内容はただ本に書かれた内容を自分なりに解釈した付け焼刃としか思っていなかったが、予想以上の高評価に少し気恥ずかしく感じているようだった。

 

「俺はまだ皆の事を良く分かっていない、だから俺が話した内容でも間違っていると思えばどんどん言ってくれても良いし、気になる事があれば聞いてくれても良い」

 

「それじゃあ質問なのです、どうやったら電は真直ぐ進めるようになるのでしょうか……?」

 

「難しい質問だな、どういう理屈で海の上を進んでいるのかは分からないが足元のソレに振り回されているようだったし、少し体力をつけた方が良いのかもしれないな」

 

 湊は電の足元を指差すと全員が自分達の足についている主機に視線を落とす。現に少女達が桟橋に戻って来た時には大きく肩で息をしている子や、今も立っているだけで辛そうにしている子もいる。その後は全員で訓練の内容について意見交換をし、1200までの残り1時間は休憩を挟みながら先ほどと同じ内容で訓練をする事に決まった。

 

「叢雲は残ってくれ、話がある」

 

「……分かったわよ」

 

 湊は少女達と一緒に再び沖に向かおうとした叢雲に声をかける、声をかけられた叢雲は何か小言を言われるのでは無いかと思ったのかあまり良い表情では無かった。

 

 湊と叢雲は2人で桟橋から足を投げ出して並んで座っている、沖では相変わらず少女達が騒いで居たが2人の間には沈黙が続いていた。

 

「で、要件は何なのよ」

 

「そんなに焦るなよ、俺はもう少し君達の事を知りたいだけなんだ。 だから雑談だと思って楽にしてくれ」

 

 湊は艦隊行動について書かれている本と一緒に持って来た資料を取り出すと叢雲に見えるように広げる。資料の中には『駆逐艦 叢雲』と書かれた項目があり、かつての日本のために戦った艦の経歴や、艦娘として生まれ変わった少女の経歴が簡潔にまとめられていた。

 

「鹿屋に来る前は横須賀に居たのか、俺はあまり国内で旅行をした経験が無いんだが、どんな所なんだ?」

 

「何よ、言いたい事があるならはっきり言いなさいよ」

 

「そう焦るなって……」

 

 叢雲は資料に赤線の惹かれている項目を左の手の甲で軽く叩く、そこには横須賀鎮守府での叢雲の問題行動について書かれており、赤線を引いたのは湊が来る前に鹿屋に居た提督だろう。

 

「命令無視等の行為を繰り返し鹿屋へと転籍、間違い無いか?」

 

 湊としては雑談をしてもう少し互いに距離を縮めてから聞き出すつもりだったのだろうが、湊の質問に叢雲は苦虫を噛み潰したような表情で頷いた。

 

「向こうで私は睦月型の子達と偵察任務ばかりやってたの」

 

「睦月型か。 どんな艦なのかは分からないが、叢雲は前に特型駆逐艦って言ってたよな」

 

「ええ、睦月型と同じように言うのなら私は吹雪型になるのかしら」

 

 湊は叢雲の言葉に頷が、初めて会った時には少女が吹雪型では無く特型と自分の事を言っていた事を考えてそれ以上の質問はしなかった。

 

「一緒に任務をしてた子達はどんな子だったんだ?」

 

「色々な子が居たわね、騒がしい子も居れば無口な子も居たし、艦娘なのに髪が濡れるのを嫌がってた子も居たわね」

 

「同じ艦娘でも色々居るんだな」

 

「当たり前じゃない、艦娘がみんな夕立みたいな性格だったら絶対に収集付かないわよ?」

 

「確かにそうだ」

 

 湊と叢雲は沖で訓練している少女達が全員夕立だったらと想像して複雑な気持ちになりつつも笑いあう、その後に先に口を開いたのは叢雲だった。

 

「偵察中に敵と遭遇、こっちは気付くのが遅れて1人が被弾。 主機をやられて誰かが支えて無いと沈んでしまう状態になったわ」

 

 叢雲は当時の状況を思い出したのか眉を寄せて不機嫌そうな表情のまま話しを続ける。

 

「私は撤退するように要求をした。 でもね、帰って来た答えは援軍が到着するまで戦闘を継続。 主機のやられた子は放棄しても構わないって」

 

「仲間を見捨てろって事か」

 

「そうよ。 だから私は命令を無視して全員に撤退指示を出した、私は間違ってない、私は誰かを犠牲にするような作戦には絶対に従わない」

 

 湊は叢雲の言葉に答えるために自分ならどうしていたかを考える、軍という組織で動く上で下を切り捨てるという行為は特に珍しい事ではない。だからこそ、その判断を下し成功した者は美談として取り上げられる事が多い。

 

 叢雲の行った行為に関しては人名優先と考えれば美談として受け取られる可能性もあったが、艦娘が兵器として扱われている現状を考えれば敵前逃亡の以外の何でもない。

 

「なるほど、叢雲の言いたいことは分かった。 従いたく無ければ従わなくても良い。 俺が間違っていると思えば命令なんて無視してもらっても大丈夫だ」

 

「……は? あんた自分が何を言ってるか分かってるの?」

 

 湊の返答があまりにも予想外だったのか、叢雲は鳩が豆鉄砲を食らったかのように何度も瞬きをしながら湊の顔を覗き込む。

 

「その代わり、従わないのならもっと上手くやれ。 無線の調子が悪くて聞き取れなかったとか、言い訳なんていくらでもできるだろ」

 

「あんたって軍人よね……? 陸の軍人ってそんな適当なの?」

 

「俺の昔居た部隊の隊長の口癖なんだが『どうせやるなら上手くやれ』って良く言っていたよ。 命令違反や銀蠅だってそうだバレなければ問題にならないし、バレても言い訳が通れば罪に問われない可能性だってある」

 

 湊の言葉に叢雲は興味を持ったのか身を乗り出して言葉の続きを待っているようだった。

 

「その代わりバレないように必死で頭を使え、バレても自分や仲間を守れるようにその倍頭を使え。 その方が命令に従うだけの兵士よりも良い兵士が育つんだってさ」

 

 実際湊の周りではそういった事に頭が回る人間の方が早く出征している傾向にあった。間違いなく勤勉さも重要なのだろうが、勉強だけでは要領の良さまでは学ぶことはできず、誰かの上に立つ人間とは大体がそれなりの狡賢さを備えていた。

 

「ふーん。 で、バレた結果があの坊主頭って訳?」

 

「まさか。 自慢じゃないが俺は二十歳を超えてからその手の類で罰を受けた事は無い。 あれは俺の居た部隊にちょっかいをかけてきた野郎をぶん殴ったら、自分よりも階級が上だったって不幸な事故の結果だ」

 

「ふふっ、あんたって本当に馬鹿ね」

 

 湊は叢雲の笑顔を見ながら話して良かったと心の底から思った、年相応の笑みを浮かべる少女には機嫌の悪そうな顔をしているよりも間違いなく似合っていると思ったから。

 

「正直俺がどうしてこの基地に来たのかは分からない。 教官として働けって言われたが俺が君達に教えてやれる事なんて限られてると思う」

 

「そう? 私としては訓練をしているよりもずっと勉強になったわよ?」

 

「まぁ聞け。 だからさ、まずは君達と正面から向き合って俺にできる事を探す事から始めようと思う」

 

「良いわね、偉そうに踏ん反り返っている連中の何倍も素敵だと思うわよ?」

 

 湊は叢雲に向かって右手を差し出すと、叢雲はそれが何を意味しているのか気付き意地の悪そうな笑みを浮かべる。

 

「まぁ過度な期待はしないでいてあげるわよ」

 

「あぁ、変にプレッシャーをかけられても困るからな」

 

 湊も叢雲の笑みにつられ意地の悪そうな笑みを浮かべる。

 

「よろしく、『湊教官』」

 

「こちらこそよろしく頼むよ、叢雲」

 

 2人は互いの手を握り合ったまま意地の悪そうな笑みを浮かべていたが、訓練を終えて戻って来た少女達にはそれが何かの悪巧みでは無いかと心底不安になっていた。

 

「で、何だこれは」

 

 時刻も1230となり訓練の終えた少女達と食堂に移動した湊は目の前に置かれている缶詰に驚き真顔で目の前に座っている夕立に問いかける。

 

「乾パンっぽい?」

 

「っぽいじゃなく間違いなく乾パンだね」

 

「いや、それくらい見たら分かるって」

 

 夕立と時雨は缶詰の中身が乾パンだと説明してくれたが、それは缶のラベルを見れば誰だって分かる事だった。湊は中身を1つ摘まむとゆっくりと自信の口に運ぶ。

 

「……間違いなく乾パンだな」

 

 湊は特に食事に拘るタイプでは無かったが、乾パンに口内の水分を全て奪われていくような感覚に顔をしかめる。どうにか水を多めに口に含むことで対応していたが表情は以前暗い。

 

「何故基地の中でこんな物を食わなければならないんだ?」

 

「簡単な事だよ。 ここには非常食以外の食材は無い、料理できる子も居ない、それだけさ」

 

「夕立はもう慣れたっぽい!」

 

 湊と少女達はテーブルを囲んで全員で乾パンを頬張っている。湊としては艦娘と言えど、女の子なのだからそれなりに簡単な料理くらいはできると予想して、内心楽しみにしていたようだが期待を裏切られてしまったようだった。

 

「他に何か食べる物は無いのか?」

 

「あまりお勧めしないけど、ちょっと臭う缶詰なら」

 

「あ、あれだけはやめた方が良いっぽい!」

 

 食料に対して『臭う』と表現した時雨と、夕立の助言を聞いて湊は乾パンで我慢するという選択を選んだ。そんな中湊が気になったのは乾パンに張られているラベルを初めて見た事だった。

 

「これってどこのメーカーなんだ? 向こうの基地に居た頃に見たラベルとは違うみたいだけど」

 

「流石にそこまでは分からないかな、噂だと期限切れの近い缶詰や失敗した試作品なんかが定期的に輸送されて来てるって聞いたことがあるよ」

 

「まぁ捨てるコストを考えれば、不味くても食べてくれる奴等に配った方が有意義だって事か……」

 

「たまには美味しい物が食べたいっぽい……」

 

 湊は周囲の様子を観察してみるが、乾パンを食べる少女達の表情はとても暗い。そんな中異臭を漂わせながら謎の缶詰を食べている叢雲だけは妙に満足そうな表情を浮かべていた。

 

「なぁ、それって美味いのか?」

 

「何よ、気になるなら食べてみれば良いじゃない」

 

「じゃあ一口くれよ」

 

「別に良いけど」

 

 叢雲は付属されているスプーンで湊の持った乾パンの上に謎の物体を乗せる。陸軍でも沢庵なんかは臭うからと周囲から苦情が出ていたが味は良かった、もしかしたら乾パンに乗せられた物体も臭いや見た目は悪くても味は良いのではと思い湊は覚悟を決めてソレを口に含む。

 

「……なぁ叢雲。 美味いか?」

 

「嫌いじゃないわね」

 

「そうか。 艦娘の修理って何処でやるか分からないが、味覚の修理ができないか確認しておいてやるよ」

 

 そこまで言って湊は叢雲に脛を蹴られ情けない声を上げた。それを見ていた少女達は笑顔を浮かべていたが、湊としてはこの劣悪な食事環境をどうやって整えていくか考える必要があると感じていた。

 

「折角海が近いんだし、何か釣れないかな」

 

「教官さん釣りできるっぽい?」

 

「道具があればできなくも無いと思うぞ」

 

「それなら桟橋の近くにある倉庫にあったような気がする」

 

「ありがとう、ちょっと頑張ってみるよ」

 

 湊は少女達に食事が終わり少し休憩をしたら鎮守府の周囲を走るように指示を出した。回数に指定は無く休みながらでも良いので自分で決めた周回数だけは必ず守るようにと伝えると少女達は元気よく返事をした。

 

(遠回しに午後は適当に流せと言ったつもりなんだが、あの子達は真面目に走りそうだな。 真面目なのは良いがちょっと素直過ぎるかねぇ)

 

 湊は食堂を出ると時雨に教えて貰った通り桟橋の近くにある倉庫に向かう事にする。少し歩いていると後方から視線を感じ振り向いてみたが誰も居ないようだった。

 

「気のせいか?」

 

 間違いなく誰かに見られていたような気はしているのだが、振り向いても人影は見当たらない。湊は違和感を感じながらも倉庫に辿り着くと埃をかぶった荷物を適当に漁る。

 

「あったあった、ちょっと古いが糸や針もあるしいけそうだな」

 

 見つけた釣り竿はかなり年季が入っているようだったが、予備の糸や針もセットで箱に詰められており釣りをするには十分な物だった。湊は釣り竿を持って桟橋に向かうと、その辺に張り付いている貝を石で叩き割り中身を針に付けて海に垂らす。

 

(やっぱり視線を感じるんだよな)

 

 湊は釣りに集中する振りをしながら周囲の様子を探るが見られている気配は感じるが周囲には誰も居ない。悪意を感じている訳では無いのでそこまで気にする必要は無いかとわざとらしく欠伸をしてみるがやはり反応は無かった。

 

(まぁ良いか、晩飯のためにも頑張ろう)

 

 視線を気にしながらも釣りを続けるが、1時間近く経っても湊の釣り竿には当たりを知らせる反応は無い。

 

(これは真面目に釣り以外の食料の入手方法を考える必要があるな、町まで距離があるし結構な人数分の食料を買うと考えれば最低でも荷物持ちが必要になるか)

 

 鹿屋基地には艦娘が長距離移動できないようになのか、車両の類は配備されておらず唯一荷物運びに使えそうな物は木製のリアカーくらいだった。

 

「ヘーイ! あなたが新しい提督デスカー?」

 

 湊は後ろから胡散臭い訛り方で声をかけられる。

 

「悪いが俺は提督じゃない。 少し考え事をしているから用があるなら後にしてくれ」

 

 湊は話しかけてきたのが自分の事を監視していた人物だと直感的に悟ると、それとなく容姿を確認する。1時間近く仕掛けて来なかったという事は自分に敵意を向けているのでは無い事は分かっていたが、それでも天龍の事もあり警戒だけは怠らなかった。

 

「うー、なかなかつれない人ネー。 でも、そんな所も素敵ですヨー!」

 

「釣れなくて悪かったな。 魚が逃げるからもう少し声のボリュームを下げろ」

 

 少女の容姿は巫女服を少しいじったような、まるで何かの行事でコスプレでもしているのでは無いかと思えるような不思議な衣装だった。年齢的には阿武隈や天龍よりも上のようだが、顔はやや幼さを残している。

 

「私は金剛デース! ヨロシクオネガイシマース!」

 

「だからうるせぇって!」

 

 鹿屋で出会った艦娘が夕立を覗けば割と大人しい性格が多かったせいか、金剛と名乗った少女のテンションに湊は苛立ちを感じていた。

 

「……えっと、これくらいのボリュームで良いデスカ?」

 

「で、用は何だ。 ただお喋りしたいだけなら他を当たれ」

 

 指示通り声のボリュームを下げた事で湊は面倒だと思いながらも用件の聞いてやる事にした。

 

「実は──」

 

「実は?」

 

「一目惚れしてしまったのデース! 私も訓練に混ぜて欲しいデース!」

 

「そうか、じゃあ基地の周りを走ってこい」

 

 異常なまでの胡散臭さに湊は金剛を相手にする事を諦めた、初めて会って一目惚れしたと言われても何1つ信用できないという事もあったが、これまで雑に扱われて来た艦娘達が容易に誰かに心を開くというのも考えづらい。

 

「も、もう少しコミュニケーションを深めるとかどうでしょうカ……?」

 

「それもそうか、俺の名前は湊、階級は臨時少佐、よろしく頼むよ。 これで良いか?」

 

「なんだか雑デース……」

 

 なかなか自分のペースに巻き込むことができないせいなのか、金剛の表情が引きつっている。そんな少女の様子を見ながら湊はボロが出るまでは付き合ってやっても良いのかもしれないと考えていた。

 

「それならお前の自己紹介も聞いてやるよ」

 

「え、英国のヴィッカース社で建造された超弩級戦艦デース!」

 

「超弩級……?」

 

「イエース! 駆逐艦や軽巡に比べれば火力は桁違いネ、スピードだって高速戦艦と呼ばれた私に隙は無いヨ!」

 

「ふむ、要するに力が強くて足が速いって事か?」

 

 金剛は腰に手を当て自信満々の表情で湊の質問に頷く。

 

「確かに話を聞く限り俺の求めていた艦娘に近いかもしれないな、金剛の事をもっと知りたいから手始めに町にデートに行こうか」

 

「ナイスアイディアネ! 提督とのデート楽しみデース!」

 

 湊の反応に一瞬だけ金剛は口元を歪ませたようだったが、湊はそれを無視しながら釣り竿を片付けるとリアカーの置いてある倉庫へと雑談をしながら歩きだした。

 

「それじゃあ行こうか。 俺が引くから金剛は後ろから押してくれ」

 

「ど、どういう意味デスカ……?」

 

「町に買い出しに行くぞ、力もあるし足も速いんだろ?」

 

「デートに行くのデハ……?」

 

「男と女が2人で出かければ全部デートだ、喋ってる暇があったらさっさと押せ」

 

 

 金剛は突然の事に戸惑いながらも湊の指示通りリアカーを押し始める、力があり足が速いのであれば荷物持ちには最適だと考えた湊は後ろで不満そうな表情をしている金剛を無視してリアカーを引く。

 

「こんなはずじゃ無かったのニー!」

 

 金剛の苦情を無視しながら歩き続けると2時間程で人気のある場所まで辿り着く事ができた。基地の周辺は深海棲艦の襲撃に備え避難勧告が出ているようで、2人はリアカーを押しながら山を1つ超える結果になっていた。

 

「初めにクーラーボックスでも買うか、この天気じゃ肉や魚を買っても基地に戻る前に腐りそうだからな」

 

「りょ、了解デース」

 

 雑貨屋と思わしき場所に立ち寄ると青色のクーラーボックスをいくつか購入する、もう必要は無いのだが湊は視界に入ったチェーンカッターもなんとなく購入してしまった。

 

「次は米を買いに行くか、極力生物は最後に買おう」

 

「……了解デース」

 

 大型のスーパーでもあればまとめて購入できたのだろうが、生憎田舎に分類されるであろう町は商店街こそあるものの、小さな専門店がいくつもならんでいる状態だった。

 

「保存の効くものもいくつか買っておいた方が良いか、芋なんかの根菜なら日持ちすると思うがどう思う?」

 

「何でも良いと思いマース……」

 

 湊の額には玉のような汗が浮かび上がっている、普段から陸上で訓練をしていた湊でも炎天下の中リアカーを押して買い物を続けるという事に疲労を感じていたが、金剛は辛そうにしながらも笑顔で湊の指示に従っていた。

 

「これでフィニッシュ?」

 

「あぁ、こんな所だろう。 少し休憩したら基地に帰るぞ」

 

 リアカーに山積みにされた荷物を紐で縛り固定すると、湊は座り込んでしまった金剛を起こしてやろうと手を差し出す。

 

「だ、大丈夫デース!」

 

「……そうか、何か冷たい物を買ってくるからそこのベンチに座ってろ」

 

 金剛は差し出された手を受けるか一瞬だけ躊躇い、自力で立ち上がると砂のついてしまったスカートを払う。その仕草に湊は少しだけ違和感を感じた。

 

 湊は自販機で砂糖の入った珈琲と無糖のコーヒーを買うと横目でベンチに座って休憩している金剛を観察する。先ほどまで笑顔を浮かべていた少女だったが、ベンチに座り息を切らしている少女の表情はとても暗い。

 

「買いに行く前に聞いておけば良かったな、どっちが良い?」

 

「こ、コーヒーですカ……。 甘い方が良いデース!」

 

 2人は同時に缶についているプルタブを開けたが、珈琲を口に含んだのは湊だけだった。

 

「や、やっぱり独りは寂しかったヨー!」

 

「たった数分だろ、さっさと飲んで帰るぞ」

 

 恐る恐る缶に口をつけた金剛だったが、もの凄く複雑な表情を浮かべた後に引きつった笑みを浮かべる。

 

「つ、冷たくて美味しいネー!」

 

「それは良かった」

 

 湊はチビチビと珈琲を飲む金剛を見て、間違いなく金剛は珈琲が飲めないという事を察する。しかし笑顔を作り続ける金剛を見て初めから感じていた胡散臭さの正体に気付く。

 

「無理に笑う必要無いからな、不味いなら不味いって言えば良い」

 

「……何の事ですカー?」

 

 金剛は誤魔化すように珈琲を口に含むが、やはり耐える事ができなかったのか大きく咳込んでしまった。

 

「そのまんまの意味だ、別に俺の機嫌取りをしたって何の得も無いぞ」

 

「機嫌取りなんてしてるつもり無いネー、私はしっかりデートを楽しんでマース!」

 

 湊は咳込んでいる金剛の背中を擦ってやろうと手を伸ばすが、金剛は

 その仕草に驚き缶珈琲を地面に落とすとベンチから勢いよく立ち上がった。

 

「さ、触っても良いけどサー、時間と場所をわきまえなヨー!」

 

 暑さや重労働の後という事もあるのだろうが、金剛の額に汗が伝っている。自信の胸の前に手を移動させた動作や、先ほど起こそうと手を伸ばした時の反応から湊は金剛の行動の意味を察した。

 

「俺は前の提督とは違う、正直に話してくれるなら新しい飲み物を買って来てやるが、どうする?」

 

「そんな子供みたいな手に……」

 

 湊がじっと金剛の眼を見つめていると、金剛は黙ってしまった。

 

「……紅茶が良いデース」

 

「自販機ので良いか?」

 

 湊の質問に金剛は少し悩んでいたが小さく頷いた。湊は金剛に待っていろと伝えて再び自販機に向かうが、金剛は黙って湊の後に続く。

 

「ほら、好きなの押せよ」

 

 自販機に小銭を入れボタンのランプが点灯した事を確認して湊は金剛に好きな飲み物を選べと伝える。金剛はミルクティーでは無くレモンティーのボタンを押した。

 

「紅茶好きなのか?」

 

 大切そうに紅茶の入ったペットボトルを持っている金剛に湊は尋ねる。

 

「鹿屋に来る前はよく姉妹達でティータイムを開いていマシタ、私達姉妹は戦艦として役割を与えられ、期待されていた分だけ他の子よりも自由を与えられていましたのデ……」

 

 湊は鹿屋に来るまで海軍に所属していた艦は全て戦艦だと思っていた、しかし実際には駆逐艦や軽巡洋艦、重巡洋艦や空母など様々な分類に分かれている事を知ることができた。

 

「確かに戦艦ってもの凄く強いイメージがあるしな、俺も子供の頃見た本で『大和』や『長門』なんかは強そうって思った記憶があるよ」

 

「どうせ金剛型は古い船デース……」

 

 更に表情を暗くしてしまった金剛にどうしたら良いのか悩みながらも湊はベンチに腰掛ける。湊が座る事を確認した金剛は先程の倍近く離れた位置に座った。

 

「戦果リザルトがさっぱりな私達の事を周りは期待外れだって言い始めマシタ」

 

「火力も速力もあるって言ってなかったか?」

 

「それは本当デース。 でも、砲撃をヒットさせる事ができないんデス……」

 

「火力があっても当たらないと意味は無いからな……」

 

 駆逐艦と同じように偵察任務についても倍以上の資材を使う、小さな損傷でも長時間の修理を必要とする。今後は次々と自分達の欠点を湊に伝えていった。

 

「そして、必要とされなくなった私達は鹿屋に移されマシタ。 場所が変われば少しはできる事もあるんじゃ無いかと思っていましたが、前の鎮守府以上に嫌な場所デシタ」

 

「……暁達の事か?」

 

「イエース、はっきり言いますが鹿屋の提督は私達の事を物としか見ていませんデシタ。 だから命令違反や意見は絶対に許されず、逆らえば鎖に繋がれ自室に閉じ込められるという罰が与えられマシタ」

 

 金剛は先程買った紅茶に口を付けるが、複雑そうな表情を浮かべる。

 

「やっぱり味も香りもイマイチネ……。 そんな提督を見て妹達は抗議をしようと立ち上がりました、でも私はそれを止めタ」

 

「なんとなく察した、逆らえば妹達も同じ罰を与えられるんじゃないかって思ったのか」

 

「察しが良くて助かりマス。 それから私は提督に嫌われないように頑張りマシタ、提督に好かれて私のお願いを聞いてくれるようになれば、あの子達を解放して欲しいと頼む予定デシタ」

 

 湊が鹿屋に来たタイミングでは暁達は鎖に繋がれていた、金剛の狙いは予定のまま終わってしまった事が分かる。

 

「でもそれも無駄デシタ、私は自分の身可愛さに提督に媚びを売っていると妹達に嫌われてしまいマシタ」

 

 金剛は衝突では無く、自身が我慢する事で暁達を助けようとする道を選んだ。その考え方は湊としては高評価なのだが、失敗の原因は周りに頼らず自身の力だけで解決しようとしたせいなのではと考えていた。

 

「金剛って長女だろ」

 

「その通りデース。 私達は4姉妹、比叡、榛名、霧島という名前の可愛い妹が3人居マース……」

 

「俺も兄弟が沢山居てさ、よく弟や妹達のために近所の悪ガキと喧嘩ばかりしてたよ」

 

 湊は話しながら暁達の事を思い出す、姉妹艦だから必ず血が繋がっている訳では無いのは資料を読んで知っていたが、例え血の繋がりが無くても少女達にとって姉妹の絆というのはとても強い物だと感じている。

 

「……喧嘩デスカ?」

 

「あぁ、あまり人に話したい内容じゃないが、俺は施設の育ちでな。 よく妹達がその事でいじめられていたんだ」

 

 そんな少女達が姉妹から嫌われてしまうというのは想像以上に辛い事だと湊にも想像できる。それでも金剛は妹達や他の艦娘に被害が出ないように必死で笑顔を作り続けていたのだろう。

 

「提督はお兄さんだったのデスカ?」

 

「提督じゃなく教官だからな? 俺よりも年上は何人か居たけど、どいつもこいつも自分の事しか考えない奴ばかりだった」

 

 湊は昔の事を思い出し苛立ったのか、空になった缶を遠くのゴミ箱に向かって思い切り投げる。

 

「だから俺はせめて弟や妹達の味方で居てやろうと思ってた、何があってもコイツ等は俺が守るんだってな」

 

 立ち上がり大きく伸びをしている湊を見る金剛の視線は先程までの警戒心の籠った物では無く、どこか優しい色を帯びていた。

 

「さて、帰るぞ。 最後に寄りたい見せがあるから付き合えよ」

 

「まだ何か買うのデスカ……?」

 

 金剛は表情を暗くし湊にこれ以上動きたくないと感情を露わにする。

 

「鎮守府に有った珈琲は不味かったからな、もう少し良いのを買って帰る。 それと、気が向けば俺も『紅茶』が飲みたくなるかも知れないな」

 

 金剛の表情が一気に明るくなる、それを見た湊もどこか優しい笑みを浮かべていた。

 

「ヘーイ! 紅茶は私に任せるネー! とびっきりベストなのを教えてあげるヨー!」

 

「声がでかいって。 まぁ良いか……」

 

 突然大声を上げた金剛に歩いている人達の視線が集まる、その恰好から妙に視線は集まっていたのだが今更気にしても仕方が無かった。

 

「金剛って本当に紅茶が好きなんだな」

 

「イエース! イギリス生まれの私にとって紅茶は妹達の次に大切デース!」

 

 紅茶を買った2人は食料で重くなったリアカーを押して来た道を戻る。重量は何倍にもなっているはずなのだがリアカーを引く湊は来た時よりも軽いようにすら思える。

 

「行きは手を抜いてたな?」

 

「そ、そんな事無いデース!」

 

 それから2人は雑談をしながら基地へと戻る、雑談と言うよりは金剛が一方的に湊に質問をしたり妹達の事を話していたのだが湊はそんな金剛の言葉を聞きながら頷いていた。

 

「すっかり日が暮れちまったな」

 

「お腹がすいて来ましたネ……」

 

 基地に着く頃には夕日も半ば沈みかけてしまう時間になっていた、金剛の言う通り湊自身も空腹を感じていたが唯一の救いは夕食が乾パンでは無いという安心感だった。

 

「探しても居ないと思ったら、何よその荷物……」

 

「あぁ、流石にずっとあの乾パンじゃ訓練にも身が入らないだろうと思って買って来た」

 

 基地の門で湊の事を待っていたのか叢雲は呆れたような表情で山積みになったリアカーを見ている。

 

「で、後ろの高速戦艦様は何をしているのかしら?」

 

 叢雲に話しかけられた金剛はビクリと身体を震わせると、表情を暗くして俯いてしまった。

 

「あぁ、金剛には買い出しを手伝ってもら───

 

「あっー! やっと見つけたわよ!?」

 

「何処に行ってたのよ! 心配するじゃない!」

 

「随分と荷物がいっぱいだね」

 

「お土産は無いっぽい?」

 

 湊の事を探していた夕立と暁型の少女達は目標を発見して大声を上げながら走って近づく。叢雲に金剛に手伝ってもらったと伝えようとした湊は急に騒がしくなった事で言葉を遮られてしまう。

 

「お肉に魚、野菜もあるね」

 

「ナスは嫌いなのです!」

 

「お菓子は無いっぽい?」

 

「べ、別に暁は一人前のレディだからお菓子が無くても落ち込まないんだからね!」

 

「ここで荷物を広げるなよ、悪いが食堂まで運んでもらっても良いか?」

 

 湊の言葉に暁達は大きく返事をするともの凄い勢いでリアカーを食堂へと走らせていった。湊と金剛でもかなり重いと感じていたのだが、小さな身体で自分達の倍以上の大きさのリアカーを引く少女達に湊は艦娘について考えを改める必要があると感じていた。

 

「ったく、子供じゃないんだから」

 

「いや、誰がどう見ても子供だろ」

 

「うるさいわね!」

 

 叢雲の言葉に湊が答えると、少女は顔を真っ赤にして否定した。

 

「やっと帰って来たんだね、急に居なくなるからみんな心配してたよ?」

 

「悪かったな、一言言ってから行けば良かったな」

 

 溜息をつきながら歩いて来た時雨は湊が居なくなり小さな騒ぎになったと湊に伝える。

 

「で、もう鞍替えしたのかしら? 高速戦艦様はそっちも速いのね?」

 

 少し沈黙が続いた後に叢雲は黙って地面を見ていた金剛に話しかける。それに続くように時雨も金剛の事を睨んでいるようだった。

 

「湊教官、悪い事は言わないからその人とは関わらない方が良いよ」

 

「……理由を言ってみろ」

 

 湊と時雨の会話に割って入ろうとした金剛を湊は右手を広げ黙る様に促す。

 

「その人は暁達があんな状況だったのに自分だけは助かろうとしていた人だからね」

 

「自分だけ優遇されてさぞ幸せだったでしょうね?」

 

 時雨の言葉に叢雲が嫌味を付け加える、金剛はその言葉に反論する訳でも無く黙って地面を見ているだけだった。

 

「言いたいことはそれだけか? 別に俺が誰と関りを持とうが───

 

「バ、バレてしまったからには仕方が無いネー! 新しい提督は簡単に騙せると思ったのに失敗しちゃったネー!」

 

「お、おい。 金剛!」

 

 金剛はそう言ってその場から逃げ出すように桟橋のある方角へ走って行ってしまった。

 

「ったく、やっぱり男って馬鹿ね。 簡単に騙されちゃって情けないと思わないの?」

 

「湊教官は少し素直過ぎるよ、もっと人の事は疑うようにしないとダメだよ?」

 

 湊はすぐに金剛を追いかけようとしたが叢雲と時雨に道を塞がれる。今は2人に事情を説明している暇は無いが、金剛が自身を犠牲にしてでも湊と2人の関係を守ろうとしてくれた事を考えて大きく深呼吸をした。

 

「なぁ、お前達にも姉妹って居るよな?」

 

「何よ、確かに居るけどそれが?」

 

「夕立が妹だって言う事は説明したよね? 他にも姉や妹はまだまだ居るけど」

 

 他の駆逐艦の子に比べ勘の良い2人は湊が苛立っている事に気付いていたが、自分達が間違っていないと思っている以上は退くことができなかった。

 

「全部を説明している暇は無い。 だからお前達自身で考えてみて欲しい、お前達は自分の姉妹を見捨ててまで嫌いな相手に媚びを売れるのか?」

 

「夕立を見捨ててまで……。 無理かな……」

 

「私は絶対に無理ね、姉妹なんて関係無しに嫌よ」

 

「昼に話した内容を時雨にも説明してやってくれ、そうしたら2人で金剛の行動を思い返してみろよ」

 

 そう言って湊は叢雲と時雨の頭に優しく手を乗せた。突然の事に驚いていた2人だったがすぐに走って行った湊の背中を見ながら互いに見つめていた。

 

 湊は走りながら金剛の姿を探す、桟橋の有る方角に向かって走って行ったのは確かなのでそこに行けば間違いなく金剛は居ると考えていたが海に身を投げるなんて馬鹿な真似をしないか不安だった。

 

「煙草、吸っても良いか?」

 

 桟橋から足を投げ出して夕日を眺めている金剛を見つけて湊は煙草を口に咥えて金剛の横に座る。

 

「どうして来たのデスカ?」

 

「何となくだな」

 

 金剛は夕日を見たまま湊に顔を向けようとしない、金剛にとっては自らが悪役になり湊と少女達の関係を守ろうとしたのにという苛立ちがあった。

 

「出会ったばかりで踏み込んで良い内容か悩んだけどさ、金剛はもっと楽する事を覚えろよ」

 

「楽? リラックスしろって事デスカ?」

 

 湊も話をしていて気付いていたが、金剛は鹿屋に居る艦娘の中でも頭が回るのだろう。だからこそ見た目的にも精神的にも幼い駆逐艦の子達には理解されないし、下手すると同世代の艦娘からも理解してもらえなかったのだろう。

 

「周りに相談するとかできなかったのか?」

 

「ターゲットを欺くにはまずは味方からデース……」

 

「失敗した癖に生意気な事言うな」

 

 そう言って湊は金剛の頭の上に右手を乗せる。手を乗せた後に金剛が触れられることを嫌がっていた事を思い出したが、特に怯える様子も無かったのでそのまま頭を撫でた。

 

「あまり私に優しくすると、駆逐艦の子達に嫌われてしまいマスヨ?」

 

「またそれか、嫌われたら仲直りすりゃ良いだろ。 喧嘩もせずに分かり合おうなんて表面上の付き合いを望んでる奴等だけさ」

 

「あなたは変な人デース……」

 

「子供の頃から良く言われてるよ」

 

 自身の頭を撫でている手に金剛はゆっくりと手を重ねる。

 

「今まで頑張って来たんだな、俺はまだこの基地に来たばかりだから分かったような事を言えば気に障るかもしれないが、間違いなく金剛の頑張りで救われた子も居るはずだ」

 

 湊の言葉を聞いて金剛は小さく嗚咽を漏らし始める。恐らく金剛は自分の頑張りを認めて欲しいと思っていた、自分がこれまで辛い思いをしながら頑張って来た事を無駄じゃないと誰かに言って欲しかったのだろう。

 

「辛かったデス。 苦しかったデス、ずっと独りで、嫌なのに、逃げ出したいのに、どれだけ辛い言葉をぶつけられても私は笑っていなければなりませんデシタ……」

 

「そうか、頑張ったんだな」

 

「妹達に言われました、私が姉で恥ずかしいと。 どうして私が責められなければならないのかと何度も思いマシタ、でも私が諦めてしまえば妹達も酷い目に合うと考えると我慢するしかありませんデシタ……」

 

 顔を隠し涙を零し始めた金剛の言葉を湊は頷きながら聞いていた、もし自分が金剛の立場ならここまで自身の身を削る事ができただろうか、目の前の少女が本当に強く優しいのだと思った。

 

「もう良いんだ、俺がこの基地に居るうちは二度と同じ思いをさせないって約束するよ」

 

 湊が鹿屋にどれくらいの期間居るのかは自分でも分からない、それでも自分が居る間だけでもと考え金剛に告げる。

 

「……信じられませんヨ」

 

「そうか、じゃあ信じなくても良い」

 

 湊にとって言葉だけで金剛の信頼を得ようなんて考えは無かった。目の前で泣いている少女は賢い、だから弱みに付け込んで誘導するよりも少女自身の目で見た物を信じて欲しいと思っていた。

 

「……良い雰囲気の中悪いんだが、妙に焦げ臭く無いか?」

 

 湊は自身の咥えていた煙草を見てみるが火は付いておらずただ咥えているだけだった。

 

「しょ、食堂の方からデース!」

 

 湊と金剛は立ち上がると全力で食堂へ向かって走る。湊は全力で走っているのだが金剛はしっかりそれについてきている、予想以上に足が早いと驚いた湊だったがその視界に黒い煙が見えて足を止めた。

 

「まずい、近くに水道は無いか!?」

 

「こっちデース!」

 

 2人は車両を洗うために備え付けられていたホースを手繰り寄せ頭から水を被る。

 

「中に誰か居ないか確認してくる!」

 

「1人だと危険デス! 私も行きマス!」

 

 互いに視線を合わせ頷くと湊は食堂の扉を蹴破り一気に中に入る、蹴破られた扉から一気に黒い煙が2人を襲うが、食堂の中を確認した2人は呆気に取られてしまった。

 

「はわわ、焦げちゃってるのです!」

 

「ちょっと響! 始めは弱火だって言ったでしょ!?」

 

「こんなのレディじゃ無いわよ!」

 

「これは、流石に目が痛いな」

 

 食堂の中には黒い煙を発生させている鍋と、その周囲で騒いでいつ暁達が居た。煙こそ出ていたが火が上がっている訳では無く肉が焦げた臭いが食堂に充満していた。

 

「何やってんだ……?」

 

「あら、教官じゃない。 ちょっとお肉が焦げちゃったみたいなのよ」

 

 湊は真直ぐに煙を上げている鍋に近づくとコンロの火を止める。恐る恐る中身を覗いてみたが中にはほとんど炭となってしまった何かが入っていた。

 

「どうして教官さんはびしょ濡れなのです?」

 

「流石に泳いだ後は身体を拭いた方が良いよ」

 

 ポタポタと滴を垂らす湊を電と響は不思議そうな目で見上げていた。湊はあまりの呆気なさにその場に座り込むと金剛に視線を送り大きく溜め息をついた。

 

「火を使う時は大人と一緒にな……」

 

「お子様扱いしないでよ! 暁は立派なレディなんだから!」

 

「分かった、分かったから背中を叩くなって」

 

 暁とじゃれ合っている湊の肩を金剛が軽く叩く。

 

「ヘーイ……、先に換気扇を回して窓を全開にするデース……」

 

 金剛も湊と同じく一気に力が抜けてしまったのか気だるそうな表情のまま全員に窓を開けるように指示を出した。金剛の姿を見た暁達は少し気まずそうな表情を浮かべていたが、特に会話をする訳でもなく指示通り食堂の窓を開けていった。

 

「まだ臭うが、目の痛みは無くなってきたな」

 

「本当に焦りマシタ……」

 

 湊達は一段落ついた所でテーブルを囲んで全員で椅子に座る。

 

「で、なんでこんな事になったんだ?」

 

「そ、その。 こっそり料理を作ってみんなを驚かせようと思って……」

 

「ごめんなさいなのです……」

 

「いや、そういうのは結構嬉しいから謝る必要は無い。 だけどさっきも言ったが料理に慣れてる人に手伝ってもらうようにしてくれ」

 

 悪気があった訳では無い以上湊にとって暁達を叱る理由は無かった、しかし湊の言葉に響が手を上げて発言の許可を求めているようだった。

 

「どうした?」

 

「残念だけど料理のできる人に心当たりが無いんだ」

 

「ふむ、それは困ったな。 金剛って料理できないのか?」

 

「わ、私デスカ!?」

 

 1番端に座った金剛は突然話題を振られ驚いていた。

 

「簡単な物なら作れると思いマース……」

 

「らしいぞ、次から料理をする時は金剛に教えて貰いながらやると良い」

 

「わかったわ! それじゃあ金剛さんも入れてもう1度リベンジよ!」

 

 暁達の中で料理に失敗して1番落ち込んでいたのは雷だった、そしてもう1度挑戦するチャンスを与えられた事で胸の前で拳を作り勢いよく立ち上がった。

 

「仕方が無いわね、このレディ暁ももう1度手伝ってあげるわよ!」

 

「電も頑張るのです!」

 

「次は焦がさないよ」

 

 雷につられ次々と少女達が立ち上がる、湊はそんな元気な少女達を見ながら笑みを浮かべると、扉の影からこちらを覗いていた2人の少女にも声をかける。

 

「お前達は良いのか?」

 

「やっぱり気付いてたんだね」

 

「別にたまたま気になって立ち寄っただけなんだから!」

 

 ゆっくりと扉が開かれると叢雲と時雨が食堂に入って来た、やはり金剛と顔を合わせるのが気まずかったのか3人で俯いてしまった。

 

「タオル持って来たっぽーい!」

 

 そんな気まずい空気を壊したのは両手いっぱいにタオルを持って来た夕立だった。夕立は目の前で俯いている3人を見て首を傾げた後、湊と金剛にタオルを手渡す。

 

「何してるの?」

 

「まぁ黙って見てろ、これから良い所なんだから」

 

 湊は夕立に手招きをして隣に座る様に促すと、夕立は相変わらず不思議そうな表情のまま湊の隣に座った。

 

「あ、あの──

「あの──

 

 金剛と時雨が同時に口を開いたが互いに先に話すように譲り合っていた、微笑ましい空気に湊の頬が緩む。

 

「どっちが先に話すか決まらないならジャンケンでもすると良いっぽい!」

 

「静かにしろって」

 

 夕立は基本的に空気が読めない子だなと思い湊は夕立を黙らせる。

 

「あのさ、僕達にも料理を教えて貰えないかな?」

 

「あ、あんた達だけじゃまた火事になるかもだし、仕方が無くなんだから!」

 

 叢雲と時雨の言葉を考える限り、2人は金剛を責めるべきでは無いと結論を出したのだろう。その言葉に1番驚いていた金剛は湊に視線を送るが湊は何も言わずに微笑んでいるだけだった。

 

「私で良いのデスカ……?」

 

「他に誰が居るのよ、暁達がやらかす前にさっさと行くわよ」

 

「そうだね、これ以上食材を無駄にするのも悪いしね」

 

 そう言って叢雲と時雨は金剛の手を引きながら騒いでいる暁達の元へ引っ張っていった。

 

「……っ! 今日のディナーは英国式のカレーをみんなに作ってあげるデース!」

 

 駆逐艦の子達と騒ぎ始めた金剛を見て湊は未だに状況を理解できていない夕立の頭を撫でる。

 

「晩御飯はカレーっぽい?」

 

「あぁ、そうみたいだな。 俺は少し煙草を吸ってくるから何かあったら呼んでくれ」

 

 煙草を吸う場所を探すために食堂から出た湊は乾パンの詰まった缶詰を両手いっぱいに抱えて運んでいる阿武隈と出会った。

 

「何してるんだ?」

 

「部屋から出てこない子達に食事を配ってるんです」

 

「……暁達みたいな子が他にも居るのか?」

 

 少し不安な言葉に湊は煙草を咥えて火を付ける、阿武隈は煙たそうに嫌がっていたが風上に移動すると湊の質問に答えた。

 

「それは大丈夫です、暁ちゃん達以外は嫌々でも指示に従う子ばかりだったので」

 

「なら良い。 飯を配るついでに今日の晩飯はカレーだって伝えて置け、俺は仕事が溜まってるから今日は執務室から離れられないってのも一緒にな」

 

 湊は阿武隈にそう告げると軽く手を上げて執務室に戻る事にした。

 

(俺もカレーを食いたいが、今日は艦娘同士の交流に水を差す訳にはいかないよな)

 

 それから湊は阿武隈に話した通り執務室に戻ると山になった書類に目を通し始める。基地内の木の手入れをする業者や、電気やガスと言ったライフラインの請求書、本当に湊が確認する必要があるのかは疑問に思ったが内容を確認しながら順番に判子を押すと『代』という文字を記入していく。

 

(これは後でしっかり読んでおいた方が良いか)

 

 湊は呉鎮守府から送られてきた資料を確認すると、1週間後の作戦内容について簡潔にまとめられていた。ムキになって啖呵を切ってしまった湊だったが今日の訓練の内容を思い出して安請け合いだったかもしれないと少しだけ後悔をした。

 

 早く書類を片付けて作戦について考えようと思っていた湊だったが、誰かが執務室の扉をノックした事で手を止める。

 

「入って良いぞ」

 

 ゆっくりと扉が開くと、金剛と同じ衣装を着た3人の少女が執務室に入って来た。

 

「は、初めまして。 比叡です!」

 

「榛名です。 よ、よろしくお願いします!」

 

「はじめまして。 私、霧島よ」

 

 湊は読みかけだった書類のを逆さにして書類の山の上に置くと、少女達の表情を確認する。比叡と霧島と名乗った少女は真直ぐに湊の事を見ていたが、榛名と名乗った少女だけはどこに視線を合わせれば良いのか分からないのか視線が泳いでいた。

 

「食堂の方が騒がしいな、お前達は行かなくて良いのか?」

 

 湊は机に手をついて立ち上がる振りをしながら館内放送のスイッチに電源を入れる。

 

「私達にお姉様のカレーを食べる資格はありません」

 

「榛名はお姉様を信じる事ができませんでした……」

 

「艦隊の頭脳と呼ばれた私が気付けないなんて……」

 

「誰かから話を聞いたのか?」

 

 湊の質問に答えたのは比叡だった。

 

「少し前に叢雲と時雨が部屋を訪ねて来ました、そこでお姉様の様子がおかしくなかったかと質問され5人で話しているうちに気付きました……」

 

「そうか」

 

「私達が提督に抗議しようなんて言い出さなければお姉様はあんな辛い目に合わなくても良かったのに!」

 

「比叡お姉様、落ち着いてください」

 

 比叡は自分を責めるように声を荒げたが、霧島が落ち着くようにと宥める。

 

「榛名は1度だけ泣いているお姉様を見ました、でもお声をかける所か見て見ぬ振りをしてしまいました……」

 

「提督に笑顔を振りまく金剛お姉様を見て私達は自分の姉として恥ずかしいと言ってしまいました……」

 

「で、用件は何だ? 懺悔したいだけなら姉妹で仲良く言い合ってれば良いだろ?」

 

 湊は煙草を咥え窓際に移動すると少女達を冷たく突き放す。そんな湊の態度に焦りを感じたのか3人は声を荒げて湊に食い下がる。

 

「お、お姉様の代わりに私達が従います! だからこれ以上お姉様に辛い思いをさせるのはやめて下さい!」

 

「は、榛名も大丈夫です! どんな辛い命令だってやりきってみせます!」

 

「私もお姉様方と同じ意見です、これ以上金剛お姉様1人に辛い思いをさせる訳には……」

 

 3人の言葉に呆れた湊は煙と一緒に大きく溜め息をついた、自己犠牲を美学として捉える考え方もあるが、湊はそうは思わなかった。ここで3人が辛い思いをしてしまえば金剛の今までの頑張りが無駄になったかもしれないのだから。

 

「悪いが金剛を解放するつもりは無い」

 

「私達だってお姉様と同じく戦艦です!」

 

「1人よりも3人の方が使い勝手が良いと思います!」

 

「必ず艦隊のためにお役に立ちますので!」

 

 必死で姉を返してくれと食い下がって来る3人の言葉を聞きながら湊は食堂のある方角を眺めている。暗くてはっきりとは見えないが1人誰かが飛び出したのを確認して3人に見えないように笑みを浮かべる。

 

「俺がどんな人間かも知らないのにそんな事を軽々しく口にしても良いのか?」

 

 少女達は身体の横で拳を強く握りしめながら湊の問いに頷いた。湊としてはこのまま主役の登場を待っても良かったのだが、どうせならもう少し悪役を演じてみようと心の中で悪巧みを始める。

 

「3人とも目を閉じろ、今から金剛よりも役に立ちそうか確認してやるから絶対に目を開けるなよ」

 

 湊の指示通り少女達は力強く目を閉じると、これから何かされるのではないかという恐怖に小刻みに震えているようだった。

 

「ふむ、姉妹って事もあるがどことなく金剛に似ているな」

 

 湊はゆっくりと比叡の頬に左手を伸ばすと優しく触れる、比叡は触れられて驚いたのか身体を逸らし逃げようとしたが寸前の所で思いとどまったようだった。

 

(流石に拳骨はまずいよな)

 

 比叡の額の前に右手を移動させた湊は思いっきり中指に力を入れて一気に解放する。

 

「きゃあっ!」

 

 触れられている頬に意識が集中していたのか、比叡は突然額に襲い掛かった痛みに驚き額を抑えたままその場にしゃがみ込んでしまった。

 

「ひ、比叡お姉様!」

 

「喋って良いなんて許可してないが?」

 

 比叡の悲鳴を聞いて咄嗟に声を出した榛名に黙る様に指示を出すと湊は榛名の前まで移動して耳を人差し指で触れてみる。

 

「や、やめ……」

 

 咄嗟にやめて欲しいと抵抗しようとした榛名だったが我慢する必要があると思ったのか口を閉じた。

 

(なんか楽しくなってきた)

 

 そして比叡にしたように額の前で人差し指に力を入れると一気に解放する。

 

「きゃあああッ!」

 

 榛名の反応に1番驚いてたのは湊だった、予想以上に大きな悲鳴を出した事でやり過ぎたのかと不安になったが、流石にデコピン程度で大怪我をする事は無いと自分に言い聞かせる。

 

「霧島だけ眼鏡をかけているのか、ちょっと邪魔だから外すぞ?」

 

 湊はレンズの部分に触れないようにそっとフレームを掴み眼鏡を外すと額の前で3度目のデコピンの準備をして力を解放する。

 

「痛ったぁ……」

 

(こ、これが普通の反応だよな……?)

 

 霧島だけは妙に落ち着いていると思っていた湊だったが、静かに額を抑えるだけの霧島を見て少しだけつまらなく感じてしまった。そんな事を考えて居ると執務室の扉が勢いよく開かれた。

 

「私の妹達に乱暴は止めるネー!」

 

「迎えが来たぞ、もう目を開けて良いからさっさと立て」

 

 未だにエプロンを付けたままの金剛は全員が額を抑えている状況が理解できず困惑した表情を浮かべていた。

 

「こ、これはどういう状況デスカ……?」

 

「姉の気持ちを考えない馬鹿共にデコピンを食らわせてやった」

 

「お、お姉様ぁ……」

 

「は、榛名怖かったです……」

 

 突然現れた金剛を見て緊張の糸が切れてしまったのか、比叡と榛名は瞳に涙を溜めながら金剛に抱き着いた。

 

「霧島は行かなくて良いのか?」

 

「その前に眼鏡を」

 

「そうか、悪い」

 

 湊は霧島に眼鏡を返してやると、霧島は1度咳払いをした。

 

「なんというか、肝が据わってるなぁ……」

 

「2人共落ち着いてくだサーイ!」

 

「さっきの話の続きだが、3人は食堂に向かい金剛のカレーを食ってこい。 そうしたら金剛は解放してやるからさ」

 

 元々湊は金剛を束縛しようなんて考えてもいなかったのだが、この命令が4人が仲直りするきっかけになれば良いと考えた。

 

「わ、分かりました!」

 

「榛名、行ってきます」

 

「それでは失礼します」

 

 トボトボ歩いている姿を見て湊は駆け足で行くように声を荒げた、それに驚いた少女達は1列を維持したままドタバタと音を立てながら執務室から出て行った。

 

「ったく、手のかかる妹達だな」

 

「そんな所も可愛いデース!」

 

 執務室に残された湊と金剛は互いに視線を合わせると笑みを浮かべた。

 

「……ありがとうございマシタ」

 

「俺は何もしてない、それよりもお茶会の件ちゃんと準備しておけよ」

 

 湊は礼を告げてきた金剛を適当にあしらうと書類仕事の続きに戻るため金剛の横を通り過ぎようとする。

 

「ヘーイ!」

 

「うおっ、何だ?」

 

 突然後ろから金剛に抱き着かれた湊は倒れそうになるのをどうにか堪える。

 

「嘘ばかりの私デスガ、1つだけ本当の事がありマース!」

 

「急に何だよ」

 

 金剛は背中に顔を擦りつけているのを感じながら湊はどうにか引きはがそうとしている。

 

「一目惚れしたって話だけは本当かもしれないヨ?」

 

「はいはい、そういうのは良いから。 さっさと金剛も食堂に戻れ」

 

「ノー、やっぱりつれない人デース! でも覚悟しておくとイイヨ! 教官のハートを掴むのは、私デース!」

 

 湊は大きな溜息をつくと、机の上に置かれている機材を指差す。金剛は不思議そうに機材を見つめていたが、それはこの部屋でのやり取りを金剛が知ることができた理由。

 

 ONと書かれた緑色のランプが依然点灯している事に気付いた金剛は顔を真っ赤にしたまま固まってしまった。

 

「まぁ、何だ。 元気出せよ?」

 

 湊はそう言って館内放送のスイッチをOFFにする、固まってしまった金剛をそのままに煙草を咥えると窓から空を見上げる。空は雲1つ無く、明日も晴れるだろうなと考えながら両耳を塞ぐと、我に返った金剛の叫び声が基地中に鳴り響いた───。



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心のある兵器
ガラクタ(1)


あの化物が現れたことはまだ国民には知らせていない。

しかし、食料自給率の低い日本にとって、海上交通路を失うというのはジワジワと国の命を削られていく事と同義。

同盟を結んでいた国達も、日本との関係を維持するよりも、自国の防衛を進めた方が利益となると結論を出してからは、以前までのような協力関係は影も形も無くなってしまった。

奴等は船だけではなく、国の命すら貪ろうとしていた。


「どうして俺が海軍なんかに行かなければならないんですかっ!」

 

 急に呼び出されたと思ったら、目の前で椅子に腰かけたままのクソ爺はいきなり海軍への移動命令が出たと端的に言い放ちやがった。

 

「貴様も海がまずい事になっているのは薄々気付いておるのだろう? 向こうも人員不足らしくてな、せめて新兵を教育できるだけの者を寄こせと上層部を通して要求してきおった」

 

 軍に所属している以上は、ある程度の情報は耳に入ってくる。しかし、入隊してから数年ずっと陸軍として活動していた俺にいきなり海に行けというのもおかしな話だと思った。

 

「教育だけなら、暇そうに珈琲飲んで時間潰してるだけのボンクラ共を送れば良いじゃないですか! 俺には部下達を置いてここを離れる訳にはいきません!」

 

 国の戦力を領海の防衛に集中させている事により、他国が領域拡大を目論んで徐々に侵略してきている。だからこそ陸軍は化物なんて胡散臭い相手だけじゃなく、目に見える敵から身を守るために活動していた。

 

「もう決定された事だ、(みなと)少佐。 君には本日中に荷物をまとめて、鹿屋基地に向かってもらう。 せめてもの手向けに軍用機での移動を許可する」

 

 恐らくはこれ以上粘った所で、クソ爺の命令を撤回させる事はできないだろう。組織に属しているからには仕方がない事とは言え、納得できるはずはなかった。

 

 自室に戻ってからしぶしぶ荷物を鞄に詰め込む。元々私物がほとんどなく、野営のための備品といった任務で使用する道具くらいしか無いことに更に苛立ちが募る。

 

「こんな物持って行っても仕方が無いか……」

 

 これから向かう先は山でも森でも無い、陸地の無い海なのだ。基地に勤務するのであれば野営道具などそもそも必要無いし、現場に送られるのであれば船の上で火を熾す訳にもいかない。

 

「少佐、迎えのヘリが到着しました」

 

 ドアが数度ノックされ、爺の秘書官の無機質な声が聞こえてきた。

 

「すぐに向かいます」

 

 ヘリポートには海軍の錨のマークが書かれたヘリが止まっていた。それを見て、本当にここから離れなければならないんだなと少しだけ寂しく感じてしまう。新兵への教育を行うためと聞かされているが、一体どんな野郎の面倒を見なければならないのか、陸軍だからといって舐められたりしないだろうか、そんな事を考えながらヘリに乗り込んだ───。

 

 

 

 

「悪いな、今は海の近くを飛ぶことは許可されて無いんだ。 ここから真直ぐ進めば基地があるから、少しだけ歩いてくれ」

 

「気にすんな、最後の陸地だと思って一歩一歩噛み締めながら歩かせてもらうよ」

 

 2時間程度の空の旅だったが、意外と気の合う連中だったと思う。教育係として鹿屋に向かうと伝えた時には、なんだか複雑そうな表情を向けられたが、基地の連中も気さくな連中だったら良いなと思った。

 

「妙に静かだな……」

 

 少し歩いたところで、田畑の広がる場所に出たが、農作物は育てられておらず完全に静まり返っていた。もしかしたら海の近くの集落ということで、避難勧告でも出ているのだろうか?そんな事を考えているうちに、赤い煉瓦と有刺鉄線により区切られた建物に到着した。

 

「ここが新しい職場か……。 迎えが居ると聞いてたんだけどな……」

 

 手渡された資料に軽く目を通すと、迎えが基地の入口に立っているから詳しくはソイツに聞いてほしいと簡潔に書かれている。しかし、周囲を見渡してもそんな野郎は視界に入らず途方に暮れてしまう。

 

「ちょっと、アンタ誰よ」

 

「ん? おい、子供がこんな所に居たら危ないだろ。 早く親の所に帰りな」

 

 急に後ろから少女に声をかけられ、少しだけ驚いた。恐らくは避難場所としてこの基地の一部を提供しているのであろう。そう考えていると、少女は俺の脛目掛けて思いっきり蹴りを入れてきた。

 

「ってぇ……! 子供だからっていい加減にしないと怒るぞ!」

 

「誰が子供よ! 私は特型駆逐艦、5番艦の《叢雲》よ!」

 

 子供の間ではこういった遊びが流行っているのだろうか?確かに俺も子供の頃にはテレビで見たヒーローになりきって遊んでいた記憶がある。

 

「なんだそれ、最近のテレビはそんな渋い趣向なのか……?」

 

「あぁもう! じれったいわね! 階級と名前を名乗りなさい!」

 

 なんだかよく分からないが、少女は顔を真っ赤にして怒っているようだった。なんとなく逆らうとまた暴れだしそうだし、ここは大人しく従って満足させたら親の元に帰ってもらう事にしよう。

 

「本日付けで陸軍より転属となりました、湊です。 階級は少佐っと、これで満足したか?早くお父さんやお母さんの所に帰りな?」

 

 ビシッと敬礼までして、爽やかな笑顔で少女に帰るように促したが、帰ってきたのは再び脛への蹴りだった。いい加減怒った方が良いのだろうかと悩んだが、少女はついて来いと正門をくぐり基地の中に入って行ってしまった。

 

「おいおい……、いい加減にしないと怒るぞ!?」

 

「いい加減にするのはそっちじゃない!? 私は《艦娘》なの!さっきのでそれくらい分かりなさいよ!」

 

 カンムス……?聞きなれない単語に首をかしげてしまう。何かの新しい俗語なのだろうか、不思議そうな表情を浮かべている俺を見て、少女は顔を真っ青にしてしまった。

 

「あ、あんた……。まさか艦娘を知らないのに教育係なんて任務受けちゃったの……?」

 

「す、すまん。 俺はただ新兵の教育を行ってこいとしか……」

 

 俺と少女の間になんだか気まずい空気が流れる。なんだか残念そうな目でこちらを見てくる少女の視線が妙に痛く感じるが、俺自身に落ち度は無いはずだ。

 

「明日0900からアンタの転属を迎えるための式があるから、それまでに最低限の知識は教えておかないとまずそうね……」

 

 少女は早足で建物に入ると、階段を上り執務室と思われる場所に入っていった。俺も仕方がなく後に続いたが、表面上綺麗にはされているようだが所々年季の入った建物に妙な違和感を感じた。

 

「これ、明日までに全部読んでおくように」

 

「全部か!?こんなの読んでたら朝になっちまうぞ!?」

 

 誰も居ない執務室に入ると、少女は自分の背丈の半分はありそうな程積み上げられた本を机の上に並べた。

 

「あら? 朝までに読めるなら式には間に合うじゃない。 何か問題があるの?」

 

「お前な……、お遊びはもう良いから、お偉いさんを呼んで来てくれ。 事情はそこで聞くからさ……」

 

「居ないわよ。 ここには私達艦娘とアンタだけ、前に居た人は逃げ出しちゃったもの」

 

 逃げ出したというのはどういう事だろうか?しかし、表情を伺う限り嘘をついている素振りは感じられなかった。俺は手で椅子の埃を払うと、適当な本を取って適当に中身を確認する。

 

「悪いがいくつか質問に答えてほしい」

 

「何よ、変な事聞いてきたら酸素魚雷食らわせるんだからね……」

 

 恐らくは全ての本に目を通していたら真面目に明日あるらしい式までかかってしまうだろう。せっかく隣に事情を知っている奴がいるのであれば、適当にページをめくって気になった単語を質問していった方が効率が良いはず。

 

「艦娘ってのは兵器なのか? 俺には普通の女の子にしか見えないんだが」

 

「兵器……って呼ばれるのは、なんだか不満だけど合ってるわよ。 昔沈んだ艦の魂が宿った艤装って呼ばれる武装を使える人間って所ね」

 

 先ほど少女が名乗っていた叢雲というのもかつての艦の名前なのだろう。新しく艤装という単語が出たので、本の中からそれに関係してそうな項目を探して目を通す。

 

「なるほどな、適正検査を実施して少女を兵器に仕立て上げる。しかも、海に現れた化物に対抗できる唯一の手段とまで来たか」

 

 本の内容を読めば読むほど夢の中じゃないかと自分を疑いたくなるが、まだ蹴られた事によりジンジンと熱を持っている脛の事を考えれば現実なのだろう。

 

「教育を行うというのはお前も知っているんだよな? 俺は一体お前達に何を教えれば良いんだ?」

 

「お前って言うの辞めて、私には叢雲って名前があるんだから」

 

 逆らえばまた蹴られるという事は簡単に予想できた。先ほどから少女に尻に敷かれているようで癪だったが、大人しく『叢雲さん』と呼んでおいた。

 

「恥ずかしいようだけど、全部よ。 戦い方だけじゃなく、生きていくために必要な事も」

 

「艤装を装備する事により、元の少女の魂は艦の魂と混ざり合う。そのため、一部被験者には人として生きてきた記憶の損失が見受けられる……か」

 

 二冊目の本の中から、少女の言葉の意味する事が書かれていたページを見つけた。正直中身を読み進めると胸糞が悪くなってきた。要は人体実験と何ら変わりがない、少女を軍の都合で改造して戦場へ送り込む、そんなの軍として大人としてどれほど恥である事か。

 

「勘違いしないで、私は私の意思でここに居るの」

 

 考えている事が表情に出てしまっていたようで、少女は勘違いしないでとでも言いたいのか俺の意見に否定的な言葉を口にしてきた。記憶も無いのに偉そうな事を口にするなと叱ってやりたかったが、この言葉は口にしないほうが良いと判断した。

 

「大体分かった、本は読んでおくから、この基地について教えてくれ」

 

 次のページを捲ると《失敗》《欠陥》と否定的な言葉が並べられていたため、本を閉じる。恐らくは少女は気が強そうな素振りをしているが、恐らくは作り物だろう。もし本当に唯我独尊と言ったタイプであれば、他人の表情を伺う事などしないだろうし、律儀にここで俺の質問に答えてくれるとは考えづらかった。

 

「元々ここが海軍の航空基地だったってのは知ってるわよね? でも、それじゃ奴等に対抗する事ができなかった。 だから軍はここの資源や人材を他の海上部隊のある鎮守府へと移動させた」

 

 少女はそう言いながら器用にも積み重ねられた本の真ん中の辺りから一冊引き抜くと、手渡してきた。先ほどと同じように適当に中身に目を通していると、先ほどの言葉とまったく同じ内容が書かれたページを見つけた。

 

「なるほど、それでも基地を遊ばせるのは無駄だと判断して艦娘の教育、出撃のための拠点として再利用する事にした……か」

 

「机の中に前に居た人の残したレポートがあるから、そっちにも目を通しておきなさい。 私はちょっと見回りに行ってくるわね」

 

 そう言い残して少女は執務室を出て行った。俺は机の引き出しを開けてみると、何やら乱暴に書きなぐられた資料を見つけた。

 

『言う事の聞かない欠陥兵器』『運用に難有り』そんな言葉が延々と書きなぐられている。最後の締めくくりはどのページも『こんなガラクタを運用する必要性は感じられず』で締めくくられていた。

 

「なんだか大変な場所に来ちまったようだな……」

 

 胸ポケットから煙草を取り出し火をつけようとするが、どこを探しても灰皿が無い事に気づく、前任者は喫煙者では無かったのだろうか。仕方がないので、窓をあけて煙草に火をつける。目の前には一面の海が広がっており、とても未知の生物と戦争をしているだなんて考えられないほど平穏だった───。




7/10 一部文章を読みやすい方に変更しました。


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ガラクタ(2)

兵器に感情は必要なのだろうか?

円テーブルを囲み、男達は話し合う。

結論はすぐに出た、『感情など要らない』。

自分達の都合に合わせて戦えない兵器になんの価値があるのだろうか。

しかし、人格を潰しては艤装を扱うことのできないただの人形ができあがった。

身体をいじる訳にもいかない、洗脳しても無駄、彼女達が艤装を扱うには不要だと結論の出た『感情』にこそ意味があるのかもしれない。


「……寒いな」

 

 気付けば寝てしまっていたようで、窓の外は暗く、冷たい海風が室内を冷やし続けていた。あれから前任者の残したレポートと、渡された資料を交互に読み続けているが、艦娘に関して得た知識といえば、兵器としては欠陥品との情報だけだった。

 

(ちょっと体が冷えたな……、どっかに自販機とか無いのか……?)

 

 冷えた身体が温かい飲み物を欲している。とりあえず、開けたままだった窓を閉めると、執務室を後にする。適当に散策していれば、自販機は無くとも調理場くらいは見つかるだろう。

 

「おい、何処に行こうってんだ?」

 

 階段の手すりに手をかけたタイミングで後ろから声をかけられる。声のした方向に振り向くと、眼帯をした少女が立っていた。叢雲よりも年上のように感じるが、この子も艦娘なのだろうか?

 

「何か温かい飲み物でも飲もうと思ってな、自販機でもあれば助かるんだけど」

 

「言い訳はいらねぇよ、さっさと部屋に戻れ」

 

 少女の右目には明らかに敵意が籠っているのが分かった。腰に差してある刀と思わしき物に手を添えている以上は、下手な対応を取る訳にもいかないだろう。

 

「悪いな、今日来たばかりで、まさかこの基地が夜間出歩き禁止だとは知らなくてさ」

 

「余計な事は喋るんじゃねぇ! さっさと戻れって言ってるだろうが!」

 

 艦娘とはこういう荒っぽい性格しか居ないのだろうかと真剣に悩んだ。こちらの非を認めているつもりだったのだが、眼前に刀を突き付けられてしまう。

 

「罰則にしては厳しすぎないか?」

 

「て、てめぇなんていつでも殺せるんだからな!」

 

 刀を握る手が小刻みに震えているのが分かる、先ほどは咄嗟の事で気づかなかったが、両足も同じように小刻みに震えており、間違いなく少女が怯えているというのが分かった。

 

「どうしてそんなに震えているんだ? 寒いなら珈琲くらいなら奢るぞ」

 

「これは武者震いだ! あんま調子に乗ってると本当に切るぞ!」

 

 そっと刀に右手を伸ばす。少女は「動くな」と警告をしてくるが、無視して刃の部分を握りしめる、一瞬ライターで炙ったかのような鋭い熱さを感じ、少女の持っている刀を赤い液体が伝う。

 

「な、なにしてんだよ! これは玩具じゃねぇんだぞ!?」

 

 このまま刀を引かれれば指の1、2本は危なかったかもしれないが、俺の行動が理解できず、完全に怯えてしまった少女にそれは無理だと判断した。

 

「血、血が……出て……」

 

 刀を伝った血が少女の手に到着しそうになった瞬間に、刀を握る力が弱まったのを感じる。開いている左手で刀の側面を押すようにして、刀を捩じり少女から取り上げた。

 

「痛ってぇな……、なんで珈琲飲むだけで怪我しなきゃなんねぇんだよ……」

 

「か、返せよ! てめぇ……! 返せよ!」

 

 せっかく取り上げた武器をそう簡単に返すはずも無いだろうに、それに完全に声が震えているのも分かった。

 

「名前教えろよ。 そうしたら返してやる」

 

 刀を手すりに立てかけると、傷口を月明かりで照らして確認する。あまり深くは切れていないようだし、とりあえずは大丈夫だろう。

 

「オレの名は天龍。 フフフ、怖いか?」

 

 怖がってやったほうが良いのだろうか?実際最初に睨まれた時は怖いと感じたような気もしないでもないが、背伸びしている事が一目で分かるせいか、必死で取り繕ってもむしろ可愛げがあるように感じる。

 

「そうだな、じゃあ珈琲飲みに行くぞ。 この手じゃ淹れられないからお前淹れてくれ」

 

 刀を左手で持ち、ゆっくりと階段を降りる。後ろで「約束が違う」と騒いでいるようだったが、これ以上相手をするのもめんどくさくなってしまった───。

 

 

 

 

 

 何度か道に迷い、最終的に天龍に案内してもらう事で無事に食堂と思われる場所に辿り着いた。とりあえず右手の怪我は水で洗い流し手拭いで適当に止血を済ませておく。

 

「いつになったら返してくれるんだよ!」

 

「珈琲淹れたらって言ってるだろうが、さっさと動く!」

 

 ちょっと強めな言葉遣いをするだけで、予想以上に大げさな反応をするのが面白く感じた、間違いなくコイツは叢雲よりも精神的に幼いような気がする。

 

「わ、分かったよ……。 で、どうすりゃ良いんだ……」

 

 珈琲の淹れ方も分かんねぇのかコイツは。仕方がなく2人で適当に棚を漁ってみると、インスタントだが、まだ封の切られていない珈琲が出てきた。

 

「お湯くらい沸かせるよな?」

 

「あ、当たり前だろ!」

 

 なんだか不安だが、とりあえずヤカンを取り出しているのを見て、俺はカップに適当に粉末を入れていく。

 

「なぁ、何人分作るつもりなんだ?」

 

「う、うるせぇな! お湯は多い方が美味いんだよ!」

 

 天龍はヤカンいっぱいに水を入れて火にかけ始めた。それから数分間2人でヤカンを眺める。なんとなく黙り続けるというのは気まずい。

 

「ほら、返してやるよ」

 

 出血もある程度治まっているのを確認して、手拭いで刃を拭き取って刀を返してやる。まだ襲ってくるつもりがあるのであれば、目の前の包丁を使うだろうし、もう大丈夫だろう。

 

「まだ珈琲淹れ終わってねぇ。 それは受け取れないな」

 

 コイツはめんどくさいと思ったが、もの凄くめんどくさい奴らしい。自信満々な表情がなんだか無性に腹が立ってくる。天龍がカップにお湯を注ぐのを見届けて、そこで改めて刀を手渡す。

 

「んじゃ、俺は執務室に帰るから。 夜更かしもほどほどにしろよ?」

 

「待てよ! どうせ何か企んでやがるんだろう!?」

 

 さっさと資料の続きを見ようと思っていたのだが、天龍が俺の後をついてくる。コイツは一体何を考えているのか、全く分からない。

 

 執務室の机に座ると、珈琲を口に含んでやっと一息つけると思ったが、天龍の叫び声で頭が痛くなる。

 

「なんだこれ! 苦すぎるだろ!?」

 

「あぁ!! もうめんどくせぇな! これでも入れてろ!」

 

 資料を探すために机を漁っていた時に出てきたチョコレートの箱を投げ渡す。俺の指示には従いたく無いとか言い出したので、返せと言ってみたがそれよりも早く天龍は珈琲にチョコレートを混ぜ始めていた。

 

「わ、悪くないな」

 

 表情を見る限り、それなりに気に入ったのかチョコレートの量を増やして甘さを調整しているようだった。これで少しは大人しくなってくれれば良いのだけど。

 

「なぁ、お前なんなんだ」

 

「元陸軍、階級は少佐。 以上」

 

 資料を適当に捲っていると、艦娘の反乱により、何名か廃棄したとの項目を見つけた。確かにいきなり刀を突き付けてくるとか、管理する側からしたら溜まったものじゃないだろう。

 

「その……、新しい提督なのか……?」

 

「違う、新兵を訓練するために呼ばれているから、どっちかと言えば教官だろうな」

 

 提督ってほど大層な身分では無いと思う、先ほどの出来事を考えると、下手するとお世話係って可能性も捨てきれないと思った。

 

「さっきの事聞かないのかよ」

 

「興味無い」

 

 これはあれだ、女特有の構って欲しい時の攻め方だ。自分に非があるのが分かっているのだから叱ってほしい、そうして自己満足を得たいためだけの回りくどいやり方だ。

 

「そうか……」

 

 そして攻撃は第二段階に入ってしまった、天龍は少し俯き気味になり黙ってしまう。何故だか分からないが、俺が被害者のはずがとても悪い事をしたような気分にさせられてしまう。

 

「お前なりの理由があっての事なんだろ。 だからそれ以上は聞かないし、怒ってない。 それより、天龍ってどんな艦だったんだ?」

 

「オレの装備が気になるか?世界水準軽く超えてるからなぁ~!」

 

 急に自信に満ち溢れた表情で自分の事を説明し始める。なんというか落差の激しい奴だと思いながらも、資料から天龍型軽巡洋艦の項目を探す。

 

「駆逐艦を束ねて、殴り込みの水雷戦隊を率いたんだぜ? 相棒の龍田もそりゃあ良い艦で……」

 

「小型かつ高密度な設計ゆえに改装の余地がほとんどなく、後続の軽巡洋艦の開発により、時代遅れになってしまった……か。 お前も苦労したんだな」

 

 資料を読み上げただけなのだが、俺の言葉に天龍は顔を真っ赤にして刀を抜いてきた。まぁ、本当に切るつもりは無いだろうし、気分転換にからかうのも悪くない。

 

「じゃあ次、お前自身の事を覚えているか?」

 

「オレ自身の事……? 意味が分かんねぇよ」

 

 艦娘となって発生する記憶の欠落には大きく差があるとは書いてあったが、コイツはどちらかと言えば欠落が大きいのかもしれない。そう考えると珈琲の淹れ方もろくに知らなかった事に説明がつく。

 

「無理に考えなくてもいい、なんとなく気になっただけだから。 お前も明日の式には出るのか?」

 

「出るつもりは無かったけど、珈琲に免じて出てやらない事は無いな」

 

 俺に出てほしいと言わせたいのだろうが、生憎そういうめんどくさい対応は苦手だ。しかし、出るつもりが無いという発言から、恐らくは他にも出席しない艦娘が居るという情報が手に入った。

 

「駆逐艦を率いて戦った天龍さんは明日も駆逐艦を率いて式に出ないといけないよな? 隊長が寝坊やサボリなんてしたら、部下に悪影響を与えるかもしれんしな」

 

「あ、当たり前だろ! あいつらの面倒はオレが見てるようなもんだ、そりゃあ立派な水雷戦隊に……」

 

「じゃあ今日は早く帰って寝ないとな、0900まで後6時間しかないぞ」

 

 俺が時計を指差して時刻を知らせると、天龍は空になったカップを乱暴に机に置き、さっさと執務室から出て行ってしまった。

 

「なんだか疲れた……。 俺も少しだけ寝ようかな……」

 

 持ってきた荷物から毛布を取り出すと、机にだらしなく上半身を伸ばす。せめて天龍に寝る場所くらい聞いておけば良かったと後悔しながらも俺は眠りについた───。

 




7/10 一部文章に違和感を感じたので修正


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鎖と少女達(1)

人の持つ感情の中で最も行動に直結する感情は『愛』と『恐怖』だ。

その2つのどちらかの感情に人の行動は大きく左右される。

何かを守ろうとする行動はその2つの影響をもっとも受けた行動と考えて良いだろう。

大切なモノを失いたくないという『恐怖』

大切なモノを守りたいと願う『愛』

しかし、彼女達とそのような絆を築く時間などこの国には残されていなかった。

我々には守るべき家族が居る、国がある。

だからこそ戦い続ける。

利用できる物はなんだって利用してやる。

例え兵器如きに嫌悪されようと、我らには進むべき道があるのだから。


「早く起きな……さ……」

 

 徐々に活性化していく中、誰かが俺を起こそうとしてくれている。

 

「いい加減……ないと、怒る……よ?」

 

 誰かに起こしてもらうなんて何時振りだろうか、まだ小さな小隊として活動していた頃、訓練をさぼって昼寝してたらよく隊長に叱られたっけな。

 

「いい加減にしろって言ってるのよ!!」

 

「うわぁぁぁぁ!?」

 

 耳元で大声で怒鳴りつけられた事で驚いて、椅子から崩れ落ちる。眼がまだ光に慣れていないせいか、若干白さを帯びた視界には叢雲が腕を組んで不機嫌そうな表情でこちらを見下ろしていた。

 

「お、おはようございます」

 

「ったく、様子を見に来て正解だったわね」

 

 壁にかけられている時計を見て現在の時刻が0800である事を確認する。どうやらコイツは俺を起こしに来てくれたらしい。

 

「って、アンタ怪我してるじゃない! どうしたのよ!?」

 

「あぁ、ちょっと資料で切った」

 

 椅子から崩れた際に思いっきり床に手をついてしまったせいか、昨日の傷が開いてしまったらしい。まさか艦娘に襲われたなんて説明する訳にもいかないし、苦し紛れの言い訳をしてみる。

 

「紙でそんなに切れる訳……、まぁ良いわ。 包帯を持ってきてあげるから大人しくしておきなさい」

 

 叢雲はそう言って小走りで執務室から出て行ってしまった。机の上にカップが2つ並んでいる以上、昨晩ここに誰か居たという推測は簡単にできるだろうし、叢雲なりに空気を読んでくれたのだろう。

 

 少しして息を切らせて戻ってきた叢雲から包帯を受け取り傷の処置を行う。利き腕に包帯を巻くというのは思いのほか難易度が高く、四苦八苦していたが最終的には呆れたようにこちらを見ていた叢雲に任せることにした。

 

「聞き忘れてたんだけど、着任式ってどこでやるんだ?」

 

「正門の近くにある建屋の中よ。 場所も知らないなんて、私が来なかったらどうするつもりだったの?」

 

 相変わらず辛口な奴だなと思いながらも、適当に笑って誤魔化す。その後も細かな事に対してグチグチと文句を言われたが、時間も迫っているから移動しようという言葉でどうにか逃れることができた。

 

「この基地にはどれくらいの人が居るんだ? 活気が無さすぎるような気がするんだが……」

 

「アンタと私を含めて全員で25人。そのうち艦娘は4艦隊分ってところかしら? 交代でやってくる憲兵を入れればもう少し数は増えると思うけど」

 

「25人で艦娘4艦隊分って……、俺以外は全員艦娘って事じゃねぇか……」

 

 俺の返答に叢雲は「あら、ちゃんと勉強したみたいじゃない」なんて満足気な視線を向けてきた。通常艦娘は6人で1艦隊として隊列を組み、艦の護衛や戦闘を行うと資料には書かれていた。先ほどの回りくどい言い回しは試されていたと分かり、少し苛立ちを覚える。

 

「私は隊に戻るから、アンタは後ろから入りなさい」

 

「あぁ、サンキューな」

 

 叢雲は軽く右手をあげると、気だるげな足取りで建屋の中に入っていった。俺は指示された通り、建屋の側面に見える扉から中に入ると、明りに照らされた壇上が視界に入った。なんというか、意味も無く緊張してきたような気がする。

 

 大きく深呼吸して、ゆっくりとした足取りで壇上に登ると、これから面倒を見ていく艦娘達へと視線を向ける。

 

「……なんか話に聞いてたより少なくないか?」

 

 我ながら第一声としては最悪だと思ったが、ざっと数えても10人程度しか居ないと思う。その中に天龍とその後ろに隠れてる子供の姿は確認できたが、4艦隊中2艦隊程度しかこの場に集まっていないということは分かった。

 

(要するに半数以上はさぼってるって事か……)

 

 なんだか無性に腹が立ってきた。普通こういう場くらいは出てくるもんだろ?欠伸を噛み殺しながらでも長ったらしい話を聞くもんだろ?

 

「そこの君、このマイクって館内放送に切り替えられるか?」

 

「そ、そこの君ってあたし……?」

 

「あぁ、そこのうざそうな前髪の君だ。 館内放送に切り替えるか、さぼってる奴等を全員連れてくるか選ばせてやる」

 

 金髪のセーラー服に身を包んだ少女を指差す。「あたしの前髪を馬鹿にしないで」とか言って怒りだしてしまったが、低い声で10・9・8……と呟くと少女は壇上の裏へと走って行った。

 

「い、いけると思うけど……」

 

 先ほどの少女が館内放送に切り替えたという報告を行ってきた。俺はマイクを手で押さえ声が入らないようにすると、集まってくれた少女達に耳を塞ぐように指示を出す。中には反抗したいのか、文句を言ってくる奴等も居たが警告をした以上は自業自得だろう。

 

「さぼってる奴等よく聞け! 3分以内に集合しない場合、引きずり出してでも俺のありがたい自己紹介を聞かせてやるから覚悟しとけ!」

 

 右手を軽く上下に振って館内放送を切るように指示を出す。しかし、俺の発言に驚いて固まってしまっていたのか、金髪の少女は30秒ほど遅れて再び壇上の裏へと走って行った。

 

「という事で、3分休憩。 楽な姿勢で待っていてくれ」

 

 正直壇上から見下ろすと、全員がまるで宇宙人でも見るかのような唖然とした表情で俺を見上げていた───。

 

 

 

 

 

「ふむ、なかなか度胸のある奴が多そうで楽しめそうだな」

 

 3分経ったが、恐る恐る建屋に入ってきたのは3人だった。これでここに居る艦娘の数は13人となる。過半数は超えたようだが、それでもまださぼっている連中が居るらしい。

 

「所で、君の名前はなんて言うんだ?」

 

「阿武隈です……」

 

 先ほどからこき使われているせいか、阿武隈と名乗った少女は頬を膨らませてこちらに抵抗の意思を見せているようだった。

 

「来てくれたみんなには悪いが、式は中止だ。 俺はさぼり共を指導してくる事にするから、阿武隈は俺を案内してくれ」

 

「あ、あたしなの!?」

 

 俺は阿武隈の肩を押して建屋から外へ出る。残された艦娘達は阿武隈に同情の視線を向けているようだった。

 

「ちょ、ちょっと! アンタ何勝手な事してんのよ!」

 

 艦娘の宿舎と思わしき場所に到着すると、後ろから足音と怒鳴り声が聞こえてきた。流石に朝から怒鳴られているせいか、叢雲の声だとはっきり分かった。

 

「人がせっかく挨拶の内容まで考えていたというのに、さぼる方が悪い」

 

「そういう事じゃなくて! あの子達はまだそっとしておかなきゃダメなのよ!」

 

 さぼりかと思ったが、叢雲の焦り具合から察するに何か理由があるのかもしれない。しかし、そうであれば尚更現状を確認しておく必要がある。叢雲が追ってきたという事は、この宿舎の中に居るのは確定だろうし、もし怪我や病気の類であれば放置する訳にもいかないだろう。

 

「ふわぁぁ~っ! あんまり触らないでくださいよ、私の前髪崩れやすいんだから!」

 

「すまん、丁度いい具合にいじりやすそうなのがあったから、それじゃあ行くか」

 

 俺と阿武隈は叢雲の制止を無視して宿舎の中に入る。外観からして予想はついていたが、刑務所の中と説明されても違和感のない内装に眉をしかめる。勝手なイメージかもしれないが、叢雲や阿武隈、集まってくれた少女達の姿を考えれば、あまりに無機質で似つかないと思った。

 

「そ、その……あたし的にもやめた方が良いんじゃないかなぁって……」

 

「良いから案内しろ、もし逃げ出したらその前髪を水平線の如く真直ぐに切りそろえるぞ」

 

 俺の意思を曲げることはできないと諦めたのか、阿武隈は大きくため息をつく。

 

「分かりましたよぉ……。 でも、乱暴な事はしないって約束してくれますか……?」

 

「……約束しよう」

 

 先ほどまでオドオドしていた少女とは思えないほどの真直ぐな視線に少し驚いてしまう。今までの対応が演技だったのかと疑いたくなってしまったが、恐らくは少女にとって重要な約束だからこその真剣さなのだろう。

 

「正直あたし的には、あなたみたいな乱暴な人は苦手です。 でも、前の人とは違うって分かったから……」

 

 ブツブツと呟く阿武隈の後ろについて歩く。

 

「まずはこの子達を見て欲しいです……」

 

 阿武隈は立ち止まると扉を指差す。扉には『暁』『響』『雷』『電』の4つのネームプレートがかけられている。俺はゆっくりと扉を開くと、そっと中を覗き込む。室内には窓も照明も無く、目が慣れるまで少しの時間を要した。

 

「……阿武隈、説明しろ」

 

 8つの瞳が俺に集中しているのが分かる。その視線はどれも恐怖や不安を感じさせ、無意識のうちに怪我をしている右手を握りしめる。

 

「この子達は暁型の4姉妹です。 前の人が『素直にさせるためだ』って……」

 

 容姿から察するに、まだ小学生程度だろうか。4人の少女は互いに抱き締めあい、互いを守ろうと必死になっていた。その光景だけでも腸が煮えくり返るような思いをしたが、決定打となったのは少女達の足に繋がれた鎖だった。

 

「鍵は何処だ」

 

「わ、分かりません……」

 

「切断するための道具は」

 

「わ、分かりませんよぉ……」

 

 一瞬怒鳴りそうになってしまったが、寸前のところで抑える。ここで阿武隈に八つ当たりした所で解決には繋がらない。これが前任者のした事であれば必ず、執務室のどこかに鍵を保管しておくはずだ。

 

「ちょっと鍵を探してくる、お前は毛布と何か温かい物を用意しろ。 人手が足りなければその辺に歩いてる艦娘に俺からの命令だと伝えろ」

 

 少女達を怯えさせないようにゆっくりと扉から遠ざかると、視界に入っていない事を確認して全力で執務室に向かって走った。自分だったらどこに保管するのか、もし分かりやすい場所であれば叢雲辺りが見つけて彼女達を助けていても良いはず。

 

 執務室に入ると、机の引き出しを取り出しては床に投げ捨てる。中に入っていた資料が床に散乱したが、気にしている余裕は無い。机に鍵が無い事を考えると、次は本棚にしまってある本を全て床に投げ捨てる。すると、金属が床に落ちる音が耳に入った。

 

(本に挟んであったか……)

 

 本を逆さにしてみると、残り3つの鍵が出てきた事である程度の確信を得た───。

 

 

 

 

 

「鍵、見つかりましたか……?」

 

 宿舎に戻ると、阿武隈が少女達にマグカップを配っている所だった。叢雲も手伝ってくれているのか、懐中電灯を持って様子を伺っているようだが、今は本当に鎖の鍵かを確認する方が先だろう。俺はゆっくりと少女達に近づくと、突然マグカップを投げつけられ、中に入っていた液体が顔にかかる。

 

「み、みんなに酷い事したら…許さないんだから!」

 

 長い黒髪の少女が瞳に涙をためながらも必死で仲間を守ろうとしているようだった。それを見た阿武隈が宥めようとしているが、少女の耳にその声は届いていない、俺はゆっくりと黒髪の少女に左手を伸ばす。

 

「い……嫌だ……っ!」

 

 恐怖に負けて目を閉じた事で、瞳から大粒の涙が零れるのが見えた。

 

「そうか、お前がお姉ちゃんか。 ちゃんと妹達を守ってやるなんて偉いな」

 

 震える頭の上に手を乗せると、ゆっくりと撫でる。恐怖に耐えながらも必死で妹達を守ろうと必死な姿に心が痛む。

 

「もう良いんだ、お前は立派に妹達を守ったんだ」

 

「あ、暁は妹達を……守れた……の?」

 

 少女の問いに優しく頷いてやる。その瞬間少女の身体から力が抜け、床に倒れこみそうになったのを慌てて支える。恐らくは極度の緊張から解放して意識を失ってしまったのだろう。暁と名乗った少女を毛布に包み床に寝かせると、足につないである鎖の鍵穴に鍵を差し込む。

 

「良かった、これで合ってたみたいだ。 もしかして君が次女か、鍵を外すから足を出してくれないかな?」

 

「アンタ知ってたの?」

 

 後ろから叢雲が不思議そうに質問を投げかけてくる。その質問の答えはいたって簡単だった。

 

「いや、知らない。 でも、綺麗な銀色の髪をした子が次女で、ヘヤピンをしてる子が三女、後ろで髪をまとめてる子が四女だろ?」

 

 暁が俺にマグカップを投げつけてきた時に2人を庇うようにしたのが銀色の髪の少女、その中で最後の1人を力強く抱きしめていたのがヘヤピンをした少女。恐らくは自分達の妹を守ろうと全員で戦ったのだろう。

 

「名前、教えてもらっても良いかな?」

 

「……響だよ」

 

「お前もよく頑張ったな」

 

 先ほどと同じように優しく頭を撫でてやると、緊張が切れたのか嗚咽を漏らしながら泣き始めてしまった。阿武隈に視線で抱き締めてやるように合図を送ると、鍵を外してやる。

 

「君の名前は?」

 

「雷よ……」

 

「すまん、ネームプレートを見た時に『かみなり』って読んじまった……」

 

「……わ、私は後で良いから、先に電のを外してあげて……」

 

 泣かれ続けるのも困ると思い、少しおどけてみたがダメだったらしい。同時にもう1人の子も『でん』では無い事を知った。

 

「電は最後で良いのです、雷ちゃんから先に……」

 

 この際どちらからでも良いのだが、ここは姉を立ててやるべきなのだろうか?そんなくだらない事を考えていると、叢雲が俺の肩を叩き鍵を寄こせと手を差し出してきた。

 

「同時ならお互い文句無いでしょ?」

 

 全員鎖から解放したのは良いが、大丈夫だと思った雷と電も響につられて泣き出してしまい、必死で泣き止むように諭してみたが、結局全員が泣きつかれて眠るまで泣き止むことは無かった。

 

「俺が2人を運ぶから、2人は1人ずつ頼む」

 

 そう言って暁と響きを抱き上げる。阿武隈は雷を、叢雲は電を背負う形で扉から外に出た。そのまま宿舎から出ると、太陽の光がとても眩しく感じる。その光から逃げるように抱えていた2人が体を捩じるせいで、危うく落としてしまいそうになり慌てて抱きなおす。

 

「アンタにしては良くやったわね、後で特別に包帯巻きなおしてあげるわよ」

 

「あたし的にも感謝してます!」

 

 なんだか礼を言われるのが無性にくすぐったい。俺は俺の思った通りに行動しただけだし、そのきっかけがさぼり共に痛い目を合わせようだったなんて今思えば恥ずかしくなってきた。

 

「ん~……、礼より先に暁達を風呂に入れてやらないとな。 ちょっと臭う気がする」

 

 場を和ませるための冗談のつもりだったのだが、幼いとは言え女の子に使うべき冗談では無かったと後悔する。

 

「あたしやっぱりこの人苦手かも……」

 

「……アンタ最っ低ね、さっきの話は無しで」

 

 先ほどとは正反対の言葉を投げつけられたが、幸せそうな少女達の寝顔を見ることで十分満足したと言えるだろう───。




7/10 一部暁の台詞の修正


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鎖と少女達(2)

手についたあの男の汗が気持ち悪い。

服に染み付いたこの臭いで吐き気がする。

周りのみんなは私の事を裏切者だと罵倒するかもしれないけど、

今の私にはこんな事でしか妹達を守ることはできない。

助けて欲しいと毎日祈った。

逃げ出したいと何度も考えた。

それでも、妹達を駆逐艦達のような目に合わせてしまう可能性を考えると

必死で涙を拭って笑顔の仮面を被るしか無かった。


「さて、どうしたものか……」

 

 暁型の4姉妹を阿武隈と叢雲に任せて執務室へと戻った俺は大きくため息をついた。室内は空き巣にでも入られたのかと思える程に散乱しており、まさに足の踏み場もないという言葉が相応しい程になっていた。

 

 手の届く範囲の資料をかき集め、どうにか机までの道のりを確保する。椅子に腰かけると電話を手に取り、元上司に連絡を入れる。軍の管轄が違う以上は詳しい情報は聞けるとは思えないが、少なくともここで部屋を片付けているよりは有意義な情報が手に入ると判断したからだった。

 

「こちら鹿屋基地の湊です、中将に確認したいことがあって連絡させていただきました」

 

 電話の先の女性が「少々お待ちください」と回答してから、30秒程で目的の人物と繋がった。

 

「どうした? もう根を上げたのか?」

 

「根を上げたと言えばそちらに戻してもらえるんですか?」

 

「……要件は何だ?」

 

 一応管轄の違いもあり、下手な事を話せば機密漏洩に関わると考え、事実と虚実を適当に織り交ぜながら先ほどの出来事を説明していく。

 

「貴様も命令違反をした部下に謹慎を与えることがあっただろう? 何の問題があるんだ?」

 

「まぁ、そう言われてしまうと身も蓋も無いのですが……。 俺が来る前にここを管理していた者の情報とか無いですかね?」

 

 艦娘という存在がどこまでに公にされているのか分からない以上、新兵を部屋に監禁したと説明してみたが上手く伝わっていないのかもしれない。

 

「儂からは教える事はできんが、海軍の知り合いの連絡先を教えてやるからそちらに聞いていると良い」

 

 電話越しに告げられた名前と連絡先を適当な資料の裏にメモをする。

 

「教える事はできないという事は、ある程度は知ってたって事ですよね? 事前に説明して頂けているともっと上手く立ち回れたんですけどね」

 

 少しの間無言が続く。最初は誤魔化していたようだが、墓穴を掘ったなと腹の中で笑ってやる。

 

「……生意気な口を利くようになったものだ。 実家を思い出して機嫌でも悪くなったのか?」

 

「ええ、ガキの御守りなんて施設に居た頃以来ですよ。 それじゃあ、連絡先ありがとうございました」

 

 向こうに音が聞こえるように乱暴に受話器を叩きつける。とりあえずは聞いた連絡先にかけてみる。呉鎮守府と言われたが、海軍基地の最前線と呼ばれている場所に俺なんかが取り次いでもらえるか不安になったが、いざとなれば元上司の名前を使ってでも取り次いでもらおう。そんな事を考えながら再び受話器を手に取った───。

 

 

 

 

 

「あたし的にはOKですけど、ちょっとデリカシーが足りないと思う……」

 

 暁達を入渠させた後、阿武隈さんとアイツの事について話をしていると、夕立、時雨が合流してなんとなく今後について話し合う事になった。

 

「夕立は怖いけど良い人だと思うっぽい!」

 

「僕も夕立と同じ意見だけど、直接話した訳じゃないしまだ信用はできないかな」

 

「叢雲ちゃんが1番話をしてるみたいだけど、どう思う?」

 

 阿武隈さんに話を振られ、腕を組んで考える。正直第一印象は良いとは言えなかった。それでも先ほどの一件を考えれば、少なくとも私達を『兵器』として扱っている様子は無いと思う。

 

 前任が居なくなり、その間に鍵を見つけて暁達を助けようという話はこの基地に居る駆逐艦達で考えた作戦である。本当はすぐにでも事情を話して助けてもらいたかったのだが、実行に移さなかったのはあの姿を見て私達の扱いを誤った方向に勘違いされると困るという意見が出たためだった。

 

「良くも悪くも、アイツは無知なのよ。 艦娘についてだってここに着任するまで知らなかったみたいだし、なんであんな奴が送られてきたのかしら……」

 

「じゃあ今のうちに私達の事を教えるっぽい! そうしたらきっと優しくしてくれるっぽい!」

 

 口癖だから仕方がないのだろうが、「ぽい」ではダメなのだ。本当に私達の事を理解してくれるのかどうか、もしかしたら私達を騙すために演技をしている可能性だって捨てきれないのだから。

 

「思ってる事はちゃんと言葉にした方が良いよ? あたし達全員の問題なんだから、叢雲ちゃんだけが悩む必要は無いからね」

 

 時々阿武隈さんは異常に鋭い時がある。普段は頼りないとしか思えないけれど、時折見せる真剣な表情は、私達駆逐艦を率いる軽巡洋艦なのだと自覚させられる事がある。

 

「僕は信じてみたいと思う。 もしかしたら艦の記憶がそうさせているのかもしれないけど、そうしないと始まらないと思うんだ」

 

 時雨の言葉に全員が黙ってしまった。人を信用したいと思う気持ちは確かにあった、個人差はあるのだけど私達の中の艦の記憶が協力して戦うのだと訴えてきているんだと思う。そんな事を考えていると、食堂の扉が勢いよく開かれた。

 

「おい! ガキ共が居ねぇぞ!?」

 

 飛び込んできたのは天龍さんだった。暁達が目が覚めた時に不安になるとまずいからと入渠施設で待ってくれているはずだったが、話の内容を聞いて私たちは一斉に席を立った。

 

「まずいわね。 脱走したとかだったら下手したら解体もありえるわよ!?」

 

「憲兵さん達に見つかる前に、あたし達で先に見つけましょう」

 

「夕立は正門に向かって、僕は桟橋を見てくる」

 

 私達は食堂を飛び出すと暁達の捜索へと向かった。結果から先に言えば、彼女達4人は執務室で発見された。

 

「で、アンタは何やってんのよ……」

 

「何って、コイツらがじゃれてくるから……」

 

 汗だくとなった私達は呆れたような視線を向けて大きくため息をついた。阿武隈さんは服のあちこちに埃がついているし、時雨は髪がボサボサになっている。夕立に関しては木にでも登ったのか木の葉が頭の上に乗っていた。

 

「頭をなでなでしないでよ!もう子供じゃないって言ってるでしょ!」

 

「暁もそう言っているし、代わりに私の頭を撫でてもらっても構わないよ」

 

「じ、順番って約束したはずなのです!」

 

「みんなちょっとは落ち着きなさいよ! 電は順番飛ばししない!」

 

 暁達がこんなにはしゃいでいるのは初めて見たと思う。元気になったのは良い事だと思うけれど、状況が上手く理解できない。

 

「いい加減離れろって! 叢雲の顔がどんどん不機嫌になってるだろうが!」

 

「はわわわ、怒っちゃったのです!」

 

「君達。 いい加減にしないと、怒るよ?」

 

 時雨の一言に室内の温度が下がってしまったのでは無いかと錯覚する。暁達だけじゃなく、何故か隣に居る夕立まで怯えちゃってるし。少しの沈黙の後、阿武隈さんが事情を教えて欲しいと場の空気を変えた。

 

「一人前のレディとして、お礼は言わなきゃダメだと思って……」

 

「私も暁と同じだ」

 

「そうそう、お礼はちゃんとしないとね」

 

「みんなと同じなのです!」

 

 事情は分かった、なんというか慌てた私達が馬鹿みたいじゃない。全員同じ事を考えていたのか、肩を落として複雑な表情を浮かべている。

 

「ところで、君達とは初対面だよな? 良かったら名前を教えてくれないか?」

 

「僕は白露型駆逐艦、時雨。 隣にいる夕立の姉になるかな」

 

「白露型駆逐艦、夕立よ。 時雨の妹っぽい!」

 

 なんというか、この男は本当に分からない。先ほど信用できるかどうか話し合っている時は、私達を油断させるための演技かと疑っていたが、そんな事が馬鹿らしく感じる程にマイペース過ぎる。

 

「阿武隈は軽巡洋艦だったよな、他の子は全員駆逐艦だけど他の艦種は居ないのか?」

 

「居るわよ、まだ様子見してるみたいだけどね。 アンタの事を信用できるまではどっかで監視でもしてるんじゃない?」

 

 確かに重巡や戦艦の人達も居るのだけど信用できるまでは過度な接触は行わないという人達ばかりだ。私達よりも年上だからか、前任の事もあり軍の関係者をまったく信用していない。

 

「なんというか複雑な気分だな、この子達の事を考えると仕方がないのかもしれないけどな。 それと、ついでだから伝えておくけど、明日から訓練を開始するから0600に桟橋に集合する事」

 

「夕立海に出れるっぽい!?」

 

 一番に反応したのは夕立だった。正直に言えば私だって久しぶりに海の上を走れるのかと考えたら胸が高鳴るのを感じる。

 

「あぁ、そろそろ本格的に君達の事を知りたくなったからな。 艦娘なんだから陸上よりも海上の方が良いだろ?」

 

「そんな勝手な事して良いの? 海に出るなら私達は艤装を付けるのよ、アンタ自分が撃たれるとかそういう心配しない訳?」

 

 前任の男は私達の反抗を恐れて一部の従順な子にしか艤装を装着させていなかった。従順と言うよりも、あの女を除いては面倒を起こしたくなくて嫌々でも従って居ただけなのだけど。

 

「……もし俺目掛けて撃ってきたら罰として執務室の片付けさせるからな」

 

 コイツはそう言って部屋の隅に乱雑に山積みにされた資料を指差した。中には『機密』と書かれた印鑑の押されたものもあるのだが、何があったのだろうか。

 

「でも2人余っちまうか、旗艦は阿武隈で良いとしても駆逐艦7人じゃちょっと多すぎるな」

 

「僕は待機で良いよ、暁達をバラバラにするのは可哀そうだし、夕立は久しぶりに海を走る事を喜ばしく感じてるみたいだしね」

 

 時雨が私達に気を使ってなのか、訓練を辞退してくれた。本当は時雨も久しぶりに海に出たいと思っているのは残念そうな表情を見れば一目瞭然だった。

 

 後一人は誰が我慢するか残った私達は互いに視線を重ねたが、なんとも辛そうな表情を浮かべている子が多かったため、渋々私も辞退する事にした。

 

「私も別に待機で良いわよ……」

 

「分かった。 でも、一応時雨と叢雲も時間になったら艤装をつけて桟橋に来てくれ。 それと……」

 

「ところで、夕立達はアナタの事をなんて呼べば良いっぽい?」

 

 夕立が話を遮るように手を上げて発言した。その言葉に全員がハッとした表情でコイツに視線を集める。私は出会った時に名前を聞いているし、ここに着任した理由も聞いているので気にしていなかったけど、コイツは人に名前を聞くばかりで自分自身の紹介をしていない事を思い出す。

 

「そういえば自己紹介してなかったな、俺は湊。 階級は少佐でこの基地には教官として新兵を鍛えてやって欲しいって要望で着任してる」

 

「みなと少佐ですか、私達にぴったりの名前なのです!」

 

「たぶん電が考えてるのは『港』の方だな、残念ながら漢字は違うぞ? 意味は一緒なんだろうけど、さんずいに奏でるって書いて湊だ」

 

 そう言って証明書を電に見せている。それを後ろから暁達が覗き込もうとしているので、電が「重いのです!」と言って悲鳴を上げている。

 

「一人前のレディは、見た目で人を判断しないんだからね!」

 

「頭がいがぐりみたいなのです!」

 

「教官さん、悪い事でもしたっぽい?」

 

「あたし的にはNGかなって……」

 

「さすがにこれは、恥ずかしいな」

 

 証明書の写真は坊主頭に軍服という、正直お世辞にも見た目が良いというものでは無かった。

 

「髪の事には触れないでくれ、今はこうして伸びてるだろ……。 当時は色々あったんだ」

 

「大丈夫、雷は髪型や目つきで人を嫌ったりしないわよ! それに、叢雲や天龍さんみたいに目つきが悪くても良い人だって居るもの!」

 

 雷の一言に私、阿武隈さん、時雨、夕立が固まった。確か天龍さんも暁達の捜索を行ってくれているはずだ。時計を見ると執務室で発見してから1時間近くが経っている。

 

「アンタ達! 天龍さんを探すわよ!?」

 

 暁達の手を引き執務室を飛び出す。結局天龍さんを見つけたのは日が沈んで辺りが真っ暗になってからだった───。




7/10 誤字を発見したので修正しました。


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笑顔の仮面(1)

話だけでもしてみようと執務室に向かった私は扉を開ける事ができなかった。

扉の向こうから聞こえてくるのは男の人の怒鳴り声。

怖いと感じてしまった私は腕に力が入らず、ドアノブすら回すことができなかった。

しかし、耳に入ってくる怒鳴り声は今までのような批判や中傷などでは無く、私達を擁護するような意味の単語が多く聞き取れた。

彼はどうして名前も知らない私達のために、怒ってくれているのだろう?

考えても考えても答えは出なかった。

私は姉さん達のように強くも無いし、思った事を口にする事もできない。

何かあればすぐに謝って逃げ出してしまう。

今もこうして扉の1つも開ける事ができない。

『あの子達は兵器なんかじゃない』そんな言葉が扉の向こうから聞こえてきた。

もしかしたらこの人なら私達の事を分かってくれるのかもしれない。

そう思い勇気を出して扉を開けようとしてみるが、足音がこちらに近づいてくるのに気づいて私は逃げ出してしまった。

明日、いや明後日、まずは挨拶からしてみよう。

そう執務室から遠ざかりながら私はそう思った。


「電ちゃん近すぎるっぽい!」

 

「はわわ、急に言われても止まれないのです!」

 

海の上を走る少女達を見ながら、持ってきた資料に目を通す。主に航行や陣形の重要さについて長々と書いてあったが、その中から護衛向きと書かれている輪形陣を基本に単縦や単横に切り替えるように阿武隈に指示を出しておいた。

 

艦娘としての基本と書かれているが、素人目に見ても少女たちの動きはぎこちなく時折互いにぶつかりそうになっている所を叢雲や時雨にフォローをしてもらいどうにか維持できているようだった。

 

「基本って書かれている以上は、できないとまずいのかねぇ……」

 

正直に言えば訓練をすると言ったものの、海上で行う訓練や戦闘の知識は乏しく今こうして自分自身が学んでいる状態である。

 

「響ちゃん前に出すぎですぅ! もっと周りを見てくださいぃ!」

 

「すまない。 でも、流石に遅すぎると思うんだ」

 

どうにも航行に慣れている子とそうでない子で大きく差がついてしまっているようで、まずは慣れてない子を優先に訓練して言った方が良いのかと考える。これが陸上であればいくらか指導する事もできるが、そもそもどうやって少女達が海の上を浮いているのかすら分からない以上はなかなか口出しし辛い問題だった。

 

資料を閉じると、無線機を手に取り全員に一度集合するようにと指示を出す。俺の声が届いたのか、全員がこちらに戻ってきているようだったが恐らく陣形を単縦に切り替えているのだろうが、蛇が蛇行しているかのようなフラフラとした足取りだった。

 

「だ、第一水雷戦隊、阿武隈。 帰還しました!」

 

「あぁ、堅苦しい事は今は良いよ。 それで、久しぶりに海上に出た感想を聞かせてもらえるかな?」

 

「すっごく気持ちよかったっぽい!」

 

元気よく感想を発言した夕立の頭を時雨が軽く小突く。ある程度察しの良い子達は自分達の不甲斐なさに叱られるのでは無いかと表情を暗くして俯いてしまっているようだった。

 

「阿武隈、輪形陣の目的を説明してみろ」

 

「主力や護衛対象を中央に位置させて周囲の護衛艦が全方位に索敵を行って……」

 

資料に書かれている内容と同じことを説明し始めた阿武隈の言葉を「長い」と一言告げて遮る。

 

「分かりやすく言えば、中央に居る艦をみんなで守るって意味だよな? 響は周りが遅いと言っていたが、その言葉は本当に正しかったのか?」

 

「そ、それは……。 すまない……」

 

叱るべき場所で叱っておかないと示しがつかないのだが、相手が屈強な野郎では無く少女の姿だからなのか落ち込む表情を見ると妙な罪悪感に襲われる。

 

「電は何度か他の子に衝突しそうになってたよな。 もしそれが戦闘中だったらどうなる? 自分が狙われるだけじゃなく、衝突した相手も危険な目にあってしまうかもしれないんだぞ」

 

「ちょっと、言い過ぎじゃない!」

 

雷が俺の言葉に反論があるようだったが、その言葉を無視して各自の目立った欠点を言葉にしていく。確かに最初は叱られているという事もあり俯き気味だったが、話し終える頃には全員の視線が俺に集まっていた。

 

「アンタ、もっと適当な奴だと思ってたけど、意外としっかりと見てるのね」

 

「うん、僕や叢雲は外からフォローをしていたけど概ね教官と同じ意見だ」

 

指導の内容など付け焼刃としか思えない程度だったが、ここまで高評価をしてもらえるとなんだか複雑な気分になる。理由を聞いてみたがそもそも前任はこうして訓練を見ることが無く、誰かに訓練の内容について指導されるのは初だったらしい。

 

「後は、もう少し体力をつける必要があるな。 どういう理屈で進んでいるのかは分からないが足元のソレに振り回されているような気がした」

 

そう言って艤装と呼ばれる装備の足元部分を指差す。現にこちらに戻ってきた際に大きく肩で息をしている子や、今も膝が笑っているようで立っているだけで辛そうな子も居る。全て話し終えた後は、休憩をしながらでも良いので1200までの残り1時間程度を先ほどと同じ内容で訓練するように指示を出す。

 

「叢雲は俺と一緒に執務室まで来てくれ」

 

「……分かったわよ」

 

海から再び陸上に戻ることが残念なのか、叢雲はあまり良い表情では無かった───。

 

 

 

 

「で、要件は何?」

 

「そう力まずに楽にしていてくれ。 もう少し君達の事を知りたくてな、ただの雑談だと思ってくれて構わない」

 

そう言って叢雲を椅子に座らせると、机の上に『駆逐艦 叢雲』と書かれた資料を広げる。資料にはかつて日本のために戦った艦の経歴や、艦娘として生まれ変わった少女の経歴が書かれている。

 

「初の着任は横須賀、そこで命令無視等の問題行動を起こして鹿屋基地へと転籍か。 ここに書かれていることは間違い無いか?」

 

「何よ……、言いたい事があるならはっきり言いなさいよ」

 

「いや、別に責めている訳じゃないんだ。 命令無視を行う理由があったんだろ?」

 

俺の言葉に叢雲は苦虫を嚙み潰したような表情で机の上の資料をじっと見ている。まだ付き合いは浅いが、なんとなくコイツが理由も無しに命令を無視するようには思えなかった。

 

「向こうじゃ私は睦月型の子と4人で偵察任務ばかりやってたのよ。 偵察中に敵と遭遇、こっちは気づくのが遅れて1人が艤装に被弾、海に浮かんでいるのもやっとの状態になった」

 

叢雲の話を聞きながら先ほどの訓練の様子を思い出す。他人のフォローに回れるほど余裕があったのは前の鎮守府で航行経験が多かったからだと納得がいった。

 

「私は無線で撤退するように要求した。 でも返ってきた答えは戦闘を継続、敵を殲滅しろって、だけど私は傷ついた子を連れて帰還してやったの」

 

叢雲の取った行動は人命優先と捉えれば多少は処罰は軽くなっただろうが、艦娘が兵器として扱われている現状を考えると、頭の固い爺共にはそんなのは理由にならないと切って捨てられるのだろう。

 

「一応言っておくけど、私は誰かを犠牲にするような作戦には従うつもりは無いわよ」

 

「従いたくなければ従わなくても良い。 その代わり、従わないならもっと上手くやれるようになるんだな。 無線の調子が悪く聞き取れなかっただとか、そういった事にも頭を使えるようになると良い」

 

俺の返答があまりに予想外だったのか、鳩が豆鉄砲を食ったように何度も瞬きをしながら俺の顔を覗き込んでいた。

 

「あんたって、軍人よね……? 陸の軍人ってそんな適当なの……?」

 

「俺の昔の隊長の口癖なんだが『どうせやるなら上手くやれ』って言葉がある。 命令違反やギンバイだってそうだ、バレなきゃ問題無い。 その代わりバレないように必死で頭を使え、その方が命令に従うだけの兵士よりも良い兵士が育つんだってよ」

 

実際俺の周りではそういった連中の方が出世が早い気がする。確かに勤勉さも重要なのだろうが、それだけでは要領の良さまでは学ぶことはできない。誰かの上に立つ人間というのは大体がそれなりの狡賢さを備えていると思う。

 

「バレた結果があの坊主頭って訳?」

 

叢雲は大きく溜め息をついた後、先日話題となった俺の昔の髪型について話を切り替えてきた。

 

「自慢じゃないが、二十歳を超えてからその手の類で指導を受けたことは無い。 あれは俺の部隊にちょっかいかけてきた野郎をぶん殴ったら、自分よりも階級が上だったって不運な事故の結果だ」

 

「ふふっ……、本当に馬鹿ね」

 

この基地に来て初めて叢雲の笑顔を見たような気がする。機嫌の悪そうな顔もコイツらしいとは思うが、やはり女の子である以上は笑顔の方がこちらも得した気分になる。

 

「正直まだ俺がここに来た理由ってのは分からない、教官として働けって言われて来たが俺が君達に教えてやれる事なんて限られていると思う。 だからこそまずは君達と正面から向き合って俺のできることを頑張ってみるつもりだ」

 

「あんたが真面目な話なんて……、雨でも降るのかしら?」

 

「そう茶化すなよ。 まぁシンプルに言えばこれからよろしくなって事だ」

 

なんだか恥ずかしくなって頭をかきながら叢雲に告げる。それを見た叢雲は意地の悪そうな表情を浮かべたまま右手を差し出してきた。

 

「まぁ期待はしないわよ。 こちらこそよろしく、『湊教官』」

 

叢雲の言葉にこちらもニヤリと意地の悪そうな表情を浮かべて見せる。軽く握手を交わした後は、時計が1200を指していたので訓練中の少女達を誘って昼食にする事にした───。

 

 

 

 

 

「艦娘って大変なんだな……」

 

基本的に味に選り好みをするタイプでは無いと自分では思っていたが、口の中にある固形物を俺は絶対に美味しいとは認められない。口の中はパサパサに乾燥しており、水を多めに口に含むことで無理やり固形物を飲み込む。

 

「流石にもう慣れたっぽい!」

 

「僕も夕立と同じかな、毎日食べてたら嫌でも慣れるよ」

 

全員でテーブルを囲んで謎の固形物を頬張る。正直艦娘と言えど、女の子なのだからそれなりに簡単な食事くらいはできると予想して居たのだが、昼食だと手渡されたのはギッシリと中身の詰まった乾パンの缶詰だった。

 

「他に何か食べる物とかは無いのか……?」

 

「あまりお勧めはしないけど、ちょっと臭う缶詰とかなら」

 

「あ、あれだけは無理っぽい!」

 

乾パンを水で流し込みながらも、ここでの食事事情について軽く雑談をする事ができた。この基地では期限切れの近い非常食や、試作品(失敗作)なんかが定期的に輸送されており、少女達はそれで飢えを凌いでいるらしい。

 

「まぁ捨てるコストを考えれば、不味くても食べてくれる奴等に配った方が有意義だからな……」

 

「たまには美味しい物が食べたいっぽい……」

 

阿武隈や暁達の表情を伺うが、乾パンを食べる表情はとても暗い。そんな中噂の臭う缶詰を食べている叢雲だけはやけに満足そうだった。

 

「なぁ、それって美味いのか?」

 

「気になるなら食べてみれば良いじゃない」

 

一口だけ分けてもらった俺は、この劣悪な食事環境を整えることを第一に考えようと固く誓った───。




7/10 一部表現の変更


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笑顔の仮面(2)

新しく来た人はとても良い人っぽい!

前の人みたいにうるさくないし、叩いてくる事も無い!

暁ちゃん達の事は本当に感謝してるし、久しぶりに海の上を走れてとっても楽しかった!

いつもは黙って食べてるご飯も、あの人が居るだけで少しだけ美味しく感じた。

もっともっと仲良くなれば、みんなで楽しく過ごせるようになるっぽい!


 昼食を終えて俺は少女達に午後からは基地の周りを軽く走るように指示を出した。休憩を交えながらで良いから各自目標の周回を必ずするように告げたが、予想以上に少女達の返事が良く複雑な気持ちになってしまった。

 

(俺だったら適当に流して終わるが、ちょっとあの子達は素直過ぎるかねぇ)

 

 1人になった俺は適当に基地の中を散策し、古びた釣り竿を見つけたのでなんとなく桟橋から釣り糸を垂らしている最中だった。昼食の事もあるが、もう少ししっかりとした物を食べたいという思いからだが、1時間経っても未だに釣果はゼロだった。

 

(町まで距離があるし、あの人数分の買い物を行おうとしたら最低でも荷物持ちが必要か……)

 

 艦娘達があまり長距離移動できないようになのか、軍用車は一台も無く唯一使えそうだと思ったのが木製のリアカーぐらいだった。

 

「ヘーイ! あなたが新しい提督ですカー?」

 

「悪いが、俺は提督じゃない。 考え事してるから要件があるなら後にしてくれ」

 

 後ろから胡散臭い訛り方をした話し方で声をかけられる。正直食事の事もそうだが、今後の訓練の事や暁達のように前任のせいで変なトラウマを持ってしまった子の対応についても早めに対処しておかなければならない。

 

「うー……なかなかつれない人ネー。 そんな所も素敵ですヨー!」

 

「うるせぇ、釣れなくて悪かったな! 気が散るから話しかけるんじゃねぇ!」

 

 罵声と共に振り返ると、後ろには巫女服を改造したかのような服装の女が立っていた。年齢的に考えれば阿武隈や天龍よりも上だろうか?少なくとも子供って感じではないと思った。

 

「やっとこっちを見てくれましたカ! 私は金剛デース、ヨロシクオネガイシマース!」

 

「だからうるせぇって、魚が逃げるだろうが!」

 

 今まで出会った艦娘達が割と大人しめという事もあったのだろうが、金剛と名乗った女のテンションが妙に苛立たしく感じる。

 

「……えっと、これくらいのボリュームで大丈夫でしょうカ?」

 

「で、要件は何だ」

 

 指示した通り声は抑えたようなので、仕方がなく要件くらいは聞いてやることにしよう、俺はまったく当たりの無い釣り竿を片付けながら、ゆっくりと立ち上がる。

 

「実は一目惚れしてしまいましタ! だから私も訓練に参加したいのデース!」

 

「そうか、じゃあその辺でも走ってろ」

 

 なんというか、胡散臭さが半端ない。急に会って一目惚れしたと言われても何一つ信用できない。前任の事を考えると、雑に扱われていた艦娘達がこうも容易に誰かに心を開くというのも考えられない。

 

「も、もう少し一緒にお話しするとかできないのデスカ……?」

 

 なかなか自分のペースに巻き込めないせいなのか、表情がやや引きつっているように見える。どこかでボロを出すだろうし、ここはわざと彼女のペースに乗ってみた方が良いのだろうか?

 

「それもそうだな。 君の艦種は何なんだ?」

 

「英国のヴィッカース社で建造された超弩級戦艦デスヨ!」

 

 戦艦という単語に少し興味を惹かれた、もしかしたら俺の悩みが一つ解決するかもしれないと思い質問を続ける。

 

「戦艦って事は強いのか?」

 

「もちろんデース! 駆逐艦や軽巡と比べれば火力は桁違いネ! スピードだって高速戦艦と呼ばれた私に隙は無いヨ!」

 

「あぁ……、金剛。 俺は君を待っていた、是非とも協力してくれ。 手始めに町にデートに行こう!」

 

 俺の言葉に一瞬だけだが、金剛は口元を歪ませたような気がした。しかし、そんな事は無視して先ほどリアカーが置いてあった倉庫へと適当な雑談をしながら向かう。

 

「こ、これはどういう事か説明して欲しいデース……」

 

「喋ってる暇があったら歩け」

 

 俺達は今町へと向かって歩き続けている途中だった。俺がリアカーを引き、金剛がそれを押すという形となっている。

 

「デ、デートって言ってませんでしたカ……?」

 

「男と女が2人で出かければ全部デートだ。 俺は嘘はついていない」

 

 戦艦は火力がある、速度も問題は無いと公言したのはコイツだ。俺が食料の運搬で悩んでいる所に彼女の登場はまさにベストタイミングであった。基地に向かう途中で海側の町に人が居ない事は確認できていたし、本格的に人の居る場所で向かおうと思えば山の1つでも超える覚悟が必要だと予想していた。

 

「駆逐艦の子達にこんな重労働させる訳にはいかないからな、我慢してついてこい」

 

「こんなはずじゃ無かったのニー!」

 

 それから2時間ほど歩き、どうにか人気のある場所までたどり着くことができた。初めにクーラーボックスをいくつか購入し、それなりに保存の効く野菜類や、冷凍された肉や魚なんかを購入して回る。

 

「次は米だな、座ってないでさっさと行くぞ」

 

「まだ歩くのデスカ……? もう疲れましたヨー……」

 

 金剛を立ち上がらせようと右手を伸ばしたが、ほんの少しだが彼女の体が震えたのが分かった。少しだけ間を空けて彼女は俺の手を掴み立ち上がった。

 

「米を買ったら、調味料や缶詰を買って終わりだ」

 

 今まで陸上で訓練をしてきた俺だってかなりの疲労している、シャツは汗で色が変わってしまっているし、何度も重い荷物をリアカーに乗せているせいか体のあちこちに痛みを感じている。それほどの重労働のはずなのだが、金剛はどのタイミングで見ても笑顔でこちらを見ていた。

 

「これでフィニッシュ?」

 

「あぁ、終わりだ。 少し休憩したら基地に戻ろう」

 

 リアカーに山積みにされた荷物が崩れないように紐で縛る。俺は金剛に近くのベンチで座って待つようにと指示をすると、先ほど見つけた店へと向かう。目的のものを購入して遠目でベンチに座っている彼女の様子を伺ったか、やはりきつかったのか辛そうな表情を浮かべていた。

 

「あっ、おかえりなサーイ! やっぱり一人は寂しかったヨー!」

 

「これを食べたら帰るぞ」

 

 店で買ったアイスクリームを金剛に手渡す。俺は彼女の横に腰かけると、缶コーヒーのプルタブを開けて中身を口に含んだ。

 

「ワオ! とっても美味しいデース!」

 

「それは良かった」

 

 先ほどまでは辛そうな表情だったが、俺が金剛の視界に入ると再び彼女は笑顔でこちらに手を振っていた。最初から感じてた胡散臭さはこのせいだったのかもしれない。

 

「無理に笑う必要無いからな」

 

「……何のことですカー?」

 

 金剛のアイスクリームを食べる手が止まる。

 

「そのまんまの意味だ、別に俺の機嫌取りをしたって何の得も無いぞ」

 

「……機嫌取りなんてしたつもりないネー」

 

 俺は無言で彼女に手を伸ばす。咄嗟の事に驚いたのか金剛は手に持っていたアイスクリームを地面に落とすと、警戒するように両手を胸の前へと移動させた。

 

「嫌なら振り払えば良いだろ?」

 

「さ、触ってもイイけどサー、時間と場所をわきまえなヨー!」

 

 暑さもあるのだろうが、汗が金剛の頬を伝っているのが見えた。恐らくはこれが彼女なりの生きていく手段だったのだろう。目的は分からないが彼女は人間に嫌われることを恐れているのだろう。

 

「俺は前任とは違う。 正直に話してくれるなら落としたアイスの代わりを買ってやらない事も無い」

 

「……そんな子供みたい……な……」

 

 じっと金剛の眼を見つめていると、彼女は黙ってしまった。

 

「……紅茶が良いデース」

 

「自販機ので良いか?」

 

 俺の回答に少し悩んだようだったが、彼女は小さく頷いた。俺は待っていろと言ったが、金剛は黙ったまま俺の後をついてくる。自販機に小銭を入れ、ボタンのランプが点灯したのを確認して、好きなのを押せと目で合図する。

 

「紅茶好きなのか?」

 

「この基地に来るより前はよく姉妹達でティータイムを開いていマシタ。 私達は戦艦としての役割を与えられて、周りからはとても期待されていた分だけ自由が与えられていましたのデ……」

 

 正直知識の無かった俺は、軍艦の中に駆逐艦や軽巡洋艦等の分類があるという事を初めて知った。どうしても『艦』という言葉からイメージするのは大口径の主砲を備えたそれこそ教科書やテレビで聞くような『大和』や『長門』と言った戦艦を強く連想してしまう。

 

「でも、戦果がさっぱな私達に周りはみんな軽蔑していったのデス。 駆逐艦の子達のように偵察任務ができる訳でも無く、資材ばかり使う私達は全く必要とされなくなっていきマシタ」

 

 俺達はベンチに戻ると、並んで腰かける。先ほどよりも金剛の座った位置が遠く思えるが、この距離こそが本来彼女が俺達と接したくないという思いの表れなのだろう。

 

「そんな中、駆逐艦の子達が提督に逆らって拘束されマシタ。 妹達はそれに腹を立てて抗議しようとしたのデス。 だけど私はそれを止めたんデス」

 

「なんとなく察した、前任に逆らった妹達が同じ目に合うんじゃないかって思ったのか」

 

 俺の言葉に金剛は頷いて先ほど買った紅茶に口をつける。

 

「やっぱり美味しくない……ネ。 それから私は提督に嫌われないように頑張りマシタ、提督に好かれて私のお願いを聞いてくれるようになれば、あの子達を解放してくれるように頼んでみようッテ」

 

「俺が来たタイミングで暁達が解放されていなかったって事は失敗だったのか」

 

「イエス……。 それ所か、みんなに嫌われてしまいマシタ。 あんな男に媚びを売ってまで自分の身を大事にしてる嫌な女だなんてネ」

 

 衝突では無く、自分が我慢する事で誰かを助けようとする彼女の考え方はそれなりに評価できると思う。ただ、彼女が失敗した原因は自分の力だけで解決しようとして、周りに頼ることをしなかった、だからこそ自己犠牲は無駄となり周りからも孤立してしまった。

 

「もしかして、お前って長女か?」

 

「その通りデス。 私達は4姉妹、比叡、榛名、霧島という名前の可愛い妹が3人居マース……」

 

「なんだか、他人事と思えないな。 俺も兄弟が沢山居てさ、よく弟や妹達のために喧嘩ばっかしてたな」

 

 姉妹艦だから必ず血が繋がっている訳では無いという事は資料に書かれていた。適正の有り無しで艦娘に選ばれる以上はDNAの近い姉妹が選ばれやすいという事もあるらしいが、例え血の繋がりが無くても彼女達にとっての姉妹関係はとても強い物だと感じている。

 

「……喧嘩ですカ?」

 

「あぁ、あまり他の子に話して欲しい内容じゃないが、俺は孤児院の育ちでな。 よく弟達がその事でいじめられてたんだ」

 

 そんな彼女達が姉妹達から嫌われてしまうというのは、想像以上に辛く苦しい事が想像できる。しかし、彼女はそれでも妹達や他の艦娘に被害が出ないようにと必死で笑顔を作り続けたのだろう。

 

「提督はお兄さんだったのデスカ?」

 

「だから提督じゃ無いって、湊でも教官でも好きに呼んでくれ。 俺よりも年上は何人か居たが、どいつも自分の事ばかりの最低な奴だったな」

 

 金剛が手に持っているペットボトルの中身が空になっている事を確認して、ベンチから立ち上がった。あまりここで長話をしていると基地につく頃には日が沈んでしまう可能性がある。

 

「さて、帰るぞ。 最後に寄りたい店があるから付き合え」

 

「……まだ何か買うのですカ?」

 

 これが本当の彼女なのか、表情をしかめて明らかに嫌だなって感情をこちらに向けてくる。

 

「珈琲を買って帰らないとな、基地に有った珈琲は不味すぎる。 それと、気が向けば『紅茶』を飲んでみたくなるかもしれないが、銘柄とか良く分かんないんだよな」

 

 金剛の表情が一気に明るくなったのが分かった。

 

「ヘーイ! 紅茶は私に任せるネー! とびっきりベストなのを教えてあげるヨー!」

 

「だからうるせぇって……、まぁ良いか……」

 

 俺達は目的の物を購入すると、重くなったリアカーを押しながら基地へと戻る。正直色々紅茶について説明してくれていたが、やはり俺には珈琲が1番だなという残念な結論に至ったのは金剛には黙っておいた。

 

「帰ったらさ、金剛の妹達も誘って紅茶でも飲んでみるか」

 

「任せてくだサーイ! 最っ高に美味しい紅茶を用意するネー!」

 

 こいつはどれほど紅茶が好きなのだろうか?荷物が増えていて重いはずなのだが、後ろから押すこいつのやる気のせいなのか行きと変わらない程度の負荷にしか思えない。それから金剛は聞いても無い事ばかり話していたが、基地の門で俺の事を待っていてくれた子達と出会うと再び表情を暗くしてしまった。

 

「探しても居ないと思ったら、何よその荷物……」

 

「あぁ、流石にずっとあの乾パンじゃ訓練にも身が入らないだろうと思って買ってきた」

 

 夕立や暁型の子達がリアカーの中身を物色しているが、生憎菓子の類は一切購入しておらず野菜や冷凍された肉や魚を見てがっかりしていた。

 

「お土産は無いっぽい!?」

 

「ナスは嫌いなのです!」

 

「べ、別に暁は一人前のレディだからお土産が無くても落ち込まないんだからね!」

 

「久しぶりにまともな食事にありつけそうだ」

 

「腕がなるわね!」

 

 とりあえず騒いでいる駆逐艦の子達にリアカーの中身を食堂の冷蔵庫へと移すように指示を出した。やはり久しぶりのまともな食事が嬉しいのか小さな身体で、もの凄い速度でリアカーを食堂へと走らせて行った。

 

「で、もう鞍替えしたの? 高速戦艦様はそっちも速いのね?」

 

 門の前には俺と金剛、叢雲と時雨が残った。少しの沈黙があったが、最初に口を開いたのは叢雲だった。先ほどの金剛の話を思い出す限り、やはり他の艦娘との間に亀裂があるのだろう。

 

「湊教官、悪い事は言わないからその人とは関わらない方が良い」

 

「時雨、理由を言ってみろ」

 

 俺の言葉に金剛は完全に俯いてしまい、時雨は金剛を睨みつけている。

 

「その人は私達が暁達を助けるために頑張っていたのに、自分の身大事さに前任に愛想を振りまいてたような人だからね」

 

「自分だけ優遇されて、さぞ幸せだったでしょうね?」

 

 時雨の言葉に叢雲が嫌味を付け加えた。金剛はそれに反論する訳でも無く黙って受け入れている。

 

「だから何だ? 俺が誰と関わりを持とうが俺の…… 

 

「バ、バレてしまったからには仕方がないネー! 新しい提督は簡単に騙せるかと思ったのに失敗しちゃったネー!」

 

 俺の発言で叢雲達の間に亀裂が入りそうだと察したのか、金剛が白々しく発言をして桟橋の方向へと走って行ってしまった。

 

「ったく、やっぱり男って馬鹿なのね。 簡単に騙されちゃって……」

 

「湊教官は少し素直過ぎるよ、もっと人の事を疑うようにしないと……」

 

 金剛が走り去ったのを見て2人が俺に近づいてくる。今すぐにでも追いかけてやりたかったのだが、彼女が自分を犠牲にしてでも俺達の関係を守ろうとしてくれたのであれば、それを無駄にする訳にはいかないだろう。

 

「なぁ、お前達にも姉妹って居るよな?」

 

「何よ、確かに居るけど……」

 

「夕立が妹だってのは説明したよね? 他にも姉や妹もまだまだ居るけど……」

 

 勘の良い2人は俺が苛立っているのを察しているのか、俺の質問に対する回答が徐々に小さな声になっていった。

 

「俺が全部説明する訳にはいかないから、お前達自身で考えて欲しい。 お前達は自分の姉妹を見捨ててまで嫌いな相手に媚びを売れるのか?」

 

「……無理ね」

 

「……無理かな」

 

「叢雲には話したが『どうせやるなら上手くやれ』この言葉を思い出しながら今までのアイツの行動を思い出してみろ」

 

 俺はそれだけ言い残して桟橋へと走り出した───。




7/10 一部修正


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笑顔の仮面(3)

さて、何を作ろうかしら?

教官が買ってきてくれた食材を冷蔵庫や保存庫に移しつつ今晩の食事を考える。

ジャガイモにニンジン、お肉もあるし……。

横で電がタマネギを倉庫にしまっているのが見えた。

なんとなく作りたい物の形は見えてきた。

私は調味料の詰まった袋を漁る。

暁が遊んでないで片付けるのを手伝ってよなんて言っているが、今はそれ所ではない。

袋の中から目的の物を見つけた私はソレを握りしめて立ち上がる。

今日の晩御飯は決めた!

この雷様の料理の腕前を見せつけてやるんだから!

ねぇ、みんな? …… あれ? 聞いてるー?


「日中は暖かいが、流石にこの時間になると肌寒く感じるな」

 

 足を投げ出すようにして桟橋へと腰かけている金剛の横に座る。彼女は俺の言葉には反応せず、じっと水平線の向こうを見つめ続けていた。

 

「煙草、吸っても良いか?」

 

 一応確認は取ってみたが、何の反応も無かったため煙草には火をつけずにそのまま咥える。演技だったとしても元気なコイツのイメージが強いせいか落ち込まれているとこちらのペースが狂う。

 

「……どうして来たのデスカ?」

 

「なんとなくだ」

 

 ポツリと小さく呟くような声で金剛が俺に質問してきた、彼女からしたらせっかく自分が悪者になって叢雲達との関係を優先させようとしたのに、こうやって俺がここに来ている以上はそれが無駄になってしまったのではないかと思っているのだろう。

 

「今日出会ったばかりであまり踏み込んで良い物か悩んだけどさ、お前はもっと楽することを覚えろよ」

 

「楽……? リラックスしろって事カナ……?」

 

 コイツは少しだけ周りよりも頭が回りすぎているのだと思う。だからこそ見た目的にも精神的にも幼いアイツ等には理解されないし、下手すると同年代の艦娘からも理解され辛い部分があるのだろう。

 

「周りに相談したり、事情を話したりって手もあっただろ」

 

「ターゲットを欺くにはまずは味方からデース……」

 

「それで失敗してる癖に生意気な事言うな」

 

 そう言って金剛の頭の上に右手を乗せる。乗せた後にそういえば触れられる事は嫌かもしれないと気づいたが、特に怯える様子も無かったのでそのまま頭を撫でてやる。

 

「あまり私に優しくしてると、あの子達から嫌われマスヨ?」

 

「またそれか、嫌われたら仲直りすりゃ良いだろ。 喧嘩もせずに分かり合おうなんて表面上の付き合いを望んでる奴だけだ」

 

「……あなたは変な人デス」

 

 撫でている俺の手に金剛は自らの手を重ねてきた。

 

「今までよく耐えてきたな、俺もまだ来たばかりだからあんまり分かったような事を言うと気に障るかもしれないが、間違いなくお前が頑張ってきたから助かった子達も居るはずだ」

 

 俺の言葉を聞いた金剛が小さく震えているのが分かる。この手のタイプは自分が頑張ってきた事を認めてくれる事が1番の慰めになると思った。そんな事を考えている自分が少し汚れてしまってるなと感じたが、今だけは許してもらおう。

 

「辛かったデス……。 ずっと独りぼっちデシタ、嫌なのに逃げ出したいのに、どれだけ辛い言葉をかけられても私は笑っていないといけなかった……」

 

「そうか、1人でも必死で頑張ってたんだな」

 

「妹達に嫌われたのが1番辛かったデス、どうして私が責められないとって何度も思いマシタ。 でも、私が諦めてしまえばこの子達にも辛い思いをさせるかもって考えたら我慢するしカ……」

 

 金剛の言葉に頷くと、咥えていた煙草を海へと吐き捨てる。海に落ちた煙草は波に遊ばれるようにユラユラと漂っていた。

 

「もう良いんだ、我慢する必要は無い。 俺がこの基地に居るうちは二度と同じ思いはさせないって約束するよ」

 

「……信じられませんヨ」

 

「じゃあ信じなくても良い」

 

 言葉だけで彼女の信頼を得ようなんて甘い考えは初めから無かった。彼女は賢い、だからこそ誘導するでは無く自分の意思で何が信じられるのかを判断して欲しかった。

 

「……おい、なんか焦げ臭くないか?」

 

 せっかくの良い雰囲気だったのだが、何やら焦げ臭い臭いが鼻に付く。僅かにだが風に乗って妙な臭いが漂ってきているような気がする。

 

「しょ、食堂の方からデース!」

 

「火事かも知れない! 金剛、急ぐぞ!」

 

 俺と金剛は立ち上がると、全力で食堂へと走る。予想以上に足の速い彼女に置いて行かれないように必死で走っていると、食堂の窓から黒煙が上がっているのが見えた。

 

「中に誰か居ないか確認してくる!」

 

「私も行きマス!」

 

 近くにあった水道で互いに水を被ると、覚悟を決めて食堂の扉を開ける。

 

「はわわ、焦げちゃったのです!」

 

「ちょっと響! 始めは弱火だって言ったでしょ!?」

 

「こんなのレディじゃ無いわよ!」

 

「これは……、流石に目が痛いな」

 

 中に入ると真っ黒になった鍋を囲んで暁達が騒いでいた。特に火が上がっている訳でもなく、何やら肉が焦げた臭いが食堂に充満していた。

 

「何やってんだ……?」

 

「あら、教官じゃない。 ちょっとお肉が焦げちゃったみたいで……」

 

 とりあえず、真っ黒になってしまった鍋に近づくとコンロの火を止める。恐る恐る中身を覗いてみたが、中にはほとんど炭となってしまった何かが入っていた。

 

「どうして教官はびしょ濡れなのです?」

 

「流石に泳ぐにはまだ早いと思うよ」

 

 ポタポタと滴を垂らす俺を見上げながら電と響が質問を投げかけてくる。なんというか、焦った分だけ一気に疲労が込み上げてきた。一緒に飛び込んだ金剛に視線を移してみると、同じように疲労に襲われたのか、椅子に項垂れるようにして床を見つめていた。

 

「火を使うときは大人の人と一緒にな……」

 

「お子様扱いしないでよ! 暁は立派なレディなんだから!」

 

「ヘーイ……。 取り合えず換気扇を回して窓を全開にするデース……」

 

 金剛の指示に従い、全員で食堂の窓を全開にしていく。少し遅れて食堂に飛び込んできた叢雲と時雨は金剛と顔を合わせて気まずそうにしていたが、特に会話をする訳ではなく食堂の換気を手伝ってくれた。

 

「まだ臭うが、目の痛みは無くなってきたな」

 

「本当に焦りマシタ……」

 

 一段落ついた所で、俺達はテーブルを囲んで全員で椅子に腰かける。雷からこっそり料理をして俺達を驚かしてやろうという事情を聞いて、叱る気も失せてしまった。

 

「なぁ、金剛って料理できるのか?」

 

「わ、私デスカ!?」

 

 相変わらず駆逐艦の子達の前では黙ったまま床を見つめていた金剛に話題を振る。

 

「簡単な物なら作れると思いマース……」

 

「じゃあ暁達に教えてやってくれないか?」

 

「良いわね! 金剛さんも入れてもう1度リベンジよ!」

 

 勢いよく立ち上がったのは雷だった、やはり料理を失敗した事を気にしているのか続くように暁や響、電も立ち上がる。

 

「あのさ、僕達も教えてもらって良いかな……?」

 

「ア、アンタ達だけじゃまた火事になるかもしれないし、仕方がなくなんだから!」

 

 金剛と同じく黙っていた時雨と叢雲だったが、暁達と同じように料理を教えて欲しいと立ち上がった。どうやら彼女達なりに責めるべきでは無かったと結論が出たのだろう。

 

「私で良いのデス……?」

 

 その行動に1番驚いていたのは金剛だった、先ほどまで険悪だった事を考えると、少女達からの提案は信じられない物だったのだろう。互いに距離感がつかめていないのか、少しだけ沈黙が続く。

 

「タオル持ってきたっぽーい!」

 

 少しぎこちない空気を壊したのは両手いっぱいにタオルを持ってきた夕立の登場だった。あの手の空気の読めないタイプはこういう時には本当に頼りになると思う。

 

「嫌われたって仲直りしたらいい、そうだな?」

 

「……っ! 今日のディナーは英国式のカレーをみんなに作ってあげるデース!」

 

 駆逐艦の子達と騒ぎ始めた金剛を見て、俺は頬が緩むのを感じた。なんとなくそんな顔を見られたくなくて「煙草吸ってくる」と一言告げて食堂から出て行く。とりあえずどこか落ち着いて煙草が吸える場所が無いかと基地内を散策していると、乾パンの詰まった缶詰を手に持った阿武隈と出会った。

 

「何してるんだ?」

 

「部屋から出てこない子達に食事を配ってるんです」

 

「暁達みたいな子は他に居るのか?」

 

 煙草を取り出して口に咥えると火をつける。阿武隈は煙たそうに嫌がっていたが、流石に俺も我慢の限界だった。

 

「それは大丈夫です、あの子達以外は嫌々でも指示に従う子ばかりだったので……」

 

「なら良い。 飯を配るついでに、今日の晩飯はカレーだって言いふらしてこいよ。 俺は仕事が溜まってるから今日は執務室から離れる訳にはいかないってのもついでにな」

 

 俺は阿武隈にそう告げると、軽く手を上げてその場を後にする。確かに俺もカレーを食べたいとは思ったが俺が居る事で空気が悪くなるのであれば今日の所は我慢しておこう───。

 

 

 

 

 

(しっかし、教官として呼ばれたのに何で俺が事務仕事をしなきゃならんのだ)

 

 手始めに今日購入した食料を経費で落とすための書類を纏める。食料に関しては粗末な物ばかりで栄養面に問題有りとの文章で適当に脚色しておけば大丈夫だろう。

 

(1週間後か……)

 

 続いて呉鎮守府から送られてきた書類の内容を確認する。ついムキになって啖呵を切ってしまったとは言え、任務を受けるとは流石に安請け合いだったかもしれないと後悔する。内容はこちらの基地へと向かう輸送船の護衛、積み荷は前線で使えなくなった艦娘、護衛に成功した際には積んである資材もこちらで管理して良いとの事だった。

 

(極力敵の発見報告の少ない海路を選択するとしても、海の上を通る以上は必ず安全とは言い切れない、もう少し作戦を練り直す必要があるか……)

 

 机の上に地図を広げ、資料を見ながら適当に海路に印をつけていく。そんな事をしていると、食堂の方から騒ぎ声が聞こえてきた。

 

(上手くやれてるみたいだな、後は次の作戦さえ上手くいけば少しは彼女達の評価も変わると思う……、いや変わって欲しい)

 

 地図に3つ目の×印を付けたところで、執務室の扉をノックする音が聞こえた。こんな時間に誰だろうか?駆逐艦の子達であればノックをする前に扉を開けるだろうし、金剛であればノックよりも先に大声でこちらに呼びかけてくるような気がする。

 

「空いてるから入ってくれ」

 

 ゆっくりと扉が開くと、金剛と同じく巫女服を改造したかのような衣装に身を包んだ少女達が3人入ってきた。なんとなく金剛から聞いた特徴と一致している気がするし、彼女の妹達だろうか?

 

「は、初めまして……。 比叡です!」

 

「榛名です、よろしくお願いします」

 

「はじめまして。 私、霧島よ」

 

「俺は湊だ、先に言っておくが提督じゃなく教官だから間違えないようにな」

 

 机の上の地図をたたみ、彼女達の表情を確認する。比叡や霧島は真直ぐにこちらを見ているが、榛名はどこか怯えたような表情でこちらを見つめていた。なんとなくだが、これからの会話は俺だけが聞いて良いものでは無いと感じ、気づかれないように手元にある機材のスイッチをONにする。

 

「お前達はカレー食べなくて良いのか?」

 

「私達にお姉様のカレーを食べる資格はありません……」

 

「榛名は、お姉様を信じることができませんでしたので……」

 

「艦隊の頭脳と呼ばれた私ですら気付けなかったとは……」

 

 その内容を誰に聞いたのかと尋ねると、駆逐艦の子が扉越しに金剛の様子がおかしくなかったかと質問をしてきた事で違和感が確信となったらしい。

 

「私達が提督に抗議しようだなんて言い出さなければお姉様はあのような辛い目に合わなくても良かったはずです……」

 

 辛そうな表情で話し始めたのは比叡だった。薄々金剛の態度に違和感を感じては居たのだが、暁達の事もあり前任に笑顔を向けている姉の事が徐々に信じられなくなって行ったらしい。

 

「榛名は1度だけ泣いているお姉様を見た事があります、でもお声をかけることができませんでした……」

 

 夜中にこっそりと抜け出した金剛が気になり、後を付いていくと1人で海を眺めながら涙をこぼしている姿を見かけたと榛名は告げる。

 

「金剛お姉様はいつも笑顔でした、何かおかしいと感じて質問をしてみても上手く話題を変えられて教えてくれる事はありませんでした」

 

 金剛の態度に違和感を感じては居たのに、一歩踏み出すことができなかったと懺悔するように霧島は視線を落とした。

 

「そうか、お前達は自分の姉がお前達のために辛い思いをしているのをただ見ているだけだったって事だな?」

 

 俺の言葉に3人は悔しそうに歯を食いしばると頷いて視線を床に落とした。俺は煙草に火をつけると、窓際まで移動する。

 

「で、要件は何だ? ただ懺悔したいだけなら姉妹で仲良く言い合ってりゃ良いだろ」

 

 窓から外に向かってそう呟く、それでも彼女達の耳には届いていたのか何かを決心したかのような表情で彼女達は一歩前に出た。

 

「お、お姉様の代わりに私達が従います! だからこれ以上お姉様に辛い思いをさせる事だけは!」

 

「は、榛名も大丈夫です! どんな辛い命令だってやりきってみせます!」

 

「私も姉様方と同じ意見です。 これ以上金剛お姉様だけに辛い思いをさせる訳にはいきません……」

 

 金剛もそうだが、この姉妹はどれほど不器用なのだろうか。自己犠牲を美学として捉える連中も居るが、俺はそうとは思わない。こいつらはこんな事をして自分達の姉が本当に喜ぶのかと考えたのだろうか?

 

「悪いが金剛を解放するつもりは無いな」

 

 俺の言葉に彼女達は辛そうな表情を浮かべたまま食い下がってくる。

 

「私達だってお姉様と同じく戦艦です! お願いします!」

 

「一人よりも三人の方が使い勝手が良いと思います」

 

「教官と艦隊のためにお役に立ちますので!」

 

 3人はどうにか自分たちの意見を受け入れてもらおうと必死になってこちらに訴えかけてくる。

 

「お前達は姉のためなら自分が犠牲になっても構わないという事か? 俺がどんな人間かも知らないのに、そんな事を軽々しく口にしても良いのか?」

 

 彼女達は身体の横で拳を強く握りしめ、俺の問いに頷いた。少しだけ間を置いて「次女は誰だ」と俺が問うと、比叡が名乗りでた。

 

「前に出て目を閉じろ。 残った二人は俺が良いと言うまで目を閉じてろ」

 

 比叡は俺に言われた通り前に出ると力強く目を閉じる。これから何をされるのか分からない恐怖からなのか、小刻みに震えているようだった。俺はゆっくりと比叡の額の近くまで右手を近づけると、思いっきり中指に力を入れて一気に解放する。

 

「きゃあっ!」

 

 突然の痛みに比叡の叫び声が執務室に響いた。よほど痛かったのか比叡は額を抑えたままその場にしゃがみ込んでしまった。続いて榛名の前までゆっくりと移動すると、無防備な額に同じようにデコピンを食らわせる。

 

「きゃああぁッ!」

 

 流石に大げさ過ぎる反応だとは思うが、比叡の悲鳴もあり緊張が最高点を迎えているタイミングでの痛みという事もあり過剰な反応となってしまったのだろう。榛名の悲鳴を聞いてビクリと身体を震わせた霧島にも一撃食らわせる。

 

「痛ったぁ……」

 

 なんというか、妙に肝が据わっているとは思ったが先ほどまでの反応とは違い、静かに額を抑えるだけの霧島を見て少しつまらなく感じてしまった。そんな事を考えていると、執務室の扉が勢いよく開かれた。

 

「私の妹達に乱暴は止めるネー!」

 

「だから声がでけぇって……」

 

 扉を開けたのは未だにエプロンを付けたままの金剛だった。自分達の姉の声を聴いて3人は目を開けると、どうしてここに彼女が居るのかと疑問を口にしていた。ネタバラシをしてしまえば、執務室にある館内放送用のマイクをONにしていただけなのだが、ちゃんと3人の言葉が金剛に届いていて良かったと安心した。

 

「こ、これはどういう状況ですカ……?」

 

「姉の気持ちも考えない馬鹿共にデコピンを食らわせてやった」

 

 予想していた光景と違うのか、金剛はしゃがみ込んでいる比叡や、額を抑えたまま情けない表情をしている榛名と霧島を見て困惑しているようだった。

 

「ほら、迎えも来たしお前らもカレー食ってこい」

 

 そう言って比叡の手を取って立ち上がらせる。3人は未だに状況が理解できていないのか、忙しなく俺と金剛の顔を交互に見ていたが、少しして緊張が解けて涙ぐんでしまった榛名の頭を比叡が撫で、霧島は反応は薄かったが痛みが残っている額をさすりながらゆっくりとした足取りで食堂へと向かって行った。

 

「……ありがとうございましタ」

 

「俺は何もしてない、それよりもお茶会の件ちゃんと準備しとけよ」

 

 金剛は執務室に2人になった事を確認すると、礼を告げてきた。俺はただ馬鹿共にデコピンをしただけなのだから、礼を言われる必要は無いと頭を上げさせる。

 

「嘘ばかりの私だけど、1つだけ確かな事がありマース」

 

「急に何だ」

 

 いきなり抱き着いてきた金剛に驚き、バランスを崩しそうになる。

 

「一目惚れしたって話だけは本当かもしれませんヨ?」

 

「はいはい、そういうのは良いから。 食堂に戻って妹達の面倒見れやれ」

 

「ノー、つれない人デース! でも覚悟して置くとイイヨ! 教官のハートを掴むのは、私デース!」

 

 俺は大きな溜息をつくと、机の上に置かれている機材を指差す。不思議そうに金剛は機材を見つめているが、ONと書かれた緑色のランプが点灯しているのに気づいて顔を真っ赤にしてしまった。

 

「まぁ、なんだ。 元気出せよ?」

 

 そう言って館内放送のスイッチをOFFにする。俺は固まってしまった金剛をそのままに煙草を咥えると窓から空を見上げる。雲1つ無く、明日も晴れるだろうなぁなんて事を考えていると、我に返った金剛の叫び声が基地中に鳴り響いた───。




7/10 一部誤字修正


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小さな背中に背負うモノ(1)

私はペンを机に置くと、大きく伸びをした。

ふと右肩に青痣が残ってしまっているのが視界に入った。

もう少ししっかり入渠をしていた方が良かっただろうか。

こんな恥ずかしい姿を姉さまに見られでもしたらと必要のない心配をしてしまう。

昔に比べれば敵の砲撃にも慣れてきたし、自分の中でこれ以上はまずいという境界線もはっきり分かってきた。

それでも毎回戦闘後には入渠している私を見て彼らはまたドック入りかと嘲笑うような視線を向けてくる。

今回こそ無事に帰還できるかと思っていたのに、不運にも敵の最後に放った魚雷に当たってしまうとは……。

もう1度ペンを取ると、姉さまへの手紙の続きを書き始める。

姉さまは覚えているかしら?

元気いっぱいだった──を。

いつもマイペースな──。

照れ屋さんな──、なかなか素直になれない──。

そして、誰よりも泣き虫だった──を。

私が生きているうちにもう1度会いたいわね……。


「朝か……」

 

 ふと窓へと視線を移すと、カーテンの隙間から陽の光が漏れ出している事に気付いた。乱雑に印の付けられた地図を両手でくしゃくしゃに丸めると、机の横に置かれたゴミ箱へと投げ捨てる。

 

(情報が足りなさすぎる……、敵だけじゃない海の上では味方となる彼女達の事すら俺はよく分かっていない)

 

 考えても考えても安全な航路は見つから無い。呉から鹿屋へのルートは比較的狭い海域を航行する必要があり、敵の索敵距離も分からない以上はどこが安全なのかも想像できない。陸路であれば経験である程度の予想は付けれるのだが、それが海上となっただけでここまで難しくなるとは思わなかった。

 

(理想は志布志湾まで入ってこられるのがベストだけど、彼女達の訓練の様子を見る限り少しでも陸路で距離を稼ぎたいか。 佐伯は流石に遠すぎる、資材の事を考えるとせめて山越えだけは避けたい)

 

 新しく地図を取り出すと、再び赤ペンで×印を書き込み海路の予定を立てる。そもそも彼女達はどれくらいの距離を移動する事ができるのだろうか?いざとなれば輸送船で休憩をさせてもらう事も可能だが、その場合交代要員の準備が必要になる。

 

(阿武隈、夕立、暁、響、雷、電、叢雲、時雨……。 金剛姉妹はまだ実力は確認していないが、彼女達には最悪の事態のためにもこの基地に残しておきたいな)

 

 休憩の可能性を考え、宿毛湾に〇印を付ける。恐らくはここで休憩を挟みそこから最低でも宮崎くらいまでは進む必要がある。その場合は鰐塚山を越える必要が出てくるのだが、どうにかクソ爺にでも頭を下げてみるかと考える。

 

(個人的に変な借りは作りたくないけど、俺のプライドで彼女等の安全が買えるなら安いものか……)

 

 そんな事を考えていると、突然机の上の電話が鳴り始めて驚いてしまう。なんとなくだが、もの凄く嫌な予感がして仕方がない。そう思いながらも受話器を取ると耳に当てる。

 

「……湊少佐だな?」

 

 受話器の向こうから1番聞きたくない声が聞こえてきた。年相応にしわがれた声だが、そんな事を考えさせないほどの重圧を感じる。

 

「お、おはようございます。 こんな朝早くにどうしました?」

 

 先ほどはプライドを捨てる覚悟では居たのだが、急に張本人から電話がかかってきたのでは焦って上手く口が回らない。

 

「呉の提督からな、儂の元部下の躾がなっておらんと苦情があった」

 

「そ、それは申し訳ありません。 何分緊張していたもので口が滑ってしまったかもしれません」

 

 中将の声からは感情は読み取れない、いつも通りのこちらを探っているのではないかと静かに語り掛けてくる。

 

「良くやった」

 

「本当にすみませ……って、え?」

 

 聞き間違いだろうか?電話先に居るクソ爺は滅多な事が無い限り他人を褒めるような性格では無い、むしろ成果をあげたら次はその倍成果をあげろと無茶を言ってくるような人だ。

 

「カッカッカ! あの狸が顔を真っ赤にしている様、この目で見たかった!」

 

「えーっと、どういう事でしょう……?」

 

 爺に事情を尋ねると、どうやら軍部は違うが古い付き合いらしく顔を合わせるたびに陸が良いか海が良いかと不毛な口論を繰り広げていたらしい。今回は陸側の俺が海側に引き抜かれた事に腹を立てていたようだが、口論の末相手が激怒したという結果から言い負かされたのでは無いかと確認を楽しみにしていたらしい。

 

「あの狸が指揮官を寄こせと言ってきた時には断ってやろうかと思ったが、やはり貴様を選んで正解だった。 して、何を言って言い負かしたのだ?」

 

「話すと長くなるので短めに伝えますと、『戦に負ける理由を艦のせいにするとは、それでも元船乗りですか?』と言っておきました」

 

 この言葉の後に「デスクワークで上に上がった人には難しい言葉でしたか?」と付け加えたのは流石に黙っておこう。彼女達を欠陥兵器だと海軍の連中は言っているようだが、つまりは自分達には使いこなせません、艦の性能が悪く戦えませんと言っているようなものだと俺は思っている。

 

「ふむ、艦に乗ったことのない人間にそれを言われるとはな。 狸も落ちぶれたものだ」

 

「まぁ、その話はまた今度にしましょう。 その代わりちょっと厄介な任務を受ける事になってしまいまして」

 

 俺は爺に呉からこの鹿屋まで艦娘と資材を乗せた輸送船を護衛する事になったと伝える。付け加えるように、この輸送作戦には海軍からの援軍は与えられないと説明した。

 

「貴様の部下の練度はどうなのだ?」

 

「そっちの俺の部下達の方がまだマシな感じですかね」

 

 俺の言葉に流石の爺も黙ってしまった。元居た基地でも俺は新兵の教育を行っていたのだが、正直に言って彼等の出来が良いとは言えない。恐らくは上官が俺じゃなければ今頃良くて炊事場、最悪除隊させられてもおかしくない連中だった。

 

「考えはあるのか?」

 

「はい、まだ確定ではありませんがある程度はまとまってきています」

 

「ふむ、貴様には関係無い話かもしれんが現在輸送訓練を計画していてな、何か重しとなる物が無いか探しておるのだが?」

 

 相変わらずこの爺は食えない性格だと実感する。この頭の回転の速さがあるからこそ今の地位に立っているのだろうが、こちらの練度の低さと移動距離を考えて俺が直接志布志へと向かう事が危険だと判断していると読まれたのだろう。

 

「その訓練って大分の方まで出たりしませんかね?」

 

「甘えるな、宮崎までは迎えを出してやる。 その代わり、失敗したら貴様の本隊への帰還は無い物と思え」

 

「ん?俺って戻れるんですか?」

 

 これで陸路は確保できたと安堵していたら、予想外の言葉が聞こえてきた。

 

「貴様に適正が無いと分かればすぐにでも前任のようにクビになるだろうな」

 

「つまり、俺は彼女達と上手く戦って行けるか試されてるって訳ですね」

 

 余程俺が呉の提督に啖呵を切ったのが嬉しかったのか、今日はボロボロと情報を落とすものだと面白く感じる。しかし、やっと俺がここに来た意味が見えてきた気がする。そんな事を考えると、扉の向こうから物音が聞こえてきた。

 

「おっと、そろそろ訓練の時間なので」

 

「そうか、恥をかかぬよう励めよ」

 

 そう言って爺との通話を終わらせる。誰か居るのかと思い扉を開いてみるが、人影はなく床には握り飯の乗った皿が置かれていた。

 

(駆逐艦の誰かか……?)

 

 握り飯の大きさからこれを作った者の手の大きさを想像する。かなり小ぶりで、形が不格好な事を考えるに料理の慣れた者では無いという所までは分かった。

 

(まぁ、折角の朝食だ、ありがたく頂こう)

 

 俺は握り飯を1つ頬張ると、久しぶりの米の味を噛み締める。若干芯が残っているように感じたが、乾パンよりも遥かに美味しく感じた───。

 

 

 

 

「今日の訓練は昨日と同じく航行訓練をメインに行う。 阿武隈を旗艦に暁、響、雷、電、夕立で輪形陣から他の陣形に、少し移動したら再び輪形陣にって感じでやってみてくれ。 変更するタイミングは阿武隈の指示に従うように」

 

 俺の言葉に少女達は元気よく返事をした。やはり昨日の食事で調子が良いのか昨日よりも顔色が良い気がする。

 

「ヘーイ! 私は何をしたら良いデスカー?」

 

「せっかく艤装を付けて準備してくれてるのはありがたいんだが、君達はここから阿武隈達を見て陣形が崩れているようだったら注意してやってくれ」

 

「は、榛名達は海に出られないのですか……?」

 

 まったくと言っていいほど意識していなかったのだが、訓練前に艤装に燃料の補給を行っていたらこの基地には資材がほとんど無い事が発覚した。駆逐艦や軽巡洋艦程度であれば数度は出撃しても大丈夫だとは思うが、金剛姉妹の艤装を見た瞬間まずいと直感で分かった。

 

「す、すまん……」

 

 姉妹4人であからさまに凹まれると流石に罪悪感がやばい。本当は叢雲や時雨にも昨日と同じく少女達のフォローに回って欲しかったのだが、今は残された資材で少しでも次の作戦のメインとなる少女達の練度を上げておきたかった。

 

「ぼ、僕はどうしたら良い? 僕はまだ燃費の良い方だと思うけど」

 

「悪いが時雨も今日は見学だな、時雨や叢雲は暁達より海上の移動に慣れてるみたいだしアイツ等が追いつくまで待ってやってくれないかな?」

 

 何やら昨日よりも積極的な時雨に違和感を感じたが、やはり艦娘である以上は海に出たいという気持ちは強いのだろうか?

 

「ったく、期待して損したわよ。 じゃあ私は適当に走ってくるわね」

 

「……僕も行くよ」

 

 やはり叢雲も海上に出ることができなくてつまらないのか昨日と同じく基地の周りを走ってくると告げて時雨と二人で走って行ってしまった。それからは阿武隈が抜錨しますと宣言を行い、昨日と同じくフラフラとした航行で陣形を入れ替えながら騒いでいた。

 

「みんなー! 気合! 入れて! 頑張りましょー!」

 

「榛名も応援しています!」

 

「響が僅かにだけど先行してるわね」

 

 なんというか、金剛も煩いと感じてたがここにも1人声がでかいのが居たらしい。しかし、なんというかこの姉妹はそれぞれ個性が強く見ていて面白いと思う。恐らく素人の俺よりも少しでも航行の経験がある彼女達の方が良いアドバイスができると思い、少しの間黙って見守ることにした。

 

「でだ、少し近すぎるんじゃないか?」

 

「そんな事無いデース!」

 

 俺は桟橋に腰かけたのは良いが、ぴったりとくっつくように金剛が隣に座ってきた。正直煙草を吸うためにわざわざ離れてやったと言うのに良い迷惑だ。

 

「暑いんだが?」

 

「私のバーニングラブが伝わってるみたいネー!」

 

 出会った時の嘘くさい笑顔では無く、心の底から笑っているのだろうが正直に言えばものすごくめんどくさい。以前暁達がじゃれついて来た事があったが、流石にもう子供とは呼べない彼女にここまでくっつかれると嫌でも意識してしまいそうになる。

 

「ちょっと何やってるんですか! お姉様から離れてください!」

 

 先ほどまで大声で阿武隈達に声援を送っていた比叡が俺と金剛の間に割り込んでくる。なんなんだコイツは、俺に身体を押し付けるようにして割り込んできたため、左腕に柔らかな感触を感じた。

 

「あ、電がこけました」

 

「た、助けに行かないと!」

 

 榛名が海に飛び込もうとしているのを霧島が必死で引き留めている。俺は心の中で「君の艤装には燃料は一滴も入ってないからな?」と突っ込みを入れて置く。なんというか、下手すると暁達よりも手がかかるのでは無いかと不安になってきた。

 

「みんな楽しそうで良かったデース!」

 

 そんな光景を見ている金剛の表情はとても嬉しそうだ。恐らくは今の彼女達は完全に自然体なのだろう、これがきっと彼女が守ろうとした光景なのだと思うと少しだけこの空気も悪くないなと思った。

 

「次は暁ですか、咄嗟に夕立の手を掴んだようですが2人共こけましたね」

 

 そんな中冷静に必死な少女達を解説している霧島が妙に面白い。真面目に訓練を見ているのはコイツだけみたいだし、手招きをしてこちらに呼ぶと悪い点を見つけたら指摘するようにと無線を渡す。

 

「そこのスイッチを押しながら話せば向こうにも通じるからな」

 

「分かりました。 艦隊の頭脳と呼ばれた霧島にお任せを」

 

 そう言って霧島は何度も深呼吸をすると、数秒目を閉じて意識を集中させているようだった。指摘するだけでどうしてそこまで集中しているのかと疑問に思ったが、真剣な表情で目を見開いた彼女の姿に昔の隊長の姿が重なって黙って見続けた。

 

「……マイク音量大丈夫?チェック、ワン、ツー…よーし。…はぁ、すー…本日はお日柄もよく───」

 

「いや、演説か何かかよ……」

 

 唯一の常識人だと思った俺の期待は裏切られた。この姉妹はきっとダメだ、何がダメなのかと聞かれると答えられないが、きっと俺は一生かけても理解できないと悟った。必死で阿武隈の指示に従おうと奮闘している海上とは正反対に、桟橋に居る俺達は不思議な空気に包まれたまま少女達を見守った───。

 

 

 

 

 

 

「第一……水雷戦隊……あぶ……くま! 帰還しま……した!」

 

「も、もうダメ……」

 

「雷、海の上で眠ると沈んでしまうよ」

 

「びしょ濡れなのです……」

 

「こんなのレディじゃないわね……」

 

「もう一歩も歩けないっぽいぃ」

 

 陽も沈みかけ、夕方と呼ばれる時間まで少女達の訓練は続いた。後半は疲労で無駄な力が抜けたのか素人目に見てもスムーズに陣形の変更ができていたと思う。俺の膝に頭を乗せて爆睡している馬鹿をゆすってやる。

 

「んぅ… はっ!何ですか!?寝てません!寝てませんてばぁーっ!」

 

「阿武隈達を引き上げるぞ」

 

 俺と金剛達で少女達を桟橋へと引き上げると俺が雷と電を抱え、残った4人は各自1人ずつに肩を貸してやり入渠施設へと運んでやる。後は少女達の入渠が終わるまでに夕食の支度をしておいてやれば良いだろう。

 

「今日の夕食は何にするんだ?」

 

「ん~、昨日はカレーでしたし今日は榛名に頼んでジャパニーズフードでも作ってもらいマース!」

 

「和食にするなら肉じゃがにしてくれ。 できるか?」

 

「はい! 榛名にお任せください!」

 

 なんとなくだが、海軍って聞くとカレーと肉じゃがのイメージがある。昨日のカレーは食べられなかったし、今日は俺の分を執務室まで運ぶようにお願いして置こう。

 

「あら、今日は肉じゃがにしたのね」

 

「叢雲か、時雨はどうした?」

 

 雑談をしながら食堂へ向かっている途中で先ほどまで走っていたと思われる叢雲と出会う。2人で走りに行ったはずなのだが、もう1人の姿が見えないため質問してみる。

 

「もう少し走るって言ってたわよ。 時雨って意外と体力あるのよね……」

 

 叢雲はそう言い残して入渠施設へと向かって行った。なんとなく彼女達が入渠と言っているから合わせているが、故障している訳でも無いのに何故みんな入渠施設へと向かうのだろうか?入渠と言うからにはドックなのだろうが、艦娘も兵器と呼ばれている以上はメンテナンスが必要なのかもしれない、今度機会があったら覗いてみるか。

 

 俺は金剛達が食堂へと入っていくのを見届けると、執務室に戻り再び地図と睨めっこを始める。昨日の練度では不安だったが、今日の終盤の動きとこの先もまだまだ伸び代があるのだと考えれば、朝悩んでいたよりもまともな作戦にできると確信していた。

 

(ただ、資材の問題もどうにかしないとか……)

 

 最悪の事態に備え、金剛姉妹が動けるだけの資材は残す必要があった。もっと言うのであれば、彼女達が保険になりうる実力かどうかも確認する必要もある。しかし、どちらも現状の資材の量では不安要素となってしまっている。

 

(燃料だけじゃない、弾薬もそうか。 仮に敵と遭遇してしまった場合には反撃するための弾薬も必ず必要となってくる……)

 

「ヘーイ! 教官ー! ディナー持ってきましたヨー!」

 

「あぁ、金剛か。 ノックくらいするようにな」

 

 突然扉が開かれ、何故か2人分の食事を持った金剛が入ってきた。

 

「俺はそんなに食べないぞ」

 

「こっちは私の分デース!」

 

 そう言って金剛は軽く左手に持ったトレーを持ち上げる。どうやら俺だけが1人で食事を取るのが申し訳ないと思ってからの行動だったようだが、明日からは他の艦娘達と一緒に食事を取る様にと注意をしておく。

 

「なら教官が食堂に来たら良いネー!」

 

「まだ俺の事を警戒してる子も居るだろ? いつか全員と仲良くなれたらそうするよ」

 

 そう言って肉じゃがを口に含むと、ジャガイモの甘みが口の中に広がる。正直艦娘を侮っていた、あんな乾パンばかり食っていたのだからまともな味覚じゃ無くなっていると思っていたが、想像以上に美味い。

 

「榛名の肉じゃがはとってもデリシャスネー!」

 

 騒ぐ金剛を無視して、勢いよく口の中に放り込んでいく。俺の夕食が半分ほど無くなったタイミングで彼女がこちらを睨んでいる事に気付いた。

 

「いつか必ず私のカレーも食べさせてみせマース!」

 

「そうか、楽しみにしておくよ」

 

 どうやら必死で妹の作った肉じゃがを頬張る俺を見て対抗心が沸いてしまったらしい。冗談だとばかり思っていたが、一目惚れしたってのは意外と本当の事なのだろうか?

 

「ふぅ……、満足した」

 

「後片付けをしてきますネ。 教官も無理しちゃだめデスヨー?」

 

 そう言って金剛は自身の目の下を指差す。鏡を使って自分の顔を確認してみると、昨日から一睡もしていないせいかクマができてしまっていた。空になった食器を片付けている彼女に「気を付けるよ」と告げて、彼女の代わりに扉を開けてやった。

 

(せめて次の作戦までにできる事はやっておきたいからな……)

 

 俺は未だに片付けられていない資料の山から、『深海棲艦』と書かれた資料を拾い上げて目を通していく。分厚い資料を半分ほど読み終えた辺りで、瞼が異様に重くなってきたような錯覚を覚える。

 

(確かに少しだけ寝た方が良いかもしれないな……)

 

 そんな事を考えていると、扉が勢いよく開かれ夕立が飛び込んできた。半分ほど睡魔に意識を持っていかれていたが、突然の事に意識が覚醒してしまう。

 

「き、教官さん! 時雨が帰って来てないっぽい!」

 

 夕立は目を真っ赤にして俺に報告する。時刻を確認すると、すでに0300を回っていた───。




7/10 一部修正


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小さな背中に背負うモノ(2)

私達は何のために再びこの世に生を受けたのだろう。

かつての私には『第一航空艦隊の旗艦』という人々の期待と希望が詰まっていた。

しかし、今の私には何が詰まっているのだろう。

かつてのように艦載機を飛ばせる訳でも無く、航行するだけで無駄に資材を消費する。

もう1度陽の光を浴びた瞬間には『今度こそ必ず人々の期待に応えよう』と強く願った。

しかし私の願いは遂げられそうにない。

こんな私を見た──さんは何を思うのだろう?

彼女だけじゃない、かつて私を信じて海に沈むその時まで頑張ってくれた後輩達は何を感じるのだろう。

傍らに置いてあった弓を手に取ると、ゆっくりと息を吸いながら構える。

中仕掛けに指を駆けると、息を止めて大きく引き絞る。

目を閉じて遥か遠くに存在する的をイメージした。

指を離せば部屋の中には弦の乾いた音と、涙が床に零れる音だけが響いた。


「まずは呼吸を整えろ、居ない居ないと騒がれても俺にはどうしようもない」

 

 俺はそう言って泣きじゃくる夕立の頭に手を乗せる。少女は俺の指示に従おうと必死で呼吸を整えようとしているが、嗚咽混じりでなかなか落ち着く様子が無い。

 

「晩御飯の時に居なかったから……、時雨の分を部屋に持って帰ったの……。 でも、気づいたら寝ちゃってたっぽくて……」

 

「夕食の時には時雨は食堂に居なかったのか」

 

 先日の事を思い返してみるが、確か叢雲と一緒に基地の外周を走りに行ったはずだ。その後叢雲と出会い、「時雨はもう少し走る」という言葉は聞いている。迷子になったとは考えづらいし、交通量を考えれば事故という可能性も低いと思う。

 

「起きたらこの時間で、ご飯もそのままっぽくて……」

 

「分かった。 もう時間も遅いし、俺が探してくるから夕立は部屋に戻ってろ」

 

 少し落ち着いてきた夕立の頭を撫でてやると「私も探す」と言い出したが、何か事件の可能性がある以上はこんな時間に少女を出歩かせる訳にはいかないだろう。それでも納得しない夕立に食堂や入渠施設のような基地内の施設だけ見てもらうように頼んだ。

 

「それじゃあ行ってくる。 無線機は持っていくから、もし時雨が帰ってきたら机の上の機械から連絡をくれ」

 

 部屋を飛び出して艤装を保管している倉庫へと向かったが、せめて懐中電灯くらいは用意するべきだったと後悔してしまう。日中の晴天が嘘だったのかと思える程空には雲が漂っており、完全に月が隠されて辺りは深い闇に包まれていた。

 

(艤装は持ち出していないようだな……)

 

 暗い建物の中で艤装に顔を近づけながら『時雨』とかかれた金属板を見つけた。ここに艤装がある以上は海には出ていないと安堵する。仮に無断で海に出ているようであれば、俺に探す手段は無くなってしまう所だった。

 

 次に俺は桟橋へと走った、そこで桟橋に腰かけている人影を見つけてゆっくりと近づいていく。

 

「……時雨か?」

 

 人影まで後数メートルという所で人影に声をかけてみる。人影は海を眺めたまま「違うよ」と返事を返してきた。雲の隙間から僅かに月明かりが漏れてきた事で、橙色の制服に身を包んだ少女の姿が確認できた。

 

「こんな夜中に何をしている?」

 

「……ただの散歩。 なんでか分かんないけど、夜になるとこうして海を見たくなるんだよねぇ」

 

「時雨を見なかったか?」

 

 恐らくは艦娘なのだろうが、理由も無く夜中に出歩いている以上指導しておくべきだとは思ったが、今は時雨を探すことを優先した方が良いだろう。

 

「見てないなぁ、こんな夜中に出歩くなんてこの基地じゃ私くらいじゃないかな」

 

「そうか、俺はもう少し他の場所を探してくるが、お前もさっさと部屋に戻れよ」

 

 俺はそう言って少女に背を向けるが、急に地面を照らされて再び少女に振り向く。

 

「これ、持っていきなよ。 探照灯って言いたい所だけど、普通の懐中電灯だよ」

 

 少女は俺に灯りがついたままの懐中電灯を投げ渡してくる。それを受け取ると礼を告げて今度は正門を目指して走る。基地内の施設は夕立が探しているだろうし、俺は基地の周辺を探してみようと思った。

 

(流石に静かだな……)

 

 俺が来た時から人気が無く静かではあったのだが、闇の中自分の足音だけが聞こえてくるというのは不気味に感じる。視界は懐中電灯で照らされた部分しか確認できず、野生動物でも出てきたらどうしようかと心配になってきた。

 

(なんだか昔やった訓練を思い出すな……)

 

 俺が訓練兵だった頃に、隊長から天候の悪い夜間で山から下山してこいって訳の分からない訓練を押し付けられた事を思い出す。正直生きた心地がしなかった、雨で無条件で体力は奪われていくし、寒さや疲労に負けて身体を休めてしまうとそのまま動けなくなるとさんざん脅された。

 

(あの時はまじで遭難するかと思ったな)

 

 そんな苦い記憶を思い返していると、頬に水滴が落ちてきたのを感じる。嫌な事を思い出したせいか、本当に雨まで降りだしてしまった。1度傘を取りに帰ろうかと思ったが、気づけば基地の半分近くまで歩いていたらしくどうやっても濡れてしまう以上は最後まで歩き切った方が良いだろう。

 

 初めは小雨だったので気にならなかったが、徐々に雨脚が強くなってきたので古びたバス停で少し休憩を挟むことにする。時雨は一体何処に行ってしまったのだろうか、雨にトラウマがあるせいか、雨の音はどうしても考えをネガティブな方向へと誘導してしまう。

 

(交通事故は無い、そうであれば俺に連絡が来てもおかしくない。 そうなると技術の流出を狙うために誘拐……? 彼女達の容姿を考えれば変質者の可能性も……)

 

 そんな事を考えていると俺の来た方向から雨音に混ざって足音が聞こえてくる。こんな時間に徘徊とは、本当に不審者でも出たのだろうかと咄嗟に身構える。警察では無いが、基地周辺を守るという名目で職務質問くらいならやっても大丈夫なのだろうかと、頭の中では無駄な事を考えてしまう。

 

「あ、あれ……。 湊教官……?」

 

 懐中電灯で照らした先には今まで探していた時雨の姿があった。「今まで何をしていた」と怒鳴りたくなったが、無事を確認するために少女の状態を確認すると嫌な予感がしてきた。顔は赤く、息も荒い、靴もボロボロになっており、膝や肘には擦り傷が確認できる。

 

「大丈夫か!?」

 

 俺は時雨に駆け寄ると、立ち止まった事により崩れ落ちそうになった少女を支える。

 

「何があった……?」

 

「何でもないよ、少し走っていただけだから……」

 

 コイツは今までずっと走っていたとでも言うのだろうか。とりあえずこのまま時雨を雨に晒す訳にもいかず、バス停のベンチに座らせる。先ほどよりも雨は強くなっているのか、トタン屋根が耳障りなほど騒音を立てていた。

 

「もう1度聞くぞ、何があった?」

 

「……どうしたの湊教官、なんだか怒ってるみたいだけど」

 

 正直に言えば怒鳴りつけてやりたいと思っている、しかしそうするかどうかは先に事情を聞く必要がある。

 

「質問を変える、どうしてそんな無茶をした」

 

「僕も暁達に負けないように頑張ろうって思っただけさ……」

 

 そんな気持ちだけで12時間以上も走り続けるなんて馬鹿な事をするはずがない。時雨の額に手を当ててみると、長時間走った疲労と雨によって身体が冷やされたせいかやや熱っぽく感じる。

 

「話したくないのなら話さなくても良い、頼りない教官で悪かったな」

 

「その言い方はずるいよ。 湊教官はとても頼りになるよ」

 

 そう言って時雨は俺の肩に頭を乗せてきた。本当は濡れた服を脱がせて乾かした方が良いのだが、女の子にそうするように指示を出すのは流石に気まずい。俺は少しの間だけ離れるように伝えると、上着を脱いで少女にかけてやる事にした。

 

「次の作戦、失敗すると湊教官は居なくなってしまうのかな……?」

 

「ふむ、握り飯を持ってきてくれたのは時雨だったのか」

 

 どうやら俺と爺の会話を聞かれてしまっていたらしい。余計なプレッシャーをかける訳にはいかないと、もう少し黙っているつもりだったのだがこれ以上黙っている必要も無いだろう。

 

「そうかもな、どうやら俺はお前達を上手く使えるか試されてるみたいだしな」

 

「湊教官は元居た場所に帰りたいの?」

 

 時雨の言葉に少しだけ考えてしまう。向こうの基地には部下を置いてきている、アイツ等を一人前にしてやると約束した以上は放っておく訳にもいかないだろう。

 

「正直に言えば置いて来た部下が心配だな」

 

「そっか……」

 

 俺と時雨の間にしばらく無言が続く。駆逐艦の中でも大人びているイメージが強かったが、こうして俺の肩に頭を置いて悲しそうな表情を浮かべているのを見ると、俺の思い込みだったらしい。

 

「湊教官は幸運ってなんだと思う?」

 

「なかなか難しい質問だな、文字通り運が良いとか幸せだって事じゃないかな」

 

「僕はね、『佐世保の時雨』って呼ばれて、呉の雪風と並ぶ幸運艦だってみんなに言われていたんだ」

 

 現在ではそのようなあだ名は聞いたことも無く、恐らくは彼女の艦の記憶だろうと思った。

 

「どんなに厳しい戦いでも僕だけは生きて帰った、だから幸運だって……。 僕からしたら何が幸運なのかまったく理解できなかったんだ」

 

 時雨の『僕だけは』という言葉に引っかかりを感じた。つまりは全員が無事に帰って来られた訳じゃないのだろう。

 

「何度も仲間が沈んでいくのを見届けたんだ、それの何処が幸運なんだろうね」

 

「幸運も考え方次第って事か……」

 

 少女にとっての幸運は不幸と紙一重なのかもしれない、自分が沈むまでは何度も仲間の死に立ち合い、辛く悲しい思いをし続けなければならないと。

 

「僕が大切だと思った人はみんな僕を置いて行ってしまうんだ……」

 

 どんな言葉を少女にかけてやれば良いのだろうか、見た目こそ俺よりも年下だが艦の記憶があるのであれば俺の何倍も年上になるし、超えてきた戦場の数などは俺とは比べ物にならないのだろう。

 

「……湊教官はどうしたらここに残りたいって思ってくれる?」

 

「さぁな、別にここが嫌で帰りたいって訳じゃ無いから難しい所だな」

 

 時雨は俺の胸に抱き着いてくると、まるで子供が駄々をこねるかのように額をこすりつけてきた、その姿を見て俺は少女の頭を優しく撫でる事しかできなかった。俺の推測でしか無いのだが、時雨の中にある『置いて行かれる』という艦の記憶が彼女自身に大きく影響してしまったのだろう。

 

 今はただ少女が泣き止むまで待ってやる事にした。ここで俺が軽々しい慰めの言葉をかけた所で、彼女の抱えている傷を癒すことなんてできるはずが無いと思った。

 

(普通の少女とは違う、艦娘と呼ばれる少女達にしか理解できない悩み。 この先も付き合っていくのであればもう少し注意して見守る必要がありそうだな……)

 

 どれくらい時間が経っただろうか、時雨は俺にしがみついたまま泣き疲れて眠ってしまったようで、規則正しく呼吸を繰り返している。俺は空を見上げると、徐々に明るくなってきており雨も気にならない程度まで弱まっていた。

 

(……そろそろ帰るか)

 

 俺は時雨を起こさないように細心の注意を払いながら少女を背負う。こんなに小さくて軽い身体なのに、欠陥兵器だと呼ばれ、過去の記憶に苦しめられている。そんな現状を俺は変えてやりたいと強く思った。

 

「僕、眠ってしまっていたのかな……?」

 

「悪い、起こしちゃったか」

 

 少し歩いた所で、後ろから時雨の声が聞こえてきた。どうやら起こしてしまったようだが、疲れているのならそのまま寝ていても良いと伝える。

 

「湊教官の背中、暖かいね」

 

「野郎の背中なんて暑苦しいだけだろ」

 

 時雨はペタペタと背中の感触を確かめるようにあちこちを触ってくる。くすぐったいのだが、今は好きにさせてやろう。

 

「時雨に良い言葉を教えて置いてやる、今は確かに辛い事ばかりかもしれないがそんな日々もいつかは終わる日がくる。 気象予報士の人だったか忘れたが、それを『やまない雨は無い』って例えたそうだ」

 

「良い言葉だね……。 うん、雨はいつか止むものだよね」

 

 木の葉ついた水滴や水溜まりが朝日を反射してキラキラと輝いている。今は雨続きの少女達の世界も、いつかこんな風にキラキラと輝く日が来ることを信じて───。

 

 

 

 

 

「良かったっぽいぃぃぃ……」

 

 基地に戻った俺達を出迎えてくれたのは、目を泣き腫らした夕立だった。時雨は俺の背中から「心配かけてごめんね」と謝っていたが、夕立は次やったら許さないと本気で怒っているようだった。

 

「あれか、入渠施設まで連れて行けば良いのか?」

 

「え、うん……。 そうだけど……」

 

「き、教官さん! それは夕立が連れて行くっぽい!」

 

 騒ぐ夕立に、訓練は昼からにしてやるから大人しく部屋で寝ていろと注意をしておく。今の時雨が1人でメンテナンスできるとは思えないし、俺の好奇心を満たすためにも手伝いくらいさせてもらって大丈夫だろう。

 

「まぁ、いつかは俺も知っておかないとまずいだろうしな」

 

「全然まずくないっぽいぃぃ!」

 

「み、湊教官は僕に興味があるの……?」

 

 騒ぐ夕立の頭を2、3度撫でてやると、これ以上騒ぐと訓練の予定を朝からにするぞと低い声で脅しておく。少女は流石にそれはまずいと思ったのか、何やら不満そうな顔をして自室へと帰って行った。

 

「じゃあ行くか、何か必要な物とかはあるのか?」

 

「タオルは持って行った方が良いかな……? 他の物は備え付けの物があると思うから……」

 

 タオルが必要だという事は油か何かがかかってしまう恐れがあるのだろうか?もしくは結構な力仕事で汗をかいてしまうとか?工具なんかは備え付けの物があるらしいし、思ったよりも施設の中はしっかりとしているのだろうか。

 

 後になって後悔したのだが、やはり人間にとって睡眠は大切な行為なのだと実感している。睡眠不足は正しい判断や注意力を著しく低下させ、違和感を違和感と感じとる危機感を奪い去って行くのだと───。




7/10 何故か改行されている部分があったので修正


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小さな背中に背負うモノ(EO)

夜の海を見ているととても心がざわついてくる。

それなのに、私は夜になると毎日ここから海を眺めている。

他の子よりも艦の魂と結びつきが弱いのか、なんだか私には艦娘っていうのがいまいちよく分からない。

それでも夜になると、何かを求めるように海を見に来てしまう。

今日は駆逐艦の子達が訓練している姿を窓から見て、すごく懐かしく感じた。

私にはそんな記憶は無いのに、何故か涙が零れた。

そんな事を考えていると、急に噂のあの人から声をかけられた。

焦ってる顔面白かったな。

私達のために必死になってくれる人なんて初めて見た。

あの人だったら、この胸のざわつきを静める方法を知っているのだろうか?


 隊長、自分は今非常にまずい状況下に置かれています。

 

 様々な状況に対応できるようにと訓練をしてくださったのには感謝していますが、今ほど危険な状況下ではどのようにして対応したら良いのでしょうか。

 

 必死で目を閉じて隊長の言葉を思い出す。

 

『どうせやるなら上手くやれ』

 

 そうでした、隊長はそういう人でした。俺の脳裏には俺達に内緒で訳の分からない訓練を企画していた時の素晴らしい笑顔が描かれていた。

 

「後ろ向いててもらっても良いかな……?」

 

 擦りガラスの向こうに人影が見える。必死で対策案を考えていたが、どうやら時間切れとなってしまったらしい。

 

「あ、あぁ。 俺はずっと壁を見ているから安心してくれ」

 

 時雨のメンテナンスを行うために俺はタオルを2人分用意すると、入渠施設へと入った。確かに入ってすぐの所には艤装のメンテナンスを行うであろうエリアもあったのだが、時雨は俺の袖を引くと更に奥に進むように進言してきた。

 

 艦娘のメンテナンスなどまったくと言っていい程知識の無かった俺は余計な事をして少女の負担にならないようにと素直に指示に従った。

 

(服を洗濯機に入れた所まではまだ理解できる、濡れたままの姿でいる事は間違いなく身体に悪影響を与える)

 

 持ってきたタオルで隠すべき場所は隠すことができたし、全裸になるという事はSF映画で見たような殺菌シャワー的な施設があるのかと子供心を甦らせたりもした。

 

(どうして俺は風呂に浸かっているのだろうか)

 

「は、入るね……」

 

「あぁ……」

 

 後ろからガラス扉をスライドさせた音が聞こえ、ヒタヒタとタイルの上を歩く足音が聞こえてくる。先にシャワーで身体を洗い流しているのか、バルブを捻るような音と共に水音が浴室内に響き渡る。

 

「なんだか緊張するね……」

 

「あぁ…」

 

 水音は止み、時雨の気配がこちらに近づいてくるのが分かる。

 

「こっち向いたらダメだよ……?」

 

「あぁ……」

 

 時雨が浴槽に入ったのか、お湯が揺れた。どうして少女達はこの大浴場の事を『入渠施設』などと紛らわしい名前で呼んでいるのだろうか。

 

「やっぱり入渠は良いね、疲れが取れていくのが分かるよ」

 

「あぁ……」

 

「湊教官さっきから同じ事しか言ってないよ?」

 

「あぁ……」

 

 俺と時雨の間に無言が続く。これほど気まずい無言は上官を殴って爺に呼び出された時以来だろうか。

 

「僕の身体に興味があるの?」

 

「あぁ……。 って違う!断じて違う!」

 

 俺の反応を見て時雨が後ろで笑っているのが分かる。どうして俺がこんな恥ずかしい思いをしなければならないのだろうか。

 

「良かった、湊教官っていつも素っ気ないイメージがあったけど意外と面白い人なんだね」

 

「もう良い! 俺は上がるぞ!」

 

 立ち上がろうとすると、後ろから時雨に肩を押さえつけられる。

 

「ダメだよ、湊教官だって雨に濡れて長い時間外に居たんだ。 温まらないと風邪をひいてしまうかもしれない」

 

「こんな事になるなら素直に夕立の言う事を聞いておけば良かった」

 

 俺が立ち上がろうとするのを止めると、時雨も肩から手を離してくれた。しかし、背中に何かがもたれかかってくる感触を感じる。

 

「なんだか緊張してたのが馬鹿らしくなってきたよ、てっきり一緒に入渠施設に行きたいなんて言うからやましい事でも考えていると思ったよ」

 

「そう思ったなら止めろよ……」

 

 そもそも一緒に風呂に入ろうなんて俺が言い出すとでも思っていたのだろうか。無理な訓練で衰弱していたとは言え、時雨もそこまで空気が読めないはずは無いのだが。

 

「お前、俺が入渠の意味を知らないの分かってただろ」

 

「うん、もちろんだよ」

 

 背中から時雨が声を殺して笑っているのだとお湯の振動で分かる。俺はしてやられたと大きく溜め息をつくしかなかった。

 

「グダグダ悩んでるより、そっちの方が時雨らしいな」

 

「……うん」

 

 先の事なんて誰も分からないのだ、いつか誰かと離れなければならないなんて考えながら人付き合いをしていく奴は馬鹿以外の何者でも無い。

 

「それにしても、僕に興味があったんじゃないの?」

 

「正しくは時雨じゃなく、艦娘についてだな」

 

「む、まるで僕には興味が無いって言いたいの?」

 

 正直に言えば駆逐艦くらいの子であればそういった対象としては外れている、今後の事を考えてここで変な誤解を生む訳にはいかない。と言うより、こうしてあからさまに意識しているような態度を見せる方が誤解されてしまうのでは無いだろか?

 

「なんだか俺も馬鹿らしくなってきた、よく考えたら妹や弟達を風呂に入れているようなもんだよな……」

 

「湊教官にも兄弟って居るんだ」

 

 なんとなく施設で育ったとは言いづらく、適当に言葉を濁したが仕事で親の帰りが遅く、よく面倒を見ていたと説明すると時雨はどこか嬉しそうだった。

 

「そっち向くから、せめてタオルか何かで隠しておいてくれ」

 

「少し待ってね……。 うん、良いよ」

 

 時雨が俺から離れたことを確認すると少女の声がする方向へと体の向きを変える。視界には白いタオルを身体に巻いた少女の姿が入ってくるが、なんだか昔の事を思い出したせいか本当に妹達を風呂に入れている気分になってきた。

 

「どう……かな?」

 

「どうと言われても、なんとも言えないな」

 

 時雨は両手でタオルを押さえて恥ずかしそうにこちらを見ていたが、やはり駆逐艦くらいの子には反応しないものだと内心ホッとする。

 

「やっぱり男の人は金剛さんくらいじゃないとダメなのかな……」

 

「ガキの癖にマセた事言うんじゃない。 それにしても、艦娘って言ってもやっぱり普通の子と何も変わらないんだな」

 

 身体の中心部はタオルによって見えないが、シルエットから察するに何か機械がついている訳では無い事が分かる。しかし俺の言葉に時雨は右肘を湯船から上げるとこちらへ見せてくる。

 

「もう治ったのか……?」

 

 俺も久しぶりに包帯を外した右手を見てみるが、瘡蓋となってしまった傷口に特に変化は無かった。

 

「僕達は全然普通じゃないよ、少しの傷くらいならこうして入渠して居れば治るからね」

 

 どことなく寂しそうな表情を浮かべている時雨にかける言葉が見つからない、俺としては非常に便利な身体だとは思うのだけれど。

 

「湊教官って元々何をしていた人なの? 身体のあちこちに傷跡があるみたいだけど……」

 

「陸軍に入ってからはしばらく海外で働いていた。 日本に帰ってきたのは割と最近なんだけど、そこからはずっとお前達みたいな新兵の教官って事で適当にやってたよ」

 

「ふーん……。 海外ってどんな所に行ってたの?」

 

 答えるかどうか悩んだが、少女達がどれくらい外の世界に関する知識を持っているのかを確かめるためにあえて正直に答えてみる事にした。

 

「ブイン、ショートランド、ラバウル。 もう少し離れた場所だとタウイタウイとかブルネイ、リンガだな」

 

「……暴動があった場所?」

 

 時雨は質問した事を申し訳なさそうにしているが、特に気にする事でも無いと言葉をつけたして置いた。

 

「知ってたのか、今は泊地として機能しているようだけど建設に反対した人間も多かったからな」

 

「そうなんだ……」

 

 深海棲艦という化物が確認されてから、日本は防衛能力を持たない島国を保護するために海軍の派遣を行った。しかしその行為は一部の国からは侵略行為だと非難され、そんな情報を信じてしまった現地の人間が暴動を起こしてしまったのだ。

 

 問題はそれだけでは無かった、先に他国を侵略したのは日本軍だと言って被害国を保護するという名目で大陸から泊地へと進軍してきた国もあった。海軍は深海棲艦の対応で人手が足りていない以上は、そちらの問題は陸軍へと回されていた。

 

「……明るい話題に変えるか」

 

「うん、ごめんね」

 

 俺は何か話題が無いかと考えてみるが、このご時世に明るい話題など少なくどうしても軍事関係の話題しか思いつかない。

 

「そういえば、佐世保で思い出したんだが。 艦娘との共同作戦で近隣海域の確保ができたらしいぞ」

 

「へぇ、僕達以外にも頑張ってる子が居るんだね」

 

 艦娘に偵察任務を任せている基地は何ヵ所かあるというのは資料や叢雲を通して知っていたが、『共同作戦』という内容を考えれば少女達も戦場に出て戦ったという事なのだろうか。

 

「そこでだ、佐世保の時雨さんは里帰りをしてみたくないか?」

 

「里帰り……?」

 

 次の作戦の事もあるし、少女達と上手く付き合えている基地があるのであれば1度見てみたいと思っていた。

 

「単純に見学ってやつだな、向こうに知り合いとか居ないのか?」

 

「残念だけど、僕自身の出身は佐世保じゃないからね」

 

 俺の問いかけに呆れたような表情を浮かべている時雨に「じゃあ行くのやめるか?」と聞くと、「連れて行って欲しいかな」と返事が返ってきた。爺に車を借りるとして、後1、2人くらいなら連れて行っても大丈夫だろうか。

 

「そうと決まればさっさと寝るか、訓練は金剛姉妹や阿武隈に任せて置けば大丈夫だろうし少し眠って昼食を取ったら出発しよう」

 

「僕はもう少し入渠してから眠ることにするよ、まだ少し脚の痛みが残っているような気がするからね」

 

 俺は1度頷くと、浴槽から出て脱衣所へと進む。見学に連れてっても良いと思えるメンバーの中には金剛や阿武隈も含まれていたが、彼女達には今は暁達の訓練を優先して欲しいと思った。

 

(もう少し指揮官向きの子が居れば良いんだがな……)

 

 俺は擦りガラスでできた扉に手をかけると、勢いよく開く。

 

「「……え?」」

 

 黒髪を短く整えた半裸の女性と目が合ってしまった。俺たちは互いに妙な声を上げてそのまま固まってしまう。しばらく互いに見つめあったまま沈黙を続けていたが、沈黙を破ったのは女性の悲痛な叫び声だった。

 

「……ダメ…見ないで…見ないでぇー!」

 

「わ、悪い!!」

 

 俺は慌てて再び浴槽へと向きなおす。非常にまずい、駆逐艦達のように子供であれば問題無いのだが、いや問題はあるがスキンシップだと言い張って、しかし、流石に今の子くらい大人だとそれも通じないよな……。

 

「湊教官、流石にそれは隠した方が良いと思う……」

 

 時雨の言葉に腰に巻かれていたタオルが外れている事に気付き慌てて拾い上げる。それを見てしまった時雨は顔を真っ赤にして視線を泳がせているようだった。

 

「あ、あの…私、羽黒です。妙高型重巡洋艦姉妹の末っ娘です。あ、あの…ごめんなさいっ!」

 

「い、いや。 謝るのは俺の方だ本当にすまない……」

 

 背中を向けたままだが、必死で謝罪をする。ここで妙な誤解を招いてしまえば俺は『駆逐艦に手を出したロリコン』という不名誉を背負ったままこの基地を追い出される可能性がある。まずは誠意を持って謝罪することから始めよう。

 

「私の方こそ、ごめんなさいっ……」

 

「いやいや、俺の方こそ本当に悪った……」

 

「2人は一体何をしてるのかな……?」

 

 互いに謝り続けている俺と羽黒と名乗った彼女を止めたのは、何やら冷たい視線をこちらに向けている時雨だった───。

 

 

 

 

 

「さっきは本当にすまなかった」

 

 俺は食堂で深々と羽黒に頭を下げる。ちゃんとした謝罪をしたいから入渠が終わったら食堂に来て欲しいと告げて30分くらい待ったと思う。

 

「い、いえ。 私の方こそお見苦しい物をお見せしました……」

 

「湊教官は胸の大きい子が好きみたいだから嬉しかったんじゃないかな?」

 

 余計な事を口にする時雨の頭に手を乗せると、徐々に握る力を強めていく。どうしてコイツは不機嫌になっているのだろうか。

 

「改めて自己紹介させてもらうけど、俺は湊だ。 階級は少佐、一応言っておくが提督じゃなく教官って立場だから間違えないように」

 

「は、羽黒です……。 その……、よろしくお願いします……」

 

 なんと言うか、もの凄く気まずい。羽黒は気にしなくても良いとは言ってくれるが、間違いなく最悪の初対面となってしまっただろう。俺達は椅子に腰かけると、用意しておいた麦茶を飲みながら軽く雑談をする事にした。

 

「時雨は早く寝た方が良い、寝坊したら置いていくからな」

 

 麦茶の入ったカップを持ったまま目を閉じそうになっている時雨に声をかける。入渠して体の損傷が治ったとはいえ、完全に疲労が無くなる訳では無いらしい。

 

「どこかに行かれるのでしょうか……?」

 

「あぁ、ちょっと佐世保に見学に行こうと思ってな」

 

 俺は羽黒にそう思った経緯を軽く説明する。次の作戦については流石に話さなかったが、こことは別の場所で活躍する艦娘を見て訓練に活かせたらと誤魔化すことはできたと思う。

 

「わ、私も連れて行ってもらえないでしょうか……? いえ、やっぱり無理ですよね……」

 

「遊びに行く訳じゃないから、理由次第だな」

 

「佐世保には私の姉達が居るはずなんです……、よく手紙を送ってくれていたのですが、最近は送っても全然返事が無くて……」

 

 姉妹の事が心配だと言うのが主な理由なのだろうか、下手に不安を抱えたままにさせておくのもまずいだろうし、連れて行っても問題ないとは思うのだが、どうせ連れて行くのであればもっと多くの物を持ち帰れる子の方が良い気もする。

 

「その……、やっぱり私なんかじゃダメでしょうか……?」

 

 羽黒は少し考え事をして黙っていたせいか不安そうな顔でこちらの様子を伺っているようだった。どうしようかと悩んでいると、時雨が俺の肩に寄りかかって来てしまった。

 

「眠ってしまったか……」

 

「そうみたいですね……。 私が宿舎まで運んでおきますので、教官さんもお休みください……」

 

 完全に連れて行ってもらえないと判断したのか、彼女は暗い表情のまま時雨を抱き上げようとしている。なんだかこのままじゃ俺が悪役みたいじゃないかと妙に居心地が悪い。

 

「1330だ、それまでに昼食を取って正門に集合。 遅れたら置いていくからな」

 

「え……? それって……。 教官さん…本当に…ひっく…ありがとうございますぅ……ぐすっ、うぅ~……」

 

「お、おい泣くな! 流石に大げさすぎるだろ!?」

 

 姉達の事が心配なのは表情から伺えていたが、ここまで不安を溜め込んでしまっていたのだろうか?俺は改めて彼女達の姉妹という絆の深さに驚いてしまった。

 

「私達妙高型は、艦娘になる前から姉妹だったんです……」

 

 どうにか羽黒に泣き止んでもらうと、未だに目を真っ赤にしている彼女の代わりに時雨を背負って少女の宿舎へと向かっている。その途中でポツリと呟くように羽黒は姉妹の事を教えてくれた。

 

「妙高姉さんはいつも優しく私達の事を見てくれて居ました……、那智姉さんはいつも冷静で何かあればすごく頼りになるんです……」

 

「うんうん、良い姉だな」

 

「足柄姉さんはいつもふざけていましたが、落ち込んでる私を何度も慰めてくれました……」

 

 まだ出会って間もないが、彼女の性格を考えるにものすごく可愛がられていた事が良く分かる。施設でも末っ子の方になると、どこか保護欲をくすぐるような性格の子が多かったと思う。

 

「会えると良いな」

 

「……はい!」

 

 暁達を助けるために宿舎の中に入ってはいるのだが、流石に女の子が眠っているであろう時間に俺が入るのはまずいと判断して、入口で時雨を羽黒に任せる。最後に寝坊しないようになと一言告げると、俺は執務室へと戻って行った───。




初めて後書きを書かせていただきます。

本当はお風呂を書くかどうか悩んでいたのですが、今回は様子見ということで書いてみる事にしました。

あまりそういった描写は控えるようには注意して書きましたが…。

修正する前は結構時雨の身体を通して艦娘とはって感じで書いていたのですが、流石に自分で読み直してアカンと思いましたので控え目な形で投稿させていただきました。

一応今回が10話目という事もあり、お気に入りや評価を入れてくださっている方もいますので、感謝の言葉を書かせていただきます。

そして、これからもよろしくお願いします!


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姉妹に会いに & すいらいせんたい?(1)

いつの時代も軍の人間は自分の事ばかり考えている。

自分は悪くない、だから別の人間に責任を取らせろと。

私達はこんなクズを守るために戦い続けてきたのだろうか。

宮坂大佐、木村小将……。

あなた達が守ろうとした世界はこんなにも薄汚れた世界だったのですか……?

私はあなた達の言葉しか従うつもりは無い、だってここで私が従えばあなた達の頑張りは無駄だったと認めてしまうのと同じ気がするから。

小さな身体になった私にはせいぜい悪態を付く事しかできない。

どんな罵倒や陰口を言われたってあなた達の言葉を思い出せば耐える事ができる。

でも、こうして部屋の隅で蹲っていると嫌な考えしか浮かんでこない。

もう1度暗い海の底へ戻れば、あなた達に会えますか……?


「その子に手を出すと訓練の量を2倍にするように中将に伝えるからな」

 

 時雨と羽黒を宿舎に送り届けた後、俺は爺に佐世保の見学許可と移動用の車を寄こすように連絡を入れたり、起きてきた阿武隈に今日の訓練内容を指示したりとバタバタしているうちに出発時刻の30分前になっていた。

 

 少し早いかなと思いつつも正門前に行ってみると、懐かしい顔が何やら羽黒に詰め寄っているようだった。

 

「この美人は隊長の部下ですか!? 是非とも俺達に紹介して頂けませんかね!」

 

「あっ、あの……。 ごめんなさいっ!」

 

 羽黒は俺の登場に気付いたのか、逃げるようにして俺の背中へと隠れてしまった。女の子だらけのこの基地で急に野郎に詰め寄られてしまえば怖くも感じるだろう。

 

「で、何しに来たんだ」

 

「隊長が車を寄こすようにって連絡を入れたと聞いていますが、違いました?」

 

「あぁ、お前達が持ってきてくれたのか。 助かるよ」

 

 俺の礼に気分を良くしたのか「だからその子を俺達に」と騒いでいる男に笑顔で近づくと、襟を掴み背負うようにして地面に叩きつける。

 

「き、急に何をするんですか……」

 

「受け身くらい取れるようになったか、俺が居なくなって怠けていないか心配していたんだ」

 

 俺は笑顔で地面に横たわった男に手を差し伸べると、引っ張り起こして背中についた土を払ってやる。そこからは俺が居なくなってから基地が少し静かになってしまったという事や、秘書官が話し相手が居なくなって寂しがっていたという他愛もない雑談を行った。

 

「あれ、2人共早いね……。 その人は?」

 

「あぁ時雨か、こいつは向こうの基地の俺の部下だな。 車を届けてくれたらしいから準備ができたら乗り込め」

 

「た、隊長……。 そんな趣味があったとは存じ上げませんでした……」

 

 何やら良くない方向に勘違いをしている男を思いっきりぶん殴ってやる。以前であれば黙って殴られていたのだが、コイツは生意気にも肘を曲げて上手く防御してきやがった。

 

「いつまでも黙って殴られてる俺じゃないっすよ!」

 

「そうみたいだな、お前が成長しているようで嬉しいよっと……」

 

 急に身体を動かしたせいか、一瞬地面が揺れたように錯覚する。後ろで見ていた羽黒と時雨が慌てて支えてくれたが、少し視界がチカチカと光が反射しているように見えた。

 

「だ、大丈夫ですか……?」

 

「湊教官、どこか悪いの?」

 

「すげぇクマできてますけど、大丈夫です?」

 

 心配そうに3人が好き勝手な質問をしてくる。確かに最後にまともに眠ったのは何時だろうか?基本的に眠るときは執務室の机で仮眠を取る程度だし、2日くらいは眠っていないような気もする。

 

「大丈夫だ、時間も惜しいし出発するぞ」

 

「自分は基地に戻りますので、隊長もお気をつけて!」

 

 そう言ってコイツは俺に車の鍵を手渡すと、もう1台の車に乗り込んで去って行った。用意された車を見てみると、プロボックス辺りが到着するものだと予想していたが、メガクルーザーが正門前に停められている事に若干驚いてしまう。

 

「大きい車だね」

 

「そうだな、和製ハマーって呼ばれてるくらいだからな」

 

「わ、和製ハマーですか……?」

 

 少女達にその手の知識は無いのか、用意された車を見て「ただ大きい車」という印象しか無かったようだった。しかし、3人で向かうと連絡しておいたはずだが、ここまで大きい車を用意してくれるとは何か意図があるのだろうか。

 

「まぁ良い、行くぞ。 時雨は後部座席、羽黒は助手席にでも乗ってくれ」

 

「わ、分かりました」

 

「うん、分かったよ」

 

 俺達は車に乗り込むと、羽黒に地図を手渡して案内するように頼んだ、距離を考えれば順調に進んで4時間から5時間くらいだろう。少し長い旅になりそうだが、途中で寄りたい場所もあるしのんびり向かうとしよう───。

 

 

 

 

 

「はーい! みなさん集まってくださいー!」

 

 教官からこの子達を任された以上は、私がしっかりとまとめ上げてみせるんだから!と朝は張り切って見せたのだが、保護者の居なくなった駆逐艦の子達はそれこそ自由気ままで私の指示なんて聞いてくれてない。

 

「あたしの指示に従ってくださいぃー!」

 

「……なんだか阿武隈さんってあの子達になめられてない?」

 

 これでもかつて第一水雷戦隊の旗艦を任されていたのだ、特に暁型姉妹とは関りもあったし艦の記憶があればある程度はいう事を聞いてくれても良いとは思うのだけど。

 

「今日こそ教官さんも居ないし競争するっぽい!」

 

「良いわね、負けないわよ!」

 

「それは良い、負けないよ」

 

 ここで1番厄介なのは夕立ちゃんだと思う。あの子の長所ではあると思うのだが、無邪気な性格に周りの子が釣られてしまうのだ。私が慌てているのを見て叢雲ちゃんが大きく溜め息をついているようだった。

 

「なんだか今日の訓練はまとまりが無いね」

 

 後ろから聞きなれない声が聞こえた事で振り返ってみると、そこには川内さんが両手を広げて呆れたような表情でこちらを見ていた。

 

「せ、川内さん!? まだお昼だけど、どうしたのかしら?」

 

 彼女の登場に1番驚いていたのは叢雲ちゃんだった、いつも冷静なこの子が慌てるとは珍しいなと思ったが、少女が艦の時代は『三水戦』の所属だと思ってなんとなく納得してしまった。

 

「んー……、分かんない。 ただ、訓練をサボろうとしてる駆逐艦が見えてなんとなく見に来た」

 

「あ、あんた達!? 訓練をやるわよ!」

 

 元上司に恥ずかしい所を見せまいと、叢雲ちゃんが必死で騒いでいる子達を静めようとしているようだけど、やはり1度遊び始めてしまったこの子達を静めるは大変なのかどうしようかとうろたえているようだった。

 

「あはは、やっぱり私じゃ無く神通や那珂も呼んできた方が良いかな?」

 

「……っぽい?」

 

 川内さんの言葉に夕立ちゃんが凍ったかのように動きを止めてしまった。

 

「そ、それはダメっぽい! 雷も響も真面目に訓練するっぽい!」

 

 夕立ちゃんは叢雲ちゃんと同じように騒いでいる子達を静めようとしたが、自ら付けた子供心という火はそう簡単に消えそうにはなかった。

 

「あの……どうしてダメなのでしょうか……?」

 

「きゃはっ♪ やっぱり駆逐艦の子達は元気が良いねぇ!」

 

 川内さんと同じ衣装に身を包んだ2人の女性が対照的な表情で駆逐艦の子達に声をかけている。彼女達の姉妹は新しい教官とは関りを持たないと言っていたはずだが、どういった心境の変化だろうか?

 

「あれ? 教官は居ないの?」

 

「はい、今日は佐世保に見学に向かうと言ってましたので帰ってくるのは早くても明け方くらいになると思います」

 

 川内さんはキョロキョロと辺りを見渡してたが、教官が居ない事を知ってからはつまらなさそうな顔をしていた。

 

「姉さんから話くらいはしても大丈夫だと聞いて来たのですが、残念です……」

 

「那珂ちゃんは別にどっちでも良かったんだけどねー」

 

 彼女達の登場に叢雲ちゃんと夕立ちゃんは完全に怯えてしまっているようだったが、そんな姿は気にも留めず「教官が居ないなら帰る?」と3人で相談し始めてしまった。

 

「それが良いわよ、私達も訓練で忙しいし?」

 

「ま、まずは航行をしてから昨日と同じく陣形の練習するっぽい!」

 

「あなた達何をそんなに慌ててるの? レディーは何があっても冷静で居るのが大切なのよ!」

 

 叢雲ちゃんと夕立ちゃんのは必死に暁ちゃんを黙らせようとしているが、それに止めを刺すように響ちゃんが決定打を放ってしまった。

 

「川内さん達にも訓練を見てもらえば良いんじゃないかな」

 

「「それだけはダメ!」っぽい」

 

 2人の必死な抵抗も虚しく川内さんの「どうせ暇だから良いよ」という言葉で、今日の訓練は彼女達の指導の下で行う事になってしまった。燃料の問題があったため、私達軽巡は訓練を4回に分け、担当された時間だけ面倒を見る事にした。

 

「じゃあ私は1番最後って事で、どうも明るいとやる気が出ないし」

 

「那珂ちゃんは川内お姉ちゃんの前にするね、1番疲れている頃だろうしみんなを元気にしてあげなくっちゃ!」

 

「それでは私は那珂ちゃんの前にさせてもらいます、まずは阿武隈さんの訓練の様子を見て訓練内容を決めたいので……」

 

 話し合いの結果、最初は私、次に神通さん、那珂さん、川内さんの順番で訓練を行う事になった。

 

「それではみなさん、訓練を開始しますよー!」

 

「分かったわ!」

 

「がんばるのです!」

 

「ぽいぃ……」

 

 元気な暁型の子達とは裏腹に、夕立ちゃんのテンションがかなり酷い事になってしまっている。何が彼女をここまで怯えさせているのだろうか?

 

「じゃあ私は昨日と同じく走ってくるわね?」

 

「それなら私も付き合うよ、見てるだけってのも暇だしね」

 

 その場を逃げるように叢雲ちゃんはジョギングへと向かおうとしたが、その後ろ姿を川内さんが止めた。こちらを向いた少女の表情はこの世の終わりかと思わせるような悲痛な表情だった。

 

 結果だけを言ってしまえば、私の訓練はいつも通りだったと思う。航行や陣形の切り替えも上達してきているようだし、夕立ちゃんも無駄な会話も無く集中できているようで良かったと思う。

 

「あの……、阿武隈さん。 砲撃は認められて居ないのですか……?」

 

「はい、資材の消費は抑えるようにと指示が出ていますので」

 

 私の言葉に何やら考え事をしているようだったが、桟橋に置かれている小型のフロートを見つけて何か閃いたようだった。

 

「みなさん真面目に頑張っているようなので、少し遊びを交えた訓練を行ってみたいと思いますが良いですか?」

 

 神通さんはフロートを持ち上げてみたり、軽く叩いて強度を確認したりした結果、笑顔で訓練の内容は大丈夫かと私に確認をしてくる。今日は教官も居ないし少しくらいなら大丈夫だろうと私も彼女の提案に賛成した。それから私は神通さんの背中を見送る。

 

(目が笑ってなかったような気がするけど……、大丈夫かな)

 

「それではみなさん、次は私と一緒に訓練をしましょう」

 

「良いわよ! この雷様の実力に驚かないようにね!」

 

 無線から聞こえてくる優しそうな声に、先ほど思ったことは気のせいだった安心する。それよりも、私も旗艦としてあの子達の面倒を見ていくのであれば少しでも他の子達の指導を学ばなければと思って訓練の様子を見守る。

 

「少し距離を開けて、互いに近づきながらこのフロートを相手にぶつけるという感じでいきましょう、別に避けても良いですし受け止めても大丈夫です」

 

「なんだか楽しそうなのです!」

 

 少し変わった訓練をするなと思ったが、動きを想像すると嫌な汗が出てきた。神通さんの行動が『二水戦』として活躍した艦の記憶を基づいているのであれば、この訓練はとても恐ろしい訓練になるような気がしてきた。

 

「それでは、初めに雷さんの実力を見せてもらいます、フロートは交互にぶつける事にしましょう」

 

 そう言って神通さんは雷ちゃんにフロートを手渡している。

 

「分かったわ! 顔は狙わないであげるからちゃんと避けるのよ?」

 

 そこから彼女達は50メートル程距離をあけ、神通さんの手を上げる合図で互いに相手に向かって真っすぐ進む。残り10メートル程となった距離で雷ちゃんがフロートを神通さんに投げつけたが、神通さんは簡単にそれを受け止める。

 

「あら、思ったよりやるのね!」

 

「お上手なのです!」

 

「すごいね、かなり速度も出ていたと思うのに」

 

「暁だってそれくらい余裕なんだからね!」

 

 フロートを受け止めた神通さんを暁型の子達が一斉に褒めている。神通さんの表情はここからは良く見えないけど、恐らくは顔を真っ赤にして照れているのだろう。

 

「それでは次は私の番ですね」

 

「良いわよ! 私も受け止めてやるんだから!」

 

 先ほどと同じように2人が距離を開けると、ゆっくりと神通さんが手を上げたのが見えた。そこから再び互いに近づいていく。

 

「さ、避けないとぶつかるわよ!?」

 

 10メートルを切った辺りで雷ちゃんの慌てる声が聞こえてくる。そこで私の予感は当たってしまったのだと確信した。残り5メートルを切ったと思われる距離でも神通さんはフロートを投げない。雷ちゃんは回避行動を取ろうと慌てて舵を切る。

 

 残り3メートル、互いに手を伸ばせば触れ合いそうな距離で雷ちゃんはどうにか神通さんと進路を逸らして衝突を避ける。しかし追いかけるように進路を変更した神通さんは雷ちゃんのお腹目掛けて思いっきりフロートを『叩きつけた』。

 

「きゃぁぁぁ!?」

 

 そのままバランスを崩した雷ちゃんが大きな飛沫を立てて海面へと突っ込んでいった。顔から行ったようだけど、大丈夫なのだろうか。

 

「さぁ、立ち上がってください。 今は装備していませんが、これは私達のような非力な艦が『魚雷』を確実に当てるための訓練です、まずは遊びながらでも良いので楽しく頑張りましょう」

 

 先ほどの光景を見た他の子達は全員顔を真っ青にしているのだと簡単に想像できる。いかにフロートが軽いとは言えあの速度で叩きつけられればかなり痛みを伴うだろうし、海面に叩きつけられる痛みも想像したくはない。

 

「1人最低3回、その後は私に浮きをぶつける事のできた人から休憩にしましょう」

 

 結局訓練は1度も神通さんにフロートをぶつける事はできず、全員が何度も海面に叩きつけられるという悲惨な結果になった。

 

「次は那珂ちゃんだよー! どうしたのみんな?元気が無いぞー?」

 

「も、もう動けないわよ……」

 

「これ以上はムリっぽいぃ……」

 

「あわわ、こっちに吐かないで欲しいのです!」

 

 なんというか、とてもじゃないがこれ以上訓練を行える状況では無いと思う。暁ちゃんに至っては完全にまずい状態になっている。

 

「お洋服もびしょびしょだし、那珂ちゃんの訓練は休憩もかねてお散歩にしましょー!」

 

「ス、スパシーバ……。 助かったよ」

 

「確かに服が濡れて気持ち悪いのです……」

 

 そう言って響ちゃんと電ちゃんが桟橋に上がって艤装を外そうとするが、那珂さんはそれをダメだと言って止めた。

 

「艤装はそのままで! 今外しちゃうと次に付けた時にもっと辛くなっちゃうんだからね!」

 

 確かに極度の疲労状態にあると、1度座ってしまえば立ち上がれなくなるという言葉は聞いたことがある気もするけど、陸上で艤装をつけたまま散歩となるとかなりの重労働になってしまうような気がする。

 

「ま、まさにレディーの鏡ね……」

 

 痛みと疲労で正しく現状を理解できていないのか、駆逐艦の子達は那珂さんの指示に従って艤装を装備したまま桟橋へと上がってくる。神通さんの訓練が鞭だとしたら、那珂さんの訓練は飴なのだと錯覚するような内容だけど、それは間違いなく勘違いだと思う。

 

「じゃあ出発しまーす! みんなは那珂ちゃんの掛け声に続いてねー!」

 

「はいなのです!」

 

 私も彼女達の後ろについて歩き始める。はじめは緩やかに「イチ、ニ」と声を出しながら歩いていたのだが、徐々にそのペースが速くなっているような気がする。

 

「な、那珂ちゃんに聞きたいのだけど、いつまで走るっぽい……?」

 

「んー……! お洋服が乾くまでで!」

 

 その言葉を聞いて駆逐艦の子達が驚愕の表情を浮かべる。確かに服を乾かすために陸上に上がると言ったが、全身びしょ濡れとなった服がそう簡単に乾くはずがない。つまりは、この訓練は次の川内さんが担当する時間まで休憩が無いと宣言したようなものだった───。




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姉妹に会いに & すいらいせんたい?(2)

目が覚めたら目の前に不思議な生き物が居た。

お饅頭みたいな顔をして、大きさは僕の手の平くらいの大きさ。

まだ夢を見ているのかと思ったのだけど、自分の頬をつねるとちゃんと痛みを感じた。

一体この子は何なのだろう?

なんとなく頭を撫でてやると嬉しそうにはしゃいでいる。

そっと手の平に乗せてみると、とても懐かしい感覚がした。

まるでこの子達が僕の一部だったかのような。

ふと時計を見ると湊教官との約束の時間が迫っていた。

悪いけど僕はもう行くね、帰ってきたら湊教官にも相談してみよう。


「時雨、羽黒。 いい加減起きろ」

 

 基地の散策を終え車に戻ると完全に眠ってしまっていた2人に声をかける。想像以上に面白い物が多くつい時間をかけすぎてしまった。

 

「……おはよう」

 

「おはようございま……、ご、ごめんなさいっ!」

 

 時雨はまだ眠そうに目をこすっていたが、羽黒は眠ってしまっていた事を恥じているのか必死でこちらに頭を下げてくる。出会った時からそうだが、この子はいつも謝っているような気がする。

 

「準備ができたら挨拶に行くぞ、俺はちょっと着替えるから後ろを見ないようにしておいてくれ」

 

 俺は後ろのドアをあけてスーツケースを取り出す。正直この服を着ると本当に自分は陸軍では無くなってしまったと認めてしまうようで抵抗があったのだが、流石に他の基地で今まで通り作業着で居るというのはまずいと思い用意をしておいた。

 

「へぇ、そんな服持ってたんだ」

 

「後ろを見るなって言っただろ」

 

 作業着を脱ぎ終えて、白い軍服に袖を通している最中に時雨がこちらを覗き込んできた。今更見られても問題は無いのだが、正直に言うとこの服装は妙に恥ずかしい。襟は異常に硬くサイズは合っているはずなのだが、身体のあちこちが拘束されているような感覚になる。

 

「羽黒ももう良いぞ」

 

 最後に手袋をつけて帽子を取り出す。着替えている最中に時雨が色々と口を出していたせいで気になっていたのか、羽黒は恐る恐るこちらに顔を向けるとそのまま固まってしまった。

 

「どうした? 何処かおかしい所でもあったか?」

 

「な、なんでもありません!」

 

 何故か羽黒は顔を真っ赤にしてそれ以上こちらを見てくることは無かった。そんな彼女を見て時雨が「湊教官に見惚れてしまったのかな?」とか言ってからかっているようだった。

 

「問題ないとは思うが、2人にはいくつか守って欲しい約束がある」

 

『許可無く発言をしない』『何かあっても指示があるまで動くな』この2つを守れるなら俺についてきても良いと告げると、彼女達は黙って頷いてくれた。この約束が無駄になれば良いと思うが、念には念を入れた方が良いだろう。

 

「帽子は被らないの?」

 

「あぁ、相手の気分を逆なでするかもしれないからな。 そろそろ行くぞ」

 

 俺の言葉に2人は車から降りると、黙って並ぶように俺の後ろをついてくる。少し歩くとこの基地の秘書官をやっているのか、1人の女性が俺達を出迎えてくれた。

 

「ようこそ佐世保へ、提督は指令室で待っておられますのでご案内いたします」

 

「……よろしく頼む」

 

 女性は笑顔で出迎えてくれているようだが、一瞬だけ俺達の姿や表情を伺ったのを見逃さない。どうやらこの服は無駄にはならなかったようだ。

 

「よく来てくれました、鹿屋からわざわざ来ていただけるとは光栄ですね」

 

「こちらこそ、急なお願いを受け入れてくださり感謝します」

 

 指令室に着くと、同じく白い衣装を身にまとった男と挨拶を済ませて、軽く握手を行う。てっきり爺くらいの年齢だと予想していたが、恐らくは俺よりもいくつか下だと思う。

 

「後ろの2名は湊少佐の艦娘ですか?」

 

「はい、『重巡洋艦の羽黒』と『駆逐艦の時雨』です」

 

 彼女達は俺の指示に従ってくれているのか、黙ったまま軽く頭を下げて挨拶を行った。佐世保の提督は彼女達の艦名に興味を示したらしく「どちらも素晴らしい武勲艦です、教育も行き届いていて大変素晴らしい」と絶賛していた。

 

「お褒めの言葉として有難く頂戴します、急かす様で申し訳ありませんが日本で唯一艦娘との共同作戦で戦果をあげたと評判高い佐世保の戦い方というのを拝見させていただけないでしょうか?」

 

 俺は別に雑談をしに来た訳でも彼女達を見世物にしたい訳でも無い。それ以上にこの若さでこの地位に立っているこの男が何一つ信用できない。男の立ち振る舞いを見る限り現場上がりではないことは分かった、そうであれば余程頭が切れるのか狡猾さを備えているのかどちらかだろう。

 

「分かりました、君。 戦闘時の映像を再生してくれ」

 

 男は秘書官に指示を出して無駄に出かいモニターに戦闘記録と思われる映像を再生し始めた。映し出された映像には金剛姉妹とは違う巫女服のような衣装に包まれた艦娘が映った。

 

「……っ!」

 

 後ろから時雨の声が一瞬聞こえたが、俺との約束通り沈黙を続けてくれているようだ。映像を見ていて大きな違和感を感じる。

 

「艦娘の艦隊は6名だと聞いていましたが、単艦での出撃なのでしょうか?」

 

「はい、彼女達には基本単艦での『囮』として活躍してもらっていますので」

 

 囮という単語から、自分なりに作戦の内容を想像する。恐らくは1人で敵を引き付け待機している別部隊で殲滅を行うつもりなのだろうか、しかしそれでも1度も砲撃を行わない画面の向こうの艦娘に違和感を感じ続ける。

 

「どうして砲撃を行わない、とでも言いたそうな表情ですね」

 

 あまり表情には出さないようにしていたのだが、考えを読まれてしまったらしい。仕方が無く相手のペースに合わせるために頷いておく。

 

「あの艦娘の名前は『山城』、戦艦に分類され駆逐艦や軽巡洋艦と比較すると装甲も高い。 しかし問題としてあの艦娘は砲撃ができないのです」

 

「それは何故……?」

 

 資料には砲撃が行えない艦娘は空母や潜水艦と言った艦の時代に主砲や副砲を装備できない艦種という記録はあったが、その一覧に戦艦の文字は無かったと記憶する。

 

「一種の欠陥なのでしょうか? 以前は砲撃を行う事もできていましたが、ここ最近は航行を行うのがやっとと言う状態になりました」

 

 山城はイ級と名付けられた深海棲艦の砲撃を浴びながらも直進すると、丁度敵の陣形を抜けた辺りで大きくUターンを行った。そして今度は逃げるようにして来た方角へと走り出した。

 

「攻撃性能も不安定、指示も聞かない、人間のように体調不良にもなる。 そんな欠陥兵器を最大限活かした作戦です、どうぞご覧ください」

 

 男は自信ありげな表情で手を広げて画面を良く見ているようにとこちらに言い放ってきた、正直その動作に若干の苛立ちを感じたが客として来ている以上は我慢するしかない。

 先ほどと同じくイ級からの砲撃を背中に受けているようだったが、山城と呼ばれた女性は突然しゃがみ込むと自らを守る様にして蹲った。

 

「なっ……!?」

 

 次の瞬間画面に映ったのはかなりの数の戦闘機による絨毯爆撃だった。恐らくは陸地からも砲撃が行われているようだったが、モニターは一気に黒煙で覆いつくされてしまった。

 

「これが私の考案した作戦です、どうやら深海棲艦は艦娘を優先的に狙う傾向があることが分かり、その弱点を突いた非常に合理的な作戦と言えるでしょう」

 

「……彼女はどうなったのですか?」

 

「彼女? あぁ、山城の事ですか、大丈夫ですよ。 艦娘は轟沈さえしなければ入渠を行わせれば何度でも再利用できます。 この欠陥兵器の唯一の取柄とでも言える事でしょうか」

 

 画面を見ていると、半分以上沈みかけた山城を数人の艦娘達が救助に向かっているようだった。恐らくは1度で沈んでしまう駆逐艦や軽巡よりも、使いまわしが効く戦艦である彼女が使われてしまっているのだろう。

 

「誤解をされているようなので付け加えておきますが、この作戦の参加希望は山城が自ら行った事です。 他の艦娘を使うくらいなら私を使えと主張していましたからね」

 

 恐らくこの男は分かってやっているのだろう。つまりは彼女の仲間意識の強さを利用して無理やりいう事を聞かせているのだ。彼女達を欠陥だと罵る人間が多い事は理解しているが、それでも元々人間だという事もあり最後の一線を越える人間は居ない。

 

「湊少佐も、もうすぐ護衛作戦を控えていましたね。 戦果をお譲り頂ければこちらから航空機をお貸ししますが?」

 

「そこは大丈夫です、自分は元々こちらの繋がりがありますので」

 

 俺は手に持っていた帽子を被ると、額の少し上にあるマークを指差す。そこには錨では無く、桜が描かれた紋章が貼り付けられている。爺が海軍への嫌味のために作らせたのだろうが、それでも使える物は何でも使ってやる。

 

「ふむ、陸の方でしたか。 これは失礼」

 

「機密の関係で多くは語れませんが、共同任務中なのだと察して頂けると助かります」

 

 所属が海軍となっている以上は特に問題は無いのだが、男が勝手に俺が陸軍の所属だと勘違いしてくれるのなら好都合だ。これからのやり取りは基地間だけではなく、陸軍と海軍との間の亀裂を大きくする恐れがあると思えば言動や行動を制限できるだろう。

 

「時雨、羽黒。 悪いが部屋の外で待っていてくれないか? 少し『大切』な話があるからな」

 

 俺の言葉に2人は素直に指令室から出て行ってくれた。なるべく無表情にと心がけてくれているようだったが、表情や仕草を察するになるべく早くフォローをしておいた方が良いだろう。

 

「できれば、そちらの秘書官も外していただけると助かるのですが?」

 

「……分かりました。 おい、貴様も外で待っていろ」

 

 若くしてその地位に立っているせいなのか、やはりこういったやり取りに対して理解がある事が確認できた。この男は自分の利益になるためであれば手を汚すことすら問わないのだろう。

 

「心中察して頂き感謝します。 そこで相談なのですが……」

 

「おっと、失礼。 これから楽しい談笑を行うのであれば場を盛り上げるためにも音楽でもお聞きになると良いでしょう」

 

 男はそういってモニターの横にある機械を操作すると、どこかで聴いたことのある洋楽が室内に鳴り始める。音量を調整すると男は「上官である我らの談笑など外には聞かせられませんからね」と薄汚い笑みを浮かべてきた。

 

「護衛任務について知っているのであればお話が早い、一時的にでも良いのでこちらの基地にそちらの艦娘を転籍させてもらえないでしょうか?」

 

「ふむ、それはどういった意図で?」

 

「こちらとしても捨て駒は多い方が望ましい、戦力としては陸軍から調達しますので問題はありませんが、今回の作戦に佐世保からの協力があったとあればあなたも陸からの援助を受けやすくなると思います」

 

 正直この話はかなり厳しい物がある。しかし、現在の海軍は他国に勢力を伸ばしている以上財政的にかなり厳しい事は把握している。これが呉や横須賀のような大規模な基地であれば交渉にすらならなかったはずだが、ブインやショートランドに戦力を割いた佐世保なら試してみる価値はある。

 

「なるほど、今後援助を行うという確証を頂けると決断は容易なのですが」

 

「手始めに今回の護衛任務で報酬として与えられる資材でどうでしょうか? その範囲であれば私の判断で行えるのでここで一筆認める事も可能です」

 

 流石に一筋縄では行かないようで、間違いなく自分に利益があると判断できるまでは容易に頷かないだろう。しかし、ここで資材を佐世保に移すという誓約書を書けると提案した事で少しは信用を得る事ができたと思う。

 

「先ほどの作戦、イ級3隻にかなりの火器を使用したように思えます、察するに資材の消費も激しいのでは?」

 

「……なるほど、共同任務を任されるだけあってなかなか鋭い所を突いてきますね」

 

 相手がかつて日本軍が対峙した艦であれば現在の兵器で容易に沈める事ができるだろう。だが、化物共は人と差ほど大きさが変わらないのだ、そうなれば航空爆撃で攻撃するには針に糸を通す程の精度が要求される。だからこそ面で狙える絨毯爆撃を行う必要がある。

 

「どうでしょうか? 私は作戦の成功をより確実に近づける事ができる、あなたは資材を得る事ができる。 悪い話では無いと思いますが?」

 

「分かりました、その代わりこの場で誓約書を書いて頂きます。 艦娘を貸し出す期間はどの程度で?」

 

「その前に1つ教えて頂きたいのですが、艦娘の修理に関してはどれくらいかかる物なのでしょうか?」

 

 ここまで話が進んでしまえば後一歩だった。最後に乗り越えるべき壁はこの『期間』という物をどれだけ誤魔化せるかだった。

 

「破損状況にもよりますが、長くて1、2日程度でしょうか」

 

「佐世保の艦娘の数にもよりますが、破損した部分はこちらで修理させてもらいます。 お恥ずかしい事ですが鹿屋にはドックが少なく複数破損してしまえばどれほど修理に時間がかかるか分かりません。 そこで、艦娘の修理が完全に終わるまでというのはどうでしょうか?」

 

「そこまでして頂けるのは感謝します。 分かりました、それでは期間は貸し出した艦娘の修理が完全に行われたらと記載しましょう」

 

 俺は今回の任務で得られる資材を佐世保に譲渡するという誓約書を書き終えると、男の書いた誓約書を受け取る。念のため内容を確認すると、明日より佐世保に居る全ての艦娘を鹿屋へと転籍させる、期間は艦娘の修理が完全に終わるまでと書かれていた。

 

「ありがとうございます、これからも良い関係である事を願っていますよ」

 

「こちらこそ、何かあればまたお声をおかけください」

 

 俺は再び男と握手を交わして指令室の扉に向かい歩く。この手のやり取りに手慣れている以上は叩けばいくらでも埃が出てくるだろう。そんな事を考えていると唐突に男から話しかけられる。

 

「1つよろしいですか?」

 

「……何でしょうか?」

 

 終わったと思って安心してしまったタイミングだったため、必死で表情にはでないように心がける。

 

「艦娘の輸送はこちらにお任せを、それくらいはうちが面倒を見ましょう」

 

「なるほど、そうして頂けるとこちらも上司に連絡をする必要が無く助かります。 しかし、囮としての立ち回りを羽黒や時雨に聞かせてやりたいので、山城はこちらで連れて帰らせてもらいます。 可能であれば妙高型も連れて帰りたいのですが……」

 

「良い心がけだと思います、作戦決行までそう日は無いはずですからね。 山城と妙高、那智、足柄は連れて帰ってもらって構いません」

 

 男は最後まで薄汚い笑みを浮かべながら「互いに利益が出る事を願ってます」なんて言っていた。残念ながらそう思っているのはお前だけなんだけどな、と高らかに笑ってやりたくもなったがこちらもそれに合わせて薄汚い笑みを浮かべておいてやった。

 

「時雨、羽黒。 帰るぞ」

 

 執務室から出ると2人に声をかけて車へと来た道を戻る。中で何を話していたのか聞きたそうな表情だったが、俺との約束を守ってくれているのだろう。しかし、そんな約束も駐車場についたとたんに簡単に破られてしまった。

 

「山城……!」

 

 時雨は先ほど映像の中でみた女性に駆け寄るとケガは無いのかと心配そうな顔で詰め寄っていた。山城は表情こそ疲労した様子はあったが、時雨との再会が嬉しいのか優しそうな笑みを浮かべている。

 

「結局姉さん達には会えませんでした……」

 

「あら? 相変わらず羽黒は寂しがり屋ですね」

 

 残念そうな表情で俺に話しかけてきた羽黒だったが、後ろから聞こえてきた声に勢いよく振り返る。

 

「久しぶりだな。 元気そうな姿が見れて安心したよ」

 

「さぁ、お姉さんの胸に飛び込んできなさい!」

 

 服装を見る限りこの3人が羽黒の姉妹なのだろう。彼女達は泣き出してしまった羽黒を囲んで頭を撫でてやっているようだが、感動の再会は後にしてボロが出る前にここを離れてしまった方が良いだろう。

 

「悪いが速く車に乗ってくれないかな、ちょっと狭いだろうけどな」

 

 再会を邪魔したからなのか、憎むべき人間と同じ格好をしているからなのか俺は時雨と羽黒以外から睨みつけられる。

 

「狭い? 山城や妙高さん達も車に乗るのかい?」

 

「詳しい話は車の中で話す、6人乗りだから時雨は山城の膝の上にでも座ってくれ」

 

 訳が分からないという時雨や羽黒をそのままに俺達は車に乗り込むと足早に佐世保を後にする。しばらくして俺は「そろそろ良いぞ」と時雨に声をかける。

 

「どうして山城達を連れて帰ってるんだい?」

 

「佐世保の艦娘は全員鹿屋へと転籍になった、つまり俺の部下だな」

 

 俺の言葉を聞いて時雨と羽黒は目を見開いて驚いている。しかし、そんな俺の言葉に反論したのは山城だった。

 

「護衛任務やるんでしょう? その作戦が終わるまでよ……」

 

「あぁ、その件なんだが俺は君達を佐世保に返してやるつもりは無い」

 

「どういう事でしょうか?」

 

 俺達のやり取りに髪の短い女性が口を挟んできた。羽黒の姉なのは確かなのだが名前が分からない。俺が質問に答える前に全員の名前が知りたいと告げると、各自短めの自己紹介をしてくれた。

 

「君達の転籍期間は作戦で負傷した傷が完治するまでだ、佐世保に帰りたいなら無理強いはしないが、そうじゃ無ければ作戦の途中で適当に艤装に傷でもつけて置けば良いだろう」

 

 これは転籍の期日を明確に記載しなかったあの男のミスだ、こちらとしても資材を全て譲渡する以上タダとはいかなかったが、多くの艦娘を鹿屋へと引き入れる事ができた。

 

「時雨、この人どこかおかしいんじゃないの?」

 

「うん、流石に僕もまずいと思う」

 

「貴様、そのような事をして問題にならないとでも思ったのか?」

 

 確かに詐欺紛いの行為を行っている以上問題になる可能性はあるが、それはあの男を叩いて埃が出てこなかった場合だ。いきなり身なりを確認してきた秘書官、交渉事に妙に手慣れたあの態度、決定打は基地を見て回っていた時に見つけた弾薬だった。

 

「5.9×43mmDBP78この言葉の意味が分かる奴は居るか?」

 

 俺の質問に答えられる子は一人もいなかった、俺も返答が無い事を知っていて試しているのだから仕方がないとは思っている。

 

「簡単に言うと、銃弾のサイズなんだがこのサイズの銃弾は日本じゃ作られていないんだ。それがどういう訳か佐世保の基地に山積みにされてた」

 

「どういう事だ?」

 

 那智と名乗った女性は俺の言葉の意味が分からないのか、若干苛立ちを帯びた声色で質問を返してくる。

 

「これは今日本と関係が悪くなってきてる国の弾薬なんだ、そんな物が軍の基地にある。 そしてあの年齢であの地位まで上り詰めたあの男、ちょっと怪しすぎるよな?」

 

 他国とのいざこざに参加してきた俺としては兵器の輸入や輸出が再開されたなんて情報は聞いた事は無い。もしかしたら深海棲艦が現れる前に入手した物の可能性はあるが、それにしては封が新しすぎた。

 

「海軍も人材不足とは言え、某国と繋がりのある人間を提督にしたままにはしないだろうな。 そうなるとアイツは良くて僻地へ移動、最悪機密を漏らしたとか発覚したら牢屋入りだろうな」

 

 そうなる前に彼女達を鹿屋へと転籍させるように手を打った。多少問題になろうと彼女達を鹿屋に残す手段もあるし、予想通りに事が運べば欠陥兵器と呼ばれている彼女達を快く引き受けようなんて物好きも居ないだろう。

 

「しばらくアイツの顔を見ないで良いと思ったのに頭のおかしな人に拾われるなんて……、不幸だわ……」

 

 彼女達の進むべき未来になるかと期待していた情報は得る事ができなかった。しかし、嬉しそうに雑談をしている時雨や羽黒の表情を見て成果は十分だったと言えるだろう。後は護衛作戦を成功させる方法を考えよう、暗い夜道を走りながら俺はそんな事を考えていた───。




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姉妹に会いに & すいらいせんたい?(3)

こんなに楽しそうなお姉さまを見たのはいつ振りだろう?

なんだか私まで楽しくなってきた。

妹達も見慣れぬ商品を見てとても楽しそうにしている。

やはりお姉さまはあの人の事を本気で……?

いえ、そんな事は認めません!

私は両拳を握りしめて気合を入れなおす。

あの人には恋も戦いも負けません!

いや、別にあの人の事を嫌いな訳でも無いのですが。

もしかして、本当にもしかしてですが、あの人とお姉さまがご結婚なさると私は妹に……?

どうして自分がそんな考えになってしまったのかは分からないが、遠くからお姉さま達が私を呼ぶ声が聞こえる。

ひえー! 置いていかないでくださいよー!


「……大丈夫?」

 

「あぁ……」

 

 俺は途中で車を止めて車外に出ると、ガードレールに腰かけて煙草の煙を吸い込む。流石に睡眠不足で長距離運転を行うというのは肉体的にも精神的にも厳しい物がある。そんな俺の事を時雨は心配してくれているようだったが、副流煙を吸わせたくないから外に出た事くらい察して欲しい。

 

「湊教官の煙草ってすごく甘い匂いがするね」

 

「あぁ……」

 

「どこかで嗅いだ事があると思うのですが、どうにも思い出せませんね」

 

 俺が視線を向けると、妙高が車から降りてきたようだった。彼女は俺の近くまで歩み寄ると、深々と頭を下げてきた。

 

「……なんだ?」

 

「羽黒の事でお礼を申し上げておいた方が良いと思いまして。 あの子の手紙にはいつも辛いと弱音が書かれていましたが、あのような元気な姿で居られるのはあなたのおかげなのでしょう」

 

 以前は艦娘同士の手紙のやり取りは認められていたそうだが、佐世保の提督があの男に代わってから機密漏洩の観点から外部との連絡は禁止になったらしい。どうにか羽黒にその事を伝えようと努力はしてみたらしいのだが、上手くは行かず姉妹3人はずっと妹の事を心配していたそうだ。

 

「礼を言われるような事はしていない、俺はただ俺がやりたい事をやってるだけだからな」

 

「面白い方ですね、この先どうなるかは分かりませんが妙高型はあなたの元で共に戦うと約束します」

 

 どうもこの手の真面目なタイプは苦手だった。嫌いと言う訳じゃないが、単純にどう接して良いのか悩んでしまう。

 

「こちらこそよろしく頼むよ。 休憩もできたしそろそろ出発しようか」

 

 俺は煙草の火を消すと携帯灰皿に吸い殻を押し込んで車に乗り込む。今が丁度半分くらいだと思うし、後2時間もあれば基地に戻れるだろうか。戻ったらまずは今日の事をまとめて爺に報告しないとな───。

 

 

 

 

 

「も、もうダメっぽい……、最後にもう1度カレーが食べたかったっぽいぃ……」

 

「もうレディーだなんて我儘言わないから許して……下さい……」

 

「電、あなたと一緒に戦えて幸せだったわ……」

 

「雷ちゃん、死んじゃだめなのです……」

 

「不死鳥も……ここまでのようだね」

 

 那珂さんの散歩は最終的には緩急をつけながら走ったり歩いたりとかなり厳しい物になってしまっていた。すっかり陽も沈んでしまい、昼からずっと訓練をし続けている駆逐艦の子達は完全にダウンしてしまっている。

 

「もぉー! アイドルは体力が命なんだからね! こんな事でくじけちゃ立派なアイドルになれないよー!」

 

「あたし的にはこの子達はアイドルを目指してる訳じゃ無いかなぁって……」

 

 艤装をつけていない私でもかなり身体がだるく感じてしまっているのだが、この子達と同じく艤装を背負った那珂さんはまだまだいけるとでも言うかのように座り込んだ駆逐艦の子達の周りをグルグルと回っていた。

 

(二水戦も四水戦も厳しかったんだなぁ……)

 

 私が艦として所属していた一水戦は彼女達程目立った出撃は無かったし、出撃というよりは周りの士気を上げるために戦場に居るという事が多かった。しかし、神通さんや那珂さんの所属していた二水戦、四水戦は完全なる実働部隊だった。

 

(世界最強の水雷戦隊かぁ……)

 

 そして次の訓練を行うのは数々の夜戦を繰り広げた三水戦の川内さんだ、流石にこれ以上厳しい訓練を行うようであれば、止めに入った方が良いと思う。

 

「あらら、神通と那珂に絞られちゃったみたいだね」

 

 そんな事を考えていると、噂の川内さんが叢雲ちゃんを担いで帰ってきたようだった。担がれた少女は暁ちゃん達と同じく完全にダウンしてしまっているようで、スカートがめくれ上がっているのも気にせずただ息を荒くしていた。

 

「あ、阿武隈さんこれ以上は無理っぽい……、助けて欲しいっぽい……」

 

 夕立ちゃんがの発言に、他の子も私に期待の眼差しをぶつけてくる。なんだかほんの少しだけ普段は馬鹿にされているような気もしているけど、今こそ旗艦としてこの子達に良い恰好を見せて置いた方が良いのだろうか。

 

「ちょっと叢雲を入渠させてくるから戻ってきたら次の訓練を始めよっか。 全員桟橋に移動しておいて」

 

「あの……、これ以上の訓練は流石にNGかなぁって……」

 

 この子達にこれ以上無理をさせないようにと進言したつもりなのだが、川内さんは笑顔で私の肩を叩くと「大丈夫だから」と言って叢雲ちゃんを担いだまま入渠施設へと歩いて行ってしまった。

 

「……みんな、ごめんね」

 

 私はやるべきことはやったのだ、だからみんなも諦めて。そんな事を胸の中で考えながら私も神通さんや那珂さんと並んで桟橋へと移動する。

 

「やっぱり夜は良いね……」

 

 戻ってきた川内さんは駆逐艦の子達を並んで座らせると、真っ暗な海を眺めながらつぶやいた。一体これからどのような過酷な訓練が行われるのかと見ている私が緊張してくる。

 

「それじゃあ、私の訓練は『今日の訓練の感想を言い合う』にしようと思う」

 

「そ、そんな事で良いの……?」

 

「てっきり夜の海に突き落とされると思ったのです!」

 

「きっと腕立てとかしながら言わされるっぽい!」

 

 軽くトラウマになってしまっているのか、反省会をしようという川内さんの言葉をこの子達は一切信用していないようだった。

 

「本当は私も神通や那珂みたいに指導してあげられると良いんだけど、実は艦の頃の記憶があんまり無くてね、どんな事をしていたか思い出せないんだ」

 

 川内さんの言葉に全員が複雑そうな表情をしている、私達は艦娘になった事でそれまでの私達の事をよく覚えていない。しかし、艦としての莫大な記憶がそれを補ってくれている事でなんとか日常生活を送ることができている。

 

「心配しなくても良いよ、私はそんなに気にしてないからね。 それじゃあ暁から順番に行こうか」

 

「辛かったって一言じゃダメなのよね、なんというかレディーとして情けないと思った。 神通さんにボコボコにされて、那珂さんに良いようにされて……」

 

 暁ちゃんは膝を抱えたまま素直な感想を話し始めた。私も川内さんも、周りの駆逐艦の子達も黙ってその言葉を受け止める。

 

「私は響や雷、電のお姉さんなのに、何度も支えてもらって励まされたもの……。 本当なら私が妹達をちゃんと引っ張ってあげないとって思ってるのに……」

 

 話している途中で暁ちゃんの瞳から涙が零れるのが見えた。訓練が辛かった事よりも、妹達に情けない姿を見せたことが苦しかったらしい。

 

「次は響の番だよ」

 

「私は周りよりも上手く動けるって自信があったんだ、阿武隈さんとの訓練でも暁達より速く航行できるって思っていたし、体力もこの中だとある方だと自覚していた」

 

 響ちゃんはどこか寂しそうな表情のまま海を眺めて話している。確かに今までの訓練を見る限り、他の子達よりも才能はある事は分かっていた。

 

「でもそれはただ自分勝手で良い気になって居ただけなんだね。 神通さんや那珂さんを見て自分はまだまだだって思い知らされたよ」

 

 上には上が居る、この事を理解する事はとても大切だと思う。だからこそ目標ができるし、どんな自分になりたいか考える事ができるんだと思う。

 

「次は雷ね」

 

「私も悔しいと思ったわね。 私に頼ってなんていい気になってたって反省してるわよ」

 

 確かに雷ちゃんは普段から暁型のみんなを引っ張ろうとしている所がある、そのたびに暁ちゃんと喧嘩になっているのは何度か見たことがある。

 

「そう思った理由なんだけど、暁を見てたらすごいって思った。 神通さんの訓練で1番最後まで頑張ってたのは暁だったものね……。 いつも頼りないって思ってたけど、すごくかっこいいって思った」

 

 神通さんの訓練で暁ちゃんは『もう1度』と言って何度か連続で彼女に挑んでいたのは私から見てもすごいと思った、その結果情けない姿となってしまっていたが暁ちゃんが他の子と比べて1番疲労してしまっているのはそのせいだろう。

 

「電の番だよ」

 

「私は自分が恥ずかしかったのです……」

 

 一言だけ呟いて泣き出してしまった電ちゃんを暁ちゃんと雷ちゃんが寄り添って頭を撫でていた。

 

「今もそうなのです、みんな辛いはずなのに私に優しくしてくれてるのです……。 訓練の時も何度も助けてくれて、もっと強くなりたいのです……」

 

 なんだか私の涙腺まで緩んでしまいそうな光景に、私は夜空を見上げて我慢する。私にも姉妹は居るのだけどこんな風に支えあっている姉妹を見ると羨ましくなってきた。

 

「最後は夕立かな」

 

「私はもっと周りの子を見てあげられたらって思ったっぽい……」

 

 夕立ちゃんの言葉に私は驚いてしまう。どちらかと言うと周りをかき乱している事の方が多いイメージがあったのだが、そんな子が周りを見てあげられたらという言葉を口にしたのだ。

 

「夕立は暁たちより少しお姉さんっぽい、なのに自分が辛いからって自分の事しか考えて無かったっぽい……」

 

 川内さんは全員の話を聞き終えると、ゆっくりと私達水雷戦隊に所属していた艦にとって懐かしい言葉をつぶやき始めた。

 

 一、至誠(しせい)(もと)()かりしか

 

 一、言行(げんこう)(はづ)()かりしか

 

 一、気力(きりょく)(かく)()かりしか

 

 一、努力(どりょく)(うら)()かりしか

 

 一、不精(ぶしょう)(わた)()かりしか

 

「真心に反して無かったか、言行不一致は無かったか、精神力は十分だったか、十分に努力をしたか、最後まで取り組むことができたか。 私の数少ない記憶だけどすごく良い言葉だと思ってる」

 

 五省(ごせい)と呼ばれるこの言葉を、私達が艦の姿だった頃の家族は『水雷魂』として、自分達の信念として大切に心に刻み込んでいたのだろう。私自身は聞いた記憶は無いが、その言葉は深く心に刻み込まれている。

 

「おっと、そろそろ教官も帰ってきたみたいだね。 私達は入渠を済ませて部屋に戻るから迎えに行ってあげなよ」

 

 微かにだが車の走る音が耳に入ってきた。耳を澄ませてようやく聞き取れるほどの音量だったが、やはり川内さんも三水戦をまとめ上げていた艦だったという事を改めて実感させられる。

 

「みなさん、今日はお疲れ様でした……。 かなり厳しい訓練でしたが、最後まで頑張った自分を褒めてあげる事を忘れないでくださいね」

 

「さぁ、訓練も終わったしみんな笑顔、笑顔ー! アイドルは笑顔が命なんだよー?」

 

 私達は川内さん達を見送ると、私達は艤装を外して走って正門へと向かう、実際には訓練で疲弊してしまった身体では歩いているよりも少し早い速度なのだがこの子達は少しでも成長した姿を教官に見せたかったのだろう───。

 

 

 

 

 

 

「着いたぞ、部屋は余っていると思うが、足りない場合は各自姉妹艦の部屋を使ってくれ。 寝具なんかは食堂の裏の倉庫にあったはずだ」

 

 俺はエンジンを切ると、大きく伸びをしてシートにもたれかかる。途中何度か眠りそうになってしまったが、そのたびに山城が俺の耳を引っ張って起こしてくれていた。

 

「まったく、ただ移動してただけなのにすごく疲れた。 不幸だわ……」

 

「その『不幸だ』って口癖なのかい?」

 

 時雨は相変わらず山城に付きまとっているが、彼女と会えた事がそれほどまでに嬉しかったという事なのだろう。俺は全員が降りたことを確認してから車を降りる。

 

「今日は姉妹の再会を祝って飲もうじゃないか」

 

「……この基地に酒の類は一切無いからな?」

 

 今夜ばかりは飲ませてもらおうと騒いでいる那智と足柄だったが、俺の言葉に一気にテンションが下がってしまったようだった。

 

「どなたかこちらに向かって来ているようですが……?」

 

 妙高の指差す方向を見てみると、どうやら阿武隈達が迎えに来てくれているようだった。妙にボロボロな気もするが、何かあったのだろうか?

 

「迎えありがとう、今戻った……うおっ!?」

 

 暁姉妹に夕立の5人に突如タックルでもされたかのように抱き着かれてそのまま地面へと倒されてしまう。

 

「おか……、おかえ゛……り゛なざい……」

 

「ぎょう゛がん゛ざぁ~ん……!」

 

 タックルされた事にも驚いてしまっていたが、俺の上で急に泣き出してしまった少女達に俺は完全に困惑してしまう。

 

「お、おい阿武隈! これはどういう状況だ!」

 

「みんな教官の顔を見て緊張の糸が切れてしまったんじゃないかなぁって……」

 

 俺はまったく理解できなかったが、何か思う所があるのであれば今は好きにしてやろうと思った。しかし、人前で少女達に抱き着かれて泣かれているという状況が異常に恥ずかしく感じる。

 

「……お前ら、抱き着くのは良いが風呂に入ってこい。 なんだか磯臭い」

 

 俺の一言に全員の非難の視線が集まる。なんだか前にも似たような経験をしたが、その時よりもはるかに空気が凍り付いたような気がした。先ほどまで泣いていた暁達も俺から離れると必死で互いの匂いを確認している。

 

「アンタ、最低ね……」

 

 止めを刺したのは山城の一言だった。時雨と羽黒はどうにかフォローをしてくれようと頑張っているみたいだったが、佐世保組からの俺の信用は海の深くまで落ちてしまった事を確信した。

 

「と、ところで金剛達はどうした? 一緒に訓練してたんじゃないのか?」

 

「さぁ……? 何やら4人で執務室に向かっているのは見ましたけど……」

 

 何やらあまり良い予感はしないが、早く執務室に戻った方が良いと俺の直感が告げる。

 

「佐世保組から1人ついてきて欲しいのだけど、誰かお願いできるかな?」

 

「それならば私がご一緒しましょう、今後の方針について話しておきたい事もありますので」

 

 俺の問いかけに露骨に嫌そうな顔をした戦艦も居るが、妙高が快く引き受けてくれた、と思う。それから俺と妙高は執務室へと向かった。

 

「なんだこれは……」

 

「他人の趣味に口を出さないほうが良いとは思うのですが、これはあまり良い趣味とは言えませんね……」

 

 執務室の扉をあけると、視界にはピンク色が広がっていた。絨毯やカーテンは元々青だったと記憶する、ソファに関しても黒だった、何より異質な空気を醸し出しているのは来客用のテーブルの上に置かれたケーキスタンドと呼ばれる金属製の三段式の物体だった。

 

「ヘーイ! 約束通りティータイムの準備をしておきマシタ!」

 

「榛名、頑張りました!」

 

「流石はお姉様です、見事な模様替えです!」

 

「経費はこの基地宛てで処理しておきましたので、ご安心を」

 

 勝手な事をするなと怒鳴ってやろうかと思ったが、それよりも呆れて言葉が出てこない。金剛姉妹は理解できないとは思っていたが、ここまで俺の予想を超えてくるとは驚かされた。

 

「そ、そうか……。 何と言うか……」

 

 必死で上手い言い回しを考えようとしたが、俺の視界はピンク色から真っ暗な世界へと切り替わる。足に上手く力が入らず俺はそのまま重力に身を任せた、真っ暗な視界の中、聞こえてきたのは金剛の叫び声だった───。




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ちいさなかぞく(1)

結局あの人を追い抜くことができなかった。

艦の頃から常に私達の先頭を走り続けたあの人。

姿形は変わってしまったけれど、あの人の背中を追いかけていると不思議と落ち着いた。

暗い海の上でもあの人を追いかけて行けば大丈夫なのだと艦の記憶が訴えてくる。

私はらしく無いなと湯船に口をつけてブクブクと泡を作って気を紛らわしてみる。

ふと、右肩に視線を移してみると何やら妙な生き物が気持ちよさそうに湯船に浸かっていた。

走りすぎて疲れているのかしら?

きっとそうだ、らしく無い事なんて考えているから幻覚を見てしまうのだ。

妙な生き物は何かこちらに訴えかけてきているようだったけど、私はそれを無視しようと心に強く誓った。


「早く口を開けるデース!」

 

「……嫌だ」

 

 金剛はお粥が乗ったスプーンをこちらに向けたまま、じっと俺が口を開けるのを待っている。昨日倒れてしまったと聞いたが、それは寝不足が原因であって決して俺は病人と言う訳では無いと思う。

 

「往生際が悪いネー!」

 

「うるせぇ! 別に自分で食えるわ!」

 

 俺が怒鳴りつけると、金剛はスプーンに乗ったお粥を自分の口へと運びやがった。お粥の味に満足したのか、満面の笑みを浮かべるコイツがもの凄くむかつく。

 

「んー! やっぱり榛名の作ったお粥は美味しいデース!」

 

「てめぇが食ってどうするよ! それは俺のだろうが!」

 

 そう言ったは良いのだが、再び俺の目の前にお粥の乗ったスプーンが差し出される。絶対に嫌だという思いを視線に込めて金剛へと送るが、彼女はゆっくりと口を開けると再び自らの口にスプーンを運ぼうとする。

 

「……あー」

 

 流石にこれ以上文句を言っても食事にありつけないと諦め、情けなくも口を開けると金剛は笑顔で俺の口にスプーンを差し入れてくる。ほんのりと塩味の効いたお粥は確かに美味しいとは思う。

 

「やっと食べてくれマシター!」

 

「もう満足しただろ、スプーンを寄こせ」

 

 俺の要求に金剛は「まだまだお粥はありマース!」と土鍋いっぱいに作られたお粥をこちらに見せつけてくる。恐らくはこれを食いきるまでは俺を解放するつもりは無いのだろう。

 

「練習用とは言え今日から砲撃の訓練をするんだ、いつまでもお前と遊んでる時間は無い」

 

「教官は今日はお休みデスヨ、訓練の立ち合いは比叡と霧島がついているので安心して休んでもらいマス」

 

 朝から比叡達を見ていないと思ったが、俺の知らないところでそんな裏工作を行っていたとは。正直金剛は他の艦娘と違い頭が切れる分扱いに困る。

 

「リラックスした方が良いと私に教えてくれたのは教官デス、だから教官ももっと私達に頼ってくれても良いんデスヨ?」

 

「……夕方まで付き合ってやる、せめて書類仕事くらいは進めておかないと明日が辛くなる」

 

「それは妙高と榛名がやってくれていマスヨ、本当に教官の確認が必要な物だけは確認をしに来てくれるそうデス」

 

 本来であれば妙高には羽黒との時間を取ってやるつもりだったのだが、俺の都合で無理をさせてしまっているようだった。

 

「別に無理強いをした訳では無いデスヨ? 事情を説明したら快く引き受けてくれマシタ」

 

「……どうして考えてることが分かった?」

 

「私はずっと人の顔色を窺ってきましたカラネ、少しくらいなら表情を見れば考えている事が分かるんデスヨ」

 

 少し寂しそうな表情で伝えてくる金剛を見て、どう言葉を返したら良いのか悩んでしまう。

 

「これは私なりの恩返しデース! だから教官は気にせず甘えてくれても良いんダヨ?」

 

「恩を売ったつもりはない。 だけど仕事が無いならこうして休むのも軍人の仕事ってやつだな」

 

 金剛は再び笑みを浮かべると「素直じゃないデース」なんて言いながら残ったお粥を俺の口へと運んできた。俺が彼女に送った言葉『楽をする事を覚えろ』その言葉を俺自身が守れてない以上はいくら文句を言ってもコイツには勝てないだろう。

 

「なぁ、金剛は海上護衛って経験あるのか?」

 

「戦艦だった私にはあまり経験の無い任務デスネ、ただ多くの艦が犠牲になったと記憶してマス……」

 

 自分の覚えている限りの事を俺に説明してくれているようだった。俺は話を聞きながら今までの自分の考えの甘さを反省する。

 

「例えばデスガ、本来の彼女達の戦い方を考えれば常に相手の砲撃が当たらないように動き続ける事が定石デス。 でも守る対象が居る以上は無暗に動き回る訳にいきませんカラネ」

 

 魚雷が護衛対象へと向かっている場合、最悪装甲の薄い駆逐艦であっても自らその攻撃を受け止める必要がある。護衛任務である以上は守るべき対象が沈められた時点で作戦は失敗なのだから。

 

「生きていれば次があるとはよく言ったものデス、護衛艦には次があるかもしれませんが、失敗して沈んだ輸送船には次なんてありませんカラネ」

 

「金剛は艦の頃の記憶が結構あるみたいだけど、その……大丈夫なのか?」

 

 彼女の先ほどの話を聞く限り、ついこの間の出来事のようにスラスラと言葉を並べている。艦の頃の記憶が鮮明なのだろうが、その分失われた人としての記憶の欠落について心配してしまう。

 

「私達姉妹は他の子に比べると人の頃の記憶は残ってる方だと思いマス。 それでも艦の記憶がはっきりと思い出せるのはそれほど多くの経験をしたからデショウネ」

 

「今度呉鎮守府からここまで資材と艦娘が乗った艦を護衛する任務がある、金剛の意見を聞いてみたいんだが何かあるか?」

 

 俺の言葉に金剛はしばらく目を閉じて考えているようだった。急な相談で申し訳ないとは思ったが、これ以上俺1人で作戦を考えても良い案が思いつかないと判断した結果だった。

 

「正直に言っても良いのであれば、少し厳しいデスネ。 索敵機の使用ができるのであれば少しはマシにはなると思いマスガ……」

 

「深海棲艦が海の底から現れるなら、どのタイミングで遭遇してもこっちからしたら奇襲と変わんないしな……」

 

 事前に相手が襲ってくることが分かればまだ対応もできるのだが、どこから現れるかも分からない相手に常に気を配り続けなければならない。その状況は徐々に精神を疲弊させ、油断してしまえばそれこそ隊全体が危険に晒される恐れがある。

 

「索敵を行うメンバーと護衛するメンバーの2つを用意してみるのはどうデショウカ?」

 

「それも考えたが、どう考えても資材が足りない。 もう少し他から支援を受けられるのであれば現実的だとは思うんだけどな」

 

 動かせる艦娘は良くて6人。仮に3人ずつで役割分担を行うとしてもどちらも中途半端になってしまう事は明白だった。

 

「私達艦娘は戦闘に集中、索敵はその他で行う。これが理想デスガ……」

 

 彼女達が艦の姿だった頃には1つの艦に何百人という軍人が役割を分担して行っていたと金剛は教えてくれた、それこそ砲撃を行うにしても装填、砲撃、観測と様々な役割分担を行う必要がある。艦娘となってからはそれを1人で行う必要があるためどうしてもどれも中途半端になってしまうらしい。

 

「逆に考えれば何か補助的な装置があれば上手く機能するって事なんだよなぁ……」

 

 俺はベッドに横になると天井を見上げる。彼女達の代わりにある程度の情報を管理する方法、それが実現可能なのであれば彼女達は欠陥兵器などと呼ばれることは無くなるのだろう───。

 

 

 

 

「なかなか当たらないのです!」

 

「これは難しいな」

 

 今日から砲撃の訓練を行うと聞いた時には姉妹全員で喜んだけれど、実際に海に出て浮かんでいる的を狙ってもまったく当てる事ができない。昨日は妹達に情けない姿を見せてしまったからには、今日は良い所を見せたかった。

 

「ねぇ、霧島さん? 何か上手く当てる方法とか無いの?」

 

 私は桟橋で私達の砲撃回数と当たった回数をメモしている霧島さんにそれとなくアドバイスを求めてみる。

 

「そうですね。 的との距離、相手と自分の移動速度、風、温度や湿度、距離が遠いのであれば地球の自転や重力を計算すると良いと思います」

 

 霧島さんは眼鏡を持ち上げて当たり前のように訳の分からない事を教えてくれたのだけど、霧島さんはできるのかと質問してみたら「できませんが」と真顔で言われてしまった。

 

「何か良い方法は無いのかしら……」

 

「何よ、暁は練習しないの?」

 

 私が何か良い案が浮かばないかと考えていると雷がこちらに近づいて来た。

 

「雷はどうだったの?」

 

「聞いて驚きなさい! 雷様はちゃんと当てたわよ!」

 

「何回撃ったの?」

 

「……20回くらいかなぁ?」

 

 逆に言うと19回以上外しているという事だと思うと決して褒められた成果では無いと思う。やはり1人前のレディであれば最低でも2回に1回、いや3回に1回は当てたいところだろう。

 

「暁も休憩ばかりしてると、また川内型のみんなに叱られちゃうわよ?」

 

 雷はそう言って再び響達と混ざって的に砲口を向けていた。

 

(今更勉強したって仕方が無いわよね……)

 

 私はこの基地で習ったことを思い出してみる、と言ってもまともに教えてくれた人なんて教官と神通さんくらいなのだけれど。

 

(近づけば当てる事はできる……、でも確実に当てる事ができるのであれば魚雷の方が良いかしら?)

 

 私は腰につけられた魚雷を撫でてみる。冷たい鉄の感触が少し気持ち良い気がする、でもこれは神通さんが言っていたように私達駆逐艦にとって最後の切り札だという事を思い出してそれだけに頼るべきでは無いと考え直す。

 

(やっぱりいっぱい練習していっぱい勉強するしか無いのかしら?)

 

 今度は右手に握られている連装砲を撫でてみると、何やら柔らかい感触を感じた。なんだろう?私の連装砲ってこんなに柔らかかったかしら?そう思って視線を向けてみると、不思議な生き物と目が合ってしまった。

 

「ぴ、ぴゃぁ!?」

 

「ど、どうしたのです!?」

 

「なんだい?クラゲにでも刺されたのかい?」

 

 突然の事で自分でも驚くような変な声が出てしまった。焦って咄嗟に隠してしまったけれど、確かに私の手には先ほどの小さな人形が握られている。

 

「あ、あなた誰なの……?」

 

 私は勇気を出して話しかけてみるけど、人形は話せないのか私の手から逃げ出そうと必死でジタバタしていた。

 

「こ、ここが良いの……?」

 

 さっき居たと思う位置に人形を乗せてあげると、人形はどこか誇ったような顔をして私の事を見つめてくる。何か言われた訳では無いのだけど、この子はこの場所がぴったりな気がする。

 

「……的の少し右に少しずらして構える?」

 

 突然頭に浮かんだ言葉を口にしてみると人形は自信ありげに胸を張って何度も頷いている。私はそれに従うように的の少し右側を狙ってみる。

 

「もう少し上? しっかり腕を伸ばせ? 何よ、注文が多いわね」

 

 それでもその行動が正しいと私の身体も認めてみるようだった。大きく深呼吸をすると連装砲の引き金を引く。連装砲から飛び出した弾は真直ぐ的に向かって飛んで行き、的の真ん中に赤いペイントが付いた。

 

「い、今の暁が撃ったの……?」

 

「すごい、真ん中だね」

 

「すごいのです! どうやったのか教えて欲しいのです!」

 

 正直自分でも良く分からない、それでも妹達から向けられる尊敬の眼差しは決して悪い物ではない。

 

「一人前のレディなんだからこれくらい余裕よ!」

 

 連装砲の上で人形が何か文句を言いたそうな表情でこちらに訴えかけてきている。なんだかズルしているみたいで胸の辺りが苦しくなってきた。

 

「じ、実はね……」

 

 私は妹達を集めると、人形が教えてくれたと説明してみたのだけど今度は妹達からとても冷たい視線を向けられてしまった。正直に話したのにどうしてこんな扱いをされてしまうのだろう?

 

「なんだか可愛いのです!」

 

「可愛い……のかな?」

 

「あんまり可愛くは無いかしら……?」

 

 電は人形を気に入ったようだったけど、他の2人はあまり可愛いとは思わなかったらしい。

 

「暁、ちょっと私にもその子を貸してくれないかな?」

 

 響はそう言って人形に手を伸ばしたけど、人形は手から逃げるように私の身体をよじ登ってきた。

 

「む、逃げられてしまった」

 

「響ちゃんは嫌われてしまったのです!」

 

「とりあえず阿武隈さんや霧島さんにも聞いてみたらどうかしら?」

 

 雷の言葉に私は賛成すると、桟橋に戻って2人に話しかけてみた。

 

「阿武隈さん、霧島さん、ちょっと聞きたい事があるのだけど……」

 

「何でしょう?」

 

 霧島さんは何やらメモに書かれた内容をまとめるのに忙しいのか、阿武隈さんだけが私達に近づいて来た。

 

「この子なんだけど……」

 

 人形を手に乗せて阿武隈さんに見せてみると、人形は何やら阿武隈さんに向けて敬礼をしているようだった。

 

「あたしちょっと疲れてるのかなぁって……」

 

「大丈夫、私達にも見えてるよ」

 

 何やら不思議な生き物を認めたくないのか、現実逃避を行おうとした阿武隈さんを響が引き留める。

 

「この子の言う通りに撃ったら的に当たったの」

 

「……それは本当ですか?」

 

 私の言葉に阿武隈さんは真剣な表情になってしまった、この人はどこか抜けていると思うのだけれど、時々神通さん達と同じような感覚になる事がある。

 

「もう1度やって見せてもらっても良いですか?」

 

「良いわよ、人形さんお願いね」

 

 私は再び的に向かって連装砲を構えると人形からの言葉を待つ。

 

「次はちょっと左? 波が高いから大きく沈み込んだタイミングで……」

 

「暁ちゃん誰とお話してるのです?

 

「ちょっと怖いわよ……?」

 

 この声は私にしか聞こえないのだろうか?妙な心配をしてくる妹達を無視して人形からの指示に従う。

 

(波の沈むタイミングで……)

 

 私は波で揺られる身体でリズムを取りながら、一番沈んだと思うタイミングで連装砲の引き金を引いた。

 

「当たったのです……」

 

「すごいわね……」

 

「……スパシーバ」

 

「あたしには何も聞こえなかったけど、暁ちゃんは何か聞こえたの?」

 

 聞こえたという訳では無いのだけど、なんとなく人形がそう言っているような気がする。だけど、それを阿武隈さんや妹達に説明しても難しい顔をするだけで分かってもらえなかった。

 

「教官にも1度話した方が良いかなぁ……?」

 

 阿武隈さんが人形へと手を伸ばすと、人形は阿武隈さんの手に飛び移ってしまった。それを見た響が羨ましそうな顔をしている。

 

「あ、阿武隈さんの艤装の上にも居るのです!」

 

「えっ、やだ! 登って来てる!?」

 

 阿武隈さんの艤装の上に現れた人形は阿武隈さんの脇腹をよじ登ると、私の人形に敬礼をした。私の人形はその敬礼を受けて何やら涙を流しながら敬礼を返している。

 

「感動の再会ってやつなのかしら……?」

 

 雷のせいで何やら微妙な雰囲気になってしまった。確かにそうとも見えるのだけど、私にはなんだかよく分からない不思議な光景にしか見えない。

 

「あ、あたし的にはNGかなぁって……」

 

 阿武隈さんは自分の手の上で行われている妙なやり取りにとても複雑そうな顔をしているようだった。それからしばらくの間人形同士のやり取りを見ていたのだけど、私の人形が私の艤装へと飛び移ってきた事で我に返った。

 

「阿武隈さんも的を狙ってみるのはどうだろう? 暁のと同じなら何か聞こえるかもしれないよ」

 

「そうね、響の言う通りかも」

 

 私達は期待を込めた眼差しで単装砲を構えた阿武隈さんを見守る。何やらぶつぶつと呟きながら微調整をしているようだったけど、私の時もこんな感じだったのかしら?照準が決まったのか阿武隈さんはゆっくりと深呼吸をすると、的に向けて砲撃を行った。

 

「当たったのです!」

 

「阿武隈さんも何か聞こえたのかしら?」

 

「私は何も聞こえなかったよ」

 

 阿武隈さんは私達にどう説明しようか悩んでいるようだった、さっきの私もそうだったけど、声が聞こえる訳では無い。なんとなく人形がそう言っているような気がするだけなのだから。

 

「直接声が聞こえたってより、なんとなく伝えたいことが分かるって感じかなぁ……?」

 

「そうね、私もそんな感じだったわよ」

 

 私と阿武隈さんのやり取りを妹達が羨ましそうに見ている。どうして私達にだけ人形が出てきたのかは分からないけど、人形のおかげで的に当てる事ができた以上はさっきから練習していた妹達には羨ましくて仕方が無いのだろう。

 

「やっぱり教官に相談してみようかしら?」

 

「それが良いかなぁ、もしこの子みたいなのが響ちゃんや雷ちゃん達にも居るのならいずれ必要になるかもだし……」

 

 私達は1度訓練を終えると、教官の居る執務室へと向かった───。

 



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ちいさなかぞく(2)

どうしたら良いのか誰か教えてくれ。

俺のやっている事は間違いなくアイツ等を裏切っている。

言われた通りに教官の事を監視して

この基地での出来事を記録して

俺はその内容をあの男に伝えている。

教官が良い奴なのは俺の直感が告げている。

だから俺も他の奴等みたいに一緒に笑いあって、海の上を走りたい。

でもダメなんだ、だって俺はアイツのお姉さんなんだから。

情けない姉かもしれないけど、俺がアイツにできる事なんてこれくらいなんだから。


「ねぇ、教官? 私の話聞いてるの?」

 

 俺は訓練を切り上げてきた暁達の説明を聞いたが、未だに信じる事ができない。突然小人が現れて砲撃に関する計算を行ってくれたとでも言うのだろうか。

 

「もー! レディを無視するなんてどうかと思うわよ!」

 

 あまりに自分達に都合が良すぎて、何か裏があるようなそんな不安に襲われる。先ほどまで一緒に次の海上護衛について話し合っていた金剛は前向きに捉えているようだが、俺にはどうしても信じられない理由が1つだけあった。

 

「オー! なかなかプリティーな生き物ネー!」

 

「金剛さんは電と似た感覚なのかしらね!」

 

 暁は金剛に手の上を見せようと必死で背伸びをしているようだが、その光景はなかなかに微笑ましい。

 

「教官はどうデスカー?」

 

「あ、あぁ。 可愛いんじゃないか?」

 

「あら、教官もこの人形を可愛いと思うのね」

 

 場の空気を悪くしないために適当に賛同してみたが、俺には暁の手の上に存在するであろう生き物が『見えていない』だからこそ信じる事もできないのだが、彼女達がこのような意味の分からない嘘を俺に伝えてくるとは思えなかった。

 

(信憑性は半々って所か、見えない生き物は信用できないが、暁や金剛の話を疑う訳でも無いか……)

 

 自分が見えていない以上は彼女達艦娘にしか見えないのだろうか?前任が残した資料にはそのような事は一切書かれていない。

 

「その人形は暁と阿武隈にしか居ないのか?」

 

「そうよ、響なんかは人形さんに嫌われちゃってたもの」

 

「私も欲しいデース! どうやったら出てくるのデスカ?」

 

 金剛の質問は俺も気にしていた事だった、もし本当に有用なのであれば彼女達全員がその力を借りた方が良いと思う。

 

「私の時は気が付いたら連装砲の上に居たし、阿武隈さんも気が付いたら艤装の上に居たみたいだし……」

 

「どっちも曖昧デース……」

 

「確かにそうだな、他に人形が出てきた子が居ないか探してみるとしよう。 暁は訓練に戻っても良いぞ」

 

「もう! 折角教えに来てあげたのに冷たくない? ぷんすか!」

 

「あぁ、悪かった悪かった」

 

 拗ねてしまった暁の頭を撫でてやると、少女は満足そうに笑みを浮かべると「頑張ってくるわね」と一言残して執務室から出て行ってしまった。

 

「……どう思う?」

 

「エエ、暁の話が本当なら次の作戦もグッドな方向に進みマース」

 

 金剛は俺の質問を次の任務に使えるかどうかと判断したらしいが、足りなかったピースが見つかった事は俺も理解している。今重要なのはその数を増やす方法だった。

 

「オー、申し訳有りまセン。 どうやったら人形が現れるかの方デシタカ」

 

 俺は金剛の言葉に黙って頷く。例え強力な兵器があったとしてもそれ1つで戦況が変わるほど楽な任務じゃないのは先ほどまで話していた通りだった。

 

「練度……では無いデショウネ。 そうであれば同じ訓練をしていた他の子には現れていない事に説明が付きマセン」

 

「練度に個人差があるのかもしれないがな、どっちにしても少し他の子にも聞いてみようか」

 

 俺と金剛は執務室を出ると、まずは食堂へと向かった。昼は過ぎてしまっているがまだ誰か残っていると相談した結果だった。

 

「妙高姉妹が居たか、佐世保でどうだったか聞くには丁度いいかもしれないな」

 

「イエース! なんだか美味しそうな匂いもシマース!」

 

 4人で何かを囲んで食べているようだったが、金剛の言う通りなんだか良い匂いが漂ってきている。

 

「よぉ、何してんだ?」

 

「ご、ごめんなさい! その……、お菓子を……」

 

「こっちの基地は良いわねぇ、向こうじゃまっずい乾パンくらいしか食べれなかったわよ?」

 

「足柄の言う通りだな、望むものが食べられるというだけでもここに残る理由になりそうだ」

 

 上から覗き込むと大皿の上に様々な形のクッキーが並べられていた。これは羽黒が作ったのだろうか?

 

「よ、宜しければお1つどうでしょうか……?」

 

 俺は羽黒に進められて星形のクッキーを1つ口に含むと、砂糖とは違うあっさりとした甘さが口の中に広がった。

 

「美味い……。 あまり甘いものは好きじゃないが、これは素直に美味いと思う」

 

 俺の言葉に姉達が教えてくれたと笑顔で語る羽黒を見ていると、佐世保で無茶をした甲斐があったと改めて実感できる。

 

「これは練習で作ってみただけなので、もっと沢山焼いたら教官さんにもお届けしますね!」

 

「あら~? 羽黒も私達が居ないうちに大胆になったものねぇ?」

 

「こら、足柄。 あまり妹の恋愛事情を茶化すものではありませんよ」

 

 羽黒が顔を真っ赤にしているのを、妙高や那智、足柄は笑顔で見守っていた。恐らく羽黒にそのようなつもりは無かったのだろうが、予期せぬ言葉に変に意識してしまったのだろう。

 

「……どうやら私は疲れているのかもしれないな」

 

 クッキーに手を伸ばした那智が眉間を摘まんだまま天井を見上げた。必要なら入渠してもらっても構わないと伝えてみたが、全員がクッキーの乗った大皿を見たまま固まってしまっているようだった。

 

「これは……何でしょうか?」

 

「いや、俺に振られても分からないな」

 

 一体何があったのだろうか?俺も彼女達と同じようにクッキーを見つめてみるが、特に違和感は感じない。

 

「人形さんデスネ……。 これは誰の人形なのでショウカ?」

 

 金剛が呟くと、彼女達の視線はクッキーからゆっくりと羽黒へと移動していく。どうやら俺には見えていないが、ここにも噂の人形が現れたのだろう。

 

「き、危険な生き物とかじゃないですよね……?」

 

「クッキーを齧ってたし、歯はありそうね。 嚙まれないようにね?」

 

 羽黒の視線から察するに人形は今彼女の肩に登ったのだろうか?そして足柄の言葉に羽黒は恐怖で動かなくなってしまった。

 

「まだ暫定ですが、私が説明しマース!」

 

 金剛は先ほど暁から聞いた内容を噛み砕いて妙高姉妹に説明している。俺も黙ってそれを聞いているが、本当に羽黒の元にやってきた人形であれば訓練をさせていない以上は連続で現れるという線は無いと考えても良いだろう。

 

「なるほど、是非私も欲しいな」

 

「そうねぇ、めんどくさい事考えなくても良いってのは魅力的ね」

 

「射撃精度以外にも何か応用が利くのでしょうか?」

 

 長女だからなのだろうか、妙高も金剛に近いモノを感じる。金剛は砲撃に関してしか説明していなかったはずだが、それを他に応用しようという発想は良い線をついていると思う。

 

「これで暁、阿武隈、羽黒デスカ。 共通点がみつかりマセンネ……」

 

「練度じゃ無い、艦種でも無い、性格って線なら近いモノはある気がするけど違う気がするな」

 

 騒いでいる妙高姉妹を置いて、俺と金剛は食堂を出て宿舎へと並んで歩く。考えれば考えるほど分からなくなってきてしまう。もっと単純に考えた方が良いのだろうか?

 

「ん? 時雨に山城か、何してるんだ?」

 

「あぁ、湊教官じゃないか。 山城がね、放っておくとずっと部屋の中でイジイジしちゃうんだ、だから少しは陽の光を浴びた方が良いよって連れ出してみたんだ」

 

「まったく、良い迷惑よ。 向こうじゃ基本的に自室待機だったからその癖がついてるだけよ」

 

 山城は愚痴っぽく言っているようだが、表情を見る限り喜んでいる事を隠しきれていないようだった。

 

「なぁ、時雨は動く人形について何か知らないか?」

 

「やだ、その歳で人形遊びしてるの? まったく変な人に拾われて不幸だわ……」

 

「人形……? そうだ! 湊教官ちょっと待ってて!」

 

 宿舎に走って行った時雨の後ろ姿を見送ると。残された俺達は微妙な雰囲気に包まれてしまう。山城に関しては俺の事を盛大に勘違いしているような気もする。

 

「女の子に臭いって言うし、人形遊びが好きな変人だけど、その……感謝してるわ」

 

「急にどうした?」

 

 金剛は何かを察したのか、妙にむかつく表情をしたまま俺と山城を交互に見ていた。

 

「時雨よ……。 あの子が元気そうで良かった、それだけよ」

 

「あれは山城が来てくれたからだろ、以前よりも幼くなったような気がするしな」

 

 山城は俺の返答に大きな溜息をついてしまった。俺は何か間違った事を言ってしまったのだろうか?

 

「まったく、四六時中アンタの話を聞かされる私の身にもなって欲しいものだわ……」

 

「ん? 悪口でも聞かされてるのか?」

 

「教官はもう少し色々勉強した方が良いデース……」

 

 今度は山城と金剛の2人に大きな溜息をつかれてしまった。いや、なんで俺が間違っているみたいな雰囲気になってしまうのだろう、

 

「湊教官の探してる人形ってこれかな?」

 

 戻ってきた時雨は俺に見えるように両手を伸ばしてくる。俺はそれを見て「時雨って生命線長いんだな」なんてまったく関係ない事を考えてしまう。

 

「何よそれ……、なんだか気持ち悪い人形ね」

 

「ソレデース!」

 

 どうやら暁達と同じ人形を時雨も持っていたらしい。これで4人目だし、少しは共通点が見えてきても良いのだが……。

 

「なぁ、時雨。 その人形が出てきた時って何をしてたか覚えてるか?」

 

「走った後に湊教官と入渠して……、朝起きたらこっちを見てたって感じかな」

 

「ちょっと聞き捨てならない言葉が聞こえたわね」

 

「ヘーイ! 教官にはいろいろと聞きたい事がありマース!」

 

 金剛と山城が俺に詰め寄ってくる。山城に至っては俺の脇腹をかなりの強さでつまんできている。

 

「……ごめんなさい」

 

 こんな時に俺のできる事は謝罪する事だ。女性ともめた時は自分が悪いと思って居なくても謝るべきだ、その後も散々罵られる事もあるがそれでも謝り続ける事。それが俺が隊長に教わった数少ない役に立つ教訓だと思う。

 

「謝って許されるとは思ってないわよね? 時雨に手を出すとかあんた頭おかしいんじゃないの?」

 

「私と言うものがありながら子供に手を出すなんて……、グスッ……酷いヨー……」

 

「ごめんなさい……」

 

 涙ぐんでしまった金剛を山城が慰めている。それでも俺は謝るしか無い、言い訳をした所で罵られる量が倍になるだけなのだ。

 

「ちょっと訓練で無茶をしちゃって、僕が無理を言って教官に付き添ってもらったんだけどね」

 

 流石にこれ以上は冗談で終わらないと判断したのか、時雨がどうにかフォローを入れてくれているようだった。そもそもはコイツのいたずらから始まったのだから何をされても恩は感じない。

 

「一応確認しておきますが、暁や阿武隈とも入渠してマセンヨネ?」

 

「してねぇよ……」

 

「本当かしら?」

 

 こうなってしまえば男はなんと弱い生き物なのだろうか。正論を言っても信じてもらえない、言い訳をしようものなら集中攻撃を受けてしまう。しかし、ここでウダウダしてても仕方が無いので決死の覚悟で切り返しを狙ってみる。

 

「時雨以外とは入って無い、羨ましいなら後でお前達とも入ってやるからこの話はこれで終わりにして、人形について議論しようじゃないか」

 

 痛てぇ……。時雨がかなり強めに俺の脇腹に肘を入れてきやがった。山城は完全に呆れた表情になってしまったし、金剛は顔を真っ赤にしているがどうにか人形について話をする流れに持って行けたと思う。

 

「とりあえず、金剛説明してやってくれ」

 

「触ってもイイけどサー、時間と場所をわきまえなヨー……」

 

 何やらクネクネし始めてしまった金剛の頭を軽く叩いて正気に戻してやると、我に返った金剛は本日2度目の人形についての説明を行い始めた。

 

「この子ってそんなにすごかったんだね」

 

「不思議な事もあるのね、アンタと一緒に入渠したら人形が生まれるとか嫌な冗談にしか聞こえないわよ」

 

「山城、頼むからこれ以上その話題を引っ張らないでくれ……」

 

 俺達は何が条件で人形が現れるのかを考える。そもそも俺には見えていない小さな生き物は一体何なのだろう?

 

「人形……、小人……。 なんだかガキの頃に読んだ絵本みたいな内容だな」

 

「羽でもついてれば妖精って感じダネー」

 

「あ、喜んでる」

 

 時雨の言葉が本当なら人形や小人と呼ぶより妖精の方がこの生き物的には嬉しい呼ばれ方なのだろうか?

 

「でだ、その妖精さんにどこから来たのか聞いてみてもらえないか?」

 

「なんとなく言っている事は分かるんだけど、何度か話をしても上手く意思疎通できないんだ」

 

 会話ができないのであれば直接聞くのも難しいだろう。しかし、時雨は何かに気付いたようで話したいことがあると俺を残して3人で離れて行ってしまった。ただ待っているのも暇なので、俺は煙草に火をつけて近くに腰かけて待つことにした。

 

(妖精の正体がつかめれば彼女達の扱いは間違いなく変わる。元々資料に書かれている情報だけを並べると彼女達は今までの兵器を過去の物にするくらいの実力があるんだけどな……)

 

 兵器とは基本的には強力になればなるほど大規模になっていく。サイズもそうだが、ミサイルのような物になれば発射するための施設も必要となってくる。しかし、彼女達は人と同じ大きさでありながらかつての軍艦と同じ規模の火力を備えている。

 

「ヘーイ! お待たせしマシター!」

 

「待たせてごめんね」

 

「煙たいわね……」

 

 まだ半分ほどしか吸っていない煙草を消して立ち上がる。金剛が妙に顔を真っ赤にしてこちらに近づいてくるが、一体何を話していたのだろうか?

 

「き、教官は後ろを向いて欲しいデース……!」

 

「何故だ?」

 

 俺が理由を尋ねると、時雨に今は黙っていう事を聞いて欲しいと頼まれて仕方が無く金剛の指示に従う事にする。金剛に背中を向けると、少しして背中に柔らかな感触が感じられる。

 

「な、何の真似だ?」

 

「良いからじっとしてるデース!」

 

 金剛が急に後ろから抱き着いて来た事で顔が熱くなるのが分かる。背中から伝わってくる暖かさが女性に抱き着かれているという事を意識させられてかなり緊張してしまう。

 

「……私にも分かりマシタ」

 

「急に出てくるのね、何処かから来ると思ったのに」

 

「金剛さん、頭の上に手を伸ばしてみなよ」

 

 時雨が金剛に頭の上を確認するように言っているが、抱き締められる強さは強くなり俺から離れる気が無いと抵抗しているようだった。それでもこのままだとなんだかまずいと思い離れるようにと優しく諭す。

 

「どういう事が説明してくれないか?」

 

「すごく簡単な事デース、私達は今まで人が嫌いデシタ。 今でも教官以外の人は信用でき無いシ、従いたいとも思いマセン」

 

 金剛は頭の上に乗っているらしい妖精を手に取ると頭を撫でてやっているようだった。

 

「でもね、湊教官のためなら僕は沈んだって良いと思う。 決して沈みたい訳じゃないけど、沈めと言われても何か大切な理由があるんだって前向きに考えると思うんだ」

 

「そんな命令を出す訳無いだろ……」

 

 時雨は真直ぐ俺の目を見ながら頷いてくれた。

 

「だからデース、私達は艦の記憶を持ってのは知っていマスヨネ。 実は私達は国を守るなんて大そうな理由で戦っていませんデシタ、いつも私達は私達のために働いてくれている家族のために戦っていマシタ」

 

 戦場に向かう者に理由を尋ねると、多くの人間は国や家族のためだと言って戦場へ向かうが、実際に戦場に立ち銃弾の飛び交う場面に遭遇すると最終的には隣に居る仲間のために戦うんだと目的が変わっていく。だから彼女達の言っている事はおかしいとは思わない。

 

「なのに、私達は人を嫌いになっていマシタ」

 

「一緒に戦ってきた家族の事を忘れてしまっていたみたいなんだ」

 

「家族……ね」

 

 山城は金剛と時雨の言葉を聞いて、目を閉じて何か考えているようだった。恐らくは艦としての記憶を思い出そうとしているのだろう。

 

「艦の時代から欠陥兵器と呼ばれてた私には難しいけど、確かにそんな私でも大切にしてくれた人は多かったわね」

 

「山城は練習艦として僕達とは比べられないくらいの人を乗せていたからね」

 

 金剛が「鬼の山城と呼ばれていたのは知っていマース!」と茶化していたが、山城が「地獄の金剛さんに言われたくないわね」と言い返して2人は笑い出してしまった。

 

「まだ私には良く分からないわ、アンタの事信用している訳じゃないし佐世保であんな扱いを受けてたってのもあるわね」

 

「それで良いんじゃないか? そう簡単に人の事なんて信用するもんじゃない」

 

 時雨は簡単に言い切ってしまったが、恐らく先ほどの話が本当であれば暁や阿武隈、時雨や羽黒、それに金剛。彼女達は俺の指示でその命をかけても良いと思っているのだ。それは上官としてならば喜ばしい限りなのだろうが、教官の立場である俺に向けて良い感情では無い。

 

「妖精の事に関しては他の軍人にはまだ伝えないようにな」

 

 俺の言葉に全員は頷いた。気にしすぎかもしれないが、誰かのためになら自分の命を犠牲にしても良いという彼女達の想いを悪用する人間が現れる可能性はゼロじゃない、だからこそ、そこが彼女達の本当の強さなのだと周りが認識するのはもっと周りの考えが変わってからだ。

 

(信用や信頼が強さに変わっていくか……)

 

 やはり彼女達は兵器なんかじゃない、兵器よりも兵士そして絆が生まれて仲間となった時に初めてその実力が発揮される。次の作戦を成功させて彼女達の有用性を証明する、そして大切に扱う人が増えてきたらもっと彼女達にとって生きやすい世界になるだろう───。



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作戦会議(1)

まさか再び姉妹全員で買い物ができる日が来るとは予想していませんでした。

佐世保からの帰りにあの人から詐欺紛いの説明を受けた時にはどうしようかと思いましたが、こうして姉妹全員で行動する事で佐世保で忘れかけていた記憶を思い出すことができた。

正直に言ってしまえば艦娘に選ばれたと説明された時には、妙な責任感を感じていたと思う。

自分が家族を守るんだ、それだけじゃないこの町に住む人たちを守るんだと。

しかしそんな思いは簡単に裏切られてしまった。

那智も足柄も羽黒もどれだけ罵倒されても自分にできる事を精一杯頑張っていたと思う。

ただ結果が付いてこなかっただけで、私達は欠陥兵器としての烙印を押されてしまった。

だから私は人のためではなく、今こうして笑顔で町を歩いている妹達のためにこれからも頑張って行こうと再認識する事ができた。


「明日の日の出を開始時刻として、呉からこの基地への海上護衛任務を行う」

 

 執務室のテーブルに近辺海域の地図を広げると阿武隈や暁達で構成される第一水雷戦隊へと端的に告げる。俺の言葉を聞いた少女達は口をぽかんと開けたまま固まってしまっているようだったが、金剛や佐世保組からの視線に気付いて慌てて表情を整えたようだった。

 

「海路は地図に記された通りだが、ここに居るみんなからも意見を聞いておきたい、何か気になる点や質問がある者は居ないか?」

 

 俺は周囲に視線を送りながら意見を求めてみる。金剛と話したことによりある程度作戦事態はまとまってはいるのだが、こうして大人数となった事で新しい案が出てくことを期待していた。

 

「宿毛湾に立ち寄っているようですが、何か目的があっての事でしょうか?」

 

 1番に意見を出したのは妙高だった、俺は彼女に極力夜間での航行を避けたいと説明したのだが後ろで腕を組んだまま説明を聞いていた那智に説明を遮られてしまった。

 

「確かに夜間での航行は危険だと言う意見も分かるが、もっと初歩的な事を見落としているようだな」

 

 那智は足柄が握っていた雑誌を取り上げると、こちらに投げ渡してきた。何故女性誌がこの基地にあるのかと疑問に思ったが、以前町に買い出しに行った時に見た本屋の名前が書かれたテープが張られている事に気付いて誰かが買い出しに出かけたのだと察した。

 

「……これがどうした?」

 

「後ろから捲ってみると良い、天気予報の書かれたページがあるはずだ」

 

 何やら胡散臭い商品の宣伝が書かれている雑誌を捲っていくと、太陽や雲のマークが書かれたページを見つけた。明日は太陽のマークと雲のマーク、そして明後日は傘のマークが書かれていた。

 

「夜間の危険性は十分に理解しているが、雨は雨でなかなかに厄介だぞ?」

 

「生憎雨は続くようですし、その間私達が停泊させてもらえるのであれば問題は無いと思いますよ」

 

 少し前に宿毛の提督に停泊の許可をもらった時にはあまり良い返事では無かった、陽が昇るまでの短期間ならとこちらの頼みを受け入れてもらったが、数日となると話は変わってくるかもしれない。

 

「流石に数日は厳しいだろうな……。 そうなると夜間か雨かを選ぶ必要が出てくるのか、今回の主力は阿武隈達だ、何か希望はあるか?」

 

「あたし的には雨の方が厳しいかなぁ……。 視界や周囲の物音が聞こえないという問題は当然ですが、それに加えて雨の中長時間航行を続けるのはこの子達には少し厳しいと思います」

 

 元職場では夜が嫌だ、雨が嫌だなんて発言しようものなら怒鳴られてしまう所だが、作戦を行うのが駆逐艦の少女達だということを考えれば阿武隈の意見も尊重する必要がある。

 

「分かった、じゃあ今回は宿毛での停泊は無しにしてぶっ通しで目的地まで向かう方向で作戦を進める事にする」

 

「その場合は夜間に使用できる探照灯等があれば良いのですが、この基地にそのような装備はあるのですか?」

 

 再び妙高は変更された作戦について意見を出してくる。その質問は俺が極力夜間での航行を避けたい理由の1つでもあった。

 

「恐らく君達が想像しているような装備はこの基地には無いと考えてもらいたい、基本的に今準備ができそうなのは艦娘用では無く一般的な装備しかないんだ」

 

「逆に質問デース、佐世保には艦娘用の装備はあったのデスカ?」

 

「残念ながら私達に与えられたのは艤装だけよ」

 

 金剛と足柄の話を聞きながら妙高と一般的な懐中電灯でどうにか代用できないかと案を出し合っていく。

 

「主砲に無理やり括り付けてみるのはどうでしょうか? 下手に手持ちでの運用にしてしまうと戦闘が起きてしまった場合に困ると思いますので」

 

「それなら、工事用のヘルメットでも被ってみるか?」

 

 俺の案は阿武隈や暁達に絶対に嫌だと却下されてしまった。ある程度は頭部も守れるし両手も使えるとなかなか便利だとは思うのだけれど。

 

(これも彼女達が活躍できない原因の1つか……)

 

 確かに人と同じ装備を使用できるという点を考えれば専用の装備というのは艤装のみで良いのだろうが、人と彼女達では戦闘方法にあまりに差がありすぎる。海上を滑るように移動しながら砲撃を行う以上は余計な装備で艤装のバランスを崩すのは少し危険な気もする。

 

「無い物ねだりをしていても仕方が無いか、少し不格好だけど妙高の案を採用しよう」

 

 その後も海路や装備に関して彼女達から意見を貰いながら少しずつ作戦を固めていく。知識の差なのか会話に参加できていない暁達は暇そうにしていたが、本題に入ると俺が告げると再びこちらの会話に集中し始めた。

 

「この中で深海棲艦と戦闘を行った事がある者は居るか?」

 

 俺の質問にゆっくりと手を上げたのは金剛と山城の2人だけだった。余りにも少なすぎると感じたため、質問の内容を少しだけ緩くする。

 

「では映像や写真じゃなく、直接自分の目で深海棲艦を見た事がある者は?」

 

 今度の質問で佐世保組はほとんど手を上げた。鹿屋に所属していた子達では叢雲が唯一手を上げてくれていた。

 

「どんな事でも良いから、何か気を付ける事とかあれば話してもらいたいんだが、何か無いかな?」

 

「私は戦闘って言っても囮ばかりやってたから偉そうな事は言えないけど、まず気を付けなければならないのは『声』に意識を持っていかれないことかしら」

 

 直接深海棲艦と遭遇した少女達は山城の言葉に頷いて同意をしているようだった。深海棲艦が人間の言葉を話せるという資料は見たことが無いが、一体何に気を付けろと言うのだろうか?

 

「難しいデスネー……。 何を言っているかまでは分からないのデスガ、あの声を聞くと妙に不安な気持ちにさせられると言うか、ネガティブな気持ちになってしまうネー」

 

「意識や気合でどうにかなる物なのか?」

 

 ただの雑音であれば無視してしまえば良いが、戦意が低下してしまうのであれば無視できる問題じゃ無くなってくる、最悪耳栓なんかで防ぐことはできると思うが、無線が使えなくなってしまうデメリットとどちらを優先させるべきなのだろうか。

 

「どうにかなるってより、どうにかするしか無いわね。 絶対に生きて帰るんだって強く考えるくらいしかできなかったわよ」

 

「そうか……。 叢雲がそう言うならこの問題ばかりは各自で乗り越えてもらう問題になってくるかもしれないな」

 

 正直俺自身が経験している訳では無いから適切なアドバイスをする事はできない、実際に経験してきた子達が意識を強く持つ以外に対策が無いと言っている以上は文字通り気合で乗り切ってもらうしか無い。

 

「武装に関しては佐世保で見た感じ、主砲や魚雷って感じで艦娘とそう変わらないって思ってるんだけど、あってるかな?」

 

「たぶんだけど、イ級って呼ばれてる深海棲艦は駆逐艦に近いように感じるわね。 主砲自体の口径は小さめだと思うし、魚雷にさえ気を付ければ耐えるだけなら問題無かったもの」

 

「山城の意見は私達戦艦には該当シマスガ、同じ駆逐艦や軽巡の子達は砲撃もできる限り避けるようにした方が良いと思いマース」

 

 今回の主力が軽巡の阿武隈に暁姉妹、夕立といったどちらかと言えば装甲の薄い子達になっている以上は耐えると言うよりも避ける事を念頭に置いた方が良いだろう。

 

「逆に相手が駆逐艦って事は私達の砲撃でも倒すことができるのかな?」

 

「恐らくは当てる事さえできれば大丈夫じゃないかしら、今までは深海棲艦に砲撃を当てる事ができないって問題もあったけど、今はこの子達も居るものね」

 

 山城は響の質問に答えると、時雨の頭の上を指差す。会話の流れから察すると俺には見えないが妖精がそこに居るのだろう。

 

「妖精に関してはまだ謎な部分が多いが、恐らくはこの作戦でかなり重要になってくると思う。 全員が見つける事ができた訳じゃないが、各自ちゃんと面倒を見るようにな」

 

 あれから金剛と2人で残りの子達の元へ話を聞きに行ったが、最終的には金剛、阿武隈、時雨、暁、雷、電、夕立は自分達の妖精を見つける事ができた。今回参加するメンバーでは唯一響が見つける事ができなかったが、当初の計画に妖精の存在は計算に入れて無かったため、焦らないようにと響には伝えておいた。

 

「……そうか。 当てる事ができれば……か……」

 

「何よ、落ち込んで立って仕方が無いじゃない! 響はいつも通り響らしくしていれば良いのよ!」

 

「そうね、暁の言う通りだと思う。 焦ったって意味が無いって教官も言ってたでしょ?」

 

「そうなのです! すぐに響ちゃんにも妖精さんが見つかるのです!」

 

 俺が居ない間に何があったのかは知らないが、少女達の考え方が以前よりも前向きになってきているような気がする。

 

「もう少しで迎えが来る時間か、阿武隈達は艤装を持って正門に集合してくれ。 呉へは陸路で向かうが各自艤装の最終点検を行っておくように」

 

 俺の言葉に少女達は大きな声で返事をすると、駆け足で執務しつから出て行った。

 

「金剛には作戦についてある程度は伝えてある、俺が不在の間は金剛の指示に従ってやってくれ。 それと、もう少ししたら佐世保に居た子達もこっちに運ばれてくるだろうし、そっちの面倒は妙高に任せる」

 

「了解デース! 教官が居ない間はこの基地は私達金剛姉妹が責任を持って守りマース!」

 

「分かりました、こちらも無線の電源は常に入れておきますので何かあれば連絡をください」

 

 金剛と妙高の返事に頷くと最後にもう1度「頼んだ」と伝えてから俺も執務室から出る。呉までは爺が運転手を貸し出してくれたので佐世保の時のように俺が運転する必要は無いのだが、艤装込みで7人が移動するとなると最悪トラックの荷台も覚悟して置いた方が良いかもしれない。

 

「ねぇ、私もついて行っちゃダメかな?」

 

 正門に向かうために階段を降りていると後ろから声をかけられる。どこかで聞いた事があるような気がするが、何処で聞いたのだろうか?

 

「川内、参上……。 いや、なんというかいざ自己紹介ってなると妙に恥ずかしくなるね」

 

「……ついて行きたいって言ってたが理由はあるのか?」

 

 自己紹介で照れるってどんな状況だよと思ったが、出発の時間までに俺も準備しておきたいと思っているのでスルーして話を続ける。

 

「分からない。 妹達にも反対されたし、私自身なんでついて行きたいのかも分かってない、でも行かないとって思うんだよね」

 

「そんな理由で連れて行くと思うのか?」

 

「やっぱりダメかな?」

 

 俺は川内に背を向けると階段を降り始める。彼女の艦種によっては燃料や弾薬の事を考えると正直かなり厳しいとは思う、それでも彼女が自身がどうして連れて行って欲しいのかという事を理解していない事が気になる。

 

「艦種は何だ?」

 

「5500トン級の軽巡洋艦、軽巡の中では結構新しい方だとは思う」

 

「……ぼさっとしてないで、行くならさっさと準備をしろ」

 

 俺はそう伝えると自身の準備を行うために倉庫へと向かった。途中で川内と同じ服装の少女達から「姉をよろしくお願いします」と頭を下げられてしまったが、俺はその言葉に返事をする事ができなかった───。

 

 

 

 

「狭いな……」

 

「狭いだけじゃなく、かなり蒸し暑いんですけどぉ……」

 

「電! 私の足を踏まないでよ!」

 

「私じゃないのです!」

 

 狭いし暑いしうるさいし、車内は割と最悪な状況になっている。迎えに来たのは案の定73式と呼ばれる不格好なトラックだったのだが、本来ある程度広い荷台も艤装や俺達が乗り込んだ後には肩と肩がぶつかり合うほどのすし詰め状態となってしまった。

 

「厳しいかもしれないが、極力体力を温存するように、俺は少し眠るから何かあったら起こしてくれ」

 

 俺はそう言って腕を組んで目を閉じる。どうしてもこれに乗ると泊地建設の時のいざこざを思い出してしまう。ろくに休息なんてできなかったし、向こうでは今以上に暑さに悩まされた。

 

「私も寝ちゃおうかな、やっぱり日中はやる気がでないや」

 

 隣から川内がもたれかかってきたのを感じる。別に重いとは感じてはいないのだが「重いからもたれかかるな」と口が勝手に動きそうになったのをどうにか堪える。この狭い車内でこいつらから冷たい目で見られるのは残りの移動時間を考えるとリスクがありすぎる。

 

「……阿武隈さん起きてますか?」

 

「起きてるけど、どうしたの?」

 

 眠ると宣言した俺と川内に気を使ってたのか、阿武隈と電が小声で話し始めたようだった。

 

「何故か分からないのですが、輸送船の護衛って聞くと嫌な予感がするのです……」

 

「きっと初めての任務で緊張しちゃってるんじゃないかなー?」

 

「違うのです、怖いのは電自身が何か問題を起こしてしまうような気がするのです……」

 

 初めて任務を行う事で緊張してしまうのは仕方が無いと思う、俺だって初めての任務は基地の警備だったが、ただ門の前で立っているだけなのに異常に緊張した記憶がある。

 

「良く思い出せないのですが、ずっとずっと昔も輸送船を護衛したような気がするのです」

 

「それは艦の記憶かなぁー、電ちゃんだと……その……」

 

「訓練の時に教官さんに怒られて思い出したのです、深雪ちゃんも艦娘として生まれ変わっていたら謝りたいのです……」

 

 執務室にあった資料に少女達の艦の時代の経歴は一通り書かれていたが、確かに電は訓練中に衝突事故を起こしたという記録があったと思う。

 

「深雪ちゃんだけじゃないのです、輸送船にもぶつかった事があるのです……」

 

「そっか、だからこの任務でもぶつかっちゃうんじゃ無いかって心配してる?」

 

 目を閉じているため少女達の表情を伺う事はできないが、電が消え入るような声で「なのです」と呟いた声は耳に入ってきた。

 

「あたし的にも衝突事故ってあまり良い記憶が無いかなぁ、北上さんって軽巡に後ろから衝突して結構長いあいだ入渠しちゃった事もあるんですよー」

 

「北上さんは大丈夫だったのですか……?」

 

 電の心配そうな声に阿武隈は笑いながら「北上さんはあたしに比べて軽症でしたので」と答えていた。

 

「それだけじゃないんですよ、監視船とも衝突してその時の相手は大破しちゃったけど……」

 

「阿武隈さんもいっぱいぶつかってるのです、思い出して怖くなったりはしないのですか……?」

 

「あたし的にはそんなに気にしてないかなぁ。 でも、あたしってすごく前髪を大切にしてるでしょ? それって艦の頃に衝突事故を起こして艦首が壊れたからじゃないかなぁって」

 

 確かに少し前に阿武隈の前髪に触ってグチグチと文句を言われた記憶があるが、その反応は女の子としてでは無く艦の記憶がそうさせていたのかもしれない。

 

「かっこいい事は言えないけど、あたし達は確かに艦の時代の記憶を持っているけど、あたし達はあたし達なんだと思う。 艦の時の記憶に引っ張られてるって思う事もあるけど、頑張ってそれに逆らう事も大切なんじゃないかなぁって思います」

 

「なんだか今日の阿武隈さんはすごく頼りになるのです……!」

 

「今日のって普段から頼ってくださいよぉ……」

 

 なんだか2人のやり取りを聞いていると頬が緩んでしまう。この一週間でこの子達の成長には何度も驚かされている、初めて会った時のこちらを警戒していたり怯えていたりしてた時に比べると間違いなく成長していると思う。

 

「2人共早く寝た方が良いっぽい……」

 

「ご、ごめんなさいなのです!」

 

 会議の途中から気になっていたのだが、夕立の様子が少しおかしいような気がする。作戦の緊張だとその時は流してしまったが、いつもの明るさは無くどことなくトゲトゲとした空気をまとっている。

 

「教官さんも起きてるっぽい?」

 

「……どうした?」

 

「どうして教官さんも一緒に呉に行くのかなぁって」

 

「……向こうの提督に挨拶とかいろいろあるんだよ」

 

 俺の答えに夕立は納得していないようだったが、それ以上俺に質問を重ねてくる事は無かった。妖精を見つける事ができた以上は少女達の中で優先度が自分自身よりも俺へと傾いている事は金剛と時雨が説明してくれている。

 

「教官さんはどうやって帰るのかなぁって気になっただけっぽい……、夕立ももう1度眠るっぽい……」

 

 時雨と夕立は姉妹だと聞いていたが、普段は似ていないと思っていたが妙に鋭い所は似ているのかなと気付かされてしまった。俺自身も向こうについたら少女達に感付かれない様に気を付けなければならないようだ。

 

「あぁ、良い夢を……」

 

 例え作戦に失敗しても少女達には次がある、だから余計なプレッシャーをかける必要は無い。そう自分に言い聞かせたが、いつか金剛が俺に向けて言った言葉を思い出してしまった───。



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呉から鹿屋へ!(1)

私は荷台の中でどうして自分には妖精さんが見つけられなかったのかと考えていた。

妖精さんが現れるには教官を、人間を信頼する事が大事だと金剛さんからは聞いている。

教官は確かに信用に値する人物だとは理解している。

でも、私は彼を完全に信用する事はできなかった。

私は多くの仲間が沈んでいくのを見届けてきた。

時には勝ち目のない無謀な作戦だってあった。

私は運良く修理タイミングが重なり生き残ることができたけど、私以外の姉妹は全員沈んでしまった。

教官が悪い訳じゃない、今の人間が悪い訳じゃない。

でももう少し早く自分達の負けを認めていれば私は1人で他国へと向かわなくても良かったのでは無いだろうか?

そんな事を考えてしまう私に、阿武隈さんの言葉は深く心に刺さった。


(着いたか……)

 

 エンジンが切れる音に気付いた俺は少女達を起こさないようにゆっくりと荷台から外に出る。夜明けまではまだ猶予があるだろうし、今は少しでも少女達を眠らせておいてやりたかった。

 

「鹿屋から呉への長旅、ご苦労だった」

 

「ハッ! 湊少佐、現時刻を持ちまして呉鎮守府へと到着しました!」

 

 どこか爺と同じ空気をまとった老人が俺に向けて労いの言葉を言い放ってきた。胸に飾られた勲章の数もそうだが、声から察するにこの男がこの鎮守府の提督なのだろう。そんな人間がわざわざ出迎えとは大層な事だ。

 

「……作戦決行までまだ時間がある、ついて来い」

 

 俺は大人しく男の後ろについて歩く、付近の街灯により明るく照らされた道を並んで歩いていると、少し丘を登った辺りで鎮守府やドックが視界に入ってきた。

 

「貴様はこの基地を見てどう思う?」

 

「難しい質問ですね、あれは護衛艦と呼ばれる艦なのでしょうか?」

 

 真っ先に気になったのは何隻も並んでいた艦だった、すでに日が変わって結構な時間が経っているはずなのだが、未だに灯りを持った人達が何やら作業を行っているようだった。

 

「そうだ、国を守るために最新の技術を備えた艦だ。 貴様が送ってきた資料に『電』や『川内』、『阿武隈』の名前があったな」

 

「3人とも今回の作戦には参加予定です、今はトラックで眠っているはずですが起こすのはもう少し時間が経ってからにして頂けると……」

 

「そういう意味じゃない。 右から2番目とその奥に見える艦、そして1番左に停泊している艦の名前を貴様は知っているか?」

 

 俺は首を横に振ると「分かりません」と答える。陸に関係する物であればある程度は記憶しているが流石に艦の名前まで憶えている訳では無かった。

 

「『いなづま』と『せんだい』、『あぶくま』だ。 流石はあの男の部下なだけあって随分な皮肉だな」

 

「申し訳ありません、意図して今のメンバーを決めた訳ではありません……」

 

 この時初めて俺は少女達の名前が現在の艦の名前となっている事を知った。

 

「分かっている。 それでも愚痴の1つでも言いたくなると言うモノよ」

 

「愚痴……ですか?」

 

 男は胸ポケットから煙草の箱を取り出すとこちらに勧めてきた。俺は自前の物があると伝えると互いに自身の咥えた煙草に火をつける。

 

「貴様は儂に言ったな、『戦に負ける理由を艦のせいにするな、それでも元船乗りなのかと』あぁまったくその通りだ儂等はこれだけの戦力を保有しているのに、少女達を守ることができんのだ」

 

「……どういう事でしょうか?」

 

「貴様には感謝している部分もあるが、貴様が今からやろうとしている事は軍人として最低だという事を理解しているか?」

 

 どうしてこのタイプの人間は回りくどい問答を行おうとするのだろうか。男の口調にある程度は察してしまったのだが、佐世保の一件がある以上ここで引くわけにはいかない。

 

「欠陥兵器として扱う事で少女達を守っていたとでも言いたいのでしょうか? 佐世保の件を知らないとは言わせませんよ」

 

「その件は感謝している部分の1つだ、立場上戦果を挙げている鎮守府を責めるという事はできないのでな」

 

 素直に自分の非を認める辺り爺とは違う分類の人間なのかもしれないと思う。それでも結局この男は少女達の命よりも立場を優先したという事を俺は認めてやる訳にはいかなかった。

 

「この作戦、成功してしまえば彼女達の有用性が少しずつ認められる切っ掛けにはなるだろう。 しかし、それは彼女達を戦場へと送るという意味を持っているのは理解しているのだろう?」

 

「理解しています。 しかし、今の現状はとても彼女達のためになっているとは思えません」

 

「儂等が不甲斐ないばかりに辛い思いをさせているのは重々承知の上だ。 少し話を戻させてもらうが、儂等があの艦にかつての艦の名前、今では彼女達と同じ名前を付けた時はどれだけの覚悟をしたと思う?」

 

 正直その覚悟は俺には分からない、かつて沈んだ船の名前を付けるという事はあまり縁起の良い物では無いと思ってしまうのは艦に関して素人だからなのだろうか。

 

「艦は儂等船乗りにとって家族も同然だ、戦争には敗れてしまったが彼女達と共に戦った爺様やその仲間達、皆国民を守るために懸命に戦ったのだ。 だから儂等はその意思を継ぐために大切な名前をつけたのだ」

 

「……守れなかった国や国民を守るという覚悟でしょうか?」

 

 男は煙草を深く吸い込むと、ゆっくりと煙を吐き出した。

 

「だが、そんな覚悟も深海棲艦と呼ばれる化物には何の役にも立たなかった。 戦えば莫大な資源を使い国民の血税を湯水のごとく使い続ける。 だからと言って今度は女子供に戦えと命令を出す。 儂等の覚悟は一体何だったのだろうな」

 

「どうやら俺は色々と勘違いしてしまっていたようです。 申し訳ありませんでした……」

 

 今まで散々海軍の連中はクソ野郎ばかりだと思っていたが、自分の考えがあまりにちっぽけだったと後悔してしまう。

 

「謝らなくても良い。 儂等のちっぽけなプライドで多くの国民を危険に晒す所だったのだ、本来であれば彼女達を艦娘として生まれ変わらせた時点で割り切れなかった儂等の落ち度だ」

 

「……俺が言っても信用できないかもしれませんが、そのプライドは決して捨ててはならないモノだと思います。 でも、彼女達の事をもっと信用してやっても良いと俺は思いますよ」

 

 俺はこの1週間での出来事を報告する。 全てという訳にはいかなかったが、どのように少女達が成長してきたか、自分達の妹を守るためにどのようにして努力してきたか。しかし報告の途中で俺の言葉は男に遮られてしまった。

 

「天龍には会っているだろう? 話は天龍から聞いておる、彼女達に事情を話す訳にはいかなかった手前、妹の身の安全を理由に半ば脅迫をしている形にはなってしまっているがな」

 

「俺にそれをばらして良いんですか?」

 

「貴様があの基地に配属されたのは2人目だという事は知っているな、1人目の男は戦果を上げる事を強く意識した人間を選んだ。 結果は失敗、そして次はあえて彼女達から遠く離れた人間を選んだ、それが貴様だ」

 

「……これ以上スパイを忍ばせておく必要が無いという事でしょうか?」

 

 俺の問いに男は頷く。男は短くなった煙草を携帯灰皿に押し込むと、新しい煙草を取り出して再び火をつけた。

 

「貴様は海側の人間になるつもりは無いか?」

 

「その質問を以前時雨という少女にもされた事がありますが、分かりません。 これからも彼女達の成長を見守って行きたいという気持ちもありますが、成長を見守りたいのは彼女達だけじゃなく、元々居た基地にも何人か居るんです」

 

「そうか、早急に答えろとは言わないが良い返事を期待しておるぞ」

 

「この作戦が終われば陸に戻っても良いと話を聞いています、遅くとも作戦が終了した頃には返事ができると思います」

 

「どうも貴様の上司は儂を困らせる事に長けておるらしいな。 いつも儂の邪魔ばかりしおる……」

 

 互いにいざこざがあるというのは聞いていたが、どうやらこの男も爺には散々困らされている仲間らしい。

 

「最後に1つ聞いておきたいのだが、ソレはいつから始めたのだ?」

 

「……ラバウル泊地での作戦からです」

 

「そうか……。 これからも何かを成し遂げようと思うのであれば辞める事だな。 口が寂しく感じるのであればこれをやろう」

 

 男は中身の減った煙草の箱をこちらに投げ渡すと、鎮守府のある方角へと歩いて行ってしまったが、俺はもう少しだけこの光景を見ていたいとこの場に残ることにした。自分が目の前の事しか考えていなかった事は反省する、そしてこの作戦の先に訪れるであろう彼女達の世界についてももっと考える必要があった───。

 

 

 

 

 

「よし、もうすぐ夜明けだが準備は良いか?」

 

 教官さんの言葉に私達はこれから任務が始まるのだと強く意識した。

 

「阿武隈、ご期待に応えます!」

 

「暁の出番ね、見てなさい!」

 

「大丈夫、響、出撃する」

 

「はーい!教官。 行っきますよー!」

 

「電の本気を見るのです!」

 

「教官さんは結局どうするっぽい?」

 

 私は昨日から気になっていた事を教官さんに確認する。気のせいなら良いのだけど、妙に胸の辺りがザワついているような気がする。

 

「さっきお前達に渡したインカムなんだが小型のカメラがついていてな、俺はその映像を見ながらここで指示を出すことになってるんだ」

 

「じゃあ先に戻ってるから、向こうで待ってるっぽい!」

 

「あぁ、帰ったらみんなで祝勝会でもやるか!」

 

 いつも通りの教官さんを見てなんだか安心できたっぽい。帰ったら今日の事をいっぱい時雨に話して、いっぱい美味しい物を食べて自慢してやるんだからね!

 

「それじゃあ、輸送船が出発する前にある程度付近の警戒を終わらせておいてくれ。 これからの指示は無線になると思うが、頑張って来いよ」

 

 そう言って教官さんは手を振りながら建物の中に入って行った。私も背負っている艤装を強く意識して(タービン)を動かして、小刻みな振動を確認したら海へと飛び出す。

 

「みんな頑張っていくっぽい!!」

 

「あまり先行しすぎないようにね、初めは各自で周囲の索敵を。 何かあれば無線での報告でも良いし、すぐに近くの仲間に集まる様に」

 

 阿武隈さんの指示に全員で返事をすると言われた通り周囲の索敵を行う。まだ日が昇ったばかりで少しだけ薄暗いと思ったけれど、小さな物音でも聞き逃さないように必死で耳を澄ませる。

 

「妖精さんも何か見つけたら教えて欲しいっぽい!」

 

 肩の上に座っている妖精さんに声をかけると、可愛らしい敬礼で返事をしてくれた。お喋りはできないけど、自分の言葉がしっかり伝わって居る事に安心する。

 

「教官、周囲敵影無しです」

 

 《分かった、それじゃあ輸送船を出発させる》

 

 無線から阿武隈さんと教官の声が聞こえてくる。なんだかこうしていると教官さんと電話してるみたいで少しだけ楽しいっぽい!

 

「それじゃあ輸送船を中心に輪形陣を組みます、敵影も無いですし少し広めで索敵を優先するように」

 

「了解っぽい!」

 

 私達は練習通りに阿武隈さんが1番前、私は1番後ろ。左側に暁と雷、右側に響と電という形に陣形を組んだ。頬に当たる風は冷たいけど、火照った身体にはとても気持ちよく感じて大きく伸びをしてしまう。

 

「夕立ちゃん、教官は深海棲艦と遭遇率の低い海路を選んだって言ってたけどあまり気を抜かないでくださいー!」

 

「ご、ごめんなさいっぽい!」

 

「でも、風が気持ち良いわね。 朝日も綺麗だしレディにはぴったりね!」

 

「電ももう少し肩の力を抜いた方が良い、ずっとその調子じゃ体力が持たないよ」

 

「わ、分かってるのです!」

 

 それから私達は周囲への警戒を続けながら徐々に鹿屋基地へと進んでいく。少しだけ後ろを振り向いてみると、教官さんの居る鎮守府は豆粒くらいの大きさになっていた。

 

 《もう少し速度を落としても良いぞ、巡航速度を維持するように》

 

「分かりました。 みんな、少しだけ速度落としてくださいー!」

 

 阿武隈さんの指示に従って主機の回転数を下げる。靴の形をした艤装の音が少しだけ静かになると身体の力を抜いて遅くなった速度で安定できる体勢を探す。

 

 《そろそろ沖に出た頃だと思うが、阿武隈は川内から『風船』を受け取ってくれ》

 

「おーい、こっちこっちー!」

 

 後ろからでは良く見えないが、川内さんが船の上から阿武隈さんを呼んでいるようだった。少しして白い風船が空に上がっていくのが視界に入る。

 

 《妖精用の気球だが、距離が開いてもちゃんと意思疎通はできそうか?》

 

「あまり高くまで上げると難しそうですが、今くらいの距離ならなんとなくあたしに何かを伝えようとしてるのは伝わってきますー」

 

 《5メートルくらいか、リールをそこで固定して何かあればすぐに巻けるようにだけ準備をしておけ》

 

 作戦会議の時には冗談だと思ったけど、少しでも索敵範囲を広げようと準備されたのが風船に小さな籠をつけた気球っぽい道具だった。釣り竿と一緒に使ってすぐに手元に戻せるようにとは説明があったけど……。

 

「妖精さんも乗りたいっぽい?」

 

 肩に乗っている妖精さんがすごく目をキラキラさせながら空に浮かぶ仲間を見つめていたけど、乗りたいかと聞いてみたら首を横に振っていた。

 

「なに? 夕立も要る?」

 

「要らないっぽーい!」

 

 川内さんが風船と釣り竿を持って船の後ろに歩いて来たが、妖精さんが乗りたくないと言っている以上は必要ないと答える。

 

「ねぇねぇ! 教官さん! 後どれくらいでつくっぽい?」

 

 《まだ出発して1時間くらいしか経ってないぞ……。 説明はしたと思うが深海棲艦の遭遇報告の多い海域を避けるために迂回する必要もあるし早くて夕方、遅くなっても日が変わる前には到着するだろ》

 

「早く教官さんに会いたいっぽい!」

 

 なんとなくそんな事を言ってみたけど、教官さんに「真面目にやれ」と怒られてしまった。波も低いし風も強くない、お昼くらいには陽射しは強くなるかもしれないけど折角の海だから楽しんだ方が良いっぽい!

 

 《暁、雷。 調子はどうだ?》

 

「もう子供じゃないんだから、これくらい余裕よ!」

 

「私に任せておけば海上護衛なんて余裕なんだから!」

 

 暁も雷も出発前にはガチガチに緊張してたけど、海に出てからはいつもの2人に戻ったような気がするっぽい。

 

 《響、電はどうだ?》

 

「大丈夫、少し陽射しが厳しいけど訓練に比べたらまだ余裕がある」

 

「だ、大丈夫なのです!」

 

 響はいつも通りだけど、電は間違いなく緊張してるっぽい。トラックの荷台で阿武隈さんと話をしているのを聞いたけど、やっぱりまだ気にしているみたいだった。

 

「飲み物が欲しくなったら早めに言いなよー? 電はもっと力を抜かないと途中でバテちゃうよ」

 

 川内さんが輸送船の上から2人に声をかけているけど、なんだか雑用をさせているみたいですごく申し訳ないっぽい。

 

 《……もう少し四国寄りのルートに変える》

 

「予定よりも大回りになりますが、何か問題があったのですか?」

 

 《念には念を入れてってやつだ、少しでも深海棲艦の遭遇報告の無い海域を進みたい》

 

 阿武隈さんと教官さんのやり取りを聞いていると、教官さんに会えるのが少しだけ伸びてしまうって事が分かったけどみんなの安全を考えれば仕方が無いっぽい。

 

 輸送船からの距離を維持するように後ろについて航行する。私は教官さんにも見えるようにゆっくりといろんな方向に首をひねるとインカムの位置を手で調整する。

 

「教官さん見えるっぽい?」

 

 《あぁ、助かるよ。 その調子で索敵を頑張ってくれ》

 

 教官さんに褒められたっぽい!それだけでなんだか頑張れるって気がしてくる。もっと頑張れば帰った時にもっともっと褒めてくれるっぽい!私は両手を思いっきり握りしめると帰ってからの祝勝会を考えて胸が高鳴るのを感じた───。




いよいよ作戦開始です。

作戦中のみタイトルの書き方を少し変えようと思います。


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呉から鹿屋へ!(2)

川内姉さんはあの人の何処に惹かれたのでしょうか?

急に任務について行きたいと言い出した時は私と那珂ちゃんとで止めても無駄になってしまいました。

川内姉さんに聞いても、分からないとしか教えてもらえなかった。

那珂ちゃんに聞いても一目惚れなど冗談しか返って来なかった。

駆逐艦の子達が無事に帰ってくるようにと必死で願っていましたが、それに川内姉さんも無事に帰ってきますようと付け加える。

それにしても、私がこれだけ心配しているのにどうして那珂ちゃんはいつも通りにしていられるのでしょう?

少し相談に乗ってもらう事にしましょう……。


「少し寄せすぎじゃないかな? 座礁したら大変だよ」

 

「分かっている、それでも少しでも安全なルートを進みたいんだ」

 

 空になったペットボトルを持った川内が操舵室へと戻ってきた。操縦自体はある程度は自動で行ってくれるのだが、細かい操舵装置の調整はどうしても人が行う必要がある。小さい船であれば経験はあったがこのサイズの輸送船を動かすというのはそれだけで緊張してしまう。

 

「……夕立は気付いてそうだったか?」

 

「大丈夫じゃないかな? 何か楽しそうにはしゃいでるようだったよ」

 

 夕立は薄々気付いてそうだったが、無事に誤魔化せていると分かってほっとした。いざとなれば輸送船は破棄して近くの陸地へと撤退する。しかし俺がこの船に乗っていると分かれば無茶をしてしまう少女が出てしまうのでは無いかと思っての行動だった。

 

「なら良い、少しの間操縦を任せた。 俺は積み荷に挨拶してくる」

 

「ちょっと! 私操縦なんてした事無いよ!?」

 

 騒ぐ川内を置いて操舵室から出ると、呉に所属していた艦娘が乗る客室へと向かう。細い通路を何度か曲がり、目的地に到着すると扉を軽くノックする。

 

「入るぞ」

 

 扉を開けると目の前には1人の女性が椅子に腰かけていた。こちらを見る冷たい視線には敵意が込められているのが十分に伝わってくる。

 

「俺は湊だ、階級は少佐。 名前を聞きたいんだが良いかな?」

 

「あら~、わざわざ確認しなくても命令したらいいじゃない。 そんな聞き方をされたら教えたくなくなっちゃうもの」

 

「……なら教えなくても良い。 他の艦娘はどうした?」

 

 薙刀のような得物を持って立ち上がった女性の言葉を無視して話を続ける。確かにあれで切りかかられたら少し問題があると思ったが、この狭い客室で長物の相手をするのであれば対処はできると判断する。

 

「おじ様もそうだったけど、貴方も随分と余裕があるのね。 私の質問に答えてくれるなら教えてあげるわよ?」

 

「内容にもよるが、言ってみろ」

 

 こちらの対応に不満があったのか、彼女は壁に得物を立てかけるとこちらに質問があると言い出した。

 

「天龍ちゃんは元気にしてるのかしら?」

 

「元気にしてるよ、会って早々切り付けられたけどな」

 

 俺は未だに右手に巻かれている包帯を取ると、右手を開いて女性に見せてやる。彼女はゆっくりとこちらに近づくと、傷口をなぞる様に触ってきた。

 

「……これくらいの傷で切り付けられたって大げさねぇ」

 

「質問には答えたぞ、俺の質問にも答えろ」

 

 俺は手を払いのけると再び右手に包帯を巻く。これ以上勿体つけるようであれば本意では無いが命令をしてでも答えさせる必要があるだろう。

 

「貴方、まさか船を1人で動かせると思ってるのかなぁ? 他の子達は一生懸命設備と睨めっこしてると思うわよ?」

 

「そうか、適当に探す事にするよ」

 

 俺はこれ以上話をしていても仕方が無いと判断して女性に背を向ける。

 

「龍田だよ……。 生きて帰れたら天龍ちゃん共々よろしくねぇ」

 

 龍田と名乗った女性は呟くようにして俺の背中に声をかけてきた。呉の提督の言葉を思い出せば彼女が天龍の妹なのだろうか。俺は他の艦娘を探すついでに運搬する資材を確認するために移動する。

 

「何をやってるんだ……?」

 

「積み荷が崩れないように見てるにゃ」

 

 貨物室と思われる場所に到着すると、何故か隅で体育座りをしている少女を見つけてしまった。そんな事よりも語尾に妙な違和感を感じる。

 

「……その、名前を聞いても大丈夫か?」

 

「多摩です、猫じゃないにゃ」

 

 なんだろう、あまり関わらないほうが良いのだろうか?先ほどから資材をじっと見たままこちらを見ようともしない態度も気に入らないが、自分の事をタマだとか猫じゃないとかまったく意味が分からない。

 

「ほ、他の子がどこに居るか知らないかな?」

 

「球磨姉がエンジンルームに居るはずにゃ、他は知らないにゃ」

 

 俺はとりあえず礼を言って足早に貨物室から出ていく。自分は猫で姉は熊と来たか、龍田もそうだったが呉の艦娘はストレスでおかしくなってしまっているんじゃないかと心配になってきた。

 

「でだ、お前が熊か」

 

「呼んだクマ? ここは暑いクマー」

 

 できればいい加減にして欲しいのだが、ストレスが原因でこうなってしまったのであれば下手に刺激をする訳にもいかないだろう。

 

「哀れむような眼でこっちを見るのは止めるクマ!」

 

「いや、すまない……。 良いんだ、熊って可愛いよな。 これから向かう先にも熊が有名な場所があるから楽しみにしておくと良い……」

 

「なんか知らないけど楽しみにしてるクマ」

 

 俺は涙を堪えながらエンジンルームを後にする。あの男は俺に対して少女達を守るためとか偉そうな事を言っていたが、こんな状態になるまで放置して居た以上やはり海の人間は信用できないと思う。

 

「おかえり、どうだった?」

 

「あぁ、思った以上に大変な事になっているらしい」

 

 俺は操舵室に戻ると何やら楽しそうに舵を握りしめている川内に報告した。俺の報告に表情を暗くしてしまった川内と操縦を変わる。

 

「……どんな感じだったの?」

 

「龍田はまだマシだと思うが、自分の事をタマだとかクマだとか言っている子達が居たな。 恐らく極度のストレスで……」

 

 俺の言葉の途中で川内は笑いが堪えきれなくなったのか大声で笑い始めてしまった。仲間の悲惨な状態にコイツまでおかしくなってしまったのだろうか?

 

「球磨と多摩もこの船に乗ってるんだ、龍田もって考えると軽巡ばかり船に乗ってるみたいだね」

 

「……もしかしてクマもタマも艦の名前なのか?」

 

「球磨型軽巡洋艦の1番艦と2番艦だね、たしかに知らない人からすると動物の方を思い浮かべるのかも」

 

 俺が盛大に勘違いをしているという事を川内が訂正してくれた。なんというか、心配して損をしてしまったようだ、再びここには居ない呉の提督に心の中で謝罪する。

 

「そろそろ昼時か、一度船を止めるから阿武隈達を引き上げて食事を取らせろ。 間違ってもここには近づけないようにな」

 

「了解、教官のご飯は後で持ってくるから待っててね」

 

 貨物室に資材と一緒に見慣れた缶詰が置いてあったのを見ている俺は、別に食べなくても良いかななんて考えながらも、説明書を見ながら船の速度を落としていった───。

 

 

 

 

「お腹すいたっぽいぃ!」

 

「海の上で食事ってのもなかなかレディらしくて素敵ね!」

 

 暁ちゃんも夕立ちゃんも元気そうで羨ましいのです、電は輸送船にぶつからないように必死で頑張っていたせいか喉がカラカラなのです。

 

「みんなお疲れ様ー、飲み物と食べ物を持ってきたよ」

 

「ありがとうなのです!」

 

 受け取ったペットボトルの蓋を開けると急いで中身を口に含む。あまり冷えてはいなかったけど、それでもとても美味しく感じます。

 

「もしかして今日の食事はソレなのかな?」

 

「……あたし的には一食ぐらい抜いても大丈夫かなぁって」

 

 阿武隈さんと響ちゃんが川内さんから缶詰を受け取っているようなので、気になって見てみるととても見慣れた缶詰がそこにはありました。

 

「最近は普通のご飯ばかりだったからちょっと味気ないわね……」

 

 なんだか辛そうな表情で乾パンをかじっている雷ちゃんを見て、自分のペットボトルが半分ほど無くなってしまっている事に気付きました。

 

「あの……、川内さん。 お水のおかわりはもらえるのでしょうか?」

 

「あまり水ばかり飲んでると航行中に気持ち悪くなっちゃうよ?」

 

 それはまずいのです。でも残りの水の量を考えると乾パンを食べるのはすごく厳しいのです……。

 

「あんまりモタモタしてると帰るのが遅くなっちゃうよ、私は他の子達にも食事を配ってくるから準備ができたら無線で教えてね」

 

 川内さんはそう言って船の中に戻って行きました。ちょっと厳しいかもしれないけど、強くなるって決めたのです!口の中に乾パンを詰め込むと頑張って噛み締める。

 

「電ちゃんコレ、あたしはそこまで乾パン苦手じゃないので」

 

 電のお水が残り少なくなってるのに気づいたのか、阿武隈さんが自分のペットボトルをこちらに差し出してくれたのです。それでも受け取る訳にはいかないのです。

 

「大丈夫なのです! それは阿武隈さんのお水なのです!」

 

 それから電達はみんなで頑張って乾パンを食べ終えると再び海の上へと戻る、船から縄梯子を垂らして上り下りをしているのですが、降りるのは上がるよりもずっと怖いと思ったのです。

 

「教官、川内さん。 こちら準備できました、出発しましょう」

 

 《分かった、徐々に速度を上げるから合わせてくれ》

 

 阿武隈さんが教官さんに無線で連絡をしているのを見て少しだけ憧れてしまうのです、電もいつか素敵な女性になったらあんな風にみんなをまとめてみたいのです。

 

「教官さん!」

 

 《この声は電か、どうした?》

 

「そ、その異常無しなのです!」

 

 《……了解、引き続き警戒頼んだぞ》

 

 後ろ姿だから顔は見えないけど、間違いなく響ちゃんが笑いを堪えているのです、電だって少しくらいかっこいい所を教官さんに見てもらいたいのです!

 

 《急で悪いんだが、電はどれくらい艦の記憶を持ってるんだ?》

 

「き、昨日の話を聞いてたのですか……?」

 

 《盗み聞きをするつもりは無かったんだけどな、それで電は自分の事をダメな艦だって言ってたけど、もう少し良い記憶についても知っておいた方が良いんじゃないかなと思ったんだ》

 

 誰かにぶつかってばかりの電に良い所なんてあるかな、電は教官さんに教えて欲しいと頼んでみるのです。

 

 《これは雷にも言える事なんだが、2人は多くの人命を救ったって今でも美談として残るくらい優しい艦だったんだ。 それだけじゃない、昔地震の被害を受けて困っている人達の元へいち早く駆け付けたって資料もあったな》

 

「優しい艦……」

 

 《あぁ、輸送船には川内も乗っているし、呉に居た艦娘も乗っている。 海上護衛に自信が無いって思っているようだけど人を助ける事に関しては電にとっては得意な作戦だと思うんだ》

 

 教官さんの言葉を聞いて少しずつだけど昔の事を思い出したのです、例え敵の艦であっても困っている人は放っておけないのです。今輸送船に乗っている子達はきっと呉で酷い目にあっていたと思うのです、だから鹿屋基地に連れて帰っていっぱい笑えるようになって欲しいのです!

 

「電が、電達がみんなを助けるのです!」

 

 《あぁそうだな、だからしっかり鹿屋まで送り届けてやろうぜ》

 

 教官さんと話をしたら身体が軽くなったような気がする、確かに何度もぶつかったり失敗もしてしまったけど、もう大丈夫だって思えるのです!

 

「話を遮るようで悪いけど、何か聞こえたっぽい……?」

 

「妖精さんも何か見えた気がするって言ってます!」

 

 《方角を教えてくれ!》

 

 さっきまでの楽しそうな雰囲気が嘘だったかのように教官さんは声を荒げて方角を尋ねている、電も必死で何かを見つけようと目を凝らすのです!

 

「妖精さんは南東の方角を指差しているようですが……」

 

 《川内も甲板に出て索敵を手伝ってやってくれ》

 

「まったく、艦娘使いが荒いねぇ」

 

 川内さんが双眼鏡を持って駆け足で甲板に出てくると、南東の方角を必死で見渡しているのです、電も頑張ってみんなを助けるのです!

 

「響ちゃん、電も索敵に参加するので場所を変わって欲しいのです!」

 

「場所を……?」

 

 確かに響ちゃんは電よりも上手く海を走れるけど、妖精さんを連れている電の方が索敵だけなら役に立てるはずなのです!

 

「響ちゃん聞いてるのです?」

 

「い、嫌だ……」

 

 何かおかしい事を言ってしまったのかな、響ちゃんの様子が少しおかしいような気がするのです。

 

「教官さん! 響の様子がおかしいっぽい!」

 

「何でも無いよ……。 今は索敵に集中しよう」

 

 電達に比べて肌の白い響ちゃんだけど、今は白を通り越して青ざめているように見えるのです。徐々に響ちゃんの速度が落ちているのに気付いて慌てて響ちゃんの横に並ぶ。

 

「響ちゃんは少し休んだ方が良いのです!」

 

 響ちゃんの居た位置まで移動しようとしたけど、響ちゃんに腕を掴まれて進むことができなかったのです。

 

「ダ、ダメ……」

 

「どうしたのです……?」

 

「敵雷跡確認! 教官取り舵一杯!!」

 

 川内さんの叫び声を聞いて輸送船の進む方角が変わる、慌ててその動きについて行こうとするけれど、響ちゃんは電の腕を離してくれなかった。

 

「電! 響をそのままこっちに引っ張ってくるっぽい!!」

 

 咄嗟の事で状況が全く分からないのです、それでも電は夕立ちゃんの言葉を信じて主機の回転数を落として後ろの夕立ちゃんと合流する。夕立ちゃんと並んだ所で大きな音と共に海に水柱が上がったのです。

 

「陣形の維持を心がけてくださいー! このままではT字不利になってしまいますー!」

 

「で、でも響ちゃんが!」

 

「電! 急いで響を船に上がらせて!」

 

 川内さんがこちらに向かってロープ付の浮き輪を投げてきたので、電はそれを拾い上げると響ちゃんの艤装に括り付ける。その後は川内さんが響ちゃんを引っ張り、電は背中を押しました。

 

 《敵の数を教えてくれ!》

 

「確認できるのは1隻っぽい! 阿武隈さんこれ以上魚雷を撃たれるのはまずいっぽい!」

 

「そんな事わかってますー!」

 

 周りのみんなが慌てているけど、電は必死で響ちゃんを押していく。いつも冷静な響ちゃんがどうしてしまったのだろうか。そんな事を考えていると不気味な叫び声が聞こえてきたのです。

 

「な、何よ! 脅かそうとしても暁には効かないんだから……」

 

「暁! 針路が逸れてる!」

 

「き、気持ち悪いっぽい……」

 

「えっ……やだっ……」

 

 耳を塞いでしまいたくなるような声だけど、今は響ちゃんを助ける事を優先するのです。背筋が凍り付くような不気味な声に負けないように頑張っていると、川内さんが無事に響ちゃんを引き上げてくれました。

 

 《落ち着け! 輸送船の針路を深海棲艦と逆に向ける。 阿武隈達は単縦に陣形を切り替えて敵を迎撃!》

 

「わ、分かりました! みなさん教官の指示に従ってくださいー!」

 

 教官の声を聞いて歯を食いしばると、阿武隈さんの背中に必死についていく。次第に深海棲艦に近づいていくと、イルカと魚雷を合体させたような不気味な姿が視界に入る。必死で歯を食いしばろうとしても奥歯がカチカチと嫌な音を鳴らす。

 

「砲撃を開始してくださいー!」

 

 阿武隈さんの指示に従って電達は震える手を押さえながら必死で砲撃を行うけど、砲弾は明後日の方向に飛んで行き、深海棲艦に当たりません。

 

「みなさん落ち着いてくださいー!」

 

「1度砲撃を止めるっぽい! 水柱で見えないっぽい!」

 

 阿武隈さんや夕立ちゃんの声を無視して電は必死で砲撃を続ける。怖い、沈みたくないのです、もう守れなかったなんて言わせたくないのです……。

 

「「危ないっ!」」

 

 暁ちゃんと雷ちゃんが急に横から抱き着くようにしてぶつかってきました、電は必死で砲口を深海棲艦に向けようとするけど、そのまま2人に引きずられてしまうのです。次の瞬間には電の居た位置に大きな音と共に水柱が上がりました。

 

「2人はそのまま電ちゃんを連れて輸送船まで撤退を! 夕立ちゃん行きますよ!」

 

「分かったっぽい!」

 

 暁ちゃんと雷ちゃんに引きずられながらも、真っ直ぐ深海棲艦へと走って行く2人の後ろ姿を見守る。どうか無事に帰ってきますように、そんな事を考えるしかできない電自身の弱さが辛いのです……。

 

「阿武隈さん砲撃でアイツの注意を逸らして欲しいっぽい!」

 

「分かりましたー!」

 

 阿武隈さんの撃った砲弾は真直ぐに深海棲艦に向かって飛んで行き、爆発音と共に煙を上げた、それでも沈めるまでのダメージを与える事はできなかったのか、深海棲艦は口を開けると不気味な声を発して阿武隈さんの方を向きました。

 

「これでど~お!?」

 

 夕立ちゃんは以前神通さんから教えてもらった通りに真直ぐ進むと、すれ違いざまに開いた口の中に魚雷を放り込んだようでした、少しして大きな音と水柱が上がったのを確認すると、電達は阿武隈さんの指示に従い1度船に戻る事にしました。

 

 《怪我人は居ないか!?》

 

「みんな無事ですぅ……」

 

「こらこら、旗艦はもっとしっかりしないと」

 

 教官さんの質問にだらしなく返事をした阿武隈さんが川内さんに注意されているようだったけど、先ほどから響ちゃんの姿が見えない事が気になります。

 

「あぁ、響なら中で休ませてるから安心して」

 

「良かったのです……」

 

 《やはり四国から離れる前に少しだけ休憩を挟もう。 1、2時間くらいなら雨が降る前に目的地に到着できるだろうしな》

 

 教官さんの言葉に阿武隈さんと川内さんは賛成したようでした。暁ちゃんや雷ちゃんも疲れ切った顔をしているし、夕立ちゃんは初めて深海棲艦を撃破したのが嬉しいのかさっきからはしゃいでいるのです。たった1匹でこれだけ大変な思いをするのなら、本当に電達は無事に基地に帰る事ができるのでしょうか───。



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呉から鹿屋へ!(3)

波で荷物が揺れているにゃ。

崩れそうで崩れない荷物を見ているとなんだか目が離せないにゃ。

資材を無事に送り届けろというのは、提督からもらった最初で最後の任務にゃ。

だから絶対に無事に送り届けるにゃ。

でも、あのドラム缶が崩れたら1人で支えられるのかにゃ?

いざとなったら球磨姉にも手伝ってもらうとするにゃ。

それにしても……、退屈にゃ。


 《夕立ったら、結構頑張ったっぽい!? 教官さん、褒めて褒めて~!》

 

 無線から夕立の声が聞こえてくる。確かに急な初陣となってしまったが、予想以上に好調な滑り出しになったと思う、こちらは弾薬をいくらか消費してしまったが目立った被害も無い。

 

「あぁ、そうだな。 映像なんかじゃなく直接見たいくらいすごかったよ」

 

 《もっともーっと頑張るからちゃんと見てると良いっぽい!》

 

 もう少し褒めてやりたいと思ったが、今の戦果を呉の提督に報告してくると伝えて無線のスイッチをOFFにする。戦闘自体に悪い点は無いのだが響の不調が少し気がかりだ。

 

「教官、戻ったよ」

 

「川内か、響の様子はどうだ?」

 

「今は龍田に預けてきた、あのままじゃ出撃させない方が良いよ……」

 

 最悪響が出撃できないのであれば積み荷の資材を使用して川内を出撃させる事も考えておかなければならない。

 

「不調になった原因も調べる必要があるか、もし深海棲艦との接敵が原因なら他の子達も同じ状況に陥る可能性があるからな」

 

「それにしては少しタイミングがおかしい気がするんだよね」

 

「どういう事だ?」

 

「無線を聞いてた感じどうも私が雷跡を発見するより前に様子がおかしくなった気がするんだよね」

 

 川内の言葉を聞いて当時の様子を思い返してみる。確かに夕立と阿武隈が違和感を感じて警戒を強めた、そこから俺は川内に索敵に加わる様に指示を出した。電が響と陣形の位置を変わると提案した辺りで様子がおかしくなったような気がする。

 

「私達の提督になろうとしているのに随分と無知ねぇ」

 

 操舵室の扉がゆっくりと開かれると龍田が顔だけ出して中の様子を伺っているようだった。てっきり鹿屋につくまで客室で大人しくしているものだと思っていたが、何の用だろうか?

 

「悪いが俺は提督なんて目指していない。 それと無知ってのはどういうことだ?」

 

「おじ様にでも聞いてみたらどうかしら? 私は響ちゃんが無事に眠ってくれたって伝えに来ただけだもの」

 

 それだけ言って龍田は操舵室の扉を閉めてしまった。突然の事であまり状況を理解できていない俺と川内は顔を見合わせる。

 

「おじ様って呉の提督の事かな?」

 

「たぶんそうだろうな、このまま悩んでいても仕方が無いし連絡を取ってみるか……」

 

 俺は無線の周波数を呉の司令部へと変えると少しだけ時間をおいて応答があった。

 

「こちら湊少佐です、提督と連絡を取りたいのですが」

 

 《少々お待ちください》

 

 話が長くなってしまう可能性を考えて、川内に周囲の索敵を怠らないように指示を出しておくようにと伝えて置く。川内は頷くと双眼鏡を持って操舵室から出て行った。

 

 《戦果の報告なら要らんぞ、こちらも映像は確認している》

 

「1隻撃破したなんて事で戦果を喜ぶほど能天気じゃありませんよ。 それより『駆逐艦 響』について知っている事があれば教えていただきたいのですが」

 

 《どういう意味だ?》

 

 俺は響の不調を伝えると、当時の状況を細かく説明する。龍田は俺に無知だと言った、つまり知識があれば気付ける問題だという事なのだろう。

 

 《なるほどな、ヒ六一船団の輸送船護衛でも思い出してしまったのだろう》

 

「どういう事ですか?」

 

 聞いたことのない船団名を言われてもまったく理解できない。思い出してしまったという言葉がある以上は艦の記憶に関係しているのではという俺の予想は当たっているとは思うのだが。

 

 《駆逐艦響は目の前で敵潜水艦に駆逐艦電を沈められている。 その時の状況と今回の状況が重なって見えてしまったのだろう、艦娘が過去の記憶を思い出して不調に陥るのは数例確認されていると資料にも乗っているはずだが?》

 

「勉強不足で申し訳ありません、そうであれば響に作戦続行させるのはまずいと判断した方が良いでしょうか?」

 

 《この作戦の指揮権は貴様にある。 好きにしろと言いたいところだが、1つ助言をするのであれば少女に『信頼している』と伝えてみるんだな》

 

 どういう意味かと尋ねる前に無線を切られてしまったようだった。過去に目の前で妹を失ってしまった少女に信頼しているとはどういう意味なのだろうか?それでも今はそれ以上の情報が無いため素直に助言を聞き入れる事しかできない。

 

 俺は操舵室から出ると客室へと向かう。本来であれば俺が輸送船に乗っているという事は少女達には伏せておきたかったのだが、妖精の居ない響であれば俺が居るからと無茶をする事は無いと思うしかない。

 

「入るぞ」

 

 俺は数度ノックして響が休んでいるであろう客室の扉を開ける。返事が無かったためゆっくりと扉をあけて中の様子を確認してみると、龍田から聞いていた通りベッドで横になって眠っているようだった。

 

(目の前で大切な人を失う、艦の記憶とは言えこの小さな身体でその記憶は重すぎるよな……)

 

 額に大粒の汗を浮かべていた響をテーブルの上に置かれていたタオルでそっと拭ってやる。昔の事を思い出して震える手で煙草を取り出そうとするが、呉の提督の言葉を思い出して胸ポケットまで伸ばした手をそっとおろす。

 

「……信頼しているか。 そんな言葉を君達に送れるほど俺は強い人間じゃないよ」

 

 震える手を握りしめて客室から出ようとした所で後ろから声をかけられた。

 

「教官……? どうしてここに?」

 

「あぁ、悪い。 起こしちゃったか、響の代わりに川内に出撃してもらうから鹿屋に着くまで休んでいていいぞ」

 

「……待って欲しい!」

 

 響の声が狭い客室の中に響き渡る。あまりにも必死な表情に少しだけ気おされてしまう。このまま出ていくわけにもいかず、椅子に腰かけると響の顔をじっと見つめる。

 

「無理はしなくても良いんだ」

 

「無理じゃない、少し休めばすぐに出撃できるようになるさ」

 

 顔色は優れず、先ほど拭った額にも再び汗が浮かんできている。視線もどこか安定していない所を見る限り強がりだという事は容易に想像できる。

 

「悪いが俺の判断で響は待機してもらう。 先ほどのような事があれば他の子にも負担がかかるからな」

 

 少し可哀そうだとは思ったが、再び戦闘になれば次は誰かの命に関係してくる可能性がある。それこそ響を庇って暁達が犠牲になったとなれば不幸な記憶を増やしてしまうだけだろう。

 

「嫌だって言っても無駄なのかな……?」

 

「響だって俺がダメだって言っている理由は分かってるだろ?」

 

 暁型の姉妹の中でも響は賢い方だと俺は認識している、それ故自分の不調やそれが他の仲間達にどのような影響を与えるかは自身も理解しているだろう。

 

「……少しだけ私の話を聞いてくれないかな?」

 

 響の言葉に俺は黙って頷く。どのような内容であれ少女が話したいと思った事ならばしっかりと聞いておきたかった。

 

「まだ艦の姿だった頃に、私は目の前で電が沈んだのを見てしまったんだ……」

 

 先ほど呉の提督の言っていた内容は正解のようだった。やはり少女達と付き合っていく以上は俺ももう少し勉強しておく必要があると反省する。

 

「私達は交互に索敵を行っていたんだけど、電と交代して30分も経っていなかったと思う」

 

 どうやら今回の不調の原因は電が索敵をするから場所を変わって欲しいと響に頼んだ状況が過去と重なってしまった事が原因だと察する。

 

「そして私は姉妹の中で1人だけ生きて終戦を迎えたんだ。 戦後は賠償艦としてソ連へ移った、そこで『Верный』信頼できるという名前を貰ったんだ」

 

「信頼できるか、良い名前じゃないか」

 

 俺の言葉に響は首を横に振った。

 

「妹達を見殺しにして、仲間たちが決死の作戦に挑んだいうのに私はドックでただ待っていたんだ。 そんな私が信頼できるなんてひどい皮肉じゃないか、どうして妹達じゃなく私が生き残ってしまったんだろうね」

 

「そうだな、自分だけ生き残るって辛いよな」

 

 俺に返事に何か言いたそうな響だったが、目が合った瞬間に黙ってしまったようだった。確かに命を奪われた者は、生き残った者には分からない苦しみを経験するのかもしれない、しかし残された者の苦しみは残された者にしか分からない。

 

「……教官は一体何を?」

 

「俺の事はどうだって良いさ、それにしてもどうして艦娘ってみんな不器用なんだろうな」

 

 自分だけ生き残ってしまったという話は以前時雨からも聞かされた記憶がある。確かに忘れられない辛い過去だとは思う、何度も自分を責めたくなる気持ちも分かる。しかし、少女達は望んでいなかったかもしれないが『もう1度やり直すチャンス』を手に入れたのだ。

 

「もっと楽に考えろよ。 確かに響の妹達は遠い昔に沈んでしまったのかもしれない、でもさっきまでお前自身が話していた相手は誰だ? 姿形は違うけど大切に思っていた姉妹なんだろ?」

 

「それはそうだけど……」

 

「確かに響の何が分かるかって聞かれても答えられない。 だけど目の前に守りたかった仲間がいるなら過去に拘らずに必死で守ってみせろよ。 お前達にはもう1度やり直す機会が与えられてるんだろ」

 

 俺の身体がこれ以上発言するなと反抗している。喉は焼け付くように痛み、背中には嫌な汗をかいているのが分かる。それでも俺が少女達の教官としてこれからも付き合っていくのであれば間違いは正してやらなければならない。

 

「教官、顔色が悪いよ……?」

 

「すまない、熱くなり過ぎた。 ただ自分の名前を皮肉だなんて考えるのは止めた方が良い、きっとその名前を付けた人達は大切な思いを込めてお前の事をヴェールヌイと呼んだはずだからな」

 

「……向こうで教官と同じことを言っていた艦が居たよ」

 

 響が誰の事を言っているのかは分からない。それでも艦に名前をつけるという事は呉の提督の話を考えれば簡単な事では無いと思う。

 

「さっきは過去の記憶に引きずられて仲間を危険に晒したんだ。 忘れろとは言わないが、乗り越える努力は見せてみろ」

 

「……教官は乗り越える事ができたのかな?」

 

 少し熱くなって余計な事を言い過ぎたのかもしれない、何かを察しているような視線で響は申し訳なさそうに俺に質問を投げかけてくる。

 

「さぁな。 鹿屋に帰ったら教えてやるよ」

 

「私には散々言っておいてそれはずるいんじゃないかな?」

 

 確かにずるいとは思う、しかしこれ以上話をするのは俺の方がきつい。正直昔の事を思い出して今にも吐きそうな気がする。

 

「……1時間だけ待ってやる、そこでもう1度出撃できるか聞くから答えはその時に聞かせてくれ」

 

「……Спасибо」

 

 最後に言った響の言葉は分からない。俺は客室から出ると壁にもたれかかって胸ポケットに手を伸ばす。

 

「艦内は禁煙よー? 随分と熱くなってたみたいだけど、あなたの経験則なのかしら?」

 

「……分かってるよ、火を付けるつもりはない」

 

 龍田に話しかけられた事でギリギリの所で踏みとどまる。自分で辞めると決めておいて早速負けてしまう所だった。

 

「なんだか見たことない煙草ね、それにシガレットケースだなんて随分とお洒落じゃない」

 

「……随分と詳しいんだな。 お前も吸うのか?」

 

「そんな風に見えるのかしら? 私はおじ様から教えてもらっただけよ?」

 

 誰かと話せた事で少しは気を紛らわす事ができた。しかし、落ち着いたら先ほど響に偉そうな事を言った事を後悔してしまう。自分ができていない事を教え子に押し付けるとか教官として最低だと自覚する。

 

「私達にはもう1度やり直す機会が与えられている。 良い言葉ね、胸に響いたわよー?」

 

「盗み聞きは褒められた事じゃないな」

 

 俺は汗が引いたのを確認すると操舵室に戻ることにする、俺自身気持ちを切り替えないとと思い頬を強めに叩く。少し情けないと思うが、それでも後1時間は俺も休ませてもらう事にしよう───。

 

 

 

 

「まったく、あなた達の教官は面白い人ねぇ」

 

 客室の扉を開けるとベッドの上で響ちゃんが自分の手をじっと見つめていた。私に与えられた艦種が軽巡洋艦のせいなのか、どうもこの子達を見ていると放っておけない気持ちになる。

 

「そうだね、不思議な人だよ」

 

「やっぱり椅子に座って威張っている人より、現場の人の方が私達の提督には合ってるのかしら?」

 

 私はグラスに水を注ぐと響ちゃんに手渡す。さっき私が注いであげた時には要らないと言って断ったのに、響ちゃんは一気にグラスの中身を飲み干していった。

 

「教官は提督になるの?」

 

「あの人はその気は無いみたいだけど、艦娘のみの作戦で初めて敵を撃破。 向こうに着くまでにどれくらい戦闘を行うか分からないけど、生きて辿り着く事ができれば十分にあり得る話じゃないかしら?」

 

 例え断ったとしても、おじ様の話を聞く限りあの人の意見は相手にされないと思う。私達の運用ができる人があの人しか居ない以上は、海軍側からしたらあの人を手放せば艦娘という戦力全てを手放すことに等しいから。

 

「龍田さんはもう1度やり直したい事ってあるのかな?」

 

「そうねぇ……。 やり直したいってより、今はいっぱい天龍ちゃんとお話ししたいかな?」

 

「それだけ?」

 

 確かにやり直せるならと思う事もあるけど、私が守りたかった人達はもうこの世界には居ない。だからと言って不貞腐れるほど私は子供じゃない。

 

「それだけで良いのよ? あの頃と違って私達は自分の意志で手足を動かして話すことができるの、だからそれを楽しまないとね」

 

「楽しむ……か。 確かにみんなで料理をして、カレーを食べて、訓練をして。 楽しかったな」

 

 あの人に助け船を出すようで少しだけ考えてしまうけど、今は天龍ちゃんが付けた傷に免じて助けてみようと思う。

 

「そこにあの人の姿はあるのかしら?」

 

「……カレーを作った時に暁がお肉を焦がしてしまったんだ。 そうしたら教官がずぶ濡れで食堂に飛び込んできて、結局は教官の早とちりだったけどこの人は私達のために必死だったんだなって思った」

 

「随分頼りになる教官さんみたいねぇ」

 

 響ちゃんは私の言葉に頷いてくれた。そこまで自覚しているのであればもう少しだと思う。

 

「響ちゃんはあの人の事を信用しているし、頼りになるって思ってる。 それって皮肉だって否定し続けた信頼しているって事じゃないかしら?」

 

 口を開いたまま目をまん丸にしている姿がとても可愛らしい。私はあの人の事をまだ信用していない、だけどおじ様があの人なら大丈夫だと言ってくれた言葉を信じている。そんな事を考えていると響ちゃんが咄嗟に何かを隠したのが見えた。

 

「別に隠さなくても良いのよ? 私にだって居るもの」

 

 天龍ちゃんからの報告書に書かれていた内容を思い出す。確か他の軍人には見せないようにと指示を受けていたんだったと思う。私は荷物の中に隠していた妖精さんを取り出すと響ちゃんに見せてあげる。

 

「本当はね、私は呉を離れるのは嫌だったの。 あなた達の教官に負けないくらいおじ様も素敵な人だったのよ?」

 

「き、教官だって負けてないさ」

 

 少しムキになった響ちゃんの肩を押して再びベッドに横にさせる。まだ何か言いたそうだったけど、今はお話している程余裕のある状況じゃない。

 

「話は向こうに着いてからにしましょう? 今はしっかり休んで残りの作戦を頑張らないとよね」

 

 私はそう言い残して客室から出る事にした。また暇になっちゃったし球磨や多摩でもからかって残りの時間でも潰そうかしら───。



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呉から鹿屋へ!(4)

ふむ、見た事の無い酒が増えている。

教官が帰ってきた時の祝勝会と私達佐世保組の歓迎会を開こうと提案したのは金剛だったが、なかなか粋な計らいをしてくれるでは無いか。

駆逐艦の子達ように『じゅーす』と言う物は買ったのだが、足柄が何やら顔が描かれた蜜柑じゅーすを指差してケラケラと笑っているようだった。

あの基地は佐世保よりも良い雰囲気に包まれているのは認めるが、酒の一滴も無いというのだけは頂けない。

別に佐世保で飲んでいた訳では無いのだが、祝勝会ということは必要になるだろう。

様々な色の瓶が並んでいる棚を物色していると、見慣れた形の瓶を見つける事ができた。

何やら米語で書かれているようだが、この形を私は覚えている。

私の乗組員達はなんと呼んでいただろうか……?

少し昔の事を思い出していると、1つの単語が脳裏によぎった。

そうだ、『達磨』だ!

私は籠に数本瓶を入れると金剛に渡されたメモの中身を確認した。


 《あぁ、悪い。 起こしちゃったか、響の代わりに川内に出撃してもらうから鹿屋に着くまで休んでいていいぞ》

 

 無線から教官の声が聞こえてくる。恐らくはこれは響の無線を通して2人の会話が聞こえてきているのだろう。

 

「川内さん、どういう事ですか?」

 

「教官さんは呉に居るんじゃ無かったっぽい?」

 

「そうね、私達にも説明してもらうわよ」

 

 阿武隈や夕立、暁に詰め寄られてなんて答えるべきか悩んでしまう。余計なプレッシャーをかけないようにと伝えても良いのだけど、もし私がみんなの立場だったらそれはそれで納得できないと思う。

 

「1人で帰るのが寂しかったんじゃないかなぁ?」

 

「電達は真面目に聞いているのです……!」

 

 まずい、非常にまずい。普段大人しい電まで怒っている、私はどうにか良い誤魔化し方が無いかと必死で思考を巡らせる。

 

 《まだ艦の姿だった頃に、私は目の前で電が沈んだのを見てしまったんだ……》

 

 響の言葉を聞いて電がビクリと身体を震わせた。まぁ確かに話している内容はとても気分の良いモノでは無いと思う。

 

「大丈夫よ、今度はこの雷様も電を守ってあげるんだから! ね?」

 

「……大丈夫なのです!」

 

 その様子に気付いた雷が電の頭を撫でている。あまり良い方向では無いけど、教官の話題から少しずつ逸れて行っているような気がする。

 

 《俺の事はどうだって良いさ、それにしてもどうして艦娘ってみんな不器用なんだろうな》

 

「まったく、不器用なのはどっちだって言ってやりたいっぽい」

 

「そうね。 まったくレディじゃないわね」

 

 いや、教官は男なのだからレディじゃないのは当然だと思うのだけど。私は心の中で暁に突っ込みを入れて無線の内容に集中する。

 

「あの……。 みんな怒ってる?」

 

「「「「「もちろん!」」です!」なのです」っぽい!」

 

「だよねぇ……」

 

 一斉にみんなに睨みつけられる。阿武隈以外は身長差もあって上目遣いのようで可愛らしくもあるのだけど、今そんな事を言って火に油を注ぐような真似はしない。

 

 《…お前達にはもう1度やり直す機会が与えられてるんだろ》

 

 教官の言葉に私達は顔を見合わせる。艦娘として再び生を受けてそんな事1度も考えたことが無かった、ただ呼び戻され欠陥兵器と呼ばれ私達に乗っていた家族に対して詫びるだけの日々を送っていた。

 

「教官さん、声が震えてたっぽい……」

 

 夕立ちゃんの言葉にみんなは頷くと黙って何か考えているようだった。

 

「あんまり教官の事を怒らないで欲しいかな、あの人はみんなの事を考えてやった事だと思うし……」

 

「分かってるのです」

 

「そうね、暁が怒ってるのは自分の不甲斐なさよ」

 

「暁の言う通りね。 教官は自分が船に乗っていると私達が無茶をするって思ってるんでしょうね」

 

「きっと教官は輸送船を放棄してでも私達が撤退できるようにって意味なのかなって。  あたし的には信用されてないみたいでNGかなぁ」

 

 この子達はみんな強いなぁと思う。黙っていた教官よりも、信用されていない自分達の実力不足を嘆いているようだった。

 

 《まったく、あなた達の教官は面白い人ねぇ》

 

 この声は龍田の声だろうか?あまり聞きなれない女性の声が無線から聞こえてきた。

 

 《教官は提督になるの?》

 

 今度は響の声だと思う、その質問に私達は黙って話の続きを待つ。

 

 《……生きて辿り着く事ができれば十分にあり得る話じゃないかしら》

 

「皆さん、周囲の索敵を行ってください。 燃料が勿体ないので、待機中は船の上からで大丈夫ですー!」

 

「分かったわ!」

 

「任せるっぽい!」

 

「一人前のレディなら索敵くらい余裕なんだからね!」

 

「頑張るのです!」

 

 阿武隈さんの言葉にみんなは船の柵から身を乗り出すようにして周囲を見渡し始めた。あの人が自分達の提督になるかもしれない、その言葉はみんなに火を付けるには十分過ぎる燃料だったみたい───。

 

 

 

 

 《さて、休憩もそろそろ終わりにしてさっさと鹿屋に帰るぞ》

 

 無線から教官の声が聞こえてくる。私は艤装との接続を確認してみるがさっきまでの身体のだるさが嘘のように思える程軽く感じた。

 

 《響も無理をしないようにな》

 

「大丈夫、不死鳥の名は伊達じゃないって所を見せてあげるよ」

 

「響ちゃんが元気になって良かったのです!」

 

 暁達に心配かけて悪かったと頭を下げてみたのだけど、何故か分からないけど笑顔で許してくれた。そして妙にみんなテンションが高いように思えるのだけど、私が居ない間に何かあったのだろうか?

 

「皆さーん! 自分の位置についたら教えてくださいー!」

 

 阿武隈さんの言葉にみんなで返事をする。阿武隈さんもいつもより気合が入っているみたいだし、本当にどうしてしまったのだろうか?あれから教官には自分が輸送船に乗っている事はみんなには黙っておくようにと言われたけど、確かに今の調子を考えれば下手に刺激しない方が良いのかもしれない。

 

 私達は完全に日の昇ってしまった海を進んでいく。時々波が光を反射して眩しく感じてしまうけど、肩に乗っている妖精さんのおかげなのか朝よりも落ち着いて航行できていると思う。

 

「教官! 敵影発見しました! 数は2隻、こちらにはまだ気付いていないようです!」

 

 《迂回できそうか?》

 

「時間も押してることだし、ここは暁達に任せなさい!」

 

「そうだね、汚名返上といかせてもらおうじゃないか」

 

 迂回するにしてもやり過ごすにしても、今以上に鹿屋につく時間が遅れてしまう。それに、何故か分からないけど今なら自分でも不思議なくらい上手く戦える気がする。

 

「皆さん砲撃の準備をー!」

 

 阿武隈さんの指示に従って12.7cm連装砲を目標に向ける。まだ豆粒くらいにしか確認できていないけど、私は妖精さんの指示に従って砲の角度を調整する。

 

 《……無理だけはしないでくれよ》

 

 教官の声は聞こえてくるけど、みんなは黙ったまま目標をじっと見つめている。

 

「……砲撃開始してくださいー!」

 

 私達の砲口から一斉に轟音が鳴り響く。真っ直ぐと目標目掛けて放物線を描いて行き、目標付近に水柱を作る。

 

「初弾弾着、夾叉だよ!」

 

 船の上から川内さんの声が聞こえてくる。私は連装砲の角度を調整するとこれで良いか妖精さんに確認を取る、妖精さんは自信ありげに頷くと私はそれを信用して再び砲撃を開始する。

 

「Урааааа!!」

 

 撃った瞬間に、今度は当たると確信した。理由なんて分からない、距離だって訓練の時の何倍もある、だけどこれは当たる。

 

「1隻中破確認! 敵砲撃が来るよ、落ち着いて避けて!」

 

 私は右舷に舵を切って敵の砲撃に備える。輸送船に近すぎれば私を狙った砲撃が輸送船へと当たる可能性がある、それに自ら回避の針路を潰すと考えればこれが最善だと思う。

 

「冷たいっぽいぃぃ!」

 

 放たれた敵の砲弾は輸送船を大きく越し、後ろに居る夕立の近くに着弾したようだった。水飛沫を浴びた夕立の叫び声が聞こえる。

 

「夕立ちゃん被害はありませんか!?」

 

「大丈夫、ただ濡れただけっぽい!」

 

 相手は1隻中破、もう1隻はこちらに砲撃を行っている。砲撃の様子を見る限り中破した敵の精度はあまり良いとは言えない。

 

「電……! 一緒に無傷の方を狙おう!」

 

「はいなのです!」

 

 今はあの時とは違う、2人で同じ向きを見て一緒に戦っている。だからあの時のようにはならない。

 

「暁達が前に出るから、任せたわよ!」

 

「外してもこの雷様が仕留めてあげるから私に頼っても良いのよ?」

 

 2人は速度を上げてジグザグに進みながら敵に近づいていく。水飛沫を上げながら進む2人の姿がとても頼もしく見える。

 

「無理はしないでくださいー!」

 

「大丈夫、私達暁型がこんなところで沈む事は無いさ」

 

 何の根拠もない言葉だけど、私は本気でそう思っている。

 

「さて、やりますか」

 

「命中させちゃいます!」

 

 私と電の砲口から同時に砲弾が放たれる。命をかけて戦っているというのに私は不思議と笑ってしまう。初春型のみんなは居ないし、陽炎型のみんなも居ない、それでも阿武隈さんが居て私達暁姉妹がいる。

 

「『一水戦』はお前達なんかに負けないんだ! Урааааа!!」

 

「ウ、ウラーなのです!」

 

 砲撃を1度やめて川内さんの言葉を待つ、初戦のように無駄撃ちして敵が見えないなんて恥ずかしい姿を教官に見せる訳にはいかなかった。

 

「着弾、1隻轟沈! 残りは中破の1隻のみ!」

 

 無事に私達の砲撃は当たってくれたらしい。

 

「暁! やるわよ!」

 

「わ、私の台詞を取らないでよ!」

 

 暁と雷がしゃがみ込むようにして腰についた魚雷を発射したのが見えた。美味しい所を取られて少し悔しい気もするけど、それも悪くないと思う。

 

「魚雷命中! 敵2隻共轟沈確認!」

 

 川内さんの言葉を聞いて私達はほっと一息ついた。砲口がまだ熱を帯びているけど私の身体はそれ以上に熱くなっているのが分かる。

 

「夕立だけ仲間はずれっぽいぃぃ……」

 

「まぁまぁ、夕立ちゃんも『鹿屋基地第一水雷戦隊』の仲間ですよー?」

 

 輪形陣の1番後ろにいる夕立は活躍できなくて拗ねているようだったけど、阿武隈さんがどうにか宥めていた。

 

「ひーびき!」

 

 後ろを見ていると突然雷に声をかけられた。前を向きなおせば両手を上げた暁と雷がこちらに近づいてきている。

 

「響ちゃんも両手を上げるのです!」

 

 一体何をやろうとしているのだろうか、訳も分からないまま私は電の指示に従う。

 

「やったわね!」

 

「これで響も一人前のレディに近づいたわね!」

 

 左右の手を暁と雷に叩かれる。少し遅れて電も私の手に両手を合わせて、そのまま手を握られる。

 

「大丈夫なのです、もう響ちゃんを独りにはしないのです!」

 

「……Спасибо。 いや、ありがとう……!」

 

 まだ作戦中だと言うのに私の目から涙が零れる。私はもう独りじゃない、阿武隈さんが居て夕立が居て、暁や雷、電が居る。そして教官が居てくれる。両手を電に握られているから涙を拭う事はできないけど、たまにはこんな風に泣いてみるのも悪くないと思った───。

 

 

 

 

「教官泣いてるクマ?」

 

「……泣いてねぇよ。 それよりなんでここに居るんだよ」

 

「機関室は暑いクマー、だから少し涼みに来たクマ」

 

 余程暑かったのか球磨はセーラー服をパタパタと仰ぐようにして涼んでいるようだった。まぁ、下手に熱中症になられても困るし涼むくらいは良いと思うのだが、何故客室ではなく操舵室へ来るのだろうか。

 

「良い子達だクマー」

 

「そうだな、俺の自慢の教え子だよ」

 

 少女達の容姿が幼いせいか妙な親心も沸いているような気がしないでもない。短期間で俺の予想を超えるほど強くなっていく少女達に俺も負けていられないなと思う。俺は球磨に少し黙っているようにと伝えると無線のスイッチを入れる。

 

「今回は俺達の完全勝利だな、良くやった」

 

 《勝利か、いい響きだな。嫌いじゃない》

 

 何を強がっているのか分からないが、響は涙声でそんな返事をしてくる。こいつなりに冷静を装っているつもりなのだろうか?

 

「各自損傷を確認してくれ、それが終わり次第再び航行を開始する」

 

 《分かりましたー! 皆さん被害を報告してくださいー!》

 

 夕立が服が濡れてしまったと騒いでいる、その反応は艦娘としてどうなのだろうか?と思ってしまったが、「また教官さんに磯臭いって言われるっぽい!」と聞こえてきたので俺のせいかと反省してしまう。

 

「それじゃあ出発するぞ、上手くいっているからって油断しないようにな」

 

 全員の返事を確認すると無線のスイッチを切る。それにしても妙にニヤついた表情でこちらの様子を伺っている球磨がとてもうざい。

 

「ふっふっふ~、顔が緩んでるクマー」

 

「うるさい、別に俺が喜んだっておかしくないだろ」

 

「これがツンデレってやつクマ?」

 

 いったい呉の提督はこいつらに何を教えていたのだろうか?龍田といいコイツといい自由過ぎるだろ。

 

「呉の海兵さんは面白い人がいっぱいだったクマー!」

 

「その話し方もそこで教わったのか?」

 

「キャラ付けは大事だって言われたクマ!」

 

 いや、なんだろう。俺が思っているよりもあの鎮守府は緩いのだろうか?

 

「あそこの鎮守府では球磨達にとても優しくしてくれたクマ。 何も知らない球磨達にいろんな事を教えてくれたクマ」

 

「良い所だったんだな、前線で使えなくなった艦娘を輸送するって聞いていたんだけど戦闘とかで損傷したとかじゃないのか?」

 

「1度も戦闘した事無いクマ、ずっと索敵と訓練だけだったクマ」

 

 俺の聞いていた話を随分違う気がする。出撃を行っていないのに前線で使えなくなったとはどういう意味なのだろうか?

 

「球磨達はきっとあの子達よりも上手く戦えるクマ、だからあの鎮守府を離れるクマ」

 

「どういう意味だ?」

 

「簡単クマ、戦えない艦娘は前線に出ても索敵しかやらないクマ。 だけど戦えるようになればそのまま戦闘を行う事になるクマ」

 

 クマクマ言うせいで上手く集中できないが、つまり練度が上がり戦闘を行う事ができるようになった艦娘をわざと他の基地に移しているという事だろうか?その行為はあまりにも非効率的過ぎる。

 

「提督は球磨達に戦ってほしくなかったクマ、だけど立場上遊ばせておくわけにもいかないって安全な任務だけやらせてたクマ」

 

「そういう事か、鹿屋に着いたらお前達にも戦闘をしてもらうかもしれないが良いのか?」

 

 あの提督もなかなか上手くやっていたのだと感心する。兵器として運用する事で上を誤魔化しながらも、彼女達の安全を確保するという考えだったのだろう。

 

「良いクマ、球磨達は戦うために生まれてきたクマ。 折角誰かを守る力があるのにずっと待機はつまらないクマ」

 

「すごいな、今までいろんな艦娘に会ったけどそこまで自分の意志をはっきり持ってる奴には初めて会ったよ」

 

「意外に優秀な球磨ちゃんって、よく言われるクマ。 だからまずいと思ったら球磨達を出撃する事も案に入れておくクマ」

 

 球磨はそれだけ言い残して操舵室から出て行ってしまった。彼女達の実力は分からないが、暁達よりも上手く戦えると言った以上は信用しても大丈夫なのだろうか。

 

 俺は操舵室に1人になった事を確認すると、初戦と今回の戦いを記録した映像を再生する。少女達のインカムについているカメラで撮った映像だ。ノイズが混ざりあまり画質が良いとは言えないが、俺にとって重要なのはその叫び声だった。

 

(どこかで聞いたような記憶があるんだよな……)

 

 何度も同じシーンを再生してどうにか思い出そうとしてみるが、どうにも思い出すことができない。何度も再生しているうちに軽い眩暈に襲われてしまう、俺は映像を切ると頭を振って気持ちを切り替える。

 

(今はこの作戦に集中しよう、別に今思い出さなければならない訳でもないしな……)

 

 気付けば俺の両手は固く握りしめられており、手を開いてみると汗で湿っていた。何か引っかかりを感じるが今は少女達を無事に鹿屋へと送り届ける事に集中しよう───。



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呉から鹿屋へ!(5)

はぁーいっ! 那珂ちゃんだよーっ!

今日は那珂ちゃんのライブに集まってくれてありがとー!

こうしてこんなに大勢の人が集まってくれるなんて、嬉しすぎて那珂ちゃん泣いちゃいそうだよっ!

よぉし!那珂ちゃん今日も可愛ぃ♪

これなら帰ってきたみんなも喜んでくれるよね?

あれ、神通お姉ちゃんどうしたの?

真面目に準備しなさいって……?

分かってないなぁ、アイドルにとってこうしてリハをやるのも準備のうちなんだからねっ!

……ま、真面目に準備するから怒らないでよー!


「ガラ空きなんですけど!」

 

 深海棲艦とすれ違いざまに14cm単装砲を向けて引き金を引く。砲弾は敵の右側面に当たり轟音と煙を上げながら標的は沈んでいった。

 

「阿武隈さん避けるっぽい!」

 

 無事に相手を沈めた事で少しだけ油断したのがまずかった。私は夕立ちゃんの声を聞いて咄嗟に出力を全開にして前に進む、急に加速したせいか足に鋭い痛みが走る。

 

「雷、もう少し下がって!」

 

「私の事は良いから暁は目の前の敵を!」

 

 後ろから暁ちゃんと雷ちゃんの声が聞こえてくるけど、今は2人の援護に回れるほど余裕が無かった。海面に雷跡を確認して一気に舵を切って針路を変えるけど私の近くで爆発した魚雷は水柱と共に私の身体を少しだけ浮かび上がらせる。

 

 《大丈夫か!?》

 

 教官の焦った声が聞こえてくる、右足がすごく痛い。前が見えないのは目に海水が入ったせいなのか意識が混濁しているのかも判断できない。

 

「このまま負けるなんてイヤ!」

 

 必死で頭を振って意識を繋ぎとめる。揺れる視界には破れてしまったスカートや腰についている艤装の砲塔が曲がってしまっているのが見えた。それでもこんなところで諦めたくない。

 

「電、危ない!」

 

「はにゃあーっ?!」

 

 後ろで電ちゃんの叫び声が聞こえる、今は自分の心配よりも目の前の敵を沈める事に意識を集中させる。せめて後1隻沈める事ができれば、そう思い単装砲の照準を私達に向けて大きく口を開いた敵に向けて引き金を引く。

 

 しかし不安定な体勢で放たれた砲弾は明後日の方向に飛んで行くのが見えた、それを嘲笑うかのように深海棲艦はこちらに口の中に見える方向を向けてくる。

 

「やっぱあたしじゃムリ……?」

 

 急いで射線から逃げようと出力を上げようとするけど、主機からはカラカラと何かが空転するような音だけが聞こえてくる。

 

 《艤装の浮力を落とせ!》

 

 どうしようかと必死で考えていると教官の声が聞こえた、そんな事をしてしまえば私達は海に浮かんでいられなくなる、それでも今はその指示に従うべきだと思った。

 

 《川内、阿武隈の援護に迎え!》

 

「分かってる!」

 

 浮力を無くすために缶の火を落とす、被弾して元々浮力が少なくなっていた右足が海へと沈んでしまい私はそのまま海面へと倒れこんでしまう。そして私の前を敵の砲弾が通り過ぎて行った。

 

「兵装を捨てろ!」

 

 無線では無く教官の声が直接聞こえた。

 

(この人は本当に馬鹿な人ですね……)

 

 身体が半分程沈んでしまった私の視界には甲板から救命具を抱えて飛び込む教官の姿が見えた。まだ敵は残っている、私達艦娘は敵の攻撃を受けてもどうにか耐える事ができるけど、生身の人間が受ければ間違いなく無事ではいられない。

 

「お前の相手は私だよ!」

 

 橙色の制服を風でなびかせながら川内さんが私の横を通り過ぎていく。動きづらい海中でどうにか単装砲や魚雷を外すと、浮力を失った体の沈んでいく速度が緩やかになった。

 

「大丈夫か!?」

 

「体中が痛いです……」

 

 教官は私を抱きかかえると手際よく救命具をつけてくれた。「痛いのは生きている証だ」と教官は苦笑いを浮かべると、そのまま私の背中を引っ張って輸送船へと泳ぎ始めた。

 

「阿武隈さん大丈夫!?」

 

「暁、今は敵を倒すのを優先するわよ!」

 

 暁ちゃんと雷ちゃんが川内さんの応援に向かうのが見えた。

 

「電は阿武隈さんと教官を船へ、私も川内さんの援護に行くよ」

 

「はいなのです!」

 

 電ちゃんに曳航されながら輸送船へと戻ると、甲板で1人の女性がロープをこちらに投げ渡してくれた。

 

「まったく、面白いと思ってたけどここまで面白い人だとは思わなかったわよ?」

 

「俺は面白くねぇよ、早く阿武隈を引き上げてやってくれ」

 

 救命具に結び付けられたロープによって私の身体は甲板へと引き上げられていく。薄れていく視界には川内さん達が最後の1隻を沈めるのが見えた───。

 

 

 

 

「川内、被害の報告をしろ」

 

 阿武隈の応急手当を終わらせて甲板に戻ると川内以外の全員が座り込んでしまい息を荒げてしまっている。

 

「暁、雷と響が小破、夕立と電が中破寄りの小破ってところかな。 阿武隈は大丈夫そうだった?」

 

「あぁ、魚雷の破片で何ヵ所か裂傷があったが命にかかわるような出血は無い。 意識が無いのは爆発の衝撃で軽い脳震盪でも起こしたんだろ」

 

 陽が沈み始めてから目に見えて深海棲艦との遭遇が増加している。数自体も増えているとは思うのだが、こちらの索敵範囲が狭くなっていく事でどうしても事前に針路を変更するというのが難しい。

 

「夕立と電の被害をもう少し細かく教えてくれ、場合によっては龍田や球磨達に交代してもらう」

 

「夕立はまだ戦えるっぽい!」

 

「電もまだいけるのです!」

 

 2人は疲労のせいなのか顔は若干赤みを帯びており、目も軽く充血してしまっている。目立った怪我は無いようだが、夕立は左足についている魚雷発射菅の取り付けがおかしくなっているようだし、電も2本ある砲塔が1つ曲がってしまっているようだった。

 

「……針路を変更して佐田岬から佐賀関港へのルートを使う。 龍田、悪いが呉に連絡を入れてもらっても大丈夫か?」

 

「別に良いけど、問題を先延ばしにしてばかりじゃ何もできないわよ?」

 

 問題を先延ばしにしてる事は十分理解している、例えどれだけ陸の近くを航行したとしても夕方からの敵との遭遇率を考えれば焼け石に水とでも言える。それでもいざという時の事を考えれば陸地が近い方が生存する可能性は高くなる。

 

(それと、こいつらに俺の事をどう説明したものか……)

 

 少女達には呉から映像を見ながら指示を出すと伝えていた、響はすでに俺がこの船に乗っている事を知っているが、他の子達にどう説明したものか。

 

「教官さんには悪いけど、みんなもう知ってるっぽい」

 

「そうね、私達に内緒で船に乗ってるなんて失礼しちゃうわね!」

 

「暁ちゃんの言う通りなのです、なんだか水臭いのです!」

 

 どういう事だろうか、響が他の子達に話したとは考えづらいし、他に俺が船に乗っている事を知っているとしたら川内や龍田達が話したのだろうか?

 

「おい、川内。 どういうことだ?」

 

「い、いやぁ……。 やっぱり夜の海は良いね!」

 

 怪しげな態度を取る川内に問い詰めてやろうかと歩いて距離を縮めようとするが、雷に間に入られてしまった。

 

「まったく、教官も素直じゃないのね! 寂しいって素直に言ってくれれば一緒に居てあげたのに!」

 

「どういう事だ?」

 

 俺の問いかけに雷は無線から俺と響の会話が聞こえてきたと教えてくれた。その時の様子を振り返ってみると、確かに響のインカムが机の上に置かれていた事を思い出した。

 

「どうして俺に話さなかった?」

 

 別の意味で川内を問いただす必要ができた俺は何やら胸を張って「もっと頼っても良いのよ」と言っている雷を無視して川内に近づく。

 

「この際だから言わせてもらうけど、それは教官が暁達に秘密にしていた理由と同じだよ」

 

「……そうか。 お前達は余計な事を考えなくても良い、今は自分達が生き残る事だけを考えてろ」

 

 叱るに叱れなくなった俺は少女達に背中を向けると操舵室へと戻る事にした。恐らくはこのまま戦闘を続けていれば少女達の体力が持たないと思う、撤退のルートも考えなければならないが、下手に迂回を続けるより体力があるうちに一気に距離を稼いでしまった方が良いのではなかろうか。

 

「おい、お前達も艤装をつけておけ。 働いてもらう事になるかもしれない」

 

 操舵室に戻ると球磨だけじゃなく多摩までもが空調の下で涼んでいるようだった。

 

「了解だクマー!」

 

「多摩も出撃するのにゃ?」

 

「あぁ、それに艤装を付けておけば最悪この船が沈んだとしても海上を航行して逃げる事ができるだろ」

 

 どちらかと言えば後者の意見が本音に近い、それでも訓練を行っていない川内に長時間の戦闘は厳しいだろうし球磨の話を聞いている限りここはこいつ等にも力を貸してもらう必要があると思った。

 

「全員よく聞いてくれ。 ルートは佐田岬から佐賀関港を使うが、ここから先は海軍のセオリーじゃなく俺の経験で作戦を立てさせてもらう」

 

 無線からは少女達の息をのむ声が聞こえてきた。俺がこの船に乗っている事を少女達が知っているからには最悪俺が囮として少女達を撤退させるという作戦はできないと考えた方が良い。

 

「阿武隈以外の艦娘は佐田港に到着したらこの船との距離が1km以上開くまで待機してもらう。 俺が出撃の指示を出したら距離を維持したまま航行を開始、恐らくは俺の後方に付いてきている敵を迎撃してくれ」

 

 《それじゃ教官さんが危ないのです!》

 

「それはお互い様だろ、龍田と球磨、多摩は川内達の後方へ位置して川内達に集まってきた敵の妨害を頼む。 お客さんに殿を頼むようで申し訳ないが、危険だと察したら最優先で撤退してもらっても構わない」

 

「上等だクマ」

 

「問題無いにゃ」

 

 《そんな事やらなくてもいけるっぽい!》

 

 電や夕立は俺の事を心配してくれているようだったが、どちらにしても少女達が戦闘を行えなくなった時点でこの作戦は終了してしまう。この船に兵装が取り付けられていない以上は俺が囮になって効率的に敵を殲滅していく方がまだ見込みがある。

 

「異論は認めない、それでも嫌だと言うのなら佐田港に迎えを寄こすように頼んでやるからそこでこの任務から降りろ」

 

 少女達に負担をかけているのは十分理解している、守ろうと思っている相手を囮にするなんて俺が指示を出される側なら断固として拒否しても良いと思える。しかし少女達が俺を守りたいと思ってくれている以上に、俺は少女達が生き残る可能性を少しでも上げてやりたかった───。

 

 

 

 

「次に同じことを言ったら無事じゃ済まないデスヨ?」

 

「あら、逆ギレ? 天下の戦艦様も随分とだらしないのね」

 

「2人共落ち着いてください、霞も人を侮辱するような発言は控えるようにと何度も言っているはずですよ」

 

 霞の口の悪さは以前から注意していましたが、やはりこうしてもめる原因になってしまったと私は溜息をついてしまう。

 

「金剛さんも少し落ち着いてください、私が厳しく指導しておきますので……」

 

「……子供の言った事デシタ、私も少し大人げなかったデース」

 

「あーもう、バカばっかり。 クズをクズだって言って何が悪いのかしら」

 

 身を乗り出そうとした金剛さんを比叡さん達が必死で引き留めてくれていました。私は霞に目線を合わせるようにしゃがむと、先ほどの言葉を訂正するように促す。

 

「どうせ今の軍人なんてみんなクズよ、妙高さんだって佐世保で嫌って程味わったでしょ?」

 

「……確かに佐世保の提督は決して褒められる方ではありませんでした、しかしこの基地に居られる湊教官は私達を囮として扱うような方ではありませんよ」

 

「何よ、妙高までそのミナトって男に誑かされたの?」

 

 霞の性格を考えれば引くに引けなくなってしまっているのだという事は理解できる、しかし鹿屋の方達にそれは伝わっていないだろうし、何より信頼している自分達の上司を侮辱されたのであれば金剛さんのように殺気立っている方が居てもおかしくない。

 

「僕からも一言良いかな、霞が誰をどう思っても勝手だと思うけど僕達の前で湊教官を侮辱するのはやめてもらえないかな?」

 

「時雨までそんな事を言うのね、あんたの大切な山城が佐世保でどんな目にあってたか知らない訳じゃないんでしょ?」

 

 時雨ちゃんは一見冷静そうに見えるけど、拳を強く握りしめているのが見える。少女なりの精一杯の妥協だったと思いますが、流石に霞の返事に眉間に皺を寄せてしまっているようでした。

 

「騒がしいようですが、どうされたのでしょうか……?」

 

 食堂が騒がしい事に気付いて様子を見に来たのか、橙色の制服をまとった少女が心配そうな表情を浮かべて入ってきた。その姿を見た瞬間霞の表情が固まってしまった。

 

「じ、神通さん! べ、別に何も無いのよ?」

 

「そうですか……、それなら良いのですが……」

 

 先ほどまでの強がりは何処に行ってしまったのか、金剛さんに詰め寄られても平然としていた霞の様子が少しおかしい。

 

「金剛さん、霞ちゃんの言っている事は本当でしょうか?」

 

「……本当デース、私達はただ自己紹介をしていたダケネ」

 

 神通さんが金剛さんに事情を尋ねているのを黙って見ていた霞でしたが、先ほどの暴言について話すことが無いと分かったのか少しだけ安堵しているようでした。

 

「そうですか、それでは私は祝勝会の準備に戻りますので……」

 

 これ以上ここに居ても仕方が無いと判断したのか神通さんは自分の担当する場所へと戻って行った。

 

「その……、助かったわよ」

 

「助けた訳じゃナイヨ、私はまだ教官の事をクズだと言った事は許して無いデス」

 

 急な登場人物のおかげで少しはこの場も落ち着いてくれたようですし、仕切りなおすのであれば今しかないと判断する。

 

「それでは皆さん、各自手分けをして祝勝会の準備を進めましょう。 那智達もそろそろ帰ってくるでしょうし、料理も沢山必要になると思うので」

 

 私の言葉で各自自分の担当する場所へと帰って行きました、1人残されてしまった霞の頭に手を乗せると優しく撫でてやる。

 

「神通さんは苦手なのですか?」

 

「別に苦手って訳じゃないけど、なんだか身体が逆らっちゃダメだって……」

 

「そうですか、もし本当に霞がこの基地の教官さんの事をクズだって本気で思うのであれば、神通さんの前でも同じことを言ってみるのはどうでしょう?」

 

 霞はその場面を想像したのか顔を真っ青にして頭をブンブンと左右に振って誤魔化しているようでした。

 

「確かに私達が艦の時代に比べると、尊敬できるような方は減ってしまっているように思います。 それでも金剛さんや時雨さん、この基地に居る艦娘にとっては湊教官は信頼に値する人物なのでしょうね」

 

「……悪かったわよ、言い過ぎたって反省してる」

 

「それは私じゃ無くあそこにいる方達に伝えた方が良いんじゃないかしら?」

 

 金剛さんが駆逐艦の子達に料理を教えているのを指差して霞に謝ってくるように促してみましたが、流石に恥ずかしいのか顔を真っ赤にして霞は壁の飾りつけに戻ってしまいました。

 

「まったく、少しは素直になれば可愛らしいところもあるんですけどね」

 

 そんな事を考えていると無線から呼び出し音が聞こえてきた、金剛さんの持っている無線にも連絡があったのか料理の続きを他の方に任せてこちらに歩み寄ってきました。

 

「難しい話かもしれません、執務室に移動しましょう」

 

「私も同意見ネ、今はこの子達に心配させるような話は聞かせない方が良いデス」

 

 なんだか胸騒ぎを感じているのは金剛さんも同じようでした、これがただの順調だという報告なら良いのですが。

 

 《聞こえるか?》

 

「大丈夫デース! それで用件は何デショウ?」

 

 《少し無理をするかもしれない、可能なら前に話した地点まで迎えを頼みたいと思ってな》

 

「無理ですか……?」

 

 私と金剛さんは教官さんがこれから行う作戦について説明を受けた後に、声を荒げてその作戦を否定した。

 

 《悪いが納得してくれ、これが1番作戦成功の可能性が高いんだ》

 

「……何を言ってもダメなんデショウネ、それでタイミングはどうやって合わせるのデスカ?」

 

 《鹿屋からの距離と航行速度を計算した結果をこっちに送ってくれ、それを見て出撃のタイミングは俺が出す》

 

 資材に不足により私達はあまり長距離航行する事ができない、それでもギリギリ往復可能だと思われる場所まで私達が迎えに行くという案は事前に計画されていました。

 

「教官……、必ず迎えに行くカラ、沈むなんてノーなんデスカラネ……」

 

 《分かってるよ、何があってもあの子達は無事に鹿屋に送り届けるから安心しろ》

 

 金剛さんの心配そうな表情を見ているととても胸が苦しくなります、先ほどの霞とのやり取りもそうですが、余程教官の事を大切に思っているのだと伝わってきます。恐らくは彼女もこの作戦に参加したいと思っていたはずですが、心配そうな表情は今まで見せていなかった、私はこの女性はとても強い方だなと心の底から思った───。

 



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呉から鹿屋へ!(6)

うーん、私の計算によると少し燃料が不足しているような。

姉妹全員の艤装に均等に燃料を入れてみたは良いのだけど、目的とする地点で往復する事を考えると少し燃料が不足していると思う。

最悪誰か出撃しない子の艤装から燃料を抜き取ってしまえば良いのだけど……。

頼めば許可を貰えるかも知れないけれど、もっといい手は無いだろうか?

まだ誰にも呼ばれた事は無いけど、艦隊の頭脳と呼ばれた私の頭脳で最善策を考える。

私達の燃料を可能な限り消費せずに距離を稼ぐ方法……。

あら、あなたは先ほど金剛お姉様に逆らっていた駆逐艦じゃないですか。

元気が有り余っているようなので1つお願い事をしたいのですが。

ええ、少し燃料を節約したい事情がありまして───。


 《異論は認めない、それでも嫌だと言うのなら佐田港に迎えを寄こすように頼んでやるからそこでこの任務から降りろ》

 

 1週間という短い時間しか彼の事を知らないけど、遠巻きに見ていたり他の子から話を聞く限りこんなにも冷たく私達を切り捨てるような話し方をしたのは初めてだったと思う。

 

「今は指示に従おうよ、まだ輸送船が沈むって決まった訳じゃ無いんだしさ」

 

 完全に静まり返ってしまった駆逐艦の子達に私は声をかける。しかし誰も私の言葉に反応してくれなかった。

 

 《それじゃあお前達は1度ここで待機、俺の指示があるまで大人しくしてろ》

 

「……いや」

 

 完全に静まり返っていた私達だけど、1番最初に口を開いたのは暁だった。

 

 《そうか、なら暁はそのまま陸に上がって救助を待ってろ》

 

「……っいやよ!」

 

 急に大声で叫んだ暁を私達はじっと見つめる。

 

「教官を囮にするのなんて絶対にいや、ここでみんなを置いて1人抜けるのもいやっ!」

 

 《……川内、暁の艤装を外せ》

 

「ちょっと待って、10分、いや5分で良いから私達に話す時間を貰えないかな?」

 

 涙をこぼしながら必死で嫌だと抵抗している暁を見ていると、どうにも教官の指示に従う気持ちは沸いてこなかった。確かに教官にとっては私達の生存率を少しでも上げるつもりなのだろうが、こんな状態じゃ作戦も何も無いと思う。

 

 《……10分経ったら出発するぞ》

 

「ありがと、教官も少し頭を冷やした方が良いよ」

 

 《余計なお世話だ》

 

 私達は黙ったまま砂浜に上陸すると、いつかの訓練の後のように全員で輪になって座り込む。あの時と違うのは全員が俯いてしまい互いに視線を合わせようとしない事だと思う。

 

「暁の言いたいことも分かるよ。 でも、教官だって私達の事を考えてこの作戦を選んだってのは分かってあげて欲しい」

 

「そんなの……分かってる、でも……」

 

「本当に教官の言う作戦しか無いのかしら?」

 

 嗚咽混じりで上手く言葉にできない暁の代わりに雷が言葉の続きを口にした。

 

「雷の言う通りだね、みんなで考えればもっと良い作戦を思いつくかもしれない」

 

「その通りなのです、他に良い案が無いのかみんなで考えるのです!」

 

 みんなの言う事も正論だとは思う、それでも教官と私達の間で優先順位が違う以上はどれだけ考えても教官の意見を曲げてもらうというのは難しいと思う。

 

「でも、難しい事考えるのは無理っぽい……」

 

「それじゃあ1度整頓してみようか。 まずは私達にとってこの作戦の勝利条件って何かな?」

 

「それは私達全員が無事に基地に戻ることね、誰1人欠けても作戦は失敗だと思う」

 

 雷の言葉に全員が頷く、教官は私達さえ生き残って鹿屋に辿り着けばこの作戦は成功だと思っている。でもそれは間違いだと思う。

 

「それじゃあ、今までは順調に進んでいたのにどうして教官を囮にしなくちゃならない状況になったと思う?」

 

「暗くなってから砲撃が当てられないっぽい……」

 

「雷跡が見えないのも問題だね」

 

 夕立と響の言っている事は正しいと思う、明るいうちは妖精さんのおかげで当たっていた砲撃も暗さで視界が狭まってからは必要以上に接近する事を強いられている。その結果が私達の被弾率の増加に繋がっている。

 

「囮を使うっていう教官の案自体は間違ってないと思うんだよね」

 

「それじゃダメだってさっき話したっぽい……」

 

「分かってる。 けどね、囮が居れば私達は見えない魚雷にばかり集中しなくて砲撃に集中できると思うんだ」

 

 囮は逆に常に動き続けて魚雷や砲撃を避ける事だけに集中したらいい、現状動きながら砲撃を当てる事は難しい、しかし足を止めると魚雷の良い的になってしまう。考えれば考えるほど実は教官の考えた案って単純だけど効率的なんじゃないかと思ってしまう。

 

「……そっか。 魚雷は動き回れば良いし、砲撃も敵が見えれば当てられる、簡単な事だったんだ」

 

「ぽい?」

 

 私は思いついた作戦をなるべく簡潔にみんなに説明する、もの凄い勢いで反対されてしまったけど教官を守りながら全員で鹿屋に帰るためと説明してなんとか納得してもらった───。

 

 

 

 

「くそっ!!」

 

 俺は思い切り操舵室の機材へと拳を振り下ろす。鈍い音と腕に強い痛みを感じたが先ほどの自分の発言を思い出してもう1度拳を振り上げる。

 

「船は大事にするクマ」

 

 後ろから球磨に話しかけられたことで振り上げた拳が再び振り下ろされることは無かった。

 

「何を熱くなってるクマ、さっきのは暁が悪いクマ」

 

「……そうじゃない、俺が苛立ってるのはその考えをあいつらに押し付けた事についてだ」

 

 軍という組織に属して居れば上官の命令は絶対だと考えても良い、それはとても効率的で何よりもくだらない事だと俺は思っている。

 

「俺がアイツ等の立場なら全力で反対しただろう、だけど俺はそれを押し付けたんだ」

 

「それが軍クマ、それでも少佐があの中から誰かを選んで囮にするようならぶん殴ってやるつもりだったクマ。 だけど少佐は自分が囮になる事を選んだクマ、だから球磨達も手伝ってやる事にしたクマ」

 

 球磨に言われて気付いたが、確かに俺じゃなくあの中の誰かを囮にする事でもこの作戦は成り立つと思う。しかし部下を犠牲にしてまで生き残ろうなんて考えは微塵も無かった。

 

「その考えは嫌いじゃないクマ、だけど少佐は水雷戦隊に居た艦の事を甘く見過ぎてるクマ」

 

「どういう意味だ?」

 

「球磨達は戦艦や重巡みたいに装甲が厚くないクマ、それに空母みたいに常に誰かが守ってくれている訳でも無いクマ」

 

 球磨の言葉を黙って聞く、確かに軽巡洋艦や駆逐艦の単体としての強度は戦艦や空母と比べればあまりに脆すぎるとは思う。

 

「だけど前に進むクマ、誰よりもどんな艦よりも真っ先に敵に向かって進むクマ。 それが勝ちに繋がるって知ってるクマ、自分達のできる最大限の戦い方だって理解してるクマ」

 

「何が言いたいんだ?」

 

「自分達の信じる勝利のためなら命をかけてでも戦うって意味クマ、だからこの船を囮にしようって言っても納得しないのは分かってた事クマ」

 

 命をかけてでも戦い続けるという事は理解していた、だからこそ俺がこの船に乗っている事は少女達には隠しておきたかったし、新しい作戦に関しても上から押さえつけるつもりで言い聞かせた。

 

「間違いなく少佐の命令は聞かないクマ、だから少佐もいざって時のために準備をしておくクマ」

 

 球磨はそう言い残して操舵室から出て行ってしまった。球磨と入れ替わる様に今度は龍田が操舵室へと入ってくる。

 

「遺言くらいは聞いておいてあげるわよ?」

 

「うるさい、悪いが死ぬつもりはない」

 

「そうねぇ、ここであなたを死なせちゃ天龍ちゃんに怒られちゃうかも」

 

 相変わらず呉組の少女達は回りくどい言葉遣いが多い、今度は何を俺に伝えるつもりなのだろうか。

 

「珈琲と紅茶はどっちが良いのかしら?」

 

「……は?」

 

 唐突な質問にいつもの癖で珈琲と答えてしまいそうになったが、なんとなく紅茶を飲んでみたいと思った。

 

「紅茶で頼む」

 

「少しだけ待っててね」

 

 龍田は小走りで操舵室から出ていくと、今度は両手にマグカップを持って操舵室へど戻ってきた。

 

「どういうつもりなんだ?」

 

「天龍ちゃんからの手紙にね、あなたと珈琲を飲んだって書いてあったの。 だから私もあなたと珈琲を飲んでみたくなっちゃった」

 

 確かに天龍に珈琲を入れさせた記憶はあるが、一体どういう風の吹き回しなのだろうか?出会ったすぐは俺に切りかかろうとしていたくせに、急に親しくしてくるというのはどうも怪しい。

 

「やっぱり珈琲はあまり得意じゃないわねぇ」

 

「……天龍はチョコを溶かして飲んでいたな」

 

「なるほど、隠し味の正体はチョコだったのね。 会った時に教えてくれるって書いてあったけど答えが分かっちゃった」

 

 どうやら知らないうちに天龍に悪い事をしてしまったかもしれない、確かに嬉しそうに珈琲を飲んでいた姿は覚えているが、姉妹へのサプライズを計画していたようだった。

 

「それで、要件は何だ?」

 

「要件って程じゃないのよ? ただ、あの子達じゃなく自分が囮になるって決断した事を見直して飲み物の1つでも淹れてあげようかなって思っただけ」

 

「……もし俺がアイツ等の誰かを囮にするって言ったらどうするつもりだったんだ?」

 

「天龍ちゃんが右手は切っちゃったみたいだし、私は左腕にしようかしら?」

 

「あぁ、そうかよ」

 

 それから俺と龍田は妙に熱い紅茶と珈琲を冷ましながらゆっくりと飲んだ。特に会話は無かったのだが、妙にこちらを見ながら笑みを浮かべている龍田の変わりように内心裏があるのでは無いかと色々と考えてしまった。

 

「阿武隈さんは私が責任もって守るから安心して、艤装までは無理かもしれないけど1人くらいなら担いでもそんなに速度も落ちないでしょうし」

 

「あぁ、任せたよ」

 

 そう言って龍田は空になったマグカップを持って操舵室から出て行った。約束の10分を超えてしまったと思い無線のスイッチを入れようとしたが、今度は多摩が操舵室へと入ってきた。

 

「な、何の用だ?」

 

「多摩は猫舌にゃ」

 

「おう……、何の用だ……?」

 

「珈琲も紅茶も冷たいのしか飲まないにゃ」

 

 だから何が言いたいのだろうか、正直呉組の3人の中で多摩が1番会話に困ってしまう。出会った時の印象もそうなのだが掴み所が無さすぎる。

 

「悪いがさっき龍田が飲み物は持ってきてくれたんだ」

 

「……遅かったにゃ」

 

「それと、どうせ俺がアイツ等を囮にしなかった事に関して見直したって話なら2度聞いているぞ」

 

 俺の言葉に多摩は目を見開いて驚いているようだった、見れば見るほどこいつは猫みたいな生き物だなと思ってしまう。

 

「……もしあの子達を囮にするって言ったら───」

 

「殴るか切るかしてたんだろ……?」

 

 内心仕切りなおすのかよと思いながらも、我慢できずに先に言ってしまう。多摩は再び目を見開いて驚くと残念そうに肩を落として操舵室から出て行ってしまった。

 

「なんだったんだ……」

 

 時計を見れば約束の時間は過ぎてしまっており、休憩をするようにと伝えてから20分近く経ってしまっていた。いろいろと理解に苦しむ場面もあったが、3人のおかげで思考はかなり落ち着いてくれたようだった。

 

「準備は良いか、そろそろ出発するぞ」

 

 俺は無線のスイッチを入れるとなるべく優しく語り掛けるように少女達に話しかけた───。

 

 

 

 

「こっちは準備できてるよ」

 

 《そうか、暁はどうだ?》

 

 何かあったのだろうか、先ほどの冷たさしか感じられなかった教官の声がどこか優しさを帯びているような気がする。

 

「準備できてるわよ、さっきは悪かったわね。 レディとしてみっともない姿を見せちゃった」

 

 《俺の方こそ悪かった、少し熱くなりすぎてた》

 

 船から降りてきた球磨と多摩がどこか誇らしそうな表情でこちらを見ている、たぶんだけど何か教官に話をしてくれたのだろう。

 

 《それじゃあ出発する、1km離れたらまずは川内達、少し遅れて球磨と多摩が出発してくれ》

 

「了解クマ」

 

 輸送船はゆっくりと波をかき分けながら進み始める、本来であれば私もここで待機する指示だったのだが、私はそれを無視してこっそりと船の後をつける。

 

「1kmって簡単に言うけど、これだけ真っ暗だと距離なんて良く分からないね」

 

 《それもそうだな、今の速度を考えるにそろそろ出発しても良いぞ》

 

「よし、じゃあ行こうか」

 

 私はわざとらしくみんなに無線で合図をすると500mくらい離れて航行していた暁達は「了解」と返事をしてくれた。出だしは順調、球磨や多摩達も私達の行動を理解してくれたのか同じく指示されているよりもやや近くを航行してくれていた。

 

 《前方に敵影確認、追い抜くから後ろから援護してくれ》

 

 輸送船は若干の蛇行を行いながらイ級の側面を抜けて進んでいく。私はすぐにイ級を懐中電灯の光で照らすと、小さく回り込むようにして航行を行う。

 

「やっぱり暗いと良く見えないね」

 

 本来の位置からでは黒色の深海棲艦を目視する事はまず不可能だと思い、そんな言葉を口にする。実際は10mも離れておらず口の中にある砲塔がはっきりと私の目には見えている。

 

「もう少し近づいちゃだめかな?」

 

 イ級が放った砲弾が私を掠めるようにして夜の闇へと消えていった。今度は魚雷を撃とうとしているのか、口を海面へと沈めた。私はイ級を輸送船と真逆の向きへと向かせるように大きく舵を切ると海面に発射する際の気泡が出たのを確認して一気に加速する。

 

 《……ダメだ、砲撃音が聞こえたが被弾は無し。 この速度で動いていれば敵もそこまで命中率は高くないみたいだしな》

 

 例えどれほど動き回ろうと、私の右腕に握られた懐中電灯はイ級を照らし続ける。主砲も魚雷も外した事で噛みつきへと移行したイ級を後ろから飛んできた砲弾が捉える。

 

「そっか、でも無理はしないでね」

 

 私は心の中で今のを当てた子を褒める。こっちからじゃ向こうの様子は分からないけど、この方法ならまだ戦えると確信を持てた。私は1度懐中電灯を切ると次の目的に向かって進む。

 

「真っ暗で良く見えないのです……!」

 

「そうね、せめて月が雲から出てくれれば良いのだけど」

 

 次の標的を見つけたら再び照らす、今度は2匹視界に入った。なるべく同時に視界に入れようとするが相手も動いている以上は容易に良い位置を取らせてくれない。2匹が口を海面へ沈めたのを確認して魚雷を避けるために旋回を開始するが、突然海の中から飛び出してきたイ級を身体を捩じって避ける。

 

「予報だと雨だっけ? 私は雨は嫌いだなぁ」

 

 咄嗟に身体を捩じったせいで、左膝に違和感を感じる。それでも早く加速しなければ魚雷が私へと向かっている可能性がある。膝が使えない分重心を傾けて急加速に対応する。

 

「雨の中に外に出るのも意外と楽しいっぽい!」

 

 イ級の後ろからこちらに近づいていた夕立が魚雷を当てるとすぐに離脱する。とりあえずは後2匹、少し体制を崩してしまったがすぐに次の標的を照らす。

 

 《お前らもう少し緊張感を持った方が良いんじゃないか?》

 

「変にガチガチになるより少しは余裕を持った方が良いクマ」

 

 イ級に砲弾が当たった時の爆発がいつもより大きい、今のは球磨が当てたのだろうか?暁達よりも後ろにいるのによく当てられたものだと感心してしまう。

 

「そうにゃ、力を抜くことが大事だって呉で教えてもらったにゃ」

 

 いつの間に近づいてきていたのだろうか、多摩が残ったイ級に近距離から砲撃を当てると伸びをしながら後方へと戻って行った。

 

 順調だと思う、敵との遭遇が後何度あるか分からない事を考えれば虚しくなってしまうがこのペースで戦えるのであれば全員で鹿屋に辿り着くというのも不可能じゃないと思う。しかしそれも6度目の接敵から余計な事を考えている余裕は無くなっていった。

 

「後……どれくらいで……、基地に着くのかな」

 

 《……どうした、息が荒いが被弾したのか?》

 

「いやぁ、やっぱり……私も訓練……しとくんだったなぁ」

 

 正直に言えばまずい、直撃こそ防げているが無理な航行を行い続けているせいか主機も嫌な音を出しているし、身体のあちこちが痛む。何よりも最悪なのは予定よりも早い雨だった。

 

 《……帰ったら走り込みだから、絶対に鹿屋に帰るぞ》

 

 もう何匹相手にしたのかも覚えていないし、どれくらいの時間こうしているのかも分からなくなってきた、辛いはずなのに苦しいはずなのに何故か私の身体は前へ前へと進むのをやめない。

 

「その前に……ゆっくりお風呂に入りたいなぁ……」

 

 後ろから急に飛び出してきたイ級を主砲で殴りつける、体重の軽い分私が押しのけられてしまうのだがそれを利用してどうにか避ける事ができた。すぐに照らそうとするが、電池が残り少ないのか懐中電灯の光が弱弱しくなってきている。

 

 《風呂って入渠の事か?》

 

「うん、他の基地がどうなってるか知らないけど、鹿屋のお風呂は大きい方だと思うよ。 みんなで帰れたら教官も一緒に入る?」

 

《……悪いが遠慮したいな》

 

 それでも私の照らした標的目掛けて後ろの子達が砲撃を行ってくれる。状況は間違いなく悪くなっているはずなのに、私は楽しくて仕方が無いと思っている。

 

 敵の攻撃が当たれば私は沈んでしまうかもしれない、雨音のせいでどこから敵が出てくるかも分からない。もしかしたら今も私目掛けて魚雷が進んできているかもしれない。そんなスリルすら今は私の身体を動かす原動力となっている。

 

「夜は良いよね~、夜はさ。 もしかしたら、私って夜戦が好きかも」

 

 身体がとても軽く感じる、それは気分的な面もあったのだろうけど実際は艤装の燃料が少なくなっている事を知らせていた。これ以上は流石にまずい、1度私も暁達に合流して誰かと交代した方が良いだろう。

 

「実は球磨も1度旗艦をやってみたかったクマ、川内変わって欲しいクマ」

 

 私の様子に察してくれたのか、速度を落として合流しようとした私の肩を球磨が軽く叩いてきた。球磨や多摩の練度を考えればきっと任せても大丈夫だろう、私は少し休ませてもらうと球磨に耳打ちするが、突如前方から大きな爆発音が聞こえた。

 

「きょ、教官さん!? 大丈夫っぽい!?」

 

「ちょっと! 聞こえてるの? 返事くらいしなさいよ!」

 

 疲労で俯き気味だった視線を上にあげると、輸送船の後方にある艦橋から赤い炎と黒い煙が上がっているのが視界に入った。

 

「どうして……? 今まで1度も狙われて無かったのに……」

 

 先ほどまでは間違いなく深海棲艦は私を狙っていた。なのにどうして急に輸送船が狙われ始めたのだろう。急いで速度を上げようとしたけど、1度気を抜いてしまった身体が言う事を聞かない。

 

「く、球磨。 私は良いから教官を……」

 

「無茶言うなクマ、今狙われたら川内が危ないクマ」

 

 私の腕を掴む球磨を必死で振りほどこうとするけど、そんな些細な事すらできないほど疲弊しきっている自分の身体が憎らしかった。

 

「返事をして欲しいのです!」

 

「電落ち着いて、私達まで前に出ると危ないわよ!」

 

「私が行く、みんなは援護を頼む」

 

「ダメにゃ、まだ周囲に敵が居るのに単独行動は危険にゃ」

 

 まずい、球磨や多摩は冷静みたいだけど暁達の様子を見る限り今敵に攻撃をされると回避行動すらろくにとれないと思う。

 

 《……大丈夫だ、落ち着いて周囲の警戒に当たれ》

 

 無線から教官の声が聞こえてくる、声を聞く限り無事という訳では無さそうだけど今は生きている事に感謝するしかない。

 

 《もう少しで俺達の勝ちだ、全員速度一杯。 俺も脱出の準備をするから輸送船を盾にしながら真っ直ぐ進め》

 

 教官の声と共に輸送船の速度が上がった、まだ周囲には数えきれないくらいの深海棲艦が居るというのにどういうつもりなのだろうか。しかし、私達は船に置いて行かれないように全速力で後ろに続く。

 

 《全員散開するネー! 全砲門……ファイアー!!》

 

 突然無線から金剛さんの声が聞こえてくると、一瞬だが夜空に流れ星のようなものが見えて咄嗟に察した。

 

「全員散開!! 巻き添えを食らわないように!!」

 

 《燃えてる船が良い目印になってるだろ? 船以外どこに撃っても敵だらけだ、好きなだけ撃て!》

 

 《気合! 入れて! 行きます! 主砲、斉射、始め!》

 

 私達軽巡洋艦や駆逐艦とは違う大口径の主砲による砲撃、直接当たらなくても砲弾が海面に着弾した衝撃で次々とイ級の群れを散らしていく。

 

 《主砲! 砲撃開始!! 榛名!全力で参ります!》

 

「ぽ、ぽいぃぃぃぃ!?」

 

「ちょっと! 私達だって近くに居るのよ!?」

 

 もちろん弾が私達を避けてくれるなんて都合の良い話は無い、しかしここまで来て味方の砲撃で沈んだなんて笑い話にもならない結果にならないように必死で空を見ながら回避行動を続けていく。

 

 《距離、速度、よし! 全門斉射!!》

 

「電! こっちに来なさい!」

 

「はわわ、どっちに進んでも砲弾が降ってくるのです!!」

 

 深海棲艦と私達へ向けた一方的な攻撃は数分間続いた、全員肩で息をしているようだったが奇跡的に全員無事のようだった。

 

 《それじゃあ帰るぞ》

 

「了解……」

 

 私達は金剛さん達と合流すると、深海棲艦と金剛さん達のどちらかが原因で動かなくなってしまった輸送船を全員で曳航しながら陸地へと向かう。陸が見えてきたと思うと誰かがライトでこちらに何かを伝えようとしているようだった───。

 

 

 

 

「本当に迎えに来てもらえるとは思いませんでしたよ」

 

「ここで貴様に死なれるとこっちとしても都合が悪いのでな。 それより傷の具合はどうなんだ?」

 

「身体に刺さった破片は取り除いたので問題無いと思います、左目に関しては後日検査でも受けてみますよ」

 

 敵の砲撃で艦橋が吹き飛ばされてしまった際に俺の身体のあちこちにガラスや鉄の破片が刺さってしまっていた。そっちは先ほど応急処置は済ませたのだが、目に異物でも入ったのか左目に焼けるような痛みを感じている。

 

「ところで阿武隈はどうでした?」

 

「あの金髪の娘か、応急処置は終わっていたようだから呉の艦娘と一緒に先に貴様の基地へと輸送した。 いい加減貴様もさっさと車に乗り込め」

 

 爺が指差す先に視線を向けると、そこには呉に向かう時に世話になった73式の姿があった。帰りくらいはまともな車で帰れると思っていたのだが、まさか再び狭い荷台に乗せられるとは予想していなかった。

 

「ったく、こっちは疲れてるんだからっと……」

 

 荷台に乗り込もうとして中から寝息が聞こえてくる事に気付いた、俺はゆっくりと中を覗き込むと、6人の少女達が気持ちよさそうに眠っていた。俺は少女達を起こさないように慎重に荷台に乗り込むと小さく呟いた。

 

「みんなよく頑張ったな、お疲れ様───」




次回は祝勝会デース!


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お風呂とお酒(1)

さーあ、油どんどん持ってきてー! 次々に揚げるわよーっ!

作戦も無事に終了したし次の戦闘にも勝つってね!

それにしても、百枚以上のカツは…迫力あるわね…。

え? 作りすぎじゃ無いかって?

大丈夫よ! みんなカツカレー大好きでしょ?

何事も限度がある……、そうね。妙高姉さんが言うならそろそろやめておくわね。

作りすぎちゃった分は霞にでも差し入れてみようかしら。

あまり霞をいじるなって?

あの子はあんな態度だけど、意外といじられるの嫌いじゃないと思うのよね!


「……なんだよこの状況」

 

 目の前では雷と響が浴槽の中をバタ足で泳いでいるのか、笑い声と共に俺の顔に何度もお湯がかけられてしまっている。

 

「私のシャンプーハットどこに行ったか知らない?」

 

「お部屋に置いたままだったと思うのです!」

 

「気付いてたなら言いなさいよ!」

 

 暁と電が何かくだらない事で喧嘩しているようだけど、俺は頑なに目を閉じたまま開かないと意識を強く持つ。

 

「お前らいい加減にしろ! 俺はもう出るぞ!」

 

「でも、教官さんが居なくなっちゃったら阿武隈さん沈んじゃうっぽい?」

 

「別に俺が支えなくても良いだろ、誰か変わってくれ」

 

 両手でどうにか阿武隈の肩を掴んで少女が湯船に沈んでしまわないようにしているが、そもそも俺じゃなくても他の子が支えてやれば良いだけだと思う。

 

「もー、後で教官の頭も洗ってあげるから我慢するのね!」

 

「それは良い、私も手伝う事にするよ」

 

「響、雷。 いい加減にしろよ……?」

 

 元々は意識の無い阿武隈を入渠施設に運んでほしいという頼みだったはずなのだが、どうして俺は少女達と一緒に風呂に入っているのだろうか。

 

「まぁまぁ、せっかくみんなが祝勝会の準備をしてくれていたのに主役の私達が汚れたままじゃ恰好が付かないでしょ?」

 

「別に一緒に入らなくても、俺はお前達が入った後に入れば良かっただろ……」

 

「そういえば、どうして教官は目を閉じたままなんだい? やっぱり傷が痛む?」

 

 川内と会話をしている所に響が割り込んでくる、どうして目を閉じているかと聞かれれば少女達に配慮してという理由なのだがもしかして俺が変に意識しすぎているだけなのだろうか?

 

「いや、痛む訳じゃないが……。 例えば響は男の人に裸を見られても恥ずかしいと思わないのか?」

 

「どうだろう、そもそも裸を見られるという経験が無いからね」

 

「わ、私は教官が見たいって言うなら別に……!」

 

 響に関しては俺が意識しすぎているのだと分かったが、雷の言葉の意味を考えれば多少は羞恥心を持った子も混ざっていると考えた方が良いだろう。

 

「川内は大丈夫なのか?」

 

「私はタオル巻いてるしねぇ、少しは恥ずかしいって思うけど触ったりしないなら別に良いかな」

 

「誰が触るかよ、それじゃあ目を開けるぞ……?」

 

 駆逐艦の子の容姿を考えればまず問題無いと思う、俺がロリコンじゃない事は時雨の件ではっきり分かった事だし妹達の面倒を見ていると考えれば問題無いと信じたい。

 

 ゆっくりと目を開けると目の前には不思議そうな表情で俺を眺めている響と、顔を真っ赤にしてタオルで身体を隠している雷、妙にイラつく表情でニヤニヤと笑っている川内が視界に入った。

 

「お前等、せめて阿武隈にもタオルを巻いてやれよ……」

 

 子供特有のイカ腹をしている響は別に良いとしても、それなりに女性らしさが見て取れる阿武隈に関しては隠してやった方が良いと思う。

 

「誰か阿武隈にタオル巻いてやってくれないか、意識の無いうちに裸を見られたなんて起きたらショックを受けるかもしれん」

 

「意識の無いうちにねぇ、別に問題無いんじゃないかな。 ねぇ阿武隈?」

 

 川内の言葉に俺が支えている阿武隈がビクリと震えた気がする。ここは気付いていない振りをしてやった方が互いのためになるだろう。

 

「暁ちゃん何処なのですー!?」

 

「シャンプーが目に入って……うわぁぁぁん!!」

 

「暁も電も手を振り回すと危ないっぽい!」

 

 夕立と暁、電が騒いでいると思い声のする方を向いてみると、顔中泡まみれになった少女達が必死で助けを求めているようだった。

 

「あいつら何やってるんだ?」

 

「さぁ、泡と戦ってるんじゃないかな……?」

 

 こうしてこの子達を見ると先ほどまで海で化物と戦っていた兵器なんて考えは微塵も無くなってくる。少し変わった所はあるが今の少女達は年相応の可愛らしい女の子としか思えない。

 

「ったく、しょうがないな」

 

 俺は阿武隈を支えていた手を離すと阿武隈が一気に顔から湯船の中へと突っ込んでいく。

 

「ふわぁぁ~っ! ちょっと離すなら離すって言ってくださいよぉ!」

 

「うるせぇ、さっさとその貧相な身体を隠せ」

 

 阿武隈はギャーギャーと騒ぎながらも両手で身体を隠しながらタオルを取りに行ったようだった。俺は必死で腕を振り回している電の手を取ると風呂椅子に座らせる。

 

「大人しくしてろ」

 

「き、教官さんなのです!?」

 

 俺は電の頭を両手で掴むと爪が当たらないように指の腹を使って頭を洗ってやる。こうして誰かの頭を洗うというのは何年振りだろうか。

 

「雷ちゃんより上手なのです!」

 

「あぁ、そうかよ」

 

「ちょっと電!? そんな事言うならもう洗ってあげないわよ!?」

 

 鏡に映った電が気持ちよさそうな表情をしているのが分かる、頭を洗うのが上手いと言われた事は無いのだが、どうやら嘘やお世辞という訳では無いのだろう。

 

「目を閉じて鼻をつまんでおけ」

 

「はいなのです!」

 

 電が自分で小さな鼻を摘まんだのを確認すると、一気に頭からお湯をかける。少し驚いたのかビクリと身体が震えたようだったが、頭を振ってお湯を飛ばす仕草が小動物っぽくて妙に可愛らしい。

 

「ほら、身体が冷える前に湯船に浸かれ」

 

「教官さんはお父さんみたいなのです!」

 

 少女達がいくつなのかは分からないが、お父さんと呼ばれるほど俺も老けては居ないと思う。いや、同僚に子供が居る奴もいたはずだからありえない話では無いのか……?

 

「次は夕立の番っぽい!」

 

「その前にそこで不貞腐れてる暁からだな」

 

「べ、別に不貞腐れてなんて無いし!」

 

 俺は顔中泡まみれになった暁の顔にお湯をかけてやると、電にしたようになるべく優しく頭を洗ってやる。

 

「……今日は悪かったな」

 

「別に気にしてないし……、私こそ命令に逆らってごめんなさい」

 

 なんだか互いに謝ると妙にむずがゆくなる、それを誤魔化すように俺は頭を洗う事に集中する。電に比べて髪が長い分洗うのが面倒だが、髪は女の命と言う以上は手を抜くわけにはいかないと思う。

 

「痛くないか?」

 

「大丈夫、少しくすぐったいくらいね」

 

 少しシャンプーが足りないと追加してしっかりと毛先まで洗ってやる、なんとか洗い終えた俺は暁にお湯をかけると、電と同じように湯船に浸かる様に指示を出した。本当は困っていた暁と電だけのつもりだったのだが、最終的には全員の頭を洗うはめになってしまった。

 

「流石に7人分ってのは疲れたな……」

 

 全員で並んで浴槽に浸かると俺は天井を見上げる。こうして身体の力を抜いてただぼーっとしていると無事に帰って来る事ができたのだと徐々に実感が沸いてくる。

 

「比叡! 榛名! 離すネー! 教官が私を待っていマース!」

 

「お姉様ダメです!」

 

「お姉様落ち着いてください! 霧島も見てないでお姉様を止めるのを手伝ってください!」

 

 せっかく良い雰囲気で落ち着いていたというのに、脱衣所から騒がしい声が聞こえてくる。会話から察するに金剛が乗り込んでくるつもりなのだろうが、そもそも俺はお前の事を待っていないし、流石に子供と言えない体格の金剛が入ってくるのはまずい。

 

「さて、騒がしくなる前に出るか」

 

「「「「「「「りょーかい!」」」」」」」

 

 全員の声が浴室に響き渡った───。

 

 

 

 

 

「それでは、これより輸送作戦成功の祝勝会を開始します。 司会は霧島が担当させて頂きます。 本日の作戦の概要としては~」

 

 いや、長いしそこまでかしこまる必要も無いだろ。というより、霧島の挨拶を無視して料理食ってる奴もいるし。

 

「ヘーイ! お疲れ様デース!」

 

「金剛か、最後は助かったよ。 流石戦艦って火力だったな」

 

 思い返せば深海棲艦よりもあの砲撃で輸送船が沈む可能性の方が高かったんじゃないかと思ってしまうが、作戦が上手く行った以上は細かい事は考えなくても良いだろう。

 

「もっと頑張るからこれからも目を離しちゃノーなんだからネ!」

 

「あぁそうだな。 で、何のつもりだ?」

 

 金剛が頭を突き出してきているが、これは新手のコミュニケーションか何かなのだろうか?

 

「別に撫でてくれても構わないネー!」

 

「次の機会にな」

 

 俺は足早に金剛から離れる、もう少し構ってやりたいという思いもあったのだが疲れた体にあのテンションは少し厳しい物がある。

 

「あんたにしては良くやったわね、褒めてあげても良いのよ?」

 

「はいはい、叢雲さんに褒めて頂き大変光栄ですよ」

 

「ったく、今回上手く行ったからってあまり調子に乗ってるようなら酸素魚雷食らわせるわよ?」

 

 口ではそうは言っているが、表情を見る限りこの作戦が成功した事が本当に嬉しいのだろう、こういう場くらいもう少し素直になっても良いだろうに。

 

「あら、湊教官。 本日はお疲れ様でした」

 

「ありがとう、妙高こそ俺が居ない間に基地の子達の面倒をみてくれてたみたいだな」

 

「いえ、私は何もしていませんよ。 ここに居る子達は皆良い子ですから」

 

 俺と妙高は互いに持ったグラスを軽く打ち合わせると軽く雑談をして互いに次の相手へ挨拶をするために移動した。

 

「おかえりなさい」

 

「ただいま、作戦に参加させてやれなくて悪かったな。 時雨も本当は出撃したかっただろ?」

 

「今回は山城といっぱい話をできたから良いよ、でも次は僕も出撃したいかな」

 

「まったく、1日中あんたの話を聞かされる私の身にもなってみなさいよ。 不幸だわ……」

 

 頭の上の艦橋らしき装飾に星を付けた山城は暗い表情のまま皿に乗った料理を口にしていた。高すぎるテンションもきついが、ここまで低いテンションに付き合うのも流石に勘弁願いたい。

 

「それじゃあまた後でな、あまり山城をいじめるなよ?」

 

 俺はそう言って巻き込まれる前に離脱を試みる。少し歩いたところで部屋の隅に見慣れない顔があることに気付いた。

 

「お前は混ざらないのか?」

 

「何よ、別に私が何をしてようが私の勝手でしょ?」

 

「おーい! 霞どこに居るのー?」

 

「ち、ちょっと私を隠しなさい!」

 

 足柄の声が聞こえたと思えば目の前の少女は俺の背中に隠れてしまった。何か事情があるのか分からないが今は付き合ってやろう。

 

「足柄さんは行ったかしら?」

 

「あぁ、途中で羽黒を見つけて連行して行ったな」

 

「霞よ。 覚えておきなさい」

 

「湊だ、別に無理に覚えなくても良いぞ」

 

 霞と名乗った少女は自信ありげに胸を張って自身の名前を告げてきた。叢雲に近いタイプなのかなと思ったが、何故か少しからかってやりたい気持ちが沸いてくる。

 

「足柄は苦手なのか?」

 

「別になんだって良いでしょ? あんたには関係ないわよ」

 

「そうか……。 おーい! 足柄ー! こっちに霞が居るぞー!」

 

 俺は足柄に聞こえるように大声で叫ぶ、俺の声に気付いたのか足柄は他の子達をかき分けながらまっすぐこちらへと歩いて来た。

 

「なんだ居るじゃない、霞も一緒に飲むわよー!」

 

「こ、このクズー! …本っ当に迷惑だわ!」

 

 足柄は霞を抱え上げると来た方向へと戻って行った、なかなか面白い子が来たものだと俺は妙な満足感を感じた。

 

「あのー……教官さん、お疲れ様です」

 

「羽黒か、足柄達と飲んでたんじゃないのか?」

 

「霞ちゃんが来てくれたので、どうにか逃げ出すことができました……」

 

 来てくれたというよりも、連れて来られたという表現の方が正しいと思うのだがあまり些細な事は気にしない方向でいこう。

 

「教官さんは……お茶ですか?」

 

「あぁ、どうも酒は苦手でな。 すぐに意識が無くなってしまう」

 

「意外ですね、てっきり強いと思っていました」

 

 飲まない分食べると羽黒に説明すると俺はグラスをテーブルに置いて適当に料理を皿に取って頬張る。美味い、誰が作ったのかは分からないがろくに食事を取っていなかった俺には今まで食べた中で1番美味いのではと思った───。

 

 

 

 

 

「榛名、聞きましたか?」

 

「ひ、比叡お姉様落ち着いてください……」

 

 私は敵の弱点をついに発見する事ができました、お酒に潰れた情けない姿を見ればきっと金剛お姉様も正気に戻ってくれるはずです!

 

「榛名は那智さん達が買って来たお酒の中で1番強そうなのを持ってきてください」

 

「は、はい……」

 

 問題はいかにして教官にそれを飲ませるかだけど、こういった策略は霧島に相談した方が良いでしょう。

 

「教官にお酒を飲ませる方法ですか」

 

「そうです! 先ほどからあの人は私達に気を使って一滴も飲んでいないようです、このままじゃせっかくお姉様が企画したこの祝勝会も失敗に終わってしまう可能性が!」

 

 我ながら良い言い訳だったと思う、この理由であれば霧島もきっと協力してくれると思います!

 

「そうですね、恐らくは初めの一杯さえ飲んで頂ければ後はなし崩し的に飲み始めるのでは無いでしょうか?」

 

「その一杯が難しくて霧島に相談しているんですよ! 艦隊の頭脳と呼ばれた霧島の腕の見せ所ですよ!」

 

「……! そうです、私は艦隊の頭脳霧島です。 比叡お姉様、是非とも私に任せてください」

 

 そういえば誰が霧島の事を艦隊の頭脳だなんて言い始めたのでしょうか?いつも霧島が言っているから誰かが呼んでいるのだとは思いますが……。

 

「お姉様! 達磨と呼ばれていたお酒を手に入れてきました!」

 

「流石榛名、後は霧島が協力してくれるそうです!」

 

 榛名は霧島にお酒の入った瓶を手渡し、私と一緒に机の影から霧島の行動を見守る。一体どのような知略が張り巡らされているのか……!

 

「真っ直ぐに教官に向かっていますね……」

 

「しっ! 見つかるとまずいです静かに!」

 

 何やら話しているようですが、ここからでは流石に会話の内容まで聞き取れません。教官が首を横に振っているという事は交渉は失敗したのでしょうか?

 

「あれ? お酒の蓋をあけましたよ?」

 

「そうみたいですね、一体どうやって教官に飲ませるつもりなのでしょうか……」

 

 霧島は突然天井を指差すと私と榛名もそれにつられて上を見上げてしまう。それは教官も同じだったようで、間抜けな顔をして上を見上げ僅かに空いた口に霧島がお酒の瓶を突っ込んでしまった。

 

「ひ、比叡お姉様! 無理やり瓶を!」

 

「まさか力業で行くとは……、味方の予想すら欺くとは流石艦隊の頭脳の2つ名は伊達じゃないですね……」

 

 しばらく抵抗を続けていた教官でしたが、瓶の中身が半分ほどになった辺りで大人しくなってしまいました。後はだらしなく横たわっている姿を金剛お姉様に見て頂くことでこの作戦は成功に終わるでしょう。

 

「あの……、何やら様子がおかしいようですが」

 

「酔い潰れましたか?」

 

 机から少しだけ顔を出して状況を確認すると、先ほどまで抵抗していたお酒を自ら飲み干そうとしているようだった、すぐに意識が無くなると言っていたのにどういう事だろうか?

 

「ぜ、全部飲み干してしまいましたね……」

 

「お酒が弱いと言うのは嘘や冗談だったのでしょうか?」

 

 このままだと作戦が失敗してしまう、そんな事を考えていると教官は突然霧島の手を引き抱き寄せてしまった。金剛お姉様という方が居るのに霧島にまで手を出すとはどういう事なのでしょうか!

 

「教官! それ以上は見過ごせませんよ!」

 

 思えば様子がおかしいと思った時点で逃げるべきだったと反省しています、私のつまらない作戦のせいでこの鹿屋基地が最大の危機に陥るとはこの時の私にはまだ理解できていませんでした───。




何かの節目には毎回お風呂回にしようかな。


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お風呂とお酒(2)

私だって一人前のレディなんだから少しくらいは大丈夫よ!

止めた方が良い?

でも、那智さんも足柄さんも美味しそうに飲んでるし少しくらいは……。

ま、まぁ想像通り大人な味ね。

……誰かお水! 喉が焼けてるみたいに痛い!

えっ? ジュースを混ぜて飲むと飲みやすい?

そうなの……?

確かに少し飲みやすくなったかも……?

これで私も1人前のレディの仲間入りね!


「霧島って綺麗な目をしているな」

 

「あ、あの教官? 近くないですか……?」

 

 比叡お姉様に言われて教官にお酒を飲んで頂いたのは良いけど、何やら様子がおかしい。と言うより近いです!非常に近いです!

 

「教官! それ以上は見過ごせませんよ!」

 

 比叡お姉様が必死に私と教官を引きはがそうとしてくださっていますが、教官はそれに逆らうように私の腰に回した手の力を強めているようでした。

 

「後で相手をしてやるから比叡は大人しくしていろ、今の俺には霧島しか見えないんだ」

 

 男の人に抱き締められるというのは初めて経験しましたが、結構悪くないですね……。

 

「べ、別に相手をして欲しいなんて言ってないじゃないですか! 良いから霧島から離れてください!」

 

「比叡はああ言っているが霧島はどうして欲しい?」

 

 耳元で囁くような教官の言葉に私はなんと答えれば良いのか悩んでしまう、教官は金剛お姉様の想い人です、間違いなく今の状況はお姉様を裏切る行為だと思う。それでも後少しくらいはこのまま抱き締めてもらって居ても良いのでは無いのでしょうか?

 

「霧島も何顔を赤くしてるんですか! いい加減離れてくださいよー!」

 

「あ、あの……。 もう少しだけこのままでも私は構わないのですが……」

 

「そういう事だ、本人が嫌がってないのであれば何の問題も無いだろう?」

 

 教官の手が私の頬に触れます、出撃する前よりも胸が高鳴っていてとても苦しいです。一体この気持ちは何なのでしょうか。

 

「眼鏡、外しても良いか?」

 

「は、はいっ……!」

 

「ひ、ひえー! 誰か教官を止めてくださいぃぃぃ!!」

 

 まるでガラス細工でも扱うかのような慎重さと優しさで私の眼鏡を外した教官は、私の気持ちを見透かしているかのようにまっすぐと私の目を見つめてくれている。心臓が破裂してしまいそうな程強く脈打っているのが教官に知られてしまいそうで恥ずかしい。

 

「緊張しているのか?」

 

「少しだけ……」

 

「妙高さーん!? 叢雲さーん!? どこですかー!」

 

 教官の顔がゆっくりと近づいてくる、これはまさか接吻というやつなのでしょうか!?い、息は止めておいた方が良いのでしょうか?いや、そんな事よりこれ以上は流石にまずいのではないでしょうか!

 

 そんな事を考えながら私は目を閉じると、教官の次の行動を待つ。結局息は止めてみたのですが、額に柔らかな感触を感じた。

 

「えっ……、額ですか……?」

 

「なんだ、霧島は唇が良かったのか?」

 

 言葉されると一気に顔が熱くなってきました、私は一体何を期待していたのでしょうか。恥ずかしさを誤魔化すように頭を振ってみたが、教官は乱れた私の前髪を撫でるようにして直してくださりました。

 

「き、教官……。 私もうダメみたいです……」

 

「霧島ー! 気をしっかりー!」

 

 極度の緊張で意識が遠くなってきました、金剛お姉様には申し訳ありませんがこのまま教官の腕に身を任せるというのも悪くは無いですよね───。

 

 

 

 

「眠ってしまったか、久しぶりの出撃で疲れていたんだろうな」

 

「あのー……、教官さん大丈夫ですか……?」

 

 教官さんは霧島さんを椅子に座らせると、数度頭を撫でて再びお酒を飲み始めてしまいました。先ほどはお酒は強くないと言っていたはずなのに、水でも飲んでいるかのようなペースで瓶の中身を減らしていきます。

 

「心配してくれるのか、羽黒は優しいな」

 

「い、いえ。 優しいだなんてそんな……」

 

 いつもは割とムスっとした表情で居る事が多い教官ですが、優しく微笑みかけるような表情もできるんだなと目を奪われてしまいました。

 

「俺の顔に何かついてるかな?」

 

「そ、そうじゃなくて。 あの……ごめんなさいっ!」

 

 気まずくなって逃げ出そうとした私の手を教官が掴みました、必死で振り払おうとしたのですが先ほどの笑みとは逆にとても悲しそうな表情をしているのに気付いて抵抗をやめてしまいます。

 

「羽黒は俺が嫌いなのか……?」

 

「べ、別に嫌いとか好きとか……、どちらかと言えば嫌いの反対と言いますか……」

 

「なら逃げないで欲しい、羽黒に逃げられるととても胸が苦しくなるんだ」

 

 どういう意味なのでしょう。いえ、分かってはいるのですが明らかに教官さんの様子がおかしいです。お酒に酔うと本音が出ると姉さん達から聞いたことがありますが、これが教官さんの本音だとしたら……。

 

「羽黒はもっと自分に自信を持つんだ、謝ってばかりじゃ折角の美人が台無しだぞ」

 

「び、美人!? そ、そんな私は姉さん達に比べると子供っぽいですし……」

 

「それも羽黒の可愛らしさの1つだろ、守ってやりたくなると言うか頭を撫でてやりたくなると言うか、とても魅力的だと思う」

 

 教官さんが私の頭を撫でるのを黙って耐えます、別に痛いとか辛い訳じゃないのですが少しでも長く撫でてもらいたいと言うか……。

 

「湊教官、お酒に飲まれて部下に手を出すと言うのはいかがな物かと思いますが?」

 

「羽黒さん、妙高さんを連れてきましたよ!」

 

 比叡さんが妙高姉さんを呼んで来てくれたようでした、私としてはもう少しこのままでも良いかなと思っていましたが、誰かに見られていたという事を思い出して私は走ってその場から逃げ出しました───。

 

 

 

 

「すまない、どうにも俺の周りには魅力的な女性が多すぎてな」

 

「お説教はしたくはありませんが、少しお話いいですか?」

 

 嫌がっている子は居ないようなので問題は無いと思いますが、これ以上はこの基地の風紀の乱れに繋がる事が容易に想像できます。ここは1度湊教官には落ち着いてもらった方が良いでしょう。

 

「それじゃあ2人きりになれる場所へ行こうか、君の言葉を聞き逃すなんて事はしたくないからな」

 

「い、いえ。 別にこの場でも問題は無いのですが……」

 

 教官は2つある空のグラスにウィスキーを注ぐと、1つを私に手渡してきた。何かあった時に対応できるようにと飲むつもりは無かったのですが、上官に勧められた以上は断るのも悪いでしょうか。

 

「君には本当に感謝している。 佐世保からの帰り道で君が俺の元で戦ってくれると言ってくれた事は本当に心強かった」

 

「その件はお互い様です、私達があなたに救われている事も事実ですから」

 

 行動を改めるようにお話するだけだったはずなのですが、なんだか妙な雰囲気になってしまった。決して恥じる発言では無いのですが、こうして改めて言葉にされると少しだけ照れてしまう。

 

「今回の作戦はたまたま上手く行った、しかし次も同じように全員で生きて帰れるとは限らない……、不安なんだ」

 

「湊教官の仰る言葉も分かりますが、あまり弱音を吐くのはみっともないですよ。 私達はあなたの期待に応えられるように努力をする、だからあなたは胸を張って私達が帰って来ることを信じてくれていれば良いんですよ」

 

「ありがとう、妙高は良い女だな。 男をやる気にさせる女ってのは貴重な存在だよ」

 

 私達はグラスを打ち合わせると中に注がれていた液体を口に含む。優しい木の樽の香りが口の中に広がる、湊教官が子供のような笑顔を浮かべてこちらを見ていたので私もそれにつられて笑ってしまう。

 

「これからもよろしくな」

 

「はい! この妙高、期待に応えられるよう誠心誠意努力しますね」

 

 湊教官は空になったグラスを軽く持ち上げると、歩いて行ってしまった。欠陥兵器だと蔑ろにされていた私達だけど、こうして私達と共に悩み歩んでいける相手が居るのであればここで腐る訳にもいかない。

 

「明日からも頑張らないとですね」

 

 先ほどの湊教官の笑顔を思い出して頑張って行こうと改めて自分に言い聞かせる。何か目的を忘れてしまっている気もしますが、今はこの暖かい気持ちを何度も噛み締めて居たかった───。

 

 

 

 

「ねぇ、教官? さっきのは一体何のつもりだったのかな?」

 

 僕は比叡さんから港教官が霧島さんに抱き着いたという話を聞いて、本人に理由を尋ねる必要があると思った。

 

「さっきのって何のことだ?」

 

「霧島さんに抱き着いたって聞いたけど?」

 

「何か問題があるのか?」

 

 問題があるような気がするけど、確かに何が悪かったかと聞かれてしまえば良く分からない。なんとなく湊教官が他の人に抱き着いたという行為が嫌な気持ちにさせている原因だとは分かっているのだけど、それを嫌だと思ってしまうのは僕の我儘なのかもしれない。

 

「じゃあ、はい」

 

「両手を広げてどうした?」

 

 あれ?酔った勢いで色々な人に抱き着いているのだと思ったけど、違うのかな?僕を抱き締めるように促してみるけどまったく反応してくれない。こうなったら僕の方から行くべきなのかなとも思ったけど、両手にグラスを持った山城がこちらに歩いて来た。

 

「欠陥戦艦とか艦隊にいる方が珍しいとか、どうせ私は役に立たない戦艦ですよー……」

 

「……もしかして飲んでる?」

 

 山城はお酒は飲まないと言っていたはずだけど、顔がほんのりと赤みを帯びているような気がする。

 

「飲んでないわよー! テーブルに置いておいたはずのお茶が変な味がしただけね、まったく不幸だわ……」

 

「だ、大丈夫……?」

 

 着物が若干はだけてしまっているし、同性の目から見ても酔った山城は妙な色気があるように感じてしまう。ふらふらと歩いている山城が心配になって支えようとしたのだけど、先に山城の肩を抱いたのは湊教官だった。

 

「大丈夫か、あまり飲み過ぎは良くないぞ」

 

 いや、湊教官がそれを言うのはどうかと思う。明らかにいつもと違うし少し話しただけで相当飲んでしまっている事が分かるくらいお酒の匂いがするし。

 

「うるさいわね……、私なんて囮くらいにしかならない役立たずよ……」

 

「それは違う、佐世保で君が囮になって居る姿を見たが仲間を守るんだって強い意志を感じた。 例え性能が悪くたってその気持ちが俺は何よりも大事だと思う」

 

「意志だけじゃ何にもならないわよ……」

 

 良く分からないうちに2人だけの世界に入ってしまった。僕が2人の名前を呼んでみてもまったく相手にされない。

 

「俺は君を高く評価している、俺が君の傍に居る限りもう誰にも欠陥戦艦とは呼ばせない。 約束するよ」

 

「そ、そんなの信じられる訳無いじゃない……。 私なんかを使うくらいなら金剛型の人達を使った方が……」

 

「今は他の子なんて関係ない、俺は山城に期待していると言っているんだ。 それを信じてくれるかどうかの話をしている」

 

 湊教官、その手は何だい?気安く女性の腰に手を回すものでは無いと思うんだ。山城も不幸だ不幸だ言いながら湊教官に寄りかかるのは止めた方が良いよ?

 

「防御力も速力も無い私だけど、信じても良いのかしら……?」

 

「不足している部分があるなら補うために努力をしたら良い、だからいつまでも不幸だと後ろを向くのでは無く一緒に前を見て頑張って行こうじゃないか」

 

 うん、良い話だね。でも僕を無視するのはいい加減やめてくれないかな?

 

「……み、湊教官」

 

「山城……」

 

 それ以上はダメだよ?いい加減離れないと怒るよ?2人の顔がゆっくり近づいていくのを見て僕の苛立ちは頂点を迎えた。

 

「君たちには失望したよ……」

 

 僕は湊教官と山城の脇腹を摘まむと思いっきり指に力を入れる。突然の痛みに我に返った2人に水の入ったグラスを押し付けると山城を連れて少しでも湊教官から離す事にした、山城の酔いが醒めたら何から話そうかな───。

 

 

 

 

「本日はお疲れ様でした」

 

「那珂ちゃんのステージ見てくれたかなー?」

 

 那珂ちゃんのステージのお手伝いが終わった私は2人で教官へと挨拶をしようと彼の元を尋ねました。

 

「神通に那珂か、そっちこそ良いステージだったぞ」

 

 食堂の一角に食料品の箱を並べただけのステージでしたが、那珂ちゃんが楽しそうで何よりでした。教官も随分と飲まれているようですし、本当に楽しんでくれていたのであれば準備した甲斐がありました。

 

「那珂ちゃんはー、みんなのものなんだからー、そんなに触っちゃダメなんだよー?」

 

「すまない、つい可愛らしくて頭を撫でてしまった」

 

「那珂ちゃん、教官は善意で撫でてくださったのでしょうし、あまり邪険にするのも悪いですよ?」

 

 那珂ちゃんはアイドルは1人のファンを贔屓する訳にはいかないからねと一言残して川内姉さんの元へ行ってしまいました。

 

「姉を頼むと言われたけど、川内には助けられてばかりだったな」

 

「び、びっくりしました……、まさか覚えて下さっているとは思いませんでした」

 

「あの時は返事はできなかったけど、心の中じゃ絶対に無事で川内達を基地に送り届けないとって覚悟したんだよ」

 

 そう言って教官は優しく頭を撫でてくれました、どこか物寂しそうな表情に私はどうしてそのような表情をしているのか聞いてみたいと思った。

 

「あの…教官、そんなに触られると、私、混乱しちゃいます……」

 

「すまない、つい昔の事を思い出してしまった。 さっき那珂に怒られたばかりなのに俺はダメだな」

 

「そ、そんな事無いです……。 教官の手はとても暖かく……、上手く言えませんがとても安心しました」

 

 きっとこの方は私達が想像もできないような辛い過去を持っているのかもしれません、表情こそ悲しそうでしたが、頭を撫でる手からは優しさを感じさせるような温かみを感じました。

 

「挨拶が遅れちゃったけど、これからもよろしくな」

 

「はい……。 こちらこそどうかよろしくお願いします」

 

 頭から離れていく手に若干の寂しさを感じてしまいましたが、川内姉さんがこの人について行きたいと言い出した気持ちが少しだけ分かった気がします。とても不思議な方ですが、ぶっきらぼうな態度の中には確かな優しさを持った方なのだと知ることができました───。

 

 

 

 

「お姉様こちらです!」

 

「教官! どういう事デスカー!?」

 

 正直比叡の話を聞いたときは耳を疑いたくなるような内容でした、私の色仕掛けに乗らなかった教官がどうしてそのような事をしているのか、俗にいうお酒の勢いというやつなのでしょうか。

 

「こ、これはどういう事デース!?」

 

 間違えてお酒を飲んでしまった暁を宿舎へと運んでいる短い間でしたが、あれだけ騒がしかった食堂も静まり返っていました。艦娘達は上の空となり何やらブツブツと呟いている子も居れば、両拳を握りしめ静かに闘志を燃やしている子も居る。

 

「雷電は何を怒っているのデスカ……?」

 

「名前をまとめないでよ! 私だって後数年もしたら立派な女性になってるんだから……!」

 

「雷ちゃんも一緒に牛乳を飲むのです! いつか戦艦や重巡の人達を見返してやるのです!」

 

 何やら完全に自分の世界に入ってしまっているこの2人にはこれ以上関わらない方が良いだろう、それよりも問題は今まで見た事が無い程緩んだ表情をしている霧島と榛名だった。

 

「霧島、榛名! しっかりするデース!」

 

「流石は教官……、私のデータ以上の方でした……」

 

「は、榛名は大丈夫……じゃないですぅ……」

 

 2人の肩を掴んで揺すってみてもどうにも反応がおかしい。一体何があったと言うのだろうか、周囲を見渡してみれば時雨が山城に正座させて居たり、妙高や神通が自身の妹達に何か説教をしているようでした。

 

「比叡、教官は何処に……?」

 

「分かりません、一体何処に行ってしまったのでしょうか……」

 

「湊教官なら風に当たりたいって外に行ったわよー?」

 

 天龍を背負った龍田は教官が外に行ったと教えてくれた。顔を真っ赤にした天龍も気になりますが、龍田も表情には出ていないが耳が赤くなっているような気がする。

 

「何があったか聞かせて欲しいのデスガ……?」

 

「抱き締められるってのも案外悪くないものねぇ、天龍ちゃんはすぐに倒れちゃったけど♪」

 

「教官ー、何してるデース!? 比叡は皆を正気に戻してくれるカナ……? この際バケツで水でもかけてやってくだサーイ!」」

 

「ひ、ひえー!」

 

 私は食堂から飛び出すと教官を探す、風に当たりたいと言っていたようだし恐らくは桟橋辺りにでも居るのだろう。教官が皆と仲良くすること自体は良いとは思うのだけど、私には冷たくしたくせにどういうつもりなのだろうか。

 

「うぅ~! 何で私じゃダメなんデスカ……?」

 

 ネガティブな思考に負けて足が止まってしまう。私が教官に理由を尋ねても嫌われてしまう可能性もある、嫌われてしまうよりは今日の事はこれ以上触れない方が良いのでは無いでしょうか。

 

「でも、諦めたく無いデース……」

 

 少しずつだけど足を動かす、ここで諦めてしまえばきっとこれ以上教官にとっての特別にはなれないような気がする。もっとリラックスするようにと言われてから、私は本当の私になるために自分の感情を押し殺す事をやめた、ここで教官の事を諦めてしまえば再び昔の自分に戻ってしまうような気がする。

 

「見つけマシタ。 隣、座っても良いデスカ……?」

 

 予想は当たっていたようで、教官は桟橋から足を投げ出すようにして海を眺めていた。教官は返事をしてくれなかったけど、私も隣に座る。

 

「比叡から話は聞きマシタ、一体どういうつも……り?」

 

 教官の顔を見た瞬間私は黙ってしまった、どうしてこの人は泣いているのだろう。そんな事を考えていると、突然教官が私の膝へ頭を乗せてきた。

 

「さ、触ってもイイけどサー、時間と場所をわきまえなヨー!」

 

 突然の事に胸が高鳴る、男の人の涙は初めて見ましたがここは何も聞かない方が良いのかもしれない。きっと何も知らずにこの基地に来て、自分の指示で少女達を危険な戦場へと送り出す、それだけじゃなくこの人は自分の命をかけてでも作戦を成功させようとしてくれた。

 

「お疲れ様デース……」

 

 きっとそれは私が思っている以上の重圧なのだと思う、もしかしたら今日の騒ぎもその重圧から解放された結果なのかもしれない。私は寝息を立て始めた教官の頭をそっと撫でてみる、少しチクチクとした髪質だけど、それがなんだか可愛らしく感じた───。

 

 

 

 

 

 

 

「くっそ、頭が痛い……。 吐き気もする、一体何があったんだ……」

 

 着信を知らせる電話の音で目が覚めると俺は何故か執務室に居た、丁寧に布団まで敷かれているという事は誰かが俺をここまで運んで来てくれたようだがまったく思い出せない。

 

「はい、こちら鹿屋基地の湊ですが……」

 

 俺は何度か咳ばらいをして声を整えると電話に出る。しかし電話先の相手が分かると一気に眠気が吹き飛んでしまった。

 

「儂だ、改めて先日の作戦の成功を褒めてやろうと思って連絡したのだが、まさか今の時間まで眠っていたとでも思えるような声だな」

 

「し、失礼しました! 今朝まで作戦での問題点や消費資材をまとめておりまして……」

 

 まずい、絶対にばれてる。恐る恐る時計を見てみるとすでに昼前になってしまっているし、作戦が成功したからとだらけているのでは無いかと叱られる事も覚悟する。

 

「まぁ良い、貴様の今後について呉の狸を含めて話し合いが開かれる。 貴様は陸軍に戻るか海軍に移るかはっきり決めて置け」

 

 爺はそれだけ言って電話を切ってしまった。確かそんな話もあったなと思い出す、陸軍へと戻り自らの手で戦うのか、海軍に移って少女達に戦ってもらうのか、俺の答えは───。




第1章としてはこれで終わりです。

艦娘との出会いから、初めての作戦完了までです。

結構長い間書いている気分でしたが、実は小説の中では1週間という短い期間しかたっていませんでした……。

2章以降の進め方に関しては、活動報告の方に書かせていただきますので興味のある方は1度目を通していただけると嬉しいです。


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向かい風に向かって
顔は見えなくても(1)


儂も年を取った。

血が繋がっては居ないとは言え、息子の成長した姿を見るとつい涙腺が緩んでしまう。

しかし、アレはどうにも何かを選ぶのが苦手な所がある。

施設から引き取った時も弟や妹達を置いて自分だけ儂の所に来るのが申し訳無いと1人で泣いていたと聞いている。

もう少し自分の気持ちを優先させても良かろうに。

恐らくは今回もどちらを選ぶか決める事ができないだろう。

だから最後のお節介をしてみようか。

貴様にも最後の任務を伝える、今までよく尽くしてくれたな。

もしアレが親離れする事になったら、儂の代わりに面倒を見てやってくれ。


 何度も電卓を叩くが表示される数字の頭から横棒が消える気配が無い、間違いが無い事を確認するために資料に書かれた数字を逆算してみるが最終的には綺麗にゼロになってしまった。

 

「妙高、阿武隈達に今日の訓練は中止だと伝えてくれ」

 

「分かりました……」

 

「ちょっと頑張り過ぎたみたいネー……」

 

 初めは1人で消費資材の計算を行っていたのだが、何度繰り返しても呉から運搬してきた資材よりもこの作戦で消費してしまった資材が多くなってしまったので金剛と妙高に確認を頼んだのは良いが結果は変わらなかった。

 

「しばらくは節約だな」

 

「また乾パン生活デスカ……」

 

 原因としては金剛とその妹達が派手に資材を使い切ってしまった事が原因なのだが、そのおかげでこうして命があると考えると文句を言う訳にもいかない。

 

「ところで、陸軍のおじ様から診断結果を取りに来いって電信が届いてマスヨ」

 

「やっとか、どうせ暇だし買い物ついでに行ってくるか」

 

 未だ包帯が巻かれたままになっている顔をさすると、認めたくない数字が書かれた資料を鞄に詰めて立ち上がる。

 

「私も行っても良いデスカー?」

 

「荷物持ちで良ければ良いぞ」

 

 冗談のつもりで言ったのだが、金剛は俺の持った鞄を奪い取ると笑顔のまま扉を開けてくれた。

 

「荷物を寄こせ、本当に持たせる訳無いだろ」

 

 金剛から鞄を取り戻そうとしたが、右目だけでは遠近感が掴めていないのか伸ばした右手は空を掴んでバランスを崩しそうになる。

 

「怪我人は大人しくするネー、お姉さんが手でも握ってあげマスヨー!」

 

 金剛はそう言いながら俺の右手を握りしめてきた、なんだか照れくさくて振り払いたくなったが確かに下手に転倒して新しく傷を作るのも馬鹿らしいし大人しく頼むことにしよう。

 

「そのお姉さんってのは何だ?」

 

「秘密デース!」

 

 金剛と手を繋いで駐車場へと向かったのだが、途中出会った少女達が妙に恨みの籠った視線を向けてきたのはどうしてなのだろうか。

 

「シートベルトは締めたか?」

 

「準備オッケーネ、よろしくお願いしマース!!」

 

 妙にテンションの高い金剛が気になるが、車に乗る以上は運転に集中する事にした。交通量がほとんど無いとは言え、慣れない視界で運転するのだからいつも以上に注意しなければならない。

 

「どうしてそんなに機嫌が良いんだ?」

 

 助手席に座った金剛はラジオから流れる曲に合わせて鼻歌を歌っているが、買い物となるのであればコイツにとっては良い思い出は無いと思うのだが。

 

「教官とのデートなら楽しくない訳無いデース!」

 

「これのどこがデートだよ、診断書を貰って買い物して帰るだけだろ」

 

「『男と女が2人で出かければ全部デートだ』って前に言われマシタ!」

 

 声を低くして演技っぽく話した金剛を見て、俺の真似をしているのかと無性に苛立ちを覚える。

 

「……基地に帰ったら特別な訓練をしてやるから覚えて置け」

 

「そ、そんなのまだ私達には早いヨー!」

 

「吐くまで走らせてやるって意味だよ」

 

 俺の言葉が冗談じゃないと気づいたのか、鼻歌をやめこの世の終わりかのような表情で金剛はこちらを見ていた。

 

「やっと着いたか、行きはヘリだったせいか思ったより遠かったな」

 

「急がないとお店が閉まるかもデスネ」

 

 窓ガラスを開けると見知った警衛隊員に声をかける。少し前であればIDカードを見せれば素通りする事もできたのだが、所属が変わってしまった以上はそうもいかない。

 

「湊さんじゃないですか、しばらく見ませんでしたが何処か出張でも?」

 

「あぁ、ちょっと鹿屋までな。 爺に診断書を取りに来るように言われたんだが聞いてるか?」

 

「聞いてますよ、お通り下さい……で、横に乗ってる女性は湊さんのコレですか?」

 

 警備隊員は俺にだけ見えるように右手の小指を立てると笑顔でそんな事を聞いて来た、視線に気づいた金剛は笑顔をこちらに向けてきているが、その笑顔を見て警備隊員は緩んだ表情を直して敬礼をした。

 

「お、お名前だけでも!」

 

「私は金ご──」

 

「悪いな、急いでるんだ」

 

 俺は軽く敬礼をすると窓ガラスを閉める。からかわれるのも癪だったが、艦娘が海軍の機密という事を考えれば下手に金剛と会話をさせない方が良いだろう。

 

「さっきの人は教官のお友達デスカ?」

 

「友達ってより同僚だな、無断外出の時にはよく協力してくれた」

 

 もちろん対価は求められてはいたのだが、交代制の警備隊員の中でも融通の利くあの男の時間を狙って基地から外に出る事は多かったと思う。門を抜けてからも俺に気付いた連中が手を振っていたが、助手席に座っている金剛を見て驚きの表情を浮かべていた。

 

「さて、さっさと診断書をもらって帰るぞ」

 

「面白い人がいっぱいで楽しかったデース!」

 

 俺も久しぶりに懐かしい顔ぶれを見れて楽しくはあったのだが、最終的に金剛が窓から身を乗り出して手を振り始めたのだけは勘弁して欲しかった。

 

「随分と派手なお帰りだな」

 

 後ろから声をかけられ咄嗟に身体が反応してしまった。

 

「湊少佐、帰還しました!」

 

「帰還と言う事はあの話はこちらに戻ると言う意味か?」

 

「い、いえ。 申し訳ありませんがまだ決まってません……」

 

 俺の答えに機嫌を悪くした爺はこちらに背中を向けると「さっさと医務室へ行け」と短く告げて歩いて行ってしまった。

 

「あの話って何デスカ?」

 

「後で話すよ、今はさっさと用事を終わらせよう」

 

 俺が陸軍に戻るか海軍に残るかというのはまだ誰にも話をしていない、少女達に相談したら海軍に残って欲しいと言われるのは分かり切っていたし、それで残ったとなれば自分達が無理を言って残ったと負い目を感じると思ったからだった。

 

 俺達は黙ったまま基地の中を歩くと、何度か世話になった事のある医務室へと到着した。部屋の中にはいつもの口煩い婆が居るのかと思ったが、見慣れた秘書官が座っているようだった。

 

「いつの間に秘書官を止めたんだ?」

 

「あら、おかえりなさい。 別に秘書官を止めた訳ではありませんよ、これから話す内容に機密事項が含まれますので、おばちゃんに変わってここで待たせてもらっていました」

 

 久しぶりに会うせいか俺が居なくなってからの事で話に花を咲かせていた俺の服を金剛が引っ張ってきた。

 

「この人は誰デスカ……?」

 

「あぁ、すまない。 つい話に夢中になっちまった」

 

「申し訳ありません、私は淀川と言います。 今後共よろしくお願いします」

 

 丁寧に頭を下げた淀川さんを見て慌てて金剛が同じように頭を下げる。先ほど俺が名前を名乗るのを邪魔したのに気付いていたのか、自分の事をどう説明するべきか助けを乞うような目でこちらを見てきた。

 

「金剛型戦艦1番艦、金剛さんですよね? 話は聞いていますので安心してください」

 

「なんだ、知ってたのか。 聞かれたらどう誤魔化そうか悩んで損したよ」

 

 爺の秘書官という事もあってある程度の情報は聞いているのか、金剛の事を知っているようだった。

 

「こちらが湊さんの診断書です、おばちゃんはすぐにでも大きな病院に行って検査してもらうようにって言ってましたよ」

 

 俺は淀川さんから診断書を受け取ると中身を確認する、「網膜裂孔」の疑い有りと書かれているが聞いたことの無い傷病名にいまいちピンと来ない。

 

「放って置けば治るのかな」

 

「流石にこちらの分野は専門外なので、病院で再検査を受けた方が良いとしか言えませんね」

 

 実際完全に見えなくなってしまった訳でも無いし、少し光が眩しく感じてしまうくらいであればもう少し様子を見ても大丈夫だろう。

 

「それともう1つの本題に入りますね。 これは私からの質問ですが、湊さんは今後はどうするつもりなんですか?」

 

「どういう質問か分からないな、今後も何も命令に従うだけだろ」

 

 壁に立てかけられていたパイプ椅子を2つ組み立てると、先ほどから落ち着かない様子を見せていた金剛を座らせてから自分も座る。

 

「湊さんは艦娘の教育を目的に鹿屋へと向かいました、そしてこの度の作戦で戦果をあげました。 後は後任に任せて陸軍に戻ってくる選択肢を与えられているはずです」

 

 淀川さんが何故その事を知っているのかと驚いたが、それ以上に驚いていたのは隣に座っている金剛だった。

 

「い、今の話は本当デスカ……?」

 

「あぁ、確かに決めておくようにと言われているな」

 

「それで、どちらを選ぶんですか? こちらに戻って彼女との約束を守りますか、それとも少女達と新しい道を歩んで行きますか?」

 

 今の問いかけに違和感を感じた。淀川さんがこの基地に来た時期を考えれば隊長との約束を知っているはずは無い。ラバウルでの出来事を知っている人間などこの基地では数えるほどしか居ないし、みんな軽々しく口にするような奴等じゃない。

 

「爺に言われたのか、淀川さんを使うなんて相変わらず回りくどい事をするな……」

 

「私からは何も言えません」

 

 その返事は肯定するのと同じ意味だった。俺は淀川さんに金剛の話し相手をしてやってくれと頼むと、爺が居るであろう執務室へと向かった。

 

「ノックくらいしたらどうだ?」

 

「相変わらず汚いやり口だな、呉の提督があんたを嫌っている理由が良く分かるよ」

 

 俺が来る事を予想していたのか、机の上には俺が陸と海のどちらに行くのかを記入するための用紙が置かれていた。

 

『君も分かっただろう、この男はそういう人間だ』

 

 スピーカーから呉の提督の声が聞こえてくる。どうやら爺と話をしていたようだがあまりにも準備が整い過ぎていて腹が立ってきた。

 

「それで、どうするんだ。 考える時間は与えたぞ、まだ決まってませんとでも言うつもりか?」

 

『焦る必要は無い、君は君の望む道を選べば良い』

 

 怒りに任せて陸軍を辞めてやるというのは簡単だった、しかしそんな何かから逃げるような方法でこれから進む道を決めてはいけないと踏みとどまった。海軍に残ると言う事は少女達の命を預かる事になる、だからこそしっかりと考えてから答えを出すべきだった。

 

「陸軍には確かに隊長との約束があります、俺はあの人の代わりに多くの新兵が生き残れるように育てるって約束をしました」

 

 ラバウルでの事を思い出して吐きそうになってきたが、今は弱音を吐いている場合ではない。

 

「海軍には俺を必要としてくれている子達が居ます、俺はあの子達が戦場に出る手助けをしてしまった、今更俺だけ抜けるんて許される行為じゃない事も分かってます」

 

 ここまで言葉にして分からなくなってしまった。俺は一体どうしたいと言うのだろう、陸軍にも海軍にも俺にとっては進む道がある。それでも俺は大きく深呼吸をすると俺が進むべき道を口にした───。

 

 

 

 

 

 

「それで、湊さんは鹿屋ではどんな感じなんですか?」

 

「とっても酷い人デース、会ったばかりの私を騙して荷物運びをやらせたネー!」

 

 淀川と呼ばれたこの女性はとても不思議な雰囲気を持っていると思う、一見近寄りがたい外見をしていますが、話をしてみればとても聞き上手というか丁寧に答えてくれると言うか。

 

「でも、とっても優しい人デス……」

 

 教官が私達じゃなくこの基地に戻るのであればきっと彼女も理由の1つなのだろうか。そう考えると胸が痛む。

 

「そうですね、彼は一見乱暴そうな口調ですがとても面倒見の良い方ですからね。 この基地でも彼を慕っている人が多いと聞いています」

 

 そして今日初めてこの基地に来て、教官にとっては私達以外にも大切な人が居るのだと認識させられてしまった。私達艦娘にとってこの世界は基地の中と海の上だけでしたが、あの人はもっと広い世界から来たのだと気付いてしまった。

 

「鹿屋でもそんな感じデスネ、不思議と小さい子に好かれてマス」

 

 教官は優しいからきっと私達が頼めば海軍に残ってくれると思う、だけどそれは本当に教官が望んでいる事なのだろうか。

 

「彼には不思議な魅力がありますよね」

 

「そういえば、さっき淀川が言ってた『約束』って何デスカ……?」

 

 例え陸軍を選んだとしても、それに納得できるだけの理由が欲しい。淀川の言葉の後に教官は今まで見た事がないくらい苦しそうな表情をしていた、その言葉には私が想像できないくらい重い意味が込められているのだろう。

 

「私も詳しい事は知りませんが、彼の居た部隊の隊長との約束としか教えられていません。 もう1つ私の知っている情報だと、その部隊は彼を残して全滅していますね」

 

 その言葉を聞いて何も言う事ができなかった、失ってしまった誰かの意思を継ぐ。それは私にも経験があった、比叡や霧島だけじゃないあの頃は数多くの仲間達が海の底へと沈みその意思を受け継いできた。

 

「そう……デスカ。 淀川は教官が海軍にって考えて不安になったりしないのデスカ?」

 

 先ほど教官と話をしていたこの人もただの友人と言う訳では無いと思う。詳しくは分からないけど私達と同じように教官の事を信頼しているように感じた。

 

「少しずるいかもしれませんが、私にとってはどちらも同じなんですよ。 おっと、湊さんが帰ってきたみたいですね」

 

 私は姿勢を正すと医務室に入ってきた教官を見つめる。表情を見る限り悩んでいる様子は無いし、恐らくは教官はどちらに行くのか決めたのだと思う。

 

「どうした、俺の顔に何かついてるのか?」

 

「そうやって誤魔化す癖は直した方が良いですよ」

 

 淀川は呆れたように溜息をつきながら教官に早く何を話してきたのかを説明するように促してくれた。

 

「結果から言うが、俺は海軍に残る事にした」

 

 私はその言葉を聞いて思わず教官に抱き着いてしまった。正直淀川の話を聞いて無理だと諦めていたけど、彼は私達を選んでくれたのだ。

 

「な、泣くなよ。 まだ話は終わってないんだからさ、それで『提督』ってのを目指してみようと思う」

 

 教官はそう言ったけど私は離れる気は無かった、これからも教官と一緒に居られるそれ以上嬉しい事なんて今の私には無かった。

 

「素敵じゃないですか、でも指揮をするって簡単な事じゃないですよ?」

 

「あぁ、呉の提督からも同じことを言われたよ。 艦娘を運用できる人間が俺しか居ない以上俺が提督になる事自体は問題無いらしいんだが、陸軍の人間が簡単に提督になったら周りの人間に示しが付かないらしくてさ」

 

「大丈夫デース、教官には私達がついてマース!」

 

 私達が頑張って戦果をあげれば周りの人間も教官を認めるしかなくなる、これからは私達の努力は教官のためになると考えれば力が沸いてくるような気がする。

 

「それでしばらくいろんな鎮守府や泊地に行って勉強して来いって言われたよ」

 

 その言葉は聞き捨てならない。明日も明後日も一緒に居られると思っていたが、教官が海軍に残っても私達の前から居なくなってしまうのでは意味が無い。

 

「しばらくってどれくらいデスカ……?」

 

「細かい期間は言われていないな、しばらくって言われたからには1日2日って訳でも無いだろうし、少なくても数ヶ月単位じゃないかな」

 

「数ヶ月の研修で提督になるってもの凄い出世スピードですね……」

 

 あまりその辺りの事に詳しくはないけど、確かに数ヶ月我慢するだけで教官の事を提督と呼べるようになるのであれば我慢が必要になるのかもしれない。

 

「まぁそういう事だ、明日には出発するからさっさと帰るぞ」

 

「わ、分かりマシタ。 この時間なら買い物もできそうデース!」

 

「それじゃあ行きますか」

 

 そう言って私達は医務室から出て車の止めてある駐車場へと向かった。

 

「見送りありがとうな、また暇なったら遊びに来るから淀川さんも元気でな」

 

「色々話せて楽しかったデース!」

 

「あら? てっきり金剛さんは気付いていると思いましたが、私も鹿屋に向かいますよ?」

 

 私と教官は互いに視線を合わせて首を捻る、一体淀川は何を言っているのだろうか。

 

「改めまして、軽巡大淀、戦列に加わります。 湊さんの居ない間の艦隊指揮、運営はどうぞお任せください」

 

 どうして彼女がどちらでも同じと答えたのか理解できた、私が乗ろうとした助手席に淀川改め大淀が乗り込むと、私達に早く帰りますよと声をかけてきた───。



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顔は見えなくても(2)

少し金剛さんには意地悪をし過ぎちゃいました、これは謝らないとですね。

それでも彼女の表情は私が知っている艦娘の姿とは大きく違った。

兵器としては失敗作だと言われ続けた私達がこうして笑って過ごせる日々が来るなんて誰が予想できたでしょうか。

これも湊さんの魅力の1つなのでしょうか?

陸軍で現代の軍の在り方を勉強して来いと命令された時には不安でしたが、とても良い経験になったと思う。

今も昔も人は大切なモノのために必死で戦っているのだと分かったから。

湊さんには申し訳ない事をしたと思う。

私が彼を海軍へと推薦しなければ彼は傷つくことは無かった。

それに彼はこれから不慣れな場所で様々な悩みを抱えて行くでしょう。

それでも彼は必ず私達の提督として背中を預けられる存在になると、そう信じています。

頑張ってくださいね。


「湊さん、次はあそこに寄ってもらって良いですか?」

 

 淀川さん改め大淀が指差したのは携帯ショップだった、別に無線を使えば良いだろうと思ったが生活用品の買い込みは終わっていたので指示に従う。

 

「携帯なんて何に使うんだ、それにそんな予算なんてあるのか?」

 

「大丈夫ですよ、結構貯金していますので問題ありません」

 

 兵器として扱われている彼女達に給与が支払われているのかと疑問に持った俺は金剛に尋ねてみる。

 

「1度も貰った事無いデスヨ……?」

 

「海軍からは支給されて居ないと思いますよ、本来であれば私も頂ける物では無かったのですが中将さんが陸軍に居る間は人として扱うから当然だと言ってくれましたので」

 

 大淀の言葉に少し驚いた、あの爺こそ艦娘は兵器だと割り切ってコキ使いそうなイメージがあるのだが変な下心でもあったのだろうか。

 

「湊さんは何色が好きですか?」

 

「あんま選り好みはしないけど、青とか緑系の色が好きかな?」

 

「随分とカラフルデスネー!」

 

 店内に入った俺達は様々な種類の通信機器が置かれた棚を物色する、確かに昔は携帯を持ち歩いていた時期もあったが国外に出る事になって解約してからはこの手の道具は無くても特に困らないと結論を出している。

 

「これなんてどうですか?」

 

「これが可愛いデース!」

 

 大淀がこちらに見せているのは光の加減によって青とも緑とも取れる俺が好みだと言った色に近いのだが、金剛が持ってきたのはピンクやゴールドと言った正直何を考えてこの色を用意したのか理解できない配色の物だった。

 

「俺は大淀の持ってる方が良いかな……」

 

「ノー、負けマシター!」

 

「そう、これが本当の大淀型の力よ!」

 

 買い物の途中で2人で何か話していたようだが、妙に仲が良くなっているような気するが何があったのだろう。

 

「それでは2つ目は金剛さんの持っているピンクにしましょうか、申し訳ないのですが契約は湊さん名義で良いですか?」

 

 2つ買う事にも驚いたのだが仕事用と私用とで分けるのだろうかとこの際気にしない事にする。それよりも気になったのはどうして俺の名義で契約する必要があるのかだった。

 

「私が契約できれば良いのですが、残念ながら私達には身分を証明する物がありませんので……」

 

「あぁ、そういう事か」

 

 現状艦娘は人として扱われていない、艦娘になる前なら自身を証明する物がいくつかあったのだろうが今はそうでは無いらしい。

 

「ちょっと待ってろ」

 

「プランはこの家族プランでお願いしますね」

 

 どうも大淀と話をしていると淀川さんと呼んでいた頃のイメージが強く、本当に艦娘なのかと疑いたくなってくる。艦娘になる際に記憶の欠損があると資料には書かれていたがここまで馴染んでいるのが不思議だった。

 

 結局よく分からない説明や期間限定でお得なプランがある等様々な事を店員に言われたが、理解の追いついていない俺はそれを黙って聞くしかできなかった。と言うより黙っていても大淀が話を進めているので黙っている事こそ正解だったと思う。

 

「それで携帯なんて何に使うんだ?」

 

「携帯では無くスマートフォンと呼ぶんですよ?」

 

 しかしこの場において1番ついてこれていなかったのは金剛だった、現代に生きている俺ですら分からない事だらけなのだ、笑って誤魔化しているようだが正直バレバレだと思う。

 

「こちらは湊さんが使ってください、私達はこっちを使いますので」

 

「俺は別に無くても困らないんだが……」

 

 大淀はそう言って深緑色の携帯を俺に手渡してきた。代金は大淀が支払っている以上貰うと言うのも申し訳ないし適当に断っておく。

 

「湊さんが必要としなくても、彼女達には必要になってきますよ」

 

 大淀は画面を数度触ると俺の持っている携帯が震える。

 

「それでは金剛さんには記念すべき初通話をお願いします」

 

「任せてくだサーイ!」

 

 そう言って金剛は大淀から携帯を受け取ると走って行ってしまった。何を遊んでいるんだと呆れかけていたが、仕方が無く付き合ってやる事にする。

 

『聞こえマスカー!』

 

 大声で叫んできた金剛に驚いて咄嗟に画面の赤いボタンを押す、すると金剛が走って戻ってきた。

 

「大淀、急に何も聞こえなくなりマシタヨ!?」

 

「湊さんもあまり意地悪をすると嫌われちゃいますよ?」

 

「声がでけぇんだよ、普通に喋れば聞こえるって」

 

 怒っている金剛を無視して大淀に携帯を渡すと、再び金剛の持っている携帯にかけてもらう。それに気づいた金剛は再び遠くへと走り出す。

 

『こ、これくらいで大丈夫デスカ?』

 

「あぁ問題無い、もう満足したか?」

 

 大淀に切って良いかと視線で確認するが、大淀はゆっくりと首を振った。

 

『これで教官が居なくなってもお話できマース、やっぱり教官と離れ離れになるのは寂しいケド、提督になるのを応援しながら待ってるヨ!』

 

 俺は再び画面の赤いボタンを押す。

 

「まったく、素直じゃないですね」

 

「さっさと帰るぞ、それとその携帯なんだが艦娘達で共有するなら登録名を───にしておいてくれ」

 

 大淀に携帯を渡すと、叫びながらこちらに走って来る金剛を無視して俺は車に乗り込む、金剛が妙な事を言うせいで熱くなった顔が赤くなって無いかをミラーで確認するとそれを誤魔化すように大きく伸びをした───。

 

 

 

 

「皆さん初めましてと言う訳ではありませんね、お久しぶりです。 軽巡大淀只今を持って戦列に復帰します」

 

 鹿屋に戻った俺達は荷物を運び入れると、大淀を紹介するために食堂へと招集をかけた。初めて俺が挨拶する時には全然集まらなかったくせに今は全員が集まっていると思うとなんとも不思議な気分になる。

 

「あら、大淀じゃない。 人の姿になっても堅物なのは相変わらずなのね」

 

「足柄さんこそ、人として生まれ変わっても『飢えた狼』の名は当てはまりそうですね」

 

 大淀と足柄の間に妙な空気が流れる、もしかして戦時中に何かいざこざが起きているのではと不安になってきた。仲の良い艦同士が居る事を考えればその逆もありえるのではなかろうか。

 

「佐世保に居たはずのあなたが居るという事はあの子も居るんですか?」

 

「ええ、今は自室に引きこもってるわよ」

 

 大淀と足柄は数秒にらみ合いを続けた後、食堂から出て行ってしまった。一体何があったのか理解できない。突然の事に茫然としてしまっている俺に後ろから誰かが声をかけてきた。

 

「あ、あのー、教官さん大丈夫ですか?」

 

「羽黒か、一体今のは何だったんだ?」

 

「足柄姉さんと大淀さんは大きな作戦で一緒に行動してたんです、恐らくは霞ちゃんも参加していたはずなのでそちらに向かったのかと……」

 

 羽黒から『礼号作戦』について軽く説明を受けた俺は大きく溜め息をついた、俺の知っている淀川さんはどちらかと言えば大人しい人柄で、面倒見が良く年下なのにどこかお姉さんをイメージさせる人物だったのだが、今日のやり取りでそのイメージがどんどん崩れていく。

 

「このクズ! 足柄だけでもやっかいなのに、なんて人を連れて来るのよ!」

 

「引きこもってるんじゃなかったのか?」

 

 食堂の扉が大きな音を立てて開かれると霞が飛び込んできた、霞はそのまま俺の後ろへと隠れると敵の襲撃に備えているようだった。

 

「相変わらず素直じゃないですね、私達が助けに行った時はあれほど喜んでいたのに」

 

「そこが霞の可愛い所なんじゃない、大淀も分かってないわねぇ」

 

 遅れて大淀と足柄が食堂に戻ってきた、正直大淀の紹介が終わったら俺がこの基地からしばらく離れると言う話をするつもりだったのだが訳の分からない空気になってしまっている。

 

「良いから何とかしなさいよこのクズ!」

 

「それが人に何かを頼む態度なのか?」

 

「何を調子に乗ってるのこのクズッ!」

 

 俺は後ろに隠れている霞を捕まえると、2人の追跡者へと差し出そうとしてみる。

 

「分かったわよ、お願いしたら良いんでしょ! は、早く何とかしなさいよっ!」

 

「お願いしますは?」

 

 大淀と足柄はゆっくりとこちらに近づいてくる、霞は必死で体を動かして俺の手から逃れようとしているが襟を掴んだ俺の腕を振りほどけないようだった。

 

「お、お願い……しますっ!」

 

「大淀、足柄ちょっと落ち着け。 真面目な話もあるんだ」

 

 真面目な話という単語にスイッチを切り替えたのか、2人は真剣な表情でこちらを見ている。一連のやり取りを見て笑っていた子達も黙って耳を傾けてくれているようだった。

 

「初めに1つ言っておくが俺はこれから『提督』になるための研修に行く事になった」

 

 その一言で一部の子達が騒ぎ始める。

 

「教官さんが本当に提督さんになるっぽい!?」

 

「実にハラショーな内容だね」

 

「良いじゃない、私達も頑張った甲斐があるってものね!」

 

 主に騒いでいたのは駆逐艦の子達だったと思う、騒いでいると話の続きが聞けないと判断した妙高や川内達が静かにするように注意して回っている。

 

「その研修ってのが、今ある鎮守府に行って勉強してくる事になっている。 だから申し訳ないがしばらく俺はこの基地から離れる事になる」

 

「しばらくってどれくらいなのかな……?」

 

 真っ先に質問してきたのは時雨だった、同じことを考えた子も多かったのか俺の返答を息を吞んで待っている。

 

「悪いが分からない、短くても数ヶ月だとは思うがその間のこの基地の運営について話し合いたいと思う」

 

 実際俺がこの基地を離れる事によって以前のような状態に戻ってしまう事が最も懸念される事だった、下手に他の軍人を呼んだとしても少女達を兵器として扱うような人間なら意味が無い。

 

「恐らく外と繋がりを持っているのは大淀だけだと思うから、基本的には大淀に働いてもらう事になるが正直1人でこの人数をまとめると言うのは大変だと思う」

 

 実際この人数となると1人で全員の様子を見ると言うのはかなり厳しい、俺だって金剛や妙高達が手伝ってくれていたからどうにかなっていたが、数ヶ月となるとそれでも身体が持たないだろう。

 

「そこで、各艦種毎に代表を決めて置きたいと思うんだ。 代表をやりたいって子は居るか?」

 

 本来であれば階級で決めるべきなのだろうが、生憎この子達には階級という制度が無い。だったら少しでも大人びている戦艦や重巡の子達を代表にしてしまえば良いと思うが、恐らくそれでは小さい子達から不平不満が出ても気付きづらくなってしまうだろう。

 

「戦艦は私がやりマース!」

 

「流石はお姉様!」

 

「榛名、応援します!」

 

 予想していた通りだが、戦艦は金剛が代表で問題無さそうだった。金剛姉妹の他に山城も居るのだが正直興味無さそうに騒ぐ金剛達を見ていた。

 

「それでは重巡はこの妙高で宜しいでしょうか?」

 

「問題無い、元々重巡は私達妙高型しか居ないからな」

 

 ここも予想通り、重巡をまとめるのは妙高に落ち着いたようだった。正直羽黒辺りに1度経験させておきたいと思ったが、それは俺がこの基地に戻って来てからでも良いだろう。

 

「それじゃあ軽巡の代表は神通で良いかなぁ?」

 

「ね、姉さん何を!」

 

「那珂ちゃんはアイドル活動で忙しいから別に良いよ!」

 

「私達は別にそれで良いわよー? ねぇ天龍ちゃん?」

 

「球磨も多摩も面倒な事は嫌いだクマー」

 

 軽巡は川内の一言で神通に決まってしまったようだった、この流れだと長女がやる流れだと思っていたのだが作戦の時と違いだらけきってしまっている川内を見て呆れてしまう。

 

「駆逐艦はこの暁に任せなさいっ!」

 

「何よ、この雷様の方が向いてるんじゃない?」

 

「夕立は難しい事は分かんないから時雨にお願いするっぽい!」

 

「いや、僕は遠慮したいかな……?」

 

 問題はここだった、間違いなくまとまらないのは分かっていたし、正直これくらいの年齢の子に指揮官としての適性はまだ無いと思う。わざと班分けするのにはそれぞれのリーダーに部下を扱うと言う事の練習をかねてだったのだがこの子達にはまだ早いような気もする。

 

「暁の方がお姉ちゃんなんだからね!」

 

「あら、進水日だったら私や電の方が早かったわよ?」

 

「2人共喧嘩はやめるのですー!」

 

 正直軽巡も川内では無く神通がまとめる事になったので生まれた順や姉や妹は関係ないと思うのだが、少女達にとってはそれは自分がまとめ役になるための十分な理由になるのだろう。

 

「叢雲は立候補しないのか?」

 

「私は嫌よ、それに下にしっかり者が居た方が組織も安定すると思わない?」

 

 もし1人選ぶのであれば叢雲辺りかと考えて居たのだが、本人にその気は無いようだった。確かに叢雲の言う事も一理あるし、本人にやる気が無いのであれば無理にやらせても仕方が無い。

 

「あーもう、バカばっかり! そんなの誰がやったって一緒じゃないの」

 

「じゃあ駆逐艦のまとめ役は霞な」

 

 呆れたように悪態を付いた霞だったが、俺の一言で完全に固まってしまった。こいつなら軽巡の大淀や重巡の足柄と仲が良いみたいだし自分よりも大きな相手に思った事を口にできると言うのはまとめ役に必要な能力だと思う。

 

「どんな采配してんのよ…本っ当に迷惑だわ!」

 

「じゃあ聞くが、暁や雷は大淀や足柄に逆らう事はできるか?」

 

「大淀さんは大丈夫そうだけど、足柄さんはちょっと怖いわね……」

 

「暁、騙されちゃだめよ! 大淀さんだってきっと怒ると怖いタイプだと思うわよ!」

 

 暁と雷の言葉に大淀と足柄が反応する、2人は視線を合わせると互いに少女達にゆっくりと近づいて行った。

 

「誰が怖いのかなー、暁ちゃん教えてくれるかしら?」

 

「そんなに怒らせたら怖そうですか?」

 

「はわわわ、2人共逃げるのです!」

 

 2人の登場に暁型姉妹が慌て始める、夕立は今だけはあの騒ぎに参加しなくて心底良かったと感じているようだった。

 

「大人気無いわね、子供の言った事にいちいち反応してどうするのよ」

 

「霞がそう言うなら仕方が無いわね、お仕置きは無しにしてあげるわよ」

 

「確かにそうですね、少し大人気無かったようです。 流石は霞ちゃんですね」

 

 霞に叱られた2人がそれぞれのグループに戻っていく、霞が2人にハメられた事に気付いたのは後ろで希望の眼差しを向けている暁と雷の視線に気付いてからだった。

 

「あなたすごいのね、足柄さんと大淀さん言い負かすなんてレディだわ!」

 

「この雷様も流石にまずいと思ったけど助かったわよ」

 

「それじゃあ駆逐艦のリーダーは霞にするっぽい!」

 

「……えっ?」

 

 胴上げでも始まるのでは無いかと思えるような騒ぎの中で駆逐艦のリーダーは霞に決まったようだった。

 

「まぁなんだ、下がしっかりしてれば大丈夫なんだよな?」

 

「ったく、任せておきなさい」

 

 正直不安になって来たが、今は叢雲の言葉を信じるしかない。その後は各自に連絡方法や組織として動く上での注意点を説明して話し合いは無事に終わった。実際はもっと細かく訓練のスケジュールや食事当番とかの細かい事を決める必要があったのだが、自主性を育てるためにもあえて口にしないでおいた。

 

 それから俺は執務室に戻ると数少ない自分の荷物をまとめる事にした、ここに来て1週間しか経っていないが色々な事があったと思う。北にある鎮守府から徐々にこの鹿屋基地へと戻ってくるルートで研修を行うようだけど大湊って一体どこにあるのだろうか。

 

「これだけは忘れないようにしないとな」

 

 俺は大淀から預かっている携帯と充電器を鞄に押し込むと突然携帯が震える。内容を確認した俺はつい笑ってしまった───。



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初めての空と黒い雲(1)

from:大淀と愉快な仲間達

sub :こんごうでーす

おおよどにけいたいをかりてめーるしてみました

ていとくになったらまってるから

ちーたいむのやくそくやぶったらだめよー

がんばってくだしい

いってらっしゃい


「時間か……」

 

 まだ窓から見える景色は暗く、時間も日付が変わったばかりだった。なんだか湿っぽい別れになるのは嫌だったのであえて誰にも出発時間は教えていない。

 

「これが海軍式ってやつなのかねぇ」

 

 少女達の事を少しでも知ろうと色々と調べてみたのだが、陸軍に比べて当時の海軍へ向かう若者達は夜更けや早朝に人知れず軍へ出征していったらしい。当時の艦の記憶を持った少女達のために陸軍から海軍に移る俺にとってはなかなかぴったりじゃないかと1人納得する。

 

 こっそりと執務室から出ると、待ち合わせ場所へと向かう。待ち合わせ時間までまだ少し時間はあったがすでに俺が乗るであろう機体が止まっていた。

 

「あの……俺コレに乗るんですか?」

 

 ヘリには何度か乗った事はあるのだが、子供が絵に描いたような戦闘機を間近で見るのは初めてだった。移動用と説明された時には鹿屋に来た時と同じようにヘリだと思っていただけに度肝を抜かれてしまう。

 

「なんだ戦闘機を見るのは初めてなのか、俺としてはF-2よりもF-4とかF-35の方が良かったんだけどな。 生憎ほとんど化物共にやられてコレくらいしか残ってなかったんだ」

 

 パイロットスーツに身を包んだ男が色々と説明してくれるようだったが、何一つ分からない。

 

「まぁ良いさっさと乗れよ、最高の空の旅を案内してやるよ」

 

「りょ、了解しました……」

 

 それからは男の指示に従って用意されたパイロットスーツやヘルメットを装着する、正直心臓が張り裂けそうな程緊張してきた。

 

「これで大丈夫ですかね……?」

 

「あぁ良く似合ってる、じゃあ出発するか」

 

 それから俺は今までさんざん空の連中は気楽で良いなと悪態を付いていた事を心の中で謝る、空から爆弾を落とすだけの簡単な仕事だよなって言ってた仲間にも頭を下げさせてやりたいと思った───。

 

 

 

 

「初めて乗って気絶しなかっただけ大したもんだよ」

 

「……気絶してた方が楽だったんじゃないですかね」

 

 目的地に着いたのは良いのだが、今はこうしてビニール袋と仲良くするハメになった。何があっても絶対にコレのパイロットにはなりたくないと思う。

 

「シャキッとしろよ、俺はもう1つ荷物を届ける約束があるからもう行くよ」

 

「あぁ、ありがとう。 最高の空の旅だったよ」

 

「良いねぇ、お前も提督になれなかったらうちで引き取ってやるから安心しな」

 

 心の中で返事をする『絶対に嫌だ』と。車や船では乗り物酔いをした事は無いが、俺達が戦闘機と呼んでいる物がこれほど過酷だとは思わなかった。

 

「さて……、行くか」

 

 どうにか自分の膝を掴んで立ち上がる、若干地面が揺れているような感覚があるがこれから提督になろうとしている男がこんな所でへばっているのは情けなさすぎる。明かりのついている建屋へ向かって歩くと白い軍服に身を包んだ少し小太りな男に声をかけられる。

 

「ようこそ大湊へ、君が湊くんかね?」

 

「湊少佐です、これからよろしくお願いします!」

 

 胸の勲章の数を考えればこの男がこの基地の提督なのだろうか、髪や髭までも白いせいか全身真っ白な男という印象だった。

 

「呉の彼から聞いているよ、なんでもアレを使って戦果をあげたのだとか。 随分と面白い事をしたじゃないか」

 

「1つお伺いしたい事があります、あなたにとってあの子達はどう見えているのでしょうか……?」

 

 この男は一体どちら側の人間なのだろうか、佐世保のように兵器としか見て居ないのか呉のように1人の少女として見ているのか。俺にとっては何よりも先に知りたいことだった。

 

「どうも見えておらんよ。 兵器である事は確かだが、女子供の恰好をした者を誰が好き好んで戦場に送るか、儂にはなんとも言えんな」

 

 少なくとも今の言葉で悪意を持って艦娘に接しているのでは無い事が分かった、今はそれだけで十分だと思う。

 

「それじゃあ君に任せる艦娘を紹介するよ、ついて来たまえ」

 

 俺は男の後について歩く、離れた場所にある小さな建屋の中に入って驚いてしまった。当たり前の事なのだが鹿屋と比べるまでもなく綺麗に整頓されている、下手すると俺が住んでいた寮よりも綺麗かもしれない。

 

「随分と綺麗な建物ですね」

 

「あぁ、少女達のために建てたからな」

 

 分からないと言っていたが、この男は意外と艦娘を大切にしているのでは無いだろうか。そんな事を考えて居ると1人の少女が部屋から出てきた。

 

「紹介するよ、彼女は『航空母艦 加賀』。 かつては一航戦と呼ばれた空母の1人だ」

 

「初めまして、俺は湊少佐です。 よろしく頼むよ」

 

 挨拶をしてみたのだが、加賀と呼ばれた少女は一切こちらに反応を示さない。それを見た男が酷く寂しそうな表情をしている。

 

「君はこの子達の事をどれくらい知っている、記憶の欠落というのは既に教えて貰っているのかね?」

 

「はい、資料を読みました。 それが何か?」

 

「これは儂の推測だが、一航戦と呼ばれ国民の期待を背負った艦だった加賀の魂は少女にとっては重すぎたのだろう」

 

 相変わらず無表情でこちらを見つめてくる加賀の事を男は説明してくれた、加賀となった少女は艦娘としての適性はずば抜けていたそうなのだが、それ故に記憶の大部分が欠落してしまったのでは無いかと。

 

「他の子もこの宿舎に居るが、時間的に眠っているだろう。 君には1階の奥の部屋を与えるからそこを使うと良い、加賀をよろしく頼むぞ……」

 

 男は涙を誤魔化すように上を向くと、それだけ言い残して宿舎から出て行ってしまった、鹿屋や佐世保では様々な子に出会ってきたがまさか言語まで失った子が居るとは思わなかった。

 

「……」

 

「ん? どうした、何か言いたいのか?」

 

 加賀が口を小さくパクパクとさせているのに気付いた俺は少しでも何を言おうとしているのかを聞き取るために顔を近づける。

 

「……私の顔に、何かついていて?」

 

「うおっ!? 話せるのか!?」

 

「誰も話せないとは言っていないと思いますが」

 

 一体どういう事だろうか、先ほどまでの男の表情や重くなってしまったこの空気は一体何なんだろう。

 

「あの人は、少し悪ふざけが過ぎるわね」

 

「もしかして俺って騙されてた?」

 

 加賀は俺の質問に黙って頷いて入口を指差す。俺はその方向へと視線を向けると『ようこそ大湊へ』と書かれた旗をもった男と少女がニヤニヤしながらこちらを見ていた。

 

「ぃやったぁー!! やったでぇ! 大成功やでー!」

 

「ハッハッハ! 君の考えたレクリエーションとやらもなかなか楽しいでは無いか!」

 

「……ふざけんじゃねぇぞ!?」

 

 その時俺は階級の差も忘れて大湊の提督に説教をかました、やって良い冗談とやってはいけない冗談があるだろと本気で怒鳴りつけてやったのだが、俺の必死な対応は2人の笑いの種にしかならなかったようだった。

 

「まぁまぁ、キミもそうカッカしてると寿命が縮んでしまうで?」

 

「その通り、長生きの秘訣は笑う事だぞ湊くん」

 

「もう良い……、それでそっちの子も艦娘なんですか?」

 

 俺は横に立っている少女を指差すと男に尋ねる。サイズを考えるに駆逐艦の子だろうか?

 

「あぁ、この子の紹介もした方が良いかな」

 

「自己紹介くらいうちがやるわ、うちは軽空母、龍驤や。 独特なシルエットでしょ? でも、艦載機を次々繰り出す、ちゃーんとした空母なんや!」

 

「儂は龍驤が艦載機を飛ばしたところなど1度も見た事無いけどな」

 

「それは言わんといてって約束したやろ!」

 

 この2人は一体何なんだ、正直金剛達とは違った意味でテンションについて行けない。爺も呉の提督も歴戦の兵ってイメージだったが、この男の行動はその辺の中高生となんら変わりない気がする。

 

「それで、私はもう眠っても良いのかしら?」

 

「あぁすまない、もう自室に戻って良いぞ」

 

 男は加賀に自室に戻っても良いと指示を出すと、無表情のまま加賀は部屋の中へと入って行ってしまった。

 

「さて、友好も深まった所で本題に入ろうか。 という事で儂は眠いのでちゃんと伝えておいてくれよ」

 

 男は龍驤の頭に手を乗せようとするが、龍驤は手が頭に触れる前に払いのけてしまった。

 

「うちだって眠いわ! 最初くらいもうちょい真面目にしたらどうや!」

 

 しかし男は手を振りながら歩いて行ってしまった、残されてしまった俺と龍驤はなんとも言えない微妙な空気の中互いに何を話そうか悩んでいるようだった。

 

「ああ見えてやる時はやる人やから勘違いせんようにな、兵装の少ない大湊が今も残ってるのはあの人のおかげやって言っても大げさやないと思う」

 

「そうなのか……。 それで本題って何なんだ?」

 

 とりあえずは先に本題を聞いておいた方が良いだろう、研修としてこの大湊へと来た以上は何かしら訓練があるとは思うのだが。

 

「大湊でのスケジュールやね、一応向こうの出身ってことで基礎訓練は必要ないって話やったし座学メインになるんやないかな」

 

「座学か、あんまり得意じゃ無いんだよな……」

 

 今更身体を鍛えるという事は無いと思っていたが、まさか座学をやらされるとは思ってもいなかった。一体あの男は俺に何を学ばせようとしているのだろうか?

 

「ちなみに先生は加賀やと思うし、今のうちに菓子折りの1つでも用意しといた方がええんちゃう?」

 

「加賀って、提督じゃなく艦娘に教えて貰うのか?」

 

「艦娘としての適性がずば抜けてるってのは本当なんよ。 実際昔の事を良く覚えとるし、うち等の事を学ぶならその歴史を学んで行く事が基本やからね」

 

 確かに良く考えてみると、龍驤の話が本当であればあの男は海軍では優秀な分類なのだろう。しかしそれは現代の兵器の運用方法に長けているという事、恐らくは艦娘の運用と言った面では俺の方が経験が多いかもしれない。

 

「まぁあの人から学ぶ事もあるやろうし、何かあればしっかりと見ておくんやね」

 

「そうするよ。 まったく、緊張して損したよ」

 

「その調子じゃ二航戦の連中にからかわれてまうやろうなぁ」

 

 正直一航戦やら二航戦やら俺の知らない単語が飛び交うのが1番きつい、別に今龍驤に聞かなくても明日加賀に聞けば良いと判断する。

 

「ここの提督ってどれくらい凄いんだ?」

 

「キミも知っとると思うけど、呉や横須賀なんかに兵装を集めとるみたいやろ? 大湊からも大半の兵装を送ったんよ」

 

「鹿屋もそうだったな、武器や兵器の類は一切置いてなかった」

 

 恐らくは主要都市を防衛するために戦力を集中しているのだとは思うが、だからと言って都合よく深海棲艦がそこを攻めてくれるとは限らない。

 

「それでな、戦力を集中させるために1度は北海道を諦めようって話になったんやけどあの人がそれを許さんかった。 自分の生まれ故郷を見捨てる訳にはいかんってな」

 

「それで、どうなったんだ……?」

 

「結果だけ言うなら失敗やね、一時は押し返してたみたいやけど、最終的に建設途中やった幌筵泊地と単冠湾泊地は放棄するしか無かった。 けどな、本土に繋がるこの警備府だけは守り切ったんや」

 

 俺が南に居た頃に日本でそんな事が起きていたとは知らなかった、もしかしたら海軍からの支援が薄かったというのは北に戦力を割く必要があったのだろうか。

 

「誰もがどうやって戦えばええんやって頭抱えてた時期にそれだけ戦い続けたんや、十分な戦果やと思わん?」

 

「あぁそうだな、机の上でふんぞり返ってる奴等の何倍もマシだな」

 

「それでキミがうち等を使って戦果をあげたってのは聞いてるで、だからうちはキミに期待してるし何かが変わるって信じとる」

 

 俺は龍驤の言葉にどう返事をしたら良いのか悩んでしまう、本来であれば無責任な返事はしたくないのだが『提督』になると約束した以上は行けるところまで走り切ってやる。

 

「正直分からない事は多い、でもやれることは精一杯やってみるよ」

 

「男ならそこは『任せとけ』の一言くらい言えんかなぁ?」

 

「無責任な事はあまり言いたくない」

 

 俺は素直な気持ちを龍驤に伝える、期待には応えられなかったようだけど満足したのはその表情で分かった。

 

「そろそろうちは寝る事にするわ、キミもさっさと寝た方がええで?」

 

「あぁ、色々ありがとう。 おやすみ」

 

 俺は龍驤が2階へと上がっていくのを見届けてから俺に与えられた部屋へと向かう、先ほど加賀が入って行った部屋の前を通る際にどんな漢字を書くのかと確認してみようと思ったが、扉にかけられているネームプレートには『赤城』と書かれていた───。

 

 

 

 

 誰かが俺を揺すっている、俺を起こしにくると言う事は金剛か妙高のどちらかだろうか?

 

「……朝です」

 

 薄っすら目を開けてみると見慣れない少女の姿が視界に入った。こんな子は鹿屋に居ただろうか?

 

「だ、誰だ……?」

 

「加賀です」

 

「わ、悪い。 寝ぼけてた!」

 

 加賀に謝ってみるが、相変わらずの無表情で怒っているのかどうかも分からない。こうして起こしに来てくれたと思うのだが謝罪より礼を言った方が良いのだろうか。

 

「私に何か聞きたいことがあると聞いていますが」

 

「あぁ、加賀に座学を教えて貰うって事かな。 それよりもまずは朝食にしないか?」

 

 昨晩胃の中身を空っぽにしてしまっているせいか空腹で思考がはっきりとしない、座学をするのであれば少なくとも何か胃に居れてからの方が良いだろう。

 

 それから俺は加賀に食堂へと案内してもらった、しかし食堂の大きさが鹿屋に比べて小さすぎる事に違和感を覚える。

 

「この基地って食堂が何ヵ所もあったりするのか?」

 

「どういう意味でしょうか?」

 

 基地の規模を考えるにこれでは大勢が同時に食事を取る軍隊として効率が悪すぎる、考えられるのは混雑を避けるために複数の食堂を用意していると思うのだが加賀の返答は違った。

 

「ここは私達艦娘に与えられている食堂です、他の方は別の場所で食事を取っているはずですが」

 

「宿舎だけじゃなく食堂まで艦娘用に作ったのか……?」

 

 あの男は一体何を考えているのだろうか、龍驤と仲良くしていた事を考えれば艦娘に対して好意的だとは思うのだが流石にやり過ぎていると思う。

 

「そんな事よりも早く食べてください」

 

「わ、悪い」

 

 俺は適当に頼んだ定食をかき込むようにして急いで食べる。

 

「加賀は随分と小食なんだな」

 

「……放っておいてください」

 

 俺の半分程度の量しかない定食を加賀は無表情のまま食べている。鹿屋に居る子達は割と食べる子が多かった、祝勝会では金剛型の子や妙高型の子なんかは一体どこに入っているのかと思える程食べていたと思う。

 

 しばらくして加賀は空になった器に手を合わせると「用事がある」と言って宿舎の方角へと戻ってしまった。それと入れ替わりになるように龍驤が食堂へと入ってくる。

 

「隣座ってもええかな?」

 

「龍驤は随分と食べるんだな……」

 

 座って良いと返事をする前に腰かけた龍驤だったが、そんな事よりも俺の2倍近く盛られた茶碗に驚いてしまう。

 

「なんでか分からんけど、お腹がすくんよ。 空母って燃費悪かったらしいしうち等も似たようなもんなのかもしれんなぁ」

 

「加賀も空母だよな……?」

 

「ひょうひゃで」

 

「食べるか喋るかどっちかにしろ、それと加賀は随分と小食だったみたいだが」

 

 食べながら話すなと注意したのだが、龍驤は味わうようにして噛み締めた後に再び口に食事を運んだ。

 

「食べる方を優先するのかよ!」

 

「ごめんごめん、冗談や、ええ突っ込みやったで。 うちよりも本当はぎょうさん食べなあかんはずやけど、赤城に気を使ってずっとあんな感じや」

 

「赤城って一体誰なんだ……?」

 

 俺は龍驤に尋ねてみたが、龍驤は俺と視線を合わせないようにして食事を続けているようだった。完全にわざとらしいが恐らくは答えたくないという意思表示なのだろう。一見平和そうなこの基地だが、何やら胸騒ぎがしてきた───。




to :大淀と愉快な仲間達

sub :漢字を使え

ひらがなだけじゃ読みづれぇし、日本語がおかしい

もう少し大淀に教えてもらうように

それと、ちーたいむじゃなくティータイムだろ

頑張って来るから、金剛も俺が居ない間よろしく頼む

行ってきます


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初めての空と黒い雲(2)

from :大淀と愉快な仲間達

sub :あなたの大淀です

おはようございます、本日の定期連絡はあなたの大淀です

鹿屋基地に新しいルールができましたので、ご報告いたします

・日替わりで秘書官を選出し、私のお手伝いを行う

・秘書官は湊さんへ一日の出来事を連絡する

・食事と掃除当番は艦種毎にローテションを行う

以上が本日の話し合いで決定した内容です

大湊はどうですか?

こちらより気温が低いと聞いていますが気温の変化で体調を崩さないようにしてください


「ったく、何処に行ったんだよ……」

 

 てっきり加賀は宿舎に戻ったのかと思ったのだが、宿舎の中で彼女の名前を呼んでも返事が無かった。

 

 龍驤からは加賀に過去の話を教えて貰えと言われていたのだが、講師が見つからないというのは流石に困る。仕方が無く基地の中をうろついて加賀を探す事にした。

 

「あれ、もしかして湊か?」

 

 通路を歩いていると後ろから声をかけられた事で振り向く。その姿を見た瞬間背中に冷たい汗が流れた。

 

「やっぱりそうじゃん、陸軍に入ったお前がこんな所で何してんの?」

 

「別にアンタに関係無いだろ」

 

 施設に入っていた頃この男には世話になった、俺達の教育という名目で施設に来た男が再び海軍に戻る事になったと聞いた時には弟や妹達と食堂から盗んできた紙パックのジュースで乾杯をして喜んだ。

 

「相変わらずひねくれた目してんな、陸軍では目上の人への態度ってのを教えて貰えなかったのか?」

 

「すいません、こういう顔で生まれてしまったもので」

 

 俺の育った施設は軍のお偉いさんが作った場所だった、だから施設に入っていた子供達のほとんどは俺のように軍関係の職業に進んでいる。その関係もあるのか、定期的に陸軍や海軍から派遣されてきた人間が適正判断という名目で八つ当たりとも思える内容の訓練を強制させていた。

 

「ったく、それが世話になった人間への態度なのかねぇ」

 

「感謝してますよ、おかげで丈夫な身体になりました」

 

 そう言った瞬間俺の左頬に鈍い痛みが走る、腕を振り上げた時に殴られるという事は分かった。子供の頃であればそれにびびって頭を抱えていたが俺は姿勢も崩さずに真直ぐ男を睨みつける。

 

「気に入らねぇ目だな、もしかして陸から来た提督志望ってお前の事なのか?」

 

「そうです」

 

「まじで? お前が?」

 

 男は大声で笑い出してしまった、この男は基本的に自分より弱いと思った人間に対して当たりが強く、上には従順だった。

 

「もしかしてあの無駄飯ぐらいの女共を使って戦果を上げったってお前なの?」

 

「そうです」

 

「どんな手を使ったのか知らないけど、嘘は大概にしないといつか自分が痛い目を見るんだぜ?」

 

 それだけじゃなく完全なる男尊女卑というか、施設に居た頃にも女はどうせ役に立たないから適当にしておけといったような態度を取っていた記憶がある。

 

「嘘かどうかを証明する事はできませんが、自分の部下を愚弄するような真似はやめて頂きたいのですが」

 

「部下? 何、お前の部下って兵器なの? ガキの頃から変な奴だとは思ってたけどマジで言ってんのかよ」

 

 男が大声で笑うせいで辺りに居た訓練生と思われる人間が集まって来てしまった、提督になるまではあまり問題を起こしたくは無いと考えて居たのだが面倒な事になってきた。

 

「丁度良い、お前達にコイツを紹介してやるよ。 コイツはわざわざ陸軍からあの欠陥兵器のために来てくださった湊くんだ、ちょーっと頭のおかしい所もあるけど仲良くしてやってくれよ」

 

 集まってきた連中の表情を見る限り、この男の人望が無いのは一目で分かった。しかし訓練生という立場である以上は嫌々でもこの男に従うしか無いのだろう。

 

「何も知らないようだから教えてやるけど、ここの女共は本当にただの役立たずだぜ? 航空母艦なんて名前を持ってるらしいが、実戦では何の役にも立たなかったからな」

 

「そうですか」

 

 大湊の提督は艦娘に対して友好的だと思っていたが、トップが友好的だからと言って部下が全員そう思っている訳では無いという事が分かっただけでもこの男の相手をした価値はあったのだろうか。

 

「古臭い兵器なんかに頼るより、やっぱ時代は最新鋭の兵器だよな。 まったく、あんな粗大ごみに予算を割くくらいなら俺達の給料をちょっとくらい上げてやろうとか思わないのかねぇ」

 

「古臭い兵器を否定する前に、その古臭い考えを捨てるところから始めてみてはどうでしょうか?」

 

「あぁ?」

 

 俺に対してなら少々の事であれば我慢してやろうと思っていたが、流石に何度も彼女達の事を愚弄するような発言には苛立ちを覚えてきた。

 

 男は俺の発言が自分の事を馬鹿にしていると理解したのか俺を睨みつけるようにして俺に近づいてくる。

 

「てめぇ、上官に逆らったらどうなるか分かってんのか?」

 

「陸軍出身の自分には良く分かりませんが太い2本線は陸軍ではどの階級になるのでしょうか?」

 

 この男が大尉なのは分かっているのだが、あえて尋ねてみる。本来であれば男の年齢で大尉と考えればやや遅いような気もするが、それでも訓練生に囲まれたこの男にとっては威張れるだけの階級なのだろう。

 

「大尉だよ、大尉。 今は佐官試験の順番待ち状態だから実質少佐みたいなもんだけどな」

 

「そうですか、それでは言葉をお返ししますが、上官に逆らったらどうなるのでしょうか?」

 

 俺は胸にある自分の階級章を指差す。恐らくこの男には自分より年下の俺に階級を抜かれてしまうという発想が無かったのだろう、本来であればすぐにでも分かるはずなのだが、俺の言葉で自分の方が階級が低い事に気付いて目を白黒させている。

 

「そんな嘘で上がったような階級に意味があるかよ!」

 

「この際階級に目を瞑ってやるからかかって来いよ」

 

「妙に騒がしいが何事だ?」

 

 流石に人だかりが大きくなり過ぎたのか、人込みの向こうから大湊の提督の声が聞こえてきた。それに気づいた周囲の訓練生や目の前の男は一斉に敬礼をし始めた。

 

「何でも無いですよ、古い知り合いに会って友好を深めて居ました」

 

「そうか、加賀が湊くんを探しておったし早く宿舎に戻りなさい。 他の者は速やかに訓練に戻れ」

 

 まるで蜘蛛の子を散らしたように走り去って行く連中を見ていると、提督が俺の背中を叩いた。

 

「海軍も一枚岩とは言えん、あの子達の事を認めない人間は多いぞ?」

 

「分かっています、それを変えるために俺は提督を目指していますので」

 

「そうか、険しい道のりだが頑張れよ……」

 

 俺は加賀が待っているであろう宿舎に戻る事にした、歩いていると背中からカサカサと紙がなびくような音が聞こえてきたので必死で背中を触っていると1枚のメモ帳が貼り付けられていた。

 

『今夜は飲みたい気分なので龍驤に隠している酒を届けるように伝えてくれ』

 

 俺はメモを握りつぶすと後ろを振り向く。そこには笑顔で小さく手を振っている提督の姿があった。

 

「自分で言えやぁぁ!!」

 

 叫んだ俺を見て提督は腹を抱えて笑っていた───。

 

 

 

 

 

「それで、私はあなたに何を教えれば良いのでしょうか?」

 

「その前にそこの2人は誰なんだ?」

 

 黄色と緑の着物を着た女の子2人が笑顔で俺と加賀を見ていた、姿から察するに艦娘という事は分かるのだが生憎面識が無い。

 

「蒼龍でーす!」

 

「飛龍でーす!」

 

「「2人合わせて二航戦でーす!」」

 

「2人は新しくこの鎮守府に来たあなたを見てみたいと言っていたので連れてきました」

 

 俺は天井と2人を何度か見比べて、見なかった事にする事に決めた。

 

「それじゃあ質問なんだが、航空母艦ってのを説明して欲しいんだけど」

 

「無視って酷く無いですか?」

 

「おじ様から聞いた話よりノリが悪いみたいだねぇ」

 

 おじ様とはここの提督の事なのだろうか、恐らくは龍驤から二航戦にからかわれてしまうという話を聞いていなければ突っ込みを入れてしまっていたかもしれない。

 

「航空母艦とは簡単に説明すると航空機を積み、艦上での発着艦を可能にした艦の事です」

 

「航空機ってのは戦闘機とかそんな感じって思っても良いのか?」

 

「おーい? 聞こえてる?」

 

「あんまり邪魔をすると怒られるよ?」

 

 何か言いたいことはあったようだが、細かく説明しても仕方が無いと判断したのか加賀は少し間を置いて頷いた。

 

「次の質問だけど、一航戦とか二航戦とかって何なんだ?」

 

「第一航空戦隊と第二航空戦隊の略称です、第一には私と赤城さん、第二はそこの2人が主力として戦いました」

 

「私達の他にも駆逐艦の子達も一緒だったけどね」

 

「トンボ釣りとか懐かしいねぇ」

 

 ここでも出てきた『赤城』という名前に触れても良いのか悩む、龍驤の態度を考えるとあまり聞かない方が良いのだろうか。それより口を挟んでくる蒼龍達が非常にうざい。

 

「じゃあ次は艦娘としての君達の事を聞きたい、実戦で使い物にならなかったって聞いてるけど攻撃が当たらないとかそういった感じなのか?」

 

 鹿屋の子達の事を考えると活躍ができない原因はそこじゃないかと思っていたが、帰って来た答えは全くの別物だった。

 

「私達には攻撃手段がありません」

 

「さっきの話だと航空機ってのを使って戦うんじゃないのか?」

 

「それができたら私達が欠陥兵器だなんて言われて無いんだなぁ」

 

 空母として生まれてきた彼女達がそれをできないと言うのはどういう事なのだろうか。

 

「簡単に言えば、艦載機を発着する方法が無いんです。 実際に私達の艤装を見て貰えれば分かると思いますので表に出てください」

 

 俺が外に出て少し経ってから艤装を付けた3人が出てきた。加賀は左肩の模様が書かれた板状の艤装をこちらに見せると説明してくれた。

 

「これが飛行甲板です、私の記憶が正しければここから航空機を飛ばすことができるはずなのですが」

 

「まぁ俺の知ってる空母もそんなイメージだな」

 

 それよりも気になっていたのは背中についている見覚えのある得物だった。

 

「それって弓か?」

 

「はい、弓です」

 

 加賀は背負っていた弓をこちらに手渡してきた。受け取った弓は少し重いと感じたが十分手入れされているようだった。

 

「これって使えないのか?」

 

「銃弾でも仕留める事の出来ない深海棲艦を矢で倒せるとでも?」

 

「それもそうか」

 

 当たり前の返事が帰って来てしまったが、それならばどうして加賀達はこんな物を持っているのだろうか。そんな事を考えて居ると俺の疑問を察してくれたのか加賀が答えてくれた。

 

「私達の艤装を開発した際に何故か弓も一緒に建造されたそうです」

 

「ふむ、何か引っかかるな。 一緒に建造されたって事は必要な物じゃないのか?」

 

「赤城さんも同じことを言っていました」

 

 いい加減『赤城』とは誰なのかと聞いても大丈夫なのだろうか、弓を構えて遊んでいる蒼龍達を見ながら考える。

 

「もう1つ質問なんだが、航空機ってどこにあるんだ?」

 

「少々お待ちください」

 

 加賀は手のひらを俺に見せるようにすると、気付いたら一見プラモデルにでも見えるようなサイズの航空機が現れた。

 

「手品……?」

 

「いえ、理屈は分かりませんが艤装を付ければ私達は艦載機を出すことができるようです」

 

 俺の知っている艦娘は実際に艤装に主砲が付いていたり、手に持った武装で砲弾を発射すると言った戦い方をしていた。空母と呼ばれる彼女達にはそれが当てはまらないのだろうか。

 

「それに、龍驤は軽空母ですが弓を持っていません。 何やら奇妙な紙を持っているようでしたが」

 

「紙……?」

 

 てっきり弓が空母のシンボルだと思っていたが、同じ空母である龍驤が弓を持っていないという事は必要では無いという事なのだろうか。

 

「分からないな、その赤城って子にも話を聞いてみたいんだけど会えないのか?」

 

「会う事は可能です、しかし話はできないと思います」

 

 会話の流れ的に違和感の無いタイミングで聞いてみたが、意外とすんなり答えてもらう事ができた。しかし会えるけど話ができないとはどういう理由なのだろうか。

 

「こちらに来てください」

 

 俺と加賀の会話を聞いた蒼龍達はふざけるのをやめてじっとこちらを見ていた、一体赤城とはどんな艦娘なのだろうか。

 

「赤城さん、入ります」

 

 宿舎に入った俺達は赤城と書かれたネームプレートがかけられているドアを開ける。

 

「生きて……居るのか?」

 

「はい、眠っているだけです。 もう1週間くらいになるでしょうか」

 

 ベッドの上には死んでいるのかと疑うほど静かに横たわった1人の女性が居た。頬は痩せこけ布団の上に出ている手は骨の形が伺える程細くなっていた。

 

「赤城さんはいつも言っていました『今度こそ必ず人々の期待に応えよう』と。 しかし私達に与えられたのは欠陥兵器というかつての栄光など微塵にも感じさせない名前でした」

 

 加賀は横たわった赤城の頬に触れると悲しそうな表情をしているが、赤城と呼ばれた少女には一体何があったのだろうか。気になった俺は尋ねてみる事にした。

 

「何があったのか聞いても良いかな?」

 

「赤城さんは私達が来るより前からこの鎮守府に居たそうです、私が来た頃にはすでにベッドの上から動くことができないようでした」

 

「怪我とか病気なのか?」

 

 言って気付いたが怪我であれば艦娘である彼女達であれば入渠をする事で治す事ができるだろう、そうじゃ無ければやはり病気の線が濃厚なのであろうか。

 

「赤城さんは一切補給を受けなかったと聞いています」

 

「それは何故?」

 

 補給とは食事の事だとは思うのだが、艦娘のために食堂まで作るような提督がそんな事をするとは考えられない。

 

「近隣海域の偵察しか行っていない自分に補給は必要ないと赤城さんが断っていたそうです」

 

「偵察だって大切な任務だろ、どうしてそんな事を……」

 

「私達には一航戦の誇りがあります、敵を打倒し人々を救うと言う期待を背負っています。 だからこそ赤城さんには耐える事ができなかったのでしょう……」

 

 恐らくは彼女達は俺が出会って来た子達の誰よりも強い想いを艦から受け継いでいるのだろう、例え自分達が欠陥兵器だと呼ばれても人のために戦う等意志は捨てていなかった。

 

「今度はあなたが私の質問に答えてください」

 

 悲しそうな表情のまま加賀はこちらに向きなおすと、震える声で質問をしてきた。

 

「赤城さんは言っていました、私達は何のために再びこの世に生を受けたのかと」

 

 艦娘とは深海棲艦と戦うために作られた、しかし彼女達には深海棲艦と戦う手段を持っていない。そうだとしたら彼女達は一体何のために艦娘となったのだろうか、しかしそんな当たり前の答えが加賀に必要だとは思えない。

 

「質問を質問で返すようで悪いんだが、加賀は何かやりたい事とか無いのか?」

 

「やりたい事、ですか」

 

 加賀は何か考えているようだがなかなか答えが見つからないようだった、それでももう1度赤城を見た加賀はゆっくりと口を開いた。

 

「赤城さんと、もう1度話がしたいです」

 

「そうか、じゃあ難しい事を考えるのはやめてそっちからどうにかしよう」

 

「どういう意味ですか?」

 

 俺の言葉を加賀は理解できないようだった。

 

「難しい事を考えるより、まずは目の前の問題をどうにかしよう。 それに赤城が何かに気付いているみたいだし起きて話を聞くのが1番の近道だろ?」

 

「そういうものなのでしょうか?」

 

「そういうもんだよ」

 

 少なくとも鹿屋では彼女達と信頼関係を築く大切さを学んだ、まずはそこから始めてみようと思う。

 

「そこで盗み聞きしてる奴等にも手伝ってもらうからな?」

 

 俺はドアに向かって話しかけると、ドタバタと2人分の足音が遠ざかって行った。お調子者だと思っていたが、わざわざ盗み聞きしていたという事は彼女達にも思う所があるのだろう。

 

「それでも今日みたいな座学や加賀達が戦う方法も同時に進めて行こうか、流石に24時間赤城を起こすことに集中しても良い案なんて出てこないだろうしな」

 

「分かりました、それなりに期待はしているわ」

 

 どこまで俺が彼女達の力になれるかは分からない、それでもこの基地で俺がやりたい事は見つかった。悲しそうな表情から無表情に戻った加賀に右手を差し出すと加賀は不思議そうにしていたが、それが握手を求めていると分かるとゆっくりと右手を握ってきた───。




to :大淀と愉快な仲間達

sub :いつお前は俺の大淀になったんだよ

連絡ありがとう

大淀に言っても仕方が無いのかもしれないが、訓練についてとか話は無かったのか?

俺が帰った時にだらけているようなら吐くまで走らせてやるから覚悟しておけと伝えておいてください

大湊はそっちと違って湿度も低いみたいだし、快適です

少し話は変わるけど、俺達の居た基地に戦闘機乗りを馬鹿にしてた奴居たよな?

確か第3部隊の坊主頭の奴だったと思うんだけど

爺に空に向かって謝るか訓練を倍に増やすように連絡しておいてください


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あだ名は親しみを込めて(1)

from :大淀と愉快な仲間達

sub :霞よ

このクズ!

あんたのせいで1日中大淀の相手をしなくちゃならないのよ!

足柄は何も言わずにニヤニヤしてるし、本当に最低!

まぁ別に昔の仲間に会えて嬉しいって気持ちも無い訳じゃないけど

何にせよさっさと帰ってきなさい!

このクズ!






「赤城さんに起きてもらうあてはあるのかしら?」

 

「いや、今のところは見当も付かないな」

 

 無表情でも加賀が怒っているのが分かる、先ほど偉そうな事を言った手前仕方が無いとは思うのだけど露骨に冷めた目をされるのは辛い。

 

「座学のついでにさ、赤城について教えてもらえないかな。 まずは彼女の事を知るってのも大切だと思うんだ」

 

「なるほど、しかし何から説明したら良いのか」

 

 重くなった空気を切り替えるためにもここは明るい話題から聞いた方が良いのだろうか、俺は特に深い意味は無いのだが少し方向性の違う質問をしてみる事にした。

 

「戦闘以外で赤城の逸話とか無いのか?」

 

「逸話ですか、あだ名のような物ならありましたが」

 

 艦にあだ名をつけるって昔の人もなかなか可愛らしい考えを持っていたんだなと感心した、確かに船乗りにとって艦は家族だという事を考えればありえない話ではないと思う。

 

「あだ名で呼びかけてみるってのから試すのはどうだ?」

 

「あまり効果は無いと思うのだけど」

 

 加賀は頷くと赤城に顔を何かを呟いているようだった、上手く聞き取れなかった俺は聞き取ろうと加賀に近づく。

 

「…人殺し長屋、人殺し長屋」

 

「か、加賀……?」

 

「何かしら?」

 

 あだ名と聞いたから和やかな物だとばかり思っていたが、加賀が口にしている言葉はあまりに物騒過ぎる。

 

「それってあだ名なのか……?」

 

「ええ、確かにそう呼ばれていましたので」

 

 一体どういう事だろうか、一航戦の誇りだとか人々の期待を背負っているとかって話を聞いていたがどうしてそのような物騒なあだ名が付けられてしまっているのだろうか。

 

「赤城さんは艦の構造上煙突の煙が居住区に流れ込んでいたそうです、その結果換気を行う事ができず結核や赤痢と言った病気が蔓延した事が由来かと」

 

「いやいや、そんな嬉しくないあだ名で呼ばれたら起きたくなくなるだろ」

 

「あなたがやれと言ったのだけれど?」

 

 確かに俺が試してみようと提案したのだけど、そんなあだ名だって知っていれば試そうだなんて提案しなかった。

 

「一応聞いておくんだが、加賀にもあだ名ってあったのか……?」

 

「海鷲の焼き鳥製造機と呼ばれていたかしら」

 

 この話題にはこれ以上触れない方が良いだろう、なんでこいつらこんな物騒なあだ名を付けられているのだろうか。むしろ空母って意外と嫌われていたのではないかと不安になってきた。

 

「何か楽しい話とかは無かったのか?」

 

「楽しい話ですか、難しい事を言うのね」

 

 そこまで難しい質問をしたつもりは無いのだが、加賀は悩み始めてしまった。赤城の事も気がかりなのだが、ぎこちない敬語を使っていた加賀が少しだけ砕けた話し方をしているような気がする。

 

「確か赤城さんの食事は他の艦よりも上等だったと聞いているわ」

 

「食事って軍で統一されてるんじゃないのか?」

 

「主計科の方達で大きく差があったみたいね、他にも艦種によって差があったらしいわ」

 

 加賀の話によると、何もない船の上では食事は重要なイベントだったらしい。補給を受けたくないと言った赤城に伝わるかは分からないがその線で攻めてみるのもありかもしれない。

 

「食事の中で1番人気って何だったんだ?」

 

「色々あったみたいだけど、カレーかしら」

 

 海軍と言えばカレーってイメージは俺もある、それにカレーならこの基地の食堂にもあるだろうし試す価値はあると思う。

 

「じゃあ今晩食堂からカレーを貰って来て試してみようか」

 

「そんな事で上手く行くのかしら」

 

 加賀はいまいち納得してないようだったが、手掛かりが無い以上は思いついた事を手あたり次第試してみた方が良いと思う。

 

「夕食まで時間はあるし、それまでは別の問題に取り組んでみるか」

 

 俺は加賀と一緒に大湊の提督に会いに行ってみる事にした、歩いている途中で加賀が何を考えて居るのかと質問してきたが提督と一緒に説明すると話したらそれ以上聞いてくることは無かった───。

 

 

 

 

「ふむ、弓の練習場を用意して欲しいとは面白い事を言い出したものだ」

 

「彼女達の艤装を建造した際に弓も一緒に建造されたと聞きました、確かに弓なんかで深海棲艦を倒せるとは思いませんが、何か意味がある気がするんですよね」

 

 俺は提督に弓を使える場所を作って欲しいと頼んでみたのだが、あまり良い反応では無かった。

 

「儂はあの子達のために宿舎や食堂を用意した、それは機密の保持のためだけじゃなくあの子達に必要だと思ったからだ。 しかしな、それに納得できない者も多いみたいでな、これを見てみろ」

 

 俺は提督から封筒の束を受け取ると、試しに1つ中身を確認してみる。

 

「これは嘆願書ですか、欠陥兵器よりも自分達の待遇を優先するべき。 まぁ気持ちも分からなくは無いですけどね」

 

「流石にこれ以上はあの子達を優遇させると部下達の不満が爆発するやもしれん、あの子達も大切だが、儂には部下も大切なのだ」

 

 ここの提督なら艦娘のためと言えば簡単に頷いてくれると思ったのだが、上手い話ばかりでは無いらしい。

 

「これ以上迷惑をかける訳にはいかないわ、諦めましょう」

 

「どうも引っかかるんだよな、赤城も気にしていたみたいだし加賀も気になるだろ?」

 

「赤城が何か言っていたのかね?」

 

 予期せぬ所で提督が食いついて来た、ソファーに横になって雑誌を読んでいた龍驤も先ほどから雑誌をめくる手が止まっているし聞き耳を立てているのだろう。

 

「はい、赤城もコレが自分達に必要な物だと加賀に言っていたそうです」

 

 俺は加賀の弓を机に置くと先ほど聞いた話を提督に説明する。提督は弓を手に取って軽く弦を引いて確認しているようだったが、先ほど俺も確認したがいたって普通の弓だと判断したようだった。

 

「大規模な設備は用意できんが、必要な物をまとめて提出してくれ。 できる限りは協力しよう」

 

「ありがとうございます、なるべく早く提出しますのでよろしくお願いします」

 

 俺と加賀は提督に頭を下げると執務室から出た。この基地で艦娘の待遇に対する反対勢力が居るという事よりも、赤城の名前に反応した提督が妙に気になった。

 

「ところで、加賀って弓道の経験ある?」

 

「ありません」

 

「だよな」

 

 必要な物をまとめておいてくれと言われたが、実際何が必要なのだろうか。弓はあるし矢を用意してもらえばとりあえずは使えるとは思うのだが、他に必要な物が何なのか見当も付かない。

 

「的も必要かしら」

 

「なんかいっぱい円の書いてある的を使ってたような気がする」

 

 あれくらいなら木の板とペンキさえあれば作れるだろう、宿舎に戻った俺達は思いついた物を手あたり次第メモしていく事にした。その中から必要最低限の物を選別すると、新しい紙に綺麗に書き写していく。

 

「良し、こんなところだろう。 そろそろ夕食の時間だろうし加賀は例の物を頼んだ」

 

「わかりました」

 

 俺は加賀が宿舎から出て行くのを見送ると、先ほどからこちらに視線を向けていた2人組に話かける。

 

「そんなところで見てないでお前達も混ざれば良いだろ」

 

「邪魔すると悪いかなって」

 

「私達も弓の使い方なんて分かんないしね」

 

 会った時や先ほど艤装を見せてくれた時を比べると随分と大人しいような気がする。てっきりあのテンションが素だと思っていたのだけど、普通に話すことができるようで安心した。

 

「加賀さんが少し元気になったみたいで安心しました」

 

「湊さんが来るまではずっと赤城さんの部屋でぼーっとしてたもんね」

 

 蒼龍と飛龍は俺が来る前の加賀の事を話してくれた、赤城がいつ目が覚めても良いようにと1日中赤城の部屋で過ごしていたらしい、気分転換に外に連れ出そうとしても断られてばかりだったのだとか。

 

「それで、ちょっとでも笑ってもらおうと思って頑張ってたんだけど加賀さんっていつも無表情でしょ?」

 

「そうなんだよね、あの自己紹介だって一生懸命考えたのにね」

 

 少なくともあのノリは加賀じゃなくても笑わなかったと思う、実際俺も笑う要素なんてどこにも感じなかったし。

 

「何にせよ、赤城さんが起きるのを待つんじゃなく起きてもらおうって動きだしただけ一歩前進かな」

 

「お前達って姉妹艦なのか?」

 

 まるで家族を心配しているような気がしてそんなことを聞いてみる。

 

「私はよく蒼龍型と間違われるけど、飛龍型航空母艦だから間違えないでね!」

 

「赤城さんや加賀さんも姉妹艦と言う訳では無いですよ」

 

 姉妹艦同士で仲が良いってのは鹿屋の子達を見て知っていたけど、姉妹艦じゃないなら何か他の繋がりでもあるのだろうか。

 

「戻りました」

 

「加賀が帰って来たみたいだな」

 

「さっきの話は内緒だからねッ!」

 

 飛龍に先ほどの話は加賀に内緒だと言われたのだが、別に加賀に話しても問題無いような気もする。

 

「それじゃあ試してみるか」

 

「なんだかカレーを見てたらお腹すいてきた」

 

「あれ、飛龍ってカレーは金曜日にしか食べないって言ってなかったっけ?」

 

 蒼龍と飛龍の切り替えの早さに少し驚いたが、俺達は赤城の部屋に移動する事にした。さっきの飛龍の言葉につられた訳じゃないが、確かにカレーの匂いは妙に食欲を刺激する匂いだと思う。

 

「赤城さん、カレーですよ」

 

 加賀はスプーンでカレーをすくうと赤城の顔に近づける、なんとなく熱々のカレーを寝ている間に近づけるって危ない事をしているような気がしてきた。

 

「起きそうにないか……」

 

「それでも、なんだか少し表情が変わったような?」

 

「うん、いつも苦しそうな表情だけど今はそんな感じじゃない気がする」

 

「二航戦の言う通りですね、少しだけ表情が柔らかくなった気がします」

 

 俺にはあまり変わったようには見えないのだけど、毎日見ている彼女達だからこそ気付けるほどの変化なのだろうか。

 

「俺には変化は感じられないけどな……」

 

「じゃあちょっと試してみようか、加賀さん1度カレーを離してもらえるかな?」

 

 飛龍は加賀にカレーをどけるように指示を出すと、赤城の顔に自分の顔を近づけた。

 

「敵機直上! 急降下!!」

 

 突然の声に驚いてしまったが、一体今の言葉はどういう意味なのだろうか。そんな事を考えて居ると、赤城は眉を寄せ何かに耐えるように苦しそうな表情をしていた。

 

「ほら、たぶん私達の声は聞こえてるんだと思うよ」

 

「頭にきました」

 

 先ほどの言葉は赤城にとっては辛い言葉なのだろう、そんな言葉を口にした飛龍の頬を加賀がつねっている。しかしカレーに反応したという事は匂いは感じているようだし、俺達の声に反応すると言うのが分かっただけ一歩前進したと思う。

 

「今のは流石に飛龍が悪いかな……」

 

「事情の知らない俺からみてもそうだと思う」

 

 助けを求めている飛龍だったが、蒼龍も俺も自業自得だと見放す事にした。

 

「これ、どうしたら良いのかしら」

 

 飛龍が反省したのを確認した加賀は頬をつねっていた手を離すとテーブルの上に置かれたカレーの処理に困っているようだった。

 

「そういえば用事があるんだった、蒼龍、飛龍早く行くぞ。 悪いがカレーは加賀が食っておいてくれないかな」

 

「えっ、あー、そういえばそうだったかな、飛龍も早く行かないと遅れちゃうよ」

 

 俺の言葉の意味を察してくれた蒼龍は飛龍の肩を掴むと赤城の部屋から出て行ってしまった、俺も加賀に「勿体ないから残すなよ」と一言告げて部屋から出る。部屋から出るとドアの隙間から加賀の呟くような声が聞こえてきた。

 

「……美味しい。 早く起きないと赤城さんの分も食べてしまいますよ」

 

 龍驤の言葉を思い出せば本当は加賀だってそれなりに食べる必要があるはずなのだが、恐らく赤城の事を考えて必要最低限しか食べないようにしているのだろう。そんな事を考えていると、蒼龍が俺の脇腹を肘でついてくる。

 

「じゃあ私達もご飯に行こっか」

 

「そうだな」

 

 加賀に聞こえないように耳打ちしてきた蒼龍の言葉に同意して、俺達はできるだけ足音を立てないようにしながら宿舎から出る事にした。

 

「どこに行くんだ、食堂は逆方向だろ」

 

「良いからついてきて!」

 

「教えても大丈夫なの?」

 

 蒼龍と飛龍は食堂とは逆方向に歩き始める、夕食にすると言っていたが何処に向かおうとしているのだろうか。そんな事を考えながらついていくと、基地外周部の塀が見えてきた。

 

「内緒だからね?」

 

「やれやれ。 まっ、蒼龍が良いなら別に良いけどね」

 

 2人は茂みに隠していたであろう梯子を取り出すと塀に立てかけた、その行動で彼女達が何をしようとしているのか察してしまう。

 

「大丈夫なのか……?」

 

「見つからなきゃ大丈夫じゃないかな?」

 

「多聞丸も若いころよくやってたみたいだし、大丈夫大丈夫」

 

 多聞丸とは一体誰の事なのだろうか、動きを見る限り手慣れているみたいだしバレない自信があるようだけど言い訳は準備して置いた方が良いかもしれない。塀を乗り越えた俺達はボロボロになった道路を歩き、古びた飲食店へと入って行った。

 

「おばちゃん来たよー!」

 

「お腹空いたからいつものでー!」

 

「良ぐ来てけだ、あがさまい」

 

 蒼龍と飛龍は老婆と何か雑談をしているようだった、様子を見る限りここに来たのは1回や2回と言う訳では無いのだろう。

 

「そちきやの方は?」

 

「新しくできた友達かな!」

 

「おばちゃん貝のやつもお願いね!」

 

 友達と紹介されてしまったが、俺はいつこいつらの友人になったのだろうか。少し納得できない部分もあったが変に騒ぎを起こす訳にもいかないので軽く頭を下げてから畳の上に座る事にした。

 

 少しして厨房から美味しそうな匂いが漂って来た、相変わらず蒼龍と老婆は会話を続けていたが、正直老婆の言葉が何割か理解できない。

 

「いっぺまぐきやうど良い」

 

「はーい、今日も美味しそうだねぇ!」

 

 老婆は御盆いっぱいに乗った料理を次々と運んでくる、その中でも1番驚いたのは白米を炊飯器毎持ってきた事だった。テーブルの上に並んだ料理は魚や貝と言った物を中心に、食べる前から美味しいと判断できるような物ばかりだった。

 

「いづも食べさ来てぐれてありがどね」

 

「良いの良いの、おばちゃんのご飯美味しいもん!」

 

「ここで食べちゃうと、食堂のご飯って少し物足りないんだよね」

 

 それから俺達は無言で箸を進めていたと思う。確かに美味い、これだけの物を食べられるなら少し危ない橋を渡ってでも基地から脱走する価値はあると思う。

 

「ここね、昔はすごくお客さんで賑わってたらしいの」

 

「アレが現れてから海の近くってみんな避難しちゃってるでしょ、だからお客さんが来なくなったっておばちゃんも寂しがってるんだよね」

 

「これだけ美味いのに勿体ないな」

 

 俺の言葉に2人は頷いてくれた、来る途中の道路が所々壊れていたしこの辺りも戦場になった事があるのだろう。

 

「おばちゃんは避難しなくても良いのか?」

 

「私達も危ないから早く逃げなよって言ってるんだけどね」

 

「旦那が守ってきたこん店を置いて逃げきやれね!」

 

 俺達の話を聞いていたのか厨房がら老婆の声が聞こえてきた、鹿屋の周りも人を見なかったがもしかしたらこの老婆のように残っている人たちも居たのかもしれない。

 

「正直に話すけど、私達って赤城さんや加賀さんみたいに人のために戦おうって思えないんだよね」

 

「おじ様は優しいけど、基地には嫌な人も多いもんね」

 

「まぁ、俺にも心当たりはあるな」

 

 間違いなくあの男の事を言っているのだとすぐに分かった、彼女達の言いたい事は十分理解できるしどちらかと言えばあれほどまでに誰かのために戦いたいと強く思っている加賀の方が珍しい気もする。

 

「せっかく人の姿で生まれ変わったのに、戦うだけってのも勿体ないでしょ?」

 

「美味しい物もいっぱい食べられるしね」

 

 確かにその可能性もありだとは思う、本来であれば彼女達の年齢であれば町に出て遊んでいても違和感はないだろうし、駆逐艦の子達であれば学校に行って毎日何も考えずに遊んでいても許されると思う。

 

「でもね、私はこのお店を守りたい。 おばちゃんのご飯をもっと沢山の人に食べてもらいたいって思う」

 

 蒼龍の言葉に飛龍が頷いている、真っ直ぐに俺を見ている蒼龍の目には今の言葉が本気だと理解できるほど強い意志が込められているように感じた。

 

「だから私達も湊さんに協力するよ、鹿屋での話はおじ様から聞いてるしガラクタだって馬鹿にされてる私達にできる事があるなら頑張りたいと思う」

 

「私からもお願いするね、このままダラダラしてると多聞丸に怒られちゃいそうだしさ」

 

「俺からもよろしく頼むよ」

 

 2人が手を差し出して来たので俺はその手を握り返す、俺自身どこまでできるかなんて分からない、それでもこうして彼女達が協力してくれるなら大丈夫だろう。これで終われば良い話だと締めくくる事ができたのだが、金額の書かれた紙を笑いながら差し出して来たコイツ等にはそれ相応の頑張りを見せてもらおうと心の中で誓った───。




to :大淀と愉快な仲間達

sub :湊よ

誰がクズだ誰が

最初の秘書官は霞だったのか、元気そうで何よりだ

前から気になってたんだけど、どうしてそこまで足柄と大淀から逃げるんだ?

別に悪気がある訳じゃないみたいだし、霞が素直にしてれば今ほどからかわれないだろ

提督になるまで帰らないので、それまでに素直になっておくように


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あだ名は親しみを込めて(2)

from :大淀と愉快な仲間達

sub :神通です

湊教官にご相談なのですが、一部の駆逐艦の子達が私に対してどこか遠慮しているような気がします

私ってそんなに怖い容姿をしているのでしょうか?

今日は身体がなまらないようにと訓練を提案したのですが、逃げられてしまいました

川内姉さんにはすごく懐いているようですが、どうも私や那珂ちゃんに対しては怯えてしまっているようです

どうしたら良いのでしょうか?


「やりました」

 

「あぁ、当たったな」

 

 大湊の提督にお願いしていた道具が届いたので実際に弓の練習をしているのだが、手持ちの矢をほとんど撃ち尽くしてようやく的の端に当てた加賀が自慢げにこちらを見ていた。

 

「それで、命中率は?」

 

「1割無いくらいかしら」

 

 的との距離は30メートルくらいだろうか、実際この距離で1割ってまずい気もするのだが初日で的に当たったと考えれば十分なのだろうか。

 

「うーん、なんかお腹空かない? 朝、少し軽かったかなぁ?」

 

「飛龍、真面目にやらないと怒られちゃうよ?」

 

 蒼龍と飛龍も同じように的目掛けて矢を放っているのだが、やはり中々上手くいかないようで的の周囲に矢が散乱していた。

 

「1度休憩にするか、各自矢を回収したら10分休憩」

 

「分かりました」

 

「「はーい!」」

 

 俺が教える事ができれば良いのだけど、弓を使った経験は一切ない。余り適当な事を言って間違えた方法を教えるとまずいと思ってできるだけ口は出さないようにしているのだが、ただ見ているだけと言うのもつまらなかった。

 

「なぁ、俺にもやってみて良いか?」

 

「それじゃあ私の弓を貸してあげるね」

 

 俺は蒼龍から弓を受け取ると、的に向かって構えてみる。真っ直ぐに的を見つめていると左目が痛み咄嗟に矢を持っている手を離してしまう、放たれた矢は前に飛ぶのではなく明後日の方向に飛んで行ってしまった。

 

「いや、ちょっと目にゴミが入っただけだからさ」

 

「言い訳ですか?」

 

「加賀さん、ここは湊さんの言葉を信用しませんか?」

 

「私は言い訳だと思うけどね」

 

 彼女達の視線が痛い、左目に痛みが走ったというのは本当なのだが今は何を言っても信用してくれないだろう。

 

「それじゃあもう一回行くぞ」

 

 落ちていた矢を拾うと再び的に向かって構える、大きく深呼吸を繰り返し7割ほど息を吸った所で呼吸を止める。そこからは的に当てる事以外は余計な事を考えないように意識を集中させていく。

 

 これから矢が飛んで行く軌道を頭の中でイメージすると、矢を握る右手を離した。俺の放った矢は真直ぐと的に向かって進み地面へと落ちる。

 

「届いてないのだけど?」

 

「届いていれば的に当たってたかな……?」

 

 正直すごく恥ずかしい、内心的に当ててやろうと真剣だったのだが距離が足りないって下手に外すよりも恥ずかしい事をしてしまった。

 

「やっぱり教えてくれる人が居ないと無理なんじゃないかな」

 

「そうね、二航戦の言う通りだと思うわ」

 

「流石にこの時代に弓が使える人間ってほとんど居ないと思うぞ」

 

 これが銃であれば扱える人間は多いし、俺が教える事もできるのだが流石に弓となると扱える人間に心当たりは無い。それでも何か良い案が思いつかないかと悩んでいると胸ポケットに入れている携帯が振動を始めた。

 

「悪い、ちょっと電話」

 

「もしかして彼女さん?」

 

「ただの部下だよ」

 

 茶化してくる飛龍を否定すると、画面に表示されている緑色のボタンを押してみる。

 

 《ヘーイ、教官ー! 私デース!》

 

 てっきり大淀かと思って油断してしまった、突然の大声で耳鳴りがし始める。俺の肩に顎を乗せて盗み聞きしようとした飛龍もその被害にあってしまったらしい。

 

「うるせぇ、何の用だ?」

 

 《相変わらずつれないデース》

 

「まぁ丁度いい、大淀に代わってもらえるか?」

 

 《うー、教官は大淀の方が良いんデスカー?》

 

 なんというかめんどくさい。暇なときになら付き合ってやっても良いのだが、今は横で俺に聞こえないように何かを話している蒼龍と飛龍の視線が気になって仕方が無い。

 

「今度相手してやるから今は代わってくれ、ちょっと確認したい事があるんだ」

 

 俺が真面目な話をしていると察してくれたのか2度目は素直に大淀に代わってくれたようだった、上手く聞き取れないが電話先で大淀に文句を言っている金剛の声が聞こえてくる。

 

 《はい、大淀です。 どうしましたか?》

 

「ちょっと聞きたい事があるんだけど、お前達って飯とか食わなくても大丈夫なのか?」

 

 正直赤城の状態を考えると真っ先に疑問に思ったのはそこだった、点滴や胃にチューブを通して無理やり栄養を摂取させれば眠り続ける事も可能だとは思うのだが、それも無しで長時間眠り続けると言うのは可能なのだろうか。

 

 《少しくらいなら大丈夫ですけど、基本的には人と変わらないので食事は必要ですよ。 艦種によって食事量に差があるという話は聞いたことありますが、何も口にしなくても大丈夫という話は聞いたことありませんね》

 

「そうか、てっきり冬眠とかできるのかと思ってた」

 

 《私達は熊じゃ無いんですから……》

 

 大淀には否定されてしまったが、赤城は冬眠に近い状態なのかとも考えて居た。

 

「艦娘について詳しい人間を知らないか?」

 

 《それはどういう意味でしょうか?》

 

「艤装の開発も勿論なんだが、身体の構造について詳しい人間が好ましいな」

 

 よく考えたら彼女達の身体の構造について知りたいと言う発言はどうなのだろうか、実際真面目な会話なのだが心なしかこちらを見ている蒼龍達の目が冷たい。

 

 《うーん、詳しい事は分かりませんが1人心当たりはあります。 少し変わった方なのですが間違いなく私達の身体には詳しいと思います》

 

「教えて貰っても良いかな、割と急用なんだ」

 

 俺は大淀が教えてくれた電話番号を木の枝を使って地面に書いていく、横須賀鎮守府の工廠への連絡先らしいが技術員でも居るのだろうか。

 

「ありがとう、連絡してみるよ」

 

 《たまには湊さんから連絡してあげてくださいね、寂しがってる子も多いですよ?》

 

「あぁ、気が向いたらな」

 

 俺はそれだけ言って通話を終わらせる、大淀には少し変わっている人だと聞いたが正直今まで出会って来た子達よりも変わっている人間などほとんど居ないと思う。俺はそんな事を考えながら地面に書いた数字を携帯に入力していく。

 

「こちら大湊の湊少佐です、艦娘について詳しい方がそちらにおられると聞いて連絡をしたのですが」

 

 《あぁ!? このクソ忙しい時に何の用だ!》

 

 何度目かのコール音の後に通話が繋がった音が聞こえてきたのだが、こちらが自己紹介してやったというのに急に男に怒鳴りつけられてしまった。

 

「艦娘についてお聞きしたいことがあるのですが」

 

 《そんなの知るかよ! 他所に当たってくれ!》

 

 男はそれだけ言って通話を切ってしまったようだった、いきなり通話を終わらせると言うのは何度か金剛にやった記憶があるが予想以上に頭に来る事に気付いた。

 

 そんな事を考えながらもう1度連絡しようとしたが、それよりも先に再び携帯が震える。画面に表示されている番号は地面にかかれた番号と同じだし、かけ直してくれたのだろうか。

 

「はい、こちら湊です」

 

 《もしもーし、こちら横須賀守府第一工廠ですがー。 先ほどのご用件は何でしょうか?》

 

 どうやら先ほどの男とは違う人らしい、電話先からは女性の声が聞こえてきた。

 

「急な連絡で申し訳無いのですが、そちらに艦娘に詳しい方が居ると聞いて連絡させてもらいました」

 

 《んーと、修理とか工作機械の手入れとか、色々やることあるから忙しいんですけど……》

 

「忙しいのは重々承知しています、しかしこちらも急ぎで艦娘について確認したい事があるんです」

 

 先ほどの男も忙しいと口にしていたからには忙しい事は既に理解している、しかし赤城を起こすためにもここで通話を終わらせるのは流石に困る。

 

 《急ぎですか、どのような状態なんですか? 中破以上は流石に各鎮守府にある入渠施設を使ってもらうしかありませんが》

 

「艦娘が眠ったまま起きないんです、息はしているし声も届いているようですが」

 

 俺は簡潔に赤城の状態について電話先の女性に伝える、なんとなく個人名だけは言わない方が良いと思って微妙に誤魔化しておいた。

 

 《なるほど、聞いたこと無い症状ですね。 基本的には艦娘も人と同じで食事や睡眠をとる必要があります、艤装を動かす際や修理をする際に燃料や鋼材を使用しますが艤装を外した状態であれば普通の人間と同じだと考えても良いですよ》

 

「やっぱりそうですか、起こす方法って聞いたこと無いですかね?」

 

 女性の説明を聞く限り、俺の予想と大体一致していた。これが彼女達特有の病や故障と言った状態であれば俺には手の付けようがなかったのだがそうじゃないなら、まだ可能性はあると思う。

 

 《残念ですが、事例が無いのでなんとも言えませんね。 私個人としてはどうして起きないのかという事より、どうして眠り続けられるのかが気になる所ですけど》

 

「どういう事ですか?」

 

 《艦娘になるための適性検査って、事前に持病が無いかとかも確認するんですよ。 一応眠り病って呼ばれる病気もあるようですけど、そんな持病があるのならそもそも艦娘に選ばれる事も無いでしょうしね》

 

 艦娘になるのも大変なんだなと感心してしまう、俺も軍に入る際に身体の検査や水虫のチェックなんかもやられたが、それ以上に艦娘になるには細かい確認があるのだろう。

 

 《それで何ですが、そうして眠り続けるって何か外部的な要因があるような気がするんですよね》

 

「外部的な要因ですか」

 

 《実際直接見た訳じゃないので分かりませんが……、ってクレーンにあまり触ったら危ないって! えっ? 電話が長い? 分かりましたよー!》

 

「あまり時間を取らせる訳にもいかないので、大丈夫です。 聞きたいことは聞けましたのでありがとうございました」

 

 何やら電話先でガチャガチャと鉄のぶつかるような音が聞こえる、これ以上向こうの仕事の邪魔をする訳にもいかないしこの辺で話を終わらせておいた方が良いだろう。

 

 《申し訳無いです、それでは何か新しい事が分かったら教えてくださいね》

 

「最後に名前だけでも……、切れたか」

 

 もう1度連絡するのであれば名前を聞いておこうと思ったのだが、それよりも前に通話を切られてしまった。

 

「何か分かったの?」

 

「少し気になる事は見つかった」

 

 質問をしてきた加賀にそう答える、赤城を起こすことに関しては正直なんの回答も貰えなかった。その事を伝えると加賀は少し寂しそうな表情をしたような気がした。

 

「それじゃあ練習の続きをしようかしら」

 

「私達も続きやろっか」

 

「多く当てた方に少なかった方が晩御飯を奢るってどう?」

 

 3人は弓を持って立ち上がると、再び的目掛けて矢を放ち始めた。俺は地面に座り込むとこの鎮守府に来てからの事を思い返してみる。

 

 大湊の提督は彼女達にかなり友好的だとは思う、少しふざけた所もあるが龍驤なんかは特に好意的に接している。俺が提督になる事に関しても協力的だとは思うのだけどだからこそ1つの違和感ができてしまった。

 

「なんや、随分と難しい顔しとるな」

 

「龍驤か、どうしたんだ?」

 

 考えて居るとビニール袋を持った龍驤が話しかけてきた、それとなく中身を確認すると人数分のペットボトルが入っているようだし差し入れを持ってきてくれたのだろう。

 

「1つ聞いても良いか?」

 

「なぁに? 真面目な話やったら場所を変えるけど?」

 

「どうして赤城の事を黙っていたんだ?」

 

 彼女達に友好的で俺が彼女達の提督になるという事も理解してくれている、だったらどうして提督は俺に赤城の事を黙っていたのだろうか。それだけじゃない何故赤城を起こそうとしないのだろう。

 

「あぁー、何や……その、うちらも黙ってた訳じゃ無いんよ。 いきなり赤城の事を教えて暗い気持ちになっても困るやろ?」

 

「そうだな、それもありえない話じゃ無いと思う。 もう1つ聞くけど横須賀の技術員が赤城について調べてみてくれるらしいんだけど大丈夫だよな?」

 

 実際そんな約束なんてしていないけど、龍驤の態度を考えるに引っかけてみる価値はあるだろう。

 

「うちが決めてええ話じゃ無いし、なんとも言えんかなぁ」

 

「そうか、ちょっと直接提督と話をしたいんだが大丈夫か?」

 

「い、今は次の作戦に備えて準備してるみたいやし、もうちょっち後の方がええかなぁ」

 

 完全に否定してくれたのなら話は早かったのだが上手い事はぐらかされているような気がする、逆に考えれば俺に肯定して来ないという事は赤城を起こすことに関して肯定的ではないようにも思える。

 

「作戦?」

 

「北海道への海路を確保しようって作戦なんやけど、兵装も不足しててちょっち手こずってるみたいやね」

 

「成功しそうなのか?」

 

 近隣海域とは言え確保となるとかなりの規模の作戦になると思う、ただ通るだけなら行きと帰りの2度敵を撃退したら問題無いが確保となるとその後の防衛についても考える事も必要になってくる。

 

「あの人の考えてることは分からんけど、負ける試合はせん人やし大丈夫やと思うけどなぁ」

 

「いつ始まるんだ?」

 

「まだ未定やね、数日に分けてやるって言ってたし長期戦になるかもしらんなぁ」

 

 加賀達の様子を見る限り今回は彼女達の出番は無いと思う、簡単な偵察なんかはできるとは思うけどリスクを考えれば下手に出撃しない方が良いように思える。

 

「ちょっと提督と話をしてくるよ」

 

 俺を引き留めようとした龍驤を無視して俺は執務室に向かう、作戦について色々と聞いてみたい事もあるけど赤城についても少し話をしておいた方が良いだろう。そんな事を考えながら歩いていると会いたくない男に出会ってしまった。

 

「女相手にだらだら話していて給料が貰えるなら俺も少しは仲良くしておくべきだったな」

 

「大尉は逆に女性にだらだら話を聞いてもらってお金を払う方が似合ってるように思いますが」

 

 流石に前回のように手を上げてくることは無かったが、やはり俺の事が気に入らないのかこちらを睨みつけてきている。

 

「あんま調子に乗るなよ、てめぇが良い思いをするのも後ちょっとだろうしな」

 

「どういう事ですか?」

 

 大尉は俺の質問には答えずむかつく笑みを浮かべながら歩いて行ってしまった、何か意味ありげな事を口にしていたし注意しておいたほうが良いのだろうか。追いかけて問いただしても良いのだが今はそれよりも提督と話をした方が有意義だろう。

 

「失礼します、少しお話があるのですが」

 

 執務室に入ると提督と見慣れない制服を着た男が話をしていた、陸軍でも海軍でも無いようだが一体何者だろうか。

 

「お久しぶりです、湊さんもお元気そうで何よりです」

 

 男は俺の事を知っているようだったが、生憎俺はこの男を知らない。久しぶりだと言われたからにはどこかで会った事があるのだろうか。

 

「この男は大本営から派遣された憲兵だ」

 

「憲兵ですか、何か問題ごとでも?」

 

 憲兵と呼ばれる支援科がある事は知っていたが基地で余程の問題を起こさない限りは、基本的には口出ししてこないと聞いている。

 

「提督には軍資金の着服や、部下への不当な扱いの容疑がかけられています。 これから調査を行ってから結果を出しますが、しばらくは行動に制限がかかりますのでご了承ください」

 

「分かった、作戦も控えておるのであまり時間を無駄にしたくは無いのだけどな」

 

 あの男が俺に言っていたのはこの事なのだろうか、随分と汚い手を使って来た物だ。

 

「それでは私は部下を待たせて居ますのでこれで失礼します」

 

 まずい事になった、憲兵が彼女達に対してどちらの考えを持っているかは分からないが、彼女達のために作った宿舎や食堂がどう判断されてしまうのだろうか。それに山になった嘆願書の量を考えると部下に対して不当な扱いを行っていると思われてしまうのでは無いのだろうか。

 

「疑っている訳ではありませんが、本当に着服しているんですか?」

 

「まさか、宿舎も食堂もほとんど儂の金だ。 許可は大本営に取っておるし問題にはならん」

 

 この男が実費で彼女達のための施設を作ったと聞いて驚いてしまった、何がこの男をここまでさせているのだろうか。

 

「赤城について話をしておきたかったのですが、日を改めた方が良さそうですね」

 

「すまない……」

 

 提督からはいつものふざけたような雰囲気は全く無かった、施設に関しては問題無いのだろうがやはり部下への不当な扱いと言った点で不安を感じているのだろう。何か手を打たないといけないだろうし、俺も今は大人しく撤収する事にした───。




to :大淀と愉快な仲間達

sub :定期報告なのか?

なんだか悩み相談みたいになってるな

以前訓練を担当したと報告を受けているがその時はどんな訓練をしたんだ?

俺としては教官は下手になめられるよりも怖がられるくらいが丁度いいとは思うけど、それで距離を開けられるようなら少しまずいな

まずは訓練生の話をしっかり聞いて、その子達のために厳しく接しているんだと互いに信頼関係を築くことが大切だと俺は思ってる。

なんか真面目な話になったけど、要は訓練をする前にはしっかり仲良くなってからって事だな


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向かい風に向かって(1)

from :大淀と愉快な仲間達

sub :本日は妙高です

おはようございます

いきなりのご提案なのですが、呉の提督より近隣海域の偵察や民間の輸送船の護衛と言った任務に協力してくれないかと話がありました

任務の報酬として資材を分けてくださるという話ですが、受けた方が宜しいのでしょうか?

受けるとしても安全を最優先に考えて任務を受ける事になりますが、全く危険を伴わない訳ではありませんので湊教官の合意が必要と判断して連絡をしました

こちらの準備が整うまでは返答は待ってくださるそうなので、返信お待ちしています



 正直に言ってしまえばあの人に全く興味は無かった、私はもう1度赤城さんと肩を並べて戦う事ができる、それだけが望みでした。

 

「もうこんな時間なのね」

 

 腹部に痛みを感じて空を見上げてみる、日の高さを考えるともう昼時なのだろうか。考えないようにと意識を逸らしてみても、生きている以上は身体が食事を求めてしまう。赤城さんはどうやってこの辛さを耐えていたのでしょうか。

 

「加賀さん、そろそろご飯に行きませんか? 飛龍の奢りですよ!」

 

「えっ、さっきの賭けって加賀さんも入ってたの!?」

 

 二航戦は相変わらず騒がしい、どうしてこんなにも元気で居られるのだろうか。この子達にはかつて国のために戦ったという誇りは無いのだろうか。

 

「私は鍛錬を続けます、もう少しで何か掴めそうなの」

 

「あんまり無理はしないでくださいね」

 

「何か簡単に食べられる物でも貰ってきましょうか?」

 

 私は2人の言葉を無視して再び弓を構える、食事よりも赤城さんの言葉の意味を早く見つけたかった。矢筒に入った矢が無くなると、的の周辺に散らばった矢を回収していく。それを何度か繰り返していると突然後ろから声をかけられた。

 

「会から離れまでが少し早すぎます、もっと呼吸を意識してゆっくりと」

 

「誰かしら?」

 

 この鎮守府では見た事の無い制服を着た男が立っていた、弓を使うための助言だとは思うのだけど意味を理解できない。

 

「僕が誰かは気にしないで良いですよ、それより僕もやってみていいです?」

 

 やってみるとは弓を使ってみたいという事なのだろうか、あまり気安く他人に触らせたくは無いのだけど先ほどの口ぶりを考えれば弓を使用した経験があるのだろうか。今は余計な気持ちよりも少しでも上達するために男に弓を渡すことにした。

 

「弓道には射法八節って言葉があるんですよ、簡単に言ってしまえば8つの動作を正しく行いなさいって感じですね」

 

 男はゆっくりと動作を口にしながら弓を構えていく。

 

「足踏み、矢束分足を開き両親指をしっかりと的の中心へ向ける。 胴造り、上から見て肩、腰、両足のつちふまずなんかが真直ぐになるように。 さぁどうぞ?」

 

 ただ眺めていた私に立ち姿を真似するようにと言いたいのだろうか、仕方なく今はその指示に従ってみる。

 

「弓構え、取り懸けでは右手親指と弦が十文字になるように。 その時に整えた姿勢が崩れないように注意してください」

 

 弓は男に渡してしまって無いのだけれど、弓が手にあると意識しながら真似をしていく。

 

「打起し、両肩が上がらない範囲でできるだけ高く上げてください。 引分け、右ひじの位置は変わらず、右のこぶしは額の前あたりにくるように、ここでも姿勢を崩さないように」

 

 随分と窮屈な姿勢だと思った、こんな事で的に当てる事ができるのだろうか。

 

「会、左手は的方向へむかってねじり押すように、右手はその逆へねじってください。 手首ってより肩甲骨を意識した方が良いかもしれません」

 

「こうかしら……?」

 

「良い感じです、もっと力を抜いても良いですよ。 離れ、会でしっかり身体伸ばし、無理矢理離すのでは無く弦が矢を押す力に任せてください」

 

 そう言って男の放った矢は真直ぐと的に飛んで行くと真ん中よりも少しずれた位置に突き刺さった。

 

「最後に残心、当たったからと浮かれるのでは無く腕以外は先ほどまでの姿勢を維持してゆっくりと心を落ち着ける。 これが射法八節と呼ばれる動作です、僕は訓練生時代の選択科目で習っただけですけど、同期の中じゃ1番上手かったんですよ?」

 

 男はそこまで言うと私に弓を手渡してきた。私は先ほど習った動作をゆっくりと思い出すようにして繰り返してみる。何も持っていない状態でも窮屈だと感じたのだけど弓を持てば尚更窮屈に感じてしまう。

 

「的を狙うのでは無く、的の中心を通って更に向こうの的に当てるイメージで」

 

 ただ真っ直ぐに的を見つめる、そして動作が間違って無いかを確認しながら矢を放つと男の放った矢よりも内側に当たったようだった。

 

「負けちゃいましたか、流石は艦娘と言ったところでしょうか」

 

「私達の事を知っているのね、そろそろ誰か教えてもらっても良いかしら?」

 

「大本営直属の憲兵です、忙しいところ申し訳無いのですが、湊少佐についてお話を伺いたいのですが宜しいでしょうか?」

 

 あの人について聞きたいと言われても、私自身あの人の事を良く知らない。憲兵隊がこの鎮守府に来たという事は何か問題事なのかしら。

 

「……あの人が何かしたのかしら?」

 

「まだ確証は得ていませんが、艦娘に対して虐待、佐世保鎮守府への不法侵入と艦娘の強奪と言った容疑がかけられています。 あなたも何か暴行等の仕打ちを受けたとかありませんかね?」

 

 初めて会った時には人相の悪い男だとは思ったけれど、予想以上に色々と問題を抱えている人だったらしい。短い間とは言え話した感じは悪い人では無いとは思っていたけれど私達を油断させるための演技だったのかもしれない。

 

「特に無いわね」

 

「良かった、確かに怖い人ですけど女性に手を上げるような人じゃないですからね」

 

「あの人とは知り合いなのかしら?」

 

 男の口ぶりから察するに、あの人について何か知っているような素振りだった。憲兵ならどのような立場の相手であっても肩入れ等するような事は無いと思うのだけど。

 

「あの人のファンなんです」

 

「ファン? 意味が良く分からないのだけど」

 

「湊さんに憧れて僕は憲兵になったんですよ」

 

「随分と物好きなのね」

 

 私はもう1度先ほどの動作を思い出しながら再び弓を構える、矢を放つ瞬間に二航戦が何かを叫びながらこちらに走ってきているのに気付いて大きく外してしまう。

 

「加賀さーん、おじ様が憲兵に捕まっちゃったって!」

 

「湊さんの姿も見えないんですけど、こっちに来て無いですか!?」

 

 私は事情を知って居そうな男を見てみると、男は何やらバツの悪そうな表情でこちらを見ながら笑っていた。

 

「どういう事かしら?」

 

「大湊の提督にも軍資金着服等の容疑があるんですよね、拘束しろって指示は無かったので何か証拠を見つけたか抵抗したかのどちらかでしょうか」

 

 私に事情を説明してくれている男の胸ポケットから奇妙な音が聞こえてきた。

 

「すいません、ちょっと連絡が入ったので」

 

 男は私達から少し離れた場所に移動すると、誰かと話をしているようだった。

 

「加賀さん、あの人って誰です……?」

 

「あの服っておじ様を捕まえた人達と同じ服ですけど……」

 

「大本営から来た憲兵らしいわ、事情が分かるまではあなた達も余計な事を話さないように」

 

 この鎮守府で何が起きているかなんて私にも分からない、けれど私達が余計な事を言えば彼等にとって不利な状況になってしまうかもしれないという事だけは分かる。二航戦から少しでも話を聞こうと思ったけれど、男が戻ってきてしまった。

 

「もう1つお聞きしたい事があります、昏睡状態に陥った艦娘について知りませんか?」

 

「何のことかしら」

 

 間違いなく赤城さんの事を言っているのは理解できた、しかしその事を私から口にする必要は無いだろう。

 

「隠さなくても大丈夫です、こちらでもある程度は掴んでいますので。 そこで何ですがその艦娘の姿が無いと連絡がありました」

 

 男の言葉を聞いて私は走り出してしまった、赤城さんが目を覚ましたのだろうか。そんな淡い期待が脳裏に過ったがそんな都合の良い話は無いと頭を振って気持ちを切り替える。

 

「赤城さん……?」

 

 宿舎に戻った私は勢いよく赤城さんの部屋の扉を開けたが、ベッドの上に居るはずの赤城さんの姿は何処にも無かった───。

 

 

 

 

 

「もう少しまともな地図は書けなかったのかよ……?」

 

 赤城を背負った時には軽すぎる事が少しだけ怖くなってしまった、それなりに背丈はある方だと思うのだが今すぐにでも病院に連れて行った方が良いのでは無いかと思える程軽かった。

 

 執務室から出てすぐに大湊の提督に引き留められた俺は提督がどうして艦娘の待遇に力を入れていたかを聞くことができた。それから俺は赤城を背負って蒼龍達が作った抜け道を使い鎮守府の外に出た。

 

「あの家か……」

 

 説明のあった民家は少し痛んでいる様子はあるが、少しの間姿を隠すだけなら問題は無いだろう。正直今自分の行っている行為は軍としてはかなりやばい行為だとは理解しているが、赤城を守るためだと頭を下げた提督の言葉を突き放すことができなかった。

 

「少し埃っぽいけど我慢してくれよな」

 

 渡された鍵で玄関の扉を開けると、赤城を畳の上に寝かせる。それから少し家の中を調べてみたが電気や水と言った類の物は一切通っていないようだった、最悪水は庭に見えた井戸を使えばどうにかなるかもしれないが、長期間潜伏するとなった場合には少し厳しい物がある。

 

「少し食料を調達してくるか……」

 

 俺は家に残っていた服を適当に拝借すると、以前蒼龍達に教えてもらった店に向かう事にした。こんな事になるのであれば周辺に何があるかを調べておくべきだったと後悔してしまったが、今は後悔するよりも行動に移そうと意識を切り替える。

 

「こんにちはー、少し食料を分けて頂きたいのですが……」

 

「あのめきやし達ど一緒だば無いのけ?」

 

 相変わらず老婆が何を言っているのかがいまいち理解できない、蒼龍達はどうやってこの老婆を会話を続けていたのだろうか。

 

「き、今日は1人です。 家族が風邪を引いて寝込んでしまったのですが、自分は料理が苦手なもので……」

 

「それだば粥を作ってやるがきや持って帰るど良い、お前さんものんが食べたいものがあれば言えば良い」

 

 粥という単語は聞き取れたし、目的の物を用意する事はできたと思う。筆で書かれたメニューを渡してきたという事は俺の分も用意してくれるのだろうか。適当にメニューを指差すと老婆は厨房へと戻って行ってしまった。

 

「お腹がすいたきやまだ来まれ」

 

「ありがとうございます」

 

 少ししてお粥が入った鍋と弁当、風邪薬を老婆から受け取ると、足早に来た道を戻る。途中憲兵と思わしき恰好をした野郎とすれ違ったが、下手にビクビクする方が逆に怪しまれると判断して堂々とした態度で道路の上を歩く。

 

 この様子だと俺が赤城を連れて鎮守府から出た事がもうバレているのかもしれない、この男が俺に気付くようであればそれなりに抵抗する必要があると思っていたが、憲兵は特に気にした様子は無く鎮守府の方角へと歩いて行ってしまった。

 

「ただいま、お粥を貰って来たけど食べるか?」

 

 民家に戻った俺はとりあえず赤城に話しかけてみるが返事は無かった、提督から聞いている時間まではもう少しあるし仕方が無いとは思うのだが独り言を言っているようで少しだけ寂しく感じてしまう。

 

 やる事も無いので俺も畳の上に横になってみるが色々な事がありすぎて落ち着かない、心配かけないように大淀に連絡を入れておこうと思ったが、携帯が見つからない。もしかしたらどこかに置いてきてしまったのだろうか。

 

「……ごめん……なさい……」

 

「起きたのか?」

 

 赤城が眠ってしまっている原因は提督による投薬が原因だった、それを聞いた時には怒りがこみ上げてきたが事情を聞いているうちにその怒りは俺の自分勝手な思いだと考えを改める事になった。

 

「……あなたは?」

 

「湊だ、提督に言われてお前を監視する事になった」

 

 赤城自身が補給を断っていた事もボロボロになった身体で進んで任務を受けていたという事も聞いた、それだけ見れば度は過ぎていても自分に厳しいのだと考えられなくも無いと思う。

 

「私の艤装を、こんな所で休んでいる間にも敵が攻めてくるかもしれません……」

 

「その身体でまともに戦えるのか?」

 

「例え戦う事ができなくとも、偵察くらいならできます。 いざとなれば私が囮になる事だって……」

 

 しかし赤城の話を聞いて真っ先にコイツはただ死にたいだけなのでは無いかと思えてしまった。

 

「死にたいのか?」

 

「死ぬことは恐れていません、私はただ一航戦として戦いたいんです……」

 

「そうか、ならまずはその骨と皮しかない身体をどうにかしろ。 俺がいけると判断したら戦場に出してやる」

 

 実際俺にそんな権限は無いのだが、こう言ってしまえば赤城も食べないという選択肢を選ぶことはできないだろう。俺は少し冷めてしまったお粥をスプーンで掬って赤城の口元へと運ぶ。

 

「これを食べれば私を出撃させてもらえるんですね……?」

 

「俺達軍人にとっては身体が資本だ、それが分かってないうちはお前が偉そうに戦いたいなんて口にする事は認められない」

 

 赤城は恐る恐るお粥を口に含むと、急な食事に胃が驚いたのか口元を押さえ嘔吐に耐えようとしているようだった。吐き出してしまうかと思ったが、それを堪えた赤城の覚悟は認めても良いと思った。

 

「じゃあ次な」

 

「はい……」

 

 俺は再びスプーンでお粥を掬うと赤城の口元へと運ぶ。結局老婆が作ってくれた量の半分ほどで赤城は食べる事をやめてしまったが食べる量は少しずつ増やして行けば良いだろう。

 

「一応赤城にも説明しておくが、お前はもうすぐ解体される予定になっている。 何の役にも立たない兵器を維持するのは無駄だっていう上の判断らしい」

 

「私は戦えます……!」

 

「はっきり言うが、赤城よりも鹿屋に居る駆逐艦の子達の方が戦力としては上だろうな」

 

 赤城が解体されてしまうと言うのは本当の話だった、海軍としても赤城の魂が宿った艤装をいつまでも遊ばせておく訳にはいかないだろうし、艤装と人間を切り離した実験データも欲しているらしい。

 

「そうですか、それなら解体も仕方ありませんね……」

 

「悔しくないのか?」

 

「こんな無駄飯ぐらいが生きていても仕方が無いですよね」

 

 俺は赤城がどんな経験をして何を考えて居るかなんて分からない、それでも生きていても仕方が無いという考え方は気に入らなかった。

 

「そうか、ならこれを飲め」

 

 俺は瓶から錠剤を取り出すと赤城に手渡す。

 

「お前を眠らせていた薬だ、かなりきつい薬らしいしそれだけ飲めば致死量に届くだろう」

 

「それを飲めば私は楽になれるんですか……?」

 

 恐らくは今の赤城の言葉が本音なのだろう、自分は役に立たないから必要ないと考えて居るのではない、コイツは今の自分に耐えられないだけなのだ。

 

「そうだな、加賀達には俺から説明しといてやる」

 

「加賀さん、ごめんなさい……」

 

 赤城は手のひらに乗せた錠剤をじっと見ている。

 

「俺なりにお前達の事を調べてみたんだが、1つだけ気に入った話があってな。 どうせ死ぬなら最後に聞いてくれないか?」

 

「何でしょうか……?」

 

 加賀に教えて貰ってばかりだと流石にまずいと思って俺なりに空母について調べてみたのだが、戦歴や構造なんかよりもコイツ等にぴったりの話を見つけた。

 

「空母って艦載機を発艦させる時に針路を変えるだろ、その説明が妙に気に入ってな」

 

「発艦の際には風上に艦首を向けますね……」

 

「あぁそうなんだ、揚力の補助や横風による事故を防ぐためって言ってしまえばそれだけなんだけど、仲間のために風に逆らって進んで行くってかっこいいなって思った」

 

 自分で言っていて少し恥ずかしくなってきたが、死にたがりのコイツには伝えるべきだろう。

 

「赤城は空母なのにそれができないんだな、加賀や蒼龍達はお前の言葉を信じて進み始めた。 例えガラクタだって言われてもそれに逆らうように努力を始めた。 まぁそれだけだ、さっさとそれを飲んでしまえよ」

 

「……っ!」

 

 赤城は手に乗った錠剤を自分の口元に運ぶ。口を開け後は錠剤を口に含み飲み込むだけなのだが最後の一歩が踏み出せないようだった。

 

「手伝ってやるよ」

 

 俺は持ってきたペットボトルの蓋を開けると、赤城の手を掴み錠剤を無理やり口の中に入れさせる。そして赤城の鼻をつまむと無理やり水を口に含ませた。突然の事に驚いたのか赤城は咳込んでいたが錠剤が吐き出されていない事を確認する。

 

「それじゃあお疲れ」

 

「……嫌ですっ! 私はまだ……!」

 

 指を喉に入れ必死で吐き出そうとしているようだったが、俺は赤城の両手を掴み押さえつけると真直ぐ目を見つめる。

 

「お前が選んだ道だろ、何で抵抗するんだ。 薬が溶けるまでもう少し時間はあるだろうし遺言くらいなら聞くが?」

 

「手を放してくださいっ……、私はまだ死にたくないです……。 加賀さんともっと話をしたい、二航戦の子達にお礼も言えてないのに……」

 

「そうか、残念だったな。 一航戦の誇りが大切ならここで死んだ方が赤城のためだろ、もう無駄飯ぐらいなんて言われないから安心しろよ」

 

 必死で俺の手を振り払おうとするがその力は弱々しく俺はそこまで力を入れていないのだが赤城には振り払えないようだった。

 

「ごめんなさい……、私が間違っていました……。 だから手を……!」

 

 赤城は泣き出してしまったが俺は手を離さない。

 

「ここで吐き出してしまえば赤城はまたガラクタと呼ばれる日々が始まるかもしれない、それでも良いのか?」

 

「それでも、加賀さん達と一緒に進んで行きたいです……」

 

「その言葉忘れるなよ」

 

 俺は赤城の手を放すと、錠剤の入っていた瓶を見せてやる。

 

「これは……?」

 

「あぁ、ただの風邪薬だな。 成人は4錠って書いてあるしさっきの量じゃ少し飲みすぎってところだろうな」

 

 抵抗した事で疲れたのか、先ほどの薬で死ぬわけじゃ無いと分かって力が抜けたのか赤城は少し間の抜けた表情で俺の顔を見ていた───。



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向かい風に向かって(2)

from :大淀と愉快な仲間達

sub :羽黒です

妙高姉さんが返事が無いと不安がっていました……

やっぱり提督になるって大変ですよね

私の応援なんかが役に立つとは思わないですけど

精一杯応援しているので頑張ってください!

後、できれば妙高姉さんに返事をしてあげてください……


 田舎暮らしとは時間との闘いだと俺は思う、やるべき事を一通り終わらせてしまえば本当に何をして時間を潰せば良いのかが分からなくなる。

 

「ほら、さっさと動け」

 

「は、はい……」

 

 だから俺達は自分の身体を使って時間を潰す事にした、部屋の中は赤城のかいた汗のせいでどこか甘ったるい匂いと若干湿度が上昇しているような気がする。

 

「そんなペースじゃ終わらないぞ」

 

「もう無理ですっ……」

 

 赤城の腹部へと手伸ばしてみると赤城は叫び声とも取れる声をあげた。

 

「ここに力を入れるんだよ」

 

「ご、ごめんなさい」

 

 力を入れようとしているのは手から伝わる感触で分かるのだが、口では無理だと言っても必死で力を入れようとしている赤城を褒めてやりたくなる。

 

「仕方が無い、手伝ってやるよ」

 

 俺は赤城の手を握るとゆっくりと引き寄せる、互いの顔が近づくと赤城の額に玉のような汗が浮かんでいる事に気付き視線を奪われる、汗で張り付いた前髪が妙な色気を感じさせた。

 

「今日はこれくらいで許してやろう」

 

「ありがとうございます……!」

 

 赤城との逃亡生活も5日目を迎えていた、食事の量も増えてきたしリハビリを兼ねて筋トレをさせているのだが腹筋が10回しかできないというのは流石に呆れてしまう。

 

「そろそろ飯にするか」

 

「今日は何ですか?」

 

「焼き魚」

 

 畳の上に横たわったまま今日の食事は何かを聞いてくる赤城に今日のメニューを端的に告げる、俺の告げたメニューに文句があるのか赤城は不満そうな表情でこちらを睨んできた。

 

「じゃがいもとか大根もあるぞ」

 

「昨日と一緒ですよね……?」

 

「俺が汗水垂らして貰って来た食材が不満なら食うんじゃ無い」

 

 流石に毎食老婆に食事を分けてもらうというのはまずいと思って少し離れた場所に住んでいる農家や漁師の人に分けてもらっているのだが、どうしても似たような食材ばかりになってしまうのは仕方が無いと思う。

 

「実は私、焼き魚大好きなんです」

 

「そうか、さっさと起きて手伝え」

 

 俺は七輪を庭へと運ぶと炭を入れていく、余所者の俺を受け入れてくれている老人達には本当に頭が上がらない。

 

「お醤油ってまだ残ってましたっけ?」

 

「下の戸棚に入ってる、塩も入ってるはずだから持ってきてくれ」

 

 流石に艦娘を連れて逃亡中だとは説明できなかったので、都会で仕事に失敗して嫁と2人で親戚を頼って田舎に帰って来たと説明してみたのだが不思議とそれ以上の事を聞いてくる人は居なかった。

 

「流石に焼き魚以外のメニューも考えた方が良いかもな」

 

「お刺身とかどうでしょう?」

 

 調味料を持って来た赤城はパラパラと楽しそうに魚に塩をかけながら希望を口にする、しかし俺達には大きな問題があった。

 

「さばけるのか?」

 

「……無理です」

 

 それは2人共料理が作れないという事だった、蛇や蛙だって食べる方法は知っているのだがそれは食事を楽しむと言うより生きていくための技術だし、今はそんな状況になるほど切羽詰まっていない。

 

「何も思い出せませんが、私も艦娘になる前はこんな感じで料理をしていたのでしょうか?」

 

「そうかもな」

 

 赤城は魚を七輪の上に並べると、少しぎこちない動作で野菜を切り分けていく。確かに赤城くらいの年齢であれば彼氏の1つや2つ見つけて何気ない日常を送っていてもおかしくは無いと思う。流石に艦娘としての服装で居るとまずいと思い家にあった服に着替えてもらっているのだが、こうして普通に生活していると赤城が艦娘だと気付ける人間は居ないだろう。

 

「湊さんは軍に入る前とかは何をしていたんです?」

 

「うーん、何をしていたかと聞かれると困るが、今とそんなに変わらないんじゃないかな」

 

「ご家族の方が農家か漁師だったんですか?」

 

 そういう意味で言った訳では無いのだが、赤城にとって俺は農家や漁師の手伝いをしている印象が強いのだろうか。

 

「何をやっていたんだろうな」

 

「ご両親の仕事を知らないんです?」

 

「あぁ、そもそも両親を知らないからな」

 

 別に隠したいと思っている訳でも無いし、赤城の質問に素直に答えてみる。それを聞いた赤城はどう反応したら良いのか分からないのか視線があちこちに泳いでいた。

 

「別に気にする事じゃないだろ、赤城だって艦娘になる前の事は思い出せないんだろ?」

 

「そうですが、なんだか申し訳無い事を聞いてしまいましたね」

 

 俺は親の顔を知らない、赤城は親の顔を思い出せない。意味は違うのかもしれないけど俺にとってはどちらも似たような物だと思う。

 

「俺は施設で育ったんだ、笑える話なんだけど俺は船着き場に捨てられてたらしい」

 

「それのどこが笑えるんですか……?」

 

「俺の名前を思い出してみろ」

 

「湊さん……?」

 

 爺に引き取られた後に聞いた話なのだが、俺の名前の由来は港に捨てられていた事が関係しているらしい。

 

「安直過ぎて笑えるだろ」

 

「全然笑えませんよ……」

 

「おかしいな、部隊の仲間達に話したらみんな笑ってたんだけどな」

 

 実際この話を聞いた隊長はトイレに捨てられてなくて良かったなってこっちがむかつくくらい大声で笑っていたと思う。

 

「部隊ですか、湊さんはどんな艦に乗ってたんです?」

 

「そういえば言ってなかったか。 俺は元々陸軍出身なんだ、だから船には移動くらいでしか乗ったことない」

 

「何を聞いても私の予想外の答えが返ってきてしまうのですが……」

 

 恐らくは赤城なりに場が無言にならないように気を遣ってくれていたのだろう、今更だけどもう少し気の利いた返答をしてやるべきだった。

 

「折角だし少し昔話をしてやろう」

 

 どうして赤城に話そうと思ったのかは分からない、このまま基地に戻れば解体されてしまう赤城に同情したのかも知れないし、帰る場所が無いという状況がどこか自分と重なったのかも知れない───。

 

 

 

 

 

「なぁ湊、そろそろ帰ろうよ……」

 

「喋るな、見付かったらまた説教されるだろ!」

 

 俺と子分の(たける)は暗くなった食堂でダンボールを被って時間が来るのを待っていた。

 

「僕トイレに行きたいんだけど……」

 

「もう少しだから頑張れ!」

 

 俺が思いつく限りの最高のタイミングは消灯前の点呼が終わり、大人たちが見回りを行った直後。それが最も見つかりづらいと思う。

 

「来たっ……!」

 

 食堂の扉がゆっくりと開かれると、ダンボールに開けた穴から小さな人影が見える。今すぐにでも飛び出して捕まえてやりたいのだが、決定的な現場を押さえないと言い逃れされてしまうと昨日テレビを見て学んでいた。

 

「俺が合図したら一斉に飛び出すぞ……!」

 

「うんっ!」

 

 俺は岳にだけ聞こえるように小声で呟くと、食堂の中を物色している影をじっと睨みつける。影は手慣れているのか暗い食堂の中を真っ直ぐ冷蔵庫目掛けて歩いているようだった。

 

「今だっ! 岳、行くぞ!」

 

 影が紙パックのジュースと夕食時に余ったデザートのゼリーを手にしたタイミングで俺と岳は段ボールから飛び出す、影は突然の事に驚いたのか頭を庇うようにその場にしゃがみ込んでしまった。

 

「観念しろ、逃げ場はもう無いぞ」

 

 食堂の出入り口は岳が守っているし、1対1の喧嘩なら年上にだって負けない自信がある。

 

「ごめんなさいっ、許してください!」

 

「ん? よく見たら新入りじゃないか、施設に入って早々おやつ泥棒とは度胸があるじゃないか」

 

 てっきり年上の奴等かと思ったけど、蹲って怯えているのは先月この施設に入って来たばかりの新入りだった。

 

「ここじゃまずい、場所を変えるぞ! 岳、撤収!」

 

「分かった!」

 

 俺と岳は泣き出してしまった新入りの手を掴むと、食堂から出て施設の裏山に作った秘密基地へと移動した。

 

「これでも飲んで落ち着けよ、岳の分もあるぜ」

 

「うん、ありがと……」

 

「いつの間に盗ったの……?」

 

 俺は3人分のジュースとゼリーを均等に配ると泣き虫新入りから事情を聞く事にした。

 

「食堂からおやつを盗って来たら仲間だって認めてやるって言われて……」

 

「大人に見つかったらお尻叩きじゃ済まないよそれ……」

 

「誰がそんなくだらない事を言ったんだ?」

 

 自分の手を汚さずにおやつを手に入れるなんて甘えた事は絶対に許す訳にはいかない、見付からないように努力や工夫を重ねるのがおやつ泥棒の正しい楽しみ方なのだ。

 

「2つ上のお兄ちゃん達にそう言われて……」

 

「またアイツらか、この前も俺の妹達からおやつを取ろうとして懲らしめてやったばかりなのに!」

 

「俺のって、別に湊だけの妹って訳じゃ無いと思うんだけど……?」

 

 岳が余計な事を言ってくるけど、強きに逆らい弱きを守れってこの前来た陸軍のお姉ちゃんも言ってたし、だから俺は弟や妹達をアイツ等から守る義務がある。

 

「ちょっと懲らしめてくるわ」

 

「うんっ!」

 

「えっ、消灯時間過ぎてるよ!?」

 

 その後俺は2つ上の卑怯者共の部屋に殴り込みに行くと、大人が止めに入るまで暴れてやった。流石に3対1はきつかったけど、殴った回数は俺の方が多いし俺の勝ち、そんな10歳の夏だった───。

 

 

 

 

 

「良い話だろ?」

 

「け、結局湊さんもおやつを盗ってたんですよね……?」

 

「あぁ、しかも何故か分からないけどおやつ泥棒をした時には俺に戦利品を1つ分けてくれるってルールができた」

 

 赤城は焼き魚を皿に移すと俺に渡してくれた、醤油を数滴たらして手を合わせるとこれを分けてくれた老人達に感謝する。

 

「もう1つ気になったんですけど、どうして湊さんは犯人を捕まえようとしたんですか?」

 

「そりゃあ自分の縄張りを荒らされたら誰だって怒るだろ」

 

 赤城はまるで宇宙人でも見るかのような表情で俺の顔をマジマジを見てきた、俺の顔に何かついているのだろうか。

 

「いまいちだったか、じゃあ次の話は絶対感動するぞ」

 

 俺は魚の身を解し口に運ぶと素直に美味いと思った。昨日も一昨日も食べてそろそろ食べ飽きる頃合いかとも思ったが、必死に働いて手に入れた食料はそれだけでその辺の高級料理よりも美味いと言い切れる自信があった───。

 

 

 

 

「俺の可愛い妹を泣かせた野郎をぶん殴りに行こうと思う」

 

「えぇ……、今度は何があったのさ」

 

「近所の小学校の子が千秋(ちあき)のスカートを捲ったり、ブスだとかバカだとか悪口を言ってくるらしい」

 

 男は何があっても女を守ってやれって陸軍のお姉ちゃんも言っていた、だからこれから俺のやることは間違いなく正しい行いなのだ。

 

「それって太郎君の事?」

 

「名前は知らん、俺が興味あるのは千秋を泣かせたって事実だけだ」

 

「思うんだけど、太郎君って千秋ちゃんの事好きなんじゃないかな……?」

 

 岳の言っている事の意味が分からない、もし本当にその太郎とか言う奴が千秋の事を好きならばどうして意地悪をして泣かせる必要があるのだろうか。

 

「岳、お前頭大丈夫か?」

 

「その言い方は酷く無い!?」

 

「じゃあ聞くけど、岳は小夏(こなつ)を泣かせたいって思うのか?」

 

「ど、どうして小夏が出てくるのさ! 別に僕は小夏なんて好きじゃないし!」

 

 実際岳がこっそり小夏に夕食のデザートを渡しているところを俺は目撃している、今更言い逃れとはなんと女々しい男なのだろうか。

 

「それで、どうなんだ?」

 

「小夏は関係無いけど、好きな子には優しくするべきなんじゃないかなって思う」

 

「そうだよな、だから俺はその太郎とやらをぶん殴りに行く」

 

 俺はテレビで見た主人公の真似をして大げさに振り向く、本当はマントを付けていればかっこよく決まったとは思うのだけどビニール袋で作ったマントは静電気がすごくて使い物にならなかった。

 

「待ってよ、僕もついて行くよ!」

 

 俺と岳は近所の公園へと走る、千秋の話によればいつも5時くらいまでは友達と遊んでいるらしい。

 

「太郎ってのはどいつだ!」

 

「顔も分からないのに殴りに行くとか言い出したの……?」

 

 俺は公園にあるジャングルジムに登ると、大声で太郎の名前を呼んだ。野球をして遊んでいた子やシーソーで靴飛ばしをしていた子達の視線が俺に集まる。

 

「太郎って俺の事か?」

 

「ち、千秋を泣かせたのはお前か!」

 

 まずい、てっきり女の子をいじめるような男だからひ弱なもやし野郎だと思っていたのだが太郎は予想以上にでかい。身長は俺より頭1つくらい大きいし、何より相撲取りでも目指しているのでは無いかと思える程太っている。

 

「何だよ、お前千秋ちゃんの何なんだよ!」

 

「俺は千秋の兄貴だ、妹が泣かされたからにはお前には痛い目にあってもらう!」

 

「ち、千秋ちゃんのお兄ちゃん……!?」

 

 普通に殴りかかってもあの体重相手じゃ掴まれた時点で負けてしまう、陸軍のお姉ちゃんは対格差のある相手を戦う時にはどうしたら良いと言っていただろうか。

 

「あのさ、太郎君に聞きたいんだけど、もしかして千秋ちゃんの事好きなんじゃないかなって……」

 

「だ、誰があんなブスの事好きになるかよ!」

 

 心の中で岳にナイスアシストだと褒めてやる、確か対格差のある相手と戦う時は正面からではなく不意を突けばいいと教えて貰ったはずだ。

 

「おらぁぁ!」

 

 俺は砂を握りしめると思いっきり太郎の顔面に向かって投げつける、不意を突かれた太郎は顔面にもろに砂を浴びて目を押さえながらその場にしゃがみ込んでしまった。

 

「み、湊!?」

 

「これでとどめじゃぁぁぁ!」

 

 太郎におぶさる様にして首に手を回す、どうしてこれが裸締めと言うのかは分からないしチョークなんとかって呼び方の方がかっこいいと思う。

 

「いーち、にー、さーん!」

 

 相手を無抵抗にさせるだけであれば首を真直ぐ押さえるのではなく横から潰すようにする、そして自分の頭を使って押し込むと10秒数える。辛いばかりで楽しくない訓練の授業もついに役に立つ日が来た。

 

「はーち、きゅー、じゅーう! よし、これで太郎も懲りただろう」

 

「た、太郎君息してないんだけど……?」

 

「大丈夫、背中をこうやって思いっきり叩けば……」

 

 お姉ちゃんがやってたように真似をしてみるが、太郎の意識が戻らない。まずい、何がまずいのかはよく分からないが変な汗が出てきた。

 

「起きろやおらぁぁ!!」

 

「太郎君しっかり!!」

 

 俺は必死で太郎の背中を蹴る、岳は必死で太郎の頬を叩く。俺達2人の頑張りが太郎に通じたのか太郎は無事に意識を取り戻した。

 

「つ、次に千秋を泣かせたら今以上に痛い目にあうと思えよ!」

 

「ちょっと、湊!? 置いて行かないでよ!?」

 

 俺と岳は必死で施設へと走った、もう少しで危ない橋を渡るところだったが千秋への意地悪は無くなり俺は近所の子供達の間で恐れられる存在になった、そんな11歳の春だった───。

 

 

 

 

 

「どうだ、俺は妹を近所の悪ガキから守ってやったんだ」

 

「私には湊さんがどうして誇らしそうにできるのかが分かりません……」

 

 ちなみに好きな子には意地悪したくなるという心理に気付いたのは俺が陸軍に入って16歳になってからだったりする。

 

「おーい、野菜持って来たけどまぐきやうかー?」

 

 玄関から皺枯れたような老人の声が聞こえてきた、今日は手伝いに行ってないはずだがどうしたのだろうか。俺は焦げかけた野菜を網の縁へと移動させると玄関へと向かう。

 

「ちょぺっど傷は入ってるけど味は良いぞ」

 

「ありがとうございます、妻も喜びます」

 

 傷の入った野菜は市場に出荷できないと聞いていたのだが、今の俺達にとってはご馳走と言っても間違いでは無いと思う。

 

「嫁こさちょぺっどはがへさのたのか?」

 

「はい、最近は食べる物も美味しいと見る見る元気になってますよ」

 

「それは良がた、やっぱり都会の空気は汚れてて身体さ悪りがきやの」

 

 何よりも俺が1番驚いているのは知らなうちになんとなくだが言葉の意味を理解できるようになっている事だった。

 

「これも飲むど良い、美味いぞ」

 

「あ、ありがとうございます……」

 

 田酒と書かれたラベルを見る限り酒だとは分かるのだが生憎酒は苦手だ、しかしせっかくの好意を断る訳にはいかず笑顔で受け取る。

 

「それだばあ嫁こさんさ、しろしぐ伝えておいてぐれ」

 

「はい、一緒に頂く事にしますよ」

 

「それど目付きの悪りおなごど借金取りがうろついてたかきやしばきやぐは大人しぐしておいた方が良いぞ」

 

 手を振りながら道路を歩いて行く老人に俺は大きく頭を下げる、騙しているようで後ろめたさもあったが、ここまで本気で他人に感謝するというのは初めてだと思う。

 

「赤城って飲めるのか?」

 

「飲んだことは無いですね……」

 

 こちらの様子を窺っていた赤城に酒瓶を見せて尋ねてみるが、飲んだことが無いらしい。飲まなければ飲まない方が良いとは思うのだが折角だから少しくらいは飲んでみる事にしよう───。

 

 

 

 

 

「はっくしょん!」

 

「風邪かしら?」

 

「いや、誰かが僕の噂をしてるのかも、僕って昔からそういうのに敏感なんです」

 

 加賀さんと一緒に湊さんを探しているのだが、どうにも見つからない。村の人達に話しかけても何故だか僕の事を悪者でも見ているかのような目でこちらを見てくる。

 

「こんにちはー、ちょっと人を探してるんですが……」

 

「なサ返す金はね、さっさど都会サ帰れ!」

 

 畑仕事をしている老人に話しかけてみたのだが、良く分からない言葉を口にして歩いて行ってしまった。一体僕が何をしたと言うのだろうか───。



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向かい風に向かって(3)

from :大淀と愉快な仲間達

sub :大淀です

本日正午に大本営から憲兵が派遣されてきました

そこで現在湊さんが置かれている状況の説明を受けたのですが

どうしてあなたは問題ばかり起こすのでしょうか?

何やら鹿屋基地での前任者のやった事が湊さんがやったように伝わっていましたし

佐世保でのやり取りも問題視されています

呉の提督や陸軍の中将さんに事情を説明して動いてもらっていますが

一体何をしているんですか、あなたは私達の提督になってくれるんじゃ無かったんですか?

それと、金剛さんが妙な胸騒ぎがすると騒いでいます、一刻も早く連絡を下さい


「今日はもう手がかりもつかめ無さそうだし、少し休憩したら鎮守府に帰ろうか」

 

「そうね、あの2人は何処に行ってしまったのかしら」

 

 大湊の提督は黙秘を続けたままだし、赤城さんを連れている以上はそう遠くには行っていないと思うのだけど全くと言っていい程湊さんの居場所が掴めない。

 

「1つ良いかしら」

 

「どうかしましたか?」

 

「あなたはあの人に憧れて憲兵になったと言っていたけど、どこに憧れたのかしら?」

 

 加賀さんにとって湊さんは大切な仲間を連れて逃亡し、艦娘の虐待や他の鎮守府への詐欺行為を行ったという極悪人としか思えないのだろう。その事を考えれば悪人に憧れて憲兵になると言う僕の言葉は意味が分からないと思う。

 

「うーん。 何を話せば良いか分からないけどあの人って訳も無しに悪さを働くような人じゃないと僕は思ってるんです」

 

「どういう意味?」

 

「子供の頃から無茶苦茶やってましたし、陸軍に入ってからも問題行動は多かったって聞いています。 でも、それって内容を調べてみれば湊さんにとっては仲間を守るための行動だったんですよ」

 

 子供の頃を少し思い出してみると、夜中に兄達の部屋に殴り込みに行ったり近所の小学生を閉め落としたりと考えれば考えるほど胸を張って信用できると言って良いのか不安になってきた。

 

「随分と信用しているのね」

 

「でも、1つ問題もあるんですよね。 湊さんが仲間であるうちは心の底から安心できるんですけど敵に回るとちょっと怖いんですよね」

 

 言葉だけじゃ上手く伝わらないと思い、加賀さんに僕が初めて担当した事件の話をする事にした───。

 

 

 

 

 

『だから施設のガキ共は使えないって言ってんだよ!』

 

 電話口から怒鳴りつけるような声が聞こえてくる、施設で育った子供達の多くは現場に配属されてから問題行動を起こすことが多いと先輩から教えて貰っていたけど、一体施設の誰が問題を起こしてしまったのだろうか。

 

「申し訳ありませんが調査に必要な情報以外は受け付けていませんので」

 

『くそっ、まぁ良い。 ガキの名前は湊、内容は上官に対する暴力行為だ』

 

 湊と言う名前を聞いた瞬間背中に嫌な汗が流れる、まさか僕が湊さんの起こした事件を担当する事になるとは思わなかった。

 

「暴力行為とはどの程度でしたか?」

 

『細かい事はそっちに資料を送ったから見てくれ、何にせよ訓練中の指導にキレて暴れだしやがった……』

 

 横で僕のやり取りを聞いている先輩は4枚の紙を僕に手渡してくれた。

 

「なんですかこれ……」

 

 資料には被害者4名を診察した内容が書かれているのだが、その項目の多さに驚いてしまうが、その中でも1番項目の多い被害者の資料を読み上げる。

 

「鼻骨骨折、右頬骨骨折、左上第1歯及び第2歯欠損、右上第6歯から第3歯欠損……。 間違い無いですか?」

 

『詳しい事は俺も医者じゃないから分からないが、湊って奴は頭がおかしいんじゃないか?』

 

 僕はその後も男の愚痴を聞き続けていたが、そんな事よりも一刻も早く湊さんに会って事情を聞きたかった───。

 

「どうぞ、こちらです」

 

「ありがとうございます、それでは事情聴取に入りますので席を外して頂いてもよろしいですか?」

 

 僕と先輩は湊さんが拘束されている場所へ案内された、先輩はなんでもなさそうにしているけどコンクリートでできた室内はカビの匂いが充満しておりとてもじゃないが長時間は耐えられそうに無い。

 

「貴方が湊訓練生ですね、暴力行為を働いたと連絡があり事情聴取に参りました」

 

 施設では子分扱いしていた僕に事情聴取されるのは湊さんも意地を張ってしまうのでは無いかと考えた僕は帽子を深く被り、声も普段より低めにして話しかける。

 

「……っ」

 

「貴方に黙秘権はありません、沈黙は肯定として受け取らせてもらいます」

 

 僕は先輩に教えて貰った通りに対応する、沈黙は何の情報も得る事は出来ないが否定する言葉を引き出すことができれば必ず何か綻びに繋がると先輩は教えてくれた。

 

「初めに貴方は上官に暴力行為を働いた、間違いありませんね?」

 

 僕の質問に湊さんは何も答えてくれない、沈黙が肯定を意味すると説明したから逆に何も言う必要が無いと判断したのだろうか。

 

「どうしてそのような行為に及んだのですか?」

 

「アイツは俺の仲間を踏みつけやがった、それが我慢できなかった」

 

 その言葉を聞いて湊さんは陸軍に行っても湊さんなんだなと心の何処かで安心した、しかし子供の喧嘩では無く軍と言う組織に居る以上は笑って終わらせられる問題では無い。

 

「それだけですか?」

 

「おい、お前今なんて言った……」

 

 今まで見た事の無い表情で湊さんは僕を睨みつけている、理由はそれだけなのかと尋ねるつもりだったのだがまずい方の意味で受け取られたのかもしれない。

 

「ぼ、暴力行為を働いた理由がそれだけなのかと……」

 

「お前は自分の仲間がコケにされて黙ってられるのか、上官相手ならどれだけ馬鹿にされようと笑って耐えろってのが軍のルールなのかよ!」

 

 まずい。完全に頭に血が上っているのが分かる、子供の頃からそうだけどこうなった湊さんはかなり対応が難しい。

 

「湊訓練生、落ち着いてください。 お前は下がってろ」

 

「す、すみません……」

 

 流石にこれ以上は僕には無理だと判断したのか後ろに居た先輩は僕の肩を掴むと場所を入れ替えるようにして湊さんと僕の間に割り込んできた。

 

「質問の内容を変えますが、コケにされたと言うのは具体的にどのような事があったのでしょうか?」

 

「あの日の訓練は明らかに八つ当たりだった、そういう態度で俺達に指導する奴らは多いがあれは近接戦闘の訓練じゃなくただ俺達を殴りたかっただけだ」

 

 僕は少しでも先輩の役に立とうと湊さんと先輩のやり取りを記録していく、湊さんの口から語られる内容は訓練と呼ぶにはあまりにも酷すぎる内容だった───。

 

「今日はすみませんでした……」

 

「気にするな、今日の経験を次に活かすのが今のお前の仕事だ」

 

 僕は先輩に頭を下げながら湊さんの言葉を思い出す、多対一を想定した近接戦闘の訓練。確かに戦場を想定したらありえない状況では無いと思うのだけど内容はただのリンチとしか思えなかった。

 

「日常的にそういう行為が行われているのか調べたら帰るぞ、岳も兄弟を放っておけないだろ」

 

「知ってたんですか、先輩も人が悪いですね……」

 

 調査の結果、訓練生相手に不当な暴力を加えるという事が日常的に行われている事が分かり湊さんの暴力事件は訓練中の事故として処理された。しかし本人にも罰則を与える必要があるという女性の言葉で湊さんは丸坊主にされて戒めとしてその姿を身分証にするという不思議な罰を受けたらしい───。

 

 

 

 

 

「あの人は仲間のためなら例え上官であっても引くことをしません、結果的に訓練生への不当な暴力は無くなったらしいのですが一歩間違えればあの人の首が飛んでいたでしょうね」

 

「仲間のため……ね」

 

 だからこそ今回のこの事件で湊さんが僕達を敵だと認識したなら手加減なんてしてくれないと思う。

 

「もう1つ言っておくと、たぶん僕達が湊さんを見つけても捕まえる事はできないと思います」

 

「あら、随分と弱気なのね」

 

「その時の多対一って4対1だったらしいのですが、訓練生の時代に正式な軍人を4人病院送りにしてますからね……」

 

 加賀さんは少し黙って何かを考えて居るようだったが、次の一言はあまりにも残酷だった。

 

「そう、頑張りなさい」

 

「えっ、僕は近接格闘って苦手だから弓道を選んだんだけど……」

 

 確かに憲兵になるための訓練で一通りは経験しているのだが、こんな付け焼刃で湊さんを取り押さえられるとは絶対に思えなかった───。

 

 

 

 

 

「……へくちっ!」

 

「湊さんらしくない可愛らしいくしゃみですね、風邪かもしれませんし今日は温かくして眠った方が良いですよ?」

 

 今日は炎天下の中船の荷物の積み下ろしをしていたし、食べる量を考えれば少し体力が落ちてきているのかもしれない。

 

「そうだ、前に話したあれをやってみるか」

 

「本当にやるんですか……?」

 

 俺は2日前から暇さえあれば磨いていたドラム缶を庭へと運ぶ。今まではどうにか井戸水で身体を洗うと言う事をやっていたのだが風邪を引きかけているかもしれない以上は今日こそ温かい湯に浸かりたかった。

 

「どうだ、まだ臭うか?」

 

「大丈夫そうですよ、油の匂いもしませんし」

 

 この家にガスが通っているのなら風呂を使えば良かったのだが、ほとんど原始人と変わらないレベルの生活を送っている俺達にとってそれは難しかった。

 

「ドラム缶を見ると駆逐艦達の事を思い出しますね」

 

「どうしてだ?」

 

「ドラム缶に食料や物資を入れて引っ張って運ぶ姿はとても面白い光景でしたからね」

 

「なんだそれ……」

 

 俺は庭にコンクリートブロックを置くとその上にドラム缶を乗せて井戸から水をくみ上げる、水でいっぱいになったバケツを赤城に渡すと赤城はドラム缶に水を移していく。

 

「薪と七輪に残った炭を入れてくれ」

 

 まだ身体が本調子では無いのか、途中から辛そうな表情を浮かべていた赤城に指示を出す。

 

「分かりました……」

 

 ドラム缶には半分ほど水が入っているし、残りは俺一人でも十分水を入れる事ができるだろう。途中で心が折れそうになったが赤城に情けない姿を見せないために後半は意地で頑張る。

 

「ところで、私もお風呂に入りたいのですが外で入るというのに抵抗があるんですけど……」

 

「俺だって嫌だ、他人に裸を見せるような趣味は無い」

 

 赤城にドラム缶で湯を沸かしたら家にある浴槽へと移すと説明してやったら安心したようだった、それで羞恥心に対しては改善できるのだが今度は浴槽までのバケツリレーを行う必要があるという問題が新たに発生する。

 

 湯を沸かしながら何度か手を入れてお湯の温度を確認したのだが、どうにも上の方ばかり温まり下の方が冷たいという状況になってしまい、かき混ぜながら頑張ってみたのだが1時間近くお湯をかき混ぜると言う童話の中の魔女も顔が真っ青になるような労力を要してしまった。

 

「ふむ、予想以上に風呂が大きかったな」

 

「次のお湯を沸かしていると今のお湯が冷めてしまいますよね……」

 

 欲を言えば肩までしっかりと浸かりたかったのだが、湯船には6割程度しか湯が張れなかったし諦めるしか無いのかもしれない。

 

「あ、あのっ!」

 

「何だ?」

 

「湊さんが良ければ一緒に入ってみませんか……、そうしたら2人とも肩まで浸かれるかもしれませんし……」

 

 確かにそれなら湯が少なくても肩まで浸かれる可能性はあるのだが、赤城から提案してきたという事に驚いてしまった。

 

「その、私ってこの5日間湊さんのお世話になってばかりでしたし、お背中くらい洗った方が良いのかなって……」

 

「赤城が良いなら俺は構わないけど……」

 

 なんだか微妙な空気の中俺達は一緒に風呂に入る事になった、どっちが先に入るかで少しもめてしまったがジャンケンの結果赤城が先に入って待つ順番に決まった。

 

「……まずい、緊張してきた」

 

 擦りガラスの向こうに裸の赤城が居ると考えてしまうと、扉を開ける手が動かない。どうにか意識しないようにと擦りガラスから視線を逸らしてみたのだが綺麗に畳まれた赤城の衣服に気付いて俺の緊張は先ほどの倍以上になってしまう。

 

「あ、あの……、大丈夫ですか……?」

 

「はいっ、問題ありません!」

 

「口調おかしく無いですか……?」

 

 恐らくは中で待っている赤城も相当緊張しているはず、鹿屋で他の艦娘達と風呂に入った時は俺が覚悟を決めなくても少女達が勝手に入って来るのをただ目を閉じて待っていれば良いと考えれば少しは楽だったが今回は違う。

 

「う、後ろ向いてて貰って良いかな……?」

 

「分かりました……!」

 

 何と言うか恥ずかしさを通り越して情けなくなってきた、見られて恥ずかしいのは俺よりも赤城のはずなのだが、これでは俺の方が恥ずかしがっているのでは無いだろうか。

 

 俺は目を閉じると勇気を出して擦りガラスでできた扉を横にスライドさせる、赤城の息を飲む音が聞こえてきたが俺は必要以上の情報を視界に入れないために薄目にして浴室の中を進む。

 

「ちゃ、ちゃんとかけ湯をしてから入ったか?」

 

「はいっ……!」

 

 緊張のせいかどうでも良い事を口に出してしまう、俺から見えるのは赤城の後ろ姿だが耳まで真っ赤になってしまっているのが分かる。

 

「それじゃあ入るぞ」

 

「よ、よろしくお願いします!」

 

 覚悟を決めなければと思ったのだが、赤城の言葉に吹き出してしまった。どうしてこの状況でお願いされる必要があるのだろうか。

 

「笑わないでくださいよ!」

 

「いや、ごめん。 今のはちょっと面白かった」

 

 笑ったせいか少し緊張がほぐれた気がする、別にこれからやましい事をしようとしている訳じゃ無いし、ここまで意識するのもおかしな話だと割り切れてきた。

 

「やっぱり風呂は落ち着くな」

 

「そうですね、恥ずかしいですけどやっぱり肩まで浸かれるようにして正解でした」

 

 俺達は2人とも息を吐きながら情けない声を出した。

 

「なんか婆臭いぞ」

 

「湊さんこそお爺さんみたいですよ」

 

「爺と婆になったついでに、もう1つ年寄り臭い事をしてみるか」

 

 俺は1度湯船から出ると、脱衣所に用意しておいた酒と空のグラスを2つ持って再び浴室に戻る。

 

「昔テレビのCMで見た時には木の桶みたいなのに入れてたけど、ここは温泉じゃ無いしそこまでする必要も無いだろ」

 

「よく分かりませんが、なんだかお風呂でお酒を飲むって面白いですね」

 

 俺はグラスの半分くらい酒を注ぐと、後ろを向いている赤城に手渡す。井戸水に浸けていただけなのだが風呂との温度差のせいか妙に冷えているように感じる。

 

「お酒ってどんな味がするんですか?」

 

「今から飲むんだからすぐに分かるだろ」

 

 グラス半分くらいなら大丈夫だろうと思っていたが、俺は今回の出来事で新しく教訓ができた。俺は2度と風呂に入りながら酒は飲まないと───。

 

 

 

 

 

「少し独特な感じはありますが、ほんのり甘くて美味しいですね……!」

 

 初めて飲んだお酒はとても美味しい、運動をした後だからそう思うのか分かりませんがとても優しく身体の内側から温かくなるようなそんな感じがしました。

 

「もう少し頂いても良いですか?」

 

 私は後ろに居る湊さんに声をかけてみるけど、反応が無い。湊さんの口にはこのお酒は合わなかったのでしょうか。

 

「湊さん?」

 

「赤城は温かいな」

 

 突然後ろから手を回されて驚いて立ち上がろうとしたけど湊さんがもたれかかってきているせいで立ち上がる事ができません。

 

「あ、あの湊さん……?」

 

「赤城って綺麗な髪してるよな」

 

「はいぃ……!?」

 

 状況が全く理解できない、髪なんていつでも見れるだろうしそれを何故このタイミングで言ってくるのでしょうか。

 

「俺が赤城を連れて逃げた時、赤城だけは何があっても守らなければならないって思った」

 

「そ、そうなんですか……?」

 

 身体が熱いし心臓がもの凄い勢いで動いている、これはお酒のせいなのでしょうか。

 

「湊さんはどうして私なんかのためにそこまでしてくれるんですか……?」

 

 この質問は前から聞いてみたかった事の1つでした、人としての記憶が無い私でも湊さんの行動は間違いなく湊さん自身にとって良くない行動だとは理解しています。

 

「初めて眠っている赤城を見た時、綺麗だと思った」

 

「き、綺麗っ!?」

 

「女のために命をかけるって、男としては最高の勲章だろ」

 

 てっきり艦娘の未来のためとかもっと大きな何かのための行動だと思っていましたが、湊さんはいつも私の予想外の答えを持っています。

 

「それってどういう意味ですか……?」

 

「直接言わないと分からないか?」

 

 私の肩を抱いた湊さんの力が強くなるのが分かりました、今すぐにでも逃げ出してしまいたいのですが、湊さんに抱き締められている私は逃げ出すことができず言葉の意味を必死で考えます。

 

「そ、それってもしかして……?」

 

 私が答えを出す前に湊さんは私の肩に顔を乗せてきました、リハビリの最中に何度か顔が近づくことはありましたが私の心臓が更に早くなる。

 

「そ、その……、素直に嬉しいですけど、私達まだ出会ったばかりですし……」

 

 最早自分でも何を言っているのかが分からない、この返事ではもう少し一緒に居たなら良いと返事をしているような、いや、そういう事じゃ無くて。

 

「湊さん……?」

 

 湊さんは私の答えが出るまで黙って待ってくれているのかと思っていたのですが、規則正しい呼吸が聞こえてきて少し違和感を感じました。

 

「……っ!」

 

 私は湊さんを無視して空になったグラスにお酒を注ぐ、普段は見張り員のような盗人目で人相の悪い人だけど、眠っている表情はどこか幼く可愛らしいように思えた───。



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敵襲(1)

「起きろっ!!」

 

 突然の湊さんの声で私は布団から跳ね起きると周囲を見渡す、カーテンの隙間からは太陽の光は見えず時計を見なくともまだ夜明け前だという事が分かりました。

 

「すぐに着替えろ」

 

「ど、どうしたんですか?」

 

 私は投げ渡された艦娘としての制服を受け取ると、湊さんの指示に従いできる限り急いで着替える。

 

「鎮守府の方から警報が聞こえる」

 

「本当ですか!?」

 

 虫の鳴き声と波の音しか聞こえていませんでしたが、警報が鳴っていると意識すると確かにそれらしい音が聞こえる。眠っている状態で湊さんはこの音に気付けたのが不思議でした。

 

「敵襲かもしれない、急ぐぞ」

 

「わ、私達を誘き出す罠かもしれませんよ……?」

 

「罠ならそれでも構わない、ここで疑って初動が遅れたら加賀や蒼龍達の命に関わるかもしれない」

 

 そう言われてしまえば私には何も言えない、短い間でしたが艦娘ではなく人として生活をしていたせいか少し気が緩んでしまっていたのかもしれません。

 

「ま、待ってください!」

 

 家を飛び出して鎮守府のある方角へと道路を走りますが、まだ身体が本調子じゃないのか湊さんに追いつけない。振り返った湊さんは少し焦っているような表情でしたが私に向かって右手を差し出して来た。

 

「すみません……」

 

「いや、俺もそこまで気が回らなかった」

 

 私達はしばらく街灯の無い道路を走ると警報の音が徐々に大きくなってくる、大きく曲がった道を進んでいると鎮守府が視界に入り足が止まってしまった。

 

「鎮守府が……」

 

「悪い、先に行く。 赤城はまだ本調子じゃ無いだろうし家に戻った方が良い」

 

 湊さんは私の手を放すと、炎により赤く照らされている鎮守府へと走って行ってしまった。私もすぐに走り出すべきだとは思ったけれど、ただ茫然と燃えている鎮守府を見ている事しかできなかった───。

 

 

 

 

 

「何があった!」

 

「て、敵襲だ! 化物共が攻めて来やがった!」

 

 赤城が言ったようにこれが俺達を誘き出すための罠ならどれほど良かった事か、鎮守府に戻ると慌ただしく消火活動を行う男に事情を尋ねる。

 

「規模はどうなんだ!」

 

「わ、分からねぇよ。 提督も居ねぇし何処もパニックなんだ!」

 

 自分達の上司が不在なだけでこれほど統率が取れなくなってしまうのかと苛立ちを覚えてしまうが、今はそんな事を気にしている場合じゃ無いと判断する。俺は崩れてしまった建物を見ながら鎮守府の中を走る。

 

「てめぇら何やってんだ、消火活動を手伝わないなら周辺の民間人の避難誘導の1つでもやれよ!」

 

「し、しかしそのような訓練は受けてません……」

 

 対応を見る限りコイツ等はまだ訓練を受けている途中なのだろう、確かに避難誘導の訓練なんて行わないし、本来俺達の仕事じゃないかもしれないが今はそんな事を言ってられる場合では無い。

 

「周囲の民家まで走れ、そこで敵襲があったと連絡、海から離れるように伝える、復唱!」

 

「み、民家まで走り、敵襲と伝え、海から離れるように伝えます!」

 

「行動開始!」

 

 十数人で固まっていたガキ共は一斉に正門に向かって走り出した、これでコイツ等も海から離れる事ができるし、民間人に避難するように伝達もできる。

 

「なんでこの鎮守府はこんなに練度が低いんだ……」

 

 先ほどの消火活動を行っていた男は提督が居ないからと言い訳をした、訓練生共を置き去りにする教官が居る。本当にこの基地の連中が本州の北側を防衛できていたのだろうか。

 

「なんや、キミ戻ってたんか!」

 

「龍驤か、状況を報告しろ」

 

 両手で水の入ったバケツを持った龍驤が俺に気付き駆け寄って来た。

 

「敵の数も分からんし、被害の状況も分からん。 1つ分かってるのはうち等の鎮守府が大火事って事だけや! 忙しゅうてかなわんわ!」

 

「提督はどうした?」

 

「まだ憲兵に連行されたまま帰って来てないんよ、あの人が居らん大湊なんてただのハリボテやね……」

 

 龍驤の言葉にこの鎮守府の現状が理解できた、ふざけた事ばかりしている提督だったが間違いなく優秀なのだろう。優秀過ぎるが故に下が育たたず不在になるだけで統率が取れなくなってしまう。

 

「加賀達は?」

 

「どっかで消火活動しとると思う、敵襲があった時には宿舎は無事やったし全員で一緒に宿舎から飛び出してそれってきりなんよ……」

 

「龍驤は消火活動を行いながらもまずいと判断したら周辺の奴等を連れて避難を優先させろ」

 

「分かった、キミも無理はせんようにな……」

 

 この様子では恐らくこの鎮守府の中でどういう対応をしたら良いのか分からない人間がそれなりの数居る事が予想できる、俺1人が言って回っても埒が開かない。

 

「誰か手伝ってください!」

 

「怪我人が居るんです!」

 

 どうしたら良いか悩みそうになったが、手伝いを求める声に反応して声の聞こえた方角へと走る。悩んで手を止める暇があれば今は少しでも行動に移した方が良いだろう。

 

「み、湊さん!?」

 

「どうして居るの!?」

 

「訳は後で話す、それより他に怪我人は居るのか?」

 

 走って行った先には蒼龍と飛龍が意識の無い男を必死で抱えながら炎から遠ざけようとしている所だった。2人共着物は煤で汚れているし体のあちこちが火傷で赤くなっている。

 

「たぶん大丈夫、この人で最後だと思います」

 

「蒼龍と私で建物の中は一通り見たけど、たぶん最後だね」

 

「良くやったな、お前達は怪我人を連れて避難を優先しろ。 立って歩ける奴は蹴りを入れてでも歩かせろ」

 

 少女達が命をかけて頑張っていると言うのに、近くで腕が折れたと騒いでいる男の胸倉を掴むと思いっきり頬を殴る。

 

「お前達がガラクタだって馬鹿にしてる奴等が頑張って救助活動してんだろ、甘えるのもいい加減にしろ!」

 

「え……、は、はいっ……!」

 

 殴った男は突然の事に驚きはしたものの、俺の言葉を聞いて折れていない方の手で他の男に肩を貸すと正門のある方角へと歩いて行った。

 

「加賀はどうした?」

 

「分かりません、艤装を付けて走って行ったのは見ましたけど……」

 

 俺は蒼龍の言葉を聞いて走り出した、先走った事をしなければ良いのだが───。

 

 

 

 

 

「離して」

 

「ダメです、許可なく艦娘が出撃する事は認められていないはずです」

 

 突然の爆発音に驚いた僕は先輩と一緒に借りていた宿舎を出ると、桟橋に向かって走る加賀さんを見つけて急いで追いかけたのだが、予想通り加賀さんは出撃しようとしていた。

 

「今は避難を優先すべきです!」

 

「敵を目の前にして退けと言うの?」

 

「加賀さんに何ができると言うんですか、ここは他の軍人に任せて僕達は避難しましょうよ!」

 

 大湊に所属している艦娘が戦闘を行えないというのは事前に渡された調書にも書かれていた、その事を考えれば加賀さんが出撃しても自殺行為にしかならない。

 

「頭にきました。 あなたまで私達の事を欠陥兵器として扱うのね」

 

「そんな事言ってませんって!」

 

 まずい、完全に頭に血が上っているような気がする。もっと冷静な人だと思っていましたが実は結構荒っぽい人なのかもしれない。

 

「一航戦、出撃します」

 

 加賀さんは僕の手を振り払い兵装庫の外へと歩き出す。

 

「規則を破れば最悪解体もありえるんですよ!?」

 

「何もしなければここで敵に殺されるだけ、どうせ沈むのであれば海の上の方が私達らしいです」

 

 再び加賀さんを捕まえようとしたのだが、弓を向けられ動くことができなかった。

 

「あなたは逃げてください」

 

「お、落ち着いてください!」

 

 加賀さんの持った弓は深海棲艦には通用しなくとも、人間相手であれば十分凶器になり得る、それに強引に止めに入って僕が怪我をしたとなればその時点で彼女の立場が悪くなってしまう。

 

「そんな事をさせるために弓を練習させた訳じゃないんだがな」

 

 声がした方向に振り向いてみると一人の男が立っていた、その姿を見て加賀さんは驚いていたようだったが僕はこの人ならどうにかしてくれると安堵した。

 

「逃げ出した人間が今更何をしに来たのかしら?」

 

「忘れ物を取りに来ただけだ、俺の携帯を知らないか?」

 

 湊さんは軽口を叩きながら何気ない仕草で加賀さんに向かって歩いて行く、加賀さんは湊さんに向かって弓を構え直すと動くなと警告をした。

 

「それ以上近づかないでください」

 

「俺の質問の答えになってないだろ」

 

 湊さんに視線で加賀さんを取り押さえるべきか確認を取ってみるけど、加賀さんの返答なのか僕に対してなのかは分からないが呆れたように首を横に振った。

 

「赤城さんは?」

 

「解体されたよ」

 

「なっ……!」

 

 そんな情報は聞いていないし、そもそも所在が分からない状況で湊さんの答えはありえないと思った。しかし加賀さんの動揺を誘うには十分だったらしい。

 

「悪いが大人しくしていろ」

 

 湊さんは一気に加賀さんとの距離を詰めると弓を手で弾き照準を逸らし、前に出された左足を払うと体勢を崩した加賀さんの奥襟を掴み地面に押し付けた。一瞬の出来事に驚いてしまったが、僕も慌てて2人へと駆け寄る。

 

「あ、ありがとうございます!」

 

「ん、もしかして岳か?」

 

「気付いて無かったんですか!?」

 

 てっきり視線を送った時点で気付いていたと思っていましたが、こうして近くで話をしてようやく僕の事に気付いたらしい。

 

「悪いな、どうも目の調子が悪いみたいでぼやけて見えるんだ」

 

「怪我ですか!? すぐに衛生兵を……」

 

 僕は素早く加賀さんの手に拘束用のバンドを巻き付けると、湊さんから事情を聞いた。今回の襲撃ではなく鹿屋に居た頃の傷らしく、今すぐにどうにかなる問題でも無いらしい。

 

「赤城さんは本当に解体されたの……?」

 

「安心しろ、さっきのは嘘だ。 むしろ目を覚まして焼き魚ばかり食ってる」

 

 先ほどの湊さんの言葉を気にしていたのか、取り押さえられてからは大人しくなっていた加賀さんに湊さんが嘘だと伝えた。

 

「岳、状況を教えろ」

 

「は、はいっ! 詳しい事までは聞かされていませんが、先日北海道への海路確保のための作戦が行われたと聞いています。 作戦は失敗、撤退を余儀無くされたという情報は入っています」

 

「大湊の提督が不在なのに作戦を決行したのか?」

 

「尋問を行う間は代理提督を任命したのですが、どうやら提督が居なくてもこの鎮守府は戦えると大本営にアピールしたかったんでしょうね……」

 

 深海棲艦の出現が確認され、北海道での防衛戦、民間人を避難させるための撤退戦、どれも限られた戦力で被害を最小限にしてきたこの鎮守府なら海路の確保も簡単にやってしまうと思い込んでしまっていたのが僕のミスだった。

 

「鎮守府の被害状況は?」

 

「一部建屋が敵の砲撃により崩壊、この火災は車両用の燃料を保管していた倉庫が原因かと」

 

「そうか、今は残った奴等の避難を優先させろ。 ほとんど作戦に出払っているだろうしこの基地には低練度の連中しか残ってない」

 

「分かりました、先輩も他の憲兵達と一緒に救助や避難指示を伝えて回っているはずなので僕達も早く避難しましょう」

 

 しかし湊さんは立ち上がると、ギリギリまで鎮守府に残って逃げ遅れた人間が居ないか見て回ると走って行ってしまった。炎の明かりで気付かなかったが、外は徐々に明るくなり海は朝日に照らされ白み始めていた───。

 

 

 

 

 

 

 揺れる炎が怖かった、1942年6月5日の光景は艦娘になった今でも何度も夢に見てしまう。

 

「私の弓は何処……?」

 

 私は敵機の爆撃により炎に包まれる、艦内では何百人の仲間達が私の消火活動を続けてくれていた。この鎮守府の状況はその記憶を思い出させようとしてくる。

 

「良かった、ここにあったんですね……」

 

 私は宿舎に戻り自分の部屋へと入ると、ベッドの横に立てかけられた弓を見つける事ができた。本音で言ってしまえば今すぐにでも逃げ出したい、悪夢を連想させるこの場所から少しでも遠くへと行ってしまいたかった。

 

「私は約束しました、風に逆らってみせると……!」

 

 あの時はただ死にたく無いと必死でした、その言葉も生きたいために口から出てしまった言葉かもしれない。しかし、その約束を破れば今度こそ本当に一航戦としての誇りを失ってしまうように思えた。

 

 私は自分艤装を装着して湊さんを探す事にした、あの人はきっと今も誰かを助けるために無茶をしているに決まっている。

 

「一体何処に……?」

 

 宿舎から出て周囲を見渡していると、桟橋の方角から大きな爆発音が聞こえてきた。私はその方角へ走る。

 

 桟橋には敵の砲撃を受けたのか黒煙をあげながら燃えている艦と、避難誘導をしている湊さんの姿があった。湊さんが無事だと一息つきそうになりましたが、海面に黒い影が見えた。

 

 禍々しい生き物は口を大きく開き主砲を艦に向けている、このまま砲撃を受けてしまえば多くの被害が出てしまう。

 

「……6月5日を境に私がこの光景を見る事はありませんでした」

 

 海は朝日を反射するように白く輝いている。私は6月6日午前2時に雷撃処分される事になった、燃える私の身体のせいで周囲は明るく照らされていましたが、偽りの光よりも今の朝日に照らされた光景をもう1度見たいと強く願った。

 

「艦載機のみなさん、用意はいい?」

 

 上手く行くかは分かりません、しかし私は私のできる最大限の努力をする。

 

「一航戦赤城、出ます!」

 

 弓を引き絞り目標を見つめる、手には矢以外の確かな重みを感じる。

 

「第一次攻撃隊、発艦してください!」

 

 放たれた矢は目標に向かって真っすぐ進んで行く───。

 

 

 

 

 

「赤城……?」

 

 傷ついた兵を陸へと誘導していたのだが、少し離れた場所で弓を構える赤城の姿が視界に入った。弓を向けている方角に視線を移すとそこには少し前の作戦で世話になった化物が口を開いてこちらを向いていた。

 

「ぜ、全員伏せろ!」

 

 砲撃がされるのでは無いかと思い咄嗟に全員に伏せる様に指示を出す、俺もその場に伏せて赤城と敵の様子を窺っていると、赤城が矢を放つのが見える。アイツ等は矢なんかでは倒すことはできない、そんな事は赤城も分かっているはずだと思った。

 

「なんだ……?」

 

 赤城の放った矢は化物に向かって真っすぐ進むと、途中で矢が燃えたかのように炎を放つと緑色の戦闘機へと姿を変えた。戦闘機は上空に向かい大きく上昇すると、化物目掛けて一気に急降下をしていく。

 

 そのまま衝突してしまうのかと思ったが、何か小さな物体を化物目掛けて落下させるとUの字を描くように再び上空へと戻って行く。その瞬間大きな水柱が上がり、俺の指示で伏せていた男達も一斉にその方角を見た。

 

「て、敵襲か……?」

 

「よく見ろ、あれがお前達が馬鹿にしていた彼女達の本当の姿だ」

 

 赤城は自身の元に戻って来た戦闘機を右手についた飛行甲板で受け止めると、再び海に向かって弓を構える。そこからは赤城が矢を放つたびに海に水柱が上がっていく、遠すぎて俺にはよく見えないが恐らくはあの水柱の中心には化物が居るのだろう。

 

「すげぇ……」

 

「そうだな、俺もここまで凄いとは思わなかった」

 

 俺達はただ赤城を見ている事しかできなかった、朝日に照らされたその姿は凛々しく美しいと誰もが感じたと思う。

 

「あれが艦娘の力ですか……」

 

「岳か、加賀はどうした?」

 

 俺は立ち上がると1人で近づいて来た岳に加賀の行方を尋ねる。

 

「蒼龍さんと飛龍さんにお願いして鎮守府の外に連れて行ってもらいました。 火災の方も地域の消防隊が到着したので直に落ち着くでしょう」

 

「そうか」

 

 赤城の力により撤退していた部隊を追撃していた深海棲艦は殲滅された、鎮守府の火災については岳の言う通り消防隊の努力により無事鎮火する事に成功したが鎮守府に与えた被害は決して無視できる物では無い。

 

「おい、岳。 帰るぞ」

 

「先輩、お疲れ様です!」

 

 どうにか事態は終息し、怪我人の手当やまだ使える物資が無いか手分けして探していると以前執務室で見た憲兵の男が岳に声をかける。

 

「思い出した、あんたには昔世話になったな」

 

「私は何もしていませんよ、あの事件は岳が担と──」

 

「わー、わー! い、急いで大本営に報告しなければなりませんよね!」

 

 急に騒ぎ出した岳を見て頭の何処かがおかしくなってしまったのでは無いかと思ってしまったが、その姿を見て笑っている憲兵につられて笑ってしまう。

 

「呉の提督から苦情が来ている、大湊の提督が資金の横領なんて情けない真似をするはずが無いってな。 酒保から酒を盗むことはあっても絶対に金には手を付けない人間だって言い張ってる」

 

「せ、窃盗も罪なんじゃないですかね……?」

 

「俺達の調査する内容は窃盗じゃなく横領や着服だ、酒の窃盗など些細な事まで手を付けていたら寝る暇も無くなるぞ」

 

 流石に大湊の提督が憲兵に連行されたとなれば呉の提督にも連絡が行くのだろうか、まだ容疑の段階のはずなのに妙に事が順調に進みすぎているような気がする。

 

「それと湊さんにも伝言がある」

 

「誰からです?」

 

「君の可愛い部下達が連絡を寄こせと鹿屋で暴動を起こしそうになっているらしい」

 

 その言葉を聞いて頭が痛くなってきた、携帯を紛失したと正直に伝えて分かってもらえるのだろうか。俺はどのような言い訳で乗り切ろうかと悩んでいたが、手を振りながら走って来る赤城を見て言い訳はせずに俺も鹿屋からの冷たい風に逆らってみようと思った───。




to :大淀と愉快な仲間達

sub :すみませんでした

メールは今確認しました

心配をかけた事に関しては素直に謝ります

なので間違っても暴動は起こさないで下さい

言い訳はしません、本当にすみませんでした


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文武両道(1)

from :大淀と愉快な仲間達

sub :Re:すみませんでした

不幸だわ……

どうしてこのタイミングで秘書官が私なのかしら

朝から時雨に秘書官を交代して欲しいと頼まれて了承したら

皆から不公平だって責められるし、駆逐艦の子達は喧嘩を始めるし……

面倒な書類は多いし……

やっぱり私は不幸だわ……

あんたにもこの不幸を分けてあげられたら良いのに……


「ったく、なんで俺が執務室まで片付けないといけないんだよ」

 

 外の片付けも一段落し、赤城達と炊き出しの豚汁を食べていたのだが、食べている途中だと言うのに大湊の提督から執務室の片付けを指示されてしまった。

 

「部外者の俺が手を付けても良い物なのかねぇ……」

 

 執務室の中は敵の砲撃により窓ガラスは割れ、部屋のあちこちが焼け焦げ黒く変色している。提督の机もその被害にあったようで中に入っていたと思われる資料も床中に散乱してしまっていた。

 

「思いっきり機密資料だよなこれ……」

 

 片付けるために手に取った資料の左上には赤い文字で『極秘』と書かれているが、人とは不思議な物でその文字が書かれているとどうしても資料に書かれた内容が気になってしまう物だ。

 

「写真……?」

 

 試しに周辺の資料をかき集めていると1枚の写真が印刷されたページを見つけて上に乗った煤を払って内容を確認する。写真は不機嫌そうな提督の表情と柔らかく微笑んでいる女性の姿が印象的だった。

 

「少し雰囲気は違うけど赤城に似てるな……」

 

 そんな事を考えて居ると立て付けの悪くなってしまった扉が大きな音を立てて開かれた、俺は咄嗟に資料を上着の内ポケットに隠すと片付けをしている振りをする。

 

「全く、儂が居らんだけでこの有様とは情けない」

 

「部下の教育ができてないのは上官の責任だって元居た基地でよく言われていましたよ」

 

 口では情けないと言っているが、どこか嬉しそうな表情をした提督に違和感を感じた。今のところ死亡者が出たとは聞いていないが、大小様々な負傷をした人間は多いと聞いている。

 

「何がそんなに嬉しいんですか?」

 

「湊くんの話は聞いておるが、この惨事の中的確に行動できていたらしいな。 それはどうしてだと思う?」

 

「日頃の訓練の成果ですかね」

 

 俺の回答に提督は首を大きく振った。

 

「それもあるやもしれんが、こう言うことは頭で理解するよりも『経験』が物を言うのだ。 死者が出ておらんのであれば、今回の騒動は若い奴等を大きく成長させる切っ掛けになるだろう」

 

「もしかしてそれって経験則ですか?」

 

「その通り、次の襲撃では今回ほど情けない姿にはならないだろう。 それが成長だと儂は思っておる」

 

 陸軍の爺や隊長も厳しい人だとは思っていたが、大湊の提督もある意味別方向で厳しい人なんだと思った。

 

「それで、何か用があって俺にここの片付けを指示したんじゃないんですか?」

 

「話が早くて助かる、湊くんには2つ聞きたい事があってな」

 

 片付けを指示されたのが俺だけだという事を考えれば、何か話があるという事は容易に想像できた。俺は姿勢を正すと提督に向きなおす。

 

「儂の部下達が渡島大島(おしまおおしま)という無人島に取り残されているようなのだ」

 

「救出作戦ですか」

 

「その通り、しかしこの鎮守府でまともに動く艦は限られておる。 そこで艦娘を作戦に組み込んでも良いか意見を聞かせてほしい」

 

「正直に言わせてもらえば、無理だと思います」

 

 俺は提督の質問に即答する。

 

「理由を言ってみろ」

 

「1つ目は敵戦力に関しての情報が無さ過ぎます、戦う相手の数や質も分からないのに容易に彼女達が戦えるとは言えません。 2つ目は推測の域ですが、彼女達には護衛が必要になると思います。 確かに赤城の力は強大ですが敵に接近されてしまえばその強みも活かせなくなるのではと感じました」

 

 赤城は確かに強かった、しかし他の艦娘と比べると2射目があまりに遅いように思える。鹿屋の艦娘達の艤装のように引き金を引けば次の弾が出てくる訳では無く、弓を構え集中して矢を放つという行為にデメリットが有るように感じた。

 

「しかし赤城を含め艦娘は5人居る、囮と攻撃を交互に行えばその問題は解決するだろう?」

 

「その案も考えましたが、あまりに危険すぎます。 彼女達を死にに行かせるような作戦を認められると思いますか?」

 

「この作戦が成功したならば、儂からも君が提督になれるように大本営に推薦すると約束しよう」

 

「考えが変わらないようであれば今度は赤城だけではなく、大湊に居る艦娘全員を連れて身を隠す事にします」

 

 このやり取りにため息が出そうになるのをぐっと堪える。爺や呉の提督、今となっては元だが佐世保の提督はどちらかと言えばこういった交渉事に長けた人間だとは思う、しかし目の前で笑いを堪えている提督はこの手のやり取りには長けていないようだった。

 

「カッカッカ! 良く言った!」

 

「俺を試そうとしているのがバレバレですよ」

 

「そう不貞腐れるな、拘束されている間に呉の提督から湊くんの話を聞いてな。 儂も君がどのような人間なのか確かめてみたくなっただけだ」

 

 試すならもう少し上手くやるべきだと思ったが、この手のやり取りに長けていないこの人だからこそある程度信用できるのは確かだった。

 

「それでは2つ目の話に入ろう」

 

「救出作戦についてはもう良いんですか?」

 

「まだ情報収集が足りん、そこが十分になるまでは何を考えても無駄になるだけだ」

 

 なんとなくだが、提督は現場上がりなのかもしれないと思う。グダグダ悩んでいるよりも今できる事をやるというのは現場にいる人間の発想に近いように感じた。

 

「この5日間の出来事を嘘偽りなく報告しろ」

 

「指示通りに赤城を連れて民家に潜伏していましたが……?」

 

 俺の報告が不満だったのか提督はボロボロになった机を両手で叩くとこちらを睨みつけてきた、民間人と赤城は接触させていないはずだが何か不味い事をしてしまったのだろうか。

 

「先ほどのやり取りを見ていた限り、ただ潜伏していただけとは思えないのだが?」

 

「先ほどのやり取りって炊き出しを食べていた時の事ですか? そりゃあ5日も一緒に生活していれば少しは親睦も深まると思いますが」

 

「ふむ、自分の胸に手を当てながら思い返してみろ」

 

 流石に胸に手を当てたりはしなかったが、赤城達と炊き出しを食べていた時の事を思い返してみる事にした───。

 

 

 

 

 

「湊さん、お疲れ様です!」

 

「ありがとう、赤城こそお疲れ様」

 

 俺は赤城から炊き出しの豚汁を受け取ると座っても崩れ無さそうな瓦礫を探して腰かける。

 

「これは…! おいし…! 鎮守府がこんな状況なのに不謹慎かもしれませんが、落ち着く味ですね」

 

「朝飯も食べずにこれだけ働けば何を食べても美味いって思うよ」

 

 恐らくは美味しいと感じる理由は焼き魚ばかり食べていた事も関係しているのだろうが、嬉しそうに豚汁を食べる赤城には黙って置く事にする。

 

「人参もすっごく柔らかくなってますよ……って、あー!」

 

 赤城は箸で掴んだ人参をこちらに向けてきたので、本当に柔らかくなっているか確認するために食べてみたのだが赤城は不機嫌そうな表情をこちらに向けてくる。

 

「なんだ?」

 

「食べて良いって言ってません」

 

「……悪かった、俺のをやるから怒るな」

 

 俺は赤城の持っている椀に人参を入れるために箸で掴んで差し出したのだが、器に入れる前に赤城に食べられてしまった。

 

「ううーん、美味しい♪」

 

「大袈裟過ぎるだろ」

 

 確かに美味いのだが、赤城のテンションが高すぎる気がする。先ほどの戦闘で活躍できた事が嬉しかったのか、焼き魚を食わせ続けたのが辛かったのかどちらなのだろうか。

 

「随分と仲が良いのね」

 

「加賀さん!」

 

「よぉ、そっちの片付けは終わったのか?」

 

 加賀は赤城の横に腰かけると手に持った豚汁を食べ始めた。

 

「豚汁……いいですね。 気分が高揚します」

 

「いや、お前達大袈裟過ぎるだろ」

 

 あまり表情は変わっていないのだが、本気で美味しいと感じているのがなんとなく分かる。

 

「こんな所に居たんだ!」

 

「飛龍、待ってよー!」

 

 加賀の次は蒼龍と飛龍だった、別に集まって食べようなんて話をした覚えは無いのだが恐らくは赤城と話したくて集まって来ているのだろう。

 

「蒼龍さん、飛龍さん、お久しぶりです」

 

「お久しぶりです、赤城さんが元気になって良かったです」

 

「そうだね、加賀さんも蒼龍も毎日赤城さんの顔を見に行ってたもんね」

 

 なんと言うか、騒がしい。やはり艦娘と言えどこうして見ると普通の女の子と変わらないなと改めて実感する。

 

「なんや、うちだけ仲間外れにするって酷くない?」

 

「別に仲間外れにしようなんて思ってませんよ!」

 

 別に龍驤も本気でそう思った訳じゃ無いのだろうが、赤城は慌てて龍驤が座れるように俺の近くへと座る位置を変えると龍驤の座るスペースを開けた。女性5人に男が俺1人だと言うのはなんとなく気まずい。

 

「ほっほ~ん……? 両手じゃ足りんなぁ?」

 

「うるせぇ、黙って食え」

 

 俺のこの状況に気付いた龍驤がくだらない事を言ってくるが、俺はそれを誤魔化すように箸を進める。何にせよ彼女達が嬉しそうなのは俺にとっても喜ばしい事だし、5日間一緒に生活をしていたがここまで楽しそうにしている赤城は初めて見た。

 

「赤城、髪が汚れるぞ」

 

 笑ったり食べたりを繰り返しているせいか、赤城の髪が豚汁に入りそうになっていたのに気付いて髪を指先で横に逸らしてやる。

 

「あ、ありがとうございますっ……!」

 

 急な事に驚いたのか、赤城は顔を真っ赤にして俯いてしまった。なんとなくでやってしまったのだがやはり女性の髪を触ると言うのはまずかったのだろうか。

 

「ねぇ、蒼龍。 今の反応って怪しくない?」

 

「うーん、私達の知らないところで何があったんだろうねぇ」

 

「もしかして、うちらお邪魔やったかなぁ?」

 

「おかわりを貰ってきますが、赤城さんの分も貰ってきましょうか?」

 

 女が3人集まった状態を姦しいと言うが、5人集まった状態はなんと言えば良いのだろうか、正直居心地の悪さで豚汁の味がよく分からなかった───。

 

 

 

 

 

「何か問題でも……?」

 

「まだ白を切るつもりか、良かろう儂のとっておきを出してやろう」

 

 提督は本棚を漁り始めると、本の裏に隠された戸棚から年季が入ってそうな酒瓶が出てきた。この人は執務室をなんだと思っているのだろうか。

 

「さぁ座れ、ここからは階級など関係無い男と男の話し合いだ」

 

「い、いや。 救助作戦のための情報収集を行った方が良いのでは……?」

 

「心配いらん、それは部下達が動いておる!」

 

 下手な探り合いが無い分気楽だとは思っていたのだが、この手のタイプは1度言い出したら絶対に退かないという厄介さがあると勉強になった。俺は仕方が無く適当に瓦礫を蹴って部屋の隅に移動させるとその場に座る。

 

「さぁ飲め!」

 

「あまり酒は得意では……」

 

 潜伏中に少し飲んだが気付けば布団の中に居たという状態だったし、正直あまり酒を飲みたいとは思えない。

 

「往生際の悪い奴だ、まぁ良い。 それでは改めて聞くが、赤城との間に何があった?」

 

「何も無いです」

 

 軍の規約に違反するような事をした覚えは無いし、俺は提督の指示通り赤城が大本営に連行されないように隠しきった自信はある。

 

「湊くんは妻や恋人は居るのかね?」

 

「い、居ませんが……?」

 

 もはや提督の質問の意味が分からない、一体この人は俺にどのような答えを期待しているのだろうか。

 

「率直に聞くが、手を出したのかね?」

 

「出す訳無いだろ!」

 

 いきなり過ぎる質問につい口調が荒くなってしまう、提督自身が階級は関係ないと言っていたし少しくらいは目を瞑ってくれるのだろうか。

 

「そこまで否定せんでも良いだろうが!」

 

「なんでそこで怒るんだよ!」

 

「拘束されている間は貴様があの子に手を出しておらんかずっと心配しておった儂の気持ちが分かるか!」

 

「知らねぇよ!」

 

 一体この会話は何なのだろうか、あまりにも意味不明過ぎて頭が痛くなってきたが先ほどの写真を思い出して少し嫌な予感がした。

 

「あの、もしかしてなんですが……」

 

「なんだ?」

 

「お父さん……?」

 

 その言葉を言った瞬間俺の顔面に提督の拳が飛んできた、言葉の前に『赤城の』とつけなかった事が原因だとは理解したのだが、あまりに理不尽過ぎて俺も殴り返す。

 

「誰が貴様のお義父さんじゃ!」

 

「そういう意味で言ったんじゃねぇよ!」

 

 互いに胸ぐらを掴み殴り合う、正直老人だからと手加減はしているのだが予想以上に拳は重く下手するとその辺の訓練兵よりも強いのでは無いかと思える。

 

「はぁ、はぁ……。 儂がもう10年若ければ貴様なんぞに遅れは取らんかった……」

 

「い、いい歳して私情で部下を殴るとかやめろよ……」

 

「つ、次の質問だ。 寝ているあの子の肌に1度くらいは触れたのだろう?」

 

 質問と一緒に俺の右頬に拳が飛んでくる。

 

「触ってねぇよ、俺からも質問。 あんたは実の娘に人体実験紛いの事をしたのかよ」

 

 右頬を殴られたら左頬を殴れと教えてくれた隊長の言葉に従う。

 

「あの子とは血は繋がっておらん、それに軍上層部の人間は親族に娘がおる場合は艦娘の適性検査を強制される。 民間人から徴兵紛いの事をしているのに儂らが断れる訳なかろう」

 

 今度は俺の鼻と提督の額がぶつかる、正直話すなら話す、殴るなら殴るで分けて欲しい。

 

「風呂や着替えを覗いたという事は?」

 

「の、覗いてねぇよ!」

 

 この場で一緒に風呂に入ったと言うとどうなってしまうのだろうか、一緒に入ろうと誘って来たのは赤城だし、別に覗いたという訳じゃ無い事を考えれば嘘はついていないと思う。

 

「艦娘になるのって本人に拒否権ってあるのか?」

 

「検査は強制だ、しかし本人が艦娘になりたく無いと言えば拒否する事も可能だ」

 

 鹿屋で叢雲と話をしている時、少女は自分の意志でここに居ると言っていたがその言葉が嘘では無い事が分かり安心した。俺は提督の胸ぐらから手を放すと真直ぐと目を見て次の質問をする。

 

「赤城は自分から艦娘になる道を選んだって事ですか?」

 

「そうだ、あの子は深海棲艦との戦争で孤児となり儂と妻が引き取った。 その事を気にしてか軍に入って儂の力になりたいと言っておったが、女の身で軍に入るには多くの壁がある事は知っておるだろう」

 

 どうしても体力勝負な面が多い軍では女よりも男が有利に働くことは多い、確かに軍務の内容によっては女が有利な場面もあるかもしれないが、そういった場所に入るにはある程度の適性が必要になる。

 

「艦娘になるというのをあの子はチャンスと捉えたのだろう、必ず故郷を取り戻そうと言っておったからな」

 

「赤城が無茶な出撃を繰り返していた理由ですか?」

 

「あの子にはその記憶が無い、しかしそれ程強く思っていてくれたと儂は思っておる」

 

 記憶は無くとも故郷を取り戻したいという想いは残っていたという事なのだろうか、艦娘になるという事がどのような仕組みなのかは分からないが赤城が無茶をする理由の1つかもしれないと俺も思った。

 

「それでは食堂や宿舎を実費で建てたってのも?」

 

「儂が娘にしてやれる精一杯だった、それを横領だの着服だの世迷言を言いよってからに……」

 

 本当に悪事に手を染めていないのであれば何もしなくても解決するはずだとは思った、ある程度抵抗を見せたのはこの人にとっては直接上に文句を言うための手段だったのだろう。

 

「赤城はその事を知っているんですか?」

 

「本人が覚えておれば接触は禁じられる、そうじゃなければ本人には告げてはならないという規則がある。 この話は外に持ち出すんじゃないぞ」

 

 他にもいろいろと聞きたいことはあったが、下手に裏があるよりも分かりやすく提督の話は信用しやすいと思う。多少親馬鹿なところがうざく感じるが、この鎮守府で感じていた違和感が解消して少し安堵した。

 

「今のところは貴様の言う事を信用してやるが、手を出したらどうなるか覚悟しておけ」

 

「出さないって。 ほら、鼻血出てるぞ」

 

「貴様もな」

 

 言われて俺も鼻に触ってみると確かに鼻血が出ていた、俺と提督は互いの間抜けな顔を見て大笑いしながら話し合いを終えた───。




to :大淀と愉快な仲間達

sub :山城か?

新手の不幸の手紙か何かか?

確かに返信しなかった俺も悪いが、秘書官をさぼろうとした山城も悪いと思う

お互い自業自得だと手打ちにして頂けないでしょうか

そっちがどんな状況か分からないが、暴走する艦娘を止められるのは山城だけだ

むしろ頼むから皆を落ち着かせてやってください


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文武両道(2)

from :大淀と愉快な仲間達

sub :那珂ちゃんだよー(^_-)-☆

添付ファイル :那珂ちゃん.jpg

頑張ってる教官には那珂ちゃんスマイルを送ってあげるね!

本当は個人相手に写真なんて送っちゃダメだけど、特別だからね( *´艸`)

今は夕立ちゃんと新しいステージの練習中だから、早く提督になって帰ってこないとコンサート会場でしか見れなくなっちゃうよ?(''ω'')ノ

まだまだバックダンサーの子も足りないし、四水戦の子にあったら鹿屋で那珂ちゃんが呼んでるって伝えておいてね!(*´▽`*)


 殴られた頬が痛む、それは大湊の提督も同じなのか俺と提督は食堂で氷を貰って2人で頬を冷やしながら赤城達の訓練を眺めていた。

 

「加賀や蒼龍、飛龍も艦載機を飛ばせるようになったみたいだな」

 

「答えが分かってしまえば簡単な理屈だったのかもしれませんね」

 

 弓は艦載機の発艦に必要な揚力を補助するための武装だった、彼女達は海に向かって艦載機を飛ばすと旋回して戻って来たソレを器用に飛行甲板に着艦させている。

 

「救助作戦はどうするんですか?」

 

「まだ何も考えておらんよ」

 

 俺は提督の言葉に眉をひそめる、自分の部下の命がかかっているのに何も考えてないという回答はあまりにも無責任過ぎる。

 

「言い方が悪かったか、今はまだ考える必要が無いという意味だ」

 

「どういう意味ですか?」

 

 言い方を訂正したところで意味は同じように感じた。少しでも多くの案を考え最も有効な策を取るべきだとは思うのだがこの男は何を考えているのだろうか。

 

「今はまだ待つべき時だ、部下に指示は出しておるし焦っても仕方が無い」

 

 この鎮守府のトップが待つと言っている以上はそれに従うしか無い、俺は仕方なく赤城達の訓練を見守る事にした。

 

「あの子の笑顔を見たのはいつ振りだろうか」

 

「一緒に生活している時には良く笑う子だと思いましたが」

 

「そうだな、艦娘になる前は些細な事でも優しく微笑むような子だった。 しかし艦娘として生まれ変わってからは自身の不甲斐なさにいつも自分を責めておった」

 

「嬉しくもあり、悲しくもありますね」

 

 赤城が自身を責め続け自虐とも受け取れるようなペースで出撃を繰り返していたのは提督との約束を守るためだと俺は思う。艦の記憶に引っ張られている事も関係しているとは思うのだが、そんな事よりも人として最後に交わした約束を守るためと考えた方が赤城らしい気がした。

 

「提督、近隣海域の調査結果です」

 

 少しの間俺と提督がぼんやりと彼女達を見ていると、後ろから資料の束を持った男がこちらに敬礼をしてきた。

 

「うむ、ご苦労」

 

 提督は男から資料を受け取ると、男に次の指示を出して渡された資料に目を通し始めた。この鎮守府に来て初めて提督らしい行動を見たような気がする。

 

「それって何の調査結果なんですか?」

 

 レーダーか何かで調査したとは思うのだが、黒い円の中に白い靄がいくつも表示されている。

 

「これは魚群探知機の調査結果だ」

 

「魚でも釣るんですか……?」

 

 魚群探知機だと聞いてしまえば白い場所に魚が居ると理解できた。しかしそれがこれから行う救助作戦とどう繋がっているのかは理解できない。

 

「もしかして深海棲艦も魚群探知機にかかるんですか?」

 

「そうだとしたら誰も苦労せんよ、以前残骸を回収してみたのだが現在海軍で使用しているソナーでは奴等を捉える事ができんかった」

 

 提督は胸ポケットからボールペンを取り出すと、資料に×印を付けていく。

 

「これは1分置きに撮影した情報なのだが、ここで魚群が逸れているのが分かるか?」

 

「針路を変えているのは分かりますが、餌でも見つけたんじゃないですか?」

 

「そうかもしれん。 しかし基本的に魚は海流に沿って移動を行う、今儂が印を付けた場所はそれに逆らって移動を行った場所だ」

 

 提督は俺に分かるようになのか、資料に矢印を書き加え始めた。

 

「つまりこの場所には魚が通りたくない何かがあったのかもしれん」

 

「深海棲艦が居るかもって事ですか?」

 

「分からん、湊くんが言うように餌を見つけただけなのか、自分達よりも大型の魚が居ただけかもしれん」

 

 深海棲艦が魚を食べると言うのであれば魚が避けて通るという仮定も成立するのかもしれないが、実際そのような資料を見た事は無いし正直この情報からは何も得られないような気がする。

 

「情報とは細かな現状を積み重ねていく事で確証に繋がる。 何も見えない海を進むより何かあるかもしれないルートを避けて進む方が何倍も安全に繋がると儂は思っておる」

 

 先ほどまで俺の事を鼻血垂れと馬鹿にしてきた男の発言とは思えないが、これがこの男の提督としての顔なのだろうか。

 

「次にやるべきはこっちの地図から得られる情報を手に入れる事だ」

 

 提督に渡された地図を見つめる、書かれた日付や時間から察するに失敗した作戦の際に航行した経路の記録なのだろうか、記入されている線はグネグネとミミズの這った後のようになっていた。

 

「その地図の経路の横に時間が書いておるだろ、今から儂の読み上げる時間に印を付けてくれ」

 

 俺は提督からボールペンを受け取ると次々と読み上げられる時刻に〇印を付ける。まだ意味は分からないがこれもこの男が言う情報を集めるための行為なのだろう。

 

「以上だ。 何か分かった?」

 

「そのタイミングで針路を変更しているという事は分かりました」

 

「今儂が言った時間は奴等との交戦のあった時間だ。 何か違和感を感じないか?」

 

 明らかに俺の事を試そうとしているのが分かり、俺は必死になってその違和感を探す。北海道に到着する直前に多くの交戦がある、そこで被害が拡大しやむを得ず撤退。

 

 撤退中は最短距離で鎮守府に戻ろうとしているようだが、丁度中間地点で敵と遭遇し針路を変更。振り切る事ができたのか再び進路を鎮守府に変更したタイミングで再び交戦、それを数度繰り返して無人島へと漂流してしまった。

 

「鎮守府に戻らせないようにしている……?」

 

「半分正解だな、もう1つは北海道に到着する間近まで敵は襲って来ておらんのだ」

 

「誘い出されたって事ですか?」

 

 警備府付近であれば陸上からの援護射撃を行う事ができる、しかしそれができない距離まで誘き出し攻撃を開始、撤退する相手を逃がさないように針路を変更させながら追撃をかけていく。たしかにこの考えで地図を見るとそうとしか思えなくなってきた。

 

「深海棲艦には動物程度の知能しか無いって鹿屋の資料には書いていましたよ」

 

「それも間違いでは無いだろうな。 しかし儂は奴等の中に知性を持った種類がおるのでは無いかと予想しておる、何度も交戦をしてきたが統率の取れている時とそうじゃない時の差がはっきりしておるからな」

 

「そんな情報聞いたことがありませんが……」

 

 佐世保の件で標的に対して優先順位を付けているという事は知っていたが、呉から鹿屋への作戦を思い返す限り統率が取れているようには思えない。

 

「まだ予想だと言っておるだろう。 しかしな、今回と同じように何度か奴等に先回りされているのでは無いかと思えるような場面もあった」

 

「その話が本当なら次の救出作戦では向こうも何か策をしかけてくると言う事ですか?」

 

「そうだ、一筋縄ではいかない。 と言いたいところだが勝ち目が見えてきたな」

 

「どういう事ですか?」

 

 深海棲艦の最大の強みはその数の暴力、何度も深海棲艦討滅作戦は行われているはずなのだが奴等は数を減らしているどころか増えているのでは無いかと思える程その出現頻度を増している。

 

 しかしそれでもどうにか持ちこたえる事ができているのは、奴らが波状攻撃や囮を利用すると言った絡め手を利用してこないからだと俺は思っている。

 

「どう考えてもこっちが不利になったとしか思えませんが」

 

 人は素手で野生動物に勝つことができない、だからこそ知恵を使い武器や罠を用いて狩猟を行う。しかし野生動物が知恵を使い始めたらどう考えても良い方向には転ばないはずだ。

 

「逆だ、儂は有利になったと考えておる。 儂が大湊まで退く事を余儀無くされたのは奴等の動きに法則性が無かったからだ。 もし相手が1つの思考を持って動くのであればその思考を読んでしまえば負ける事は絶対に無いだろう」

 

「随分と簡単に言いますが、それができたら苦労しませんよ」

 

「目的と相手の持っている情報が分かればできる事など限られている。 相手が賢ければ賢い程作戦を読むのは容易だ」

 

 この男には一体何が見えているのだろうか、俺と同じ現場上がりなのだと思っていたが思考する内容がかけ離れ過ぎている。

 

「奴等の持っている情報を考えれば少なくともいくつか答えは見えてくる」

 

「聞かせてもらっても良いですか?」

 

「自分で考えてみなさい、湊くんが敵の指揮官だとして儂らの持っている戦力で最も警戒するのは何だ?」

 

 提督に言われた通りに俺自身が深海棲艦の指揮官として今回の作戦を思い返してみる。敵をギリギリまで引き付け撃退する事に成功、その後撤退する艦を追撃し鎮守府への帰還を防いだ。そこで手薄になった鎮守府に攻撃をしかけるが赤城によって鎮守府の一部施設の破壊に食い止められてしまった。

 

「間違いなく赤城ですね」

 

「そうだ、次の作戦でボロボロになった艦と赤城が居たら湊くんはどちらに多く戦力を割く?」

 

「赤城です」

 

「当たり前の内容かもしれんが、それが相手の動きを読むという事だ。 つまり艦を襲ってくる戦力は今回の作戦よりも少数になる可能性が高い」

 

 逆に言えば赤城を出撃させた場合彼女は敵の第一目標として敵と遭遇する可能性が高い。

 

「次は儂らが今できる作戦を考えてみろ」

 

「艦が優先して狙われないと仮定するのであれば、時間差で赤城に出撃してもらい速やかに目的地に向かい救助を行います。 赤城はギリギリまで敵を引き付け撤退とかどうでしょうか」

 

 赤城を囮にしているようで気が進まなかったが、艦に誘き寄せられた深海棲艦を赤城が叩く。敵は赤城に攻撃目標を変更するため艦は比較的安全に島へと到着する事ができる。

 

「30点だな。 その作戦では島に残された部下を救助した後にこの鎮守府に戻って来る事ができん」

 

「言われてみればそうですね、赤城を逃がせば敵の標的は再び艦に戻りますよね……」

 

「しかし基本的な考え方はあっておる。 そこに少し工夫を加えてみるのはどうだろうか」

 

 30点と言われてしまったがこの作戦の目標が救出作戦である以上はそれができなければ0点だと考えても良いと思う。

 

「大筋は湊くんの作戦で行くとしよう、しかし儂は艦に赤城以外の艦娘を忍ばせる」

 

「それでは艦が狙われてしまい到着が難しくなるのでは?」

 

「まぁ聞け、奴等が赤城に目標を変えるまでは出撃はさせん。 敵が赤城に釣られたと分かれば即時出撃させ挟み撃ちにする──」

 

 提督の作戦をまとめると、初めに救出用の艦を出撃させる、深海棲艦が現れたら赤城を出撃させ迎撃、赤城に釣られた敵を加賀に迎撃させる。敵は鎮守府に近い赤城よりも加賀を優先して狙うと予想し、加賀を狙った敵を赤城に迎撃させて加賀は赤城と合流。そこに再び蒼龍を艦から出撃させ後ろから敵を追撃する。それを艦娘の数だけ繰り返すという内容だった。

 

「最終的に敵は艦娘を狙うよりも艦を狙うべきだと判断するだろう、そこで艦娘全員で一斉攻撃を仕掛ける。 儂等ができる作戦の中でこれが1番全員の安全を確保できる作戦だろう?」

 

「ただの親馬鹿だと思っていましたが、考えを改めないとですね」

 

 作戦が上手くいくかはやってみなければ分からない、しかしこの鎮守府に来た時に龍驤は提督から学べることは多いと言っていたがその通りだなと思った。その後も俺と提督は救助作戦について話し合いを続けた───。

 

 

 

 

 

 

「もうこんな時間か」

 

 話し合いの後に提督と夕食を摂る事になったのだが、途中から酒を飲み始めた提督の愚痴を聞いていたらすっかり日が暮れてしまった。明日の昼前には救助作戦を開始すると言うのにあの男は真面目なのか不真面目なのか判断に困る。

 

「寝る前にメール返しておかないとまずいよな……」

 

 俺は携帯を確認してみると画面にはメールの受信を告げるマークに1という数字が表示されていた。俺は内容を確認するためにメールの画面を開いてみると今日の秘書官が那珂だという事が分かった。

 

「相変わらず変わった子だな」

 

 祝賀会の時に歌っていた記憶があるのだが、本当に色々な艦娘が居るのだと再認識した。よく騒ぐ子も居れば大人しい子も居る、真面目な子も居れば口の悪い子も居る。鹿屋で出会った艦娘の事を思い出すと少しだけ寂しく感じる。

 

「たまには電話でもしてみるか」

 

 我ながら情けないと思ったのだが、大湊の提督と話をしていると不安になった。第一印象からずっとふざけた性格だと思っていたのだが、やはり提督と呼ばれたあの男は間違いなく優秀だったから。

 

「よぉ、聞こえるか?」

 

『こんな時間にどうされましたか?』

 

 何度目かのコール音の後に大淀の声が聞こえてくる、俺はこのまま宿舎に戻り赤城達に通話を聞かれるのも恥ずかしいと思い少しだけ話しながら散歩をする事にした。

 

「たまには連絡しろってメールしただろ?」

 

『随分と珍しいですね、てっきり私達がかけないと通話はしないのかと思ってましたよ?」

 

 大淀は嬉しそうな声でそんな事を言ってくる。相手の顔が見えないのはあまり好きではないのだが、今はなんとなくその方が良いような気がした。

 

「そっちはどうだ?」

 

『順調ですよ、呉の提督や中将さんも私達に協力してくれていますし、皆も自分達にできる事を少しでもやってみようと頑張ってくれていますので』

 

「そうか」

 

 順調なのは良い事なのだが、やはり少しだけ寂しく感じるところもある。彼女達のために提督になろうと言ったのは良いが、今日は勉強になった事も多いがそれ以上に大湊の提督との差を見せつけられたような気がする。

 

『なんだか元気が無いようですが、体調でも悪いのですか?』

 

「体調は良いよ、ただ少し勉強しすぎて疲れたって感じだな」

 

 鹿屋も大淀や呉の提督、爺のおかげで上手く回っているようだが自分が提督として運営していても同じように上手く運営できたのか疑問に思ってしまった。

 

『湊さんは勉強苦手そうですもんね』

 

「全くだよ、俺は身体を動かしてる方が性に合ってるようだ」

 

 俺が提督になり作戦を考え彼女達を戦場に送り出す。提督とはそういう立場なのは理解しているが、もしその作戦が失敗して彼女達に何かあればそれは間違いなく俺自身の落ち度だと思う。

 

『……少しだけ待っててもらえますか?』

 

「ん? 別に構わないが」

 

 バタバタと走るような音が聞こえるが、何をしているのだろうか。俺はなんとなく音に集中してみるがそれが間違いだった。

 

『ヘーイ、教官ー! 金剛デース!』

 

「うるせぇよ!」

 

『私はまだ書類が残ってますので、金剛さんと代わりますね』

 

「あぁ、頑張ってな」

 

 突然の大声に耳鳴りがする、どうしてこいつはいつもいつも声がでかいのだろうか。もう少し静かにしようという考えは無いのだろうか。

 

『教官から電話なんて珍しいネー、もしかして寂しくなったのカナー?』

 

「別にそんな訳……、いや、そうかもしれないな」

 

 何やらジタバタと暴れるような音が聞こえてくる、一体向こうで何が起きているのだろうか。

 

『ソ、ソーリー、少し取り乱してしまいましたネー!』

 

「自分から振っておいてその反応は無いだろ、妹達とは上手くやれているのか?」

 

『今日は皆でスコーンを焼いてティータイムを堪能シマシター!』

 

「そうか、良かったな」

 

『なんだか元気が無いデスネ』

 

「大淀にも言われたが、どうしてそんな風に思うんだ?」

 

 顔が見えないのに2人共どうしてそんな事が分かるのだろうか、俺はそれが気になって金剛に尋ねてみる。

 

『何となくデース』

 

「何となくか」

 

『艦の頃の私達は乗せる相手を選ぶことができませんデシタ、でも艦娘になった私達は乗せたいと思う相手を選ぶことができマシタ』

 

「うん……?」

 

 金剛は優しい声でゆっくりと話し始めた。

 

『きっと提督になるって私達が思う以上に難しい事デース、だけど教官には教官のまま提督になって欲しいデス……? でも提督になると教官じゃ無くなるシ、なんて言えば分からなくなってきマシター!』

 

「ははっ、心配しなくても何が言いたいかは伝わってるよ」

 

 一生懸命上手い言葉を探そうとしているのが分かり頬が緩む。

 

「ありがとう、少し元気が出たよ」

 

『それは良かったデース!』

 

 俺は大湊の提督とは違う、だから焦る必要は無い。例えあの男のように上手い作戦が考えられなくても俺は俺なりに彼女達の期待に応えられるように努力を続けるだけなのだから。

 

『そういえば聞いて欲しい事がいっぱいありマース!』

 

「なんだ、話してみろよ」

 

 それから俺は電話から金剛の寝息が聞こえるまで話をした、睡眠時間は大幅に無くなってしまったが先ほどまでの無駄な事ばかり悩んでいた時よりもずっと身体が軽く感じる。まずは大湊の提督から学べることは全て吸収してやる、そして明日の救出作戦を必ず成功させてみせる、そう強く思った───。




to :大淀と愉快な仲間達

sub :後ろの夕立の表情が……

確かに那珂は良い笑顔だと思うんだが、後ろの夕立が今にも吐きそうって顔してるのは何故だ……?

もしかしてステージの練習って新手の訓練か何かなのか?

四水戦が誰なのかは分からないが、調べてみて会ったら伝えておくよ

大湊には赤城、加賀、蒼龍、飛龍、龍驤が居るが水雷戦隊って基本的に軽巡と駆逐艦だよな?

ついでだし、他の子達にも誰か艦娘に会ったら伝えて欲しいとかそういうの無いか聞いておいてくれ


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助けを待つ仲間の元へ(1)

艦娘として生まれ変わってから初めての正式な作戦でした。

私は布団に入り目を閉じても眠れなかったので少しだけ海を見ようと宿舎から出ました。

途中であの人を見つけて声をかけようとしましたが、あの人は私の知らない誰かと楽しそうに話をしていた。

どこか安心したように笑うあの人を初めて見た気がする。

一緒に暮らしている間に何度も笑顔を見せてくれましたが、その笑顔とは全く違うように感じる。

私はそれが少しだけ寂しく感じましたが、目を閉じてゆっくりと深呼吸をする。

今は明日の作戦に集中するべき、この鎮守府や大勢の人を守るために。

頭の中で誰かが素直になれと言っているような気がするけど、艦娘である私にはあの人はあの笑顔を向けてくれないと諦める事にした。



 時刻は0600、救助作戦の決行の前に士気を高めるために大湊の提督から簡単な演説が行われると放送があり俺や赤城達は広場で整列をしている。周りの連中は物珍しそうに俺達の事を見ていたが赤城の活躍もありその視線には期待が込められている事が分かった。

 

「なんだか恥ずかしいですね」

 

「堂々としていれば良い、この鎮守府で赤城達は間違いなく作戦の要なんだからさ」

 

 大勢の視線が集まっている張本人はどこか恥ずかしそうに縮こまっていたが、俺は軽く背中を叩いて胸を張る様に伝える。

 

「大丈夫です、赤城さんに危害を加えようとする人間は私が爆撃しますので」

 

「そ、それをやったら問題になるんじゃないですかね……?」

 

「でも、普段から私達の胸を見てる人多いような気がするけど……」

 

 後ろから加賀や蒼龍達の声が聞こえてくるが、流石に場違いな発言が多くわざとらしい咳ばらいをして黙る様に促す。

 

「敬礼!」

 

 観測板を持った男が声を発すると、広場に居た人間は全員姿勢を正し敬礼をする。理由は分からないがこの張り詰めるような空気は嫌いじゃない、これから始まる長い話は好きではないのだがこの瞬間だけは何度経験しても胸が高鳴る。

 

「楽にして良い、出撃前に無駄に体力を使う必要は無いからな」

 

「全体、休め!」

 

 一斉に聞こえる腕を下した際の布が擦れる音や、足を肩幅程に開く際の音はこれから作戦が始まるのだと強く実感させてくれた。

 

「単刀直入に伝えるが、儂等の大切な仲間が助けを待っている。 しかし行く手には化物共が立ちはだかるだろう」

 

 提督は壇上から強い眼差しで俺達の表情を確認しているようだった。

 

「生きて帰れる保証など何処にも無い、死にたくない者は辞退してもらっても構わない。 しかし儂はこの鎮守府にそのような臆病者はおらんと信じておる!」

 

 その一言で全員の背筋が伸び、背中に回された手は固く握り拳を作った。

 

「先日の警備府襲撃の際の諸君らの活躍には感謝しておる、諸君らの努力の甲斐あってこの警備府の被害は最小限に食い止められたのであろうからな」

 

 実際に現場に居た俺にはその発言は認められないが、士気を上げるためだからと割り切る事にする。

 

「見えない敵の砲撃、燃え盛る炎、想像するだけで過酷な状況だった事は容易に分かる。 しかしそんな中懸命に救助活動を行った若者が居ると報告を受けておる、作戦の前に儂はそんな若者を紹介したい」

 

 何やら嫌な予感がしてきた、後ろで蒼龍や飛龍が笑いを堪えているのが分かる。

 

「湊少佐、前へ」

 

「は、はいっ!」

 

 やられた、この手の事は事前に本人に連絡を入れておくはずなのだが、こんなやり取りをするなんて俺は聞かされていない。しかしここで逆らって場の空気を悪くする訳にもいかず俺は背中に視線を感じながら前に出ると提督に敬礼をする。

 

「この度の警備府防衛に関して君の行動を高く評価する、救出作戦でも誠心誠意励むように」

 

「はっ!」

 

 目の前の男は真面目な顔をしているが、絶対に内心大笑いしているに決まっている。そう思ったのだがどこか提督の顔が青白いような気がする。

 

「湊少佐は若くして提督見習として鹿屋から大湊に来ておる、元々は陸の出身だと聞いておるがその優秀さを見込んだ呉の提督が直々にこちら側に来るように説得したようだ」

 

 提督の言葉に集まっている男達がざわめきだす、陸から海に移ったというだけでも異例なのだがその理由が呉の提督が俺の実力に惹かれたという内容に驚きを隠せないようだった。実際はそんな大げさな物では無いと思うのだが、第三者から見ればそうなってしまうのだろうか。

 

「彼にはこの大湊で多くの事を学び、いつしか平和な海を取り戻すためにその命を賭けるという覚悟がある!」

 

 そんな事を言った覚えは一切無い、しかし歓喜の声を上げた男達を見てデモンストレーションなのだと諦める。

 

「だからこそ儂等は彼に大湊の真の強さ……を……見せてやれ……」

 

 突然提督は壇上で膝を付きそのまま地面目掛けて崩れ落ちそうになった、俺は慌てて提督を受け止めると観測板を持った男にすぐに軍医を呼ぶように叫んだ。最高点に達しそうになっていた士気が一気に不安に飲み込まれていくのが分かる。

 

「だ、大丈夫ですか!?」

 

 俺は提督に声を掛けるが、提督は痛みを堪えるように眉を寄せうめき声をあげている。すぐに担架を持った軍医が駆けつけ提督を担架に乗せたのだが提督は俺の腕を掴んだまま離さない。

 

「士気を……下げるなっ……! 続きは貴様が……やれっ……」

 

「そんな事より自分の身体を……!」

 

「これは命令……だ!」

 

 俺の腕を掴む提督の力が緩んだのが分かる、顔中に脂汗を浮かべた提督は苦しそうに呼吸をしていた。俺は軍医に運ばれる提督を見ながら覚悟を決める。

 

「……列を乱すな、まだ式は終わってないだろ!」

 

 俺は提督の代わりに壇上に登るとマイクがあるのを無視して大声で叫ぶ、俺の声に驚いた男達は黙ると一斉に俺に視線を向けてくる。

 

「あんた達の提督は最後に言ったよな、俺に大湊の強さを見せてくれるんだろ?」

 

 半数以上は俺の事を睨みつけてきていたがここで退く訳にはいかない。

 

「確かに提督が倒れ動揺してしまうのは分かる、それでも敵を目の前にしてそんな姿を晒せるのか? 自分達の指揮官が居なくなっただけで統率が取れなくなるほどこの警備府は練度が低いのか? そうだとしたら提督のさっきの発言は大嘘だったんだな」

 

 正直緊張で喉が痛む程乾いているが、それでも今踏ん張らなければ救出作戦を行う前に全てが崩壊してしまうような気がする。

 

「警備府襲撃の時には提督は不在だった、しかしあんた達はこの警備府を守り切った。 必死で火を消し怪我人に肩を貸し、たった数時間で警備府としての機能させるところまで持ち直した。 俺はあんた達の事を凄いと思った、北の最前線で戦い続ける男達は本当に強いと思った」

 

 1度落として持ち上げる、これは隊長が良く使っていた手だった。俺は昔の事を思い出しながらどのように話せば良いか必死で頭の中で整理する。

 

「俺達が騒いだ所で提督の容態が良くなる訳じゃない、どこが悪いのかは分からないが心労を抱えたままじゃどんなに提督が努力したって良くなるものも良くならない。 じゃあどうしたら良い?」

 

 俺は目の前に居た髭の生えた男を指差すが、男は何も言わずに俺の事をじっと見ていた。

 

「救助作戦は決行する、そして成功して当たり前だったという態度で提督に報告しようじゃないか、あんた達ならそれができるって俺は信じているからさ。 俺から言いたい事は以上だ、余所者の俺にそんな指揮権なんて無いのは分かっているし不満なら提督代理を立てて作戦を中止にでもさせるんだな」

 

 途中から頭の中は真っ白になってしまっていたが、どうにか最後まで言い切る事はできた。後はこんな情けない演説で士気を維持できるかどうかが問題だった。

 

「生意気だが気に入った、呉の提督に認められたその実力を見せてくれ!」

 

 誰の物かも分からない声が聞こえてくる。

 

「見せてやろうじゃねぇか、大湊の強さってやつをよ!」

 

「提督への見舞は化物共の残骸で決定だな!」

 

「陸出身のあんたに海の男達の戦いってのを見せてやるよ!」

 

 歓声と一緒に拍手が聞こえてくる。正直に言ってしまえば不安しかない、恐らくこの場に居る全員が同じ気持ちだと思う。それでも鼓舞するように声を上げている男達を見ると、この警備府の連中は練度が低いというより、提督という柱が居ないという不安がそうさせていただけなのかもしれないと思った。

 

「全員、敬礼!」

 

 観測板を持った男が全体に指示を出す、俺は全員が敬礼したのを確認してから敬礼をする。

 

「深海棲艦の残骸を見舞にするって言ってた奴が居るが、あの人なら見舞いは酒以外に考えられないだろ」

 

 俺はそう言って右手を下すと、広場には大きな笑い声が響いた───。

 

 

 

 

 

 

「やばい、吐きそう」

 

「だ、大丈夫ですか……?」

 

 式を終えて建物の陰に移動すると俺は壁に手を付き胃の中身が逆流するのを必死で我慢する。駆けつけてくれた赤城達が心配してくれていたが流石に情けなくなってきた。

 

「良い演説でした、私も少しだけ気分が高揚しました」

 

「なんか鬼気迫るって感じで迫力あったよ!」

 

「多聞丸程じゃないけど、良い感じの威圧感だと思った!」

 

 実際必死だったし、あそこで失敗してしまえば大湊の連中に袋叩きにされていたような気がする。我ながらかなりの無茶をやってしまったのでは無いかと思える。

 

「それで、この作戦の総指揮を行うのは湊さんという事で良いのでしょうか……?」

 

「え?」

 

 赤城の言葉に変な声が出てしまった、士気を下げないようにと必死だったが確かに俺の取った行動は言葉にこそしていないが『俺について来い!』に近いような行為だったかもしれない。

 

「なんかまた吐きそうになってきた」

 

 提督から作戦の内容は聞いているし余程のイレギュラーが無ければ問題は無いと思うのだが正直胃の痛みが半端ない。

 

「なんや、姿が見えんと思っとったけどこんな所におったんか」

 

「龍譲か、提督はどうだった?」

 

「今は麻酔打ってもらって寝とるよ、あの人は自分の歳を考えずに行動するところがあるからなぁ」

 

 あまり良いとは言えないのだろう、無理をさせる訳にもいかないし俺も覚悟を決めた方が良いようだった。

 

「それじゃあ作戦説明に行こっか?」

 

「あぁ、覚悟はできたよ」

 

 土壇場でまた1つ学ぶことができた。俺は今覚悟を決める必要があると思ってしまったが、それはつまりこの作戦を他人事と捉えていた証拠だろう。大湊の提督の優秀さに驚きあの人の指揮なら大丈夫だとどこか甘えがあった事に気付けた。

 

 会議室に入ると各部隊の隊長と思われる男達が俺に一斉に敬礼をしてきた、正直今まで俺から先に敬礼をする立場だっただけに違和感がすごい。

 

「楽にしてくれ、事前に提督から今回の作戦は聞いていたしそれを説明する」

 

 俺は昨日提督から預かった資料を全員に見せながら話し合った内容通りに説明していく。

 

「基本的には釣れた深海棲艦を時間差で出撃する艦娘が挟み撃ちにしていくって作戦だ、恐らく敵は救出作戦を妨害してくる……と思う……」

 

 他人に説明していてとてつもない違和感に襲われる。俺は提督の言葉を必死で思い出してみる。

 

 《目的と相手の持っている情報が分かればできる事など限られている》

 

 その通りだと思うのだが、どうして俺や提督は深海棲艦の目的が救助作戦の妨害だと決めつけたんだろうか、もし俺達を殺すことが目的ならどうして無人島に漂流した艦は追撃を受けていないのだろうか。

 

「少し待ってくれ、考えをまとめる」

 

 そもそもどうして無人島のある方角へと誘導したのだろうか、そんな事をしなくても数で勝る深海棲艦なら周囲を包囲して逃げ道を塞ぐのが得策なんじゃ無いのか。まるで俺達が救助作戦を行うために仕向けたような。

 

「今の説明は無しにしてくれ、今回の作戦なんだが───。

 

 

 

 

 

『よし、一気に決めるで!』

 

「いや、龍驤は大人しく赤城が敵を釣るまで待機していてくれ」

 

 救助船に乗った龍驤の声が聞こえてくるが、一気に進んで赤城と連携が取れなくなってしまえばそもそも龍驤が危険な目にあってしまうと思うのだが。

 

『あぁー、何や……その、うち……。 あぁ、別にいいんや!退屈しとるわけやないで?』

 

「暇なのは分かるが今は作戦中だ、なるべく私語は慎めよ?」

 

『今回の作戦の司令官は随分とお堅い人やなぁ』

 

 まずは魚群探知機の調査結果がどのように影響しているかを確認するために提督と話したルートで救助船を進める。提督の読みは正しかったのか深海棲艦と遭遇する事無く無人島との距離を半分ほど進める事ができている。

 

「索敵班、様子はどうだ?」

 

『こちら異常無しです、それにしても静か過ぎて逆に不安になってきますね』

 

「あまり気を抜くなよ、レーダーが頼りにならない以上はあんた達の目が生命線なんだからさ」

 

『分かってますよ、右90度に海鳥の群れが居るようですが』

 

 魚の群れが通ったルートでは深海棲艦と遭遇していない、魚が深海棲艦を避けているという仮定が正しいのであれば、それを餌にしている海鳥が居る。ならばそちらは安全な方角なのだと推察できる。

 

「針路をそっちに向けてくれ、少し遠回りになるかもしれないが問題無い」

 

『了解!』

 

『なんや様になっとるなぁ、意外と向いてるのかも知らんよ?』

 

 龍驤が色々と口を挟んでくるが今は相手をしてやる余裕が無い、実際艦隊の指揮など初でこっちは必死で無い知恵を働かせているのだから。

 

「赤城、そろそろ出撃してくれ」

 

『分かりました、一航戦赤城、出ます!』

 

 あまり救助船との距離を開けてしまうと赤城による追撃ができなくなってしまう、ギリギリまで様子を見ていたが出撃させるタイミングは今しか無いだろう。

 

『私の出撃はまだかしら?』

 

「加賀か、事前に説明しただろ……」

 

『あなた、赤城さんに何かあったら責任を取れるのかしら?』

 

 加賀の赤城にかける執念は一体何なのだろうか、そもそも総指揮を行っている以上全ての責任は俺にあるし取れる取れないじゃなく、取るしかない。

 

『加賀さん、落ち着いてください。 艦載機を飛ばして索敵をしてもらっていますが、敵影は無いようですよ』

 

『そう……』

 

 赤城を出撃させたが、敵は食いついてくるのだろうか。当初の作戦では敵は赤城を優先して狙うと考えていたが俺の予想が正しければまだしばらくは平和な航行が続くと思う。

 

「龍驤、島が見え次第艦載機を発艦させて周囲の索敵を」

 

『ほっほ~ん……? ついにうちの出番ってことやね?』

 

「可能な限り後方以外の全方位に大きく展開してくれ」

 

『うちも弓があったらええのになぁ』

 

 龍驤に関しては未だ自力で艦載機を発艦させる方法が見つかっていなかった。しかし揚力さえ確保してしまえば飛ばせるという事が分かれば、それを別の方法で補えば良いだけだと気づいた。

 

『それじゃあ発艦させるで、艦首風上によろしくー』

 

『了解!』

 

 龍驤の言葉を合図に救助船は針路を風上へと変える、少し島から方角は逸れてしまうが1度艦載機を発艦させてしまえば着艦させるまではある程度自由に飛ばせることも作戦前に確認しておいた。

 

『艦載機のみんな! お仕事、お仕事!』

 

 龍驤が艦載機を発艦させてからしばらくして、敵発見の報告を受ける。

 

「赤城、届くか?」

 

『もう少し近づかないと厳しいですね、予想以上に島に近い位置で交戦を開始してしまったようなので』

 

「速度を上げて救助船に追いついてくれ」

 

『分かりました』

 

 赤城の位置を考えると警備府からの陸上支援が可能な範囲から出てしまうだろうか、しかし俺は提督から受け取った作戦通り指示を続ける。

 

『この距離なら、第一次攻撃隊、発艦してください!』

 

『いっててて! ふぇえ……こりゃマズいでぇ!』

 

「敵の種類の報告をしてくれ」

 

『敵はイ級、数は4です。 しかし徐々に数を増やしてます!』

 

「魚雷だけは絶対に貰うなよ、砲撃なら数発は耐えられる。 俺が乗ってた艦も何度か受けたが沈むほどの損傷は受けなかった」

 

 恐らくその4匹は俺達の意識を集中させるための囮だろう、しかし囮だからと言って無視できる戦力では無い。

 

「龍驤、出撃しろ」

 

『さぁ仕切るで! 攻撃隊、発進!』

 

『イ級目標変更を確認、救助船では無く龍驤ちゃんを狙っているようです!』

 

 龍驤……ちゃん?少し不思議な呼び方をしたような気がするが今は無視する事にした。やはり細かな配置は指示できるようだが艦娘を優先して狙うと言う根本はそのままらしい。

 

「龍驤は赤城の居る方向に移動しながら迎撃を続けてくれ、赤城はその援護を」

 

『任せとき! うちがいるから、これが主力艦隊やね!』

 

『第二次攻撃隊、全機発艦!』

 

 ここまで作戦通りというのも確かにつまらない、提督が残念そうにしていた理由も少し分かるような気がする。

 

『アカンで! イ級が着いて来うへん!』

 

「もう少し細かく報告してくれ」

 

『なんや分からんけど、少し距離を離したらイ級の目標が救助船に戻ってまう!』

 

「索敵班、イ級を初めて発見した位置から奴らが移動しているか分かるか?」

 

『……動いていません! 恐らくは砲撃の届く範囲に居る目標にしか攻撃していないようです!』

 

 なるほど、確かにその方法なら知性の無い種類でも簡単な指示で最大限の行動をさせる事ができる。恐らく向こうの指揮官はイ級にその場を動くなと命令したのだろう。だからこそイ級は自分の攻撃範囲に艦娘が居れば艦娘を、居なければ救助船を狙う形になる。

 

『司令官、敵増援を確認! 7,8……15近くは居ると思われます!』

 

 このタイミングで敵の増援、当初の予定とは違う事が起きていると言うのに頬が緩む。

 

「赤城、全力で救助船を守れ」

 

『そんな事したら撤退する時の戦力が無くなるで!?』

 

 無線から龍驤の慌てる声が聞こえてくる、しかしここで救助船を沈められてしまっても俺達にとっては負けなのだ。少し危険な橋を渡る事になるかもしれないが今は間違いなく赤城の力で敵を殲滅するしか無かった───。




いよいよ大湊での作戦開始です。


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助けを待つ仲間の元へ(2)

 赤城と龍驤を出撃させてからもう1時間近く経とうとしているが依然として深海棲艦の数が減る様子は無い。俺は奥歯を噛み締めながら敵の砲撃が鳴りやむのをただ待つしかできなかった。

 

『……装備換装を急いで!』

 

『あっかーん! ちょっち忙しすぎや~!』

 

 今回の作戦では敵と交戦する際に、彼女達の攻撃範囲ギリギリを狙って戦闘を行う予定だった。イ級に比べると攻撃範囲の広い彼女達であれば敵の射程外から一方的に攻撃できると考えていたのだが、イ級の標的を救助船にさせないために赤城達には必要以上に敵に近い位置での戦闘を指示している。

 

「島まで後どれくらいで着きそうだ?」

 

『20分程でしょうか、こちらも回避行動を取っているためもう少しかかるかもしれません……』

 

「赤城、龍驤。 燃料や弾薬はまだ大丈夫か?」

 

『少し厳しいかもしれません……』

 

『うちもちょっち怪しいかもしれん……』

 

 予定より早くなってしまうが加賀や蒼龍達も出撃させるという手もあった、しかしこのタイミングでそんな事をしてしまえばそれこそ敵の目論見通りになってしまいそうで中々踏ん切りがつかない。

 

『出撃の許可をお願いします』

 

『か、加賀さん落ち着いて! 飛龍も見てないで止めるの手伝ってよー!』

 

 無線から加賀と蒼龍の声が聞こえてくる、本音を言ってしまえば今すぐにでも赤城と龍驤に加勢してほしいと頼みたいところなのだが、俺は目を閉じ冷静になる様にと自分に言い聞かせる。

 

「ダメだ、加賀達にはまだやってもらう事がある。 それまではお前達を消耗させる訳にはいかない」

 

 今まで現場しか経験した事のない俺は、今まで上官に対して文句ばかり言っていた事を悔やむ。自分だけ安全な場所で机に座っているだけだと馬鹿にしていたが、こうして自分の指示1つで誰かの命が失われるかもしれないという重圧を耐えているとは思っていなかった。

 

『敵の殲滅を確認、針路確保しました! 加賀さん、私は大丈夫ですよ』

 

『やっと終わったみたいやね、早く帰ってのんびりしたいわぁ~』

 

 無線から赤城と龍驤の声が聞こえてきて少しだけ不安が薄れた、後は救助船が島に到着する事で作戦の半分程が終わったと言えるのだが、自分の手を開いて確認してみると緊張のせいか驚くほど汗をかいていた。

 

「良くやってくれた、各自損傷を報告してくれ」

 

『小破というところでしょうか、艦載機の発着艦には問題ありません』

 

『うちもまだいけるで、弾薬がちょーっと心許ないけどね』

 

「了解、周囲の警戒を怠らないように気を付けてくれ」

 

 損傷は軽微、燃料や弾薬は予定よりも消費してしまっているようだったが、1時間近く戦い続けてその程度であれば十分すぎる結果だと思う。俺は一息つけると思ったが、すぐに救助船の見張り員から報告を受け緩みそうになった気持ちを引き締める。

 

『前方に敵発見! ロ級にハ級、ホ級も確認しました! このままでは島に上陸できません!』

 

 急いで深海棲艦についてまとめられた資料を捲る、深海棲艦がいろは歌になぞらえた名前をつけられているのは知っていたが、突然その名前を呼ばれてもどのような艦種を模した敵なのかが即座に理解できない。

 

『すぐに向かいます!』

 

『ちょっとくらい休ませてくれてもええやろ!?』

 

 ロ級とハ級はイ級と同じく駆逐艦に分類される、恐らくは魚雷にさえ気を付けていれば問題無いと直感で分かる。しかしホ級の項目には軽巡洋艦に分類されていると書かれていた。イ、ロ、ハ級と比べれば主砲の口径が大きく装甲もそれなりの強度があるらしい。

 

「固定砲台なのか動くのか報告を急げ、自分達に向かって距離を詰めてくるようなら全力で針路を変更しろ!」

 

 軽巡洋艦に駆逐艦、この構成を見て俺は鹿屋の艦娘達の事を思い出す。彼女達が得意とするのはすれ違いざまに目標に魚雷を当てるという戦い方だと聞いている。資料に書かれている主砲についても気を付けるべきだとは思うのだが、それよりも俺は自身の経験を優先させる。

 

『ホ級がこちらに向かって来ます、このままでは衝突します!』

 

 やはりこっちにできる事は相手にもできるという事なのだろう、俺は急いで回避指示を出そうとしたがそれよりも早く爆撃音と共に赤城の声が聞こえてきた。

 

『ホ級は私に任せてください、救助船は可能な限り最短距離を!』

 

『す、すげぇ……。 こちら無事です、雷跡に十分注意しながら航行を続けます!』

 

 無線だけじゃ向こうの様子は分からないが、恐らくはホ級が魚雷を放つよりも前に赤城が沈めたのだろう。内容を聞く限り救助船とホ級は近い位置に居たと思うのだが、水柱を上げるだけの火力を持ちながらピンポイントに敵だけを倒すという技術に驚いてしまう。

 

「龍譲、そっちはどうだ?」

 

『こっちは順調に敵を沈めとるよ! それより、なんかうち艦載機の飛ばし方が分かってきたかも……?』

 

 その報告は喜ばしい報告だった。艦載機の発艦の際には再び救助船に乗せる必要があると思っていたが、龍驤の言葉が本当であれば龍驤を回収するために救助船を止める必要が無くなる。

 

『ほっ、はっ、やっ! あかん! 着艦もやり始めると忙しゅうてかなわんわ!』

 

『すぐに慣れますよ、それにしても龍驤さんの発艦方法は面白いですね……』

 

 赤城と龍驤の会話を聞いていると、龍驤がどのような方法で発着艦を行っているのかがすごく気になる。一瞬余計な事に気を取られそうになったが俺は頭を振って思考を切り替えた。

 

「赤城、龍驤、お喋りは作戦が終わってからにしろ」

 

『す、すみません!』

 

『ごめんごめん、ちょっと嬉しくてつい……』

 

「……もう少し進めば島に漂着している艦からの支援砲撃も受けられる、もう少しだけ頑張ってくれ」

 

 漂着している艦のスペックが書かれた資料を見ながら地図に円を書き込む、報告によれば動力部はやられているが主砲や副砲は使用する事ができるはずだった。動くホ級は赤城達に任せるとして、動かない深海棲艦が居るのであれば小さい的でも当てられる可能性は十分にある。

 

『救助船を護衛すること自体は問題ありませんが、このペースだと燃料が厳しいですね……』

 

『さっきも言ったけど、うちは弾薬がまずいわ……』

 

「予定より良いペースで進んでいるし、周囲の索敵を継続したまま1度救助船で補給を受けてくれ」

 

 本来であれば昼前に開始して日が沈む前には終了させるという短期的な作戦だったが、念のため救助船に赤城達用の燃料や弾薬を積むように指示しておいて正解だった。しかし本当に怖いのは少しずつ蓄積されている疲労、今は順調に敵を倒すことができているおかげで赤城や龍驤はあまり疲労を感じていないようだが、この手の疲労は小さな切っ掛けで急に襲い掛かってくる事がある。

 

『前方に敵発見しました!』

 

「補給は現在確認している敵を片付けてから行ってくれ」

 

『偵察に回していた艦載機より連絡、後方に深海棲艦を確認!』

 

『アカンで!? このままじゃ挟み撃ちや!』

 

 このタイミングの奇襲は偶然では無いと思った、イ級が動かないのは向こうの指揮官が指示を出していたと仮定していたが、そういう種類の深海棲艦が居るのかもしれないという可能性もゼロでは無い。

 

 しかし赤城や龍驤の燃料や弾薬の事を考えればこのタイミングでの奇襲はこちらの様子を窺っていたようにしか思えない。これだけ状況が整ってしまえば提督の言っていた、敵にも知性を持った種類が居るという説を認めるしか無かった。

 

「全速力で島に向かってくれ、今は後ろに戦力を割くよりも前方に集中させて一点突破を狙う!」

 

 提督は相手に指揮官が居た方が戦いやすいと言っていたが、俺はまだその境地には達していない。臨機応変に指示を出すという事は実際やってみて苦手では無いと思うのだが、相手がこちらに合わせて対策を取ってくる可能性を考えると上手く考えがまとまらない。

 

『り、了解!』

 

『分かりました、一航戦の誇りお見せしましょう!』

 

『よ~し、みんな気合入れていくでー!』

 

 指示を出すと俺は拳を握りしめて下唇を強く噛む、決して考えがまとまらない等という不安を彼女達や救助船に乗っている人達に気付かれる訳にはいかない。俺が不安に感じているという事が現場に伝われば、それは提督が士気を下げるなと俺に伝えた意味が無くなってしまう。

 

『敵砲撃の被弾を確認! 現在消火活動中ですが、航行には支障ありません!』

 

『龍譲さんは10時方向を!』

 

『分かった、そっちは赤城に任せるで!』

 

 被害の報告を受けると何もできない自分に怒りが込み上げてくる、ここに居るのが俺ではなく大湊の提督だったらと考えると自分の実力の無さを痛感してしまう。俺は拳を思いっきり机に叩きつけようとしたが机の上に置かれた携帯を見て拳を止めた。

 

『いっててて! ふぇえ……、流石に直撃じゃなくても魚雷は効くわぁ……』

 

『きゃぁっ! 誘爆を防いで!!』

 

『敵雷跡複数確認、全員衝撃に備えろ!』

 

 今の俺には現場で戦っている赤城達を信じる事しかできない。苛立ちで物に八つ当たりしてしまえばその信じる事すら俺にはできていないのでは無いかと思った。俺は彼女達の提督になろうとしているのに、信じてやれないなんて情けなさ過ぎる。

 

「全員、落ち着いて対応しろ。 もう少し、もう少しなんだ」

 

 そんな子供騙しのような事しか言えないがレーダーに表示されている救助船の位置を確認しながらその時を待つ。1分が1時間程に感じたが漂着している艦と連絡を取っていた男がこちらに視線を向けた事で間に合ったのだと安堵する。

 

『救助船の位置を確認しました、これより支援砲撃開始の許可を!』

 

 漂着している艦から無線が入り俺は即座に支援砲撃の許可を出す。

 

「全員深海棲艦から離れろ! 赤城や龍驤は救助船に張り付いている奴等を優先して狙え!」

 

『分かりました、どうにか間に合ったようですね……』

 

『ギリギリやったな……』

 

『助かったぁー……』

 

 ほとんど綱渡りだったがどうにか作戦の半分を終える事ができた。救助船から無人島に到着したと報告を受けると俺は赤城と龍驤に今のうちに補給を行うように指示を出す。

 

『ほぉ~う、補給はマジで嬉しいなぁ~』

 

『艦載機の補充もありがとうございます。 助かります』

 

『何、気にしないでくれ。 俺達がここまで辿り着けたのは2人のおかげなんだからさ』

 

 無線から少し和やかな会話が聞こえてくる、正直赤城と龍驤が沈めた深海棲艦の数は十や二十なんて数字じゃない。今回はホ級以外が動かなかったという事もあり、通常よりも攻撃が当てやすかったのもあるとは思うがそれでも胸を張って威張れるほどの戦果だろう。

 

「被弾していたようだが、負傷者は出ていないか?」

 

『現在報告されているのは被弾した衝撃で転倒してしまったという報告くらいでしょうか、命に関わる負傷や作戦に支障をきたす負傷は報告にありません』

 

「良かった、あんた達に何かあったら作戦が成功しても提督に殴られそうだからな」

 

 救助作戦で負傷者や死傷者を出すなんて悲しすぎる、大のために小を犠牲にするという考えもあるとは思うのだが、やはり全員生きて帰ってこその救助作戦だと思う。

 

「艦の被害はどうだ?」

 

『そちらは今応急処置を行っています、やや速力が低下してしまうかもしれませんが問題無しと考えて貰って大丈夫です』

 

「そうか、やっぱりあんた達は優秀だよ」

 

 陸上では襲撃に怯え、火災に慌てながら上官が居ないからと言い訳をしてるところを見たが、やはり海の男は海の上でこそ活躍するという事なのかもしれない。

 

『後3分程で全員の救助が完了します』

 

「そういえば名簿を見たんだが、その艦に新人いびりの大好きな大尉が乗っているはずだ。 少し話をさせてもらっても良いか?」

 

『分かりました、すぐに呼び出します』

 

 新人いびりの大好きなと表現して伝わったという事は、大尉の行いは警備府でも知られていたのかもしれない、少しして無線からあまり聞きたくは無い声が聞こえてきた。

 

『て、提督殿。 私に何のご用事でしょうか!』

 

「あぁ、悪いが俺だ。 提督は今は席を外してるよ」

 

『……その声は湊か? てめぇ何やってんだ! この大事な作戦中にふざけたことしてんじゃねぇぞ!?』

 

 この男には2つ程伝えなければならない事がある、作戦中に話すかどうかは悩んだが全員救助するまでもう少し時間があるし早めに話しておいた方が良いだろう。戦場に居る以上は次の機会等と甘えた考えは持ってはならないというのは現場で学んだ事だった。

 

「そうだな、大事な作戦だよな。 大勢の命がかかった作戦だからな」

 

『分かってんならさっさと提督に代われ!』

 

「この作戦の総指揮は俺が取っている、だからこの作戦では俺があんたの大好きな提督の代わりだよ」

 

『……はっ?』

 

 突然の事に困惑しているだろうが俺は大尉が再び文句を言いだす前に1つ目の内容を伝える事にした。

 

「それと面白い事を教えてやるよ、この作戦の主力はあんたが馬鹿にしていた艦娘達だ。 今は救助船で補給を受けているはずだから頭を下げてこい。これは提督代理としての命令だ」

 

 この男は自分の立場を利用して新人を押さえつけるのが大好きなようだから、俺も感謝の気持ちを込めて同じことをしてやる。

 

「もう1つ、あんたには感謝している。 あんたが漂着した艦に居てくれたおかげで今回の作戦は無事に勝つことができそうだからな、あんたの嫌味な性格には本当に感謝してもしきれないくらいだよ」

 

『な、何を言ってやがる……』

 

「提督代理、警備府近海に深海棲艦発見との報告です!」

 

 無線を担当している男が声をあげた、俺は読みが当たっていた事に心の中でガッツポーズをする。

 

「悪いが通信はこれで終わりだ、こっちはこっちで忙しいからな。 命令はちゃんと遂行しろよ?」

 

『てめぇ、待て……!』

 

 大尉は何か言いたそうだったが俺は『警備府に残っている』加賀達に無線を切り替えるように指示を出す。

 

「加賀、蒼龍、飛龍。 出撃だ、目標は警備府近海の深海棲艦、我慢していた分だけ暴れてくると良い」

 

『待ちくたびれたわね、一航戦、出撃します』

 

『まぁまぁ、赤城さんも無事みたいだし良いじゃないですか! 第二航空戦隊、旗艦、蒼龍! 抜錨します!』

 

『ここで私達が頑張らないとみんなが帰って来る場所が無くなっちゃうけどね! よしっ! 二航戦、出撃します!』

 

 提督が、救助作戦の妨害が敵の目標だと思い込んでしまったのは簡単な理由だった。提督は部下達を信用しているし、それこそ家族と同じくらい大切に思っているのだろう。だからこそ提督にとって最悪の事態は救助の失敗、部下達を失う事に他ならない。

 

「敵の数は分かるか?」

 

 指揮官としては未熟な俺は漂着している艦に大尉が乗っている事を知り、正直助けなくても良いのではと私情を挟んでしまった。しかし、だからこそ気付くことができた。動力のやられた艦を捨て、兵だけを助けても深海棲艦にとって何の脅威にもならない。

 

『すごい数としか言えないかな……』

 

『蒼龍、そっちは任せたよ! 加賀さんの方にいっぱい居るけど、大丈夫です?』

 

『これくらい鎧袖一触よ。 心配いらないわ』

 

 敵の狙いは間違い無く俺達に救助作戦を行わせる事だった、そうする事で救助船を護衛するために警備府から戦力を割く必要がある。そして手薄になった警備府を再び襲撃する、警備府さえ破壊してしまえば俺達は生き残ったとしてもここを捨てて撤退するしか無いのだから───。



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助けを待つ仲間の元へ(3)

冷たい海の上に住んでいる彼等は私達を受け入れてはくれなかった。

暖かい海の上に住んでいた彼等モ私達を受ケ入れてはクレなかった。

どうシテナのだろう、彼等と同じことをしたら分カリ合エると思っていたのに。

私達はキオクの片隅に会ッタ島国に行っテミル事にした、そこにはアタタカイ記憶が残されているような気がしたから。

でもダメだっタ。

わタシ達の覚えテイる彼等と同ジ行いヲシテモ彼等は私達をキョゼツした。

私達はカンガえタ、互いの記オクを繋ギアワせて。

答えは見ツカラナイ。

そレデモ私達は1つのケツロンニ辿り着イタ。

ワタシタチから彼等の元へ行けないノデアレバ、カレラにワタシタチのモトにキテモラオウ。

クラクツメタイウミノソコヘ───。


「補給ありがとうございました、私は索敵もかねて先に警備府へ加勢に向かいますね」

 

「うちはもうちょい艦載機のメンテに時間かかりそうやし、無理はせんようにな」

 

 龍驤さんは九七艦攻のメンテナンスをしながら、心配そうな表情を浮かべている。再び警備府に深海棲艦の襲撃があったという情報を聞いてからは湊さんは向こうでの戦いに集中したいと緊急時以外はこちらとの連絡を閉ざしている状態でした。

 

「何かあればすぐにこちらに撤退しますので、その時はよろしくお願いしますね」

 

 私は龍驤さんや乗組員さんに頭を下げると救助船の上から海へと降りる、周囲は先ほどまでの戦闘が嘘だったのではと疑いたくなるくらい海は静まり返っていた。

 

(湊さんの声、震えていましたね……)

 

 恐らくは他の方も気付いていたとは思う、私達に指示を出し大丈夫だと声を掛け続けてくれていた彼は私達が不安にならないように必死で頑張ってくれていたのだろう。だからこそ私達は彼の期待に答えられるように前だけを見続ける事ができました。

 

(私は艦娘です、例え彼の隣に立つことはできなくてもそれは仕方のない事でしょう)

 

 彼と過ごしているとそんな当たり前の事を忘れてしまいそうになる。彼は私達の事を普通の人として扱ってくれています、それはとても心休まる時間でしたが私は鎮守府に戻り艤装を装着した事で自分は深海棲艦と戦うための兵器だという事を思い出す事ができた。

 

(不思議ですね。 少し前までは深海棲艦に奪われた陸を取り戻す事だけを考えていたのに、今は戦果を上げて彼に認めて欲しいと思っている自分が居ます)

 

 1人で海を進んでいると色々な事を考えてしまう、彼の事を思えば不思議と力が溢れてくるような気がするけど、同時に誰かと嬉しそうに話をしていた姿を思い出して胸が苦しくなる。

 

「今は作戦中ですよね、集中しなければ……」

 

 今は考える事を止め加賀さん達の元へ急ごうと思考を切り替えると小さな違和感を感じる。

 

「海流に流されている……?」

 

 私としては来た航路をそのまま真っ直ぐに戻っているつもりでした。なので海の上を進んでいる時間を考えればそろそろ警備府が見えても良いはずだった。

 

「やっぱり考え事をしているとまずいですね」

 

 警備府のある方角は分かる、それは私が艦娘だからなのか艤装にそういった機能があるのかは分かりませんが間違い無く私から見て南東の方角にある。しかし方向は分かっているのに少し進むとすぐに方角が逸れてしまう。

 

「……どうして?」

 

 龍驤さんと救助船と共に進んでいる時にこんな事は無かった、私は私の進みたい方角に進むことができていたし、そもそも艦娘が海流に流されてしまうなんてありえない。しかし現実には私はどれだけ意識しても目的の航路から逸れてしまっていた。

 

「何かがおかしいですね、湊さんに報告したほうが良いですよね?」

 

 私は不安になり問いかけてみますが答えを返してくれる仲間は何処にも居ない。艦娘が海の上で迷子など笑い話にもならないと思いましたが、恥よりも私の感じる違和感を知らせるために緊急時用の無線を使おうとする。

 

「……クノ?」

 

 ふと誰かの声がしたような気がした、もしかしたら龍驤さんが追いついたのかと思い周囲を見渡してみますが周囲には誰も居ない。

 

「……ドコニ……ウノ?」

 

 断片的にですが間違いなく誰かの声がする、背筋が凍るような不快な声に私は必死に周囲の様子を伺う。

 

「艦載機のみなさん、発艦してください!」

 

 やはり見える範囲には誰も居ない、私は艦載機を発艦させ広範囲での索敵を行う事にする。この違和感が深海棲艦によるものであれば湊さんに報告する必要がある、しかしそれは間違いなくそうだと確証を得てからで良いと思う。

 

「カンサ……キ……? ハッ……ン?」

 

「あなたは誰ですか、私に何の用でしょうか!」

 

 私は声の主に向かって叫んでみますが、反応は無い。海上には誰も居ない、空も同じように海鳥しか居ない。周囲を何度見渡してもそれは変わらない、しかし急に冷たい何かに足を掴まれ咄嗟に舵を切って振り払う。

 

「ドウシテニゲルノ……?」

 

「……っ!」

 

 急に海の中から現れたソレに向かい弓を構える。掴まれた脚には冷たい感触が残っている、頭の中で今すぐ逃げろと誰かが言っているような気がするが私はそれをぐっと堪える。

 

「言葉が分かるのですか……?」

 

 髪はまるで燃え尽きた灰のように白く、肌からは全く生気を感じられない。ゆっくりと視線を降ろしてみますが、ソレの足には主機は付いておらず素足のまま海上に立っていた。

 

「あなたは何者ですか……?」

 

「ワタシハ……ナニ……?」

 

 質問をしても答えは返って来ない、ソレが艦娘では無い事は理解している。しかし深海棲艦が私達と同じ言葉を使えるなんて聞いたことが無い。

 

「アナタハナニ……?」

 

「……第一航空戦隊、赤城です」

 

 もしかしたらソレから何か情報を得られるかもしれない、そうしたら深海棲艦の目的やこの作戦を成功に導く情報が手に入ると思い弓を構えたまま私は答える。

 

「アカギ……?」

 

「そうです、こちらは答えました。 あなたも私の質問に答えてください」

 

「コタエル? ナニヲ……? アカ……ギ……?」

 

「まずは名前を」

 

 再び質問をしても答えは返って来ない、しかしソレは聞こえない程小さな声で何かを呟いているようだった。

 

「アカギ、モエル、ヒ、ホノオ……」

 

「何を言っているんですか、これ以上こちらの質問に答えないようであればこちらも考えがあります」

 

 私は矢を握る右手に意識を集中する、九七艦攻ではソレを沈めてしまうかもしれないが零式艦戦の機銃程度なら軽い損傷で抑えられるかもしれない。間違いなくソレは私達の知らない情報を持っている、そうであればここで沈めるよりも鹵獲を考えた方良い。

 

「ミッド……ウェー……」

 

「これが最終警告です、私の質問に答えてください」

 

「ソウカ、ワタシハ……」

 

 突然ソレの身体が膨らみ始めたと思うと、艤装を模したような黒い機械へと形を変えていく。私はこのままだとまずいと判断して零式艦戦を発艦させるが、機銃から放たれた弾を身体に受けてもソレは全く表情を変えない。

 

「ドウシテ、ドウシテオマエタチダケ……。 シズメェ!!」

 

「だ、第一次攻撃隊、発艦してください!」

 

 これ以上は無理だと判断し私は咄嗟に次の艦載機を発艦させる、しかしソレは黒い機械の亀裂から白く不気味な球体を吐き出し始めた。浮遊する球体を敵の艦載機だと判断し、咄嗟に迎撃を開始するが数が多すぎる。

 

「ヒノカタマリトナッテ……シズンデシマエ……!」

 

「湊さん、聞こえますか!? こちら赤城です、人型の深海棲艦と遭遇、交戦中です!」

 

 数は負けても艦載機の扱いに関しては私の方が上のようだった、どうにか制空権を均衡に持ち込む。こうなるのであればどうして初めから湊さんに報告しなかったのだろうか、私は深海棲艦の1匹であれば十分対応できると慢心していた自分を責めた───。

 

 

 

 

 

 

『大物を狙って行きましょう! 飛龍、そっちはどう?』

 

『多聞丸に見せてあげたいくらい調子良いよ! 第二次攻撃の要を認めます、急いで! こっちも少なくなってきたし加賀さん場所代わります?』

 

『ここは譲れません。それよりも早く片付けて赤城さんを迎えに行きたいのだけど?』

 

 ここまで一方的な戦いになるのであれば、救助船の護衛をもう1人増やしても良かったのでは無いかと思えてくる。初めのうちは警備府からの支援も行っていたのだが、彼女達は戦えば戦うほど敵を殲滅する速度が上がっているような気がする。

 

「喋る余裕があるのは良い事だが、加賀の言う通り早く赤城達を迎えに行くぞ」

 

『確かにその通りなんだけど、敵減らないですよ……?』

 

『さっきから動きは雑になってきてるけど、数は増えてる感じがするよね』

 

『そう思うのなら口よりも手を動かしたらどうかしら?』

 

 加賀の厳しい言葉に蒼龍と飛龍は大きく返事をして黙ってしまった、彼女達に作戦を説明した時には加賀は赤城と組ませて欲しいと意見して来たが、やはり防衛組に選んでおいて正解だった。本来であれば俺が気を引き締めるように指示を出せる事が最善だったが、現場にもこういった性格の者を配置しておきたいと俺は加賀の意見を却下している。

 

「飛龍、雑になったってどういう意味だ?」

 

『なんとなくだけど、少し前までは少なくても4匹、多くて6匹くらいで隊列を組んでいたような気がするんだよね』

 

『飛龍の言う通りかもしれません、今はただがむしゃらに警備府に向かってきているって感じですね』

 

 飛龍と蒼龍の言葉に俺は考える、自分がこの警備府を落とそうと思うのならどのような攻め方をするだろうか。奇襲は失敗し警備府には3人の艦娘が防衛に回っている、その時点で俺なら撤退の指示を出すだろう。

 

「……深海棲艦の殲滅まで後どれくらいかかる?」

 

『数が増えているので詳しい時間は分かりません、それでも負ける事はまず無いかと』

 

『持久戦になっても私達が補給している間だけ警備府から支援してもらえれば、時間はかかってもいつかこの戦闘を終わらせることができそうです』

 

『そもそもどれくらい戦ってるかも分かんなくなってきたかな……』

 

 どうして気付けなかったのだろうか、俺は自身の未熟さを責める。奇襲の基本は相手に勘付かれる前に行う事にある、1度失敗してしまえば即座に撤退、味方の被害を最小限にしつつ嫌がらせのように帰り道に置き土産をしていく。

 

 ショートランドやラバウルでの暴動鎮圧の際には何度も奇襲を受けた、その時奴等は不利になると分かれば基地周辺に火をつけて回った、少しでも自分達の戦果を水増しするための行為。深海棲艦にとって少しでも俺達に被害を与えるために残された手は1つしか無い。

 

「時間稼ぎをされている! コイツ等の狙いは赤城達だ!」

 

『……頭にきました』

 

『攻撃隊、発艦はじめっ!』

 

『第一次攻撃隊、発艦っ!』

 

 少し前に敵の作戦を読むことができて喜んでいた自分を殴ってやりたい、目立った被害も無く救助船を無事に送り届ける事ができた、防衛戦も彼女達のおかげで順調に行う事ができている。これで作戦が失敗してしまえば間違いなく俺の慢心だった。

 

「赤城達に、救助船に連絡を取ってくれ! 支援射撃を行ってる連中には弾薬の続く限り撃ち続けろと指示を出せ!」

 

「わ、分かりました!」

 

 俺は無線を担当している男に怒鳴りつける、それが八つ当たりだとは分かっていたが今は何よりも情報が欲しい。彼女達が無事なのかどうかを1秒でも早く知りたかった。しかし無線が繋がるよりも先に赤城に持たせていた緊急用の無線からノイズが聞こえてくる。

 

『湊さん、聞こえますか!? こちら赤城です、人型の深海棲艦と遭遇、交戦中です!』

 

「損傷は!?」

 

『艦載機をいくつか落とされてしまいましたが、直接的な損傷はありません……』

 

「すぐに加賀達を向かわせる、赤城は漂着した艦の支援可能海域まで撤退をしろ!」

 

『それが、無理なんです……。 警備府に戻ろうにも救助船の元に戻ろうとしても海流に流されてしまい進むことができないんです……!』

 

 状況が上手く理解できない、艦娘が海流に流されるなんて聞いたことが無いし人型の深海棲艦という敵についても何の情報も持っていない。それでも赤城が無事だった事だけは安堵する事ができた。

 

『二航戦、私の針路上の深海棲艦を優先しなさい』

 

『加賀さん、落ち着いてください! そんなに前に出たら危険ですよ!』

 

『蒼龍、そっちに魚雷行ったよ!』

 

『こちら龍驤、艦載機のメンテも終わったし帰宅準備もばっちりやで!』

 

『全員の救助は終わりました、救助船の応急処置ももうすぐ終わり出航可能です!』

 

「全員少し黙ってくれ。 赤城、座標を教えろ……」

 

 無線からは様々な情報が飛び込んでくる。今の俺には全ての対応する事はできないが、生き残るために必要な情報を集めるというのは現場で嫌というほど経験をしている。俺は全員に黙る様に伝え赤城から現在の座標を聞き出す。

 

「加賀、救助に行きたい気持ちは分かるがお前の速力を教えてくれ」

 

『26から27ノットくらいかしら』

 

 1ノットがだいたい時速1.8キロ程度だったと思う、加賀は時速46キロ程度での移動が可能だと頭の中で計算する。次に俺は無線を担当している男に尋ねる。

 

「この警備府で1番早い船はどれくらいの速度があるんだ?」

 

「1番早いと言えばミサイル艇でしょうか、スペック上は44ノットのはずです」

 

 44ノットならば80キロ近い速度で赤城の元へたどり着ける計算になる。無補給の加賀をそのまま向かわせるよりも、1度補給をさせ万全の状態で加賀を送り届けた方が勝率は高くなると思った。

 

「加賀、先に補給を行え。 送り届けてやる」

 

『分かりました、1度下がるのでその間は任せました』

 

 俺の意図が伝わったのか加賀は蒼龍と飛龍にそう告げると大人しく警備府に戻ったようだった。

 

「無理です! ミサイル艦の武装を外して救助船に乗せ換えているのは湊さんもご存知でしょう!?」

 

「そうだな、逆に軽くなって都合が良いじゃ無いか」

 

 男は俺の意見に反抗するように声を荒げる。

 

「武装も無しに海に出ろというのは、私達に死ねと言うのですか! しかも相手は新型の深海棲艦なんですよ!?」

 

「落ち着いてくれ、そんな指示は出さない」

 

 男の言っている事は当然だった、警備府の防衛のために蒼龍や飛龍を護衛に回すことはできない。加賀に護衛を行わせれば必然的に速度は加賀に合わせる必要が出てくる、だからこそ最短で赤城の救助に向かうには護衛無しで深海棲艦の群れを突っ切る必要があった。

 

「俺が乗る、流石に無線は外して無いだろ? 忙しくなるかもしれないがアンタが中継してくれよ」

 

「提督代理がこの場を離れてしまえば士気に影響します!」

 

 どのように説明したらこの男は納得してくれるのだろうか、誰か別の者に加賀を運ぶように指示を出せばこの男が言う通り俺は周りから死ねと命令を出す冷酷な指揮官に見えるだろう。しかし、ここで赤城を失ってしまえば艦娘を見捨てた指揮官として作戦の要である加賀達からの信頼を失う事になる。

 

「全員に伝わる様に無線を入れてくれ、全員が納得できるように話すからさ。それで反対意見があればこの作戦は無かった事にする」

 

「分かりました……」

 

 男が無線機を操作するのを確認して俺はゆっくりと話し始める。

 

「皆、手を止めずに聞いてくれ。救助や防衛で忙しいところ悪いんだが、これから俺のやろうとしている事を皆には知っておいてもらいたい」

 

 無線からは爆撃音や銃撃音、救助船からなのかカチャカチャと何やら作業をしているような音が聞こえてくる。

 

「現在赤城が1人で新型の深海棲艦と戦っている。だから俺は加賀と一緒にミサイル艇を借りて救援に向かおうと思う」

 

 無線からざわめきが聞こえてくる。

 

「もしかしたら赤城を見捨てて救助船の護衛に戦力を割くべきだと考える人も居ると思う。でも俺にはそれはできない」

 

 演説の時に大湊の提督は言っていた、俺は平和な海を取り戻すために命をかけると。実際そんな大そうな目標を持っている訳では無かったがそれに近い思いは持っている。

 

「俺は赤城、加賀、蒼龍、飛龍、龍驤。それだけじゃない、日本に居る艦娘のために提督になろうと思っているんだ。だからここで赤城を見捨てる事はできない」

 

『湊さん……』

 

 無線から赤城の声が聞こえてきた。

 

「だからと言ってあんた達を見捨てる事もできない、そんな自分の理想のために誰かに死ねと命じる事は絶対にやりたくない。だから俺は加賀と2人で赤城を助けに行く、文句がある奴は居るか?」

 

 俺の質問に返答は無い、依然様々な音は鳴り響いているが誰の声も聞こえてこない。そんな中予想外の男の声が聞こえてきた。

 

『……俺はコイツがガキの頃を知っている。目付きは悪いし生意気で何度も逆らって来やがった。何度ぶちのめしても言う事は聞かねぇし、手のかかるガキだった』

 

 俺も含め全員が黙って大尉の話を聞く。

 

『この警備府でコイツを見た時には艦娘の提督だなんて馬鹿げた考えを笑ってやったさ。そんな俺にコイツは艦娘に頭を下げて来いと命令してきやがった』

 

「……ちゃんと頭を下げてきたのか?」

 

 なんとなく気恥ずかしくなってつい言葉を挟んでしまう。

 

『下げたさ! それでアイツは俺になんて言ったと思う!?』

 

 俺は大尉の次の言葉を待つ。

 

『今まで散々嫌がらせをしてきた相手に向かって「私達はあなた達を守るために艦娘になったのですから」だぞ!? 信じられるか!?』

 

「赤城らしいな」

 

『だからよ、絶対にアイツを見捨てちゃならねぇ。ここでアイツを見捨てて生き延びたとしても俺達はそんなお人好しを囮に使った卑怯者になっちまう!』

 

 無線から今までで1番大きなざわめきが聞こえてきた。

 

『応急処置を急げ! すぐに救援に向かうぞ!』

 

『弾薬持ってくるのがおせぇぞ!? 提督代理のために針路を確保しろ!』

 

『女のために命をかける、映画見たいでかっこいいじゃねぇか!』

 

 無線から聞こえてくる声を聞きながら俺は無線を担当している男に視線を移す。

 

「分かりました、どうかご武運を……」

 

「あぁ、ここは任せたからな」

 

 俺は部屋を出ると加賀と合流する、加賀はどこか冷めた表情で俺の事を見ていたが弓を持ち直すと小さく微笑んできた。

 

「気分が高揚します」

 

「それ、豚汁食ってた時にも言ってなかったか?」

 

 俺の冗談が気に入らなかったのか弓の先端で脇腹を突かれてしまったが、加賀と一緒にミサイル艇に乗り込むと周囲に集まってくれた男達に敬礼をする。全員油や煤で汚れているのが分かり、戦場がいかに有利であってもそれを支えてくれていた男達が居る事に感謝する。

 

「それじゃあ行ってくる、アンタ達も気を付けてな」

 

「急ぎましょう、赤城さんが待っているわ」

 

 徐々に離れていく警備府を見ながら、再び全員で帰ってこようと強く思った───。



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助けを待つ仲間の元へ(4)

「赤城、どんな些細な事でも良いから敵の情報をくれ」

 

 俺は無線の向こうの赤城に問いかける、鎮守府を出発してからどのようにして赤城を助けるかを考えて居た。

 

『人型だという事は報告していますよね、恐らく艦種は私達と同じ空母に分類されるかと……』

 

 無線からは艦載機のプロペラ音や爆撃の音に交じって赤城の声が聞こえてくる。先程まで読んでいた資料には深海棲艦に空母が居るという情報は書かれていなかったし、不安ばかりが募る。

 

「敵空母の主力がでてくるなら…流石に、慎重に攻めたいところだわ」

 

「慎重に行きたいところだが時間に余裕が有る訳じゃない。 飛龍や蒼龍、基地の皆が頑張ってくれては居るが可能な限り急いだほうが良いだろうな」

 

 後ろで腕を組んだままじっとこちらを見ている加賀の言葉に返事をする。

 

「単刀直入に聞くが、加賀が到着したら勝てそうか?」

 

「……どういう意味かしら?」

 

 戦力差を聞くつもりで赤城に質問したのだが、俺の言葉は加賀の気に障ってしまったらしい。

 

「そう怒るなよ、お前達が負けるなんて事は考えてない。 それでも念のため確認しておきたかったんだ」

 

 どうにか加賀を宥めようとするが、無線から聞こえてきた赤城の返事に俺と加賀は黙り込んでしまった。

 

『分かりません……、恐らく負ける事は無いと思いますが勝てるとは言いづらいですね』

 

 鹿屋に居る子達と比べても大湊の艦娘は戦力としては遥かに高い力を持っていると思う。

 

「分からないって事は不安要素があるって事だよな、もう少し詳しく説明して貰っても良いか?」

 

『数分前であれば間違いなく勝てると言い切れました、ですが湊さんと加賀さんが到着する頃にはどうなるか分かりません……』

 

「敵の増援でも?」

 

 赤城の言葉に加賀が返事をする、確かに敵の数が増えて居るのであれば別方向の作戦を練る必要があったが、もしそうであれば赤城がこんな回りくどい言葉を使うとは思えなかった。

 

『初めて制空争いを行った際には敵の艦載機を6機落とすまでに私は1機消耗していました』

 

「6対1か、随分有利だとは思うがどうなんだ?」

 

「悪くは無いわね」

 

 艦載機の交戦時の交換レートが分からない俺は加賀に尋ねてみるが、率直に感じた通り決して悪い数字では無かったらしい。

 

『ですが、先ほどは4機落とすのに1機消耗しました。 このペースで行けば加賀さんが到着する頃にはどうなるのか……』

 

「敵の練度が上がっていると考えた方が良さそうだな、それでも俺達に鎮守府に戻れと言わないって事は何か考えがあるんだろ?」

 

 赤城の性格を考えれば勝機が見えないのであればすぐにでも俺達に鎮守府に戻れと意見して来るだろうなと思う。

 

『加賀さんが到着したら全力で敵の艦載機を落とすことに集中します、例え練度が上がっていくとしても全ての艦載機を落とせば何もできなくなると思うので』

 

「持久戦に持ち込むって事か。 赤城、加賀、お前達の艦載機の数を教えて貰っても良いか?」

 

『零式21型が9機、九九艦爆が8機、九七艦攻が12機です』

 

「零式21型が18、九九艦爆も18、九七艦攻が45ですね」

 

 作戦前に艦載機の種類については調べて置いたが、念のため資料を開き記憶が間違っていないか確認をしておく。艦爆も艦攻もどちらかと言えば敵を攻撃する種類だったと思う、零式21型が艦戦と呼ばれる種類だとして役割は敵の艦載機を迎撃したり偵察に使われているはずだった。

 

「零式が27、艦爆が26、艦攻が57か。 足りそうか?」

 

『……恐らくは大丈夫だと思います』

 

「赤城さんも随分と消耗しているみたいね……」

 

 赤城の言葉を聞いて考える、もしこれが俺達だけの戦いであれば赤城の言葉を信用しても良いと思うが、代理とは言え提督としての立場がある以上甘い考えを持つ訳にはいかなかった。

 

「そうか、別の作戦を考えよう」

 

「あなた、ここまで来て赤城さんや私の事を信用できないって言うのかしら?」

 

「そう何度も怒るなって、加賀が赤城の事を信用しているのは分かるが冷静に考えろよ。 これは救助作戦だ作戦の失敗が命に直結している、恐らくなんて案に頼る訳にはいかないんだ」

 

 ここで赤城や加賀が負けてしまえば、無人島で待機している龍驤や救助船まで危険が及ぶ可能性がある。どうしても案が浮かばなければ赤城の言う作戦で行くしか無いと思うが、考える時間があるうちは色々な事を考えて置いた方が良い。

 

「ならどうしろと言うのかしら?」

 

 完全に不機嫌になってしまった加賀にどう返事をするか考える、答えを出そうにも今は情報が足りなさすぎる。

 

「もう少し情報が欲しい、敵の艦種は分かったが機動力とか装甲なんかはどうなんだ?」

 

『速力は私達とそう変わらないと思います、装甲に関しては倍以上ありそうですが……』

 

「倍か……。 手持ちの戦力で抜けそうなのか?」

 

『長期戦になるかもしれませんが、可能だとは思います』

 

 敵の艦載機を枯らすにしても装甲を削るにしてもやはり時間が必要になってくる。

 

『私が撤退する事ができれば違う手も打てるのでしょうが……』

 

「気にするな、深海棲艦の新兵器かも知れないし海流の事で気になる事があれば言ってくれ」

 

 艤装を付けてれば海の上を自由に航行できる彼女達が海流に流されると言うのは何度聞いても不思議だった。これが深海棲艦の兵器か何かであれば次回以降気を付ける必要はあるが、今の段階で議論をしても仕方が無い。

 

「今の所こっちは海流の影響を受けてはいないみたいだしな、最悪赤城達も艦に乗れば大丈夫だと信じるしか無いだろ。 もしこの艦が沈んだら救助船にで……も」

 

 そこまで言って短時間で敵に最大限の火力をぶつける方法を思いついた、少し荒っぽいやり方になるかもしれないが例え失敗しても敵が無傷のままと言う事は無いだろう。

 

「おい、龍驤。 そっちの準備はどうだ?」

 

『あっ、えっ? うち? 一応こっちは救助船含めていつでも出発できるで?』

 

「距離と速度を考えれば今出発してもらえれば俺達と同じタイミングで目的地に着くはずだ、悪いが帰りに俺達を拾ってもらっても良いか?」

 

「……何を考えているのかしら?」

 

 艦の見取り図が無いか操舵室の中を物色していると、後ろから加賀が俺の肩を掴んできた。

 

「あぁ、敵を即時無力化させて撤退する方法を思いついたんだ」

 

「どうして赤城さんを、じゃなく俺達をなんて言ったのかを聞いているのだけど?」

 

 会話に興味無さそうな表情をしている事の多い加賀だが、俺の言葉の違和感に気付いたらしい。

 

「少し赤城と加賀には無理をお願いするかもしれないが───」

 

 俺が作戦について説明している間、赤城や龍驤は黙ったままだった。目の前にいる加賀に関しては今にも噛みついて来そうな程俺の事を睨んでいる。

 

『私は反対です』

 

『うちも賛成はしたくないなぁ……』

 

「賛成して貰えると思ったの?」

 

「悪いが賛成してもらう、他に良い案があるならそっちを採用するけどな」

 

 予想はしていたが全員から反対されてしまう、それでも他に良い案が無い以上は従ってもらうしかない。

 

「死ぬのが怖くないのかしら?」

 

「軍人だからな、常にそういう覚悟をするように鍛えられてるよ」

 

「命をかける事が美学という時代は終わったと思っていたのだけど?」

 

「何が言いたいんだ?」

 

 加賀は地図の広げられたテーブルを両手で叩く、その音に驚いた龍驤の声が聞こえてきたが加賀は呆れたように溜息をついた。

 

「……私だけじゃない、赤城さんも龍驤さんも多くの人を見送ってきました」

 

『加賀さん……』

 

「皆自分の命で家族が、仲間が、国民が守れることを誇って飛び立って行きました」

 

 加賀は俺と視線を合わせず言葉を続ける。

 

「それでも1人になると自室で、甲板で、操舵室の中で。 彼らは震える手を握り締め、カチカチと音を鳴らす歯を強く噛み締め、何度も自分達に死にたく無いと言い聞かせていました」

 

「……それで?」

 

「死ぬのが怖くない人なんて居ません、私達だって沈む覚悟はあっても沈んで良いなんて考えた事はありません。 私達の提督になるのなら、その事は忘れないで下さい」

 

「あぁ、覚えておくよ」

 

 加賀はそう言って俺の手から船の見取り図を乱暴に取り上げると操舵室から出て行ってしまった。快くは思って無いようだが、加賀が協力してくれるのが分かり安心した───。

 

 

 

 

 

 湊さんの作戦について考える、正直すぐにでも別の案が思いつけば否定してしまいたかったがそんな案は浮かんで来ない。一瞬目の前のソレから意識が逸れそうになった事に気付き慌てて意識を切り替える。

 

「サァ、ノコリノカンサイキハナンキカシラ?」

 

「そちらの残りの数を教えて頂けるのであれば私も教えても良いですよ」

 

 ソレは機械と思われる部分から白い球体を吐き出すと、自身の周りに浮かべたままゆっくりと私に向かって海の上を歩いてくる。最初は何か兵器の類かと思っていたが、球体はソレの艦載機なのだと理解できてきた。

 

「キニイラナイメダナ」

 

 ソレは3機の白い球体を私に向かって真っすぐと飛ばして来た、私は矢筒から矢を取り出すと呼吸を落ち着けて放つ。放たれた矢は3機の零式21型に姿を変えると機銃で白い球体を撃ち落とした。

 

「サァ、ノコリハナンキカシラ?」

 

「その質問には答えませんよ、それと私からも質問をしても良いですか?」

 

「ナニカシラ?」

 

 もう少しで加賀さんの艦載機が到着すると思う、今は少しでも時間を稼ぐ方法を探すしか無かった。

 

「ミッドウェー、火の塊、あなたはあの時の事を知っているのですか?」

 

『……っ!』

 

 無線から加賀さんの驚く声が聞こえてくる、深海棲艦と対峙するのは初めてでは無かったがこうして言葉を交わして1つの疑問が生まれていた。

 

「オシエテホシイノカシラ?」

 

「こうして同じ言葉を話せるのも何かの縁です、良ければお願いしたいですね」

 

『赤城さん……?』

 

 私は目の前のソレを『化物』だと認識している。しかし心の何処かで敵であるソレの事を完全に否定する事ができていない。

 

「……ゴメンナサイ、アカギ……サン」

 

「何を……?」

 

 ソレは海の上に膝を付くと顔を抑えて肩を震わせ始めた、周囲に浮遊していた球体は周囲へと飛んで行ってしまう。

 

「ギョライ、イタカッタヨネ……」

 

「何を言っているんですか……?」

 

 突然の事にまったく理解が追いつかない、ソレは激しく首を振るとバシャバシャと機械から球体が漏れ出し海へと沈んでいく。

 

「ホントウハウチタクナカッタ、イッショニカエリタカッタ……」

 

 そんなはずはない、そもそもあの子とは艦種が違う。どう考えてもソレは空母に分類されると思う、あの事同じ駆逐艦であれば艦載機の発艦を行えるはずが無い。

 

 もしかしたらと考えて居た事もあった、どうして深海棲艦が私達と同じように艦種が分かれているのか。しかしそれを認めてしまうのは私達自身の存在を否定するようで怖かった。

 

「…ソラ……ミナ……イ」」

 

「何ですか……?」

 

 何を言っているのか聞き取れず、私はゆっくりと膝を付いたまま震えるソレに近づく。そのまま声を聞き取ろうと意識を集中させる。

 

「ホントウニ……、カワイイナァ」

 

 顔を隠していたソレの手が私の手を掴むと、背筋が凍るようなソレの笑みが露わになる。

 

「えっ……?」

 

「ソラヲミテミナサイ?」

 

 私は掴まれた手を振り払おうとするが、ソレは私の手を掴んだまま海中へ引きずり込もうとしてきた。体勢が崩れ海の上に膝を付くと、先ほどの言葉を思い出し空を見上げた。

 

 太陽の光で影しか見えないが、球体が私に向かって急降下してくる。咄嗟に飛行甲板で身を守る事はできたが飛行甲板は黒い煙を上げながら真っ二つに割れてしまった。

 

「随分と趣味が悪いようですね」

 

「ダレトカンチガイシタノカシラ?」

 

 ソレは先程海に沈めていた球体と一緒にゆっくりと海中から出てきた。騙された事よりも、あの時の彼女の思いを踏みにじられた事に対して苛立ちを覚える。

 

「ホントウニ、ホントウニカワイイナァ。 カンタンニダマサレテクレルナンテ」

 

「私の役目も終わりですか……」

 

「アラ、モウアキラメチャウノカシラ?」

 

「ええ、最後に1つだけ私の言葉を聞いてもらっても良いでしょうか?」

 

 私は艤装を外して少しでも身体を軽くすると、ソレは私を嘲笑うように高笑いを浮かべ始めた。弓だけは手放す訳にはいかず無くさないように胸の前で抱き締める。

 

「ナニカシラ?」

 

「……慢心しては駄目。 索敵や先制を大事にしないと、ですよ」

 

 私は大きく息を吸い込むと衝撃に備える。私の言葉が理解できなかったのかソレは一瞬意味を理解しようと考えてしまったようだが、その言葉を理解した時には既に手遅れだった。

 

『頭に来ました』

 

 無線から加賀さんの声が聞こえてくる、同時に空を埋め尽くすような数の艦載機が視界に入る。1発目は私とソレの近くに落ちた。

 

「ザンネン、ハズレチャッタワネェ?」

 

 しかし咄嗟に移動したソレを追いかけるように加賀さんの艦載機が急降下を繰り返す。しかし攻撃は避けられ徐々に加賀さんの艦載機が迎撃されて行く。

 

 私はソレに悟られないようにゆっくりと弓を引くと、痛む腕に無理を言って空に向かって矢を放つ。

 

「キシュウシッパイッテトコカシラ」

 

『赤城さん、これで良かったのかしら?』

 

「ええ、上々ね」

 

『加賀、そろそろ降りろ。 龍驤も準備しておけ』

 

『人使い、いや。 艦娘使いが荒いなぁ……』

 

 空に放った矢は零式21型へと姿を変え、加賀さんの艦載機を撃ち落として慢心しているソレに向かって急降下を開始する。私と加賀さんの役割はソレの足を止める事だった、私は心の中で放った艦載機に謝罪する。

 

(ごめんなさい、もう2度とこんな使い方はしないと約束します……)

 

 零式21型は迎撃のために放たれた球体を機銃で撃ち落とすとそのままソレに向かって真っすぐと進み衝突と同時に黒い煙を上げた。

 

「チッ、コシャクナマネヲ……」

 

 艦載機の衝突の痛みと黒煙でソレの足が止まった。私の視界には黒煙の向こうから波をかき分けながらソレに向かって進む船が見える。船は速度を落とすことなく進むと衝突する直前に船から飛び降りる人影が見えた。

 

「加賀、出番だぞ」

 

『……分かりました』

 

 加賀さんの九九艦爆が湊さんの乗っていた船を爆撃する、事前に説明のあった通り燃料タンクのある場所を狙っているのだろう。船は数度爆発音を鳴らしながら炎を上げ始めた。

 

「どこにおるんやー!」

 

 龍驤さんの声が聞こえてくる、湊さんの作戦通りであれば緊急時用の小型ボートを曳航しているはずだった。

 

「私よりも湊さんを……」

 

『赤城さんは私が向かいます』

 

 疲労や身体の痛みで意識が薄れていく中、私を抱き上げる加賀さんの手がとても暖かく感じた───。



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提督のお仕事(1)

to :大淀と愉快な仲間達

sub :お休み中の湊さんに代わり二航戦の私達が

初めまして、でも無いかな?

蒼龍と飛龍です!

湊さんは作戦で疲れてお休み中なので、私達が連絡しておきますね!

鹿屋ってどんな所なんですか?

こっちは空気は綺麗だけど、朝と夜はちょっと寒くてそこだけ辛いですよー!

湊さんがたまーにニコニコしながら誰かと連絡取ってるなとは思っていましたが、

奥さんや彼女さんじゃなく、業務連絡だったんですね!

今はまだ眠っていると思うので、起きたら返事するように伝えておきますね!


「ここは何処だ……?」

 

 ゆっくりと目を開いてみると白い天井が視界に入る、しかし視界の左半分が暗闇になっており俺はゆっくりと左目に触れてみる。

 

「眼帯なんて付けてりゃ見えるはずが無いよな」

 

 そう思って眼帯を外してみるが、視界は変わらなかった。何があったのか理解はできず、周囲を見渡してみると規則正しく音を鳴らす機械や俺の腕には透明な管が繋がれている。1度落ち着こうと目を閉じて深呼吸をしてみるが瞼の裏には最後に見た光景が映っていた。

 

 ヤットキテクレタ。

 

 声は聞き取れなかったが、間違いなくアレはそう言っていた。真っ白な肌でとても人とは思えなかったが、まるで仕事が終わり帰宅してきた父親を見る子供のような安堵した表情でそう言っていた。

 

「失礼しま……っ! 目が覚めたんですね!」

 

 扉が開くと赤城が驚いた表情のまま俺に近づいて来た。

 

「赤城か、おはよう」

 

「ええ、おはようございますってそうじゃなくて、3日も眠っていたんですよ!?」

 

 赤城の言葉で自身が3日間も眠っていた事を知る、随分と長い間寝ていたせいか意識すると身体のあちこちが痛むような気がする。一応身体を確認してみると、身体のあちこちに包帯が巻かれていた。

 

「鎮守府はどうなった? ここは何処だ? 全員無事なのか?」

 

「落ち着いてください、鎮守府は無事です。 ここは鎮守府の医療施設で、負傷者は居たようですが戦死者は出ていないと聞いています」

 

 無事に鎮守府を守る事ができたのであれば良かったと安堵する。赤城は俺が目覚めたらそうするように指示を受けていたのかベッドの横にあるボタン押すと、少しして白衣を着た老人が部屋に入って来た。

 

「悪いが赤城、話が終わるまで外で待っててもらっても良いか?」

 

「分かりました」

 

 赤城が一緒に居た事で話をし辛そうにしている老人を見て俺は赤城に部屋から出て行くように伝える。医療施設に運ばれたという事はただ眠っていた訳ではなく、恐らく様々な検査も行われているのだろう。

 

「起きて早々気を遣わせてすまないね」

 

「いえ、なんとなく察してますので」

 

「いつからだね、種類は?」

 

「海外での暴動の時からです、詳しい種類は分かりませんが向こうでは注射器を、日本に戻ってからは煙草型のやつです」

 

 呉の提督に止めろと忠告されてからは吸ってはいなかったのだが、そう簡単に身体から抜ける物でも無いらしい。

 

「アンフェタミンかメタンフェタミン、その後は大麻樹脂という所かね?」

 

「恐らく、支給されていただけなので詳しくは元上司に確認しないと分かりません」

 

「その若さで君は何を見てきたのかね?」

 

 俺はその質問に答えるべきなのかどうか悩んだ、誰かに話すという事はあの時の光景を思い出す必要がある。できる事ならそんな真似はしたくなかった。

 

「すまない、君も被害者の1人だ。 今の質問は忘れてくれ」

 

「1週間くらいは使用していないのですが、やはり分かってしまう物なんですかね?」

 

「こうして君に確認するまでは怪しい所だった、儂以外の者は気にも留めて無かったようだけどな」

 

「そうですか、申し訳ありませんがこの事は黙っていてもらえると助かります」

 

 白衣を着た老人は大きく溜め息をつくと、とても悲しい目をして俺の顔を見ていた。

 

「儂には君の見てきた光景は分からん、医師として止めろという助言を送るが、何か必要な物があれば良いたまえ。 碌に眠る事もできないのだろう?」

 

「そのおかげでこの前の敵襲には気付けましたので、別に悪い事ばかりじゃないですよ」

 

 空気が重くなってしまったので何となく気にしていないという事を伝えてみるが、老人は俺の様子を見て呆れてしまったようだった。

 

「それよりも、左目の事を聞きたいのですが」

 

「そうだな、この話はこれ以上は止そう。 君は網膜剥離という言葉は聞いたことはあるかね?」

 

「……昔、海外のサッカー選手が騒がれていたくらいしか」

 

「眼球に強い衝撃を受ける事が原因になる事が多いのだが、海面に飛び込んだ際か船を爆破した際か分からんが君はその衝撃が原因だろう」

 

 なんとなく以前渡された診断書の事を思い出した、すぐに検査を受けろと書かれていたが素直に聞いておけば良かったなと軽く後悔をする。それでも俺の左目1つで多くの人の命が救えたのであれば安い物だろう。

 

「赤城達には黙っておいてください。 彼女達の大事な時期に余計な心配をかけたくないので」

 

「分かった、約束しよう。 その代わり可能な限り早く治療を受けると約束してくれ」

 

「分かりました」

 

 提督になるためのこの期間中は恐らく無理だろう、仮に提督になってから時間に余裕ができるとは思えないので俺の約束は守れずに終わってしまいそうだなと心の中で謝罪する。

 

「さて、そろそろ扉で待ってる赤城を部屋に入れてやる事にしますか」

 

「意識もはっきりしておるようだし、無理をしないのであれば自由にしても構わんよ」

 

 そう言って老人は扉を開けて部屋から出ていく、赤城は立ち去る老人に深々と頭を下げると心配そうな表情のまま部屋の中に入って来た。

 

「どうでした……?」

 

「心配するような事は無いよ、頑丈な身体だって褒められた」

 

「そうですか、良かった……」

 

「ただ、目にばい菌が入ったみたいで眼帯をしてろって言われたな」

 

 俺は赤城にそう言って再び眼帯をつける。なんとなく鹿屋で出会った天龍の事を思い出して彼女はどうして眼帯をつけているのかが不思議に思えてきた。

 

「さて、大湊の提督にでも挨拶に行くか。 酒は用意できなかったが、勝利の報告くらいはしておいた方が良いだろ」

 

 俺は腕から点滴の管をゆっくりと外すと、ベッドから立ち上がり固まってしまった身体を解すために軽くストレッチを行う。俺が3日眠っていた以上は他の誰かがすでに報告しているとは思うのだが、やはり自分の口で勝ったと言いたかった。

 

「勝利……、そうですよね。 私達勝ったんですよね」

 

「あぁ、俺もこうして目が覚めたし犠牲者も居ない。 完全勝利だろ」

 

 俺の言葉にゆっくりと頷いた赤城と一緒に提督が眠っている部屋を探す。2人で探してみてもなかなか見つからず、途中すれ違った男に部屋を訪ねてようやく辿り着くことができた。

 

「調子はどうだ?」

 

 俺はそう言いながら扉を開けると提督は何やら難しい表情で資料に目を通しているようだった。

 

「おぉ、湊くんか。 医者の話だともう少し安静にしておいた方が良いそうだ」

 

「それなら仕事はしない方が良いんじゃ無いか?」

 

 安静にしろと言われたのであればベッドの上で資料に目を通しているのもやめた方が良いとは思うのだが、俺の言葉に提督は苦笑いを浮かべていた。

 

「ええんよ、安静にしろって言われても仕事をしちゃダメだって言われた訳じゃないからね」

 

 飲み物を買いに行ってたのか、ペットボトルと紙パックを持った龍驤が部屋に入って来た。俺と赤城は龍驤の言葉の意味が分からず互いに見合わせる。

 

「結局提督って何が悪かったんですか?」

 

 てっきり酒の呑み過ぎで身体の何処かを悪くしているのでは無いかと思っていたが、なんとなくそうじゃないような気がしてきた。

 

「ふむ、魔女の……。 いや、今の時代であれば深海棲艦の一撃とでも……」

 

「ただのぎっくり腰やね、何や前日に階段から落ちたって言うとったけど、いい歳なんだから少しは気を付けて欲しいもんやねぇ」

 

 俺はその説明を聞いて背中に嫌な汗をかいた、なんとなく提督に視線を合わせてみるが原因は俺の思っている通りなのか提督は露骨に俺から視線を逸らした。

 

「そ、そうか。 良い歳なんだから無理はしないようにな……?」

 

「う、うむ……」

 

 大事な作戦を部下との殴り合い、それもただの親馬鹿論争の喧嘩が原因で指揮を取れなかったと言うのは流石にこの男でもまずいと思ったのだろう。何よりもその原因を作ってしまった俺は勝利の報告をする嬉しさよりも罪悪感が凄い。

 

「だからこうしてうちが面倒見てるんやけど、なかなか大変でなぁ」

 

「そういう訳で、雑務程度は問題無いがもう少し良くなるまでは湊くんに提督代理を続けてもらおうと考えているのだがどうだね?」

 

「ま、まぁ乗りかかった船なので……」

 

 このタイミングでそんな事を言われてしまえば断る訳にはいかなかった、意地の悪さは相変わらずだなと思っていたが、俺もこの男に最大限の仕返しを思いついてしまった。

 

「それじゃあ提督代理として赤城に任務を与える」

 

「何でしょうか?」

 

「この老人が提督業に復帰できるまで介護してやってくれ。 提督として大事な身体だ、実の父親のように大切に扱うように」

 

 提督は持っていた資料を落とすと信じられない物でも見るかのような目で俺を見てきた。

 

「何か問題でも?」

 

「儂には龍驤が居るからそんな気遣いは……」

 

「うちはもうちょっと発着艦の練習がしたいし、代わってくれるなら嬉しいなぁ」

 

 助けを求めた龍驤には見放され、仕方が無いと提督は大きく溜め息をついていたが、赤城は俺の与えた任務に快く了承してくれた。

 

「それじゃあ俺は軽く鎮守府を見て回って来るから、頼んだぞ」

 

 俺は赤城の肩を軽く叩くと部屋から出る、少し歩くと後ろから龍驤に呼び止められた。

 

「これ、落とし物やで」

 

「ん……? この事は誰かに話したのか?」

 

 龍驤が俺に手渡して来たのは以前執務室を片付けていた時にポケットに隠していた提督と赤城が写っている写真だった。写真は海水に浸かったせいか多少痛んでいるようだったが龍驤が丁寧に乾かしてくれたのだろう。

 

「誰にも言って無いよ、最初は赤城の着任した時の写真かと思ったけどさっきのやり取りで何となく察してしもうたわ」

 

「そうか、一応極秘らしいから変に口を滑らせないようにな」

 

 俺と龍驤は少し意地の悪い笑みを浮かべた後、互いに親指を立て小さな作戦の成功を祝った───。

 

 

 

 

 

 

「しっかし暇だな……」

 

 書類関係の仕事は提督が行ってくれている以上は正直俺が提督として行うべき仕事は無かった。あの男の事だから仕事を押し付けると言うよりは俺に提督代行として鎮守府を管理していたという箔を付けようとしてくれているのだろうが、3日動かさなかった身体を動かしたくて仕方が無い。

 

「み、湊提督代理に敬礼!」

 

 鎮守府の損傷状況を確認しようと適当に散歩していると、訓練生の集団に一斉に敬礼されてしまった。仕方が無く俺も敬礼を返してみるがどうもむず痒い。

 

「楽にしてくれ、提督代理って立場上仕方が無いのかもしれないが俺は大湊に勉強に来てる立場だからいちいち敬礼なんてしなくて良いぞ」

 

「は、はい!」

 

 訓練生が俺の言葉に一斉に返事をしたのを見てなんとなく陸軍の部下達を思い出す。思えば訓練の途中で抜けてしまう事になったが元気にやっているのだろうか。

 

「今から訓練か?」

 

「はい! 1300からグラウンドで体術の訓練を行う予定になっています!」

 

「俺も見に行って良いかな?」

 

 正直陸軍で育った俺は海軍の訓練に興味があった、なんとなく察しはつくのだが実際に訓練を見た事が無い以上は1度見てみる必要があるだろう。そんな事を考えながら訓練生の後についていく。

 

「貴様等は時計も読めないのか? 5分前に行動しろと何度も言っているはずだが貴様等の耳は飾りか!?」

 

 グラウンドについて早々大尉の怒鳴り声が聞こえてきた、正直この手の時間に関しては5分前に到着してもグラウンドの整備を行っていないだとか服装に乱れがあるとかなんだかんだ嫌味を言われてしまう物だった。

 

「あぁ、すまない。 俺が途中で引き留めちまったんだ」

 

「げっ……。 湊……提督代理……」

 

 俺の存在に気付いたのか大尉は露骨に嫌そうな顔をしてきた。

 

「悪いが訓練を見学させてくれ」

 

「勝手にしろ……ください」

 

 なんだろうか、俺の方が階級が上だと伝えた時には気にしていなさそうだったのだが妙に不格好な言葉遣いをしているような気がする。

 

「本日は訓練用のナイフを使用した模擬戦を行う、訓練の終了は貴様等の中で誰かが俺に有効打を与えたら終了。 俺に有効打を与えられた者は腕立て100回とする!」

 

「は、はいっ!」

 

 なんだか懐かしい、俺も施設に居た頃はよくやらされていたような気がする。実際ナイフなんて艦で戦う海軍には関係無いのだろうが、この訓練で大切なのはどれだけボロボロにやられても諦めずに立ち向かう事だって教えられたような気がする。

 

「それでは最初は誰だ?」

 

「じ、自分が行きます!」

 

 大尉の声に1番大柄な訓練生が前に出た、俺が施設でやらされて居た頃は大抵1番槍は俺の役割だっただけになんだか親近感が湧いてくる。

 

「やぁぁぁ!」

 

 ナイフを持ち大尉に向かって真っすぐ走る訓練生を見て苦笑してしまう、一見ナイフを突き刺すために突進しているようにも見えるが、狙いは大尉の膝を抱え込み転倒させてから仕留めるつもりなのだろう。

 

「この馬鹿が!」

 

「うぐっ……」

 

 大尉の膝を抱え込もうとした瞬間訓練生の背中に思いっきり肘が落ちた。本来であればタックルに合わせて顔に膝を入れるのが常套手段なのだが、流石にそこまでやる程大尉も鬼では無いのだろう。

 

「貴様は馬鹿かっ! ナイフを持った相手にタックルなんて死にたいのか!」

 

 そう言って大尉は訓練生の右肩を訓練用のナイフで叩く、実際ゴム製のそれで切れる事は無いのだが叩かれるとそれなりに痛い。

 

「す、すみません!」

 

「腕立てをしながら他の者を見ていろ! 次っ!」

 

 その後も訓練生達は試行錯誤を繰り返しながら大尉に挑んでいったが、結果は全員で仲良く腕立てをする事になった。腕立てを終えた物は疲労で何倍も重く感じるナイフを持って再び挑み、もう1度腕立てを行う事になる。

 

「諦めない心ってより、腕立てやらせたいだけなんだよなコレ……」

 

 実際2周目3週目と疲労が溜まっていけば自分よりも格上の相手に有効打を入れるなんて事は不可能になってくる、本当に狙うのであれば1週目を狙うべきだろう。

 

「なぁ大尉」

 

「なん……でしょうか?」

 

「久しぶりに俺も訓練に参加しても良いかな?」

 

「……はっ?」

 

 俺の提案に大尉は絶望的な表情を、訓練生達は腕立てをしながらも目をキラキラと光らせながら俺達のやり取りを見ていた。

 

「昔からお礼参りってのを1度やってみたかったんだよな」

 

 俺は肩を軽く回して首を鳴らすと身体の調子を確認する、若干の気怠さはあったが問題は無いだろう。

 

「怪我人があんま調子に乗るなよ……?」

 

「お、調子出てきたみたいだな」

 

 大尉の口調がいつも通りの上から目線に戻り、棒立ちだった姿勢がナイフを前に突き出し片腕を背中に回すと言う教科書に載っているような正しい姿勢になった。腕立てを終えた訓練生が俺にナイフを手渡そうとしてきたが、俺はそれを拒否する。

 

「ハンデとして俺は素手で良いですよ」

 

「馬鹿にしやがって」

 

 本来であれば訓練生の前で教官の株を下げるような真似は行うべきではない、それでも俺の過去の清算のためにも大尉にはここで恥をかいてもらおう。

 

「お前等、よく見ておけよ。 覚えて置けばストーカーに襲われた彼女を守る時に役に立つぞ」

 

「はいっ!」

 

 俺は腕立てをしている訓練生にそう伝えると元気の良い返事が返ってくる、実際俺が教えて貰った時にも同じ説明をされたのだが正直1度もそんな場面に遭遇した事は無い。

 

「……俺が勝ったらてめぇにも腕立てをやらせてやるからな」

 

「それじゃあ俺が勝ったら大尉が腕立てって事で」

 

 俺と大尉はにらみ合ったままジリジリと間合いを詰める、俺は大尉の姿勢から突くのか薙ぐのかを確認する。やや重心が前にあるような気がするし、恐らくは突く方だろう。突くのであれば狙うのは1番的がでかい腹部を狙う事が容易に想像できる。

 

「ふっ!」

 

 大尉は息を吐くのと同時に真直ぐ俺の腹部目掛けてナイフを握った右腕を突き出してくる、俺は突き出された右腕を自分の脇の下へ優しく誘導するように押してやると軽く身体を捻ってナイフを避ける。

 

「さて、どうする?」

 

 慌ててナイフを引こうとした大尉の腕を腋を締めて捕まえると、誘われた事に気付いて焦っている大尉の顔を確認する。

 

「くそがっ!」

 

「今みたいにナイフを相手にする時の基本は避ける事や受ける事よりも、相手が攻撃を外すように誘導するのがコツだから覚えておけ」

 

「おー……」

 

 悔しそうな大尉を他所に俺は訓練生に講義するように説明してやる、慣れてしまえば簡単な事なのだがこんな事で歓声を上げている訓練生が可愛く思えてきた。

 

「捕まえてしまえば後は簡単だ、頭突きをしても良いし空いている手でぶん殴ってやっても良い」

 

 俺は説明しながら大尉の顎に軽く手の平を当てると、人差し指で1本貰ったと合図をして捕まえた腕を解放してやる。

 

「……だからお前とこの手の訓練をするのは嫌なんだよ」

 

「施設に居た頃から俺の取柄はこれくらいだったからな」

 

 初めのうちは俺も弟や妹達と同じように何度も地面に組み伏せられていたが、陸軍のお姉ちゃ……隊長に指導してもらえるようになってからは体術の訓練だけは別枠で行うようになっていた。

 

「それじゃあ腕立てに行ってみましょうか」

 

「や、やりゃあ良いんだろうが!」

 

 大尉は地面に手をつくと腕立てを開始した、それを見ていた訓練生は少し鬱憤が晴れたようだったが正直そんな上手い話ばかりじゃ無い事も教えて置いた方が良いだろう。

 

「上官が腕立てしてるのに、お前達が上から見てて良いと思うのか?」

 

「えっ……? あっ、全員腕立て開始!」

 

 俺の言葉の意味を理解したのか大柄の訓練生が腕立てを行うと全員に合図を出した。

 

「それじゃあ俺は鎮守府を見て回る事にするよ、回数は敢えて言わないでおくが大尉が続ける限り頑張るように」

 

 俺は腕立てをしている大尉に軽く手を上げてその場を後にする、これで大尉は自分のプライドを守るために訓練生が全員へばるまでは腕立てを止める事ができなくなっただろう。そんな事を考えながら歩いていると何時から見ていたのか腕を組んだまま不機嫌そうな表情をしている加賀に引き留められた───。




from :大淀と愉快な仲間達

sub :榛名です!

初めましてでは無いですね

直接お話をしている訳ではありませんが、

再びお二人とこうして言葉を交わせると言うのはなんだか嬉しいですね

こちらはどちらかと言えば蒸し暑い日が多く、少しだけそちらが羨ましいです

もし可能であれば、湊さんがニコニコしているという話を

もう少し詳しく聞きたいのですが、どのような感じだったのでしょうか?


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提督のお仕事(2)

「新建造が来るとのことで迎えに行くようにとあの人からあなたに伝言です」

 

 加賀はそう言いながら白い封筒を俺に手渡して来た。

 

「新建造? 新しい艦娘が配属されるって事か?」

 

「ええ、私達と同じ空母だと聞いています」

 

「大湊って妙に空母が多い気がするが、何か理由があるのか?」

 

「あまりそう言った事に関しては聞いてないわね」

 

 鹿屋に居た頃には様々な艦種が居たと思うのだが、この偏り具合は一体何なのだろうか、そんな事を考えながら封筒を開けてみると確かに1隻艦娘を配属するという内容が書かれていた。

 

「隻か……」

 

「どうしました?」

 

「いや、人じゃなく隻って書いてあるのがどうにも違和感があってな」

 

 目の前に居るのは間違いなく人だと思う、確かに人と違う部分はあるのかもしれないがそんな事を理由に数え方まで変えてしまうのはなんだか気分が悪い。

 

「それと、今夜少し話をしたいのだけど」

 

「今じゃダメなのか?」

 

 態々今夜と言うからには何かあるのだろうが、お互い何か急用がある訳では無いのなら今話して置いた方が楽じゃないかと思ってしまう。

 

「なるべく人の居ない時間帯が良いわね、できれば静かな場所が良いのだけど」

 

「……要件は何なんだ?」

 

 加賀に限ってそんな事は無いと思うのだが、夜中に人気のない場所で密会すると言うのは個人的には避けたいと思う。

 

「ここでは話せません」

 

「は、話せない内容なのか……?」

 

「ええ、先ほどからこちらのじっと見ている人達が居ますので」

 

 加賀の指差した方向を見ると、確かに大尉や訓練生が腕立てをしながらこちらを見ているようだった。思わず真面目にやれと叫ぼうかと思ったが、こうして俺も雑談している以上はただの八つ当たりだと思い我慢しておく。

 

「赤城や蒼龍達も誘った方が良いか?」

 

「いえ、2人で話したいことがありますので」

 

「りょ、寮の俺の部屋か加賀の部屋でどうだ?」

 

「あそこは壁が薄いので二航戦や赤城さんに聞かれるかもしれません」

 

 少しでも話の内容が分かればよいのだが、加賀自身がここでは話せないと言っている以上は聞いても答えてくれないだろう。

 

「俺と赤城が隠れていた民家で良いか?」

 

「それでは2200に正門で合流しましょう、怪しまれるとまずいので私は少し早めに寮を出る事にします」

 

「分かった……」

 

 恐らくは俺の勘違いだとは思う、真面目な加賀がこのような誘いをしてくるとは考えられないのだが、どうしてもそういう誘いにしか思えなかった。もし勘違いじゃ無かった場合はどうやって誤魔化すか内容を考えて置いた方が良いのかもしれない。

 

「それじゃあ俺は新しい子を迎えに行ってくるよ」

 

「ええ、それでは夜に」

 

 加賀は小さく頭を下げると振り返って簡易弓道場のある方角へと歩いて行ってしまった。

 

「……俺も行くか」

 

 なんとなく気持ちを切り替えるために独り言を呟いて俺も正門の方角へと向かうと1人の少女が大きな荷物を持って立っていた。

 

「お前が新しい艦娘か?」

 

「そう……、です」

 

 何故か露骨に視線を逸らされてしまった。容姿的には加賀達よりも少し幼いくらいだろうか、ツインテールという髪型がその幼さを際立たせているような気がする。

 

「あなたがここの提督さんなの?」

 

「本当の提督は体調が悪くて今は俺が代理で提督をやってる。 名前は湊、これからよろしくな」

 

「……その、よろしくお願いします」

 

 見た目的には割と強気な性格なのかと思ったが、妙に俺と視線を合わせようとしないしチラチラと顔色を窺っているような素振りがある。

 

「えーっと、名前は瑞鶴で良いのかな?」

 

「はい……」

 

 緊張しているという訳では無いような気がする、どちらかと言えば怯えていると言った方が近いのだろうか。鹿屋での出来事を思い出して少しだけ雑談でもして様子を伺った方が良いと判断する。

 

「少し歩くか」

 

「わ、分かりました」

 

 俺は瑞鶴に向かって手を差し出すともの凄く嫌な顔をされてしまった。

 

「……手は握りたく無いです」

 

「い、いや。 荷物を持とうかって意味だったんだが」

 

「っ……お願いします」

 

 自分の勘違いが恥ずかしかったのか瑞鶴は顔を真っ赤にして俺に背負っていた荷物を渡して来たが、予想よりも荷物は重く地面に落としてしまいそうになった。

 

「何が入ってるんだ?」

 

「翔鶴姉が他の鎮守府に移る事になったらお土産を持って行けって……」

 

「何処から来たんだ?」

 

「舞鶴です」

 

 そう言って瑞鶴は鞄の中に手を突っ込むと中から菓子や酒瓶を取り出して俺に見せてきた。第一印象を良くしようと考えての事なのだろうが、そこまで気を使う必要も無いのになと笑ってしまった。

 

「そ、そうか。 まぁこれくらいの重さなら背負えば大丈夫かな」

 

 俺はそう言って荷物を背負うと正門から外に向かって歩き始める。瑞鶴は鎮守府内の案内と思っていたのか慌てて俺の後をついてきた。

 

「何処に行くんですか?」

 

「決めて無いよ、散歩に目的地なんて必要無いだろ」

 

「……変な人」

 

 その後は特に何か話す事も無くなんとなく2人で海沿いの道路を歩く。こうして少し離れた場所から鎮守府を見るとやはり救助作戦時の防衛でかなりの被害を受けている事が分かる。

 

「何も聞かないんですか?」

 

「何か聞いて欲しいのか? それと別に敬語じゃなくても良いぞ、だから鎮守府の外に出たんだからな」

 

「聞いて欲しい事は無いで……、無いかな」

 

 素っ気ない返事をしてみたが、実際は先ほどから親に叱られる子供のような表情で少し離れた場所を歩いている姿に何を話すべきか悩んでいる。

 

「翔鶴姉って言ってたけど、姉が居るのか?」

 

「うん、優しくて格好良くて……、すごく優しいの」

 

「2回言うくらい優しいんだな」

 

「うん」

 

 どうしてその姉はここに居ないのか。そんな事を質問をしてしまいそうになったが聞いても良いのか悩んでしまう、たまたま別の鎮守府に送られたという可能性もあるがそうじゃ無かった場合話の続きが困る。そんな事を考えて居ると瑞鶴の方から話題を振ってくれて少し安堵した。

 

「ねぇ、大湊ってどんな艦娘が居るの?」

 

「赤城に加賀、蒼龍に飛龍、後は龍驤かな」

 

「げ、一航戦が居るの……?」

 

「ん? 知り合いなのか?」

 

 瑞鶴は何航戦なのだろうか、恐らくはどこかに所属していたのだとは思うが生憎その手の知識は持っていない。それでも姉の話を振ってみたのは正解だったのかもしれない、少しぎこちなくはあるが先ほどのように怯えた様子は無い気がする。

 

「いや、翔鶴姉が先輩達には気を付けた方が良いって言ってた」

 

「先輩って事は瑞鶴は後輩なのか」

 

「私や翔鶴姉は五航戦だったからね」

 

 良く分からないが一航戦や二航戦が先輩になるって事は当時の建造された順か何かなのだろうか。

 

「仲が悪かったのか?」

 

「私は別に何も思って無かったけど、搭乗員の人達は結構嫌ってたみたい」

 

「どうして?」

 

「私から見ても一航戦の人達は練度高いなぁって思ってたけど、五航戦を見下さなくても良いと思わない? 私の搭乗員だってお荷物扱いされてたみたいだけど、絶対に低いなんて思わなかったもん」

 

「あぁ、その手の内容は今も昔も変わらないな」

 

「提督さんもそういうの経験あるの?」

 

 俺と大尉の関係も似たような物だとは思うが、実際陸軍に入ってからも先輩からある程度はそういう類の扱いを受けた事がある。

 

「あるある、その時はぶん殴ってやった」

 

「まじ……?」

 

「まじだよ、しばらく古い倉庫に閉じ込められたよ。 カビ臭いしジメジメしてるし最悪だった」

 

「なんか信じられないな~、そんな人が提督になれるものなの?」

 

 瑞鶴の言っている事も最もだと思う、思い返せば自分でも問題児だと自覚はあったがまさかこの階級まで出世する事になるとは思っても居なかった。

 

「代理だけどな、それに俺がこうして居られるのは鹿屋や大湊の艦娘のおかげだよ」

 

「ふーん、何だか提督さんって提督っぽく無いね。 舞鶴の提督はもっと嫌な感じだった」

 

「大湊の提督もかなり面倒なタイプだぞ、見た目は真っ白な老人なんだがすぐにいたずらしてくる」

 

「何それ……」

 

 俺は今まで提督にやられた事を話してやると瑞鶴は信じられないとでも言いたいのか何度も大きく瞬きをしながらその話を聞いていた。

 

「提督さんにも色々居るって事なのかな……?」

 

「だろうな、艦娘も色々な子が居るし似たようなもんだよ」

 

 実際艦娘の方が個性と言った面では強弱の差が激しい気がする、こうして話をしている限り瑞鶴はまだまともな方だろう。

 

「でも良かった」

 

「何がだ?」

 

 瑞鶴は何かに安心したようで大きく息を吐いて伸びをしている。

 

「最初は怖そうな人だなぁって思ったけど、提督さんが良い人そうで安心したかな」

 

「俺って怖いか……?」

 

「うん、目付き悪いし何か怒ってるのかなぁって思ってた」

 

 俺としては何かに怒っているつもりは無いのだが、そういう風に見えてしまうのだろうか。

 

「顔は生まれつきだ、怒ってないから安心しろ」

 

「うん、分かった。 それと見た目と違って優しい人みたいだし?」

 

 俺は瑞鶴の言葉の意味が分からず少し考えてしまう、とてもじゃないが優しいと評価されるような会話をした覚えは無い。

 

「荷物もそうだけど、歩幅も合わせてくれてたでしょ?」

 

「散歩に誘っておいて1人だけ先に行くなんて無粋な真似したくないからな」

 

「まぁそういう事にしてあげるね」

 

 それから何気ない話で少しは盛り上がったと思ったが、会話は瑞鶴の腹部から可愛らしい音が聞こえて終わってしまった。

 

「……何よ」

 

「飯にするか……」

 

 どうしてだろうか、俺が何か言った訳じゃないが俺が悪いとでも言いたいような目で瑞鶴が睨みつけてくる。

 

「近くに定食屋があるし、そこで良いか?」

 

「この辺りは分かんないし何処でも良いよ」

 

 以前赤城を匿っていた時の礼も言っていないし丁度良いだろう。流石に恥ずかしかったのか、お腹を押さえながら黙ってしまった瑞鶴と一緒に歩き始めた。

 

「こんにちはー」

 

 店の扉を開けると老婆に挨拶をしてみると、老婆では無く見慣れた2人の姿が視界に入った。

 

「あれ、湊さん? 身体はもう大丈夫なんです?」

 

「お腹が空いたから脱走でもしてきたの?」

 

 老婆よりも先に奥の席に座っていた蒼龍と飛龍が俺に声をかけてきた。

 

「少し目にばい菌が入ったらしいが、身体は大丈夫だよ。 それにしても、脱走しても良いがばれないように上手くやれよ」

 

「うん、気を付けるね」

 

「この前の戦闘で外壁が壊れちゃって梯子を使わなくても通れるようになったんですよ!」

 

 正直咎めるつもりも無いのだが、代理とは言え提督の俺にその情報を流すのはどうかと思う。俺はまったく悪いと感じてない飛龍の頭を痛くないようにそっと拳を乗せる。

 

「そういえば、これ返しとくね」

 

「ん? なんで蒼龍が俺の携帯を持ってるんだ?」

 

 俺は蒼龍から携帯を受け取ると質問してみる。

 

「代わりに定期連絡しておきましたよ!」

 

「変な事送って無いだろうな?」

 

 少し怖くなりメールを確認してみると若干気になる内容の送信を見つけてしまった。

 

「俺がいつニコニコしながら携帯をいじってたよ……」

 

「え、気付いて無かったの?」

 

「湊さんって携帯触ってるときはいつも優しそうな顔してますよ?」

 

 そんなつもりは無かったのだが第三者から見るとそうなのだろうか、少し恥ずかしくなってしまいどうやって誤魔化そうかと悩んでいると俺の後ろに立っていた瑞鶴が俺の脇腹を小突いて来た。

 

「あぁ、紹介するよ。 こっちが飛龍で隣に座ってるのが蒼龍だ」

 

「あれ? 新しい子が来たの?」

 

「ず、瑞鶴です!」

 

「おー、五航戦!」

 

「大湊に配属される事になったから、後輩いびりなんてせずに仲良くしてやれよ?」

 

 正直この2人がそういう類の事をするとは思えないが、先ほどの話を聞く限り一応は釘を刺して置いた方が良いだろう。

 

「私達ってそんな風に見えます……?」

 

「どうなんだ?」

 

 一航戦と五航戦の間でいろいろあったと言う話は聞いたが、二航戦である彼女達はどうだったのだろうか。

 

「うーん、訓練が厳しかったって聞いてるしむしろ搭乗員の間では配属されたくないって聞いたことあるような……?」

 

「人殺し多聞丸ってやつだっけ?」

 

「あ、あれは航空機の重要性をいち早く認識した多聞丸の優しさだよ!」

 

「その多聞丸って何者だよ……」

 

 当時がどのような様子だったのかは分からないが、ちょっとやそっとの事で人殺しなんて物騒なあだ名を付けられるはずが無い。赤城や加賀もそうだったが空母って結構物騒だったのでは無いだろうか。

 

「そしたら所で立ってねで早ぐ座って注文しなが!」

 

「す、すみません。 俺は焼き魚定食で、瑞鶴はどうする?」

 

「わ、私も同じで良いよ」

 

 老婆に早く注文しろと怒られてしまった事で俺と瑞鶴は慌てて料理を注文してテーブル席に座る。

 

「瑞鶴も何かあだ名とかってあったのか?」

 

「あだ名って程じゃないけど……」

 

 全員が物騒な話題を持っているのでは無いかと思い、何となく瑞鶴に尋ねてみるが少し失敗だったかもしれない。

 

「その、幸運の空母って……」

 

「そうか、悪かったな」

 

「どうして提督さんが謝るのよ」

 

 瑞鶴が少し気まずそうにしていたので聞いたことがまずいとは感じていたが、幸運という言葉を聞いて聞くべきじゃないとはっきり分かった。

 

「俺の知ってる艦娘にも幸運艦だった子が居てな、その子も随分と気にしてたんだ」

 

「幸運艦って雪風か時雨の事?」

 

「あぁ、鹿屋には時雨が居るんだ」

 

 俺は聞いた事は無かったが意外と有名な話なのかもしれないと思った。時雨と話をした時には幸運と不幸は紙一重だと思ったが恐らくは瑞鶴にも心当たりがあるのかもしれない。

 

「私も何かあだ名が欲しいなぁ」

 

「蒼龍にはそういう話は無いのか?」

 

 少し気まずくなった空気を変えてくれたのは蒼龍だった、こういう所で空気が読めるのはすごくありがたいと思う。

 

「そういえば蒼龍さんの話ってあまり聞いたことないかも?」

 

「うーん、多聞丸程じゃないけど私は柳本艦長の事良いなって思ってたけどね」

 

「身体が半分焼けても最後まで燃えるブリッジに残ってたって人でしたっけ?」

 

「懐かしいなぁ、私は早く逃げてってずっと思ってたんだけどね」

 

 俺は話について行く事ができずに老婆が持ってきてくれたお茶をすする。もう少し勉強しておけば良かったとも思ったが瑞鶴が馴染めているようで少し安心できた。

 

「加来艦長も山口司令官も退艦を拒否してましたよね?」

 

「そうだね……。 そういえば、艦娘になって色々本を読んだんだけど多聞丸は有名なのに加来艦長ってあんまり名前が出てこないだよね」

 

「むしろ私達の事ってあまり話題になって無くないです? 大和さんの話題は良く聞きますけど」

 

 その話は俺も分かる、実際艦の事に対して詳しくない俺でもその名前は知っている。

 

「まぁ負けちゃったから仕方が無いのかもね。 大和さんで思い出したんだけど、1番驚いたのは───」

 

「「「宇宙に行った事」ですね」だよね」かな」

 

 真面目な話から内容が一気にぶっ飛んでしまった事でお茶を吹き出してしまった。確かにそんなアニメがあったって話は聞いたことがあるが、実際に同じ時代を知っている彼女達には予想外過ぎる内容だったのだろう。

 

「ちょ、ちょっと! 提督さん大丈夫!?」

 

「あ、あぁ。 予想外の話題が出てきてちょっと驚いただけだ」

 

 なんと言うか瑞鶴にかからなくて良かったと思う、俺はテーブルの上をお手拭きで拭きながらなんでもないと言ってみるが先程の話題がツボに入ったのか蒼龍と飛龍は大笑いしていた。

 

「冷まなぐら前サけけろ」

 

「どうも」

 

「ありがとうございます」

 

 老婆が2人分の焼き魚定食を持ってきてくれた事で俺と瑞鶴は両手を合わせてから箸を取る。その後も3人は色々と愚痴や笑い話で盛り上がって居たが俺は22時からの事をどうするか悩んでいた───。




to :大淀と愉快な仲間達

sub :至急連絡を下さい

今日の担当が誰か分からないが、駆逐艦だったらメールの先は読まずに重巡以上の艦娘にメールを見せてください

もう1度繰り返すが、駆逐艦だったら重巡以上の艦娘に代わってもらってくれ

少し話しづらい内容なんだが、2200から2人で人気の無い場所で話がしたいと言われてしまいました

正直そんな誘いをしてくるような相手じゃ無いはずなんだが、もし本当にそう言う内容だったらどう誤魔化せば良いか教えてほしい

もの凄く情けない連絡をしているのは分かるんだが、下手な誤魔化し方だとまずいと思ってアドバイスが欲しいんだ

よろしく頼む


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提督のお仕事(3)

from :大淀と愉快な仲間達

sub :那智だ

私は重巡洋艦だから内容を読んだが、何かの戦術行動では無いのか?

恐らく貴様も考えていると思うが、暗殺や報復の可能性も捨てきれないと思う

最低でも護身用のナイフは持って行った方が良いだろう

教官の話は大淀から聞いているが、こうして私達に連絡してくるという事は相手は余程の強者なのだろう

自分の弱さを認めて他者に意見を求めると言う事は決して情けない事では無い

あまり大した事は言えなかったが、最後に鹿屋の艦娘一同は貴様の勝利を祈っていると伝えておこう


「ご馳走様でした」

 

 俺は瑞鶴が食べ終えるのを待ってから一緒に手を合わせる。やはり彼女も他の空母と同じく気持ちの良い食べっぷりを見せてくれたが一体その身体の何処に入っているのか不思議に思える。

 

「ここのご飯美味しいよね」

 

「はい、舞鶴のご飯があまりに酷かったって思い知らされましたよ」

 

「舞鶴って京都だよな、飯は不味いのか?」

 

 蒼龍と瑞鶴の話を聞いていると何となく疑問が生まれた、実際行った事が無いから分からないのだがなんとなく京都ってだけで美味しい和食って印象がある。

 

「私も翔鶴姉も良く分かんない缶詰ばかり食べてたかな……」

 

「……それって乾パンとちょっと臭い謎の物体か?」

 

「そう! それ! 何で提督さんが知ってるの?」

 

 あくまで仮定なのだが、鹿屋の食事事情が改善された事によって余った缶詰が他の鎮守府に流れてしまったのでは無いかと思えてきた。

 

「う、噂で聞いたことあるだけだよ」

 

「すっごく不味いもんね!」

 

 まさか俺の思い付きで被害者が出てしまっているとは思わなかった。この事は本人には知らせない方が良いと俺は黙って食後の茶をすすった。

 

「さて、そろそろ私達は警戒任務に戻るかな」

 

「そうだね、午前中は負けちゃったけど次は負けないからね。 湊さんや瑞鶴ちゃんも深海棲艦の残党が居るかもだから気を付けてね」

 

 2人はそう言って立ち上がると蒼龍が2人分の代金を支払っているようだった。警戒任務や深海棲艦の残党という言葉から2人が鎮守府周辺の深海棲艦を迎撃してくれている事が分かった。

 

「私達はどうするの?」

 

「1度宿舎に帰るか、瑞鶴の部屋を決めないとだろうし」

 

 俺は一気にお茶を飲み干すと立ち上がり老婆に代金を渡す。

 

「ご馳走様でした。 それと、この前はありがとうございました」

 

「何の事か分かきやねばって、また食べサこながぐれれば良いし」

 

「はい、また来ますね」

 

 俺は軽く頭を下げて瑞鶴と一緒に店を出る。

 

「先輩達はどうだった?」

 

「蒼龍さんも飛龍さんも良い人かなって思った、後は一航戦の人達がどんな感じなのかなぁ……」

 

「赤城は普段は大人しいけど、戦闘中は見間違える程凛々しくなるな。 加賀は俺の歴史の先生って所だけど、あまり雑談なんかはした事無いんだよな」

 

「歴史の先生? 私とか翔鶴姉の事とか何か言って無かった?」

 

「いや、特に聞いて無いと思うけど」

 

「……そっか」

 

 その加賀と22時から会うと言う約束をしている以上は恐らくは瑞鶴よりも俺の方が彼女の情報を欲しがっているような気がする。

 

「何かちょっと緊張してきたかも」

 

「まぁいじめられたら言って来いよ、場合に寄っては助けてやる」

 

「うん、そうする」

 

 いじめなのか指導なのかは判断は難しくはあるが、本当に瑞鶴がきついと感じているようであれば間に入ってやるのも俺の仕事だろう。

 

「何かブーブー鳴ってない?」

 

「ん? あぁ、メールの返信があったみたいだ」

 

 俺は携帯を開くと内容を確認する、瑞鶴は内容を見るのはまずいと思ったのか俺に背中を向けて鎮守府のある方角を眺めてくれていた。

 

「ふむ、この発想は無かったな……」

 

 確かに加賀を1度取り押さえた事もあるし、作戦の時にはかなり反対していたと思う。もしかしたら訓練の様子を見ていたのは俺の動作から弱点を探していたと考えれば説明がつくような気がする。

 

「お仕事?」

 

「まぁそんな所かな」

 

 やはり相談して正解だったと思う、そういう誘いだと気の抜けた状態で向かえば大変な事になる所だった。俺は携帯を再びポケットに入れると悩んでいた自分が馬鹿らしくなり大きく伸びをした。

 

「よし、帰るか」

 

「うん!」

 

 俺と瑞鶴は並んで道路の上を歩く、立ち位置が俺の後ろでは無く横に変わった辺り少しは親睦を深める事ができたのだろうか。そんな事を考えながら鎮守府に戻ると真直ぐ目的の寮へと向かった。

 

「ここが艦娘が使ってる寮だな、俺も空き部屋を借りてるが飛龍達もここに住んでるらしい」

 

「思ってたより綺麗な所なんだね」

 

 俺も初めてここを見た時は似たような事を思った記憶がある、実際大湊の提督が建てた事を考えれば新築同然なのだろう。

 

「あら、おかえりなさい」

 

「……加賀か、ただいま」

 

 寮に入ると首にタオルをかけた加賀が廊下に立っていた、恐らくは先ほどまで訓練をしていたと思うのだが夜に備えて調子の確認をしていた可能性もある。

 

「その……、瑞鶴です」

 

「新造艦は五航戦の事だったのね」

 

 挨拶する訳でも無く名前を呼ぶ訳でも無い、事前に瑞鶴から話を聞いて居なければなんとなく流していたのだろうが意識して聞いてみると確かに何処かトゲがあるように感じられるような気がする。

 

「な、何よ。 私じゃ不満がある訳?」

 

「別に」

 

「どうせ一航戦様から見れば五航戦なんてお荷物ですもんね?」

 

「そんな事よりもその大荷物は何ですか?」

 

「そ、そんな事!?」

 

 何やらムキになっている瑞鶴を見ながら考えてみたが、そもそも加賀は蒼龍達の事も二航戦って呼んでた気がするし実はいつも通りじゃないのかと思えてきた。

 

「あ、あぁ。 瑞鶴がお土産を持ってきてくれたんだ、食べ物もあるから先に置いて来るよ」

 

「五航戦にしては良い心がけね、赤城さんの部屋に冷蔵庫があるのでそちらを使ってください」

 

「あいよ、悪いが加賀は少しの間だけ瑞鶴の相手をしてやっててくれ」

 

 ここはもう少し様子を見るべきだろう、何か瑞鶴の方から加賀に突っかかっているような気がしないでも無いし正直今のやり取りだけでは良く分からなかった。

 

「それじゃあよろしくな」

 

 俺は赤城の部屋に入ると扉を完全に閉めずに少しだけ開けて会話が聞こえるようにして様子を伺う事にした。

 

「……何よ?」

 

「相手をしろと言われましたが、何を話せば良いのかしら」

 

「べ、別に何も話さなくても良いわよ!」

 

 なんだかマイペースな加賀と緊張してぎこちなくなっている瑞鶴のやり取りは聞いてて少し面白い。俺はそんな事を考えながら荷物を広げて菓子を冷蔵庫に詰めていく。

 

「どうしてあなたがここに配属になったのかしら」

 

「どういう意味よ!」

 

「大湊はあなたの居た舞鶴と違い最前線と言っても良い場所よ、そんな所に五航戦なんかを寄こすなんて上も何を考えているのかしら」

 

「つまり私と同じ鎮守府は嫌だって事?」

 

 加賀に瑞鶴が舞鶴から来たとは言っていないはずなのだが、どうして知っているのだろうか。どのタイミングで止めに入るか考えながら荷物を整頓していると鞄の底から手紙が出てきた。

 

「上の考えに対して疑問を持っているだけよ」

 

「はっきり言えば良いじゃない!」

 

「私から言える事は1つね、ここに配属になった以上は訓練に励みなさい」

 

「そ、そんなの言われなくたって分かってるわよ!」

 

 手紙には瑞鶴について細々と書かれていた、好きな食べ物や嫌いな食べ物、どのような性格なのか、普段どのような生活を送っていたのか。最後の締めの言葉はよろしくお願いしますと丁寧に書かれており、読んでいるとつい頬が緩んでしまった。

 

「何を怒っているのかしら」

 

「怒ってなんか無いわよ!」

 

「そう」

 

「ムギギ……!」

 

 俺は手紙をポケットに入れると、そろそろ2人の間に入ってみるかと思い赤城の部屋から出た。

 

「提督さんからも何か言ってやってよ!」

 

「加賀がどう思っているかは分からないが、俺としては瑞鶴が来てくれたことは嬉しく思うけどな」

 

「私は何とも思っていません、これが上の指示であれば私のやるべきことをやるだけです」

 

「それで良いんじゃないか?」

 

「え、良いの!?」

 

 俺が完全に味方だと思っていた瑞鶴は、俺が加賀の言葉に同意した事に驚いているようだった。理不尽な事を押し付けるようであれば止めるつもりだったが、この程度であれば俺が口出しする問題では無いと判断できる。

 

「提督さんはどっちの味方なのよ!」

 

「俺は誰かのってよりも艦娘の味方かな」

 

「本当にそうなのかしら」

 

 瑞鶴と加賀から睨まれてしまう、瑞鶴に睨まれるのは何となく分かるのだがどうして加賀にまで睨まれてしまうのだろうか。やはり那智の助言の通り恨みでも買ってしまっていたのだろうか。

 

「それでは私は訓練に戻ります」

 

「そうか、無理はしないようにな」

 

 俺と瑞鶴はその後ろ姿を見送ると、加賀が見えなくなったタイミングで結構強めに脇腹を小突かれてしまった。

 

「全く! 何よあの態度!」

 

「八つ当たりは止めろよ、思ってたより良い先輩じゃないか」

 

「ご、ごめん。 って何処がっ!?」

 

 何処がと聞かれてもどう説明したら良いのか悩んでしまう、別に加賀は瑞鶴が来たことに対してはっきり不満があると口に出した訳では無いと思うし、最前線だからこそしっかりと訓練を行えっていうのは心配しているからこその言葉だと思う。

 

「うーん、なんて伝えれば良いんだろうな」

 

「知らないわよ、提督さんの嘘つき!」

 

 瑞鶴自身の練度がどの程度の物なのかは知らないが、赤城や加賀達よりも下なのは何となく予想が付く。そうであれば低練度の者を最前線に寄こしたとなれば俺が加賀の立場でも上の考えを疑うだろう。

 

「もう知らない!」

 

「お、おい」

 

 瑞鶴は俺が加賀の言葉を否定しなかったのが気に入らなかったのか頬を膨らませてネームプレートの無い部屋に入って行ってしまった。

 

「そこは俺の部屋なんだけどな……」

 

 俺の部屋と言っても殆ど使っていなかったので別に問題は無いのだが、丁寧に鍵までかけられてしまい声をかけても返事が返って来ない。一応鍵は持っているので開ける事はできるのだが、瑞鶴が落ち着くまではそっとしておいた方が良いだろう。

 

「俺は少し準備する事があるから離れるが、何かあればその辺の奴を捕まえて俺を呼び出して貰え、急ぎなら治療施設に赤城や大湊の提督が居るからそっちに行くと良い」

 

 一応緊急時の対応は伝えておくが瑞鶴からの返事は無かった、意地っ張りな寂しがり屋と手紙には書かれていたが本当に寂しがり屋なのであればそのうち部屋から出てくるだろう。俺はそんな事を考えながら夜の戦闘のための準備をする事にした───。

 

 

 

 

 

 

「待たせたな」

 

「……その恰好は何?」

 

 戦闘を行う可能性がある以上は動きやすい服装を、夜の戦闘という事でなるべく暗い色と考えて俺はドッグの連中から作業用のツナギを借りてきた。

 

「変か?」

 

「いえ、別に構いません」

 

「それじゃあ行くか」

 

 加賀の服装はいつもと変わらず、もしかしたら別の人間が待ち伏せをしている可能性があるのかもしれない。仮にそうだとしても逃げる事に徹したら余程の相手じゃ無い限りは大丈夫だろう。

 

「あの子は?」

 

「瑞鶴の事か? 口は聞いてくれないが夕食でカレーを差し入れしたら美味そうに食ってた。 今は蒼龍に様子を見てもらうように頼んでるよ」

 

「そう」

 

「気になるのか?」

 

 加賀から聞いて来たはずなのだが、俺の質問に返事はしてくれなかった。そこからは黙ったまま目的の民家まで歩く、周囲に人の気配は無いようだが油断はしない方が良い。

 

「こんな所に隠れていたのね」

 

「あんまり隠れてたって気はしなかったけどな」

 

 赤城には家から出ないようにと指示を出していたが、俺自身は近くの住民の仕事の手伝いで出歩いていたし、何度か憲兵とすれ違ったような記憶がある。

 

「それで、何の話なんだ?」

 

 加賀を先に家の中に入れると、俺は玄関側に立って扉の鍵をかける。背後から来るのであれば扉を破壊する必要があるし、いざという時のために退路も確保しておいた方が良いだろう。

 

「その前に1つ良いかしら」

 

「何だ?」

 

「敵意を向けるのを止めて欲しいのだけど?」

 

 加賀の言葉を聞いて鼻で笑ってしまいそうになった。

 

「油断させたいならその発言は見え見えだな」

 

「え?」

 

「ん?」

 

 何故か会話が噛み合わない、加賀の頭の上に?マークが見えそうな表情をしているし、俺自身良く分からなくなってきた。

 

「取り押さえたり、加賀の反対を押し切って作戦を決行した恨みを晴らすんじゃないのか?」

 

「何の事でしょうか」

 

 まだ俺を油断させようとしているのだろうか、それとも俺の勘違いで本当にそういう誘いだったという事なのだろうか。

 

「良く分かりませんが、本題に入った方が良いのかしら」

 

「ちょっと待て、心の準備をする」

 

 どういう事なのだろうか、那智のアドバイスを読んでからその手の誘いを断るための方法は考えて無かった。しかし勘違いと言う可能性もまだある、本題に入る前にこちらから牽制して置いた方が良いだろう。

 

「その、本題って……。 その、そういう内容なのか?」

 

「そういう内容って何かしら」

 

「……夜戦?」

 

「空母の私に夜戦は無理かと」

 

 空母だから無理という理屈は何なのだろうか。

 

「何を言っているのか分からないけど、新型の深海棲艦についてあなたに聞きたいことがあるのだけど?」

 

「そうか」

 

 緊張したせいか背中にどっと汗をかいているのが分かる、どうして通気性の悪いツナギなんて着てきてしまったのだろうか。

 

「単刀直入に聞きますが、アレと知り合いなのかしら?」

 

「すまん、良く分からないんだが……」

 

「書類上はアレは私達が沈めた事になっていますが、無傷と言っても良い姿で現れました」

 

「あれだけやってもダメだったのか……」

 

 ミサイル艦を避けた様子は無かったと思う、避けられないように色々と工夫したつもりだったが正確には深海棲艦にとっては避ける必要も無かったという事だったのだろうか。

 

「私達は意識の無い赤城さんとあなたを守るために艦載機を発艦させましたが、全て迎撃されています」

 

「それならどうして俺達は生きているんだ?」

 

「分かりません、深海棲艦はあなたを少し眺めた後に去って行きましたので。 だから知り合いなのかと聞いているのだけど?」

 

「まさか、艦娘の知り合いは居るが深海棲艦に知り合いを作った覚えは無いよ」

 

 加賀はその理由を聞きたいのだろうが、正直俺自身今の話を何1つ理解できない。俺が覚えているのは意識を失う瞬間に見た言葉と嬉しそうに微笑む姿だけだったから。

 

「なぁ、深海棲艦って何だと思う?」

 

「敵です」

 

「いや、そうじゃなくて。 加賀達は昔の艦の魂を持ってるんだろ? もしかしたらアレもそういう類なんじゃないかなって」

 

「私達と深海棲艦が同じものだと言いたいのですか?」

 

 俺の言葉は加賀の癇に障ったらしい、敵と同じだと言われて喜ぶ者も居ないのは分かるのだが俺の言っている意味はそうでは無い。

 

「口の動きだけだったからはっきりと断言はできないが、俺が海に飛び込む瞬間アイツは言ったんだ『ヤットキテクレタ』って」

 

「やはり知り合いか何かでは?」

 

「その線は無いって、もしかしたらアイツ等も人の近くに居た存在なのかなって思っただけだよ」

 

「深入りをするのはやめた方が良いわね、戦争中に敵の事を考えればいつか判断に迷う時が来るわよ」

 

「それって経験談か?」

 

「ええ、そういう人達も多く見送って来たもの」

 

 少し気まずい空気になってしまったが、その空気は俺の持っている携帯の着信音で終わりを告げた。登録されていない番号のようだが俺は通話のボタンを押す。

 

「……もしもし?」

 

「あっ、湊さん!? 瑞鶴ちゃんが居なくなっちゃったの!」

 

 鎮守府からかけてきた蒼龍の言葉を聞いて俺と加賀は走り出した、夕食の時には部屋に居たのは確認しているから居なくなってからそう時間は経っていないとは思うのだがまだ周囲に深海棲艦の残党が居る可能性がある以上は放置できない内容だった───。



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怒って泣いて笑って(1)

「やっと帰って来た! ちょっと目を離した隙に……、って加賀さんも一緒だったの?」

 

 寮に戻ると蒼龍がバタバタと足音を立てながら駆け寄って来た、事情を聞こうと思ったのだが俺よりも早く加賀が蒼龍に詰め寄る。

 

「それよりもあの子は何処に?」

 

「えっと、話しかけても返事が無いなと思って部屋を覗いてみたんだけど部屋の中に誰も居なくて……」

 

 蒼龍はそう言って俺が預けていた鍵を手渡して来た、加賀は下唇を噛み締めて何かを考えているようだったが、その表情を見てここまで露骨に表情を見せるのが珍しいなと思ってしまった。

 

「とりあえず落ち着けよ、今は何か手がかりが無いか探してみよう」

 

「何を悠長な事を!」

 

「か、加賀さん落ち着いて」

 

 もし遠くに行ったのであれば何かしらの準備をしていた可能性もある、実際には今日大湊に来た瑞鶴にとって遠出しようにも地理を理解していないと思う。俺達は部屋の中を見渡してみるが床には白い海軍の制服やハンガーが散乱していた。

 

「湊さん、少しは部屋を片付けた方が良いですよ?」

 

「……あぁ、そうだな」

 

 制服は瑞鶴にカレーを届けたタイミングでクローゼットにしまっておいたはず。俺が制服を拾おうとすると、慌てて蒼龍が制服を拾い上げわざとらしく埃をはたき始めた。

 

「そんな事よりも今はあの子が何処に行ったのか手掛かりを探しましょう」

 

「そんなに瑞鶴の事が心配なのか?」

 

「……あの子はまだ未熟です、何かあったらどうするつもりですか?」

 

「どうするも何も、加賀は瑞鶴がこの鎮守府に配属されたのは不服だったんじゃないのか?」

 

 俺の言葉に明らかに苛立っている加賀と、それを見て慌てている蒼龍を無視して話を続ける。

 

「これが脱走ならそれなりの罰を与えればいい、もしかしたら解体の可能性もあるが加賀が瑞鶴を戦力として見ていないのなら問題無いだろ」

 

「やはり私達の味方という発言は嘘だったようね」

 

「まさか、俺は艦娘の味方だよ。 それよりも五航戦はお荷物らしいし丁度良いんじゃないのか?」

 

「頭に来ました。 あの子はお荷物なんかじゃ無いわ、何も知らないあなたが好き勝手言わないで」

 

 加賀に胸ぐらを掴まれ睨まれてしまう、蒼龍がどうやって止めようかと慌てているがもう少し粘ってみても良いだろうか。

 

「繰り返すようだが瑞鶴の配属は不服だったんだろ?」

 

「そんな事一言も言っていません、未熟なあの子が最前線に来てしまっては私達がここを支えている意味が無くなると言う事くらい分からないのかしら?」

 

「なるほど、そういう意味だったらしいぞ」

 

 俺は加賀の手を振り払うとクローゼットの扉を開ける。数秒の沈黙の後、加賀が大きく溜め息をついて疑問を口に出した。

 

「……何をしているのかしら?」

 

「べ、別に私が何処に居たって関係無いでしょ!」

 

「良いから出ろ、制服が皺になる」

 

 俺は瑞鶴をクローゼットの中から追い出すと蒼龍から制服を受け取り片付ける。顔を真っ赤にした瑞鶴は何を話せば良いのか分からないのか俺と加賀の顔を交互に見ていたが、これ以上世話を焼くつもりは無かった。

 

「時間を無駄にしました」

 

「寝る前に加賀に任務を伝えておくが、明日から加賀は瑞鶴の訓練を見てやれ」

 

「ちょっと、提督さん!?」

 

 慌てる瑞鶴と露骨に嫌そうな顔をした加賀、俺に意図が伝わって嬉しかったのか笑みを浮かべている蒼龍で部屋の中はなんとも言えない不思議な空気になってしまっている。加賀はどうやって断ろうか考えて居るようだったが逃げ道を塞いでおく事にした。

 

「上の指示なら加賀はやるべき事をやるだけなんだよな?」

 

「はぁ……。 甘やかすつもりは無いから、しっかり付いてきなさい」

 

「は、はいっ!」

 

 加賀はそう言ってこちらに顔を向けないまま部屋を出て行ってしまった。耳が赤くなって居た事はあえて言わないが俺の脇腹を小突いてくる蒼龍がなんとなくうざい。

 

「私もそろそろ寝よーっと!」

 

「待て」

 

 俺が呼び止めると蒼龍の後ろ姿が大きく震えた。

 

「こういう事をするなら事前に連絡をしろ。 こう見えて俺もかなり心配してたんだからな?」

 

「やっぱりバレちゃってたか……」

 

「さっきから覗いてる飛龍もさっさと寝ろ」

 

 俺がそう言うと窓の外で誰かが走り去る音が聞こえてきた。大湊に来たばかりの瑞鶴がこんな事を計画するとは思えないし、恐らくは蒼龍か飛龍のどちらかの案なのだろう。しかし、この鎮守府はどうしていたずらばかりする連中が多いのだろうか。

 

「その……、ごめんなさい」

 

 俺は黙って瑞鶴の頬を摘まむと少しだけ力を入れてみる。予想以上に柔らかい感触に何処まで力を入れて良いのか迷ってしまったが、恐らく痛みは無い程度で止めておくことに下。

 

「ひょっほ、へいほふさん?」

 

「次は無いからな」

 

 瑞鶴が頷いたのを確認して手を放す、痛くしたつもりは無かったのだが摘ままれた頬を瑞鶴が押さえていて少し不安になる。

 

「……悪い、痛かったか?」

 

「全然?」

 

「そうか、良かった。 それより優しい先輩達ばかりで良かったな」

 

「うん、翔鶴姉と離れてちょっと寂しかったけど頑張れそう」

 

 手紙には瑞鶴は素直じゃ無いし我儘な所もあるが、根は真面目で寂しがり屋だと書かれていたがその通りだと思った。こうして代理ではあるが提督としての初日は終わりを告げた、正直提督らしい事をして無い気もするが細かい事はこれから覚えて行けば良いだろう───。

 

 

 

 

 

「ここ、誤字がありますよ」

 

「焦らなくても良いから間違えない方が書類仕事は早く終わるのを覚えて置け」

 

「焦ってるつもりは無いんだけどな……」

 

 修復された提督の部屋で俺は書類と2時間以上は睨めっこをしているような気がする、大湊の提督が事前に書類を見て俺に任せられるか判断、赤城が俺の書いた書類に誤字や妙な言葉遣いが無いか確認してくれている。

 

「そろそろ休憩にするか、お茶を頼めるかね?」

 

「はい、湊さんも休憩にしましょう」

 

「あぁ、俺は珈琲で頼む」

 

 赤城は飲み物を用意するために部屋から出て行った、俺はなんとなく嬉しそうな提督を見ていると視線に気づいたのか提督はわざとらしく大きく咳ばらいをしてきた。

 

「相変わらずの親馬鹿だな」

 

「……やはりあの子は貴様には勿体ないな」

 

「その話はもう止めた方が良いんじゃ無いか……?」

 

 あれから提督は2人になると毎回この手の話題を振って来る、正直再び殴り合いが起きてしまいそうなので俺としては別の話題の方が良いのだがこの男は一体俺にどんな反応を求めているのだろうか。

 

「医者の話だと儂の腰が治るのは1ヶ月程度らしい、正直手放したくは無いが上は貴様に期待しているようだな」

 

「提督のおかげですよ、正直俺1人じゃ何もできなかったと思う」

 

 実際この男から学ばせて貰った事は多いし、今もこうして提督としての仕事や心構えと言った事は学ばせて貰っている最中だった。正直酒と親馬鹿な所を覗けばとても素晴らしい人だとは思うのだが、本人曰く完璧な人間よりも欠点がある方が下を引き付ける魅力になるらしい。

 

「大湊の次は横須賀か、あそこは艦娘の研究が進んでるらしいが機密が多すぎて正直儂にもよく分からん」

 

「当たり前すぎて感覚が無くなりますけど、赤城達ってかなりの機密なんですよね」

 

「まぁそのうち嫌でも有名になるだろう、儂の見立てだと北海道を取り戻すのも時間の問題だからな」

 

「その知らせは楽しみにしてるよ」

 

 大本営の指示で提督の体調が回復するまでは基本的に待機か防衛するようにと言う指示が出ている、俺もその瞬間に立ち会いたいと思っては居るのだが提督の体調が良くなる頃には次の鎮守府に移動していると思うし、諦めるしか無いだろう。

 

「お待たせしました、お茶菓子も用意しましたのでどうぞ」

 

「あぁ、すまない」

 

「ありがとう」

 

 赤城が戻って来たので俺と提督は互いに飲み物を受け取り一息つく事にした、赤城達には俺が居なくなる日付は話していないが正直湿っぽくなりそうだし鹿屋の時と同じように黙って去った方が良いと提督には相談しておいた───。

 

 

 

 

 

「「かんぱーい!」」

 

「乾杯は良いんだが、お前達ってジュースで乾杯するような歳なのか?」

 

 提督や赤城が手伝ってくれないと書類をまとめるだけで日付が変わってしまう事もあったが、半月もしたら夕食時までにはどうにか書類を終わらせることができるようになってきた。今日は久しぶりに鎮守府の食堂では無く例の定食屋で夕食を取ろうと思ったのだが、蒼龍と飛龍に後を付けられ奢らされる事になってしまった。

 

「女性に歳は聞いちゃダメなんですよ?」

 

「そういえば私達っていくつなんだろ、空母歴で言うなら70歳は超えてるような……」

 

「下手するとこの店の婆ちゃんより年上だな」

 

 身体年齢的には元になった女性の年齢なのだとは思うが、記憶や精神面で見ると確かに飛龍の言う通り70歳は軽く超えているのかもしれない。そうなると見た目的に幼い駆逐艦の子達でも同じことが言えるのだろうが、暁達は精神的にも幼かったような気がする。

 

「やだやだやだぁ! 私はお婆ちゃん何かじゃありませんよーだ!」

 

「はいはい、俺が悪うございました。 好きな物食って良いから機嫌を直してくれませんかねぇ」

 

「じゃあ、私貝のやつ!」

 

「……飛龍って毎回それ食べてない?」

 

 思い返せばこの2人には初めて会った時からかなり振り回されているような気がする。明るい性格は加賀を元気づけるための演技だと思っていたのだが、打ち解けた今でも些細な事で笑わせてくれる事は多くこうして仕事で疲れたタイミングでは良い気分転換になっている。

 

「そうそう、湊さんに話そうと思ってたんだけど。 意地悪大尉さん居るでしょ?」

 

「あぁ、また何か問題起こしたのか?」

 

「この前たまたま食堂で会ったんだけど、今まで悪かったって謝られてご飯奢って貰っちゃった!」

 

「ほぉ、明日は雪かもしれないな」

 

 提督にばれないようにだがあれから数度大尉の訓練に参加させてもらっている、それも大尉の部下からもう許してあげて欲しいと集団で頭を下げられた事で最近はご無沙汰になってしまっている。

 

「最近は理不尽な八つ当たりもないって訓練生の子達も安心してるみたいだし」

 

「やりすぎたのかねぇ……」

 

「正直見てるとちょっと可哀そうだったかも……」

 

「今度謝っておくよ」

 

 落ち着いた今だからこそ分かった事があるのだが、大尉は確かにめんどくさい性格をしていると思うが、意外と同僚や部下からは人気があるらしい。何度か飲みに行かないかと誘われて断っているが、意外と気前が良かったり訓練生に夜遊びを教えたりと軍という仕事を外れてしまえば面倒見が良い所があると訓練生達に教えて貰った。

 

「さて、俺は明日の準備があるから先に帰るよ」

 

「えー、働き過ぎは身体に良くないですよー?」

 

「うんうん、蒼龍の言う通り! ここは朝まで一緒に飲み明かそう!」

 

「お茶で朝まで飲み明かすとか俺には難易度が高すぎる」

 

 俺はそう言って頼んだ料理の金額よりも少し多めの額を老婆に渡すと店を出る、蒼龍と飛龍は明日は非番かもしれないが研修中の俺に休みは無い。もう少し付き合っても良かったかなと歩きながら思ったが、少しずつ変わっている大湊の事を考えると少しだけ嬉しくなった───。

 

 

 

 

 

「調子はどうだ?」

 

「何や、キミか。 いつも通りってとこやね」

 

 加賀と瑞鶴の訓練を見に来たのだが、何やら呆れたように体育座りをしている龍驤に水の入ったペットボトルを渡す。

 

「ムギギ……!」

 

「そういう所が子供だと言っているのだけど?」

 

 少し離れた場所では顔を真っ赤にした瑞鶴と呆れたような表情をしている加賀が睨み合っていた。正直あの一件で上手く付き合ってくれるものだとは思っていたのだが、翌日素直に謝りに行った瑞鶴を照れた加賀が誤魔化してしまったせいで再び良く分からない関係になってしまった。

 

「今度は何で喧嘩してるんだ?」

 

「うちが思うに理由なんて無いんじゃないかなぁって……。 たぶんああやって良く分からん意地の張り合いしてるのが2人にとってのコミュニケーションみたいな」

 

「そうか、面倒な仕事押し付けて悪いな」

 

「気にせんでもええよ、こう見えてもうちが最年長だからね」

 

 正直この鎮守府に来て1番驚いた事なのだが、艦としても提督からこっそり教えて貰った実年齢でも龍驤が最年長らしい。出会った時には駆逐艦かと思ってしまった外見でそれは無いだろと初めは信用しなかったが、赤城や加賀が龍驤の事をさん付けで呼んでいるのに気付いて認めるしか無かった。

 

「あっ、提督さん! ちょっと聞いて!」

 

「すぐにそうやって誰かに助けを求めるところも悪い所ね」

 

 瑞鶴から今回の喧嘩の原因を聞いてみると、加賀と弓で勝負をして負けた瑞鶴が何度も再戦を求めているらしいのだが何度やっても変わらないと加賀が再戦を断った事が原因らしい。

 

「もう何でも良いから訓練しろよ……」

 

「うちもそう思う……」

 

 決して仲が悪い訳では無いようだし、瑞鶴も加賀を尊敬はしているのだと思う。後になって知ったのだが加賀が瑞鶴が舞鶴に居る事を知っていたのは本人が提督に調べて欲しいと頼んでいたらしく、恐らくは加賀にとって可愛い後輩なのだろうが不器用なのかどうもその気持ちが後輩には伝わっていないようだった。

 

「分かったわ、次が本当の最後にしましょう」

 

「やった! 提督さんも見てるし次こそは私が勝つんだからね!」

 

 俺と龍驤の思いが通じたのか2人は互いに弓を取り互いの前にある的に集中し始めた、加賀や瑞鶴以外の訓練にも顔を出すことはあるのだがこうして真剣な表情で的を見ている2人の姿は何処か似ているような気がする。

 

「随分と懐いてるみたいやねぇ?」

 

「まぁ色々あるんだよ」

 

 出会った時期的には皆同じだとは思うのだが、どうしても偵察任務なんかで鎮守府から離れる事の多い関係でなんとなく瑞鶴の面倒を見ている時間は俺が1番多いと思う。俺が提督として書類仕事をしていてもたまに暇潰しだと言いながら執務室に顔を出す事も多かった。

 

「ほーん? モテる男は辛いなぁ?」

 

「はいはい、それより始まるぞ」

 

 加賀と瑞鶴は互いに的目掛けて矢を放ち始める、瑞鶴自身の練度もかなりの速度で向上しているのだが加賀も負けん気が強いのか瑞鶴の居ない間でも黙々と練習しているようでその差はなかなか縮まっていないようだった。

 

「やりました」

 

「や、やるじゃないの……!」

 

「やっぱり加賀が勝ったかぁ」

 

「まぁ惜しかったんじゃ無いか?」

 

 互いに4射して加賀が中心に3本、1つ外枠に1本。瑞鶴が中心に2本、1つ外枠に2本。加賀が最初の2射は2人共中心だったが、加賀の3射目が中心だった事で瑞鶴に動揺の色が見られた、恐らく敗北の原因はそこだろう。

 

「……どうして勝てないんだろ」

 

「集中力が欠けていたわね、自制心を鍛えるところから始めるのはどうかしら?」

 

 加賀の言っている事を理解したからなのか瑞鶴は今までのように反抗する訳でも無く下を向いて落ち込んでしまっているようだった。基本的に浮き沈みの激しい性格だとは思っていたのだが、沈んでしまった時の瑞鶴は他の艦娘には見られない特殊な状況に陥る事もこの半月で経験していた───。



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怒って泣いて笑って(2)

「湊だ、入るぞ」

 

 俺は数度扉を叩いてからゆっくりと扉を開ける。部屋の中に入るとベッドに腰かけた少女の姿が視界に入ったが、返事は無く壁をじっと見つめているようだった。

 

「返事くらいしろよ」

 

 俺は少女に近づくと顔の前で軽く手を振ってみる、今日の訓練の様子を見ていて少し落ち込んでいるとは思っていたがいつもより酷いのかもしれない。

 

「良い勝負だったじゃないか」

 

 加賀と少女の訓練の終わりはいつも2人の勝負で終わるのが決まりになっているようだったが、最初に比べれば接戦と言っても良い程度にはなってきている。

 

「……ダメか」

 

 俺は固く握られた少女の手をゆっくりと開くと両の手で挟み込むようにしてやる。冷たくなった手が徐々に温かみを帯び始めた頃にゆっくりと少女の口が動く。

 

「……翔鶴姉、なに? ……って、提督さんじゃん?! 何やってんの!?」

 

「落ち込んでると思って様子を見に来た」

 

「えっ、あ、うん。 ありがと」

 

 姉と離れた寂しさからなのか、瑞鶴は時折こうして俺の事を自身の姉と間違える事がある。瑞鶴程では無いのだが大湊に居る艦娘全員に似た兆候は見られている。もしかしたら俺が知らないだけで鹿屋に居た子達にも似た兆候はあったのだろうか。

 

「今日は惜しかったな」

 

「……うん」

 

「初めて加賀と勝負した時に比べれば随分上達してるよな」

 

「でもまだ勝てない……」

 

 俯いたまま床を見ている瑞鶴の頭に手を乗せる。最初は首を振って振り払おうとしてきたが、少し撫でていると無理だと諦めたのか大人しくなった。

 

「私って役に立てるのかな?」

 

「北海道を取り戻すための作戦が近い、その時には主力として活躍してもらう事になるだろうな」

 

「そっか……」

 

 俺なりに気付いた事なのだが、瑞鶴がこうして不安定になっている時はこうして手を握ったり頭を撫でてやったりと触れてやる事が重要だと分かった。赤城達にも調査に協力してもらったが、全員がなんとなく落ち着く気がすると言っていた。

 

「落ち着いたか?」

 

「もうちょっとだけお願い」

 

 色々と考えて1つの結論を出したのだが、恐らくは彼女達の艦としての記憶が強く作用しているのだと思う。彼女達は本能的に『繋がる』という行為に安心感を得ているようだった、作戦が終わり鎮守府に帰投してきた艦が港に係留されるように、何かと繋がっている事に安心感を得ているのだろう。

 

「綺麗な髪だよな」

 

「翔鶴姉の方がもっと綺麗なんだよ、すっごくサラサラで雪みたいに真っ白で」

 

「いつか会ってみたいな」

 

 帰りたくても帰る事のできなかった彼女達の事を考えると、こんな事で安心感を得るというのはとても悲しいと思った。

 

「そろそろ布団に入れ、明日は海に出るんだろ?」

 

「うん……。 ちゃんと帰って来れるよね……?」

 

「もし迷子になったら迎えに行ってやるよ」

 

「分かった、約束だからね」

 

 それから俺は瑞鶴が眠るまで雑談をしていた、途中から瑞鶴の言葉が途切れ途切れとなり何を言っているのかよく分からなくなっていたが、握られた手が緩やかに離された事で俺は音を立てないように部屋から出て行った───。

 

 

 

 

 

 

「そういえば、湊さんって瑞鶴ちゃんと妙に仲が良いよね」

 

「んぐっ!」

 

「うおっ、汚ねぇな!」

 

 瑞鶴の初出撃という事もあり朝食は全員で食べようと言われて食堂でテーブルを囲んでいるのだが、飛龍の唐突な発言で俺は危うく瑞鶴の吹き出した味噌汁を被りそうになってしまった。

 

「……飛龍さん、詳しく教えて貰って良いでしょうか?」

 

「お、おい。 赤城……?」

 

 横に座っている赤城が異様に冷たい視線を俺に向けてくる、大抵何か食べている間は無心で箸を進めている赤城だがこうして箸を止め睨みつけてくるという事に妙な怖さを感じる。

 

「昨日の夜も瑞鶴ちゃんの部屋に行ってたみたいだし?」

 

「ほぉ、それはえらいこっちゃなぁ。 うちとしては不祥事だけは勘弁してほしいかなぁ」

 

 こういう場面で龍驤は必ずと言って良い程火に油を注ぐような発言をしてくる、本人は悪ふざけのつもりなのだろうがやられる側にとっては溜まったものでは無い。

 

「べ、別に何もしてないわよ!」

 

「あはは、瑞鶴ちゃん顔真っ赤にしちゃって可愛いなぁ」

 

「早く食べないと出撃の時間に遅れるわよ」

 

 この鎮守府ではこの手のやり取りが毎日と言って良い頻度で行われている、飛龍と蒼龍が瑞鶴をからかい龍驤が油を注ぐ、それを見て呆れた赤城か加賀の2人が最終的に場を治める。

 

「いやぁ、朝から瑞鶴ちゃん緊張してるみたいだったし気を紛らわしてあげようかなって」

 

「うんうん。 加賀さんが居るから大丈夫だとは思ってるけど、私達まで護衛に付けるなんて何処かの誰かさんも過保護だよねぇ?」

 

「提督から聞いている話だと2人で近隣海域の索敵だと聞いていましたが?」

 

 赤城の視線が痛い。当初の予定だと赤城の言う通り加賀と瑞鶴のペアで索敵を主として行い、戦闘というよりも航行の訓練をかねているのだが、なんとなく不安になって無理を言って蒼龍や飛龍を護衛につけてもらった。

 

「それでは私は準備をしてきます」

 

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ! 私も行く!」

 

 空になった食器を持って立ち上がった加賀を見て瑞鶴は慌てて食事を口に含んでいる。

 

「早飯は基本だが良く噛んで食えよ」

 

「ふぁはっへるはよ!」

 

「口に物を入れたまま喋るな。 食器は片付けておいてやるからさっさと行け」

 

 先程と比べれば緊張している様子は無いし、本当に瑞鶴の事を考えての発言だったのなら蒼龍と飛龍には感謝した方が良いだろう。

 

「それじゃあ行ってくるね!」

 

「あぁ、頑張れよ」

 

「うん、五航戦の本当の力見せてあげるんだから!」

 

 そう言って瑞鶴は笑顔で手を振りながら食堂から走って行く、俺も手を振ってやりたかったが隣に座っている赤城の視線に気付いて苦笑いを浮かべる事しかできなかった。

 

「私達も準備しに行こっか!」

 

「索敵任務だし偵察機多めの方が良いかなぁ」

 

 真面目な話をしながら蒼龍と飛龍は席を立つと足早にその場を去ろうとする、正直不機嫌になった赤城を俺に押し付けようしているのが見え見えなのだが引き留めようにも俺が無理を言って護衛につけた以上どうにもできない。

 

「う、うちもそろそろ行こうかなぁ」

 

「龍驤さんは残ってくださいね」

 

「あぁー、何や……その……」

 

「余計な事言うから……」

 

 俺は龍驤と視線を合わせてどちらが犠牲になるかの打ち合わせをしようと思ったが、赤城の言葉で中断される。

 

「明日ですよね」

 

「……誰から聞いた?」

 

「う、うちじゃないで!?」

 

 龍驤が喋った訳じゃないなら提督だろうか。明日は次の鎮守府から迎えが来ると連絡を受けて居たが、その事は俺の他には提督と龍驤くらいしか知らない情報だった。

 

「どうして黙っていたんですか?」

 

「任務に集中して欲しかったからな」

 

「うちは提督から黙っておくように言われてたしなぁ……」

 

 初めて海に出る瑞鶴に余計な事を考えさせないようにと考えていたのは嘘では無いのだが、湿っぽい空気を作りたく無かったというのが俺にとっての1番の理由だった。

 

「湊さんは此処に残るつもりは無いんですか?」

 

「気持ちは嬉しいが、待たせてる奴が居るからな」

 

「ほっほう、さては女やな?」

 

「この前の作戦前に電話していた方ですか……?」

 

 龍驤の発言を聞いて拳骨の1つでも食らわせてやろうと思ったが、電話しているのを見られていたのかと思うと気恥ずかしく感じて止める。その時の相手は金剛だったし龍驤の言っている事も間違いでは無い以上は変に取り繕う必要も無いだろう。

 

「まぁ、そうだな」

 

「ふぇえ……、冗談のつもりやったのに本当に女とは……」

 

「女ってより俺から見ると女の子って感じだけどな」

 

 金剛や妙高なんかは赤城達とそんなに歳は変わらないとは思うのだが、時雨や暁達を考えればまだまだ子供だろう。

 

「お、おいくつなのでしょうか……?」

 

「歳は聞いた事無いが、結構色んな子が居るな」

 

「1人じゃ無いんか!?」

 

「20人くらいは居るんじゃないかな」

 

 鹿屋には佐世保や呉の艦娘も集まっているし大湊と比べればかなり大所帯になっているような気がする。俺が頭の中で人数を数えていると赤城と龍驤が口を開けたまま固まってしまっている事に気付いた。

 

「どうした?」

 

「うっ……ぐすっ……。 湊さんはそういう人じゃないと信じてたのに……」

 

「何だ!? な、泣くような事を言ったか!?」

 

「キミ、最低やな……」

 

 結局2人の考えている事が誤解だという事を説明するのにかなりの時間を費やした。その間周囲から向けられる視線は冷たく何かの罰ゲームなのでは無いかと本気で辛かった。

 

「恥ずかしい所をお見せしてしまいました……」

 

「うちも悪ふざけし過ぎたわ……」

 

「しかし、泣くほどの事だったのか?」

 

 ありえない事だが、仮に俺が何十人という数の女と付き合っていたとしても赤城が涙を流す理由は無い気がする。

 

「しっかしキミも鈍いなぁ。 戦略も良いけど女心の方……も!?」

 

「りゅ、龍驤さんは何かご用事があったんでしたよね!?」

 

 赤城は席から立ち上がると龍驤の口を塞ぐようにして食堂の入口へと引っ張って行ってしまった。龍驤が女心どうこう言っていたが、やはり上官がそういった関係にだらしないと言うのは女性の立場からしたら傷つくものなのだろう。

 

「す、少し散歩でもしませんか?」

 

「おう……」

 

 連れ去られた龍驤がどうなってしまったのかも気になるが、息を切らせながら戻って来た赤城の提案で食後の散歩に出掛ける事になった。本来の予定ならば執務室で加賀と瑞鶴との無線を聞いているつもりだったのだが、ここは赤城に従っておいた方が良いだろう。

 

「久しぶりにあの家に行ってみませんか?」

 

「何か忘れ物でもしたのか?」

 

 赤城は俺の質問に首を横に振ると、見せたい物があると言う曖昧な言葉が返って来た。

 

「こうして2人で並んで歩くのも久しぶりですね」

 

「そうだったか?」

 

「ええ、最近は瑞鶴さんや蒼龍さん達とも随分仲が良いみたい一緒に居る事が多かったので」

 

 今日の赤城は何処かおかしいような気がする、笑顔になったり膨れっ面になったりと普段は割と自分の事を自制しているタイプだとは思っていたが感情の起伏が激しいような気がする。

 

「この前の戦闘で道路も荒れてるし気を付けろよ」

 

「大丈夫ですよ、海の上に比べれば全然です!」

 

「そうか」

 

 確かに普段波のある海の上を航行する彼女達にとっては少しくらいの道の起伏であれば問題無いのだろう。俺の狙いとは別の方向に会話が進んでしまいどうしようかと頭を抱えてしまう。

 

「……っ! そうですね、こうも道が凸凹していると危ないかもしれませんね?」

 

「妙な所に気を遣うな、こっちが恥ずかしくなる」

 

 赤城は俺が差し出した手を申し訳なさそうな表情で握る。触れた手は冷たく、暑い気温の中では心地よかったが少しだけ胸が苦しくなる。

 

「蒼龍さん達の読んでいた本に手の暖かさと心の温かさは反比例すると書いていましたけど、湊さんは知っていました?」

 

「子供の頃に聞いたことあるが、どういう理屈なんだろうな」

 

「湊さんの手はとても暖かいです。 それと、加賀さんの手もとても暖かいんですよ?」

 

「俺も加賀も心は冷たいって事か?」

 

 自分の事は良く分からないが加賀は割と面倒見の良い方だと思う。瑞鶴の件でもそれは分かっていたが、本に書かれた事が単にデマなのでは無いかとしか思えない。

 

「いえ、私は本に書かれていた事が間違いなんじゃないかなと思います」

 

「俺も同じことを考えてた」

 

 そんな事を話しながら短い間世話になった場所に辿り着いた、しばらくの間来ていなかったはずだが前に住んでいた時よりも外観が奇麗になっているような気がする。

 

「実は暇を見て掃除していたんですよ?」

 

「余程気に入ったんだな」

 

「そして驚かないでくださいね!」

 

 家の中に入ると赤城は俺の背中を押してくる、何処に向かうのかと思ったが目的地が浴室だと分かり慌てて扉を掴むと背中を押す力に抗う。

 

「ど、どうした急に!」

 

「良いから見てくださいって!」

 

「見るって何を!?」

 

 慌てている俺を他所に赤城は綺麗になった浴室に入ると赤いマークのついたバルブを捻った。

 

「なんと、お湯が出るようになりました!」

 

「……は?」

 

 確かに以前暮らしていた時にはお湯どころか水すら出なかったのだが、突然の事すぎて理解が追いつかない。

 

「提督に聞いてみたらここは提督が借りている家らしいんですよ、借りているだけで滅多なことが無い限りはこちらには来ないそうですが……」

 

「鎮守府に居れば衣食住は困らないしな。 それよりも、態々浴室じゃなくても台所とかでも良かったんじゃないか……?」

 

「……そうですね!」

 

 どちらが先だったかは分からないがなんとなく2人で笑ってしまった、それでも時折見せる悲しげな表情は俺が明日居なくなる事をどうにかして止められないかと考えているのだろう。

 

「ごめんな」

 

「謝らないで下さい、湊さんにはとてもお世話になりましたので」

 

 直接言葉にはしたく無かったが、俺は彼女達のこういう表情を見たく無かった。だからこそ明日出発する事は黙っていたし、それは俺の我儘だと謝罪するべきだと思った。

 

「……っと、お湯を止めないと勿体ないですね」

 

「そうだな」

 

「あの、良ければまた一緒に入ってみませんか?」

 

「できれば断りたいが、断って赤城が不貞腐れても困るしな」

 

 俺の我儘を押し付けようとした以上は彼女達の頼みくらいは聞いた方が良いだろう。それから俺達は前と同じように俺が先に浴槽に入っておくというやり取りを決めてから2人でお湯に浸かる。

 

「悪いが俺は飲まないぞ」

 

「そうですか、それでは申し訳ありませんが私だけ頂きますね」

 

 赤城が入って来た時に両手にいつか見た日本酒を持っていたのだが、俺はあの時に2度と同じ過ちを繰り返さないと固く誓っている。それから赤城は黙って黙々とグラスに注がれた日本酒を飲み干していく。

 

「少しペースが速いんじゃないか?」

 

「……ぐすっ」

 

 背中合わせで入っているのだが赤城の鼻を啜る音が聞こえてきた事でそれ以上の言葉をかける事ができなかった。

 

「湊さんが誰かと電話しているのを見て私はとても辛かったんです……」

 

「さっきも説明したがあれは恋人とかじゃなくて、鹿屋の艦娘だからな」

 

「きっと私は嫉妬していたんだと思います、艦娘の私はきっと湊さんの隣に立つことはできないんだなって……」

 

 龍驤には鈍いと言われてしまったが、流石に俺でも赤城の気持ちはなんとなく察している。それでも鎮守府や海しか知らない彼女達にとって俺への気持ちは憧れや好奇心の延長線上だと思うようにしている。

 

「こんなに辛い思いをするのなら私は兵器でも良いと思いました、でもそれは湊さんが命をかけてまで成し遂げようとしている道からは逸れてしまうんですよね……?」

 

「あぁ、赤城は兵器なんかじゃない。 楽しい事は楽しい、悲しい事は悲しいって思う兵器なんて無い」

 

 そこだけは何があっても譲れない、赤城だけじゃなく艦娘全員に言える事であり、俺が彼女達のために提督になると決めた大きな理由だったから。

 

「鹿屋に居る子達ってどんな子なんですか?」

 

「うーん、どんなって言われると答え辛いな」

 

 誰の事から話すべきか少し悩んだが、真っ先に思い浮かんだ事をそのまま話す事にした。

 

「提督になって鹿屋に戻ったらお茶会を開いてくれるって言ってくれた子が居るんだ、頭は良いんだがどこか不器用で騒がしくて見ていて飽きない奴だよ」

 

「お茶会ですか、素敵ですね」

 

「他にも走ってろって言ったら雨が降ってるのに半日以上走り続けるような馬鹿な奴も居る、悪い事もしてないのに謝ってばかりの子とか仲良し4姉妹とか」

 

「鹿屋は随分と個性的な子達が居るんですね」

 

 他に誰の事を話そうか、前髪をいじると怒るくせにいじって欲しいオーラを出してる子や、夜に徘徊しているやる気があるのか無いのか分からない子も居る。こうして思い返せば昨日の事のような気もするが、1ヶ月以上経っているんだなと実感した。

 

「もし私がその子達の立場だったらやっぱり帰らないとって思ってくれますか?」

 

「さぁどうだろうな」

 

「私じゃダメですか……?」

 

 再び鼻を啜り始めた赤城の方に向きなおすと先ほどから泣き続けて目を腫らした顔が視界に入った。

 

「食堂で見た時に思ったんだが、赤城って泣き顔ぶっさいくだからな」

 

「ひ、酷いです……」

 

「俺は泣き顔よりも笑顔の赤城が好きだな、だから笑顔で居てくれるなら俺はまた会いに来るよ」

 

「……ふふっ。 なんですかそれ」

 

 それから笑っているような泣いているような複雑な表情をした赤城と再び他愛も無い話で盛り上がった、終わってしまえばこの1ヵ月はとても早く感じたと思う。それでも大湊では彼女達のために提督になろうとより一層決意を固める事ができた───。



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人間と兵器との間で
人と機械と(1)


 どうしてわたしがこんな事をしなければならないのだろうか。人を迎えに行って欲しいと班長さんに頼まれた所までは良かったのだが、まさか車で大湊まで来る事になるとは思わなかった。

 

「会ったら文句の1つくらいは言っても良いですよね……!」

 

 車についているデジタル時計はもうすぐ0500になろうとしていましたが、正直睡魔との闘いでわたしの背中を押しているのはまだ見ぬ男へどのような文句を言ってやるかという思いだった。

 

「飛行機が嫌だから車にしてくれって、どんな我儘なのよ!」

 

 苛立っているせいかアクセルを踏む足に力が入る、正直こんな田舎道なら他に車も居ないだろうし余程の事が無ければ大丈夫だとは思うのだが、小さな段差があったのか後ろに積んでいる荷物がガタンという音を立てて慌てて速度を緩める。

 

「はぁ、朝日が眩しいなぁ……」

 

 太陽の光を反射している海が視界に入る、わたしは艦娘として再びこの世に生を受けたが1度も海に出た事は無い。正直あんな思いをした海に進んで出ようなんて周りの子達が不思議で仕方が無い。

 

「海なんかより工廠で仕事してた方が楽しいけどなぁ」

 

 あの時代には無かった設備や道具、そこだけは再び生を受けて良かったと思える事の1つ。そんな事を考えていると目的地である大湊鎮守府に到着した。そこでわたしは慌ててブレーキを踏むと車から飛び降りて海を眺める。

 

「綺麗……」

 

 艦載機の演習か何かなのだろうか、キラキラと光る海の上に桃色のスモークで大きな花が描かれる。花びらの数は6枚、先端が僅かに割れておりすぐにその花が桜なんだと分かった。艦載機を操っている艦娘の練度の差なのか1枚1枚の形は微妙に違うけどそれでも綺麗以外の感想が浮かんでこない。

 

「でも、何で桜……?」

 

 桜と言えば海軍では無く陸軍だったような気がする、それをどうして海軍である大湊鎮守府の演習で描いているのだろうか。わたしはもっと近くで見たいと思い長時間の運転で固まってしまった身体を無視して歩き出す。

 

 そこでわたしは優しく微笑みながら空を見上げている1人の男の人と出会った、左目には眼帯をしており目付きは悪く決して人相が良いとは言えない。それでもわたしにはその人がとても優しく微笑んでいるように見えた───。

 

 

 

 

 

 

「悪いがもう少しだけ見ていても良いかな?」

 

 車の音が聞こえて足音がこちらに近づいて来た事で迎えが来た事は分かった、俺が無理言って陸路にしてもらったからには俺の都合で待たせるのは失礼だと思ったがそれでも俺は彼女達の贈り物をしっかり胸に刻みつけておきたかった。

 

「えっ、あっ! 全然お気になさらず! ごゆっくりどうぞ!」

 

「ありがとう」

 

「綺麗ですね。 でも、どうして桜なんですかね?」

 

 てっきり迎えは野郎だと思っていたのだが、声で女性だと分かり少し意外に感じる。そして女性が疑問に思うのは当然だと思って俺はどうして桜なのかを知らせるために錨では無く桜が刺繍されている白い帽子を女性に見せる。

 

「たぶん俺が陸の出身だからじゃないかな」

 

「それではあなたが湊少佐ですか」

 

 俺は女性の質問に首を縦に振って答える、風が吹き空に描かれた桜が僅かに輪郭をぼかそうとした時に女性は慌てて車に走って行ったと思ったらすぐに何か荷物を持って戻って来た。

 

「これを!」

 

「ん? 随分と古いカメラだな」

 

「本当は修理を頼まれていた物なんですけど、1枚くらいなら試写という事で大丈夫だと思います!」

 

「……ありがとう」

 

 俺は古びたカメラを受け取ると桜が散ってしまう前にシャッターを切る。

 

「それじゃあ行こうか」

 

「は、はいっ!」

 

 俺は女性の乗って来た車の助手席側のドアに手を伸ばそうとしたが手を止める。

 

「クマができてるみたいだけど、俺が運転しようか?」

 

「そんなの申し訳無いですよ! あなたを送迎するのがわたしの仕事ですし!」

 

 誰がどう見ても女性が寝不足だという事は分かる、ツナギを着ているという事は工廠辺りの作業員だと思うのだが恐らくは仕事の途中で上司から面倒な仕事を押し付けられたのだろう。

 

「交代で運転するってのはどうだ? 横須賀に着く前には必ずあんたに運転してもらう事にするからさ」

 

「で、でも!」

 

「睡眠不足で事故なんて起こしたらどういう処罰があるんだろうなぁ、怪我や車の故障で済めば良いけど上官が部下の不注意で死亡なんて事になったら大問題だろうなぁ」

 

 俺はわざとらしく運転を譲らない事で発生するデメリットを並べていく。流石に少しでも休めるという誘惑には勝てなかったのか女性は大きく溜め息をついて頷いてくれた。

 

「その前に名前を聞かせてもらっても良いかな?」

 

「明石です! 今は横須賀の工廠で艤装の修理や開発をやってます!」

 

「若いのに凄いな。 それじゃあ明石さんよろしく頼むよ」

 

「こちらこそよろしくお願いします……」

 

 俺は明石さんの言葉に頷いてから運転計画の書かれた紙と車の鍵を受け取って運転席に乗り込む。明石さんは申し訳無さそうに助手席に座ると初めのうちは必死で目をこすって起きようとしていたが、睡魔に負けて寝息を立て始めてしまった。

 

「余程疲れてたんだな」

 

 階級は分からないが歳は俺よりも若いのは分かる、それでもこの若さで艦娘という機密に関わるという事は余程優秀なのだろう。どうしても女性よりも男性が優遇される軍という場所で自らの立ち位置を見つけているというのは素直に凄いと思う。

 

「最短だと高速を使って9時間くらいだけど休憩しながらならもう少しかかるか……」

 

 運転計画を見る限り行きは小休憩のみで大湊まで来た事は分かったが、仮に運転に慣れて居たり運転好きだとしても9時間の運転となればかなり大変だっただろう。チラリと助手席を見てみると僅かに口を開けて疲れ切った表情で眠っている顔が見えた。

 

「……逃げ……て。 わた……しの事は……、良いから……」

 

「寝言か……?」

 

 表情を見る限り余り良い夢は見ていない事は分かる、起こした方が良いかと考えて数度声をかけてみたが反応は無く断片的な寝言が聞こえてくる。

 

「何度でも……、直してみせる……から……」

 

 夢の中でも仕事をしているのだろうか、仕事熱心だなと感心しても良いのだが間違いなくそんな甘い話では無いのだろう。流石にこれ以上悪夢を見たままじゃ可哀そうになり車を路肩に停めてから明石さんの肩を揺する。

 

「明石さん、起きてください」

 

「えっ、あれ……? す、すみませんっ! 寝てしまっていました!」

 

「そのまま寝てて良いよ、うなされてたみたいだから起こしちゃったけど大丈夫です?」

 

「大丈夫です、ちょっと嫌な事を思い出しただけなんで……」

 

 彼女には彼女なりに色々とあるのだろう、あまり深く追求するのも失礼だと思い短く返事をして会話を終わらせて車を発進させる。

 

「少し寝たら元気になりました!」

 

「カラ元気なのが見え見えですよ。 俺が疲れたら交代して貰うんでもう少し元気を温存しといてください」

 

「そ、そうですね。 それではお言葉に甘えて……」

 

 そう言って明石さんは助手席を倒すと大きく伸びをした、正直最近は金剛だったり赤城だったりと女の子達と一緒に過ごすことは多かったのだが、軍の同僚が相手だとどういう風に接して良いのか。変に馴れ馴れしく話して次の鎮守府で妙な噂がたっても困る。

 

「……湊さんにとって艦娘ってどう見えます?」

 

「大切な仲間ですよ」

 

その質問は俺が初めて大湊の提督に会った時の質問と同じだったと思う。

 

「即答ですか、それは道具に愛着を持ってるとかって意味です?」

 

「まさか。 確かに道具に愛着を持つことはありますが、彼女達は道具なんかじゃなく部下であり戦友と言った感じですね」

 

 明石さんは彼女達の事をどう思っているのだろうか、工廠の技術者の目から見れば彼女達はやはり欠陥品だと思うのだろうか。

 

「ありがとうございます……」

 

「どうして明石さんが礼を言うんです?」

 

「いえ、なんだか嬉しくて」

 

 頬を緩めて笑顔を作っている明石さんを見て安心する事ができた、この人は本気で艦娘を認めてくれる相手に出会えて喜んでいる。開発も行っていると言っていたし親心のような物が芽生えているのだろうか。

 

「湊さんの部下になった艦娘は幸せ者ですねぇ」

 

「まさか、俺より立派な人はいくらでも居ますよ。 今だって鎮守府の運営は彼女達に任せっきりにしてますし」

 

「鹿屋の子達が頑張ってるって話は良く耳にします、近隣海域の護衛任務は彼女達に任せたいって評判良いですよ」

 

 俺はサイドミラーを確認する振りをして明石さんから顔を背ける、ある程度の事はメールのやり取りで知っていたがこうして第三者から彼女達の話を聞くとつい頬が緩んでしまう。

 

「あれ? 照れてます?」

 

「放っておいてください、ちょっと後ろの車が気になっただけです」

 

「後ろに車なんて走って無いみたいですけどぉ?」

 

 それから俺は外から見た彼女達の話を色々と聞かせてもらった、少しくらいは暗い話題もあったがそれでも彼女達の働きを評価している人達は少しずつ増えているようで2人でその事を喜んでいた───。

 

 

 

 

 

 

「いやぁ、こんなに艦娘について誰かと話したのなんて久しぶりですよ」

 

「開発に携わってるなら嫌でも四六時中誰かと話をするんじゃないです?」

 

「そうでも無いんですよね。 最近は艦娘ってより、艤装を別の方法で運用できないかって話で持ち切りですし」

 

 わたし達はコンビニで買ったお弁当を食べながら雑談を続けて居たが、この人と話していると本当に艦娘の事を大切に思ってくれているのだと良く分かる。

 

「前に駆逐艦の艤装を持とうとしてみましたが、あんな重い物を良く背負うなって驚きましたよ」

 

「彼女達の艤装は適正の有る本人にしか持てないですからね、武装なんかはある程度共通した物は使えますけど主機やタービンなんかは簡単に交換できないって制約もありますし」

 

「簡単にって事は方法もあるって事ですよね?」

 

 大抵この手の話をすると軍のお偉いさん何かは食いついて来ない、上層部に取って艦娘は消耗品であり海の上で艤装を失ったわたし達はそのまま沈んでしまう。それでもわたしに話を合わせてくれているのかこの人は妙に鋭い所に目を付けてくる。

 

「姉妹艦なんかの艤装であれば、時間をかけて組み直せば可能ですね。 この前も長良型の艤装が1つロストしたって聞いて慌てて適合者の居ない艤装を使って組み直しましたし、長良型の6番艦って若干艤装の形違うんで大変だったんですよ?」

 

「……その、すまなかった」

 

「どうして謝るんですか?」

 

 確かロストしたと聞いた艤装は長良型の6番艦だから阿武隈さんの艤装だったはず、所属は確か鹿屋基地だったような。

 

「助かるためとは言え、艤装を切り離すってのは安直過ぎたかもしれないと思ったからかな」

 

「い、いえ! わたしもちょっと疲れてて愚痴っぽくなっただけなので! 艤装はすぐに作ったり直したりできますし、それを使う人が助かる事を考えるのが正解ですよ!」

 

「そう言って貰えると助かります、それでも大切に扱うようにってのは鹿屋に戻ったらしっかり伝えておきます」

 

 本当に面白い人だと思う、わたし達艦娘に好意的というだけでも珍しいのだが工廠で働いている人達にこうして素直に頭を下げられると言うのも軍の上層部の人とは思えない。

 

「明石さんって艦娘関係だと艤装関係を主に携わっているんです?」

 

「うーん。 艤装だけじゃなく本人達にもそれなりに関わっていますけど、その辺りは結構機密が多くて何を話して良いか難しいですね」

 

「答えられないのであれば無理に答えなくても良いですよ、それでも前から気になっている事があるんです」

 

「何ですか? わたしに答えられる範囲であればお答えしますよ」

 

 何が聞きたいのだろうか、今まで色々な人達に質問された事を思い返してみれば量産に関してだったり1人あたりのコストであったりわたし達を1つの兵器として捉えた質問が多かった。

 

「艦娘って男は居ないのか?」

 

「はい……?」

 

「あぁ、いや。 艦は女性だって考え方があるって話は聞いたことあるんだけど、明石さんが言う通り適正ってのがあれば男でもいけるんじゃないかなって思って」

 

 先程艤装の適性について話をしたように、艤装を艦娘以外の軍人で利用できないかという話題は出た事がある。恐らくはこの人はそんな事よりも、単純にどうして艦娘は女性しか居ないのかという事が気になっているのだろう。

 

「少し話しづらい内容ですが、順を追って説明した方が分かりやすいかもですね。 初めに艦娘になるための適性は艤装を装着する事で確認できるのですが、ここまでは男性でも行う事はできます」

 

「ふむ」

 

「この時点で艤装を簡単に持ち上げる事ができるかできないか、そんな簡単な見分け方ができます。 次は艤装を取り付けた状態で海に出てみます、ここで海に立てた男性は1人も居ないらしいですよ」

 

「適正に男女差は無いけど、海の上に立つには性別が関係してるって事か。 その理由って何かあるんです?」

 

 資料にまとめたり研究者と呼ばれる人であれば恥ずかしいと感じた事は無かったが、なんだか普通の男の人にこの先を説明するのは少し恥ずかしい。

 

「その、艦娘になった女性にはアレが来なくなるんですよね」

 

「アレ?」

 

「その……、アレです。 なんて言うか、男性には無い……」

 

「すまない、女性には言いづらい事だったか。 何となく察しが付いたから大丈夫」

 

 現在の日本に居る艦娘は徐々にだがその数を増やしている、中には年齢的にそもそも始まっていないという子達も多いのだが、ある程度成熟した女性では全員が同じような結果が出ている。

 

「ち、ちなみに艤装を取り外してしばらく時間を置けば艦娘では無くなると言う結果があるそうなので一生そのままって訳じゃないですよ……?」

 

「そうか。 戦争が終われば元の生活に戻れるって事なら安心した」

 

「そういう身体の変化も含めて、女性しか艦娘になれないんじゃないかって言われています」

 

 基本的には艤装を装着する事で普通の人と比べれば身体は頑丈になるし、筋力や視力と言った点も大幅に向上される。それでも1番身体に影響を与えるのは子宮や卵巣と言った臓器の活動が停止したと言っても良い程低下する事だと思う。

 

「不思議ですよね、その現象がどうして起きるのかはまだ分かってないんです」

 

「大湊で読んだ本の中に、艦は荒れる海から乗組員を守るための子宮だって例えた本があった。 女性は自らの子供をその身体で守り育てている、きっと本能的に誰かを守りたいって思いが形になっているのかもしれないな」

 

「なるほど、艦娘が奥さんだとしたら提督は旦那さんって感じになるんですかね?」

 

「……今の話は無かった事にしてくれ」

 

 顔を背けられてしまった。この身体の変化については染色体の影響が大きいとか、女性ホルモンの問題だとか不要な機能が停止したとか色々な意見が出ている。どんな資料を見てもしっくり来るものは無かったけれど、この人の言葉は不思議と納得できる言葉だなと思った───。



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人と機械と(2)

「到着しました、ここが横須賀鎮守府です!」

 

「お疲れ様、2人で交代しながらでも流石に疲れましたね」

 

 横須賀に着く頃には夕方になってしまっていた、長時間車の中に居たせいか身体が固まってしまいあちこちが痛む。

 

「それでは私は車を返してきますので、湊さんは真直ぐ進んでもらって大きな建物の2階に向かってください」

 

「あぁ、ありがとな」

 

 手を振る明石さんに俺も軽く手を上げて見送る。大湊の提督から横須賀の提督は色々と胡散臭い所があると事前に聞いているが正直胡散臭さであれば大湊の提督も大概だったと思う。

 

「貴官が湊少佐か?」

 

 建物の扉に手をかけようとして後ろから男に声をかけられる、返事をした方が良いと思ったのだが背中に筒状の物で押される感触を感じて俺は黙って様子を伺う。

 

「悪いが貴官が向かうのは執務室では無い。 黙って向こうに見える倉庫まで歩いてもらおう」

 

「随分と物騒な歓迎ですね、何か気に障る事でもしましたかね?」

 

 お道化てみても反応は無い、事情はよく分からないが大人しく従った方が良いと判断する。俺はゆっくりと両手を上げて扉から離れると男の声に従う、連れて来られた場所は兵装庫らしく陸軍に居た頃に見た事ある銃や弾薬なんかが保管されていた。

 

「ようこそ横須賀鎮守府へ」

 

「横須賀鎮守府ではこんなカビ臭い場所で歓迎会をするんですか?」

 

「あまり人に聞かせたく無い内容なので少しの間我慢してください」

 

 兵装庫の隅で俺と同じ白い軍服に身を包んだ男が椅子に腰かけていた。階級章を見る限りこの男がこの鎮守府の提督だと思うのだが、こんな所で何を始めようと言うのだろうか。

 

「あなたを歓迎するかどうかを決めようと思いまして。 僕の頼みを聞いてもらえるのなら豪華な食事で歓迎会をすると約束しましょう」

 

「俺って好き嫌い多い方なんで、できれば豪華な食事よりも焼き魚なんかが嬉しいです」

 

 正直話の内容は分からない、それでもここで何も分からないうちに首を横に振る事はできなかった。そんな事を考えていると後ろに立っている男に背中を小突かれる。

 

「ふむ、この鎮守府では食堂の鯖の味噌煮が好評らしいのですがそれでも良いです?」

 

「仕方が無い、それで手を打つんで内容を聞かせ貰いましょうか」

 

 俺が話を素直に聞くと聞いて安心したのか、背中を押していた感触が緩くなる。

 

「それにしてもこっちは暑いですね、大湊とは大違いだ。 上着を脱いでも構わないかな?」

 

「どうぞご自由に」

 

 俺は上げていた両手をゆっくりと降ろすと、上着のボタンを1つずつ外していく。全て外し終えて上着を脱ごうとしたタイミングで完全に俺の背中を押す感触が無くなる。

 

「……全く、護衛ならもう少しまともなのを付けた方が良いんじゃないですかね」

 

 脱いだ上着を後ろの男が持っていた銃に巻き付け銃口を自分から逸らすと銃と一緒に相手の腕を捩じる、銃を握っていた手が折れると思ったのか男が慌てて銃を手放したのを確認して俺は思いっきり足を払ってやる。

 

「き、貴様っ!」

 

「はいはい、余計な事言う前にしっかり自分の仕事をできるように訓練でもしてろ」

 

 倒れた男の顔に上着を被せると銃では無く人差し指で軽く額を押してやる。流石に人差し指と銃の感触は違うとは思うが、この男にとって相手に銃を奪われたという意識からそれに気づく余裕は無いだろう。

 

「流石ですね、あなたの経歴は調べさせてもらいましたが腕は衰えていないようで」

 

「それで、頼み事って何ですか?」

 

「あなたには申し訳無いが、横須賀鎮守府ではあなたに提督としての役割は求めていない。 むしろあのガラクタ共が反乱を起こさないか管理して欲しい」

 

「反乱を起こされないように提督が態度を改めれば良いんじゃないですかね?」

 

 少なくとも今まで出会って来た艦娘で反乱なんて事を考えている子には居なかった、確かに待遇の悪さから可能性は無いとは言えないがそうであれば待遇を改善してやれば良いだけの話だと思う。

 

「うちの提督は心配性でね、こうしてあなたと話をするのも嫌だって私が仕事を押し付けられました」

 

「あんたが提督じゃないのか」

 

「ただの使いっぱしりですよ、それよりも可哀そうだから部下を解放してやってくれないかな?」

 

 特に何か行動を起こす訳では無さそうな空気になってきたので、俺は男の額から人差し指を離すと上着を返してもらう。

 

「た、隊長!」

 

「あぁ、君は席を外して良いよ。 夕食までこの人が言ったように訓練生と一緒に訓練に励むと良い」

 

「そ、そんなぁ……」

 

 隊長と呼ばれた男の指示を聞いて男は肩を落として兵装庫を後にしようとする。

 

「おい、忘れ物だ」

 

 銃から弾を抜くと先程小突かれた礼として少し強めに銃を投げ渡してやる。少し痛かったのか睨みつけてきたが、代わりに笑顔を送っておいてやった。

 

「それで、反乱を抑えるってのは分かったけど具体的なアクションは何かあったのか?」

 

「いやぁ、特に何も?」

 

「はぁ? 何もしてないのに反乱を疑ってるのか?」

 

「うちの提督は心配性ですからね、他の鎮守府の艦娘が攻めて来るんじゃないかって訳の分からない事まで言い出してますよ」

 

「随分と臆病なんだな、そんな事で提督なんて務まるのか?」

 

 上が臆病風を吹かしてしまえばその思いは部下に伝わる。大湊は提督が居る居ないで大きく調子を崩してしまっていたようだが提督が被害妄想と言えるレベルで縮こまってしまっていて大丈夫なのだろうか。

 

「臆病だからこそ、この横須賀鎮守府は成り立っているんですよ」

 

「どういう意味だ?」

 

「横須賀では戦闘には参加せず、主に軍用の装備の研究開発を行っている。 そこにはガラクタも含めていますが建造された物はすぐに他の鎮守府に輸送していますので」

 

「なるほど、確かに臆病さに救われてるって言えるな」

 

 深海棲艦は余程の事が無い限り攻撃対象に優先度がある、艦娘や航空戦力は優先的に狙われる傾向があり次点で武装した艦が該当するのだが戦闘を行わないのであれば艦を武装させる必要が無い。

 

「後で海でも見に行きますか? 防壁と防衛用の兵装で針鼠みたいになってますよ」

 

「すぐに大湊の提督が書いた報告書に目を通すように伝えておけ、奴らの中にイレギュラーが居たからな」

 

「ふむ、伝えておきます。 そういう事でガラクタを大人しくさせておいてくれればこの鎮守府での評価は良い物とする、それが提督からあなたへの伝言です」

 

「分かりやすくて良いな、でもな……」

 

 俺はゆっくりと椅子に座ったままの男に近づくと胸ぐらを掴んで無理やり立たせる。男は咄嗟に腰に差していた拳銃を抜こうとしたが、空いた手で上から手首を捕まえて拳銃を抜かせない。

 

「俺の前で二度とガラクタなんて言葉を口にするな」

 

「……肝に銘じておきます」

 

「それじゃあ、約束通り歓迎会でもするか。 食堂まで案内してくれ」

 

「その前に着替えって何か持ってきています? その恰好じゃあの子達が反乱を計画していても尻尾は出さないかと」

 

 俺は少し考えた後に大湊で普段着となってしまっていたツナギを着る事にした。本当はすぐに返すつもりだったのだが、来ていると出会う人間に敬礼をされないというメリットに気付き頼みこんで譲って貰った服だった───。

 

 

 

 

 

 

「ふむ、確かに美味い」

 

「本当ですね、僕も初めて食べましたが予想以上です」

 

「食った事無かったのかよ、それにしてもあんた何者なんだ?」

 

 案内された食堂で食べる鯖の味噌煮は確かに美味しいと言える代物だった。それよりも先程まで険悪だった2人でテーブルを挟んでせっせと鯖の骨を取っているのも不思議な気持ちになる。

 

「先程も言いましたけど提督の使いっぱしりですよ」

 

「隊長って呼ばれてたのは?」

 

 先程この男は確かに隊長と呼ばれていたが何かしらの部隊を持っているのだろうか。

 

「秘密です」

 

「そうか」

 

「あれ? 食いついて来ないんですか?」

 

「ぶっちゃけどうでも良い」

 

 恐らくはこの男に何を聞いても真っ当な答えは返って来ないだろう、先ほどから目を細めこちらの様子を伺っているのも妙に苛立つ。

 

「それで、横須賀の艦娘は何処に居るんだ?」

 

「見に行ってみますか?」

 

「そうしたいからさっさと食え」

 

「せっかちな人ですねぇ」

 

 こいつは本当に軍人なのだろうか、訓練もろくにやっていない新入りでも早飯は基本だと知っている。丁寧に骨を皿の隅に分けてから食べる姿は何となく育ちが良いのでは無いかと思えてきた。

 

「お待たせしました、それでは工廠に向かいましょう」

 

「工廠に居るのか?」

 

「はい。 先日建造されたそうなのですが、あまり良い出来では無かったらしく今も眠っているそうなんですよ」

 

 良く考えれば彼女達がどのようにして艦娘になるのか詳しくは知らない、明石さんから適正を見るために艤装を装着してみるなんて事は聞いたが少し緊張してきた。

 

「それと、明日になればあなたのIDカードを作りますので今日は僕の付き添いという事で」

 

「なんか機密情報って感じがしてきたな」

 

「それもありますが、あの子達が自由に鎮守府内を移動できないようにって目的の方が大きいみたいですけどね」

 

 工廠の入口には守衛が2人、少し進めば分厚い鉄の扉があり男が横についているカードリーダーを操作して扉を開ける。扉を抜けた後は工廠と言うよりも病院に近いような造りになっており、油や消毒液の混ざった不思議な臭いがしていた。

 

「提督の指示で拘束していますが、あまり近づかないように」

 

「……正直に言わせてもらえばこの姿はあまり良い気分じゃ無いな」

 

 個室の中では1人の少女が白いベッドの上で手足を拘束されて規則正しく呼吸を繰り返していた。背丈はあまり大きい方では無いと思うのだが、駆逐艦の子達よりかはどことなく大人びているようだった。

 

「なんて名前だったかな、僕ってあまり艦の名前に詳しくないんですよね」

 

「何となくそんな気がするよ」

 

 俺は周囲を見渡して見ると鹿屋で見た事ある外装のファイルを見つけて中身を確認してみる。

 

「重巡洋艦『利根』か」

 

 俺がその名前を読んだ瞬間にベッドと利根の手足を繋いだ拘束具がガチャガチャと音を立て始め、横に置いてある機材がビービーと耳障りな音を鳴らし始めた。

 

「何事ですか!?」

 

「俺に聞いても知るかよ!」

 

「誰か呼んできます!」

 

 そう言って男は慌てて部屋から外に出ると足音を立てながら走って行ってしまった。

 

「───ァ!」

 

 ベッドの上の少女は必死で何かを叫ぼうとしているが、まともに呼吸ができていないのか言葉になっていない。それよりも拘束されている手足を無理に動かそうとしているせいで拘束具に血が滲んできている。

 

 暴れさせないために肩を抑えてみるが少女の物とは思えない力に驚く。これ以上暴れさせれば少女の身体がより傷ついてしまうのでは無いかと焦る気持ちが大きくなってきた。

 

「ィ───、ャッ!」

 

「何か落ち着かせる方法は無いのかよ……!」

 

 必死で頭を回転させるて少女を落ち着ける方法を考える、手首や足首は拘束具で擦れて血が滲み、硬く握られた拳からは自身の爪で傷ついているのか白いベッドに赤い染みを作っている。

 

「俺が焦っても仕方が無いか……。 大丈夫だ、大丈夫だから落ち着いてくれ」

 

 まずは自身を落ち着かせるために大きく深呼吸をして握られた拳を両手で包む。流れている血は暖かかったが冷え切ってしまった手を温めながら俺は何度も大丈夫だと根拠のない言葉を繰り返す。

 

「もう大丈夫だ、大丈夫だから落ち着いてくれ……ッ!」

 

 手足を振り回す事は止めてくれたのだが右腕を強く握られ痛みが走る。それでも少女の手に自身の手を重ねるとひたすら少女が落ち着くまで同じ言葉を繰り返す。

 

「すぐに人が来るそうなのでもう少しだけっ……、ってあれ?」

 

「……落ち着いてくれたよ、だから大声を出すな」

 

 少しして男が戻って来たが今は先程のように少女は暴れていない、再び規則正しい呼吸に戻った姿を確認して重ねていた手を離すと頭を撫でてやる。

 

「お、お待たせしました! 鎮静剤を投与しま……。 なんで湊さんがここに?」

 

「明石さんか、悪いけど鎮静剤よりも傷の手当用の包帯とかを持ってきて貰えないかな?」

 

「あっ、え? はいっ!」

 

 明石さんも少女の手足に血が滲んでいる事に気付いたのが、再び何処かに走って行くと今度は緑色の十字が書かれた木箱を持って帰って来た。

 

「何があったんですか?」

 

「そこのファイルに書かれている名前を読んだら暴れだしました」

 

「僕は別に何もしていませんよ」

 

 明石さんは少女がこれ以上暴れない事を確認してから拘束具を外して丁寧に包帯を巻き始める。

 

「この子は艦の記憶が強く定着してしまったんです、だから起きるのにはもう少し時間がかかると思っていました……」

 

「思い出したくない事でも思い出したんだろうな」

 

 一体どんな事を思い出したのか俺には分からない、利根という艦がどのような艦歴を持ちどんな経験をしてきたのかは知らない。それでも自分の身体が傷つくよりも辛い思いをした事だけは分かる。

 

「あれ、あなたも腕を怪我してるじゃないですか」

 

「何でも無いよ、これくらいこの子の痛みに比べればちっぽけな物だろ」

 

「うーん、治療しようにも手を放してくれそうに無いですよね……」

 

 暴れてはいないが少女は決して俺の手を放そうとしなかった、先ほどのように力いっぱい握られている訳では無いので痛みは感じないが少女の手が小さく震えているのが分かる。

 

「もう少しこのままで居ますよ、無理に放してまた嫌な事を思い出したら可哀そうですし」

 

「それじゃあ椅子か何か持ってきますね」

 

「……僕は何か飲み物を持ってきます」

 

 2人はそう言って部屋から出て行ってしまった。

 

「───ちく……まぁ……」

 

「こっちの気も知らずに幸せそうな顔で寝やがって……」

 

 先程までの事が嘘のように安心した表情で眠っている少女の頬を人差し指でつついてみる。くすぐったかったのか顔を逸らされてしまったのでそれ以上の悪戯はやめておく事にした。

 

「お待たせしました」

 

「片手が使えないから開けてくれ。 それと、何か言いたそうな顔だけど何だ?」

 

 俺は男からスポーツ飲料の缶を受け取ると何とも複雑そうな表情をした男に尋ねる。

 

「怖く無かったんですか? あなたも彼女達の事を知っているのならその脅威は知っているのでしょう?」

 

「なぁ、あんたにとって兵器って何だ?」

 

 質問を質問で返すのは失礼だとは思ったのだが少しだけ怯えた表情で少女の事を見る男に確認したい事があった。

 

「敵を殺傷、破壊するための道具でしょうか……」

 

「道具に心は無い、だからこの子は道具じゃない。 それは分かるか?」

 

 男は俺の言葉に黙って頷く。

 

「あんたは俺の経歴を調べたって言ってたが、何処から知ってる?」

 

「記録に残っていたのはショートランドに居た頃の物が最も古い記録です」

 

「それなら知ってると思うが俺は大勢の人を殺した、それも薬でまともな思考もできていなかった状態でだ」

 

 俺が何を言いたいのか察したのか男は俺から視線を逸らして床を見ている。

 

「この子は艦の記憶を持っているだけで何十年も昔に存在した艦では無い、だからこの子は誰も殺していない」

 

「そうですね……」

 

「俺とこの子、どっちが兵器なんだろうな」

 

 俺のこの疑問にはきっと答えは無い、それでも俺には決してこの子達が兵器だとは思えなかった。俺の問いかけはただの言葉遊びだったかもしれないが、どちらも兵器では無いと必死で答えを探してくれているこの男は案外悪い人間じゃ無いのかなと思った───。



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人と機械と(3)

「食べたら少し眠くなりますよね。ふぁ~。あ、いけない!」

 

「眠いなら無理に俺に付き合う必要は無いですよ?」

 

 明石さんが持ってきてくれた夜食を食べてから利根に関する資料に目を通していたが、感覚的にそろそろ良い時間だろうか。時間を確認するために携帯を取り出そうとしたが、ポケットの中に入れた手に携帯の感触は無かった。

 

(着替えた時に制服に入れたままだったか……)

 

 今は海軍の制服では無くあの男に指示されてツナギに着替えてしまっている、無くて困るものでは無いのだが再び鹿屋の子達からの連絡を返さなかったとなればどう謝罪するか言い訳を考えておく必要があるなと少しだけ気が滅入る。

 

「明日の勤務は昼からなので、大丈夫ですよ。 それに、また利根さんに何かあった時にはすぐに対応したいですし」

 

「そうか。 仕事熱心なんだな」

 

「仕事熱心……って訳じゃ無いと思うんですけどね。 私にはこれくらいしかできませんので」

 

「あまり自分のやってる事を過小評価しない方が良いな。 俺は明石さん達みたいな人達には感謝してるんだからさ」

 

 性格と言ってしまえばそれで終わりかもしれないが、明石さんの仕事に対する自己評価は随分低いような気がする。大湊の工廠で働いてた人達はどんな仕事であっても自信満々だったし、自分達が頑張ってるおかげで前線の兵士が生きて帰れると仕事の重要さを理解している人達も居たが、横須賀ではそうじゃ無いのだろうか。

 

「ありがとうございます……。 そういえばあの人帰って来ないですね」

 

「そうだな、横須賀の提督と話をしてくるって言ってたが何者なんだろうな」

 

「うーん。 実は私も良く知らないんですよね、工廠の人に聞いても他の鎮守府から来たって事くらいしか皆知らないみたいですし」

 

「どうも胡散臭いな」

 

 兵倉庫の中のやり取りから現場慣れしていない事は分かっているのだが、階級章の事を考えればそれなりの立場なのだとは思う。

 

「でも、あの人ってたぶん私と同じように工廠出身か何処かの施設で研究か何かしてたんじゃないですかね?」

 

「どうしてそう思う?」

 

「あの人って椅子に座るとすごく猫背なんですよね、それに極度の肩こりなのか普段から右肩が下がってますし。 それって長時間机で作業をしてる人に多いような気がしますし」

 

「よく見てるんだな」

 

 正直そこまで意識していなかったが、言われてみればそんな気がしないでもない。

 

「職業柄何処か調子が悪そうだと気になっちゃう性分なんで……!」

 

「そんな照れなくても良いですよ、変に勘繰ったりはしないですし」

 

 そういう目で見ていたのでは無いかと話している途中で気がついたのか、明石さんは少しだけ顔を赤くすると否定するように顔の前で両手を振っていた。

 

「話は変わりますが、この子って起きたらどうなるんですか?」

 

「確か利根さんは呉の鎮守府が受け入れたいと申請があったので、横須賀でもう少し検査をしたらそっちに配属になるはずですね」

 

「呉か。 あそこなら大丈夫だろうな」

 

「そうなんですか? 私は今の鎮守府は良く知らないので送り出してきた子達がどうなってるか少し気になるんですよね」

 

 少しだけ明石さんに呉鎮守府の提督の事や龍田や球磨、多摩の事を教える。残念な事に3人共横須賀で調整を受けた訳では無かったようだがそれでも大切に扱われてると分かって安心したようだった。

 

「それにしても、球磨や多摩に関しては最初は気でも狂ったんじゃないかと心配になりましたよ」

 

「軽巡の皆さんは川の名前が由来になってますし、湊さんも多摩川や球磨川って聞くと違和感無いんじゃないです?」

 

「言われてみればそうだな。 でもそれだとおかしくないです? この子の資料には重巡洋艦って書いてあったが利根って利根川ですよね?」

 

「利根さんもですけど、一部の重巡は名目上は軽巡として作ってすぐに重巡に改装できるようにって事情があったみたいですね。 私もそこまで詳しいって訳では無いですけど……」

 

 そこまで聞いて名前で艦種を判断するのは間違いの元になると考えを改める。

 

「───随分と騒がしいのう……。 此処は何処じゃ……?」

 

「ん? やっと起きたか」

 

「おはようございます、調子はどうですか?」

 

 少し騒ぎすぎたのか利根は目をこすりながら俺と明石さんを交互に見ると寝起きで機嫌が悪いのか少し拗ねた様な表情で挨拶を返してきた。

 

「明石は良いとして、お主は誰じゃ?」

 

「湊だ、一応君達の提督見習いって所だな」

 

「ふむ……? テイトクとな……」

 

 少しだけ何か考え事をしているようだったが、利根は目が覚めて意識がはっきりしてきたのか何か慌てたような仕草で明石に手足を拘束しているベルトを外す様に懇願している。

 

「別に酷い目に合わせようって訳じゃ無いから落ち着───」

 

「わ、我輩が利根である! 我輩が艦隊に加わる以上、もう索敵の心配は無いぞ!」

 

「急に何だ……?」

 

「うん? へっどはんちんぐと言うやつでは無いのか?」

 

 利根の言葉を聞いて俺と明石さんはつい笑ってしまった。それから利根の誤解を解くのに少し時間はかかったが、説明している最中に利根の腹部から子犬の鳴くような音が聞こえてきて明石さんはもう1度夜食を用意するために部屋から出て行ってしまった。

 

「わ、笑うで無い! 我輩は寝起きで少しばかり寝ぼけておっただけじゃ!」

 

「そうかそうか、心配しなくても呉の提督が利根を必要だって言ってるみたいだし安心して良いんじゃないか?」

 

「うむ……」

 

 そんな事を話していると扉がノックされる音を聞いて俺と利根は扉の方へ視線を向ける。明石さんにしては戻ってくるのが早すぎるし、誰か別の人物なのをお互い察したのかどんな相手が来ても良い用に互いに姿勢を正す。

 

「明石さんに利根さんが起きたと聞いて様子を見に来ました。 ……って、なんだかお邪魔でした?」

 

「あんたか、随分と遅かったが何やってたんだ?」

 

「いやぁ、提督の長話には少し疲れました。 ついでに伝言を預かって来ましたよ」

 

 提督直々の伝言とはどういった内容なのだろうか、話の続きも気になったが何やら警戒しているような利根の態度の方が気になる。

 

「横須賀鎮守府に居る間、全艦娘は湊さんの指揮下に入ります」

 

「どういう風の吹き回しだ?」

 

「簡単ですよ、彼女達の起こした不祥事はすべて湊さんの責任になる。 つまりそういう事でしょうね」

 

「なるほど、保険を打ってきたって訳か」

 

 利根が目の前に居る以上は反乱という言葉を発する訳にはいかなかったが、そうする事で仮に反乱が起きても全責任を俺に押し付ける気なのだろう。

 

「つまり我輩はお主の部下になるという事か?」

 

「そういう事だな、短い間かもしれないがよろしくな」

 

「それと、1つ湊さんに謝罪しなければならないことがあります。 私の部下が湊さんの制服を整備用の油で汚してしまったようですぐに代わりの物を用意しますのでもう少しその格好で居てもらっても良いでしょうか?」

 

「それは構わないが、胸ポケットに携帯を入れたままなんだが無事だったか?」

 

「そちらもすぐに修理に出しましたので、2~3日もしたら戻ってくると思います」

 

 胸ポケットに入れたままにしておいたのは俺の落ち度だし、こいつを責めた所でどうにかなる問題でも無い。故障したと理由があれば金剛や大淀達も許してくれるだろうし問題無いだろう。

 

「飯でも奢ってくれれば構わない、脱いで放置していた俺にも落ち度はあるだろうしな」

 

「分かりました、何か希望があれば用意しておきます。 それと、話の途中で抜けてきたので僕はこれで。 明日は利根さんの検査があるようなので夜更かしも程々にしてくださいね」

 

「分かった、詳しい時間なんかは追って連絡をくれ」

 

 男は分かりましたと一言返事をするとそのまま部屋から出て行ってしまった。

 

「そう警戒するなよ、あいつに何か酷い事でもされたのか?」

 

「分からん、でもあの男の我輩を見る目は何か嫌な感じがしたのじゃ」

 

「……何かあったら俺に連絡しろ、俺の部下になった以上は妙なことはさせない」

 

「うむ……」

 

 それから明石さんが持ってきた夜食を利根が食べ終えるのを見届けてから俺も部屋を出る。色々なことがありすぎて今日の事を頭の中でまとめていたが、夜風で体が冷やされた所で俺が寝る場所を知らされてない事に気づき慌てて明石さんに相談したが部屋なんて用意できずはず無く工廠の休憩所で朝を待つ事になってしまった───。

 

 

 

 

 

「……利根、出撃するぞ!」

 

「……おう」

 

 翌朝工作機械の騒音で目が覚めた俺は利根を連れて朝食を取った後に艤装の装着テストに付き合うことになった。今はこうして桟橋の上から海の上に立つ利根の後姿を見守っているのだが、かれこれ10分くらいは同じ光景を見ることになっている。

 

「進まないのか?」

 

「う、うむ。 もう少し艤装の調子を確認するから待っておれ!」

 

「その台詞も何度目だ……?」

 

「ぬぅ……」

 

 以前鹿屋でも暁達の訓練を見ていたことがあるのだが、利根の場合海面に立つという行為自体にはぎこちなさは感じない。テストの一環として海面に浮かべてあるポールまで航行して戻ってくるまでの時間を計るのだがゆっくりと進み始めた利根の速度を考えれば俺が泳いだほうが速いかもしれない。

 

「ちょっと戻って来い。 話がある」

 

「は、春風が心地よいのう!」

 

「もう夏だけどな」

 

 自分の不甲斐無さは分かっているのか、肩を落として申し訳なさそうにこちらに戻ってくる利根を見ながらどうした物かと悩む。明石さんから受け取った資料を見る限り航行や射撃には一切問題は無かったと書かれているのだが様子を伺う限り何かに怯えているような気がする。

 

「……今日は何日なのか教えてもらっても良いかのう」

 

「7月26日だな」

 

「そうか……。 呉に行くのは明後日で間違い無いか?」

 

「間違い無いな、28日の早朝に出て昼には向こうについてるはずだな」

 

 何か呉に悪い印象でも持っているのだろうか、今の不調がそれが原因なのだとしたら呉の提督に相談して場所を変えてもらうことも考えておいたほうが良いかもしれない。

 

「艤装を外して来い」

 

「つ、次は我輩の本当の力を見せて……!」

 

「良いから外して来い」

 

 俺の言葉に利根はこの世の終わりとでも感じたのか顔を真っ青にして工廠に艤装を置きに行った。その間に俺は近くで作業していた男に救護用でも良いので小さなボートを借りることができないか交渉してみる。危険だと散々言われてしまったが、それでもどうにか見回り用の小型の船を借りることができた。

 

「なんじゃそれは……」

 

「ん? 天気も良いし俺も海に出てみようと思ってな。 艤装を付けたままじゃ乗り辛いだろ」

 

「てっきり艦娘を辞めろと言われておるのかと……」

 

「辞めたいなら止めないがな」

 

 実際個人の意思で辞められるのかどうかは知らないが、本人がそれを望むのであれば呉の提督にかけあってみても良いとは思う。工廠に向かう途中に泣いていたのか少し赤くなった目をこすりながらも利根はゆっくりと船に乗ってきた。

 

「見回り用って聞いたが、絶対娯楽に使ってたよなこれ」

 

「釣竿があるし、そうかもしれんのう」

 

「深海棲艦って釣れるのかな?」

 

「……我輩は普通の魚が良いのう」

 

 餌を付けてないから絶対に釣れる事は無いのだが、それでもなんとなく釣竿を構えて糸を海に垂らす。なんとなく鹿屋でも釣りをしていたなと考えて懐かしく感じた。

 

「魚では無いが、我輩も昔蟹を釣った事があるのじゃ」

 

「蟹……?」

 

「うむ、あれは真珠湾を攻める前の出来事じゃったか。 皆大層美味そうに食っておった」

 

「真珠湾って日本が奇襲したってやつだよな……?」

 

 蟹を買ってきたとか貰ってきたでは無く、釣ったと言うからには自力で調達したという事なのだろう。教科書にも載っているような大作戦の前に一体何を考えていたのだろうか。

 

「お主は何か勘違いをしておるようじゃが、釣りは重要なのじゃ。 海の上で何の娯楽も無い兵にとって唯一の娯楽であり食料の確保も行える、良いことばかりではないか」

 

「確かに長い間海の上に居るってのもきついだろうなぁ……」

 

「我輩もやる!」

 

 そう言って利根は俺から釣竿を奪うと自信満々に竿を構えてじっと海面を睨み付けた。どれだけ真剣になっても餌がついていない以上釣れるとは思えないが、本人がやる気なら水を差すわけにもいかないだろう。

 

「なぁ、利根ってどんな艦だったんだ?」

 

「真珠湾、そして痛恨のミッドウェーでも、艦隊の眼として縦横無尽の活躍なのじゃ!」

 

「ふむ、赤城達は知ってるか?」

 

 真珠湾もミッドウェーも大湊に居た子達が参加している作戦だったと思う。

 

「もちろん知っておるぞ。 お主は赤城と知り合いなのか?」

 

「あぁ、大湊で一緒だった。 加賀や蒼龍達も居たな」

 

「……赤城は筑摩の事を何か言っておったか?」

 

「いや、特に何も聞いてないが。 筑摩……?」

 

 何故かと理由を尋ねてみると、利根の妹である筑摩が赤城が射線上にいる状態で敵に砲撃を繰り返したらしく根に持っているのでは無いかと心配になったらしい。

 

「まぁ、大丈夫じゃないかな……?」

 

「なら良いのじゃが……」

 

「その筑摩って子とはもう会ったのか?」

 

「明石から舞鶴に居ると聞いておるが、筑摩は寂しがり屋じゃから心配しておるのじゃ」

 

 利根の様子を見る限り、この子の妹にあたるという事は寂しがり屋だと聞いても違和感は無い気がする。できる事なら会わせてやりたいが残念ながら今の俺にそこまでの権限は無い。

 

「さて、そろそろ到着だな」

 

「んむ?」

 

 俺は海上に浮かんでいるポールの横で船を止めると大きく伸びをする。

 

「思ったより距離があったな、それでも無事に辿り着けただろ?」

 

「そうじゃな……」

 

「しっかし良い天気だ。 少しだけ横になるけど俺がサボってたって鎮守府の連中に言うなよ?」

 

 俺はそう言って船の上に寝転がると雲1つ無い空を見上げる。陽の日差しは少しきついが海風は冷たく昼寝日和と言っても間違いない。

 

「ならば我輩も寝る!」

 

 そう言って利根は俺の腕に頭を乗せるようにして勢い良く倒れこんできた。

 

「寝心地の悪い枕じゃのう。 もう少し柔らかい方が我輩好みじゃ」

 

「我侭言うな、嫌なら頭を乗せるんじゃねぇ」

 

 別に海が怖いという訳でも無いらしいが、不調の原因は結局分からなかった。目を閉じて利根の資料について思い返してみるが何か問題があるのであれば呉に行く前にどうにか解決してやれないかと思った───。




to :大淀と愉快な仲間達

sub :無題

舞鶴鎮守府で偵察任務を行う艦娘を必要としているらしく、

何名か鹿屋基地から選出して欲しい。

後日舞鶴から迎えのトラックが来る予定になっているので

準備が出来次第向こうの指示に従ってもらう。

今回の作戦は任務扱いとなるため

何かあればこちらに連絡して指示を待つように。


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目をそらして(1)

右腕が軽くなるのを感じて目を覚ます。小船の上で利根の枕代わりに腕を貸した事は覚えているのだが、陽の暖かさを感じながら波に揺られているうちに眠っていたようだった。

 

「……もういヤナノじゃ」

 

利根が何か呟いたが波の音にかき消されて上手く聞き取れない。

 

「二度ト……、クらいウみのソコニ……」

 

何を呟いているかは聞き取れないが、船の揺れから少女が小船の上を移動している事は分かる。

 

「……サむイ」

 

急に腹部に重さを感じたと思うと冷え切った小さな手が俺の首を絞めた。その冷たさに氷でも押し当てられたのかと思える感覚に寝ぼけていた思考は一気に覚め、背筋が凍りつくような感覚に襲われる。

 

「──何をっ!?」

 

咄嗟のことに身体が反応したのか、俺の腹部に乗った利根を振りほどこうとしたが数十センチの距離にある少女の顔を見て腕を止める。

 

「嫌なノジゃ!! もウ我ハイは海ノそコになぞ行きとウ無いっ!!」

 

利根の言葉の意味を尋ねようとしたが、口を魚のように開閉させる事が精一杯で言葉を発する事ができない。それでも大きな瞳から涙を溢れさせている少女の顔を見ると、この行動は俺に対する殺意から来ている訳では無いのだと理解できる。

 

「あタたかイ……。 ワガ輩はこの暖カイセ界に居タイだけなノニ……」

 

酸素の足りない脳は今すぐに利根を振りほどけと身体に命令してくる。少女の握力と体重を考えれば不可能では無いが、何処かで似た感覚を経験した事を思い出してその命令を拒否して思考を回転させる。

 

『ヤットキテクレタ』

 

彼女は海の上に立っていた。人とは違う陶器のような白い肌、雪のように白い髪に宝石のような赤い瞳。そんな彼女の微笑んでいるのか泣いているのかも分からない表情が目の前で泣いている利根と重なる。

 

「……エッ?」

 

言葉は発する事はできなかったが、『とね』と口を動かすと首を絞めている少女の手に自らの手を重ねる。

 

「……えっ? あっ……、我……輩……は何を……?」

 

首を絞める力が弱くなるのを感じて俺はゆっくりと利根の手を首から離すと、大きく咳き込んだ後に深呼吸を繰り返す。目の前で顔を真っ青にして震えている少女の目から視線を外さないように身体を起こすと胡坐をかいて大きくため息をついた。

 

「ご、ごめんなさっ……、我輩は……!」

 

「おはよう、寝相が悪いなら先に言って欲しかったな」

 

何か事情があったのなら利根を責める必要は無い。今は謝罪よりもどうしてこんな事をしてきたのかを知りたいというのが正直な気持ちだった。

 

「違うっ……! こんな事我輩は望んでなんかっ……!」

 

本当は今すぐにでも俺の目の前から逃げ出してしまいたいのだろうが、周囲を海に囲まれた小船の上では俺の視線から逃れることはできず、利根は頭を抱え蹲るようにその場にしゃがみ込んでしまった。

 

「利根、顔を上げろ」

 

「……嫌じゃ」

 

俺の問いかけに利根は小さく呟き頭を振って答える。このままでは埒が明かないと判断した俺は少女の腋の下に腕を通して持ち上げると抵抗する少女を無視して膝の上に乗せるようにして後ろから抱きしめる。

 

「あまり暴れるなよ、海に落ちたら引き上げるのが面倒だろ」

 

「……怒らないのか?」

 

「これ以上暴れるなら怒る」

 

利根の頭に顎を乗せると鎮守府の方角を見ながら安堵のため息をこぼす。

 

「怖い夢でも見たのか?」

 

「分からぬ……。 目が覚めたらお主が居て、急に不安になった……」

 

「そうか、不安にさせるような顔で悪かったな」

 

必死で首を振って否定しようとする利根の強く抱きしめ自分の身体に密着させてこれからの事を考える。嫌な予感が外れてくれる事を祈るだけなのだが、今は利根が俺に対して敵意を持っていないという事が分かれば十分だった───。

 

 

 

 

 

「降ろして良いよ、彼に当たると非常にまずい。 と言うか、この距離であの人ってこっちに気付いてるんですかね? ちょっとそれ貸してもらって良い?」

 

僕は小船に乗っている少女に狙いをつけていた部下に指示を出すと部下から望遠鏡を借りて覗き込んでみる。望遠鏡で覗いてどうにか見える距離のはずだが、彼の取った行動はこちらに気付いてガラクタを守ろうとしているのでは無いかと思える行動だった。

 

「佐世保や舞鶴の彼等のように素直だったらやりやすいんですけどねぇ」

 

これ以上観察していても成果は得られないと判断して資料の続きに目を通す。佐世保と舞鶴の提督達は簡単に僕の研究に協力してくれた、佐世保の提督は海外との繋がりという懸念点もあったがそれなりに活躍してくれたと思う。

 

「ペドフィリアやネクロフィリア、動物性愛や糞尿に性的興奮を覚える人が居るってのは聞いたことありますが、兵器に性的興奮を覚えるってなんて呼べば良いと思います?」

 

僕は舞鶴の提督に関する資料を読みながら部下に尋ねてみるが部下からの返答は無い。舞鶴の彼は実験が終了した艦娘の解剖を行いたいと提案したが、それを拒否。2人のガラクタを守るために解剖実験を行わないことを条件に今は僕の実験に協力してくれる約束をした。

 

「道具も使い続ければ愛着が沸くという話は聞いたことありますが、君はその銃を僕が海に投げ捨てると言ったら服従できる?」

 

正直目の前で困っている部下の回答に興味は無いのだが、頭の中を整理するために適当に思いついた言葉を口に出してみる。

 

「翔鶴型の2番艦のみ無傷ってあまりにもできすぎてるんですよね」

 

舞鶴には翔鶴型2隻を配属、複数回偵察や出撃任務を行ったが、被害を受けたのは常に1番艦のみ。望む結果が出たため沈めるよりも解剖して他のデータを取りたかったのだが、舞鶴の提督と1番艦の懇願により2番艦を大湊へ転籍させる事に決定した。

 

「最後まで姉妹艦を庇うのがあの船の役割だとでも言えるかもしれませんね」

 

舞鶴の結果が書かれた資料を鞄にしまうと、佐世保の資料を取り出して目を通す。

 

「『我魚雷ヲ受ク 各艦ハ前進シテ敵艦隊ヲ攻撃スベシ』当時らしい言葉ですが、今の日本でこれはねぇ」

 

佐世保での扶桑型戦艦2番艦に関する資料を見ながらゆっくりと頷く。ドッグでの修理を行っている時間がソレが最も多い、戦時中では改修という形だったようだがソレは艦隊としての運用よりもドッグで待機している時間の方が長かったと書かれている。

 

「これは判断に困りますねぇ」

 

ソレがドッグに入る原因となった作戦を指示したのは偶然だったのか必然だったのか。兵器になる前の彼女の調書に書かれている性格を考えれば自ら進んでそのような役割を引き受けるタイプでは無かった。それ故にこの結果は『引き摺られた』結果のような気もする。

 

「こうして考えると鹿屋の馬鹿は余計な事をしてくれましたねぇ」

 

あの男を読み切れなかった僕の責任なのかもしれないが、結果だけ見れば彼のせいで僕の実験は大きく遅れてしまう事になった。

 

「実例は多い方が良いだけに4隻揃った暁型の存在は勿体無いですね」

 

あの男が何に気付いていたのかは分からない、彼はガラクタ共の管理を任せて少し経つとガラクタから恨まれたいのでは無いかと思えるような行動を繰り返した。

 

「……分からない事が多すぎますが、結果として鹿屋での実験は失敗ですか」

 

最も予想外の行動を起こしたのは『暁型4隻を同時出撃させどれから沈むか』という実験を行いたいと提案したタイミングだった。僕の予想では1番艦、3番艦、4番艦の順に沈み2番艦のみ生存と考えていたのだが、馬鹿が命令違反を口実に出撃はおろか外出さえできないように監禁した事で結果が分からなくなってしまった。

 

「出世に欲のある人間と思っていましたが、何をしたかったのやら」

 

大本営入りを推薦するという餌で鹿屋の馬鹿を動かしていたのだが、肝心なところで僕は期待を裏切られることになってしまった。これ以上実験の邪魔をされても困るという事で退場してもらったのだが、今となっては惜しいことをしてしまったのでは無いかと思ってしまう。

 

「ガラクタの中で最もイレギュラーだったのは金剛型1番艦か……」

 

元となった素体の影響を受けてなのか、1番艦だけは他と違い余計な戦闘しか知らないはずのガラクタとは思えない行動が多い。戦時中に2番艦と4番艦を先に失ったことが起因しているのか、扶桑型2番艦に似た自己犠牲とも受け取れる行動が多かった。

 

「川内型や天龍型についてはデータ不足。 姉妹艦で揃えた場合と離した場合のデータを取りたかったのですが、軽巡洋艦という艦種は姉妹艦よりも艦隊規模で動かしたほうが正解だったかもしれませんね……」

 

少し仮定が入るが、元々軽巡洋艦同士での因縁というのは薄いのかもしれない。本当に結果が見たいのであれば姉妹艦よりも戦時中に同じ部隊に所属していた駆逐艦と抱き合わせで行動させるべきだったのかもしれない。

 

「呉と大湊の提督は何かに気付いているようですし、老害は本当に扱い辛くて嫌になりますね」

 

呉の提督には配属した大淀型1番艦を江田島方面に配置しろと指示を出したのだが、よりにもよって海と関係の無い陸軍にソレを送ってしまった。利根型1番艦の配属も拒否しているが、小船に乗っている彼に上手く動いてもらう事で次の実験の邪魔さえしなければどうでも良い。

 

「いい加減僕も成果を上げないと上からの目が痛いんですよねぇ」

 

鹿屋と呉と大湊の戦果が予想外過ぎる、元々のスペックを考えれば当然に近い結果なのかもしれないがそれでもここ最近の戦果は上も無視する事ができなくなっていた。

 

「大湊での結果は途中まで上手く行ってたように思えましたが、実験の遅れを気にして変化点を加えた僕の間違いだったのでしょうか」

 

大湊に配属したガラクタには明確な狙いがあった。北海道を取り戻すという名目で化け物共に奇襲を仕掛ける、その部隊にはかつての南雲機動部隊を模した部隊を投入する。結果として全て轟沈し、苦肉の策として軽空母を囮として運用して轟沈。親族に管理を任せると言う冒険をしたのだが、結果が出なかったことが残念で仕方が無い。

 

「新種の化け物の報告を聞いた時にしたガッツポーズをした僕の喜びを返して欲しいですね」

 

突如として現れた化け物に僕は確信を持ったつもりだったが、その確信は大湊の老害と小船の上にいる彼によって否定されてしまった。

 

「彼がその可能性を持っているのか、大湊の老害がそうなのか。 それとも2人居たからそうなってしまったのか」

 

基本的には適合者の多い駆逐艦で試していたのだが、元の性能が低すぎてその結果が『引き摺られて』そうなったのかどうかの判断がつかなかった。それ故に実験を行う艦は大型艦に絞り、姉妹艦が揃った駆逐艦は轟沈の順番を見る方向に切り替えたが全く成果が出ていない。

 

 

「1度考え直したほうが良いのかもしれませんねぇ」

 

僕がガラクタに国防を任せる事ができない理由は『艦娘という兵器は過去を辿る』のでは無いかという懸念点からだった。艦娘という兵器は知らず知らずのうちに過去を繰り返す、それは人為的な物では無く小さな積み重ねがそれへと導いていく。

 

「試験的に製造されたガラクタは大体がそうだったんですが……」

 

違いを考えれば『提督』という立場に立つ人間の有無かもしれない。しかし舞鶴と佐世保の結果を見る限り提督が居れば良いという訳では無いのかも知れない。

 

「これからの実験は念には念を入れたほうが良いかもしれませんね」

 

まずは大湊には北海道奪還を早めるように指示を出そう。その作戦で出た被害からどちらがそうだったのかを判断する。呉の提督には実験の邪魔をされないように適当な疑いをかけて大本営で拘束してしまえば良いだろう。

 

「舞鶴に集めた船は適当に歴史でも調べながら部隊を組んで出撃するように指示を出しておいてもらえるかな。 足りなければ他の鎮守府や基地から集めても良いからさ」

 

後は小船でじゃれ合っている彼とガラクタには予定を早めてもらいたいのだが、確認したいのは26日でも27日でも無く28日。海軍や大本営では徐々にあのガラクタの有用性が広まってきているが、あれがガラクタとしての不安を抱えている以上は国の存亡を任せるわけにはいかなかった。

 

「さて。 お腹もすいてきましたし、僕は湊さんと食事にでも行ってきますかね」

 

手に持っていた資料を全て部下に預けると大きく伸びをしてから立ち上がる。呉、大湊、舞鶴、そして湊さんがあの兵器に肩入れするのはどうしてなのだろうか。見た目が女子供だからなのか、船と言う点に思い入れがあるのか。

 

僕はその行為を理解する事ができない、大本営に所属しているという立場もあるが、本当に大切なのは兵器よりも兵よりも、『国』を化け物共から守るにはどうしたら良いかという点なのだから───。



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目をそらして(2)

「おかえりなさい、舟遊びはどうでした?」

 

「そんな洒落た事なんてしていないよ、偵察任務って言ってくれ」

 

 俺は胡散臭い笑顔で手を振っていた男に係留用のロープを投げ渡す。船に乗っている最中に視線を感じたような気がしたのはこいつが迎えに来るタイミングでも窺っていたのだろうか。

 

「態々出迎えなんてどうしたんだ?」

 

「28日の事を話しておきたいと思いまして、食事でも一緒にどうかなと」

 

 予定では27日に利根の最終検査をして問題が無ければ明後日の28日の早朝から呉へと向かう事になっていたはずだが、正直に言ってしまえば今の状態の利根にもう1度検査を受けさせても良いのか不安がある。

 

「なぁ、利根の今朝の結果ってもう出たのか?」

 

「はい。 身体的には問題なし、やや艤装との接続には難ありのようですが、そこは慣れの問題で片付けても大丈夫だと聞いています」

 

 船の上での出来事をこいつに話したほうが良いのかは分からない。事情を説明して明日の検査を取りやめて出発の日程を早めることはできないかと相談してみても良いのだが、俺の後ろで男の視線から隠れるようにしている利根の様子を考えて下手な事は言わないほうが良いのではと判断する。

 

「……少し用事を思い出したんだが、出発の日程を早めるってのは無理なのか?」

 

「それはどうしてですか? どんな用事が? 何かあるようならこちらで人手を用意しますが?」

 

 無理だと言われて流されると思っていたのだが、予想以上の剣幕で捲くし立てるように質問を繰り返してくる男に少しだけ怖さを感じる。

 

「恥ずかしい話なんだが、護衛艦ってのを気に入ってしまってな。 どうにかしてゆっくり見たいなと思っただけなんだ」

 

「……そうですか。 残念ですが明日は湊さんの検査もありますので厳しいですね。 左目の具合も確認しておかないと手遅れになったらまずいでしょうし」

 

「そうだよな。 急に変なこと言って悪かったな」

 

「いえ、湊さんの護衛艦に憧れるなんて子供のような一面を見る事ができて少し驚いてしまいましたよ」

 

 先ほど感じた怖さこそ無くなったようだが、それでも言葉の何処かに棘を感じるような気がする。利根の事を考えればここで長居しても良い結果にはならないだろうし、適当な理由をつけてこの場を離れた方が良いだろうか。

 

「そうだ。 艦娘は医務室じゃなく明石さんに見てもらった方が良いんだよな? さっき利根が船の上でバランスを崩してこけちゃってな、大丈夫だとは思うけど念のため明石さんに見ておいて貰いたいんだが何処に居るか知らないか?」

 

「この時間なら工廠ですかね。 それでは一緒に食事をするのは次の機会という事にしましょうか」

 

「悪いな、それじゃあ言ってくるよ」

 

 俺は軽く手を上げて別れの挨拶をすると、俺の背中に張り付いている利根を半ば引き摺るようにして工廠へと向かう。去り際に男が何かを呟いたようだったが、海風に遮られ聞き取る事ができなかった。

 

「大丈夫か?」

 

「……また嫌な目をしていたのじゃ」

 

「利根って人見知りだったりするのか?」

 

「そんな訳では無いと思う……」

 

 工廠に向かう途中に泣き過ぎて目を腫らした利根に尋ねてみる。嫌な目というものがどんな意味を含んでいるかは分からないが、単純に人見知りだからあの男の事が苦手だという訳では無いらしい。

 

「やっぱり近づくと結構すごい音がしてたんだな」

 

「なんだか懐かしいのう……」

 

 工廠に近づくにつれて工作機械の鉄を削る音や溶接と思われる騒音聞こえてきた。仕事中であれば邪魔するのも悪いかなと思ったが、開いている交渉の扉から見慣れた人影が見えたことで声をかけてみる事にした。

 

「明石さーん……?」

 

「あれっ? 湊さんと利根さん? こんな所にどうしたんですか?」

 

 明石さんは至って普通の対応だと思うのだが、腰に付けられた見慣れない機械にもしかしたらという感情を抱く。

 

「それって艤装ですか……?」

 

「そうですけど?」

 

「ひ、人用の艤装ってあったんですね……」

 

「はい? あっ! 言ってませんでしたっけ!?」

 

 明石さんは艤装に取り付けられているクレーンで吊り上げた部品をゆっくりと作業台の上に降ろすと両足を揃え敬礼をしてくれた。

 

「工作艦、明石です。 改めてよろしくお願いしますね!」

 

「あぁ、やっぱりか……。 よろしく頼むよ……」

 

 別に明石さんが艦娘だから何か変わるわけでは無いのだが、なんとなく工廠で働く女性って点に憧れに近いものを感じていただけに少し複雑な気分になる。

 

「明石ぃ!! 何サボってやがんだ!! さっさと部品持って来い!」

 

「ご、ごめんなさいぃ!! も、もう少しでお昼休みになるので良ければ食事でも!」

 

 明石さんはそう言い残して再び部品を吊り上げるとガシャガシャと音を立てながら工廠の奥へと走っていってしまった。

 

「もしかしてお主、明石を知らんかったのか?」

 

「工作艦って何だよ……。 どうせ俺が知ってる艦は大和や長門くらいだよ……」

 

「お主、本当に海軍に所属しておるのか?」

 

 先ほどまで縮こまっていた利根にドヤ顔で明石さんについて説明されたのだが、正直に言ってしまえば所属なんて関係無しで好きな人は知っている内容だけど、興味の無い人には全くと言って無縁な内容だと思う。

 

「明石は日本で唯一の工作艦として建造された艦でな───」

 

「お、おう……」

 

 まるで一般常識かのように利根は俺に説明をしてくれているが、先ほどのショックがまだ残っているのか話の半分くらいは頭に入っていないような気がする。

 

「あぁ? 誰だてめぇは? 見ない顔だが新入りか?」

 

「えっ、いや。 新入りって訳じゃ無いですが……」

 

 交渉の奥から無精髭を生やした年配の男がこちらに歩いてくる。その後ろにも工具を持った男達がずらずらと俺と利根に近づいてきているのだが、全員が殺意に近い何かを視線に含ませているような気がして数歩後ずさってしまう。

 

「な、なんなのじゃ! 怖いのじゃ!」

 

「いざとなったら逃げるぞ……! 利根も走る準備だけはしておけ!」

 

 最悪の場合利根を逃がす事は可能だろう。俺は素手でも相手が持っているのが火器の類では無く鈍器の類だと考えれば少し痛い目に合うかもしれないが時間を稼ぐことはできると思う。

 

「俺の質問に答えろ」

 

「何だ……?」

 

「明石とは何処までやったよ」

 

「何処までとは……?」

 

 年配の男は持っている工具を俺の顔に突きつけると眉間に皺を寄せて睨み付けてくる。周りの男達も俺の回答が不満だったのか今すぐにでも掴みかかってくるのでは無いかと思える程頭に血が上っているようだった。

 

「てめぇ! しらばっくれようだなんて甘いこと考えてるんじゃねぇだろうな!!」

 

「な、何もしてないって! 大湊からここまで交互に運転してたくらいだって!」

 

「……ドライブくらいならまぁ良いか。 まぁ初犯って事で勘弁しておいてやろう!」

 

「あ、あぁ……?」

 

 俺の回答に満足したのか集まった男達は昼休みを告げる鐘の音と共に立ち去ってしまった。正直に言ってしまえば初犯の意味が分からないが攻撃してくる訳じゃないならこれ以上踏み込まないほうが良いだろう。

 

「お待たせしました! あれ? 班長と湊さんは一体何を?」

 

「おう! ちょっと男同士の友情を確かめ合ってた所よ! そうだよな?」

 

「あ、あぁ。 工廠の人と仲良くしておいた方が良いですし……」

 

 年配の男は俺の肩に手を回すと耳元で大声で笑っている。百歩譲ってその行為自体は許せるが、肩をバンバンと叩いてきたり腹筋を殴ってくる行為は辞めてほしい。

 

「明石はうちの工廠の『華』だ。 手を出したら生きて帰れると思うなよ?」

 

「……おう」

 

 明石さんには聞こえないようにボソリと呟かれたので俺は取り合えず頷いておく。

 

「それじゃあ俺は飯に行ってくるからよ。 明石はチビのメンテもあるだろうし昼からは抜けて良いぞ」

 

「はーい! 何かあればすぐに行きますので、呼んでくださいね!」

 

 それだけ言い残して年配の男は立ち去ってしまったが、笑顔で手を振ってる明石と訳も分からず呆然としている俺と怯えている利根の3人は不思議な空気に包まれてしまう。

 

「何だったんだあの人……」

 

「横須賀工廠の班長さんですね。 良くご飯をご馳走してくれますし、フライスも旋盤も溶接も何でもできる凄く良い人ですよ!」

 

「……そうか」

 

 明石さんはその後も工廠の人について色々と教えてくれたが、嬉しそうに語るその姿を見るに本当にここの人たちが好きなんだなと思った。

 

「話を折るようで悪いんだけど、ちょっと相談したい事があるんだけど」

 

「食事をしながら……、って訳にはいかないみたいですね。 工廠の奥に休憩室があるのでそこを借りましょうか」

 

「む、難しい話をするのであれば我輩は外に居ても良いか?」

 

「あぁ、あまり遠くに行くなよ」

 

 利根としては先ほどの事を改めて聞かされるというのは避けたい事なのだろう。目を離しても良いものかと少し悩んだが、俺の視線に気付いて『大丈夫なのじゃ』と言って頷いている以上は信用した方が良いかもしれない。

 

「さて、ちょっと待っててくださいね」

 

「別に汚くても俺は構わないですよ」

 

 明石さんはゴソゴソと部屋の中の物を移動させたり、コンセント周りの物を確認しているようだったが、何をしているのかが良く分からなかった。

 

「大丈夫そうですね。 最近なんだか監視されてるような気がして落ち着かないんですよね」

 

「盗撮か盗聴でもされてるのんですか?」

 

「気のせいだとは思うのですが……、念には念を入れてってやつですね」

 

 一通り確認できて満足したのか、明石さんは押入れから座布団を取り出すと数度叩いて炬燵机の前に敷いてくれた。

 

「それで、相談ってどんな内容ですか?」

 

「単刀直入に聞きたのですが、『艦娘』って一体何ですか?」

 

「湊さんには以前説明したと思いますが……」

 

「あぁ、質問が悪かったですね。 元々が人ってのは知っていますが、もしかしたら『そうじゃない』のもあるのかなって」

 

 本当に聞きたい内容は『艦娘』と化け物。『深海棲艦』と『艦娘』の関係なのだが、明石さんが艦娘である以上は下手な聞き方をしてしまえば大湊の加賀のように機嫌を損ねてしまうのでは無いかと思った。

 

「その話を誰かにしましたか?」

 

「いや、こんな内容を話しても誰にも相手にされないでしょうし」

 

 明石さんは何かを考えるように視線を床や天井に交互に移すとじっと俺の目を見てゆっくりと口を開いた。

 

「私も湊さんと同じような疑問を感じたことがあります」

 

「それはどうして?」

 

「私は艦の補修や修理を行うために建造された艦でした。 だから戦闘なんかは基本的に苦手ですし、敵が居ると分かれば他の艦に守って貰って必死で逃げるのが当たり前だったんです」

 

「利根から聞いたが工作艦ってやつなんですよね」

 

 俺の返答に明石さんは頷く。

 

「はい。 それが原因なのかは分かりませんが、基本的に私は臆病なんです。 でも、仲間の艦娘が怪我をしたと聞けば全力で直してあげたいと思いますし、逃げてばかりと言う訳でも無いんですよね」

 

「それが先ほどの疑問とどう関係が?」

 

「敵からは逃げたい、仲間は直したい。 この2つって私が明石である証明なのかなって思ってるんですよ。 だからこそ『直すよりも逃げ出したい』って感じる子に疑問を覚えたんです」

 

「ちなみに利根はどっちだったんですか?」

 

 恐らくは明石さんも元になった艦の記憶の影響を受けているのだと思う。

 

「本人には言えませんが、正直に言えば……、でした」

 

「でした?」

 

 明石さんの言葉に引っ掛かりがあったので尋ね返してみる。

 

「湊さんが来る少し前から利根さんの調整を行っていたのですが、この工廠に来たすぐは正直逃げ出してしまいたいって思っていました」

 

「過去形って事は今は違うって事で良いんですよね?」

 

「はい。 今はそんな風には感じないんですよね、むしろ私が頑張って調整してあげないと!って気持ちのしかありませんし」

 

「途中で変わるって事もあるんですね……」

 

 途中で変わってしまうと考えれば俺の推測は外れているのかもしれない。

 

「あまり言葉には出したくないですが、『元々が人間』の艦娘と『元々が人間以外の何か』の艦娘の2種類が居るのではないかと思ってるんですよね」

 

「……それが相談したかった事の本題です」

 

「やっぱりそうですか。 私って少し特殊な艦娘ですし、そんなに気を使わなくても大丈夫ですよ」

 

「助かります。 先ほど利根と船に乗っていたら急に様子がおかしくなったのですが、深海棲艦と似た感覚を感じたんですよね」

 

「……詳しく聞かせて貰っても良いでしょうか」

 

 俺は大湊で見た深海棲艦の事を話した後に利根とのやり取りを説明する。

 

「湊さんの推測では元々が人間の艦娘と、元々が『深海棲艦』の艦娘が居るって事でしょうか?」

 

「そこまではっきりしてる訳じゃないですが、無関係では無いのかなって思ってます」

 

 明石さんは眉を顰めながら炬燵机を人差し指で何度も叩いている。

 

「もう1つ気になっている事があるんですよね。 湊さんの考えの答えに繋がるとは考えづらいですが、この際ですし湊さんには伝えておいたほうが良いかもしれませんね」

 

 今はどのような事でも情報が欲しい。艦娘である彼女達を疑っている訳では無いのだが、これから先付き合っていくのであれば知らなかったでは済まされない場面が訪れるかもしれないと思った。

 

「私達艦娘に共通する特徴なんですが、『記憶の欠落』って何故起こるのでしょうか?」

 

「理由を考えた事は無いですけど、元々の人の記憶に艦としての記憶が入る訳ですから脳がパンクしてしまうとかそんな感じなのでは?」

 

「例えばですが、湊さんは数年後に今日や昨日の事を忘れると思いますか?」

 

「全部覚えている訳では無いと思うけど、なんとなくは覚えていると思います」

 

 些細なことは忘れてしまっているとは思うのだが、全てを忘れるとは考えづらい。

 

「この前班長さんが子供の頃の話をしてくれたんですけど、確か今年で50歳くらいだったと言うです。 つまり全て覚えている訳じゃなくても40年近く昔の事を覚えているんです、だとしたら艦の記憶が入ってきたからって人の記憶全てを失うってありえない気がするんですよね」

 

「なんとなく言いたい事は分かりますが……」

 

「例えばですが鹿屋に居る金剛さんは1912年5月に進水、最後の時は1944年11月として約32年の記憶量があると仮定しましょうか」

 

「……俺より年上だったんだな」

 

 正直失言だったと思う。明石さんはわざとらしく咳払いをしてから話を続ける。

 

「私は1938年6月29日に進水、1944年3月30日に最後の日を迎えています。 約6年として金剛さんとの差は26年としましょう」

 

「結構差があるんだな」

 

「そうなんです! 記憶量で考えたら26年は決して小さくない差なんです、ですが私も金剛さんも同じように記憶の欠落を起こしています。 もっと例を出すなら私の友人に1942年4月に進水、最後の日が1945年7月の艦娘が居ますが3年でも同じなんですよね」

 

 記憶量によって脳がパンクすると考えれば32年分の記憶を持つ金剛と6年の明石さんで差が出てもおかしくはない。金剛や明石さんの見た目から年齢を考えても日常生活が困難になる程だとは思えなかった。

 

「つまり故意的に記憶を欠落されていると?」

 

「そう考えると自然なんですよね。 でもそれはどうしてって謎は出てきますが」

 

「元々が深海棲艦の艦娘には人としての記憶が無いとしたら……?」

 

「その結論に入る前にもう少し現状を整頓してみましょうか」

 

 確かに少し結論を急ぎすぎていたかもしれない。

 

「私達に共通する例としては利根さんが最適でしょう。 そこで考えるのが利根さんの一人称の『我輩』や少し変わった話し方に着目してみましょう」

 

「なんと言えば良いか分からないが、少し古風な感じがするな」

 

「それもありますが、我輩って女性では無く男性が使う一人称だと思うんですよね。 見た目的に私よりも若く見える利根さんの記憶が無くなったからと言ってもそんな言葉遣いになると思います?」

 

「思わないですね」

 

「仮定に仮定を重ね続けるのは少し怖いですが、艦娘は元になった人の記憶と乗っていた人の記憶を持っていて、利根さんが持ってる記憶って彼女自身の記憶では無く彼女に乗っていた人の記憶なんじゃないでしょうか」

 

 話し方という点で考えれば金剛の胡散臭い喋り方もそうだ、元々が日本人じゃ無かったとしてもあそこまで胡散臭い日本語になるとは考えづらい。話し方以外では川内が夜が好きだと言っていたのはどちらの記憶なのだろうか。

 

「なんだか考えれば考えるほど訳が分からなくなってきますね……」

 

「私達の知らない場所で何かを隠そうとしている人が居るって事だけ分かれば少しは前進したと考えるしか無いかもしれませんね……」

 

 誰かが何かを隠す場合はそれを人に知られることで自分に不利益が発生する事が理由だと思う。仮に艦娘が元々人では無いと公表しておけば軍が人体実験をしているなんて悪評を生む事は無かっただろうし、その悪評を受けてでも隠し通したい何かがあるのだろう。

 

「おっと、お昼休みも終わりみたいですね」

 

「あぁ、すまない。 食事の邪魔してしまいましたね……」

 

「利根さんも待ちくたびれているでしょうし、3人でご飯でも食べに行きましょうか」

 

 休憩室に流れる鐘の音と明石さんの腹部から聞こえてきた音が重なる。

 

「……奢りますよ」

 

「い、いえっ!? そんなの悪いですし!」

 

 先ほどまでの眉間に皺を寄せたままの表情ではまずいと思い適当に冗談を交えて気持ちを切り替えると利根が待っている工廠の入り口へと向かう。

 

「ぬぉぉぉぉぉ高いのじゃー! これなら索敵もばっちりなのじゃ!!」

 

「何やってんだ……?」

 

「ん? 話は終わったのか? 我輩はこやつ等が暇そうにしておったから遊んでやっておるぞ!」

 

 遊んでやっていると言うよりは、工廠の人たちに遊んでもらっていたと言うほうが正しいと思う。手には溢れそうなほどの量のお菓子を持たされているし何故遊び方が御輿スタイルなのかも良く分からない。

 

「よし! それじゃあ俺達は仕事に戻るから利根ちゃんも頑張れよ!」

 

「うむ! 任せておれ!」

 

 そう言って男達は工廠の中へと戻っていくと少しして工作機械の重低音や鉄を削るような高音が聞こえてくる。

 

「人気者だな」

 

「うむ! 我輩は人気者だったのじゃ!」

 

「……今から飯を食いに行こうと思ってるんだが、入るか?」

 

「……大丈夫じゃ!」

 

 結果を言ってしまえば利根の頼んだ料理を俺と明石さんで食べることになってしまった。明石さんが予想以上に食べるという事に驚いたが、大湊でも驚いた事だったのでどうにか表情に出す事は無かった───。



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過去と未来と(1)

「山城、入るよ?」

 

 少し前から山城の調子が悪そうだったので様子を見に来たのだが、山城の部屋には誰も居なかった。

 

「何処に行っちゃったのかな?」

 

 僕は肩の上で三つ編みと格闘している妖精さんに話しかけてみるが、僕が振り向いたことで三つ編みが揺れ劣勢となった妖精さんから返事は無い。

 

「全く。 山城は僕たちに少しでも何かあればグチグチ言ってくるのに、自分には甘いんだから」

 

 この前の民間船護衛作戦で小破した僕は山城に抱きかかえられ入渠施設まで運ばれるという辱めを受けた。僕の中の山城はいつも扶桑の後ろを追いかけているイメージだっただけにその時は少し驚いた。

 

「……えっ?」

 

 山城を待つためにベッドに腰かけたのだが、ふと左手に冷たい感触があり布団から手を引き抜くと左手には赤い液体がついていた。

 

「怪我っ!?」

 

 僕は山城に何かあったのではと慌てて部屋を飛び出す。

 

「「きゃっ!」」

 

 扉を開けて廊下に飛び出した瞬間に2つの柔らかい膨らみと衝突してしまう。

 

「わ、私の部屋で何をしてるのよ」

 

「いや、山城が調子悪そうだったから様子を見に来た……、って怪我は大丈夫なのかい!?」

 

「怪我? 出撃もしない私にそんなのある訳ないでしょ」

 

「でもベッドに血が!」

 

 慌ててベッドを指差す僕を見て山城は大きな溜息をついた。

 

「怪我じゃないから安心して。 それと、この事は誰にも話さないでね」

 

「金剛さんや大淀に相談しなくても良いの……?」

 

「良いのよ。 言ったからどうなる事でも無いでしょうし」

 

 訳も分からず慌てている僕と何かを諦めたような表情をした山城との間で無言の時間が続く。

 

「ごめんなさい、ちょっと辛いから横になりたいの」

 

「新しいシーツ取ってこようか?」

 

 顔を真っ青にした山城を椅子に座らせると僕は自室へと走る。途中廊下を走らないようにと那智さんに注意されたが、非常事態くらいは許してもらおうと心の中で謝罪をする。

 

「シーツ持って来たよ」

 

「ありがとう、ちょっと汚いけど交換もお願いして良いかしら……」

 

「構わないよ。 それと、やっぱり何処か悪いの?」

 

「お腹は痛いし頭も痛いし最悪よ」

 

「熱は? 薬を貰ってこようか?」

 

 僕の言葉に山城はゆっくりと首を振る。

 

「別に良いわよ。 どうせこの基地にあるとは思えないし」

 

「町に売ってるなら買ってこようか?」

 

「……別に良いって言いたいけど、お願いしても良いかしら」

 

 今日は出撃の予定も無かったはずだし、ランニングをかねて町まで走るのも悪くない。大淀さんが来てから給料と言う名のお小遣いももらえるようになったし、ついでに夕立にお菓子でも買っておいても良いかも知れない。

 

「どんな薬が良いの? 風邪薬?」

 

「……頭痛止めで効きそうなのでお願い」

 

「うん、分かった。 それじゃあ行ってくるね」

 

 僕は町への外出許可を貰うために執務室に向かった───。

 

 

 

 

 

「ヘーイ! 大淀ー! そろそろティータイムにするネー!」

 

 久しぶりに私が大淀の手伝いという事もあり、たまには2人で紅茶を楽しもうと思ったのだが執務室の扉の向こうには何かの資料を持ったまま顔を真っ青にした大淀が居た。

 

「こ、金剛さんですか。 少しご相談が……」

 

「また資材不足カナ……?」

 

 駆逐艦の子達や一部の軽巡達が頑張ってくれているおかげで少しずつは改善されているが、私達金剛型や妙高型が出撃した後は資材の消費量で頭が痛くなってしまうと言うのが鹿屋での日常だった。

 

「いえ、資材の方は呉から分けて頂いた貯蓄があるので問題ありません。 それより、これを読んでもらって良いですか……?」

 

 大淀から資料を受け取った私はパラパラと資料を捲りながら内容を確認してみる。

 

「オー……。 これは何処で手に入れたのデスカー?」

 

「陸軍のおじさまがこちらに送ってくれました。 大本営に提出する資料だと思いますが、本人の印が必要みたいで……」

 

 これは一種の報告書や履歴書の類だと思う。

 

「送っても大丈夫だと思います……?」

 

「私も少し見ただけですが、これを提出するのはまずい気がするネー……」

 

 少し流し読みした程度だったが、『薬物』や『殺人』等の提督となるためには間違いなくマイナス方向に働く単語が多く見えたような気がする。

 

「文字を見る限り書いたのは湊さんだと思いますが……」

 

「大淀は全部読んだのデスカ?」

 

 私の問いかけに大淀は何度も首を横に振る。

 

「そこで金剛さんにご相談があります」

 

「……マジですカ?」

 

 この場面での相談となればこの資料を隠蔽するか内容を確認するかの二択だと思う。大本営に提出するとなれば隠蔽は明らかに印象を悪くするだろうし、内容を確認するというのも本人の知らない所で読んでしまって大丈夫なのか不安はある。

 

「気になりませんか?」

 

「知りたくないと言えば嘘になりマース……」

 

 どうやら相談の内容は後者のようだった。恐らくは彼に対して私と同じ気持ちを持っているからこそ資料に書かれている内容が気になる。しかし1人でその内容を知って罪の意識に耐える事ができるのかどうか葛藤していた所に私がやって来たという所だろう。

 

「この資料を私達だけで隠蔽すると言うのは無理だと思います。しかし、湊さんが提督になるには間違いなくこの資料に書かれた内容は壁になると思うんですよね」

 

「お、大淀ー……?」

 

「そんな時に私達が何も知りませんでしたって事になればきっと後悔すると思うんです」

 

 少しの間一緒に生活していて気付いた事なのだが、大淀は時折こうして誰かを説得するような素振りを見せて自分を納得させようとする節がある気がする。正直に言ってしまえば私自身彼の事に関して知りたいと思うのだが内容が内容なだけに判断に困る。

 

「大淀、入るよ?」

 

 悩んでいると黒い三つ編みを揺らしながら1人の少女が執務室に入って来た。

 

「あら、時雨が来るって珍しいですね。 何かありました?」

 

「ちょっと町まで買い物に行こうと思ってるんだけど、大丈夫かな?」

 

「大丈夫ですが、門限を越えないように注意してくださいね」

 

「分かった、行ってくるね」

 

 私は大淀と時雨のやり取りを見ながら考える、本当に大淀の言う通り私たちの力が必要になる時が来るのであればそれなりのメンバーを揃えて内容を把握した方が良いとは思う。時雨にも声をかけた方が良いのかとも考えたが内容を察するに駆逐艦の子達に読ませても良いのだろうか。

 

「あれ? 金剛さん何か考え事?」

 

「……ソウデース! 時雨達が集めた資材をどうしたら有効に使えるか考えてマシター!」

 

「そっか、なんだか難しい事は2人に任せちゃってるみたいでごめんね」

 

「ノープロブレムデース!」

 

 私は大げさにポーズを取ってどうにか誤魔化す。時雨は少女らしい柔らかな笑みを見せた後に軽くお辞儀をして執務室から出て行った。

 

「それで、どうします?」

 

「ウーン……。 内容的に駆逐艦の子達以外でもう少し集めて意見を聞いた方が良いと思いマース」

 

「重巡からは妙高さん、軽巡からは神通さんでしょうか?」

 

 各艦種のまとめ役を呼ぶとは良いと思うが、下手すると他の人間に知られないように隠し通す必要性が出てくるかもしれない。そう考えるとある程度頭の回転が速い人選にした方が良いと思う。

 

「重巡は妙高で良いと思いマース! 軽巡は神通よりも川内が良いデース!」

 

「でも、川内さん起きてますかね?」

 

「妙高に来る途中に連れて来るように連絡しておけば大丈夫ネー!」

 

 結果としては大淀の予想通り寝ていたようだったが、妙高の頑張りでどうにか全員が集める事ができた。

 

「湊さんのためにいろいろとやれることをやっておくと言うのは賛成できますが、流石に人の過去を無断で知ると言うのは失礼に当たるのでは無いでしょうか?」

 

「私も妙高と同じ意見かな、知られたくない内容かもしれないしね」

 

 妙高は始めから良くないと大淀を説得してくれると思っていたが、川内も同意見だという事に少し驚く。それでも妙高の表情を見る限り知りたいのだが常識的に考えてやめたほうが良いと判断したのだと言う事は分かる。

 

「それでは当初の予定通り私と金剛さんと読むことにしましょうか……」

 

「私は読もうなんて言って無いネー!」

 

「別に知りたくないという訳ではありませんよ。 それに知るとまずいと判断した時に止める判断を下す人員は必要でしょう?」

 

「面倒だけど、私がここで抜けたら軽巡組が知らないって事になるなら聞かないとって感じになっちゃったね……」

 

 川内も周りの反応を見て諦めたのか、ソファーに深く腰掛けると腕を組んで目を瞑ってしまった。

 

「それでは読みますね。 陸軍入隊後、訓練中に上官に暴力行為を働き営倉行きとなる……」

 

「いきなり最悪過ぎるネー……」

 

「私達が艦だった時代なら営倉行きだけじゃ済まないかもしれませんね……」

 

「まぁ元気があって良いんじゃないかな」

 

 正直に言って流石の私でも軽く引いてしまった。確かに見た目は怖そうな人だなと思ったことはあったけれど、経歴の1番上が暴力行為での営倉入りと言うのは流石に洒落にならない。

 

「でも、それが原因で所属部隊が代わってからは問題行動は無くなったみたいですね。 すぐに海外の基地や泊地の建設のために派遣されていますが……」

 

「そんな事があったんデスネー」

 

「湊さんってご自身の事はあまりお話にならない方ですし知らない事が多いですね」

 

「あまり横槍入れるの止めない? このペースだと夜が来ちゃうよ」

 

 川内の場合夜が来て眠くなるというよりは、夜間警備のための出撃が目的だと分かっているのだが、確かにこのペースで話を進めていくとまずいのは正論だった。

 

「それでは全部読むと流石に分かりづらいので簡単にまとめながら読んでいきましょうか」

 

 そう言って大淀はわざとらしく咳きをしてから報告書を読み始めた───。

 

 

 

 

 

「そろそろ髪を切ってやろうか?」

 

「ハサミなんてありましたっけ?」

 

 隊長に視線を向けてみると先ほどまで研いでいたナイフを笑顔で持っている。坊主だった髪も人並みに伸び始めた頃だと言うのに隊長の暇つぶしで妙な髪形にされてしまうのは正直ごめんだった。

 

「隊長こそいい加減髪を切ったらどうです?」

 

 軍人には珍しく隊長は黒い髪を腰の辺りまで伸ばしていた。どう考えても短いほうが楽だと思うのだが、女の軍人は隊長以外見たことが無いので基準が分からない。

 

「ふむ、私がお前の髪を切っても良いなら切らせてやっても構わないが?」

 

「切っても良いんですか? 髪は女の武器だって言ってませんでしたっけ?」

 

「それでは湊訓練兵に問うが、私の髪を使ってどう戦う?」

 

 この人はいつもそうだ。言っていることがめちゃくちゃで、下手すると朝と昼とで言っていることが正反対のときだってある。

 

「編んでロープ状にしたら割となんでもいけるんじゃないですかね?」

 

「50点だな」

 

 100点の回答が何か気になったが、窓の外から何かが破裂するような音が聞こえ念のため整備していた道具を身につける。

 

「アチラさんも暇なのかねぇ。 雨の日くらい休めば良いと思わないか?」

 

「……休みになるなら嬉しいけど、ジメジメして嫌じゃないですか?」

 

「そうか? 私は雨は嫌いじゃないけどな」

 

 再び窓の外から破裂するような音が聞こえてきたが、警報が鳴らないと言う事はいつもの嫌がらせの類なのだろう。

 

「それより、そろそろ新人を迎えに行った方が良いんじゃないですか?」

 

「……こっちの救援は断った」

 

「は?」

 

「なぁ湊訓練兵。 貴様は上官に対する口の聞き方は教えてもらわなかったのか?」

 

 俺の教育担当は目の前で不機嫌な面をしているこの人だ。正直言葉遣いなんて教えてもらった事は無いし、この人自体言葉遣いは良いとは言えない。

 

「日本に戻ったら勉強しますよ。 それより救援を断ったってどういう事です?」

 

「民間人の相手なんて新人にやらせる仕事じゃない。 そんな事よりも海岸線の防衛が人手不足だって聞いたからそっちに回してやったよ」

 

「噂のアレですか。 某国の生物兵器だって噂はマジなんですかね?」

 

 現場の人間には碌な情報は回ってきていない、海の上に人が立っていたなんてふざけた情報が流れてきた事もあったし、海豚の化け物に襲われたって冗談にしか聞こえない噂だって聞いている。

 

「さぁな。 例え相手がどんな兵器を使ってきても私とお前のやる事は変わらないよ」

 

「民間人に石を投げられるのがやる事ってのが笑えますけどね」

 

「ついでに家畜の糞もだな」

 

 これが俺にとっての初めての任務だった。シーレーン確保のためブインに基地を建設する、初めは向こうも乗り気だったらしいのだが、何処かの国から横槍が入り今じゃ俺達は侵略者として扱われている───。

 

「あの島の名前って何か覚えているか?」

 

「……ポポラング島かと」

 

「ふむ、正解かどうか分からないが、お前がそう言うならそういう事にしておいてやる」

 

 この人は相変わらずだと思った、ブイン基地の建設は失敗。つまり俺や隊長は単に民間人に罵倒され石を投げつけられ家畜の糞まみれになっただけという結果だけが残った。どうしてこの人は平然としていられるのかが理解できない。

 

「悔しくないんですか!? 俺達はこの国を、島を守るために来たんですよ!?」

 

「騒ぐな、余計暑苦しくなる」

 

「向こうを説得するって息巻いてた上の連中は何をしてるんですか!?」

 

「……口を閉じろ。 これは命令だ、お前が騒ぐのはお前の勝手だが周囲の士気を下げるような発言はやめろ」

 

 この人は滅多な事が無い限り『命令』という単語を使わない。何か言い返してやろうと思ったが、周囲に横たわっている負傷者の呻き声が耳に入りそれ以上言葉を発する事ができなかった。

 

「話くらいは聞いてやる、場所を変えるぞ」

 

「……はい」

 

 狭いテントから外に出ると相変わらず雨が降っていた。また何処かで紛争が起きていたのか周囲の兵が慌しく走り回っている。そんな中俺の前に居る隊長の歩き方が何処かぎこちないのを見て一気に頭が冷えてきた。

 

「傷、大丈夫なんですか……?」

 

「ただの火傷だ、食って寝れば治るさ」

 

「……先程はすみませんでした」

 

 日を増すごとに俺達に対する反抗は強くなっていた、初めは石や糞のような子供の嫌がらせのような物から、今では銃器や火炎瓶のような明らかにこちらの命を奪うことを目的とした手段が目立ってきている。

 

「お前も腹は大丈夫なのか?」

 

「弾は抜けていたそうなので問題ありません」

 

 互いの傷の様子を語りながら隊長と俺は物資保管用の倉庫に入る。本来であれば食料や油なんかも保存する予定だったそうだが、無駄に広い倉庫の中には隅の方に小さなコンテナがあるだけだった。

 

「……海軍の連中は何をやってるんですかね」

 

「さぁな。 向こうは向こうで忙しいんだろうよ」

 

 口に出せば本当の事になりそうで誰も言葉にする事はできないが、恐らくブインに続きショートランドでの基地建設も失敗で終わるのは誰が見ても分かっていた。その原因は間違いなく補給が行われていない事だと断言できる。

 

「まだ反撃はダメなんですか……?」

 

「陸軍は無抵抗を貫く。 上の指示には従う、それが私達軍人の仕事だからな」

 

「死者こそ出ていない物のこのままじゃ長く持つとは思えません……」

 

「だろうな、近々誰か死ぬかもしれないな」

 

 まるで他人事のようにそれを口にした隊長にイラついて俺は思いっきり倉庫の壁に拳を叩き付ける。

 

「なぁ、自分の手を汚してでも現状を変えたいと思うか?」

 

「……はい」

 

「そうか、今日の夜から忙しくなるぞ。 所属も変わるかもしれないが気にする程でも無いだろう?」

 

 隊長はそれだけ言ってお偉いさん達が会議ばかりしているテントのある方角へ歩いていってしまった。その言葉がどんな意味を持っていたのか俺は夜になるまで理解する事ができなかった───。

 

「……これで良かったんですかね」

 

「あぁ、良くやったよ」

 

 何度も同じ質問を繰り返しては同じ回答が返ってくる。

 

「良かった……、んですよね……」

 

「あぁ、湊は良くやってくれた」

 

 目を閉じれば床の上を這いずるようにして逃げる男の姿が脳裏に浮かんでくる、ポタポタとナイフを伝って床に落ちる液体の音が耳から離れない。ナイフを握っていた右手には力が入らず、気温は30度近くあるはずなのに体の震えが治まらない。

 

「この言葉が湊にとって救いになるかは分からないが、あの男は金を貰って民間人達が私達に反抗するように扇動していた。最近銃器での反抗が盛んになってきたのもそこが出所だったそうだ」

 

「……もしかしてこうなる事分かってました?」

 

 ここから先は完全に俺の八つ当たりだったと思う。

 

「どうして隊長は平気なんですか!? 俺達は人を殺したんですよ!?」

 

「……そうだな、殺したな」

 

「なるほど、隊長くらいになれば人殺しも仕事だって割り切れるようになるんですね」

 

「……そうだな」

 

 それから何を言ったのか自分でも覚えていない、初めて人を殺したという恐怖を忘れるために思いつく限りの言葉を隊長にぶつけたと思う。

 

「湊は私の指示にしたがって行動した、責任は私にある。 恨むなら私を恨めば良い」

 

「……できる訳無いじゃないですか」

 

「明日も忙しくなる、今日はもう休んだほうが良い」

 

 そう言って隊長は木でできた寝床の上で身体をずらすと人1人分のスペースを空けた。

 

「何の真似ですか……?」

 

「1人で寝るのが怖いと思って気を利かせてみたが、遠慮しなくても良いぞ?」

 

 初めて人を殺して上官に散々暴言を言って、怖いから一緒に寝てもらう。そんな自分が情けなさ過ぎて俺は逃げるよう走ってテントから外に出た。雨は止んでいたが雲に覆われ月や星は見えない。この時の俺は自分の手の振るえを必死で隠して愚痴を聞いてくれていた隊長の優しさには気付けなかった───。

 

「せっかく日本に帰れるのに断る意味が分からない」

 

 初めて人を殺してから何日経ったかは分からない、あれから何度も同じ経験をした頃に隊長宛に日本に戻らないかという連絡があった。

 

「帰って私に生物兵器として改造されろってお前は言うのか?」

 

「どんな環境でも今の俺達よりはマシでしょう」

 

「部下を置いて自分だけ帰るってのも気に食わないが、私がこの歳で娘って呼ばれるのが何より気に入らないな」

 

「所属も海軍になるんでしたっけ? だったら尚更向こうに行ってさっさと物資を輸送するように伝えてきてくれよ」

 

 胡散臭い話には妙な尾ひれが付くのは定番だと思う。海軍が海の化け物と戦うために新しい兵器を開発したらしいが、噂だと女を兵器として改造するSFチックな馬鹿話だった。

 

「それにしても隊長が娘ですか……。 隊長ってスカートとか履いたことあります?」

 

「言われてみれば無いかもな」

 

 隊長は女の中ではかなりでかい方だと思う。俺自身そこまででかい方じゃないってのもあると思うが、俺より少しだけ身長は高い。もしかしたらモデル体系ってやつなのかもしれないが鍛えられた四肢のせいか周りからゴリラの方が可愛げ気があるって言われているのを聞いた事がある。

 

「さて、そろそろ無駄話はやめて夜のピクニックにでも出かけるとしよう」

 

「今日は偵察メインでしたっけ? ラバウルの観光地でも回ってみましょうか」

 

 正直に言ってしまえば俺も隊長もギリギリの所だったと思う、こうして冗談を言い合って居なければ罪悪感に押し潰されてしまうと互いに感じ取っていた。

 

「観光地としては2流って所ですかね、村は見えても虫が多いし木に隠れて星が見えない。 これじゃカップルには受けそうに無いでしょうね」

 

「無駄口を叩く余裕があるのは良いが、村の地形は頭に入っているんだろうな?」

 

「いつまでも新兵扱いしないで貰えますかね、いい加減認めてくれても良い頃じゃないです?」

 

 村の地形はすでに頭に入っている、村の中央には他の建屋よりもやや大きい建屋があり恐らく次の仕事はそこで行われることになるはず。退路は周囲の森林に入ってしまえば素人相手には見つからないだろう。

 

「せめて童貞の1つでも捨ててから大口を叩いて欲しいものだな」

 

「ど、童貞じゃないかもしれないだろ! ……自分だって処女のくせに」

 

 最後の方は聞こえないように言ったつもりなのだが、後頭部を思いっきり殴られてしまった。ヘルメットを被っているとは言えその衝撃に顔を顰めてしまう。

 

「帰ったら確認してやるから覚悟しておくんだな」

 

「……初めては夜景の見えるホテルでって決めてるんで遠慮しておきます」

 

 ここから先はあまり人に語るような内容だとは思わないし、俺個人としてもあまり思い出したくない出来事だった───。

 

「そういえば、結構昔に所属が変わるって言ってませんでしたっけ? 俺達って今何処の部隊に所属してるんです?」

 

「うん? 部隊も何も今の所属は陸軍ですら無いんだが、説明していなかったか?」

 

 隊長の発言に思わず飲んでいた珈琲を噴出しそうになってしまった。確かに重要なのは所属よりも任務の内容だと言う事は理解しているが、自分が陸軍を辞めてしまっているという事には驚いた。

 

「大本営直属の私兵って所だろうな、今は傭兵に近いのかもしれないな」

 

「大本営って何ですか……?」

 

「言ってしまえば、くされ仕官の捨てどころって所だな。 本来なら私達の行為は国際問題に発展してもおかしくない、でも現実はどうだ?」

 

 考えたことが無かったが、確かに日本の軍人が現地の人間を殺したとなれば大問題に発展してもおかしくない。それこそ本格的な侵略行為だと取られても仕方が無いし、世界各国が海の問題で荒れてるとは言え黙っている国も少なくないだろう。

 

「これを見てみろよ」

 

 新聞か何かの切り抜きだとは思うのだが日本語で書かれておらず内容は分からないが、一面に載っている写真に嫌な思い出が蘇って来た。

 

「こんな写真いつ撮ったんですか……?」

 

「さぁな。 それでも綺麗に撮れていて良かったじゃないか」

 

 白黒なのではっきりは分からないが、写真の中の俺は頭に石なのか家畜の糞なのか分からない物体が当たっている瞬間。隣に立っている隊長の軍服もドロドロに汚れており、悲惨な状況になっているのは誰が見ても明らかだった。

 

「謎の侵略者から発展途上国を守る日本軍、自らの正義を示すために無抵抗を貫き通す。侵略行為だと罵られようと他国民のために懸命に活動を続ける。 良かったじゃないか、私達の頑張りも無駄じゃなかっただろ?」

 

「無抵抗も何も、これが本当なら俺達の立場ってやばく無いですか……?」

 

「そこを上手く誤魔化すのも、くされ仕官の仕事ってやつだな」

 

 情報操作ってやつなのかも知れないが、各国は日本の行為よりも反抗している民間人を悪役として認識し始めているらしい。なんだか腑に落ちないというか納得ができない部分も大きいが、それでも徐々に民間人の反抗も落ち着いてきていると考えればプラスに考えても良いのだろうか。

 

「徐々に泊地建設も進んでるようだし、私達が日本に戻れる日もそう遠くないかもしれないな」

 

「なんとか娘ってやつに改造されるから帰りたくないんじゃ?」

 

「改造しなくても十分戦えるって証明してる最中だろ?」

 

 思い上がっていた訳では無いと思う、それでも自分達の行為で上手い方向に進んでいると考えると少しだけ罪悪感も薄れているような気がした───。

 

 任務の無い日は泊地の周囲を走って隊長から座学を受けたり模擬戦をして時間を潰す事が多かった。後になって知った話だが、訓練途中に抜けた俺のために隊長が気を利かせてくれていたらしい。

 

「なぁ、湊は日本に戻ったら何がしたい?」

 

「そういえば考えた事無かったな、俺に何かできる事ってあるのかな?」

 

 訓練の後はいつも崖から足を投げ出し2人で海を眺めることも俺と隊長との間で決まり事になっていた。1度だけ海が好きなのかと聞いたこともあったが、『誰かが呼んでいるような気がする』なんて似合わないことを言われて笑ってしまったことがある。

 

「性格を考えれば教官なんかが向いてるかもしれないな、少し優しすぎるところが欠点かもしれないが」

 

「隊長は俺に誰かを育てるって事ができると思います?」

 

「私にできたんだから湊にもできるさ」

 

「確かに」

 

 妙に説得力がある発言だったため頷いてみたのだが、背中を叩かれ崖から落ちそうになって本気で焦った。

 

「湊は誰かの上に立つために必要な能力って何だと思う?」

 

「状況判断の正確さや早さ、先を見通す能力とかそんな感じですかね?」

 

「そんなのは場数を踏めばある程度頭のある人間ならできるさ。 それより私は『決して部下を見捨てない』事だと思ってる」

 

「時と場合に寄っては切り捨てることも必要になってくるんじゃ?」

 

 俺の質問に隊長は難しそうな表情のまま固まってしまった。切り捨てることの必要性を理解しているからこそどう答えていいか悩んでいるのだと思う。

 

「確かに切り捨てる事もあると思う。 それでも取れる手は全て取ってからその判断をして欲しい、誰かを犠牲にする事は本当に最後の最後、自分にできる最大限の行動をしてもダメだと分かった時の最終手段だろうな」

 

「そんなの当たり前じゃないですか?」

 

「その当たり前が難しいんだよ。 こういう仕事をしているといつか湊にもそれを選ぶ時が来ると思うが、その時にやれる選択肢が多くなるように真面目に訓練をしておくんだな」

 

 座学をしているよりもこうして何気ない雑談をしている方が勉強になると思う、いつか俺も隊長と同じように誰かの上に立つ時には同じ事を部下に教えてやりたいと思ったし、そんな姿を胸を張って隊長に見せてやりたいと思った───。

 

「……え?」

 

 目の前の男が言っている言葉の意味が分からない。

 

「隊長が撃たれた? そんなヘマをするような人じゃ無いですよね……?」

 

 何度同じ事を確認しても目の前の男は黙ったままだった。

 

「大丈夫なんですか!? 隊長は生きてるんですか!?」

 

 それが現実だと頭が理解して俺は声を荒げながら男の肩を揺する。男からすぐにでも日本で治療を受けなければまずい状況だと端的に告げられる。それから俺は隊長を乗せた船を見送ってから木でできた寝床の上に横になって天井を眺め続けていた。目を閉じれば隊長の事ばかり思い出してしまい、自分の情けなさに乾いた笑いが出てしまう。

 

 そんな俺の気持ちなんて無視するように次の任務の連絡が入る、次の現場はラバウルらしい。任務よりも隊長を撃った人間に復讐してやりたいと思ったが、それをやってしまえばきっと隊長に合わせる顔が無くなってしまう。

 

「……俺も頑張るんで隊長も頑張って下さい」

 

 誰も居ない部屋で1人で呟く。もちろん返事は無かったけど、それでも現時点で俺が隊長のためにできる事だと自分を納得させる事はできた───。

 

「お前が俺の相方なのか? 随分とガキじゃねぇか」

 

「……あんた誰だ?」

 

 ラバウルで任務をこなしていると無駄に図体がでかい男が俺の寝ているテントに入って来た。話を聞けば欠員が出たため日本から送られてきたそうだが、正直訳も分からない相手と組むよりは1人の方が気楽だなと思った。

 

「今日から俺がお前の上官だ、働きには期待してるから精々頑張れよ」

 

「隊長は……?」

 

「隊長? あぁ、前にここに居た女か。 悪いが生きてるとも死んだとも聞いてないな」

 

 それだけ聞いて俺は目を閉じた。この男の事は嫌いでは無かったが好きでも無かった、それでもたまに世間話をする事はあったが2週間程度じゃ互いの親交を深める事もできなかった。

 

「今度の仕事は外れかねぇ」

 

「……そうだろうな。 前にここに来た男も2週間で居なくなったよ」

 

「暑いし湿度は高いし、大本営の直属は楽できるって聞いてたんだけどな」

 

 2番目に来た男は軍人らしく無いなと思った。俗に言うオンオフを切り替えられるタイプだったのだろうか、休む時は休む、働く時は働く。その姿勢は見習わなければと思ったがそれを学ぶ事はできなかった。

 

「俺も隊長が居なければこうなってたんですかね」

 

 動かなくなった男の入った袋を乗せた船を見送ってから次の任務の準備をする。近くを歩いていた兵士から護衛の無い船が日本に到着するのは3回に1回程度だと聞いて隊長の事が心配になったが無事かどうか確認する術が今の俺には無かった。

 

「ほ、本日付で配属になりました! よろしくお願いします!」

 

「ようこそ、あんたは記念すべき10人目の相棒だ」

 

 そろそろこっちに来て1年くらいになるのだろうか、今度は俺と同じくらいか少し下くらいなのかなと思った。それでも俺のやっている事は相変わらずだった。紛争や反乱が起きれば駆り出される、最近は自分がなんのために人を殺しているのかさえ分からなくなる時があった。

 

「それ、何でしょうか……?」

 

「……任務で夜に行動する事が多いからな、ビタミンは目に良いって言うだろ」

 

 何故だか分からないが嘘をついた。もしかしたら自分でも恥ずべき行為だと心の何処かで分かっていたのかもしれないが、正直今の自分を支えるにはこの方法しか無かった。俺は注射器をケースに仕舞うと棚に片付ける。

 

 日本からの補給物資は徐々に減ってきている、どうにか食料だけでも確保しようとこっちにも畑なんかを作る計画が進んでいるみたいだが陸軍から離れて妙な組織の傭兵をやっている俺には碌な物資の補給も無くなっていた。

 

「ぼ、僕は何をしたら良いでしょうか……!」

 

「そうだな、はっきり言って邪魔にしかならないだろうし俺が帰って来るまで基地の周囲でも走っててもらえるか?」

 

 そう言って目の前で脅えている男の肩を叩くと任務のために近くの村へと向かった───。

 

 食料が手に入ったのは運が良かったと思う、何の肉を干したものかも分からなかったが今更食い物に何かを求めるつもりも無かった。半分ほど食べた所で残りは明日用に取っておこうと思ったが、また1人妙なのが来たことを思い出して舌打ちをする。

 

 いつも通り基地の正面から入らずに森林を通って基地に戻るとゆっくりとテントの中を確認してからため息をついた。今回の相棒は今までの中で最短記録を更新したかもしれない、中には誰も居らず初日に逃げ出したのだと呆れたを通り越して笑いそうになってしまう。

 

「隊長、おやすみなさい……」

 

 それだけ呟いて毛布に包まる。どれくらい眠れたのかは分からないが、ずりずりと地面を何かが這いずる音が聞こえて目が覚める。枕の下に入れているナイフを取り出してテントの外を見てみると1人の男が倒れていた。

 

「……何やってんだ?」

 

「帰ったなら連絡してくれても良いじゃないですか……」

 

「どういう意味だ? もしかして今まで走ってたのか?」

 

「隊長が帰って来るまで走ってろって言ったじゃないですか……!」

 

 その言葉を聞いて胸が締め付けられるような感覚になった。

 

「隊長って俺の事か……?」

 

「ええ、あなた以外に誰が居るんですか。 もしかしてこの部隊って僕が隊長だったりします?」

 

 なんて言葉を発したら良いのか分からないが、指示が無ければ日が昇るまで走り続けるような馬鹿の下に就くつもりもない。

 

「……せめて童貞の1つでも捨ててから大口を叩いて欲しいものだな」

 

「出会って1日で僕が童貞かどうかなんて判断できないと思いますが!?」

 

「その反応が童貞臭いんだよ。 テントに水と干し肉があるから食ったらしっかり休んでおけ」

 

 俺はそれだけ言って日課にしているジョギングへと向かった、間違いなくアイツは使い物にならないのは分かる。任務に連れて行けば足を引っ張るだろうし、それこそ本当に最短記録を更新するかもしれない。

 

「……俺が育てるしか無いよな」

 

 睡眠不足であまり体調も良いとは思えないが、いつもよりも足取りが軽いような気がした───。

 

「基礎体力はそれなりにあるみたいだけど、何かやってたのか?」

 

「僕は施設の出身なんですけど、軍の人が来てずっと訓練みたいな事をやらされていました」

 

「奇遇だな、俺も施設の出身だよ」

 

「奇遇も何も、この部隊ってそういう人しか入れないって聞いてますよ?」

 

 その時は2人で妙な話だなと思ったが、後になっていざという時に身元不明として日本とは無関係という形で切り捨てやすい人材を優先して送って来ていたらしい。もしかしたら隊長も何処かの施設の出身だったのかも知れないが、あの人はあまり自分の事を話す人じゃ無かったから結局何も分からなかった。

 

「そろそろ僕も任務に連れてってくれても良いんじゃないです?」

 

「やめとけ、怖くて夜寝れなくなるぞ」

 

「偵察任務ってそんなに大変何ですか?」

 

 俺が何をしているかはコイツには教えていない。俺が動けるうちは手伝わせるつもりは無かったし、運が良ければ手を汚す前に日本に帰れる可能性もある。

 

「何よりお前は近接格闘が弱すぎるからな……」

 

「銃の扱いならそこそこ自信があるんですけど、隊長ってあまり銃を使わないですよね」

 

「使えない事は無いんだが、なんとなく嫌いなんだ」

 

 俺自身ナイフの方が得意と言う理由が大きかったが、隊長の命を奪ったかもしれない道具を好んで使おうとは思えなかった。

 

「そういえば、食料ってまだ残ってたっけ?」

 

「レーションはまだあったと思いますけど、水がもう少しで無くなるはずですね」

 

「悪いんだが、今夜あたり陸軍から分けて貰って来てくれ」

 

「今夜も留守番確定ですか……」

 

 俺が直接軍に物資を分けて貰う所を見られるのはまずいと判断して、基本的に軍とのやり取りはコイツに任せている。大本営直属の部隊だと説明したら嫌な顔をされるが食料を分けて貰えることが分かってからは少しだけ生活にも余裕が出てきたと思う。

 

「俺から一本でも取れたら連れてってやるよ」

 

「……遠回しに連れて行かないって言ってませんかそれ」

 

「少しは賢くなったみたいだな」

 

 優しすぎる所が欠点、それは隊長の言葉だったと思う。本当に守ってやりたいと思うのであれば俺の近くに居させた方が良かったのか、それこそ夜の間は何処かに隠れて置けと指示を出して置けば良かったのか。きっとどちらの選択肢も良い結果には辿り着けなかったと思う───。

 

「ねぇ隊長、某国の暗殺者が暗躍してるって話本当なんですかね?」

 

「さぁな。 向こうもこっちも相当殺されてるって噂だけど、それが本当ならお前も気を付けろよ」

 

「どんな人なんですかねぇ……。 スパイ映画みたいな特殊装備とか持ってるんですかね?」

 

 きっとそいつは銃の嫌いな薬中のクソ野郎なのだろう。そんな言葉を口にしてみたくなったが、俺は現実を見ろと鼻で笑って走り始める。今日は任務も無いしたまには訓練に付き合ってやろうと一緒に基地の周りを走っているのだが、一緒に走る事が嬉しいのか先ほどから忙しなく色々な話題を口にしてきていた。

 

「隊長ってリンガとかタウイタウイとかにも行ったことあります?」

 

「たぶんあるんじゃないかな? 島の名前を意識するのは最初のうちだけだったからよく分からないな」

 

「ブイン、ショートランド、ラバウル、タウイタウイ、ブルネイ、リンガ……。 なんだか歴史を感じません?」

 

「歴史とかはあんまり興味無いかな」

 

 あまり興味の無い話だったために適当に流していたのだが、コイツは子供の頃から昔の艦が好きだったらしい。よく分からない艦の名前を次々に挙げられたが覚える事ができたのは長門や大和なんかの分かりやすい艦だけだった。

 

「そんなに艦が好きなら海軍にでも志願したら良かったんじゃないか?」

 

「志願した結果が今ですかね。 こっちで活躍して日本に戻れば海軍に入れるようにしてくれるみたいなんですけど、訓練ばかりじゃ僕の夢も叶わないかもなぁ……?」

 

 遠回しに任務に連れて行けとアピールして来ているようだったが、正直まだまだ使い物にならないと思う。後方偵察なんかを任せてみては良いのではと思うが、任務中の俺の姿を見てコイツが俺を軽蔑しないかって訳の分からない事を考えていた。

 

「そんな事よりも、陸軍から夜間警備を手伝えって言われてるんだろ?」

 

「食料と引き換えの対価ってやつですかね……」

 

「それだって立派な活躍だよ。 噂の暗殺者を発見、未然に阻止する事で上官の命を守った、こんなシナリオどうだ?」

 

「中々魅力的なシナリオですね……!」

 

 発見自体なら現時点でしているのだが、本人がやる気になっているのであればこれ以上俺が口を出す事も無いだろう。

 

「初任務、頑張れよ」

 

「任せてください!」

 

 俺にとっての初任務は民間人から石を投げつけられる事だった。コイツにとっての初任務は石なんて優しい物では無く得体のしれない兵器からの空襲。

 

 初めての部下を失った俺はその日からどんな人間が配属されても興味が無くなった。何人配属されて何人死んで行ったかなんて数えるのも馬鹿らしくなった頃に俺に国内への帰還命令。

 

 以上で海外派遣任務を終了とする。

 

「オー……。 中々バッドな内容でしたネー……」

 

「気付けば結構な時間が経ってしまいましたね……」

 

「そろそろ夜間偵察の準備でもしようかなぁ~」

 

 みんな思い思いの行動を取っているが、恐らく全員がこの事実を感じてどう反応したら良いか迷っているのだろう。

 

「解散前にもう1つ。 川内さんは知らないかもしれませんが例の湊さんからの連絡ですが、断っておきました」

 

「ん? 私の知らない所で何かあったの?」

 

「軽巡組では神通さんに連絡が言っているはずですが……」

 

 大淀は川内に連絡の内容を見せているようだったが、川内自身も何か引っかかることがあるようで表情を顰める。

 

「普段から那珂みたいにごちゃごちゃした連絡をしてるって訳じゃないけど、ここまで簡潔で無愛想なのって珍しいね」

 

「そうなんですよね。 何度か電話をしてみたり連絡を返したりもしているのですが、これっきり連絡が無いですし」

 

「まぁ難しいことは大淀に任せるかな。 金剛や妙高も断るって意見には賛成なんでしょ?」

 

 普段は夜戦夜戦とはしゃいでいる事が多い川内ですが、こういう所では妙に頭の回転が速いと思う。

 

「そうですね、私も金剛さんや大淀さんと同じように反対しています」

 

「チョーット怪しい臭いがするネー……」

 

 そんな事を話していると正門から車の入ってくる音が聞こえた───。



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過去と未来と(2)

 私は一体誰なのだろうか。そんな少し拗らせた子供が思うような事を私は真剣に悩んでいた。

 

「私は扶桑型二番艦、山城……? 扶桑型って……、姉様……?」

 

 頭痛と腹痛のせいで上手く考えがまとまらない。本当は誰かに相談した方が良いとは思っていたのだが、怖くて聞き出せなかった。

 

「怖い……」

 

 午前中に会った少女の事を思い出す。確か名前は『時雨』であっていたと思う。何故かは分からないけどとても大切に思えたし少女がそこに居るという事に安心感を感じていた。

 

「姉様、最上、満潮、朝雲、山雲……」

 

 思い出そうとする程に頭痛は酷くなる。でも私が私であるために忘れていてはダメな事なんだと思う。とても辛くて、悲しくて痛くて、苦しくて、でも大切な記憶。

 

「そういえば出掛ける時に鍵かけたかしら。 ……鍵? 何処の?」

 

 これは私の記憶なのだろうか。見知らぬ家がそこにあって小さな庭があって二階には小さな窓にはカーテンがかかっている。

 

「いつまでも隠せないわよね……」

 

 既に艤装を付けても海上に立つことはできないし、佐世保に居た時から感じていた違和感は徐々にだけど大きくなっていた。

 

「あなたはどうしたいの……?」

 

 私の中に居るはずの私に声をかける。返事が返って来ないのなんて分かっていたけれど、本当にこのままで良いのかを確認してみたかった。

 

「そう、いつまでも引きこもってちゃお姉ちゃんに怒られるわよ?」

 

 まだ体調はあまり良くないけど、少しだけ外の空気を吸いたくなったので私は着物を脱いで着替える。以前町に行った時に時雨や他の子供達が似合うと言ってくれたので買ったはずだけど1度も袖を通す事は無かった服だった。

 

「こんなに可愛いのに」

 

 町の方角へ歩けば途中で時雨と会うだろう、その時に相談してみようと思う。途中すれ違った子に散歩に行ってくると告げてからゆっくりと歩く。

 

「海の上を走り回るってどんな感じなの?」

 

 やはり話しかけても返事は無い、こうして独り言を言いながら歩くのはまずい気がして途中のバス停でベンチに座って待っていると沢山のトラックが目の前を通り過ぎて行った。体調的に少し厳しいのでここでこのまま時雨を待っていた方が良いかもしれない。

 

「……無理しちゃダメだって言わなかったっけ?」

 

「確か言って無いわよ」

 

「……怒るよ?」

 

 私を見つけて小走りで近づいて来た時雨は椅子に座っている私を見下ろすようにして機嫌を悪くしている。

 

「薬ってこれで良かった? お店の人に相談したら凄く丁寧に説明してくれたけど良く分からなかったかな……」

 

「大丈夫、あってるわよ」

 

 私は時雨から桃色のラインが入った箱を受け取ると近くの自販機で水を買って水と一緒に2錠口に含み飲み込む。

 

「さて、帰ろっか。 門限を過ぎたら怒られちゃうかもだし」

 

「ちょっとだけ話したい事があるの」

 

「誰かに聞かれるとまずい内容?」

 

 そう言いながら時雨は私の横に座ると大きく伸びをした。

 

「時雨って私の……、山城の事好き?」

 

「えっ!? ず、随分突然だね……」

 

「私でも変な質問してるって分かってるけど、答えて欲しいの」

 

「好き……、だけど」

 

 時雨は顔を真っ赤にしているけど、私の中のこの子に反応は無い。

 

「急にどうしたんだい?」

 

「上手く説明できないけど、私は山城じゃ無くなってきてるんだと思う」

 

「熱でも出てきた?」

 

「別にふざけて無いわよ」

 

 時雨が私の額に手を当て体温を確認しているのを見て溜息をつく。

 

「今の私って山城になる前の私なのかも」

 

「どういう意味……?」

 

「この前こっそり試したのだけど、もう海の上に立つこともできないみたい」

 

「そっか。 最近山城が山城っぽくないなって思う事あったけど、そういう事だったんだね」

 

 時雨は気付いていたのだろうか、なるべく山城の考えを大事にして行動してきたつもりだったのだけど。

 

「驚かないの?」

 

「驚いてるけど、山城にとってはそっちの方が幸せなのかなって思ったら納得したかな」

 

「どういう意味?」

 

「僕たちって目が覚めたらいきなりこんな感じだったし、不満に思ってる子も居るのかなって思ってたから」

 

 時雨はそう言って両手を前に伸ばすと手を閉じたり開いたりを繰り返す。

 

「僕も最初はこんな世界なら海の底で眠りたいって考えてた時期もあったけど、今は夕立も居るし湊教官の事も……、その……、嫌いじゃ無いし」

 

「そう、時雨はあの人の事気に入ってたものね。 一緒にお風呂入ったんだっけ?」

 

「そ、それはもう時効って事で……」

 

 あれから何度か私を含め他の人にもからかわれたせいか時雨自身とてつもなく恥ずかしい事をしたという実感が沸いて来たらしい。

 

「山城……、って呼んで良いのかな?」

 

「良いわよ、別に私自身がそう思って無くても時雨にとって私は山城でしょ?」

 

「うん、山城は山城かな。 少し前に今みたいに湊教官と並んで話をした事があってさ」

 

 時雨は足をぶらつかせながら空を見上げている。

 

「早く役に立たないとって焦ってたら心配させちゃったみたいでね、怒られると思ったら逆に謝られちゃったんだ」

 

「謝る? あの人が?」

 

 私の中であの人は我儘で自由奔放なイメージがある、それに時雨が焦って何かしてしまったのであれば怒る事はあっても謝る意味が良く分からない。

 

「頼りない教官で悪かったなって。 どう考えても悪いのは僕の方だったのに、怒られるよりもなんだか反省しちゃったよ」

 

「私も今度から時雨が何かしたらそうしようかしら?」

 

「山城がやっても効果は薄いかもね」

 

 時雨はクスリと笑うとその時の光景を思い出そうとしているのか目を閉じた。

 

「教官って普段は目付き悪いし機嫌悪そうに見えるけど、真面目な話をしてる時って凄く分かりやすいんだよ。 僕が泣いてるのを見てどうしようかって凄く慌ててるのも分かったし、良い事言ったなぁって時も顔真っ赤にしてるし」

 

「そうなの?」

 

「うん。 でも、だからこそ教官は本気で私たちの事考えてくれてるのかなって思えた」

 

「そう……」

 

「山城は湊教官の事嫌いだった?」

 

 これは私では無く山城に対する質問なんだと思う。私はどう返事をした方が良いのか悩んでしまったが正直に思っていた事を素直に言葉にしてみる。

 

「……嫌いじゃ無かったと思う」

 

 好きか嫌いかって答えるなら嫌いじゃ無いが私の中では正解だと思うし、好意よりも感謝しているって気持ちの方が大きい。

 

「そっか。 教官の事が嫌いだから艦娘を止めたって意味じゃ無くて良かったよ」

 

「でも少し苦手かも、ちょっと怖い所あるし」

 

「今のはどっちの山城の意見?」

 

「秘密って事で」

 

 予想していたよりも簡単に受け入れられてしまったけれど、下手に騒がれるよりは良かったのかもしれない。先にベンチから立ち上がった時雨の手を取ると私はゆっくりと立ち上がる。

 

「それじゃあ帰ろっか」

 

「そうね、門限もあるでしょうし少し急ぎましょう」

 

 1人で悩んでいるよりも時雨に話をして良かったと思う。薬が効いて来たのもあるとは思うけれど、体が軽くなったような気がする。

 

「あの車何かしら?」

 

「いつもの食材を運んでる車とは違うみたいだね」

 

 鎮守府の前に沢山の車が停まっているのを見て私と時雨は足を止める。

 

「様子がおかしくないかしら」

 

「なんだか静かだね……」

 

 いつもなら夕食の準備や出撃を終えた子達で賑わっている時間だったと思う。

 

「山城はここで待ってて、様子を見てくるね」

 

「大丈夫なの……?」

 

「何かあったらすぐに逃げて来るよ」

 

 私は茂みに隠れると時雨の後ろ姿を見送った───。

 

 

 

 

 

 

「夕立ー?」

 

 僕と夕立の部屋に戻っても夕立は居ない。

 

「大淀さーん?」

 

 いつも執務室に居るはずの大淀さんの姿が無い。

 

「金剛さーん?」

 

 今日の食事は金剛さんがカレーを作るはずだったが、食堂に姿は無い。

 

「……えっ?」

 

 執務室から正門の方角を見下ろしてみると、見たことも無い男の人たちが無線で何か連絡を取り合っているようだった。僕は訳も分からず見つからないようにこっそりと覗いていたがしばらくして男の人たちは迷彩柄のトラックに乗って去っていってしまった。

 

「あれって銃だよね……?」

 

 状況を理解するために精一杯思考を巡らせていると急に後ろから手を引かれ訳も分からず執務室のクローゼットに押し込まれる。

 

「静かに」

 

「だ、誰っ!?」

 

「湊さんの友人です! 今は静かに!」

 

 湊教官の名前を出され私は訳も分からずその指示に従う。少しでも状況を理解するために真っ暗なクローゼットの中で外の音を聞き取ろうと努力をする。

 

「どうだ、艦娘は居たか?」

 

「いえ、この部屋には何も」

 

「……そうか、撤収作業を開始するまでの間貴様はこの部屋で資料の回収を行え」

 

「了解しました!」

 

 会話の前に1度ドアの閉じる音が聞こえ、足音がした。会話の後に足音がしてドアの閉じる音が聞こえた。つまり僕を押し込んだ誰かと会話をした男が立ち去っていったと考えても良いだろう。

 

「もう良いよ、急にこんな所に押し込んでごめん」

 

「良いよ、それよりも何があったか教えてもらえないかな……」

 

 湊教官の友人だと名乗った男の人は岳と言う名前だという事を教えてくれた。僕も自分の名前を名乗る。

 

「鹿屋基地に居る艦娘は舞鶴へと向かうように大本営から指令が出ました、でもこの基地に居た艦娘はそれを拒否。 拒否は認められないって大本営の指示で僕たちが君たちを舞鶴へと強制的に連行する事になったって聞いてる」

 

「どうして拒否したの?」

 

「残念だけどその答えは持ってないかな。 むしろその理由を聞きたいのは僕の方なんだけど、何か心当たりとか無いかな?」

 

 呉や佐世保、柱島なんかの要請を受けて護衛任務や救援、偵察を受けているのは知っていたけど舞鶴からの救援は大淀さん達からも聞かされていない。むしろ湊教官を提督として迎え入れるためにその手の任務には力を入れていたはずなのだけど、大本営から直々の命令を断る理由が分からない。

 

「無い……かな。 この事は湊教……、湊司令官は知ってるのかな?」

 

「たぶん知らないと思う。 一応ここの責任者は湊さんのはず、命令を拒否したとなれば艦娘を強制連行する前に湊さんを呼び出して無理やりにでも命令を聞かせるはずですし……」

 

「何かあったって事で良いんだよね……?」

 

「間違いなくそうだね、もう少し気の利いた言葉をかけてあげたいけど正直嫌な予感しかしない」

 

「僕の艤装は?」

 

「艤装の運搬作業は専用車両が到着してからって聞いてるからまだあると思う」

 

 きっとここに残っていれば良くないことが起こる。それこそ僕まで捕まってしまえばこの現状を湊教官に伝えることができなくなる。

 

「お願いがあるんだけど……」

 

「……その内容は湊さんが怒らないって言うなら聞かないでもないけど」

 

「たぶん怒る……かな」

 

「じゃあ断るって言いたいけど、きっと君1人でもやるんだよね」

 

 僕はその言葉を聞いてゆっくりと頷く。

 

「艤装を付けて海に出ようと思うんだ、そのまま真っ直ぐ呉に向かう」

 

「その意見は反対させてもらうよ、君たちのおかげで少しは良くなったって聞いてるけど海にはまだ化け物が居るんだろう?」

 

「きっと大丈夫」

 

「何処からその自信は来るのか聞いても良いかな?」

 

 僕は目を閉じてゆっくりと深呼吸してから答える。

 

「自信なんて無いよ。 でも、ここには僕しか居ない、僕が湊教官に伝えなければならない、立ち止まってなんていられないから」

 

「……分かった。 でも1人で海を行くってのだけは認められない、他の方法を考えよう」

 

 岳さんは何か色々と考えているようだけど、正直に言ってしまえばこの瞬間すら惜しく感じる。

 

「ちょっと信頼できる人と連絡を取るよ、きっと理解はしてくれる人だから安心して欲しい」

 

 そう言って岳さんは無線を取り出すと誰かと連絡を取り始めた。相手のことを先輩と呼んでいたしそれなりに親しい間柄だとは思うのだが、どうしてもそれとなく本題を話すことに抵抗があるのかややもどかしい会話を続けている。

 

「ごめん、ちょっと代わってもらえるかな」

 

 一分一秒でも惜しいこのタイミングで相手の様子を窺っている暇なんて無い、ダメだと断られれば艤装を取りに行って海に逃げてしまえばこの人達は追ってこれないだろうし、始めから相手の様子を窺うなんて事をする必要なんて無い。

 

「僕をここから連れ出して呉へと送って欲しい、ダメならこの人はケガをするとか、酷い目に合うかもしれないよ」

 

 僕の中では脅迫のつもりだったのだが、殺すと言った単語を使う事はどうも抵抗があって少し子供っぽい言い方になってしまったような気がする。

 

『ふむ、ケガとか酷い目に合っちゃうのか。 可愛い後輩が酷い目に合うのは少し心が痛むな』

 

「ふざけないでくれるかな、僕は本気だよ」

 

『でもそれで行こうか。 最近岳も休みを取っていなかっただろうし、しばらく休暇をくれてやった方が良いかもしれないしな』

 

「どういう事かな?」

 

『詳しくは後で説明するよ』

 

 僕は無線の先の相手に名前を名乗る。本当に信用して良いのかは分からないけど、今は岳さんとこの人を信用するしか無い。それから僕たちはどうやって呉まで逃げるかという方法と山城に逃げて貰う方法を相談して作戦実行の時間を待つ。

 

「……本当に良いの?」

 

「あぁ、思いっきりやっちゃってくれ……!」

 

 僕の右手には拳銃が握られており、銃口は岳さんの方角を向いている。

 

「本当に良いのかい……?」

 

「あまり焦らされると覚悟が揺らぐから、できれば早く……!」

 

 正直に言うと覚悟が決まっていないのは僕の方だった、深海棲艦に砲を向けるのとは訳が違う。相手は人間なのだ、まさか人に照準を合わせる日が来るとは思わなかった。

 

「ご、合流地点は覚えているね? 撃った後どのルートを通って艤装を取りに行くのかとか!」

 

「う、うん。 大丈夫」

 

「じゃあ早く……!」

 

「後で絶対にお詫びはするよ、無事に合流できたらなんでも言う事聞くから……!」

 

「……それってちょっと役得?」

 

 僕は少し気の緩んだ岳さんに向かって引き金を引く。艤装の主砲よりも遥かに軽い衝撃で弾を放ったそれは僕の狙い通り岳さんの右の太腿に当たる。

 

「走れっ!! って、本当に痛いってこれ!!!」

 

「ごめんっ!」

 

 計画通り僕は岳さんを撃ってから廊下を走る、途中の窓から飛び出して茂みに隠れると銃声を聞きつけた男の人たちが執務室へと向かうのを息を殺して見届ける。

 

「ぼ、僕は大丈夫だから早く艦娘を追ってください!! 正門の方へ走っていきました!!」

 

 岳さんの声を聞いて今度は艤装を保管している工廠へと走る。銃声と岳さんの言葉で男の人たちは正門に集まっているのか工廠に人影は無く無事に艤装を装着する事ができた。

 

 後は海に出て合流地点へと向かい無線の相手と合流してしまえばこの作戦は終わる。

 

「動くな、静かにこちらを向け」

 

 後ろでカチャリといった金属音の後に男の人の声がした。

 

「大人しく言う事を聞けば無事に仲間の元へ送ってやる」

 

「……悪いけど聞けないんだ」

 

 咄嗟に足元に落ちていた工具を拾い後ろの男に向かって投げつける。男の拳銃から放たれた弾は艤装に当たり乾いた音を響かせたが、僕はそれを無視して海へと走った───。



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過去と未来と(3)

 合流地点に辿り着いた僕は砂浜に腰を落として震える手と傷付いた艤装を交互に見つめる。

 

「人を……、撃ったんだよね」

 

 鹿屋から離れる事ができて思考に余裕ができたのか、今になって自分の行為が恐ろしくなってきた。

 

「岳さん大丈夫かな……」

 

 艦の姿だった時代に撃った相手に人が乗っていることを知らない訳では無い。それでも撃たなければ僕が沈むことになっていたし、それを覚悟している相手だと割り切る事ができていた。

 

「山城は大丈夫かな……」

 

 岳さんや山城を心配している気持ちは嘘じゃない。でも頭の片隅で人を傷つけてしまった事から思考を逸らそうとしている事に気づいてしまっている自分が嫌になる。

 

「───時雨っ!」

 

 遠くから聞きなれた声で僕を呼んでいる事に気づいて顔を上げて声の聞こえた方向へと走り出す。

 

「山城っ! 無事だったんだね!」

 

「えぇ、ちょっと色々あったけれど……」

 

 何処か気まずそうに視線を逸らす山城を見て気が抜けてしまったのか、急に視界が上下に揺れて山城の胸の辺りに顔をうずめる。

 

「ちょ、ちょっと! 大丈夫なの!?」

 

「あれ? 足に力が入らないかな……?」

 

「安心して腰でも抜けたのかしら? 全く、佐世保の時雨さんにもかわいらしい所があるのね」

 

 僕は山城に支えて貰いながらその場に座らせてもらうと恥ずかしさを隠すように笑みを浮かべる。

 

「山城って暖かいね」

 

「あんたが冷えてるだけよ。 もう夏だけど海の上はまだ寒いのかしら」

 

 それから立ち上がって歩こうとしてみたけど、足取りがおぼつかなかったので半ば引きずられるようにして山城に運ばれる事になってしまった。

 

「ふむ、落ち着いた声だとまだまだお子様だな」

 

「ちょっと、見てないで手伝いなさいよ」

 

「あまりに感動的な光景だったから水を差すのも悪いと思ってな」

 

 声から察するにこの人が岳さんが信頼できると言った相手なのだろうか。わざとらしく涙を拭う振りをしていたりとなんだか少し胡散臭く感じる。

 

「ほら、これを車に運んでちょうだい」

 

「適正がある訳でも無い男の俺がそれを運べると思うか?」

 

 山城は僕から外した艤装を手渡そうとしたけれど、男の人はそれを慌てて断った。

 

「まったく、頼りないわね」

 

「相変わらず嫌味が多いな……」

 

「や、山城……?」

 

 助けてもらっている立場の僕たちのはずだけど、妙に強気な山城に少し驚いてしまう。

 

「良いのよ。 この人とは知らない仲じゃ無いもの」

 

「佐世保に居た君はもう少し慎ましかったと思うのだけどね」

 

「うるさいわね!」

 

「おー、怖い怖い」

 

 話を聞いても山城は教えてくれなかったけれど、2人は佐世保に居た頃に知り合った事だけはなんとなく分かる。それから少し歩くと車の中から僕たちに手を振っている岳さんが見えて少しだけ安心した。

 

「足……、痛むよね」

 

「今は麻酔も効いているし、大丈夫だよ」

 

「良かったな、1ヵ月か2ヵ月くらいは休暇がもらえるんじゃないか」

 

「どうせ撃たれるならあなたが撃たれた方が良かったんじゃないの?」

 

 岳さんを撃った事に対しての罪悪感もすごいけれど、この人たちに僕たちの手助けをさせてしまったという事実が今になって圧し掛かる。この人たちは軍人だから命令違反や虚偽の報告をしてしまえばどうなるかが容易に想像できてしまう。

 

「それと……、時雨ちゃんって呼んでいいかな? あんまりそいつに優しくしない方が良いぞ」

 

「先輩っ!?」

 

「優しくするも何も僕が撃った訳だし……」

 

 自分の身体や将来までも犠牲にして協力してくれている相手にどうしたら恩を返すことができるのかを考えている僕は突然の言葉に理解が追い付かない。

 

「そいつ時雨ちゃんと合流するまで何をお願いするかニヤニヤしてたし、きっとやらしい事お願いされるかもしれんぞ」

 

「えっ!? いやっ!? そんな事考えて無いですよ!?」

 

「……岳さんには失望したよ」

 

「時雨も変態に助けられるなんて不幸ね」

 

 この3人のやり取りが僕の気を紛らわせようとしてくれている優しさだということは理解できた。だからこそ僕は無理にでも笑って見せる。

 

「1つ聞かせて欲しいんだけど、湊ってどんな人間だと思う?」

 

「変態よ」

 

「君には聞いてないな。 俺は時雨ちゃんに聞いてるんだよ」

 

「僕にとって湊教官がどんな人か……?」

 

「先輩?」

 

 質問の意図が分からず返事に悩んでいるとそれに気づいたのか先輩さんルームミラー越しに僕を見るとゆっくりと話し始めた。

 

「俺は湊よりも岳を信用しているからこの作戦に乗ったんだ。 まぁ、こいつが居るとは思わなかったけど女の子2人が命をかけてまで行動する男がどんな人間なのかなってのは気になってさ」

 

「でも先輩も何度か湊さんの事件には関わってますよね?」

 

「少し若い頃の思春期真っ最中って湊は知っていたんだが、大湊で会った時の変わりように驚いてな」

 

 この人も湊教官を知っているみたいだった。若い頃の湊教官も気になるけど、僕は今の湊教官しか知らない。

 

「頼りになる人だって思う、いつだって必死で僕たちを守ろうとしてくれる。 そんな人かな?」

 

「変態だけど」

 

「おい、山城。 真面目に話をしてるんだから茶化すなよ」

 

「先輩も不思議な事を聞きますね、大湊の後も何度か話したじゃないですか」

 

 こんな時じゃ無ければどんな話をしたのかが聞いてみたいような気もする。

 

「逆に先輩にとって湊さんってどういう風に見えるんですか?」

 

「ん? 俺か?」

 

「僕も気になるかな」

 

「私も気になるわね」

 

 僕たち艦娘以外からあの人はどういう風に思われているのだろうか、岳さんは随分と信頼しているようだけど先輩さんからは何処と無く棘を感じるような気がする。

 

「見た目どうこうじゃなく、少し怖いな。 あまりにも先を見て無さ過ぎて見ていて不安になる」

 

「どういう意味かな?」

 

「先って、湊さんって結構頭は切れる方だと思うんですけど」

 

 僕も岳さんも先輩さんの言葉の意味が良く分からず首をかしげていたけれど、山城だけは言葉の意味が理解できたのか納得しているようだった。

 

「俺もこういう職業を長くやってると色々な人間に会うし綺麗な所も汚い所も多く見ることになる。 その経験からなんだが、湊って男はかなりまずいな」

 

「……どういう意味かな?」

 

 侮辱されている訳では無いのは理解できる、でも僕たちを救ってくれた湊教官をまずいと表現するのは気に入らなかった。

 

「もう少し言葉を選びなさいよ」

 

「俺としては結構気を遣ったつもりなんだが……」

 

「時雨も別に悪口を言ってる訳じゃないんだから、ピリピリするのはやめなさい?」

 

「うん、分かってるよ」

 

 少しおかしくなった車内の空気を山城が整えてくれる。

 

「質問に質問を返すようで申し訳無いんだが、時雨ちゃんは湊の事を信用しているんだよな?」

 

 僕はその質問に対して無言で頷く。

 

「逆になんだが、湊は時雨ちゃんの事を信用していたのかなって事だな」

 

「信用してくれている……、と思う」

 

 先輩さんは一体何を言いたいのだろうか。

 

「俺の経験則なんだが、『してない』だな。 一応誤解を生まないように言っておくけど時雨ちゃんだけじゃなく岳だってそうだし、山城だってそうだ」

 

「どういう意味か教えてもらえるかな」

 

「湊は仲間や部下を決して見捨てないってのはどの調書を見ても一致する内容だったが、やりすぎなんだよ。 はっきり言って普通じゃない、仲間のために命をかけるって言葉は良く聞くがあれは自分の士気を高めるための言うなればはったりだ」

 

「そ、それは人に寄るんじゃないですか?」

 

「相手が長年連れ添った相手だったら岳の言い分も分かる、でも湊はそうじゃないだろ。 部隊の仲間を侮辱され上官を殴ったのだって着任して間近だったし、呉鹿屋の輸送作戦や大湊で無茶をしたのだってどれくらいの月日があったよ」

 

「……失礼しました」

 

 先輩さんの言葉に口を挟んだ岳さんが謝る。

 

「俺は岳が入隊してからの付き合いだし、拳銃を向けられれば庇いに入るかもしれない。 だけど今時雨ちゃんに拳銃が向けられても俺は自分の命を優先する。 これが普通なんだよ」

 

 少しずつ先輩さんが何を言いたいのかが理解できてきた。

 

「だけど湊は目の前の相手が部下や仲間っていう立場になった瞬間からそれをやる。 どう考えても普通じゃないだろ」

 

「あの人の性格って事じゃ……」

 

 岳さんの言いたい事も理解できる。でも先輩さんが言葉にした事で薄々気付いていたその異常性に少しだけひっかかりを覚える。

 

「そりゃ部下や仲間からしたら尊敬できるし頼りになるし心強いだろうが、時雨ちゃんの提督になろうって将来を見ている人間がそう軽々と命を投げ捨てられるか?」

 

「大湊の一件も一歩間違えればその道は無かったって事ですよね……」

 

「こっから呉までまだ時間はあるから、時雨ちゃんはゆっくり考えてみると良い。 本当に自分の命をかけられる相手なのか、この先色々な事があると思うが決して湊を疑わずに居られるのか」

 

 僕は湊教官の事を信頼しているし疑ってなんていない。でも、もし本当にそうならどうしてあの時にはっきりとそんな事は無いと言い返せなかったのだろうか。

 

「ついでに聞きたいんだけど、君から見たあいつはどう見えるんだ?」

 

「変態かしら」

 

「茶化すなよ」

 

「そうね……」

 

 山城はどう答えるべきか悩んでいるのか窓から外の景色を見ながらゆっくりと口を開く。

 

「佐世保の頃の私の事はあなたも知ってるわよね」

 

「あぁ、調査で何度か足を運ばせてもらったからな」

 

「あの頃は正直に言ってしまえば私たちが命を賭けて守ったこの国はもうダメだと思っていたわよ」

 

 佐世保で見た光景を思い出して僕は唇を噛み締める。

 

「こんな事なら冷たい海の底で眠ったままでいたかったって毎日思っていたもの」

 

「山城……」

 

「艦の姿だった頃から欠陥戦艦扱いをされて、生まれ変わってもガラクタ扱い」

 

 表情は見えないけれど山城の声が少し震えているような気がする。

 

「でもね、あの人は私に期待していると言ってくれたの。 もう誰にも欠陥戦艦だって呼ばせないって言ってくれた、もしかしたらお酒の勢いだったかもしれないけれどね」

 

「惚れたのか?」

 

「あなたこそ茶化さないで。 でも私はもう欠陥戦艦にすらなれそうにない、だけど前を見て頑張って行こうって言葉は私にも私の中に居るこの子にも間違いなく届いたわよ」

 

 山城が話しているのは呉と鹿屋の輸送作戦の後の事だと思う。僕は仲良くしている2人を見て慌てていたと思うけど、山城がそんな事を考えていたと思うと恥ずかしくなってきた。

 

「だから私は艦娘じゃなくなっても私のできる事をしていこうと思ってる。 それはあの人が何を考えているかなんて関係なくて、私が決めた事だから」

 

「山城は強いね……」

 

「強くなんて無いわよ。 いつまでも私の中でグチグチ言ってる子がいるから私が弱音を吐けないだけじゃないかしら」

 

「そっか」

 

 山城が自分で考えて決めた事、その言葉を聞いて僕は今自分が何をしたいのかを考えてみる。湊教官に提督になって欲しいと思うのはきっとあの人に甘えている、きっとそれじゃダメなんだと思う。

 

「言葉にしてはっきり分かった。 どうしてこの子が引き籠っちゃったのか」

 

「どういう事?」

 

「お姉さんが居なくて寂しくて辛くて苦しくて逃げだしたくて。 そんな自分に期待してるって言ってくれたあの人の期待に応えたくても欠陥戦艦だって言われていた自分に自信が無くて隠れちゃったのよ」

 

「山城は……。 山城は欠陥戦艦なんかじゃないよ」

 

 目を閉じればあの光景を思い出すことができる。敵弾を受けて炎上しながらも、僕たちの盾になるようにして前に進み続けたその姿を。

 

「そうね、私もそう思ってるわよ。 だけどきっとこの先はこの子の問題なんだと思う」

 

「艦娘も色々大変なんだな」

 

「素直な時雨と違ってこの子は随分とひねくれちゃってるもの」

 

「そのひねくれ者に適正があった君もそういう事なんじゃないか?」

 

 湿っぽくなった空気を換えようと冗談を言った先輩さんの肩を山城が小突き車が揺れる。

 

「危ないな、運転中だからそういうのはやめてくれ」

 

「あんたが余計な事を言わなければ良いだけじゃないかしら?」

 

「2人ってなんだか仲が良いですね……」

 

「うん。 僕もそう思ったかな」

 

 一体佐世保で2人に何があったのだろうか。

 

「落ち着いたら湊も誘って5人で酒でも飲むとするか。 君たちがここまで言った相手がどんな人間なのかもっと知りたくなってきたよ」

 

「「やめたほうが良いわね」かな」

 

「きゅ、急に2人してどうしたんですか……?」

 

「み、湊教官ってお酒に強い方じゃないから……」

 

「そうね、すぐに寝てしまうから面倒なだけじゃないかしら」

 

 山城も同じことを考えていたのかそれとなくお酒の誘いを断るように誘導をする、先輩さんは納得していないようだったけど僕たちにとっては死活問題だった。

 

「そういえば湊さんがお酒飲んだ所って見たことな……、イタタタタタッ!!」

 

「ご、ごめんなさい! 包帯が緩んでいたから直そうとしたんだけど……!」

 

 この話をこれ以上引っ張る訳にはいかず岳さんに申し訳ない事をしてしまう。

 

「うん、決めた」

 

「どうした?」

 

「先輩さんの言いたいこともなんとなく理解できたけど、まずは湊教官の話を聞いてから決める事にするよ」

 

「そうか。 それなら何があっても呉まで逃げて湊の所にいかないとな」

 

 湊教官には沢山聞きたいことがある。それは鹿屋以外の鎮守府で起きた出来事もそうだし、鹿屋に来る前の事もそう。これから先の湊教官がどんな提督になりたいかとか数えればきりがない程だった───。

 

 



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過去と未来と(4)

「さて、出発するか」

 

「まだ眠いのじゃ……」

 

「車の中で寝てれば良いだろ」

 

「それはできん!!」

 

利根の検査が午前中に俺の検査が午後からだった事もあり丸一日利根と顔を合わせなかったが朝っぱらから無駄にテンションが高いようで少し安心したがややうざく感じる。

 

「交通事故には十分気をつけてくださいね、艤装も積んでいるので乱暴な運転も絶対ダメですよ?」

 

「あぁのんびり行くから安心してくれ」

 

到着時刻には十分余裕があるし、横須賀から呉くらいなら2度か3度程休憩を入れれば余裕だと思う。俺は明石さんから鎮守府の売店で売っている珈琲を受け取ると笑顔で答える。

 

「明石さーん! 工廠で呼んでますよー!」

 

「えっ? それじゃあ私は工廠に行きますね! またお会いしましょうね!」

 

手を振りながら走っていく明石さんと、それと入れ替わるようにやってきた男を見て利根が慌てて車に乗り込む。どうしてか利根はコイツが苦手らしく何かと避けようとする節がある気がする。

 

「これ、長旅の差し入れです」

 

「さっき明石さんからも貰ったよ……」

 

「それは一足遅かったみたいですね」

 

それでもせっかく容易してくれた珈琲を断るわけにもいかず受け取ることにする。

 

「それと1つお願いがあるのですが、途中で江田島にある訓練所にコレを届けてもらっても良いでしょうか?」

 

「随分と急だな」

 

「ええ、深海棲艦と艦娘について新しい情報が入りまして今後の訓練の参考にと」

 

俺は男からUSBメモリーを預かると胸ポケットにしまう。

 

「極秘資料になりますので、決して無くさないように」

 

「分かってるよ。 それじゃあ行ってくる」

 

「はい、お気をつけて」

 

俺は車に乗り込むと後部座席で隠れていた利根に声をかける。

 

「もう良いだろ、出発するからシートベルトを締めろ」

 

「う、うむ……」

 

先ほどまでのテンションが嘘だったように大人しくなってしまった利根にシートベルトを付けさせると適当にラジオの番組を探す。いくつか番組を回していると何処かで聴いたことがあるようなフレーズの番組を見つけて俺はハンドルを握りなおす。

 

「ちょっと寄り道することになったし、まだ眠いなら寝ていても良いぞ」

 

「うむ、そうする……」

 

さっきは車で寝るわけにはいかない!みたいな事を言っていたと思うのだが、ここまでテンションが下がるほどあの男の事が苦手なのだろうか。それから利根の寝息が聞こえてきたのを確認して明石さんと話していた事を思い出していた───。

 

 

 

 

 

「さて、ここから様子見ですかね」

 

舞鶴と大湊での準備は整った、湊さんも数時間後には目的の場所へ辿り着くことになるだろう。僕は現地に向かわせた部下からの連絡を待つために無線機の前に座りキーボードを叩く。

 

始めに動きがあったのは舞鶴、僕は急いでその時の状況を記録して行く。

 

「惜しい! すごく惜しい!!」

 

急いで軽巡洋艦天龍についての史実を調べ類似した内容を書き出す。

12月18日天龍と駆逐艦4隻による輸送船の護衛作戦の再現は8割り的中したと考えても良い。

 

「ここで沈まなかったのは駆逐艦の再現不足か? 輸送船がダミーだったという点か? それとも時期が悪かったのか?」

 

深海棲艦からの魚雷により天龍が大破、すぐに周りにいた駆逐艦が天龍を救助したようだったがこの一件はニューギニアでの護衛作戦と酷似していると考えても良い。

 

もう一箇所は重巡洋艦那智。

こちらの情報は実に興味深い、舞鶴周辺では空母は確認されていなかったのだが那智と駆逐艦を編成した部隊が深海棲艦の空母部隊と遭遇、那智が大破。

 

「やはり大湊のアレは偶然じゃなかったという事で間違いない……!」

 

他の場所でもそうだった、全て史実と同一にはできなかったがメインとなる艦と同艦種を並べることで史実の再現ができる。

 

そして数時間後に大湊から赤城大破の連絡が入る、続いて加賀、蒼龍、飛龍。

実に興味深い、恐らくは老害が以前の作戦の情報を持っていなければ全員轟沈していたと考えても良いだろう。

場所は真珠湾では無いが、北海道奪還のための『奇襲作戦』と言う点が状況を作り出してしまったのだろう。

 

「しかし轟沈まで行かなかったという点に関してはあの老害も『提督』としての素質があると考えても良いかもしれないですね」

 

始めは艦娘は深海棲艦に対する攻撃手段も乏しく兵器としての利用価値は無いと興味すら沸かなかった。

 

しかし呉の提督と陸軍からのゲストのおかげで深海棲艦と戦えるだけの十分なポテンシャルがある事が発覚した。

 

そこから僕の研究は始まった。

 

そして研究を進めて行くうちに2つの仮説を立てた。

1つは艦娘は状況を整えてやると史実を辿るという事。

これが艦娘という兵器の最大の欠点であり、深海棲艦との戦争で勝てない理由。

 

そこに反例を持ち出したのか呉や大湊の提督、鹿屋に配属された元陸軍の男。

艦娘が史実を辿ると言うのは分かっていることなのだが、現に赤城達が沈まなかったように一部の提督の指揮下では史実の再現を行っても結果が同一の物にならない。

 

「佐世保や舞鶴の提督は史実の再現に成功したと考えれば『提督』としての素質が無かったんでしょうねぇ」

 

日本は歴史的に敗戦国となってしまった。

1つ目の仮定通り今回の深海棲艦との戦争が史実を辿ると言うのであれば今回も敗北する事になる。

 

しかし、史実を覆す人間が居るとなれば話が変わる。

艦娘という兵器を使いこなす『提督』の存在があれば史実通りにはならない。

つまり日本は深海棲艦との戦争に勝つことができる。

 

仮に艦娘を使用する事ができないと結論が出ることも成果の1つになる。

いつまでも訳の分からない兵器に税金を注ぎ込むのでは無く他の有用な兵器へと切り替えるための材料となる。

 

逆に『提督』の存在で勝てるとなれば艦娘を増産して『提督』を増やせば良い。

どちらに転んだとしても日本と言う国を守るために必要な情報を生み出すことができる。

 

「7月28日から7月29日。 呉、江田島湾! 呉軍港空襲! 現在呉鎮守府近海では敵空母は確認されていない。 しかし、もしそれが現れたら? 利根が轟沈してしまったら?」

 

人為的ではあるが、今までの実験の中で最も状況の再現が整う瞬間だと思う。

 

「これで利根を史実から開放し、救うことができれば湊さんを『提督』として迎え入れることにしましょう……!」

 

僕は次々と無線から流れてくる情報を記録し続ける、戦艦金剛、駆逐艦叢雲、軽巡洋艦那珂。次々と大破報告を受けている艦の名前と史実を照らし合わせ自らの仮説が間違いじゃなかった事を証明していく───。

 

 

 

 

 

「ちょっと荷物を届けてくるけど、利根はどうする?」

 

「降りる……、座りすぎて腰が痛むのじゃ……」

 

「なぁ、利根って江田島の訓練所が何処にあるか知ってるか?」

 

「……此処は何処じゃ?」

 

俺の質問に対する利根の反応がおかしい気がする。

 

「何処ってそれが分からないから───」

 

「知っておる、我輩は此処を知っておる……」

 

利根は自分の頭を潰そうとでもしているのでは無いかと思える程の力で頭を抑えるとその場にしゃがみ込んでしまった。

 

「だ、大丈夫か!?」

 

「ダメじゃ……、すぐに逃げるのじゃ……」

 

「急にどうしたんだよ……」

 

その場で動かなくなった利根を車に乗せるとダッシュボードの中から携帯のものと思われる着信音が聞こえてきた。慌てて開けてみると壊れたと報告を受けていた俺の携帯が入っていたが通知するはずの番号は非通知となっていた。

 

「誰だ?」

 

『聞こえますか? 僕ですよ僕』

 

「詐欺師の知り合いは居ないはずだがな」

 

『冗談です、湊さんに1つ助言をと思いまして連絡したのですがそろそろだと思いますよ?』

 

まるで打ち合わせでもしていたのかと思うようなタイミングで島に設置されたスピーカーから警報が流れ始める。

 

「どういう事だ?」

 

『僕の仮説が正しければ江田島はもうすぐ深海棲艦からの空襲を受けます』

 

「……それで?」

 

どうしてそんな事が分かるのかと聞きたくなったが、このタイミングでそんな事を聞いても意味は無いだろう。

 

『利根さんはその空襲で大破着底しています。 それだけお伝えしておきますね』

 

「おいっ! 何をっ!」

 

男はそれだけ言い残して通話を切ってしまった。すぐに誰かに連絡をと考えたが飛行機ともヘリとも違う耳障りな音が頭上から聞こえ慌てて空を見上げる。

 

「何だよこれ……」

 

俺は縮こまって震える利根を再び車から降ろすと、無理やり艤装を装着させる。明石さんから艦娘は艤装を装着する事で敵からの攻撃をある程度緩和できると聞いていた。

 

「利根はここで隠れておけ、俺はすぐに住民を避難させてくる!」

 

「……っ」

 

車に乗せたままだと爆撃が車に当たりガソリンに引火なんて事もありえる。その事を考え近くの茂みまで利根を連れてくると少しでも空から見えないように近くの木の枝や大きめの葉を使って利根を隠す。

 

「それじゃあ行ってくる! 絶対に動くなよ!?」

 

俺は警報の音に混ざって聞こえてくる叫び声の方角へと走った。

 

「何だよこれ……」

 

少し坂を登った先では民家が黒煙を上げながら燃えている光景が見えた。

それはまるで過去の映像を再び見せられているかのような光景で無意識のうちに身体が動いていた。

 

空襲により穴の焼いた家から泣き声が聞こえる。

俺は慌てて家の中に飛び込むと瓦礫から手だけを覗かせている人間の前で子供が泣いていた。

 

「かあさ、母さんが……!」

 

「お前の母さんは俺が助けてやるからすぐに外に出ろ!!」

 

子供の腕を掴むと思いっきり玄関の方角へと放り投げる。

まだ燃えている柱の下に手を差し込み全力で持ち上げるが数センチも動かない。

しかしその数センチから見えた光景に俺は柱を離すと玄関へと向かう。

 

「母さんはっ!?」

 

「……すまない」

 

俺の返事に先ほどよりも声を荒げて泣き出した子供を抱えて家の外に出る。

 

「決して炎には近づくな、建物の中も危ない。 茂みに隠れてじっとしてろ」

 

「でも母さんが……」

 

そんな子供の言葉を振り払うようにして俺は再び走り出した。何件も民家を回り助けることができた人間の倍以上の数の死体を見つけた。髪は焼け両手は痛みを通り越して感覚が無い、元々見えなかった左目はどうでも良かったが右目にも煤か煙が入ったのか霞んで見える。

 

「た、助けてくれぇ~!」

 

「待ってろ! すぐ行く!」

 

助けを求める男の声を聞いて海岸へと向かう。元々は海水浴場だったのか整備された砂浜には海豚の化け物がずりずりと砂の上を這うようにして進んでいた。声の主はホテルから逃げ遅れてしまったのか、窓から上半身を乗り出しているようだったが後ろには炎が見える。

 

「すぐにい……くから……」

 

そして俺の目の前で海豚の化け物が放った砲弾により男の居たホテルの一室は跡形も無く消えてしまった。

 

俺は道路に落ちていた鉄パイプを拾う。

 

口の中の砲から煙を上げている化け物にゆっくり近づく。

 

化け物は俺に気付いたのか砲をこちらに向けてくる。

 

俺は一気に化け物に近づくと砲の中に思いっきり鉄パイプを差し込んだ。

 

その瞬間目の前は真っ白になり体に浮遊感を感じる。

 

そして背中に強烈な痛みを感じた後には空が見えた。

 

「……もう良いか。 疲れた」

 

ベチャベチャと肉塊がアスファルトに落ちて行く音を聞きながら俺は目を閉じる。

 

「約束、守れなかったな」

 

目を閉じた暗闇の中では様々な光景が流れて行く。

 

行き成り少女に脛を蹴られた事から始まった。

 

「あれは地味に痛かったな」

 

前髪ばかり気にしてる軽巡が居た。

 

「あの拘りは結局何だったんだ」

 

あの4人組みは妹ができたようで少し懐かしさを感じて嬉しかった。

 

「喧嘩してなけりゃ良いけど」

 

頭が良いくせに不器用な長女と妹達も居た。

 

「紅茶を飲む約束守れなかったな」

 

調理室から煙が上がっていたのは本気で焦った。

 

「結局カレー食ってないな」

 

雨の中走り続ける馬鹿も居たな。

 

「無茶してなければ良いけど」

 

泣き虫な妹と姉達も居た。

 

「いつも謝ってたな」

 

夜戦夜戦煩い姉とその妹達。

 

「結局アイツの夜好きは何だったんだろうか」

 

愚痴ばかり言ってる戦艦も居たな。

 

「人の事を変人呼ばわりしやがって」

 

友人だと思っていたら艦娘だった人も居た。

 

「普通気付かないって」

 

泣き顔が不細工な空母も居た。

 

「俺が死んだらまた泣くんだろうな」

 

人の金で飯食ってる2人組も居た。

 

「そういえばツケそのままだな」

 

無愛想な先輩と騒がしい後輩の2人組。

 

「仲良くやってんのかねぇ」

 

機械いじりが大好きな艦娘も居た。

 

「もう少し色々聞いてみたかったな」

 

思い返せば色々な人と出会い色々な艦娘と出会うことができた。

 

「……それじゃあ少し寝るわ」

 

空からは耳障りな音が聞こえてくる、俺は身体の力を抜くと大きく深呼吸をしてその瞬間を待つ。

 

「わ、我輩ならここに居る! 狙いは我輩なんじゃろう!」

 

待っていてもその瞬間は来なかった。それどころか俺の命令を無視して出てきた馬鹿が居るらしい。

 

「もう負けはせぬぞ! 今度は! 今度こそは絶対に負けてやらんのじゃ!」

 

どうにか首だけ声のする方向に向けてみると海の上を駆けながら上空へと砲撃を繰り返している利根の姿が見えた。

 

「もう二度と此処だけは失いたく無いのじゃ!!」

 

一機、二機と深海棲艦の艦載機が海へと落ちて行く。

 

「カタパルトは直らなくても良いから! 今はこの島を! 人を守れるだけで良い!」

 

七機、八機と艦載機を落として行くうちに不思議な歓声が聞こえてきた。

島の住人が利根を応援しているのだろうか。

 

「おねえちゃんがんばれー!」

「次が来るぞ! 気をつけろー! あー惜しい! もうちょい右!」

「わし等は無事じゃから! わし等の事は気にせず化け物を退治しとくれ!!」

 

痛む身体がいう事を聞かないせいでその光景を見ることはできないが、きっとこの光景が彼女達が居るべき世界なんだと思う。

 

「任せておけ! 我輩が来たからにはもう大丈夫じゃ!!」

 

そんな利根の言葉からどれくらい経っただろうか。

歓声も小さくなりどよめきが聞こえているような気がする。

 

「直撃だと!? この程度では吾輩は沈まぬ!」

 

最初に比べると利根の砲撃音が明らかに減ってきている、残弾が少ないのか砲がやられたのかは分からないがそろそろ限界なのかもしれない。

 

「我輩は……、また守れぬのか……?」

 

その瞬間空に空に大量の火花と白煙が舞い上がった。

 

「呉第一戦隊、戦艦長門! 現時刻を持って江田島方面の救援活動に参加する!」

 

「同じく戦艦陸奥、救援活動に参加するわね」

 

姿を見ることはできないが心の中でやっと知っている艦が来たなとどうでも良い感想を抱く。

 

「頑張ったわね、ここからは私達が引き受けるから下がっておいて良いわよ」

 

「我輩は……、守ることができたのか……?」

 

「ええ、あなたが居なければ間に合わなかったもの」

 

「胸を張るが良い、貴艦の活躍には胸が熱くなった」

 

呉所属と言っていたが呉の提督が江田島の様子に気付いて救援を送ってくれたのだろうか。

 

「み、湊教官!!」

 

何処かで聞いた声とこちらに駆けてくる音を聞こえたと思うと目の前に泣きそうになった時雨の顔が見えた。

 

「……少し寝るから、適当に病院にでも運んでおいてくれ」

 

「えっ!? ちょっと!? 湊教官!?」

 

焦げた両手に感覚は無いが、それ以外の身体中が痛む。身体が痛むという事は生きている証拠だし少しくらい眠っても大丈夫だろう。そんな訳の分からない理屈を考えながら騒ぐ時雨を無視してゆっくりと目を閉じた───。



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ガラクタと呼ばれていた少女

「金剛お姉さま、準備はよろしいですかっ!?」

 

「だ、だだだ大丈夫デース!!」

 

「ちょっと、あんた達緊張しすぎじゃない?」

 

 これから演説を行う金剛が緊張しているのは理解できるけど、どうして比叡まで緊張しているのかが分からない。私は大きくため息をつくと窓から外を見下ろす。

 

「結構集まってるわね。 折角ここまで来たんだから、しっかりやりなさいよ?」

 

「わ、分かってマース! 叢雲も寝てないデショウ? 少し休まないと目の下に隈ができてマスヨ」

 

「今日までの報告書を慌ててまとめたのは流石に疲れたわね」

 

 私はそう言って大きく伸びをすると部屋から出て廊下を歩く。鹿屋の提督が居なくなってから一年が経った。管理者不在の鎮守府に艦娘を遊ばせておく訳にはいかず、所属していた艦娘は各地の鎮守府に移動する事になった。

 

「長かったわね。 これからアンタが見たかった世界が始まるのよ」

 

 私は海風で痛んだ写真を眺めながら呟くと、大きなモニターの前に置かれた椅子に腰かけてゆっくりと目を閉じて金剛の演説を聞くために集中した───。

 

 

 

「本日は私達のためにこのような場を設けて頂いた事を深く感謝していマス。

 

 私は『金剛型一番艦、金剛』デス。

 

 皆様の御父様や御爺様と共にこの国のために命をかけて戦った艦の魂が私の中にありマス。

 

 私だけでは無く、艦娘と呼ばれる私達全員が同じようにこの国のため、国民のために戦った艦の魂を受け継いでいマス。

 

 この放送を見て下さっている方の中には『艦娘』という言葉よりも『欠陥兵器』や『ガラクタ』と言った言葉の方が馴染みがある方も多いかもしれマセン。

 

 ここで少しだけ話は変わりマスガ、そんなガラクタと呼ばれた私達の元に一人の教官がやってキマシタ。

 

 不愛想で、厳しくて、目付きが悪くて。

 

 とても暖かい人デシタ。

 

 その人は私達に色々な事を教えてくれマシタ。

 

 戦い方だけジャナイ、珈琲の入れ方や料理のやり方。

 

 遊び方だってソウ。

 

 中には銀蠅の方法を教わった艦娘も居マス。

 

 その人は教官という立場から、私達のために『提督』になろうと言ってくれマシタ。

 

 その人の活躍は呉や大湊に所属している方ならご存じかも知れマセン。

 

 デスガ、その人は鹿屋に帰ってくる事はありませんデシタ。

 

 一年前の大規模な防衛線を忘れた方は居ないデショウ。

 

 国民を守るために多くの人が亡くなったと聞いてイマス。

 

 その人もその中の一人デシタ。

 

 その人の仇を討ちたい。

 

 そんな思いが全くない訳ではありマセン。

 

 ですが、その人は私達がそんな小さな目標のために努力していると知ったら悲しむ事は理解していマス。

 

 私達はこの国を守り、平和な海を取り戻す。

 

 突如として現れた怪物と戦うために生まれマシタ。

 

 だけど、私達艦娘はただの兵器ではありマセン。

 

 嬉しい事があれば笑い、恐ろしいと感じれば震え。

 

 悲しいと感じればこうして涙を流しマス。

 

 私達には『心』がありマス。

 

 その心を誰かと通わせる事、それが私達の力になりマス。

 

 その人はその事を身をもって教えてくれマシタ。

 

 各地に居る艦娘が少しずつ戦果をあげているのはご存じの方も多いデショウ。

 

 皆顔を合わせれば嬉しそうに自分たちの提督について話してくれマス。

 

 私達は皆様を信じていマス。

 

 だから皆様も私達艦娘を信じて下サイ。

 

 たったそれだけで良いのデス。

 

 亡くなった方のためにも、これから生まれる命のためにも。

 

 皆様と同じ気持ちを私達も持っていマス。

 

 だからこそ、私達は力を合わせ、互いに心を通わせ…… 

 

 暁の水平線に勝利を刻みマショウ!」

 

 

 

 

 画面の向こうで見慣れた少女が頭を下げると、歓声と拍手が聞こえる。

 

「おい、モニター消してくれ」

 

「あら、自分で切ったら良いじゃないですか」

 

「……嫌味か?」

 

 俺が形だけの義手を振ってみせると女はとてつもなくめんどくさそうにしながらモニターを切った。

 

「前々から気になってたんだが、なんでお前が居るんだ? 俺の存在って機密扱いになったんじゃないっけ?」

 

 大規模な深海棲艦の襲撃に疲弊した国を活気づけるため、大本営は『命をかけて国民を守った英雄』という美談を作った。結果としていい方向に転がっているので文句を言うつもりは無いのだが、その結果俺は生きているのに死んだことになっているという訳の分からない立場になってしまった。

 

「あら? 言わなかったかしら。 私も元艦娘って事でかなりの機密扱いよ?」

 

「なんだ、艦娘辞めたのか」

 

「こうしてあなたの面倒を見なくちゃいけないのは不幸だわ……」

 

「英雄様の面倒を見ることができるなんて光栄に思え」

 

 俺の言葉に苛ついたのか元山城はこちらに水の入ったペットボトルを投げようと振りかぶったが、流石にミイラ男と肩を並べることができる状態の俺に罪悪感を感じたのかペットボトルは飛んでこなかった。

 

「はぁ……、本当に不幸だわ。 それより、いくら機密だって言っても軍に所属してない訳だし、こっそり生きてる事を伝えた方が良いんじゃない?」

 

「あぁ、大丈夫だろ。 たぶん何人か気付いてる奴はいると思う」

 

 そう言って俺は腹の上で乾パンのカスをこぼしながら笑みを浮かべている饅頭顔を見る。

 

「これからどうするの?」

 

「さぁ? 新しい戸籍は大本営が用意してくれるみたいだし、明石が作ってる義手が完成したら適当に考えるかな」

 

「提督はもう諦めたの?」

 

 俺は少しだけ考えるが、提督を目指すにしてももう少しほとぼりが冷めてからの方が良いだろう。

 

「少しだけ外の世界を見て回る事にするよ。 提督になるのはそれからだ」

 

「教え子を放置するなんて教官失格なんじゃない?」

 

「そう言うなって。 元山城もちゃんと連れて行ってやるから」

 

「何その呼び方……」

 

 きっとこれからは少しずつ少女達の状況も良くなっていくだろう。だけどその道は決して優しい事ばかりでは無いと思う。何かあった時に手助けをしようにも今の俺じゃ色々と不足している部分が多い。

 

「お互い名無し同士丁度良いじゃないか。 旅に出るのも良いが、まずはうちの教え子を雑に扱う提督をぶん殴れる程度には身体を治さないとだな」

 

「そうね、いい加減介護も疲れてきたわよ……」

 

「あっ、喉が渇いたから珈琲入れてくれ」

 

「……お断りします。 というか、なんだか前と性格変わって無いかしら?」

 

「色々と吹っ切れたからな」

 

 きっと少女達はこれから色々な人間や提督と関りを持ちながら活躍していくだろう、きっと良い人間も居れば悪い人間も居る。

 

「少し表情が柔らかくなったわね」

 

「包帯まみれのこの格好で良く分かるな」

 

「なんとなくよ」

 

 それでもきっと、少女達なら良い提督の元に配属されるような予感がする。

 

「ちょっと疲れたから少し寝るわ」

 

「随分急ね。 おやすみなさい」

 

「……あぁ、おやすみ」

 

 少女達だって完璧じゃない、砲撃を外すこともあれば大破するだってあるかもしれない。だけど、そんな少女達を大切にしてくれて愛してくれるそんな提督がきっと居る、不思議と妙な確信を持ったまま俺はゆっくりと目を閉じた───。



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新たなる航路を
1-1


「なぁ明石さんや」

 

「なんでしょう湊さんや?」

 

「そこで笑ってる大淀もだ。 山城もそれ以上笑うと殴るぞ」

 

 湊は鏡を持った手を震わせながら周囲で笑い続けている少女達を睨みつける。

 

「あっ、その表情好きかもしれません」

 

「ちょっとポーズ取ってみなさいよ」

 

 女が3人集まれば姦しい。この言葉を作った人は本当に天才か何かだなと実感している湊を他所に少女達3人は目を輝かせていた。

 

「新しいお名前はどうしましょう? 一応大本営からはこちらで決めても良いという連絡を頂いていますが」

 

「もう好きにしてくれよ……」

 

「元が湊ですし、早く慣れるためにも近しい名前の方が良いのでは?」

 

「むしろその見た目だったら同じ名前でも誰も気づかないと思うわよ?」

 

「なぁ、俺はどうしてこうなったんだ……?」

 

 一年前の深海棲艦の襲撃によって湊の身体は日常生活を送るにも不自由する程の傷を負った。大本営や明石の協力もあって義手等を用意するという計画だったのだが、新しい試みを試したいという明石の提案もあって今では無事に肌理の細やかな肌を持った手足を湊は手に入れていた。

 

「ん~……、分量は結構ギリギリを狙っていましたしやはり身体の大部分を修復ってなると無茶があったのかも知れませんね」

 

「知れませんねじゃねぇよ。 手足が治ったのは嬉しいけど、他の場所までいじれとは誰も頼んじゃいねぇだろ!?」

 

「別にいじっていませんよ? 恐らくは移植した細胞と修復材による効果が原因じゃないかなぁと」

 

「……元の顔に戻せないですかね?」

 

「修復材は傷を治すというより、元あった形に再成形すると表現したほうが近いので湊さんにとって今の状態が元の状態になったんだと思います」

 

「つまり?」

 

「無理ですね」

 

 湊は笑顔で答えた明石に枕を思いっきり投げつける。予想以上の速度で飛んで行った枕は明石の顔面に当たり明石は大げさに痛がるようにして逃げて行ってしまった。

 

「良いじゃない。 女の私から見ても……、綺麗だと思うわよ?」

 

「うるせぇ!」

 

 湊に行った治療は半ば生体実験に近いものだった。艦娘が傷ついた際に使用する事ができる修復材、それを通常の人間にも使用する事ができないかという明石の提案だった。

 

「いっその事名前はそのままで性別を偽っておきます?」

 

「まぁ余程の事がない限りバレないでしょうね」

 

「もう好きにしてくれ……」

 

 明石の実験は単純だった。艦娘の負担にならないように少しずつ体の一部を分けてもらい、1年かけてゆっくりと移植しながら湊の身体に馴染むように修復材を使用して行った。

 

「良かったわね、ミナトちゃんなら違和感ないわよ?」

 

「……不幸だな」

 

「もしかして私の真似なのかしら?」

 

 結果として湊の身体は炭になった腕を含めて全て完治する事ができた。副作用として体の半分近くが女性である艦娘の物となってしまったために、多少見た目が女性よりに変わってしまっていた。

 

「いくら修復材で治るからって痛みは伴いますし、それでも快く了承してくれた子達に感謝した方が良いですよ」

 

「……そうだな」

 

「今度こっそり挨拶に行きます?」

 

「絶対に嫌だ」

 

「相変わらず変なところ意地っ張りなのね。 それと、女性って方向で行くなら言葉遣いは直したほうが良いわよ?」

 

「それも嫌だ……!」

 

「全く、こんな奴の面倒を1年も見てたなんて不幸だわ……」

 

「明石も義手じゃなくどうにか湊さん……、じゃなくミナトちゃんの腕が元に戻るように努力したんですけどね」

 

「無くなった腕ができるどころか胸ができたわ!! ふざけんじゃねぇぞ!?」

 

 数十分にかけて騒ぎ続けていた湊だったが、下半身に自身を男性だと証明するものの存在がある事に気づいてどうにか今後の予定を話する事ができる程度には落ち着いた。

 

「それで、どうするのよ」

 

「まずは横須賀の続きだな、まだ行ってない基地や鎮守府がある」

 

「基地や鎮守府では無いですけど、ここから近い場所ですと江田島に艦娘の訓練施設があったはずです」

 

「じゃあまずはそこで。 俺……、じゃなかった。 私も身体を動かさないと流石に鈍ってる気がする。 何より手足や身長が変わってるのがまずい……、わね」

 

 身体能力自体は以前よりも向上しているのだが、自身のイメージと動作が一致しないというのがミナトにとっての1番の不安だった。その証拠に騒いでいる間散々山城に殴られ続けていたのだがその殆どを避ける事ができていなかった。

 

「私はどうしようかしら。 この1年で退役した艦娘もそこそこ居るみたいだし、普通にしていても良いのよね?」

 

「そこで山城さんにお願いなのですが、私はちょっと大本営の方でやる事があるのでミナトさんが今の身体に慣れるまでサポートをお願いできないでしょうか?」

 

「……拒否権は無いのかしら?」

 

「ありません」

 

「不幸だわ……」

 

 笑顔の大淀と落ち込んでいる山城を見ながらミナトは今後の事を考える。鹿屋に居た少女達、大湊で世話になった少女達、佐世保で会った少女、命を救ってくれた女性。自分は死ぬんだと思った瞬間もっと沢山言葉を交わしておけば良かったと後悔した。

 

「なぁ、手紙くらいは書いても良いよな?」

 

「問題にならない程度でしたら」

 

 大淀の言葉を聞いて湊はベッドに倒れこむ。久しぶりに騒ぎすぎた体中の倦怠感に身をゆだねるようにして目を閉じた。

 

「提督になるって約束を守らないとな」

 

「そうですね、皆さん湊さんの事をお待ちしていますよ」

 

 湊はその言葉に満足そうに頷くと静かに寝息を立て始めた。それを見た大淀と山城は少し前まで目つきの悪い青年だった人がここまで可愛らしくなってしまった事に小さく笑ってしまったが、本人が気づけばまた機嫌を損ねると思い静かに寝室から出て行った───。

 

 

 

 

 

「それで、こっちが普通の痛み止めでこっちが小分けにした修復材です。 どちらも痛むようでしたら使用してもらっても大丈夫ですけど、可能であれば入渠施設を使わせてもらった方が良いですね」

 

「なんというか、昨日は悪かったな。 枕投げて」

 

「気にしなくても良いですよ! 私だって艦娘なのであの程度なんともありませんし!」

 

「そっか。 それとありがとう、こうして誰かと握手できるのも明石さんのおかげです」

 

「私は横須賀に戻りますが、何かあれば……、じゃなく何か無くても顔くらい見せに来てくださいね!」

 

 ミナトと明石は軽く握手を交わすと互いに向かう方向の違う船に乗り込む。

 

「すごいな、てっきり陸路だと思ったけど船なんだな」

 

「あんたが寝てる間随分とこの海も変わったのよ」

 

「あいつらも頑張ってるんだな」

 

「そうね」

 

 潮風を懐かしむようにミナトと山城は目を閉じる。お互い海に関してはあまり良い思い出は持っていないのだが、懐かしいと感じて安堵したのは本当の気持ちだった。

 

「ふむ、随分と可愛らしい姿になったな」

 

「色々ありまして」

 

 船は江田島の訓練所に向かう前に1度呉で停泊した。一応世話になったという事もありミナトの意思で呉の提督に挨拶に向かったのだが大淀に用意してもらった書類を見せたら驚く程早く提督に合うことができた。

 

「いきなり訪ねて申し訳ありませんでした。 しかし、随分すんなり入ってこれましたが大丈夫だったんですか?」

 

「問題無い。 むしろ貴様には礼を言わねばと思っておったからな」

 

「礼なんて要りませんよ。 呉からの救援が無ければどうしようも無かったので」

 

 それからは雑談というよりもミナトの軍内の立ち位置についての話が多かった。本来ありえないのだが湊は1年前の作戦で命を落とした。大本営が裏を回して完全に死亡として扱う事になったため少佐から大佐へと二階級特進してしまったという。

 

「俺……、じゃなく私が大佐ですか。 全然実感沸かないですね」

 

「所属は現在は海軍というより大本営になっておる、大本営から大佐が訪れたとなれば他の者も随分焦っただろうな」

 

「妙にバタバタしてたのってそういう事ですか……」

 

 何よりも大本営の人間が私服で鎮守府を尋ねたとなれば秘密裏に何か作戦が行われたと勘違いした人間も多かった。

 

「軍服はこちらで用意しよう」

 

「何から何まですみません。 それと、もう1つお願いがあるのですが」

 

 呉の提督に挨拶というよりはミナトにとってここからが本題だった。

 

「この鎮守府に『長門』が所属していると思います、合わせて頂けないでしょうか」

 

「……礼なら彼女も要らんと断るだろう」

 

「私があの人を見て気付かないと思いましたか? 以前私がここを訪れた時にも居たんですよね?」

 

 1年前、湊の薄れゆく意識の中で聞こえた声。長門と名乗るその姿を決して忘れることは無かった。

 

「ふぅ……。 別に貴様に意地悪がしたくて会わせないと言っておる訳では無い、貴様にとっても彼女にとっても会わせぬ方が良いと総合的に判断しておるだけじゃ」

 

「話くらいは聞かせてもらっても良いですよね?」

 

「断ると言っても貴様は聞かんだろうに。 会わせてやる、付いてこい」

 

 ミナトは黙って頷くと呉の提督の後ろをついて歩く。艦娘に合わせると行った以上は宿舎か何かに向かうと思っていたのだが向かった先は老朽化に伴い使用されなくなった地下の施設だった。

 

「なんだ、提督か? すまないが早く扉を閉めてくれないか」

 

「あぁ。 調子はどうだ」

 

「なぁに。 連合艦隊旗艦を務めた私だ、出撃となれば這ってでも出撃してみせよう」

 

 扉を閉めれば真っ暗な施設の中で部屋の隅から聞こえる声と提督が話を続ける。ミナトはその声を聞いただけで瞳から涙を零した。

 

「隊長……?」

 

「ん? 他に誰か居るのか。 客人とは珍しいな」

 

「俺です! 湊です! 分かりますか!?」

 

 湊は素性を明かさないようにと大本営から指示されている事を忘れて声をあげる。

 

「……すまない。 初めて聞く名前だ」

 

「そうですか……」

 

 艦娘になった際に起きる記憶の欠落。以前明石さんとこの事について話し合った事もあったが、今は体調が自分の事を覚えていないという事実が湊にとっては辛かった。

 

「提督、どうして隊長は、長門はこんな暗い場所に居るんですか?」

 

「場所を変えようか。 長門、また来る」

 

「あぁ、分かった」

 

 ミナトは提督の言葉に頷くと奥歯を嚙み締めたまま何年も追いかけ続けていた人に背中を向けて歩き始めた。

 

「あの者の艦娘としての適性はずば抜けておった。 それこそ大本営が暗殺紛いの事をしてでも手にしたくなる程にな」

 

「兵士としても優秀な人でしたので」

 

「そして長門という艦を貴様がどれほど知っておるか分らぬが、人の身でその名前を背負うという重圧は通常の艦娘の比では無かった」

 

 日本海軍と聞けば『大和』の名前を出す人は多い。しかし、秘匿されていた大和とは違い長門は当時の日本の要として何十年も何千何万の人の期待を受け続けた。

 

「勘違いしてもらっては困るが、長門自身があの場所を望んでおる。 誰にも言わぬが光を嫌っておるのかもしれんな。 それでも貴様の救援もそうじゃが深海棲艦が出たと聞けば顔色一つ変えずに堂々と出撃しおる」

 

「どうして光を?」

 

「歴史の授業をするつもりは無いが、長門の最後は米国による核実験の標的艦として幕を閉じておる。 人の身の儂らには分らぬ光景がそこにはあったのかもしれん」

 

 核という単語を聞いてミナトは広島や長崎の事を考える。大勢の人が亡くなったと知識として知っていたが、その痛みを、辛さを、熱さを、苦しさを直接味わうという恐怖は知らない。

 

「どうにかできないんですか?」

 

「そこばかりは長門自身が乗り越えるべき問題だろう。 儂らは見守る事しかできん」

 

 辛そうに煙草を取り出して口に咥えた提督を見てミナトは頭を下げる。

 

「なんじゃ、貴様も吸うか?」

 

「いえ、会わせたくなかった理由に気付いたので我儘を言ってしまった事への謝罪です」

 

「……ほれ、吸え」

 

 ミナトは煙草を咥えると火を付けて大きく煙を吸い込む。提督がミナトと長門を会わせなかった理由、ミナトにとって長門が自分の事を覚えていないという事実は傷にしかならない。同じように長門になる前の彼女にとって教え子であるミナトに先ほどのような弱さを見せたくないだろうという心遣いだった。

 

「ふむ、良い女は煙草を咥える姿も絵になるな」

 

「見た目だけで性別は変わっていませんよ」

 

 場を和ませようとする提督なりの冗談だったのかもしれないがミナトは笑えなかった。その後は女性用の白い軍服を渡されて着替える事になった。姿を見ないなと思っていた山城が以前の巫女服を改造したような着物姿で現れたので懐かしさを感じて笑ってしまった。

 

「なんだ、艦娘に復帰するのか?」

 

「まさか……」

 

「提督が単身で動き回るというのも不可解じゃろう。 護衛兼、秘書艦として山城を連れて鎮守府や基地を視察しているという事にした方が話が早いのじゃよ」

 

「そういう事ですか……」

 

 一応は山城も納得して着替えたのだろうが、その表情は複雑そうでぎこちない笑みを浮かべていた。

 

「江田島の訓練所には儂から話をつけておいた。 向こうに付いたら大井に案内させるように伝えて置いたから土産の1つでも持って行ってやると良い」

 

「分かりました、その辺で適当に何か買ってから行くことにします」

 

「あんた、お金持ってるの?」

 

「元々金を使う方じゃなかったってのもあるが、殉職による二階級特進と死亡退職金で私の貯金は凄い事になっている」

 

「自分が死んだお金ってどうなのよ……」

 

「確かにな」

 

 そんな馬鹿みたいな話をしながら呉鎮守府を後にするとフェリー乗り場の売店で適当に甘味や雑誌なんかを買いあさってからミナトと山城は江田島へと向かった───。



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1-2

 桟橋から足を投げ出すように座っている少女は考えていた。艦娘という不思議な身体として生まれ変わったからには仲間や姉妹なんて言葉で表現できない程の大切な人に会いに行きたかった。

 

「退屈ね……」

 

 機嫌の悪そうな空のしたで駆逐艦に属する少女たちが海に浮かべてあるポールに沿って航行訓練を行っている。

 

「はぁ……、私ったら何をしているのかしら」

 

 訓練を見守る問いう行為自体に飽きたというのが少女の本音だが、少女を憂鬱にしている原因は呉鎮守府から送られてきた電信だった。よりにもよって私たち艦娘を地獄へと誘う原因を作った男の親族が訓練所を見学に来るらしい。

 

「くっだらないわね。 皆聞こえるかしら? そろそろ切り上げて良いわよ、しっかり艤装のメンテナンスをやってから宿舎に戻りなさい」

 

 無線から聞こえてくる返事を確認した少女は桟橋へと向かう。本来であれば双眼鏡を必要とする距離だったが、訓練を行っていた者たちと同様に少女も艦娘だった。

 

「なぁ、なんか天気悪くないか?」

 

「まったく、あんたと一緒にいても何一つ良いこと無いわね。 不幸だわ……」

 

「いい加減その口癖治したらどうだ? あんまり後ろ向きに考えてると本当にそうなるぞ」

 

「考えておくわよ。 それよりあんたこそ言葉遣いが戻ってるわよ」

 

 ミナトは眉間を押さえると曇った空を見上げる。多少の事なら割り切ることはできたのかもしれないが、まさか自分が女性を演じることになるとは考えたことも無かった。

 

「そ、そろそろ着きますですわよ?」

 

「何それ、気持ち悪いわよ?」

 

 山城の頭を思いっきり叩いてやろうと考えたミナトだったが、流石に女性の頭を叩くという行為に抵抗がある。しかし、自分自身が女性になりつつあるという事を考えてそれなりに加減をして手刀を降ろした。

 

「痛いわね! 何するのよ!」

 

「ふむ、加減はしたつもりだったけどまだこの身体になれてないらしい」

 

「あんたね……」

 

 船の上でじゃれ合っている2人を見て不思議そうにしていた少女は声をかけるタイミングを見失ってしまったが、声をかけなければいつまでも続きそうだったので面倒だけど声をかけてみることにした。

 

「あ、あのぉ? あなた達が呉の提督が仰っていた方なのでしょうかぁ~?」

 

「ん? あぁ、すみません。 わたっ、私がミナトです、こちらは秘書艦の山城です」

 

「そうですかぁ! 海軍の英雄とまで言われた方のご親族とお会いできるなんて光栄ですぅ!」

 

「ちょっと荷物を取ってきますわね? ほら、山城っ! 行くわよ!」

 

 ミナトは慌てて山城を引っ張ってブリッジの中に駆け込む。

 

「おい、英雄って何だ? 親族ってどういうことだ?」

 

「一応あんたは命を賭けて艦娘の実用性を証明、民間人を助けた。 大本営の筋書きだと一種の英雄として士気向上のために上手く使われてるのよ」

 

「まじかよ……」

 

 それからミナトは山城から簡潔に説明を受ける。途中設定を盛りすぎでは無いかと思える部分もあったが、ミナトの脳裏にピンク色の髪で笑顔を向けている少女と最近になって割りとはっちゃけているのでは無いかと思える眼鏡をかけた少女の姿が過ぎった。

 

「大体理解した、これ以上怪しまれてもまずいし行こうか」

 

「そうね。 ヘマしないように気をつけなさい?」

 

 2人はブリッジから呉の売店で買った荷物を持つと船から下りて目の前の少女に敬礼をした。

 

「改めて挨拶をさせて頂きますが、本日から江田島訓練校を見学させて頂くミナトです。 よろしくお願いします」

 

「山城です、よろしくお願いします」

 

「艦娘専属の教官を任されている大井です、こちらこそよろしくお願いします」

 

 緑色のセーラー服を着ている少女は大井と名乗る。山城は面識があったようだがミナトは大井がどのような艦だったかが分からず、後で山城に聞こうと考えていた。

 

「校内を案内しますね?」

 

「あぁ任せる」

 

 ミナトは気づいていなかったが、大井の頬はやや赤みを帯びており何処か声も上擦っている。人によっては人見知りか何かだと思うかもしれないが、山城は何処と無く理由を察していた。

 

「あっ、あのぉ? ミナト大佐はどのような事を見学なされたいのでしょうか?」

 

「ん~、自然体で居てくれれば良いですよ。 いつも通りの光景を見たいだけかな」

 

 ミナトは元の姿の時には男性としては身長は170cm程度と高いほうでは無かった。しかし、女性となった今では別である。それに加えて元々の筋肉のつき方が関係しているのか締まっているところは締まっている。何よりも元の姿では悪人面と認識されていた目付きの悪さが女性の今では妙な色気を醸し出していた。

 

「そうだ、これをどうぞ。 呉の提督から差し入れてやってくれって」

 

「これは……、雑誌と甘味ですか。 ありがとうございます、あの子達も喜ぶと思います」

 

「大井さんは教官として活躍なされているんですよね? 艦娘の教官となればやはり大変なのでは?」

 

「いっ、いえ! あの子達もとても素直で良い子達なので!」

 

「それはそれは、教官として部下のことを素直で良い子と表現できるのはとても良いことですね」

 

 ショートヘアーの切れ目の女性が白い軍服を着ている。正しくは女性では無いのだがそれは艦の時代に男ばかりを乗せていた少女たちにはある意味新鮮で刺激が強いのかもしれない。

 

「もしかしてミナトさんも教官の経験がお有りで?」

 

「あっ、いえ。 兄が……?」

 

 ミナトは咄嗟に誤魔化したが焦っている反面同じ教官として活躍しているであろう大井と出会えたことを嬉しく感じていた。

 

「経験が無いと言う訳では無いのですが、やはり人に物を教えるという行為には興味があります。 良ければ色々とご教示して頂ければ助かります」

 

「そっ、そんな! 私なんて全然ですよー! むしろ山城さんの方が向いているのではと!」

 

「そうなの?」

 

「えっ、私?」

 

 山城は太平洋戦争当時にはほとんど戦闘に参加せず練習艦として新兵の訓練を行っていた実績がある。艦の記憶を持っているのであれば適性があるかもしれないというのが大井の考えだった。

 

「『鬼の山城、地獄の金剛、音に聞こえた蛇の長門 日向行こうか伊勢行こか、いっそ海兵団で首つろか』でしたっけ?」

 

「『地獄榛名に鬼金剛、羅刹霧島、夜叉比叡、乗るな山城鬼より怖い』ってのもあったわよ?」

 

「……全然イメージが沸かないですね」

 

 ミナトにとって日向や伊勢は分からなかったが、残りの艦とは面識がある。しかし、脳裏に浮かんだ少女たちの姿から鬼や羅刹と言った言葉は想像する事ができなかった。

 

「大井さんはどんな艦だったんですか?」

 

「球磨型軽巡洋艦の4番艦です。 一応は練習艦としての経験がありますので呉の提督からここを任されました」

 

「球磨型ですか、球磨さんと多摩さんは少しだけ面識がありますよ」

 

「ミナトさんって色々な鎮守府や基地を見て回っているんですよね? 北上さんを何処かで見てないでしょうか?」

 

 球磨型軽巡洋艦は球磨・多摩・北上・大井・木曾と計5隻が建造された。呉から鹿屋への作戦で上2人とは面識があったが、残りの北上と木曾とは面識が無かった。

 

「いえ、会ったことは無いですね」

 

「そうですか……」

 

 一瞬だけ少し寂しそうな表情をした大井に気づいたミナトは踏み込まないほうが良いと判断して適当な話題へと切り替える。それから訓練校の内部を見て回ったのだが校内を一周した頃には雨が降り始めていた。

 

「雨ね」

 

「台風も近づいてきて居ますし、窓の補強を行っておかないと……」

 

「手伝いますよ」

 

 ミナトの言葉に最初のうちは反対していた大井だったが、ミナトと目が合ってしまい否応なしに頷く事となってしまった。

 

「なんで私まで……」

 

「おーい、山城ー。 ハンマーとって頂戴ー!」

 

 屋根の上からミナトが叫ぶ。海軍に所属している兵の宿舎や建物は問題無かったのだが、補修を行う必要があったのは艦娘用の施設の方だった。この1年で随分変わったとは言え、海軍も予算が潤沢にある訳では無くどうしても施設関係の準備は滞っていた。

 

「投げても良いの? 大丈夫?」

 

「大丈夫大丈夫ー」

 

 ミナトに向かってハンマーを投げる。山城としては軽く投げたつもりだったのだが、曲線を描くのではなく直線的に飛んでいったハンマーをキャッチしたミナトは体勢を崩して屋根から落ちそうになった。

 

「か、加減しろよっ!!」

 

「ご、ごめんなさいっ!」

 

 予想以上に力が入ってしまっていたのか、山城は先ほどの結果を思い出しながら自分の右手を眺める。

 

「雨も強くなってきたな、少し作業を急ごう」

 

「わ、分かった」

 

 結果としてどうにか台風に備えることはできたのだが、その代償としてミナトと山城はずぶ濡れとなってしまった。

 

「申し訳ありません……。 ミナトさん達にこのような……」

 

「いえ、気にしないでください。 最近デスクワークが多かったので身体を動かしたかった所なので」

 

「何でも良いけど拭くもの貰えるかしら、このままじゃ風邪を引いちゃうわよ?」

 

「そうですね、衣服のほうは代えを用意しておきますのでお二人は宿舎内のお風呂を使ってください」

 

 その時ミナトと山城は気づいてしまった。互いに視線を合わせて最悪の事態になってしまった事を理解する。本来であれば如何に提督と秘書艦だからと言って2人同時に入浴して来いとの提案はありえない事だが、今のミナトは『女性』として扱われている。

 

「ええっと、私は拭くものだけあれば……」

 

「そ、そうね? 2人だと狭いかもしれないですし……?」

 

「大丈夫ですよ? 入渠施設だけは優先的に作って頂いていますし、なんなら訓練生全員で入っても問題無い大きさですので」

 

 この世の終わりが訪れたかのような山城と、慌てふためくミナトを他所に大井は2人の背中を押すと問題の施設へと連れて行った。

 

「なんだ、その。 見られてると恥ずかしいんだが」

 

「うーん、私よりウエスト細いんじゃないの……?」

 

 2人の話し合いによってミナトが先に入渠し、山城が良いと言うまで目を開けないという方法を取ることになったのだが何故か衣服を脱いでいるミナトを山城が羨ましそうにマジマジと見続けている。

 

「別に気にしなくても良いじゃない、あんたの意識が無い頃は私が身体を拭いてあげてたっていうのに」

 

「それはどうも……。 それじゃあ先に入るな……」

 

 ミナトは浴室に入ってから身体を軽く流して湯船につかると、入り口に背中を向けて「目を閉じた」と声を上げる。それからなるべく物音を聞き取らないようにと意識していたが、扉の開く音やタイルの上を歩く音に怯えていた。

 

「なんというか右腕がムズムズするんだが」

 

「修復されてるんじゃない? そのうち完全に女の子になっちゃうかもしれないわね」

 

「もう上がって良いか?」

 

「風邪を引いたまま江田島の見学を行いたいならご自由に」

 

 ミナトは妙に落ち着きのある山城に疑問を覚えつつも雨で冷え切った身体が暖まっていくのを感じて腕を頭上に大きく伸ばした。

 

「胸はあまり無いのね」

 

「うるさい」

 

 ミナトは知らなかったのだが、意識の無い間に主に面倒を見ていたのは山城である。身体を拭くことから始め時折支えるように浅い湯船に浸からせていたという経験もありある意味ミナトの裸を見る問いう行為は手馴れた物だった。

 

「なるべく腕を動かさないほうが良いわよ。 滅多に無いって聞いたけど、折れた骨が変に繋がる事もあるって明石が言ってたわよ」

 

「艦娘も大変なんだな」

 

「そうね、本当に大変よ」

 

 修復剤も万能じゃ無いことにしみじみとしているミナトの肩を山城が軽く叩く。

 

「頭洗ってあげるわよ。 見えないままじゃ不便でしょ?」

 

「どんな風の吹き回しだ?」

 

 不気味に思いつつもせっかくの好意を無駄にするのも悪いと思いミナトは山城の手を借りつつ立ち上がる。

 

「痒い所は無いかしら?」

 

「足」

 

「自分で掻きなさいよ」

 

 山城は洗う手を止め頭部を叩く。結構な衝撃はあったが痛みはあまりなかったのでミナトは鼻で笑っていた。

 

「人に洗っても貰うってのも悪くないな」

 

「何度も洗ってあげてたのよ」

 

「……ありがとうな」

 

「何よ、気持ち悪いわね」

 

 互いが裸という点を除けば実に穏やかな時間だった。しかし、その穏やかな時間も1人の艦娘の登場によって音を立てて崩れていった。

 

「お湯加減は大丈夫ですかぁ?」

 

 扉の開く音と共に現れたのは白いタオルで身体を隠した大井だった。咄嗟に対応できたのは山城であり、手に泡がついた状態で思いっきりミナトの目を隠す。

 

「うわっ、痛ってぇ!」

 

「だ、大丈夫よ!」

 

「そう、なら良かったです」

 

 大井の位置から見えるのはミナトと山城の背中。

 

「そろそろ上がろうかしら?」

 

「あ、あぁ。 そうだ……、ね」

 

「お邪魔しちゃったかしら?」

 

 このままでは大井に変な誤解を与えてという事を考えた山城は咄嗟に言い繕う。ミナトの秘密がばれてしまうという事も考えていたが、内心では自分が男と2人でお風呂に入っていたという事実を如何に隠し通すかという事が重要視されていた。

 

「他の子達もそろそろ入ってくると思いますので、良ければ名前だけでも紹介させて頂きたいのですが……」

 

「んんっ!? わ、私はちょっと……」

 

「やはり失礼でしたか……、他の子達も雨の中補修作業をしていましたので早くお風呂に入れてあげたかったのですが……」

 

「う、うちの提督は多少恥ずかしがりやでして……」

 

 どうにかこの場を脱出しようと考え続けていた山城だったが、あまり必死にここから逃げ出そうとしても怪しまれると思い覚悟を決めた。どうにかタオルを巻いたまま湯船に浸かるという方法を編み出したのだが、山城以上にミナトの心臓はいまにも破裂しそうな程だった。

 

「全く、急な雨なんて災難だったね」

 

「そうですねぇ。 ふふっ、でも少し楽しかったですね」

 

 脱衣室から聞こえてくる少女の声にミナトは硬く目を閉じる。その様子を見ていた大井は不思議に思ったが、余程の恥ずかしがりやなのかも知れない、もしかしたら無理強いしてしまったのでは無いかと後悔する。

 

「あれ? 大井教官、そちらの方達は?」

 

「ん~? 見たこと無い方だね」

 

「こちらは訓練の様子を見に来られたミナトさんと山城さんです。 あまり失礼な振る舞いはしないように気をつけてくださいね?」

 

「分かりました~! 敷波も気をつけてくださいね?」

 

「だ、大丈夫よ! たぶん……、あはは……」

 

「2人は特II型駆逐艦……、綾波型と言ったほうが分かりやすいでしょうか? 綾波と敷波です」

 

 片手に持ったタオルで簡単に身体を隠していただけなのだが、互いが女性同士だと思っている2人に恥じらいはあまり無いようだった。

 

「よ、よろしく……、お願いします……」

 

「他にも特型の子が居るのですが今は他の鎮守府に実習という形で出かけていますので江田島にいるのは私を含めた3人ですね」

 

「ミナトさんってとてもお綺麗ですねぇ~! 手足も細いですし、大人って感じがします!」

 

「綾波も私もこれだしね」

 

 これと言われても分からないミナトはどうしたら良いのか分からず目を閉じて愛想笑いを浮かべるだけだったのだが、3人に見えないようにミナトの脇腹をつねっている山城によってどうにか理性が好奇心を上回った。

 

「軍隊である以上は厳しく接することを心がけているのですが、軍服を脱げば階級は関係ないっていうのが此処の隠れたルールなんですよ?」

 

「た、確かにそうね。 24時間上官に見られてるってなると気も休まらないですものね……」

 

「ご理解頂ける様でしたら助かります」

 

 そこからはミナトにとって地獄だった、徐々に山城の手には力が入っていき千切れてしまうのでは無いかという痛みと戦いながら愛想笑いを浮かべ続ける。

 

 そんな中ミナトは自身の機密だけではなく、少女たちの尊厳を守るためにも絶対に男だということがバレてはならないと強く決意した───。

 

 



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1-3

「死ぬほど疲れたわ」

 

「それは私の台詞よ……」

 

 本来身体を休めるべき入渠施設でのやり取りによってミナトと山城の2人は施設の補修工事を行った以上に疲労感に襲われていた。

 

「それよりもあの子なんだか妙ね」

 

「あの子って大井の事か?」

 

 ミナトの問いかけに山城は頷く。宿泊用にと与えられた部屋の中でベッドに横たわる2人は互いに顔を見合わせないまま会話を続ける。

 

「猫被ってるわね」

 

「そりゃあ初対面だし、そんなもんなんじゃないか?」

 

「なんて言えば良いか分からないけど、女の勘かしら。 あんたもできるんじゃないの?」

 

「俺は男だって……」

 

 長い時間入渠していたせいか、また少しベースになった艦娘に近づいたミナトは身体がどれだけ変わっても心だけは男のままで居続けようと内心堅く誓う。

 

「というか、あんたって地毛は黒だったわよね?」

 

「あぁ、染めたことも無い」

 

「生え際茶色いわよ……」

 

「……1つ気になったんだが、協力してくれた艦娘って?」

 

 詳しくは明石と大淀しか分からない事だが、山城が知っている限りでは鹿屋基地に居た艦娘が協力的だった。その中でもなるべく駆逐艦のような幼い子達ではなく重巡洋艦や戦艦の子が進んで協力してくれていた。

 

「……ミナトデース」

 

「何、頭でもおかしくなったの?」

 

「言ってみただけだ、気にするな」

 

 それなりにミナトの事を心配していた山城だったが、そのふざけた様子を見て近くにあった枕を思いっきり叩きつける。確かに鹿屋基地に居る艦娘で髪の毛が茶色だった子は金剛型の一番艦と二番艦くらいしか思いつかなかったが、あまりにも似て無さ過ぎて我慢できなかった。

 

「なぁ、山城って扶桑型だったよな?」

 

「ええ」

 

「やっぱり姉に会いたいのか?」

 

「どうなのかしら」

 

 山城の曖昧な返答には理由があった。山城自身は今更誰かにあった所でと思っていたが、『扶桑』という単語を聞いて微かに胸の中が暖かくなるような感覚がある。

 

「北上を探していたようだし、見つけてやれないかな」

 

「どうやって? 海の中でも潜るのかしら?」

 

「俺の荷物に書類入ってるから見てみろよ」

 

 山城はめんどくさそうにミナトが持ってきた鞄の中を漁ると封筒を見つけて中身を確認する。

 

「何よこれ、私聞いてないわよ?」

 

「手が空いたらで良いらしい。 艦娘と多く触れ合った俺だから見分けが付くんじゃないかってさ」

 

 書類の内容は適正のありそうな子を徴兵してもらいたいという内容だった。建前上は拒否権の無い徴兵という言葉を使っていたが、ミナトなら本人にその気が無ければ適当に誤魔化すだろうという呉の提督の考えだった。

 

「赤紙の代わりをするって事なのよ? 意味分かってるの?」

 

「分かってるよ。 無理強いしたって碌な戦力になりはしないんだから、なりたいって子以外に渡すつもりは無いよ」

 

 山城は不安だった。ミナト自身が気づいているのか分からないが、艦娘として勧誘するという事は少女を戦場へと送り出すという行為。つまり一部の人間にとって死神と代わらない行為を押し付けられたという事を。

 

「なぁ、山城って今は艦娘になる前の記憶があるんだよな?」

 

「ある……、けど。 何よ?」

 

「なんで艦娘になったんだ?」

 

「何だって良いじゃない。 あんたこそ何で軍隊になんて入ったのよ」

 

 鹿屋基地に居た頃にそれとなく時雨から聞いた記憶もあるが、肝心な所は教えてくれずに適当に流されてしまった事を思い出した。

 

「孤児院育ちの俺は軍隊に入るしか無かったんだよ。 それしか生きる方法が無かった、正しくはそのために生かされていたんだと思う」

 

「私も似たようなものよ」

 

「そういう事だよ。 誰もお国のために死ねって言ってる訳じゃない、自分が生きたいから、自分の知っている誰かに生きていて欲しいから。 そういう子じゃないと俺たちみたいな仕事はやっていけないだろ」

 

 山城はミナトの面倒を見始めて1年以上が経つが、少しだけ昔の面影が見えた。意識が戻ってからは何かが吹っ切れたように子供染みた態度を取ることが多くなっていたが、根っこの所は変わっていなかったらしい。

 

「ねぇ、1つ聞いていいかしら?」

 

「1つだけだぞ」

 

「今の私は防御力も速力も全く無いの。 それどころか私自身が艦娘なのか人なのかも分からない。 それでも、そんな今の私でも期待してくれているのかしら?」

 

 2人の間に沈黙が流れる。それがミナトの答えなのだと諦めようと思った山城の耳に規則正しい寝息が聞こえてきた。

 

「もしかして寝たの!? 大切な話をしている時に!? 本当に……、本当に不幸だわ……」

 

 山城は寝返りをうって顔の見えなくなったミナトの耳が赤くなっていることに気付いて小さく微笑むと、ミナトに毛布をかけて部屋の照明を消した───。

 

 

 

 

 

「それでは出発しましょうか」

 

「「はーい」」

 

 ミナトと山城は大井、綾波、敷波の3人の後ろについて歩く。本来であれば今日も訓練の予定だったのだが、先日の雨と風によって島内で土砂崩れ等の被害が出ていないかを見て回るというのが今日の課題だった。

 

「私たちの事を理解してもらおうための活動として呉の提督さんの提案なんですよ?」

 

「なるほど、良いと思いますよ」

 

 こうした艦娘の活動は日本の様々な場所で行われていた。艦娘の特性上内地の活動は苦手だったが、海上であれば海の上を動けるという点でかなり重宝されていた。

 

「綾波と敷波は陸路を、私は海岸沿いに一周してきますので決して失礼のないように」

 

「ん? この子達は歩きなの?」

 

「まだ航行訓練も基準値に達してませんので、今日は基礎体力作りもかねて陸路ということで」

 

「なるほど、じゃあ2人ともよろしく頼みますね」

 

 ミナトは綾波と敷波の元気の良い返事を聞いて歩き始める。先日の雨のせいで足元がぬかるんでいたりと病み上がりのミナトには少し厳しい状況だったが、バランスを崩しそうになるたびに山城が背中を引くという微笑ましい光景が繰り広げられていた。

 

「ミナトさんって体力無いんですね」

 

「本土ではどのような事をなされていたんですか?」

 

「ん~。 基本的にはデスクワークかな……?」

 

 生まれて初めて言われた体力が無いという言葉に傷つきつつもミナトは2人の質問に答える。

 

「提督になるつもりなんだけど、どうしても勉強し直す事が多くてね」

 

 嘘をつく場合には適度に本当のことを混ぜたほうが良い。その方がボロが出辛いという経験からそれとなく2人に情報を与える。

 

「女性の提督って珍しいよね?」

 

「そうですね、私たちが艦の頃には考えられない事でしたね」

 

 それから雨の被害を確認しながら4人は歩き続ける。その間ひたすらミナトが綾波と敷波から質問攻めにあっていた───。

 

 

 

 

 

 大井は考えていた、昨日来た客人は一体何者なのだろうかと。とても綺麗な人だという事は一目見て分かったが、何処と無く普通の人とは違う何かを感じていた。

 

「おっと、任務に集中しなきゃ……」

 

 任務中に余計なことを考えるのは本来ありえない事である。特に大井の立場上綾波や敷波の見本となる立場である以上はどのような場所でも気を抜かないほうが良い。大井は気を引き締めなおして周囲の状況を確認していたが、ふと1人の少女が砂浜に立っている事に気付いた。

 

「雨上がりは波も高くなっていますので、砂浜には近づかないようにしてくださいね~?」

 

 大井にとっては何度も繰り返したことのある言葉だった。しかし、何度も繰り返しているはずなのだが、注意を促すように声をかけた少女は見たことが無かった。

 

「んあ? 大丈夫大丈夫、アタシ泳ぐの得意だからさ」

 

「海をあまり舐めないほうが良いですよ? 泳ぎが得意な人だって離岸流に巻き込まれれば戻って来れなくなるんですよ」

 

「ふーん、詳しいんだね」

 

「えっ、あの。 艦娘ですし……?」

 

「へぇ。 艦娘ってはじめて見たけど思ったより普通なんだねぇ」

 

「ふ、普通……?」

 

 会話のペースを乱され続ける大井は戸惑っていた。少女の衣服はあちこちボロボロになっていたし、履いている運動靴も泥だらけで踵が捲れそうなほど磨り減っていた。

 

「あなたは一体?」

 

「ちょっと肩貸してもらって良い? あっ、もしかして艦娘って陸に上がれなかったりする?」

 

「いえ、上がれますけど……」

 

 大井は缶の出力を落とし惰性で砂浜に近づくと踵を起こすようにして砂浜へと上がる。その様子を面白そうに見ていた少女だったが、大井が近づくと肩に手をかけてケンケンの応用で片足のまま海に入っていった。

 

「うわぁ……、やっぱ沁みるねぇ……」

 

「何をしているんですか?」

 

「ちょっと崖から落ちちゃってさ、こういう時って冷やせば良いんじゃないっけ?」

 

「がっ、崖っ!?」

 

 慌てて大井は少女を抱き上げる。冷やすのは打撲をした時によくある応急手当だが、沁みると言った以上は何処かに傷があるのかもしれない。そんな状態で海に入れば最悪細菌感染に繋がる恐れがあった。

 

「おぉ、艦娘って力持ちなんだね」

 

「え、えぇ。 艤装を装着している際は通常の人と比べて……、じゃなく大丈夫なんですかっ!?」

 

「んー、なんかアレな感じかなぁ」

 

「あ、あれですか……?」

 

 会話が上手く繋がらないことに苛立ちを覚えつつも大井は綾波の持っている無線に連絡を入れる。このまま大井が海上を運んでも良かったが、何かあったのであれば下手に揺らさないほうが良いとの判断だった。

 

「大げさだねぇ」

 

「あのですね、今は大丈夫だと思っても頭の損傷なんかは後から来たりするんですよ? 骨折だって早めに処置しないと変にくっついたり、肉に刺さったりする事だって……」

 

「……まじ?」

 

「まじです」

 

 その後大井と少女は歩いてきたミナト達と合流して少女をミナトに預ける。

 

「うわっ、すっごい綺麗な人じゃん。 お姉さんも艦娘なの?」

 

「私は違うよ。 どうでも良いけど背中で暴れるのやめてくれないかな……」

 

 少女はミナトに背負われていたが、ミナトの顔が見たいのか覗き込むように動き回っていたため落ちそうになるたびに山城が少女の背中を支えていた。

 

「私たち先に戻って連絡してきますね。 一般の方の訓練施設にはお医者さんが居たと思いますので、そちらに連れてきて下さい」

 

「分かった、よろしく頼むよ」

 

 走っていく少女2人の姿を見送りながら大きなため息をついた。背負われている少女もその様子に気付いたのか、わざとらしい愛想笑いを浮かべる。

 

「で、何で艦娘が人の振りしてるのか説明してもらって良いかな?」

 

「ありゃ、やっぱり気付いてた?」

 

「まぁ、これでも提督目指してるもんでね。 山城、修復剤をかけてやれ完治とまではいかないが痛み止めくらいにはなるだろ」

 

「良いの? 様子を見る限り脱走したみたいだけど、動けるようになったらどうするのか分かんないわよ?」

 

「陸上なら相手が艦娘でも取り押さえることくらいはできるよ」

 

 流石に艤装を装備した状態の艦娘であればどうもできなかったが、完治した訳でもなく疲労した様子が演技で無ければミナト1人でも取り押さえることくらいは可能だった。

 

「お姉さん強いんだねぇ」

 

「まぁね。 正直に話してもらえればこのまま振り落としたりもしなくて済むんだけど、どうかな?」

 

「脱走兵にも優しいってどうなの?」

 

 山城は文句を言いながらもミナト用の修復剤の入った試験管の蓋をあけると、少女の足にかける。しかし、思っていたよりも効果は薄く皮膚表面の赤みが薄れる程度だった。

 

「やっぱりこの量じゃダメなのかしら」

 

「んー。 アタシってまだ正式な艦娘じゃ無いからじゃないかな?」

 

「どういう意味?」

 

「アタシってまだ正式配布される艤装を付けた事無いんだよね。 最終調整ってのをやる前に逃げてきちゃったからさ」

 

 少女の話を聞いた2人は頭が痛くなった。本人は好奇心で艦娘になる道を選んだらしいのだが、自分が戦艦じゃないという事が分かって艦娘に興味がなくなったらしい。

 

「山城、頭痛止め」

 

「無いわよ……」

 

「あはは、ごめんねぇ……?」

 

「何にせよ甘ったれた考えなら艤装を持てても艦娘になる適正は無いからどうせ最終調整で落ちるだろ」

 

 ここが江田島である以上は逃げ出したのは呉の鎮守府からなのだろう。好奇心やなんとなくなれたからなる、そんな気持ちでこの先生き残れるとは思っていなかったミナトはどうやって呉の提督に現状を伝えるかを考えて居たがふとひらめく。

 

「山城、手を」

 

「何よ」

 

 唐突にミナトは山城に向かって右手を差し出す。訳も分からない状態だったが、握手を求めているのだと分かった山城は嫌々自身の右手を伸ばす。

 

「ふむ、今日も元気そうだな」

 

「何が言いたいのよ」

 

「次」

 

 今度はミナトの背中にいる少女へを手を伸ばす。少女も山城と同じように訳が分っていなかったが、その手を取った。ミナトの右手に伝わる体温は氷でも触っているのではないかと思えるほど冷たく、それを察したミナトは鼻で笑った。

 

「なんだ、適当なこと言ってるだけで本音はそっちかよ」

 

「な、何さ……」

 

「私にも分るように説明しなさいよ」

 

 ミナトは大湊で会った浮き沈みの激しい性格をした少女の事を思い出していた。自身が不安になった時、落ち込んだとき。少女の手は決まって冷たかった。人にも言えることだが、感情というものは身体に大きく影響を与える。艦娘の場合は顕著にその様子が出ていた。

 

「適正艦種は重巡かそれ以下か? 空母系でも無いだろうな」

 

「うん、軽巡洋艦だった」

 

「戦艦になりたかったんじゃなく、正しくは死ぬのが怖くなって逃げ出しただけだろ」

 

 これから呉の鎮守府に引き渡されるのではと不安になっている可能性もあったが、なんとなくミナトは背負っている少女にカマをかけてみる。

 

「すごいね、提督ってそんな事も分るんだ」

 

「まぁね。 もう1つ当ててやろう、背負われてると安心するだろ」

 

「ん~……。 うん、なんとなく安心する気がする」

 

 ミナトは横須賀で出会った少女の事を思い出す。何かあればすぐに膝の上に乗ってきたし、昼寝の時には腕を枕にさせろと言ったり身体的な接触を好んで求めていた。それは艦が係留された状態に似た状態になるというのがその時の結論だったが、少女も恐らくそうなのだろう。

 

「なりたくなければ無理にならなくても良い。 厳しい言い方をするなら、そういう子が混ざると他の子が死ぬことになるからな」

 

「……、そうなの?」

 

 黙って頷いたミナトと山城を見て少女は黙り込んだ。

 

「呉の提督には私から話をしておくから、安心して良い」

 

「うん、ありがと……」

 

「所で、あんたの艦種が軽巡ってのは分ったけど艦名はなんだったの? 軽巡でも阿賀野型とかだったら重巡に引けを取らないくらい良い艦よ?」

 

 少女は少しだけ思い出すような素振りを見せた後に呟いた。

 

「球磨型軽巡洋艦3番艦、北上だったかな」

 

 その答えを聞いて2人の頭痛は更に激しくなった。北上とは大井が会いたがっていた艦である。その艦に適正のある少女が艦娘になることを破棄しようと言っているのだ。この事実をどう説明すべきなのかは呉の提督に少女の事を伝えるよりも難易度が高かった───。

 



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1-4

あまり小説に関係の無い事を前書きに書かないようにしていたのですが、

1度は投げ出してしまった作品に戻ってきた私に対してたくさんの感想を

頂けたのでここに感謝の気持ちを書かせて頂きます。

本当に本当に励みになります、読んでくださっている方、感想を下さった方、

ありがとうございます!

拙い文章ですがこれからも精進していきますので、

どうか暖かい目で見守ってくださると有難いです!


「ちょっと痛いっ! 痛いって!!」

 

「ミ、ミナトさーん? 敷波が潰れちゃいますよー……」

 

 あれからミナトは大井に北上の事をどう伝えるべきなのか考えていた。まずは大井の事を知るべきだと判断して陸上での簡単な訓練に参加しているのだが、柔軟を行っている敷波が潰されそうになっていた。

 

「痛い痛いっ!! これ以上曲がらないって!!」

 

「あっ、すまん」

 

 ミナトは敷波の背中を押す力を緩める。予想以上に辛かったのか、開放された敷波は涙目でミナトに詰め寄った。

 

「この馬鹿力!! ちょっとは加減してくれても良いじゃない!」

 

「すまない、ちょっと考え事をしてたみたい」

 

「考え事ですかー?」

 

 綾波がまだ文句を言い足りなさそうにしている敷波を宥めながらミナトに問いかける。

 

「あぁ、大井ってお前たちから見てどんな艦娘なん……、なのかしら?」

 

「大井さんですか? そうですねぇ……。 真面目な方でしょうか?」

 

「真面目だけど、結構融通が利く所もあるよね。 でも、ルール違反とかにはすっごい厳しいけど」

 

 2人の話の共通点は『真面目』という点だった。その後は以前山城が言っていたように相手によっては猫を被っているのでは無いかという半ば愚痴にも似たような意見が飛び交っていたが、本人に聞かれるとまずいと思い3人は訓練に戻る。

 

「そういえば、あの人はどうなんですか?」

 

「ん? 大井が拾ってきた子?」

 

「そうそう、大井さんずっと付きっ切りじゃない? いつも訓練の時は見ててくれたのに珍しいなって」

 

「崖から落ちたって言ってたみたいだし、しばらく安静だってさ。 骨に異常は無いみたいだから捻挫か何かじゃない……、かしら」

 

 大井に事実を伝える事と呉から北上が逃げ出したという事のどちらか片方をミナトと山城が分担するという事になったが、呉の提督への報告は心底嫌そうな表情をしていた山城が行う事になった。

 

「もー、大げさだってー」

 

「お医者様も出歩くなって言ってましたし、出歩くのはダメです!」

 

 3人が声のする方角へ視線を向けると、松葉杖をついた北上と大井が言い争っていた。大井の発言から察するに北上が半ば無理やり外に出たようだが自由気ままなその様子に3つのため息が生まれた。

 

「おーい、大人しくしてないとダメだろー……」

 

「おっ、居た居た。 ちょいちょい、こっちこっちー」

 

「何だよ……」

 

 北上に手招きされたミナトは仕方が無く気だるそうに近づくと、背中を向けるように促される。

 

「よっと!」

 

「うわっ、危なっ!」

 

「ちょ、ちょっと!?」

 

 急にミナトの背中にしがみ付いてきた北上を見て慌てるミナトと大井だったが、何やら満足そうにしている北上を見てため息が1つ加わる。

 

「これなら足も使わないし良いでしょ?」

 

「良い訳無いじゃないですか……」

 

 ミナトもとっさの事に聞けんだと指摘しようとしたが、首に回された手が冷え切っている事に気づいて諦める。

 

「北上の面倒はオ……、私が見るので大井は綾波と敷波を見てやってくれないかな。 さっきから大井が居ないって寂しがってたからさ」

 

「寂し……? 分かりました、それではその子をよろしくお願いしますね」

 

「いってらっしゃーい」

 

 大井はミナトの背中の上から手を振る北上を見てもう1度大きくため息をつくと、不思議そうに3人を見ていた綾波と敷波の元へと歩いていった。

 

「で、今度は何だよ」

 

「病室って暇だからねぇ、ちょっと暇潰し?」

 

「あぁ、そうかい。 あんまり大井を困らせるなよ」

 

「何でか分かんないけど、あの人だったら我侭言っても良いんじゃないかって思えちゃうんだよね」

 

「妹だからじゃないか? 大井って球磨型の4番艦だったはずだし」

 

 一般的に考えて逆だとは思っていたミナトだが、身内である以上様々な形があるのだろうと深く考えるのをやめる。

 

「んー。 なんか違うんだよね、上手く言えないけどね」

 

「それは私に言われても知らないよ……」

 

 ミナトと呉で頑張っている山城を除けば穏やかな時間が流れていた。しかし台風は突如として生まれ、無残にも大地を荒らして行くモノだった。

 

「と言う事で、呉の提督から演習の申し込みがありました……」

 

 呉での報告で心労が溜まったのか、何処か呆けた山城は1枚の封筒を大井に手渡した。

 

「演習? うちには私を含めても3隻しか居ないわよ?」

 

「互いに軽巡1隻、駆逐艦2隻で訓練を兼ねた模擬戦を行って欲しいとの事です」

 

「まぁ良いけど……、って何よこれ……」

 

 大井は受け取った封筒の中身を見ると同時に中身を握りつぶす。何が書かれていたのか気になったミナトは大井の肩を軽くたたいて寄越すように仕草をしたのだが、受け取った紙を見て広げた紙を再び握り潰して地面へと叩き付ける。

 

「断りましょう」

 

「同感です。 綾波も敷波もまだ訓練の途中ですし、そのメンバー相手じゃ訓練どころか死んでしまいます」

 

「色々と事情があって断れないのよ……」

 

 山城がミナトと北上を交互に見たことでミナトは事情を察する。

 

「姉さん……、じゃないわね。 最悪球磨を私が抑えるにしても、残りのメンバーが時雨と夕立ってどういう事? 3人とも現役で活躍してるメンバーじゃないの……」

 

「……やるだけやるしか無いんじゃないかなぁ?」

 

 内心この場に居るメンバーの中で最も逃げ出してしまいたいのはミナトだった。姿が変わってしまっているのでそう簡単にバレる事は無いと判断しての事だろうが、呉の提督の考えていることが分からなかった。

 

「そうですね……。 ミナトさん汗が酷いですけど大丈夫ですか?」

 

「だ、大丈夫。 それより作戦を考えよう、どうせやるなら少しでも勝つ方向で考えないと」

 

 ミナトが眠っている間の1年間で彼女たちがどのように成長したのかは分からない。しかし、現役で活躍しているという大井の言葉を信用するなら決して甘い相手では無いのだろう。

 

「その、時雨と夕立について教えてもらって良いかな?」

 

「姉さんについては良いんですか?」

 

「球磨は大井が抑えるって言ってたでしょ? 少なくとも大井と同等って事が分かれば十分なのよ」

 

 今回の演習での肝は駆逐艦2隻の力量の差だった。実際大井と球磨はどちらかが無謀な賭けに出なければ簡単に勝敗は付かないのだが、後ろで不安そうにしている綾波と敷波にとっては明らかな格上が相手だった。

 

「軽率なことを言うんじゃなかったわね……。 資料があったはずなのでちょっと場所を変えましょう。 綾波と敷波は陸上訓練を中止して海上での訓練を行って」

 

「はーい!」

 

「ほ、ほんとにやるんだね……」

 

 訓練の内容が変わり本当に演習をやるんだという事を意識して戸惑っていた2人だったが、大井の「駆け足!」という声で走って行ってしまった。

 

「さて、何から話せば良いのかしら……」

 

「この子も1度病室に連れて行った方が良いかしら?」

 

「いえ、軍としての機密はありませんので聞いてもらっても大丈夫です」

 

 背中で申し訳なさそうにしている北上だったが、その表情を見たミナトはそんな気遣いもできるのだなと全く関係の無いことを感じていた。

 

「綾波と敷波に席を外して貰ったのは別に理由があるんです」

 

「理由?」

 

「時雨と夕立の異常性。 と言うよりもあの男が居た鹿屋基地に所属していた子達に共通している点なんですけど、この1年間で1隻も轟沈した艦が出ていません」

 

「それの何処が異常なの?」

 

 ミナトの発言に大井は大きくため息をついた。ある程度事情を察しているのか話を聞いていた山城は気まずそうに視線をそらす。

 

「駆逐艦だけで言うのであれば、この1年間戦い続けることができた子は1割程度だって報告書を読んだ事があります」

 

「……詳しく」

 

「記録が1年分しか取れていないので正確な数値とは言えませんが、駆逐艦に適正があると診断された子の7割は轟沈、私たちにとっての死を迎えることになります」

 

「なんだよそれ……」

 

「生き残った30人のうちの半数も身体的な損傷を受けて退役、一応は軍で役割を与えられているそうですが艦娘以外の生を歩んでいるそうです。 そして残った15人の中でも3割程度は精神的な問題が発生していると聞きました」

 

「訓練体制はどうなってるの? 新兵をそのまま戦場に送り出してるって言われても……。 そういう事か」

 

 この1年間で深海棲艦に対する反撃は多大なる成果を挙げた。それこそ今も綾波や敷波が江田島近海で訓練できる事が証明だった。日本近海全てという訳では無かったが、鎮守府や基地周辺の海域は漁を行う事ができる場所もある。

 

「はい。 軍は艦娘に適正のある子達を手当たり次第作戦に投入しました、その結果日本近海という僅かな領海を取り戻すために大勢の少女が命を失いました」

 

「……続きを」

 

「もちろん命を落したのは艦娘だけじゃ無いですよ。 多くの護衛艦が、そこに乗っていた大勢の人も命を落したでしょう。 その被害を減らすために動いてくれたのが呉と大湊の提督でした、艦娘の教育に力を入れているのは現状2箇所しかありませんので」

 

「つまり、そんな環境の中で戦い続けた2人が異常だと」

 

 ミナトは奥歯を噛み締め罪悪感に震える身体を黙らせる。その様子に気づいた北上は少しだけ戸惑ったが、ミナトに回した手に力を入れなおす。

 

「あの男さえ居なければこんなに大勢の命が失われることは無かったんです。 それなのに勝手に私たちの運命を決めて勝手に死んで、全く迷惑な事を……」

 

「……すまない」

 

「どうしてミナトさんが謝るんですか? ご親族だからと言ってミナトさんが悪い訳では無いですよ」

 

「あぁ、いや。 提督を目指しているのにそんな事も知らなかった自分が申し訳なくてね」

 

「その気持ちを忘れないで下さいね……」

 

 それだけ言い残して大井は訓練を行っている2人の元へと行ってしまった。残された3人はしばらく無言だったが、その沈黙を破ったのは北上だった。

 

「アタシが逃げた理由が分かった?」

 

「あぁ、分かった。 だけどそれ以上に気になることもある」

 

「なになに?」

 

「鹿屋基地に所属する艦娘は少なくない。 何故轟沈した艦が出てない? どれほど訓練を積んで技量を上げても損失ゼロってのは異常過ぎる」

 

 ミナトの感じていたことは現在も多くの提督が調べている事だった。軍としても戦力の消耗はなるべく避けたかった、それ故その理由を知りたいと願っていたのだが未だに結論は出ていない。

 

「噂なんだけど、鹿屋基地と大湊の艦娘って特別なんじゃないかって。 どんなに厳しい戦場でも必ず生還する、他の子みたいに大破してそのまま沈んで行くんじゃなくて、必ず持ちこたえるらしいよ」

 

「大湊もなのか」

 

 多くの少女たちの命を失ったという事実に胸を締め付けられるミナトだったが、少なくとも知っている子達は今も生きているようで少しだけ助けられた。

 

「山城は知ってたのか?」

 

「まぁ、少しは……」

 

 この事実を大淀や明石も知っていた。ミナトに気を遣って言葉にしなかったのだが、ミナトのためと言うよりはその事実を言葉にしたくないというのが本音だった。

 

「あぁ……、あいつ等にあったら謝ら───」

 

「ダメよ。 あんたは謝っちゃダメなの、1年も待たせてるんだからこんな所で歩みを止めないで」

 

「1年……?」

 

「こっちの話だから気にしなくても良いわよ」

 

 ミナト以上に泣きそうな表情をしている山城を見て北上はそれ以上何も言えなかった。自身が呉から逃げ出したという後ろめたい行為をした以上にこの2人も何か背負っているのだと言う事だけが理解できた。

 

「で、どうするの? まずあんたがやらなきゃならない事って何かしら?」

 

「演習に勝つ。 申し訳ないがもう1度呉に行って可能な限り資料を貰って来てくれないか」

 

「全く、人使いが荒いわね。 行ってくるわよ」

 

「勝てるの? 相手ってすごい艦娘なんでしょ?」

 

「負けると思って挑む馬鹿は居ないよ。 やるからには勝つ、勝たせてみせる」

 

 たかが演習かもしれない。だけどこの演習はミナトの提督としての実力を彼女たちに見せる良い機会だった。これからミナトは彼女たちの命を預かる立場になる、ならば情け無い姿を見せる訳にはいかなかった。

 

「北上に1つ聞きたいことがあるんだが」

 

「なんでしょう?」

 

「駆逐艦の生存率は分かったんだが、他の艦種はどうなんだ?」

 

「……駆逐の子達に比べれば微々たる物かな」

 

 北上の言う通り駆逐艦を除き最も沈みやすい軽巡洋艦であっても1割程度。一見数字だけを見れば駆逐艦を使い捨てているように思えたが、実際は主戦力を戦場に送り出すために文字通り命を懸けて守りきったという結果だった。

 

「死にたくないから逃げ出したいって言ってた事と少しだけ矛盾してるわね」

 

「そ、そうだねぇ……」

 

「死なせたく無いって事が本音じゃないのかしら」

 

「やっぱり提督になる人って凄いんだねぇ……」

 

 北上は諦めたようにゆっくりと語り始める。それは今までのようなおちゃらけた話し方ではなく、北上自身の言葉だった。

 

「アタシはさ、戦艦になりたかった訳じゃないの。 欲を意うなら駆逐艦だったら逃げるなんてことはしなかったかな」

 

「自分が死ぬかもしれないのにか?」

 

「置いていかれるって自分が死ぬより辛いよ。 アタシがこの子を受け入れることができたのはそこで共感を得たからかな」

 

「どういう事だ?」

 

「北上って艦はね、沈まなかったんだよ。 周りの艦が頑張って駆けて、守って、戦って。 そんな中北上は沈まずに終戦を迎えた艦なんだってさ」

 

 仲間を失うという経験はミナトにもあった。部下だけでは無い、隊長を失ったと思った時にはそれこそ自らの命を絶とうと考えた。薬に逃げるという事すらやってしまった。

 

「そうか、辛いことを思い出させて悪かったな」

 

「いやぁ、アタシは良いんだよ。 辛い思いをしたのはアタシの中にいるこの子だからさ」

 

「それでも悪かったと思うよ」

 

 ミナトの冷え切った身体には北上の体温はとても暖かく感じた。同時にミナト自身の甘えた考えを改めることもできた。

 

「北上って適当そうに見えたけど、意外と真面目だったんだな」

 

「んー、真面目ってのは大井っちみたいな子の事を言うんじゃないかな?」

 

「なんだその呼び方」

 

「可愛いでしょ?」

 

 いつの間にあだ名をつけたのかと考えたミナトだったが、北上の普段の言動を考えるに思いつきなのだろう。

 

「さて、準備をしますか」

 

「準備って何をするのさ?」

 

「まずは呉の鎮守府から兵装を借りよう、技量で負けてるなら少なくとも装備では負けたくない」

 

「ずるくない?」

 

「ずるじゃないよ、戦場はいつだって最後に生きていた奴が正義だからね」

 

 悪そうに笑うミナトを見て北上も釣られて笑う。少しだけ、本当に少しだけだが北上にとってこの人に付いて行けば仲間を失いたくないという不安を無くせるのでは無いかと感じていた───。



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1-5

 ミナトは少しずつ近づいてくる船を見ながら頬を緩ませる。演習という形であってもこれから戦う相手はかつての自分の部下だった少女たち、負けるつもりは無いのだが少女たちが1年間でどれほど成長しているのかが楽しみで仕方が無かった。

 

「はぁ……。 妙に嬉しそうですね」

 

「あぁ、敵は強いほど燃えるでしょう?」

 

 隣で大きくため息をついていた大井にそう答えるとミナトは姿勢を正して帽子を被り直す。船が桟橋に係留されると白い軍服を着た見知らぬ男が降りてきた。

 

「本日はよろしくお願いします」

 

「こちらこそ。 ところであなたは?」

 

「失礼、挨拶が遅れましたが臨時提督として彼女たちの指揮を行っている相良(さがら)と申します」

 

「丁寧にどうも。 私は……、その……」

 

「あぁ、大丈夫です。 事情は呉の提督から聞いておりますのでご安心を」

 

 事情とはどういう意味なのか疑問に思ったミナトだったが、こちらに耳打ちをするようにして小声で語りかけてきた相良の言葉を聞いて少しだけ気が抜けてしまう。

 

「大本営から視察任務を任されていると聞いております。 不用意に自身の身分を明かせないという事も理解しており、仮名で『ミナト』と名乗っておることも聞かされております」

 

「は、はぁ……? ご協力感謝します……?」

 

「何にせよ本日は演習ということでお世話になりますので、改めてよろしくお願いします。 君たちも挨拶をしなさい」

 

 艤装を装着したまま船に乗っていたのか、カチャカチャと音を立てながら3人の少女がミナトの眼前まで移動すると頭を下げる。

 

「よろしくだクマ」

 

「よろしくお願いします」

 

 こちらに挨拶をしてきたのは球磨と時雨、元気な印象があった夕立は一瞬だけミナトを見たようだったが、口は開かずつまらなさそうに海を眺めていた。

 

「軽巡洋艦球磨、駆逐艦時雨、こちらが駆逐艦夕立です。 皆優秀な艦娘ですので、例え演習の結果が敗北であれ良い経験ができると思います」

 

 相良の言葉は遠まわしな挑発だったのかもしれない。江田島で訓練を行っている艦娘ではこの3人に勝つ事はありえないと、しかしミナトは時雨と夕立の眼を見てから口を開くことができなかった。

 

「その、どうかなされましたか?」

 

「いえっ、何でもありません。 演習はフタフタマルマルより照明を利用した昼夜戦で開始したいと思いますので控え室に案内させますので。 大井、頼む」

 

「ありがとうございます、それじゃあ行こうか」

 

「クマはもう少し海を見てるクマ」

 

「分かった、早めに来るように」

 

 相良の言葉に大井は「こちらです」と愛想笑いを浮べて建屋へと案内を始めたが球磨だけはその列についていかずに顔を青くしたミナトの前で腕を組んで睨み続けていた。

 

「こんな所で何しているクマ」

 

「な、何のことでしょうか?」

 

 球磨はミナトの襟を掴んで自身へと引き寄せるとジッとミナトの眼を覗き込む。

 

「事情はよく知らないけど、これはクマの勘違いかもしれないクマ」

 

「……勘違いだろうな」

 

「じゃあ勘違いついでに言っておくクマ。 さっさと戻ってくるクマ」

 

「何やら事情がありそうですが、聞かせて貰っても構わないかな」

 

 恐らく球磨はミナトが湊である事に気付いている。もしかしたら知っていたのかもしれないが、大淀や明石たちがそんなヘマをするとも考えづらい。

 

「さっきの時雨と夕立を見てどう思ったクマ?」

 

「……この1年間で何があった?」

 

「戦ったクマ、戦い続けたクマ。 皆1人の男が死んだって聞かされても必死で戦ったクマ」

 

 少なくともミナトが鹿屋基地に居たころは少女たちは年相応の幼さがあった。しかし、先ほどの時雨や夕立の眼からは生気が感じられない。何かを諦めてしまったような、それでもその何かにしがみ付くしか術を知らないような。

 

「皆その馬鹿が作った今を守るために戦ったクマ、自分たちが情けなかったら命を賭けてまで頑張ったその馬鹿に申し訳ないって必死にもがいたクマ」

 

「……そうか。 その馬鹿は幸せ者だな、そこまで想ってもらえて」

 

「そうクマ。 だからその馬鹿がもし生きてたら伝えて欲しいクマ、さっさと帰ってこないとそろそろダメになるクマ」

 

「分かった、伝えておく」

 

 球磨はどこか肩の荷が下りたような気の抜けたため息をついてから既に姿の見えなくなった時雨たちの後を追って行った。

 

「……情けないところ見せちまったか」

 

 ミナトは大きく息を吸い込むと想いっきり両手で自身の頬を叩く。その様子を見てしまった大井は何事かと少しだけ困惑していたが、何やら吹っ切れたような笑顔を見せたミナトを見て更に困惑してしまった───。

 

「さて、演習に向けた作戦会議です」

 

「やっぱアタシたちじゃ勝てないんじゃないかなぁ……?」

 

「少しだけ厳しいかもしれませんねぇ」

 

「そんな弱気な事言わないように、訓練通りに頑張れば大丈夫よ」

 

 不安気な敷波と綾波を元気付けようとしていた大井だが、「勝てる」では無く「大丈夫」と不確定な言葉を口にしている事から恐らく勝てるとは思っていないのだろう。

 

「大井は前に話したとおり、どうにか球磨を引き付けて欲しい」

 

「良いですが、綾波と敷波の2人で時雨と夕立をどうにかできる作戦があるのかしら?」

 

「大丈夫、この作戦の主役は敷波だから特に注意して聞くように」

 

「うぇぇ!? アタシ!? 綾波じゃなくアタシなのっ!?」

 

 ミナトの言葉に驚いたのか勢いよく立ち上がった敷波は椅子を倒しながらあわてふためいている。

 

「……分かりました。 私はそのサポートという事で良いでしょうか?」

 

「あぁ、サポートって言っても夕立を引き付けるって役割がある以上は綾波にも難しい立ち回りをしてもらう事になると思う」

 

「ちょっと!? アタシの意見はっ!?」

 

 相変わらず騒いでいる敷波を無視してミナトは各自の役割について説明を続ける。大井はその作戦の意図に気付いたのか諦めたように大きくため息をついた。

 

「敷波、頑張りなさいよね」

 

「ですね。 私も精一杯頑張るから敷波も頑張ってね」

 

 結局最後の最後まで自分には荷が重いと騒ぎ続けていた敷波だったが、ミナトが既に作戦にあわせて呉の工廠に艤装の調整を行って貰っていると説明すると諦めたようだった───。

 

 

 

 

 

「それにしても、随分と思い切った作戦だねぇ~。 同じ駆逐艦なら敷波よりも綾波に任せたほうが良かったんじゃないの?」

 

「ふむ。 北上はどうしてそう思う?」

 

 時刻は後十分でフタフタマルマルになろうとしていた。ミナトと北上は桟橋から大型のライトに照らされている6つの影を眺めていたが、作戦会議を盗み聞きしていた北上はミナトに質問を投げかける。

 

「ん~? 綾波ってソロモンの黒豹だとか鬼神って呼ばれるくらいの武勲艦だよ?」

 

「そうだな、私が貰った資料にもそう書かれてたよ」

 

「じゃあなんでなのさ?」

 

 1942年11月、綾波は第三次ソロモン海戦において敵駆逐艦2隻を撃沈、1隻を中破炎上、戦艦に損害を与え一時交戦不能状態にまで追い込むという大戦果をあげている。艦娘の艤装性能については過去の艦の影響を強く受けているというのもミナトに渡された資料には書かれていた。

 

「上手くは言えないが、この作戦は敷波じゃないとダメなんだ」

 

「提督の勘ってやつ?」

 

「まさか、そんな曖昧な理由じゃないよ」

 

 その会話を最後にミナトと北上の間には沈黙が続く。数分の沈黙の後に演習の開始を告げる空砲の音に驚いた北上が何か言っていたが、ミナトは黙ったまま海上を見つめていた───。

 

 

 

 

 

 

「球磨姉さん、乗ってくれるかしら」

 

 大井は敷浪と綾波から離れるように舵を切ると、それを追いかけるようにして舵を切った人影を見て作戦が初っ端から失敗しなかった事に安堵する。

 

「あら、本当に乗ってくださるんですね♪」

 

「妹を躾けるのも姉の役目クマ。 それにあの馬鹿の作戦に乗ってやるのも悪い気分じゃ無いクマ」

 

「あの馬鹿? 球磨姉さんはミナトさんの事を知っているんですか?」

 

「知らないクマ。 クマは何も聞いてないクマ」

 

 煮え切らない姉の返事に疑問は浮かんだが、理由はどうあれ相手が自分たちの作戦に気付いた上で乗ってくれるのであれば感謝すべきなのだろう。

 

「それじゃあ、始めましょうか♪」

 

「手加減しないクマよ」

 

 回避行動の基本に之字運動がある。単純に言ってしまえばジグザグに動いて相手の狙いを定められないようにするという事なのだが、大井の取った行動は相手に向かってただ真っ直ぐに進むという基本を無視した行動だった。

 

「何を考えてるクマ?」

 

「私は私なりに今の身体について考えていますので、お気になさらず♪」

 

 大井は球磨と衝突する直前に舵を切り脇を抜けるようにして背後に回ると旋回、球磨も常に大井を照準に捉えていたが旋回の際に姿勢が崩れたことで砲撃せずに再度主砲を構えなおす。

 

「撃ってこないんですか?」

 

「無駄玉は撃たないクマ」

 

 艦娘は艦の姿の頃に比べて小回りが効く。艦と人の姿とで大きさの違いを考えれば当然の事だったが、それと引き換えに1つだけ欠点があった。

 

「残念です。 球磨姉さんがこける姿を見てみたかったのですけどね♪」

 

「時間稼ぎクマか?」

 

 船体のバランスの悪化。通常の艦であれば余程大口径の主砲を真横に撃たない限りはその危険性は少ないが、人型である艦娘は主機や進行方向、速度によっては簡単に転倒してしまう。それ故砲撃を行う際には姿勢の制御がかなり重要となる。

 

「その通りです♪ クルージングを楽しみましょう?」

 

「舐めるなクマッ!」

 

 超至近距離では魚雷は使えない、小まめな旋回を繰り返させれば砲撃もまともに行えない。球磨を倒さなくても時間さえ稼げば作戦を遂行できると考えていた大井だったが、14cm単装砲を握り締めた球磨の手がこちらに迫ってきた事に気付き咄嗟に距離を取る。

 

「さぁどうするクマ」

 

 大井から1メートルも離れていない場所に着弾した弾は水しぶきを上げ、大井の制服を濡らす。

 

「……上等じゃない!」

 

「ふっふっふ~、今の身体でできる事を考えていたのは大井だけじゃないクマよ」

 

 球磨の取った行動は単純に主砲で大井を殴ろうとした。ただそれだけなのだが、零距離で砲撃してしまえば例え反動で自身が転倒したとしても間違いなく相手に当てることができる。仮に砲撃を行う事ができなくとも、打撃によりバランスを崩した相手に向かって改めて砲撃を行えば良い。

 

「さて、どうしようかしら……♪」

 

 こんな小細工だけで姉を押さえ込めると思ってはいなかった大井は歯を食いしばり、自らが握る14cm単装砲を衝撃で落とさないように握り締めるとお返しと言わんばかりに姉目掛けて主砲を突き出した───。

 

 

 

 

 

「よく狙って……、てぇえええ~い!!」

 

 綾波は焦っていた。始めから優位に事を運べるとは思っていなかったのだが、夕立と自分にこれほどまで差があるとは想像できなかった。

 

「ぁあっ! 被弾した!?」

 

 夕立の砲撃のタイミングを計りながら進路を変更したはずだったが、徐々に砲撃の精度が高くなってきている。このまま撃ち合っていればいつか当てられる、そう考えた綾波は別の手段での時間稼ぎができないかを必死で考える。

 

「強い……、いえ。 『お上手』ですね」

 

 それは綾波の率直な感想だった、自分なりには不規則に回避行動を取っていたつもりなのだが短い時間でそれに対応してきた。きっとそれは考えての行動というよりは経験からくるものなのだろう。

 

「もう良いでしょ? 早く降参するっぽい」

 

「まさか、2人が頑張っているのに私が降参するなんてできるわけ無いじゃないですか」

 

 綾波は夕立に12.7cm連装砲を向けると笑顔でそう答える。夕立はそれに答えるように主砲を構えた。

 

「敷波も時雨には勝てないと思う」

 

「そうでしょうか?」

 

 互いの放った弾が海面に着弾。やはり砲撃に関しては夕立の方が優れているのか、綾波は水柱によって塗れた頬を袖で拭う。

 

「佐世保の時雨、今だってその名前に負けないくらいの活躍をみせています。そう呼ばれるまでにどれほどの努力をしたのでしょうか。 」

 

「一杯したっぽ……、一杯してるわよ」

 

「そうですね、あの頃も今もきっと私の想像が出来ないほどの努力をしているのでしょう」

 

 綾波は夕立が魚雷を発射したのを見て咄嗟に旋回を行う。しかし速度を落とせば砲撃の的になってしまうと判断して転倒する寸前まで身体を倒し無理やり進路を変更した。

 

「何が言いたいのかしら?」

 

「簡単な事ですよ。 私も夕立さんも時雨さんも大きな戦果を上げてその名前は今でも語り継がれる程です」

 

 先ほどの回避行動で痛めた右足に気付かれないように笑顔を作って主砲を構えなおす。

 

「実は艦娘としては私よりも敷波の方が先に着任したそうなんです」

 

「そう」

 

 夕立は興味無さそうに砲撃を繰り返していたが、綾波は話すのをやめない。

 

「江田島に来る前に1度だけ『どうして1番艦じゃ無いのか』って言われた事があったらしいです。 でも、敷波はそんな辛い言葉を笑って話してくれたんです」

 

 綾波に比べると敷波に武勲と呼べる物は無い。縁の下の力持ちと言われる活躍をした艦だったが、負けてしまった戦争ではそのような物に送られる賞賛は無かった。

 

「2年です。 あの地獄を私よりも2年も長く、武勲艦と呼ばれる訳でもなく常に最前線で戦い続けていたんです」

 

 綾波の放った砲撃は海面に着弾。先ほどとは対象に今度は夕立が頬についた海水を袖で濡ぐう。

 

「あまり馬鹿にしないでください。 敷波は私の自慢の妹なんです」

 

「……いい加減お喋りはやめるっぽい」

 

「やめませんっ! 私は今の姿でも私の自慢の妹が自慢できる姉であり続けたいと思っていますっ!」

 

 それは綾波なりの決意。正直綾波は艦の頃の武勲とは対照的に大人しい性格だった、こうして海の上で撃ち合うよりも妹と話をしている時間の方が好きだったし、艦娘になってからは季節の流れを感じているだけでも幸せだった。

 

「だから、敷波は時雨さんに負けませんし、私も夕立さんに負けません」

 

 妹のために自分にできる精一杯の事をする。この作戦の主役だと敷波の事を信じてくれたミナトのため、私と同じように頑張ってくれている大井さんのため。

 

「この演習は、譲れません!」

 

 始めはこの演習には負けても良いと思っていた綾波だったが、妹が主役の作戦なら姉の自分がそんな弱気でいて良いはずが無い。そんな決意を込めながら真っ直ぐ夕立の眼を見つめると力強く言い放った───。

 



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1-6

「敷波を是非ともうちの鎮守府へ!」

 

「いや! 彼女のような素晴らしい艦はうちの鎮守府が貰い受けよう!」

 

 顔は良く見えないが、どこか偉そうな人たちががアタシの名前を呼びながら騒いでいる。

 

「流石は敷波です、姉の私も鼻が高いですよ」

 

「全く、私も教えた身として嬉しいわよ」

 

 綾波と大井さんが私の肩を優しく叩いてくれた。

 

「うん、敷波は強かった。 敷波さえ前線に出てくれるなら僕たちも安心だよ」

 

「すごいっぽい! 本当に本当にすごいっぽい!」

 

 膝をついて肩で息をしている時雨と夕立がアタシに賞賛の言葉をかけてくれた。

 

「そうだね、敷波はよく頑張ってくれたよ。 私の作戦が成功したのは君のおかげだよ」

 

 ミナトさんが褒めてくれた事で頬が熱くなるのが分かる。演習はきっとアタシたちの勝ちで終わったんだと思う。どうやって勝ったのかは覚えていないけれど、こんなに皆が喜んでくれているのなら頑張って良かった。

 

「ミナトさん、アタシ凄かったでしょ、ね? あっ、いや……、ま、どうでも良いんだけどさ……」

 

 照れ臭さもあったけど、少しだけ調子に乗ってみても良いかもしれない。そんな気持ちで発したアタシの言葉に返事は無い。

 

「あっ、あれ? 綾波? 大井さん? ミナトさん? 時雨、夕立?」

 

 周囲を見渡したけどさっきまで騒いでいた偉そうな人も居ない、喜んでくれていた人たちも居ない。怖くなって皆を探そうとしたけどアタシの身体は動いてくれなかった───。

 

 

 

 

 

 

「もう諦めたらどうかな?」

 

 頭上から誰かの声が聞こえて私は咄嗟に顔を上げる。

 

「おはよう、そろそろ降参してくれないかな?」

 

「えっ、あれ? 時雨……?」

 

 喋って気付いたが口の中が痛い。着弾の衝撃で口の中を切ってしまったのかもしれない。それに、冷静になってくると身体中が痛い。主砲を握る右手は震えているし、制服も海水で濡れてしまって乾いている場所は無い程だった。

 

「少しの間だけど、意識が無かったみたいだね」

 

「アタシ負けちゃったの……?」

 

「ううん、艤装は無事だし演習のルールだとまだ終わってないよ。 球磨さんや夕立はまだ戦ってるみたいだからね」

 

 痛む身体に鞭をうって立ち上がってみると、確かに大きな照明に照らされた人影が二組見える。

 

「僕はそろそろ夕立の応援に行きたいんだけど、降参してくれるかな?」

 

「……ヤダ」

 

「でも、敷浪じゃ僕に勝てないと思うけど……」

 

 時雨は申し訳無さそうにしているけれど、きっとその通りだろう。事実アタシが海の上で寝ている時に艤装に砲撃しておけばアタシは負けていたと思う。

 

「時雨はさ、どうやってそんなに強くなったの?」

 

「強くなんてないさ」

 

「ううん、強いよ。 やっぱり武勲艦って凄いのかな」

 

 今も戦い続けている姉の事を思い出す、艦としても艦娘として生まれ変わっても姉の名前は有名だったから。実際訓練の時でも綾波はアタシが出来なかった事を簡単そうにこなしていたし、どんな訓練でも綾波には助けられてばかりだった。

 

「時雨はさ、艦娘として生まれ変わった時に皆喜んでくれた?」

 

「僕が建造された時は『ガラクタ』が増えたって言われたかな」

 

 アタシが建造された時には姉の方が良かったと言われた事があったけど、佐世保の時雨と呼ばれている彼女が『ガラクタ』と呼ばれる意味が分からない。

 

「だけどね、そんな僕たちを大切にしてくれた人が居た。 僕たちのために命をかけてくれる人が居た」

 

「何それ……」

 

「その人のために僕は頑張ってる。 戦場に私情を挟むなって怒られそうだけど、僕たちはもうただの艦じゃないからね」

 

 眼を閉じて思い返してみる。あの人が来てからは色々と騒がしくなった、柔軟体操のときにアタシを潰そうとしたり、急に演習の話を持ってきてアタシが作戦の主役だって言い出したり。

 

「それじゃあ行くね。 主機も缶も無事みたいだし、演習が終わるまでゆっくりしていると良いよ」

 

「うん、もう少しだけここで休ませて貰おっかな」

 

 右手の12.7cm連装砲はもうダメだろう。そっと手放すと紛失防止につけられたフロートのおかげでゆらゆらと波に漂う。時雨はアタシのその仕草を見て降参したと思ったのか綾波と夕立の居る方向へと舵を切った。

 

「……ふん! ボロボロになっても、アタシは負ける気なんて無いからね……!」

 

 時雨の砲撃は凄かった。全部避けようと思って必死だったけれど全然ダメだった。だからアタシは主機、缶、そして魚雷発射管にだけは当たらないように痛いのを我慢して身体で受ける方法を選んだ。

 

「演習用だけど、やっぱり痛かったなぁ……」

 

 海上を照らす照明に右手をかざして見ると所々赤くなっているし、明日には青痣になっているかもしれない。私は右手で目を隠すとその時に備える。

 

「べ、別に痛くて泣いてる訳じゃないからねっ……!」

 

 なんとなくミナトさんに見られているような気がしてどうでも良いことを口にしてしまったが、正直ここまで作戦が上手く行くとは思わなかった。綾波が居た方向から聞こえる砲撃の音が増える、きっと時雨が合流したのだろう。

 

「結局、アタシの出番かー……」

 

 時雨の言葉には驚いたけど、だからと言ってここで諦めてしまえば駆逐艦としての意地を失ってしまう。アタシは幸運艦でも武勲艦でも無い、だけど諦めの悪さだけは誰にも負けたくない。

 

「そろそろ夜戦ね。 ま、得意だからいいけどさ」

 

 海上を照らしている照明が切れると同時にアタシは立ち上がると暗闇に慣らしておいた目を開けて合図を待った───。

 

 

 

 

 

「そろそろ諦めるクマ」

 

「確かにこれ以上続けても勝ち目は無いかもしれませんね……」

 

 あれほど動き回っていたというのに平然としている姉を見ながらため息をつく事しかできなかった。

 

「これはもう必要無いですね」

 

「本当に諦めるクマか?」

 

 私が14cm単装砲を手放したのを見て球磨姉さんが驚いたような素振りを見せた。あれほど食って掛かっていた私が急に素直な態度を見せたことで動揺していたようだったが、主砲を手放した事で疑いをかける事もできなかったのだろう。

 

「なんでしたっけ? 最後に握手をして終われば良いんでしたっけ?」

 

「何がしたいクマ」

 

「あの人が持ってきた雑誌に喧嘩した後は握手で終わるってのが王道だって書いてあったのですけど?」

 

「……そういうものかクマ?」

 

 まだ警戒している姉を信じさせるために魚雷発射管も取り外してみせる。これで作戦が失敗しているのであればただの馬鹿かもしれない。

 

「それじゃ、お疲れ様です♪」

 

「お、お疲れだクマ……?」

 

 互いに近づいて握手を交わすと思った以上に小さな右手を力強く握り締める。

 

「球磨姉さんはこれがなんだかご存知ですか?」

 

 私は自分の太もも辺りに取り付けられた艤装を指差して笑みを浮べた。姉さんは暗い海上のせいか眼をこらして確認しようとしていたが、突如として光を放ったソレに慌てて眼を隠す。

 

「流石は呉の工廠ですね、こうして私たちサイズの『探照灯』まで作ってくださるなんて♪」

 

「な、何をするクマッ!」

 

 怯んだ姉さんを抱きしめるようにして軽く持ち上げる。少しだけ姉さんの足が海面から離れた、実際の艦を持ち上げるなんてできるはずも無い事だが、私たち艦娘なら不可能じゃない。

 

「それじゃあ一緒に海水浴でも始めましょうか♪」

 

 主機が海面から離れた事により缶からの出力を海面に伝えることができなくなった姉さんはジタバタと暴れていたが、探照灯に照らされた海上に腰を落として魚雷の発射動作に入っている敷波を見て勝利を確信した───。

 

 

 

 

 

「敷波、中破。 綾波、中破。 大井、大破。 以上江田島訓練所の報告終わり」

 

 演習終了後にミナトが損害報告を行っていたが、疲れ果てていた3人は地面に腰を下ろしてうな垂れていた。

 

「球磨、大破……。 夕立小破、時雨、損害無し……。 こちらの報告終わりです」

 

「さて、こちらは損害こそ大きい物の旗艦は生存扱いです。 そちらは逆に損傷軽微な艦が2隻に旗艦が大破、この場合結果はどうなるのでしょう?」

 

「そ、そちらの勝利です……」

 

「良かったな、勝ったぞ」

 

 へたり込んでいる3人にミナトは声をかける。

 

「へっ? アタシたち勝っちゃったの……?」

 

「ちっ、なんて作戦……、あっいえ、なんでもありませーん。うふふっ」

 

「つ~か~れ~ま~し~た~……。 少しだけ、休ませてください~……」

 

 探照灯と同じく敷波に持たせた魚雷も通常よりも強力な物を用意してもらっていたのだが、海水や着弾確認用のペンキでボロボロになった大井は予想していたよりも損害が酷く流石に苛立っているらしい。

 

「ちょっと良いかな」

 

 どうにかへたり込んだ3人を立たせようと苦戦していたミナトに話しかけてきたのは時雨だった。

 

「あなたには失望したよ」

 

「急ですね、何か気に入らない事でも?」

 

「当たり前じゃないか! 勝つためだからって味方ごと魚雷に巻き込むなんて酷すぎるよっ!」

 

 叫ぶようにして否定の言葉を伝えてきた時雨に驚いたのか、全員が黙り込む。

 

「逆に聞きたいんだが、時雨はどうして敷波に止めを刺さなかった?」

 

「えっ? それはこれが演習で命の取り合いじゃないから……だけど」

 

「そうだな、これは演習だ。 弾も魚雷も演習用のもので、最悪の事態に備えて救助の準備も整っている。 逆に考えればどれほど本気で相手に向かっていっても誰も死なないって事だよな」

 

 ミナトの言いたいことは単純だった。必死で戦っていた江田島組に比べ、時雨たちは本気になれていなかった。

 

「ここまで追い込まれるのは上官の無能が原因かもしれない、私たちはそうならないために努力を続ける。 だけど、格上の敵が鎮守府に攻めてきて今回の作戦以外手段が無いって時に時雨は指を咥えて全員が殺されるのを見守るのか?」

 

「そんなあるかも分からない状況を考えろって……」

 

「それを考えるのも演習を行う理由だろ……、って! おい、球磨っ!」

 

「んっふっふー……。 そうクマ、結局は球磨たちがしてやられたってだけクマ」

 

 小さな少女の身体の何処にこのような力が在るのかと思えるほどだったが、球磨はミナトを担ぎ上げると海の方へと歩いていく。

 

「これは可愛い妹を危険な目を合わせた分クマッ!!」

 

 ミナトの身体は美しい円弧を描くように球磨と共に海へと落ちて行く。

 

「夕立も混ざるっぽーい!!」

 

「ぼ、僕は遠慮しておくかな……」

 

 あれほどの演習をした後だというのに未だに体力が有り余っている呉組に唖然としながらも笑っていた敷波たちだったが、夜風に冷やされて可愛らしいクシャミが聞こえ始めてお開きとなった───。

 

 

 

 

「どうだったクマ」

 

「ん? もう入渠は終わったのか?」

 

「別にあれくらいどうって事無いクマ、ペンキも海で遊んでいるうちに取れていたクマ」

 

 演習の後片付けをぼんやりと眺めているミナトに声をかけたのは球磨だった。肩には白いタオルかけられており、髪もどこか湿っているので一応は入渠を済ませてきたのだろう。

 

「みんな強くなったな」

 

「嫌味かクマ?」

 

「まさか、本気でそう思っているよ。 実力もそうだし、最後に時雨が俺に噛み付いてきただろ? それが嬉しくてさ」

 

 軍人として、兵士としての成長も素直に喜んでいたミナトだったが、本当に嬉しかったのは非道な作戦に異論を唱えてくれた時雨の姿だった。

 

「鹿屋基地の艦娘はやればできるけど文句が多いって良く言われるクマ」

 

「良い事じゃないか、お前たちは兵器じゃない。 自分たちで考える事ができるって証拠だよ」

 

「そのせいでいつも大淀や金剛たちが苦労しているクマ」

 

 球磨の口ぶりからミナトが居なくなった基地では2人が主となって面倒を見てくれているというのが分かった。

 

「まだ戻ってこないのかクマ?」

 

「そうだな、その前にそこで隠れてるやつに用事を聞いておこうか」

 

 ミナトが大きくため息をつくと建物の影から申し訳無さそうに北上が顔を覗かせる。

 

「あちゃー、バレちゃってた?」

 

「……なんだか親近感を感じるクマ」

 

「分かるのか?」

 

 湿って元気の無かった球磨のアンテナがゆらゆらと揺れている。2人に面識は無かったようだが、何か感じる物があるらしい。

 

「北上……、かクマ?」

 

「な、なんで分かったのさ?」

 

「勘クマ」

 

 その答えがツボに入ったのか呆れたように笑い出した北上を見て湊も頬を緩ませる。

 

「何でこんな所に北上が居るクマ? 確か呉に配属されたって聞いていたクマ」

 

「ん~、艦娘になるのやめよっかなって」

 

「球磨としては妹がこんな事を言っているがどうする?」

 

 湊の問いかけに球磨は数秒黙り込んでしまったが、答えは単純だった。

 

「別に北上がそうしたいならそれで良いクマ」

 

「良いんだ」

 

「そうみたいだな」

 

 姉妹艦である球磨がここまではっきりと言い切ったのは北上にとって意外だった。

 

「むしろやりたくないならやらない方が良いクマ。 そうじゃないと無駄に駆逐艦の子達が沈むだけクマ」

 

「やっぱりそうだよねぇ……」

 

「だけど覚えておくクマ。 北上が艦娘を辞めるって事はこれから救えるはずだった命を捨てているのと同じクマ」

 

 球磨は真っ直ぐ北上に向きなおすとゆっくりと言葉を続ける。

 

「今日の演習、悔しいけどクマは大井たちに負けたクマ。 きっとこれが深海棲艦相手ならクマも時雨も夕立も今頃ここには居ないクマ」

 

「そ、そんな事もあるんじゃないかな……」

 

「だけど、クマのチームに北上が居たらきっと勝ってたクマ。 いつか大井たちも沈む日があるかもしれないクマ。 だけど、そこに北上が居たらそうならないかも知れないクマ」

 

 多くの仲間を犠牲にして生き残ってしまった北上という艦。自分が艦娘になればきっとまた仲間を犠牲にしてしまうのでは無いか。それが北上が艦娘になりたくないという理由だったが、球磨の回答は全くの逆だった。

 

「……ちょっと話しすぎたクマ。 こういうの真面目なのはクマじゃなくお前の仕事だクマ」

 

「せっかく関心していたんだけどな」

 

 球磨は自分の柄じゃないと思ったのか隣に立っていた湊の胸を軽く叩くと頭を掻きながら歩いていってしまった。

 

「これは知り合いの話なんだけどさ」

 

 湊は近くの柵に腰掛けると、完全に黙ってしまった北上を隣に座らせるとゆっくりと口を開いた。

 

「これは聞いた話なんだが、部隊の仲間が死んで自暴自棄になった男が居たんだけど───。

 

 

 

 

 

 

 

「それではお世話になりました」

 

「こちらこそ、新しい配属先でも頑張ってくださいね♪」

 

「なぁ、大井ってまだ根に持ってたりするのかな?」

 

「しっ、知らないわよ! アタシじゃなく綾波に聞いてよ!」

 

 輸送船に乗り込む前に挨拶を済ませようと思っていた湊だったが、大井の笑顔が若干引きつっている事に関して敷波に問いかけた。

 

「大井っち~、そんなにピリピリしなくてもさぁ~……」

 

「北上さんも北上さんです!! 私にくらい教えてくれても良かったのに!」

 

 結論から言ってしまえば、北上は一度呉に戻り再び艦娘としての道を歩むことにした。世話になった大井には事情を伝えようと思ったのだが、湊の話が終わった時には大井は眠っており伝えたのは早朝になってしまった。

 

「また来るからさ、待ってて欲しいんだけどダメかな?」

 

「待ってます……! 次は沢山話したいことがあるんです!」

 

 大井は北上の手を掴んでブンブンと上下に振っていたが、北上の方は嬉しいのか面倒なのか少し複雑そうな表情を浮べて頷いていた。

 

「お前たちも訓練頑張れよ」

 

「はいっ! 次は正々堂々勝てるように頑張りますねっ!」

 

 柔らかくも元気良く返事を返してくれたのは綾波だった。艦娘として経験に差のある夕立と一対一を行い、夜戦に入ってからは時間切れまで二対一で奮戦した彼女の成長は湊にとっても楽しみだった。

 

「べっ、別にアタシもそれなりには頑張るけどねっ! ふん!」

 

 相変わらず素直じゃないなと思いながら湊は敷波の頭を撫でる。誰がなんと言おうが演習で勝てたのは彼女が最後まで諦めなかったのが大きな要因だった。

 

「訓練が終わったらうちの鎮守府に引っ張るつもりだから今まで以上に気合入れて頑張れよ」

 

「へっ? いいのかよ、アタシなんか褒めてもさ。 なんも出ないよ?」

 

 予想外の回答に慌てていた敷波を見て球磨や時雨を含めた全員が笑ってしまった。

 

「さて、そろそろ出発するかな。 遅れるとまた山城に愚痴を言われてしまうからね」

 

「ところで、あなたは何処の提督さんになるっぽい?」

 

「ん? 鹿屋基地だけど? それに、元々私の所属は鹿屋基地だからね」

 

 湊の言葉が理解できなかったのか、頭上に?マークが見えそうな夕立を他所に時雨が目を見開いて鯉のように口をパクパクとさせていた───。



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