夢物語 (なんばノア)
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あくむメモリー
001


儚悪夢(はかなきあくむ)を一言で端的に語るとなると、それは僕にとって、少しだけ否定的な思いを綴らせて欲しい所が正直な思いだ。いや、だがそれはしかし、逆に言ってしまえば、僕にとって彼女が、非常に、異常なまでに――どれほど口で思いを綴っても尽くしきれない程の苦手意識を抱いている事実を、公にしてしまう事になる。僕としてはそれ自体、さほどやぶさかではないのだが、彼女にとってそれは非常にマズイ事態であるため、ここは素直語る事なくに口を紡ぐほかないわけだが――そうしてしまうとなると、この物語は語りだしものの数行で終わりを迎えた、人類史上類を見ない、途轍もなく救いようの無い駄作であるのだと、手ずから証明してしまう事になる。僕としてはそっちの方こそ身を挺してでも庇いたい事態であるわけで、故に、必然的に能動的かつ受動的に、この話を語るとしよう。――いや、だがしかし、人にされて嫌な事を自分が人にするというのは、些か以上に気が引ける行為だろう。

今回の話はまさにこれ。嫌なこと。嫌いなこと。人にされて、嫌悪すること。失礼ながら、読者諸兄に質問をさせてもらおうと思う。――あなた達は、人に、されて嫌なコトを人に出来るであろうか? 言ってしまえばこんなものは、小学生が道徳の時間に学ぶような、なんてことない倫理的問題の議題ではあるのだが――今回、諸君らにはこの議題を、真面目に考えてもらいたい。

人にされて嫌なコト。とは、一概にそれをそうと断言することは出来ない。確かにそうだ。人間には様々な趣味趣向が存在し、人間とはそれらを違えるから独自性を生み出す知性体なのだ。故に、人にされて嫌なこと、というのは、それぞれがその内容を異なるという。――例えばどうだろう。僕は意味の無い暴力をあまり好まないが、マゾ的趣向をお持ちの人間からすれば、それは嫌悪すべきコトでは無いのだから。

言ってしまえばこういうコトなのだ。嫌なこと、嫌いなこと、嫌悪するべき事柄とは、個々によってその概念を異なる。――だから、その現象そのもの自体を一括りに考えることは、あまり賢い行為とは言えないのだった。そもそも、人にされて嫌なコト――なんてものは、本当に、絶対にそうというわけでもない。それは別に、他人が自分にするから嫌なわけではなく、自然的に発生したその現象にでも、そこにも嫌悪は発生するものだろう。

だから、まぁ端的に簡素的に、もうこの議題すら馬鹿馬鹿しく思えてしまうくらいド直球に言ってしまえば、そんな、嫌なことなんてものは、そこに他人が介入するまでもなく、それそのものが嫌悪の対象だという事だ。なんの不思議もない。なんの疑問もない。そこに、なんの躊躇いもないだろう。嫌なことは嫌。嫌いなものは嫌い。嫌悪は嫌悪。全てが等しく、そして、全てを違える。――だからって、僕が儚悪夢のことを苦手と思っているからって、他のみんながみんな、悪夢ちゃんのコトを嫌っているなんてことは、決してないんだぜ? ――そう言ってみたいものではあるが、如何せん、彼女は多分、誰からにでも苦手意識を覚えられてしまうんだろう。

多分あれは、そう、夏休みが終わって、臥煙さんやエピソード、そして初代怪異殺し、俺と神原や忍が巻き込まれ、羽川があんなことになってしまった後、八月の終わりから九月の始まりにかけての話だった気がする。僕と儚悪夢との間にあった、そして、彼女と彼女との間にあった、またまた、僕と不知(しらず)さんとの間にあった、とても数奇で奇妙で怪異的な(、、、、)話を、読者諸兄にお聞かせしよう。

 



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