ドクター・フー~夢を知らない少女の夢~ (シリンジ)
しおりを挟む

第一章 サンプルの夜
プロローグ


 私の名前はアニエス。7歳の頃、ひょんなことから不思議な知り合いが出来た。彼の名前はドクター、遠い惑星から来た異星人で、ターディスというタイムマシンで時空を旅している...らしい。もちろん私は半信半疑だった。人間と変わらないその見た目は異星人っぽくないし、彼がターディスと呼ぶ、ポリスボックスと表記された青い箱も、とてもタイムマシンには見えなかった。

 3年後、つまり私の命が少し終わりに近づいた頃、その知り合いが再び私の前に現れた。

 そして、私は彼の言っていたことが全て本当だと確信することになったーー。

 

 

 この惑星の月は、年に一度だけ満月になる。

 それはつまり月と惑星の公転周期が同期していて、新月も年に一度、左向きの半月も右向きの半月も年に一度なのだけれど、毎年7番目の月の7日目、満月のその日はとりわけ重要視されて、ダブルセブンスと呼ばれていた。

 そんな惑星アナスタシヤの満月の日に、どういうわけだか私は満月の真上に立っていた。宇宙服も無しに。

 目の前にはポリスボックスと表記された青い箱。そして、その隣には光源を背後に佇む、薄茶色のコートに蝶ネクタイという出で立ちの、異星人の男。

「さあアニエス、どこから話そうか?」

 目の前の異星人、ドクターが、したり顔で私に尋ねた。

 きっと私の「月に行ってみたい」という出来っこない筈の願いをいとも簡単に叶えたことで、私が驚いている顔を見て楽しんでいるのだ。

 私は肩まで伸びたウェーブするブロンドの髪の間から、自分よりも遥かに背の高いドクターを見上げて「全部よ。最初から最後まで。あなたとローリーが何者で、3年前のムーンカーニバルでいったい何が起きていたのか。そういう約束でしょ?」と尋ねる。

 ドクターは含み笑いを作って「そうだね」と悲しげに頷くと、青い箱、ターディスの影に静かに腰を下ろした。私もターディスに寄りかかるようにして隣に座る。目線の先、月の地平線の彼方からは私の故郷、惑星アナスタシヤが覗いていた。

 そうしてしばらく二人で無言の時を過ごした後、ドクターは静かに話し始めた。

 

 

 

 

 

....................................................................................................................................................



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

ローリー編 パート1

 けたたましい音が寝室に鳴り響いている。ジリリリリリリリというその音は、先程から止む気配がない。

 ローリー・ウィリアムズは、体に絡まったブランケットの中から顔を出し、まぶたを閉じたまま重たい手を伸ばしてアラームを手探りで停止させてから、再びシーツに頭をうずめた。

 ーーまたもけたたましい音が鳴っている。再びアラームに手を伸ばしかけて、ローリーははたと手を止め、霞のかかった頭で考えた。おかしいぞ。今日は日曜日だし、仕事は休みだ。つまり、アラームはかけてない。それに、アラームはあんな音じゃない。

 徐々にまどろみの中から浮上し始めたローリーの意識は、それがインターホンの音であることを認識した。来客だ。

 上半身を起こし、長いため息を吐きながらデジタル時計を見ると、時刻は5時2分。カーテンの隙間から見える空はまだ紺色だ。新聞配達の少年が尿意を催したのでもなければ、こんな時間に訪ねてくる人物は一人しかいない。

 インターホンの主はジリリリン、ジリリリン、ジリリリンとリズムをつけて三度鳴らし始めた。聞き覚えのあるクラシックのような気もするが、覚醒しかけの頭では思い出せない。ローリーはけだるげにベッドから降りて玄関へと向かった。その間もインターホンはジーリーリーと音程を変えて鳴り続けている。

 もちろん、1音しか出ないインターホンでそんなことを出来るわけがない。ソニックスクリュードライバーを使って設定をいじっているのだ。

 玄関に着いたローリーがドアスコープを覗くと、そこに立っていたのは案の定、ドクターだった。魚眼レンズに左目を突き出している。

 チェーンをはずし、内鍵を捻って解錠して、ガチャリとドアを開ける。

 くすんだ茶色のスーツに赤い蝶ネクタイという、いつもの出で立ちで「やあ」と異星人の友人が微笑んだ。

「おはよう」

 ローリーは休日の早朝に起こされた不満を込めて皮肉っぽく応じた。朝の風が体に冷たい。

「ああ。すごい寝癖だな」

 ローリーの皮肉など歯牙にもかけない(あるいは気づいていないのか)様子のドクターが、寝癖が暴れ放題のローリーの髪の毛をわしゃわしゃと撫で回し、より一層乱雑にする。

「こんな時間にどうしたの?」や「数時間後に出直してもらえる?」と言った質問が無意味なことは、10年にも上る友人関係で学んでいた。何しろ相手はただの異星人ではなく、時間の支配者<タイムロード>なのだ。

「...起きたばかりなんだ。ひとまず上がる?」

 あくびを噛み殺しながらローリーが尋ねると、ドクターは、はだけたローリーの紺色のガウンを正しながら「そうしよう」と笑った。

 ○

 ローリーがキッチンのコーヒーメーカーで朝のコーヒーを抽出しているあいだ中、ドクターは部屋という部屋のドアをせわしなく開けては、中を覗き回っていた。外見は人間と何ら変わらないのに、傍若無人で奔放な振るまいには確かな宇宙人らしさがある。1200歳にはとても見えないが。

「...終わった?」

 見かねたローリーが、出来上がったコーヒーを啜りながら尋ねる。

「エイミーは...」「エイミーならいない」と遮って、リビングで尚も机の下やソファの背後を覗き混んでいるドクターに言う。

 ドクターは苦虫を踏み潰したような顔になって額に掌を当て「もしかして、離婚騒動中の時期に

来ちゃった?」と尋ねた。

「違う。エイミーは友達と旅行中なんだ。リヨンにカーニバルを見に行った」

 ローリーが冷静に訂正する。

「リヨンだって?これから誘うつもりだったタルカルの方が1000倍は綺麗な夜景があるのに」

「残念だったね。またの機会にでも...」といいかけたローリーの言葉をドクターが遮る。

「君は?一緒にいかなかったのか」

「あー…僕は遠慮した」

 エイミーを含めた女友達3人組の会話に全く入れず、機を逃したことは言わない。

「奥手なローリー・ウィリアムズ。そんなんじゃ気になる女の子には一生振り向いて貰えないぞ。そもそも...」

「あー、ドクター?」

「うん?」

「僕はもう既婚者だ」

「そうか。そうだった。…不思議だ。それで、なんの話だったっけ」

 ドクターがあごを掻く。

「エイミーがいないから1000倍きれいな夜景はまた今度って話」

「ああ、それだ。思い出したぞ。そうか。エイミーがいなくてミスターポンドは日曜日に家に一人。これからシリアルでも食べながら退屈な休日を過ごすつもりだったんだろ?」

「つまり...何が言いたい?」ローリーは少しムッとして尋ねる。

「......僕と来る?一緒に」

 ○

「さあ、どこへ行こう!?バラファロアに僕が作った隠れ家にでも行こうか?男の子はだいたい好きだろ?隠れ家」

 ターディスの制御盤へ続く階段を一足飛びに駆け上がったドクターが言う。

「僕はそんなに好きじゃない」とローリーが答える。行く途中で着替えろと言うドクターの助言に従い、ガウン姿のままだった。

 ターディスはタイムマシンだ。見かけは電話ボックスほどの大きさなのに、中はローリーにも把握しきれないほど広い。今まで妻のエイミーと共にドクターにつき従って、中世のヴェニスから地球の地下帝国、はたまた宇宙の外側の生きた惑星にまで足を伸ばしてスリル満点の冒険をしてきた。けれど、ドクターと二人だけでどこかへ行くという機会は滅多になかった。

「そうか。僕らだけで夜景をみたってつまらないしな。それじゃ......エイミーたちはどこのカーニバルに行ったって?リオ?」

「リヨンだ」

「リオでもリヨンでもどっちでもいい。うん、それじゃ1000倍きれいな夜景じゃなくて、1000倍壮大なカーニバルを見に行こう!エイミーがうらやましがるぞ。どうだ?」

「ああ。それじゃあそこでいい」とローリーが口にする前に、ドクターは既にターディスのレバーを下ろしていた。

 ○

「着いた!アナスタシヤのムーンカーニバル。宇宙中から色んな種族が集まって7日間続く、宇宙最大のカーニバルだ!それも最終日!」ドクターが胸の高鳴りを隠しきれない様子で腕を大きく広げ「ローリー‼?」とターディス中に響き渡る程の大声で叫んだ。

「着替えたよ」ボーダー柄のシャツにグレーのジャケットという出で立ちで、衣装室から戻って来たローリーが言う。

「よし、いいぞ。それじゃ行こう。驚くなよ」頬をゆるめたドクターがターディスのドアに手をかける。

 ターディスのドアが開くと、わっという騒音と熱気が飛び込んできた。

 ドクターに従ってターディスから出たローリーが目にしたのは、すさまじい光景だった。

  ウード、人間、ドロイド、魚頭のヒューマノイド、ザイゴン、見たことのない種族も含めた大勢の人々が、とてつもなく幅広い大通りに溢れかえっている。そして、その中心を、着飾った青い肌のヒューマノイドが躍りながらゆっくり進んでいき、その全てが見慣れない杏色の太陽に照らされ、煌めいている。

今までにみたことがないほどカラフルで壮大な光景に、ローリーは唖然として口を開けた。

「凄いだろ?でも、ゆっくり観察してる暇はないぞ」ドクターがローリーの様子を見てニヤリとする。

「どういうこと?」とローリーが訪ねる前に、その理由が判明した。観客の列に入っていた二人が人波に流され始めたのだ。逆らえないほどの圧力に負け、ローリーは流れに身を任せつつドクターに着いていく。

 ターディスは大通りの端の家の間、裏路地を塞ぐようにして停めてあるのが見えた。

「はは、凄い人だろ?僕も来るのは初めてなんだ。ほら、あれを見ろよ!」ドクターが数歩手前の人波の中で、はるか前方を指差す。

そこには、銀色に輝く巨大な一本の塔が立っていた。塔の真上の空には白く輝く真昼の満月が見える。

「あれが彼の有名な月の塔だ!中に入れるのは選ばれた人らしくて...」ドクターが前方の塔を見上げながら声高に説明を始めるが、人の流れのまばらさ故か、ドクターとローリーの距離は少しずつ離れていく。

「選ば...の...パン...」尚も説明を続けるドクターの声は次第に遠くなり、あっという間にローリーの手の届かないところまで流されていった。

「ドクター。ドクター!」とローリーが呼び掛けるが、覇気のないその声は周囲の喧騒にかき消され、ドクターはとうとう人ごみの中に消えた。

 ○

 卸したてのジャケットがくたくたに成る程の時間を人混みに揉まれながら格闘し、なんとかその流れを抜けたローリーは、大通りの脇に立ち並ぶ家屋の影の路地裏で考え込んでいた。ここにいれば気づいたドクターが見つけてくれるだろうか。それとも、ターディスに戻ろうか。けれど、ターディスを停めていた裏路地がどこにあるのか検討もつかない。

 ふいに、起きてからコーヒーしか口にしていないことを思い出して、ローリーは空腹を感じた。軽い絶望を覚えて家屋に寄りかかったままへたりこみ、静かに目を閉じる。

 

「こんなところで何してるの?」

 どれ程の時間が経っただろうか。喧騒を子守唄にいつの間にか居眠りしてしまっていたローリーの意識を、頭上の誰かの声が呼び起こした。ローリーが顔をあげると、そこにはブラウンの髪を肩まで伸ばした女性が立っていた。飾り気のない民族衣装のような服装に、腰には大きな麻袋という出で立ちで、腰に手を当ててローリーを見下ろしている。

「あー...友達とはぐれちゃったんだ」たどたどしいもの言いでローリーが答える。

「あら、それは災難ね。あなた、このパレードは初めて?」

 言葉とは裏腹に、同情した様子もなく女性が尋ねる。

「ああ」

「でしょうね。知ってれば案内テントに来るはずだし。何にせよ、私に見つかってラッキーね」

「...?」いまいち状況の飲み込めないローリーは、戸惑いながらおずおずと立ち上がった。

「よければ、私があなたの友達を見つけるのを手伝ってあげる。それが仕事なの。まあ、普通は保護者とはぐれた子供が対象なんだけど」と女性は少し呆れたように言って腕を組む。

「えっと...君の仕事って?」

「ムーンカーニバル実行委員会、パン配給係兼、迷子の案内係」再び女性は腰に手を当てて答えた。

「それじゃ、お願い出来るかな?」ローリーは申し訳なさそうに聞く。

「もちろん。あなた、名前は?」

「僕はローリー。ローリー・ウィリアムズだ」

「よろしく。私はクララ。クララ・オズワルド」



目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。