私は今日も生きていく (のばら)
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恥のない人生を送ったカルナ

fgoガチャがあまりにも爆死しまくるので書きました。


恥の多い人生だった。

たとえば、席の埋まったバスにお年寄りが乗ってきた時、たとえば、道端に大きなゴミが落ちていた時、たとえば、病院で子供が走り回っている時。気付きもした、思いもした。たが実行できなかった。とろい私は考え込んで気付けば誰かのための行いの機会を逃し、後悔しつつも心の何処かで安堵していた。勇気もなく、咄嗟の判断でも考え込む、周りの感情を気にしていた私。

 

そんな私が唐突に終わった。軟い四肢を丸め、誰かの脈動を感じながら水の中を揺蕩う。心地よくて安心した。それでも涙がでたのは、前の私を取り巻くすべてへの別れが悲しかったからだ。私はただ、さようならと呟くしかなかった。

 

私を形造った柔らかな房内から世界へと誕生しても、私は暖かな何かに包まれていた。護られていると感じた。だからだろうか、このみじろぎも難しい幼き身を大河へと委ねられても恐怖はなかった。ただ、その日向のような暖かさに微睡んでいた。

 

 

 

幼き日に大河から拾われ、養父と養母の貧しくも温かで清らかな(カルナにとって良き人たらんと生きる人だった)庇護のなかで育った。2人と違い蒼白な肌と成長に合わせ大きくなる鎧を纏う私を、2人なりに愛してくれた。私はひどく恵まれている。

 

私が此の世界に生まれいづる前とは国も時代も立場も違う、それでも同じ心を持ち日々を生きる人々は、うつくしかった。感情も、感性も、生き方も、醜さも清らかさも、人それぞれ違い、それでも共に生きている人々はほんとうに、うつくしかった。

今も前も同じ自我の私だけども、■■■■としての私は、終わってしまった。ならばカルナとしての私は、今度こそ、恥じなく生きよう。人々の美しさを感じながら、私はただそれだけを思う。

 

 

 

月日が経ち成長するにつれ、私は私に対し疑問を抱いた。

脂肪のない痩躯過ぎる体に反するすぎたる力強さと頑丈さ、道具を用いず操れる炎、そして産声をあげた時から共に在る黄金の鎧。日常における周囲の事と比べれば些事なことなれど、それでも疑問に思っていた。

 

ある日のこと、珍しい程の豪雨の後、あまりにも澄み渡った青空が現れた。

その空に目を奪われ、雨上がりの涼やかな風がそよぐので、私はたまらずすぐそばの木に飛び乗りその幹に背を預け微睡んだ(木の上というのは魔獣からも人からも見つかりにくく昼寝をするのに向いていた)。思った通り心地良い眠りに落ちていってしばらく、私の視界は光に満たされた。誰かがそこにいた。どこまでも眩しく、温かい光は私に囁いた。

 

<私の子よ、半分が人の我が子よ。私は太陽神、スーリヤである>

 

そのまま光は、私の半分を形造る父は、私とこの鎧について話した。言葉という音を紡ぐのに合わせ降り注ぐ燐光が心地良かった。

話を聞くに私は多くのものを戴いて生まれてきたようだ。私がこの世界に生まれることができたのも、私を温かく覆うこの鎧も、父の威光であった。

 

<嗚呼、我が子よ、語らいたいことも語れず、伝えるべきことしか伝えることのできない刻のみが、今世において私とお前に許されている時である。お前がその肉体から魂が解放されたならば、私をお前を招こう。私に触れられる我が子よ。その生の終わりの後に、また会おう>

 

光は過ぎ去り暗闇が戻る。瞼を震わせ持ち上げた先に見た空には、ただ太陽だけが燦然と輝いていた。

 

 

 

誰でも参加できる武芸の競技会が行われると聞き、それに参加することにした。前の世で読んだ様々な神話において、神は武芸を好む。空にてその威光を輝かせている父も好むと思い、私はその娘として有する武芸を見せてあげたかった。

 

会場に躍り出て、矢を射る。自身の持ちうる弓術を披露する。どよめきも、喝采も、悪意の視線も、感嘆の視線も感じたが、私はただ己の武芸を証明するのみ。

 

誰かが言った。

 

「あのパーンダヴァのアルジュナに引けを取らない者は誰だ?」

「いいや、あの者の方が弓の腕は上ではないか?」

「なにを言う!王子の方が勝っておろう!」

 

「ならば、競い合わせればよいのでは?」

 

騒然とした観客達は、いつのまにか私とアルジュナという者の対決を望んで声を張り上げている。それに応えるためか、主催側の人間が的の準備をしているのが見えた。

アルジュナ、その名だけならば聞いたことがあった。五人兄弟の王子の三男、この競技会で一番弓の上手かった男がそのアルジュナなのだろう。

 

「この場にてアルジュナ王子に一騎討ちが挑まれた!」

 

見知らぬ男が告げた。私を見る瞳は悪意に濡れており、ようやく私はこの競技会はその王子達のためにのみ開催されたのだろうと気付いた。この男は明確な優劣を付けさせたがっている。

 

鍛えられた体を持つ別の男が私に問いかける。

 

「汝は何者であるか。アルジュナ王子に挑もうとする者よ、身分を明かすがいい」

 

私の住まうこの国、この時代には階級制度、カーストが存在する。私にはあまり馴染みなく周りほど理解はしていないが、私とて、王族に挑戦するにはクシャトリヤ以上の階級である必要があることを知っていた。おそらく、 御者の娘ではそれを満たさぬだろう。

 

「なぜ答えぬ。よもや答えられぬ階級ではなかろうな」

「汝は答えられぬ身分にも関わらず王子に挑戦を申しでたのか!」

「なんという身の程知らずの無礼者!」

 

悪意、怒り、安堵、興味、それらの視線が私に向けられる中、一人の男が前に出て来た。

 

「ならば俺が場を整えてやろう。このドゥリーヨダナがその男をアンガ国の王とする!」

 

そう大声をあげた男は、真っ直ぐと私を見ていた。私は女だがと訂正しようと口を開きかけ、合った視線におもわず口を閉じた。褐色の肌にうねりのある黒髪。何かの煌めきを宿す瞳を見ていると、なぜだろうか、心の奥底で何かがコトリと、動いた気がした。

 

「さぁ、これでなんの問題もなくなった!」

 

男が闊達な笑みを浮かべパーンダヴァ兄弟達の方を向いたのを機に私もあの弓の男を見る。じっとこちらを見ている男の瞳は闘志に燃えている。そのことに闘争心が掻き立てられるのを感じた。

 

 

 

結局の所、私とアルジュナの一騎打ちは執り行われなかった。

観客の中から養父が私の前に現れた。養父は少しの欲と、 憂虞(ゆうぐ )、そして私の親愛の喪失の恐れをその瞳に宿していた。私は養父を安心させるために彼を父と呼んだ。今まで私を愛をもって育ててくれた養父達に対する愛を、私がなくすはずがない。

私の言葉を聞き私が御者の子であると知れると再び罵倒が始まった。先程と違い聞こえて来た養父への侮辱は許しようもなく、口を開こうとしたがその前にあの男が、ドゥリーヨダナが大声を上げた。

 

「おかしなことを言う。王族であることの証明に最も必要なものは力だろう。王族であるお前がそんなことも分かっていないとはなぁ!」

 

罵倒してきた男達を逆に嘲笑ったのだ。よくそうも鮮やかな返答が即座に思い浮かぶものだと、口下手な身としてはおもわず感心してしまった。

 

 

 

招かれたドゥリーヨダナの館で、私は返礼に何を望むか尋ねた。運び込まれる料理も彼が身に纏う高価な布も装飾も私は持っていないが、望まれれば私は何であろうと探しに行き、この男の元に持ち帰るつもりだ。恩には、報いなければならない。

 

「俺はお前との永遠の友情を望む」

 

そう言って差し出された手はお世辞にも綺麗とは言えない、しかし戦士として努力を重ねて来た手であった。

 

「お前がそう望むのならば。この鼓動が動き続け、そしていつの日か途絶えようとも、私はお前の友であり続けよう」

 

養父母以外で初めて触れた人の手は、傷だらけ、温かかった。

 

 

 

「ところで、私は男ではなく女なのだが」

 

吹き出されたスープは、いったいここでは誰が拭くのだろうか。

 

 



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恥のない人生を送ったカルナ2

続き。
宿敵と書いて読む彼はほとんど出ません(震え声)。後で視点主として書ければいいな。


「何故だ!」

 

ユディシュティラの即位式から帰った夜、ドゥリーヨダナは眦を決してそう叫んだ。ドゥリーヨダナによって装飾品が毟り取るようにして投げ捨てられるのを、床に触れる前に受け取っていく。

 

「カーンダヴァプラスタは不毛の地だったのだぞ!」

「今はインドラプラスタという名だ」

「そんなことはわかっている!わざとだ!」

「そうか」

 

ドカリと音を立てて座り込んだドゥリーヨダナの指先や肩は少し震えている。その震えは怒りからきているのか、それとも……どちらにしろ体に影響が出る程ドゥリーヨダナの感情は昂っていた。

 

「ユディシュティラのことだ、あの豪華さはまだ分かる」

「そうだな。あれはそう望まれ誕生した存在だ。私はドゥリーヨダナの方が好ましいが、お前より治世は上手( うわて)なのだろう」

「今はな!いずれは俺の方が上をいく。だが、商いでも執政でもなく、植物だぞ!なんだあの緑と恵みの豊かさは!ユディシュティラに与えられてからの年月だけであの不毛の地があそこまで変化するのは不自然すぎる!」

「ならば自然ではないのだろう」

「また、天上のモノ達か!また手を出して来たのか!!」

 

そう吠えて、ただ沈黙が広がる。心の中で罵倒しているだろうドゥリーヨダナが落ち着くのを待ち、その顔を見ていた。閉じられた瞼は感情により痙攣し、そして。

 

「どこまで、どこまで俺を、俺達人間を虚仮にするつもりだ……」

 

世界は涙でできている。

 

『嗚呼』と咽び泣く小心で臆病な(けれど燦然(さんぜん)と煌めく力強い純白な)ドゥリーヨダナを見てフッと、私は初めてそう思った。夜の(かいな)に陽光を届ける月さえいない闇の中、最初で最後に見たお前の涙はほんとうに、なによりも美しかった。

 

 

 

「私は貴方の母です。貴方はパーンダヴァの長兄であり、息子達とは血の繋がった兄弟なのです」

 

ある夜、クリシュナを伴って訪れて来た女は私にそう言った。若々しい彼女はクンティーと名乗った。

 

「どうか兄弟で争うのはやめ、共に栄光を手にしましょう」

 

僅かに震える声とぎこちない微笑みを見ながら私はあの柔らかな房の中を思い出していた。私を造り産み出してくれた母。けれど私は彼女に言わなければならない。

 

「私を産み落したクンティーよ、産みの母よ。私はパーンダヴァの味方につくことはない」

「あぁ、どうして……」

「ドゥリーヨダナに味方していても待っているのは破滅だけだよ」

「嗚呼、私は敗北し死にゆく運命なのだろう。そんなことはとうに知っている。だがそれがなんだと言うのだ。たとえそうだとしても、それでも勝利すべく戦い抜くのが戦士であり、そして私の意志だ」

「カルナ、どうか考えなおして。実の弟達との争いなど無益です。本来あるべき姿として帰還し生きるべきです」

 

必死に私に訴えるその顔は、なるほど。たしかに子を護らんとする母の顔である。

 

「ドゥリーヨダナには大恩がある。好ましく思っている。私は彼を裏切ろうとは思わない。だが、貴女が言う実の兄弟同士の争いの無益さもまた道理なのだろう」

「なら!」

「故に私は貴女に問おう。貴女は、母を名乗る貴女が、自らに何の負い目もないというのなら、私も恥じ入る事なく過去を受け入れよう」

「……」

 

答えられず項垂れたクンティーは、母親としては瑕疵があったが、それでも恥は知っていた。

押し黙った産みの母を見ながら考えた。私はあの柔らかで優しく、産まれるようになるまで私を護っていた肉の揺り籠を覚えている。母親としての情に訴えるつもりで来たとはいえ、クリシュナと共にだったとはいえ、未婚の出産による誹謗に怯え恐怖に屈したクンティーが、敵の陣にたった二人で来る恐怖はどれ程のものだっただろう。それでも息子達のために来た、恐怖に震えながらそれでも屈せず私の元に来た。ならば私は子として、その覚悟と勇気に応えなければならないだろう。たとえそれが我欲に満ちていても。

 

私はクンティーに、アルジュナ以外の私に実力が劣る兄弟達には手を出さないと誓った。

 

 

 

それは森で正午の沐浴を行っている時だ。美しい衣を纏う一人のバラモン僧が私の元に来た。

 

「嗚呼、嗚呼、多くを持つカルナよ、強大な力持つカルナよ、どうか私に貴方を覆うその黄金に輝く鎧を施してくだされ」

「この鎧を?」

 

涼やかな声で謳うようにそう乞うてきたバラモン僧に、はっきりいうと驚いた。

使い道など一つしかない応用の利かない武具を乞われたのは初めてのことであったし、一目でこの鎧を直接見ることが出来たのも驚きである。黒き靄に覆われていない私を初見で直接見ることが出来た者は幼き日、心の良心のままに私を拾った養父達以外にいなかった。

 

「名も知らぬ僧よ、バラモンの僧よ。私の鎧は見ての通り私と一体となっている。部分的に私の内に収納はできるが、この鎧を脱ぐことはできない。他の物を乞うてはくれないか」

「いいえ、私はその鎧がよいのです。どうしてもその鎧がよいのです」

「どうしても、この鎧でなければならないのか」

「ええ、その鎧です。その鎧をどうか私にお譲りくだされ」

 

そう乞い続ける僧の瞳を見つめ、フッと気付いた。よく見ると鮮麗な光が細やかに迸る瞳、そして感じる父と似て非なる人でない感覚。

嗚呼と、気付いて私は口を開いた。

 

「わかった。バラモンの僧よ、私はその要求にこたえよう」

 

地に置いていた小剣で体と鎧の境を裂いていく。溢れる血は浸かっていた池を汚していき、ああ、一度池から上がるべきだったか。

この神が人間と偽って私の鎧を求めて来たのは、我が子を心配するが故なのだろう。神としてではなく、子ある父としての行動。ならば私は、この鎧を差し出そう。子のためとあらばなんでもする、それもまた、私がうつくしいと感じる人間の一面なのだ。私は微笑んで鎧を渡した。

産まれて初めて鎧を脱いだ体は冷えていた。

 

 

 

鎧の剥がれた急所を、蒼の雷光が貫く熱を感じながら私は地へと伏せた。

己の中から脈動が消えていき視野が狭まる。死ぬのだろうな、と思った。何も恐れることはない。私はただ父の元へとゆくだけだ。カウラヴァ側の今後やドゥリーヨダナの安否など気に掛かることはあるが、それでも、恥のない人生だった。心清らかに、思うがままに、そして父の真白の光に照らされても恥じる事のない生だった。

 

嗚呼、誰かの啜り泣く音がする。霞んだ耳では誰かまでは分からないが、ここに居ない味方ではなくパーンダヴァ側の者だろう。敵対者の私の死を泣く者もいたのか。

ドゥリーヨダナは、泣いてくれるだろうか。

 

暗転の後に世界が真白に染まる。導かれるままに、招かれるがままにただ魂を揺らし進んでいく。

嗚呼、友の顔が心に浮かぶ。あの小心で傲慢で素直で優しい、どこまでも人間らしいドゥリーヨダナの闊達な笑顔が。「カルナ」と、よく通る声で名を呼び私を見据え笑う男を思い浮かべながら思う。

 

あの日に見た、初めて目を合わせた時に見た、あの瞳の煌めきこそが太陽の光だったのだと。

 

 



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全てを愛しているプロトアーサー

口調は本場プロトアーサーとは違います。


その剣は、私を呼んでいた。早く我が身をその手にと、強く強く、私を呼んでいた。

 

「ほんとうに抜いてしまうのかい?」

 

やわらかな雰囲気を纏う真白の少女が私に問いかけた。

 

「えぇ、私はこの頬を撫ぜる風も貧しい大地も喧騒を奏でる人々も圧し潰されそうなこの国も、全て愛しています。故に私はこの剣を解き放ちましょう」

 

可憐な声の制止はその一度だけであった。

少女から岩に突き刺さる黄金の剣へと目を向け、私はその光り輝く剣へと手を伸ばした。

 

 

 

残存する村を潰すことによる問題の解決を決定した際、その合理的で非道な策に美しい赤毛の騎士が声を上げた。

 

「そのような策を行うなど! 王よ、貴方は、貴方は民を愛していないのですか!」

「いいえ、私はそれでも民を愛しています。どこまでもいつまでも、心の底から、愛しています」

 

それは本心だった。あの日、あの剣を抜いた時から変わらず、私の心からは愛が溢れ出続けている。

 

「……王よ、貴方は人の心がわからない」

「えぇ、それでも、愛していますよ、我が愛しい騎士、嘆きの騎士よ」

 

そうして、トリスタンは城を去って行った。

 

 

 

聖者の祝福を持つ騎士は()の騎士への激情をひた隠しながら静かに私を見つめている。

なぜ、なぜ、と、私の口から下されぬ罰を求めていた。

 

「嗚呼、我が王よ。なぜあの者へ罰を下さぬのですか。貴方がひとたび望まれれば私はあの者を貴方の御前へと連れ出し、貴方が下した罰を何に替えても成し遂げるでしょう。ですが貴方はお求めにならない。なぜですか、我が王よ」

 

「彼は完璧な騎士です。それ故に彼は裏切りを働いた瞬間から罰を受けるのです。人はいつか死を迎えます。我が愛しい騎士、太陽の騎士。貴方はきっと、彼に私の死に際を見せはしないでしょう。そして、裏切ったが故に、彼はその死後まで後悔と苦悩に溺れるでしょう。彼は、完璧な騎士でしかあれなかったから。それは裏切ったが故の罰なのです。ランスロットはそれが罰とは思わないのでしょうけど」

 

嗚呼、我が愛しい騎士、完璧な騎士は我が元を離れランスロットとなった今も罰を望んでいるようだった。

愛し合う2人の仲が告発された時に見せた瞳の僅かな安堵の光に、人は罰が下されない事にも恐怖する事を知った。ならば、下されぬ罰もまた罰となるのだろう。

 

「罪に罰は下します。しかし過ぎる罰は意味なきものです。罰は、意味があるからこそ下されて然るべきものなのです」

 

返ってきたのは肯定も否定もなく、ただ沈黙のみであった。

 

 

 

玉座の間へ駆け込んで来た彼はひどく興奮しているようだった。普段ならば響くことのない鎧の音を搔き鳴らし現れた。

おもむろに外された兜の下には穂色の髪を携えた、どこか見慣れた顔つきの容貌があった。新芽色の瞳を日の光でテラテラと輝かせながら私をいっしんに見つめている。

 

「私は、オレはあなたの息子だ! 父上、貴方のその声でオレを後継と認め、貴方のその手でオレにクラレントを授けてくれ!」

「嗚呼、我が愛しい騎士、兜の騎士。それは出来ません」

「だがオレは貴方の子だ!」

「あなたに王を継がせることはありません」

 

私で終わる国、滅ぶ最後の神秘深き大地。少しでも愛する存在を護るため、幕引きの ベル()を手に取った。それを鳴らす手は私で始まり私で終わる。私はこの国最後の王。

 

「父上!!」

「我が愛しい騎士、兜の騎士。私は、王です」

「……」

 

 

 

私は我が騎士も、国民も、この国も、このブリテンの大地も愛しています。

どれほど害されようと、裏切られようと、その者らに私はきちんと罰を降せども、愛しいと、愛しいと想わずにはいられないのです。あらゆる負を与えられようと、それでも愛しているのです。

 

「父、上ぇ……」

 

事切れたモードレッド、そこかしこに見える我が愛しい騎士達の屍。血と夕日に照らされたカムランの丘は悲壮な有様なれど、やはり美しくどこまでも愛しい。

愛する世界を見つめながら、私は我が愛しい騎士、私の最期に立ち会う騎士を待っていた。

 

 

手を引かれるままに歩いていた。死後の私が行くべき、あるべき場所に向かって歩き続けていた。

その道中に誰かがよぶ声が聞こえた。若々しい、芯の通った声だった。美しい声ではなかった、可憐な声でもなかった。それでもどこか心が惹かれ、愛おしいと、感じた。

だから私は手を離し、足の進む先を変えその声に応えた。

 

「セイバー、召喚に応じ参りました。我が愛しいマスター、これからよろしくお願いしますね」

 

「人違いです!」

 

「?」

 

「先輩!」

 

「ハッ! つい清姫に対するのと同じ対応をしてしまった……。セイバー、こちらこそこれからお世話になります。よろしく!」

 

 




「愛しいマスター」
「ウ、ウワー、清姫タイプガキテシマッタカ?!」ガクブル
※狂化はありません

実は我が愛しい騎士でなくなると名前で呼ぶプロトアーサー。
騎士にだけでなく侍女や使用人などにも枕詞みたいに「我が愛しい○○」とよくつけて呼ぶ。


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劣等感に溺れるアルジュナ

今更感はありますが、生前話ですのでキャラ死亡表現があります。



私は、英雄アルジュナ。

そうあれかしと望まれ生きる者。多くのものを与えられ続ける者。

英雄アルジュナとして応え続ける者。

 

「これくらいアルジュナならできて当然だね」

「ああ、流石ですねアルジュナ」

「アルジュナ、キミなら大丈夫だよ」

 

「アルジュナ」

「アルジュナ」

「アルジュナ」

 

 

「何故そんなにも己を苦しめる。そんなに人からの落胆は恐ろしいか」

 

 

不思議そうにそう言った男の、あの何もかも見透かす透き通った瞳が恐ろしかった。私の矮小さを私の胸底に澱む黒い何かを、今にもなんでもないことかのように口にし衆目に晒してしまうのではないかと。

 

望まれて動く私、望まれずとも動くお前。

そうあるべきと考え進む私、考えず心のままに進むお前。

私は英雄アルジュナ、お前も英雄、カルナ。

どちらも同じく英雄である。だけど、同じならば、なろうとしなくても自然と英雄となったお前は、そんな、ならば、お前と比べ中身に劣る私は、嗚呼、お前のなんと英雄らしいことか!

 

いつもどうすれば倒せるのか考えていた。私をじっと見据える目が、その美しすぎる瞳がどうすればなくなるのか、それを考えていた。

私と遜色ない、ともすれば私以上の武芸を見て全力を出して戦えることに喜びを抱くと同時に、私よりも優れていることに恐怖を抱いた。

 

お前が敵でどれほど安堵したことだろう。お前に背を見られながら戦うなど、耐えられることではない。お前はいつか消えゆく敵だ、カルナ。

 

 

 

「キミってほんとう、とても家族を大切にするよね」

 

クリシュナにそう言われ背筋が凍る。私は何か間違えてしまったのだろうか。大切にする方法が、この時代では異質な物があったのだろうか。

 

「変、だろうか」

「いいや、流石アルジュナだと思っただけさ」

 

満足そうに笑うクリシュナの瞳は明るく、暗い。まただ、と思う。

理解を示しながら不可解そうな、そんな矛盾に満ちた瞳で彼はよく人を見る。

どうしようもない違和感を抱かせるその瞳が少し、恐ろしかった。

 

「ねぇ、アルジュナ。これからも家族を大切にするんだよ」

「ああ、分かっている」

 

この時代のこの国で、戦士でありながら前と変わらず守り続けられるもの等、それくらいだった。それだけは守らなければならなかった。

 

 

 

「来たか、アルジュナ」

 

武器を構えて私の名を呼ぶ。闘志で揺らめかせた瞳で私を見据え、見慣れてしまっていた鎧の消えた傷だらけの身体で私の前に立ち塞がる。鎧がなくとも、包帯だらけのみずぼらしい格好であろうとも、その失われない美しさは何なのか。

味方もなくたった1人でいることも、お前の戦車を操る御者の冷めた瞳も、お前にひどく相応しくないことを、私はもはや分かっていた。

 

お前はどこまでも呪われ、私はどこまでも祝われる。

お前と私でどうしてそこまで違うのか。脳裏に一瞬浮かんだ支柱の矯正には気付かないフリをした。手を加えずともうつくしい木の対面に、支柱だらけの木があることなど明白なのに。

 

 

 

さぁ、今だ、今だ、ヤツを射殺そう。そう耳元で歌うクリシュナの声がする。グルグルと回る視界に、何も考えられないグチャグチャとした頭とは裏腹に体だけはしなやかに動いた。あのすえ恐ろしいほど美しい顔が、カルナの頭がとんだ。首の断面は雷光でチリチリと焦げていて。慣れたはずの肉の焼ける匂いに私は、吐いた。

 

死んだカルナの瞳は、濁ることなく美しいままだった。

 

 

 

今世の母が言う。

 

「カルナは、貴方達と血の繋がった兄だったのです」

 

子を孕んだ母として罪を、己が子らに告げる。戦もとうに終わった昼、遅すぎる告白だった。

 

「あれ、言ってしまうのかい?」

 

母の横で平然とした顔で告げたクリシュナを見て、嫌な考えが浮かんだ。周到深く合理的で目敏い男だ。もしかして、もしかして……。

 

「クリシュナ、お前は知っていたのか……?」

「ああ、そうだけど。それがどうかしたのかい?」

「なぜ、なぜ黙っていたんだ……」

「だって知ったらキミ、闘えなくなっちゃうだろう?」

 

嗚呼、クリシュナ、今やっとわかった。今までの違和感は、クリシュナ、お前は、お前は、人の形をした何かなんだな。

私がたった一つ望むこと、家族を大切にすることだって、しっていたくせに。

ひっしにまもっていたてのひらのなかには、もう、なにもない。

 

 

あの緋色と黄金が脳裏を離れない。

 

 

 

 

 

 

 





戦士の価値観を理解出来なくて周りの望むがままに在った人生。

カルナ「何故そんなにも己を苦しめる。そんなに人からの落胆は恐ろしいか」
→出来ないことは出来ないと言ったり不安に思うのはそんなに怖いか聞いただけ。カルナ的には息苦しくないか善意で尋ねただけ。


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気が遠くなるジークフリート

キャラ崩壊あり。


 

どうしてこうなってしまったのか。

とんと原因がわからず、途方に暮れるしかなかった。

 

 

 

座にて私を喚ぶ声がした。ある記録で共に戦った少女の声だ。

ゆっくりと、やっと私まで辿り着いた縁に触れてその声に応えた。こんな私でも、ドラゴン相手になら少しは役に立つだろう。

 

別の聖杯戦争の記録を持って召喚されることはそうそうないと思っていたが、この人類の存亡を賭けた聖杯戦争ではあまり珍しくないのだろう。特異点と呼ばれる世界と、また別の聖杯戦争、2つの記録を持ってマスターに召喚された。

 

夕焼けの光のような、真っ直ぐで目をさすほど眩しい輝きを宿す瞳で私を見据える少女(マスター)

あまり大きな怪我はないようで、よかった。特異点をたった一人のマスターとして駆け回っていた少女のその後が気にならなかったといえば、嘘になるのだから。

 

「これからよろしくね、ジークフリート」

 

知り合いのようだからと、マスターに案内役として紹介されたのはカルナだった。

 

凛とした佇まいの、別の聖杯戦争で出会った英霊。

生前ではあまり見かけなかった、雪解け間近な冬の朝方のような、雪のツンとした冷たさと眩しい朝日を同時に感じさせる雰囲気をもった男だった。その風貌は異国の美を感じさせた。

武器をぶつけ合うにつれ、怜悧な声に反し戦士として熱い男だと感じた。当時のマスターの命令に反してしまう程には、私も戦士として熱くなる所があった。

 

彼とは生前の在り方に似通った所があり、また戦士として感じる所思う所があり約を交わした。そんな間柄だった筈だ。

 

「ジークフリート」

 

また会えたなと微笑むカルナに息を飲む。

そんなに甘やかな声で呼ばれる理由に覚えがない。

 

甘く蕩けた、しかし燃え上がる炎がある瞳の奥、そこにある何かに冷や汗が止まらない。理解の範疇外、超然としたモノだと直感が訴えている。

 

「フランスでジークフリートに助けられた話をしてからカルナ、ジークフリートが召喚されるのを楽しみにしてたみたいで。カルデアに来たら俺が案内するって待ってたんだよ」

 

朗らかなマスターの声が少し遠く聞こえた。それほど、意識はカルナへ向けられていた。逸らしてはならないと、本能が警告している。

 

よろしく頼む、そう伝えた声は震えてはいなかっただろうか。

 

 

 

カルデアで過ごして数日、カルナは私に寄り添うように傍にいた。

マスターが寝静まっている時間以外、ずっと鎧の煌めきが目を刺した。話し続ける訳でもなく、ただ傍で私を見据え、たまに会話や相手をする。それが逆になんらかの不安を抱かせた。

 

それは唐突だった。

どうか貰ってくれと、カルナからそっと渡された赤い玉の埋まった金の指輪。それからは覚えのある色濃い神秘が感じられる。そう、カルナが纏っている鎧の……。

霊基から取り除いたこれは、どうなるのだろう。もし座へと還っても消えなかったら、この時代にこんな神秘の塊が残ったらどうするつもりなのか。そもそもどういう意図での贈り物なのか。

 

「あ、あぁ、ありがとう。これからマスターと共にレイシフトの予定だから、部屋に置かせてもらう」

 

「できれば、おまえの指をそれで飾っていてほしい」

 

がっしりと掴まれたのが左腕なのには、他意はないのだろう。……ないのだろう。

離れない手が、違う色彩を閉じ込めた双眼が静かに指輪の装着を促している。ステータス上の筋力は私より低い筈だが、掴まれた腕は少しも動かせない。指輪を填めるまで、離されはしないのだろう。

 

仕方なく、右手の防具を解除して指輪の填る指を探した。薬指にピッタリと填まった指輪のサイズに顔が引き攣る。マスターに召喚されてから数日、武具を解除した覚えは、ない。

 

「よく似合っている」

 

カルナが柔らかく微笑む中、どこからか感じるチリチリとした視線が首筋を焦がす。じっと探るような、慎重な、悪く言うならば捕食前のじっとりとした沼の様な視線。

視線を辿ってそっと右側を窺えば、少し離れた所から褐色の肌の英霊が私を見ていた。何かを見定める、どこか重みが含まれた目で私を見ている。

 

暗い黒目がちの目から送られる視線が痛い、聖者とすら云われた無欲の筈の戦士からの視線が熱い。

また、また人間関係が死因になるのか。そうなのか?!

 

「あ、ここにいたんだねジークフリート、カルナ」

 

やって来たマスターに、どこか意識が遠のく中ただ謝罪することしか私にはできなかった。

 

「マスター、すまない……。来てそうそう、ろくに役にたてないまま背中を刺され座に還るかもしれない」

「エッ、どうしたの?!何があったのジークフリート?!」

「……すまない、本当にすまない……」

 

太陽の()は世界全てに注がれるからこそ、暖かかったり、些か寒い暑いで済んでいる。それが1人に注がれるとなったら、お察しである。

 

 





アルジュナはただ単にカルナが浮き足立ち気味の相手が戦士として気になっているだけ。


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夢から覚めるジャンヌ・オルタ

あいかわらずのフワッと感。


私はだれ。

 

降り積もっては消えゆく内なる囁き。

私にあるのは私の記憶と知らぬうつくしい娘の記憶。

嗚呼、娘よ、起ち上がり駆け抜けた生。お前はその果てに何を想ったのか。

 

私はだれ。

 

そう囁くいと美しい聖なる杯(だれかの声)

「嗚呼! ジャンヌ!」そうかなしみと慈愛と切望(絶望)を滲ませる叫び(切望)がこの世界ではじめて聞いた声。私にひどくやさしい人、私の記憶の娘を見る人、私の復讐を求める人。

いと、憐れなる人。

 

私が踏むこの大地は、名前だけ知っていた外の国。私が生まれ育った国。私を裏切った国。

 

「竜の魔女だ!!」

 

旗を振る。かつては勇気と信仰を与えた旗を振る。呪いの旗を、怨念の旗を振る。

恐怖と苦痛の声が響き、憎悪の炎が迸る。美しく、愛しく、そして忌々しい空を竜の群れが覆う。

 

私はこの国を知らない。私はこの国を愛する。私はこの国を憎む。

 

「私は帰って来た! 私が受けた痛みを! 悲痛を! 裏切りの報いを! さぁ、今こそ受けなさい! うつくしく愛しい(怨めしき)国よ!」

 

愛を、怒りを、憎しみを、私の心、私にある心、沸き上がる心、全てをこの世界にぶつける。三つの心を、三つの私をぶつけて、燃やして、駆ける。

 

 

私はだれ。

私は私。

 

なんの刺激もなく平凡な人生を送っていた女。

凛とした眼差しで前を見据え続けた優し過ぎた娘の記憶を宿す女。

終わりなき憎悪が我が身で怨嗟の声をあげ続ける女。

ただ燃え盛る憎悪のままにひた走る。いつかこの身が灰さえ残さず消えるその日まで。

 

 

 

これは泡沫の夢。誰かがつついてしまえば、頬を抓ればパチンと弾けて覚めてしまう夢。

 

私の中にあるうつくしい娘が、人間と共に私に挑む。まっすぐに私を見据えるその人間が、亡霊の夢を覚ますのだろうか。

 

「貴女は、自分の家族を覚えていますか」

 

確信を持ったその声が、私に決定打を求めている。それでも私はこの娘に嘘をつかない。ただ、事実のみを告げる。

 

「泥に塗れ、傷を負い、それでも故国のために立ち上がり続け、そして故国に裏切られた。それ以外の記憶がどうして必要なのです。私は復讐者(アヴェンジャー)、憎悪に身を焼かれる者。裏切られた愛と、裏切った者たちだけを覚えていればいいのです」

 

この国を護るため、また起ち上がった娘。駆け抜けた先に待つ結末を知っているのに、愛し続ける娘。そう完結しているサーヴァント。

 

なんて憎らしい、なんて眩しい。けして輝きを曇らせないその魂を、私は愛し、憎悪する。

このうつくしい娘の悲劇が、愛が。国に人に私に、憎しみをもたらす。

振るい、ぶつかり合う御旗。砕け散ったのは、黒い御旗だった。

 

夢が覚める時がきたのだ。

 

「安心してお眠りなさい」

 

優しさ故に狂った人が、ひどく穏やかな微笑みで私に言う。私の心のために浮かべられたそれは、記憶にある狂う前の彼と同じだった。

 

「ジル、おかしなことを言うのね……。あとは、覚めるだけなのに。嗚呼、でも、そうね。おやすみなさい、哀れなほどにやさしいひと……」

 

身体がほつれ光と共に還っていくのが、目を閉じても見える。

夢から覚めたら、1番に空を見よう。浮かぶ太陽におはようと、言って日常にかえろう。

 

オルレアンに、朝陽が昇る。

こうして人々の悪夢は終わりを告げた。

 

 



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未練ばかりのアキレウス

某店でクジ引き一等の500円引きが当たる→ガチャガチャ中身が売り切れなのに気付かず300円投入、お金戻って来ず→ガチャ10連試しに2回ガチャッてみた→1回目でアキレウスが、2回目でケイローンが来た
これは書くしかない。

なお、始めた当初から欲しかった1番の推し、大本命のカルナは未だにいません。物欲センサー仕事しすぎぃ!!




自暴自棄になっていたのかもしれない。

どこか優しい野の色の髪を持つ先生にもよく注意されていた。その精神をどうにかしなければ、芯を持たなければ取り返しのつかないことに必ず対面すると。

 

でも、仕方ないじゃあ、ないか。

 

温かで、優しい私の故郷。日のいづる国と呼ばれる美しい、四季を纏う私の故郷。

そこからこんな過去の、文化も歴史も違う国に生まれて。

雄大過ぎて人に厳しい自然、その感情のままに誰かの未来をめちゃくちゃに出来てしまう恐しい神々、日常に紛れる血と死。英雄になんてならなくていいと、私の長い生を望んでくれる今世の母、だけど人ならざる母。英雄にしようと、その力を奮えとギラギラとした(まなこ)を向けてくる周り。

 

いやだった。なにもかもがいやだった。

 

自暴自棄のまま身を捨てるようなことばかりした。まわりはそれを勇気と称したが、それはまさしく蛮勇だった。勇気は捨てていた。そんなものはなかった。恐怖もなかった。ただ駆けた。そこには、愛もなかった。

 

だから、あんなことになったのだろう。

 

 

 

 

オデュッセウスに見つかり、パトロクロスと共に参加することになった戦争。

母から内密で聞かされた戦争の切っ掛け。くだらない、始まりだった。いちばん美しい女神が誰かなんて、どうでもいい。人を減らしたいからなんて、どうしようもない。

それでも私は戦い続けた。私の後ろには異国の者達の多くの骸と、多くの功績が積み上がっていった。

 

 

 

 

戦の最中、とある一人の父親が、娘を返してほしいとやって来た。貢物を差し出しながらの懇願に周りが返そうと口々に言う中、それをただ一人の男が嫌がり断った結果が、アポロン神の神罰だ。兵が次々と死んでいった。

病で死にゆくその様はいっそ戦死よりも惨たらしく、死んだ骸の顔は無力感から歪んでいた。

また女に固執する男のせいで、人々が死んでいく。

 

その現状が一週間以上続き、ある神の言により軍議を開いた。

祭司が対価を差し出しながら願い出たこと。断れば面倒なことがまっているのは明らかだったろうに。

だから、返してやればいいじゃないかと、アガメムノンに意見した。誰もあなたに代わりの戦利品を与えられる者はいない、強欲が過ぎれば身を滅ぼすとも。それが間違いだった。

 

「アキレウスよ、そんな言葉には騙されないぞ。お前たちの分け前は残しておきながら、わたしだけ娘を返せというのか。それ相応の分け前をくれなければ、お前たちの誰かの分け前を分捕りにゆくぞ。それともなんだ、アキレウスよ、お前がクリュセイスの代わりを務めてくれるとでも」

 

その言葉にカッと怒りが沸騰するのを感じた。

性による侮辱という私にとってあまり耐性のない所を突かれ、己にある人ならざる存在の血が私の激情を掻き立てていると、怒りに駆られながらもそう考えている冷静な私が頭のどこかにいた。このまま言い合えば、私は目の前の男を、たとえ総大将であろうと殺すだろうとも。

 

「なんて厚顔で、無礼な人か!私は乞われて友と共に戦士として参加しただけ。この地の者達に故郷を荒らされたわけでも親しい人達を殺されたわけでもない。トロイア人になんの恨みもない。だけど、私が出陣し、地方の街を私が滅ぼす度に他の戦士達ではなく座したままのあなたが一番の分け前を取っている。こんな戦士としても女としても恥辱を受けながら、あなたの富をせっせと増やすつもりはない。私の分け前が欲しいならばくれてやる。ただし私は故郷に帰らせてもらう」

 

そのあとに続いた承諾の言葉とさらなる侮辱の言葉に、ついに怒りが私の心を置き去りにして体を突き動かした。

腰に下げたままの剣を抜こうとした私をアテナ神が止めなければ、アガメムノンは死んでいた。私より速い者など居なく、それゆえに止められる者はいなかったのだから。

 

「私の陣屋の戸前に分け前を置いておく。兵士にでも運ばせろ。だけどもしお前が私の陣屋に姿を現したその時は、戸前に一つの首が転がることになると覚悟しろ!」

 

予言を受けていたオデュッセウスが蒼白な顔をしていたが、私は構わず陣屋へと戻った。

 

その夜に母が私の陣屋に訪れた。

私を抱き締めながらぶつぶつと不満を言い私を大層可哀想がり慰めの言葉を紡ぐ母は、私を憐れんでいるのか、母自身を憐れんでいるのか。

私には未だに、どちらなのか分からなかった。

 

 

 

 

戦に参加せず、陣屋の中で刺繍をする日々が続いた。戦の場に着くまでの暇潰しに持ってきた物だった。出来上がった物は小箱に入れていった。その質素ながらも美しい彫りがある小箱を満タンにするべく、ただ刺繍に集中した。

呼び掛けてくるパトロクロスの声は聞こえないフリをした。

 

気付いた時にはもう、遅かった。

鎧の点検をしようと見遣った先にそれはなく、慌てて駆け込んできた伝令兵により事の次第を知った。

友として情の湧いていた、近しいパトロクロスの死。

二つ目の、取り返しのつかないことだった。

 

 

 

 

不死性を捨てる前提で一騎打ちを呼び掛けて、承諾の末に引き摺り込んだ空間。私とこの男しかいない空間で槍をふるい続けた。何故こうも戦い続けられているのかも気付かずに。

 

この男は私を覚えていない。その確信だけはあった。

 

「自分の故郷を愛してないヤツが、何かを護れるはずもないよなぁ。お前のその戦闘への意欲の無さが、友を殺したんだ」

 

気付けば私は戦車に乗っていて、私の戦車に縋り付いて泣きながら大声で何かを請うている男を見て正気に戻った。辺りは真っ暗で、月の位置から今が深夜であることが伺えた。

暗闇の中で男をよく見ると、トロイアの王プリアモスで、やめてくれと、息子をかえしてくれと、父親の顔で泣いていた。

なんのことだ、そういえばあの男はどこに行ったんだ。ぼんやりとそう思いながら目の前の男の視線を辿り後ろを振り返った。

 

そこには、戦車に繋がった頭陀袋があった。

 

違う、頭陀袋ではなかった。それは血と土で汚れ刃物でズタズタになった服を着た死体だった。美しかった服はボロボロで、四肢は損害し身体が傷と血だらけの、あの男。その殺傷痕は紛うことなく私のもので。

また、どこか取り返しのつかないことをしたと、ぼぉっと彼を見続けた。

 

あの、緩やかに綻んだ口元は、好ましかったのに。

 

 

 

 

母に言われスキュロス島にあるリュコメデス王の宮廷を目指していたはずが、いつのまにかエーゲ海を越えて見知らぬ土地に辿り着いてしまっていた。私にわかることはただ一つだった。

船を、乗り間違えた。

 

近くにいた船乗りにスキュロス島への船は出ていないのかを尋ねれば早くて一ヶ月後のものしかないと言われた。

流石の私も海は駆けて横断できない。そもそも無断で渡ればポセイドン神の怒りをかうかもしれない。

おとなしく船を待つ間に、この土地を見てまわることにした。リュコメデス王の宮廷に行けば、身を潜めるために外を出歩けないことは分かっていた。

 

歩きまわっていろんな所を見て、十数日の頃。木の上から花々を見て休憩している時に声が掛けられた。

 

「よぉ、お嬢ちゃん。そんなとこでなにしてんだい?」

 

オリーブグリーン色をした、質の高い衣服を着ている男だった。

その声に応じなくてもよかった。それでも返答したのは、その男の浮かべている表情が柔らかだったからだろう。どことなく、日本人の微笑みを思い起こさせた。

 

「花畑を見てる」

 

ただそれだけ。見れば分かることを正直に伝えた。他に何を言えばいいのか分からなかった。

 

「花畑ねぇ。他所とあんまり変わらないと思うがなぁ」

 

「そんなことはない。私の国にはない花もある花も一緒になって風に揺れて、今日の晴れ渡った空も相まって美しい」

 

ここまでの道中、草花が、山々が、街が、人が美しかったことを告げた。美しいと感じたのは、駆ける私がいつもは風景を見ないからかもしれないことは、伝えなかった。

 

それでも、美しかったと告げた瞬間に男の口元が、綻んだ。追うように目が緩やかに細まった。愛しさと慈しみが詰め込まれた美しい微笑みだった。息が詰まった。口元から目が離せない。その口は、次になんと言葉を紡ぐのだろう。私と違って、愛が溢れたその口は。私にはない、この土地への愛がある、その口元は。

 

「ははぁ、いや、そう言ってもらうと嬉しいねぇ。お嬢ちゃんは旅人かい?どっから来たんだい」

 

「プティアから」

 

「ああ、通りで」

 

期待と違って普通の会話。それもそのはずだった。私とこの男は普通の会話をしていたのだから。それでも落胆がないのは、声を聞き続けるのは、何故だろうか。

 

「この辺りは静かだが魔獣も出るんでね。危ないから安全な所までお嬢ちゃんを送ろうと声を掛けたんだが。まぁ、そんな遠くから一人で旅が出来るお嬢ちゃんには、余計な世話だったかねぇ」

 

「いいや、あなたの心配りは嬉しく思う。たしかに私には魔獣を仕留める力があるけれど、見ず知らずの旅人を心配し声を掛けるあなたは立派な人だと思う。私はプティアのアキレウス。あなたの名前は?」

 

その名前を私は忘れなかった。忘れられなかった。だけど、私の名前は忘れて欲しいと思った。

そう願うことになる私を、スキュロス島にも行っていないこの時の私は知るよしもなかった。

 

「ヘクトール。よろしくな、お嬢ちゃん」

 

この、1日にも満たないたった数十分の出会いこそが、一つ目の、取り返しのつかないことだった。

 

 

 

 




人は自然に笑う時、まずは口が笑って次に目が笑うそうです。つまりそういうこと。
なお、この物語は何処かの誰かからの視点にすぎません。


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幕間の物語アキレウス/世界にとけた娘



幕間の物語=他者視点という設定です。

※注意
今回のお話で出てくるアキレウスの宝具『宙駆ける星の穂先』に関して原作とは違う点が出てきますが、オリ主故のオリジナル設定として流してくださると幸いです。





 

 

寂しそうな眼をした娘だった。帰る場所を持たない者の、暗い眼差しだった。

 

 

 

 

上質な衣を纏ったその見慣れない娘を見つけたのは視察の帰り、丁度昼を過ぎたあたりだった。

妹から土産に頼まれた花を摘もうと森へと近寄れば、木々の奥から不自然な光が瞬いていることに気付いた。太陽の光が何かに反射している時特有の光だ。

此方の命を狙い潜む輩の武器が反射しているのではないかという考えが一瞬頭に浮かんだものの、それにしては殺気もなく動きもない。どのみち花畑へ行くにはその光がある方向へ近寄らなければならず、警戒しつつも鬱蒼とした木々の合間を進んだ。

 

そこに居たのは若い娘だった。

此方に横顔を見せるように娘は木の枝に座っていた。その手には使い込まれた、だがよく手入れされた槍が握られている。光の原因はこれだろう。一人でいる様子と馴染んでいる槍から見て最低でもそれなりの武力は持ってることが伺える。

 

声を掛ければすんなりと返される応え。警戒心の無さは、大多数の人間と交流がないのか、どんな状況であろうと切り抜けられる手段があるのか。旅袋や外套の状態から旅慣れしていないことだけは確かだろう。

まだ時間に余裕はある。やんわりと会話を続けた。

 

このトロイアを美しいと真面目な顔で語るその眼の、ほんの僅かに混ざった羨望の色に気付いた。この娘は、故郷を愛してはいないんだろう。

 

「私の故郷の花は、香りが薄い。少なくとも私はこの花畑みたいにはっきりと香りを感じたことはなかった」

 

花畑にはトロイアに生息している花も、他所の国にも生息している花も咲いている。普通の花畑だ。他所の花畑とそう大きく違わない。違いがあるとすれば、それを見る人間だ。だが、初対面で人の心情に突っ込むのも野暮ってものだ。ましてや相手は旅人だ。此方としてはうつくしい思い出だけを、この娘の土産にさせてやりたい。

 

「あぁ、そうだ。お嬢ちゃん、よければ花束を作るのを手伝っちゃあくれないか?」

 

「花束を?」

 

「妹から土産にってねだられていてねぇ。あいつもオジサンよりお嬢ちゃんみたいな若い娘の感性で作られた花束の方が喜ぶだろ」

 

少しの間を置いて頷いた娘は木から音をたてず降りてきた。身のこなしから武術を身につけていることが分かる。魔獣を倒せる話は本当だろう。

 

娘と一緒に花を摘んでいく。いい歳の男と若い娘が一緒に花を摘んでいる様が周りから見たらどんなものかは、まぁ、考えずにいよう。

 

じっくりと花を見て選り抜き一本ずつ丁寧に摘み取る娘の手付きは拙い。あまり慣れてないんだろう。それでも此方の摘んだ花に比べ、形が良く汚れもない綺麗な花々の花束は女性故か、真面目さからか。

 

「出来た。この花束で平気だろうか」

 

「あぁ、綺麗な花束だ。ありがとな、お嬢ちゃん。礼といっちゃあなんだが、こっちの花束を受け取ってくれるかい?」

 

予備に所持していた髪紐で手早く纏めた花束を娘に差し出す。娘は少し驚いた様子で差し出された花束をじっと見ている。

娘が作った花束に劣る花束を礼にするのはどうかと思うが、残念ながら若い娘が喜びそうな物は視察帰りにはさすがに持っていない。

 

「礼に気の利いた物でも渡せればいいんだがね。ちょいっと今は贈れる物を持ってなくてなぁ。まぁ、オジサンの作った花束だが、感謝の気持ちはたっぷりこもってるぜ。路銀が少なくなった時は、髪紐を売ってくれ。暫くは路銀に困らないだろう」

 

「……今は路銀には困ってなく、人から贈られた物を売るほど無粋でもない。その、礼として誰かから花束を貰うのは初めてで、本当に嬉しく思う。ありがとう」

 

そう言った娘の伏し目がちに浮かべられた微笑みは、強く印象に残った。

 

 

 

 

一度だけ会ったその娘に再会したのは、よりにもよって戦場だった。

顔色も変えずに殺しにくる英雄は、はたして此方を覚えているのかいないのか。はじめは判断がつかなかったが此方の急所を矛先が掠める度に何処となく鈍る動きは、嗚呼、覚えているんだろうなぁ。

 

根は優しい娘なのだろうと、あの花畑の近くで出会った時から分かっていた。それがたった一度の交流だけで、おそらく無意識ながら殺すことに躊躇する程とは思ってもいなかったが。

守りの此方にとっては攻めが鈍るのは好都合だったが、いかんせん、反撃の隙がなかった。

 

だからこそ、不死性を投げ打った状態での一騎打ちはある意味好機だった。他の要因から応えなければならなかったのも確かだが、消える不死性と、崩した精神を平静に戻す他者がいないことから承諾した。

目の前の英雄を倒すことのできる唯一の機会だった。

 

此処で俺が死ねばトロイアは滅び、目の前の英雄が死ねばアカイア軍は敗ける。なにがなんでも勝たなければならない岐路だった。

 

術の媒介らしき槍が地に突き立てられると溶けるように消え、代わりに朽ちかけた闘技場へと空間が変化した。自身に与えられた加護が消えたのを感じたが、それはアキレウスも同じだろう。

 

防御に徹し機を見てなんとか一撃を入れていく。此方の槍を防御せず、裂ける肌も流れる血も気にせずに英雄はただ攻めてくる。

浅い傷しか負わない相手に比べ、此方は傷だらけ。それでもまだ、生きている。

 

不死性が消えてなお相手に致命傷を与えられないのは、単純に相手の方の技量が優っているからだ。それでも此方が凌げているのは相手の矛先が鈍り続けているからだ。

だからこそ、弱い精神の方で勝負にでることにした。

 

図星を突かれ動揺した娘に、友がなぜ死ぬことになったか突き付け感情を乱すつもりだった。そうして隙を見せればいいと。

 

「ぐぅッ!」

 

選択肢を誤ったことに気付いたのは槍で急所を貫かれてからだ。その瞳を見て、どうやら逆鱗を踏みつけてしまったらしいことを悟った。

俺を映すその瞳はまさしく、怒れる神と同じだった。

 

急所への連撃に体が地に伏していく。見ずとも致命傷だと分かる。

 

槍が手から滑り落ちていく。利き手は手首の内側を深く斬られたせいか、微かに動くだけで力が入らない。それでも、片手がまだかろうじてでも動くことが重要だった。動くならば文字を残し、伝えられる。見た。見て、察した。

 

理性が飛んだ英雄が、怒り狂った神の血流れるモノが、ただ落ちていく槍の矛先を初めて避けた(・・・)

 

不自然に動かされた足は、槍が当たることを避けた。あのままだったなら、矛先は踵に当たっていた。

自我さえとんでいそうな現状の精神で意図して避けたとは思えない。身体の方が忌避し、避けた。

なぜなら、そこが傷つくのが致命的であり、弱点があるのはそれにより失われる恩恵が存在するからだ。恩恵とは、この空間を出れば復活する、不死性だ。

 

死ぬ。俺は死ぬ。戦士として敗北するが、トロイアはまだ負けてはいない。負けてないなら、まだ滅びない可能性も残る。俺は死ぬが、残せる物はある。

 

だが、あぁ、あの時、あの花畑で娘を殺してやっていたら。戦況はまだ優勢だっただろう、死なずにすんだ者も居ただろうなぁ。

 

なにより、英雄()にこんな眼をさせずにすんだだろうに。

 

 

 

 

 

 

 





「ヘクトール」
「なんだい、マスター」
「アキレウスのことよく見てるけど気になるの?」
「ああ、いや。柔らかく笑うもんだと思ってねぇ。オジサン、ほとんど戦場での顔しか見たことがなくてな」
「そっか。じゃあさ、たくさん話掛けてみてよ。素敵なのは笑顔だけじゃないから。まぁ、皆と同じで戦闘時は容赦ないけどね」
「あぁ、知ってるさ……」
「?ごめん、よく聞こえなかったや。なんて?」
「いいや、そういえばマスター、さっきマシュが探してたぜ」
「マシュが?そっか、教えてくれてありがとう。じゃあね、ヘクトール」
「じゃあな、マスター」

……最期に見た血涙より、年頃の娘らしく笑っている方が当たり前に似合ってるなぁ。まぁ、英雄の時さえ根っこの部分は普通の娘だったからな。……英雄としてあるより、あの花畑の時みたいに娘として生きてる方がお嬢ちゃんには合っていたぜ。死んじまった身としてはもう終わった物語(はなし)だろうが、まっ、サーヴァントとしては良いマスターにあたって、サーヴァントとしても娘としても穏やかな時間を過ごせているのは僥倖かねぇ。

……お前さんの微笑みは嫌いじゃないぜ、アキレウス。




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幕間の物語アキレウス/深海からの目醒め

いっそ圧迫感さえ感じる白すぎる部屋。備え付けの少し硬い椅子に座って目の前の男と、今度行う◼️◼️◼️◼️と◼️◼️◼️◼️の連携訓練についての話し合いのメンバーが来るまでたわいもない話をする。

ふと、男が真面目な顔をした。片方の口角を少しだけ持ち上げて、いつもの声色で、けれど真剣に男が告げる。

「 」

その言葉に男へ言葉を返す。
男と笑っていると扉が開く。ドアから入ってきたのは防具を外した服に飾り布を纏った、『◼️』で、っ。

ガバリと勢いよく、その部屋の主は起き上がった。暗い部屋の寝台の上で目を見開きぜぃぜぃと荒い呼吸でなんとか呼吸をする。滲む脂汗にも気付かず、ただ震える両手を見つめていた。ずっと、ずっと、見つめていた。



その日はマシュや他の皆といつも通り素材を集めて、休憩に仮眠もとい昼寝をしたはずだった。

 

「あれ、ここは?」

 

気付けば見慣れない森に一人で立っていた。また夢を通してどこかの特異点にとんだのだろうか?それとも、誰かの夢の中か?

 

周りを見渡しても誰もいない。だけど、今までの経験から見て誰かは存在しているはずだ。居るかもしれないエネミーに見つからないように、なるべく気配を隠して移動する。

取り敢えず太陽がある方向に移動していると、どこからか甲高い金属音と派手な破壊音が聞こえてきた。なにかが戦っている音だ。サーヴァントだろうか?早足にその音が聞こえる方に向かう。

 

そこに辿り着いたのはちょうど両者が距離を置くように後ろに飛んだ所だった。

二人の内、片方は眠る前に会ったアキレウスだ。見慣れた姿の彼女に声を掛けた。

 

「アキレウス!……アキレウス?」

 

まるで俺の声が聞こえないように無反応のアキレウスは、一瞬で距離を詰めて相手に槍を振るった。

 

アキレウスは戦い続けている。相手の男も同じように槍で応戦している。

男の顔はぐちゃぐちゃにマーカーで塗り潰したように黒く隠されていて誰だか分からない。アキレウスとは違う雰囲気の、シンプルな着方の美しい布服に鎧。生前アキレウスが戦った誰かだろうか。

 

「なぁ、アキレウス、見えていないのか?」

 

アキレウスの正面の方に移動しても、アキレウスの反応はなかった。アキレウスは俺を認識できていないようだった。これは今まで見てきたサーヴァントの意識が存在する夢でも別世界でもなく、ただの記憶なんだろうか?

 

戦う姿を知って見慣れているからこそ、アキレウスの槍捌きを全部は無理でも感じ取ることはできる。だからこそ、目の前のアキレウスの攻撃に違和感を覚えた。

何が、とまでは分からない。それでもいつもの戦闘とはどこかが違った。それに、相手の男の戦う姿に段々と既視感を感じてきた。

俺はカルデアでこの男と会ったことがあるのだろうか。

 

「……もしかして、ヘクトール?」

 

その瞬間、世界が変わった(・・・・・・・)

観客が一人もいない朽ちかけの闘技場。下から見えるコロッセオの外はどことなく重たい闇だけが広がっている。

それ以上周りを把握する前に、ヒュッと息を飲んだ。

ボロボロの死体だ。さっきまでは生きていた顔のない男の死体。それが足の踏み場もないほど大量にある。顔が見えずとも武器や鎧、服や体つきまで同じことから同一人物だと分かる。違うのは、身体に刻まれた傷だけで。

コロッセオの中心あたりは死体が積み重なり小さな丘になっている。アキレウスはそこで、一心不乱に死体を突き刺していた。何度も、何度も。

 

彼女は今、正気ではない。

 

「アキレ、うわッ!」

 

呼びかけながら彼女に近づこうとしたら死体に足をとられて転けた。そのすぐ後にビュッと頭上で風が吹いた。後ろから響く轟音と何もないアキレウスの手元を見て槍を投げつけられたことにようやく気付いた。

本当に、運が良かった。そして、なんとかして逃げないと。理由は分からないけど、今俺はアキレウスの攻撃対象にされてる。

 

急いで起き上がった時にはもう、アキレウスは目の前に居た。素早く首に伸びてきた手を避けられる筈もなく、首を掴まれた勢いそのままにアキレウスごと後ろに倒れこんだ。

 

恨めしそうな、心底憎むような女性の声が聞こえる。知らない声だった。繰り返し、繰り返し、その声は言う。『いつか貴様の槍は貴様が愛しく思った誰かを穿つだろう』、そう言うその声は、きっと呪いの声だった。

 

息がしずらく、苦しい。苦しい、だけだった。その握力をもってすれば首を折ることができるのに、ただ首を締められているだけ。なんらかの止められない衝動で攻撃をしてきている一方で、アキレウスは俺を殺したがってはいない。殺したくないと、感じてる。そう思った。

 

「わたしは英雄アキレウス。わたしはアカイア軍のアキレウス。わたしはプティアのアキレウス。わたしはだれよりも速いアキレウス。わたしはアカイア軍の勝利に必要不可欠と予言されたアキレウス。わたしはトロイアを滅すアキレウス。わたしは愛する者を殺すアキレウス。わたしは、わたしは、違ういやだ嗚呼、あぁ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!おもいださないで!わすれていて!おぼえていないで!わたしは、わたしのなまえは、違う!違う違う違うッ!」

 

普段より柔らかく、幼い口調。そして、悲痛がこもった声だった。ブツブツと呟いたり急に叫ぶように言ったりと、口からポロポロと出てくる言葉たちはきっと、普段はしまって隠しているアキレウスの心だ。

だから俺は、こぼれ落ちてくる心をしっかりと受け取りたい。とりこぼさないように耳を、心を傾けて、彼女に心を返す。

 

「アキ、レウス、君はっ、俺の手、をとってくれ、た、サーヴァント。俺のた、いせつな、サー、ヴァント。ナーサリー、たちに、絵本を読ん、で、あげたり、職員の、ひとたち、の、手伝いをし、たり。昼寝をた、のしんだ、り、あまいものが、にが、てでこっそり、他のだれか、に渡して、たり。俺のおねが、いをしょうが、ないなって、わらって、うけいれて、くれたり。やさしくて、おだやか、で。俺たちは、君が好き、だよ。たく、さん、たくさん、すてきなところがある、君はカルデアの、俺の仲間のアキレウスだ」

 

ふと、いつのまにか息苦しさが消えていた。俺に馬乗りになっているアキレウスは両腕をだらんと垂らして、ただ静かに俺を見ていた。誰かの呪いの声はもう聞こえなくなっていた。じっと彼女を見つめ返していると、彼女の両目の目元からぷくりと、血が湧き出た。

 

「アキレウス、血が……」

 

ギョッとして伸ばした手がアキレウスに優しく掴まれる。血涙を流したままのアキレウスが静かに小さくわらった。眉を下げて、目を細めて、困ったような、泣きそうな、だけどどこか安堵したような微笑みだった。

 

「わかった。うん、認めよう、……私は、受け入れよう。全部もう、終わってた。私が美しいと口にしたトロイアはもう、私が参戦したせいで予言通り敗北して滅んでる。空っぽのまま殺したせいであの女王に呪われた。そして、きっと、私は彼に愛を抱いてた。彼が愛する人だった。呪われる前に、呪いの通りに、愛した人はもうとっくに自分で殺してる。そう、思い出した。知識としてじゃなくて記憶として。あの日、自我なく私が殺してた。予言も呪いもとうの昔に成就している」

 

ふと、あれだけあった死体が消えているのに気付く。闇だけだった空に太陽が現れていて、眩しかった。

 

「予言も呪いも、とっくに消えてた。トロイアも、大切な者も、愛する人も、もう手にかけなくていい。だってもうそれは果たされていたから。今の私は、ただのアキレウス。あなたのサーヴァント、アキレウス」

 

パキリと、何かが壊れた音が聞こえた。そしてアキレウスの体にゆっくりと金色の鎧が現れた。服装もいつのまにか変わっている。

 

「マスター、傷つけてごめんなさい。そして、ありがとう。あなたがトロイアと定められようと、あなたに親愛を抱こうと、私はもう傷つけることはない。もう生前に成ってしまっていたと、受け入れた。予言も呪いも、実を結べばあとは消えるだけ。私は、その時期の私だったことに気付いていなかった。生前から無意識に気付きたくなかったのかもしれない。でも、もう、私はわかっている」

 

逆光でアキレウスの顔が見えにくい。だけど、目元に何か、光っている、ものが……。

 

「今までの旅で見てきたあなたの勇気と愛、向き合って信じて、顔をあげてしっかり前を見上げて足を踏み出す、そんな、眩しいあなたの心を愛しく思う。英雄ではない、でも誰よりも人らしい星のようなマスター。そろそろ私の夢から醒めなければ。あなたにはもっと幸せな夢が似合う。それに、午後からランサーとライダーの連携訓練がある。ゆっくり休んでほしい」

 

ふと、意識がだんだんと遠くなって、ーーー暗転。

 

 

 

 

もうあれから何日経ったのか、分からない。日々がぼやけたように曖昧だった。戦う時だけ少し明瞭になる意識は、もはや役立たずで。やけに私の世話を焼き時に諌めたパトロクロスはもはやいなく、だからこそ私の意識はこのままだ。

あの夜に浮かんでいた月の光がまるで咎めるように脳裏から離れない。いつもはおしゃべりな神馬は沈黙し、誰かの低い泣き声が響いている。私の◾️車◾️◾️◾️には◾️濡◾️の◾️◾️◾️◾️◾️が…………あの男はどこだろう。目の前には高い声で猛々しく吼える戦士がいる。急所を隠す鎧だけを着けた身軽な格好からアマゾネスだろう。他のアマゾネスと違いフルフェイスの兜を被っているから、強く位の高いアマゾネスなのかもしれない。嗚呼、あの男を見つけないといけないのに。戦士から挑まれた勝負に応じる。戦えば、私の方が強かった。けれど、殺そうとする度に他のアマゾネスが身を呈して護るせいでなかなかトドメを刺せない。女王、そうアマゾネスたちが戦士を呼ぶ。戦士か女王かは重要じゃない。はやく、はやく、あの男を探さないと。

 

挑発して、一騎打ちを呼び掛けた。勢いよく返された声と同時に闘技場へと引き摺り込む。地面にめり込んだ鉄球が弾いた土塊を気にせず槍をふるう。

 

殺し合って、立っているのは私だった。

 

女王が崩れ落ちる。地に伏した拍子に兜が外れ顔が露わになった。血に濡れた女王は、いまだ私を見て、み、て……。

 

ーーー血が舞った。

ーーーー血が舞った。掠めるのではなく、手にした槍で肉を貫き、時に抉っていく。憤怒に動く身体が容赦もなくただ殺すために殺す。瞬く間にズタズタに殺した。その間も、地に倒れても男は私を見てい、て、ぁ、あぁ、嗚呼ッ!!

 

「◾️◾️◾️◾️◾️……」

 

力が入らなくなって膝がつく。ただただ目の前の女王()を見ていた。辛うじて槍を持っている手はわなわなと震えている。

虚ろになっていく瞳が、わたしをみている。

 

「貴様、貴様はッ!その空虚な意識で私たち戦士を殺していたのか!あまつさえ一騎打ちを自ら呼び掛けておきながら、別の者と重ね合わせていたのか!貴様、ふざけるな……!その顔を、その絶望した顔を、虚ろな瞳をやめろッ!ふざけるな、ふざけるな……」

 

地に伏している。血に染まったボロボロの身体が動きをなくしていく。そしてきっと、なによりも冷たくなっていくんだろう。

彼もそうだった(・・・・・・・)

 

「は、ハハッ…………いつか貴様の槍は、貴様が愛しく思った誰かを穿つだろう。また絶望し、後悔するといい……」

 

 

 

 

ギラリとした太陽の光に目が(くら)んで、そう、ほんの少し脚が遅れた。その瞬間に足元が熱くなり、ドンッと胸に衝撃を受けた。

力がぬけて、ゆっくりと後ろに倒れていく。胸がただ熱くて、ごぽりと何かがせり上がってくるのがわかる。遅くなった世界でふと、遠くで弓を持っている誰かに目が引きつけられる。あぁ、あれは、髪をなびかせ、こっちを見てる、あの、槍をもってい(・・・・・・)()、あ、の……お、と……こ……は…………。

 

 

 

 

パチリと目が覚めた。

瞼を開けた先には闘技場でも戦場でもなく、いつものマイルームの天井がある。

 

夢だった。記憶だった。彼女の、人生、だった。

 

ひどくアキレウスに会いたい気分だった。彼女に会ってなんて言おう。とりあえず、肩を並べて、そして手を握ってあげたかった。

 

 

 

 

「おはよう、マスター」

 

「おはよう、アキレウス」

 

マイルームの扉を開けた先には、アキレウスが待っていた。きっと、夢での事についてだ。

 

「マスター……いいや、立香。もう一度あなたに告げたい。ごめんなさい、そしてありがとう。あなたは……マスター?」

 

手をとって握った。少し硬い、けれど温かい手だった。

 

「俺さ、あの夢見れて良かったなって思ってる。アキレウスのことがもっと知れたし、伝えたいことも言えたし。あっ、でもわざと見たとかじゃないから!プライバシー的にはちょっとあれなんだけど、契約でパスが繋がってると記憶が流れこむこともあるらしくって!」

 

「その、私も昨日マスターの記憶を夢として見てしまったから知ってる」

 

「えっ、ごめん、何か変な記憶でも見せちゃったかな」

 

男子学生らしくおバカなノリに乗ったこともある身としては心配だったけれど、否定されたからそういう夢じゃなかったようだった。少し慌てた俺を見て、アキレウスが微笑んだ。俺とマシュが好きな、やさしい微笑み。

 

「……俺さ、カルデアで一緒に過ごしたアキレウスしか知らないけど、夢でも言ったように君のこと好きだよ。マシュもみんな、英雄だからじゃなくて、君だから好きなんだ。アキレウス自身がどう思っているかはまだわからないけど、君の人生を知っても、全部ひっくるめてアキレウスのこと好きだよ。だって、それは君が今まで歩んできた軌跡だから」

 

「マスター……」

 

そっと繋いでいた手に力が込められる。アキレウスは少し目を伏して告げた。

 

「あの夢の中であなたは私を逃げ出させなかった、そして私から逃げなかった。……私は生前、取り返しのつかないことばかりした。でも、あなたに関してはしたくない。この現界で後悔はしないと決めた」

 

持ち上げられた瞼の下から覗く瞳は、どこかキラキラとした光があった。フと、夢の中で光っていた目元が脳裏に浮かんだ。

 

「マスター、私はあなたと走りたい。私がいつか、還ってしまうその時まで」

 

あれはきっと、アキレウスの涙だった。あの時、やっと彼女は彼の死に泣けたんだ。

 

「アキレウスは速いから、置いていかれないように走らないといけないね」

 

「マスターを置いていくことはない。それに、周りの景色が見えるなら走らなくても良い。馬でも、歩きでも」

 

バイクでもいいと言うアキレウスに少し笑った。バイクを選んだら宝具の神馬たちがヤキモチを焼きそうだ。

あっ、そうだ。少し疑問に思ってアキレウスに聞いてみる。

 

「なぁ、アキレウス。夢の中での口調が素?」

 

アキレウスはただ微笑むだけで答えてくれそうになかったから、気にしないことにした。

 

 




解説

Q.なにこれ?
A.生前から無意識下に拗らせていたアキレウスちゃんの強化クエストと絆イベント

Q.記憶の中のヘクトールの衣装が違うのはなんで?
A.この話では、生前とサーヴァント時の衣服や防具は違う設定。機能や性能は伝承や信仰の影響を受けても基本大きな変化はなし、でもより現代化機能化したデザイン(あるいは個人の好み)にアップロードされている。

Q.『思い出した。知識としてじゃなくて記憶として』とは?
A.アキレウスちゃんはヘクトールを殺害した時に明確な意識がなかった。一瞬の激情が種火となり、神の血が身体を暴走させた。つまり人間でいうカッとなってな状態が長時間続いて戦車で散々引き摺り回す結果となった。本人的に記憶に無い。
意識はなかったが、それでも殺害の記憶は頭の中に存在はする。思い出そうとすれば思い出せるが、無意識にその時の記憶を思い出したくないため思い出せない。そんな記憶は無いと認識してしまっている。
聖杯の知識や外部からヘクトールを自身が殺害したと知っていても、記憶で思い出さない限りは無意識に心の底からその事実を受け入れることはない。

Q.パキリと何が壊れたか?
A.アキレウスちゃんの隠しスキル(オリジナルスキル)。これが壊れたため、ギリシャでないにも関わらず黄金の鎧を得た。強化クエスト的なノリだ。深く考えてはいけない。
オリジナルスキル
【虚構の呪い】(A)
エルドラドのバーサーカーは死の間際にアキレウスを呪ったが、該当する人物を少し前既に呪い通りに殺していた+アキレウスが展開した闘技場という特殊な空間で呪いをかけようとしたため、呪いは失敗に終わった、筈だった。
無意識に忘却しようとしていたヘクトールの死をフラッシュバックして正気ではなかった状態のアキレウスに対しその声は強い暗示となって襲いかかった。そしてアキレウスは言葉通りに呪われたと誤認した。
ヘクトールを殺した記憶を忘却している限り殺した生き物の死体が全てヘクトールに見え、また、愛しく思った相手に対し刺殺衝動に襲われることがある。つまり思い出さない限り、マスターとの仲が良好であればあるほど意に反してマスター殺しをしてしまう可能性がある。
デメリットスキル。

Q.なんで最初マスターを認識できていなかったのに、闘技場移行後は認識できた?
A.最初の森は一騎打ちの記憶を忘却したがっている深層世界。繊細なそこでヘクトールの名前なんていう爆弾を投下してしまったので忘却対象に認定されトラウマ現場に移行。そこで延々とヘクトールを殺害してたアキレウスちゃんにより排除されかかった。が、害したくない、愛しい(like)の想いが強かったため本文の流れに。

Q.弓を持っている誰かって誰?
A.パリス。最期はパリスをパリスと見ながらヘクトールが重なって幻覚を見た。

Q.つまり?
A.ヘクトールに絆5を言われたマスターの記憶を見てしまう→予言「ペーレウスの子供が参加せねば戦いに勝てない」=アキレウスが参戦すればトロイアは敗ける=アキレウスはトロイアを滅ぼす存在(極論)+エルドラドのバーサーカーの呪いの暗示+忘却ゆえのヘクトールとセットなトロイアに対するトラウマ→精神的にも存在的にも不安定に→就寝前マスターとうっかり曲がり角でぶつかり身体的に接触→マスターと夢が繋がる→生前の記憶と夢世界にマスターが迷い込む→強化クエスト+絆イベント→ヘクトール殺害の記憶を思い出しもろもろを受け入れる→デメリットスキルが消える→黄金色の鎧出現→防御力と絆がUP!


この前のピックアップでようやくカルナさんが来て下さいました!
だけど以蔵さんは話があるので後でカルデア裏に来てください。ガチャ回しても一人も召喚されませんでした。あまりの出なさに星詐欺疑惑を抱くレベル。私の運が悪いだけですか……?



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星を見つめるアマデウス

※第二部永久凍土帝国アナスタシアに登場するサーヴァントの名前と生前が登場します。未プレイまたはネタバレが嫌いな人はご注意下さい。




私の世界は、夜だけだった。

前の世界での記憶に残る明るく暖かい昼は、この世界に産まれてから見たことがなかった。きっと昼だろう時間にはモノが鮮明に見えるけれど世界は夜に覆われている。

暗闇の世界。そんな世界で音楽は私にとって無聊を慰める物だった。それだけは変わらず、それだけはどこまでも響き、それだけは誰にでも届いた。

 

家の中で見つけた楽器。弾き方はなぜか知っていた。目を瞑れば、弾いている間、世界はただ音で満ちていた。

初めて弾いた楽器の音色を今でも覚えている。その音色を聞きつけ、楽器を弾く幼い私を見つけた時の父の顔も。驚いて、嬉しそうで、そして悲しみの顔に変わった。

父は言った。

 

「嗚呼、愛しい娘よ。音楽を愛するお前の才が性を理由に潰されるのは惜しい。お前は男として生きなさい。そうすれば、お前は自由だ。自由に羽ばたきなさい」

 

父は私に喉と体格の隠れる服を与え、共に旅に出た。身体が成長してからは楽器に触れる時以外、手を隠す手袋をし続けた。暑かったけど、いつしかそれが普通になった。

 

 

 

 

暗闇の世界でマリアだけ、光り輝いていた。キラキラと、輝かしい光を纏っていた。

マリアは、私にとっては祈り捧げし神だった。『光あれ』、そうして誕生した光のような、尊い唯一。純白な深い慈愛に彩られた微笑みを向けられた瞬間、ただ共に居させて欲しいと一心に思った。聖母の笑み。初対面、頭が回らなくなっていたその時の私はどうしてかマリアに結婚を申し込んでいた。きっと、道程で結婚式をしていたチャペルを見たからだ。

 

「あなたは子供のようね。繊細で、少し臆病な所もあって、大切なものには一途で、そして、どんなものもまっすぐ見るの。少し突飛で時に大胆な所も素敵よ」

 

気軽に会えない分、会えた時はたくさん、たくさんおしゃべりをした。公の場でのものよりも少し低い声でやわらかに語りかけられるのが好きだった。マリアと居るとどうしてかひどく微睡んで、時折舌ったらずになった。

 

「愛情深いマリア。君の大好きはふかくて、ふかくて、全てを受け入れる。夜のような慈愛。そういう所も私はすきだよ。あぁ、けれど、おんなじくらい私は心配しているよ。マリア、君は君自身がどんな酷いことにあってもそれが望まれたものであればただ胸に悲しみを抱いて、受け入れてしまいそう。それが、こわいよ。嗚呼、マリア、もっと汚くても醜くても良い、それが人間だから。だからマリア、どうか君のことをもっと愛してあげて」

 

「あなたもね、アマデウス」

 

瞳を柔らかく細めて、マリアは微笑む。子へ向ける母親の微笑み。その人間の表情に、ただ泣きたくなった。

いつか処刑されるだろう、愛しい人、輝く人。私はいつまでもあなたの人間としての顔を忘れないだろう。私が死んだ、その後も。

 

 

 

 

彼の、他に何も聞こえないような、見えないような、ただ私の奏でる音色に魅入っているその表情が好きだった。その時だけは、サリエリの世界には彼と私しかいなかったから。人とあまり交流しない私と違って、サリエリの周りにはいつも人がいたから。彼はいつも思考するような思慮深い人だったから。サリエリの世界も心も私で占めるには、音楽しかなかった。私には、音楽しかなかった。

 

いつからだったかわからない。私は彼に恋をしていた。

 

鍵盤の上を私の指先が躍る。観客はたった一人。大切な一人。瞼を伏せたまま、横目で彼を窺った。彼は私だけを見ていた。わたし、だけを。

 

これは恋。まだ、恋だった。おだやかな愛とは違って、胸が痛くて、甘くて、チリチリと私を焦がして、一摘みの狂気と盲目、ただただ一心に求め、私の心を満たし尽くす恋。無音の情熱。

きっと口にすることのない、いずれは声もなく枯らしてしまうだろう想いだった。だって、だって。

 

だって彼は、私の音楽だけを愛してる。

 

私の奏でる音楽なしに、音楽の話なしに彼の、音楽がある時くらいの笑みを見たことがなかった。微笑みも興奮もなく、肩書きと人柄に相応しい少し厳しい普通の表情。私とサリエリを繋ぐものはきっと、音楽しか、なかった。

 

時代と感性の違いのせいで生じるズレ。そのズレが言動に出てしまった時に私をたしなめるのも嫌味を使って忠告してくれたのも、ほとんどサリエリだった。私のそばに一番長く居たのは、家族をのぞけば彼だった。どんな理由があったとしても、口数少なく非社交的で、伝えてはいないけど、おかしい世界しか映せない欠陥品の目を持つ私と、サリエリは一緒に居続けてくれた。音楽家としてだけど、私を追いかけ続けてくれた。遠いと、届かないと思っているくせに、それでも、追いかけてくれている。それだけで、よかった。

 

サリエリにとっての友達くらいには、なれたかな。

 

一時(いっとき)でいいから、彼の視線の先を釘付けにしたかった。私という人間で、心を満たし尽くしたかった。

でもそれはきっと、私だけの想いだった。

 

身体の奥底でカタカタと、悪魔が鍵を開けようとしている音がする。その音を恐ろしく感じる、けれど……無駄なことなのに。たとえ私が死のうとも、決してその鍵は開くことはない。

 

カタカタと、音が響いてる。私の内から鳴る、恐ろしく、そして虚しいだけの音が。

 

 

 

 

ーーー夢を見る。

ーーーー夢を、見る。

汚く醜い、そして愛ある人類が好きなのだと、笑う(誰か)を見た。

 

「君もそうだろう?」

 

まだわからない。私とよく関わりがある人なんて家族とマリアたち含めて両手で足りてしまう人数だし、私が愛した毎日はこことは違う国と時代と人種で。嗚呼、それでも。

 

「それでも?」

 

消えてほしいとか、憐れで悲しみだけの存在だとか思ったことはない。だって、私はそうじゃなかった。きっとほとんどの人もそう。悲しみだけの人生じゃないから。

たとえどんなに不幸な人生でも、不幸な結末でも、幸福な瞬間がたしかにあったはずだから。

 

「だよねぇ。そういう所、あいつらわかってないよな」

 

というか観てるくせに見てないと、鼻を鳴らす(誰か)は手に取った紅茶を一口飲んだあと、クッキーを次々と摘んでいった。

そのかぐわしい紅茶もクッキーも、いったいどこから出したのだろう。

 

「夢だからね。想像できうるものならなんだって叶うさ。曖昧で漠然として、朦朧とした狭間。だからこそ、僕達は出会えたわけさ」

 

ぼーん、ぼーんと、どこかで鐘が鳴っている。家にある振り子時計の音だ。あぁ、また鳴らないようにしておくのを忘れてた。今は何時だろう。起きなくちゃ。

 

「じゃあね、女の子の僕」

 

ーーーさようなら、何処かの私。

 

幼い頃、私が新たな故郷しか知らない頃。私の身体に時折うっすらと醜く痛ましい何かを幻視した。ギョロリギョロリとあたりを俯瞰しては私を見つめてくる。それが何かもわからず、それでも私はそれに見つめられるたび、ただ、嫌だ、と思うのだ。嫌だと、なぜか心の中で呟く。マリアと出会ってからは、それは黒炭(くろずみ)へと変化した。

 

「あっ」

 

前方にさりげなく差し込まれた足に躓いて転ける。バサバサと宙に舞う楽譜、クスクスとひっそり、だけど私の耳にかかればはっきりと聞こえる低い囀り。少し濃い香水の匂いを感じながら身を起こそうと床に手をつければ、フと、身体に浮かぶ黒炭が目に映る。何処からか甲高いトランペットの音が聞こえてくる。頭に響いて、痛くて仕様がない。嗚呼、はやく楽譜を拾わないと。

 

「何をしている」

 

静かな、どこか繊細な足音。低い落ち着いた声が二、三問い掛けるとそそくさと去っていくバラバラの乱れた足音。ぼーん、ぼーんと、どこかで鐘が鳴っている。

 

「怪我はしていないか?」

 

目の前に手が差し出されて、腕を辿るようにその誰かを見上げた。私をまっすぐ見ているその銀髪の誰かの手にゆっくりと手を重ねて、ただぼんやりと、その人を見つめてた。

視界の隅に映った手から、黒炭は消えていた。どこかでカチリと、鍵の閉まる音がした。

ピアノの音が聞こえる。うつくしい、音の連なりがなす煌めき。夜に瞬く天の川のような、音楽が私の頭の中を満たしていく。はやく白紙の楽譜に星を刻みたい。私以外に聞こえないそれを、はやく形として残したい。

音楽だけは変わらず、どこまでも響き、誰にでも届くから。

 

私は(悪魔)より、音楽を愛している。

 

ぱちり、あがった目蓋の先は見慣れたやわらかな色の天井だった。夢をみていた。過去を見ていた。

嗚呼、あの時、手袋をしていなかったら君の手の熱を感じとれただろうか。フと、そんなことを考えた。

 

 

 

 

蝶が、好きだった。

ぷっくりとした身体から蛹を通してまったく別の身体に生まれ変わる。うつくしい羽を揺らめかせ光の中を飛んでいく。そして、いつかは地に落ち土に還ってく。それは自然の摂理、命の循環。あたりまえのこと。

 

むくんでいく身体と下がらない発熱、頭を蝕む頭痛。私の死期が近づいていた。死自体は恐くはなかった。それは平等で、どんな時も変わらず寄り添ってて、生まれた時から一緒にいる見えない永久の隣人。怖いのは、いずれ大切な人達の中から思い出として消えていってしまうことだった。でも、それは普通のことで、たとえ消えたとしても確かに残る何かはあって、先へと続いていく何かもある。私が生きていた未来も、そうやって築き受け継がれてきた。

 

あるいはこれすらも恐怖ではなく、幸福に基づいた悲しみなのかもしれない。

 

ーーーコッ、コッ。

 

ノックの、音がした。誰かが部屋の扉をノックした。なんの音もないのに、ノックの音だけを、私の耳は拾った。誰かが来る音(・・・)も、居る音(・・・)もしないのに。

 

「どうぞ」

 

少し掠れた声で入室の許可を出した。こんな死にそうな時に訪ねて来る人でない者なんて、そう多くはない。誰なのか想像はついてた。

だけど、部屋に入ってきて作曲の依頼をするその姿は。

 

私はただ、呆然とその男を見ていた。だいぶ年をとっているけど、そう、その顔は。

 

「は、ははっ……ずるい……」

 

恋する人と同じ顔の死神を、拒めるはずがなかった。たとえ、私がきっと見ることのできない未来の顔でも。

朗らかな笑顔を浮かべるその顔に乾いた笑いをあげるしかなくて、その後はただただ涙が流れて止まらなかった。泣きながら、もう少しその顔を若く出来ないのかと文句を言ってみた。無理だと言われた。

あぁ、水が飲みたい。喉を潤したかった。涙で出ていった水分を摂りたかった。こんなに掠れていたら、歌も歌えない。

 

「ねぇ、君はどんな音楽が好き?私は君への詩を紡ぐよ」

 

少し驚いた表情をした死神に、だってと、私は言った。

 

「だって、これは鎮魂歌(レクイエム)だから。それは、君を労わるための曲だから」

 

 

 

 

身体は熱のせいで寒い。それでも、心の臓は熱かった。私の魂が燃えていた。まるで、終わりが近いが故に燃え上がる猛火のように。

白紙の楽譜にガタガタの汚い音符で、でも決して間違わずに音楽を刻んでいく。力を込め難くなった手はもう、滑らかにペンを使えなくなってた。病に罹る前と比べ見辛い楽譜、それでも、音楽はうつくしい。

ペンが持てなくなってからは、サリエリを呼んで代わりに書いてもらった。一生のお願いだからと、そう言って頼んだ。サリエリになら楽譜を任せられた。私はサリエリが、よかった。

 

サリエリは時間を作ってまで毎日来てくれた。サリエリはそんなこと一言も言わなかったけど、彼の普段の生活を考えれば察することができた。彼のそういう優しい所も、私は好きだった。

 

まだ作曲は終わらない、声でサリエリに音の連なりを伝える。口から煌めきを生み出す。ゴウゴウと命が燃えている。腕が動かなくなっても、身体が起き上がれなくなっても、声が掠れてきても、詩を紡ぎ続けた。

 

暗闇の世界で、ただただ曲について考えた。

 

「もういいッ!頼む、休めアマデウス!碌に食事も摂れぬうえに、眠れてもいないと家政婦から聞いたぞ!このままでは治るどころかより命を縮めているようなものだ!……作曲はおまえの体調が回復してからでも構うまい。今は、ただ、休め」

 

「……私、君のそんなに焦った顔、初めて見たよ……」

 

泣きたかった。泣きそうだった。

今サリエリは、音楽じゃなくて、私を選んだ。新しい私の曲じゃなくて、私の命を選んでくれた。

 

「私、君に心配されるくらいには……死を、恐怖されるくらいには……好ましく想われていたんだね……」

 

「死など、不吉なことを言うな」

 

サリエリは、音楽抜きに私を想ってくれてる。私が死んでしまうと、恐れていた。それは紛れもない、好意から生まれる恐怖だった。

 

死んでしまいそうなほど、幸せだった。

 

「大丈夫だ、大丈夫だアマデウス……神が、おまえを見捨てるものか」

 

焦燥して、哀しみ、怯えている瞳。あぁ、それはともすれば絶望の表情にも似ていて。なら、そこにはきっと、きっと、愛があった。

声が詰まって、言葉がつっかえる。

 

「わ、私は、たしかに音楽の天才だけど、私自身は、た、ただの、つまらない人で……。君が、いつも、ま、まっすぐ、私の演奏を称賛して、くれるから、わ、私は、私を天才だと、言えるんだよ……」

 

「なにを、馬鹿な……その自己卑下をやめろ……」

 

はじめて吐露したことだった。サリエリは、驚いたように少し目を見開いて、顔が強張っている。初めて出会った時と変わらない、まっすぐ私を見てくる瞳。

フと、過去に思ったことが心に浮かぶ。その手は、サリエリは、どんなぬくもりを持っているんだろう。直接彼に、触れたかった。触れてほしかった。

 

「ねぇ、最後のお願いだから……手を、握って……。手袋越しじゃなくて……手と手で……きちんと……」

 

最後のお願い、その言葉の意味に口元を戦慄かせながら、それでもサリエリはお願いを叶えてくれた。

掬い上げるように繋がれた手。音楽家らしい男性にしては細い、けれど大きいしっかりとした手。

伝わる体温に気分が安らいで身体の力が抜けていく。コッコッと、玄関で扉をノックする音が聞こえる。感じる微睡みに身を委ねていく。そして、きっと最後は沈んでいく。

 

「ねぇ、サリエリ……私は、マリアを愛して、る……。私は音楽に……この身、を……捧げてる……」

 

「ああ、知っている……知っているとも」

 

「そして、私……君に……恋を、してた……今も、君に恋を……しているよ……。恋する、人に……手を、繋いで、もらいながら……眠りを……迎える、なんて……どれくらいの、人が……経験、して……いるんだろう」

 

繋がったサリエリの手が、震えている。どんな表情をしているのか知りたくても、いつの間にか霞んできた視界では彼の顔を見ることも叶わない。

しっかりと握ってくれているサリエリの手の感覚がだんだん分からなくなってきて、嗚呼、それでも、その熱は分かった。私の手の中に、彼の炎が、生きている証があった。

 

「あぁ、サリエリ……君の手……思ってた、より……ぁ、つい……んだ、ね……」

 

コッコッと、部屋をノックする音が鳴る。開いた扉から音のない彼が歩いてくる。彼の姿だけ、はっきりと見れた。彼が私の作ったばかりの、まだ未完成の曲を口ずさんでる。その音楽に紛れて、音が、サリエリの音がしている、のに、嗚呼……。名前を呼んでくれている気がするのに、あぁ、ごめんね、サリエリ。もう、君の声も遠くて、聞こえないよ……。

 

「ぁ、よ……な、ら…………」

 

 

 

 




生前編。今のところ初サーヴァント編もとい初原作ストーリー編はアマデウスちゃんになりそうです。ただし亀更新。
ジャンヌ・オルタは生前が原作ストーリーなのでノーカン扱いです。イベントからが本番。


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星を見つめるアマデウス2

サンソンとの会話が難産でずっと更新止まってました……。




 

 

竜が飛ぶ。竜が夜空を飛んでいる。嗚呼、なんて。

 

「時代遅れ……」

 

空に永劫在るのは雲と太陽、星と月。このフランスに、この時代のフランスに、もはやお伽話となった竜なんてナンセンスが過ぎた。絵画や音楽、収穫祭や料理、そういう芸術や文化的な物の方が似合っている。それに、竜よりも龍の方が好きだった。破壊と欲望、力の象徴なんて、ほんとうにナンセンスだった。

 

サーヴァントとして召喚された。それは分かっているし、聖杯から与えられる知識もあるから聖杯が存在することもわかる。それでも、マスターはいなくて召喚の儀式の跡もなかった。ほんとうに、異常事態だった。

 

異常事態だからこそ、きっとこの奇跡に巡り会えた。

 

「あら……?まぁ……!そこにいるのはアマデウスね!」

 

彼女を見間違えるはずがなかった。暗闇の世界でたった一人輝く人。幼くして花嫁となって一人、あの故郷から嫁ぎに行ったあの頃の姿のまま、マリアがそこに居た。

 

「マリア……」

 

数多いる英霊の中で招かれる数人、その中に私もマリアもいて、この広大なフランスで再会するなんてどれほどの確率だろう。あるいはフランスでマリアが召喚されたからこそ、私も召喚されたのかもしれなかった。

 

「ねぇ、アマデウス、あなたもマスターがいないのかしら?」

 

「そうだよ……。マリアもそうなら、この聖杯戦争はそういう形式なのか、まだ出会ってないだけなのかもしれないね」

 

なら探しに行きましょう、そう少女の華麗な声で言って、まるで軽やかに踊るようにマリアは進む。その華奢な手で私の手を握って、見えにくい森から物が見えやすい暗闇へと私を引っ張っていく。あぁ、世界がきちんと明るく見えたのなら、もっと、この光景を美しいと思えたのだろうか。私はただ、繊細に煌めくマリアしか見えなかった。

 

 

 

 

 

 

黒く優雅な服を纏った、悍ましい美しさを持つ2人の男女。かつて人であった誰かの成れの果て。きっと、そうなりたくてなったわけじゃないだろうに、人の形をした2人の中はぐちゃぐちゃで。完成されてしまった歪の中に、音の違う不協和音が混ざっている。酷く不快で、悲しい音だった。

 

ひっそりと息を潜めて時を待った。待って、待って、待って、嗚呼、繊細で優美な指先が合図を送ってきた。

 

「人であったならば聞き惚れるがいい!宝具、『死神のための葬送曲(ソング・フォー・ユー)』!!」

 

マリアは時折ひどく賢かった。まるで真理を魂と本能で理解しているみたいにどうすれば良いか知っていた。

囮のマリアに私の不意打ちの宝具。二段構えの撤退戦。相手がたかが王妃と侮れば侮るほど逃げやすく、追撃の優先度は低くなる。

 

撤退に成功して逃げ込んだ森の中、助けた時代錯誤の、この時代より先の衣服を纏う人達と自己紹介と情報共有をしようと向き合った。そして。

 

其処には丸い二つの青空があった。深く鮮やかな、カラッとした夏の空。そうだ、そうだった。こんな色だった。

 

「よろしくお願いします」

 

自己紹介の後、握手のため差し出された手にゆっくりと手を伸ばした。触れた年相応にやわらかい、けれど少年らしい硬さも持つ張りのある手。温かな、手。

キラキラと、空が輝いている。それは生きている者の、命の煌めきだった。

 

 

 

 

 

 

人も世界も、愛と恋で救われる。私にとってそれが真実で真理だった。

 

その男は狂っていた。朗らかに、母親に褒められたそうな少し照れた少年の表情で、処刑執行人の顔をしてマリアに笑う。その白銀の髪も白い手も赤黒い血で汚れ、手に持つ刃は市民の血と怨嗟で濁りきっていた。それは誰かのために生み出したギロチン(願い)であったはずなのに。

狂わされていることに気付いてない狂った男。殺人鬼は処刑人の顔をして、ただ、笑った。

 

「やはり僕と貴女は、特別な縁で結ばれている」

 

運命だと、特別な果実を口にするように、詩を言紡ぐ(ことつむぐ)ように言った。

狂わされた男への悲しさはあった、けれど、不安はなかった。マリアで始まったのなら、きっとマリアが終わらせる。彼は愛に救われる。

人も世界も、愛と恋で救われる。それは生前の私が証明している。

 

獣は愛と恋によって生前の私と共に死んだのだから。

 

 

 

 

 

 

いつだって運命は少し切なくて、苦しくて、そして正しき未来へと繋がっている。

マリアが滑らかな手袋で包まれた両手を私の頬に添えて、歌うように告げた。

 

「ねぇ、アマデウス。帰ったらあなたのピアノを聞かせて頂戴」

 

その言葉で理解してしまった。分かってしまった。嗚呼、マリアは予感している。だからこそ告げられた遠回しなさようならと再会の約束。

 

「マリア、きみの願いなら、いくらでも」

 

さようなら。音にせずそう囁いた口元を、マリアは分かっただろうか。ただ柔らかに笑い返される。幼い少女が浮かべる物ではない、人生を積み重ねた大人の、慈愛のこもった微笑み。

踵を返してジャンヌ・ダルクのもとへ向かう姿は可憐な少女でしかないのに。正しいことに、それ故の死にさえ綺羅めかしく手を振って微笑みながら向かっていける人。私はまた、死へと向かっていくマリアを見送ることしかできない。それしか、私には許されない。嗚呼、嗚呼、嗚呼!こんな時にピアノの音色が浮かぶ。流れ星がいくつも綺羅めいては消えていく。輝きを纏うマリアの背がどんどん遠くなって暗闇の世界へ消えていく。

 

さようなら、愛しい人。

 

「……そろそろ私達も出発しようか」

 

「……アマデウスはマリーのこと、今も好き?」

 

気遣うようにそっとかけられたその声は優しかった。この場で唯一混じりけもない純粋な人間、生者。カルデアのマスター、藤丸立香。少し一緒に行動するだけでわかった。人間として欠落してしまう魔術師とは違う、ただの優しすぎる普通の子。

この子は私を男性だと、勘違いしている。けれど私の身体を隠す服装とさっきのプロポーズの話を聞いたら仕方のないことだった。

 

「私がマリアに抱いたのは恋じゃなかったよ。これは、愛。私はマリアを愛してる」

 

「愛している……」

 

まるで初めて知るモノのようにマシュが呟くのが聞こえた。正真正銘の幼い少女の瞳に困惑の色が見える。

 

「……マリアはきっと、私にとっての運命の分岐点だった」

 

「分岐点?」

 

「そう。たとえどんな事があっても、私は音楽に出会って、音楽に身を捧げる、そんな私になる。どんな人生の過程でも、私は私になった。今の私に帰結する。でも、もし違う私が出来るとしたら、それはマリアに出逢わなかった私。暗闇の世界で独りぼっちの私」

 

どんな灯りを目にすることも叶わず、ただ音楽しか存在しない世界。暗闇に眼を潰されただろう私。

 

「でも、私はマリアに出逢って、愛を抱いて、恋をする。私はそうして完結した。マリアは、私の愛する人だよ」

 

「……わかりません。アマデウスさん、あなたはマリーさんを愛していると言います。けれど、あなたは以前人間は汚いと仰いました。なら、あなたにとってマリーさんも例外なく汚いものだと思うのですが……」

 

ふと、マシュから出た問い。ほんとうに、ほんとうに分からない、そんな顔をしている。

あぁ、この子はきっと何も知らない。まだ、愛も恋も知らない幼い人間。知識ばかりの正しさと、ひたすらな好きだけをその無垢な胸に抱いている。

新雪が積もった白い雪原に、やっと一歩を踏み出し足跡を残したばかりのような、歩み始めた人間。

 

「私は、汚いものも好きだよ。音楽は誰にでも美しくて、人間は汚い。ただ、それだけの話だよ」

 

「え……え?だって、人間は美しいものしか愛さない、と……」

 

「美しいものしか愛せないんじゃないよ。人間は美しいものだって愛せるんだよってこと」

 

人間は汚い。けれどそれは生きている証。外から何かを受け入れて、必要な何かと一つになって、不要な何かを捨てる。それは食べ物だったり感情だったり、形有るモノも形無いモノも同じ。人間は汚い。生きたがり、死にたがり、欲しがり、与えたがる。人間は想像ができるモノを、想像できないモノは無意識に、何かを欲することができる。

お綺麗な人生を押し付けられても、お綺麗に生きなくてもいい。周りに止められても、助けたいと思った人に全力で駆け寄ってもいい。どう生きるかなんて個人の自由だから。その人の人生はその人だけのモノだから。想い()に素直な人類。そんな汚い人間の中で、自分が好きになった人を好きになればいい。

 

「生き続けるかぎり、いつか分かるよ。だって、それこそが人生だから」

 

それこそが、人間なのだから。

 

 

 

 

 

 

正直、微かに声が聞こえてきた時点で嫌な予感はしていた。

 

「ぐッ、うぇ、ぇぇッ」

 

「アマデウスッ!?」

 

街の中の音源近くに行くともう、あんまりに気持ち悪くて、不快で、えづく。サーヴァントは食べた物は魔力に変換されるから、吐き出す物がなくて逆にそれがツラかった。頭がごちゃごちゃに掻き回されるようで、身体に力が入らなくて膝をついた。藤丸くんがひどく慌てているのが分かるけれど、もう、ほんとうに、無理だった。意識が、き、え……。

 

「あぁっ!アマデウスが倒れた!」

 

「アマデウスさんーッ!!」

 

 

 

 

 

 

竜の魔女と戦うために走る藤丸くん以外はもう、混戦しているようなものだった。ただ藤丸くん達の戦闘の邪魔をさせない、それだけの共通の意識で不思議と互いに噛み合って、バカみたいな数の竜を薙ぎ倒して彼の道を切り開いていた。

竜達を墜として、墜として、墜として。移動した先に息をきらすマシュが居た。マシュの盾の向かい側には、黒い靄を漂わす一騎のサーヴァントがいて。

 

「アアァアア……アアァアア!」

 

悲痛な音をただ溢れ落とす彼は、壊れてしまったのだろうか。マリアに気づかされて、そしてきっとマリアの消滅と引き換えに救われて。でも、耐えられずに壊れて、しまったのだろうか。全部推測でしかない。なにもかもを知っているのはその場にいて、その本人であるサンソンだけ。サンソンの中に、だけなのに。

 

「こんにちは、サンソン」

 

君は、全てを抱き締めながら壊れてしまったのだろうか。

 

「アマ……デウス……?」

 

「……マリアは、先にいってしまったよ」

 

「アーーマーーデェウスゥゥゥウウウッ!」

 

絶叫だった。喉が傷つく程の、何かを振り切りたがっている様な叫びだった。私の言葉なんて、届いていないのかもしれない。

 

「ねぇ、壊れそうな君。生真面目過ぎて、少し優し過ぎたシャルル=アンリ・サンソン。君はマリアの愛の言葉を抱き締めたまま、壊れてしまうの?」

 

「グゥウ……ハァ……アァ、ア」

 

「狂った男のまま、ただ死を貶めて撒き散らすものとして、君は終幕を迎えるの?」

 

「ハァ、ァ…………だ、まれ。だまれ、アマデウス!おまえが、おまえが死を語るな!」

 

彼に私の声は聞こえてはいたようだった。靄が消えて、サンソンの肌に罅が走っているのが見える。砂を水で無理矢理固めたような、ボロボロの身体だった。それでも、剣を構えて彼は私を見据え叫んだ。

 

「僕はずっと、死を音楽などという娯楽に落とす君の鎮魂歌(レクイエム)が嫌いで嫌いで仕方がなかった!」

 

振り下ろされた刃は、マシュの盾に防がれる。甲高い音が辺りに響く。私の苦手な、人を傷つける剣の音。美しくない音。

 

「死を音楽に落としてるんじゃない。死に、音楽を贈っているんだよ」

 

「ッ!君はいつもそうだ!なんでもないことのように死を口にする!ただ受け入れて、死自体はなんとも思わない!君のそういう所も嫌いなんだ!」

 

ひどく感情的だった。リズムはメチャクチャで、けれど乱れた刃を捌けないマシュではなかった。受け止め、受け流し、そしてついにマシュがサンソンの体勢を大きく崩した。鋭く研ぎ澄ました音の魔弾を打ち出す。不可視のそれがサンソンの胸元を貫通していく。血飛沫が上がって、嗚呼、パリンッと、核の砕ける音が耳に届いた。

 

「……嗚呼、また、君に敗れるのか、僕は。なら……邪悪は紛れもなく僕だった。正義は、君たちにあったんだね」

 

さっきまでの激情が消えた穏やかな声だった。まるで微睡みから覚めたような、そんな変化だった。

膝をついたサンソンが微笑む。優しく、そして少し泣きそうな微笑みだった。

 

「あの時と同じく王妃は微笑みながら…………魔女の炎を受け入れた」

 

サンソンが言った光景は容易に思い浮かべることができた。空に消える虹のように、水に溶ける雪のように。繊細で、ただただ優しく綺羅めかしい微笑みをずっと、消える最後まで。

 

「諦観ではなく、希望を抱いて。……君たちに、どうか祝福がありますようにと」

 

そう言い残して、サンソンは還っていった。穏やかな笑みのまま、処刑人は世界にとけた。

 

 

 

 

 

 

声が、聞こえた。心が届く。紡がれたばかりの細い縁。嗚呼、行かないと。震える心が、それでも折れたくないと叫ぶ想いが伝わってくる。だから私は、青空を思い出させてくれた君のもとに行こう。

 

か細い縁を辿って着いた人理の果て。

そこには、どこまでも続く青空があった。きっと私にしか見えていない青空だった。明るい空に、星々は瞬かないから。星の輝く青空はきっと、暗闇だった。

 

「我ら九柱、音を知るもの。我ら九柱、歌を編むもの」

 

幾柱もの魔神柱が言紡ぐ。ギョロリギョロリと目のような器官が動いている。これが、魔神柱、これが人理を焼却しようとしているもの。……嗚呼。

 

悲哀に目が潰れた獣。あなたには星が見えていない。

 

「恐ろしかった。ずっとずっと、恐ろしかった。だけど、実際に見てやっぱり確信した。私はお前達にはならない。だって、私は知ってる。愛と恋は世界を救うことを」

 

知らないのだろう、分かろうとしていないのだろう。愛と恋がどれだけの勇気を与え、世界を光で照らすのか。

涙に溺れている獣は、気付いてすらいないのだろう。

 

 

 

 

 

 

消滅して現れなくなった魔神柱と同調するようにボロボロと足場が崩れていく。立っているのもやっとな状態の私に耐えられるわけなくて、倒れそうになったのを誰かに横から支えられる。振り向けば、それはボロボロのサンソンで。乱れた銀髪が反射する光が、少し眩しかった。彼の銀髪も、本当はこんな風に輝いていたのだろうか。

 

「ありがとう、サンソン」

 

「……たとえ君でも、目の前で倒れそうになっている女性がいれば支えるさ」

 

私はそんなに意外そうな顔をしたのだろうか。眩しさに細めた目が、そう見えたのだろうか。消耗しきった霊基がとうとう壊れきって、身体が解けていくのが分かる。最後くらい、気の抜けることを言った方が、良いだろうか。

 

「君は私があんまり好きじゃないようだけど、私は、君のこと好きだよ」

 

「はっ、」

 

「だって君、本当は私の鎮魂歌(レクイエム)好きでしょう」

 

顔が近いから、サンソンの口元が引き攣ったのがよくわかった。見開かれた瞳の中に、ボロボロの私が写っているのが見える。光の粒子にバラけて、顔の輪郭さえもう曖昧だった。

 

「私、音楽の天才だから。好きにならないはず、ないよ」

 

「ッ!アマデウス!」

 

咄嗟に声をあげたサンソンも、どんどん身体が解けていっている。もう、私たちの役目は終わった。後は、藤丸くんたち次第。

 

……嗚呼、今回の召喚は本当に疲れた。音楽家には少しどころかだいぶツラかった。今度顕現する時は……ピアノ、を、ひ……き…………。

 

 

 

 





アマデウスちゃん
自分には音楽しか取り柄がないと思っている天才音楽家。
人も世界も愛と恋で救われると心底本気で思っている。
基本物静かでどこかズレている人物だが、恋した人がアマデウスの音楽を愛する限り自身を音楽の天才と公言する。
生まれ変わって暗闇の世界しか見えない。冠位時間神殿で宙域が青空に見えたのは生前共に死んだ存在の残骸に影響されたため。
偶像ではなくマリーの中にある彼女自身の人間性をこそ愛した。何故かマリーだけ物理的に輝いて見える。
音楽に身を捧げ、マリーを愛し、とある音楽家に恋をした。

マリーちゃん
フランスに恋をされた王妃。
一人の人間として、友達として、そして少しだけ無垢な子供に対するようにアマデウスを愛した。
男性だと周りを欺いていたアマデウスと少し過ごしてすぐに女性と見抜くという、何気にすごいことをしているがそのことに気付いていない。男装をしていること、何か秘密を抱え込んでいることに気付いているが、アマデウスの秘密である暗闇しか見えない目のことは知らない。

サンソンくん
狂化付与されてしまった処刑人。
マリーへの想いを拗らせてるが、アマデウスに対してもある意味拗らせている。アマデウスの死自体への感じ方が気に入らない。
なぜかアマデウスが女性だと知っていた。
今回より以前に英霊としてアマデウスに遭遇しているような物言いをしているが……?




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